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おもに、入試の現代文対策を述べる。学校の定期テスト対策では、授業中にとったノートや教科書や教科書ガイドなどをキチンと復習すればよい。 学校のテストでも、教科書に書いてない作品を問題文として出題する場合がある。そういう問題の対策にも、これから述べる入試対策の現代文対策と似たような勉強法が必要になるだろう。 これから述べる読解の作法は、あくまで、入試対策や、定期テストでの授業で扱っていない範囲から出題された問題文への対策です。授業でならった範囲から出た問題文の場合は、あらかじめ内容や解釈を覚えた方が、てっとり早いです。というより、授業で習った範囲の問題文の解釈は、あらかじめテスト前の復習で、解釈ごと覚えておかないと、テスト中に問題をテスト時間内に解き終わりません。 現代文の読解は、筆者の主張を短時間で正確に理解するための作業です。読解力とは、そのような短時間での理解の作業を遂行していく能力でしょう。 数学に公式と言う「手法」があるように、現代文の読解にも「手法」があります。 読解中の具体的な作業として、「それ」とか「その○○」みたいな指示語などの「それ」とは何を指すかを明確にしながら、問題文を読み進めます。 このため、国語の問題練習では、鉛筆や消しゴムなど筆記用具が必要になります。単に読むだけでは、練習になりません。数学などと学習法が似ています。数学などでは、計算練習のような、鉛筆を使った作業が必要な科目です。現代文も、鉛筆などの筆記用具を使った作業が必要です。 テスト問題にも、問題文(作品の文章本文のこと)中に代名詞の「それ」とか「あれ」とかに傍線が引いてあって、設問文で "傍線部Aの「それ」とは何を指すかを問題文中から抜き出して書きなさい。" というような設問が多く出ます。 なので、文を読むときに、最初から「それ」とか「その」などの代名詞などが出てきたら、問題文の何に相当するかをメモしながら(試験用紙などにメモ)、読み進めます。線で結ぶとか、カタカナ書きなどで具体的に対応する語句をメモしておくと良いでしょう。 話題は変わりますが、もし自分で文章を書くときは、代名詞をあまり多用しすぎないように書いたほうが、読み手にとっては分かりやすい文章が書けるでしょう。 「それ」などの代名詞を用いるよりも、「その○○」などというふうに具体的に指示対象を併記したほうが読み手が分かりやすいでしょう。 とくに実社会での報告書や説明文などでは、なるべく読み手に掛かる読解の手間を、減らす工夫をしなければなりません。報告書での文の読まれる順序は、かならずしも文章のはじめから文が読まれるとはかぎらず、抜粋(ばっすい)などをされて、第三者の読者に途中だけ読まれる場合もあります。なので、もし書く際に代名詞を多用すると、読み手が前の文を読み返す負担が増えるので、なるべく代名詞を抑えたほうが良いのです。途中の段落の始めや、途中の章の始めなどでは、読み手がわざわざ前の段落や前の章を読み返さなくてもすむように、代名詞や指示語の使用はひかえめにして、具体的に名称を書くほうが読みやすくなる場合が多いでしょう。 中学生・高校生では、別に報告書の書き方をここまで練習する必要は無いでしょう。学習時間も足りませんし。(学生は、他の教科・他の単元の学習もしなければならない。) まあ、読者は頭の片隅にでも、報告書の書き方を入れといてください。 たとえるなら算数で引き算の練習をやれば、自然に足し算も上達しますよね。同様に、読解の練習をすると、自然に書く能力も上がります。 なので読解練習での指示語の指示対象を探す練習の学習成果によって、自然に報告書や説明文を書く能力も上がります。 ただし、詩歌や俳句や物語文などの場合は、文を書く際のノウハウが変わります。俳句の場合は字数の制限がありますし、詩歌や物語文などの場合には音のリズムの関係もあるでしょうから、あまりに具体的に名称を書いてばかりいると、かえって読みづらくなってしまうかもしれません。このような詩歌などの場合には、指示語や代名詞も用いたほうが良いかもしれません。 なので、書き手は用途に応じて、書き方を分けてください。 問題文の主張に、感心する必要はありません。そんな事は入試では要求されません。現代文のテスト問題には、出題者が「この作品は優れた内容の作品であるので、出題しよう。」と判断した作品が問題文として採用されているので、ついつい感心しやすい内容の問題文が出ます。しかし、テスト中には、感心している暇がありません。そういう感傷(かんしょう)は、テスト後にひたりましょう。 もっとも、検定教科書に採用された作品の場合、とくに説明文や近代文学などの場合は、内容の理解も教育の一部として考えられているので、もし予習復習の時間に余裕があったら、感心するような作品の問題文は何度か読み返すのも良いでしょう。また、現代文ではないですが、古文や漢文などでも、あらかじめ内容を理解してないと読解に時間が掛かるので、古文・漢文の作品は内容ごと覚えてしまうのも良いでしょう。 ただし、作品に「感心した」「感動した」という感情は、主観的な感情にすぎません。テスト等では、客観的に測定できる分析力や読解力が要求されます。客観的な読解能力とは、訓練しないと身につきづらいものです。客観的な読解能力のほうが、需要(じゅよう)が高いのです。 読解問題には時間が掛かります。なので、まずは暗記してれば解ける、漢字問題などを中心とした大問(たいもん)があれば、そちらから解くことで、得点を確保しましょう。 また、古文・漢文などの古典の問題は、比較的、短時間で読解できたり、あるいは暗記問題だったりするので、現代文よりも先に古典文の大問から解いたほうが、得点できるでしょう。 さて、問題の問題文を読む前に、設問を読むのが、受験テクニックです。現代文の大問では当然、設問から読むべきだし、古典の大問でも同様に、設問から読むべきです。 その上で、設問で問われることを念頭に置きながら、問題文を読みます。もし、そうせずに、かりに試験用紙の掲載順どおりに読んでしまい、つまり問題文を読んでから設問文を読むと、そうすると設問文を読んだあとに再び問題文を読み直す必要がありますので、問題文を2度読むことになります。だから掲載順どおりの読み方をしてしまうと、問題文の読み直しをする必要が生じてしまうので、余計な時間が掛かり、設問を考える時間が足りなくなります。 多少の例外はあるかもしれませんが、たいていの場合、設問から先に読んだほうが、得(とく)な場合が多いです。 もしくは、本文の最初の段落など、本文の一部だけ先に読んでおいて、そのあとに設問を読んで、それから本文全部を順番に読む、などという方法も、よいかもしれません。 かりに設問の数がやたらと多い場合とかは別でしょうが、普通のテストでは、そういう事はありません。そういう例外的な場合(設問の数がメチャクチャと多い場合とか)でない限りは、まずは設問を読んでから問題文全体を読んだほうが安全でしょう。 そして、設問を先に読んでいるので、問われる内容が分かってるので、問題文を読んでる途中に、ある設問の答えが分かる場合があります。もし答えが分かった場合、その答えを忘れないうちに、もう解答用紙に書いてしまいましょう。どうしても解答用紙にかけない場合(たとえば字数内にマトメルのに時間が掛かる、とか)でも、せめて、答えの内容のメモ書きくらいは、問題用紙の余白などに、しておきましょう。 数分でも時間がたつと、意外と忘れるものです。なので、忘れない内にメモ、です。 なお、「代名詞の内容を追いながら、読む」などのテクニックを実行しながら、問題文本文を読むことを忘れないようにしてください。 つまり、これまでの読解テクニックをまとめると というような順番になります。 もし問題文を1回読んでも分からない場合、ほんの1分ほど設問に関係しそうな場所を読み直して、それでも分からない場合、もし他にも別作品の大問があれば、そちら(別作品)を解くのに取りかかります。 たいてい1つのテストで、2個や3個の作品が問題文として別々に出題されてるので、それらに均等に時間配分をして、テストを解いていきます。ときどき、最初に掲載された問題文が、やたらと難しい場合もあるので、もしそういう場合に、最初の問題文だけに時間を割くと、ほかの問題を解く時間が無くなってしまいます。 「問題用紙に掲載された作品中、どの作品が易しく解けて、どの作品が難しいか」なんてのは、読んでみないと分からないので、とりあえず、設問を読み終わったら、さっさと問題文を最初の作品から順番に読み始めましょう。 さて、問題文と設問文との掲載順序について、けっして出題者は「気を利かして先に設問を掲載してから、次に問題文を掲載する、」なんて事は、してくれません。なので、しかたなく受験者のほうが、気を利かして先に設問文を読む必要があります。 実社会でも、上司に報告や連絡や相談などをするときには、先に概要(がいよう)とか要約(ようやく)を話してから、続けて詳細を続けて話す必要があります。そうやって先に要約を話しておかないと、上司が聞きなおす必要が生じて、上司の時間を奪ってしまうからです。実社会での報告・連絡・相談では、もし先に要約を話さずに、先に詳細から話しはじめると、おそらく上司に叱られます。 なので、新人の社会人は報告での要約の練習をさせられたりします。 学校の現代文での練習で、設問を先に読むことも、そういう実社会での要約の練習だと思って、がんばりましょう。 また、実社会でも、文献調査(ぶんけんちょうさ)や取材(しゅざい)などをするときは、客先(きゃくさき)などから質問されそうなことを先に目星をつけておきながら、それから文献調査したり取材したりして、気付いたことをノートなどにメモをしながら、調査をしていくわけです。(※ ここで私のいう「取材」とは、一般企業の社員などが、勤務する業界の関連する展示会(てんじかい)イベントなどを取材することです。テレビ局などマスコミの「取材」の場合とは、ちがうかもしれません。) 特に取材の場合、出張費用などが掛かったり、イベントなどの取材だと年に1回しか取材できない場合とかがありますので、取材前に事前に目星をつける必要があるわけです。 話を戻すと、中学の国語の読解問題の解きかたの話でしたね。 ともかく、設問を先に読んでから、問題文を読むのが、受験テクニックです。 学校や入試での、国語の現代文の長文読解での読解作業は、報告書の書き方とは逆方向の読み方を、やれば良いワケです。 それでは、報告書の書き方のノウハウを例示しましょう。 日本語は、文章の最後まで読まないと意味が確定しません。なので、一文が長いと、読む際の負担が増えます。この「一文は、短めに書く。」という文章自体、なるべく短く書こうとしています。 日本語は、文章の最後まで読まないと意味が確定しません。さて日本語では、否定形は、文の最後に来ます。否定形の前後では、文全体の意味が正反対に変わります。なので、否定形があると、読み直しの手間が生じます。だから否定形が多いと、読み直しの手間が増えて、読みにくい文章になります。この記事の「なるべく肯定形で書く。あまり、否定形は用いない。」という文章じたい、「○○で書く」という肯定形の表現を優先し、「△△は用いない。」というような否定形の表現を後回しにしています。 たとえ読み手が文章を最後まで読まなくても、読み手が文意を予測できるようにして、冒頭に接続詞などを用いて、文意を示します。この「たとえ読み手が文章を最後まで読まなくても、」という文節自体が、「たとえ」という接続詞によって、文意を予測させています。 理由は、箇条書きによって説明対象が明示的になるから。そのため、この記事自体、箇条書きを利用しています。 なぜなら、読者にとっては、読み直しの手間が減ります。この記事自体、なるべく結論から書こうとしています。 学生のテスト対策では、これの逆の文章が出題されることを意識すれば、対策しやすいわけです。つまり国語テストの読解問題の設問には、文章の結論を問う設問が、ほぼ必ず一問は出題されたりします。 「作者の主張に近いものを、次の選択肢の中から選べ」というような設問です。 あるいは接続詞を問う問題が出題されます。たとえば問題文のある文の接続詞を隠して空欄にして、その空欄に適した接続詞を選択させる選択問題なども、よく出題されます。 ある指示語のさす内容について、字数を一定以下に限定し、「この指示語の内容を○○文字以内で書け。」というような設問も、箇条書きの能力に近いでしょう。 ある動作の主語の内容を問う選択問題も多いです。たとえば設問文で 「傍線部Aの「彼」とは誰ですか? 問題文の中から抜き出しなさい。」みたいに主語の内容を問う問題も多いです。 学校で習う文章は、テスト問題として出すための文章であるという理由から、実社会で書くべき文章とはズレがあります。学校で習う文章は、読解練習用に教育用に編集された文章であるので、やや読解が難しめの文章になっています。 「教育用に編集」という主張の意味は、たとえば、たとえ作者が読み手に分かりやすいように、作者が文の冒頭に要約を書いていたりしても、出題者が冒頭の要約を隠して問題文を出題したりして、わざと分かりづらくさせたりまします。