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さくらももこ
さくら ももこ(1965年〈昭和40年〉5月8日 - 2018年〈平成30年〉8月15日)は、日本の漫画家、エッセイスト、作詞家、脚本家。また、自身の少女時代をモデルとした代表作のコミック『ちびまる子ちゃん』の主人公の名前でもある(詳細は「ちびまる子ちゃんの登場人物#さくら ももこ(まる子)」を参照)。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)の旧入江町地域出身。身長159 cm。血液型A型。二男の母。 代表作のコミック『ちびまる子ちゃん』の単行本の売上は累計3000万部を超える。また、エッセイストとしても独特の視点と語り口で人気が高く、初期エッセイ集三部作『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』はいずれもミリオンセラーを記録。「平成の清少納言」と称されたこともある。 愛称は「ももちゃん」。エッセイの販促用の帯などでは、『ちびまる子ちゃん』の「まる子」と同一人物として扱われることもある。 漫画は、「ヘタウマ」とも評される素朴なタッチで描かれる場合が多い。これは、投稿時代にエッセイ漫画に舵を切った際、戦略として少女漫画のタッチから変更したことに起因している。人物の場合は、身体のラインを極力出さない作画にしている。なお、少女漫画風のタッチを用いることもあり、特に漫画版『ひとりずもう』では多く用いられている。一方で、一時期の『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』の扉絵は、絵画風の凝ったデザインで描かれた。これは、さくらが敬愛するシンガポール生まれの絵本作家、エロール・ル・カインに影響を受けたものである。 初期はエッセイ漫画を軸に描いていたが、徐々にブラックユーモアな作風も取り入れていった。後年~晩年にかけて発表した『4コマちびまる子ちゃん』『ちびしかくちゃん』ではその傾向が強く、読者の評価もはっきり割れる形となった。さくらと交友のあった尾田栄一郎は、「さくらさんは少しいじわるな笑いが大好き。人が持っているムズがゆい部分をつつく。これができるのは、人間が大好きで鋭く見ていて、正直な人。」と彼女の没後に語っている。エッセイも含めて、「〇〇って一体...(例:私って一体...)」「あたしゃ情けないよ」など、自虐的なフレーズもよく用いている。 『神のちから』『神のちからっ子新聞』では、『ちびまる子ちゃん』とは別系統の笑い、ナンセンスさを追求した作風となった。ナンセンスな部分は、漫画・アニメの『コジコジ』にも受け継がれている。 エッセイでは、家族や親しい友人相手でも、歯に衣着せぬ物言いで綴っているほか、初期のエッセイでは独特の比喩表現も多く用いている。祖父の死を扱った「メルヘン翁」を『青春と読書』で発表した後に批判が寄せられた際、「私は自分の感想や事実に基づいた出来事をばからしくデフォルメする事はあるが美化して書く技術は持っていない。それを嫌う人がいても仕方ないし、好いてくれる人がいるのもありがたい事である。」と自著で述べている。2000年代以降のエッセイは、過去の体験談よりも、直近の体験や仕事を基にしたものが主流となったほか、絵日記型式の割合も増えていった。初期のエッセイは自嘲的な表現もしばしば用いられたが、後年のエッセイでは家族や他者に対しての恨み節が混ざった表現も見られるようになった。 ペンネームの由来は、花の「さくら」と「もも」から。経緯は、高校3年生の夏に漫才師か落語家を目指そうと考えていた時期に(最初の漫画投稿が不発だったため)、同時に芸名も考えていたことによる。自身の好きな花から候補を挙げ、最終的に残った「すみれ」「さくら」「もも」の中から、「さくら」と「もも」を繋いで「さくらももこ」とした。後に漫画の投稿活動を再開したときから、このペンネームを使用している。「すみれ」は、後に『ちびまる子ちゃん』での母親の名前に使用している。 漫画家の夢については、高校3年生の夏に親友の穂波珠絵に明かすまでは誰にも語っていなかったが、一部の教師や友人にはそれ以前に気付かれていた。また、最終的にはエッセイストになりたい、という夢を中学・高校以降の友人(浜崎憲孝が『ちびまる子ちゃん』の花輪和彦のモデルと評した女性)には明かしていた。 デビュー以降の自画像は、デビュー当初はおかっぱ頭、もしくはまる子そっくりな姿で描かれていた。『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』の制作レポート(1992年)では二つ結びに変化、1993年ごろからは、顔と前髪はまる子と同一・髪型は三つ編み、で定着するようになった。晩年は、三つ編み以外の自画像も使われた。 活動初期(1990年代初期まで)はメディアに顔を出すこともあったが、長男出産後あたりからは素顔がはっきり分かる状態での露出を避けるようになり、雑誌『富士山』や『おめでとう』などで写真に写る際も、横顔や後ろからのカットなどで対処していた(変装時は除く)。なお、これらの誌面では自画像とは異なり、三つ編み以外の髪型になっていた。 小学校(「まる子」だった)時代は、『ちびまる子ちゃん』で描かれていたように怠け者かつ勉強に真面目に取り組まなかったことから、しょっちゅう母親に怒られていたという。怒られること自体への煩わしさは感じていたが、作者曰く「居眠りで他人に迷惑をかけているわけではない」「万引きや、家庭内暴力みたいに人や物を傷付けたりはしてないので、怒られる筋合いは無い」と、反省はしなかったと語っている。17歳までは怠け者な生活習慣が直らず、母親に「苦労して産んだのに」と泣かれたこともある。一方で、漫画・アニメで怠け者だった過去の自分を描いているため、息子が怠けていてもきつく叱れなくなった、とも自著で述べている。 課外活動は、小学校ではそろばん塾、中学校では学習塾に通っていたが、いずれも先生が怖くて苦痛だったと語っている。塾とは別に、小学校ではバトントワリングの教室や部活動にも参加していた。 姉とは、幼少期は『ちびまる子ちゃん』などで描かれているようにケンカが絶えず(友人と遊んでいるときでも、ひょんなことからケンカを始めてしまうほど)、母親を困らせていたという。成人後は、姉の厄年(1995年ごろ)に姉妹始まって以来の大ゲンカをして2年間絶縁状態に陥ったが、その後関係を持ち直したほか、2002年には姉妹共同でゲームソフトの制作にも携わった(後述)。姉も絵が好きだったこともあり、短大時代に高額な絵画を購入して親から咎められた際、姉がかばってくれたこともある、と自著で述べている。 同級生として元サッカー日本代表の長谷川健太や放送作家の平岡秀章がいる。「はまじ」のモデルとなった浜崎憲孝が自伝を出版した際にはさくらが表紙のイラストを書き下ろした。浜崎によると、小学生時代はかなり内気な性格であり、穂波たまえのモデルとなった友人の方がより「まる子」に近いキャラクターだったと語っている。さくら自身も、自著において自身を内向的な性格で、華のないタイプであったと評している。前述の長谷川健太もさくらの小学生時代の事を「覚えていない」と語っている。『ひとりずもう』には未登場だが、元サッカー選手の半田悦子も高校時代の同級生である。なお、半田に関しては、親友の穂波珠絵の方が親交が深いとも述べている。 子供の頃、「青島幸男みたいに偉くなりたい。歌を作りたい」と言ったが、父親に「青島幸男は国会議員だ、無理に決まっている」と一蹴された。そのさくらが青島を目標とし大人になって作詞した歌が「おどるポンポコリン」である。また学生時代、春風亭小朝に弟子入りしようとしたこともある。 『仮面ライダー』で一文字隼人=仮面ライダー2号を演じた佐々木剛のファンだった。一文字のカード欲しさに仮面ライダースナックを買ったこともある。中高生時代は、『ドカベン』に傾倒しており、中でも里中智の大ファンであった。当時、単行本の購入費を工面するために親戚から贈られた『ベルサイユのばら』の単行本を勝手に売り捌いてしまい家庭内で問題になったほか、前述の怠け癖に怒った母親に単行本を窓から投げ捨てられ、泣きながら回収する羽目になったとも自著で述べている。 西城秀樹のファンで、『ちびまる子ちゃん』の作中では、まる子の姉がファンという設定で何度か登場させており、西城は1991年から1992年にかけて使われたエンディングテーマ曲「走れ正直者」の歌唱も担当した。2018年5月に西城が死去した際には、さくらは自身のブログで追悼のコメントを述べた。 高校時代にアマチュア無線技士の免許を取得しており、アマチュア無線家の月刊誌『CQ ham radio』1998年1月号の表紙では、ちびまる子ちゃんのイラストを寄稿したこともある。自伝的エッセイの「ひとりずもう」によると、さくらは高校に入学して部活を決める際に、なるべく早く家に帰りたいという理由で最も楽そうな物理部を選んだが、この物理部ではアマチュア無線の免許を取得することが義務付けられており、そのために彼女は1回2時間・週2回の講習会へ2か月間通わなければならず、それについて非常に煩わしい思いをしたと語っている。高校時代には、一部の後輩から「米虫の先輩」との異名が付けられていた。 健康の研究を日々行い、飲尿療法や茶葉による水虫治療など多くの民間療法を実践していた。30代の時には『ももこのおもしろ健康手帖』(幻冬舎刊)と題するエッセイ本を出版したこともある。その一方で大のヘビースモーカーでもあり、自著では「私は大の愛煙家だ。朝起きてまずタバコを吸い、昼間から夕方まで仕事をしている間もずっと吸い、夜眠る直前までタバコを吸う」「タバコが健康をもたらしてくれる。タバコをガンガンに吸っているからこそ、吸っていない人の20倍は、健康に気をつける」「タバコは私に健康の大切さを考えさせ、吸うからにはまず健康を確保しろということに気づかせてくれた」などと語っていた。しかし、そのような健康論を唱えていたさくら自身は前述の通り若くして乳がんを患い、53歳で死去する結果となった。エッセイ等の挿絵では、自身が喫煙する姿は基本的に描かれていないが、ごく稀に喫煙する姿が描かれたこともある。 さくらと交流があった和田アキ子は芸能界でも有名な酒豪として知られるが、その和田がさくらの死後に語った証言によると、さくらは和田を上回る酒豪であったという。さくら自身は、父と祖父が酒豪だったのを見て育っており、その影響で酒に興味を持つようになったと述べている。妊娠時において一瞥体験のような経験を自著に残している。 少女時代から作文が得意で、短大の模擬試験の作文課題では採点者から「清少納言が現代に来て書いたようだ」と評価されるほどであった。このことが、エッセイ漫画へと舵を切るきっかけの一つとなった。投稿時代は、何度も編集側からストーリーギャグ漫画への路線変更を提言されていたが、無視してエッセイ漫画での勝負を続けた。最終的には編集側も折れ、エッセイ漫画でのデビューを認めた。 さくらの書籍の装丁を多数手がけたデザイナーの祖父江慎は、彼女の没後のインタビューにおいて「まる子がそのまま大人になったような人物」「面倒臭がり」と評していた。祖父江曰く「楽しいことにはノリノリだが、義務っぽい雰囲気が出るとすぐ消極的になる」とのことで、彼女を乗り気にさせるための作戦を考えるのが大変であり、一方で楽しみでもあったと語っている。友人の吉本ばななは、普段はまる子そのものな人物である一方、時折全ての感情を超越して俯瞰しているような、コジコジにも通じるような状態を見せることがあった、と評している。長男の陽一郎は、理屈よりも直感で動くタイプの人で、それが作品にも現れているのではないか、と評している。 宝石商の岡本憲将が記した『宝石の常識』を読んで以降、宝石に興味を持つようになり、彼を頼って宝石の収集を行ったこともある。そのときの経験をもとに、『ももこの宝石物語』『ももこのおもしろ宝石手帖』を出版している。 「はまじ」とあだ名される人物とは、同級生の浜崎憲孝だけでなく、モデルの浜島直子とも接点がある。浜島直子とは、『MOMOKO TIMES』の仕事で同行したこともある。このとき、さくらプロダクションのスタッフが浜崎憲孝と勘違いして少し混乱したという。 絶滅危惧種であるビルマホシガメのメス「カメミ」を飼っていた。さくらの没後は伊豆にある体感型動物園iZooに引き取られ、現在も飼育展示されている。 ※表記はジャケットデザインも担当。 1992年NHKドラマ『さくら家の人びと』ももこ役 『ちびまる子ちゃん』関連作品で演じた人物。
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さくら ももこは、日本の漫画家、エッセイスト、作詞家、脚本家。また、自身の少女時代をモデルとした代表作のコミック『ちびまる子ちゃん』の主人公の名前でもある。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)の旧入江町地域出身。身長159 cm。血液型A型。二男の母。 代表作のコミック『ちびまる子ちゃん』の単行本の売上は累計3000万部を超える。また、エッセイストとしても独特の視点と語り口で人気が高く、初期エッセイ集三部作『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』はいずれもミリオンセラーを記録。「平成の清少納言」と称されたこともある。 愛称は「ももちゃん」。エッセイの販促用の帯などでは、『ちびまる子ちゃん』の「まる子」と同一人物として扱われることもある。
{{Infobox 漫画家 | 名前=ちびまる子ちゃん | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 生地 = {{JPN}}・[[静岡県]][[清水市]]<br/>(現・[[静岡市]][[清水区]]) | 没地 = {{JPN}}・[[東京都]][[目黒区]] | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 生年 = {{生年月日|1965|5|8}} | 没年 = {{死亡年月日と没年齢|1965|5|8|2018|8|15}} | 職業 = [[漫画家]]<br/>[[エッセイスト]]<br/>[[作詞家]] | 活動期間 = [[1984年]] - [[2018年]] | ジャンル = [[少女漫画]]<br/>[[青年漫画]]<br/>[[エッセイ漫画]]<br/>[[児童漫画]] | 代表作 = 『[[ちびまる子ちゃん]]』<br/>『[[コジコジ]]』 | 受賞 = [[1989年]]:第13回[[講談社漫画賞]]少女部門(『ちびまる子ちゃん』)<br/>[[1990年]]:[[第32回日本レコード大賞]](『[[おどるポンポコリン]]』[[作詞]])<br/>[[1992年]]:第27回新風賞(『さるのこしかけ』)<br />1992年:第27回造本装填コンクール「コミックス部門」(『[[神のちから]]』)<br />[[1995年]]:第30回造本装填コンクール「日本図書館協会賞」(『そういうふうにできている』)<br />[[2018年]]:静岡市市民栄誉賞<br />[[2021年]]:[[東京アニメアワードフェスティバル]]「アニメ功労部門」(『ちびまる子ちゃん』) | サイン = | 公式サイト = [https://sakuraproduction.jp/ さくらプロダクション] }} '''さくら ももこ'''([[1965年]]〈[[昭和]]40年〉[[5月8日]] - [[2018年]]〈[[平成]]30年〉[[8月15日]]<ref name="nippon-animation">{{Cite news|url=http://www.nippon-animation.co.jp/news/information/6607/|title=さくらももこさんご逝去の報|agency=日本アニメーション株式会社|date=2018-08-27|accessdate=2018-08-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180827131044/http://www.nippon-animation.co.jp/news/information/6607/|archivedate=2018-08-27}}</ref>)は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[随筆家|エッセイスト]]、[[作詞家]]、[[脚本家]]。また、自身の少女時代をモデルとした代表作のコミック『[[ちびまる子ちゃん]]』の[[主人公]]の名前でもある(詳細は「[[ちびまる子ちゃんの登場人物#さくら ももこ(まる子)]]」を参照)。 [[静岡県]][[清水市]](現・[[静岡市]][[清水区]])の旧[[入江町]]地域出身。身長159 [[センチメートル|cm]]。血液型[[ABO式血液型|A型]]。二男の母。 代表作のコミック『ちびまる子ちゃん』の単行本の売上は累計3000万部を超える。また、エッセイストとしても独特の視点と語り口で人気が高く、初期エッセイ集三部作『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』はいずれも[[ミリオンセラー]]を記録。「平成の[[清少納言]]」と称されたこともある<ref>{{Cite news|url=https://dot.asahi.com/articles/-/99913?page=1|title=「平成の清少納言」さくらももこさんのツッコミの切れ味の鋭さ|agency=AERA dot.|date=2018-09-01|accessdate=2021-02-27}}</ref>。 愛称は「ももちゃん」。エッセイの販促用の帯などでは、『ちびまる子ちゃん』の「まる子」と同一人物として扱われることもある<ref group="注">具体的には、新潮社『そういうふうにできている』ハードカバー版での「ちびまる子ちゃんが妊娠!?」、『もものかんづめ』の集英社文庫ふゆイチ2020 - 2021での「「まる子」が綴る若かりし日の愉快な体験」、など。</ref>。 == 経歴 == {{年譜のみの経歴|date=2018-08-27}} === 生い立ち === * 1965年5月8日、静岡県清水市(現・静岡県静岡市清水区)に[[八百屋]]の次女(第2子)として生まれる。 * [[1978年]] - 清水市立(当時)[[静岡市立清水入江小学校|入江小学校]]卒業。1年生のときに、生涯の親友となる穂波珠絵<ref>穂波珠絵「ももちゃんとの出会い」、『さくらももこ展 図録』390 - 393頁、集英社、2022年。</ref>(愛称たまちゃん、『ちびまる子ちゃん』の穂波たまえのモデル)と出会い、親睦を深めていく<ref>集英社『ももこの話』「春の小川の思い出」ほか。</ref>。 * [[1981年]] - 清水市立(当時)[[静岡市立清水第八中学校|第八中学校]]卒業。 * [[1984年]] - [[静岡県立清水西高等学校]]卒業。在学中(2年生の終わりごろから)、漫画家を目指して『りぼん』への投稿活動を開始する<ref>小学館『ひとりずもう』(エッセイ版は「片想い終了」以降の章、漫画版は第27回以降)。</ref>。 * [[1984年]] - 静岡英和女学院短期大学(現・[[静岡英和学院大学短期大学部]])[[日本文学|国文学科]]在学中に『りぼんオリジナル』冬の号([[集英社]])にて「教えてやるんだありがたく思え!」(「教師」をテーマとした[[オムニバス]]作品、「[[ちびまる子ちゃん]]」第1巻に掲載)でデビュー。 * [[1986年]] - 静岡英和女学院短期大学卒業、同年4月に上京し[[ぎょうせい]]に入社する。しかし、勤務中に居眠りするなどして、上司から「会社を取るか、漫画を取るかどちらか選べ」と迫られ「漫画家として生活していく」と回答したため、同年5月末に入社わずか2か月で退職する<ref group="注">新潮文庫『憧れのまほうつかい』巻末インタビューによると、漫画の連載が決まっていたという裏事情もあった。</ref>。 === ちびまる子ちゃんが大ヒット === * [[1986年]]8月、『[[りぼん]]』で「ちびまる子ちゃん」の連載開始。 * [[1989年]] - 『[[ビッグコミックスピリッツ]]』30号(7月10日号、[[小学館]])から「[[神のちから]]」の連載開始。 * 宮永正隆と結婚。 * 1989年度(平成元年)、第13回[[講談社漫画賞]]少女部門受賞(『ちびまる子ちゃん』)。 ===ちびまる子ちゃんアニメ化=== * [[1990年]] - 『ちびまる子ちゃん』が[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系で[[アニメ化]]され、国民的に知名度を高める([[1992年]]9月終了)。主題歌『[[おどるポンポコリン]]』の作詞で[[第32回日本レコード大賞]]を受賞。[[1991年]]には[[西城秀樹]]が歌う『[[走れ正直者]]』も主題歌(第2弾)としてヒットする。1991年からは、自身もアニメ脚本を手掛ける。( - 1999年4月)。 * 1990年 - 宮永正隆とともに、自身の創作活動のための会社「株式会社さくらプロダクション」を設立<ref>さくらプロダクション『20周年記念版 ももこのおもしろ本』31頁。(1990年以降の作品の中に、さくらプロダクションのクレジットがある)</ref><ref name="saru_taiwan">集英社『さるのこしかけ』「台風台湾」(宮永と会社を設立した、との記述あり)</ref><ref>新潮社『富士山』第1号「さくらプロダクションのスタッフになるには」(2000年で会社が10歳になる、との記述あり)</ref>。<!-- 個人サイトでは1990年2月6日設立とのいわれもありますが、文献レベルでの出典が不明なため、作者の書籍から判断できる部分のみ出典扱いとしています。 -->設立当初は、宮永が社長を務めた<ref name="saru_taiwan" />(1990年代後半には、さくらが社長に代わっている<ref>集英社『さくら日和』「お兄ちゃんのスカウト」</ref>)。 * [[1991年]] - 初エッセイ集『もものかんづめ』(集英社)発表。10月より宮永とともに[[ニッポン放送]]『[[オールナイトニッポン]]』月曜1部のパーソナリティを務める。([[1992年]]10月まで) * [[1992年]] - 第27回新風賞受賞(『さるのこしかけ』)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shinpukai.jp/contents/award.html|title=新風賞受賞作一覧|publisher=書店新風会公式サイト|accessdate=2021-02-27}}</ref><ref>『ちびまる子ちゃん』17巻巻末の「さくらももこプロフィール」より。</ref>。 * [[1992年]]9月 - 『ちびまる子ちゃん』のアニメが一旦放送終了。 * 1992年 - 第27回造本装填コンクール「コミックス部門」受賞(『[[神のちから]]』)<ref>集英社『もものかんづめ』文庫版284頁。</ref>。 * [[1994年]]4月 - 長男、陽一郎{{refnest|name="nhkr_220509"|『NHKラジオ深夜便』インタビュー「母、さくらももこから受け取ったもの」(2022年5月9日放送)<ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/nhk_radiru/status/1523549579182026752 |title=NHKラジオ「らじる」公式アカウントの、2022年5月9日付のツイート |accessdate=2022-05-16}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/shinyabin/bzA-XxrdZl.html|title=読むらじる「母、さくらももこから受け取ったもの」|agency=NHK『ラジオ深夜便』|date=2022-05-09|accessdate=2023-12-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230308034026/https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/shinyabin/bzA-XxrdZl.html|archivedate=2023-03-08}}</ref>}}<ref group="注">陽一郎の名前でメディアに露出するようになったのは2022年以降で、それ以前は「息子」「長男」「さくらめろん(2002年以降)」の呼び方で書籍などに登場していた。</ref>誕生。 * [[1995年]]1月 - 『ちびまる子ちゃん』のアニメが放送再開(第二期)。 * 1995年 - 第30回造本装填コンクール「日本図書館協会賞」受賞(『そういうふうにできている』)<ref>集英社『もものかんづめ』文庫版285頁。</ref>。 * [[1996年]] - 仕事と子育ての両立が難しくなったこともあり、両親を東京に呼んで再び同居するようになる<ref>集英社『あのころ』ハードカバー版のあとがきより。</ref><ref group="注">集英社『ももこのまんねん日記 2012』には、時期は不明ながら両親とは再度別居したと思しき記述がある。</ref>。 * [[1997年]] - 『[[コジコジ]]』がアニメ化される( - 1999年)。自身が脚本も手掛ける( - 1999年4月)。 * [[1999年]]4月 - 1991年以降(『コジコジ』は1997年の放映開始時点)から継続してきた、『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』のアニメ脚本の仕事を降板、同時に脚本監修もさくらプロダクションの多田弘子に託した。降板理由について、さくらは「毎週脚本を2本書き続けなければならない状況が窮屈になってきた」「『私の人生にはいつまでもホッとする間がないのか』と思うようになっていた」と後に自著で述べている<ref>さくらプロダクション『20周年記念版 ももこのおもしろ本』60 - 61頁。</ref>。後任の脚本家には、小学校時代の同級生である[[平岡秀章]]も名を連ねた。なお、降板後も、不定期で脚本を手掛けた<ref>アニメ『ちびまる子ちゃん』「友達になろう!!」(2010年1月31日放送)ほか。</ref>。 * 1999年12月 - 自ら編集長を務めた雑誌『[[富士山 (さくらももこ)|富士山]]』([[新潮社]])の第1号が発売される。 ===2000年代=== * [[2000年]] - [[NHK全国学校音楽コンクール]]のために「こうしていよう」を作詞。 * [[2002年]] - 親子共作による絵本+エッセイ『おばけの手』を発表(長男のペンネームは'''さくらめろん''')。 * [[2003年]] - イラストレーター[[うんのさしみ]]と再婚。 <!--* [[2004年]] - 再婚相手[[うんのさしみ]]との子どもを授かる。(雄飛(ゆうひ))次男の詳細は明かされていないため信ぴょう性が欠ける。--> * [[2005年]] - デビュー20周年を記念し、各地で原画展「さくらももこワールド 20年の軌跡展」を開催。 * 2005年 - エッセイ『ひとりずもう』(小学館)発売。2007年度末時点で30万部突破と、エッセイでは久々のヒット作となる<ref>小学館『漫画版ひとりずもう』下巻の、巻末の広告より。</ref>。2006年には、『ビッグコミックスピリッツ』で漫画版の連載が同年10号より開始( - 2007年51号)。 * [[2006年]] - 4月18日、『ちびまる子ちゃん』実写ドラマ化。自身は第1話の脚本も担当。 * 2006年 - 10月27日、完結した長文型式のエッセイとしては最後の作品となった『おんぶにだっこ』(小学館)発売。なお、Q&A形式のエッセイは2007年、絵日記シリーズのエッセイは2012年までは新作の発表を継続。 * 2006年 - 10月31日、『ちびまる子ちゃん』実写ドラマ第2作放送。 * [[2007年]] - 4月19日、レギュラーとして実写ドラマ+バラエティの複合番組『[[まるまるちびまる子ちゃん]]』放送開始。原作を同じくする実写とアニメが同時期に放送される珍しいケースとなる(2008年2月28日放送終了)。 * 2007年 - 7月1日、4コマ漫画『ちびまる子ちゃん』が[[中日新聞]]、[[東京新聞]]、[[北陸中日新聞]]、[[日刊県民福井]]、[[北海道新聞]]、[[西日本新聞]]、[[河北新報]]、[[中国新聞]]、[[徳島新聞]]、[[神戸新聞]]朝刊にて連載開始。[[8月1日]]からは[[新潟日報]]でも連載が開始される(2011年12月31日連載終了)。なお、没後に東京新聞に掲載された記事によれば、この連載の当時から乳がんを患っていたという<ref>{{Cite news|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018082802000137.html|title=まるい笑顔 輝いた 子どもの日常 絶妙な笑い|agency=東京新聞|date=2018-08-28|accessdate=2018-08-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180828035003/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018082802000137.html|archivedate=2018-08-28}}</ref>。また、さくらとも関わりの深かったデザイナーの[[祖父江慎]]は、この時期のあたりから家族の方を優先して仕事を抑え気味にしていた、と彼女の没後のインタビューで語っている<ref name="sobue_180904">{{Cite news |和書|title=「さくらさんとの仕事はスリル満点だった」 祖父江慎さん語るさくらももこの姿|newspaper=AERA dot.|date=2018-09-04|url=https://dot.asahi.com/articles/-/126429|accessdate=2020-09-20|publisher=朝日新聞出版|archiveurl= |archivedate= }}</ref><ref group="注">これ以前に、2002年刊行の『COJI-COJI完全版』第4巻のインタビューで、ピーク時よりは仕事を抑えている旨の発言をしている。</ref>。 ===2010年代=== * [[2013年]] - 4月18日、『[[永沢君]]』が実写ドラマ化される(同年9月30日に放送終了)。 * 2013年 - [[10月1日]]、約6年ぶりに『ちびまる子ちゃん』が実写ドラマ化される<ref>{{Cite web|和書|title=ちびまる子ちゃん:テレビドラマが5年半ぶり復活 3代目まる子は信太真妃ちゃん、家族も大幅リニューアル|url=https://mantan-web.jp/article/20130819dog00m200010000c.html|website=MANTANWEB(まんたんウェブ)|accessdate=2021-01-26|language=ja-JP}}</ref>。 * [[2014年]]-[[2015年]] - デビュー30周年を記念し、『さくらももこの世界展』を各地で開催する。 * 2014年7月 - [[シンガーソングライター]]の[[hinaco|琵奈子]]とともにユニット『イエローパープル』を結成(プロデュースと作詞担当)<ref>[https://web.archive.org/web/20150309073652/http://yellowpurple.jp/ イエローパープル公式サイト]の「ABOUT "YELLOWPURPLE"」より</ref>。 * 2014年 - デビュー30周年を記念して、自らが編集長を務めたムック本『おめでとう』を発売。同年7月に文庫化された漫画版『ひとりずもう』の初回流通分の帯にも、30周年記念のロゴがあしらわれた<ref>{{Cite news|url=https://twitter.com/comicbunko/status/499760216884252673|title=「集英社コミック文庫」の、2014年8月14日付のツイート|agency=Twitter|date=2014-08-14|accessdate=2021-11-04}}</ref>。 * 2015年 - 5月28日、公式[[LINEブログ]]を開設。自身の近況などを綴った<ref>{{Cite news|url=https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/31794001.html|title=ブログを始めます。|agency=さくらももこ公式ブログ|date=2015-05-28|accessdate=2023-08-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230629015729/https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/31794001.html|archivedate=2023-06-29}}</ref>。 * 2015年 - 10月7日発売の[[グランドジャンプ]]21号より、『[[まんが倶楽部]]』の連載が開始<ref name="natalie150916">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/160238|title=さくらももこがグラジャンで新連載、告知ビジュアルに四角い顔した謎の少女|publisher=コミックナタリー|date=2015-09-16|accessdate=2015-09-16}}</ref>。 * [[2016年]] - 10月5日、[[八幡町 (岐阜県)|郡上八幡]]をテーマにした新作地方マンガ『[[GJ8マン]]』の公式サイトを開設。10月8日より自ら脚本を書いたWEBアニメ配信開始。 * 2016年 - 10月19日、同日発売のグランドジャンプ22号より、『まんが俱楽部』で発表された作品群の中から『ちびしかくちゃん』が単独連載化<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/206083|title=さくらももこによる「ちびまる子ちゃん」パロディがGJで、次号冬目景の読切|publisher=コミックナタリー|date=2016-10-19|accessdate=2022-12-03}}</ref>。漫画の連載作品としては、本作が最後の作品となった。 * [[2018年]] - 8月15日20時29分、[[乳癌|乳がん]]のため死去<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASL8W6K22L8WUCVL03K.html|title=さくらももこさん、乳がんで死去 「ちびまる子ちゃん」|publisher=朝日新聞デジタル|date=2018-08-27|accessdate=2020-11-11}}</ref><ref name="nippon-animation"/><ref>{{Cite news|url=https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/67300025.html|title=さくらプロダクションからお知らせです。|agency=さくらももこ公式ブログ|date=2018-08-27|accessdate=2018-08-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180827131211/https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/67300025.html|archivedate=2018-08-27}}</ref><ref>{{Cite news|title=漫画家のさくらももこさん死去、53歳 「ちびまる子ちゃん」など|url=https://www.sankei.com/entertainments/news/180827/ent1808270004-n1.html|date=2018-8-27|accessdate=2018-8-27|newspaper=産経ニュース|agency=産経新聞社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180827131309/https://www.sankei.com/entertainments/news/180827/ent1808270004-n1.html|archivedate=2018-08-27}}</ref>。{{没年齢|1965|5|8|2018|8|15}}。通夜・告別式は遺族の意向により親族・近親者のみで執り行われ、同年8月27日に死去が公表された。2018年8月27日にフジテレビで放送されたアニメちびまる子ちゃんでは、エンディング直後に「さくらももこ先生のご冥福をお祈りします」と追悼メッセージがナレーション込みで放送された。11月16日には著名人・関係者を対象としたお別れ会「さくらももこさん ありがとうの会」が[[青山葬儀所]]にて営まれた<ref>{{Cite news|url=https://hochi.news/articles/20181116-OHT1T50072.html|title=さくらももこさん ありがとうの会 TARAKO、桑田佳祐らが惜別|publisher=報知新聞社|date=2018年11月16日|newspaper=スポーツ報知|accessdate=2018-11-20}}</ref>。一般向けには、「さくらももこ ありがとうの会」と銘打った追悼個展が2019年1月から4月にかけて静岡県の[[エスパルスドリームプラザ]]で行われた<ref>{{Cite news|url=https://www.chibimaru.tv/news/entry/2019/006085.html|title=さくらももこ ありがとうの会 〜春休みアンコール開催〜」決定!|agency=ちびまる子ちゃんオフィシャルサイト|date=2019-03-11|accessdate=2021-03-21}}</ref>。 === 没後 === * 2018年11月 - さくらプロダクションのスタッフが、公式LINEブログを継承。さくらプロダクションからの情報発信の場として使用している<ref>{{Cite news|url=https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/67301903.html|title=「さくらももこ ありがとうの会」のご報告です!|agency=さくらももこ公式ブログ|date=2018-11-22|accessdate=2023-08-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230618140112/https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/67301903.html|archivedate=2023-06-18}}</ref>。 * 2018年12月 - 初の「静岡市市民栄誉賞」を受賞<ref name="shizuoka-iine">{{Cite web|和書|url=https://www.city.shizuoka.lg.jp/742_000016.html |title=「静岡市はいいねぇ。」|publisher=静岡市公式サイト |accessdate=2021-05-11}}</ref>。 * 2018年 - [[2019年]] - 雑誌『[[Marisol]](マリソル)』(集英社)2019年1月号 - 2019年4月号にかけて、未発表エッセイ『おかめはちもく』が短期集中連載される<ref>{{Cite news|url=https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/67302058.html|title=さくらももこ未発表のエッセイ連載がスタートします!|agency=さくらももこ公式ブログ|date=2018-11-29|accessdate=2023-08-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230619165827/https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/67302058.html|archivedate=2023-06-19}}</ref>。 * 2019年 - さくらプロダクション所属のアシスタント(小萩ぼたん)による作画で、『ちびまる子ちゃん』の新作漫画の不定期連載が再開。その第1陣が、10月3日発売の少女漫画誌『りぼん』11月号に掲載される<ref group="注">2021年8月号に掲載された「その138」までの作画担当は「さくらプロダクション」とのみ表記されていたが、2022年1月号に掲載の「その139」では具体的な作者名が掲載され、「原作・脚本:さくらももこ 作画:さくらプロダクション 小萩(こはぎ)ぼたん」となっている。単行本18巻では、小萩ぼたんを名乗る前の発表分も含めて「小萩ぼたん」名義になっている。</ref>。この新作はかつてテレビアニメ用に書き下ろした脚本を基にさくらプロダクションが新たに漫画化したもので、さくら自身が自分の手でいつか漫画にしたいと願っていた<ref>{{Cite news|url=https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/67307419.html|title=漫画『ちびまる子ちゃん』の新作が「りぼん」11月号に掲載決定!|agency=さくらももこ公式ブログ|date=2019-09-02|accessdate=2023-08-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230619165559/https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/67307419.html|archivedate=2023-06-19}}</ref>。 * 2019年 - 長男の三浦陽一郎が、さくらプロダクションの社長職を継承<ref name="nhkr_220509" />。社内では作品管理を担当しており<ref>ポプラ社『さくらももこのことばと人生』94頁。</ref>、漫画・イラストに関しては小萩ぼたんに一任している。 * 2019年 - 作者の生家の近所に位置する[[静岡市立図書館|静岡市立清水中央図書館]]が、さくらももこの漫画・エッセイを多数取り揃えた常設コーナーを設置<ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20190418/ddl/k22/040/079000c |title=清水中央図書館:さくらももこさんコーナーを新設 入手困難な自伝など260冊 静岡 /静岡|agency=毎日新聞 |date=2019-04-18 |accessdate=2023-02-05}}</ref>。 * [[2021年]] - [[東京アニメアワードフェスティバル]]の「アニメ功労部門」を受賞(『ちびまる子ちゃん』){{refnest|group=注|受賞決定の発表は、2020年12月9日。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chibimaru.tv/news/entry/2020/006629.html |title=さくらももこさんが、東京アニメアワードフェスティバル2021の『アニメ功労部門』の賞を受賞!|publisher=ちびまる子ちゃんオフィシャルサイト |date=2020-12-09 |accessdate=2020-12-14}}</ref>}}。 * 2021年 - エッセイの朗読版が登場。声は、『ちびまる子ちゃん』でまる子役を務める[[TARAKO]]が担当する<ref group="注">エッセイには、ももこだけでなく、他のさくら家の面々や友人たちの台詞もあるが、それらもTARAKO1人で声を当てている。</ref>。3月19日に『ももこの世界あっちこっちめぐり』の冒頭が文庫版の宣伝用に無料公開されたほか<ref>{{Cite news|url=https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/67315852.html|title=「ももこの世界あっちこっちめぐり」初の文庫化!|agency=さくらももこ公式ブログ|date=2021-03-19|accessdate=2023-08-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230619164237/https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/67315852.html|archivedate=2023-06-19}}</ref>、4月2日には『もものかんづめ』の[[オーディオブック]](朗読版)が発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/420856 |title=さくらももこ「もものかんづめ」がオーディオブック化、TARAKOが全編朗読|publisher=コミックナタリー |date=2021-03-19 |accessdate=2021-03-21}}</ref>。 *2021年3月 - さくらプロダクション公式Twitter開設<ref>{{Cite web|和書|url=https://sakuraproduction.jp/topics/210331_1.html|title=お知らせをツイッターに移行しました|accessdate=2023-08-20|date=2021-03-31|websiteさくらプロダクション}}</ref>。 * 2022年11月~ - 「さくらももこ展」を開催<ref>「さくらももこ最旬ニュース」、『MOE』2022年6月号36頁、白泉社。</ref>。作者没後初の展覧会である。[[香川県]]・[[高松市美術館]]を皮切りに[[神奈川県]]・[[そごう美術館]]、静岡県・[[葵タワー#静岡市美術館|静岡市美術館]]、[[兵庫県]]・[[神戸ゆかりの美術館]]で開催する予定<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/483718 |title=「さくらももこ展」11月より全国で開催、「放課後の学級会」イラストのキービジュアルも|publisher=コミックナタリー |date=2022-07-19 |accessdate=2022-09-11}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://animageplus.jp/articles/detail/51220|title=「さくらももこ展」見どころを紹介! 貴重な展示・可愛いグッズなど|website=アニメージュプラス|publisher=徳間書店|date=2023-04-28 |accessdate=2023-04-29}}</ref>。 *2023年6月 - 公式LINEブログ終了{{Efn2|[[LINE BLOG]]のサービス終了に伴うもの<ref>{{Cite web|和書|url=https://notice2.line.me/line_blog2/web/document/notice?documentId=20215218&lang=ja|title=【重要】LINE BLOG サービス終了のお知らせ|accessdate=2023-08-20|date= |website=LINE BLOG}}</ref>。}}。 * 2023年8月 - さくらプロダクションの公式[[note (配信サイト)|note]]を開設<ref>{{Cite web|和書|url=https://note.com/sakuraproduction/n/n2f17775d6787|title=楽しいことを、いつも。|publisher=株式会社さくらプロダクション公式note |date=2023-08-10 |accessdate=2023-08-26}}</ref>。 == 作風 == 漫画は、「[[ヘタウマ]]」とも評される<ref>『太陽の地図帖』038号(さくらももこ『ちびまる子ちゃん』を旅する)6頁、平凡社。</ref>素朴なタッチで描かれる場合が多い。これは、投稿時代にエッセイ漫画に舵を切った際、戦略として少女漫画のタッチから変更した<ref>小学館・集英社『(漫画版)ひとりずもう』第33回。</ref>ことに起因している。人物の場合は、身体のラインを極力出さない作画にしている{{refnest|group=注|女子の水着でも、ごまかしがきかないビキニタイプ<ref>小学館・集英社『(漫画版)ひとりずもう』第18回。</ref>でない限りは、身体のラインから多少膨らませた形状にアレンジしている<ref>『ちびまる子ちゃん』「プールびらき」(漫画・アニメ共通)など。</ref>。}}。なお、少女漫画風のタッチを用いることもあり、特に漫画版『ひとりずもう』では多く用いられている。一方で、一時期の『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』の扉絵は、絵画風の凝ったデザインで描かれた。これは、さくらが敬愛する[[シンガポール]]生まれの絵本作家、[[エロール・ル・カイン]]に影響を受けたものである<ref>新潮文庫『憧れのまほうつかい』21、26 - 29、52-53頁。</ref>。 初期はエッセイ漫画を軸に描いていたが、徐々に[[ブラックユーモア]]な作風も取り入れていった<ref group="注">例を挙げると、『ちびまる子ちゃん』では藤木が「卑怯」呼ばわりされるようになる、永沢が意地悪な性格に変わっていく、など。</ref>。後年~晩年にかけて発表した『4コマちびまる子ちゃん』『ちびしかくちゃん』ではその傾向が強く、読者の評価もはっきり割れる形となった<ref>{{Cite news|url=https://news.livedoor.com/article/detail/6144605/|title=オチなし、ネガティブすぎ、笑えない・・・新聞4コマ「ちびまる子ちゃん」終了は当然なのか|newspaper=livedoor NEWS|date=2011-12-24|accessdate=2021-05-30}}</ref><ref>{{cite news|url=https://www.excite.co.jp/news/article/Cyzowoman_201710_post_154369/|title=まる子ファン拒絶!! さくらももこセルフパロディ『ちびしかくちゃん』は、なぜ胸クソ悪いのか?|newspaper=サイゾーウーマン|date=2017-10-01|accessdate=2021-05-30}}</ref>。さくらと交友のあった[[尾田栄一郎]]は、「さくらさんは少しいじわるな笑いが大好き。人が持っているムズがゆい部分をつつく。これができるのは、人間が大好きで鋭く見ていて、正直な人。」と彼女の没後に語っている<ref>{{Cite web|和書|url=http://ribon.shueisha.co.jp/news/20190203/index.html|title=特別公開!尾田栄一郎先生描き下ろし「ちびまる子ちゃん」カラーイラスト|publisher=集英社りぼんわくわくステーション|date=2019-02-03|accessdate=2021-05-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190209214630/http://ribon.shueisha.co.jp/news/20190203/index.html|archivedate=2019-02-09}}</ref>。エッセイも含めて、「〇〇って一体…(例:私って一体…)」「あたしゃ情けないよ」など、自虐的なフレーズもよく用いている。 『[[神のちから]]』『神のちからっ子新聞』では、『ちびまる子ちゃん』とは別系統の笑い<ref>さくらプロダクション『20周年記念版 ももこのおもしろ本』26頁。</ref>、[[ナンセンス]]さを追求した作風となった<ref>集英社『さくらももこ展 図録』245頁。2022年。</ref>。ナンセンスな部分は、漫画・アニメの『コジコジ』にも受け継がれている。 エッセイでは、家族や親しい友人相手でも、歯に衣着せぬ物言いで綴っているほか、初期のエッセイでは独特の比喩表現も多く用いている<ref group="注">例を挙げると、『もものかんづめ』「メルヘン翁」で、台所で笑い転げている姉を「死にぞこないのゴキブリのような姉」と表現、同著「スズムシ算」で、産卵期を迎えたメスのスズムシに食われるオスを「単なる栄養補給の[[リポビタンD]]」と表現する、など。</ref>。祖父の死を扱った「メルヘン翁」を『[[青春と読書]]』で発表した後に批判が寄せられた際、「私は自分の感想や事実に基づいた出来事をばからしくデフォルメする事はあるが美化して書く技術は持っていない。それを嫌う人がいても仕方ないし、好いてくれる人がいるのもありがたい事である。」と自著で述べている<ref>集英社『もものかんづめ』「その後の話 五、「メルヘン翁」のこと」より。</ref>。2000年代以降のエッセイは、過去の体験談よりも、直近の体験や仕事を基にしたものが主流となったほか、絵日記型式の割合も増えていった。初期のエッセイは自嘲的な表現もしばしば用いられたが<ref>集英社『もものかんづめ』「乙女のバカ心」「宴会用の女」、など。</ref>、後年のエッセイでは家族や他者に対しての恨み節が混ざった表現も見られるようになった<ref>小学館・集英社『おんぶにだっこ』「フラダンスへの想い」、集英社『おめでとう』「我が家にピアノが!?」、など。</ref>。 == 人物・交友関係 == ペンネームの由来は、花の「[[サクラ|さくら]]」と「[[モモ|もも]]」から。経緯は、高校3年生の夏に漫才師か落語家を目指そうと考えていた時期に(最初の漫画投稿が不発だったため)、同時に芸名も考えていたことによる。自身の好きな花から候補を挙げ、最終的に残った「[[スミレ|すみれ]]」「さくら」「もも」の中から、「さくら」と「もも」を繋いで「さくらももこ」とした。後に漫画の投稿活動を再開したときから、このペンネームを使用している<ref>エッセイ版『ひとりずもう』の「方向転換」より。</ref>。「すみれ」は、後に『ちびまる子ちゃん』での母親の名前に使用している。 漫画家の夢については、高校3年生の夏に親友の穂波珠絵に明かすまでは誰にも語っていなかったが、一部の教師や友人にはそれ以前に気付かれていた<ref>小学館『ひとりずもう』漫画版の第8・35回。</ref>。また、最終的にはエッセイストになりたい、という夢を中学・高校以降の友人(浜崎憲孝が『ちびまる子ちゃん』の花輪和彦のモデルと評した女性)には明かしていた<ref>浜崎憲孝『はまじとさくらももこと三年四組』65頁、青志社。</ref>。 デビュー以降の自画像は、デビュー当初はおかっぱ頭、もしくはまる子そっくりな姿で描かれていた。『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』の制作レポート(1992年)では二つ結びに変化、1993年ごろから<ref>集英社『たいのおかしら』「歯医者に行く」より。</ref>は、顔と前髪はまる子と同一・髪型は三つ編み、で定着するようになった。晩年は、三つ編み以外の自画像も使われた<ref>集英社『ちびまる子ちゃん キミを忘れないよ』『ちびしかくちゃん』1・2巻の、単行本カバー折り返し部分。</ref>。 活動初期(1990年代初期まで)はメディアに顔を出すこともあったが<ref>{{Cite news|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20180828/org/00m/200/001000d|title=さくらももこさんインタビュー 私は「ちびまる子ちゃん」(毎日新聞1992年12月1日夕刊掲載記事のアーカイブ)|newspaper=毎日新聞|date=2018-08-28|accessdate=2023-02-13}}</ref>、長男出産後あたりからは素顔がはっきり分かる状態での露出を避けるようになり<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.n510.com/project/syasin_de_kataru_project/seika/2008_sakuhin/2008_sakuhin_atp/2008_atp_11.html|title=写真と映像で語る「東京」の社会学:1990年 ちびまる子ちゃん大人気|publisher=後藤範章 研究室(日本大学文理学部部社会学科)|accessdate=2022-02-12}}</ref>、雑誌『富士山』や『おめでとう』などで写真に写る際も、横顔や後ろからのカットなどで対処していた(変装時は除く)。なお、これらの誌面では自画像とは異なり、三つ編み以外の髪型になっていた。 小学校(「まる子」だった)時代は、『ちびまる子ちゃん』で描かれていたように怠け者かつ勉強に真面目に取り組まなかったことから、しょっちゅう母親に怒られていたという。怒られること自体への煩わしさは感じていたが、作者曰く「居眠りで他人に迷惑をかけているわけではない」「万引きや、家庭内暴力みたいに人や物を傷付けたりはしてないので、怒られる筋合いは無い」と、反省はしなかったと語っている<ref>集英社文庫『もものかんづめ』巻末の、土屋賢二との対談より。</ref>。17歳までは怠け者な生活習慣が直らず、母親に「苦労して産んだのに」と泣かれたこともある<ref name="tai-namakemono">集英社『たいのおかしら』の「怠け者の日々」より。</ref>。一方で、漫画・アニメで怠け者だった過去の自分を描いているため、息子が怠けていてもきつく叱れなくなった、とも自著で述べている<ref>幻冬舎『ももこの21世紀日記』N'04の、2004年9月13日付の日記より。</ref>。 課外活動は、小学校ではそろばん塾、中学校では学習塾に通っていたが、いずれも先生が怖くて苦痛だったと語っている<ref>ニッポン放送『ももこのしゃべりことば』「塾のはなし」より。</ref>。塾とは別に、小学校では[[バトントワリング]]の教室や部活動にも参加していた<ref>『おかめはちもく』「バトンガールへの憧れ」「バトンガールの苦労」、集英社『Marisol』2019年1 - 2月号。</ref><ref>浜崎憲孝『はまじとさくらももこと三年四組』「さくらが天国へ」、青志社。</ref>。 姉とは、幼少期は『ちびまる子ちゃん』などで描かれているようにケンカが絶えず(友人と遊んでいるときでも、ひょんなことからケンカを始めてしまうほど<ref>ニッポン放送『ももこのしゃべりことば』「むなしいクリスマス」より。</ref>)、母親を困らせていたという<ref>集英社『あのころ』の「きょうだいゲンカの話」より。なお、父親は仲裁してくれなかったと語っている。</ref>。成人後は、姉の厄年(1995年ごろ)に姉妹始まって以来の大ゲンカをして2年間絶縁状態に陥った<ref>集英社『さくら日和』の「母の心配」より。原因については、同著では語られていない。</ref>が、その後関係を持ち直した<ref>集英社『さくら日和』の「浄水器のフィルター」より。</ref>ほか、2002年には姉妹共同でゲームソフトの制作にも携わった(後述)。姉も絵が好きだったこともあり、短大時代に高額な絵画を購入して親から咎められた際、姉がかばってくれたこともある、と自著で述べている<ref>新潮文庫『憧れのまほうつかい』145頁。</ref>。 同級生として元[[サッカー日本代表]]の[[長谷川健太]]や放送作家の[[平岡秀章]]がいる<ref>さくらももこ『ももこのしゃべりことば』ニッポン放送出版 1992年</ref>。「はまじ」のモデルとなった浜崎憲孝が自伝を出版した際にはさくらが表紙のイラストを書き下ろした<ref group="注">2022年5月に出版された『僕、はまじ』の文庫版は、浜崎自身によるイラストに差し替えられている。</ref>。浜崎によると、小学生時代はかなり内気な性格であり、穂波たまえのモデルとなった友人の方がより「まる子」に近いキャラクターだったと語っている<ref>浜崎憲孝『僕、はまじ。』(彩図社、2002年)</ref>。さくら自身も、自著において自身を内向的な性格で<ref>集英社『ももこの話』の「目立つ少年と地味な少女」より。</ref>、華のないタイプ<ref>小学館『おんぶにだっこ』の「たまちゃんとの出会い」より。</ref>であったと評している。前述の長谷川健太もさくらの小学生時代の事を「覚えていない」と語っている。『ひとりずもう』には未登場だが、元サッカー選手の[[半田悦子]]も高校時代の同級生である。なお、半田に関しては、親友の穂波珠絵の方が親交が深いとも述べている<ref>集英社『ももこのまんねん日記2012』54 - 55頁。</ref>。 [[子供]]の頃、「[[青島幸男]]みたいに偉くなりたい。[[歌]]を作りたい」と言ったが、父親に「青島幸男は[[国会議員]]だ、無理に決まっている」と一蹴された。そのさくらが青島を目標とし大人になって作詞した歌が「[[おどるポンポコリン]]」である<ref>『ちびまる子ちゃん(8)』(集英社、1991年)「まる子みんなにばかにされる」の巻より(130-131頁)。</ref>。また学生時代、[[春風亭小朝]]に弟子入りしようとしたこともある<ref>小学館『ひとりずもう(漫画版)』第30・31回より。</ref>。 『[[仮面ライダー]]』で[[一文字隼人]]=仮面ライダー2号を演じた[[佐々木剛]]のファンだった。一文字のカード欲しさに[[仮面ライダースナック]]を買ったこともある。中高生時代は、『[[ドカベン]]』に傾倒しており、中でも[[里中智]]の大ファンであった。当時、単行本の購入費を工面するために親戚から贈られた『[[ベルサイユのばら]]』の単行本を勝手に売り捌いてしまい家庭内で問題になったほか、前述の怠け癖に怒った母親に単行本を窓から投げ捨てられ、泣きながら回収する羽目になったとも自著で述べている<ref name="tai-namakemono" />。 [[西城秀樹]]のファンで、『ちびまる子ちゃん』の作中では、まる子の姉がファンという設定で何度か登場させており、西城は1991年から1992年にかけて使われたエンディングテーマ曲「[[走れ正直者]]」の歌唱も担当した。2018年5月に西城が死去した際には、さくらは自身のブログで追悼のコメントを述べた<ref>{{Cite news|url=https://www.sanspo.com/article/20180518-OELJSSAIQNJT7NEWL6GAOZL7EM/|title=さくらももこさん「秀樹さんは本当にスター」、アニメにもたびたび登場|newspaper=サンケイスポーツ|date=2018-05-18|accessdate=2019-02-18}}</ref>。 高校時代に[[アマチュア無線技士]]の免許を取得しており、[[アマチュア無線]]家の月刊誌『[[CQ ham radio]]』1998年1月号の表紙では、[[ちびまる子ちゃん]]のイラストを寄稿したこともある。[[自伝]]的エッセイの「ひとりずもう」によると、さくらは高校に入学して部活を決める際に、なるべく早く家に帰りたいという理由で最も楽そうな物理部を選んだが、この物理部ではアマチュア無線の免許を取得することが義務付けられており、そのために彼女は1回2時間・週2回の講習会へ2か月間通わなければならず、それについて非常に煩わしい思いをしたと語っている。高校時代には、一部の後輩から「米虫の先輩」との異名が付けられていた<ref>清水西高80周年記念誌編集委員会『清水西高80周年記念 春風の夢』171頁、静岡県立清水西高等学校同窓会。</ref><ref group="注">高校時代の米虫の一件は、さくら自身は自著『もものかんづめ』「無意味な合宿」で触れている。</ref>。 健康の研究を日々行い、[[飲尿療法]]や[[茶葉]]による[[水虫]]治療など多くの[[民間療法]]を実践していた。30代の時には『ももこのおもしろ健康手帖』([[幻冬舎]]刊)と題するエッセイ本を出版したこともある。その一方で大の[[ヘビースモーカー]]でもあり、自著では「私は大の愛煙家だ。朝起きてまず[[たばこ|タバコ]]を吸い、昼間から夕方まで仕事をしている間もずっと吸い、夜眠る直前までタバコを吸う」「タバコが健康をもたらしてくれる。タバコをガンガンに吸っているからこそ、吸っていない人の20倍は、健康に気をつける」「タバコは私に健康の大切さを考えさせ、吸うからにはまず健康を確保しろということに気づかせてくれた」などと語っていた<ref>{{Cite book |和書 |author = さくらももこ |title = ももこの話 |year = 2006 |publisher = 集英社 |isbn = 4087460215}}</ref>。しかし、そのような健康論を唱えていたさくら自身は前述の通り若くして乳がんを患い、53歳で死去する結果となった。エッセイ等の挿絵では、自身が喫煙する姿は基本的に描かれていないが、ごく稀に喫煙する姿が描かれたこともある<ref>幻冬舎『COJI-COJI』完全版第4巻「さくらももこインタビュー」</ref>。 さくらと交流があった[[和田アキ子]]は芸能界でも有名な酒豪として知られるが、その和田がさくらの死後に語った証言によると、さくらは和田を上回る酒豪であったという<ref>{{Cite news |和書|title=和田アキ子、さくらももこさんとの思い出語る「私よりお酒が強かった。私がいつも『帰りたい』と言っていた」|newspaper=スポーツ報知|date=2018-11-16|url=https://hochi.news/articles/20181116-OHT1T50106.html|accessdate=2020-06-21|publisher=報知新聞社|archiveurl= |archivedate= }}</ref>。さくら自身は、父と祖父が酒豪だったのを見て育っており、その影響で酒に興味を持つようになったと述べている<ref>ニッポン放送『ももこのしゃべりことば』「お酒のはなし」より。</ref>。妊娠時において一瞥体験のような経験を自著に残している。 少女時代から作文が得意で、短大の模擬試験の作文課題では採点者から「[[清少納言]]が現代に来て書いたようだ」と評価されるほどであった。このことが、[[エッセイ漫画]]へと舵を切るきっかけの一つとなった<ref>『ひとりずもう』より(エッセイ版、漫画版ともに同様の描写がある)。</ref>。投稿時代は、何度も編集側からストーリーギャグ漫画への路線変更を提言されていたが、無視してエッセイ漫画での勝負を続けた。最終的には編集側も折れ、エッセイ漫画でのデビューを認めた<ref>{{Cite news|url=http://www.konan-wu.ac.jp/~nobutoki/papers/ribon.pdf|format=PDF|title=信時哲郎「「りぼん」投稿時代のさくらももこ・矢沢あい・吉住渉」|publisher=甲南女子大学|accessdate=2021-11-07}}</ref>。 さくらの書籍の装丁を多数手がけたデザイナーの[[祖父江慎]]は、彼女の没後のインタビューにおいて「まる子がそのまま大人になったような人物」「面倒臭がり」と評していた<ref name="sobue_180904" />。祖父江曰く「楽しいことにはノリノリだが、義務っぽい雰囲気が出るとすぐ消極的になる」とのことで、彼女を乗り気にさせるための作戦を考えるのが大変であり、一方で楽しみでもあったと語っている<ref>祖父江慎「まる子がそのまま大人に!」、平凡社『太陽の地図帖』038号「さくらももこ『ちびまる子ちゃん』を旅する」82 - 83頁。</ref>。友人の[[吉本ばなな]]は、普段はまる子そのものな人物である一方、時折全ての感情を超越して俯瞰しているような、コジコジにも通じるような状態を見せることがあった、と評している<ref>吉本ばなな「コジコジとももちゃん」『COJICOJI FAN BOOK コジコジのすべて』278 - 279頁、ブルーシープ、2022年。</ref>。長男の陽一郎は、理屈よりも直感で動くタイプの人で、それが作品にも現れているのではないか、と評している<ref>三浦陽一郎「さくらももこ展 ごあいさつ」『さくらももこ展図録』5 - 6頁、集英社、2022年。</ref>。 宝石商の岡本憲将が記した『宝石の常識』を読んで以降、宝石に興味を持つようになり、彼を頼って宝石の収集を行ったこともある。そのときの経験をもとに、『ももこの宝石物語』『ももこのおもしろ宝石手帖』を出版している。 「はまじ」とあだ名される人物とは、同級生の浜崎憲孝だけでなく、モデルの[[浜島直子]]とも接点がある。浜島直子とは、『MOMOKO TIMES』の仕事で同行したこともある。このとき、さくらプロダクションのスタッフが浜崎憲孝と勘違いして少し混乱したという<ref>集英社『MOMOKO TIMES』第14回。</ref>。 絶滅危惧種であるビルマホシガメのメス「カメミ」を飼っていた。さくらの没後は伊豆にある体感型動物園[[iZoo]]に引き取られ、現在も飼育展示されている<ref>{{Cite news|url=https://web.archive.org/web/20190814062618/https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/67305530.html|title=カメミのお引越し : さくらももこ|date=2019-05-21|accessdate=2023-5-13}}</ref>。 == 主な作品 == === 漫画 === * [[ちびまる子ちゃん]](1986年 - 2014年(1巻 - 17巻)、[[りぼん]]、[[集英社]]) のち文庫(14巻収録分まで。巻末作品は集英社文庫『ほのぼの劇場』として独立化) ** [[ちびまる子ちゃん (映画)|ちびまる子ちゃん 大野君と杉山君]](1990年、りぼん、集英社) のち文庫(文庫版『ちびまる子ちゃん』4巻に収録) ** [[ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌]](1992年、りぼん、集英社) ** 4コマちびまる子ちゃん(2007年 - 2011年、[[中日新聞]]・[[東京新聞]]ほか、[[中日新聞社]]) のち集英社[[電子書籍]] ** [[ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年|ちびまる子ちゃん キミを忘れないよ]](2015年、りぼん、集英社) ** [[ちびまる子ちゃん#ちびしかくちゃん|ちびしかくちゃん]](2016年 - 2018年(全2巻)、[[グランドジャンプ]]、集英社)<ref>{{cite news|url=https://mantan-web.jp/article/20161018dog00m200016000c.html|title=ちびしかくちゃん:「ちびまる子ちゃん」のセルフパロディー連載開始 意地悪“だまちゃん”登場|newspaper=MANTANWEB|date=2016-10-19|accessdate=2016-10-19}}</ref> ** ちびまる子ちゃん〈18巻以降〉(2019年 - 、りぼん、集英社)※さくらももこ没後の再開分で、原作・脚本担当扱い。作画は、さくらプロダクションの小萩ぼたんが担当<ref group="注">小萩ぼたんを名乗ったのは「その139」のりぼん掲載分が最初で、「その133」~「その138」のりぼん掲載時は「さくらプロダクション」とのみ表記されていた。</ref>。 * [[神のちから]](1989年 - 1992年、[[ビッグコミックスピリッツ]]、[[小学館]]) のち集英社 ** 神のちからっ子新聞(2004年 - 2008年、ビッグコミックスピリッツ、小学館) のち集英社 * ももこのドンドコ中学生音頭(1989年 - 終了時期不明(未単行本化)、[[宝島 (雑誌)|宝島]]、[[宝島社]])※ 1992年『うみのさかな&宝船蓬莱の幕の内弁当』に収録されている。2004年、一部のページが『20周年記念版 ももこのおもしろ本』に収録された。 * [[永沢君]](1993年 - 1995年(全1巻)、ビッグコミックスピリッツ、小学館) のち集英社 ** てんこ盛り!!永沢君<ref group="注">連載当時のタイトルは『4コマ!!永沢君』『永沢君の詳細』。単行本化は2013年に行われた。</ref>(1996年 - 1997年(全1巻)、ビッグコミックスピリッツ、小学館) のち集英社『永沢君、推し!!』 * [[コジコジ]](1994年 - 2013年(未完)、[[きみとぼく]]→りぼん、[[ソニー・マガジンズ]]→集英社) * スーパー0くん(2001年 - 2002年(全1巻)、[[小学一年生]]、小学館) * [[ひとりずもう (漫画)|ひとりずもう]]([[随筆|エッセイ]]を[[漫画化]])(2006年(上下巻)、ビッグコミックスピリッツ、小学館) のち集英社文庫 * まんが倶楽部(2015年 - 2016年(未完)、グランドジャンプ、集英社)<ref>{{Cite news|title=さくらももこ:9年ぶり新連載がスタート 1話は「ちびしかくちゃん」|url=https://mantan-web.jp/article/20151006dog00m200033000c.html|newspaper=MANTANWEB|date=2015-10-07|accessdate=2015-10-07}}</ref><ref name="natalie150916" /> * さくらももこのCalbeeひとくち劇場(2015年 - 2016年、集英社) === エッセイ === * [[1991年]][[3月]] 『[[もものかんづめ]]』集英社 のち文庫、のち[[オーディオブック]] * [[1992年]][[4月]] 『うみのさかな&宝船蓬莱の幕の内弁当』[[角川書店]] のち文庫(うみのさかな名義、[[宮永正隆|宝船蓬莱]]と共著) * [[1992年]][[5月]] 『ももこのしゃべりことば』ニッポン放送 * [[1992年]][[7月]] 『[[さるのこしかけ (随筆)|さるのこしかけ]]』集英社 のち文庫、のちオーディオブック * [[1993年]][[7月]] 『[[たいのおかしら]]』集英社 のち文庫 * [[1994年]][[3月]] 『ももこのいきもの図鑑』マガジンハウス のち集英社文庫 * [[1995年]][[9月]] 『そういうふうにできている』新潮社 のち文庫 * [[1996年]][[7月]] 『[[あのころ]]』集英社 のち文庫 * [[1997年]][[6月]] 『ももこの世界あっちこっちめぐり』集英社 のち文庫 * [[1997年]][[9月]] 『[[まる子だった]]』集英社 のち文庫 * [[1997年]][[11月]] 『赤ちゃん日記―First year memories』小学館 * [[1998年]][[7月]] 『[[ももこの話]]』集英社 のち文庫 * [[1998年]][[11月]] 『憧れのまほうつかい』新潮社 のち文庫 * [[1999年]][[5月]] 『ももこのおもしろ健康手帖』[[幻冬舎]] * [[1999年]][[7月]] 『さくら日和』集英社 のち文庫 * [[2000年]][[9月]] 『のほほん絵日記』集英社 のち文庫<ref group="注">文庫版は2004年と2022年の2度刊行されており、2022年版は販売価格が引き上げられたほか、巻末に[[PUFFY]]の[[大貫亜美]]によるエッセイが加えられた。</ref> * [[2001年]][[10月]] 『ツチケンモモコラーゲン』[[土屋賢二]]共著、集英社 のち文庫 * [[2001年]][[11月]] 『ももこのトンデモ大冒険』徳間書店 のち文庫 * [[2002年]][[4月]] 『さくらえび』新潮社 のち文庫 * [[2002年]][[11月]] 『ももこの宝石物語』集英社 のち文庫 * [[2003年]][[4月]] 『ももこのおもしろ宝石手帖』幻冬舎 のち文庫 * [[2003年]][[6月]] 『またたび』新潮社 のち文庫 * [[2003年]][[11月]] 『さくらめーる』集英社 * [[2004年]][[9月]] 『ももこの70年代手帖』幻冬舎 * [[2005年]][[8月]] 『ひとりずもう』小学館 のち文庫(当初は小学館、のち集英社) * [[2005年]][[9月]] 『MOMOKO TIMES』集英社 * [[2006年]][[5月]] 『焼きそばうえだ』小学館 のち文庫(当初は小学館、のち集英社) * [[2006年]][[10月]] 『おんぶにだっこ』小学館 のち集英社文庫 * [[2007年]][[5月]] 『さくら横丁』集英社 *『ももこの21世紀日記』 No.1 - 8 幻冬舎、2002-08 のち文庫(No.4まで) **『ももこのよりぬき絵日記』(全4巻)集英社文庫 2010-11 ※『ももこの21世紀日記』No.1 - 8の抜粋版。 *『ももこのまんねん日記』集英社 2010 *『ももこのまんねん日記 2011』集英社 2011 *『ももこのまんねん日記 2012』集英社 2012 === 作詞 === '''※表記はジャケットデザインも担当。''' * [[1990年]] [[B.B.クィーンズ]] 「[[おどるポンポコリン]]」 (作曲・[[織田哲郎]])※ * [[1991年]] [[西城秀樹]] 「[[走れ正直者]]」 (作曲・織田哲郎) * 1991年 「ごきげん 〜まる子の音日記〜」※ * [[1992年]] [[高橋由美子]]「だいすき」(作曲・[[筒美京平]]) * [[1993年]] [[藤川なお美]] 「演歌はぐれ鳥」 (作曲・[[細野晴臣]])※ * [[1995年]] [[渡辺満里奈]] 「[[うれしい予感/針切じいさんのロケン・ロール|うれしい予感]]」 (作曲・[[大瀧詠一]])※ * 1995年 [[たま (バンド)|たま]] 「[[あっけにとられた時のうた]]」 (作曲・[[知久寿焼]])※ * [[1996年]] [[カヒミ・カリィ]] 「ハミングがきこえる」 (作曲・[[小山田圭吾]]) * [[1997年]] [[ホフディラン]] 「コジコジ銀座」(作曲・ホフディラン)※ * [[1998年]] [[マナカナ|ManaKana]] 「ちびまる子音頭」 (作曲・[[佐橋俊彦]])※ * 1998年 ManaKana 「じゃがバタコーンさん」 (作曲・さくらももこ、小山田圭吾)※ * [[1999年]] [[カジヒデキ]] 「Johnny,Johnny 死ぬほど恋して」(作曲・カジヒデキ) * [[2000年]] KinKi Kids 「[[好きになってく 愛してく/KinKiのやる気まんまんソング|KinKiのやる気まんまんソング]]」 (作曲・[[飯田建彦]])※ * 2000年 [[NHK全国学校音楽コンクール]]中学校の部課題曲 「こうしていよう」 (作曲・[[朝川朋之]]) * [[2003年]] LOVE JETS 「宇宙大シャッフル」 (作曲・[[忌野清志郎]]) * [[2004年]] ちびまる子ちゃん([[TARAKO]]) with [[爆チュー問題]] ([[爆笑問題]])「アララの呪文」 (作曲・[[岡本真夜]]) * 2004年 「まるまるぜんぶちびまる子ちゃん」 (挿入歌のみ、挿入歌作曲・[[中村暢之]]) * [[2005年]] [[山上兄弟]] 「[[まじかる まじかる てじなーにゃ]]」 (作曲・浅田直) *[[2011年]] さくらももこの詩による無伴奏混声合唱曲集「ぜんぶ ここに」(作曲・[[相澤直人]]) * [[2012年]] [[桑田佳祐]] 「[[100万年の幸せ!!]]」 (作曲・桑田佳祐) * 2012年 [[松雪陽]] 「あの日のキミ」 (作曲・松雪陽) * 2012年 [[松雪陽|ライム with コジコジバンド]] 「バイバイベイビー」 (作曲・松雪陽) * [[2013年]] [[坂本冬美]] with M2 「花はただ咲く」 ([[コーラス (ポピュラー音楽)|コーラス]]も参加、作曲・[[宮沢和史]])※ * 2013年 [[ピエール瀧]] 「まるちゃんの静岡音頭」(静岡市公式音頭)(作曲・細野晴臣、編曲・小山田圭吾)<ref name="natalie130531">{{Cite news|url=https://natalie.mu/music/news/91754|title=細野×小山田×瀧「まるちゃんの静岡音頭」CDリリース決定|newspaper=音楽ナタリー|date=2013-05-31|accessdate=2016-12-17}}</ref> * 2013年 松雪陽「レッツGOしずおか」(作曲・松雪陽)<ref name="natalie130531" /> * 2013年 [[八代亜紀]]「[[MU-JO/愛しすぎる女/残心/赤い街|赤い街]]」(作曲・松雪陽) * [[2014年]] [[和田アキ子]]「すばらしき人よ」(作曲・さくらももこ、[[山崎燿]])<ref>{{Cite news|title=さくらももこが和田アキ子90作目作詞&ジャケ|url=https://natalie.mu/comic/news/128801|newspaper=ナタリー|date=2014-10-16}}</ref>※ * 2014年 イエローパープル「ロマンティックタイム」「Loop」(作曲・井上太郎、琵奈子)<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20200813114815/http://hinaco.jp/category/music/|title=琵奈子オフィシャルサイト|accessdate=2015-03-09}}</ref> * [[2015年]] [[MACO]]「幸せのはじまり」<ref>{{Cite news|title=MACO、新曲はさくらももこ作詞のウエディングソング|url=https://natalie.mu/music/news/135502|newspaper=音楽ナタリー|date=2015-01-06|accessdate=2015-07-08}}</ref> * 2015年 けーこ「ワンニャンパラダイス」<ref>{{Cite news|title=けーこ、さくらももこさん作詞第2弾「奇跡のようです」|url=https://www.sanspo.com/article/20150912-SLWB2MGUAJJELBGPOVSSWBA4WQ/|newspaper=サンケイスポーツ|date=2015-09-12|accessdate=2015-09-13}}</ref>※ * 2015年 [[ウルフルズ]]「おーい!!」(作曲・[[トータス松本]])<ref name="natalie20150928">{{Cite news|title=「映画ちびまる子ちゃん」ウルフルズ&大原櫻子が参加、さくらももこがオファー|url=https://natalie.mu/comic/news/161187|newspaper=コミックナタリー|date=2015-09-28|accessdate=2015-10-07}}</ref> * 2015年 [[大原櫻子]]「[[キミを忘れないよ]]」(作曲・[[亀田誠治]])<ref name="natalie20150928" /> * 2015年 けこり「春のうた」(作曲:山崎燿)<ref>[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002117.000001594.html さくらももこさんの未発表曲「春のうた」を「LINE BLOG」にて本日より期間限定で公開]</ref> ** 完成から数年間発表が見送られていたが、2020年3月に期間限定で配信された後、2021年3月に再度配信リリースされた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chibimaru.tv/news/entry/2021/006686.html|title=さくらももこ「春のうた」 3月3日(水)ひな祭りに配信開始!|publisher=ちびまる子ちゃんオフィシャルサイト|date=2021-03-03|accessdate=2021-03-21}}</ref>。 * [[2016年]] [[ジャニーズWEST]] 「[[なうぇすと|ボクら]]」 (作曲・[[松本良喜]]) * 2016年 BOBヒロオ「GJ8マンのテーマ」・やまたろう「長良川鉄道の夜」(作曲・山崎耀)<ref>{{Cite news|url=http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20161209/201612090850_28590.shtml|title=「GJ8マン」CD先行発売 さくらももこさん作詞|newspaper=岐阜新聞|date=2016-12-09|accessdate=2016-12-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161217131119/http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20161209/201612090850_28590.shtml|archivedate=2016年12月17日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref> * [[2017年]] アルバム『[[One Week]]』収録の以下の7曲(全作曲・[[来生たかお]])<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/248814|title=さくらももこ×来生たかおの楽曲を中納良恵、太田裕美、原田郁子ら7名が歌う|newspaper=ナタリー|date=2017-09-15|accessdate=2017-10-01}}</ref> ** [[小谷美紗子]]「月曜日の朝」 ** [[辛島美登里]]「火曜日の昼」 ** [[青葉市子]]「水曜日の夕方」 ** [[柳原陽一郎]]「木曜日は雨」 ** [[中納良恵]]([[EGO-WRAPPIN']])「金曜日の夢 ~朝か夜かの物語~」 ** [[太田裕美]]「土曜日の恋人」 ** [[原田郁子]]([[クラムボン (バンド)|クラムボン]])「日曜日の昼下がり」 * 2017年 [[PUFFY]]「すすめナンセンス」(作曲:織田哲郎)<ref>{{Cite news|url=https://www.rbbtoday.com/article/2017/10/03/155034.html|title= 『ちびまる子ちゃん』の新エンディングにPUFFY!タイトルは「すすめナンセンス」|newspaper=RBBTODAY|date=2017-10-03|accessdate=2017-10-17}}</ref> * 2017年 ヨシケン「GJ8マン音頭」(作曲・山崎耀) * [[2018年]] パチンコ『CRさくらももこ劇場コジコジ2』収録の以下の2曲(全作曲・山崎燿) ** [[あおきさやか]]「あっちこっちRaRaRa」 ** けーこ「バラ色の恋」 * (作詞時期不明) [[斉藤和義]]「いつもの風景」(作曲・斉藤和義)<ref>{{Cite news|url= https://natalie.mu/music/news/349651|title= 斉藤和義「ちびまる子ちゃん」のED曲担当、詞はさくらももこ|newspaper=音楽ナタリー|date=2019-10-01|accessdate=2019-10-01}}</ref><ref group="注">生前に作詞されたもので、楽曲そのものは2019年10月6日にリリース。</ref> === 詩集 === * まるむし帳(1991年、集英社/2003年、集英社文庫) === 雑誌・ムック本 === * さくらももこの総天然色満足館 - デビュー10周年を記念し、1995年に発売。図録+エッセイの構成だが、レーベルは集英社SGコミックススペシャル。 * 『[[富士山 (さくらももこ)|富士山]]』 - さくらが編集長となり、「日本一の雑誌」と称して出版された。 * 20周年記念版 ももこのおもしろ本 - デビュー20周年を記念し発売。書店には流通せず、イベント会場・通販・「ちびまる子ちゃんランド」で限定販売。 * おめでとう - デビュー30周年を記念し発売。 === 翻訳 === *『[[スヌーピー]]ブックス』シリーズ [[集英社]] === 絵本、ドラマ脚本他 === * [[さくらももこランド・谷口六三商店]]([[TBSテレビ|TBS]]系列のドラマ・脚本) * おばけの手(さくらももこ・さくらめろん 絵本+エッセイ) * ももこのファンタジック・ワールド コジコジ(絵本)<ref>後に『まる子とコジコジ』のタイトルで復刊。</ref> === ラジオ出演 === * [[さくらももこのオールナイトニッポン]] (with 宮永正隆) ([[ニッポン放送]]、1991年10月22日 - 1992年10月12日) * ももこのおしゃべりチャンネル([[CBCラジオ]]、2015年10月 - 12月) === その他 === {{BusModelImage2|ちびまる子ちゃんマンホール|File:Aoi Shizuoka Sakura-momoko Manhole 1.jpg|File:Shimizu Shizuoka Sakura-momoko Manhole 2.jpg|2018年8月7日にさくらももこが<br/>静岡市に寄贈したマンホールの蓋|right|200px}} * [[さくらももこのウキウキカーニバル]]([[任天堂]]・[[ゲームボーイアドバンス]]用ソフト)キャラクターデザイン ** ゲームの企画・シナリオは実姉である三浦範子が手がける<ref>[https://web.archive.org/web/20030118103714/https://www.nintendo.co.jp/nom/0206/ukiint/ 『さくらももこのウキウキカーニバル』制作スタッフインタビュー] [[任天堂]]</ref>。 * まちあわせ([[たま (バンド)|たま]]・[[ベスト・アルバム]]CD)・星を食べる(同・シングル)ジャケットデザイン(たまのメンバーを描いている) * ハコイリ娘。(さくらももこ×[[モーニング娘。]] エッセイ・インタビュー集) * ツチケンモモコラーゲン(さくらももこ・[[土屋賢二]] 対談集) * [[エブリパーティ]]([[マイクロソフト]]・[[Xbox 360]]用ソフト)キャラクターデザイン * 「[[静岡県立清水西高等学校|清水西高]]80周年記念 春風の夢」表紙デザイン、巻頭コメント(1991年) * 清水西高同窓会 エコバッグ用イラスト(2011年)<ref>静岡県立清水西高等学校創立百周年記念事業実行委員会『清く けだかく 美しく』315頁。2011年。</ref>絵柄は漫画版『ひとりずもう』小学館版下巻の表紙に近いが、新たに書き起こされている<ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/unagiayudesu/status/1186061089542307840|title=Twitter「ウナギ屋松本」アカウントの、2019年10月21日付のツイート|accessdate=2022-01-10}}</ref>。 * 清水西高100周年記念誌『清く けだかく 美しく』表紙・扉ページ用イラスト(2011年)イラスト自体は、上記の同窓会向けエコバッグと共通。 * [[嘉門タツオ|嘉門達夫]]「[[宴 (アルバム)|宴]]」アルバムジャケットデザイン(1991年) * [[スガキヤ]]キャラクターデザイン(1998年) * [[満点ゲットシリーズ]] ちびまる子ちゃん(集英社・学習漫画)表紙カバー折り返しのコメント(1999年~2018年までの刊行分)、キャラクター原作(1999年~) ** 漫画・イラストは、一部のタイトルを除いて外部の作家が担当している。2018年の刊行分のうち、「せいかつプラス」の2冊はさくらの没後に刊行されており、カバー折り返しのコメントは生前に寄せられたもの<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/306722|title=「ちびまる子ちゃん」題材にした学習まんが、生前のさくらももこのコメントも|publisher=コミックナタリー|date=2018-11-05|accessdate=2021-10-07}}</ref>。 * [[アミ 小さな宇宙人]]新装改訂版挿絵(2000年) * ギンザベルエトワール「フォーエンジェルズ」ブランドロゴ(2003年)<ref>集英社『MOMOKO TIMES』第1回。</ref> * 焼きそば屋「YAKISOBA UEDA(焼きそばうえだ)」 - 店舗プロデュース、看板デザインほか(2005年 - 2010年)※さくらが結成した「男子の会」の活動の一環で、[[バリ島]]にオープンさせた<ref>{{Cite web|和書|url=https://arunabhuana-bali.com/balimania/mania33.htm|title=ベノアの焼きそば うえだ【バリ島現地情報コラム・バリマニア 第33話】|publisher=バリ島現地旅行会社アルナブアナツアー公式サイト|date=2006-07-20|accessdate=2022-09-18}}</ref>。現地の調理スタッフの退職により<ref>集英社『おめでとう』「またバリ。」。</ref>、2010年3月で閉店した<ref>集英社文庫版『焼きそばうえだ』「あとがき」。</ref>。 * [[都営バス]](都05)[[静岡市]]の[[ラッピング広告]]イラスト(2008年) * ふくファミリー(ふく太郎・ふくこ・ふくのすけ)・海里くん・響子ちゃん([[市立しものせき水族館 海響館]])マスコットキャラクターデザイン * [[花王]]「今年の汚れ 今年のうちに」(住まいの洗剤[[大掃除]]キャンペーン[[POP広告]])(2008年・2009年・2010年) * [[日本習字教育財団|日本習字]]イメージキャラクター(2008年・2009年) * 静岡市自主運行バス「清水まちなか巡回バス」デザイン(2011年・運行受託および車両保守は[[しずてつジャストライン]]) * しずてつジャストライン高速乗合バス「横浜ライナー」静岡市と同社の協働ラッピング車両デザイン(2012年)<ref name="しずてつ">[https://shizutetsu.co.jp/20180828001.html お悔やみ] - 静鉄グループ公式HP。2018年8月28日発信。</ref> * [[静岡鉄道1000形電車]]ラッピング車両「ちびまる子ちゃんの生まれた町にあそびにおいでよ!」<ref name="しずてつ" /> * 静岡市広報課[[シティプロモーション]]課「静岡市はいいねぇ。」オリジナルイラスト(2011年~)<ref name="shizuoka-iine" /> * momoko planet([[アイフリーク]]、2012年~終了時期不明) - さくらの、公式Webサイトのひとつ。さくらの父や、さくらプロダクションのスタッフも参加した。同サイトで連載されたエッセイ『ふたたび』も、未完の作品となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/79880|title=さくらももこ公式サイトがオープン、本人登場動画など配信|publisher=コミックナタリー|date=2012-11-14|accessdate=2022-01-22}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.atpress.ne.jp/news/31420|title=さくらももこ公式WEBサイト『momoko planet』(ももこプラネット)  11月1日 配信スタート|publisher=@Press|date=2012-11-13|accessdate=2022-01-22}}</ref>。コンテンツの一部は、2014年刊行の『おめでとう』に再録された。 * なごみの湯(東京荻窪) - ポスター・チラシ・ノベルティ用イラスト(2012年~2016年)<ref>{{Cite web|和書|url=http://news-act.com/archives/36121655.html|title=さくらももこのお気に入り!?荻窪天然温泉「なごみの湯」に行ってみた|publisher=News ACT|date=2014-01-03|accessdate=2022-08-20}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://nagominoyu-ogikubo.seesaa.net/article/310478078.html|title=さくらももこさんのお正月のポスターが完成しました。|publisher=東京荻窪天然温泉 「なごみの湯」スタッフブログ|date=2012-12-29|accessdate=2022-08-20}}</ref> * 「グランドファーザーが教えてくれたこと」「グランドファーザーの生き方」 - 表紙イラスト・題字(ヒカルランド、2012年 - 2013年) * [[マツモトキヨシ]]LINEスタンプデザイン(2013年) * [[ペットの王国 ワンだランド]]([[朝日放送テレビ|朝日放送]]、2014年)(タイトルロゴ・キャラクター「ぽちのすけ」「にゃーにゃん」デザイン) * [[カルビー]]ひとくち劇場 - 作画(2014年) * [[徳間書店]]の「超知ライブラリー」シリーズ等に関わった編集者・石井健資によるスピリチュアル・オカルト系の出版社ヒカルランドの[[ロゴ]]<ref>[http://www.hikaruland.co.jp/abouts/ 当サイトについて] ヒカルランド</ref> * [[ファイアーエムブレム]]英雄百歌([[シーダ]]のイラストを担当<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/fe/25th/d01_01.html |title=ファイアーエムブレム25周年記念商品 |accessdate=2017-10-01 }}</ref>) * CRA「さくらももこ劇場 ミラくるずきんちゃん」キャラクターデザイン([[西陣 (企業)|西陣]]、2016年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nishijin.co.jp/jp/machine/2016/zukinchan/|title=「さくらももこ劇場 ミラくるずきんちゃん」公式サイト|publisher=西陣|accessdate=2022-03-30}}</ref> * 「地球の子供たち」キャラクターデザイン(ピエールラニエ、タパック、2017年~) - 『ちびまる子ちゃん』連載30周年・ピエールラニエ創業40周年記念で制作された、オリジナル腕時計用にデザインされた。さくら没後も、壁掛け時計やスマートフォンケースなどへの商品展開が続けられている<ref>{{Cite web|和書|url=https://tapak.co.jp/sakuratote/|title=さくらももこデザイン「地球の子供たち」|publisher=株式会社タパック|accessdate=2022-02-03}}</ref>。 * 花王ニベアクリーム(容器のイラストを担当)(2018年9月8日発売)これが遺作となった<ref>[https://mainichi.jp/articles/20180829/k00/00m/040/007000c 遺作イラストの「ニベア」9月発売]</ref>。 * [[GJ8マン]](2016年~) - 毎月8日に配信される短編アニメーション。さくら自身も悪者役として出演した。この作品も遺作となった。 * オリジナルデザインマンホール - 2018年8月7日ちびまる子ちゃんがあしらわれたマンホールの蓋2種類を静岡市に寄贈した<ref>{{Cite news |title=静岡)まるちゃんのマンホールふた、原作者が寄贈 |newspaper=朝日新聞DIGITAL |date=2018-08-08 |author=野口拓朗 |url=https://www.asahi.com/articles/ASL8745Q0L87UTPB00Q.html |accessdate =2018-12-31 |publisher=朝日新聞社 }}</ref>。マンホールの蓋は同年9月6日に[[新静岡駅]]前、翌日[[清水駅 (静岡県)|清水駅]]前に設置された。これも生前最後の作品とされている<ref>{{Cite news |title=駅前に「ちびまる子ちゃん」マンホール さくらももこさん、生前に寄贈 |newspaper=産経フォト |date=2018-09-06 |url=https://www.sankei.com/photo/story/news/180906/sty1809060019-n1.html |accessdate =2018-12-31 |publisher=産経新聞社 }}</ref>。2023年3月に新たなデザインが9種制作されたが、こちらはさくらプロダクションによるデザインとなっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.at-s.com/sp/news/article/shizuoka/1213956.html|title=「まる子」マンホールに 9種描く、清水区で展示 静岡市下水道事業100周年記念|publisher=静岡新聞|date=2023-03-25|accessdate=2023-05-06}}</ref>。 == 関係人物 == * [[おーなり由子]](絵本作家、漫画家・友人) * [[水沢めぐみ]](漫画家・友人) * [[矢沢あい]](漫画家・友人) * [[吉住渉]] (漫画家・友人) * [[岡田あーみん]](漫画家・友人) * [[柊あおい]](漫画家・友人) * [[賀来千香子]](女優・友人) * [[よしもとばなな]](小説家・友人) * [[長谷川健太]](元[[サッカー選手]]・『ちびまる子ちゃん』のキャラ、ケンタのモデル) * [[平岡秀章]]([[放送作家]]、元同級生・『ちびまる子ちゃん』のキャラ、ヒラバのモデル) * [[ビートたけし]]([[タレント]]・[[映画監督]]、『ちびまる子ちゃん』の劇中に無名の芸人という設定で登場し、さくらの父とも実際に交流がある) * [[石川浩司]](ミュージシャン、元[[たま (バンド)|たま]]){{efn2|さくらがたまの大ファンであり石川の妻とも交流があり『[[富士山 (さくらももこ)|富士山]]』にも登場しているほか、共に温泉へ行ったり石川の店「ニヒル牛」にも参加したりしている。また、「[[あっけにとられた時のうた]]」のテレビ版のレコーディングにも立ち会っている。}} * [[尾田栄一郎]](公私ともに親交があった。『[[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]]』日曜7時時代、アニメ合体SPなど放送されていた。) * [[祖父江慎]](デザイナー、さくらが主宰した「くいしんぼう同盟」のメンバーでもあった<ref>集英社『さくら日和』「くいしんぼう同盟の結成」より。</ref>。) * 山口ミルコ(元[[幻冬舎]]の編集者、友人、さくらが結成した「爆笑の会」の相方。『手帖』シリーズ、『ももこの21世紀日記』にも登場している。) * [[上原徹]](ミュージシャン、友人。さくらは生前、彼をモチーフとしたキャラクター「TON」をプレゼントしていた<ref>{{Cite news|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2148263/|title=上原徹、“泣ける”新曲MV公開 さくらももこさんが贈った自身モチーフのキャラが主人公|newspaper=ORICON NEWS|publisher=oricon ME|date=2019-11-07|accessdate=2023-02-23}}</ref>。) === アシスタント === * [[小花美穂]] * 小泉晃子 - (1994年 - 1998年)<ref>小泉晃子「アシスタントの日々は私の宝物」、平凡社『太陽の地図帖』038号「さくらももこ『ちびまる子ちゃん』を旅する」85頁。</ref>※アシスタントを離れた後も、「[[満点ゲットシリーズ]]」の表紙・総扉イラストを手掛けているほか、同シリーズの初期タイトルでは本文中の漫画も手掛けている。 * 小萩ぼたん - 「さくらプロダクション」スタッフ。「[[さくらももこのオールナイトニッポン]]」への投稿がきっかけで入社<ref>ブルーシープ『COJI COJI FAN BOOK コジコジのすべて』「長年のアシスタント・小萩ぼたんさんが語る さくらももこさんの制作現場」</ref>、以降長期にわたって[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を務めた<ref>『りぼん』2022年1月号403頁。2021年12月2日閲覧。</ref>。さくらももこの没後、『りぼん』2019年11月号に掲載の『ちびまる子ちゃん』「その133」より<!-- 雑誌『MOE』の記事より、「その133」から担当開始としています --><ref name="moe2206_21">白泉社『MOE』2022年6月号22頁。2022年5月3日閲覧。</ref>作画を担当している<ref group="注">小萩ぼたんを名乗ったのは『りぼん』2022年1月号に掲載された「その139」が初で、それ以前の「その133」-「その138」では、「さくらプロダクション」とのみ記載されていた。</ref>ほか、さくらプロダクション関係のイラスト<ref>{{Cite web|和書|url=https://be-story.jp/article/155664|title=ダヴ クリーミー泡洗顔料シリーズがさくらプロダクションとコラボレーション! 小萩ぼたん先生描き下ろしデザインの限定デザインボトルを11月より発売開始|publisher=美ST ONLINE|date=2022-11-08|accessdate=2023-06-24}}</ref>や、2019年以降の『満点ゲットシリーズ』の作画も部分的に担当している。なお、さくらの存命中に刊行された書籍には、同様の経歴を持つアシスタント<ref>さくらプロダクション『20周年記念版 ももこのおもしろ本』37頁。</ref>として藤谷香が登場しているが<ref>集英社『ちびまる子ちゃん キミを忘れないよ』単行本あとがき、集英社『ももこのよりぬき絵日記4』164 - 165頁、など。</ref>、小萩と同一人物か否かについては公式には発表されていない。 === さくらももこを演じた人物 === 1992年NHKドラマ『さくら家の人びと』ももこ役 * [[富田靖子]] 『ちびまる子ちゃん』関連作品で演じた人物。 * [[TARAKO]] * [[森迫永依]] * [[伊藤綺夏]] * [[信太真妃]] * [[北村燦來]] * [[木村カエラ]] * [[上野樹里]] * [[吉岡里帆]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == *『太陽の地図帖038 さくらももこ『ちびまる子ちゃん』を旅する』([[平凡社]]、2020年) *浜崎憲孝『はまじとさくらももこと三年四組』(青志社、2020年) *友原嘉彦編『ちびまる子ちゃんの社会学』([[古今書院]]、2021年) *『心を強くする! ビジュアル伝記04 さくらももこのことばと人生』([[ポプラ社]]、2023年) == 関連項目 == * [[エスパルスドリームプラザ]] - 同施設内の「ちびまる子ちゃんランド」内に、さくらももこの漫画・エッセイ等を収蔵した図書室が設けられている。 * [[iZoo]] - さくらが生前飼っていた亀の譲渡先。 == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|漫画|[[画像:Logo serie manga.png|50px|Portal:漫画]]}} * [https://sakuraproduction.jp/ さくらプロダクション] * {{Twitter|SakuraPro_tw|さくらプロダクション【公式】}} * [https://www.1101.com/sakura/index.html オトナな会話(仮)さくらももこ×糸井重里の対談] - ほぼ日刊イトイ新聞 * {{Wayback |url= https://lineblog.me/sakuramomoko/ |title=さくらももこオフィシャルブログ |date= 20230628205642}} - [[LINE BLOG]] * {{NHK人物録|D0009072596_00000}} * {{kotobank|2=[[マイペディア]]}} {{ちびまる子ちゃん}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:さくら ももこ}} [[Category:さくらももこ|*]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本の女性作詞家]] [[Category:20世紀日本の女性随筆家]] [[Category:21世紀日本の女性随筆家]] [[Category:日本の女性脚本家]] [[Category:20世紀日本の脚本家]] [[Category:21世紀日本の脚本家]] [[Category:新聞連載の漫画家]] [[Category:日本のコラムニスト]] [[Category:アマチュア無線関連の人物]] [[Category:静岡英和学院大学短期大学部出身の人物]] [[Category:静岡市出身の人物]] [[Category:乳癌で亡くなった人物]] [[Category:本名非公開の人物]] [[Category:1965年生]] [[Category:2018年没]]
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佐々木淳子
佐々木 淳子(ささき じゅんこ、1955年6月23日 - )は、日本の漫画家。血液型はAB型。 東京都目黒区出身。実家はだんご店。東京デザイナー学院アニメーション科を卒業しており、学院在籍中は漫画研究会に所属していた。アシスタントを経て、1977年、『週刊少女コミック増刊号』掲載の『キムのゆうれい』でデビュー。小学館、新書館、角川書店、あおば出版など、活動の場は幅広い。 漫画家の酒井美羽とは東京デザイナー学院で同じ科にいた。一時期は美内すずえ、樹村みのりのアシスタントを経験している。 異世界を舞台とするSFジャンルの作品を得意とし、また夢、時間がテーマの作品が多い。代表作に『ダークグリーン』など。 2007年4月より、講談社の運営するウェブコミック閲覧サイト『MiChao!』において、『ダークグリーン』の続編となる『ディープグリーン』を連載。2009年12月の『MiChao!』の更新終了とともに連載も終了した(単行本全4巻)。 さらに、『ディープグリーン』の続編・『ディメンショングリーン』が、現在同人誌として刊行されている。
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佐々木 淳子は、日本の漫画家。血液型はAB型。 東京都目黒区出身。実家はだんご店。東京デザイナー学院アニメーション科を卒業しており、学院在籍中は漫画研究会に所属していた。アシスタントを経て、1977年、『週刊少女コミック増刊号』掲載の『キムのゆうれい』でデビュー。小学館、新書館、角川書店、あおば出版など、活動の場は幅広い。 漫画家の酒井美羽とは東京デザイナー学院で同じ科にいた。一時期は美内すずえ、樹村みのりのアシスタントを経験している。 異世界を舞台とするSFジャンルの作品を得意とし、また夢、時間がテーマの作品が多い。代表作に『ダークグリーン』など。 2007年4月より、講談社の運営するウェブコミック閲覧サイト『MiChao!』において、『ダークグリーン』の続編となる『ディープグリーン』を連載。2009年12月の『MiChao!』の更新終了とともに連載も終了した(単行本全4巻)。 さらに、『ディープグリーン』の続編・『ディメンショングリーン』が、現在同人誌として刊行されている。
{{別人|x1=漫画家の|佐々木潤子}} '''佐々木 淳子'''(ささき じゅんこ、[[1955年]][[6月23日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。血液型はAB型。 [[東京都]][[目黒区]]出身<ref>SHORT TWIST 佐々木淳子傑作選 (BIRZ COMICS SPECIAL、2011年3月) 「PLOFILE」より</ref>。実家はだんご店<!--『ぱふ』による。現在も?-->。[[東京デザイナー学院]]アニメーション科を卒業しており、学院在籍中は漫画研究会に所属していた<ref name="P">「特集 佐々木淳子」『[[ぱふ]]』[[雑草社]]、1983年5月号 より。</ref>。[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を経て、[[1977年]]、『[[週刊少女コミック]]増刊号』掲載の『キムのゆうれい』でデビュー。[[小学館]]、[[新書館]]、[[角川書店]]、[[あおば出版]]など、活動の場は幅広い。 漫画家の[[酒井美羽]]とは東京デザイナー学院で同じ科にいた<ref>同『ぱふ』36頁。</ref>。一時期は[[美内すずえ]]<ref>同『ぱふ』24頁。なお34頁によると、同時期のアシスタントに[[葉月秋子]]がいた。</ref>、[[樹村みのり]]<ref>同『ぱふ』28頁。なお24頁掲載の美内の談話によると、当時佐々木が美内と樹村の両方のアシスタントをしており佐々木を両方で欲しがった際、樹村が「佐々木でなければ描けない箇所がある」と訴えたため、美内は諦めたという。</ref>のアシスタントを経験している。 異世界を舞台とする[[サイエンス・フィクション|SF]]ジャンルの作品を得意とし、また[[夢]]、[[時間]]がテーマの作品が多い。代表作に『[[ダークグリーン]]』など。 [[2007年]][[4月]]より、[[講談社]]の運営する[[ウェブコミック]]閲覧サイト『[[MiChao!]]』において、『ダークグリーン』の続編となる『[[ディープグリーン]]』を連載。2009年12月の『MiChao!』の更新終了とともに連載も終了した(単行本全4巻)。 さらに、『ディープグリーン』の続編・『ディメンショングリーン』が、現在同人誌として刊行されている<ref>[http://www.sasakijunko.com/essay31.htm エッセイ・ピー太の部屋 第31回(2010年3月)] 佐々木淳子 Official Website</ref>。 == 作品リスト == === 単行本 === <!--表記年は連載時期ではなく単行本出版の期間に統一してあります--> ==== 連載作品 ==== * [[ブレーメン5]] (全6巻)([[フラワーコミックス]]、1982年1月 - 1989年10月) * [[那由他 (漫画)|那由他]] (全3巻)(フラワーコミックス、1982年6月 - 1983年1月) * [[ダークグリーン]] (全10巻)(フラワーコミックス、1983年9月 - 1988年2月) * 青い竜の谷 (全7巻)([[あすかコミックス]]、1990年 - 1993年) * ブルーオベリスク(あすかコミックス、1992年) * アイン・ラーガ (全6巻) (あすかコミックス、1993年 - 1994年) * [[リュオン]]([[幻冬舎コミックス]]、2004年) * G・ZOOへようこそ(ギャラクシー・ズーへようこそ)(Meguコミックス、2005年)([[聖悠紀]]作、[[超人ロック]]シリーズの[[シェアード・ワールド]]) * [[ディープグリーン]] (全4巻)([[講談社]]、2007年 - 2009年) * リュオン (文庫版 (幻冬舎)、2011年1月) ==== 短編集 ==== * [[Who!]] ―超幻想SF傑作集 (マイコミックス、1981年)(短編集) **Who! (『少年/少女SFマンガ競作大全集 '80年 Part7』(東京三世社)) **赤い壁 (『[[コロネット]]』1980年夏の号) **恐怖のワンモア(文章エッセイ) **メッセージ (『少女コミック』1979年9月30日増刊号) **のこされたこころ (『[[少女コミック]]』1978年第29号) **リディアの住む時に… (『少女コミック』1978年5月3日増刊号) **ミューンのいる部屋 (『少女コミック』増刊デラックス1979年1月27日号) **母はやさしくほほえんで (『少女コミック』1979年2月25日増刊号) * Who! ―超幻想SF傑作集 ([[コミックシティ|シティコミックス]]、1983年)(新装版、短編集) * ドリームダストメモリーPart1([[新書館|ペーパームーンコミックス]]、イラスト集・短編集。1983年) * ドリームダストメモリーPart2(ペーパームーンコミックス、1984年) * どんどん長くずんずん深く(ペーパームーンコミックス、1984年)(短編集) **どんどん長くずんずん深く **スタート **アリス・現実な国で **そのむこう **鏡の国から… * 佐々木淳子イラスト集 - DARK GREEN VISUAL MESSAGE 夢(1986年) * ドリームダストメモリーPart3(ペーパームーンコミックス、1987年) * [[SHORT TWIST]]([[プチフラワー|プチフラワーコミックス]]、1988年) **SHORT TWIST (『プチフラワー』1988年6・7月号) **ルオスG (『[[少年ビッグコミック]]』1987年5・6月号) * Who! ―超幻想SF傑作集 (ベルコミックス、1993年) (新装版、短編集) * ボーイな君 ―佐々木淳子ワールド(フラワーコミックス、1999年)(短編集) **ボーイな君 **ダイエット特別セミナー **ゴミ☆ぱにっく **夢果てる * SHORT TWIST ―佐々木淳子傑作選 ([[バーズコミックス|BIRZ COMICS SPECIAL]]、2011年3月) **SHORT TWIST (単行本 1988年から再録) **のこされたこころ ケースB (商業誌初出) **伝説の地 (『ドリームダスト・メモリー』1983年11月 から再録) **ベビーNの幸福 (『[[プチコミック]]』1988年12月号、1989年1月号) **オパールの竜 (『[[月刊Asuka]]』1989年5月号) **LONG TWIST (描きおろし、「SHORT TWIST」続編) === 単行本併録短編 === * キムのゆうれい(1977年。『那由他』1巻収録) * テレポート(1974年。メディアファクトリー版『那由他』2巻収録) * みどりの大地(1976年。『ブレーメン5』3巻収録) * マーティン!(1976年。ドリームダストメモリーPart2収録。同人誌掲載作品であり『ぱふ』1983年5月号(61頁-)に再掲) * 白き銀河の果てに(1977年、[[北浦圭]]との合作。ドリームダストメモリーPart1収録) * 恐竜の絵本(1980年、同人誌からの再録。『那由他』2巻収録<ref>同『ぱふ』73頁。</ref>) * 二次元チョモコモ(1981年。『ブレーメン5』2巻収録) * セピア色したみかづき形の…(1981年。『那由他』3巻収録) * 霧ではじまる日(1982年。『ブレーメン5』4巻収録) === 未収録作品 === * わたしの実験室(1974年) * 桜の園のリディヤ([[高野史緒]]によるトリビュート小説。挿絵起稿] - 『[[SFマガジン]]』2021年4月号 掲載 ==脚注== {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://www.sasakijunko.com/ 佐々木淳子公式ホームページ] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ささき しゆんこ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:SF漫画家]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:1955年生]] [[Category:存命人物]]
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1988年
1988年(1988 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる閏年。昭和63年。 この項目では、国際的な視点に基づいた1988年について記載する。 ※ 主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国で1997年に制定された。
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1988年は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる閏年。昭和63年。 この項目では、国際的な視点に基づいた1988年について記載する。
{{Otheruses||日本ローカルの事柄|1988年の日本}} {{年代ナビ|1988}} {{YearInTopic | BC = | 千年紀 = 2 | 世紀 = 20 | 年代 = 1980 | 年 = 1988 }} {{year-definition|1988}} この項目では、国際的な視点に基づいた1988年について記載する。 == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[戊辰]](つちのえ たつ) * [[日本]](月日は一致) ** [[昭和]]63年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2648年 * [[大韓民国]](月日は一致) ** [[檀君紀元|檀紀]]4321年 * [[中華民国]](月日は一致) ** [[民国紀元|中華民国]]77年 * [[朝鮮民主主義人民共和国]](月日は一致) ** [[主体暦|主体]]77年 * [[仏滅紀元]]:2530年 - 2531年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1408年5月11日 - 1409年5月22日 * [[ユダヤ暦]]:5748年4月11日 - 5749年4月23日 * [[UNIX時間]]:567993600 - 599615999 * [[修正ユリウス日]](MJD):47161 - 47526 * [[リリウス日]](LD):148002 - 148367 <div style="font-size:smaller"> ※ 主体暦は、[[朝鮮民主主義人民共和国]]で[[1997年]]に制定された。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1988}} == できごと == === 1月 === * [[1月1日]] - [[ソビエト連邦]]、[[ミハイル・ゴルバチョフ]][[書記長]]主導の下、[[ペレストロイカ]]開始。 * [[1月5日]] - [[六本木ディスコ照明落下事故]]。死者3名負傷者14名の大惨事となった。 * [[1月13日]] - [[台湾]]の[[蔣経国]][[総統]]没<ref>若林(1997)p.177、本田(2004)p.121</ref>。後任に[[李登輝]]。 * [[1月26日]] - [[オーストラリア]]が入植200周年を祝う。 * 1月26日 - [[ボーイング747-400|747-400]]が本格生産開始。 === 2月 === * [[2月6日]] - [[イタリア・リラ]]、1000分の1[[デノミ]]決定。 * [[2月10日]] - [[ドラゴンクエストIII そして伝説へ…]]が発売。 * [[2月13日]] - [[1988年カルガリーオリンピック|カルガリーオリンピック]]開幕([[2月28日]]まで)。 * [[2月24日]] - 雑誌『[[ハスラー (男性誌)|ハスラー]]』が名誉毀損問題で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の連邦最高裁で逆転勝訴。 * [[2月25日]] - [[大韓民国|韓国]]で[[盧泰愚]]大統領が就任。 * [[2月27日]] - [[アゼルバイジャン]]の[[スムガイト]]で[[アゼルバイジャン人]]が[[アルメニア人]]を襲撃([[スムガイト暴動]])。 === 3月 === * [[3月2日]] - アメリカ合衆国上院、[[グラス・スティーガル法]]撤廃法案可決。 * [[3月13日]] - [[青函トンネル]]が開業(海峡線 中小国 - 木古内間)。1964年1月6日の[[起工式]]から24年の歳月と6890億円の費用を投じた。 * [[3月14日]] - [[赤瓜礁海戦]]。中華人民共和国とベトナムが衝突。 * [[3月16日]] - [[イラク]]の[[ハラブジャ]]で、多くの住民が化学兵器により殺害される([[ハラブジャ事件]])。 * [[3月17日]] - [[コロンビア]]・[[ククタ]]付近でアビアンカ航空410便の[[ボーイング727]]が墜落し、乗員乗客143人全員が死亡([[アビアンカ航空410便墜落事故]])。 * [[3月18日]] - [[東京ドーム]]開場。 * [[3月24日]] - [[中華人民共和国|中国]]で、[[修学旅行]]中の[[高知学芸中学校・高等学校|高知学芸高校]]の生徒と教師計28名が列車事故により死亡([[上海列車事故]])。 * [[3月25日]] - [[チェコスロバキア]]の[[ブラチスラヴァ]](現[[スロバキア]]首都)で、[[チェコスロバキア共産党|共産党]]政権に反対する同国初の大規模なろうそくデモ発生。 === 4月 === * [[4月14日]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]が[[アフガニスタン]]からの撤退に関して合意(ジュネーヴ合意)。翌年[[2月15日]]までに撤退を完了。 * [[4月26日]] - [[大韓民国|韓国]]の[[第13代総選挙 (大韓民国)|第13代総選挙]]で与党の[[民主正義党]]が不振、野党が過半数。 * [[4月30日]] - [[オーストラリア]]の[[ブリスベン]]で[[ブリスベン国際レジャー博覧会]]開催。([[10月30日]]まで)。 === 5月 === * [[5月15日]] - [[1988年フランス大統領選挙]]で[[フランソワ・ミッテラン]]再選。 * [[5月15日]] - アフガニスタンからのソ連軍の撤退開始。 * [[5月23日]] - アメリカ合衆国大統領[[ロナルド・レーガン]]、訪ソ、首脳会議。 === 6月 === * [[6月19日]] - [[第14回先進国首脳会議]](トロント・[[主要国首脳会議|サミット]])開幕。 * [[6月27日]] - [[フランス]]・[[リヨン駅列車衝突事故]] === 7月 === * [[7月1日]] - [[アメリカ合衆国]]で90日以内の観光、商用、もしくは[[トランジット]]目的で米国内に滞在する外国人の[[ビザ免除プログラム]]の施行開始。同日より[[イギリス]]市民権を持つ者に対して適用。 * [[7月3日]] - イラン航空655便[[エアバスA300|エアバスA300B2]]が[[アメリカ合衆国海軍|アメリカ海軍]]の[[イージス艦]]「[[ヴィンセンス (ミサイル巡洋艦)|ヴィンセンス]]」に撃墜され、乗員乗客290名全員が死亡([[イラン航空655便撃墜事件]])。 * 7月3日 - [[トルコ]]の[[イスタンブール]]に[[ファーティフ・スルタン・メフメト橋]](第二ボスポラス橋)開通。 * [[7月6日]] - [[北海油田]]の[[石油プラットフォーム]]、[[パイパー・アルファ]]で爆発事故、166名の死者を出す惨事となる。 === 8月 === * [[8月8日]] - [[ミャンマー|ビルマ]]で[[8888民主化運動]]が発生。 * [[8月10日]] - アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンが市民の自由法に署名し、発効。第二次世界大戦中にアメリカによって行われた[[日系人の強制収容]]を謝罪し一人当たり20000ドルの補償を行う。 * [[8月11日]] - [[アルカーイダ]]が組織される。 * [[8月19日]] - ビルマで[[マウン・マウン]]が大統領に就任。 * [[8月20日]] - [[イラン・イラク戦争]]停戦が正式に成立。 * [[8月21日]] - [[ネパール地震 (1988年)|ネパール地震]]が発生。 * [[8月28日]] - [[西ドイツ]]の[[ラムシュタイン空軍基地]]で行われた[[イタリア空軍]]の[[アクロバットチーム]]、[[フレッチェ・トリコローリ]]による航空ショーで衝突墜落事故が発生([[ラムシュタイン航空ショー墜落事故]])。70人死亡、346人が重軽傷を負う惨事。 === 9月 === * [[9月11日]] - [[エストニア・ソビエト社会主義共和国]]での集会に30万人が参加([[歌う革命]])。 * [[9月14日]] - [[ハリケーン・ギルバート]]がメキシコの[[ユカタン半島]]に上陸。 * [[9月17日]] - [[ソウルオリンピック]]開幕([[10月2日]]まで)。 * [[9月18日]] - ビルマで[[ソウ・マウン]]国軍総参謀長がクーデターにより全権掌握。[[国家平和発展評議会|国家法秩序回復評議会]]を設立。 * [[9月21日]] - 日本のロックユニット・[[B’z]]がCDデビュー。 * [[9月29日]] - [[アメリカ航空宇宙局]]、[[スペースシャトル・チャレンジャー]]墜落後初となる[[スペースシャトル・ディスカバリー]]の打ち上げに成功([[STS-26]])。 === 10月 === * [[10月7日]] - [[リトアニア]]の首都[[ヴィリニュス]]で、[[ゲディミナス城]]の塔の上で[[1940年]]以降掲げられていなかった[[リトアニアの国旗|黄・緑・赤の3色旗]]が掲揚される。 * [[10月17日]] - ボードゲーム「[[モノポリー]]」の第8回世界選手権で[[百田郁夫]]が優勝し、日本人で初めて世界の頂点に立つ。 * [[10月30日]] - [[フィリップモリス]]、[[モンデリーズ・インターナショナル|クラフト]]を買収。 * [[10月31日]] - [[マツダ]]が「[[マツダ・ペルソナ|ペルソナ]]」を発売。 === 11月 === * [[11月8日]] - [[アメリカ合衆国大統領|アメリカ大統領]]選挙で[[ジョージ・H・W・ブッシュ|ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ]]が[[マイケル・デュカキス]]を破って当選。 * [[11月15日]] - [[パレスチナ解放機構|PLO]]が[[チュニジア]]の[[チュニス]]で[[パレスチナ]]国家独立を宣言。 * 11月15日 - [[ソビエト連邦|ソ連]]の宇宙シャトル「[[ブラン (オービタ)|ブラン]]」打ち上げ。無人での軌道周回飛行を行う。 * [[11月16日]] - ソ連の[[エストニア]]共和国が主権宣言([[1991年]]に独立)。 * [[11月17日]] - [[オランダ]]が[[インターネット]]に接続された2番目の国となる。 === 12月 === * [[12月2日]] - [[パキスタン]]総選挙で勝利した[[ベーナズィール・ブットー]]が同国[[首相]]に就任。[[イスラム]]国家では初の女性[[首相]]となる。 * [[12月7日]] - [[アルメニア]]で[[マグニチュード]]6.8の[[地震]]発生。2万5000人以上が死亡([[アルメニア地震 (1988年)]])。 * [[12月16日]] - [[日本]]と[[アメリカ合衆国]]との協定により、[[ビザ免除プログラム]]適用開始。90日以内の観光、商用、トランジット目的での渡航の際のビザ取得が原則不要となる。同プログラム適用はイギリスに次ぎ2カ国目。 * [[12月21日]] - [[パンアメリカン航空103便爆破事件]]。 == 天候・天災・観測等 == * [[ラニーニャ現象]]が発生。世界各地で異常気象。 == 芸術・文化・ファッション・テレビ == === スポーツ === {{Main|1988年のスポーツ}} * [[1988年カルガリーオリンピック]] * [[1988年ソウルオリンピック]] * [[モータースポーツ]] ** [[フォーミュラ1|F1世界選手権]] *** ドライバーズチャンピオン [[アイルトン・セナ]] *** コンストラクターズチャンピオン [[マクラーレン|マクラーレン・ホンダ]] ** [[ロードレース世界選手権]] *** 500cc [[エディ・ローソン]] *** 250cc [[アルフォンソ・ポンス]] === 音楽 === {{Main|1988年の音楽}} === 文学 === {{Main|1988年の文学}} === 映画 === {{Main|1988年の映画}} === テレビ === *[[10月13日]] - [[フジテレビ系列]]の[[バラエティ番組]]『[[とんねるずのみなさんのおかげです]]』がレギュラ一放送開始。 == 誕生 == {{see also|1988年の日本#誕生|Category:1988年生}} <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は上記「1988年の日本」項内に記入(世界的に著名な人物は本節と併記)--> === 人物 === ==== 1月 ==== <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1988年の日本」項内に記入--> * [[1月1日]] - [[七海まい]]→原紗央莉→松野井雅、[[タレント]]・元[[AV女優]] * [[1月2日]] - [[明坂聡美]]、[[声優]] * [[1月3日]] - [[ジョニー・エヴァンズ|ジョニー・エヴァンス]]、[[サッカー選手]] * 1月3日 - [[チョン・ヨンヒョク]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1月3日 - [[J.R.ヒルデブランド]]、レーシングドライバー * 1月3日 - [[カロリーナ・ヘルマン]]、フィギュアスケート選手 * 1月3日 - [[山本和臣]]、声優、[[歌手]] * [[1月7日]] - [[ハードウェル]]、[[DJ]] * 1月7日 - [[ジョーリス・チャシーン]]、メジャーリーガー * [[1月9日]] - [[キャサリン・コペリー]]、フィギュアスケート選手 * [[1月10日]] - [[ゾエ・ブラン]]、フィギュアスケート選手 * 1月10日 - [[ラファエル・ドリス]]、[[プロ野球選手]] * [[1月12日]] - [[マルセル・シュメルツァー]]、サッカー選手 * [[1月15日]] - [[キャンディス・ディディエ]]、フィギュアスケート選手 * 1月15日 - [[スクリレックス]]、[[エレクトロ]]ミュージシャン・[[シンガーソングライター]] * 1月15日 - [[ダルウィン・アタプマ]]、自転車競技選手 * [[1月16日]] - [[シンシア・ファヌフ]]、フィギュアスケート選手 * 1月16日 - [[ニクラス・ベントナー]]、サッカー、デンマーク代表 * 1月16日 - [[ブノワ・リショー]]、フィギュアスケート[[振付師]] * [[1月18日]] - [[ミゲル・メヒア (投手)|ミゲル・メヒア]]、プロ野球選手 * [[1月19日]] - [[ショーン・トールソン]]、メジャーリーガー * 1月19日 - [[山本裕典]]、俳優 * [[1月20日]] - [[ジェフレン・スアレス]]、サッカー選手 * [[1月21日]] - [[アシュトン・イートン]]、陸上競技選手 * [[1月22日]] - [[グレッグ・オデン]]、バスケットボール選手 * [[1月24日]] - [[ドルラン・パボン]]、サッカー選手 * [[1月26日]] - [[ギャリー・フーパー]]、サッカー選手 * 1月26日 - [[峰幸代]]、[[ソフトボール]]選手 * [[1月27日]] - [[ケルロン・モウラ・ソウザ]]、サッカー選手 * [[1月28日]] - [[A.J.グリフィン]]、メジャーリーガー * [[1月31日]] - [[シドニー・サム]]、サッカー選手 ==== 2月 ==== <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1988年の日本」項内に記入--> * [[2月1日]] - [[アラン・デサンミゲル]]、マイナーリーガー * 2月1日 - [[東出昌大]]、ファッションモデル、俳優 * [[2月2日]] - [[マックス・パールマン]]、[[野球選手]] * [[2月3日]] - [[キュヒョン]]、アイドル、俳優、タレント([[Super Junior]]) * [[2月4日]] - [[リザナ・ナシカ]]、[[メイド]](+ [[2013年]]) * 2月4日 - [[ロマン・タラン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[2月6日]] - [[ヤン・モシチツキー]]、フィギュアスケート選手 * [[2月7日]] - [[パーダール・ビアンカ]]、フィギュアスケート選手 * 2月7日 - [[マシュー・スタッフォード]]、[[アメリカンフットボール]]選手 * [[2月8日]] - [[マチュー・ウィルソン]]、フィギュアスケート選手 * 2月8日 - [[佐々木希]]、ファッションモデル、女優 * [[2月9日]] - [[T-岡田]]、プロ野球選手 * [[2月10日]] - [[山村響]]、声優 * [[2月10日]] - [[ジーンマー・ゴメス]]、メジャーリーガー * 2月10日 - [[ジェイク・ブリガム]]、[[プロ野球選手]] * 2月10日 - [[西明日香]]<ref name="goo">{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/西明日香/|title=西明日香(にしあすか)の解説|work=goo人名事典|accessdate=2020-11-20}}</ref>、声優 * [[2月11日]] - [[ジュンジュン]]、元[[モーニング娘。]] * [[2月12日]] - [[ジョシュ・フェグリー]]、メジャーリーガー * 2月12日 - [[榮倉奈々]]、女優、モデル * [[2月13日]] - [[森なな子]]、声優 * [[2月13日]] - [[ライアン・ゴインズ]]、メジャーリーガー * [[2月14日]] - [[アンヘル・ディ・マリア]]、サッカー選手 * 2月14日 - [[ヤホール・マイストロウ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[2月15日]] - [[ルイ・パトリシオ]]、サッカー選手、ポルトガル代表 * [[2月16日]] - [[デニウソン・ペレイラ・ネヴェス]]、サッカー選手 * 2月16日 - [[アンドレア・ラノッキア]]、サッカー選手 * 2月16日 - [[キム・スヒョン (1988年生の俳優)|キム・スヒョン]]、俳優、モデル * [[2月18日]] - [[チャンミン]]、アイドル、俳優([[東方神起]]) * 2月18日 - [[ノダリー・マイスラーゼ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[2月19日]] - [[入野自由]]、声優 * [[2月20日]] - [[リアーナ]]、歌手 * 2月20日 - [[スペンサー・パットン]]、プロ野球選手 * [[2月21日]] - [[蔣智賢]]、[[野球選手]] * [[2月22日]] - ウリ、元アイドル(元[[RAINBOW (音楽グループ)|RAINBOW]]) * [[2月23日]] - ケビン、アイドル([[ZE:A]]) * [[2月25日]] - [[シン・イェジ (1988年生)|シン・イェジ]]、フィギュアスケート選手 * [[2月26日]] - [[キム・ヨンギョン]]、[[バレーボール]]選手 * 2月26日 - [[ダスティン・アクリー]]、メジャーリーガー ==== 3月 ==== <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1988年の日本」項内に記入--> * [[3月1日]] - [[張振旺]]、野球選手 * [[3月4日]] - [[ホセ・デポーラ]]、[[メジャーリーガー]] * [[3月6日]] - [[レオネス・マーティン]]、メジャーリーガー * 3月6日 - [[シモン・ミニョレ]]、サッカー選手 * [[3月10日]] - インス、アイドル(MY NAME) * [[3月11日]] - [[ファビオ・コエントラン]]、サッカー選手 * [[3月13日]] ‐ [[ジェイソン・ロジャース (野球)|ジェイソン・ロジャース]]、プロ野球選手 * [[3月14日]] - [[ステフィン・カリー]]、バスケットボール選手 * 3月14日 - [[ジョシュ・スティンソン]]、プロ野球選手 * [[3月15日]] - [[アンゲリカ・チホツカ]]、陸上競技選手 * [[3月16日]] - [[榎あづさ]]、声優、歌手、元[[LISP (声優ユニット)|LISP]]のメンバー * [[3月17日]] - [[フレイザー・フォースター]]、サッカー選手 * 3月17日 - [[グライムス]]、アーティスト * [[3月19日]] - [[クレイトン・カーショウ]]、メジャーリーガー * 3月19日 - [[レオ・シン]]、サッカー選手 * [[3月20日]] - [[ディエゴ・バストス・リベイロ]]、サッカー選手 * [[3月21日]] - [[リー・カッターモール]]、サッカー選手 * [[3月22日]] - [[コンスタンチン・ベズマテルニフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[3月27日]] - [[内田篤人]]、サッカー選手 * [[3月28日]] - [[ライアン・ケイリッシュ]]、メジャーリーガー * [[3月31日]] - [[ホーガン・エフレイム]]、サッカー選手 * 3月31日 - [[ベアトリサ・リャン]]、[[フィギュアスケート]]選手 ==== 4月 ==== <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1988年の日本」項内に記入--> * [[4月1日]] - [[ブルック・ロペス]]、バスケットボール選手 * 4月1日 - [[ロビン・ロペス]]、バスケットボール選手 * 4月1日 - [[チョン・ヘイン|チョン・へイン]]、俳優 * [[4月3日]] - [[ティム・クルル]]、サッカー選手 * [[4月5日]] - [[中田あすみ]]、女優・元てれび戦士 * [[4月9日]] - ユイ、元アイドル、女優(元[[AFTERSCHOOL]]) * [[4月10日]] - [[ハーレイ・ジョエル・オスメント]]、俳優 * 4月10日 - [[ユニス・ジェプコエチ・サム]]、陸上競技選手 * 4月10日 - [[ウィルソン・マトス]]、[[プロ野球選手]] * [[4月11日]] - [[ピート・コズマ]]、野球選手 * 4月11日 - [[前田健太]]、野球選手 * [[4月12日]] - [[ステファノ・デシモーニ]]、プロ野球選手 * [[4月13日]] - [[松本健太]]、[[ボーカル]]・[[ベース (弦楽器)|ベース]]([[WANIMA]]) * [[4月13日]] - [[アンデルソン・ルイス・デ・アブレウ・オリベイラ|アンデルソン]]、サッカー選手 * [[4月15日]] - [[クリス・ティルマン]]、[[メジャーリーガー]] * 4月15日 - [[沼倉愛美]]、声優、歌手 * [[4月16日]] - [[ペーター・リーベルス]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[4月17日]] - [[森内貴寛]](Taka)、[[シンガーソングライター]]([[ONE OK ROCK]]) * [[4月19日]] - [[小嶋陽菜]]、元[[AKB48]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2141930/full/|title=小嶋陽菜、谷間チラリなワンピース姿公開「デコルテライン綺麗すぎ」|publisher=ORICON NEWS|date=2019-08-08|accessdate=2021-01-15}}</ref>、女優・タレント・ファッションモデル * 4月19日 - [[ケビン・ベジスティック]]、野球選手 * [[4月21日]] - [[李杜軒]]、プロ野球選手 * [[4月22日]] - [[ディー・ゴードン]]、メジャーリーガー * [[4月24日]] - [[MOCA (ベリーグッドマン)|MOCA]]([[ベリーグッドマン]])、歌手 * [[4月25日]] - [[ラウラ・レピスト]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 4月25日 - [[セルジオ・ドゥトラ・ジュニオール|ドゥトラ]]、サッカー選手 * [[4月27日]] - [[ホセ・フェルナンデス (1988年生の内野手)|ホセ・フェルナンデス]]、野球選手 * [[4月28日]] - [[フアン・マタ]]、サッカー選手 * [[4月29日]] - [[ユンナ]]、歌手、女優 * [[4月30日]] - [[ライアン・オルーク]]、メジャーリーガー ==== 5月 ==== <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1988年の日本」項内に記入--> * [[5月2日]] - [[ネフタリ・フェリス]]、メジャーリーガー * [[5月3日]] - [[マーク・ハーディ]]、[[プロ野球選手]] * 5月3日 - [[ベン・リビア]]、メジャーリーガー * [[5月4日]] - [[クリスチャン・バーグマン]]、メジャーリーガー <!-- 日本ローカル? * 5月4日 - [[宮田愛]]、ミュージカル俳優 --> * [[5月5日]] - [[アデル (歌手)|アデル]]、歌手 * 5月5日 - [[ブルック・ホーガン]]、歌手 * 5月5日 - [[スカイ・スウィートナム]]、歌手 * [[5月7日]] - [[イサイアス・ベラスケス]]、元マイナーリーガー <!-- 日本ローカル? * 5月7日 - [[倉橋大賀]]、AV男優 --> * [[5月8日]] - [[リーズ・ドゥ・ラ・サール]]、[[ピアニスト]] * [[5月9日]] - [[ネマニャ・ビエリツァ]]、バスケットボール選手 *5月9日 - [[雅千夏]]、アイドル * [[5月10日]] - [[ライアン・ジャクソン]]、メジャーリーガー * [[5月12日]] - [[マルセロ・ヴィエイラ・ダ・シウヴァ・ジュニオル|マルセロ]]、サッカー選手 * [[5月14日]] -[[ニッコロ・カネパ]]、オートバイレーサー * [[5月16日]] - [[アン・ボヒョン]]、俳優 * [[5月17日]] - [[サム・ダイソン]]、メジャーリーガー * [[5月18日]] - [[瀬戸康史]]、俳優 * 5月18日 - [[SOL]]、アイドル([[BIGBANG]]) * [[5月20日]] - [[カイル・ジェンセン]]、プロ野球選手 * [[5月21日]] - [[パク・ギュリ]]、アイドル、女優(元[[KARA]]) * [[5月23日]] - [[モーガン・プレッセル]]、[[ゴルファー]] * [[5月24日]] - [[ハモン・オズニ・モレイラ・ラジェ]]、プロサッカー選手 * 5月24日 - [[ブラディミール・ガルシア (投手)|ブラディミール・ガルシア]]、野球選手 * [[5月25日]] - [[崔智恩]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 5月25日 - [[パヴェル・カシュカ]]、フィギュアスケート選手 * [[5月27日]] - [[ギャレット・リチャーズ]]、メジャーリーガー * 5月27日 - [[ブラッド・ボックスバーガー]]、メジャーリーガー * [[5月28日]] - [[黒木メイサ]]、女優 * 5月28日 - [[クレイグ・キンブレル]]、メジャーリーガー * 5月28日 - [[レスター・オリベロス]]、メジャーリーガー * [[5月29日]] - [[早織]]、女優 * 5月29日 - [[Rover (ベリーグッドマン)|Rover]](ベリーグッドマン)、歌手 * [[5月30日]] - [[アマンダ・ヌネス]]、格闘家 * [[5月31日]] - [[イ・スヒョク]]、俳優、モデル ==== 6月 ==== <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1988年の日本」項内に記入--> * [[6月1日]] - [[フランシスコ・ペゲロ]]、[[野球選手]] * 6月1日 - [[ハビエル・エルナンデス]]、サッカー選手 * [[6月2日]] - [[セルヒオ・アグエロ]]、サッカー選手 * 6月2日 - [[齋藤彩夏]]、声優 * [[6月3日]] - [[三浦翔平]]、俳優、モデル * 6月3日 - [[柳下大]]、俳優 * [[6月6日]] - [[アレクセイ・ロゴノフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 6月6日 - [[ジェレミー・ゴールド]]、野球選手 * 6月6日 - [[斎藤佑樹]]、元プロ野球選手 * [[6月7日]] - [[マイケル・セラ]]、俳優 * 6月7日 - [[フィリップ・ティッシェンドルフ]]、フィギュアスケート選手 * [[6月10日]] - [[ガラニン・ヤン]]、野球選手 * 6月10日 - [[ジャイール・エドワルド・ブリト・ダ・シルバ|ジャイール]]、サッカー選手 * [[6月11日]] - [[新垣結衣]]、女優 * [[6月13日]] - [[生田竜聖]]、アナウンサー * [[6月18日]] - [[マリアナ・ブリディ・ダ・コスタ]]、[[ブラジル]]のモデル (+ [[2009年]]) * [[6月20日]] - [[May J.]]、歌手 * [[6月22日]] - [[オムリ・カスピ]]、バスケットボール選手 * 6月22日 - [[ポーシャ・ダブルデイ]]、女優 * [[6月24日]] - [[マイカ・リチャーズ]]、サッカー選手 * 6月24日 - [[ミチェレ・カントゥ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[6月28日]] - [[濱田岳]]、俳優 * 6月28日 - [[近藤唯]]、声優 * [[6月29日]] - [[エベル・バネガ]]、サッカー選手 * 6月29日 - [[ブルックス・ラリー]]、[[プロ野球選手]] * [[6月30日]] - [[中尾明慶]]、俳優 * 6月30日 - [[呉承訓]]、サッカー選手 ==== 7月 ==== <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1988年の日本」項内に記入--> * [[7月1日]] - [[金智孝]]、[[気象キャスター]] * [[7月2日]] - [[李菁龍]]、サッカー選手 * 7月2日 - [[ゆゆうた]]、[[YouTuber]]、[[ミュージシャン]]、ピアニスト、[[ゲーム実況者]] * [[7月3日]] - [[ミゲル・アンヘル・ロペス (陸上選手)|ミゲル・アンヘル・ロペス]]、陸上競技選手 * [[7月6日]] - [[ミハイル・クズネツォフ]]、フィギュアスケート選手 <!-- 日本ローカル? * 7月6日 - [[原奈津子]]、声優、女優、アイドル --> * 7月6日 - [[コーディー・ファーン]]、俳優 * [[7月8日]] - [[ジャーネイル・ヘイズ]]、陸上競技選手 * 7月8日 - [[クセニヤ・シュミリナ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[7月11日]] - [[王磊 (フィギュアスケート選手)|王磊]]、フィギュアスケート選手 * 7月11日 - [[井口裕香]]、声優、歌手 * [[7月12日]] - [[マルコー・マールトン]]、フィギュアスケート選手 * 7月12日 - [[ジェレミー・バーフィールド]]、マイナーリーガー * 7月12日 - [[種田梨沙]]、声優 * [[7月13日]] - [[五嶋龍]]、[[ヴァイオリニスト]] * 7月13日 - [[王靖超]]、野球選手 * 7月13日 - [[ヴァネッサ・クワイ]]、歌手 * 7月13日 - [[DJ・ルメイユ]]、メジャーリーガー * [[7月14日]] - [[グラシエル・ジーン・タン]]、フィギュアスケート選手 * 7月14日 - [[リース・ウィリアムズ]]、サッカー選手 * [[7月15日]] - [[エロイス・ルスール]]、[[陸上競技]]選手<ref>{{cite web|url=http://www.iaaf.org/athletes/france/eloyse-lesueur-207741|title=Athlete profile for Éloyse Lesueur|accessdate=2014-10-20|publisher=[[国際陸上競技連盟]]}}</ref> * [[7月16日]] - [[セルヒオ・ブスケツ・ブルゴス]]、サッカー選手 * [[7月17日]] - [[浅田舞]]、元フィギュアスケート選手・スポーツキャスター * [[7月20日]] - [[スティーブン・ストラスバーグ]]、[[メジャーリーガー]] * 7月20日 - [[タイ・ケリー]]、メジャーリーガー * [[7月21日]] - [[ネッラ・シマオヴァ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[7月22日]] - [[吉高由里子]]、女優 * 7月22日 - [[金廣鉉]]、野球選手 * [[7月24日]] - [[ハン・スンヨン]]、元アイドル、女優(元[[KARA]]) * [[7月25日]] - [[朱大衛]]、プロ野球選手 * 7月25日 - [[ステイシー・ケンプ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 7月25日 - [[ジョゼ・パウロ・ベセーラ・マシエル・ジュニオール|パウリーニョ]]、サッカー選手 * [[7月26日]] - [[鄭凱文]]、野球選手 * 7月26日 - [[近江友里恵]]、アナウンサー * [[7月28日]] - [[許斌姝]]、フィギュアスケート選手 * 7月28日 - [[仲村宗悟]]、声優 * [[7月30日]] - [[クリストファー・トレフィル]]、フィギュアスケート選手 * [[7月31日]] - [[クリスタル・マイヤーズ]]、歌手 * 7月31日 - [[崔暁]]、元プロ野球選手 ==== 8月 ==== <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1988年の日本」項内に記入--> * [[8月1日]] - [[ロイド・ジョーンズ (フィギュアスケート選手)|ロイド・ジョーンズ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 8月1日 - [[タチアナ・ココレワ]]、フィギュアスケート選手 <!-- 日本ローカル? * [[8月2日]] - [[小林由希子]]、ミュージカル俳優 --> * [[8月2日]] - [[ジュスティン・シャーマー]]、[[野球選手]] * [[8月3日]] - [[マチェイ・チェプルハ]]、フィギュアスケート選手 * [[8月5日]] - [[フェデリカ・ペレグリニ]]、競泳選手 * 8月5日 - [[フルール・マクスウェル]]、フィギュアスケート選手 * [[8月6日]] - [[窪田正孝]]、俳優 * [[8月7日]] - [[アニッカ・オーブレット]]、ポルノ女優 * 8月7日 - [[メロディ・オリヴェリア]]、YouTuber * [[8月8日]] - [[ダニーロ・ガリナリ]]、[[バスケットボール]]選手 * 8月8日 - [[ベアトリス・オブ・ヨーク]]、イギリス王室 * 8月8日 - [[リンク・シン]]、野球選手 * [[8月9日]] - [[ウィリアン・ボルジェス・ダ・シウヴァ|ウィリアン]]、サッカー選手 <!-- 日本ローカル? * 8月9日 - [[藤岡みなみ]]、女性タレント --> * 8月9日 - [[山本希望]]、声優 * [[8月11日]] - [[アドリアン・シュルタイス]]、フィギュアスケート選手 * 8月11日 - [[寺島惇太]]、声優、歌手 * [[8月12日]] - [[ホセ・タバタ]]、[[メジャーリーガー]] * 8月12日 - [[ステファン・ウェルチ]]、野球選手 * [[8月13日]] - [[パク・チミ]]、女優 * [[8月14日]] - [[アレックス・リッディ]]、メジャーリーガー * [[8月17日]] - [[ミッチ・デニング]]、[[プロ野球選手]] * 8月17日 - [[戸田恵梨香]]、女優 * [[8月18日]] - [[G-DRAGON]]、ラッパー、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、起業家 、ファッションアイコン([[BIGBANG]]) * [[8月19日]] - [[フーディ・アレン]]、ラッパー * 8月19日 - [[ヴェロニカ・ロス]]、作家 * [[8月20日]] - [[佐津川愛美]]、女優 * [[8月21日]] - [[ケイシー・マスグレイヴス]]、カントリー・ミュージック・アーティスト * 8月21日 - [[ロベルト・レヴァンドフスキ]]、サッカー選手 * [[8月23日]] - [[ジェレミー・リン]]、[[バスケットボール]]選手 * 8月23日 - [[マイルズ・マイコラス]]、プロ野球選手 * [[8月24日]] - [[吉田麻也]]、サッカー選手 * [[8月24日]] - [[ルパート・グリント]]、俳優 * [[8月26日]] - [[マリオ・ホランズ]]、メジャーリーガー * 8月26日 - [[エルビス・アンドラス]]、メジャーリーガー * [[8月27日]] - [[A.J.アクター]]、メジャーリーガー * [[8月29日]] - [[小柳友]]、俳優 ==== 9月 ==== <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1988年の日本」項内に記入--> * [[9月1日]] - [[エスクデロ・セルヒオ]]、サッカー選手 * [[9月2日]] - [[金本涼輔]]、声優 * [[9月3日]] - [[ジェローム・ボアテング]]、サッカー選手 * [[9月4日]] - [[野上翔]]、声優 * [[9月5日]] - [[ヌリ・シャヒン]]、サッカー選手 * [[9月6日]] - [[アーノルド・レオン]]、[[メジャーリーガー]] * [[9月7日]] - [[リージェン・チョン]]、[[HotCha]] * 9月7日 - [[ケビン・ラブ]]、[[バスケットボール]]選手 * [[9月8日]] - [[ケイトリン・ヒル]]、ユーチューバー * 9月8日 - [[チャンス・ラフィン]]、メジャーリーガー * [[9月9日]] - [[ミリアン・サムソン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 9月9日 - [[ウィル・ミドルブルックス]]、メジャーリーガー * 9月9日 - [[清水理沙]]、声優 * 9月9日 - [[中村静香]]、グラビアアイドル、タレント、女優 * 9月9日 - [[東惣介]]、AV男優 * 9月9日 - [[加隈亜衣]]、声優 * [[9月10日]] - 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[[明日花キララ]]、AV女優 * [[10月3日]] - [[グレゴリー・メリマン]]、[[フィギュアスケート]][[アイスダンス]]選手 * [[10月4日]] - [[メリッサ・ブノワ]]、女優、歌手 * 10月4日 - [[デリック・ローズ]]、バスケットボール選手 <!-- 日本ローカル? * 10月4日 - [[森絵梨佳]]、グラビアアイドル・タレント --> * [[10月6日]] - [[堀北真希]]、元女優、元タレント * [[10月7日]] - [[ジエゴ・ダ・シウヴァ・コスタ|ジエゴ・コスタ]]、サッカー選手 * [[10月8日]] - [[ヘフェール・パティーノ]]、元マイナーリーガー * [[10月9日]] - [[柳田悠岐]]、プロ野球選手([[福岡ソフトバンクホークス]]) * [[10月10日]] - [[フェルナンド・マルティネス]]、メキシカンリーガー * <!-- 日本ローカル? [[10月10日]] - [[福田麻貴]]、お笑いタレント(3時のヒロイン)、元アイドル(元つぼみ) --> * 10月10日 - [[田村奈央]]、声優 * [[10月11日]] - [[エディソン・バリオス]]、[[プロ野球選手]] * 10月11日 - [[泉里香]]、女優・タレント * [[10月15日]] - [[メスト・エジル]]、サッカー選手 * [[10月17日]] - [[大島優子]]、元[[AKB48]]、女優・タレント * [[10月17日]] - [[ステフェン・ロメロ]]、プロ野球選手 * [[10月17日]] - [[相羽あいな]]、声優、歌手 * 10月17日 - [[松坂桃李]]、俳優 * [[10月18日]] - [[ウィンキー・ライ]]、[[HotCha]] * 10月18日 - [[ナタリア・シェスタコワ]]、フィギュアスケート選手 * 10月18日 - [[伊東健人]]、声優 * [[10月19日]] - [[榎木淳弥]]、声優 * [[10月20日]] - [[キャンディス・スワンポール]]、ファッションモデル * 10月20日 - [[フランセナ・マッコロリー]]、陸上競技選手 * 10月20日 - [[馬龍]]、卓球選手 * 10月20日 - [[新垣里沙]]、タレント・元モーニング娘 * [[10月23日]] - [[ニア・アリ]]、陸上競技選手 * [[10月24日]] - [[櫻川めぐ]]、声優、歌手 * [[10月28日]] - [[菜々緒]]、ファッションモデル、女優、タレント * [[10月31日]] - [[セバスチャン・ブエミ]]、[[フォーミュラ1|F1]][[レーシングドライバー|ドライバー]] ==== 11月 ==== <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1988年の日本」項内に記入--> * [[11月1日]] - [[田中将大]]、[[メジャーリーガー]] * [[11月2日]] - [[セス・ロジン]]、[[メジャーリーガー]] * [[11月5日]] - [[原紗友里]]、声優、元[[LISP (声優ユニット)|LISP]]のメンバー * [[11月8日]] - [[ヤズマニ・グランダル]]、メジャーリーガー * 11月8日 - [[高宮まり]]、プロ雀士 * 11月8日 - [[田島穂奈美]]、女優 * [[11月9日]] - [[ニッキー・ブロンスキー]]、女優、歌手 * [[11月11日]] - [[小松未可子]]、声優 * [[11月12日]] - [[シンディ・ロンドン]]、[[バレーボール]]選手 * 11月12日 - [[ラッセル・ウェストブルック]]、バスケットボール選手 * [[11月14日]] - [[星井七瀬]]、女優 * [[11月14日]] - [[大野拓朗]]、俳優 * [[11月15日]] - [[B.o.B]]、ラッパー * [[11月18日]] - [[マリー・ジョゼ・タ・ルー]]、陸上競技選手<ref>{{cite web|url=http://www.lequipe.fr/Athletisme/AthletismeFicheAthlete20271.html|title=MARIE-JOSéE TA LOU|publisher=L'Équipe|language=フランス語|accessdate=2016-08-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160823052944/http://www.lequipe.fr/Athletisme/AthletismeFicheAthlete20271.html|archivedate=2016年08月23日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref> * 11月18日 - [[HiDEX]](ベリーグッドマン)、歌手 * [[11月21日]] - [[マット・ウェスト]]、[[プロ野球選手]] <!-- * 11月21日 - [[松本拓馬]]、美容師 --> * [[11月22日]] - [[ドリュー・ポメランツ]]、メジャーリーガー * 11月22日 - [[オースティン・ロマイン]]、メジャーリーガー * [[11月24日]] - [[ジャロッド・パーカー]]、メジャーリーガー * [[11月25日]] - [[ジミー・パラデス]]、プロ野球選手 * [[11月26日]] - [[何琢言]]、女優 * [[11月26日]] - [[倉田秋]]、サッカー選手 * 11月26日 - [[エリザベス・マリー]]、MiraSpider * 11月26日 - [[與真司郎]]、[[AAA (音楽グループ)|AAA]] * [[11月27日]] - [[ガブリエラ・ボイトビッチ]]、バレーボール選手 * [[11月28日]] - [[藤春廣輝]]、サッカー選手 * [[11月29日]] - [[ラッセル・ウィルソン]]、アメリカンフットボール選手 * [[11月30日]] - [[藍井エイル]]、アニソン歌手 ==== 12月 ==== <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1988年の日本」項内に記入--> * [[12月1日]] - [[イム・シワン]]、アイドル、俳優([[ZE:A]]) * [[12月3日]] - [[川谷絵音]]、歌手 * [[12月6日]] - [[島崎信長]]、声優 * [[12月7日]] - [[エミリー・ブラウニング]]、俳優 * [[12月10日]] - [[ネヴェン・スボティッチ]]、サッカー選手 * [[12月13日]] - [[リッキー・ファウラー]]、[[プロゴルファー]] * [[12月14日]] - [[村瀬歩]]、声優 * [[12月14日]] - [[ヴァネッサ・ハジェンズ]]、女優、歌手 * [[12月15日]] - [[ダース・ローマシュ匡]]、元プロ野球選手 * 12月15日 - [[ライアン・プレスリー]]、メジャーリーガー * [[12月16日]] - [[マッツ・フメルス]]、サッカー選手 * 12月16日 - [[アナ・ポップルウェル]]、女優 * 12月16日 - [[パク・ソジュン]]、俳優、モデル * [[12月17日]] - [[陳善有]]、[[ショートトラックスピードスケート]]選手 * 12月17日 - [[グレテ・グリュンベルク]]、[[フィギュアスケート]][[アイスダンス]]選手 * 12月17日 - [[アメリー・ラコステ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 12月17日 - [[高梨臨]]、女優、モデル、タレント * [[12月18日]] - [[ブリアンヌ・タイゼン=イートン]]、陸上競技選手 * [[12月19日]] - [[アレクシス・サンチェス]]、サッカー選手 * 12月19日 - [[濵田崇裕]]、[[WEST.]] * [[12月23日]] - [[亀井絵里]]、タレント・元モーニング娘 * [[12月24日]] - [[須田祐介]]、声優 * [[12月25日]] - [[マリ・ヴァルトマン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 12月25日 - [[エリック・ゴードン]]、[[バスケットボール]]選手 * [[12月27日]] - [[ヨアンナ・ブドネル]]、フィギュアスケート選手 * 12月27日 - [[リック・ポーセロ]]、メジャーリーガー * 12月27日 - [[テギョン|オク・テギョン]]、アイドル、俳優([[2PM]]) * [[12月29日]] - [[アグネシュ・サバイ]]、[[テニス]]選手 * [[12月30日]] - [[ドリュー・ルチンスキー]]、メジャーリーガー * 12月30日 - [[ダニー・ブラワ]]、メジャーリーガー === 人物以外 === * 2月24日 - [[オペラハウス (競走馬)|オペラハウス]]、[[競走馬]] == 死去 == {{See|訃報 1988年}} == ノーベル賞 == * [[ノーベル物理学賞|物理学賞]] - [[レオン・レーダーマン]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]])、[[メルヴィン・シュワーツ]](アメリカ)、[[ジャック・シュタインバーガー]](アメリカ) * [[ノーベル化学賞|化学賞]] - [[ヨハン・ダイゼンホーファー]]([[ドイツ]])、[[ロベルト・フーバー]](ドイツ)、[[ハルトムート・ミヒェル]](ドイツ) * [[ノーベル生理学・医学賞|生理学・医学賞]] - [[ジェームス・ブラック]]([[イギリス]])、[[ガートルード・エリオン]](アメリカ)、[[ジョージ・ヒッチングス]](アメリカ) * [[ノーベル文学賞|文学賞]] - [[ナギーブ・マフフーズ]]([[エジプト]]) * [[ノーベル平和賞|平和賞]] - [[国際連合平和維持活動|国連平和維持軍]] * [[ノーベル経済学賞|経済学賞]] - [[モーリス・アレ]]([[フランス]]) == フィクションのできごと == * [[6月21日]] - アメリカ・[[メイン州]]ヘイヴン在住の作家ロバータ(ボビ)・アンダーソンが、[[更新世|250万年以上前]]にヘイヴンの森に墜落し、それ以来地中に埋もれていた異星人「トミーノッカーズ」の[[空飛ぶ円盤|宇宙船]]を発見し、1人で発掘を始める。(小説『[[トミーノッカーズ]]』)<ref>{{Cite book |和書 |author= スティーヴン・キング|authorlink=スティーヴン・キング |title = トミーノッカーズ 上 |publisher = [[文藝春秋]] |year = 1997 |pages = 15,21-30,45-62 |isbn = 978-4-16-714813-3}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author = スティーヴン・キング |title = トミーノッカーズ 下 |publisher = 文藝春秋 |year = 1997 |pages = 411,430-432 |isbn = 978-4-16-714814-0}}</ref> * 宇宙探検家ゴーハム・ジョンソン率いる初の[[火星]]・[[木星]]探検隊が宇宙ロケット「パイオニアII」で進発。ジョンソンは木星に達する前に[[カリスト (衛星)|カリスト]]で結晶生物に襲われ死亡するが、探検隊に参加していたマーク・カルーらによって木星への着地はなされる。この探検の中で、[[火星人]]および木星人との友好的な接触が行われる。(小説『[[キャプテン・フューチャー]]』)<ref>{{Cite book |和書 |author=エドモンド・ハミルトン|authorlink=エドモンド・ハミルトン |title = キャプテン・フューチャー全集1 恐怖の宇宙帝王/暗黒星大接近! |publisher = [[東京創元社]] |year = 2004 |pages = 561-566,571,572 |isbn = 978-4-488-63711-8}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author = エドモンド・ハミルトン |title = キャプテン・フューチャー全集3 太陽系七つの秘宝/謎の宇宙船強奪団 |publisher = 東京創元社 |year = 2004 |page = 473 |isbn = 978-4-488-63713-2}}</ref> * ネメシスを巡り[[サイバーマン]]と[[ネオナチ]]、魔術師が対立し奪い合う。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|1988}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] {{十年紀と各年|世紀=20|年代=1900}} {{Navboxes | title = 1988年の各国([[各年の国の一覧|一覧]]) | list1 = {{各年のアメリカ|1988|unit=1||List=1}} {{各年のヨーロッパ|1988|unit=1||List=1}} {{各年のアフリカ|1988|unit=1||List=1}} {{各年のアジア|1988|unit=1||List=1}} {{各年のオセアニア|1988|unit=1||List=1}} }} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1988ねん}} [[Category:1988年|*]]
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貞本義行
貞本 義行(さだもと よしゆき、1962年1月29日 - )は、日本のアニメーター、漫画家。イラストレーター、カラー相談役。血液型はA型。同人誌でのペンネームにY.S・イレブンなどがある。 山口県徳山市(現・周南市)出身。徳山市立住吉中学校、山口県立徳山高等学校、東京造形大学造形学部美術学科絵画領域専攻(絵画専攻前はデザイン学科産業デザイン専攻)卒業。愛知県高浜市在住。妻は漫画家のたかはまこ。『ストリートファイターIII』などを手がけたカプコンのプロデューサー貞本友思は従兄弟。 高校時代は美大を目指し、画家の藤永俊雄に師事。東京の大学に進学したのはアニメや漫画などの仕事がしやすいからという理由である。ただし、もともとはプロになるつもりはなく、卒業後には故郷で美術教師になることを志望していたという。1981年、在学時にオートバイ(バイク)の購入資金目当てに『週刊少年チャンピオン』の「第16回週刊少年チャンピオン新人まんが賞」に応募、入選を果たした。受賞作の自動車レース漫画『FINAL STRETCH 最後の疾走』でデビュー。 大学2年次に漫画研究会の後輩の前田真宏に誘われ『超時空要塞マクロス』の原画をアルバイトで担当し、そこで庵野秀明や山賀博之と出会う。4年次には前田とともにアマチュア自主映画グループ「DAICON FILM」(ガイナックスの前身)に属してSF大会のオープニング・アニメーションの製作などに携わっている。その為、この頃は大学の授業にはあまり出ておらず、課題でも短時間で完成度が高く見せられるように、前に描いた絵を上塗りして提出したりもしている。東京から大阪へ移動するのにバイクを使っていた。 1984年、大学卒業後にテレコム・アニメーションフィルムへ入社し、大塚康生にアニメーションを学ぶ。同期には田中達之、滝口禎一、横堀久雄がいたが、アニメの経験を隠していた貞本の新人離れした技量に自信喪失した同期生まで出たという。大塚康生も自分より上手いと脱帽し、新人時点の上手さでは宮崎駿、月岡貞夫と並ぶ存在だったと評価を下している。ただ、絵コンテを切るのは苦手だという。 テレコムでは動画として3か月勤めた。その後、ガイナックスが劇場アニメ『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年公開)を製作することとなったためガイナックスへと移籍。同作でキャラクターデザイン及び作画監督を務めた。新人無名のアニメーターをキャラクターデザイナー及び作画監督として起用するのは異例であり、現在に至るまで他に例がない。以後、『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、『新世紀エヴァンゲリオン』など、ガイナックスの中核メンバーとして活躍。 1991年から1992年にかけてアニメ雑誌『ニュータイプ』誌に漫画『R20 歯車のある街』を連載し、9年ぶりに漫画家としての活動を再開した。さらに1995年から『新世紀エヴァンゲリオン』の漫画版を『月刊少年エース』にて連載を開始して以降、アニメの仕事から漫画とイラストへと仕事の比重が移った。 趣味は映画鑑賞、車、バイク、アイドルなど。影響を受けた漫画家は松本零士、永井豪、福山庸治の3人で、好きな映画にテリー・ギリアム監督の全作品と答えている。ロックバンドのムーンライダーズのファンで、作中でもその影響が見られ、その縁でベストアルバム『ANTHOLOGY 1976-1996』のジャケットを手がけた。なお、ムーンライダーズの弟バンドとも言われたカーネーションの直枝政広とは大学の同期であり、交友がある。 イラストレーターとしての人気も高く、画集も出版されている。貞本の画集『ALPHA』(1993年)を偶然書店で見て感動したギタリストのエリック・クラプトン自身のアルバムのジャケットデザインを依頼。1998年のクラプトンのアルバム『ピルグリム』は貞本がイラストを描いたジャケットで発売された。
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貞本 義行は、日本のアニメーター、漫画家。イラストレーター、カラー相談役。血液型はA型。同人誌でのペンネームにY.S・イレブンなどがある。 山口県徳山市(現・周南市)出身。徳山市立住吉中学校、山口県立徳山高等学校、東京造形大学造形学部美術学科絵画領域専攻(絵画専攻前はデザイン学科産業デザイン専攻)卒業。愛知県高浜市在住。妻は漫画家のたかはまこ。『ストリートファイターIII』などを手がけたカプコンのプロデューサー貞本友思は従兄弟。
{{存命人物の出典明記|date=2019年8月}} {{Infobox 漫画家 |名前 = 貞本 義行 |画像 = Yoshiyuki Sadamoto 1.png |本名 = |生年 = {{生年月日と年齢|1962|1|29}} |生地 = [[山口県]][[徳山市]](現・[[周南市]]) |没年 = |没地 = |国籍 = {{JPN}} |職業 = [[漫画家]]・[[アニメーター]]・[[イラストレーター]] |活動期間 = [[1981年]] - |ジャンル = [[少年漫画]]、[[青年漫画]] |代表作 = 『[[新世紀エヴァンゲリオン (漫画)|新世紀エヴァンゲリオン]]』 |受賞 = 第16回[[週刊少年チャンピオン新人まんが賞]]入選<br />『FINAL STRETCH 最後の疾走』 |サイン = |公式サイト = }} '''貞本 義行'''(さだもと よしゆき、[[1962年]][[1月29日]] - )は、[[日本]]の[[アニメーター]]、[[漫画家]]。[[イラストレーター]]、[[カラー (映像制作会社)|カラー]]相談役。血液型はA型。[[同人誌]]での[[ペンネーム]]に'''Y.S・イレブン'''などがある。 [[山口県]][[徳山市]](現・[[周南市]])出身。[[周南市立住吉中学校|徳山市立住吉中学校]]、[[山口県立徳山高等学校]]、[[東京造形大学]][[造形学部]]美術学科絵画領域専攻(絵画専攻前はデザイン学科産業デザイン専攻)卒業。[[愛知県]][[高浜市]]在住。妻は漫画家の[[たかはまこ]]。『[[ストリートファイターIII]]』などを手がけた[[カプコン]]のプロデューサー[[貞本友思]]は従兄弟<ref>{{Cite web|和書|title=ROUND 4:貞本友思さん 中編 {{!}} ゲスト {{!}} 活動報告書 |url=https://game.capcom.com/cfn/sfv/column-129957 |website=CAPCOM:シャドルー格闘家研究所 |access-date=2023-08-02 |language=ja}}</ref>。 == 略歴 == {{出典の明記|section=1|date=2019-08-11}} {{要出典範囲|高校時代は美大を目指し、画家の[[藤永俊雄]]に師事。東京の大学に進学したのはアニメや漫画などの仕事がしやすいからという理由である。ただし、もともとはプロになるつもりはなく、卒業後には故郷で美術教師になることを志望していたという。1981年、在学時に[[オートバイ]](バイク)の購入資金目当てに『[[週刊少年チャンピオン]]』の「第16回[[週刊少年チャンピオン新人まんが賞]]」に応募、入選を果たした。受賞作の自動車レース漫画『FINAL STRETCH 最後の疾走』でデビュー。|date=2019-08-11}} 大学2年次に漫画研究会の後輩の[[前田真宏 (アニメ監督)|前田真宏]]に誘われ『[[超時空要塞マクロス]]』の原画を[[アルバイト]]で担当し、そこで[[庵野秀明]]や[[山賀博之]]と出会う。4年次には前田とともにアマチュア[[自主映画]]グループ「[[DAICON FILM]]」([[ガイナックス]]の前身)に属して[[SF大会]]のオープニング・アニメーションの製作などに携わっている{{R|スキゾ・エヴァンゲリオン}}。{{要出典範囲|その為、この頃は大学の授業にはあまり出ておらず、課題でも短時間で完成度が高く見せられるように、前に描いた絵を上塗りして提出したりもしている。東京から大阪へ移動するのにバイクを使っていた。|date=2019-08-11}} 1984年、大学卒業後に[[テレコム・アニメーションフィルム]]へ入社し、[[大塚康生]]にアニメーションを学ぶ。同期には[[田中達之]]、[[滝口禎一]]、横堀久雄がいたが、アニメの経験を隠していた貞本の新人離れした技量に自信喪失した同期生まで出たという。大塚康生も自分より上手いと脱帽し、新人時点の上手さでは[[宮崎駿]]、[[月岡貞夫]]と並ぶ存在だったと評価を下している<ref>{{Cite book|和書 |title=大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽 |date=2006-01-31 |publisher=実業之日本社 |pages=289-290 |author2=森遊机 |author=大塚康生 |isbn=9784408612553}}</ref>。{{要出典範囲|ただ、絵コンテを切るのは苦手だという。|date=2019-08-11}} テレコムでは動画として3か月勤めた。その後、ガイナックスが劇場アニメ『[[王立宇宙軍 オネアミスの翼]]』([[1987年]]公開)を製作することとなったためガイナックスへと移籍。同作でキャラクターデザイン及び作画監督を務めた。{{要出典範囲|新人無名のアニメーターをキャラクターデザイナー及び作画監督として起用するのは異例であり、現在に至るまで他に例がない。|date=2019-08-11}}以後、『[[トップをねらえ!]]』、『[[ふしぎの海のナディア]]』、『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』など、ガイナックスの中核メンバーとして活躍。 [[1991年]]から[[1992年]]にかけて[[アニメ雑誌]]『ニュータイプ』誌に漫画『R20 歯車のある街』を連載し、9年ぶりに漫画家としての活動を再開した。さらに[[1995年]]から『新世紀エヴァンゲリオン』の[[新世紀エヴァンゲリオン (漫画)|漫画版]]を『[[月刊少年エース]]』にて連載を開始して以降、アニメの仕事から漫画とイラストへと仕事の比重が移った。 趣味は映画鑑賞、車、バイク、アイドルなど。影響を受けた漫画家は[[松本零士]]、[[永井豪]]、[[福山庸治]]の3人で、好きな映画に[[テリー・ギリアム]]監督の全作品と答えている。ロックバンドの[[ムーンライダーズ]]のファンで、作中でもその影響が見られ、その縁でベストアルバム『ANTHOLOGY 1976-1996』のジャケットを手がけた。なお、ムーンライダーズの弟バンドとも言われた[[カーネーション (バンド)|カーネーション]]の[[直枝政広]]とは大学の同期であり、交友がある。 イラストレーターとしての人気も高く、画集も出版されている。貞本の画集『ALPHA』([[1993年]])を偶然書店で見て感動したギタリストの[[エリック・クラプトン]]自身のアルバムのジャケットデザインを依頼。[[1998年]]のクラプトンのアルバム『[[ピルグリム]]』は貞本がイラストを描いたジャケットで発売された。 [[2007年]][[東京アニメアワード]]キャラクターデザイン賞を『時をかける少女』で受賞。 == エピソード == * 『DAICON IVオープニングアニメ』で、女性キャラクターの胸が揺れる「[[乳揺れ|乳ユラシ]]」を日本で初めて行ったとする説があり<ref>{{Cite web|和書|title=WEBアニメスタイル_COLUMN |url=http://www.style.fm/as/05_column/animesama16.shtml |website=WEBアニメスタイル |access-date=2023-08-02 |work=アニメ様の七転八倒 第16回 オッパイと芸術 |author=小黒祐一郎 |date=2005-06-06}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=ヨイコ |date=2001-05 |publisher=音楽専科社 |page=75 |series=空前絶後のオタク座談会, 1 |isbn=9784872790696 |chapter=オタクの歴史徹底大研究 |author=岡田斗司夫 |author2=山本弘 |author3=小牧雅伸}}</ref>、{{要出典範囲|一時期「'''乳揺らしの貞本'''」と呼ばれていた。|date=2019-08-11}} * 貞本のキャラクターは顔の描き分けが乏しく、髪型や服装を変えることでしか違いを表現できていない。これは本人も自認しており、[[ふしぎの海のナディア#登場人物|ナディア]]の髪型を変え、まつげを取り除くだけで[[碇シンジ]]になるとか<ref>漫画『新世紀エヴァンゲリオン』第2巻のあとがきより。</ref>、[[時をかける少女_(アニメ映画)#登場人物|間宮千昭]]も、油断すると[[渚カヲル]]になってしまうと語っている<ref>{{Cite book|和書 |title=時をかける少女 NOTEBOOK |date=2006-07-01 |publisher=角川書店 |page=90 |isbn=9784048539890 |editor=ニュータイプ}}</ref>。もともとエヴァのキャラクターデザインの際はシンジやミサトといったプレーンな顔を描く際は苦労したといい、特にシンジはこれという要素がないため日によってまちまちになってしまったという。プラグスーツのデザインに悩んだ時は自らフィギュアを作成して参考にした<ref>{{Cite book|和書 |title=eve 2015年の女神たち―新世紀エヴァンゲリオンPHOTO FILE |date=1996/4/1 |publisher=角川書店 |isbn=978-4048526616}}{{要ページ番号|date=2023-08}}</ref>。 * 『[[ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序]]』の作画監督を務めていた時、同じく作画監督を務めていた[[松原秀典]]の絵柄について、「松原の描いたシンジの[[鎖骨]]が綺麗だ」と言っている。貞本と松原が初めて出会ったのは『[[王立宇宙軍 オネアミスの翼]]』の時であり、貞本は新人であった松原の実力を最初に認めた人物である。 * [[天野喜孝]]の大ファンであり、「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の企画書のイメージボードの書き方に悩んでいた貞本に、押井が「今『[[天使のたまご]]』で天野がイラストを描いているから勉強しに来い」と誘った<ref name="manga">{{Cite book |title=漫画魂(スピリット)―おしぐちたかしインタビュー集 |date=2003-12 |publisher=白夜書房 |pages=78-79 |isbn=9784893679116 |others=編著 おしぐちたかし}}</ref>。天野と[[押井守]]がどういうセッションをしてイメージボードを描いているのかに興味を持ち「仕事を手伝うかわりに現場を見せて欲しい」と押井に頼んで天野の仕事場で原画作業させてもらった。しかし、「天野さんは黙々と仕事を進める方で、結局ジャマをしにいっただけで終わった」という。「『天使のたまご』の頃の描き方を特に気に入っていて、カラーインクの使い方を含めて大きな影響を受けている」とのこと。 * {{要出典範囲|現在は妻の生まれ故郷である[[愛知県]][[高浜市]]に本籍を置いている。『エヴァ』が大ブームを巻き起こした際には市内のトップ納税者となった。|date=2019-08-11}} * [[TM NETWORK]]が1988年に発表したアルバム『[[CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜]]』のビジュアルディレクターを担当した。 * [[黄瀬和哉]]は貞本の作風を「リアル(実写)と漫画(アニメ)のどちらにも傾くことができる絶妙なバランスだ」と評している。 * {{要出典範囲|少年向けで好きな作品は[[楳図かずお]]の『[[漂流教室]]』、[[斎藤惇夫]]原作の『[[ガンバの冒険]]』・[[松本零士]]の『[[銀河鉄道999]]』であるという。貞本は「自分の居場所を求めて旅をして物事を果たしてからも元には戻らずまた旅を続けるところがかっこいいんですよ」と言った。事実、漫画版『エヴァ』にも上記の作品へのオマージュがあるという。|date=2019-08-11}} * キャリア初期に漫画家として影響を受けた人物は[[大友克洋]]・[[坂口尚]]・[[ジャン・ジロー|メビウス]]<ref name="manga"/>。 *[[2019年]][[8月9日]]、自身のツイッターにおいて、[[あいちトリエンナーレ]]2019の企画展「表現の不自由展・その後」で展示された[[日本の慰安婦|従軍慰安婦]]問題に関する『[[慰安婦像|平和の少女像]]』を「キッタネー少女像」と評し、また「コラージュ画に使われた[[昭和天皇]]の肖像を大写しにして、ガスバーナーで燃やしていく-という内容。燃え残りの灰を足で踏みつぶすシーンもある」([[産経新聞]])<ref name="sankei190810">{{Cite web|和書|title=不自由展、作品に「不快」批判 天皇肖像燃やす表現 来場者「悪意に満ちていた」 愛知の芸術祭、企画展中止(1/3ページ) |url=https://www.sankei.com/article/20190810-MORT4UMGFZOI5NCNLKHZ2TZMAU/ |website=産経ニュース |date=2019-08-10 |access-date=2023-08-02 |language=ja}}</ref>、「昭和天皇を含む肖像群が燃える映像」([[朝日新聞]])<ref>2019年8月6日 朝日新聞朝刊</ref>と報道されていた[[大浦信行]]の『[[大浦信行#作品の展示と議論|遠近を抱えて]] PartII(4点)』<ref name="oura-nobuyuki">{{Cite web|和書|title=大浦信行|url=https://censorship.social/artists/oura-nobuyuki/|website=表現の不自由展・その後|date=2019-07-11|accessdate=2019-08-04|language=ja}}</ref>(作品の説明によると[[富山県立近代美術館]]による大浦の作品の焼却を彷彿させるシーンがある<ref name="oura-nobuyuki" /><ref>{{Cite web|和書|title=「表現の不自由展」は、どんな内容だったのか? 昭和天皇モチーフ作品の前には人だかりも《現地詳細ルポ》|url=https://www.huffingtonpost.jp/entry/aichitriennale-report_jp_5d43c7eae4b0ca604e2fb0fe|publisher=HUFFPOST|date=2019-08-05|accessdate=2019-08-19}}</ref><ref name="sankei190810" />)を「天皇の写真を燃やした後、足でふみつけるムービー」と評し、これらの作品に対して批判的なツイートを行った{{refnest|name=tw1|[https://twitter.com/Y_Sadamoto/status/1159702101464776705 2019年8月9日のツイート]、2019年8月11日閲覧。"''キッタネー少女像。 天皇の写真を燃やした後、足でふみつけるムービー。 かの国のプロパガンダ風習 まるパク! 現代アートに求められる 面白さ!美しさ! 驚き!心地よさ!知的刺激性 が皆無で低俗なウンザリしかない ドクメンタや瀬戸内芸術祭みたいに育つのを期待してたんだがなぁ…残念でかんわ''"}}<ref name="news20190813">{{Cite web|title=DHC、エヴァンゲリオン作者も…相次ぐ嫌韓発言に韓国市民の怒り噴出|url=http://japan.hani.co.kr/arti/politics/34090.html|publisher=ハンギョレ(The Hankyoreh)|date=2019-08-13|accessdate=2021-08-15|language=ja}}</ref>。貞本はすべての作品について述べているのではなく{{refnest|name=tw2|[https://twitter.com/Y_Sadamoto/status/1159722777605111808 2019年8月9日のツイート]、2019年8月11日閲覧。"''全作品が駄目だとは一言も言ってない。一部のアホ作品(あくまで個人的な意見)のために全てが駄目になった事が残念だと言ってるんです''"}}、一部の作品の芸術性について批判を行っているとする{{refnest|name=tw3|[https://twitter.com/Y_Sadamoto/status/1159746693568462850 2019年8月9日のツイート]、2019年8月11日閲覧。"''例えばとびきり綺麗な慰安婦少女とライダイハン少女が向かい合って鍋で兵士のペニスを大量に煮て食ってる像とかであったなら不謹慎ながらも少しはコンセプチャルな刺激を感じられたかもしれません''"}}。貞本のツイートは国内外のファンなどから批判があった<ref name="news20190813" /><ref>{{Cite web|title=Evangelion Character Designer Yoshiyuki Sadamoto Attracts Criticism Over 'Dismissive' Tweet about Korean Comfort Women Statue|url=https://www.animenewsnetwork.com/interest/2019-08-12/evangelion-character-designer-yoshiyuki-sadamoto-attracts-criticism-over-dismissive-tweet-about-korean-comfort-women-statue/.149952|publisher=Anime News Network|date=2019-08-12|accessdate=2019-08-19}}</ref><ref>{{Cite web|title=Evangelion Staffer Criticized Over Controversial Post on Japan-Korea 'Comfort Women' Debacle|url=https://comicbook.com/anime/2019/08/14/neon-genesis-evangelion-artist-controversy-trouble-japan-south-korea-comfort-women/|publisher=ComicBook|date=2019-08-14|accessdate=2019-08-19}}</ref><ref>{{Cite web|title=SADAMOTO (EVANGELION) E LE COMFORT WOMEN: ENNESIMO PROBLEMA TRA GIAPPONE E COREA|url=https://www.animeclick.it/news/82154-sadamoto-evangelion-e-le-comfort-women-ennesimo-problema-tra-giappone-e-corea|publisher=AnimeClick|date=2019-08-19|accessdate=2019-08-19}}</ref>。貞本は平和の少女像に関して、[[慰安婦像#米軍装甲車轢死事件追悼碑の転用説|米軍装甲車轢死事件追悼碑の転用説]]を念頭に、「米軍に轢き殺された少女の背景まで知りませんでした」、「発達障害([[ADHD]])丸出しで、考えもない発言」「黙って批判もレッテル貼も受け入れて行こうと思っている」などと述べた{{refnest|name=tw4|[https://twitter.com/Y_Sadamoto/status/1160492294354505728 2019年8月11日のツイート]、2019年8月14日閲覧。(像への批判はモデルへの批判であり差別と主張した町山に対し) "''尊敬してる町山さんに言われると'' ''辛いですね…'' ''いつも深い考察ファイル'' ''買わせてもらってます'' ''今回の一件、米軍に轢き殺された'' ''少女の背景まで知りませんでした。'' ''発達障害(ADHD)丸出しで、考えもない発言'' ''まあ全て言い訳になるので'' ''黙って批判もレッテル貼も'' ''受け入れて行こうと思ってます''"}}。 == 主な作品 == === テレビアニメ === * [[超時空要塞マクロス]] (第9話原画) * [[F (漫画)|F]] (原画) * [[ふしぎの海のナディア]] (キャラクターデザイン・作画監督・原画)<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/102536/|title=ふしぎの海のナディア :作品情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-08-04}}</ref> * [[新世紀エヴァンゲリオン]] (キャラクターデザイン・レイアウト監修) * [[彼氏彼女の事情]] (声の出演(新人)・原画) * [[忘却の旋律]] (アイバーマシンコンセプト) * [[.hack//SIGN]] (キャラクター原案) * [[.hack//Roots]] (キャラクター監修) * [[天元突破グレンラガン]] (最終話原画) * [[放課後のプレアデス]](宇宙船デザイン) * [[GREAT PRETENDER]](キャラクターデザイン) * [[グレンダイザーU]](キャラクターデザイン)<ref>{{Cite web|url=https://grendizer-official.net/#staff|title=STAFF|website=グレンダイザーU 2024 ON AIR|accessdate=2023-08-05}}</ref> === OVA === * [[ロボットカーニバル|ロボットカーニバル 「明治からくり文明奇譚~紅毛人襲来之巻~」]] (キャラクターデザイン) * [[トップをねらえ!]] (設定・第5話、第6話作画監督・原画) * [[フリクリ]] (ビジュアルコンセプト・キャラクターデザイン) * [[トップをねらえ2!]] (キャラクターデザイン・OP作画監督・第1話作画監督) === 劇場アニメ === * [[王立宇宙軍 オネアミスの翼]] (キャラクターデザイン・作画監督・原画) * [[天使のたまご]] (原画) * [[杉井ギサブロー|紫式部 源氏物語]] (原画) * [[ふしぎの海のナディア]](キャラクターデザイン) * オリンピア (キャラクターデザイン、制作中止) * [[蒼きウル]] (キャラクターデザイン・総作画監督) * [[新世紀エヴァンゲリオン|新世紀エヴァンゲリオン劇場版]] ** [[新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生]] (キャラクターデザイン・DEATH編作画監督・原画) ** [[新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に]] (第26話レイアウト協力) * [[キューティーハニー (映画)|キューティーハニー]] (キャラクターデザイン) '''※実写''' * [[時をかける少女 (アニメ映画)|時をかける少女]] (キャラクターデザイン) * [[ヱヴァンゲリヲン新劇場版]] ** [[ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序]] (主·キャラクターデザイン・作画監督・原画) ** [[ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破]] (主·キャラクターデザイン・作画監督補佐) ** [[ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q]](主·キャラクターデザイン・イメージボード) ** [[シン・エヴァンゲリオン劇場版]](キャラクターデザイン原案) * [[サマーウォーズ]] (キャラクターデザイン) * [[おおかみこどもの雨と雪]](キャラクターデザイン) * [[SHORT PEACE]]「GAMBO」(キャラクターデザイン原案) * [[フリクリ]] ** フリクリ オルタナ(キャラクター原案) ** フリクリ プログレ(キャラクター原案) === Webアニメ === * 愛姫MEGOHIME(監修、EDアニメーション) === ゲーム === * [[.hack]](キャラクターデザイン) * [[.hack//G.U. (ゲーム)|.hack//G.U.]](デザイン監修・パッケージデザイン) * [[餓狼伝説]](メガドライブ版パッケージイラスト) * [[餓狼伝説2]](メガドライブ版パッケージイラスト) * [[餓狼伝説SPECIAL]](ゲームギア版パッケージイラスト) * [[星と翼のパラドクス]](キャラクターデザイン<ref>{{Cite web|和書|url=http://starwing.jp/ |title=星と翼のパラドクス 公式サイト |accessdate=2018-02-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211019075930/https://starwing.jp/ |archive-date=2021-10-19 |publisher=SQUARE ENIX}}</ref>) === 漫画 === {| class="wikitable" style="text-align:center" style="background-color: #Silver" |- ! || 作品名 || 原作 || 掲載誌 || 掲載号 || 発表形式 || 話数 |- | 1 | FINAL STRETCH 最後の疾走 | style="text-align:center;" | - | rowspan="4" | [[週刊少年チャンピオン]] | 1981年35号 | rowspan="3" | 読み切り | rowspan="3" | 1話 |- | 2 | LONELY LONESOME NIGHT <br />ふりむいた夏 | style="text-align:center;" | - | 1981年41号 |- | 3 | CRAZY RIDER 大垂水の鷹 | style="text-align:center;" | - | 1981年45号 |- | 4 | 18R(ヘアピン)の鷹 | style="text-align:center;" | - | 1982年11号 - 14号 | 週刊連載 | 4話 |- | 5 | ROUTE20 歯車のある街 | style="text-align:center;" | - | rowspan="2" | [[月刊ニュータイプ]] | 1991年12月号 - 1992年4月号 | rowspan="4" | 月刊連載 | 5話 |- | 6 | 孤島の鬼 | [[たかはまこ]] | 1994年2月号 - 3月号 | 2話 |- | rowspan="2" | 7 | rowspan="2" | [[新世紀エヴァンゲリオン (漫画)|新世紀エヴァンゲリオン]] | rowspan="2" | [[ガイナックス|GAINAX]]・[[カラー (映像制作会社)|カラー]] | [[月刊少年エース]] | 1994年12月号 - 2007年12月号 | rowspan="2" | 96話{{efn2|雑誌掲載時に前後編もしくは2話に分かれていたものが7話あり、連載回数では103回となる。}} |- | [[ヤングエース]] | Vol.1(2009年7月) - 2013年7月号 |- | 8 | DIRTY WORK | rowspan="4" | たかはまこ | rowspan="2" | [[COMIC CUE]] | vol.4(1997年12月) | rowspan="2" | 読み切り | rowspan="2" | 1話 |- | 9 | System of Romance | vol.8(2000年4月) |- | rowspan="2" | 10 | rowspan="2" | アルカイック スマイル | [[コミックチャージ]] | 創刊号(2007年3月)、<br />2008年11号 - 12号 | 不定期掲載 | 3話 |- | ヤングエース | 2017年12月号 - 2018年2月号(上記3話の再掲)<br />2018年3月号 - (新作) | 月刊連載 | 連載中 |} === その他 === * 『[[CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜]]』ジャケット(ビジュアルディレクター)([[TM NETWORK]]) * 『[[FENCE OF DEFENSE III 2235 ZERO GENERATION|DATA NO.6]]』ミュージック・ビデオ(アニメーションディレクター)([[FENCE OF DEFENSE]]) * [[ドラゴンクエスト ファンタジア・ビデオ]](エフェクトアニメ演出) * 『ヘンダーズ・ルインの領主』掲載の小説『GURPSルナル 悪魔と天使の間で』(挿絵) * [[ルナル・サーガ]](キャラクターデザイン) * 『ANTHOLOGY 1976-1996』ジャケット([[ムーンライダーズ]]) * 『[[ピルグリム]]』『[[ザ・ブリーズ〜J.J.ケイルに捧ぐ]]』ジャケット([[エリック・クラプトン]]) * [[1998年]]の[[航空自衛隊]][[戦技競技会]]の特別塗装として、第204飛行隊の[[F-15 (戦闘機)|F-15J]]戦闘機に貞本がデザインした[[ワルキューレ]]が描かれた。 * 『[[ラブ&ポップ]]』LD(表紙挿絵) * 『R20 銀河空港』(1991年、パイロットフィルム監督) * 漫画『[[時をかける少女 (アニメ映画)|時をかける少女 -TOKIKAKE-]]』 (2006年・キャラクター原案) * 漫画『[[サマーウォーズ]]』 (2009年・キャラクター原案) * 蒔田陽平の小説『サマーウォーズ』 (2009年・カバーイラスト) * 『[[猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」]]』(PV衣装原案)([[ももいろクローバーZ]]) * 『[[桜流し]]』ジャケット([[宇多田ヒカル]]) * 『[[メルセデス・ベンツ・Aクラス|NEXT A-Class]]』(キャラクターデザイン) * 『[[グレイテスト・アイドル]]』ジャケット([[Mitchie M]]) * 『[[進撃の巨人#実写映画(邦画)|進撃の巨人 ATTACK ON TITAN]]』(デザインワークス) * 『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』(デザインワークス) * 『[[日清食品グループ|日清]]の[[どん兵衛]]』TVCM「正直すぎる尻尾 篇(アニメ[[どん兵衛#シーズン2|どんぎつね]]第4弾)」(2023年、キャラクターデザイン) === 画集 === * 貞本義行画集 ALPHA (1993年4月1日発行){{ISBN2|4-04-852385-6}} * 貞本義行画集 DER MOND [限定版] (1999年9月30日発行){{ISBN2|4-04-853048-8}} * 貞本義行画集 DER MOND [普及版] (2000年1月31日発行){{ISBN2|4-04-853031-3}} * 貞本義行画集 CARMINE [限定版] (2009年3月26日発行){{ISBN2|978-4-04-854275-3}} * 貞本義行画集 CARMINE [通常版] (2010年8月26日発行){{ISBN2|978-4-04-854480-1}} *貞本義行 CD-ROM画集(1993年GAINAX販売) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{reflist |refs= <ref name="スキゾ・エヴァンゲリオン">{{Cite book|和書 |chapter=『エヴァンゲリオン』スタッフによる庵野秀明"欠席裁判"(前編) |date=1997-03-17 |editor= [[大泉実成]] |isbn=4-87233-315-2 |pages=120-121 |publisher=[[太田出版]] |title=庵野秀明スキゾ・エヴァンゲリオン}}</ref> }} == 外部リンク == * {{twitter|Y_Sadamoto}} * {{Facebook|xm.nyanko.po.po.love|貞本 義行}} {{新世紀エヴァンゲリオン}} {{ガイナックス}} {{Authority control}} {{DEFAULTSORT:さたもと よしゆき}} [[Category:日本の男性アニメーター]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:テレコム・アニメーションフィルムの人物]] [[Category:ガイナックスの人物]] [[Category:学士号取得者]] [[Category:東京造形大学出身の人物]] [[Category:山口県出身の人物]] [[Category:1962年生]] [[Category:存命人物]]
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佐藤宏之
佐藤 宏之(さとう ひろゆき)
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佐藤 宏之 佐藤宏之 (漫画家) - 日本の漫画家。 佐藤宏之 (俳優) - 日本の俳優。
{{別人|x1=元光GENJIの|佐藤寛之|x2=教育学者の|佐藤寛之 (教育学者)}} '''佐藤 宏之'''(さとう ひろゆき) * [[佐藤宏之 (漫画家)]] - 日本の漫画家。 * [[佐藤宏之 (俳優)]] - 日本の俳優。 {{人名の曖昧さ回避}} {{デフォルトソート:さとう ひろゆき}}
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里見桂
里見 桂(さとみ けい、1956年6月13日 - )は、日本の漫画家。男性。新潟県出身。1978年、「ロックシティ」でデビューした。
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里見 桂は、日本の漫画家。男性。新潟県出身。1978年、「ロックシティ」でデビューした。
{{存命人物の出典皆無|date=2022年12月26日 (月) 11:54 (UTC)}} '''里見 桂'''(さとみ けい、[[1956年]][[6月13日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。男性。[[新潟県]]出身。[[1978年]]、「ロックシティ」でデビューした。 == 作品リスト == * ハニーハンター([[週刊少年サンデー増刊号]]1979年 - 1980年、サンコミックス([[朝日ソノラマ]])全3巻、原作:[[石田豊]]) *:タイトルは獲れないものの世界を転戦する混合ダブルスのプロテニス選手兼国際陰謀を探る秘密諜報員の伊達兵吉とマーガレット夏木の活躍を描く。 * よろしく春平(週刊少年サンデー増刊号 1980年 - 1981年、サンコミックス全2巻、原作:[[武石正道]]) *:中学時代は超高校級投手と騒がれた滝口春平は、女にモテるという目的のため前年度まで女子校だった翔和学園高校に入学。一目惚れした同級生の川島レミが入部するからと理由で、テニス部に入部。春平は次々と登場する他の女子にちょっかいを出し続けるも本命はレミ。レミもそんな春平に腹を立てつつも、徐々に春平に惹かれてゆく。 * [[なんか妖かい!?]]([[週刊少年サンデー]] 1982年 - 1984年、全11巻、原作:[[きむらはじめ (漫画原作者)|きむらはじめ]]) *:窮屈な生活にうんざりしていたことから家出した秀麻呂(通称、ヒデ)は、不思議な力を持つ少女ミルと共に旅をし、行く先々で様々な妖怪と出くわす。 * [[チャンス (漫画)|チャンス]](週刊少年サンデー増刊号 1981年 - 1985年、全4巻) * [[奪戦元年]](週刊少年サンデー 1984年 - 1985年、全3巻、原作:[[火浦功]]) * 里見桂選集(短編集、[[小学館]] 1985年) * [[ないとバード]](週刊少年サンデー 1985年 - 1986年、全7巻) * 0の男(ラブ・ボーイ)([[少年ビッグコミック]] 1986年 - 1987年、全3巻) *: テニスプレイヤーの日向零は最愛の女性を殺された。復讐者となった零はラケットを凶器に持ち替えて、真相を解明するために世界を巡る。 * [[スマイル for 美衣]](週刊少年サンデー 1987年 - 1989年、全12巻) * ジオポリスジョー(週刊少年サンデー 1989年 - 1990年、トクマコミックス([[徳間書店]])全3巻) *: ニューヨーク警察捜査官のジョー乃木は犯罪組織に撃たれて殉職するが、凶悪犯罪を専門とする第二の警察機構「GEO POLICE」の一員としてサイボーグ化されて蘇った。 * ノーサイド([[週刊少年サンデー超]] 1989年 - 1990年、全4巻、原作:[[谷口いくよ]]) * 研修医古谷健一([[ヤングチャンピオン]] 1991年 - 1992年、全4巻、原作:[[永井明]]) * [[ゼロ THE MAN OF THE CREATION]]([[スーパージャンプ]] 1990年 - 2011年、全78巻、原作:[[遠崎史朗|愛英史]]) * [[タイムアンドアゲイン]](少年サンデー増刊号 1992年、全1巻、原作:[[黒沢哲哉]]) * JIHAD〈聖戦〉(ヤングチャンピオン 1993年 - 1995年、全5巻、原作:[[伊月慶悟]]) * 無国籍企業橘商会(1991年 - 1995年、全1巻、原作:[[吉村作治]]) * [[J THE OUTLAWYER]]([[MANGAオールマン]] 1995年 - 1998年、全7巻、原作:愛英史) * [[HAIKARA事件帖]](1999年 - 2002年、全5巻、原作:黒沢哲哉) * [[マリー・アントワネットの料理人]](スーパージャンプ 2006年 - 、原作:[[白川晶]]) * [[ファウスト (漫画)|ファウスト]]([[グランドジャンプPREMIUM]] 2011年 - 2014年、全5巻、シナリオ協力:瀧椿) * 江戸常勤家老 隼人の剣([[アサヒ芸能]] 2015年4月9日号 - 2016年3月10日号、原作:[[牧秀彦]]) * [[白百合ゴルフ練習場]]([[ゴルフレッスンコミック]] 2018年 - 2019年、ゴルフレッスンプラス 2020年 - 原作:[[かわさき健]]) == 外部リンク == * {{マンガ図書館Z作家|53}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:さとみ けい}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:新潟県出身の人物]] [[Category:1956年生]] [[Category:存命人物]]
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佐野未央子
佐野 未央子(さの みおこ)は、日本の漫画家。 宮城県仙台市出身。宮城県第一女子高等学校(現:宮城県宮城第一高等学校)卒業。代表作に『朱い絲のパラレル』がある。
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佐野 未央子は、日本の漫画家。 宮城県仙台市出身。宮城県第一女子高等学校卒業。代表作に『朱い絲のパラレル』がある。
'''佐野 未央子'''(さの みおこ)は、[[日本]]の[[漫画家]]。 [[宮城県]][[仙台市]]出身。宮城県第一女子高等学校(現:[[宮城県宮城第一高等学校]])卒業。代表作に『朱い絲のパラレル』がある。 == 作品リスト == === 書籍 === * 恋はバターでいためたい!(全1巻) * 上を下へのロマンス(全1巻) * 恋季なやつら(全1巻) * ダブルス(全1巻) * お目にかかれて光栄です!(全2巻) * てごわいプリンセス(全2巻) * 100%コットン(全2巻) * マイ プリティ!(全1巻) * バラエティ賞(全2巻) * 朱い絲のパラレル(全1巻) * ブルージーンズ・ブルース(全1巻) * 僕たち物語(全2巻) * この恋の一部始終(全1巻) * こっちむいてチュ(全5巻) * 金曜日のお買い物(全2巻) * PLaPLa(全1巻) * 木綿の天使たち(全4巻) * 11月の子供(全1巻) <!--** 「エバー・グリーンの森」「おとめ座の最初の日」併録--> * 佐野未央子 THE BEST(全1巻、読切り集) * おとめ座の最初の月 * 君のいない楽園 * [[鬼宿の庭]](既刊3巻) * チマちゃんの和箪笥(全1巻) * 日日(にちにち)べんとう(全13巻) * わたしの家はフツー(『[[オフィスユー]]』2020年11月号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/397515|title=佐野未央子の新作がofficeYOUで、不思議な青年がとある一家に新しい風を吹き込む|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2020-09-23|accessdate=2022-03-30}}</ref> - 、既刊4巻) == 出典 == {{Reflist}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:さの みおこ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:宮城県宮城第一高等学校出身の人物]] [[Category:仙台市出身の人物]] [[Category:生年未記載]] [[Category:存命人物]]
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ドラゴンクエストIII そして伝説へ…
『ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』(ドラゴンクエストスリー そしてでんせつへ)は、1988年2月10日にエニックス(現:スクウェア・エニックス)より発売されたファミリーコンピュータ用ロールプレイングゲーム。 ドラゴンクエストシリーズの第3作目。堀井雄二の脚本・ゲームデザイン、鳥山明のキャラクターデザイン、すぎやまこういちのヒロイックな音楽などにより爆発的な人気を博し、発売日には量販店の前に数キロメートルの行列ができるなどの社会現象を巻き起こした。TVCMのキャッチコピーは「触れたら最後、日本全土がハルマゲドン」。 物語は、ロトシリーズ3部作の完結篇と位置づけられており、前2作『ドラゴンクエスト』『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』の物語中に名が登場した伝説の勇者「ロト」、および舞台となった世界「アレフガルド」の秘密が本作で判明する。 パッケージなどに記載されているタイトルロゴはロゴ全体が剣の鍔と持ち手を模したものであるため、ナンバリングタイトルで唯一「DRAGON QUEST」の「T」が剣の形になっていない。また、『ドラゴンクエストVI 幻の大地』までの作品の中では唯一数字と重なっていない作品でもある。 発売後には、ゲームブック化や小説化、ドラマCD(CDシアター)化も行われた。 その後、リメイクとして1996年に『スーパーファミコン ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』、2000年に『ゲームボーイ ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』(ゲームボーイカラー専用)が発売されているほか、2009年より携帯アプリ版も配信されている。2011年9月15日発売のWii用ゲームソフト『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』にFC版およびSFC版が第1作『ドラゴンクエスト』や『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』と共に収録された。2017年8月24日からはPlayStation 4、ニンテンドー3DS版が、2019年9月27日からはNintendo Switch版がダウンロードで配信されている。 北米では、『Dragon Warrior III』としてNES版とGBC版が発売されている。 ファミリーコンピュータ版とスーパーファミコン版はゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」にてプラチナ殿堂入りを獲得、またゲームボーイカラー版はシルバー殿堂入りを獲得した。その他、ファミリーコンピュータ版はゲーム誌『ファミリーコンピュータMagazine』の「ゲーム通信簿」にてキャラクタ4位、音楽2位、熱中度2位、操作性4位、お買い得度3位、総合評価2位を獲得した。リメイク版を含めた合計ではシリーズで最も売れたタイトルである。 リメイク版については後述のリメイクの節を参照。 ROMは前作の2倍である2メガビット(256キロバイト)ROM を使用、バッテリーバックアップのセーブファイル容量は64キロビットとなっている。ゲームシステム面では、仲間キャラクターの名前・職業(キャラクタークラス)・性別を自由に選び、パーティーを自由に編成して冒険できるという、キャラクターメイキングのシステムが取り入れられた。『ドラゴンクエスト』で削ぎ落とされた要素が『ドラゴンクエストIII』になって実現した形で、これはバッテリーバックアップの採用が大きい。 キャラクターメイキングによって、プレイヤーの扱うパーティーとなるキャラクターに固有設定を持った人物が存在せず、プレイヤーの分身である主人公以外のパーティーキャラクターを任意で選んだ最大4人までのパーティーを作ることができる。また、パーティーキャラクターを使用せずに主人公だけで冒険に出発することが可能である。 このゲームに登場するプレイヤーの扱うパーティーキャラクターは必ず一つの「職業」(キャラクタークラス)を持っており、装備できる武器や防具、レベル上昇時のステータス成長の傾向などは就いている職業によって決定される。また、今作では、主人公とキャラクターメイキングで登録される各パーティーキャラクターのいずれにも性別が設定される。男女どちらの性別を選んでも能力には影響しないが、移動画面でのグラフィックが男女で異なるほか、女性専用の武器・防具などが複数存在する。性別は、主人公であれば新しくゲームを始める際に、それ以外のキャラクターであれば登録する際に決定する。 初期の頃、勇者の性別が選べるようにしたのは「ドラクエの世界に自分を投影して、感情移入し易くするための配慮から」と言われており、パラメータの上がり方やゲーム内容の違いはなかった。 呪文の数は前作の22種類から倍以上の60種類に増えるとともに、呪文が系統別に整理され、以後のシリーズにおける呪文体系が本作で確立された。解説文中の呪文についての詳細はドラゴンクエストシリーズの呪文体系を参照。 出発点となるアリアハンに「ルイーダの酒場」があり、パーティーの編成はここで行う。 主人公以外のキャラクターはこの神殿で別の職業へ「転職」させることができる。転職資格は主人公以外のレベル20以上のキャラクター。転職後はレベルが1に戻るが、ステータス値が転職前の半分となるだけで、それまでに覚えた呪文はそのまま使える。例えば、魔法使いが戦士に転職すると、重い武器と呪文の両方を扱える戦士となる。また、僧侶が魔法使いに転職すると、回復呪文と攻撃呪文の両方が使える魔法使いが誕生する。ただし、覚えた呪文以外の前の職業の特性は失われる。 なお、呪文の使えるキャラクターが特殊能力のある職業に転職した場合はその職業の能力を得ることができるため、武闘家の能力と呪文の両方を扱える武闘家や、商人の能力と呪文の両方を扱える商人を作ることができる。 本作においては、従来からの「ちから」「すばやさ」に加え、「たいりょく」「かしこさ」「うんのよさ」のステータスが新たに加えられている。各ステータスの最大値は255である。 レベルアップのときのステータスの上昇幅は、前作のように固定されておらずランダムとなっており、同じ職業・レベルであっても個人差が発生する(ランダム成長)。キャラクターのレベルの最大値は99で、以降の作品でも一部の仲間モンスターなどを除いてほとんどのキャラクターの最大レベルが99となる。 キャラクターのステータスを数ポイント上昇させることができる「ちからのたね」「いのちのきのみ」などのアイテムが本作で新たに登場した。 本作より、パーティーメンバーの並び順を自由に入れ替えることができるようになった。戦闘中、前にいる者ほど敵の攻撃を受けやすく、後ろにいる者ほど攻撃を受けにくいため、基本的にはHPや防御力の高いメンバーを前方に置くことになる。 コマンド体系などは前作からおおむね受け継がれた。 本作では「昼」「夜」という時間の概念が取り入れられた。フィールドマップ上を一定歩数歩くと、時間が昼から夜へ、夜から昼へと移り変わる。昼と夜では城や町などの様子が異なる。夜は王様も寝てしまい城に入ることができなくなるので一部を除きセーブができず、町にある店も多くが閉まるが、酒場など夜に限り賑わう場所もある。夜は昼間よりもフィールドでのモンスターの出現率が高く、モンスターのパーティーも手強くなるほか、地方によっては夜にならないと登場しないモンスターもいる。 宿屋に泊まることにより昼にすることができるほか、昼と夜を入れ替えるアイテムや呪文も登場した。夜間はボス戦など、イベントにより、終了後昼になるものもある。本作に限り、移動の呪文「ルーラ」または道具「キメラのつばさ」を使用したときにも昼になる。 前作の「ターン制」システムを引き継いだ。 前2作では「復活の呪文」と呼ばれるパスワード方式を採用していたが、本作は保存するデータの量が膨大となった。そこで本作からは、データ保存方式が、従来のパスワード方式から、内蔵電池によるバッテリーバックアップ方式に切り替えられ、最大3つまでの「冒険の書」(データファイル)としてロムカセット内部に進行状況を記録しセーブできるようになった。これによって、パスワードの書き写しや入力を行う手間がなくなり、短時間でゲームを中断・再開することが可能となった。 この方式が導入されたことにより、従来の復活の呪文では記録することができなかった、現在のHP・MPやステータス異常、また取得済みの宝箱などの情報が記録されるようになった。このためセーブして電源を切って再開してもHP・MPやステータス異常は回復しない。また、一度宝箱を開けて中身を取得するとその宝箱の中身は二度と取得することができなくなった。 しかし、内蔵電池の消耗、接触不良などによってバックアップデータが消失したり、実際には問題ないデータがチェックプログラムに異常と判定されて自動消去されるという事態も度々起きた。データ消失の際には真っ黒の画面に、「おきのどくですがぼうけんのしょ○(数字)ばんはきえてしまいました。」という冒険の書が消えたことを示すメッセージが表示され、同時に呪いの武具を装備した時の音楽が流れる演出が発生する。この演出は次作以降にも踏襲されている。まれにこの演出すら発生しないまま商品購入状態の初期画面にされる場合もある。 北米で発売されたNES版『Dragon Warrior III』では、様々な変更点がある。以下に列挙する。 勇名を馳せたアリアハンの「勇者オルテガ」は、初子を授かった直後より世界の支配を企む「魔王バラモス」を倒すべく旅立ち、そしてそのまま消息を絶った。伝聞によれば、「旅の途中で魔物に襲われ、戦闘の最中に火山に落ちて命を落とした」とされた。 オルテガの子供(=主人公)は、自身の16歳の誕生日をきっかけにして父の遺志を継ぐために、アリアハン王に願い出て仲間とともに冒険へと旅立つ。旅の扉からアリアハンの外へと旅立ったあと、主人公は世界各地で起きる不思議な事件を解決していくことになり、船を手に入れると、冒険の舞台はさらに広がっていく。 こうして世界中を旅するうちに主人公たちは、世界に散らばっていた「6つのオーブ」を手に入れる。これらのオーブは「不死鳥ラーミア」を復活させるためのもので、この不死鳥がバラモスのもとに到達する鍵になるのだった。復活した不死鳥ラーミアに乗って空を飛ぶことで、宿敵バラモスの居城へと乗り込んだ主人公は、ついにバラモスを退治する。 だが、真の黒幕である「闇の支配者ゾーマ」と、もうひとつの世界 「アレフガルド」の存在が明らかになり、主人公は再び冒険の旅に赴く。主人公はアレフガルドの世界でゾーマの城に入るための「にじのしずく」を手に入れ、ゾーマとの最終決戦にのぞむ。 第1作『ドラゴンクエスト』、第2作『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』と本作は、共通して「アレフガルド」という大陸が登場するなど、密接なストーリーの関連があり、この3作は「ロトシリーズ」(「ロト三部作」とも)と呼ばれる。その中でも本作は第1作よりもさらに昔の時代の物語となっており、本作の数百年後の物語が第1作、さらにその100年後が『II』となる。 魔王バラモスを倒すまでは、前2作と異なる世界が舞台となる。しかしストーリー終盤では、前2作で登場した「アレフガルド」のある別の世界が舞台となる。本作の世界は2層構造となっており、ここでは主人公たちが生まれ育った世界を「上の世界」、アレフガルドのある世界を「下の世界」と呼ぶこととする。両世界間は呪文「ルーラ」などで行き来することができる。 堀井は本作のデザインに先立って、ヨーロッパの歴史的城郭などを取材した。 前述のとおり、上の世界は現実の地球の地形が元になっており、地名を似せたり、実際の地理・歴史へのオマージュが取り入れられた。 関連書籍における堀井の発言によれば、「ロマリア」はローマとイタリア、「エジンベア」はイギリス(スコットランド)の地名エディンバラ地方、「シャンパーニ」はフランスの地名シャンパーニュ地方、「ノアニール」はノルウェー、「アッサラーム」はアラビア語の挨拶、「イシス」はエジプト神話の女神イシス、「ポルトガ」はポルトガル、「スー」はスー族(ネイティブ・アメリカンの部族のひとつ)、「グリンラッド」はグリーンランド、「レイアムランド」は南極大陸の一角グレイアムランド(グレアムランド)がそれぞれ由来となっており、「ネクロゴンド」の名称は語感から名づけたとされている。 またこれ以外では、ムオルは中国とロシアの国境を流れるアムール川(Amur)のアナグラムに、エジンベアはイギリスに実在する都市エジンバラに、サマンオサは南米のアマゾン川(Rio Amazonas)のアナグラムに酷似しており、ルザミは「見ざる」の逆読みとなっている。ギアガの大穴と似た名称にギアナ高地の大穴があるが、ギアナ高地はアフリカではなく、南米大陸である。大航海時代シリーズにおいて、海賊の家にあたる位置に海賊の本拠地のひとつとしてサンアントニオが存在するが、サンアントニオは本来、アメリカ合衆国テキサス州の地名である。 《 》内は、相当する実在の地球上の国・地域を表す。 精霊ルビスによって創られた地。大魔王ゾーマによって闇に閉ざされており朝が来ることがなく、「闇の世界」と呼ばれている。町やダンジョンなどは、一部を除いて『ドラゴンクエスト』第1作と同じ位置にあるが、第1作ではすべての島・大陸同士が橋やトンネルでつながっていたのに対して、本作では島や大陸の間を結ぶ橋・トンネルの一部がないため、船を使わなければ行けない場所もある。町やダンジョンの構造も第1作と基本的に同じである。なおルビスは第1作では登場していないが、『II』では主人公たちに重要アイテムを授ける役として登場している。 物語を進めるために必要な道具のうち、ストーリー上特に重要なものについて簡潔に説明する。 この節では、ゲーム本編内で語られる設定を中心に記述する。ルイーダの酒場で仲間になるキャラクターについては別記参照。 ここでは、ボスキャラクターとして主人公たちと戦うことになる魔王やその配下の魔物たちを挙げる。 前2作のリメイク作品『ドラゴンクエストI・II』に次ぐ、シリーズ2例目のリメイク作品。FC版の発売から8年後の1996年12月6日にエニックスから発売された。エニックスから発売された最後のスーパーファミコン用ソフトとなった。 キャッチコピーは「SFC究極のドラクエ」。タイトルロゴにはロトの紋章が描かれている。またタイトルロゴのデザイン変更によって、他のシリーズ作品同様に「DRAGON QUEST」の「T」が剣の形になり、ローマ数字が「DRAGON QUEST」と重なるようになった。 ストーリーはFC版に基づいているが、大幅な要素の追加・変更が行われた。後述の「性格」や「すごろく場」が追加されたほか、アイテムが多数増加し、中には「ルーズソックス」など発売当時の流行を反映したアイテムも登場した。FC版では女性キャラクター専用装備品しかなかったが、SFC版では、ステテコパンツといった男性キャラクター専用装備品も追加された。店の品揃え、ボスモンスターのステータス、モンスターから得られるアイテムなどの変更も行われた。FC版では、武器は全て単体攻撃武器のみだったが、SFC版では単体攻撃武器のほかにブーメランやムチといった全体攻撃武器やグループ攻撃武器が追加された。さらに、オープニング、ダーマ神殿での「遊び人」への転職、隠しダンジョンが追加された。 画面仕様やキャラクター操作、コマンド操作は、前年に発売された SFC版『ドラゴンクエストVI』をベースとし、同作から以下の要素が継承された。 『VI』と同様に井戸に入ることも可能になった。戦闘画面も『VI』のものとほぼ同様の画面でモンスターグラフィックも『VI』調だが、モンスターが動く際の効果音を発するようになった。 本作では、「ふくろ」の中にあるアイテムは、移動中に限りふくろから出さずに使うこともできるようになった。また、アイテムを仲間に渡す際にその位置も指定できるようになり、所持しているアイテムの位置を選ぶことで渡す側と交換することもできるようになったほか、装備可能なアイテムについては渡した時点で装備するかどうかを選択できるようになった。ただし、『VI』にあった「ふくろ」の枝コマンド(だす・いれる・みる)は廃止された。しかし、普通にふくろに渡す・ふくろから渡すなどしても全ウィンドウが閉じることはなくなり、連続操作はしやすくなった(これは、回復呪文などを使用する際にも同様で、その都度ウィンドウが閉じるようなことはなくなった)。これらの要素は本作で初めて導入され、以降の作品(リメイク含む)でも踏襲されている。また、これに伴い「全てのウィンドウを閉じる」ボタンも設定された(本作ではYボタン)。 ちいさなメダルに関しては、メダルを収集しているのがアリアハンのメダルおじさんとなり、獲得したメダルの累計によってアイテムを獲得する方式である。 ゲームスタート時に主人公の性格を決定する際、どこからともなく聞こえる声(ルビス)に名を問われて、プレイヤー自身の名前を入力する必要がある。この時入力した名前(必ずしも本名である必要はない)は、エンディングの最後(スタッフロールの後)に「AND ACT BY ○○○○(プレイヤーの名前のローマ字表記)」として紹介され、ロールプレイング(役割を演じる)ゲームの名の通りプレイヤー自身が主人公であることを実感させる演出となっている。 新職業として「盗賊」が追加されている。 また勇者・商人・遊び人・盗賊は、『ドラゴンクエストVI 幻の大地』と同様に移動中の特技を「じゅもん」として使用することができるが、効果は補助的なもので数も少ない。遊び人はFC版では演出の域を出なかった「遊び」の効果が改良され、依然ランダム要素ではあるものの、レベル1から遊ぶようになり、また一部戦闘に効果を及ぼす遊びを行うようになるなど、独自の使い勝手を持つキャラクターになった。また、FC版では不可能だった他の職業から遊び人への転職も可能となった。女勇者専用のグラフィックと台詞も追加された。 FC版では性別によるステータスの上がり方の違いは無かったが、SFC版以降では男はちからやたいりょく、女はすばやさが上昇しやすくなっている。「たいりょく」と「かしこさ」のステータスのシステムがFC版と異なり、リメイク版ではたいりょく値の約2倍がさいだいHPとなり、かしこさ値の約2倍がさいだいMPとなる。 各キャラクターに「性格」が設定され、同じ職業やレベルでもこの「性格」によってレベルアップ時のステータスの上がり方が異なってくる。性格は全46種類が存在し、ステータス画面で確認することができる。「性格」には、きれもの・ロマンチスト・みえっぱり・でんこうせっかといった男女共通の性格、むっつりスケベ・ラッキーマンといった男性キャラクター専用の性格、おてんば・おとこまさり・セクシーギャルといった女性キャラクター専用の性格の3タイプがある。初期の性格は、主人公であればゲームスタート時に様々な質問を受ける。一通りの質問に答えると、ある場所に導かれて最後の質問が出される。その時の行動のとり方によって性格が決まる。それまでの質問の答え方によって最後の質問として導かれる4種類の場所が変わる。仲間キャラクターであれば登録時の職業、性別、ステータスのバランスによって決定される。種の配分によって上昇させる能力値は任意に選択が可能だが、回数が限られている中で上昇する数値はランダムとなる。 冒険中は、装飾品やアイテム「本」で性格を変えることもできる。装飾品は装備中のみ性格が変化、「本」は恒久的に性格が変化する。また、性格システムに関連した会話イベントも追加され、その会話内容によって性格が変化することもある。すごろく場で性格が変わることもある。 ゲーム中の全5か所に、「旅人のすごろく場」というミニゲームが登場した。挑戦には「すごろくけん」が必要である。無視してもゲームの進行には全く影響がないが、ここでしか手に入らないアイテムもある。すごろくけんは一部の例外を除き非売品で、町などで拾ったり魔物との戦闘で獲得しなければならない。1回につき1枚消費する。無限にすごろくができるアイテムも存在し、持っている場合はそちらが優先される。 先頭のキャラクターがすごろくの駒となり、一定回数以内のサイコロでゴールを目指す。ゴールすれば宝箱からアイテムが入手できるほか、コースの途中やよろず屋でもアイテムを入手できる。ただしコース上では戦闘が発生したり、落とし穴などの罠が仕掛けられていたりすることもある。落とし穴でコースアウトしたり、HPや所持金が0になったりした場合は、サイコロの残回数があってもその場で終了となる。特に所持金0の状態ですごろくを始めようとしたら始まった瞬間に終了となりすごろくけんも戻ってこないので注意。戦闘で得た経験値は、戦闘に参加した(つまり、すごろくの駒となっていた)キャラクターのみが獲得する。これは通常の冒険でパーティーを組んでいない状態と同じで、最大で4人パーティ時の約4倍獲得できる。詳しくは上記「経験値」参照。また、参加者のステータスや性格が変化するイベントが発生することもあるので要注意。リタイアはいつでも可能。リタイアしても当然すごろくけんは戻って来ないが、目的がゴールでない場合達成できたら余計なイベントを避けるためにリタイアするのも手である。 ゲームボーイカラー専用ソフトとして2000年に移植された。CMには福井裕佳梨が女子高生役として出演している。SFC版のゲームシステムやストーリーを継承しているが、通信機能を生かした後述の「モンスターメダル」などのオリジナル要素が追加されている。キャッチコピーは「一番愛されたドラゴンクエスト」。 戦闘画面では背景は表示されないが、呪文などの演出効果やモンスターのアニメーションをSFC版から受け継いだ。いつでもゲーム途中の状態をセーブして中断することができる「中断の書」機能が追加された。『I・II』にあったボタン全押しリセットは、『III』では不可能になった。 街、背景、設定などはSFC版をもとにしているが、使用できるカラーの仕様上、56色になっている。BGMは一部除いてFC版をベースとする。 ストーリーは、シャンパーニの塔のイベントをクリアしていないと、ノルドの洞窟(アッサラーム東の洞窟)を通れず、バハラタの町へ行くことができないように変更された。 モンスターを倒すと時々落とす「モンスターメダル」のコレクションを行うことができる。メダルは各モンスターごとに金・銀・銅があるが、最初は銅メダルしか入手できず、銅を入手することで銀を、また銀を入手することで金を入手できるようになる。モンスターメダルはゲーム本編のメモリーとは別のメモリーに記録される。通信ケーブルを使い、一度に3枚までモンスターメダルを交換することもできる。 このモンスターメダルに関連し、第2の隠しダンジョン「氷の洞窟」が追加された。このダンジョンでは、一定のモンスターメダルを集めないと先に進めないようになっている。このダンジョン用の新たなモンスターとして隠しボス「グランドラゴーン」が追加された。グランドラゴーンを25ターン以内に倒すと、道具使用でギガデインの効果を持つ「ルビスの剣」がもらえる。さらに2回以上25ターン以内に倒すと「グランドラゴーン」のモンスターメダルがもらえる。 2009年から NTTドコモ向け配信が開始された携帯電話アプリ。メガiアプリだが、前編アプリと後編アプリに分けられている。また、2010年4月からは KDDI (au) 向けの配信も開始され、こちらもBREWアプリでありながら、前編アプリと後編アプリに分けられている。サーバーに冒険の書をバックアップできるようにもなっており、機種変更や誤ってアプリを消した場合でも復旧できるようになっている。 2011年9月に発売。FC版およびSFC版が、FC版の第1作・『II』、SFC版の『I・II』とセットで収録。 中断機能が追加され、一部のセリフが変更された。 2014年9月25日にAndroidおよびiOS向けに配信開始。『I』、『II』同様にアプリケーション『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』から購入・起動する方式。フィーチャーフォン版をベースに移植。グラフィック、操作方法はスマートフォン版『I』『II』同様。BGMはスマートフォン版『I』、『II』、『IV』同様に交響組曲版をベースにしたシンセサイザー音源で、戦闘終了後のBGMは『I』、『II』同様途中から続けて流れる。フィーチャーフォン版に準じてSFC・GBC版での新規BGMは使われていないが、「戦いのとき」「街の人々」「ラダトーム城」は使用されている。 2017年8月24日に配信開始。スマートフォン版をベースにしたもので、3DS版は下画面にマップが表示される。王者の剣を道具として使った時のメッセージが「とどろく らいめいが くうきを ひきさく!」から「くろいあまぐもが てきをつつみこむ。」に変更された。 2019年9月27日に配信開始。スマートフォン版をベースにしたものである。 2021年5月27日配信の「ドラゴンクエスト」35周年記念特番で家庭用ゲーム機向けに制作開始したことを発表。開発はあまた株式会社とスクウェア・エニックス。 シリーズで初めて、複数のフィールドマップが登場するようになったが、そのためROM容量が不足し、製品版では一部の町やダンジョン、モンスターなどのいくつかの要素がカットされている。またオープニングもなく、タイトル画面は真っ黒な無音の画面に「DRAGON QUEST III」と表示されるのみとなった。 第1作のBGMはバロック音楽調であるのに対して、本作のBGMはヒロイックな響きを求めロマン派音楽調である。 アレフガルドのフィールド上BGMの伴奏は第1作とは異なり3連符に変更された。 ピラミッドとジパングには専用のBGMが存在する。これ以外に開発当初はヨーデル風の専用BGMのあるスイス風の村があったが、容量の関係で開発段階で村もBGMも削除されたという。 FC版では戦闘時のBGMはゾーマのみが専用BGM「勇者の挑戦」で、他はバラモスも含めすべて同じBGMである。すぎやまによれば、FC版でもバラモスとの戦闘時の専用BGMが製作されたが、何らかの理由によりなくなったという。 2004年8月10日に東京芸術劇場にて「第18回 ファミリークラシックコンサート ~ドラゴンクエストの世界~」が開催され、その時の会見ですぎやまこういちは、「ファミコンのカセットはゲーム音楽も容量との戦いでした。『ドラクエ3』にも当初はタイトル画面があったんですが、削られてしまいました(笑)」と、制作時の話を披露した。 またすぎやまは、オルテガの戦闘シーンはレクイエムにすべきだったと後悔・反省している。 NHK交響楽団によって演奏された『交響組曲 ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』は1988年の第30回日本レコード大賞の特別企画賞に選ばれた。これはゲームミュージックとしては初である。 不死鳥ラーミアで飛行する時の曲「おおぞらを とぶ」は、のちに高中正義がカバーした。また同曲は『ドラゴンクエストVIII』・『ドラゴンクエストXI』でも使用されている。フィールドの曲「冒険の旅」や戦闘時の曲「戦闘のテーマ」などはバラエティ番組のBGM、高校野球での応援ファンファーレとして使用されることがある。「街」、「海を越えて」、「アレフガルドの街(町の人々)」には、女性デュオ「ルーラ」が歌う歌詞付きの曲がある。また、「冒険の旅」と「そして伝説へ...」にも歌詞が存在する。これはラジオ番組『鴻上尚史のオールナイトニッポン』の企画から生まれた(なお鴻上は、アッサラームの劇場にいる座長キャラクターのモデルでもある)。 ファミリーコンピュータ版 スーパーファミコン版 ゲームボーイカラー版 日本での本作の発売日は平日(水曜日)であったにもかかわらず、発売日前日には販売店の前に徹夜の行列ができた。ビックカメラ池袋東口店(現:ビックカメラアウトレット池袋東口店)では前日から並んだ行列が最終的に1万人を超える長大な規模になり、マスコミのみならず、後に学習歴史漫画にも取り上げられた。徹夜したり、学校を無断欠席してまでソフトを買いに来る児童・生徒もおり、その補導が多発したほか、品切れで買えなかった少年らによる窃盗や恐喝などの犯罪も多発した。この対策として、次作『ドラゴンクエストIV』以降のシリーズ本編については、発売日を移植版を除き、土日及び祝日にしている。 また、一部の小売店が本作と人気のないソフトとの抱き合わせ販売を行ったことが問題化した。さらに、光文社が写真週刊誌『FLASH』にエンディングの画面を掲載してエニックスから著作権侵害で訴えられる事件が発生し、改めて「テレビゲームの画面は著作物になるのか」という問題がクローズアップされた。 発売当時、ゲーム雑誌などにおいて、終盤の展開に関する情報はほとんど伏せられていた。これは後に発売された「公式ガイドブック」でも同様で、終盤に登場する要素は「回転する床」を除いてほとんどが非掲載となっており、勇者たちが倒すべき最後の敵も「バラモス」とされていて、リメイク版の公式ガイドでも同様に掲載されていない要素があった。リメイク版発売時の雑誌記事・書籍などでは、終盤の画面写真やアイテム、モンスターも掲載された。 FC版「公式ガイドブック」にはバグである防御キャンセル技が掲載されている。後期ロット(敵が出てこなくなる技が追加されているなど)でも修正されず、そのまま残されていた。ヒャダインとマヒャドの習得レベルが逆になっている誤表記があり、重版でもそのままにされていた。堀井によると、書籍に記載の習得レベルが正しい順番なのだが、実際のソフト上では入力ミスで二つが入れ替わってしまったとのこと。 日本における売上本数は380万本を記録。この数字は2006年(平成18年)11月頃まで他社の作品を含めた日本の歴代ゲーム売上本数でも十傑に入っている。2010年(平成22年)現在、この記録はドラゴンクエストシリーズでは『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』に続き3位。ゲーム雑誌『ファミ通』の15周年・20周年読者投票企画ではドラゴンクエストシリーズ中では最上位だった。 別冊宝島には1988年のサブカル・流行の1つとしてこの作品が紹介されている。 †は廃盤。 2021年3月19日に改定された。機種ごとに著作権表示が異なる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』(ドラゴンクエストスリー そしてでんせつへ)は、1988年2月10日にエニックス(現:スクウェア・エニックス)より発売されたファミリーコンピュータ用ロールプレイングゲーム。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ドラゴンクエストシリーズの第3作目。堀井雄二の脚本・ゲームデザイン、鳥山明のキャラクターデザイン、すぎやまこういちのヒロイックな音楽などにより爆発的な人気を博し、発売日には量販店の前に数キロメートルの行列ができるなどの社会現象を巻き起こした。TVCMのキャッチコピーは「触れたら最後、日本全土がハルマゲドン」。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "物語は、ロトシリーズ3部作の完結篇と位置づけられており、前2作『ドラゴンクエスト』『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』の物語中に名が登場した伝説の勇者「ロト」、および舞台となった世界「アレフガルド」の秘密が本作で判明する。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "パッケージなどに記載されているタイトルロゴはロゴ全体が剣の鍔と持ち手を模したものであるため、ナンバリングタイトルで唯一「DRAGON QUEST」の「T」が剣の形になっていない。また、『ドラゴンクエストVI 幻の大地』までの作品の中では唯一数字と重なっていない作品でもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "発売後には、ゲームブック化や小説化、ドラマCD(CDシアター)化も行われた。", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "その後、リメイクとして1996年に『スーパーファミコン ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』、2000年に『ゲームボーイ ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』(ゲームボーイカラー専用)が発売されているほか、2009年より携帯アプリ版も配信されている。2011年9月15日発売のWii用ゲームソフト『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』にFC版およびSFC版が第1作『ドラゴンクエスト』や『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』と共に収録された。2017年8月24日からはPlayStation 4、ニンテンドー3DS版が、2019年9月27日からはNintendo Switch版がダウンロードで配信されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "北米では、『Dragon Warrior III』としてNES版とGBC版が発売されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ファミリーコンピュータ版とスーパーファミコン版はゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」にてプラチナ殿堂入りを獲得、またゲームボーイカラー版はシルバー殿堂入りを獲得した。その他、ファミリーコンピュータ版はゲーム誌『ファミリーコンピュータMagazine』の「ゲーム通信簿」にてキャラクタ4位、音楽2位、熱中度2位、操作性4位、お買い得度3位、総合評価2位を獲得した。リメイク版を含めた合計ではシリーズで最も売れたタイトルである。", "title": null }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "リメイク版については後述のリメイクの節を参照。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ROMは前作の2倍である2メガビット(256キロバイト)ROM を使用、バッテリーバックアップのセーブファイル容量は64キロビットとなっている。ゲームシステム面では、仲間キャラクターの名前・職業(キャラクタークラス)・性別を自由に選び、パーティーを自由に編成して冒険できるという、キャラクターメイキングのシステムが取り入れられた。『ドラゴンクエスト』で削ぎ落とされた要素が『ドラゴンクエストIII』になって実現した形で、これはバッテリーバックアップの採用が大きい。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "キャラクターメイキングによって、プレイヤーの扱うパーティーとなるキャラクターに固有設定を持った人物が存在せず、プレイヤーの分身である主人公以外のパーティーキャラクターを任意で選んだ最大4人までのパーティーを作ることができる。また、パーティーキャラクターを使用せずに主人公だけで冒険に出発することが可能である。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "このゲームに登場するプレイヤーの扱うパーティーキャラクターは必ず一つの「職業」(キャラクタークラス)を持っており、装備できる武器や防具、レベル上昇時のステータス成長の傾向などは就いている職業によって決定される。また、今作では、主人公とキャラクターメイキングで登録される各パーティーキャラクターのいずれにも性別が設定される。男女どちらの性別を選んでも能力には影響しないが、移動画面でのグラフィックが男女で異なるほか、女性専用の武器・防具などが複数存在する。性別は、主人公であれば新しくゲームを始める際に、それ以外のキャラクターであれば登録する際に決定する。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "初期の頃、勇者の性別が選べるようにしたのは「ドラクエの世界に自分を投影して、感情移入し易くするための配慮から」と言われており、パラメータの上がり方やゲーム内容の違いはなかった。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "呪文の数は前作の22種類から倍以上の60種類に増えるとともに、呪文が系統別に整理され、以後のシリーズにおける呪文体系が本作で確立された。解説文中の呪文についての詳細はドラゴンクエストシリーズの呪文体系を参照。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "出発点となるアリアハンに「ルイーダの酒場」があり、パーティーの編成はここで行う。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "主人公以外のキャラクターはこの神殿で別の職業へ「転職」させることができる。転職資格は主人公以外のレベル20以上のキャラクター。転職後はレベルが1に戻るが、ステータス値が転職前の半分となるだけで、それまでに覚えた呪文はそのまま使える。例えば、魔法使いが戦士に転職すると、重い武器と呪文の両方を扱える戦士となる。また、僧侶が魔法使いに転職すると、回復呪文と攻撃呪文の両方が使える魔法使いが誕生する。ただし、覚えた呪文以外の前の職業の特性は失われる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "なお、呪文の使えるキャラクターが特殊能力のある職業に転職した場合はその職業の能力を得ることができるため、武闘家の能力と呪文の両方を扱える武闘家や、商人の能力と呪文の両方を扱える商人を作ることができる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "本作においては、従来からの「ちから」「すばやさ」に加え、「たいりょく」「かしこさ」「うんのよさ」のステータスが新たに加えられている。各ステータスの最大値は255である。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "レベルアップのときのステータスの上昇幅は、前作のように固定されておらずランダムとなっており、同じ職業・レベルであっても個人差が発生する(ランダム成長)。キャラクターのレベルの最大値は99で、以降の作品でも一部の仲間モンスターなどを除いてほとんどのキャラクターの最大レベルが99となる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "キャラクターのステータスを数ポイント上昇させることができる「ちからのたね」「いのちのきのみ」などのアイテムが本作で新たに登場した。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "本作より、パーティーメンバーの並び順を自由に入れ替えることができるようになった。戦闘中、前にいる者ほど敵の攻撃を受けやすく、後ろにいる者ほど攻撃を受けにくいため、基本的にはHPや防御力の高いメンバーを前方に置くことになる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "コマンド体系などは前作からおおむね受け継がれた。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "本作では「昼」「夜」という時間の概念が取り入れられた。フィールドマップ上を一定歩数歩くと、時間が昼から夜へ、夜から昼へと移り変わる。昼と夜では城や町などの様子が異なる。夜は王様も寝てしまい城に入ることができなくなるので一部を除きセーブができず、町にある店も多くが閉まるが、酒場など夜に限り賑わう場所もある。夜は昼間よりもフィールドでのモンスターの出現率が高く、モンスターのパーティーも手強くなるほか、地方によっては夜にならないと登場しないモンスターもいる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "宿屋に泊まることにより昼にすることができるほか、昼と夜を入れ替えるアイテムや呪文も登場した。夜間はボス戦など、イベントにより、終了後昼になるものもある。本作に限り、移動の呪文「ルーラ」または道具「キメラのつばさ」を使用したときにも昼になる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "前作の「ターン制」システムを引き継いだ。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "前2作では「復活の呪文」と呼ばれるパスワード方式を採用していたが、本作は保存するデータの量が膨大となった。そこで本作からは、データ保存方式が、従来のパスワード方式から、内蔵電池によるバッテリーバックアップ方式に切り替えられ、最大3つまでの「冒険の書」(データファイル)としてロムカセット内部に進行状況を記録しセーブできるようになった。これによって、パスワードの書き写しや入力を行う手間がなくなり、短時間でゲームを中断・再開することが可能となった。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "この方式が導入されたことにより、従来の復活の呪文では記録することができなかった、現在のHP・MPやステータス異常、また取得済みの宝箱などの情報が記録されるようになった。このためセーブして電源を切って再開してもHP・MPやステータス異常は回復しない。また、一度宝箱を開けて中身を取得するとその宝箱の中身は二度と取得することができなくなった。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "しかし、内蔵電池の消耗、接触不良などによってバックアップデータが消失したり、実際には問題ないデータがチェックプログラムに異常と判定されて自動消去されるという事態も度々起きた。データ消失の際には真っ黒の画面に、「おきのどくですがぼうけんのしょ○(数字)ばんはきえてしまいました。」という冒険の書が消えたことを示すメッセージが表示され、同時に呪いの武具を装備した時の音楽が流れる演出が発生する。この演出は次作以降にも踏襲されている。まれにこの演出すら発生しないまま商品購入状態の初期画面にされる場合もある。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "北米で発売されたNES版『Dragon Warrior III』では、様々な変更点がある。以下に列挙する。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "勇名を馳せたアリアハンの「勇者オルテガ」は、初子を授かった直後より世界の支配を企む「魔王バラモス」を倒すべく旅立ち、そしてそのまま消息を絶った。伝聞によれば、「旅の途中で魔物に襲われ、戦闘の最中に火山に落ちて命を落とした」とされた。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "オルテガの子供(=主人公)は、自身の16歳の誕生日をきっかけにして父の遺志を継ぐために、アリアハン王に願い出て仲間とともに冒険へと旅立つ。旅の扉からアリアハンの外へと旅立ったあと、主人公は世界各地で起きる不思議な事件を解決していくことになり、船を手に入れると、冒険の舞台はさらに広がっていく。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "こうして世界中を旅するうちに主人公たちは、世界に散らばっていた「6つのオーブ」を手に入れる。これらのオーブは「不死鳥ラーミア」を復活させるためのもので、この不死鳥がバラモスのもとに到達する鍵になるのだった。復活した不死鳥ラーミアに乗って空を飛ぶことで、宿敵バラモスの居城へと乗り込んだ主人公は、ついにバラモスを退治する。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "だが、真の黒幕である「闇の支配者ゾーマ」と、もうひとつの世界 「アレフガルド」の存在が明らかになり、主人公は再び冒険の旅に赴く。主人公はアレフガルドの世界でゾーマの城に入るための「にじのしずく」を手に入れ、ゾーマとの最終決戦にのぞむ。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "第1作『ドラゴンクエスト』、第2作『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』と本作は、共通して「アレフガルド」という大陸が登場するなど、密接なストーリーの関連があり、この3作は「ロトシリーズ」(「ロト三部作」とも)と呼ばれる。その中でも本作は第1作よりもさらに昔の時代の物語となっており、本作の数百年後の物語が第1作、さらにその100年後が『II』となる。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "魔王バラモスを倒すまでは、前2作と異なる世界が舞台となる。しかしストーリー終盤では、前2作で登場した「アレフガルド」のある別の世界が舞台となる。本作の世界は2層構造となっており、ここでは主人公たちが生まれ育った世界を「上の世界」、アレフガルドのある世界を「下の世界」と呼ぶこととする。両世界間は呪文「ルーラ」などで行き来することができる。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "堀井は本作のデザインに先立って、ヨーロッパの歴史的城郭などを取材した。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "前述のとおり、上の世界は現実の地球の地形が元になっており、地名を似せたり、実際の地理・歴史へのオマージュが取り入れられた。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "関連書籍における堀井の発言によれば、「ロマリア」はローマとイタリア、「エジンベア」はイギリス(スコットランド)の地名エディンバラ地方、「シャンパーニ」はフランスの地名シャンパーニュ地方、「ノアニール」はノルウェー、「アッサラーム」はアラビア語の挨拶、「イシス」はエジプト神話の女神イシス、「ポルトガ」はポルトガル、「スー」はスー族(ネイティブ・アメリカンの部族のひとつ)、「グリンラッド」はグリーンランド、「レイアムランド」は南極大陸の一角グレイアムランド(グレアムランド)がそれぞれ由来となっており、「ネクロゴンド」の名称は語感から名づけたとされている。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "またこれ以外では、ムオルは中国とロシアの国境を流れるアムール川(Amur)のアナグラムに、エジンベアはイギリスに実在する都市エジンバラに、サマンオサは南米のアマゾン川(Rio Amazonas)のアナグラムに酷似しており、ルザミは「見ざる」の逆読みとなっている。ギアガの大穴と似た名称にギアナ高地の大穴があるが、ギアナ高地はアフリカではなく、南米大陸である。大航海時代シリーズにおいて、海賊の家にあたる位置に海賊の本拠地のひとつとしてサンアントニオが存在するが、サンアントニオは本来、アメリカ合衆国テキサス州の地名である。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "《 》内は、相当する実在の地球上の国・地域を表す。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "精霊ルビスによって創られた地。大魔王ゾーマによって闇に閉ざされており朝が来ることがなく、「闇の世界」と呼ばれている。町やダンジョンなどは、一部を除いて『ドラゴンクエスト』第1作と同じ位置にあるが、第1作ではすべての島・大陸同士が橋やトンネルでつながっていたのに対して、本作では島や大陸の間を結ぶ橋・トンネルの一部がないため、船を使わなければ行けない場所もある。町やダンジョンの構造も第1作と基本的に同じである。なおルビスは第1作では登場していないが、『II』では主人公たちに重要アイテムを授ける役として登場している。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "物語を進めるために必要な道具のうち、ストーリー上特に重要なものについて簡潔に説明する。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "この節では、ゲーム本編内で語られる設定を中心に記述する。ルイーダの酒場で仲間になるキャラクターについては別記参照。", "title": "登場人物" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ここでは、ボスキャラクターとして主人公たちと戦うことになる魔王やその配下の魔物たちを挙げる。", "title": "登場人物" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "前2作のリメイク作品『ドラゴンクエストI・II』に次ぐ、シリーズ2例目のリメイク作品。FC版の発売から8年後の1996年12月6日にエニックスから発売された。エニックスから発売された最後のスーパーファミコン用ソフトとなった。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "キャッチコピーは「SFC究極のドラクエ」。タイトルロゴにはロトの紋章が描かれている。またタイトルロゴのデザイン変更によって、他のシリーズ作品同様に「DRAGON QUEST」の「T」が剣の形になり、ローマ数字が「DRAGON QUEST」と重なるようになった。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "ストーリーはFC版に基づいているが、大幅な要素の追加・変更が行われた。後述の「性格」や「すごろく場」が追加されたほか、アイテムが多数増加し、中には「ルーズソックス」など発売当時の流行を反映したアイテムも登場した。FC版では女性キャラクター専用装備品しかなかったが、SFC版では、ステテコパンツといった男性キャラクター専用装備品も追加された。店の品揃え、ボスモンスターのステータス、モンスターから得られるアイテムなどの変更も行われた。FC版では、武器は全て単体攻撃武器のみだったが、SFC版では単体攻撃武器のほかにブーメランやムチといった全体攻撃武器やグループ攻撃武器が追加された。さらに、オープニング、ダーマ神殿での「遊び人」への転職、隠しダンジョンが追加された。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "画面仕様やキャラクター操作、コマンド操作は、前年に発売された SFC版『ドラゴンクエストVI』をベースとし、同作から以下の要素が継承された。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "『VI』と同様に井戸に入ることも可能になった。戦闘画面も『VI』のものとほぼ同様の画面でモンスターグラフィックも『VI』調だが、モンスターが動く際の効果音を発するようになった。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "本作では、「ふくろ」の中にあるアイテムは、移動中に限りふくろから出さずに使うこともできるようになった。また、アイテムを仲間に渡す際にその位置も指定できるようになり、所持しているアイテムの位置を選ぶことで渡す側と交換することもできるようになったほか、装備可能なアイテムについては渡した時点で装備するかどうかを選択できるようになった。ただし、『VI』にあった「ふくろ」の枝コマンド(だす・いれる・みる)は廃止された。しかし、普通にふくろに渡す・ふくろから渡すなどしても全ウィンドウが閉じることはなくなり、連続操作はしやすくなった(これは、回復呪文などを使用する際にも同様で、その都度ウィンドウが閉じるようなことはなくなった)。これらの要素は本作で初めて導入され、以降の作品(リメイク含む)でも踏襲されている。また、これに伴い「全てのウィンドウを閉じる」ボタンも設定された(本作ではYボタン)。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "ちいさなメダルに関しては、メダルを収集しているのがアリアハンのメダルおじさんとなり、獲得したメダルの累計によってアイテムを獲得する方式である。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "ゲームスタート時に主人公の性格を決定する際、どこからともなく聞こえる声(ルビス)に名を問われて、プレイヤー自身の名前を入力する必要がある。この時入力した名前(必ずしも本名である必要はない)は、エンディングの最後(スタッフロールの後)に「AND ACT BY ○○○○(プレイヤーの名前のローマ字表記)」として紹介され、ロールプレイング(役割を演じる)ゲームの名の通りプレイヤー自身が主人公であることを実感させる演出となっている。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "新職業として「盗賊」が追加されている。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "また勇者・商人・遊び人・盗賊は、『ドラゴンクエストVI 幻の大地』と同様に移動中の特技を「じゅもん」として使用することができるが、効果は補助的なもので数も少ない。遊び人はFC版では演出の域を出なかった「遊び」の効果が改良され、依然ランダム要素ではあるものの、レベル1から遊ぶようになり、また一部戦闘に効果を及ぼす遊びを行うようになるなど、独自の使い勝手を持つキャラクターになった。また、FC版では不可能だった他の職業から遊び人への転職も可能となった。女勇者専用のグラフィックと台詞も追加された。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "FC版では性別によるステータスの上がり方の違いは無かったが、SFC版以降では男はちからやたいりょく、女はすばやさが上昇しやすくなっている。「たいりょく」と「かしこさ」のステータスのシステムがFC版と異なり、リメイク版ではたいりょく値の約2倍がさいだいHPとなり、かしこさ値の約2倍がさいだいMPとなる。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "各キャラクターに「性格」が設定され、同じ職業やレベルでもこの「性格」によってレベルアップ時のステータスの上がり方が異なってくる。性格は全46種類が存在し、ステータス画面で確認することができる。「性格」には、きれもの・ロマンチスト・みえっぱり・でんこうせっかといった男女共通の性格、むっつりスケベ・ラッキーマンといった男性キャラクター専用の性格、おてんば・おとこまさり・セクシーギャルといった女性キャラクター専用の性格の3タイプがある。初期の性格は、主人公であればゲームスタート時に様々な質問を受ける。一通りの質問に答えると、ある場所に導かれて最後の質問が出される。その時の行動のとり方によって性格が決まる。それまでの質問の答え方によって最後の質問として導かれる4種類の場所が変わる。仲間キャラクターであれば登録時の職業、性別、ステータスのバランスによって決定される。種の配分によって上昇させる能力値は任意に選択が可能だが、回数が限られている中で上昇する数値はランダムとなる。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "冒険中は、装飾品やアイテム「本」で性格を変えることもできる。装飾品は装備中のみ性格が変化、「本」は恒久的に性格が変化する。また、性格システムに関連した会話イベントも追加され、その会話内容によって性格が変化することもある。すごろく場で性格が変わることもある。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ゲーム中の全5か所に、「旅人のすごろく場」というミニゲームが登場した。挑戦には「すごろくけん」が必要である。無視してもゲームの進行には全く影響がないが、ここでしか手に入らないアイテムもある。すごろくけんは一部の例外を除き非売品で、町などで拾ったり魔物との戦闘で獲得しなければならない。1回につき1枚消費する。無限にすごろくができるアイテムも存在し、持っている場合はそちらが優先される。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "先頭のキャラクターがすごろくの駒となり、一定回数以内のサイコロでゴールを目指す。ゴールすれば宝箱からアイテムが入手できるほか、コースの途中やよろず屋でもアイテムを入手できる。ただしコース上では戦闘が発生したり、落とし穴などの罠が仕掛けられていたりすることもある。落とし穴でコースアウトしたり、HPや所持金が0になったりした場合は、サイコロの残回数があってもその場で終了となる。特に所持金0の状態ですごろくを始めようとしたら始まった瞬間に終了となりすごろくけんも戻ってこないので注意。戦闘で得た経験値は、戦闘に参加した(つまり、すごろくの駒となっていた)キャラクターのみが獲得する。これは通常の冒険でパーティーを組んでいない状態と同じで、最大で4人パーティ時の約4倍獲得できる。詳しくは上記「経験値」参照。また、参加者のステータスや性格が変化するイベントが発生することもあるので要注意。リタイアはいつでも可能。リタイアしても当然すごろくけんは戻って来ないが、目的がゴールでない場合達成できたら余計なイベントを避けるためにリタイアするのも手である。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ゲームボーイカラー専用ソフトとして2000年に移植された。CMには福井裕佳梨が女子高生役として出演している。SFC版のゲームシステムやストーリーを継承しているが、通信機能を生かした後述の「モンスターメダル」などのオリジナル要素が追加されている。キャッチコピーは「一番愛されたドラゴンクエスト」。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "戦闘画面では背景は表示されないが、呪文などの演出効果やモンスターのアニメーションをSFC版から受け継いだ。いつでもゲーム途中の状態をセーブして中断することができる「中断の書」機能が追加された。『I・II』にあったボタン全押しリセットは、『III』では不可能になった。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "街、背景、設定などはSFC版をもとにしているが、使用できるカラーの仕様上、56色になっている。BGMは一部除いてFC版をベースとする。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ストーリーは、シャンパーニの塔のイベントをクリアしていないと、ノルドの洞窟(アッサラーム東の洞窟)を通れず、バハラタの町へ行くことができないように変更された。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "モンスターを倒すと時々落とす「モンスターメダル」のコレクションを行うことができる。メダルは各モンスターごとに金・銀・銅があるが、最初は銅メダルしか入手できず、銅を入手することで銀を、また銀を入手することで金を入手できるようになる。モンスターメダルはゲーム本編のメモリーとは別のメモリーに記録される。通信ケーブルを使い、一度に3枚までモンスターメダルを交換することもできる。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "このモンスターメダルに関連し、第2の隠しダンジョン「氷の洞窟」が追加された。このダンジョンでは、一定のモンスターメダルを集めないと先に進めないようになっている。このダンジョン用の新たなモンスターとして隠しボス「グランドラゴーン」が追加された。グランドラゴーンを25ターン以内に倒すと、道具使用でギガデインの効果を持つ「ルビスの剣」がもらえる。さらに2回以上25ターン以内に倒すと「グランドラゴーン」のモンスターメダルがもらえる。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "2009年から NTTドコモ向け配信が開始された携帯電話アプリ。メガiアプリだが、前編アプリと後編アプリに分けられている。また、2010年4月からは KDDI (au) 向けの配信も開始され、こちらもBREWアプリでありながら、前編アプリと後編アプリに分けられている。サーバーに冒険の書をバックアップできるようにもなっており、機種変更や誤ってアプリを消した場合でも復旧できるようになっている。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "2011年9月に発売。FC版およびSFC版が、FC版の第1作・『II』、SFC版の『I・II』とセットで収録。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "中断機能が追加され、一部のセリフが変更された。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "2014年9月25日にAndroidおよびiOS向けに配信開始。『I』、『II』同様にアプリケーション『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』から購入・起動する方式。フィーチャーフォン版をベースに移植。グラフィック、操作方法はスマートフォン版『I』『II』同様。BGMはスマートフォン版『I』、『II』、『IV』同様に交響組曲版をベースにしたシンセサイザー音源で、戦闘終了後のBGMは『I』、『II』同様途中から続けて流れる。フィーチャーフォン版に準じてSFC・GBC版での新規BGMは使われていないが、「戦いのとき」「街の人々」「ラダトーム城」は使用されている。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "2017年8月24日に配信開始。スマートフォン版をベースにしたもので、3DS版は下画面にマップが表示される。王者の剣を道具として使った時のメッセージが「とどろく らいめいが くうきを ひきさく!」から「くろいあまぐもが てきをつつみこむ。」に変更された。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "2019年9月27日に配信開始。スマートフォン版をベースにしたものである。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "2021年5月27日配信の「ドラゴンクエスト」35周年記念特番で家庭用ゲーム機向けに制作開始したことを発表。開発はあまた株式会社とスクウェア・エニックス。", "title": "移植版" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "シリーズで初めて、複数のフィールドマップが登場するようになったが、そのためROM容量が不足し、製品版では一部の町やダンジョン、モンスターなどのいくつかの要素がカットされている。またオープニングもなく、タイトル画面は真っ黒な無音の画面に「DRAGON QUEST III」と表示されるのみとなった。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "第1作のBGMはバロック音楽調であるのに対して、本作のBGMはヒロイックな響きを求めロマン派音楽調である。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "アレフガルドのフィールド上BGMの伴奏は第1作とは異なり3連符に変更された。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "ピラミッドとジパングには専用のBGMが存在する。これ以外に開発当初はヨーデル風の専用BGMのあるスイス風の村があったが、容量の関係で開発段階で村もBGMも削除されたという。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "FC版では戦闘時のBGMはゾーマのみが専用BGM「勇者の挑戦」で、他はバラモスも含めすべて同じBGMである。すぎやまによれば、FC版でもバラモスとの戦闘時の専用BGMが製作されたが、何らかの理由によりなくなったという。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "2004年8月10日に東京芸術劇場にて「第18回 ファミリークラシックコンサート ~ドラゴンクエストの世界~」が開催され、その時の会見ですぎやまこういちは、「ファミコンのカセットはゲーム音楽も容量との戦いでした。『ドラクエ3』にも当初はタイトル画面があったんですが、削られてしまいました(笑)」と、制作時の話を披露した。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "またすぎやまは、オルテガの戦闘シーンはレクイエムにすべきだったと後悔・反省している。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "NHK交響楽団によって演奏された『交響組曲 ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』は1988年の第30回日本レコード大賞の特別企画賞に選ばれた。これはゲームミュージックとしては初である。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "不死鳥ラーミアで飛行する時の曲「おおぞらを とぶ」は、のちに高中正義がカバーした。また同曲は『ドラゴンクエストVIII』・『ドラゴンクエストXI』でも使用されている。フィールドの曲「冒険の旅」や戦闘時の曲「戦闘のテーマ」などはバラエティ番組のBGM、高校野球での応援ファンファーレとして使用されることがある。「街」、「海を越えて」、「アレフガルドの街(町の人々)」には、女性デュオ「ルーラ」が歌う歌詞付きの曲がある。また、「冒険の旅」と「そして伝説へ...」にも歌詞が存在する。これはラジオ番組『鴻上尚史のオールナイトニッポン』の企画から生まれた(なお鴻上は、アッサラームの劇場にいる座長キャラクターのモデルでもある)。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "ファミリーコンピュータ版", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "スーパーファミコン版", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "ゲームボーイカラー版", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "日本での本作の発売日は平日(水曜日)であったにもかかわらず、発売日前日には販売店の前に徹夜の行列ができた。ビックカメラ池袋東口店(現:ビックカメラアウトレット池袋東口店)では前日から並んだ行列が最終的に1万人を超える長大な規模になり、マスコミのみならず、後に学習歴史漫画にも取り上げられた。徹夜したり、学校を無断欠席してまでソフトを買いに来る児童・生徒もおり、その補導が多発したほか、品切れで買えなかった少年らによる窃盗や恐喝などの犯罪も多発した。この対策として、次作『ドラゴンクエストIV』以降のシリーズ本編については、発売日を移植版を除き、土日及び祝日にしている。", "title": "反響" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "また、一部の小売店が本作と人気のないソフトとの抱き合わせ販売を行ったことが問題化した。さらに、光文社が写真週刊誌『FLASH』にエンディングの画面を掲載してエニックスから著作権侵害で訴えられる事件が発生し、改めて「テレビゲームの画面は著作物になるのか」という問題がクローズアップされた。", "title": "反響" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "発売当時、ゲーム雑誌などにおいて、終盤の展開に関する情報はほとんど伏せられていた。これは後に発売された「公式ガイドブック」でも同様で、終盤に登場する要素は「回転する床」を除いてほとんどが非掲載となっており、勇者たちが倒すべき最後の敵も「バラモス」とされていて、リメイク版の公式ガイドでも同様に掲載されていない要素があった。リメイク版発売時の雑誌記事・書籍などでは、終盤の画面写真やアイテム、モンスターも掲載された。", "title": "反響" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "FC版「公式ガイドブック」にはバグである防御キャンセル技が掲載されている。後期ロット(敵が出てこなくなる技が追加されているなど)でも修正されず、そのまま残されていた。ヒャダインとマヒャドの習得レベルが逆になっている誤表記があり、重版でもそのままにされていた。堀井によると、書籍に記載の習得レベルが正しい順番なのだが、実際のソフト上では入力ミスで二つが入れ替わってしまったとのこと。", "title": "反響" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "日本における売上本数は380万本を記録。この数字は2006年(平成18年)11月頃まで他社の作品を含めた日本の歴代ゲーム売上本数でも十傑に入っている。2010年(平成22年)現在、この記録はドラゴンクエストシリーズでは『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』に続き3位。ゲーム雑誌『ファミ通』の15周年・20周年読者投票企画ではドラゴンクエストシリーズ中では最上位だった。", "title": "反響" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "別冊宝島には1988年のサブカル・流行の1つとしてこの作品が紹介されている。", "title": "反響" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "†は廃盤。", "title": "関連商品" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "2021年3月19日に改定された。機種ごとに著作権表示が異なる。", "title": "動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン" } ]
『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』は、1988年2月10日にエニックスより発売されたファミリーコンピュータ用ロールプレイングゲーム。 ドラゴンクエストシリーズの第3作目。堀井雄二の脚本・ゲームデザイン、鳥山明のキャラクターデザイン、すぎやまこういちのヒロイックな音楽などにより爆発的な人気を博し、発売日には量販店の前に数キロメートルの行列ができるなどの社会現象を巻き起こした。TVCMのキャッチコピーは「触れたら最後、日本全土がハルマゲドン」。 物語は、ロトシリーズ3部作の完結篇と位置づけられており、前2作『ドラゴンクエスト』『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』の物語中に名が登場した伝説の勇者「ロト」、および舞台となった世界「アレフガルド」の秘密が本作で判明する。 パッケージなどに記載されているタイトルロゴはロゴ全体が剣の鍔と持ち手を模したものであるため、ナンバリングタイトルで唯一「DRAGON QUEST」の「T」が剣の形になっていない。また、『ドラゴンクエストVI 幻の大地』までの作品の中では唯一数字と重なっていない作品でもある。 発売後には、ゲームブック化や小説化、ドラマCD(CDシアター)化も行われた。 その後、リメイクとして1996年に『スーパーファミコン ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』、2000年に『ゲームボーイ ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(ゲームボーイカラー専用)が発売されているほか、2009年より携帯アプリ版も配信されている。2011年9月15日発売のWii用ゲームソフト『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』にFC版およびSFC版が第1作『ドラゴンクエスト』や『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』と共に収録された。2017年8月24日からはPlayStation 4、ニンテンドー3DS版が、2019年9月27日からはNintendo Switch版がダウンロードで配信されている。 北米では、『Dragon Warrior III』としてNES版とGBC版が発売されている。 ファミリーコンピュータ版とスーパーファミコン版はゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」にてプラチナ殿堂入りを獲得、またゲームボーイカラー版はシルバー殿堂入りを獲得した。その他、ファミリーコンピュータ版はゲーム誌『ファミリーコンピュータMagazine』の「ゲーム通信簿」にてキャラクタ4位、音楽2位、熱中度2位、操作性4位、お買い得度3位、総合評価2位を獲得した。リメイク版を含めた合計ではシリーズで最も売れたタイトルである。
{{Pathnav|frame=1|ドラゴンクエストシリーズ}} {{コンピュータゲーム | Title = ドラゴンクエストIII<br />そして伝説へ…<br />''Dragon Warrior III'' | Genre = [[コンピュータRPG|ロールプレイングゲーム]] | Plat =[[ファミリーコンピュータ]] (FC){{Collapsible list |title = 対応機種一覧 |1 = [[スーパーファミコン]] (SFC)<br />[[ゲームボーイカラー]] (GBC)<br />[[iアプリ]]<br />[[BREW|EZアプリ (BREW)]]<br />[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]<br />[[iOS]]<br />[[PlayStation 4]] (PS4)<br />[[ニンテンドー3DS]] (3DS)<br />[[Nintendo Switch]] (NS)}} | Dev = [[チュンソフト]] | Pub = [[エニックス]] | producer = [[千田幸信]] | director = [[中村光一]] | designer = | writer = [[堀井雄二]] | programmer = [[内藤寛|内藤寬]] | composer = [[すぎやまこういち]] | artist = [[鳥山明]] | license = | series = [[ドラゴンクエストシリーズ]] | Play = 1人 | Media = 2[[メガビット]]+64キロ[[Random Access Memory|RAM]]<br />[[ロムカセット]]<ref name="famimaga116">{{Cite journal |和書 |title = 5月10日号特別付録 ファミコンロムカセット オールカタログ |date = 1991-05-10 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |volume = 7 |number = 9 |pages = 116 - 117 |ref = harv}}</ref><br />([[バッテリーバックアップ]]搭載) | Date = 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『'''ドラゴンクエストIII そして伝説へ…'''』(ドラゴンクエストスリー そしてでんせつへ)は、[[1988年]][[2月10日]]に[[エニックス]](現:[[スクウェア・エニックス]])より発売された[[ファミリーコンピュータ]]用[[コンピュータRPG|ロールプレイングゲーム]]。 [[ドラゴンクエストシリーズ]]の第3作目。[[堀井雄二]]の[[脚本]]・[[ゲームデザイン]]、[[鳥山明]]の[[キャラクターデザイン]]、[[すぎやまこういち]]のヒロイックな音楽などにより爆発的な人気を博し、発売日には量販店の前に数キロメートルの行列ができるなどの社会現象を巻き起こした。[[テレビ|TV]][[コマーシャルメッセージ|CM]]のキャッチコピーは「'''触れたら最後、日本全土がハルマゲドン'''」。 物語は、[[ロトシリーズ]]3部作の完結篇と位置づけられており、前2作『[[ドラゴンクエスト]]』『[[ドラゴンクエストII 悪霊の神々]]』の物語中に名が登場した伝説の勇者「ロト」、および舞台となった世界「アレフガルド」の秘密が本作で判明する{{Efn2|ただし、堀井雄二は『I』製作時は『III』まで想定しておらず、後付ながらストーリーがうまく繋がったのはよかったと述べている<ref name="25th">[[スタジオベントスタッフ]]『ドラゴンクエスト25thアニバーサリー 冒険の歴史書』スクウェア・エニックス、2011年、91頁。</ref>}}。 パッケージなどに記載されているタイトルロゴはロゴ全体が[[剣]]の[[鍔]]と持ち手を模したものであるため、[[ナンバリングタイトル]]で唯一「DRAGON QUEST」の「T」が剣の形になっていない<ref group="注">シリーズ全体としては他に[[Wii]]用ソフト『[[ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔]]』やアニメ版『[[ドラゴンクエスト (アニメ)|ドラゴンクエスト]]』でも見られる。</ref>。また、『[[ドラゴンクエストVI 幻の大地]]』までの作品の中では唯一数字と重なっていない作品でもある。 発売後には、[[ゲームブック]]化や[[小説]]化、[[ラジオドラマ|ドラマCD]](CDシアター)化も行われた。 その後、[[リメイク]]として[[1996年]]に『[[スーパーファミコン]] ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』、[[2000年]]に『ゲームボーイ ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』([[ゲームボーイカラー]]専用)が発売されているほか、[[2009年]]より携帯アプリ版も配信されている。[[2011年]][[9月15日]]発売の[[Wii]]用ゲームソフト『[[ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III]]』にFC版およびSFC版が第1作『[[ドラゴンクエスト]]』や『[[ドラゴンクエストII 悪霊の神々]]』と共に収録された。[[2017年]][[8月24日]]からは[[PlayStation 4]]、[[ニンテンドー3DS]]版<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.dragonquest.jp/roto/ |title= ドラゴンクエスト“ロト伝説”シリーズ 公式プロモーションサイト |publisher= スクウェア・エニックス |date= 2017-08-10 |accessdate= 2017-08-11 }}</ref>が、[[2019年]][[9月27日]]からは[[Nintendo Switch]]版がダウンロードで配信されている。 [[北アメリカ|北米]]では、『''Dragon Warrior III''』として[[Nintendo Entertainment System|NES]]版とGBC版が発売されている。 ファミリーコンピュータ版とスーパーファミコン版はゲーム誌『[[ファミ通|ファミコン通信]]』の「[[クロスレビュー]]」にてプラチナ殿堂入りを獲得、またゲームボーイカラー版はシルバー殿堂入りを獲得した。その他、ファミリーコンピュータ版はゲーム誌『[[ファミリーコンピュータMagazine]]』の「ゲーム通信簿」にてキャラクタ4位、音楽2位、熱中度2位、操作性4位、お買い得度3位、総合評価2位を獲得した。リメイク版を含めた合計ではシリーズで最も売れたタイトルである{{要出典|date=2023年12月}}。 == ゲーム内容 == リメイク版については後述の[[#移植・リメイク|リメイク]]の節を参照。 {{See also|ドラゴンクエストシリーズ#ゲームシステム}} [[Read only memory|ROM]]は前作の2倍である2メガビット(256キロバイト)ROM を使用、バッテリーバックアップのセーブファイル容量は64キロビットとなっている。ゲームシステム面では、仲間キャラクターの名前・職業([[キャラクタークラス]])・性別を自由に選び、パーティーを自由に編成して冒険できるという、キャラクターメイキングのシステムが取り入れられた。『ドラゴンクエスト』で削ぎ落とされた要素が『ドラゴンクエストIII』になって実現した形で、これはバッテリーバックアップの採用が大きい<ref name="25th"/>。 === プレイヤーキャラクター === キャラクターメイキングによって、プレイヤーの扱うパーティーとなるキャラクターに固有設定を持った人物が存在せず、プレイヤーの分身である主人公以外のパーティーキャラクターを任意で選んだ最大4人までのパーティーを作ることができる。また、パーティーキャラクターを使用せずに主人公だけで冒険に出発することが可能である<ref group="注">ただし、ゲームクリアのためにはストーリー進行上、必ず一度は商人をパーティーに入れなければならない。「[[#職業一覧]]」の商人を参照。</ref>。 このゲームに登場するプレイヤーの扱うパーティーキャラクターは必ず一つの「職業」(キャラクタークラス)を持っており、装備できる武器や防具、レベル上昇時のステータス成長の傾向などは就いている職業によって決定される。また、今作では、主人公とキャラクターメイキングで登録される各パーティーキャラクターのいずれにも性別が設定される。男女どちらの性別を選んでも能力には影響しないが、移動画面でのグラフィックが男女で異なるほか、女性専用の武器・防具などが複数存在する。性別は、主人公であれば新しくゲームを始める際に、それ以外のキャラクターであれば登録する際に決定する。 初期の頃、勇者の性別が選べるようにしたのは「ドラクエの世界に自分を投影して、感情移入し易くするための配慮から」と言われており{{誰|date=2023年12月|post-text=に}}、パラメータの上がり方やゲーム内容の違いはなかった<ref name=":0">{{Cite book|和書 |title=ファミコン通信 No.179 「ドラクエ」シリーズ素朴な疑問 |date=1992年5月22日 |year=1992 |publisher=[[アスキー (企業)|アスキー]] |page=91}}</ref>。 呪文の数は前作の22種類から倍以上の60種類に増えるとともに、呪文が系統別に整理され、以後のシリーズにおける呪文体系が本作で確立された。解説文中の呪文についての詳細は[[ドラゴンクエストシリーズの呪文体系]]を参照。 ==== ルイーダの酒場 ==== 出発点となるアリアハンに「[[ルイーダの酒場]]」があり、パーティーの編成はここで行う。 ; ルイーダの店 : 登録されているキャラクターをパーティーに迎え入れたり、現在のパーティーメンバーを預けることができる。ゲーム開始時にはあらかじめ3人のキャラクター{{Efn2|戦士・僧侶・魔法使いの3名で全員男性。}}が登録されている。また、一度ゲームクリアした冒険の書では主人公も他のキャラクターと同様にパーティーから外せるようになり、主人公のいないパーティーも可能となる。 ; 冒険者の登録所 : 名前、性別、職業を入力してキャラクターを登録し、ルイーダの店で仲間に入れられる状態にする。ステータスはキャラクターメイキングごとに変化し、登録確認時にステータスが表示される。なお本作では主人公を含めて「ろと」および「ロト」とついた名前をつけることはできない。また、すでにいるキャラクターと同じ名前をつけることもできない。 : 登録できるのは最大11人までで、それ以上登録する場合は誰かを消去してから登録することになる<ref group="注">ただし、武器・防具・道具を所持している状態では抹消できない。なお商人を渡すイベントによりその商人がリストから抹消となり(持ち物は預かり所に送られる)、新たにキャラクターを作ることができる。</ref>。 ==== ダーマの神殿 ==== 主人公以外のキャラクターはこの神殿で別の職業へ「転職」させることができる。転職資格は主人公以外のレベル20以上のキャラクター。転職後はレベルが1に戻るが、ステータス値が転職前の半分となるだけで、それまでに覚えた呪文はそのまま使える。例えば、魔法使いが戦士に転職すると、重い武器と呪文の両方を扱える戦士となる。また、僧侶が魔法使いに転職すると、回復呪文と攻撃呪文の両方が使える魔法使いが誕生する。ただし、覚えた呪文以外の前の職業の特性は失われる。 * 転職直後、装備していた武器・防具は全て外される。 * 特殊能力をもつキャラクターが転職した場合、以前のその能力は失われる。 ** 武闘家が転職した場合、「会心の一撃が出やすい能力」は失われる。 ** 商人が転職した場合、「アイテムを鑑定する能力」や「戦闘終了後に余分にお金を拾う能力」は失われる。 * 呪文の使えるキャラクターが転職した場合、以前の職業の呪文は新たに覚えることができなくなる(それまでに覚えた呪文しか使えない)。 ** 呪文の使える別の職業に転職した場合、以後その職業の呪文しか覚えられない。 *** 僧侶が魔法使いに転職した場合、以後魔法使いの呪文しか覚えられず、僧侶の呪文はそれまで覚えたものしか使えない。 ** 本来呪文の使えない職業(戦士など)に転職した場合、以後新たに呪文を覚えられず、最大MPも増加しない。 なお、呪文の使えるキャラクターが特殊能力のある職業に転職した場合はその職業の能力を得ることができるため、武闘家の能力と呪文の両方を扱える武闘家や、商人の能力と呪文の両方を扱える商人を作ることができる。 ==== 職業一覧 ==== ; [[勇者]] : 主人公専用の職業。勇者から他職業への転職はできず、主人公以外が勇者になることもできない。ステータスはちから・[[ヒットポイント|HP]]が高く、他の能力も平均的だが、[[マジックポイント|MP]]が低い。レベルアップ速度は最初は遅めだが、レベルが上がるにつれ速くなる。また、呪文は回復呪文から、勇者のみが使える攻撃呪文デイン系まで幅広く覚える。FC版では、ちから・たいりょくが戦士に比べ劣るが、SFC以降は高レベル帯に入ると戦士を上回る。 : 他の職業と異なり男女でのグラフィックの違いがない。パッケージ・取扱説明書で描かれているイラストは男性のみであるが、公式ガイドブックでは女性も描かれている{{要出典|date=2023年12月}}。 ; [[戦士]] : 剣や斧などの武器を使いこなす戦闘のプロ。ちから・HPが高く、多くの種類の武器・防具を装備することができる。勇者に次ぐ攻撃力の高い武器や、呪文やブレスなどの特殊攻撃に耐性のある防具なども多く装備できる。すばやさ・うんのよさが低いため敵に先制されやすい。本作ではすばやさの値と装備している防具の守備力でそのキャラクターの守備力が決定されるため、防具を装備していない場合の守備力は低い。 : 女戦士は、発売当時に流行していた[[ビキニアーマー]]の外見で露出度が高い。男女とも、後の『[[ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君]]』、『ドラゴンクエストIX』の一般人キャラクターとして再登場する。 ; [[格闘技|武闘家]] : 戦士のような武器を使わず、体を使っての闘いを得意とする職業。レベルが上がるほど高確率で会心の一撃を繰り出すようになる。ただしレベルアップが遅く、賢者に次いで上がりにくい。ちから・すばやさが高いが、剣や斧など普通の武器を装備すると逆に攻撃力が低下する。基本能力は全体的に高いが有効な装備が極度に少ないため、装備が揃った戦士には能力が劣る。 : 男女とも拳法着を着用しており、後に『ドラゴンクエストVIII』、『ドラゴンクエストIX』、『[[ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて]]』の一般人キャラクターとして再登場する。 ; [[魔法使い]] : 文字通り、多数の魔法を使いこなす職業。主に攻撃呪文(メラ系・ギラ系・イオ系・ヒャド系)や補助呪文を覚え、成長していくと「メラゾーマ」や「イオナズン」などの強力な攻撃呪文を習得する。MP・すばやさが高いが、その反面、ちから・HPなどは低く、装備できる武器・防具の攻撃力・守備力も低いため、武器を使った戦闘力は低い。男性は老人の姿。女性はとんがり帽子をかぶった若い魔女の姿。 ; [[聖職者|僧侶]]<!--リンク先は、曖昧さ回避ページ[[僧侶 (曖昧さ回避)]] での記述に基づく。--> : [[神]]に仕える職業で、回復呪文のエキスパート。回復・解毒・蘇生の呪文や攻撃呪文(バギ系・ザキ系)を覚える。魔法使いと比べ多くの武器・防具を装備でき、ある程度打撃戦もこなすが、少し打たれ弱い。また、後半になると攻撃力もあまり成長しなくなる。男僧侶は、後に『ドラゴンクエストVIII』の一般人キャラクターとして再登場する。男性は口髭の姿。女性は青く長い髪の若い姿。 ; [[商人]] : 武器で魔物と戦う能力を身につけた旅の商人。男性は頭に[[ターバン]]を巻いている。アイテムの鑑定能力を持ち、戦闘後に余分にお金を拾うこともある。レベルアップが最も早く、能力も比較的満遍なく伸びる。序盤は勇者や戦士とほぼ同等の武器・防具を装備できるため非常に頼りになる反面、高レベル帯に入ると能力の伸びが鈍化する。 : 本作ではある町でパーティーメンバーの商人1人を離脱させそこに住ませるイベントがあるため、クリアするまでに必ず一度は商人を連れていかなければならない。堀井は、イベント後に離脱した商人がレベルアップしてパーティーに戻ってくるようにしたかったが、登録キャラクター数の都合で断念したと語っている<ref name="horii">{{Cite book|和書|date=1988-12-01|title=ドラゴンクエストIII そして伝説へ… 知られざる伝説|page=92-93|publisher=エニックス|isbn=978-4900527003}}</ref>。 ; [[遊民|遊び人]] : 娯楽施設で働く職業。男性は[[道化師]]、女性は[[バニーガール]]の格好をしている。 : うんのよさは高いが、それ以外の全てのステータスが平均を下回っている。序盤は勇者や戦士とほぼ同等の武器・防具を装備できるものの、中盤以降は装備できるアイテムも少なくなり、さらにある程度のレベルになると、戦闘中にコマンド入力してもコマンドに従わず、自分のターンを踊ったりイタズラしたりなどの遊びでパスするようになる<ref group="注">ただし、パーティーに遊び人1人しかいない場合に混乱状態になることで100パーセントコマンド通りに戦うことが可能となる。</ref>。戦闘中に遊ぶ確率はレベルが上がるほど高くなる。行う遊びの種類はレベルが上がるにつれ増えていくが、どの遊びも敵に効果を及ぼしたり味方に直接的な被害を与えたりすることは全くない。戦闘能力が全職業で最も低く基本的に役に立たない職業である。 : 他の職業では賢者へ転職する際に「さとりのしょ」というアイテムが必要になるが、遊び人は転職可能レベルまで育てると「さとりのしょ」が無くても賢者に転職することができる。「さとりのしょ」は1つだけ宝箱から入手することができるが2つ目以降を入手することは困難であり、賢者を2人以上パーティーに入れたい場合は遊び人を登録しレベル20になってから転職させることで容易に実現可能である。なお、遊び人は他の職業から転職することはできない。 : 戦闘の役に立たない遊び人という職業を入れるか議論が行われた末に取り入れられた要素である<ref>「ドラゴンクエスト25周年記念 堀井雄二×中村光一 特別対談 後編」『[[ゲーマガ]]』2012年2月号、[[SBクリエイティブ]]、78頁。</ref>。 ; [[賢者]] : 厳しい修行を積んだ者だけがなれるとされている職業で、僧侶・魔法使い両方の呪文を習得する。ルイーダの酒場での新規登録はできず、転職によってのみこの職業になることができる。遊び人を除き、賢者への転職には「さとりのしょ」が必要。ステータスはバランスよく成長し、装備品は僧侶より豊富である。ただし攻撃力の高い武器が少ないため、打撃より呪文の方が強力。覚える呪文は僧侶・魔法使いの成長と同じレベルで取得するが、同じレベルになるための必要経験値は僧侶・魔法使いより多く成長が遅い。それでも僧侶・魔法使いを別々に経て全ての呪文を覚えるよりは賢者でまとめて覚える方が速い。 ==== ステータス ==== 本作においては、従来からの「ちから」「すばやさ」に加え、「たいりょく」「かしこさ」「うんのよさ」のステータスが新たに加えられている。各ステータスの最大値は255である。 ;ちから :武器を何も装備していないときの攻撃力。 ;たいりょく :最大HPに影響する。レベルアップの際に上昇した「たいりょくの値の2倍±2」だけ最大HPが上昇する。 ;すばやさ :この値が高いほど先に行動できる確率が高くなり、この値の半分が防具を何も装備していないときの守備力となる。なお、すばやさが上がるアイテムを装備したことによる上昇分も守備力に反映される。 ;かしこさ :基本的には呪文の覚えやすさ(習得レベル)に影響する。最大MPにも影響し、上記のたいりょくと最大HPの関係と同様である。 ;うんのよさ :運の良さを表す。敵の攻撃から身をかわす確率が高くなること<ref>FC版公式ガイドブック p.14</ref>が攻略本によって公表されている。GB版の取扱説明書には状態異常にかかりにくくなることが公表されている。 レベルアップのときのステータスの上昇幅は、前作のように固定されておらず[[ランダム]]となっており、同じ職業・レベルであっても個人差が発生する(ランダム成長)。キャラクターのレベルの最大値は99で、以降の作品でも一部の仲間モンスターなどを除いてほとんどのキャラクターの最大レベルが99となる。 キャラクターのステータスを数ポイント上昇させることができる「ちからのたね」「いのちのきのみ」などのアイテムが本作で新たに登場した。 ==== 並べ替え ==== 本作より、パーティーメンバーの並び順を自由に入れ替えることができるようになった。戦闘中、前にいる者ほど敵の攻撃を受けやすく、後ろにいる者ほど攻撃を受けにくいため、基本的にはHPや防御力の高いメンバーを前方に置くことになる。 === 移動画面 === コマンド体系などは前作からおおむね受け継がれた。 ==== 昼と夜 ==== 本作では「昼」「夜」という時間の概念が取り入れられた。フィールドマップ上を一定歩数歩くと、時間が昼から夜へ、夜から昼へと移り変わる。昼と夜では城や町などの様子が異なる。夜は王様も寝てしまい城に入ることができなくなるので一部を除きセーブができず、町にある店も多くが閉まるが、酒場など夜に限り賑わう場所もある。夜は昼間よりもフィールドでのモンスターの出現率が高く、モンスターのパーティーも手強くなるほか、地方によっては夜にならないと登場しないモンスターもいる。 宿屋に泊まることにより昼にすることができるほか、昼と夜を入れ替えるアイテムや呪文も登場した。夜間はボス戦など、イベントにより、終了後昼になるものもある。本作に限り、移動の呪文「ルーラ」または道具「キメラのつばさ」を使用したときにも昼になる。 ==== 乗り物・移動手段 ==== ; 呪文「ルーラ」・アイテム「キメラのつばさ」 : 本作では今までに行ったことがある特定の町などの中から行きたい場所を選択して瞬間移動できるようになった。ただし、行ったことがあっても移動できない町や村もある。行き先を覚えるのは各キャラクター個別に設定されているため、ルーラ・キメラのつばさを使うキャラクター自身が行ったことがない場所は他のメンバーが行ったことがあっても行くことができない。乗り物は瞬間移動した際には主人公たちで城や町などの近くへ移動する。 ; 船 : 乗り込むことによって水上を移動する。水上では[[エンカウント]]が発生する。川にも入ることができるが、浅瀬や橋は通行できない。 ; 不死鳥ラーミア : シリーズ初登場の空を飛ぶ乗り物。背中に乗ることにより、あらゆる地形の上を飛行可能であり、飛行中はエンカウントが発生しない。陸上の通行可能な地形であればどこでも離着陸可能である<ref group="注">1人でしか入ることのできない「地球のへそ」の周辺は除く。</ref>。 === 戦闘 === 前作の「[[ターン (ゲーム)|ターン]]制」システムを引き継いだ。 * 本作ではキャラクターの「すばやさ」のステータスが、ターン内での行動の順番に影響する。 * パーティーメンバーの並び順が攻撃の受けやすさに影響する。前列にいるキャラクターほど敵から攻撃を受けやすくなる{{Efn2|ただし、敵の種類によっては、後列のキャラクターを狙う敵もいる。}}。 * 自分たちのレベルが敵に設定されたレベルよりもかなり高い場合は、[[エンカウント#強制エンカウント|強制エンカウント]]である場合を除いて確実に逃げられるようになった。 * 「麻痺」と「混乱」のステータス異常が新たに登場した([[ドラゴンクエストシリーズ#ステータス異常|ドラゴンクエストシリーズ]]の項を参照)。 * 敵を攻撃したり、敵から攻撃を受けたり、呪文を唱えた際のメッセージがある程度簡略化され、それらは本作以降のシリーズに継承された<ref group="注">「○○に△△ポイントのダメージをあたえた!」」→「○○に△△のダメージ!!」、「○○は××のじゅもんをとなえた!」→「○○は××をとなえた!」など。</ref>。 * 本作では戦闘中に味方を攻撃(パーティーアタック)したり、敵に回復呪文を使うことができる。これにより混乱に陥った仲間に「ラリホー」の呪文をかけて眠らせることで、ダメージを防ぐといった戦略が取れる。また敵を無視して味方同士を対戦させることも可能である。 * FC版の『I』『II』ではモンスターのMPという概念がなく、呪文を使うモンスターは無限に呪文を使うことができたが、本作よりモンスターにもMPが設定されるようになったため、モンスターが呪文を唱えたときにMPが足りず効果が現れないことがある。また、一部のモンスターはターン終了時に一定量のHPが自動回復する。回復量はモンスターにより異なり、ゲーム中のメッセージには表示されない。 * 本作では戦闘に勝ったあとの経験値は各パーティーメンバー(死亡しているメンバーを除く)に等分されるようになっている。したがってパーティーの人数が少ないほうが一度に多くの経験値を獲得することができ、1人で戦ったときに得られる経験値は4人パーティーのときの約4倍となる。 === 冒険の書 === 前2作では「復活の呪文」と呼ばれる[[パスワード (コンピュータゲーム)|パスワード]]方式を採用していたが、本作は保存するデータの量が膨大となった<ref group="注">制作発表が行われた当時の各ゲーム雑誌では「もしも今作をパスワード方式にした場合、その長さは800文字ぐらいになる」とのコメントが載せられた(第1作は20文字、『II』は最大52文字)。</ref>。そこで本作からは、データ保存方式が、従来のパスワード方式から、内蔵[[電池]]による[[バッテリーバックアップ]]方式に切り替えられ、最大3つまでの「冒険の書」(データファイル)として[[ロムカセット]]内部に進行状況を記録し[[セーブ (コンピュータ)|セーブ]]できるようになった。これによって、パスワードの書き写しや入力を行う手間がなくなり、短時間でゲームを中断・再開することが可能となった。 この方式が導入されたことにより、従来の復活の呪文では記録することができなかった、現在のHP・MPやステータス異常、また取得済みの宝箱などの情報が記録されるようになった。このためセーブして電源を切って再開してもHP・MPやステータス異常は回復しない。また、一度宝箱を開けて中身を取得するとその宝箱の中身は二度と取得することができなくなった。 しかし、内蔵電池の消耗、接触不良などによってバックアップデータが消失したり、実際には問題ないデータがチェックプログラムに異常と判定されて自動消去されるという事態も度々起きた。データ消失の際には真っ黒の画面に、「おきのどくですがぼうけんのしょ○(数字)ばんはきえてしまいました。」という冒険の書が消えたことを示すメッセージが表示され、同時に呪いの武具を装備した時の音楽が流れる演出が発生する。この演出は次作以降にも踏襲されている。まれにこの演出すら発生しないまま商品購入状態の初期画面にされる場合もある。 === その他 === ; 表示速度 : 冒険の書の作成時に戦闘中のメッセージ表示速度を8段階に設定できるようになった。速度1が前作までのfast、8がslowに該当しており、スタート画面から自由に再設定ができる。移動時の表示速度は最速(前作までのfast)に固定された。 ; 預かり所 : アイテムや、所持金を預けることができる。所持金は 1000 ゴールド単位で預けたり引き出したりできる。パーティーが全滅すると所持金が半分になるが、ここに預けたゴールドは全滅しても減ることがない。アイテムの場合は、引き取る際に[[手数料]]が必要で、高価なアイテムや高額で売れるアイテムほど手数料が高い。 ; 使うことで呪文効果を発動する武器・防具 : 前2作にも登場した、戦闘中に道具として「つかう」ことで呪文と同様の効果を発動する武器・防具は、本作では一部を除いて装備できる職業のキャラクターが使った場合のみ効果を発動する。これは、本作のみの仕様である。 ; モンスター格闘場 : モンスター同士の試合でどのモンスターが勝つかを予想する[[ギャンブル]]施設。勝つと思われるモンスターにゴールドを賭け、結果、賭けたモンスターが勝てばゴールドが倍率に基づいた額になって戻ってくる(特例を除き弱いモンスターほど倍率が高い)。賭け金はパーティーの先頭にいるキャラクターのレベルに比例する。場内には「予想屋」がいて、どのモンスターが勝つかを有料で予想するが、あまりあてにできない。 ; トラップモンスター : 宝箱に化けたモンスター[[ミミック (架空の生物)|「ひとくいばこ」「ミミック」]]が初登場。宝箱を開けた途端に戦闘となる。単独で登場するが、逃げることはできず、周辺のモンスターより強力である。外見ではまったく見分けがつかないが、宝箱の上で「インパス」の呪文を使い、宝箱が何の色に光るかを判別することにより戦闘を回避することができる。また、ピラミッドではミイラおとこが出現する宝箱が存在するが、これを倒すと中身のアイテムを獲得できる(これも「インパス」で判別できる)。なお、これらの宝箱モンスターが多く仕掛けられたダンジョンが存在する。 ; 動かせる岩 : プレイヤーが自分で押して動かすことができる岩が本作より登場した。いくつかのイベントに登場し、『[[倉庫番]]』のように所定の場所に岩を並べるイベントもある。 ; 回転床 : 下の世界のダンジョンにあるトラップ。通常のキー操作と異なる方向に移動させられる。 === 北米版(NES版) === 北米で発売されたNES版『Dragon Warrior III』では、様々な変更点がある。以下に列挙する。 * 独自のタイトル画面が用意され、タイトル画面のBGMは「ロトのテーマ」ではなく北米版オリジナルの曲になっている。 * 冒険の書選択画面では、『ドラゴンクエストIV』と同じ間奏曲が使用されている。 * 日本版には無かった、火山でのオルテガと魔物の戦いを描いたプロローグが追加された。元々日本版向けに作られたもののROM容量の制約からカットされ一旦お蔵入りとなったが、北米版で容量が増えたため復活した経緯がある<ref>[https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1801/07/news008.html 「カタカナは20文字だけ」「没アイテムで宝箱がカラッポに」ファミコンハードの限界に挑んだ制作者たち] - ねとらぼ・2018年1月7日</ref>。 * 日本版での教会の[[十字架]]が[[五芒星]]のマークに、[[棺|棺桶]]が[[幽霊]]のグラフィックに変更されている。 * モンスターの持つ経験値とゴールドが 25%(端数切り捨て)増えたため、レベルアップをはじめとした進行が日本版よりも早い。 * キングヒドラと戦うオルテガのグラフィックが、人間の戦士の姿に変更された。また、オルテガの敗退直後には専用のBGM(戦闘のテーマをアレンジしたもの)が用意された。 * モンスター格闘場での賭け金が、日本版でレベルの2倍であるのに対し、北米版では10倍。 * エンディングの曲が2ループする。音色や音の長さも若干修正が入っている。 == 設定 == === ストーリー === <!--攻略情報は書かないこと--> 勇名を馳せたアリアハンの「勇者オルテガ」は、初子を授かった直後より世界の支配を企む「魔王バラモス」を倒すべく旅立ち、そしてそのまま消息を絶った。伝聞によれば、「旅の途中で魔物に襲われ、戦闘の最中に火山に落ちて命を落とした」とされた。 オルテガの子供(=主人公)は、自身の16歳の誕生日をきっかけにして父の遺志を継ぐために、アリアハン王に願い出て仲間とともに冒険へと旅立つ。旅の扉からアリアハンの外へと旅立ったあと、主人公は世界各地で起きる不思議な事件を解決していくことになり、船を手に入れると、冒険の舞台はさらに広がっていく。 こうして世界中を旅するうちに主人公たちは、世界に散らばっていた「6つのオーブ」を手に入れる。これらのオーブは「不死鳥ラーミア」を復活させるためのもので、この不死鳥がバラモスのもとに到達する鍵になるのだった。復活した不死鳥ラーミアに乗って空を飛ぶことで、宿敵バラモスの居城へと乗り込んだ主人公は、ついにバラモスを退治する。 だが、真の黒幕である「闇の支配者ゾーマ」と、もうひとつの世界 「アレフガルド」の存在が明らかになり、主人公は再び冒険の旅に赴く。主人公はアレフガルドの世界でゾーマの城に入るための「にじのしずく」を手に入れ、ゾーマとの最終決戦にのぞむ。 === 第1作・第2作との関連 === 第1作『[[ドラゴンクエスト]]』、第2作『[[ドラゴンクエストII 悪霊の神々]]』と本作は、共通して「アレフガルド」という大陸が登場するなど、密接なストーリーの関連があり、この3作は「[[ロトシリーズ]]」(「ロト三部作」とも)と呼ばれる。その中でも本作は第1作よりもさらに昔の時代の物語となっており、本作の数百年後の物語が第1作、さらにその100年後が『II』となる。 === 世界設定 === 魔王バラモスを倒すまでは、前2作と異なる世界が舞台となる。しかしストーリー終盤では、前2作で登場した「アレフガルド」のある別の世界が舞台となる。本作の世界は2層構造となっており、ここでは主人公たちが生まれ育った世界を「上の世界」、アレフガルドのある世界を「下の世界」と呼ぶこととする。両世界間は呪文「ルーラ」などで行き来することができる。 ; 上の世界 : 主人公たちの住む世界。魔王バラモスによって支配されようとしている。地形は、現実の[[地球]]の世界地図を模している<ref group="注">マップはメルカトール図法に基づいた四角形で、上端と下端、左端と右端がそれぞれ繋がっている(北極より北へ進むと、南極へ出るなど)。ゲーム中の「ルザミ」の町人の台詞によれば世界は丸いとのことだが、上述の性質を満たす世界の形状は実際には球ではなく[[トーラス]]である。</ref>。時代は全体的に近世の大航海時代を思わせる描写が多いが必ずしも一貫していない<ref group="注">王政、高価な黒胡椒、ポルトガの航海技術、北アメリカ大陸の開拓地、ルザミに流刑中の地動説論者など。しかし日本にあたるジパングでは弥生時代の生活をしている。</ref>。 ; 下の世界 : 太古の昔に神々による審判から選ばれ、上の世界から移住してきた者の末裔が住む新世界で、精霊ルビスが統治している。主人公たちの住む世界より下の層に位置する。闇に包まれており常に夜の状態である。船で外海へ出られるが、マップの上下左右の端から先に進むことができないので、外へ行くことや周回を行うことはできず、アレフガルド大陸以外の『ドラゴンクエストII』で見られた地域は登場しない。 ==== 世界・地名の由来 ==== <!--個人の見解や独自研究は書かないでください。アナグラム云々とかも独自研究のような気がするのでコメントアウトして残しておきます。ノートによると「知られざる伝説」にも由来の話が書かれているようですが、この本をお持ちの方は出典を明記の上加筆修正をお願いします。--> 堀井は本作のデザインに先立って、ヨーロッパの歴史的城郭などを取材した。 前述のとおり、上の世界は現実の[[地球]]の地形が元になっており、地名を似せたり、実際の地理・歴史への[[オマージュ]]が取り入れられた。 関連書籍における堀井の発言によれば<ref name="mastersclub">『ドラゴンクエストIII マスターズ・クラブ』([[宝島社|JICC出版局]] 刊) ISBN 4880634875</ref>、「ロマリア」は[[ローマ]]と[[イタリア]]、「エジンベア」はイギリス(スコットランド)の地名[[エディンバラ]]地方、「シャンパーニ」はフランスの地名[[シャンパーニュ]]地方、「ノアニール」は[[ノルウェー]]、「アッサラーム」は[[アラビア語]]の挨拶、「イシス」はエジプト神話の女神[[イシス]]、「ポルトガ」は[[ポルトガル]]、「スー」は[[スー族]]([[ネイティブ・アメリカン]]の部族のひとつ)、「グリンラッド」は[[グリーンランド]]、「レイアムランド」は南極大陸の一角グレイアムランド([[グレアムランド]]<!--[[グレアム]]の項を見て分かる通り仮名表記上の誤差-->)がそれぞれ由来となっており、「ネクロゴンド」の名称は語感から名づけたとされている。 <!-- またこれ以外では、ムオルは中国とロシアの国境を流れる[[アムール川]](Amur)の[[アナグラム]]に、エジンベアはイギリスに実在する都市[[エディンバラ|エジンバラ]]に、サマンオサは南米の[[アマゾン川]](Rio Amazonas)のアナグラムに酷似しており、ルザミは「見ざる」の逆読みとなっている。ギアガの大穴と似た名称に[[ギアナ高地]]の大穴があるが、ギアナ高地はアフリカではなく、南米大陸である。[[大航海時代シリーズ]]において、海賊の家にあたる位置に海賊の本拠地のひとつとしてサンアントニオが存在するが、サンアントニオは本来、[[アメリカ合衆国]][[テキサス州]]の地名である。 --> ==== 国・町・建造物など ==== ===== 上の世界の主要国家 ===== ;アリアハン :世界南部の丸い大陸にある城と城下町。主人公の家やルイーダの店がある物語のスタート地点。主人公の父・オルテガは国民的英雄。かつては全世界を支配する帝国であったが、戦争により小さな国となった。北には「レーベ」という小さな村もある。東にある洞窟には、遠く離れたロマリアに通じる「旅の扉」が封印されている。 <!-- :オーストラリア大陸に相当するランシールの東に位置するため、空想上の[[ムー大陸]]が該当地形になる。 --> ;ロマリア :世界北西部の大陸にある小さな王国。城と城下町は<!-- 地球の[[イタリア半島]]に相当する -->半島部にある。国王はもっぱらお調子者で、金の冠をカンダタたちに盗まれた。北には、熊を素手で倒した(実際は鉄の爪という武器を用いていた)という武闘家の伝説が残る「カザーブ」の村がある。その北側には<!-- 地球の[[スカンディナヴィア半島]]に相当する半島 -->があり、半島の付け根には[[エルフ]]の呪いによりほとんどの村人が眠らされた「ノアニール」の村、さらにその西にはエルフの隠れ里と洞窟がある。 :カザーブの南西<!-- (地球の[[フランス]]に相当) -->にはカンダタ一味のアジトとして使われている「シャンパーニの塔」がある。 ;イシス :広大な[[砂漠]]の[[オアシス]]にある、[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]]をイメージした[[女王]]の治める王国。町のイメージは[[エジプト]]風である。北には王家の墓「[[ピラミッド]]」がある。 ;ポルトガ :<!-- 地球のイベリア半島に相当する -->半島の南端の海沿いにある王国。高い[[造船]]技術を誇り、[[貿易]]で栄える<!-- 現代のポルトガルを意識した -->港町である。国王は滅多に手に入らないような珍し物好きで、黒[[コショウ|胡椒]]を渇望しているが、ポルトガでは黒胡椒は非常に高価で、胡椒一粒は黄金一粒の価値があるという<ref>FC版公式ガイドブック p.143</ref>。通常プレイの場合、ポルトガにて船を入手するまでルートが[[東方見聞録]]のルートと大凡一致する。 ;エジンベア :由緒正しき島国の城。国民の自尊心が高く、外国からの訪問者は田舎者呼ばわりされ、城門で門番に阻まれるので、ある方法を用いない限り城に入れない。宝物が城の地下にあるが、入手するにはパズル(『[[倉庫番]]』に似た方式)を解かなければならない。店や城下町は無い。 ;[[ジパング]] :4つの島から成る、黄金の国とも呼ばれる国。他との接触がほとんどない農耕民族の国で、住人は木と紙で作られた住居に住む<ref>FC版公式ガイドブック p.151</ref>。物語中で明言される別名は「日いずる国」。<!-- 中央部の[[本州]]に相当する -->やや大きな島に村と洞窟があり、村には国を統治する[[卑弥呼|ヒミコ]]が大きな屋敷を構えている。店や宿屋などの施設は無い。海外から[[宣教師]]([[神父]])が「神の教え」を布教するために滞在している。洞窟には[[ヤマタノオロチ|やまたのおろち]]が住んでおり、若い娘をいけにえに差し出さなければならないことから、自分の娘を地下の壺に隠す者や、生まれてきた娘を息子として育てている者がいる。ヒミコはやまたのおろちに食い殺されたとされている。 ;サマンオサ :岩山と浅瀬に囲まれた場所にある王国。船では上陸できず、旅の扉を使わなければ行くことはできない<ref group="注">一度行けばルーラやキメラの翼で行くことは可能。</ref>。英雄サイモンを輩出したが、サイモンが失踪した前後に国王は豹変し(実はボストロールの化身。「[[#魔王とその配下]]」を参照)、その悪政のもと国民は苦しみ続けている。サイモンは「ガイアの剣」を所持していたが、追放されたあと、ほこらの牢獄で力尽きた<ref group="注">『ドラゴンクエストIV』の武術大会に同名の敵が登場するが、それとは別人である。</ref>。 ===== 上の世界の町・村・地域 ===== ;アッサラーム :普通の町ならば武器や道具などを売る店は、それぞれ一店づつしか存在しないものの、非常に商業が栄えているこの町には何店もの店が存在する。通常の何倍もの価格でアイテムを売りつける店も存在する。付近には東への抜け道が隠された洞窟があるが、洞窟に住む[[ホビット]]のノルドはただでは抜け道を教えない。夜のみ営業する店や劇場があり、シリーズ恒例の「ぱふぱふ」も登場する。 ;バハラタ :[[コショウ|黒胡椒]](くろこしょう)の産地で、聖なる川が流れる町。しかし胡椒屋は孫娘のタニアが盗賊に捕まり近くの洞窟に囚われたため、仕事が手に付かずに開店休業状態である。 ;ダーマ :バハラタから東方にある[[神殿]]。あらゆる英知が集結するといわれる。ここでは転職を行うことができる。 :北には悟りを開くために修行を行う「ガルナの塔」があり、賢者に転職をするための「さとりのしょ」が隠されている。 ;ムオル :最果ての村。かつて主人公の父オルテガが滞在したこともあり、オルテガはこの村ではポカパマズと呼ばれていた。 ;テドン :魔王バラモスの居城に最も近い位置にあった村だが、既に滅ぼされている。夜になると村人たちの往時の姿が見られ、店を利用することもできる。 :昼夜とも村のBGMが流れる。 ;ランシール :アリアハンより西方にある島にある村。村の規模は小さいが、奥には大きな神殿から島、の中央の岩山に囲まれた砂漠にある「[[ウルル|地球のへそ]]」という洞窟へ行くことができる。ただし、その洞窟へは1人でしか行くことができない。 ;スー :<!-- [[ミシシッピー川]]に相当 -->するいくつも枝分かれしている川の奥にある[[原住民]]の住む小さな村。[[ミスター・エド|しゃべる馬のエド]]がいる。東には開拓地があり、主人公の仲間の商人によって新たに「○○○○バーク」(○○○○は商人の名前)という町が作られることとなる。南西には「アープの塔」があり、オーブを見つけるためのアイテムが隠されている。 ;ルザミ :世界地図上で南東に位置しており、「忘れられた島」と呼ばれている。何年も旅人が訪れておらず、店はあるものの、買い物はできず寂れた村となっている。[[地動説]]を唱え自説を撤回しなかったためにこの島に流された[[ガリレオ・ガリレイ|学者]]や、ネクロゴンドの洞窟に行くときの予言をする老人がいる。SFC版ではゲームクリア後のイベントで、賢者の石が入手できる。 ;グリンラッド :北にある氷の島。[[幽霊船]]に関わりの深い品物を持つ老人が住んでいる。 ;レイアムランド :南に浮かぶ氷に閉ざされた島。中心にあるほこらでは2人の女性が不死鳥ラーミアの卵を守っており、その周辺にはオーブをささげる祭壇がある。 ;ネクロゴンド :魔王バラモスの居城のある山地。山頂にある「バラモス城」は岩山と水路に囲まれており、訪れる手段はラーミアのみ。山頂付近にはほこらもあるが、ふもとからほこらに行くには、無限ループなどのトラップもあり上の世界では最も大規模なダンジョンである「ネクロゴンドの洞窟」を通らなければならない。バラモス城の東に開いている「ギアガの大穴」は、下の世界のアレフガルドにつながっているが、バラモスを倒すまでは封印されている。オルテガが戦いの末に火口に落ちた火山も存在する。エンディングではギアガの大穴が塞がってしまうが、製作者は「後に無事にアリアハンに帰ったと考えてくれてもいい」とパーティの結末について述べている<ref>『ドラゴンクエスト3マスターズクラブ』(ファミコン必勝本)JICC出版局(1988/11)P45 </ref>。 ===== 上の世界のその他建造物・場所 ===== ;海賊の家 :[[海賊]]団のアジト。お頭は女性である。昼間は海賊たちが出かけているためほとんど人がいない。 ;オリビアの岬 :バハラタのはるか北にある岬。オリビアが航海中に嵐によって死んだ恋人エリックを想い、海に飛び込み自殺した場所。オリビアは死に切れず、岬を通過する船を悲しい歌によって押し戻す。近くにはサイモンが終焉を遂げた「ほこらの牢獄」がある。 ;幽霊船 :ロマリア付近の海<!-- (地球の[[地中海]]相当) -->をさまよう、罪人の魂を奴隷として使役する幽霊船。エリックが無実の罪を着せられ乗船させられており、二度と逢えぬ恋人オリビアへの想いを「あいのおもいで」に秘める。 ;竜の女王の城 :カザーブ東方の山中にある「天界に一番近い城」。岩山に囲まれている。天上の神から世界の統治を任されている竜の女王が住むが、病の床に臥している。竜の女王は主人公たちに「光の玉」を託すと同時に、卵を残して息を引き取る。 ;浅瀬のほこら :スーの西に位置する岩礁にあり、海水を干上がらせる「かわきのつぼ」を使わないと浮上しない。 ===== 下の世界・アレフガルド ===== 精霊ルビスによって創られた地。大魔王ゾーマによって闇に閉ざされており朝が来ることがなく、「闇の世界」と呼ばれている。町やダンジョンなどは、一部を除いて『ドラゴンクエスト』第1作と同じ位置にあるが、第1作ではすべての島・大陸同士が橋やトンネルでつながっていたのに対して、本作では島や大陸の間を結ぶ橋・トンネルの一部がないため、船を使わなければ行けない場所もある。町やダンジョンの構造も第1作と基本的に同じである。なおルビスは第1作では登場していないが、『II』では主人公たちに重要アイテムを授ける役として登場している。 ;ラダトーム :アレフガルドを統治する王国。アレフガルド唯一の王城で、城下町もかなりの広さを誇る。ギアガの大穴からの落下地点よりすぐ東に位置する。城および城下町の位置関係は第1作と逆である。ラルス1世が治めており、彼の子孫が、第1作に登場したラルス16世となる。 ;ガライの家 :ラダトームの北西、第1作の「ガライの町」の位置にある。後のシリーズで伝説として語られる吟遊詩人ガライの住家であり、地下室にガライの愛用品「銀の竪琴」がある。ガライの両親は、彼が放浪してばかりで家に帰らないことに困り果てている。本作ではガライ本人も若者として登場するが、放浪しており別の場所にいる。 ;マイラ :アレフガルド北東の島の森の中にある村。本作では第1作にあるラダトームとを結ぶ橋がなく、ラダトームからは船を使わないと行けない。露天風呂が湧き出している。道具屋の主人はジパングから来た刀匠である。この刀匠に後のシリーズにロトの剣として伝わる「おうじゃのけん」を制作してもらうことになる{{refnest|group="注"|中村光一は『知られざる伝説』のインタビューで、ジパングからきた日本人の職人の手で作られた日本刀がゲームの中で最強の剣という、堀井のシナリオのこの演出を「日本人としてジーンときた」と語っている<ref>{{Cite book|和書|date=1988-12-01|title=ドラゴンクエストIII そして伝説へ… 知られざる伝説|page=95|publisher=エニックス|isbn=978-4900527003}}</ref>。}}。後のシリーズでも2つの剣のデザインがまったく異なるのは公式ガイドブックを担当したガイナックス社員のイラストが採用されたためである{{要出典|date=2023年12月}}。『DQB』では2つの剣は別のものとして登場する。 ;リムルダール :アレフガルド東部の半島にある湖に囲まれた町。本作では第1作にあるラダトーム・マイラとを結ぶトンネルは工事中の未開通の状態で登場するため、マイラからは行き来できないが、メルキド北部の砂漠の山岳地帯と陸続きになっている。第1作の鍵屋に相当する家には老人が住んでおり、魔法の鍵を見たがっている。西方にある岬は、ゾーマの城がある島に最も近接している。呪われた武器を購入できる唯一の町である。 ;ドムドーラ :岩山の洞窟から南の砂漠の中に作られた町。この町に貴重な金属([[オリハルコン]])があるという噂がある。第1作では魔物に襲われ廃墟となっているが、本作では普通に人が暮らす町となっている。井戸の水がかれ始めており、町の行く末を心配している男がいる。 ;メルキド :ドムドーラ南東の高原にある町。第1作のような城壁はまだなく、土嚢で囲まれている。町の人の一部はゾーマに対する恐れから、希望を失って何もせず過ごしている。第1作で登場する「[[ゴーレム]]」を研究している学者がいる。 ;魔王の爪痕 :大魔王ゾーマが現れたとされるラダトーム北の洞窟。第1作の「ロトの洞窟」にあたる。最下層にはすべてのものを拒む地割れがある。洞窟内では戦闘中・移動中および敵・味方の別を問わず、唱えた呪文はすべてかき消され無効となる。最下層には「勇者の盾」がある。 ;ルビスの塔 :マイラ北西の島(第1作の「雨のほこら」のある場所)にある塔。この塔には、大魔王ゾーマの呪いによって石像にされた精霊ルビスの姿がある。 ;精霊のほこら :精霊ルビスの配下の妖精がいるほこらで、第1作でロトの印が落ちている位置にある。 ;聖なるほこら :リムルダールの南にある、雨と太陽が合わさるほこら。第1作と同じ条件で魔の島に渡るためのアイテムをくれるが、第1作と違いリムルダールからの橋が架かっていないため、船でしか行くことができない。 ;ゾーマの城 :アレフガルド中央部の小島に建っている大魔王ゾーマの居城。ラダトーム城の対岸にある。隠された階段を見つけなければゾーマに近づくことはできない。回転床や無限ループなどさまざまな仕掛けも用意されている。第1作での「竜王の城」とまったく同じ位置にあるが、1階はやや似ているものの地下部分の構造は異なる。キングヒドラとオルテガの戦いがここで行われる。 === 道具 === 物語を進めるために必要な道具のうち、ストーリー上特に重要なものについて簡潔に説明する。<!--設定の説明の中の一環としてのアイテムの解説です。攻略記事ではありません--> ; 盗賊の鍵、魔法の鍵、最後の鍵 : 扉を開けるための鍵。後で手に入るものほど多くの扉を開けることができ、最後の鍵はすべての扉を開けられる(上位の鍵は上位互換性がある)。この3つの鍵は後のドラゴンクエストシリーズ作品にも登場している。なお第1作において店で売られている鍵は、本作の魔法の鍵を参考に作られたものとされている。 ; 6つのオーブ : 上の世界に散らばる宝玉。レッド・ブルー・グリーン・イエロー・パープル・シルバーの6つがあり、すべて揃えてレイアムランドの祭壇に捧げると、不死鳥ラーミアが卵から蘇る。これらのオーブのある場所で「山彦の笛」を吹くと山彦が返ってくる。物語中盤はこのオーブを集めることが中心となる。 ; 光の玉 : 勇者が竜の女王から授かる宝玉。大魔王の邪悪な闇の衣を破る力がある。第1作にもこの「光の玉」は登場し、ボスである竜王を倒してアレフガルドに平和が戻ることになる。 ; 王者の剣、光の鎧、勇者の盾 : ラダトームの宝であった3つの武具だが、大魔王によって奪われてしまった。勇者のみが装備できる。王者の剣は[[オリハルコン]]という金属でできており、大魔王ゾーマの力をもってしても砕くのに3年の年月を要した。第1作・第2作のロトの剣・鎧・盾に相当する。なお、「ロトの兜」に相当する防具は登場していない。 ; 妖精の笛 : 精霊ルビスを復活させる力を持った笛。第1作にも登場。 ; 聖なる守り : 勇者が精霊ルビス救出時に授かる装飾品。第1作・第2作の「ロトのしるし」に相当する。 ; 太陽の石、雨雲の杖 : アレフガルドに広まる「太陽と雨」の言い伝えに関連する道具。この2つと聖なる守りを手に入れると、虹の橋を架ける能力を持つ「虹のしずく」が得られる。雨雲の杖は武器としても装備できる。共に第1作にも登場する。 === 呪文 === {{Main|ドラゴンクエストシリーズの呪文体系}} === モンスター === {{Main|ドラゴンクエストのモンスター一覧}} == 登場人物 == この節では、ゲーム本編内で語られる設定を中心に記述する。ルイーダの酒場で仲間になるキャラクターについては別記参照。 === 主要人物 === ; 主人公{{Efn2|名前は自由に付けられる。男性主人公の名前は小説版およびCDシアター版では「アレル」、SFC版・GBC版のオープニングや公式ガイドブックおよび『スマブラSP』では「アルス」となっている。女性主人公の名前は公式ガイドブックでは「アイリン」となっている。}} : [[声優|声]] - [[緑川光]](男性・CDシアター版) / [[檜山修之]](男性・[[大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL]]<ref name="fami0730">{{Cite web|和書|work=[[ファミ通.com]]|title=『スマブラSP』新ファイター『ドラクエ』勇者は7月31日午前中配信。勇者の必殺ワザやアクションなど新情報まとめ|url=https://www.famitsu.com/news/201907/31180443.html|date=2019-07-30|accessdate=2019-07-31}}</ref>・ライバルズエース) / [[皆口裕子]](女性・ライバルズエース) : [[俳優|演]] - [[松浦司]](『[[ドラゴンクエストライブスペクタクルツアー|ライブスペクタクルツアー]]』) : 本作の主人公。アリアハンに住む勇者オルテガの子供。本作ではゲームスタート時に性別を選択できる。16歳の誕生日に父・オルテガの後を継いで勇者として魔王バラモス討伐の旅に出る。ゾーマを倒した後は武器と防具を残して姿を消す(主人公か仲間が消えたような描写になっている)。 ; オルテガ : 声 - [[戸谷公次]](CDシアター版) / [[東地宏樹]](ライバルズエース) : 演 - [[柳瀬大輔]](『ライブスペクタクルツアー』) : 主人公の父親。「アリアハンの勇者オルテガ」として勇名は各地に知れ渡っており、主人公の誕生直後にバラモス討伐の旅に出た。 : 旅の途中でノアニールの村<ref group="注">エルフの女王によって村全体が眠りにつかされる前日まで滞在しており、魔法の鍵を求めてアッサラーム方面に旅立ったことが村人の証言で明らかになる。</ref>やムオルの町などにいたことがあり、ムオルの町では「ポカパマズ」という名で呼ばれていた。後に訪れた主人公もオルテガと間違えられてそう呼ばれる(性別が違う女勇者でも間違えられる)。また「ホビットのほこら」で、彼の仲間だったホビットとも出会うため、道中では一人旅でなかったこともわかる。 : 戦いのさなか、ネクロゴンドの火山に落ちて死んだと伝えられていた。しかし、実は火口からアレフガルドに通じていた穴に落ちて一命を取り留めるも、その際に瀕死の大火傷を負ったショックで自分の名前以外の記憶を失っていた。それでもなお、アレフガルドにて大魔王ゾーマに戦いを挑もうとする。ゾーマの本拠地の島に渡る方法を知らずに無謀にも生身で本拠地へ泳ぎ着こうとして落命したかと思われたが、その後ゾーマ城城内でキングヒドラと死闘を繰り広げている様が目撃される。 : あらくれの姿となっており、キングヒドラとの戦闘ではカンダタの色違いで表される。 === 上の世界と下の世界の人たち === ; 主人公の母{{Efn2|小説版およびCDシアター版では「ルシア」、ゲームブックでは「エルア」という名前が付けられている。}} : 声 - [[江森浩子]](CDシアター版) : 主人公の母親でオルテガの妻。夫の訃報を知って以降は主人公を勇敢な勇者に育て上げた。 : バラモスを倒すまでは話しかけると家に泊めてもらえる。 ; 主人公の祖父{{Efn2|小説版では「ガゼル」という名前が付けられている。}} : オルテガの父親であり、息子が亡くなったことにショックを受けていたという。孫を可愛がっている。 ; アリアハン王 : 声 - [[中博史]](ライバルズエース) : オルテガと主人公を支えて来た老王。しかし、バラモス打倒後に現れたゾーマの姿を目の当たりにして、すっかり意気消沈してしまう。 ; ナジミの塔の老人 : ナジミの塔の最上階に住む老人。アリアハンで有名だった盗賊バコタを捕え、盗賊の鍵を没収して王国に引き渡したこともある。 : [[予知夢]]を視る能力があるらしく、主人公が自分のもとに来ることを予見していた。 ; [[カンダタ]] : 声 - [[神谷明]](CDシアター版) / [[藤原啓治]](ライバルズ) : 複数の子分(カンダタこぶん)を従えた大盗賊。ロマリア王から金の冠を奪い、その後、バハラタのタニアとグプタをアジトの牢獄に閉じ込める。シャンパーニの塔、バハラタ東の人さらいのアジトでの計2回にわたる勇者たちとの戦いを経て改心し、後にラダトームで勇者たちと再会することになる。シャンパーニの塔と人さらいのアジトとでは配色が異なる(後者では雑魚モンスター「デスストーカー」と同じ配色である)。 : 『ドラゴンクエストV』や『[[ドラゴンクエストX]]』、『[[ドラゴンクエスト 少年ヤンガスと不思議のダンジョン|少年ヤンガスと不思議のダンジョン]]』にも同名のキャラクターが登場する。 : 『[[ドラゴンクエスト モンスターバトルロード]]IIレジェンド』に合体モンスターとして登場した。 : 一部の関連書籍では『ドラゴンクエストII』のデルコンダルの建国者とされる<ref group="注">「ゲームブックドラゴンクエストIII」下巻でのエンディングシーンなどから。</ref>。 ; バコタ : 盗賊の鍵を作った人物。『知られざる伝説』では元はカンダタの家来で、カンダタがロマリアに移ることになった際について行かなかった。別れぎわに鍵を一つ貰い、それが後々に"盗賊の鍵"と呼ばれるようになった<ref name=":2">{{Cite book|和書|title=ドラゴンクエスト3 そして伝説へ 知られざる伝説|date=1988年12月1日|year=1988|publisher=エニックス|pages=24-27}}</ref>。 ; アン : ノアニール西の森に住む[[エルフ]]の里長の娘。数年前、ノアニールの村の青年と恋仲にあったが、母である里長に反対されたことを苦にして、里の宝である「夢見るルビー」を持ち出し、南の[[湖沼|地底湖]]で青年と[[心中]]した。 : 事情を知らない里のエルフたちは、彼女が宝ごとかどわかされたと思い込み、村に呪いをかけたが、主人公が宝と彼女の遺書を持ち帰ったことから事情を知り、村を数年の呪いから解放することにした。 ; ノルド : アッサラーム・バハラタ間の[[トンネル]]の見張りをしている[[ホビット]]の中年。ポルトガ王とは友人同士らしい。 ; イシス女王 : 砂漠の国イシスを治める女王。彼女の寝室にいのりのゆびわがある。 ; ポルトガ王 : [[黒胡椒]]を欲しがっており、[[帆船]]との交換条件を主人公に提示する。堀井によると、船をくれるときのセリフは[[マルコ・ポーロ]]の『[[東方見聞録]]』を意識しているという<ref name="horii"/>。 ; カルロスとサブリナ : ポルトガに住む、バラモスに呪いをかけられたカップル。カルロスは夜は人間の姿だが昼には馬になり、サブリナは昼は人間の姿だが夜には猫になってしまう(この設定の元ネタは[[1985年]]の[[アメリカ映画]]『[[レディホーク]]』{{要出典|date=2023年12月}})。バラモスを倒した後に2人のもとを訪れると、呪いが解かれて昼夜ともに人間の姿となっており、「ゆうわくのけん」をくれる。 ; グプタ : バハラタに住む勇敢な青年。カンダタ一味に攫われた黒胡椒屋の孫娘で婚約者のタニアを助け出すべく、単身、洞窟へ向った。 ; ヒミコ : 声 - [[中友子]](CDシアター版) : ジパングを治める女王。勇者たちがジパングに到着時には既にやまたのおろちに食い殺されている。 ; ポポタ : ムオルの村で「いたずら好き」で通っている人物。10年前に行き倒れたオルテガに懐いていたらしく、彼から「みずでっぽう」(リメイク版では「オルテガのかぶと」)を託されていた。 ; エジンベア王 : 自称「心の広い王様」。主人公たちを田舎者扱いしつつも気遣ってくれている。堀井によると「けっこう口先だけのやつ」<ref name="horii"/>。マーゴッドという娘がいる。 ; オリビア : 富豪の娘だったが、エリックの非業の死を苦にバハラタ北の岬で投身自殺を図った。しかし、死後も亡者として海峡に留まり、入り込もうとする船を押し戻しているという。これを「オリビアの呪い」と呼ばれているが、「あいのおもいで」があるとこの呪いは解ける。 ; エリック : オリビアと恋仲だった青年。冤罪により[[奴隷船]]に繋がれた上、その船が魔の海で嵐に巻き込まれ溺死した。死後、その船は幽霊船となり、彼の魂も船に取り込まれてしまうが、そうなってもなお、恋人の幸せを願い続けている。 ; サイモン : 声 - [[田中一成]](CDシアター版) : 「サマンオサの勇者サイモン」としてオルテガと並び称されていた勇者。ガイアの剣の元の所有者だった。サマンオサ王に成りすましたボストロールの策略によりほこらの牢獄に幽閉され、そのまま朽ち果てた。死後も魂は炎の姿で牢獄にとどまり、主人公をガイアの剣のある部屋へ導く。 : 『知られざる伝説』ではバラモスを倒すべくオルテガと合流する予定だったが、上述の通り幽閉されたことから叶わなかった。彼は幽閉のことを知らず、合流を諦めて一人でネクロゴンドに向かったという。 ; 竜の女王 : 演 - [[高橋洋子 (歌手)|高橋洋子]](『ライブスペクタクルツアー』) : 天界に最も近いとされる地の居城に住む竜神。不治の病に冒され余命幾ばくもないが、命をかけて卵を産み落とそうとしている。 : 一説には[[竜王]]の生母とされている。 ; ガライ : 声 - [[永井一郎]](CDシアター版) : アレフガルドの吟遊詩人。楽器「銀の竪琴」の持ち主である。第1作のガライの町に当たる位置に家があるが、本人は放浪しており不在で両親がいる。両親はガライが放浪してばかりで家に帰らないことに困り果てている。 ; ルビス : アレフガルドの大地を創った女性。ルビスの塔の最上階で封印され石像にされている。妖精の笛で封印を解くと「聖なるまもり」を与えられる。 === 魔王とその配下 === ここでは、[[ボスキャラクター]]として主人公たちと戦うことになる、魔王やその配下の魔物たちを挙げる。 ; やまたのおろち : おろちの洞窟(ジパングの洞窟)に潜む竜の魔物。『[[日本書紀]]』と『[[古事記]]』に登場する[[ヤマタノオロチ]]にちなんで「やまた」と名が付くが、モンスターデザインでは首は5つ。 : ヒミコを殺した後に彼女に成りすまし、若い女性をいけにえに差し出すよう強要してジパングの住民を苦しめている。 : 炎を吐いたり複数回の攻撃を仕掛ける。倒した際には「[[天叢雲剣|くさなぎのけん]]」を確定で入手する。 : 雑魚モンスター「あやしいかげ」の正体として出現することもある。 : 『ドラゴンクエストX』では試練の門のボスとして登場する。 ; ボストロール : 声 - [[郷里大輔]](CDシアター版) : サマンオサ王を地下牢に幽閉して、変化の杖で彼に成り済ましていたモンスター。城に来た者を有無を言わさず地下牢に幽閉したり、異を唱えた国民を処刑するなど悪事の限りを尽くす。 : 攻撃力が高く、時折発生する痛恨の一撃の威力はかなりのダメージとなる。 : アレフガルドにも雑魚として登場するほか、やまたのおろち・キングヒドラと同じく「あやしいかげ」の正体として登場することもある。 : その後は『ドラゴンクエストVI』『モンスターズ』シリーズなどにも登場する。『VIII』以降のナンバリングタイトルには全て登場しており、作品によっては主人公の仲間に加わったり、物語に関わっていたりと出番が多い。 ; バラモス : 声 - [[佐藤正治 (声優)|佐藤正治]](CDシアター版) / [[土師孝也]](ライバルズ) : ネクロゴンドに居城を構え、世界を支配しようとする竜頭の魔王{{refnest|group="注"|鳥山明のイラストでは「ボスその1 年とった大トカゲ」と書かれている<ref name="boss">『鳥山明 ドラゴンクエスト イラストレーションズ』集英社、28 - 29頁。</ref>。}}。表の世界に登場するモンスターとしては圧倒的な戦闘力を誇る敵として君臨する。 : アリアハン王によれば「世界のほとんどの人々はバラモスの名前すら知らない」とされるが、実際にはアリアハンだけでなく、サマンオサやイシス、ポルトガ、バハラタなど世界のさまざまな場所で恐怖の対象となっている。 : 後に『[[ドラゴンクエストモンスターズ]]』シリーズや『[[ドラゴンクエスト モンスターバトルロード]]』、『[[ドラゴンクエストIX 星空の守り人|ドラゴンクエストIX]]』、『ドラゴンクエストX』などで登場する。 ; キングヒドラ : ゾーマの手下の一体である魔物で、グラフィックデータは上述のやまたのおろちの色違い。 : ゾーマの城でオルテガと戦い、主人公の目の前で彼の命を奪う<ref group="注">FC版ではごくまれにオルテガが勝つこともあるが、勇者一行に願いを託し直後に力尽きる。</ref>。 : 「あやしいかげ」の正体として登場することもある。 : 『ドラゴンクエストX』では「魔法の迷宮」でキングヒドラコイン、伝説の三悪魔コインを投入するとボスとして登場する。 ; バラモスブロス : ゾーマの手下の魔物の一角で、バラモスの兄弟にあたる。 : 『[[ドラゴンクエスト モンスターバトルロード|バトルロードIIレジェンド]]』の「レジェンドクエスト」ではバラモスブロスが「魔王」の肩書きを与えられており、バラモスゾンビとドラゴンを従えて立ちはだかる。 : 『ドラゴンクエストX』では「魔法の迷宮」で伝説の三悪魔コイン<ref>[https://hiroba.dqx.jp/sc/topics/detail/3328bdf9a4b9504b9398284244fe97c2/ 魔法の迷宮ボスモンスター「伝説の三悪魔」登場! (2014/10/3)|目覚めし冒険者の広場]</ref>やバラモス強カードを投入すると登場。討伐モンスターリストによると、こちらが弟であるとされる。 ; バラモスゾンビ : ゾーマの手下の魔物の一角。大魔王ゾーマの力によりバラモスが復活した姿。 : バラモスゾンビのグラフィックデータは、雑魚モンスターのスカルゴン、ドラゴンゾンビの色違いとなっている(バラモスは頭部の角が1本なのに対し、この種族は2本あり、バラモスには無い牙や羽根が生えている)。 : 魔法も使わず守備力・素早さも全くないが、非常に高い攻撃力を誇る。 : 『ドラゴンクエストX』では「魔法の迷宮」のレアボスとして登場。さらに三悪魔コインを投入しても登場する。 : 『バトルロードIIレジェンド』では外見・技共にドラゴンゾンビの流用だったが、『[[ドラゴンクエスト モンスターバトルロードビクトリー|バトルロードビクトリー]]』では、バラモスの体色を黒くした姿に変更された。 : 『[[ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド#ニンテンドー3DS版|テリーのワンダーランド3D]]』ではバラモスの体が巨大化し腐敗、骨が部分的に露出した姿となっている。 : 漫画『[[ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章]]』にも登場し、その時の姿は生前のバラモスの骨格を忠実に再現したデザインとなっている。 ; ゾーマ : 声 - [[柴田秀勝]](CDシアター版) / [[大塚明夫]](リアル脱出ゲーム×ドラゴンクエスト『大魔王ゾーマからの脱出』、ライバルズ) : 本作の最終ボス。「全てを滅ぼす者」を自称し、人々の死や苦しみを無上の喜びとし糧とする。 : ゲーム中盤まではバラモスが黒幕であるものとして話が展開するが、後にバラモスもゾーマの手下の1人にすぎないことが明らかになる。 : 初期状態では闇の力のバリア「闇の衣」を身にまとっており、「光の玉」の力によりはぎ取ることができる。闇の衣をはぎ取らなくとも倒すことは可能。闇の衣をはぎ取ると、カラーパターンが変化(フルカラーから青基調)し弱体化するほか、薬草やHP回復系呪文によってダメージを受けるという特殊な性質を持つようになる。 : 後の作品のボスなどが使うこととなる「凍てつく波動」をシリーズで初めて使用したキャラクターである。 : 最後は主人公たちに敗北し、自分を倒したことを褒め称えるが、同時にいつの日か新たな邪悪が再来することも予言し、彼らがその時までは生き永らえられないことを嘲笑しながら滅び去った。 : バラモスや他の魔王と同様、後に『モンスターズ』シリーズや『モンスターバトルロード』、『ドラゴンクエストIX』、『ドラゴンクエストX』<ref>[https://hiroba.dqx.jp/sc/topics/detail/757f843a169cc678064d9530d12a1881/ 【5周年記念】 大魔王ゾーマへの挑戦 (2018/2/2 更新)|目覚めし冒険者の広場]</ref><ref>[https://hiroba.dqx.jp/sc/topics/detail/dea9ddb25cbf2352cf4dec30222a02a5/ 【イベント】DQIII 30周年記念! ゾーマの城 最後の決戦 (2018/2/27 更新)|目覚めし冒険者の広場]</ref><ref>[https://hiroba.dqx.jp/sc/topics/detail/25ef0d887bc7a2b30089a025618e1c62/ ドラゴンクエスト誕生35周年記念 大魔王ゾーマへの挑戦 (2021/5/25 更新)|目覚めし冒険者の広場]</ref>などで登場した。 : ゲーム上のグラフィックおよびイラスト、設定画では4本指だが、『IX』などで再登場の際は5本指となっている。 : 本作で手下を無能扱いしていた様子は無いが、『IX』のモンスター図鑑では「愚かな僕(しもべ)に嫌気がさして地上を捨てた」と書かれている。 : 『モンスターズ2』では三つ目で巨大な鎌を携えている「アスラゾーマ」、『バトルロードII』では外見はほぼ同じだが目が赤く輝き、能力が格段に向上している「真ゾーマ」というオリジナルの強化形態が登場した。 : 『モンスターズ2』などではゾーマを幼生化したようなモンスター、ゾーマズ・デビルが登場したが、公式な関連は不明。 : 本作のゾーマは凍てつく波動や最強の氷呪文マヒャドなど冷気攻撃を使用するが、『バトルロード』では火炎攻撃も得意とする。 鳥山明のイラストでは「ボスその2」<ref name="boss"/>、「ボスその2(変身後)」<ref name="boss"/><ref>『鳥山明の世界 AKIRA TORIYAMA EXHIBITION』146頁。</ref>と書かれたモンスターが存在するが、ゲームに登場することはなかった。 == 移植版 == {{Anchors|移植・リメイク}} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" ! No. ! タイトル ! 発売日 ! 対応機種 ! 開発元 ! 発売元 ! メディア ! 型式 ! 備考 |- | style="text-align:right" |1 ! スーパーファミコン<br />ドラゴンクエストIII そして伝説へ… | {{vgrelease new|JP|1996-12-06}} | [[スーパーファミコン]] | [[ハートビート (ゲーム会社)|ハートビート]]<br />[[アルテピアッツァ]] | エニックス | 32メガビットロムカセット<br />(バッテリーバックアップ搭載) | SHVC-AQ3J | リメイク版。日本での売上本数は約140万本<ref name="sq">{{Cite web|url=https://www.jp.square-enix.com/company/ja/news/2004/download/0302-200404080000-02.pdf |format=PDF|title=2004年3月25日(木) 発売の“PlayStation2専用ソフト「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」出荷本数150万本突破 |publisher=スクウェア・エニックス |date=2004-04-08 |accessdate=2023-11-14 }}</ref>。 |- | style="text-align:right" |2 ! ゲームボーイ<br />ドラゴンクエストIII そして伝説へ… | {{vgrelease new|JP|2000-12-08|NA|July 2001}} | [[ゲームボーイカラー]] | [[トーセ]] | エニックス | 32メガビットロムカセット<br />(バッテリーバックアップ搭載) | {{vgrelease new|JP|CGB-BD3J|NA|CGB-BD3E-USA}} | リメイク版。日本での売上本数は約75万本<ref name="sq"/>。 |- | style="text-align:right" |3 ! ドラゴンクエストIII そして伝説へ… | {{vgrelease new|JP|2009年11月19日}}<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2009-11-19 |url=https://www.famitsu.com/k_tai/news/1229760_1350.html |title=不朽の名作RPG『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』がついに登場 |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2019-10-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=中野信二 |date=2009-11-19 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/330114.html |title=スクエニ、iモード「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」。ロト3部作の完結編が遂にケータイに登場!! |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2019-10-05}}</ref> | [[FOMA]] 703i/903iシリーズ以降<br />([[iアプリ]]) | トーセ | [[スクウェア・エニックス]] | [[ダウンロード販売|ダウンロード]]<br />(ドラゴンクエストモバイル) | - | リメイク版。ドラゴンクエストモバイル。<br />売り上げはEZアプリ版と合わせて累計で100万ダウンロード以上(前編と後編の合算)となった<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2010-11-02 |url=https://www.jp.square-enix.com/company/ja/news/2010/html/79df74405f464156bdf8763c17a34545.html |title=ケータイ版「ドラゴンクエストIII そして伝説へ...」累計100万ダウンロード突破! |website=スクウェア・エニックス公式サイト |publisher=[[スクウェア・エニックス]] |accessdate=2019-10-05}}</ref>。 |- | style="text-align:right" |4 ! ドラゴンクエストIII そして伝説へ… | {{vgrelease new|JP|2010-04-22}} | [[BREW|EZアプリ(BREW)]] | トーセ | スクウェア・エニックス | ダウンロード<br />(ドラゴンクエストモバイル) | - | |- | style="text-align:right" |5 ! [[ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III|ドラゴンクエスト25周年記念<br />ファミコン&スーパーファミコン<br />ドラゴンクエストI・II・III]] | {{vgrelease new|JP|2011-09-15}} | [[Wii]] | [[インテリジェントシステムズ]] | スクウェア・エニックス | [[光ディスク|Wii用12センチ光ディスク]] | - | 売上本数は40万3953本<ref>{{Cite web|和書|date=2012-01-16|url=https://www.4gamer.net/games/000/G000000/20120116002/|title=2011年のゲーム売り上げランキング&ハードウェアの販売数推移,さらにタイトル別の傾向が分かるマトリックス表(4Gamer調べ)をまとめて大公開!|publisher=4Gamer.net|language=日本語|accessdate=2012-01-16}}</ref>。 |- | style="text-align:right" |6 ! ドラゴンクエストIII そして伝説へ… | {{vgrelease new|JP|2014年9月25日}}<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2014-09-25 |url=https://app.famitsu.com/20140925_447319/ |title=【新作】『ドラクエIII』が配信開始! ロト伝説がスマホでついに完結 |website=[[ファミ通|ファミ通App]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2019-10-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=喜一 |date=2014-09-25 |url=https://dengekionline.com/elem/000/000/932/932783/ |title=iOS/Android版『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』が本日9月25日から配信開始! “ロトの伝説”がスマートフォンでついに完結! |website=[[アスキー・メディアワークス|電撃オンライン]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2019-10-05}}</ref> | [[Android (オペレーティングシステム)|Android]]<br />[[iOS]] | [[マトリックス (ゲーム会社)|マトリックス]] | スクウェア・エニックス | ダウンロード | - | リメイク版。ドラゴンクエスト ポータルアプリ内での配信データとして。 |- | style="text-align:right" |7 ! ドラゴンクエストIII そして伝説へ… | {{vgrelease new|JP|2017年8月24日}}<ref>{{Cite web|和書|author=臥待弦 |date=2017-08-11 |url=https://www.inside-games.jp/article/2017/08/11/109114.html |title=PS4/3DS『ドラクエIII』8月24日に配信! |website=[[インサイド (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2019-10-05}}</ref> | [[PlayStation 4]]<br />[[ニンテンドー3DS]] | ビー・トライブ | スクウェア・エニックス | ダウンロード | - | リメイク版。 |- | style="text-align:right" |8 ! ドラゴンクエストIII そして伝説へ… | {{vgrelease new|INT|2019年9月27日}}<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2019-09-05 |url=https://www.famitsu.com/news/201909/05182632.html |title=Switch『ドラゴンクエスト』ロト三部作が9月27日に配信【Nintendo Direct 2019.9.5】 |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2019-10-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=ito |date=2019-09-05 |url=https://www.4gamer.net/games/476/G047666/20190905023/ |title=「ドラゴンクエスト」シリーズのロト3部作がNintendo Switchに登場。配信は2019年9月27日から |website=[[4Gamer.net]] |publisher=[[デジタルハーツホールディングス|Aetas]] |accessdate=2019-10-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=吉河卓人 |date=2019-09-05 |url=https://www.inside-games.jp/article/2019/09/05/124377.html |title=初代『ドラクエ』&『II』&『III』スイッチ版発売決定!9月27日配信開始 |website=[[インサイド (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2019-10-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=緑里孝行 |date=2019-09-27 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1209021.html |title=歴代3タイトルがSwitchで遊べる「DQ1」・「DQII」・「DQIII」本日発売 |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2019-10-05}}</ref> | [[Nintendo Switch]] | | スクウェア・エニックス | ダウンロード | - | |} === スーパーファミコン版 === 前2作のリメイク作品『[[ドラゴンクエストI・II]]』に次ぐ、シリーズ2例目のリメイク作品。FC版の発売から8年後の[[1996年]][[12月6日]]にエニックスから発売された。エニックスから発売された最後のスーパーファミコン用ソフトとなった。 キャッチコピーは「'''SFC究極のドラクエ'''」。タイトルロゴにはロトの紋章が描かれている。またタイトルロゴのデザイン変更によって、他のシリーズ作品同様に「DRAGON QUEST」の「T」が剣の形になり、ローマ数字が「DRAGON QUEST」と重なるようになった。 ストーリーはFC版に基づいているが、大幅な要素の追加・変更が行われた。後述の「性格」や「すごろく場」が追加されたほか、アイテムが多数増加し、中には「[[ルーズソックス]]」など発売当時の流行を反映したアイテムも登場した。FC版では女性キャラクター専用装備品しかなかったが、SFC版では、ステテコパンツといった男性キャラクター専用装備品も追加された。店の品揃え、ボスモンスターのステータス、モンスターから得られるアイテムなどの変更も行われた。FC版では、武器は全て単体攻撃武器のみだったが、SFC版では単体攻撃武器のほかにブーメランやムチといった全体攻撃武器やグループ攻撃武器が追加された。さらに、オープニング、ダーマ神殿での「遊び人」への転職、隠しダンジョンが追加された。 画面仕様やキャラクター操作、コマンド操作は、前年に発売された SFC版『ドラゴンクエストVI』をベースとし、同作から以下の要素が継承された。 * ボタン1つの操作だけで会話や調査ができる「べんりボタン」<ref>SFC版公式ガイドブック p.5</ref>。 * 「ふくろ」とゴールド銀行。従来の預かり所をゴールド銀行へ変更。 * 町などの人々の会話の記憶機能<ref>SFC版公式ガイドブック p.8</ref>。『VI』と同様、「おもいだす」「もっとおもいだす」「ふかくおもいだす」「わすれる」の4種類。 * 世界地図(『[[ドラゴンクエストIV 導かれし者たち]]』から登場している) * ブーメラン・ムチなどでの複数対象攻撃(『[[ドラゴンクエストV 天空の花嫁]]』から登場している) * キャラクターの名前の変更機能<ref>SFC版公式ガイドブック p.71</ref> * ちいさなメダル<ref name="smallmedal">SFC版公式ガイドブック p.222</ref> * 鍵無しで開く扉 『VI』と同様に井戸に入ることも可能になった。戦闘画面も『VI』のものとほぼ同様の画面でモンスターグラフィックも『VI』調だが、モンスターが動く際の効果音を発するようになった<ref group="注">『VI』ではデスタムーアのみ効果音付きだった。</ref>。 本作では、「ふくろ」の中にあるアイテムは、移動中に限りふくろから出さずに使うこともできるようになった。また、アイテムを仲間に渡す際にその位置も指定できるようになり、所持しているアイテムの位置を選ぶことで渡す側と交換することもできるようになったほか、装備可能なアイテムについては渡した時点で装備するかどうかを選択できるようになった。ただし、『VI』にあった「ふくろ」の枝コマンド(だす・いれる・みる)は廃止された。しかし、普通にふくろに渡す・ふくろから渡すなどしても全ウィンドウが閉じることはなくなり、連続操作はしやすくなった(これは、回復呪文などを使用する際にも同様で、その都度ウィンドウが閉じるようなことはなくなった)。これらの要素は本作で初めて導入され、以降の作品(リメイク含む)でも踏襲されている。また、これに伴い「全てのウィンドウを閉じる」ボタンも設定された(本作ではYボタン)。 [[ドラゴンクエストIV 導かれし者たち#PlayStation版|ちいさなメダル]]<ref group="注">FC版ではデータ内に存在したが没案となっていた。</ref>に関しては、メダルを収集しているのがアリアハンの[[メダル王|メダルおじさん]]となり、獲得したメダルの累計によってアイテムを獲得する方式である<ref name="smallmedal" />。 ゲームスタート時に主人公の性格を決定する際、どこからともなく聞こえる声に名を問われて、プレイヤー自身の名前を入力する必要がある。この時入力した名前(必ずしも本名である必要はない)は、エンディングの最後(スタッフロールの後)に「AND ACT BY ○○○○(プレイヤーの名前のローマ字表記)」として紹介され、ロールプレイング(役割を演じる)ゲームの名の通りプレイヤー自身が主人公であることを実感させる演出となっている。 ==== プレイヤーキャラクター ==== 新職業として「盗賊」が追加されている<ref>SFC版公式ガイドブック pp.30-31</ref>。 ; [[シーフ|盗賊]] : 戦闘後に一定確率で敵からアイテムを盗む能力を持ち、「'''とうぞくのはな'''」などの探索系の呪文・特技を覚える。レベルアップ速度が早く、全体的な能力値も高め。特にすばやさの上昇値が高い。序盤は戦士などに比べてHPや装備品の面で見劣りするが、中盤以降は複数の敵を攻撃できる武器が充実する。また、素早さの半分の値が守備力にもなるので打たれ強い。終盤では勇者や戦士と同等の装備品を扱える反面、高レベル帯になるとステータスの成長力がやや鈍化する傾向にある。 また勇者・商人・遊び人・盗賊は、『[[ドラゴンクエストVI 幻の大地]]』と同様に移動中の特技を「じゅもん」として使用することができるが、効果は補助的なもので数も少ない。遊び人はFC版では演出の域を出なかった「遊び」の効果が改良され、依然ランダム要素ではあるものの、レベル1から遊ぶようになり、また一部戦闘に効果を及ぼす遊びを行うようになるなど、独自の使い勝手を持つキャラクターになった。また、FC版では不可能だった他の職業から遊び人への転職も可能となった。女勇者専用のグラフィックと台詞{{Efn2|母親から「男の子のように育てた」、アリアハン王から「いや、娘だったか」というメッセージ。}}も追加された<ref>SFC版公式ガイドブック pp.16-33,122</ref>。 FC版では性別によるステータスの上がり方の違いは無かったが、SFC版以降では男はちからやたいりょく、女はすばやさが上昇しやすくなっている<ref>SFC版公式ガイドブック p.36</ref>。「たいりょく」と「かしこさ」のステータスのシステムがFC版と異なり、リメイク版ではたいりょく値の約2倍がさいだいHPとなり、かしこさ値の約2倍がさいだいMPとなる。 ===== 性格 ===== 各キャラクターに「[[性格]]」が設定され、同じ職業やレベルでもこの「性格」によってレベルアップ時のステータスの上がり方が異なってくる。性格は全46種類が存在し、ステータス画面で確認することができる。「性格」には、きれもの・ロマンチスト・みえっぱり・でんこうせっかといった男女共通の性格、むっつりスケベ・ラッキーマンといった男性キャラクター専用の性格、おてんば・おとこまさり・セクシーギャルといった女性キャラクター専用の性格の3タイプがある。初期の性格は、主人公であればゲームスタート時に様々な質問を受ける。一通りの質問に答えると、ある場所に導かれて最後の質問が出される。その時の行動のとり方によって性格が決まる。それまでの質問の答え方によって最後の質問として導かれる4種類の場所が変わる<ref>{{Cite book|和書 |title=SFC版 ドラゴンクエスト3 公式ガイドブック |date=1997年2月2日 |year=1997 |publisher=エニックス |page=12}}</ref>。仲間キャラクターであれば登録時の職業、性別、ステータスのバランスによって決定される<ref>SFC版公式ガイドブック pp.12-15</ref>。種の配分によって上昇させる能力値は任意に選択が可能だが、回数が限られている中で上昇する数値はランダムとなる<ref>{{Cite book|和書 |title=ファミ通 No.627 |date=2000年12月22日 |year=2000 |publisher=エンターブレイン |pages=121-125}}</ref>。 冒険中は、装飾品やアイテム「[[本]]」で性格を変えることもできる。装飾品は装備中のみ性格が変化、「本」は恒久的に性格が変化する。また、性格システムに関連した会話イベントも追加され、その会話内容によって性格が変化することもある。すごろく場で性格が変わることもある<ref>SFC版公式ガイドブック pp.14,221</ref>。 ==== すごろく場 ==== ゲーム中の全5か所に、「旅人のすごろく場」という[[ミニゲーム]]が登場した。挑戦には「すごろくけん」が必要である。無視してもゲームの進行には全く影響がないが、ここでしか手に入らないアイテムもある。すごろくけんは一部の例外を除き非売品で、町などで拾ったり魔物との戦闘で獲得しなければならない。1回につき1枚消費する。無限にすごろくができるアイテムも存在し、持っている場合はそちらが優先される。 先頭のキャラクターが[[すごろく]]の駒となり、一定回数以内の[[サイコロ]]でゴールを目指す。ゴールすれば宝箱からアイテムが入手できるほか、コースの途中やよろず屋でもアイテムを入手できる。ただしコース上では戦闘が発生したり、落とし穴などの罠が仕掛けられていたりすることもある。落とし穴でコースアウトしたり、HPや所持金が0になったりした場合は、サイコロの残回数があってもその場で終了となる<ref>SFC版公式ガイドブック p.223-225</ref>。特に所持金0の状態ですごろくを始めようとしたら始まった瞬間に終了となりすごろくけんも戻ってこない。戦闘で得た経験値は、戦闘に参加した(つまり、すごろくの駒となっていた)キャラクターのみが獲得する。これは通常の冒険でパーティーを組んでいない状態と同じで、最大で4人パーティ時の約4倍獲得できる。詳しくは上記「経験値」参照。また、参加者のステータスや性格が変化するイベントが発生することもある。リタイアはいつでも可能。<!-- リタイアしても当然すごろくけんは戻って来ないが、目的がゴールでない場合達成できたら余計なイベントを避けるためにリタイアするのも手である。 --> ==== シナリオ・マップの追加 ==== * オルテガの冒険と戦いを描いたプロローグが[[オープニングデモ|デモ画面]]で流れるようになった。NES版に存在した戦闘シーンに加え、主人公の誕生や冒険途中のシーンが追加された。またゲーム中でもオルテガに関連するイベントが追加された。 * マップに精霊の泉が追加された。 * ピラミッドのイベントが一部変更された。 * ポルトガの城でセーブ機能が追加された。 * 一部の町では店が追加されたり、メニューが変更された。 * シャンパーニの塔のイベントのクリアが必須となった。クリアしていないと、人さらいのアジト(バハラタ北東の洞窟)へ行っても、主が留守である旨を知らされるだけで洞窟のイベントが発生せず、そこから先へ進めないように変更された。 * パーティーから商人が抜けるイベントをクリア後、さらにイベントをこなしてから再び行き、パーティーから抜けた商人に話しかけると、アリアハンのルイーダの酒場で、パーティーから抜けた商人を再びパーティーに加えられるように変更された。またFC版では男女ともパーティーを抜けると一般の男性商人のグラフィックになっていたが、SFC版では男女別に専用のグラフィックが用意された。 * エンディングに到達した冒険の書のみで行ける隠しダンジョンが新たに登場し、隠しダンジョン用のモンスター8種および隠しボスも追加された。 ** 竜の女王の城に訪れると、城の北側の日光が差し込む窓から行くことができる。小さな島のような形をしており、そこにはダンジョンの入り口がひとつあるだけ。その入り口が裏ダンジョンとなっており、これまで訪れたダンジョンや施設の再利用で、バラモスの量産型である「バラモスエビル」などゾーマの城よりも強い敵が現れる。ダンジョンの途中には「ゼニスの城」という中継地点が存在し、ゼニス1世{{Efn2|ドラゴンクエストVIに登場するクラウド城の主・ゼニスとの関係は不明。}}という王が玉座に鎮座する。最深部には「しんりゅう(神竜)」が待つ。 ** しんりゅうは強力な炎や吹雪に加え、すばやい動きで先制攻撃を仕掛けたり、1人を強制的に眠らせたり、鋭い牙での一撃で大ダメージを与える、巨体で押しつぶして全員にダメージを与える、凍てつく波動を使いステータスを初期化するなど、強力かつ多彩な波状攻撃を得意とする。 ** しんりゅうとは何度でも戦うことができ、戦闘に勝利すると1回目は35ターン以内、2回目は25ターン以内、3回目以降は15ターン以内で倒せば、願いを叶えてもらえる。願いの内容は「死んだ父親を生き返らせたい(これを選ぶと、オルテガが生き返りアリアハンの自宅にいる)」、「新しいすごろくがしたい(これを選ぶとジパングの井戸に新しいすごろく場が出現する)」、「エッチな本を読みたい(これを選ぶと、エッチな本が手に入り、読んだ人の性格が男の場合「むっつりスケベ」、女の場合「セクシーギャル」に変化。職業や読むタイミングにもよるが、どちらも他の性格と比べ有利なステータス補正がかかる性格である)」の3つが出る。SFC版・GBC版以外は親父の生き返しとエッチな本の2つのみしか選べない。なお、親父の生き返し・新しいすごろくを選べるのは1回だけで、2回目以降選ぶと他のお願いを選び直させられる。エッチな本と珍しいメダルは何回でも選べる。 ==== その他の変更点 ==== ; ルイーダの店 : ルイーダの店で仲間登録時に、ステータス成長の種を5つもらえ、その場でステータス成長を行う。手動・自動が選べる。 : 登録人数が最大22人に変更され、バーク送りにした商人はパーティーに復帰するため抹消されなくなった。 : 初期登録の職業である戦士・僧侶・魔法使いの3名は魔法使いは必ず女性で戦士・僧侶は男女ランダムで選ばれる。 ; BGM : [[背景音楽|BGM]]がオーケストラ版に基づいたものになり、一部の楽曲のキーも変わった。城・町・村のBGMは、昼と夜とで異なる曲が流れるようになった(夜の曲はいずれも昼の曲の編曲)。 : テドンではFC版では昼夜とも村のBGMが流れるが、リメイク版では夜間が村のBGMのアレンジ曲であるのに対し、昼間はパーティーが全滅したときと同じBGMが流れる。 : バラモス/隠しボス戦専用のBGM「戦いのとき」をはじめ、イベント専用曲なども数曲が追加された。 : バラモス城・ゾーマ城については洞窟のBGMをアレンジしたものが用意されたほか、下の世界の町・城・ダンジョンについては第1作『ドラゴンクエスト』と同様のものとなった。 ; まとめ買い : 道具屋でのアイテム購入時の数量指定のシステムが導入され、最大9個まで一度に購入することができるようになった<ref>SFC版公式ガイドブック p.9</ref>。これはSFC版の本作が初の導入となり、以降の作品(新作・リメイク版)にも受け継がれた。なお、キャラクターが一度に持てるアイテム数が1人あたりFC版の8個から12個に増加した。 ; 仲間登録・編成時のセーブ : FC版では、仲間の登録時およびルイーダの店でのパーティ編成時にセーブをする必要があったが、本作では不要となった。代わりに、ルイーダの店にいるシスターに話しかけることでセーブができるようになった。FC版で登録・編成時にセーブした場合は、最後にセーブした場所からの再開であったが、SFC版でここでセーブした場合はアリアハンからの再開となる。 ; アイテムの販売有無、販売アイテム変更 : ショップでの販売アイテムも多数変更された。たとえば、FC版ではカサーブの村で「はがねの剣」を購入できたが、SFC版、GBC版では販売されていない。ノアニールで販売されたが、1300Gに変更となった。 : FC版でレーベの村で販売されていた「聖なるナイフ」は「ブロンズナイフ」に変更となった。 ; 装備品の追加 : 種類が大幅に追加されたことによって、特に武闘家、僧侶、商人、遊び人など、FC版の一部の職業にあった「装備できる武器、防具が極端に少ない」「盾を全く装備できない」「後半向けの強力な装備がない」などの問題が解消された。また男性専用の武具・防具も登場する。 ; 戦闘中コマンドメニューの変更 : FC版では戦闘中に呪文の使えるキャラクターが一番前にいると選べなかった「ぼうぎょ」コマンドが選べるようになった。また、全員「にげる」のコマンドが選べるようになり、選択するとその場で逃げようとする。 ; 転職時の神官のコメント : ダーマ神殿で転職時に神官が性格に応じたコメントを述べるようになった。 ; 名前を変える老婆の登場 : ダーマ神殿の左上に命名神に仕えるマリナンと名乗る老婆が登場し、彼女と話すことでキャラクターとふくろの名前が変更可能になった。ただし4文字とも同じ文字や変な名前にすると怒りに触れたうえで名前を変更して、元に戻すには高いお金を支払うことになる。 ; キャラクターの設定変更 :; オルテガ :: FC版ではカンダタ同様の姿だったが、固有の姿に変更された。 :; 主人公の母 :: FC版では一般人の女性の姿であるが、SFC版では固有の姿に変更され、へんげのつえで魔物に化けて話した場合のイベントが追加された。 :; アリアハン王 :: 一人娘の王女から「ぬけめがない」性格だと陰口を叩かれている。 :; カンダタ :: 配色が変更された。 :; ヒミコ :: やまたのおろちによって殺されずに井戸のすごろく場に幽閉された。 :; サマンオサ王 / ボストロール :: 全員の守備力を半減させる呪文「ルカナン」が追加され、必ず2回行動するように強化された。 :: SFC版ではサマンオサ城のみの登場となった。 :; キングヒドラ :: 隠しダンジョンで雑魚モンスターとして出現する。 :; ゾーマ :: 闇の衣がはぎ取られた際のカラーパターンが変更された(FC版はフルカラーから青基調、リメイク版は青基調からフルカラー)。 :: 「凍てつく波動」で独特のポーズを取りながら兜にある目玉から放つ。 : ; その他 : 『VI』同様、モンスターが攻撃時に動き、動作音も出るようになったり、勇者なしのパーティーでゲームをクリアした際の専用の会話・演出が追加された。 : ルーラ・キメラのつばさを使うキャラクター自身が行ったことがない場所は他のメンバーが行ったことがあっても行くことができなかったが、リメイク版では行き先がパーティー全体に共通の設定に変更されており、メンバーを入れ替えてもそのまま使えるようになった。 : FC版とリメイク版とでは、ムオルで入手できるアイテムが異なり、「オルテガのかぶと」に変更された。 : 「しあわせのくつ」を装備してフィールドを移動中に、レベルアップする経験値に達したときの扱いについて変更された。FC版ではフィールド上でレベルアップするが、リメイク版ではそうならず1回戦闘に勝利することでレベルアップする。 : エンディング時に主人公のみが宴から退席している描写に変更された。 === ゲームボーイカラー版 === [[ゲームボーイカラー]]専用ソフトとして2000年に移植された。CMには[[福井裕佳梨]]が女子高生役として出演している{{要出典|date=2023年12月}}。SFC版のゲームシステムやストーリーを継承しているが、通信機能を生かした後述の「モンスターメダル」などのオリジナル要素が追加されている<ref name="natsukashiGB">M.B.MOOK『懐かしゲームボーイパーフェクトガイド』 (ISBN 9784866400259)、85ページ</ref>。キャッチコピーは「'''一番愛されたドラゴンクエスト'''」。 戦闘画面では背景は表示されないが、呪文などの演出効果やモンスターのアニメーションをSFC版から受け継いだ。いつでもゲーム途中の状態をセーブして中断することができる「[[ドラゴンクエストI・II#中断の書|中断の書]]」機能が追加された<ref name="natsukashiGB"/>。『I・II』にあったボタン全押しリセットは、『III』では不可能になった。 街、背景、設定などはSFC版をもとにしているが、使用できるカラーの仕様上、56色になっている。BGMは一部除いてFC版をベースとする。 ストーリーは、シャンパーニの塔のイベントをクリアしていないと、ノルドの洞窟(アッサラーム東の洞窟)を通れず、バハラタの町へ行くことができないように変更された。 ==== モンスターメダル ==== モンスターを倒すと時々落とす「モンスターメダル」のコレクションを行うことができる。メダルは各モンスターごとに金・銀・銅があるが、最初は銅メダルしか入手できず、銅を入手することで銀を、また銀を入手することで金を入手できるようになる。モンスターメダルはゲーム本編のメモリーとは別のメモリーに記録される。[[通信ケーブル (ゲームボーイ)|通信ケーブル]]を使い、一度に3枚までモンスターメダルを交換することもできる。 このモンスターメダルに関連し、第2の隠しダンジョン「氷の洞窟」が追加された。このダンジョンでは、一定のモンスターメダルを集めないと先に進めないようになっている。このダンジョン用の新たなモンスターとして隠しボス「グランドラゴーン」{{Efn2|グラフィックはやまたのおろち、キングヒドラの色違いである。}}が追加された。グランドラゴーンを25ターン以内に倒すと、道具使用でギガデインの効果を持つ「ルビスの剣」がもらえる。さらに2回以上25ターン以内に倒すと「グランドラゴーン」のモンスターメダルがもらえる。 ==== その他の変更点 ==== * 「はやぶさのけん」を装備した状態で「ドラゴラム」を唱えると1ターンに2回炎を吐く。 * BGM「戦いのとき」にイントロを追加(交響組曲に元々あったパート)。逆にBGM「ダンジョン」のイントロを削除。 * ボス「バラモス」の呪文を封じた後のローテーション(行動パターン)が変更、自動回復削除、HP増加。 * ボス「ゾーマ」に「ベホマ」を唱えた際に与えるダメージを増加。 * 町や城における住民や兵士の配置がSFC版と異なる。 * SFC版にあった台詞が一部、カットされた。 * ダーマ神殿で転職した際、新しい職業で装備できる武器防具が自動的に装備されなくなった。 * サマンオサにおける戦士ブレナンの葬儀がイベント化された。 * 神龍を倒した際の願いごとがSFC版の3つに加えて「珍しいメダルが欲しい」と「空白」の2つが追加された。空白を選ぶと新規追加の隠しダンジョンが出現する。隠しダンジョンへの入り口はレイアムランドにある。なお空白を選べるのは1回だけである。 * やまたのおろち、ボストロールはゲームクリア後の隠しダンジョンで再登場する。 * カンダタとその子分が雑魚敵として再登場する(カンダタについては、2種類とも雑魚敵として再登場する)。 === 携帯電話版 === [[2009年]]から NTTドコモ向け配信が開始された携帯電話アプリ。メガiアプリだが、前編アプリと後編アプリに分けられている。また、[[2010年]]4月からは KDDI (au) 向けの配信も開始され、こちらもBREWアプリでありながら、前編アプリと後編アプリに分けられている。サーバーに冒険の書をバックアップできるようにもなっており、機種変更や誤ってアプリを消した場合でも復旧できるようになっている。 * NTTドコモの[[F-01B]]、[[F-04B]]、[[N-02B]]、[[P-01B]]、[[SH-01B]]並びにauの[[beskey]] (HIY02)、[[CA005]]、[[S003]]、[[S004]]、[[SA002]]、[[SH007]]、[[SH008]]、[[T004]]には序盤を収録した体験版(製品版のセーブデータと互換性あり)が[[プリインストール]]されている。 * Starプロファイル対応機種(2MB 対応)と在来の Doja(1MB対応)では若干仕様が異なる模様。後者は一部音楽が削除されており、他の曲で代替されている(例: スタート時の性格診断 - 「まどろみの中で」→「ほこら」、バラモス城・ゾーマ城 - 「ゾーマの城」→「ダンジョン」、バラモス・闇ゾーマ・しんりゅう - 「戦いの時」→「戦闘のテーマ」、重要アイテム発見時 - 「重要アイテム発見」→「当たり」)。 * リメイク版を元に移植されており、グラフィック、サウンド共に『スーパーファミコン ドラゴンクエストIII』をベースとしたものになっているが、モンスターのアニメーションとそれに伴う効果音、オルテガの冒険と戦いを描いたプロローグ、すごろく場、精霊の泉、GBC版の第2の隠しダンジョンと隠しボス、モンスターメダル集めはカットされた。また敵の出現などの難易度調整も若干変更された。 * ダーマ神殿で転職した際、新しい職業で装備できる武器防具が自動的に装備されるシステムが復活した。 * すごろく場の削除により、すごろく場の中で購入できた商品は一品物になった。また、商品やゴール時の景品は、宝箱の中身や、小さなメダルとの交換景品へと変更された。 * オリジナル版およびリメイク版には採用されなかったAI戦闘(「さくせん」コマンド)が採用された。 * イシスの子供が歌うわらべ歌(ピラミッドの壁の丸いボタンを押す順番)が、SFC版およびGBC版より簡略化された。 * スーの村の村人のグラフィックが、SFC版の[[ネイティブ・アメリカン]]風から他の町や村で見られる一般的なものに変更された。 * 幽霊船のグラフィックが、SFC版の専用のものから主人公たちが乗る通常の船と同じものに変更された。 {{節スタブ}} === Wii版 === {{main|ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III}} [[2011年]]9月に発売。FC版およびSFC版が、FC版の第1作・『II』、SFC版の『I・II』とセットで収録。 中断機能が追加され、一部のセリフが変更された。 === スマートフォン版 === 2014年9月25日にAndroidおよびiOS向けに配信開始。『I』、『II』同様にアプリケーション『'''ドラゴンクエスト ポータルアプリ'''』から購入・起動する方式。フィーチャーフォン版をベースに移植。グラフィック、操作方法はスマートフォン版『I』『II』同様。BGMはスマートフォン版『I』、『II』、『IV』同様に交響組曲版をベースにしたシンセサイザー音源で、戦闘終了後のBGMは『I』、『II』同様途中から続けて流れる。フィーチャーフォン版に準じてSFC・GBC版での新規BGMは使われていないが、「戦いのとき」「街の人々」「ラダトーム城」は使用されている。 === PlayStation 4・ニンテンドー3DS版 === 2017年8月24日に配信開始。スマートフォン版をベースにしたもので、3DS版は下画面にマップが表示される。王者の剣を道具として使った時のメッセージが「とどろく らいめいが くうきを ひきさく!」から「くろいあまぐもが てきをつつみこむ。」に変更された。 === Nintendo Switch版 === 2019年9月27日に配信開始。スマートフォン版をベースにしたものである。 === HD-2D版 === {{コンピュータゲームの新製品|section=1}} 2021年5月27日配信の「ドラゴンクエスト」35周年記念特番で家庭用ゲーム機向けに制作開始したことを発表。開発は[https://amata.co.jp あまた株式会社]とスクウェア・エニックス<ref>{{Cite web|和書|title=『ドラクエ12 選ばれし運命の炎』『ドラクエ3』HD-2Dリメイクなど新作6タイトルが発表!【DQ35周年生放送まとめ】|url=https://www.famitsu.com/news/202105/27221758.html|website=ファミ通.com|date=2021-05-27|accessdate=2022-02-22}}</ref>。 == 開発 == シリーズで初めて、複数のフィールドマップが登場するようになったが、そのためROM容量が不足し、製品版では一部の町やダンジョン<ref group="注">「[[#音楽]]」の項で述べるスイスの村など。</ref>、モンスター<ref group="注">数種類のモンスターが登場していない。これらは発売前の宣伝広告のイラストで確認できる。</ref>などのいくつかの要素がカットされている。またオープニングもなく、タイトル画面は真っ黒な無音の画面に「DRAGON QUEST III」と表示されるのみとなった。 === 音楽 === 第1作のBGMは[[バロック音楽]]調であるのに対して、本作のBGMはヒロイックな響きを求め[[ロマン派音楽]]調である。 アレフガルドのフィールド上BGMの伴奏は第1作とは異なり3連符に変更された。 ピラミッドとジパングには専用のBGMが存在する。これ以外に開発当初は[[ヨーデル]]風の専用BGMのある[[スイス]]風の村があったが、容量の関係で開発段階で村もBGMも削除されたという<ref name="mastersclub001">{{Cite book|和書 |chapter = すぎやまこういち VS 田尻智 |title = ドラゴンクエストIV マスターズクラブ |publisher = JICC出版局 |date = 1991-2-10 |page = 15 |isbn = 978-4-7966-0084-2 }}</ref>。 FC版では戦闘時のBGMはゾーマのみが専用BGM「勇者の挑戦」で、他はバラモスも含めすべて同じBGMである。すぎやまによれば、FC版でもバラモスとの戦闘時の専用BGMが製作されたが、何らかの理由によりなくなったという<ref name="mastersclub001"/>。 2004年8月10日に[[東京芸術劇場]]にて「第18回 ファミリークラシックコンサート 〜ドラゴンクエストの世界〜」が開催され、その時の会見で[[すぎやまこういち]]は、「ファミコンのカセットはゲーム音楽も容量との戦いでした。『ドラクエ3』にも当初はタイトル画面があったんですが、削られてしまいました(笑)」と、制作時の話を披露した<ref>{{Cite book|和書|title=週刊ファミ通|year=2004年9月3日|publisher=エンターブレイン}}</ref>。 また、すぎやまはオルテガの戦闘シーンはレクイエムにすべきだったと後悔・反省している<ref name="mastersclub001"/>。 {{Main2|各楽曲についての解説|ドラゴンクエストシリーズの楽曲一覧}} === スタッフ === ファミリーコンピュータ版 * シナリオ・ライター:[[堀井雄二]] * キャラクター・デザイナー:[[鳥山明]] * ミュージック・コンポーザー:[[すぎやまこういち]] * シナリオ・アシスタント:[[宮岡寛]]、柳沢健二 * チーフ・プログラマー:[[内藤寛|内藤寬]] * プログラマー:山名学、成田東吾、岡野まさあき * アシスタント・プログラマー:滝本真澄 * グラフィック・デザイナー:安野隆志 * サウンド・プログラマー:福沢正 * アシスタント:原けいいち、[[麻野一哉]]、RIKA SUZUKI<ref group="注">ローマ字表記で本作のエンディングクレジットに表示されており、当時リバーヒルソフトのゲームシナリオライターであった鈴木理香と同じ発音だが鈴木のプロフィールとしてドラゴンクエストに関する情報源は明らかでなく、別人の可能性がある</ref>、札場哲 * ディレクター:[[中村光一]] * プロデューサー:[[千田幸信]] * パブリッシャー:[[福嶋康博]] スーパーファミコン版 * シナリオ&ゲーム・デザイン:堀井雄二 * キャラクター&モンスター・デザイン:鳥山明 * ミュージック・コンポーズ:すぎやまこういち * メイン・プログラム:[[山名学]] * CGデザイン:[[眞島真太郎]]、安野隆志 * プログラム:JINJI HORAGAI、KAYSUYA TESHIMA、川本昌之、渡邊靖 * シナリオ・アシスト:杉村幸子、石川文則 * サウンド・デザイン:[[多和田吏]]、崎元仁 * 開発アシスト:滋野暁崇、室木博、YUKO MIURA * シナリオ・サポート:折尾一則、宮岡寛、柳沢健二、布田全代 * 広報:水納仁、杉村幸子、石川文則、島村悦子 * アートワーク:大石直樹、大塚充 * テクニカル・サポート:矢作貞雄、狩野健二郎、佐藤浩、本間和文、中目乃利子 * エニックス・スタッフ:山岸功典、二見眞治、菊本裕智、渡辺泰仁、戸田淳、藤本広貴、[[齊藤陽介]]、和智信治、小林大介 * プロデュース・アシスト:犬塚太一、YOICHI HAYAKAWA、飯田真理子、[[本多圭司]] * プロデューサー:千田幸信 * パブリッシャー:福嶋康博 ゲームボーイカラー版 * シナリオ&ゲーム・デザイン:堀井雄二 * キャラクター&モンスター・デザイン:鳥山明 * ミュージック・コンポーズ:すぎやまこういち * アートワーク:大石直樹、神村多加志 * 広報:三宅有、HIROKA SHIBAHARA、倉持亮一、石井るり子、二見眞治、山本秀樹、吉川ルミ、大澤宗弘 * テクニカルサポート:狩野健二郎、岩井智行、中目乃利子、大和田一徳、佐藤浩、米山英樹 * プロデューサー:宮本淳 * エグゼクティブ・プロデューサー:千田幸信、本多圭司 * パブリッシャー:福嶋康博 == 反響 == {{出典の明記|date=2018年7月|section=1}} === 社会現象 === 日本での本作の発売日は平日(水曜日)であったにもかかわらず、発売日前日には販売店の前に徹夜の行列ができた。[[ビックカメラ]][[池袋駅|池袋東口]]店(現:ビックカメラアウトレット池袋東口店)では前日から並んだ行列が最終的に1万人を超える長大な規模になり、[[マスメディア|マスコミ]]のみならず、後に学習[[歴史漫画]]<ref>『[[学研ホールディングス|学研]]まんが日本の歴史17巻・昭和から平成へ』</ref>にも取り上げられた。徹夜したり、学校を無断欠席してまでソフトを買いに来る児童・生徒もおり、その[[補導]]が多発したほか、品切れで買えなかった少年らによる[[窃盗]]や恐喝などの[[犯罪]]も多発した<ref group="注">この時に窃盗・恐喝され被害届を出した少年に対し、エニックスは連絡先がわかる場合に限り、同ソフトを無償提供した。</ref>。この対策として、次作『ドラゴンクエストIV』以降のシリーズ本編については、発売日を土日および祝日にしている。 また、一部の[[小売|小売店]]が本作と人気のないソフトとの[[抱き合わせ商法|抱き合わせ販売]]を行ったことが問題化した。さらに、[[光文社]]が[[写真週刊誌]]『[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]]』にエンディングの画面を掲載してエニックスから[[著作権]]侵害で訴えられる事件<ref group="注">前作『II』でも同様の事件が起きている。</ref>が発生し、改めて「テレビゲームの画面は著作物になるのか」という問題がクローズアップされた。 === 音楽 === [[NHK交響楽団]]によって演奏された『交響組曲 ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』は1988年の[[第30回日本レコード大賞]]の特別企画賞に選ばれた。これは[[ゲームミュージック]]としては初である。 不死鳥ラーミアで飛行する時の曲「おおぞらを とぶ」は、のちに[[高中正義]]がカバーした。また同曲は『ドラゴンクエストVIII』・『ドラゴンクエストXI』<ref group="注">空飛ぶ鯨ケトスが覚醒して以降。</ref>でも使用されている。フィールドの曲「冒険の旅」や戦闘時の曲「戦闘のテーマ」などは[[バラエティ番組]]のBGM、[[高校野球]]での応援ファンファーレとして使用されることがある。「街」、「海を越えて」、「アレフガルドの街(町の人々)」には、女性デュオ「ルーラ」が歌う歌詞付きの曲がある。また、「冒険の旅」と「そして伝説へ…」にも歌詞が存在する。これは[[ラジオ番組]]『[[鴻上尚史のオールナイトニッポン]]』の企画から生まれた(なお鴻上は、アッサラームの劇場にいる座長キャラクターのモデルでもある)。 === 雑誌・書籍への掲載 === 発売当時、ゲーム雑誌などにおいて、終盤の展開に関する情報はほとんど伏せられていた。これは後に発売された「公式ガイドブック」でも同様で、終盤に登場する要素は「回転する床」を除いてほとんどが非掲載となっており、勇者たちが倒すべき最後の敵も「バラモス」とされていて、リメイク版の公式ガイドでも同様に掲載されていない要素があった<ref group="注">リメイク版の公式ガイドブックでは、アレフガルドに関する情報は非掲載だが、FC版とは違いアイテム全種、ボス・中ボス以外のモンスターは全て掲載されている。</ref>。リメイク版発売時の雑誌記事・書籍などでは、終盤の画面写真やアイテム、モンスターも掲載された。 FC版「公式ガイドブック」にはバグである防御キャンセル技が掲載されている。後期ロット(敵が出てこなくなる技が追加されているなど)でも修正されず、そのまま残されていた。ヒャダインとマヒャドの習得レベルが逆になっている誤表記があり、重版でもそのままにされていた。堀井によると、書籍に記載の習得レベルが正しい順番なのだが、実際のソフト上では入力ミスで2つが入れ替わってしまったとのこと<ref>『ドラゴンクエスト3マスターズクラブ』(ファミコン必勝本)JICC出版局(1988/11)P90 </ref>。 === 評価 === 日本における売上本数は380万本を記録。この数字は[[2006年]]([[平成]]18年)[[11月]]頃まで他社の作品を含めた日本の歴代ゲーム売上本数でも十傑に入っている。[[2010年]]([[平成]]22年)現在、この記録はドラゴンクエストシリーズでは『[[ドラゴンクエストIX 星空の守り人]]』『[[ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち]]』に続き3位。[[ゲーム雑誌]]『[[ファミ通]]』の15周年・20周年読者投票企画ではドラゴンクエストシリーズ中では最上位だった。 『[[別冊宝島]]』には[[1988年]]のサブカル・流行の1つとしてこの作品が紹介されている<ref>別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.93.</ref>。 {{コンピュータゲームレビュー |title = |EGM = 7/10点 (GBC)<ref name="GameSpotReviews">{{cite web | author=Brad Shoemaker | date=2001-08-01 | title=Dragon Warrior III Review|url=http://www.gamespot.com/dragon-warrior-iii/reviews/dragon-warrior-iii-review-2800706/ | work=[[GameSpot]] | accessdate=2013-04-03}}</ref> |Fam = 38/40点 (FC)<ref name="famitsu"/><br />(プラチナ殿堂)<br />36/40点 (SFC)<ref name="famitsu2"/><br />(プラチナ殿堂)<br />30/40点 (GBC)<ref name="famitsu3"/><br />(シルバー殿堂) |GSpot = 7.6/10点 (GBC)<ref name="brad">{{cite web | author=Brad Shoemaker| date=2001-08-01 | title=Dragon Warrior III Review | url=http://www.gamespot.com/dragon-warrior-iii/reviews/dragon-warrior-iii-review-2800706/ | work=[[GameSpot]] | accessdate=2013-04-03}}</ref> |IGN = 10/10点 (GBC)<ref name="IGNReview">{{cite web|url=http://www.ign.com/articles/2001/07/20/dragon-warrior-iii |title=IGN: Dragon Warrior III Review|work=[[IGN]]|publisher=IGN Entertainment|date=2001-07-20|author=Peter Sellers|accessdate=2013-04-04}}</ref> |GamePro = 4/5点 (GBC) |NP = 4/5点 (GBC)<ref name="GameSpotReviews" /> |GR = 87% (GBC)<ref name="rankings">{{cite web|url=http://www.gamerankings.com/gbc/450388-dragon-warrior-iii/index.html|title=Dragon Warrior III Reviews|publisher=Game Rankings|accessdate=2008-04-14}}</ref> |rev1 = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |rev1Score = 27.30/30点 (FC)<ref name="famimaga116"/><br />25.9/30点 (SFC)<ref name="daigirin269"/> |award1Pub = ファミリーコンピュータMagazine |award1 = ゲーム通信簿<br />ロムカセット部門<br />キャラクタ4位<ref name="famimaga379"/><br />音楽2位<ref name="famimaga379"/><br />熱中度2位<ref name="famimaga379"/><br />操作性4位<ref name="famimaga379"/><br />お買い得度3位<ref name="famimaga379"/><br />総合2位<ref name="famimaga379"/> }} ;ファミリーコンピュータ版 :*ゲーム誌『[[ファミ通|ファミコン通信]]』の「[[クロスレビュー]]」では9・10・10・9の合計38点(満40点)でプラチナ殿堂入りを獲得<ref name="famitsu">{{Cite web|和書 |date= |url= http://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=2528 |title= ドラゴンクエストIII そして伝説へ… まとめ [ファミコン] |website= [[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |accessdate= 2015-04-26}}</ref>、レビュアーからは『[[ウルティマ|ウルティマV]]』と同様に本作に時間の概念が導入されたことに関して「日本のRPGがようやくアメリカのRPGに追いついたという感じだ」と指摘された他、謎解きの構成の無理のなさやシリーズを追うごとに内容が充実している事が肯定的に評価された<ref name="crossreview10">{{Cite journal |和書 |title = 6月16日増刊号特別付録 クロスレビュー優良ソフトパーフェクトカタログ 上巻 |date = 2005-06-16 |publisher = [[エンターブレイン]] |journal = [[ファミ通]] |pages = 10 |ref = harv}}</ref>。また、レビュアーによっては「細かいところではいろいろ気になる部分もある」との指摘がなされたが、「めったに出ない作品であることはまちがいない」と称賛された<ref name="crossreview10"/>。 :* ゲーム誌『[[ファミリーコンピュータMagazine]]』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、27.30点(満30点)となっている<ref name="famimaga116"/>。 ::{|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; width:50%" |- ! 項目 | キャラクタ || 音楽 || お買得度 || 操作性 || 熱中度 || オリジナリティ ! 総合 |- ! 得点 | 4.64 || 4.71 || 4.43 || 4.47 || 4.76 || 4.29 ! 27.30 |} :* 『ファミリーコンピュータMagazine』1991年5月10日号特別付録の「ファミコンロムカセット オールカタログ」では、闘技場でのギャンブルが可能であることに触れた上で、モンスター登場シーンの変更や幽霊船の存在などに関して「ドラクエIIIはアイデアの宝庫だ」と称賛した<ref name="famimaga116"/>。その他、同付録の巻末に収録されている「ロムカセット部門別BEST5」では、キャラクタ4位、音楽2位、熱中度2位、操作性4位、お買い得度3位、総合評価2位を獲得している<ref name="famimaga379">{{Cite journal |和書 |title = 5月10日号特別付録 ファミコンロムカセット オールカタログ |date = 1991-05-10 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |volume = 7 |number = 9 |pages = 379 |ref = harv}}</ref>。 : ;スーパーファミコン版 :* ゲーム誌『ファミ通』の「クロスレビュー」では9・8・10・9の合計36点(満40点)でプラチナ殿堂入りを獲得<ref name="famitsu2">{{Cite web|和書 |url= https://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=15292 |title= ドラゴンクエストIII そして伝説へ… まとめ [スーパーファミコン] |website= [[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |accessdate= 2017-05-14}}</ref>、レビュアーは様々なアイテムやシステムの追加で「これまでの集大成といった趣になっている」と指摘した上で「記憶を呼び出しながらプレーしたが、やはり大安定」と肯定的に評価した他、すごろく場の中毒性の高さを指摘した上で「ファミコン版の『III』を体験済みでも楽しめる」と称賛した<ref name="crossreview49">{{Cite journal |和書 |title = 6月16日増刊号特別付録 クロスレビュー優良ソフトパーフェクトカタログ 上巻 |date = 2005-06-16 |publisher = [[エンターブレイン]] |journal = [[ファミ通]] |pages = 49 |ref = harv}}</ref>。その他にも性格システムの導入など新しい要素に関して称賛した意見や、「冒頭のキャラクターメイキングで、胸をえぐられ、卒倒しそうになった」と評価したレビュアーも存在した<ref name="crossreview49"/>。 :*『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、25.9点(満30点)となっている<ref name="daigirin269">{{Cite journal|和書 |title = 超絶 大技林 '98年春版 |date = 1998-04-15 |publisher = [[徳間書店]]/インターメディア・カンパニー |journal = Play Station Magazine |volume = 増刊4月15日号 |pages = 269 |asin = B00J16900U |ref = harv}}</ref>。 ::{|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; width:50%" |- ! 項目 | キャラクタ || 音楽 || お買得度 || 操作性 || 熱中度 || オリジナリティ ! 総合 |- ! 得点 | 4.4 || 4.5 || 4.1 || 4.3 || 4.5 || 4.1 ! 25.9 |} : ;ゲームボーイカラー版 :* 『ファミ通』の「クロスレビュー」ではの合計30点(満40点)でシルバー殿堂入りを獲得した<ref name="famitsu3">{{Cite web|和書 |date= |url= http://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=12578 |title= ドラゴンクエストIII そして伝説へ… まとめ [ゲームボーイ] |website= [[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |accessdate= 2015-04-26}}</ref>。 {{Clear}} == 関連商品 == === 攻略本 === ==== ファミリーコンピュータ版 ==== * [[ファミコン神拳]]奥義大全書 巻の五 ドラゴンクエストIII そして伝説へ…([[集英社]]、ISBN 978-4834210583) * ドラゴンクエストIII そして伝説へ… 公式ガイドブック(エニックス、ISBN 978-4900527034) - エニックスの出版事業で最初に手がけられた<ref>{{Cite web|和書|date=2009|url=http://www.animeanime.jp/interview/mrtaguchi3.html|title=スクウェア・エニックス 田口浩司氏インタビュー(3) |publisher=アニメ!アニメ!|accessdate=2011-06-17}}</ref>。 * ドラゴンクエストIII ㋪(マルヒ)公式ガイド どらくえ3 謎の魔王をやっつけろ([[冬樹社]]、ISBN 978-4809280016) - エニックスからネタバレとして訴えられたことがある。 ==== スーパーファミコン版 ==== * [[Vジャンプ]]ブックスゲームシリーズ スーパーファミコン ドラゴンクエストIII そして伝説へ…(集英社、ISBN 978-4081080458) * スーパーファミコン ドラゴンクエストIII そして伝説へ… 公式ガイドブック(エニックス、ISBN 978-4870259393) ==== ゲームボーイカラー版 ==== * Vジャンプブックスゲームシリーズ ゲームボーイ ドラゴンクエストIII そして伝説へ…(集英社、ISBN 978-4087790856) * ゲームボーイ ドラゴンクエストIII そして伝説へ… 公式ガイドブック 上巻 世界編(エニックス、ISBN 978-4757503878) * ゲームボーイ ドラゴンクエストIII そして伝説へ… 公式ガイドブック 下巻 知識編(エニックス、ISBN 978-4757503885) ==== Wii版 ==== * ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III公式ガイドブック SE-MOOK(スクウェア・エニックス、ISBN 978-4757533516) * ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III超みちくさ冒険ガイド(スクウェア・エニックス、ISBN 978-4757533523) * ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエスト 25th アニバーサリー冒険の歴史書 SE-MOOK(スクウェア・エニックス、ISBN 978-4757534070) * ドラゴンクエスト25周年記念BOOK Vジャンプブックス(集英社、ISBN 978-4087796056) === その他の書籍 === * ドラゴンクエストIII そして伝説へ… 知られざる伝説(エニックス、ISBN 978-4900527003、1988年11月) * ドラゴンクエストIII マスターズクラブ(JICC出版局、ISBN 978-4880634876、1988年11月) * [[ゲームブックドラゴンクエスト#ゲームブック ドラゴンクエストIII|ゲームブック ドラゴンクエストIII]](エニックス・プロダクツ) - エニックスによるドラゴンクエストシリーズ初のゲームブック。全3巻。<!--その他の書誌情報はリンク先参照--> * ドラゴンクエスト モンスター物語<ref group="注" name="DQ1DQ2DQ3">ドラゴンクエストI、II、IIIの3作品を取り扱っている。奥付にも、その3作品の表記がある。</ref>(エニックス、ISBN 978-4900527089、1989年7月) * ドラゴンクエスト アイテム物語<ref group="注" name="DQ1DQ2DQ3" />(エニックス、ISBN 978-4900527249、1989年12月) * [[小説ドラゴンクエスト#小説ドラゴンクエストIII|小説 ドラゴンクエストIII-そして伝説へ…-]](エニックス刊、作・[[高屋敷英夫]]。表紙および挿絵イラストは[[いのまたむつみ]])<!--その他の書誌情報はリンク先参照--> *† [[CDシアター ドラゴンクエスト#CDシアター ドラゴンクエストIII|CDシアター ドラゴンクエストIII]] - ドラマCDだが書籍扱い。 === 音楽作品 === †は廃盤。 *† [[交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…]]([[バンダイ・ミュージックエンタテインメント|アポロン音楽工業]]、BY30-5181、[[1988年]][[3月7日]]) - [[NHK交響楽団]]演奏のオーケストラ版と、FC版のゲーム音源。 *† そして伝説へ…(バンダイ・ミュージックエンタテインメント、BY10-8、1988年[[6月21日]]) - 本作の大ファンだった[[鴻上尚史]]が、当時担当していたオールナイトニッポンで聴取者から募集した歌詞を元にエンディング曲を自ら歌ったCDシングル。キャラクターの[[コスプレ]]をした鴻上とリスナーの写真がCDジャケットの一部に採用されている。C/W は「冒険の旅」(フィールド上でのBGM)。発売当時、同じくオールナイトニッポンでパーソナリティを務めていた[[デーモン閣下|デーモン小暮閣下]](月曜日担当)から「これはやはり[[ささきいさお]]に歌ってほしかった」と評されたほか、[[石橋貴明]](火曜日担当)からは「やめてくれ〜」と曲演奏を途中でストップされた。 *† スーパーファミコン版 すぎやまこういち 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…([[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]]、SRCL-3563、[[1996年]][[12月12日]]) - [[ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団]]演奏。SFC版で追加された4曲を新たに収録。 *† スーパーファミコン版 すぎやまこういち 「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ… オリジナル・ゲーム・ミュージック(ソニー・ミュージックエンタテインメント、SRCL-3564、[[1997年]][[4月21日]]) - SFC版のゲーム音源集。 *† 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…([[アニプレックス|SPEビジュアルワークス]]、SVWC-7063、[[2000年]][[8月23日]]) - ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団演奏。SRCL-3563 の再リリース版。 *† N響版 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…+オリジナル・ゲームミュージック(SME ビジュアルワークス、SVWC-7071、[[2001年]][[3月7日]]) - アポロンからリリースされた NHK交響楽団演奏版の再収録と、GBC版のゲーム音源。 *† 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…(アニプレックス、SVWC-7247、[[2005年]][[4月20日]]) - [[東京都交響楽団]]演奏。「ローリング・ダイス」が追加された。 * 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…([[キングレコード]]、KICC-6302、[[2009年]][[8月5日]]) - 東京都交響楽団演奏。「ローリング・ダイス」が追加された。 * 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…(キングレコード、KICC-6316、2009年[[10月7日]]) - ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団演奏。SFC版で追加された4曲を新たに収録。 * 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…(キングレコード、KICC-6322、2009年10月7日) - NHK 交響楽団演奏。 === 客演作品 === ; [[大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL]] : 2018年12月7日発売の[[Nintendo Switch]]用[[対戦アクションゲーム]]。2019年7月31日より追加[[ダウンロードコンテンツ|DLC]]キャラクターとして『[[ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて|ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて S]]』の主人公・勇者が登場。基本は『XI』仕様だが、コスチュームチェンジをすることで『III』仕様の勇者が使用でき、ボイスも切り替わる<ref name="fami0730" />。 == 動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン == 2021年3月19日に改定された。機種ごとに[[著作権表示]]が異なる。 *ファミリーコンピュータ版<ref>{{cite news |date= |url=http://www.dragonquest.jp/guideline/dq3/fc/ |title=ファミリーコンピュータ版 「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2021-07-26}}</ref> *スーパーファミコン版<ref>{{cite news |date= |url=http://www.dragonquest.jp/guideline/dq3/sfc/ |title=スーパーファミコン版 「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2021-07-26}}</ref> *ゲームボーイ版<ref>{{cite news |date= |url=http://www.dragonquest.jp/guideline/dq3/gb/ |title=ゲームボーイ版 「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2021-07-26}}</ref> *スマートフォン版<ref>{{cite news |date= |url=http://www.dragonquest.jp/guideline/dq3/sp/|title=スマートフォン版 「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2021-07-26}}</ref> *ニンテンドー3DS版、PlayStation版、Nintendo Switch版<ref>{{cite news |date= |url=http://www.dragonquest.jp/roto/guideline.html|title= 「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2021-07-26}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2|30em}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 関連項目 == * [[ドラゴンクエストIX]] - 職業の一部を除いた服装が、容姿を模した装備品として登場する。ただし、僧侶のみ服と帽子にある[[十字架]]は若干違うマークに変更されている。 * [[ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章]] - 本作終了から『ドラゴンクエスト』までの間の物語とされる漫画作品。『[[月刊少年ガンガン]]』にて連載された。原作:[[川又千秋]]、脚本:小柳順治、画:[[藤原カムイ]] * [[どれだけ食えスト|どれだけ食えスト3 夢のSMAP対決スペシャル!]] - 別名「どれだけ食えスト3 そして伝説へ…」。副題の「伝説」の読み仮名はナレーションで「ゴールデン」となっている。 * [[勇者、或いは化け物と呼ばれた少女]] - [[エンターブレイン]]から刊行された[[七沢またり]]の小説作品。著者が過去に執筆した『ドラゴンクエストIII』の二次創作小説をベースに、オリジナル作品として一から手掛けたものとなっている。 == 外部リンク == * [https://www.jp.square-enix.com/ スクウェア・エニックス] ** [https://www.jp.square-enix.com/game/detail/dq3/ ドラゴンクエストIII そして伝説へ…] ** [http://www.dragonquest.jp/roto/ ドラゴンクエスト“ロト伝説”シリーズ 公式プロモーションサイト]- Switch・PS4・3DS版 ** [https://www.jp.square-enix.com/dqsp/dq3/ ドラゴンクエストIII for スマートフォン 公式プロモーションサイト] * 旧公式サイト([[インターネットアーカイブ]]) ** [https://web.archive.org/web/20011202133007/http://www.enix.co.jp/news/DQ/sfc-dr3/sfc.html SFC DragonQuest3] - エニックスによるSFC版の公式サイト。2001年12月2日時点。 ** [https://web.archive.org/web/20010330083816/http://www.enix.co.jp/product/game/shosai/dq3/home.htm GBC版の公式サイト] - エニックス。2001年4月13日時点 {{DragonQuest}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:とらこんくえすと03}} [[Category:ドラゴンクエストのコンピュータゲーム|03]] [[Category:ロトシリーズ|03]] [[Category:1988年のコンピュータゲーム]] [[Category:ファミリーコンピュータ用ソフト]] [[Category:ファミ通クロスレビュープラチナ殿堂入りソフト]] [[Category:ファミ通クロスレビューシルバー殿堂入りソフト]] [[Category:ゲームボーイ用ソフト]] [[Category:コンピュータRPG]] [[Category:スーパーファミコン用ソフト]] [[Category:世界各地を舞台としたゲーム作品]] [[Category:チュンソフト開発のゲームソフト]] [[Category:携帯電話アプリゲーム]] [[Category:Nintendo Switch用ソフト]] [[Category:PlayStation 4用ソフト]] [[Category:ニンテンドー3DS用ソフト]] [[Category:冒険ゲーム]] [[Category:ミリオンセラーのゲームソフト]]
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ドラゴンクエストシリーズ
ドラゴンクエストシリーズ(Dragon Quest Series)は、1986年5月27日に発売された『ドラゴンクエスト』を第一作とする日本製コンピュータRPGのシリーズ作品。主にゲームデザイナーの堀井雄二を中心として製作され、スクウェア・エニックス(旧・エニックス)が発売している。略称はドラクエ。また、シリーズ内のほぼ全作品のタイトルロゴ等で、英字表記の「DRAGON QUEST」が使われているが、その頭文字を取った「DQ」も略称として用いられる。 「ドラゴンクエスト」というタイトルは、堀井が劇画村塾時代に小池一夫から学んだ「印象的なタイトルを作るには、やさしい言葉と難しい言葉の組み合わせがいい」「タ行を濁音に変える(ダ行にする)と印象が残りやすい」という教えをもとに作られた。 2021年時点で、全シリーズ累計出荷数と配信数は8,300万本を超える。 第一作『ドラゴンクエスト』から『IV』まではファミリーコンピュータ、『V』と『VI』はスーパーファミコンソフトだったが、以降はPlayStation(『VII』)、PlayStation 2(『VIII』)、ニンテンドーDS(『IX』)、Wii(『X』)、PlayStation 4・ニンテンドー3DS(『XI』)、Nintendo Switch(『XIS』)など製作発表時に最もポピュラーなゲーム機用ソフトとして開発・製作されている。 「ナンバリングタイトル」と呼ばれる本編作品のほか、RPG以外のジャンルでのスピンオフ作品や番外編も数多く作られ、その多くもシリーズ化している。 旧作は、その時代ごとの主流の据え置きハードや、携帯ゲーム機用ソフト、携帯電話ゲーム(携帯アプリ)などで度々リメイクや移植がなされている。2014年6月、「最も長く続いている日本のRPG」でギネスブックに掲載された。 モバイルに関してはNTTドコモを主軸にしており、クラウドゲーム版『X』やコラボレーション携帯などで連携を強めている。ドコモがiPhoneを扱うようになった後はiOS (アップル)、Androidの両プラットフォームでリメイク版やアプリゲームをリリースしている。 1989年にNES用ソフトとして北米進出を果たし『IV』まで発売されたものの、『V』『VI』がリリースされず、約10年近くのブランクが開いたのち、2001年にPlayStationで『VII』が発売された。 米国に既に同名のテーブルトークRPG『DragonQuest』 が存在していたため、商標上の問題で『VII』までは『Dragon Warrior』(ドラゴンウォーリア)というタイトルで発売されていた。2003年10月にこの問題は解決され、『VIII』以降の作品(DS版『IV』以降のリメイクを含む)は 『Dragon Quest』のタイトルとなった。 2005年に『VIII』にて、キャラクターボイスに世界中の訛ったアクセントの英語をあてることにより注目され(北米版に『ファイナルファンタジーXII』体験版が同梱) 、翌2006年には本シリーズが発売されたことのなかったヨーロッパ(5ヶ国語に対応)でも『VIII』が発売され、海外だけで累計100万本以上を売り上げた。また、任天堂が海外での販売を担当した第9作『IX』も100万本を突破している。 旧作の日本国外向け作品中では、キャラクター名や十字架など、特定の宗教を連想させる表現などが大幅に変更(ローカライズ)されていたが、近年の作品では日本国外版へのローカライズを前提に、日本国内版開発時から図案のデザインに対する配慮が行なわれている。 2016年には中国でWindows版『勇者斗恶龙X』(拼音:yŏngzhĕdòuèlóng、『DQX』)がリリースされ、中国でドラゴンクエストシリーズがリリースされたのは本作が初となる。中国版限定のアイテムもあり、日本版に逆輸入されている。 機種 基本的には、それぞれが過去作との繋がりはない単独作品となっているが、一部、旧作との関連が示唆されている作品も存在する。 入るたびに構造の変わる『不思議のダンジョン』を舞台にしたローグライクRPG。1993年に『IV』の登場人物・トルネコを主役にした第一作がヒットしたため、シリーズ化された(トルネコ1・3は北米未発売)。2006年には『VIII』の登場人物・ヤンガスを主役にした作品も登場した。トルネコは引き続きアドバイザーとして出演する。 ドラゴンクエストシリーズに登場するモンスターを捕獲し、育成・配合しながら冒険を行うモンスター育成RPG。ナンバリングタイトルのパロディ的な要素を含んでいるタイトルもある。 堀井雄二がゲームデザインを手掛けるボードゲーム『いただきストリート』に、ドラゴンクエストシリーズのキャラクターが客演。 スライムを操作して仲間を助けていくアクションアドベンチャーゲーム。 『VIII』に登場した「モンスター・バトルロード」を舞台にしたトレーディングカードアーケードゲーム。稼働終了直前、カードの意味がなくならないようにWiiに移植された。DSiウェアで専用のスキャナーを使えばカードを転用できる。『バトルスキャナー』『スキャンバトラーズ』はバトルロードの流れを組む作品。今作はチケットを使用する。 リアルタイムのアクション操作によって戦っていくアクションRPG。『IV』のアリーナやクリフト、『VI』のテリー、『VIII』のゼシカなど歴代シリーズの仲間キャラクター達が登場し、個々に切り替えながら操作できる。ドラゴンクエスト30周年の記念作品となる『ヒーローズII』ではオンラインでのマルチプレイにも対応。ゲームシリーズ作品群では、CERO審査チェック異例のB指定(12歳以上対象)に区分された。 ドラゴンクエストのRPG要素に建物や街を作るサンドボックス要素を追加した「ブロックメイクRPG」。主人公はモノづくりの力を持つビルダーである。 基本プレイ無料の対戦型デジタルカードゲーム。異なるプラットフォーム間であってもデータ連携が可能。 漫画作品である『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』を題材にしたゲーム作品。 『剣神』と『ソード』は実際に剣を振る操作を行う体感型ゲーム。『ウォーズ』は戦略シミュレーション。『シアトリズム』は音楽ゲーム。VRは体感型のVRアクティビティで戦士、僧侶、魔法使いでパーティーを組んで冒険する。 製品タイトルと同一の内容のものはそれぞれの項にて記載。 『VIII』とDS版『IV』『V』『VI』では北米版と欧州版のタイトルを併記。ナンバリングの無いものが欧州版のタイトル。『VII』より以前の作品は"Dragon Warrior"、それ以降は"Dragon Quest"名義で発売されている。 ドラゴンクエストシリーズの各作品の発売、および対応ハードウェアの発売年との関連を下図に示した。なおここでの発売年は日本でのものであり、*印はその後日本国外でも発売されたもの。 凡例 開発にあたって旧エニックスはプロデュースのみを行い、実際のソフト製作作業は他メーカーに委託していた。旧エニックスは主に財務上の戦略から自社内に開発要員を持たなかったため、こういった委託は本シリーズに限らず、同社から発売されたタイトルでは一般的な形態であった。 ナンバリングタイトルに関しては『I』から『V』までは中村光一が所属するチュンソフト、『VI』『VII』はチュンソフトの退社組による山名学率いるハートビートが担当。スクウェア・エニックス発足後は自社内に開発要員を抱えることになったが、『VIII』『IX』は『ダーククロニクル』に惚れ込んだ堀井の依頼によりレベルファイブが担当する一方でプランナーは自社要員で賄われた。『X』では初めて自社での開発となっている。これはネットワーク対応ということでインフラ構築などの運営の都合上から内製のほうが好ましいと判断されたためである。ただし、『X』以降も一部業務の外部委託は引き続き行われている。なお、派生タイトルなどは引き続き外部委託が基本であるが、『ビルダーズ』のように企画の経緯から内製となる場合もある。 エニックスのプロデューサー・千田幸信は、1985年に『ドアドア』でファミコン参入後、パソコンで発売されていた堀井雄二のアドベンチャーゲーム作品『ポートピア連続殺人事件』のファミコンへの移植を決め、堀井と、チュンソフトのプログラマ、中村光一に移植作業を依頼する。堀井と中村は、1983年のエニックスの第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストの授賞式で知り合った仲でもあり、製作中に意気投合し、パソコンで流行していたRPGについて熱く語り合う仲になっていった。この際にファミコンでのRPGの製作が可能となる重要なアイディア「ふっかつのじゅもん」の構想が生まれ、RPG製作の前準備としてファミコンユーザーにコマンド入力に慣れてもらうため、同作のPC版は文章入力方式だったが、一転しコマンド入力式に切り替えた。 この移植作業が堀井と中村にとって楽しいものであったことから、二人はこの組み合わせでの仕事をもっとやりたがり、堀井は千田にファミコンでのRPGの製作を提案する。当時のファミコンはシューティングゲーム・アクションゲームが主流でありRPGは皆無だったため、エニックス社内では反対の声もあったが、最終的に千田がゴーサインを出し、ファミコン初の本格的RPGの開発・製作が始まった。 二人が熱中したパソコンのRPG(『ウルティマ』、『ウィザードリィ』)の強い影響下に、少数のスタッフで開発・製作が行われた。基本構造は『ウルティマ』型のフィールドと『ウィザードリィ』型の戦闘システムだが、当時はビジネス用のソフトにしか使われていなかったマルチウインドウを導入することで独自色を打ち出した。 なお、堀井はジャンプのゲーム紹介記事「ファミコン神拳」の連載と並行しながらをドラクエを製作していた。同記事でRPGの面白さを説明しつつ、最終的に自分がRPGを出したことに関して、後に「今でいうとステマ」とも述解している。なお、ファミコン神拳のスタッフは、同誌の読者コーナー『ジャンプ放送局』の主要スタッフ(なおかつ堀井とは友人)が兼任しており、初作のロゴデザインは『ジャンプ放送局』の榎本一夫が手がけた。また、土居孝幸も漫画やイラストなどを描いている。 堀井は仕事仲間でもあり、集英社の「週刊少年ジャンプ」で『ドラゴンボール』を担当していた編集者鳥嶋和彦に相談を持ちかけた際、鳥嶋の提案によりキャラクターデザインとして鳥山明を起用することが決まった。鳥嶋は鳥山が「『ポートピア連続殺人事件』に興味を持っており、ゲームの仕事をやりたがっている」という嘘をついた。鳥山と堀井との対談によれば「ゲームの仕事をやりたがっている」という発言は騙しであり、自身はゲームに関してはてんで無知だったと鳥山は語っている。この決定により『ドラゴンクエスト』は「週刊少年ジャンプ」と蜜月関係となり、同誌上で開発中の『ドラゴンクエスト』の画像を初披露する体制がとられることになった。この体制は、エニックスが1991年に「月刊少年ガンガン」を創刊した以降も変わっていない。 開発は進み、完成に近づいたものの、内部スタッフが作ったBGMが「ずっと聴いていると飽きてしまう」という事態が発生。そこに急遽、ゲーム好きが昂じてエニックスと繋がりができていた作曲家のすぎやまこういちが参加し、「聴き減りのしない音楽」という方針のもと、1週間で楽曲を製作した。なお、千田は鳥山やすぎやまを引き入れた理由について「(アマチュアの空気で作られている現場に)プロを入れたかった」としている。 こうして堀井、中村、鳥山、すぎやまらの手によって『ドラゴンクエスト』は完成し、1986年5月に発売された。当初は売り上げが芳しくなかったが、口コミによりじわじわと売れ始め、最終的に150万本を売り上げるヒット作品となった。そして『I』の完成直後から『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』の製作にとりかかる。 なおファミコン時代は容量との戦いでもあり、容量削減のため、数多くの企画・演出がカットされた。この容量の問題はシリーズが進むにつれメディアの進化により解決するようになったが、それに伴い開発期間が長期間化するようになった。また、作数を重ねるたびにスタッフが増加し製作環境が変わり、それらに伴いプログラマ間での諍いが絶えなくなってしまったことから、中村はプログラマの仲裁や管理をするディレクター作業がメインになり、スーパーファミコンで発売された『V』を最後に「割に合わなくなった」としてチュンソフトごと開発から手を引いた。 ドラゴンクエストシリーズは「プレイヤー自身がゲームの主人公になりきり、ゲーム内の世界の出来事を体験する」ことが一貫して主なコンセプトとなっており、プレイヤーが主人公に感情移入することを妨げないようにするため、主人公はわずかな例外(ギャグシーンや戦闘中にシステム上喋る「特技」など)を除いて言葉を発しない。「はい」「いいえ」の選択を強制される場面が数多くあるが、文脈的におかしい場面でもこの選択肢が出ることが多々ある。 『ソード』や海外版および3DS版『VIII』では主人公以外のキャラクターにボイスが採用されるなどのシリーズの会話テキストは作品を追うごとに増える傾向にあり、『ヒーローズ』では初めて主人公にもボイスが実装された。その一方、『ヒーローズ』に歴代主人公は登場するのかという問いに対して、堀井は「プレイヤー自身でもある主人公達が、新たに声を得て登場するのは違和感がある」と述べている。 『X』などのプレイヤーキャラクターの移り変わりがある作品においては対象キャラが非操作状態時では喋ることがあるが、操作状態となった途端に喋らなくなる。 第1作製作時、初めてRPGに触れるユーザーに対して、ユーザーが参考材料にするであろう海外のRPGはハードルが高すぎるという判断から、堀井自ら『ファミコン神拳』でRPGというゲームの説明をするなど、間口を広げる方針を取った。これはシリーズ全体の方針ともなり、実際に、第1作から『III』までの通称「ロト三部作」は、ファミコンで初めてRPGに触れるユーザーに対して、RPGの面白さ、奥深さを理解してもらえるように、実際にプレイしながらRPGのリテラシーを習得できるように意識して作られている。 ロトシリーズ以降もこの方針は貫かれ、『IV』製作後には今更方針を変えることもないだろうと判断したこと、万人向けに作っているため、難しすぎる謎は全部ボツにしていることを表明している。『X』でオンライン化が決まった際にも「いかに敷居を低くするか」が最初のテーマになっている。 ドラゴンクエストシリーズ全体の世界観を印象付けている。名越稔洋は自著「ゲーム屋人生―名越武芸帖」でおとぎ話を読んでいるような感覚とも表現している。 『DRAGON BALL』のギャグ「ぱふぱふ」をシリーズ全編に渡って使用しているのも特徴で、ファミコン時代、容量不足で困っていた時代にもこれを削らずに通した。ちなみに、無料の「ぱふぱふ」は相手が親父だったり、女装であったりなどのオチが採用されていたりもする。 『V』までのチュンソフト(中村光一)時代、視覚面での演出はほぼチュンソフトに任されていた。ルーラで飛ぶ演出はプログラマ同士のお喋りから生まれたものである。『IV』ではファミコンでは実現不可能と目されていた表現を多数披露。当時(発売前の)スーパーファミコンの売りの一つであった機能をファミコン上でさりげなく行うなどしている。当時中村光一は「技術は表現のための手段」という方針を貫き、技術を前面に出した勘違い作品を作らないように苦心していると語っている。なお、『VII』ではハートビートの山名学(元チュンソフト所属)がロード時間短縮という独自技術を開発した。 漫画家・鳥山明によるキャラクターデザインは、堀井雄二によるラフ絵に基づいて描いた物であるが、堀井のラフ絵と全く異なる場合も少なくなく、特にドラゴンクエストの象徴的モンスターとも言える「スライム」は堀井のラフ絵が一般的なスライムだったのに対し、鳥山はこれを水滴型のものとしてデザインし、これが採用された。 なお、堀井のラフ絵は全てが堀井のアイデアというわけではなく、『II』では宮岡寛が関わっている。また、『V』以降は一部のキャラクターデザイン・モンスターデザインに中鶴勝祥ら他のスタッフが参加している。 鳥山のデザインに関しての内部評価は、「鳥山以外の漫画家を起用していたら、おそらくその漫画家のキャラゲーになっていた」「鳥山のデザインだからこそ、ドラクエの世界観が成り立っている」と評されている。 ドラゴンクエストシリーズは楽曲の美しさ、多彩さでも知られる。すぎやまこういち作曲による音楽は、ゲーム中で何度も聴かざるをえない音楽ゆえに何度聴いても飽きない「聴き減りのしない音楽」を作るというポリシーに基づいて製作されている。また、ファミコン時代の使えるトラックが少ない時代での制作体制を経ていることから、シンプルであることをモットーにしている。なお、テストプレイをして世界観を把握してから楽曲制作に入るのを常としており、ソードは、当初はすぎやまこういちが楽曲を担当する予定だったが、高齢によりテストプレイが出来ない(同作は剣型のコントローラーを振り回してプレイする)ことを理由に担当を辞退している。 ゲーム音楽ということもあり、企画物以外で楽曲をカバーされることは少ないが、1987年に政治家の愛知和男が「この道わが旅」、2000年に高中正義が「おおぞらをとぶ」をカバーしている。 ドラゴンクエストシリーズでは、主人公は「プレイヤーの分身」という位置付けとなっており、名前はゲーム開始時にプレイヤー自身が自分で付けることになる。『III』『IV』『IX』『X』では性別も選択できるほか、『IX』『X』では外見も詳細に設定できるようになった。 主人公とその仲間がパーティ(集団)を組んで、モンスターを倒しながら世界を冒険する。パーティの人数は、第1作は1人、『II』は最大3人、『III』『VII』『VIII』『IX』は最大4人である。『IV』『V』『VI』『XI』では最大で10人または8人のパーティを組むことができるが、戦闘に参加できる上限人数は3人または4人である。『X』は基本は4人までだが、クエストによってはパーティ2つが同盟を組んだり、NPCを加えた5人で戦うことがある。最終的には世界の平和を脅かす敵の親玉(作品によって呼称が異なるが、「魔王」と呼ばれることが多い)と決戦する。 移動画面では、主人公たちを動かし、目的地へと移動する。移動の途中にコマンドウィンドウを開くことにより、人と「はなす」、足元や目の前のものを「しらべる」、「どうぐ」(アイテム)や「じゅもん」(呪文)を使用する、「つよさ」でステータスを見る、「さくせん」で作戦や設定を変更する、などといったことができる。スーパーファミコン以降の作品では「べんりボタン」が導入され、「はなす」「しらべる」がボタンひとつで可能となっている。 マップによっては移動中に敵モンスターとの戦闘が発生することがある。『VIII』までの作品では、一部の例外を除き、移動画面で敵の姿が見えず、移動中に突然画面が切り替わり戦闘が始まるランダムエンカウントシステムである。『モンスターズジョーカー』や『IX』、『X』、『XI』とリメイク版『VII』『VIII』ではマップ上を徘徊するモンスターに接触すると戦闘が始まるシンボルエンカウントシステムを採用している。 主人公たちが移動する空間(マップ)は、世界地図の形をした「フィールドマップ」と、城・町・村・ほこら、ダンジョンとに分けられる。 プレイヤーキャラクターと敵キャラクターとの戦闘は、「ターン」とよばれる区切りの中で、自軍・敵軍の各キャラクターが一回ずつ行動していく(中には複数回連続行動するキャラクターもいる)、いわゆるターン制。第1作は1対1、それ以外の作品では敵側・プレイヤー側とも1体から複数のキャラクターが参加する。 プレイヤーキャラクターの行動は基本的に、コマンド選択により命令を与えることによって決定する。プレイヤー側全員の行動が決定した時点で、1ターンが始まり、そして敵かプレイヤー側のどちらかが全滅するまでターンが繰り返される。敵が倒されるか逃げ出して敵全員がいなくなるとプレイヤー側の勝利となり、倒した敵の分の経験値とゴールドが得られる。逃げた敵の分は手に入らない。さらに『II』以降は確率によって敵の所持アイテムを入手できることもある。プレイヤーキャラクターが全員倒されれば全滅となり、所持金が半分となり、前回セーブした場所に戻されるが、ゲームオーバーとはならず、全滅時点での状態のままプレイを続けることができる。一部のイベントで登場するボスキャラクターにおいては、(通常のプレイを行う限り)必ず全滅し、全滅後もそのままストーリーが進行する場合がある。場合によっては、プレイヤー側のキャラクターがまだ生き残っていても全滅扱いになることもある。敵から逃げることに成功した場合も戦闘終了となるが、この場合は何も得られない。 『IV』以降の作品と携帯アプリ版のリメイク『III』では、主人公を除くキャラクターにあらかじめ「作戦」を与えておくことにより、コンピュータがAI(人工知能)によって各自の行動を自動的に決定する。オリジナル版の『IV』『V』『VI』ではパーティ全体に、『VII』以降および『III』『IV』『V』『VI』のリメイク版ではキャラクターごとに設定する。リアルタイムで適切な行動を取ることなどが強みだが、必ずしも望んだような最適な行動をするとは限らない。 本シリーズの戦闘画面は、『VII』以前では、画面内にプレイヤーキャラクターの姿は映らず、現れた敵キャラクターの姿のみが映し出される。ただし、『VIII』以降では3D化に伴いプレイヤーキャラクターの姿も映し出されるようになった。 『X』では戦闘中に自由な移動が可能であり、敵のブレスや範囲攻撃魔法を離れて回避したり、敵キャラクターを押すこともできる。 敵を倒すことによって得られる経験値(Ex、Experienceの略)が一定値に達することによってキャラクターのレベル(Lv、Levelの略)が1段階上昇し、それと同時にキャラクターのステータス(強さを表す能力値)も上昇する。また、所定のレベルになると呪文や特技を新たに覚える。得られる経験値は基本的に強い敵ほど多く、また、主人公側のレベルの数値が高くなるほどレベルアップに必要な経験値も多くなっていく。 その他、『VI』『VII』では職業熟練度、『VIII』以降(モンスターズも『ジョーカー』以降)ではスキルといった成長システムもある。 キャラクターのステータスには主に以下のようなものがある。これらのステータスはレベルアップ時だけでなく、種や木の実などのアイテムの使用や特定の武器・防具・装飾品などの装備によって上昇させることもできる。これらのステータスはモンスターにも設定されていて、攻撃側のステータスと攻撃を受ける側のステータスの差により、ダメージポイントなどが決定される。 このほか、「かしこさ」のように作品ごとに役割の異なるステータスや、「たいりょく」、「うんのよさ」、「かっこよさ」といった一部の作品にのみ登場するステータスがある。 モンスターの攻撃などによって、主人公たちが以下のような異常な状態に陥る場合がある。逆に敵に対して状態異常を起こさせることも可能。 呪文を唱えることで様々な魔法の力を行使できる。使用の際にはMPを消費し、使用することによって敵へのダメージ、味方の回復、瞬間移動など様々な効果が現れる。攻撃呪文・攻撃補助呪文・補助呪文・回復呪文・移動中専用の呪文などに分類され、『III』以降の作品では系統別に整理されている。 特技とは、炎や吹雪を吐く、踊りを踊る、特殊な剣技や武術などといった、呪文以外の特殊行動のことを指す。特技には、MPを消費するものと、MPを消費せずに使用できるものとがある(作品によっても異なる)。 アイテム(道具)は、イベントで入手する、店でゴールドを払って買う、宝箱や壷・箪笥・足元を調べる、戦闘に勝利したときに敵の落とした宝箱から、などの方法で入手することができる。入手するとパーティのキャラクターの持ち物(または「ふくろ」)にそのアイテムが加わる。 不要になったアイテムは、店で売ってゴールドに変えるか、「すてる」コマンドでその場に捨てるといった方法で手放すことができる。ただし、ストーリー進行にかかわる重要アイテムなど、売ろうとしても店で買い取りを拒否され売ることができず、捨てようとしても捨てられないアイテムもある。また、呪いの武器防具を自由に外せない作品では、呪いの武器防具を装備している場合、それを売ったり捨てたりすることはできない。このほか使わないアイテムを預けるための「預かり所」や「ふくろ」が登場する作品もある。 本シリーズに登場するアイテムは、主に次のように分類される。ゲーム内ではいずれも「どうぐ」として総称される。 シリーズは全般を通して中世ヨーロッパファンタジー風のいわゆる「剣と魔法の世界」をベースとした世界観になっている。 なお、『VI』では『II』・『III』の存在と同名である精霊ルビスが登場しており、「ロト三部作」と「天空三部作」それぞれの世界が繋がりを持つ可能性も示唆されている。さらにリメイク版『III』には、『VI』に登場した王の名を冠する、天空城と同一構造のゼニス城が登場。『VIII』では、『III』の存在と同一であることをほのめかす神鳥レティスがおり、サブゲームの闘技場には『IV』のキャラクターであるライアン、トルネコも登場している。『IX』では、宿屋にスペシャルゲストとして歴代キャラクターが訪れるほか、歴代ボスが宝の地図のダンジョンに登場する。『X』では、魔法の迷宮に過去作のキャラクターやボスの一部が登場。また、『ドラゴンクエストモンスターズ』などの外伝作品では『VI』のキャラクターであるテリーや『VII』のキーファがロトシリーズの世界を訪れる場面がある。 敵キャラクターは、ほとんどがモンスター(作中では主に「魔物」と呼ばれる)であり、これらは魔王の手先である。作品によっては、主人公たちの仲間となったり、現実世界においての普通の動物のような存在(ペットや友人、手下など)として描かれたりする場合もある。同種のモンスターは主に色違いにより外見の差異を表しているが、第1作の時点で上位種のみ武器を持っていたりする。3Dで表現されるようになってからは異なる部位のものも登場している。攻撃時にモンスターが動く作品と動かない作品がある。 ドラゴンクエストシリーズにおいて、メインシリーズ11作品のうち4作品以上に登場している代表的なモンスターについて解説する。同じ名前でも、作品によって攻撃・弱点特性が異なる場合がある。 『III』の公式ガイドブックを皮切りに、公式ガイドブック、ゲームブック、小説、4コママンガ劇場などの書籍を次々と発行。また、キーホルダーやぬいぐるみ、マグカップ、タオルやハンカチなどの小物・雑貨や日用品、鉛筆やサインペンなどの文房具、カードダスやカードゲームなどの子供向け玩具、更には原寸大の宝箱や1/6スケールの剣といったマニアックなグッズも次々と発売された。 1990年代当初は、エニックスが販売していた物に関してはそれぞれ「○○シリーズ」というラベリングがされており、グッズは「ドラゴンクエストワールドグッズ」と呼ばれていた。1990年から1997年にかけては、グッズなどを紹介する「ドラゴンクエスト パーフェクトコレクション」という書籍も年刊で発行されていた。なお、エニックス以外でもドラクエの成り立ち上、『週刊少年ジャンプ』を刊行する集英社が出版に乗り出しており、攻略本のほか、コミカライズなどを手掛けている。 コミカライズされた一部の作品はアニメ化や映画化される程の人気を博し、その他にもドラクエの世界観を活かしたオリジナルストーリーのミュージカル(1992年、SMAP主演)やバレエ(1995年初演、スターダンサーズ・バレエ団)、ロト3部作をベースにしたオリジナルストーリーのアクロバティックショー(2016年、ドラゴンクエスト ライブスペクタクルツアー製作委員会主催)などが上演された。 CB's Project編(『VIIIの〜』まで)、旧エニックス / スクウェア・エニックス刊。戦闘やサブゲーム、モンスター分布、アイテム、町の人や登場人物、台詞などゲーム中のさまざまなものを徹底検証・解析した結果のレポートが書かれている。 スクウェア・エニックス刊。 旧エニックスおよびスクウェア・エニックス刊。 各ゲームソフトのストーリーに基づいた小説作品。第1作から『VII』まで。第1作〜『III』は著:高屋敷英夫、『IV』〜『VI』『精霊ルビス伝説』は著:久美沙織、『VII』は著:土門弘幸。『トルネコの大冒険』も小説化されており、著:とまとあき&塚本裕美子。 ゲームに登場したキャラクターやモンスター、アイテムに関する、ゲーム本編では語られなかったエピソードが綴られている。 映画のストーリーに基づいたノベライズ作品。『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はダッシュエックス文庫版、みらい文庫版共に原作:堀井雄二、脚本:山崎貴、著:宮本深礼。 各ゲームソフトのストーリーに基づいたゲームブック。双葉社発売のものと、旧エニックス発売のものがある。 本シリーズ各作品のゲーム内容を元ネタとした、複数の作家による4コマ漫画アンソロジー。同シリーズからは衛藤ヒロユキ、柴田亜美などが人気作家になっている。一般読者から募集した「4コマクラブ」会員からの投稿作品を集めた番外編も存在し、その中から多数の漫画家を輩出している。『月刊少年ガンガン』で「ガンガン編」も連載、また姉妹版として「1Pコミック劇場」が『月刊少年ギャグ王』で連載され、いずれも単行本化されている。4コママンガ劇場シリーズは1990年から2005年まで発行され続け、総巻数は100冊を超えた。2005年を最後にドラゴンクエストシリーズの4コマは途絶えていたが、2009年に4年ぶりに『IX』の4コマ劇場が発行されたほか、2013年から2014年にかけて『X』の4コマ劇場がヤングガンガンとガンガンONLINEにて連載された。『IV』と『VI』の2タイトル以外は、作品単体での4コマ漫画劇場が発行されている(ただし『I』〜『III』は過去の作品の再録)。 ※かつて下記の一部は、カセットテープ・LP盤・MDでもリリースされていた。 ドラゴンクエストの音楽に歌詞を付けて歌った物。 各ゲームソフトのストーリーに基づいて音声ドラマ化したもの。第1作から『VI』と『トルネコの大冒険』が発売されている。 テレビ東京系 テレビ朝日系 フジテレビ系
