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すべおの王䟯貎族が集たっおいるのをみれば、
けがれのない垝王の姿がみえるではないか。
今は静かに物云わぬ魂がどんなに満足しおいるこずか。
か぀おはその足にふたえた党䞖界をもっおしおも
その欲望を満たすこずもおさえるこずも出来なかったのに。
死ずはあらゆる人間の虚栄をずかす霜解けである。
秋も曎けお、暁闇がすぐに黄昏ずなり、暮れおゆく幎に憂愁をなげかけるころの、おだやかな、むしろ物さびしいある日、わたしはりェストミンスタヌ寺院を逍遥しお数時間すごしたこずがある。悲しげな叀い倧䌜藍の荘厳さには、この季節の感芚になにかぎったりするものがあった。その入口を通ったずき、わたしは、昔の人の䜏む囜に逆もどりし、過ぎ去った時代の闇のなかに身を没しおゆくような気がした。
わたしはりェストミンスタヌ・スクヌルの䞭庭から入り、䜎い円倩井の長い廊䞋を通っお行ったが、そこは巚倧な壁にあけられた円圢の穎でかすかに䞀郚分が明るくなっおいるだけなので、あたかも地䞋に朜ったような感じがした。この暗い廊䞋を通しお廻廊が遠くに芋え、聖堂守の老人の黒い衣をたずった姿が、うす暗い円倩井の䞋に動き、近くの墓地からぬけ出しおきた幜霊のように芋えた。
こういう陰鬱な僧院の跡を通っお寺院に近づいおゆくず、おのずから厳粛な思玢にふさわしい気持ちになるものである。廻廊は昔ながらの䞖間を遠ざかった静寂の面圱をいただにずどめおいる。灰色の壁は湿気のために色があせ、歳月を経お厩れおちそうになっおいる。癜い苔の衣が壁にはめこんだ蚘念碑の碑文をおおい、髑髏や、そのほかの葬儀の衚象をもかくしおいる。鋭く刻んだ鑿のあずは、粟巧な圫刻をほどこしたアヌチの狭間食りからすでに消え去っおいる。薔薇の暡様がかなめ石を食っおいたが、その矎しく茂った姿はなくなっおしたっおいる。あらゆるものが、幟星霜のおもむろな䟵蝕のあずをずどめおいる。だが、そのほろびのなかにこそ、䜕か哀愁をそそり、たた心を楜しくさせるものがあるのだ。
倪陜は廻廊の䞭庭に黄色い秋の光を泚ぎ、䞭倮のわずかばかりの芝生を照らし、円倩井の通路の䞀隅をほのぐらく矎しく茝かしおいた。拱廊のあいだから芋あげるず、青い空がわずかに芋え、雲が䞀片流れおいた。そしお、寺院の尖塔が倪陜に茝いお蒌倩に屹立しおいるのが県にう぀った。
わたしは足を進めお、寺院の内郚に通ずるアヌチ圢の扉に行った。䞀歩なかに入るず、建物の巚倧さが、廻廊の䜎い円倩井ず比べるず䞀きわ匕きたっお、心にのしかかっおくる。わたしはおどろいお県をみはった。簇柱は巚倧で、しかも、アヌチがその柱の䞊から驚くほど高く舞いあがっおいるのだ。柱の足もずのあたりに右埀巊埀しおいる人間は、自分が぀くりだしたものに比べれば、ほんの埮小なものにしかすぎない。この厖倧な建物は広くお、うすぐらいので、神秘的な深い畏怖の念をおこさせる。わたしたちは现心の泚意をはらっおそっず歩き、墓堎の神聖な静寂を砎るのを恐れるかのようにするのだが、それでも䞀足ごずに壁がささやき、墓がひびき、わたしたちは、自分がかき乱した静けさをいやがうえにも匷く感じるのだ。
この堎にみなぎっおいる荘厳さは、魂を圧倒し、芋る人の声をうばっお、粛然ずしお襟を正させるようだ。むかしの偉倧な人たちの遺骞がここに集っおいお、自分がそのなかにずりかこたれたような感じがするのだ。か぀お圌らはその功瞟で歎史を満たし、その名声を䞖界にずどろかせたのだった。しかし、圌らが今は死んで抌しあいひしめいおいるのを芋るず、人間の野心のはかなさに埮笑さえも湧いおくるのだ。生きおいたずきには、いくたの王囜を埗おも満足しなかったのだが、今は貧匱な片隅か、陰気な人目にふれぬようなずころか、倧地のほんの䞀かけらがしぶしぶず䞎えられおいるにすぎない。いかに倚くの像や圢や现工物を工倫しおも、ただ通りがかりの人の気たぐれな䞀瞥をずらえるだけのこずしかできないのだ。か぀おは党䞖界の尊敬ず賞讃ずをいく䞖にもわたっおかちえようず倧志をいだいた人でも、その名を忘华から救えるのは、ほんの短い数幎のあいだだけなのだ。
わたしは詩人の墓所でしばらく時をすごした。これは寺院の袖廊、すなわち十字廊の䞀端を占めおいる。蚘念碑がだいたいにおいお簡単なのは、文人の生涯には圫刻家が刻むべき目ざたしい題目がないからである。シェヌクスピアずアディスンずを蚘念するためには圫像が建おられおいる。しかし、倧郚分は胞像か、円圢浮圫しかなく、なかにはただ碑銘だけのものもある。これらの蚘念物が簡玠なのにもかかわらず、この寺院を蚪れる人たちはだれでもそこにいちばん長く止たっおいるのにわたしは気が぀いた。偉人や英雄のすばらしい蚘念碑を芋るずきの冷淡な奜奇心や挠然ずした賞讃のかわりに、もっず芪しみのある懐しい感情が湧いおくるのだ。ひずびずはそこを去りかねお、あたかも友人や仲間の墓のあたりにいるようにしおいる。じっさい、䜜家ず読者ずのあいだには友情に䌌たものがあるのだ。ほかの人が埌䞖に知られおいるのは、ただ歎史を媒介しただけであり、それは絶えずかすかにがんやりずしおくる。ずころが、著者ずその仲間ずのあいだの亀わりは、぀ねに新しく、掻溌で、盎接的である。䜜家は自分のために生きるよりも以䞊に読者のために生きたのだ。圌は身のたわりの楜しみを犠牲にし、瀟亀的な生掻をする喜びからみずからを閉じこめたが、遠くはなれたひずびずや、遠い未来ず、それだけにいっそう芪しく亀ろうずした。䞖界が圌の名声を忘れずに倧切にしおいるのは圓然である。圌の名声は暎力や流血の行為によっおあがなわれたのではなく、孜々ずしお楜しみをひずびずに分けあたえたためのものだからだ。埌の䞖の人が喜びをもっお圌を思いだすのも圓然である。圌は空虚な名声や、仰々しい行為を埌䞖に遺産ずしお残したのではなく、あらゆる知恵の宝、思想の茝かしい宝石、蚀葉の金鉱脈を残したからだ。
詩人の墓所からわたしは歩みを぀づけお、寺院のなかの囜王の墓があるずころぞ行った。か぀おは瀌拝堂であったが、今は偉い人たちの墓や蚘念碑があるあたりをわたしは行き぀もどり぀した。歩をめぐらすたびに、だれか有名な名や、歎史に名を茝かし、暩勢をほしいたたにした家門の王章に行きあった。これらのうすぐらい死の郚屋に県をそそぐず、叀颚な像が立ちならんでいるのが目にずたった。あるものは壁韕のなかに跪き、あたかも神に祈るようだった。あるものは墓の䞊に身を長くのばし、䞡手を敬虔に固くあわせおいた。歊士たちは甲冑すがたで、戊いがおわっお䌑んでいるようだ。高僧は牧杖ず僧垜を身に぀けおおり、貎族は瀌服ず冠を぀け、埋葬を目前にひかえお安眮されおいるようだ。劙に人数は倚いのに、どの姿もじっずしお黙っおいるこの光景を芋るず、あらゆる生きものが突然石に倉えられおしたったあの昔話に出おくる町のなかの邞を歩いおいるような気がする。
わたしは立ちどたっお、䞀぀の墓をしみじみず眺めた。その䞊には、甲冑に身をかためた階士の像が暪たわっおいた。倧きな円楯が片方の腕にのり、䞡手を祈願するかのように胞の䞊で合わせおいた。顔はほずんど兜でかくれ、䞡脚は十字に組みあわされ、この戊士が聖なる戊いに埓軍したこずを物語っおいた。これは十字軍の兵士の墓、熱狂しお戊さにおもむいたものの䞀人の墓だった。圌らは、宗教ず物語ずをいかにもふしぎに混ぜあわせ、そのなした業は、事実ず䜜り話ずを結び、歎史ずお䌜噺ずを結ぶ茪ずなっおいるのだ。たずえ粗末な王章ずゎシック颚の圫刻にかざられおいおも、こういう冒険者の墓にはなにか絵のようにすばらしく矎しいものがある。こういった墓はおおかた叀がけた瀌拝堂にあるが、それずよく調和しおいる。そしお、それをじっず眺めおいるず、想像は燃えあがり、キリストの墓地のための戊争をめぐっお詩歌がくりひろげた䌝説的な連想や、幻想にあふれた物語や、階士道時代の荘厳華麗に思いが飛ぶのだ。こういう墓はすでにたったく過ぎさった時代の遺物である。蚘憶から消えさっおしたったものの遺物、わたしたちの颚俗習慣ずは党然䌌おも䌌぀かぬものの遺物なのだ。それらはどこか遠いふしぎな囜から流れよったものに䌌お、わたしたちはなんら正確な知識をもっおいないし、わたしたちのそれに぀いおの考えは挠然ずしお、幻のようである。ゎシックの墓の䞊のこれらの像が、あたかも死の床に぀いお眠っおいるか、あるいは、臚終の祈願をささげおいるかのように、暪たわっおいる姿には、䜕かきわめお荘厳で、畏ろしいものが感じられる。それらはわたしの感情に匷い感銘をあたえ、ずうおい珟代の蚘念碑に倚く芋うけられる颚倉りな姿態や、凝りすぎた奇想や、象城的な圫像の矀などは及びも぀かないのである。たた、わたしは昔の墓の碑銘の倚くがすぐれおいるのにも心をうたれた。むかしは、ものごずを簡朔にしかも堂々ず蚀う立掟な方法があったのだ。ある高朔な䞀族に぀いお、「兄匟はみな勇敢にしお、姉効はみな貞節なりき」ず蚀明する墓碑銘よりももっず厇高に、家族の䟡倀や名誉ある家系に぀いおの自芚をあらわす碑銘をわたしは知らない。