しまいには選択問題として、隠された要約にふさわしい選択肢を選ぶ問題が出題される場合すらも、あります。同様に、たとえ作者が文章の最後に結論やマトメなどを書いていても、出題者が結論などを隠して、問題の一つとして出題する場合もあります。 ですが、教育訓練の用途としては、あえて分かりづらく編集する出題も、必要な措置(そち)です。 実は「具体的に明示的に書く。読み手に読みやすくなるように、書き手が書く。」というのは、書き手にとっては、難しいのです。読み手にとっては読むのが簡単な文章ほど、書き手にとっては書くのが難しくなります。 たとえば全自動の洗濯機とか、あるいは全自動の炊飯器とかで、家事をするのは、利用者にとってはボタン一つで簡単かもしれませんが、その全自動の製品を作っている企業での仕事は、決してボタンひとつでは片付きません。 同様に、読み手がスラスラと読めて内容を即座に把握しやすい文章であるほど、その文章を書き手は時間を多く掛けて書いています。 だから、いきなり学生に文を書かせる教育は、難しいのです。なので、まずは、やや難しめにした文章を読ませる練習から、学生は教育されるわけです。 たとえば小学校の算数の練習で、全自動の電卓をあまり使わない事と似ていますね。「電卓を作れ!」「計算機を作れ!」という課題は、小学生には解決が無理です。なので、まずは電卓に頼らなくても計算できるように、小学生は教育されますよね。 同様に、中学での国語の読解練習でも、たとえ書き手の親切心に頼らなくても中学生が読解を出来るようになるため、中学生は読解練習をさせられているわけです。 読解は独学しづらいので、学校の授業や塾などを活用する。まずは、キチンと学校に通って、キチンと予習復習をする。 宿題などで「課題図書を読め」などという宿題も、読解力など訓練も兼ねているだろうから、キチンと宿題をする。 ここでは高校受験の国語のうち、現代文の対策について解説する。高校受験の現代文は以下の内容が出されることが多い。 国語は数学・英語と並んで「主要3教科」と呼ばれることが多いが、3教科の中ではもっとも扱いが低い傾向にある。それは普段私たちが使用している日本語の読み書きが中心で、普段の生活でなんとなく身についているかのように見えるからであろう。しかし、国語の現代文の力は数学や英語と同じくらい、力をつけるのに時間のかかるものである。たとえば新聞が読めるからといって、哲学書や難解な評論が読める(理解できる)とはかぎらない。これらを読むには筆者の主張を丁寧に追うトレーニングを積まなければならない。小説でもストーリーを理解することはそれほど難しくはないが、登場人物の心理といった表面的な部分に描かれていないものを理解するには日常体験や他の本で読んだことなどと重ね合わせるなどを行わなければ読み間違えるであろう。また、筆者・作者が用いている日本語の表現技法も理解する必要がある。読解に限らず、作文でも同じことが言える。メールが書けることと仕事の報告書などを書くこととは全くことなる。この二つはそもそもルールが違うのだ。 国語の現代文が英語・数学に比べて軽視されがちなもう一つの理由は勉強方法がわかりにくいというのもあるだろう。数学は計算練習や公式の暗記と適用が、英語は単語や文法の学習が基礎となることがはっきりしているが、国語の現代文では何をやればよいのかがよくわからないまま「なんとなく」点を取ったり落としたりすることは珍しいことではない。 国語の学習に必要なものは丁寧に文章を追い、筆者の主張や作者の意図を汲み取るのに必要な読解力だけではなく、それを自分で組み立てなおす論理的な思考や体験や経験、一般常識などと重ね合わせる力である。これらは漫然と学習しても身につかない。正解・不正解にかかわらず「なぜこの答えになるのか(なったのか)」ということを考えながら解いてゆかなければならない。 大雑把に分けると、あるものごとについて説明することが中心で筆者の意見が少ない説明文(たとえば「科学はどのように進んできたか」「サルの行動からわかること」など)、ある事実を踏まえて筆者の意見を述べているため筆者の主張がはっきりとしている評論文(たとえば「環境問題を解決するには何が必要か」など)、詩や俳句がどのようにしてでき、そのみどころなどを作品に沿って筆者の意見も交えながら解説している解説文に分けられる。 全体として現在も存命の評論家や学者の文章が多い。これは現代文が現在進行しているいろいろな問題について評論・説明している文章を扱うことが多いためである。 筆者の意見とその理由などが明確なため、文章を丁寧に追えば根拠となる部分を見つけることは難しくない。そのため、比較的力をつけやすく点を取りやすい。 説明文や評論文では筆者の意見なのか事実なのかを理解しなければ文章を読んでいるうちに混乱してしまう。 大学入試の現代文で出題されることの多い鷲田清一の文章だが、易しいところを高校入試に出題することもある。エコロジーへの関心などから内山節の評論も近年出題されやすくなった。また、数十年前から入試国語で人気のある大岡信・外山滋比古・加藤周一も、時間があればチェックしても損はない。 物語文と随筆文に分けることができる。説明的文章と同様に現在も活躍している作家の作品が多く、公立高校や中堅私立高校ではすでに亡くなった作家はあまり登場しない。詩・短歌(和歌)・俳句が単独で出されることはあまりなく、解説文や古文と共に出題されることが多い。 感覚的な理解や心理の読み取りといったものが必要とされるが、これはすぐに身につくものではない。そのため、早くからいろいろな問題を練習するのがよい。 物語文ではまず、登場人物や場面をおさえなければならない。どんな人がいて、その人の人物像を簡単にとらえること、場面はどんなところで登場人物が何をしているのかをしっかりおさえるのが基本である。その上で場面の転換やストーリーの展開、登場人物の言動とその理由を考えると解きやすくなる。 随筆文の読解は説明的文章に近い。つまり、筆者が何についてどう感じたのかを文章にそって考えなければならない。 小説文ではあまりメジャーな作家の作品は出題されない。例外が重松清で、彼の作品は中学入試・高校入試共にどこかで出題されることが多い。そのため、彼の著作に一冊ぐらい目を通しておくと役に立つかもしれない。随筆では五木寛之の文章が比較的出題されやすい。白洲正子や向田邦子の随筆は、故人である上に教科書や問題集に文章が掲載されていることが多く、(公平性を保つことを目的に)公立高校を中心に高校入試では出題されにくい。しかし、今でも読みつがれている作家であるので、私立入試では出題者が「これくらいは読んでほしい」という気持ちを含めて、出題することもある。 漢字の読み書きは大問1に出されることが多い。数学の計算問題と同じように始めにすませるのがよい。また、漢字の書き順に関する問題が出ることもある。 奈良県の公立高校入試問題などのように手本の文を楷書で書き写すというのもある。この場合、止め・はねの正確さなどがチェックされる。 多くの公立高校の入試では200字程度の作文を書かせる。作文には以下のような傾向が見られる。 文章の内容や構成だけでなく、原稿用紙の基本的な使い方や言葉づかいなどもチェックされる。作文に限らないが国語の記述問題では制限字数の80%は最低書かなければ、減点される恐れがある。 現代文と古文・漢文をセットにした問題が出されることがある。また、2008年まで都立高校の入試問題には対談が出題された。
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87
たとえば読書感想文では、感想が重視されます。どんなに事実が書いてあっても、あなたの感想が書かれてなければ成績は0点でしょう。 いっぽう、理科や社会科のレポート課題などでは、事実を調べて整理することが重視されます。どんなに斬新(ざんしん)な視点での感想が書かれていても、調査結果が一つも書かれてなければ成績は0点でしょう。 また、報告書の評価方法では、感想よりも分析の質が重視されます。 どんな作文課題でも、事実と感想とを区別する必要があります。 決して、「事実」と言って、意見や感想を書いてはいけません。 感想・考えを書くときは「感想」、事実を書くときは「事実」として書きましょう。 語尾が「です」・「ます」のような丁寧ないいまわしの表現を敬体(けいたい)といいます。 いっぽう、語尾が「である」・「だ」のような表現を常体といいます。 一般に、常体と敬体とが、混ざらないように書くのが正式な書き方だとされており、検定教科書でもそう紹介されています。 ただし、会話文の引用で、たとえば読書感想文での、作中の会話文の引用で、 のような、引用の場所の文体が、引用以外の場所とは異なるような場合に場合は例外です。 質が優れてなくても良いので、しめきり日を守ってください。ただし、真面目に書いてください。 あまり中学校では意識することはないですが、原稿枚数オーバー(原稿枚数の超過)、または字数オーバー(字数の超過)は禁止です。 理由は、もし出版物に掲載する原稿の場合、字数オーバーは、他人の原稿のスペースを削ってしまうからです。 なので、原稿の字数オーバーは、実務 や 入試の小論文 などでは、大幅に減点されます。
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87/%E4%BD%9C%E6%96%87
読書感想文と、それ以外の、学校行事などの感想文とでは、同じ「感想文」と言っても、書き手に求められる能力が違います。 読書感想文は、「感想文」というより、あなたの感想をもとにした、分析レポートという意味での報告書に近いです。 準備のための時間が多くある場合と無い場合とで、書き方が異なります。 このページでは、基本的に、宿題などとして、数週間ほどの時間が与えられている場合について、述べます。 学校行事の感想文の場合、極端な場合、行事の数日後〜翌週あたりに、抜き打ちで、用紙1枚ていどの感想文を書かされる場合も、あります。 まず読者に、どの行事なのか、どんな行事なのかを、完結に説明したほうが良いでしょう。運動会なのか、クラス対抗の音楽コンクールなのか、修学旅行なのか・・・、そして、とにかく感想を書いてください。 いきなり書く内容を整理できない場合は、まず、下書きを書き始めてください。十行か二十行ほど下書きが書けたら、そろそろ、いったん清書したほうが良いでしょう。 あと、他人のプライバシー(個人的な秘密など)とかは、当然、書いてはいけません。同級生のプライバシーはもちろん書いていけませんし、その他の人のプライバシーも書いてはいけません。 なにも学校での感想文だけに限らず、そもそも文書(ぶんしょ)で、他人のプライバシーを勝手に公表してはいけません。 感想文の必要に応じて、一緒に行事に参加した同級生の行動についても書く必要があるかもしれませんが、プライバシーを侵害しないように注意してください。他人のプライバシーについては、たとえ相手を褒める(ほめる)内容であっても、書かれた本人はプライバシーを気にする場合もあります。 「○○くんは僕にしか見せてないけど、○○くんが△△で頑張っていた。」みたいな事は、ほめる内容ですが、しかし当事者しか知らないプライバシーなので、書かないほうが良いのです。 同級生や同学年・同学校の生徒などについて、感想文で紹介する場合は、あくまでも公表されている情報を紹介します。たとえば、クラスのみんなの前で、あるいは学校生徒のみんなの前で公表されている情報であるなら、紹介できるかもしれません。 まず、読む本を決めます。学校で課題図書が指定されている場合は、それを読みます。また、読書感想文にしてよい本の条件を学校側が決めていますので(たとえば恋愛小説や推理小説は禁止だとか)、その条件にしたがってください。 「物語文であること」が、感想文を書くための条件として指定されている場合が、よくあります。 21世紀の現代では感想文テンプレートという教材があります。そのテンプレートでも、前提として感想文の書き手が、それまで読んだことのない物語の感想、初めて読んだばかりについての物語の感想であることを、テンプレートの前提にしています。 なので、もし、もう何か月も前に読んでしまった本、何年も前に読んでしまった本を、感想文のための読書に選んでしまうと、とたんに感想文を書くのが難しくなってしまいます。 ほか、さきほどの「問題点」の節で述べたように、日本の「読書感想文」教育の宿題では、長い作文をさせたがります。 すでに何度も読んだことのある本は、新鮮味が無いので、また読んだところで、とくに感じることがなく、なので、感想を規定枚数の以上に書くことが大変です。 (すでに何度も読んだことのある作品を読むことで、高度な分析ができるかもしれませんが、しかし規定の枚数・字数を満たしづらくなります。