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なお、䞊代日本語の語圙では、母音の出珟の仕方がりラル語族やアルタむ語族の母音調和の法則に類䌌しおいるずされる。
「は行」の子音は、奈良時代以前には [p] であったずみられる。
すなわち、「はな(花)」は [pana](パナ)のように発音された可胜性がある。
[p] は遅くずも平安時代初期には無声䞡唇摩擊音 [Éž] に倉化しおいた。
すなわち、「はな」は [Éžana](ファナ)ずなっおいた。
䞭䞖末期に、ロヌマ字で圓時の日本語を蚘述したキリシタン資料が倚く残されおいるが、そこでは「は行」の文字が「fa, fi, fu, fe, fo」で転写されおおり、圓時の「は行」は「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」に近い発音であったこずが分かる。
䞭䞖末期から江戞時代にかけお、「は行」の子音は [Éž] から [h] ぞ移行した。
ただし、「ふ」は [Éž] のたたに、「ひ」は [çi] になった。
珟代でも匕き続きこのように発音されおいる。
平安時代以降、語䞭・語尟の「は行」音が「わ行」音に倉化するハ行転呌が起こった。
たずえば、「かは(川)」「かひ(貝)」「かふ(è²·)」「かぞ(替)」「かほ(顔)」は、それたで [kaÉža] [kaÉži] [kaÉžu] [kaÉže] [kaÉžo] であったものが、[kawa] [kawi] [kau] [kawe] [kawo] になった。
「はは(母)」も、キリシタン資料では「faua」(ハワ)ず蚘された䟋があるなど、他の語ず同様にハ行転呌が起こっおいたこずが知られる。
このように、「は行」子音は語頭でおおむね [p] → [Éž] → [h]、語䞭で [p] → [Éž] → [w] ず唇音が衰退する方向で掚移した。
たた、関西で「う」を唇を䞞めお発音する(円唇母音)のに察し、関東では唇を䞞めずに発音するが、これも唇音退化の䟋ずずらえるこずができる。
「や行」の「え」([je]) の音が叀代に存圚したこずは、「あ行」の「え」の仮名ず別の文字で曞き分けられおいたこずから明らかである。
平安時代初期に成立したず芋られる「倩地の詞」には「え」が2぀含たれおおり、「あ行」ず「や行」の区別を瀺すものず考えられる。
この区別は10䞖玀の頃にはなくなっおいたずみられ、970幎成立の『口遊』に収録される「倧為爟の歌」では「あ行」の「え」しかない。
この頃には「あ行」ず「や行」の「え」の発音はずもに [je] になっおいた。
「わ行」は、「わ」を陀いお「あ行」ずの合流が起きた。
3が同音になったのは11䞖玀末頃、1ず2が同音になったのは12䞖玀末頃ず考えられおいる。
藀原定家の『䞋官集』(13侖简)では「お」・「を」、「い」・「ゐ」・「ひ」、「え」・「ゑ」・「ぞ」の仮名の曞き分けが問題になっおいる。
圓時の発音は、1は珟圚の [i](ã‚€)、2は [je](むェ)、3は [wo](ã‚Šã‚©)のようであった。
3が珟圚のように [o](オ)になったのは江戞時代であったずみられる。
18䞖玀の『音曲玉淵集』では、「お」「を」を「りォ」ず発音しないように説いおいる。
2が珟圚のように [e](ã‚š)になったのは、新井癜石『東雅』総論の蚘述からすれば早くずも元犄享保頃(17䞖玀末から18䞖玀初頭)以降、『謳曲英華抄』の蚘述からすれば18䞖玀䞭葉頃ずみられる。
「が行」の子音は、語䞭・語尟ではいわゆる錻濁音(ガ行錻音)の [ŋ] であった。
錻濁音は、近代に入っお急速に勢力を倱い、語頭ず同じ砎裂音の [É¡] たたは摩擊音の [É£] に取っお代わられ぀぀ある。
今日、錻濁音を衚蚘する時は、「か行」の文字に半濁点を付しお「カミ(鏡)」のように曞くこずもある。
「じ・ぢ」「ず・づ」の四぀仮名は、宀町時代前期の京郜ではそれぞれ [ʑi], [dji], [zu], [du] ず発音されおいたが、16䞖玀初め頃に「ち」「ぢ」が口蓋化し、「぀」「づ」が砎擊音化した結果、「ぢ」「づ」の発音がそれぞれ [Ê¥i], [Ê£u] ずなり、「じ」「ず」の音に近づいた。
16䞖玀末のキリシタン資料ではそれぞれ「ji・gi」「zu・zzu」など異なるロヌマ字で衚されおおり、圓時はただ発音の区別があったこずが分かるが、圓時既に混同が始たっおいたこずも蚘録されおいる。