詩人の墓所ず反察偎の袖廊に䞀぀の蚘念碑があり、それは珟代芞術のもっずも有名な䜜品のなかに数えられおいるが、わたしにずっおは、厇高ずいうよりもむしろ凄惚なように思われるのだ。それはルビダック䜜のナむティンゲヌル倫人の墓である。蚘念碑の䞋郚は、その倧理石の扉が半分開きかかっおいるようにかたどられおおり、経垷子に぀぀たれた骞骚が飛び出ようずしおいる。その骞骚が犠牲者に投げ槍をはな぀ずき、経垷子は肉のずれたからだからすべりおちようずする。圌女は、おそれおののいおいる倫の腕のなかに倒れかかろうずし、倫は狂気のようにその䞀撃を避けようずするが、その甲斐はない。党䜓には恐ろしい真実性があり、粟神がこもっおできあがっおいる。怪物の開いた口からほずばしり出おくる意味のわからぬ勝利の鬚の声が聞えるような気さえする。しかし、なぜ䞍必芁な恐怖で死を぀぀もうずしなければならないのだろうか。わたしたちが愛する人たちの墓のたわりに恐怖をひろげなければならないのだろうか。墓をずりたくべきものは、死んだ人に察しお愛情や尊敬の念をおこさせるものであり、生きおいる人を正しい道にみちびくものである。墓は嫌悪や驚愕の堎所ではなく、悲哀ず瞑想の堎所である。
こういう暗い円倩井や、しんずした偎廊を歩きたわり、死んだ人の蚘録をしらべおいるあいだにも、倖からはせわしい生掻の物音がずきおり䌝わっおくる。銬車ががたがたず行きすぎる音。倧ぜいの人たちの぀ぶやく声。あるいは愉しそうなかるい笑い声が聞えおくる。死のような静寂が呚囲にみなぎっおいるので、その察照はあたりにも目ざたしい。こうしお、生き生きした生呜の倧波が抌しよせお、墓堎の壁にうちかえすのをきくのは、ふしぎな感じがするものである。
こういうふうにしお、わたしは墓から墓ぞ、瀌拝堂から瀌拝堂ぞ歩き぀づけた。次第に日はかたむいお、寺院のあたりを埘埊する人の遠い足音はいよいよ皀れになっおきた。矎しい音色の鐘が倕べの祈祷を告げた。遠くに、癜い法衣を着た合唱隊員たちが偎廊をわたっお、聖歌隊垭にはいっおゆくのが芋えた。わたしはヘンリヌ䞃䞖の瀌拝堂の入口の前に立った。奥ふかくお、暗い、しかも荘厳なアヌチをくぐっお、階段が通じおいた。倧きな真鍮の門には、莅を぀くしお粟巧に现工がしおあり、重々しく蝶番でひらき、高慢にも、この豪華をきわめた墓ぞは䞀般の人間の足などふみこたせたいずしおいるようだった。
䞭に入るず、建築の華麗ず粟现な圫刻の矎ずに県をおどろかされる。壁にも残る隈なく装食がほどこされ、狭間食りをちりばめおあったり、たた壁韕が圫りこんであったりしお、その䞭に聖人や殉教者の像がたくさん建っおいる。巧みな鑿のわざで、石は重さず密床ずを倱ったかのように芋え、魔術でもかけたように頭䞊高く吊りあげられおいる。栌子暡様の屋根は蜘蛛の巣のようにおどろくほどこたかく、軜々ず、そしおしっかり造りあげられおいた。瀌拝堂の䞡偎にはバスの階士の高い垭があり、暫の朚でゆたかに圫刻されおいるが、ゎシック建築特有の奇怪な食りが぀いおいた。この垭の尖った頂きには、階士たちの兜ず前立が぀けおあり、肩章ず剣もそえおあった。そしお、その䞊にさがった旗には王章が描かれおおり、金ず玫ず玅の茝きが、屋根の冷たい灰色の栌子暡様ず察照をなしお匕き立っおいる。この壮倧な霊廟の䞭倮に、その創建者の墓があり、その圫像が劃の像ずならんで、華麗な墓石の䞊に暪たわり、党䜓は目もあやな现工をした真鍮の手摺りでかこんである。
この壮倧さにはもの悲しいさびしさがあった。墓ず戊勝蚘念品ずが奇劙に入りたじっおいるのだ。これらの匷い烈しい野心を象城するものは、䞇人が早晩行き぀かねばならぬ塵ず忘华ずを瀺す蚘念品のすぐかたわらにあるのだ。か぀おはひずびずが倧ぜい集たり盛芳であったのに、今は人圱もなく寂莫ずしおしたった堎所を歩くよりも深いわびしさを人の心に感じさせるものはない。階士も、その埓者もいない空垭を芋たわし、か぀おは圌らがふりかざした旗が埃は぀いおもなお絢爛ずならんでいるのを芋お、わたしが思いうかべた光景は、この広間がむギリスの勇士や矎女で茝き、宝石を身にかざった貎族や軍人の矎々しいすがたに光り、倧ぜいのひずびずの足音や、ざわざわず賞めたたえる声に満ちお生き生きしおいたころのこずである。すべおは過ぎ去った。死の沈黙がふたたびあたりを領し、それをさえぎるのはずきおり鳥がさえずる声だけだ。この鳥たちは瀌拝堂に入りこんで、小壁や、垂食りに巣を぀くっおいるのだが、これは、ここが人圱たれで寂しいこずのしるしでもある。旗にしるされた名前を読むず、それは遠く広く䞖界じゅうに散らばっおいった人たちの名前だった。遠い海の波に翻匄されたものもあり、遠い囜で戊ったものもあり、たた宮廷や内閣のせわしい陰謀にたずさわったものもある。しかし、圌らはすべお、この暗い名誉の通においお䞀぀でも倚く栄誉を埗ようずしたのだった。陰鬱な蚘念碑にむくいられようずしたのだ。
この瀌拝堂の䞡偎にある小さな二぀の偎廊は、人間が墓にはいれば平等になるずいう悲壮な実䟋をあげおいる。圧制したものは圧制されたものの地䜍たで䞋がり、䞍倶戎倩の敵同士の屍さえもたじりあっおしたうのだ。偎廊の䞀぀にはあの傲慢な゚リザベスの墓があり、別のほうには、圌女の犠牲ずなった、矎しい薄幞なメアリヌの墓がある。䞀日の䞀時間ずしお、だれかが、メアリヌの圧制者に察する怒りをこめお、あわれみの叫び声を圌女の運呜にそそがないずきはない。゚リザベスの墓の壁は、絶えず圌女の敵の墓でもらされる同情の溜め息の音をひびきかえしおいるのだ。
メアリヌが埋葬されおいる偎廊には異様な憂鬱な雰囲気がただよっおいる。窓からかすかに光がはいっおくるが、その窓にたたった埃で暗くなっおしたう。この偎廊の倧郚分は暗い圱のなかに沈んでおり、壁は幎をぞお雚颚のためにしみが぀き、汚れおいる。メアリヌの倧理石の像は墓の䞊に暪たわり、そのたわりには鉄の手摺りがあるが、ひどく銹びおいお、圌女の囜スコットランドの囜花、薊の王が぀いおいる。わたしは歩きたわっお疲れたので、その墓のかたわらに腰をおろしお䌑んだが、心のなかには、あわれなメアリヌの数奇で悲惚な物語が枊巻いおいた。
ずきどき聞えおいた足音はこの寺院から絶えおしたっおいた。ただずきおり耳にはいるのは、遠くで僧が倕べの祈りをくりかえす声ず、合唱隊がそれに答えるかすかな声だけだった。その声がしばらく途切れるず、䞀切の物音がなりやんでしたう。あたりは次第にしんずしお、寂莫ずした気配が迫り、暗さが濃くなり、今たでよりいっそう深く厳かなおもむきを垯びおきた。
突然、䜎い重々しいオルガンの調べがひびきはじめた。それは次第次第に匷くなり、倧波のようにどよめきわたった。その音量のゆたかさ、その壮倧さは、この堂々たる建築になんずよく調和したこずだろう。いかに壮麗にその調べは広倧な円倩井にひろがり、この死の掞穎を通じお、おごそかな旋埋を鳎りわたらせ、沈黙した墓に鳎りひびいたこずか。それはやがおもりあがっお勝ち誇った歓喜の叫びずなり、枟然ずした調べはいよいよ高く、ひびきの䞊にひびきを぀みかさねおいった。その音がやむず、聖歌隊のやさしい歌声が快いしらべずなっお流れ出し、高く舞いあがり、屋根のあたりで歌い、高い円倩井で鳎るように思われ、枅玔な倩囜の曲ずたがうばかりだった。ふたたびオルガンがずどろき、恐ろしい倧音響をたきおこし、倧気を凝瞮しお音楜にし、滔々ずしお魂に抌しよせおくる。なんずいう殷々たる音埋であろう。なんず厳かな、すさたじい協和音であろう。その音はさらに濃密に、なおも力匷くなっお、倧䌜藍にみなぎり、壁さえもゆりうごかすかず思われる。耳を聟するばかりで、五感はたったく圧倒されおしたう。そしお今や、朗々ずうねりあがっおゆき、倧地から倩䞊ぞかけのがる。魂は奪い去られ、この高たる音楜の朮のたにたに空高く浮びあがるような気さえする。
わたしは、音楜がずきずしお湧きおこしがちな幻想にひたっお坐っおいた。倕闇が次第に身のたわりに濃くなり、蚘念碑がなげる暗圱はいよいよ深くなっおきた。遠くの時蚈が、しずかに暮れおゆく日をしらせた。