この「読書感想文」の宿題で要求される能力は、ある程度の長さの感想文を書く能力ですので、残念ながら分析の高度さは要求されてないのです。) なので、読む本として本を選ぶさいには、まだきちんと読んだことのない本で、読み終えられる本を、選んでください。 読む作品を選ぶさい、あまり厚すぎる本を選ぶと、読み終わらないので、読み終えられる作品を選んでください。 また、難解すぎても、理解できず、感想が「難しかった」「よく分からない」以外に思いつきません。なので、そこそこ理解できる本を選んでください。課題図書などで指定されている本と、同じくらいの読者対象と厚さの本を選べば、とくに問題ないでしょう。 どうしても、高度な本を読みたいなら、感想文の宿題を終わらせてから、自分の趣味でしましょう。 いったん本を選んだら、よほど自分にあってないかぎり、次の手順で最後まで感想を書きすすめます。 あれもこれもと本を変えていると、いつまでたっても、感想文が完成しません。 どのみち、学校の宿題の感想文のための本を選ぶセンスなんて、実社会はあなたに求めていません。 そして、読みながら、ノートなどに、感動した事項とかをメモに取ると良いでしょう。読後に思い出すのは、けっこう大変です。全ての文章でメモを取るのは大変なので、書籍全体の文量の5%〜10%くらいを読むたびにメモを取れば、充分です。 ネットにある、感想文の書き方のコツを紹介したサイトでも、メモを取りながら読み進めることを、すすめています[1][2]。 物語文を読んでいる場合、読書中の予想した展開が、どんでん返しで間違える場合もありますが、気にせずノートにメモを取ります。「どんでん返しに、ダマされた!」ってのも、立派な感想です。 メモ書きに時間を掛け過ぎても読み終わらないので、本当に最小限のメモでも充分です。そもそも、ほとんどの人は、たぶん、メモすらも取りません。 そしてまず、読み終えたら、(現代ならパソコンなどで)下書きで感想を書いてください。ペース配分のため、いったん最後まで読む終えるまでは、まだ感想の(下書き ではなく)清書は書き始めないほうが良いでしょう。 とにかく、「どこがどう、面白かったのか」などを書き始めます。単に「面白かった」とかだけなら、読者にとって不要な情報ですし、その後に書く文章も続きません。 ※ 宿題の名前は「感想文」だが、実際は「書評」(しょひょう)と混同されている。「書評」とは、書物の内容についての評論文のことです。 読書感想文の清書の場合、そもそも何の本を読んだのかを、冒頭のほうで、明確に記載する。少なくともタイトルと著者名と出版社名をきちんと書く。たとえば夏目漱石の『吾輩は猫である』を読んだのなら、それと、感想文に選んだ本の出版社名も記載する。出版社を書く理由は、教員が必要に応じて、その出版物を確認するためです。感想文の題名に、作品名を書く場合もあります。たとえば、『 夏目漱石『我輩は猫である』の感想文 』などのような感想文タイトルを書く場合があります。 近代小説などの教科書などで紹介されている有名作品であっても、出版社によって、文中の漢字が変わっていたりする場合があるので、念のため出版社名も書きくのも良いかもしれません。 書籍の題名、著者名、出版社名を紹介したら、「あらすじ」の紹介は最小限にして、あらすじ紹介を早く終わらせて、さっさと感想を書き始めます。宿題はけっして「あらすじ紹介文」ではなく、「感想文」が宿題なのですから。(しかし残念ながら、日本の教育では、感想文教育と読書教育が混同されており、しばしば、あらすじを長々と紹介しないと規定枚数を満たしづらい場合がよくある。) 理想的には「あらすじ」よりも、感想を優先して書くべきです(実社会の書評では、そうなのです)。 とりあえず理想的には、感想の根拠を説明するために、必要最低限の「あらすじ」を文章で紹介すれば、充分です。 書いていてネタ切れをして、選んだ図書を読み返してみても、どうしても書くネタが思いつかない場合、時間があれば、国語の参考書などを読んだりして、ネタを仕入れてもよいです。たとえば夏目漱石の『我輩は猫である』の感想文を書く場合、どうしてもネタが思いつかないなら、参考書などで夏目漱石についての解説を読んだり、その時代の文学史の解説を読んだりします。あらたな知識を仕入れて視点が変わりますので、書けるネタが増えるでしょう。ただし、参考書を読むにも時間が掛かりますので、どうしてもネタが思いつかない場合にだけ、参考書でネタを仕入れてください。 どっちみち、仕入れたネタをそのまま書いても、評価はもらえません。感想文は、べつに文学史のレポートではありません。あくまでもテーマは「感想」です。 そのまま文学史を書くのはダメだが、感想の発想の参考にするだけなら、構わないということです。 このように、読書感想文は、学校行事の感想文とは、やや違います。「読書感想文」の宿題には、その名に反して、物語文を読むための勉強結果についてのレポートの宿題みたいな所があります。 このような、パソコンなどを利用する場合、下書きで、まずパソコンで下書きを書くのが良いでしょう。(ワープロソフトなどを使うと、自分が読みやすいでしょう。) そして、字数が規定枚数を満たすように、パソコンで編集していきます。 たとえば、原稿用紙1枚が400字詰めの用紙の場合、「原稿用紙で3枚以上」という条件なら、1200字「1200字以上」という条件を満たすように、パソコン上で下書きをチェックします。 パソコンの無料ソフトで、「文字数カウンター」などというような名前のソフトがあるので、そのようなものを使うとラクでしょう(実務では、そのようなものを使います)。 そして、下書きが字数などの規定条件を満たしたら、そこで文章の言い回しなどを整えたりしてみて、最後に手書きで原稿用紙に書き写します。 感想文は、べつに読解のレポートでもなければ、文学史のレポートではありません。あくまでもテーマは「感想」です。なので、あまり参考書とか資料集とかを読んでも、評価されません。参考書を何ページも読む時間があるなら、感想文課題に選んだ作品を何度か読み返したほうが良いです。 2020年代の現代、小学生~中学生あたりを対象に、読書感想文のための文章スタイルを紹介したテンプレート教材があります。検定教科書ではないのですが。 ネットなどでも「読書感想文 テンプレート」などで検索すれば、画像つきで情報が得られるでしょう。「テンプレート」とは「ひな形(ひな型)」・「定型書式」といった感じの意味です。 すでにマスコミなどでも感想文テンプレートは紹介されています[3]。 いくつかの会社が、そういう感想文テンプレートの教材を出しています。 会社によって、感想文のスタイルは違いますが、おおむね、以下のような構成で、以下のような順序です。 ※ 「自分の考え」の最後が「結論」「今後」を兼ねる場合もあります。 その作品に興味をもった理由を、手短(てみじか)に書く。これは、感想文に限らず、論文でも同じです。 この機会に、そういう型を身に着けてしまいましょう。 あと、単純な理由として、興味のない作品を何日も分析しつづけるのは、とても面倒です。 きちんと、自分でも興味をもてそうな作品を選びましょう。 けっして、「有名なこの作品に興味をもつと、周囲から頭良さそうに思われるから、本当は興味ないけど、仕方なくこの作品の感想文を書こう」なんてことは、しないでください。 そして、感想文の読者は、作品の内容を知らないので、手短(てみじか)に書くわけですが、その際、「最終的に誰がどうした」という能動形・肯定形で書くと、書きやすいかもしれません。(前提として、たいていの場合、感想文を書く対象の文章作品は、物語文なので、登場人物がいるはずです。) 小説界や映画界やマンガ産業などの背景事情として、物語文の創作の基本テクニックとして、作者は、登場人物に、作品のテーマや意味を込めています。物語の登場人物たちのことや、あるいは物語上の登場人物などの特徴づけのことを「キャラクター」と言います。 また、物語上の特徴づけとしての設定や性格などのことを「キャラクター性」と言う場合もあります。論者によって用語の使い方が多少は違うので、文脈から判断してください。 日本の高校教師むけの国語教育書でも、ややニュアンスは違いますが、「キャラクター」という言葉が使われています。たとえば大修館書店の教育書『変わる! 高校国語の新しい理論と実践 「資質・能力」の確実な育成を目指して』には、次のような文章があります。「登場人物の言葉遣いをそれぞれ変えることでキャラクターを表現したりしている」[4]、「登場人物のキャラクターについて、宋定泊は利口だが欲深い人物、幽霊は美女という設定をし、」[5]などといった文章があります。(なお上記の抜粋(ばっすい)は、漢文『捜神記』(そうじんき)という古代中国のファンタジー小説・ホラー小説っぽい作品をもとに、高校生が作ったオリジナル演劇(朗読劇)を例に国語教育を説明している教育書にある文の抜粋。上記の作品キャラクター設定の抜粋は、あくまで高校生オリジナル作品の演劇の話なので、読者は覚えなくていい(古典知識ではありません。誤解しないように)。)  これは決してwiki独自研究ではなく、2023年の時点では中学・高校では習わない学問ですが、実は小説や映画などの物語にも、ウケのいい作法や型があり、「シナリオ理論」または「シナリオ論」などとして知られており、専門書なども存在しています。(一般の本屋ではシナリオ論の書籍はおいてないだろうが、大学レベルの文学書を置いてある専門書店などを探せば、そういうシナリオ論の書籍も置いてあったりする。) 国語教育学でも、「物語論」(ナラトロジー)と言う名前ですが、上述の理論と類似の理論が知られています[7]。 すでに国際的な学力調査であるPISA調査による言語能力の調査にも、物語論などの手法も取り入れられています[8]。アメリカやフィンランドでも、物語論の知見が国語教育に取り入れられています[9] 日本の文部科学省などはPISA対策なども考えているので、日本の中学生・高校生は将来的に、上述のような物語論やシナリオ論のような考え方も、身に付けざるを得ません。 だからといって中学生がシナリオ論やら物語論の書籍を買う必要はありません。「じつはシナリオ論という学問が存在しており、ウケる小説や英語の型のパターンを研究している学問である」ということを知っていれば十分です(文学趣味などの大人ですら、これを知らない人もいます)。 キャラクターでテーマを置き換えるのは、シナリオ論でも物語論でも基本手法です。 そもそも、物語論でも、登場人物には基本的に、役割があるとされています[10]。 だから後述のように、5W1H(いつ When、 どこで Where、 だれが Who、 なにを What、 どのように 、どうした)の各要素の価値は、けっして平等ではなく、Who (誰が)こそが重要なのです。 特に、マンガやアニメやイラストなど、キャラクターをどうデザインしたり作中でどう活用したりするかの理論体系を、俗(ぞく)に「キャラクター論」[11]と言います。 だから、「最終的に誰がどうした」という形で要約を書くことで、自然とシナリオ論や、キャラクター論といった、現代的な手法を、自然と練習できるのです。 5W1H (いつ When、 どこで Where、 だれが Who、 なにを What、 どのように 、どうした)と言いますが、実は5Wの価値は、作家サイドでは平等ではないのです。 断然、登場人物・キャラクターについての「だれが」 Who こそが、現代的な物語論・シナリオ論・キャラクター論の重点なのです。 実写の映画の観客だって、ほとんどは役者さんに注目します。役者さんの歩いている場所といった「どこが」 Where を知りたがる人なんて、滅多にいません。 よほど抽象的な内容の小説ならともかく、小学生・中学生が読める程度の小説なら、シナリオ論や物語論(ナラトロジー)やキャラクター論にもとづくテンプレートで、だいたいは対応できるでしょう。 なので、教材会社の読書感想文テンプレートで、良いのです。 読者がシナリオ論やキャラクター論の存在を知ってるかは、関係ありません。21世紀の現代では、小説家や映画作家などの作り手の側にとっての常識なのです。 小説などのあらすじを、箇条書きにしたのを 1 ヤマダが〇〇する 2 それに対してタナカが△△した 3 アベが□□した みたいなのを、合計で十数段くらい行ってマトメたものをプロットと言います。 小説家・脚本家は基本的に、作品を作る前などに、こういうのを作っています。 そして、作品全体を読んでて「いちばん心に残ったこと」も書くのも、定石です。 これは、感想文に限らず、就職してからの社外のイベント展示会などの見学レポートなどでも同じです。 「心に残ったこと」も基本、登場人物がどうしたという形になることが多いでしょう。ただし場合によっては、登場人物そのものではなく、その人物の発したセリフなどが、印象にいちばん残ったものの場合もあります。 そして、なぜ印象に残ったのかという理由も、なるべく具体的に、自分の体験なども交えて、書きましょう。 「自分の体験も交えて」が重要テクニックです。 要するに、あなたは最終的に人生でどうなりたいのか、です。 