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ドラゴンクエストシリーズ(Dragon Quest Series)は、1986年5月27日に発売された『ドラゴンクエスト』を第一作とする日本製コンピュータRPGのシリーズ作品。主にゲームデザイナーの堀井雄二を中心として製作され、スクウェア・エニックス(旧・エニックス)が発売している。略称はドラクエ。また、シリーズ内のほぼ全作品のタイトルロゴ等で、英字表記の「DRAGON QUEST」が使われているが、その頭文字を取った「DQ」も略称として用いられる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "「ドラゴンクエスト」というタイトルは、堀井が劇画村塾時代に小池一夫から学んだ「印象的なタイトルを作るには、やさしい言葉と難しい言葉の組み合わせがいい」「タ行を濁音に変える(ダ行にする)と印象が残りやすい」という教えをもとに作られた。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2021年時点で、全シリーズ累計出荷数と配信数は8,300万本を超える。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "第一作『ドラゴンクエスト』から『IV』まではファミリーコンピュータ、『V』と『VI』はスーパーファミコンソフトだったが、以降はPlayStation(『VII』)、PlayStation 2(『VIII』)、ニンテンドーDS(『IX』)、Wii(『X』)、PlayStation 4・ニンテンドー3DS(『XI』)、Nintendo Switch(『XIS』)など製作発表時に最もポピュラーなゲーム機用ソフトとして開発・製作されている。", "title": "販売" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "「ナンバリングタイトル」と呼ばれる本編作品のほか、RPG以外のジャンルでのスピンオフ作品や番外編も数多く作られ、その多くもシリーズ化している。", "title": "販売" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "旧作は、その時代ごとの主流の据え置きハードや、携帯ゲーム機用ソフト、携帯電話ゲーム(携帯アプリ)などで度々リメイクや移植がなされている。2014年6月、「最も長く続いている日本のRPG」でギネスブックに掲載された。", "title": "販売" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "モバイルに関してはNTTドコモを主軸にしており、クラウドゲーム版『X』やコラボレーション携帯などで連携を強めている。ドコモがiPhoneを扱うようになった後はiOS (アップル)、Androidの両プラットフォームでリメイク版やアプリゲームをリリースしている。", "title": "販売" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1989年にNES用ソフトとして北米進出を果たし『IV』まで発売されたものの、『V』『VI』がリリースされず、約10年近くのブランクが開いたのち、2001年にPlayStationで『VII』が発売された。", "title": "販売" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "米国に既に同名のテーブルトークRPG『DragonQuest』 が存在していたため、商標上の問題で『VII』までは『Dragon Warrior』(ドラゴンウォーリア)というタイトルで発売されていた。2003年10月にこの問題は解決され、『VIII』以降の作品(DS版『IV』以降のリメイクを含む)は 『Dragon Quest』のタイトルとなった。", "title": "販売" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2005年に『VIII』にて、キャラクターボイスに世界中の訛ったアクセントの英語をあてることにより注目され(北米版に『ファイナルファンタジーXII』体験版が同梱) 、翌2006年には本シリーズが発売されたことのなかったヨーロッパ(5ヶ国語に対応)でも『VIII』が発売され、海外だけで累計100万本以上を売り上げた。また、任天堂が海外での販売を担当した第9作『IX』も100万本を突破している。", "title": "販売" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "旧作の日本国外向け作品中では、キャラクター名や十字架など、特定の宗教を連想させる表現などが大幅に変更(ローカライズ)されていたが、近年の作品では日本国外版へのローカライズを前提に、日本国内版開発時から図案のデザインに対する配慮が行なわれている。", "title": "販売" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "2016年には中国でWindows版『勇者斗恶龙X』(拼音:yŏngzhĕdòuèlóng、『DQX』)がリリースされ、中国でドラゴンクエストシリーズがリリースされたのは本作が初となる。中国版限定のアイテムもあり、日本版に逆輸入されている。", "title": "販売" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "機種", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "基本的には、それぞれが過去作との繋がりはない単独作品となっているが、一部、旧作との関連が示唆されている作品も存在する。", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "入るたびに構造の変わる『不思議のダンジョン』を舞台にしたローグライクRPG。1993年に『IV』の登場人物・トルネコを主役にした第一作がヒットしたため、シリーズ化された(トルネコ1・3は北米未発売)。2006年には『VIII』の登場人物・ヤンガスを主役にした作品も登場した。トルネコは引き続きアドバイザーとして出演する。", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ドラゴンクエストシリーズに登場するモンスターを捕獲し、育成・配合しながら冒険を行うモンスター育成RPG。ナンバリングタイトルのパロディ的な要素を含んでいるタイトルもある。", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "堀井雄二がゲームデザインを手掛けるボードゲーム『いただきストリート』に、ドラゴンクエストシリーズのキャラクターが客演。", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "スライムを操作して仲間を助けていくアクションアドベンチャーゲーム。", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "『VIII』に登場した「モンスター・バトルロード」を舞台にしたトレーディングカードアーケードゲーム。稼働終了直前、カードの意味がなくならないようにWiiに移植された。DSiウェアで専用のスキャナーを使えばカードを転用できる。『バトルスキャナー』『スキャンバトラーズ』はバトルロードの流れを組む作品。今作はチケットを使用する。", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "リアルタイムのアクション操作によって戦っていくアクションRPG。『IV』のアリーナやクリフト、『VI』のテリー、『VIII』のゼシカなど歴代シリーズの仲間キャラクター達が登場し、個々に切り替えながら操作できる。ドラゴンクエスト30周年の記念作品となる『ヒーローズII』ではオンラインでのマルチプレイにも対応。ゲームシリーズ作品群では、CERO審査チェック異例のB指定(12歳以上対象)に区分された。", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ドラゴンクエストのRPG要素に建物や街を作るサンドボックス要素を追加した「ブロックメイクRPG」。主人公はモノづくりの力を持つビルダーである。", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "基本プレイ無料の対戦型デジタルカードゲーム。異なるプラットフォーム間であってもデータ連携が可能。", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "漫画作品である『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』を題材にしたゲーム作品。", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "『剣神』と『ソード』は実際に剣を振る操作を行う体感型ゲーム。『ウォーズ』は戦略シミュレーション。『シアトリズム』は音楽ゲーム。VRは体感型のVRアクティビティで戦士、僧侶、魔法使いでパーティーを組んで冒険する。", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "製品タイトルと同一の内容のものはそれぞれの項にて記載。", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "『VIII』とDS版『IV』『V』『VI』では北米版と欧州版のタイトルを併記。ナンバリングの無いものが欧州版のタイトル。『VII』より以前の作品は\"Dragon Warrior\"、それ以降は\"Dragon Quest\"名義で発売されている。", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ドラゴンクエストシリーズの各作品の発売、および対応ハードウェアの発売年との関連を下図に示した。なおここでの発売年は日本でのものであり、*印はその後日本国外でも発売されたもの。", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "凡例", "title": "シリーズ一覧" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "開発にあたって旧エニックスはプロデュースのみを行い、実際のソフト製作作業は他メーカーに委託していた。旧エニックスは主に財務上の戦略から自社内に開発要員を持たなかったため、こういった委託は本シリーズに限らず、同社から発売されたタイトルでは一般的な形態であった。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "ナンバリングタイトルに関しては『I』から『V』までは中村光一が所属するチュンソフト、『VI』『VII』はチュンソフトの退社組による山名学率いるハートビートが担当。スクウェア・エニックス発足後は自社内に開発要員を抱えることになったが、『VIII』『IX』は『ダーククロニクル』に惚れ込んだ堀井の依頼によりレベルファイブが担当する一方でプランナーは自社要員で賄われた。『X』では初めて自社での開発となっている。これはネットワーク対応ということでインフラ構築などの運営の都合上から内製のほうが好ましいと判断されたためである。ただし、『X』以降も一部業務の外部委託は引き続き行われている。なお、派生タイトルなどは引き続き外部委託が基本であるが、『ビルダーズ』のように企画の経緯から内製となる場合もある。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "エニックスのプロデューサー・千田幸信は、1985年に『ドアドア』でファミコン参入後、パソコンで発売されていた堀井雄二のアドベンチャーゲーム作品『ポートピア連続殺人事件』のファミコンへの移植を決め、堀井と、チュンソフトのプログラマ、中村光一に移植作業を依頼する。堀井と中村は、1983年のエニックスの第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストの授賞式で知り合った仲でもあり、製作中に意気投合し、パソコンで流行していたRPGについて熱く語り合う仲になっていった。この際にファミコンでのRPGの製作が可能となる重要なアイディア「ふっかつのじゅもん」の構想が生まれ、RPG製作の前準備としてファミコンユーザーにコマンド入力に慣れてもらうため、同作のPC版は文章入力方式だったが、一転しコマンド入力式に切り替えた。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "この移植作業が堀井と中村にとって楽しいものであったことから、二人はこの組み合わせでの仕事をもっとやりたがり、堀井は千田にファミコンでのRPGの製作を提案する。当時のファミコンはシューティングゲーム・アクションゲームが主流でありRPGは皆無だったため、エニックス社内では反対の声もあったが、最終的に千田がゴーサインを出し、ファミコン初の本格的RPGの開発・製作が始まった。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "二人が熱中したパソコンのRPG(『ウルティマ』、『ウィザードリィ』)の強い影響下に、少数のスタッフで開発・製作が行われた。基本構造は『ウルティマ』型のフィールドと『ウィザードリィ』型の戦闘システムだが、当時はビジネス用のソフトにしか使われていなかったマルチウインドウを導入することで独自色を打ち出した。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "なお、堀井はジャンプのゲーム紹介記事「ファミコン神拳」の連載と並行しながらをドラクエを製作していた。同記事でRPGの面白さを説明しつつ、最終的に自分がRPGを出したことに関して、後に「今でいうとステマ」とも述解している。なお、ファミコン神拳のスタッフは、同誌の読者コーナー『ジャンプ放送局』の主要スタッフ(なおかつ堀井とは友人)が兼任しており、初作のロゴデザインは『ジャンプ放送局』の榎本一夫が手がけた。また、土居孝幸も漫画やイラストなどを描いている。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "堀井は仕事仲間でもあり、集英社の「週刊少年ジャンプ」で『ドラゴンボール』を担当していた編集者鳥嶋和彦に相談を持ちかけた際、鳥嶋の提案によりキャラクターデザインとして鳥山明を起用することが決まった。鳥嶋は鳥山が「『ポートピア連続殺人事件』に興味を持っており、ゲームの仕事をやりたがっている」という嘘をついた。鳥山と堀井との対談によれば「ゲームの仕事をやりたがっている」という発言は騙しであり、自身はゲームに関してはてんで無知だったと鳥山は語っている。この決定により『ドラゴンクエスト』は「週刊少年ジャンプ」と蜜月関係となり、同誌上で開発中の『ドラゴンクエスト』の画像を初披露する体制がとられることになった。この体制は、エニックスが1991年に「月刊少年ガンガン」を創刊した以降も変わっていない。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "開発は進み、完成に近づいたものの、内部スタッフが作ったBGMが「ずっと聴いていると飽きてしまう」という事態が発生。そこに急遽、ゲーム好きが昂じてエニックスと繋がりができていた作曲家のすぎやまこういちが参加し、「聴き減りのしない音楽」という方針のもと、1週間で楽曲を製作した。なお、千田は鳥山やすぎやまを引き入れた理由について「(アマチュアの空気で作られている現場に)プロを入れたかった」としている。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "こうして堀井、中村、鳥山、すぎやまらの手によって『ドラゴンクエスト』は完成し、1986年5月に発売された。当初は売り上げが芳しくなかったが、口コミによりじわじわと売れ始め、最終的に150万本を売り上げるヒット作品となった。そして『I』の完成直後から『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』の製作にとりかかる。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "なおファミコン時代は容量との戦いでもあり、容量削減のため、数多くの企画・演出がカットされた。この容量の問題はシリーズが進むにつれメディアの進化により解決するようになったが、それに伴い開発期間が長期間化するようになった。また、作数を重ねるたびにスタッフが増加し製作環境が変わり、それらに伴いプログラマ間での諍いが絶えなくなってしまったことから、中村はプログラマの仲裁や管理をするディレクター作業がメインになり、スーパーファミコンで発売された『V』を最後に「割に合わなくなった」としてチュンソフトごと開発から手を引いた。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ドラゴンクエストシリーズは「プレイヤー自身がゲームの主人公になりきり、ゲーム内の世界の出来事を体験する」ことが一貫して主なコンセプトとなっており、プレイヤーが主人公に感情移入することを妨げないようにするため、主人公はわずかな例外(ギャグシーンや戦闘中にシステム上喋る「特技」など)を除いて言葉を発しない。「はい」「いいえ」の選択を強制される場面が数多くあるが、文脈的におかしい場面でもこの選択肢が出ることが多々ある。", "title": "シリーズの特徴" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "『ソード』や海外版および3DS版『VIII』では主人公以外のキャラクターにボイスが採用されるなどのシリーズの会話テキストは作品を追うごとに増える傾向にあり、『ヒーローズ』では初めて主人公にもボイスが実装された。その一方、『ヒーローズ』に歴代主人公は登場するのかという問いに対して、堀井は「プレイヤー自身でもある主人公達が、新たに声を得て登場するのは違和感がある」と述べている。", "title": "シリーズの特徴" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "『X』などのプレイヤーキャラクターの移り変わりがある作品においては対象キャラが非操作状態時では喋ることがあるが、操作状態となった途端に喋らなくなる。", "title": "シリーズの特徴" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "第1作製作時、初めてRPGに触れるユーザーに対して、ユーザーが参考材料にするであろう海外のRPGはハードルが高すぎるという判断から、堀井自ら『ファミコン神拳』でRPGというゲームの説明をするなど、間口を広げる方針を取った。これはシリーズ全体の方針ともなり、実際に、第1作から『III』までの通称「ロト三部作」は、ファミコンで初めてRPGに触れるユーザーに対して、RPGの面白さ、奥深さを理解してもらえるように、実際にプレイしながらRPGのリテラシーを習得できるように意識して作られている。", "title": "シリーズの特徴" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ロトシリーズ以降もこの方針は貫かれ、『IV』製作後には今更方針を変えることもないだろうと判断したこと、万人向けに作っているため、難しすぎる謎は全部ボツにしていることを表明している。『X』でオンライン化が決まった際にも「いかに敷居を低くするか」が最初のテーマになっている。", "title": "シリーズの特徴" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ドラゴンクエストシリーズ全体の世界観を印象付けている。名越稔洋は自著「ゲーム屋人生―名越武芸帖」でおとぎ話を読んでいるような感覚とも表現している。", "title": "シリーズの特徴" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "『DRAGON BALL』のギャグ「ぱふぱふ」をシリーズ全編に渡って使用しているのも特徴で、ファミコン時代、容量不足で困っていた時代にもこれを削らずに通した。ちなみに、無料の「ぱふぱふ」は相手が親父だったり、女装であったりなどのオチが採用されていたりもする。", "title": "シリーズの特徴" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "『V』までのチュンソフト(中村光一)時代、視覚面での演出はほぼチュンソフトに任されていた。ルーラで飛ぶ演出はプログラマ同士のお喋りから生まれたものである。『IV』ではファミコンでは実現不可能と目されていた表現を多数披露。当時(発売前の)スーパーファミコンの売りの一つであった機能をファミコン上でさりげなく行うなどしている。当時中村光一は「技術は表現のための手段」という方針を貫き、技術を前面に出した勘違い作品を作らないように苦心していると語っている。なお、『VII』ではハートビートの山名学(元チュンソフト所属)がロード時間短縮という独自技術を開発した。", "title": "シリーズの特徴" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "漫画家・鳥山明によるキャラクターデザインは、堀井雄二によるラフ絵に基づいて描いた物であるが、堀井のラフ絵と全く異なる場合も少なくなく、特にドラゴンクエストの象徴的モンスターとも言える「スライム」は堀井のラフ絵が一般的なスライムだったのに対し、鳥山はこれを水滴型のものとしてデザインし、これが採用された。", "title": "シリーズの特徴" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "なお、堀井のラフ絵は全てが堀井のアイデアというわけではなく、『II』では宮岡寛が関わっている。また、『V』以降は一部のキャラクターデザイン・モンスターデザインに中鶴勝祥ら他のスタッフが参加している。", "title": "シリーズの特徴" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "鳥山のデザインに関しての内部評価は、「鳥山以外の漫画家を起用していたら、おそらくその漫画家のキャラゲーになっていた」「鳥山のデザインだからこそ、ドラクエの世界観が成り立っている」と評されている。", "title": "シリーズの特徴" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ドラゴンクエストシリーズは楽曲の美しさ、多彩さでも知られる。すぎやまこういち作曲による音楽は、ゲーム中で何度も聴かざるをえない音楽ゆえに何度聴いても飽きない「聴き減りのしない音楽」を作るというポリシーに基づいて製作されている。また、ファミコン時代の使えるトラックが少ない時代での制作体制を経ていることから、シンプルであることをモットーにしている。なお、テストプレイをして世界観を把握してから楽曲制作に入るのを常としており、ソードは、当初はすぎやまこういちが楽曲を担当する予定だったが、高齢によりテストプレイが出来ない(同作は剣型のコントローラーを振り回してプレイする)ことを理由に担当を辞退している。", "title": "シリーズの特徴" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "ゲーム音楽ということもあり、企画物以外で楽曲をカバーされることは少ないが、1987年に政治家の愛知和男が「この道わが旅」、2000年に高中正義が「おおぞらをとぶ」をカバーしている。", "title": "シリーズの特徴" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "ドラゴンクエストシリーズでは、主人公は「プレイヤーの分身」という位置付けとなっており、名前はゲーム開始時にプレイヤー自身が自分で付けることになる。『III』『IV』『IX』『X』では性別も選択できるほか、『IX』『X』では外見も詳細に設定できるようになった。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "主人公とその仲間がパーティ(集団)を組んで、モンスターを倒しながら世界を冒険する。パーティの人数は、第1作は1人、『II』は最大3人、『III』『VII』『VIII』『IX』は最大4人である。『IV』『V』『VI』『XI』では最大で10人または8人のパーティを組むことができるが、戦闘に参加できる上限人数は3人または4人である。『X』は基本は4人までだが、クエストによってはパーティ2つが同盟を組んだり、NPCを加えた5人で戦うことがある。最終的には世界の平和を脅かす敵の親玉(作品によって呼称が異なるが、「魔王」と呼ばれることが多い)と決戦する。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "移動画面では、主人公たちを動かし、目的地へと移動する。移動の途中にコマンドウィンドウを開くことにより、人と「はなす」、足元や目の前のものを「しらべる」、「どうぐ」(アイテム)や「じゅもん」(呪文)を使用する、「つよさ」でステータスを見る、「さくせん」で作戦や設定を変更する、などといったことができる。スーパーファミコン以降の作品では「べんりボタン」が導入され、「はなす」「しらべる」がボタンひとつで可能となっている。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "マップによっては移動中に敵モンスターとの戦闘が発生することがある。『VIII』までの作品では、一部の例外を除き、移動画面で敵の姿が見えず、移動中に突然画面が切り替わり戦闘が始まるランダムエンカウントシステムである。『モンスターズジョーカー』や『IX』、『X』、『XI』とリメイク版『VII』『VIII』ではマップ上を徘徊するモンスターに接触すると戦闘が始まるシンボルエンカウントシステムを採用している。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "主人公たちが移動する空間(マップ)は、世界地図の形をした「フィールドマップ」と、城・町・村・ほこら、ダンジョンとに分けられる。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "プレイヤーキャラクターと敵キャラクターとの戦闘は、「ターン」とよばれる区切りの中で、自軍・敵軍の各キャラクターが一回ずつ行動していく(中には複数回連続行動するキャラクターもいる)、いわゆるターン制。第1作は1対1、それ以外の作品では敵側・プレイヤー側とも1体から複数のキャラクターが参加する。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "プレイヤーキャラクターの行動は基本的に、コマンド選択により命令を与えることによって決定する。プレイヤー側全員の行動が決定した時点で、1ターンが始まり、そして敵かプレイヤー側のどちらかが全滅するまでターンが繰り返される。敵が倒されるか逃げ出して敵全員がいなくなるとプレイヤー側の勝利となり、倒した敵の分の経験値とゴールドが得られる。逃げた敵の分は手に入らない。さらに『II』以降は確率によって敵の所持アイテムを入手できることもある。プレイヤーキャラクターが全員倒されれば全滅となり、所持金が半分となり、前回セーブした場所に戻されるが、ゲームオーバーとはならず、全滅時点での状態のままプレイを続けることができる。一部のイベントで登場するボスキャラクターにおいては、(通常のプレイを行う限り)必ず全滅し、全滅後もそのままストーリーが進行する場合がある。場合によっては、プレイヤー側のキャラクターがまだ生き残っていても全滅扱いになることもある。敵から逃げることに成功した場合も戦闘終了となるが、この場合は何も得られない。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "『IV』以降の作品と携帯アプリ版のリメイク『III』では、主人公を除くキャラクターにあらかじめ「作戦」を与えておくことにより、コンピュータがAI(人工知能)によって各自の行動を自動的に決定する。オリジナル版の『IV』『V』『VI』ではパーティ全体に、『VII』以降および『III』『IV』『V』『VI』のリメイク版ではキャラクターごとに設定する。リアルタイムで適切な行動を取ることなどが強みだが、必ずしも望んだような最適な行動をするとは限らない。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "本シリーズの戦闘画面は、『VII』以前では、画面内にプレイヤーキャラクターの姿は映らず、現れた敵キャラクターの姿のみが映し出される。ただし、『VIII』以降では3D化に伴いプレイヤーキャラクターの姿も映し出されるようになった。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "『X』では戦闘中に自由な移動が可能であり、敵のブレスや範囲攻撃魔法を離れて回避したり、敵キャラクターを押すこともできる。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "敵を倒すことによって得られる経験値(Ex、Experienceの略)が一定値に達することによってキャラクターのレベル(Lv、Levelの略)が1段階上昇し、それと同時にキャラクターのステータス(強さを表す能力値)も上昇する。また、所定のレベルになると呪文や特技を新たに覚える。得られる経験値は基本的に強い敵ほど多く、また、主人公側のレベルの数値が高くなるほどレベルアップに必要な経験値も多くなっていく。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "その他、『VI』『VII』では職業熟練度、『VIII』以降(モンスターズも『ジョーカー』以降)ではスキルといった成長システムもある。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "キャラクターのステータスには主に以下のようなものがある。これらのステータスはレベルアップ時だけでなく、種や木の実などのアイテムの使用や特定の武器・防具・装飾品などの装備によって上昇させることもできる。これらのステータスはモンスターにも設定されていて、攻撃側のステータスと攻撃を受ける側のステータスの差により、ダメージポイントなどが決定される。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "このほか、「かしこさ」のように作品ごとに役割の異なるステータスや、「たいりょく」、「うんのよさ」、「かっこよさ」といった一部の作品にのみ登場するステータスがある。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "モンスターの攻撃などによって、主人公たちが以下のような異常な状態に陥る場合がある。逆に敵に対して状態異常を起こさせることも可能。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "呪文を唱えることで様々な魔法の力を行使できる。使用の際にはMPを消費し、使用することによって敵へのダメージ、味方の回復、瞬間移動など様々な効果が現れる。攻撃呪文・攻撃補助呪文・補助呪文・回復呪文・移動中専用の呪文などに分類され、『III』以降の作品では系統別に整理されている。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "特技とは、炎や吹雪を吐く、踊りを踊る、特殊な剣技や武術などといった、呪文以外の特殊行動のことを指す。特技には、MPを消費するものと、MPを消費せずに使用できるものとがある(作品によっても異なる)。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "アイテム(道具)は、イベントで入手する、店でゴールドを払って買う、宝箱や壷・箪笥・足元を調べる、戦闘に勝利したときに敵の落とした宝箱から、などの方法で入手することができる。入手するとパーティのキャラクターの持ち物(または「ふくろ」)にそのアイテムが加わる。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "不要になったアイテムは、店で売ってゴールドに変えるか、「すてる」コマンドでその場に捨てるといった方法で手放すことができる。ただし、ストーリー進行にかかわる重要アイテムなど、売ろうとしても店で買い取りを拒否され売ることができず、捨てようとしても捨てられないアイテムもある。また、呪いの武器防具を自由に外せない作品では、呪いの武器防具を装備している場合、それを売ったり捨てたりすることはできない。このほか使わないアイテムを預けるための「預かり所」や「ふくろ」が登場する作品もある。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "本シリーズに登場するアイテムは、主に次のように分類される。ゲーム内ではいずれも「どうぐ」として総称される。", "title": "ゲームシステム" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "シリーズは全般を通して中世ヨーロッパファンタジー風のいわゆる「剣と魔法の世界」をベースとした世界観になっている。", "title": "世界設定" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "なお、『VI』では『II』・『III』の存在と同名である精霊ルビスが登場しており、「ロト三部作」と「天空三部作」それぞれの世界が繋がりを持つ可能性も示唆されている。さらにリメイク版『III』には、『VI』に登場した王の名を冠する、天空城と同一構造のゼニス城が登場。『VIII』では、『III』の存在と同一であることをほのめかす神鳥レティスがおり、サブゲームの闘技場には『IV』のキャラクターであるライアン、トルネコも登場している。『IX』では、宿屋にスペシャルゲストとして歴代キャラクターが訪れるほか、歴代ボスが宝の地図のダンジョンに登場する。『X』では、魔法の迷宮に過去作のキャラクターやボスの一部が登場。また、『ドラゴンクエストモンスターズ』などの外伝作品では『VI』のキャラクターであるテリーや『VII』のキーファがロトシリーズの世界を訪れる場面がある。", "title": "世界設定" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "敵キャラクターは、ほとんどがモンスター(作中では主に「魔物」と呼ばれる)であり、これらは魔王の手先である。作品によっては、主人公たちの仲間となったり、現実世界においての普通の動物のような存在(ペットや友人、手下など)として描かれたりする場合もある。同種のモンスターは主に色違いにより外見の差異を表しているが、第1作の時点で上位種のみ武器を持っていたりする。3Dで表現されるようになってからは異なる部位のものも登場している。攻撃時にモンスターが動く作品と動かない作品がある。", "title": "世界設定" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "ドラゴンクエストシリーズにおいて、メインシリーズ11作品のうち4作品以上に登場している代表的なモンスターについて解説する。同じ名前でも、作品によって攻撃・弱点特性が異なる場合がある。", "title": "世界設定" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "『III』の公式ガイドブックを皮切りに、公式ガイドブック、ゲームブック、小説、4コママンガ劇場などの書籍を次々と発行。また、キーホルダーやぬいぐるみ、マグカップ、タオルやハンカチなどの小物・雑貨や日用品、鉛筆やサインペンなどの文房具、カードダスやカードゲームなどの子供向け玩具、更には原寸大の宝箱や1/6スケールの剣といったマニアックなグッズも次々と発売された。", "title": "メディアミックス" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "1990年代当初は、エニックスが販売していた物に関してはそれぞれ「○○シリーズ」というラベリングがされており、グッズは「ドラゴンクエストワールドグッズ」と呼ばれていた。1990年から1997年にかけては、グッズなどを紹介する「ドラゴンクエスト パーフェクトコレクション」という書籍も年刊で発行されていた。なお、エニックス以外でもドラクエの成り立ち上、『週刊少年ジャンプ』を刊行する集英社が出版に乗り出しており、攻略本のほか、コミカライズなどを手掛けている。", "title": "メディアミックス" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "コミカライズされた一部の作品はアニメ化や映画化される程の人気を博し、その他にもドラクエの世界観を活かしたオリジナルストーリーのミュージカル(1992年、SMAP主演)やバレエ(1995年初演、スターダンサーズ・バレエ団)、ロト3部作をベースにしたオリジナルストーリーのアクロバティックショー(2016年、ドラゴンクエスト ライブスペクタクルツアー製作委員会主催)などが上演された。", "title": "メディアミックス" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "CB's Project編(『VIIIの〜』まで)、旧エニックス / スクウェア・エニックス刊。戦闘やサブゲーム、モンスター分布、アイテム、町の人や登場人物、台詞などゲーム中のさまざまなものを徹底検証・解析した結果のレポートが書かれている。", "title": "メディアミックス" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "スクウェア・エニックス刊。", "title": "メディアミックス" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "旧エニックスおよびスクウェア・エニックス刊。", "title": "メディアミックス" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "各ゲームソフトのストーリーに基づいた小説作品。第1作から『VII』まで。第1作〜『III』は著:高屋敷英夫、『IV』〜『VI』『精霊ルビス伝説』は著:久美沙織、『VII』は著:土門弘幸。『トルネコの大冒険』も小説化されており、著:とまとあき&塚本裕美子。", "title": "メディアミックス" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "ゲームに登場したキャラクターやモンスター、アイテムに関する、ゲーム本編では語られなかったエピソードが綴られている。", "title": "メディアミックス" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "映画のストーリーに基づいたノベライズ作品。『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はダッシュエックス文庫版、みらい文庫版共に原作:堀井雄二、脚本:山崎貴、著:宮本深礼。", "title": "メディアミックス" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "各ゲームソフトのストーリーに基づいたゲームブック。双葉社発売のものと、旧エニックス発売のものがある。", "title": "メディアミックス" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "本シリーズ各作品のゲーム内容を元ネタとした、複数の作家による4コマ漫画アンソロジー。同シリーズからは衛藤ヒロユキ、柴田亜美などが人気作家になっている。一般読者から募集した「4コマクラブ」会員からの投稿作品を集めた番外編も存在し、その中から多数の漫画家を輩出している。『月刊少年ガンガン』で「ガンガン編」も連載、また姉妹版として「1Pコミック劇場」が『月刊少年ギャグ王』で連載され、いずれも単行本化されている。4コママンガ劇場シリーズは1990年から2005年まで発行され続け、総巻数は100冊を超えた。2005年を最後にドラゴンクエストシリーズの4コマは途絶えていたが、2009年に4年ぶりに『IX』の4コマ劇場が発行されたほか、2013年から2014年にかけて『X』の4コマ劇場がヤングガンガンとガンガンONLINEにて連載された。『IV』と『VI』の2タイトル以外は、作品単体での4コマ漫画劇場が発行されている(ただし『I』〜『III』は過去の作品の再録)。", "title": "メディアミックス" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "※かつて下記の一部は、カセットテープ・LP盤・MDでもリリースされていた。", "title": "メディアミックス" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "ドラゴンクエストの音楽に歌詞を付けて歌った物。", "title": "メディアミックス" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "各ゲームソフトのストーリーに基づいて音声ドラマ化したもの。第1作から『VI』と『トルネコの大冒険』が発売されている。", "title": "メディアミックス" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "テレビ東京系", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "テレビ朝日系", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "フジテレビ系", "title": "その他" } ]
ドラゴンクエストシリーズは、1986年5月27日に発売された『ドラゴンクエスト』を第一作とする日本製コンピュータRPGのシリーズ作品。主にゲームデザイナーの堀井雄二を中心として製作され、スクウェア・エニックス(旧・エニックス)が発売している。略称はドラクエ。また、シリーズ内のほぼ全作品のタイトルロゴ等で、英字表記の「DRAGON QUEST」が使われているが、その頭文字を取った「DQ」も略称として用いられる。 「ドラゴンクエスト」というタイトルは、堀井が劇画村塾時代に小池一夫から学んだ「印象的なタイトルを作るには、やさしい言葉と難しい言葉の組み合わせがいい」「タ行を濁音に変える(ダ行にする)と印象が残りやすい」という教えをもとに作られた。 2021年時点で、全シリーズ累計出荷数と配信数は8,300万本を超える。
{{redirect|ドラクエ|その他|ドラゴンクエスト (曖昧さ回避)}} {{出典の明記|date=2022年7月}} {{コンピュータゲームシリーズ | タイトル = ドラゴンクエスト | 画像 = | 画像説明 = | 開発元 = [[チュンソフト]]<br />[[ハートビート (ゲーム会社)|ハートビート]]<br />[[アルテピアッツァ]]<br />[[トーセ]]<br />[[レベルファイブ]] | 発売元 = [[スクウェア・エニックス]]<br />(旧・[[エニックス]]) | ジャンル = [[コンピューターRPG|RPG]] | 製作者 = [[堀井雄二]]<br />[[鳥山明]]<br />[[すぎやまこういち]]<br />[[千田幸信]]<br />[[中村光一]] | 1作目 = [[ドラゴンクエスト]] | 1作目発売日 = [[1986年]][[5月27日]] | 最新作 = [[ドラゴンクエストX#ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オフライン|ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オフライン]] | 最新作発売日 = [[2022年]][[9月15日]] | 公式サイトURL = http://www.dragonquest.jp/ | 公式サイトタイトル = ドラクエ・パラダイス | スピンオフ作品 = [[不思議のダンジョン|不思議のダンジョンシリーズ]]<br />[[ドラゴンクエストモンスターズ]]<br />[[スライムもりもりドラゴンクエスト]]<br />[[ドラゴンクエストヒーローズ 闇竜と世界樹の城|ドラゴンクエストヒーローシリーズ]]<br />[[ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ|ドラゴンクエストビルダーズシリーズ]] }} '''ドラゴンクエストシリーズ'''(Dragon Quest Series)は、[[1986年]][[5月27日]]に発売された『[[ドラゴンクエスト]]』を第一作とする[[日本]]製[[コンピュータRPG]]の[[シリーズ (作品)|シリーズ作品]]。主に[[ゲームデザイナー]]の[[堀井雄二]]を中心として製作され、[[スクウェア・エニックス]](旧・[[エニックス]])が発売している。略称は'''ドラクエ'''。また、シリーズ内のほぼ全作品のタイトルロゴ等で、英字表記の「'''DRAGON QUEST'''」が使われているが、その頭文字を取った「'''DQ'''」も略称として用いられる。 「ドラゴンクエスト」というタイトルは、堀井が[[劇画村塾]]時代に[[小池一夫]]から学んだ「印象的なタイトルを作るには、やさしい言葉と難しい言葉の組み合わせがいい」「タ行を濁音に変える(ダ行にする)と印象が残りやすい」という教えをもとに作られた<ref>『[[小池一夫]]のキャラクター原論 キャラクターはこう活かす!』([[小池書院]]出版)P94</ref><ref>“[https://www.4gamer.net/games/072/G007233/20091107003/ 堀井雄二氏が“師匠”小池一夫氏とドラクエ,キャラ作り,そしてゲーム業界について大いに語る。堀井氏はまさかの「ポートピア殺人事件2」を企画中!?]” 4Gamer.net 2009年11月7日</ref>。 2021年時点で、全シリーズ累計出荷数と配信数は8,300万本を超える<ref>https://www.famitsu.com/news/202110/14237269.html</ref>。 == 販売 == 第一作『[[ドラゴンクエスト]]』から『[[ドラゴンクエストIV 導かれし者たち|IV]]』までは[[ファミリーコンピュータ]]、『[[ドラゴンクエストV 天空の花嫁|V]]』と『[[ドラゴンクエストVI 幻の大地|VI]]』は[[スーパーファミコン]]ソフトだったが、以降は[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]](『[[ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち|VII]]』)、[[PlayStation 2]](『[[ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君|VIII]]』)、[[ニンテンドーDS]](『[[ドラゴンクエストIX 星空の守り人|IX]]』)、[[Wii]](『[[ドラゴンクエストX|X]]』)、[[PlayStation 4]]・[[ニンテンドー3DS]](『[[ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて|XI]]』)、[[Nintendo Switch]](『XIS』)など製作発表時に最もポピュラーな[[ゲーム機]]用ソフトとして開発・製作されている。 「ナンバリングタイトル」と呼ばれる本編作品のほか、[[コンピュータRPG|RPG]]以外のジャンルでの[[スピンオフ]]作品や番外編も数多く作られ、その多くもシリーズ化している。 旧作は、その時代ごとの主流の[[テレビゲーム|据え置きハード]]や、[[携帯型ゲーム|携帯ゲーム機]]用ソフト、[[携帯電話ゲーム]]([[携帯アプリ]])などで度々[[リメイク]]や移植がなされている。2014年6月、「最も長く続いている日本のRPG」で[[ギネス世界記録|ギネスブック]]に掲載された<ref>[http://cyclestyle.net/article/2014/06/22/10828.html ドラゴンクエストが「最も長く続いている日本のRPG」としてギネス世界記録に]</ref><ref group="注">日本で独自に進化したRPGは、欧米においてはRPGの中でも特徴的なジャンルの1つであり、「日本のRPG (Japanese RPG) 」という表現には「日本式RPG (JRPG=Japanese RPG) 」のようなニュアンスが含まれる。詳細は[[コンピュータRPG#その他]]を参照。</ref>。 モバイルに関しては[[NTTドコモ]]を主軸にしており、[[クラウドゲーム]]版『X』やコラボレーション携帯などで連携を強めている<ref>{{Cite web|和書|date=2013-12-12|url=http://www.famitsu.com/news/201312/12044760.html|title=『ドラゴンクエスト』シリーズのスマホ戦略とは? プロジェクトのキーマンに直撃インタビュー|work=[[ファミ通]]||publisher=[[エンターブレイン]]|accessdate=2013-12-12}}</ref>。ドコモが[[iPhone]]を扱うようになった後は[[iOS|iOS (アップル)]]、[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]の両プラットフォームでリメイク版やアプリゲームをリリースしている。 === 日本国外への進出 === {{特殊文字|説明=[[中国語]]の[[簡体字]]特有の漢字、[[ピンイン]]の発音表記}} [[1989年]]に[[Nintendo Entertainment System|NES]]用ソフトとして[[北米]]進出を果たし『IV』まで発売されたものの、『V』『VI』がリリースされず、約10年近くのブランクが開いたのち、2001年にPlayStationで『VII』が発売された。 [[アメリカ合衆国|米国]]に既に同名の[[テーブルトークRPG]]『[[ドラゴンクエスト (テーブルトークRPG)|DragonQuest]]』 が存在していたため、[[商標]]上の問題で『VII』までは『'''Dragon Warrior'''』(ドラゴンウォーリア)というタイトルで発売されていた。[[2003年]]10月にこの問題は解決され、『VIII』以降の作品(DS版『IV』以降のリメイクを含む)は 『Dragon Quest』のタイトルとなった。 2005年に『[[ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君|VIII]]』にて、キャラクターボイスに世界中の[[訛り|訛った]][[アクセント]]の[[英語]]をあてることにより注目され(北米版に『[[ファイナルファンタジーXII]]』体験版が同梱<ref>https://www.famitsu.com/game/news/1167952_1124.html</ref>) 、翌2006年には本シリーズが発売されたことのなかったヨーロッパ(5ヶ国語に対応)でも『VIII』が発売され、海外だけで累計100万本以上を売り上げた。また、[[任天堂]]が海外での販売を担当した第9作『[[ドラゴンクエストIX 星空の守り人|IX]]』も100万本を突破している<ref>{{Cite web|和書|date=2011-04-26|url=https://www.nintendo.co.jp/ir/pdf/2011/110426.pdf|title=任天堂株式会社2011年3月期決算説明会(2011年4月26日開催)参考資料|publisher=任天堂|language=日本語|accessdate=2011-09-23}}</ref>。 旧作の日本国外向け作品中では、キャラクター名や[[十字架]]など、特定の[[宗教]]を連想させる表現などが大幅に変更(ローカライズ)されていたが、近年の作品では日本国外版への[[翻案|ローカライズ]]を前提に、日本国内版開発時から図案のデザインに対する配慮が行なわれている<ref>[https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1806/16/news002_3.html ドラクエやモンハンの世界をどう訳す? 「教会の十字架の形まで変える」ゲーム翻訳の奥深き世界 (3/4) - ねとらぼ]</ref>。 [[2016年]]には[[中国]]で[[Windows]]版『'''勇者斗恶龙X'''』([[拼音]]:yŏngzhĕdòuèlóng、『DQX』)がリリースされ、中国でドラゴンクエストシリーズがリリースされたのは本作が初となる。中国版限定のアイテムもあり、日本版に逆輸入されている。 == シリーズ一覧 == <div style="font-size:smaller"> '''機種''' *FC=[[ファミリーコンピュータ]]、SFC=[[スーパーファミコン]]、GC=[[ニンテンドーゲームキューブ]]、Wii=[[Wii]]、Wii U=[[Wii U]]、Switch=[[Nintendo Switch]]、PS=[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]、PS2=[[PlayStation 2]]、PS3=[[PlayStation 3]]、PS4=[[PlayStation 4]]、PS5=[[PlayStation 5]]、Xbox One=[[Xbox One]]、GB=[[ゲームボーイ]]、GBA=[[ゲームボーイアドバンス]]、DS=[[ニンテンドーDS]]、3DS=[[ニンテンドー3DS]]、PSP=[[PlayStation Portable]]、Vita=[[PlayStation Vita]]、MSX=[[MSX]]、MSX2=[[MSX2]]、PC=[[パーソナルコンピュータ]]、Windows=[[Microsoft Windows]]、Steam=[[Steam]]、iOS=[[iOS]]、Android=[[Android_(オペレーティングシステム)|Android]]、AC=[[アーケードゲーム]] </div> === ナンバリングタイトル(本編作品) === <!--各ゲームについての説明はここではできる限り簡潔に。評価などはここに書かないという方針で。--> {{Timeline of release years | 1986 = [[ドラゴンクエスト]] | 1987 = [[ドラゴンクエストII 悪霊の神々]] | 1988 = [[ドラゴンクエストIII そして伝説へ…]] | 1990 = [[ドラゴンクエストIV 導かれし者たち]] | 1992 = [[ドラゴンクエストV 天空の花嫁]] | 1995 = [[ドラゴンクエストVI 幻の大地]] | 2000 = [[ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち]] | 2004 = [[ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君]] | 2009 = [[ドラゴンクエストIX 星空の守り人]] | 2012 = [[ドラゴンクエストX オンライン]] | 2017 = [[ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて]] }} ==== 【ロトシリーズ(ロト三部作)】 ==== {{see|[[ロトシリーズ]]}} * '''[[ドラゴンクエスト]]''' *: ドラゴンクエスト第一作目。終始1人で冒険を進める。 ** 『ドラゴンクエスト』(FC:1986年5月27日) ** 『ドラゴンクエスト』(MSX2:1986年11月21日、[[ソニー]]から発売) ** 『ドラゴンクエスト』([[MSX]]:1986年12月18日) ** 『ドラゴンクエスト』(iアプリ:2004年3月1日、[[BREW|EZアプリ]]:2004年8月19日、[[S!アプリ]]:2006年7月) ** 『ドラゴンクエストI』(iOS・Android:2013年11月28日) **: 『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』内から購入可能。 ** 『ドラゴンクエスト』(PS4・3DS:2017年8月10日、Switch:2019年9月27日) **: ダウンロード版限定タイトル。スマートフォン版の移植。期間限定で『XI』クリア特典としてPS4・3DSストアからダウンロードすることが可能であった(現在終了)<ref>{{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20171031144112/http://www.dragonquest.jp/roto/ |date=2017年10月31日| title=ドラゴンクエスト“ロト伝説”シリーズ 公式プロモーションサイト - SQUARE ENIX}}</ref>。 * '''[[ドラゴンクエストII 悪霊の神々]]''' *: 前作の主人公の子孫たちの物語。パーティ制(複数人での行動)や乗り物が初登場。塔が登場。 ** 『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(FC:1987年1月26日) ** 『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(MSX:1988年2月6日) ** 『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(MSX2:1988年5月27日) ** 『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(iアプリ:2005年6月24日、EZアプリ:2006年1月19日、S!アプリ:2006年12月) ** 『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(iOS・Android:2014年6月26日) **: 『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』内から購入可能。 ** 『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(PS4・3DS:2017年8月10日、Switch:2019年9月27日) **: ダウンロード版限定タイトル。スマートフォン版の移植。 * '''[[ドラゴンクエストIII そして伝説へ…]]''' *: ロト伝説の謎が明らかになる。キャラクターメイキングや転職のシステム、昼夜の概念を導入。 ** 『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(FC:1988年2月10日) ** 『スーパーファミコン ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(SFC:1996年12月6日) ** 『ゲームボーイ ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(GBC:2000年12月8日) ** 『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(iアプリ:2009年11月19日、EZアプリ:2010年4月22日) ** 『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(iOS・Android:2014年9月25日) **: 『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』内から購入可能。 ** 『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(PS4・3DS:2017年8月24日、Switch:2019年9月27日) **: ダウンロード版限定タイトル。スマートフォン版の移植。 * '''複数収録''' ** 『[[ドラゴンクエストI・II#スーパーファミコン版|ドラゴンクエストI・II]]』(SFC:1993年12月18日) **: FC版1・2をSFC向けにリメイク。北米FC版に存在したオープニングシーンが追加。他、様々な仕様変更が行われた。 ** 『[[ドラゴンクエストI・II#ゲームボーイ版|ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II]]』(GB:1999年9月23日) **: SFC版1・2をGB向けにリメイク。どこでもセーブが行える中断の書機能が追加された。 ** 『[[ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III]]』(Wii:2011年9月15日) **: FC版の1・2・3、SFC版の1&2・3がセットになって移植。 ==== 【 天空シリーズ(天空三部作)】 ==== {{see|[[天空シリーズ]]}} * '''[[ドラゴンクエストIV 導かれし者たち]]''' *: 全5章のオムニバス形式。馬車による多人数パーティ、[[人工知能|AI]]による自動戦闘を導入。 ** 『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(FC:1990年2月11日) ** 『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(GBC:開発中止) ** 『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(PS:2001年11月22日) ** 『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(DS:2007年11月22日) ** 『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(iOS・Android:2014年4月17日) * '''[[ドラゴンクエストV 天空の花嫁]]''' *: 3世代に渡る長期経過シナリオ。一部モンスターを仲間化し、育成すること<ref group="注">『IV』でも二匹のモンスターが仲間になることがあったが、能力値は固定で、あくまでも一時参加のゲストキャラクター([[ノンプレイヤーキャラクター|NPC]])に過ぎなかった。</ref>が可能になった。隠しダンジョンや隠しボスが初登場。 ** 『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(SFC:1992年9月27日) ** 『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(PS2:2004年3月25日) ** 『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(DS:2008年7月17日) ** 『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(iOS・Android:2014年12月12日) * '''[[ドラゴンクエストVI 幻の大地]]''' *: 2つの世界を行き来しながら冒険を進める。『III』とは異なる転職システムが登場。天空シリーズ全般に登場する、天空城の始まりが明らかになる。 ** 『ドラゴンクエストVI 幻の大地』(SFC:1995年12月9日) ** 『ドラゴンクエストVI 幻の大地』(DS:2010年1月28日) ** 『ドラゴンクエストVI 幻の大地』(iOS・Android:2015年6月11日) ==== 【 VII、VIII、IX 】 ==== 基本的には、それぞれが過去作との繋がりはない単独作品となっているが、一部、旧作との関連が示唆されている作品も存在する<ref group="注">『VIII』では、『III』の不死鳥ラーミアと同一存在とされる神鳥レティス(時空を超え、異世界間を旅する能力を持つ)が登場。『X』では、前作『IX』に登場したキャラクターや地名を想起させる固有名詞が登場し、同一世界とおぼしきことが示唆されている。</ref>。 * '''[[ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち]]''' *: 欠片化した不思議な石版を集めて、そこに封じられた未知の世界の数々を冒険する。町やダンジョンなどの表現に[[ポリゴン]]を初採用。 ** 『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』(PS:2000年8月26日) ** 『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』(3DS:2013年2月7日) ** 『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』(iOS・Android:2015年9月17日) * '''[[ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君]]''' *: キャラクターからフィールド背景に至るまで、全てが[[ポリゴン]]による完全3D表現。スキル選択による成長、テンション上昇による強化戦闘、アイテム錬金などを導入。 ** 『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』(PS2:2004年11月27日) ** 『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』(iOS・Android:2013年12月12日) ** 『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』(3DS:2015年8月27日) * '''[[ドラゴンクエストIX 星空の守り人]]''' *: ナンバリング初の携帯ゲーム機専用作品。『III』のキャラクターメイキングがリニューアルされ再登場。ワイヤレス通信によるマルチプレイが可能で、[[すれちがい通信]]を利用した本編以上のやり込み要素も用意されている。 ** 『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』(DS:2009年7月11日) ==== 【 X 】 ==== * '''ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族''' *: ドラゴンクエストシリーズ初の[[MMORPG]]であり、スクウェア・エニックス内製作品。 ** '''[[ドラゴンクエストX|ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン]]''' **: 「Ver.1」と呼ばれる基本パッケージ。オーガ、ウェディ、エルフ、ドワーフ、プクリポの治めるアストルティア五大陸を冒険する。 *** 『ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン』(Wii:2012年8月2日、Wii U:2013年3月30日、Windows:2013年9月26日) *** 『ドラゴンクエストX dゲーム版』([[dマーケット|dゲーム]]{{efn2|Android機種のみ対応。}}:2013年12月16日) *** 『ドラゴンクエストX オンライン』(3DS:2014年9月4日) *** 『ドラゴンクエストX オンライン』(ブラウザ:2020年2月25日) ** '''ドラゴンクエストX 眠れる勇者と導きの盟友 オンライン''' **: 「Ver.2」と呼ばれる拡張ディスク。人間の住む大陸レンダーシアが追加。 *** 『ドラゴンクエストX 眠れる勇者と導きの盟友 オンライン』 (Wii・Wii U・Windows:2013年12月5日) ** '''ドラゴンクエストX いにしえの竜の伝承 オンライン''' **: 「Ver.3」と呼ばれる拡張ディスク。竜族の大陸ナドラガンドが追加。 *** 『ドラゴンクエストX いにしえの竜の伝承 オンライン』(Wii・Wii U・Windows:2015年4月30日) ** '''ドラゴンクエストX 5000年の旅路 遥かなる故郷へ オンライン''' **: 「Ver.4」に相当する拡張ディスク。5000年の時空を超えた過去の世界が追加。 *** 『ドラゴンクエストX 5000年の旅路 遥かなる故郷へ オンライン』(Wii U・Windows・PS4・Switch:2017年11月16日) ** '''ドラゴンクエストX いばらの巫女と滅びの神 オンライン ''' **: 「Ver.5」に相当する拡張ディスク。魔族の住む魔界が追加。 *** 『ドラゴンクエストX いばらの巫女と滅びの神 オンライン』(Wii U・Windows・PS4・Switch:2019年10月24日) ** '''ドラゴンクエストX 天星の英雄たち オンライン''' **: 「Ver.6」に相当する拡張ディスク。天使の住む浮遊都市・天星郷フォーリオンが追加。 *** 『ドラゴンクエストX 天星の英雄たち オンライン』(Wii U・Windows・PS4・Switch:2021年11月11日) ** '''ドラゴンクエストX 未来への扉とまどろみの少女 オンライン''' **: 「Ver.7」に相当する拡張ディスク。 *** 『ドラゴンクエストX 未来への扉とまどろみの少女 オンライン』(Windows・PS4・Switch:2024年発売予定) ** '''ドラゴンクエストX オールインワンパッケージ''' **: 複数Ver.が収録されているパッケージ。 ***『ドラゴンクエストX オールインワンパッケージ』(Wii・Wii U・Windows:2014年8月7日) ***: 「Ver.1」「Ver.2」が収録。 *** 『ドラゴンクエストX オールインワンパッケージ』<ref group="注">PS4版とSwitch版は2018年7月25日より『ドラゴンクエストX ベーシックパック』として販売されている。</ref>(Wii U・Windows:2015年12月3日、PS4:2017年8月17日、Switch:2017年9月21日) ***: 「Ver.1」「Ver.2」「Ver.3」が収録。 *** 『ドラゴンクエストX オールインワンパッケージ version1-version4』(Wii U・Windows・PS4・Switch:2018年7月26日) ***: 「Ver.1」「Ver.2」「Ver.3」「Ver.4」が収録。 *** 『ドラゴンクエストX オールインワンパッケージ version1-5』(Windows・PS4・Switch:2020年5月14日) ***:「Ver.1」「Ver.2」「Ver.3」「Ver.4」「Ver.5」が収録。 *** 『ドラゴンクエストX オールインワンパッケージ version1-6』(Windows・PS4・Switch:2022年10月20日) ***: 「Ver.1」「Ver.2」「Ver.3」「Ver.4」「Ver.5」「Ver.6」が収録。 ** '''[[ドラゴンクエストX|ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オフライン]]''' **: インターネット接続なしのスタンドアローン型で、キャラクターをデフォルメにするなど内容を調整したバージョン。 *** 『ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オフライン』(PS4・PS5・Switch・Steam:2022年9月15日) ***: オンライン版の「Ver.1」に相当するパッケージ。 *** 『ドラゴンクエストX 眠れる勇者と導きの盟友 オフライン』(PS4・PS5・Switch・Steam:2023年5月26日) ***: オンライン版の「Ver.2」に相当する拡張DLC。 ==== 【 XI 】 ==== * '''[[ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて]]''' *: リアル頭身での精緻な3D[[ポリゴン]]表現であるPS4版と、ディフォルメされた3Dポリゴン表現と[[ドット絵]]による2D表現の2モードを切り替え可能な3DS版が同時発売された。「ふっかつのじゅもん」によりおおよその進行を保存し、別機種で遊ぶことも可能。 ** 『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』(PS4・3DS:2017年7月29日) ** 『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて S』(Switch:2019年9月27日、PS4・Xbox One・Windows・Steam:2020年12月4日) **: 新ストーリー・キャラクターボイスの追加や音楽のオーケストラ化、3DS版の3D・2D切り替え機能実装などが行われた。 ==== 【 XII 】 ==== * '''[[ドラゴンクエストXII 選ばれし運命の炎]]''' === 派生作品 === ==== 『トルネコの大冒険』シリーズ ==== 入るたびに構造の変わる『[[不思議のダンジョン]]』を舞台にした[[ローグライクゲーム|ローグライクRPG]]。1993年に『IV』の登場人物・トルネコを主役にした第一作がヒットしたため、シリーズ化された(トルネコ1・3は北米未発売)。2006年には『VIII』の登場人物・ヤンガスを主役にした作品も登場した。トルネコは引き続きアドバイザーとして出演する。 *'''本編''' ** '''[[トルネコの大冒険 不思議のダンジョン|トルネコの大冒険]]''' **: トルネコの大冒険シリーズとしても『[[不思議のダンジョン]]』シリーズとしても第1作目。 *** 『[[トルネコの大冒険 不思議のダンジョン]]』(SFC:1993年9月19日、発売元は[[チュンソフト]]) ** '''[[ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険2 不思議のダンジョン|トルネコの大冒険2]]''' **: 壺や合成、お店システム等が『[[風来のシレン|風来のシレンシリーズ]]』から逆輸入された。独自要素として転職システムがある。 *** 『[[ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険2 不思議のダンジョン]]』(PS:1999年9月15日) *** 『ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険2アドバンス 不思議のダンジョン』(GBA:2001年12月20日) ***: GBA移植版。携帯ゲーム機向けにグラフィック・音楽が一新された。相違点は[[ドラゴンクエストキャラクターズ_トルネコの大冒険2_不思議のダンジョン#アドバンス版変更点|こちら]]。 ** '''[[ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険3 不思議のダンジョン|トルネコの大冒険3]]''' **: シリーズ初の3Dグラフィックとなった(PS2版のみ)。レベル継続システムやフィールドマップが導入されシナリオのボリュームが充実している。また、独自システムでトルネコの代わりにポポロを使いモンスターを仲間にすることができるようになった。 *** 『[[ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険3 不思議のダンジョン]]』(PS2:2002年10月31日) *** 『ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険3アドバンス 不思議のダンジョン』(GBA:2004年6月24日) ***: GBA移植版。携帯ゲーム機向けにグラフィック・音楽が一新された。 * '''番外編''' ** '''[[ドラゴンクエスト 少年ヤンガスと不思議のダンジョン|少年ヤンガスと不思議のダンジョン]]''' ***『[[ドラゴンクエスト 少年ヤンガスと不思議のダンジョン]]』(PS2:2006年4月20日) ***:主人公は「トルネコ」から「少年ヤンガス」に変更された。 ==== 『モンスターズ』シリーズ ==== {{Main|ドラゴンクエストモンスターズ}} [[ドラゴンクエストのモンスター一覧|ドラゴンクエストシリーズに登場するモンスター]]を捕獲し、育成・配合しながら冒険を行うモンスター育成[[ロールプレイングゲーム|RPG]]。ナンバリングタイトルのパロディ的な要素を含んでいるタイトルもある{{efn2|関連キャラが主人公であることや名シーンを彷彿とさせる描写、BGMが流れるなど。}}。 <!-- 詳しい記述は『ドラゴンクエストモンスターズ』ページでお願いします --> * '''本編''' ** '''[[ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド]]''' *** 『[[ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド]]』(GB:1998年9月25日) *** 『[[ドラゴンクエストモンスターズ_テリーのワンダーランド#3DS版|ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド3D]]』(3DS:2012年5月30日) *** 『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランドSP』(iOS・Android:2018年11月7日) *** 『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド RETRO』(Switch・iOS・Android:2019年9月17日) ** '''[[ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵]]''' *** 『ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵 ルカの旅立ち』(GB:2001年3月9日) *** 『ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵 イルの冒険』(GB:2001年4月12日) *** 『[[ドラゴンクエストモンスターズ2_マルタのふしぎな鍵#ニンテンドー3DS版|ドラゴンクエストモンスターズ2 イルとルカの不思議なふしぎな鍵]]』(3DS:2014年2月6日) *** 『ドラゴンクエストモンスターズ2 イルとルカの不思議な鍵SP』(iOS・Android:2020年8月6日) ** '''[[ドラゴンクエストモンスターズ3 魔族の王子とエルフの旅]]''' *** 『ドラゴンクエストモンスターズ3 魔族の王子とエルフの旅』(Switch:2023年12月1日発売) ** '''複数収録''' *** 『[[ドラゴンクエストモンスターズ1・2 星降りの勇者と牧場の仲間たち]]』(PS:2002年5月30日) * '''ジョーカーシリーズ''' ** '''[[ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー]]''' *** 『[[ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー]]』(DS:2006年12月28日) ** '''[[ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー2]]''' *** 『[[ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー2]]』(DS:2010年4月28日) *** 『ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー2 プロフェッショナル』(DS:2011年3月31日) ** '''[[ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー3]]''' *** 『[[ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー3]]』(3DS:2016年3月24日) *** 『ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー3 プロフェショナル』(3DS:2017年2月9日) * '''その他''' ** 『[[ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート]]』(GBA:2003年3月29日) ==== 『いただきストリート』シリーズ ==== [[堀井雄二]]がゲームデザインを手掛けるボードゲーム『[[いただきストリート]]』に、ドラゴンクエストシリーズのキャラクターが客演。 * '''[[ファイナルファンタジーシリーズ]]とのコラボ''' ** 『[[ドラゴンクエスト&ファイナルファンタジー in いただきストリートSpecial]]』(PS2:2004年12月22日) ** 『[[ドラゴンクエスト&ファイナルファンタジー in いただきストリートポータブル]]』(PSP:2006年5月25日) ** 『[[いただきストリート ドラゴンクエスト&ファイナルファンタジー 30th ANNIVERSARY]]』(PS4・Vita:2017年10月19日) * '''[[マリオシリーズ]]とのコラボ''' ** 『[[いただきストリートDS]]』(DS:2007年6月21日) ** 『[[いただきストリートWii]]』(Wii:2011年12月1日) ==== 『スライムもりもり』シリーズ ==== {{See|スライムもりもりドラゴンクエスト}} スライムを操作して仲間を助けていく[[アクションアドベンチャーゲーム]]。 * 『スライムもりもりドラゴンクエスト 衝撃のしっぽ団』(GBA:2003年11月14日) * 『スライムもりもりドラゴンクエスト2 大戦車としっぽ団』(DS:2005年12月1日) * 『スライムもりもりドラゴンクエスト3 大海賊としっぽ団』(3DS:2011年11月2日) ==== 『バトルロード』シリーズ ==== 『VIII』に登場した「モンスター・バトルロード」を舞台にした[[トレーディングカードアーケードゲーム]]。稼働終了直前、カードの意味がなくならないようにWiiに移植された。[[DSiウェア]]で専用のスキャナーを使えばカードを転用できる。『バトルスキャナー』『スキャンバトラーズ』はバトルロードの流れを組む作品。今作はチケットを使用する。 * 『[[ドラゴンクエスト モンスターバトルロード]]』(AC:2007年6月21日) * 『[[ドラゴンクエスト モンスターバトルロード|ドラゴンクエスト モンスターバトルロードII]]』(AC:2008年12月3日) * 『[[ドラゴンクエスト モンスターバトルロード|ドラゴンクエスト モンスターバトルロードIIレジェンド]]』(AC:2010年1月15日-2010年8月31日) * 『[[ドラゴンクエスト モンスターバトルロードビクトリー]]』(Wii:2010年7月15日) * 『[[ドラゴンクエスト モンスターバトルスキャナー]]』(AC:2016年6月23日) * 『[[ドラゴンクエスト モンスターバトルスキャナー|戦え! ドラゴンクエスト スキャンバトラーズ]]』(AC:2017年7月20日 - 2020年9月30日<ref>{{Cite web|和書|url=http://blog.jp.square-enix.com/dqsb/2020/09/0917.html|title=サービス終了に伴う公式サイトの更新作業について|accessdate=2020-9-20}}</ref>) ==== 『ヒーローズ』シリーズ ==== リアルタイムのアクション操作によって戦っていく[[アクションロールプレイングゲーム|アクションRPG]]。『IV』のアリーナやクリフト、『VI』のテリー、『VIII』のゼシカなど歴代シリーズの仲間キャラクター達が登場し、個々に切り替えながら操作できる。ドラゴンクエスト30周年の記念作品となる『ヒーローズII』ではオンラインでのマルチプレイにも対応。ゲームシリーズ作品群では、[[コンピュータエンターテインメントレーティング機構|CERO]]審査チェック異例の[[CEROレーティング12才以上対象ソフトの一覧|B指定(12歳以上対象)]]に区分された。 * 『[[ドラゴンクエストヒーローズ 闇竜と世界樹の城]]』(PS3・PS4・Windows:2015年2月26日) * 『[[ドラゴンクエストヒーローズII 双子の王と予言の終わり]]』(PS3・PS4・Vita:2016年5月27日) ** 『ドラゴンクエストヒーローズI・II for Nintendo Switch』(Switch:2017年3月3日) ==== 『ビルダーズ』シリーズ ==== ドラゴンクエストのRPG要素に建物や街を作るサンドボックス要素を追加した「ブロックメイクRPG」。主人公はモノづくりの力を持つビルダーである。 * '''[[ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ]]''' ** 『[[ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ]]』(PS3・PS4・Vita:2016年1月28日) ** 『[[ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ]]』(Switch:2018年3月1日) **: フリービルドモードでベビーパンサーに乗れる、『I』のドットを再現したブロックが手に入るといった追加要素が加わった<ref name="famitsu20171216">{{Cite web|和書|url=https://www.famitsu.com/news/201712/16148315.html|title=『ドラゴンクエストビルダーズ』Nintendo Switch版の発売日が2018年3月1日に決定! 体験版の配信も決定|work=ファミ通.com|date=2017-12-16|accessdate=2017-12-16}}</ref>。 * '''[[ドラゴンクエストビルダーズ2 破壊神シドーとからっぽの島]]''' ** 『[[ドラゴンクエストビルダーズ2 破壊神シドーとからっぽの島]]』(PS4・Switch:2018年12月20日) ** 『[[ドラゴンクエストビルダーズ2 破壊神シドーとからっぽの島]]』(Steam:2019年12月11日) **: 追加DLCが同梱され、一部のデザイン{{efn2|墓や棺桶、宿屋のカベかけなど。}}が北米版と同じになった。 ==== 『ライバルズ』シリーズ ==== 基本プレイ無料の対戦型デジタルカードゲーム。異なるプラットフォーム間であってもデータ連携が可能。 * '''[[ドラゴンクエスト ライバルズ]]''' ** 『[[ドラゴンクエスト ライバルズ]]』(iOS・Android:2017年11月2日、Switch:2019年2月14日、[[Yahoo!ゲーム]]:2018年2月22日<ref>{{Cite web|和書|title=『ドラゴンクエストライバルズ』Yahoo!ゲーム版は2月22日より配信! ゲームの魅力&オトクなキャンペーンを改めてチェック【PR】|url=https://www.famitsu.com/news/201802/20151717.html|accessdate=2020-09-20}}</ref> - 2020年6月22日<ref>{{Cite web|和書|title=Yahoo!ゲームプレイヤー版サービス終了のお知らせ|url=https://cache.sqex-bridge.jp/guest/information/64405|accessdate=2020-09-20}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=ヤフーゲームプレイヤー終了のお知らせ|url=https://games.yahoo.co.jp/close/gameplayer/|accessdate=2020-09-20}}</ref>、[[Steam]]:2020年6月22日<ref>{{Cite web|和書|title=Steam版「ドラゴンクエストライバルズ」の配信が本日スタート。スマホやSwitch版とのデータ共有が可能|url=https://www.4gamer.net/games/407/G040742/20200622039/|accessdate=2020-09-20}}</ref>) * '''[[ドラゴンクエスト ライバルズ|ドラゴンクエストライバルズ エース]]''' *: リニューアル版。ソロバトルアドベンチャーが追加された。 ** 『[[ドラゴンクエスト ライバルズ|ドラゴンクエストライバルズ エース]] 』(iOS・Android・Switch・Steam:2020年8月13日-2021年7月5日) ==== 『ダイの大冒険』シリーズ ==== 漫画作品である『[[DRAGON QUEST -ダイの大冒険-|ドラゴンクエスト ダイの大冒険]]』を題材にしたゲーム作品。 * 『ドラゴンクエスト ダイの大冒険 クロスブレイド』(AC:2020年10月22日) * 『インフィニティ ストラッシュ ドラゴンクエスト ダイの大冒険』(PS4・PS5・Switch・Steam・Xbox Series X/S・Windows:2023年9月28日) ==== その他の派生作品 ==== 『剣神』と『ソード』は実際に剣を振る操作を行う体感型ゲーム。『ウォーズ』は[[ウォー・シミュレーションゲーム|戦略シミュレーション]]。『シアトリズム』は[[音楽ゲーム]]。VRは体感型のVRアクティビティで戦士、僧侶、魔法使いでパーティーを組んで冒険する。 * 『[[ドラゴンクエストI・II#BSドラゴンクエストI|BSドラゴンクエストI]]』(SFC[[サテラビュー]]専用ゲーム:1996年2月4日 - 3月3日) * 『[[剣神ドラゴンクエスト 甦りし伝説の剣]]』(オリジナル製品:2003年9月19日) * 『[[ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔]]』(Wii:2007年7月12日) * 『[[ドラゴンクエスト ウォーズ]]』([[ニンテンドーDSiウェア|DSiウェア]]:2009年6月24日) * 『[[ドラゴンクエストX|ドラゴンクエストX おでかけモシャスdeバトル]]』(DSiウェア:2012年12月12日) * 『[[シアトリズム ドラゴンクエスト]]』(3DS:2015年3月26日) * 『[[ドラゴンクエストVR]]』(VRアクティビティ:2018年4月27日) * 『[[ドラゴンクエスト トレジャーズ 蒼き瞳と大空の羅針盤]]』(Switch:2022年12月9日、Steam:2023年7月15日) === 携帯アプリ === 製品タイトルと同一の内容のものはそれぞれの項にて記載。 ==== フィーチャーフォン ==== * '''ドラゴンクエストカジノDX''' ** 『カジノデラックス』([[iアプリ]]:2001年5月21日<ref name="purohu">{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20010427/enix.htm |title=カジノデラックス |accessdate=2016-7-22}}</ref>) ** 『ドラゴンクエストカジノDX』([[Yahoo!ケータイ|J-スカイ]]:2001年9月12日) * '''モンスターズ''' ** 『ドラゴンクエストモンスターズi/S/EZ』(iアプリ:2002年1月28日、S!アプリ:2002年6月12日、EZアプリ:2003年3月6日) ** 『ドラゴンクエストモンスターズMOBILE』(iアプリ:2006年5月22日、EZアプリ:2007年4月19日、S!アプリ:2007年10月1日) ** 『ドラゴンクエストモンスターズWANTED!』(iアプリ:2010年11月24日、EZアプリ:2011年7月28日) * '''不思議のダンジョン''' ** 『ドラゴンクエスト 不思議のダンジョン MOBILE』(iアプリ:2006年8月7日、EZアプリ:2007年4月5日、S!アプリ:2008年5月14日) ** 『ドラゴンクエスト もっと不思議のダンジョン MOBILE』(iアプリ:2009年9月14日、EZアプリ:2010年4月15日) * '''その他''' ** 『グランカジノ』([[iモード]]:2000年5月1日) ** 『カードのほこら』(iモード:2000年5月1日) ** 『スライムダービー』(iアプリ:2001年7月16日) ** 『ドラゴンクエスト・カジノガルド』([[EZweb]]:2002年7月11日) ** 『ドラゴンクエスト モンスターフレンズ』(iアプリ:2002年8月19日<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20020819/enix.htm |title=ドラゴンクエスト モンスターフレンズ |accessdate=2016-7-22}}</ref>) ** 『ドラゴンクエスト★バトルレース』([[Yahoo!ケータイ|ボーダフォンライブ]]:2003年10月15日) ** 『ドラゴンクエスト バトルロードMOBILE』(iアプリ:2008年3月11日) ** 『[[ドラゴンクエスト&ファイナルファンタジー in いただきストリート MOBILE]]』(iアプリ・EZアプリ:2011年2月3日) ==== スマートフォン ==== * '''アイテム課金制(基本プレイ料金無料)''' ** 『ドラゴンクエストモンスターズWANTED!』([[Android (オペレーティングシステム)|Android]]:2011年12月1日、[[iOS]]:2014年2月20日) **: フィーチャーフォン版と同一の内容。2017年4月26日にサービスを終了した<ref>{{Cite web|和書|url=http://an.sqexm.net/sp/site/Page/sqmk/wanted/top|title=ドラゴンクエストモンスターズ WANTED!:SQUARE ENIX MARKET|accessdate=2020-11-10}}</ref>。 ** 『LINE スライムコゼニト〜ル』([[LINE (アプリケーション)|LINEアプリ]]:2013年5月28日) **: 現在サービス終了。 ** 『[[ドラゴンクエストモンスターズ スーパーライト]]』(iOS・Android:2014年1月23日) ** 『[[ドラゴンクエスト モンスターパレード|ドラゴンクエスト どこでもモンスターパレード]]』(iOS・Android:2015年6月25日 - 2020年7月31日) ** 『[[星のドラゴンクエスト]]』(iOS・Android:2015年10月15日<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.4gamer.net/games/310/G031065/20151008103/ | title = スマホ向けドラクエ新作「星のドラゴンクエスト」の配信日が10月15日に決定。公式サイトではマルチプレイの紹介ムービーが公開中 | publisher = Aetas, Inc. | website = 4gamer.net | author = Chihiro | date = 2015-10-08 | accessdate = 2015-10-09 }}</ref>) ** 『[[ドラゴンクエストウォーク]]』(iOS・Android:2019年9月12日) ** 『[[DQタクト|ドラゴンクエストタクト]]』(iOS・ Android:2020年7月16日<ref>{{Cite web|和書|title=正式サービス開始のお知らせ {{!}} ドラゴンクエストタクト {{!}} SQUARE ENIX BRIDGE|url=http://cache.sqex-bridge.jp/guest/information/67650|website=cache.sqex-bridge.jp|accessdate=2020-07-21}}</ref>) ** 『ドラクエベビー&キッズ~スライムとあそぼう~』(iOS・Android:2021年11月30日) ** 『[[ドラゴンクエストけしケシ!]]』(iOS・Android:2021年12月1日) ** 『[[ドラゴンクエスト チャンピオンズ]]』(iOS・Android:2023年6月13日) ** 『ドラゴンクエスト ダイの大冒険 -魂の絆-』(iOS・Android:2021年9月18日 - 2023年4月27日) * '''その他''' ** 『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』(iOS・Android:2013年11月28日) **: アプリ内でナンバリングタイトル『I』・『II』・『III』がダウンロード可能。 ** 『ドラゴンクエスト いつでも冒険ダイス』([[SH-01F|SH-01F DRAGON QUEST]]にプリインストール:2013年12月7日) === ブラウザゲーム === * 『スライムのおへや』(2012年5月9日 - 2013年7月1日) * 『[[ドラゴンクエスト モンスターパレード]]』(2013年9月2日 - 2019年6月24日) === 電子ゲーム === *'''あるくんですシリーズ''' {{See|ドラゴンクエスト あるくんです}} : [[万歩計]]機能を搭載した、[[たまごっち]]風[[電子ゲーム]]。スライムが成長していく。 :* 『ドラゴンクエスト あるくんです』(オリジナル製品:1998年3月1日) :* 『ドラゴンクエスト あるくんです2 そして、しあわせに…』(オリジナル製品:1999年4月1日) :* 『ドラゴンクエスト あるくんです リターンズ』(オリジナル製品:2011年4月1日) === 日本国外でのタイトル === 『VIII』とDS版『IV』『V』『VI』では北米版と欧州版のタイトルを併記。ナンバリングの無いものが欧州版のタイトル。『VII』より以前の作品は"Dragon Warrior"、それ以降は"Dragon Quest"名義で発売されている。 * '''ナンバリング''' ** 『Dragon Warrior 』([[Nintendo Entertainment System|NES]]:[[1989年]][[7月]]) ** 『Dragon Warrior II 』(NES:[[1990年]][[10月]]) ** 『Dragon Warrior III 』(NES:[[1992年]][[2月]]) ** 『Dragon Warrior IV 』(NES:[[1992年]][[10月]]) ** 『Dragon Warrior VII 』(PS:[[2001年]][[11月1日]]) ** 『Dragon Quest VIII: Journey of the Cursed King / Dragon Quest: The Journey of the Cursed King 』(PS2:北米[[2005年]][[11月15日]]、[[欧州]][[2006年]][[4月13日]]) ** 『Dragon Quest IX: Sentinels of the Starry Skies』(DS:北米[[2010年]][[7月11日]]、欧州[[2010年]][[7月23日]]) ** 『勇者鬥惡龍X Dragon Quest X Online』(Windows:中国[[2016年]][[8月24日]]) ** 『勇者鬥惡龍XI 尋覓逝去的時光』(PS4:台湾・香港[[2017年]][[11月11日]]) ** 『Dragon Quest XI: Echoes of an Elusive Age』(PS4・Steam:北米・欧州[[2018年]][[9月4日]]) * '''ナンバリング(リメイク)''' ** 『Dragon Warrior I & II 』(GB:[[2000年]][[9月]]) ** 『Dragon Warrior III 』(GBC:[[2001年]][[7月17日]]) ** 『Dragon Quest IV: Chapters of the Chosen / Dragon Quest: The Chapters of the Chosen 』(DS:北米[[2008年]][[9月16日]]、欧州[[2008年]][[9月12日]]、[[オーストラリア]][[2008年]][[9月11日]]) ** 『Dragon Quest V: Hand of the Heavenly Bride / Dragon Quest: The Hand of the Heavenly Bride』(DS:北米[[2009年]][[2月17日]]、欧州[[2009年]][[2月20日]]) ** 『Dragon Quest VI: Realms of Revelation / Dragon Quest: Realms of Reverie』(DS:北米[[2011年]][[2月14日]]、欧州[[2011年]][[5月20日]]) * '''モンスターズ''' ** 『Dragon Warrior Monsters 』(GB:[[2000年]][[1月]]) ** 『Dragon Warrior Monsters 2: Tara's Adventure/Cobi's Journey 』(GB:[[2001年]][[9月28日]]) ** 『Dragon Quest Monsters: Joker 』(DS:[[2007年]][[11月6日]]) ** 『Dragon Quest Monsters: Joker 2 』(DS:北米[[2011年]][[9月19日]]、欧州[[2011年]][[10月7日]]) * '''その他の作品''' ** 『Taloon's Great Adventure: Mystery Dungeon』(SFC:開発中止) **: 『トルネコの大冒険』の北米版 ** 『Torneko: The Last Hope 』(PS:[[2000年]][[11月16日]]) **: 『トルネコの大冒険2』の北米版 ** 『Dragon Quest Heroes: Rocket Slime 』(DS:[[2006年]][[9月12日]]) **: 『スライムもりもり2』の北米版 ** 『Dragon Quest Swords: The Masked Queen and the Tower of Mirrors 』(Wii:北米[[2008年]][[2月19日]]、オーストラリア・欧州[[2008年]][[5月8日]]) ** 『Dragon Quest Heroes: The World Tree's Woe and the Blight Below』(PS4:北米2015年10月13日、オーストラリア・欧州2015年10月16日) ** 『Dragon Quest Builders』(PS4・Vita:北米2016年10月11日) ** 『Dragon Quest Heroes II』(PS4:北米:2017年4月25日) === 発売年表 === ドラゴンクエストシリーズの各作品の発売、および対応ハードウェアの発売年との関連を下図に示した。なおここでの発売年は日本でのものであり、*印はその後日本国外でも発売されたもの。 {|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center;" |- !rowspan="2"|年 !colspan="2"|ナンバリングタイトル !colspan="3"|外伝作品 !rowspan="2"|関連<br />ハード |- !新作 !移植・リメイク !不思議のダンジョン !モンスターズ !その他 |- !1983 |&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||FC |- !1986 |'''DQ (FC)'''*||DQ (MSX)||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp; |- !1987 |'''DQII (FC)'''*||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp; |- !1988 |'''DQIII (FC)'''*||DQII (MSX)||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp; |- !1989 |&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||GB |- !1990 |'''DQIV (FC)'''*||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||SFC |- !1991 |&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp; |- !1992 |'''DQV (SFC)'''||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp; |- !1993 |&nbsp;||DQI・II (SFC)||トルネコ (SFC)||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp; |- !1994 |&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||PS |- !1995 |'''DQVI (SFC)'''||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp; |- !1996 |&nbsp;||DQIII (SFC)||&nbsp;||&nbsp;||BSDQI (SFC)||&nbsp; |- !1997 |&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp; |- !1998 |&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||DQM (GB)*||あるくんです||GBC |- !1999 |&nbsp;||DQI・II (GB)*||トルネコ2 (PS)*||&nbsp;||あるくんです2||&nbsp; |- !2000 |'''DQVII (PS)'''*||DQIII (GBC)*||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||PS2 |- !2001 |&nbsp;||DQIV (PS)||トルネコ2A (GBA)||DQM2 (GB)*||&nbsp;||GBA |- !2002 |&nbsp;||&nbsp;||トルネコ3 (PS2)||DQM (FP)<br />DQM1・2 (PS)||&nbsp;||&nbsp; |- !2003 |&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||DQMC (GBA)||剣神DQ (体験)<br />スラもり (GBA)||&nbsp; |- !2004 |'''DQVIII (PS2)'''*||DQ (FP)<br />DQV (PS2)||トルネコ3A (GBA)||&nbsp;||いたストSp (PS2)||DS<br />PSP |- !2005 |&nbsp;||DQII (FP)||&nbsp;||&nbsp;||スラもり2 (DS)*||&nbsp; |- !2006 |&nbsp;||&nbsp;||ヤンガス (PS2)<br />Mobile (FP)||DQMmb (FP)<br />DQMJ (DS)*||いたストP (PSP)||Wii<br />PS3 |- !2007 |&nbsp;||DQIV (DS)*||&nbsp;||&nbsp;||DQMB (AC)<br />いたストDS (DS)<br />DQS (Wii)*||&nbsp; |- !2008 |&nbsp;||DQV (DS)*||&nbsp;||&nbsp;||DQMBII (AC)||&nbsp; |- !2009 |'''DQIX (DS)'''*||DQIII (FP)||もっとmb (FP)||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp; |- !2010 |&nbsp;||DQVI (DS)*||&nbsp;||DQMJ2 (DS)*<br />DQMW! (FP)||DQMBIIL (AC)<br />DQMBV (Wii)||&nbsp; |- !2011 |&nbsp;||DQI・II・III (Wii)||&nbsp;||DQMJ2P (DS)<br />DQMW! (SP)||いたストmb (FP)<br />いたストWii (Wii)*<br />スラもり3 (3DS)*<br />あるくんですR||3DS<br />PS Vita |- !2012 |'''DQX (Wii)'''||&nbsp;||&nbsp;||テリワン3D (3DS)||&nbsp;||Wii U |- !2013 |&nbsp;||DQVII (3DS)<br />DQX (Wii U)<br />DQX (Win)<br />DQ (SP)<br />DQVIII (SP)||&nbsp;||&nbsp;||モンパレ (BR)||XBOne |- !2014 |&nbsp;||DQIV (SP)<br />DQII (SP)<br />DQX (3DS)<br />DQIII (SP)<br />DQV (SP)||&nbsp;||DQMSL (SP)<br />DQM2 (3DS)||&nbsp;||PS4 |- !2015 |&nbsp;||DQVI (SP)<br />DQVIII (3DS)<br />DQVII (SP)||&nbsp;||&nbsp;||ヒーローズ (PS3,PS4)*<br />シアトリズム (3DS)<br />星のドラクエ(SP)|| |- !2016 |&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||DQMJ3 (3DS)||ビルダーズ (PS3,PS4,PS Vita)<br />ヒーローズII (PS3,PS4,PS Vita)<br />DQMBS (AC)<br />竜王迷宮からの脱出 (体験)|| |- !2017 |'''DQXI (PS4,3DS)'''*||DQI (PS4,3DS)<br /> DQII(PS4,3DS)<br />DQIII (PS4,3DS)<br />DQX (PS4)<br />DQX (Switch)||&nbsp;||DQMJ3P (3DS)||ヒーローズI・II (Switch)<br />いたスト30th (PS4,PS Vita)<br />ライバルズ (SP)||Switch |- !2018 |&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;||テリワンSP (SP)||ビルダーズ (Switch)<br />VR (AC)<br />大魔王ゾーマからの脱出 (体験)<br />ビルダーズ2 (PS4,Switch)|| |- !2019 |&nbsp;||DQXIS (Switch)<br />DQI (Switch)<br />DQII (Switch)<br />DQIII (Switch)||&nbsp;||テリワンRETRO (Switch)||[[大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL|スマブラSP]]・DLC第2弾 (Switch)<br />ライバルズ (Switch)<br />[[ドラゴンクエストウォーク|DQウォーク]] (SP)|| |- !2020 |&nbsp;||DQXIS (PS4,XBOne,Win)||&nbsp;||||[[ドラゴンクエストタクト|DQタクト]] (SP)<br />[[ドラゴンクエスト ダイの大冒険 クロスブレイド|ダイXB]] (AC)||PS5 |- !2021 |&nbsp;|| ||&nbsp;||||[[ドラゴンクエスト ダイの大冒険 魂の絆|ダイ魂の絆]] (SP)|| |- !2022 |&nbsp;||DQXOff(PS5,PS4,Switch,Steam)|| &nbsp;||&nbsp;||トレジャーズ(Switch)|| |} <div style="font-size:85%;"> '''凡例''' * FC=ファミリーコンピュータ/NES、MSX=MSX・MSX2、GB=ゲームボーイ、SFC=スーパーファミコン、PS=PlayStation、GBC=ゲームボーイカラー、PS2=PlayStation 2、GBA=ゲームボーイアドバンス、DS=ニンテンドーDS、PSP=PlayStation Portable、Wii=Wii、3DS=ニンテンドー3DS、Wii U=Wii U、PS3=PlayStation 3、PS Vita=PlayStation Vita、XBOne=XBox One、PS4=PlayStation 4、Switch=Nintendo Switch、PS5=PlayStation 5、FP=フィーチャーフォン、SP=スマートフォン・タブレット端末、AC=アーケードゲーム、BR=ブラウザゲーム、Win=Microsoft Windows、体験=体験型ゲーム * DQ=ドラゴンクエスト、トルネコ=トルネコの大冒険(A=アドバンス)、ヤンガス=ドラゴンクエスト 少年ヤンガスと不思議のダンジョン、DQM=ドラゴンクエストモンスターズ(C=キャラバンハート、J=ジョーカー、P=プロフェッショナル、W!=WANTED!、テリワン3D=テリーのワンダーランド3D、SL=スーパーライト)、スラもり=スライムもりもりドラゴンクエスト、いたスト=いただきストリート(Sp=Special、P=ポータブル)、DQS=ドラゴンクエストソード、DQMB=ドラゴンクエスト モンスターバトルロード(L=レジェンド、V=ビクトリー)、DQMS=ドラゴンクエスト モンスターバトルスキャナー、モンパレ=ドラゴンクエスト モンスターパレード、mb=MOBILE、ヒーローズ=ドラゴンクエストヒーローズ、スマブラSP=大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL(DLC=ダウンロードコンテンツ・スマブラSP版使用)、DQW=ドラゴンクエストウォーク、DQXOff=ドラゴンクエスト10 オフライン、トレジャーズ=ドラゴンクエスト トレジャーズ </div> == 開発 == === スタッフ === 開発にあたって旧エニックスはプロデュースのみを行い、実際のソフト製作作業は他メーカーに委託していた。旧エニックスは主に財務上の戦略から自社内に開発要員を持たなかったため、こういった委託は本シリーズに限らず、同社から発売されたタイトルでは一般的な形態であった。 ナンバリングタイトルに関しては『I』から『V』までは[[中村光一]]が所属する[[チュンソフト]]、『VI』『VII』はチュンソフトの退社組による[[山名学]]率いる[[ハートビート (ゲーム会社)|ハートビート]]が担当。スクウェア・エニックス発足後は自社内に開発要員を抱えることになったが、『VIII』『IX』は『[[ダーククロニクル]]』に惚れ込んだ堀井の依頼により[[レベルファイブ]]が担当する一方でプランナーは自社要員で賄われた。『X』では初めて自社での開発となっている。これはネットワーク対応ということでインフラ構築などの運営の都合上から内製のほうが好ましいと判断されたためである。ただし、『X』以降も一部業務の外部委託は引き続き行われている。なお、派生タイトルなどは引き続き外部委託が基本であるが、『ビルダーズ』のように企画の経緯から内製となる場合もある。 * [[シナリオ]]・[[ゲームデザイナー|ゲームデザイン]] : [[堀井雄二]](アーマープロジェクト) * [[キャラクターデザイン]] : [[鳥山明]](バードスタジオ) * [[ゲーム音楽|音楽]] : ** [[すぎやまこういち]] ** [[松前真奈美]](『[[ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔]]』のみ) * 開発 ** チュンソフト(ファミコン版全作品、スーパーファミコン『V』『I・II』、トルネコシリーズ。後の[[スパイク・チュンソフト]]) ** ハートビート(スーパーファミコン『VI』『III』、PlayStation『VII』『IV』) ** [[トーセ]](ゲームボーイ版全作品、携帯アプリ版、『モンスターズ』シリーズ、『スライムもりもり』シリーズ、『ライバルズ』) ** [[アルテピアッツァ]](PlayStation 2『V』、DS版『IV』『V』『VI』、ニンテンドー3DS『VII』/グラフィック担当:スーパーファミコン『III』、PlayStation『VII』『IV』) ** [[レベルファイブ]](『VIII』『IX』) ** [[オルカ]]{{要曖昧さ回避|date=2022年4月}}<!-- [[オルカ (ゲーム会社)]]とは別の会社 https://www.orca-inc.co.jp/ -->(PlayStation 4版『XI』) ** [[トイロジック]](ニンテンドー3DS版『XI』) ** [[ヘキサドライブ]](『XII』) ** [[マトリックス (ゲーム会社)|マトリックス]](PlayStation 2版『トルネコ』シリーズ、PlayStation 2『V』) ** [[ジニアス・ソノリティ]](『ソード』)※企画のみ担当 ** [[エイティング]](『ソード』) ** [[ロケットスタジオ]](モンスターバトルロード シリーズ) ** スクウェア・エニックス(『X』、『ビルダーズ』、『XI』) ** [[コーエーテクモゲームス]](『ヒーローズ』シリーズ、『ビルダーズ2』) ** [[インディーズゼロ]](『シアトリズム』) ** [[Cygames]](『スーパーライト』) ** [[モバイル&ゲームスタジオ]](『星ドラ』) ** [[マーベラス (企業)|マーベラス]](『バトルスキャナー』) ** [[SCRAP]](『竜王迷宮』、『大魔王ゾーマ』) ** [[バンダイナムコアミューズメント]](『VR』) ** [[コロプラ]](『ウォーク』) ** [[NHN PlayArt]](『けしケシ!』) === 開発の経緯 === {{出典の明記|date=2022年1月|section=1}} エニックスのプロデューサー・[[千田幸信]]は、[[1985年]]に『[[ドアドア]]』で[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]参入後、パソコンで発売されていた堀井雄二の[[アドベンチャーゲーム]]作品『[[ポートピア連続殺人事件]]』のファミコンへの移植を決め、堀井と、[[チュンソフト]]のプログラマ、中村光一に移植作業を依頼する。堀井と中村は、1983年のエニックスの第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストの授賞式で知り合った仲でもあり、製作中に意気投合し、[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]で流行していた[[ロールプレイングゲーム|RPG]]について熱く語り合う仲になっていった。この際にファミコンでのRPGの製作が可能となる重要なアイディア「ふっかつのじゅもん」の構想が生まれ<ref group="注">当時はまだファミコン[[ロムカセット|カートリッジ]]にバックアップ機能がなく、ファミコンで長時間プレイするRPGを製作するのは実質不可能と思われていたが、「ふっかつのじゅもん」というパスワード方式を思いついたことにより、製作可能になった。</ref>、RPG製作の前準備としてファミコンユーザーにコマンド入力に慣れてもらうため、同作のPC版は文章入力方式だったが、一転しコマンド入力式に切り替えた<ref>{{Cite book|和書|editor=Vジャンプ編集部 |title=ファミコン神拳奥義大全書 復刻の巻 |chapter=スペシャルインタビュー |publisher=[[集英社]] |date=2011-09-15 |page={{要ページ番号|date=2022年5月}}}}</ref>。 この移植作業が堀井と中村にとって楽しいものであったことから、二人はこの組み合わせでの仕事をもっとやりたがり、堀井は千田にファミコンでのRPGの製作を提案する。当時のファミコンは[[シューティングゲーム]]・[[アクションゲーム]]が主流でありRPGは皆無だったため、エニックス社内では反対の声もあったが、最終的に千田がゴーサインを出し、ファミコン初の本格的RPGの開発・製作が始まった。 二人が熱中したパソコンのRPG(『[[ウルティマ]]』、『[[ウィザードリィ]]』)の強い影響下に、少数のスタッフで開発・製作が行われた。基本構造は『[[ウルティマ]]』型のフィールドと『[[ウィザードリィ]]』型の戦闘システムだが、当時はビジネス用のソフトにしか使われていなかったマルチウインドウを導入することで独自色を打ち出した。 なお、堀井はジャンプのゲーム紹介記事「[[ファミコン神拳]]」の連載と並行しながらをドラクエを製作していた。同記事でRPGの面白さを説明しつつ、最終的に自分がRPGを出したことに関して、後に「今でいうとステマ」とも述解している。なお、ファミコン神拳のスタッフは、同誌の読者コーナー『[[ジャンプ放送局]]』の主要スタッフ(なおかつ堀井とは友人)が兼任しており、初作のロゴデザインは『ジャンプ放送局』の[[榎本一夫]]が手がけた。また、[[土居孝幸]]も漫画やイラストなどを描いている。 堀井は仕事仲間でもあり、[[集英社]]の「[[週刊少年ジャンプ]]」で『[[ドラゴンボール]]』を担当していた編集者[[鳥嶋和彦]]に相談を持ちかけた際、鳥嶋の提案により[[キャラクターデザイン]]として[[鳥山明]]を起用することが決まった。鳥嶋は鳥山が「『ポートピア連続殺人事件』に興味を持っており、ゲームの仕事をやりたがっている」という嘘をついた。鳥山と堀井との対談によれば「ゲームの仕事をやりたがっている」という発言は騙しであり、自身はゲームに関してはてんで無知だったと鳥山は語っている{{Efn2|鳥嶋の騙しの意図は明らかではない(堀井らは「刺激を与えたかったのではないか」等と推測している)}}<ref>{{Cite book|和書|editor=Vジャンプ編集部 |title=ドラゴンクエストモンスターズ |publisher=集英社 |date=1996-12 |page={{要ページ番号|date=2022年5月}} |isbn=4-08-782017-3}}</ref>。この決定により『ドラゴンクエスト』は「週刊少年ジャンプ」と蜜月関係となり、同誌上で開発中の『ドラゴンクエスト』の画像を初披露する体制がとられることになった。この体制は、エニックスが1991年に「[[月刊少年ガンガン]]」を創刊した以降も変わっていない。 開発は進み、完成に近づいたものの、内部スタッフが作った[[ゲームミュージック|BGM]]が「ずっと聴いていると飽きてしまう」という事態が発生。そこに急遽、ゲーム好きが昂じてエニックスと繋がりができていた作曲家の[[すぎやまこういち]]が参加し、「聴き減りのしない音楽」という方針のもと、1週間で楽曲を製作<ref>{{Wayback|url=http://www.square-enix.co.jp/dragonquest/eight/special/cd_interview.html |title=すぎやまこういち氏 交響組曲「ドラゴンクエストVIII」を語る スクウェア・エニックス |date=20051017230508}}</ref>した。なお、千田は鳥山やすぎやまを引き入れた理由について「(アマチュアの空気で作られている現場に)プロを入れたかった」としている。 こうして堀井、中村、鳥山、すぎやまらの手によって『[[ドラゴンクエスト]]』は完成し、[[1986年]]5月に発売された。当初は売り上げが芳しくなかったが、口コミによりじわじわと売れ始め、最終的に150万本を売り上げるヒット作品となった。そして『I』の完成直後から『[[ドラゴンクエストII 悪霊の神々]]』の製作にとりかかる。 なおファミコン時代は容量との戦いでもあり、容量削減のため、数多くの企画・演出がカットされた。この容量の問題はシリーズが進むにつれメディアの進化により解決するようになったが、それに伴い開発期間が長期間化するようになった。また、作数を重ねるたびにスタッフが増加し製作環境が変わり、それらに伴いプログラマ間での諍いが絶えなくなってしまったことから、中村はプログラマの仲裁や管理をするディレクター作業がメインになり、スーパーファミコンで発売された『V』を最後に「割に合わなくなった」としてチュンソフトごと開発から手を引いた<ref>{{Cite book|和書|author=小林 雅一 |title=コンテンツ消滅 音楽・ゲーム・アニメ |publisher=光文社 |date=2004-11 |page={{要ページ番号|date=2022年5月}} |isbn=978-4334933463}}</ref>。 == シリーズの特徴 == === 主人公 === ドラゴンクエストシリーズは「プレイヤー自身がゲームの[[主人公]]になりきり、ゲーム内の世界の出来事を体験する」ことが一貫して主なコンセプトとなっており、プレイヤーが主人公に感情移入することを妨げないようにするため、主人公はわずかな例外(ギャグシーンや戦闘中にシステム上喋る「特技」など)を除いて言葉を発しない。「はい」「いいえ」の選択を強制される場面が数多くあるが、文脈的におかしい場面でもこの選択肢が出ることが多々ある。 『ソード』や海外版および3DS版『VIII』では主人公以外のキャラクターにボイスが採用されるなどのシリーズの会話テキストは作品を追うごとに増える傾向にあり、『ヒーローズ』では初めて主人公にもボイスが実装された<ref>“[http://blog.jp.square-enix.com/heroes/2014/10/post.html 松坂桃李、桐谷美玲が主人公ボイスキャストに決定!主人公にボイスが入るのは『ドラゴンクエスト』史上初!]” ドラゴンクエストヒーローズ 公式サイト 2014年10月23日 </ref>。その一方、『ヒーローズ』に歴代主人公は登場するのかという問いに対して、堀井は「プレイヤー自身でもある主人公達が、新たに声を得て登場するのは違和感がある」と述べている<ref name="4gamer20141029">“[https://www.4gamer.net/games/272/G027220/20141029067/ アリーナ役に決定した中川翔子さんも新情報に大興奮。ニコニコ生放送「『ドラゴンクエストヒーローズTV』特報版」の模様をレポート]” 4Gamer.net 2014年10月29日</ref>。 『X』などのプレイヤーキャラクターの移り変わりがある作品においては対象キャラが非操作状態時では喋ることがあるが、操作状態となった途端に喋らなくなる。 === 設計思想 === [[ドラゴンクエスト|第1作]]製作時、初めてRPGに触れるユーザーに対して、ユーザーが参考材料にするであろう海外のRPGはハードルが高すぎるという判断から、堀井自ら『[[ファミコン神拳]]』でRPGというゲームの説明をするなど、間口を広げる方針を取った。これはシリーズ全体の方針ともなり、実際に、第1作から『III』までの通称「ロト三部作」は、ファミコンで初めてRPGに触れるユーザーに対して、RPGの面白さ、奥深さを理解してもらえるように、実際にプレイしながらRPGのリテラシーを習得できるように意識して作られている<ref group="注">[[堀井雄二]]は当時の雑誌連載で何度もこのことに触れている。後に「虹色ディップスイッチ」(ビジネス・アスキー/1990年)として書籍化。</ref>。 ロトシリーズ以降もこの方針は貫かれ、『IV』製作後には今更方針を変えることもないだろうと判断したこと、万人向けに作っているため、難しすぎる謎は全部ボツにしていることを表明している<ref>HIPPON SUPER編集部・編『ドラゴンクエストIV MASTER'S CLUB』(JICC、1990年)P.4-9 堀井雄二インタビュー</ref>。『X』でオンライン化が決まった際にも「いかに敷居を低くするか」が最初のテーマになっている<ref>[https://www.nintendo.co.jp/wii/interview/s4mj/vol1/index.html]</ref>。 === ゲームシナリオ === ドラゴンクエストシリーズ全体の世界観を印象付けている。[[名越稔洋]]は自著「ゲーム屋人生―名越武芸帖」でおとぎ話を読んでいるような感覚とも表現している。 『[[ドラゴンボール|DRAGON BALL]]』のギャグ「ぱふぱふ」をシリーズ全編に渡って使用しているのも特徴で、ファミコン時代、容量不足で困っていた時代にもこれを削らずに通した。ちなみに、無料の「ぱふぱふ」は相手が親父だったり、女装であったりなどのオチが採用されていたりもする。 === プログラミング === 『V』までのチュンソフト(中村光一)時代、視覚面での演出はほぼチュンソフトに任されていた。ルーラで飛ぶ演出はプログラマ同士のお喋りから生まれたものである。『IV』ではファミコンでは実現不可能と目されていた表現を多数披露。当時(発売前の)スーパーファミコンの売りの一つであった機能をファミコン上でさりげなく行うなどしている。当時中村光一は「技術は表現のための手段」という方針を貫き、技術を前面に出した勘違い作品を作らないように苦心していると語っている<ref>HIPPON SUPER編集部・編『ドラゴンクエストIV MASTER'S CLUB』(JICC、1990年)P.10-12 中村光一インタビュー</ref>。なお、『VII』では[[ハートビート (ゲーム会社)|ハートビート]]の[[山名学]](元チュンソフト所属)がロード時間短縮という独自技術を開発した。 === デザイン === [[ファイル:Akira Toriyama.jpg|150px|サムネイル|[[鳥山明]]、シリーズのキャラクターデザイン]] 漫画家・[[鳥山明]]によるキャラクターデザインは、堀井雄二によるラフ絵に基づいて描いた物であるが、堀井のラフ絵と全く異なる場合も少なくなく、特にドラゴンクエストの象徴的モンスターとも言える「スライム」は堀井のラフ絵が一般的な[[スライム]]だったのに対し、鳥山はこれを水滴型のものとしてデザインし、これが採用された。 なお、堀井のラフ絵は全てが堀井のアイデアというわけではなく、『II』では[[宮岡寛]]が関わっている<ref>ファミコン神拳奥義大全書 復刻の巻</ref>。また、『V』以降は一部のキャラクターデザイン・モンスターデザインに[[中鶴勝祥]]ら他のスタッフが参加している。 鳥山のデザインに関しての内部評価は、「鳥山以外の漫画家を起用していたら、おそらくその漫画家のキャラゲーになっていた」「鳥山のデザインだからこそ、ドラクエの世界観が成り立っている」と評されている。 === 音楽 === {{Main|[[ドラゴンクエストシリーズの楽曲一覧]]}} [[ファイル:Kohichi Sugiyama 2011-06-30.jpg|サムネイル|[[すぎやまこういち]]、主な作曲者]] ドラゴンクエストシリーズは楽曲の美しさ、多彩さでも知られる。[[すぎやまこういち]]作曲による音楽は、ゲーム中で何度も聴かざるをえない音楽ゆえに何度聴いても飽きない「聴き減りのしない音楽」を作るというポリシーに基づいて製作されている。また、ファミコン時代の使えるトラックが少ない時代での制作体制を経ていることから、シンプルであることをモットーにしている。なお、テストプレイをして世界観を把握してから楽曲制作に入るのを常としており、[[ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔|ソード]]は、当初はすぎやまこういちが楽曲を担当する予定だったが、高齢によりテストプレイが出来ない(同作は剣型のコントローラーを振り回してプレイする)ことを理由に担当を辞退している。 ゲーム音楽ということもあり、企画物以外で楽曲をカバーされることは少ないが、1987年に政治家の[[愛知和男]]が「[[この道わが旅]]」、2000年に[[高中正義]]が「おおぞらをとぶ」をカバーしている。 == ゲームシステム == === キャラメイキングとパーティープレイ === ドラゴンクエストシリーズでは、主人公は「プレイヤーの分身」という位置付けとなっており、名前はゲーム開始時にプレイヤー自身が自分で付けることになる。『III』『IV』『IX』『X』では性別も選択できるほか、『IX』『X』では外見も詳細に設定できるようになった。 主人公とその仲間がパーティ(集団)を組んで、[[ドラゴンクエストのモンスター一覧|モンスター]]を倒しながら世界を冒険する。パーティの人数は、第1作は1人、『II』は最大3人、『III』『VII』『VIII』『IX』は最大4人である。『IV』『V』『VI』『XI』では最大で10人または8人のパーティを組むことができるが、戦闘に参加できる上限人数は3人または4人である。『X』は基本は4人までだが、クエストによってはパーティ2つが同盟を組んだり、NPCを加えた5人で戦うことがある。最終的には世界の平和を脅かす敵の親玉(作品によって呼称が異なるが、「[[魔王]]」と呼ばれることが多い)と決戦する。 === 移動 === 移動画面では、主人公たちを動かし、目的地へと移動する。移動の途中にコマンドウィンドウを開くことにより、人と「はなす」、足元や目の前のものを「しらべる」、「どうぐ」([[アイテム]])や「じゅもん」(呪文)を使用する、「つよさ」でステータスを見る、「さくせん」で作戦や設定を変更する、などといったことができる。スーパーファミコン以降の作品では「べんりボタン」が導入され、「はなす」「しらべる」がボタンひとつで可能となっている。 マップによっては移動中に敵モンスターとの戦闘が発生することがある。『VIII』までの作品では、一部の例外を除き、移動画面で敵の姿が見えず、移動中に突然画面が切り替わり戦闘が始まる[[エンカウント#ランダムエンカウント|ランダムエンカウントシステム]]である。『モンスターズジョーカー』や『IX』、『X』、『XI』とリメイク版『VII』『VIII』ではマップ上を徘徊するモンスターに接触すると戦闘が始まる[[エンカウント#シンボルエンカウント|シンボルエンカウントシステム]]を採用している。 主人公たちが移動する空間(マップ)は、世界地図の形をした「フィールドマップ」と、城・町・村・ほこら、ダンジョンとに分けられる。 ; フィールドマップ : その作品の世界全体のマップ。町やダンジョンなどが点在する。町から町へ、あるいは町からダンジョンへ移動するときなどには、このフィールドマップを利用することとなる。『III』以降の作品では複数のフィールドマップが存在することが多い。フィールドは敵モンスターがうろついており、モンスターに遭遇すると戦闘が発生する。シナリオを進めると船や魔法のじゅうたんなどの乗り物が手に入り、これらを利用することによって、徒歩では移動できない水上を移動したり、空を飛んだりすることもできる。時間の流れの概念がある作品では、フィールド上を進んでいると時間が昼から夜へ、夜から昼へと移り変わる。草原や森はモンスター遭遇率が低く、毒の沼地や砂地、山はモンスター遭遇率が高い。 ; 城・町・村 : 数人〜数十人の人々が暮らしており、それらの人々から話を聞くことができる。店などの施設も揃っている。タンスや壷などからアイテム収集をすることもできる。滅ぼされてモンスターに占領されている場合を除き、敵モンスターはイベント以外では出現しない。 ; ほこら(祠)・一軒家 : 町などよりも小規模な場所。1人あるいは数人の人間が住んでいる場合もあるが、無人で何らかの施設やアイテムがあるだけの場合もある。離れた場所へ一瞬で移動できる「旅の扉」が置かれている場合もある。一部を除きモンスターは出現しない。 ; [[ダンジョン]] : 主に洞窟や塔などの迷宮を指す。たいてい、その周辺のフィールドマップよりも若干強い敵モンスターが出現する。内部にはアイテムや金の入った宝箱が置かれていることが多く、落とし穴などの罠や、パズルのような謎解きの仕掛けが用意されているダンジョンもある。最深部には重要アイテムがあったり、[[ボスキャラクター|ボスモンスター]]が待ち構えていたりすることもある。 === 戦闘 === プレイヤーキャラクターと敵キャラクターとの[[戦闘 (コンピュータゲーム)|戦闘]]は、「[[ターン (ゲーム)|ターン]]」とよばれる区切りの中で、自軍・敵軍の各キャラクターが一回ずつ行動していく(中には複数回連続行動するキャラクターもいる)、いわゆる'''ターン制'''。第1作は1対1、それ以外の作品では敵側・プレイヤー側とも1体から複数のキャラクターが参加する。 プレイヤーキャラクターの行動は基本的に、コマンド選択により命令を与えることによって決定する。プレイヤー側全員の行動が決定した時点で、1ターンが始まり、そして敵かプレイヤー側のどちらかが全滅するまでターンが繰り返される。敵が倒されるか逃げ出して敵全員がいなくなるとプレイヤー側の勝利となり、倒した敵の分の経験値とゴールドが得られる。逃げた敵の分は手に入らない。さらに『II』以降は確率によって敵の所持アイテムを入手できることもある。プレイヤーキャラクターが全員倒されれば全滅となり、所持金が半分となり、前回セーブした場所に戻されるが、[[ゲームオーバー]]とはならず、全滅時点での状態のままプレイを続けることができる。一部のイベントで登場するボスキャラクターにおいては、(通常のプレイを行う限り)必ず全滅し、全滅後もそのままストーリーが進行する場合がある。場合によっては、プレイヤー側のキャラクターがまだ生き残っていても全滅扱いになることもある。敵から逃げることに成功した場合も戦闘終了となるが、この場合は何も得られない。 『IV』以降の作品と携帯アプリ版のリメイク『III』では、主人公を除くキャラクターにあらかじめ「作戦」を与えておくことにより、コンピュータがAI([[コンピュータゲームにおける人工知能|人工知能]])によって各自の行動を自動的に決定する。オリジナル版の『IV』『V』『VI』ではパーティ全体に、『VII』以降<ref group="注">『X』ではサポートなかまおよび仲間モンスターが該当。</ref>および『III』『IV』『V』『VI』のリメイク版ではキャラクターごとに設定する。リアルタイムで適切な行動を取ることなどが強みだが、必ずしも望んだような最適な行動をするとは限らない。 本シリーズの戦闘画面は、『VII』以前では、画面内にプレイヤーキャラクターの姿は映らず、現れた敵キャラクターの姿のみが映し出される。ただし、『VIII』以降では3D化に伴いプレイヤーキャラクターの姿も映し出されるようになった。 『X』では戦闘中に自由な移動が可能であり、敵のブレスや範囲攻撃魔法を離れて回避したり、敵キャラクターを押すこともできる。 === ステータスと成長システム === 敵を倒すことによって得られる[[経験値]]('''Ex'''、Experienceの略)が一定値に達することによってキャラクターの[[レベル (ロールプレイングゲーム)|レベル]]('''Lv'''、Levelの略)が1段階上昇し、それと同時にキャラクターのステータス(強さを表す能力値)も上昇する。また、所定のレベルになると'''呪文'''や'''特技'''を新たに覚える。得られる経験値は基本的に強い敵ほど多く、また、主人公側のレベルの数値が高くなるほどレベルアップに必要な経験値も多くなっていく。 その他、『VI』『VII』では[[ドラゴンクエストVI 幻の大地#職業・転職|職業熟練度]]、『VIII』以降(モンスターズも『ジョーカー』以降)では[[ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君#スキル|スキル]]といった成長システムもある。 ==== ステータス ==== キャラクターのステータスには主に以下のようなものがある。これらのステータスはレベルアップ時だけでなく、種や木の実などのアイテムの使用や特定の武器・防具・装飾品などの装備によって上昇させることもできる。これらのステータスはモンスターにも設定されていて、攻撃側のステータスと攻撃を受ける側のステータスの差により、ダメージポイントなどが決定される。 ;HP([[ヒットポイント]]) :キャラクターの生命力。ダメージを受けると減っていき、HP0になると戦闘不能となり、そのキャラクターの死を意味する。宿屋などに泊まることによって最大値まで回復できるほか、呪文やアイテムによって回復させることもできる。現在のHPの最大値を「'''さいだいHP'''」という。 ;MP([[マジックポイント|マジックパワー]]) :キャラクターの魔力。呪文を唱えることでMPが減る。呪文ごとに消費するMPの量が決まっており、必要なMPがない場合、その呪文は唱えられない。宿屋などに泊まることによって最大値まで回復できるほか、呪文やアイテムによって回復させることもできる。現在のMPの最大値を「'''さいだいMP'''」という。 ;ちから :武器を何も装備していないときの攻撃力。 ;すばやさ :キャラクターの動きの速さ。『II』以降では戦闘時に敵味方に関係なく、この数値が高い者ほど、各ターン内における攻撃の順番が早くなる。『X』ではこの数値が高いほど次のコマンドまでの間隔が短くなる。下記の「みのまもり」が存在しない初期作品では、この値の半分が防具を何も装備していないときの守備力となる。 ;みのまもり :キャラクターの頑丈さで、防具を何も装備していないときの守備力。『V』以降の各作品とリメイク版『I・II』、DS版『IV』で導入された。 ;こうげき力(攻撃力) :武器による攻撃の威力の大きさ。この値が高いほど打撃攻撃で敵に与えるダメージが大きくなる。「ちから」に武器の攻撃力を加算した数値。 ;しゅび力(守備力) :この値が高いほど敵の打撃攻撃によるダメージが小さくなる。「すばやさ」の半分または「みのまもり」の値に、装備している防具の守備力の合計を加算した数値。 このほか、「かしこさ」のように作品ごとに役割の異なるステータスや、「たいりょく」、「うんのよさ」、「かっこよさ」といった一部の作品にのみ登場するステータスがある。 ==== ステータス異常 ==== モンスターの攻撃などによって、主人公たちが以下のような異常な状態に陥る場合がある。逆に敵に対して状態異常を起こさせることも可能。 ;死(「しに」) :HPが0になった状態。いわゆる戦闘不能状態で、一切の行動ができなくなる(近年のリメイク作品では『チカラつきる』と表現されているものもある)。パーティーメンバー全員がこの状態になると全滅となる。移動中は死んでいるキャラクターは[[棺|棺桶]]の姿(『X』では青系の半透明で浮いている)で表される。『V』では、死と似ているが戦闘終了後にHPが1になって復活する「気絶」という状態もある。 ;毒(「どく」) :毒に冒された状態。戦闘中は影響は何も無いが、移動中は数歩歩くごとにHPが徐々に減っていく。『X』では戦闘中・移動中に関わらず、一定時間ごとにHPが1ずつ減っていく。 ;猛毒(「もうどく」) :猛毒に冒された状態。通常の毒よりも移動中に受けるダメージがかなり大きいうえ、戦闘中にも1ターンごとにダメージを受ける。『VII』以降は、戦闘終了後に上記の「毒」に変化する。 ;麻痺(「マヒ」) :体がしびれて一切の行動ができなくなった状態。作品により、戦闘が終了すると同時に回復するものと、戦闘が終了しても回復しないものがあり、後者の場合は歩いていると自然に回復する。また作品によって戦闘中の自然回復があるものとないものがあり、後者の場合、生きているメンバー全員が麻痺すると全滅扱いとなる。 ;混乱(「らん」「こんらん」) :コマンドどおりの行動をせず、味方に対して攻撃する。『IV』以降は味方を攻撃するばかりでなく、通常時にはとらない奇妙な行動をとることもある(各キャラクター・モンスターごとに症状は異なる)。『X』ではキャラクターを任意に移動させることもできなくなる。「魅了」もほぼ同等の状態異常(敵のみに発生する「みとれている」は一回休みであるため性質が異なる)。 ;眠り(「ねる」「ねている」「ねむり」) :眠ってしまい行動ができない状態。戦闘中に自然回復することもあるが、作品によっては打撃攻撃を受けると目を覚ますこともある。 ;呪い(「のろい」) :#呪いのかかったアイテムを装備した状態。装備者や味方にとって何らかの不利益がある(アイテムによって症状は異なる)。作品によって、呪いのかかった物を装備すると外せなくなり、何らかの施設で呪いを解いてもらう必要があるものと、呪いのかかった物でも「そうび」コマンドで自由に外せるものがある。呪いのアイテムが外れれば効果は消える。 :#敵に行動を制限されてしまう状態。戦闘中に行動を制限される症状や、移動中にHPやMPが徐々に減っていく症状がある。『V』『VIII』『X』『XI』のみ。『X』では戦闘中に白線から出ようとしても押し戻され、逃げられなくなる。 ;マヌーサ(「マヌ」「マヌーサ」) :幻に包まれた状態。通常攻撃の命中率が低下する。 ;マホトーン(「マホ」「マホトン」「マホトーン」) :呪文が封じられた状態。 ;一回休み(「やすみ」) :そのターンのみ行動ができない状態。既に行動を終えた後の場合、次のターンの行動ができない。作品によってこの状態になる理由は様々存在する。『X』やモンスターバトルロードでは「ころび」(物理的行動不能)・「おびえ」(精神的行動不能)等に分化されている。 ==== 呪文・特技 ==== {{Main|ドラゴンクエストシリーズの呪文体系|ドラゴンクエストシリーズの特技一覧}} '''呪文'''を唱えることで様々な魔法の力を行使できる。使用の際にはMPを消費し、使用することによって敵へのダメージ、味方の回復、瞬間移動など様々な効果が現れる。攻撃呪文・攻撃補助呪文・補助呪文・回復呪文・移動中専用の呪文などに分類され、『III』以降の作品では系統別に整理されている。 '''特技'''とは、炎や吹雪を吐く、踊りを踊る、特殊な剣技や武術などといった、呪文以外の特殊行動のことを指す。特技には、MPを消費するものと、MPを消費せずに使用できるものとがある(作品によっても異なる)。 === アイテム === [[アイテム]](道具)は、イベントで入手する、店でゴールドを払って買う、宝箱や壷・箪笥・足元を調べる、戦闘に勝利したときに敵の落とした宝箱から、などの方法で入手することができる。入手するとパーティのキャラクターの持ち物(または「ふくろ」)にそのアイテムが加わる。 不要になったアイテムは、店で売ってゴールドに変えるか、「すてる」コマンドでその場に捨てるといった方法で手放すことができる。ただし、ストーリー進行にかかわる重要アイテムなど、売ろうとしても店で買い取りを拒否され売ることができず、捨てようとしても捨てられないアイテムもある。また、呪いの武器防具を自由に外せない作品では、呪いの武器防具を装備している場合、それを売ったり捨てたりすることはできない。このほか使わないアイテムを預けるための「預かり所」や「ふくろ」が登場する作品もある。 本シリーズに登場するアイテムは、主に次のように分類される。ゲーム内ではいずれも「どうぐ」として総称される。 ; 装備品 : キャラクターが装備することによって能力値が上がるもの。装備しないと効果が現れない。装備可能なアイテムはキャラクターごとに定められている。能力の上昇幅はアイテムによって異なり、終盤に手に入るものほど威力の大きいものが多い。装備品の中には「つかう」ことによって特殊な効力を発揮するものもあるほか、ストーリーの進行に必須なものもある。 :;武器 ::敵モンスターに対して攻撃するためのアイテム。装備すると攻撃力が上昇する。『V』以降の作品では、ムチやブーメランなど、複数の敵を一度に攻撃できる武器が登場した。『X』では両手用武器の概念(盾と同時装備できない)が登場。 :;防具 ::敵からの攻撃によるダメージを少なくするためのアイテム。装備すると守備力が上昇する。胴体に身につける'''[[鎧]]'''、片手に持って敵の攻撃から身を守る'''[[盾]]'''、頭部に身につける'''[[兜]]'''(第1作には登場しない)の3種類に分けられ、1種類ごとそれぞれ1つずつ装備することができる。『IX』以降では「鎧」の名称を'''上半身'''に、「兜」を'''頭'''にそれぞれ変更、新たに'''腕'''、'''下半身'''、'''足'''を新設した。 :;装飾品(アクセサリー) ::装備することができるアイテムのうち、武器にも防具にも分類されないもの。装備していると特殊な効果が現れたり、ステータスが一定量上昇したりする。『V』まででは1人がいくつでも装備できたが、『VI』以降とリメイク版『III』『IV』では1人につき1つしか装備できない。『X』では'''顔アクセ'''、'''顔コーデ'''、'''首アクセ'''、'''指アクセ'''、'''他アクセ'''、'''胸アクセ'''、'''腰アクセ'''、'''札アクセ'''、'''紋章'''、'''証'''の10種類に分かれているため、同時に最大10種類装備可能となっている。 :<!--リストの分断防止行--> ; 装備することができないもの : 以下に挙げるものは、主に「つかう」ことによって効果を発揮するアイテムである。 :;道具 ::狭義の「道具」とは「やくそう」「どくけしそう」などの回復アイテムや、「キメラのつばさ」などの移動中に使用するアイテムなどを指す。一度使うとなくなってしまうものが多い。 :;だいじなもの ::いわゆるキーアイテム。ストーリーの進行に欠かせないアイテムである。店に売ったり捨てたりすることができないものが多い。『VI』では一部のアイテムは装飾品にもなる。 == 世界設定 == === 世界観 === シリーズは全般を通して[[中世]][[ヨーロッパ]][[ファンタジー]]風のいわゆる「剣と魔法の世界」をベースとした世界観になっている。 * 世界にはいくつかの王国が存在し、城では国王または女王が国を治めている。城の周辺には城下町が形成されていることもある。また、城から離れた場所にも独立した都市(町)や、のどかな村などが存在する。 * 通貨は「'''ゴールド'''<ref group="注">1ゴールドは[[円 (通貨)|日本円]]に換算すると、約100円とされている(1996年の『[[ファミ通]]』掲載記事の堀井雄二談話より)。</ref>」。記号は「'''G'''」。 * 作品内のキャラクターは、剣・槍・杖などの武器、鎧・盾・兜などの防具や、架空の道具、さらには呪文(魔法)を扱う。 * 普通の人間や動物だけでなく、架空の生物([[怪物|モンスター]])が主に主人公たちの敵として登場する。 * ファンタジー風世界ではあるが、[[カジノ]]の[[スロットマシン]]や、ロボットのような敵キャラクター「キラーマシン」<ref group="注" name="killermachine">FC版『II』のような最初期の作品では長音記号が多い「キラーマシ'''ー'''ン」表記だった。</ref>などといった機械的なものが登場することもある。さらに作品によっては車などの更に高度な機械も登場する。しかし、そういった機械は一般的には普及していない。特殊なものとして外伝『モンスターズ ジョーカー』シリーズは、現代的な文明社会にモンスターが存在するという世界である。 * 各作品間で世界自体が異なっていても、登場するアイテムや呪文体系、主要なモンスターはほぼ共通である。 === 各作品間の関連 === * 第1作・『II』・『III』は、勇者ロトとその子孫にまつわる物語であることから「'''[[ロトシリーズ]]'''」「'''ロト三部作'''」と呼ばれている。時代の前後関係は『III』が最も古く、第1作がその数百年後、『II』がさらにその百年後となっている。 * 『IV』・『V』・『VI』は、天空城とその主マスタードラゴンにまつわる物語であることから「'''[[天空シリーズ]]'''」「'''天空三部作'''」と呼ばれている。ロト三部作とは別の世界が舞台<ref group="注">ロト三部作の「アレフガルドのある世界」とは地形が全く異なる。</ref>。時代の前後関係は『VI』が最も古く、ゲーム内ではほのめかし程度で明言は為されていないものの、天空城の成立を描き<ref>[[ゲーム批評]] Vol.8 堀井雄二インタビュー</ref>、その後に『IV』、『V』はさらに数百年後の物語となっている。 * 『IX』製作の際、「堀井から『新しいシリーズに入るから序曲のアレンジを変えてくれ』と言われた」と、すぎやまこういちが発言している<ref>すぎやまこういちワンダーランド(ワック出版、2011年)</ref>ことから『IX』と『X』は同一シリーズに属しているとも考えられるが、いまだ全貌は明らかになっていない。2017年4月23日、[[ニコニコ生放送]]『ドラゴンクエストIX ゲーム実況』に出演した[[藤澤仁]]は「『IX』『X』は連作の予定だった。もっと言えばロトシリーズみたいに三部作の予定だったけど、色々あって二作品になっている」、「『IX』『X』の世界観としては繋がっていると言えば繋がっている、繋がっていないと言えば繋がっていない」と発言した<ref name="henkou">[https://live.nicovideo.jp/watch/lv294830591 ドラゴンクエストIX ゲーム実況]8時間28分40秒 - 8時間32分30秒の発言より。2017年4月25日閲覧。</ref>。 * 『XI』は、ロトシリーズ『I』・『II』・『III』の過去となる物語で勇者ロトの由来が語られる。 なお、『VI』では『II』・『III』の存在と同名である精霊ルビスが登場しており、「ロト三部作」と「天空三部作」それぞれの世界が繋がりを持つ可能性も示唆されている<ref group="注">作品全般においては、酒場の女主人ルイーダや大盗賊カンダタなどの例もあるので、単に同姿同名の存在が複数の作品世界に登場しているだけ(いわゆる「[[スター・システム (小説・アニメ・漫画)|スター・システム]]」)という見方もできる。</ref>。さらにリメイク版『III』には、『VI』に登場した王の名を冠する、天空城と同一構造のゼニス城が登場。『VIII』では、『III』の存在と同一であることをほのめかす神鳥レティス<ref group="注">時空を超える能力を持ち、別の世界では自身が「ラーミア」と呼ばれていたこともあったと語る。</ref>がおり、サブゲームの闘技場には『IV』のキャラクターであるライアン、トルネコも登場している。『IX』では、宿屋にスペシャルゲストとして歴代キャラクターが訪れるほか、歴代ボスが宝の地図のダンジョンに登場する。『X』では、魔法の迷宮に過去作のキャラクターやボスの一部が登場。また、『ドラゴンクエストモンスターズ』などの外伝作品では『VI』のキャラクターであるテリーや『VII』のキーファがロトシリーズの世界を訪れる場面がある。 ==== 外伝作品での時系列 ==== * 「'''[[ドラゴンクエストモンスターズ#ゲーム|ジョーカーシリーズ]]'''」は作品ごとの時系列をある程度に持っていて、『ジョーカー2』は『ジョーカー』から約2年後(もしくは、2年以上)の世界を舞台としている。 === モンスター === {{Main|ドラゴンクエストのモンスター一覧}} 敵キャラクターは、ほとんどがモンスター(作中では主に「魔物」と呼ばれる)であり、これらは魔王の手先である。作品によっては、主人公たちの仲間となったり、現実世界においての普通の動物のような存在(ペットや友人、手下など)として描かれたりする場合もある。同種のモンスターは主に色違いにより外見の差異を表しているが、第1作の時点で上位種のみ武器を持っていたりする。3Dで表現されるようになってからは異なる部位のものも登場している。攻撃時にモンスターが動く作品と動かない作品がある。 ドラゴンクエストシリーズにおいて、メインシリーズ11作品のうち4作品以上に登場している代表的なモンスターについて解説する。同じ名前でも、作品によって攻撃・弱点特性が異なる場合がある。 ;[[スライム (ドラゴンクエスト)|スライム]] :青い水滴形(玉葱型)の軟体生物。主に敵として登場するが、町の中などには話ができるスライムも存在しており、また、外伝『[[スライムもりもりドラゴンクエスト]]』シリーズでは主人公として活躍する。続編が発売されるにつれて新種のスライムも続々と登場した。 ;ドラキー :[[コウモリ]]のモンスターだが、当初は蛾のモンスターという設定だった(後述する漫画『[[ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章]]』ではその設定が活かされて登場している)。 ;キメラ :合成によって生み出された魔物で、鳥のような頭・胴体とヘビのような尾を持つ。炎を吐いてくる種もいる。同種のモンスターに「メイジキメラ」「スターキメラ」などがおり、作品によっては「キメイラ」なる亜種が登場する場合もある。 ;[[ゴーレム]] :岩石を積み重ねて人の形に組み上げられ、命を吹き込まれたモンスター。同種のモンスターに「ゴールドマン」「ストーンマン」がいる。 ;[[ドラゴン (ドラゴンクエスト)|ドラゴン]] :シリーズ第1作から登場し、以後シリーズを重ねるごとに様々な種類のドラゴンが登場している。高いHPを持ち、ブレスを吐く強敵。上位種に「ダースドラゴン」と「キースドラゴン」が存在する。 ;マドハンド :泥でできた手だけの姿をした、根っこのように地面に付いているモンスター。同種、または特定のモンスターを仲間として次々に呼び寄せる。上位種に「ブラッドハンド」(「ブラッディハンド」とも)等が存在する。モンスターズシリーズではギガハンドという上位互換も存在する。 ;いたずらもぐら :直立歩行でスコップを持ったモグラのようなモンスター。 同種のモンスターに「キラースコップ」「モグラの子分」等が存在する。 ;くさった死体 :死体が魔の力によって動き出した[[アンデッド]]モンスター。同種のモンスターに「リビングデッド」「どくどくゾンビ」「グール」<ref group="注">『ドラゴンクエスト2 公式ガイドブック』では「墓を掘り返しモンスターを次々とよみがえらせるゾンビ」と説明されており、モンスターの供給を担っている設定になっている。</ref>。『VI』のみ立ちポーズが異なる。 ;じんめんじゅ :樹木に精霊が宿り、目や口がついた植物系のモンスター。「ふしぎなおどり」で相手のMPを奪う。また、作品によっては回復系の技を使う。同族のモンスターに「ウドラー」「まかいじゅ」「ちょうろうじゅ」「エビルトレント」などが存在する。 ;キラーマシン<ref group="注" name="killermachine" /> :旅人を狩るために作られた機械のモンスター。連続で2回行動することが多く、剣、弓矢、レーザー等多彩な攻撃手段を持つ。下位種に「メタルハンター」、亜種として「キラーマシン2」「キラーマジンガ」等が存在する。 ;アークデーモン :ピンク色の体に巨大なフォークを持つ悪魔系モンスター。『ドラゴンクエスト2 公式ガイドブック』では牛の化け物という説明が為されている。「イオナズン」を連発する他、打撃攻撃も強力である。一部作品ではミニデーモンが成長した姿として描写されている。同種のモンスターに「ベリアル」「デザートデーモン」(後者はフォークではなくスプーンを持つ)等が存在する。 ;アルミラージ :ツノを生やした紫色のウサギのモンスター。「ラリホー」を唱えたり、作品によっては力をためてテンションを上げて攻撃する。同族のモンスターに「いっかくうさぎ」「ゴールデンコーン」「ブラバニクイーン」が存在する。 ;ギズモ :雲のような姿のモンスター。同族に炎のエレメントの「ヒートギズモ」、冷気のエレメントの「フロストギズモ」などがいる。 ;さまようよろい :死んだ戦士の魂が宿った鎧。よくホイミスライムを呼び出す。同種のモンスターである「地獄の鎧」は痛恨の一撃やいかずちなどの手痛い攻撃をするほか、「キラーアーマー」は「ルカナン」「ラリホーマ」といった補助系呪文を使う策士的な戦いを得意とし、HPが少なくなるとベホマスライムを呼ぶことがある。 ;マーマン :水辺や砂浜に生息する凶悪な[[半魚人]]のモンスター。「ルカナン」「ルカニ」でこちらの守備力を下げてから鋭い爪や尾で攻撃してくる。同属に「マーマンダイン」「キングマーマン」が存在する。 ;エリミネーター :覆面と一体になったマントを身に着け、手斧を持った怪人。同族に「カンダタ」「さつじんき」「エリミネーター」「ごろつき」などが存在する。 ;ベビーサタン :悪魔の子供で、常に舌を出し大きなフォークを手にする。「つめたい息」を吐くほか、MPが足りないにもかかわらず「イオナズン」の呪文を唱えようとすることもある。同種のモンスターに「ミニデーモン」「つかいま」等が存在する。 ;おどる宝石 :宝石を体中にまとった袋のようなモンスター。倒すと多額のゴールドを得られる。下位種に「わらいぶくろ」がいる。 ;[[ミミック (架空の生物)|ミミック]] :宝箱の形をして冒険者を騙すモンスター。宝箱を開けると突然襲ってくる。シリーズによっては通常エンカウントで出会うこともある。「ひとくいばこ」「パンドラボックス」といった同種のモンスターが存在する他、同様の主旨のモンスターはシリーズを重ねるごとに壷や本棚などにも広がっている。 ;ばくだん岩 :丸い岩に顔の付いたモンスター。攻撃はせずに様子を見ているだけのことが多いが、中途半端にダメージを与えると突然、自爆の呪文「メガンテ」を唱えてパーティを全滅させようとする。同種のモンスターに「メガザル」の呪文を唱えて自分の命と引き換えに仲間を蘇生・回復させる「メガザルロック」、自己犠牲行動は行わない「スマイルロック」がいる。 == メディアミックス == 『III』の公式ガイドブックを皮切りに、[[攻略本|公式ガイドブック]]、[[ゲームブック]]、[[小説]]、[[4コママンガ劇場]]などの書籍を次々と発行。また、[[キーホルダー]]や[[ぬいぐるみ]]、[[マグカップ]]、タオルやハンカチなどの[[日用品|小物・雑貨や日用品]]、鉛筆やサインペンなどの[[文房具]]、[[カードダス]]や[[カードゲーム]]などの子供向け玩具、更には原寸大の宝箱や1/6スケールの剣といったマニアックなグッズも次々と発売された。 1990年代当初は、エニックスが販売していた物に関してはそれぞれ「○○シリーズ」というラベリングがされており、グッズは「ドラゴンクエストワールドグッズ」と呼ばれていた<ref group="注">初期のドラクエ4コマ漫画劇場の巻末広告などで確認できる。</ref>。1990年から1997年にかけては、グッズなどを紹介する「ドラゴンクエスト パーフェクトコレクション」という書籍も年刊で発行されていた。なお、エニックス以外でもドラクエの成り立ち上、『[[週刊少年ジャンプ]]』を刊行する[[集英社]]が出版に乗り出しており、攻略本のほか、コミカライズなどを手掛けている。 コミカライズされた一部の作品は[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]化や映画化される程の人気を博し、その他にもドラクエの世界観を活かしたオリジナルストーリーのミュージカル(1992年、[[SMAP]]主演)や[[バレエ「ドラゴン・クエスト」|バレエ]](1995年初演、[[スターダンサーズ・バレエ団]])、ロト3部作をベースにしたオリジナルストーリーのアクロバティックショー(2016年、ドラゴンクエスト ライブスペクタクルツアー製作委員会主催)などが上演された。 === 書籍 === ==== 攻略本 ==== ; 奥義大全書、Vジャンプブックス ゲームシリーズ : [[集英社]]から発売されている、スターティングガイド寄りの[[攻略本]]。初期設定やゲーム中盤までのダンジョンマップなどを掲載している。第1作から『V』(1992年)までは「奥義大全書」([[週刊少年ジャンプ]]特別編集)、スーパーファミコン版『I・II』(1993年)以降は「[[Vジャンプ]]ブックス」として発売。ゲームソフトと同時発売されることが多い。 ; 公式ガイドブック : 旧エニックス時代より、スクウェア・エニックス自社から発売されている攻略本。最初に発売された公式ガイドブックはファミコン版『III』のもので、その後に第1作と『II』のものが発売された<ref group="注">3冊の表紙を横に繋げるとロトの剣が完成するというデザイン。その後の『IV』でも上下巻を繋げると天空の剣が完成する。</ref>。チャートを用いた詳細なモンスターデータやゲーム上では不明な各種アイテムの具体的なイラストなどが掲載されていることが特徴。『IV』から『X』まではPS・PS2リメイク版のものも含み、『上巻・世界編』と『下巻・知識編』の分冊販売<ref group="注">DS・3DS版『IV』〜『VIII』のものは各一冊にまとめられている。</ref>。『世界編』ではショップリストやダンジョンマップ、Q&Aなど、『知識編』ではキャラクターやアイテム、モンスターの諸データが掲載されている。『XI』では一冊にまとめられているが、PS4版と3DS版の差異が大きいため、それぞれの対象機種ごとに二種類が同時刊行された(集英社刊のものも同様)。<br />いずれも、謎解きの具体的解法やストーリー詳細、ラストダンジョンやクリア後の追加要素などの詳細情報は伏せられている。これは、自力でゲームを進めていく楽しみを奪うと、ゲーム自体の売り上げにも悪影響が出かねないから、だと(スタンスに)している<ref>「出版事業に参入、エニックス、まず「ドラクエ」関連本‐ゲームソフトに次ぐ柱に」『[[日経産業新聞]]』[[1988年]][[9月1日]]付、7頁。</ref>。<br />なお『VIII』の非公式攻略本を巡る[[ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君#裁判|裁判]]の中で、第1作から『VII』および『ドラゴンクエストモンスターズ』など、ドラゴンクエストシリーズ全体の公式ガイドブックの総売上が、2004年末時点で約2256万部に上ることが明らかにされている。 ==== 『あるきかた』シリーズ ==== [[成沢大輔|CB's Project]]編(『VIIIの〜』まで)、旧エニックス / スクウェア・エニックス刊。戦闘やサブゲーム、モンスター分布、アイテム、町の人や登場人物、台詞などゲーム中のさまざまなものを徹底検証・解析した結果のレポートが書かれている。<!--“第1作『VII』はCB Project単独で出版〜”とありましたが、誤りです。--> * ドラゴンクエストVIIのあるきかた(2001年3月) * ドラゴンクエストIVのあるきかた(2002年3月1日) ※リメイク作・PS版『IV』に対する書籍 * ドラゴンクエストVのあるきかた(2004年8月10日) ※リメイク作・PS2版『V』に対する書籍 * ドラゴンクエストVIIIのあるきかた(2005年8月5日) * ドラゴンクエストXのあるきかた Vol.1(2016年7月7日) * ドラゴンクエストXのあるきかた Vol.2(2017年3月4日) ==== 『みちくさ冒険ガイド』シリーズ ==== スクウェア・エニックス刊。 * ドラゴンクエストIX みちくさ冒険ガイド(2010年3月4日) * ドラゴンクエストVI みちくさ冒険ガイド(2010年8月12日) ※リメイク作・DS版『VI』に対する書籍 * ドラゴンクエストI・II・III 超みちくさ冒険ガイド(2011年10月15日) * 冒険者おうえんシリーズ ドラゴンクエストX みちくさ冒険ガイド Vol.1(2013年2月14日) * 冒険者おうえんシリーズ ドラゴンクエストX みちくさ冒険ガイド Vol.2(2013年10月31日) * 冒険者おうえんシリーズ ドラゴンクエストX みちくさ冒険ガイド Vol.3(2014年3月27日) * 冒険者おうえんシリーズ ドラゴンクエストX みちくさ冒険ガイド Vol.4(2014年11月13日) * 冒険者おうえんシリーズ ドラゴンクエストX みちくさ冒険ガイド Vol.5(2015年3月31日) * 冒険者おうえんシリーズ ドラゴンクエストX みちくさ冒険ガイド Vol.6(2015年9月3日) * ドラゴンクエストXI 超みちくさ冒険ガイド(2017年10月19日) ==== 小説 ==== 旧エニックスおよびスクウェア・エニックス刊。 ; 『[[小説ドラゴンクエスト]]』シリーズ 各ゲームソフトのストーリーに基づいた[[小説]]作品。第1作から『VII』まで。第1作〜『III』は著:[[高屋敷英夫]]、『IV』〜『VI』『精霊ルビス伝説』は著:[[久美沙織]]、『VII』は著:土門弘幸。『トルネコの大冒険』も小説化されており、著:[[とまとあき]]&塚本裕美子。 * ドラゴンクエスト(1989年/四六版/全1巻・1991年/文庫版/全2巻・2000年/新書版/全1巻) * ドラゴンクエストII(1989年/四六版/全2巻・1990年/文庫版/全2巻・2000年/新書版/全1巻) * ドラゴンクエストIII(1990年/四六版/全2巻・1991年/文庫版/全2巻・2000年/新書版/全1巻) * ドラゴンクエストIV(1991年/四六版/全4巻・1992年/文庫版/全4巻・2000年/新書版/全3巻) * ドラゴンクエストV(1993年/四六版/全3巻・1994年/文庫版/全3巻・2000年/新書版/全3巻) * ドラゴンクエストVI(1996年/四六版/全2巻・1997年/文庫版/全3巻・2000年/新書版/全3巻) * ドラゴンクエストVII(2001年/四六版/全3巻・2004年/新書版/全3巻) * [[ドラゴンクエスト 精霊ルビス伝説]](1990年/四六版/全3巻・1992年/文庫版/全3巻) : 「ロトシリーズ」で重要な位置を占める精霊ルビスの前半生を描いた外伝作品。 ; 知られざる伝説、モンスター物語、アイテム物語、ワールド漫遊記 ゲームに登場したキャラクターやモンスター、アイテムに関する、ゲーム本編では語られなかったエピソードが綴られている。 * ドラゴンクエストIII 知られざる伝説(1988年11月) * ドラゴンクエスト モンスター物語(1989年7月) * ドラゴンクエスト アイテム物語(1989年12月) * ドラゴンクエストIV モンスター物語(1990年9月) * ドラゴンクエストIV 知られざる伝説(1990年11月) * ドラゴンクエストIV ワールド漫遊記(1991年3月) * ドラゴンクエスト 知られざる伝説 ロト2(1992年3月) * ドラゴンクエストV 知られざる伝説(1994年9月) ; ノベライズ作品 映画のストーリーに基づいた[[ノベライズ]]作品。『[[ドラゴンクエスト ユア・ストーリー]]』はダッシュエックス文庫版、みらい文庫版共に原作:堀井雄二、脚本:[[山崎貴]]、著:宮本深礼。 * ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 映画ノベライズ(2019年8月2日、集英社)ISBN 978-4-08-631322-3 * ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 映画ノベライズ みらい文庫版(2019年8月2日、集英社)ISBN 978-4-08-321519-3 ==== ゲームブック ==== 各ゲームソフトのストーリーに基づいた[[ゲームブック]]。[[双葉社]]発売のものと、旧エニックス発売のものがある。 * 『[[冒険ゲームブックシリーズ|ファミコン冒険ゲームブック]]』シリーズ(双葉社) ** ドラゴンクエスト 蘇る英雄伝説(1986年12月) ** ドラゴンクエストII 悪霊の神々(1987年7月/上・下巻) * 『エニックスオリジナルゲームブック』シリーズ(エニックス) ** 『[[ゲームブックドラゴンクエスト]]』シリーズ **: 第1作から『IV』までではストーリーが原作と大幅に異なる部分があり、オリジナルのキャラクターやモンスターなども登場した。 *** ドラゴンクエストIII(1988年 - 1989年/全3巻) *** ドラゴンクエストII(1989年/全2巻) *** ドラゴンクエスト(1989年/全2巻) *** ドラゴンクエストIV(1991年/全4巻) *** ドラゴンクエストV(1993年/全4巻) *** ドラゴンクエストVI(1996年/全4巻) ** [[トルネコの大冒険 不思議のダンジョン#その他関連書籍|トルネコの大冒険 不思議のダンジョン]](1994年 - 1995年/全3巻) ==== キャラクターブック ==== * ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて CHARACTER BOOK(2019年7月25日発売、集英社) ==== イラスト集 ==== * ドラゴンクエストモンスターズ 鳥山明イラストレーションズ<ref group="注">[[奥付]]のモンスターイラストレーション(担当)には、[[鳥山明]]と並んで[[中鶴勝祥]]の名前がある。</ref>(1996年12月1日発売、集英社) * ドラゴンクエスト25thアニバーサリー モンスター大図鑑<ref group="注">奥付のモンスターイラスト・イメージイラスト製作(担当)は「フェイク・デザイン・ワークス」と記されている。掲載されているイラストもパソコンで着色し直されたりしたもので、[[鳥山明]]の原画ではない。</ref>(2012年5月31日発売、スクウェア・エニックス) * 鳥山明 ドラゴンクエスト イラストレーションズ(2016年5月27日発売、集英社) ==== 絵本 ==== * ドラゴンクエスト あそびえほん めざせ竜王じょう!!(2017年7月29日発売、スクウェア・エニックス) * ドラゴンクエスト あそびえほん2 いや~さがしましたよ!(2018年12月20日発売、スクウェア・エニックス) * スライムぴぴぴ(2019年9月30日発売、スクウェア・エニックス)ISBN 978-4-75-756266-0 * ドラゴンクエストあいうえお(2019年9月30日発売、スクウェア・エニックス)ISBN 978-4-75-756183-0 ==== その他の書籍 ==== * バトルえんぴつ大百科(1997年6月、エニックス) * ドラゴンクエスト 30thアニバーサリー すぎやまこういちワークス~勇者すぎやんLV85~(2016年7月23日発売、スクウェア・エニックス) * ドラゴンクエスト 30thアニバーサリー ドラゴンクエスト名言集 しんでしまうとは なにごとだ!(2016年7月23日発売、スクウェア・エニックス) * ドラゴンクエストモンスターズ 20thアニバーサリー モンスターマスターメモリーズ(2018年12月13日発売、スクウェア・エニックス) * ドラゴンクエストなぞなぞブック なぞなぞーマからの挑戦状<ref>{{Twitter status|SQEX_GAMEGUIDE|1156877641850355712|スクエニ公式ゲームガイドによる2019年8月1日19:41の発言|accessdate=2019-12-20}} </ref>(2019年8月2日発売、スクウェア・エニックス) * ドラゴンクエストゆうしゃドリル 小学校低学年向け算数編 推奨学年:2年生<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1225895.html|title=「ドラクエ」を題材にした算数問題を収録! 「ドラゴンクエストゆうしゃドリル」本日発売!|accessdate=2019-12-20}}</ref>(2019年12月20日発売、スクウェア・エニックス) * ドラゴンクエストゆうしゃドリル 小学校低学年向け算数編 推奨学年:1年生(2020年7月22日発売、スクウェア・エニックス) * ドラゴンクエストゆうしゃドリル 小学校低学年向け漢字編 推奨学年:1年生(2020年7月22日発売、スクウェア・エニックス) === 漫画 === * [[DRAGON QUEST -ダイの大冒険-]](原作:[[三条陸]]、作画:[[稲田浩司]]、連載誌:[[週刊少年ジャンプ]]、1989年第45号 - 1996年第52号) * [[ドラゴンクエストへの道]](原作:エニックス出版局、脚色:[[和智正喜]]、作画:滝沢ひろゆき・石森プロ、監修:[[石ノ森章太郎]]、1990年1月31日) * [[DQI秘伝 竜王バリバリ隊]](原作:三条陸、作画:稲田浩司、連載誌:[[Vジャンプ|ブイジャンプ]]、1990年12月12日号、1991年6月26日号) * [[ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章]](作画:[[藤原カムイ]]、脚本:小柳順治、設定:[[川又千秋]]、連載誌:[[月刊少年ガンガン]]、1991年4月号 - 1997年No.8) * [[ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章|ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章Returns]](作画:藤原カムイ、脚本:小柳順治、設定:川又千秋、連載誌:[[ガンガンYG]]、2004年壱号 - 参号) * [[ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章 〜紋章を継ぐ者達へ〜]](作画:藤原カムイ、脚本:[[映島巡]]→[[梅村崇]]、連載誌:[[ヤングガンガン]]、2004年創刊号 - 2020年2号) * [[ドラゴンクエスト 精霊ルビス伝説]](原作:[[久美沙織]]、作画:[[阿部ゆたか]]、連載誌:[[月刊Gファンタジー]]、1993年4月号 - 1995年9月号) * [[スライム冒険記]]([[かねこ統]]、連載誌:[[Vジャンプ]]、1993年7月号 - 2000年2月号) * [[トルネコ一家の冒険記]](脚本:小松崎康弘、作画:[[村上ゆみ子]]、連載誌:[[月刊少年ギャグ王]]、1994年5月号 - 1997年5月号) * [[ドラゴンクエスト 幻の大地]]([[神崎将臣|神崎まさおみ]]、連載誌:月刊少年ガンガン、1997年No.9 - 2001年1月号) * [[ドラゴンクエスト プリンセスアリーナ]](脚本:小松崎康弘、作画:[[八坂麻美子]]、連載誌:月刊Gファンタジー、1997年8月号 - 2000年1月号) * [[ドラゴンクエスト 天空物語]]([[幸宮チノ]]、連載誌:月刊少年ギャグ王、1997年9月号 - 1999年4月号→月刊Gファンタジー増刊ステンシル、1999年夏号 - 2000年春号→[[月刊ステンシル]]、2001年3月号 - 2003年5・6月合併号→月刊Gファンタジー、2003年6月号 - 2004年7月号) * [[ドラゴンクエスト ヴァーチャルバトラー仁]]([[御茶まちこ]]、連載誌:月刊少年ギャグ王、1997年4月号 - 1998年6月号) * [[ドラゴンクエストモンスターズ+]]([[吉崎観音]]、連載誌:月刊少年ガンガン、2000年4月号 - 2003年2月号) * [[ドラゴンクエスト エデンの戦士たち]](藤原カムイ、連載誌:月刊少年ガンガン、2001年2月号 - 2006年1月号) * [[DRAGON QUEST IV外伝 -地獄の迷宮-]](原作:三条陸、作画:稲田浩司、掲載誌:[[月刊少年ジャンプ]]、2001年12月号、2002年1月号) * [[スライム大作戦]]([[かねこ統]]、連載誌:Vジャンプ、2000年5月号 - 2003年11月号) * [[スライムもりもり]](かねこ統、連載誌:Vジャンプ、2003年12月号 - 2015年11月号<ref>{{Cite web|和書|url=https://booklist.id/manga/677531/|title=マンガリスト スライムもりもり|accessdate=2019-8-1}}</ref>、[[最強ジャンプ]]、2012年1月号 - 2016年1月号<ref>{{Twitter status|sam_neco|672325682928549888|かねこ 統による2015年12月03日17:05の発言|accessdate=2019-8-1}} </ref>) * [[ドラゴンクエスト モンスターバトルロードビクトリー]](脚本:[[かねこ統]]、作画:オオイシナホ、掲載誌:Vジャンプ、2010年6月号 - 11月号) * [[ドラゴンクエスト 蒼天のソウラ]]([[中島諭宇樹]]、連載誌:Vジャンプ、2013年2月号 - 2022年12月号) * [[ゆうべはお楽しみでしたね]]([[金田一蓮十郎]]、連載誌:ヤングガンガン、2014年13号 - 連載中) * [[スライムドーン!!]](かねこ統、連載誌:Vジャンプ、2016年2月号 - 2021年10月号) * [[ドラゴンクエスト モンスターバトルスキャナー|マンガでドラゴンクエスト スキャンバトラーズ]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://blog.jp.square-enix.com/dqsb/2017/10/post-175.html |title=かねこ統先生執筆のスキャバト漫画が、連動アプリ「ぼうけんのしょ」で連載開始 |accessdate=2017-11-22}}</ref>(かねこ統、連載:連動アプリ「ぼうけんのしょ」、2017年10月31日 - 2019年3月26日<ref>{{Twitter status|DQSB_PR|1110466849785827328|DQスキャンバトラーズ公式による2019年3月26日18:01の発言|accessdate=2020-09-20}} </ref>) * [[ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて|ドラゴンクエストXI S 盗賊たちの挽歌]]([[真島ヒロ]]、連載誌:Vジャンプ、2019年10月号) * [[DRAGON QUEST -ダイの大冒険-|ドラゴンクエスト ダイの大冒険 勇者アバンと獄炎の魔王]](原作:三条陸、漫画:[[芝田優作]]、連載誌:Vジャンプ、プロローグ/2020年11月号・連載開始/2020年12月号 - 連載中) * ドラゴンクエスト ダイの大冒険 クロスブレイド(漫画:[[天望良一]]、連載誌:[[最強ジャンプ]]、2020年11月号 - 連載中) * ドラゴンクエスト トレジャーズ アナザーアドベンチャー ファラドの宝島(原作:はらまさき、漫画:[[天野洋一]]、連載誌:Vジャンプ、2023年1月号 - 連載中) === 4コマ漫画 === * ドラゴンクエスト [[4コママンガ劇場]](エニックス→スクウェア・エニックス) * ドラゴンクエスト 1Pコミック劇場(エニックス) 本シリーズ各作品のゲーム内容を元ネタとした、複数の作家による[[4コマ漫画]]アンソロジー。同シリーズからは[[衛藤ヒロユキ]]、[[柴田亜美]]などが人気作家になっている。一般読者から募集した「4コマクラブ」会員からの投稿作品を集めた番外編も存在し、その中から多数の漫画家を輩出している。『[[月刊少年ガンガン]]』で「ガンガン編」も連載、また姉妹版として「[[1ページ漫画|1Pコミック劇場]]」が『[[月刊少年ギャグ王]]』で連載され、いずれも単行本化されている。4コママンガ劇場シリーズは1990年から2005年まで発行され続け、総巻数は100冊を超えた。2005年を最後にドラゴンクエストシリーズの4コマは途絶えていたが、2009年に4年ぶりに『IX』の4コマ劇場が発行されたほか、2013年から2014年にかけて『X』の4コマ劇場が[[ヤングガンガン]]と[[ガンガンONLINE]]にて連載された。『IV』と『VI』の2タイトル以外は、作品単体での4コマ漫画劇場が発行されている(ただし『I』〜『III』は過去の作品の再録)。 === TVアニメ === * [[ドラゴンクエスト (アニメ)|ドラゴンクエスト]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列、[[日本アドシステムズ|NAS]]制作、第1部/[[1989年]] - [[1990年]]、第2部/[[1991年]]) - のちにDVD『ドラゴンクエスト 勇者アベル伝説』として発売。 * [[DRAGON QUEST -ダイの大冒険-]]([[TBSテレビ|TBS]]系列、東映動画制作、[[1991年]] - [[1992年]]) - 同名漫画のアニメ版。 * [[DRAGON QUEST -ダイの大冒険-#2020年版『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』|ドラゴンクエスト ダイの大冒険]]([[テレビ東京]]系列、[[東映アニメーション]]制作、[[2020年]] - [[2022年]]) -上記アニメのリメイクで原作完結までをアニメ化。 === OVA === * [[スライム冒険記]](Vジャンプフェスティバルにて上映された短編アニメ、1995年、1998年、1999年) - 同名漫画のアニメ版。 === 映画 === * [[ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章]] (1996年) - 同名漫画の劇場アニメ版。 * [[ドラゴンクエスト ユア・ストーリー]]([[2019年]]8月2日公開) - 『[[ドラゴンクエストV 天空の花嫁]]』をストーリーベースとしたフル3DCGアニメーション映画。 === テレビドラマ === * [[ゆうべはお楽しみでしたね#テレビドラマ|ゆうべはお楽しみでしたね]]([[毎日放送]]、2019年1月 - 2月) - 同名漫画のテレビドラマ版。 * [[世にも奇妙な物語 秋の特別編 (2021年)#ふっかつのじゅもん|世にも奇妙な物語'21秋の特別編「ふっかつのじゅもん」]](フジテレビ系列、2021年11月) === 舞台 === * ミュージカル「ドラゴンクエスト」(1992年、[[南座|京都・南座]]、主演:[[SMAP]]) * [[バレエ「ドラゴン・クエスト」]](1995年 - 2007年、[[神奈川県民ホール]] ほか、[[スターダンサーズ・バレエ団]]公演) * [[ドラゴンクエストライブスペクタクルツアー]](2016年、[[さいたまスーパーアリーナ]] ほか、出演:[[中川翔子]]、[[風間俊介]] ほか)<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/stage/news/175778|title=「ドラゴンクエスト」ショー、アリーナは中川翔子「二段蹴りに挑戦したい」|publisher=ステージナタリー|date=2016-02-10|accessdate=2016-02-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/stage/news/176456|title=「ドラゴンクエスト」ショー、テリー役は風間俊介!衣装にも強くこだわる|publisher=ステージナタリー|date=2016-02-18|accessdate=2016-02-18}}</ref> === イベント === * 竜王迷宮からの脱出([[体感型ゲーム|体感型謎解きイベント]]、2016年5月13日 - 15日・[[幕張メッセ]]、主催:竜王迷宮からの脱出製作委員会、企画制作:SCRAP、企画・監修:ドラゴンクエスト30周年実行委員会、企画協力:スクウェア・エニックス 集英社) * 大魔王ゾーマからの脱出(体感型謎解きイベント、2018年8月11日 - 19日・幕張メッセ、主催:大魔王ゾーマからの脱出製作委員会、企画制作:SCRAP、企画・監修:スクウェア・エニックス) === ビデオ === ; [[ドラゴンクエスト ファンタジア・ビデオ]] (1988年) : ドラゴンクエストの世界観を実写で表現。 === 関連CD === ※かつて下記の一部は、[[コンパクトカセット|カセットテープ]]・[[レコード|LP盤]]・[[ミニディスク|MD]]でもリリースされていた。 ==== サウンドトラック ==== ; [[交響組曲「ドラゴンクエスト」]]、[[サウンドトラック]] : ゲーム内で使われている音楽を収録した[[アルバム]]。交響組曲では、各ゲーム作品で流れるBGMを、すぎやまこういちによる[[指揮 (音楽)|指揮]]のもと、[[NHK交響楽団]]、[[ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団]]、[[東京都交響楽団]]などの[[オーケストラ]]によって演奏された曲が収録されている。[[リメイク]]作品などの音楽は、交響組曲版の[[編曲]]・進行を準拠にして作られている場合が多い。[[ゲームミュージック|ゲーム音源]]については、スーパーファミコン版『V』以前は、実際のゲームプレイ中のサウンドがゲームスタートからエンディングまで繋がり効果音も入った「オリジナルサウンドストーリー」として収録されていたが、スーパーファミコン版『I・II』以降のCDでは、曲単位での収録となった。また、『VIII』とSFC版『III』以外は、オーケストラ盤とゲーム音源盤がセットになったパッケージで発売されている。 : 初期のものは多くは[[廃盤]]になっているが、多くが何らかの形で再発されている(オーケストラ盤は再録や再発)。ゲーム音源は『VII』以前のものをまとめた3枚組のゲーム音源集が3セット発売されている。 : PlayStation 2版の『V』では、交響組曲のNHK交響楽団版がゲーム音源として使用されており、以降の作品でも、直に交響組曲がゲーム音源として使用されることが増えている。 : 交響組曲の他にも、ドラゴンクエストシリーズのゲーム音楽CDは、[[吹奏楽]]版(イン・ブラス)、[[ピアノ]]版(オン・ピアノ)、[[弦楽四重奏]]、[[金管五重奏]]、[[雅楽]](ジパングワールド)など、さまざまな形態で演奏・リリースされている。 ==== ソングCD ==== ドラゴンクエストの音楽に歌詞を付けて歌った物。 * そして伝説へ…(歌手:[[鴻上尚史]]、[[バンダイ・ミュージックエンタテインメント]]、1988年6月21日) * 結婚ワルツ(歌手:[[ルーラ (デュオ)|ルーラ]]、[[ポリスター]]、1993年1月25日) * ドラゴンクエストのうた ベスト・ソング・セレクション(歌手:ルーラ、ポリスター、1993年5月26日) * コンプリート・シングルス [[Love Song 探して]](歌手:牧野アンナ、SOLID、2015年9月16日) ==== ドラマCD ==== ; 『[[CDシアター ドラゴンクエスト]]』シリーズ 各ゲームソフトのストーリーに基づいて音声ドラマ化したもの。第1作から『VI』と『トルネコの大冒険』が発売されている。 * CDシアター ドラゴンクエスト(1991年7月19日) * CDシアター ドラゴンクエストII(1991年12月13日) * CDシアター ドラゴンクエストIII(1993年2月28日) * CDシアター ドラゴンクエストIV(VOLUME1/1993年12月10日・VOLUME2/1994年1月28日・VOLUME3/1994年3月13日) * CDシアター トルネコの大冒険 不思議のダンジョン(1994年7月29日) * CDシアター ドラゴンクエストV(VOLUME1/1994年9月30日・VOLUME2/1994年10月28日・VOLUME3/1994年12月16日) * CDシアター ドラゴンクエストVI(上巻/1996年9月27日・下巻/1996年10月25日) ==== ボイスドラマ ==== * ドラゴンクエストXI(2019年9月27日) === カードゲーム === * ドラゴンクエストカードゲーム パルプンテ(1989年) * ドラゴンクエストカードゲーム 格闘技場(1989年) * ドラゴンクエストカードゲーム メガンテ(1989年) * ドラゴンクエストカードゲーム 祠の勇者(1989年) * ドラゴンクエストカードゲーム ギガデイン(1989年) * ドラゴンクエストカードゲーム 銀のタロット(1990年) * ドラゴンクエストカードゲーム キングレオ(1990年) : [[UNO (ゲーム)|UNO]]に類似したカードゲーム。 * ドラゴンクエスト カードゲーム 大格闘技場(1991年) * ドラゴンクエストカードゲーム バルザック(1991年) * ドラゴンクエストカードゲーム オールスターズ(1992年) * ドラゴンクエストカードゲーム ドラゴンオーブ(1992年) * ドラゴンクエストカードゲーム シールド アンド ウエポン(1993年) * トルネコの大冒険 カードゲーム(1994年) * ドラゴンクエストI ・II カードゲーム(1994年) * トルネコの大冒険2 カードゲーム(1999年) * ドラゴンクエスト [[トレーディングカードゲーム]](2014年3月28日 - ) === ボードゲーム === * ドラゴンクエストボードゲーム モンスタースクランブル(1989年) * ドラゴンクエストボードゲーム 不思議迷宮(1989年) * ドラゴンクエスト ダンジョン ** ドラゴンクエスト ダンジョン(1990年) ** ドラゴンクエスト ダンジョンR(2006年11月18日) * ドラゴンクエスト ダンジョンII キングスライムの洞窟(1990年) * 冒険活劇ボードゲーム ドラゴンクエスト デスパレス(1990年8月) * ドラゴンクエスト アレフガルド 立体ジオラマ対戦ゲーム(1991年) * ドラゴンクエストボードゲーム スライムレース ** ドラゴンクエストボードゲーム スライムレース(1992年) ** ドラゴンクエストボードゲーム スライムレース Re(2012年9月29日) * ドラゴンクエスト モンスターダイス ボードゲーム(1993年) * ドラゴンクエストI・II ボードゲーム(1993年) * ドラゴンクエスト かさねてスライムタワーゲーム スライムタワーをつくるのだっ!(2014年3月7日) === 玩具など === * ドラゴンクエスト ボトルキャップ ** ドラゴンクエスト7ボトルキャップ(2000年) ** ドラゴンクエストボトルキャップselection I (2003年3月) ** ドラゴンクエストボトルキャップselection II(2003年7月) ** ドラゴンクエストボトルキャップアレフガルドの魔族編(2003年11月) ** ドラゴンクエストボトルキャップ天空編(2004年4月) ** ドラゴンクエストボトルキャップ伝説の魔物編(2009年9月) * [[バトルえんぴつ|ドラゴンクエスト バトエン]] ** 第1期 ドラゴンクエスト バトルえんぴつ1 - 37(1993年2月 - 1997年6月<ref name="batoen">リアルDQバトエンを知っているか!?『ドラゴンクエストX オンライン いざ新たなるアストルティア』〈Vジャンプブックス〉集英社、2017年12月7日、ISBN 978-4-08-779762-6、64 - 66頁。</ref>) ** ドラゴンクエスト キングバトルえんぴつ1 - 6(1995年) ** 第2期 ドラゴンクエストモンスターズ バトエン1 - 16(1998年11月 - 1999年7月<ref name="batoen" />) ** ドラゴンクエスト バトエンEX(第1期復刻)1 - 4(2000年3月<ref name="batoen" />) ** 第3期 ドラゴンクエスト バトエンG1 - 100(2000年10月 - 2007年5月<ref name="batoen" />) ** ドラゴンクエスト キングバトエンG1 - 2(2004年) ** 第4期 ドラゴンクエスト バトエンG HD1 - 58(2007年6月 - 2010年5月<ref name="batoen" />) ** 第5期 ドラゴンクエスト バトエンGP1 - 35(2010年9月 - 2012年11月<ref name="batoen" />) ** ドラゴンクエスト バトエン20th記念セット(第1期復刻)I - III(2013年8月14日) ** 第6期 ドラゴンクエスト バトエンGX001 - 005(2013年9月 - 2014年1月<ref name="batoen" />) == その他 == *2017年7月15日、堀井雄二の出身地である[[兵庫県]][[洲本市]]に、スライムとロトの剣、ロトの盾をかたどった銅像が建立された<ref>{{Cite web|和書|date=2017-07-16 |url=http://www.asahi.com/articles/ASK7G02F4K7FPIHB03Y.html |title=淡路島にスライム出現 ドラクエ生みの親の故郷に銅像 |publisher=朝日新聞社 |accessdate=2017-07-17}}</ref>。 *2018年には、『[[ドラゴンクエスト]]』の発売日であった5月27日が「ドラゴンクエストの日」として[[日本記念日協会]]に認定された<ref>{{Cite web|和書|title=32年前の今日、ドラクエは生まれた。発売当時、堀井雄二氏が抱いていた「不安」とは|author=ハフポスト日本版編集部|url=https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/26/dq_a_23444393/|publisher=ザ・ハフィントン・ポスト・ジャパン|website=ハフポスト|date=2018-05-27|accessdate=2018-05-27}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=そして伝説がはじまった……! 5月27日が「ドラゴンクエストの日」に認定!|url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1805/27/news015.html|author=宮原れい|publisher=アイティメディア|website=ねとらぼ|date=2018-05-27|accessdate=2018-05-27}}</ref>。 *[[ローソン|ローソン外神田三丁目店]]と大阪・日本橋なんさん通り店は、当作品とのコラボ店舗でスライムなどで装飾されている。 *2021年5月15日、[[兵庫県立淡路島公園]]内「ニンゲンノモリ」(兵庫県[[淡路市]])にて「[https://nijigennomori.com/dragonquestisland/ ドラゴンクエスト アイランド]」がオープンした<ref>{{Cite web|和書|date=2021-04-03 |url=https://nijigennomori.com/2021/04/03/dragonquest-3/ |title=【ドラゴンクエスト アイランド】05月15日(土)オープン決定!5月10日(月)~チケット販売開始! |publisher=ニンゲンノモリ |accessdate=2022-10-28}}</ref>。 {{Gallery |ファイル:Monument of Dragon Quest.jpg|ドラゴンクエスト記念碑 |ファイル:秋葉原_2019年CIMG4282.jpg|ローソン外神田三丁目店(2019年) }} === 他作品への客演など === ==== ゲーム ==== * [[リンクの冒険]](1987年)- 作中「ロトの墓」が登場する。 * [[カイの冒険]](1988年)- 作中「ホイミスライム」を模した敵キャラクターが存在する。スタッフクレジットにスペシャルサンクスとして「ドラゴンクエスト ホイミスライム」と記載されている。 * [[いただきストリート2 〜ネオンサインはバラ色に〜]](1994年)- ドラゴンクエストシリーズをモチーフとしたマップ「スラリン」「アレフガルド」がある。 * [[レディストーカー 〜過去からの挑戦〜]](1995年)- [[メガドライブ]]用RPG。作者の[[内藤寛]]は元[[チュンソフト]]所属(『III』『IV』のプログラマ)。『IV』の第二章のスピンオフとして製作したが、諸事情により発売できなくなったため、キャラクター名やアイテム名などを変更して別作品として発売したと言われている<ref>ゲームラボ2007年3月号</ref>。 * [[MARIO SPORTS MIX]](2010年)- Wiiのスポーツゲーム。マリオシリーズのキャラクターが4種類の[[球技]]に挑戦する『MARIO SPORTS MIX』に、ドラゴンクエストシリーズからスライム(およびスライムベス、メタルスライム)がゲストとして登場、マリオシリーズ、および同じくゲストとして登場しているファイナルファンタジーシリーズのキャラクターたちと共演する。 * [[大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL]] (2019年) - 2019年7月31日配信の追加DLC第2弾として『XI』の主人公が「勇者」名義で参戦<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.famitsu.com/news/201907/31180443.html|title=『スマブラSP』新ファイター『ドラクエ』勇者は7月31日午前中配信。勇者の必殺ワザやアクションなど新情報まとめ|accessdate=2019-8-1}}</ref>。また、カラーチェンジで『III』、『IV』、『VIII』の主人公も使用可能のほか、最後の切りふだでシリーズ歴代の主人公たちが登場する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.famitsu.com/news/201907/31180585.html|title=『スマブラSP』第2弾DLCファイター『ドラゴンクエストシリーズ』“勇者”が本日より参戦! 新ステージの天空の祭壇と8つの新楽曲もセットに|accessdate=2019-8-1}}</ref>。 ==== テレビ番組 ==== [[テレビ東京]]系 * [[勇者ヨシヒコシリーズ]] - [[山田孝之]]主演・[[福田雄一]]脚本・監督のテレビドラマシリーズ。主人公の外見は『[[ドラゴンクエストV 天空の花嫁]]』と全く同じで、魔王を倒す旅に出るあらすじも同じ。モンスター名は明示していないがゲームに登場したモンスター、呪文の名前や効力などをパロディにしている。ゲームの効果音がそのまま使われている場面もあり、スクウェア・エニックスは協力としてクレジットされている。 ** [[勇者ヨシヒコと魔王の城]]([[2011年]]) ** [[勇者ヨシヒコと悪霊の鍵]]([[2012年]]) ** [[勇者ヨシヒコと導かれし七人]]([[2016年]]) * [[ノーコン・キッド 〜ぼくらのゲーム史〜]] (2013年) - ゲーム史を取り入れたテレビドラマ。第4話で『II』をめぐる騒動がストーリーのメインになっている。堀井雄二もカメオ出演している。 [[テレビ朝日]]系 * [[アメトーーク!|雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!]] - 2014年[[12月4日]]放送回で初のTVゲームのテーマ「ドラゴンクエスト芸人」を行った。扱ったゲームは『I』から『X』まで。番組最後に堀井が来ていたことが判明している。 [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系 * [[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!#やるやらクエストシリーズ|やるやらクエスト]] - 『[[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!]]』で行なわれたパロディコント。出演者の服装もドラゴンクエストシリーズをベースにしているほか、ゲーム音楽も一部使用された。ちなみに「'''YARUYARA QUEST'''」のタイトルロゴは、「'''DRAGON QUEST'''」をベースにしたものとなっている。 * [[世にも奇妙な物語 秋の特別編 (2021年)|世にも奇妙な物語'21秋の特別編]]「ふっかつのじゅもん」(2021年) - [[桐谷健太]]主演の短編ドラマ。『Ⅱ』と『Ⅲ』がストーリー内に登場しており、スクウェア・エニックスが制作に協力している。 ==== コラボレーション ==== * ファミコン版 Google マップ(2012年4月1日)- [[スクウェア・エニックス]]及び[[任天堂]]協力の[[エイプリルフール]]企画<ref>{{Cite web|和書|date=2012-04-01 |url=https://japan.googleblog.com/2012/04/google-8.html |title=ファミコン版 Google マップ 8 ビットができました。 |publisher=Google |work=Google Japan Blog |accessdate=2012-04-01}}</ref>。「竜王が世界征服を完了した」という設定で<ref>{{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20120401031242/http://www.dragonquest.jp/news/detail/536/ |date=2012年4月1日 |title=竜王様 世界征服完了のお知らせ - ドラクエ・パラダイス}}</ref>、ファミコン版ドラクエのワールドマップを模した「ファミコン版 Google マップ」(''Google Maps 8-bit'')が登場、Google マップをファミリーコンピュータ(NES)用に移植した[[モデム]]機能付ファミコン用カセットのネタ動画も[[Google]]により作成された<ref>{{YouTube|rznYifPHxDg|Google Maps 8-bit for NES}}</ref>。同年4月3日以降はGoogle マップの表面上からは削除されたが、Google Maps APIには残されている<ref>[https://www.google.com/maps?t=8&utm_campaign=8bit&utm_source=yt Google マップ]</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2012-04-02 |url=https://weekly.ascii.jp/elem/000/002/609/2609335/?r=1 |title=竜王はどこだ!? 『Googleマップ8ビット』を攻略せよ |publisher=アスキーメディアワークス |work=週アス+ |accessdate=2012-04-04}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2012-04-02 |url=https://weekly.ascii.jp/elem/000/002/609/2609335/?r=1 |title=えっ、も、もう!? 「ドラクエ風Googleマップ」がさっそくゲームになりました |publisher=ITmedia |author=池谷勇人 |accessdate=2012-04-04}}</ref>。 * [[トヨタ・アクア]] - 2016年にドラクエとコラボした。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=注}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * HIPPON SUPER編集部・編『ドラゴンクエストIV MASTER'S CLUB』(JICC、1990年) * ファミコン神拳奥義大全書 復刻の巻(ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III付録、2011年) * ドラゴンクエスト 25周年記念 BOOK(Vジャンプブックス、2011年) * {{Cite web|和書|date=2013-8-22|url=https://www.4gamer.net/games/139/G013996/20130822039/|title=[CEDEC 2013]「日本人のためのMMORPGの開発」聴講レポート。「ドラゴンクエストX」が破ったオンラインゲーム開発の“常識”,そしてドラクエが挑戦する理由とは? |work=[[4Gamer.net]]||publisher=Aetas|accessdate=2013-12-12}} == 関連項目 == * [[ドラゴンクエストシリーズの楽曲一覧]] == 外部リンク == {{Wikinews|ドラゴンクエストIX、「すれちがい通信」1億人突破でギネス世界記録に認定}} {{commonscat|Dragon Quest}} * {{Official website|name=ドラゴンクエスト公式サイト ドラクエ・パラダイス}} * [https://www.jp.square-enix.com/game/?s=1 スクウェア・エニックス ゲーム ドラゴンクエスト] * [https://www.jp.square-enix.com/dqsp/ ドラゴンクエストfor スマートフォン ポータルサイト] * {{Twitter|DQ_PR|ドラゴンクエスト宣伝担当}} {{DragonQuest}} {{ドラゴンクエスト関連作品}} {{デフォルトソート:とらこんくえすとしりいす}} [[Category:ドラゴンクエスト|*]] [[Category:コンピュータゲームのシリーズ]] [[Category:メディアミックス作品]] [[Category:日本のギネス世界記録]]
2003-02-09T15:21:30Z
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[ "Template:See", "Template:Efn2", "Template:ドラゴンクエスト関連作品", "Template:コンピュータゲームシリーズ", "Template:Timeline of release years", "Template:YouTube", "Template:Twitter", "Template:Main", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Twitter status", "Template:Commonscat", "Template:Official website", "Template:Redirect", "Template:出典の明記", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Webarchive", "Template:Cite book", "Template:Wayback", "Template:Wikinews", "Template:要曖昧さ回避", "Template:Gallery", "Template:DragonQuest" ]
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ゲームソフト
ゲームソフトは、コンピュータゲームのためのソフトウェア(コンピュータ・プログラム)である。 ゲーム機(ゲーム専用機)用も、汎用のパーソナルコンピュータ用もある。さらに言うとメインフレーム上などで動くゲームソフトもある。最近ではスマホやタブレット用のものもあり、それらはゲーム・アプリと呼ばれる。 多くはシステムソフトウェア(オペレーティングシステム)の管理下で動作するアプリケーションソフトウェアとして動作するが、それ以外の実装方法もある。 1950年代や1960年代、つまりコンピュータと言っても実質的にはメインフレームやミニコンピュータくらいしかなく、まだパーソナルコンピュータがこの世に登場していなかった時代に、すでにゲームソフトはつくられ、遊ばれていた。 1975年に「史上初の市販のパーソナルコンピュータ」とされるAltair 8800が登場し、1970年代後半に次々とパーソナルコンピュータの新しい機種が登場してくるとゲームソフトの数も急激に増えてゆくことになった。 一例を挙げると、1976年にはウォズニアックとスティーブ・ジョブズがApple Iを、翌1977年にはApple IIを発売し、そのApple II用に次々とゲームソフトが制作されてゆくことになり、最初はApple IIの開発者のウォズニアックが書いたBreak Outつまりブロックくずしなど数本だけであったが、その後はさまざまな組織が制作・発売することになり、1978年には17本前後、1979年には21本前後、1980年には25本前後といった調子で制作されていった(→en:List of Apple II gamesを参照)。 また、1977年にはコモドール社がCommodore PETというパーソナルコンピュータを発売し、そのPET用にも多くのゲームソフトが制作されていった(→en:List of Commodore PET gamesを参照)。Apple IIやPET用のゲームソフトの供給の形としては、カセットテープ(オーディオ用のカセットテープをデータ記録用に用いたもの)、フロッピーディスク、雑誌の誌面の文字などであった。 また1976年に日本でNECから発売されたTK-80という8080互換CPUのトレーニング用ボードでも、表示装置は8桁の7セグメントLEDしかなかったにもかかわらず、当時のコンピュータ・マニア(マイコン愛好家)たちはそんな表示装置だけでも遊べるゲームソフトをさっそく16進数の機械語で書き始めた。さらに1977年11月にTK-80BSという拡張キットが発売されテレビ画面に表示ができるようになると、マニアたちは文字キャラクタ(文字フォント)を画面に表示することで簡素な図を表現して遊べるゲームを次々と制作、まもなくドットつまり画面上の黒くて小さな点単位で表示を制御してゲームを制作することも行い始め、1978年に世の中でスペースインベーダーが流行り始めるとマニアたちはまもなくそれの動作原理も解析し、機械語+BASICなどでプログラムを書きTK-80BSに移植した。 1978年にはシャープからMZ-80Kが発売され、同機用のゲームをマニアたちや企業などが制作し、誌面の印刷文字などで供給され1文字ずつ入力したり、カセットテープの形で供給でされたりした。 ゲームソフトウェアを文字入力する場合、それがどのようにユーザに届けられていたかというと、1976年には『I/O』というマイコン雑誌が創刊され、そこにコンピュータゲームのプログラムがBASICや16進数の機械語で書かれた状態で紙面に印刷され、マニアたちがそれを、1文字1文字、手で入力して遊ぶなどということがさかんに行われるようになっていた。1982年5月には日本ソフトバンク社(現・ソフトバンクグループ)からゲームソフトのソースプログラムも掲載した雑誌『Oh!MZ』が創刊(6月号)となった。 一方で1977年にAtari社から「Video Computer System」の名でゲーム機が発売され、ロムカートリッジの形(ROM、Read only memoryが入ったカートリッジ)でゲームソフトが販売された。1977年に『Indy 500』など9本、1978年に18本といった調子で数が増えていった(→en:List of Atari 2600 games)。 1983年には任天堂から(初期のゲーム専用機としては第三世代とも位置づけられる)ファミリーコンピュータが発売され(世界的にはNESの名で販売が展開され)、そのゲームソフトはやはりロムカセットの形(Atari社のロムカートリッジと呼び方は異なっているが、基本的には同じ原理のもの)で販売された。本体発売時に発表されたのは『ドンキーコング』『ドンキーコングJR.』『ポパイ』の3本だけだったが、その後、年々、爆発的に数が増えていった(→ファミリーコンピュータのゲームタイトル一覧およびen:List of Nintendo Entertainment System games、日本語版と英語版では、それなりにリスト内容が異なっている)。 本来ソフトウェアは物理的な形を持たないが、ゲームコンソール用のゲームソフトに関しては、最初にロムカセットの時代があり、それにより「物」として販売するという慣習もできた。その結果として中古流通も盛んになった。現在でもフリマアプリやネットオークションなどで盛んに取引されている。 近年ではインターネット上のPlayStation Network(PSN)などでゲームソフトを選んでダウンロードして遊ぶということも盛んである。この形態の場合、中古で流通することはないので、開発会社や販売会社としては、いわゆる「とりはぐれ」のない形で収益を見込めるというメリットがある。なおPSNなどでもゲームソフトが無料で公開されている場合もある。新作が発表された時などには、旧バージョンをあえて一定期間無料で公開し、新作の需要喚起を行う、という販売手法もとられる。 「ゲームソフト」と呼ばれていたにせよ、カートリッジ版のそれは、実は、純粋なソフトウェアではなく、かなりハードウェア的な要素も含んでいた。たとえばROMカートリッジ形態の場合、カードエッジコネクタでデータバス以外も接続し、ただのメモリ用のROMチップだけでなく、サウンド処理用LSI、ASIC、補助プロセッサなども内蔵されていた。ゲーム機本体をハードウェア的に補う役割も果たしていた。さらに、ファミコンやスーパーファミコンではプラットフォームの世代交代の直前の時期などには、ゲーム機本体よりも高性能なプロセッサが積まれることもあった。ものによっては、カートリッジ内に主処理を行うプロセッサ(メインプロセッサ)を搭載する製品もあった。 最初はコンピュータ用の一般的チップが使われることも多かったが、その後、簡単にソフトウェアをコピーされてしまうことを防止するために、さまざまな工夫をしてプロテクトをかけるということも多くなった。 初代ファミリーコンピュータ時代の「ゲームソフト」は、とても質素な紙箱、ゲームカートリッジと同じサイズか、せいぜい2倍程度のサイズの紙箱に入っていた。説明書も小さな紙切れのようなものだった。 その後、初代PlayStationなどからCD-ROMに記録された形で販売されるようになり、CD-ROMケースに入れた状態で(音楽CDの歌詞冊子と同じサイズの)取扱説明書が付属して販売されるようになった。その後次第に、光ディスクの大容量化が行われ、いくつか段階を踏んで、Blu-ray Discでの販売へと変化してきたわけである。 ゲーム特有の現象では無いが、本やCD,レコードなどと同様に熱中するゲームプレーヤーの本棚やクローゼットには、ゲームソフトのパッケージがずらずらと並ぶことになった。 最近では、ゲーム専用コンソールでも、インターネット経由のデジタル配信による販売が盛んである(ダウンロード販売またはオンラインソフトウェアとも)。 ユーザー側としては、デジタル配信なら、わざわざ時間をかけて実店舗に出向いて購入する手間も不要であるし、ネット通販のように商品が自宅に届くまで1〜3日など待つ必要もない。PSNなどのサイトに接続し、ソフトウェアのリストを見て、気に入ったらすぐにダウンロードを開始することができるというメリットがある。次第にソフトの購入数が増えても、それらは全部ハードディスクの中におさまり、「物体」のパッケージは増えないので、部屋のスペースを余分にとらない、部屋がちらからない、というメリットもある。 ゲーム開発会社やプラットフォーマー(つまりゲームプラットフォームを開発・販売しているSIEや任天堂など)の側としても、サーバーにゲームソフトのデータを置いておけば、ユーザーたちがアクセスして、クレジットカードの番号なども入力して有料でダウンロードされるたびに確実に売上を計上できるので、とても便利な仕組みである。また、ダウンロード版販売の場合、メーカー側はDISCやそのパッケージなどの「物体」を大量に製造せずに済む。メーカーにとっては「物体」を大量に製造するというのは、悩みのタネである。というのは、製造するためには製造数を指定しなければならず(たとえば他社の工場で製造する場合は発注数量を明記した「注文書」の類を作成し(明示的であれ非明示的であれ)取引契約を結んだ形にしなければならないし、たとえば自社工場で製造する場合でも数量を明記した「製造指示書」の類を自社工場の管理部門に対して渡さなければならない)、つまり数量をあらかじめ指定しないと「物体」のゲームソフトの製造は始まらないのである。つまり、あらかじめ「売れるだろう数」を予想しないと「物体」状の製品は製造を開始することすらできないのである。だが販売担当者も普通の人間でありいわゆる"全知全能の神"ではないので、ゲームソフトがどれくらい売れるかなどということは事前に分かるわけがない。もし担当者が「よく売れるはず」と見込んで、一度に大量に発注して作ってしまうと、それが売れなかった場合、大量のデッドストック(不良在庫)になってしまう。大量のデッドストックというのは、今まで無数のメーカーを倒産に追い込んだような、とても恐ろしい現象である。製造にかかったコストがまるまる損失として企業の会計(経理、キャッシュフロー)に襲いかかる。かといってデッドストックを恐れるあまり、あまりに小さなロット(製造数)で製造すると、今度は予想以上に売れた場合に、需要に応えられず供給不足となり、売上が伸びない。このように需要量に対して製造量が少なすぎる状況は、マーケティングの分野ではしばしば「販売チャンスの喪失」などと厳しい言い方で表現する。つまり販売責任者は、販売予想数を大きく見積もってしまっても「地獄」を見るし、小さく見積もってしまってもやはりなにかと社内・社外から責められて苦しむことになる。その点、ダウンロード方式ならば、(誰もできるはずのない)販売数予想をする必要もないし、先行費用を投入してしまって「物体」を製造する必要がないので、プラットフォーマーもゲーム開発会社も、「物体」の製造コストを気にしなくて済む分、より安心できる。またパッケージ版販売方式の場合、発売からしばらくしてプレーヤーたちがゲームをコンプリートする(最後までやりきる)ころを過ぎると中古ソフトが大量に出回るようになってしまい、新品の売上に強いブレーキがかかりがちだが、ダウンロード版販売方式ならそれも防げるというメリットもある。 ほとんどのユーザのインターネットの接続速度は(たとえブロードバンドでも)大したスピードではなく、ダウンロード速度も大した速度ではないのに、近年のゲームソフトはサイズが大きく(バイト数が非常に多く)なる傾向があり、ダウンロードに数時間もかかってしまうもの増えてきており、ユーザにとっては悩みのタネである。またダウンロード版の場合、ゲーム・コンソールのハードがHDDごと故障したりすると、せっかく料金を支払ってダウンロードしたゲームソフトも全部使えなくなってしまい復旧できない場合があるが、パッケージ版の場合はそうした事態は免れてゲーム機を買い替えるなどして何度でもインストールすれば済むので、コンソールの故障などにあった経験のあるプレーヤーの一部などは、ダウンロード版を意識的に避けて手堅くパッケージ版を選ぶこともある。 PCゲームは、以前はPCショップなどでのパッケージ販売が主流であった。ブロードバンド接続とネット決済が一般化するようになった2000年代からゆっくりとダウンロード販売の利用が活発化し、やがて次第に主流となってきた歴史があり、2015年時点のシンポジウムでは、カドカワ株式会社取締役の浜村弘一ファミ通グループ代表は、PCゲームはダウンロード販売が非常に浸透しており、PCゲームのダウンロード収益(売上)の半分はSteamが占めていて、アクティブユーザー数が1億人を超えるプラットフォームになっている、と指摘した。 2010年代に入るとスマートフォン(スマートデバイス)が普及し、スマホ用のゲーム・アプリという形のゲームソフトのダウンロード数が非常に伸びている。つまりAndroid向けのGoogle Playや、iPhone向けのApp Storeでのゲーム供給が非常に活発化しているのである。ダウンロード数ではPC用ゲームソフトの販売数を超えているのはもちろんのこと、家庭用ゲームコンソール用のゲームソフトの販売数も超えた。(つまりゲームソフトの世界ではダウンロード数で、「スマートフォン向けゲーム」が頂点に躍り出た)。2020年代の現在、テレビCMも(かなりの広告費を投入して)スマホ向けゲームソフトのCMばかりが突出して多い回数、流されるような状況になっている。 ゲームコンソールのメーカー自身によって意図的に「キラーソフト」として開発されたソフト、つまりそれがあるから他のコンソールではなくそのコンソールを購入しようと消費者に思わせるような魅力あるソフトウェアは、他の機種には移植されない。他社のコンソールに移植してしまっては、そのコンソールの売り上げを支えるキラーソフトではなくなってしまうからである。たとえばPlayStationシリーズの『グランツーリスモ』シリーズはそういう役割を担ってきた。一方、後発となったマイクロソフト社はXBOXというコンソールのためにキラーソフトとして『Forza』シリーズを用意してそれに対抗した。 特にコンソールの売上をささえるための「キラーソフト」というわけではない、第三者的なソフト開発会社から開発・販売されるゲームソフトは、最初は1種類のゲームコンソールを想定して開発されたとしても、評判が良ければ、しばしば複数のゲーム機に移植される。複数のプラットフォームで売れば、ゲームソフトの売上の総額は増えるからである。 なお、ゲームコンソールは下位互換機能を持つように開発されることも多い。たとえばPS2ゲームの中にはPS3コンソールでもプレイできるものもかなりある。XBOXシリーズでも同様にプレイできるソフトがある。ただし、原則的には動作する、と謳っていても、実際には上位機種では完全には動かないソフトも多い。ソフトウェア開発会社があまり標準的でない方式、たとえば(旧)コンソールのハードの一部の機能を特殊なやりかたで利用する方法などをソフトウェア上で採用していたりすると、動作しない場合がある。
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ゲームソフトは、コンピュータゲームのためのソフトウェア(コンピュータ・プログラム)である。 ゲーム機(ゲーム専用機)用も、汎用のパーソナルコンピュータ用もある。さらに言うとメインフレーム上などで動くゲームソフトもある。最近ではスマホやタブレット用のものもあり、それらはゲーム・アプリと呼ばれる。 多くはシステムソフトウェア(オペレーティングシステム)の管理下で動作するアプリケーションソフトウェアとして動作するが、それ以外の実装方法もある。