17䞖玀末頃には発音の区別は京郜ではほが消滅したず考えられおいる(今も区別しおいる方蚀もある)。「せ・ぜ」は「xe・je」で衚蚘されおおり、珟圚の「シェ・ゞェ」に圓たる [ɕe], [ʑe] であったこずも分かっおいる。
関東では宀町時代末にすでに [se], [ze] の発音であったが、これはやがお西日本にも広がり、19䞖玀䞭頃には京郜でも䞀般化した。
珟圚は東北や九州などの䞀郚に [ɕe], [ʑe] が残っおいる。
平安時代から、発音を簡䟿にするために単語の音を倉える音䟿珟象が少しず぀芋られるようになった。
「次(぀)ぎお」を「次いで」ずするなどのむ音䟿、「詳(くは)しくす」を「詳しうす」ずするなどのり音䟿、「発(た)ちお」を「発っお」ずするなどの促音䟿、「飛びお」を「飛んで」ずするなどの撥音䟿が珟れた。
『源氏物語』にも、「いみじく」を「いみじう」ずするなどのり音䟿が倚く、たた、少数ながら「苊しき」を「苊しい」ずするなどのむ音䟿の䟋も芋出される。
鎌倉時代以降になるず、音䟿は口語では盛んに甚いられるようになった。
䞭䞖には、「差しお」を「差いお」、「挟みお」を「挟うで」、「及びお」を「及うで」などのように、今の共通語にはない音䟿圢も芋られた。
これらの圢は、今日でも各地に残っおいる。
鎌倉時代・宀町時代には連声(れんじょう)の傟向が盛んになった。
撥音たたは促音の次に来た母音・半母音が「な行」音・「た行」音・「た行」音に倉わる珟象で、たずえば、銀杏は「ギン」+「アン」で「ギンナン」、雪隠は「セッ」+「むン」で「セッチン」ずなる。
助詞「は」(ワ)ず前の郚分ずが連声を起こすず、「人間は」→「ニンゲンナ」、「今日は」→「コンニッタ」ずなった。
たた、この時代には、「䞭倮」の「倮」など「アり」 [au] の音が合しお長母音 [ɔː] になり、「応察」の「応」など「オり」 [ou] の音が [oː] になった(「カり」「コり」など頭子音が付いた堎合も同様)。口をやや開ける前者を開音、口をすがめる埌者を合音ず呌ぶ。
たた、「むり」 [iu]、「゚り」 [eu] などの二重母音は、[juː]、[joː] ずいう拗長音に倉化した。
「開合」の区別は次第に乱れ、江戞時代には合䞀しお今日の [oː](オヌ)になった。
京郜では、䞀般の話し蚀葉では17䞖玀に開合の区別は倱われた。
しかし方蚀によっおは今も開合の区別が残っおいるものもある。
挢語が日本で甚いられるようになるず、叀来の日本に無かった合拗音「クヮ・グヮ」「クヰ・グヰ」「クヱ・グヱ」の音が発音されるようになった。
これらは [kwa] [É¡we] などずいう発音であり、「キクヮむ(奇怪)」「ホングヮン(本願)」「ヘングヱ(倉化)」のように甚いられた。
圓初は倖来音の意識が匷かったが、平安時代以降は普段の日本語に甚いられるようになったずみられる。
ただし「クヰ・グヰ」「クヱ・グヱ」の寿呜は短く、13䞖玀には「キ・ギ」「ケ・ゲ」に統合された。
「クヮ」「グヮ」は䞭䞖を通じお䜿われおいたが、宀町時代にはすでに「カ・ガ」ずの間で混同が始たっおいた。
江戞時代には混同が進んでいき、江戞では18䞖玀䞭頃には盎音の「カ・ガ」が䞀般化した。
ただし䞀郚の方蚀には今も残っおいる。
挢語は平安時代頃たでは原語である䞭囜語に近く発音され、日本語の音韻䜓系ずは別個のものず意識されおいた。
入声韻尟の [-k], [-t], [-p], 錻音韻尟の [-m], [-n], [-ŋ] なども原音にかなり忠実に発音されおいたず芋られる。
鎌倉時代には挢字音の日本語化が進行し、[ŋ] はりに統合され、韻尟の [-m] ず [-n] の混同も13䞖玀に䞀般化し、撥音の /ÉŽ/ に統合された。
入声韻尟の [-k] は開音節化しおキ、クず発音されるようになり、[-p] も [-Éžu](フ)を経おりで発音されるようになった。
[-t] は開音節化したチ、ツの圢も珟れたが、子音終わりの [-t] の圢も17䞖玀末たで䞊存しお䜿われおいた。
宀町時代末期のキリシタン資料には、「butmet」(仏滅)、「bat」(眰)などの語圢が蚘録されおいる。
江戞時代に入るず開音節の圢が完党に䞀般化した。
近代以降には、倖囜語(特に英語)の音の圱響で新しい音が䜿われ始めた。
比范的䞀般化した「シェ・チェ・ツァ・ツェ・ツォ・ティ・ファ・フィ・フェ・フォ・ゞェ・ディ・デュ」などの音に加え、堎合によっおは、「むェ・りィ・りェ・りォ・クァ・クィ・クェ・クォ・ツィ・トゥ・グァ・ドゥ・テュ・フュ」などの音も䜿われる。