感想文は、小論文とは異なり、客観性を要求されるものではありません。感想文を読んでる読者が読みたいのは、あくまで「感想」です。 だから、自分の人生の体験なども交えて、感想を具体的に分かりやすく書きましょう。 「心に残ったこと」という形ではなくとも、たとえば本を読む前と読んだ後で、その本の影響で自分の考え方が変わったりすれば、代わりにその考え方の変化を書くのも良いかもしれません。 この場合も、人生の体験などもふまえて具体的に、考え方の変化の理由を書くと、分かりやすいかもしれません。 「いちばん心に」という「いちばん」にこだわる理由は、なぜなら人生には時間に限りがあるので、そんなに「(1番目ではなく)6番目に心に残ったこと」とかまでは、説明しきれないのです。有限な人生なので、「いちばん心に残ったことは何か?」というのを、レポートでは要求されることが多くあります。(ただし、理科などの実験レポートでは、そういうのは要求されない場合もある。もっとも、大学の卒業論文などだと、学校によっては要求される場合もあるなど(学校にもよる)。) 物語をつくる作者の側の時間も、有限です。作家の人生も有限ですので、ある程度は、内容を絞っているはずです。 そもそも、文庫本などの書籍の紙のページ数も有限です。小説家は、有限のページ数の中で、「最低限はこれを伝えたい」という内容を、ある程度は絞っています。 作家が、自分の作品で読者・観客などに伝えたい内容のことを「テーマ」と言います。 べつに作者の考えたテーマと、読者がじっさいに感じた内容とが、同じとは限りませんし、その必要もありません。むしろ、作家側のテーマと読者の感じた印象とのギャップによって、その作品のファンたちによって文化が作られることすら、あります。 ともかく、有限のページ数のため小説家などはテーマを絞っているのが普通なので、「いちばん心に残ったこと」を書くことで、自然と作品のテーマ的なものについて考察することになります。 「感想文」は、けっして小論文でもなく、まして教科書でもありません。 感想文では、自分の考えを書きましょう。感想文テンプレートの多くも、そういうスタイルを進めています。 とはいえ、すでに「いちばん心に残ったこと」を書いているので、そこで書いたことは、いちいち書かなくても良いでしょう。 よって、「自分の考え」は、言い残した、補足的な内容になるでしょうか。 この場合も、自分の体験などを交えたり、「自分ならどうする?」とか、ともかく自分に置き換えて具体的に考えると、感想の説得力が高まるでしょう。 ただし、主役が悪人・ダメ人間の小説なども存在しますので(太宰治『人間失格』、芥川龍之介『羅生門』、など)、そういう場合にまで、「自分ならどうする」にコダワル必要もありません。感想を書く作品の性質に合わせて、うまくアレンジして使い分けてください。 もっとも、下記コラムで述べるように、高校入試の傾向として、出題される作品のほとんどは基本的には道徳的な作品であり、そのため作中の教師などの人物は善い人物であることが高校入試の傾向として知られています。 また、物語以外の、『ファーブル昆虫記』みたいな子供向けの研究書みたいのも、「自分ならどうする?」は書けないでしょう? (「昆虫になれ!」というのか? カフカ『変身』じゃあるまいし。) うまくテンプレートをアレンジして作品のジャンルに合わせてください。 高校入試国語の物語文の傾向として、中学卒業(高校入試を含む)までに出てくる国語の物語文は、基本的には道徳的な内容であることが知られています[12]。また、そのため高校入試でも(私立高校の入試でも)、出題された物語文の作中で教師役の人物が出てくる場合、ほとんどの作品では教師役は善人であり、さらに教師の行動や発言は正しいという傾向があります[13]。 現実なら「先生は善人でいい人なんだけど、しかし先生の熱意が生徒にはプレッシャーになってしまって、空回りしている」と言うようなことも人間社会にはありそうですが、しかし、そういう複雑な状況の物語文は高校入試には出づらい傾向が高い事が知られています[14]。 さらに言うと、物語中の家族関係における父親の役割について、近代小説や戦後の昭和の時代でも、高校入試に出そうな小説の中では、基本的には父親の役割は、子どもを自立させるための教師役のようなものであるのが知られており[15]、少なくとも2002年発売の『小説入門のための高校入試国語』による分析ではそうです。 父親の役割は以下の2通り[16]。 この2パターンが、入試国語での典型的な「父と子の物語」のパターンです[17]。 2020年以降はどうか知りませんが、2002年までの入試国語は上記パターンだったのです。 さらに父親の役割は、単に正しいだけでなく、さらに(精神的にも社会的にも)「強い」のが入試国語での「父と子の物語」のパターンです[18]。 もし父親が弱くて、子どもが簡単に乗り越えられてしまったら、その「父と子の物語」がすぐに終わってしまうので、なので父親は強めに設定されています。 父親は、大人社会の象徴なのです[19]。 「父親が社会の象徴という設定」は、もう近代の19世紀のヨーロッパの心理学や社会学などで、すでに提唱されていることです[20]。なので、昭和・平成の多くの作家が踏襲している設定です。 なお、その心理学の理論が正しいかどうかは、当wikiの知ることではありません。21世紀の心理学では「再現性の危機」という問題があり、20世紀の心理学の教科書にもあったような過去の有名な理論を21世紀に追試験してみたら、なんと再現性が確認できなかった(なので心理学の教科書で、理論の見直しが必要になってしまった)という大問題があります。しかし、19世紀の心理学における家族関係の理論が正しかろうが間違ってようが、近代から昭和末期までの文学史上の統計的な傾向とは関係ありません。文学作品の内容は空想なので、21世紀の現実社会での心理学の学説の変化とは関係ありません。 入試国語の母親については、自立につれて去っていく家庭の象徴であり[21]、なので道徳的には美しい存在です。上記の心理学や社会学でも、母親を家庭の象徴とする理論が19世紀から知られています。 なので、けっしてヒッチコック映画『鳥』(とり)のようなヒステリックな女性としての母親とか、入試国語には出てきません。 また、子どもは母親に同情するのが入試国語の正解、もしくは自分も母親になるのが正解です[22]。 母親の苦労が分かることになることが、子どもの成長のあかしであり、子どもの自立の証拠、という入試国語のパターンなのです。 子供の成長につれて、子どもは家庭の外の人間関係が大きくなっていくので、家庭を置き去りしていくので、なので入試に出されそうな多くの物語では母親は孤独な存在になるので、なので母親には同情すべし、というパターンもよくあります[23]。 なお、国語としても、日本語の「父性」や「母性」と言った言葉の意味は、上述の心理学理論が前提になっています。19世紀のスウェーデンの心理学者が上述のような理論をもとに moderskap(モータースカップ)とスウェーデン語の造語を発明し、それを日本語に訳したものが「母性」です[24]。 これらの心理学・社会学の「父性」と「母性」の理論では、母性により、母親は本能的に子供を愛するとされます。そして父親は、その父性により、子どもに社会のルールなどを教えるために、子どもを母性あふれる母親から切り離す、とされます。 現実がそうかは知りません。「父性」「母性」と言った言葉は、こういうふうに使われる、と言う話をしています。果たして、現実の母親や父親の心理的傾向が統計的にそうなっているかは、当ページのwiki編集者たちの知ることではありません。21世紀の日本の家族関係の現実は、「父性」や「母性」の言葉の意味とは関係ありません。 現実社会では、21世紀では、日本の土地事情などにより大人になっても親子で同居、ということもあります。しかしそんなのは、入試に出そうな近代文学の作品の設定には関係ありません。 パート主婦とか、近代文学には関係ありません。 暗黙の前提でしたが、学校国語に採用される児童文学では、「子どもは早く大人のように手に職をつけたがっている」というのが前提です[25]。 なので、決してピーターパンのようなネバーランドのような子供だけの国とか、入試国語には、基本的にはないはずです。 入試問題の場合、試験の時間が限られていますので、パターン外の設定の多すぎる作品は出てこないはずです。たまに例外的に、入試問題でも上記パターンに当てはまらない作品の出題がされ、難問な場合もあります。ですが、そのような難問は、どうせ他の受験生も解けないので、あまり気にする必要ないでしょう。 入試は、「傾向と対策」と昔から言うように、一般的な問題集や過去問にあるパターン通りの問題がきちんと解ければいいのです。 受験勉強では、パターン外の難しい国語問題に対策する時間があるなら、それよりも英単語とかを多く覚えましょう。 ※ 「自分の考え」の最後が「結論」「今後」を兼ねる場合もあります。 最後のほうに(この作品の影響で)「今後、自分はどうしたいか?」というのを書きます。 感想文だけでなく、論文などでも、似たような構成を書くことがあります。たとえば、学術系の論文なら、論文に書いた自分の研究成果をもとに、研究し残した、自分の次の研究テーマの希望や予想を書いたりするのも、よくあります。 21世紀以降の論文などに文章スタイルとして使われることの多いパラグラフ・ライティングという文章法は、感想文テンプレートのスタイルとは違います。 パラグラフ・ライティングは、 などの文章スタイルです。 パラグラフ・ライティングは、どちらかというと感想ではなく論文など客観性の高いコンテンツのための文章スタイルです。このため、21世紀では、大学などで次第にパラグラフ・ライティングも教育されるようになっています。 しかし大学などでの学生むけのトレーニングでは、まだ論文を書くほどの研究力をつけてない学生に向けて、あえて日記や感想文やエッセイなどといった割と主観的なコンテンツをパラグラフ・ライティングで書かせる課題などが行われる場合もあります。 ですが、エッセイなどをパラグラフ・ライティングで書かせるのは、あくまでトレーニング上での都合に過ぎず、あまり実用的ではありません。(そういう書籍も、あまり流行していません。) 感想文についての文章のスタイルは、パラグラフ・ライティングではなく、上述の感想文テンプレートのような書き方のほうが無難でしょう。 「テンプレ-ト」と呼び方のほかに「フレームワーク」(「枠組み」という意味)という呼び方をする場合もあります。文章のジャンルごとによって、その業界で適するフレームワークは違います。使い分けましょう。
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87/%E6%84%9F%E6%83%B3%E6%96%87
小学校で、説明的な文章の書き方や、説明的な発表のしかたを練習したでしょう。 では、中学生むけの教材として、説明的な文章の書き方などを、本書では、まとめます。(本単元の内容は、基本的には、小学校で習ったことを、中学生むけの語句で簡潔に言い直したものである。) 説明の対象の時間が変化していく場合(たとえば過去、現在、未来と変化していく場合)、 なにかの作りかたを説明する場合と、それとも予想や分析を説明する場合とで、順序がちがう。 なにかの作り方(たとえば料理の作り方)の説明の場合、 時間の順に、 また、説明の順序を決めたら、その説明の最中は統一するべきです。 たとえば、学校の通学路で、危険な場所について調査して報告をする場合、報告の順序としては、(※ 下記の例の一覧は、教育出版の検定教科書での例) など、順番の考え方がいくつも、あります。 どの順序で伝えるにしても、順序の方針を決めたら、その順序で最後まで伝えないと、聞き手・読み手が混乱します。 何かを説明する文章を書く時は、見出しをつけると、読みやすくなる場合が多いです。(※ 東京書籍の中1国語教科書の見解) たとえば、ある料理の作り方の説明では(※ 架空の料理です)、 /////////////// 例 /////////////// <この料理をつくるときに特別に準備するもの> 食材 器具 <調理の手順> (※ 以下省略) /////////////// のように、見出しをつけると、どこに何が書いてあるのか、ハッキリと分かるようになります。 事実を伝えるときは、5W1H(ごダブリュいちエイチ)を意識して、伝えると良い。 文章で書く場合は、「いつ・どこで・だれが・なにを・どのように・どうした」(←これが5W1H)を意識して、書くのである。 理由などの「なぜ、そうしたのか?」などの分析や理由などの詳しい情報は、5W1Hのあとから説明する。 なお、こういう説明の書き方でいう「事実」とは、いわゆる客観的事実(きゃっかんてき じじつ)のことです。 なので、「私がこう思ったことは事実です。」というのは、たしかに一応(いちおう)は「私」さんにとっては事実ですが、しかし「私」さんの主観なので、客観的事実ではないので、説明的な文章では避けるべき(さけるべき)です。 