{{複数の問題|出典の明記=2021-8|独自研究=2021-8}} '''ゲームソフト'''は、[[コンピュータゲーム]]のための[[ソフトウェア]]([[プログラム (コンピュータ)|コンピュータ・プログラム]])である。 [[ゲーム機]](ゲーム専用機)用も、汎用の[[パーソナルコンピュータ]]用もある。さらに言うと[[メインフレーム]]上などで動くゲームソフトもある。最近では[[スマホ]]や[[タブレット (コンピュータ)|タブレット]]用のものもあり、それらは'''ゲーム・アプリ'''と呼ばれる。 多くは[[システムソフトウェア]](オペレーティングシステム)の管理下で動作する[[アプリケーションソフトウェア]]として動作するが、それ以外の実装方法もある。 == 歴史 == 1950年代や1960年代、つまりコンピュータと言っても実質的には[[メインフレーム]]や[[ミニコンピュータ]]くらいしかなく、まだパーソナルコンピュータがこの世に登場していなかった時代に、すでにゲームソフトはつくられ、遊ばれていた。 * [[1952年]]に[[ケンブリッジ大学]]の大学院生だった{{仮リンク|アレキサンダー・ダグラス|label=アレキサンダー・サンディ・ダグラス|en|Sandy Douglas}}が[[EDSAC]]用に『[[OXO]]』という[[三目並べ]]のゲームソフトを作成した。 * 1961年には[[MIT]]の学生のマーティン・グレーツ(Martin Graetz)と[[アラン・コトック]]がメインフレームの[[PDP-1]]で動く『[[スペースウォー!]]』というシューティング・ゲームのソフトを開発した。 * 1975〜1976年ころにはアメリカの[[プログラマ]]で[[ケイビング]]愛好家の{{仮リンク|ウィリアム・クラウザー|en|William Crowther|label=ウィル・クラウザー}}が『[[コロッサル・ケーブ・アドベンチャー|アドベンチャー]]』という、テキストベースのつまり文章で行う、冒険ゲームを開発し、1977年にはドン・ウッズがそれを拡張した。 {{Gallery|width=250 |File:Spacewar!-PDP-1-20070512.jpg|PDP-1のモニタ装置と、そのスクリーン上で作動する『[[スペースウォー!]]』 |File:Spacewar1.svg|『スペースウォー!』の画面 |File:ADVENT_--_Will_Crowther's_original_version.png|クラウザーによる『アドベンチャー』の画面 }} === 黎明期のパーソナルコンピュータ用のゲームソフト === [[1975年]]に「史上初の市販の[[パーソナルコンピュータ]]」とされる[[Altair 8800]]が登場し、[[1970年]]代後半に次々とパーソナルコンピュータの新しい機種が登場してくるとゲームソフトの数も急激に増えてゆくことになった。 一例を挙げると、1976年には[[スティーブ・ウォズニアック|ウォズニアック]]と[[スティーブ・ジョブズ]]が[[Apple I]]を、翌[[1977年]]には[[Apple II]]を発売し、そのApple II用に次々とゲームソフトが制作されてゆくことになり、最初はApple IIの開発者のウォズニアックが書いたBreak Outつまり[[ブロックくずし]]など数本だけであったが、その後はさまざまな組織が制作・発売することになり、1978年には17本前後、1979年には21本前後、1980年には25本前後といった調子で制作されていった(→[[:en:List of Apple II games]]を参照)。 また、1977年には[[コモドール]]社が[[PET 2001|Commodore PET]]というパーソナルコンピュータを発売し、そのPET用にも多くのゲームソフトが制作されていった(→[[:en:List of Commodore PET games]]を参照)。Apple IIやPET用のゲームソフトの供給の形としては、[[カセットテープ]](オーディオ用のカセットテープをデータ記録用に用いたもの)、[[フロッピーディスク]]、雑誌の誌面の文字などであった。 また1976年に日本で[[日本電気|NEC]]から発売された[[TK-80]]という[[Intel 8080|8080]]互換CPUのトレーニング用ボードでも、表示装置は8桁の[[7セグメントディスプレイ|7セグメントLED]]しかなかったにもかかわらず、当時のコンピュータ・マニア([[マイコン]]愛好家)たちはそんな表示装置だけでも遊べるゲームソフトをさっそく[[16進数]]の[[機械語]]で書き始めた。さらに1977年11月に[[TK-80BS]]という拡張キットが発売されテレビ画面に表示ができるようになると、マニアたちは文字[[キャラクタ (コンピュータ)|キャラクタ]](文字[[フォント]])を画面に表示することで簡素な図を表現して遊べるゲームを次々と制作、まもなくドットつまり画面上の黒くて小さな点<!--{{要曖昧さ回避|date=2021年4月}}-->単位で表示を制御してゲームを制作することも行い始め、1978年に世の中で[[スペースインベーダー]]が流行り始めるとマニアたちはまもなくそれの動作原理も解析し、機械語+[[BASIC]]などでプログラムを書きTK-80BSに移植した。 1978年にはシャープから[[MZ-80K]]が発売され、同機用のゲームをマニアたちや企業などが制作し、誌面の印刷文字などで供給され1文字ずつ入力したり、カセットテープの形で供給でされたりした。 ゲームソフトウェアを文字入力する場合、それがどのようにユーザに届けられていたかというと、1976年には『[[I/O (雑誌)|I/O]]』というマイコン雑誌が創刊され、そこにコンピュータゲームのプログラムがBASICや16進数の機械語で書かれた状態で紙面に印刷され、マニアたちがそれを、1文字1文字、手で入力して遊ぶなどということがさかんに行われるようになっていた。1982年5月には日本ソフトバンク社(現・ソフトバンクグループ)からゲームソフトのソースプログラムも掲載した雑誌『[[Oh!X|Oh!MZ]]』が創刊(6月号)となった。 {{Gallery|width=200 |File:Mystery House - Apple II - 2.png|Apple II用ゲームソフト、Mystery House(1980年、Siera社より発売。1987年に権利者が[[パブリックドメイン]]へと移行させた)。コマンド入力させ、行動を選択させる。 |File:Mystery House - Apple II - 3.png|Mystery Houseの室内 |File:Prince of Persia 1 - Apple II.png|Apple II用ゲームソフト、『[[プリンス・オブ・ペルシャ]]』(1989年、[[ブローダーバンド]]社より発売、[[:en:Jordan Mechner]]制作) }} === 黎明期のゲーム機用のゲームソフト === 一方で1977年にAtari社から「[[Atari 2600|Video Computer System]]」の名でゲーム機が発売され、ロムカートリッジの形(ROM、[[Read only memory]]が入ったカートリッジ)でゲームソフトが販売された。1977年に『[[:en:Indy 500 (1977 video game)|Indy 500]]』など9本、1978年に18本といった調子で数が増えていった(→[[:en:List of Atari 2600 games]])。 1983年には[[任天堂]]から(初期のゲーム専用機としては第三世代とも位置づけられる)[[ファミリーコンピュータ]]が発売され(世界的にはNESの名で販売が展開され)、そのゲームソフトはやはりロムカセットの形(Atari社のロムカートリッジと呼び方は異なっているが、基本的には同じ原理のもの)で販売された。本体発売時に発表されたのは『[[ドンキーコング]]』『[[ドンキーコングJR.]]』『[[ポパイ (任天堂)|ポパイ]]』の3本だけだったが、その後、年々、爆発的に数が増えていった(→[[ファミリーコンピュータのゲームタイトル一覧]]および[[:en:List of Nintendo Entertainment System games]]、日本語版と英語版では、それなりにリスト内容が異なっている)。 {{Gallery|width=200 |File:Festival_du_jeu_video_20080926_019.jpg|Atari2600のゲーム画面 |File:Famicom cartridges.JPG|任天堂ファミリーコンピュータ用のゲームカートリッジ(ロムカセット) }} == ゲーム機用 == 本来ソフトウェアは物理的な形を持たないが、ゲームコンソール用のゲームソフトに関しては、最初に[[ロムカセット]]の時代があり、それにより「物」として販売するという慣習もできた。その結果として[[中古]]流通も盛んになった<ref group="注">なお、「物」として販売したものであるにもかかわらず、一般のパソコンソフトなどと同様に中古流通を「撲滅」(という表現がキャンペーンで実際に使われた)しようと業界が動いたこともあったが、最終的に挫折した。</ref>。現在でも[[フリマアプリ]]や[[ネットオークション]]などで盛んに取引されている。 近年ではインターネット上の[[PlayStation Network]](PSN)などでゲームソフトを選んでダウンロードして遊ぶということも盛んである。この形態の場合、中古で流通することはないので、開発会社や販売会社としては、いわゆる「とりはぐれ」のない形で収益を見込めるというメリットがある。なおPSNなどでもゲームソフトが無料で公開されている場合もある。新作が発表された時などには、旧バージョンをあえて一定期間無料で公開し、新作の需要喚起を行う、という販売手法もとられる。 === パッケージ版 === 「ゲームソフト」と呼ばれていたにせよ、カートリッジ版のそれは、実は、純粋なソフトウェアではなく、かなりハードウェア的な要素も含んでいた。たとえばROMカートリッジ形態の場合、カードエッジコネクタでデータバス以外も接続し、ただのメモリ用のROMチップだけでなく、サウンド処理用LSI、[[ASIC]]、補助プロセッサなども内蔵されていた。ゲーム機本体をハードウェア的に補う役割も果たしていた。さらに、ファミコンやスーパーファミコンではプラットフォームの世代交代の直前の時期などには、ゲーム機本体よりも高性能なプロセッサが積まれることもあった。ものによっては、カートリッジ内に主処理を行う[[プロセッサ]](メインプロセッサ)を搭載する製品もあった<ref>[https://www.ne.jp/asahi/cvs/odyssey/entrance.html CLASSIC VIDEOGAME STATION ODYSSEY]内[https://www.ne.jp/asahi/cvs/odyssey/creators/horie/ 開発者インタビュー]より。</ref>。 最初はコンピュータ用の一般的チップが使われることも多かったが、その後、簡単にソフトウェアをコピーされてしまうことを防止するために、さまざまな工夫をしてプロテクトをかけるということも多くなった。 初代ファミリーコンピュータ時代の「ゲームソフト」は、とても質素な紙箱、ゲームカートリッジと同じサイズか、せいぜい2倍程度のサイズの紙箱に入っていた。説明書も小さな紙切れのようなものだった。 [[File:CD-ROM for PlayStation2.jpg|thumb|180px|[[光ディスク|光学DISC]]によるゲームソフトの供給。[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]によってこの形のゲームソフト供給が活発になった。]] その後、初代[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]などから[[CD-ROM]]に記録された形で販売されるようになり、CD-ROMケースに入れた状態で(音楽CDの歌詞冊子と同じサイズの)取扱説明書が付属して販売されるようになった。その後次第に、[[光ディスク]]の大容量化が行われ、いくつか段階を踏んで、[[Blu-ray Disc]]での販売へと変化してきたわけである。 ゲーム特有の現象では無いが、本やCD,レコードなどと同様に熱中するゲームプレーヤーの本棚やクローゼットには、ゲームソフトのパッケージがずらずらと並ぶことになった。 === ダウンロード版 === 最近では、ゲーム専用コンソールでも、インターネット経由のデジタル配信による販売が盛んである([[ダウンロード販売]]または[[オンラインソフトウェア]]とも)。 ==== メリット ==== ユーザー側としては、デジタル配信なら、わざわざ時間をかけて実店舗に出向いて購入する手間も不要であるし、ネット通販のように商品が自宅に届くまで1〜3日など待つ必要もない。PSNなどのサイトに接続し、ソフトウェアのリストを見て、気に入ったらすぐにダウンロードを開始することができるというメリットがある。次第にソフトの購入数が増えても、それらは全部ハードディスクの中におさまり、「物体」のパッケージは増えないので、部屋のスペースを余分にとらない、部屋がちらからない、というメリットもある。 ゲーム開発会社やプラットフォーマー(つまりゲームプラットフォームを開発・販売している[[SIE]]や[[任天堂]]など)の側としても、サーバーにゲームソフトのデータを置いておけば、ユーザーたちがアクセスして、クレジットカードの番号なども入力して有料でダウンロードされるたびに確実に[[売上]]を計上できるので、とても便利な仕組みである。また、ダウンロード版販売の場合、メーカー側はDISCやそのパッケージなどの「物体」を大量に製造せずに済む。メーカーにとっては「物体」を大量に製造するというのは、悩みのタネである。というのは、製造するためには製造数を指定しなければならず(たとえば他社の工場で製造する場合は発注数量を明記した「注文書」の類を作成し(明示的であれ非明示的であれ)取引[[契約]]を結んだ形にしなければならないし、たとえば自社工場で製造する場合でも数量を明記した「製造指示書」の類を自社工場の管理部門に対して渡さなければならない)、つまり数量をあらかじめ指定しないと「物体」のゲームソフトの製造は始まらないのである。つまり、あらかじめ「売れるだろう数」を予想しないと「物体」状の製品は製造を開始することすらできないのである。だが販売担当者も普通の人間でありいわゆる"全知全能の神"ではないので、ゲームソフトがどれくらい売れるかなどということは事前に分かるわけがない。もし担当者が「よく売れるはず」と見込んで、一度に大量に発注して作ってしまうと、それが売れなかった場合、大量の[[デッドストック]](不良在庫)になってしまう。大量のデッドストックというのは、今まで無数のメーカーを[[倒産]]に追い込んだような、とても恐ろしい現象である。製造にかかったコストがまるまる[[損失]]として企業の[[会計]]([[経理]]、[[キャッシュフロー]])に襲いかかる。かといってデッドストックを恐れるあまり、あまりに小さな[[ロット管理|ロット]](製造数)で製造すると、今度は予想以上に売れた場合に、需要に応えられず供給不足となり、売上が伸びない。このように需要量に対して製造量が少なすぎる状況は、[[マーケティング]]の分野ではしばしば「販売チャンスの喪失」などと厳しい言い方で表現する。つまり販売責任者は、販売予想数を大きく見積もってしまっても「地獄」を見るし、小さく見積もってしまってもやはりなにかと社内・社外から責められて苦しむことになる。その点、ダウンロード方式ならば、(誰もできるはずのない)販売数予想をする必要もないし、先行費用を投入してしまって「物体」を製造する必要がないので、プラットフォーマーもゲーム開発会社も、「物体」の製造コストを気にしなくて済む分、より安心できる。またパッケージ版販売方式の場合、発売からしばらくしてプレーヤーたちがゲームをコンプリートする(最後までやりきる)ころを過ぎると中古ソフトが大量に出回るようになってしまい、新品の売上に強いブレーキがかかりがちだが、ダウンロード版販売方式ならそれも防げるというメリットもある。 ==== デメリット ==== ほとんどのユーザのインターネットの接続速度は(たとえブロードバンドでも)大したスピードではなく、ダウンロード速度も大した速度ではないのに、近年のゲームソフトはサイズが大きく(バイト数が非常に多く)なる傾向があり、ダウンロードに数時間もかかってしまうもの増えてきており、ユーザにとっては悩みのタネである。またダウンロード版の場合、ゲーム・コンソールのハードがHDDごと故障したりすると、せっかく料金を支払ってダウンロードしたゲームソフトも全部使えなくなってしまい復旧できない場合があるが、パッケージ版の場合はそうした事態は免れてゲーム機を買い替えるなどして何度でもインストールすれば済むので、コンソールの故障などにあった経験のあるプレーヤーの一部などは、ダウンロード版を意識的に避けて手堅くパッケージ版を選ぶこともある。 ==== PC版 ==== [[パソコンゲーム|PCゲーム]]は、以前はPCショップなどでのパッケージ販売が主流であった。ブロードバンド接続とネット決済が一般化するようになった2000年代からゆっくりと[[ダウンロード販売]]の利用が活発化し、やがて次第に主流となってきた歴史があり、2015年時点のシンポジウムでは、カドカワ株式会社取締役の浜村弘一ファミ通グループ代表は、PCゲームはダウンロード販売が非常に浸透しており、PCゲームのダウンロード収益(売上)の半分はSteamが占めていて、アクティブユーザー数が1億人を超えるプラットフォームになっている、と指摘した<ref>[https://www.famitsu.com/news/201510/23091496.html 浜村ファミ通グループ代表が語るゲームの未来――ゲームはサービス化し、eスポーツや実況がコミュニティを活性化させる【AMDシンポジウム】]</ref>。 ==== スマホ版 ==== 2010年代に入ると[[スマートフォン]]([[スマートデバイス]])が普及し<ref>[https://www.famitsu.com/news/201504/13076475.html KADOKAWA・DWANGO 浜村弘一ファミ通グループ代表による講演“ゲーム産業の現状と展望<2015年春季>”が開催 コミュニティを育てる主役は“ユーザー”]</ref>、'''スマホ用のゲーム・アプリ'''という形のゲームソフトのダウンロード数が非常に伸びている。つまりAndroid向けの[[Google Play]]や、iPhone向けの[[App Store]]でのゲーム供給が非常に活発化しているのである。ダウンロード数ではPC用ゲームソフトの販売数を超えているのはもちろんのこと、家庭用ゲームコンソール用のゲームソフトの販売数も超えた。(つまりゲームソフトの世界ではダウンロード数で、「スマートフォン向けゲーム」が頂点に躍り出た)。2020年代の現在、テレビCMも(かなりの広告費を投入して)スマホ向けゲームソフトのCMばかりが突出して多い回数、流されるような状況になっている。 === その他 === ==== キラーソフト ==== ゲームコンソールのメーカー自身によって意図的に「キラーソフト」として開発されたソフト、つまりそれがあるから他のコンソールではなくそのコンソールを購入しようと消費者に思わせるような魅力あるソフトウェアは、他の機種には移植されない。他社のコンソールに移植してしまっては、そのコンソールの売り上げを支えるキラーソフトではなくなってしまうからである。たとえばPlayStationシリーズの[[グランツーリスモシリーズ|『グランツーリスモ』シリーズ]]はそういう役割を担ってきた。一方、後発となったマイクロソフト社はXBOXというコンソールのためにキラーソフトとして『[[Forza]]』シリーズを用意してそれに対抗した。 ==== 移植 ==== 特にコンソールの売上をささえるための「キラーソフト」というわけではない、第三者的なソフト開発会社から開発・販売されるゲームソフトは、最初は1種類のゲームコンソールを想定して開発されたとしても、評判が良ければ、しばしば複数のゲーム機に[[移植 (ソフトウェア)|移植]]される。複数のプラットフォームで売れば、ゲームソフトの売上の総額は増えるからである。 ==== 互換性 ==== なお、ゲームコンソールは[[互換性|下位互換]]機能を持つように開発されることも多い。たとえばPS2ゲームの中にはPS3コンソールでもプレイできるものもかなりある。XBOXシリーズでも同様にプレイできるソフトがある。ただし、原則的には動作する、と謳っていても、実際には上位機種では完全には動かないソフトも多い。ソフトウェア開発会社があまり標準的でない方式、たとえば(旧)コンソールのハードの一部の機能を特殊なやりかたで利用する方法などをソフトウェア上で採用していたりすると、動作しない場合がある。 * [[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]→[[PlayStation 2]] * [[PlayStation 4]]→[[PlayStation 5]] * [[ゲームボーイ]]→[[ゲームボーイアドバンス]] * ゲームボーイアドバンス→[[ニンテンドーDS]] * ニンテンドーDS→[[ニンテンドー3DS]] * [[ニンテンドーゲームキューブ]]→[[Wii]] * Wii→[[Wii U]] === 記録媒体 === * [[半導体メモリ]] ** [[ロムカセット]]([[ファミリーコンピュータ]]、[[ネオジオ]]、[[ネオジオポケットカラー]]、[[ゲームボーイ]]、[[ゲームボーイカラー]]、[[ゲームボーイアドバンス]]) ** [[ICカード]] *** [[BEE CARD]]([[MSX]]) *** [[マイカード]]([[SG-1000]]、[[SG-1000II]]、[[セガ・マークIII]]、[[マスターシステム]]) *** [[HuCARD]]([[PCエンジン]]) ** [[フラッシュメモリ]]([[ニンテンドー3DS]]、[[PlayStation Vita]]) ** インターネットよりダウンロード(デジタル配信) *** [[メモリースティックDuo]]([[PlayStation Portable]]) *** [[SDメモリーカード|SDカード]]([[Wii]]、[[ニンテンドーDS]]、ニンテンドー3DS) *** [[USBメモリ]]([[パソコンゲーム|PCゲーム]]、[[Xbox 360]]) *** 専用メモリーカード(PlayStation Vita) *** [[ソリッドステートドライブ|SSD]]([[PlayStation 4]]、[[PlayStation 5]]) * [[磁気ディスク]] ** [[クイックディスク]]([[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]]) ** [[フロッピーディスク]](PCゲーム) ** インターネットよりダウンロード(デジタル配信) *** [[ハードディスクドライブ|HDD]](PCゲーム、[[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]、Xbox 360、[[Xbox One]]、[[PlayStation 3]]、PlayStation 4、[[Wii U]]、[[iPod]]/[[iPad]]) * [[光ディスク]] ** [[CD-ROM]]([[CD-ROM2|CD-ROM<sup>2</sup>]]、[[SUPER CD-ROM2|SUPER CD-ROM<sup>2</sup>]]、[[PCエンジンDuo]]、[[メガCD]]、[[3DO]]、[[ネオジオCD]]、[[セガサターン]]、[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]、[[FM TOWNS マーティー]]、PCゲーム) ** [[GD-ROM]]([[ドリームキャスト]]) ** [[DVD|DVD-ROM]]([[PlayStation 2]]、Xbox、Xbox 360、PCゲーム) ** [[レーザーディスク|LD-ROM]]([[レーザーアクティブ]]) ** [[ユニバーサル・メディア・ディスク|UMD]](PlayStation Portable) ** [[Blu-ray Disc|BD-ROM]](PlayStation 3、PlayStation 4、Xbox One) ** 独自規格ディスク([[ニンテンドーゲームキューブ]]、Wii、Wii U) == パーソナルコンピュータ用 == {{Main|パソコンゲーム}} == スマホ、タブレット用 == {{Main|ゲームアプリ}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[コンピュータゲームのタイトル一覧]] * [[古物#中古ゲームソフト|中古ゲームソフト]] * [[アセット・フリップ]] - 商用利用可能な著作権フリー素材(アセット)を利用した粗製乱造ソフト([[ショベルウェア]])開発の手法 {{コンピュータゲームのジャンル}} {{デフォルトソート:けえむそふと}} [[Category:コンピュータゲームソフト|*]] [[Category:コンピュータゲーム用語]]
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ゲーム機
ゲーム機(ゲームき)とは、ビデオゲーム(コンピュータゲーム)を動作させるための装置の総称。「ゲーム機」という言葉自体はゲーム用のハードウェア全般を指すため、家庭用ゲーム機やアーケードゲーム機、任天堂のゲーム&ウオッチやたまごっちなどの電子ゲーム、ビデオゲームをプレイするために使われている状態のPC(パーソナルコンピュータ)やスマートフォンなど、全てがゲーム機である。一方でビデオゲームに包含される言葉として「コンシューマーゲーム」があり、アーケードゲームに対して家庭用ゲーム機を「コンシューマーゲーム機」とも呼ぶ。 日本において、ゲーム機は「家庭用ゲーム機」を指すことが多いことから、本記事では家庭用ゲーム機を中心に記載し、その他のゲーム機に関しては概略に留め、詳細は各記事を参照されたい。 家庭用ゲーム機との比較のために、広義のゲーム機に関する概略も以下に述べる。 その後、2004年に発売されたPSPはゲームだけに留まらない多機能さにより、「ゲーム機という線引きが曖昧になっている("ゲーム機"が消える)」と指摘され、2000年代後半からはスマートフォンが普及し始めたことで、スマートフォン内にゲームアプリをダウンロード・インストールすることで、一種の携帯型の高性能ゲーム機としても使うことが広く一般化している。 種類ごとに分類されるゲーム機はさらに下位に分類できる。分類方法はさまざまであるが、たとえば以下のように分類する方法がある。 家庭用ゲーム機の下位分類としては、以下のような大分類をされることがある。 家庭用ゲーム機は、時代とともにそのアーキテクチャや性能の水準が変化してきており、複数のメーカーによって開発・製造されているにもかかわらず、大まかに言うと時代ごとにある種の類似性でまとめることができるので、第一世代、第二世代...などと、世代(generation)で分類するということが広く行われている。据置型で顕著であるが、携帯型についても同様の分類がされることがある。 アーケードゲーム機は、下位分類としては、以下のように大分類されることがある。 ビデオゲーム用のアーケード機は筺体のタイプで以下のように大分類されることがある。 また、汎用筺体と専用筺体に分類されることもある。汎用筺体(汎用タイプ)というのは、ソフトウェアやボード類を入れ替えてさまざまなゲームを走らせることができる業務用ゲーム機のことである。それに対して専用筺体(専用タイプ)というのは、ある特定のゲームにしか使えないようなゲーム機であり、たとえば特定のカー・レースゲームに特化して、ハンドル・座席・画面・画面まわりの装飾などを作りこんであって、他のゲームには転用できないようなゲーム機、そのゲームの需要が無くなったら、分解・廃棄処分せざるを得ないようなゲーム機のことである。 ゲーム機として用いられている状態のパーソナルコンピュータは以下のように分類することも可能である。 ゲームハードの世代分けについては、英語版ウィキペディアにおける「Video game console」にだいたい相当するもの、すなわち、「コンシューマーゲーム機」「家庭用ゲーム機」「ゲーム専用機」等と呼ばれているものに関しての話題を主として扱う。 世代の分類については日本国内市場調査を始めとする、公的及び第三者機関によって用いられる統計発表や文書はないため、英語版ウィキペディアによる「First generation」から「Eighth generation」の分類に便宜上沿った記述とする。ただしこれらもおそらく独自研究であり、該当の世代分けは日本のゲーム研究、メディア等では余り見らられず、また英語による資料においても異同が見られる為、留意が必要である。 マイナーなものまで含めれば多種多様のさまざまな形態があるものの、この項ではひとまず各機種を据置機(いわゆるテレビゲーム機)と、携帯型ゲーム機の2つに分類している。 ここでは家庭用ゲームコンソール、つまり家庭で使われるゲームコンソールについて解説する。これが一般に「家庭用ゲーム機」と呼ばれている。ただしホビーパソコン(ゲームパソコン)およびゲーミングPCは対象外とする。 1970年代前半 - 中盤を、この記事では「第1世代」とする。 1972年に史上初の家庭用ゲーム機とされる『オデッセイ』がリリースされた。オデッセイはCPUではなく、アナログ回路で電子ゲーム機能を実現していた。オデッセイを参考にして製作したビデオゲーム『ポン』をアーケードで大ヒットさせたアタリが、テレビに接続するだけで家庭でもポンが楽しめる『ホーム・ポン』を1975年にリリースし、大ヒットとなった。これによって家庭用ゲーム機という存在が広く知られ、「ポンクローン」と呼ばれるポンのコピーゲーム・亜流ゲームが、大手から中小まで多数の玩具メーカーからリリースされた。日本ではオデッセイを発売したマグナボックスと提携したエポック社と任天堂からゲーム機が発売されたが、これらもポンクローンと呼ばれている。アタリが1976年に発売した『ブレイクアウト』(ブロック崩し)なども多くのクローン機が出回った。これらのゲーム機が最初期に現れたゲーム機、すなわちゲーム第1世代と呼ばれる。この時代はソフトがハードに組み込まれていて、後からソフトを買い足すことはできなかったが、スイッチで複数のゲームを切り替えることができるもの、切り替えカードを追加購入することでオプションのゲームをプレイできるものもあった。 1970年代後半 - 1980年代前半を、この記事では「第2世代」とする。 1976年、フェアチャイルドがチャンネルFを発売した。チャンネルFはROMカートリッジを差し込むことで様々な種類のゲームを楽しむことができる最初の家庭用ゲーム機であった。マグナボックスも1978年に同様のシステムを採用したゲーム機Odyssey2を発売した。アタリも1977年にAtari 2600(VCS)を発売した。『スペースインベーダー』などの人気アーケードゲームのコンシューマ移植をキラータイトルとし、1980年頃にはアメリカにおいて爆発的な人気を博した。さらに、1979年にアタリからアクティビジョンが独立してゲーム史上初のサードパーティーとなって以後、続々と誕生するサードパーティーのソフトを積極的に受け入れるビジネスモデルを確立した。北アメリカでは他にインテレビジョンやコレコビジョンも人気となり、ヨーロッパではドイツのインタートンによるVC 4000なども人気を博した。しかし1982年のクリスマス商戦で決定的な市場崩壊(いわゆるアタリショック)を起こした。Atari 2600のみならずアメリカのゲーム機市場(パソコンゲーム市場は含まない)そのものが一時壊滅状態に追い込まれた。日本や南アメリカなどの地域におけるゲーム機の本格的な普及は、次のファミコン時代以後になる。 1980年代前半 - 中盤を、この記事では「第3世代」とする。 アタリショック後、北アメリカとヨーロッパではゲーム機能に加えてプログラミング機能をそなえたゲームパソコンが勢力を増し、多くのゲームメーカーがゲームリリースを家庭用機からパソコン主力に移した。ゲームパソコンとして北アメリカではコモドール64が、ヨーロッパではZX Spectrumが成功を収めた。日本でも同様の機種(ぴゅう太、M5、SC-3000、MSXなど)が登場したが、最終的にはゲーム機能に特化し、第1・第2世代より優れたゲーム性能を実現した機種が成功を収めた。特に1983年に発売された任天堂のファミリーコンピュータ(以下ファミコン)は日本における家庭用ゲーム機の本格的普及を担い、1985年にはアメリカで海外版ファミコンであるNintendo Entertainment System(NES)が発売され成功を収めた。RPGや対戦型格闘ゲーム、2Dアクションゲームなどの今日に繋がるゲームシステムの原型もこの時期に出来上がった。これまではAtari 2600に由来するATARI仕様と呼ばれるジョイスティック型のコントローラーが一般的であったが、ファミコンのパッド型コントローラー(ゲームパッド)はコンパクトだが汎用性に優れ、以後のほとんど全てのゲーム機における入力機器の基礎となった。 1980年代後半 - 1990年代前半を、この記事では「第4世代」とする。 従来機種より高度なスプライト機能を搭載し、2Dグラフィックスの表現力が向上した。ステレオサウンドが標準になり、ゲームの複雑化・高度化も進み、対応するコントローラーも多ボタン化が進んだ。他方、複雑で表現力豊かなゲームをROMカートリッジに詰め込むのには、容量不足による限界が見え始めてきた。ゲームソフトの大容量化によりROMの製造コストも高騰し、9,800円以上のソフトが続出した。このような情勢から、従来のROMカートリッジに代わり世界初のCD-ROMをゲーム媒体に使用したCD-ROMが現れ、対応タイトルは、大容量を活かしたものとなっており、後の光ディスクによるソフト供給の基礎となった。 主なハードは、PCエンジン・メガドライブ・スーパーファミコンの3機種である。スーパーファミコンは他の2種よりも大幅に発売が遅れたが、日本ではファミリーコンピュータからの圧倒的シェアを受け継いで移行することに成功した。一方の北アメリカ市場では任天堂のSNES(日本国外版スーパーファミコン)とセガのGENESIS(同メガドライブ)が市場競争を展開し、GENESISがシェア55%の2000万台を売り上げ一定の成功を収めた。 アーケード市場において対戦型格闘ゲームなどで絶大な人気を得ていたSNKが、アーケードのシステムをそのまま家庭用機に流用したNEOGEOでゲーム機市場に参入した。家庭用ゲーム機の高性能化によりアーケードゲームやパソコンゲームとの性能差は縮まった。海外市場ではホビーパソコンのAtari STとAmigaがリリースされ、ゲームパソコンとして拮抗した人気を得た。日本でもX68000やFM TOWNSなどのホビーパソコンが発売されたが、据置機とソフトに恵まれた日本ではパソコンゲームは家庭用ゲーム機で扱えないアダルトゲームを除いて衰退した。第4世代ゲーム機はドット絵とスプライトによる2Dゲームの成熟・完成期に当たる。 1990年代中盤 - 後半を、この記事では「第5世代」とする。 この世代では、従来のROMカセットに代わって光ディスクがコンテンツ販売パッケージの主力となった。光ディスクは読み込みに時間がかかるという難点があるものの、データ容量がROMと比較して大きく、再プレスが容易であり、安価にゲーム媒体を量産可能になった。これに伴い音質の向上やムービー再生による演出が広がった。本格的な3Dグラフィックス機能が搭載されたゲーム機が現れ、ゲーム内での映像表現の幅が広がった。振動機能やアナログスティックを備えたコントローラも登場した。だが線でコントローラーと本体を繋いでるものが多い。ドット絵とポリゴンでは製作ノウハウが違い、中小の新しいソフトハウスも台頭した。 この世代から第6世代にかけて、コンソール・ウォー(ゲーム機戦争)と呼ばれるハードウェア同士の性能競争が最高潮に達し、各社とも自社製ゲーム機の高性能ぶりを盛んにアピールした。主要な機種はPlayStation、セガサターン、NINTENDO64の3機種である。この世代でゲーム機市場に新規に参入したソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE。現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE))のPlayStationは、安価で開発のしやすいシステムと、サードパーティーの高い支持による充実したソフト群を背景に首位に立った。セガのセガサターンは、PlayStationより早く100万台を売り上げるなど、発売直後は好調さを見せたが、コストカットしにくいハード構成であることからPlayStationとの値下げ競争で苦境に立たされた。また、北アメリカではアメリカ・セガがスーパー32Xを先行して投入するなど、販売戦略において日本セガ側との食い違いが見られ、結果的にユーザー側の混乱を招いて共倒れする形となってしまい、海外市場で不評を買った。任天堂が発売したNINTENDO64は、64ビットの高性能をその名でアピールする象徴的な存在を目指したが、他社に比べて発売が大きく出遅れた上、サードパーティーが少なく、旧来的なROMカセットを採用したためソフトウェアの価格は高めであり価格競争力も低く、北アメリカでは成功したが主流となることはなかった。日本でもPlayStationに大きな遅れをとることとなった。 北アメリカ最大のコンシューマゲーム会社であるエレクトロニック・アーツの創設者が、3DO社を設立してゲーム機市場に参入した。ゲーム機やゲームパソコンのメーカーとして黎明期から長らくゲーム業界を支えたアタリがこの世代を最後にハード事業において四半世紀に渡る長い休眠期間に突入し、コモドールが倒産した。それによって、ゲーム用途で使われるパソコンとしてはPC/AT互換機がほとんどとなった。Windows 95の登場後もしばらくゲーム用途ではMS-DOSが主流であったが、DirectXの登場以後は次第にゲーム用途としてもWindowsがメイン環境となった。マイクロソフトはパソコン用ゲームの開発スタジオを多数抱える大手ゲームメーカーとなり、続く第6世代でついにコンシューマ機に参入した。 1990年代末 - 2000年代初頭を、この記事では「第6世代」とする。 3Dグラフィックスの表現力が上がり、インターネットとの通信や5.1chサウンドにも限定的に対応し始めた。メディアはDVD、もしくはDVDの技術を応用した独自規格のディスクが主流となった。この世代を最後にセガはハード販売から撤退し、入れ替わる形でマイクロソフトのXboxが参入した。Xboxは日本国外市場において成功を収めてPlayStation 2に次ぐシェアを獲得したが、日本では一般にゲーム機が売れる年末を過ぎた2月に発売したり、初期不良やそれに関する対応などが批判を受けるなど振るわなかった。NINTENDO64の後継機のニンテンドーゲームキューブは日本で一定の支持を得たが、日本国外では前ハードほど振るわなかった。 パソコンにおけるブロードバンドの普及期に当たり、ネット対応が不十分な家庭用ゲーム機に先行して、パソコン用のオンラインゲームが充実した。中国や韓国などアジアの新興国においても自国製ゲームの普及が見られ始めるが、据置型ゲームは多大な開発コストなどの参入障壁が大きかったことや、アジア諸国における海賊版の横行のためコンテンツ販売では利益を得にくかったなどの理由から、課金制のパソコンオンラインゲームが開発の主流となっていき、これらの国の作品が世界に輸出されるのも多く見られ始めた。 2000年代中盤 - 末を、この記事では「第7世代」とする。 任天堂のWiiは、Wiiリモコンという体感型のコントローラを搭載し、高精細度ビデオ(HD)に対応したPlayStation 3とXbox 360もPlayStation MoveやKinectを発売した。いずれの機種もかつてのハードで発売されたソフトの公式エミュレータを用意しコンテンツのダウンロード販売も行われるようになった。ビデオ・オン・デマンドなど海外ではXbox 360がスマートテレビのデファクトともいわれた。 ソフトメーカーにとってはシェアの先行き不透明な状況が続き、前世代以上にマルチプラットフォームが増加した。Xbox 360とPS3は売れ行きは鈍く、人気ゲームの続編・リメイク・HD対応版の発売が多くなった。Wiiは今までのゲーム機の常識を変え体感型として出したため、新しくて面白さが分かりやすく、同世代のハードに比べ非常に速いペースでシェアを伸ばし2世代振りにハードシェアでのトップになったものの、他のハードとは異なり入力デバイスが特殊である事や同世代のハード中で唯一画質がHD画質に対応していない事等からマルチプラットフォームリリースの対象から外れる事が多かった。特に画質面において、2011年に地上デジタル放送の完全移行を控え、高画質テレビ(主にHDテレビ)の普及率が大きく上がった事がWiiの長期展開にとって大きなミスとなってしまった。また、後年はWii専用タイトルの数も大きく減少した。結果的にXbox 360やPS3のラインナップが充実していく中、逆にWiiは新作ソフトが不足するようになっていった。 第7世代機ではネットワークサービスを利用して、当時のゲームや「ドット絵を利用した、当時のハードウェア環境そのままでの新作」が配信された。 南アメリカやアジアなどの新興国ではネットワーク対応や体感型などを盛り込みながらも安価で低性能なゲーム機が盛んにリリースされており、ブラジルで長らくセガの代理店として活動していたTectoy社が2009年に独自にリリースしたドリームキャストの後継機Zeeboや、中国におけるセガの代理店であるAtGamesがリリースしたZONEおよびそのバリエーションであるSEGA Reactorが代表的な製品である。先進国ではハードから撤退したセガは新興国ではTectoyやAtGamesなどを介してハード事業を継続しており、Tectoyからはメガドライブのモデルチェンジ版であるメガドライブ4も2009年発売された。 2010年代前半 - 中盤を、この記事では「第8世代」とする。 Wii Uが2012年11月、PlayStation 4とXbox Oneが2013年11月に、共に北アメリカ地域のホリデーシーズンに合わせて発売された。3機種全てで北アメリカ地域での発売が優先されている。 2012年にはスマートフォンやタブレットの普及によりコモディティ化した高度なモバイルハードウェア・ソフトウェア技術がゲーム機に転用され始め、クラウドファンディングの流行を背景にOUYAやGameStickなど新興企業の手によるAndroidゲーム機の企画・開発が相次いだ。ゲーム開発自由な「オープンプラットフォーム」およびメディア在庫を持たない「デジタルディストリビューション」といった特徴は共通している。また、2013年にはValve CorporationがSteamOS/Steam Machine/Steam Controllerを発表した。Steam Machineはかねてより構想が伝えられていたSteam Box、すなわち同社のPCゲームプラットフォームSteamのコンシューマ市場展開を担う家庭用ゲーム機・専用ゲーミングPCの規格である(Xi3のPistonは非公認となった)。 Gaikai/OnLive/PlayStation Now、Microsoft AzureやAmazon Web Servicesのように各クラウドのサービス・プラットフォームが台頭し、NVIDIA GeForce GRIDやGクラスタ/UbitusなどはSTBにも使用された(スーパーコンピューターゲーミングを目指していたシンラ・テクノロジーは解散したが、主要メンバーはGenvid Technologiesを立ち上げた)。 2010年代後半 - 2020年代前半を、この記事では「第9世代」とする。 任天堂は前世代のWii Uが販売不振で短命となり、他社に先行する形で2017年3月に、据置機としても携帯機としても遊べるハイブリッドゲーム機としてNintendo Switchを発売。ゲームボーイ発売以降分離していた据置機と携帯機のプラットフォームが統合された。また2019年9月にNintendo Switchの携帯専用機、および廉価版としての位置付けでNintendo Switch Liteも発売された。Oculus VRは2019年5月、初のスタンドアローン型VRゲーム機であるOculus Questを発売。アタリはAtari Jaguar以来約四半世紀ぶりに家庭用ゲーム機業界に復帰し、Atari VCSを発表した。また、マテルもインテレビジョンの権利を買い戻し、Intellivision Amicoを発表した。さらに、ソニー・コンピュータエンタテインメントはPlayStation 5、マイクロソフトはXbox Series X/Sを2020年11月にそれぞれ発売している。 この時期からはゲームハードのさらなる高性能化、動画配信サイトの普及によるゲーム実況の人気の高まり、半導体不足、そして営利目的の転売の横行などから、特に発売直後のゲームハードがしばしば供給不足に苦しむようになる。Nintendo Switchは発売3ヵ月が経過しても品薄状態が収まらず、任天堂が公式に謝罪文を発表する事態となった。また2020年には新型コロナウイルスの世界的な蔓延によって巣ごもり需要がさらに高まり、PlayStation 5などはハードの供給不足が原因でゲームソフトの深刻な販売不振が発生、日本国内では発売二ヵ月後にも関わらず店頭販売に人が殺到し警察が出動する騒ぎも起きている。 この世代ではクラウドゲームサービス・プラットフォームも注目を集めており、Google、Amazon、Facebook、NVIDIAが参入した。 本節では便宜上、携帯型ゲーム機だけでなく、電子ゲームについても述べる。 1970年代後半 - 1980年代前半に当たる。 ROMカートリッジをハードに差し込む形式ではなく、1ハードにつき1ゲームという形式の電子ゲームが登場した。当時の電子ゲームはモノクロLCDすら搭載できず、LED表示によるものが主だったが、マテルが1976年に世界初の携帯型電子ゲーム機となるMattel Auto Raceをリリースして以降、各社から続々とLEDゲームが発売され、大きなブームとなった。 1980年代前半 - 中盤に当たる。 据置型ゲーム機が第2世代となり、ブームとなっていた1979年、アメリカの大手玩具メーカーであるミルトン・ブラッドリー社から史上初のカートリッジ交換式携帯型ゲーム機Microvisionがリリースされた。MicrovisionはCPUがカートリッジ側についているなど、後のゲーム機とはずいぶん異なっていた。LCD画面が壊れやすいなど技術的な制約のため、商業的にほとんど成功せずに終わった。 1980年代に入るとLCDが安価となり、LCDを搭載した電子ゲームがブームとなった。代表的な製品が、任天堂が1980年に発売したゲーム&ウオッチシリーズであり、モノクロでシンプルなゲームが多数を占めたが、非常に普及した携帯ゲーム機の1つである。ゲーム&ウオッチの一部機種では、後にの主力インターフェイスへと発展する十字キーも先行して採用された。任天堂、バンダイ、トミー、タイガー・エレクトロニクスと言った大手玩具メーカーの他にも多数のメーカーがさまざまな電子ゲームをリリースし、アーケードゲームの移植も盛んであった。1982年、本体に太陽電池を採用し、電池が不要な初のゲーム機であるLCD SOLARPOWERシリーズをバンダイが発売した。1983年、2つのディスプレイを搭載し、3D表示を可能とした初の携帯型ゲーム機であるTomytronic 3D(トミー3D立体グラフィックゲーム)シリーズをトミーが発売した。1984年にはエポック社から、日本初のROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機であるゲームポケコンが発売されたが、商業的には失敗に終わった。 1980年代後半 - 1990年代前半に当たる。 ROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機が実用的なスペックを獲得し、多彩なゲームが楽しめるようになった最初の世代である。Atari Lynx、ゲームギアのスペックは第3世代の据置ハードとほぼ同等であり、PCエンジンGTは据置機第4世代のPCエンジンと互換性があった。モノクロ液晶を採用したゲームボーイは、当時としては卓越した性能と画質を持つ他機種に大きく劣っていたが、当時の液晶技術は未熟で消費電力も大きく、カラー液晶機種はさらに高価でバッテリー(単三乾電池)消費も激しかったなかで、コンパクトで長時間駆動できるゲームボーイは携帯型ゲーム機で最も人気を集めた。ゲームギアは日本では商業的に苦戦したが、北米ではゲームボーイに対して善戦した。実用的な携帯型ゲーム機が登場してからも電子ゲームは販売されており、この世代ではバーコードバトラーが発売された。 1990年代中盤 - 後半に当たる。 スペックは据置ハードの第3世代と同等か、やや上回る程度であり、携帯ハードの第3世代から大きく向上してはいないが、携帯性に優れた薄く小さいボディを実現した。液晶技術の発達により、カラー液晶を採用した機種でも、長時間の運用に耐えられるようになった。赤外線通信機能などを搭載し、通信機能を生かしたゲームが流行した。メガドライブと互換性のあるセガ・ノーマッドや、この時代にあえてモノクロで挑んだワンダースワンなどの意欲的な機種が出たものの、この世代ではカラー化を果たした任天堂のゲームボーイシリーズが一人勝ち状態であった。電子ゲームでは1996年にバンダイから発売された、たまごっちが1997年にヒット商品となった。 1990年代末 - 2000年代初頭に当たる。 反射型TFT液晶や反射型FSTN液晶を採用したカラー液晶のゲーム機が主流となった。スペック的には据え置きハードの第4世代を上回る程度の機能を搭載し、携帯型ゲーム機における表現の幅が飛躍的に拡大した。ビジュアルメモリとポケットステーションは、据置機の外部記憶媒体(メモリーカード)にゲーム機能を付加するものだったが、普及には至らず、後世代機においては採用されなかった。前世代と同様に任天堂以外の機種は振るわない結果となり、携帯型ゲーム機において任天堂の独占状態が確立した。この頃から携帯電話の普及率が激増したため、それを使った携帯電話ゲームが登場し始めた。N-GageのようにPDAや携帯電話機能を搭載したゲーム機も出始めた。N-GageはS60を搭載し、2008年にはアプリケーション・プラットフォーム化した。 2000年代中盤 - 末に当たる。 ニンテンドーDS(以下DS)とPlayStation Portable(以下PSP)によって二分された。前世代までの乾電池に代わりエネルギー密度が高いリチウムイオン電池を採用し、明るいバックライト付き液晶となった。据置機同様にグラフィックの3D化が進み、ネットワークを介したデータのダウンロードやオンラインプレイが可能となった。DSはブルー・オーシャン戦略でライト層もターゲットに据え、PSPはコア層を主なターゲットに据えた。DSはインターネット接続へのハードルを下げたニンテンドーWi-Fiコネクションや、タッチパネルの採用は携帯型ゲーム機としては史上初であり、特徴的な2画面による「Touch! Generations」のヒットによってユーザー層が広がり、DSが教育にも取り入れられた。PSPは大型液晶画面と光学ドライブ、高性能マイクロプロセッサを搭載した。日本市場においては『モンスターハンター ポータブル』シリーズに恵まれたこともあり、任天堂のハードが一人勝ち状態であった前世代までとは違い善戦した。そして、タカトクトイスからゲームロボットを継いだハナヤマは、ゲームロボット九の復刻電子ゲーム機、ゲームロボット21を発売した。 2010年代初頭 - 後半に当たる。 3DSやPS VitaはカメラによるARやコミュニケーション・ソーシャルを意識した機能が多数盛り込まれた。2013年にはGPUメーカーとして知られるNVIDIAがTegra/Android搭載のNVIDIA SHIELD Portableを発売した。新参Androidゲーム機はこの年のトレンドといえるが、同機はPCをサーバとするゲームストリーミングクライアントでもあり、新たなストリーミングサーバ技術とともに発表され注目を集めた。スマートフォン/タブレットといったスマートデバイス用OSにゲームを意識した機能が盛り込まれた。2008年にAppleのiPhone OS(現:iOS)のSDKが公開されて以降、iPod touch/iPhone/iPadといったiOS用のApp StoreやGoogleのGoogle Playが提供された。これまで家庭用ゲーム機向けに展開されてきたシリーズが提供されたり連携も図られた。 2010年代後半以降に当たる。 この世代の大きい出来事として、SIEが携帯ゲーム機市場から完全撤退したことがある ただ最も携帯機市場の歴史を変えたと言っても過言ではないのは、任天堂は携帯ゲーム機と据え置きゲーム機を合体させたハードのNintendo Switchを発売したことである、これはゲーム業界にとってかなり大きな変革となった。携帯ゲーム機はハードの性能上無理と言われていたゲームが携帯ゲーム機で可能となった事により、 市場はPCゲームや据え置きゲーム機のハイクオリティゲームを携帯ゲーム機で遊べるハードを作るという方向性に進むことになる。 これに伴いGPDWINやONEXPLAYER、AYA NEOのような携帯ゲーム機の形をしたゲーミングPCが登場した。 その後Valve Corporationが運営する世界最大級のPCゲーム販売サイトSTEAMのゲームが遊べるSTEAM OS搭載の携帯ゲーム機の形をしたゲーミングPCが登場し、市場はさらなる盛り上がりを見せることになった。 1980年代にトミーから立体視のできる電子ゲームが発売された(『宇宙壮絶戦車戦』、『ジョーズ』、『スペースレーザーウォー』、『ジャングルファイター』、『コスモ・ル・マン』、『ドッグファイト』、『シャーマンアタック』の7作品が確認されている)。 任天堂からは1987年にファミコン3Dシステムが発売、セガからはアメリカ市場においてセガ・マスターシステムでSegaScope 3-D Glassesと複数の対応ソフトが発売された。1994年にはアタリから『ミサイルコマンド3D』と『Wolfenstein3D』のわずか2タイトルだったが、Jaguar VR ヘッドセットが発売された。 1995年7月には任天堂からスタンドタイプのバーチャルボーイが発売されるものの、販売台数は振るわなかった。以上のように200x年代前半までは、いずれも散発的にリリースされたに留まる。2006年11月に発売されたPlayStation 3は2010年4月に公開されたシステムアップデートで3次元ディスプレイへの映像出力に対応し、また2011年2月に任天堂から裸眼立体映像に対応した携帯型ゲーム機ニンテンドー3DSが発売された。 2010年代以降、1970年代後半〜1990年代にかけての2D全盛期のレトロゲームを懐かしむ人々(当時の子供や若者、2010年代における中年層)や、動画サイトなどでレトロゲームを知った現代の若者の需要に応えるかたちで、数十年前のゲーム機やゲーム群を復刻させることが活発になった。 概観は当時に似せて小型化し、テレビ受像機との接続についてはHDMI端子で行えるように進化させたものが多い。また筺体サイズやキータッチまで当時のものに似せていることもある。 復刻したゲーム機は仕様が変わっていたりする。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ゲーム機(ゲームき)とは、ビデオゲーム(コンピュータゲーム)を動作させるための装置の総称。「ゲーム機」という言葉自体はゲーム用のハードウェア全般を指すため、家庭用ゲーム機やアーケードゲーム機、任天堂のゲーム&ウオッチやたまごっちなどの電子ゲーム、ビデオゲームをプレイするために使われている状態のPC(パーソナルコンピュータ)やスマートフォンなど、全てがゲーム機である。一方でビデオゲームに包含される言葉として「コンシューマーゲーム」があり、アーケードゲームに対して家庭用ゲーム機を「コンシューマーゲーム機」とも呼ぶ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "日本において、ゲーム機は「家庭用ゲーム機」を指すことが多いことから、本記事では家庭用ゲーム機を中心に記載し、その他のゲーム機に関しては概略に留め、詳細は各記事を参照されたい。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "家庭用ゲーム機との比較のために、広義のゲーム機に関する概略も以下に述べる。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "その後、2004年に発売されたPSPはゲームだけに留まらない多機能さにより、「ゲーム機という線引きが曖昧になっている(\"ゲーム機\"が消える)」と指摘され、2000年代後半からはスマートフォンが普及し始めたことで、スマートフォン内にゲームアプリをダウンロード・インストールすることで、一種の携帯型の高性能ゲーム機としても使うことが広く一般化している。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "種類ごとに分類されるゲーム機はさらに下位に分類できる。分類方法はさまざまであるが、たとえば以下のように分類する方法がある。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "家庭用ゲーム機の下位分類としては、以下のような大分類をされることがある。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "家庭用ゲーム機は、時代とともにそのアーキテクチャや性能の水準が変化してきており、複数のメーカーによって開発・製造されているにもかかわらず、大まかに言うと時代ごとにある種の類似性でまとめることができるので、第一世代、第二世代...などと、世代(generation)で分類するということが広く行われている。据置型で顕著であるが、携帯型についても同様の分類がされることがある。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "アーケードゲーム機は、下位分類としては、以下のように大分類されることがある。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ビデオゲーム用のアーケード機は筺体のタイプで以下のように大分類されることがある。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "また、汎用筺体と専用筺体に分類されることもある。汎用筺体(汎用タイプ)というのは、ソフトウェアやボード類を入れ替えてさまざまなゲームを走らせることができる業務用ゲーム機のことである。それに対して専用筺体(専用タイプ)というのは、ある特定のゲームにしか使えないようなゲーム機であり、たとえば特定のカー・レースゲームに特化して、ハンドル・座席・画面・画面まわりの装飾などを作りこんであって、他のゲームには転用できないようなゲーム機、そのゲームの需要が無くなったら、分解・廃棄処分せざるを得ないようなゲーム機のことである。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ゲーム機として用いられている状態のパーソナルコンピュータは以下のように分類することも可能である。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ゲームハードの世代分けについては、英語版ウィキペディアにおける「Video game console」にだいたい相当するもの、すなわち、「コンシューマーゲーム機」「家庭用ゲーム機」「ゲーム専用機」等と呼ばれているものに関しての話題を主として扱う。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "世代の分類については日本国内市場調査を始めとする、公的及び第三者機関によって用いられる統計発表や文書はないため、英語版ウィキペディアによる「First generation」から「Eighth generation」の分類に便宜上沿った記述とする。ただしこれらもおそらく独自研究であり、該当の世代分けは日本のゲーム研究、メディア等では余り見らられず、また英語による資料においても異同が見られる為、留意が必要である。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "マイナーなものまで含めれば多種多様のさまざまな形態があるものの、この項ではひとまず各機種を据置機(いわゆるテレビゲーム機)と、携帯型ゲーム機の2つに分類している。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ここでは家庭用ゲームコンソール、つまり家庭で使われるゲームコンソールについて解説する。これが一般に「家庭用ゲーム機」と呼ばれている。ただしホビーパソコン(ゲームパソコン)およびゲーミングPCは対象外とする。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1970年代前半 - 中盤を、この記事では「第1世代」とする。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1972年に史上初の家庭用ゲーム機とされる『オデッセイ』がリリースされた。オデッセイはCPUではなく、アナログ回路で電子ゲーム機能を実現していた。オデッセイを参考にして製作したビデオゲーム『ポン』をアーケードで大ヒットさせたアタリが、テレビに接続するだけで家庭でもポンが楽しめる『ホーム・ポン』を1975年にリリースし、大ヒットとなった。これによって家庭用ゲーム機という存在が広く知られ、「ポンクローン」と呼ばれるポンのコピーゲーム・亜流ゲームが、大手から中小まで多数の玩具メーカーからリリースされた。日本ではオデッセイを発売したマグナボックスと提携したエポック社と任天堂からゲーム機が発売されたが、これらもポンクローンと呼ばれている。アタリが1976年に発売した『ブレイクアウト』(ブロック崩し)なども多くのクローン機が出回った。これらのゲーム機が最初期に現れたゲーム機、すなわちゲーム第1世代と呼ばれる。この時代はソフトがハードに組み込まれていて、後からソフトを買い足すことはできなかったが、スイッチで複数のゲームを切り替えることができるもの、切り替えカードを追加購入することでオプションのゲームをプレイできるものもあった。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1970年代後半 - 1980年代前半を、この記事では「第2世代」とする。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1976年、フェアチャイルドがチャンネルFを発売した。チャンネルFはROMカートリッジを差し込むことで様々な種類のゲームを楽しむことができる最初の家庭用ゲーム機であった。マグナボックスも1978年に同様のシステムを採用したゲーム機Odyssey2を発売した。アタリも1977年にAtari 2600(VCS)を発売した。『スペースインベーダー』などの人気アーケードゲームのコンシューマ移植をキラータイトルとし、1980年頃にはアメリカにおいて爆発的な人気を博した。さらに、1979年にアタリからアクティビジョンが独立してゲーム史上初のサードパーティーとなって以後、続々と誕生するサードパーティーのソフトを積極的に受け入れるビジネスモデルを確立した。北アメリカでは他にインテレビジョンやコレコビジョンも人気となり、ヨーロッパではドイツのインタートンによるVC 4000なども人気を博した。しかし1982年のクリスマス商戦で決定的な市場崩壊(いわゆるアタリショック)を起こした。Atari 2600のみならずアメリカのゲーム機市場(パソコンゲーム市場は含まない)そのものが一時壊滅状態に追い込まれた。日本や南アメリカなどの地域におけるゲーム機の本格的な普及は、次のファミコン時代以後になる。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1980年代前半 - 中盤を、この記事では「第3世代」とする。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "アタリショック後、北アメリカとヨーロッパではゲーム機能に加えてプログラミング機能をそなえたゲームパソコンが勢力を増し、多くのゲームメーカーがゲームリリースを家庭用機からパソコン主力に移した。ゲームパソコンとして北アメリカではコモドール64が、ヨーロッパではZX Spectrumが成功を収めた。日本でも同様の機種(ぴゅう太、M5、SC-3000、MSXなど)が登場したが、最終的にはゲーム機能に特化し、第1・第2世代より優れたゲーム性能を実現した機種が成功を収めた。特に1983年に発売された任天堂のファミリーコンピュータ(以下ファミコン)は日本における家庭用ゲーム機の本格的普及を担い、1985年にはアメリカで海外版ファミコンであるNintendo Entertainment System(NES)が発売され成功を収めた。RPGや対戦型格闘ゲーム、2Dアクションゲームなどの今日に繋がるゲームシステムの原型もこの時期に出来上がった。これまではAtari 2600に由来するATARI仕様と呼ばれるジョイスティック型のコントローラーが一般的であったが、ファミコンのパッド型コントローラー(ゲームパッド)はコンパクトだが汎用性に優れ、以後のほとんど全てのゲーム機における入力機器の基礎となった。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1980年代後半 - 1990年代前半を、この記事では「第4世代」とする。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "従来機種より高度なスプライト機能を搭載し、2Dグラフィックスの表現力が向上した。ステレオサウンドが標準になり、ゲームの複雑化・高度化も進み、対応するコントローラーも多ボタン化が進んだ。他方、複雑で表現力豊かなゲームをROMカートリッジに詰め込むのには、容量不足による限界が見え始めてきた。ゲームソフトの大容量化によりROMの製造コストも高騰し、9,800円以上のソフトが続出した。このような情勢から、従来のROMカートリッジに代わり世界初のCD-ROMをゲーム媒体に使用したCD-ROMが現れ、対応タイトルは、大容量を活かしたものとなっており、後の光ディスクによるソフト供給の基礎となった。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "主なハードは、PCエンジン・メガドライブ・スーパーファミコンの3機種である。スーパーファミコンは他の2種よりも大幅に発売が遅れたが、日本ではファミリーコンピュータからの圧倒的シェアを受け継いで移行することに成功した。一方の北アメリカ市場では任天堂のSNES(日本国外版スーパーファミコン)とセガのGENESIS(同メガドライブ)が市場競争を展開し、GENESISがシェア55%の2000万台を売り上げ一定の成功を収めた。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "アーケード市場において対戦型格闘ゲームなどで絶大な人気を得ていたSNKが、アーケードのシステムをそのまま家庭用機に流用したNEOGEOでゲーム機市場に参入した。家庭用ゲーム機の高性能化によりアーケードゲームやパソコンゲームとの性能差は縮まった。海外市場ではホビーパソコンのAtari STとAmigaがリリースされ、ゲームパソコンとして拮抗した人気を得た。日本でもX68000やFM TOWNSなどのホビーパソコンが発売されたが、据置機とソフトに恵まれた日本ではパソコンゲームは家庭用ゲーム機で扱えないアダルトゲームを除いて衰退した。第4世代ゲーム機はドット絵とスプライトによる2Dゲームの成熟・完成期に当たる。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1990年代中盤 - 後半を、この記事では「第5世代」とする。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "この世代では、従来のROMカセットに代わって光ディスクがコンテンツ販売パッケージの主力となった。光ディスクは読み込みに時間がかかるという難点があるものの、データ容量がROMと比較して大きく、再プレスが容易であり、安価にゲーム媒体を量産可能になった。これに伴い音質の向上やムービー再生による演出が広がった。本格的な3Dグラフィックス機能が搭載されたゲーム機が現れ、ゲーム内での映像表現の幅が広がった。振動機能やアナログスティックを備えたコントローラも登場した。だが線でコントローラーと本体を繋いでるものが多い。ドット絵とポリゴンでは製作ノウハウが違い、中小の新しいソフトハウスも台頭した。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "この世代から第6世代にかけて、コンソール・ウォー(ゲーム機戦争)と呼ばれるハードウェア同士の性能競争が最高潮に達し、各社とも自社製ゲーム機の高性能ぶりを盛んにアピールした。主要な機種はPlayStation、セガサターン、NINTENDO64の3機種である。この世代でゲーム機市場に新規に参入したソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE。現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE))のPlayStationは、安価で開発のしやすいシステムと、サードパーティーの高い支持による充実したソフト群を背景に首位に立った。セガのセガサターンは、PlayStationより早く100万台を売り上げるなど、発売直後は好調さを見せたが、コストカットしにくいハード構成であることからPlayStationとの値下げ競争で苦境に立たされた。また、北アメリカではアメリカ・セガがスーパー32Xを先行して投入するなど、販売戦略において日本セガ側との食い違いが見られ、結果的にユーザー側の混乱を招いて共倒れする形となってしまい、海外市場で不評を買った。任天堂が発売したNINTENDO64は、64ビットの高性能をその名でアピールする象徴的な存在を目指したが、他社に比べて発売が大きく出遅れた上、サードパーティーが少なく、旧来的なROMカセットを採用したためソフトウェアの価格は高めであり価格競争力も低く、北アメリカでは成功したが主流となることはなかった。日本でもPlayStationに大きな遅れをとることとなった。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "北アメリカ最大のコンシューマゲーム会社であるエレクトロニック・アーツの創設者が、3DO社を設立してゲーム機市場に参入した。ゲーム機やゲームパソコンのメーカーとして黎明期から長らくゲーム業界を支えたアタリがこの世代を最後にハード事業において四半世紀に渡る長い休眠期間に突入し、コモドールが倒産した。それによって、ゲーム用途で使われるパソコンとしてはPC/AT互換機がほとんどとなった。Windows 95の登場後もしばらくゲーム用途ではMS-DOSが主流であったが、DirectXの登場以後は次第にゲーム用途としてもWindowsがメイン環境となった。マイクロソフトはパソコン用ゲームの開発スタジオを多数抱える大手ゲームメーカーとなり、続く第6世代でついにコンシューマ機に参入した。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1990年代末 - 2000年代初頭を、この記事では「第6世代」とする。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "3Dグラフィックスの表現力が上がり、インターネットとの通信や5.1chサウンドにも限定的に対応し始めた。メディアはDVD、もしくはDVDの技術を応用した独自規格のディスクが主流となった。この世代を最後にセガはハード販売から撤退し、入れ替わる形でマイクロソフトのXboxが参入した。Xboxは日本国外市場において成功を収めてPlayStation 2に次ぐシェアを獲得したが、日本では一般にゲーム機が売れる年末を過ぎた2月に発売したり、初期不良やそれに関する対応などが批判を受けるなど振るわなかった。NINTENDO64の後継機のニンテンドーゲームキューブは日本で一定の支持を得たが、日本国外では前ハードほど振るわなかった。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "パソコンにおけるブロードバンドの普及期に当たり、ネット対応が不十分な家庭用ゲーム機に先行して、パソコン用のオンラインゲームが充実した。中国や韓国などアジアの新興国においても自国製ゲームの普及が見られ始めるが、据置型ゲームは多大な開発コストなどの参入障壁が大きかったことや、アジア諸国における海賊版の横行のためコンテンツ販売では利益を得にくかったなどの理由から、課金制のパソコンオンラインゲームが開発の主流となっていき、これらの国の作品が世界に輸出されるのも多く見られ始めた。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "2000年代中盤 - 末を、この記事では「第7世代」とする。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "任天堂のWiiは、Wiiリモコンという体感型のコントローラを搭載し、高精細度ビデオ(HD)に対応したPlayStation 3とXbox 360もPlayStation MoveやKinectを発売した。いずれの機種もかつてのハードで発売されたソフトの公式エミュレータを用意しコンテンツのダウンロード販売も行われるようになった。ビデオ・オン・デマンドなど海外ではXbox 360がスマートテレビのデファクトともいわれた。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ソフトメーカーにとってはシェアの先行き不透明な状況が続き、前世代以上にマルチプラットフォームが増加した。Xbox 360とPS3は売れ行きは鈍く、人気ゲームの続編・リメイク・HD対応版の発売が多くなった。Wiiは今までのゲーム機の常識を変え体感型として出したため、新しくて面白さが分かりやすく、同世代のハードに比べ非常に速いペースでシェアを伸ばし2世代振りにハードシェアでのトップになったものの、他のハードとは異なり入力デバイスが特殊である事や同世代のハード中で唯一画質がHD画質に対応していない事等からマルチプラットフォームリリースの対象から外れる事が多かった。特に画質面において、2011年に地上デジタル放送の完全移行を控え、高画質テレビ(主にHDテレビ)の普及率が大きく上がった事がWiiの長期展開にとって大きなミスとなってしまった。また、後年はWii専用タイトルの数も大きく減少した。結果的にXbox 360やPS3のラインナップが充実していく中、逆にWiiは新作ソフトが不足するようになっていった。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "第7世代機ではネットワークサービスを利用して、当時のゲームや「ドット絵を利用した、当時のハードウェア環境そのままでの新作」が配信された。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "南アメリカやアジアなどの新興国ではネットワーク対応や体感型などを盛り込みながらも安価で低性能なゲーム機が盛んにリリースされており、ブラジルで長らくセガの代理店として活動していたTectoy社が2009年に独自にリリースしたドリームキャストの後継機Zeeboや、中国におけるセガの代理店であるAtGamesがリリースしたZONEおよびそのバリエーションであるSEGA Reactorが代表的な製品である。先進国ではハードから撤退したセガは新興国ではTectoyやAtGamesなどを介してハード事業を継続しており、Tectoyからはメガドライブのモデルチェンジ版であるメガドライブ4も2009年発売された。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "2010年代前半 - 中盤を、この記事では「第8世代」とする。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "Wii Uが2012年11月、PlayStation 4とXbox Oneが2013年11月に、共に北アメリカ地域のホリデーシーズンに合わせて発売された。3機種全てで北アメリカ地域での発売が優先されている。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "2012年にはスマートフォンやタブレットの普及によりコモディティ化した高度なモバイルハードウェア・ソフトウェア技術がゲーム機に転用され始め、クラウドファンディングの流行を背景にOUYAやGameStickなど新興企業の手によるAndroidゲーム機の企画・開発が相次いだ。ゲーム開発自由な「オープンプラットフォーム」およびメディア在庫を持たない「デジタルディストリビューション」といった特徴は共通している。また、2013年にはValve CorporationがSteamOS/Steam Machine/Steam Controllerを発表した。Steam Machineはかねてより構想が伝えられていたSteam Box、すなわち同社のPCゲームプラットフォームSteamのコンシューマ市場展開を担う家庭用ゲーム機・専用ゲーミングPCの規格である(Xi3のPistonは非公認となった)。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "Gaikai/OnLive/PlayStation Now、Microsoft AzureやAmazon Web Servicesのように各クラウドのサービス・プラットフォームが台頭し、NVIDIA GeForce GRIDやGクラスタ/UbitusなどはSTBにも使用された(スーパーコンピューターゲーミングを目指していたシンラ・テクノロジーは解散したが、主要メンバーはGenvid Technologiesを立ち上げた)。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "2010年代後半 - 2020年代前半を、この記事では「第9世代」とする。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "任天堂は前世代のWii Uが販売不振で短命となり、他社に先行する形で2017年3月に、据置機としても携帯機としても遊べるハイブリッドゲーム機としてNintendo Switchを発売。ゲームボーイ発売以降分離していた据置機と携帯機のプラットフォームが統合された。また2019年9月にNintendo Switchの携帯専用機、および廉価版としての位置付けでNintendo Switch Liteも発売された。Oculus VRは2019年5月、初のスタンドアローン型VRゲーム機であるOculus Questを発売。アタリはAtari Jaguar以来約四半世紀ぶりに家庭用ゲーム機業界に復帰し、Atari VCSを発表した。また、マテルもインテレビジョンの権利を買い戻し、Intellivision Amicoを発表した。さらに、ソニー・コンピュータエンタテインメントはPlayStation 5、マイクロソフトはXbox Series X/Sを2020年11月にそれぞれ発売している。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "この時期からはゲームハードのさらなる高性能化、動画配信サイトの普及によるゲーム実況の人気の高まり、半導体不足、そして営利目的の転売の横行などから、特に発売直後のゲームハードがしばしば供給不足に苦しむようになる。Nintendo Switchは発売3ヵ月が経過しても品薄状態が収まらず、任天堂が公式に謝罪文を発表する事態となった。また2020年には新型コロナウイルスの世界的な蔓延によって巣ごもり需要がさらに高まり、PlayStation 5などはハードの供給不足が原因でゲームソフトの深刻な販売不振が発生、日本国内では発売二ヵ月後にも関わらず店頭販売に人が殺到し警察が出動する騒ぎも起きている。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "この世代ではクラウドゲームサービス・プラットフォームも注目を集めており、Google、Amazon、Facebook、NVIDIAが参入した。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "本節では便宜上、携帯型ゲーム機だけでなく、電子ゲームについても述べる。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "1970年代後半 - 1980年代前半に当たる。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "ROMカートリッジをハードに差し込む形式ではなく、1ハードにつき1ゲームという形式の電子ゲームが登場した。当時の電子ゲームはモノクロLCDすら搭載できず、LED表示によるものが主だったが、マテルが1976年に世界初の携帯型電子ゲーム機となるMattel Auto Raceをリリースして以降、各社から続々とLEDゲームが発売され、大きなブームとなった。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "1980年代前半 - 中盤に当たる。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "据置型ゲーム機が第2世代となり、ブームとなっていた1979年、アメリカの大手玩具メーカーであるミルトン・ブラッドリー社から史上初のカートリッジ交換式携帯型ゲーム機Microvisionがリリースされた。MicrovisionはCPUがカートリッジ側についているなど、後のゲーム機とはずいぶん異なっていた。LCD画面が壊れやすいなど技術的な制約のため、商業的にほとんど成功せずに終わった。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "1980年代に入るとLCDが安価となり、LCDを搭載した電子ゲームがブームとなった。代表的な製品が、任天堂が1980年に発売したゲーム&ウオッチシリーズであり、モノクロでシンプルなゲームが多数を占めたが、非常に普及した携帯ゲーム機の1つである。ゲーム&ウオッチの一部機種では、後にの主力インターフェイスへと発展する十字キーも先行して採用された。任天堂、バンダイ、トミー、タイガー・エレクトロニクスと言った大手玩具メーカーの他にも多数のメーカーがさまざまな電子ゲームをリリースし、アーケードゲームの移植も盛んであった。1982年、本体に太陽電池を採用し、電池が不要な初のゲーム機であるLCD SOLARPOWERシリーズをバンダイが発売した。1983年、2つのディスプレイを搭載し、3D表示を可能とした初の携帯型ゲーム機であるTomytronic 3D(トミー3D立体グラフィックゲーム)シリーズをトミーが発売した。1984年にはエポック社から、日本初のROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機であるゲームポケコンが発売されたが、商業的には失敗に終わった。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "1980年代後半 - 1990年代前半に当たる。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "ROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機が実用的なスペックを獲得し、多彩なゲームが楽しめるようになった最初の世代である。Atari Lynx、ゲームギアのスペックは第3世代の据置ハードとほぼ同等であり、PCエンジンGTは据置機第4世代のPCエンジンと互換性があった。モノクロ液晶を採用したゲームボーイは、当時としては卓越した性能と画質を持つ他機種に大きく劣っていたが、当時の液晶技術は未熟で消費電力も大きく、カラー液晶機種はさらに高価でバッテリー(単三乾電池)消費も激しかったなかで、コンパクトで長時間駆動できるゲームボーイは携帯型ゲーム機で最も人気を集めた。ゲームギアは日本では商業的に苦戦したが、北米ではゲームボーイに対して善戦した。実用的な携帯型ゲーム機が登場してからも電子ゲームは販売されており、この世代ではバーコードバトラーが発売された。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "1990年代中盤 - 後半に当たる。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "スペックは据置ハードの第3世代と同等か、やや上回る程度であり、携帯ハードの第3世代から大きく向上してはいないが、携帯性に優れた薄く小さいボディを実現した。液晶技術の発達により、カラー液晶を採用した機種でも、長時間の運用に耐えられるようになった。赤外線通信機能などを搭載し、通信機能を生かしたゲームが流行した。メガドライブと互換性のあるセガ・ノーマッドや、この時代にあえてモノクロで挑んだワンダースワンなどの意欲的な機種が出たものの、この世代ではカラー化を果たした任天堂のゲームボーイシリーズが一人勝ち状態であった。電子ゲームでは1996年にバンダイから発売された、たまごっちが1997年にヒット商品となった。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "1990年代末 - 2000年代初頭に当たる。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "反射型TFT液晶や反射型FSTN液晶を採用したカラー液晶のゲーム機が主流となった。スペック的には据え置きハードの第4世代を上回る程度の機能を搭載し、携帯型ゲーム機における表現の幅が飛躍的に拡大した。ビジュアルメモリとポケットステーションは、据置機の外部記憶媒体(メモリーカード)にゲーム機能を付加するものだったが、普及には至らず、後世代機においては採用されなかった。前世代と同様に任天堂以外の機種は振るわない結果となり、携帯型ゲーム機において任天堂の独占状態が確立した。この頃から携帯電話の普及率が激増したため、それを使った携帯電話ゲームが登場し始めた。N-GageのようにPDAや携帯電話機能を搭載したゲーム機も出始めた。N-GageはS60を搭載し、2008年にはアプリケーション・プラットフォーム化した。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "2000年代中盤 - 末に当たる。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ニンテンドーDS(以下DS)とPlayStation Portable(以下PSP)によって二分された。前世代までの乾電池に代わりエネルギー密度が高いリチウムイオン電池を採用し、明るいバックライト付き液晶となった。据置機同様にグラフィックの3D化が進み、ネットワークを介したデータのダウンロードやオンラインプレイが可能となった。DSはブルー・オーシャン戦略でライト層もターゲットに据え、PSPはコア層を主なターゲットに据えた。DSはインターネット接続へのハードルを下げたニンテンドーWi-Fiコネクションや、タッチパネルの採用は携帯型ゲーム機としては史上初であり、特徴的な2画面による「Touch! Generations」のヒットによってユーザー層が広がり、DSが教育にも取り入れられた。PSPは大型液晶画面と光学ドライブ、高性能マイクロプロセッサを搭載した。日本市場においては『モンスターハンター ポータブル』シリーズに恵まれたこともあり、任天堂のハードが一人勝ち状態であった前世代までとは違い善戦した。そして、タカトクトイスからゲームロボットを継いだハナヤマは、ゲームロボット九の復刻電子ゲーム機、ゲームロボット21を発売した。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "2010年代初頭 - 後半に当たる。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "3DSやPS VitaはカメラによるARやコミュニケーション・ソーシャルを意識した機能が多数盛り込まれた。2013年にはGPUメーカーとして知られるNVIDIAがTegra/Android搭載のNVIDIA SHIELD Portableを発売した。新参Androidゲーム機はこの年のトレンドといえるが、同機はPCをサーバとするゲームストリーミングクライアントでもあり、新たなストリーミングサーバ技術とともに発表され注目を集めた。スマートフォン/タブレットといったスマートデバイス用OSにゲームを意識した機能が盛り込まれた。2008年にAppleのiPhone OS(現:iOS)のSDKが公開されて以降、iPod touch/iPhone/iPadといったiOS用のApp StoreやGoogleのGoogle Playが提供された。これまで家庭用ゲーム機向けに展開されてきたシリーズが提供されたり連携も図られた。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "2010年代後半以降に当たる。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "この世代の大きい出来事として、SIEが携帯ゲーム機市場から完全撤退したことがある", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ただ最も携帯機市場の歴史を変えたと言っても過言ではないのは、任天堂は携帯ゲーム機と据え置きゲーム機を合体させたハードのNintendo Switchを発売したことである、これはゲーム業界にとってかなり大きな変革となった。携帯ゲーム機はハードの性能上無理と言われていたゲームが携帯ゲーム機で可能となった事により、", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "市場はPCゲームや据え置きゲーム機のハイクオリティゲームを携帯ゲーム機で遊べるハードを作るという方向性に進むことになる。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "これに伴いGPDWINやONEXPLAYER、AYA NEOのような携帯ゲーム機の形をしたゲーミングPCが登場した。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "その後Valve Corporationが運営する世界最大級のPCゲーム販売サイトSTEAMのゲームが遊べるSTEAM OS搭載の携帯ゲーム機の形をしたゲーミングPCが登場し、市場はさらなる盛り上がりを見せることになった。", "title": "ゲーム機の世代分け" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "1980年代にトミーから立体視のできる電子ゲームが発売された(『宇宙壮絶戦車戦』、『ジョーズ』、『スペースレーザーウォー』、『ジャングルファイター』、『コスモ・ル・マン』、『ドッグファイト』、『シャーマンアタック』の7作品が確認されている)。", "title": "立体映像対応のゲーム機" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "任天堂からは1987年にファミコン3Dシステムが発売、セガからはアメリカ市場においてセガ・マスターシステムでSegaScope 3-D Glassesと複数の対応ソフトが発売された。1994年にはアタリから『ミサイルコマンド3D』と『Wolfenstein3D』のわずか2タイトルだったが、Jaguar VR ヘッドセットが発売された。", "title": "立体映像対応のゲーム機" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "1995年7月には任天堂からスタンドタイプのバーチャルボーイが発売されるものの、販売台数は振るわなかった。以上のように200x年代前半までは、いずれも散発的にリリースされたに留まる。2006年11月に発売されたPlayStation 3は2010年4月に公開されたシステムアップデートで3次元ディスプレイへの映像出力に対応し、また2011年2月に任天堂から裸眼立体映像に対応した携帯型ゲーム機ニンテンドー3DSが発売された。", "title": "立体映像対応のゲーム機" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "2010年代以降、1970年代後半〜1990年代にかけての2D全盛期のレトロゲームを懐かしむ人々(当時の子供や若者、2010年代における中年層)や、動画サイトなどでレトロゲームを知った現代の若者の需要に応えるかたちで、数十年前のゲーム機やゲーム群を復刻させることが活発になった。", "title": "復刻系ゲーム機" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "概観は当時に似せて小型化し、テレビ受像機との接続についてはHDMI端子で行えるように進化させたものが多い。また筺体サイズやキータッチまで当時のものに似せていることもある。", "title": "復刻系ゲーム機" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "復刻したゲーム機は仕様が変わっていたりする。", "title": "復刻系ゲーム機" } ]
ゲーム機(ゲームき)とは、ビデオゲーム(コンピュータゲーム)を動作させるための装置の総称。「ゲーム機」という言葉自体はゲーム用のハードウェア全般を指すため、家庭用ゲーム機やアーケードゲーム機、任天堂のゲーム&ウオッチやたまごっちなどの電子ゲーム、ビデオゲームをプレイするために使われている状態のPC(パーソナルコンピュータ)やスマートフォンなど、全てがゲーム機である。一方でビデオゲームに包含される言葉として「コンシューマーゲーム」があり、アーケードゲームに対して家庭用ゲーム機を「コンシューマーゲーム機」とも呼ぶ。 日本において、ゲーム機は「家庭用ゲーム機」を指すことが多いことから、本記事では家庭用ゲーム機を中心に記載し、その他のゲーム機に関しては概略に留め、詳細は各記事を参照されたい。
{{出典の明記|date=2019年3月11日 (月) 04:38 (UTC)}} {{独自研究|date=2023-12-15}} {{コンピュータゲームのサイドバー}} {{コンピュータゲーム産業}} '''ゲーム機'''(ゲームき)とは、ビデオゲーム([[コンピュータゲーム]])を動作させるための装置の総称<ref name="binary_gameki">{{Cite web|和書|url=http://www.sophia-it.com/content/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E6%A9%9F|title=ゲーム機とは - IT用語辞典バイナリ|accessdate=2014-4-8}}</ref>。「ゲーム機」という言葉自体はゲーム用の[[ハードウェア]]全般を指すため、家庭用ゲーム機や[[アーケードゲーム]]機、任天堂の[[ゲーム&ウオッチ]]や[[たまごっち]]などの[[電子ゲーム]]、ビデオゲームをプレイするために使われている状態のPC([[パーソナルコンピュータ]])や[[スマートフォン]]など、全てがゲーム機である<ref name="binary_gameki" />。一方でビデオゲームに包含される言葉として「[[コンシューマーゲーム]]」があり、アーケードゲームに対して家庭用ゲーム機を「コンシューマーゲーム機」とも呼ぶ<ref name="binary_gameki" />。 日本において、ゲーム機は「家庭用ゲーム機」を指すことが多い<ref name="binary_gameki" />ことから、本記事では家庭用ゲーム機を中心に記載し、その他のゲーム機に関しては概略に留め、詳細は各記事を参照されたい。 {{Main2|ゲーム全般の歴史|コンピュータゲーム#歴史}} == 種類 == 家庭用ゲーム機との比較のために、広義のゲーム機に関する概略も以下に述べる。 ; アーケードゲーム : いわゆる「[[ゲームセンター]]」などに設置されるゲーム機のこと。ゲームセンターなどの経営側が、業務(商売)のために使うゲーム機なので「業務機」とも呼ばれる。 : アーケードゲームとして最初に成功した製品は[[アタリ (企業)|アタリ社]]が1972年に登場させた『[[ポン (ゲーム)|ポン]]』である<ref>{{Citation|和書|contribution-url=https://ci.nii.ac.jp/naid/110002929678|contribution=アーケードゲームのテクノロジー(その1) 増補改訂版|last1=宮沢 |first1=篤|last2=駒野目 |first2=裕久|title=<小特集>遊び・エンタテインメントとメディア|journal=情報処理学会研究報告.IM, [情報メディア]|volume=96|issue=29|pages=9〜16|year=1999}}</ref>。その後続々とアーケードゲーム機が登場。特に1978年には[[タイトー]]が『[[スペースインベーダー]]』を開発、好評を博し、世界各地でゲームセンターが作られ、タイトーのアーケードゲーム機が設置されることになり、ゲームを産業として確立させた。インベーダーゲームのヒットを目の当たりにして、そのゲーム機を模倣したアーケード機も製造する会社も多数登場した。このインベーダーゲームのゲーム機と、その後タイトーがとったやりかたで、新しいゲームをプレーヤーに提供する場合は、一番外側の[[筐体]]はそのままに、内部のメモリ(メモリボード)を交換する形で、そして必要に応じてグラフィックボードも交換することで、あらたなゲームが動くゲーム機に仕立てる、という方式が広まっていった。 ; 家庭用ゲーム機 : 一方、アーケードゲームを家庭で手軽に楽しむため最初期の家庭用のゲーム機が登場したが、初期の家庭用ゲーム機は初期のアーケードゲーム同様に[[ワイヤードロジック]]で構成されていた{{Efn2|マイクロプロセッサ無しであり、ソフトウェアで動く方式ではなかった。}}ため、「1ハード1ゲーム」つまりひとつのゲーム機ではひとつのゲームしか遊べない状態で、あるいはせいぜい複数のゲームをスイッチで切り替える方式だった。その欠点を解消するために、1977年に登場した[[Atari 2600]]では[[ロムカセット|カートリッジ]]でプログラムを交換する方式を導入し、ヒット機となった。 : 1980年代から1990年代前半にかけて、多くのメーカーによってゲーム機が開発・発売された。この時期に主要ゲーム機を販売していたのは[[任天堂]]、[[セガ]]、[[日本電気ホームエレクトロニクス]]であり、1983年に任天堂から発売された[[ファミリーコンピュータ]]はカートリッジ方式(カセット方式)を採用し、[[サードパーティー]]に[[ライセンス]]方式でソフトウェアの製造をさせ、価格を安価に設定した上に、多くのソフト開発会社から良質のゲームソフトが続々と発売された。結果的に累計販売台数は1991年3月末時点までに約1,600万台に達した。 : 1994年にソニーコンピュータエンタテインメント(SCE。現:[[ソニー・インタラクティブエンタテインメント]](SIE))の[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]が市場に参入してからは、任天堂とセガ、SCEの3強による寡占状態へとなっていった。 : 2000年代になるとセガがゲーム機開発から撤退し、2001年に[[マイクロソフト]]が[[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]で市場に参入して以降は任天堂とSCE、マイクロソフトの3強状態が続いている。 ; 電子ゲーム : 主に[[集積回路|LSI]]チップによって動作する装置。任天堂の[[ゲーム&ウオッチ]]シリーズや[[たまごっち]]など。 ; パーソナルコンピュータ : パーソナルコンピュータ(ホームコンピュータ)機では、1970年代から1980年代前半にかけて8ビットCPUのコンピュータが、[[Apple II]]、Commodore [[PET 2001]]、タンディ [[TRS-80]]など次々と登場し、それぞれのマシンのユーザがそれらをゲーム機として使った。特に1982年に発売された[[コモドール64|Commodore 64]](略称:C64)は安価によりアメリカの家庭に普及し、累計で1994年4月までに1700万台の販売を記録した{{Efn2|パソコンの単一機種の販売記録では世界一。この記録を破る機種はその後出ていない。}}。このC64は、各家庭でゲーム機として使われ、普及台数が多かったのでゲームソフトを開発する会社も数多く、[[:en:List of Commodore 64 games|1300種類以上のゲームソフト]]がC64のために制作・販売された。 : パーソナルコンピュータの中でも「[[ホビーパソコン]]」と分類されたものは、「ホビー」用つまり趣味的な用途のものであり、ゲーム用のコンピュータとして使われた。日本の企業群から共通規格で販売された[[MSX]]もゲーム機として利用された{{Efn2|教育用などにも使われた。}}。 その後、2004年に発売された[[PlayStation Portable|PSP]]はゲームだけに留まらない多機能さにより、「ゲーム機という線引きが曖昧になっている("ゲーム機"が消える)」と指摘され<ref>{{Cite web|和書|author=大河原克行 |url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/0710/gyokai250.htm |title=大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」「ゲーム機が無くなる日」を示唆したゲーム白書、「50代のゲーム利用増加」を裏付けたCESA報告書 |website=PC Watch |publisher=[[インプレス]] |date=2008-07-10 |accessdate=2021-07-04}}</ref>、2000年代後半からは[[スマートフォン]]が普及し始めたことで、スマートフォン内にゲームアプリをダウンロード・インストールすることで、一種の携帯型の高性能ゲーム機としても使うことが広く一般化している<ref>{{Cite web|和書|author=大河原克行 |url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/gyokai/280652.html |title=大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」ゲーム白書2009に見る、ゲーム機市場の大転換期〜急増するゲームコンテンツのダウンロード |website=PC Watch |publisher=インプレス |date=2009-06-10 |accessdate=2021-07-04}}</ref>。 == 分類 == 種類ごとに分類されるゲーム機はさらに下位に分類できる。分類方法はさまざまであるが、たとえば以下のように分類する方法がある。 ; 家庭用ゲーム機の下位分類 家庭用ゲーム機の下位分類としては、以下のような大分類をされることがある。 * '''[[据置型ゲーム機]]''' / '''[[携帯型ゲーム|携帯型ゲーム機]]''' : 「据置型(すえおきがた)」とは特定の位置に設置して使用される前提で設計されている機器・装置のことであるので<ref name="binary_sueokigata">[https://www.sophia-it.com/content/%E6%8D%AE%E3%81%88%E7%BD%AE%E3%81%8D%E5%9E%8B]</ref>、「据置型ゲーム機」というのは、特定の位置に設置して使用されることが前提で開発されたゲーム機のことである。一般に、家庭に置かれているテレビ受像機に繋いで使うことを前提に設計されている。それに対して「携帯型ゲーム機」というのは、携帯していろいろな場所でプレイすることを前提として開発されたゲーム機のことであり、携帯可能な大きさ・重さになるように設計されたゲーム機であり、一般に小型の画面を備える。ただし、以前は「据置型ゲーム機 / 携帯型ゲーム機」の線引きがかなりはっきりしていたのだが、近年では、あえてそれらの境界領域を狙って、それ自体に小型の画面を備えていて携帯して遊ぶこともできながら家庭用の大型テレビに接続し大画面でプレイもできる機種、あるいはドッキングステーションのようなものに接続することでそれを実現するものなども開発され、それらの機種も相当な販売台数になっているので、「据置型ゲーム機 / 携帯型ゲーム機」という分類は以前に比べるとやや曖昧になっている。 家庭用ゲーム機は、時代とともにその[[アーキテクチャ]]や性能の水準が変化してきており、複数のメーカーによって開発・製造されているにもかかわらず、大まかに言うと時代ごとにある種の類似性でまとめることができるので、第一世代、第二世代...などと、世代(generation)で分類するということが広く行われている。据置型で顕著であるが、携帯型についても同様の分類がされることがある。 ; アーケードゲーム機の下位分類 アーケードゲーム機は、下位分類としては、以下のように大分類されることがある。 * ビデオゲーム用アーケードゲーム機 / [[エレメカ]] ビデオゲーム用のアーケード機は筺体のタイプで以下のように大分類されることがある。 * アップライト筐体(型) / テーブル筐体(型) / プロジェクタ筐体(型) : アップライト型(筺体)というのはプレーヤが立った状態でプレイするアーケード機であり、テーブル型(筺体)というのはゲーム機が[[テーブル (家具)|テーブル]]のような形をしており、プレーヤは椅子にこしかけてテーブル状マシンの上面の画面をのぞきこみ、マシン側面にあるレバーやボタンを操作するものである。上の3分類以外にもセミ・アップライトなどの中間的なものもある。特に大きな筺体でできている業務用ゲーム機を[[大型筺体ゲーム|大型筺体ゲーム機]]と分類する方法もある。 また、汎用筺体と専用筺体に分類されることもある。汎用筺体(汎用タイプ)というのは、ソフトウェアやボード類を入れ替えてさまざまなゲームを走らせることができる業務用ゲーム機のことである。それに対して専用筺体(専用タイプ)というのは、ある特定のゲームにしか使えないようなゲーム機であり、たとえば特定のカー・レースゲームに特化して、ハンドル・座席・画面・画面まわりの装飾などを作りこんであって、他のゲームには転用できないようなゲーム機、そのゲームの需要が無くなったら、分解・廃棄処分せざるを得ないようなゲーム機のことである。 ; ゲームで使われるPC類の下位分類 ゲーム機として用いられている状態のパーソナルコンピュータは以下のように分類することも可能である。 * 汎用PC / [[ゲーミングPC]] : 前者は汎用のPC、つまりさまざまな用途に使う目的で設計された汎用のPC(パソコン)に、[[ゲームソフト]]をインストールしてプレイしている状態である。「2Dゲーム」など呼ばれる、平面的な、立体視をともなわないゲーム類は汎用のPCで十分に楽しむことができる。一方、「ゲーミングPC」とはいわゆる「3Dゲーム」を(快適に)プレイするために(高速、美麗な)3Dグラフィックスを実現可能な高性能なパーツ類を搭載したPCのことであり<ref name="dospara_gamingPC">[https://www.dospara.co.jp/5info/cts_str_gamepc_3parts ドスパラ、ゲーミングPCとは?]</ref>、一般には、滑らかで美麗な3D画像を実現するため、高速に無数の[[ポリゴン]]を描画できる[[Graphics Processing Unit|GPU]](画像処理ユニット)および特に高速な[[CPU]]や大きな主メモリ等を備えたPCのことを指している。 == ゲーム機の世代分け == {{Main2|家庭用ゲーム機のシェア争い|日本におけるゲーム機戦争|販売台数|家庭用ゲーム機の販売台数一覧}} '''ゲームハード'''の世代分けについては、英語版ウィキペディアにおける「[[:en:Video game console|Video game console]]」にだいたい相当するもの、すなわち、「[[コンシューマーゲーム]]機」「家庭用ゲーム機」「ゲーム専用機」<ref group="注">なお、[[1990年代]]後半以降のインターネット普及により、英語圏との情報流通が密になったため、「ゲームコンソール」という表現が日本語圏で見られることも多くなっている。</ref>等と呼ばれているものに関しての話題を主として扱う。 世代の分類については日本国内市場調査を始めとする、公的及び第三者機関によって用いられる統計発表や文書はないため、英語版ウィキペディアによる「First generation」から「Eighth generation」の分類に便宜上沿った記述とする。ただしこれらも'''おそらく独自研究であり'''、該当の世代分けは日本の[[ゲーム研究]]、メディア等では余り見らられず、また英語による資料においても異同が見られる為、'''留意が必要である'''<ref>{{Cite web| author=Michael Miller| title=A History of Home Video Game Consoles| url=http://www.informit.com/articles/article.aspx?p=378141&rll=1 | date=2005-4-1 | accessdate = 2009-3-3| publisher=InformIT }}</ref><ref>{{Cite web|url=http://ieeexplore.ieee.org/xpls/abs_all.jsp?arnumber=985749&tag=1|title="Innovation and competition in standard-based industries: a historical analysis of the US home video game market" IEEE Trans. Eng. Manag. 49(2002)|accessdate=2014-4-8}}</ref>。 マイナーなものまで含めれば多種多様のさまざまな形態がある<ref group="注">例えばパソコンにおけるラップトップ機に近かった形態の[[PCエンジンLT]]など。</ref>ものの、この項ではひとまず各機種を据置機(いわゆるテレビゲーム機)と、携帯型ゲーム機の2つに分類している。 === 家庭用ゲームコンソール === ここでは家庭用ゲームコンソール、つまり家庭で使われるゲームコンソールについて解説する。これが一般に「家庭用ゲーム機」と呼ばれている。ただし[[ホビーパソコン]]([[ゲームパソコン]])および[[ゲーミングPC]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.ign.com/pc/49111/news/pckfconsole4k240fpspc |title=ケンタッキー・フライド・チキンがチキン保温機能搭載の本格ゲーミングPC「KFConsole」を正式発表!その正体は、4Kや240fpsにも対応するハイエンドゲーミングPCだった |website=IGN Japan |publisher=産経デジタル |date=2020-12-23 |accessdate=2021-01-11}}</ref>は対象外とする。 ==== 第1世代 ==== 1970年代前半 - 中盤を、この記事では「第1世代」とする。 {{Main|第一世代ゲーム機}} <gallery caption="第1世代の据置機" mode="packed" style="font-size:90%"> Magnavox-Odyssey-Console-Set.png|オデッセイ TeleGames-Atari-Pong.png|ホーム・ポン<br />(テレゲームズ) TV Tennis Electrotennis.jpg|テレビテニス Color TV-Game 15 (Cut out).jpg|カラーテレビゲーム15 </gallery> 1972年に史上初の家庭用ゲーム機とされる『[[オデッセイ (ゲーム機)|オデッセイ]]』がリリースされた。オデッセイは[[CPU]]ではなく、アナログ回路で電子ゲーム機能を実現していた。オデッセイを参考にして製作したビデオゲーム『ポン』をアーケードで大ヒットさせたアタリが、[[テレビ]]に接続するだけで家庭でもポンが楽しめる『[[ホーム・ポン]]』を[[1975年]]に[[発売|リリース]]し、大ヒットとなった。これによって家庭用ゲーム機という存在が広く知られ、「ポンクローン」と呼ばれるポンのコピーゲーム・亜流ゲームが、大手から中小まで多数の玩具メーカーからリリースされた。日本ではオデッセイを発売した[[マグナボックス]]と提携したエポック社と任天堂からゲーム機が発売されたが、これらもポンクローンと呼ばれている。アタリが[[1976年]]に発売した『[[ブロックくずし#ブレイクアウト|ブレイクアウト]]』(ブロック崩し)なども多くのクローン機が出回った。これらのゲーム機が最初期に現れたゲーム機、すなわちゲーム第1世代と呼ばれる。この時代はソフトがハードに組み込まれていて、後からソフトを買い足すことはできなかったが、スイッチで複数のゲームを切り替えることができるもの、切り替えカードを追加購入することでオプションのゲームをプレイできるものもあった。 * [[オデッセイ (ゲーム機)|オデッセイ]]([[マグナボックス]]、[[1972年]]) * [[ホーム・ポン]]([[アタリ (企業)|アタリ]]、[[1975年]]) * [[テレビテニス]]([[エポック社]]、1975年) * [[コレコ・テルスター|テルスター]]([[コレコ]]、[[1976年]]〜1978年) * [[カラーテレビゲーム|カラーテレビゲーム15]]、カラーテレビゲーム6(任天堂、[[1977年]]) * {{仮リンク|ビデオピンボール|en|Video Pinball series}}(アタリ、1977年) * [[TV JACK]]([[バンダイ]]、1977年〜[[1978年]]) * [[TV FUN]]([[トミー (企業)|トミー工業]]、1977年〜1978年) * [[システム10 (ゲーム機)|システム10]](エポック社、1978年) * [[カラーテレビゲーム15#レーシング112|カラーテレビゲーム レーシング112]](任天堂、1978年) * [[テレビ野球ゲーム]](エポック社、1978年) * [[テレビブロック]](エポック社、[[1979年]]) * [[カラーテレビゲーム15#ブロック崩し|カラーテレビゲーム ブロック崩し]](任天堂、1979年) * [[テレビベーダー]](エポック社、[[1980年]]) * [[カラーテレビゲーム15#コンピュータTVゲーム|コンピュータTVゲーム]](任天堂、1980年) ==== 第2世代 ==== 1970年代後半 - 1980年代前半を、この記事では「第2世代」とする。 {{Main|第二世代ゲーム機}} <gallery caption="第2世代の据置機" mode="packed" style="font-size:90%"> Fairchild-Channel-F.png|チャンネルF Atari-2600-Wood-4Sw-Set.png|Atari 2600 VC-4000-Console-Set.png|VC 4000 Intellivision-Console-Set.png|インテレビジョン Epoch-Cassette-Vision-Console.png|カセットビジョン Atari-5200-Console-Set.png|Atari 5200 ColecoVision-wController-L.png|コレコビジョン </gallery> 1976年、[[フェアチャイルドセミコンダクター|フェアチャイルド]]がチャンネルFを発売した。チャンネルFはROMカートリッジを差し込むことで様々な種類のゲームを楽しむことができる最初の家庭用ゲーム機であった<ref name="八木竹村">{{Citation|和書|contribution=5-5民生機器(5.画像応用)|contribution-url=https://ci.nii.ac.jp/naid/110003698158|title=<特集>テレビジョン年報|journal=テレビジョン学会誌|publisher=映像情報メディア学会|volume=32|issue=7|pages=597〜601|year=1978|last1=八木|first1=基|last2=竹村|first2=裕夫}}</ref>。マグナボックスも[[1978年]]に同様のシステムを採用したゲーム機Odyssey²を発売した。アタリも1977年にAtari 2600(VCS)を発売した。『[[スペースインベーダー]]』などの人気[[アーケードゲーム]]のコンシューマ移植をキラータイトルとし、1980年頃には[[アメリカ]]において爆発的な[[人気]]を博した。さらに、1979年にアタリから[[アクティビジョン]]が独立してゲーム史上初の[[サードパーティー]]となって以後、続々と誕生するサードパーティーのソフトを積極的に受け入れる[[ビジネスモデル]]を確立した。[[北アメリカ]]では他にインテレビジョンやコレコビジョンも人気となり、[[ヨーロッパ]]ではドイツのインタートンによるVC 4000なども人気を博した。しかし1982年のクリスマス商戦で決定的な市場崩壊(いわゆる[[アタリショック]])を起こした<ref name="樺島">{{Citation|和書|last=樺島 |first=榮一郎 |title=コンテンツ産業の段階発展理論からみる一九七二〜八三年の北米ビデオ・ゲーム産業─いわゆる「アタリ・ショック」をどう解釈するか |journal=コンテンツ文化史研究 |publisher=コンテンツ文化史学会 |year=2010 |issue=4 |pages=24〜42}}</ref>。Atari 2600のみならずアメリカのゲーム機市場(パソコンゲーム市場は含まない)そのものが一時壊滅状態に追い込まれた。[[日本]]や[[南アメリカ]]などの地域におけるゲーム機の本格的な普及は、次のファミコン時代以後になる。 * [[フェアチャイルド・チャンネルF|チャンネルF]]([[フェアチャイルドセミコンダクター|フェアチャイルド]]、1976年) * [[Atari 2600]](アタリ、1977年) ** [[Atari 2600#バリエーション|Atari 2800]](アタリ、1983年) * [[ビデオカセッティ・ロック]]([[タカトクトイス|タカトク]]、1977年) * [[オデッセイ (ゲーム機)#オデッセイ2|オデッセイ2]](マグナボックス、1978年) * [[VC 4000]]([[インタートン]]、1978年) * [[ビジコン (テレビゲーム)|ビジコン]]([[東芝]]、1978年) * [[インテレビジョン]]([[マテル]]、1980年) * [[カセットビジョン]](エポック社、[[1981年]]) * [[Atari 5200]](アタリ、1982年) * [[コレコビジョン]](コレコ、1982年) * Vectrex([[GCE]]、1982年) ** [[光速船]](バンダイ、1983年) * [[アルカディア (ゲーム機)#Emerson Arcadia 2001|Emerson Arcadia 2001]]({{仮リンク|エマーソン・ラジオ|en|Emerson Radio}}、1982年) ** [[アルカディア (ゲーム機)#互換機|ダイナビジョン]]([[朝日通商]]、1982年) ** [[アルカディア (ゲーム機)|アルカディア]](バンダイ、[[1983年]]) * [[TVボーイ]]([[学習研究社]]、1983年) ==== 第3世代 ==== 1980年代前半 - 中盤を、この記事では「第3世代」とする。 {{Main|第三世代ゲーム機}} <gallery caption="第3世代の据置機" mode="packed" style="font-size:90%"> Nintendo-Famicom-Console-Set-FL.png|ファミリーコンピュータ Nintendo-Famicom-Disk-System-Deck-01.jpg|ファミリーコンピュータ ディスクシステム NES-Console-Set.png|NES Atari-7800-Console-Set.png|Atari 7800 Super-Cassette-Vision-Console-L.jpg|スーパーカセットビジョン Sega-Sg-1000-MkIII-Console-FL.jpg|セガ・マークIII Sega-Master-System-Set.png|セガ・マスターシステム </gallery> アタリショック後、北アメリカとヨーロッパではゲーム機能に加えてプログラミング機能をそなえた[[ゲームパソコン]]が勢力を増し、多くのゲームメーカーがゲームリリースを家庭用機からパソコン主力に移した。ゲームパソコンとして北アメリカでは[[コモドール64]]が、ヨーロッパでは[[ZX Spectrum]]が成功を収めた。日本でも同様の機種([[ぴゅう太]]、[[M5 (コンピュータ)|M5]]、[[SC-3000]]、[[MSX]]など)が登場したが、最終的にはゲーム機能に特化し、第1・第2世代より優れたゲーム性能を実現した機種が成功を収めた。特に1983年に発売された任天堂の[[ファミリーコンピュータ]](以下ファミコン)は日本における家庭用ゲーム機の本格的普及を担い、1985年にはアメリカで海外版ファミコンである[[Nintendo Entertainment System]](NES)が発売され成功を収めた。RPGや[[対戦型格闘ゲーム]]、2Dアクションゲームなどの今日に繋がるゲームシステムの原型もこの時期に出来上がった。これまではAtari 2600に由来する[[Atari 2600#コントローラ|ATARI仕様]]と呼ばれるジョイスティック型のコントローラーが一般的であったが、ファミコンのパッド型コントローラー([[ゲームパッド]])はコンパクトだが汎用性に優れ、以後のほとんど全てのゲーム機における[[入力機器]]の基礎となった。 * [[ファミリーコンピュータ]]、AV仕様ファミリーコンピュータ(任天堂、1983年・[[1993年]]) ** [[Nintendo Entertainment System]](任天堂、1985年) ** [[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]](任天堂、[[1986年]]) ** [[ツインファミコン]]([[シャープ]]、1986年) * [[SG-1000]]、[[SG-1000II]]([[セガ]]、1983年〜[[1984年]]) ** [[オセロマルチビジョン]]([[ツクダオリジナル]]、1983年) * [[PV-1000]]([[カシオ計算機|カシオ]]、1983年) * [[マイビジョン]]([[日本物産]]、1983年) * [[Atari 7800]](アタリ、1984年) * [[スーパーカセットビジョン]](エポック社、1984年) * [[セガ・マークIII]]、[[セガ・マスターシステム]](セガ、[[1985年]]・[[1987年]]) ==== 第4世代 ==== 1980年代後半 - 1990年代前半を、この記事では「第4世代」とする。 <gallery mode="packed" style="font-size:90%" caption="第4世代の据置機"> PC-Engine-Console-Set.png|PCエンジン Sega-Mega-Drive-JP-Mk1-Console-Set.png|メガドライブ Nintendo-Super-Famicom-Set-FL.png|スーパーファミコン TurboGrafx16-Console-Set.png|TurboGrafx16 Sega-Genesis-Mod1-Set.png|Genesis SNES-Mod1-Console-Set.png|SNES Neo-Geo-AES-Console-Set.png|ネオジオ </gallery> 従来機種より高度なスプライト機能を搭載し、2Dグラフィックスの表現力が向上した。ステレオサウンドが標準になり、ゲームの複雑化・高度化も進み、対応する[[コントローラー]]も多ボタン化が進んだ。他方、複雑で表現力豊かなゲームをROMカートリッジに詰め込むのには、[[容量不足]]による限界が見え始めてきた。ゲームソフトの大容量化によりROMの製造コストも高騰し、9,800円以上のソフトが続出した。このような情勢から、従来のROMカートリッジに代わり世界初のCD-ROMをゲーム媒体に使用した[[CD-ROM2|CD-ROM<sup>2</sup>]]<ref>{{Cite web|和書|date = 2007年9月15日|url=http://www.jp.playstation.com/info/release/nr_20090715_psstore_pce.html|title=PlayStationStore「ゲームアーカイブス」カテゴリ内にて「PCエンジンアーカイブス」を、本日より取り扱い開始|publisher=ソニー・コンピュータエンタテインメントジャパン ニュースリリース |accessdate=2012年9月21日}}</ref>が現れ、対応タイトルは、大容量を活かしたものとなっており、後の光ディスクによるソフト供給の基礎となった。 主なハードは、[[PCエンジン]]・[[メガドライブ]]・[[スーパーファミコン]]の3機種である。スーパーファミコンは他の2種よりも大幅に発売が遅れたが、日本ではファミリーコンピュータからの圧倒的シェアを受け継いで移行することに成功した。一方の北アメリカ市場では任天堂のSNES(日本国外版スーパーファミコン)とセガのGENESIS(同メガドライブ)が市場競争を展開し、GENESISがシェア55%の2000万台を売り上げ一定の成功を収めた<ref>Video Business誌の1995年1月号の記事「Game makers dispute who is market leader.」より</ref>。 アーケード市場において対戦型格闘ゲームなどで絶大な人気を得ていたSNKが、アーケードのシステムをそのまま家庭用機に流用したNEOGEOでゲーム機市場に参入した。家庭用ゲーム機の高性能化によりアーケードゲームやパソコンゲームとの性能差は縮まった。海外市場ではホビーパソコンのAtari STとAmigaがリリースされ、ゲームパソコンとして拮抗した人気を得た。日本でも[[X68000]]や[[FM TOWNS]]などのホビーパソコンが発売されたが、据置機とソフトに恵まれた日本ではパソコンゲームは家庭用ゲーム機で扱えない[[アダルトゲーム]]を除いて衰退した。第4世代ゲーム機は[[ドット絵]]とスプライトによる2Dゲームの成熟・完成期に当たる。 * [[PCエンジン]]([[PCエンジンコアグラフィックス|コアグラフィックス]]) 、[[CD-ROM2|CD-ROM<sup>2</sup>]]、[[SUPER CD-ROM2|SUPER CD-ROM<sup>2</sup>]]([[NECホームエレクトロニクス]]、1987年・[[1989年]]・[[1988年]]・[[1991年]]) * [[メガドライブ]]、[[メガCD]]、[[スーパー32X]](セガ、1988年・1991年・1994年) * [[PCエンジンスーパーグラフィックス]](NECホームエレクトロニクス、1989年) * [[スーパーファミコン]](任天堂、[[1990年]]) * [[ネオジオ]]([[SNK (1978年設立の企業)|SNK]]、1990年) * [[PCエンジンDuo]](NECホームエレクトロニクス、1991年) * [[メガドライブのバリエーション#ワンダーメガ/X'eye|ワンダーメガ]](セガ、[[日本ビクター]]、[[1992年]]) ==== 第5世代 ==== 1990年代中盤 - 後半を、この記事では「第5世代」とする。 <gallery mode="packed" style="font-size:90%" caption="第5世代の据置機"> Atari-Jaguar-Console-Set.png|Atari Jaguar 3DO-FZ1-Console-Set.png|3DO<br />(Panasonic FZ-1) Neo-Geo-CD-TopLoader-wController-FL.png|ネオジオCD Playdia-Console-Set.png|プレイディア Sega-Saturn-JP-Mk1-Console-Set.png|セガサターン PSX-Console-wController.png|PlayStation PC-FX-Console-Set.png|PC-FX Pippin-Atmark-Console-Set.png|ピピンアットマーク Nintendo-64-wController-L.jpg|NINTENDO64 </gallery> この世代では、従来のROMカセットに代わって[[光ディスク]]がコンテンツ販売パッケージの主力となった。光ディスクは読み込みに時間がかかるという難点があるものの、データ容量がROMと比較して大きく、再プレスが容易であり、安価にゲーム媒体を量産可能になった。これに伴い音質の向上やムービー再生による演出が広がった。本格的な3Dグラフィックス機能が搭載されたゲーム機が現れ、ゲーム内での映像表現の幅が広がった。振動機能やアナログスティックを備えたコントローラも登場した。だが線でコントローラーと本体を繋いでるものが多い。[[ドット絵]]とポリゴンでは製作ノウハウが違い、中小の新しいソフトハウスも台頭した。 この世代から第6世代にかけて、[[:en:Console wars|コンソール・ウォー]](ゲーム機戦争)と呼ばれるハードウェア同士の性能競争が最高潮に達し、各社とも自社製ゲーム機の高性能ぶりを盛んにアピールした。主要な機種はPlayStation、セガサターン、NINTENDO64の3機種である。この世代でゲーム機市場に新規に参入したソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE。現:[[ソニー・インタラクティブエンタテインメント]](SIE))の[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]は、安価で開発のしやすいシステムと、[[サードパーティー]]の高い支持による充実したソフト群を背景に首位に立った。セガの[[セガサターン]]は、PlayStationより早く100万台を売り上げるなど、発売直後は好調さを見せたが、コストカットしにくいハード構成であることからPlayStationとの値下げ競争で苦境に立たされた。また、北アメリカではアメリカ・セガが[[スーパー32X]]を先行して投入するなど、販売戦略において日本セガ側との食い違いが見られ、結果的にユーザー側の混乱を招いて共倒れする形となってしまい、海外市場で不評を買った。任天堂が発売した[[NINTENDO64]]は、64ビットの高性能をその名でアピールする象徴的な存在を目指したが、他社に比べて発売が大きく出遅れた上、サードパーティーが少なく、旧来的なROMカセットを採用したためソフトウェアの価格は高めであり価格競争力も低く、北アメリカでは成功したが主流となることはなかった。日本でもPlayStationに大きな遅れをとることとなった。 北アメリカ最大のコンシューマゲーム会社である[[エレクトロニック・アーツ]]の創設者が、3DO社を設立してゲーム機市場に参入した。ゲーム機やゲームパソコンのメーカーとして黎明期から長らくゲーム業界を支えたアタリがこの世代を最後にハード事業において四半世紀に渡る長い休眠期間に突入し、[[コモドール]]が倒産した。それによって、ゲーム用途で使われるパソコンとしては[[PC/AT互換機]]がほとんどとなった。[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]の登場後もしばらくゲーム用途ではMS-DOSが主流であったが、[[Microsoft DirectX|DirectX]]の登場以後は次第にゲーム用途としてもWindowsがメイン環境となった。マイクロソフトはパソコン用ゲームの開発スタジオを多数抱える大手ゲームメーカーとなり、続く第6世代でついにコンシューマ機に参入した。 * [[Atari Jaguar]]、Atari Jaguar CD(アタリ、1993年) * [[Amiga CD32]](コモドール、1993年) * [[FM TOWNS マーティー]](富士通、1993年) * [[レーザーアクティブ]]([[パイオニア]]、1993年) * [[3DO]](3DO、[[1994年]]) * [[ネオジオCD]](SNK、1994年) * [[プレイディア]](バンダイ・デジタル・エンタテイメント、1994年) * [[セガサターン]](セガ、1994年) * [[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]、[[PS one]](SCE、1994年・[[2000年]]) * [[PC-FX]](NECホームエレクトロニクス、1994年) * [[バーチャルボーイ]](任天堂、[[1995年]]) * [[ルーピー]](カシオ、1995年) * [[ピピンアットマーク]](バンダイ・デジタル・エンタテイメント、[[1996年]]) * [[NINTENDO64]]、[[64DD]](任天堂、1996年〜[[1999年]]) ==== 第6世代 ==== 1990年代末 - 2000年代初頭を、この記事では「第6世代」とする。 <gallery mode="packed" style="font-size:90%" caption="第6世代の据置機"> ファイル:Dreamcast-Console-Set.png|ドリームキャスト ファイル:Sony-PlayStation-2-30001-wController-L.png|PlayStation 2 ファイル:GameCube-Console-Set.png|ニンテンドーゲームキューブ ファイル:Xbox console.png|Xbox </gallery> 3Dグラフィックスの表現力が上がり、インターネットとの通信や5.1chサウンドにも限定的に対応し始めた。メディアはDVD、もしくはDVDの技術を応用した独自規格のディスクが主流となった。この世代を最後にセガはハード販売から撤退し、入れ替わる形でマイクロソフトの[[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]が参入した。Xboxは日本国外市場において成功を収めて[[PlayStation 2]]に次ぐシェアを獲得したが、日本では一般にゲーム機が売れる年末を過ぎた2月に発売したり、初期不良やそれに関する対応などが批判を受けるなど振るわなかった。NINTENDO64の後継機の[[ニンテンドーゲームキューブ]]は日本で一定の支持を得たが、日本国外では前ハードほど振るわなかった。 パソコンにおけるブロードバンドの普及期に当たり、ネット対応が不十分な家庭用ゲーム機に先行して、パソコン用の[[オンラインゲーム]]が充実した。中国や韓国などアジアの新興国においても自国製ゲームの普及が見られ始めるが、据置型ゲームは多大な開発コストなどの[[参入障壁]]が大きかったことや、アジア諸国における[[海賊版]]の横行のためコンテンツ販売では利益を得にくかったなどの理由から、課金制のパソコンオンラインゲームが開発の主流となっていき、これらの国の作品が世界に輸出されるのも多く見られ始めた。 * [[ドリームキャスト]](セガ、[[1998年]]) * [[PlayStation 2]](SCE、2000年) * [[ニンテンドーゲームキューブ]](任天堂、[[2001年]]) * [[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]([[マイクロソフト]]、2001年) ==== 第7世代 ==== 2000年代中盤 - 末を、この記事では「第7世代」とする。 <gallery mode="packed" style="font-size:90%" caption="第7世代の据置機"> ファイル:Microsoft-Xbox-360-Pro-Flat-wController-L.png|Xbox 360 ファイル:Sony-PlayStation-3-CECHA01-wController-L.png|PlayStation 3 ファイル:Wii-Console.png|Wii ファイル:Zeebo.svg|Zeebo </gallery> 任天堂の[[Wii]]は、[[Wiiリモコン]]という体感型の[[ゲームコントローラ|コントローラ]]を搭載し、[[高精細度ビデオ]](HD)に対応した[[PlayStation 3]]と[[Xbox 360]]も[[PlayStation Move]]や[[Kinect]]を発売した。<!--Kinectは発売4ヶ月で1000万台を超え[[ギネス世界記録]]に認定された<ref>{{Cite web|title=MicrosoftのKinect、1000万台販売を達成――ギネス世界記録に認定|url=https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1103/10/news018.html|work=[[ITmedia]]|accessdate=2013-12-03}}</ref>。-->いずれの機種もかつてのハードで発売されたソフトの公式[[ゲームエミュレータ|エミュレータ]]を用意しコンテンツの[[ダウンロード販売]]も行われるようになった。[[ビデオ・オン・デマンド]]など海外ではXbox 360が[[スマートテレビ]]の[[デ・ファクト|デファクト]]ともいわれた<ref>{{Cite web|和書|title=スマートテレビの本質が問われる|url=http://diamond.jp/articles/-/30284?page=3|publisher=[[ダイヤモンド社]]|page=3|accessdate=2013-12-03}}</ref>。 ソフトメーカーにとってはシェアの先行き不透明な状況が続き、前世代以上に[[クロスプラットフォーム|マルチプラットフォーム]]が増加した。Xbox 360とPS3は売れ行きは鈍く、人気ゲームの続編・リメイク・HD対応版の発売が多くなった。Wiiは今までのゲーム機の常識を変え体感型として出したため、新しくて面白さが分かりやすく、同世代のハードに比べ非常に速いペースでシェアを伸ばし2世代振りにハードシェアでのトップになったものの、他のハードとは異なり入力デバイスが特殊である事や同世代のハード中で唯一画質がHD画質に対応していない事等からマルチプラットフォームリリースの対象から外れる事が多かった。特に画質面において、2011年に地上デジタル放送の完全移行を控え、高画質テレビ(主にHDテレビ)の普及率が大きく上がった事がWiiの長期展開にとって大きなミスとなってしまった。また、後年はWii専用タイトルの数も大きく減少した。結果的にXbox 360やPS3のラインナップが充実していく中、逆にWiiは新作ソフトが不足するようになっていった<ref>{{Cite web|和書|title=Wii UはWiiの失敗を繰り返すか その2|work=[[All About]]|publisher=[[オールアバウト]]|date=2013-04-04|url=https://allabout.co.jp/gm/gc/414885/|accessdate=2013-05-01}}</ref>。 第7世代機ではネットワークサービスを利用して、当時のゲームや「ドット絵を利用した、当時のハードウェア環境そのままでの新作」が配信された。 * [[Xbox 360]](マイクロソフト、[[2005年]]) * [[PlayStation 3]](SCE、[[2006年]]) * [[Wii]]、Wii Family Edition、[[Wii Mini]](任天堂、2006年・[[2011年]]・[[2012年]]) <!--以下はアーキテクチャが前世代以前のものであるため第7世代の機種には該当しない。--> 南アメリカやアジアなどの新興国ではネットワーク対応や体感型などを盛り込みながらも安価で低性能なゲーム機が盛んにリリースされており、ブラジルで長らくセガの代理店として活動していた[[Tectoy]]社が2009年に独自にリリースしたドリームキャストの後継機[[Zeebo]]や、中国におけるセガの代理店であるAtGamesがリリースした[[ZONE (ゲーム機)|ZONE]]およびそのバリエーションであるSEGA Reactorが代表的な製品である。先進国ではハードから撤退したセガは新興国ではTectoyやAtGamesなどを介してハード事業を継続しており、Tectoyからはメガドライブのモデルチェンジ版である[[メガドライブのバリエーション#Tectoy Mega Drive 4|メガドライブ4]]も2009年発売された。 * [[Zeebo]]([[Tectoy]]&[[クアルコム|Qualcomm]]、[[2009年]]4月) * [[メガドライブのバリエーション#Tectoy Mega Drive 4|Tectoy Mega Drive 4]](Tectoy、2009年8月) * [[ZONE (ゲーム機)|ZONE]]、SEGA Reactor(AtGames&セガ、[[2010年]]) ==== 第8世代 ==== 2010年代前半 - 中盤を、この記事では「第8世代」とする。 <gallery caption="第8世代の据置機" mode="packed" style="font-size:90%"> Wii U Console and Gamepad.png|Wii U PS4-Console-wDS4.png|PlayStation 4 Xbox-One-Console-wController-FL.jpg|Xbox One </gallery> [[Wii U]]が[[2012年]]11月、[[PlayStation 4]]と[[Xbox One]]が[[2013年]]11月に、共に北アメリカ地域の[[ブラックフライデー (買い物)|ホリデーシーズン]]に合わせて発売された。3機種全てで北アメリカ地域での発売が優先されている<ref>[http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/131026/wec13102622030006-n1.htm 「WiiU」不振・PS4は来年発売…“寒〜い”ゲーム年末商戦](産経新聞 2013年10月27日)</ref><ref>[https://www.4gamer.net/games/990/G999025/20130702068/ Xbox Oneは2013年中には出ない? 日本マイクロソフトのゲームビジネスはどうなる? 日本マイクロソフトのキーパーソン3名に直球で聞いてきた](4Gamer.net 2013年7月2日)</ref><ref>[http://toyokeizai.net/articles/-/86072 Xbox、今更日本でのプロモに力を入れるワケ マイクロソフト幹部が語る「日本重視戦略」]</ref><ref>{{Cite web|和書|title=家庭用ゲーム機逆風下でも24時間で実売100万台! ソニーPS4好発進のカギはインディーズの発展 ――吉田修平SCEワールドワイド・スタジオ プレジデントに聞く|url=http://diamond.jp/articles/-/45349|publisher=[[ダイヤモンド社]]|accessdate=2013-12-03}}</ref>。 2012年にはスマートフォンやタブレットの普及により[[コモディティ化]]した高度なモバイルハードウェア・ソフトウェア技術がゲーム機に転用され始め、[[クラウドファンディング]]の流行を背景に[[Ouya|OUYA]]や[[GameStick]]など新興企業の手による[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]ゲーム機の企画・開発が相次いだ<ref>{{Cite web|和書|title=スティック型から手のひらサイズのSteam用PCまで――相次ぐ“ゲーム機”発表を読み解く【CES 2013】|work=[[ファミ通]]|publisher=[[エンターブレイン]]|date=2013-01-09|url=https://www.famitsu.com/news/201301/09027001.html|accessdate=2013-12-03}}</ref>。ゲーム開発自由な「オープンプラットフォーム」およびメディア在庫を持たない「[[ダウンロード販売|デジタルディストリビューション]]」といった特徴は共通している。また、2013年には[[Valve Corporation]]が[[SteamOS]]/[[Steam Machine]]/Steam Controllerを発表した。Steam Machineはかねてより構想が伝えられていたSteam Box、すなわち同社のPCゲームプラットフォーム[[Steam]]のコンシューマ市場展開を担う家庭用ゲーム機・専用[[ゲームパソコン|ゲーミングPC]]の規格である(Xi3のPistonは非公認となった)。 [[Gaikai]]/[[OnLive]]/[[PlayStation Now]]、[[Microsoft Azure]]や[[Amazon Web Services]]<ref>{{Cite web|title=Amazon AppStream|publisher=[[Amazon.com]]|url=http://aws.amazon.com/jp/appstream/|accessdate=2013-12-03}}</ref>のように各[[クラウドコンピューティング|クラウド]]のサービス・プラットフォームが台頭し、[[NVIDIA GeForce GRID]]や[[ブロードメディア#G-cluster|Gクラスタ]]/Ubitus<ref>{{Cite web|和書|title=クラウドゲームサービス「ジークラウド」あらため「GameNow」のサービスが本日開始。「イースI 完全版」など計26作品をAndroid端末で楽しめる|work=[[4Gamer.net]]|publisher=Aetas|date=2013-04-30|url=https://www.4gamer.net/games/149/G014992/20130430042/|accessdate=2013-05-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=スマホやタブレットで高負荷のオンラインゲームを楽しめる……データホテルのクラウドゲーミング|publisher=イード|date=2013-06-13|url=https://www.rbbtoday.com/article/2013/06/13/109057.html|accessdate=2013-06-24}}</ref>などは[[セットトップボックス|STB]]にも使用された(スーパーコンピューターゲーミングを目指していたシンラ・テクノロジーは解散したが、主要メンバーはGenvid Technologiesを立ち上げた<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1047784.html |title=生きていたシンラのDNA! Genvidが目指す“ゲームプレイ配信2.0”の世界 より自由で柔軟なゲーム観戦を実現。プレーヤーと視聴者のインタラクションも可能に |accessdate=2017-07-12}}</ref>)。 ; [[コンシューマーゲーム]]機 * [[Wii U]](任天堂、2012年) * [[PlayStation 4]]、PlayStation 4 Pro、[[PlayStation VR]](ソニー・コンピュータエンタテインメント、[[2013年]]・[[2016年]]) * [[Xbox One]]、Xbox One X(マイクロソフト、2013年・[[2017年]]) * [[PlayStation Vita TV]](ソニー・コンピュータエンタテインメント、2013年) ; マイクロコンソール * [[Apple TV]]([[Apple]]、[[2015年]]) ; [[クラウドゲーム]]機 * [[ブロードメディア#G-cluster|G-cluster]]([[ブロードメディア]]、2013年) ; Android搭載 * [[Ouya|OUYA]]([[OUYA, inc.]]、2013年) * [[GameStick]]([[w:PlayJam|PlayJam Inc.]]、2013年) * [[w:GamePop|GamePop]]([[BlueStacks]]、2013年) * [[w:MOJO|M.O.J.O]]([[マッドキャッツ (企業)|Mad Catz]]、2013年) * [[UNU/Vyper]]([[Snake Byte]]、[[2014年]]) * [[HUAWEI Tron mini game console]]([[ファーウェイ]]、2014年) ==== 第9世代 ==== 2010年代後半 - 2020年代前半を、この記事では「第9世代」とする。 <gallery mode="packed" style="font-size:90%" caption="第9世代の据置機"> ファイル:Nintendo-Switch-Console-Docked-wJoyConRB.jpg|Nintendo Switch ファイル:PlayStation 5 and DualSense with transparent background.png|PlayStation 5 ファイル:Xbox Series X 2.jpg|Xbox Series X ファイル:Xbox Series S with controller.jpg|Xbox Series S ファイル:Atari Vcs Oynx.jpg|Atari VCS </gallery> 任天堂は前世代のWii Uが販売不振で短命となり、他社に先行する形で[[2017年]]3月に、据置機としても携帯機としても遊べるハイブリッドゲーム機として[[Nintendo Switch]]を発売<ref>[https://livedoor.blogimg.jp/kanenaru-switchsokuhou/imgs/d/e/de7bb089.jpg モノ・マガジン 2020年2月16日号P43 家庭用ゲーム年代記]</ref>。[[ゲームボーイ]]発売以降分離していた据置機と携帯機のプラットフォームが統合された。また[[2019年]]9月にNintendo Switchの携帯専用機、および[[廉価版]]としての位置付けで[[Nintendo Switch Lite]]も発売された。[[Oculus VR]]は2019年5月、初の[[スタンドアローン]]型VRゲーム機である[[Oculus Quest]]を発売。アタリは[[Atari Jaguar]]以来約四半世紀ぶりに家庭用ゲーム機業界に復帰し、[[Atari VCS (2021年のゲーム機)|Atari VCS]]を発表した。また、[[マテル]]も[[インテレビジョン]]の権利を買い戻し、[[Intellivision Amico]]を発表した。さらに、[[ソニー・コンピュータエンタテインメント]]は[[PlayStation 5]]、マイクロソフトは[[Xbox Series X/S]]を[[2020年]]11月にそれぞれ発売している。 この時期からはゲームハードのさらなる高性能化、[[動画共有サービス|動画配信サイト]]の普及による[[実況プレイ|ゲーム実況]]の人気の高まり、[[半導体]]不足、そして[[転売屋|営利目的の転売]]の横行などから、特に発売直後のゲームハードがしばしば供給不足に苦しむようになる。Nintendo Switchは発売3ヵ月が経過しても品薄状態が収まらず、任天堂が公式に謝罪文を発表する事態となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/support/information/2017/0622.html|title=「Nintendo Switch本体」品薄の お詫びとお知らせ|publisher=任天堂|date=2017-06-22|accessdate=2017-06-24}}</ref>。また2020年には[[2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響|新型コロナウイルスの世界的な蔓延]]によって巣ごもり需要がさらに高まり、PlayStation 5などはハードの供給不足が原因でゲームソフトの深刻な販売不振が発生<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-12-16/QLDBW4T1UM0Z01|title=ソニーPS5販売を脅かす「転売屋」、買い占めで供給不足に拍車|publisher=Bloomberg|date=2020-12-17|accessdate=2021-02-04}}</ref>、日本国内では発売二ヵ月後にも関わらず店頭販売に人が殺到し警察が出動する騒ぎも起きている<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1303549.html|title=ヨドバシアキバ、PS5店頭販売で警察が出動する騒ぎに|publisher=GameWatch|date=2021-01-30|accessdate=2021-02-04}}</ref>。 この世代では[[クラウドゲーム]]サービス・プラットフォームも注目を集めており、[[Google]]、[[Amazon.com|Amazon]]、[[Facebook]]、[[NVIDIA]]が参入した。 ; コンシューマーゲーム機 * [[Nintendo Switch]]、[[Nintendo Switch(有機ELモデル)]](任天堂、2017年・[[2021年]]) * [[Oculus Quest]]、[[Meta Quest 2|Oculus Quest 2→Meta Quest 2]]([[Oculus VR]]、[[2019年]]・[[2020年]])<ref>{{Cite web|和書|url = https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/hothot/1277548.html|title = 性能2倍、ピクセル数50%増加、小型軽量化された「Oculus Quest 2」実機レビュー|website = pc.watch.impress.co.jp|publisher = pc watch|date = 2020-09-17|accessdate = 2020-09-19}}</ref> * [[Xbox Series X/S]](マイクロソフト、2020年) * [[PlayStation 5]]、PlayStation 5 デジタル・エディション(ソニー・インタラクティブエンタテインメント、2020年) * [[Atari VCS (2021年のゲーム機)|Atari VCS]](アタリ、2021年) * {{仮リンク|Intellivision Amico|en|Intellivision Amico}}(マテル、[[2022年]]) ; クラウドゲーム機・サービス * [[Google Stadia]]([[Google]]、[[2019年]]-[[2023年]][[1月18日]]<ref>{{Cite web |url = https://www.theverge.com/2022/9/29/23378713/google-stadia-shutting-down-game-streaming-january-2023|title = Google is shutting down Stadia|website = www.theverge.com|publisher = www.theverge.com|date = 2022-09-29|accessdate = 2022-09-30}}</ref>) * [[Apple Arcade]](Apple、2019年) * [[OOParts]]([[Black Inc.]]、2020年<ref>{{Cite web|和書|url=https://note.com/byblack/n/na41e04a424f2 |title=クラウドゲーミングプラットフォーム「OOParts」を正式リリース。月額¥1,000から100タイトルを超える美少女ゲームが遊び放題。 - プレスリリース |accessdate=2022/10/12}}</ref>) * [[GeForce Now]]([[NVIDIA]]、2020年<ref>{{Cite web |url=https://www.anandtech.com/show/15451/geforce-now-leaves-beta-launches-with-rtx-on |accessdate=2022/10/12 |title=GeForce NOW Leaves Beta, Game Streaming Service Launches With New RTX Servers}}</ref>) * [[Xbox Cloud Gaming]](マイクロソフト、2020年<ref>{{Cite web |title=Microsoft’s xCloud game streaming will launch on September 15th on Android |url=https://www.theverge.com/2020/8/4/21353814/microsoft-xcloud-date-launch-android-xbox-game-pass-ultimate |website=The Verge |date=2020-08-04 |access-date=2022-10-11 |language=en-US |first=Tom |last=Warren}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=遂に始まる! 「Project xCloud」プレビュープログラム、11月18日より日本で提供開始 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1288468.html |website=GAME Watch |date=2020-11-12 |access-date=2022-10-11 |publisher=インプレス}}</ref>) * [[Amazon Luna]]([[Amazon.com|Amazon]]、2020年<ref>{{Cite web |url = https://www.amazon.com/luna/landing-page|title = Amazon Luna|website = www.amazon.com|publisher = www.amazon.com|date = |accessdate = 2020-09-25}}</ref><ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2009/25/news059.html Amazon、「Luna」でクラウドゲーム参入 AWSでホストし、PC、Mac、iOS、Fire TVサポート] - ITmedia NEWS(2020年9月25日)、2020年9月26日閲覧。</ref>) * [[Facebook Gaming]]([[Facebook]]、2020年<ref>{{Cite web|和書|url = https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1285520.html|title = ついにFacebookも参入!クラウドゲームサービス「Facebook Gaming」が海外向けに発表|website = game.watch.impress.co.jp|publisher = game.watch.impress.co.jp|date = |accessdate = 2020-11-22}}</ref>) * [[Plex Arcade]]([[Plex]]、2021年<ref>{{Cite web|和書|url = https://gigazine.net/news/20210127-plex-arcade/|title = 月額520円のサブスクリプション型ゲームサービス「Plex Arcade」がスタート|website = gigazine.net|publisher = GIGAZINE|date = |accessdate = 2021-01-27}}</ref>) === 携帯機 === 本節では便宜上、携帯型ゲーム機だけでなく、電子ゲームについても述べる。 ==== 第1世代(携帯機) ==== 1970年代後半 - 1980年代前半に当たる。 <gallery caption="第1世代の携帯機" mode="packed" style="font-size:90%"> Mattel Electronics Auto Race, No. 9879, Red LED, Made In Hong Kong, Copyright 1976 (LED Handheld Electronic Game).jpg|Mattel Auto Race Mattel Classic Football, A 2000 Re-Release of the Popular 1970's Electronic Game, Made in China (Handheld Electronic Game).jpg|Mattel Football Parker brothers merlin hand held electronic game.jpg|Merlin (ドクタースミス) </gallery> ROMカートリッジをハードに差し込む形式ではなく、1ハードにつき1ゲームという形式の'''電子ゲーム'''が登場した。当時の電子ゲームはモノクロLCDすら搭載できず、[[発光ダイオード|LED]]表示によるものが主だったが、マテルが1976年に世界初の携帯型電子ゲーム機となる[[Mattel Auto Race]]をリリースして以降、各社から続々とLEDゲームが発売され、大きな[[流行|ブーム]]となった。 * 電子ゲーム ** [[Mattel Auto Race]](マテル、1976年) ** [[Mattel Football]](マテル、1977年) ** [[Merlin (電子ゲーム)|Merlin]]([[パーカー・ブラザーズ]]、1978年) ==== 第2世代(携帯機) ==== 1980年代前半 - 中盤に当たる。 <gallery caption="第2世代の携帯機" mode="packed" style="font-size:90%"> Milton-Bradley-Microvision-Handheld-FL.png|Microvision<br />(Block Buster) Game & Watch.png|ゲーム&ウオッチ<br />(ボール) Game&watch-donkey-kong-2.png|ゲーム&ウオッチ<br />(ドンキーコングII) Epoch-Game-Pocket-Computer-FL.jpg|ゲームポケコン </gallery> 据置型ゲーム機が第2世代となり、ブームとなっていた1979年、アメリカの大手玩具メーカーである[[ミルトン・ブラッドリー社]]から史上初のカートリッジ交換式携帯型ゲーム機[[Microvision]]がリリースされた。Microvisionは[[CPU]]が[[ロムカセット|カートリッジ]]側についているなど、後のゲーム機とはずいぶん異なっていた。[[液晶ディスプレイ|LCD]][[ディスプレイ (コンピュータ)|画面]]が壊れやすいなど技術的な制約のため、商業的にほとんど成功せずに終わった。 [[1980年代]]に入ると[[LCD]]が安価となり、LCDを搭載した電子ゲームがブームとなった。代表的な製品が、任天堂が[[1980年]]に発売した[[ゲーム&ウオッチ]]シリーズであり、[[モノクロ]]で[[シンプル]]なゲームが多数を占めたが、非常に普及した携帯ゲーム機の1つである。ゲーム&ウオッチの一部機種では、後にの主力インターフェイスへと発展する[[十字キー]]も先行して採用された。任天堂、[[バンダイ]]、[[トミー (企業)|トミー]]、[[タイガー・エレクトロニクス|タイガー]]・[[エレクトロニクス]]と言った大手玩具メーカーの他にも多数のメーカーがさまざまな電子ゲームをリリースし、アーケードゲームの移植も盛んであった。1982年、本体に[[太陽電池]]を採用し、電池が不要な初のゲーム機である[[LCD SOLARPOWERシリーズ]]をバンダイが発売した。1983年、2つのディスプレイを搭載し、3D表示を可能とした初の携帯型ゲーム機である[[Tomytronic 3D|Tomytronic 3D(トミー3D立体グラフィックゲーム)]]シリーズを[[タカラトミー|トミー]]が発売した。[[1984年]]には[[エポック社]]から、日本初のROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機である[[ゲームポケコン]]が発売されたが、商業的には失敗に終わった。 * [[Microvision]]([[ハズブロ|ミルトン・ブラッドリー]]、1979年) * [[ゲームポケコン]](エポック社、1984年) * 電子ゲーム ** [[ゲーム&ウオッチ]](任天堂、1980年) ** [[ゲームロボット九]]、ゲームロボット5(タカトクトイス、1982年頃) ** テクトロン(Tectron)(バンダイ、1980年代前半) ** [[w:Bandai LCD Solarpower|LCD SOLARPOWER]](バンダイ、1982年) ** [[w:Tomytronic 3D|Tomytronic 3D]](トミー、1983年) ==== 第3世代(携帯機) ==== 1980年代後半 - 1990年代前半に当たる。 <gallery mode="packed" style="font-size:90%" caption="第3世代の携帯機"> ファイル:Game-Boy-FL.png|ゲームボーイ ファイル:Sega-Game-Gear-WB.png|ゲームギア ファイル:NEC-TurboExpress-Upright-FL.png|PCエンジンGT </gallery> ROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機が実用的なスペックを獲得し、多彩なゲームが楽しめるようになった最初の世代である。Atari Lynx、ゲームギアのスペックは第3世代の据置ハードとほぼ同等であり、PCエンジンGTは据置機第4世代のPCエンジンと互換性があった。モノクロ液晶を採用したゲームボーイは、当時としては卓越した性能と画質を持つ他機種に大きく劣っていたが、当時の液晶技術は未熟で消費電力も大きく、カラー液晶機種はさらに高価でバッテリー(単三[[乾電池]])消費も激しかったなかで、コンパクトで長時間駆動できるゲームボーイは携帯型ゲーム機で最も人気を集めた。ゲームギアは日本では商業的に苦戦したが、北米ではゲームボーイに対して善戦した。実用的な携帯型ゲーム機が登場してからも電子ゲームは販売されており、この世代ではバーコードバトラーが発売された。 * [[ゲームボーイ]](任天堂、1989年) * [[Atari Lynx]]、Atari Lynx II(アタリ、1989年、1991年) * [[ゲームギア]](セガ、1990年) * [[PCエンジンGT]](NECホームエレクトロニクス、1990年) * 電子ゲーム ** [[バーコードバトラー]](エポック社、1991年) ==== 第4世代(携帯機) ==== 1990年代中盤 - 後半に当たる。 <gallery mode="packed" style="font-size:90%" caption="第4世代の携帯機"> ファイル:Sega-Nomad-Front.png|ノーマッド ファイル:Nintendo-Game-Boy-Color-FL.png|ゲームボーイ<br />カラー ファイル:Neo-Geo-Pocket-Anthra-Left.png|ネオジオポケット ファイル:WonderSwan-Black-Left.png|ワンダースワン </gallery> スペックは据置ハードの第3世代と同等か、やや上回る程度であり、携帯ハードの第3世代から大きく向上してはいないが、携帯性に優れた薄く小さいボディを実現した。液晶技術の発達により、カラー液晶を採用した機種でも、長時間の運用に耐えられるようになった。赤外線通信機能などを搭載し、通信機能を生かしたゲームが流行した。メガドライブと互換性のあるセガ・ノーマッドや、この時代にあえてモノクロで挑んだワンダースワンなどの意欲的な機種が出たものの、この世代ではカラー化を果たした任天堂のゲームボーイシリーズが一人勝ち状態であった。電子ゲームでは1996年にバンダイから発売された、たまごっちが1997年にヒット商品となった。 * [[ノーマッド (ゲーム機)|ノーマッド]](セガ、1995年) * [[ゲームボーイポケット]]、[[ゲームボーイライト]](任天堂、1996年・1998年) * [[game.com]]([[タイガー・エレクトロニクス]]、[[1997年]]) * [[ネオジオポケット]](SNK、1998年) * [[ゲームボーイカラー]](任天堂、1998年) * [[ワンダースワン]](バンダイ、1999年) * [[ネオジオポケットカラー]]、NEWネオジオポケットカラー(SNK、1999年) * 電子ゲーム ** [[テトリン55]](ゲームテック、1996年) ** [[たまごっち]](バンダイ、1996年) ** [[デジタルモンスター]](バンダイ、1997年) ** [[ポケットピカチュウ]]、ポケットハローキティ、ポケットピカチュウカラー(任天堂、1998年、1999年) ** [[ヨーカイザー]](バンダイ、1998年) ==== 第5世代(携帯機) ==== 1990年代末 - 2000年代初頭に当たる。 <gallery mode="packed" style="font-size:90%" caption="第5世代の携帯機"> ファイル:Sega-Dreamcast-VMU.png|ビジュアルメモリ ファイル:Sony-PocketStation.png|ポケット<br />ステーション ファイル:WonderSwan-Color-Blue-Left.png|ワンダースワンカラー ファイル:Nintendo-Game-Boy-Advance-Purple-FL.png|ゲームボーイアドバンス ファイル:Nokia-NGage-LL.png|N-Gage </gallery> 反射型[[TFT液晶]]や反射型FSTN液晶を採用したカラー液晶のゲーム機が主流となった。[[スペック]]的には据え置きハードの第4世代を上回る程度の機能を搭載し、携帯型ゲーム機における表現の幅が飛躍的に拡大した。[[ビジュアルメモリ]]と[[PocketStation|ポケットステーション]]は、据置機の外部記憶媒体(メモリーカード)にゲーム機能を付加するものだったが、普及には至らず、後世代機においては採用されなかった。前世代と同様に任天堂以外の機種は振るわない結果となり、携帯型ゲーム機において任天堂の独占状態が確立した。この頃から[[携帯電話]]の普及率が激増したため、それを使った[[携帯電話ゲーム]]が登場し始めた。[[N-Gage]]のようにPDAや[[携帯電話]]機能を搭載したゲーム機も出始めた。N-Gageは[[Series 60|S60]]を搭載し、2008年には[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]・プラットフォーム化した。 * [[ワンダースワンカラー]]、[[ワンダースワンカラー#スワンクリスタル|スワンクリスタル]](バンダイ、[[2000年]]、[[2001年]]) * [[ゲームボーイアドバンス]]、[[ゲームボーイアドバンスSP]]、[[ゲームボーイミクロ]](任天堂、2001年・[[2003年]]・2005年) * [[ポケモンミニ]]([[ポケモン (企業)|ポケモン]]、2001年) * [[GP32]]([[GamePark]]、2001年) * [[N-Gage]]、N-Gage QD([[ノキア]]、2003年・[[2004年]]) * 据置機の外部記憶媒体 ** [[ビジュアルメモリ]](セガ、1998年) ** [[PocketStation]]([[ソニー・インタラクティブエンタテインメント|SCE]]、1999年) * 電子ゲーム ** ポケットサクラ([[メディアファクトリー]]、2000年) ==== 第6世代(携帯機) ==== 2000年代中盤 - 末に当たる。 <gallery mode="packed" style="font-size:90%" caption="第6世代の携帯機"> ファイル:Nintendo DS Trans.png|ニンテンドーDS ファイル:Nintendo-DSi-Bl-Open.png|ニンテンドーDSi ファイル:PSP-1000.png|PlayStation Portable ファイル:PSP-Go-FL-Open.jpg|PlayStation Portable go </gallery> [[ニンテンドーDS]](以下DS)と[[PlayStation Portable]](以下PSP)によって二分された。前世代までの[[乾電池]]に代わりエネルギー密度が高い[[リチウムイオン電池]]を採用し、明るい[[バックライト]]付き液晶となった。据置機同様にグラフィックの3D化が進み、ネットワークを介したデータのダウンロードや[[オンライン]]プレイが可能となった。DSは[[ブルー・オーシャン戦略]]でライト層もターゲットに据え、PSPはコア層を主なターゲットに据えた。DSはインターネット接続へのハードルを下げた[[ニンテンドーWi-Fiコネクション]]<ref>{{Wayback|url=http://www.gpara.com/news/05/10/news200510059886.htm |title=カンタン、あんしん、無料!任天堂Wi-Fi connection ジーパラドットコム |date=20160304195510}}</ref>や、[[タッチパネル]]の採用は携帯型ゲーム機としては史上初であり、特徴的な2画面による「[[Touch! Generations]]」のヒットによってユーザー層が広がり、DSが教育にも取り入れられた。<!--[[Microsoft Windows|Windows]]や[[Linux]]といったPC用[[オペレーティングシステム|OS]]を実行するソフトも開発された。-->PSPは大型液晶画面と[[光学ドライブ]]、高性能マイクロプロセッサを搭載した。日本市場においては『[[モンスターハンター ポータブル]]』シリーズに恵まれたこともあり、任天堂のハードが一人勝ち状態であった前世代までとは違い善戦した。そして、[[タカトクトイス]]から[[ゲームロボット]]を継いだ[[ハナヤマ]]は、[[ゲームロボット九]]の復刻電子ゲーム機、[[ゲームロボット21]]を発売した。 * [[:en:Tapwave Zodiac|Zodiac]]([[Tapwave]]、2003年) * ニンテンドーDS、[[ニンテンドーDS Lite]]、[[ニンテンドーDSi]]、[[ニンテンドーDSi|ニンテンドーDSi LL]](任天堂、2004年・2006年・[[2008年]]・2009年) * PlayStation Portable、[[PlayStation Portable go]](ソニー・コンピュータエンタテインメント、2004年・2009年) * [[GP2X]]、GP2X Caanoo(GamePark、2005年・2010年) * [[w:Dingoo A320|Dingoo A320]]([[Dingoo]]、2009年) * [[w:Pandora (console)|Pandora]]([[OpenPandora]]、2010年) * 電子ゲーム ** ゲームロボット21(ハナヤマ、2005年) ==== 第7世代(携帯機) ==== 2010年代初頭 - 後半に当たる。 <gallery caption="第7世代の携帯機" mode="packed" style="font-size:90%"> Nintendo-3DS-AquaOpen.png|ニンテンドー3DS New Nintendo 3DS.png|New ニンテンドー3DS PlayStation-Vita-1101-FL.png|PlayStation Vita </gallery> [[ニンテンドー3DS|3DS]]や[[PlayStation Vita|PS Vita]]はカメラによる[[拡張現実|AR]]や[[コミュニケーション]]・[[ソーシャルゲーム|ソーシャル]]を意識した機能が多数盛り込まれた。2013年には[[Graphics Processing Unit|GPU]]メーカーとして知られるNVIDIAが[[NVIDIA Tegra|Tegra]]/[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]搭載の[[NVIDIA SHIELD Portable]]を発売した。新参Androidゲーム機はこの年のトレンドといえるが、同機はPCをサーバとするゲームストリーミングクライアントでもあり、新たなストリーミングサーバ技術とともに発表され注目を集めた。<!--このことはクラウド市場への期待の高さと同時に、外部出力も相まって、[[Wii U]]同様に据置機/携帯機の区別の曖昧化を示すものでもある。-->[[スマートフォン]]/[[タブレット (コンピュータ)|タブレット]]といった[[スマートデバイス]]用[[モバイルオペレーティングシステム|OS]]にゲームを意識した機能が盛り込まれた<ref>{{Cite web|和書|title=ゲーム業界展望:スマホのゲーム機化進む PS4のカギは? KADOKAWA浜村弘一常務語る|url=https://mantan-web.jp/article/20140101dog00m200006000c.html|accessdate=2014-1-14}}</ref>。2008年にAppleのiPhone OS(現:[[iOS]])のSDKが公開されて以降、[[iPod touch]]/[[iPhone]]/[[iPad]]といったiOS用の[[App Store]]<ref>{{Cite web|和書|title=iPod touchの"ゲーム機としての"魅力とは - 米AppleのiPod担当者に聞く |publisher=マイコミジャーナル |date=2011-02-07 |url=https://news.mynavi.jp/article/20110207-ipodgame/ |accessdate=2011-05-15}}</ref>やGoogleの[[Google Play]]が提供された。これまで家庭用ゲーム機向けに展開されてきたシリーズが提供されたり連携も図られた。 * [[ニンテンドー3DS]]、ニンテンドー3DS LL、[[ニンテンドー2DS]]、[[Newニンテンドー3DS]]、Newニンテンドー3DS LL、[[Newニンテンドー2DS LL]](任天堂、2011年・2012年・2013年・2014年・2017年) * [[PlayStation Vita]](SIE(旧:SCE)、2011年) * [[NEOGEO X]](SNK、2012年) * [[Arduboy]](Arduboy Inc.、2016年) * Android搭載 ** [[SO-01D|Xperia PLAY]](ソニー、2011年) ** [[w:Archos GamePad|Archos GamePad]]([[Archos]]、2012年) ** [[w:Wikipad|Wikipad]](Wikipad、2013年) * 電子ゲーム ** ゲームロボット50(ハナヤマ、2013年) ** ゲームロボット25(ハナヤマ、2014年) ==== 第8世代(携帯機) ==== 2010年代後半以降に当たる。 <gallery caption="第8世代の携帯機" mode="packed" style="font-size:90%"> Nintendo Switch Lite representation.png|Nintendo Switch Lite Playdate front-view.png|Playdate </gallery>この世代の大きい出来事として、SIEが携帯ゲーム機市場から完全撤退したことがある ただ最も携帯機市場の歴史を変えたと言っても過言ではないのは、任天堂は携帯ゲーム機と据え置きゲーム機を合体させたハードのNintendo Switchを発売したことである、これはゲーム業界にとってかなり大きな変革となった。携帯ゲーム機はハードの性能上無理と言われていたゲームが携帯ゲーム機で可能となった事により、 市場はPCゲームや据え置きゲーム機のハイクオリティゲームを携帯ゲーム機で遊べるハードを作るという方向性に進むことになる。 これに伴いGPDWINや[[ONEXPLAYER]]、[[AYA NEO]]のような携帯ゲーム機の形をしたゲーミングPCが登場した。 その後[[Valve Corporation]]が運営する世界最大級のPCゲーム販売サイト[[Steam|STEAM]]のゲームが遊べる[[SteamOS|STEAM OS]]搭載の携帯ゲーム機の形をしたゲーミングPCが登場し、市場はさらなる盛り上がりを見せることになった。 * [[Nintendo Switch Lite]](任天堂、2019年) * [[Steam Deck]] [[Valve Corporation|(Valve Corporation]]、2022年) * [[Playdate (ゲーム機)|Playdate]]([[Panic Inc.]]、2022年) == 立体映像対応のゲーム機 == [[1980年代]]にトミーから[[立体視]]のできる電子ゲームが発売された(『宇宙壮絶戦車戦』、『ジョーズ』、『スペースレーザーウォー』、『ジャングルファイター』、『コスモ・ル・マン』、『ドッグファイト』、『シャーマンアタック』の7作品が確認されている)<ref>[http://www.game-nostalgia.net/densi/tomy/densi_tomy_3d.html 3D立体グラフィックゲーム]</ref><ref>[http://www9.big.or.jp/~hiroshi1/3dsa.html トミー3D立体グラフィックゲーム シャーマンアタック]</ref><ref>[http://blog.goo.ne.jp/80-cafe/e/7769b9f52821b0853710c082e2a71af5 3D立体グラフィックゲーム・宇宙壮絶戦車戦]</ref><ref>[http://www5e.biglobe.ne.jp/~kiden/densigame10/space_laser_war.htm 週間電子ゲームレビュースペースレーザーウォー]</ref><ref>[http://www5e.biglobe.ne.jp/~kiden/densigame11/uchu_sozetsu_senshasen.htm 週間電子ゲームレビュー宇宙壮絶戦車戦]</ref>。 任天堂からは[[1987年]]に[[ファミコン3Dシステム]]が発売、[[セガ]]からはアメリカ市場において[[セガ・マスターシステム]]で[[:en:Sega Master System#SegaScope 3-D Glasses|SegaScope 3-D Glasses]]と複数の対応ソフトが発売された。[[1994年]]にはアタリから『[[:en:Missile Command 3D|ミサイルコマンド3D]]』と『[[Wolfenstein|Wolfenstein3D]]』のわずか2タイトルだったが、[[Atari Jaguar|Jaguar VR ヘッドセット]]が発売された<ref>[http://jagcube.atari.org/jaguarvr.html Jaguar VR]</ref><ref>[http://www.atarihq.com/museum/jaglynx/jagvr.html ATARI JAGUAR VR HEADSET]</ref><ref>[http://www.atarihq.com/reviews/jaguar/missile_command_3d.html AGH Jaguar Review: MISSILE COMMAND 3-D]</ref>。 [[1995年]]7月には任天堂からスタンドタイプの[[バーチャルボーイ]]が発売されるものの、販売台数は振るわなかった。以上のように200x年代前半までは、いずれも散発的にリリースされたに留まる。[[2006年]]11月に発売された[[PlayStation 3]]は[[2010年]]4月に公開されたシステムアップデートで[[3次元ディスプレイ]]への映像出力に対応し<ref>[https://av.watch.impress.co.jp/docs/series/rt/362973.html 【西田宗千佳のRandomTracking】3D対応したPS3 Ver.3.30の狙いとこれから - AV Watch]</ref>、また[[2011年]]2月に任天堂から裸眼立体映像に対応した携帯型ゲーム機[[ニンテンドー3DS]]が発売された。 == 復刻系ゲーム機 == 2010年代以降、1970年代後半〜1990年代にかけての2D全盛期のレトロゲームを懐かしむ人々(当時の子供や若者、2010年代における中年層)や、動画サイトなどでレトロゲームを知った現代の若者の需要に応えるかたちで、数十年前のゲーム機やゲーム群を復刻させることが活発になった。 概観は当時に似せて小型化し、テレビ受像機との接続については[[HDMI]]端子で行えるように進化させたものが多い。また筺体サイズやキータッチまで当時のものに似せていることもある。 {{Seealso|レトロゲーム}} === 据置機 === 復刻したゲーム機は仕様が変わっていたりする。<gallery mode="packed" style="font-size:90%" caption="復刻系ゲーム機(据置機)"> ファイル:Nintendo CLV-101 20170617.jpg|ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ ファイル:Nintendo Classic Mini Super Famicom 20210313.jpg|ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン ファイル:MiNe-M 100-6201U (cropped).jpg|ネオジオ ミニ ファイル:PlayStation Classic Konsole + Controller (transparenter Hintergrund).png|PlayStation Classic ファイル:Sega-Mega-Drive-JP-Mk1-Console-Set.png|メガドライブ ミニ ファイル:PC-Engine-Console-Set.png|PCエンジン mini ファイル:Commodore-64-Computer-FL.png|The C64 </gallery> * [[ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ]](任天堂、2016年) * [[ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン]](任天堂、2017年) * [[ネオジオ ミニ]](SNK、2018年) * [[PlayStation Classic]](SIE、2018年) * [[メガドライブ ミニ]](セガ、2019年) * [[PCエンジン mini]](コナミ、2020年) * [[メガドライブ ミニ2]](セガ、2022年) * [[The C64]]<ref>[https://retrogames.biz/products/thec64/ RETRO GAMES THE C64]</ref>([[Commodore64]]の大きさやキータッチまで再現し、HDMIやUSB端子を備えたもの) === 携帯機 === <gallery caption="復刻系ゲーム機(携帯機)" mode="packed" style="font-size:90%"> ファイル:Sega-Game-Gear-WB.png|ゲームギアミクロ ファイル:Game & Watch Super Mario Bros - Color Screen (5).png|ゲーム&ウオッチ スーパーマリオブラザーズ ファイル:Game & Watch The Legend of Zelda.png|ゲーム&ウオッチ ゼルダの伝説 </gallery> * [[ゲームギアミクロ]](セガ、2020年) * [[スーパーマリオブラザーズ#他機種版|ゲーム&ウオッチ スーパーマリオブラザーズ]](任天堂、2020年) * [[ゲーム&ウオッチ#40周年|ゲーム&ウオッチ ゼルダの伝説]](任天堂、2021年) === アーケードゲーム機 === * [[アストロシティミニ]]([[セガトイズ]]、2020年) * [[RETRO STATION]]<ref>[http://www.retrostationarcade.com/jp/ TRON RETRO STATION]</ref>([[カプコン]]、2021年) * [[Multi Video System#MVSX|MVSX]](SNK、2021年) * [[イーグレットツー ミニ]]([[タイトー]]、2022年) * [[アストロシティミニV]](セガトイズ、2022年) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2|30em}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 関連項目 == * [[ゲーム機一覧]] * [[娯楽家電]]/[[マルチメディア機]] * [[VG Chartz]] * [[w:Console Wars|Console Wars]] - 1990年代のセガ・オブ・アメリカのCEOを務めたトム・カリスンスキを中心に任天堂との競争を描くブレイク・ハリスによる著書。[[スコット・ルーディン]]、[[セス・ローゲン]]、[[エヴァン・ゴールドバーグ]]、[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント|ソニー・ピクチャーズ]]による映画化も発表された。 {{Video-game-stub}} {{Computer sizes}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:けえむき}} [[Category:ゲーム機|*]] [[Category:コンピュータの形態]]
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ドラゴンクエストII 悪霊の神々
『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(ドラゴンクエストツー あくりょうのかみがみ)は、1987年1月26日に株式会社エニックス(現:株式会社スクウェア・エニックス)より発売されたファミリーコンピュータ用ロールプレイングゲーム。 ドラゴンクエストシリーズの第2作目。前作『ドラゴンクエスト』(1986年発売)から100年後、邪教の教祖によって破られた世界の平和を、勇者ロトの血を引く前作の主人公の子孫3人によって再び取り戻す物語である。本作は徐々に高まった前作の人気を受け、発売日の購入を目的とした人が店の前で徹夜する人が現われ、発売直後から方々で品切れとなった。最終的に半年間は人気ランキングで一位となり後に「ドラゴンクエスト現象」といわれる基礎を作った。前作と本作、後に発売された『ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』(1988年発売)の3作はストーリーの関連があることから、英雄「ロト」の名を取って「ロトシリーズ」、「ロト三部作」と呼ばれる。キャッチコピーは「勇者の伝説が再びよみがえる」。タイトルロゴの「II」のデザインは、盾を模したものとなっている。 さらに、社会現象を巻き起こした続編『ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』の発売後には、本作のゲームブック化や小説化、ドラマCD(CDシアター)化も行われた。 日本では翌年にMSX、MSX2にも移植された。その後、リメイク版としてスーパーファミコン(以下SFC)用ソフト『ドラゴンクエストI・II』、ゲームボーイ(以下GB)用ソフト『ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II』に収録され、Wii用ゲームソフト『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』にFC・SFC版の両方が収録された。 2000年代以降には携帯電話用アプリ(iアプリ、EZアプリ (BREW)、S!アプリ)、スマートフォンアプリ(iOS。Android)としての配信も行われるようになった。2017年8月10日にはPlayStation 4、ニンテンドー3DS版が、2019年9月27日にはNintendo Switch版がダウンロード配信されている。 北米では、1990年にNESにて『Dragon Warrior II』として発売され、後にGB版『Dragon Warrior I & II』にも収録されている。 ファミリーコンピュータ版はゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」にてプラチナ殿堂入りを獲得、また『ファミリーコンピュータMagazine』の「ゲーム通信簿」にてキャラクタ1位、音楽1位、熱中度1位、操作性2位、オリジナリティ1位、お買い得度1位、総合評価1位を獲得した。 移植版・リメイク版については移植・リメイクの節を参照。 ROM容量は前作の倍の1メガビット(約128キロバイト)となり、既存システムの整理やパーティー制などの新システムが追加され、本作で取り入れられたシステムの大部分は後の作品にも受け継がれた。フィールドマップの広さは前作(100×100)の6倍以上(256×256)となったことで、冒険できる範囲が広がった。前作では移動は徒歩のみだが、本作では船に乗ったり、「旅の扉」と呼ばれる装置で遠隔地へ瞬時に移動することも可能となった。ビジュアル面では海岸線や壁などに代表されるグラフィックが強化されたほか、使用楽曲数も増加された。 前作は主人公1人だけで冒険をするシステムであったが、本作では複数人のキャラクターが集団で行動するパーティーシステムを採用し、最終的には3人パーティーとなる。3人は能力の成長の仕方、覚える呪文、装備できる武器などが異なる。ただし、前作を経験していないプレイヤーへの配慮として、いきなり2人以上のパーティーで始まるのではなく、ゲームスタート時は1人だけでゲームを進めていくようになっている。 本作に登場する3人のプレイヤーキャラクターのうち、「あなた」と呼ばれているのは「ローレシアの王子」であり、その名前はゲームスタート時にプレイヤー自身が付ける。後に仲間になる「サマルトリアの王子」と「ムーンブルクの王女」の名前は、「ローレシアの王子」の名前によって自動的に決定されるが、隠しコマンドを使うことによって自分の好きなように名前を付けることもできる。 貨幣のゴールドは全員共有だが、経験値やHP、MPなどのステータスは各キャラクターで別々である。アイテムも各キャラクターごと個別に管理され、それぞれ装備品を含めて8個まで持つことができる(まとめ持ちはできない)。仲間がいるときは、移動中にアイテムをほかのキャラクターに渡したり、回復用のアイテムや呪文を他のメンバーに対して使うこともできる。 前作同様、本作にはセーブ用のメモリが搭載されていないため、ゲームの中断と再開には「ふっかつのじゅもん」(復活の呪文)とよばれるパスワードを利用する。本作では最大52文字と前作の20文字より長いが、復活の呪文はパーティーの人数や所持品の数などによって長さが異なる可変長方式が採用された。 前作では復活の呪文は「ラダトームの城」1か所でしか聞けなかったが、マップの広くなった本作では複数の場所で復活の呪文を聞くことができ、ゲームを再開するときの出発地点はその復活の呪文を聞いた場所となる。前作で城に帰る呪文・道具だった「ルーラ」「キメラのつばさ」は今作では最後に復活の呪文を聞いた場所に移動する。 前作と同じく現在のHPやMPの値が記録されないパスワードであり、復活の呪文を入力してゲームを再開した時点でHP・MPは必ず最大値となる。死亡しているキャラクターがいるときに復活の呪文を聞いた場合でも全員復活した状態で再開するが、再開時には復活に必要なゴールドが差し引かれておりその分所持金が減った状態となる(不足の場合はゴールドが0となる)。 本作発売後には、語呂合わせによっていきなり高レベルからスタートできるなど、さまざまなパスワードが雑誌などに掲載された。もっとも有名な語呂合わせパスワードである「ゆうていみやおうきむこうほりいゆうじとりやまあきらぺぺぺ...(以降最後まで「ぺ」)」については、元々裏技として仕込まれたものではなく偶然ユーザーによって発見されたものだと堀井雄二が語っている。 ダンジョンとして前作の『洞窟』のほかに『塔』が登場し、地下に降りていく洞窟ダンジョンと、上層へ登っていく塔ダンジョンに分かれている。洞窟の場合は入口まで戻るには脱出の呪文が使えなければ、来た道を最初まで戻る必要がある。一方で本作における塔は、外縁または吹き抜けから落ちることで地上に脱出したり、下階に移動できる。このシステムを利用して、あるアイテムを装備することで塔から落ちた際にやや離れたところに着地することができる。 また、前作では洞窟ダンジョン内は真っ暗で、アイテム「たいまつ」や呪文「レミーラ」で明かりを灯す必要があり、どちらも使えない場合は手探りで移動しなくてはならなかったが、本作では「たいまつ」「レミーラ」が廃止され、主人公から見通せる範囲だけ表示されるようになった。すなわち、画面全体を使いつつも、主人公たちからは見えるはずのない壁の向こうの空間などは表示されず、広い部屋に入れば部屋全体が見渡せる。壁の間にある通路の先が暗闇となっており、この暗闇部分に入ることで画面が切り替わり、隣のエリアに進む。しかし、画面を切り替えた瞬間は、視界の外に潜んでいたモンスターが現れるため、通常より高い確率で敵と遭遇する。 これらの演出方法は本作から数作にわたって採用された。 移動画面のメニューコマンドでは以下の6つを使用できる。前作の「かいだん」コマンドに関しては階段は上に乗ることで自動的に昇降するようになったため、廃止された。 城や町などに置かれた店は、武具を買える武器と防具の店、使用する道具を買える道具屋、HP・MPを全回復する宿屋、新しく登場した教会の4つが存在する。前作に登場した聖水屋は道具屋で聖水が販売され、鍵屋は鍵が何度でも使えるようになったため、それぞれ廃止された。 教会では、寄付金を払うことにより、死んだキャラクターの蘇生、毒の治療、呪いの解除が可能である。 本作では武器と防具の店で武具を新たに買った場合、古い装備品を引き取らなくなった。 また、本作限りの店として福引所が用意されている。「ふくびきけん」1枚につき1回福引(スロットマシン形式)に挑戦でき、絵柄が揃えばアイテムが手に入る。「ふくびきけん」は主に、道具屋で買い物をした時に、たまにおまけとしてもらうことができる。 本作では移動手段が徒歩と城へ帰還する呪文やアイテム以外にも追加された。 シリーズで初めての乗り物として、水上(海・川・湖)を移動することができる船が登場した。フィールド上から主人公たちが乗り込むことによって、浅瀬以外の水上を移動することができる。上陸の際は、歩いて通ることのできる地形であればどこにでも上陸できる。地上同様、水上でもモンスターとの戦闘が発生し、水上のみ出現するモンスターもいる。 本作では瞬間移動の呪文「ルーラ」や道具「キメラのつばさ」を使ったときは、最後に復活の呪文を聞いた城や町に瞬間移動する。主人公たちと同時に船も移動先の城や町の近くへ移動する。 また、旅の扉という青い渦巻状の物体が各地の城・町やほこらなどに用意されており、飛び込むと遠く離れた場所に一瞬で移動することができる。これを使わないと行くことのできない場所もある。旅の扉の多くは鍵が無いと利用できない。 前作同様、フィールド上・ダンジョン内などでランダムエンカウントでモンスターとの戦闘となる。本作ではフィールド画面に戦闘ウィンドウが開くのではなく、背景が黒一色の戦闘専用の画面に移行する。コマンド選択時の「コマンド?」のメッセージは削除された。 本作ではパーティーを組んでいる主人公一行に対して、敵も徒党を組んで襲い掛かってくる。同じ敵モンスターが複数集まりグループを組んでいる場合もあり、同じモンスターの集団に対しては通常攻撃(たたかう)では通常一体ずつしか攻撃できず、攻撃呪文にはグループ全員や敵全員を攻撃する効果を持つものもある。何匹いるのかはコマンド入力時のメッセージとともにグラフィックでも表示される。 前作での主人公と敵とが交互に行動する戦闘システムから、最初に味方全員の行動をコマンド選択で一度に指示し、1ラウンド内に敵・味方各キャラクターが1回ずつ、各自の素早さにランダム要素を加味して計算された順番で行動するシステムが採用された。ただし、戦闘の最初のラウンドでプレイヤー側から一方的に攻撃できる場合(先制攻撃)や、逆に敵から一方的に攻撃を受ける場合(不意打ち)もある。複数のキャラクターが入り乱れるようになったことで戦闘は戦略性が向上し、後のドラゴンクエストシリーズ作品の戦闘システムの基礎を築いた。 呪文には、攻撃や回復、状態異常を及ぼすもののほか、命中率や防御力などの能力値に影響を与える補助呪文が追加された。また状態異常には、この「死亡」やコマンド入力が行えない「眠り」、呪文が使えない「マホトーン」に加えて、移動画面に戻ったときに歩くごとにHPが減っていく「毒」と、通常攻撃の命中率が低下する「マヌーサ」が新たに追加された。 戦闘コマンドには、何もせず身を守ることにより敵からの攻撃のダメージを減少させるコマンド「ぼうぎょ」が追加された。1キャラクターが選べる戦闘コマンドは4つで、ローレシアの王子は「じゅもん」を選択することができない代わりに「にげる」を選択でき、他のメンバーは「にげる」を選択できない。ローレシアの王子が眠ったり死亡したりしていてコマンド入力できない状態の場合は、コマンド入力可能な最前のキャラクターの「ぼうぎょ」コマンドが「にげる」に変わる。 プレイヤーキャラクターのHPが0になると死亡扱いとなり、そのキャラクターは一切の行動ができなくなる。全員が死ぬと全滅となり、所持金が半減し、ローレシアの王子のみ生き返り、直近に「復活の呪文」を聞いた場所に戻される。 現れた敵をすべて倒すと勝利になり、経験値はとどめを刺したキャラクターと関係なく全員平等に手に入る。ただし死んでいるキャラクターは経験値を得ることはできない。本作ではモンスターが2体以上出現した場合のみ、その匹数により獲得した経験値が割増になるシステムがあり、倒したモンスターの経験値合計×{1+(出現匹数-1)/10}+1(小数点以下切り捨て)が実際の獲得経験値となる。 敵の中には蘇生呪文である「ザオリク」を唱えるものもいる。本作ではザオリクで生き返ったモンスターを倒すと、その分多くの敵を倒したものとして、戦闘終了後に入る経験値が加算される。一方で途中で逃げたり、味方が「メガンテ」の呪文を使った場合は、一部の敵を倒していても経験値やゴールド(貨幣)は手に入らない。 本作からは、戦闘に勝利したときに敵モンスターが一定確率で宝箱を落とすようになった。中には敵の宝箱からしか手に入らないアイテムもある。 北米で発売されたNES版『Dragon Warrior II』は、内容は日本版とほぼ同じだが、日本版には無かったプロローグ(ムーンブルク城が襲われるシーン)が追加された。 また、データの保存にバッテリーバックアップ方式が採用され、日本版での教会の十字架が五芒星のマークに、棺桶が幽霊のグラフィックに変更された。 本作では以下のバグが存在する。これらは雑誌などでは「裏技」として紹介された。一部はゲームブック版(エニックス刊)でも採用された。 『ドラゴンクエスト』において、アレフガルドを恐怖に陥れた竜王は勇者ロトの血を引く勇者によって倒され、それ以降、世界は平和な時代が続いた。勇者はラダトームの姫であったローラとともに新たな地を訪れ、国を築く。国号は妻の名を採って「ローレシア」とされた。 その後、国はローレシア、サマルトリア、ムーンブルクという3つの王国に分割され、勇者とローラがもうけた3人の子供とその子孫が各国を治めていった。本作はそれから100年が経ち、平和が破られた後の物語である。 ムーンブルク王国の城が邪教の教祖大神官ハーゴンの手先によって滅ぼされ、ムーンブルクから脱出した1人の兵士がローレシアにたどり着く。兵士はハーゴンのことをローレシア王に伝えるとその場で息絶える。サマルトリアやローレシアがハーゴンの手に落ちてしまうのを阻止するため、ロトの末裔であるローレシアの王子(主人公)が、ハーゴン討伐のためローレシアを旅立つ。旅の途中、サマルトリアの王子、そして行方不明となっていたムーンブルクの王女と出会い、仲間に加える。 旅を続ける一行は、アレフガルドにて竜王のひ孫と出会い、ハーゴンを倒すには精霊の力が必要であり、その力を借りるには5つの紋章が必要だと聞かされる。そして一行は世界各地を巡って5つの紋章を集め、精霊ルビスの加護を授かる。 その後、一行はハーゴンを討ち倒すことに成功するが、その死に際にハーゴンは破壊神シドーを召喚する。こうして主人公たちはシドーとの最後の戦いに臨むこととなる。 アレフガルド一国のみが舞台だった前作だが、本作ではそのアレフガルドを含んだ世界すべてが舞台となる。 世界地図の北端と南端、東端と西端はそれぞれ繋がっており、例えば世界地図の北西に位置するルプガナから北方へ向かうと南西のベラヌールに、西方へ向かうと北東のローレシア大陸に着く。これは以降のドラゴンクエスト作品すべてについていえることである。 物理的なマップの広さは前作の6倍以上となったが、アレフガルドのみにマップ全域を充てていた前作に比べればアレフガルドそのものは縮小され、ラダトーム城、竜王の城、沼地の洞窟、聖なるほこらのみを残し、前作で登場したそれ以外の町・村や洞窟は省略された。ドムドーラからメルキドヘ向かう途中で通る砂漠の山岳は規模を縮小しながらも残された他、リムルダールの町があった場所には、町を取り囲んでいた湖が残されているなど、特徴的な物がいくつか残されており、縮小、簡素化されながらも前作を彷彿させている。 物語を進めるうえで特に重要な道具について解説する。 この節ではゲーム内で語られる設定を中心に、リメイク版などの派生作品に関しても述べる。100年後の世界であるため、前作の登場人物の子孫が主要キャラクターとして登場する。 それぞれの盾、服、頭巾にロトの紋章が施されている。同盟国同士でもあるが、物語開始時点ではプレイヤーキャラクター3人に互いの面識はない(双葉社のゲームブックも同様)。ただし、リメイク版ではサマルトリア王子、ムーンブルク王女が幼少時にローレシア城を訪れていることが明らかになっている。小説やエニックスのゲームブック、CDシアターでは物語開始時点で3人とも顔見知りである。 最高レベルはFC、MSX/MSX2、SFC、GB版での値。携帯電話版では3人とも50に統一されている。 解説文中の呪文の詳細はドラゴンクエストシリーズの呪文体系を参照。 当初はオープニングのエピソードは絵物語形式で進行する予定だったが、容量の都合により削除され、使用される予定だったドット絵(正確には線を引いて内部を塗りつぶすプログラムとそれを指定するデータにより描画しており、これを担当した専任のプログラマがいた)は取扱説明書の6ページに1枚だけ採用されている。また他にもストーリーの途中で紙芝居的な演出を行う予定があったがそれも削除された。 アイテムでは「あぶないみずぎ」がFC版で使用可能なアイテムとして収録される予定だった。後述するようにMSX版以降では収録が実現している。他にも「耳せん」「死のオルゴール」などのアイテムがカットされ、その影響でダンジョン内のからっぽの宝箱が増えた。 開発中はモンスターが100種類登場する筈だったが、都合により製品版では80種類弱に削減。発売前の雑誌に紹介されたにもかかわらず、未登場のモンスターが複数生じた。次作『ドラゴンクエストIII』から登場するだいおうイカを始めとするイカのモンスターは当初は本作で登場予定であった。これに関する出典はファミリーコンピュータMagazineの『ドラゴンクエストII』の記事にて登場モンスターの一体として写真付きで掲載されている。 FC版の約一年後に発売されており、内容はFC版とほぼ同じだが、ロムの容量が増えたことでオリジナルアイテムとしてムーンブルクの王女のみが装備できる防具「あぶないみずぎ」のアイテム並びにイベントの追加や、「あくましんかん」4匹などFC版では無かった敵のフォーメーションが登場し、全体的に敵が強く設定されるなどの変更が行われた。 音源が異なるため、メロディーラインが全てデューティ比50:50の矩形波であるほか、BGMにアレンジが施されており、特にパスワードを入力する際のBGM「Love Song 探して」はポルタメントを多用し、「歌」を強く意識したアレンジとなった。ほぼ全曲においてFC版より長2度低く、例えばハ長調の王宮のテーマは変ロ長調になる。 コマンド画面のアイテム表示が、8個一列ではなく4個二列に変更された。 MSX版では、単色スプライトでないと複数個のキャラクターの横並びが困難で、PCGが横8ドット毎に2色までしか表現できないために、スプライトとPCGを組み合わせてキャラクターを表示している。そのためにキャラクターの背景が黒く表示されるが、MSX1でもファミコン版に近い色使いのキャラクターを実現し、主人公3人の行進が可能となった。前述のPCGの表示制限により敵の色や背景の模様がのFC版と一部異なる、効果音が鳴っている間はBGMのパートが一部欠けるなどの違いもある。「あぶないみずぎ」入手時のイベントで、露出度の高い水着を着たムーンブルクの王女(鳥山明のデザインとは別物)のグラフィックが画面全体に表示される。 画面スクロールはPCG8ドット毎。 MSX2版はFC版に忠実なグラフィックを実現している。戦闘突入時のフェードアウトがFC版と違い、MSX版はパレットが固定なので直接に戦闘画面・MSX2版はパレットを暗くしていく(フェードイン・フェードアウト)方式となる。「あぶないみずぎ」のグラフィック表示はカットされているが、台詞など、イベントそのものは同一である。 画面スクロールは8ドット単位だが、ビットマップで描画しているためFC版やMSX版よりも遅い。 FC版のストーリーを基に、操作性やグラフィック面など多くの点を改良したリメイク作品。FC版発売から6年後の1993年(平成5年)に第1作『ドラゴンクエスト』と合わせて1本のソフト『ドラゴンクエストI・II』として発売された。町の人の台詞なども一部が変更・追加されたほか、NES版に追加されていたプロローグ(ムーンブルク城が襲われるシーン)とゲーム中盤でのシナリオの追加も行われた。 FC版に存在するバグは解消されたが、SFC版については別のバグがいくつか発覚している。これらは後のGB版以降で修正された。 1999年(平成11年)に発売。SFC版と同様、第1作とセットで1本のソフトとなり、ナンバリングタイトル初の携帯ゲーム機用ソフトでもある。SFC版に準拠した移植だが、GB版ではその場でゲームを中断する「中断の書」機能が追加された。 2005年(平成17年)から配信が開始された携帯電話アプリ。iアプリ(メガアプリ非対応機種)版では容量の問題のために前編アプリと後編アプリに分けられており、それ以外の機種では1つのアプリに全編が収録された。 グラフィックはSFC版『III』を、サウンドはゲームボーイ版『I・II』をベースとするが、音楽の長さが一部短縮された(FC版相当)ものもある。また、プロローグでは「パストラール〜カタストロフ」は使用されず、「王城」と「戦い」に変更された。 GB版同様、「中断の書」機能が搭載されている。このほかには、レベルや必要経験値・呪文習得レベルの設定の変更や、攻撃呪文「ギラ」「ベギラマ」の対象範囲の変更、瞬間移動呪文「ルーラ」および瞬間移動アイテム「キメラの翼」の仕様変更(『ドラゴンクエストIII』以降のように行先の選択が可能に)、出現するモンスターの一部変更、「命の紋章」の入手場所の変更(紋章を全て揃えないとロンダルキアの洞窟に入れない仕様に変更された)、最高レベルが3人とも50までに変更(FC版・SFC版・GB版では、ローレシアの王子が50、サマルトリアの王子が45、ムーンブルクの王女が35)、などが行われた。 2011年(平成23年)9月に発売。FC版の第1作・『III』、SFC版の『I・II』・『III』とセットで収録。中断機能が追加されている。 2014年6月26日にAndroidおよびiOS向けに配信開始。『I』同様にアプリケーション『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』から購入・起動する方式。フィーチャーフォン版をベースに移植。グラフィック、操作方法はスマートフォン版『I』同様。戦闘画面ではNintendo DSのリメイク作等のように指定した行動が表示される。BGMはスマートフォン版『I』、『IV』同様交響組曲版をベースにしたシンセサイザー音源で、戦闘終了後のBGMは『I』同様途中から続けて流れる。 2017年8月10日(Nintendo Switch版は2019年9月27日)に配信開始。スマートフォン版をベースにしたもので、3DS版は下画面にマップが表示される。ニンテンドー3DS版はアイテムの「やまびこのふえ」が紋章のある場所と無い場所でのSEが逆になっている。 本作は、特にゲーム後半で重要アイテムを持つ人物「ラゴス」の発見が難解とされたこと、序盤から雑魚敵が強い、ダンジョン「ロンダルキアへの洞窟」のトラップの多さ、ルビスのほこらの発見が困難、最終ダンジョンの2階へ行くヒントが無い、最終ボスのシドーが完全回復呪文「ベホマ」を使用することなどから、「最高難度のドラゴンクエスト」と評されることもある。 製作者の中村光一はテレビ番組でのクリエイターインタビューにおいて、ロンダルキアへの洞窟について「(迷路を抜ける古典的なテクニックである)壁を右手伝いで辿って行けば、穴に落ちずに抜けられるように作ってあるので、あんなに反響が多いとは思わなかった」とコメントしていた。さらに、終盤のテストプレイに十分な時間をかけられなかったせいで、「洞窟に挑む際は多分これくらいのレベルだろう」との想定で行われたバランスを読み誤り、高い難易度のまま確定してしまったことも明かしている。 1987年2月、本作のゲーム画面の雑誌への掲載が著作権侵害とされたハイスコア事件の裁判の判決(東京地裁)と解説が判例百選に掲載されている。東京地裁はハイスコア4月号に対して発売禁止などを命じる仮処分判決を出した。 中村光一によると、最終的に容量は10バイトほど余ったため、当時の開発用基板についていたLEDランプを順番に点灯させるお遊びが仕込まれている。当然一般ユーザーは発見することができないものだったが、遠藤雅伸はこの仕掛けに気付いたという。 すぎやまこういちは本作のBGM用として前作でベースにしていたバロック音楽を踏襲しつつ、前作から100年後の未来という世界設定に合わせ、ポップス寄りの曲も作曲した。 †は廃盤。 以下の「No.」は交響組曲版(都響)のトラック番号を参考に振っている。 本作に関する備考のみ記載。他作品での使用や楽曲に関する詳細については「ドラゴンクエストシリーズの楽曲一覧」を参照。 2021年3月19日に改定された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(ドラゴンクエストツー あくりょうのかみがみ)は、1987年1月26日に株式会社エニックス(現:株式会社スクウェア・エニックス)より発売されたファミリーコンピュータ用ロールプレイングゲーム。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ドラゴンクエストシリーズの第2作目。前作『ドラゴンクエスト』(1986年発売)から100年後、邪教の教祖によって破られた世界の平和を、勇者ロトの血を引く前作の主人公の子孫3人によって再び取り戻す物語である。本作は徐々に高まった前作の人気を受け、発売日の購入を目的とした人が店の前で徹夜する人が現われ、発売直後から方々で品切れとなった。最終的に半年間は人気ランキングで一位となり後に「ドラゴンクエスト現象」といわれる基礎を作った。前作と本作、後に発売された『ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』(1988年発売)の3作はストーリーの関連があることから、英雄「ロト」の名を取って「ロトシリーズ」、「ロト三部作」と呼ばれる。キャッチコピーは「勇者の伝説が再びよみがえる」。タイトルロゴの「II」のデザインは、盾を模したものとなっている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "さらに、社会現象を巻き起こした続編『ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』の発売後には、本作のゲームブック化や小説化、ドラマCD(CDシアター)化も行われた。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "日本では翌年にMSX、MSX2にも移植された。その後、リメイク版としてスーパーファミコン(以下SFC)用ソフト『ドラゴンクエストI・II』、ゲームボーイ(以下GB)用ソフト『ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II』に収録され、Wii用ゲームソフト『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』にFC・SFC版の両方が収録された。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2000年代以降には携帯電話用アプリ(iアプリ、EZアプリ (BREW)、S!アプリ)、スマートフォンアプリ(iOS。Android)としての配信も行われるようになった。2017年8月10日にはPlayStation 4、ニンテンドー3DS版が、2019年9月27日にはNintendo Switch版がダウンロード配信されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "北米では、1990年にNESにて『Dragon Warrior II』として発売され、後にGB版『Dragon Warrior I & II』にも収録されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "ファミリーコンピュータ版はゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」にてプラチナ殿堂入りを獲得、また『ファミリーコンピュータMagazine』の「ゲーム通信簿」にてキャラクタ1位、音楽1位、熱中度1位、操作性2位、オリジナリティ1位、お買い得度1位、総合評価1位を獲得した。", "title": null }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "移植版・リメイク版については移植・リメイクの節を参照。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ROM容量は前作の倍の1メガビット(約128キロバイト)となり、既存システムの整理やパーティー制などの新システムが追加され、本作で取り入れられたシステムの大部分は後の作品にも受け継がれた。フィールドマップの広さは前作(100×100)の6倍以上(256×256)となったことで、冒険できる範囲が広がった。前作では移動は徒歩のみだが、本作では船に乗ったり、「旅の扉」と呼ばれる装置で遠隔地へ瞬時に移動することも可能となった。ビジュアル面では海岸線や壁などに代表されるグラフィックが強化されたほか、使用楽曲数も増加された。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "前作は主人公1人だけで冒険をするシステムであったが、本作では複数人のキャラクターが集団で行動するパーティーシステムを採用し、最終的には3人パーティーとなる。3人は能力の成長の仕方、覚える呪文、装備できる武器などが異なる。ただし、前作を経験していないプレイヤーへの配慮として、いきなり2人以上のパーティーで始まるのではなく、ゲームスタート時は1人だけでゲームを進めていくようになっている。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "本作に登場する3人のプレイヤーキャラクターのうち、「あなた」と呼ばれているのは「ローレシアの王子」であり、その名前はゲームスタート時にプレイヤー自身が付ける。後に仲間になる「サマルトリアの王子」と「ムーンブルクの王女」の名前は、「ローレシアの王子」の名前によって自動的に決定されるが、隠しコマンドを使うことによって自分の好きなように名前を付けることもできる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "貨幣のゴールドは全員共有だが、経験値やHP、MPなどのステータスは各キャラクターで別々である。アイテムも各キャラクターごと個別に管理され、それぞれ装備品を含めて8個まで持つことができる(まとめ持ちはできない)。仲間がいるときは、移動中にアイテムをほかのキャラクターに渡したり、回復用のアイテムや呪文を他のメンバーに対して使うこともできる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "前作同様、本作にはセーブ用のメモリが搭載されていないため、ゲームの中断と再開には「ふっかつのじゅもん」(復活の呪文)とよばれるパスワードを利用する。本作では最大52文字と前作の20文字より長いが、復活の呪文はパーティーの人数や所持品の数などによって長さが異なる可変長方式が採用された。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "前作では復活の呪文は「ラダトームの城」1か所でしか聞けなかったが、マップの広くなった本作では複数の場所で復活の呪文を聞くことができ、ゲームを再開するときの出発地点はその復活の呪文を聞いた場所となる。前作で城に帰る呪文・道具だった「ルーラ」「キメラのつばさ」は今作では最後に復活の呪文を聞いた場所に移動する。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "前作と同じく現在のHPやMPの値が記録されないパスワードであり、復活の呪文を入力してゲームを再開した時点でHP・MPは必ず最大値となる。死亡しているキャラクターがいるときに復活の呪文を聞いた場合でも全員復活した状態で再開するが、再開時には復活に必要なゴールドが差し引かれておりその分所持金が減った状態となる(不足の場合はゴールドが0となる)。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "本作発売後には、語呂合わせによっていきなり高レベルからスタートできるなど、さまざまなパスワードが雑誌などに掲載された。もっとも有名な語呂合わせパスワードである「ゆうていみやおうきむこうほりいゆうじとりやまあきらぺぺぺ...(以降最後まで「ぺ」)」については、元々裏技として仕込まれたものではなく偶然ユーザーによって発見されたものだと堀井雄二が語っている。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ダンジョンとして前作の『洞窟』のほかに『塔』が登場し、地下に降りていく洞窟ダンジョンと、上層へ登っていく塔ダンジョンに分かれている。洞窟の場合は入口まで戻るには脱出の呪文が使えなければ、来た道を最初まで戻る必要がある。一方で本作における塔は、外縁または吹き抜けから落ちることで地上に脱出したり、下階に移動できる。このシステムを利用して、あるアイテムを装備することで塔から落ちた際にやや離れたところに着地することができる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "また、前作では洞窟ダンジョン内は真っ暗で、アイテム「たいまつ」や呪文「レミーラ」で明かりを灯す必要があり、どちらも使えない場合は手探りで移動しなくてはならなかったが、本作では「たいまつ」「レミーラ」が廃止され、主人公から見通せる範囲だけ表示されるようになった。すなわち、画面全体を使いつつも、主人公たちからは見えるはずのない壁の向こうの空間などは表示されず、広い部屋に入れば部屋全体が見渡せる。壁の間にある通路の先が暗闇となっており、この暗闇部分に入ることで画面が切り替わり、隣のエリアに進む。しかし、画面を切り替えた瞬間は、視界の外に潜んでいたモンスターが現れるため、通常より高い確率で敵と遭遇する。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "これらの演出方法は本作から数作にわたって採用された。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "移動画面のメニューコマンドでは以下の6つを使用できる。前作の「かいだん」コマンドに関しては階段は上に乗ることで自動的に昇降するようになったため、廃止された。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "城や町などに置かれた店は、武具を買える武器と防具の店、使用する道具を買える道具屋、HP・MPを全回復する宿屋、新しく登場した教会の4つが存在する。前作に登場した聖水屋は道具屋で聖水が販売され、鍵屋は鍵が何度でも使えるようになったため、それぞれ廃止された。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "教会では、寄付金を払うことにより、死んだキャラクターの蘇生、毒の治療、呪いの解除が可能である。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "本作では武器と防具の店で武具を新たに買った場合、古い装備品を引き取らなくなった。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "また、本作限りの店として福引所が用意されている。「ふくびきけん」1枚につき1回福引(スロットマシン形式)に挑戦でき、絵柄が揃えばアイテムが手に入る。「ふくびきけん」は主に、道具屋で買い物をした時に、たまにおまけとしてもらうことができる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "本作では移動手段が徒歩と城へ帰還する呪文やアイテム以外にも追加された。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "シリーズで初めての乗り物として、水上(海・川・湖)を移動することができる船が登場した。フィールド上から主人公たちが乗り込むことによって、浅瀬以外の水上を移動することができる。上陸の際は、歩いて通ることのできる地形であればどこにでも上陸できる。地上同様、水上でもモンスターとの戦闘が発生し、水上のみ出現するモンスターもいる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "本作では瞬間移動の呪文「ルーラ」や道具「キメラのつばさ」を使ったときは、最後に復活の呪文を聞いた城や町に瞬間移動する。主人公たちと同時に船も移動先の城や町の近くへ移動する。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "また、旅の扉という青い渦巻状の物体が各地の城・町やほこらなどに用意されており、飛び込むと遠く離れた場所に一瞬で移動することができる。これを使わないと行くことのできない場所もある。旅の扉の多くは鍵が無いと利用できない。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "前作同様、フィールド上・ダンジョン内などでランダムエンカウントでモンスターとの戦闘となる。本作ではフィールド画面に戦闘ウィンドウが開くのではなく、背景が黒一色の戦闘専用の画面に移行する。コマンド選択時の「コマンド?」のメッセージは削除された。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "本作ではパーティーを組んでいる主人公一行に対して、敵も徒党を組んで襲い掛かってくる。同じ敵モンスターが複数集まりグループを組んでいる場合もあり、同じモンスターの集団に対しては通常攻撃(たたかう)では通常一体ずつしか攻撃できず、攻撃呪文にはグループ全員や敵全員を攻撃する効果を持つものもある。何匹いるのかはコマンド入力時のメッセージとともにグラフィックでも表示される。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "前作での主人公と敵とが交互に行動する戦闘システムから、最初に味方全員の行動をコマンド選択で一度に指示し、1ラウンド内に敵・味方各キャラクターが1回ずつ、各自の素早さにランダム要素を加味して計算された順番で行動するシステムが採用された。ただし、戦闘の最初のラウンドでプレイヤー側から一方的に攻撃できる場合(先制攻撃)や、逆に敵から一方的に攻撃を受ける場合(不意打ち)もある。複数のキャラクターが入り乱れるようになったことで戦闘は戦略性が向上し、後のドラゴンクエストシリーズ作品の戦闘システムの基礎を築いた。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "呪文には、攻撃や回復、状態異常を及ぼすもののほか、命中率や防御力などの能力値に影響を与える補助呪文が追加された。また状態異常には、この「死亡」やコマンド入力が行えない「眠り」、呪文が使えない「マホトーン」に加えて、移動画面に戻ったときに歩くごとにHPが減っていく「毒」と、通常攻撃の命中率が低下する「マヌーサ」が新たに追加された。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "戦闘コマンドには、何もせず身を守ることにより敵からの攻撃のダメージを減少させるコマンド「ぼうぎょ」が追加された。1キャラクターが選べる戦闘コマンドは4つで、ローレシアの王子は「じゅもん」を選択することができない代わりに「にげる」を選択でき、他のメンバーは「にげる」を選択できない。ローレシアの王子が眠ったり死亡したりしていてコマンド入力できない状態の場合は、コマンド入力可能な最前のキャラクターの「ぼうぎょ」コマンドが「にげる」に変わる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "プレイヤーキャラクターのHPが0になると死亡扱いとなり、そのキャラクターは一切の行動ができなくなる。全員が死ぬと全滅となり、所持金が半減し、ローレシアの王子のみ生き返り、直近に「復活の呪文」を聞いた場所に戻される。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "現れた敵をすべて倒すと勝利になり、経験値はとどめを刺したキャラクターと関係なく全員平等に手に入る。ただし死んでいるキャラクターは経験値を得ることはできない。本作ではモンスターが2体以上出現した場合のみ、その匹数により獲得した経験値が割増になるシステムがあり、倒したモンスターの経験値合計×{1+(出現匹数-1)/10}+1(小数点以下切り捨て)が実際の獲得経験値となる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "敵の中には蘇生呪文である「ザオリク」を唱えるものもいる。本作ではザオリクで生き返ったモンスターを倒すと、その分多くの敵を倒したものとして、戦闘終了後に入る経験値が加算される。一方で途中で逃げたり、味方が「メガンテ」の呪文を使った場合は、一部の敵を倒していても経験値やゴールド(貨幣)は手に入らない。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "本作からは、戦闘に勝利したときに敵モンスターが一定確率で宝箱を落とすようになった。中には敵の宝箱からしか手に入らないアイテムもある。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "北米で発売されたNES版『Dragon Warrior II』は、内容は日本版とほぼ同じだが、日本版には無かったプロローグ(ムーンブルク城が襲われるシーン)が追加された。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "また、データの保存にバッテリーバックアップ方式が採用され、日本版での教会の十字架が五芒星のマークに、棺桶が幽霊のグラフィックに変更された。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "本作では以下のバグが存在する。これらは雑誌などでは「裏技」として紹介された。一部はゲームブック版(エニックス刊)でも採用された。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "『ドラゴンクエスト』において、アレフガルドを恐怖に陥れた竜王は勇者ロトの血を引く勇者によって倒され、それ以降、世界は平和な時代が続いた。勇者はラダトームの姫であったローラとともに新たな地を訪れ、国を築く。国号は妻の名を採って「ローレシア」とされた。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "その後、国はローレシア、サマルトリア、ムーンブルクという3つの王国に分割され、勇者とローラがもうけた3人の子供とその子孫が各国を治めていった。本作はそれから100年が経ち、平和が破られた後の物語である。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ムーンブルク王国の城が邪教の教祖大神官ハーゴンの手先によって滅ぼされ、ムーンブルクから脱出した1人の兵士がローレシアにたどり着く。兵士はハーゴンのことをローレシア王に伝えるとその場で息絶える。サマルトリアやローレシアがハーゴンの手に落ちてしまうのを阻止するため、ロトの末裔であるローレシアの王子(主人公)が、ハーゴン討伐のためローレシアを旅立つ。旅の途中、サマルトリアの王子、そして行方不明となっていたムーンブルクの王女と出会い、仲間に加える。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "旅を続ける一行は、アレフガルドにて竜王のひ孫と出会い、ハーゴンを倒すには精霊の力が必要であり、その力を借りるには5つの紋章が必要だと聞かされる。そして一行は世界各地を巡って5つの紋章を集め、精霊ルビスの加護を授かる。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "その後、一行はハーゴンを討ち倒すことに成功するが、その死に際にハーゴンは破壊神シドーを召喚する。こうして主人公たちはシドーとの最後の戦いに臨むこととなる。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "アレフガルド一国のみが舞台だった前作だが、本作ではそのアレフガルドを含んだ世界すべてが舞台となる。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "世界地図の北端と南端、東端と西端はそれぞれ繋がっており、例えば世界地図の北西に位置するルプガナから北方へ向かうと南西のベラヌールに、西方へ向かうと北東のローレシア大陸に着く。これは以降のドラゴンクエスト作品すべてについていえることである。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "物理的なマップの広さは前作の6倍以上となったが、アレフガルドのみにマップ全域を充てていた前作に比べればアレフガルドそのものは縮小され、ラダトーム城、竜王の城、沼地の洞窟、聖なるほこらのみを残し、前作で登場したそれ以外の町・村や洞窟は省略された。ドムドーラからメルキドヘ向かう途中で通る砂漠の山岳は規模を縮小しながらも残された他、リムルダールの町があった場所には、町を取り囲んでいた湖が残されているなど、特徴的な物がいくつか残されており、縮小、簡素化されながらも前作を彷彿させている。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "物語を進めるうえで特に重要な道具について解説する。", "title": "設定" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "この節ではゲーム内で語られる設定を中心に、リメイク版などの派生作品に関しても述べる。100年後の世界であるため、前作の登場人物の子孫が主要キャラクターとして登場する。", "title": "登場人物" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "それぞれの盾、服、頭巾にロトの紋章が施されている。同盟国同士でもあるが、物語開始時点ではプレイヤーキャラクター3人に互いの面識はない(双葉社のゲームブックも同様)。ただし、リメイク版ではサマルトリア王子、ムーンブルク王女が幼少時にローレシア城を訪れていることが明らかになっている。小説やエニックスのゲームブック、CDシアターでは物語開始時点で3人とも顔見知りである。", "title": "登場人物" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "最高レベルはFC、MSX/MSX2、SFC、GB版での値。携帯電話版では3人とも50に統一されている。", "title": "登場人物" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "解説文中の呪文の詳細はドラゴンクエストシリーズの呪文体系を参照。", "title": "登場人物" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "当初はオープニングのエピソードは絵物語形式で進行する予定だったが、容量の都合により削除され、使用される予定だったドット絵(正確には線を引いて内部を塗りつぶすプログラムとそれを指定するデータにより描画しており、これを担当した専任のプログラマがいた)は取扱説明書の6ページに1枚だけ採用されている。また他にもストーリーの途中で紙芝居的な演出を行う予定があったがそれも削除された。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "アイテムでは「あぶないみずぎ」がFC版で使用可能なアイテムとして収録される予定だった。後述するようにMSX版以降では収録が実現している。他にも「耳せん」「死のオルゴール」などのアイテムがカットされ、その影響でダンジョン内のからっぽの宝箱が増えた。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "開発中はモンスターが100種類登場する筈だったが、都合により製品版では80種類弱に削減。発売前の雑誌に紹介されたにもかかわらず、未登場のモンスターが複数生じた。次作『ドラゴンクエストIII』から登場するだいおうイカを始めとするイカのモンスターは当初は本作で登場予定であった。これに関する出典はファミリーコンピュータMagazineの『ドラゴンクエストII』の記事にて登場モンスターの一体として写真付きで掲載されている。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "FC版の約一年後に発売されており、内容はFC版とほぼ同じだが、ロムの容量が増えたことでオリジナルアイテムとしてムーンブルクの王女のみが装備できる防具「あぶないみずぎ」のアイテム並びにイベントの追加や、「あくましんかん」4匹などFC版では無かった敵のフォーメーションが登場し、全体的に敵が強く設定されるなどの変更が行われた。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "音源が異なるため、メロディーラインが全てデューティ比50:50の矩形波であるほか、BGMにアレンジが施されており、特にパスワードを入力する際のBGM「Love Song 探して」はポルタメントを多用し、「歌」を強く意識したアレンジとなった。ほぼ全曲においてFC版より長2度低く、例えばハ長調の王宮のテーマは変ロ長調になる。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "コマンド画面のアイテム表示が、8個一列ではなく4個二列に変更された。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "MSX版では、単色スプライトでないと複数個のキャラクターの横並びが困難で、PCGが横8ドット毎に2色までしか表現できないために、スプライトとPCGを組み合わせてキャラクターを表示している。そのためにキャラクターの背景が黒く表示されるが、MSX1でもファミコン版に近い色使いのキャラクターを実現し、主人公3人の行進が可能となった。前述のPCGの表示制限により敵の色や背景の模様がのFC版と一部異なる、効果音が鳴っている間はBGMのパートが一部欠けるなどの違いもある。「あぶないみずぎ」入手時のイベントで、露出度の高い水着を着たムーンブルクの王女(鳥山明のデザインとは別物)のグラフィックが画面全体に表示される。 画面スクロールはPCG8ドット毎。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "MSX2版はFC版に忠実なグラフィックを実現している。戦闘突入時のフェードアウトがFC版と違い、MSX版はパレットが固定なので直接に戦闘画面・MSX2版はパレットを暗くしていく(フェードイン・フェードアウト)方式となる。「あぶないみずぎ」のグラフィック表示はカットされているが、台詞など、イベントそのものは同一である。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "画面スクロールは8ドット単位だが、ビットマップで描画しているためFC版やMSX版よりも遅い。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "FC版のストーリーを基に、操作性やグラフィック面など多くの点を改良したリメイク作品。FC版発売から6年後の1993年(平成5年)に第1作『ドラゴンクエスト』と合わせて1本のソフト『ドラゴンクエストI・II』として発売された。町の人の台詞なども一部が変更・追加されたほか、NES版に追加されていたプロローグ(ムーンブルク城が襲われるシーン)とゲーム中盤でのシナリオの追加も行われた。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "FC版に存在するバグは解消されたが、SFC版については別のバグがいくつか発覚している。これらは後のGB版以降で修正された。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "1999年(平成11年)に発売。SFC版と同様、第1作とセットで1本のソフトとなり、ナンバリングタイトル初の携帯ゲーム機用ソフトでもある。SFC版に準拠した移植だが、GB版ではその場でゲームを中断する「中断の書」機能が追加された。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "2005年(平成17年)から配信が開始された携帯電話アプリ。iアプリ(メガアプリ非対応機種)版では容量の問題のために前編アプリと後編アプリに分けられており、それ以外の機種では1つのアプリに全編が収録された。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "グラフィックはSFC版『III』を、サウンドはゲームボーイ版『I・II』をベースとするが、音楽の長さが一部短縮された(FC版相当)ものもある。また、プロローグでは「パストラール〜カタストロフ」は使用されず、「王城」と「戦い」に変更された。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "GB版同様、「中断の書」機能が搭載されている。このほかには、レベルや必要経験値・呪文習得レベルの設定の変更や、攻撃呪文「ギラ」「ベギラマ」の対象範囲の変更、瞬間移動呪文「ルーラ」および瞬間移動アイテム「キメラの翼」の仕様変更(『ドラゴンクエストIII』以降のように行先の選択が可能に)、出現するモンスターの一部変更、「命の紋章」の入手場所の変更(紋章を全て揃えないとロンダルキアの洞窟に入れない仕様に変更された)、最高レベルが3人とも50までに変更(FC版・SFC版・GB版では、ローレシアの王子が50、サマルトリアの王子が45、ムーンブルクの王女が35)、などが行われた。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "2011年(平成23年)9月に発売。FC版の第1作・『III』、SFC版の『I・II』・『III』とセットで収録。中断機能が追加されている。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "2014年6月26日にAndroidおよびiOS向けに配信開始。『I』同様にアプリケーション『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』から購入・起動する方式。フィーチャーフォン版をベースに移植。グラフィック、操作方法はスマートフォン版『I』同様。戦闘画面ではNintendo DSのリメイク作等のように指定した行動が表示される。BGMはスマートフォン版『I』、『IV』同様交響組曲版をベースにしたシンセサイザー音源で、戦闘終了後のBGMは『I』同様途中から続けて流れる。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "2017年8月10日(Nintendo Switch版は2019年9月27日)に配信開始。スマートフォン版をベースにしたもので、3DS版は下画面にマップが表示される。ニンテンドー3DS版はアイテムの「やまびこのふえ」が紋章のある場所と無い場所でのSEが逆になっている。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "本作は、特にゲーム後半で重要アイテムを持つ人物「ラゴス」の発見が難解とされたこと、序盤から雑魚敵が強い、ダンジョン「ロンダルキアへの洞窟」のトラップの多さ、ルビスのほこらの発見が困難、最終ダンジョンの2階へ行くヒントが無い、最終ボスのシドーが完全回復呪文「ベホマ」を使用することなどから、「最高難度のドラゴンクエスト」と評されることもある。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "製作者の中村光一はテレビ番組でのクリエイターインタビューにおいて、ロンダルキアへの洞窟について「(迷路を抜ける古典的なテクニックである)壁を右手伝いで辿って行けば、穴に落ちずに抜けられるように作ってあるので、あんなに反響が多いとは思わなかった」とコメントしていた。さらに、終盤のテストプレイに十分な時間をかけられなかったせいで、「洞窟に挑む際は多分これくらいのレベルだろう」との想定で行われたバランスを読み誤り、高い難易度のまま確定してしまったことも明かしている。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "1987年2月、本作のゲーム画面の雑誌への掲載が著作権侵害とされたハイスコア事件の裁判の判決(東京地裁)と解説が判例百選に掲載されている。東京地裁はハイスコア4月号に対して発売禁止などを命じる仮処分判決を出した。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "中村光一によると、最終的に容量は10バイトほど余ったため、当時の開発用基板についていたLEDランプを順番に点灯させるお遊びが仕込まれている。当然一般ユーザーは発見することができないものだったが、遠藤雅伸はこの仕掛けに気付いたという。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "すぎやまこういちは本作のBGM用として前作でベースにしていたバロック音楽を踏襲しつつ、前作から100年後の未来という世界設定に合わせ、ポップス寄りの曲も作曲した。", "title": "関連商品" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "†は廃盤。", "title": "関連商品" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "以下の「No.」は交響組曲版(都響)のトラック番号を参考に振っている。", "title": "関連商品" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "本作に関する備考のみ記載。他作品での使用や楽曲に関する詳細については「ドラゴンクエストシリーズの楽曲一覧」を参照。", "title": "関連商品" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "2021年3月19日に改定された。", "title": "動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン" } ]