わたしは立ちあがっお、寺院を去る支床をした。本堂に通じる階段を䞋りおゆくずき、わたしの県ぱドワヌド懺悔王の霊廟にひかれた。そこぞ行く小さな階段をのがり、そこから荒涌ずした墓堎を芋わたした。この廟は壇のように高くなっおいお、それをずりたいお近くに王や劃たちの墓があった。この高いずころから芋おろすず、柱や墓碑のあいだから、䞋の瀌拝堂や郚屋が芋え、墓が立ちならんでいた。そこに歊士や、僧正や、廷臣や、政治家たちが「闇の床」に臥しお朜ち぀぀あるのだ。わたしのすぐそばに、戎冠匏甚の倧怅子が据えおあったが、それは暫の朚の荒削りで、遠い昔のゎシック時代のただ掗緎されおない趣味だった。この堎面は、挔劇的な巧みさで、芋る人に、ある感銘をあたえるように工倫されおいるかのようだった。ここに人間のはなやかな暩力の初めず終りの䞀぀の䟋があるのだ。ここでは文字通り王座から墳墓たでただ䞀歩である。これらの䞍調和な蚘念物が集められたのは生存しおいる偉人に教蚓をあたえるためだず考える人はないだろうか。぀たり、この䞖の偉い人がもっずも埗意で意気揚々ずしおいる瞬間にさえ、間もなくその人が䞖間にかえりみられず、䟮蟱を受けなければならなくなるずいうこずを芋せ぀けるためだず考える人はないだろうか。その人の額をめぐる王冠がたちたちにしお滅び去り、墓の塵ず恥蟱ずのなかに暪たわり、倧衆のうちでももっずも䞋賀なものの足もずに螏み぀けられなければならないずいうこずを教えるためだず人は思わないだろうか。劙なこずだが、ここでは墓さえももはや聖所ではないのだ。䞖の䞭のある人たちのなかには恐るべき軜薄なずころがあり、そのために畏れ敬うべきものを匄ぶこずになるのだ。たた、卑劣な人もあり、生きおいる人にはらう卑劣な服埓ず䞋等な奎隷根性のうらみを、すでに死んだ有名な人に晎らしお喜ぶのだ。゚ドワヌド懺悔王の棺はあばかれ、その遺骞からは葬匏の装食品がうばいさられおしたった。傲慢な゚リザベスの手からは王笏が盗たれおいる。ヘンリヌ五䞖の圫像は頭がずれたたた暪たわっおいる。王の蚘念碑のなかには、人間の尊敬がいかに停りで、はかないものであるかずいう蚌拠をずどめおいないものは䞀぀ずしおない。あるものは匷奪され、あるものは手足を切りずられ、あるものは䞋品な蚀葉や䟮蔑の蚀葉でおおわれおいる。いずれも倚かれ少かれ蟱かしめられ、䞍名誉を蒙っおいるのだ。
䞀日の最埌の光が今やわたしの頭䞊の高い円倩井の圩色した窓を通しおかすかに流れこんでいた。寺院の䞋のほうはすでに暗い黄昏に぀぀たれおいる。瀌拝堂や偎廊はたすたす暗くなっおきた。王たちの像は暗闇に消えいり、倧理石の蚘念像はほのかな光のなかでふしぎな圢を芋せ、倕暮の颚は墓の吐く冷たい息のように偎廊をはいよっおきた。詩人の墓所を歩く聖堂守の遠い足音にさえも、異様な寂寞ずしたひびきがあった。わたしは、ひるたえに歩いた路をゆっくりずもどっお行った。そしお、廻廊の門を出るず、扉が背埌でぎしぎしず軋っお閉たり、建物党䜓にこだたしお、鳎りわたった。
わたしは、今たで芋おきたものを心のなかで少し敎えお芋ようずした。しかし、それはもはやさだかではなく混沌ずしおいた。入口からただ足を螏み出したか、出さないかずいうのに、名前や、碑文や、蚘念品はみなわたしの蚘憶のなかで入りみだれおしたっおいた。わたしは考えた。このおびただしい墳墓の集たりは、屈蟱の倉庫でなくおなんであろう。名声の空虚なこず、忘华の確実なこずに぀いお、くりかえし説かれた蚓戒のうずたかい堆積でなくおなんだろうか。じっさい、これは死の垝囜である。死神の暗黒の倧宮殿である。死神が傲然ず腰をすえ、人間の栄光の遺物をあざわらい、王䟯たちの墓に塵ず忘华ずをたきちらしおいるのだ。名声の䞍死ずは、ずどの぀たり、なんずむなしい自慢であろう。時は黙然ずしおたゆみなくペヌゞを繰っおいるのだ。わたしたちは、珟圚の物語にあたりに心をうばわれおおり、過去を興味深いものにした人物や逞話に぀いおは考えもしない。そしお、来る時代も、来る時代も、曞物をなげだすように、たたたくたに忘れられおゆく。今日厇拝される人は昚日の英雄をわたしたちの蚘憶から远いだしおしたう。そしお、次には、明日そのあずに぀いで出るものによっお取っお代わられるのだ。「われわれの父祖は」ずトマス・ブラりン卿は蚀っおいる。「自分の墓をわれわれの短い蚘憶のなかに芋出した。そしお、われわれもたたあずに残った人のなかに埋もれおゆくであろうず悲しげに教えおいる」歎史は次第にがんやりしお寓話になる。事実は疑いや論争で曇らされる。碑文はその碑面から朜ちおちる。圫像は台から倒れおちる。柱も、アヌチも、ピラミッドも、砂の堆積以倖の䜕ものであろうか。その墓碑銘は塵に曞いた文字以倖の䜕ものであろうか。墓が安党だずいっおも、なんでもない。防腐のためにたきこめた銙が氞遠だずいっおも、なにほどのこずがあろうか。アレキサンダヌ倧王の遺骞は颚に吹きさらわれお散り去った。圌のう぀ろな石棺は、今では博物通の単なる珍品にすぎない。「゚ゞプトのミむラは、キャンバむシヌズ王も歳月も手をふれるこずを差しひかえたのに、今は貪欲な人間がけずりずっおいる。人民のミむラは傷の特効薬だし、王のミむラは鎮痛剀ずしお売られおいる(原蚻)」
今、この倧建築は、わたしの䞊にそびえ立っおいるが、これよりも壮倧な墳墓にふりかかったのず同じ運呜をそれがたどらぬように守るこずができるものがあるだろうか。今、その金箔をほどこした円倩井はかくも高くそばだっおいるが、やがお廃物になっお足もずに暪たわるずきがかならず来るのだ。そのずきには、音楜や感嘆の声のかわりに、颚が、壊れたアヌチを蕭々ずしお吹きならし、梟が砎壊した塔から鳎くのだ。そのずきには、目も眩い陜光がこの陰鬱な死の家にふりそそぎ、蔊が倒れた柱にたき぀き、ゞギタリスは、死人をあなどるかのように、名の知れぬ骚壺のあたりに垂れお咲きみだれるのだ。こうしお、人はこの䞖を去り、その名は蚘録からも蚘憶からも滅びるのだ。その生涯ははかない物語のようであり、その蚘念碑さえも廃墟ずなるのである。
前の章で、わたしはむギリスのクリスマスの催しごずに぀いお抂括的な芳察をしたので、今床は、その実䟋を瀺すために、あるクリスマスを田舎ですごしたずきの話を二぀䞉぀述べたいず思う。読者がこれを読たれるにあたっお、わたしが切におすすめしたいのは、孊者のようないかめしい態床は取り去り、心からお祭り気分になっお、銬鹿げたこずも倧目に芋お、ただ面癜いこずだけを望んでいただきたいずいうこずである。
銭者はたいおい幅のひろい犏々しい顔をしおいるが、劙に赀い斑点があっお、飲み食いがさかんなために血液が皮膚の血管のひず぀ひず぀に溢れおいるかのように芋える。ビヌルをしょっちゅう飲んでいるので、からだはすばらしく脹らんでいるが、そのうえ倖套を䜕枚も着こんでいるから、いよいよもっお倧きくなる。ご本人は花キャベツのようにその倖套のなかに埋たり、いちばん倖偎のは螵にずどくほどである。圌は、瞁の広い、山の䜎い垜子をかぶり、染めたハンカチの倧束を銖にたき぀け、気取ったふうに結んで、胞にたくしこんでいる。倏ずもなれば、ボタンの穎に倧きな花束をさしおいるが、きっずこれは、だれか圌に惚れた田舎嚘の莈り物であろう。チョッキはふ぀う掟手な色で、瞞暡様が぀いおおり、きちっずしたズボンは膝の䞋たでのびお、脛のなかほどたできおいる乗銬靎にずどいおいる。
こういう衣裳はい぀もきちんず手入れがしおある。圌は掋服を䞊等な垃地で぀くるこずに誇りをもっおいお、芋かけは粗野であるにもかかわらず、むギリス人の持ちたえずいっおもよい、身だしなみのよさず、瀌儀正しさずがうかがえる。圌は街道すじでたいぞん重芁な人物で、尊敬もされおいる。よく村の女房連䞭の盞談盞手になり、信甚のおける人、頌りになる人ず敬たわれ、たた、明るい県をした村の乙女ずもよく気心が通じおいるらしい。銬を換えるずころに着くやいなや、圌は勿䜓ぶった様子で手綱を投げすお、銬を銬䞁の䞖話にたかせおしたう。圌の぀ずめは宿堎から宿堎ぞ銬車を駆るこずだけなのだ。銭者台から降りるず、䞡手を倧倖套のポケットに぀っこみ、いかにも王䟯らしい様子で旅通の䞭庭を歩きたわるのだ。ここでい぀も圌を取りたき、賞讃するのは、倧ぜいの銬䞁や、厩番や、靎磚きや、名もない居候連䞭である。この居候連䞭は宿屋や酒堎にいりびたっお、䜿い走りをしたり、いろいろ半端仕事をしお、台所の䜙り物や、酒堎のおこがれにしこたたあり぀こうずいう算段である。こういう連䞭は銭者を神様のようにあがめ、圌の䜿う銭者仲間の通り蚀葉を埌生だいじに芚えこみ、銬や、競銬に぀いおの圌の意芋をそっくり受けうりするのだが、ずりわけ䞀生懞呜になっお圌の態床物腰をたねようずするのである。襀耞ずはいえ、倖套の䞀枚も匕っかけおいる人は、ポケットに䞡手を぀っこみ、銭者の歩きぶりをたねしお歩き、通り蚀葉で話し、銭者の卵になりすたすのだ。
わたしはこんなに豪華な想いに耜っおいたが、道連れの子䟛たちが叫んだので、その想いから呌びさたされた。この二、䞉マむルばかりのあいだ、圌らは銬車の窓から倖を芋おいたが、いよいよ家が近づいおきたので、どの暹朚も、どの蟲家も、みな圌らの芋芚えがあるものばかりだった。そしお今圌らは喜んで䞀斉に隒ぎたおた。「ゞョンがいる。それから、カヌロだ。バンタムもいるぞ」ず叫んで、この楜しそうな少幎たちは手をたたいた。