また、事実でないことを伝えるには、たとえば推測ならば、文末に「だろうと思います。」などのように文末表現を工夫して、その文章が、推測であると分かるようにすべきである。 この前提として、事実と、それ以外の意見(感想または推測や予想)などとは、文章を別々に分けるべきである。(※ 教育出版の中1国語の見解) いっぽう、事実を伝えるときは、文末をはっきりと「である。」「です。」「ます。」「だ。」などといった言い切りの形にすべきです。(※ 教育出版の中1国語の見解) もしかしたら、ひかえめな表現のつもりで、事実を伝えようとしているのに「思います。」という表現をする人がいそうですが、しかし説明の場所では、語尾が「思います」だと意見だと誤解をされる可能性があります。 人前で演説(えんぜつ)や発表などのスピーチをする場合、 まず、自分の番のスピーチの最初で、自己紹介をしましょう。 くらいの簡潔な紹介でかまいません。(※ 三省堂の中学3年国語など) 作文だったら、原稿用紙に自分の名前を書けば分かりますが、しかしスピーチでは自分で自己紹介をする必要があります。 そして、その演説をとおして何を伝えたいのか、ハッキリさせておきましょう。 というのも、スピーチを聞くために、多くの聴衆に集まっていただいているからです。 学生のスピーチの場合、「です・ます」調で話すのが良いとされる。 また、スピーチは、あまり、1人あたりの発表時間を長くできません。 このため、自分の意見の根拠の全てを伝えることは、スピーチでは無理です。 なのでスピーチでは、どうしても伝えたい意見と、その根拠にしぼって、話すことになるでしょう。(※ 三省堂の見解) よって、スピーチのための原稿を用意する段階では、発表する内容をしぼりこむ必要があります。 さて、スピーチでは、聞いている相手は、わからない事があっても、その場では調べることができません。 なので、たとえば小学生を聞き手として、中学生が、自中学に見学にきた小学生を相手に、小学校と中学校との違いを説明するような場合は、話し手の中学生の側は、相手の小学生の知識を想定して、わかりやすい言葉で話す必要があります。(※ たとえば三省堂の中3国語では、全校生徒にスピーチする場合は、中1が聞いても分かるように言葉づかいを選びなさい、という内容の指導している。) さて、小学生を相手にスピーチする場合、具体的には、小学生が知らないだろう「部活」や「中間テスト」「期末テスト」といった、普通の小学校では使うことのない言葉を、無意識に使わないように気をつけましょう。 なお、一般に、スピーチのあとには、聞き手からの質問などの時間があります。これを「質疑応答」(しつぎ おうとう)といいます。(※ 光村図書の中2国語) なので話し手の側は事前に、よくありそうな質問には、ある程度は応えられるように準備しておきましょう。 議論(ぎろん)や討論(とうろん)などをする場合の「意見」の書き方としては、自分がその意見を「客観的に正しい」と思える理由も伝えましょう。(※ 東京書籍が中1で紹介) くわしくは2年生の範囲になりますが、議論や討論とは、そういうものだから、です。 たとえば、あるアンケートでの、多かった意見の回答者数などのように、数値で客観的に計算できるものが多くある場合、数値そのものを記述するだけでなく、グラフなどを活用すると、わかりやすくなる。(※ 東京書籍の見解) ある商品の販売数の年度ごとの変化や、ライバル他社の販売数との比較なども、数値などで説明できるものはグラフで説明すると、わかりやすい。(※ 東京書籍の見解 棒グラフや円グラフ、折れ線グラフなど、適したグラフを活用しよう。 もし、数値の対象の人数や販売数が膨大な場合(たとえば「15,6427台」とかの場合、「15万台」のように近似(きんじ)の値で良い。 なお、報告書では、保護者への校内の合唱コンクールについての、保護者への報告がある。 案内状の書き方は、どんなイベントの案内をするかで変わってきますが、どのイベントでも共通することもあります。 まず、 という事です。 たとえば、仮に、ある学校で、生徒たちの書いたポスターの展示会をしたとしましょう。 日時と場所は、箇条書きで書くのが普通です。 のように。 こういうのを、3~5行ていどのアイサツ文の直後にでも置きます。 たとえば、草稿(そうこう、下書きの原稿のこと)を考えると、下記のような感じになるでしょうか? なお、左上のあて先(あてさき、宛先)などを通して、誰は来れないのかを、伝達する必要もあります。(※ たとえば、光村図書の中2国語の同窓会の案内では、「元6年2組の皆様」と宛先を明記してある。) たとえば、「生徒の兄弟や姉妹や友人は、来れるのか?」という問題もあります。 「生徒の近所の家に住んでいる大人は、これるのか?」という問題もあります。 あて先で、「保護者の皆様へ」とあるので、なるべく保護者だけに来て来てほしいと、しているのです。 (※ 観客席などの席のある校内イベントでは、席の数の問題や、防犯などの問題で、もし保護者でない人が来ても、退席ねがう場合がある。) (※ ほぼ範囲外:)また、案内状の最後には、「以上」と明記して、文の終わりを明記します。(※ たとえば、光村図書の中2国語の同窓会の案内では、「以上」と文末を明記してある。) こうすることで、もし、印刷ミスなどの不備によって、たとえば「日時」とその下の行の印刷が消えてしまった印刷物が保護者に届けられても、その場合には、「以上」の語句も消えるので、保護者は「以上」の語句が無いので異常に気づきます。 また、同窓会などの学外イベントの場合、開催場所が(学校ではなく)たとえば市民ホールだったりして、その施設をレンタルするのに費用が掛かるなどの都合で、出席者の会費をとったり、あるいは出欠の連絡が事前の必要になったりします。(※ 光村が中2にそう指導している。) 出欠の連絡が必要な場合、 などの明記も必要です。 (※ くわしくは中学レベルを大幅に超えるので、以降の説明を省略したい。)
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87/%E8%AA%AC%E6%98%8E%E3%81%AE%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%9F
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。 親類のものから西洋製のナイフを貰って奇麗な刃を日に翳して、友達に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸ナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕は死ぬまで消えぬ。 庭を東へ二十歩に行き尽すと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中に栗の木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに背戸を出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋という質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎という十三四の倅が居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖に四つ目垣を乗りこえて、栗を盗みにくる。ある日の夕方折戸の蔭に隠れて、とうとう勘太郎を捕まえてやった。その時勘太郎は逃げ路を失って、一生懸命に飛びかかってきた。向うは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。鉢の開いた頭を、こっちの胸へ宛ててぐいぐい押した拍子に、勘太郎の頭がすべって、おれの袷の袖の中にはいった。邪魔になって手が使えぬから、無暗に手を振ったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐら靡いた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二の腕へ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけておいて、足搦をかけて向うへ倒してやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分崩して、自分の領分へ真逆様に落ちて、ぐうと云った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋に詫びに行ったついでに袷の片袖も取り返して来た。 この外いたずらは大分やった。大工の兼公と肴屋の角をつれて、茂作の人参畠をあらした事がある。人参の芽が出揃わぬ処へ藁が一面に敷いてあったから、その上で三人が半日相撲をとりつづけに取ったら、人参がみんな踏みつぶされてしまった。古川の持っている田圃の井戸を埋めて尻を持ち込まれた事もある。太い孟宗の節を抜いて、深く埋めた中から水が湧き出て、そこいらの稲にみずがかかる仕掛であった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ挿し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が真赤になって怒鳴り込んで来た。たしか罰金を出して済んだようである。 おやじはちっともおれを可愛がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓にしていた。この兄はやに色が白くって、芝居の真似をして女形になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌なものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲役に行かないで生きているばかりである。 母が病気で死ぬ二三日前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨を撲って大いに痛かった。母が大層怒って、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊りに行っていた。するととうとう死んだと云う報知が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜しかったから、兄の横っ面を張って大変叱られた。 母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。 その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。 母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。 清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。 それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。 母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。 母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。 兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。 九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。 おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。 三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。 卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。 引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。 家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。 いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。 出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。 青空文庫より