『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』は、1987年1月26日に株式会社エニックスより発売されたファミリーコンピュータ用ロールプレイングゲーム。 ドラゴンクエストシリーズの第2作目。前作『ドラゴンクエスト』(1986年発売)から100年後、邪教の教祖によって破られた世界の平和を、勇者ロトの血を引く前作の主人公の子孫3人によって再び取り戻す物語である。本作は徐々に高まった前作の人気を受け、発売日の購入を目的とした人が店の前で徹夜する人が現われ、発売直後から方々で品切れとなった。最終的に半年間は人気ランキングで一位となり後に「ドラゴンクエスト現象」といわれる基礎を作った。前作と本作、後に発売された『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(1988年発売)の3作はストーリーの関連があることから、英雄「ロト」の名を取って「ロトシリーズ」、「ロト三部作」と呼ばれる。キャッチコピーは「勇者の伝説が再びよみがえる」。タイトルロゴの「II」のデザインは、盾を模したものとなっている。 さらに、社会現象を巻き起こした続編『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』の発売後には、本作のゲームブック化や小説化、ドラマCD(CDシアター)化も行われた。 日本では翌年にMSX、MSX2にも移植された。その後、リメイク版としてスーパーファミコン(以下SFC)用ソフト『ドラゴンクエストI・II』、ゲームボーイ(以下GB)用ソフト『ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II』に収録され、Wii用ゲームソフト『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』にFC・SFC版の両方が収録された。 2000年代以降には携帯電話用アプリ、スマートフォンアプリ(iOS。Android)としての配信も行われるようになった。2017年8月10日にはPlayStation 4、ニンテンドー3DS版が、2019年9月27日にはNintendo Switch版がダウンロード配信されている。 北米では、1990年にNESにて『Dragon Warrior II』として発売され、後にGB版『Dragon Warrior I & II』にも収録されている。 ファミリーコンピュータ版はゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」にてプラチナ殿堂入りを獲得、また『ファミリーコンピュータMagazine』の「ゲーム通信簿」にてキャラクタ1位、音楽1位、熱中度1位、操作性2位、オリジナリティ1位、お買い得度1位、総合評価1位を獲得した。
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[[日本]]では翌年に[[MSX|MSX、MSX2]]にも移植された。その後、[[リメイク]]版として[[スーパーファミコン]](以下SFC)用ソフト『[[ドラゴンクエストI・II]]』、[[ゲームボーイ]](以下GB)用ソフト『ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II』に収録され、[[Wii]]用ゲームソフト『[[ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III]]』にFC・SFC版の両方が収録された。 [[2000年代]]以降には[[携帯電話]]用アプリ([[iアプリ]]、[[BREW|EZアプリ (BREW)]]、[[S!アプリ]])、[[スマートフォン]]アプリ([[iOS]]。[[Android (オペレーティングシステム)|Android]])としての配信も行われるようになった。[[2017年]][[8月10日]]には[[PlayStation 4]]、[[ニンテンドー3DS]]版<ref>[https://www.4gamer.net/games/390/G039011/20170806004/ ドラゴンクエストの「I」「II」「III」がPS4とニンテンドー3DS向けに配信決定]4Gamer.net 2017年8月6日</ref>が、[[2019年]][[9月27日]]には[[Nintendo Switch]]版がダウンロード配信されている。 北米では、[[1990年]]に[[Nintendo Entertainment System|NES]]にて『'''Dragon Warrior II'''』として発売され、後にGB版『Dragon Warrior I & II』にも収録されている。 ファミリーコンピュータ版はゲーム誌『[[ファミ通|ファミコン通信]]』の「[[クロスレビュー]]」にてプラチナ殿堂入りを獲得、また『[[ファミリーコンピュータMagazine]]』の「ゲーム通信簿」にてキャラクタ1位、音楽1位、熱中度1位、操作性2位、オリジナリティ1位、お買い得度1位、総合評価1位を獲得した。 == ゲーム内容 == 移植版・リメイク版については[[#移植・リメイク|移植・リメイク]]の節を参照。 [[Read Only Memory|ROM]]容量は前作の倍の1メガビット(約128キロバイト)となり、既存システムの整理やパーティー制などの新システムが追加され、本作で取り入れられたシステムの大部分は後の作品にも受け継がれた。フィールドマップの広さは前作(100×100)の6倍以上(256×256)となったことで、冒険できる範囲が広がった。前作では移動は徒歩のみだが、本作では船に乗ったり、「旅の扉」と呼ばれる装置で遠隔地へ瞬時に移動することも可能となった。ビジュアル面では海岸線や壁などに代表されるグラフィックが強化されたほか、使用楽曲数も増加された。 === パーティー制 === 前作は主人公1人だけで冒険をするシステムであったが、本作では複数人のキャラクターが集団で行動する'''パーティーシステム'''を採用し、最終的には3人パーティーとなる<ref>{{Cite web|和書|title=『ドラゴンクエストII』本日発売35周年 『ドラクエ』屈指の凶悪難易度がシリーズに与えた影響 |url=https://realsound.jp/tech/2022/01/post-952368.html |website=Real Sound|リアルサウンド テック |access-date=2022-11-04 |date=2022.01.26}}</ref>。3人は能力の成長の仕方、覚える呪文、装備できる武器などが異なる。ただし、前作を経験していないプレイヤーへの配慮として、いきなり2人以上のパーティーで始まるのではなく、ゲームスタート時は1人だけでゲームを進めていくようになっている<ref>{{Cite web|和書|publisher=文化庁メディア芸術プラザ|url=http://plaza.bunka.go.jp/museum/meister/entertainment/vol2/|title=Entertainment Meister - Vol.2 堀井 雄二 インタビュー|accessdate=2009-03-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100614061622/http://plaza.bunka.go.jp/museum/meister/entertainment/vol2/|archivedate=2010年6月14日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。 本作に登場する3人のプレイヤーキャラクターのうち、「あなた」と呼ばれているのは「ローレシアの王子」であり、その名前はゲームスタート時にプレイヤー自身が付ける。後に仲間になる「サマルトリアの王子」と「ムーンブルクの王女」の名前は、「ローレシアの王子」の名前によって自動的に決定されるが、[[隠しコマンド]]を使うことによって自分の好きなように名前を付けることもできる。 貨幣のゴールドは全員共有だが、[[経験値]]や[[ヒットポイント|HP]]、[[マジックポイント|MP]]などのステータスは各キャラクターで別々である。[[アイテム]]も各キャラクターごと個別に管理され、それぞれ装備品を含めて8個まで持つことができる(まとめ持ちはできない)。仲間がいるときは、移動中にアイテムをほかのキャラクターに渡したり、回復用のアイテムや呪文を他のメンバーに対して使うこともできる。 === ふっかつのじゅもん(パスワード) === 前作同様、本作にはセーブ用のメモリが搭載されていないため、ゲームの中断と再開には「'''ふっかつのじゅもん'''」(復活の呪文)とよばれる[[パスワード (コンピュータゲーム)|パスワード]]を利用する。本作では最大52文字と前作の20文字より長いが<ref group="注">中村光一もパスワードを間違えて苦い思いをしたとインタビューで語っている{{要出典|date=2022年11月}}。</ref>、復活の呪文はパーティーの人数や所持品の数などによって長さが異なる可変長方式が採用された。 前作では復活の呪文は「ラダトームの城」1か所でしか聞けなかったが、マップの広くなった本作では複数の場所で復活の呪文を聞くことができ、ゲームを再開するときの出発地点はその復活の呪文を聞いた場所となる。前作で城に帰る呪文・道具だった「ルーラ」「キメラのつばさ」は今作では最後に復活の呪文を聞いた場所に移動する。 前作と同じく現在のHPやMPの値が記録されないパスワードであり、復活の呪文を入力してゲームを再開した時点でHP・MPは必ず最大値となる。死亡しているキャラクターがいるときに復活の呪文を聞いた場合でも全員復活した状態で再開するが、再開時には復活に必要なゴールドが差し引かれておりその分所持金が減った状態となる(不足の場合はゴールドが0となる)。 本作発売後には、語呂合わせによっていきなり高レベルからスタートできるなど、さまざまなパスワードが雑誌などに掲載された。もっとも有名な語呂合わせパスワードである「ゆうていみやおうきむこうほりいゆうじとりやまあきらぺぺぺ…(以降最後まで「ぺ」)」<ref>『週刊少年ジャンプ』の記事「ファミコン神拳」のライター(ゆう帝〈堀井雄二〉、ミヤ王〈[[宮岡寛]]〉、キム皇〈[[木村初|きむらはじめ]]〉)および堀井雄二、鳥山明の羅列</ref>については、元々[[裏技]]として仕込まれたものではなく偶然ユーザーによって発見されたものだと堀井雄二が語っている<ref>『[[業界技術狩人 ギョーテック]]』2009年8月22日放送より。</ref>。 === 移動画面 === ==== ダンジョン ==== ダンジョンとして前作の『洞窟』のほかに『塔』が登場し、地下に降りていく洞窟ダンジョンと、上層へ登っていく塔ダンジョンに分かれている。洞窟の場合は入口まで戻るには脱出の呪文が使えなければ、来た道を最初まで戻る必要がある。一方で本作における塔は、外縁または吹き抜けから落ちることで地上に脱出したり、下階に移動できる。このシステムを利用して、あるアイテムを装備することで塔から落ちた際にやや離れたところに着地することができる。 また、前作では洞窟ダンジョン内は真っ暗で、アイテム「たいまつ」や呪文「レミーラ」で明かりを灯す必要があり、どちらも使えない場合は手探りで移動しなくてはならなかったが、本作では「たいまつ」「レミーラ」が廃止され、主人公から見通せる範囲だけ表示されるようになった。すなわち、画面全体を使いつつも、主人公たちからは見えるはずのない壁の向こうの空間などは表示されず、広い部屋に入れば部屋全体が見渡せる。壁の間にある通路の先が暗闇となっており、この暗闇部分に入ることで画面が切り替わり、隣のエリアに進む。しかし、画面を切り替えた瞬間は、視界の外に潜んでいたモンスターが現れるため、通常より高い確率で敵と遭遇する。 これらの演出方法は本作から数作にわたって採用された。 ==== コマンド ==== 移動画面のメニューコマンドでは以下の6つを使用できる。前作の「かいだん」コマンドに関しては階段は上に乗ることで自動的に昇降するようになったため、廃止された。 ; はなす : 住民から話を聞く。今作では主人公を含めたほとんどのキャラクターに前後左右それぞれの向きのグラフィックが与えられており、どの方向にも自由に向くことができるようになったため、話したい人の方向を向いてから「はなす」コマンドを実行するようになった。このため話したい人がいる方角を入力する「きた」「みなみ」「ひがし」「にし」のサブコマンドは廃止されている。 ; つよさ : パーティーのステータスを表示する。 ; そうび : パーティーの装備を変更する。今作では武具の装備に関するシステムが変更され、このコマンドが新しく導入された。手に入れた武具は道具として持ち、このコマンドを使用して装備させないと効果を発揮しない。 ; じゅもん : MPを消費して覚えている呪文を使用する。前作と異なり、戦闘時のみに使用する呪文は移動中の「じゅもん」コマンドでは表示されなくなり、移動中に使用できなくなった。 ; どうぐ : 手に入れた道具を使用する。前作では「とびら」コマンドを使うか「どうぐ」コマンドで鍵を使うことで鍵のかかった扉を開くことができたが、今作では「とびら」コマンドは廃止されたので「どうぐ」コマンドで鍵を使い扉を開くこととなった。 ; しらべる : 主人公の足元を調べる。宝箱の中身は、宝箱の上で「しらべる」コマンドを使用することで取得できるようになったため、前作の「とる」コマンドは廃止された。 ==== 店 ==== 城や町などに置かれた店は、武具を買える'''武器と防具の店'''、使用する道具を買える'''道具屋'''、HP・MPを全回復する'''宿屋'''、新しく登場した'''教会'''の4つが存在する。前作に登場した聖水屋は道具屋で聖水が販売され、鍵屋は鍵が何度でも使えるようになったため、それぞれ廃止された。 教会では、寄付金を払うことにより、死んだキャラクターの蘇生、毒の治療、呪い<ref group="注">前作の呪いは1種類の効果しかなかったが、本作の呪いはアイテムにより効果が異なる。</ref>の解除が可能である。 本作では武器と防具の店で武具を新たに買った場合、古い装備品を引き取らなくなった。 また、本作限りの店として'''福引所'''が用意されている。「ふくびきけん」1枚につき1回福引([[スロットマシン]]形式)に挑戦でき、絵柄が揃えばアイテムが手に入る。「ふくびきけん」は主に、道具屋で買い物をした時に、たまにおまけとしてもらうことができる。 ==== 移動手段 ==== 本作では移動手段が徒歩と城へ帰還する呪文やアイテム以外にも追加された。 シリーズで初めての乗り物として、水上(海・川・湖)を移動することができる'''[[船]]'''が登場した。フィールド上から主人公たちが乗り込むことによって、浅瀬以外の水上を移動することができる。上陸の際は、歩いて通ることのできる地形であればどこにでも上陸できる。地上同様、水上でもモンスターとの戦闘が発生し、水上のみ出現するモンスターもいる。 本作では瞬間移動の呪文「ルーラ」や道具「キメラのつばさ」を使ったときは、最後に復活の呪文を聞いた城や町に瞬間移動する。主人公たちと同時に船も移動先の城や町の近くへ移動する。 また、'''旅の扉'''という青い渦巻状の物体が各地の城・町やほこらなどに用意されており、飛び込むと遠く離れた場所に一瞬で移動することができる。これを使わないと行くことのできない場所もある。旅の扉の多くは鍵が無いと利用できない。 === 戦闘 === 前作同様、フィールド上・ダンジョン内などで[[エンカウント|ランダムエンカウント]]でモンスターとの戦闘となる。本作ではフィールド画面に戦闘ウィンドウが開くのではなく、背景が黒一色の戦闘専用の画面に移行する。コマンド選択時の「コマンド?」のメッセージは削除された。 本作ではパーティーを組んでいる主人公一行に対して、敵も徒党を組んで襲い掛かってくる。同じ敵モンスターが複数集まりグループを組んでいる場合もあり、同じモンスターの集団に対しては通常攻撃(たたかう)では通常一体ずつしか攻撃できず、攻撃呪文にはグループ全員や敵全員を攻撃する効果を持つものもある。何匹いるのかはコマンド入力時のメッセージとともにグラフィックでも表示される。 前作での主人公と敵とが交互に行動する戦闘システムから、最初に味方全員の行動をコマンド選択で一度に指示し、1ラウンド内に敵・味方各キャラクターが1回ずつ{{Efn2|複数回連続攻撃する敵もいる。味方も装備により2回連続攻撃することもある。}}、各自の素早さにランダム要素を加味して計算された順番で行動するシステムが採用された。ただし、戦闘の最初のラウンドでプレイヤー側から一方的に攻撃できる場合(先制攻撃)や、逆に敵から一方的に攻撃を受ける場合(不意打ち)もある。複数のキャラクターが入り乱れるようになったことで戦闘は戦略性が向上し、後のドラゴンクエストシリーズ作品の戦闘システムの基礎を築いた。 呪文には、攻撃や回復、状態異常を及ぼすもののほか、命中率や防御力などの能力値に影響を与える補助呪文が追加された。また状態異常には、この「死亡」やコマンド入力が行えない「眠り」、呪文が使えない「マホトーン」に加えて、移動画面に戻ったときに歩くごとにHPが減っていく「毒」と、通常攻撃の命中率が低下する「マヌーサ」が新たに追加された。 戦闘コマンドには、何もせず身を守ることにより敵からの攻撃のダメージを減少させるコマンド「'''ぼうぎょ'''」が追加された。1キャラクターが選べる戦闘コマンドは4つで、ローレシアの王子は「じゅもん」を選択することができない代わりに「にげる」を選択でき、他のメンバーは「にげる」を選択できない。ローレシアの王子が眠ったり死亡したりしていてコマンド入力できない状態の場合は、コマンド入力可能な最前のキャラクターの「ぼうぎょ」コマンドが「にげる」に変わる。 プレイヤーキャラクターのHPが0になると死亡扱いとなり、そのキャラクターは一切の行動ができなくなる。全員が死ぬと全滅となり、所持金が半減し、ローレシアの王子のみ生き返り、直近に「復活の呪文」を聞いた場所に戻される。 現れた敵をすべて倒すと勝利になり、[[経験値]]はとどめを刺したキャラクターと関係なく全員平等に手に入る。ただし死んでいるキャラクターは経験値を得ることはできない。本作ではモンスターが2体以上出現した場合のみ、その匹数<ref group="注">モンスターとのエンカウント直後の匹数が対象であり、「○○(モンスター名)はたすけをよんだ!」で新たに現れたモンスターは含まれない。また、敵が途中で逃げだした場合でも割増される数が減ることはない。</ref>により獲得した経験値が割増になるシステムがあり、倒したモンスターの経験値合計×{1+(出現匹数-1)/10}+1(小数点以下切り捨て)が実際の獲得経験値となる。 敵の中には蘇生呪文である「ザオリク」を唱えるものもいる。本作ではザオリクで生き返ったモンスターを倒すと、その分多くの敵を倒したものとして、戦闘終了後に入る経験値が加算される。一方で途中で逃げたり、味方が「[[ドラゴンクエストシリーズの呪文体系#非ダメージ系|メガンテ]]」の呪文を使った場合は、一部の敵を倒していても経験値やゴールド(貨幣)は手に入らない。 本作からは、戦闘に勝利したときに敵モンスターが一定確率で宝箱を落とすようになった。中には敵の宝箱からしか手に入らないアイテムもある<ref group="注">「はかいのつるぎ」など1つしか所有できないアイテムをすでに所持している状態で同じアイテムを落とすモンスターと戦った後に宝箱が落とされた場合は、アイテムの代わりにゴールドを手に入れられる。</ref>。 === 北米版(NES版) === 北米で発売されたNES版『Dragon Warrior II』は、内容は日本版とほぼ同じだが、日本版には無かったプロローグ(ムーンブルク城が襲われるシーン)が追加された。 また、データの保存に[[バッテリーバックアップ]]方式が採用され<ref group="注">保存されるデータは復活の呪文に相当する情報のみ。</ref>、日本版での教会の[[十字架]]が[[五芒星]]のマークに、[[棺|棺桶]]が幽霊のグラフィックに変更された。 === バグ === {{出典の明記|date=2017年4月|section=1}} 本作では以下の[[バグ]]が存在する。これらは雑誌などでは「[[裏技]]」として紹介された。一部は[[ゲームブックドラゴンクエスト#ゲームブック ドラゴンクエストII|ゲームブック版(エニックス刊)]]でも採用された。 * 幻影が出ている状態のハーゴンの神殿内で装備を変更し、幻影を解くか神殿を出ると、装備している武器防具とそれによる特殊効果は装備変更前のものになるが、攻撃力・守備力は装備変更後の値になる。ただしそのあとレベルアップした場合や復活の呪文を聞いて再スタートした場合は攻撃力・守備力も元に戻る(ハーゴンの神殿に入り直せば再度行うことが可能)。この特性により、武器「はやぶさのけん」を「はかいのつるぎ」に装備変更してから幻影を解くか神殿を出ると、装備している武器は「はやぶさのけん」となり、攻撃力は「はかいのつるぎ」を装備した状態のものとなるので、「はかいのつるぎ」の攻撃力で2回攻撃ができるようになり、「はかいのつるぎ」の呪いは消える。これは「はかぶさの剣」という通称があった<ref name="famimagafuroku8">{{Cite journal |和書 |title = No.1 特別付録 超ウルトラ技 大技スペシャル・セレクション |date = 1988-01-01 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |volume = 4 |number = 1 |pages = 8 |ref = harv}}</ref>。「はかぶさの剣」は後にゲームブック版や派生作品でオマージュされている。 * 通常のプレイでは1着しか入手できない防具である「みずのはごろも」を2着入手することができる<ref name="famimagafuroku9">{{Cite journal |和書 |title = No.1 特別付録 超ウルトラ技 大技スペシャル・セレクション |date = 1988-01-01 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |volume = 4 |number = 1 |pages = 9 |ref = harv}}</ref>。「みずのはごろも」とそれを作るのに必要なアイテムを入手するシステムを利用した技である。 * 一定条件を満たした状態でラストボスに敗北するとデルコンダルで戦闘が再開し、倒した後は普通では起こりえない現象がいろいろと起きる(MSX1/2ではバグは起きないと『[[MSX・FAN]]』に掲載)。ゲームブック版でも特殊アイテムを入手した状態で敗北すると同様の展開になるが、勝利後は通常通りの流れとなる。 * ラストボス勝利後、エンディングを迎えるためにはベラヌールの町の通路の扉を1か所開ける必要がある。そのため、必要な鍵を捨てていて、かつ扉を開ける呪文を覚えていない、もしくはMPが0である状態であると、通行不可となりリセットを余儀なくされる。 * 「ザラキ」の呪文が内部的に“大ダメージを与えて死亡させる”という処理になっているため、ごく一部のHPの多いモンスターは「ザラキ」が効いても死なない。 * 「いかずちのつえ」を複数保持はできないが、売ったり捨てた状態で復活の呪文を記録・復帰すると何度でも入手する事ができる<ref name="famimagafuroku38">{{Cite journal |和書 |title = No.1 特別付録 超ウルトラ技 大技スペシャル・セレクション |date = 1988-01-01 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |volume = 4 |number = 1 |pages = 38 |ref = harv}}</ref> * 特定の条件を満たすことで、フィールドを移動する際に敵と[[エンカウント]]しなくなる。 == 設定 == === ストーリー === 『[[ドラゴンクエスト]]』において、アレフガルドを恐怖に陥れた'''竜王'''は'''勇者ロト'''の血を引く勇者によって倒され、それ以降、世界は平和な時代が続いた。勇者はラダトームの姫であった'''ローラ'''とともに新たな地を訪れ、国を築く。国号は妻の名を採って「ローレシア」とされた。 その後、国は'''ローレシア'''、'''サマルトリア'''、'''ムーンブルク'''という3つの王国に分割され、勇者とローラがもうけた3人の子供とその子孫が各国を治めていった。本作はそれから100年が経ち、平和が破られた後の物語である。 ムーンブルク王国の城が邪教の教祖'''大神官ハーゴン'''の手先によって滅ぼされ、ムーンブルクから脱出した1人の兵士がローレシアにたどり着く。兵士はハーゴンのことをローレシア王に伝えるとその場で息絶える。サマルトリアやローレシアがハーゴンの手に落ちてしまうのを阻止するため、ロトの末裔である'''ローレシアの王子'''(主人公)が、ハーゴン討伐のためローレシアを旅立つ。旅の途中、'''サマルトリアの王子'''、そして行方不明となっていた'''ムーンブルクの王女'''と出会い、仲間に加える。 旅を続ける一行は、アレフガルドにて竜王のひ孫と出会い、ハーゴンを倒すには精霊の力が必要であり、その力を借りるには5つの紋章が必要だと聞かされる。そして一行は世界各地を巡って5つの紋章を集め、'''精霊ルビス'''の加護を授かる。 その後、一行はハーゴンを討ち倒すことに成功するが、その死に際にハーゴンは'''破壊神シドー'''を召喚する。こうして主人公たちはシドーとの最後の戦いに臨むこととなる。 === 世界設定 === アレフガルド一国のみが舞台だった前作だが、本作ではそのアレフガルドを含んだ世界すべてが舞台となる。 世界地図の北端と南端、東端と西端はそれぞれ繋がっており、例えば世界地図の北西に位置するルプガナから北方へ向かうと南西のベラヌールに、西方へ向かうと北東のローレシア大陸に着く。これは以降のドラゴンクエスト作品すべてについていえることである。 物理的なマップの広さは前作の6倍以上となったが、アレフガルドのみにマップ全域を充てていた前作に比べればアレフガルドそのものは縮小され、ラダトーム城、竜王の城、沼地の洞窟、聖なるほこらのみを残し、前作で登場したそれ以外の町・村や洞窟は省略された。ドムドーラからメルキドヘ向かう途中で通る砂漠の山岳は規模を縮小しながらも残された他、リムルダールの町があった場所には、町を取り囲んでいた湖が残されているなど、特徴的な物がいくつか残されており、縮小、簡素化されながらも前作を彷彿させている。 === 舞台 === ; ロトの子孫の国 : 前作主人公がローラ姫と共にアレフガルドより旅立ち、建国した国「ローレシア」と、ローレシアより分割した「サマルトリア」「ムーンブルク」の三国。前作主人公およびその子供たちが初代国王となり、その縁から同盟関係にある。なお、『知られざる伝説』や小説といった外部書籍では、ムーンブルクは元々新大陸にあった国家でそこに娘を嫁がせたという設定も存在する。 :; ローレシア :: 世界北東の海岸沿いにある王国。本作のスタート地点。城内には、はるか南の島に通じる旅の扉がある。ローレシア城とサマルトリアの中間地点には'''リリザ'''の町がある。 :; サマルトリア :: ローレシアの北西の森林に囲まれた場所にある王国。東方には'''勇者の泉'''、西方には'''湖の洞窟'''がある。城の南西にある'''ローラの門'''の奥には、ムーンブルクに通じる洞窟がある。 :; ムーンブルク :: サマルトリアの南、世界の中央部にある王国。しかし現在、城はハーゴンの軍勢に攻め落とされ廃墟となっており、城内は毒の沼が噴き出し、魔物が多数出現する。また、王などの人々が魂として漂っていて、しかもこの魂達には王女の姿が基本的に見えていない。城の北には「人と人が出会う町」と呼ばれる'''ムーンペタ'''の町、南東には'''風の塔'''が建っている。 : ; 上記以外の国家・都市 :; ラダトーム :: 前作の舞台であったアレフガルドの中心にある城と城下町。本作では城と城下町が1つのマップに統合されており、城と城下町の位置関係が前作とは逆である。ラダトーム王はハーゴンを怖れて身を隠している(武器屋の2階にラダトーム王らしき人物がおり、携帯電話版以降では必ず会いに行くことになる)ローラ姫の生家であるラルス王家には前作主人公やローラ姫の血縁は受け継がれていない。外部書籍では跡取りがいなくなったため、血族を養子に迎えたことでロトの血を引かない縁戚という間柄になっている。対岸の'''竜王の城'''は地上階が既に崩壊しており、地下内部にもハーゴンの配下の魔物が巣くうが、竜王のひ孫が暮らしている。そのひ孫は主人公に対して敵対はせずに友好的な態度を示し、ハーゴンの暴挙を不愉快に思っているという理由で一行に重要な情報を教える。また、はるか南の島には'''大灯台'''がそびえ立つ。 :; ルプガナ :: アレフガルドから海を挟んで西にある港町。しかし、ここではよそ者には船を貸さないという慣わしがある。付近には運河を挟んで南北に建つ'''ドラゴンの角'''と呼ばれる塔がある。 :; ベラヌール :: 世界の南西にある島のほぼ中央にある水の都。ロンダルキアのふもと(ペルポイの西のほこら)に通じる旅の扉があり([[鉄格子]]によって阻まれている)、ロンダルキア台地と下界との中継地となる。 :; テパ :: ロンダルキア台地の西に接する森林地帯にある本作で唯一の村。水門があるが、鍵を盗賊ラゴスによって奪われた。性能の高い防具「みずのはごろも」を作ることができる羽衣職人ドン・モハメが住む。村の南には'''満月の塔'''がある。 :; デルコンダル :: ローレシアの南の島にある王国。武勇を尊ぶ国で、玉座のすぐ前に闘技場があり、王は決闘に勝った者に対して褒美を与える。一部の関連書籍では、『ドラゴンクエストIII』に登場する大盗賊カンダタが作った国とされている。 :; ザハン :: はるか南東の小島の町。漁師の町であったが、漁師たちは魔物に襲われ海の藻屑と化した。従ってこの町で見られるのはほとんどが女性や子供であり、神殿がある。対岸の小島にあるほこらには、ローレシア城内に通じる旅の扉がある。なお、スタート直後にローレシア城内から旅の扉でこのほこらに行くこともできるが、この時点では船がないためザハンに渡ることはできない。 :; ペルポイ :: ロンダルキア台地の南東にある町。ハーゴンの魔物の攻撃を避けるため地下に作られており、入口は金色の扉で閉ざされているため、金の鍵が無いと町に入れない。道具屋では、人には言えない秘密のものが売られている。テパの村から水門の鍵を奪ったラゴスがどこかに隠れており、また「まちのうたひめアンナ」も登場する。付近には'''炎のほこら'''や世界樹の生えた島もある。 : ; そのほかの地にある建造物・ダンジョン :; 海底の洞窟 :: デルコンダルの西の海に浮かぶ浅瀬に囲まれた島の洞窟で、邪神を祭る礼拝堂がある。MPを吸い取る「ふしぎなおどり」を使う敵が多く、歩くたびにHPを減らす溶岩や罠が仕掛けられた宝箱もあり、階段の数も多く複雑な構造となっている。 :; 精霊のほこら :: デルコンダルとローレシア大陸の間の海に浮かぶ島のほこら。大地の精霊ルビスが降り立つ場所とされる。 : ; 敵地 :; ロンダルキア台地 :: 最終決戦の舞台となる台地。一面が雪に覆われ、急峻な山で下界とは隔絶されている。巨人族、悪魔族などが闊歩する異世界ともいうべき場所である。ここにたどり着くには、7層に及ぶ広さと落とし穴や無限ループなどの仕掛けのある'''ロンダルキアへの洞窟'''を通らなくてはならない。台地には大神官ハーゴンの本拠地である'''ハーゴンの神殿'''があるが、侵入者に対して幻を見せ、これを打ち破らない限り本物の神殿には入れない。また、下界へ戻る一方通行の旅の扉があるほこらも存在する。 === 道具 === 物語を進めるうえで特に重要な道具について解説する。<!--世界設定解説の一環としてのアイテム解説です。攻略記事ではありません--> ; 銀の鍵、金の鍵、牢屋の鍵、水門の鍵 : 扉を開けるための鍵。前作と異なり本作では何度でも鍵を使える(水門の鍵を除く)が、扉に対応する鍵を使わないと扉は開かない。鍵がなくても扉を開けられる呪文も存在する。 ; 風のマント : 高いところから飛び降りた時に滑空することのできるアイテム。滑空することで、遠く離れた場所に着地できる。 ; ラーの鏡 : 真の姿を映す魔法の鏡。その後のシリーズにも定番アイテムとして登場する。 ; 5つの紋章 : 世界各地に散らばる紋章。太陽・月・星・水・命の5つがあり、入手した紋章はステータスウィンドウ内に記号で表示される。これらの紋章のある場所で「山彦の笛」を吹くと山彦が返ってくる。物語の中盤は、この紋章を集めることが中心となる。 ; 邪神の像 : 破壊の神を模った像。ハーゴンのいるロンダルキアへの道を開くために必要となる。 ; ルビスの守り : 主人公たちがかつてアレフガルドを創った精霊であるルビスから授かるお守り。まやかしを打ち砕く能力を持っており、邪神の像とともにハーゴンに近づくために欠かせない道具として存在する。 ; ロトの剣、ロトの鎧、ロトの盾、ロトの兜 : 勇者ロトの残した武具。剣と鎧は前作と同様のものだが<ref group="注">鎧の性能は異なり、毒沼・溶岩・バリアーのダメージ無効化は受け継がれるが歩く毎にHP回復の能力は無くなった。</ref>、本作ではロトの剣よりも威力の強い武器が複数存在する。 === 呪文 === {{Main|ドラゴンクエストシリーズの呪文体系}} === モンスター === {{Main|ドラゴンクエストのモンスター一覧}} == 登場人物 == この節ではゲーム内で語られる設定を中心に、リメイク版などの派生作品に関しても述べる。100年後の世界であるため、前作の登場人物の子孫が主要キャラクターとして登場する{{Efn2|雑誌「[[ファミリーコンピュータMagazine]]」に掲載されたロト一族の家系図(中村光一が子どもたちの質問に答える記事)によると、3人は「[[はとこ]]」の関係となる<ref>{{Cite journal|date=1987-04-17|title=ドラゴンクエストII 悪霊の神々 Q&A 第3回|journal=[[ファミリーコンピュータMagazine]]|issue=7}}</ref>{{要ページ番号|date=2022年11月}}。}}。 === メインキャラクター === それぞれの盾、服、頭巾にロトの紋章が施されている。同盟国同士でもあるが、物語開始時点ではプレイヤーキャラクター3人に互いの面識はない([[冒険ゲームブックシリーズ|双葉社のゲームブック]]も同様)。ただし、リメイク版ではサマルトリア王子、ムーンブルク王女が幼少時にローレシア城を訪れていることが明らかになっている<ref group="注">ムーンペタにかつてローレシア城に仕えていた女性がおり、ローレシア王子が死んでいる状態で(画面上でサマルトリア王子かムーンブルク王女がパーティーの先頭にいるとき)話しかけるとその旨の発言をする。</ref>。小説やエニックスのゲームブック、CDシアターでは物語開始時点で3人とも顔見知りである。 最高レベルはFC、MSX/MSX2、SFC、GB版での値。携帯電話版では3人とも50に統一されている。 解説文中の呪文の詳細は[[ドラゴンクエストシリーズの呪文体系]]を参照。 ; ローレシアの王子<ref group="注">名前は自由に付けられる。ラジオドラマ版では「オール」、小説版およびCDシアター版では「アレン」、漫画版および公式ガイドブック、『[[ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて]]』のEDでは「ロラン(ろらん)」となっている。</ref> : [[声優|声]] - [[古谷徹]](ラジオドラマ版) / [[山口勝平]](CDシアター版) / [[内田雄馬]]([[ドラゴンクエスト ライバルズ|ライバルズエース]]) : 本作の主人公。ムーンブルク兵の命がけの報せを受け、父である王からハーゴン討伐へと送り出された。服の色は青を基調とし、頭に頭巾とゴーグルを着用。髪の色が発売メディア毎に不定(茶髪や黒髪など)で、『[[ドラゴンクエスト モンスターバトルロード]]』では銀髪。リメイク版では「ゆうしゃのしそん」という肩書きが与えられている。 : 攻撃力とHPが高く素早さも十分にあり、全ての武器(杖も装備可能)・防具(「あぶないみずぎ」を除く)を扱えるが、呪文は一切使えない{{Efn2|歴代シリーズでは唯一主人公が呪文を使えない}}。最高レベルは50。 : リメイク版では最終ボスを倒した後にローレシア王から、勇者の称号を得る。 ; サマルトリアの王子<ref group="注">名前は自由に付けられる。ラジオドラマ版では「ナイト」、小説版およびCDシアター版では「コナン」、漫画版では「サトリ」、公式ガイドブックでは「カイン」、『[[いただきストリート]]』シリーズおよび『[[ドラゴンクエストIX 星空の守り人]]』では「クッキー」、『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』のEDでは「パウロ」となっている。</ref> : 声 - [[堀秀行]](ラジオドラマ版) / [[佐々木望]](CDシアター版) / [[福山潤]](ライバルズエース) : ローレシアの王子を探して旅立ったが、のんびり屋で寄り道好き<ref group="注">エニックスのゲームブックのみ、性格や設定が大きく異なる([[ゲームブックドラゴンクエスト#ゲームブック ドラゴンクエストII|ゲームブック版]]を参照)。</ref>。服の色は緑を基調としている。頭にはヘッドギアとゴーグルを着用。リメイク版では「まほうせんし」の肩書きが与えられている。 : 「たたかう」による前衛としても、「じゅもん」による後衛としても使えるキャラクター。相手を即死させるほどの大ダメージを与えるザラキや、死んだ仲間を復活させるザオリクなどの呪文を覚えるが、装備できるもっとも威力の高い武器が序・中盤で買える「てつのやり」(リメイク版では「ひかりのつるぎ」や「ロトのつるぎ」も装備できる)。性能が中途半端で扱いにくいキャラクターだが<ref>{{Cite interview|和書|subject=[[三条陸]]|date=2020-12-17|url=https://www.village-v.co.jp/news/media/8107|title=伝説の漫画がアニメとして甦る!!『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』 の生みの親・三条陸先生を直撃! その頭脳と人柄に迫った|work=VVmagazine vol.75|publisher=[[ヴィレッジヴァンガード (書籍・雑貨店)|ヴィレッジヴァンガードコーポレーション]]|accessdate=2020-12-19}}</ref>、大器晩成型で、高レベルになると能力(特に攻撃力)が大きく向上する。最高レベルは45。 ; ムーンブルクの王女<ref group="注">名前は自由に付けられる。ラジオドラマ版では「ニポン」、小説版では「セリア」、漫画版では「ルーナ」、CDシアター版および公式ガイドブックでは「ナナ」や「マリア」、『いただきストリート』シリーズおよび『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』では「プリン」、『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』のEDでは「ナナ」となっている。</ref> : 声 - [[平野文]](ラジオドラマ版) / [[横山智佐]](CDシアター版) / [[上坂すみれ]](ライバルズエース) : ムーンブルク城はハーゴンの軍勢によって壊滅しており、彼女も行方不明となっている。白いローブに赤紫の頭巾をかぶっている。髪の色はFC、MSX/MSX2版、『モンスターバトルロード』、後述の『ドラゴンクエストIX』では紫色で、SFC以降のリメイク版と『[[いただきストリート]]』シリーズでは金髪。リメイク版では「まほうつかい」という肩書きが与えられている。 : 攻撃力とHPは低く、扱える武器の種類も少ないが唱えられる呪文の種類が豊富でMPと素早さが高い。呪文による後方支援を専門としており、今作における最強攻撃呪文イオナズン、味方1人を全快させる回復呪文ベホマなどを覚える。最高レベルは35。 === サブキャラクター === ; サマルトリアの王女{{efn2|小説版では「マリナ」、ゲームブックや『ドラゴンクエスト 知られざる伝説 ロト2』では「ティア」という名前が付けられている。}} : サマルトリアの王子の妹。はっきりと物を言う勝気な性格で、自分も主人公たちと旅に出たいとせがむ。 ; ムーンブルク王 : ムーンブルクの王女の父。自身も優れた魔法の使い手だったが、襲撃してきたハーゴン配下の魔物たちとの戦いの末に命を落とす。死後も無念の想いを抱え、魂が廃墟と化した城内を彷徨っている(王女を仲間にした状態で魂に話しかけると「何も見えない…何も聞こえない…」という趣旨の台詞が追加される)。 ; 船の番人{{efn2|小説版およびCDシアター版では「ハレノフ」という名前が付けられている。}} : 声 - [[平野正人]](CDシアター版) : ルプガナに住む、船を所有する老人。最初は町の慣わしだとごねて、船の提供を主人公たちに渋っていた{{Efn2|『ドラゴンクエスト 知られざる伝説 ロト2』にそうなったきっかけが書かれている。}}が、孫娘を主人公らが魔物から救ってくれたことから船の提供を決断する。 ; ラダトーム王 : ラルス王家の血縁ではない現ラダトーム王。ハーゴンを恐れる余り、どこかへ姿をくらました。 ; 竜王のひ孫 : 声 - [[加藤精三 (声優)|加藤精三]](CDシアター版) : かつての竜王の居城に住んでいる人物で、竜王と瓜二つの姿をしている。自らを竜王のひ孫と名乗り玉座に鎮座している{{Efn2|小説版、CDシアター版ではなぜ竜王の城にいるのかが本人の口から語られているが、名乗りは前者は「竜王の子孫」、後者は「竜王の血族」となっている。}}が、ロトの子孫たちを敵対視することはなく、自分に代わってハーゴンを打倒するようロトの子孫たちに依頼し様々な情報を与えて支援してくれるが、申し出を断ると拗ねてしまう。 : リメイク版ではシドー討伐後に竜王の城を訪れると主人公たちをちゃん付けで呼び友達になってほしいと申し出る。かつ自分のことは「リュウちゃん」と呼んでほしいとも言っている。 ; ドン・モハメ : 世界で唯一、「水の羽衣」を織れる機織職人と名高い初老男性。典型的な職人気質で、気に入った材料を提供してくれなければ仕事をしないという。 ; デルコンダル王 : 声 - [[青野武]](CDシアター版) : 武勇の国の気質に相応しく、勇敢な戦士をこよなく愛する王。ハーゴン打倒に必要なアイテムの一つを所持している。 : リメイク版では短躯で筋肉質な、30代くらいの粗野な風貌の王として描き起こされている{{Efn2|『ドラゴンクエスト 知られざる伝説 ロト2』では、外見は30代くらいだが、口髭を生やした文官風の男性として描かれている。}}。 ; タシスン : ザハンの漁師。妻と飼い犬を残して漁に出たが、他の漁師と同様還らぬ人となった。町のどこかに金の鍵を埋めていた。 ; ラゴス : 神出鬼没の盗賊。テパから「水門の鍵」を盗んだ張本人。ペルポイの牢獄に投獄されていたが、現在行方をくらましている。 : リメイク版の攻略本には、盗みを働くのは単に世間を驚かせたいだけだからだと記されている。 : 『[[ドラゴンクエストIV 導かれし者たち]]』では武術大会の対戦相手として、『[[ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン|ドラゴンクエストX オンライン]]』のクエスト「大盗賊の伝説」では[[カンダタ]]の知人として登場する。 ; ルビス : 声 - [[潘恵子]](CDシアター版) : アレフガルドの創造主であり、大地の精霊<ref group="注">ただし、[[久美沙織]]の小説版では「炎の精霊」、『アイテム物語』などでは「精霊神」と呼ばれている。</ref>。紋章を全て揃えると、とある海上の祠の最上階に現れる。 === 邪教の集団 === ;地獄の使い : 二本の棘付きメイスを両手に構えた魔道士のような姿の神官。海底の洞窟にある礼拝堂で中ボスとして現れるほか、ローレシア城の地下牢に入れられている者もおり話し掛けると戦闘になる。礼拝堂では邪神の像を守るという重要な任務に就いていることから、教団内でも高位の信者であることが示唆されている。 ; {{Vanc|アトラス}}、{{Vanc|バズズ}}、{{Vanc|ベリアル}} : ハーゴンの3体の手下。それぞれハーゴンの神殿の各階層で戦闘となる。 : アトラスは棍棒を持った一つ目の巨人で、高威力の打撃による2回攻撃を1人に集中して仕掛けてくる。 : バズズはコウモリのような翼が生えたサルのような悪魔で、ザラキ、イオナズンといった呪文を多用する。HPが減ってくると、自爆呪文のメガンテで主人公たちを全滅させようとする。 : ベリアルは[[トライデント]]のような武器を持ったバズズよりも巨大な翼の生えた悪魔で、2回攻撃の他に炎を吐く一方、イオナズンを多用し、時折ベホマを唱えて体力を完全回復する。呪文への耐性が高い。 : 3体は後のドラゴンクエストシリーズでも登場する。ナンバリングタイトルにおいては『[[ドラゴンクエストV 天空の花嫁]]』でバズズが、『ドラゴンクエストVIII』でベリアルが、『ドラゴンクエストIX』でアトラスが、『ドラゴンクエストX』では各々が単独または3体揃って登場する。 : ドラゴンクエストモンスターズシリーズでは度々3体が揃って登場し、『[[ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート]]』では本作品とほぼ同じ出現場所でパワーアップして登場する。 : 『トルネコの大冒険』シリーズの『2』以降や前述の『キャラバンハート』など番外作品ではいくつか競演している。また、アトラス以外はいずれもザコ敵としての再登場である。 : 『[[ドラゴンクエスト モンスターバトルロード]]』では「ロンダルキアの悪魔たち」として三体一組の敵として立ちはだかる。 : 『バトルロードIIレジェンド』の「レジェンドクエスト」ではアトラスが先駆けて登場し、バズズとベリアルはハーゴンと同時に登場する。 ; {{Vanc|大神官ハーゴン}} : 声 - [[銀河万丈]](CDシアター版) / [[鈴村健一]](ライバルズ) : 破壊神シドーを崇める大神官で、主人公たちの倒すべき敵の親玉。ロンダルキア台地に神殿を構え、多数の魔物を率いてムーンブルクを滅ぼした。呪文を多用するほか、2回攻撃もでき、時折「甘い息」で眠らせてプレイヤーを行動不能にする。また、呪文「ベホマ」(リメイク版では「ベホイミ」)を唱え体力を回復する。リメイク版では遠方の人間に呪いを掛ける能力も持っている。 : イラストでは頭身が低く若干コミカルだが、パッケージイラストではリアルに描かれ、[[トレーディングカードアーケードゲーム|アーケードゲーム]]『[[ドラゴンクエスト モンスターバトルロード]]』で再登場した際は元の意匠を残しつつアレンジが施され、肩書きも「邪神官」に変更された。 ; {{Vanc|破壊神シドー}} : 声 - 銀河万丈(CDシアター版) / 鈴村健一(ライバルズ) : 本作の[[最終ボス]]。ハーゴンが死に際に召喚した邪神で、明確な意思はなく、ただ本能のままに破壊を繰り返す破壊神である。4本の腕を持つ龍の姿をしている。 : [[ヒットポイント|HP]]が255<ref group="注">設計上の制約によりHPを256以上に設定できない。符号無し8ビット整数の上限は255(=0xFF)。</ref>でハーゴンなどほかのボスキャラクターと比べて目立って高くはない{{Efn2|たとえば終盤の雑魚キャラクターであるアークデーモンの場合HPは約210である。}}が、一定の確率で完全回復呪文ベホマを使うという特徴を持つ{{Efn2|ゲーム専門ニュースサイト「[[インサイド (ニュースサイト)|インサイド]]」の蚩尤は容量不足でHPが低くせざるを得なかった一方、激闘を演出すべくシドーを含むベホマ持ちをハーゴン城で大勢配置ししたのはスタッフの苦肉の策だろうと推測している<ref name="Inside20220911">{{Cite web|和書|title=実はスタッフの苦肉の策!?『ドラクエII』シドーのベホマに思いを馳せてみる |url=https://www.inside-games.jp/article/2022/09/11/140337.html |website=インサイド |access-date=2022-11-04 |date=2022-09-11|publisher=イード|author=蚩尤}}</ref>}}。最終ボスがベホマを使うのは、シリーズ全作品を通して唯一である。 : 攻撃面でも、激しい炎を吐いて全体に100前後の大ダメージを与えるほか、眠りの追加効果を持つ打撃(ファミコン版およびMSX1/2版)あるいは2回打撃(スーパーファミコン版以降のリメイク)を織り交ぜた、パーティーにとって致命的となる攻撃を仕掛ける。 : アトラス、バズズ、ベリアル、ハーゴン、シドーは戦闘時にダメージを受けた際の演出が通常の敵と異なっており、バリア床を通ってダメージを受けたときの音を鳴らして白く発光するという形になっている。 : なお、シドー戦では特殊な戦闘処理の仕様として、絶対に会心の一撃が出ないようになっている。 : リメイク版ではベホマを使用しなくなった代わりにHPが1750にまで増えた{{R|Inside20220911}}。さらにスクルトを使い守備力を上げてくるようになった。ただし、ルカナンで防御力を下げることは可能である。 : 雑誌の紹介記事ではハーゴンがラストボスとして紹介されていたが、FC版『II』およびSFC版『I・II』ではパッケージの背景に姿が描かれた。 : 後に『[[ドラゴンクエストIX 星空の守り人]]』や『[[ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン]]』、『[[ドラゴンクエストモンスターズ]]』シリーズ、『モンスターズバトルロード』などでも登場する。 : 『ドラゴンクエストIX』ではレベルが上がるとベホマを使用するようになる(ただし、完全回復はしない)。 : 『ドラゴンクエストX』では「アスフェルド学園」ストーリーの最終ボス・狂乱の破壊神<ref>[https://hiroba.dqx.jp/sc/topics/detail/b3bbccd6c008e727785cb81b1aa08ac5/ アスフェルド学園 ~第11話 第12話~ (2017/10/11 更新)|目覚めし冒険者の広場]</ref>及び破界篇<ref>[https://hiroba.dqx.jp/sc/topics/detail/b4a721cfb62f5d19ec61575114d8a2d1/ 長編ストーリー「破界篇」4話~6話 (2020/12/4 更新)|目覚めし冒険者の広場]</ref>{{R|Inside20220911}}の最終ボスとして登場。こちらもベホマを使用するようになる(ただし、完全回復はしない){{Efn2|蚩尤は何等かの条件を満たした場合のみシドーがベホマを使うと推測しつつも、勝てないプレイヤーが多かったため、のちのバージョンでベホマの使用率が下方修正されたと述べている{{R|Inside20220911}}。}}。 : 『バトルロード』では強化形態「真・シドー」が、『[[ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵]]』ではオリジナルの強化形態「ジェノシドー」が登場する。 == 開発 == [[中村光一]]によると、最終的に容量は10バイトほど余ったため、当時の開発用基板についていたLEDランプを順番に点灯させるお遊びが仕込まれている。当然一般ユーザーは発見することができないものだったが、[[遠藤雅伸]]はこの仕掛けに気付いたという<ref>『世界樹と不思議のダンジョン』先着購入特典 p42。</ref>。 === 没要素 === {{出典の明記|section=1|date=2014年6月}} <!--FC版では容量の都合で没案になった要素が多くあることが、FC版発売後の関連書籍や雑誌などの記事にて語られている<ref>「[http://kakutei.cside.com/game.htm 芸夢亭 <ゲーム亭>]」内[http://kakutei.cside.com/game/DQ2.htm ドラゴンクエスト2 ゲームレビュー]</ref>。--> 当初はオープニングのエピソードは[[絵物語]]形式で進行する予定だったが、容量の都合により削除され、使用される予定だったドット絵(正確には線を引いて内部を塗りつぶすプログラムとそれを指定するデータにより描画しており、これを担当した専任のプログラマがいた)は取扱説明書の6ページに1枚だけ採用されている。また他にもストーリーの途中で紙芝居的な演出を行う予定があったがそれも削除された<ref name=nlab180107>[https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1801/07/news008.html 「カタカナは20文字だけ」「没アイテムで宝箱がカラッポに」ファミコンハードの限界に挑んだ制作者たち] - ねとらぼ・2018年1月7日</ref>。 アイテムでは「あぶないみずぎ」がFC版で使用可能なアイテムとして収録される予定だった<ref name=nlab180107 />。後述するようにMSX版以降では収録が実現している。他にも「耳せん」「死のオルゴール」などのアイテムがカットされ、その影響でダンジョン内のからっぽの宝箱が増えた<ref name=nlab180107 />。 開発中はモンスターが100種類登場する筈だったが、都合により製品版では80種類弱に削減。発売前の雑誌に紹介されたにもかかわらず、未登場のモンスターが複数生じた<ref>キム皇 著『ファミコン神拳奥義大全書 特別編 キム皇のファミコン神拳110番』[[集英社]]、1987年4月25日、19頁。ISBN 4-8342-1055-3。</ref>。次作『ドラゴンクエストIII』から登場するだいおうイカを始めとするイカのモンスターは当初は本作で登場予定であった。これに関する出典は[[ファミリーコンピュータMagazine]]の『ドラゴンクエストII』の記事にて登場モンスターの一体として写真付きで掲載されている。 === スタッフ === ;ファミリーコンピュータ版 :* シナリオ・ライター:[[堀井雄二]] :* モンスター・デザイナー:[[鳥山明]] :* ミュージック・コンポーザー:[[すぎやまこういち]] :* シナリオ・アシスタント:[[宮岡寛]] :* チーフ・プログラマー:[[中村光一]] :* プログラマー:行徳豊、成田東吾、河野清隆、岡野まさあき、吉田幸司 :* サウンド・プログラマー:山森丈範 :* CGデザイナー:安野隆志 :* アシスタント:RIKA SUZUKI<ref group="注">ローマ字表記で本作のエンディングクレジットに表示されており、当時リバーヒルソフトのゲームシナリオライターであった鈴木理香と同じ発音だが鈴木のプロフィールとしてドラゴンクエストに関する情報源は明らかでなく、別人の可能性がある</ref>、吉田英博 :* ディレクター:中村光一 :* プロデューサー:[[千田幸信]] :* パブリッシャー:[[福嶋康博]] : ;MSX版 :* プログラマー:日浅庄治、きたあきら :* CGデザイナー:村瀬幸司 :* サウンド・プログラマー:田口泰宏 :* チャージ:望月敬三 == 他機種版 == {| class="wikitable" style="font-size:smaller" ! No. ! タイトル ! 発売日 ! 対応機種 ! 開発元 ! 発売元 ! メディア ! 型式 ! 備考 |- | style="text-align:right" |1 ! ドラゴンクエストII 悪霊の神々 | {{vgrelease new|JP|1988-02-06}} | [[MSX]] | (個人請負)<ref name="kawamata">[https://twitter.com/KawamataAkira/status/1162149140698025984 川俣晶Twitter] 2019年8月15日</ref> | エニックス | 2[[メガビット]][[ロムカセット]] | E-G206 | |- | style="text-align:right" |2 ! ドラゴンクエストII 悪霊の神々 | {{vgrelease new|JP|May 1988}} | [[MSX2]] | (個人請負)<ref name="kawamata" /> | エニックス | 2メガビットロムカセット | E-G207 | |- | style="text-align:right" |3 ! [[ドラゴンクエストI・II]] | {{vgrelease new|JP|1993-12-18}} | [[スーパーファミコン]] | エニックス | エニックス | 12メガビットロムカセット | SHVC-DQ | リメイク版、売上本数約120万本<ref>{{Cite web|url=https://www.jp.square-enix.com/company/ja/news/2004/download/0302-200404080000-02.pdf |format=PDF|title=2004年3月25日(木) 発売の“PlayStation2専用ソフト「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」出荷本数150万本突破 |publisher=スクウェア・エニックス |date=2004-04-08 |accessdate=2023-11-14 }}</ref> |- | style="text-align:right" |4 ! ゲームボーイ<br />ドラゴンクエストI・II | {{vgrelease new|JP|1999-09-23|NA|September 2000}} | [[ゲームボーイ]] | [[トーセ]] | エニックス | 32メガビット+256キロRAM<br />ロムカセット | {{vgrelease new|JP|DMG-AEDJ-JPN}} | リメイク版、売上本数約76万本<ref>{{Cite web|url=http://geimin.net/da/db/2000_ne_fa/index.php |title=2000年テレビゲームソフト売り上げTOP300 ファミ通調べ |website=GEIMIN.NET |date=2000-12-31 |accessdate=2023-11-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160614171836/http://geimin.net/da/db/2000_ne_fa/index.php |archivedate=2016-06-14}}</ref> |- | style="text-align:right" |5 ! ドラゴンクエストII 悪霊の神々 | {{vgrelease new|JP|2005-06-24}} | [[FOMA]] 90xシリーズ対応<br />([[iアプリ]]) | トーセ | [[スクウェア・エニックス]] | [[ダウンロード販売|ダウンロード]]<br />(ドラゴンクエストモバイル) | - | リメイク版 |- | style="text-align:right" |6 ! ドラゴンクエストII 悪霊の神々 | {{vgrelease new|JP|2006-01-19}} | [[BREW]]対応機種<br />([[EZアプリ]]) | トーセ | スクウェア・エニックス | ダウンロード<br />(ドラゴンクエストモバイル) | - | リメイク版 |- | style="text-align:right" |7 ! ドラゴンクエストII 悪霊の神々 | {{vgrelease new|JP|December 2006}} | [[S!アプリ]] | トーセ | スクウェア・エニックス | ダウンロード<br />(ドラゴンクエストモバイル) | - | リメイク版 |- | style="text-align:right" |8 ! ドラゴンクエスト25周年記念<br />[[ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III|ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III]] | {{vgrelease new|JP|2011-09-15}} | [[Wii]] | [[インテリジェントシステムズ]] | スクウェア・エニックス | [[光ディスク|Wii用12センチ光ディスク]] | - | リメイク版、売上本数40万3953本<ref>{{Cite web|和書|date=2012-01-16|url=https://www.4gamer.net/games/000/G000000/20120116002/|title=2011年のゲーム売り上げランキング&ハードウェアの販売数推移,さらにタイトル別の傾向が分かるマトリックス表(4Gamer調べ)をまとめて大公開!|publisher=4Gamer.net|language=日本語|accessdate=2012-01-16}}</ref> |- | style="text-align:right" |9 ! ドラゴンクエストII 悪霊の神々 | {{vgrelease new|JP|2014年6月26日}}<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2014-06-19 |url=https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1406/19/news104.html |title=スマホ向け「ドラゴンクエストII」が6月26日に配信開始 |website=[[ITmedia|ITmedia Moblie]] |publisher=アイティメディア |language= [[日本語]] |accessdate=2019-07-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author= |date=2014-06-26 |url=https://www.inside-games.jp/article/2014/06/26/78105.html |title=ドラクエシリーズ2作目がスマホで復活!『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』配信開始 |website=[[インサイド (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2019-07-21}}</ref> | [[Android (オペレーティングシステム)|Android]]<br />[[iOS]] | [[マトリックス (ゲーム会社)|マトリックス]] | スクウェア・エニックス | ダウンロード<br />(ドラゴンクエスト ポータルアプリ) | - | リメイク版 |- | style="text-align:right" |10 ! ドラゴンクエストII 悪霊の神々 | {{vgrelease new|JP|2017-08-10}} | [[PlayStation 4]]<br />[[ニンテンドー3DS]] | ビー・トライブ | スクウェア・エニックス | ダウンロード | - | リメイク版 |- | style="text-align:right" |11 ! ドラゴンクエストII 悪霊の神々 | {{vgrelease new|JP|2019-09-27|NA|2019-09-27|EU|2019-09-27}} | [[Nintendo Switch]] | | スクウェア・エニックス | ダウンロード | - | リメイク版 |} === MSX版・MSX2版 === FC版の約一年後に発売されており、内容はFC版とほぼ同じだが、ロムの容量が増えたことでオリジナルアイテムとしてムーンブルクの王女のみが装備できる防具「あぶないみずぎ」<ref group="注">ゲーム中では「ハイレグのみずぎ」と呼ばれる箇所もある。装備して戦闘に参加すると、敵が水着に見とれて攻撃してこないことがある。</ref>のアイテム並びにイベントの追加や、「あくましんかん」4匹などFC版では無かった敵のフォーメーションが登場し、全体的に敵が強く設定されるなどの変更が行われた。 音源が異なるため、メロディーラインが全て[[デューティ比]]50:50の矩形波であるほか、BGMにアレンジが施されており、特にパスワードを入力する際のBGM「Love Song 探して」は[[ポルタメント]]を多用し、「歌」を強く意識したアレンジとなった。ほぼ全曲においてFC版より長2度低く、例えば[[ハ長調]]の王宮のテーマは[[変ロ長調]]になる。 コマンド画面のアイテム表示が、8個一列ではなく4個二列に変更された。 ==== MSX版 ==== MSX版では、単色[[スプライト (映像技術)|スプライト]]でないと複数個のキャラクターの横並びが困難で、[[キャラクタ (コンピュータ)#PCG|PCG]]が横8ドット毎に2色までしか表現できないために、スプライトとPCGを組み合わせてキャラクターを表示している。そのためにキャラクターの背景が黒く表示されるが、MSX1でもファミコン版に近い色使いのキャラクターを実現し、主人公3人の行進が可能となった。前述のPCGの表示制限により敵の色や背景の模様がのFC版と一部異なる、効果音が鳴っている間はBGMのパートが一部欠けるなどの違いもある。「あぶないみずぎ」入手時のイベントで、露出度の高い水着を着たムーンブルクの王女(鳥山明のデザインとは別物)のグラフィックが画面全体に表示される。 画面スクロールはPCG8ドット毎。 ==== MSX2版 ==== MSX2版はFC版に忠実なグラフィックを実現している。戦闘突入時のフェードアウトがFC版と違い、MSX版はパレットが固定なので直接に戦闘画面・MSX2版はパレットを暗くしていく([[フェードイン]]・[[フェードアウト]])方式となる。「あぶないみずぎ」のグラフィック表示はカットされているが、台詞など、イベントそのものは同一である。 画面スクロールは8ドット単位だが、ビットマップで描画しているためFC版やMSX版よりも遅い。 <!--『ドラゴンクエストI』では画面スクロールは十分速いがその最中に画面はやや乱れていた。--> {{-}} === スーパーファミコン版 === {{main|ドラゴンクエストI・II#スーパーファミコン版}} FC版のストーリーを基に、操作性やグラフィック面など多くの点を改良したリメイク作品。FC版発売から6年後の[[1993年]]([[平成]]5年)に第1作『ドラゴンクエスト』と合わせて1本のソフト『ドラゴンクエストI・II』として発売された。町の人の台詞なども一部が変更・追加されたほか、NES版に追加されていたプロローグ(ムーンブルク城が襲われるシーン)とゲーム中盤でのシナリオの追加も行われた。<!-- 詳細は、できるだけ[[ドラゴンクエストI・II]]のページに書いてください --> FC版に存在するバグは解消されたが、SFC版については別のバグがいくつか発覚している。これらは後のGB版以降で修正された。 *「星の紋章」を「大灯台」で入手する際に発声する戦闘時、通常であれば「グレムリン」4匹と戦闘になるはずが「グレムリン–3ひき」などと表示され、戦闘の経過によっては、フリーズ状態となり、電源を切らなければいけなくなる。 * 幻につつまれた状態の敵に即死の呪文「ザラキ」が100%成功する(SFC版ではザラキに耐性のある敵にかけると254のダメージを与えられるようになっている)。 * キーアイテム「ラーのかがみ」を、本来の対象以外にも使用できるが、使用後は消失するため、ゲームが続行不能になる。 === ゲームボーイ版 === {{main|ドラゴンクエストI・II#ゲームボーイ版}} [[1999年]]([[平成]]11年)に発売。SFC版と同様、第1作とセットで1本のソフトとなり、ナンバリングタイトル初の携帯ゲーム機用ソフトでもある。SFC版に準拠した移植だが、GB版ではその場でゲームを中断する「中断の書」機能が追加された。<!--詳細は、できるだけ[[ドラゴンクエストI・II]]のページに書いてください--> === 携帯電話版 === [[2005年]]([[平成]]17年)から配信が開始された携帯電話アプリ。iアプリ(メガアプリ非対応機種)版では容量の問題のために前編アプリと後編アプリに分けられており、それ以外の機種では1つのアプリに全編が収録された。 グラフィックはSFC版『III』を、サウンドはゲームボーイ版『I・II』をベースとするが、音楽の長さが一部短縮された(FC版相当)ものもある。また、プロローグでは「パストラール〜カタストロフ」は使用されず、「王城」と「戦い」に変更された。 GB版同様、「[[ドラゴンクエストI・II#中断の書|中断の書]]」機能が搭載されている。このほかには、レベルや必要経験値・呪文習得レベルの設定の変更や、攻撃呪文「ギラ」「ベギラマ」の対象範囲の変更、瞬間移動呪文「ルーラ」および瞬間移動アイテム「キメラの翼」の仕様変更(『ドラゴンクエストIII』以降のように行先の選択が可能に)、出現するモンスターの一部変更<!--海上に出現する「ゆうれい」が上位種である「しにがみ」に変更-->、「命の紋章」の入手場所の変更(紋章を全て揃えないとロンダルキアの洞窟に入れない仕様に変更された)、最高レベルが3人とも50までに変更(FC版・SFC版・GB版では、ローレシアの王子が50、サマルトリアの王子が45、ムーンブルクの王女が35)、などが行われた。 <!-- * HP回復メッセージが「○○のキズが回復した」から「○○の体力が△△△に回復した」「○○の体力が全快した」に変更(これは携帯電話版「I」も同様) --> === Wii版 === {{main|ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III}} [[2011年]]([[平成]]23年)[[9月]]に発売。FC版の第1作・『III』、SFC版の『I・II』・『III』とセットで収録。中断機能が追加されている。 === スマートフォン版 === 2014年6月26日にAndroidおよびiOS向けに配信開始。『I』同様にアプリケーション『'''ドラゴンクエスト ポータルアプリ'''』から購入・起動する方式。フィーチャーフォン版をベースに移植。グラフィック、操作方法はスマートフォン版『I』同様。戦闘画面ではNintendo DSのリメイク作等のように指定した行動が表示される。BGMはスマートフォン版『I』、『IV』同様交響組曲版をベースにしたシンセサイザー音源で、戦闘終了後のBGMは『I』同様途中から続けて流れる。 === PlayStation 4・ニンテンドー3DS・Nintendo Switch版 === 2017年8月10日(Nintendo Switch版は2019年9月27日)に配信開始。スマートフォン版をベースにしたもので、3DS版は下画面にマップが表示される。ニンテンドー3DS版はアイテムの「やまびこのふえ」が紋章のある場所と無い場所でのSEが逆になっている。 == 評価 == === 雑誌媒体による評価 === {{コンピュータゲームレビュー |title = |EGM = 24/40点 (NES)<ref name="mobygames_NES">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/8075/dragon-warrior-ii/ |title=Dragon Warrior II for NES (1987) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2017-04-22}}</ref> |Fam = 38/40点 FC)<ref name="famitsu" /><br />(プラチナ殿堂) |rev1 = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |rev1Score = 28.02/30点 (FC)<ref name="famimaga114" /> |award1Pub = ファミリーコンピュータMagazine |award1 = ゲーム通信簿<br />ロムカセット部門<br />キャラクタ1位<ref name="famimaga379" /><br />音楽1位<ref name="famimaga379" /><br />熱中度1位<ref name="famimaga379" /><br />操作性2位<ref name="famimaga379" /><br />オリジナリティ1位<ref name="famimaga379" /><br />総合1位<ref name="famimaga379" /> }} * ゲーム誌『[[ファミ通|ファミコン通信]]』の「[[クロスレビュー]]」では9・10・10・9の合計38点(満40点)でプラチナ殿堂入りを獲得<ref name="famitsu">{{Cite web|和書 |date= |url= http://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=2529 |title= ドラゴンクエストII 悪霊の神々 まとめ [ファミコン] |website= [[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |language= [[日本語]] |accessdate= 2015-04-26}}</ref>、レビュアーからは「相変わらず『[[ウルティマ]]』色の強いゲームになっている」と『ウルティマ』との類似性に関して指摘があったが、「シナリオの精巧さ、ゲームバランスなど、一般的なファミコンゲームとは一線を画している」、「長く遊べそうな本気ですすめのゲーム」と完成度に関して肯定的に評価された<ref name="crossreview7">{{Cite journal |和書 |author = |authorlink = |title = 6月16日増刊号特別付録 クロスレビュー優良ソフトパーフェクトカタログ 上巻 |date = 2005-06-16 |publisher = [[エンターブレイン]] |journal = [[ファミ通]] |volume = |number = |naid = |pages = 7 |url = |ref = harv}}</ref>。 * ゲーム誌『[[ファミリーコンピュータMagazine]]』の読者投票による「ゲーム通信簿」における評価は以下の通りとなっており、28.02点(満30点)となっている<ref name="famimaga114" />。この得点は、『ファミリーコンピュータMagazine』 の「ゲーム通信簿」としては歴代最高得点となっている。 :{|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; width:50%" |- ! 項目 | キャラクタ || 音楽 || お買得度 || 操作性 || 熱中度 || オリジナリティ ! 総合 |- ! 得点 | 4.76 || 4.77 || 4.56 || 4.59 || 4.84 || 4.50 ! 28.02 |} * 『ファミリーコンピュータMagazine』1991年5月10日号特別付録の「ファミコンロムカセット オールカタログ」では、本作により『ドラゴンクエスト』がシリーズ化されるに至る確固たる人気を得た事を指摘した他、マップの広さが前作の4倍となった事、移動手段として船や旅の扉が登場したことに関して「豊富な内容になっている」と肯定的に評価、さらに「IIでは謎はより深まり、イベントの数も増し、難易度も上がっている」と難易度の高さを指摘、パーティプレイに関しては戦闘時の攻撃バリエーションが増加した事などに触れ、「様々な行動パターンが生まれる」と肯定的に評価、その他にはイベントやダンジョンが増加した事やIの舞台であったアレフガルドが登場する事に対して肯定的に評価した<ref name="famimaga114" />。その他、同付録の巻末に収録されている「ロムカセット部門別BEST5」では、キャラクタ1位、音楽1位、熱中度1位、操作性2位、オリジナリティ1位、お買い得度1位、総合評価1位を獲得した<ref name="famimaga379">{{Cite journal |和書 |title = 5月10日号特別付録 ファミコンロムカセット オールカタログ |date = 1991-05-10 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |volume = 7 |number = 9 |pages = 379 |ref = harv}}</ref>。 === 難易度に関して === 本作は、特にゲーム後半で重要アイテムを持つ人物「ラゴス」の発見が難解とされたこと、序盤から雑魚敵が強い、ダンジョン「ロンダルキアへの洞窟」のトラップの多さ、ルビスのほこらの発見が困難、最終ダンジョンの2階へ行くヒントが無い、最終ボスのシドーが完全回復呪文「ベホマ」を使用することなどから、「最高難度のドラゴンクエスト」と評されることもある<ref>『週刊[[ファミ通]]』2009年3月27日号増刊『オトナファミ 2009 April』p.53</ref>。 製作者の[[中村光一]]は[[テレビ番組]]でのクリエイターインタビューにおいて、ロンダルキアへの洞窟について「(迷路を抜ける古典的なテクニックである)壁を右手伝いで辿って行けば、穴に落ちずに抜けられるように作ってあるので、あんなに反響が多いとは思わなかった」とコメントしていた。さらに、終盤のテストプレイに十分な時間をかけられなかったせいで、「洞窟に挑む際は多分これくらいのレベルだろう」との想定で行われたバランスを読み誤り、高い難易度のまま確定してしまったことも明かしている<ref>『[[ゲームセンターCXの放送内容|ゲームセンターCX 第1シーズン#8]]』</ref>。 === 裁判 === 1987年2月、本作のゲーム画面の雑誌への掲載が[[著作権侵害]]とされた[[ハイスコア (ゲーム雑誌)|ハイスコア]]事件の裁判の判決([[東京地方裁判所|東京地裁]])と解説が判例百選に掲載されている<ref>『著作権判例百選 第二版』斎藤博 他編、[[有斐閣]]刊</ref>。東京地裁はハイスコア4月号に対して発売禁止などを命じる仮処分判決を出した<ref name=":0" />。 == 関連商品 == === 攻略本 === * '''ファミリーコンピュータ版''' **[[ファミコン神拳]]奥義大全書 ドラゴンクエストII 悪霊の神々 ([[集英社]]、ISBN 978-4834210545) ** ドラゴンクエストII 完全攻略本 ([[徳間書店]]、ISBN 978-4197234707) ** ドラゴンクエストII 悪霊の神々 公式ガイドブック (エニックス、ISBN 978-4900527027) * '''スーパーファミコン版''' ** Vジャンプブックスゲームシリーズ ドラゴンクエストI・II (集英社) ** ドラゴンクエストI・II 公式ガイドブック (エニックス、ISBN 978-4870257412) * '''ゲームボーイ版''' ** Vジャンプブックスゲームシリーズ ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II (集英社、ISBN 978-4087790368) ** ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II 公式ガイドブック 上巻 世界編 (エニックス、ISBN 978-4757501157) ** ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II 公式ガイドブック 下巻 知識編 (エニックス、ISBN 978-4757501164) === その他の書籍 === * [[ファミコン冒険ゲームブック]] ドラゴンクエストII([[双葉社]]刊、作・樋口明雄/スタジオ・ハード) ** 上巻 ISBN 978-4575760378、1987年7月 ** 下巻 ISBN 978-4575760385、1987年7月 * ドラゴンクエスト モンスター物語<ref group="注" name="DQ1DQ2DQ3">ドラゴンクエストI、II、IIIの3作品を取り扱っている。奥付にも、その3作品の表記がある。</ref>(エニックス、ISBN 978-4900527089、1989年7月) * [[ゲームブックドラゴンクエスト#ドラゴンクエストII|ゲームブックドラゴンクエストII]](エニックス刊、作・[[健部伸明]]/[[和智正喜]](下巻のみ)) ** 上巻 ISBN 978-4900527133、1989年9月 ** 下巻 ISBN 978-4900527140、1989年9月 * [[小説ドラゴンクエスト#小説ドラゴンクエストII|小説 ドラゴンクエストII-悪霊の神々-]](エニックス刊、作・[[高屋敷英夫]]) ISBN 978-4757502444、1989年9月22日 * ドラゴンクエスト アイテム物語<ref group="注" name="DQ1DQ2DQ3" />(エニックス、ISBN 978-4900527249、1989年12月) * ドラゴンクエスト 知られざる伝説 ロト2<ref group="注">全9話の短編集。奥付には『ドラゴンクエストI』、『ドラゴンクエストII』の2作品の表記があるが、全9話の内8話が『ドラゴンクエストII』の話で、『ドラゴンクエストI』の話は1話のみである。</ref>(エニックス、本文: 松本多津子、ISBN 978-4900527829、1992年3月) *† [[CDシアター ドラゴンクエスト#CDシアター ドラゴンクエストII|CDシアター ドラゴンクエストII]] - ドラマCDだが、流通上は書籍扱い。 === 音楽作品 === [[すぎやまこういち]]は本作のBGM用として前作でベースにしていた[[バロック音楽]]を踏襲しつつ、前作から100年後の未来という世界設定に合わせ、[[ポピュラー音楽|ポップス]]寄りの曲も作曲した。 †は廃盤。 *† [[ドラゴンクエストの世界「ドラゴンクエストII」悪霊の神々]]([[バンダイ・ミュージックエンタテインメント|アポロン音楽工業]]、BY30-5136、[[1987年]][[2月5日]]) - [[東京弦楽合奏団]]+バッキングセクションズ演奏のオーケストラ・バンドヴァージョンと、FC版のゲーム音源を収録。前者は「Love Song 探して」など数曲がバンドナンバーとなっている。 *† スーパーファミコン版 すぎやまこういち 交響組曲「ドラゴンクエストII」([[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]]、SRCL-2734、[[1994年]][[2月21日]]) - [[ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団]]演奏のオーケストラと、SFC版のゲーム音源集。 *† 交響組曲「ドラゴンクエストII」悪霊の神々([[アニプレックス]]、SVWC-7246、[[2005年]][[4月20日]]) - [[東京都交響楽団]]演奏。「聖なるほこら」が追加。 * 交響組曲「ドラゴンクエストII」悪霊の神々([[キングレコード]]、KICC-6301、[[2009年]][[8月5日]]) - 東京都交響楽団演奏。「聖なるほこら」が追加。 * 組曲「ドラゴンクエストI・II」(キングレコード、KICC-6315、2009年[[10月7日]]) - ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団演奏。後11曲が『II』の楽曲。 * 組曲「ドラゴンクエストI・II」(キングレコード、KICC-6321、2009年10月7日) - 東京弦楽合奏団演奏。後10曲が『II』の楽曲。 以下の「No.」は交響組曲版(都響)のトラック番号を参考に振っている。 {| class="wikitable" |+楽曲一覧 !<small>No.</small> !<small>楽曲名</small> !<small>本作における使用箇所および備考</small> |- !<small>1</small> !<small>ドラゴンクエスト・マーチ</small> |<small>本作の序曲であり、リメイク版ではエンディングの一シーンでも使われる</small> |- !<small>2</small> !<small>[[Love Song 探して]]</small> | * <small>ゲーム中の名前・パスワード入力時に使用されている楽曲(間奏曲)</small> * <small>発売当時に[[牧野アンナ]]が歌う「[[Love Song 探して]]」が使用されている</small> ** <small>牧野はゲーム中に「アンナ」の名前でゲスト出演しており、話しかけるとBGMが同曲に変化するというサービスがある</small> ** <small>リメイク版ではこの演出は無くなっている</small> |- !<small>3</small> !<small>パストラール~カタストロフ</small> | * <small>リメイク版のプロローグで流れる</small> ** <small>GB版では最後の一音がカットされ、そのまま『レクイエム』へ連結されている</small> ** <small>携帯電話版・スマートフォン版では使用されず、『王城』と『戦い』が使われている</small> |- !<small>4</small> !<small>王城</small> |<small>主に城で流れる曲であり、リメイク版では交響組曲に準じている</small> |- !<small>5</small> !<small>街の賑わい</small> |<small>主に街で流れる曲であり、FC版、MSX・MSX2版ではAB進行、リメイク版で交響組曲に準じてABCD進行になっている</small> |- ! rowspan="3" |<small>6</small> !<small>遥かなる旅路</small> | * <small>パーティー3人が全員揃っていない時に使用されるフィールド曲</small> ** <small>FC版、MSX版、MSX2版ではAB進行</small> ** <small>SFC版とGB版ではABAC進行(ただしM1はAB進行)</small> ** <small>交響組曲版ではABACAC進行で最初のAメロのテンポが遅く流れ、後奏が追加されている</small> ** <small>スマートフォン版は交響組曲版に準じているが終盤部分は使われていない</small> |- !<small>広野を行く(I)</small> |<small>楽曲の初登場はIとなるが、交響組曲版では一部として使用される</small> |- !<small>果てしなき世界</small> | * <small>3人全員が揃っている時に使用されるフィールド曲</small> ** <small>FC版/MSX版/MSX2版では3人揃っていてもそのうちの誰かが死亡しているときは『遥かなる旅路』となる</small> ** <small>SFC版でもサマルトリア王子が離脱していれば一部において『遥かなる旅路』が流れる</small> ** <small>SFC版とGB版と交響組曲版では同じメロディーでも音源が異なる</small> ** <small>交響組曲版以外は2種のメロディーが交互に流れる</small> ** <small>交響組曲版では1種のメロディーが流れた後、その後は永遠にもう1種のメロディーが流れる</small> ** <small>GB版とスマートフォン版と交響組曲版には前奏がある</small> |- ! rowspan="2" |<small>7</small> !<small>恐怖の地下洞</small> |<small>主に洞窟で流れる曲であるが、FC版、MSX・MSX2版ではムーンブルクや竜王の城でも流れる</small> |- !<small>魔の塔</small> |<small>ハーゴンの神殿で使用(ただしFC版、MSX・MSX2版の1Fでは『恐怖の地下洞』)</small> |- !<small>8</small> !<small>レクイエム</small> |<small>リメイク版ではムーンブルクやオープニングのワンシーンでも流れ、オーケストラスタイルで使用されている</small> |- !<small>9</small> !<small>聖なるほこら</small> |<small>リメイク版第1作のほこらでも使用される</small> |- !<small>10</small> !<small>海原を行く</small> |<small>水上で流れる曲</small> |- ! rowspan="2" |<small>11</small> !<small>戦い</small> |<small>通常戦闘曲</small> |- !<small>死を賭して</small> |<small>シドーとの戦闘時の曲</small> |- !<small>12</small> ![[この道わが旅|<small>この道わが旅</small>]] |<small>終曲</small> |} 本作に関する備考のみ記載。他作品での使用や楽曲に関する詳細については「[[ドラゴンクエストシリーズの楽曲一覧]]」を参照。 == 関連作品 == * [[世にも奇妙な物語 秋の特別編 (2021年)|世にも奇妙な物語'21秋の特別編]]「ふっかつのじゅもん」 - 2021年11月6日に放送のテレビドラマ。本作がストーリーのカギとなっている。また、ラストシーンでは次作『ドラゴンクエストIII』も登場する。 * ラジオドラマ『ドラゴンクエストII』([[ニッポン放送]]) - ストーリーの前半を[[ラジオドラマ]]化。ラジオ特番『[[オールナイトニッポン]]スペシャル・徹底追求ドラゴンクエストII』の中で放送され、ナレーションは[[永井一郎]]。パーソナリティ[[鴻上尚史]]とゲスト[[堀井雄二]]、[[さくまあきら]]らの『ドラゴンクエスト』に関するトークとドラマが交互に織り込まれる構成になっており、サマルトリアの王子がベギラマを唱える際、敵の頭数分必死に呪文を詠唱する表現が番組中でも話題になった。 == 動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン == 2021年3月19日に改定された。 *ファミリーコンピュータ版<ref>{{cite news |date= |url=https://www.dragonquest.jp/guideline/dq2/fc/ |title=ファミリーコンピュータ版 『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2021-07-26}}</ref> *スマートフォン版<ref>{{cite news |date= |url=https://www.dragonquest.jp/guideline/dq2/sp/|title=スマートフォン版 『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2021-07-26}}</ref> *ニンテンドー3DS版・PlayStation 4版・Nintendo Switch版<ref>{{cite news |date= |url=http://www.dragonquest.jp/roto/guideline.html |title=『ドラゴンクエスト』『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2021-07-26}}</ref> *スーパーファミコン版<ref>{{cite news |date= |url=https://www.dragonquest.jp/guideline/dq1-2/sfc/ |title=スーパーファミコン版 『ドラゴンクエストI・II』動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2021-07-26}}</ref> *ゲームボーイ版<ref>{{cite news |date= |url=https://www.dragonquest.jp/guideline/dq1-2/gb/ |title=ゲームボーイ版 『ドラゴンクエストI・II』動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2021-07-26}}</ref> == 脚注 == === 注釈 === {{Notelist2|30em}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 関連項目 == * [[ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート]] - 2003年発売。本作の世界よりさらに未来の設定で、本作とほぼ同様の世界地図が登場する。 * [[ドラゴンクエストビルダーズ2 破壊神シドーとからっぽの島]] - 2018年発売。本作の世界よりさらに未来の設定。 * [[ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて]] - 本作のふっかつのじゅもんが使用可能で、ゲームをある程度有利な状態から始めることができる。 == 外部リンク == * [https://www.jp.square-enix.com/ スクウェア・エニックス] ** [https://www.jp.square-enix.com/game/detail/dq2/ ドラゴンクエストII 悪霊の神々] ** [https://www.jp.square-enix.com/dqsp/dq2/ ドラゴンクエストII for スマートフォン] * [http://www.dragonquest.jp/roto/ ドラゴンクエスト“ロト伝説”シリーズ 公式プロモーションサイト] {{DragonQuest}} {{デフォルトソート:とらこんくえすと02}} [[Category:ドラゴンクエストのコンピュータゲーム|02]] [[Category:ロトシリーズ|02]] [[Category:1987年のコンピュータゲーム]] [[Category:ファミ通クロスレビュープラチナ殿堂入りソフト]] [[Category:MSX/MSX2用ソフト]] [[Category:王子を主人公としたコンピュータゲーム]] [[Category:携帯電話アプリゲーム]] [[Category:コンピュータRPG]] [[Category:チュンソフト開発のゲームソフト]] [[Category:Android用ゲームソフト]] [[Category:iPhone用ゲームソフト]] [[Category:ニンテンドー3DS用ソフト]] [[Category:Nintendo Switch用ソフト]] [[Category:PlayStation 4用ソフト]] 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癇癪玉
癇癪玉(かんしゃくだま)は花火の一種であり、火薬を利用して大きな音を立てて遊ぶための玩具。クラッカーボール、投げ弾とも言う。赤・青・黄などで彩色された直径7~8mm の玉の形をしている。外皮の中に火薬と小石が入っており、地面にたたきつけたり、踏んだりすると「パン」と大きな音を立ててはじける。パチンコを使用して発射する場合もある。 平玉火薬と同様に、映画やドラマなどで銃弾が命中したときの特殊効果・効果音にも使用される。鉄柱やコンクリート壁など、穴を開けて弾着(特殊効果用の煙火)を仕掛けることのできない物体に対して、パチンコで飛ばして破裂させ、火花と煙を出す効果を得る。 火薬類取締法施行規則(第1条の5第1号のヘ「爆発音を出すことを主とするもの」の(1))では、「直径1cm以下、重量1g以下、爆薬量が0.08g以下」である事が定められている。材質は鶏冠石と塩素酸カリウムを砂にまぶし、薄紙で包んだものであるとされる。音を出す事を目的とした玩具用花火には、他にクリスマス・クラッカーがあるが、癇癪玉が1919年に日本で考案されたものであるのに対して、クリスマス・クラッカーは1847年に英国で考案されたものとされている。両者の英語名の語源である爆竹(ファイアークラッカー)の歴史は更に古く、紀元前200年の中国大陸まで遡る。 癇癪玉の考案者は静岡県のイケブンであるとされるが、当初は「五色玉花火」や「五色玉」と呼ばれていたものが、第二次世界大戦後の対米輸出開始時にクラッカーボールの名称が使われ始めたという。欧米の花火コレクターの間で現存する日本製の玩具花火には、クラッカーボールの他にロケット花火(英語版)が存在しており、連合国軍占領下の日本における比較的著名な輸出品であった事が偲ばれる。 欧米では癇癪玉よりも大きな、アメリカンクラッカーに近い大きさのクラッカーボールもあり、爆竹のように導火線に着火して用いる。癇癪玉と類似した「衝突させて大きな音を出す玩具花火」では、ハンド・ブラスター(Hand Blaster)と呼ばれるものもあり、2個一組で販売されている球を互いにぶつけあう事で、400回程度大きな音を発生させる事ができ、表面に塗布された火薬がぶつけた個所のみ発火する構造のため、「手の中で発火させても安全」であるとされている。
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癇癪玉(かんしゃくだま)は花火の一種であり、火薬を利用して大きな音を立てて遊ぶための玩具。クラッカーボール、投げ弾とも言う。赤・青・黄などで彩色された直径7~8mm の玉の形をしている。外皮の中に火薬と小石が入っており、地面にたたきつけたり、踏んだりすると「パン」と大きな音を立ててはじける。パチンコを使用して発射する場合もある。 平玉火薬と同様に、映画やドラマなどで銃弾が命中したときの特殊効果・効果音にも使用される。鉄柱やコンクリート壁など、穴を開けて弾着(特殊効果用の煙火)を仕掛けることのできない物体に対して、パチンコで飛ばして破裂させ、火花と煙を出す効果を得る。 火薬類取締法施行規則(第1条の5第1号のヘ「爆発音を出すことを主とするもの」の)では、「直径1cm以下、重量1g以下、爆薬量が0.08g以下」である事が定められている。材質は鶏冠石と塩素酸カリウムを砂にまぶし、薄紙で包んだものであるとされる。音を出す事を目的とした玩具用花火には、他にクリスマス・クラッカーがあるが、癇癪玉が1919年に日本で考案されたものであるのに対して、クリスマス・クラッカーは1847年に英国で考案されたものとされている。両者の英語名の語源である爆竹(ファイアークラッカー)の歴史は更に古く、紀元前200年の中国大陸まで遡る。 癇癪玉の考案者は静岡県のイケブンであるとされるが、当初は「五色玉花火」や「五色玉」と呼ばれていたものが、第二次世界大戦後の対米輸出開始時にクラッカーボールの名称が使われ始めたという。欧米の花火コレクターの間で現存する日本製の玩具花火には、クラッカーボールの他にロケット花火が存在しており、連合国軍占領下の日本における比較的著名な輸出品であった事が偲ばれる。 欧米では癇癪玉よりも大きな、アメリカンクラッカーに近い大きさのクラッカーボールもあり、爆竹のように導火線に着火して用いる。癇癪玉と類似した「衝突させて大きな音を出す玩具花火」では、ハンド・ブラスター(Hand Blaster)と呼ばれるものもあり、2個一組で販売されている球を互いにぶつけあう事で、400回程度大きな音を発生させる事ができ、表面に塗布された火薬がぶつけた個所のみ発火する構造のため、「手の中で発火させても安全」であるとされている。
{{出典の明記|date=2013年10月}} '''癇癪玉'''(かんしゃくだま)は[[花火]]の一種であり、[[火薬]]を利用して大きな音を立てて遊ぶための[[玩具]]。'''クラッカーボール'''、'''投げ弾'''とも言う。赤・青・黄などで彩色された直径7~8[[ミリメートル|mm]] の玉の形をしている。外皮の中に火薬と小石が入っており、地面にたたきつけたり、踏んだりすると「パン」と大きな音を立ててはじける。[[スリングショット|パチンコ]]を使用して発射する場合もある。 [[紙火薬|平玉火薬]]と同様に、[[映画]]や[[テレビドラマ|ドラマ]]などで[[実包|銃弾]]が命中したときの[[SFX|特殊効果]]・[[効果音]]にも使用される<ref name="kotobank">[https://kotobank.jp/word/クラッカーボール-1527779 クラッカーボール] - [[コトバンク]]</ref>。鉄柱やコンクリート壁など、穴を開けて弾着(特殊効果用の煙火)を仕掛けることのできない物体に対して、パチンコで飛ばして破裂させ、火花と煙を出す効果を得る。 [[火薬類取締法|火薬類取締法施行規則]](第1条の5第1号のヘ「爆発音を出すことを主とするもの」の(1))では、「直径1cm以下、重量1g以下、爆薬量が0.08g以下」である事が定められている<ref name="kotobank"/>。材質は[[鶏冠石]]と[[塩素酸カリウム]]を砂にまぶし、薄紙で包んだものであるとされる<ref name="kotobank"/>。音を出す事を目的とした玩具用花火には、他に[[クリスマスクラッカー|クリスマス・クラッカー]]があるが、癇癪玉が[[1919年]]に日本で考案されたものであるのに対して<ref name="ikebun">[http://www.ikebun.com/about/company/ 会社概要] - 株式会社イケブン</ref>、クリスマス・クラッカーは[[1847年]]に[[イギリス|英国]]で考案されたもの<ref>Peter Kimpton (2005) ''Tom Smith's Christmas crackers: an illustrated history'', Tempus {{ISBN2|0-7524-3164-1}} Margaret Baker (1992) ''Discovering Christmas customs and folklore: a guide to seasonal rites'', p.72, Osprey Publishing {{ISBN2|0-7478-0175-4}}</ref>とされている。両者の英語名の語源である[[爆竹]](ファイアークラッカー)の歴史は更に古く、[[紀元前200年]]の[[中国大陸]]まで遡る。 癇癪玉の考案者は[[静岡県]]の[[イケブン]]であるとされるが、当初は「五色玉花火」や「五色玉」と呼ばれていたものが、[[第二次世界大戦]]後の対米輸出開始時にクラッカーボールの名称が使われ始めたという<ref name="ikebun"/>。[[欧米]]の花火コレクターの間で現存する日本製の玩具花火には、クラッカーボールの他に{{仮リンク|ロケット (花火)|en|Rocket (firework)|label=ロケット花火}}が存在しており、[[連合国軍占領下の日本]]における比較的著名な輸出品であった事が偲ばれる<ref>[https://www.worthpoint.com/worthopedia/vintage-fireworks-cracker-ball-box-507842201 VINTAGE FIREWORKS CRACKER BALL BOX + BABY ROCKET SPARKLERS JAPAN GREAT GRAPHICS] - worthpoint.com</ref>。 欧米では癇癪玉よりも大きな、[[アメリカンクラッカー]]に近い大きさのクラッカーボールもあり、爆竹のように[[導火線]]に着火して用いる<ref>[http://www.blackcatfireworks.com/fireworks/novelties/bc-340/ Cracker balls] - [[利豊|ブラックキャット・ファイアーアワークス]]</ref>。癇癪玉と類似した「衝突させて大きな音を出す玩具花火」では、ハンド・ブラスター(Hand Blaster)と呼ばれるものもあり、2個一組で販売されている球を互いにぶつけあう事で、400回程度大きな音を発生させる事ができ、表面に塗布された火薬がぶつけた個所のみ発火する構造のため、「手の中で発火させても安全」であるとされている<ref>[http://www.houseofrave.com/hand-blasters.html Hand Blasters] - House of RAVE</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}}<references /> == 関連項目 == * [[紙火薬]] * [[キャップ火薬]] * [[爆竹]](ファイアークラッカー) * [[2B弾]] * [[信号雷管]] {{DEFAULTSORT:かんしやくたま}} [[Category:音具]] [[Category:花火]] [[Category:忍具]]
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銀玉鉄砲
銀玉鉄砲(ぎんだまでっぽう)は、遊戯銃の一種である。スプリングガンやストライカーガンとも呼ばれる。 装填した銀玉を、ばねの力で前進するストライカーによって叩き、発射する機構をもつ。この機構を、銃器雑誌「月刊Gun」では「ストライカー方式」と呼んでいる。ばねを押し縮める動作を引き金と連動させた、実銃でいうダブルアクションに相当するものは、連続して発射することができる反面、引き金の引きが重くなりがちであるが、初期のものを除けば、ほとんどがこのタイプである。 発売は1960年(昭和35年)という。 これらは主に駄菓子屋や玩具店で販売され、また縁日の露店でも販売されていた。小学校低~中学年向けで威力は弱く、至近距離でも新聞紙一枚射抜けなかったほどである。1980年代頃までは、児童らが盛んにお互いを撃ち合ったりして遊ぶのに用いられていた。 エアソフトガンの先祖とも言える製品である。 引き金を引くと内部のストライカーが後退し、ストライカーが一定範囲以上に後退すると、弾丸となる銀玉の入っているチャンバー内から一個の銀玉が銃身内に落下、ストライカーが完全に後退しきった所でフックが外れ、ストライカーがバネの力で勢いよく前進して銀玉を押し出し、発射する。 チャンバーには10~30発程度の銀玉を入れることが出来た。なお、人を狙うことができる射程は精々5m未満であった。 モデルとなるピストルには、コルト・ガバメントやワルサーP38、ルガーP08があった。これらは小学校低学年の児童の手に馴染むサイズに縮小化されていた。他にもオリジナルの形状をしたものも見られ、形状はリボルバーだが上部にドラムマガジンが付いているなど構造的には自動拳銃のようなものもあった。 銀玉は、石膏や土(粘土)のようなものを丸めて直径7mm程度にして、表面を銀に着色してある。また1970年代~1980年代には緑色をしたプラスチック製の円盤を発射する製品もあった。また、1980年代初頭から、銀玉より一回り小さいBB弾を使用するモデルも登場してきている。 銀玉は先に述べたように土を圧搾して固めてあるだけの物であるため、雨に打たれたり踏み潰されたりすれば数日程度で自然に風化するようなものだった。
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{{出典の明記|date=2012年2月|ソートキー=遊}} '''銀玉鉄砲'''(ぎんだまでっぽう)は、[[遊戯銃]]の一種である。スプリングガンやストライカーガンとも呼ばれる。 装填した[[#銀玉|銀玉]]を、ばねの力で前進するストライカーによって叩き、発射する機構をもつ。この機構を、銃器雑誌「[[Gun (雑誌)|月刊Gun]]」では「ストライカー方式」と呼んでいる。ばねを押し縮める動作を引き金と連動させた、実銃でいう[[ダブルアクション]]に相当するものは、連続して発射することができる反面、[[トリガー (銃)|引き金]]の引きが重くなりがちであるが、初期のものを除けば、ほとんどがこのタイプである。 発売は[[1960年]](昭和35年)という<ref>「製造会社によると弾を[[銀色]]にしたのは五八年、テレビ放映開始の西部劇「[[ローン・レンジャー]]」の影響だそうだ。黒マスクで白馬にまたがる主人公は正義の「シルバーブリット」(銀色の弾丸)を使っていた」(「中日春秋」[[中日新聞]][[2014年]]11月25日)。</ref>。 これらは主に[[駄菓子屋]]や[[玩具]]店で販売され、また[[縁日]]の[[屋台|露店]]でも販売されていた。小学校低~中学年向けで威力は弱く、至近距離でも新聞紙一枚射抜けなかったほどである。1980年代頃までは、児童らが盛んにお互いを撃ち合ったりして遊ぶのに用いられていた。 [[エアソフトガン]]の先祖とも言える製品である。 ==構造== 引き金を引くと内部のストライカーが後退し、ストライカーが一定範囲以上に後退すると、[[弾丸]]となる銀玉の入っている[[薬室|チャンバー]]内から一個の銀玉が銃身内に落下、ストライカーが完全に後退しきった所でフックが外れ、ストライカーがバネの力で勢いよく前進して銀玉を押し出し、発射する。 チャンバーには10~30発程度の銀玉を入れることが出来た。なお、人を狙うことができる射程は精々5m未満であった。 モデルとなるピストルには、[[コルト・ガバメント]]や[[ワルサーP38]]、[[ルガーP08]]があった。これらは小学校低学年の児童の手に馴染むサイズに縮小化されていた。他にもオリジナルの形状をしたものも見られ、形状は[[回転式拳銃|リボルバー]]だが上部に[[弾倉#ドラムマガジン|ドラムマガジン]]が付いているなど構造的には自動拳銃のようなものもあった。 === 銀玉 === 銀玉は、[[石膏]]や土([[粘土]])のようなものを丸めて直径7[[ミリメートル|mm]]程度にして、表面を[[銀色|銀に着色]]してある。また[[1970年代]]~[[1980年代]]には緑色をしたプラスチック製の円盤を発射する製品もあった。また、[[1980年代]]初頭から、銀玉より一回り小さい[[BB弾]]を使用するモデルも登場してきている。 銀玉は先に述べたように土を圧搾して固めてあるだけの物であるため、雨に打たれたり踏み潰されたりすれば数日程度で自然に風化するようなものだった。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references/> {{DEFAULTSORT:きんたまてつほう}} [[Category:遊戯銃]] [[Category:子供の遊び]]
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オンラインゲーム
オンラインゲーム(英: online game)とは、主にオンラインによるコンピュータネットワークを利用したゲーム(コンピュータゲーム)。略して、オンゲー、ネットワークゲーム、ネットゲーム、ネトゲとも呼ばれる。 テーブルトークRPGのチャットプレイである「オンラインセッション」や投稿参加型のマルチユーザーゲームである「定期更新型オンラインゲーム」など、必ずしもコンピュータによるゲーム進行処理やリアルタイム処理を必要としないゲームプレイも、オンラインの場で多数のユーザーを集めて行うものはオンラインゲームと呼ぶこともある。 コンピュータネットワークを介して専用のサーバや他のユーザーのクライアントマシンであるパソコンやゲーム機と接続し、オンラインで同じゲーム進行を共有することができるゲームである。インターネットが普及した後のオンラインゲームのほとんどはインターネットを介して接続するようになっているが、それ以前にもLAN環境を利用したり、ダイヤルアップ接続でアクセスしたりするものは存在した。古くは、専用機による囲碁や将棋による遠隔対局システムもあった。既存のゲームのプレイ環境がオンラインに変わっただけのオンライン囲碁から、オンライン専用にデザインされたMORPG/MMORPGまで、様々なバリエーションが存在する。流通形態がパッケージではないダウンロードゲームを指す場合もあったが、現在では多人数参加型のゲームをオンラインゲームと呼ぶことが一般化した。 専用アプリケーションを使わずプログラム言語、HTMLソースでの汎用処理を行い主にWebページで動作するゲームはCGIゲームやブラウザゲーム(Webゲーム・Webアプリ)となる。特に不具合解消あるいは新機能追加を目的としたヴァージョンアップのために、製作元のサイトからパッチが提供され、そのダウンロードが必須になることがある。またソフトの不正コピー対策などのための認証に、プレイ中ネットワーク接続が必須の仕様になっている場合もある。これらパッチのダウンロードや認証のためにオンラインであることが必要なだけで、他ユーザーとはゲーム進行が共有できない場合には、オンラインゲームとは呼ばれない。ゲームの進行中はオンラインである必要はないが、開始や終了時にプレイ内容などのゲーム情報などが送信され、ランキングその他の情報として集計されるシステムを搭載するゲームについても、基本的に他ユーザーとゲーム進行が共有できない場合はオンラインゲームに含まれない。こうしたゲームは「ネット対応」などと表現される。 料金制度は、ゲーム製作(運営)企業によりゲームサーバが運営されている場合、一部の小規模なものを除き、ユーザーが月額いくらかの利用料金を支払うことでゲームプレイ可能期間を購入する定額課金制と、基本プレイ料金は無料だがゲーム内に登場するアイテムを販売して利益を得るアイテム課金制が一般的となっており、定額課金制でアイテム販売も行っているゲームもある。特に韓国産オンラインゲームでブラウザゲームの台頭もありアイテム課金制が主流となっている。企業によっては、短期間の無料ゲームプレイが可能ないわゆる「お試し期間」を設けているところもある。誰でも無料で参加することができるオープン・ベータテストと呼ばれる公開テスト期間を、正式サービス開始前に設けることにより、ゲームの最終テスト、宣伝、及びユーザー獲得を同時に行うケースも増加している。これに対しあらかじめ限定された人間のみで行うテストをクローズド・ベータテストと呼び、通常はオープン・ベータテストの前に行われる。 オンラインゲームの商業的普及は1997年の『ウルティマオンライン』といわれる。これは定額課金制であったが、その後アイテム課金のゲームが主流となった。2014年3月現在、世界で最も成功しているゲームソフトとしては『クロスファイア』『League of Legends』『アラド戦記』『World of Tanks』『メイプルストーリー』が挙げられる。 MOは多人数参加型オンライン(Multiplayer Online)、MMOは大規模多人数参加型オンライン(Massively Multiplayer Online)となる。家庭用ゲーム機のRPGとは違い、セーブが無く、クリアという目的を達成することの概念が拡張され続け、レベルアップして強くなったり、レアアイテムを集めたり、ギルドなどに加入をしコミュニケーションをとったりと色々な楽しみ方が存在する。他のプレイヤー協力プレイをすることで、共に強い敵を倒したりすることも出来る。 FPSとは「First Person Shooter」の略称で、一人称視点のシューティングゲームである。主に銃やナイフで目の前のモンスターの敵または場合によっては他プレイヤーを狙撃して、ミッションをクリアすることが目的となっている。MMORPGと比べると、短時間で楽しめることや、アクション性の高さが挙げられる。 ウェブブラウザを使う場合はブラウザゲーム、SNS上で提供される場合にはソーシャルゲーム、ストリーミング配信される場合にはクラウドゲームと呼ばれる。これらの最大の特徴であり利点は、専用のソフトをダウンロードすることなくIDを登録するだけでプレイできるところにあり、インターネットに接続できる環境さえあれば、ノートPC・Mac・ネットカフェなど、いつでもどこでもプレイ可能である。 また、2010年代からのスマートフォンの流行に伴い、専用のネイティブアプリをダウンロードしてプレイするゲームアプリ(モバイルゲーム、スマホゲームとも呼ぶ)が急速に広まった。 PBWはブラウザゲームの一種として括られている。 オンラインカジノは、インターネットを通じてプレイするカジノゲームのことである。多くのオンラインカジノには無料でできるプレイと実際にお金を賭けるプレイの2つのゲームコーナーが設けてある。目的にあった方法を選ぶ必要がある。 エレクトロニック・スポーツ(eスポーツ)というゲームをスポーツとする動きもありスポーツ選手のようなプロゲーマーも誕生している。 オンラインということもあり、インターネット依存症(ネット中毒)など、インターネットに関わる共通の問題を抱えることもある。日本で最初にそれらの治療を始めた久里浜医療センターによると、10代の男子学生は、携帯電話・スマートフォンのソーシャルゲームではなく、パソコン・ゲーム機を使うオンラインゲームへの依存(ネットホリック)性が強いという。逆に、20代以上の女性はSNSへの依存傾向が強く、ゲームへの依存は珍しい。 月額課金の作品では、数千時間もの膨大な所要時間で何年も課金が必要となる設定となっている場合がある。中国、タイ、ベトナムではプレイ時間が規制されており、韓国でも青少年の深夜プレイが規制されているが、日本ではこのような規制は存在しない。この膨大な所要時間により、通常のオフラインのゲームでは生じないオンラインゲーム依存症とも呼べる問題が各国で発生している。 ロシア・韓国・中国では過度のネットゲームのプレイを行ったことにより身体に極度の負荷がかかり死亡したというケースも存在する。韓国では2005年8月にインターネットカフェで連続50時間ネットゲームをプレイして死亡するという事件も起きており、アジア諸国では社会問題となり、タイや中国では法によりプレイ時間が規制されている。 日本でも「ネトゲ廃人」「ネトゲ廃女」など、このような問題を扱った書物が出版されている。『ラグナロクオンライン』のヘビー・ユーザーとして知られる声優の植田佳奈が「現実世界は出稼ぎ、ネット社会が現実」と発言して物議を醸した例がある。そのような人々は「廃人」などと揶揄される。声優の緑川光のように廃人をも超越した存在として「超廃人」と呼ばれる人も存在する。 1999年の『エバークエスト』は「エバークラック」と称される程、特に話題となった。 チートなど不正行為の問題があり(特に不正アクセスについては不正アクセス行為の禁止等に関する法律がある)、イタチゴッコが続けられている。同行為が横行しやすい(言い換えればゲーム提供側のセキュリティ意識の低い)ゲームでは、利用者離れが発生するケースも見られる。 2007年ごろから、感染するとゲーム内の通貨が盗まれてしまうコンピュータウィルス(アカウントハック)が多数出始めた。 エミュレートサーバ(エミュレータ (コンピュータ))というゲーム運営・開発者とは、まったく無縁な非公式なサーバが海外・国内を問わず運営する個人や団体が存在する。これもひとつのチートといわれることもある。 DDoS攻撃などの標的にされる場合もある。2005年4月9日よりはじまった、『ファイナルファンタジーXI』のネットワーク障害や4月16日からの『ラグナロクオンライン』におけるネットワーク障害がこれが原因であるとされる。DDos攻撃はIPアドレスの偽装などを行うため、特定できない場合も多く今後も継続的にこのような攻撃が行われるようならば、プレイ自体できないことに追い込まれ、ゲームとして成り立たなくなってしまう。 前述のような膨大な所要時間により、アイテムや仮想通貨の獲得だけでも膨大な時間を要するため、時間短縮のためこれらを現実通貨で購入する需要が発生する。これを運営企業が提供するものがアイテム課金であり、外部企業が提供するものはリアルマネートレード (RMT) と呼ばれる。リアルマネートレードは、運営会社が規約により禁止するケースがほとんどである(規約違反であり、法律違反ではない)。なお、海外では『ディアブロ3』など公式でRMTを可能にしているゲームもあった。 『シールオンライン』、『マビノギ』、『Master of Epic -The ResonanceAge Universe-』といったこれまで月額課金を行っていたゲームが総じて接続無料のアイテム課金にシフトし始めている。現金を使ってアイテムを購入することでゲームプレイが他人より有利になるように仕組まれている。逆に言えば同時期に始め、現金でアイテムを購入したユーザーとそうでないユーザーの間の差が広がりすぎること、それに伴いアイテムを現金で購入しなければゲームを楽しめないこと、接続無料によって気軽にゲームをプレイできる反面、RMT目的の外国人の出稼ぎプレイヤーや小学生など精神的に未熟なユーザーが多く流入し、今まで培ってきたゲームの雰囲気を壊すという問題もある。 接続無料のアイテム課金について、「広告で無料ばかりが強調され、有料コンテンツが含まれていることが表示されていない。」「ゲームサイトにアクセスした途端に高額な請求をされる。」などの問題点がある。 無料オンラインゲームの多くは、月額課金制に比べトータルでの現金消費が多い。 商業PBWは接続無料の課金コンテンツ有で、無料範囲分だけでも楽しめる。 オンライン専用ゲームは、様々な理由で短期間でサービス停止になる場合がある。 新規ユーザー確保および既存ユーザーの契約維持のため、インターネットカフェと提携して店内でのプレイを可能にしたり、契約解除されたユーザーアカウントを復活させるなどのキャンペーンなどを行っている。これらから特に後発企業はオンラインゲームでいかに採算を維持するか、新規ユーザーを獲得するかの難しさが伺える。 パッケージで販売されるゲームとは異なり、メーカーにとってサービス開始後も継続的にコストが発生する。そのため、ユーザーの契約を維持し解約させないために、ゲームシステムの設計が大量の時間を費やすことを必要としたものとなっているゲームが多いという指摘がある。 オンラインゲーム大国と呼ばれる韓国のオンラインゲームの一部は、既存のゲームのモデリングなどを流用したものも見受けられる。例としてWebZenの『Wiki』が任天堂の『ゼルダの伝説 風のタクト』以降のデザインを盗作し、任天堂が韓国の提携会社を通じて公式の警告文を送った。またNexonの『カートライダー』が任天堂の『マリオカート』シリーズの盗作と非難され(中国ではそのカートライダーを更に盗作したゲームもあり、色々と問題が起きている)、ネオプル社の『新野球』がコナミの『実況パワフルプロ野球』の盗作とされコナミから提訴されるなど、韓国の著作権などの甘さを浮き彫りにしている側面もある。 ゲームに慣れたプレイヤーである、いわゆる中級者になると、「ゲームに詰まった」「上級者に勝てない」「勝利数を稼ぐ」などの理由で「初心者狩り」といわれるプレイヤーキラーを始めるプレイヤーもいる。特にプレイヤー同士の対戦を目的とするオンラインゲームに多く、初心者離れを起こす原因となっている。 オンラインゲームに関連するトラブルは近年増加傾向にあり、特に子供が関連する金銭面でのトラブルが多い。課金をしていないことを馬鹿にされたり、下手くそなどの攻撃的な言動を浴びせられることもあり、一部の小中学校ではゲームタイトルを名指しして注意喚起を行う書類が配布されたりもしている。 オンラインゲーム上のトラブルが発端となり暴行事件や殺人事件にまで至ったケースも存在する。 オンラインゲームで知り合った他者に麻薬取引を持ち掛けられたり、未成年者がゲーム上のみでの知り合いに出会い目的で誘い出されるなど、犯罪に巻き込まれるケースもあり、一部では逮捕者も出ている。いずれのケースも、ゲームで協力し合ううちに親密になるオンラインゲームの特性が悪用された形となっている。 従来のオンラインゲームは基本的にPCゲームとして製作されているが、ハードの高機能化にともない家庭用ゲーム(コンシューマーゲーム)機向けオンラインゲームも作られるようになってきた。 1994年にアメリカのカタパルト社によって、SNES(スーパーファミコン)、セガジェネシス(メガドライブ)のアナログ電話回線による通信対戦サービス『XBAND』が開始され、日本中の見知らぬ相手とオンライン対戦が楽しめるようになった。これがコンシューマーにおけるオンライン対戦サービスの元祖となる(それ以前にも、個別のゲームソフトで通信対戦をサポートしていたものは存在した)。日本でもニフティサーブを運営していた日商岩井が米カタパルト社と提携してカタパルト・エンタテインメントを設立して1996年4月にスーパーファミコン、同年7月にセガサターンでのサービスを開始したが、1997年9月にカタパルト・エンタテインメントがXBANDより撤退。セガサターン版のみをセガが運営を引き継ぐことになった(1999年7月にサービス終了)。 ハードメーカーがオンラインゲームを推進したのはセガが最初である。メガドライブ用のゲームダウンロードサービス『ゲーム図書館』やセガサターンでの「セガサターンネットワークス」(XBANDや、インターネット接続などのサービス)において通信サービスのノウハウを収集したセガは自社のゲーム機ドリームキャストにアナログモデムを標準搭載し、プロバイダに入っていない年少の購入者向けにインターネットプロバイダ「イサオネット」を設立して連携、Webブラウザを無料配布したり、オンラインゲーム以外でもネットに接続することで追加データをダウンロードできる特典を付加することによってオンライン接続を積極的に推進するとともに、『ファンタシースターオンライン』などのオンラインゲームを展開した。 ソニー・コンピュータエンタテインメントはPlayStation 2にオプションでPlayStation BB Unitを追加することでPlayStation BBというサービスを展開していた。以降の次世代機ではPlayStation Network (PSN) が標準装備として引き継がれている。また一部のゲーム(基本的にオンラインには非対応であるが、ネットワークアダプターのLAN回線による通信には対応するゲーム)では海外で開発されたXlink Kaiというツールを使ってオンラインゲームを楽しむユーザーもいる。 マイクロソフトはXboxでイーサネット端子を標準搭載しており、インターネットプロトコルの上に独自のクローズネットワークを構成する形式のXbox Liveシステムを展開している。これはXbox Liveのアカウントを作成(かつては月額、または年額での固定料金が必要だった)すれば、基本的なオンライン対戦などのサービスが共通で受けられるもの。フレンドリストによる対戦プレイヤーの管理(ゲーム中から登録したプレイヤーがいま何のゲームをプレイしているかなどを確認し、今プレイしているゲームに招待するといった機能)を実現した。このシステムは2005年11月に販売が開始されたXbox 360にも継承されている。Xbox LiveはWindowsでも対応し、一部のゲームタイトルではXbox 360とパソコンとでサーバーを共用し、相互の同時プレイが可能である。次世代機Xbox Oneにも対応した。 任天堂はファミコンディスクシステムのディスクをゲーム店にあるオンライン端末に入れることで全国のプレイヤー間のハイスコアランキングを行う『ディスクファクス』や、オンラインで旧ハードのゲームを販売する『ニンテンドウパワー』、年を追うごとに、衛星放送の電波を通じてゲームを配信する『サテラビュー』、NINTENDO64と64DDでインターネットに接続する『ランドネット』、ゲームボーイカラー・ゲームボーイアドバンスと携帯電話を繋いでデータ通信を行う『モバイルシステムGB』といったサービスを展開していったがいずれも商業的には成功せずNINTENDO64の次世代機であるニンテンドーゲームキューブでは『ファンタシースターオンライン』など、一部のソフトでネットワークを使用するに留まった。 しかしながら、ブロードバンドインターネット接続の急速な普及によりこれらの問題は解決できたとして、2005年11月から、「カンタン・あんしん・無料」をモットーとしたニンテンドーDSの無線LAN機能を活用するニンテンドーWi-Fiコネクションを開始した。これは家庭内の無線LANでの接続に加え、ゲーム販売店など約1000箇所に設置された専用のアクセスポイントやFREESPOTから任天堂のゲームについては課金を行わないことで手軽にオンラインゲームを楽しんでもらえるとしている。ニンテンドーWi-Fiコネクションは後に発売されたWiiにも対応している。ニンテンドーWi-Fiコネクションに最初に対応したソフト『おいでよ どうぶつの森』は500万本以上の大ヒットとなった。以降の次世代機ではニンテンドーネットワークとして引き継がれている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "オンラインゲーム(英: online game)とは、主にオンラインによるコンピュータネットワークを利用したゲーム(コンピュータゲーム)。略して、オンゲー、ネットワークゲーム、ネットゲーム、ネトゲとも呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "テーブルトークRPGのチャットプレイである「オンラインセッション」や投稿参加型のマルチユーザーゲームである「定期更新型オンラインゲーム」など、必ずしもコンピュータによるゲーム進行処理やリアルタイム処理を必要としないゲームプレイも、オンラインの場で多数のユーザーを集めて行うものはオンラインゲームと呼ぶこともある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "コンピュータネットワークを介して専用のサーバや他のユーザーのクライアントマシンであるパソコンやゲーム機と接続し、オンラインで同じゲーム進行を共有することができるゲームである。インターネットが普及した後のオンラインゲームのほとんどはインターネットを介して接続するようになっているが、それ以前にもLAN環境を利用したり、ダイヤルアップ接続でアクセスしたりするものは存在した。古くは、専用機による囲碁や将棋による遠隔対局システムもあった。既存のゲームのプレイ環境がオンラインに変わっただけのオンライン囲碁から、オンライン専用にデザインされたMORPG/MMORPGまで、様々なバリエーションが存在する。流通形態がパッケージではないダウンロードゲームを指す場合もあったが、現在では多人数参加型のゲームをオンラインゲームと呼ぶことが一般化した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "専用アプリケーションを使わずプログラム言語、HTMLソースでの汎用処理を行い主にWebページで動作するゲームはCGIゲームやブラウザゲーム(Webゲーム・Webアプリ)となる。特に不具合解消あるいは新機能追加を目的としたヴァージョンアップのために、製作元のサイトからパッチが提供され、そのダウンロードが必須になることがある。またソフトの不正コピー対策などのための認証に、プレイ中ネットワーク接続が必須の仕様になっている場合もある。これらパッチのダウンロードや認証のためにオンラインであることが必要なだけで、他ユーザーとはゲーム進行が共有できない場合には、オンラインゲームとは呼ばれない。ゲームの進行中はオンラインである必要はないが、開始や終了時にプレイ内容などのゲーム情報などが送信され、ランキングその他の情報として集計されるシステムを搭載するゲームについても、基本的に他ユーザーとゲーム進行が共有できない場合はオンラインゲームに含まれない。こうしたゲームは「ネット対応」などと表現される。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "料金制度は、ゲーム製作(運営)企業によりゲームサーバが運営されている場合、一部の小規模なものを除き、ユーザーが月額いくらかの利用料金を支払うことでゲームプレイ可能期間を購入する定額課金制と、基本プレイ料金は無料だがゲーム内に登場するアイテムを販売して利益を得るアイテム課金制が一般的となっており、定額課金制でアイテム販売も行っているゲームもある。特に韓国産オンラインゲームでブラウザゲームの台頭もありアイテム課金制が主流となっている。企業によっては、短期間の無料ゲームプレイが可能ないわゆる「お試し期間」を設けているところもある。誰でも無料で参加することができるオープン・ベータテストと呼ばれる公開テスト期間を、正式サービス開始前に設けることにより、ゲームの最終テスト、宣伝、及びユーザー獲得を同時に行うケースも増加している。これに対しあらかじめ限定された人間のみで行うテストをクローズド・ベータテストと呼び、通常はオープン・ベータテストの前に行われる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "オンラインゲームの商業的普及は1997年の『ウルティマオンライン』といわれる。これは定額課金制であったが、その後アイテム課金のゲームが主流となった。2014年3月現在、世界で最も成功しているゲームソフトとしては『クロスファイア』『League of Legends』『アラド戦記』『World of Tanks』『メイプルストーリー』が挙げられる。", "title": "主な種類" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "MOは多人数参加型オンライン(Multiplayer Online)、MMOは大規模多人数参加型オンライン(Massively Multiplayer Online)となる。家庭用ゲーム機のRPGとは違い、セーブが無く、クリアという目的を達成することの概念が拡張され続け、レベルアップして強くなったり、レアアイテムを集めたり、ギルドなどに加入をしコミュニケーションをとったりと色々な楽しみ方が存在する。他のプレイヤー協力プレイをすることで、共に強い敵を倒したりすることも出来る。", "title": "主な種類" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "FPSとは「First Person Shooter」の略称で、一人称視点のシューティングゲームである。主に銃やナイフで目の前のモンスターの敵または場合によっては他プレイヤーを狙撃して、ミッションをクリアすることが目的となっている。MMORPGと比べると、短時間で楽しめることや、アクション性の高さが挙げられる。", "title": "主な種類" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ウェブブラウザを使う場合はブラウザゲーム、SNS上で提供される場合にはソーシャルゲーム、ストリーミング配信される場合にはクラウドゲームと呼ばれる。これらの最大の特徴であり利点は、専用のソフトをダウンロードすることなくIDを登録するだけでプレイできるところにあり、インターネットに接続できる環境さえあれば、ノートPC・Mac・ネットカフェなど、いつでもどこでもプレイ可能である。", "title": "主な種類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "また、2010年代からのスマートフォンの流行に伴い、専用のネイティブアプリをダウンロードしてプレイするゲームアプリ(モバイルゲーム、スマホゲームとも呼ぶ)が急速に広まった。", "title": "主な種類" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "PBWはブラウザゲームの一種として括られている。", "title": "主な種類" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "オンラインカジノは、インターネットを通じてプレイするカジノゲームのことである。多くのオンラインカジノには無料でできるプレイと実際にお金を賭けるプレイの2つのゲームコーナーが設けてある。目的にあった方法を選ぶ必要がある。", "title": "主な種類" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "エレクトロニック・スポーツ(eスポーツ)というゲームをスポーツとする動きもありスポーツ選手のようなプロゲーマーも誕生している。", "title": "主な種類" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "オンラインということもあり、インターネット依存症(ネット中毒)など、インターネットに関わる共通の問題を抱えることもある。日本で最初にそれらの治療を始めた久里浜医療センターによると、10代の男子学生は、携帯電話・スマートフォンのソーシャルゲームではなく、パソコン・ゲーム機を使うオンラインゲームへの依存(ネットホリック)性が強いという。逆に、20代以上の女性はSNSへの依存傾向が強く、ゲームへの依存は珍しい。", "title": "問題点" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "月額課金の作品では、数千時間もの膨大な所要時間で何年も課金が必要となる設定となっている場合がある。中国、タイ、ベトナムではプレイ時間が規制されており、韓国でも青少年の深夜プレイが規制されているが、日本ではこのような規制は存在しない。この膨大な所要時間により、通常のオフラインのゲームでは生じないオンラインゲーム依存症とも呼べる問題が各国で発生している。", "title": "問題点" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ロシア・韓国・中国では過度のネットゲームのプレイを行ったことにより身体に極度の負荷がかかり死亡したというケースも存在する。韓国では2005年8月にインターネットカフェで連続50時間ネットゲームをプレイして死亡するという事件も起きており、アジア諸国では社会問題となり、タイや中国では法によりプレイ時間が規制されている。", "title": "問題点" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "日本でも「ネトゲ廃人」「ネトゲ廃女」など、このような問題を扱った書物が出版されている。『ラグナロクオンライン』のヘビー・ユーザーとして知られる声優の植田佳奈が「現実世界は出稼ぎ、ネット社会が現実」と発言して物議を醸した例がある。そのような人々は「廃人」などと揶揄される。声優の緑川光のように廃人をも超越した存在として「超廃人」と呼ばれる人も存在する。", "title": "問題点" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1999年の『エバークエスト』は「エバークラック」と称される程、特に話題となった。", "title": "問題点" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "チートなど不正行為の問題があり(特に不正アクセスについては不正アクセス行為の禁止等に関する法律がある)、イタチゴッコが続けられている。同行為が横行しやすい(言い換えればゲーム提供側のセキュリティ意識の低い)ゲームでは、利用者離れが発生するケースも見られる。", "title": "問題点" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2007年ごろから、感染するとゲーム内の通貨が盗まれてしまうコンピュータウィルス(アカウントハック)が多数出始めた。", "title": "問題点" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "エミュレートサーバ(エミュレータ (コンピュータ))というゲーム運営・開発者とは、まったく無縁な非公式なサーバが海外・国内を問わず運営する個人や団体が存在する。これもひとつのチートといわれることもある。", "title": "問題点" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "DDoS攻撃などの標的にされる場合もある。2005年4月9日よりはじまった、『ファイナルファンタジーXI』のネットワーク障害や4月16日からの『ラグナロクオンライン』におけるネットワーク障害がこれが原因であるとされる。DDos攻撃はIPアドレスの偽装などを行うため、特定できない場合も多く今後も継続的にこのような攻撃が行われるようならば、プレイ自体できないことに追い込まれ、ゲームとして成り立たなくなってしまう。", "title": "問題点" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "前述のような膨大な所要時間により、アイテムや仮想通貨の獲得だけでも膨大な時間を要するため、時間短縮のためこれらを現実通貨で購入する需要が発生する。これを運営企業が提供するものがアイテム課金であり、外部企業が提供するものはリアルマネートレード (RMT) と呼ばれる。リアルマネートレードは、運営会社が規約により禁止するケースがほとんどである(規約違反であり、法律違反ではない)。なお、海外では『ディアブロ3』など公式でRMTを可能にしているゲームもあった。", "title": "問題点" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "『シールオンライン』、『マビノギ』、『Master of Epic -The ResonanceAge 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オンラインゲームとは、主にオンラインによるコンピュータネットワークを利用したゲーム(コンピュータゲーム)。略して、オンゲー、ネットワークゲーム、ネットゲーム、ネトゲとも呼ばれる。 テーブルトークRPGのチャットプレイである「オンラインセッション」や投稿参加型のマルチユーザーゲームである「定期更新型オンラインゲーム」など、必ずしもコンピュータによるゲーム進行処理やリアルタイム処理を必要としないゲームプレイも、オンラインの場で多数のユーザーを集めて行うものはオンラインゲームと呼ぶこともある。
{{Redirect|MMO|[[ロールプレイングゲーム|RPG]]|MMORPG|[[ファーストパーソン・シューティングゲーム|FPS]]|MMOFPS}} <!--許諾されています(ファイルページ参照)-->[[File:EVE Combat.png|thumb|''[[Eve Online]]''での戦闘]]{{コンピュータゲームのサイドバー}} '''オンラインゲーム'''({{Lang-en-short|[[w:Online game|online game]]}})とは、主に[[オンライン]]による[[コンピュータネットワーク]]を利用した[[ゲーム]]([[コンピュータゲーム]])<ref name="e-words">{{Cite web|和書|url = http://e-words.jp/w/E382AAE383B3E383A9E382A4E383B3E382B2E383BCE383A0.html|title = オンラインゲームとは - IT用語辞典|accessdate = 2014-4-3}}</ref><ref name="kotobank">{{Cite web|和書|url = https://kotobank.jp/word/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0-2144|title = オンラインゲームとは - コトバンク|accessdate = 2014-4-3}}</ref>。略して、'''オンゲー'''、'''ネットワークゲーム'''、'''ネットゲーム'''、'''ネトゲ'''とも呼ばれる<ref name="kotobank" />。 [[テーブルトークRPG]]の[[チャット]]プレイである「[[オンラインセッション]]」や投稿参加型のマルチユーザーゲームである「[[定期更新型オンラインゲーム]]」など、必ずしも[[コンピュータ]]によるゲーム進行処理やリアルタイム処理を必要としないゲームプレイも、オンラインの場で多数のユーザーを集めて行うものはオンラインゲームと呼ぶこともある<ref group="注釈">概ねサーバ処理を介さず、[[World Wide Web|WWW]]コンテンツベース+管理者裁量による進行で行われるものは、特に「[[プレイバイウェブ]]」と呼ばれる。</ref>。 == 概要 == {{出典の明記|date=2013年9月|section=1}} {{See also|コンピュータゲームの歴史}} [[コンピュータネットワーク]]を介して専用の[[サーバ]]や他のユーザーのクライアントマシンである[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]や[[ゲーム機]]と接続し、[[オンライン]]で同じゲーム進行を共有することができる[[ゲーム]]である<ref name="e-words" />。[[インターネット]]が普及した後のオンラインゲームのほとんどは[[インターネット]]を介して接続するようになっているが、それ以前にも[[Local Area Network|LAN]]環境を利用したり、[[ダイヤルアップ接続]]でアクセスしたりするものは存在した。古くは、専用機による[[囲碁]]や[[将棋]]による遠隔対局システムもあった。流通形態が[[パッケージソフトウェア|パッケージ]]ではない[[ダウンロードゲーム]]を指す場合もあったが、現在では多人数参加型のゲームをオンラインゲームと呼ぶことが一般化した<ref name="e-words" />。 既存のゲームのプレイ環境がオンラインに変わっただけの[[ネット碁|オンライン囲碁]]から、オンライン専用にデザインされた[[MORPG]]/[[MMORPG]]まで、様々なバリエーションが存在する。専用アプリケーションを使わずプログラム言語、[[HyperText Markup Language|HTML]]ソースでの汎用処理を行い主に[[ウェブページ|Webページ]]で動作するゲームは[[CGIゲーム]]や[[ブラウザゲーム]](Webゲーム・Webアプリ)となる。<!--なお、{{要出典範囲|[[日本]]において「ネットゲーム」は[[遊演体]]の登録商標であり|date=2010年9月}}、この場合は同社が主催する[[プレイバイメール]]を指す<ref>[http://www.interq.or.jp/tokyo/yaso/~is6f-isi/pbm/star/start/aisatsu.html ■■遊演体からのご挨拶■■]参照。遊演体のいう「ネット」はコンピュータネットワークに限らず、プレイヤー間のネットワーク全般を指しているとしている。</ref>。-->[[ウェブブラウザ]]を使う場合はブラウザゲーム、[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]上で提供される場合にはソーシャルゲーム、[[ストリーミング]]配信される場合にはクラウドゲームと呼ばれる。[[プレイバイウェブ|PBW]]はブラウザゲームの一種として括られている。これらの最大の特徴であり利点は、専用のソフトをダウンロードすることなくIDを登録するだけでプレイできるところにあり、インターネットに接続できる環境さえあれば、ノートPC・[[Mac (コンピュータ)|Mac]]・ネットカフェなど、いつでもどこでもプレイ可能である。また、[[2010年代]]からの[[スマートフォン]]の流行に伴い、専用のネイティブ[[アプリケーションソフトウェア|アプリ]]<ref>{{Wayback|url=http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/keyword/25120.html |title=ネイティブアプリケーション とは|date= 20160304090552}}</ref>をダウンロードしてプレイするゲームアプリ([[モバイルゲーム]]、スマホゲームとも呼ぶ)が急速に広まった。 特に不具合解消あるいは新機能追加を目的としたヴァージョンアップのために、製作元のサイトから[[パッチ]]が提供され、そのダウンロードが必須になることがある。またソフトの不正コピー対策などのための認証に、プレイ中ネットワーク接続が必須の仕様になっている場合もある。これらパッチのダウンロードや認証のためにオンラインであることが必要なだけで、他ユーザーとはゲーム進行が共有できない場合には、オンラインゲームとは呼ばれない。ゲームの進行中はオンラインである必要はないが、開始や終了時にプレイ内容などのゲーム情報などが送信され、ランキングその他の情報として集計されるシステムを搭載するゲームについても、基本的に他ユーザーとゲーム進行が共有できない場合はオンラインゲームに含まれない。こうしたゲームは「ネット対応」などと表現される。 料金制度は、ゲーム製作(運営)企業によりゲームサーバが運営されている場合、一部の小規模なものを除き、ユーザーが月額いくらかの利用料金を支払うことでゲームプレイ可能期間を購入する[[定額課金制]]と、基本プレイ料金は無料だがゲーム内に登場するアイテムを販売して利益を得る[[アイテム課金]]制が一般的となっており、定額課金制でアイテム販売も行っているゲームもある。特に[[大韓民国|韓国]]産オンラインゲームでブラウザゲームの台頭もありアイテム課金制が主流となっている。企業によっては、短期間の無料ゲームプレイが可能ないわゆる「お試し期間」を設けているところもある。誰でも無料で参加することができるオープン・[[ベータ版|ベータ]]テストと呼ばれる公開テスト期間を、正式サービス開始前に設けることにより、ゲームの最終テスト、宣伝、及びユーザー獲得を同時に行うケースも増加している。これに対しあらかじめ限定された人間のみで行うテストをクローズド・ベータテストと呼び、通常はオープン・ベータテストの前に行われる。 オンラインゲームの商業的普及は1997年の『[[ウルティマオンライン]]』といわれる<ref name="4gamer20090818022">{{Cite web|和書|url = https://www.4gamer.net/games/005/G000570/20090818022/|title = 【島国大和】ゲームはいずれ全部オンラインゲームになる|accessdate = 2014-4-3}}</ref><ref name=":0">{{Cite web|和書|url=http://www.ieice-hbkb.org/files/S3/S3gun_08hen_06.pdf#page=8|title=知識ベース S3群 脳・知能・人間8編 コラボレーションシステム6章 コミュニティ|accessdate=2020-04-28|publisher=[[電子情報通信学会]]|page=|pages=8-9}}</ref>。これは定額課金制であったが、その後[[アイテム課金]]のゲームが主流となった<ref name="4gamer20090818022" />。 == 主な種類 == === MO/MMORPG === {{main|MORPG|MMORPG}} MOは多人数参加型オンライン(Multiplayer Online)、MMOは大規模多人数参加型オンライン(Massively Multiplayer Online)となる。家庭用ゲーム機のRPGとは違い、セーブが無く、クリアという目的を達成することの概念が拡張され続け、レベルアップして強くなったり、[[レアアイテム]]を集めたり、ギルドなどに加入をし[[コミュニケーション]]をとったりと色々な楽しみ方が存在する。他のプレイヤー協力プレイをすることで、共に強い敵を倒したりすることも出来る。 === MMOFPS === {{main|MMOFPS}} FPSとは「[[ファーストパーソン・シューティングゲーム|First Person Shooter]]」の略称で、一人称視点の[[シューティングゲーム]]である。主に銃やナイフで目の前のモンスターの敵または場合によっては他プレイヤーを狙撃して、ミッションをクリアすることが目的となっている。[[MMORPG]]と比べると、短時間で楽しめることや、アクション性の高さが挙げられる。 === オンラインカジノ === {{main|オンラインカジノ}} オンラインカジノは、インターネットを通じてプレイする[[カジノゲーム]]のことである。多くのオンラインカジノには無料でできるプレイと実際にお金を賭けるプレイの2つのゲームコーナーが設けてある。目的にあった方法を選ぶ必要がある。<!--オンラインカジノには[http://casino-red.info/ ポータルサイト]による[http://casino-red.info/game.html カジノゲーム]の説明なども行っている。--> === eスポーツ === {{main|エレクトロニック・スポーツ}} エレクトロニック・スポーツ(eスポーツ)というゲームを[[スポーツ]]とする動きもあり[[アスリート|スポーツ選手]]のような[[プロゲーマー]]も誕生している<ref>{{Cite web|和書|url = http://japanese.engadget.com/2013/08/18/pc-league-of-legends/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190506070800/https://japanese.engadget.com/2013/08/18/pc-league-of-legends/|archivedate=2019-05-06|deadlinkdate=2022-05-01|title = 米国政府、PCゲームLeague of Legendsをプロスポーツと認定。外国人選手にアスリートビザを発行|accessdate = 2013-9-12}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url = http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702303674004579265311889377266.html|title = 米政府、韓国のゲーマーにプロアスリート用ビザを発行|accessdate = 2014-4-3}}</ref>。 == 用語 == ;Boosting(ブースティング) / Win trading(談合試合、八百長試合)、スマーフ、スマーフィング :ブースティングは、自らの所有するアカウントのランキングを他人にアカウントを預ける・強い味方に協力してもらうなどして上げてもらう行動<ref>{{Cite web|和書|url=https://kai-you.net/article/81677 |title=ゲーマーにとってブースティングは何を意味するのか 『VALORANT』の事例から考える |access-date=2023-01-03 |website=KAI-YOU.net | POP is Here . |language=ja}}</ref>。ウィントレードは、八百長試合のことで、敵味方の談合によって依頼者の勝率やランクを操作するチートである<ref>{{Cite web|和書|url=https://wildrift.leagueoflegends.com/ja-jp/news/announcements/update-on-win-trading/ |title=ウィントレード(不正行為)に関する最新情報 |access-date=2023-01-03 |website=wildrift.leagueoflegends.com |language=ja-jp}}</ref>。 :スマーフィング、スマーフは、上級者が別のアカウントなどを取得するなどして初心者狩りを行うことで、ブースティングなどと併用される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gamebusiness.jp/article/2021/06/05/18687.html |title=『Apex Legends』チート・スマーフ対策に「バトルパス購入アカウントのみランクマッチに参加可能」を提案―ユーザーアンケートでは過半数が賛成派 |access-date=2023-01-03 |website=GameBusiness.jp |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://esports.bcnretail.com/news/221114_000799.html |title=ゲームにおける「スマーフ」とは?意味や注意点をわかりやすく解説!|BCN eスポーツ部 - 高校eスポーツを応援するニュースサイト |access-date=2023-01-03 |website=esports.bcnretail.com |language=ja}}</ref>。 ;切断 :負けそうになった時に、回線を切断することで対戦をなかったことにする行為で、運営サイドが確認した場合はペナルティが課される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1612/31/news010.html |title=悩ましいオンラインゲームの「故意による切断問題」 正直者は損をする? |access-date=2023-01-03 |website=ITmedia Mobile |language=ja}}</ref>。 ;[[裏技]]、[[グリッチ]]、[[エクスプロイト]] :プログラム上の隙をつくなどして運営サイドが予期していなかった動作を起こさせる行動。 ;ゴースティング、スナイプ :動画配信者などの他者の視界を確認することで、敵の位置などを確認して有利な状況を生み出す違反行動。スナイプは、そのような配信者などを狙って行動すること<ref>{{Cite web|和書|url=https://esports.bcnretail.com/news/230103_000875.html |title=「ゴースティング」「スナイプ」とは?なぜ不正行為なのかを解説!|BCN eスポーツ部 - 高校eスポーツを応援するニュースサイト |access-date=2023-01-03 |website=esports.bcnretail.com |language=ja}}</ref>。 ;スクリプティング :スクリプティングは不正なプログラムやツールを使用して有利な状況を生み出すこと<ref>{{kotobank|スクリプティング}}</ref>。 ;[[ボット (ゲーム)|ボット]]、マクロ、オートプレイ :自動操作を行うツール、ゲーム制作会社が仕様として作ったものならオートプレイ。第三者が開発したものならボットやマクロと呼ばれ、ゲーム制作会社からは不正利用とされペナルティを負う場合もある<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/series/koreagame/1182993.html |title=“裏のプロゲーマー”が暗躍する世界。BOT問題で揺れる韓国MMORPG業界。結局、BOTは良いのか悪いのか? |access-date=2023-01-03 |last=株式会社インプレス |date=2019-05-07 |website=GAME Watch |language=ja}}</ref>。 == 問題点 == {{出典の明記|date=2013年9月|section=1}} === 膨大な所要時間と依存症 === [[オンライン]]ということもあり、[[インターネット依存症]]([[ネット中毒]])など、[[インターネット]]に関わる共通の問題を抱えることもある<ref name=":0" />。日本で最初にそれらの治療を始めた[[国立病院機構久里浜医療センター|久里浜医療センター]]によると、10代の男子学生は、[[携帯電話]]・[[スマートフォン]]の[[ソーシャルゲーム]]ではなく、[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]・[[ゲーム機]]を使うオンラインゲームへの依存([[ネットホリック]])性が強いという<ref name="itpro492762">{{Cite web|和書|title=子供のネット依存、治療に当たる久里浜医療センター院長が「生易しい問題ではない」と警告|publisher=[[日経BP]]|date=2013-07-25|url=https://xtech.nikkei.com/it/article/Watcher/20130720/492762/|accessdate=2013-08-06}}</ref>。逆に、20代以上の女性は[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]への依存傾向が強く、ゲームへの依存は珍しい<ref name="itpro492762" />。 月額課金の作品では、数千時間もの膨大な所要時間で何年も課金が必要となる設定となっている場合がある。中国、タイ、ベトナムではプレイ時間が規制されており、韓国でも青少年の深夜プレイが規制されているが、日本ではこのような規制は存在しない。この膨大な所要時間により、通常のオフラインのゲームでは生じない[[ゲーム依存症|オンラインゲーム依存症]]とも呼べる問題が各国で発生している。[[ロシア]]・[[大韓民国|韓国]]・[[中華人民共和国|中国]]では過度のネットゲームのプレイを行ったことにより身体に極度の負荷がかかり死亡したというケースも存在する。韓国では2005年8月にインターネットカフェで連続50時間ネットゲームをプレイして死亡するという事件も起きており、アジア諸国では社会問題となり、[[タイ王国|タイ]]や中国では法によりプレイ時間が規制されている<ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/0210/09/njbt_09.html News:86時間連続ネットゲームで死亡?]や[http://j.people.com.cn/2003/01/13/jp20030113_25126.html ネットカフェでゲーム6時間、香港男性が死亡]を参照。</ref>。日本でも「ネトゲ廃人」「ネトゲ廃女」など、このような問題を扱った書物が出版されている。『[[ラグナロクオンライン]]』のヘビー・ユーザーとして知られる[[声優]]の[[植田佳奈]]が「現実世界は出稼ぎ、ネット社会が現実」と発言して物議を醸した例がある。そのような人々は「[[廃人]]」などと揶揄される。声優の[[緑川光]]のように廃人をも超越した存在として「超廃人」と呼ばれる人も存在する。1999年の『[[エバークエスト]]』は「エバークラック」と称される程、特に話題となった。 === 不正行為・セキュリティ・RMT === 2007年ごろから、感染するとゲーム内の通貨が盗まれてしまうコンピュータウィルス([[アカウント#アカウントハックツール|アカウントハック]])が多数出始めた。[[チート]]など不正行為の問題があり<ref name=":0" />(特に不正アクセスについては[[不正アクセス行為の禁止等に関する法律]]がある)、イタチゴッコが続けられている。エミュレートサーバ([[エミュレータ (コンピュータ)]])というゲーム運営・開発者とは、まったく無縁な非公式なサーバが海外・国内を問わず運営する個人や団体が存在する。これもひとつのチートといわれることもある。[[DoS攻撃#DDoS攻撃|DDoS攻撃]]などの標的にされる場合もある。2005年4月9日よりはじまった、『[[ファイナルファンタジーXI]]』のネットワーク障害や4月16日からの『[[ラグナロクオンライン]]』におけるネットワーク障害がこれが原因であるとされる。DDos攻撃はIPアドレスの偽装などを行うため、特定できない場合も多く今後も継続的にこのような攻撃が行われるようならば、プレイ自体できないことに追い込まれ、ゲームとして成り立たなくなってしまう。同行為が横行しやすい(言い換えればゲーム提供側のセキュリティ意識の低い)ゲームでは、利用者離れが発生するケースも見られる。 前述のような膨大な所要時間により、アイテムや仮想通貨の獲得だけでも膨大な時間を要するため、時間短縮のためこれらを現実通貨で購入する需要が発生する。これを運営企業が提供するものがアイテム課金であり、外部企業が提供するものは[[リアルマネートレーディング|リアルマネートレード]] (RMT) と呼ばれる。リアルマネートレードは、運営会社が規約により禁止するケースがほとんどである(規約違反であり、法律違反ではない)。なお、海外では『[[ディアブロ3]]』など公式でRMTを可能にしているゲームもあった。 === 無料ゲーム・アイテム課金の弊害 === 接続無料のアイテム課金について、「広告で無料ばかりが強調され、有料コンテンツが含まれていることが表示されていない。」「ゲームサイトにアクセスした途端に高額な請求をされる。」などの問題点がある<ref>[http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20091216_2.html 「無料」のはずが高額請求、子どもに多いオンラインゲームのトラブル]国民生活センター、2009年12月16日</ref>。 『[[シールオンライン]]』、『[[マビノギ (ゲーム)|マビノギ]]』、『[[Master of Epic -The ResonanceAge Universe-]]』といったこれまで月額課金を行っていたゲームが総じて接続無料の[[アイテム課金]]にシフトし始めている<ref name=":0" />。現金を使ってアイテムを購入することでゲームプレイが他人より有利になるように仕組まれている。逆に言えば同時期に始め、現金でアイテムを購入したユーザーとそうでないユーザーの間の差が広がりすぎること、それに伴いアイテムを現金で購入しなければゲームを楽しめないこと、接続無料によって気軽にゲームをプレイできる反面、[[リアルマネートレーディング|RMT]]目的の外国人の出稼ぎプレイヤーや小学生など精神的に未熟なユーザーが多く流入し、今まで培ってきたゲームの雰囲気を壊すという問題もある。 [[プレイバイウェブ|商業PBW]]は接続無料の[[アイテム課金|課金コンテンツ]]有で、無料範囲分だけでも楽しめる。 === 諸問題によるサービス停止 === オンライン専用ゲームは、様々な理由で短期間でサービス停止になる場合がある。新規ユーザー確保および既存ユーザーの契約維持のため、[[インターネットカフェ]]と提携して店内でのプレイを可能にしたり、契約解除されたユーザーアカウントを復活させるなどのキャンペーンなどを行っている。これらから特に後発企業はオンラインゲームでいかに採算を維持するか、新規ユーザーを獲得するかの難しさが伺える。パッケージで販売されるゲームとは異なり、メーカーにとってサービス開始後も継続的にコストが発生する。そのため、ユーザーの契約を維持し解約させないために、ゲームシステムの設計が大量の時間を費やすことを必要としたものとなっているゲームが多いという指摘がある。 ; [[トゥルーファンタジー ライブオンライン]] : 開発途中で採算が合わないと判断され開発中止。 ; [[銀河英雄伝説 (ゲーム)|銀河英雄伝説VII]] : β版としてパッケージがリリースされるも版権トラブルのため、サービスが終了。 ; [[スター・ウォーズ|スター・ウォーズ ギャラクシーズ]] : 管理会社のシステム管理が不十分で、修正パッチが出る度にバグが発生し、日本でのサービスが終了。 ; KAROS Online : オー・ジーエンターテインメントにより、10年間の運営宣言があったが<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.4gamer.net/games/078/G007853/20110310079/|title = 「KAROS Online」サービスに向けた“10年間の安全運営”を宣言|accessdate = 2014-4-3}}</ref>、2年後に終了となった。 ; メイド・メイド : スマートフォンに対応できないことが判明したことや、イベントでのトラブル多発により、サービス主体の[[GREE]]がサービス終了。 === 著作権 === オンラインゲーム大国と呼ばれる韓国のオンラインゲームの一部は、既存のゲームのモデリングなどを流用したものも見受けられる。例としてWebZenの『Wiki』が[[任天堂]]の『[[ゼルダの伝説 風のタクト]]』以降のデザインを盗作し、任天堂が韓国の提携会社を通じて公式の警告文を送った。またNexonの『[[カートライダー]]』が任天堂の『[[マリオカート]]』シリーズの盗作と非難され(中国ではそのカートライダーを更に盗作したゲームもあり、色々と問題が起きている)、ネオプル社の『新野球』が[[コナミデジタルエンタテインメント|コナミ]]の『[[実況パワフルプロ野球]]』の盗作とされコナミから提訴されるなど、韓国の[[著作権]]などの甘さを浮き彫りにしている側面もある。 === マナー・トラブル === ゲームに慣れたプレイヤーである、いわゆる中級者になると、「ゲームに詰まった」「上級者に勝てない」「勝利数を稼ぐ」などの理由で「初心者狩り」といわれる[[プレイヤーキラー]]を始めるプレイヤーもいる。特にプレイヤー同士の対戦を目的とするオンラインゲームに多く、初心者離れを起こす原因となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://spirits.appirits.com/doruby/10343/ |title=対人ゲームにおける初心者について考える |publisher=Appirits |accessdate=2021-06-09}}</ref>。 オンラインゲームに関連するトラブルは近年増加傾向にあり、特に子供が関連する金銭面でのトラブルが多い<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kokusen.go.jp/soudan_topics/data/game.html |title=オンラインゲーム(各種相談の件数や傾向) |publisher=[[国民生活センター]] |accessdate=2021-06-09}}</ref>。課金をしていないことを馬鹿にされたり、下手くそなどの攻撃的な言動を浴びせられることもあり、一部の小中学校ではゲームタイトルを名指しして注意喚起を行う書類が配布されたりもしている<ref>{{Cite web|和書|url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2008/21/news026.html |title=なぜ「フォートナイト」は子ども間のトラブルを引き起こすのか? プレイヤーの立場から解説してみる |publisher=[[ITmedia|ねとらぼ(ITmedia)]] |date=2020-08-24 |accessdate=2021-06-09 }}</ref>。 オンラインゲーム上のトラブルが発端となり暴行事件や殺人事件にまで至ったケースも存在する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0506/22/news078.html |title=台湾で「オンラインゲーム殺人事件」 |publisher=[[ITmedia]] |date=2005-06-22 |accessdate=2021-06-09}}<br>{{Cite web|和書|url=https://www.cnn.co.jp/usa/35113984.html |title=ゲーム内の争いが殺人事件に、無関係の男性死亡 米カンザス州 |publisher=[[CNN (アメリカの放送局)|CNN]] |date=2018-01-31 |accessdate=2021-06-09}}<br>{{Cite web|和書|url=https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/3478 |title=オンラインゲームでトラブル、千葉の少年を京都に呼び出し暴行 |publisher=[[京都新聞|京都新聞社]] |date=2019-02-11 |accessdate=2021-06-09}}</ref>。 オンラインゲームで知り合った他者に[[麻薬]]取引を持ち掛けられたり、[[未成年]]者がゲーム上のみでの知り合いに出会い目的で誘い出されるなど、犯罪に巻き込まれるケースもあり、一部では逮捕者も出ている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fnn.jp/articles/-/605 |title=スマホゲーム「荒野行動」を通じ中学生に大麻購入を勧誘 “スマホから忍び寄る危険”を防ぐには? |publisher=[[フジニュースネットワーク|FNNプライムオンライン]] |date=2019-12-26 |accessdate=2021-06-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://news.livedoor.com/article/detail/16011632/ |title=ゲームで知り合った12歳男児と強制性交か 22歳のシングルマザーを逮捕 |publisher=[[週刊女性PRIME]],[[Livedoor ニュース]] |date=2019-02-12 |accessdate=2021-06-09}}</ref>。いずれのケースも、ゲームで協力し合ううちに親密になるオンラインゲームの特性が悪用された形となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20191230/k00/00m/040/297000c |title=オンラインゲーム「荒野行動」 大麻購入持ちかけ、犯罪続発 親密になれる特性悪用 |publisher=[[毎日新聞|毎日新聞社]] |date=2019-12-30 |accessdate=2021-06-09 }}</ref>。 == 家庭用ゲーム機でのオンラインゲーム == {{出典の明記|date=2013年9月|section=1}} 従来のオンラインゲームは基本的に[[パソコンゲーム|PCゲーム]]として製作されているが、ハードの高機能化にともない家庭用ゲーム([[コンシューマーゲーム]])機向けオンラインゲームも作られるようになってきた。 === XBAND === 1994年にアメリカのカタパルト社によって、SNES([[スーパーファミコン]])、セガジェネシス([[メガドライブ]])のアナログ[[電話回線]]による通信対戦サービス『'''XBAND'''』が開始され、日本中の見知らぬ相手とオンライン対戦が楽しめるようになった<ref>{{Cite book|和書 |title=ファミ通 No.393 |date=1996年6月28日 |year=1996 |publisher=アスキー |pages=50,51,}}</ref>。これがコンシューマーにおけるオンライン対戦サービスの元祖となる(それ以前にも、個別のゲームソフトで通信対戦をサポートしていたものは存在した)。日本でも[[ニフティサーブ]]を運営していた[[日商岩井]]が米カタパルト社と提携してカタパルト・エンタテインメントを設立して1996年4月にスーパーファミコン、同年7月に[[セガサターン]]でのサービスを開始したが、1997年9月にカタパルト・エンタテインメントがXBANDより撤退。セガサターン版のみをセガが運営を引き継ぐことになった(1999年7月にサービス終了)。 === セガ === ハードメーカーがオンラインゲームを推進したのは[[セガ]]が最初である。メガドライブ用のゲームダウンロードサービス『[[ゲーム図書館]]』やセガサターンでの「セガサターンネットワークス」(XBANDや、インターネット接続などのサービス)<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/960604/saturn.htm ネットワーク接続セット「セガサターンネットワークス」7月27日より発売開始]</ref>において通信サービスのノウハウを収集したセガは自社のゲーム機[[ドリームキャスト]]にアナログモデムを標準搭載し、プロバイダに入っていない年少の購入者向けに[[インターネットサービスプロバイダ|インターネットプロバイダ]]「イサオネット」を設立して連携、[[ウェブブラウザ|Webブラウザ]]を無料配布したり、オンラインゲーム以外でもネットに接続することで追加データをダウンロードできる特典を付加することによってオンライン接続を積極的に推進するとともに、『[[ファンタシースターオンライン]]』などのオンラインゲームを展開した。 === ソニー・コンピュータエンタテインメント === [[ソニー・コンピュータエンタテインメント]]は[[PlayStation 2]]にオプションで[[PlayStation BB Unit]]を追加することでPlayStation BBというサービスを展開していた。以降の次世代機では[[PlayStation Network]] (PSN) が標準装備として引き継がれている。また一部のゲーム(基本的にオンラインには非対応であるが、ネットワークアダプターのLAN回線による通信には対応するゲーム)では海外で開発された[[Xlink Kai]]というツールを使ってオンラインゲームを楽しむユーザーもいる。 === マイクロソフト === [[マイクロソフト]]は[[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]で[[イーサネット]]端子を標準搭載しており、[[インターネットプロトコル]]の上に独自のクローズネットワークを構成する形式の[[Xbox Live]]システムを展開している。これはXbox Liveのアカウントを作成(かつては月額、または年額での固定料金が必要だった)すれば、基本的なオンライン対戦などのサービスが共通で受けられるもの。フレンドリストによる対戦プレイヤーの管理(ゲーム中から登録したプレイヤーがいま何のゲームをプレイしているかなどを確認し、今プレイしているゲームに招待するといった機能)を実現した。このシステムは2005年11月に販売が開始された[[Xbox 360]]にも継承されている。Xbox Liveは[[Microsoft Windows|Windows]]でも対応し、一部のゲームタイトルではXbox 360とパソコンとでサーバーを共用し、相互の同時プレイが可能である。 === 任天堂 === [[任天堂]]はファミコンディスクシステムのディスクをゲーム店にあるオンライン端末に入れることで全国のプレイヤー間のハイスコアランキングを行う『[[ディスクファクス]]』や、オンラインで旧ハードのゲームを販売する『[[ニンテンドウパワー]]』、<!--といった{{独自研究範囲|業務用のネットワークサービスの活用には積極的だったが、各家庭のゲーム機を使用したオンラインゲームには消極的な姿勢を見せていた。これは、「ゲームは子供のもの」という任天堂のゲームに対する方針から、プレイするのに専門的な知識が必要で、通信費・プレイ料金が高くついたり、クレジットカードが必要だったりするオンラインゲームは子供にとってはハードルが高すぎるという判断であった。|date=2013年7月}}-->年を追うごとに、衛星放送の電波を通じてゲームを配信する『[[サテラビュー]]』、[[NINTENDO64]]と[[64DD]]でインターネットに接続する『[[ランドネット]]』、[[ゲームボーイカラー]]・[[ゲームボーイアドバンス]]と[[携帯電話]]を繋いでデータ通信を行う『[[モバイルアダプタGB|モバイルシステムGB]]』といったサービスを展開していったがいずれも商業的には成功せずNINTENDO64の次世代機である[[ニンテンドーゲームキューブ]]では『[[ファンタシースターオンライン]]』など、一部のソフトでネットワークを使用するに留まった。 しかしながら、[[ブロードバンドインターネット接続]]の急速な普及によりこれらの問題は解決できたとして、2005年11月から、「カンタン・あんしん・無料」をモットーとした[[ニンテンドーDS]]の無線LAN機能を活用する[[ニンテンドーWi-Fiコネクション]]を開始した。これは家庭内の無線LANでの接続に加え、ゲーム販売店など約1000箇所に設置された専用の[[アクセスポイント (無線LAN)|アクセスポイント]]や[[FREESPOT]]から任天堂のゲームについては課金を行わないことで手軽にオンラインゲームを楽しんでもらえるとしている。ニンテンドーWi-Fiコネクションは後に発売された[[Wii]]にも対応している。ニンテンドーWi-Fiコネクションに最初に対応したソフト『[[おいでよ どうぶつの森]]』は500万本以上の大ヒットとなった。 == 関連項目 == * [[ネットワーク中立性]] * [[ネットワークインフラただ乗り論争]] * [[仮想通貨]](暗号資産) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ===注釈=== {{Notelist}} ===出典=== {{Reflist}} {{コンピュータゲームのジャンル}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:おんらいんけえむ}} [[Category:オンラインゲーム|*]]
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電子ブロック
電子ブロック(でんしブロック)とは、 両者とも電子回路の初期教育用として使われていたが、1990年頃にはより汎用性の高い類似のソルダーレスブレッドボードに置き換わっている。本項では後者を中心に記述する。 あらかじめ電子部品や配線が組み込まれたブロックを並べることで電子回路を組んで実験が行える電子玩具。初期には象牙色のブロックを並べてゆくDRシリーズ(1965年発売)と、半透明なブロックとピンを刺して配線して行く廉価版電子ボードのSRシリーズ(1968年発売)を発売しブームを呼んだ。 その後、商品はブロックの抜き差しが小さな子供でも容易なSTシリーズ(1971年発売)へ改良された。学研との業務提携後にSTシリーズをさらに改良し、よりファッショナブルになったEXシリーズ(1976年発売)でブームは最盛期を迎え、上位機種EX150では、150の電子実験を行えた。なお、EXシリーズの最上位機種はEX150にシンセサイザーユニットを同梱して31の回路図を追加したEX181であり、さらにFMユニットが追加で販売されているので、回路図の数は計191回路となる。 1981年に発売されたFXシリーズを最後に一旦生産が打ち切られた。FXシリーズには基礎回路65+マイコン回路100のFX-マイコン R-165と、基礎回路65+サウンド・クロック回路80のFX-メロディ&ウォッチが存在する。マイコン回路100は回路の組み替えはなく、マイコンユニットのプログラムが100種類用意されたものである。マイコンユニット、クロックユニット+サウンドブロックがそれぞれ別途販売されていたので、セットに付属しないユニットを買い足すと、基礎回路65+マイコン回路100+サウンド・クロック回路80の合計245回路の実験ができた。 2002年にEX150の復刻版が発売され、さらにその復刻版オリジナル拡張キットとして「拡張キット光実験60」が発売された。 EXシリーズは、A4程度の大きさの本体に48の差み口がある。46のブロック(トランスとキースイッチはブロック2つ分の大きさ)には、14種類の抵抗器、2種類のダイオード、8種類のコンデンサ、2種類のトランジスタ、5種類の配線専用ブロック、およびコイル、ランプ、トランス、キースイッチが含まれる。これらのブロックを48の差込口に差込み、回路を形成する。作成できる回路には水位報知器、嘘発見器、明るくなると鳴るフォトラジオなどがある。 2009年6月には大人の科学マガジン vol.24 の付録としてFX-マイコン R-165 のマイコンユニットを再現し外部入力を省略した4ビットマイコンGMC-4が発売された。 2011年11月には大人の科学マガジン vol.32 の付録として電子ブロックminiが発売された。ブロックはEXシリーズと同じ大きさで互換があり、5×5=25個の電子ブロックと50種類の実験回路が組める、その他にこの電子ブロックminiを2組使うと回路や、製品版EXシリーズのブロックを追加してできる作例も紹介されている。 類似品として、ドイツのブラウンがドイツ国内で発売していたLectronという商品がある。
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電子ブロック(でんしブロック)とは、 電子ブロック機器製造が製造・販売している電子回路の実習用教材製品。 電子ブロック機器製造と、のちに業務提携した学習研究社(現・学研ホールディングス)がかつて発売していた、電子実験をする玩具。 両者とも電子回路の初期教育用として使われていたが、1990年頃にはより汎用性の高い類似のソルダーレスブレッドボードに置き換わっている。本項では後者を中心に記述する。
{{出典の明記|date=2017-07-11}} [[画像:Gakken_EX150.jpg|thumb|200px|right|学研電子ブロック EX150]] [[画像:Denshi blocks.jpg|thumb|200px|right|ブロックの一部]] [[画像:Denshi block synthesizer.jpg|thumb|200px|right|最上位機種 EX181に同梱されたシンセサイザーユニット]] '''電子ブロック'''(でんしブロック)とは、 # 電子ブロック機器製造<ref>電子ブロック機器製造株式会社 [https://www.denshiblock.co.jp/dbkinfo.html]:[[愛知県]][[春日井市]]細木町、{{法人番号|5180001017491}}</ref>が製造・販売している電子回路の実習用教材製品。 # 電子ブロック機器製造と、のちに業務提携した学習研究社(現・[[学研ホールディングス]])がかつて発売していた、電子実験をする[[玩具]]。 両者とも電子回路の初期教育用として使われていたが、1990年頃にはより汎用性の高い類似のソルダーレス[[ブレッドボード]]に置き換わっている。本項では後者を中心に記述する。 == 概要 == あらかじめ電子部品や配線が組み込まれたブロックを並べることで電子回路を組んで実験が行える電子玩具。初期には象牙色のブロックを並べてゆくDRシリーズ(1965年発売)と、半透明なブロックとピンを刺して配線して行く廉価版電子ボードのSRシリーズ(1968年発売)を発売しブームを呼んだ。 その後、商品はブロックの抜き差しが小さな子供でも容易なSTシリーズ(1971年発売)へ改良された。学研との業務提携後にSTシリーズをさらに改良し、よりファッショナブルになったEXシリーズ(1976年発売)でブームは最盛期を迎え、上位機種EX150では、150の電子実験を行えた。なお、EXシリーズの最上位機種はEX150にシンセサイザーユニットを同梱して31の回路図を追加したEX181であり、さらにFMユニットが追加で販売されているので、回路図の数は計191回路となる。 1981年に発売されたFXシリーズを最後に一旦生産が打ち切られた。FXシリーズには基礎回路65+マイコン回路100のFX-マイコン R-165と、基礎回路65+サウンド・クロック回路80のFX-メロディ&ウォッチが存在する。マイコン回路100は回路の組み替えはなく、マイコンユニットのプログラムが100種類用意されたものである。マイコンユニット、クロックユニット+サウンドブロックがそれぞれ別途販売されていたので、セットに付属しないユニットを買い足すと、基礎回路65+マイコン回路100+サウンド・クロック回路80の合計245回路の実験ができた。 2002年にEX150の復刻版が発売され、さらにその復刻版オリジナル拡張キットとして「拡張キット光実験60」が発売された。 EXシリーズは、A4程度の大きさの本体に48の差み口がある。46の[[ブロック]]([[変圧器|トランス]]とキースイッチはブロック2つ分の大きさ)には、14種類の[[抵抗器]]、2種類の[[ダイオード]]、8種類の[[コンデンサ]]、2種類の[[トランジスタ]]、5種類の配線専用ブロック、および[[インダクタ|コイル]]、[[ランプ (照明器具)|ランプ]]、[[変圧器|トランス]]、キースイッチが含まれる。これらのブロックを48の差込口に差込み、[[電気回路|回路]]を形成する。作成できる回路には水位報知器、[[嘘発見器]]、明るくなると鳴るフォト[[ラジオ]]などがある。 2009年6月には[[大人の科学]]マガジン vol.24 の付録としてFX-マイコン R-165 のマイコンユニットを再現し外部入力を省略した4ビットマイコン[[GMC-4]]が発売された。 2011年11月には[[大人の科学]]マガジン vol.32 の付録として電子ブロックminiが発売された。ブロックはEXシリーズと同じ大きさで互換があり、5×5=25個の電子ブロックと50種類の実験回路が組める、その他にこの電子ブロックminiを2組使うと回路や、製品版EXシリーズのブロックを追加してできる作例も紹介されている。 類似品として、ドイツの[[ブラウン (企業)|ブラウン]]がドイツ国内で発売していた[[Lectron]]という商品がある。 == 各シリーズと沿革 == * [[1965年]] 電子ブロックDRシリーズを発売(電子ブロック機器製造) ** DR-7 50回路 ** DR-7DX 60回路 ** DR-1A 14回路、オプション品追加購入で16回路 ** DR-2A 30回路 ** DR-4A ICデラックス 120回路 * [[1968年]]電子ブロックSRシリーズを発売(電子ブロック機器製造) ** SR-1A 16回路 ** SR-2A 30回路 ** SR-3A 100回路 ** SR-3ADX 105回路 ** SR-4ADX 150回路 * [[1968年]] MAGIC-7 20回路 を発売(電子ブロック機器製造)。 ** 回路を直接組み立てる他のセットとは異なり、象牙色の7個の暗号ブロックの並べ替えで20種の装置に変化させる事が出来た。玩具色が強く、使いやすさを重視しているため、応用できる範囲が狭く、回路原理を学ぶことには向いていない。また、組める回路が20種類と少ない割に価格は8,500円と高価だった。 ** 27.125MHzの送受信用の子機が付属している。しかし、付属しておらず、別売となっているセットもある、との旨が同梱のマニュアルに書かれている。<!--これは、買い求めやすくするため、追加パーツでグレードアップしていく他のシリーズと同じ考えに基づくものと推察される。←憶測は要らない。コメントアウト--> ** 20回路の内訳は以下の通り。 *** レフレックス式の3石ラジオ *** フォトラジオ *** 光線警報器 - 低周波発振、及びそれを中波帯(ラジオの周波数帯)でAM変調したもの、さらに短波帯(27.125MHz…本製品には「27.125MC(メガサイクル)」と表記)でAM変調したもの、以上3種類の方法のものがあり、回路としては3種類。 *** 水位報知器 - 同上。 *** 遮光警報器 - 同上。 *** 断水報知器 - 同上。 *** ワイヤレスマイク - 音声を中波帯と短波帯(27.125MHz)でそれぞれAM変調するものがあり、回路は2種類。 *** トランシーバー - 同上。 *** インターホン - 同上。 * [[1971年]] 電子ブロックSTシリーズを発売(電子ブロック機器製造) ** ST-25 25回路 ** ST-45 45回路 ** ST-100 100回路 - ST-100までのアンプユニットは青く、出力トランスを使用している。 ** ST-125 125回路 - アンプユニットの色は黒で、OTL回路で構成されている。ST-100から追加パーツでグレードアップ可能。 ** ST-155 155回路 - アンプユニットはST-125と同じ。 * [[1972年]] 学研が電子ブロックSRシリーズ、STシリーズを発売(学研と電子ブロック機器製造株式会社が提携) * [[1976年]] 学研電子ブロックEXシリーズを発売(学研)。ブロックの大きさや形状はSTシリーズと同じで互換性あり。 ** EX-15 15回路 ** EX-30 30回路 ** EX-60 60回路 ** EX-100 100回路 ** EX-120 120回路 ** EX-150 150回路 ** [[1979年]] EX-181 181回路 * [[1981年]] FXシリーズを発売(学研)。ブロックの大きさや形状はSTシリーズ・EXシリーズと同じで互換性あり。 ** FX-メロディ&ウオッチ 145回路 ** FX-マイコンR-165 165回路 * [[1986年]] 電子ブロック全シリーズ生産中止 * [[1998年]] ST-100機能再現モデルを発売(電子ブロック機器製造)。ST-100の「機能」を再現したものであり、ブロックやケース等の大きさ及び形状は本来のSTシリーズと異なり、互換性はない。 * [[2002年]] EX150復刻版を発売(学研) * [[2008年]] EX150新装版を発売(学研) * [[2011年]] 電子ブロックmini 50回路、25ブロック。[[大人の科学]]マガジン Vol.32の付録で、本体は使う前に組み立てる必要がある。ブロックの大きさや形状はSTシリーズ・EXシリーズ・FXシリーズと同じで互換性あり。 * [[2014年]] EX150復刻新装版を発売([[学研ステイフル]]) == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * Dostál, J. [http://mict.upol.cz/elektrotechnicke_stavebnice.pdf Electronic kits in education.] Olomouc, EU: Votobia, 2008. 74 s. {{ISBN2|978-80-7220-308-6}}. == 関連項目 == * [[マイキット]] * [[電子工作の歴史]] * [[理科離れ#現状]] * [[ブレッドボード]] * [[GMC-4]] - FX-マイコンR-165のマイコンユニットを単体で動く[[ワンボードマイコン]]にしたもの。大人の科学マガジン Vol24の付録。 == 外部リンク == * [http://otonanokagaku.net/products/kit/index.html 電子キットシリーズ - 復刻版電子ブロックオフィシャルサイト] * [http://otonanokagaku.net/feature/vol27/index.html 大人の科学 - ふろく電ブロminiのできるまで] * [http://www.denshiblock.co.jp/ 電子ブロック機器製造株式会社] * [http://yukikaze.fan.coocan.jp/ 電子ブロック研究博物館] {{toy-stub}} {{デフォルトソート:てんしふろつく}} [[Category:電子工学]] [[Category:電子玩具]] [[Category:ブロック玩具]] [[Category:子供の遊び]] [[Category:学研の玩具]] [[Category:科学教材]]
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笑い袋
笑い袋(わらいぶくろ)とは、内部に音を出す機械が入った布製の袋で、ボタンを押すと録音された笑い声を再生するジョークグッズである。 本家の製品は内蔵のアナログレコードを使っていたが、後には電子式のものも登場している。 ドイツの発明家ヴァルター・ティーレが1968年に製造した、笑い声を再生する機械を靴下に入れた「Lachsack」が原型とされる。 日本で笑い袋を製造販売していたパーティーグッズメーカーの株式会社アイコによると、内部の装置は1960年代にアメリカ合衆国向けのミッキーマウス人形の内蔵プレーヤーとして製作したもので、1967年にアメリカでの特許が出願されている。しかし売り上げは伸びなかったため、1969年にこの装置を入れた袋が「Laugh bag」などの名前でアメリカで売られたところ大ヒットし、翌年には日本でも発売されて流行したという。アイコでは30年以上笑い袋の製造を続けていたが、レコードの原盤が耐用限度を超えた事で廃盤となっている。 布製の巾着袋の中にはプラスチック製の外装を持つ五角形の装置が入っている。この装置のボタンを押すとレコード盤の溝で固定されていたレコードの針が持ち上がり、スプリングによりレコードの最初に移動して乾電池駆動のモーターでレコードが回転し、ボタンを離すとレコードに針が落とされ、笑い声の吹き込まれたレコードを再生し始める。また、再生の途中でボタンを押してもレコードの最初の位置に針が移動して再び最初から再生を始め、レコードの最後まで来ると電源が切れて再生を終了する。そのような仕組みのため、電池を抜いて強制的に再生を止めても、再び電池を入れると途中からレコードの再生が始まる。 この玩具ではレコードの針が漏斗状のラッパに連結されて直接発音されるため、アンプやスピーカー、音量調整などがなく、電池で消費するのはレコードを回転させるモーターの動力のみである。レコード盤はこの用途に特化された特殊な仕様のもので、レコード内蔵型玩具であるために盤の交換はできず単一内容のみの再生ではあるが、現在では笑い袋には基本的な笑い声の商品だけでなく、収録内容の違うレコード盤を入れた様々なテーマの商品が存在する。 ちなみに本体のボタンには誤操作防止のストッパーはなく、袋の中にあるので誤ってボタンを押してしまいやすいが、巾着袋はひもがあるので持ち運びや吊り下げがしやすく、思わず袋をいじりたくなるようなコミカルな笑い顔などが描かれていることが多い。 なお、ボタン電池で稼働する小型化された電子音声型の笑い袋も市販されているが、押しボタンを押すと笑い声を発声する点は同じである。
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笑い袋(わらいぶくろ)とは、内部に音を出す機械が入った布製の袋で、ボタンを押すと録音された笑い声を再生するジョークグッズである。 本家の製品は内蔵のアナログレコードを使っていたが、後には電子式のものも登場している。
{{複数の問題 |出典の明記=2013年12月2日 (月) 18:43 (UTC) |雑多な内容の箇条書き=2013年12月2日 (月) 18:43 (UTC) }} '''笑い袋'''(わらいぶくろ)とは、内部に音を出す機械が入った布製の袋で、ボタンを押すと録音された笑い声を再生する[[ジョークグッズ]]である。 本家の製品は内蔵のアナログ[[レコード]]を使っていたが、後には電子式のものも登場している。 == 歴史 == [[ドイツ]]の発明家[[:en:Walter Thiele|ヴァルター・ティーレ]]が1968年に製造した、笑い声を再生する機械を[[靴下]]に入れた「Lachsack」が原型とされる。 [[日本]]で笑い袋を製造販売していたパーティーグッズメーカーの[[アイコ (企業)|株式会社アイコ]]によると、内部の装置は1960年代に[[アメリカ合衆国]]向けの[[ミッキーマウス]]人形の内蔵プレーヤーとして製作したもので、1967年にアメリカでの特許が出願されている<ref>[https://patents.google.com/patent/US3467393 US3467393A - Simple sound reproducing device - Google Patents]</ref>。しかし売り上げは伸びなかったため、1969年にこの装置を入れた袋が「Laugh bag」などの名前でアメリカで売られたところ大ヒットし、翌年には日本でも発売されて流行したという<ref>[https://www.1242.com/happy/happy_blog/20200310-228398/ 昭和に大ヒットした「笑い袋」廃盤になっても再生産しないこだわりとは | あなたとハッピー! | ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93]</ref>。アイコでは30年以上笑い袋の製造を続けていたが、レコードの原盤が耐用限度を超えた事で廃盤となっている<ref>[https://www.aico.co.jp/about ABOUT | aico]</ref>。 == 仕組み == [[File:Lachsack.jpg|thumb|ドイツのDDR社製と見られる「Lachsack」の内部。この製品はレコードの交換が可能<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=UV351FAgTOE DDR Original Vintage Spielzeug der Lachsack - YouTube]</ref>]] 布製の[[巾着袋]]の中にはプラスチック製の外装を持つ五角形の装置が入っている。この装置の[[押しボタン|ボタン]]を押すとレコード盤の溝で固定されていたレコードの針が持ち上がり、スプリングによりレコードの最初に移動して[[乾電池]]駆動のモーターでレコードが回転し、ボタンを離すとレコードに針が落とされ、笑い声の吹き込まれたレコードを再生し始める。また、再生の途中でボタンを押してもレコードの最初の位置に針が移動して再び最初から再生を始め、レコードの最後まで来ると電源が切れて再生を終了する。そのような仕組みのため、電池を抜いて強制的に再生を止めても、再び電池を入れると途中からレコードの再生が始まる。 この玩具ではレコードの針が漏斗状のラッパに連結されて直接発音されるため、[[アンプ (音響機器)|アンプ]]や[[スピーカー]]、音量調整などがなく、電池で消費するのはレコードを回転させるモーターの動力のみである。レコード盤はこの用途に特化された特殊な仕様のもので、レコード内蔵型玩具であるために盤の交換はできず単一内容のみの再生ではあるが、現在では笑い袋には基本的な笑い声の商品だけでなく、収録内容の違うレコード盤を入れた様々なテーマの商品が存在する。 ちなみに本体のボタンには誤操作防止のストッパーはなく、袋の中にあるので誤ってボタンを押してしまいやすいが、巾着袋はひもがあるので持ち運びや吊り下げがしやすく、思わず袋をいじりたくなるようなコミカルな笑い顔などが描かれていることが多い。 なお、ボタン電池で稼働する小型化された電子音声型の笑い袋も市販されているが、押しボタンを押すと笑い声を発声する点は同じである。 == その他 == * 声の種類は、男、女、カップルの3種類ある。男版の笑い袋は声優の[[肝付兼太]]が演じているという{{cn|date=December 2020}}。 * 流行当時の年代設定である、アニメ『[[ちびまる子ちゃん]]』の話(「年越しまる子ちゃん」の巻など)にもたびたび登場する。 * 1999年に[[バンプレスト]]のプライズ景品として、「とるとる愛テム [[黄金バット]]笑い袋」が製造された。 * 2006年に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の『[[中井正広のブラックバラエティ]]』で紹介され、[[石原良純]]の笑い袋を作る企画が行われた。また、2008年12月14日に同じ日本テレビで放送された『[[笑点]]』の[[大喜利 (笑点)|大喜利]]で、[[春風亭昇太]]が座布団を10枚獲得した副賞として[[三遊亭圓楽 (5代目)|五代目三遊亭圓楽]]の笑い声が入った笑い袋が贈られた。 * ゲーム『[[ドラゴンクエストシリーズ]]』では「わらいぶくろ」という名前のモンスターが登場する。 * 1989年の映画『[[バットマン (映画)|バットマン]]』では、[[ジョーカー (バットマン)|ジョーカー]]の最期のシーンで使われた。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://www.aico.co.jp/ 株式会社アイコ] - 販売元。 * [https://www.youtube.com/watch?v=Wc56hvMXjdc Bag Of Laughs Japan - How It Works - YouTube] - アイコ製品の分解動画 {{toy-stub}} {{DEFAULTSORT:わらいふくろ}} [[Category:玩具]] [[Category:袋]] [[Category:笑い]]
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プラモデル
プラモデルとは、組み立て式の模型の一種。適度に分割して成形されたプラスチック製の部品群(ランナー)と、組み立て説明書などをセットにしたキットの形で販売される。 「プラモデル」という用語は、日本初と称してプラモデルを発売したマルサン商店が考案した登録商標であるが、現在ではより広義にメーカーを問わずプラスチックモデルキット全般を意味する言葉として使われている。プラモと呼ばれることもある。英語ではプラスチック・モデル (Plastic Model) またはコンストラクションキット (Construction Kit:主にイギリス英語)などと呼称される。 プラモデルという商標は、「プラスチック製模型おもちゃ及びその組立キットその他のおもちゃ、人形」(第555762号、1960年9月登録)、「新聞、雑誌、その他の定期刊行物」(第731152号、1967年1月登録)および「模型」(第1846016号、1986年2月登録)に関して日本プラモデル工業協同組合が権利を所有し、組合員は自由に使用できる。他にキヤノン株式会社が別のものを対象にプラモデルという商標を持っていた時期がある。 プラモデルという名称は、マルサンが1959年(昭和34年)に商標登録したもので、他のメーカーは「プラ模型」「プラキット」など言い方を変えるか、一般名称である「プラスチックモデル」を用いる必要があった。ただし、一般消費者や小売店のレベルでは、マルサン商店が権利を所有していた時期から、プラモデルはプラスチックモデル全般を表す用語として広く使用されていた。 商標権は1968年(昭和43年)の倒産後再建されたマルサンから1974年(昭和49年)に大手問屋の三ツ星商店に売却され、1975年(昭和50年)日本プラスチックモデル工業協同組合に移譲された。現在は、加盟する各社は自由に使ってかまわないことになっている。また、日本プラモデル工業協同組合の組合員である童友社は、「日本プラモデル工業協同組合に未加盟の模型メーカーは『プラモデル』という言葉を自社製品の紹介に使用できない」旨の説明を行っている。 日本ではプラスチック製の組み立てキットのうち、一般的な模型店で扱われるものをプラモデルとし、ほぼ同様の製品であってもそれ以外の玩具売り場、(菓子のおまけとして)菓子売り場、鉄道模型店で扱われるものは玩具、食玩、鉄道模型などと区別されることも多い。一般的な模型店で扱われる狭義のプラモデルとそれ以外のプラモデル形商品は、取り扱っている問屋が異なる場合が多く、流通上別個として扱われており、玩具店と模型店、売り場の別など小売レベルでも一定の線引きがなされているが、厳密ではない。特にキャラクターモデル・玩具においては区別は渾然としており、現タカラトミーのゾイドやプラクションのように、組み立てる楽しみを取り入れたりコスト削減のために、プラモデルと同様の組み立てキットの形態をとる玩具も存在する。逆に模型区分であっても、ガンプラに代表される、顧客へのハードルを下げるためにスナップフィットや塗装不要化などの配慮がなされた商品もある。またSDガンダムや上述のゾイドなど、同シリーズに玩具と模型が混在する例もあり、エンドユーザーレベルからは模型と玩具の中間的で区分がはっきりしないものも少なくない。 基本的には、ランナーと呼ばれる枠に繋がった状態の部品と組み立て説明書が含まれる。その他にも接着剤、マーキング用のデカール、組み立てる際に必要となるもの(ネジ止めが必要なプラモデルには簡易ドライバーなど)が付属する場合もある。これらが商品のイラストや完成写真等を印刷したボール紙の箱に箱詰めされ、出荷されている。小型のものについてはブリスターパックやビニール袋に入れて売られている場合もある。 動力装置を取り付けないことを前提とするプラモデルをディスプレイキット(またはディスプレイモデル)という。完成品を展示(ディスプレイ)することを目的とすることからこう呼ばれる。 組み立てる際に付属もしくは別売の駆動装置を取り付け、走行・駆動させることを目的としたプラモデルもある。電動のモーターを取り付け、乾電池などを動力源として駆動するものをモーターライズキット(モーターライズモデル)という。またゼンマイで駆動するプラモデルもある。 実在の飛行機・艦艇・戦車・自動車・建築物等、もしくは実在するにはいたらなかった計画兵器等を扱った「スケールモデル」と、SFやアニメ等を扱った「架空のもの」に大別される。スケールモデルにはディフォルメされたものも含める場合がある。アニメ・ゲーム等に登場する車・戦車・船などでは、スケールモデル(一部パーツ変更やキャラクターグッズが追加されることもある)がキャラクターのパッケージで販売されている。 実物が存在するもの、または設計・企画された物を縮小した模型をスケールモデルと呼ぶ。プラモデルが最初に普及した英米では、ヤード・ポンド法を用いていたため縮尺は「1フィート(12インチ)を何インチに縮小」するかが基本であり、例えば1/4インチ(または1/4”)スケールといえば1フィートを1/4インチに縮小することで1/48スケールを表す。従って「国際標準スケール」には分母が12の倍数のものが多い。しかし、鉄道模型のようにフィートをミリメートルに換算した縮尺(1フィートを4 mmとするもの=4 mmスケール(1/76))を採用する物や、メーカーの都合(箱のサイズや、走行ギミックのためのギアボックスや電池の内蔵)のために決定され、積極的なシリーズ展開のために自然に「標準」になってしまったものもあり、後者の代表がタミヤの1/35である。またバイクのスケールである1/9は、イタリアのプロター社から始まったものである。1/50は航空機ソリッドモデルの標準スケールである。 アニメーション、特撮といった映像作品や、漫画、小説、家庭用ゲーム等に登場する架空の兵器や登場人物などを取り扱ったもの。その多くはSF設定の作品である。キャラクターモデルと称される場合も多い。通常は設定資料の寸法から縮尺に見合った寸法を割り出し設計されるが、初期にはパッケージに収容可能な寸法から縮尺を割り出す箱スケールものも多く存在した。 バンダイのガンダムシリーズの成功から1/144、1/100などのものが主流だが、スケールモデル同様に縮尺も多彩である。一例を挙げると1/20、1/35、1/60、1/72、1/220などがある。 世界で最初に発売されたプラモデルは、フロッグのブランドで動力付きの木製模型飛行機を販売していたイギリスのIMA社 (International Model Aircraft Ltd.) が、1936年に発売したフロッグ・ペンギンシリーズである。 当時の新素材であったプラスチックで模型を作る技術は、イギリス軍が教育に使用する航空機や軍用車両等の識別用モデルをプラスチックで作る技術を応用したものである。 フロッグ・ペンギンシリーズは1/72に統一された航空機のキットで、第二次世界大戦により中断されるまでに英国機を中心に30点ほどが発売された。 第二次世界大戦中にはアメリカ国内でもプラスチック製の識別用モデルは多数作成され、大戦が終結すると、ホーク、レンウォール等の複数のメーカーがアメリカでもプラモデルの製造を始めた。 1950年代に入ると、オーロラ、リンドバーグ、レベル、モノグラム等のさらに多くのアメリカのメーカーがプラモデルの生産を始め、ヨーロッパでもイギリスのエアフィックスやフランスのエレール等が活動を開始し、プラモデルは急速に普及していった。 フロッグやエアフィックスといったイギリスのメーカーの航空機キットが最初から1/72で統一されていたのに対し、アメリカのメーカーの初期のキットは箱のサイズに合わせた箱スケールのものが多かったが、1950年代後半以降スケールの統一の動きが進み、多くのメーカーが1/72とともに1/48 (1/4インチスケール) を航空機の統一スケールとして採用し、むしろ1/48の方をメインとした。 また、初期のプラモデルメーカーの多くが木製模型飛行機のメーカーであったこともあり、初期のプラモデルは航空機が中心であったが、1950年代半ば以降、艦船、戦車、自動車等のモデルも徐々に増加していった。 そして1960年代は、欧米の多くのメーカーが数多くの名作キットを生み出す、プラモデルの黄金時代となる。 1990年代から今世紀以降は、ドラゴンをはじめとした東アジア系と、チェコのエデュアルド、ウクライナのICMなどをはじめとする東欧系のメーカーから多くの新製品が発売されている。 日本にプラモデルが渡ってきたのはアメリカでプラモデルが普及を始めた1950年代初めで、主に在日米軍関係者によって持ち込まれたが、日本の木製模型メーカーの注目を得るには至らなかった。1956 - 57年になると少数ではあるが外国製のプラモデルを輸入して販売する店も現れ、玩具メーカーのマルサン商店や模型メーカーの日本模型などがプラモデル国産化への模索を開始した。1955年頃から海外メーカーのプラモデルの下請け製造を開始していた日本プラスチックは1956年10月頃、日本初のプラモデルの「ゼロ戦」を発売、その後1957年春にはゴム動力の「原子力潜水艦ノーチラス号」を発売した、また「和工樹脂」は1958年10月頃、「ダットサン1000」のプラモデルを発売した。その2ヶ月後、マルサン商店は「原子力潜水艦ノーチラス号」等4点のキットを発売した。なお、同時発売した「ダットサン1000」のキットは「和工樹脂」の製品にマルサンのロゴマークのシールを貼ったものである。 1950年代後期から1960年代は、戦記映画の人気や雑誌・出版物での第二次世界大戦戦記特集に後押しされた軍艦や飛行機などの実物の縮尺模型が主だったが、1960年代後半の今井科学(後のイマイ)による「サンダーバード」シリーズの大ヒットによりキャラクターモデルという分野が確立。その後のスーパーカーブームでもプラモデルはブームの一端を担った。 1980年代前半のガンプラ(ガンダムのプラモデル)ブームでプラモデルはブームの主役の座を得た。ガンプラの大ヒットを受けて起きたリアルロボットアニメブームでは、プラモデルは主力商品に位置付けられて積極的な製品開発が行われたが、ガンプラブームを再現するには至らなかった。一方、1960 - 1970年代のプラモデル市場を支えてきたスケールカーモデルも市場から撤退するメーカーもあった。また、改造車ブームが背景にあり、旧車を中心とした族車のキットが発売されたものの、自動車をはじめとしたスケールモデルはまだ玩具の領域から脱することはできなかった。そんな中、1980年代後半のミニ四駆ブームでプラモデルは再び脚光を浴びたが、その後は新しい分野でのプラモデルブームは起きていない。 1990年代末頃から模型業界にもファクトリーオートメーション(FA)の導入が進み、プラモデル製品開発の労力が大きく縮減された。それまで設計、原型試作、金型製作と、時に差し戻しもある各工程を専門技術者に頼り、多大な時間とコストを要していたものが、3DCADによりコンピュータ上で最初から立体として設計を行い、自動制御や3Dプリンタにより原型、製品金型の製作まで行えるシステムが確立したことで大幅に工程が短縮した。また、スライド金型の導入は複雑な形状の成形を可能にし、設計の容易化と部品点数削減に一役買った。それらの恩恵により、コトブキヤやウェーブのように資本力の小さいガレージキットメーカーからプラモデル事業に新規参入した会社が牽引する形で、特にキャラクターモデルの分野ではそれまで採算ラインに達しなかったマイナー作品からの商品化が飛躍的に増加した。 2000年代以後は、経済産業省の工業統計表によると「プラスチックモデルキット」全体の出荷額は、1998年の199億円に対して2007年は113億円と大幅に減少している。ガンプラは安定した売り上げを記録し続けるものの近年は漸減傾向にあり、飛行機やAFVなどスケールモデルは大幅な衰退傾向にある。プラモデル市場の衰退については、急激な勢いで進む少子化と、縮小する市場のパイをめぐってのテレビゲーム等の他の玩具との競争、製品面ではマニアックな商品が増えて初心者が近寄り難くなった点や、部品点数の増加などからモデルの組み立てに高度化を要求する傾向が目立つことなどが要因としてあげられている。また高品質低価格化が進む食玩などの塗装済み完成品模型や、1990年代末から市場が活性化したミニチュアカーがプラモデル市場を圧迫しているとの指摘もある。ミニチュアカーや食玩等の完成品市場には京商や青島文化教材社などの模型専門メーカーも参入しているほか、タミヤに関しても完成品ミニカーやミニ四駆、ダンガンレーサー、RCカー等の完成品を販売することがある。 2006年頃からプラモデル市場の縮小の影響や原油価格高騰のため、プラモデルや塗料などが値上げされる傾向にある。老舗メーカーでは上記の製品開発システムの刷新がうまくいかなかったり、製造部門においても射出成型機が多品種少量生産むけの小容量型へ移行が進んだことにより、旧製品の金型が使用できなくなり不良資産化する恐れが出てきており、老朽化によるメンテナンスコストの上昇が重くのしかかる等、業界は曲がり角に差し掛かっている。 2000年代後半からは、カーモデルにキャラクターデカールをセットした「痛車」や、「ガールズ&パンツァー」に登場する戦車、「艦隊これくしょん -艦これ-」や「蒼き鋼のアルペジオ」の艦船キット(ウォーターラインシリーズベース)など、キャラクターとコラボレーションしたスケールキットがブームとなった。また、1980年代から1990年代のフォーミュラ1、ロードレースバイクのキットが新規開発されるなど、当時製品化されなかった車種を補完するような展開も見られる。先述した組み立ての難しさを減らすために、塗装済みや部品点数を敢えて減らしたキットも登場するようになった。 近年、模型雑誌では通常のプラモデルを「インジェクションキット」と呼んで完成品やガレージキットと区別することもある。 静岡県の静岡市を中心とする地域はプラモデルやラジコンを代表に玩具産業が盛んで、タミヤ(静岡市駿河区)やバンダイ(静岡市葵区)、アオシマ(静岡市葵区)、ハセガワ(焼津市)など大手玩具・模型メーカーが本社や工場を静岡県内においている。特にプラモデルに関しては全国売上シェア約90%である(2010年統計で92%)。 駿河国(現在の静岡県の一部)には徳川家ゆかりの富士山本宮浅間大社(富士宮市)と、静岡浅間神社(静岡市)などの浅間神社が多数所在し、時の将軍の指示により、寛永年間と文化年間の二度にわたり静岡浅間神社の大造営を行った。その際に全国から様々な職人達が駿府(現在の静岡市付近)へ集められたが、造営が長期に渡ったため造営終了後も職人達の多くがそのまま駿府に定住し、その木工技術を活用して家具やひな人形、仏壇、蒔絵などの生産を始めた。 その木工技法は代々受け継がれ、1932年(昭和7年)に、アオシマの創業者である青島次郎が、伝統技法を利用して木製の動力付き模型飛行機を製造販売したことを契機に、県内に多くの木製模型メーカーが誕生した。その後、第二次世界大戦中は、原料不足から他県の木工産業が生産不能に陥るなか、静岡県は国から『重要木工県』という指定を受けていたことで、主に学校教材用として木製模型の生産も続けられた。 戦後1950年(昭和25年)以降欧米のプラモデルが輸入され始めても静岡の模型メーカーの反応は鈍かったが、国産プラモデルが発売されプラモデルの人気が上昇すると、静岡の各メーカーも1960年以降プラモデルの生産に順次参入し、木製模型からプラモデルへの転換が急速に進んだ。1970年代に静岡4社共同企画により実現したウォーターラインシリーズや、その後1980代には社会現象にもなったガンプラブーム、ミニ四駆ブームいずれも、静岡の企業からの発信(生産出荷)であり、現在の「静岡=プラモデル」の構図が成り立つこととなった。 2010年7月24日から2011年3月27日までの期間、「模型の世界首都 静岡ホビーフェア」を静岡市で開催し、実物大ガンダムを展示するなど、模型(プラモデル)の町・静岡を全国にPRした。入場者数は160万7485人だった。この人気を受けて、2011年6月には日本初の模型専門博物館である静岡ホビースクエアが開館した。 模型製作にはさまざまな工具を用いる。もちろん、全てを利用しなくても製作は可能であるが、基本中の基本としてプラモデル用のニッパーとカッターはある方が望ましい。なおニッパーなどの切断工具の防錆・保護用のメンテナンスキットもある。 プラモデルに含まれるデカールや箱絵には、社会的要因による制限が一部加えられている。そのために製品化や旧製品の再生産が困難になったり、やむを得ず一部分の完璧な再現を断念せざるを得なかったりといった問題も生じている。 プラモデルにおいては、部品の分割方法や面の表現、対象の立体としての解釈など設計段階で開発者の個性が強く表れる。異なるメーカーが同一の題材を製品化した際に、他のメーカーの商品をコピーしたと指摘される場合が有る。これは前述の分割方法や成型パーツの配列などにおいて、他社の既存製品と比較し同一または酷似しているものが対象となる。 ただし他の工業製品と同じく、金型や製品が他社に売却、またはOEM供給されて別パッケージで発売されることがあり、これがコピー品と間違われやすい。また、1/72以下の小スケールのキットでは、部品分割に個性を発揮できる余地が少ないため、偶然似通った部品分割となる場合もある。 日本のプラモデル黎明期には、先行するアメリカやイギリスのキット製品を原型としてコピーしたものが存在した。原型製品とは異なるパーツ配列としたり、原型製品と比較しギミックやモールドを新しく追加または省略したコピー製品も存在した。部品分割が全く異なっていても、形状の特徴から他の製品を参考にしているのが明らかなものもあった。 プラモデルのコピー製品では、原型製品において模型雑誌やモデラーから問題点として指摘された部分を修正したり、原型メーカーが発売していない派生製品を発売する場合もある。ただし、大部分のコピー製品は精密度において原型製品に劣っている。 ここでは具体的なコピー製品の例として韓国のアカデミー製品について解説する。 ほか