小みちの果おに、真面目くさった顔をした老僕が、制服を着お、少幎たちを埅っおいた。圌にしたがっおいるのは、老いがれたポむンタヌ犬ず、尊敬すべきバンタムだった。バンタムは錠のような小銬で、たおがみはがうがうずしお、尟は長くお赀茶色だった。その銬はおずなしく路傍に立っお居眠りをしおいたが、やがおさんざん駈けたわるずきが来ようずは倢にも思っおいなかった。
わたしが嬉しかったのは、子䟛たちが懐かしげに、このたじめな老僕のたわりを跳びはね、たた、犬を抱いおやったこずだ。犬は喜んで、からだ党䜓をゆりうごかした。しかし、なんずいっおもいちばんこの子䟛たちの興味をそそるのはバンタムだった。みんながいちどに乗りたがったので、ゞョンはやっずのこず、順ぐりに乗るように決め、たず、いちばん幎䞊の少幎が乗るこずになった。
ずうずう圌らは立ち去っお行った。䞀人が子銬に乗り、犬はその前を跳んだり吠えたりし、ほかの二人はゞョンの手をずっお行った。二人は同時にゞョンに話しかけ、家のこずをたずねたり、孊校の話をしたりしお、ゞョン䞀人ではどうにもならなかった。わたしは圌らのあずを芋送りながら、自分が嬉しいのか悲しいのかわからないような気がした。わたしが思い出したのは、わたしもあの少幎たちずおなじように苊劎や悲哀を知らず、祭日ずいえば幞犏の絶頂だったころのこずだった。わたしたちの銬車は、それから二、䞉分止たり、銬に氎をのたせた。そしお、たた道を぀づけたが、角を曲るず、田舎の地䞻の気持ちのよい邞宅が芋えた。わたしはちょうど、䞀人の貎婊人ず二人の少女のすがたを玄関に芋わけるこずができた。それから、わたしの小さな友人たちが、バンタムずカヌロずゞョン老人ずいっしょに銬車道を進んでゆくのが芋えた。わたしは銬車の窓から銖を出しお、圌らのたのしい再䌚の堎面を芋ようずしたが、朚立ちにさえぎられお芋えなくなっおしたった。
この季節になくおはならぬものだ(原蚻)。
わたしが旅通に぀いお間もなく、駅䌝銬車が玄関に乗り぀けた。䞀人の若い玳士がおりおきたが、ランプのあかりでちらっず芋えた顔は、芋芚えがあるような気がした。わたしが進みでお、近くから芋ようずしたずき、圌の芖線がわたしの芖線ずばったり䌚った。たちがいではなかった。フランク・ブレヌスブリッゞずいう、元気な、快掻な青幎で、わたしはか぀お圌ずいっしょにペヌロッパを旅行したこずがあった。わたしたちの再䌚はたこずにしみじみずしたものだった。昔の旅の䌎䟶の顔を芋れば、い぀でも、愉快な情景や、面癜い冒険や、すばらしい冗談などの尜きぬ思い出が湧きでおくるものだ。旅通での短いめぐりあいのあいだに、こういうこずをみな話しあうのは䞍可胜だった。わたしが急いでいるのでもなく、ただあちこち芋孊旅行をしおいるのだず知っお、圌はわたしに、是非䞀日二日さいお、自分の父の邞に泊っおゆくようにずすすめた。圌はちょうどその邞に䌑暇で行くずころだったし、そこたでは二、䞉マむルしかなかった。「それは、旅通なぞで、ひずりでクリスマスの食事をなさるよりはいいですよ」ず圌は蚀った。「それに、あなたがいらっしゃっお䞋されば、倧歓迎は受けあいです。ちょっずした叀颚な仕方で臎したしょう」圌の蚀うこずはもっずもだったし、わたしも、じ぀をいうず、䞖の䞭のひずびずがみんな祝いや楜しみの準備をしおいるのを芋お、ひずりでいるのが、いささか耐えられないような気がしおきおいたずころだった。そこで、わたしは盎ちに圌の招埅に応じた。銬車は戞口に着き、間もなくわたしはブレヌスブリッゞ家の邞ぞ向った。
原蚻䞀六八四幎版「プア・ロビンの暊」。
幎老いた人をいたわりなさい。その銀髪は、
わたしは田舎に䜏んでいるころ、村の叀い教䌚によく行ったものだ。ほの暗い通路、厩れかかった石碑、黒ずんだ暫の矜目板、過ぎさった幎月の憂鬱をこめお、すべおが神々しく、厳粛な瞑想にふける堎所にに぀かわしい。田園の日曜日は浄らかに静かである。黙然ずしお静寂が自然の衚面にひろがり、日ごろは䌑むこずのない心も静められ、生れながらの宗教心が静かに心のなかに湧きあがっおくるのを芚える。
かぐわしい日、枅らかな、静かな、かがやかしい日、
わたしは、信心深い人間であるずは蚀えない。しかし、田舎の教䌚にはいるず、自然の矎しい静寂のなかで、䜕かほかのずころでは経隓するこずのできない感情が迫っおくるのである。そしお、日曜日には、䞀週間のほかの日よりも、たずえ宗教的にはならないずしおも、善人になったような気がするのだ。
ずころが、この教䌚では、い぀でも珟䞖的な思いにおしかえされるような感じがしたが、それは、冷淡で尊倧なあわれな蛆虫どもがわたしのたわりにいたからだ。ただひずり、真のキリスト教信者らしい敬虔な信仰にひたすら身をたかせおいたのは、あわれなよがよがの老婆であった。圌女は寄る幎波ず病ずのために腰も曲がっおいたが、どこずなく赀貧に苊しんでいる人ずは思われない面圱を宿しおいた。䞊品な誇りがその物腰にただよっおいた。着おいるものは芋るからに粗末だったが、きれいでさっぱりしおいた。それに、わずかながら、ひずびずは圌女に尊敬をはらっおいた。圌女は貧しい村人たちずいっしょに垭をずらず、ひずり祭壇のきざはしに坐っおいたのである。圌女はすでに愛する人ずも、友だちずも死に別れ、村人たちにも先立たれ、今はただ倩囜ぞゆく望みしか残されおいないようにみえた。圌女は匱々しく立ちあがり、幎ずった䜓をこごめお祈りを捧げ、絶えず祈祷曞を読んでいたが、その手はしびれ、県はおずろえお、読むこずはできず、あきらかに誊んじおいるのだった。それを芋るず、わたしは、その老婆の口ごもる声は、僧の唱和や、オルガンの音や、合唱隊の歌声よりもずっずさきに倩にずどくのだず匷く思わざるを埗なかった。
葬列が墓に近づくず牧垫が教䌚の玄関から出おきた。癜い法衣を着け、祈祷曞を片手にもち、䞀人の僧を぀れおいた。しかし、葬儀はほんの慈善行為にすぎなかった。故人は窮乏の極にあったし、遺族は䞀文なしだった。だから、葬匏はずにかくすたしたずはいうものの、圢だけのこずで、冷淡で、感情はこもっおいなかった。よくふずったその牧垫は教䌚の入口から数歩しか出おこず、声は墓のあるずころではほずんど聞えなかった。匔いずいう、あの荘厳で感動的な儀匏が、このような冷たい蚀葉だけの芝居になっおしたったのを、わたしは聞いたこずがなかった。
わたしは墓に近づいた。柩は地面においおあった。その䞊に死んだ人の名ず幎霢ずがしるしおあった。「ゞョヌゞ・サマヌズ、行幎二十六歳」憐れな母は人手にすがりながら、その頭のほうに跪いた。そのやせこけた䞡手を握りあわせお、あたかも祈りを捧げおいるようだった。だが、そのからだはかすかにゆれ、唇はひき぀るようにぎくぎく動いおいるので、圌女が息子の遺骞を芋るのもこれが最埌ず、芪心の切ない思いにむせんでいるのがわかった。
棺を地におろす準備がずずのった。このずき愛ず悲しみにみちた心を無惚にも傷぀ける、あの隒ぎがはじたった。あれこれず指図する冷たい事務的な声。砂ず砂利ずにあたるシャベルの音。そういうものは、愛する人の墓で聞くず、あらゆるひびきのなかでいちばんひどく人の心をいため぀けるものだ。呚囲のざわめきが、いたいたしい幻想に沈んでいた母芪を目ざめさせたようだった。圌女は泣きはらしおかすんだ県をあげお、狂おしげにあたりを芋たわした。ひずびずが綱をもっお近づき、棺を墓におろそうずするず、圌女は手をしがりながら、悲しみのあたり、わっず泣きだした。぀きそいの貧しい婊人が腕をずっお、地べたから老婆をおこそうず努め、なにか囁いおなぐさめようずした。「さあ、さあ。もうおやめなさいたし。そんなにおなげきなさらないで」老婆はただ頭をふっお、手をにぎりしめるばかりで、決しおなぐさめられるこずのない人のようだった。
遺骞が地におろされるずきの綱がきしきし鳎る音は、圌女を苊しめたようだった。しかし、なにかのはずみで棺が邪魔物に突きあたったずき、老母の愛情はいちどにほずばしり出た。その様子は、あたかも息子がもはやこの䞖の苊悩から遠くずどかぬずころにいるのに、ただどんな灜いがおこるかもしれないず思っおいるようだった。
わたしはもう芋おいられなくなった。胞がいっぱいになっお、県には涙があふれた。かたわらに立っお安閑ず母の苊しむさたを芋おいるのは、ひどく心ない仕打ちなのではないかず思った。わたしは墓地のほかのほうに歩いおゆき、䌚葬者が散るたでそこにずどたっおいた。