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https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/92_14545.html 他のウェブサイトにある文書の転載が許可されていない為、紹介という形にさせて頂きました。 或る日、お釈迦さまは極楽の蓮池のほとりを散歩していた。 遥、下には地獄があり、犍陀多(かんだた)という男が血の池でもがいているのが見える。 犍陀多(かんだた)は生前、殺人や放火など、多くの凶悪な罪を犯した大泥棒であった。 しかしそんな彼でも一度だけ良いことをしていた。道ばたの小さな蜘蛛の命を思いやり、踏み殺さずに助けてやったのだ。 そのことを思い出したお釈迦さまは彼を地獄から救い出してやろうと考え、地獄に向かって蜘蛛の糸を垂らした。 血の池で溺れていた犍陀多(かんだた)が顔を上げると、一筋の銀色の糸がするすると垂れてきた。 これで地獄から抜け出せると思った彼は、その蜘蛛の糸を掴んで一生懸命に上へ上へと登った。 地獄と極楽との間にはとてつもない距離があるため、のぼることに疲れた犍陀多(かんだた)は糸の途中にぶらさがって休憩していたが、しかし下を見ると、まっ暗な血の池から這い上がり蜘蛛の糸にしがみついた何百、何千という罪人が、行列になって近づいて来る。 このままでは重みに耐えきれずに蜘蛛の糸が切れてしまうと考えた犍陀多(かんだた)は、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。下りろ。下りろ」と大声で叫んだ。 すると突然、蜘蛛の糸は犍陀多がいる部分でぷつりと切れてしまい、彼は罪人達と一緒に暗闇へと、真っ逆さまに落ちていった。 此の一部始終を上から見ていたお釈迦さまは、悲しそうな顔をして蓮池(はすいけ)を立ち去った。
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中学校の古文は、竹取物語、枕草子、徒然草、平家物語、おくのほそ道 など、日本文学でも代表的なものを学ぶ。 古典は、もともと、句読点やかぎかっこなどはない(白文)。 ただし、教科書では学習用として、すでに出版者側がつけている。 また、古典の場合、動作主が明確にかかれていないことが、多いので、 文脈から読み取ることになる。 文には、歴史的仮名遣いが使われている。 歴史的仮名遣いで書かれた文を読むときの読み方の原則をここでは挙げる。
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小学校・中学校・高等学校の学習 > 中学校の学習 > 中学校国語 > 中学校国語 古文 > 中学校国語 古文/竹取物語 このページでは「地球人」は地球の人類のことを、「宇宙人」は地球人を除いた宇宙人を指します。ご注意ください。 かぐや姫はじつは月の世界の人。天人である。 だが、単にかぐや姫が宇宙人というだけでは、ここまで後世に残る名作にはならない。かぐや姫と人間との関わりが面白さの醍醐味。 かぐや姫がじつは宇宙人といっても、考え方の様式はほぼ地球人である。ただし、月 (の国) に帰らなければならないという宿命があるので、いくつかの地上の権威は結果的に通用しないことになる。もっとも、かぐや姫本人は、地上の権威を理解しているし、なるべく育ての親のおじいさんやおばあさんに幸せな暮らしをさせたいとも思っている。かぐや姫に地上の権威が通用しないという例を、作品中ではかぐや姫への求婚を、姫がすべて断る、ということで表現している。そのためか、かぐや姫はとても美人だ、という設定になっている。結果的に求婚を断る行動は地上の権威を否定することになるから読者には痛快であろう{{}}。しかも、かぐや姫の行動は、法に逆らっているわけでもないので、読者は大して罪悪感を感じないで済む。 かぐや姫が通常の人間ではないということが読者に分かるように、冒頭で竹の中から小さな姫が発見される。しかし、この冒頭の段階では、かぐや姫の正体が月の住人だということは、まだ読者には分からない。かぐや姫の正体が分かるのは、結末ちかくになってからである。冒頭を読んだ読者に「かぐや姫はひょっとしたら普通の人間ではないのかもしれない」という事が分かれば十分である。 そのような、姫の生い立ちの前置きが無いと、単に強情な娘が求婚を断り続けるだけのわがままな箱入り娘、という印象になってしまう。作中でも求婚を断り続けるかぐや姫のあまりの強情っぷりに、後に出てくる帝 (天皇) があきれるようなシーンもある。 姫は全ての求婚を断るが、あまりの美貌に「我こそ」という美青年も数人 (より多い可能性もある) 現れる。この中でも特に美しい5人の貴族たちがおり、彼らの求婚は可能性を残した形で断られる。彼らは入手困難なものをそれぞれ要求され、持参した者と結婚するとした。5人の貴族はそれぞれの財力などを用いて自身に命じられたものを用意しようと一念発起した。しかし、偽物を献上し見破られたり、大金をはたいて天竺 (現在のインド) の商人か偽物しか得られなかったり、船が難破したりと散々だった。求婚をした貴族のうちの一人は、その自身の不幸な結末から、かぐや姫を疫病神あつかいをしはじめて、すっかり、かぐや姫への恋愛をなくしてしまうぐらいである(そのようなストーリ-中盤での疫病神あつかいが、ストーリー後半で明らかになる、かぐや姫の正体の伏線にもなってるのかもしれない)。 五人の貴族の求婚がすべて失敗に終わったあと、(日本の)帝 (=天皇) がかぐや姫に興味を抱き、宮中に召抱えようとする。最終的に、かぐや姫を抱えようとする天皇も、姫に断られる。この帝ですら、かぐや姫の宿命を引き立てるための、引き立て役である。 終盤にでてくる、天界の人たちの言説では、地上の権威や、地上人たちの人情などは、取るに足らない下らないものとして扱われている。 中国や朝鮮などの外国では、日本の権威があまり通用しないが、どうも、そういう影響が作品にあるのかもしれない。仏教などの外来宗教の影響もあるのだろう。 そのような、日本の権威や常識が通用しない世界が、地球上には存在することが、この地上の権威や人情を見下す天人たちの行動に、説得力などを与えているのであろうか。 単に感情だけが、地上の感情だけが、天人にとって取るに足らないのでなく、かぐや姫を守ろうとする地上の兵士たちの警備の行動といった武力的な能力すらも、天人たちの超能力的な力の前には、地上は無力である。 こうして、地上の感情も、地上の力も、天人たちの前では、無力・無駄な物として表現される。 そして、ついに、かぐや姫は、天界に、つれて帰られてしまう。そして、天界の超能力的な力により、かぐや姫は地上のことも忘れてしまう。「天の羽衣」という物を、かぐや姫が着せられることにより、かぐや姫は地上のことを忘れてしまう。 こうして、天人とともに、かぐや姫が月に帰って以降、もう、かつての人情のあった「かぐや姫」は出てこない。地上のことを忘れ去っているので、出てくる余地も無い。実際に、もうストーリー中には、天人もかぐや姫も登場しない。 しかし、結末は、べつに月に帰るシーンでない。かぐや姫が帰る直前に、地上の者が、かぐや姫から貰った 不死の薬 があるのだが、この薬を地上の人たちが、不要な物として燃やすのが、結末である。 かぐや姫が月に帰ったシーンを結末にするのではなく、結末は、そのあとの地上の人たちの、あきらめたあとの行動を結末にしているのである。 悲劇的な結末である。 ストーリー冒頭での、竹の中が光っているという幻想的なシーンとは対照的に、結末は、つらい。 竹取物語が書かれた時代は、かな文字が成立した時代であると考えられている。 そもそも、かな文字が成立したので、日本語で物語が書きやすくなったと考えられている(※ 教育出版の見解)。 (抜粋) 今は昔、竹取の翁(おきな)といふものありけり。 野山にまじりて竹をとりつつ、万(よろづ)のことにつかひけり。 名をばさぬきのみやつことなむいひける。 その竹の中に、本光る竹なむ一筋(ひとすぢ)ありけり。 怪しがりて(あやしがりて)寄りて(よりて)見るに、筒の中光りたり。 それを見れば、三寸ばかりなる人いと7美しうてゐたり。 翁いふやう、 「われ朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になり給ふ(たまう)べき人なめり。」 とて、手にうち入れて家に持ちて来ぬ(きぬ)。 妻(つま)の嫗(おうな)に預けて養はす。 美しきこと限りなし。 いと幼けれ10ば、籠に入れてふ。 今となっては昔のことだが、竹取の翁(おきな)というものがいた。 野山に分け入って竹をとっては、様々なことに使っていた。 名を「さぬきのみやつこ」と言った。 その竹の中に、根元が光るものが一本あった。 不思議がって近づいて見ると、竹の筒の中が光っていた。 それを見ると、三寸ほどの人がたいそうかわいらしく座っていた。 翁が言うことは、 「私が毎朝毎晩見ている竹の中にいらっしゃるために分かった。子供になってくださる人であるようだ。」 と、手に入れて家に持って来た。 妻の嫗にあずけて育てさせる。 かわいらしいこと限りがない。 たいそう小さいので、籠に入れて育てる。 「いふもの」(イウモノ)、「ゐたり」(イタリ)などのように、明治時代よりも以前(つまり古代~江戸時代の終わり)までの古典の仮名遣い(かなづかい)は、現代の仮名遣いとは違っている。 この(「いふもの」「ゐたり」などの)ように、明治以前の古典に見られるような仮名遣いのことを「歴史的仮名遣い」という。 その他、仮名遣いの現代と古典との違いの例をあげる。 「いふもの」や「いひける」のように、語頭以外での「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」は、多くの場合、「は」→「わ」、「ひ」→「い」、「ふ」→「う」、「へ」→「え」、「ほ」→「お」と読むことが多い。 「なむ」を「なん」と読むように、「む」を「ん」と読む場合がある。 古文:「うつくしう」→ 読み:「うつくしゅう」 の様に、古文:「しう」→読み:「しゅう」。 この冒頭文の以外からも例を出せば、古文の「けふ」は「きょう」(今日)。古文の「てふ」は「ちょう」と読む。古文の「てふてふ」は読みは「ちょうちょう」で蝶々(ちょうちょう)のこと。「てふてふ」はアゲハチョウとかモンシロチョウなど、昆虫のチョウのこと。 のように 枕草子の「をかし」 → 読み:「おかし」の例のように、 というふうになる。 意味は「不思議に思って」。現代の「怪しいと思う」とは意味がちがい、「変だと思う」というような意味は無い。 ※ 高校の範囲だが、『枕草子』にも「小さきものは、みな、うつくし」(145段)という表現があるので、古語の「うつくし」は現代語の「かわいい」に対応する語だと推測することができるだろう。 この「あやし」や「うつくし」のように、たとえ同じ語が現代にあっても、古文では意味が違う場合があるので、注意。 「いと美しうて」の「いと」とは、現代では「非常に」「とても」に置きかえられています。現代日本語では、「非常に」という意味での「いと」は使われていません。 このように、古典には、現代に使われなくなった言葉も多くあります。 竹取の翁この子を見つけて後に、竹をとるに、節をへだてて1よごとに金ある竹を見つくること重なりぬ。 2かくて翁やうやう豊かになりゆく。 この児養ふ3ほどに、すくすくと大きになりまさる。 三月ばかりになる程に、4よき程なる人になりぬれば、5髪上げなどさうして、髪上げさせ6裳着す。 帳の内よりも出さず、いつき養ふ。 この児のかたち清らなること7世になく、家の内は暗き処なく光満ちたり。 翁心地あしく苦しき時も、この子を見れば苦しき事も止みぬ。 腹だたしきことも慰みけり。 竹取の翁はこの子を見つけて以後に、竹を取ると、節を隔てて空洞(よ)ごとに金が入っている竹を見つけることが重なった。 このようにして、翁はだんだん豊かになっていく。 この子を育てると、すくすくと大きくなっていく。 三か月ほどたった頃に、成人したので、髪上げなどをあれこれ手配して、髪上げし裳着を行った。 帳台の中からも出さず、心をこめて大切に育てる。 この子の顔だちの美しいことは世に類がなく、家の中は暗いところなど無いほど光に満ち溢れていた。 翁は気分が悪く苦しいときでも、この子を見ると苦しいこともなくなった。 腹立たしいことも気が晴れた。 竹から見つかった、この美しい娘は「なよたけのかぐや姫」と名づけられた。 「ありけり」や「使ひけり」の文末の「けり」は、過去についての伝聞をあらわす。 「けり」は、『竹取物語』のように昔話などで用いられることが多いので、覚えておこう。 「名をば、さかきのみやつことなむいいける」や「もと光る竹なむ一筋ありける。」の文末の「ける」は、「けり」の連体形。「ける」になっている理由は、文中に係り助詞「なむ」があるため。 文中に、係り助詞「ぞ」・「なむ」・「や」・「か」がある場合、文末は連体形(れんたいけい)になる。 なお、文中に係り助詞「こそ」がある場合、文末は已然形(いぜんけい)になる。 「ける」の意味は、連体形になっていても、「けり」と同じであり、過去についての伝聞をあらわす。 