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"商標権は1968年(昭和43年)の倒産後再建されたマルサンから1974年(昭和49年)に大手問屋の三ツ星商店に売却され、1975年(昭和50年)日本プラスチックモデル工業協同組合に移譲された。現在は、加盟する各社は自由に使ってかまわないことになっている。また、日本プラモデル工業協同組合の組合員である童友社は、「日本プラモデル工業協同組合に未加盟の模型メーカーは『プラモデル』という言葉を自社製品の紹介に使用できない」旨の説明を行っている。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "日本ではプラスチック製の組み立てキットのうち、一般的な模型店で扱われるものをプラモデルとし、ほぼ同様の製品であってもそれ以外の玩具売り場、(菓子のおまけとして)菓子売り場、鉄道模型店で扱われるものは玩具、食玩、鉄道模型などと区別されることも多い。一般的な模型店で扱われる狭義のプラモデルとそれ以外のプラモデル形商品は、取り扱っている問屋が異なる場合が多く、流通上別個として扱われており、玩具店と模型店、売り場の別など小売レベルでも一定の線引きがなされているが、厳密ではない。特にキャラクターモデル・玩具においては区別は渾然としており、現タカラトミーのゾイドやプラクションのように、組み立てる楽しみを取り入れたりコスト削減のために、プラモデルと同様の組み立てキットの形態をとる玩具も存在する。逆に模型区分であっても、ガンプラに代表される、顧客へのハードルを下げるためにスナップフィットや塗装不要化などの配慮がなされた商品もある。またSDガンダムや上述のゾイドなど、同シリーズに玩具と模型が混在する例もあり、エンドユーザーレベルからは模型と玩具の中間的で区分がはっきりしないものも少なくない。", "title": "定義" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "基本的には、ランナーと呼ばれる枠に繋がった状態の部品と組み立て説明書が含まれる。その他にも接着剤、マーキング用のデカール、組み立てる際に必要となるもの(ネジ止めが必要なプラモデルには簡易ドライバーなど)が付属する場合もある。これらが商品のイラストや完成写真等を印刷したボール紙の箱に箱詰めされ、出荷されている。小型のものについてはブリスターパックやビニール袋に入れて売られている場合もある。", "title": "製品構成" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "動力装置を取り付けないことを前提とするプラモデルをディスプレイキット(またはディスプレイモデル)という。完成品を展示(ディスプレイ)することを目的とすることからこう呼ばれる。", "title": "プラモデルの分類" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "組み立てる際に付属もしくは別売の駆動装置を取り付け、走行・駆動させることを目的としたプラモデルもある。電動のモーターを取り付け、乾電池などを動力源として駆動するものをモーターライズキット(モーターライズモデル)という。またゼンマイで駆動するプラモデルもある。", "title": "プラモデルの分類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "実在の飛行機・艦艇・戦車・自動車・建築物等、もしくは実在するにはいたらなかった計画兵器等を扱った「スケールモデル」と、SFやアニメ等を扱った「架空のもの」に大別される。スケールモデルにはディフォルメされたものも含める場合がある。アニメ・ゲーム等に登場する車・戦車・船などでは、スケールモデル(一部パーツ変更やキャラクターグッズが追加されることもある)がキャラクターのパッケージで販売されている。", "title": "プラモデルの分類" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "実物が存在するもの、または設計・企画された物を縮小した模型をスケールモデルと呼ぶ。プラモデルが最初に普及した英米では、ヤード・ポンド法を用いていたため縮尺は「1フィート(12インチ)を何インチに縮小」するかが基本であり、例えば1/4インチ(または1/4”)スケールといえば1フィートを1/4インチに縮小することで1/48スケールを表す。従って「国際標準スケール」には分母が12の倍数のものが多い。しかし、鉄道模型のようにフィートをミリメートルに換算した縮尺(1フィートを4 mmとするもの=4 mmスケール(1/76))を採用する物や、メーカーの都合(箱のサイズや、走行ギミックのためのギアボックスや電池の内蔵)のために決定され、積極的なシリーズ展開のために自然に「標準」になってしまったものもあり、後者の代表がタミヤの1/35である。またバイクのスケールである1/9は、イタリアのプロター社から始まったものである。1/50は航空機ソリッドモデルの標準スケールである。", "title": "プラモデルの分類" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "アニメーション、特撮といった映像作品や、漫画、小説、家庭用ゲーム等に登場する架空の兵器や登場人物などを取り扱ったもの。その多くはSF設定の作品である。キャラクターモデルと称される場合も多い。通常は設定資料の寸法から縮尺に見合った寸法を割り出し設計されるが、初期にはパッケージに収容可能な寸法から縮尺を割り出す箱スケールものも多く存在した。 バンダイのガンダムシリーズの成功から1/144、1/100などのものが主流だが、スケールモデル同様に縮尺も多彩である。一例を挙げると1/20、1/35、1/60、1/72、1/220などがある。", "title": "プラモデルの分類" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "世界で最初に発売されたプラモデルは、フロッグのブランドで動力付きの木製模型飛行機を販売していたイギリスのIMA社 (International Model Aircraft Ltd.) が、1936年に発売したフロッグ・ペンギンシリーズである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "当時の新素材であったプラスチックで模型を作る技術は、イギリス軍が教育に使用する航空機や軍用車両等の識別用モデルをプラスチックで作る技術を応用したものである。 フロッグ・ペンギンシリーズは1/72に統一された航空機のキットで、第二次世界大戦により中断されるまでに英国機を中心に30点ほどが発売された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦中にはアメリカ国内でもプラスチック製の識別用モデルは多数作成され、大戦が終結すると、ホーク、レンウォール等の複数のメーカーがアメリカでもプラモデルの製造を始めた。 1950年代に入ると、オーロラ、リンドバーグ、レベル、モノグラム等のさらに多くのアメリカのメーカーがプラモデルの生産を始め、ヨーロッパでもイギリスのエアフィックスやフランスのエレール等が活動を開始し、プラモデルは急速に普及していった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "フロッグやエアフィックスといったイギリスのメーカーの航空機キットが最初から1/72で統一されていたのに対し、アメリカのメーカーの初期のキットは箱のサイズに合わせた箱スケールのものが多かったが、1950年代後半以降スケールの統一の動きが進み、多くのメーカーが1/72とともに1/48 (1/4インチスケール) を航空機の統一スケールとして採用し、むしろ1/48の方をメインとした。 また、初期のプラモデルメーカーの多くが木製模型飛行機のメーカーであったこともあり、初期のプラモデルは航空機が中心であったが、1950年代半ば以降、艦船、戦車、自動車等のモデルも徐々に増加していった。 そして1960年代は、欧米の多くのメーカーが数多くの名作キットを生み出す、プラモデルの黄金時代となる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1990年代から今世紀以降は、ドラゴンをはじめとした東アジア系と、チェコのエデュアルド、ウクライナのICMなどをはじめとする東欧系のメーカーから多くの新製品が発売されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "日本にプラモデルが渡ってきたのはアメリカでプラモデルが普及を始めた1950年代初めで、主に在日米軍関係者によって持ち込まれたが、日本の木製模型メーカーの注目を得るには至らなかった。1956 - 57年になると少数ではあるが外国製のプラモデルを輸入して販売する店も現れ、玩具メーカーのマルサン商店や模型メーカーの日本模型などがプラモデル国産化への模索を開始した。1955年頃から海外メーカーのプラモデルの下請け製造を開始していた日本プラスチックは1956年10月頃、日本初のプラモデルの「ゼロ戦」を発売、その後1957年春にはゴム動力の「原子力潜水艦ノーチラス号」を発売した、また「和工樹脂」は1958年10月頃、「ダットサン1000」のプラモデルを発売した。その2ヶ月後、マルサン商店は「原子力潜水艦ノーチラス号」等4点のキットを発売した。なお、同時発売した「ダットサン1000」のキットは「和工樹脂」の製品にマルサンのロゴマークのシールを貼ったものである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1950年代後期から1960年代は、戦記映画の人気や雑誌・出版物での第二次世界大戦戦記特集に後押しされた軍艦や飛行機などの実物の縮尺模型が主だったが、1960年代後半の今井科学(後のイマイ)による「サンダーバード」シリーズの大ヒットによりキャラクターモデルという分野が確立。その後のスーパーカーブームでもプラモデルはブームの一端を担った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1980年代前半のガンプラ(ガンダムのプラモデル)ブームでプラモデルはブームの主役の座を得た。ガンプラの大ヒットを受けて起きたリアルロボットアニメブームでは、プラモデルは主力商品に位置付けられて積極的な製品開発が行われたが、ガンプラブームを再現するには至らなかった。一方、1960 - 1970年代のプラモデル市場を支えてきたスケールカーモデルも市場から撤退するメーカーもあった。また、改造車ブームが背景にあり、旧車を中心とした族車のキットが発売されたものの、自動車をはじめとしたスケールモデルはまだ玩具の領域から脱することはできなかった。そんな中、1980年代後半のミニ四駆ブームでプラモデルは再び脚光を浴びたが、その後は新しい分野でのプラモデルブームは起きていない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1990年代末頃から模型業界にもファクトリーオートメーション(FA)の導入が進み、プラモデル製品開発の労力が大きく縮減された。それまで設計、原型試作、金型製作と、時に差し戻しもある各工程を専門技術者に頼り、多大な時間とコストを要していたものが、3DCADによりコンピュータ上で最初から立体として設計を行い、自動制御や3Dプリンタにより原型、製品金型の製作まで行えるシステムが確立したことで大幅に工程が短縮した。また、スライド金型の導入は複雑な形状の成形を可能にし、設計の容易化と部品点数削減に一役買った。それらの恩恵により、コトブキヤやウェーブのように資本力の小さいガレージキットメーカーからプラモデル事業に新規参入した会社が牽引する形で、特にキャラクターモデルの分野ではそれまで採算ラインに達しなかったマイナー作品からの商品化が飛躍的に増加した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2000年代以後は、経済産業省の工業統計表によると「プラスチックモデルキット」全体の出荷額は、1998年の199億円に対して2007年は113億円と大幅に減少している。ガンプラは安定した売り上げを記録し続けるものの近年は漸減傾向にあり、飛行機やAFVなどスケールモデルは大幅な衰退傾向にある。プラモデル市場の衰退については、急激な勢いで進む少子化と、縮小する市場のパイをめぐってのテレビゲーム等の他の玩具との競争、製品面ではマニアックな商品が増えて初心者が近寄り難くなった点や、部品点数の増加などからモデルの組み立てに高度化を要求する傾向が目立つことなどが要因としてあげられている。また高品質低価格化が進む食玩などの塗装済み完成品模型や、1990年代末から市場が活性化したミニチュアカーがプラモデル市場を圧迫しているとの指摘もある。ミニチュアカーや食玩等の完成品市場には京商や青島文化教材社などの模型専門メーカーも参入しているほか、タミヤに関しても完成品ミニカーやミニ四駆、ダンガンレーサー、RCカー等の完成品を販売することがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "2006年頃からプラモデル市場の縮小の影響や原油価格高騰のため、プラモデルや塗料などが値上げされる傾向にある。老舗メーカーでは上記の製品開発システムの刷新がうまくいかなかったり、製造部門においても射出成型機が多品種少量生産むけの小容量型へ移行が進んだことにより、旧製品の金型が使用できなくなり不良資産化する恐れが出てきており、老朽化によるメンテナンスコストの上昇が重くのしかかる等、業界は曲がり角に差し掛かっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "2000年代後半からは、カーモデルにキャラクターデカールをセットした「痛車」や、「ガールズ&パンツァー」に登場する戦車、「艦隊これくしょん -艦これ-」や「蒼き鋼のアルペジオ」の艦船キット(ウォーターラインシリーズベース)など、キャラクターとコラボレーションしたスケールキットがブームとなった。また、1980年代から1990年代のフォーミュラ1、ロードレースバイクのキットが新規開発されるなど、当時製品化されなかった車種を補完するような展開も見られる。先述した組み立ての難しさを減らすために、塗装済みや部品点数を敢えて減らしたキットも登場するようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "近年、模型雑誌では通常のプラモデルを「インジェクションキット」と呼んで完成品やガレージキットと区別することもある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "静岡県の静岡市を中心とする地域はプラモデルやラジコンを代表に玩具産業が盛んで、タミヤ(静岡市駿河区)やバンダイ(静岡市葵区)、アオシマ(静岡市葵区)、ハセガワ(焼津市)など大手玩具・模型メーカーが本社や工場を静岡県内においている。特にプラモデルに関しては全国売上シェア約90%である(2010年統計で92%)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "駿河国(現在の静岡県の一部)には徳川家ゆかりの富士山本宮浅間大社(富士宮市)と、静岡浅間神社(静岡市)などの浅間神社が多数所在し、時の将軍の指示により、寛永年間と文化年間の二度にわたり静岡浅間神社の大造営を行った。その際に全国から様々な職人達が駿府(現在の静岡市付近)へ集められたが、造営が長期に渡ったため造営終了後も職人達の多くがそのまま駿府に定住し、その木工技術を活用して家具やひな人形、仏壇、蒔絵などの生産を始めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "その木工技法は代々受け継がれ、1932年(昭和7年)に、アオシマの創業者である青島次郎が、伝統技法を利用して木製の動力付き模型飛行機を製造販売したことを契機に、県内に多くの木製模型メーカーが誕生した。その後、第二次世界大戦中は、原料不足から他県の木工産業が生産不能に陥るなか、静岡県は国から『重要木工県』という指定を受けていたことで、主に学校教材用として木製模型の生産も続けられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "戦後1950年(昭和25年)以降欧米のプラモデルが輸入され始めても静岡の模型メーカーの反応は鈍かったが、国産プラモデルが発売されプラモデルの人気が上昇すると、静岡の各メーカーも1960年以降プラモデルの生産に順次参入し、木製模型からプラモデルへの転換が急速に進んだ。1970年代に静岡4社共同企画により実現したウォーターラインシリーズや、その後1980代には社会現象にもなったガンプラブーム、ミニ四駆ブームいずれも、静岡の企業からの発信(生産出荷)であり、現在の「静岡=プラモデル」の構図が成り立つこととなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2010年7月24日から2011年3月27日までの期間、「模型の世界首都 静岡ホビーフェア」を静岡市で開催し、実物大ガンダムを展示するなど、模型(プラモデル)の町・静岡を全国にPRした。入場者数は160万7485人だった。この人気を受けて、2011年6月には日本初の模型専門博物館である静岡ホビースクエアが開館した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "模型製作にはさまざまな工具を用いる。もちろん、全てを利用しなくても製作は可能であるが、基本中の基本としてプラモデル用のニッパーとカッターはある方が望ましい。なおニッパーなどの切断工具の防錆・保護用のメンテナンスキットもある。", "title": "模型製作に用いる工具と材料" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "プラモデルに含まれるデカールや箱絵には、社会的要因による制限が一部加えられている。そのために製品化や旧製品の再生産が困難になったり、やむを得ず一部分の完璧な再現を断念せざるを得なかったりといった問題も生じている。", "title": "製品" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "プラモデルにおいては、部品の分割方法や面の表現、対象の立体としての解釈など設計段階で開発者の個性が強く表れる。異なるメーカーが同一の題材を製品化した際に、他のメーカーの商品をコピーしたと指摘される場合が有る。これは前述の分割方法や成型パーツの配列などにおいて、他社の既存製品と比較し同一または酷似しているものが対象となる。", "title": "製品" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "ただし他の工業製品と同じく、金型や製品が他社に売却、またはOEM供給されて別パッケージで発売されることがあり、これがコピー品と間違われやすい。また、1/72以下の小スケールのキットでは、部品分割に個性を発揮できる余地が少ないため、偶然似通った部品分割となる場合もある。", "title": "製品" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "日本のプラモデル黎明期には、先行するアメリカやイギリスのキット製品を原型としてコピーしたものが存在した。原型製品とは異なるパーツ配列としたり、原型製品と比較しギミックやモールドを新しく追加または省略したコピー製品も存在した。部品分割が全く異なっていても、形状の特徴から他の製品を参考にしているのが明らかなものもあった。", "title": "製品" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "プラモデルのコピー製品では、原型製品において模型雑誌やモデラーから問題点として指摘された部分を修正したり、原型メーカーが発売していない派生製品を発売する場合もある。ただし、大部分のコピー製品は精密度において原型製品に劣っている。", "title": "製品" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ここでは具体的なコピー製品の例として韓国のアカデミー製品について解説する。", "title": "製品" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ほか", "title": "模型メーカー・業者" } ]
プラモデルとは、組み立て式の模型の一種。適度に分割して成形されたプラスチック製の部品群(ランナー)と、組み立て説明書などをセットにしたキットの形で販売される。
{{Redirect|プラモ|秋田県のアイドルグループ|pramo}} {{複数の問題 |出典の明記=2020-04 |独自研究=2020-04 |参照方法=2020-04 }} [[ファイル:South-Goodwin.jpg|thumb|right|250px|プラモデルに塗装をする少年]] '''プラモデル'''とは、組み立て式の[[模型]]の一種。適度に分割して成形された[[合成樹脂|プラスチック]]製の部品群(ランナー)と、組み立て説明書などをセットにしたキットの形で販売される。 == 名称 == 「'''プラモデル'''」という用語は、[[日本]]初と称してプラモデルを発売した[[マルサン商店]]が考案した[[商標|登録商標]]であるが、現在ではより広義にメーカーを問わず'''プラスチックモデルキット'''全般を意味する言葉として使われている。'''プラモ'''と呼ばれることもある{{Efn|{{Harv|くらじたかし|2001}}によればマルサン商店はプラモデルと同時に「プラスチックモデル」と「プラモ」も商標登録したが数年後に取り下げたとされ、どちらも1960年代前半には既に一般的な名称として使用されている。初の国産プラモデルの発売を報じた昭和33年12月15日付の『日本模型新聞』の記事でも、「プラスチック・モデル・キット」をマルサン商店の登録商標としている。}}。[[英語]]ではプラスチック・モデル (''Plastic Model'') またはコンストラクションキット (''Construction Kit'':主に[[イギリス英語]])などと呼称される。 === 商標としてのプラモデル === '''プラモデル'''という商標は、「プラスチック製模型おもちゃ及びその組立キットその他のおもちゃ、人形」(第555762号、1960年9月登録)、「新聞、雑誌、その他の定期刊行物」(第731152号、1967年1月登録)および「模型」(第1846016号、1986年2月登録)に関して日本プラモデル工業協同組合が権利を所有し、組合員は自由に使用できる。他に[[キヤノン|キヤノン株式会社]]が別のものを対象に'''プラモデル'''という商標を持っていた時期がある。 '''プラモデル'''という名称は、[[マルサン商店|マルサン]]が[[1959年]](昭和34年)に商標登録したもので、他のメーカーは「プラ模型」「プラキット」など言い方を変えるか、一般名称である「プラスチックモデル」を用いる必要があった{{Efn|当時マルサン商店は小売店に対しても他社製品を「プラモデル」と呼ばないよう強く求めていた。また「プラモデルと呼べるのはマルサンだけ」というキャッチフレーズは自社がプラモデルのパイオニアであることを誇示するとともに、「プラモデル」の普通名詞化をけん制する意味合いも強かった。}}。ただし、一般消費者や[[小売|小売店]]のレベルでは、マルサン商店が権利を所有していた時期から、プラモデルはプラスチックモデル全般を表す用語として広く使用されていた。 商標権は[[1968年]](昭和43年)の[[倒産]]後再建されたマルサンから[[1974年]](昭和49年)に大手問屋の[[三ツ星商店]]に売却され、[[1975年]](昭和50年)日本プラスチックモデル工業協同組合に移譲された{{Efn|{{Harv|神永英司|2009|page=175}}には1975年に三ツ星商店に売却され、翌年日本プラスチックモデル工業協同組合に移譲されたと解釈できる記述があるが、日本プラモデル工業協同組合の公式サイトでは1975年に権利を得たとされている。}}。現在は、加盟する各社は自由に使ってかまわないことになっている{{Efn|{{Harv|日本プラモデル工業協同組合|2008|page=179}}には「日本プラモデル工業協同組合加盟各社は自由に使用できる」旨の記述がある。一方、{{Harv|日本プラモデル工業協同組合|2008|page=66}}には「現在ではプラスチックモデルの愛称として誰でも自由に使えるようになっている」との記述もある。}}。また、日本プラモデル工業協同組合の組合員である[[童友社]]<ref>{{Cite web|和書|url = https://hobbyshow.co.jp/union/ |title = 日本プラモデル工業協同組合の紹介 |publisher = [[全日本模型ホビーショー]] |date = |accessdate=2022-05-04}}</ref>は、「日本プラモデル工業協同組合に未加盟の模型メーカーは『プラモデル』という言葉を自社製品の紹介に使用できない」旨の説明を行っている<ref>(株)童友社 公式アカウント {{Cite Tweet |user = @DOYUSHAofficial |number = 1493452286634315778 |title = 気にされる方もいらっしゃるかもしれませんのでマジレスします。両ブランド共、製品の中で「プラモデル」の呼称を使っていないので問題ありません。雑誌社が記事の中で「プラモデル」を使うのも問題ありません。未加入のメーカー様が、自社製品の紹介に「プラモデル」の呼称を使うの禁じています。 |date = 2022-02-15 |accessdate = 2022-05-04}}</ref>。 == 定義 == {{要出典範囲|日本ではプラスチック製の組み立てキットのうち、一般的な模型店で扱われるものをプラモデルとし、ほぼ同様の製品であってもそれ以外の玩具売り場、(菓子のおまけとして)菓子売り場、鉄道模型店で扱われるものは玩具、食玩、鉄道模型などと区別されることも多い。一般的な模型店で扱われる狭義のプラモデルとそれ以外のプラモデル形商品は、取り扱っている問屋が異なる場合が多く、流通上別個として扱われており、玩具店と模型店、売り場の別など小売レベルでも一定の線引きがなされているが、厳密ではない。特にキャラクターモデル・玩具においては区別は渾然としており、現タカラトミーのゾイドやプラクションのように、組み立てる楽しみを取り入れたりコスト削減のために、プラモデルと同様の組み立てキットの形態をとる玩具も存在する。逆に模型区分であっても、ガンプラに代表される、顧客へのハードルを下げるためにスナップフィットや塗装不要化などの配慮がなされた商品もある。またSDガンダムや上述のゾイドなど、同シリーズに玩具と模型が混在する例もあり、エンドユーザーレベルからは模型と玩具の中間的で区分がはっきりしないものも少なくない。|date=2023年6月}} == 製品構成 == 基本的には、'''ランナー'''と呼ばれる枠に繋がった状態の'''部品'''と'''組み立て説明書'''が含まれる{{Sfn|尹大栄|2012|p=16}}。その他にも'''接着剤'''、マーキング用の'''[[デカール]]'''、組み立てる際に必要となるもの(ネジ止めが必要なプラモデルには簡易ドライバーなど)が付属する場合もある。これらが商品のイラストや完成写真等を印刷したボール紙の箱に箱詰めされ、出荷されている。小型のものについては[[ブリスターパック]]やビニール袋に入れて売られている場合もある。 ; 組み立て説明書 : インスト(インストラクション)とも呼ばれる。組み立て手順以外に塗装する場合の色指定や塗装図、模型に関する情報などが併記されていることも多い。[[ソリッドモデル]]や[[模型航空機|ライトプレーン]]の説明書が図面中心で設計図とも呼ばれていた名残であるが、設計図と呼称されることもある。また小型のプラモデルでは組み立て説明書が箱の裏面等に印刷されている場合もある。 ; [[接着剤]] :[[File:プラモデル同梱用の接着剤.JPG|thumb|right|付属の接着剤]] : 近年では組立てに必要な場合でも付属しないことが多いが、1980年代頃まではほとんどのキットに小型のチューブや平行四辺形のパックに入ったものが付属していた{{Efn|付属の接着剤は短期間での使い切りを前提としていたため(キャップ付も存在する)、使い勝手が悪く量も十分ではなかったので、別売のビン入り接着剤を使用するモデラーが多かった。}}。接着剤を使用せずに組み立てられる、[[スナップフィット]]キットと呼ばれるプラモデルも増えている。 ; [[デカール]] : [[ガンプラ]]等の初心者向けの製品では[[シール]]やドライデカール([[インスタントレタリング]])が付属する場合もあるが、スライドマークとも呼ばれる水転写(スライド)方式のものが付属することが多い。 == プラモデルの分類 == === 動力装置の有無による分類 === 動力装置を取り付けないことを前提とするプラモデルを'''ディスプレイキット'''(または'''ディスプレイモデル'''{{Sfn|尹大栄|2012|p=16}})という。完成品を展示(ディスプレイ)することを目的とすることからこう呼ばれる。 組み立てる際に付属もしくは別売の駆動装置を取り付け、走行・駆動させることを目的としたプラモデルもある。電動の[[電動機|モーター]]を取り付け、[[乾電池]]などを動力源として駆動するものを'''モーターライズキット'''('''モーターライズモデル'''{{Sfn|尹大栄|2012|p=16}})という。また[[ぜんまいばね|ゼンマイ]]で駆動するプラモデルもある。 === 製法による分類 === [[ファイル:Plastic-model-F18.jpg|thumb|right|250px|射出成形されたプラモデルの一例]] [[ファイル:Wyvern kit.JPG|thumb|right|250px|バキュームフォームキットの一例]] ; インジェクションキット([[射出成形]]キット) : [[金型]]の中に熱で溶けたプラスチックを高圧で流し込んで成形されたキット。大量生産に向き、パーツの精度も高い。製造には精密な金型と、大掛かりな射出成形の設備が必要となるためにイニシャルコストが高いのが難点。製法上、パーツに金型の合わせ目である[[パーティングライン]]が生じる欠点もある。樹脂の通り道であるランナーがあるのが射出成形品の特徴である。ランナーと部品を結ぶゲートはピンゲートにすることで小さくなるが、樹脂の通り道が小さくなるため、生産性が犠牲となる。金型は定期的に整備を続ければ長持ちし、事実40年以上生産され続けているキットもある。一般的なインジェクションキットの他、樹脂や[[電鋳]]や軽合金による[[簡易金型]]による「[[簡易インジェクション]]キット」という物もあり、これは型の寿命が短い代わりにコストを下げることができるため、マニア向けの少数生産キット製造の手段として用いられることが多い。通常のインジェクションキットより部品の精度が劣る物が多いが、[[MPM (模型メーカー)|MPM]]のような一部のチェコ製合金型のものは通常のインジェクションキットに迫る出来の物もある。 ; [[バキュームフォーム]]キット(真空成形キット) : 熱でやわらかくしたシート状のプラスチックを、型に押し付けて成形したキット。通称「モナカ」。単純に押し付ける手法をヒートプレスと呼び、プラスチックシートと型の間の空気を吸い出して密着させる手法をバキュームフォームと呼ぶ。(例:卵の透明プラスチックケース)型が1枚で済むので少ない設備投資で成形できるが、大量生産にはあまり向かない。雄型を使う場合を雄型成形(ドレープフォーミング)、雌型を使う場合を雌型成形(ストレートフォーミング)という。雌型を使用する場合には表面の細部の[[モールディング|モールド]]の再現が可能である。比較的、流線型の成形に向くこともあり、マイナーな航空機がこのバキュームキットで販売される傾向にあるほか、RCカーのポリカーボネート製ボディはほぼこの製法を用いる。成型品はかなり肉厚が薄くなるため補強が必要であるなど製作難易度は高い。また細部など真空成形の困難な部品はインジェクションやレジン、メタル、エッチング等のパーツが組み合わされる場合が多い。バキュームフォームキットは[[ガレージキット]]として扱われることが多いが、インジェクションキットの中に簡易ジオラマベースや帆船の帆、[[簡易インジェクション]]キットのキャノピーパーツなどの形で真空成形パーツが含まれる場合もある。 ; [[押出成形]] : 熱で溶けたプラスチックをダイと呼ばれるノズルから[[ところてん|トコロテン]]のように押し出して成形する。断面の形が同じものを無限に成形できる。プラモデルのキットが押出成形されることはまずありえないが、各種[[プラ素材]]がこの成形方法である。 ; [[3Dプリンタ|3Dプリント]] :[[3Dプリンタ]]の普及とともに、3Dプリンタ による出力で[[バキュームフォーム]]の型や簡易インジェクション型の出力、レジンキットの原型、或いは製品そのものを[[ガレージキット]]等の少量生産向けに出力する事例も見られるようになってきている。背景には高性能の[[3DCAD]]の低価格化、無料化、3Dプリンタを始めとする出力環境の高性能化、低価格化が挙げられ、新たな潮流となりつつある。3Dデータを元に3Dプリント出力を専門に請け負う業者もある。 ; [[ブロー成形]] : [[ペットボトル]]や[[ポリタンク]]の製造と同様に溶融した樹脂に内圧を加えて加工するブロー成形が一部の製品に導入されている。1/12スケールの[[ガンダム]]のように細部の再現性は射出成形品に劣るものの、[[金型]]の製造費用が1桁から物によっては2桁低いので初期投資費用がかからず、少量生産に適する。 === 対象分野による分類 === 実在の飛行機・艦艇・戦車・自動車・建築物等、もしくは実在するにはいたらなかった計画兵器等を扱った「'''スケールモデル'''」と、SFやアニメ等を扱った「'''架空のもの'''」に大別される。スケールモデルにはディフォルメされたものも含める場合がある。アニメ・ゲーム等に登場する車・戦車・船などでは、スケールモデル(一部パーツ変更やキャラクターグッズが追加されることもある)がキャラクターのパッケージで販売されている。 ==== スケールモデル ==== {{Main|スケールモデル}} 実物が存在するもの、または設計・企画された物を縮小した模型を[[スケールモデル]]と呼ぶ{{Sfn|尹大栄|2012|p=16}}。プラモデルが最初に普及した英米では、ヤード・ポンド法を用いていたため縮尺は「1フィート(12インチ)を何インチに縮小」するかが基本であり{{Sfn|尹大栄|2012|p=16}}、例えば1/4インチ(または1/4”)スケールといえば1フィートを1/4インチに縮小することで[[1/48スケール]]を表す。従って「国際標準スケール」には分母が12の倍数のものが多い。しかし、鉄道模型のようにフィートをミリメートルに換算した縮尺(1フィートを4 mmとするもの=4 mmスケール(1/76))を採用する物や、メーカーの都合(箱のサイズや、走行ギミックのためのギアボックスや電池の内蔵)のために決定され、積極的なシリーズ展開のために自然に「[[デファクトスタンダード|標準]]」になってしまったものもあり、後者の代表がタミヤの1/35である{{Sfn|尹大栄|2012|p=16}}。またバイクのスケールである1/9は、[[イタリア]]のプロター社から始まったものである。1/50は航空機ソリッドモデルの標準スケールである。 * [[艦船]] [[1/72]]、1/144、1/200、1/350、1/400、[[1/500スケール|1/500]]、1/600、[[1/700]]、1/720、1/800、1/1000、1/1200 などのスケールがあり、最も種類が多いのは静岡のメーカー四社が共同で展開した[[ウォーターラインシリーズ]]に採用された1/700である。近年はハセガワの[[三笠 (戦艦)|三笠]]を皮切りに[[1/350スケール]]の新製品のラッシュが続いている。また[[日本模型]]の30センチシリーズは1/700〜1/1100程度に相当する。民間船は(日本国内メーカーでは特に)少ない。帆船はスケールの統一は少なく、レベルの1/96、エレールの1/100、1/150、イマイ(アオシマ)の1/350などでそれぞれ数種類の船がそろえられる。一部メーカーの製品にはモーターと電池により水上走行が可能なモーターライズキットが存在する。 * [[陸|陸上]][[兵器]]([[戦車]]、[[大砲]]、[[装甲車]]、[[兵士]]など)1/15、1/16、1/24、1/25、1/30、1/32、1/35、1/48、1/50、1/72、1/76、1/87、1/144、1/350、1/700 などのスケールがある。現代の主流は1/35、1/48、1/72、1/144であり、その中でも、タミヤが採用し日本国内メーカーが追従、以後[[イタレリ]]、[[エッシー (模型メーカー)|エッシー]]、エレールなど日本国外のメーカーも従った1/35が圧倒的なアイテム数を誇る。このため米英のメーカーが展開していた1/32(メタルフィギュアの54 mmスケール)ミリタリー物は少数派になってしまった。 * [[航空機]]([[固定翼機]]、[[回転翼機]]など)1/24、1/32、1/35、1/48、1/50、1/72、[[1/100スケール|1/100]]、1/144、1/200、1/350、1/700 などのスケールがあり、ディテールアップが楽しめる1/48、コレクション性の高い1/72が主流である。1/24や1/32といった大型キットは、中国メーカーの参入を契機に{{いつ範囲|近年|date=2016年10月}}はキット数が増えつつある。また一部のヘリコプターは、陸上兵器の標準スケールに合わせて1/35でモデル化されている。コレクションモデルとして1/144や1/100スケールも人気である。なお航空機のプラモデルというと軍用機がメインと思われがちだが、民間機とくに旅客機も豊富でデカール変えなどで多数の航空会社のカラーリングを再現している。スペシャルマーキングなどの特別塗装を施した機体のキットも人気である。 * [[宇宙開発]]([[ロケット]]、[[宇宙船]]、[[探査機]]など)スペースシャトルなどは航空機と近いスケールだが、探査機から巨大な宇宙ステーションまで含むため、スケールに統一性無し。 * [[自動車]] 1/8、1/12、1/16、1/20、1/24、1/32、1/43などがあり、市販車(高級車含む)、[[レーシングカー]]とも1/24が主流であるが、[[フォーミュラカー]]は近年は1/20が主流である。日本のトラックやバスなどは1/32スケールが多い。1/43は[[ミニカー (玩具)|ミニカー]]の主要スケールであり、ホワイトメタルやレジンキャスト製の[[ガレージキット]]も多い。一部、ミリタリーモデルの派生として 1/35も増えつつある。 * [[オートバイ]] 1/6、1/8、1/9、1/12などがあり、レース用、市販用とも1/12が主流である。 * [[鉄道車両]](ディスプレイキットもしくは、電池等の動力源を内蔵したモーターライズキットで、[[鉄道模型]]への流用を考慮していない物)1/35、1/50、1/76、1/80、1/150などがある。日本においても鉄道車両のプラモデルは、かつて鉄道模型が金属製品主流だった時代に一ジャンルを築いたが、Nゲージを中心としたプラスチック製品の発展とともに、鉄道模型の陰に隠れた存在になってしまい、1980年代後半以降2010年代まで新製品のほとんどない時期が続いた{{Efn|但し2002年に鉄道模型化可能な組み立て式鉄道玩具[[Bトレインショーティー]]が発売されている。}}。その一方で、一般のプラモデルとは流通経路や購入者層の異なる鉄道模型の中には実質的なプラモデルであるプラスチック製の組み立てキットがあり、こちらは1970年代後半以降製品を充実させた。日本以外のメーカーでは、[[ミリタリーモデル]]の一部として軍で使用された機関車や貨車などのプラモデルが製品化されている。 * [[鉄道模型]]用の建築物(ストラクチャー)1/22.5(G)、1/43.5(O)、1/76(OO)、1/87(HO)、1/120(TT)、1/148(イギリスのN)、1/150(日本のN)、1/160(欧米のN)、1/220(Z)などがあり、主に鉄道模型のスケールに合わせているが、1/100前後としてTTとHOの両方で、1/200前後としてNとZの両方で使えるようにしている製品も存在する。これらは通常鉄道模型のアクセサリーとして扱われるため一般のプラモデルとは流通経路が異なっているが、[[ジオラマ]]製作などに流用される場合も多い。 * アクションフィギュアとそのアクセサリー(机・椅子、ぶらんこ、トイレなど)1/12スケール程度。 * [[建築物]]([[姫路城]]、[[五重塔]]など)1/700、1/350、1/200が多いがスケールに統一性無し。 * [[甲冑]]、 [[刀]] 1/3、1/4スケール。 * [[箱庭]](農家などのモデルに、付属の種を植えて育てることができる)スケールに統一性無し(同シリーズの店舗などは1/60、屋台は1/25)。 * [[拳銃]]([[スタームルガー・ブラックホーク|ルガー・スーパーブラックホーク]]、[[コルト・パイソン]]など)[[手榴弾]] など 原則として1/1。ギミック付のキットも存在する。 * [[動物]](人体模型、[[アリイ]]の[[コアラ]]、[[ラッコ]]、[[エリマキトカゲ]]、[[タミヤ]]の1/35[[恐竜]]など)実物の数倍の昆虫や、1/1の小鳥から1/76程度の恐竜までスケールは様々。日本国外のメーカーに比較的製品が多い。 * その他、[[楽器]]([[ドラムセット]]など)、[[家庭用電気機械器具|家電]]([[扇風機]]、オーディオなど)扇風機はモーターを内蔵し、実際に扇風機としての機能を果たす。ある意味では模型ではなく1/1の扇風機そのものであると言える。オーディオは小型スピーカーを内蔵し、ヘッドホンステレオなどに接続して実際に鳴らすことが可能な製品も存在した。多くは国内メーカーの実在の製品を1/3 - 1/10程度にそのままスケールダウンさせたものである。 ==== 架空のもの ==== [[アニメーション]]、[[特撮]]といった映像作品や、[[漫画]]、[[小説]]、[[家庭用ゲーム]]等に登場する架空の兵器や登場人物などを取り扱ったもの{{Sfn|尹大栄|2012|p=16}}。その多くは[[サイエンス・フィクション|SF]]設定の作品である。[[キャラクターモデル]]と称される場合も多い。通常は設定資料の寸法から縮尺に見合った寸法を割り出し設計されるが、初期にはパッケージに収容可能な寸法から縮尺を割り出す'''箱スケール'''ものも多く存在した。 バンダイのガンダムシリーズの成功から1/144、1/100などのものが主流だが、スケールモデル同様に縮尺も多彩である。一例を挙げると1/20、1/35、1/60、1/72、1/220などがある。 *人間に近いサイズのキャラクター([[仮面ライダーシリーズ|仮面ライダー]]、[[妖怪ウォッチ]]、その他デフォルメキャラクターなど) ::過去には [[オバケのQ太郎]]、[[がんばれ!!ロボコン]]、[[Dr.スランプ]]、[[うる星やつら]]など、多くのキャラクターのキットがあった。2000年代以降は、組み立て式アクションフィギュアと呼べる商品が増えている。 *実在の車などに近いメカ(仮面ライダーのオートバイ、[[西部警察]]の特殊車両、[[バットモービル]]、[[デロリアン (タイムマシン)|デロリアン]]など) ::カーモデルや航空機などスケールキットと同様のフォーマット、ディテールで設計された商品も多い。 *ロボット物(ガンダム、マクロス、ボトムズなど) ::1980年代くらいまでは合体・変形などがセールスポイントであったが、ガンダム以降は広い可動によるアクションポージングや、内部構造ディテールにもこだわったアイテムが登場している。 *その他のSFメカ ([[宇宙戦艦ヤマト]]、[[スター・ウォーズ]]、[[サンダーバード (テレビ番組)|サンダーバード]]、[[マイティジャック]]など) ::実写作品では、撮影に使われたプロップに対するスケールモデルとしての解釈もある。 == 歴史 == === プラモデルの誕生と普及 === 世界で最初に発売されたプラモデルは、[[フロッグ (模型メーカー)|フロッグ]]のブランドで動力付きの木製[[模型航空機|模型飛行機]]を販売していたイギリスのIMA社 (International Model Aircraft Ltd.) が、1936年に発売したフロッグ・ペンギンシリーズ[http://www.frogpenguin.com/frog/01_beginning.html]である。 当時の新素材であったプラスチックで模型を作る技術は、イギリス軍が教育に使用する航空機や軍用車両等の識別用モデルをプラスチックで作る技術を応用したものである。 フロッグ・ペンギンシリーズは[[1/72スケール|1/72]]に統一された[[航空機]]のキットで、[[第二次世界大戦]]により中断されるまでに英国機を中心に30点ほどが発売された。 第二次世界大戦中にはアメリカ国内でもプラスチック製の識別用モデルは多数作成され、大戦が終結すると、ホーク、レンウォール等の複数のメーカーがアメリカでもプラモデルの製造を始めた。 1950年代に入ると、オーロラ、リンドバーグ、[[レベル (模型メーカー)|レベル]]、[[モノグラム (模型メーカー)|モノグラム]]等のさらに多くのアメリカのメーカーがプラモデルの生産を始め、ヨーロッパでもイギリスの[[エアフィックス]]やフランスの[[エレール]]等が活動を開始し、プラモデルは急速に普及していった。 フロッグやエアフィックスといったイギリスのメーカーの航空機キットが最初から1/72で統一されていたのに対し、アメリカのメーカーの初期のキットは箱のサイズに合わせた箱スケールのものが多かったが、1950年代後半以降スケールの統一の動きが進み、多くのメーカーが1/72とともに[[1/48スケール|1/48]] (1/4インチスケール) を航空機の統一スケールとして採用し、むしろ1/48の方をメインとした。 また、初期のプラモデルメーカーの多くが木製模型飛行機のメーカーであったこともあり、初期のプラモデルは航空機が中心であったが、1950年代半ば以降、艦船、戦車、自動車等のモデルも徐々に増加していった。 そして1960年代は、欧米の多くのメーカーが数多くの名作キットを生み出す、プラモデルの[[黄金時代]]となる。 1990年代から今世紀以降は、ドラゴンをはじめとした東アジア系と、チェコのエデュアルド、ウクライナのICMなどをはじめとする東欧系のメーカーから多くの新製品が発売されている。 === 日本における歴史 === 日本にプラモデルが渡ってきたのは[[アメリカ合衆国|アメリカ]]でプラモデルが普及を始めた1950年代初めで、主に在日米軍関係者によって持ち込まれた{{Sfn|尹大栄|2012|p=14}}が、日本の木製模型メーカーの注目を得るには至らなかった。1956 - 57年になると少数ではあるが外国製のプラモデルを輸入して販売する店も現れ、玩具メーカーの[[マルサン商店]]や模型メーカーの[[日本模型]]などがプラモデル国産化への模索を開始した。1955年頃から海外メーカーのプラモデルの下請け製造を開始していた[[日本プラスチック]]は1956年10月頃、日本初のプラモデルの「ゼロ戦」を発売、その後1957年春にはゴム動力の「原子力潜水艦ノーチラス号」を発売した、また「和工樹脂」は1958年10月頃、「ダットサン1000」のプラモデルを発売した。その2ヶ月後、マルサン商店は「原子力潜水艦ノーチラス号」等4点のキットを発売した。なお、同時発売した「ダットサン1000」のキットは「和工樹脂」の製品にマルサンのロゴマークのシールを貼ったものである。 [[1950年代]]後期から[[1960年代]]は、戦記映画の人気や雑誌・出版物での[[第二次世界大戦]]戦記特集に後押しされた[[軍艦]]や[[飛行機]]などの実物の[[スケールモデル|縮尺模型]]が主だったが、1960年代後半の[[今井科学]](後のイマイ)による「[[サンダーバード (テレビ番組)|サンダーバード]]」シリーズの大ヒットにより[[キャラクターモデル]]という分野が確立。その後の[[スーパーカーブーム]]でもプラモデルはブームの一端を担った。 [[1980年代]]前半の[[ガンプラ]](ガンダムのプラモデル)ブームでプラモデルはブームの主役の座を得た。ガンプラの大ヒットを受けて起きた[[リアルロボット]]アニメブームでは、プラモデルは主力商品に位置付けられて積極的な製品開発が行われたが、ガンプラブームを再現するには至らなかった。一方、1960 - 1970年代のプラモデル市場を支えてきたスケールカーモデルも市場から撤退するメーカーもあった。また、改造車ブームが背景にあり、旧車を中心とした族車のキットが発売されたものの、自動車をはじめとしたスケールモデルはまだ玩具の領域から脱することはできなかった。そんな中、1980年代後半の[[ミニ四駆]]ブームでプラモデルは再び脚光を浴びたが、その後は新しい分野でのプラモデルブームは起きていない。 [[1990年代]]末頃から模型業界にも[[ファクトリーオートメーション]](FA)の導入が進み、プラモデル製品開発の労力が大きく縮減された。それまで設計、原型試作、金型製作と、時に差し戻しもある各工程を専門技術者に頼り、多大な時間とコストを要していたものが、3D[[CAD]]によりコンピュータ上で最初から立体として設計を行い、[[NC加工|自動制御]]や[[3Dプリンタ]]により原型、製品金型の製作まで行えるシステムが確立したことで大幅に工程が短縮した。また、スライド金型の導入は複雑な形状の成形を可能にし、設計の容易化と部品点数削減に一役買った。それらの恩恵により、[[コトブキヤ]]や[[ウェーブ (模型メーカー)|ウェーブ]]のように資本力の小さい[[ガレージキット]]メーカーからプラモデル事業に新規参入した会社が牽引する形で、特にキャラクターモデルの分野ではそれまで採算ラインに達しなかったマイナー作品からの商品化が飛躍的に増加した。 [[2000年代]]以後は、経済産業省の工業統計表によると「プラスチックモデルキット」全体の出荷額は、[[1998年]]の199億円に対して[[2007年]]は113億円と大幅に減少している<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/shopping/news/TKY201004180319.html |title=ガンプラ、国産一筋30年 品質こだわり4億個 |newspaper=朝日新聞 |date=2010年4月19日 |accessdate=2010-04-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100420230121/www.asahi.com/shopping/news/TKY201004180319.html |archivedate=2010-04-20}}</ref>。ガンプラは安定した売り上げを記録し続けるものの近年は漸減傾向にあり、飛行機やAFVなどスケールモデルは大幅な衰退傾向にある。プラモデル市場の衰退については、急激な勢いで進む[[少子化]]{{Sfn|尹大栄|2012|p=17}}と、縮小する市場のパイをめぐっての[[テレビゲーム]]等の他の玩具との競争{{Sfn|尹大栄|2012|p=17}}、製品面ではマニアックな商品が増えて初心者が近寄り難くなった点や{{Efn|一例としてカーモデルでは、1990年代まではセダンやコンパクトカー、軽自動車やワンボックスカーといった一般的な現行車が製品化されていたが、2000年代以降はスーパーカーやレーシングカー、[[旧車]]といった趣味性の強い車種の製品化が増え、前述した車種の製品化が大幅に減少している。}}、部品点数の増加などからモデルの組み立てに高度化を要求する傾向が目立つこと{{Efn|プロの自動車モデラーである北澤志朗氏は「クルマ好きの人でも、スケールモデルは塗装することを知らない人が多い。複雑な部品の成型が可能になったことにより、かえってパーツが細かくなりすぎてどこから手を付ければいいのか分からず、説明書もアルファベットの記号ばかりで分かりにくい。組み立てにも様々な道具が必要で、一式揃えるとなるとその価格はプラモデル1点以上になってしまう。そうした様々な要因がプラモ離れにつながっているのではないか」と述べている。<ref>{{Cite magazine|和書|magazine=[[モデル・カーズ]] 2016年11月号 |page=119 |publisher=[[ネコ・パブリッシング]]}}</ref>}}などが要因としてあげられている。また高品質低価格化が進む[[食玩]]などの塗装済み完成品模型{{Sfn|尹大栄|2012|p=17}}や、1990年代末から市場が活性化したミニチュアカー{{Efn|とりわけ、2010年代以降は1/18、1/24とスケールモデルと直接競合するビッグスケールのミニカーも多数登場している。}}がプラモデル市場を圧迫しているとの指摘もある。ミニチュアカーや食玩等の完成品市場には[[京商]]や[[青島文化教材社]]などの模型専門メーカーも参入しているほか、[[タミヤ]]に関しても完成品ミニカーやミニ四駆、ダンガンレーサー、RCカー等の完成品を販売することがある。 [[2006年]]頃からプラモデル市場の縮小の影響や[[原油価格]]高騰のため、プラモデルや塗料などが値上げされる傾向にある。老舗メーカーでは上記の製品開発システムの刷新がうまくいかなかったり、製造部門においても射出成型機が多品種少量生産むけの小容量型へ移行が進んだことにより、旧製品の金型が使用できなくなり不良資産化する恐れが出てきており、老朽化によるメンテナンスコストの上昇が重くのしかかる等、業界は曲がり角に差し掛かっている。 2000年代後半からは、カーモデルにキャラクターデカールをセットした「[[痛車]]」や、「[[ガールズ&パンツァー]]」に登場する戦車、「[[艦隊これくしょん -艦これ-]]」や「[[蒼き鋼のアルペジオ]]」の艦船キット([[ウォーターラインシリーズ]]ベース)など、キャラクターとコラボレーションしたスケールキットがブームとなった。また、1980年代から1990年代の[[フォーミュラ1]]、[[ロードレース (オートバイ)|ロードレース]]バイクのキットが新規開発されるなど、当時製品化されなかった車種を補完するような展開も見られる。先述した組み立ての難しさを減らすために、塗装済みや部品点数を敢えて減らしたキットも登場するようになった。 近年、模型雑誌では通常のプラモデルを「インジェクションキット」と呼んで完成品やガレージキットと区別することもある。 === 静岡とプラモデル === {{参照方法|date=2015年11月|section=1}} [[静岡県]]の静岡市を中心とする地域はプラモデルやラジコンを代表に玩具産業が盛んで、[[タミヤ]]([[静岡市]][[駿河区]])や[[バンダイ]](静岡市[[葵区]])、[[青島文化教材社|アオシマ]](静岡市葵区)、[[ハセガワ]]([[焼津市]])など大手玩具・模型メーカーが本社や工場を静岡県内においている{{Sfn|尹大栄|2012|p=13-14}}。特にプラモデルに関しては全国売上シェア約90%である(2010年統計で92%<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.shizuoka.jp/j-no1/m_pmkit.html |title=プラモデルの出荷額日本一 |publisher=静岡県 |accessdate=2013-12-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131217212817/https://www.pref.shizuoka.jp/j-no1/m_pmkit.html |archivedate=2013-12-17}}</ref>)。 [[駿河国]](現在の静岡県の一部)には[[徳川氏|徳川家]]ゆかりの[[富士山本宮浅間大社]]([[富士宮市]])<!--(ちなみに[[富士山]]の八合目以上の土地が今でも富士山本宮浅間大社の私有地であるのも徳川家康の寄進によるもの)-->と、[[静岡浅間神社]](静岡市)などの[[浅間神社]]が多数所在し、時の将軍の指示により、[[寛永]]年間と[[文化 (元号)|文化]]年間の二度にわたり静岡浅間神社の大造営を行った{{Sfn|尹大栄|2012|p=14}}。その際に全国から様々な職人達が[[駿府]](現在の静岡市付近)へ集められたが、造営が長期に渡ったため造営終了後も職人達の多くがそのまま駿府に定住し、その木工技術を活用して家具やひな人形、仏壇、蒔絵などの生産を始めた{{Sfn|尹大栄|2012|p=14}}。 その木工技法は代々受け継がれ、[[1932年]](昭和7年)に、アオシマの創業者である青島次郎が、伝統技法を利用して木製の動力付き模型飛行機を製造販売したことを契機に、県内に多くの木製模型メーカーが誕生した{{Sfn|尹大栄|2012|p=14}}。その後、[[第二次世界大戦]]中は、原料不足から他県の木工産業が生産不能に陥るなか、静岡県は国から『重要木工県』という指定を受けていたことで、主に学校教材用として木製模型の生産も続けられた。 戦後[[1950年]](昭和25年)以降欧米のプラモデルが輸入され始めても静岡の模型メーカーの反応は鈍かったが、国産プラモデルが発売されプラモデルの人気が上昇すると、静岡の各メーカーも[[1960年]]以降プラモデルの生産に順次参入し、木製模型からプラモデルへの転換が急速に進んだ。1970年代に静岡4社共同企画により実現した[[ウォーターラインシリーズ]]や、その後1980代には社会現象にもなった[[ガンプラ]]ブーム、[[ミニ四駆]]ブームいずれも、静岡の企業からの発信(生産出荷)であり、現在の「静岡=プラモデル」の構図が成り立つこととなった。 [[2010年]][[7月24日]]から[[2011年]][[3月27日]]までの期間、「[[模型の世界首都 静岡ホビーフェア]]」を静岡市で開催し、[[ガンダム (架空の兵器)#実物大ガンダム|実物大ガンダム]]を展示するなど、模型(プラモデル)の町・静岡を全国にPRした。入場者数は160万7485人だった。この人気を受けて、2011年6月には日本初の模型専門博物館である[[静岡ホビースクエア]]が開館した。 == 模型製作に用いる工具と材料 == [[画像:Nipper.JPG|thumb|right|200px|タミヤ製ニッパー]] 模型製作にはさまざまな工具を用いる。もちろん、全てを利用しなくても製作は可能であるが、基本中の基本としてプラモデル用のニッパーとカッターはある方が望ましい。なおニッパーなどの切断工具の防錆・保護用のメンテナンスキットもある。 ; [[ニッパー (工具)|ニッパー]] : ランナーから部品を切り離すのに用いる。ゲートと部品の間が狭くキットなどもあり、通常のニッパーでは部品に直接傷がつくのを避けるために刃の薄いプラモデル用のニッパーが望ましい。模型用の歯の薄い製品は強く握ると歯が痛むので丁寧に扱うと良い。真鍮線や[[エッチングパーツ]]など金属を切断する場合は刃こぼれを防ぐため、金属用のニッパーを用いる。また、一部[[ガンプラ]]は、ニッパーを使用しなくても簡単にランナーから部品を切り離せる物がある。 ; [[カッターナイフ|カッター]](Pカッター{{Efn|Pカッターは[[オルファ]]の商品名だが、同種の工具の通称としても使用される。}}、デザインナイフ、[[けがき針]]等を含む) : 主にニッパーで切断したあとのゲート処理、パーティングラインの除去、部品の切断・加工やモールドを彫刻するためなどに用いる。使用する際はカッターマットを用いたほうがよい。カッターナイフは本体に替え刃を内蔵するタイプで、替え刃は数枚をまとめたブレードになっており折って新しい刃に交換する。主に大きなもの、直線を切る作業向けの製品である。デザインナイフ(アートナイフ)は替刃を一枚ずつ交換するタイプで、曲線を切るなどの細かい作業向け製品である。両者とも刃先の角度が異なった替え刃があり、用途に応じて選べるようになっている。Pカッター(厚手のプラスチック板などの切断に使う製品)や'''[[ラインチゼル]]'''とけがき針は主に筋彫りに使用される。 ; [[ピンセット]] : 小さい部品を掴んだり、手の脂が付着するのをさけるため、シールやデカール等を貼る際に用いる。ピンセットはオランダ語由来の外来語。ツイーザー、トゥイーザーなどの英語読みの名称で市販されている場合もある。基本的には金属製だが、特殊なプラスチックで作られたピンセットもある。 ; [[やすり|金属やすり]]、[[紙やすり]]、その他のやすり類 : ニッパーやカッターで処理しきれないゲート跡など綺麗にするために用いる。やすりは元々金属製であり、本来は金属やすりという呼び方は無いが、紙やすりと区別するため模型用語として一般化している。紙やすりは「サンドペーパー」、耐水性のものは「(耐)水ペーパー」とも呼ばれるが、略して「ペーパー」と呼ばれることが多い。部品の表面を削ったり整えたりするために用いる。最近はラッピングフィルム(研磨剤付きのプラスチックフィルム)やスポンジ研磨材も使用される。また、金属部品などの加工に[[ダイヤモンドやすり]]を使用することもある。 : なお筋彫りに特化した非常に薄い幅の刃を持つ"スジボリヤスリ"という製品もある。 ; [[ピンバイス]] : パーツに穴をあけるための細いドリル刃(0.1 mm - 3 mm程度)を保持した状態のものをピンバイスと呼ぶことが多い。本来ピンバイスは小径の棒状のものを保持する固定具([[バイス]])でドリルの刃の部分は含まないのだが、模型ではドリルでの穴あけ以外ではあまり用いられない。 ; プラモデル用(ホビー用)のこぎり・レザーソー・糸のこぎり : 部品を切断するために用いる薄刃ののこぎり。改造する際に使われることが多い。かつては米国エグザクト社のレザーソーが代表的なブランドだった。後にエッチングで作られた薄く目の細かいノコギリであるハセガワ(トライツール)のモデリングソーや、タミヤの薄刃クラフトのこ、シモムラアレック(プラッツ)のハイパーカットソーなど、ホビー専用のものが登場している。 ; [[接着剤]](セメント) : 元来は二つ以上の物質の接着に用いられるものだが、後述の'''パテ'''として使用可能なものもある。最近は後述の様に強固な接着の為ではなく、仮止めや完成品の耐震・安定展示用の一時(仮)接着を目的としたものも出回り始めている。 :; プラスチックセメント :: 部品同士を接着するために用いる。材料を溶かし、溶剤が蒸発して硬化することで接着される。以前は接着が必要なプラモデルにはチューブ入り等の接着剤が付属している場合が多かったが、現在では一部の外国製キットを除いて付属しておらず、別途購入しておく必要がある。樹脂分を含む「トロトロ型(貼り合せ型)」と溶剤分だけの「サラサラ型(流し込み型)」とに大別される。前者はセメダイン社の瓶入りの製品やタミヤ、グンゼ産業(現在の[[GSIクレオス]])等模型メーカー製品など古くから販売されている。後者はタカラのプロセメントなど少数派であったが、1990年代になってから種類が増え、2000年代には石油系溶剤を含まない[[リモネン]]を主成分にした物も増えており、有機溶剤の匂いがきつくないなどの利点があるため、使用するモデラーも増えてきている。また、最近のガンプラ等のプラモデルでは接着剤を使用しなくても製作可能なスナップフィット・キットがほとんどであるが、パーツを組み合わせたときに出来る'''"合わせ目"'''を消すために用いることも多い。ただし、スケールモデルではパーツ自体が非常に薄くなっている場合も多くあり、接着剤ではパーツの変形などのトラブルが起きやすいため、擦り合わせで密着度を上げて合わせ目を無くす。 :; [[瞬間接着剤]] :: 「シアノアクリレート」という特殊な樹脂が主成分の接着剤であり、空気中などの水分と急速に反応し、数秒から数分で硬化する。金属との接着のように、溶剤に侵されない材質や、異なる材質同士を接着する場合に用いられる。近年はプラモデルでも再現性向上のためにエッチングパーツなどの異素材部品を含む物が多く、製作の必需品となっている。ただし透明パーツなどに使ったり近くにおいてあると、接着剤の成分で"曇って"しまうこともある。こうした白化現象を避ける意味で効果促進剤を使う。また、低白化タイプの製品もある。この他には耐衝撃用などもあり、使用対象、強度、粘度、硬化時間などの異なる様々な製品がある。また通常は無色透明なものが多いが、白色や黒色など色のついた商品も出回り出している。 :; 一時接着剤 :: 貼って剥がせる再剥離可能型の接着剤で、仮止めや、完成した模型を地震その他の不慮の際にも倒さないで(安定して)展示する為の一時的固定に利用される。当初は紙等にシールの様に粘着性と再剥離性を与える為に開発され写真製版等から再剥離可能型の粘着剤スプレーが出回り始めた。かつては安定展示用には粘着テープを輪の様にして展示品と台座双方を接着していたり完成品に穴を開け真鍮線等を差し込んで固定していたりしていたが、現在では同じ表面特性を持つ粘着型防振ゲルと共に耐震・安全展示用途での利用が始まっている。 : ; [[パテ (材料) | パテ]] : 部品のへこみなどを埋めるために用いる充填材。また、プラモデルの形状変更やオリジナルの造形にも用いられる。硬化した後にカッターなどで切削・成形する事が可能だが、パテによっては切削性の悪いものもある。プラモデル製作で使用されるのはラッカーパテ、[[エポキシパテ]]、ポリパテ(ポリエステルパテ)の3種類が多い。最近では光硬化型パテや瞬間接着パテも発売されている。これは硬化までの時間が短く用途によっては非常に便利である。 :; ラッカーパテ :: 文字通りラッカー系溶剤を含み、溶剤が揮発することで硬化する。この際、溶剤が揮発した分の体積が減少する(肉痩せ、あるいは[[ヒケ]]という)。従って分厚く盛る場合には向かず、傷や部品のヒケの修正などに用いられることが多い。プラパテと略称されることもある。 :; エポキシパテ(エポパテ) :: 粘土状の2種類の基剤をほぼ同量混和して用いる。混ぜ合わせた後の作業時間は早くて1分 - 5分、通常は数十分から数時間で、おおむね一日程度で完全硬化する。ヒケはあまり起きない。種類によっては完全に固まるとかなり硬くなるので、適度な硬さの段階で切削すると加工性がよい。2種類のパテが均一になるよう混ぜ合わせるのが使用上の注意である。模型用のほかに木工用や金属用のものが市販されている。エポキシパテの成分は[[エポキシ樹脂]]項目を参照。皮膚が弱い場合には手袋必須である。日本以外ではミリプットのブランドのものが使われており、日本ではポリパテよりも導入が遅かった。一般向けとしてセメダイン社の製品、模型用としてはタカラの「改造くん」が1980年代前半から存在し、その後1980年代後半からフィギュア制作などに多用され、各社から模型用の新製品が発売されていった。 :; ポリパテ :: 主剤に硬化剤を練り込んで使用する。硬化時間は硬化剤の割合や気温によって変化するが、数分から数十分と早い。臭気が強いので換気必須である。1980年代前半のガンプラブーム当時、[[スクラッチビルド]]のために自動車の修理用品である「ニッペ厚付けパテ」が使用され、その後模型専用の物が開発されていった。 :; 紫外線硬化パテ(光硬化パテ、UV硬化パテ) :: 太陽光や蛍光灯の至近距離に近づけると紫外線と反応して短時間で硬化する。硬化が早く、作業の効率化に大いに役立つが、場合によっては盛ってから1分とたたないうちに固まってしまうため、手早い作業が必要。現在最も高性能なパテといえるが、値段も通常のパテよりも高い。ただし、最近では少量がデコアート用に使い切り分量(5[[グラム]]程度)で百円均一の店などで販売され、それまでのアクリルパテに代わり主流となっている。なお一部の製品は空気に触れていると硬化しない(嫌気性の)ものがある。 :; 瞬間接着パテ :: 液剤と粉末を混合すると数秒 - 数十秒で硬化する物で、作業が早い反面、物性的に脆い(それでもスチレン樹脂よりは丈夫である)。作業性を高める為に硬化促進剤とその速度を調整する緩衝剤とを併用する事もある(GSIクレオス製品等)。 : この他、元々接着剤や[[ネイルアート]]方面で利用されていた'''アクリルパテ'''がある。粉末のパウダーと液体のリキッドの混合による二液混合型で、硬化開始時間が少々長く(それでも最短で1分以内には硬化開始)、また硬化に紫外線が要らず安価なのでUV硬化パテよりは普及が早かった。現在はネイルアート方面では硬化剤のいらないUV硬化パテに主役の座を明け渡し、模型やデコアート用マテリアルとしての利用が多くなってきている。接着剤としても有用であり、'''プラリペア'''などの商品名で流通している。 ; [[塗料]] : プラモデルを塗装するために用いる。ラッカー系、アクリル系、エナメル系等いくつか種類がある。塗料はその特質を知って使いこなすことが重要である。なお瓶入りの他に常温で蒸発し加圧する液化ガスを圧力源とする"缶スプレー"があり、瓶入りの塗料を同様の塗装加工に用いる為のアイテム([[ガイアノーツ]]"イージーペインター"等)も存在する。 :; ラッカー系塗料 :: 日本で多用されている、乾燥が速く強固な塗膜が形成できる利点を持つ塗料。通称は「ラッカー系」であるが正しくは非水溶性の有機溶剤を用いた「アクリル樹脂塗料」(MR.HOBBYでは溶剤系アクリル樹脂塗料と記載)である。溶剤の蒸発により樹脂が塗膜を形成するため、アクリルラッカーに分類される。溶剤が非水溶性であることを強調するために「油性アクリル系塗料」と呼ばれることもあるが、「油性」は本来動植物由来の油脂を表す用語であり、石油由来の有機溶剤に使用するのは厳密には正しくない。ラッカーの一種ではあるが、昭和30年代に模型用として売られていた「マメラッカー」などのプラスチックを溶かすほど溶剤の強い、本来の[[ラッカー]](ニトロセルロースラッカー)とは別物である。トルエンなどが含まれる業務用塗料ほどではないが、他の模型用塗料に比べ溶剤の臭いや毒性が強く、換気せずに長時間吸入すると中毒を起こす。また揮発性、引火性が強いことにも注意。マルサンのプラカラーを皮切りに、レベルカラー(後に[[Mr.カラー]])、モデルカラー、モノグラムカラー、ガイアカラーなど、多くのブランドが存在した。なお、模型専用塗料以外の模型向けの塗料にはトルエンなどを含むものもあるため注意が必要である。 :; 水溶性アクリル樹脂塗料 :: アクリル系とも呼ばれる。溶剤として[[アルコール]]系の水溶性の有機溶剤に水を混入したものを使用している。水で希釈することも可能だが、乾燥時間が増し光沢面に塗れなくなることもあるので、プラモデルに塗る場合は専用溶剤で希釈することが多い。臭いや毒性はラッカー系より抑えられている。引火性も低く安全性が高いものの、塗膜はラッカー系より弱く、上からラッカー系塗料を塗ると侵される。[[GSIクレオス]]の「[[水性ホビーカラー]]」と「[[アクリジョン]]」、タミヤの「[[タミヤカラー#アクリル塗料|アクリルペイント]]」が代表的な国産の水溶性アクリル樹脂塗料であり、1980年代初めの発売以来順次改良されているが、使い勝手や塗膜強度の面で敬遠するモデラーもまだ少なくない。最近は、国産とは異なる性質の優れた外国製品も入手しやすくなっており、スケールモデルでは珍しい存在ではなくなった。なお国産商品も改良が進み、これまで希釈性の問題でエアブラシ塗装に不向きとされていた欠点も改善されつつある{{Efn|これまでのエアブラシ用の調整を簡便化したエアブラシ専用うすめ液との等倍希釈で簡単に使用可能となった。}}。なおアクリジョンの為の汎用うすめ液は水と専用うすめ液とがあるが、専用うすめ液は後述の"リターダー"として働く為に使い過ぎるとなかなか乾かなくなる。なお、アクリジョンの薄め液は生産終了となり、リターダーが販売されるようになった(エアブラシ用薄め液は改良して継続販売)。 :; エマルジョン系 :: 広義には水溶性アクリル塗料に含まれる低溶剤の塗料。臭気がほとんどなく、水性アクリル、水性ホビーカラーは水でも可能だがアクリルシンナーが推奨されるのに対して、完全に水道水のみで、希釈や洗浄が可能(ただし、乾ききった場合には水溶性でなくなるので専用ツールクリーナーが必要)。乾燥は速く、塗膜も強め。代表ブランドは、シタデルカラーやアクリジョンなど。 :; エナメル系塗料 :: 専用の溶剤(工業[[ガソリン]]系)で希釈する。上記2種類の塗料と異なり、塗装後空気に触れることで化学反応が起き固化する。エナメル系塗料は乾燥が遅く筆塗りでもムラができにくい利点がある。乾燥後の塗膜は光沢に優れる。多湿な日本の気候には不向き<{{Efn|ただし[[エアブラシ]]による塗装では、ラッカー系では多湿環境下で白く曇る(「かぶり」と言う)が、エナメル系では起きない。}}だが欧米では一般的な模型用塗料として用いられている。また他種の塗料の塗膜を侵さない事から[[ウェザリング]]に用いられる事が多い。ただし下地がつや消しの場合、顔料が染み付いて取れなくなることがある。塩ビ(ソフトビニール製キットやポリキャップなど)は侵され劣化するので避けた方がよい。またスナップフィットなどで常に力の加わっている部分に使用すると、溶剤の浸透によりパーツが破損する場合もある。最近、紫外線をカットするクリアー塗料の上に塗布した場合に白化する現象が話題となった。「[[タミヤカラー#エナメル塗料|タミヤカラー]]」が事実上唯一の国産エナメル塗料であるが、イギリスの[[ハンブロール]]社製のエナメル塗料も塗料単体や塗料付キットとして輸入されて一部の模型店で入手できる。 : 塗料は模型用塗料だけでなく、絵画用のアクリル[[絵具]]や[[油絵具]]、[[パステル]]、[[コピック]]なども用いられる。 : 塗料に添加して性状を調節する添加剤(メディウム)がいくつかある。光沢を抑える'''フラットベース'''、乾燥を遅らせ、筆ムラやかぶりを抑える'''リターダー'''、塗料の粘度を抑える'''うすめ液'''などが典型的。うすめ液そのものがリターダーや金属色の質感を向上する添加剤を含んでいることもある。うすめ液はラッカー用、エナメル用など、使用する塗料に合った専用品を用意する必要がある。なお、フラットベースの逆の作用を持つものはなく、塗装後に光沢の強い(全光沢或いは半光沢の)トップコートで調節する。 : ; [[筆]] : 平筆、丸筆と細部塗装用の面相筆があると便利。学校の授業などで使った水彩画用を流用することもできるが、塗料の溶剤によって毛を束ねる接着剤が溶け出し、最終的にはバラバラになる可能性があるため、模型用のものを使用するのが望ましい。 ; [[エアブラシ]] : 筆塗りでは難しい、ムラの無い一様な塗面やグラデーション塗装に使う。缶スプレーと比べて、自由な色が使える・吹き出し量の調整が可能というメリットがある。ある領域全体に塗装されるため、塗装前に、マスキングや塗装順番を考えた部品改造が必要になる場合もある。以前はピースコン等の一部製品を除きイラスト・写真修正用の高価な物が多く一般的ではなかったが、近年は模型メーカーから比較的低価格の製品が発売される様になった。 : 塗料噴霧用の端末器具としてはハンドピースが用いられる。気体加圧源としては高圧気体のボンベを用いる"スプレー缶(エア缶)"か電気を動力源とした"エアコンプレッサ"が用いられる。通常は加圧源で加圧気体と塗料の双方の吐出量が制限される為に加圧源の性能如何では塗料の吐出に影響を及ぼす場合がある。低圧型のコンプレッサでは上手く扱えない塗料も存在する。ハンドピースには加圧気体と塗料の吐出量を共に同時に調整可能なもの(ダブルアクション)の他に加圧気体と塗料の吐出量を同時に調整不可能なもの(シングルアクション)も存在する。ダブルアクションのハンドピースを用いると細い幅の塗装も可能となる(加圧源の吐出量を低く調整する必要がある)。なおこの技法は全ての塗装技法中で最も塗料の消費量が少ない。 : 塗装作業中には塗料の霧状微細粉末や溶剤の揮発気体が周囲に飛散するので、作業者はマスクなどでの防護が必要となる。その為飛散物を強制的に吸い取る装置も存在し市販されている。 ; [[マスキングテープ]] : 塗装の際、塗り分けを行うために色をのせない部分を覆って色が付かないようにする粘着剤つきの紙テープ。仮組みなどの際に粘着力の低いテープとしても用いる。また同様の目的の為に、塗布することで柔軟なマスキング膜を形成する液状のマスキングゾル{{Efn|実質はプラ素材と接着しない性質をもつ水性接着剤で、ゴム素材の有無で特性が変化する。}}という商品もある。 ; [[サーフェイサー]] : ヤスリがけで付いた表面の微細な傷などを埋める為や塗料の食い付きを良くする為に使われる。主に塗装の前段階として用いる。筆塗りの他、缶スプレーやエアブラシを用いて吹きつけて使用する。市販されている物の主な成分は溶液に溶いたラッカー系パテ(溶きパテ)とほぼ同様の物である。傷やヘコミなどを見分けやすいグレー色が一般的だが、[[フィギュア]]など用にホワイトや肌色の製品もある。細かい彫刻が潰れることを嫌い、使用しないモデラーもいる{{Efn|なおサーフェイサーを用いない面に塗装する技法を"サフレス塗装"と呼ぶ。}}。 ; プライマー : 金属(メタルパーツやエッチングパーツ)、レジンなど塗料の食い付きが良くない素材に塗装する場合に使用する下地塗料。通常は無色透明。プラモデル用に開発されたもの以外は、プラスチックを侵す恐れがある。上記サーフェイサーを兼ねた"プライマーサーフェイサー(プラサフ)"もある。 ; トップコート : 塗装した個所の表面保護に使用する、透明な塗料。ステッカーやデカール、インスタントレタリング(インレタ)などの保護にも有用。光沢、半つや、つや消しとがあり、被塗物の質感を調節する場合にも用いられる。[[金属光沢]]を与えるメタリック色は、これを塗布するとかぶりが生じる(白っぽく曇る)ものもあり、代用としてプライマーを吹き付けることもあるが、こちらは金属光沢を生み出す顔料が流れてしまう{{Efn|これを防ぐ技法として、比較的遠方から乾燥速度を調整して半乾きの霧状で塗布して行う"砂吹き"があり、この後に出来る梨地の表面を研磨平滑化する"磨き込み"作業を以って仕上げそれに拠って金属光沢を守る事が出来る。この技法はその他に塗装が光沢仕上げの場合にも応用が利く為に主に自動車(二輪・四輪)模型で多用される。}}ことがあるため、金属らしい質感が重要な個所を一切保護しない場合もある。 ; デカール定着剤 : デカールを軟化させ、模型表面の凹凸への密着性を高めるための補助剤。デカールを貼った上から塗布して軟化させるものをデカール軟化剤(マークソフター)、接着力を持ち先に塗布した上にデカールをセットするものをデカール定着剤(デカールフィッター、マークセッター)と区別する場合もある。デカールの種類と定着剤の相性により軟化の程度に差があり、しわ等が生じる或いはデカールが破損する場合もあるので事前の確認が必要。 ; [[綿棒]] : デカールを貼付する際に出る余分な水分を脱脂綿に吸わせる、デカール貼付位置の微調整、あるいは[[ウェザリング]]や[[スミ入れ (模型)|墨入れ]]を施す際に用いられる。使い勝手としては化粧用に開発された先の細いものが良い為に模型専用のものもこの形状になっている。 == 製品 == === よく使われる素材・材質 === ; [[ポリスチレン]] (PS = Poly-Styrene) : プラモデルの材料としては最も多く使用される。プラモデルで「プラ」といった場合、広義では[[合成樹脂]]一般(ABSなども含める)をさすが、狭義ではポリスチレンのみを指す。[[エナメル]]系溶剤に侵食され、劣化する性質がある。透明のものは飛行機キットのキャノピーや[[自動車]]キットの窓[[ガラス]]などに用いられるが、しなやかさがないため非常に砕けやすく、[[瞬間接着剤]]などで白濁することも多い。[[タミヤ]]や[[エバーグリーン]]{{要曖昧さ回避|date=2022年11月}}ブランドの[[プラ素材|各種素材]]もポリスチレンである。ドイツ語であるスチロール (Styrol) と呼ばれることもある。 ; [[ABS樹脂|ABS]] (ABS = Acrylonitrile-Butadiene-Styrene) : [[アクリロニトリル]]、[[ブタジエン]]ゴム、[[スチレン]]を混ぜたもの。配合比率によって物性に差はあるが、ポリスチレンよりも割れにくく磨耗も少ない。このため、負荷のかかるキャラクター模型の関節部や動力模型のシャーシ(ミニ四駆や電動RC)などのパーツがABSで成型されることが多い。溶融接着には専用のABS樹脂用の接着剤を必要とする。また切削性もポリチスチレンよりも粘り気が強い。 ; [[ポリプロピレン]] (PP = Poly-Propylene)、[[ポリエチレン]](PE=polyethene) : いわゆるポリキャップとして[[ロボット]]キットなどの関節部[[蝶番|ヒンジ]]に多用される軟質樹脂。柔軟性が高く磨耗が少ない反面、ほとんど[[やすり|ヤスリ]]がけができない、そのままでは塗装もできないといった欠点もある。モーター走行する戦車キットのベルト式キャタピラとして、1970年代からゴム製のものに代わって多く使われるようになり、ディスプレイモデル用としても使用されている。 ; その他の樹脂 :# [[アサフレックス]] - スチレン系の合成樹脂。曲げると変形が残る程度の柔軟性で、塗装も接着もできる。 :# [[エラストマー]] - ゴムに近い性質だが、射出成型が可能なスチレン系樹脂。<!--タミヤのゴムキャタピラ?--> :# [[ポリアセタール]] (POM) - 軸受などに使用される。塗装や接着が困難。 : ; 金属類 : [[画像:Brass photoetch sheet.jpg|thumb|right|200px|1/350[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]用エッチングパーツ]] : [[エッチングパーツ]]や自動車の[[軸 (機械要素)|シャフト]]、[[ギア]]ボックス、[[ネジ]]など各種[[金属]]が補助的に使用される。 === 有名なシリーズ === * [[ミリタリーミニチュアシリーズ]] 1/35 タミヤ * [[ウォーターラインシリーズ]] 1/700 タミヤ、長谷川製作所、青島文化教材社 * [[ミニボックスシリーズ]]1/72 ハセガワ * [[ミニボックスEシリーズ]]1/72 ハセガワ * [[機甲師団シリーズ]]1/48 バンダイ * [[デコトラシリーズ]]1/32 青島文化教材社 * [[ガンプラ]] 各種スケール バンダイスピリッツ(以下バンダイ) * [[マシーネンクリーガー]] 日東、ウェーブ、ハセガワ * [[ロボダッチ]] 今井科学 一部は青島文化教材社から再発売 * 合体マシン 青島文化教材社 * アニメスケール 各種スケール 青島文化教材社 * [[ミニ四駆]] 1/32 タミヤ * [[たまごひこーき]] ハセガワ *[[フレームアームズ]]・[[フレームアームズ・ガール|フレームアームズガール]] 壽屋 *[[D-Style(プラモデル)|D-Style]] 壽屋 *[[デスクトップアーミー]] メガハウス *[[MODEROID]] グッドスマイルカンパニー * [[Figure-rise Standard]] バンダイ === デカールの制限 === {{Double image stack|right|Colin McRae Subaru Impreza WRC.jpg|Colin McRae's Subaru Impreza 555 crop.jpg|200|たばこ広告禁止の影響例:[[スバル・インプレッサ]]WRC(実車)の555仕様とノンタバコ仕様。<br>この実車と同様に、模型もロゴの削除・差し替えを強いられる場合がある。}} プラモデルに含まれるデカールや[[箱絵]]には、社会的要因による制限が一部加えられている。そのために製品化や旧製品の再生産が困難になったり、やむを得ず一部分の完璧な再現を断念せざるを得なかったりといった問題も生じている。 ;タバコ広告 :1990年代以降、多くの国で[[タバコ広告]]の規制が強化された。そのため、多くの[[フォーミュラ1|F1]]、[[世界ラリー選手権|WRC]]といった[[レーシングカー|レースカー]]のキットに付けられていたタバコメーカーの[[スポンサー]][[ロゴタイプ|ロゴ]]も規制の対象とされ、その後発売されたF1レースカー製品ではデカールからタバコメーカーのロゴが削除されたり、別のものに差し替えられてしまっている。タバコメーカーがメインスポンサーだった一部の車種では、削除や差し替えすら難しいためキット自体が生産困難な状態となっているものもある。 ;その他企業ロゴに関する制限 :2000年代以降は企業の[[知的財産権]]管理強化の関係から、タバコ以外の企業についてもロゴが削除・或いは差し替えられたものが現れている。 ;ハーケンクロイツ :[[第二次世界大戦]]時のドイツ機の[[垂直尾翼]]に描かれていた[[ハーケンクロイツ|鉤十字]](スワスティカ)は、[[ナチス・ドイツ]]の[[シンボルマーク]]であり、現在ドイツでは公の場での使用や掲示が法律により禁止されている。その影響で、1990年代以降多くのメーカーでは箱絵とデカールからスワスティカや本来ナチスとは無関係の[[フィンランド]]の[[ハカリスティ]]を削除している。日本国内ではスワスティカの使用に全く制限はないが、輸出を考慮して日本メーカーの多くもこれに倣っている。一部の日本メーカーでは日本国内出荷分にのみスワスティカのデカールを付けているが、多くの場合箱絵は勿論組立て説明書にも明示は無く、オマケ扱いとなっている。また、スワスティカを十字や田の字形に変えたり、二分割してそのままではスワスティカに見えない形でデカールにしているメーカーもある。 === コピー製品 === プラモデルにおいては、部品の分割方法や面の表現、対象の立体としての解釈など設計段階で開発者の個性が強く表れる。異なるメーカーが同一の題材を製品化した際に、他のメーカーの商品をコピーしたと指摘される場合が有る。これは前述の分割方法や成型パーツの配列などにおいて、他社の既存製品と比較し同一または酷似しているものが対象となる。 ただし他の工業製品と同じく、金型や製品が他社に売却、または[[OEM]]供給されて別パッケージで発売されることがあり、これがコピー品と間違われやすい。また、1/72以下の小スケールのキットでは、部品分割に個性を発揮できる余地が少ないため、偶然似通った部品分割となる場合もある。 日本のプラモデル黎明期には、先行するアメリカやイギリスのキット製品を原型としてコピーしたものが存在した。原型製品とは異なるパーツ配列としたり、原型製品と比較しギミックやモールドを新しく追加または省略したコピー製品も存在した。部品分割が全く異なっていても、形状の特徴から他の製品を参考にしているのが明らかなものもあった。 プラモデルのコピー製品では、原型製品において模型雑誌やモデラーから問題点として指摘された部分を修正したり、原型メーカーが発売していない派生製品を発売する場合もある。ただし、大部分のコピー製品は精密度において原型製品に劣っている。 ここでは具体的なコピー製品の例として韓国の[[アカデミー科学|アカデミー]]製品について解説する{{Efn|アカデミーを例にしているが、1990年代までは韓国や中国のプラモデルメーカーのほとんどがコピー製品を作っており、特にアカデミーが悪質とか、数が多いということはない。}}。<!--なおこの項目は[[著作権法]]に抵触する虞のある情報{{Efn|記事内容が他の所からコピーしたと云う事ではなく、'''コピー商品という行為自体が'''…と云う意味である。なお、現在国際的に著作権法を持たない国や地域ではこれらの行為の虞が多分に存在する。}}でもあるので利用の際は注意を要する。--> ; 1/72 [[A-10 (航空機)|A-10]] 1/72 [[MiG-23 (航空機)|MiG-23/27]] 1/48 [[F-16 (戦闘機)|F-16]] : [[ハセガワ]]製品が原型と指摘されているアカデミー製品。A-10やMiG-23/27では開発時期の古い原型キットの凸モールドが凹モールドへ修正された。F-16では同一パッケージで複数の形式に対応すべく細かい部品の分割手法が変更され、各種搭載品を追加するなどの修正が行われた。 ; 1/35 [[M113]]・[[M60パットン]]・[[メルカバ (戦車)|メルカバ]]・[[センチュリオン]] : [[タミヤ]]製品が原型と指摘されているアカデミー製品。原型製品とは異なり、大量のアクセサリーの追加や原型には無い改良型(M113)や発展型の車両(メルカバ)、[[イスラエル国防軍]]仕様(M113、M60)などが発売された。例えばメルカバIIIなどは転輪パーツ以外はオリジナルとなっており、高価な[[ガレージキット]]を購入したり[[スクラッチビルド]]をする必要が無くなったため、購入者からすれば恩恵の方が大きいとも言える。なおセンチュリオンは日本には輸入されていないが、生産停止となったタミヤ製品に代わって欧米市場ではポピュラーな製品となった。 ; 1/48 [[Su-27 (航空機)|Su-27]] : アカデミー製品が原型と指摘されている[[トランペッター (企業)|トランペッター]]製品。原型キットの問題点をそのままコピーしており工作精度の問題から原型に劣る。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == {{脚注の不足|date=2020-10-12|section=1}} * {{Cite book|和書|title=日本プラモデル興亡史 -わたしの模型人生- |author=井田博 |publisher=文春ネスコ |isbn=4890361871}} * {{Cite book|和書|title=田宮模型の仕事 木製モデルからミニ四駆まで |author=田宮俊作 |publisher=文春ネスコ |year=1997 |isbn=9784890369508}} * {{Cite book|和書|title=田宮模型をつくった人々 |author=田宮俊作 |publisher=文藝春秋 |year=2004 |isbn=9784163662503}} * {{Cite book|和書|title=プラモデル進化論―ゼロ戦からPGガンダムまで |author=今柊二 |publisher=イーストプレス |year=2000 |isbn=9784872572148}} * {{Cite book|和書|author=平野克己 |title=高荷義之―プラモデル・パッケージの世界 |publisher=大日本絵画 |year=1999 |isbn=9784499227087}} * {{Cite book|和書|editor=日本プラモデル工業協同組合 |title=日本プラモデル50年史 |publisher=文藝春秋企画出版部 |year=2008 |isbn=978-4-16-008063-8 |ref=harv}} * {{Cite book|和書|author=神永英司 |title=マルサン物語 玩具黄金時代伝説 |publisher=朝日新聞出版 |year=2009 |isbn=978-4-02-250550-7 |ref=harv}} * {{Cite book|和書|author=くらじたかし |title=マルサン―ブルマァクの仕事 |series=文春文庫 |year=2001 |isbn=978-4-16-765607-2 |ref=harv}} * {{Cite journal|和書|journal=地域イノベーション |author=尹大栄 |publisher=法政大学地域研究センター |year=2012 |title=プラモデル産業 |doi=10.15002/00008192 |format=PDF |ref=harv}} *『ニッサン グラフ』 昭和34年6月号 *『モーターファン』 昭和34年1月号 *『青木固 回顧録』 日精樹脂工業 平成元年出版 * 日本模型新聞{{Full citation needed|date=2020年10月}} == 模型メーカー・業者 == * [[タミヤ]] * [[BANDAI SPIRITS]] * [[GSIクレオス]] * [[青島文化教材社]] * [[ハセガワ]] * [[ファインモールド]] * [[フジミ模型]] * [[宮沢模型]] * [[メトロ科学模型]] * [[坂井精機]] ほか == 外部リンク == {{external media |video1={{YouTube|ALLwe1Tls2c|THE MAKING (92) プラモデルができるまで}} }} * [http://business1.plala.or.jp/plamodel/ 日本プラモデル工業協同組合] * [https://hnavi.net/ 模型屋なび](全国模型販売店紹介サイト) {{模型}} {{デフォルトソート:ふらもてる}} [[Category:プラモデル|*]] [[Category:登録商標]]
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ロールプレイングゲーム
ロールプレイングゲーム(英: role-playing game, 略称:RPG)とは、参加者が各自に割り当てられたキャラクター(プレイヤーキャラクター)を操作し、一般にはお互いに協力しあい、架空の状況下にて与えられる試練(冒険、難題、探索、戦闘など)を乗り越えて目的の達成を目指すゲームである。対する物としては、将棋やストラテジーゲーム等のようにプレイヤーが特定のユニット(人物、コマなど)に割り当てられないゲームである。 ロールプレイングゲームとは、元々はミニチュアゲームから派生したもので、アメリカで考案された、テーブルゲームである。シミュレーションにおいて、プレイヤーが操作していた戦車や戦闘機、軍団といったユニット(ゲーム上のコマ)を、兵士個人に置き換え、そこに仮想人格としての信条や個性、能力を付加すると、ロールプレイングゲームへと繋がる流れになる。 日本ではコンピュータゲームのRPGと区別するため、テーブルトークRPGとも呼ばれる。英語圏では、ライブアクションRPGやコンピュータRPGと区別するため、「Tabletop role-playing game(テーブルトップロールプレイングゲーム)」または「Pen-and-paper role-playing game(ペンアンドペーパーロールプレイングゲーム)」などと呼称する。RPGのGは「Game(ゲーム)」を指すため、「RPGゲーム」と表現すると厳密には重言になる。 今日では、ロールプレイングゲームからの派生物として、コンピュータを用いて同様のゲームを再現したことに始まるコンピュータゲームの一種、コンピュータRPGが人気である。コンピュータRPGは、コンピュータを用いるというシステム的な制約から、自由度は制限されるものの、本来のロールプレイングゲーム同様に、個性的なキャラクターを操って、架空の世界に遊ぶというゲームの本質は維持されている。 なお、初期のロールプレイングゲームは大半がファンタジーに題材を採った架空世界を舞台とし、モンスターとの戦闘を介して経験値を取得することでキャラクターが成長し、成長することで探索・行動範囲を広げるというものであったため、現在においてもRPGと言えばそういうものと思われがちである。この傾向はコンピューターRPGにおいて特に顕著なものとなっている。 実際には、SFやホラーをはじめとして多彩なジャンルが題材として選ばれている。システム面を見ても、特にテーブルトークRPGではキャラクターの成長はむしろ戦闘によらずミッションやクエストのクリアをもってもたらされるものが多いなど、キャラクターの成長方法一つを取っても作品により多彩である(さらには、『トラベラー』のようにキャラクターが成長しない作品もある)。このように、ロールプレイングゲームを形成する要素自体が初期のものに比べて様々に分化している。 ロールプレイング(role-playing)とは、想像上のある役柄を演じることである。ロールプレイング(roleplaying)を英和辞典で引くと、役割演技と翻訳される。また、ロールプレイング(roleplaying)を英語で説明すると、その意味は「pretending to be someone else(他の誰かのふりをする)」となる。ゲームデザイナーのゲイリー・ガイギャックスは、「ロールプレイとは、想像上のある役柄を演じること」「自分が現在(または未来永劫)決してなることができない何者かを演じること」であるとしている。テーブルトークRPGでは、プレイヤーは、単なる無名の「戦士」や「魔法使い」ではなく、名前や仮想の人格などが付与されたプレイヤーキャラクターを担当する。ゲームによっては、「ライフパス」(出自や人生の遍歴を示す要素)や「性格」「属性」(あるいはシステムによっては「癖」や「趣味」といったところまで)といったルールにより、仮想の人格にシステム的な裏付けを与える工夫がなされる。同じ「戦士」であっても、豪胆な人物、細心な人物、明朗快活な人物、謎めいた影のある人物といった千差万別な個性を表現することにより、キャラクターは差別化され、一層生き生きとし、仮想世界での冒険の楽しみを増加させるのである。またプレイヤーが温厚で慎重な性格であるのにも拘らず、向こう見ずな戦士を演じたり、狡猾な魔術師を演じたりすることは、それがキャラクターに合致している限り、「上手なロールプレイ」であると見なされる。 日本では、雑誌・新聞の「TRPG」はホビージャパンの(第4803260号)、玩具、ゲーム関係などの「ロールプレイング」はホビージャパンの(第1798172号)、菓子・パン関係の「ロールプレイング」はロッテの(第2155432号)、ゲーム関係などの「ロールプレイドラマ」はスパイク・チュンソフトの(第4794245号)、略称の「R.P.G」がおもちゃ関係でバンダイの(第1792020号)、「ロープレゲーム」はゲームおもちゃなどでセガ(以前のセガゲームス)の(第3046648号、第3046649号)登録商標である。 テーブルトークRPG(本来のロールプレイングゲーム)は、ジャンル的にはテーブルゲーム(あるいはアナログゲーム)に分類される。 というスタイルが一般的なプレイである。 商業的には、1974年に米国でTSR社から発売された "Dungeons and Dragons" (通称、D&D)が、商品として広く販売された世界初の「テーブルトップRPG」ルールシステムである(その前身であるウォーゲーム『チェインメイル』は『D&D』の原型とみなされる )。 現実世界のプレイヤー達が会話や身体的行動で演技を行い、架空の人物と世界を表現することで物語を演出する。 まずロールプレイングゲームの遊び方や世界設定(例えば『D&D』などに登場する魔法やアイテムやゲーム目標など)を元に作られたアメリカ製のコンピュータRPGが1980年代前半に日本でもプレイされ始め、まもなく日本製の製品も登場し人気を博した。さらに、ロールプレイングゲームの入門的な存在であるゲームブックが邦訳・紹介され、一時ブームとなった。その後、ゲームブックはほぼ姿を消してしまうが、コンピューターRPGはパソコンやゲーム機の普及に伴い、売上の点でも内容の点でも大きく成長するに至った。 他方、テーブルトークRPGはそれまで一部のウォーゲーム愛好家が英文のままでプレイしていた程度で、広く知られるようになったのはコンピュータRPGやゲームブックを通してであった。日本語化されての販売も、コンピュータRPGの国産化より遅れていたのである。 そのため、ロールプレイングゲームまたはRPGと言えばコンピューターRPGのことを指すものだという認識が、日本では広く定着している。今やコンピューターRPGはコンピューターゲームの中でも特に人気の高いゲームジャンルである。 テーブルトークRPGを原作として、コンピュータゲーム化されたもの コンピュータRPGを原作として、テーブルトークRPG化されたもの 共通の原作が存在したり、メディアミックス展開された結果として、双方が存在するもの
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ロールプレイングゲームとは、参加者が各自に割り当てられたキャラクター(プレイヤーキャラクター)を操作し、一般にはお互いに協力しあい、架空の状況下にて与えられる試練(冒険、難題、探索、戦闘など)を乗り越えて目的の達成を目指すゲームである。対する物としては、将棋やストラテジーゲーム等のようにプレイヤーが特定のユニット(人物、コマなど)に割り当てられないゲームである。
{{RPG}} '''ロールプレイングゲーム'''({{Lang-en-short|[[:w:Role-playing game|role-playing game]]}}, [[略称]]:'''RPG''')とは、参加者が各自に割り当てられたキャラクター([[プレイヤーキャラクター]])を操作し、一般にはお互いに協力しあい、架空の状況下にて与えられる試練(冒険、難題、探索、戦闘など)を乗り越えて目的の達成を目指す[[ゲーム]]である<ref>山北篤、スペース・ワン・ゼロ『パワープレイ』[[ホビージャパン]]、1991年、4-9頁 ISBN 4-938461-56-0</ref>。対する物としては、[[将棋]]や[[ストラテジーゲーム]]等のようにプレイヤーが特定のユニット(人物、コマなど)に割り当てられないゲームである。 == 概要 == '''ロールプレイングゲーム'''とは、元々は[[ミニチュアゲーム]]から派生したもので、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で考案された、[[テーブルゲーム]]である。シミュレーションにおいて、プレイヤーが操作していた戦車や戦闘機、軍団といったユニット(ゲーム上のコマ)を、兵士個人に置き換え、そこに仮想人格としての信条や個性、能力を付加すると、ロールプレイングゲームへと繋がる流れになる<ref name=":4">ロブ・ハインソー、アンディ・コリンズ、ジェームズ・ワイアット『ダンジョンズ&ドラゴンズ第4版 基本ルールブック プレイヤーズ・ハンドブック』[[ホビージャパン]]、2008年、7頁 ISBN 4-89425-050-0</ref>。 日本では[[コンピュータゲーム]]のRPGと区別するため、'''[[テーブルトークRPG]]'''とも呼ばれる。[[英語圏]]では、[[ライブアクションRPG]]や[[コンピュータRPG]]と区別するため、「'''[[:en:Tabletop role-playing game|Tabletop role-playing game]]'''(テーブルトップロールプレイングゲーム)」または「'''Pen-and-paper role-playing game'''(ペンアンドペーパーロールプレイングゲーム)」などと呼称する<ref name="whatisnarrative">{{cite web|url=http://www.darkshire.net/~jhkim/rpg/whatis/tabletop.html|title="Narrative" or "Tabletop" RPGs|accessdate=2017年9月19日|publisher=|last=Kim|first=John}}</ref>。RPGのGは「Game(ゲーム)」を指すため、「RPGゲーム」と表現すると厳密には[[重言]]になる。 今日では、ロールプレイングゲームからの派生物として、[[コンピュータ]]を用いて同様のゲームを再現したことに始まる[[コンピュータゲーム]]の一種、'''[[コンピュータRPG]]'''が人気である<ref name=":0">佐脇洋平、グループSNE『真・ウィザードリィRPG 基本システム』[[アスキー (企業)|アスキー]]、1991年、8頁 ISBN 4-89366-097-7</ref>。コンピュータRPGは、コンピュータを用いるというシステム的な制約から、自由度は制限されるものの、本来のロールプレイングゲーム同様に、個性的なキャラクターを操って、架空の世界に遊ぶというゲームの本質は維持されている<ref name=":0" />。 なお、初期のロールプレイングゲームは大半が[[ファンタジー]]に題材を採った架空世界を舞台とし、モンスターとの戦闘を介して経験値を取得することでキャラクターが成長し、成長することで探索・行動範囲を広げるというものであったため、現在においてもRPGと言えばそういうものと思われがちである<ref name=":1">友野詳『バカバカRPGを語る』[[新紀元社]]、2007年、10頁 ISBN 978-4-7753-0541-6</ref>。この傾向はコンピューターRPGにおいて特に顕著なものとなっている。 実際には、[[サイエンス・フィクション|SF]]や[[ホラーゲーム|ホラー]]をはじめとして多彩なジャンルが題材として選ばれている。システム面を見ても、特にテーブルトークRPGではキャラクターの成長はむしろ戦闘によらずミッションやクエストのクリアをもってもたらされるものが多いなど、キャラクターの成長方法一つを取っても作品により多彩である(さらには、『[[トラベラー (TRPG)|トラベラー]]』のようにキャラクターが成長しない作品もある)。このように、ロールプレイングゲームを形成する要素自体が初期のものに比べて様々に分化している<ref name=":1" />。 === ロールプレイングの意味 === '''ロールプレイング'''(role-playing)とは、想像上のある役柄を演じることである<ref name=":2">[[ゲイリー・ガイギャックス]]『ロールプレイング・ゲームの達人』[[教養文庫]]、1989年、18頁 ISBN 4-390-11312-7</ref>。ロールプレイング(roleplaying)を英和辞典で引くと、役割演技と翻訳される<ref>『新英和中辞典』研究社</ref>。また、ロールプレイング(roleplaying)を英語で説明すると、その意味は「'''pretending to be someone else(他の誰かのふりをする)'''」となる<ref>『ケンブリッジ英英辞典』ケンブリッジユニバーシティプレス</ref>。ゲームデザイナーの[[ゲイリー・ガイギャックス]]は、「ロールプレイとは、想像上のある役柄を演じること」「自分が現在(または未来永劫)決してなることができない何者かを演じること」であるとしている<ref name=":2" />。テーブルトークRPGでは、プレイヤーは、単なる無名の「戦士」や「魔法使い」ではなく、名前や仮想の人格などが付与された[[プレイヤーキャラクター]]を担当する。ゲームによっては、「[[ライフパス]]」(出自や人生の遍歴を示す要素)や「性格」「属性」(あるいはシステムによっては「癖」や「趣味」といったところまで)といったルールにより、仮想の人格にシステム的な裏付けを与える工夫がなされる<ref>スティーブ・ジャクソン『ガープス・ベーシック 完訳版』[[富士見書房]]、1999年、15-16頁 ISBN 4-8291-7409-9</ref>。同じ「戦士」であっても、豪胆な人物、細心な人物、明朗快活な人物、謎めいた影のある人物といった千差万別な個性を表現することにより、キャラクターは差別化され、一層生き生きとし、仮想世界での冒険の楽しみを増加させるのである<ref>佐脇洋平、グループSNE『ガープスがよくわかる本』[[角川スニーカー・G文庫]]、1994年、63-64頁 ISBN 4-04-461403-2</ref>。またプレイヤーが温厚で慎重な性格であるのにも拘らず、向こう見ずな戦士を演じたり、狡猾な魔術師を演じたりすることは、それがキャラクターに合致している限り、「上手なロールプレイ」であると見なされる<ref>スティーブ・ジャクソン『ガープス・ベーシック 完訳版』[[富士見書房]]、1999年、232-233頁 ISBN 4-8291-7409-9</ref>。 === 商標登録 === 日本では、雑誌・新聞の「TRPG」は[[ホビージャパン]]の(第4803260号)、玩具、ゲーム関係などの「ロールプレイング」はホビージャパンの(第1798172号)<ref group="注釈">1985年8月にホビージャパン創業者により商標登録されたが、創業者が2016年に死去したため、2020年9月に株式会社ホビージャパンが権利を継承している。</ref>、菓子・パン関係の「ロールプレイング」は[[ロッテ]]の(第2155432号)、ゲーム関係などの「ロールプレイドラマ」は[[スパイク・チュンソフト]]<ref group="注釈">2012年3月31日までは[[チュンソフト]]。</ref>の(第4794245号)、略称の「R.P.G」がおもちゃ関係でバンダイの(第1792020号)、「ロープレゲーム」はゲームおもちゃなどで[[セガ]](以前の[[セガゲームス]])の(第3046648号、第3046649号)登録商標である。 == ゲームの分類 == === テーブルトークRPG === {{main|テーブルトークRPG}} [[テーブルトークRPG]](本来のロールプレイングゲーム)は、ジャンル的には[[テーブルゲーム]](あるいは[[アナログゲーム]])に分類される。 #プレイヤーが一堂に集まり、 #ゲームマスター(審判役)が提示するルール・状況・シナリオ・課題に従い、 #ゲーム世界内での自分の代理人であるキャラクターにどんなことをさせるかを申告しながら、 #他のプレイヤーと共に課題達成へ向けてゲームを進める というスタイルが一般的なプレイである<ref>菊池たけし/F.E.A.R『アリアンロッドRPG 2E ルールブック①』[[富士見書房]]、2011年、14-15頁 ISBN 978-4-8291-4631-6</ref>。 商業的には、[[1974年]]に米国で[[TSR (ゲーム出版社)|TSR社]]から発売された "''[[ダンジョンズ&ドラゴンズ|Dungeons and Dragons]]''" (通称、D&D)が、商品として広く販売された世界初の「テーブルトップRPG」ルールシステムである<ref name=":1" />(その前身であるウォーゲーム『[[チェインメイル (ゲーム)|チェインメイル]]』は『D&D』の原型とみなされる<ref name=":4" /> )。 === ライブアクションRPG === {{main|ライブアクションRPG}} 現実世界のプレイヤー達が会話や身体的行動で演技を行い、架空の人物と世界を表現することで物語を演出する。 === コンピュータRPG === {{main|コンピュータRPG}} まずロールプレイングゲームの遊び方や世界設定(例えば『D&D』などに登場する魔法やアイテムやゲーム目標など)を元に作られたアメリカ製のコンピュータRPGが[[1980年代]]前半に日本でもプレイされ始め、まもなく日本製の製品も登場し人気を博した<ref name=":3">TSR,Inc.『D&Dルールサイクロペディア① プレイヤーズ』[[メディアワークス]]、1994年、23-25頁 ISBN 4-07-301820-5</ref>。さらに、ロールプレイングゲームの入門的な存在である[[ゲームブック]]が邦訳・紹介され、一時ブームとなった<ref name=":3" />。その後、ゲームブックはほぼ姿を消してしまうが、コンピューターRPGは[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]や[[ゲーム機]]の普及に伴い、売上の点でも内容の点でも大きく成長するに至った。 他方、テーブルトークRPGはそれまで一部の[[ウォー・シミュレーションゲーム|ウォーゲーム]]愛好家が英文のままでプレイしていた程度で、広く知られるようになったのはコンピュータRPGやゲームブックを通してであった。日本語化されての販売も、コンピュータRPGの国産化より遅れていたのである<ref name=":0" />。 そのため、'''ロールプレイングゲーム'''または'''RPG'''と言えばコンピューターRPGのことを指すものだという認識が、日本では広く定着している。今やコンピューターRPGはコンピューターゲームの中でも特に人気の高いゲームジャンルである。<ref name=":0" /> === MMORPG === {{main|MMORPG}} === その他のRPG === * メールRPG - 郵便を利用して遊ぶ[[プレイバイメール]]ゲームのうち、一つの作品世界につき1プレイヤーごと原則1プレイヤーズ・キャラクター(PC)の登録を行って遊ぶゲームを「メールRPG」と呼ぶことがある。 == テーブルトークRPG・コンピュータRPG双方が存在する作品 == ;コンピュータゲーム化 テーブルトークRPGを原作として、コンピュータゲーム化されたもの * [[ダンジョンズ&ドラゴンズ|Dungeons & Dragons]] ([[プール・オブ・レイディアンス]]・[[バルダーズ・ゲート]]・[[Neverwinter Nights]]・Dungeons & Dragons Online:Stormreach) * [[トンネルズ&トロールズ]] * [[ローズ・トゥ・ロード]] * [[ソード・ワールドRPG]] * [[ブルーフォレスト物語]] * [[クトゥルフの呼び声 (TRPG)|クトゥルフの呼び声]]([[Amiga]]版のみ存在) * [[シャドウラン]] * [[ナイトウィザード]] * Twilight: 2000 ;テーブルトークRPG化 コンピュータRPGを原作として、テーブルトークRPG化されたもの * [[ウィザードリィ]]([[ウィザードリィRPG]]) * [[女神転生|女神転生シリーズ]] * [[イースシリーズ]](イースRPG) * [[ANGEL-CORE]]([[エンゼルギア]]天使大戦RPG)※原作は[[アドベンチャーゲーム]] * [[スターオーシャン Till the End of Time]] * [[DARK SOULS]]シリーズ ;同列派生 共通の原作が存在したり、[[メディアミックス]]展開された結果として、双方が存在するもの * [[ロードス島戦記]]RPG([[ロードス島戦記]]の項目参照) * [[蓬萊学園]]の冒険!!([[プレイバイメール]]から派生) * [[ダブルムーン伝説]]([[読者参加型ゲーム]]から派生) * [[モンスターメーカー]]([[カードゲーム]]から派生) * [[ゴーストハンター]](メディアミックス。コンピュータRPG「[[ラプラスの魔 (コンピュータゲーム)|ラプラスの魔]]」が下敷となっている) * [[モンスターコレクション]]([[トレーディングカードゲーム]]から派生。TRPGとしての作品名は『[[六門世界RPG]]』) ;コンピュータゲームでは別のジャンルになっているもの * ダンジョンズ&ドラゴンズ(アクションゲームやシューティングゲーム([[Nintendo Entertainment System|NES]]のDragon Strike)) * [[バトルテック]](TRPGは「メックウォリアー」) * [[ヘビーギア]](リアルタイムロボット操縦シミュレーション) * [[ナイトウィザード]](カードバトルアドベンチャーゲーム) * シャドウラン([[Xbox 360]]では[[ファーストパーソン・シューティングゲーム|FPS]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2|}} == 参考文献 == *TSR,Inc.『D&Dルールサイクロペディア① プレイヤーズ』[[メディアワークス]]、1994年 ISBN 4-07-301820-5 *ロブ・ハインソーとアンディ・コリンズとジェームズ・ワイアット『ダンジョンズ&ドラゴンズ第4版 基本ルールブック プレイヤーズ・ハンドブック』[[ホビージャパン]]、2008年 ISBN 4-89425-798-X *佐脇洋平とグループSNE『真・ウィザードリィRPG 基本システム』[[アスキー (企業)|アスキー]]、1991年 ISBN 4-89366-097-7 == 関連項目 == * [[役割演技|ロールプレイング(役割演技)]] * [[テーブルトークRPG]] * [[ライブアクションRPG]] * [[コンピュータRPG]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ろおるふれいんくけえむ}} [[Category:ロールプレイングゲーム|*]] [[Category:ロールプレイ]]
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800
ハンカチ落とし
ハンカチ落とし(ハンカチおとし)とは、ハンカチを用いた野外または屋内で行う遊び。 参加する人は鬼とそれ以外に分かれる。鬼以外の人は円になって内側を向いて座り、鬼はハンカチを持ってその円の外周を走る。鬼は気づかれないように一人の背後にハンカチを落とし、ハンカチを落とされた人は鬼が1周して自分の所に戻ってくる前に、鬼を追いかけなければならない。鬼がハンカチを落とした後、追いつかれることなくハンカチを落とされた人のところに座り込めば鬼の勝ちとなり、鬼を交代する。追いつかれた場合には、再び鬼とならなければならない。 また、鬼が一周してくるまでハンカチに気付かず、鬼にタッチされた人は円の中心に座らされて遊びに参加できなくなるというルールがある場合もある。この場所は「便所」などと呼ばれ、新たに「便所」に入る人が現れるまで出ることができないが、「便所」の人への配慮として、「鬼が5回変わるまで」などの時間制限が設けられることもある。 日本では、明治時代にはこの遊びが紹介されていることが確認出来る。 ハンカチ落としは一定の条件を付けてプログラミングの問題に応用される。具体的には全員が等速(鬼に追いつかれない)で鬼が一周回るまでに必ず気づくという条件を付けたうえで、円を最初の並び順と逆の並び順にするときの全員の総走行距離を求めるプログラムの作成などである(人数を増やしたり特定の順番の人間を座ったまま固定したりして、プログラミングの応用を図る)。
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ハンカチ落とし(ハンカチおとし)とは、ハンカチを用いた野外または屋内で行う遊び。
{{出典の明記|date=2021-04-08}} '''ハンカチ落とし'''(ハンカチおとし)とは、[[ハンカチ]]を用いた野外または屋内で行う[[遊び]]。 == 概要 == [[File:Japanesekidsplayduckduckgoose-june2-2015.jpg|thumb|280px|ハンカチ落としに興じる日本の子供達]] 参加する人は[[鬼]]とそれ以外に分かれる。鬼以外の人は円になって内側を向いて座り、鬼はハンカチを持ってその円の外周を走る<ref name="masui">{{Cite book |和書 |author=増井敏克 |year=2015 |title=プログラマ脳を鍛える数学パズル |isbn=4-79814-245-X |page=245 }}</ref>。鬼は気づかれないように一人の背後にハンカチを落とし、ハンカチを落とされた人は鬼が1周して自分の所に戻ってくる前に、鬼を追いかけなければならない<ref name="masui" />。鬼がハンカチを落とした後、追いつかれることなくハンカチを落とされた人のところに座り込めば鬼の勝ちとなり、鬼を交代する。追いつかれた場合には、再び鬼とならなければならない。 また、鬼が一周してくるまでハンカチに気付かず、鬼にタッチされた人は円の中心に座らされて遊びに参加できなくなるというルールがある場合もある。この場所は「便所」などと呼ばれ、新たに「便所」に入る人が現れるまで出ることができないが、「便所」の人への配慮として、「鬼が5回変わるまで」などの時間制限が設けられることもある。 日本では、明治時代にはこの遊びが紹介されていることが確認出来る<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860578/23 (一七)「ハンケチ」落し 英名「ドロッピング、ゼ、ハンカチーフ」] 『遊戯法』(白浜重敬, 志之目清真著 1894年7月 金蘭社刊)</ref>。 == プログラミング問題への応用 == ハンカチ落としは一定の条件を付けてプログラミングの問題に応用される。具体的には全員が等速(鬼に追いつかれない)で鬼が一周回るまでに必ず気づくという条件を付けたうえで、円を最初の並び順と逆の並び順にするときの全員の総走行距離を求めるプログラムの作成などである(人数を増やしたり特定の順番の人間を座ったまま固定したりして、プログラミングの応用を図る)<ref name="masui" />。 == 出典 == <references /> == 関連項目 == * [[こどもの文化]] {{DEFAULTSORT:はんかちおとし}} [[Category:子供の遊び]] [[Category:鬼ごっこ]] [[de:Fangen#Plumpsack]]
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801
築山
築山(つきやま)とは、人工的に作られた山。測量の目的で作られる、または山を見立て庭をつくる観賞用として庭園や中庭に作られたり、子供の遊具として公園に作られたりしたものがある。
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築山(つきやま)とは、人工的に作られた山。測量の目的で作られる、または山を見立て庭をつくる観賞用として庭園や中庭に作られたり、子供の遊具として公園に作られたりしたものがある。
{{Otheruses|人工的に作られた山|[[徳川家康]]の正室だった人物|築山殿}} [[画像:KoishikawaKorakuen8965.jpg|220px|thumb|日本庭園に見られる築山([[小石川後楽園]])]] [[画像:Kumamoto Suizenji-jojuen06n4272.jpg|220px|thumb|実在の山岳をかたどった例(富士・[[水前寺成趣園]])]] '''築山'''(つきやま)とは、人工的に作られた[[山]]。[[測量]]の目的で作られる、または山を見立て庭をつくる観賞用として[[庭園]]や[[中庭]]に作られたり、子供の遊具として[[公園]]に作られたりしたものがある。 == 築山の例 == * [[箱根山 (新宿区)|箱根山]] - [[東京都]][[新宿区]]。[[山手線]]内の[[最高峰]](標高44.6[[メートル]])。山頂に[[水準点]]がある。 * [[天保山]] - [[大阪府]][[大阪市]][[港区 (大阪市)|港区]]。標高4.53メートル。[[国土地理院]]発行の[[地形図]]に山名が掲載され、山頂には二等[[三角点]]がある。 * [[蘇鉄山]] - 大阪府[[堺市]][[堺区]]。標高6.97メートル。山頂には一等三角点{{efn|一等三角点の登録名は[[大浜公園 (堺市)|大浜公園]]である。<ref>{{Cite web|和書 | url = https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/top.html | title = 基準点成果等閲覧サービス | publisher = [[国土地理院]] | accessdate = 2018-10-22 }}</ref>}}がある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=注釈}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[日和山 (仙台市)]] * [[大潟富士]] * [[富士塚]] * [[津波避難施設]] - 津波発生時の避難所として築山が造成される例がある == 外部リンク == * [http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53394505 2万5千分1地形図名:東京西部 (南東)] * [http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=343929&l=1352558 国土地理院 地図閲覧システム 2万5千分1 地形図名:大阪西南部(和歌山)] {{地形}} {{Architecture-stub}} {{デフォルトソート:つきやま}} [[カテゴリ:造園施設]] [[カテゴリ:山]] [[カテゴリ:人工地形]]
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802
コンピュータRPG
コンピュータRPG(コンピュータ・アールピージー)は、コンピュータゲームのジャンルの一つで、コンピュータを用いたロールプレイングゲーム(RPG)群を指す。 元々RPGとは卓上で紙と鉛筆、サイコロ用いて行う、現在でいうテーブルトークRPGを指す。それをコンピュータで再現した物がコンピュータRPGとなった。しかし、RPG文化とコンピュータRPGが同時期に広まった日本では、初期からコンピュータRPGが席巻したため、「RPG」がそのままコンピュータRPGを指すことが多い。 日本の家庭用ゲーム市場では人気の高いジャンルで、特にドラゴンクエストシリーズ、ファイナルファンタジーシリーズ、女神転生、ポケットモンスターはコンピュータRPGのみならず、家庭用ゲームを代表するタイトルである。スマートフォン(スマホ)ゲーム市場においても同様で、Google Playの売上ランキングには多数のコンピュータRPGがランクインしている。 ゲームプレイの肝となる行為結果(戦闘など)を、ターンごとに攻撃をして、能力値計算を主とした処理で判定するため、アクションゲームやシューティングゲームに比べてプレイヤーの反射神経や操作技能に依存しないゲームバランスになっているのが特徴。 多く見られるのは、プレイヤーが主人公とその仲間を操作し、障害として立ちふさがるモンスターとの戦闘を繰り返しながら「経験値」を蓄積してパワーアップし、徐々に行動範囲を広げていき最終的に目標を達成するというものである。特に日本市場ではユーザーの意思をゲームに反映させる手段にコマンド選択式インターフェイスを採用しているものが多い。 ゲームメディアなどで「RPG的要素を持つ」と言われる場合は、大抵下記の要素がゲームプレイに含まれている。 また、日本では複数のプレイヤーキャラクター(パーティ)によって行われる戦闘をRPG要素として捉える場合もある。多くのRPGには全ての攻撃技の基本となる通常攻撃(素手や武器で攻撃するなど。名称は「たたかう」などがある。)が実装されている。 米国のテーブルトークRPGに触発されるかたちで、1970年代中盤にメインフレーム上で動作する、『ダンジョン』(1976年)や『pedit5』(1975年)、『dnd』(1975年)といった初期のコンピュータRPG群が登場した。これが後に『ウルティマ』といった作品の原型となっていく。 日本においては、1980年代初めに『ウルティマ』(1981年)や『ウィザードリィ』(1981年)など、パソコン用の作品が米国からもたらされることでRPGの存在が知られるようになり、その後日本国内のメーカーにより様々な作品が作り出された。当初は詳細なストーリーを持たず、ゲーム内に隠されたヒントを自力で探し出すと言った作品が多かった(『ザ・ブラックオニキス』(1984年)など)。 この「隠されたヒントを自力で探し出す」点がコンピュータRPGの面白さと認識され発達し、コンピュータRPGは難しいほど面白いゲームとされていた(『ザナドゥ』(1985年)など)一方で、限られたプレイヤーにしかクリアできないハードルの高いゲームであった。この傾向は、『イースI』(1987年)・『イースII』(1988年)の発売を機に一転した。 1990年代に入ると、1986年に第一作目が発売されたドラゴンクエストシリーズ、1987年に第一作目が発売された女神転生やファイナルファンタジーシリーズなどを筆頭とする、社会的なRPGブームが訪れた。 また、1989年6月30日に発売された、CD-ROMを媒体とする世界初のRPG『天外魔境 ZIRIA』が、CD-ROMの大容量を活かした演出・音楽・音声等を実現し、ストーリー重視の作品が主流となった。 近年ではファミコン世代もしくは、それ以前のコンピュータRPGを再評価しようとする傾向が見られる。中には、出荷本数が少なかったためにプレミアの付いているソフトも存在しており、中古品がオークションやオンラインショップで高額で取引されることもある。また、有名な作品であればゲームメーカー各社が行っている旧作のダウンロード配信サービス(バーチャルコンソール、PlayStation Storeなど)や携帯ゲーム機などへの移植が行われている。 ローグライクゲームと呼ばれるダンジョン自動生成型の「終わり無きRPG」に対する根強い人気も見られる。この種のゲームはグラフィックによる表示が難しかった時代の産物であるため、伝統にしたがって文字だけを使った画面表示、またはそれに類するシンプルな画面表示しか用いないのが通例である。なお、ローグライクゲームはフリーウェアとして提供されているものも多い。 欧米においては、独自の進化を遂げた日本製RPGを「JRPG(Japanese RPG)」「クラシックスタイルRPG(classic style RPG)」と表現するようになっている。PC市場をメインとし続けた欧米では、リアルタイム制やシームレス、オープンワールドを組み込んだRPGのスタイルが確立されている。そのため、ターン制やコマンド戦闘、エンカウント方式にとどまるなどスタイルの古い日本製のものは区別されていると考えている。 その他のJRPGの特徴して、登場人物のデザインやストーリーがアニメ的・マンガ的であること、個性的な性格でキャラが立っていること、などが挙げられる。 ただし、売り上げにおいてはポケットモンスターシリーズが全世界で1億9300万本 、ファイナルファンタジーシリーズは全世界で9700万本という実績があり、『ドラゴンクエストVIII』はアメリカ大手ゲームサイトGameSpotにて2005年度最優秀RPGを受賞、2010年E3アワード全機種RPG部門にて『イース7』がベストRPG賞を受賞し『RPGFan Feature-E3 2010 Awards』を獲得するなど海外でも日本製RPGは一定の評価を受けている。 JRPGにハマった海外ユーザーが、「海外ではリアルなゲームしか企画が通らず、JRPGのような作品を作れない」という理由で、日本のゲーム会社に就職するという事例も存在する。
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コンピュータRPG(コンピュータ・アールピージー)は、コンピュータゲームのジャンルの一つで、コンピュータを用いたロールプレイングゲーム(RPG)群を指す。 元々RPGとは卓上で紙と鉛筆、サイコロ用いて行う、現在でいうテーブルトークRPGを指す。それをコンピュータで再現した物がコンピュータRPGとなった。しかし、RPG文化とコンピュータRPGが同時期に広まった日本では、初期からコンピュータRPGが席巻したため、「RPG」がそのままコンピュータRPGを指すことが多い。
{{Pathnav|コンピュータゲーム|コンピュータゲームのジャンル|frame=1}} {{複数の問題 |出典の明記=2008-11 |独自研究=2010-01}} <!--このファイルは許諾されています(ファイルページ参照)-->[[File:Legend of Grimrock screenshot 01.jpg|thumb|[[:en:Legend of Grimrock|Legend of Grimrock]]]] {{コンピュータゲームのサイドバー}} {{ウィキプロジェクトリンク|コンピュータRPG|[[ファイル:Role-playing video game icon.svg|36px]]|break=yes}} '''コンピュータRPG'''(コンピュータ・アールピージー)は、[[コンピュータゲーム]]の[[コンピュータゲームのジャンル|ジャンル]]の一つで、[[コンピュータ]]を用いた[[ロールプレイングゲーム]](RPG)群を指す。 元々RPGとは卓上で紙と鉛筆、サイコロ用いて行う、現在でいう[[テーブルトークRPG]]を指す。それをコンピュータで再現した物がコンピュータRPGとなった。しかし、RPG文化とコンピュータRPGが同時期に広まった日本では、初期からコンピュータRPGが席巻したため、「RPG」がそのままコンピュータRPGを指すことが多い。 == 概要 == 日本の[[家庭用ゲーム]]市場では人気の高いジャンルで、特に[[ドラゴンクエストシリーズ]]、[[ファイナルファンタジーシリーズ]]、[[キングダム ハーツ]]、[[ポケットモンスター]]はコンピュータRPGのみならず、家庭用ゲームを代表するタイトルである。スマートフォン(スマホ)ゲーム市場においても同様で、[[Google Play]]の売上ランキングには多数のコンピュータRPGがランクインしている<ref>[https://play.google.com/store/apps/category/GAME/collection/topgrossing 売上トップの ゲーム - Google Play の Android アプリ]</ref>。 == 特徴 == ゲームプレイの肝となる行為結果(戦闘など)を、ターンごとに攻撃をして、[[能力値]]計算を主とした処理で判定するため、[[アクションゲーム]]や[[シューティングゲーム]]に比べてプレイヤーの反射神経や操作技能に依存しないゲームバランスになっているのが特徴。 多く見られるのは、プレイヤーが主人公とその仲間を操作し、障害として立ちふさがるモンスターとの[[戦闘 (コンピュータゲーム)|戦闘]]を繰り返しながら「[[経験値]]」を蓄積してパワーアップし、徐々に行動範囲を広げていき最終的に目標を達成するというものである。特に日本市場ではユーザーの意思をゲームに反映させる手段にコマンド選択式インターフェイスを採用しているものが多い。 ゲームメディアなどで「RPG的要素を持つ」と言われる場合は、大抵下記の要素がゲームプレイに含まれている。 * 成長要素。努力の成果としてキャラクターの能力値が成長する楽しみがある。 * リソース管理要素。[[アイテム]]選びや消費、能力の成長の仕方といったリソースを効率よく管理し、ゲームを有利に運ぶ楽しみがある。 * 物語演出要素。コンピュータならではのダイナミックな演出、RPGならではの感情移入しやすい物語を楽しめる。 * 冒険探索要素。広い世界を探索し、旅をする楽しみがある。 また、日本では複数のプレイヤーキャラクター(パーティ)によって行われる戦闘をRPG要素として捉える場合もある。多くのRPGには全ての攻撃技の基本となる通常攻撃(素手や武器で攻撃するなど。名称は「たたかう」などがある。)が実装されている。 == 歴史 == === 1970年代 === 米国のテーブルトークRPGに触発されるかたちで、1970年代中盤に[[メインフレーム]]上で動作する、『[[ダンジョン (コンピュータゲーム)|ダンジョン]]』(1976年)や『[[pedit5]]』(1975年)、『[[dnd (PLATO)|dnd]]』(1975年)といった初期のコンピュータRPG群が登場した。これが後に『[[ウルティマ]]』といった作品の原型となっていく。 === 1980年代 === 日本においては、1980年代初めに『[[ウルティマ]]』(1981年)や『[[ウィザードリィ]]』(1981年)など、[[パソコン]]用の作品が米国からもたらされることでRPGの存在が知られるようになり、その後日本国内のメーカーにより様々な作品が作り出された。当初は詳細なストーリーを持たず、ゲーム内に隠されたヒントを自力で探し出すと言った作品が多かった(『[[ザ・ブラックオニキス]]』(1984年)など)。 この「隠されたヒントを自力で探し出す」点がコンピュータRPGの面白さと認識され発達し、コンピュータRPGは難しいほど面白いゲームとされていた(『[[ザナドゥ (ゲーム)|ザナドゥ]]』(1985年)など)一方で、限られたプレイヤーにしかクリアできないハードルの高いゲームであった。この傾向は、『[[イースI]]』(1987年)・『[[イースII]]』(1988年)の発売を機に一転した。 === 1990年代 === 1990年代に入ると、1986年に第一作目が発売された[[ドラゴンクエストシリーズ]]、1987年に第一作目が発売された[[ファイナルファンタジーシリーズ]]などを筆頭とする、社会的なRPGブームが訪れた。 また、1989年6月30日に発売された、[[CD-ROM]]を媒体とする世界初のRPG『[[天外魔境 ZIRIA]]』が、CD-ROMの大容量を活かした演出・音楽・音声等を実現し、ストーリー重視の作品が主流となった。 == レトロRPG == 近年では[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]世代もしくは、それ以前のコンピュータRPGを再評価しようとする傾向が見られる。中には、出荷本数が少なかったためにプレミアの付いているソフトも存在しており、中古品が[[オークション]]やオンラインショップで高額で取引されることもある。また、有名な作品であればゲームメーカー各社が行っている旧作のダウンロード配信サービス([[バーチャルコンソール]]、[[PlayStation Store]]など)や携帯ゲーム機などへの移植が行われている。 [[ローグライクゲーム]]と呼ばれるダンジョン自動生成型の「終わり無きRPG」に対する根強い人気も見られる。この種のゲームはグラフィックによる表示が難しかった時代の産物であるため、伝統にしたがって文字だけを使った画面表示、またはそれに類するシンプルな画面表示しか用いないのが通例である。なお、ローグライクゲームは[[フリーウェア]]として提供されているものも多い。 == ジャパニーズRPG == 欧米においては、独自の進化を遂げた日本製RPGを「'''JRPG'''(Japanese RPG)」「'''クラシックスタイルRPG'''(classic style RPG)」と表現するようになっている<ref group="注釈">それに対して欧米のRPGをWRPG(Western RPG)と区別することもある</ref>。PC市場をメインとし続けた欧米では、[[リアルタイムストラテジー|リアルタイム制]]やシームレス、[[オープンワールド]]を組み込んだRPGのスタイルが確立されている。そのため、[[ターン制ストラテジー|ターン制]]や[[メニュー (コンピュータ)|コマンド]][[戦闘 (コンピュータゲーム)|戦闘]]、[[エンカウント]]方式にとどまるなどスタイルの古い日本製のものは区別されていると考えている<ref>[http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=MMITew000018072008&cp=2 FF13がPS3独占を捨てたやむを得ぬ事情・E3を読む(上)]{{リンク切れ|date=2011年1月}} 「[[IT+PLUS]]」 2008年7月18日</ref>。 その他のJRPGの特徴して、登場人物のデザインやストーリーがアニメ的・マンガ的であること、個性的な性格でキャラが立っていること、などが挙げられる。 ただし、売り上げにおいては[[ポケットモンスター (ゲーム)|ポケットモンスターシリーズ]]が全世界で1億9300万本<ref name="Pokémon">{{cite web|url=http://www.gamasutra.com/php-bin/news_index.php?story=24852|title=More Pokemon Remakes Inbound As Platinum Hits 5.7 Million|accessdate=2009-08-14|date=2009-08-14| publisher=[[:en:Gamasutra|Gamasutra]]|first=Kris|last=Graft}}</ref> 、[[ファイナルファンタジーシリーズ]]は全世界で9700万本という実績があり<ref name="finalfantasy">{{cite web | url=http://www.gamasutra.com/view/news/27750/FFXIII_Achieves_1_MillionUnit_FiveDay_Sales.php | title=FFXIII Achieves 1 Million-Unit Five-Day Sales | accessdate=2010-03-20 | date=2010-03-19 | author=Leigh Alexander | publisher=[[:en:Gamasutra|Gamasutra]]}}</ref>、『[[ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君|ドラゴンクエストVIII]]』はアメリカ大手ゲームサイト[[GameSpot]]にて2005年度最優秀RPGを受賞、2010年E3アワード全機種RPG部門にて『[[イース7]]』がベストRPG賞を受賞し『[[RPGFan|RPGFan Feature-E3 2010 Awards]]』を獲得するなど海外でも日本製RPGは一定の評価を受けている。 JRPGにハマった海外ユーザーが、「海外ではリアルなゲームしか企画が通らず、JRPGのような作品を作れない」という理由で、日本のゲーム会社に就職するという事例も存在する<ref>BS1スペシャル「潜入!4K対応ゲーム 開発の舞台裏」</ref>。 == その他 == ;好きな人が多く、苦手な人も多い :2014年のCESAマーケティングリサーチ(日本国内が対象)によると、コンピュータRPGは51.9%の人が「好き」と回答しており、アクションゲーム(39.0%)などを引き離して最も好きな人の多いジャンルである<ref>「第7章 家庭用ゲームのプレイ状況」『2014 CESAゲーム白書』、[[コンピュータエンターテインメント協会|CESA]]、2014年、110頁。</ref>。一方で、苦手な人の多いジャンルとしても挙げられている。クリアをするのに時間がかかる、レベルを上げるのが面倒など、コツコツプレイする必要がある当ジャンルならではの理由と言える<ref>[http://www.gamespark.jp/article/2009/05/16/18782.html Game*Sparkリサーチ『あなたが苦手なゲームジャンルとその理由は?』結果発表|Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト]. Game*Spark (2009年5月16日). 2015年1月23日閲覧。</ref>。 ;他のゲームジャンルに影響を与えている :当ジャンルの「物語」や「成長」といった要素はあらゆるゲームに浸透している。その理由は、これらの要素が人の想いに根ざしたものであり、それを目で追っていくことがプレイヤーの欲求を満たすものであるからだろう<ref>{{Cite web|date=2012-12-12|url=http://www.ign.com/articles/2012/12/12/rpgs-took-over-every-video-game-genre|title=RPGs Took Over Every Video Game Genre - IGN|publisher=Choke Point|language=英語|accessdate=2014-5-2}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * 『ロールプレイングゲームサイド』Vol.1 2014年8月 マイクロマガジン社 ISBN 978-4-89637-470-4 == 関連項目 == * [[3DダンジョンRPG]] * [[シミュレーションロールプレイングゲーム]] * [[アクションロールプレイングゲーム]] * [[レトロゲーム]] * [[エンカウント]] * [[ヒットポイント]] * [[マジックポイント]] * [[戦闘 (コンピュータゲーム)|戦闘]] {{コンピュータゲームのジャンル}} [[Category:コンピュータRPG|*]] {{DEFAULTSORT:こんひゆうたああるひいしい}}
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テーブルトークRPG
テーブルトークRPG、あるいはテーブルトップ・ロールプレイング・ゲーム(英: Tabletop role-playing game)とは、テーブルゲームのジャンルのひとつ。ゲーム機などのコンピュータを使わずに、紙や鉛筆、サイコロなどの道具を用いて、人間同士の会話とルールブックに記載されたルールに従って遊ぶ“対話型”のロールプレイングゲーム(RPG)を指す言葉。和製英語。 元々はミニチュアゲームから派生したもので、アメリカで考案された、テーブルトップゲームである。 TRPG、TTRPG、tRPGなどと略記されることがある。また、会話型RPGとも呼ばれる。なお、TRPGと会話型ロールプレイングゲームはホビージャパンの登録商標である。 「テーブルトークRPG」は日本での造語(和製英語)であり、日本と韓国以外では通用しない。英語圏では、ライブアクションRPGやコンピュータRPGと区別するため、Tabletop role-playing game(テーブルトップロールプレイングゲーム)やPen-and-paper role-playing game(ペンアンドペーパーロールプレイングゲーム)などと呼称する。 1974年に世界初のロールプレイングゲームである『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下、『D&D』)が発売された。しかし、日本では『D&D』よりも先に『ウィザードリィ』などの海外製コンピュータRPGをはじめ、『ハイドライド』『ザ・ブラックオニキス』『夢幻の心臓』『ドラゴンスレイヤー』などの国産コンピュータRPGが人気となったこと、そして1986年にエニックス(現在のスクウェア・エニックス)からファミリーコンピュータ向けに発売された『ドラゴンクエスト』が大ヒットしたという経緯から、日本ではRPGと言えばコンピュータRPGを指すのが一般的であるため、 元来のRPGをコンピュータRPGと区別する呼称としてこの言葉が普及した。 日本では、テーブルゲームとしてのウォー・シミュレーションゲームやRPGがアメリカなどに比べるとそれほど一般化せず、それに対して、元々は派生的な存在である「コンピュータを使ったシミュレーションゲームやRPG」が急速な普及を見せた。このような状況を背景に、日本では1980年代半ば以降、「RPG」はコンピュータRPGを指す言葉として普及した。本来の意味での「RPG」を愛好する人々は少数派であり、彼らの「RPG」を指し示す新しい用語が必要になったため、「テーブルトークRPG」という言葉が登場した。 1987年にゲームブック雑誌『ウォーロック』10号の記事において、近藤功司が「テーブル・トークのRPG」という表現をした後に「僕の造語ですから初めて聞く言葉でしょうが」と述べている。この語は『ウォーロック』誌上でたびたび近藤功司によって使用され、そのうちに安田均も積極的に使うようになった。安田均は多くのTRPG関連雑誌で執筆していたため、この語はゲーマーたちの間で広く知られるようになった。しかもこの時期は日本で一気にTRPG人口が増加していた時であったので、初めから「RPG」ではなく「テーブルトークRPG」と呼ぶ人々が大きな割合を占めるに至った。 ロールプレイング(role-playing)とは、想像上のある役柄を演じることである。 ロールプレイング(roleplaying)を英和辞典で引くと、役割演技と翻訳される。また、ロールプレイング(roleplaying)を英語で説明すると、その意味は「pretending to be someone else(他の誰かのふりをする)」となる。 ゲームデザイナーのゲイリー・ガイギャックスは、「ロールプレイとは、想像上のある役柄を演じること」「自分が現在(または未来永劫)決してなることができない何者かを演じること」であるとしている。つまり、役割とはキャラクターという役柄のことであり、社会的な役目のことではない(「医者のふりをする」ことと、「医者の役割を果たす」ことには、大きな違いがある)。ゲームデザイナーの小太刀右京は、「roleplay。演技の意。しばしばrole-play(役割を演じる)と解釈するものがいるが、誤訳である」としている。 かつて、このロールプレイの意味を「役割を果たす」と解釈して、仮想の人格を演じることは抑制的であるべきで、キャラクタークラスなどの任務分担を果たすのみで足りるとする主張がネット上にあらわれたことがある。しかし、これは単なる誤訳、ないしデマにすぎないものであった。 テーブルトークRPGでは、プレイヤーは、単なる無名の「戦士」や「魔法使い」ではなく、名前や仮想の人格などが付与されたプレイヤーキャラクターを担当する。ゲームによっては、「ライフパス」(出自や人生の遍歴を示す要素)や「性格」「属性」(あるいはシステムによっては「癖」や「趣味」といったところまで)といったルールにより、仮想の人格にシステム的な裏付けを与える工夫がなされる。同じ「戦士」であっても、豪胆な人物、細心な人物、明朗快活な人物、謎めいた影のある人物といった千差万別な個性を表現することにより、キャラクターは差別化され、一層生き生きとし、仮想世界での冒険の楽しみを増加させるのである。またプレイヤーが温厚で慎重な性格であるのにも拘らず、向こう見ずな戦士を演じたり、狡猾な魔術師を演じたりすることは、それがキャラクターに合致している限り、「上手なロールプレイ」であると見なされる。 まずゲームの参加者(英語でプレイヤーと呼ばれる)それぞれが自分の操るキャラクターを用意する(通常は一人ずつ)。これをプレイヤー・キャラクター(PC)という。一般にPCは「能力値」などの数値化されたデータによって表現され、これにたとえば、戦士や魔術師といったキャラクタークラスに代表されるような役割を表すデータやシンボルや肩書きが付随する。参加者はそれを専用のシートか何らかの記録媒体(通常のプレイでは紙)にメモしておく。 一人は通常、自分のプレイヤー・キャラクターを作らず使わず、一般にゲームマスター(GM)と呼ばれる役を受け持つ。ゲームマスターはゲームシステムによっては、ダンジョンマスター(DM、地下牢の主人の意)、審判員、ジャッジ(審判)、キーパー(維持者)、ストーリーテラー(語り部)などと呼ばれることがある。 ゲームマスターは他の参加者(プレイヤー)と対話しながらゲームの舞台となる世界とそこに登場するいろいろな事件や人物を説明し、決められたルールに従って、プレイヤーが考えたキャラクターの行動が実現したか否かを裁定することでゲームを進行させる。単純化して言えば、コンピュータで遊ぶRPGでの、コンピュータ役をゲームマスターという人間が担当するのがテーブルトークRPGだといえる。 しばしばテーブルトークRPGは「ルールのあるごっこ遊び」と説明されるように、プレイヤー・キャラクターの行う行動を、「何でも言っただけで認める」のではなく、各種のデータとルールに従って判定してその成否を決定する点が「ごっこ遊び」や「なりきりチャット」とは異なる。判定は、主に6から100面体までの様々な形状のサイコロ(ダイス)を乱数発生装置として用いて行われるが、トランプなど他の手段を用いる場合もある。 プレイヤー達は、ゲームの舞台となる世界において、プレイヤー・キャラクターを演じながら、行動をゲームマスターに対して宣言し、戦闘や謎解きといった課題に挑戦する。これを繰り返しつつ互いに協力または競争しながらストーリーを紡ぎ出し、最終的な目標の達成を目指すことが、ゲームの目的となっている。プレイヤーとは別個の架空人格であるキャラクターを演じることが特徴であることから、「演技ゲーム」という意味のロールプレイングゲームという呼称がゲームの総称として使われている。 1回のゲームにかかる時間はゲームマスターが用意するシナリオにより異なるが、少なくとも3、4時時間を要することが普通である。 キャラクターや架空世界それ自体を表現するために、様々な世界設定やテイストやルールを持つゲームシステムが数多く発表・発売されている。 ゲームマスターを除く参加者、すなわちプレイヤーは、さまざまな種族、人格、性質、能力、技術をもったキャラクターを演じる。それらの要素は、ゲームのルールや世界において、重要な指針となるものである。ゲームのシステムは大抵、そのゲームの世界においてどのようなキャラクターを演じることができ、世界の中でどのようなことができるのか、を定めたルールや設定がある。例えば、ファンタジー世界の設定では、種族には、エルフ、人間、ドワーフなど、キャラクタークラスには、戦士、僧侶、盗賊などがある。これらのルールや設定やデータは、プレイヤーが自分のキャラクターに与えられた役割を果たし、与えられた課題に取り組んで目的を達するための、行動と判断の基盤となるものである。 ミニチュア・ウォーゲームという体裁を取っていた初期のRPGにもストーリー性はあったが、物語性や世界設定を重視する風潮とともに、キャラクターの人格や会話および各世界で展開されるストーリーを重視するプレイスタイルも登場し、それに適したルールシステムも作られるようになった。 テーブルトークRPGでは、基本となるゲームシステムを集約した「ルールブック」のほか、特定のテーマに沿ったデータのみを集めたデータ集やプレイを補助する小物類などが頒布されることがある。以下に主な種類を挙げる。 コンピュータRPGはテーブルトークRPGより派生したもので、ゲームマスターの役割をコンピュータに肩代わりさせ、1人で遊べるようにしたものであった。当初、コンピュータRPGは『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下、『D&D』)に代表される「迷宮・秘境探検と魔物退治のゲーム」を再現するゲームであった。こういったゲームはTRPGの遊び方の中でもボードゲームやウォーゲームに近いもので、機械的な処理に向いており、コンピュータRPGは高いレベルでこれを再現している。また、この頃はテーブルトークRPG自体、この種の製品や遊び方がほとんどであった。 テーブルトークRPGは、コンピュータRPGにあるような強力な演出とは縁遠いが、早い段階でさまざまなジャンルを可能にしてきた。「迷宮・秘境探検と魔物退治のゲーム」以外にも「恒星間宇宙での冒険」「邪神の復活を阻止するホラーもの」「犯罪事件の推理やアクション」などのジャンルは80年代にはすでに誕生している。 コンピュータRPGではプレイヤーはあらかじめプログラムされた行動しかとれないが、テーブルトークRPGでは原則的にはプレイヤーはいかなる行動宣言を行うこともできるため、無限の自由度があるとも言える。 「ロールプレイングゲーム」という呼称は、職業訓練や精神医学の臨床において行われるロールプレイングが由来である。また、テーブルトークRPGの元になった、戦争シミュレーションのミニチュアゲームや政治闘争などのボードゲームでは、プレイヤーが自分の受け持った軍の将軍・指導者の立場にたって、この将軍・指導者が得られたであろう限定された情報を元に駒を動かす遊び方などのように、プレイヤーが指導者という一個人の視点を通して軍や団体を操る遊び方もロールプレイングと呼ばれていた。「ロールプレイングゲーム」の呼称は最初のテーブルトークRPGが登場した時点ではまだ使われておらず、1970年代後半になってから、先に挙げたボードゲームも含めて各個プレイヤーが一人の個人を担当するゲーム全般の意味で用いられた。 テーブルトークRPGが最初に登場したのは1970年代前半のアメリカである。ロールプレイングゲームの元祖とされるのは1974年の『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下、『D&D』)である。『D&D』はゲイリー・ガイギャックスによってデザインされ、TSR社から発売されたが、これはガイギャックスとジェフ・ペレンが作ったミニチュア・ウォーゲーム『チェインメイル』(1971年、ガイドン・ゲームズより発売)から発展したものであった(そのため、『チェインメイル』は『D&D』の原型とみなされる )。『D&D』の内容は、ドラゴンなどの魔物が住み危険な罠の仕掛けられたダンジョン(迷宮)の中を、武器を使う戦士、魔法使いなど、異なる能力を持ったキャラクターを組み合わせたグループ(パーティ)を組んで探検し、様々な謎(リドル)を解き、ダンジョンの奥に眠る財宝や魔法の物品を獲得する、というものである。また、1970年代後半にはこのゲームの達成目的や進行方式を継承したコンピュータRPGも誕生した。なお、『D&D』黎明期には、この作品に対して数々の誤解や非難や陰謀論が飛び交っていた。詳細は「ダンジョンズ&ドラゴンズに関する論争」の項を参照。 安田均は、『D&D』はヒロイック・ファンタジー、『指輪物語』、マイケル・ムアコックの「エルリック・サーガ」といった作品の影響を受けていると指摘している。 1970年代後半になると、SF、歴史、近現代を舞台にするテーブルトークRPGが登場してくる。また、特定の小説や映画などの世界を再現するものも登場する。 背景世界の多様化により、「ダンジョン探索」や「怪物退治」をゲームの目的にしないものも登場してきた。例えば1977年に発売された『トラベラー』は、科学技術が発達して自在に宇宙旅行できるようになった世界を舞台に、さまざまな文明をもった惑星を旅することを目的にしている。1979年に発売された『ルーンクエスト』はファンタジー世界ながら、文化人類学を背景にした緻密なカルト(祭祀集団)を設定し、詳細な設定をもった背景世界(グローランサ)と物語を提示したことに特徴があった。このゲームではプレイヤーキャラクターが所属するカルトによって全く異なる行動規範が定められており、従来の「プレイヤーキャラクターは同じ目的を持った仲間(パーティー)である」という概念とは異なるプレイスタイルを持っていた。 これらのゲームは「ある役割を課せられた仮想の人物を操演して、司会・審判役を交えて会話で進行するゲーム」という部分では『D&D』と共通するものの、背景世界のみならず達成目的や進行方式が『D&D』とはまったく異なるゲームとなっている。このようなゲームの登場は、テーブルトークRPGの多様性を示すことになった。 また、最初期の『D&D』をはじめ黎明期のゲームは背景世界に緻密な設定をもたなかったが、『トラベラー』や『ルーンクエスト』のような緻密な世界設定を持つゲームの登場により、後のゲームでは「ゲームシステム」と「世界背景・物語」という二分化された制作がなされるようになる。 英語圏だけの現象であったテーブルトークRPGは、やがて他の言語圏にも紹介され、初めは英語のゲームをそのまま遊ぶという形で伝播していくが、やがて、各言語独自のゲームが作られるようになる。テーブルトークRPGが多く発表されている非英語圏の国として、フランス、イタリア、ドイツ、日本などがあり、その中からはNephilimのように逆に英語に翻訳されるものも出てきた。 日本におけるテーブルトークRPGの始まりは、1970年代後半に求められる。原宿キディランドなどの玩具店や模型店で、日本国外製の原語のTRPGが輸入販売されるようになり、それをプレイする人々が初期のユーザーとなった。元々はアメリカの大学生の遊びから生まれたゲームであるため、ルールは全て英語で書かれており、それを読めなければゲームを始めることすらできなかった。しかし、彼らは次第にゲームの翻訳・翻案、さらには自作まで行うようになる。 日本ではテーブルトークRPGよりも一足先にボードシミュレーションゲームが紹介されており、1980年代前半にはファン層も確立され、日本語のゲームや日本語の専門誌もいくつか出版されていた。『TACTICS』『シミュレイター』などの当時のボードシミュレーションゲーム雑誌では、「ボードシミュレーションゲームの兄弟のようなゲーム」として日本国外のRPGならびにその周辺の状況がたびたび紹介されている。1982年5月1日発売の『TACTICS』3号にロールプレイングゲーム『ドンキーコマンド』が掲載される。『ドンキーコマンド』はコマンド隊員をキャラクターとして作成し、秘密基地に潜入。爆破や奪取任務を行う1人プレイ用のルールであった。 日本語で書かれたTRPG製品が商業ベースで発売されるようになったのは1983年で、この年に多摩豊により『エンタープライズ』がツクダホビーから発売されている。また、同年にはツクダホビーやバンダイから、ロールプレイングゲームの要素を持つボードゲームが日本人のゲームデザイナーにより多数発売された(ツクダホビー『クラッシャージョウ』、バンダイ『元禄忍者伝』など)。1984年には日本人作による初の本格的なテーブルトークRPGである『ローズ・トゥ・ロード』(門倉直人著、ツクダホビー発売)が発売された。また、同年には日本国外製TRPGの初の日本語翻訳製品となる『トラベラー』がホビージャパンより発売されている。その後、1985年には『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(新和)、1986年には『クトゥルフの呼び声』(ホビージャパン)と、著名な日本国外作品の日本語翻訳版発売の流れが続き、後のブーム(繁盛期)の端緒を開いた。 日本語のTRPG製品が発売されていった1980年代前半は、コンピュータRPGが日本のパソコンゲームファンに注目されだした時期でもある。『ログイン』『Beep』などのコンピューターゲーム誌では「『ウィザードリィ』や『ウルティマ』の元となったゲーム」として、『D&D』等の紹介が始まり、コンピュータゲームをきっかけにテーブルトークRPGに興味を持つ、という流れを作り出した。なお、コンピューターゲーム誌では、コンピューターRPGに対しての「ボードRPG」という造語が盛んに用いられていた。 1980年代後半に入ると、パソコンゲーム雑誌『コンプティーク』(角川書店)誌上に、『D&D』のシステムを用いた『ロードス島戦記』のリプレイが掲載された。その後、リプレイを原案とした小説版『ロードス島戦記』が発表され大きな反響を呼び、漫画やOVA、パソコン用ゲームなど、いわゆるマルチメディア展開を見せ、日本におけるテーブルトークRPG普及に一役買うことになる。 1989年に『ソード・ワールドRPG』が富士見書房から発売されると、特に中高生を中心とした低年齢層にも広く普及した。 『ソード・ワールドRPG』が大きく普及した理由は、 などが挙げられる。 こうして、テーブルトークRPGの一大ブームが訪れた。角川書店、富士見書房からはRPG関連書籍が数多く出版された。RPGを元にした小説作品である『ドラゴンランス戦記』(富士見書房より翻訳刊行)や『ロードス島戦記』(角川書店)は日本のファンタジー小説の裾野を広げた。 ところが、こうしたブームは、1990年代半ばに落ち込んでしまうこととなる。これを俗に、「TRPG冬の時代」と呼ぶ。停滞していった原因は、ブームに乗じた粗製濫造と作品の質の低下、『マジック:ザ・ギャザリング』を初めとするトレーディングカードゲームの台頭、主要なファン年齢層の就職・進学に伴う離脱などが、よく挙げられている。 2001年、長らく冬眠状態だった『ソード・ワールドRPG』リプレイの新シリーズがスタートし、翌2002年には、『ナイトウィザード』の初版、『アルシャード』の初版、『ダンジョンズ&ドラゴンズ第3版』といった、その後も展開が継続していった人気システムが相次いで出版され、本格的に復調傾向を見せ始める。 2000年代後半以降は、ルールブック、サプリメント、リプレイ、アクセサリなどのTRPG関連製品が毎月10点程度は発売されるような状況となり(関連小説や定期刊行物を含めればさらに増える)、回復・安定したとみられる。しかし、TRPGは「冬の時代」を挟んで、他のサブカルチャーメディアへの露出・連携が弱まったため、この時点では若い世代への広範な普及が見られたかつての状況にまでは至っていなかった。未経験者への普及再拡大が起こるのは2010年代後半の第二次ブーム以降となる。 2000年代終盤から2010年代初頭にかけて、ニコニコ動画などの動画サイトに『アイドルマスターシリーズ』や『東方Project』のキャラクターを用いた初心者向け解説動画やリプレイ動画などが投稿されるようになり、中でも2012年頃から『クトゥルフ神話TRPG』関連動画の投稿数が急増した。これに伴い『クトゥルフ神話TRPG』基本ルールブックの増版ペースも上がり、2015年6月で第20刷となっている。『クトゥルフ神話TRPG』関連動画の急増は、2012年4月よりテレビアニメが放送された『這いよれ! ニャル子さん』の影響と見る向きもある。 『クトゥルフ神話TRPG』の知名度の増加に伴い、2010年代後半になると既存のキャラクターを使うのではなく、純粋にオリジナルのキャラクターでオリジナルのシナリオをプレイしたリプレイ動画が活性化する。 さらに、動画を見た視聴者がリそこで使われたシナリオを使用して自分たちでもプレイを行い、それをゲーム実況動画の体裁で配信する、という繰り返しが起こるようになり、ゲーム実況界隈から若い世代のテーブルトークRPG参入が加速した。 この要因には、オンラインセッションに用いられるツールが2010年代後半頃から高度に整備され、SNSアカウントとの連携やスマートフォンからのプレイが行えるようになり、実際のプレイを体験するためのハードルが下がったこともある。 このような経緯から日本において動画サイトに投稿されているテーブルトークRPG動画は『クトゥルフ神話TRPG』を扱うものが主流となっている。2020年頃には『クトゥルフ神話TRPG』は日本国内において最も遊ばれているTRPGだという認識が波及しており、この認識は米国のケイオシアム社も共有している。このことは、『クトゥルフ神話TRPG』の関連動画をきっかけにそれを遊ぶようになった人口が、それ以前までの日本のテーブルトークRPGのコミュニティの規模を上回っていることを示してもいる。 日本においては黎明期より、制作者・企画者が海外製品の翻訳やオリジナル作品の制作を行い、彼らと契約した玩具メーカーや出版社が流通販売を担う、という形態が多くを占める。しかし採算が取れず市場から撤退した玩具メーカーや出版社も少なくない。そのため、同一または同系統のルールブックが別の出版社から販売されたり、絶版作品が権利がらみで販売不可となる事例も少なからず見られる。 日本独特の出版形態が「文庫(本)型」である。『ソード・ワールドRPG』や『GURPS』(ガープス)、『MAGIUS』(マギウス)が代表的である。それらをデザインしたグループSNEは、その前に『トンネルズ&トロールズ』の日本語版を文庫で出版し、ゲームブックファン層にテーブルトークRPGをアピールすることに成功している。 1990年代前半のテーブルトークRPGのブーム期にはビッグネームからマイナー製品まで数多くのタイトルが文庫で次々と発売され、文庫本という形態はテーブルトークRPGのデファクトスタンダードになっていった。1990年代後半以降の日本では、A4判もしくはB5判の書籍タイプ の製品が主流を占めることになる(情報量も多いがその分厚くなり、文庫タイプに比べて高価格 という特徴を持つ)。過去にも、大判の書籍タイプのRPGルールブックはあった(『パワープレイ』など)。ところが、文庫タイプの代表格『ソード・ワールドRPG』『GURPS』ですら、この時期に『完全版』としてA4判の書籍タイプで出版された(これは日本のみの現象ではなく、アメリカでも一足早く、ボックス型よりも大判の書籍タイプが主流となっていた)。 しかし、2004年に発売された『アリアンロッドRPG』は、久しぶりに文庫タイプで出版された。この作品は基本ルールやリプレイ、入門者向けのサプリメントは文庫で出版し、追加データなどの記述量が多くなるパワーユーザー向けのサプリメントはB5判書籍で出版するというスタイルをとった。こうした、両方の利点を活かす展開手法は、2006年発売の『アルシャードガイア』、2008年発売の『ソード・ワールド2.0』、2009年発売の『ダブルクロス The 3rd Edition』などにも引き継がれている。 日本のテーブルトークRPG市場において特徴的なものに、「リプレイ本」といわれる商品の存在がある。 リプレイとはテーブルトークRPGのプレイ風景を記録したものである。一般的にはプレイヤーキャラクターとゲームマスターの発言の羅列という戯曲形式で記述される。リプレイは元々は、ゲームのルールをわかりやすく説明するためにルールブックに10数行程度で書かれるものでしかなかった。これは行為判定などが行われている様子を戯曲形式にして抜き出したものにすぎなかったが、日本のテーブルトークRPGの黎明期では全く未知の遊びであったテーブルトークRPGの紹介を行うためにこのリプレイという形式が好んで使われた。ウォー・シミュレーションゲーム雑誌やパソコンゲーム雑誌では1回のゲームプレイの最初から最後までを数ページにわたるリプレイとして掲載することで、テーブルトークRPGの実態を紹介していった。さらには、コンプティーク誌で1986年に連載された『ロードス島戦記』など、数回のセッションにわたるキャンペーンプレイを全てリプレイとして掲載するという試みも行なわれた。リプレイが長文化するに従い、書き手は読み手に対して飽きさせないようにする工夫や単なる記録以上の「読み物」が求められるようになり、リプレイの文章には様々な演出や編集が行われるようになった。こうして日本独自の文化が誕生したのである。 リプレイ文化はテーブルトークRPGの黎明期こそゲーム雑誌上の記事でしか見られなかったが、『ロードス島戦記』や『ソードワールドRPG』がメディアミックス展開していくのと同時にリプレイも単品の商品として文庫本の形式で売り出されるようになる。その結果、「リプレイ本」はテーブルトークRPGをプレイしていない人の中にもライトノベルの一種として受け入れられるようになり、様々なリプレイ本が出版されていくようになっていったのである。ここに至り、ゲームの紹介として始まったリプレイが独立した一個の作品として売り出されるようになった。結果、ゲームはプレイしないがリプレイ本は読んでいるリプレイ読者という層が生み出されるようにもなった。リプレイ本は2011年現在においてもライトノベルの一つとして出版され続けており、ライトノベル市場において独自の地位を築いている。 日本のテーブルトークRPGの文化として二次創作活動が盛んである。それに伴い二次創作に関するガイドラインが2021年10月から制定された。 下記は、各社から出版されたTRPG専門誌、サポート誌(休刊・廃刊されたものを含む)。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "テーブルトークRPG、あるいはテーブルトップ・ロールプレイング・ゲーム(英: Tabletop role-playing game)とは、テーブルゲームのジャンルのひとつ。ゲーム機などのコンピュータを使わずに、紙や鉛筆、サイコロなどの道具を用いて、人間同士の会話とルールブックに記載されたルールに従って遊ぶ“対話型”のロールプレイングゲーム(RPG)を指す言葉。和製英語。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "元々はミニチュアゲームから派生したもので、アメリカで考案された、テーブルトップゲームである。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "TRPG、TTRPG、tRPGなどと略記されることがある。また、会話型RPGとも呼ばれる。なお、TRPGと会話型ロールプレイングゲームはホビージャパンの登録商標である。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「テーブルトークRPG」は日本での造語(和製英語)であり、日本と韓国以外では通用しない。英語圏では、ライブアクションRPGやコンピュータRPGと区別するため、Tabletop role-playing game(テーブルトップロールプレイングゲーム)やPen-and-paper role-playing game(ペンアンドペーパーロールプレイングゲーム)などと呼称する。", "title": "テーブルトークの意味" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1974年に世界初のロールプレイングゲームである『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下、『D&D』)が発売された。しかし、日本では『D&D』よりも先に『ウィザードリィ』などの海外製コンピュータRPGをはじめ、『ハイドライド』『ザ・ブラックオニキス』『夢幻の心臓』『ドラゴンスレイヤー』などの国産コンピュータRPGが人気となったこと、そして1986年にエニックス(現在のスクウェア・エニックス)からファミリーコンピュータ向けに発売された『ドラゴンクエスト』が大ヒットしたという経緯から、日本ではRPGと言えばコンピュータRPGを指すのが一般的であるため、 元来のRPGをコンピュータRPGと区別する呼称としてこの言葉が普及した。", "title": "テーブルトークの意味" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "日本では、テーブルゲームとしてのウォー・シミュレーションゲームやRPGがアメリカなどに比べるとそれほど一般化せず、それに対して、元々は派生的な存在である「コンピュータを使ったシミュレーションゲームやRPG」が急速な普及を見せた。このような状況を背景に、日本では1980年代半ば以降、「RPG」はコンピュータRPGを指す言葉として普及した。本来の意味での「RPG」を愛好する人々は少数派であり、彼らの「RPG」を指し示す新しい用語が必要になったため、「テーブルトークRPG」という言葉が登場した。", "title": "テーブルトークの意味" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1987年にゲームブック雑誌『ウォーロック』10号の記事において、近藤功司が「テーブル・トークのRPG」という表現をした後に「僕の造語ですから初めて聞く言葉でしょうが」と述べている。この語は『ウォーロック』誌上でたびたび近藤功司によって使用され、そのうちに安田均も積極的に使うようになった。安田均は多くのTRPG関連雑誌で執筆していたため、この語はゲーマーたちの間で広く知られるようになった。しかもこの時期は日本で一気にTRPG人口が増加していた時であったので、初めから「RPG」ではなく「テーブルトークRPG」と呼ぶ人々が大きな割合を占めるに至った。", "title": "テーブルトークの意味" 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"テーブルトークRPGでは、プレイヤーは、単なる無名の「戦士」や「魔法使い」ではなく、名前や仮想の人格などが付与されたプレイヤーキャラクターを担当する。ゲームによっては、「ライフパス」(出自や人生の遍歴を示す要素)や「性格」「属性」(あるいはシステムによっては「癖」や「趣味」といったところまで)といったルールにより、仮想の人格にシステム的な裏付けを与える工夫がなされる。同じ「戦士」であっても、豪胆な人物、細心な人物、明朗快活な人物、謎めいた影のある人物といった千差万別な個性を表現することにより、キャラクターは差別化され、一層生き生きとし、仮想世界での冒険の楽しみを増加させるのである。またプレイヤーが温厚で慎重な性格であるのにも拘らず、向こう見ずな戦士を演じたり、狡猾な魔術師を演じたりすることは、それがキャラクターに合致している限り、「上手なロールプレイ」であると見なされる。", "title": "ロールプレイングの意味" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "まずゲームの参加者(英語でプレイヤーと呼ばれる)それぞれが自分の操るキャラクターを用意する(通常は一人ずつ)。これをプレイヤー・キャラクター(PC)という。一般にPCは「能力値」などの数値化されたデータによって表現され、これにたとえば、戦士や魔術師といったキャラクタークラスに代表されるような役割を表すデータやシンボルや肩書きが付随する。参加者はそれを専用のシートか何らかの記録媒体(通常のプレイでは紙)にメモしておく。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "一人は通常、自分のプレイヤー・キャラクターを作らず使わず、一般にゲームマスター(GM)と呼ばれる役を受け持つ。ゲームマスターはゲームシステムによっては、ダンジョンマスター(DM、地下牢の主人の意)、審判員、ジャッジ(審判)、キーパー(維持者)、ストーリーテラー(語り部)などと呼ばれることがある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ゲームマスターは他の参加者(プレイヤー)と対話しながらゲームの舞台となる世界とそこに登場するいろいろな事件や人物を説明し、決められたルールに従って、プレイヤーが考えたキャラクターの行動が実現したか否かを裁定することでゲームを進行させる。単純化して言えば、コンピュータで遊ぶRPGでの、コンピュータ役をゲームマスターという人間が担当するのがテーブルトークRPGだといえる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "しばしばテーブルトークRPGは「ルールのあるごっこ遊び」と説明されるように、プレイヤー・キャラクターの行う行動を、「何でも言っただけで認める」のではなく、各種のデータとルールに従って判定してその成否を決定する点が「ごっこ遊び」や「なりきりチャット」とは異なる。判定は、主に6から100面体までの様々な形状のサイコロ(ダイス)を乱数発生装置として用いて行われるが、トランプなど他の手段を用いる場合もある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "プレイヤー達は、ゲームの舞台となる世界において、プレイヤー・キャラクターを演じながら、行動をゲームマスターに対して宣言し、戦闘や謎解きといった課題に挑戦する。これを繰り返しつつ互いに協力または競争しながらストーリーを紡ぎ出し、最終的な目標の達成を目指すことが、ゲームの目的となっている。プレイヤーとは別個の架空人格であるキャラクターを演じることが特徴であることから、「演技ゲーム」という意味のロールプレイングゲームという呼称がゲームの総称として使われている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1回のゲームにかかる時間はゲームマスターが用意するシナリオにより異なるが、少なくとも3、4時時間を要することが普通である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "キャラクターや架空世界それ自体を表現するために、様々な世界設定やテイストやルールを持つゲームシステムが数多く発表・発売されている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ゲームマスターを除く参加者、すなわちプレイヤーは、さまざまな種族、人格、性質、能力、技術をもったキャラクターを演じる。それらの要素は、ゲームのルールや世界において、重要な指針となるものである。ゲームのシステムは大抵、そのゲームの世界においてどのようなキャラクターを演じることができ、世界の中でどのようなことができるのか、を定めたルールや設定がある。例えば、ファンタジー世界の設定では、種族には、エルフ、人間、ドワーフなど、キャラクタークラスには、戦士、僧侶、盗賊などがある。これらのルールや設定やデータは、プレイヤーが自分のキャラクターに与えられた役割を果たし、与えられた課題に取り組んで目的を達するための、行動と判断の基盤となるものである。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ミニチュア・ウォーゲームという体裁を取っていた初期のRPGにもストーリー性はあったが、物語性や世界設定を重視する風潮とともに、キャラクターの人格や会話および各世界で展開されるストーリーを重視するプレイスタイルも登場し、それに適したルールシステムも作られるようになった。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "テーブルトークRPGでは、基本となるゲームシステムを集約した「ルールブック」のほか、特定のテーマに沿ったデータのみを集めたデータ集やプレイを補助する小物類などが頒布されることがある。以下に主な種類を挙げる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "コンピュータRPGはテーブルトークRPGより派生したもので、ゲームマスターの役割をコンピュータに肩代わりさせ、1人で遊べるようにしたものであった。当初、コンピュータRPGは『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下、『D&D』)に代表される「迷宮・秘境探検と魔物退治のゲーム」を再現するゲームであった。こういったゲームはTRPGの遊び方の中でもボードゲームやウォーゲームに近いもので、機械的な処理に向いており、コンピュータRPGは高いレベルでこれを再現している。また、この頃はテーブルトークRPG自体、この種の製品や遊び方がほとんどであった。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "テーブルトークRPGは、コンピュータRPGにあるような強力な演出とは縁遠いが、早い段階でさまざまなジャンルを可能にしてきた。「迷宮・秘境探検と魔物退治のゲーム」以外にも「恒星間宇宙での冒険」「邪神の復活を阻止するホラーもの」「犯罪事件の推理やアクション」などのジャンルは80年代にはすでに誕生している。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "コンピュータRPGではプレイヤーはあらかじめプログラムされた行動しかとれないが、テーブルトークRPGでは原則的にはプレイヤーはいかなる行動宣言を行うこともできるため、無限の自由度があるとも言える。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "「ロールプレイングゲーム」という呼称は、職業訓練や精神医学の臨床において行われるロールプレイングが由来である。また、テーブルトークRPGの元になった、戦争シミュレーションのミニチュアゲームや政治闘争などのボードゲームでは、プレイヤーが自分の受け持った軍の将軍・指導者の立場にたって、この将軍・指導者が得られたであろう限定された情報を元に駒を動かす遊び方などのように、プレイヤーが指導者という一個人の視点を通して軍や団体を操る遊び方もロールプレイングと呼ばれていた。「ロールプレイングゲーム」の呼称は最初のテーブルトークRPGが登場した時点ではまだ使われておらず、1970年代後半になってから、先に挙げたボードゲームも含めて各個プレイヤーが一人の個人を担当するゲーム全般の意味で用いられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "テーブルトークRPGが最初に登場したのは1970年代前半のアメリカである。ロールプレイングゲームの元祖とされるのは1974年の『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下、『D&D』)である。『D&D』はゲイリー・ガイギャックスによってデザインされ、TSR社から発売されたが、これはガイギャックスとジェフ・ペレンが作ったミニチュア・ウォーゲーム『チェインメイル』(1971年、ガイドン・ゲームズより発売)から発展したものであった(そのため、『チェインメイル』は『D&D』の原型とみなされる )。『D&D』の内容は、ドラゴンなどの魔物が住み危険な罠の仕掛けられたダンジョン(迷宮)の中を、武器を使う戦士、魔法使いなど、異なる能力を持ったキャラクターを組み合わせたグループ(パーティ)を組んで探検し、様々な謎(リドル)を解き、ダンジョンの奥に眠る財宝や魔法の物品を獲得する、というものである。また、1970年代後半にはこのゲームの達成目的や進行方式を継承したコンピュータRPGも誕生した。なお、『D&D』黎明期には、この作品に対して数々の誤解や非難や陰謀論が飛び交っていた。詳細は「ダンジョンズ&ドラゴンズに関する論争」の項を参照。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "安田均は、『D&D』はヒロイック・ファンタジー、『指輪物語』、マイケル・ムアコックの「エルリック・サーガ」といった作品の影響を受けていると指摘している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1970年代後半になると、SF、歴史、近現代を舞台にするテーブルトークRPGが登場してくる。また、特定の小説や映画などの世界を再現するものも登場する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "背景世界の多様化により、「ダンジョン探索」や「怪物退治」をゲームの目的にしないものも登場してきた。例えば1977年に発売された『トラベラー』は、科学技術が発達して自在に宇宙旅行できるようになった世界を舞台に、さまざまな文明をもった惑星を旅することを目的にしている。1979年に発売された『ルーンクエスト』はファンタジー世界ながら、文化人類学を背景にした緻密なカルト(祭祀集団)を設定し、詳細な設定をもった背景世界(グローランサ)と物語を提示したことに特徴があった。このゲームではプレイヤーキャラクターが所属するカルトによって全く異なる行動規範が定められており、従来の「プレイヤーキャラクターは同じ目的を持った仲間(パーティー)である」という概念とは異なるプレイスタイルを持っていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "これらのゲームは「ある役割を課せられた仮想の人物を操演して、司会・審判役を交えて会話で進行するゲーム」という部分では『D&D』と共通するものの、背景世界のみならず達成目的や進行方式が『D&D』とはまったく異なるゲームとなっている。このようなゲームの登場は、テーブルトークRPGの多様性を示すことになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "また、最初期の『D&D』をはじめ黎明期のゲームは背景世界に緻密な設定をもたなかったが、『トラベラー』や『ルーンクエスト』のような緻密な世界設定を持つゲームの登場により、後のゲームでは「ゲームシステム」と「世界背景・物語」という二分化された制作がなされるようになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "英語圏だけの現象であったテーブルトークRPGは、やがて他の言語圏にも紹介され、初めは英語のゲームをそのまま遊ぶという形で伝播していくが、やがて、各言語独自のゲームが作られるようになる。テーブルトークRPGが多く発表されている非英語圏の国として、フランス、イタリア、ドイツ、日本などがあり、その中からはNephilimのように逆に英語に翻訳されるものも出てきた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "日本におけるテーブルトークRPGの始まりは、1970年代後半に求められる。原宿キディランドなどの玩具店や模型店で、日本国外製の原語のTRPGが輸入販売されるようになり、それをプレイする人々が初期のユーザーとなった。元々はアメリカの大学生の遊びから生まれたゲームであるため、ルールは全て英語で書かれており、それを読めなければゲームを始めることすらできなかった。しかし、彼らは次第にゲームの翻訳・翻案、さらには自作まで行うようになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "日本ではテーブルトークRPGよりも一足先にボードシミュレーションゲームが紹介されており、1980年代前半にはファン層も確立され、日本語のゲームや日本語の専門誌もいくつか出版されていた。『TACTICS』『シミュレイター』などの当時のボードシミュレーションゲーム雑誌では、「ボードシミュレーションゲームの兄弟のようなゲーム」として日本国外のRPGならびにその周辺の状況がたびたび紹介されている。1982年5月1日発売の『TACTICS』3号にロールプレイングゲーム『ドンキーコマンド』が掲載される。『ドンキーコマンド』はコマンド隊員をキャラクターとして作成し、秘密基地に潜入。爆破や奪取任務を行う1人プレイ用のルールであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "日本語で書かれたTRPG製品が商業ベースで発売されるようになったのは1983年で、この年に多摩豊により『エンタープライズ』がツクダホビーから発売されている。また、同年にはツクダホビーやバンダイから、ロールプレイングゲームの要素を持つボードゲームが日本人のゲームデザイナーにより多数発売された(ツクダホビー『クラッシャージョウ』、バンダイ『元禄忍者伝』など)。1984年には日本人作による初の本格的なテーブルトークRPGである『ローズ・トゥ・ロード』(門倉直人著、ツクダホビー発売)が発売された。また、同年には日本国外製TRPGの初の日本語翻訳製品となる『トラベラー』がホビージャパンより発売されている。その後、1985年には『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(新和)、1986年には『クトゥルフの呼び声』(ホビージャパン)と、著名な日本国外作品の日本語翻訳版発売の流れが続き、後のブーム(繁盛期)の端緒を開いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "日本語のTRPG製品が発売されていった1980年代前半は、コンピュータRPGが日本のパソコンゲームファンに注目されだした時期でもある。『ログイン』『Beep』などのコンピューターゲーム誌では「『ウィザードリィ』や『ウルティマ』の元となったゲーム」として、『D&D』等の紹介が始まり、コンピュータゲームをきっかけにテーブルトークRPGに興味を持つ、という流れを作り出した。なお、コンピューターゲーム誌では、コンピューターRPGに対しての「ボードRPG」という造語が盛んに用いられていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1980年代後半に入ると、パソコンゲーム雑誌『コンプティーク』(角川書店)誌上に、『D&D』のシステムを用いた『ロードス島戦記』のリプレイが掲載された。その後、リプレイを原案とした小説版『ロードス島戦記』が発表され大きな反響を呼び、漫画やOVA、パソコン用ゲームなど、いわゆるマルチメディア展開を見せ、日本におけるテーブルトークRPG普及に一役買うことになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "1989年に『ソード・ワールドRPG』が富士見書房から発売されると、特に中高生を中心とした低年齢層にも広く普及した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "『ソード・ワールドRPG』が大きく普及した理由は、", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "などが挙げられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "こうして、テーブルトークRPGの一大ブームが訪れた。角川書店、富士見書房からはRPG関連書籍が数多く出版された。RPGを元にした小説作品である『ドラゴンランス戦記』(富士見書房より翻訳刊行)や『ロードス島戦記』(角川書店)は日本のファンタジー小説の裾野を広げた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ところが、こうしたブームは、1990年代半ばに落ち込んでしまうこととなる。これを俗に、「TRPG冬の時代」と呼ぶ。停滞していった原因は、ブームに乗じた粗製濫造と作品の質の低下、『マジック:ザ・ギャザリング』を初めとするトレーディングカードゲームの台頭、主要なファン年齢層の就職・進学に伴う離脱などが、よく挙げられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "2001年、長らく冬眠状態だった『ソード・ワールドRPG』リプレイの新シリーズがスタートし、翌2002年には、『ナイトウィザード』の初版、『アルシャード』の初版、『ダンジョンズ&ドラゴンズ第3版』といった、その後も展開が継続していった人気システムが相次いで出版され、本格的に復調傾向を見せ始める。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "2000年代後半以降は、ルールブック、サプリメント、リプレイ、アクセサリなどのTRPG関連製品が毎月10点程度は発売されるような状況となり(関連小説や定期刊行物を含めればさらに増える)、回復・安定したとみられる。しかし、TRPGは「冬の時代」を挟んで、他のサブカルチャーメディアへの露出・連携が弱まったため、この時点では若い世代への広範な普及が見られたかつての状況にまでは至っていなかった。未経験者への普及再拡大が起こるのは2010年代後半の第二次ブーム以降となる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "2000年代終盤から2010年代初頭にかけて、ニコニコ動画などの動画サイトに『アイドルマスターシリーズ』や『東方Project』のキャラクターを用いた初心者向け解説動画やリプレイ動画などが投稿されるようになり、中でも2012年頃から『クトゥルフ神話TRPG』関連動画の投稿数が急増した。これに伴い『クトゥルフ神話TRPG』基本ルールブックの増版ペースも上がり、2015年6月で第20刷となっている。『クトゥルフ神話TRPG』関連動画の急増は、2012年4月よりテレビアニメが放送された『這いよれ! ニャル子さん』の影響と見る向きもある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "『クトゥルフ神話TRPG』の知名度の増加に伴い、2010年代後半になると既存のキャラクターを使うのではなく、純粋にオリジナルのキャラクターでオリジナルのシナリオをプレイしたリプレイ動画が活性化する。 さらに、動画を見た視聴者がリそこで使われたシナリオを使用して自分たちでもプレイを行い、それをゲーム実況動画の体裁で配信する、という繰り返しが起こるようになり、ゲーム実況界隈から若い世代のテーブルトークRPG参入が加速した。 この要因には、オンラインセッションに用いられるツールが2010年代後半頃から高度に整備され、SNSアカウントとの連携やスマートフォンからのプレイが行えるようになり、実際のプレイを体験するためのハードルが下がったこともある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "このような経緯から日本において動画サイトに投稿されているテーブルトークRPG動画は『クトゥルフ神話TRPG』を扱うものが主流となっている。2020年頃には『クトゥルフ神話TRPG』は日本国内において最も遊ばれているTRPGだという認識が波及しており、この認識は米国のケイオシアム社も共有している。このことは、『クトゥルフ神話TRPG』の関連動画をきっかけにそれを遊ぶようになった人口が、それ以前までの日本のテーブルトークRPGのコミュニティの規模を上回っていることを示してもいる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "日本においては黎明期より、制作者・企画者が海外製品の翻訳やオリジナル作品の制作を行い、彼らと契約した玩具メーカーや出版社が流通販売を担う、という形態が多くを占める。しかし採算が取れず市場から撤退した玩具メーカーや出版社も少なくない。そのため、同一または同系統のルールブックが別の出版社から販売されたり、絶版作品が権利がらみで販売不可となる事例も少なからず見られる。", "title": "日本における制作・販売形態" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "日本独特の出版形態が「文庫(本)型」である。『ソード・ワールドRPG』や『GURPS』(ガープス)、『MAGIUS』(マギウス)が代表的である。それらをデザインしたグループSNEは、その前に『トンネルズ&トロールズ』の日本語版を文庫で出版し、ゲームブックファン層にテーブルトークRPGをアピールすることに成功している。", "title": "日本における制作・販売形態" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "1990年代前半のテーブルトークRPGのブーム期にはビッグネームからマイナー製品まで数多くのタイトルが文庫で次々と発売され、文庫本という形態はテーブルトークRPGのデファクトスタンダードになっていった。1990年代後半以降の日本では、A4判もしくはB5判の書籍タイプ の製品が主流を占めることになる(情報量も多いがその分厚くなり、文庫タイプに比べて高価格 という特徴を持つ)。過去にも、大判の書籍タイプのRPGルールブックはあった(『パワープレイ』など)。ところが、文庫タイプの代表格『ソード・ワールドRPG』『GURPS』ですら、この時期に『完全版』としてA4判の書籍タイプで出版された(これは日本のみの現象ではなく、アメリカでも一足早く、ボックス型よりも大判の書籍タイプが主流となっていた)。", "title": "日本における制作・販売形態" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "しかし、2004年に発売された『アリアンロッドRPG』は、久しぶりに文庫タイプで出版された。この作品は基本ルールやリプレイ、入門者向けのサプリメントは文庫で出版し、追加データなどの記述量が多くなるパワーユーザー向けのサプリメントはB5判書籍で出版するというスタイルをとった。こうした、両方の利点を活かす展開手法は、2006年発売の『アルシャードガイア』、2008年発売の『ソード・ワールド2.0』、2009年発売の『ダブルクロス The 3rd Edition』などにも引き継がれている。", "title": "日本における制作・販売形態" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "日本のテーブルトークRPG市場において特徴的なものに、「リプレイ本」といわれる商品の存在がある。", "title": "日本における制作・販売形態" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "リプレイとはテーブルトークRPGのプレイ風景を記録したものである。一般的にはプレイヤーキャラクターとゲームマスターの発言の羅列という戯曲形式で記述される。リプレイは元々は、ゲームのルールをわかりやすく説明するためにルールブックに10数行程度で書かれるものでしかなかった。これは行為判定などが行われている様子を戯曲形式にして抜き出したものにすぎなかったが、日本のテーブルトークRPGの黎明期では全く未知の遊びであったテーブルトークRPGの紹介を行うためにこのリプレイという形式が好んで使われた。ウォー・シミュレーションゲーム雑誌やパソコンゲーム雑誌では1回のゲームプレイの最初から最後までを数ページにわたるリプレイとして掲載することで、テーブルトークRPGの実態を紹介していった。さらには、コンプティーク誌で1986年に連載された『ロードス島戦記』など、数回のセッションにわたるキャンペーンプレイを全てリプレイとして掲載するという試みも行なわれた。リプレイが長文化するに従い、書き手は読み手に対して飽きさせないようにする工夫や単なる記録以上の「読み物」が求められるようになり、リプレイの文章には様々な演出や編集が行われるようになった。こうして日本独自の文化が誕生したのである。", "title": "日本における制作・販売形態" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "リプレイ文化はテーブルトークRPGの黎明期こそゲーム雑誌上の記事でしか見られなかったが、『ロードス島戦記』や『ソードワールドRPG』がメディアミックス展開していくのと同時にリプレイも単品の商品として文庫本の形式で売り出されるようになる。その結果、「リプレイ本」はテーブルトークRPGをプレイしていない人の中にもライトノベルの一種として受け入れられるようになり、様々なリプレイ本が出版されていくようになっていったのである。ここに至り、ゲームの紹介として始まったリプレイが独立した一個の作品として売り出されるようになった。結果、ゲームはプレイしないがリプレイ本は読んでいるリプレイ読者という層が生み出されるようにもなった。リプレイ本は2011年現在においてもライトノベルの一つとして出版され続けており、ライトノベル市場において独自の地位を築いている。", "title": "日本における制作・販売形態" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "日本のテーブルトークRPGの文化として二次創作活動が盛んである。それに伴い二次創作に関するガイドラインが2021年10月から制定された。", "title": "日本における制作・販売形態" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "下記は、各社から出版されたTRPG専門誌、サポート誌(休刊・廃刊されたものを含む)。", "title": "出版社(五十音順)" } ]
テーブルトークRPG、あるいはテーブルトップ・ロールプレイング・ゲームとは、テーブルゲームのジャンルのひとつ。ゲーム機などのコンピュータを使わずに、紙や鉛筆、サイコロなどの道具を用いて、人間同士の会話とルールブックに記載されたルールに従って遊ぶ“対話型”のロールプレイングゲーム(RPG)を指す言葉。和製英語。 元々はミニチュアゲームから派生したもので、アメリカで考案された、テーブルトップゲームである。 TRPG、TTRPG、tRPGなどと略記されることがある。また、会話型RPGとも呼ばれる。なお、TRPGと会話型ロールプレイングゲームはホビージャパンの登録商標である。
{{Redirect|TRPG|タクティカルRPG|シミュレーションロールプレイングゲーム}} {{RPG}} '''テーブルトークRPG'''、あるいは'''テーブルトップ・ロールプレイング・ゲーム'''({{Lang-en-short|[[:w:Tabletop role-playing game|Tabletop role-playing game]]}})とは、[[テーブルゲーム]]の[[ジャンル]]のひとつ。[[ゲーム機]]などの[[コンピュータ]]を使わずに、[[紙]]や[[鉛筆]]、[[サイコロ]]などの道具を用いて、人間同士の会話とルールブックに記載されたルールに従って遊ぶ“対話型”の[[ロールプレイングゲーム]](RPG)を指す言葉<ref name=":0">菊池たけし/F.E.A.R『アリアンロッドRPG 2E ルールブック①』[[富士見書房]]、2011年、14-15頁 ISBN 978-4-8291-4631-6</ref>。[[和製英語]]。 元々は[[ミニチュアゲーム]]から派生したもので、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で考案された、[[テーブルゲーム|テーブルトップゲーム]]である。 '''TRPG'''、'''TTRPG'''、'''tRPG'''などと略記されることがある。また、'''会話型RPG'''とも呼ばれる。なお、'''TRPG'''と'''会話型ロールプレイングゲーム'''は[[ホビージャパン]]の[[登録商標]]である。 == テーブルトークの意味 == [[ファイル:RPG-2009-Berlin-2.jpg|thumb|『[[ダークアイ]]』([[:en:The Dark Eye|The Dark Eye]], [[:de:Das Schwarze Auge|Das Schwarze Auge]])をプレイ中の様子]] 「'''テーブルトークRPG'''」は[[日本]]での[[造語]]([[和製英語]])であり<ref>{{Cite book |和書 |author= 多摩豊|authorlink=多摩豊 |title = 次世代RPGはこーなる! |date = 1995-08 |page = 200 |chapter = 注釈 |publisher = [[電撃ゲーム文庫]] |isbn = 4-07-303456-1 }}</ref>、日本と[[韓国]]以外では通用しない。[[英語圏]]では、[[ライブRPG|ライブアクションRPG]]や[[コンピュータRPG]]と区別するため、'''Tabletop role-playing game'''(テーブルトップロールプレイングゲーム)や'''Pen-and-paper role-playing game'''(ペンアンドペーパーロールプレイングゲーム)などと呼称する<ref name="whatisnarrative">{{cite web|url=http://www.darkshire.net/~jhkim/rpg/whatis/tabletop.html|title="Narrative" or "Tabletop" RPGs|accessdate=2017年9月19日|publisher=|last=Kim|first=John}}</ref>。 [[1974年]]に世界初のロールプレイングゲームである『[[ダンジョンズ&ドラゴンズ]]』(以下、『D&D』)が発売された<ref group="注">「実を言えばD&Dこそ世界最初のロールプレイング・ゲームにして、このジャンルのゲームを生み出した元祖なのだ。」 {{Cite book|和書 |author1=ロブ・ハインソー|authorlink1=ロブ・ハインソー|author2=アンディ・コリンズ|authorlink2=アンディ・コリンズ|author3=ジェームズ・ワイアット|authorlink3=ジェームズ・ワイアット|title=ダンジョンズ&ドラゴンズ 基本ルールブック 第4版プレイヤーズ・ハンドブック|date=2008-12|publisher=[[ホビージャパン]]|isbn=978-4-89425-779-5|page=6|chapter=ロールプレイング・ゲームとは}}</ref>。しかし、日本では『D&D』よりも先に『[[ウィザードリィ]]』などの海外製コンピュータRPGをはじめ、『[[ハイドライドシリーズ|ハイドライド]]』『[[ザ・ブラックオニキス]]』『[[夢幻の心臓]]』『[[ドラゴンスレイヤーシリーズ|ドラゴンスレイヤー]]』などの国産コンピュータRPGが人気となったこと、そして[[1986年]]に[[エニックス]](現在の[[スクウェア・エニックス]])から[[ファミリーコンピュータ]]向けに発売された『[[ドラゴンクエスト]]』が大ヒットした<ref group="注">ただし、アメリカでは1980年に「[[ドラゴンクエスト_(テーブルトークRPG)|DragonQuest]]」という(紙の)RPGが発売されており、日本のドラゴンクエストと商標権問題になった。詳細は該当記事を参照。</ref>という経緯から、日本ではRPGと言えば[[コンピュータRPG]]を指すのが一般的であるため、 ''元来の''RPGをコンピュータRPGと区別する呼称としてこの言葉が普及した。 日本では、[[テーブルゲーム]]としての[[ウォー・シミュレーションゲーム]]やRPGがアメリカなどに比べるとそれほど一般化せず、それに対して、元々は派生的な存在である「コンピュータを使ったシミュレーションゲームやRPG」が急速な普及を見せた。このような状況を背景に、日本では1980年代半ば以降、「RPG」は[[コンピュータRPG]]を指す言葉として普及した。本来の意味での「RPG」を愛好する人々は少数派であり、彼らの「RPG」を指し示す新しい用語が必要になったため、「テーブルトークRPG」という言葉が登場した。{{要出典|date=2017年9月}} [[1987年]]に[[ゲームブック]]雑誌『[[ウォーロック (雑誌)|ウォーロック]]』10号の記事において、[[近藤功司]]が「テーブル・トークのRPG」という表現をした後に「僕の造語ですから初めて聞く言葉でしょうが」と述べている{{Sfn|近藤|1987|p=31}}。この語は『ウォーロック』誌上でたびたび近藤功司によって使用され、そのうちに安田均も積極的に使うようになった。安田均は多くのTRPG関連雑誌で執筆していたため、この語は[[ゲーマー]]たちの間で広く知られるようになった。しかもこの時期は日本で一気にTRPG人口が増加していた時であったので、初めから「RPG」ではなく「テーブルトークRPG」と呼ぶ人々が大きな割合を占めるに至った。{{要出典|date=2017年9月}} == ロールプレイングの意味 == '''ロールプレイング'''(role-playing)とは、想像上のある役柄を演じることである<ref name=":1">[[ゲイリー・ガイギャックス]]『ロールプレイング・ゲームの達人』[[教養文庫]]、1989年、18頁 ISBN 4-390-11312-7</ref>。 ロールプレイング(roleplaying)を英和辞典で引くと、[[役割演技]]と翻訳される<ref>『新英和中辞典』研究社</ref>。また、ロールプレイング(roleplaying)を英語で説明すると、その意味は「'''pretending to be someone else(他の誰かのふりをする)'''」となる<ref>『ケンブリッジ英英辞典』ケンブリッジユニバーシティプレス</ref>。 ゲームデザイナーの[[ゲイリー・ガイギャックス]]は、「ロールプレイとは、想像上のある役柄を演じること」「自分が現在(または未来永劫)決してなることができない何者かを演じること」であるとしている<ref name=":1" />。つまり、役割とはキャラクターという役柄のことであり、社会的な役目のことではない(「医者のふりをする」ことと、「医者の役割を果たす」ことには、大きな違いがある)。ゲームデザイナーの[[小太刀右京]]は、「roleplay。演技の意。しばしばrole-play(役割を演じる)と解釈するものがいるが、誤訳である」としている<ref>[[小太刀右京]]『[[トワイライトガンスモーク]]』[[エンターブレイン]]、2014年、20頁 ISBN 978-4-04-729263-5</ref>。 かつて、このロールプレイの意味を「役割を果たす」と解釈して、仮想の人格を演じることは抑制的であるべきで、[[キャラクタークラス]]などの任務分担を果たすのみで足りるとする主張がネット上にあらわれたことがある。しかし、これは単なる誤訳、ないしデマにすぎないものであった<ref>[[小太刀右京]]『なぜなに未来侵略 テーブルトークRPG編』[[新紀元社]]、2016年、20頁 ISBN 978-4-7753-1412-8</ref>。 テーブルトークRPGでは、プレイヤーは、単なる無名の「戦士」や「魔法使い」ではなく、名前や仮想の人格などが付与された[[プレイヤーキャラクター]]を担当する。ゲームによっては、「[[ライフパス]]」(出自や人生の遍歴を示す要素)や「性格」「属性」(あるいはシステムによっては「癖」や「趣味」といったところまで)といったルールにより、仮想の人格にシステム的な裏付けを与える工夫がなされる<ref>スティーブ・ジャクソン『ガープス・ベーシック 完訳版』[[富士見書房]]、1999年、15-16頁 ISBN 4-8291-7409-9</ref>。同じ「戦士」であっても、豪胆な人物、細心な人物、明朗快活な人物、謎めいた影のある人物といった千差万別な個性を表現することにより、キャラクターは差別化され、一層生き生きとし、仮想世界での冒険の楽しみを増加させるのである<ref>佐脇洋平、グループSNE『ガープスがよくわかる本』[[角川スニーカー・G文庫]]、1994年、63-64頁 ISBN 4-04-461403-2</ref>。またプレイヤーが温厚で慎重な性格であるのにも拘らず、向こう見ずな戦士を演じたり、狡猾な魔術師を演じたりすることは、それがキャラクターに合致している限り、「上手なロールプレイ」であると見なされる<ref>スティーブ・ジャクソン『ガープス・ベーシック 完訳版』[[富士見書房]]、1999年、232-233頁 ISBN 4-8291-7409-9</ref>。 == 特徴 == [[ファイル:Dungeons and Dragons game.jpg|left|thumb|『[[ダンジョンズ&ドラゴンズ]]』をプレイ中の様子]] === ゲームの進め方 === まずゲームの参加者(英語で[[プレイヤー (ゲーム)|プレイヤー]]と呼ばれる)それぞれが自分の操るキャラクターを用意する(通常は一人ずつ)<ref name=":0" />。これを[[プレイヤーキャラクター|プレイヤー・キャラクター]](PC)という。一般にPCは「能力値」などの数値化されたデータによって表現され、これにたとえば、戦士や魔術師といった[[キャラクタークラス]]に代表されるような役割を表すデータやシンボルや肩書きが付随する。参加者はそれを専用の[[キャラクターシート (TRPG)|シート]]か何らかの[[メディア (媒体)|記録媒体]](通常のプレイでは紙)にメモしておく。 一人は通常、自分のプレイヤー・キャラクターを作らず使わず、一般に[[ゲームマスター]](GM)と呼ばれる役を受け持つ<ref name=":0" />。ゲームマスターはゲームシステムによっては、ダンジョンマスター(DM、地下牢の主人の意)、[[審判員]]、ジャッジ(審判)、キーパー(維持者)、[[語り手|ストーリーテラー]](語り部)などと呼ばれることがある。 ゲームマスターは他の参加者(プレイヤー)と対話しながらゲームの舞台となる世界とそこに登場するいろいろな事件や人物を説明し、決められたルールに従って、プレイヤーが考えたキャラクターの行動が実現したか否かを裁定することでゲームを進行させる。単純化して言えば、コンピュータで遊ぶRPGでの、コンピュータ役をゲームマスターという人間が担当するのがテーブルトークRPGだといえる。 しばしばテーブルトークRPGは「ルールのあるごっこ遊び」と説明されるように、プレイヤー・キャラクターの行う行動を、「何でも言っただけで認める」のではなく、各種のデータとルールに従って判定してその成否を決定する点が「ごっこ遊び」や「[[なりきりチャット]]」とは異なる。判定は、主に6から100面体までの様々な形状の[[サイコロ]](ダイス)を[[擬似乱数|乱数]]発生装置として用いて行われるが、[[トランプ]]など他の手段を用いる場合もある。 プレイヤー達は、ゲームの舞台となる世界において、プレイヤー・キャラクターを演じながら、行動をゲームマスターに対して宣言し、戦闘や謎解きといった課題に挑戦する。これを繰り返しつつ互いに協力または競争しながらストーリーを紡ぎ出し、最終的な目標の達成を目指すことが、ゲームの目的となっている。プレイヤーとは別個の架空人格であるキャラクターを演じることが特徴であることから、「演技ゲーム」という意味の[[ロールプレイングゲーム]]という呼称が'''ゲームの総称'''として使われている<ref>スティーブ・ジャクソン『ガープス・ベーシック 完訳版』[[富士見書房]]、1999年、11頁より ISBN 4-8291-7409-9</ref>。 1回のゲームにかかる時間はゲームマスターが用意する[[シナリオ (TRPG)|シナリオ]]により異なるが、少なくとも3、4時時間を要することが普通である。 === キャラクター、世界設定、ルール === キャラクターや架空世界それ自体を表現するために、様々な世界設定やテイストやルールを持つゲームシステムが数多く発表・発売されている。 ゲームマスターを除く参加者、すなわちプレイヤーは、さまざまな[[種族 (ファンタジー)|種族]]、人格、性質、能力、技術をもったキャラクターを演じる。それらの要素は、ゲームのルールや世界において、重要な指針となるものである。ゲームのシステムは大抵、そのゲームの世界においてどのようなキャラクターを演じることができ、世界の中でどのようなことができるのか、を定めたルールや設定がある<ref>山北篤、スペース・ワン・ゼロ『パワープレイ』[[ホビージャパン]]、1991年、4-9頁 ISBN 4-938461-56-0</ref>。例えば、[[ファンタジー]]世界の設定では、種族には、[[エルフ]]、[[人間]]、[[ドワーフ]]など、[[キャラクタークラス]]には、[[戦闘員|戦士]]、[[僧侶]]、[[シーフ|盗賊]]などがある。これらのルールや設定やデータは、プレイヤーが自分のキャラクターに与えられた役割を果たし、与えられた課題に取り組んで目的を達するための、行動と判断の基盤となるものである。 ミニチュア・ウォーゲームという体裁を取っていた初期のRPGにもストーリー性はあったが{{Sfn|安田|2006|p=5}}、物語性や世界設定を重視する風潮とともに、キャラクターの人格や会話および各世界で展開されるストーリーを重視する[[プレイスタイルの分類|プレイスタイル]]も登場し、それに適したルールシステムも作られるようになった。 ==== 頒布形態 ==== テーブルトークRPGでは、基本となるゲームシステムを集約した「ルールブック」のほか、特定のテーマに沿ったデータのみを集めたデータ集やプレイを補助する小物類などが頒布されることがある。以下に主な種類を挙げる。 ; ボックスタイプ : 厚紙製の箱の中に、冊子型のルールブックやダイス(後述)等プレイに必要な最低限のセット一式が入ったもの。 : 黎明期に発売されたシステムに多く見られる形態だが、箱入りのため容積が大きい、流通経路が玩具系となるため取扱店が限られる、単価が比較的高額である等の理由から、書籍タイプの普及に伴い採用するシステムは減少した(長期展開しているシステムの中には、版上げの際にボックスタイプから書籍タイプへ移行したものもある)。その後、ネット通販によって流通の問題点が緩和されたこともあり、一部の商品にボックスタイプを採用するシステムも見られるようになった。 : ; 書籍タイプ : プレイに必要となる一部の小道具(ダイス等の市販品)はユーザー側が用意し、ルールやデータ等のみを書籍として販売しているもの。 : 書籍の判型によって文庫判、新書判、A4判などの種類がある。またソフトカバーのものとハードカバーのものとがある。中には、袋綴じや切れ込み入りのページでカードや紙製ポーンなどを同梱したものもある。 :; ルールブック ::; 基本ルールブック ::: そのシステムにおいて根幹となるルールを集約した書籍。一般には一冊に纏められているが、『[[ダンジョンズ&ドラゴンズ]]』のように分冊で発売されているものや、プレイに必要な最低限のセット一式に同梱されているものもある。 ::; 拡張ルールブック :::「上級ルールブック」等と称される場合もある。基本セットに収録されたルールをより詳細にしたものや、より複雑な汎用ルールを追加するもの。 ::; エラッタ ::: 英語で「正誤表」の意。公式サイトやサポート誌上に掲載されるほか、ルールブック版上げの際に直接修正されることがある。 :: :; サプリメント ::; ワールドガイド ::: 主に世界設定を解説する書籍。特定の地域や都市の特徴、動植物や周辺地図などが収録される。プレイに必要となる拡張ルールや数値的なデータは、世界設定の解説を補助する程度に留まる。 ::; シナリオ集 ::: 主にプレイヤーに与える課題(シナリオ)を集めた書籍。連続したストーリーを展開できるよう構成されたものも多い。 ::; その他追加データ集 ::: プレイヤーが課題を乗り越える際の障害となる汎用性の高い動植物のデータ集が代表的だが、他にも追加のプレイヤーキャラクター用種族・職業のデータ集や、魔法の存在する世界観で利用できる汎用の魔法データ集、一風変わったところでは『GURPS High-Tech』のような近現代の武器を含む文明の利器のデータ集と言ったものまで存在する。 ::; 追加型サプリメント ::: 「ソースブック」等と称される場合もある。特定のテーマや世界観に沿った拡張ルールやワールドガイド、追加データを収録した書籍。ただし基本ルールは収録されていない。 ::; 独立型サプリメント ::: 特定のテーマや世界観に沿った拡張ルールやワールドガイド、追加データを収録した書籍。追加型サプリメントと異なり、基本ルールが簡易的に収録されているため、これ単体でプレイ可能。 : ; サポートツール : {{See also|テーブルトークRPGの道具}} :; シート類 :: プレイの際には様々なデータを記録する必要があるため、公式があらかじめ専用の記録用紙を用意していることがある。それらの記録用紙はプレイに必要な最低限のセット一式や各ルールブックに公式に収録されている場合、公式サイトやサポート誌上で配布される場合、有志が非公式に作成する場合がある。 ::; キャラクターシート ::: プレイヤーキャラクターのデータを記録する専用の用紙。基本ルールブックに含まれ、通常はデータの記録部分は白紙だが、システムによってはあらかじめデータがある程度書き込まれた「サンプルキャラクター」が用意されていることもある。 ::; マッピングシート ::: プレイヤーキャラクターの現在位置や、目標物や障害物との位置関係などを示すために使われる専用の用紙。白紙のものと、あらかじめ地形等が印刷されたものとがあり、またマス目の入っていないもの、正方形のマス目が入ったもの(スクエア・シート)、六角形のマス目が入ったもの(ヘクス・シート)とがある。 ::; プレイエイド ::: ゲームプレイを円滑化するため予め準備されたガイダンスや記録用紙等のこと。エイドは英語で「助力」「補佐」「援助」等の意。基本となるルールを要約した「ルールサマリー」や、武器や魔法などの膨大なデータから(その回のプレイで使用が許可される)一部を抜粋した一覧表、ゲームの進行管理表などがある。 :::; ルールサマリー :::: 略して単に「サマリー」とも呼ばれる。サマリーは英語で「まとめ」「要約」等の意。基本ルールを簡易的に解説し(多くの場合は1枚の紙に)まとめた用紙で、データの記録欄はない。システムによってサマリーの有無は異なる。サマリーはあくまでサポートツールであり、詳細なデータや例外処理等は未掲載のため、サマリーとは別にルールブックの準備が推奨される。 :::; その他のシート :::: 他にも、ゲームマスター向けに複数の敵キャラクターを管理するためのシートや、シナリオやキャンペーンの進行度をチェックするためのシートなどが用意されているシステムもある。 :: :; 乱数発生器 :: 「ランダマイザ」とも。テーブルトークRPGでは、ある行動に対し成否を決定したり予測不能な事態が起きることを示すため、乱数発生器が用いられる。 ::; カード類 ::: ゲームシステムによってはそのシステムで用いる独自のカードが用意されていることがある。また判定にトランプ等の市販品を使用するシステムでも、オリジナルデザインのものが別途用意されることもある。 ::; ダイス ::: [[サイコロ]]のこと。ゲームシステムによっては、正六面体ではないものを用いることもある。多くのTRPGでは「(用いる個数)D(用いるサイコロの面数)」と表記する(「3D6」は6面サイコロ3個、「D20」は20面サイコロ(1個)の意味となる)。この表記法は「ダイスコード」と呼ばれる。プレイに必要な最低限のセット一式に同梱されている場合と、プレイに際してユーザーが各自で用意しなければならない場合とがある。 ::; その他の乱数発生器 ::: 他にも、コインやアプリなどが用いられるシステムもある。書籍タイプのシステムの中には、ページの隅にダイスの出目が描かれ、ページをランダムに選ぶことでダイスの代用とするものもある。 :: :; マスタースクリーン :: ゲームマスターが、シナリオ情報等をプレイヤーから隠すために用いる携帯型の衝立。公式が専用のものを販売する場合と、手近なもの(バインダー等)で代用する場合がある。公式のものの場合、プレイの際に頻出するデータ表が印刷されているほか、公式イラストが描かれているものもある。 :; マップタイル :: あらかじめ地形等が印刷された(主に正方形、または六角形の)小型のタイル。上述のマッピングシート1マスに相当するタイル1枚を最小単位とし、1マスで1枚のものや、部屋や廊下などまとまった複数マスで1枚を構成するものもあり、複数のタイルを組み合わせてひとつのマップを構成する。タイルを組み替えることで様々な地形に対応する。 :; ポーン :: プレイヤーキャラクターの現在位置や、目標物や障害物との位置関係などを示すために使われる駒。上述のマッピングシートやマップタイルと併用する。イラストが描かれた紙を折り立てたものやプラスチック製フィギュアなどが主だが、手近な小物(消しゴムやコイン等)で代用されることもある。 :; 筆記具 :: 記録用紙や白紙のマッピングシートに書き込むために用いる。基本的にプレイに際してユーザーが各自で用意するものだが、稀にセットに同梱される場合がある。書き込みの修正や消去が頻発するため、鉛筆やホワイトボードマーカーのような「後から書き込みが消せる」タイプの筆記具が推奨される。 :; 計算器具 :: プレイに際して頻繁に数値データを参照するため、必須ではないが計算器具を用いるユーザーもいる。電卓の他に、数値の単純な増減を管理するための「カウンター」や、ダイスを兼ねたアプリ等が用いられることもある。 :: 稀有な例だが、『[[トンネルズ&トロールズ|トンネルズ&トロールズ完全版]]』にはロゴマーク入りのカード電卓が同梱されている。 : ; リプレイ : プレイ風景を文章やイラスト等で記録したもの。詳細は[[#リプレイ本|後述]]。 === コンピューターRPGとの差違 === [[コンピュータRPG]]はテーブルトークRPGより派生したもので、ゲームマスターの役割をコンピュータに肩代わりさせ、1人で遊べるようにしたものであった<ref>伏見健二・広野一光『ウィザードリィⅤのすべて』JICC出版局、1993年、36頁 ISBN 4-7966-0552-5</ref>。当初、コンピュータRPGは『[[ダンジョンズ&ドラゴンズ]]』(以下、『D&D』)に代表される「迷宮・秘境探検と魔物退治のゲーム」を再現するゲームであった。こういったゲームはTRPGの遊び方の中でもボードゲームや[[ウォー・シミュレーションゲーム|ウォーゲーム]]に近いもので、機械的な処理に向いており、コンピュータRPGは高いレベルでこれを再現している。また、この頃はテーブルトークRPG自体、この種の製品や遊び方がほとんどであった。 テーブルトークRPGは、コンピュータRPGにあるような強力な演出とは縁遠いが、早い段階でさまざまなジャンルを可能にしてきた。「迷宮・秘境探検と魔物退治のゲーム」以外にも「恒星間宇宙での冒険」「邪神の復活を阻止する[[ホラーゲーム|ホラー]]もの」「犯罪事件の推理やアクション」などのジャンルは80年代にはすでに誕生している<ref name="名前なし-1">友野詳『バカバカRPGを語る』[[新紀元社]]、2007年、10頁 ISBN 978-4-7753-0541-6</ref>。 コンピュータRPGではプレイヤーはあらかじめプログラムされた行動しかとれないが、テーブルトークRPGでは原則的にはプレイヤーはいかなる行動宣言を行うこともできるため、無限の自由度があるとも言える<ref name=":0" /><ref>遥遠志、蟷螂社『パワープレイでわかるRPG入門』[[ホビージャパン]]、1994年、10-13頁 ISBN 4-89425-050-0</ref>。 == 歴史 == {{出典の明記|date=2017年9月20日|section=1}} {{see also|en:History of role-playing games}} 「ロールプレイングゲーム」という呼称は、[[職業訓練]]や[[精神医学]]の[[臨床]]において行われる[[役割演技|ロールプレイング]]が由来である。また、テーブルトークRPGの元になった、戦争シミュレーションの[[ミニチュアゲーム]]や政治闘争などの[[ボードゲーム]]では、プレイヤーが自分の受け持った軍の将軍・指導者の立場にたって、この将軍・指導者が得られたであろう限定された情報を元に駒を動かす遊び方などのように、プレイヤーが指導者という一個人の視点を通して軍や団体を操る遊び方もロールプレイングと呼ばれていた。「ロールプレイングゲーム」の呼称は最初のテーブルトークRPGが登場した時点ではまだ使われておらず、1970年代後半になってから、先に挙げたボードゲームも含めて各個プレイヤーが一人の個人を担当するゲーム全般の意味で用いられた。 テーブルトークRPGが最初に登場したのは[[1970年代]]前半の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]である。[[ロールプレイングゲーム]]の元祖とされるのは[[1974年]]の『[[ダンジョンズ&ドラゴンズ]]』(以下、『D&D』)である{{Sfn|安田|2006|p=5}}。『D&D』は[[ゲイリー・ガイギャックス]]によってデザインされ、[[TSR (ゲーム出版社)|TSR]]社から発売されたが、これはガイギャックスとジェフ・ペレンが作った[[ミニチュアゲーム|ミニチュア]]・[[ウォーシミュレーションゲーム|ウォーゲーム]]『[[チェインメイル (ゲーム)|チェインメイル]]』([[1971年]]、ガイドン・ゲームズより発売)から発展したものであった(そのため、『チェインメイル』は『D&D』の原型とみなされる<ref>ロブ・ハインソー、アンディ・コリンズ、ジェームズ・ワイアット『ダンジョンズ&ドラゴンズ第4版 基本ルールブック プレイヤーズ・ハンドブック』[[ホビージャパン]]、2008年、7頁 ISBN 4-89425-798-X</ref> )。『D&D』の内容は、[[ドラゴン]]などの[[怪物|魔物]]が住み危険な罠の仕掛けられた[[ダンジョン]](迷宮)の中を、武器を使う戦士、魔法使いなど、異なる能力を持ったキャラクターを組み合わせたグループ([[パーティ]])を組んで探検し、様々な謎(リドル)を解き、ダンジョンの奥に眠る財宝や[[魔法]]の物品を獲得する、というものである。また、1970年代後半にはこのゲームの達成目的や進行方式を継承した[[コンピュータRPG]]も誕生した。なお、『D&D』黎明期には、この作品に対して数々の誤解や非難や陰謀論が飛び交っていた。詳細は「[[ダンジョンズ&ドラゴンズに関する論争]]」の項を参照。 [[安田均]]は、『D&D』は[[ヒロイック・ファンタジー]]、『[[指輪物語]]』、[[マイケル・ムアコック]]の「[[エターナル・チャンピオンシリーズ|エルリック・サーガ]]」といった作品の影響を受けていると指摘している{{Sfn|安田|2006|p=244}}。 [[1970年]]代後半になると、[[サイエンス・フィクション|SF]]、歴史、近現代を舞台にするテーブルトークRPGが登場してくる。また、特定の小説や映画などの世界を再現するものも登場する。 背景世界の多様化により、「ダンジョン探索」や「怪物退治」をゲームの目的にしないものも登場してきた。例えば[[1977年]]に発売された『[[トラベラー (TRPG)|トラベラー]]』は、[[テクノロジー|科学技術]]が発達して自在に[[宇宙旅行]]できるようになった世界を舞台に、さまざまな文明をもった惑星を旅することを目的にしている<ref name="名前なし-1"/>。[[1979年]]に発売された『[[ルーンクエスト]]』はファンタジー世界ながら、[[文化人類学]]を背景にした緻密な[[カルト]](祭祀集団)を設定し、詳細な設定をもった背景世界([[グローランサ]])と物語を提示したことに特徴があった。このゲームではプレイヤーキャラクターが所属するカルトによって全く異なる行動規範が定められており、従来の「プレイヤーキャラクターは同じ目的を持った仲間(パーティー)である」という概念とは異なるプレイスタイルを持っていた。 これらのゲームは「ある役割を課せられた仮想の人物を操演して、司会・審判役を交えて会話で進行するゲーム」という部分では『D&D』と共通するものの、背景世界のみならず達成目的や進行方式が『D&D』とはまったく異なるゲームとなっている。このようなゲームの登場は、テーブルトークRPGの多様性を示すことになった。 また、最初期の『D&D』をはじめ黎明期のゲームは背景世界に緻密な設定をもたなかったが、『トラベラー』や『ルーンクエスト』のような緻密な世界設定を持つゲームの登場により、後のゲームでは「ゲームシステム」と「世界背景・物語」という二分化された制作がなされるようになる。 [[英語圏]]だけの現象であったテーブルトークRPGは、やがて他の言語圏にも紹介され、初めは英語のゲームをそのまま遊ぶという形で伝播していくが、やがて、各言語独自のゲームが作られるようになる。テーブルトークRPGが多く発表されている非英語圏の国として、[[フランス]]、[[イタリア]]、[[ドイツ]]、[[日本]]などがあり、その中からは[[:en:Nephilim (role-playing game)|Nephilim]]のように逆に英語に翻訳されるものも出てきた。 === 日本における歴史 === {{出典の明記|date=2017年9月20日|section=1}} ==== 黎明期 ==== [[日本]]におけるテーブルトークRPGの始まりは、[[1970年代]]後半に求められる。原宿キディランドなどの玩具店や模型店で、日本国外製の原語のTRPGが輸入販売されるようになり、それをプレイする人々が初期のユーザーとなった。元々は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の大学生の遊びから生まれたゲームであるため、ルールは全て[[英語]]で書かれており、それを読めなければゲームを始めることすらできなかった。しかし、彼らは次第にゲームの翻訳・翻案、さらには自作まで行うようになる。 日本ではテーブルトークRPGよりも一足先にボードシミュレーションゲームが紹介されており、[[1980年代]]前半にはファン層も確立され、[[日本語]]のゲームや日本語の専門誌もいくつか出版されていた。{{要出典|date=2017年9月}}『[[タクテクス|TACTICS]]』『[[シミュレイター]]』などの当時のボードシミュレーションゲーム雑誌では、「ボードシミュレーションゲームの兄弟のようなゲーム」として日本国外のRPGならびにその周辺の状況がたびたび紹介されている。1982年5月1日発売の『TACTICS』3号に'''ロールプレイングゲーム『ドンキーコマンド』'''<ref>『TACTICS』3号表紙</ref>が掲載される。『ドンキーコマンド』はコマンド隊員をキャラクターとして作成し、秘密基地に潜入。爆破や奪取任務を行う1人プレイ用のルールであった<ref group="注">ただし、デザイナー本人は掲載誌『TACTICS』3号にて「ロールプレイングゲームと題されているが、そのようになっていない」と断り書きをしている。</ref>。 日本語で書かれたTRPG製品が商業ベースで発売されるようになったのは[[1983年]]で、この年に多摩豊により『[[エンタープライズ (TRPG)|エンタープライズ]]』が[[ツクダホビー]]から発売されている。また、同年にはツクダホビーや[[バンダイ]]から、ロールプレイングゲームの要素を持つボードゲームが日本人のゲームデザイナーにより多数発売された(ツクダホビー『[[クラッシャージョウ]]』、バンダイ『元禄忍者伝』など)。[[1984年]]には日本人作による初の本格的なテーブルトークRPGである『[[ローズ・トゥ・ロード]]』(門倉直人著、[[ツクダホビー]]発売)が発売された。また、同年には日本国外製TRPGの初の日本語翻訳製品となる『[[トラベラー (TRPG)|トラベラー]]』が[[ホビージャパン]]より発売されている。その後、[[1985年]]には『[[クラシック・ダンジョンズ&ドラゴンズ|ダンジョンズ&ドラゴンズ]]』(新和)、[[1986年]]には『[[クトゥルフの呼び声 (TRPG)|クトゥルフの呼び声]]』(ホビージャパン)と、著名な日本国外作品の日本語翻訳版発売の流れが続き、後のブーム(繁盛期)の端緒を開いた。 日本語のTRPG製品が発売されていった[[1980年代]]前半は、コンピュータRPGが日本のパソコンゲームファンに注目されだした時期でもある。『[[ログイン (雑誌)|ログイン]]』『[[ゲーマガ#Beep|Beep]]』などのコンピューターゲーム誌では「『[[ウィザードリィ]]』や『[[ウルティマ]]』の元となったゲーム」として、『[[ダンジョンズ&ドラゴンズ|D&D]]』等の紹介が始まり、コンピュータゲームをきっかけにテーブルトークRPGに興味を持つ、という流れを作り出した。なお、コンピューターゲーム誌では、コンピューターRPGに対しての「ボードRPG」という造語が盛んに用いられていた。 [[1980年代]]後半に入ると、パソコンゲーム雑誌『[[コンプティーク]]』([[角川書店]])誌上に、『D&D』のシステムを用いた『[[ロードス島戦記]]』の[[リプレイ (TRPG)|リプレイ]]が掲載された。その後、リプレイを原案とした小説版『ロードス島戦記』が発表され大きな反響を呼び、漫画や[[OVA]]、パソコン用ゲームなど、いわゆる[[マルチメディア]]展開を見せ、日本におけるテーブルトークRPG普及に一役買うことになる。 ==== ソード・ワールドRPGの成功とテーブルトークRPGブーム到来 ==== [[1989年]]に『[[ソード・ワールドRPG]]』が[[富士見書房]]から発売されると、特に中高生を中心とした低年齢層にも広く普及した<ref>清松みゆき『ソード・ワールドRPG完全版』[[富士見書房]]、1996年、314頁 ISBN 4-8291-7306-8</ref>。 『ソード・ワールドRPG』が大きく普及した理由は、 * 書店で入手しやすい[[文庫本]]の形だったこと(それまでのシステムや[[サプリメント (TRPG)|サプリメント]]などのテーブルトークRPG関連商品の多くは、ボードゲームメーカーによるボックス型のものが多く、価格も3500 - 5000円と高めの商品が主流であった)。 * 『ロードス島戦記』と同じ世界で、違う大陸を扱っていた(出版社、システムは異なる)。 * [[メディアミックス]]展開(雑誌でのリプレイ連載、関連した冒険小説やシナリオの出版、TVゲーム化など)。 * 日本の環境に合ったルール(キャラクターは複数のスキルを持っていて、「魔法も使える戦士」等を容易に表現でき、また、作成したばかりのキャラクターや少人数でのパーティでも冒険ができた)。 などが挙げられる。 こうして、テーブルトークRPGの一大ブームが訪れた。[[角川書店]]、[[富士見書房]]からはRPG関連書籍が数多く出版された。RPGを元にした小説作品である『[[ドラゴンランス]]戦記』(富士見書房より翻訳刊行)や『[[ロードス島戦記]]』(角川書店)は日本のファンタジー小説の裾野を広げた{{Sfn|安田|2006|p=7}}。 ==== 冬の時代の到来から復調まで ==== ところが、こうしたブームは、[[1990年代]]半ばに落ち込んでしまうこととなる。これを俗に、「[[テーブルトークRPG冬の時代|TRPG冬の時代]]」と呼ぶ。停滞していった原因は、ブームに乗じた粗製濫造と作品の質の低下、『[[マジック:ザ・ギャザリング]]』を初めとする[[トレーディングカードゲーム]]の台頭、主要なファン年齢層の就職・進学に伴う離脱などが、よく挙げられている。 [[2001年]]、長らく冬眠状態だった『ソード・ワールドRPG』リプレイの新シリーズがスタートし、翌[[2002年]]には、『[[ナイトウィザード]]』の初版、『[[アルシャード]]』の初版、『[[ダンジョンズ&ドラゴンズ第3版]]』といった、その後も展開が継続していった人気システムが相次いで出版され、本格的に復調傾向を見せ始める。 [[2000年代]]後半以降は、ルールブック、[[サプリメント (TRPG)|サプリメント]]、[[リプレイ (TRPG)|リプレイ]]、アクセサリなどのTRPG関連製品が毎月10点程度は発売されるような状況となり(関連小説や定期刊行物を含めればさらに増える)、回復・安定したとみられる。しかし、TRPGは「冬の時代」を挟んで、他の[[サブカルチャー]]メディアへの露出・連携が弱まったため、この時点では若い世代への広範な普及が見られたかつての状況にまでは至っていなかった。未経験者への普及再拡大が起こるのは2010年代後半の第二次ブーム以降となる。 ==== クトゥルフ神話TRPGの隆盛、動画配信による第二次ブーム ==== 2000年代終盤から2010年代初頭にかけて、[[ニコニコ動画]]などの動画サイトに『[[アイドルマスターシリーズ]]』や『[[東方Project]]』のキャラクターを用いた初心者向け解説動画やリプレイ動画などが投稿されるようになり、中でも2012年頃から『[[クトゥルフの呼び声 (TRPG)|クトゥルフ神話TRPG]]』関連動画の投稿数が急増した。これに伴い『クトゥルフ神話TRPG』基本ルールブックの増版ペースも上がり<ref>https://twitter.com/Howard_P_L/status/192406878138015744</ref>、2015年6月で第20刷となっている<ref>https://twitter.com/LOGiN_TRPG/status/611836848411836416</ref>。『クトゥルフ神話TRPG』関連動画の急増は、2012年4月よりテレビアニメが放送された『[[這いよれ! ニャル子さん]]』の影響と見る向きもある<ref>[http://ascii.jp/elem/000/000/935/935795/index-2.html ニコ動のTRPG動画4万本を大調査! ネットでアナログゲームが復活!?] - ASCII.jp</ref>。 『クトゥルフ神話TRPG』の知名度の増加に伴い、2010年代後半になると既存のキャラクターを使うのではなく、純粋にオリジナルのキャラクターでオリジナルのシナリオをプレイしたリプレイ動画が活性化する。 さらに、動画を見た視聴者がリそこで使われたシナリオを使用して自分たちでもプレイを行い、それをゲーム実況動画の体裁で配信する、という繰り返しが起こるようになり、ゲーム実況界隈から若い世代のテーブルトークRPG参入が加速した。 この要因には、[[オンラインセッション]]に用いられるツールが2010年代後半頃から高度に整備され、SNSアカウントとの連携やスマートフォンからのプレイが行えるようになり、実際のプレイを体験するためのハードルが下がったこともある。 このような経緯から日本において動画サイトに投稿されているテーブルトークRPG動画は『クトゥルフ神話TRPG』を扱うものが主流となっている。2020年頃には『クトゥルフ神話TRPG』は日本国内において最も遊ばれているTRPGだという認識が波及しており<ref>[https://www.gamespark.jp/article/2022/04/17/117837_2.html 「TRPG」「クトゥルフ神話TRPG」「CoC」ってなに?SNSでよく見かける非電源ゲームの基礎知識] - Game*Spark 2022年4月17日記事</ref>、この認識は米国の[[ケイオシアム]]社も共有している<ref>[https://www.gamespark.jp/article/2021/11/14/113538.html 実際の戦争やSFが入り込んだテーブルトップのゲームプレイの進化とは―Steam Digital Tabletop Fest 2021パネルディスカッションレポート] - Game*Spark 2021年11月14日記事より抜粋 ''″Lynne「River of London RPG」では「BRP」ベースを強くし、よりシンプルで初心者になじみやすいものを目指しています。私たちは新規プレイヤーの獲得に滅入っていて、欧米では「D&D」が幅をきかせていますし、日本ではTRPG=「クトゥルフの呼び声」と思われている節があります。″'' </ref>。このことは、『クトゥルフ神話TRPG』の関連動画をきっかけにそれを遊ぶようになった人口が、それ以前までの日本のテーブルトークRPGのコミュニティの規模を上回っていることを示してもいる。 == 日本における制作・販売形態 == {{出典の明記|date=2017年9月|section=1}} 日本においては黎明期より、制作者・企画者が海外製品の翻訳やオリジナル作品の制作を行い、彼らと契約した玩具メーカーや出版社が流通販売を担う、という形態が多くを占める。しかし採算が取れず市場から撤退した玩具メーカーや出版社も少なくない。そのため、同一または同系統のルールブックが別の出版社から販売されたり、絶版作品が権利がらみで販売不可となる事例も少なからず見られる。 === 文庫RPG === 日本独特の出版形態が「文庫(本)型」である。『[[ソード・ワールドRPG]]』や『[[ガープス|GURPS]]』(ガープス)、『[[マギウス|MAGIUS]]』(マギウス)が代表的である。それらをデザインした[[グループSNE]]は、その前に『[[トンネルズ&トロールズ]]』の日本語版を文庫で出版し、[[ゲームブック]]ファン層にテーブルトークRPGをアピールすることに成功している。 [[1990年]]代前半のテーブルトークRPGのブーム期にはビッグネームからマイナー製品まで数多くのタイトルが文庫で次々と発売され、文庫本という形態はテーブルトークRPGのデファクトスタンダードになっていった。[[1990年]]代後半以降の日本では、[[紙の寸法#A列|A4判]]もしくは[[紙の寸法#B列|B5判]]の''[[本|書籍]]タイプ'' の製品が主流を占めることになる(情報量も多いがその分厚くなり、文庫タイプに比べて高価格 という特徴を持つ)。過去にも、大判の書籍タイプのRPGルールブックはあった(『[[パワープレイ (TRPG)|パワープレイ]]』など)。ところが、文庫タイプの代表格『ソード・ワールドRPG』『[[ガープス|GURPS]]』ですら、この時期に『完全版』としてA4判の書籍タイプで出版された(これは日本のみの現象ではなく、アメリカでも一足早く、ボックス型よりも大判の書籍タイプが主流となっていた)。 しかし、[[2004年]]に発売された『[[アリアンロッドRPG]]』は、久しぶりに文庫タイプで出版された。この作品は基本ルールや[[リプレイ (TRPG)|リプレイ]]、入門者向けの[[サプリメント (TRPG)|サプリメント]]は文庫で出版し、追加データなどの記述量が多くなるパワーユーザー向けのサプリメントはB5判書籍で出版するというスタイルをとった。こうした、両方の利点を活かす展開手法は、[[2006年]]発売の『[[アルシャードガイア]]』、[[2008年]]発売の『[[ソード・ワールド2.0]]』、[[2009年]]発売の『[[ダブルクロス|ダブルクロス The 3rd Edition]]』などにも引き継がれている。 === リプレイ本 === 日本のテーブルトークRPG市場において特徴的なものに、「[[リプレイ (TRPG)|リプレイ]]本」といわれる商品の存在がある<ref group="注">『ログ・ホライズンTRPGリプレイ ごちそうキッチンと病の典災』(ISBN 978-4-04-729929-0)、『クトゥルフ神話TRPGリプレイ るるいえあんてぃーく』(ISBN 978-4047262393)等。</ref>。 リプレイとはテーブルトークRPGのプレイ風景を記録したものである。一般的にはプレイヤーキャラクターとゲームマスターの発言の羅列という[[戯曲]]形式で記述される。リプレイは元々は、ゲームのルールをわかりやすく説明するためにルールブックに10数行程度で書かれるものでしかなかった。これは行為判定などが行われている様子を戯曲形式にして抜き出したものにすぎなかったが、日本のテーブルトークRPGの黎明期では全く未知の遊びであったテーブルトークRPGの紹介を行うためにこのリプレイという形式が好んで使われた。[[ウォー・シミュレーションゲーム]]雑誌や[[パソコンゲーム]]雑誌では1回のゲームプレイの最初から最後までを数ページにわたるリプレイとして掲載することで、テーブルトークRPGの実態を紹介していった。さらには、[[コンプティーク]]誌で[[1986年]]に連載された『[[ロードス島戦記]]』など、数回のセッションにわたるキャンペーンプレイを全てリプレイとして掲載するという試みも行なわれた。リプレイが長文化するに従い、書き手は読み手に対して飽きさせないようにする工夫や単なる記録以上の「読み物」が求められるようになり、リプレイの文章には様々な演出や編集が行われるようになった。こうして日本独自の文化が誕生したのである。 リプレイ文化はテーブルトークRPGの黎明期こそゲーム雑誌上の記事でしか見られなかったが、『ロードス島戦記』や『[[ソードワールドRPG]]』が[[メディアミックス]]展開していくのと同時にリプレイも単品の商品として文庫本の形式で売り出されるようになる。その結果、「リプレイ本」はテーブルトークRPGをプレイしていない人の中にも[[ライトノベル]]の一種として受け入れられるようになり、様々なリプレイ本が出版されていくようになっていったのである。ここに至り、ゲームの紹介として始まったリプレイが独立した一個の作品として売り出されるようになった。結果、ゲームはプレイしないがリプレイ本は読んでいるリプレイ読者という層が生み出されるようにもなった。リプレイ本は[[2011年]]現在においてもライトノベルの一つとして出版され続けており、ライトノベル市場において独自の地位を築いている。 === 二次創作 === 日本のテーブルトークRPGの文化として二次創作活動が盛んである。それに伴い[[二次創作]]に関するガイドラインが2021年10月から制定された。 == タイトル一覧 == {{main|テーブルトークRPGのタイトル一覧}} == 日本の業界で著名な人物(五十音順) == <!--20150415 この項目については、TRPG制作またはTRPG雑誌制作についての説明をして、人物については各会社へ一元化出来ればよいかと思います--> === 企画・デザイン === <!--システム・デザインをした人物--> <!--20150415 ゲーム・デザイナーから改題いたしました--> <!--20150415 プロデュース、ワールドデザイン、システムデザイン--> {{Columns-list|18em| * [[井上純弌]] - [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]協力、現[[銀十字社]]設立 * [[遠藤卓司]] - [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属 * [[大貫昌幸]] - [[オーアールジー|ORG]]設立(故人) * [[河嶋陶一朗]] - [[冒険企画局]]所属 * [[門倉直人]] - 元[[遊演体]]所属 * [[菊池たけし]] - [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属 * [[北沢慶]] - [[グループSNE]]所属 * [[清松みゆき]] - [[グループSNE]]所属 * [[久保田悠羅]] - [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属 * [[黒田幸弘]] - [[ミューズソフト株式会社]]代表<!-- コンプティーク誌の連載コラム、およびその単行本の「RPG見聞録」「RPG千夜一夜」を執筆 --> * [[小太刀右京]] - [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]協力 * [[小林正親]] - 元[[遊演体]]所属 * [[小浜智]] - [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属 * [[近藤功司]] - [[冒険企画局]]代表 * [[齋藤高吉]] - [[冒険企画局]]所属 * [[芝村裕吏]] - 元[[アルファ・システム]]所属 * [[鈴木銀一郎]] - [[翔企画]]代表(故人) * [[鈴吹太郎]] - [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]代表 * [[高梨俊一]] * [[高平鳴海]] - 元[[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属 * [[田中公待]] - [[グループSNE]]所属 * [[柘植めぐみ]] - [[グループSNE]]所属 * [[徳岡正肇]] * [[友野詳]] - [[グループSNE]]所属 * [[朱鷺田祐介]] - [[スザク・ゲームズ]]代表 * [[水野良]] - 元[[グループSNE]]所属、現フラッグノーツ所属 * [[藤浪智之]] - 元[[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属 * [[伏見健二]] - 元[[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]、現[[グランペール]]設立 * [[星宮すみれ]] - [[冒険企画局]]所属 * [[安田均]] - [[グループSNE]]代表 * [[柳川房彦]] - 元[[遊演体]]、現[[エルスウェア]]所属 * [[矢野俊策]] - 元[[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属、現[[フラッグノーツ]]設立 * [[山北篤]] - 元[[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属 * [[力造]] - 元[[グループSNE]]所属(故人) * [[和栗あきら]] - 元[[オーアールジー|ORG]]所属 }} === ライター、小説家 === <!--システム・デザインをしていない文筆家--> <!--20150415 この項目は「主に」ライターまたは小説に関わっている人物で良いのでは--> <!--20150415 何故、システムデザインをしているいないが関わるのかわかりません--> {{Columns-list|18em| * [[秋口ぎぐる]] - 元グループSNE所属、現[[コザイク]]設立 * [[秋田みやび]] - [[グループSNE]]所属 * [[池田朝佳]] - [[冒険企画局]]所属 * [[桂令夫]] * [[健部伸明]] - 元F.E.A.R.所属 * [[田中天]] - 元[[Cygames]]所属、現フラッグノーツ所属 * [[多摩豊]] - [[ウォーロック (雑誌)|ウォーロック]]編集長(故人) * [[三田誠]] - 元[[グループSNE]]所属 * [[はせがわみやび]] * [[藤澤さなえ]] - [[グループSNE]]所属 * [[細江ひろみ]] - 元[[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属<!--「RPG福袋'94」収録『学園薔薇ダイス』デザイン--> * [[山本弘 (作家)|山本弘]] - 元[[グループSNE]]所属<!--「TRPGスーパーセッション大饗宴」収録『スーパー少年少女コミカルRPG 元気全開!』デザイン--> }} === イラストレーター === {{Columns-list|18em| <!--システム・デザインをしていないイラストレイター--> <!--20150415 この項目は専属イラストレーターなのでしょうか?--> <!--20150415 将来的にはなくても良い項目かと思います--> * [[合鴨ひろゆき]] - 元[[グループSNE]]所属 * [[井上純弌]] * [[落合なごみ]] - [[冒険企画局]]所属 * [[金澤尚子]] * [[佐々木あかね]] - 元[[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]所属 * [[佐々木亮 (漫画家)|佐々木亮]] * [[鈴木猛]] * [[九月姫]] * [[田中としひさ]] * [[速水螺旋人]] - [[冒険企画局]]協力 * [[みかきみかこ]] }} == 制作・企画会社(五十音順) == {{main|テーブルトークRPGに関係する企業一覧}} * [[ウィザーズ・オブ・ザ・コースト]] * [[エルスウェア]] * [[オーアールジー|ORG]] * [[グループSNE]] * [[翔企画]] * [[サンセットゲームズ]] * [[スザク・ゲームズ]] * [[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ]] (F.E.A.R.) * [[冒険企画局]] * [[遊演体]] == 出版社(五十音順) == 下記は、各社から出版されたTRPG専門誌、サポート誌(休刊・廃刊されたものを含む)。 <!--20150415 休刊・廃刊されたものについてはいつ休刊・廃刊になったかわかるものは注釈を入れては--> <!--20150415 また、現在も出版されているもの、休刊・廃刊されたもので分けては? わかりにくいです--> * [[アークライト (企業)|アークライト]] * [[アスキー (企業)|アスキー]] - [[LOGOUT]] * [[アトリエサード]] - [[TRPG:サプリ]] * [[エンターブレイン]] - [[AGマガジン]] * [[角川書店]] - [[コンプRPG]]、ゲームクエスト * [[ゲーム・フィールド]] - [[ゲーマーズ・フィールド]] * [[国際通信社 (出版社)|国際通信社]] - [[RPGamer]]、[[季刊R・P・G]] * [[サンセットゲームズ]] - [[ローカルペーパー]] * [[ジャイブ]] * [[社会思想社]]([[2002年]]倒産) - [[ウォーロック (雑誌)|ウォーロック]] * [[翔企画]] - [[シミュレイター]]、RPGコミック * [[新紀元社]] - [[Role&Roll]] * [[主婦と生活社]] * [[大日本絵画]] - [[ゲームグラフィックス]] * [[ツクダホビー]] - オペレーション * [[バンダイ]] * [[富士見書房]] - [[RPGドラゴン]] * [[ホビージャパン]] - [[タクテクス]]、[[RPGマガジン]]、[[GAME JAPAN]](旧ゲームぎゃざ) * [[つぎはぎ本舗]]([[パッチワークス]]) - [[つぎはぎたより]] * [[メディアワークス]] - [[電撃アドベンチャーズ]] * [[遊演体]] * [[雷鳴]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2|}} == 参考文献 == *{{Cite journal|和書|author=近藤功司|authorlink=近藤功司|title=ゲームの殿堂:珍味!ロールプレイのゲームブック蒸し(アイルランド風)を召し上がれ|journal=[[ウォーロック (雑誌)|ウォーロック]]|volume=第10号|date=1987-10-01|publisher=[[社会思想社]]|pages=31 - 32|isbn=4-390-80010-8|ref={{SfnRef|近藤|1987}}}} *{{Citation|和書|last=安田 |first=均 |authorlink=安田均 |year=2006 |title=ゲームを斬る |publisher=新紀元社}} *{{Citation|和書|author=友野詳|authorlink=友野詳 |year=2007 |title=バカバカRPGを語る |publisher=新紀元社}} == 関連項目 == * [[テーブルトークRPGの道具]] * [[テーブルトークRPGのタイトル一覧]] * [[テーブルトークRPGのプレイスタイル]] * [[テーブルトークRPG冬の時代]] * [[GNS理論]] * [[コンベンション (TRPG)]] * [[オンラインセッション]] * [[遊☆戯☆王]] - 原作漫画版の初期にTRPGが登場する。 == 外部リンク == {{Sisterlinks|wikt=no|q=no|s=no|n=no|v=no|voy=no|d=Q1643932|species=no}} * [http://www.arclight.co.jp/trpg-rights/ テーブルトークRPGに関する二次創作活動のガイドライン策定について] 二次創作活動の公式ガイドライン {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:てえふるとおくああるひいしい}} [[Category:テーブルトークRPG|*]] [[Category:レトロニム]] [[Category:和製英語]] <!-- [[ca:Joc De Rol]] [[es:Juegos de Rol]] [[id:Role-playing game]] [[lt:Vaidmenų žaidimas]] [[nl:role playing game]] [[pt:RPG (jogo)]] [[tr:Fantasy role-playing]] -->