老母がおもむろに苊しげに墓を立ち去り、この䞖で自分にずっお愛しいすべおのものであった人の遺骞をあずにしお、語る盞手もない貧しい生掻に垰っおゆくのを芋るず、わたしの心は圌女のこずを思っお痛んだ。裕犏な人たちが苊しんだからずいっおそんなものはなんでもないではないか、ずわたしは考えた。圌らにはなぐさめおくれる友だちがある。気をたぎらしおくれるたのしみがある。悲しみを逞らし散らしおくれるものがいくらでもある。若い人たちの悲しみはどうだろう。その粟神がどんどん成長しお、すぐに傷口をずじおしたう。心には匟力があっお、たちたち圧迫の䞋からずびあがる。愛情は若くしなやかで、すぐに新しい盞手にたき぀いおしたう。だが、貧しい人たちの悲しみ。この人たちには、ほかに心をなだめおくれるものはない。幎老いた人たちの悲しみ。この人たちの生掻はどんなによくおも冬の日にすぎず、もはや喜びがかえり咲きするのを埅぀こずもできない。寡婊のかなしみ。幎老い、孀独で、貧乏にあえぎ、老いし日の最埌に残された慰めである䞀人息子の死を悌んでいる。こういう悲しみをこそ、わたしたちはなぐさめるすべのないこずをしみじみず感ずるものだ。
しばらくしおわたしは墓地を去った。家ぞむかう途䞭で、わたしは、あの、なぐさめ圹になった婊人に䌚った。圌女は老母をひずり䜏いの家に送った垰りだった。わたしはさきほど芋たいたわしい光景にた぀わる委现を圌女から聞きだすこずができた。
故人の䞡芪は子䟛のころからこの村に䜏んでいた。圌らはごくさっぱりした田舎家に暮らし、いろいろず野良仕事をしたり、たたちょっずした菜園もあったりしお、暮らし向きは安楜で、䞍平をこがすこずもない幞犏な生掻を送っおいた。圌らには䞀人の息子があり、成長するず、老いた䞡芪の柱になり、自慢の皮になった。「ほんずに」ずその婊人は蚀った。「あの息子さんは、矎男子で、気だおはやさしくっお、だれでもたわりの人には芪切で、芪埡さんには孝行でした。あの息子さんに、日曜日に出あったりするず、心がすっきりしたものですよ。いちばんいい服を着お、背が高く、すらっずしおいお、ほがらかで。幎ずったお母さんの手をずっお教䌚ぞ来たものです。お母さんずきたら、い぀でもあのゞョヌゞさんの腕にもたれるほうが、埡自分の旊那さんの腕にもたれるのより奜きだったんですからね。おかわいそうに。あのかたが息子さんを自慢なさるのも圓り前のこずでしたよ。このあたりにあんな立掟な若者はいたせんでしたもの」
䞍幞なこずに、ある幎、飢饉で蟲家が困窮したずき、その息子は人に誘われお、近くの河をかよっおいる小船で働くようになった。この仕事をしはじめおただ間もないころ、圌は軍隊に城集されお氎兵にされおしたった。䞡芪は圌が捕虜になったしらせを受けたが、それ以䞊のこずはなにもわからなかった。圌らの倧切な支柱がなくなっおしたったのだ。父芪はもずもず病気だったが、気をおずしお滅入りこんでしたい、やがお䞖を去った。母芪は、ただひずり老境に残されお力もなく、もはや自分で暮しを立おるこずもできず、村の厄介をうけるこずになった。しかし、今もなお、村じゅうのひずびずは圌女に同情をもっおおり、叀くから村に䜏んでいる人ずしお尊敬もしおいるのだった。圌女がいくたの幞犏な日々をすごした田舎家にはだれも䜏みこもうずしないので、圌女はその家にいるこずを蚱され、そこでひずりさびしく、ほずんど助ける人もなく暮しおいたのだ。食べものもわずかしか芁らなかったが、それはほずんど圌女の小さな菜園の乏しいみのりでたかなわれた。その菜園は近所の人たちがずきどき圌女のために耕しおやるのだった。こういう事情をわたしが聞いたずきよりほんの二、䞉日前、圌女が食事のために野菜を぀んでいるず、菜園に面した家のドアがふいに開く音がきこえた。芋知らぬ人が出おきお、倢䞭になっおあたりを芋たわしおいる様子だった。この男は氎兵の服を着お、やせおずろえお、ぞっずするほど血の気がなく、病いず苊劎ずのためにすっかり匱っおいるようだった。圌は圌女を芋぀け、そしお、急いで圌女のほうぞやっおきた。しかし、圌の足どりは匱々しくふらふらしおいた。圌は圌女の前にしゃがみこんでしたい、子䟛のようにむせび泣いた。憐れな女は圌を芋おろしたが、その県はう぀ろで、芋定たらなかった。「ああ、お母さん、お母さん。埡自分の息子がおわかりにならないんですか。かわいそうな息子のゞョヌゞが」ほんずうにそれはか぀お気高かった若者の敗残の姿だった。負傷をうけ、病におかされ、敵地に俘虜ずなっおさいなたれ、最埌に、やせた脚を匕きずっお家路をたどり、幌幎時代の堎所に憩いをもずめお垰っおきたのだ。
わたしは、このような悲しみず喜びずがすっかり混りあっおしたっためぐりあいを事こたかには曞くたい。ずにかく息子は生きおいた。家に垰っおきた。圌はただただ生きお、母の老埌をなぐさめ倧事にしおくれるかも知れない。しかし、圌は粟根぀きはおおいた。もしも圌の悲運が、決定的なものではなかったずしおも、その生れた家のわびしいありさたが、十分それを決定的なものにしただろう。圌は倫を倱なった母が眠れぬ倜をすごした藁ぶずんに暪たわったが、ふたたび起きあがるこずはできなかった。
村人たちはゞョヌゞ・サマヌズが垰ったず聞くず、こぞっお圌に䌚いにやっおきお、自分たちのずがしい力の蚱すかぎりのなぐさめず助力ずをあたえようず申し出た。しかし、圌は匱りきっおいお口もきけず、ただ県で感謝の気持ちをあらわすだけだった。母芪は片時もはなれずに付きそっおいた。圌はほかの人にはだれにも看護しおもらいたくないように芋えた。
「子䟛のころ䞖話を芋おくれた」母、枕のしわをのばしおくれ、困っおいるずきにはい぀も助けおくれた母のこずを考えぬものはあるたい。ああ、母の子に察する愛には氞久に倉らぬやさしさがあり、ほかのどんな愛情よりもすぐれおいるのだ。その愛は利己心で冷たくなるようなものではない。危険にめげるものではない。その子が぀たらぬものになったからずいっお匱められるものでもなく、子が恩を忘れおも消えるものではない。圌女はあらゆる安楜を犠牲にしお子の為をはかるのだ。すべおのたのしみを圌の喜びのために捧げるのだ。圌女は子が名声を埗れば光栄ず感じ、子が栄えれば歓喜するのだ。そしお、もし䞍幞が圌をおそえば、その䞍幞のゆえにこそ圌をなおさら愛おしく思い、たずえ䞍名誉が子の名を汚しおも、その䞍名誉にもかかわらずなお圌を愛し、い぀くしむのだ。たたもし䞖界じゅうの人が圌を芋すおたならば、圌女は圌のために䞖界じゅうの人になっおやるのだ。
あわれなゞョヌゞ・サマヌズは、病気になっお、しかもだれもなぐさめおくれる人がないこずがどんなものか知っおいた。ひずりで牢獄にいお、しかもだれも蚪れる人がないこずがどんなものか身をもっお味わったのだ。圌は䞀時も母が自分の目の届かぬずころに行くのには耐えられなかった。母が立ち去るず、圌の県はそのあずを远っおいった。圌女は䜕時間も圌のベッドのかたわらに坐っお、圌が眠っおいるすがたを芋たもっおいたものだ。ずきたた圌は熱っぜい倢におどろいお県をさたし、気づかわしげに芋あげたが、母が䞊にかがみこんでいるのを芋るず、その手をずっお、自分の胞の䞊におき、子䟛のように安らかに眠りにおちるのだった。こんなふうにしお、圌は死んだのだ。
このみじめな䞍幞の話をきいお、わたしが最初にしたいず思ったこずは、老婆の家を蚪問しお経枈的な揎助をしたい、そしおできれば慰めお䞊げたいずいうこずだった。しかし、たずねお芋おわかったこずだが、村人たちは芪切心が厚く、いちはやく事情の蚱すかぎりのこずはしおやっおいた。それに、貧しい人たちはお互いの悲しみをいたわるにはどうしたらよいか、いちばんよく知っおいるのだから、わたしはあえお邪魔するこずはやめた。
その次の日曜日にわたしがその村の教䌚にゆくず、驚いたこずに、あの憐れな老婆がよろよろず歩廊を歩いおいっお、祭壇のきざはしのい぀もの垭に぀いた。
圌女はなんずかしお自分の息子のために喪服ずはゆかぬたでも、それらしいものを身に着けようずしたのだった。この信心深い愛情ず䞀文なしの貧困ずのたたかいほど胞をう぀ものはあるたい。黒いリボンか、䜕かそれに䌌たもの、色あせた黒のハンカチ、それず、もう䞀぀二぀貧しいながらもそういうこころみをし、そずにあらわれた印で、蚀うに蚀われぬ悲しみを語ろうずしおいた。たわりを芋たわすずわたしの目に入るものは、死者の功瞟をしるした蚘念碑があり、堂々ずした王暙があり、冷たく荘厳な倧理石の墓があり、こういうもので暩勢のある人たちが、生前は䞖の誇りずなったようなひずびずの死を壮倧に悌んでいるのだ。ずころが目をう぀すず、この貧しい寡婊が、老霢ず悲しみに腰をかがめお神の祭壇のずころで、悲嘆にうちくだかれた心の底から、なお信仰あ぀く、祈りず、神を讃えるこずばを捧げおいる。その姿を芋るず、わたしは、この真の悲しみの生きた蚘念碑は、こういう壮倧なもののすべおにも䟡するず思った。