美しいかぐや姫には多くの男たちが求婚した。しかし、かぐや姫は求婚を断り続けた。なので、求婚をしつづける者は減っていった。そのうち、求婚をしつづける者が5人の男の貴族へとしぼられていった。 かぐや姫はいっさい結婚をする気は無かったが、娘の将来を心配する翁が結婚をせかすのでかぐや姫は結婚の条件として5人の貴族たちに無理難題(むりなんだい)を出した。入手が至難の品物を持ってくることを結婚の条件にした。品物は5人の貴族ごとにそれぞれ別である。「蓬莱の玉の枝」はその品物の一つである。 貴族の一人の「くらもちの皇子」(くらもちのみこ)が、「蓬莱の玉の枝」(ほうらいのたま の えだ)を持ってくる条件を出された。 ちなみに「蓬莱」(ほうらい)とは、中国(チャイナのほうの中国)の神話にある伝説上の島で、中国の東の海にある伝説の島である。中国の西・北・南には海はなく陸地であり、異民族の国であり、伝説の島などはありようがない。中国の東の島といってもべつに台湾(たいわん)でなければ、日本列島でもない。 この「蓬莱」のように中国の神話の影響が『竹取物語』にはあるようだ。 さて、条件を出されたくらもちの皇子は、最初から「蓬莱の玉の枝」を探すのをあきらめ、かわりに偽(にせ)の「蓬莱の玉の枝」をつくってかぐや姫をだまそうとした。 そのため手下の匠(たくみ)たちに「蓬莱の玉の枝」そっくりの枝を作らせた。 そして、3年の月日がかかり、ようやく偽(にせ)の「蓬莱の玉の枝」が出来上がった。そして、翁の家をおとずれかぐや姫たちをだますために架空の冒険談をでっちあげて話しはじめた。 当初、かぐや姫たちは「蓬莱の玉の枝」が偽造だとは知らなかった。しかし、話のあと匠たちが給料をかぐや姫に請求しに翁の家につめかけに来たことから皇子の嘘(うそ)がばれる。 ちなみに5人の貴公子の名前はそれぞれ 結婚の条件として持ってくるべき品物はそれぞれ 入手のための方法はそれぞれ 以下の話はくらもちの皇子がでっち上げた、架空の冒険談である。 これやわが求むる山ならむと思ひて、さすがに怖しく思えて、山のめぐりをさしめぐらして、二三日ばかり見ありくに、天人の装ひしたる女、山の中より出で(いで)来て、銀(しろがね)の鋺(かなまる)を持ちて水を汲みありく。これを見て舟より下りて(おりて)、「この山の名を何とか申す」と問ふ。女、答へていはく、『これは蓬莱の山なり』と答ふ。これを聞くに、うれしきことかぎりなし。 これこそが、自分が探している(蓬莱の)山だろうと思って、(うれしかったが)やはり恐ろしく思われて、山のまわりをこぎまわって二日・三日ほど、様子を見て回っていたら、天人の服装をした女が山の中から出てきて、銀のお椀で水をくんでいます。これを(私が)見て、(私は)船から降りて、「この山の名を、何というのですか。」と尋ねました。女は答えて、「この山は、蓬莱の山です。」と答える。これを聞いて、(私は)うれしくて、たまらない。 (中略) その山、見るに、さらに登るべきやう(ヨウ)なし。 その山のそばひらをめぐれば、世の中になき花の木ども立てり。 金(こがね)・銀(しろがね)・瑠璃(るり)色の水、山より流れいでたり。 それには、色々の玉の橋渡せり(わたせり)。 そのあたりに、照り輝く(かがやく)木ども立てり。 その中に、この取りてまうで(モウデ)来たりしは、いとわろかりしかども、のたまひし(ノタマイシ)に違は(タガワ)ましかばと、この花を折りてまうで(モウデ)来たるなり。 その山を、見ると、(険しくて)まったく登れそうには、ありません。その山の斜面を回ってみると、この世の物には無い(この世の物とは思えないほど美しい)花の木が立っています。金色の水、銀色の水、瑠璃色の水が、山より流れ出ています。 その川には、色さまざまの玉でつくられた橋が架けられています。その付近に、光り輝く木々が立っています。その中で(その木の中から取ってきた)、この取ってきたのは(取ってきた枝は)、かなり見劣りするものではありましたが、(姫の)おっしゃった物とは違ってはいけないだろうと思い、この花(の枝)を折って、まいってきたのです。 (後略) 玉の枝が偽物とはいえ匠たちが3年もの歳月をかけて作りあげたのだからとても高価な品物ではあろう。しかし、そんなことにはかぐや姫は興味が無い。かぐや姫はさっさと球の枝を皇子に返した。 他の4人もすべて失敗した。ある貴公子は大金を使ったが失敗する。ある貴公子は船旅の途中に暴風雨にあって失敗し、かぐや姫を疫病神あつかいしはじめかぐや姫への興味がなくなる。ある貴公子は事故にあい大けがをして失敗する。ある貴公子はかぐや姫をだまそうとして失敗する。 そして結局、5人の貴公子の求婚はすべて失敗した。 このあと天皇がかぐや姫の話題を聞きつけ、興味をいだき、かぐや姫を見てほれてしまい、天皇もかぐや姫に求婚しはじめる。 天皇はこの物語世界では地上での最高の権力者である。その天皇からかぐや姫は求婚された。 しかし、かぐや姫はかたくなに結婚をしようとしない。 天皇はかぐや姫を無理やり宮中に連れようとかぐや姫をにぎるとかぐや姫は変身して影(かげ)になって一時的に消えてしまう。 なので無理やりつれていくことも出来ない。 かぐや姫が変身することで、かぐや姫が通常の人間でないことが説得力を持って読者や登場人物に伝わる。 このあと、いろんなやり取りがあって、そうこうしているうちに月日が流れ、かぐや姫は月に帰らなければならない日が近づく。 かぐや姫を月に連れもどそうとする天人からかぐや姫を守ろうと、帝は翁の家に警備の兵を派遣して守らせる。 その山、見るに・・・ このように、古文では助詞や主語が省略されることが多い。また、省略される主語の人称はかならずしも話し手(1人称)自身とはかぎらないので注意のこと。前後の文の文脈から主語をおぎなうことになる。 そして、ついに天人たちがかぐや姫を月に連れかえりに地上の翁の家にやってくる。 警備の兵は捕まえようとするが、天人たちの不思議な超能力によりまったく力が入らない。 かろうじて弓矢を持ったものが矢を射っても、矢がまったく違う方向へ飛んでしまい当たらない。 そして、かぐや姫は天人の超能力により自動的に屋外へと引きずりだされ、天人の居る場所へと動いてしまう。 ついに天人がかぐや姫を月に連れ戻そうとする。ここでかぐや姫は手紙を書き残すための時間が欲しいと頼み、天人に手紙を書くための時間を与えられる。 月にかえる直前のかぐや姫はまだ地上の情の記憶が残ってるうちに手紙を書き残し、その手紙は天皇へ当てられた。 天人の中に持たせたる箱あり。天の羽衣(はごろも)入れり。また、あるは不死の薬入れり。 一人の天人言ふ。「壺(つぼ)なる御薬(みくすり)たてまつれ。きたなき所の物きこしめしたれば、御心地(おんここち)悪しからむ(あしからン)ものぞ。」とて、持て寄りたれば、いささかなめたまひひて、少し形見とて、脱ぎ置く衣(きぬ)に包まむとすれば、ある天人包ませず。 御衣(みぞ)を取り出でて(いでて)着せむとす。その時にかぐや姫、「しばし待て。」と言ふ。 「衣、着せつる人は、心、異(こと)になるなりといふ。物(もの)一言(ひとこと)いひおくべきことありけり。」といひて文(ふみ)書く。 天人の中の一人に持たせている箱がある。(その箱には)天の羽衣が、入っている。また別の箱には、不死の薬が入っている。一人の天人が言う、「壷に入っているお薬を飲みなさい。汚い所(=地上)のものを召し上がってきたので、ご気分が、(きっと)悪いでしょう。」と言って、(薬の壷を)持って寄ってきたので、(かぐや姫は)僅か(わずか)おなめになって、少し形見といて脱いでおく着物に包もうとすると、天人が(薬を)包ませない。 (そして、)(天人が)お召し物(=天の羽衣)を取り出して、(かぐや姫に)着せようとする。 その時に、かぐや姫は、「しばらく待ちなさい。」と言う。「天の羽衣を着せられた人は、心が、この地上の人間とは(別の心に)変わってしまうという。(じつは)一言、(地上の者たちに)言っておかなければならないことがあった。」と言って、(帝に当てた)手紙を書く。 中将取りつれば、 ふと天の羽衣うち着せたてまつりつれば、翁をいとほし、かなしとおぼしつることも失せぬ。この衣(きぬ)着つる人は、もの思ひ(イ)なくなりにければ、車に乗りて、百人ばかり天人(てんにん)具して昇り(のぼり)ぬ。 (地上の人間の)中将が(手紙と壷を)受け取ると、 天人が、いきなり、さっと天の羽衣を(かぐや姫に)着せてさしあげたので、(もう、かぐや姫は)「翁を気の毒だ、かわいそうだ。」と思っていた気持ちも消え失せてしまった。 この天の羽衣を着た人(=元・かぐや姫)は、(もはや、地上の人としての気持ちが失せてしまったので、)(たかが地上のことで)思い悩むことも無くなり、(そのまま、)(天を飛ぶ)車に乗って、百人ほどの天人とともに、天に昇ってしまった。 かぐや姫は連れてかれてしまった。そして、かぐや姫は「天の羽衣」を着たことにより、地上の人情は忘れてしまい、かぐや姫は翁たちにも興味はなくなった。 翁・嫗(おうな)、血の涙を流して惑へど(まどえど)、かひ(かい)なし。あの書きおきし文を読みて聞かせけれど、「何せむにか命も惜し(おし)からむ。誰(た)がためにか何事も用なし。」とて、薬も食はず、やがて起きも上がらで、病み伏せり。 中将、人々引き具して帰り参り(まゐり)て、かぐや姫をえ戦ひ留めずなりぬる事を細々(こまごま)と奏す(そうす)。薬(くすり)の壺(つぼ)に御文(おんふみ)添へ(そエ)参らす。広げて御覽(ごらん)じて、いといたくあはれがらせたまひて物もきこしめさず。御遊びなどもなかりけり。 翁と嫗(おうな)は、血の涙を流すほどに(悲しみ)取り乱したが、どうしようもない。(かぐや姫によって)書き置かれた、あの手紙を読み聞かせたが、「(今さら)何をすることがあるのでしょう。(どうして、)命が惜しいでしょうか。誰のために生きるのですか。もう、何も無用です。」と言って、薬も飲まず、やがて病み伏せってしまって、起き上がらない。 中将は、人々(=兵士など)を引きつれ(宮中に)帰り参上した。(帝に報告し、)かぐや姫を引き留めるために戦うことが出来なかった事を細々と申し上げた。 (そして、中将が預かっていた)薬の壷および手紙を、帝に、さしあげた。 (帝は手紙を)広げて、お読みになり、とても、たいそう悲しみになり、食事も召し上がらない。(音楽などの)お遊びも、なされなかった。 月に帰る直前のかぐや姫から地上の者たちは「不死の薬」を受け取り、天皇に薬がわたされたが、天皇も翁も嫗(おうな)もだれも薬を飲もうとしない。かぐや姫のいない世界で不死を生きることに翁たちはもはや興味が無い。翁と嫗は自分の娘としてかぐや姫をかわいがっていた。天皇も不死に興味が無く、その薬を士たちに富士山で燃やさせる。「不死の薬を燃やしたから不死=富士」と思わせておいて、実は「士に富む」(原文では「士どもあまた」)から「富士」というオチである。 御文(おんふみ)、不死の薬の壺(つぼ)並べて、火をつけて燃やすべきよし仰せ(おほせ)たまふ。 そのよしうけたまはりて、士(つはもの)どもあまた具して山へ登りけるよりなむ、その山を「ふじの山」とは名づけける。 その煙(けぶり)、いまだ雲の中へ立ち上るとぞ、言ひ伝へたる。 (帝は)お手紙と不死の手紙を並べて、火をつけて燃やすようにと、ご命令になった。その旨を承り、兵士たちを大勢ひきつれて山に登ったという事から、その山を「ふじの山」と名づけたという。 その煙は、いまだに雲の中へと立ち上ってると、言い伝えられている。