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庭師
庭師(にわし)とは、庭を造る人のこと。古くは園丁(えんてい)やガーデナーと呼ばれる。庭石、樹木や池、水路から芝などを含めて、庭を一つの造形空間として設計施工、製作する人、またその樹木などの植物の生育を管理し、定期的に剪定したりする管理の仕事もする専門家である。 日本語圏では例えば小川治兵衛のように庭に関する事項全般、施工から手入れなどを行うほか、設計も行うことになるため、庭師が造園家や作庭家と言われる場合がある。しかし重森三玲のような庭園の研究者や官庁に勤める造園技師が名園を作庭する場合も多く、造園家や作庭家はそうした人物らを含めた総称である。 イギリスのランスロット・ブラウンは庭師でもあったが作庭家でもある。英語では「gardener()」と「garden architect()」は異なる。 すでに古代において造園技術は発達し、バビロンの空中庭園やローマのドムス・アエリアやハドリアヌス庭園(ヴィラ・アドリアーナ)など、大規模な庭園が造営されたことが知られている。しかし機械的技芸一般を軽視した古代社会においては、庭を造る者の地位は一般に低かったとされる。オスマン帝国の宮廷庭師は、首切り役人も兼任していたほか、身分の高い者が裁判で死罪の判決が下された際、死刑の判決が出た被告と徒競走を行い、被告がその競争に負けた場合は即刻死刑執行、被告が勝った場合は国外追放といった職務にも従事していた。 トルコではほか16世紀半ばチューリップの交配が盛んになり改良新種が次々と生まれた時代にはチューリップ専門の庭師も誕生しているが、当時のイスラム長官エブスード・エフェンディまでもが「楽園の光」と名づけた新しいチューリップを作っていることがしられている。トルコはまたインドを侵略した際パプリカを持ち帰るが、そうした蔬菜を宮廷庭師に栽培させていたことがハンガリーに伝わる唐辛子にまつわる言い伝えから知られる。 中世ヨーロッパでもスペインなどで造営されたイスラム庭園、特に水を弾きれ、噴水などを駆使したアルハンブラ宮殿やヘネラリフェの庭園は有名であるが、同時代の修道院や宮廷では菜園と庭園の区別はあまり発達せず、むしろ蔬菜園を兼ねた中庭が主流であった。ただしこの時代に関して残されている史料からは宮廷庭師たちが国王や貴族の下で働いていた記録があり、実用的かつ美しさにも配慮した園芸作業に従事していたことがわかっている。フランク王国のカール(シャルルマーニュ)大帝の邸宅庭園に用いられた植物リストにはりんごやセイヨウナシなどの果樹のほか、ユリやバラ、アイリス、セージなどが植えられていたことが記載され、視覚的なことだけでなく芳香植物など香りも重視していたとされる。 宮廷庭師の蔬菜栽培に関する記録はほかにも多く、フランスで13世紀頃に食されていたアスパラガスは貴族の野菜と称されるほど高価なものとされるが、特にルイ14世は宮廷庭師に、一年中食べられるように温室栽培を命じたというし、1593年にイベリア半島を旅行したマクシミリアン2世の宮廷植物学者シャルル・ド・レクリューズがカスティリア(スペイン)で、庭師や主婦までもがカプシクム(唐辛子)を丁寧に栽培していると報告。またイタリアでトマト栽培が裕福層の観賞用としてものから食用に移行するのは、ナポリの宮廷庭師が苗を自分の家に持ち帰り食用にしたからといわれている。宮廷庭師ミヒャエル・ハンフらは16世紀に果樹や野菜を栽培する実用園として造られていたルストガルテンを1647年にブランデンブルク選帝侯のフリードリヒ・ヴィルヘルムの命によりオランダ庭園に改造したことが知られる。17世紀にはジャガイモやトマトなどが観賞用から食糧としての経済的有用性が認められるようになり、イギリスなどは食糧を大量生産するという目的で、それら蔬菜の苗木を植民地で栽培し始める。 ルネサンス期からバロックに入ると水利技術を駆使した庭園が発達し、メディチ荘の建設にコジモ1世が依頼した水利技術者であり建築家そして彫刻家として知られるニッコロ・トリボロのような人物が作庭に当たり、また庭園設計の理論も盛んに著述されるようになっていくが、このことはヨーロッパにおける庭園の発達に大きな変革をもたらし、ヴェルサイユ宮殿に見られる大規模な庭園の造営において、造園家は農芸の専門師という立場から、芸術家としての扱いを受けていき、厚遇されるようになっていく。ラファエロは『美しき女庭師』を描き、モーツァルトの歌劇「偽の女庭師」は1775年1月、ドイツミュンヘンで初演される。アンドレ・ル・ノートルの家はパリにある王室所有のテュイルリー庭園で代々働いていた造園家の家柄として知られるし、ドイツマクデブルクのフリードリッヒ・ウィルヘルムスパルクを手がけたペーター・ヨセフ・レンネも宮廷庭師の家柄出身である。 ジョン・トラデスカント親子はチャールズ1世お抱えの庭師となり、17世紀中ごろから18世紀にかけてヨーロッパ大陸・アルジェリア・アメリカから珍しい植物を採集してくる「プラントハンター」と呼ばれる職能として活躍する。彼らはサクランボ・オレンジ・チューリップなどをイギリスに持ち込んだ。また同じく諸国を回ったロバート・フォーチュンもエジンバラ王立植物園(英語版)で園芸を修め、ロンドン園芸協会の庭師であった。イギリスではほかにハンプトンコートなどの庭師ジョージ・ロンドン(英語版)やヘンリー・ワイズや彼らのもとで働いていたスティーヴン・スウィツァーやアン女王のお抱え庭師ロジャー・ルッカーらが知られる。彼らは庭園の維持管理や修景を担当する王室園芸官として活躍する。 日本では古くは苑池を管理する園池司などの管制や明治の開拓使が園芸師として外国人を雇っていることが知られるが、庭を施工する者の意味での「庭師」という意味と語は江戸時代に定着したものである。 ほかに庭を造る者の呼び名は他に平安時代末期からの「石立僧」、室町時代の善阿弥など「山水河原者」があり、実際に庭を造る人物の身分が呼び名に現れている。 室町以降の枯山水などの試みは広く行われるようになっていくが、これは禅宗の影響を受け雪舟、夢窓疎石のような「石立僧」が台頭していったことがあるが、現在でも深谷光軌、枡野俊明など僧侶が作庭家となるケースはある。 江戸期は回遊式庭園の形式が発達し、時の徳川幕府は作庭責任者の将軍家御庭師とともに御用庭師にあたる御庭掛などを定め、庭園管理に務めさせている。江戸期には、貞観園改修に参画した幕府のお抱え庭師であった九段仁右衛門や藤井友之進、縮景園築造に呼ばれた京都からの庭師清水七郎右衛門、清水園(新発田藩)に関わった幕府お抱え庭師縣宗知、宮良殿内の和風枯山水庭園を作庭した首里の庭師城間親雲上などがいた。駒込村枝郷染井村には江戸城内の庭師もつとめた植木屋伊藤家などがあった。 近代からは植木職人や樹木・園芸種を育てる農家が屋号をもって建設業、造園業や石材業を営むようになっていくが、この中で小川治兵衛の植治など、今日にも残る老舗といわれる植木商や造園業者に発展したものや出入り業で家業を継いで発展したものが多く、また戦前ごろから大学卒の学士などが修行し独立するケースもみられていく。近代期では、大河内山荘を築造した広瀬利兵衛、殿ヶ谷戸庭園を築造した仙石、自らの手で合浦公園造成を開始した旧弘前藩庭師の水原衛作、迎賓館を築造した佐野藤右衛門、岩城亘太郎、柴又帝釈天邃渓園を築造した向島の庭師永井楽山などがいる。 現在では幾多の名園は企業や公共団体が管理するものが主流を占め、中根金作のように京都府など自治体の技師や文化庁や環境省など国の技官として任用されるケースもある。
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庭師(にわし)とは、庭を造る人のこと。古くは園丁(えんてい)やガーデナーと呼ばれる。庭石、樹木や池、水路から芝などを含めて、庭を一つの造形空間として設計施工、製作する人、またその樹木などの植物の生育を管理し、定期的に剪定したりする管理の仕事もする専門家である。
{{No footnotes|date=2017年10月}} [[File:Parterre2.jpg|thumb|275px|[[イギリス式庭園]]の花壇の一部]] [[File:gardening.jpg|thumb|180px|庭師]] [[File:Royal Gardener John Rose and King Charles II - Hendrick Danckerts 1675.jpeg|thumb|180px|王室庭師 John Rose と国王 Charles II(Hendrick Danckerts 作、1675年)]] '''庭師'''(にわし)とは、[[庭]]を造る人のこと。古くは'''園丁'''(えんてい)や'''ガーデナー'''<ref>{{lang-en-short|gardener}} に由来する。</ref>と呼ばれる。庭石、樹木や池、水路から芝などを含めて、庭を一つの造形空間として設計施工、製作する人、またその樹木などの植物の生育を管理し、定期的に剪定したりする管理の仕事もする専門家である。 == 庭師と造園家 == 日本語圏では例えば[[小川治兵衛]]のように庭に関する事項全般、施工から手入れなどを行うほか、設計も行うことになるため、庭師が[[造園家]]や[[作庭家]]と言われる場合がある。しかし[[重森三玲]]のような庭園の研究者や官庁に勤める造園技師が名園を作庭する場合も多く、造園家や作庭家はそうした人物らを含めた総称である。 イギリスの[[ランスロット・ブラウン]]は庭師でもあったが作庭家でもある。英語では「{{読み仮名|{{lang|en|gardener}}|ガーデナー}}」と「{{読み仮名|{{lang|en|garden architect}}|ガーデン・アーキテクト}}」は異なる。 == 概要 == すでに古代において[[造園]]技術は発達し、[[バビロンの空中庭園]]やローマのドムス・アエリアやハドリアヌス庭園([[ヴィッラ・アドリアーナ (ティヴォリ)|ヴィラ・アドリアーナ]])など、大規模な[[庭園]]が造営されたことが知られている。しかし機械的技芸一般を軽視した古代社会においては、庭を造る者の地位は一般に低かったとされる。[[オスマン帝国]]の[[宮廷庭師]]は、[[首切り役人]]も兼任していたほか、身分の高い者が裁判で死罪の判決が下された際、死刑の判決が出た被告と[[徒競走]]を行い、被告がその競争に負けた場合は即刻死刑執行、被告が勝った場合は[[国外追放]]といった職務にも従事していた。 [[トルコ]]ではほか16世紀半ば[[チューリップ]]の交配が盛んになり改良新種が次々と生まれた時代にはチューリップ専門の庭師も誕生しているが、当時のイスラム長官エブスード・エフェンディまでもが「楽園の光」と名づけた新しいチューリップを作っていることがしられている。トルコはまた[[インド]]を侵略した際[[パプリカ]]を持ち帰るが、そうした[[蔬菜]]を宮廷庭師に栽培させていたことが[[ハンガリー]]に伝わる[[唐辛子]]にまつわる言い伝えから知られる。 [[中世]][[ヨーロッパ]]でも[[スペイン]]などで造営された[[イスラム庭園]]、特に水を弾きれ、噴水などを駆使した[[アルハンブラ宮殿]]や[[ヘネラリフェ]]の庭園は有名であるが、同時代の[[修道院]]や宮廷では菜園と庭園の区別はあまり発達せず、むしろ蔬菜園を兼ねた[[中庭]]が主流であった。ただしこの時代に関して残されている史料からは宮廷庭師たちが国王や貴族の下で働いていた記録があり、実用的かつ美しさにも配慮した園芸作業に従事していたことがわかっている。[[フランク王国]]のカール(シャルルマーニュ)大帝の邸宅庭園に用いられた植物リストには[[リンゴ|りんご]]や[[セイヨウナシ]]などの果樹のほか、[[ユリ]]や[[バラ]]、[[アヤメ|アイリス]]、[[セージ]]などが植えられていたことが記載され、視覚的なことだけでなく[[芳香植物]]など香りも重視していたとされる。 宮廷庭師の蔬菜栽培に関する記録はほかにも多く、[[フランス]]で[[13世紀]]頃に食されていた[[アスパラガス]]は貴族の[[野菜]]と称されるほど高価なものとされるが、特に[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]は宮廷庭師に、一年中食べられるように[[温室栽培]]を命じたというし、1593年に[[イベリア半島]]を旅行した[[マクシミリアン2世 (神聖ローマ皇帝)|マクシミリアン2世]]の宮廷[[植物学者]][[カロルス・クルシウス|シャルル・ド・レクリューズ]]が[[カスティリア]](スペイン)で、庭師や主婦までもがカプシクム(唐辛子)を丁寧に栽培していると報告。また[[イタリア]]で[[トマト]]栽培が裕福層の観賞用としてものから食用に移行するのは、[[ナポリ]]の宮廷庭師が苗を自分の家に持ち帰り食用にしたからといわれている。宮廷庭師ミヒャエル・ハンフらは16世紀に果樹や野菜を栽培する実用園として造られていたルストガルテンを1647年に[[ブランデンブルク選帝侯]]の[[フリードリヒ・ヴィルヘルム (ブランデンブルク選帝侯)|フリードリヒ・ヴィルヘルム]]の命によりオランダ庭園に改造したことが知られる。17世紀には[[ジャガイモ]]やトマトなどが観賞用から食糧としての経済的有用性が認められるようになり、イギリスなどは食糧を大量生産するという目的で、それら蔬菜の苗木を植民地で栽培し始める。 [[ルネサンス]]期から[[バロック]]に入ると水利技術を駆使した庭園が発達し、[[ヴィラ・メディチ|メディチ荘]]の建設に[[コジモ1世]]が依頼した水利技術者であり[[建築家]]そして[[彫刻家]]として知られるニッコロ・トリボロのような人物が作庭に当たり、また庭園設計の理論も盛んに著述されるようになっていくが、このことはヨーロッパにおける庭園の発達に大きな変革をもたらし、[[ヴェルサイユ宮殿]]に見られる大規模な庭園の造営において、造園家は農芸の専門師という立場から、[[芸術家]]としての扱いを受けていき、厚遇されるようになっていく。[[ラファエロ・サンティ|ラファエロ]]は『[[美しき女庭師]]』を描き、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の[[歌劇]]「[[偽の女庭師]]」は1775年1月、ドイツ[[ミュンヘン]]で初演される。[[アンドレ・ル・ノートル]]の家はパリにある王室所有の[[テュイルリー庭園]]で代々働いていた造園家の家柄として知られるし、[[ドイツ]][[マクデブルク]]のフリードリッヒ・ウィルヘルムスパルクを手がけた[[ペーター・ヨセフ・レンネ]]も宮廷庭師の家柄出身である。 ジョン・トラデスカント親子は[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]お抱えの庭師となり、17世紀中ごろから18世紀にかけてヨーロッパ大陸・アルジェリア・アメリカから珍しい植物を採集してくる「[[プラントハンター]]」と呼ばれる職能として活躍する。彼らはサクランボ・オレンジ・チューリップなどをイギリスに持ち込んだ。また同じく諸国を回ったロバート・フォーチュンも{{仮リンク|エジンバラ王立植物園|en|Royal Botanic Garden Edinburgh}}で園芸を修め、[[ロンドン園芸協会]]の庭師であった。イギリスではほかに[[ハンプトンコート]]などの庭師{{仮リンク|ジョージ・ロンドン (庭師)|label=ジョージ・ロンドン|en|George London (landscape architect)}}や[[ヘンリー・ワイズ (庭師)|ヘンリー・ワイズ]]や彼らのもとで働いていた[[スティーヴン・スウィツァー]]や[[アン (イギリス女王)|アン女王]]のお抱え庭師ロジャー・ルッカーらが知られる。彼らは庭園の維持管理や修景を担当する王室園芸官として活躍する。 日本では古くは苑池を管理する[[園池司]]などの管制や明治の開拓使が園芸師として外国人を雇っていることが知られるが、庭を施工する者の意味での「庭師」という意味と語は江戸時代に定着したものである。 ほかに庭を造る者の呼び名は他に平安時代末期からの「石立僧」、室町時代の[[善阿弥]]など「山水河原者」があり、実際に庭を造る人物の身分が呼び名に現れている。 室町以降の[[枯山水]]などの試みは広く行われるようになっていくが、これは[[禅宗]]の影響を受け[[雪舟]]、[[夢窓疎石]]のような「石立僧」が台頭していったことがあるが、現在でも[[深谷光軌]]、[[枡野俊明]]など僧侶が[[作庭家]]となるケースはある。 江戸期は[[回遊式庭園]]の形式が発達し、時の[[徳川幕府]]は作庭責任者の将軍家御庭師とともに御用庭師にあたる御庭掛などを定め、庭園管理に務めさせている。江戸期には、[[貞観園]]改修に参画した幕府のお抱え庭師であった九段仁右衛門や藤井友之進、[[縮景園]]築造に呼ばれた京都からの庭師[[清水七郎右衛門]]、[[清水園]]([[新発田藩]])に関わった幕府お抱え庭師[[縣宗知]]、[[宮良殿内]]の和風[[枯山水庭園]]を作庭した[[首里]]の庭師城間親雲上などがいた。[[駒込村]]枝郷[[染井村]]には江戸城内の庭師もつとめた植木屋伊藤家などがあった。 近代からは植木職人や樹木・[[園芸種]]を育てる農家が[[屋号]]をもって[[建設業]]、[[造園業]]や石材業を営むようになっていくが、この中で小川治兵衛の植治など、今日にも残る[[老舗]]といわれる植木商や造園業者に発展したものや出入り業で家業を継いで発展したものが多く、また戦前ごろから大学卒の[[学士]]などが修行し独立するケースもみられていく。近代期では、[[大河内山荘]]を築造した広瀬利兵衛、[[殿ヶ谷戸庭園]]を築造した[[仙石]]、自らの手で[[合浦公園]]造成を開始した旧弘前藩庭師の水原衛作、[[迎賓館]]を築造した[[佐野藤右衛門]]、<!--[[服部敬雄]]邸庭園なども手がけた-->[[岩城亘太郎]]、[[柴又帝釈天]]邃渓園を築造した向島の庭師永井楽山などがいる。 現在では幾多の名園は企業や公共団体が管理するものが主流を占め、[[中根金作]]のように[[京都府]]など[[地方公共団体|自治体]]の[[技師]]や[[文化庁]]や[[環境省]]など国の[[技官]]として任用されるケースもある。 == 関連項目 == *[[職人]] *[[造園技能士]] *[[作庭家]] **[[ガーデンデザイナー]] *[[サイトスペシフィック・アート]] - 造園または'''庭師'''的な仕事 *[[トピアリー]] - [[奴隷]]の庭師が生垣に主人と自分のイニシャルを刈り込んだのが最初とされる *[[リマのローザ]] - [[刺繍]]と庭師の守護聖人 *[[職藝学院]] - 大工と庭師の[[専門学校]]。[[富山県]][[富山市]] *[[バンベルク]] - 「庭師と農民の博物館」がある都市 *[[河原者]] *[[業界用語]] - 「カテキョ」は庭師 *[[修道院長]] - [[フランシスコ会]]では庭師を意味する「クストス」 *[[エレファンク庭]] - エレファンク庭のファンの総称が「庭師」 === 人物 === *[[ロベルト・プロシネチキ]] - 庭師の足を持つ男と呼ばれた *[[ドナルド・E・ウェストレイク]] - 妻は庭師としても有名 *[[メフメト2世]] - 専門は庭師であったとされる *[[フリオ・クルス]] - 愛称=庭師(ハルディネーロ) *[[村雨辰剛]] - スウェーデンから日本へ帰化した庭師 ==== 庭師でもあった人物 ==== *[[ウィリアム・ブラウン (バウンティ号)]] - [[バウンティ (帆船)]]号の乗組員の庭師 *[[ウィリアム・ロビンソン (造園家)]] - [[ダブリン]]で庭師として修行経験をもつ *[[岡田憲久]] - 京都で庭師として[[修業]]も *[[ルイス・ベーマー]] - 高校卒業後、宮廷庭師の下で修業 *[[ヴァルター・シュタイナー]] - 妻とともに[[スウェーデン]]の[[ファルン]]に移り住み、庭師として働いている *[[ニカウ]] - 実際は庭師 *[[グフタフ・マイヤー]] - もとはプロイセン宮廷の庭師 *[[ドン・トンプソン]] - 庭師も兼業 *[[クラーク・アシュトン・スミス]] - 庭師として働きながら絵や彫刻にいそしみ、詩や小説の執筆 *[[愛新覚羅溥儀]] - のちに北京[[植物園]]で庭師 *[[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン]] - 晩年庭師に *[[ジェームズ・スターレー]] - 当初庭師をしていた *[[ハンス・ヘルムート・キルスト]] - 一時期庭師を *[[諫山修身]]([[日本ナザレン教団]]) - [[ロサンゼルス]]で庭師として働いていた *[[ラッキー・デューベ]] - 南アフリカ共和国の歌手 *[[ジョゼフ・モニエ]] - 庭師として植木鉢の改良に取り組んだ事から[[鉄筋コンクリート]]を開発する。 ==== 家業(親)が庭師の人物 ==== *[[シクストゥス5世 (ローマ教皇)]] - 父は庭師 *[[メルヒオール・バウアー]] - 父親は庭師、自身も造園を学んでいる *[[ヘンリ・フリッツクロフト]] - 父は[[ハンプトン・コート]]で働く庭師 *[[フリードリッヒ・ルードヴィッヒ・フォン・シュケル]] - 祖父以来宮廷庭師の家柄 *[[アンドレ・ル・ノートル]] - 代々宮廷庭師の家柄 *[[サチェル・ペイジ]] - 父は庭師 *[[ペーター・シュミット]] - 庭師の子として生まれる *[[ジミ・ヘンドリックス]] - 父アルは庭師 *[[ハインリヒ・ミュラー]] - 父アロイスは、衛生部隊の曹長として従軍経験のある庭師 *[[サルゴン (アッカド王)]] - [[キシュ]]王に仕えた庭師ラーイブムに拾われて育ったとされる *[[ジョン・ポール・ジョーンズ (軍人)]] - 実家はアービグラッドで庭師を営む ==== 庭師に関係する作品をもつ作家 ==== *[[マックス・エルンスト]] - 『美しき女庭師の帰還』を1967年に発表 *[[ラファエロ・サンティ]] - 代表作に、『[[美しき女庭師]]』(1507年) *[[A・J・クローニン]] - スペインの庭師<ref>{{lang-en-short|The Spanish Gardener}}</ref>(1950年) *[[ギュスターヴ・カイユボット]] - 庭師たち<ref>{{lang-fr-short|Les Jardiniers}}</ref>(1875-1877) *[[シルヴィーとブルー]] - 詩「気違い庭師の歌」 *[[ジャック・イベール]] - サモス島の庭師<ref>{{lang-fr-short|Le jardinier de Samos}}</ref>(1932初演) === 庭師関連の作品・架空の庭師 === *[[庭師サッちゃん]] *[[画家と庭師とカンパーニュ]] *[[サムワイズ・ギャムジー]]/[[ハムファスト・ギャムジー]] *[[ジョン・ローランド]] *[[京都の女庭師風水探偵さくら子]]シリーズ *[[チャンス (1979年の映画)]] - 名前をチョーンシー・ガーディナーと聞き間違え、誤って大統領顧問、候補になる *[[マイケル・K]] *[[なでしこ (グリム童話)]] *[[人間腸詰]] *[[ファゴットとチェロのためのソナタ (モーツァルト)]]/[[ピアノソナタ第6番 (モーツァルト)]] - [[オペラ]]『偽の女庭師』(偽の花作り女)の初演のために作成 [[モーツァルトの楽曲一覧]] *[[庭師 ただそこにいるだけの人]](原題:Being There) *庭師の娘 - [[プーランクの楽曲一覧]] *[[枯山水 (ボードゲーム)]] *[[ロード・オブ・ザ・リング (2001年の映画)|ロード・オブ・ザ・リング]] - ホビットの使用人と仲間フロドバギンズ 、リングベアラー *[[トムとバーバラのグッド・グッド・ライフ]] (1975年TVシリーズ) - なろうとする中産階級の英カップル。自給自足で自分の庭をもつ *[[不思議の国のアリス]] - 白いウサギの庭師パット *[[ローゼンメイデン]] - マンガやアニメ。蒼星石と翠星石は 、植物、人間の魂の木だけでなく、それらの能力についての庭師と呼ばれる *銀河の首都([[アイザック・アシモフ]]の[[ファウンデーションシリーズ]])- 巨大な帝国に複雑で豪華なオフィスと高い役人と"彼の下で男性と女性の軍隊とともに皇居の主任庭師は重要人物として登場 *[[ハリー・ポッター]]シリーズ - 複数の庭師、植物学者などが登場する **ポモナスプラウト - ハーブの研究の先生 **ハーバート・ビアリー - 元のハーブの研究の先生 **フランク・ブライス - なぞなぞ庭師 **ミランダオオタカ(フィルム)とフィリーダ胞子 **ハドリアヌスホイットル - 現実のガーデンデザイナーにちなんで名付けられている == 脚注 == <references /> == 参考文献 == *世界一の庭師の仕事術 WAVE出版 石原和幸 2009年 ISBN 9784872903966 *名人庭師 剪定・整姿の知恵袋 講談社プラスアルファ新書 吉村 隆一 *平野泰弘 編著「名人庭師とっておきの知恵袋」講談社 *スペインの庭師 A.J.クローニン 三笠書房 竹内道之助 1957 {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:にわし}} [[Category:園芸家とガーデナー|*にわし]] [[Category:庭園]] [[Category:職業]]
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小堀政一
小堀 政一(こぼり まさかず)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家、書家。 2代備中国代官で備中松山城主、のち近江国小室藩初代藩主。伏見奉行、上方郡代と江戸幕府成立期の京都伏見にて、畿内近国支配に重要な役目を果たした。官位は従五位下遠江守。遠州流の祖。 一般には小堀遠州(こぼり えんしゅう)の名で知られるが、「遠州」は武家官位の受領名の遠江守に由来する通称で後年の名乗り。道号に大有宗甫、庵号に孤篷庵がある。 小堀氏の本姓は藤原氏で、光道の代に近江国坂田郡小堀村(現・滋賀県長浜市)に居住して村名を姓として名乗った。光道から6代の後の小堀正次は、縁戚であった浅井氏に仕えていたが、天正元年(1573年)の浅井氏滅亡後は羽柴秀吉の弟・秀長の家臣となった。 天正7年(1579年)、小堀正次の長男として誕生。母は磯野員昌娘。幼名は作助、元服後は、正一、政一と改める。 天正13年(1585年)、豊臣秀長が大和郡山城に移封されると、父・正次は家老となり、政一も共に大和郡山に移った。 この頃、秀長は山上宗二を招いたり、千利休に師事するなどし、大和郡山は京・堺・南都(奈良)と並んで茶の湯の盛んな土地となっていた。小姓だった政一は、秀吉への給仕を務め、利休や黒田如水、長政父子とも出会い、長い親交を深めていった。また、父の勧めもあって大徳寺の春屋宗園に参禅した。 秀長の死後を嗣いだ秀保もまもなく死去したため、文禄4年(1595年)に秀吉直参となって伏見に移ることになった。ここで政一は古田織部に茶の湯を学ぶことになる。 慶長3年(1598年)、秀吉が死去すると、正次・政一は徳川家康に仕えた。 慶長4年(1599年)3月6日には、古田織部に従い、金森可重、石川貞通などの武士、津田宗凡などの堺・京の町衆たち30人とともに吉野で花見を催した。その時、織部は荷(にない)茶屋に「利休妄魂」の額を掲げた。 父・正次は関ヶ原の戦いでの功により備中松山城を賜り、慶長9年(1604年)の父の死後、政一はその遺領1万2,460石を継いだ。浅井郡小峰邑主。 慶長13年(1608年)には駿府城普請奉行となり、修築の功により、慶長14年(1609年)、従五位下 遠江守に叙任された。以後この官名により、小堀遠州と呼ばれるようになる。 居所としては、正次の頃から伏見城下の六地蔵西町に屋敷があったが、越後突抜町(三条)にも後陽成院御所造営に際して藤堂高虎から譲られた屋敷があった。また元和3年(1617年)に河内国奉行を兼任となり、大坂天満南木幡町に役宅を与えられた。 元和5年9月(1619年10月)、近江小室藩に移封され、さらに元和8年8月(1622年9月)に近江国奉行に任ぜられる。 元和9年12月(1624年1月)、伏見奉行に任ぜられる。寛永9年(1632年)、伏見城南方清水谷にあった奉行所と六地蔵西町の自邸を、伏見城西方常磐町の富田信濃守屋敷跡に移転新築する。 寛永11年(1634年)、畿内近国八か国を総監する上方郡代に任ぜられる。 晩年になり真偽は不明であるが公金1万両を流用したとする嫌疑がかかった。しかし、酒井忠勝・井伊直孝・細川三斎(忠興)らの口添えにより不問とされた。 その後も伏見奉行を務めながら、3つの茶室「松翠亭」「転合庵」「成趣庵」や、数奇屋「松翠亭」、伏見城の礎石などを利用した庭園を擁する伏見奉行屋敷にて茶の湯三昧に過ごし、正保4年2月6日(1647年3月12日)69歳で死去した。 なお、子孫の政方は松平定信により天明8年(1788年)に改易の憂き目に逢い、大名家としての小堀家は断絶することになったが、文政11年(1828年)に正優が300俵を与えられ、御家人として再興を許された。 政一の公儀作事に関する主な業績としては備中松山城の再建、駿府城修築、名古屋城天守、後陽成院御所造営等の宮中や幕府関係の作事奉行が挙げられる。 宮中造営の業績のほかに品川東海寺(徳川家の菩提寺兼別荘)、将軍上洛の際の休泊所である水口御殿(滋賀県甲賀市水口町水口)、永原御殿(滋賀県野洲市永原)、伊庭御殿(滋賀県東近江市伊庭町)、柏原御殿(滋賀県米原市柏原)、大坂城内御茶屋などが知られている。また京都の寺では将軍の側近・以心崇伝の住坊である南禅寺塔頭金地院内東照宮や御祈祷殿(方丈)側の富貴の間、茶室および庭園、同寺本坊の方丈庭園など準公儀の作事に参画しているが、政一の書状の文面から推察できるように、彼は江戸にある幕府からの愛顧を気にしていた関係から公儀の作事(幕府の対皇室政策)以外は公家への出入りは極力避けていた。師・古田織部のような非業の死を避けるためとも思われる。 政一が奉行として参画したと思われる遺構は建築としては妙心寺塔頭麟祥院の春日局霊屋(慶長年間、うち溜りを移建)、氷室神社拝殿(慶長年間、内裏池亭を移建)、大覚寺宸殿(慶長年間の内裏の元和期増造の際に中宮宸殿となる)、金地院東照宮、同茶室(重文)、同方丈南庭(鶴亀庭)、南禅寺本坊方丈南庭、大徳寺塔頭龍光院の密庵席(国宝)、孤篷庵表門前の石橋、同前庭、同忘筌席露地(建築は寛政年間に焼失後、旧様式を踏襲して復元された)、仙洞御所南池庭のいで島およびその東護岸の石積み部分などである。京都の金工師で加賀藩前田家の家臣の後藤覚乗の茶室擁翠亭は、「十三窓席」といわれた多窓茶室である。また札幌市にある草庵茶室八窓庵(旧舎那院忘筌、重文)、加賀大聖寺藩の長流亭も手がけていると言われる。 庭園の作風については政一は師である織部の作風を受け継ぎ発展させたとされるが、特徴は庭園に直線を導入したことである。屏風画に残る御所で実施した築地の庭(後には改修される)や桂離宮の輿寄の「真の飛石」が小堀好みと伝えられた所以とされるが、種々な形の切石を組み合わせた大きな畳石と正方形の切石を配置した空間構成は以前には見られないもので、特に松琴亭前の反りのない石橋は圧巻である。また樹木を大胆に刈り込み花壇を多く用い、芝生の庭園を作るなどの工夫は西洋の影響が指摘される。 政一の茶の湯は現在では「きれいさび」と称され、遠州流として続いている。政一は和歌や藤原定家の書を学び、王朝文化の美意識を茶の湯に取り入れた。 また、秀吉の時代以前に名物とされた茶道具の多くが秘蔵の品として入手困難となっていたため、新たにこれはという茶道具に銘をつけて宣伝し、名物として認知されるようにしていった。その際、彼は和歌や歌枕の地名、伊勢物語や源氏物語といった古典から取った銘を用い、同じようなデザインのものを「○○手」として類型化した上で特定の固体を「本歌」とし、同じ手のものには本歌にちなんだ銘を与えることで、茶道具のデザインを系統立てて把握できるような仕組みを考案した。 こうして小堀が有名にした茶道具群は、後世中興名物と呼ばれることとなり、所持した道具目録は遠州蔵帳といわれた。 茶室においては、織部のものより窓を増やして明るくした13の窓を持つ茶室「擁翠亭」がある。これは前田利常に依頼されて設計したものである。政一は生涯で約400回茶会を開き、招いた客は延べ2,000人に及ぶと言われる。彼の著名な門下としては松花堂昭乗、沢庵宗彭、武士には松平正信、加賀爪直澄、前田光高、神尾元勝などがいる。 小堀遠州がもたらした美意識は華道の世界にも反映され、それがひとつの流儀として確立、江戸時代の後期に特に栄えた。遠州の茶の流れを汲む春秋軒一葉は挿花の「天地人の三才」を確立し、茶の花から独自の花形へと展開していった。 その流儀は、正風流・日本橋流・浅草流の三大流派によってその規矩が確立された。時代が下って、昭和の初期にかけては既成の流派から独立した家元や宗家が多く生まれ、明治の末期をピークとして遠州の名を冠した流派は大幅に増えることになった。 これらの流派は一般に、花枝に大胆で大袈裟な曲をつける手法という共通した特徴がある。華道でこうした曲生けは、技術的に習得するのが至難な技法として知られている。 小堀遠州は、茶室などの空間設計の一環に七宝細工による色彩や装飾を本格的に取り入れた(伝承上の)最初の人物である。遠州は、豊臣秀吉に仕えていた金工師の嘉長を登用し、戸袋や襖の引き手など七宝細工の製作にあたらせたと伝えられている。嘉長は伊予(現在の愛媛県)松山の生まれの金工で、京都の堀川油小路に住んでいた。 桂離宮の松琴亭の二の間戸袋の巻貝形七宝引手は遠州の指導により意匠をさずけられた嘉長の作という。 京都の桂離宮、曼殊院、修学院離宮、大徳寺などの七宝引手や釘隠しは、今でも建屋の中で使われている状態を見ることができる。千利休や古田織部好みの茶室などと比較すると、七宝による装飾は遠州好みの書院風の空間によくなじむ。 なお、小堀家の家紋「花輪違紋」は「七宝花菱」とも呼ばれているが、これは、輪違い連続文様における一つの輪が四方へと無限に広がる様子、「四方」が「七宝」に転じたものという説や、「花輪違」は四個の輪からできており「四方襷(しほうたすき)」あるいは「十方」などとも呼ばれたことから、「十方」がなまって「七宝」に転じたという説がある。 ところで、七宝細工を意味する「七宝瑠璃」という語は、室町時代、足利義政が将軍の頃から使われているが、七宝瑠璃と七宝紋の関係については不明である。遠州以前の室町時代、利休の茶の湯の隆盛の下では、華麗な色彩が身上の七宝器は茶人の受け入れるところではなかったという。豊かな色彩や装飾性が一般に受け入れられるようになったのは、遠州や琳派の時代(桃山時代以降)を迎えてからのことであった。
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小堀 政一は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家、書家。 2代備中国代官で備中松山城主、のち近江国小室藩初代藩主。伏見奉行、上方郡代と江戸幕府成立期の京都伏見にて、畿内近国支配に重要な役目を果たした。官位は従五位下遠江守。遠州流の祖。 一般には小堀遠州の名で知られるが、「遠州」は武家官位の受領名の遠江守に由来する通称で後年の名乗り。道号に大有宗甫、庵号に孤篷庵がある。
{{基礎情報 武士 | 氏名 = 小堀 政一 / 小堀 遠州 | 画像 = Kobori Enshū.jpg | 画像サイズ = 200px | 画像説明 = [[頼久寺]]所蔵『小堀遠州像』 | 時代 = [[安土桃山時代]] - [[江戸時代]]前期 | 生誕 = [[天正]]7年([[1579年]]) | 死没 = [[正保]]4年[[2月6日 (旧暦)|2月6日]]([[1647年]][[3月12日]]) | 改名 = 作助(幼名)、正一、政一 | 別名 = '''小堀遠州'''([[仮名 (通称)|通称]]) | 諡号 = | 神号 = | 戒名 = 孤篷庵大有宗甫 | 霊名 = | 墓所 = [[東京都]][[練馬区]]の[[広徳寺 (練馬区)|広徳寺]]<br/>[[京都府]][[京都市]]の[[大徳寺]][[孤篷庵]]<br/>京都府京都市の[[仏国寺 (京都市)|仏国寺]] | 官位 = [[従五位|従五位下]][[遠江国#江戸時代|遠江守]] | 幕府 = [[江戸幕府]] [[備中国|備中]]代官、[[駿府城]][[普請奉行]]、[[河内国]]奉行、[[近江国]]奉行、[[伏見奉行]]、[[上方郡代]] | 主君 = [[豊臣秀長]]、[[豊臣秀保|秀保]]、[[豊臣秀吉|秀吉]]、[[徳川家康]]、[[徳川秀忠|秀忠]]、[[徳川家光|家光]] | 藩 = [[備中国|備中]][[代官]]([[松山城 (備中国)|備中松山城]]主)、[[近江国|近江]][[近江小室藩|小室藩]]主 | 氏族 = [[小堀氏]] | 父母 = [[小堀正次]]、[[磯野員昌]]娘 | 兄弟 = '''政一'''、[[小堀正行|正行]]、[[小堀正長|正長]]、[[小堀正春|正春]]、[[小堀宗栄|宗栄]]、<br/>伊東某室、田中某室 | 妻 = '''[[藤堂高虎]]養女'''、[[三沢局]] | 子 = [[小堀正之|正之]]、[[小堀政尹|政尹]]、[[小堀政季|政孝]]、[[小堀政貞|政貞]]、[[多羅尾光忠]]、<br/>[[平岡頼資]]正室、[[池田重政]]正室、平井某室、下間某室、[[小堀正憲]]室ら | 特記事項 = }} '''小堀 政一'''(こぼり まさかず)は、[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]前期にかけての[[大名]]、[[茶道|茶人]]、[[建築家]]、[[作庭家]]、[[書家]]。 2代[[備中国]][[備中松山藩|代官]]で[[松山城 (備中国)|備中松山城]]主、のち[[近江国]][[近江小室藩|小室藩]]初代藩主。[[伏見奉行]]、[[上方郡代]]と江戸幕府成立期の[[京都]][[伏見]]にて、畿内近国支配に重要な役目を果たした。[[官位]]は[[従五位|従五位下]][[遠江国#江戸時代|遠江守]]。[[遠州流]]の祖。 一般には'''小堀遠州'''(こぼり えんしゅう)の名で知られるが、「遠州」は[[武家官位]]の[[受領名]]の遠江守に由来する[[仮名 (通称)|通称]]で後年の名乗り。道号に大有宗甫、庵号に[[孤篷庵]]がある。 == 出自 == [[小堀氏]]の本姓は藤原氏で、光道の代に[[近江国]][[坂田郡]]小堀村(現・[[滋賀県]][[長浜市]])に居住して村名を姓として名乗った。光道から6代の後の[[小堀正次]]は、縁戚であった[[浅井氏]]に仕えていたが、[[天正]]元年([[1573年]])の浅井氏滅亡後は[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]の弟・[[豊臣秀長|秀長]]の家臣となった。 == 生涯 == [[天正]]7年([[1579年]])、小堀正次の長男として誕生。母は[[磯野員昌]]娘。幼名は作助、[[元服]]後は、正一、政一と改める。 天正13年([[1585年]])、豊臣秀長が[[郡山城 (大和国)|大和郡山城]]に移封されると、父・正次は[[家老]]となり、政一も共に大和郡山に移った。 この頃、秀長は[[山上宗二]]を招いたり、[[千利休]]に師事するなどし、大和郡山は京・堺・南都(奈良)と並んで茶の湯の盛んな土地となっていた。[[小姓]]だった政一は、秀吉への給仕を務め、利休や[[黒田孝高|黒田如水]]、[[黒田長政|長政]]父子とも出会い、長い親交を深めていった。また、父の勧めもあって大徳寺の[[春屋宗園]]に参禅した。 秀長の死後を嗣いだ[[豊臣秀保|秀保]]もまもなく死去したため、[[文禄]]4年([[1595年]])に秀吉直参となって[[伏見]]に移ることになった。ここで政一は[[古田重然|古田織部]]に[[茶道|茶の湯]]を学ぶことになる。 [[慶長]]3年([[1598年]])、秀吉が死去すると、正次・政一は[[徳川家康]]に仕えた。 [[慶長]]4年([[1599年]])3月6日には、[[古田重然|古田織部]]に従い、[[金森可重]]、[[石川貞通]]などの武士、津田宗凡などの堺・京の町衆たち30人とともに[[吉野]]で花見を催した。その時、織部は荷(にない)茶屋に「利休妄魂」の額を掲げた。 父・正次は[[関ヶ原の戦い]]での功により[[備中国|備中]][[松山城 (備中国)|松山城]]を賜り、慶長9年([[1604年]])の父の死後、政一はその遺領1万2,460石を継いだ。浅井郡小峰邑主。 慶長13年([[1608年]])には[[駿府城]][[普請奉行]]となり、修築の功により、慶長14年([[1609年]])、[[従五位|従五位下]] [[遠江国|遠江守]]に叙任された。以後この[[官名]]により、小堀遠州と呼ばれるようになる。 居所としては、正次の頃から[[伏見城]]下の[[六地蔵村|六地蔵]]西町に屋敷があったが、越後突抜町(三条)にも[[後陽成天皇|後陽成院]]御所造営に際して[[藤堂高虎]]から譲られた屋敷があった。また[[元和 (日本)|元和]]3年([[1617年]])に[[河内国]]奉行を兼任となり、大坂天満南木幡町に役宅を与えられた。 元和5年9月([[1619年]]10月)、[[近江小室藩]]に移封され、さらに元和8年8月([[1622年]]9月)に[[近江国]]奉行に任ぜられる<ref>ここに陣屋を整備し茶室も設けたが、政一はほとんど使わなかったと考えられている。伏見奉行に任ぜられ豊後橋(現:観月橋)北詰に新たに奉行屋敷を設け、その後ほとんどここを役宅として暮らしたからである。</ref>。 元和9年12月([[1624年]]1月)、[[伏見奉行]]に任ぜられる。寛永9年([[1632年]])、伏見城南方清水谷にあった奉行所と六地蔵西町の自邸を、伏見城西方常磐町の富田信濃守屋敷跡に移転新築する。 寛永11年([[1634年]])、畿内近国八か国を総監する[[上方郡代]]に任ぜられる。 晩年になり真偽は不明であるが公金1万両を流用したとする嫌疑がかかった。しかし、[[酒井忠勝 (小浜藩主)|酒井忠勝]]・[[井伊直孝]]・[[細川忠興|細川三斎(忠興)]]らの口添えにより不問とされた。 その後も伏見奉行を務めながら、3つの茶室「松翠亭」「転合庵」「成趣庵」や、数奇屋「松翠亭」、伏見城の礎石などを利用した庭園を擁する伏見奉行屋敷にて[[茶道|茶の湯]]三昧に過ごし、[[正保]]4年2月6日([[1647年]]3月12日)69歳で死去した。 なお、子孫の[[小堀政方|政方]]は[[松平定信]]により[[天明]]8年([[1788年]])に[[改易]]の憂き目に逢い、大名家としての小堀家は断絶することになったが、[[文政]]11年([[1828年]])に[[小堀正優|正優]]が300俵を与えられ、御家人として再興を許された。 == 文化 == {{出典の明記|date=2015年4月11日 (土) 08:40 (UTC)|section=1}} === 作事 === 政一の公儀作事に関する主な業績としては[[備中国|備中]][[松山城 (備中国)|松山城]]の再建、[[駿府城]]修築、[[名古屋城]][[天守]]、[[後陽成天皇|後陽成院]]御所造営等の宮中や幕府関係の作事奉行が挙げられる。 宮中造営の業績のほかに品川[[東海寺 (品川区)|東海寺]]([[徳川氏|徳川家]]の菩提寺兼別荘)、[[征夷大将軍|将軍]]上洛の際の休泊所である[[水口城|水口御殿]](滋賀県[[甲賀市]]水口町水口)、[[永原城|永原御殿]](滋賀県[[野洲市]]永原)、[[伊庭御殿]](滋賀県[[東近江市]][[伊庭町]])、[[柏原御殿]](滋賀県[[米原市]]柏原)、[[大坂城]]内御茶屋などが知られている。また京都の寺では将軍の側近・[[以心崇伝]]の住坊である[[南禅寺]]塔頭[[金地院]]内東照宮や御祈祷殿(方丈)側の富貴の間、茶室および庭園、同寺本坊の方丈庭園など準公儀の作事に参画しているが、政一の書状の文面から推察できるように、彼は江戸にある幕府からの愛顧を気にしていた関係から公儀の作事(幕府の対皇室政策)以外は公家への出入りは極力避けていた。師・[[古田重然|古田織部]]のような非業の死を避けるためとも思われる。 政一が奉行として参画したと思われる遺構は建築としては[[妙心寺]]塔頭麟祥院の[[春日局]][[廟#日本における廟|霊屋]](慶長年間、うち溜りを移建)、氷室神社拝殿(慶長年間、内裏池亭を移建)、[[大覚寺]]宸殿(慶長年間の内裏の元和期増造の際に中宮宸殿となる)、金地院東照宮、同茶室(重文)、同方丈南庭(鶴亀庭)、[[南禅寺]]本坊方丈南庭、大徳寺塔頭[[龍光院 (京都市北区)|龍光院]]の密庵席(国宝)、[[孤篷庵]]表門前の石橋、同前庭、同忘筌席露地(建築は[[寛政]]年間に焼失後、旧様式を踏襲して復元された)、[[仙洞御所]]南池庭のいで島およびその東護岸の石積み部分などである。京都の金工師で[[加賀藩]]前田家の家臣の[[後藤覚乗]]の茶室[[擁翠亭]]は、「十三窓席」といわれた多窓茶室である。また札幌市にある草庵茶室[[八窓庵]](旧舎那院忘筌、重文)、[[加賀国|加賀]][[大聖寺藩]]の[[長流亭]]も手がけていると言われる。 庭園の作風については政一は師である織部の作風を受け継ぎ発展させたとされるが、特徴は庭園に直線を導入したことである。屏風画に残る御所で実施した築地の庭(後には改修される)や[[桂離宮]]の[[輿寄]]の「真の飛石」が小堀好みと伝えられた所以とされるが、種々な形の切石を組み合わせた大きな畳石と正方形の切石を配置した空間構成は以前には見られないもので、特に[[松琴亭]]前の反りのない石橋は圧巻である。また樹木を大胆に刈り込み花壇を多く用い、芝生の庭園を作るなどの工夫は西洋の影響が指摘される。 ===茶の湯=== 政一の茶の湯は現在では「'''きれいさび'''」と称され、[[遠州流]]として続いている。政一は[[和歌]]や[[藤原定家]]の書を学び、王朝文化の美意識を茶の湯に取り入れた。 また、秀吉の時代以前に名物とされた茶道具の多くが秘蔵の品として入手困難となっていたため、新たにこれはという茶道具に銘をつけて宣伝し、名物として認知されるようにしていった<ref>{{Harvnb|田中|1996|loc=pp.146-147}}</ref>。その際、彼は和歌や[[歌枕]]の地名、[[伊勢物語]]や[[源氏物語]]といった古典から取った銘を用い、同じようなデザインのものを「○○手」として類型化した上で特定の固体を「本歌」とし、同じ手のものには本歌にちなんだ銘を与えることで、茶道具のデザインを系統立てて把握できるような仕組みを考案した<ref>{{Harvnb|田中|1996|loc=p.147}}</ref>。 こうして小堀が有名にした茶道具群は、後世'''中興名物'''と呼ばれることとなり、所持した道具目録は'''遠州蔵帳'''といわれた。 [[茶室]]においては、織部のものより窓を増やして明るくした13の窓を持つ茶室「[[擁翠亭]]」がある。これは[[前田利常]]に依頼されて設計したものである。政一は生涯で約400回茶会を開き、招いた客は延べ2,000人に及ぶと言われる。彼の著名な門下としては[[松花堂昭乗]]、[[沢庵宗彭]]、武士には[[松平正信]]、[[加賀爪直澄]]、[[前田光高]]、[[神尾元勝]]などがいる。 === 華道 === 小堀遠州がもたらした美意識は[[華道]]の世界にも反映され、それがひとつの流儀として確立、江戸時代の後期に特に栄えた。遠州の茶の流れを汲む[[春秋軒一葉]]は挿花の「天地人の三才」を確立し、茶の花から独自の花形へと展開していった。 その流儀は、正風流・日本橋流・浅草流の三大流派によってその規矩が確立された。時代が下って、[[昭和]]の初期にかけては既成の流派から独立した[[家元]]や[[宗家]]が多く生まれ、[[明治]]の末期をピークとして遠州の名を冠した流派は大幅に増えることになった。 これらの流派は一般に、花枝に大胆で大袈裟な曲をつける手法という共通した特徴がある。華道でこうした[[曲生け]]は、技術的に習得するのが至難な技法として知られている。 === 七宝 === 小堀遠州は、茶室などの空間設計の一環に[[京七宝|七宝]]細工による色彩や装飾を本格的に取り入れた(伝承上の)最初の人物である<ref>その作風の評価や伝承などにより、桂離宮と遠州を結びつける説は根強い。一方で、桂離宮と遠州を結びつける確実な史料は僅かである(鈴木規夫・ 榊原悟 編著『日本の七宝』マリア書房、1979年)。</ref>。遠州は、豊臣秀吉に仕えていた金工師の[[嘉長]]を登用し、戸袋や襖の引き手など七宝細工の製作にあたらせたと伝えられている。嘉長は伊予(現在の愛媛県)松山の生まれの金工で、[[京都]]の堀川油小路に住んでいた<ref>村田理如『京七宝 並河靖之作品集』(淡交社、2008年)</ref><ref> 森秀人『七宝文化史』(近藤出版社、1982年)</ref>。 [[桂離宮]]の松琴亭の二の間戸袋の巻貝形七宝引手は遠州の指導により意匠をさずけられた嘉長の作という<ref>横井時冬『工芸鏡 上・下』(1927年)</ref>。 京都の桂離宮、[[曼殊院]]、[[修学院離宮]]、[[大徳寺]]などの七宝引手や釘隠しは、今でも建屋の中で使われている状態を見ることができる。[[千利休]]や[[古田重然|古田織部]]好みの茶室などと比較すると、七宝による装飾は遠州好みの書院風の空間によくなじむ。 なお、小堀家の家紋「[[花輪違|花輪違紋]]」は「七宝花菱」とも呼ばれているが、これは、輪違い連続文様における一つの輪が四方へと無限に広がる様子、「四方」が「七宝」に転じたものという説や、「[[花輪違]]」は四個の輪からできており「四方襷(しほうたすき)」あるいは「十方」などとも呼ばれたことから、「十方」がなまって「七宝」に転じたという説がある。 ところで、七宝細工を意味する「[[七宝瑠璃]]」という語は、[[室町時代]]、[[足利義政]]が将軍の頃から使われているが、七宝瑠璃と七宝紋の関係については不明である。遠州以前の室町時代、利休の茶の湯の隆盛の下では、華麗な色彩が身上の七宝器は茶人の受け入れるところではなかったという。豊かな色彩や装飾性が一般に受け入れられるようになったのは、遠州や琳派の時代(桃山時代以降)を迎えてからのことであった。 === その他 === * [[八条宮智仁親王]]、[[近衛信尋|近衛応山(信尋)]]、[[木下勝俊|木下長嘯子]]など当代一流の文化人たちとの交際が知られる。元和7年([[1621年]])と寛永19年([[1642年]])の江戸から上洛途次の歌入日記にもその文学趣味がよく現れている。 * 政一が着用したと伝えられる[[当世具足|具足]]が[[東京国立博物館]]に所蔵されている。 * 松山(高梁)に居住していた時、備中国で多く作られていた[[柚子]]を使い独自の[[ゆべし]]を考案、同所の銘菓となった。現在でも高梁市の銘菓として知られ、代表的な土産物となっている。 == 所持道具(遠州蔵帳) == *吉田堯文「遠州蔵帳」『茶道叢書 第3編』河原書店、 1936年。 *[[藤田恒春]] 「小室藩道具蔵帳」『茶書研究 第8号』宮帯出版社、2019年。 == 系譜 == *父:[[小堀正次]](1540-1604) *母:[[磯野員昌]]娘 *正室:[[藤堂高虎]]養女 - [[藤堂良政]]の娘 **次男:[[小堀正之]](1620-1674) *側室:[[三沢局]](1611-1656) - 茂子、浄心院殿妙秀日求大姉、三沢為{{lang|zh|毗}}の娘 **五男:[[小堀政貞]](1641-?) *生母不明の子女 **男子:[[小堀政尹]] **男子:[[小堀政孝]] **男子:[[多羅尾光忠]] **女子:[[平岡頼資]]正室 **女子:[[池田重政]]正室 **女子:平井某室 **女子:下間某室 **女子:[[小堀正憲]]室 ==関連書籍(近年刊)== <!--編集履歴を見ると本文の参考文献とされていない--> * [[森蘊]] 『小堀遠州』 [[吉川弘文館]]〈人物叢書〉 1967年、新装版 1988年) * [[藤田恒春]] 『小堀遠江守正一発給文書の研究』 [[東京堂出版]] 2011年 ISBN 978-4-490-20813-9 * 熊倉功夫『小堀遠州茶友録』中公文庫、2007年 * 小堀宗実ほか 『小堀遠州 綺麗さびの極み』 [[新潮社]]〈とんぼの本〉 2006年 ISBN 4-106-02144-7 * 『小堀遠州 「綺麗さび」のこころ』 平凡社〈別冊太陽 日本のこころ〉 2009年 ISBN 4-582-92160-4 * 深谷信子『小堀遠州 綺麗さびの茶会』 [[大修館書店]] 2013年 * 小堀宗慶『小堀遠州の美を訪ねて』集英社、2010年 * 小堀宗実『日本の五感 小堀遠州の美意識に学ぶ』角川書店、2016年 * 矢部良明『宗旦VS.遠州』宮帯出版社、2021年 ==脚注== {{脚注ヘルプ}} {{reflist|2}} == 参考文献 == * {{Citation |和書|last=田中 |first=仙翁|editor=|year =1996| title =茶道の美学 : 茶の心とかたち |publisher =講談社|isbn=4061592211}} * {{Citation |和書|last=|first=|editor=大日本人名辞書刊行会|year =1926|volume=上|title =大日本人名辞書|publisher =大日本人名辞書刊行会|url={{NDLDC|1879491/532}} 国立国会図書館デジタルコレクション}} * {{Citation |和書|last=|first=|editor=|year =1933|chapter=小堀政一|title =郷土史|publisher =岡山県総社高等女学校々友会|url={{NDLDC|1053982/21}} 国立国会図書館デジタルコレクション}} == 関連項目 == {{commonscat|Kobori Enshū}} {{col-begin}} {{col-4}} * [[広徳寺 (練馬区)]] * [[教林坊]] * [[頼久寺]] * [[高瀬川二条苑]] - 遠州作の茶庭がある {{col-3}} * [[仏国寺 (京都市)]] * [[円徳院]] * [[正照寺]]<!--陣屋門が山門として移築現存している。--> * [[二条城]](二の丸庭園) {{col-3}} * [[金地院]] * [[龍光院 (京都市北区)]] * [[孤篷庵]] * [[擁翠亭]]<!--遠州が最晩年に造った13の窓をもつ茶室--> {{col-end}} == 外部リンク == * [http://www.enshuryu.com/index.html 遠州流茶道] *[https://www.koborienshu.org 公益財団法人 小堀遠州顕彰会] *[http://enshuryu-honbu.com/ 遠州流茶道連盟] *[https://www.enshu.net/ 遠州WEBマガジン] * [http://koborienshu-ryu.com/index.html 小堀遠州流 松籟会] * [http://www.kadouenshu.com/index.html 華道遠州] {{福知山藩主|[[遠州流|小堀家]]||1620年 - 1621年|代官}} {{備中松山藩主|小堀家|2代|1604年 - 1619年|代官}} {{近江小室藩主|小堀家|初代|1619年 - 1647年}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こほり まさかす}} [[Category:小堀氏|まさかす]] [[Category:江戸幕府の郡代・代官]] [[Category:遠国奉行]] [[Category:作庭家]] [[Category:江戸時代の庭園|家こほり]] [[Category:江戸時代の茶人]] [[Category:遠州流|*]] [[Category:日本庭園に関する人物]] [[Category:日本の造園家]] [[Category:外様大名]] [[Category:近江小室藩主|*01]] [[Category:戦国武将]] [[Category:伏見奉行]] [[Category:近江国の人物]] [[Category:1579年生]] [[Category:1647年没]]
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人生ゲーム
人生ゲーム(じんせいゲーム、The Game of Life)は、1960年にアメリカMilton Bradley社(現・ハズブロ)から発売されたボードゲーム。すごろく形式で、学校生活や職業など人生の出来事に関連したイベントマスを進めながら、お金や資産を集め、最終的に億万長者を目指す。 日本でも1968年9月にタカラから発売されるなど、各国で今なお多くの子供達に愛されている。 ゲームシステムは、双六の発展形。ゲーム序盤のルーレット目によって「人生の筋道」が決まり、その後の人生が左右されていく。プレイヤーはサイコロではなく「ルーレット」を回し、人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。現在でも改良版が発売されているという、息の長いゲームである。 ボードゲーム製品以外にも、ビデオゲーム版や携帯ゲーム版、イベントとしての展開も行われている。 原型は1860年ごろ、米国マサチューセッツ州・スプリングフィールドで印刷業を営むミルトン・ブラッドリー(en:Milton Bradley)という24歳の若者によって考案された「The Checkered Game of Life」。1960年に同社100周年を記念してこのゲームのエッセンスを加えた「The Game of Life」が発売。当時アメリカで人気を博したテレビキャスター、アート・リンクレター(en:Art Linkletter)をパッケージに印刷している。 日本版は「人生ゲーム」の名称で1968年9月に株式会社タカラ(現・タカラトミー)から「タカラのアメリカンゲーム」シリーズの一つとしてライセンス契約発売された。発売前時点では「パーティーゲームは日本人に馴染まない」「内容が日本とかけ離れている」といった反対意見や、「子供が金儲けの話をすることや金持ちになることが一番という考えがはしたない」といった社会的風潮から日本で受け入れられないという意見があったものの、当時のタカラ社長佐藤安太は「アメリカの自立精神が盛り込まれており、これを日本の子供達に伝えたい」という思いから発売に踏み切った。 内容は当初原版を和訳する形でアメリカ文化が色濃く反映された内容だったものの、1983年発売の3代目以降は日本独自のイベントを取り入れた内容となりその後も各時代の世相を反映した内容でシリーズ展開を続けている。この「人生ゲーム」は日本に於ける同社の登録商標(第919585号)で、タカラトミーの発表によると日本での発売開始から50周年を迎えた2018年3月時点で日本版の累計出荷数は1500万個を超える。 各プレイヤーの駒となる物。色は赤・青・黄・緑・白・橙が基本色となっており、最大8人で遊べる平成版では黒・桃・紫・水などが追加されている。 自動車ゴマには貫通していない穴が6個所あり、そこに水・桃(8代目では赤・黄・白・緑を追加)の「人物ピン」を差し込むことで各プレイヤーの分身としてあらわす。この人物ピンは結婚・出産・養子縁組などのマスに止まることでさらに該当の色の人物ピンを乗せる。また、一部作品では状況を表すためのピンを差す場合もある。 なお、中央には貫通している穴が2つあり、それらは誤飲時の窒息防止用に開けられているため、ゲーム中は人物ピンを差さないよう注意されている(シリーズによっては穴が開いていない物も存在する)。 また、自動車ゴマはメインシリーズに適用されており、3代目まではテールフィンのついたアメリカ車をモチーフとした形としていたが4代目以降は丸いヘッドライトが特徴的なスポーツカーをモチーフとしたデザインとしている。作品とのコラボでは筋肉番付版「金剛くん」、ハローキティ版「キティちゃん」など各キャラクターを象ったコマを代わりに使用する場合もある。「昭和おもひで劇場」ではゲームスタート時は自転車となり、ゲーム途中で任意の車に乗り換えるイベントが発生する。 プレイヤーの職業を表すカード。カードには職業を表すイラストと給料日1回あたりの給料、その他ステータスなどが記載される。このカードを所持していない場合は「フリーター(プーちゃん)」とみなされる。 プレイヤーが就ける職業はビジネスマン、先生、タレント、医者、スポーツ選手、政治家など身近なものであったり、その時々の憧れの職業が選ばれている。各バージョン発売時の時世によって種類も変わり、ショップ店員や弁護士、漫画家といった物も追加されている。平成版では現代情勢を皮肉るためか、サラリーマンが「一般企業」「電力会社」、スポーツ選手が「野球選手」「力士」「騎手」と細分化されていたり、「ビデオ女優」「ヤッちゃん」といったアングラな職業も入っている。 職業は所定のマスやイベントによって「ランクアップ」となり、ビジネスマンであれば「部長」、先生であれば「校長先生」のように格が上がり、その分給料も増額される。平成版では別途「ランクボード」が用意されており、職業ごとに5~50段階に分かれて給料が決められている。 また、コラボ版では登場するキャラクターや人物が職業代わりとなったり、その作品内に登場する職業が登場する場合がある(ポケットモンスター版では「ポケモン博士」「ロケット団」など)。 人生ゲームは、マスにその時代を反映させたものや、企業やキャラクターのタイアップなど種類が多い。1989年(平成元年)に発売された「平成版」は、シリーズ化されるほどの人気商品となった。歴代のベーシック版については番数を太字表記とする。 グリコとの共同企画商品で、イオングループの店舗で限定発売。 近年では、コンピュータゲーム版を発売しているほか、BSデジタル放送のBS朝日では、毎週土曜日午後8時から双方向対応クイズ番組として、『クイズ!人生ゲーム 〜THE QUIZ OF LIFE〜』を放送していた。 司会は、人生案内人役として進行している宇梶剛士と、助手役として進行している野村真季アナウンサーの2人である。また、2005年の夏から『女優開発プロジェクト ××プロ』から、甲斐美花と山岸愛梨の2人が参加。この2人はUN(うん)ガールズとして進行した。 同番組は、同年の11月をもっていったん終了するが、2006年にはリターンズとして、以前の放送の一部を再放送し、同年春で完全終了。後番組は『みんなの脳ドリル』。 モンスターメーカー系カードゲームの人気で、平成版を中心にカードゲーム化された。 特に表記がないものについてはタカラから発売。 FC=ファミリーコンピュータ、PCE=PCエンジン、GB/GBA=ゲームボーイ/ゲームボーイアドバンス、SFC=スーパーファミコン、PS/PS2=PlayStation/PlayStation 2、DC=ドリームキャスト、N64=NINTENDO64、GC=ニンテンドーゲームキューブ、DS=ニンテンドーDS、Wii=Wii、iOS=iOS、Android=Android、Switch=Nintendo Switch 携帯液晶ゲームとして2005年に発売され、のちに追加要素を増やした人生ゲームキャンディ120%も発売された。ボードゲームの人生ゲームが、複数人数で遊ぶゲームだったのに対して、基本的に1人用の育成タイプのゲームである。(通信機能により、他人のものと交流は可能。)「1週間で人生を体験しちゃお」をコンセプトに、女性向けとして作られている。ルーレットによって運命が決まるという人生ゲームらしさはあるものの、キャラクターを育てるという点において、既存の人生ゲームよりもたまごっちに近いゲームといえる。形は5.5センチほどの円形で、ボールキーチェーンがついている。カラーバリエーションが多く、いずれもキャンディの味を思わせる名前がついており、カラフルなものになっている。 両作とも公式ゲーム。 SEモバイル・アンド・オンラインが開発を担当。 、他 現在ハズブロから発売されている『The Game of Life』も、ゲーム内容はほぼ同じながら、日本とは別展開で販売されている。
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人生ゲームは、1960年にアメリカMilton Bradley社(現・ハズブロ)から発売されたボードゲーム。すごろく形式で、学校生活や職業など人生の出来事に関連したイベントマスを進めながら、お金や資産を集め、最終的に億万長者を目指す。 日本でも1968年9月にタカラから発売されるなど、各国で今なお多くの子供達に愛されている。
{{Otheruses||クイズ番組|人生ゲームハイ&ロー|ラジオ番組|財津和夫の人生ゲーム21|[[ジョン・ホートン・コンウェイ]]の[[シミュレーションゲーム]]|ライフゲーム}} {{国際化|date=2016年12月|領域=日本}} {{Expand English|The Game of Life|date=2021年12月}} {{Infobox game | title = ''人生ゲーム'' | image_link = File:The Game of Life 人生ゲーム DSCF2280.jpg | image_caption = 人生ゲーム日本版 NEW人生ゲーム(3代目) | creator = [[Bill Markham]] | designer = Bill Markham | illustrator = | publisher = Milton Bradley Company and Winning Moves | date = {{Flagicon|USA}}[[1960年]]<br />{{Flagicon|JPN}}[[1968年]][[9月]] | players = 2人から4人、又は6人 | ages = 8歳以上 | setup_time = 約10分 | playing_time = 約1時間 | complexity = 低 | strategy = 低 | random_chance = 高(ルーレット、カード引き、運) | skills = 数、読解力 }} '''人生ゲーム'''(じんせいゲーム、The Game of Life)は、[[1960年]]に[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[:en:Milton Bradley Company|Milton Bradley社]](現・[[ハズブロ]])から発売された[[ボードゲーム]]。[[すごろく]]形式で、学校生活や職業など人生の出来事に関連したイベントマスを進めながら、お金や資産を集め、最終的に億万長者を目指す。 日本でも1968年9月に[[タカラ (玩具メーカー)|タカラ]]から発売されるなど、各国で今なお多くの[[子供]]達に愛されている。 == 概要 == ゲームシステムは、[[双六]]の発展形。ゲーム序盤のルーレット目によって「[[人生]]の筋道」が決まり、その後の人生が左右されていく。プレイヤーは[[サイコロ]]ではなく「[[ルーレット]]」を回し、人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。現在でも改良版が発売されているという、息の長いゲームである。 ボードゲーム製品以外にも、ビデオゲーム版や携帯ゲーム版、イベントとしての展開も行われている。 原型は[[1860年]]ごろ、[[米国]][[マサチューセッツ州]]・[[スプリングフィールド (マサチューセッツ州)|スプリングフィールド]]で[[印刷業]]を営むミルトン・ブラッドリー([[:en:Milton Bradley]])という24歳の[[若者]]によって考案された「The Checkered Game of Life」。[[1960年]]に同社100周年を記念してこのゲームのエッセンスを加えた「The Game of Life」が発売。当時アメリカで人気を博した[[テレビキャスター]]、アート・リンクレター([[:en:Art Linkletter]])をパッケージに印刷している。 [[日本]]版は「人生ゲーム」の名称で[[1968年]]9月<ref>[[朝日新聞]](1975年1月11日付)16面</ref>に[[タカラ (玩具メーカー)|株式会社タカラ]](現・[[タカラトミー]])から「タカラのアメリカンゲーム」<ref>他には手さぐりゲーム(feeley Meeley、[[:en:Milton Bradley Company|Milton Bradley(MB)社]])、[[海戦ゲーム|レーダー作戦ゲーム]](Battleship、MB社)、フライパンゲーム(What's Cooking?、Whitman社)<!--2023.9英語版の曖昧さ回避リストにはない-->、70プレイ、宇宙ゲーム、36マジックコース、など20種類以上がラインナップ。</ref>シリーズの一つとして[[ライセンス契約]]発売された。発売前時点では「[[パーティーゲーム]]は[[日本人]]に馴染まない」「内容が日本とかけ離れている」といった反対意見や、「[[子供]]が[[金儲け]]の話をすることや[[金持ち]]になることが一番という考えがはしたない」といった社会的風潮から日本で受け入れられないという意見があったものの、当時のタカラ社長[[佐藤安太]]は「アメリカの自立精神が盛り込まれており、これを日本の子供達に伝えたい」という思いから発売に踏み切った<ref name="jp50th"/>。 内容は当初原版を[[和訳]]する形でアメリカ文化が色濃く反映された内容だったものの、1983年発売の3代目以降は日本独自のイベントを取り入れた内容となりその後も各時代の世相を反映した内容でシリーズ展開を続けている<ref name="sankei2309">{{Cite web|和書|title=【現着しました!】世相を反映「人生ゲーム」 発売55周年も変わらぬ願い |url=https://www.sankei.com/article/20230909-CSWYL6GQZZJ7PCCI4TNQ7XWOXM/ |website=産経新聞 |date=2023-09-09 |access-date=2023-10-10 |author=長橋和之}}</ref>。この「人生ゲーム」は日本に於ける同社の[[商標|登録商標]](第919585号)で、タカラトミーの発表によると日本での発売開始から50周年を迎えた2018年3月時点で日本版の累計出荷数は1500万個を超える<ref name="jp50th">[https://www.takaratomy.co.jp/product_release/pdf/p180315.pdf 「人生ゲーム」50周年のご案内] - タカラトミー</ref>。 == 基本内容物 == === 自動車ゴマ・プレイヤーゴマ === 各プレイヤーの駒となる物。色は[[赤]]・[[青]]・[[黄]]・[[緑]]・[[白]]・[[橙色|橙]]が基本色となっており、最大8人で遊べる[[平成]]版では[[黒]]・[[桃色|桃]]・[[紫]]・[[水色|水]]などが追加されている。 [[自動車]]ゴマには[[貫通]]していない[[穴]]が6個所あり、そこに水・桃(8代目では赤・黄・白・緑を追加)の「[[人物]]ピン」を差し込むことで各[[プレイヤー]]の[[分身]]としてあらわす<ref name="mota">[https://autoc-one.jp/special/5001982/ 遂に謎解明! 人気ボードゲーム「人生ゲーム」に欠かせない”3列シート6人乗り”のあのクルマを徹底調査] - MOTA</ref>。この人物ピンは[[結婚]]・[[出産]]・[[養子縁組]]などのマスに止まることでさらに該当の色の人物ピンを乗せる。また、一部作品では状況を表すためのピンを差す場合もある。 なお、中央には貫通している穴が2つあり、それらは誤飲時の[[窒息]]防止用に開けられているため、ゲーム中は人物ピンを差さないよう注意されている(シリーズによっては穴が開いていない物も存在する)。 また、自動車ゴマはメインシリーズに適用されており、3代目までは[[テールフィン]]のついた[[アメリカ車]]をモチーフとした形としていたが4代目以降は丸い[[前照灯|ヘッドライト]]が特徴的な[[スポーツカー]]をモチーフとしたデザインとしている<ref name="mota"/>。作品との[[コラボレーション|コラボ]]では[[筋肉番付]]版「金剛くん」、[[ハローキティ]]版「キティちゃん」など各キャラクターを象ったコマを代わりに使用する場合もある。「[[昭和]]おもひで劇場」ではゲームスタート時は[[自転車]]となり、ゲーム途中で任意の車に乗り換えるイベントが発生する。 === 紙幣・約束手形・証券類 === ; 紙幣 : プレイヤーの所持金となる[[紙幣]]。通貨単位はメインシリーズでは「[[ドル]]」となっているが、平成版では「万[[日本円|円]]」(M&Aでは特別に「億円」)、[[コラボ]]シリーズではその作品にあった単位([[阪神タイガース|阪神]]版では「TP(虎吉ポイント)」、[[芸人]]魂では「FUN」など)が設定される。 : メインシリーズの紙幣の[[肖像]]は、5万ドル札に人生ゲームの原版を作ったブラッドリーが、10万ドル札にリンクレターが印刷されている(その他の人物は架空)。コラボシリーズでは各作品にあったキャラクターが印刷されている。 : 紙幣の色は通貨単位に関わらずメインシリーズとほとんど共通(倍率等が違う場合もある)となっているが、一部作品では別の色をあてがっていることもある。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- |+紙幣の色 ! 金額 !! 通常版 !! 平成版 !! M&A |- ! style="background-color:gold" | 金 || 100万ドル<ref>ゴールドメジャーとダイナミックドリームに登場</ref> || || |- ! style="background-color:violet" | 薄紫 || 50万ドル<ref>タイムスリップに登場</ref>|| || 5000億円 |- ! style="background-color:white" | 白 || 10万ドル || 1億円 || 1兆円 |- ! style="background-color:green" | 緑 || 5万ドル || 5000万円 || 1000億円 |- ! style="background-color:peru" | 薄茶 || || 1000万円 || |- ! style="background-color:yellow" | 黄 || 2万ドル || || 500億円 |- ! style="background-color:aquamarine" | 水 || 1万ドル || 500万円 || 100億円 |- ! style="background-color:deeppink" | 濃桃 || || 100万円 || |- ! style="background-color:orange" | 橙 || 5000ドル || 50万円 || 50億円 |- ! style="background-color:lightpink" | 薄桃 || 1000ドル || || 10億円 |- ! style="background-color:khaki" | 薄黄 || 500ドル<ref>初期シリーズのみ</ref> || 10万円<ref>平成版Xを除く</ref> || |- |} ; 約束手形 : 借金の証として発行する証券。銀行から借りる場合は約束手形1枚と、同額の現金を受け取ることになる。返済はいつでも可能だが、作品によって同額返済の場合と利息(1割程度)が必要な場合がある。また、いずれも決算日まで持っていた場合は通常よりも多く利息を取られる他、ゲーム終了時に持っていた(所持金がマイナス)場合はゴールとみなされず、後述の開拓地行きとなる場合がある。 : 色は赤色(平成版では白字に赤文字)で、単位は1枚2万ドル(一部では1万、平成版では1枚1000万円、一部シリーズでは100万円の約束手形もあり)。 ; 株券 : ゲーム中には株を購入できるマスがあり、代金を支払うことで株券を購入できる。株券を持っている場合、一定のマスに止まることや、「株相場を張る」といったマスに止まり、相場を張ることで、収益・損失が発生する。また、ゲーム終了時には資産として一定額で換金される。 ; 保険証券 : 「自動車保険」「生命保険」「火災保険」などが存在する。ゲーム中一定の場所で代金を支払うことで加入し、証券を受け取れる。ゲーム中それらの損害が発生し、保険が適用される場合は支払が一定額免除されたり、保険金が下りる場合がある。作品によって一度加入すれば失効しない場合と、保険金が下りた場合は失効し、再加入が必要な場合がある。 : また、基本は掛け捨てとなっているが、生命保険のみゴール直前に「生命保険満期」のマスがあり、ここを通過すれば満期として一定額で払い戻される(一部作品では条件あり)。 === 職業カード === プレイヤーの[[職業]]を表すカード。カードには職業を表す[[イラスト]]と[[給料日]]1回あたりの[[給料]]、その他ステータスなどが記載される。このカードを所持していない場合は「[[フリーター]](プーちゃん)」とみなされる。 プレイヤーが就ける職業は[[ビジネスマン]]、[[先生]]、[[タレント]]、[[医者]]、[[スポーツ選手]]、[[政治家]]など身近なものであったり、その時々の憧れの職業が選ばれている。各バージョン発売時の時世によって種類も変わり、ショップ[[店員]]や[[弁護士]]、[[漫画家]]といった物も追加されている。[[平成]]版では現代情勢を皮肉るためか、サラリーマンが「[[一般企業]]」「[[電力会社]]」、スポーツ選手が「[[野球選手]]」「[[力士]]」「[[騎手]]」と細分化されていたり、「[[AV女優|ビデオ女優]]」「[[ヤクザ|ヤッちゃん]]」といったアングラな職業も入っている。 職業は所定のマスやイベントによって「ランクアップ」となり、ビジネスマンであれば「[[部長]]」、先生であれば「[[校長先生]]」のように格が上がり、その分給料も増額される。平成版では別途「ランクボード」が用意されており、職業ごとに5~50段階に分かれて給料が決められている。 また、コラボ版では登場するキャラクターや人物が職業代わりとなったり、その作品内に登場する職業が登場する場合がある([[ポケットモンスター]]版では「ポケモン博士」「[[ロケット団 (ポケットモンスター)|ロケット団]]」など)。 == ルール・ゲームの流れ == ; スタート・就職 : ゲームスタート時に各プレイヤーのコマの色を決定後、スタート時の所持金(任意で保険に入ることも可能)を受け取り、ルーレットで一番大きい目を出した人から順に進んでいく。 : 最初のエリアでは主に就職マスが設定されており、止まったマスに定められた職業になる場合は「就職」となる。ただし、原則として1つの職業につき1人のみなれる(ビジネスマンなど複数人就職できる職種もあり)ため、早い者勝ちである。就職マスを過ぎた場合は「フリーター」として世に出ることになる。 ; 給料日 : 給料日のマスを止まるか通過した際には銀行から職業に応じた給料を受け取れる。ただし、フリーターやタレントなど仕事量が一定でない職業に関しては、そのスタイルを反映させるため「ルーレットを回して出た数×一定額」が給料となる。給料受け取り後はマスに定められた指示(株や保険の購入)を受けることもできる。 : なお、一部作品では給料日のマスに丁度止まった場合、「給料2倍」「アイテム獲得」といった恩恵を受ける場合もある。 ; ストップ・結婚 : ゲーム中には数か所「ストップマス」があり、このマスに到着した場合はルーレットの出目が余っていても強制的に止まり、指示に従う。 : 多くの作品では最初のストップマスでは「結婚」となっており、ここでは異性の人物ピンを自動車コマに差し、ルーレットで決定したお祝い金を全員から受け取る。 : 一部作品では「『結婚チャンス』として、結婚のする・しないを選べる(B&B)」「『[[成田離婚]]』として相手を降ろす(平成版III)」「ルーレットで偶数が出ると結婚する、奇数が出ると結婚しない(8代目基本モデル)<ref name="sankei2309"/><ref name=":0">{{Cite web|和書|title=『たまごっち』など定番おもちゃが時代に合わせ“進化” 『人生ゲーム』は結婚マスが変更 |url=https://news.ntv.co.jp/category/culture/5be52b3a8d614078b2537d74f665f71a |website=日テレNEWS |access-date=2023-10-10 |author=日本テレビ |date=2023-09-06}}</ref>」といったマスもある。 ; 家 : メインシリーズではゲーム中に家を購入する。家はゲーム内に5個所あり、金額の差も非常に大きく設定されている。家は1個所につき1人まで(マンションのみ6人全員購入可能)のため早い者勝ちである。ゲーム終了まで家を持っていた場合、購入時の金額に応じた資産価値となって売却される。 : 借金をして購入する事も可能だが、ゲーム中には「家を売却する」「家を失う」「持ち家を交換する」などのマスがあるため、一概に「無理して高い家を購入する事」が得策ではないようになっている。 ; 分かれ道 : ストップマスの直後などでは道が二手に分かれており、ルーレットで出た目によって次に進むコースが決まったり、現在の自分の状況に応じて行くコースを決める。コースのバリエーションとして、スタートマスからの分岐である、サラリーマンに非常に高い確率(確実もしくはほぼ100%)で就職できる「ビジネスコース」と、それ以外の職業になれる(ただし、フリーターになる可能性もある)「専門職コース」、「通常コース」と転職・ランクアップが狙える「転職コース」などがある。 : 平成版では所持金の変動が比較的穏やかな「ローリスクコース」と、利益やランクアップがたくさん得られる一方、逆に損失や失職もある「ハイリスクコース」の選択が恒例になっている。 ; ギャンブル・カジノ : 一部のマスでは所持金の一部を賭け金にルーレットを使ったギャンブルができ、当たれば賭け金に応じた配当が得られる。「平成版」などでの「宝くじ」や、給料の代わりに行う「丁半博打」などバリエーションはさまざまである。 ; 橋 : ゲーム終盤に3マスほど設定されている橋のオブジェであり、この橋を最初に通過したプレイヤーは、後から来るプレイヤーに対し、通行料として一定の金額をもらえる。通行料以外にもアイテムの獲得や、逆に修繕費として払わなければならないなど、作品によってメリット・デメリットが発生する。 ; 決算日 : ゴール前最後のストップマス。到着したプレイヤーは車に乗っている人数によるボーナス・支払いや、退職金の受け取りを行った後、約束手形を利息付きで返済しなければならない。 : 返済出来ない場合は所持している資産を順に売却していき、それでも返済できない場合は「人生最大の賭け」に挑戦することになる。 ; 人生最大の賭け : 借金所持者に対するラストチャンス。借金を持っていない人も逆転を賭けて挑める。 : 多くの場合、ルーレットの数字を1つ指定し、ルーレットを回す。指定した目が出れば莫大な賞金を得られる。これで借金を完済できればそのままゴールに進める。 : ただし、失敗した場合は全財産(一部作品では約束手形や一部アイテムなど残る場合もある)を失い、開拓地行きとなる。 ; 開拓地 : 人生最大の賭け失敗者が進む終点。ここについたプレイヤーは自分の番が来るたびにルーレットを回し、出た目に応じた支援金や、効果を毎ターン受け、全プレイヤーがゴールするのを待つ。 : 一部作品では支援金で借金を完済した場合、本線に復活できるシステムがある一方、ゴールし清算した段階で借金があった場合は開拓地送りになる場合もある、 : 基本的な名称は「開拓地」<ref>初期は[[救貧院 (プアハウス)|「貧乏農場」(Poor Farm)]]だったが、その後「[[ゴーストタウン]]」に変わり、英語版が"Countryside Acres"に名称変更されたのに合わせ、「開拓地」となった。</ref>だが、作品ごとに名称は違い、「スクラップ置き場(B&B カーレースステージ)」「無人島(RD 宝探しステージ)」などがある。平成版では「田舎暮らし」「[[難民キャンプ]]」「[[強制収容所]]」とより過酷な名称が設定されていた。 ; ゴール・億万長者の土地 : プレイヤーたちのゴール地点。到着したプレイヤーから着順に応じて賞金が与えられる。また、1着で到着したプレイヤーはルーレットを1回回し、出た目を「ラッキーナンバー」として指定。以降のプレイヤーがコマの進行で同じ目を出した場合、相手から一定額をもらえる。それ以外のプレイヤーも自ターン時にルーレットを回し、指定した目か特定の目を出すことでボーナスを得られる。 ; ゲーム終了 : 全員、もしくはビリ以外が億万長者の土地か開拓地に到着した時点でゲーム終了。残るアイテムの換金などを行い、一番多く所持金を得たプレイヤーの勝利となる。 == 人生ゲームのバリエーション == 人生ゲームは、マスにその時代を反映させたものや、[[企業]]や[[キャラクター]]の[[タイアップ]]など種類が多い。[[1989年]](平成元年)に発売された「平成版」は、シリーズ化されるほどの人気商品となった。歴代のベーシック版については番数を太字表記とする。 {| class="wikitable" |- !番数!!商品名!!発売日!!特徴 |- | ||THE GAME OF LIFE||1960年||ミルトン・ブラドレー社より発売 |- |'''1'''||'''人生ゲーム'''(初代)<br />'''ニュー人生ゲーム'''||1968年||最初期モデルはマス目が全て黒<ref>マス目が青のバージョンは「人生ゲーム」又は「ニュー 人生ゲーム」がある。</ref> |- |'''2'''||'''NEW人生ゲーム'''(2代目)||1980年||米国版変更に合わせリニューアル |- |'''3'''||'''NEW人生ゲーム'''(3代目)||1983年||これより日本オリジナルに。マスに「お歳暮を贈る」「先祖代々の土地を売る」などのイベントが登場<ref name="sankei2309" /><ref name="with2305" />。 |- |4||'''人生ゲームロイヤル'''||1985年||日本発売20周年記念。豪華版 |- |5||<small>ルーレットを回せば、時代が見える。</small><br/>'''人生ゲーム平成版'''||1989年||ハイターゲット向けに企画 |- |'''6'''||'''人生ゲーム'''(4代目)||1990年||[[バブル経済]]を反映。マスに「[[パソコン通信]]を始める」などのイベントが登場<ref name="with2305" />。 |- |7||'''じぱんぐ人生ゲーム'''||1990年||学校の変な[[校則]]がテーマ。[[文化放送]]タイアップ<ref>『[[キッチュ!夜マゲドンの奇蹟]]』のコーナー、学校の変な校則を元にしている。</ref><br/>イラスト - [[蛭子能収]] |- |8||<small>時代が生んだ究極のゲーム</small><br/>'''人生ゲーム平成版II'''||1990年||[[環境問題|環境保全]]がテーマ<br/>イラスト - 若林健治 |- |9||<small>地球にやさしい世紀末のゲーム</small><br/>'''人生ゲーム平成版III'''||1991年||[[エコロジー]]がテーマ<br/>イラスト - [[中川いさみ]] |- |10||<small>外圧に負けない、身勝手ゲーム</small><br/>'''人生ゲーム平成版IV'''||1992年||[[貿易摩擦|経済摩擦]]がデーマ<br/>イラスト - [[松本大洋]] |- |11||<small>誰でも見つかる!?最高のパートナー</small><br/>'''人生ゲーム平成版V''' 寿||1993年||結婚がテーマ<br/>イラスト - [[吉田聡]] |- |12||'''チェッカード ゲーム オブ ライフ'''||1993年||日本発売25周年限定復刻発売 |- |13||<small>こんな時代の生活防衛ゲーム</small><br/>'''人生ゲーム平成版<ruby><rb>VI</rb><rt>【six】</rt></ruby>'''||1994年||[[1993年米騒動|米不足]]がテーマ<br/>イラスト - [[カトリーヌあやこ]] |- |14||'''人生ゲームTEENS倶楽部'''||1994年||恋愛がテーマの女の子向け<br/>イラスト - [[あいざわ遥]] |- |15||<small>人にやさしい!?時代のゲーム</small><br/>'''人生ゲーム平成版VII'''||1995年||[[バブル崩壊]]がテーマ<br/>イラスト - [[水玉螢之丞]] |- |16||<small>(知)メディア時代の…新世代情報ゲーム</small><br/>'''人生ゲーム平成版VIII''' 平成8年度版||1996年||情報メディアがテーマ<br/>イラスト - [[柴門ふみ]] |- |17||'''大人生ゲーム'''||1996年||盤面が一畳分 |- |18||<small>おもろうて すんまへん</small><br/>'''人生ゲーム関西版'''||1997年||[[吉本興業]]とタイアップ |- |'''19'''||'''人生ゲーム<ruby><rb>EX</rb><rt>エクストラ</rt></ruby>'''||1997年||5代目。ワールドステージ導入。マスに「自分のホームページを作る」などのイベントが登場<ref name="with2305" />。 |- |20||'''初代復刻版人生ゲーム'''||1998年||日本発売30周年記念 |- |21||<small>不景気をぶっとばせ!時代に負けない世紀末ゲーム!</small><br/>'''[[人生ゲーム 平成版X|人生ゲーム平成版<ruby><rb>X</rb><rt>エックス</rt></ruby>]]''' 平成10年度版||1998年||[[女子高生]]がテーマ<br/>イラスト - [[カトリーヌあやこ]] |- |22||'''人生ゲーム平成版1999''' 平成11年度版||1999年||[[世紀末]]がテーマ<br />19999個限定(シリアルナンバー入) |- |23||'''人生ゲーム[[阪神タイガース|阪神]]版'''<br/><small>それでも阪神がすきやねん!</small>||1999年||[[阪神ファン]]向け |- |24||'''[[ハローキティ]]人生ゲーム'''||1999年|| |- |25||'''人生ゲーム平成版20世紀'''<br/><small>100年を振り返る壮大な人生ゲームが今ここに!</small>||2000年||人生ゲーム史上初の孫コマ登場<br/>イラスト - [[唐沢なをき]] |- |26||'''人生ゲームモノ・マガジン編'''||2000年|| |- |27||'''[[デ・ジ・キャラット|でじこ]]の人生ゲーム'''||2000年|| |- |28||<small>新世紀ネット恋愛型</small><br/>'''人生ゲーム平成版<ruby><rb>NETLOVERS</rb><rt>ネットラヴァーズ</rt></ruby>'''<br/><small>恋のゆくえは、ネット次第!私の未来は彼次第!?</small>||2001年||ネット恋愛がテーマ<br/>イラスト - 浅賀行雄 |- |29||'''[[筋肉番付]]人生ゲーム'''||2001年||イメージキャラに[[ケイン・コスギ]]起用 |- |30||'''[[ときめきメモリアル2]]人生ゲーム'''<br/><small>ときめき SCHOOL LIFE</small>||2001年||[[コナミデジタルエンタテインメント|コナミ]]と共同開発 |- |31||'''[[ミニモニ。]]人生ゲームだぴょん!'''||2002年|| |- |32||'''闘魂伝承人生ゲーム [[アントニオ猪木]]版'''||2002年8月|| |- |33||'''人生ゲーム<ruby><rb>B&B</rb><rt>ブラック アンド ビター</rt></ruby>'''||2003年6月||辛口テイスト。カーレースステージ導入 |- |34||'''人生ゲーム昭和おもひで劇場'''||2003年11月||人生ゲーム35周年記念、1万台限定 |- | ||'''[[ギャラクシーエンジェル]]人生ゲーム'''<br/>ノーマッド定食エンジェル大盛り||2003年11月||タカラ製造、[[ブロッコリー (企業)|ブロッコリー]]販売 |- |35||'''人生ゲーム<ruby><rb>RD</rb><rt>レインボードリーム</rt></ruby>'''||2004年7月||ラッキーがテーマ。宝探しステージ導入 |- |36||'''[[ドラえもん (キャラクター)|ドラえもん]]と[[野比のび太|のび太]]の人生ゲーム'''||2005年7月|| |- |37||'''人生ゲーム<ruby><rb>[[M&A]]</rb><rt>エム アンド エー</rt></ruby>'''<ref>M&Aが多くなった事を受けたもの。対象年齢は15歳以上と他版に比べて高めに設定されている。しかし、証券取引法違反の嫌疑がかけられた[[ライブドア]]の[[堀江貴文]]元社長らが開発に関わっていたことなどから、[[2006年]]2月に製造中止となった。計10万個が出荷された。[https://web.archive.org/web/20060328054858/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/news/feb/o20060209_30.htm 堀江容疑者ゲームオーバー 制作協力「人生ゲーム」出荷ストップ(読売新聞)] Internet Archive</ref>||2005年9月||[[情報技術|IT]]起業がテーマ<br/>イラスト - [[五月女ケイ子]] |- |38||'''人生ゲーム<ruby><rb>芸人魂</rb><rt>げいにんだましい</rt></ruby>'''||2005年10月||[[ワタナベエンターテインメント]]協力 |- |39||'''[[ポケットモンスター アドバンスジェネレーション]]人生ゲーム'''||2006年4月||タカラトミー第1弾 |- |40||'''[[きらりん☆レボリューション]]人生ゲーム'''||2006年8月|| |- |41||'''おしごと発見!人生ゲーム'''||2006年9月||[[13歳のハローワーク]]協力 |- |42||'''[[ミッキーマウス]]人生ゲーム'''||2007年4月||ボードやお札等に隠れミッキーがいる |- |43||'''人生ゲーム<ruby><rb>GOLD MAJOR</rb><rt>ゴールドメジャー</rt></ruby>'''||2007年7月||DVDでのイベント導入 |- |'''44'''||'''人生ゲーム'''(6代目)<ref>7代目(2016年版)発売後もしばらく店頭販売されたため、両者を区別するため「人生ゲーム(2008年ver.)」とも表記される。</ref>||2008年6月||ジュニアステージ導入<ref>[[トイザらス]]限定版では、[[モノポリー]]ディール又はモノポリー携帯版の体験版が付属。</ref> |- |45||'''人生ゲームICルーレット'''||2008年7月||ルーレットがデジタル化 |- | ||'''[[名探偵コナン]]&[[金田一少年の事件簿]]人生ゲーム'''||2008年10月||[[週刊少年サンデー|サンデー]]&[[週刊少年マガジン|マガジン]]50周年コラボ |- |46||'''人生ゲーム<ruby><rb>極辛</rb><rt>ごくから</rt></ruby>'''||2009年4月||極辛テイスト。ボードサイズが1.5倍に |- |47||'''人生ゲームドリームチェンジ'''||2010年4月||盤面を裏返す要素導入 |- |48||'''[[イナズマイレブン]]爆・人生ゲーム'''||2010年11月||TCGプラモカード付属 |- |49||'''人生ゲームギャップ天国'''<br/><small>三世代、ジェネレーションギャップを乗り越えろ<nowiki>!!</nowiki></small>||2011年4月||[[団塊の世代|団塊世代]]、[[バブル景気|バブル世代]]、[[情報技術|IT世代]]の<br/>[[ジェネレーションギャップ]]がテーマ |- |50||'''人生ゲームGO!GO!'''||2012年3月||[[グローバル]]がテーマ<br />チャレンジボード用[[チョロQ]]付属 |- |51||'''よしもと芸人人生ゲーム'''||2012年8月||吉本興業全面協力<br />[[ファミリーマート]]限定版も発売<ref>「よしもと芸人くじ」A賞当選品</ref> |- | ||'''[[プリティーリズム・ディアマイフューチャー]]人生ゲーム'''||2012年12月||[[タカラトミーアーツ]]発売 |- |52||'''人生ゲーム アドベンチャー'''<ref>[https://kyodonewsprwire.jp/release/201305302195 タカラトミー「人生ゲーム アドベンチャー」 6月27日(木) 新発売]共同通信PRワイヤー 2013年5月30日</ref>||2013年6月||シリーズ最多のお宝<br>[[与論島]]とタイアップ |- |53||'''人生ゲーム オブザイヤー'''||2013年11月||2013年[[新語・流行語大賞]]とコラボ。WEB連動<br />[[現代用語の基礎知識]]人生ゲーム版付属。 |- |54||'''人生ゲーム<ruby><rb>DD</rb><rt>ダイナミックドリーム</rt></ruby>'''||2014年4月||ダイナミックな人生がテーマ。盤サイズは1.5倍<br />シリーズ初標高90mmのマウンテンコース登場 |- |55||'''人生ゲーム<ruby><rb>獄辛</rb><rt>ごくから</rt></ruby>'''||2014年9月||辛口な人生がテーマ。<br />落とし穴やパニックカードが仕掛けられ、回避する甘神様が初導入 |- |56||'''人生ゲーム オブザイヤーII'''||2014年11月||シリーズ第2弾・2014年版 |- |57||'''[[ビックリマン]] 天使VS悪魔 人生ゲーム'''<br />'''ビックリマン 天使VS悪魔 人生ゲーム 30th限定Ver.'''||2015年6月||天使VS悪魔シリーズ30周年記念<br />30th限定Ver.は紫色パッケージで特典でかシールも異なる |- |58||'''人生ゲーム オブザイヤーIII'''||2015年11月||シリーズ第3弾・2015年版 |- |'''59'''||'''人生ゲーム'''(7代目)||2016年4月||最大4つの追加エリアを繋げ盤面のカスタマイズが可能<br />人物ピンが挿し易い形に変更<br />2022年9月より価格改定<ref>改定前¥4,378→改定後¥4,950</ref><ref name="p2209">[https://www.yomiuri.co.jp/economy/20220729-OYT1T50212/ 「人生ゲーム」「黒ひげ危機一発」など331品値上げ…タカラトミー]読売新聞 2022年7月29日</ref><br />マスに「[[人工知能]]で[[資産運用]]」などのイベントが登場<ref name="with2305" />。 |- |60||'''人生ゲーム<ruby><rb>MOVE!</rb><rt>ムーブ</rt></ruby>'''||2017年4月||コースを変える連動する4つの歯車(ギヤ)を導入 |- |61||<small>家族みんなでニッポンの50年を人生体験!</small><br />'''人生ゲーム タイムスリップ'''||2018年3月||50周年記念商品<br />日本の過去50年+未来50年コース |- |62||<small>ヒーローたちの「力」と君の「運」で目指せ!WINNER!!</small><br/>'''[[週刊少年ジャンプ]]人生ゲーム'''||2018年7月||ジャンプ&人生ゲーム50周年企画 |- |63||'''ドラえもん人生ゲーム'''<br /><small>ドラえもんの世界に飛び込んで夢をかなえよう!!</small>||2019年3月|| |- |64||'''人生ゲーム<ruby><rb>+</rb><rt>プラス</rt></ruby>令和版<br />目指せ TOP OF [[インフルエンサー]]'''<ref>[https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1904/01/news104.html 人生ゲーム「令和版」 お金ではなく“フォロワー”獲得を目指す タカラトミーが発売]</ref><br /><small>人生の価値はお金だけではない、<br />お札のない人生ゲーム。</small>||2019年6月||プラスシリーズ第1弾<br />[[モノポリー]]型でゴールがなくフォロワーを集めるのが目的<br />初版生産は箱絵の『新元号版』に『令和版』シールを貼って販売<br/>マスに「[[Twitter#投稿関連|つぶやき]]がバズって大拡散!」「[[裏アカ]]がバレて[[炎上 (ネット用語)|大炎上]]」などの言葉が登場<ref name="with2305" />。 |- |65||'''人生ゲーム スポーツ'''<br /><small>あらゆる競技をマスターして、目指せNo.1アスリート!</small>||2019年10月||登場競技100種以上、サブボードは16種のミニゲーム |- |66||'''人生ゲーム ジャンボドリーム'''<br /><small>人生、夢叶えたもん勝ち!!</small>||2020年7月||夢をかなえるがテーマ<br />宝くじやドリームブリッジが登場 |- |67||'''大逆転人生ゲーム'''<br /><small>笑うも泣くも歯車次第!!</small>||2021年7月||大小4つのギアでマスが代わる<br />副業カード初登場<br />2022年9月より価格改定<ref>改定前¥4,400→改定後¥4,950</ref><ref name="p2209" /> |- |68||'''[[鬼滅の刃 (アニメ)|鬼滅の刃]]人生ゲーム'''||2021年10月||立志編から無限列車編までをアレンジ |- |69||'''[[スーパーマリオシリーズ|スーパーマリオ]]人生ゲーム<ruby><rb>+</rb><rt>プラス</rt></ruby>'''<ref>[https://www.j-cast.com/trend/2022/05/27438176.html?p=all スーパーマリオと人生ゲームがコラボ 「土管」でワープ、クッパ城目指せ]J-CAST 2022年05月27日</ref>||2022年5月||プラスシリーズ第2弾。ハズブロ版と同内容<br />クッパとバトルし勝ち越すことが目的 |- |70||'''[[呪術廻戦 (アニメ)|呪術廻戦]]人生ゲーム'''||2022年7月|| |- |71||'''人生ゲーム ゴールデンドリーム'''<br /><small>お宝ワクワク!人生ピカピカ!</small>||2022年10月||ボードも駒も金づくし。金ピカ$100万札登場 |- |72||'''ドラえもん人生ゲーム ひみつ道具で大冒険!'''||2023年3月|| |- |'''73'''||<small>人生山あり谷あり!目指せ!億万長者!!</small><br />'''人生ゲーム'''(8代目)||2023年4月||ベーシックステージに4つのエリアの組み合わせが可能<br />人生の多様化を踏まえて、人物ピンの色は6色に増え、ルーレットのマスによっては結婚しないパターンも選べるようになった<ref>{{Cite web |url=https://www.jiji.com/jc/v8?id=202307jinseigame-team |title=偶数なら結婚、ピンは6色から◆人生ゲームも令和の時代 |publisher =時事通信社 |date=2023-07-15 |accessdate=2023-11-27}}</ref><ref name="with2305">{{Cite web |url=https://withnews.jp/article/f0230529001qq000000000000000W02q10101qq000025776A |title=最新「人生ゲーム」結婚の選択はルーレット次第 価値観の変化を反映 |publisher =withnews |date=2023-05-29 |accessdate=2023-11-27}}</ref>。また、「[[昆虫食]]」「[[Web会議|リモート会議]]」などのマスが採用され、職業に「[[YouTuber|大人気動画クリエイター]]」などが加わった<ref>{{Cite web |url=https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2304/07/news110.html |title=人生ゲーム、7年ぶりの新作 「昆虫食」「結婚しない」多様性反映 |publisher =ITmedia |date=2023-04-07 |accessdate=2023-11-27}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://news.denfaminicogamer.jp/news/230406q |title=『人生ゲーム』現代の価値観を反映した“8代目モデル”が4月22日に発売決定。「結婚」をせずとも豊かな人生を楽しめるほか、「昆虫食」「リモート会議」などのトレンドワードも導入 |publisher =電ファミニコゲーマー |date=2023-04-06 |accessdate=2023-11-27}}</ref>。 |- |74||'''ゲゲゲ [[ゲゲゲの鬼太郎]] 人生ゲゲゲーム'''||2023年9月||水木しげる生誕100周年記念<br />アニメ第1-6期までチェンジできる |- |75||'''[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]100 人生ゲーム'''||2023年11月||ディズニー創立100周年記念<br />ディズニー・[[ピクサー・アニメーション・スタジオ|ピクサー]]から101キャラクター登場 |} ; 地域限定版 * 白馬版人生ゲーム めざせ白馬マイスター! *: 「人生ゲームEX」に対応した追加盤面として白馬商工会と白馬高校生徒の共同で制作、2002年に白馬村内の店舗や観光施設にて2000個限定で販売。 ; 私の人生ゲーム * 私の人生ゲーム for Bridal *: [[2008年]]4月から、自分の人生を反映させる事ができるオーダーメイド版人生ゲーム「私の人生ゲーム」を販売<ref>[https://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/01/09/18077.html タカラトミー、Webでオーダーメイドできる「私の人生ゲーム」] Internet Watch</ref>。公式サイトで申し込み購入後に各項目を登録する方式になっている。価格は36,750円。2010年2月に販売終了。 ; ポケット人生ゲームシリーズ * ポケット人生ゲームRD * ポケット人生ゲームB&B * ポケット人生ゲームEX * 株式優待2004年限定バージョン ポケット人生ゲームEX * ポケット人生ゲーム レインボードリーム * ハローキティ ポケット人生ゲーム * ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 人生ゲームポケット * ポケット人生ゲーム [[リロ&スティッチ|リロ アンド スティッチ]] * [[名探偵コナン]]&[[金田一少年の事件簿]] 人生ゲームポケット * ポケット人生ゲーム(6代目のポケット版)ジュニアステージ有。 * ポケット人生ゲーム極辛 * ポケット人生ゲームドリームチェンジ * ポケット人生ゲーム獄辛 * ポケット人生ゲームダイナミックドリーム * ポケット初代版人生ゲーム(EX人生ゲームII人生ゲーム35周年記念限定版特典) * [[出雲]]縁結びポケット人生ゲーム(結婚相談所ツヴァイと協働したご当地版) * ポケット人生ゲーム(7代目のポケット版)追加エリアは2つ(2022年9月より価格改定<ref name="名前なし-rKJZ-1">改定前¥1,045→改定後¥1,199</ref><ref name="p2209" />) * ポケット人生ゲームMOVE! * ポケット人生ゲーム タイムスリップ * [[セブン-イレブン]] ポケット人生ゲーム タイムスリップ * ポケット人生ゲームスポーツ * ポケットドラえもん人生ゲーム * ポケットジャンボドリーム人生ゲーム * ポケット大逆転人生ゲーム(2022年9月より価格改定<ref name="名前なし-rKJZ-1"/><ref name="p2209" />) * [[埼玉西武ライオンズ]]ポケット人生ゲーム(2022年8月『ライオンズフェスティバルズ2022』来場小学生限定配布) * [[すみっこぐらし]]ポケット人生ゲーム(2022年10月) * [[東京リベンジャーズ]]ポケット人生ゲーム(2023年1月、書店販売) * [[ちいかわ なんか小さくてかわいいやつ|ちいかわ]]ポケット人生ゲーム(2023年10月) ; [[トイザらス]]限定 * 人生ゲーム(6代目)セレブルール付き - 2015年9月発売(セレブルール追加版) * 人生ゲーム(6代目)ポケット初代版人生ゲーム付き * 人生ゲームDD ダイナミックセレブルール付き - 2016年7月発売(セレブルール追加版) * 人生ゲーム(7代目)新セレブルール付き - 2017年9月発売(大統領ルール追加版) ; 週刊少年ジャンプ共同企画 :1998年に[[週刊少年ジャンプ]]と人生ゲームが共に発売から30周年を迎えた記念に作られた。ジャンプの読者懸賞の景品としてのみの配布であったため、現在は入手困難である。 * [[こちら葛飾区亀有公園前派出所]] 一攫千金人生ゲーム * [[世紀末リーダー伝たけし!]] リーダー的人生ゲーム * [[ONE PIECE]] 宝探し人生ゲーム ; [[明治安田生命]]共同企画 * 人生ゲーム 明治安田生命オリジナル版 - 人生ゲームEXがベース ; [[江崎グリコ]]共同企画 グリコとの共同企画商品で、イオングループの店舗で限定発売。 * グリコ版おかしの人生ゲームBOX(2004年版) * 2005年グリコ版 おかしの人生ゲーム 奪われたグリコの財宝を取り戻せ! * 2006年グリコ版 おかしの人生ゲーム 〜グリコNo.1アスリート決定戦!!〜 ; [[読売新聞]] * 読売新聞版人生ゲーム(2014年12月4日 読売東京夕方) * 読売KODOMO新聞版人生ゲーム(2021年3月4日 読売KODOMO新聞) ; [[トヨタ・カローラ]] * TOYOTA CAROLLA 人生ゲーム ; [[本田技研工業|HONDA]] * [[ホンダ・ステップワゴン|ステップワゴン]]オリジナル人生ゲーム<ref name="mota"/> ; [[神奈川日産自動車]] * 人生ゲームEX KANAGAWAバージョン ; [[ライブドア]] * 人生ゲームM&A livedoor Special Edition ; [[日本ミルクコミュニティ|メグミルク]] * 人生ゲームEX 牧場の朝ヨーグルトオリジナル版 ; [[課長島耕作|島耕作]]シリーズ * 人生ゲーム島耕作(『会長 島耕作』第1巻特装版付録のミニゲーム) ; [[ソフトバンク]] * [[白戸家|お父さん&ギガちゃん]] 人生ゲーム ; [[アサヒビール]] * アサヒビール版人生ゲーム ; [[マクドナルド]] * マクドナルドクルー 人生ゲーム([[ハッピーセット]]おまけ) * 人生ゲーム(2021年ハッピーセット『パーティーゲーム by HASBRO』) * 目指せ社長への道!マクドナルド人生ゲーム(2023年ハッピーセット「みんなで!パーティーゲーム」) ; 50周年企画 * 出前坊やの出前人生ゲーム : 2017年12月発売の日清食品『[[出前一丁]] 5食パック』に封入。 * [[B'z]]人生ゲーム(デビュー30周年記念) * 輪島漆人生ゲーム 春夏秋冬(坂本乙造商店 製作) * ユニバーサル人生ゲーム([[点字]]用) ; 田中貴金属工業 * 純金製人生ゲーム(非売品) : 純金約12.4㎏、純プラチナ約4.5㎏、貴金属部分重量17,015.68g、時価約1億5千万円。ベースは人生ゲーム(2016ver.)<ref>[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000050561.html 【イベントレポート】人生ゲーム史上最高額 時価総額1億5,000万円「純金製人生ゲーム」お披露目 同重量の金の延べ棒登場にヒロミさん「うわぁ、このまま欲しいなぁ」と思わずポロリ… ]PR TIMES 2019年11月20日</ref>。 ; [[月刊コロコロコミック]] * [[リッチ警官 キャッシュ!]]人生ゲーム - 2020年3月号(2020年2月15日発売)の付録として登場。コロコロコミック連載作品『リッチ警官 キャッシュ!』とコラボレーション、プレイヤーは警官として150億円を所持した状態でスタートし、捜査や犯人逮捕などで所持金を使い、所持金を多く使ったプレイヤーが勝利となる。 ; NISSAN KICKS e-POWER 人生ゲーム-全国アクティブ版- : 2022年日産キックスe-POWERコラボCM『リアル人生ゲーム』のキャンペーンプレゼント品。コマは実車の3Dデータから型を起こしている。 ;岡崎市 *おかざきゴールデンシニア人生ゲーム<ref>[https://www.city.okazaki.lg.jp/houdou/p037065.html おかざきゴールデンシニア人生ゲームを作成しました。] - 岡崎市</ref> - 愛知県岡崎市と共同製作した7代目モデル用の追加盤面。老人クラブや出前講座など老人向けイベントでの活用を目的に老人向けの支援事業や岡崎市にちなんだマス目を盛り込んだ高齢期を擬似体験させる内容で2022年より配布。 ;[[大阪府警察]] *大阪府警人生ゲーム - [[中堺警察署]]の開設を記念し、防犯・交通安全意識の向上を目的に府内66警察署を題材として各署管内の名物や中堺署の特性をPRする内容のマス目としたリーフレット<ref>[https://nikkankeisatsu.co.jp/news/210727-1.html 大阪府警が中堺署の誕生を記念して人生ゲームを製作 ] - 日刊警察</ref>。 ;[[岡山県警察]] *岡山県警人生ゲーム - 非行対策を目的に岡山県内の小学4-6年を対象に配布されるリーフレット。岡山市内4小学校での非行防止教室での児童からの意見も交えつつ、45マスの盤面で善行のマスでポイントが加算・非行のマスでポイントが減算するルールでポイントを競う<ref>[https://mainichi.jp/articles/20231107/k00/00m/040/048000c 「落書きも犯罪に」 社会のルール学ぶ人生ゲーム 岡山県警が制作] - 毎日新聞</ref>。 == 公式の人生ゲーム派生のゲーム == === テレビ番組 クイズ!人生ゲーム === 近年では、[[コンピュータゲーム]]版を発売しているほか、[[日本における衛星放送#BSデジタル放送|BSデジタル放送]]の[[ビーエス朝日|BS朝日]]では、毎週土曜日午後8時から[[双方向番組|双方向]]対応クイズ番組として、『クイズ!人生ゲーム 〜THE QUIZ OF LIFE〜』を放送していた。 司会は、人生案内人役として進行している[[宇梶剛士]]と、助手役として進行している[[野村真季]]アナウンサーの2人である。また、2005年の夏から『[[女優開発プロジェクト ××プロ]]』から、甲斐美花と[[山岸愛梨]]の2人が参加。この2人はUN(うん)ガールズとして進行した。 同番組は、同年の11月をもっていったん終了するが、[[2006年]]にはリターンズとして、以前の放送の一部を再放送し、同年春で完全終了。後番組は『[[みんなの脳ドリル]]』。 {{前後番組| 放送局=BS朝日| 放送枠=双方向クイズ番組| 番組名=クイズ!人生ゲーム| 前番組=[[列島クイズ!都道府県太郎]]| 次番組=[[みんなの脳ドリル]] }} === カードゲーム === [[モンスターメーカー]]系カードゲームの人気で、平成版を中心にカードゲーム化された。 * 人生カードゲーム * カードをめくると、時代が見える。 人生ゲーム平成版カードゲーム(イラスト - 蛭子能収) * 時代が生んだ究極のゲーム 人生ゲーム平成版IIカードゲーム(イラスト - 若林健治) * バブル時代の総決算ゲーム 人生ゲーム平成版IIIカードゲーム * ポスト・バブルを生き残れ!! 人生ゲーム平成版IVカードゲーム * ポスト・バブルを生き残れ!! 人生ゲーム平成版IVカードゲームコンパクト * 人生2度ある!?リストラゲーム 人生ゲーム平成版Vカードゲーム(イラスト - 水玉螢之丞) * 見えない時代の生き方改造ゲーム 人生ゲーム平成版VIカードゲーム(イラスト - 水玉螢之丞) * 見えない時代の生き方改造ゲーム 人生ゲーム平成版VIカードゲームコンパクト * 見えない時代のナビゲーター 人生ゲーム平成版VIIカードゲーム * 大人のお遊戯 オトナの人生ゲームカード(2013年12月発売、イラスト五月女ケイ子) === コンピュータゲーム === ==== 家庭用ゲームソフト ==== 特に表記がないものについてはタカラから発売。 <span style="font-size:smaller; font-family:Osaka,'MS Pゴシック'">''FC=[[ファミリーコンピュータ]]、PCE=[[PCエンジン]]、GB/GBA=[[ゲームボーイ]]/[[ゲームボーイアドバンス]]、SFC=[[スーパーファミコン]]、PS/PS2=[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]/[[PlayStation 2]]、DC=[[ドリームキャスト]]、N64=[[NINTENDO64]]、GC=[[ニンテンドーゲームキューブ]]、DS=[[ニンテンドーDS]]、Wii=[[Wii]]、iOS=[[iOS]]、Android=[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]、Switch=[[Nintendo Switch]]''</span> ; メインシリーズ * [[SUPER人生ゲーム]] (SFC:1994年3月18日) *: [[青山剛昌]]がキャラクターデザインを担当。 * 人生ゲーム (GB:1995年6月23日) * [[SUPER人生ゲーム2]] (SFC:1995年9月8日、開発:[[KID (ゲームブランド)|KID]]) * [[DX人生ゲーム]] (SS:1995年12月15日、PS:1996年3月22日、開発:KID) * [[SUPER人生ゲーム3]] (SFC:1996年11月29日、開発:KID) * [[DX人生ゲームII]] (SS:1997年7月24日、PS:1997年7月24日、開発:KID) * 人生ゲーム64(N64:[[1999年]]3月19日) * 人生ゲーム 友達たくさんつくろうよ! (GB:1999年4月23日、開発:[[アイミーマイン]]) * DX人生ゲームIII (PS:1999年12月2日) * 人生ゲーム for Dreamcast (DC:2000年6月22日) * DX人生ゲーム (GB:2001年4月27日) * DX人生ゲームIV (PS:2001年11月29日) * EX人生ゲーム (PS2:2002年3月7日) * 人生ゲーム アドバンス (GBA:2002年4月18日) * DX人生ゲームV (PS:2002年12月5日) * SPECIAL人生ゲーム (GC:2003年5月1日) * EX人生ゲームII (PS2:2003年11月6日、開発VR-1 JAPAN) * NEW人生ゲーム (PS2:2004年12月2日、発売:アトラス、開発:アイミーマイン) * 人生ゲームDS (DS:2006年7月27日、発売:アトラス) * 人生ゲーム Wii (Wii:2007年12月27日、開発:[[SEモバイル・アンド・オンライン]]) *: イメージキャラクターに[[森三中]]を起用。[[Mii]]のモデルにもなっている。 * 人生ゲームWii EX (Wii:2008年11月13日、開発:アイミーマイン) * 人生ゲーム - [[Wiiウェア]]。『EX』の機能縮小版(15ターンで終了)。 * 人生ゲームDS (DS:2009年12月3日) - アトラス版と同名であるが、別のゲームである。 * 人生ゲーム ハッピーファミリー (Wii:2010年11月11日、開発:アイミーマイン) * 人生ゲーム ハッピーステップ - [[Wiiウェア]]。『ハッピーファミリー』の機能縮小版 * 人生ゲーム ハッピーファミリーご当地ネタ増量仕上げ (Wii:2011年9月1日、開発:アイミーマイン) * 人生ゲーム2011 (Android:2011年11月18日) * 人生ゲーム2012 (iOS:2012年1月26日) - 2011のiOS版 * 人生ゲーム~借金返済計画~ (iOS、Android:2012年11月19日、開発:[[スペースアウト]]) * 人生ゲーム (iOS、Android:2013年9月27日) * 人生ゲーム 恋のルーレット編 (Android:2014年12月22日、iOS:2015年1月16日) * 人生ゲーム 確定拠出年金編 (Android:2015年9月29日、iOS:2015年10月9日) * THE GAME OF LIFE: 2016 Edition (iOS:2016年7月14日、Android、Windows、Steam、開発:Marmalade Game Studio) * 人生ゲーム for Nintendo Switch (Switch:2023年10月6日) ; さくま式人生ゲームシリーズ * [[さくま式人生ゲーム]] (PS:1998年12月10日) *: 人生ゲーム30周年記念に[[さくまあきら]]を招いて製作された。 * [[お仕事式人生ゲーム めざせ職業王]] (PS:2000年12月14日) *: 「さくま式」の続編的な扱いで、さくまあきら・[[土居孝幸]]・[[宮路一昭]]の三人が製作に携わっている。ただし、この三人のネームバリューを前面に押し出した宣伝などは行われなかった。 ; クイズだらけの人生ゲームシリーズ * クイズだらけの人生ゲーム (PS:1999年9月30日) * 第二回!クイズだらけの人生ゲーム (PS:2002年10月17日) ; 人生ゲームQ DSシリーズ * 人生ゲームQ DS 昭和のデキゴト (DS:2007年12月27日) * 人生ゲームQ DS 平成のデキゴト (DS:2007年12月27日) ; RPG作品 * [[人生ゲーム伝説]] (GB:1991年6月28日、開発:[[アドバンスコミュニケーション]]) * RPG人生ゲーム (FC:1993年11月26日) ; タカラトミー以外の作品 * 遊々人生 (PCE:1988年4月22日、発売:ハドソン) *: 人生ゲーム(3代目)をテレビゲーム用にアレンジした内容。 ==== 液晶携帯ゲーム ==== * 液晶携帯人生ゲーム * 人生ゲームプチ (2008年)- 歩数計タイプ ; 人生ゲームキャンディ 携帯液晶ゲームとして2005年に発売され、のちに追加要素を増やした'''人生ゲームキャンディ120%'''も発売された。ボードゲームの人生ゲームが、複数人数で遊ぶゲームだったのに対して、基本的に1人用の育成タイプのゲームである。(通信機能により、他人のものと交流は可能。)「1週間で人生を体験しちゃお」をコンセプトに、女性向けとして作られている。ルーレットによって運命が決まるという人生ゲームらしさはあるものの、キャラクターを育てるという点において、既存の人生ゲームよりも[[たまごっち]]に近いゲームといえる。形は5.5センチほどの円形で、ボールキーチェーンがついている。カラーバリエーションが多く、いずれもキャンディの味を思わせる名前がついており、カラフルなものになっている。 * 人生ゲームキャンディ ** 人生ゲームキャンディ オレンジフロート ** 人生ゲームキャンディ メロンクリームソーダ ** 人生ゲームキャンディ バニラミルク ** 人生ゲームキャンディ ストロベリージャム ** 人生ゲームキャンディ オーシャンアイス ** 人生ゲームキャンディ トロピカルソーダ ** 人生ゲームキャンディ マンゴジュレ ** 人生ゲームキャンディ ピーチクリーム ** 人生ゲームキャンディ ポップチップバニラ([[トイザらス]]限定カラー) * 人生ゲームキャンディ120% ** 人生ゲームキャンディ120% ピーチトルネード ** 人生ゲームキャンディ120% シンデレラアイス ** 人生ゲームキャンディ120% アセロラバンチ ** 人生ゲームキャンディ120% ブルーベリーボンボン ==== メダルゲーム ==== * 人生ゲーム バブルタワーズ : セガ発売。プッシャー機。 * メダルーキー『人生ゲーム ジャンジャン大富豪!!』 : [[アトラス (ゲーム会社)|アトラス]]より発売。シングルプッシャータイプのメダルゲーム。2006年4月より稼動。 ==== オンラインゲーム ==== 両作とも公式ゲーム。 * 人生ゲームオンライン * 人生ゲーム BATTLE ONLINE : 2005年12月21日よりオープンβ版が開始。 * [[ザスーラ|ZATHURA]]×人生ゲーム : 2005年12月7日、映画コラボゲーム。現在はサイト終了。 ==== 携帯アプリ ==== SEモバイル・アンド・オンラインが開発を担当。 * 人生ゲーム平成版 * 人生ゲームBB * 人生ゲームクイズ編 * 人生ゲームM&A * 人生ゲーム昭和おもひで劇場 * ZATHURA×人生ゲーム(映画コラボゲーム) * とんでも!!人生ゲーム * 人生ゲーム大統領になろう! * 人生ゲーム * 人生ゲームロイヤルセレブ * 人生ゲームRD * 人生ゲーム初代復刻版 * おしごと発見!人生ゲーム * 人生ゲーム旅情編 * 人生ゲーム恋愛編 * 人生ゲーム心霊の館 * 人生ゲーム-果汁刑事vsマンゴマンボ団- * Disney Edition 人生ゲーム 、他 * 人生ゲーム for GREE : [[GREE]]から発売の携帯電話用ソーシャルゲーム。2010年8月10日より開始。 ===イベント=== * まちあそび人生ゲーム : 商店街を使って人生ゲームを行う町興し企画。島根県出雲市のNPO法人「出雲まちあそび研究所」が、タカラトミーの許諾を得たうえで展開<ref>[https://www.machiasobi.jp/ NPO法人出雲まちあそび研究所]</ref>。2013年に出雲市平田本町商店街にて初開催され、2018年11月4日には日本版50周年記念として[[東京都]][[葛飾区]]にある[[青戸 (葛飾区)|青戸]]など6カ所の商店街を舞台に「まちあそび人生ゲーム in 葛飾」が実施された<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28184060V10C18A3L83000/ 商店街を舞台に「リアル人生ゲーム」タカラトミー]『日本経済新聞』朝刊2018年3月16日(東京・首都圏経済面)</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.katsushika.lg.jp/information/1000073/1005394/1019243.html |title=「第1回まちあそび人生ゲームIN葛飾」が行われました|accessdate=2019-6-1|date=2019-1-18|publisher=[[葛飾区]] <!-- |archiveurl=https://archive.is/BTl9g |archivedate=2019-5-31 --> }}</ref> * 明治村版リアル人生ゲーム : [[博物館明治村]]内でタブレットを使った企画。団体限定で参加料は無料だが、のりもの1日券付入村券の購入は別途必要。 * みんなでつくる人生ゲームプロジェクト *: 小学校児童が地元の特色や環境をテーマに考案したマス目や挿絵を元にオリジナル人生ゲームを製作し披露する。 ** 第1弾:東京都足立区立辰沼小学校 ** 第2弾:沖縄県[[竹富町]]内11小学校共同製作 ** 第3弾:東京都葛飾区立よつぎ小学校 - [[持続可能な開発目標]](SDGs)をテーマに制作、本企画をベースとして「みんなでつくるSDGs人生ゲーム」授業に発展。 *みんなでつくるSDGs人生ゲーム<ref>[https://www.takaratomy.co.jp/company/social_contributions/educational/online/ オンライン授業「みんなでつくるSDGs人生ゲーム」] - タカラトミー</ref> *:タカラトミー社員によるオンライン授業とSDGsにまつわるマス目制作と考案した盤面プレイを通して、SDGs運動の啓発や地域の素晴らしさ・課題を認識させるタカラトミーの社会貢献活動の一環として行われる授業企画。授業では手本となる盤面ポスターが配布され各マス目には関連する目標のアイコンがあしらわれ、SDGsに則ったマス目は持ち金が増加、SDGsに反するマス目は持ち金が減少するルールとした。 *リアルゴールデンアイランドSADOスタンプラリー *:新潟県佐渡市とのコラボレーションとして、佐渡島を人生ゲームのコースに見立てたスタンプラリーイベント。2022年11月から2023年5月開催。 === その他 === * [[人生ゲームハイ&ロー]]・ゲーム(1980年) : タカラが発売したボードゲームであるが番組内容に即しており人生ゲームとは全く異なった内容。 * [[もっと!チェッカーズ]]ゲーム(1985年) : タカラから発売されたボードゲーム。遊び方は人生ゲームと同じ。コマは[[チェッカーズ]]ファンの女の子という設定。コマを進めるごとにチェッカーズにファンレターを送り、ゴールはメンバーとデート出来るというもの。 * 毎日エンジョイカレンダー 人生ゲーム2008 : 2007年10月1日発売。カレンダータイプのゲームで普通のカレンダーとしてもボードゲームとしても楽しむことができる。壁掛け版・ミニサイズ版の2種類を発売。 * 人生ジェンガ : 2010年9月30日発売。人生ゲームルーレットの要素を取り入れた[[ジェンガ]]。 * [[ケツメイシ]]『出会いのカケラ』 : 自動車ゴマの写真がジャケットデザインに起用。 * CR人生ゲーム : 2012年7月に[[三洋物産]]よりリリースされた本作のタイアップ[[パチンコ|パチンコ機]] * ヨロン島リアル人生ゲーム<ref>[http://www.yorontou.info/hp/a0300/Oshirase/Pub/Shosai.aspx?AUNo=3964&Pg=1&St=0&OsNo=1 人生ゲーム島・ヨロン]</ref> : 人生ゲームアドベンチャーと与論町とのタイアップ企画イベント。 * YouTube動画・「人生に驚きと歓びを」 : 2016年1月配信。空港荷物受取口のベルトコンベアをマス目に見立て行われたサプライズ動画。 * [[綾鷹]]人生ゲーム : 綾鷹とコラボしたプラウザゲーム。 * 人生ゲーム COMPLETE : 2017年3月25日に[[主婦の友社]]から発売のムック。 * au版人生ゲーム : auとのコラのボコラボのオンラインミニゲーム。 == The Game of Life のバリエーション == 現在ハズブロから発売されている『The Game of Life』も、ゲーム内容はほぼ同じながら、日本とは別展開で販売されている。 * The Game of Life (1860 - 2005ver) オリジナルシリーズ * The Game of Life (40th Anniversary Edition) (1999) * The Game of Life in Monstropolis (2001)『[[モンスターズ・インク]]』より * The Game of Life: A Jedi's Path (2002)『[[スター・ウォーズ]]』シリーズより * The Game of Life: Card Game (2002) * The Game of Life Fame Edition (2002) * The Game of Life Junior Game(2002) * The Game of Life: Pirates of the Caribbean (2004)『[[パイレーツ・オブ・カリビアン]]』より * The Game of Life: The Simpsons Edition (2004)『[[ザ・シンプソンズ]]』より * The Game of Life: Spongebob Squarepants Edition (2004)『[[スポンジ・ボブ]]』より * The Game of Life: Pirates of the Caribbean – Dead Man's Chest (2006)『[[パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト]]』より * The Game of Life: Twists & Turns (2007) ICルーレット版と同様 * The Game of Life Express (2007) * The Game of Life: Pirates of the Caribbean – At World's End (2007)『[[パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド]]』より * The Game of Life: Indiana Jones (2008)『[[インディ・ジョーンズ シリーズ|インディ・ジョーンズ]]』より * The Game of Life: The Wizard of Oz (2008)『[[オズの魔法使]]』より * The Game of Life: Family Guy Collector's Edition(2008)『[[ファミリー・ガイ]]』より * The Game of LIFE: The Haunted Mansion – The Disney Theme Park Edition (2009)『[[ホーンテッドマンション]]』より * The Game of Life: Extreme Reality Edition (2009) * The Game of Life: Adventures Card Game (2010) * The Game of LIFE: It's A Dog's Life Edition (2011) * The Game of LIFE: zAPPed Edition (2012) * The Game of Life (2013 Editions) (2013) * The Game of Life: 50th Special Anniversary Edition (2010) * The Game of Life: My Little Pony (2014)『[[マイリトルポニー]]』より * Despicable Me Minion The Game of Life(2014)『[[怪盗グルーの月泥棒 3D|怪盗グルーの月泥棒]]』より * The Game of Life: Inside Out Edition(2015)『[[インサイド・ヘッド]]』より * The Game of Life: Yo-kai Watch Edition (2016)『[[妖怪ウォッチ]]』より * The Game of Life: Quarter Life Crisis(2019) * The Game of Life: Super Mario Edition(2021)『[[スーパーマリオシリーズ|スーパーマリオ]]』シリーズより * ''The Game of LIFE:'' Jurassic Park ''Edition'' (2022) 『[[ジュラシック・パーク]]』より == 脚注 == <references /> == 関連項目 == * [[ライフ・アズ・ア・ブラックマン]] * [[モノポリー]] * [[爆笑!!人生劇場]] * [[チョロQ (ゲーム)]] - 自動車コマを模したチョロQが登場する。 == 外部リンク == * [https://www.takaratomy.co.jp/products/jinsei/ 人生ゲーム公式サイト] * [https://www.takaratomy.co.jp/products/jinsei/50th/index.html 人生ゲーム50周年記念ページ] ** {{Twitter|jinsei_days|人生さん}} {{boardgame-stub}} {{DEFAULTSORT:しんせいけえむ}} [[Category:ボードゲーム]] [[Category:人生ゲーム|*]] [[Category:タカラトミー]] [[Category:登録商標]]
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RPG
RPG(アールピージー)
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RPG(アールピージー)
'''RPG'''(アールピージー) == 略語 == * [[ロールプレイングゲーム]](role-playing game) - テーブルゲーム、もしくはそれに起源する[[コンピュータゲーム]]。 ** [[テーブルトークRPG]] ** [[コンピュータRPG]] * [[RPG (プログラム言語)]](Report Program Generator) - 1959年に[[IBM]]の汎用機向けに開発された[[プログラミング言語]]。汎用機以外にIBMの[[System i|AS/400]]及びその後継シリーズでも使用される。 * [[RPG (兵器)]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]・[[ロシア]]の携帯式[[対戦車擲弾]](対戦車手榴弾)、あるいは携帯式[[擲弾発射器#対戦車擲弾発射器|対戦車擲弾発射機]](グレネードランチャー)。 * 標準処方眼鏡(Regulation Prescription Glasses) - [[アメリカ軍]]で支給される眼鏡。RPGと略される他、[[GIグラス]]とも呼ばれる。 == 作品名 == * [[R.P.G.]] - [[宮部みゆき]]の[[小説]]、およびそれを原作にした[[日本放送協会|NHK]]の[[テレビドラマ]]。 * [[RPG (School Food Punishmentの曲)]] - [[日本]]の[[バンド (音楽)|ロックバンド]]・[[school food punishment|School Food Punishment]]の[[シングル]]曲。 * [[RPG (SEKAI NO OWARIの曲)]] - 日本のバンド[[SEKAI NO OWARI]]のシングル曲。 * [[RPG (グレース・イップのアルバム)]] - [[香港]]の歌手[[グレース・イップ]]のアルバム。 * {{日本語版にない記事リンク|RPG (映画)|en|The Wild Hunt (film)}} * [[RPG不動産]] - [[険持ちよ]]による[[日本]]の[[4コマ漫画]]。 == 関連項目 == * [[Wikipedia:索引 R#RP]] * {{Prefix|RPG}} * {{Intitle|RPG}} {{Aimai}} [[Category:頭字語]] [[Category:同名の作品]]
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野球盤
野球盤(やきゅうばん)は、野球を題材としたボードゲーム。同様のものは戦前から存在していたが、エポック社が1958年(昭和33年)に発売したものなどがよく知られている。ここでは特に断りのない限り、エポック社製のものを中心に記述する。 長期間に渡り、徐々に機能が追加された新製品が発売されている。以下はその代表的なものの説明である。 ボードの上に野球のグラウンドがしつらえてある。球はパチンコ玉に似ており、ピッチャーの位置にある装置に装填し、バックスクリーンの裏にあるレバーで投球する。投球は盤上を転がる。ホームベース手前には磁石が仕込まれており、カーブ・シュートを投げ分けられる。2015年(平成27年)以降は投球が空中を飛ぶ「3Dピッチング」が追加された(3Dエース)。2018年(平成30年)には9コースへの投げ分けが可能になった。 攻撃側は、左右どちらかの打席の穴にバット又はバッター人形をはめ込んだ後、捻って構えに入る(ばねがあり、いっぱいにまわすと固定される仕掛け)。球が投げられたら、スイッチ(ボタン及びレバー)を操作してばねを開放して回転させる。タイミングが合えば球は内外野に転がって行くか飛んで行く。打球が野手の位置に設けられた穴に落ちればアウト、穴に落ちることなくフェアゾーン内で打球が止まればヒットとなる。また、外野フェンス際にも各種の穴(アウト・一塁打・二塁打・三塁打・本塁打)があり、打球が一塁打の穴に入ると1ベースヒット、二塁打の穴に入ると2ベースヒット、三塁打の穴に入ると3ベースヒット、そして、本塁打の穴に入ったり、実際の野球と同様に打球がノーバウンドでフェンスや観客席を超えて当たったり、フェンススタンドに入ったり、場外に出れば当然、ホームランとなる。更に、バウンドして観客席や場外に達すると、エンタイトル・ツーベース(二塁打)となる事もある。 2010年(平成22年)以降はジャストミートすると放物線を描いてスタンドに入るモデルが発売されている。 追加された機能の代表的なものとして、消える魔球がある。1971年(昭和46年)、漫画『巨人の星』の人気に合わせ、ホームプレート直前にある部分が下がって穴が開くことにより「消える魔球」を再現できる機能が追加された「B型」が発売された。しかし、守備側に消える魔球を使われると、攻撃側は絶対に打てないため、取扱説明書では消える魔球は「ボール球」として扱われ、打者が見送ればボールになると定められている。タイミングによっては穴に落ちる直前にバットの先に引っ掛かるように当たることがあり、跳ね上がって柵越えになることも多かった。稀に、ボールが穴とバットに挟まれることもあった。当時のCMキャラクターは大村崑で消える魔球を面白楽しく宣伝していた。また、野茂英雄がメジャーリーグで活躍するようになった1996年(平成8年)前後に発売されたシリーズでは「フォークボール機能」という名称が使われている。近年では消える魔球とは反対の、ホームプレートが盛り上がってボールを飛び跳ねさせ空振りさせる「雷神球」が搭載されたこともあった。 この後、実際の野球場が変化するにしたがって、グリーン部分に人工芝が張られた「人工芝」、全体に透明カバーがはめられた「ドーム球場」と仕様が変更されて発売されている。また、この野球盤ゲームの成功がその後開発されたサッカー、アイスホッケーなどのスポーツボードゲームにも活かされている。 ボールが鉄製のものとそうでないものの2種類あり、前述の変化球が不可能であるボールも存在した。そちらのほうが軽いため、球速は速くなる。 2009年以降は実況音声や電飾機能を搭載した「電光掲示板」が付属したモデルが発売されている。実況音声にはフリーアナウンサーの松本秀夫を起用している。(ライブスタジアム-メガスラッガー)。 2007年には、ホープによりアーケード版が発売された。エレメカとしてアナログのギミックをそのままに楽しめる。1人プレイでは攻撃のみをプレイし、投球はCPUが行う。2人プレイ時は、チェンジの際にダイヤモンド部分が半回転し、常に正しい方向を向くようになっている。消える魔球も使用可能(回数制限あり)。ゲーム中の操作はすべてボタンで行える。 通常の投球方法は、レバーを引いてから離すことにより行われるが、離すと同時に押えていない方の手でレバーを弾くことにより、(スケールスピードで時速150キロ超え相当の)豪速球を投げられる。これをされると、攻撃側は投げたと同時にバットのボタンを押さないとスイングが間に合わない。また、レバーを離すのでなく、押し出すことで、弾く球と比較してチェンジアップ的な速度の投球も可能である。 エポック社のビッグエッグ野球盤と野球盤PROについてはバッティングがレバー方式となっており通常はレバーを引くことによりバッティングが出来るが、打つときに力を入れてレバーを前に押し返すと会心の当たりが打てる。 消える魔球機能でボールが坂を下りかけたところで、レバーを弾いて勢いよく戻すとホップする。ホップが高過ぎるとバックネット側を飛び越えてしまうが、この場合はボールやワイルドピッチとして扱うローカルルールが存在する。逆にホップが低いとバットに当てられてしまうが、打球が浮くため当たりによってはスタンド入りや場外ホームランになってしまうことがある。また、ボールをとても遅くカーブさせながら投げると、ボールが壁に当たりはねかえってくる。これを応用すればストライクゾーンに投げられる。 公式ルールとしては扱えないが、極めて遅い投球をした後、変化球動作のためのマグネットを小刻みに動かすことで1塁/3塁へ玉を弾くことで、牽制球ができる。 過去に、実在の日本の球団・球場・あるいは選手とのコラボレーションによる野球盤が実在した。
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野球盤(やきゅうばん)は、野球を題材としたボードゲーム。同様のものは戦前から存在していたが、エポック社が1958年(昭和33年)に発売したものなどがよく知られている。ここでは特に断りのない限り、エポック社製のものを中心に記述する。
[[File:Yakyuban.jpg|thumb|250px|野球盤]] '''野球盤'''(やきゅうばん)は、[[野球]]を題材とした[[ボードゲーム]]。同様のものは戦前から存在していたが、[[エポック社]]が[[1958年]](昭和33年)に発売したものなどがよく知られている。ここでは特に断りのない限り、エポック社製のものを中心に記述する。 == 概説 == 長期間に渡り、徐々に機能が追加された新製品が発売されている。以下はその代表的なものの説明である。 ボードの上に[[野球]]のグラウンドがしつらえてある。球はパチンコ玉に似ており、[[投手|ピッチャー]]の位置にある装置に装填し、バックスクリーンの裏にあるレバーで投球する。投球は盤上を転がる。ホームベース手前には磁石が仕込まれており、[[カーブ (球種)|カーブ]]・[[シュート (球種)|シュート]]を投げ分けられる。2015年(平成27年)以降は投球が空中を飛ぶ「3Dピッチング」が追加された(3Dエース)。2018年(平成30年)には9コースへの投げ分けが可能になった。 攻撃側は、左右どちらかの打席の穴に[[バット (野球)|バット]]又は[[バッター|バッター人形]]をはめ込んだ後、捻って構えに入る([[ばね]]があり、いっぱいにまわすと固定される仕掛け)。球が投げられたら、スイッチ(ボタン及びレバー)を操作してばねを開放して回転させる。タイミングが合えば球は内外野に転がって行くか飛んで行く。打球が[[野手]]の位置に設けられた穴に落ちればアウト、穴に落ちることなくフェアゾーン内で打球が止まればヒットとなる。また、外野フェンス際にも各種の穴(アウト・一塁打・二塁打・三塁打・本塁打)があり、打球が一塁打の穴に入ると1ベースヒット、二塁打の穴に入ると2ベースヒット、三塁打の穴に入ると3ベースヒット、そして、本塁打の穴に入ったり、実際の野球と同様に打球がノーバウンドでフェンスや観客席を超えて当たったり、フェンススタンドに入ったり、場外に出れば当然、[[ホームラン]]となる。更に、バウンドして観客席や場外に達すると、エンタイトル・ツーベース(二塁打)となる事もある。 2010年(平成22年)以降はジャストミートすると放物線を描いてスタンドに入るモデルが発売されている。 追加された機能の代表的なものとして、[[消える魔球]]がある。1971年(昭和46年)、[[漫画]]『[[巨人の星]]』の人気に合わせ、ホームプレート直前にある部分が下がって穴が開くことにより「消える魔球」を再現できる機能が追加された「B型」が発売された。しかし、守備側に消える魔球を使われると、攻撃側は絶対に打てないため、取扱説明書では消える魔球は「ボール球」として扱われ、打者が見送ればボールになると定められている。タイミングによっては穴に落ちる直前にバットの先に引っ掛かるように当たることがあり、跳ね上がって柵越えになることも多かった。稀に、ボールが穴とバットに挟まれることもあった。当時のCMキャラクターは[[大村崑]]で消える魔球を面白楽しく宣伝していた。また、[[野茂英雄]]がメジャーリーグで活躍するようになった[[1996年]](平成8年)前後に発売されたシリーズでは「[[フォークボール]]機能」という名称が使われている。近年では消える魔球とは反対の、ホームプレートが盛り上がってボールを飛び跳ねさせ空振りさせる「雷神球」が搭載されたこともあった。 この後、実際の野球場が変化するにしたがって、グリーン部分に人工芝が張られた「人工芝」、全体に透明カバーがはめられた「ドーム球場」と仕様が変更されて発売されている。また、この野球盤ゲームの成功がその後開発された[[サッカー]]、[[アイスホッケー]]などのスポーツボードゲームにも活かされている。 ボールが鉄製のものとそうでないものの2種類あり、前述の変化球が不可能であるボールも存在した。そちらのほうが軽いため、球速は速くなる。 2009年以降は実況音声や電飾機能を搭載した「電光掲示板」が付属したモデルが発売されている。実況音声には[[フリーアナウンサー]]の[[松本秀夫]]を起用している。(ライブスタジアム-メガスラッガー)。 [[2007年]]には、[[ホープ (企業)|ホープ]]により[[アーケードゲーム|アーケード]]版が発売された<ref>[https://allabout.co.jp/gm/gc/214707/all/ 懐かしの野球盤がゲームセンターで復活!]All About,2008年1月21日</ref>。[[エレメカ]]としてアナログのギミックをそのままに楽しめる。1人プレイでは攻撃のみをプレイし、投球はCPUが行う。2人プレイ時は、チェンジの際にダイヤモンド部分が半回転し、常に正しい方向を向くようになっている。消える魔球も使用可能(回数制限あり)。ゲーム中の操作はすべてボタンで行える。 == 高等テクニック == 通常の投球方法は、レバーを引いてから離すことにより行われるが、離すと同時に押えていない方の手でレバーを弾くことにより、(スケールスピードで時速150キロ超え相当の)豪速球を投げられる。これをされると、攻撃側は投げたと同時にバットのボタンを押さないとスイングが間に合わない。また、レバーを離すのでなく、押し出すことで、弾く球と比較して[[チェンジアップ]]的な速度の投球も可能である。 エポック社のビッグエッグ野球盤と野球盤PROについてはバッティングがレバー方式となっており通常はレバーを引くことによりバッティングが出来るが、打つときに力を入れてレバーを前に押し返すと会心の当たりが打てる。 消える魔球機能でボールが坂を下りかけたところで、レバーを弾いて勢いよく戻すとホップする。ホップが高過ぎるとバックネット側を飛び越えてしまうが、この場合はボールやワイルドピッチとして扱うローカルルールが存在する。逆にホップが低いとバットに当てられてしまうが、打球が浮くため当たりによってはスタンド入りや場外ホームランになってしまうことがある。また、ボールをとても遅くカーブさせながら投げると、ボールが壁に当たりはねかえってくる。これを応用すればストライクゾーンに投げられる。 公式ルールとしては扱えないが、極めて遅い投球をした後、変化球動作のためのマグネットを小刻みに動かすことで1塁/3塁へ玉を弾くことで、[[牽制球]]ができる。 == コラボレーション商品 == 過去に、実在の日本の球団・球場・あるいは選手とのコラボレーションによる野球盤が実在した。 === エポック社 === * 野球盤発売開始当初から、[[読売ジャイアンツ]]と企画・監修関係にあり[[長嶋茂雄]]らがCMに登場。「ジャイアンツ野球盤」や、「オールスター野球盤」というのも発売されたこともあった。「オールスター」では、当時の実在のプロ野球選手に似せたイラストが盤面に登場している(選手のライセンスや肖像権関係があったかどうかは不明)。 * [[1981年]]頃、「パーフェクト野球盤」で、[[読売ジャイアンツ]]・[[原辰徳]]選手が監修した「原辰徳のパーフェクト野球盤」が発売された。 * [[1988年]]の[[東京ドーム]]完成時に、同球場をモチーフとした「ビッグエッグ野球盤」のシリーズが開発された。「ビッグエッグ野球盤カスタム」という商品は[[サッカー]]のゲーム盤にも使える「多目的球場モデル」の商品であった。 * [[1993年]]には[[阪神甲子園球場]]監修の「野球盤jr 阪神甲子園球場」、[[1996年]]には[[野茂英雄]]の大リーグでの活躍を受けての「メジャーリーグスタジアム」、[[1999年]]には当時[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]に所属していた[[松坂大輔]]選手監修の「松坂大輔野球盤jr」も実際に発売された。また、[[2004年]]には[[阪神タイガース]]監修の「タイガース野球盤」が全国発売された他、[[愛知県]]限定の商品として[[中日ドラゴンズ]]が監修した「ドラゴンズ野球盤」、さらにアマチュア野球の[[茨城ゴールデンゴールズ]]とのタイアップとなる「[[萩本欽一|欽ちゃん]]球団 茨城ゴールデンゴールズ野球盤」(限定品)も発売された。 * 野球チーム以外ではコナミ(後の[[コナミデジタルエンタテインメント]])のテレビゲーム『[[実況パワフルプロ野球]]』とのコラボ商品や「[[週刊少年マガジン]]」・「[[週刊少年サンデー]]」創刊50周年記念のコラボ商品、2012年の「[[ドラえもん (キャラクター)|ドラえもん]]生誕100年前記念」として『[[ドラえもん]]』とコラボし、[[ひみつ道具]]や作中設定を盛り込んだ「ドラえもん野球盤」<ref>[http://getnews.jp/archives/226334 【東京おもちゃショー2012】空き地で野球やろうぜ! おなじみのキャラやひみつ道具が使える『ドラえもん野球盤』],ガジェット通信,2012年6月18日</ref>や、声優の[[水樹奈々]](阪神タイガースのファンとして知られる)が2016年9月に甲子園球場でライブ開催を行うのに伴ってライブグッズとして製作された「水樹奈々の野球盤」<ref>[http://www.mizukinana.jp/special/2016_livepark/goods.html NANA MIZUKI LIVE PARK 2016 GOODS]</ref>がある。 === その他 === * [[ツクダオリジナル]]が当時CMモデルに起用した[[読売ジャイアンツ]]・[[王貞治]]選手の監修で作った「王貞治のプロ野球盤」シリーズ、あるいは[[阪神タイガース]]監修の「タイガース野球盤」も実売された。 * エポック社への対抗からか、[[セガトイズ|ヨネザワ玩具(後のセガヨネザワを経て現・セガトイズ)]]も「ビッグエアロドーム」なる野球盤を開発したことがあった(こちらは東京ドームとのライセンス関係はない)。 == LSIゲーム == ;デジコムナイン :1979年発売の、国産初のFLを搭載したLSIゲーム。5,950円。LEDの光が絵で描かれた球場の上で点灯し、[[蛍光灯|FL]]で点数を表示する本格的な野球ゲーム。2人用なら守備側は本体に隠れたボタンで投球し、攻撃側はバッティングボタンで打つ。21種類の変化球が可能。1人用の投球は自動で行われ、打球がヒットしたら自分で守備ボタンを押して得点表示させる。本作以降、FLゲーム機が電子ゲームの主流になった。デジコムはシリーズ化され、10種類程度が登場。廉価版『デジコムベースボール』もある<ref name="denshi">コアムックシリーズNO.682『電子ゲーム なつかしブック』p.17.</ref>。 ;LSIベースボール :バンダイより1981年発売。5,980円。『デジコムナイン』より立体的にデザインされている。守備側と攻撃側に分かれ、投手側はスコアボードを指して手元を隠し、カーブ、ストレート、シュートなどの4種類の投球ができる。バッター側は、タイミングよくボタンを押して打撃する。スコア類はデジタル表示。1~2人用<ref name="denshi2">コアムックシリーズNO.682『電子ゲーム なつかしブック』p.21.</ref>。 == 野球盤を応用したもの == * 毎年1月に放送される[[とんねるず]]司会の[[テレビ朝日]]の特別番組『[[夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル]]』では、この野球盤ゲームを応用した「リアル野球BAN対決」が実施されている。このゲームは毎年、[[石橋貴明]]を中心とするチームと前年に活躍したプロ野球選手を対戦相手にして実際の[[野球場]](平年は[[東京ドーム]]または[[札幌ドーム]]だが、数回[[西武ドーム]]で行ったことがある。観客には開放されず)に野球盤ゲームのセットを再現したもの。 ** 投手の投球はバーチャルピッチングマシン(バッティングセンターで実際に投手が投げている映像を利用したもの)を使い、それを対戦する両者が通常の野球と同じく各イニングス表と裏の攻撃に分かれて打席に立って対戦するというもの。他のルールは上記の野球盤のルールを準用するが、外野のフィールドの何も書かれていない部分に打球が止まった場合はアウトになる。 * [[東海テレビ放送|東海テレビ]]の『[[ぐっさん家~THE GOODSUN HOUSE~]]』でもリアル野球盤が登場している。また、2006年まで毎年1月4日に放送されていたスポーツイベント番組[[プロ野球オールスタースーパーバトル]]にもリアル野球盤が登場していた(こちらは観客に開放)。 * [[フジテレビジョン|フジテレビ]]の深夜番組『[[FNS地球特捜隊ダイバスター]]』で[[消える魔球]]を打つ企画が放送され、バットを溶接して長軸化、野球盤本体の改造により目的を達成した。 * [[フジテレビONE]]では、2013年3月13日と3月14日の2日にわたり、実際の野球盤の試合を本当のプロ野球中継のごとく実況生中継で放送するという番組「THE野球盤 L!VE2013」という番組が放映された。[[すぽると!]]の中継スタジオに野球盤を持ち込み、[[CCDイメージセンサ|CCDカメラ]]を8台野球盤に取り付けることによって、実際のプロ野球中継に似たカメラアングルを実現した。その後も何回か放送しており、[[山本昌]]、[[三浦大輔]]、[[相川亮二]]、[[渡辺俊介]]、[[畠山和洋]]をはじめ、現役プロ野球選手も出演し実際に野球盤でプレイしている。 * 日本国内産の木製[[バット (野球)|バット]]の約半数が作られている<ref>{{Cite news |url=https://r.nikkei.com/article/DGKKZO32562040T00C18A7LB0000?s=5 |title=木製バット 半数「福光産」 |work=日本経済新聞 |newspaper=[[日本経済新聞]] |date=2018-07-04 |accessdate=2020-01-07 }}</ref>[[富山県]][[南砺市]][[福光町|福光]]地域では、2014年から毎年10月に「バットの町福光 小学生リアル野球盤大会」が開催されている<ref>{{Cite news |url=https://webun.jp/item/7128730 |title=野球少年集まれ 25日福光公園、リアル野球盤で対決 |work=北日本新聞 |newspaper=[[北日本新聞]] |date=2014-10-09 |accessdate=2020-01-07 }}</ref>。 * 鉄道車両の整備を手掛ける[[堀江車輌電装]]により、幅・奥行5.2mの大型野球盤が障害者にやさしい設計で開発され、[[ユニバーサル野球]]という名で小学校や特別支援学校などで活用されている<ref>「[https://maidonanews.jp/article/12911666 まるで特大野球盤!重い障害があっても野球を…元球児の熱い思い]」2019年12月4日 [https://maidonanews.jp/ まいどなニュース](2020年11月26日閲覧)</ref><ref>「[https://www.dreamnews.jp/press/0000205423/ プロ野球選手と「ユニバーサル野球」で“ガチンコ勝負”できる -障がいやスポーツ経験のある・なし問わず誰でもできるユニバーサル野球、 ベースボールクリスマス2019 in愛媛に初めてのブース出展実現!]」2019年11月15日 [https://www.g-in.jp/ グローバルインデックス]運営「[https://www.dreamnews.jp/ Dreamnews]」(2020年11月26日閲覧) </ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[ファミコン野球盤]] - [[1989年]](平成元年)発売の[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]用ソフト。[[商標]]の流用以外に玩具としての野球盤との共通項は存在しない。 * [[世界のアソビ大全51]] - [[2020年]](令和2年)発売の[[Nintendo Switch]]用ソフト。野球盤を再現したゲームが収録されている。 * [[テーブル・フットボール]] == 外部リンク == * [https://epoch.jp/ty/yakyuban/ エポック社の野球盤] - エポック社 * [https://allabout.co.jp/gm/gc/214707/ 懐かしの野球盤がゲームセンターで復活!] - All About * [http://www.yakyuban-museum.com/ 野球盤ミュージアム] * [https://ameblo.jp/asolabo/theme-10066026588.html 親子でたのしい!大人もたのしい!アソラボ[野球盤&野球ゲーム]] * [https://www.facebook.com/asportsdayo/ eスポーツじゃないヨ aスポーツだヨ!!(アナログスポーツゲーム)] {{DEFAULTSORT:やきゆうはん}} [[Category:エポック社]] [[Category:ボードゲーム]] [[Category:野球ゲーム]]
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2月10日
2月10日(にがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から41日目にあたり、年末まであと324日(閏年では325日)ある。
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2月10日(にがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から41日目にあたり、年末まであと324日(閏年では325日)ある。
{{カレンダー 2月}} '''2月10日'''(にがつとおか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から41日目にあたり、年末まであと324日([[閏年]]では325日)ある。 == できごと == [[Image:Stamp_of_Albania_-_2005_-_Colnect_374065_-_Tom_and_Jerry.jpeg|thumb|120px|[[トムとジェリー]]第1作公開(1940)]] [[Image:道祖神が祀られたタンク山に参拝する地元の老婆.jpg|thumb|150px|[[神戸連続児童殺傷事件]](1997)]] * [[1258年]] - [[バグダードの戦い]]:[[アッバース朝|アッバーズ朝]]がバクダードを包囲したモンゴル軍に降伏。モンゴル軍は3日後の2月13日にバグダードに入城し、略奪・虐殺行為を開始<ref>{{Cite web |url=https://www.warhistoryonline.com/medieval/the-sack-of-baghdad-in-1258.html?safari=1 |title=The Sack Of Baghdad In 1258 – One Of The Bloodiest Days In Human History |access-date=17 Mar 2023 |publisher=WAR HISTORY ONLINE |date=15 Feb 2015 |language=En}}</ref>。 * [[1606年]]([[ユリウス暦]][[1月31日]]) - [[火薬陰謀事件]]の実行責任者[[ガイ・フォークス]]が[[首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑]]で処刑される。 * [[1635年]] - [[フランス]]で[[アカデミー・フランセーズ]]設立。 * [[1653年]]([[承応]]2年[[1月13日 (旧暦)|1月13日]]) - [[江戸幕府]]が町人建議による[[玉川上水]]の着工を許可する。 * [[1763年]] - [[パリ条約 (1763年)|パリ条約]]が調印され、仏英間の[[七年戦争]]([[フレンチ・インディアン戦争]])が終結<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/event/Treaty-of-Paris-1763 |title=Treaty of Paris|1763 |access-date=17 Mar 2023 |publisher=Britannica}}</ref>。 * [[1840年]] - [[ヴィクトリア (イギリス女王)|イギリス女王ヴィクトリア]]と[[アルバート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公子)|ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバート]]が結婚。 * [[1870年]] - [[ニューヨーク]]で[[キリスト教女子青年会|アメリカYWCA]]が設立される。 * [[1906年]] - 英海軍の戦艦「[[ドレッドノート (戦艦)|ドレッドノート]]」が進水。 * [[1921年]] - [[宮中某重大事件]]: [[宮内省]]が裕仁親王([[昭和天皇]])と良子女王([[香淳皇后]])の婚約に変更がないことを発表する<ref>{{Cite journal|和書|url=http://id.nii.ac.jp/1109/00003738/ |title=大正期における女性皇族像の転換 : 良子女王をめぐる検討 |journal=成城文藝 |access-date=2023-05-12 |publisher=成城大学文芸学部 |volume=236 |page=11 |naid=120006029357}}</ref>。 * [[1936年]] - [[梅田駅 (Osaka Metro)|地下鉄梅田駅]]の建設現場で陥没事故が発生。[[大阪駅]]東口駅舎や駅前[[派出所]]など地下鉄周辺の建物にも被害が及んだ。死者2人<ref>傾斜駅舎は取り壊し、二遺体発見『大阪毎日新聞』(昭和11年2月11日夕刊).『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p58-59 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 * [[1937年]] - [[中国共産党]]が[[中国国民党]]に[[国共合作#第二次国共合作|第二次国共合作]]を提議。 * [[1940年]] - [[津田左右吉]]の『[[古事記]]及[[日本書紀]]の研究』『神代史の研究』などが、記紀を批判し[[皇室]]を冒涜しているとして[[発禁]]となる。 * 1940年 - [[トムとジェリー]]の第一作目『[[上には上がある]]』が公開される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.atpress.ne.jp/news/344355 |title=アカデミー賞・短編アニメ賞に計7回輝いた 「トムとジェリー」の実写版! 映画『トムとジェリー』が 2月10日“トムとジェリー&クロエ”の誕生日に 日本テレビ系金曜ロードショーで地上波初放送! |access-date=8 Mar 2023 |publisher=@Press |date=2 Feb 2022}}</ref>。 * [[1942年]] - [[グレン・ミラー]]が、「[[チャタヌーガ・チュー・チュー]]」の120万枚発売を記念して史上初の[[ゴールドディスク]]を授与される。 * [[1947年]] - [[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]21か国と日独を除く旧[[枢軸国]]5か国が[[第二次世界大戦]]講和のための[[パリ条約 (1947年)|パリ平和条約]]に調印。 * [[1948年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]で[[ジダーノフ批判]]が始まる。 * [[1949年]] - [[片山内閣]]が[[内閣総辞職|総辞職]]を表明。 * 1949年 - ニューヨークで[[アーサー・ミラー]]の戯曲『[[セールスマンの死]]』が初演。 * [[1962年]] - [[U-2撃墜事件]]でソ連に拘禁されていたアメリカの軍人[[フランシス・ゲーリー・パワーズ]]と、アメリカで収監されていたソ連のスパイ[[ルドルフ・アベル]]が交換によりそれぞれ釈放される。 * [[1964年]] - [[オーストラリア海軍]]の[[航空母艦]][[メルボルン (空母)|メルボルン]]と[[駆逐艦]]{{仮リンク|ヴォイジャー (駆逐艦・2代)|en|HMAS Voyager (D04)|label=ヴォイジャー}}が衝突。ヴォイジャーは沈没し、82名の死者を出す。 * [[1965年]] - [[自衛隊]]が極秘に行っていた[[兵棋演習|机上作戦演習]]「[[三矢研究]]」が衆議院で取り上げられ問題化。 * [[1967年]] - [[アメリカ合衆国憲法修正第25条]]の批准が完了。 * [[1988年]] - [[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]ソフト『[[ドラゴンクエストIII そして伝説へ…]]』発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://magmix.jp/post/97292 |title=ドラクエ狩り、抱き合わせ商法…ゲーム史に残る社会現象『ドラクエIII』の熱狂と弊害 |access-date=8 Mar 2023 |publisher=マグミクス |date=5 Jul 2022}}</ref>。 * [[1991年]] - 日本オリエンテーリング委員会が社団法人化、[[日本オリエンテーリング協会]]設立。 * [[1996年]] - [[IBM]]のコンピュータ・[[ディープ・ブルー (コンピュータ)|ディープ・ブルー]]が[[チェス]]チャンピオンの[[ガリー・カスパロフ]]に初勝利。 * 1996年 - [[北海道]]の[[豊浜トンネル (後志)|豊浜トンネル]]で岩盤崩落、20人死亡<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20170710011680002.html |title=1996年 豊浜トンネル崩落事故 |access-date=8 Mar 2023 |publisher=[[朝日新聞]] |date=9 Jul 2017}}</ref>。 * [[1997年]] - [[神戸連続児童殺傷事件]]発生。 * [[1998年]] - [[World Wide Web Consortium|W3C]]が[[Extensible Markup Language|XML]] 1.0を勧告。 * [[2000年]] - [[宇宙科学研究所]]の[[M-Vロケット]]4号機によるX線天文衛星「ASTRO-E」の打ち上げに失敗。 * [[2006年]] - 第20回[[冬季オリンピック]]、[[トリノオリンピック|トリノ大会]]開催<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.joc.or.jp/games/olympic/torino/news/detail.html?id=1395 |title=トリノ冬季オリンピック開幕! |access-date=8 Mar 2023 |publisher=公益財団法人日本オリンピック委員会 |date=11 Feb 2006}}</ref>。[[2月26日]]まで。 * [[2008年]] - [[崇礼門放火事件]]。 * 2009年 - [[2009年人工衛星衝突事故]]。 * [[2019年]] - [[第61回グラミー賞]]で[[ヒロ・ムライ]]監督による[[ドナルド・グローヴァー|チャイルディッシュ・ガンビーノ]]“[[ディス・イズ・アメリカ|This Is America]]”が最優秀ミュージック・ビデオ賞を受賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20190211-5T5NWYGSPFO65OUG3EZCTD6B5E/ |title=ヒロ・ムライさん監督作にグラミー賞 |access-date=8 Mar 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=11 Feb 2019}}</ref>。 == 誕生日 == * [[1118年]](永久6年[[1月18日 (旧暦)|1月18日]]) - [[平清盛]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://hugkum.sho.jp/375133 |title=平清盛は何をした人? 平安末期の時代背景とあわせて、生涯や人物像を解説【親子で歴史を学ぶ】 |access-date=8 Mar 2023 |publisher=[[小学館]] |website=HugKum |date=17 Jul 2022}}</ref>、[[太政大臣]](+ [[1181年]]) * [[1541年]]([[天文 (元号)|天文]]10年[[1月15日 (旧暦)|1月15日]]) - [[足利義氏 (古河公方)|足利義氏]]<ref>[[市村高男]]『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年。</ref>、第5代[[古河公方]](+ [[1583年]]) * [[1709年]]([[宝永]]6年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - [[蜂須賀宗員]]、第6代[[阿波国]][[徳島藩|徳島藩主]](+ [[1735年]]) * [[1768年]]([[明和]]4年[[12月22日 (旧暦)|12月22日]]) - [[前田利謙]]、第8代[[越中国]][[富山藩|富山藩主]](+ [[1801年]]) * [[1775年]] - [[チャールズ・ラム]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](+ [[1834年]]) * [[1788年]]([[宝永]]6年[[1月4日 (旧暦)|1月4日]]) - [[森忠哲]]、第8代[[播磨国]][[赤穂藩|赤穂藩主]](+ [[1807年]]) * [[1791年]]([[寛政]]3年[[1月8日 (旧暦)|1月8日]]) - [[大田垣蓮月]]、[[尼]]、[[歌人]](+ [[1875年]]) * 1791年 - [[フランチェスコ・アイエツ]]、[[画家]](+ [[1882年]]) * [[1795年]] - [[アリ・シェフェール]]、画家(+ [[1858年]]) * [[1840年]] - [[ペール・テオドール・クレーベ]]、[[化学者]]、[[地質学|地質学者]](+ [[1905年]]) * [[1846年]] - [[アイラ・レムセン]]、[[化学者]](+ [[1927年]]) * [[1856年]]([[安政]]3年[[1月5日 (旧暦)|1月5日]]) - [[井上正巳]]、第14代[[常陸国]][[下妻藩|下妻藩主]]・[[子爵]](+ [[1921年]]) * [[1859年]] - [[アレクサンドル・ミルラン]]、[[政治家]]、[[フランス第三共和政|フランス第三共和制]]第11代[[フランスの大統領|大統領]](+ [[1943年]]) * [[1884年]] - [[ビリー・エバンス]]、[[メジャーリーグ]]審判(+ [[1956年]]) * [[1886年]] - [[平塚らいてう]]、[[作家]]、[[フェミニスト]]、女性解放運動家(+ [[1971年]]) * [[1890年]] - [[ボリス・パステルナーク]]、[[詩人]]、[[小説家]](+ [[1960年]]) * [[1891年]] - [[唐沢俊樹]]、政治家(+ [[1967年]]) * [[1894年]] - [[ハロルド・マクミラン]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1986年]]) * 1894年 - [[ハーブ・ペノック]]、[[プロ野球選手]](+ [[1948年]]) * [[1896年]] - [[アリスター・ハーディ]]、[[海洋生物学|海洋生物学者]](+ [[1985年]]) * [[1897年]] - [[ジョン・フランクリン・エンダース]]、[[医学|医学者]](+ 1985年) * [[1898年]] - [[ベルトルト・ブレヒト]]、[[劇作家]]、[[思想家]](+ [[1956年]]) * [[1899年]] - [[田河水泡]]、[[漫画家]](+ [[1989年]]) * 1899年 - [[阿波野青畝]]、[[俳人]](+ [[1992年]]) * [[1902年]] - [[ウォルター・ブラッテン]]、[[物理学者]](+ [[1987年]]) * [[1903年]] - [[吉田富三]]、[[病理学|病理学者]](+ [[1973年]]) * 1903年 - [[マティアス・シンデラー]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]](+ [[1939年]]) * [[1906年]] - [[ロン・チェイニー・ジュニア]]、俳優(+ [[1973年]]) * [[1907年]] - [[津田恭介]]、[[薬学|薬学者]](+ [[1999年]]) * [[1909年]] - [[伊東多三郎]]、[[歴史家]](+ [[1984年]]) * [[1910年]] - [[ドミニク・ピール]]、[[カトリック教会]][[司祭]]、[[慈善活動|慈善活動家]](+ [[1969年]]) * [[1911年]] - [[宗道臣]]、[[武道家]](+ [[1980年]]) * [[1923年]] - [[チャン・チェ]]、映画監督(+ [[2002年]]) * [[1929年]] - [[ジェリー・ゴールドスミス]]、[[映画音楽]][[作曲家]](+ [[2004年]]) * [[1930年]] - [[ロバート・ワグナー]]、[[俳優]]、[[映画プロデューサー]] * 1930年 - [[E・L・カニグズバーグ]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](+ [[2013年]]) * [[1933年]] - [[ミッキー安川]]、[[タレント]](+ [[2010年]]) * 1934年 - [[金平正紀]]、[[ボクシング]]指導者、協栄ジム初代会長(+ [[1999年]]) * [[1935年]] - [[二見伸明]]、[[政治家]] * [[1938年]] - [[鈴木史朗]]、[[アナウンサー]] * 1938年 - [[テリー・ケイ]]、[[小説家]](+ [[2020年]]) * [[1939年]] - [[ロバータ・フラック]]、[[歌手]] * [[1940年]] - [[野村六彦]]、元サッカー選手、指導者 * 1940年 - [[下河辺元春]]、[[ジャーナリスト]]、[[経済学者]] * [[1941年]] - [[鈴木恒夫]]、政治家 * 1941年 - [[須貝彦三]]、元[[騎手]]、[[調教師]] * 1941年 - [[マイケル・アプテッド]]、[[映画監督]](+ 2021年) * [[1942年]] - [[坂田晃一]]、作曲家 * 1942年 - [[ローレンス・ウェイナー]]、[[コンセプチュアル・アート|コンセプチュアル・アーティスト]](+ 2021年) * [[1943年]] - [[韓鶴子]]、[[宗教家]]、[[文鮮明]]夫人 * [[1944年]] - [[赤座美代子]]、[[俳優|女優]] * 1944年 - [[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]、俳優 * 1944年 - [[ヴァーナー・ヴィンジ]]、[[SF作家]]、[[計算機科学|計算機科学者]] * [[1947年]] - [[円より子]]、政治家 * [[1949年]] - [[若草恵]]、作曲家 * 1949年 - [[渡辺雪三郎]]、[[デザイナー]] * 1949年 - [[亀山郁夫]]、[[ロシア文学者]] * [[1950年]] - [[島田洋七]]、[[漫才師]]([[B&B (お笑いコンビ)|B&B]]) * 1950年 - [[マーク・スピッツ]]、競泳選手 * [[1951年]] - [[渡辺茂樹]]、[[音楽プロデューサー]](+ [[2014年]]) * [[1952年]] - [[西村知江子]]、アナウンサー * 1952年 - [[森信雄]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]] * 1952年 - [[宇野輝幸]]、元プロ野球選手 * 1952年 - [[リー・シェンロン]]、政治家、[[シンガポール]]第3代[[シンガポールの首相|首相]] * 1952年 - [[北尾一喜]]、元プロ野球選手 * [[1955年]] - [[グレグ・ノーマン]]、[[ゴルファー]] * 1955年 - [[宮沢隆仁]]、政治家 * [[1956年]] - [[西和彦]]、アスキー創業者 * [[1957年]] - [[山田章博]]、[[イラストレーター]] * [[1958年]] - [[芹澤名人]]、俳優 * 1958年 - [[池端隆史]]、[[アニメ監督]] * [[1959年]] - [[小森田実]]、[[シンガーソングライター]] * [[1960年]] - [[及川眠子]]、[[作詞家]] * 1960年 - [[竹原芳子]]、女優 * 1960年 - [[井亀あおい]]、『アルゴノオト あおいの日記』著者(+ [[1977年]]) * [[1961年]] - [[アレクサンダー・ペイン]]、[[映画監督]]、[[脚本家]] * 1961年 - [[池田成]]、アニメ監督 * [[1962年]] - [[野村正育]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー * 1962年 - [[クリフ・バートン]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[メタリカ]])(+ [[1986年]]) * [[1963年]] - [[佐野正幸 (俳優)|佐野正幸]]、ミュージカル俳優 * [[1965年]] - [[井上あずみ]]、[[歌手]] * 1965年 - [[知久寿焼]]、[[ミュージシャン]]([[たま (バンド)|たま]]) * 1965年 - [[馬場敏史]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[山中賢次]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[関純子]]、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]アナウンサー * [[1967年]] - [[ローラ・ダーン]]、[[俳優|女優]] * [[1968年]] - [[安達哲]]、漫画家 * 1968年 - [[坂口候一]]、声優 * 1968年 - [[谷口徹]]、プロゴルファー * [[1969年]] - [[久保田恭之]]、映像作家 * 1969年 - [[大美健二]]、元プロ野球選手 * [[1970年]] - [[菊沢隆徳]]、[[騎手]] * 1970年 - [[アルベルト・カスティーヨ (捕手)|アルベルト・カスティーヨ]]、元プロ野球選手 * 1970年 - [[丹波幸一]]、[[プロ野球審判員]] * [[1971年]] - [[中島ひろ子]]、女優 * 1971年 - [[高村良嘉]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[鷲尾直広]]、[[メカニックデザイナー]]、[[イラストレーター]] * 1972年 - [[高倉一朗]]、[[歌手]] * 1972年 - [[大塚幸代]]、ライター (+ [[2015年]]) * [[1974年]] - [[エリザベス・バンクス]]、女優 * [[1975年]] - [[黒田博樹]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[原陽子]]、政治家 * 1975年 - [[開田博勝]]、元野球選手 * [[1976年]] - [[秋山久美]]、[[声優]]、歌手 * 1976年 - [[カルロス・ヒメネス]]、元[[バスケットボール選手]] * 1976年 - [[ランス・バークマン]]、元プロ野球選手 * [[1978年]] - [[山崎みちる]]、声優 * 1978年 - 長友光弘、お笑いタレント([[響 (お笑い)|響]]) * 1978年 - [[セドリック・バワーズ]]、プロ野球選手 * [[1979年]] - [[根本美緒]]、[[アナウンサー]]、[[気象予報士]] * 1979年 - [[黒坂真美]]、女優 * 1980年 - [[ランス・バークマン]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[シーザー・イズトゥリス]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[ジャスティン・ガトリン]]、陸上短距離選手 * 1980年 - [[澤村翔子]]、声楽家 * [[1981年]] - [[棟田康幸]]、[[柔道]]選手 * 1981年 - [[アンディ・ジョンソン]]、サッカー選手 * 1981年 - [[近藤岳登]]、元サッカー選手 * 1981年 - [[チョ・ヨジョン]]、女優 * 1981年 - チョ・ウンジ、女優 * [[1982年]] - [[渡辺亮]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[細谷佳正]]、[[声優]] * [[1983年]] - [[マテイ・トート]]、陸上競技選手 * 1983年 - [[石森太二]]、プロレスラー * [[1984年]] - [[ルイス・クルーズ]]、プロ野球選手 * 1984年 - [[アレックス・ゴードン]]、プロ野球選手 * 1984年 - キム・ヒョジン、女優 * [[1986年]] - [[ダリエル・イノホサ]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[ラダメル・ファルカオ]]、サッカー選手 * 1986年 - [[市川由衣]]、女優 * [[1987年]] - [[石田卓也 (俳優)|石田卓也]]、俳優 * 1987年 - [[ユジャ・ワン]]、[[ピアニスト]] * 1987年 - シウォン、アイドル、俳優([[SUPER JUNIOR]]) * [[1988年]] - [[西明日香]]<ref name="goo">{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/西明日香/|title=西明日香(にしあすか)の解説|work=goo人名事典|accessdate=2020-11-20}}</ref>、声優 * 1988年 - [[Pちゃん (グラビアアイドル)|Pちゃん]]、[[グラビアアイドル]]、元[[AV女優]] * 1988年 - [[山村響]]、声優 * 1988年 - [[ジーンマー・ゴメス]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[ジェイク・ブリガム]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[スペンサー・パットン]]、プロ野球選手 * [[1989年]] - [[福田秀平]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[森安真弓]]、タレント * 1989年 - [[林家希林]]、[[落語家]] * 1989年 - [[リアム・ヘンドリックス]]、プロ野球選手 * [[1990年]] - [[野崎萌香]]、[[ファッションモデル]] * 1990年 - [[福田雄也]]、俳優(+ [[2022年]]) * 1990年 - [[如月大]]、[[演歌歌手]] * 1990年 - [[佐藤将也]]、サッカー選手 * 1990年 - [[吉田智志]]、サッカー選手 * 1990年 - [[アレン・ウェブスター]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[スヨン (少女時代)|スヨン]]、アイドル、女優([[少女時代 (音楽グループ)|少女時代]]) * [[1991年]] - [[エマ・ロバーツ]]、女優 * 1991年 - [[杉山翔大]]、元プロ野球選手 * 1991年 - [[水沢南紀]]、グラビアアアイドル * [[1992年]] - [[仲川遥香]]、タレント(元[[JKT48]]) * 1992年 - [[大砂嵐金崇郎]]、元大相撲力士 * 1992年 - [[オマー・ナルバエス (野球)|オマー・ナルバエス]]、プロ野球選手 * [[1993年]] - [[マックス・ケプラー]]、プロ野球選手 * [[1994年]] - [[中村加弥乃]]、女優(元[[AKB48]]) * 1994年 - [[ソン・ナウン]]、女優、アイドル([[Apink]]) * 1994年 - [[カン・スルギ]]、アイドル([[Red Velvet|RedVelvet]]) * [[1995年]] - [[川口春奈]]、女優、ファッションモデル * 1995年 - [[奈緒]]、女優 * [[1996年]] - [[野元愛]]、元アイドル(元[[アイドリング!!! (アイドルグループ)|アイドリング!!!]]24号、元[[HOP CLUB]]) * 1996年 - [[新山詩織]]、シンガーソングライター * 1996年 - [[周東佑京]]、プロ野球選手 * 1996年 - [[長野じゅりあ]]、タレント、女優 * [[1997年]] - [[クロエ・グレース・モレッツ]]、女優 * 1997年 - [[田中亜里沙]]、野球選手 * [[1998年]] - [[キャンディ・シュー]]、シンガーソングライター * 1998年 - [[若山詩音]]、声優 * 1998年 - [[根本流風]]、声優 * 1998年 - [[沖口優奈]]、アイドル([[マジカル・パンチライン]]) * 1998年 - [[椿泰我]]、俳優、歌手(元[[IMPACTors]]) * 1998年 - [[松岡モナ]]、ファッションモデル * [[1999年]] - [[伊藤翔 (野球)|伊藤翔]]、プロ野球選手 * 1999年 - [[パーカー (YouTuber)|パーカー]]、YouTuber * [[2000年]] - [[菅沼菜々]]、プロゴルファー * 2000年 - [[野村みな美]]、アイドル(元[[こぶしファクトリー]]) * 2000年 - [[滝口きらら]]、アイドル([[ゑんら]]) * [[2002年]] - [[小関舞]]、歌手、女優(元[[カントリー・ガールズ]]) * [[2003年]] - 堀ノ内百香、アイドル(元[[NMB48]]) * [[2004年]] - [[松本里乃]]、野球選手、[[TikToker]] * [[2005年]] - [[鈴木梨央]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000008.000045062.html|title=【吉田羊・鈴木梨央出演の「ポカリ、のまなきゃ。」シリーズ第12弾】2019年の話題曲!スピッツ「優しいあの子」を吉田羊・鈴木梨央が完全カバー!楽曲フル尺バージョンも公開!|publisher=PR TIMES|date=2019-12-12|accessdate=2021-01-11}}</ref>、女優 * 生年不明 - [[大室佳奈]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kekke.co.jp/talent/female/oomuro.html|title=大室佳奈プロフィール|publisher=ケッケコーポレーション|accessdate=2021-01-06}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[煮ル果実]]、[[ボカロP]] === 人物以外(動物など)=== * [[2013年]] - [[エアスピネル]]、競走馬 * [[2015年]] - [[ワグネリアン (競走馬)|ワグネリアン]]、競走馬(+ [[2022年]]<ref>{{Cite web|和書|title=18年ダービー馬ワグネリアンが急死 多臓器不全のため|url=https://www.daily.co.jp/horse/2022/01/06/0014965487.shtml|website=デイリースポーツ知|date=2022-01-06|accessdate=2022-01-06|language=ja}}</ref>) * [[2018年]] - [[タイトルホルダー]]、競走馬 == 忌日 == === 人物 === * [[1126年]] - [[ギヨーム9世 (アキテーヌ公)|ギヨーム9世]]、[[アキテーヌ公]]、[[トルバドゥール]](* [[1071年]]) * [[1153年]]([[仁平]]3年[[1月15日 (旧暦)|1月15日]]) - [[平忠盛]]、[[武将]]、[[平清盛]]の父(* [[1096年]]) * [[1242年]] - [[ハインリヒ7世 (ドイツ王)|ハインリヒ7世]]、[[ローマ王]](* [[1211年]]) * 1242年([[仁治]]3年[[1月9日 (旧暦)|1月9日]]) - [[四条天皇]]、日本の第87代[[天皇]](* [[1231年]]) * [[1660年]] - [[ユディト・レイステル]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Judith-Leyster Judith Leyster Dutch painter] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[画家]](* [[1609年]]) * [[1702年]]([[元禄]]15年[[1月14日 (旧暦)|1月14日]]) - [[萱野重実]](萱野三平)、忠孝の板挟みで[[赤穂事件|討ち入り]]前に自害した[[赤穂浪士]](* [[1675年]]) * [[1722年]] - [[バーソロミュー・ロバーツ]]、[[海賊]](* [[1682年]]) * [[1755年]] - [[シャルル・ド・モンテスキュー]]<ref>{{Kotobank|モンテスキュー}}</ref>、[[哲学|哲学者]]、政治[[思想家]](* [[1689年]]) * [[1772年]] - [[ヨーゼフ・ヴェンツェル]]、[[リヒテンシュタイン|リヒテンシュタイン公]](* [[1696年]]) * [[1810年]]([[文化 (元号)|文化]]7年[[1月7日 (旧暦)|1月7日]]) - [[前田治脩]]、第11代[[加賀藩|加賀藩主]](* [[1745年]]) * [[1817年]] - [[サミュエル・メレディス]]、[[アメリカ独立戦争]]期の[[大陸軍 (アメリカ)|大陸軍]]准将(* [[1741年]]) * 1817年 - [[カール・テオドール・フォン・ダールベルク]]、[[マインツ大司教]][[選帝侯]]、[[神聖ローマ帝国]]宰相(* [[1744年]]) * [[1829年]] - [[レオ12世 (ローマ教皇)|レオ12世]]、第252代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1760年]]) * [[1837年]] - [[アレクサンドル・プーシキン]]、[[詩人]]、[[作家]](* [[1799年]]) * [[1865年]] - [[ハインリヒ・レンツ]]、[[物理学者]](* [[1804年]]) * [[1868年]] - [[ディヴィッド・ブリュースター]]、[[光学|光学者]](* [[1781年]]) * [[1879年]] - [[オノレ・ドーミエ]]、画家(* [[1808年]]) * [[1881年]] - [[ジョン・ビグスビー]]、[[医師]]、[[地質学|地質学者]](* [[1792年]]) * [[1883年]] - [[マーシャル・ジュウェル]]、第29代および第31代[[コネチカット州知事]]、第28代[[アメリカ合衆国郵政長官]](* [[1825年]]) * [[1888年]] - [[松浦武四郎]]、探検家(* [[1818年]]) * [[1891年]] - [[ソフィア・コワレフスカヤ]]、[[数学者]](* [[1850年]]) * [[1896年]] - [[若松賤子]]、[[翻訳家]](* [[1864年]]) * [[1897年]] - [[アントニオ・バッジーニ]]、[[作曲家]](* [[1818年]]) * [[1907年]] - [[アグネス・クラーク]]、[[天文学|天文学書]]の[[著作家]](* [[1842年]]) * 1907年 - [[本因坊秀栄]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]](* [[1852年]]) * [[1912年]] - [[ジョゼフ・リスター]]、[[外科学|外科]][[医師|医]](* [[1827年]]) * [[1917年]] - [[ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス]]、[[画家]](* [[1849年]]) * [[1918年]] - [[エルネスト・テオドロ・モネータ]]、[[平和運動|平和運動家]](* [[1833年]]) * 1918年 - [[アブデュルハミト2世]]、[[オスマン帝国]]第34代[[スルタン]](* [[1842年]]) * 1918年 - [[蜂須賀茂韶]]、第14代[[徳島藩|徳島藩主]]、[[東京都知事一覧|東京府知事]]、[[貴族院議長 (日本)|貴族院議長]]、[[文部大臣]](* [[1846年]]) * [[1923年]] - [[ヴィルヘルム・レントゲン]]、[[物理学者]](* [[1845年]]) * [[1939年]] - [[ピウス11世 (ローマ教皇)|ピウス11世]]、第259代ローマ教皇(* [[1857年]]) * [[1944年]] - [[ユジェーヌ・ミカエル・アントニアディ]]、[[天文学者]](* [[1870年]]) * [[1946年]] - [[小栗虫太郎]]、[[推理作家]](* [[1901年]]) * [[1947年]] - [[平野万里]]、[[歌人]]、[[詩人]](* [[1885年]]) * [[1949年]] - [[安部磯雄]]、[[社会主義]]思想家、[[政治家]](* [[1865年]]) * [[1950年]] - [[マルセル・モース]]、[[社会学者]](* [[1872年]]) * [[1952年]] - [[ヘンリー・デーキン|ヘンリー・D・デーキン]]、[[化学者]](* [[1880年]]) * [[1957年]] - [[ローラ・インガルス・ワイルダー]]、作家(* [[1867年]]) * [[1964年]] - [[オイゲン・ゼンガー]]、航空エンジニア(* [[1905年]]) * [[1968年]] - [[須本憲一]]、[[プロ野球選手]](* [[1926年]]) * [[1979年]] - [[池辺陽]]、[[建築家]](* [[1920年]]) * [[1980年]] - [[山口慎一]]、翻訳家、[[文芸評論#日本の文芸評論家|文芸評論家]](* [[1907年]]) * [[1982年]] - [[伊藤勝三]]、プロ野球選手(* [[1907年]]) * [[1984年]] - [[デビッド・フォン・エリック]]、[[プロレスラー]](* [[1958年]]) * [[1986年]] - [[山本丘人]]、[[日本画家]](* [[1900年]]) * [[1990年]] - [[福永陽一郎]]、[[指揮者]]、[[クラシック音楽]][[音楽評論家|評論家]](* [[1926年]]) * 1990年 - [[トニー・ソレイタ]]、プロ野球選手(* [[1947年]]) * [[1991年]] - [[ワルター・クリーン]]、[[ピアニスト]](* [[1928年]]) * [[1992年]] - [[岡田嘉子]]、[[俳優|女優]](* [[1902年]]) * 1992年 - [[アレックス・ヘイリー]]、作家(* [[1921年]]) * [[1993年]] - [[瀬戸わんや]]、漫才師(* [[1926年]]) * [[2000年]] - [[姫鵬飛]]、[[中華人民共和国外交部|中華人民共和国外交部長]](* [[1910年]]) * 2000年 - [[加藤一 (画家)|加藤一]]、[[画家]](* [[1925年]]) * [[2001年]] - [[木原太郎 (物理学者)|木原太郎]]、物理学者(* [[1917年]]) * [[2002年]] - [[トラウデル・ユンゲ]]、[[ナチス・ドイツ]][[総統]][[アドルフ・ヒトラー]]の秘書(* [[1920年]]) * [[2003年]] - [[カート・ヘニング]]、プロレスラー(* [[1958年]]) * [[2005年]] - [[アーサー・ミラー]]、[[劇作家]](* [[1915年]]) * [[2006年]] - [[J Dilla]]、[[ラップ|ラッパー]](* [[1974年]]) * [[2007年]] - [[式守錦太夫 (10代)]]、[[大相撲]]の[[行司]](* [[1940年]]) * 2007年 - [[すぎ恵美子]]、[[漫画家]](* [[1959年]]) * 2007年 - [[チョン・ダビン]]、女優(* [[1980年]]) * [[2008年]] - [[ロイ・シャイダー]]、俳優(* [[1932年]]) * [[2012年]] - [[左右田一平]]、俳優(* [[1930年]]) * [[2013年]] - [[荘則棟]]、[[卓球]]選手(* [[1940年]]) * 2013年 - [[桜井郁三]]、政治家(* [[1944年]]) * [[2014年]] - [[シャーリー・テンプル]]、女優(* [[1928年]]) * [[2018年]] - [[川地民夫]]、俳優(* [[1938年]]) * [[2019年]] - [[北尾光司]]<ref>{{Cite news|title=元横綱双羽黒の北尾光司さん死去 格闘家でも活躍|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201902120000630.html|newspaper=ニッカンスポーツ・コム|date=2019-03-29|language=ja|agency=日刊スポーツ新聞社|accessdate=2020-11-19}}</ref>、元大相撲[[力士]]、[[総合格闘家]]、スポーツ冒険家、武道家、プロレスラー(* [[1963年]]) * [[2023年]] - [[ヒュー・ハドソン]]、映画監督(* [[1936年]]) * 2023年 - [[入来智]]、元プロ野球選手(* [[1967年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2013年]] - ロロン ([[:en:Lolong]])、記録史上最大のワニ * [[2022年]] - [[タイムパラドックス (競走馬)|タイムパラドックス]]、競走馬、種牡馬(* [[1998年]])<ref>[https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=199541 タイムパラドックスが死亡 現役時代にGI級競走5勝] - netkeiba.com、2022年2月10日配信・閲覧</ref> == 記念日・年中行事 == * 海の安全祈念日({{JPN}})<ref name="kato2006">{{cite book|和書|title=記念日・祝日の事典|author=加藤迪男|publisher=東京堂出版|year=2006|page=22}}</ref> *: [[2001年]]2月10日(日本時間)の[[えひめ丸事故]]を契機に、全国水産高校長協会が2003年に制定<ref name="kato2006"/>。 * [[簿記]]の日({{JPN}})<ref name="kase2009">{{cite book|和書|title=すぐに役立つ 366日記念日事典|author=日本記念日協会 編、加瀬清志 著|publisher=創元社|year=2009|page=27}}</ref> *: 簿記の原点である[[福澤諭吉]]の訳本「帳合之法」が[[1873年]]2月10日に慶應義塾出版局から発行されたことにちなんで、全国経理教育協会(旧・全国経理学校協会)が2004年に制定<ref name="kase2009"/>。 * [[布団|ふとん]]の日({{JPN}})<ref name="kase2009"/> *: 全日本寝具寝装品協会が[[1997年]]に制定。ふ(2)とん(10)の語呂合わせから来ている<ref name="kase2009"/>。 * [[編み物|ニット]]の日({{JPN}})<ref name="saito1997">{{cite book|和書|title=366日誕生石の本|author=斉藤貴子|publisher=日本ヴォーグ社|year=1997|page=79}}</ref><ref name="kato1998">{{cite book|和書|title=366日の話題事典|author=加藤迪男|publisher=東京堂出版|year=1998|page=49}}</ref><ref name="kondo1999">{{cite book|和書|title=今日はどんな日? 雑学366日|author=近藤道郎|publisher=展望社|year=1999|page=30}}</ref><ref name="kato2006"/><ref name="kase2009"/> *: 「にっ(2)と(10)」の語呂合わせ。横浜手作りニット友の会が[[1988年]]に制定<ref name="kato1998"/><ref name="kondo1999"/><ref name="kato2006"/><ref name="kase2009"/>。[[1994年]]には全国的な記念日として日本ニット工業組合連合会も制定した<ref>{{Cite web|和書|url=https://sotokoto-online.jp/local/4382|title=2月10日はニットの日!新潟・五泉のまちを盛り上げる、ニットフェスとは?|work=ソトコト 未来を作るSDGsマガジン|date=July 20, 2020|accessdate=February 10, 2022}}</ref>。 * [[蕗の薹]]の日({{JPN}})<ref name="saito1997"/><ref name="kato1998"/><ref name="kondo1999"/><ref name="kase2009"/> *: 「ふ(2)きのとう(10)」の語呂合わせ。[[宮城県]][[古川市]]の特産品を販売する「ふるさとプラザ」が[[1993年]]に提唱<ref name="kato1998"/><ref name="kondo1999"/><ref name="kase2009"/>。 <!--* [[ビートたけし|キタノ]]記念日({{JPN}})<ref name="kase2009"/> *: 漫才コンビ[[ツービート]]にありとの判断から、ツー(2)ビート(10)の語呂合わせでこの日を記念日としている<ref name="kase2009"/>。(特筆性?)--> * ニートの日({{JPN}}) *:「にー(2)と(10)」の語呂合わせ。巨大匿名掲示板[[2ちゃんねる]]が発祥 * [[太物]]の日({{JPN}}) *: 「ふ(2)と(10)」の語呂合わせ。木綿やウールなどの普段着の着物ファンが制定。 * [[豚丼]]の日({{JPN}}) *: 「ぶ(2)たどん(10)」の語呂合わせ。北海道で豚丼などのたれを製造する食品メーカーの[[ソラチ]]が2010年に[[日本記念日協会]]に登録して制定。十勝名物の豚丼を記念する日。 * [[封筒]]の日({{JPN}}) *: 「ふう(2)とう(10)」の語呂合わせ。封筒・手提袋など紙製品メーカーのムトウユニパックが2017年に[[日本記念日協会]]に登録して制定。 *: アナログなコミュニケーションである封筒文化、手紙文化の良さをあらためて多くの人に知ってもらうのが目的。 * [[フルート]]の日({{JPN}}) *: 「フ(2)ルート(10)」の語呂合わせ。日本フルート普及推進協議会が2019年に[[日本記念日協会]]に登録して制定。 * 観劇の日({{JPN}})<ref name="saito1997"/> *: [[1911年]](明治44年)のこの日、日本初の洋風劇場である「[[帝国劇場]]」が完成した<ref name="saito1997"/>。 *[[トムとジェリー]]の日 *: * [[豊橋鬼祭]] ({{JPN}}) *:10日、11日両日開催 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0210|date=2023年3月}} * [[1991年]] - 両眼の赤い男(雲海)に唆された当時10歳の七瀬美雪の犯行による七瀬邸一家惨殺事件が起こった。(『[[心霊探偵 八雲]]』) * [[1973年]] - 秘密結社ショッカー・ゲルショッカーを統括する首領を倒した仮面ライダー1号と2号が突如現れた仮面ライダー3号によって倒され、ショッカーが世界を支配する歴史に改変される。(『[[スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号]]』) * [[1980年]] - 第20回超人オリンピック準決勝、日本武道館でキン肉マンvsラーメンマンが行われる。(『[[キン肉マン]]』) === 誕生日(フィクション) === * 生年不明 - 森川駿、漫画『[[風のシルフィード]]』の主人公 * 生年不明 - ニー子、漫画『ニー子はつらいよ』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=jx2jL9GTnpE |title=【重大発表あり】誕生日ライブ再配信 |date=2019-02-27 |accessdate=2023-01-14 |publisher=[[YouTube]]}}</ref> * 生年不明 - 海ヘビ星座の市、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=8 |title=海ヘビ星座(ヒドラ)の市(いち) |access-date=2023-01-14 |publisher=MUSEUM聖闘士博物館 |author=[[車田正美]] |work=『聖闘士星矢』}}</ref> * 生年不明 - 御手洗清志、漫画・アニメ『[[幽☆遊☆白書]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 阿伏兎、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - うちはオビト、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author = 岸本斉史 |title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]]|year=2005|page=43|isbn=4-08-873734-2}}</ref> * 生年不明 - うちはイズナ、漫画・アニメ『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author = 岸本斉史 |title=NARUTO -ナルト- [秘伝・者の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]]|year=2008|page=33|isbn=978-4-08-874247-2}}</ref> * 生年不明 - 半崎義人、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1359156361452523524}}</ref> * 生年不明 - 工藤卑弥呼、漫画・アニメ『[[GetBackers-奪還屋-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/getbackers/old/chara/c_himiko.html |title=工藤卑弥呼 |access-date=2023-01-14 |publisher=[[青樹佑夜]]・[[綾峰欄人]]・[[講談社]] / チーム奪還屋 TBS |work=『GetBackers-奪還屋-』}}</ref> * 生年不明 - [[進撃の巨人の登場人物#ミカサ|ミカサ・アッカーマン]]、漫画・アニメ・映画『[[進撃の巨人]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|anime_shingeki|1491426676437360646}}</ref> * 生年不明 - ファルコ・グライス、漫画・アニメ『進撃の巨人』に登場するキャラクター * 生年不明 - シャルナ・アーラムギル、漫画・アニメ『[[ハヤテのごとく!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 笹谷武仁、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2013|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-870666-5|quote=|date=|volume=第6巻|page=46}}</ref> * 生年不明 - J、漫画・アニメ『[[ケンガンアシュラ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 恋塚桃子、漫画『[[翼くんはあかぬけたいのに]]』に登場するキャラクター *生年不明 - 西広辰太郎、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oofuri.com/1st/chara/index.html |title=キャラクター 西広辰太郎 |access-date=2023-01-14 |publisher=[[ひぐちアサ]]・[[講談社]]/おお振り製作委員会 [[アニプレックス|Aniplex Inc.]] |work=『おおきく振りかぶって』}}</ref> *生年不明 - 敦賀蓮、漫画・アニメ『[[スキップ・ビート!]]』に登場するキャラクター *生年不明 - 白馬凌、漫画『[[オレ様キングダム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|0518chitose|1226834666981748740}}</ref> *生年不明 - 兎田義仁、漫画・アニメ『[[学園ベビーシッターズ]]』に登場するキャラクター *生年不明 - 鈴本裕紀、漫画『[[生徒会のヲタのしみ。]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。#登場人物|名都借みらい]]、漫画・アニメ『[[普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/anime/locodol/news/news1602.html |title=最新情報|2月10日「名都借みらいちゃん生誕祭」開催決定!みんなでお祝いメッセージをツイートしよう★ |access-date=2023-01-14 |publisher=[[小杉光太郎]]・[[一迅社]]/流川市ふるさと振興課 TBS |date=2016-02-08 |work=『普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。』}}</ref> * 生年不明 - 馬村大輝、漫画・アニメ『[[ひるなかの流星]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 戸崎ゆかり、漫画・アニメ『[[腐男子高校生活]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.dreamcreation.co.jp/fudanshi/chara.html |title=キャラクター 戸崎ゆかり CV.長縄まりあ |access-date=2023-01-14 |publisher=みちのくアタミ/[[一迅社]]・腐男子委員会}}</ref> * 生年不明 - カイ・フォン・グランツライヒ、漫画・アニメ『[[王室教師ハイネ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 星薙フレア、小説『らぶバト!』に登場するキャラクター * 生年不明 - 沙々宮紗夜、小説・アニメ『[[学戦都市アスタリスク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|u_miyazaki|829715087124357120}}</ref> * 生年不明 - フリント・ゴールドツイカー、特撮『[[機界戦隊ゼンカイジャー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|toei_zenkaiger|1491706434194526209}}</ref> * 生年不明 - 星河クリスタル、[[読者参加型ゲーム|読者参加企画]]『[[おひめさまナビゲーション]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite journal|和書|date=2009-02|journal=電撃G's magazine|page=第50巻|publisher=[[アスキーメディアワークス]]}}</ref> * 生年不明 - 三津寺千鶴、アニメ・漫画・小説『[[ハンドシェイカー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|hs_p_info|1094258847114383360}}</ref> * 生年不明 - 西蔭政也、アニメ『[[イナズマイレブン アレスの天秤]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=1 |accessdate=2023-01-14}}</ref> * 生年不明 - 都留靖也、アニメ『[[number24]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://number24-anime.com/character/yasunaritsuru/ |title=都留靖也 |access-date=2023-01-14 |publisher=movie |work=『number24』}}</ref> * 生年不明 - [[ルガール・バーンシュタイン]]、ゲーム『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|snk_enter|961907128813277184}}</ref> * 生年不明 - 遠山翠、ゲーム・アニメ『[[夜明け前より瑠璃色な]]』に登場するキャラクター<ref>『夜明け前より瑠璃色な -Moonlight Cradle-』小冊子「Moonlight Chronicle」[[オーガスト (ブランド)|オーガスト]]、2009年、28頁</ref> * 生年不明 - 詠、ゲーム『[[閃乱カグラ NewWave]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/yomi.php |title=詠(よみ) |access-date=2023-01-14 |publisher=Marvelous Inc. |work=『閃乱カグラ NewWave Gバースト』}}</ref> * 生年不明 - 姫野かのん、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/40039 |title=姫野 かのん(ひめの かのん) |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |accessdate=2023-01-14 |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 宵崎奏、ゲーム『[[プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク|プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pj_sekai|1491426914132578304}}</ref> * 生年不明 - 葉桜千、メディアミックス『[[魔法少女大戦]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[ラブライブ!サンシャイン!!#松浦果南|松浦果南]]、メディアミックス『[[ラブライブ!サンシャイン!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|lovelive_staff|1359155785046065158}}</ref> * 生年不明 - クマ、ゲーム『ドーナドーナ いっしょにわるいことをしよう』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=キャラ:[ ナユタ ] クマ(KUMA) {{!}} ドーナドーナ いっしょにわるいことをしよう |url=https://www.alicesoft.com/dohnadohna/chara/nayuta/nayuta01.html |website=ドーナドーナ いっしょにわるいことをしよう {{!}} アリスソフト |access-date=2023-05-09 |language=ja |last=アリスソフト}}</ref> === 忌日(フィクション) === * [[1973年]] - 風見達治、風見綾、風見雪子、[[仮面ライダーシリーズ]]『[[仮面ライダーV3]]』の登場人物<ref>第2話の墓標に刻まれた没年月日より</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{新暦365日|2|9|2|11|[[1月10日]]|[[3月10日]]|[[2月10日 (旧暦)|2月10日]]|0210|2|10}} {{1年の月と日}}