わたしが圌女の物語を、䌚衆のなかの裕犏な人たち数人に話したずころ、圌らはそれに感動した。圌らは懞呜になっお圌女の境遇をもっず楜にしおやろうずし、苊しみを軜くしようず努めた。しかし、それもただ墓ぞゆく最埌の二、䞉歩をなだらかにしたにすぎなかった。䞀、二週間のちの日曜日には、圌女は教䌚の䟋の垭に姿を芋せなかった。そしお、わたしはその近圚を立ち去る前に、圌女が静かに最埌の息をひきずったずいうこずをきいお、これでよいのだず感じた。圌女はあの䞖に行っお自分が愛しおいた人たちずたたいっしょになったのだ。そしお、そこでは、決しお悲しみを味わうこずがなく、友だち同士は決しお別れるこずがないのだ。
だが、あのな぀かしい、思い出ふかいクリスマスのお爺さんはもう逝っおしたったのだろうか。あずに残っおいるのは、あの幎ずった頭の癜髪ず顎ひげだけなのか。それでは、それをもらおう。そのほかにクリスマスのお爺さんのものはないのだから。
肉のご銳走が山ほどあった、偉い人にも賀しい人にも。
それは、この叀垜子が真新しかったころのこず。
むギリスで、わたしの心をもっずも楜しく魅惑するのは、昔から䌝わっおいる祭日のならわしず田舎の遊びごずである。そういうものを芋お、わたしが思いおこすのは、ただ若かったころに、わたしの空想がえがいた数々の絵である。あのころ、わたしは䞖界ずいうものを曞物を通しおしか知らなかったし、䞖界は詩人たちがえがいた通りのものだず信じこんでいた。そしおさらに、その絵ずいっしょに、玔朎だった昔の日々の銙りがもどっおくる。そしお、やはりおなじ間違いかもしれないが、そのころ䞖間のひずびずは今よりずっず玠朎で、芪しみぶかく、そしお嬉々ずしおいたように思う。残念なこずに、そういうものは日毎にかすかになっおくるのである。時がた぀にしたがっお次第に擊りぞらされるだけでなく、新しい流行に消し去られおしたうのだ。この囜の各地にあるゎシック建築の矎しい遺物が、時代の荒廃にたかされお厩壊したり、あるいは、埌の䞖に手が加えられたり改築されたりしお、もずのすがたを倱っおゆくのにも䌌おいるのである。しかし、詩は田園の遊戯や祭日の宎楜から倚くの䞻題を埗たのだが、今でもそれをな぀かしみ、纏綿ずしおはなれない。それは、あたかも、蔊が叀いゎシックの門や厩れかかった塔に、ゆたかな葉をたき぀けお、自分を支えおくれた恩にこたえ、ゆらゆらする廃墟を抱きしめ、いわば、その若い緑でい぀たでも銙り高いものにしおおこうずするのずおなじようである。
しかし、さたざたの叀い祭のなかでも、クリスマスの祝いは、最も匷いしみじみした連想を目ざめさせる。それには、おごそかで枅らかな感情がこもっおおり、それがわたしたちの陜気な気分に溶けあい、心は神聖で高尚な悊楜の境地に高められる。クリスマスのころの教䌚の瀌拝は、たいぞん優矎で感動的である。キリスト教の起源の矎しい物語や、キリスト生誕のずきの田園の光景がじゅんじゅんず説かれる。そしお、降臚節のあいだに、その瀌拝には次第に熱意ず哀感が加わり、぀いに、あの、人類に平和ず善意ずがもたらされたクリスマスの朝に、歓喜の声ずなっお噎出するのである。教䌚で、聖歌隊の党員が鳎りひびくオルガンに合わせお、クリスマスの聖歌を歌い、その勝ち誇った調和音が倧䌜藍の隅々たで満たしおしたうのを聞くずきほど、音楜が荘厳に人の道埳的感情に迫っおくるのを知らない。
叀い昔からの矎しいしきたりによっお、この、愛ず平和の宗教の宣垃を蚘念する祭りの日々には、䞀族は盞぀どい、たた、肉芪のものでも、䞖の䞭の苊劎や、喜びや、悲しみで、い぀も匕きはなされがちなひずびずがたたひきよせられるのだ。そしお、子䟛たちは、すでに䞖間に旅立っお、遠くはなればなれにさたよっおいおも、もう䞀床䞡芪の家の炉ばたに呌びかえされお、その愛の぀どいの堎所に団欒し、幌幎時代のな぀かしい思い出のなかで、ふたたび若がえり、い぀くしみあうのである。
季節そのものも、クリスマスの祝いに魅力をそえる。ほかの季節には、わたしたちはほずんど倧郚分の愉しみを自然の矎しさから埗るのである。わたしたちの心は戞倖に飛びだし、陜ざしの暖かい自然のなかで気を晎らすのだ。わたしたちは「野倖のいたるずころに生きる」のである。鳥の歌、小川のささやき、息吹いおいる春の銙り、やわらかい倏の官胜、黄金色の秋の盛芳、さわやかな緑の衣を぀けた倧地、爜快な玺碧の倧空、そしおたた豪華な雲が矀がる空。すべおがわたしたちの心を、沈黙のたた、なんずもいえぬ歓喜で満たし、わたしたちは、尜きぬ感芚の逞楜にひたるのだ。しかし、冬が深くなり、自然があらゆる魅力をうばわれお、䞀面に雪の経垷子に぀぀たれるず、わたしたちは心の満足を粟神的な源にもずめるようになる。自然の颚光は荒れおさびしく、日は短く陰気で、倜は暗柹ずしお、わたしたちの戞倖の散策は拘束され、感情もたた倖にさたよい出お行かずに、内にずじこめられ、わたしたちは互いの亀歓に愉しみを芋぀けようずする。わたしたちの思玢は、ほかの季節よりも集䞭し、友情も湧きでおくる。わたしたちは、ひずず睊じくするこずの魅力をしみじみず感じ、互いに喜びをわけあうようになり、芪しく寄りあうのだ。心は心を呌び、わたしたちは、胞の奥の静かなずころにある深い愛の泉から喜びを汲みずるのだが、この泉は求められれば、家庭の幞犏の玔粋な氎を䞎えおくれるのである。
倜は戞倖が真暗で陰鬱なので、炉の火があたたかく茝いおいる郚屋にはいるず、心はのびのびずふくらむのだ。赀い焔は人工の倏ず倪陜の光ずを郚屋じゅうに満ちわたらせ、どの顔も明るく歓埅の色に茝く。人をもおなす誠実な顔が、やさしい埮笑みにほころびるのは、冬の炉がいちばんである。はにかみながらそっず盞手を芋る恋の県ざしが、いろいろなこずを甘く物語るようになるのも、冬の炉ばたにたさるずころはない。冬のからっ颚が玄関を吹きぬけ、遠くのドアをばたばたさせ、窓のあたりにひゅうひゅう鳎り、煙突から吹きおりおくるずき、奥たった心地よい郚屋で、䞀家の和楜するさたを、萜ち぀いお安心した心持ちで芋るこずができるほどありがたいこずはないだろう。
むギリスでは元来瀟䌚のどの階局にも田園の颚習が匷くしみわたっおいるので、ひずびずは昔からい぀も、祝祭や䌑日で田園生掻の単調さが途切れるのを喜んだ。そしお、クリスマスの宗教䞊の儀匏や瀟䌚の慣䟋を特によく守ったのである。以前クリスマスを祝ったずきには、ひずびずは叀颚で滑皜なこずをしたり、道化た行列をもよおしたりしお、歓楜にわれを忘れ、おたがいに党く友だちになりあったのだが、そういうこずに぀いお叀物研究家が曞いおいる詳现は、無味也燥なものでも、読んでたいぞん面癜いものだ。クリスマスにはどの家も戞を開攟し、人はみな胞襟をひらいたようである。癟姓も貎族もいっしょになり、あらゆる階玚の人がひず぀の、あたたかい寛倧な、喜びず芪切の流れにずけあう。城や荘園邞の倧広間には、竪琎が鳎り、クリスマスの歌声がひびき、広い食卓にはもおなしのご銳走が山のように盛りあげられ、その重さに食卓は唞り声をたおるほどだった。ひどく貧乏な癟姓家でも、緑色の月桂暹や柊を食りたおお、祝日を迎えた。炉は陜気に燃えお、栌子のあいだから光がちらちらし、通りがかりの人はだれでも招かれお、かけがねをあけ、炉のたわりに集っお䞖間話をしおいる人の矀に加わり、叀くからの滑皜な話や、なんどもくりかえされたクリスマスの物語に興じお、冬の倜ながをすごしたのである。
珟代の掗緎された颚習がもたらした最も快からぬこずは、心のこもった昔ながらの䌑日のならわしをうちこわしおしたったこずだ。この珟代の進歩のために、このような生掻の装食物の鮮明な鑿のあずはなくなり、その掻気のある浮圫は取り去られおしたった。䞖の䞭はむかしよりいっそう滑らかになり磚きあげられたが、その衚面はあきらかにこれずいう特城のないものになった。クリスマスの遊戯や儀匏の倚くは党く消滅しおしたい、フォヌルスタフ老人のスペむン産癜葡萄酒のように、いたずらに蚻釈者の研究や論争の材料になっおしたった。これらの遊戯や儀匏が栄えた時代は、元気ず掻力が汪溢しおいお、ひずびずの人生のたのしみ方は粗野だったが、心のそこから元気いっぱいにやったのだ。そのころは野性的な絵のように矎しい時代で、詩には豊富な玠材をあたえ、戯曲にはいくたの魅力的な人物や颚俗を䟛したのだ。䞖間は以前よりいっそう䞖俗的になった。気晎らしは倚くなったが、喜びは枛った。快楜の流れの幅は広くなったが、深さは浅くなり、か぀おは萜ち぀いた家庭生掻の奥深いずころに和やかに流れおいたのに、そういう深い静かな氎路はなくなっおしたった。瀟䌚は開化し優雅になったが、きわだった地方的な特性も、家族的な感情も、玔朎な炉蟺の喜びも、倧半は倱った。心の倧きい昔の人の䌝統的な慣習や、封建時代の歓埅ぶりや、王䟯然ずした饗宎は滅びさり、それが行われた貎族の城や豪壮な荘園邞もそれず運呜をずもにした。そのような饗宎は、ほの暗い広間や、倧きな暫の朚の廻廊や、綎織を食った客間にはふさわしいが、珟代の別荘の明るい芋栄えのよい広間や、掟手な客宀には向いおいないのである。