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「故事」(こじ)とは、昔の出来事のことである。 「故事成語」(こじせいご)とは、ある故事が元になって出来た熟語である。たいてい、中国の古典に書かれた故事が、故事成語の元になっている。 ここでいう「中国」は、チャイナのほうの中国である。なお、中学校のこの単元においては以下の漢文についてを習うこと及びその次に述べる故事成語を覚えることを目的とする。 wikibooksの仕組みではどうしても横書きになってしまう。一文字ずつ改行してならできなくもないものの、ページが大変なこと(長さ)になってしまうので、やむをえず横書きにした。横書きで上つきの記号は、縦書きでは右側に、同じく下つきの記号は左側に、と読み替えてほしい。 以下に例を述べる。その前に、簡易的ではあるが、説明をしておく。右側(ここでは横書きなので倒して上側)にあるカタカナが送り仮名で、左側(ここでは同じく横書きなので倒して下側)にあるのが訓読記号である。 ① まず、上(実際には縦書きなので右側)のカタカナは前述の通り「送り仮名」である。無論古文の読み方によって読まなくてはならない。次に、下(これまた実際には縦書きなので左側)の前述の通り訓読記号の『レ』はレ点と称し、これがある文字の一つ前の文字を読むのは後であり、先にこれの後の文字を先に読んだ後(一文字)先ほどのレ点の前の文字を読む。 ② まず、最初の有にレ点がついているので、また同様に無しにもレ点がついているので、読む順番は1、備え(古文の読み方で)2、有れば3、患い(古文の読み方で)4、無し、となる。ここでは古文の読み方を適用することが重要である。間違っても、『備え患い有れば無し』(先に「レ点のないもの」を全て読んでしまった例)のようにしてはならない。レ点がついている文字は、レ点の次の文字を読んだ後、すぐに読む。 ③ まず、『一』・『二』・『三』は『一・二・三点』という。二文字以上戻る場合、レ点では対処できないから出てくる。番号順に読む。 では、これを踏まえて、見てみよう。先に訓読記号のついていないものを読むので、1、東のかた2、鳥江を3、渡らんと4、欲す、となる。1、を読んだ後、他に訓読記号のついていない文字がないので、一(訓読記号)から順番に読む。こうすると、読むことができる。なお、漢文を書く場合においてもレ点と一・二・三点の使い分けをしよう。 では、これらを生かして、下の故事成語を読んでみよう。 ある主張の辻褄(つじつま)が合わないこと。 矛盾 楚人(そひと)に盾(たて)と矛(ほこ)とを鬻ぐ(ひさぐ)者あり。之(これ)を誉(ほ)めて曰(いは)く「わが盾(たて)の堅き(かたき)こと、能く(よく)陥す(とおす)ものなきなり。」と。また、その矛(ほこ)を誉めて曰く「わが矛の利なること、物において陥さざるなきなり。」と。 ある人いはく(いわく)「子(し)の矛を以て、子の盾を陥さば(とおさば)いかん。」と。その人応ふる(こたうる)こと能はざる(あたわざる)なり。 楚の国の人で、盾と矛とを売る者がいた。その人が、盾をほめて、「私の盾の堅いことといったら、突き通せる物が無い。」と。また、その人は、矛をほめて、「私の矛の鋭いことといったら、どんな物でも突き通す。」 ある人が尋ねて、「あなたの矛で、あなたの盾を突きさすと、どうなるのか。」と言った。その商人は、答えることができなかった。 中学校国語 漢文/矛盾も参照のこと。 よけいなもの。 中国の楚(そ)の国で、数名の者が地面に蛇の絵を早く描く競争をしていて、いちばん早く描き終えた者は酒を飲めるという競争をした。このときに、ある者が、いったん先に描き終えたが、「足まで描ける」と言ったら、別の者が「蛇には足がない。」と言われ、足を描いた男が負けてしまい、酒をうばわれたという。 周囲を敵に囲まれること。または、周囲が敵ばかりで味方のいないこと。 紀元前202年ごろの、古代の中国で、楚(そ)の国と、漢(かん)の国が、天下をめぐって争っていた。秦(しん)の王朝が滅んだあとの時代であり、いくつかの国が天下を争っていた。最終的に、楚と漢に、集約されていった。 そして、ついに楚と漢との決戦が起きた。 楚(そ)の指導者の項羽(こうう)は、楚軍が垓下(がいか)の戦いで劣勢になり、敵側の漢の大軍に包囲された。その日の夜、項羽は四方の漢軍の陣のほうから、故郷の楚の歌が聞こえてくるのを聞いて、「漢軍は既に楚を占領したのか、外の敵に楚の人間のなんと多いことか。」と驚き(おどろき)嘆いた(なげいた)。この故事から"周囲を敵に囲まれること"を四面楚歌(しめんそか)と言うようになった。 ※最終的に項羽は戦に負け自殺し、漢が天下をにぎる。漢の指導者の劉邦(りゅうほう)が、あたらしい王朝の「漢」を作る。これが、漢王朝の始まりである。 ふたつの勢力がひとつの事柄について争っている間に、第三者が利益を得てしまうこと。 ハマグリが殻(から)を開けてひなたぼっこをしていると、鳥のシギがやってきて、ハマグリの身をついばもうとした。ハマグリは殻をとじて、シギのくちばしをはさみました。シギは『このまま今日も明日も雨が降らなければ、ハマグリは死ぬだろう』と言い、ハマグリは『今日も明日もこのままならば、シギの方が死ぬだろう』と言う。そうして、争っている間に、両者(りゃうしゃ)とも、漁師に捕まってしまった。 中国の戦国時代における、たとえ話の一つ。 必要のない心配、取り越し苦労(とりこしぐろう)のこと。 杞(き)の国に、ひどく心配性の人がいた。もしも天が落ちてきたらどうしよう、地面が崩れたらどうしようと心配し、夜も眠れず食事ものどを通らぬほどに心配した人がいた。このことから、無駄な心配、取り越し苦労のことを指して杞憂(きゆう)という。 人の幸不幸は変わりやすいということ。 用例の一例として不幸な人をはげます場合に、「人間万事、塞翁が馬」などと使うことが多い。幸福で浮かれている人をいましめる場合にも、用いられる場合がある。 このことから、人間、良いこともあれば悪いこともあるというたとえとなり、だから、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉になり、「人間万事塞翁が馬」などと使われる。 文章の言い回しを、よりよく考え直すこと。 単に、出版物などの誤字・脱字を訂正することは「校正」(こうせい)という熟語であり、推敲とは意味が異なる。 唐の詩人の賈島(かとう)は、乗っているロバの上で詩を作っていた。その途中、「僧(そう)は推す(おす) 月下の門(げっかのもん)」という一句を口ずさんでから、「推す」のほかに「敲く」(たたく)という語を思いついて迷った。あまりにも夢中になっていたので、向こうから役人の韓愈(かんゆ)のひきいる行列がやってきたのにも気づかず、その中にぶつかってしまった。賈島はすぐに捕らえられ、韓愈の前に連れて行かれた。そこで賈島は経緯をつぶさに申し立てた。事情を知った韓愈は、賈島の話を聞き終わると、「それは『敲く』の方がいいだろう、月下に音を響かせる風情があって良い」と言った。そして、二人は、馬を並べていきながら詩を論じ合った。 このことから「文章を書いた後、字句を良くするために何回も読んで練り直すこと」を「推敲」という。 あまりちがいのないこと。 (書き下し文) 中学校国語 漢文/五十歩百歩も参照のこと。
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中学校国語 漢文 > 矛盾 ここでは故事成語「矛盾」のもとになった話を解説する。なお、原文の難解な漢字はひらがなに直している。 楚人1に盾と矛2とを鬻ぐ3者有り。これを誉めて曰く「わが盾の堅きこと、よくとほすもの莫きなり」と。また、その矛を誉めて曰く「わが矛の利なる4こと、物においてとほさざる無きなり」と。ある人曰く「子5の矛をもって、子の盾をとほさばいかん」と。その人こたふることあたはざるなり。 楚人有鬻楯與矛者。譽之曰、吾楯之堅、莫能陷也。又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。或曰、以子之矛、陷子之楯何如。其人弗能應也。 (『韓非子』(かんぴし)より) 楚の国の人で盾と矛を売る者がいた。この人はこれを誉めて「私の盾は頑丈で、これを貫けるものはない」と言った。また、矛を誉めて「私の矛は鋭くて、物において貫けないものはない」と言った。ある人が「あなたの矛であなたの盾を貫いたらどうなるのですか」といった。商人は答えることができなかった 「何でも突き通す矛」と「どんな攻撃も防ぐ盾」の2つがあるというのはおかしい。なぜなら、「何でも突き通す矛」が本当ならば「どんな攻撃も防ぐ盾」はウソになるし、その逆の場合は矛のほうがウソになるからである。このように、つじつまの合わないことを「矛盾」(むじゅん)と言うようになったのはこの話による。
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中学校国語 漢文 > 青は藍より出でて藍よりも青し ここでは故事成語「青は藍より出でて藍よりも青し」のもとになった話を解説する。なお、原文の難解な漢字はひらがなに直している。 君子1曰く、学は以て已2むべからず。青はこれを藍3より取りて、藍よりも青く、氷は水之を為して、水よりも寒し、と。 君子曰、學不可以已。青取之於藍、而青於藍、冰、水爲之、而寒於水。 (『荀子』より) 君子がこうおっしゃった。「学問は終わったと思ってはいけない。青は藍から取り出すが藍よりも青い。氷は水が作り出すが水よりも冷たい。」と。 「青は藍より出でて藍よりも青し」は「出藍の誉れ」とも言う。親や先生よりも優れた才能を示したり、仕事をしたりしたときに使われる言葉である。ここでは学問というものがどんどん発展していくのだから、「ここで終わり」という制限をかけて努力をやめることをいましめている。 さて、原文は長い文ではないが少し難しい。「青取之於藍、而青於藍」を忠実に書き下し文にすると「青は之を藍より取りて、藍より青し」なる。この書き下し文をよく見ると「於」「而」という字は使っていないことに注目してほしい。この二つは「置き字」といい、原則として読まない(ただし、ふりがながあれば読む)のだが、これが返り点を打つ問題でのミスのもとになる。なお、返り点をうつと「青取二之於藍一、而青二於藍一」となる。同様に「而寒於水」には「而寒二於水一」と打つ。
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中学校国語 漢文 > 温故知新 ここでは四字熟語「温故知新」のもとになった話を解説する。なお、原文の難解な漢字はひらがなに直している。 子1曰く、「故きを温ねて2新しきを知れば、もって師たるべしと」。 子曰、温故而知新、可以爲師矣。 (『論語』より) 孔子はおっしゃった。「昔の出来事や学説を研究して、現在にも通じる新しいものを発見すれば指導する立場になれるだろう」と。 原文の「温故而知新」から「青は藍より出でて藍よりも青し」で解説した置き字である「而」を取り除いたのが四字熟語「温故知新」である。 本文が短いので全部に返り点を打つと「子曰、温レ故而知レ新、可二以爲一レ師矣」となる。ここでも置き字と返り点に悩まされることになる。その理由は(ここでは横書きなのでわかりにくいだろうが)「一レ点」が登場することと最後にある置き字「矣」にある。「一レ点」のある部分はレ点を優先して下の字から上の字に返って読み、その後二点へ飛ぶ。さらに最後の「矣」は置き字なので読まない。この二つに気をつけたい。
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ここでは故事成語「五十歩百歩」の基になった文を見ていきたい。 今から約2300年ほど前、中国の中心部の近くに魏(梁)という国があり、そこに恵王(けいおう)という王がいた。恵王は戦争好きで、国を強くするために先生として招いていた孟子に、こう相談した。「私は政治に心を尽くしています。ある地方で作物が取れないときは、そこの民衆を別の地方に移し、穀物を移します。となりの国の政治をよく観察してみても、私のように民衆のために心を砕いている者はいません。それなのに、となりの国の人口が減らず、私の国の人口が増えないのは、なぜですか」と。 この恵王の質問に、孟子はどう答えたのだろうか。 孟子対へていはく、「王戦ひを好む。請ふ戦ひをもってたとへん。填然として、これに鼓し、兵刃既に接す。甲を棄て兵をひきて走る、あるいは百歩にして後止まり、あるいは五十歩にして後止まる。五十歩をもって百歩を笑はば、すなわちいかん」と。 いはく、「不可なり。ただ百歩ならざるのみ。これもまた走るなり。」と。 孟子は答えて言った。「王様は戦争がお好きです。戦争でたとえさせてください。ドンドンと進軍の太鼓が鳴り、武器はぶつかって火花を散らしています。そうしたら、よろいを捨てて武器を引きずって逃げ出した者がおりました。一方は百歩で立ち止まり、もう一方は五十歩で立ち止まりました。五十歩逃げた者が百歩逃げた者をおくびょうだと言って笑ったならば、どうでしょうか。」 王は言った。「それはダメだ。ただ百歩でないというだけで、逃げたことには変わりない。」 孟子は、恵王への答えに、こう言う。「それがおわかりでしたら、人口が多くなることを期待してはなりません」と。孟子からすれば、恵王の政治も、となりの国の政治も、大きな差がない―五十歩百歩なのである。 孟子対曰、「王好戦。請以戦喩。填然、鼓之、兵刃既接。棄甲曳兵而走、或百歩而後止、或五十歩而後止。以五十歩笑百歩、則何如。」 曰、「不可。直不百歩耳。是亦走也。」 もともとは少し長めの文章だが、故事成語のもとになったところだけをピックアップした。 さて、すでにすこし触れたが「大きな差がない」ことを「五十歩百歩」という。これはすでに紹介したように「五十歩逃げた者が百歩逃げた者を馬鹿にして笑うことは意味がない」ことからきている。似たような言葉に「どんぐりの背比べ」「目くそ鼻くそを笑う」がある。
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概要

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謝辞

教科書を作成、編集してくださったウィキペディアンの皆様に感謝を申し上げます。

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