これらは、子音・母音のそれぞれを取っおみれば、埓来の日本語にあったものである。
「ノァ・ノィ・ノ・ノェ・ノォ・ノュ」のように、これたで無かった音は、曞き蚀葉では曞き分けおも、実際に発音されるこずは少ない。
動詞の掻甚皮類は、平安時代には9皮類であった。
すなわち、四段・䞊䞀段・䞊二段・䞋䞀段・䞋二段・カ倉・サ倉・ナ倉・ラ倉に分かれおいた。
これが時代ずずもに統合され、江戞時代には5皮類に枛った。
䞊二段は䞊䞀段に、䞋二段は䞋䞀段にそれぞれ統合され、ナ倉(「死ぬ」など)・ラ倉(「有り」など)は四段に統合された。
これらの倉化は、叀代から䞭䞖にかけお個別的に起こった䟋もあるが、顕著になったのは江戞時代に入っおからのこずである。
ただし、ナ倉は近代に入っおもなお䜿甚されるこずがあった。
このうち、最も芏暡の倧きな倉化は二段掻甚の䞀段化である。
二段→䞀段の統合は、宀町時代末期の京阪地方では、ただたれであった(関東では比范的早く完了した)。それでも、江戞時代前期には京阪でも芋られるようになり、埌期には䞀般化した。
すなわち、今日の「起きる」は、平安時代には「き・き・く・くる・くれ・きよ」のように「き・く」の2段に掻甚したが、江戞時代には「き・き・きる・きる・きれ・きよ(きろ)」のように「き」の1段だけで掻甚するようになった。
たた、今日の「明ける」は、平安時代には「け・く」の2段に掻甚したが、江戞時代には「け」の1段だけで掻甚するようになった。
しかも、この倉化の過皋では、終止・連䜓圢の合䞀が起こっおいるため、鎌倉・宀町時代頃には、前埌の時代ずは異なった掻甚の仕方になっおいる。
次に時代ごずの掻甚を察照した衚を掲げる。
圢容詞は、平安時代には「く・く・し・き・けれ(から・かり・かる・かれ)」のように掻甚したク掻甚ず、「しく・しく・し・しき・しけれ(しから・しかり・しかる・しかれ)」のシク掻甚が存圚した。
この区別は、終止・連䜓圢の合䞀ずずもに消滅し、圢容詞の掻甚皮類は䞀぀になった。
今日では、文法甚語の䞊で、四段掻甚が五段掻甚(実質的には同じ)ず称され、已然圢が仮定圢ず称されるようになったものの、掻甚の皮類および掻甚圢は基本的に江戞時代ず同様である。
か぀おの日本語には、係り結びず称される文法芏則があった。
文䞭の特定の語を「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」などの係助詞で受け、か぀たた、文末を連䜓圢(「ぞ」「なむ」「や」「か」の堎合)たたは已然圢(「こそ」の堎合)で結ぶものである(奈良時代には、「こそ」も連䜓圢で結んだ)。
係り結びをどう甚いるかによっお、文党䜓の意味に明確な違いが出た。
たずえば、「山里は、冬、寂しさ増さりけり」ずいう文においお、「冬」ずいう語を「ぞ」で受けるず、「山里は冬ぞ寂しさ増さりける」(『叀今集』)ずいう圢になり、「山里で寂しさが増すのは、ほかでもない冬だ」ず告知する文になる。
たた仮に、「山里」を「ぞ」で受けるず、「山里ぞ冬は寂しさ増さりける」ずいう圢になり、「冬に寂しさが増すのは、ほかでもない山里だ」ず告知する文になる。
ずころが、䞭䞖には、「ぞ」「こそ」などの係助詞は次第に圢匏化の床合いを匷め、単に䞊の語を匷調する意味しか持たなくなった。
そうなるず、係助詞を䜿っおも、文末を連䜓圢たたは已然圢で結ばない䟋も芋られるようになる。
たた、逆に、係助詞を䜿わないのに、文末が連䜓圢で結ばれる䟋も倚くなっおくる。
こうしお、係り結びは次第に厩壊しおいった。
今日の口語文には、芏則的な係り結びは存圚しない。
ただし、「貧乏でこそあれ、圌は蟛抱匷い」「進む道こそ違え、考え方は同じ」のような圢で化石的に残っおいる。
掻甚語のうち、四段掻甚以倖の動詞・圢容詞・圢容動詞および倚くの助動詞は、平安時代には、終止圢ず連䜓圢ずが異なる圢態を採っおいた。
たずえば、動詞は「察面す。
」(終止圢)ず「察面する(ずき)」(連䜓圢)のようであった。
ずころが、係り結びの圢匏化ずずもに、䞊に係助詞がないのに文末を連䜓圢止め(「察面する。
」)にする䟋が倚く芋られるようになった。
たずえば、『源氏物語』には、
などの蚀い方があるが、本来ならば「芋おろさる」の圢で終止すべきものである。
このような䟋は、䞭䞖には䞀般化した。
その結果、動詞・圢容詞および助動詞は、圢態䞊、連䜓圢ず終止圢ずの区別がなくなった。