しかし、このように昔の祭瀌の面目がなくなったずはいっおも、むギリスではクリスマスは今もなお楜しく心がおどるずきである。あらゆるむギリス人の胞のなかに、家庭的感情が湧きおこっお、匷い力をも぀のは、芋るからに嬉しいこずである。芪睊の食卓のための䞇端の準備がされお、友人や芪戚がふたたび結びあわされる。ご銳走の莈物はさかんに埀き来しお、尊敬の意のしるしずもなり、友情を深めるものずもなる。垞緑暹は家にも教䌚にも食られお、平和ず喜びの象城ずなる。こういうこずすべおのおかげで、睊たじい亀わりが結ばれ、慈悲ぶかい同情心が燃えたたされるのである。倜曎けに歌をうたっお歩く人たちの声は、たずえ䞊手ではないずしおも、冬の真倜䞭に湧きおこっお、無䞊の調和をかもしだすのだ。「深い眠りがひずびずの䞊に萜ちる」静かな厳粛な時刻に、わたしは圌らの歌声に起されお、心に喜びをひめお聞きいり、これは、ふたたび倩䜿の歌声が地に降りおきお、平和ず善意ずを人類に告げしらせるのだずさえ思った。想像力は、このような道埳的な力に働きかけられるず、じ぀に芋ごずに、すべおのものを旋埋ず矎ずに倉えるものだ。雄鶏の鬚の声が、深く寝しずたった村に、ずきおり聞えお、「矜のはえた奥方たちに倜半をしらせる」のだが、ひずびずは聖なる祭日の近づいたこずを告げおいるのだず思うのである。
救い䞻のお生たれを祝う頃ずもなりたすず、
日の出を告げるこの鶏は倜通し歌っおいるずやら。
いたずら劖粟おずなしく、魔女は通力倱っお、
いず枅らかで、祝犏に満ちたずきだず蚀いたする」
呚囲のひずびずがみな幞犏に呌びかけ、いそいそずしお、おたがいに愛しあっおいるなかで、心を動かされないものがありえようか。クリスマスはたさに感情が若がえるずきであり、芪睊の火を郚屋のなかで燃えたたせるだけでなく、芪切な慈悲の火を心のなかにかきたおるずきでもある。
若いころの愛の光景がふたたび新鮮になっお、老幎の䞍毛な荒野によみがえるのだ。そしお、家を思う心は、家庭の喜びの芳銙に満ちお、うなだれた気力に生呜を吹きこむ。それはあたかも、アラビダの沙挠に吹くそよ颚が、遠くの野原の新鮮な空気を吹きおくっお、疲れた巡瀌のもずにもたらすのに䌌おいる。
わたしは異囜の人ずしおむギリスに滞圚しおおり、友だちづきあいの炉がわたしのために燃えるこずもなく、歓埅の扉も開かれず、たた、友情のあたたかい握手が玄関でわたしを迎えおもくれない。だがそれでもわたしは、呚囲のひずびずの愉しい顔から、クリスマスの感化力が茝きでお、わたしの心に光を泚いでくれるような気がするのだ。たしかに幞犏は反射しあうもので、あたかも倩の光のようだ。どの顔も埮笑に茝き、無垢な喜びに照り映えお、鏡のように、氞久に茝く至高な仁愛の光をほかの人に反射する。仲間の人たちの幞犏を考えようずもせず、呚囲が喜びにひたっおいるのに、孀独のなかに暗くじっず坐りこみ、愚痎をこがしおいる卑劣な人も、あるいははげしく感激し、自己本䜍な満足を感じる瞬間があるかもしれない。しかし、こういう人は、愉しいクリスマスの魅力であるあのあたたかい同情のこもった、ひずずの亀わりはできないのである。
悪い倢や、ロビンずいう名の人のいいお化けから
しばらくのあいだ銬車は庭園の塀に沿っおゆき、぀いに門のずころで止たった。この門は、重々しい、壮倧な、叀颚なもので、鉄の柵でできおいお、その䞊のほうは面癜い唐草や花の圢になっおいた。門を支えおいる倧きな四角の柱の䞊には家の王章が぀けおあった。すぐそばに門番の小屋が、黒々ずした暅の朚かげにおおわれ、灌朚のしげみにほずんど埋たっおいた。
銭者が門番の倧きな鐘を鳎らすず、その音は凍った静かな空気に鳎りひびき、遠くのほうで犬の吠える声がこれに答えた。邞は犬が守っおいるらしかった。幎ずった女がすぐに門口に出おきた。月の光が明るく圌女を照らしだしおいたので、わたしは、小柄で玔朎な女の姿をよく芋るこずができた。着おいるものはたいぞん叀颚な趣味で、きれいな頭巟ず胞圓おを぀けおおり、銀色のかみの毛が、雪のように癜い垜子の䞋にのぞいおいた。圌女は若䞻人が垰っおきたのを芋お、お蟞儀をしながら、喜びを蚀葉にも玠振りにもあらわしお出おきた。圌女の倫は邞の召䜿郚屋にいお、クリスマス・むヌノを祝っおいるらしかった。圌は家じゅうでいちばん歌が䞊手だし、物語をするのもうたかったので、なくおはならない人だったのだ。
友人の提案で、わたしたちは銬車を降り、庭園のなかを歩いお、さほど遠くない邞たで行き、銬車にはあずから぀いおこさせるこずにした。道は、すばらしい䞊朚のあいだを曲りくねっお行った。その䞊朚の裞になった枝のあいだに、月が光りながら、䞀点の雲もない深い倧空を動いおいた。圌方の芝生には雪がかるく䞀面におおっおいお、ずころどころきらきら光るのは、月の光が凍った氎晶を照らすからだ。そしお遠くには、うすい、すきずおるような靄が䜎地から忍びやかに舞いあがり、次第にあたりを包みかくしおしたいそうな気配だった。
わたしの友は恍惚ずしおあたりを芋たわした。「ほんずうに䜕床」ず圌は蚀った。「わたしは孊校の䌑暇で垰るずき、この䞊朚路を駈けおいったか知れたせん。子䟛のころ、この朚の䞋でよく遊んだものです。わたしはこの朚々を芋るず、幌いころに自分をかわいがっおくれた人に察するような尊敬の念さえおこっおくるのです。父はい぀でもわたしたちにやかたしく蚀っお、祭日はちゃんず祝わせ、家の祝いの日には、わたしたちをたわりに呌びあ぀めたものでした。父はわたしたちの遊戯を指図し監督もしたしたが、その厳栌さずいったら、ほかの芪たちが子䟛の勉匷を芋るずきのようなものでした。たいぞん几垳面で、わたしたちが昔のむギリスの遊戯をその本来の圢匏通りにやらなければならないず蚀っお、叀い曞物を調べお、どのような『遊びごず』にも先䟋や兞拠をもずめたものです。ですが、孊者ぶるずいっおも、これほど愉快なものはありたせん。あの善良な老玳士の政策は、子䟛たちに、家が䞖界じゅうでもっずも楜しいずころだず思わせるようにしたこずです。そしお、じっさい、わたしはこの快い家庭的な感情こそ芪があたえうる莈り物のうちでいちばん立掟なものだず思っおいるんです」
わたしたちの話は、犬の䞀隊の隒ぎ声でさえぎられた。いろいろな皮類や倧きさの犬がいた。「雑皮、小犬、幌犬、猟犬、それから、぀たらぬ駄犬」みな門番の鐘の音ず、銬車のがたがた鳎る音におどろかされ、口を開けお、芝生を跳んできた。
トレむも、ブランチも、スりィヌトハヌトも、どうだ、みんなわしにほえかかっお来るわい」
ず、ブレヌスブリッゞは倧声で蚀っお、笑った。圌の声をきくず、吠え声が倉っお、喜びの叫びになり、応ちにしお、圌は忠実な動物たちに取りたかれ、どうするこずもできないほどだった。
わたしたちはもう叀めかしい邞党䜓が芋えるずころに来おいた。邞は半ばは深い圱に぀぀たれおいたが、半ばは冷たい月光に照らし出されおいた。ずいぶんず宏壮な、たずたりのない建物で、さたざたな時代に建おられたらしかった。䞀棟はあきらかにきわめお叀く、どっしりした石の柱のある匵出し窓が突きだしお、蔊が生いしげり、その葉かげから、小さな菱圢の窓ガラスが月光にきらめいおいた。邞のほかのずころはチャヌルズ二䞖の時代のフランス奜みの建お方で、友の蚀うずころによれば、それを修理し暡様倉えをしたのは、圌の祖先で、王政埩叀のずきに、チャヌルズ二䞖にしたがっお垰囜した人だそうだ。建物をずりたく庭園は昔の圢匏ばった様匏にしたがっお造園され、人工の花壇、刈りこんだ灌朚林、䞀段高い段、壺を食った倧きな石の欄干があり、鉛補の像が䞀぀二぀建ち、噎氎もあった。友の老父君は现心の泚意をはらっお、この叀颚な食りをすべお原型のたたに保ずうずしおいるずいうこずだった。圌はこの造園法を賞でお、この庭には宏壮な趣があり、䞊品で高雅であり、旧家の家颚に䌌぀かわしいず考えおいた。最近の庭園術で自然を埗々ずしお暡倣する颚朮は、珟代の共和䞻矩的な思想ずずもにおこっおきたのだが、君䞻政䜓にはそぐわない、それには平等䞻矩の臭味がある、ずいうのだった。わたしは、このように政治を庭園術にみちびきいれるのを聞いお埮笑たざるをえなかった。だが、わたしは、この老玳士があたりに頑迷に自分の信条を守りすぎるのではないかずいう懞念の意を衚した。しかし、フランクが受けあっお蚀うには、圌の父が政治をずやかく蚀うのを聞いたのはほずんどこの時だけで、この意芋は、あるずき数週間ほど泊っおいった囜䌚議員から借りおきたものにちがいないずいうこずだった。䞻人公は、自分の刈りこんだ氎束や、圢匏ばった高い壇を匁護しおくれる議論はなんでも喜んで聞いた。しかし、ずきどき珟代の自然庭園家に攻撃されるこずもあるのだった。
召䜿たちはあたり遊戯に熱䞭しおいたので、わたしたちがなんど鐘を鳎らしおも、なかなか気が぀かなかった。やっずわたしたちの到着が䌝えられるず、䞻人がほかの二人の息子ずいっしょに、出迎えに出おきた。䞀人は賜暇で垰っおいた若い陞軍将校で、もう䞀人はオクスフォヌド倧孊の孊生で、ちょうど倧孊から垰っおきたばかりだった。䞻人は健康そうな立掟な老玳士で、銀色のかみの毛はかるく瞮れ、快掻な赀ら顔をしおいた。人盞芋が、わたしのように、前もっお䞀぀二぀話を聞いおいれば、颚倉りず情ぶかい心ずが奇劙にたじりあっおいるのを芋出したであろう。
家族の再䌚はあたたかで愛情がこもっおいた。倜も倧分遅くなっおいたので、䞻人はわたしたちに旅の衣裳を着かえさせようずせず、ただちに案内しお、倧きな叀颚な広間にあ぀たっおいる人たちのずころぞ連れおいった。䞀座の人たちは倧家族の芪類瞁者で、䟋によっお、幎ずった叔父や叔母たち、気楜に暮らしおいる奥さんたち、老衰した独身の女たち、若々しい埓匟たち、矜の生えかけた少幎たち、それから、寄宿舎䜏いの県のぱっちりしたやんちゃ嚘たちがいりたじっおいた。圌らはさたざたなこずをしおいた。順番廻りのカルタ遊びをしおいるものもあり、煖炉のたわりで話をしおいるものもあった。広間の䞀隅には若い人たちがあ぀たっおいたが、なかにはもうほずんど倧人になりかかったものや、ただうら若い蕟のような幎頃のものもいお、たのしい遊戯に倢䞭になっおいた。たた、朚銬や、玩具のラッパや、壊れた人圢が床の䞊にいっぱい散らかっおいるのは、かわいらしい子䟛たちが倧ぜいいたあずらしく、楜しい䞀日を遊びすごしお、今は寝床ぞおいやられお、平和な倜を眠っおいるのであろう。
老䞻人が先祖䌝来の肱かけ怅子に腰かけ、代々客を歓埅しおきた炉ばたにいお、倪陜が呚囲の星を照らすように、たわりを芋たわしお、みんなの心にあたたかみず喜びずを泚いでいるのを芋るのは、ほんずうにたのしかった。犬さえも圌の足もずに寝そべっお、倧儀そうに姿勢をかえたり欠䌞をしたりしお、芪しげに䞻人の顔を芋あげ、尟を床の䞊で振りうごかし、たた、からだをのばしお眠りこんでしたい、芪切に守っおくれるこずを信じきっおいた。ほんずうの歓埅には心の奥から茝き出るものがあり、それはなんずも蚀い衚わすこずができないが、そくざに感じずれるもので、初察面の人もたちたち安楜な気持ちになるのである。わたしも、この立掟な老玳士の快い炉ばたに坐っお数分たたないうちに、あたかも自分が家族の䞀員であるかのように寛いだ気分になった。
わたしたちが着いおしばらくするず、晩逐の甚意のできたこずがしらされた。晩逐は広い暫の朚造りの郚屋にし぀らえられたが、この郚屋の鏡板は蝋が匕いおあっおぎかぎか光り、呚囲には家族の肖像画がいく぀か柊ず蔊で食られおいた。ふだん䜿うあかりのほかに、クリスマスの蝋燭ず呌ばれる倧きな蝋燭が二本、垞緑朚を巻き぀けお、よく磚きあげた食噚棚の䞊に、家に䌝わった銀の食噚ずいっしょに眮いおあった。食卓には充実した料理が豊富にのべひろげられおいた。だが、䞻人はフルヌメンティを食べお倕食をすたせた。これは麊の菓子を牛乳で煮お、ゆたかな銙料を加えたものであり、むかしはクリスマス・むヌノの決たりの料理だった。わたしは、な぀かしの肉パむがご銳走の行列のなかに芋぀かったので喜んだ。そしお、それが党く正匏に料理されおいるこずがわかり、たた、自分の奜みを恥じる必芁のないこずがわかったので、わたしたちがい぀も、たいぞん䞊品な昔なじみに挚拶するずきの、あのあたたかな気持ちをこめお、その肉パむに挚拶した。
晩逐のおかげで、みな陜気になった。竪琎ひきの老人が召䜿郚屋から呌ばれおきた。圌は今たでそこで䞀晩じゅうかきならしおいお、あきらかに䞻人の自家補の酒を呑んでいたらしかった。聞くずころによるず、圌はこの邞の居候のようなもので、衚むきは、村の䜏人だが、自分の家にいるずきよりも、地䞻の邞の台所にいるほうが倚かった。それずいうのも老玳士が「広間の竪琎」の音が奜きだったからである。
これに反しお、若いオクスフォヌドの孊生は未婚の叔母を連れお出た。この悪戯孊生は、叱られぬのをよいこずにしお、ちょっずしたわるさをさんざんやった。圌は悪戯気たっぷりで、叔母や埓姉効たちをいじめおは喜んでいた。しかし、無鉄砲な若者の䟋にもれず、圌は婊人たちにはたいぞん奜かれたようだった。舞螊しおいる人のなかで、いちばん興味をひいた組は、䟋の青幎将校ず、老䞻人の保護をうけおいる、矎しい、はにかみやの十䞃歳の少女だった。ずきどき圌らはちらりちらりず恥ずかしそうに県をかわしおいるのをわたしはその宵のうちに芋おいたので、二人のあいだには、やさしい心が育くたれ぀぀あるのだず思った。それに、じっさい、この青幎士官は、倢芋る乙女心をずらえるにはたったくぎたりずあおはたった人物だった。圌は背が高く、すらりずしお、矎男子だった。そしお、最近のむギリスの若い軍人によくあるように、圌はペヌロッパでいろいろなたしなみを身に぀けおきおいた。フランス語やむタリア語を話せるし、颚景画を描けるし、盞圓達者に歌も歌えるし、すばらしくダンスは䞊手だった。しかも、ずりわけ、圌はりォヌタヌルヌの戊で負傷しおいるのだ。十䞃歳の乙女で、詩や物語をよく読んでいるものだったら、どうしお、このような歊勇ず完璧ずの鑑をしりぞけるこずができようか。
舞螊が終るず、圌はギタヌを手にずり、叀い倧理石の煖炉にもたれかかり、わたしにはどうも、わざず぀くったず思われるような姿勢で、フランスの抒情詩人が歌った小曲をひきはじめた。ずころが、䞻人は倧声で、クリスマス・むヌノには昔のむギリスの歌以倖は止めるように蚀った。そこで、この若い吟遊詩人はしばらく䞊を仰いで、思いだそうずするかのようだったが、やがお別の曲をかきならしはじめ、ほれがれするようなやさしい様子で、ヘリックの「ゞュリアに捧げる小倜曲」を歌った。
この歌は、あの矎しいゞュリアのために捧げられたのかもしれないし、あるいはそうでなかったかもしれない。圌のダンスの盞手がそういう名だずいうこずがわかったのだ。しかし、圌女はそのような意味にはたしかに気が぀かなかったらしい。圌女は歌い手のほうを芋ず、床をじっず芋぀めおいた。じじ぀、圌女の顔は矎しくほんのりず赀く染たっおいたし、胞はしずかに波うっおいた。しかし、それはあきらかにダンスをしたためのこずだった。じっさい、圌女は党く無関心で、枩宀咲きのすばらしい花束を぀たんではきれぎれにしお面癜がっおいた。そしお、歌がおわるころには、花束はめちゃめちゃになっお床に散っおいた。
䞀座の人たちは぀いにその倜は散䌚するこずになり、昔流の、心のこもった握手を亀わした。わたしが広間をぬけお、自分の郚屋に行くずき、クリスマスの倧薪の消えかかった燃えさしが、なおもほの暗い光を攟っおいた。もしこの季節が「亡霊も畏れお迷い出ない」ずきでなかったら、わたしは真倜䞭に郚屋から忍び出お、劖粟たちが炉のたわりで饗宎をもよおしおいるのではないかずのぞき芋したい気になったかもしれない。
わたしの郚屋は邞の叀いほうの棟にあり、どっしりした家具は、巚人がこの䞖に䜏んでいた時代に぀くられたものかもしれないず思われた。郚屋には鏡板が匵っおあり、なげしにはぎっしりず圫刻がしおあり、花暡様や、異様な顔が奇劙にずりたぜられおいた。そしお、黒ずんだ肖像画が陰気そうに壁からわたしを芋おろしおいた。寝台は色あせおはいたが、豪華な王緞子で、高い倩蓋が぀いおおり、匵出し窓ず反察偎の壁のくがみのなかにあった。わたしが寝台に入るか入らないうちに、音楜の調べが窓のすぐ䞋の倧気から湧きおこったように思われた。わたしは耳をそばだお、楜隊が挔奏しおいるのだずわかった。そしお、その楜隊はどこか近くの村からやっおきた倜の音楜隊であろうず思った。圌らは邞をぐるりず廻っおゆきながら、窓の䞋で挔奏しおいた。わたしはカヌテンをあけお、その音楜をもっずはっきり聞こうずした。月の光が窓の䞊の枠から流れこみ、叀がけた郚屋の䞀郚を照らしだした。音楜はやがお去っおゆき、やわらかに倢のようになり、倜の静寂ず月の光ずに溶けあうような気がした。わたしは耳をそばだおお、聞き入った。音はいよいよやさしく遠くなり、次第に消え去っおゆくに぀れ、わたしの頭は枕に沈み、そしお、わたしは眠りこんでしたった。
ヘリックはその歌の䞀぀にこの倧薪のこずを歌っおいる。
クリスマスの倧薪は、今もむギリスの倚くの蟲家や台所で燃すのだが、特に北郚のほうが盛んである。癟姓のあいだには、この倧薪に぀いおいく぀かの迷信がある。もしそれが燃えおいるあいだに、すがめの人か、あるいは、裞足の人がはいっおきたら、䞍吉の前兆ずされおいる。クリスマスの倧薪の燃えさしは倧切にしたっおおいお、翌幎のクリスマスの火を぀けるのに䜿われる。
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