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魚雷戦ゲーム
魚雷戦ゲーム(ぎょらいせんゲーム)は、エポック社から発売された対戦型のボードゲーム。海戦をモチーフとしたゲームの一種であるが、海戦ゲームとは別物である。 まず、自分の側の戦艦(的)を3つセットする。その後、自分の側の魚雷発射管に魚雷(直径8mm程のパチンコの玉のようなもの)をセットする。準備ができたら相手側の戦艦を照準器(鏡)で狙い、魚雷を発射する。ただし、'67年版、'68年版、'74年版には照準器が搭載されていない。魚雷は盤上を転がり、狙いが良ければ相手の戦艦に当たる。ミニチュアの戦艦の底部にはヨットのバラスト・キールのような部分が有り、この部分に魚雷が当たると容易に沈没する(落ちる)。分配される魚雷は6発で、双方がそれを撃ち尽くすまで戦い、成績の良かった方が勝者となる。1967年から2009年5月までに7つのバージョンがエポック社により制作発売されてきた。最新バージョンは現在でも入手可能である。(2009年5月現在)
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魚雷戦ゲーム(ぎょらいせんゲーム)は、エポック社から発売された対戦型のボードゲーム。海戦をモチーフとしたゲームの一種であるが、海戦ゲームとは別物である。
'''魚雷戦ゲーム'''(ぎょらいせんゲーム)は、[[エポック社]]から発売された対戦型の[[ボードゲーム]]。[[海戦]]をモチーフとしたゲームの一種であるが、[[海戦ゲーム]]とは別物である。 ==概要== まず、自分の側の[[戦艦]](的)を3つセットする。その後、自分の側の[[魚雷発射管]]に[[魚雷]](直径8mm程の[[パチンコ]]の玉のようなもの)をセットする。準備ができたら相手側の戦艦を[[照準器]](鏡)で狙い、魚雷を発射する。ただし、'67年版、'68年版、'74年版には照準器が搭載されていない。魚雷は盤上を転がり、狙いが良ければ相手の戦艦に当たる。ミニチュアの戦艦の底部にはヨットのバラスト・キールのような部分が有り、この部分に魚雷が当たると容易に沈没する(落ちる)。分配される魚雷は6発で、双方がそれを撃ち尽くすまで戦い、成績の良かった方が勝者となる。1967年から2009年5月までに7つのバージョンがエポック社により制作発売されてきた。最新バージョンは現在でも入手可能である。(2009年5月現在) ==歴史== *[[1967年]] - 初代「'''魚雷戦ゲーム'''」発売。魚雷(直径8mm程のスチールボール)を射出する部分は金属製の板をスロープ状にした物で出来ている。 *[[1968年]] - 2代目。2連式発射管(連動式発射管)を搭載した。「'''ニュー魚雷戦ゲーム'''」の名前で製品化された(別バージョンがあるとされている)。撃沈された戦艦と魚雷を受ける溝が若干広くなり、ゲーム終了後の取り出しが若干容易になった。また、魚雷射出部分が二列の滑り台状のものに変更された。しかし、命中精度は前バージョンとほとんど変わらない。 *[[1971年]] - 3代目「'''新魚雷戦ゲーム'''」(リフレクトスコープ〔照準器〕搭載)発売。本バージョンのリフレクトスコープは魚雷発射管(砲台)の中央に内蔵されている。ゲーム本体に歪みが無く、水平を保てた場所でこの機能を利用するとかなり高い命中率を得ることが出来る。ところが、スコープの覗き穴と魚雷(スチールボール)投入口が近接しているため誤って覗き穴に魚雷を入れてしまうことがある。一度入ってしまうと取出しがなかなか困難で、ピンセットなどの道具を使うか、ゲーム盤本体そのものを逆さまにして出すしかない。また発射管の真ん中に付加されたことによりデザイン上にも違和感が生じた。この内蔵型リフレクトスコープが本バージョンのみで廃止されたのはこういった事が原因だったのかもしれない。 *[[1974年]] - 4代目「'''魚雷戦ゲーム'''」発売。盤全体がリニューアルされる。砲台も砲門が2門から3門に増え、よりスタイリッシュなデザインに変更された。その一方で、魚雷(スチールボール)の射出口は一本化され、見かけ上は砲塔を3門持つが、一度に放てる魚雷は1発になった。また、これに伴い'71年版(3代目)で採用された内蔵型リフレクトスコープが廃止された。 *[[1976年]] - 5代目「'''魚雷戦ゲーム'''」発売。リフレクトスコープが再び搭載される。'71年版のリフレクトスコープは魚雷発射管(砲台)に内蔵されたものだったが、本バージョンから魚雷発射管と連動する外付けタイプとなった。魚雷発射管(砲台)は'74年版と同じだが、底面のパーツのみ外付けリフレクトスコープと連動する形状に変更された。 *[[1989年]] - 6代目「'''アストロウォーズ'''」宇宙戦をテーマにした作品。戦艦のミニチュアも敵と味方で赤と黄色に色分けされ、形状も宇宙空母と宇宙戦闘機をイメージした物に変更された。魚雷発射管などその他のパーツは形成色を変えただけで'74年版と同じ物が流用されている。舞台設定は変わったがこれまでのシリーズと同様の遊び方が基本となる。新規機能として‘ブラックホール'と‘敵襲回避機能'が追加された。ブラックホールは磁石を内蔵した直径3cm弱の丸いパーツで、これを各プレーヤーの陣地手前に配置することで光子ミサイル(スチールボール)の直進を妨げゲームの難易度を高める事が可能となった。またこの機能は宇宙を舞台とした戦いをイメージするのにも役立っている。敵襲回避機能は魚雷発射管と外付けリフレクトスコープに連動しており、そのどちらかを動かすことによって宇宙空母および戦闘機を前後に1cm程度移動させ、味方艦を敵の放った光子ミサイルから回避させることを可能にした新機能である。しかし、時にはこの回避行動が仇となり、逆に自分から光子ミサイルに当たってしまうこともある。 *:※同じエポック社が発売したLCDゲームのアストロウォーズや1984年発売の[[スーパーカセットビジョン用ソフト#アストロウォーズ|スーパーカセットビジョン用ソフト]]とは同名の別製品。 *[[2004年]][[8月]] - '''カプセル玩具版「魚雷戦ゲーム」''' 『伝説のアクションゲーム70'』と題してエポック社が70年代に発売したアクションゲームのミニチュア版がカプセル玩具として発売され、そのラインナップに魚雷戦ゲームも含まれていた。実際に遊べる作りになっているが、盤のサイズが約5.6cm×3.8cm、戦艦の全長が5mm、魚雷(スチールボール)の直径が3mm以下と極小で、戦艦配置の段階でかなりの集中力を要することとなる。魚雷発射管に発射レバーは無く、魚雷(スチールボール)を投入口に入れたと同時に発射される。また、このセットには紙製のミニチュアで再現されたパッケージも含まれており、ゲーム本体は‘初代'か‘ニュー'を模した物であるのに対し、パッケージは'71年版を模している。 *[[2005年]][[3月19日]] - 7代目「'''魚雷戦ゲーム'''」(「連動式発射管」「リフレクトスコープ」「敵襲回避機能」を搭載し、パッケージデザインは3代目の「新魚雷戦ゲーム」を踏襲)発売。アストロウォーズ発売後、他のアナログゲーム共々長らく販売終了とされていたが、[[21世紀]]以降に起こったアナログゲームの再発売ブームの流れにのり、発売に至った。 *[[2008年]][[8月]] - '''カプセル玩具版「魚雷戦ゲーム」''' 『野球盤50周年&思い出のアクションゲーム スペシャル』 と題して発売されたカプセル玩具に再び魚雷戦ゲームがラインナップされた。紙製のミニチュア版パッケージが割愛されてしまったが、それ以外は2004年に発売された物と同様である。 ==外部リンク== *[http://epoch.jp/gt/gyorai/ エポック社の魚雷戦ゲームオフィシャルサイト] *{{Wayback|url=http://www.asahi-net.or.jp/~bv9f-mtzk/gyorai.htm |title=野球盤道場・懐かしのレトロアナログゲーム総合案内所 |date=20010807113518}} *[http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi02/89gyoraisen/index.html 「おアソビ探偵団」] *{{Wayback|url=http://black.ap.teacup.com/torpedogame/ |title=魚雷戦ゲーム倶楽部 |date=20160304091159}} {{DEFAULTSORT:きよらいせんけえむ}} {{game-stub}} [[Category:エポック社]] [[Category:ボードゲーム]]
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2001年
2001年(2001 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。平成13年。21世紀最初の年である。 この項目では、国際的な視点に基づいた2001年について記載する。 以下の発売日は、その商品が世界で最初にリリースされた日付(日本のメーカーのソフトでは日本が最初の場合が多い)を記している。
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2001年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。平成13年。21世紀最初の年である。 この項目では、国際的な視点に基づいた2001年について記載する。
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この日から[[3千年紀]]、[[21世紀]]が始まった。 * 1月1日 - {{GRC}} <!--[[ギリシャ]]が-->[[ユーロ]]を導入した。 * 1月1日 - {{JPN}} 1985年の[[国際科学技術博覧会]]で投函された300万通以上が配達された。 * 1月5日 - [[Linux]] 2.4.0 リリース。 * 1月6日 - {{JPN}} [[中央省庁再編]]。従来の1府22省庁が、1府12省庁に再編された。 * 1月8日 - {{ESA}} エルサルバドルで大地震が発生した。{{also|[[エルサルバドル地震]]}} * 1月15日 - 最初の[[ウィキペディア]]として[[英語版ウィキペディア|英語版]]が開設された。 * 1月20日 - {{USA}} [[ジョージ・W・ブッシュ]]が[[ビル・クリントン]]の後を継いで[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]に就任した。 * 1月20日 - {{PHI}} [[グロリア・アロヨ]]が[[ジョセフ・エストラーダ]]の後を継いで[[フィリピンの大統領|大統領]]に就任した。 * 1月26日 - {{IND}} [[インド西部地震]]が発生した。約2万人が死亡。 * 1月31日 - {{JPN}} [[日本航空機駿河湾上空ニアミス事故]] === 2月 === * 2月9日 - {{USA}} [[ハワイ州]]の[[オアフ島]]沖で、日本の[[愛媛県立宇和島水産高等学校|愛媛県立宇和島水産高校]]の実習船「えひめ丸」が[[アメリカ海軍]]の[[原子力潜水艦]][[グリーンビル (原子力潜水艦)|グリーンビル]]と衝突して沈没し、9人が死亡した。{{also|えひめ丸事故}} * 2月22日 - {{COL}} [[矢崎総業]]の現地法人「矢崎シーメル」社の日本人副社長が[[コロンビア革命軍]]に[[誘拐]]された。約2年9ヵ月後に遺体で発見される。{{also|コロンビア邦人副社長誘拐事件}} === 3月 === * 3月7日 - {{ISR}} [[アリエル・シャロン]]が[[イスラエルの首相|首相]]に就任した。 * 3月24日 - {{JPN}} [[芸予地震|2001年芸予地震]] (Mw 6.8) が発生した。 * 3月24日 - [[macOS|Mac OS X]] [[Mac OS X v10.0|バージョン10.0]]が発売された。9月25日には[[Mac OS X v10.1|バージョン10.1]]リリース。 * 3月31日 - {{JPN}} [[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]が[[大阪府]][[大阪市]][[此花区]]に開園した。 === 4月 === * 4月1日 - {{CHN}} [[アメリカ海軍]]の電子[[偵察機]]EP-3Eが中国軍機と接触し、中国南部[[海南島]]の飛行場に緊急着陸した。{{also|海南島事件}} * 4月1日 - {{NLD}} 世界初の[[同性結婚]]法が施行された。 * 4月1日 - {{JPN}} [[情報公開法]]が施行された。 * 4月2日 - {{USA}} [[シアトル・マリナーズ]]の[[イチロー]]が[[オークランド・アスレチックス]]との開幕戦でメジャーデビュー。1番・右翼手で先発出場し、第4打席にセンター前へメジャー初安打を放った。第5打席にはバント安打を記録して2安打1得点の活躍。チームの勝利に貢献するという好スタートを切った。 * 4月26日 - {{JPN}} [[小泉純一郎]]が日本の第87代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[第1次小泉内閣]]が発足。 === 5月 === * 5月20日 - [[ウィキペディア日本語版|日本語版]]を含む13の非英語版ウィキペディアが発足、以後[[多言語]]化される。 === 6月 === * 6月1日 - {{NEP}} [[ネパール王族殺害事件]]。 * 6月8日 - {{JPN}} [[大阪教育大学附属池田小学校]]に刃物を持った男が乱入して児童・教職員などを殺傷させ、児童8人が死亡し、児童および教職員を含む15人が負傷する惨事となった。{{also|附属池田小事件}} * 6月11日 - {{USA}} [[オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件]]の主犯[[ティモシー・マクベイ]]が薬物により処刑された。 * 6月15日 - [[上海協力機構]]が発足した。 * 6月27日 - [[国際司法裁判所]]が1999年に米・[[アリゾナ州]]で行われた[[ドイツ人]]の処刑は裁判所の処刑延期判決を無視したものであり不当であるとする判決を下した。 === 7月 === * 7月12日 - [[Google画像検索]]のサービスが開始された。 * 7月13日 - {{CHN}} [[2008年北京オリンピック|2008年夏季オリンピック]]の開催地が[[北京市|北京]]に決定した。 * 7月16日 - {{Flagicon|CHN}}{{Flagicon|RUS}} [[中露善隣友好協力条約]]が調印された。 * 7月19日 - ワーム[[Code Red]]の感染が拡大。インターネットのトラフィックが急増し、どのサイトも繋がりにくい状態が発生した。 * 7月20日〜22日 - {{ITA}} [[第27回主要国首脳会議|第27回G7主要国首脳会議]](イタリア・[[ジェノヴァ]]) * 7月21日 - {{JPN}} [[兵庫県]][[明石市]]で[[群衆雪崩]]が発生し、死者11人、重軽傷者247人。{{also|明石花火大会歩道橋事故}} * 7月23日 - {{IDN}} [[メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリ]]が[[インドネシア]]大統領に就任した。 * 7月24日 - {{PRK}} [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の金容三鉄道相が訪[[ロシア|露]]。 === 8月 === * 8月3日〜12日 - {{CAN}} [[2001年世界陸上競技選手権大会]](カナダ・[[エドモントン]]) * 8月13日 - {{JPN}} 小泉首相が[[靖国神社]]を参拝した。[[中華人民共和国|中国]]や[[大韓民国|韓国]]が反発。 * 8月16日〜26日 - {{JPN}} [[アジア]]初の大会となる、[[ワールドゲームズ2001]]が日本の[[秋田県]]で開催された<ref>[https://web.archive.org/web/20070705205415/http://www.pref.akita.jp/tiiki/wg2001/ The 6th WORLD GAMES]</ref>。 * 8月29日 - {{JPN}} [[種子島宇宙センター]]より日本の[[H-IIAロケット]]試験機1号機が打ち上げられた。 === 9月 === [[File:National Park Service 9-11 Statue of Liberty and WTC fire.jpg|thumb|200px|[[自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]の背景で炎上するツインタワー(9月11日)]] * 9月1日 - [[東京都]][[新宿区]][[歌舞伎町]]の[[雑居ビル]]火災があり、死者44名。{{also|歌舞伎町ビル火災}} * 9月4日 - [[東京ディズニーシー]]が日本の[[千葉県]]にグランドオープン。 * 9月5日 - [[ジョン・ケージ]]・オルガン・プロジェクトによる『[[オルガン²/ASLSP|Organ²/ASLSP]]』の演奏開始。 * 9月9日 - [[コンピュータシステム]]における[[2001年9月9日問題]]。 * 9月11日 - {{USA}}で4機の航空機[[ハイジャック]]による、'''[[アメリカ同時多発テロ事件]]'''が発生。そのうち2機が[[ワールドトレードセンター (ニューヨーク)|ニューヨーク世界貿易センタービルのツインタワー]]に衝突し、ビルは倒壊した。死者は約3,000人に上り、アメリカ史上最悪の[[テロリズム|テロ]]事件となった。{{also|アメリカ同時多発テロ事件|アメリカン航空11便テロ事件|ユナイテッド航空175便テロ事件}} * 9月27日 - [[スイス]]の[[ツーク州]]にある[[ツーク州議会]]で銃乱射事件が発生。{{Also|ツーク州議会銃乱射事件}} === 10月 === * 10月4日 - {{UKR}} [[黒海]]上空で[[ウクライナ防空軍]]により誤って[[ロシア]]の民間航空機が撃墜された。{{also|シベリア航空機撃墜事件}} * 10月5日 - {{USA}} [[フロリダ州]]の新聞社に[[炭疽菌]]が送りつけられた。以降も同様の事件が続いた。{{also|アメリカ炭疽菌事件}} * 10月7日 - {{USA}} [[アメリカ軍]]による[[アフガニスタン紛争 (2001年-)|アフガニスタン侵攻]]が開始された。([[ターリバーン]]政権に対する戦争) * 10月23日 - [[iPod]]が発表された。当初は[[Mac (コンピュータ)|Mac]]専用であったが、革命的な[[デジタルオーディオプレーヤー]]として話題になり、後にヒットする。 * 10月25日 - [[Microsoft Windows XP]] OEM版発売。リテール版は[[11月16日]]発売。 === 11月 === * 11月10日 - [[中華人民共和国の世界貿易機関加盟]]が[[世界貿易機関|WTO]]第4回閣僚会議にて可決された。 * 11月12日 - {{USA}} [[ニューヨーク]]東部の[[クイーンズ区|クィーンズ地区]]に旅客機が墜落し、乗員乗客260人全員と地上の5人が死亡した。同時多発テロ直後のため厳戒態勢を敷いていたが、先行旅客機の[[乱気流]]遭遇時の方向舵の過剰な操作による[[事故]]であることが判明。{{also|アメリカン航空587便墜落事故}} * 11月25日 - {{USA}} [[アメリカ同時多発テロ事件]]の発生を受け、国内の安全情報に関する情報機関を一つに集約するため、[[アメリカ合衆国国土安全保障省]]が発足した。初代長官は[[トム・リッジ]]。 * 11月26日 - {{PRK}} [[平壌放送]]で、[[平壌直轄市|平壌市]]内の[[電気機関車]]工場が2001年の生産目標である100台を達成する見通しと報じられた。 * 11月29日 - [[ジョージ・ハリスン|ジョージハリスン]]が[[肺癌]]と[[脳腫瘍]]のため死去。 === 12月 === * 12月1日 - {{JPN}} [[皇室]]にて[[愛子内親王]]誕生。 * 12月11日 - {{CHN}} 中国のWTO([[世界貿易機関]])加盟発効。 * 12月22日 - {{JPN}} 日本近海における北朝鮮の[[不審船|工作船]]による事件が発生した。{{also|九州南西海域工作船事件}} * 12月23日 - {{ARG}} [[アルゼンチン]]政府が対外債務の一時支払い停止を宣言した。 == 天候・天災・観測等 == <!-- 日本ローカルの情報は、「2001年の日本」に記載してください。 --> * 1月13日:[[エルサルバドル大地震]]発生。M7.8。 * 1月26日:[[インド西部地震]]発生。M7.9。 * 11月19日:[[しし座流星群]]がピーク。 == 芸術・文化・ファッション == {{main2|日本のローカルな話題|2001年の日本#流行・文化・ファッション}} <!-- 日本のローカルな話題は「[[2001年の日本]]」に記入してください。 --> === スポーツ === {{節スタブ}} {{main|2001年のスポーツ}} ==== 野球 ==== <!-- 日本プロ野球及び日本の高校野球は日本ローカルな話題と思われる。大リーグや各国の結果と日本プロ野球の優勝チームを併記するなどの方法を検討したほうがよい。 --> <!-- (日本ローカルの話題をコメントアウト) * [[日本プロ野球|プロ野球]]([[2001年の日本シリーズ]]) ** [[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]優勝 - [[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]] ** [[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]優勝 - [[大阪近鉄バファローズ]] ** [[2000年の日本シリーズ|日本シリーズ]]優勝 - ヤクルトスワローズ * [[日本の高校野球|高校野球]] ** [[第73回選抜高等学校野球大会|春]]優勝 - [[常総学院中学校・高等学校|常総学院]]([[茨城県]]) ** [[第83回全国高等学校野球選手権大会|夏]]優勝 - [[日本大学第三中学校・高等学校|日大三]]([[東京都]]) --> {{see also|2001年の日本#野球}} ==== 陸上競技 ==== * [[世界陸上競技選手権大会|世界陸上]][[2001年世界陸上競技選手権大会|エドモントン大会]]:8月3日(日本時間では8月4日)-8月12日 ===== マラソン ===== * 日本の[[高橋尚子]]が[[ベルリンマラソン]]で2時間19分46秒の当時世界最高記録で優勝。 === 音楽 === {{main|2001年の音楽}} * 10月3日 - [[国際現代音楽協会|国際現代音楽協会 (ISCM)]]が主催する世界最大の現代音楽祭、ISCM World Music Days横浜大会が開幕。70年以上の歴史を持つ同音楽祭の史上初めての日本での開催。 * [[Apple|Apple Computer]]、[[iTunes]]をリリース。11月17日に[[iPod]]を発売。革新的なミュージックプレイヤーとして[[Mac (コンピュータ)|Mac]]ユーザーの間に広まるが、いずれもまだこの時期はWindowsには対応しておらず、大ヒットするのは2003年以降である。 {{See also|2001年の音楽}} {{main2|日本のローカルな話題|2001年の日本#音楽}} === 映画 === {{main|2001年の映画}} * 3月9日 - 『[[息子の部屋]]』がイタリアで公開(監督:[[ナンニ・モレッティ]]) * 4月22日 - 『[[シュレック]]』がアメリカで公開(監督:[[アンドリュー・アダムソン]], [[ヴィッキー・ジェンソン]]) * 4月25日 - 『[[アメリ]]』がフランスで公開(監督:[[ジャン=ピエール・ジュネ]]) * 5月21日 - 『[[ノー・マンズ・ランド]]』がカンヌで公開(監督:[[ダニス・タノヴィッチ]]) * 5月24日 - 『[[ムーラン・ルージュ (映画)|ムーラン・ルージュ]]』がアメリカで公開(監督:[[バズ・ラーマン]]) * 7月11日 - 『[[ファイナルファンタジー (映画)|ファイナルファンタジー]]』がアメリカで公開(監督:{{仮リンク|アル・ライナー|en|Al Reinert}}), (監督:{{仮リンク|ジェフ・ヴィンター|en|Jeff Vintar}}) * 7月12日 - 『[[少林サッカー]]』が香港で公開(監督:[[周星馳]]) * 7月18日 - 『[[ジュラシック・パークIII]]』がオーストラリアで公開(監督:[[ジョー・ジョンストン]]) * 7月20日 - 『[[千と千尋の神隠し]]』が日本で公開(監督:[[宮崎駿]]、日本では歴代の興行収入トップとなる308億円<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kogyotsushin.com/archives/alltime/|accessdate=2016-09-28|title=歴代ランキング - CINEMAランキング通信|date=2016-09-26}}</ref> を記録)<!-- 同映画は日本ローカルでなく、日本で記録的なヒットおよび世界的に公開・著名となっているため残す。 --> * 7月20日 - 『[[ゴーストワールド]]』がアメリカで公開(監督:[[テリー・ツワイゴフ]]) * 7月20日 - 『[[ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ]]』がアメリカで公開(監督:[[ジョン・キャメロン・ミッチェル]]) * 7月27日 - 『[[猟奇的な彼女]]』が韓国で公開(監督:[[クァク・ジェヨン]]) * 10月19日 - 『[[マルホランド・ドライブ]]』がアメリカで公開(監督:[[デヴィッド・リンチ]]) * 11月2日 - 『[[モンスターズ・インク]]』がアメリカで世界初公開(監督:[[ピート・ドクター]]) * 11月4日 - 『[[ハリー・ポッターと賢者の石]]』が[[イギリス]]・[[ロンドン]]で世界初公開(監督:[[クリス・コロンバス]]、主演:[[ダニエル・ラドクリフ]]) * 11月7日 - 『[[ゴスフォード・パーク]]』がロンドンで公開(監督:[[ロバート・アルトマン]]) * 12月6日 - 『[[ザ・ロイヤル・テネンバウムズ]]』がアメリカで公開(監督:[[ウェス・アンダーソン]]) * 12月18日 - 『[[ブラックホーク・ダウン]]』がアメリカで公開(監督:[[リドリー・スコット]]) * 12月19日 - 『[[ロード・オブ・ザ・リング (2001年の映画)|ロード・オブ・ザ・リング]]』がアメリカで公開(監督:[[ピーター・ジャクソン]]) * 12月21日 - 『[[ビューティフル・マインド]]』がアメリカで公開(監督:[[ロン・ハワード]]) * 12月21日 - 『[[ジミー・ニュートロン 僕は天才発明家!]]』がアメリカで公開(監督:ジョン・A・デイヴィス) * 12月26日 - 『[[チョコレート (映画)|チョコレート]]』がアメリカで公開(監督:[[マーク・フォースター]]) {{main2|日本のローカルな話題|2001年の日本#映画}} === 文学 === {{節スタブ}} {{main|2001年の文学}} === ゲーム === <!-- 以下は国際的な観点に立ったゲームの話題を取り上げる。日本のメーカーにより世界で発売されたゲーム機、または世界的にヒット・話題となったゲームソフトなどはこの限りではない。 --> [[File:Nintendo-Game-Boy-Advance-Milky-Blue-FL.png|thumb|ゲームボーイアドバンス]] [[File:GameCube-Console-Set.png|thumb|ニンテンドーゲームキューブ]] [[File:Xbox-Console-wDuke-L.png|thumb|Xbox]] 以下の発売日は、その商品が世界で最初にリリースされた日付<small>(日本のメーカーのソフトでは日本が最初の場合が多い)</small>を記している。 * 1月25日 - [[カプコン]]が[[PlayStation 2|PS2]]用ソフト『[[鬼武者]]』を発売。 * 3月21日 - [[任天堂]]が[[携帯型ゲーム|携帯型ゲーム機]]「'''[[ゲームボーイアドバンス]]'''」を日本で発売。[[欧米]]では6月に発売されている。 * 3月31日 - [[セガ]]が「[[ドリームキャスト]]」の製造を打ち切り、ハード機部門から完全撤退。 * 5月30日 - [[PopCap Games]]が[[ブラウザゲーム]]『[[Bejeweled]]』をリリース。[[マッチ3ゲーム]]の元祖とされる。 * 7月19日 - [[スクウェア (ゲーム会社)|スクウェア]]がPS2用ソフト『[[ファイナルファンタジーX]]』を発売。 * 8月23日 - カプコンがPS2用ソフト『[[デビルメイクライ]]』を発売。 * 9月14日 - 任天堂が[[家庭用ゲーム機]]「'''[[ニンテンドーゲームキューブ]]'''」を日本で発売。[[北アメリカ|北米]]では11月、[[ヨーロッパ]]では翌年に発売されている。 * 11月15日 - [[マイクロソフト]]が北米で「'''[[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]'''」を発売し、[[コンシューマーゲーム|家庭用ゲーム]]業界に参入。なお、日本やヨーロッパなどでは翌年に発売されている。 * 11月21日 - 任天堂がゲームキューブ用ソフト『[[大乱闘スマッシュブラザーズDX]]』を発売。 {{See also|Category:2001年のコンピュータゲーム}} {{main2|日本のローカルな話題|2001年の日本#ゲーム}} === 流行 === {{節スタブ}} ==== ファッション ==== === 世相 === * [[21世紀]]最初の年は、[[アメリカ同時多発テロ事件|9.11テロ]]によって世界の流れが一変したといえる。 == 誕生 == {{see also|2001年の日本#誕生|Category:2001年生}} <!-- 世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は上記「2001年の日本」項内に記入(世界的に著名な人物は本節と併記) --> === 1月 === * 1月1日 - [[ウィンター]]、アイドル([[aespa]]) * 1月1日 - [[アンガーリー・ライス]]、女優 * 1月2日 - [[樋口新葉]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1月8日 - [[山田杏奈]]、女優 * 1月9日 - [[ロドリゴ・シウバ・デ・ゴエス]]、サッカー選手 * 1月12日 - [[吉田輝星]]、プロ野球選手 * 1月13日 - [[李承信]]、ラグビー選手 * 1月18日 - [[露木志奈]]、環境活動家<ref>{{Cite web|和書|url=https://diamond.jp/articles/-/267138 |author=深澤献 |accessdate=2021-10-02 |date=2021-04-05 |title=自然大好き少女を育んだ個性派幼稚園、山村留学 グリーンスクールという必然/露木志奈・環境活動家 |publisher=[[ダイヤモンド社]]}}</ref> * 1月18日 - [[富田鈴花]]、[[日向坂46]] * 1月29日 - [[井上梨名]]、[[櫻坂46]] * 1月29日 - [[イ・デフィ]]、アイドル、俳優([[AB6IX]]、元[[Wanna One]]) === 2月 === * 2月1日 - [[富永啓生]]、バスケットボール選手 * 2月2日 - [[牧野真莉愛]]、[[モーニング娘。]] * 2月5日 - [[キム・ミンジュ]]、女優、元アイドル(元[[IZ*ONE]]) * 2月15日 - [[丹生明里]]、日向坂46 * 2月8日 - {{仮リンク|ヤン・ジョンイン|ko|아이엔 (가수)|redirect=1}}、アイドル([[Stray Kids]]) * 2月19日 - [[ダヴィード・マズーズ]]、俳優 * 2月21日 - [[イザベラ・エーカーズ]]、女優 * 2月22日 - [[横山玲奈]]、モーニング娘。 * 2月23日 - [[久間田琳加]]、モデル === 3月 === * 3月2日 - [[後藤希友]]、[[ソフトボール]]選手 * 3月6日 - [[アリアーナ・エンジニア]]、[[俳優|女優]] * 3月9日 - [[チョン・ソミ]]、アイドル(元I.O.I) * 3月12日 - [[高橋文哉]]、俳優、モデル * 3月12日 - [[キム・ミンギュ (2001年生)|キム・ミンギュ]]、俳優、モデル * 3月13日 - ボムギュ、アイドル([[TOMORROW X TOGETHER]]) * 3月17日 - [[ピエトロ・ペッレグリ]]、サッカー選手 * 3月25日 - マシホ、アイドル([[TREASURE (音楽グループ)|TREASURE]]) === 4月 === * 4月16日 - [[奥川恭伸]]、プロ野球選手 * 4月16日 - [[玉村昇悟]]、プロ野球選手 * 4月17日 - [[黒川史陽]]、プロ野球選手 * 4月17日 - リュジン、アイドル([[ITZY]]) * 4月23日 - [[高倉萌香]]、アイドル([[NGT48]]) * 4月25日 - ユン・チャンヨン、俳優 === 5月 === * 5月7日 - [[段原瑠々]]、[[Juice=Juice]] * 5月8日 - [[影山優佳]]、[[日向坂46]] * 5月28日 - [[佐々木莉佳子]]、[[アンジュルム]] === 6月 === * 6月4日 - [[久保建英]]、サッカー選手 * 6月5日 - チェリョン、アイドル([[ITZY]]) * 6月18日 - [[ガブリエウ・テオドロ・マルティネッリ・シウヴァ]]、サッカー選手 * 6月18日 - [[矢吹奈子]]、アイドル、女優([[HKT48]]、元[[IZ*ONE]]) * 6月20日 - [[笹生優花]]、[[プロゴルファー]] * 6月22日 - [[出口結菜]]、アイドル([[NMB48]]) * 6月25日 - [[平手友梨奈]]、女優、歌手、元アイドル(元[[欅坂46]]) === 7月 === * 7月10日 - [[イザベラ・メルセード]]、女優・歌手 * 7月10日 - [[森田ひかる]]、櫻坂46 * 7月14日 - [[久保史緒里]]、アイドル、女優([[乃木坂46]]) * 7月17日 - [[井上玲音]]、アイドル([[Juice=Juice]]、元[[こぶしファクトリー]]) * 7月23日 - [[河田陽菜]]、[[日向坂46]] * 7月24日 - 夏目ハル、VRアイドル([[えのぐ]]) === 8月 === * 8月2日 - [[山下美夢有]]、プロゴルファー * 8月3日 - [[坂詰姫野]]、テニス選手 * 8月4日 - [[加藤清史郎]]、俳優 * 8月5日 - [[アンソニー・エドワーズ (バスケットボール)|アンソニー・エドワーズ]]、バスケットボール選手 * 8月6日 - [[タイ・シンプキンス]]、俳優 * 8月7日 - [[大西流星]]、アイドル、俳優([[なにわ男子]]) * 8月7日 - [[橋本大輝 (体操選手)|橋本大輝]]、[[体操競技]]選手 * 8月8日 - [[賀喜遥香]]、アイドル、女優([[乃木坂46]]) * 8月8日 - [[北川悠理]]、アイドル、女優(乃木坂46) * 8月9日 - [[佐藤璃果]]、アイドル、女優(乃木坂46) * 8月20日 - アサヒ、アイドル([[TREASURE (音楽グループ)|TREASURE]]) * 8月21日 - [[本田真凜]]、フィギュアスケート選手 * 8月22日 - [[ラメロ・ボール]]、バスケットボール選手 * 8月25日 - [[宮城大弥]]、プロ野球選手 * 8月29日 - [[藤吉夏鈴]]、[[櫻坂46]] * 8月30日 - [[池﨑理人]]、[[INI]] * 8月31日 - [[森七菜]]、女優、歌手 * 8月31日 - 白藤環、VRアイドル([[えのぐ]]) === 9月 === * 9月2日 - [[髙橋藍]]、バスケットボール選手 * 9月12日 - [[田中美久]]、[[HKT48]] * 9月13日 - [[西純矢]]、プロ野球選手 * 9月21日 - [[向野存麿]]、声優 * 9月27日 - [[中村麗乃]]、アイドル、女優([[乃木坂46]]) * 9月22日 - [[髙橋ひかる]]、モデル、女優 === 10月 === * 10月1日 - [[メイソン・グリーンウッド]]、サッカー選手 * 10月3日 - [[遠藤さくら]]、アイドル、女優([[乃木坂46]]) * 10月3日 - [[山之内すず]]、女優 * 10月4日 - [[出口夏希]]、モデル、女優 * 10月6日 - [[本田仁美]]、アイドル([[AKB48]]、元[[IZ*ONE]]) * 10月12日 - [[レイモンド・オチョア]]、俳優 * 10月14日 - [[ローワン・ブランチャード]]、女優 * 10月14日 - [[松永あかね]]、声優 * 10月15日 - [[ENHYPEN|ヒスン]]、アイドル ENHYPEN * 10月25日 - [[エリザベート・ド・ベルジック]]、[[ベルギー]]王女 * 10月26日 - [[上野愛咲美]]、囲碁棋士 * 10月31日 - [[金川紗耶]]、アイドル、女優(乃木坂46) === 11月 === * 11月3日 - [[佐々木朗希]]、プロ野球選手 * 11月8日 - 日向奈央、VRアイドル([[えのぐ]]) * 11月10日 - [[阪口珠美]]、アイドル、女優([[乃木坂46]]) * 11月12日 - [[ラフィー・キャシディ]]、女優 * 11月22日 - [[チョンロ]]、アイドル([[NCT (音楽グループ)|NCT]]) * 11月26日 - [[白岩優奈]]、フィギュアスケート選手 * 11月28日 - [[関航太郎]]、囲碁棋士 === 12月 === * 12月1日 - [[愛子内親王|敬宮愛子内親王]]、日本の[[皇族]] * 12月2日 - [[柿崎芽実]]、元[[日向坂46]] * 12月12日 - [[細田佳央太]]、俳優 * 12月17日 - [[三浦璃来]]、フィギュアスケート選手 * 12月14日 - [[ジョシュア・ラッシュ]]、俳優 * 12月14日 - [[岩渕麗楽]]、スノーボーダー * 12月18日 - [[ビリー・アイリッシュ]]、シンガーソングライター * 12月31日 - [[本多灯]]、競泳選手 == 死去 == {{See|訃報 2001年}} == ノーベル賞 == * [[ノーベル物理学賞|物理学賞]]:[[エリック・コーネル]]、[[ヴォルフガング・ケターレ]]、[[カール・ワイマン]] * [[ノーベル化学賞|化学賞]]:[[ウィリアム・ノールズ]]、[[野依良治]]、[[バリー・シャープレス]] * [[ノーベル生理学・医学賞|生理学・医学賞]]:[[リーランド・ハートウェル]]、[[ティモシー・ハント]]、[[ポール・ナース]] * [[ノーベル文学賞|文学賞]]:[[V・S・ナイポール]] * [[ノーベル平和賞|平和賞]]:[[国際連合]]、[[コフィー・アナン]] * [[ノーベル経済学賞|経済学賞]]:[[ジョージ・アカロフ]]、[[マイケル・スペンス]]、[[ジョセフ・E・スティグリッツ]] == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=年2001|date=2011年7月}} <!-- 日本の作品については、2001年の日本に記載してください。 --> * 2月13日 - 時空連続体の異常によって「時間震」(タイムクエイク)が発生。1991年2月17日まで時間が逆流する。(小説『{{仮リンク|タイムクエイク|en|Timequake}}』)<ref>{{Cite book |和書 |author= カート・ヴォネガット|authorlink=カート・ヴォネガット |title = タイムクエイク |publisher = [[早川書房]] |year = 2003 |pages = 9,10,41 |isbn = 978-4-15-011433-6}}</ref> * 3月 - 複数の異星種族からなる〈連邦〉が地球人とのコンタクトを実行。地球に迫る好戦的な異星種族「ポスリーン人」の侵攻に対抗するため、豊富な戦闘経験を持つ地球人に協力を要請し、地球の各国はそれを受諾する。(小説『{{仮リンク|ポスリーン・ウォー|en|Legacy of the Aldenata}}』シリーズ)<ref>{{Cite book |和書 |author= ジョン・リンゴー|authorlink=:en:John Ringo |title = 大戦前夜〔上〕 |publisher = 早川書房 |year = 2010 |pages = 72-79 |isbn = 978-4-15-011767-2}}</ref> * 6月 - 第四探検隊のロケットが[[火星]]へ着陸するが、隊員の1人が火星人の遺産を守るために反乱を起こし、隊員5名を射殺。反乱を起こした隊員も隊長に射殺される。(小説『[[火星年代記]]』)<ref>{{Cite book |和書 |author= レイ・ブラッドベリ|authorlink=レイ・ブラッドベリ |title = 火星年代記 |publisher = 早川書房 |year = 1976 |pages = 108-154 |isbn = 978-4-15-040114-6}}</ref> * 6月6日 - [[碇シンジ]]誕生。(アニメ『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』) * 8月 - アメリカによる火星への本格的な入植が開始される。(小説『火星年代記』)<ref>{{Cite book |和書 |author = レイ・ブラッドベリ |title = 火星年代記 |publisher = 早川書房 |year = 1976 |pages = 155,156 |isbn = 978-4-15-040114-6}}</ref> * 9月 - 相田ケンスケ誕生。(アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』) * 10月 - 人類初の有人[[木星]]探査ロケットが、[[ニューメキシコ州]]の出発場から打ち上げられる。(小説『[[天の光はすべて星]]』)<ref>{{Cite book |和書 |author= フレドリック・ブラウン|authorlink=フレドリック・ブラウン |title = 天の光はすべて星 |publisher = 早川書房 |year = 2008 |pages = 304-309 |isbn = 978-4-15-011679-8}}</ref> * 12月20日 - [[内閣総理大臣]][[西川きよし]]と[[アメリカ合衆国大統領]][[クリント・イーストウッド]]による日米首脳会談が行われる。(映画『[[タイム・アバンチュール 絶頂5秒前]]』) * 12月26日 - [[バーナード星]]系の地球に似た惑星「ミューニック15040」を目的地とする国連後援の探査計画によって、13名の乗組員を乗せた宇宙船「ホープ・デンプシー号」が[[スルグト|サーガット]]の発射場から打ち上げられる。亜光速での航行により、ミューニック15040への到着は2008年の予定。(小説『{{仮リンク|暗黒の廻廊|en|The Black Corridor}}』)<ref>{{Cite book |和書 |author= マイケル・ムアコック|authorlink=マイケル・ムアコック |title = 暗黒の廻廊 |publisher = 早川書房 |year = 1983 |pages = 8,23,24,54,61,107,143,191-196 |isbn = 978-4-15-202050-5}}</ref> * 12月28日 - DL6号事件発生。(ゲーム『[[逆転裁判]]』) * 12月 - [[惣流・アスカ・ラングレー]]誕生。(アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』) * 不明 - アメリカの有人宇宙船「ディスカバリー号」が、[[モノリス (2001年宇宙の旅)#TMA・1|モノリス「TMA・1」]]が発信した電波の行き先を調査すべく、[[月周回軌道|月軌道]]上から木星(小説版では[[土星]])に向けて発進、もしくは航行中。(映画・小説『[[2001年宇宙の旅]]』)<ref>{{Cite book |和書 |author= アーサー・C・クラーク|authorlink=アーサー・C・クラーク |title = 2001年宇宙の旅 ―決定版― |publisher = 早川書房 |year = 1993 |pages = 14,84-86,133-243 |isbn = 978-4-15-011000-0}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|2001}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] * {{日本語版にない記事リンク|2001年における世界各地の指導者一覧|en|List of state leaders in 2001}} {{十年紀と各年|世紀=21|年代=2000}} {{Navboxes | title = 2001年の各国([[各年の国の一覧|一覧]]) | list1 = {{各年のアメリカ|2001|unit=1||List=1}} {{各年のヨーロッパ|2001|unit=1||List=1}} {{各年のアフリカ|2001|unit=1||List=1}} {{各年のアジア|2001|unit=1||List=1}} {{各年のオセアニア|2001|unit=1||List=1}} }} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:2001ねん}} [[Category:2001年|*]]
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[ "Template:Main2", "Template:See", "Template:Cite book", "Template:Commonscat", "Template:年間カレンダー", "Template:IND", "Template:UKR", "Template:ARG", "Template:Main", "Template:Cite web", "Template:Pp-vandalism", "Template:Otheruseslist", "Template:COL", "Template:NEP", "Template:PHI", "Template:ISR", "Template:NLD", "Template:Year in other calendars", "Template:USA", "Template:Flagicon", "Template:Normdaten", "Template:脚注ヘルプ", "Template:ESA", "Template:ITA", "Template:PRK", "Template:仮リンク", "Template:CAN", "Template:節スタブ", "Template:フィクションの出典明記", "Template:日本語版にない記事リンク", "Template:Year-definition", "Template:GRC", "Template:CHN", "Template:IDN", "Template:Navboxes", "Template:年代ナビ", "Template:Reflist", "Template:十年紀と各年", "Template:YearInTopic", "Template:JPN", "Template:Also", "Template:See also" ]
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9月11日
9月11日(くがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から254日目(閏年では255日目)にあたり、年末まであと111日ある。
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9月11日(くがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から254日目(閏年では255日目)にあたり、年末まであと111日ある。
{{カレンダー 9月}} '''9月11日'''(くがつじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から254日目([[閏年]]では255日目)にあたり、年末まであと111日ある。 == できごと == <!-- 記事に日付のないもの:[[スティーブン・フォスター]], [[国立天文台]], [[日中戦争]], [[相沢忠洋]]/[[岩宿遺跡]], [[力道山]], [[国際標準化機構]], [[富士見産婦人科病院事件]], [[本田技研工業]]/[[フォーミュラ1]], ([[日本プロ野球]]), --> {{multiple image | footer = [[チリ・クーデター]](1973)。[[中央情報局]]の[[親米]]化工作により民主的政権が倒され[[アウグスト・ピノチェト|ピノチェト]]の独裁となる。ラテンアメリカでは「9・11」の場合、この事件を指す場合が多い | image1 = Chile_quema_libros_1973.JPG | width1 = 120 | caption1 = クーデター後の焚書 | image2 = Allende.jpg | width2 = 120 | caption2 = 大統領[[サルバドール・アジェンデ]](1908-1973)自殺<ref name="nyt"> {{cite web | url = http://www.nytimes.com/2011/07/20/world/americas/20allende.html?_r=1&ref=salvadorallende | title = Allende’s Death Was a Suicide, an Autopsy Concludes | date = 2011-07-19 | work = [[ニューヨーク・タイムズ|NYT]] | publisher = www.nytimes.com | accessdate = 2011-07-21 }}</ref><ref name="latercera"> {{cite web | url = http://www.latercera.com/noticia/politica/2011/07/674-380613-9-informe-del-servicio-medico-legal-confirma-la-tesis-del-suicidio-de-ex.shtml | title = Informe del Servicio Médico Legal confirma la tesis del suicidio de ex Presidente Allende | date = 2011-07-19 | publisher = www.latercera.com | accessdate = 2011-07-21 }}</ref><ref name="jiji"> {{Cite web|和書 | url = http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011072000072 | title = 元大統領、死因は「自殺」=長年の殺害疑惑に決着-チリ | date = 2011-07-20 | work = [[時事通信社|時事通信]] | publisher = www.jiji.com | accessdate = 2011-07-21 | deadlinkdate = 2012-10-26 }}</ref> | image3 = Lentes_Salvador_Allende.jpg | width3 = 80 | caption3 = アジェンデの眼鏡 <!-- September 11 1973 by Latuff2.jpg 風刺画 --> }} <!-- [[Image:Hurricane_Iniki_11_sept_1992_2358Z.jpg|thumb|[[ハリケーン・イニキ]]、ハワイ上陸(1992)。被害額18億ドル]] --> <!-- --> [[Image:WTC collapse before and after.jpg|thumb|[[アメリカ同時多発テロ事件]](2001)。{{audio|GWBush_Oval_Office_Address_20010911-1-.ogg|ブッシュ大統領の演説を聴く}}]] [[Image:Japanese_General_election,_2005_ja.svg|thumb|upright|[[第44回衆議院議員総選挙]](2005)、[[郵政民営化]]を唱えた自民党が圧勝]] [[ファイル:20100915Senkaku Islands Uotsuri Jima Kita Kojima Minami Kojima.jpg|thumb|right|300px|左から魚釣島、北小島、南小島。2012年、日本政府が20億5千万円で国有化]] * [[527年]]([[継体天皇]]21年[[8月1日 (旧暦)|8月1日]]) - [[物部麁鹿火]]が[[磐井の乱]]の平定を命じられる。 * [[1297年]] - [[第一次スコットランド独立戦争]]: [[スターリング・ブリッジの戦い]]。 * [[1498年]]([[明応]]7年[[8月25日 (旧暦)|8月25日]]) - [[明応地震]]発生。 * [[1649年]] - [[クロムウェルのアイルランド侵略]]: [[ドロヘダ攻城戦]]。 * [[1656年]] - [[エルビング条約]]締結。 * [[1697年]] - [[大トルコ戦争]]: [[ゼンタの戦い]]。 * [[1714年]] - [[スペイン帝国]]の攻撃により[[バルセロナ]]陥落。[[バルセロナ包囲戦 (1713年-1714年)|バルセロナ包囲戦]]が終了。 * [[1777年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[ブランディワインの戦い]]。 * [[1792年]] - 「ブルーダイヤモンド」(後の[[ホープダイヤモンド]])が[[フランス]]王室の宝玉庫から盗まれる。 * [[1814年]] - [[米英戦争]]: [[プラッツバーグの戦い]]が米軍の勝利で終結。 * [[1847年]] - [[スティーブン・フォスター]]の「[[おおスザンナ]]」が初演。 * [[1860年]]([[万延]]元年[[7月26日 (旧暦)|7月26日]]) - イギリス大使[[ラザフォード・オールコック|オールコック]]が外国人で初めて[[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]に登山。 * [[1871年]]([[明治]]4年[[7月27日 (旧暦)|7月27日]]) - [[民部省]]が[[大蔵省]]に吸収。 * [[1888年]] - [[師範学校|高等師範学校]]附属学校に[[旧制中学校|尋常中学科]](現在の[[筑波大学附属中学校・高等学校]])が設置される。 * [[1900年]] - 上野・新橋両駅に[[日本の公衆電話#明治期より戦後まで|日本初の公衆電話]]を設置。 * [[1905年]] - <!-- [[日本海海戦]]で有名な -->戦艦[[三笠 (戦艦)|三笠]]が[[佐世保港]]内で弾薬庫の爆発事故により沈没。339人が死亡。 * [[1907年]] - 電機学校([[東京電機大学]]の前身)が創立。 * [[1924年]] - 東京天文台([[国立天文台]]の前身)が[[三鷹市|三鷹]]に移転。 * [[1926年]] - [[大正15年9月広島豪雨災害]]発生。同月23日の豪雨と合わせて多数の被害。 * [[1937年]] - [[後楽園球場]]開場。 * [[1938年]] - [[日中戦争]]の戦意高揚を目的とした従軍作家陸軍部隊が中国へ出発。 * [[1940年]] - [[ダートマス大学]]での[[アメリカ数学会]]の会議で[[ジョージ・スティビッツ]]が[[テレタイプ端末]]により[[ベル研究所]]にあるComplex Number Calculatorのデモンストレーションを行う。世界初のコンピュータの遠隔操作。{{要検証|date=2010年9月|title=スティビッツの記事ではjaもenも9/11としていますが、記念プレートの写真には「9月9日」とあります。}}<!-- 困った --> * [[1945年]] - [[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]が[[東條英機]]ら[[A級戦犯|戦犯]]容疑者39人の逮捕を指令。 * 1945年 - [[第二次世界大戦]]: [[ポンペイ島|ポナペ島]]の日本軍陸軍[[第31軍 (日本軍)|第31軍]]独立混成第52旅団長渡辺雅夫陸軍中将が、[[アメリカ海軍|米]][[駆逐艦]]{{仮リンク|ハイマン (駆逐艦)|label=ハイマン|en|USS Hyman (DD-732)}}上でアメリカ軍に対する降伏文書に署名する。(「ポンペイ州独立記念日(Pohnpei Liberation Day)」) * [[1949年]] - 明治大学考古学研究室が、1946年に[[相沢忠洋]]が発見した[[岩宿遺跡]]の発掘を開始。 * [[1950年]] - [[大相撲]][[関脇]]・[[力道山]]が引退を表明。翌年プロレスに転向。 * [[1951年]] - [[国際標準化機構]] (ISO) が日本の加盟を承認。 <!-- 確認できず * [[1955年]] - 日本国内初の空からの[[ウラン]]調査を実施。[[岡山県]]西部などに有望な地域を発見。 --> * [[1961年]] - [[世界自然保護基金]] (WWF) 設立。 * 1961年 - [[ハリケーン・カーラ]]が[[テキサス州|テキサス]]に上陸。 * [[1968年]] - [[エールフランス1611便火災墜落事故]]。 * [[1972年]] - [[サンフランシスコ・ベイエリア]]に[[バート (鉄道)|バート]](ベイエリア高速鉄道)が開業。 * [[1973年]] - [[チリ]]で[[アウグスト・ピノチェト]]がアメリカ合衆国の秘密支援を受けて[[チリ・クーデター]]を起こす。[[サルバドール・アジェンデ]]大統領は自殺<ref name="nyt" /><ref name="latercera" /><ref name="jiji" />。 * [[1980年]] - [[富士見産婦人科病院事件]]: 埼玉県警が富士見産婦人科病院の理事長を無資格診療の疑いで逮捕。 * [[1985年]] - [[ロス疑惑]]の[[三浦和義]]が殴打事件で殺人未遂として逮捕される。共犯の元女優も身柄を拘束され、翌日逮捕。 * 1985年 - [[ピート・ローズ]]が4192安打を放って[[タイ・カッブ]]の記録を更新し、同日4193安打まで記録。 * [[1989年]] - [[ハンガリー]]が[[ピクニック事件]]以降国内に滞在していた東ドイツ国民に対し、この日0時をもって国境を開放。[[鉄のカーテン]]が無意味な物となり、[[ベルリンの壁]]崩壊へと繋がる。 * [[1992年]] - [[ハリケーン・イニキ]]が[[ハワイ州|ハワイ]]に上陸。 * 1992年 - [[本田技研工業|ホンダ]]が第2期[[フォーミュラ1|F1]]活動の休止を発表。 * 1992年 - [[日本プロ野球]]史上最長の試合が行われる。([[阪神甲子園球場]]での[[阪神タイガース|阪神]]対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦、6時間26分) * [[1997年]] - [[第2次橋本内閣 (改造)|第2次橋本改造内閣]]が発足。 * 1997年 - アメリカの火星探査機「[[マーズ・グローバル・サーベイヤー]]」が[[火星]]の軌道に投入。 * [[1999年]] - 映画『[[マトリックス (映画)|マトリックス]]』が日本で劇場公開。 * [[2000年]] - [[濃尾平野|濃尾地方]]で[[集中豪雨]]([[東海豪雨]])発生。[[名古屋市]]周辺を中心に甚大な被害。 * [[2001年]] - [[アメリカ同時多発テロ事件]]発生。 <!--* [[2002年]] - [[僧侶]]の[[織田無道]]が[[宗教法人]]の乗っ取りを図り虚偽の[[登記]]を行ったとして、[[文書偽造の罪#公正証書原本不実記載等罪|公正証書原本不実記載・同行使の容疑]]で逮捕。[[懲役]]2年6ヶ月・[[執行猶予]]4年の有罪[[判決]]を受けた。--> * [[2004年]] - [[栃木兄弟誘拐殺人事件]]発生。 * [[2005年]] - [[第44回衆議院議員総選挙]]。[[郵政民営化]]を訴えた[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]が記録的大勝。 * [[2008年]] - [[蒲島郁夫]][[熊本県知事一覧|熊本県知事]]が[[川辺川ダム]]計画の白紙撤回を表明。 * [[2009年]] - [[H-IIBロケット]]試験機第1号機により[[宇宙ステーション補給機]] (HTV) 初号機が[[国際宇宙ステーション]] (ISS) に向けて打ち上げ<ref>{{Cite web|和書|date=2009年9月11日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2639912 |title=H2Bロケット打ち上げ成功、宇宙ステーション補給機ISSへ |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-03-31}}</ref>。 * [[2010年]] - [[H-IIAロケット]]18号機により準天頂衛星「[[準天頂衛星システム#初号機 みちびき|みちびき]]」が打ち上げ<ref>{{Cite web|和書|date=2010年9月12日 |url=https://www.rbbtoday.com/article/2010/09/12/70536.html |title=みちびき、打上げに成功…準天頂衛星システムの初号機 |publisher=RBB TODAY |accessdate=2018-03-31}}</ref>。 * [[2012年]] - [[日本政府]]が[[地権者]]から[[尖閣諸島]]の[[魚釣島]]及び[[南小島]]、[[北小島]]を20億5000万円で売買契約し、国有化した<ref>{{Cite web|和書|date=2012-09-12 |url=http://japanese.donga.com/List/3/all/27/418887/1 |title=中国、尖閣諸島に2隻の監視船を派遣 |publisher=東亜日報 |accessdate=2018-03-31}}</ref>。{{main|尖閣諸島国有化}} * [[2013年]] - [[NTTドコモ]]が[[iPhone]]の提供開始を発表し、日本の携帯電話大手三社全てがiPhoneを取り扱うこととなる。 * [[2014年]] - [[朝日新聞]]の[[木村伊量]]社長(当時)が記者会見を行い、[[5月20日]]付朝刊で報じた[[吉田調書]]スクープ記事中の[[福島第一原子力発電所|福島第一原発]]の社員が[[吉田調書#朝日新聞「吉田調書」誤報問題|吉田昌郎所長の待機命令に違反し、'''撤退'''した]]とされる記事の取り消しを発表、'''撤退'''報道による混乱を読者と[[東京電力]]の関係者に謝罪、同時に[[朝日新聞#慰安婦「強制連行」報道|慰安婦「強制連行」報道]]の記事取り消しについても謝罪を行った<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/articles/ASG9C7344G9CULZU00P.html|title=吉田調書「命令違反」報道、記事取り消し謝罪 朝日新聞|date=2014-09-12|publisher=朝日新聞|accessdate=2014-09-12}}</ref>。 * [[2015年]] - [[関東地方]]・[[東北地方]]で[[集中豪雨]]([[平成27年9月関東・東北豪雨]])発生<ref>地球の声を聞こう「集中豪雨から身を守ろう!」より。</ref>。8人死亡。[[栃木県]]・[[茨城県]]・[[宮城県]]の三県で大雨の[[特別警報]]が出る程の大災害が起き茨城・[[常総市]]の[[鬼怒川]]と宮城・[[大崎市]]の[[渋井川]]が氾濫した<ref>地球の声を聞こう「河川氾濫に備えよう!」より。</ref>。 * [[2019年]] - [[第4次安倍内閣 (第2次改造)|第4次安倍第2次改造内閣]]が発足<ref>[https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/201909/11naikaku_kaizo.html 令和元年9月11日 第4次安倍第2次改造内閣の発足] 首相官邸 (2019年9月11日) 2020年5月17日閲覧。</ref>。 == 誕生日 == {{右|[[File:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --><!-- 日付に本質的な意味のある「できごと」の図版を優先的に紹介するためスペースを融通させています。{{-}}などとは役割が違いますので置き換えないでください。 --> {{multiple image | image1 = Minamoto_no_Yoriie.jpg | width1 = 80 | caption1 = 鎌倉幕府第2代将軍、[[源頼家]](1182-1204)誕生 | image2 = Henri-turenne.jpg | width2 = 80 | caption2 = フランス元帥、[[テュレンヌ子爵アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ]](1611-1675) | image3 = Ferdinand_Marcos_at_the_White_House.jpg | width3 = 80 | caption3 = フィリピン第10代大統領[[フェルディナンド・マルコス]](1917-1989)誕生。20年間の独裁を敷いた | image4 = Syria.BasharAlAssad.01.jpg | width4 = 80 | caption4 = シリア大統領、[[バッシャール・アル=アサド]](1965-) }} <!-- WANTED:田沼意次 --> <!-- {{multiple image | image1 = Heinrich_Edmund_Naumann.jpg | width1 = 100 | caption1 = 地質学者[[ハインリッヒ・エドムント・ナウマン]](1854-1927)誕生。[[フォッサマグナ]]を発見 | image2 = James_Hopwood_Jeans.jpg | width2 = 100 | caption2 = 物理学者[[ジェームズ・ジーンズ]](1877-1946) }} --> {{multiple image | image1 = William_Sydney_Porter.jpg | width1 = 100 | caption1 = 短篇の名手、作家[[オー・ヘンリー]](1862-1910)誕生。{{Squote|女が一人の時に何をするものかもし知ったなら、結婚する男はいないだろう。――『黄犬の回想録』(1906)}} <!-- XXX Squoteいまいち --> | image2 = DH_Lawrence_1906.jpg | width2 = 100 | caption2 = 作家・詩人、[[デーヴィッド・ハーバート・ローレンス]](1885-1930)誕生。<!--『[[チャタレイ夫人の恋人]]』(1928)の日本語訳は[[猥褻物頒布罪]]に問われた。-->{{Squote|男や女は本当は犬じゃない。ただ、犬のように見え、犬のように振る舞うだけだ。――「『[[チャタレイ夫人の恋人]]』について」(1929)}} }} <!-- WANTED: 山之口貘 --> <!-- [[Image:Arvo_P%C3%A4rt.jpg|thumb|100px|作曲家[[アルヴォ・ペルト]](1935-)]] --> <!-- [[Image:Princess_Kiko_20091223.jpg|thumb|100px|秋篠宮妃、[[文仁親王妃紀子]](1966-)誕生]] --> * [[1182年]]([[寿永]]元年[[8月12日]]) - [[源頼家]]、[[鎌倉幕府]]第2代[[征夷大将軍|将軍]](+ [[1204年]]) * [[1364年]] - [[クリスティーヌ・ド・ピザン]]、[[随筆家]]、[[作家]](+ [[1430年]]) * [[1611年]] - [[テュレンヌ子爵アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ]]、[[フランス大元帥]](+ [[1675年]]) * [[1617年]]([[元和 (日本)|元和]]3年[[8月12日 (旧暦)|8月12日]]) - [[浅野光晟]]、第2代[[広島藩|広島藩主]](+ [[1693年]]) * [[1719年]]([[享保]]4年[[7月27日 (旧暦)|7月27日]]) - [[田沼意次]]、[[江戸幕府]]の[[側用人]]、[[老中]](+ [[1788年]]) * [[1725年]](享保10年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]]) - [[青山幸道]]、第2代[[宮津藩|宮津藩主]]・初代[[郡上藩|郡上藩主]](+ [[1779年]]) * [[1811年]]([[文化 (元号)|文化]]3年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[三宅康直]]、第11代[[田原藩|田原藩主]](+ [[1893年]]) * [[1824年]] - [[ヤーコプ・ベルナイス]]、[[言語学者]](+ [[1881年]]) * [[1825年]] - [[エドゥアルト・ハンスリック]]、[[クラシック音楽]]評論家(+ [[1904年]]) * [[1854年]] - [[ハインリッヒ・エドムント・ナウマン]]、[[地質学|地質学者]](+ [[1927年]]) * [[1862年]] - [[オー・ヘンリー|O・ヘンリー]]、[[小説家]](+ [[1910年]]) * [[1877年]] - [[ジェームズ・ジーンズ]]、[[物理学者]]、[[天文学者]]、[[数学者]](+ [[1946年]]) * [[1885年]] - [[D・H・ローレンス]]、小説家(+ [[1930年]]) * [[1892年]] - [[千賀康治]]、[[政治家]](+ [[1956年]]) * [[1893年]] - [[ジェームズ・マーティン (エンジニア)|ジェームズ・マーティン]]、[[技術者]]、[[企業家]](+ [[1981年]]) * [[1903年]] - [[山之口貘]]、詩人(+ [[1963年]]) * 1903年 - [[テオドール・アドルノ]]、[[哲学者]]、[[社会学者]]、[[音楽評論家]]、[[作曲家]](+ [[1969年]]) * [[1909年]] - [[益田喜頓]]、[[俳優]]、[[コメディアン]](+ [[1993年]]) * [[1917年]] - [[フェルディナンド・マルコス]]、政治家、[[フィリピン]]第10代[[大統領]](+ [[1989年]]) * 1917年 - [[轟夕起子]]、女優(+ [[1967年]]) * [[1923年]] - [[杉田俊也]]、[[声優]]、俳優(+ 没年不明) * 1923年 - [[虫明亜呂無]]、[[作家]]、[[評論家]](+ [[1991年]]) * [[1929年]] - [[サトウサンペイ]]、[[漫画家]](+ [[2021年]]) * 1929年 - [[榮久庵憲司]]、[[インダストリアルデザイナー|工業デザイナー]](+ [[2015年]]) * [[1933年]] - [[ニコラ・ピエトランジェリ]]、[[テニス]]選手 * [[1935年]] - [[アルヴォ・ペルト]]、作曲家 * 1935年 - [[ゲルマン・チトフ]]、[[宇宙飛行士]](+ [[2000年]]) * [[1940年]] - [[ブライアン・デ・パルマ]]、[[映画監督]] * 1940年 - [[西川幾雄]]、声優 * [[1944年]] - [[尾崎行雄 (野球)|尾崎行雄]]、元[[プロ野球選手]](+ [[2013年]]) * 1944年 - [[山田要一]]、元[[調教師]] * 1944年 - [[中村之保]]、元プロ野球選手 * 1944年 - [[ジョン・マクシェリー (審判員)|ジョン・マクシェリー]]、メジャーリーグ審判員(+ [[1996年]]) * [[1945年]] - [[フランツ・ベッケンバウアー]]、元[[サッカー選手]]、[[サッカー]]指導者 * [[1947年]] - [[泉ピン子]]、女優 * 1947年 - [[渡辺範彦]]、[[ギタリスト]](+ [[2004年]]) * [[1950年]] - [[エイミー・マディガン]]、女優 * [[1950年]] - [[清雲栄純]]、元サッカー選手、サッカー指導者 * [[1953年]] - [[大錦一徹]]、元[[大相撲力士]] * 1953年 - [[中村よお]]、[[シンガーソングライター]]、作家 * [[1954年]] - [[佐藤義則]]、元プロ野球選手 * 1954年 - [[伊藤秀志]]、[[ローカルタレント]] * [[1956年]] - [[美藤啓文]]、[[アナウンサー]] * 1956年 - [[鈴木弘規]]、元プロ野球選手 * [[1958年]] - [[アニマル・レスリー]]、プロ野球選手、タレント(+ [[2013年]]) * 1958年 - [[柴田惣一]]、記者 * [[1960年]] - [[涼風真世]]、女優、[[歌手]]、声優 * 1960年 - [[田丸一男]]、アナウンサー * [[1961年]] - [[ヴァージニア・マドセン]]、女優 * [[1962年]] - [[クリスティ・マクニコル]]、女優 * [[1963年]] - [[岩瀬惠子]]、[[フリーアナウンサー]] * [[1964年]] - [[ヴィクター・ウッテン]]、[[エレクトリックベース|エレクトリックベーシスト]] * [[1965年]] - [[バッシャール・アル=アサド]]、政治家、第5代[[シリア]][[大統領]] * 1965年 - [[ポール・ヘイマン]]、元[[ECW]]代表 * [[1966年]] - [[文仁親王妃紀子]]、皇族 * [[1967年]] - [[相川英明]]、元プロ野球選手 * [[1967年]] - [[ハリー・コニック・ジュニア]]、歌手 * [[1968年]] - [[倉田てつを]]、俳優 * 1968年 - [[成本年秀]]、元プロ野球選手 * [[1969年]] - [[エドゥアルド・ペレス]]、元プロ野球選手 * [[1970年]] - [[松本尚樹]]、元プロ野球選手 * [[1971年]] - [[矢作兼]]、[[お笑いタレント]]([[おぎやはぎ]]) * 1971年 - [[森山大輔]]、漫画家 * 1971年 - [[リチャード・アシュクロフト]]、歌手 * [[1972年]] - [[浅野香織]]、女優 * 1972年 - [[キース・ガンブス]]、サッカー選手 * [[1973年]] - [[小籔千豊]]、お笑いタレント * 1973年 - [[トム・デイビー]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[林尚克]]、元野球選手 * [[1974年]] - [[今岡真訪]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[虻川美穂子]]、お笑いタレント([[北陽 (お笑いコンビ)|北陽]]) * [[1977年]] - [[リュダクリス]]、[[MC (ヒップホップ)|ヒップホップMC]] * [[1978年]] - [[デヤン・スタンコビッチ]]、元サッカー選手 * 1978年 - [[まきのめぐみ]]、歌手 * 1978年 - [[船津未帆]]、女優 * [[1979年]] - [[前田啓介]]、エレクトリックベーシスト([[レミオロメン]]) * 1979年 - [[吉田知加]]、[[シンガーソングライター]] * 1979年 - [[アリアナ・リチャーズ]]、俳優 * 1979年 - [[フランク・フランシスコ]]、プロ野球選手 * 1979年 - [[エリック・アビダル]]、サッカー選手 * 1979年 - [[ダビド・ピサーロ]]、サッカー選手 * 1979年 - 一色徳保、ミュージシャン([[つばき (ロックバンド)|つばき]])(+ [[2017年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/231839|title=つばき一色徳保、脳腫瘍のため逝去|publisher=音楽ナタリー|date=2017-05-09|accessdate=2020-11-01}}</ref>) * [[1981年]] - [[山本麻里安]]、声優 * 1981年 - [[駒井亜由美]]、アナウンサー * [[1983年]] - [[ジャコビー・エルズベリー]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[ひとりでできるもん]]、[[ダンサー]] * 1983年 - [[伊藤教人]]、俳優 * 1983年 - [[蓮沼執太]]、[[エレクトロニカ]]ミュージシャン * 1983年 - [[三林智香]]、[[モデル (職業)|モデル]] * 1983年 - [[石橋史匡]]、元プロ野球選手 * [[1984年]] - [[安田章大]]、歌手、ミュージシャン([[関ジャニ∞]]) * 1984年 - [[クリスチーナ・オブラソワ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1985年]] - [[小暮あき]]、元[[レースクイーン]]、タレント * [[1986年]] - [[佐々木和徳]]、俳優 * 1986年 - [[中村知世]]、元女優、元声優 * 1986年 - [[玉置隆]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[カイル・ブランクス]]、プロ野球選手 * 1986年 - [[依田英将]]、アナウンサー * [[1987年]] - [[松本薫 (柔道)|松本薫]]、元[[柔道家]] * 1987年 - [[大島麻衣]]、タレント、歌手(元[[AKB48]]) * 1987年 - [[加藤レイズナ]]、ライター * 1987年 - [[ブランドン・レアード]]、プロ野球選手 * [[1989年]] - [[高瀬悠]]、ミュージカル俳優 * 1989年 - [[倉持明日香]]、タレント(元AKB48) * 1989年 - [[熊本野映]]、女優 * 1989年 - [[二宮悠嘉]]、歌手、タレント(元[[SDN48]]) * [[1990年]] - [[重成俊弥]]、元サッカー選手 * 1990年 - [[畑田真輝]]、元サッカー選手 * [[1991年]] - [[ジョルダン・アイェウ]]、サッカー選手 * [[1992年]] - [[高田彩香]]、女優 * 1992年 - [[磯村勇斗]]、俳優 * 1992年 - [[田川大樹]]、俳優 * 1992年 - [[山口祥吾]]、元プロ野球選手 * [[1993年]] - [[川本稜]]、俳優 * [[1994年]] - [[岡田尚太郎]]、俳優 * 1994年 - [[COCO (グラビアアイドル)|COCO]]、[[グラビアアイドル]] * [[1995年]] - [[金井勝実]]、俳優 * [[1996年]] - [[えのきさりな]]、女優 * [[1997年]] - [[森迫永依]]、女優 <!-- 特筆性は? * [[1998年]] - 林萌々香、アイドル、ミュージシャン([[NMB48]]) --> * [[1998年]] - [[堀岡隼人]]、プロ野球選手 * [[2000年]] - [[塩﨑太智]]、俳優、歌手([[M!LK]]) * [[2001年]] - RIN、歌手([[新しい学校のリーダーズ]]) * [[2004年]] - [[野咲美優]]、ファッションモデル * [[2006年]] - [[玉井陸斗]]<ref>[https://www.jiji.com/jc/tokyo2020?s=profile&id=competition-og2020_person-tamai-rikuto-0001&a=olyDIV 玉井 陸斗(たまい りくと)| 飛び込み | 選手プロフィル | 東京五輪・パラリンピック | ニュースサイト:時事ドットコム]</ref>、[[飛込競技]]選手 * 生年不明 - [[小林達也]]、声優 * 生年不明 - [[引坂理絵]]、声優 == 忌日 == {{multiple image | image1 = Hyakuninisshu_025.jpg | width1 = 100 | caption1 = 公家・歌人、[[藤原定方]](873-932)没。{{Squote|名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな――[[小倉百人一首]](画像)}} | image2 = Emperor_Go-Mizunoo2.jpg | width2 = 100 | caption2 = 第108代天皇、[[後水尾天皇]](1596-1680) }} [[Image:Cenci.jpg|thumb|100px|貴族[[ベアトリーチェ・チェンチ]](1577-1599)、父親殺しの咎で斬首。多くの芸術作品の題材となった]] <!-- [[Image:Odoardo_Farnese.jpg|thumb|100px|パルマ公[[オドアルド1世]](1612-1646)]] --> {{multiple image | image1 = James_Harrington_by_Sir_Peter_Lely.jpg | width1 = 100 | caption1 = 政治哲学者[[ジェームズ・ハリントン]](1611-1677) | image2 = David_ricardo.jpg | width2 = 100 | caption2 = 経済学者、[[デヴィッド・リカード]](1772-1823)没。[[比較生産費説]]を唱えた }} {{multiple image | image1 = Francois_Couperin_2.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[バロック]]の作曲家、[[フランソワ・クープラン]](1668-1733)没。{{audio|Couperin Cinquieme Prelude Ordinaire.ogg|『前奏曲第5番』を聴く}} | image2 = Henri_Rabaud.jpg | width2 = 100 | caption2 = 作曲家[[アンリ・ラボー]](1873-1949) }} <!-- [[Image:Louis_Godin.jpg|thumb|100px|天文学者[[ルイ・ゴダン]](1704-1760)]] --> <!-- [[Image:Kyosai_Sakakibara_Kenkichi.jpg|thumb|100px|「最後の剣客」[[榊原鍵吉]](1830-1894)]] --> <!-- [[Image:FJ-Child_with_garden.jpg|thumb|100px|文献学者[[フランシス・ジェームズ・チャイルド]](1825)没。[[バラッド]]の権威]] --> <!-- [[Image:Ww_guynemer_01.jpg|thumb|100px|フランスのエースパイロット、[[ジョルジュ・ギンヌメール]](1894-1917)戦死]] --> <!-- [[Image:Inoue_Kenkabo.jpg|thumb|100px|川柳作家、[[井上剣花坊]](1870-1934)]] --> <!-- [[Image:Izutaro_Suehiro.jpg|thumb|100px|法学者、[[末弘厳太郎]](1888-1951)]] --> {{multiple image | image1 = Jan_Smuts_statue.JPG | width1 = 100 | caption1 = 南アフリカ第2・4代首相、[[ヤン・スマッツ]](1870-1950)没 | image2 = | width2 = 140 | caption2 = ソ連の第4代最高指導者、[[ニキータ・フルシチョフ]](1894-1971)没。{{Squote|同志たちよ!我々は個人崇拝をきっぱりと廃さねばならぬ、これを最後に。――1956年の党大会にて}} | image3 = Anna_Lindhs_gravsten_%28gabbe%29.jpg | width3 = 100 | caption3 = スウェーデン外相[[アンナ・リンド]](1957-2003)暗殺 }} <!-- [[Image:Mohamed_Atta.jpg|thumb|100px|[[アメリカ同時多発テロ事件]]の首謀者・実行犯、[[モハメド・アタ]](1968-2001)]] --> <!-- [[Image:Joe_zawinul_2007-03-28_live_in_freiburg.jpg|thumb|100px|[[フュージョン (音楽)|]]の[[シンセサイザー]]奏者、[[ジョー・ザヴィヌル]](1932-2007)]] --> * [[932年]]([[承平 (日本)|承平]]2年[[8月4日 (旧暦)|8月4日]]) - [[藤原定方]]、[[平安時代]]の[[公卿]]、[[歌人]](* [[873年]]) * [[1227年]] - [[ルートヴィヒ4世 (テューリンゲン方伯)|ルートヴィヒ4世]]、[[テューリンゲンの君主一覧|テューリンゲン方伯]](* [[1200年]]) * [[1349年]] - [[ボンヌ・ド・リュクサンブール|ボンヌ]]、[[ドーファン|フランス王太子]][[ジャン2世 (フランス王)|ジャン]]の妃(* [[1315年]]) * [[1599年]] - [[ベアトリーチェ・チェンチ]]、父親殺しで知られる貴族女性(* [[1577年]]) * [[1607年]] - [[ルッツァスコ・ルッツァスキ]]、[[作曲家]](* [[1545年]]頃)<!-- ja,en,fr,ru:9/10 IT,de:9/11 es:- --> * [[1646年]] - [[オドアルド1世]]、[[パルマ公国|パルマ公]](* [[1612年]]) * [[1677年]] - [[ジェームズ・ハリントン]]、[[政治哲学|政治哲学者]](* [[1611年]]) * [[1680年]]([[延宝]]8年[[8月19日 (旧暦)|8月19日]]) - [[後水尾天皇]]、第108代[[天皇]](* [[1596年]]) * [[1733年]] - [[フランソワ・クープラン]]、作曲家(* [[1668年]]) * [[1737年]]([[元文]]2年[[8月17日 (旧暦)|8月17日]]) - [[近衛家久]]、[[江戸時代]]の公卿(* [[1687年]]) * [[1760年]] - [[ルイ・ゴダン]]、天文学者(* [[1704年]]) * [[1823年]] - [[バルタザール・カンペンガウゼン]]、[[政治家]](* [[1772年]]) * 1823年 - [[デヴィッド・リカード]]、[[経済学者]](* 1772年) * [[1843年]]([[天保]]14年[[8月18日 (旧暦)|8月18日]]) - [[浜村蔵六 (三世)]]、[[篆刻|篆刻家]](* [[1791年]]) * [[1886年]] - [[エドゥアルト・フレーゲル]]、[[探検家]](* [[1855年]]) * [[1894年]] - [[榊原鍵吉]]、[[剣術|剣客]](* [[1830年]]) * [[1896年]] - [[フランシス・ジェームズ・チャイルド]]、[[バラッド]]研究家(* [[1825年]]) * [[1917年]] - [[ジョルジュ・ギンヌメール]]、[[エース・パイロット]](* [[1894年]]) * [[1919年]] - [[チャート・ゲーザ]]、[[作家]]、[[音楽家]]、[[医師]](* [[1887年]]) * [[1926年]] - [[尾上松之助]]、[[俳優]] (* [[1875年]]) * [[1931年]] - [[沖原光孚]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[中将]](* [[1848年]]) * [[1934年]] - [[井上剣花坊]]、[[川柳]]作家(* [[1870年]]) * [[1941年]] - [[マリア・スピリドーノワ]]、[[社会革命党|左翼社会革命党]]指導者(* [[1884年]]) * [[1946年]] - [[須永好]]、[[日本社会党]][[衆議院|衆議院議員]](* [[1894年]]) * [[1947年]] - [[アリス・ケッペル]]、[[イギリス|イギリス王]][[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]の愛妾(* [[1869年]]) * [[1948年]] - [[ムハンマド・アリー・ジンナー]]、[[インド・ムスリム連盟]]指導者(* [[1876年]]) * [[1949年]] - [[アンリ・ラボー]]、作曲家(* [[1873年]]) * [[1950年]] - [[ヤン・スマッツ]]、[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]首相(* [[1870年]]) * [[1951年]] - [[末弘厳太郎]]、[[法学者]](* [[1888年]]) * [[1964年]] - [[川野彰子]]、[[小説家]](* [[1928年]]) * 1964年 - [[山本礼三郎]]、俳優(* [[1902年]]) * [[1971年]] - [[ニキータ・フルシチョフ]]、[[ソビエト連邦]]首相(* [[1894年]]) * 1971年 - [[鵜崎多一]]、[[福岡県]][[知事]](* [[1905年]]) * [[1973年]] - [[サルバドール・アジェンデ]]、政治家、[[チリ]]大統領(* [[1908年]]) * [[1975年]] - [[西原貫治]]、日本陸軍の中将(* [[1890年]]) * [[1976年]] - [[石橋正二郎]]、[[ブリヂストン]]創業者(* [[1889年]]) * 1976年 - [[パヴレ・カラジョルジェヴィチ]]、[[ユーゴスラビア]]の[[摂政]](* [[1893年]]) * [[1977年]] - [[田中一村]]、[[日本画家]](* [[1908年]]) * [[1978年]] - [[中平康]]、[[映画監督]](* [[1926年]]) * 1978年 - [[ロニー・ピーターソン]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー(* [[1944年]]) * [[1979年]] - [[遠山啓]]、[[数学者]](* [[1909年]]) * [[1983年]] - [[清水与七郎]]、[[実業家]](* [[1885年]]) * [[1984年]] - [[河合保彦]]、[[プロ野球選手]](* [[1933年]]) * [[1985年]] - [[ウィリアム・オルウィン]]、作曲家(* [[1905年]]) * 1985年 - [[赤尾好夫]]、実業家、[[旺文社]]創業者(* [[1907年]]) * 1985年 - [[夏目雅子]]、女優(* [[1957年]]) * [[1987年]] - [[ピーター・トッシュ]]、[[レゲエ]]ミュージシャン(* [[1944年]]) * [[1992年]] - [[郷鍈治]]、俳優(* [[1937年]]) * [[1993年]] - [[エーリヒ・ラインスドルフ]]、[[指揮者]](* [[1912年]]) * [[1994年]] - [[ジェシカ・タンディ]]、女優(* [[1909年]]) * [[2000年]] - [[塩月勝義]]、プロ野球選手(* [[1952年]]) * [[2001年]] - [[バーバラ・オルソン]]、[[コメンテーター]](* [[1955年]]) * 2001年 - [[モハメド・アタ]]、[[テロリスト]](* [[1968年]]) * [[2002年]] - [[阿木翁助]]、[[劇作家]]、[[脚本家]](* [[1912年]]) * 2002年 - [[キム・ハンター]]、女優(* [[1922年]]) * [[2003年]] - [[ジョン・リッター]]、俳優、声優(* [[1948年]]) * 2003年 - [[アンナ・リンド]]、[[スウェーデン]]元外務大臣(* [[1957年]]) * [[2006年]] - 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産経ニュース 2020年9月12日</ref>、実業家(* [[1938年]]) == 記念日・年中行事 == <!-- [[File:PatriotDay-2009.jpg|thumb|アメリカ合衆国の{{仮リンク|愛国者の日 (9月11日)|en|Patriot Day|label=愛国者の日}}。画像は2009年、黙祷する[[バラク・オバマ]]大統領]] --> [[File:Paella_day_cornudella_de_montsant_2003.jpg|thumb|[[カタルーニャの日]]。巨大[[パエリア]]作りの情景]] <!-- S24.jpeg ポスター --> <!-- [[File:Sarmiento.jpg|thumb|120px|作家・アルゼンチン第7代大統領、{{仮リンク|ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント|en|Domingo Faustino Sarmiento}}(1811-1888)没]] --> *[[二百二十日]]({{JPN}}、[[2009年]]・[[2010年]]・[[2012年]]) *: [[立春]]から数えて220日目の日。[[二百十日]]と同じく台風襲来の時期であるため、農家の厄日とされる。 * [[教師の日]]({{ARG}}) *: アルゼンチンの第7代大統領で教育者・作家の{{仮リンク|ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント|en|Domingo Faustino Sarmiento}}が[[1888年]]に亡くなった日。 * ナショナルデー<!-- [[カタルーニャ州]]では「カタルーニャの日」としています。[[ca:Diada Nacional de Catalunya]] -->({{SPA}}・[[カタルーニャ州]]) *: [[1714年]]、[[スペイン継承戦争]]・[[バルセロナ包囲戦 (1713年-1714年)|第3次バルセロナ包囲戦]]が終結し、[[フェリペ5世 (スペイン王)|フェリペ5世]]率いるスペイン軍がバルセロナを落としたことを記念。 * {{仮リンク|愛国者の日 (9月11日)|en|Patriot Day|label=愛国者の日}}({{USA}})<!-- [[愛国者の日]](4月第3月曜日のアメリカ北東部3州の祝日(Patriots' Day))とは別。こちらは[[レキシントン・コンコードの戦い]] 1775/4/19を記念 --> *: [[2001年]]のこの日に発生した[[アメリカ同時多発テロ事件]]にちなみ、[[2002年]]から実施。 * 緊急番号の日({{USA}}) *: アメリカ合衆国における[[緊急通報用電話番号]]「911」にちなみ、[[1987年]][[8月26日]]に[[ロナルド・レーガン]]米大統領が制定。 * 警察相談の日({{JPN}}) *: [[警察庁]]が[[1999年]]に制定。警察への全国統一の電話相談番号「#9110」から。 <!-- 『366日誕生石の本』(日本ヴォーグ社)のみに記載。「NTTが制定」はおそらく間違い。 * [[公衆電話]]の日({{JPN}}) *: [[1900年]]9月11日に日本初の自動公衆電話が東京の新橋駅と上野駅、熊本市内に設置されたことに由来。 --> == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0911|date=2011年7月}} * [[2003年]] - JAE空輸 123便(スカイバード10MA機)がウーメラ砂漠上空で原因不明の空中爆発を起こし、墜落する。(漫画・テレビドラマ『[[SPEC〜零〜]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1960年]] - エリー・オズワルド、テレビドラマ『[[ドクター・フー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite episode |title=時の女王 |episode-link=時の女王 |series=ドクター・フー |series-link=ドクター・フー |network=[[英国放送協会|BBC]] |station=[[BBC One]] |airdate=2013-04-06}}</ref> * [[1986年]] - 牧原優紀子、ゲーム『[[ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title = ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜 公式ガイドブック 完全版(コナミ完璧攻略シリーズ)|date = 2002-03-05|publisher = [[コナミホールディングス|コナミ株式会社]]|isbn = 4-575-16310-4|page = 66|chapter = キャラクター別攻略マニュアル}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title = 別冊宝島947 我が青春の『ときめきメモリアル』ヒロインズ|date = 2004-02-06|publisher = [[宝島社]]|isbn = 4-7966-3828-8|page = 44|chapter = Character Collection: ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜}}</ref> * 生年不明 - アーギルシャイア、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2019年9月10日 (火) 16:13 (UTC)}} * 生年不明 - 相沢庄次、漫画『[[べるぜバブ]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2019年9月10日 (火) 16:13 (UTC)}} * 生年不明 - 泉司、漫画『[[GE〜グッドエンディング〜]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2017年9月11日 (月) 05:53 (UTC)}} * 生年不明 - クラリオ・オーヴァン、アニメ『[[イナズマイレブン オリオンの刻印]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22|url=https://corocoro.jp/special/68074/2/|title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!!|website=コロコロオンライン|publisher=[[小学館]]|page=2|accessdate=2022-05-05}}</ref> * 生年不明 - 小金井慎二、漫画・アニメ『[[黒子のバスケ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status2|kurobasanime|1304075033220845568|4=@kurobasanimeの2020年9月11日のツイート|5=2021年4月15日}}</ref> * 生年不明 - 宮沢まひろ、漫画『[[初恋*れ~るとりっぷ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=初恋*れ~るとりっぷ 3|date=2021-11-26|publisher=[[芳文社]]|page=112|author=永山ゆうのん|isbn=978-4-8322-7323-8}}</ref> * 生年不明 - 坂東美久龍、メディアミックス作品『[[Re:ステージ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|url=http://rst-project.com/character/|title=CHARACTER|website=Re:ステージ!公式サイト|accessdate=2021-04-15}}</ref> * 生年不明 - リュウ・メイファン、ゲーム『[[少女☆歌劇 レヴュースタァライト#アプリゲーム|少女☆歌劇 レヴュースタァライト -Re LIVE-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status2|starlightrelive|1171438179880034306|4=@starlightreliveの2019年9月11日のツイート|5=2020年4月15日}}</ref> * 生年不明 - 水原怜人、漫画・アニメ『[[終末のハーレム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://end-harem.com/archives/character/146|title=水原 怜人|website=終末のハーレム キャラクター|publisher=[[集英社]]|accessdate=2021-04-15}}</ref> === 忌日(フィクション) === * [[2010年]] - 君島コウ、ゲーム『[[ROBOTICS;NOTES]]』に登場するキャラクター(* [[1977年]])<ref>{{Cite book|和書|title=ROBOTICS;NOTES 【ロボティクス・ノーツ】 公式設定資料集:Childhood Dreams|publisher=[[アスキー・メディアワークス]]|year=2012|pages=94,158頁|isbn=978-4-04-886756-6}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|September 11|11 September}} {{新暦365日|9|10|9|12|[[8月11日]]|[[10月11日]]|[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]|0911|9|11}} {{1年の月と日}}
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大阪近鉄バファローズ
大阪近鉄バファローズ(おおさかきんてつバファローズ、英語: Osaka Kintetsu Buffaloes)は、かつて存在した日本のプロ野球球団である。1949年から2004年まで活動し、1950年から解散までパシフィック・リーグに加盟していた。現在のオリックス・バファローズの前身球団の一つである。 球団消滅時点では大阪府を保護地域とし、一軍は大阪市西区にある大阪ドーム、二軍(ウエスタン・リーグ所属)はかつて一軍の本拠地だった藤井寺球場を本拠地にしていた。 球団愛称の正式表記は「バファローズ」であり、「バッファローズ」ではない(経緯に関しては後述)。ただし、三原脩の監督時代のサインなど、球団及び近鉄グループ関係者が誤用した例がある。 1999年3月末までの球団名は「近鉄バファローズ」で、地域密着を謳うために1999年4月1日付で上記球団名に改称された後も通称として使われていた。なお、運営法人の商号は株式会社大阪バファローズ、近畿日本鉄道株式会社の100%の連結対象子会社(額面500円)だった。 2004年、球団と近鉄グループの経営難からオリックス・ブルーウェーブの運営会社「オリックス野球クラブ」に営業譲渡し、2005年3月末に解散。職員の大半はオリックス野球クラブ、一部は新規に創設された楽天野球団に移り、選手は分配ドラフトにより、オリックス・バファローズ(ブルーウェーブから改称)と同時に新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスに配分された。 オリックスの球団史において大阪近鉄バファローズは傍系扱いとなるため、チームタイトルや個人賞などの各種記録については一切含まれていない。球団史が引き継がれずに終焉する形でのチーム消滅は1958年の大映ユニオンズ以来となった。 合併までの経緯・詳細についてはプロ野球再編問題 (2004年)を参照。 1944年6月から1947年5月まで南海鉄道と関西急行鉄道の戦時統合によって設立された近畿日本鉄道が運営していた近畿日本軍→近畿グレートリングとの球団の系譜としてのつながりはなく、これは現在の福岡ソフトバンクホークスの系譜である。 球団が消滅した2004年時点で現存していた12球団の中で「55年の球団史上1度も日本シリーズに4回出場した上で日本一になれなかった唯一の球団」となった。セ・リーグの内、阪神タイガース、中日ドラゴンズ、大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ、合併で1953年にチーム消滅した松竹ロビンスとは日本シリーズで対戦したことはない。 設立当初より低迷が続き、万年Bクラス、最下位の近鉄は「地下鉄球団」とも揶揄(やゆ)された。 近畿日本鉄道をスポンサーとする近鉄パールス(設立時は近鉄本社、後にグループ会社の近鉄野球株式会社(初代、のちの近鉄興業株式会社)が経営を担当。移管時期は不明)が佐伯勇の鶴の一声で結成。「パール(真珠)」は賞金5万円の公募によって決められ、近鉄沿線の伊勢志摩地方で真珠養殖が盛んなこともあって命名された。近鉄にとっては、南海鉄道合併当時の1944年 - 1947年(近畿日本軍 → グレートリング、現:福岡ソフトバンクホークス)以来の球団運営である。近鉄は大阪電気軌道時代よりラグビー部(現:近鉄ライナーズ)を有していたが、後の佐伯の述懐によれば「ラグビーでは儲からないから」と当時隆盛を極めていた野球経営に食指を動かしたという。11月26日に発足した太平洋野球連盟(パシフィック・リーグ)に加盟。2リーグ制構想を最初に打ち出した正力松太郎は、大阪地区で4チームが同一のリーグに入ることは好ましくないと考え、片方のリーグに近鉄と阪神、もう一つのリーグに阪急と南海を入れる考えを持っていたといわれる。しかし、毎日新聞側で電鉄系球団が結束した後に阪神が離脱するという経過により、この正力の考えは実現しなかった(経過についてはプロ野球再編問題 (1949年)を参照)。加盟申請は早かったものの、チーム編成が遅れたため、他球団と未契約の東京六大学出身者(監督藤田省三始め、関根潤三など法政大学勢が多かったため、チーム内に近鉄法友会という懇親組織が存在した)を中心に編成したが、プロ野球経験者は黒尾重明(東急フライヤーズ)、森下重好、田川豊(いずれも太陽ロビンス)ら数えるほどで、選手層が薄く、設立より4年連続最下位となる。 開幕直前に藤田省三が高熱でダウン、藤田は球場には来たが加藤春雄が実質指揮を取る中で3月12日、藤井寺球場での対毎日オリオンズ戦が球団としての初めての公式戦となるが、初回四番森下重好のタイムリーで先制するものの、失策で自滅し、2対6で敗戦。翌13日の対南海ホークス戦で沢藤光郎が粘投し、4対3でチーム初勝利を収める。チームは連敗、連勝、連敗を続け、この年は森下が30本塁打、沢藤が18勝を挙げる活躍を見せるが、最終的には首位の毎日から37.5ゲーム離された最下位に終わる。投打共に駒不足を露呈した。球団本社からの強化費用が予想以上に出ず、新人2選手が加入しただけで終わる(その2選手も翌年には退団)。 この年もシーズン終盤まで低迷、9月に14勝8敗1分と追い上げるも6位の東急と0.5ゲーム差で2年連続最下位に終わる。この年のオフ、大下弘の獲得に乗り出すが失敗に終わる。 5月から6月にかけて13連敗を喫し、シーズン通して首位の南海に4勝14敗、2位の毎日には3勝15敗と大きく負け越し、最終的に30勝78敗、3割に満たない勝率で3年連続最下位に終わる。シーズン終了後、藤田省三が監督を辞任し、芥田武夫が就任。 小玉明利、鈴木武ら後に中心となる新人補強に加え、独特の練習スタイルで結果を出す。 開幕直後には9連勝するなど、5月8日に一時期ながら首位に立つが、夏場以降は失速し、首位南海と22ゲーム差の最下位となる。勝率は初めて4割を超える。 8月7日に新人の山下登が対高橋ユニオンズ戦で球団史上初のノーヒットノーランを達成している。74勝63敗5分で、創立以来初となる最下位脱出の4位、勝率5割を越えてのAクラスとなった。近鉄選手初のタイトルとして田中文雄が最多勝、鈴木武が盗塁王を獲得しており、チーム盗塁数223は当時の日本プロ野球歴代5位であった。 序盤から投手陣が大不振。6月19日には武智文雄(田中から改姓)が対大映スターズ戦(大阪)でパ・リーグ初となる完全試合を達成する。この年連敗することが多く、60勝80敗2分の5位に終わる。 4月後半の10連勝で勢いをつけたが、終盤に失速し5位。この頃は万年最下位とは呼ばれなくなったが、優勝争いをしている西鉄、南海とは地力の差があった。 この年パ・リーグは高橋ユニオンズと大映スターズが合併したことで8球団から7球団となり、日程が組みにくくなったことから最下位の球団は消滅させようという動きがあり、関根潤三は「大映オーナーの永田雅一による近鉄潰しだ」と述べている。6月22日、芥田がシーズン途中で休養。加藤春雄が代行を務めるが8月を終わっても最下位で、消滅の危機となったが、最終的には6位に終わっている。加藤春雄はオフに監督就任。 開幕から不振が続き、6戦目で最下位になると、そのまま浮上することなく、首位の西鉄に3勝22敗1分、2位南海に4勝22敗1分と大きく負け越し、この年の近鉄のシーズン29勝は最多勝投手の稲尾和久の33勝を下回り、球団史上最低記録となる勝率.238でシーズンを終える。シーズン終了後、加藤が監督辞任、現役時代「猛牛」と呼ばれた千葉茂を監督に招聘し、チーム名を近鉄バファローに改名。岡本太郎による球団マーク(通称、猛牛マーク)が制作される。なお、同年はパ・リーグの他球団から名古屋への進出を持ちかけられたがこれを拒否している。 5月に最下位になるとそのまま浮上できずにシーズンを終える。チーム39勝は、最多勝の南海の杉浦忠の38勝より1勝多いだけであった。前年と合わせ8人の選手が読売ジャイアンツから移籍するなど、チームの大幅な入れ替えを図る。なおシーズン途中の6月20日に千葉茂が途中休養、代行監督に林義一が就任するが、オフに千葉が監督復帰する。 43勝87敗1分で首位の大毎と39ゲーム差の最下位。 日本プロ野球シーズン最多記録となる103敗を記録。首位南海とは51.5、5位阪急とも18.5ゲーム差をつけられ、チームの勝ち星は1958年に続き、稲尾和久の42勝に届かぬ36勝に終わった。新人の徳久利明が15勝を挙げ球団初の新人王を獲得する。1958年から4年連続でチームは160失策以上を記録し、チーム38盗塁は2リーグ制以降、当時の最少記録となっている。シーズン終了後、千葉茂が監督を更迭、別当薫が就任。 後年、この当時の事情を千葉茂はなかなか語ろうとしなかったが、1997年ごろに語ったところによれば「巨人で20年やってきたことがすべてひっくり返った」と述べ、「選手もプロ意識は低かったが、親会社の体質にも問題があった」とし、当時三等車だった列車での移動を西鉄並の二等車にしてほしいと頼めば、球団に「15人だけにしてほしい」と言われたとされる。一方の選手は西鉄の稲尾和久や南海の杉浦忠などが登板することが分かると、高熱や腹痛などの仮病を使って試合を欠場したとも述べている。 「近鉄バファローズ」という球団名は1998年まで使われたが、ここでは大阪ドーム移転前年の1996年までの事について述べ、大阪ドームに移転した1997年・1998年の両年については#大阪ドーム時代を参照。 チーム名を近鉄バファローズに改名。ジャック・ブルームフィールドが.374の高打率で首位打者を、28勝を挙げた久保征弘が最多勝を獲得するも、チーム全体ではわずか57勝(久保はほぼ半分の勝ち星を1人で稼いだ)で5年連続最下位。土井正博が18歳で四番に抜擢される。 5月以降チームは勝率5割を保ち、東映との3位争いをするものの、1ゲーム差の4位に終わる。この年のオールスターには7人が選ばれた。長打力には乏しいものの単打や二塁打を重ねて得点をあげる攻撃に「ピストル打線」のあだ名がつく。 この年4人の10勝投手が出るも、2年ぶりの最下位。1958年よりこの年まで7年連続で失策数はリーグワースト。シーズン終了後、別当薫が監督を辞任。後任には岩本義行が就任。球団結成時から在籍している関根潤三に対して球団の中には「監督をやれ」と言う人もいたが、関根にそのつもりはなく、近鉄を退団し、巨人に移籍した。 優勝した南海と42.5ゲーム差で2年連続の最下位。この年第1回プロ野球ドラフト会議が行われ、2位指名で鈴木啓示が入団している。 48勝82敗で3年連続最下位。シーズン終了後、岩本義行が監督を辞任、後任には当時31歳の小玉明利が選手を兼任のまま監督就任。 4月1日、球団運営のための会社法人として近鉄野球株式会社(2代目)を設立し、近鉄興業(同年3月に近鉄野球株式会社=初代を商号変更)から経営を移管。チームは開幕ダッシュもあり5月半ばまで首位だったが、主力選手の相次ぐ故障もあり4年連続の最下位に終わる。シーズン終了後、小玉明利が監督を辞任し選手として阪神に移籍した。後任には三原脩が就任した。 西鉄との開幕戦で3連勝後、4月を14勝4敗として6月まで首位だったが、夏場以降は失速し、首位の阪急と23ゲーム差の4位に終わる。しかし、監督の三原によって選手に自信をつけさせたとされる。三原は家族の問題から退任を申し入れるも、慰留され続投。 5月までに9連敗を記録するなど低迷、しかしその後18勝1敗2分けと一気に追い上げ、球団初の首位争いを阪急と展開する。互いに直接対決4試合のみを残した10月17日の時点で2厘差で首位を保ち、阪急よりも優位であった。しかし、10月18日からの対阪急4連戦に初戦から3連敗で阪急の逆転優勝を許し、2位に終わる。球団創立以来シーズンの対戦成績で勝ち越したことがなかった南海に対し17勝9敗と初めて勝ち越し、また15シーズン連続で負け越していた西鉄にも15勝11敗で勝ち越した。ドラフト会議では、高校野球で甲子園のアイドルと呼ばれた太田幸司を獲得。 5月14日に黒い霧事件に関連し、球団職員だった山崎晃が外部の人間より八百長(野球協約上の敗退行為)を強要され、監督や選手に敗退行為の依頼を行ったことが報道された。山崎は1967年に当時選手兼監督だった小玉明利を始め、木原義隆、吉沢岳男、高木喬の4名に八百長を依頼したとされる。捜査の結果、依頼された4人については金銭の授受はなく試合で敗退行為を行った確証も得られなかったため、プロ野球機構からの処分は厳重戒告に留まったが、山崎については八百長工作を行っていたことが確実になったため、6月15日に野球賭博への関与を理由とした永久追放処分が下された。10月6日、対南海戦で佐々木宏一郎が完全試合を達成。シーズン終了後、三原が監督を辞任し、後任を鶴岡一人に一本化するが招聘に失敗し、コーチの岩本尭が監督に昇格した。 鈴木啓示、清俊彦、佐々木宏一郎、神部年男の投手4本柱が防御率7位以内に入る安定感を見せ、3位を確保。 序盤に首位に立った南海相手に7連勝(1分)するなど、4月29日に同率首位にもなったが、総合では首位とは14ゲーム差の2位に終わる。この頃は鈴木啓示が5年連続20勝を挙げ、また太田幸司人気もあってテレビ中継も増えている。 パ・リーグは前後期2シーズン制を導入。投手力のある近鉄が優勝候補にも挙げられたが、その投手陣が相次ぐ故障などから崩壊し防御率3.83はリーグ5位で10勝以上あげたのが鈴木啓示のみ、打線も土井が唯一打率ベスト10入り(3位)しただけでチーム打率はリーグ最下位の.237、本塁打113本は南海と同数の5位、盗塁、得点はリーグ最少、失点、失策はリーグ最多で、8月末に岩本は休養し、島田光二が代理監督を務めるが、前後期とも最下位の6年ぶりの最下位に終わっている。二軍がウエスタン・リーグを初制覇している。シーズン終了後、前阪急監督の西本幸雄が監督就任。 西本幸雄の下、リーグ初優勝を遂げ、長かった低迷期を脱する。また仰木彬の監督就任後は毎年のように西武ライオンズとの激しいペナントレース争いとなり、西本退任以降の1982年から仰木彬が指揮した1992年までではBクラスは3度と安定した成績を保った。 監督に就任した西本は羽田耕一、栗橋茂、佐々木恭介、平野光泰、梨田昌崇ら若手選手を鍛えてチーム力の強化を図ったが1年目は5位に終わり、オフにチームの主砲であった土井正博を太平洋クラブライオンズにトレードで放出する。 初めて「優勝」(ペナント2期制度での後期優勝)を果たすが、プレーオフで前期優勝の阪急に1勝3敗で敗れる。なお通期での貯金は「21」(71勝50敗9分)であり、優勝の阪急の貯金「5」を大きく上回っていた。(+8ゲーム差相当) 4月26日、対ロッテ戦で鈴木啓示が球団初の通算200勝を達成、近鉄入団の生え抜き選手としては唯一の名球会入り選手となった。南海と日本ハムファイターズに勝ち越し、ロッテ、クラウンライターライオンズに10勝以上あげているが、首位の阪急に6勝18敗2分と大きく負け越し前期は3位としたものの、後期は最下位でシーズン通しては4位に終わる。チーム盗塁数120はリーグトップだったが、チーム打率は5位、チーム本塁打92本はリーグ最下位に終わっている。 前期は阪急に次いで2位、後期は8月まで阪急が首位を独走していたものの、9月に近鉄が猛追し一時は首位に立つなど両チームのマッチレースとなり、後期最終戦となる9月23日に阪急との後期優勝をかけた直接対決を迎えた。近鉄は勝てば後期優勝、阪急はこの試合に勝ち、さらに残り2試合中1試合を引き分け以上が優勝の条件だった。近鉄はこの年25勝で最多勝の鈴木啓示を先発に立てたが、山田久志とのエース対決に敗れ、逆転で首位に立った阪急が次の試合にも勝って前期に続き優勝を決め、近鉄は2位に終わっている。この年近鉄は全球団に勝ち越したものの、阪急は近鉄以外の4球団に大きく勝ち越していたのが差となった。 前期は5月までに2位阪急に5ゲーム差をつけ独走していたが、6月9日の対ロッテ戦でチャーリー・マニエルがアゴに死球を受け、戦線離脱、阪急の追い上げもあり、一時は阪急にマジックが点灯するが、最終戦の対南海戦に引き分け前期優勝を決めた。後期は2位となり、後期優勝の阪急とのプレーオフとなるが、この年防御率1位の山口哲治の3連投の活躍で3連勝し、球団創設30年目にして初のリーグ優勝を遂げる。当時の12球団最後の初リーグ優勝として近鉄初のリーグ優勝で当時の12球団において1度はリーグ優勝を経験することとなった。74勝45敗11分、勝率.622は球団記録。ただし、阪急は年間勝率1位なのに対し、近鉄は年間勝率2位通過だったことから、年間勝率1位通過を経験することなく、初リーグ優勝を成し遂げた最初で最後の球団となった(2005年に発足した東北楽天ゴールデンイーグルスは2013年に初リーグ優勝を達成したが、年間勝率1位を通過しており、2023年現在も近鉄が唯一となっているが、現行のプレーオフは勝率1位を競うリーグ戦とは区別されているため、勝率2位通過以下でのリーグ優勝のケースは現在のルール上では現れない)。しかし、広島東洋カープとの日本シリーズでは第7戦の9回裏1点ビハインドの場面で、無死満塁の一打逆転サヨナラの好機をつかむが、江夏豊の前に阻まれ、3勝4敗で敗退(江夏の21球参照)。 反発力を高めた飛ぶボールの効果もあり、この年本塁打・打点の二冠のマニエルをはじめチームから二桁本塁打10人を出す日本プロ野球新記録のシーズンチーム本塁打239本し、前年5月19日から9月29日まで日本プロ野球記録を更新する215試合連続で得点を記録する。チームは前期2位、後期は残り3節の時点で5位と追い込まれるがそこから巻き返し、10月7日には後楽園球場で、マジック1で引き分けでも優勝決定という日本ハムとの直接対決を6-5で勝利し、続く8日、11日の対西武ライオンズ2連戦にも勝利し逆転で後期優勝、ロッテオリオンズとのプレーオフも3勝0敗で制し2年連続でリーグ優勝を果たすが、日本シリーズではまたしても広島に3勝4敗で敗退。オフにマニエルが契約更改で球団と決裂し、退団。 1980年10月7日に行われた後楽園球場における日本ハムと近鉄の後期最終戦。この試合は開始30分前に満員札止めとなった。日本ハムはこの試合で引き分けでも後期優勝が決まるが、近鉄が優勝するにはこの試合に勝ち、対西武戦も連勝する必要があるという日本ハムに非常に有利な試合であった。両チームの先発投手は近鉄は鈴木啓示、日本ハムは高橋一三のベテラン左腕。2回裏に日本ハムが1点を先取。打たれながらも何とか抑えていた高橋が3回表に無死二塁とすると、早くも木田勇がリリーフした。しかし佐々木恭介に打たれて同点とされる。4回表には3本の安打を連ねられて3点を失った。木田はカーブの制球が定まらず、バックの失策も出た。5回裏に日本ハムが1点を返せば、近鉄もクリス・アーノルドがソロ本塁打を放つ。しかし7回裏に日本ハムは代打、富田勝の二塁打を皮切りに4連打を浴びせて2点を返し、1点差にまで迫る。8回表に有田修三がソロ本塁打を放った後に木田はマウンドに座り込んでしまい、ついに降板した。その裏に日本ハムも一死三塁から富田が近鉄2人目の投手の井本隆の頭をワンバウンドで越えるゴロを放ち、これを遊撃手の吹石徳一がギリギリ追い付いて捕球。三塁走者の大宮龍男はこの場面で生還することができなかった。二死から高代延博の安打でようやく生還して1点差に迫った。日本ハムは9回表の近鉄の攻撃を間柴茂有と宇田東植のリレーで凌いだ。9回裏の日本ハムはクリーンナップの好打順。一番手の柏原純一の右翼への痛烈なライナーがフェンス一杯で捕球された。近鉄はこの後に3番手の村田辰美に替えた。トミー・クルーズも右翼正面へのライナーで二死。トニー・ソレイタは三振に終わり、5-6と近鉄の勝利で試合終了。自力優勝の機を逸した日本ハムを尻目に、近鉄は西武にも連勝して逆転優勝を果たした。監督の西本は「あそこまで鍛えに鍛えて、全員が全力を尽くして戦えば、お客さんの期待に応える、あれだけのゲームが出来るのです」とのちに振り返り、当日に新聞紙記者の一人は「かつてプロ野球は巨人一辺倒だったが、時代は変わった」と書いた。 マニエルの抜けた穴はあまりにも大きく、前年4人いた3割打者が1人も出ず、本塁打もビクター・ハリスの22本がチーム最高であるなど打線が低下。また鈴木啓示も5勝しかできず負け越すなど投手陣が振るわず前期6位、後期4位の最下位に終わる。シーズン終了後、西本幸雄が監督辞任、後任に関口清治が就任。 序盤は首位になり前後期とも勝ち越し3位となるが、首位の日本ハムからは大きく離されての結果となった。 4月末に7連敗すると5月まで最下位、持ち直すものの、以降は一度も5割にならないままこの年は4位、シーズン終了後、関口清治が監督を辞任、後任は岡本伊三美。広島から加藤英司がトレードで加入。 このシーズンでは、藤井寺球場のナイター設備が完成し、4月6日にナイター開きが行われた。5月5日には鈴木啓示が通算300勝を達成するが、新外国人選手だったドン・マネーが待遇面をめぐって4月末に退団するなどもあり、4位となるが、3位の対西武戦を9勝17敗と大きく負け越している。 7月10日に鈴木啓示が現役引退を表明、背番号1は球団唯一の永久欠番となる。本塁打はリーグ最多の212本だが、防御率はリーグワーストの5.10で、この年は4位の阪急と勝率1毛差の3位であったが、首位西武とは15ゲーム差をつけられ、二桁勝利投手もストッパーの石本貴昭だけであったが、この時期は1979年、1980年の優勝メンバーと、後の1989年優勝メンバーの世代交代の時期だったとされ、打者では大石大二郎、投手では石本の他に小野和義、吉井理人、佐々木修、山崎慎太郎などの獲得や台頭が見られる。オフに有田、加藤英が巨人・淡口憲治らとトレード成立。 後半戦は西武との熾烈な優勝争いとなり、互いにマジックが点灯と消滅を繰り返す展開となる。9月終了時で西武と1ゲーム差の2位だが、残り試合の関係でマジック10が点灯していた。10月5日のロッテ戦で9回裏に2点差を追い付き、引き分けで同率首位に並ぶと、翌日はロッテに勝って単独首位に立つ。両チーム残り3試合の時点でマジック3としたが、10月8日から阪急に3連敗。ロッテにホームで連勝し逆転優勝を果たした西武と2.5ゲーム差の2位に終わる。記録の残る1952年以降としては初めて観客動員が100万人を突破している。 移籍2年目の新井宏昌が首位打者、ルーキー阿波野秀幸が15勝を挙げ新人王を獲得する活躍をみせるもののチーム内の不協和音もあり5位のロッテとは1.5ゲーム差で、4球団には11勝以上したものの残る西武には5勝19敗3分と大きく負け越したこともあり、最下位となる。シーズン終了後、岡本伊三美が監督を辞任、コーチだった仰木彬が就任、権藤博が投手コーチ。 終盤に前年までリーグ3連覇中の西武と熾烈な優勝争いを繰り広げることとなった。開幕から西武が独走、6月に入ると貯金20で2位近鉄は8ゲームをつけられ、7日には主砲のリチャード・デービスが大麻不法所持で逮捕され解雇というアクシデントに見舞われ、同月28日に急遽中日ドラゴンズから金銭トレードでラルフ・ブライアントを獲得した。ブライアントはこの後、74試合の出場ながら34本塁打を記録するなど大活躍をした。9月に入っても西武が独走状態は続き、15日の時点では西武に6ゲーム差をつけられるが西武が一時後退して29日の時点では1.5ゲーム差、10月に入り5日にはゲーム差無しで一時近鉄が首位に立つなど、以降シーズン終了まで、首位の西武と近鉄がともに譲らずハイペースで勝ち続けるという展開となり、10月16日に西武が全日程を終了した時点では、近鉄は残り4試合のうち3勝すれば優勝だったが、17日の対阪急戦に敗れ、残り3戦を3勝が優勝の絶対条件となり、川崎球場へ移動しての18日の対ロッテ戦に勝利し、10月19日のロッテとのダブルヘッダーでは第1試合を9回に逆転勝利するが、第2試合延長10回時間切れで4対4の引き分けに終わり、130試合目にして優勝を逃す結果となった(詳細は10.19を参照)。この試合でも活躍の梨田、吹石が引退。 この年は昭和最後のペナントレースだったので、近鉄は当時のパ・リーグ全球団の中で日本ハムと共に「昭和時代に本拠地で1度も年間勝率1位によるリーグ優勝ができなかった球団」となった。 開幕前は西武と近鉄が優勝争いになると見られたが、ペナントに入ると開幕戦で近鉄に大勝したオリックス・ブレーブスが開幕から8連勝と抜け出し、近鉄や西武は勝率5割前後と出遅れる。近鉄はエースの阿波野秀幸が開幕から6連勝や、いてまえ打線の復調もあり、7月から8月にかけて2度の4連勝などで8月に一時首位に立つが、9月に入ると連敗を重ねて9月25日の時点で3位に後退していた。近鉄に後がない状況で迎えた10月12日、対西武戦(西武球場)ダブルヘッダーにおいて、ラルフ・ブライアントがこの日4打数連続本塁打が出て西武に連勝。近鉄がマジック2を点灯させる(詳細は10.19#1989年10月12日のダブルヘッダーと近鉄1年越しの優勝を参照)。10月14日、藤井寺球場での対福岡ダイエーホークス戦に勝利し、129試合目で9年ぶり3度目の優勝達成となった。これが近鉄にとって初の1シーズン制度上での初優勝となり、当時のパ・リーグ全球団が本拠地でリーグ優勝を果たした。初めての本拠地球場での日本シリーズ開催となったが、初戦から巨人に3連勝するものの、加藤哲郎の「巨人はロッテより弱い」発言問題もありその後4連敗を喫し、巨人に敗れる。栗橋、淡口、羽田が引退し、村田が移籍、権藤コーチが退団した。ドラフトにおいて、8球団競合による抽選の上、新日鉄堺の野茂英雄の交渉権を獲得し、入団している。 この年は平成最初のペナントレースだったので、近鉄は「平成最初のパ・リーグ優勝球団」となった。 野茂英雄が最多勝、防御率など主な先発投手タイトルを獲得する活躍で新人王&MVPとなり、沢村賞も獲得。また同じく新人の石井浩郎も6月以降にレギュラーに定着し規定打席不足ながら打率.300、22本塁打と活躍。しかしチームは開幕2戦目から9連敗を喫し大きく出遅れ、阿波野の不振や小野の故障など野茂以外の投手陣が軒並み成績を落としたこともあり、西武との大差を縮められず3位に終わる。オフには中西太ヘッドコーチが退団した。 西武が開幕から抜け出すが、前半戦最後の西武との直接対決で勝って首位で折り返すものの、9月に西武との直接対決で3連敗し、逆転優勝される。この年の77勝は当時の球団最多勝利記録だった。野茂は2年連続最多勝、トレーバーは打点王獲得も退団した。ブライアントの故障、長期離脱も響いた。 前年とは逆に近鉄が序盤は首位を走るが、6月になると西武に逆転され、その後は西武の独走を許し2位に終わる。赤堀元之が最優秀救援とともに防御率1.80を記録し最優秀防御率を獲得したが、規定投球回数達成者としては球団唯一の防御率1点台投手となった。野茂は入団から3年連続最多勝、高村祐は新人王。シーズン終了後、仰木彬が監督辞任。後任には小玉明利以来26年ぶりとなる生え抜きの鈴木啓示が監督に就任する。 監督の鈴木啓示と野茂英雄や吉井理人といった主力選手との確執が続いた。野茂は4年連続で最多勝を挙げるが四球や自責点もリーグ最多で安定感に欠き、野茂以外に10勝以上投手が出なかったものの、抑えの赤堀元之と、石井浩郎、ブライアントなどのいてまえ打線が好調で、開幕から好スタートの直後に連敗が続き、最下位に転落するも、最終的には首位の西武と7ゲーム差の4位に終わる。 開幕の対西武戦で赤堀元之が伊東勤に開幕戦史上初の逆転サヨナラ満塁本塁打を浴びる波瀾のスタートとなり、序盤からチームは低迷。6月17日には首位西武に16ゲーム差の最下位に沈む。しかし、いてまえ打線の爆発により、夏場から調子を上げ、7月26日から8月10日にかけて球団新記録となる13連勝を記録し、一時は首位に立つなど、約1カ月半で32勝6敗、勝率.842の驚異的な成績を残す。しかし、野茂が離脱した8月以降は後退、最終的に首位西武と7.5ゲーム差の2位に終わる。シーズン終了後、野茂が契約のこじれから退団、メジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースに移籍。金村義明がFA権を行使し、中日に移籍。阿波野が香田勲男との交換トレードで巨人へ移籍。 開幕直前、吉井が西村龍次との1対1の交換トレードによりヤクルトに移籍。開幕から2年目のリー・スティーブンスが13試合で10本塁打と打ちまくるが、ブライアント、石井浩郎の故障離脱があり投手陣も高村が怪我で離脱、ストッパー赤堀が絶不調もあってチームは低迷。8月8日夜、鈴木は遠征先を訪ねてきた球団社長に「これ以上、あなたの顔に泥を塗れない」、3季目途中の解任通告、退任会見もせず、ひっそりグラウンドを去った。8年ぶりの最下位になる。シーズン終了後、佐々木恭介が監督に就任する。ドラフトでは高校生としては史上最多7球団が1位指名したPL学園の福留孝介の交渉権を獲得するが、福留は入団拒否。ダイエーを自由契約となった山本和範が15年ぶりに復帰。 テスト入団の山本が開幕から活躍しオールスターにも選ばれたが、投手陣の調子の波が激しく勝率5割付近を行き来する展開となる。翌年から本拠地が新たに大阪ドームに移転するため、Aクラス入りし、開幕カードを新本拠地で迎えたかったが、終盤戦Aクラス入りをかけた対西武2連戦に破れ、4位でシーズンを終える。オフ、大幅減俸提示を拒否した石井が巨人に移籍。 本拠地を大阪ドームに移転するも、選手の年俸が高騰したことや、球場使用料が藤井寺球場(グループ会社の近鉄興業が保有)本拠地時代より大幅に上昇したこと、移転2年目である1998年以降は観客動員数が伸び悩んだこともあり、赤字額が年々膨れ上がった。また、大阪ドームも最寄り駅が近鉄の駅ではなかったため、近鉄沿線からは孤立した存在となり、観客が近鉄を利用しなくなったため、その分の運賃収入も途絶えるといった影響も出た。 開幕カードのグリーンスタジアム神戸での対オリックス2連戦がともに雨で中止となったため、4月8日の大阪ドームでの対千葉ロッテマリーンズ戦が開幕試合となり、大阪ドームでの初試合を4対2で勝利している。借金が最大14になるなど、夏場までロッテと5位を争う状況だったが、8月24日の対ロッテ戦(大阪ドーム)でパ・リーグ史上初(プロ野球通算3度目)の10点差逆転勝利(延長12回)を機にチームは浮上。最終的には3位でシーズンを終える。この年の観客動員は186万6千人に達し、球団の年間最多観客動員記録となった。この年限りで大石大二郎が引退。 8月半ばまで日本ハムと優勝争いを繰り広げ、日本ハムの失速もあり一時0.5ゲーム差まで詰め寄るが、直後に連敗し、西武、ダイエーを含めた4チームの混戦となる。先発投手陣が安定せず1952年以来となる2桁勝利投手が出ず、ロブ・マットソンの9勝がチーム最高の勝ち星となった。最終的には借金1の5位に終わる。 4月に地元企業との提携と地元密着を目指してチーム名を大阪近鉄バファローズに改称し、9月に従来の近鉄野球株式会社に代わる新会社「株式会社大阪近鉄バファローズ」を設立。4月は首位で折り返すが、前年以上に先発投手陣が安定せず(2年連続して2桁勝利投手が皆無だった)、途中プロ野球新記録となる5試合連続2桁失点のワースト記録を樹立するなど、低迷して4年ぶりに最下位に終わる。シーズン終了後に佐々木恭介が監督を辞任、後任は近鉄最後の監督となる梨田昌孝。 就任した梨田に「選手層が薄いが、ケガ人さえいなければ」と言われた状況において、オープン戦で吉岡雄二が骨折こそ免れたものの手首に重傷のけが、シーズンに入って礒部公一が顔面死球で、フィル・クラークが手首骨折で次々に離脱する状況で、中村紀洋が本塁打王と打点王の二冠を獲得するが、チームは33年ぶりの2年連続最下位に終わる。投手陣では3年連続二桁勝利投手は現れず、野手陣でも規定打席到達で3割を超えたのは武藤孝司だけであった。 開幕戦の3月24日の対日本ハム戦は一時は1対6で5点差をつけられるものの、両軍合わせて8本塁打の打ちあいとなり最後は10対9で逆転勝利する。その後も4月に2試合連続サヨナラ勝ちを収めるなど、逆転勝利が多く(78勝のうち41勝が逆転勝ち)、7月17日の対ロッテ戦も9回5点差から8得点を挙げ逆転勝ち、前半戦終了時には、5位のロッテとは5ゲーム、最下位の日本ハム以外が勝率5割以上という状況ながら、10年ぶりに首位で折り返す。この年からロサンゼルス・ドジャースと業務提携を結び、シーズン途中にドジャース元監督のトミー・ラソーダの紹介でショーン・バーグマンとジェレミー・パウエルの2投手、ショーン・ギルバート内野手を獲得。この補強も功を奏した。終盤9月3日から5連敗し、9月5日の段階でもダイエーと同率首位、1厘差で西武が追い、5位まで6.5ゲーム差という混戦となるが、9月9日からの11試合を10勝1敗とした。9月24日の対西武戦ではタフィ・ローズが当時の本塁打シーズン日本プロ野球タイ記録となる55号本塁打を達成し、試合も9回裏松坂大輔から中村紀洋のサヨナラ2ラン本塁打で勝利し、優勝マジックを1とした。9月26日、対オリックス戦(大阪ドーム)で2対5とリードされた9回裏、無死満塁から代打北川博敏が日本プロ野球初となる『代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打』で12年ぶり4度目のパ・リーグ優勝を決めている。同一監督での前年最下位からの優勝は1976年の巨人の長嶋茂雄に次いで2人目で、パ・リーグでは初。ロッテには20勝8敗と大きく勝ち越したが、防御率リーグ最下位(4.98)での優勝と2位チームへの2桁負け越し(ダイエーに9勝19敗)での優勝はともに史上初だった。日本シリーズではヤクルトスワローズに自慢のいてまえ打線を封じ込まれ、1勝4敗で敗退。シーズン78勝は球団記録。オフに球団初(唯一)のFA移籍で加藤伸一を獲得。 21世紀最初のパ・リーグ優勝球団となったが、この年の優勝が近鉄としての最後のリーグ優勝となった。 5月28日から6月15日にかけて8年ぶりの10連勝を記録し、首位西武に一時2ゲーム差に詰め寄る。しかし、その後は西武の独走を許すと、8月16日の直接対決で9点差を逆転負けし、西武に優勝マジック34が点灯。最終的に優勝した西武から16.5ゲーム差の2位に終わる。この年限りで古久保健二が現役を引退した。古久保の引退により、日生球場時代に在籍した選手が全員引退した。シーズン終了後に中村がFA宣言するが、メジャーリーグを含めて1カ月余りの交渉の末、近鉄と推定4年20億円プラス出来高払いの契約を結び、残留した。大塚晶文はメジャーリーグへのポスティングシステムによる移籍を希望するが、入札球団が現れず、中日に金銭トレードされる。打撃陣では中村とローズが本塁打を量産したものの、規定打席到達で3割を超えた選手が一人もいなかった。 1月に会社の商号を株式会社大阪バファローズに変更。開幕5連勝と好調な滑り出しを見せ、首位ダイエーと1.5ゲーム差の2位で前半戦を終える。しかし、後半戦に入ると、大塚の移籍に伴う抑え投手の不在や4番中村の負傷・不振が響き、3位に後退、そのままシーズンを終える。シーズン終了後、長年主砲として活躍し、この年も本塁打王を獲得しているローズを年俸高騰から自由契約とする(巨人が獲得)。 この年が近鉄球団としての最後の年となった。 1月31日、ネーミングライツの構想を表明するも、巨人が猛反対したことで、他球団も多くがこれに追随し、結局失敗に終わる。6月13日、日本経済新聞が1面で「近畿日本鉄道がプロ野球球団『大阪近鉄バファローズ』をオリックスに譲渡する方向で交渉を進めている」というスクープ記事を掲載したことで、世間が大騒ぎとなる。のち球団側もこれを認め、オリックス・ブルーウェーブと球団合併する方向で準備を進めていることを発表する。6月30日にライブドアが球団を買収する動きを見せたものの、近鉄は買収には応じず(ライブドアの動きについてはこちらも参照)、8月10日に合併に関する基本合意書への調印が行われ、9月8日のオーナー会議でこの合併が正式に認められた。9月18日から19日にかけて、この問題に反発するプロ野球選手会による日本プロ野球初となるストライキが行われ、12球団全ての試合が中止となった。 オープン戦で吉岡雄二がアキレス腱断裂で離脱。ローズに代わる主砲と期待されたラリー・バーンズが開幕3戦目で離脱、同じくストッパーとして期待されたヘクター・カラスコも、4月に4連敗で防御率20.00となり登録抹消。4月7日に4位となって以降このシーズンはAクラスになることはなく、4月は最下位で終える。岩隈久志が開幕から球団記録となる12連勝もあり、一時は4位となるが、6月13日の球団合併発表の翌試合から4連敗するなど、5位となり、7月は4位で終わるものの、アテネオリンピックで岩隈、中村が抜けた8月7日から7連敗で、以降は5位となる。梨田は合併発表時の時点では「借金4で手ごたえはあった」としているが、7月7日のオーナー会議の時点では選手は放心し、最後は立ち上がれなかったとも述べている。9月24日、大阪ドームでの最終戦となる対西武戦が行われ、この年ここまで出場のなかった吉岡が代打で出場、この試合が引退登板となった赤堀元之や加藤伸一などが登板した。試合は延長11回裏、1死二塁で星野おさむの右翼線へのサヨナラ安打で3対2で勝利、これが球団公式戦最後の勝利となった。9月27日のYahoo! BBスタジアムの対オリックス戦が共に合併する球団同士の公式戦最終戦となったが、2対7で敗れた。チームは61勝70敗で4年ぶりのBクラスの5位で終え、消滅後の2007年から始まったクライマックスシリーズを含む13球団で唯一同年以降の現行のプレーオフシーズンに参戦せずに消滅した。岩隈は15勝を挙げ、最多勝を獲得するなど計算できた投手陣に比べ、打撃陣はローズが抜けたことや吉岡などの故障もあり、前年より本塁打、得点が激減した。二軍は前期優勝で、9月30日、藤井寺球場で最後の二軍公式戦、ウエスタンリーグ優勝決定戦が行われたが、後期優勝の中日に敗れている。 11月8日、オリックスと楽天の間で選手分配ドラフトが行われ、近鉄の選手はオリックスと楽天に振り分けられることになった。大村直之がソフトバンクにFA移籍。中村紀洋がポスティングシステムでロサンゼルス・ドジャースに移籍。 以上の合併への動きは選手会との労使交渉や球界再編問題にまで発展し、球団合併反対運動では選手も署名活動に参加するなど、ファンを含む球界内外からの強い反発が起こるなど大きな波紋を呼んだ。そして、11月30日をもってプロ野球チームとしての大阪近鉄バファローズは55年の歴史に幕を降ろした。 2005年1月15日に御堂筋グランドビル7階に置いていた株式会社大阪バファローズ事務所を閉鎖。1月17日、同ビル15階に事務所移転し、中村紀洋のポスティング申請など、残務処理を引き続き行う。3月31日、この日をもって株式会社大阪バファローズは解散となる。6月20日付で清算結了となり、法人格が消滅した。なお、近鉄はこの後、球団合併後の暫定処置として2007年までオリックス球団の株式を20%保有し、ユニフォーム左袖部分に「近鉄」のロゴを入れたが、同年シーズン終了と同時に完全撤退した。ただ、球団経営から撤退後も、「近鉄沿線デー」と銘打って優待企画を実施するなどしているほか、オリックスが優勝時には近鉄百貨店で優勝セールを実施するなど、間接的に関わりは持ち続けている。 2013年から2019年にかけてオリックスがOSAKAクラシックと銘打って、昭和時代に同じく大阪の球団であったソフトバンク(旧南海)との、復刻ユニフォームでの試合を行い、近鉄(大阪近鉄)各時代のユニフォームを使用した。 2014年10月3日にDeNAに所属していた中村紀洋が戦力外通告を受け、その後現役を引退したことにより、藤井寺球場時代に在籍した選手が全員引退した。また、独立リーグも含めれば、他にも信濃グランセローズに所属していた大塚晶文と、新潟アルビレックスBCの選手兼野手総合コーチの高須洋介が現役を引退したことにより、球団名に「大阪」がつく前の近鉄バファローズに所属した選手が全員引退した。 2022年10月3日に明治神宮球場で行われた最終戦を最後にヤクルトに所属していた坂口智隆、12月27日に香川オリーブガイナーズの選手兼任コーチの近藤一樹が現役を引退したことにより、大阪近鉄バファローズに所属した選手が全員引退した。 これをもって近鉄球団に在籍経験のある選手は全員NPBから姿を消すこととなった。しかしそれと引き換えに同年10月30日、オリックスが日本シリーズ第7戦でヤクルトを4勝2敗1分で下したことにより、前身球団こそ異なるものの球団愛称「バファローズ」としては6度目の正直で悲願の日本一を達成した。この日本一で球団唯一の永久欠番の選手だった鈴木啓示は多くの祝電をもらったという。 なおバファローズの日本一達成により、2005年に誕生した楽天を含む日本プロ野球13球団全てが現在の球団愛称になって以降、特殊ルール込みで1度は日本一を経験することとなった。 タイトル制定(1994年)以後の該当者無し。タイトル制定以前のリーグ最多安打打者は以下の通り。 ※ 1981年制定、1989年から廃止 タイトル制定(1989年)以後の該当者は以下の通り。 タイトル制定以前の該当者は以下の通り。 ※ 2001年で廃止され、翌年からは最優秀投手となった。 ※1974年に最多セーブとして制定、1977年よりセーブポイントで表彰する最優秀救援投手に変更。球団消滅後の2005年より最多セーブ投手に。 なお、表彰タイトルではなかったので参考だが1974年以降リーグ最多セーブ投手になったのは以下の選手。 ※ 1972年 - 1985年はダイヤモンドグラブ賞 近鉄在籍時代に記録したもののみ(他球団在籍時での記録は数字に含まれない) 太字は優勝達成監督 なお、この他地方開催扱いとなるが、近鉄沿線への配慮から、以下のスタジアムも準本拠として公式戦を行った。 日生球場・大阪球場 藤井寺球場 #1 鈴木啓示 また、近鉄として最後の監督である梨田昌孝によって、以下のような言葉が残されている。 野茂英雄がパシフィック・リーグ初の沢村栄治賞受賞を達成。1990年に沢村賞を受賞した野茂より前の時代だと、鈴木啓示が投手三冠王を達成するなど活躍をしたが、当時、パ・リーグは沢村賞の選考対象外だった為、鈴木は受賞出来なかった。 近鉄での投手三冠王の達成者は2人。 達成者はいない。 複数回受賞の達成者はいない。 複数回受賞の達成者はいない。 1967年8月、近鉄は、これまでの1・2軍とは別に、若手育成の観点から将来3軍を結成することを念頭においた新人オーディション(入団テスト)を実施した。まず面接・書類審査に98人が応募。その中から24人に絞り、実技による2次審査を4日間にわたり藤井寺球場で実施。3軍のチーム化を念頭に、十数名程度の獲得を目指そうとした。 しかし、実際に実技テストを合格したのは4人のみで、3軍を結成するとした目標には遠く及ばず、その4名のうち3人は投手で野手は1名だけだった。しかも彼らは全員結果を出せず、2人は2年、もう1人は3年で引退。残り1名についても1972年に南海へ移籍したため、3軍制構想は失敗に終わった。 2004年のキャンプ入りを目前とした1月31日、近鉄球団は2005年以降に球団名称を第三者に販売する「命名権」ビジネスを実施することを明らかにした。基本スポンサー料金を年間36億円とし成績に応じてそれを増減させ、スポンサーはチーム名やユニフォーム、球場への広告掲示などができるとした。市民に親しまれる球団にするためには球団本体だけに頼っては前進しないという考えを示した発案だったが、安易に球団名が変更されてしまうことに対し他球団オーナーなどプロ野球界から「野球協約に反するものであり認められない」などと反発が相次いだ。特に発言が球界の動向に大きな影響を与えるといわれた読売ジャイアンツオーナー・渡邉恒雄が猛反対したこともあり、球団名変更に必要なオーナー会議の同意を得られる目処が立たず、2月5日に方針を白紙撤回することを発表した。 ネーミングライツ売却は戦前の大東京軍がライオン歯磨をスポンサーに迎えて誕生したライオン軍(1937年秋季 - 1940年)、戦後パ・リーグ球団の高橋ユニオンズがトンボ鉛筆をスポンサーにしたトンボユニオンズ(1955年)、西武ライオンズの前身である太平洋クラブライオンズ(1973年 - 1976年)・クラウンライターライオンズ(1977年 - 1978年)、ロッテオリオンズ(1969年 - 1970年に大映が親会社で永田雅一がオーナー、中村長芳がオーナー代行だった。1971年大映からロッテに正式に譲渡)などの例がある。近鉄の場合、命名権の販売対象企業として名前が挙がっていたのが消費者金融のアコムだったため、青少年への影響面から認められなかった理由のひとつに挙げられていた。近鉄の命名権販売が認められなかったため、「近鉄の球団消滅はこの時点で避けられないものとなってしまった」という声がある。合併問題が深刻化する頃には、一部球界関係者も「今から思えば、ネーミングライツの承認が最良のソフトランディングだった」と語っていた。 2004年にオリックスとの合併で消滅した近鉄だが、それ以前にも他球団との合併が画策されたことがある。1965年オフには当時のオーナー・佐伯勇が広島カープオーナー・松田恒次と秘密裏に会い、合併を持ちかけている。佐伯の腹案では、 と具体的な内容まで踏み込まれていたが、松田はかねてから純益金の分配制度改正(1952年以降のフランチャイズ制度以降は試合開催で得た利益は全額ホームチームのものになっていたが、それを1リーグ時代のホーム7、ビジター3の割合での分配に戻すというもの)をセ・リーグ会長・鈴木龍二に申し入れていたこともあって、佐伯の提案を拒否した。 本拠地の変遷は先述の通りであるが、他に下記のような移転計画があった。 また、青木一三は著書で、佐伯オーナーが1979年頃に、愛媛県を本拠とする来島どっくグループ総帥の坪内寿夫に球団売却の申し入れをおこなっていたと記している。 放映権に関しては、朝日放送(現:朝日放送テレビ及び朝日放送ラジオ)に優先権があるなど、阪神タイガースとほぼ同じである。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "大阪近鉄バファローズ(おおさかきんてつバファローズ、英語: Osaka Kintetsu Buffaloes)は、かつて存在した日本のプロ野球球団である。1949年から2004年まで活動し、1950年から解散までパシフィック・リーグに加盟していた。現在のオリックス・バファローズの前身球団の一つである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "球団消滅時点では大阪府を保護地域とし、一軍は大阪市西区にある大阪ドーム、二軍(ウエスタン・リーグ所属)はかつて一軍の本拠地だった藤井寺球場を本拠地にしていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "球団愛称の正式表記は「バファローズ」であり、「バッファローズ」ではない(経緯に関しては後述)。ただし、三原脩の監督時代のサインなど、球団及び近鉄グループ関係者が誤用した例がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1999年3月末までの球団名は「近鉄バファローズ」で、地域密着を謳うために1999年4月1日付で上記球団名に改称された後も通称として使われていた。なお、運営法人の商号は株式会社大阪バファローズ、近畿日本鉄道株式会社の100%の連結対象子会社(額面500円)だった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2004年、球団と近鉄グループの経営難からオリックス・ブルーウェーブの運営会社「オリックス野球クラブ」に営業譲渡し、2005年3月末に解散。職員の大半はオリックス野球クラブ、一部は新規に創設された楽天野球団に移り、選手は分配ドラフトにより、オリックス・バファローズ(ブルーウェーブから改称)と同時に新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスに配分された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "オリックスの球団史において大阪近鉄バファローズは傍系扱いとなるため、チームタイトルや個人賞などの各種記録については一切含まれていない。球団史が引き継がれずに終焉する形でのチーム消滅は1958年の大映ユニオンズ以来となった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "合併までの経緯・詳細についてはプロ野球再編問題 (2004年)を参照。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1944年6月から1947年5月まで南海鉄道と関西急行鉄道の戦時統合によって設立された近畿日本鉄道が運営していた近畿日本軍→近畿グレートリングとの球団の系譜としてのつながりはなく、これは現在の福岡ソフトバンクホークスの系譜である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "球団が消滅した2004年時点で現存していた12球団の中で「55年の球団史上1度も日本シリーズに4回出場した上で日本一になれなかった唯一の球団」となった。セ・リーグの内、阪神タイガース、中日ドラゴンズ、大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ、合併で1953年にチーム消滅した松竹ロビンスとは日本シリーズで対戦したことはない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "設立当初より低迷が続き、万年Bクラス、最下位の近鉄は「地下鉄球団」とも揶揄(やゆ)された。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "近畿日本鉄道をスポンサーとする近鉄パールス(設立時は近鉄本社、後にグループ会社の近鉄野球株式会社(初代、のちの近鉄興業株式会社)が経営を担当。移管時期は不明)が佐伯勇の鶴の一声で結成。「パール(真珠)」は賞金5万円の公募によって決められ、近鉄沿線の伊勢志摩地方で真珠養殖が盛んなこともあって命名された。近鉄にとっては、南海鉄道合併当時の1944年 - 1947年(近畿日本軍 → グレートリング、現:福岡ソフトバンクホークス)以来の球団運営である。近鉄は大阪電気軌道時代よりラグビー部(現:近鉄ライナーズ)を有していたが、後の佐伯の述懐によれば「ラグビーでは儲からないから」と当時隆盛を極めていた野球経営に食指を動かしたという。11月26日に発足した太平洋野球連盟(パシフィック・リーグ)に加盟。2リーグ制構想を最初に打ち出した正力松太郎は、大阪地区で4チームが同一のリーグに入ることは好ましくないと考え、片方のリーグに近鉄と阪神、もう一つのリーグに阪急と南海を入れる考えを持っていたといわれる。しかし、毎日新聞側で電鉄系球団が結束した後に阪神が離脱するという経過により、この正力の考えは実現しなかった(経過についてはプロ野球再編問題 (1949年)を参照)。加盟申請は早かったものの、チーム編成が遅れたため、他球団と未契約の東京六大学出身者(監督藤田省三始め、関根潤三など法政大学勢が多かったため、チーム内に近鉄法友会という懇親組織が存在した)を中心に編成したが、プロ野球経験者は黒尾重明(東急フライヤーズ)、森下重好、田川豊(いずれも太陽ロビンス)ら数えるほどで、選手層が薄く、設立より4年連続最下位となる。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "開幕直前に藤田省三が高熱でダウン、藤田は球場には来たが加藤春雄が実質指揮を取る中で3月12日、藤井寺球場での対毎日オリオンズ戦が球団としての初めての公式戦となるが、初回四番森下重好のタイムリーで先制するものの、失策で自滅し、2対6で敗戦。翌13日の対南海ホークス戦で沢藤光郎が粘投し、4対3でチーム初勝利を収める。チームは連敗、連勝、連敗を続け、この年は森下が30本塁打、沢藤が18勝を挙げる活躍を見せるが、最終的には首位の毎日から37.5ゲーム離された最下位に終わる。投打共に駒不足を露呈した。球団本社からの強化費用が予想以上に出ず、新人2選手が加入しただけで終わる(その2選手も翌年には退団)。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "この年もシーズン終盤まで低迷、9月に14勝8敗1分と追い上げるも6位の東急と0.5ゲーム差で2年連続最下位に終わる。この年のオフ、大下弘の獲得に乗り出すが失敗に終わる。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "5月から6月にかけて13連敗を喫し、シーズン通して首位の南海に4勝14敗、2位の毎日には3勝15敗と大きく負け越し、最終的に30勝78敗、3割に満たない勝率で3年連続最下位に終わる。シーズン終了後、藤田省三が監督を辞任し、芥田武夫が就任。 小玉明利、鈴木武ら後に中心となる新人補強に加え、独特の練習スタイルで結果を出す。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "開幕直後には9連勝するなど、5月8日に一時期ながら首位に立つが、夏場以降は失速し、首位南海と22ゲーム差の最下位となる。勝率は初めて4割を超える。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "8月7日に新人の山下登が対高橋ユニオンズ戦で球団史上初のノーヒットノーランを達成している。74勝63敗5分で、創立以来初となる最下位脱出の4位、勝率5割を越えてのAクラスとなった。近鉄選手初のタイトルとして田中文雄が最多勝、鈴木武が盗塁王を獲得しており、チーム盗塁数223は当時の日本プロ野球歴代5位であった。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "序盤から投手陣が大不振。6月19日には武智文雄(田中から改姓)が対大映スターズ戦(大阪)でパ・リーグ初となる完全試合を達成する。この年連敗することが多く、60勝80敗2分の5位に終わる。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "4月後半の10連勝で勢いをつけたが、終盤に失速し5位。この頃は万年最下位とは呼ばれなくなったが、優勝争いをしている西鉄、南海とは地力の差があった。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "この年パ・リーグは高橋ユニオンズと大映スターズが合併したことで8球団から7球団となり、日程が組みにくくなったことから最下位の球団は消滅させようという動きがあり、関根潤三は「大映オーナーの永田雅一による近鉄潰しだ」と述べている。6月22日、芥田がシーズン途中で休養。加藤春雄が代行を務めるが8月を終わっても最下位で、消滅の危機となったが、最終的には6位に終わっている。加藤春雄はオフに監督就任。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "開幕から不振が続き、6戦目で最下位になると、そのまま浮上することなく、首位の西鉄に3勝22敗1分、2位南海に4勝22敗1分と大きく負け越し、この年の近鉄のシーズン29勝は最多勝投手の稲尾和久の33勝を下回り、球団史上最低記録となる勝率.238でシーズンを終える。シーズン終了後、加藤が監督辞任、現役時代「猛牛」と呼ばれた千葉茂を監督に招聘し、チーム名を近鉄バファローに改名。岡本太郎による球団マーク(通称、猛牛マーク)が制作される。なお、同年はパ・リーグの他球団から名古屋への進出を持ちかけられたがこれを拒否している。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "5月に最下位になるとそのまま浮上できずにシーズンを終える。チーム39勝は、最多勝の南海の杉浦忠の38勝より1勝多いだけであった。前年と合わせ8人の選手が読売ジャイアンツから移籍するなど、チームの大幅な入れ替えを図る。なおシーズン途中の6月20日に千葉茂が途中休養、代行監督に林義一が就任するが、オフに千葉が監督復帰する。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "43勝87敗1分で首位の大毎と39ゲーム差の最下位。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "日本プロ野球シーズン最多記録となる103敗を記録。首位南海とは51.5、5位阪急とも18.5ゲーム差をつけられ、チームの勝ち星は1958年に続き、稲尾和久の42勝に届かぬ36勝に終わった。新人の徳久利明が15勝を挙げ球団初の新人王を獲得する。1958年から4年連続でチームは160失策以上を記録し、チーム38盗塁は2リーグ制以降、当時の最少記録となっている。シーズン終了後、千葉茂が監督を更迭、別当薫が就任。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "後年、この当時の事情を千葉茂はなかなか語ろうとしなかったが、1997年ごろに語ったところによれば「巨人で20年やってきたことがすべてひっくり返った」と述べ、「選手もプロ意識は低かったが、親会社の体質にも問題があった」とし、当時三等車だった列車での移動を西鉄並の二等車にしてほしいと頼めば、球団に「15人だけにしてほしい」と言われたとされる。一方の選手は西鉄の稲尾和久や南海の杉浦忠などが登板することが分かると、高熱や腹痛などの仮病を使って試合を欠場したとも述べている。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "「近鉄バファローズ」という球団名は1998年まで使われたが、ここでは大阪ドーム移転前年の1996年までの事について述べ、大阪ドームに移転した1997年・1998年の両年については#大阪ドーム時代を参照。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "チーム名を近鉄バファローズに改名。ジャック・ブルームフィールドが.374の高打率で首位打者を、28勝を挙げた久保征弘が最多勝を獲得するも、チーム全体ではわずか57勝(久保はほぼ半分の勝ち星を1人で稼いだ)で5年連続最下位。土井正博が18歳で四番に抜擢される。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "5月以降チームは勝率5割を保ち、東映との3位争いをするものの、1ゲーム差の4位に終わる。この年のオールスターには7人が選ばれた。長打力には乏しいものの単打や二塁打を重ねて得点をあげる攻撃に「ピストル打線」のあだ名がつく。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "この年4人の10勝投手が出るも、2年ぶりの最下位。1958年よりこの年まで7年連続で失策数はリーグワースト。シーズン終了後、別当薫が監督を辞任。後任には岩本義行が就任。球団結成時から在籍している関根潤三に対して球団の中には「監督をやれ」と言う人もいたが、関根にそのつもりはなく、近鉄を退団し、巨人に移籍した。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "優勝した南海と42.5ゲーム差で2年連続の最下位。この年第1回プロ野球ドラフト会議が行われ、2位指名で鈴木啓示が入団している。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "48勝82敗で3年連続最下位。シーズン終了後、岩本義行が監督を辞任、後任には当時31歳の小玉明利が選手を兼任のまま監督就任。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "4月1日、球団運営のための会社法人として近鉄野球株式会社(2代目)を設立し、近鉄興業(同年3月に近鉄野球株式会社=初代を商号変更)から経営を移管。チームは開幕ダッシュもあり5月半ばまで首位だったが、主力選手の相次ぐ故障もあり4年連続の最下位に終わる。シーズン終了後、小玉明利が監督を辞任し選手として阪神に移籍した。後任には三原脩が就任した。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "西鉄との開幕戦で3連勝後、4月を14勝4敗として6月まで首位だったが、夏場以降は失速し、首位の阪急と23ゲーム差の4位に終わる。しかし、監督の三原によって選手に自信をつけさせたとされる。三原は家族の問題から退任を申し入れるも、慰留され続投。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "5月までに9連敗を記録するなど低迷、しかしその後18勝1敗2分けと一気に追い上げ、球団初の首位争いを阪急と展開する。互いに直接対決4試合のみを残した10月17日の時点で2厘差で首位を保ち、阪急よりも優位であった。しかし、10月18日からの対阪急4連戦に初戦から3連敗で阪急の逆転優勝を許し、2位に終わる。球団創立以来シーズンの対戦成績で勝ち越したことがなかった南海に対し17勝9敗と初めて勝ち越し、また15シーズン連続で負け越していた西鉄にも15勝11敗で勝ち越した。ドラフト会議では、高校野球で甲子園のアイドルと呼ばれた太田幸司を獲得。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "5月14日に黒い霧事件に関連し、球団職員だった山崎晃が外部の人間より八百長(野球協約上の敗退行為)を強要され、監督や選手に敗退行為の依頼を行ったことが報道された。山崎は1967年に当時選手兼監督だった小玉明利を始め、木原義隆、吉沢岳男、高木喬の4名に八百長を依頼したとされる。捜査の結果、依頼された4人については金銭の授受はなく試合で敗退行為を行った確証も得られなかったため、プロ野球機構からの処分は厳重戒告に留まったが、山崎については八百長工作を行っていたことが確実になったため、6月15日に野球賭博への関与を理由とした永久追放処分が下された。10月6日、対南海戦で佐々木宏一郎が完全試合を達成。シーズン終了後、三原が監督を辞任し、後任を鶴岡一人に一本化するが招聘に失敗し、コーチの岩本尭が監督に昇格した。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "鈴木啓示、清俊彦、佐々木宏一郎、神部年男の投手4本柱が防御率7位以内に入る安定感を見せ、3位を確保。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "序盤に首位に立った南海相手に7連勝(1分)するなど、4月29日に同率首位にもなったが、総合では首位とは14ゲーム差の2位に終わる。この頃は鈴木啓示が5年連続20勝を挙げ、また太田幸司人気もあってテレビ中継も増えている。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "パ・リーグは前後期2シーズン制を導入。投手力のある近鉄が優勝候補にも挙げられたが、その投手陣が相次ぐ故障などから崩壊し防御率3.83はリーグ5位で10勝以上あげたのが鈴木啓示のみ、打線も土井が唯一打率ベスト10入り(3位)しただけでチーム打率はリーグ最下位の.237、本塁打113本は南海と同数の5位、盗塁、得点はリーグ最少、失点、失策はリーグ最多で、8月末に岩本は休養し、島田光二が代理監督を務めるが、前後期とも最下位の6年ぶりの最下位に終わっている。二軍がウエスタン・リーグを初制覇している。シーズン終了後、前阪急監督の西本幸雄が監督就任。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "西本幸雄の下、リーグ初優勝を遂げ、長かった低迷期を脱する。また仰木彬の監督就任後は毎年のように西武ライオンズとの激しいペナントレース争いとなり、西本退任以降の1982年から仰木彬が指揮した1992年までではBクラスは3度と安定した成績を保った。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "監督に就任した西本は羽田耕一、栗橋茂、佐々木恭介、平野光泰、梨田昌崇ら若手選手を鍛えてチーム力の強化を図ったが1年目は5位に終わり、オフにチームの主砲であった土井正博を太平洋クラブライオンズにトレードで放出する。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "初めて「優勝」(ペナント2期制度での後期優勝)を果たすが、プレーオフで前期優勝の阪急に1勝3敗で敗れる。なお通期での貯金は「21」(71勝50敗9分)であり、優勝の阪急の貯金「5」を大きく上回っていた。(+8ゲーム差相当)", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "4月26日、対ロッテ戦で鈴木啓示が球団初の通算200勝を達成、近鉄入団の生え抜き選手としては唯一の名球会入り選手となった。南海と日本ハムファイターズに勝ち越し、ロッテ、クラウンライターライオンズに10勝以上あげているが、首位の阪急に6勝18敗2分と大きく負け越し前期は3位としたものの、後期は最下位でシーズン通しては4位に終わる。チーム盗塁数120はリーグトップだったが、チーム打率は5位、チーム本塁打92本はリーグ最下位に終わっている。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "前期は阪急に次いで2位、後期は8月まで阪急が首位を独走していたものの、9月に近鉄が猛追し一時は首位に立つなど両チームのマッチレースとなり、後期最終戦となる9月23日に阪急との後期優勝をかけた直接対決を迎えた。近鉄は勝てば後期優勝、阪急はこの試合に勝ち、さらに残り2試合中1試合を引き分け以上が優勝の条件だった。近鉄はこの年25勝で最多勝の鈴木啓示を先発に立てたが、山田久志とのエース対決に敗れ、逆転で首位に立った阪急が次の試合にも勝って前期に続き優勝を決め、近鉄は2位に終わっている。この年近鉄は全球団に勝ち越したものの、阪急は近鉄以外の4球団に大きく勝ち越していたのが差となった。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "前期は5月までに2位阪急に5ゲーム差をつけ独走していたが、6月9日の対ロッテ戦でチャーリー・マニエルがアゴに死球を受け、戦線離脱、阪急の追い上げもあり、一時は阪急にマジックが点灯するが、最終戦の対南海戦に引き分け前期優勝を決めた。後期は2位となり、後期優勝の阪急とのプレーオフとなるが、この年防御率1位の山口哲治の3連投の活躍で3連勝し、球団創設30年目にして初のリーグ優勝を遂げる。当時の12球団最後の初リーグ優勝として近鉄初のリーグ優勝で当時の12球団において1度はリーグ優勝を経験することとなった。74勝45敗11分、勝率.622は球団記録。ただし、阪急は年間勝率1位なのに対し、近鉄は年間勝率2位通過だったことから、年間勝率1位通過を経験することなく、初リーグ優勝を成し遂げた最初で最後の球団となった(2005年に発足した東北楽天ゴールデンイーグルスは2013年に初リーグ優勝を達成したが、年間勝率1位を通過しており、2023年現在も近鉄が唯一となっているが、現行のプレーオフは勝率1位を競うリーグ戦とは区別されているため、勝率2位通過以下でのリーグ優勝のケースは現在のルール上では現れない)。しかし、広島東洋カープとの日本シリーズでは第7戦の9回裏1点ビハインドの場面で、無死満塁の一打逆転サヨナラの好機をつかむが、江夏豊の前に阻まれ、3勝4敗で敗退(江夏の21球参照)。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "反発力を高めた飛ぶボールの効果もあり、この年本塁打・打点の二冠のマニエルをはじめチームから二桁本塁打10人を出す日本プロ野球新記録のシーズンチーム本塁打239本し、前年5月19日から9月29日まで日本プロ野球記録を更新する215試合連続で得点を記録する。チームは前期2位、後期は残り3節の時点で5位と追い込まれるがそこから巻き返し、10月7日には後楽園球場で、マジック1で引き分けでも優勝決定という日本ハムとの直接対決を6-5で勝利し、続く8日、11日の対西武ライオンズ2連戦にも勝利し逆転で後期優勝、ロッテオリオンズとのプレーオフも3勝0敗で制し2年連続でリーグ優勝を果たすが、日本シリーズではまたしても広島に3勝4敗で敗退。オフにマニエルが契約更改で球団と決裂し、退団。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "1980年10月7日に行われた後楽園球場における日本ハムと近鉄の後期最終戦。この試合は開始30分前に満員札止めとなった。日本ハムはこの試合で引き分けでも後期優勝が決まるが、近鉄が優勝するにはこの試合に勝ち、対西武戦も連勝する必要があるという日本ハムに非常に有利な試合であった。両チームの先発投手は近鉄は鈴木啓示、日本ハムは高橋一三のベテラン左腕。2回裏に日本ハムが1点を先取。打たれながらも何とか抑えていた高橋が3回表に無死二塁とすると、早くも木田勇がリリーフした。しかし佐々木恭介に打たれて同点とされる。4回表には3本の安打を連ねられて3点を失った。木田はカーブの制球が定まらず、バックの失策も出た。5回裏に日本ハムが1点を返せば、近鉄もクリス・アーノルドがソロ本塁打を放つ。しかし7回裏に日本ハムは代打、富田勝の二塁打を皮切りに4連打を浴びせて2点を返し、1点差にまで迫る。8回表に有田修三がソロ本塁打を放った後に木田はマウンドに座り込んでしまい、ついに降板した。その裏に日本ハムも一死三塁から富田が近鉄2人目の投手の井本隆の頭をワンバウンドで越えるゴロを放ち、これを遊撃手の吹石徳一がギリギリ追い付いて捕球。三塁走者の大宮龍男はこの場面で生還することができなかった。二死から高代延博の安打でようやく生還して1点差に迫った。日本ハムは9回表の近鉄の攻撃を間柴茂有と宇田東植のリレーで凌いだ。9回裏の日本ハムはクリーンナップの好打順。一番手の柏原純一の右翼への痛烈なライナーがフェンス一杯で捕球された。近鉄はこの後に3番手の村田辰美に替えた。トミー・クルーズも右翼正面へのライナーで二死。トニー・ソレイタは三振に終わり、5-6と近鉄の勝利で試合終了。自力優勝の機を逸した日本ハムを尻目に、近鉄は西武にも連勝して逆転優勝を果たした。監督の西本は「あそこまで鍛えに鍛えて、全員が全力を尽くして戦えば、お客さんの期待に応える、あれだけのゲームが出来るのです」とのちに振り返り、当日に新聞紙記者の一人は「かつてプロ野球は巨人一辺倒だったが、時代は変わった」と書いた。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "マニエルの抜けた穴はあまりにも大きく、前年4人いた3割打者が1人も出ず、本塁打もビクター・ハリスの22本がチーム最高であるなど打線が低下。また鈴木啓示も5勝しかできず負け越すなど投手陣が振るわず前期6位、後期4位の最下位に終わる。シーズン終了後、西本幸雄が監督辞任、後任に関口清治が就任。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "序盤は首位になり前後期とも勝ち越し3位となるが、首位の日本ハムからは大きく離されての結果となった。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "4月末に7連敗すると5月まで最下位、持ち直すものの、以降は一度も5割にならないままこの年は4位、シーズン終了後、関口清治が監督を辞任、後任は岡本伊三美。広島から加藤英司がトレードで加入。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "このシーズンでは、藤井寺球場のナイター設備が完成し、4月6日にナイター開きが行われた。5月5日には鈴木啓示が通算300勝を達成するが、新外国人選手だったドン・マネーが待遇面をめぐって4月末に退団するなどもあり、4位となるが、3位の対西武戦を9勝17敗と大きく負け越している。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "7月10日に鈴木啓示が現役引退を表明、背番号1は球団唯一の永久欠番となる。本塁打はリーグ最多の212本だが、防御率はリーグワーストの5.10で、この年は4位の阪急と勝率1毛差の3位であったが、首位西武とは15ゲーム差をつけられ、二桁勝利投手もストッパーの石本貴昭だけであったが、この時期は1979年、1980年の優勝メンバーと、後の1989年優勝メンバーの世代交代の時期だったとされ、打者では大石大二郎、投手では石本の他に小野和義、吉井理人、佐々木修、山崎慎太郎などの獲得や台頭が見られる。オフに有田、加藤英が巨人・淡口憲治らとトレード成立。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "後半戦は西武との熾烈な優勝争いとなり、互いにマジックが点灯と消滅を繰り返す展開となる。9月終了時で西武と1ゲーム差の2位だが、残り試合の関係でマジック10が点灯していた。10月5日のロッテ戦で9回裏に2点差を追い付き、引き分けで同率首位に並ぶと、翌日はロッテに勝って単独首位に立つ。両チーム残り3試合の時点でマジック3としたが、10月8日から阪急に3連敗。ロッテにホームで連勝し逆転優勝を果たした西武と2.5ゲーム差の2位に終わる。記録の残る1952年以降としては初めて観客動員が100万人を突破している。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "移籍2年目の新井宏昌が首位打者、ルーキー阿波野秀幸が15勝を挙げ新人王を獲得する活躍をみせるもののチーム内の不協和音もあり5位のロッテとは1.5ゲーム差で、4球団には11勝以上したものの残る西武には5勝19敗3分と大きく負け越したこともあり、最下位となる。シーズン終了後、岡本伊三美が監督を辞任、コーチだった仰木彬が就任、権藤博が投手コーチ。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "終盤に前年までリーグ3連覇中の西武と熾烈な優勝争いを繰り広げることとなった。開幕から西武が独走、6月に入ると貯金20で2位近鉄は8ゲームをつけられ、7日には主砲のリチャード・デービスが大麻不法所持で逮捕され解雇というアクシデントに見舞われ、同月28日に急遽中日ドラゴンズから金銭トレードでラルフ・ブライアントを獲得した。ブライアントはこの後、74試合の出場ながら34本塁打を記録するなど大活躍をした。9月に入っても西武が独走状態は続き、15日の時点では西武に6ゲーム差をつけられるが西武が一時後退して29日の時点では1.5ゲーム差、10月に入り5日にはゲーム差無しで一時近鉄が首位に立つなど、以降シーズン終了まで、首位の西武と近鉄がともに譲らずハイペースで勝ち続けるという展開となり、10月16日に西武が全日程を終了した時点では、近鉄は残り4試合のうち3勝すれば優勝だったが、17日の対阪急戦に敗れ、残り3戦を3勝が優勝の絶対条件となり、川崎球場へ移動しての18日の対ロッテ戦に勝利し、10月19日のロッテとのダブルヘッダーでは第1試合を9回に逆転勝利するが、第2試合延長10回時間切れで4対4の引き分けに終わり、130試合目にして優勝を逃す結果となった(詳細は10.19を参照)。この試合でも活躍の梨田、吹石が引退。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "この年は昭和最後のペナントレースだったので、近鉄は当時のパ・リーグ全球団の中で日本ハムと共に「昭和時代に本拠地で1度も年間勝率1位によるリーグ優勝ができなかった球団」となった。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "開幕前は西武と近鉄が優勝争いになると見られたが、ペナントに入ると開幕戦で近鉄に大勝したオリックス・ブレーブスが開幕から8連勝と抜け出し、近鉄や西武は勝率5割前後と出遅れる。近鉄はエースの阿波野秀幸が開幕から6連勝や、いてまえ打線の復調もあり、7月から8月にかけて2度の4連勝などで8月に一時首位に立つが、9月に入ると連敗を重ねて9月25日の時点で3位に後退していた。近鉄に後がない状況で迎えた10月12日、対西武戦(西武球場)ダブルヘッダーにおいて、ラルフ・ブライアントがこの日4打数連続本塁打が出て西武に連勝。近鉄がマジック2を点灯させる(詳細は10.19#1989年10月12日のダブルヘッダーと近鉄1年越しの優勝を参照)。10月14日、藤井寺球場での対福岡ダイエーホークス戦に勝利し、129試合目で9年ぶり3度目の優勝達成となった。これが近鉄にとって初の1シーズン制度上での初優勝となり、当時のパ・リーグ全球団が本拠地でリーグ優勝を果たした。初めての本拠地球場での日本シリーズ開催となったが、初戦から巨人に3連勝するものの、加藤哲郎の「巨人はロッテより弱い」発言問題もありその後4連敗を喫し、巨人に敗れる。栗橋、淡口、羽田が引退し、村田が移籍、権藤コーチが退団した。ドラフトにおいて、8球団競合による抽選の上、新日鉄堺の野茂英雄の交渉権を獲得し、入団している。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "この年は平成最初のペナントレースだったので、近鉄は「平成最初のパ・リーグ優勝球団」となった。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "野茂英雄が最多勝、防御率など主な先発投手タイトルを獲得する活躍で新人王&MVPとなり、沢村賞も獲得。また同じく新人の石井浩郎も6月以降にレギュラーに定着し規定打席不足ながら打率.300、22本塁打と活躍。しかしチームは開幕2戦目から9連敗を喫し大きく出遅れ、阿波野の不振や小野の故障など野茂以外の投手陣が軒並み成績を落としたこともあり、西武との大差を縮められず3位に終わる。オフには中西太ヘッドコーチが退団した。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "西武が開幕から抜け出すが、前半戦最後の西武との直接対決で勝って首位で折り返すものの、9月に西武との直接対決で3連敗し、逆転優勝される。この年の77勝は当時の球団最多勝利記録だった。野茂は2年連続最多勝、トレーバーは打点王獲得も退団した。ブライアントの故障、長期離脱も響いた。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "前年とは逆に近鉄が序盤は首位を走るが、6月になると西武に逆転され、その後は西武の独走を許し2位に終わる。赤堀元之が最優秀救援とともに防御率1.80を記録し最優秀防御率を獲得したが、規定投球回数達成者としては球団唯一の防御率1点台投手となった。野茂は入団から3年連続最多勝、高村祐は新人王。シーズン終了後、仰木彬が監督辞任。後任には小玉明利以来26年ぶりとなる生え抜きの鈴木啓示が監督に就任する。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "監督の鈴木啓示と野茂英雄や吉井理人といった主力選手との確執が続いた。野茂は4年連続で最多勝を挙げるが四球や自責点もリーグ最多で安定感に欠き、野茂以外に10勝以上投手が出なかったものの、抑えの赤堀元之と、石井浩郎、ブライアントなどのいてまえ打線が好調で、開幕から好スタートの直後に連敗が続き、最下位に転落するも、最終的には首位の西武と7ゲーム差の4位に終わる。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "開幕の対西武戦で赤堀元之が伊東勤に開幕戦史上初の逆転サヨナラ満塁本塁打を浴びる波瀾のスタートとなり、序盤からチームは低迷。6月17日には首位西武に16ゲーム差の最下位に沈む。しかし、いてまえ打線の爆発により、夏場から調子を上げ、7月26日から8月10日にかけて球団新記録となる13連勝を記録し、一時は首位に立つなど、約1カ月半で32勝6敗、勝率.842の驚異的な成績を残す。しかし、野茂が離脱した8月以降は後退、最終的に首位西武と7.5ゲーム差の2位に終わる。シーズン終了後、野茂が契約のこじれから退団、メジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースに移籍。金村義明がFA権を行使し、中日に移籍。阿波野が香田勲男との交換トレードで巨人へ移籍。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "開幕直前、吉井が西村龍次との1対1の交換トレードによりヤクルトに移籍。開幕から2年目のリー・スティーブンスが13試合で10本塁打と打ちまくるが、ブライアント、石井浩郎の故障離脱があり投手陣も高村が怪我で離脱、ストッパー赤堀が絶不調もあってチームは低迷。8月8日夜、鈴木は遠征先を訪ねてきた球団社長に「これ以上、あなたの顔に泥を塗れない」、3季目途中の解任通告、退任会見もせず、ひっそりグラウンドを去った。8年ぶりの最下位になる。シーズン終了後、佐々木恭介が監督に就任する。ドラフトでは高校生としては史上最多7球団が1位指名したPL学園の福留孝介の交渉権を獲得するが、福留は入団拒否。ダイエーを自由契約となった山本和範が15年ぶりに復帰。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "テスト入団の山本が開幕から活躍しオールスターにも選ばれたが、投手陣の調子の波が激しく勝率5割付近を行き来する展開となる。翌年から本拠地が新たに大阪ドームに移転するため、Aクラス入りし、開幕カードを新本拠地で迎えたかったが、終盤戦Aクラス入りをかけた対西武2連戦に破れ、4位でシーズンを終える。オフ、大幅減俸提示を拒否した石井が巨人に移籍。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "本拠地を大阪ドームに移転するも、選手の年俸が高騰したことや、球場使用料が藤井寺球場(グループ会社の近鉄興業が保有)本拠地時代より大幅に上昇したこと、移転2年目である1998年以降は観客動員数が伸び悩んだこともあり、赤字額が年々膨れ上がった。また、大阪ドームも最寄り駅が近鉄の駅ではなかったため、近鉄沿線からは孤立した存在となり、観客が近鉄を利用しなくなったため、その分の運賃収入も途絶えるといった影響も出た。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "開幕カードのグリーンスタジアム神戸での対オリックス2連戦がともに雨で中止となったため、4月8日の大阪ドームでの対千葉ロッテマリーンズ戦が開幕試合となり、大阪ドームでの初試合を4対2で勝利している。借金が最大14になるなど、夏場までロッテと5位を争う状況だったが、8月24日の対ロッテ戦(大阪ドーム)でパ・リーグ史上初(プロ野球通算3度目)の10点差逆転勝利(延長12回)を機にチームは浮上。最終的には3位でシーズンを終える。この年の観客動員は186万6千人に達し、球団の年間最多観客動員記録となった。この年限りで大石大二郎が引退。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "8月半ばまで日本ハムと優勝争いを繰り広げ、日本ハムの失速もあり一時0.5ゲーム差まで詰め寄るが、直後に連敗し、西武、ダイエーを含めた4チームの混戦となる。先発投手陣が安定せず1952年以来となる2桁勝利投手が出ず、ロブ・マットソンの9勝がチーム最高の勝ち星となった。最終的には借金1の5位に終わる。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "4月に地元企業との提携と地元密着を目指してチーム名を大阪近鉄バファローズに改称し、9月に従来の近鉄野球株式会社に代わる新会社「株式会社大阪近鉄バファローズ」を設立。4月は首位で折り返すが、前年以上に先発投手陣が安定せず(2年連続して2桁勝利投手が皆無だった)、途中プロ野球新記録となる5試合連続2桁失点のワースト記録を樹立するなど、低迷して4年ぶりに最下位に終わる。シーズン終了後に佐々木恭介が監督を辞任、後任は近鉄最後の監督となる梨田昌孝。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "就任した梨田に「選手層が薄いが、ケガ人さえいなければ」と言われた状況において、オープン戦で吉岡雄二が骨折こそ免れたものの手首に重傷のけが、シーズンに入って礒部公一が顔面死球で、フィル・クラークが手首骨折で次々に離脱する状況で、中村紀洋が本塁打王と打点王の二冠を獲得するが、チームは33年ぶりの2年連続最下位に終わる。投手陣では3年連続二桁勝利投手は現れず、野手陣でも規定打席到達で3割を超えたのは武藤孝司だけであった。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "開幕戦の3月24日の対日本ハム戦は一時は1対6で5点差をつけられるものの、両軍合わせて8本塁打の打ちあいとなり最後は10対9で逆転勝利する。その後も4月に2試合連続サヨナラ勝ちを収めるなど、逆転勝利が多く(78勝のうち41勝が逆転勝ち)、7月17日の対ロッテ戦も9回5点差から8得点を挙げ逆転勝ち、前半戦終了時には、5位のロッテとは5ゲーム、最下位の日本ハム以外が勝率5割以上という状況ながら、10年ぶりに首位で折り返す。この年からロサンゼルス・ドジャースと業務提携を結び、シーズン途中にドジャース元監督のトミー・ラソーダの紹介でショーン・バーグマンとジェレミー・パウエルの2投手、ショーン・ギルバート内野手を獲得。この補強も功を奏した。終盤9月3日から5連敗し、9月5日の段階でもダイエーと同率首位、1厘差で西武が追い、5位まで6.5ゲーム差という混戦となるが、9月9日からの11試合を10勝1敗とした。9月24日の対西武戦ではタフィ・ローズが当時の本塁打シーズン日本プロ野球タイ記録となる55号本塁打を達成し、試合も9回裏松坂大輔から中村紀洋のサヨナラ2ラン本塁打で勝利し、優勝マジックを1とした。9月26日、対オリックス戦(大阪ドーム)で2対5とリードされた9回裏、無死満塁から代打北川博敏が日本プロ野球初となる『代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打』で12年ぶり4度目のパ・リーグ優勝を決めている。同一監督での前年最下位からの優勝は1976年の巨人の長嶋茂雄に次いで2人目で、パ・リーグでは初。ロッテには20勝8敗と大きく勝ち越したが、防御率リーグ最下位(4.98)での優勝と2位チームへの2桁負け越し(ダイエーに9勝19敗)での優勝はともに史上初だった。日本シリーズではヤクルトスワローズに自慢のいてまえ打線を封じ込まれ、1勝4敗で敗退。シーズン78勝は球団記録。オフに球団初(唯一)のFA移籍で加藤伸一を獲得。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "21世紀最初のパ・リーグ優勝球団となったが、この年の優勝が近鉄としての最後のリーグ優勝となった。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "5月28日から6月15日にかけて8年ぶりの10連勝を記録し、首位西武に一時2ゲーム差に詰め寄る。しかし、その後は西武の独走を許すと、8月16日の直接対決で9点差を逆転負けし、西武に優勝マジック34が点灯。最終的に優勝した西武から16.5ゲーム差の2位に終わる。この年限りで古久保健二が現役を引退した。古久保の引退により、日生球場時代に在籍した選手が全員引退した。シーズン終了後に中村がFA宣言するが、メジャーリーグを含めて1カ月余りの交渉の末、近鉄と推定4年20億円プラス出来高払いの契約を結び、残留した。大塚晶文はメジャーリーグへのポスティングシステムによる移籍を希望するが、入札球団が現れず、中日に金銭トレードされる。打撃陣では中村とローズが本塁打を量産したものの、規定打席到達で3割を超えた選手が一人もいなかった。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "1月に会社の商号を株式会社大阪バファローズに変更。開幕5連勝と好調な滑り出しを見せ、首位ダイエーと1.5ゲーム差の2位で前半戦を終える。しかし、後半戦に入ると、大塚の移籍に伴う抑え投手の不在や4番中村の負傷・不振が響き、3位に後退、そのままシーズンを終える。シーズン終了後、長年主砲として活躍し、この年も本塁打王を獲得しているローズを年俸高騰から自由契約とする(巨人が獲得)。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "この年が近鉄球団としての最後の年となった。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "1月31日、ネーミングライツの構想を表明するも、巨人が猛反対したことで、他球団も多くがこれに追随し、結局失敗に終わる。6月13日、日本経済新聞が1面で「近畿日本鉄道がプロ野球球団『大阪近鉄バファローズ』をオリックスに譲渡する方向で交渉を進めている」というスクープ記事を掲載したことで、世間が大騒ぎとなる。のち球団側もこれを認め、オリックス・ブルーウェーブと球団合併する方向で準備を進めていることを発表する。6月30日にライブドアが球団を買収する動きを見せたものの、近鉄は買収には応じず(ライブドアの動きについてはこちらも参照)、8月10日に合併に関する基本合意書への調印が行われ、9月8日のオーナー会議でこの合併が正式に認められた。9月18日から19日にかけて、この問題に反発するプロ野球選手会による日本プロ野球初となるストライキが行われ、12球団全ての試合が中止となった。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "オープン戦で吉岡雄二がアキレス腱断裂で離脱。ローズに代わる主砲と期待されたラリー・バーンズが開幕3戦目で離脱、同じくストッパーとして期待されたヘクター・カラスコも、4月に4連敗で防御率20.00となり登録抹消。4月7日に4位となって以降このシーズンはAクラスになることはなく、4月は最下位で終える。岩隈久志が開幕から球団記録となる12連勝もあり、一時は4位となるが、6月13日の球団合併発表の翌試合から4連敗するなど、5位となり、7月は4位で終わるものの、アテネオリンピックで岩隈、中村が抜けた8月7日から7連敗で、以降は5位となる。梨田は合併発表時の時点では「借金4で手ごたえはあった」としているが、7月7日のオーナー会議の時点では選手は放心し、最後は立ち上がれなかったとも述べている。9月24日、大阪ドームでの最終戦となる対西武戦が行われ、この年ここまで出場のなかった吉岡が代打で出場、この試合が引退登板となった赤堀元之や加藤伸一などが登板した。試合は延長11回裏、1死二塁で星野おさむの右翼線へのサヨナラ安打で3対2で勝利、これが球団公式戦最後の勝利となった。9月27日のYahoo! BBスタジアムの対オリックス戦が共に合併する球団同士の公式戦最終戦となったが、2対7で敗れた。チームは61勝70敗で4年ぶりのBクラスの5位で終え、消滅後の2007年から始まったクライマックスシリーズを含む13球団で唯一同年以降の現行のプレーオフシーズンに参戦せずに消滅した。岩隈は15勝を挙げ、最多勝を獲得するなど計算できた投手陣に比べ、打撃陣はローズが抜けたことや吉岡などの故障もあり、前年より本塁打、得点が激減した。二軍は前期優勝で、9月30日、藤井寺球場で最後の二軍公式戦、ウエスタンリーグ優勝決定戦が行われたが、後期優勝の中日に敗れている。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "11月8日、オリックスと楽天の間で選手分配ドラフトが行われ、近鉄の選手はオリックスと楽天に振り分けられることになった。大村直之がソフトバンクにFA移籍。中村紀洋がポスティングシステムでロサンゼルス・ドジャースに移籍。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "以上の合併への動きは選手会との労使交渉や球界再編問題にまで発展し、球団合併反対運動では選手も署名活動に参加するなど、ファンを含む球界内外からの強い反発が起こるなど大きな波紋を呼んだ。そして、11月30日をもってプロ野球チームとしての大阪近鉄バファローズは55年の歴史に幕を降ろした。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "2005年1月15日に御堂筋グランドビル7階に置いていた株式会社大阪バファローズ事務所を閉鎖。1月17日、同ビル15階に事務所移転し、中村紀洋のポスティング申請など、残務処理を引き続き行う。3月31日、この日をもって株式会社大阪バファローズは解散となる。6月20日付で清算結了となり、法人格が消滅した。なお、近鉄はこの後、球団合併後の暫定処置として2007年までオリックス球団の株式を20%保有し、ユニフォーム左袖部分に「近鉄」のロゴを入れたが、同年シーズン終了と同時に完全撤退した。ただ、球団経営から撤退後も、「近鉄沿線デー」と銘打って優待企画を実施するなどしているほか、オリックスが優勝時には近鉄百貨店で優勝セールを実施するなど、間接的に関わりは持ち続けている。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "2013年から2019年にかけてオリックスがOSAKAクラシックと銘打って、昭和時代に同じく大阪の球団であったソフトバンク(旧南海)との、復刻ユニフォームでの試合を行い、近鉄(大阪近鉄)各時代のユニフォームを使用した。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "2014年10月3日にDeNAに所属していた中村紀洋が戦力外通告を受け、その後現役を引退したことにより、藤井寺球場時代に在籍した選手が全員引退した。また、独立リーグも含めれば、他にも信濃グランセローズに所属していた大塚晶文と、新潟アルビレックスBCの選手兼野手総合コーチの高須洋介が現役を引退したことにより、球団名に「大阪」がつく前の近鉄バファローズに所属した選手が全員引退した。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "2022年10月3日に明治神宮球場で行われた最終戦を最後にヤクルトに所属していた坂口智隆、12月27日に香川オリーブガイナーズの選手兼任コーチの近藤一樹が現役を引退したことにより、大阪近鉄バファローズに所属した選手が全員引退した。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "これをもって近鉄球団に在籍経験のある選手は全員NPBから姿を消すこととなった。しかしそれと引き換えに同年10月30日、オリックスが日本シリーズ第7戦でヤクルトを4勝2敗1分で下したことにより、前身球団こそ異なるものの球団愛称「バファローズ」としては6度目の正直で悲願の日本一を達成した。この日本一で球団唯一の永久欠番の選手だった鈴木啓示は多くの祝電をもらったという。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "なおバファローズの日本一達成により、2005年に誕生した楽天を含む日本プロ野球13球団全てが現在の球団愛称になって以降、特殊ルール込みで1度は日本一を経験することとなった。", "title": "球団の歴史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "タイトル制定(1994年)以後の該当者無し。タイトル制定以前のリーグ最多安打打者は以下の通り。", "title": "タイトル獲得選手" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "※ 1981年制定、1989年から廃止", "title": "タイトル獲得選手" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "タイトル制定(1989年)以後の該当者は以下の通り。", "title": "タイトル獲得選手" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "タイトル制定以前の該当者は以下の通り。", "title": "タイトル獲得選手" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "※ 2001年で廃止され、翌年からは最優秀投手となった。", "title": "タイトル獲得選手" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "※1974年に最多セーブとして制定、1977年よりセーブポイントで表彰する最優秀救援投手に変更。球団消滅後の2005年より最多セーブ投手に。", "title": "タイトル獲得選手" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "なお、表彰タイトルではなかったので参考だが1974年以降リーグ最多セーブ投手になったのは以下の選手。", "title": "タイトル獲得選手" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "※ 1972年 - 1985年はダイヤモンドグラブ賞", "title": "タイトル獲得選手" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "近鉄在籍時代に記録したもののみ(他球団在籍時での記録は数字に含まれない)", "title": "選手記録" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "太字は優勝達成監督", "title": "歴代監督" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "なお、この他地方開催扱いとなるが、近鉄沿線への配慮から、以下のスタジアムも準本拠として公式戦を行った。", "title": "歴代本拠地" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "日生球場・大阪球場", "title": "歴代本拠地" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "藤井寺球場", "title": "歴代本拠地" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "#1 鈴木啓示", "title": "永久欠番" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "また、近鉄として最後の監督である梨田昌孝によって、以下のような言葉が残されている。", "title": "永久欠番" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "野茂英雄がパシフィック・リーグ初の沢村栄治賞受賞を達成。1990年に沢村賞を受賞した野茂より前の時代だと、鈴木啓示が投手三冠王を達成するなど活躍をしたが、当時、パ・リーグは沢村賞の選考対象外だった為、鈴木は受賞出来なかった。", "title": "沢村栄治賞受賞者" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "近鉄での投手三冠王の達成者は2人。", "title": "三冠王(投手・打者)" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "達成者はいない。", "title": "三冠王(投手・打者)" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "複数回受賞の達成者はいない。", "title": "最優秀選手受賞者(複数回)" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "複数回受賞の達成者はいない。", "title": "最優秀選手受賞者(複数回)" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "1967年8月、近鉄は、これまでの1・2軍とは別に、若手育成の観点から将来3軍を結成することを念頭においた新人オーディション(入団テスト)を実施した。まず面接・書類審査に98人が応募。その中から24人に絞り、実技による2次審査を4日間にわたり藤井寺球場で実施。3軍のチーム化を念頭に、十数名程度の獲得を目指そうとした。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "しかし、実際に実技テストを合格したのは4人のみで、3軍を結成するとした目標には遠く及ばず、その4名のうち3人は投手で野手は1名だけだった。しかも彼らは全員結果を出せず、2人は2年、もう1人は3年で引退。残り1名についても1972年に南海へ移籍したため、3軍制構想は失敗に終わった。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "2004年のキャンプ入りを目前とした1月31日、近鉄球団は2005年以降に球団名称を第三者に販売する「命名権」ビジネスを実施することを明らかにした。基本スポンサー料金を年間36億円とし成績に応じてそれを増減させ、スポンサーはチーム名やユニフォーム、球場への広告掲示などができるとした。市民に親しまれる球団にするためには球団本体だけに頼っては前進しないという考えを示した発案だったが、安易に球団名が変更されてしまうことに対し他球団オーナーなどプロ野球界から「野球協約に反するものであり認められない」などと反発が相次いだ。特に発言が球界の動向に大きな影響を与えるといわれた読売ジャイアンツオーナー・渡邉恒雄が猛反対したこともあり、球団名変更に必要なオーナー会議の同意を得られる目処が立たず、2月5日に方針を白紙撤回することを発表した。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "ネーミングライツ売却は戦前の大東京軍がライオン歯磨をスポンサーに迎えて誕生したライオン軍(1937年秋季 - 1940年)、戦後パ・リーグ球団の高橋ユニオンズがトンボ鉛筆をスポンサーにしたトンボユニオンズ(1955年)、西武ライオンズの前身である太平洋クラブライオンズ(1973年 - 1976年)・クラウンライターライオンズ(1977年 - 1978年)、ロッテオリオンズ(1969年 - 1970年に大映が親会社で永田雅一がオーナー、中村長芳がオーナー代行だった。1971年大映からロッテに正式に譲渡)などの例がある。近鉄の場合、命名権の販売対象企業として名前が挙がっていたのが消費者金融のアコムだったため、青少年への影響面から認められなかった理由のひとつに挙げられていた。近鉄の命名権販売が認められなかったため、「近鉄の球団消滅はこの時点で避けられないものとなってしまった」という声がある。合併問題が深刻化する頃には、一部球界関係者も「今から思えば、ネーミングライツの承認が最良のソフトランディングだった」と語っていた。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "2004年にオリックスとの合併で消滅した近鉄だが、それ以前にも他球団との合併が画策されたことがある。1965年オフには当時のオーナー・佐伯勇が広島カープオーナー・松田恒次と秘密裏に会い、合併を持ちかけている。佐伯の腹案では、", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "と具体的な内容まで踏み込まれていたが、松田はかねてから純益金の分配制度改正(1952年以降のフランチャイズ制度以降は試合開催で得た利益は全額ホームチームのものになっていたが、それを1リーグ時代のホーム7、ビジター3の割合での分配に戻すというもの)をセ・リーグ会長・鈴木龍二に申し入れていたこともあって、佐伯の提案を拒否した。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "本拠地の変遷は先述の通りであるが、他に下記のような移転計画があった。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "また、青木一三は著書で、佐伯オーナーが1979年頃に、愛媛県を本拠とする来島どっくグループ総帥の坪内寿夫に球団売却の申し入れをおこなっていたと記している。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "放映権に関しては、朝日放送(現:朝日放送テレビ及び朝日放送ラジオ)に優先権があるなど、阪神タイガースとほぼ同じである。", "title": "放送" } ]
大阪近鉄バファローズは、かつて存在した日本のプロ野球球団である。1949年から2004年まで活動し、1950年から解散までパシフィック・リーグに加盟していた。現在のオリックス・バファローズの前身球団の一つである。
{{otheruses|2004年までのバファローズ|2005年以降のバファローズ|オリックス・バファローズ|}} {{野球チーム |ページ名 = 大阪近鉄バファローズ(解散時) |チーム名 = 大阪近鉄バファローズ |英語表記 = Osaka Kintetsu Buffaloes |会社名 = 株式会社大阪バファローズ |加盟団体 = [[パシフィック・リーグ]] |創設年度 = 1949年 |解散年度 = 2004年 |ロゴデザイン = [[File:Osaka Kintetsu Buffaloes insignia.png|150px|]] |チーム名の遍歴 = * 近鉄パールス(1949年 - 1958年) * 近鉄バファロー(1959年 - 1961年) * 近鉄バファローズ(1962年 - 1998年) * 大阪近鉄バファローズ(1999年 - 2004年)<br/>[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]との吸収合併により球団消滅 |フランチャイズの遍歴 = [[大阪府]](1952年 - 2004年) |本拠地 = [[大阪ドーム]]<ref group="注" name="oskdome" />(解散時)[[File:Kyocera Dome Osaka1.jpg|300px|center]] |キャパ = 36,477人(大阪ドーム<ref group="注" name="oskdome" />) |永久欠番 = '''[[鈴木啓示|1:鈴木啓示]]''' |オーナー = [[田代和]](解散時) |球団社長 = [[小林哲也 (近畿日本鉄道)|小林哲也]](解散時) |スポンサー = [[近畿日本鉄道]](解散時) |監督 = [[梨田昌孝]](解散時) |日本一回数 = 0 |日本一 = なし |リーグ優勝回数 = 4 |リーグ優勝 = <nowiki></nowiki> * [[1979年の日本プロ野球|1979]] * [[1980年の日本プロ野球|1980]] * [[1989年の日本プロ野球|1989]] * [[2001年の日本プロ野球|2001]] |シリーズ出場回数 = 4 |シリーズ出場 = 0勝4敗 * [[1979年の日本シリーズ|1979]] * [[1980年の日本シリーズ|1980]] * [[1989年の日本シリーズ|1989]] * [[2001年の日本シリーズ|2001]] |プレーオフ(前後期制)回数 = 3 |プレーオフ(前後期制) = 2勝1敗 * ''[[1975年のパシフィック・リーグプレーオフ|1975]]'' * '''[[1979年のパシフィック・リーグプレーオフ|1979]]''' * '''''[[1980年のパシフィック・リーグプレーオフ|1980]]''''' }} {{基礎情報 会社 |社名 = 株式会社大阪バファローズ |英文社名 = Osaka Buffaloes |ロゴ = |画像 = |画像説明 = |種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]] |市場情報 = |略称 = |国籍 = |郵便番号 = |本社所在地 = [[大阪府]][[大阪市]][[天王寺区]][[上本町]]6-1-55(登記上本店)<br />大阪府大阪市[[中央区 (大阪市)|中央区]][[難波]]2-2-3 御堂筋グランドビル7階<br />(球団解散時の事務所) |電話番号 = |設立 = [[1999年]][[9月]]<br />(株式会社大阪近鉄バファローズとして設立) |業種 = 9050 |事業内容 = プロ野球興行事業など |代表者 = オーナー 田代和<br />[[代表取締役]][[社長]] 小林哲也 |資本金 = |売上高 = |総資産 = |従業員数 = |決算期 = |主要株主 = [[近畿日本鉄道]] 100% |主要子会社 = |関係する人物 = [[佐伯勇]](球団創設者) |外部リンク = |特記事項 = [[2005年]][[3月31日]]解散、同年[[6月20日]]清算結了。 }} {{Portal|野球}} '''大阪近鉄バファローズ'''(おおさかきんてつバファローズ、{{Lang-en|Osaka Kintetsu Buffaloes}})は、かつて存在した[[日本]]の[[プロ野球球団]]である。{{by|1949年}}から{{by|2004年}}まで活動し、{{by|1950年}}から解散まで[[パシフィック・リーグ]]に加盟していた。現在の[[オリックス・バファローズ]]の前身球団の一つである。 == 概要 == 球団消滅時点では[[大阪府]]を[[プロ野球地域保護権|保護地域]]とし、一軍は[[大阪市]][[西区 (大阪市)|西区]]にある[[大阪ドーム]]<ref group="注" name="oskdome" />、[[大阪近鉄バファローズ (ファーム)|二軍]]([[ウエスタン・リーグ]]所属)はかつて一軍の本拠地だった[[藤井寺球場]]を本拠地にしていた。 球団愛称の正式表記は「バファローズ」であり、'''「バッファローズ」ではない'''(経緯に関しては[[#球団愛称|後述]])。ただし、[[三原脩]]の監督時代のサインなど、球団及び近鉄グループ関係者が誤用した例がある。 [[1999年]]3月末までの球団名は「'''近鉄バファローズ'''」で、地域密着を謳うために1999年[[4月1日]]付で上記球団名に改称された後も通称として使われていた。なお、運営法人の[[商号]]は株式会社大阪バファローズ、[[近畿日本鉄道]]株式会社の100%の連結対象子会社(額面500円)だった。 [[2004年]]、球団と[[近鉄グループ]]の経営難からオリックス・ブルーウェーブの運営会社「オリックス野球クラブ」に営業譲渡し、[[2005年]]3月末に解散。職員の大半はオリックス野球クラブ、一部は新規に創設された楽天野球団に移り、選手は分配ドラフトにより、[[オリックス・バファローズ]](ブルーウェーブから改称)と同時に新規参入した[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]に配分された。 オリックスの球団史において大阪近鉄バファローズは傍系扱いとなるため、チームタイトルや個人賞などの各種記録については一切含まれていない。球団史が引き継がれずに終焉する形でのチーム消滅は[[1958年の日本プロ野球|1958年]]の[[大映ユニオンズ]]<ref group="注">毎日オリオンズと合併して[[千葉ロッテマリーンズ|毎日大映(大毎)オリオンズ]]となり、球団組織・法人格と各種記録は毎日側の存続としたが、この合併は表面上は[[合併 (企業)#対等合併|対等合併]]形式で、組織の実態は大映側が毎日側を吸収してが経営の主導権を握る実質的な[[逆さ合併]]だったため、名実ともに吸収合併形式で尚且つ経営権もオリックス側に完全譲渡された本球団の事例とは実態が全く異なっている。</ref>以来となった。 合併までの経緯・詳細については[[プロ野球再編問題 (2004年)]]を参照。 [[1944年]]6月から[[1947年]]5月まで[[南海電気鉄道|南海鉄道]]と[[大阪電気軌道|関西急行鉄道]]の戦時統合によって設立された近畿日本鉄道が運営していた[[福岡ソフトバンクホークス|近畿日本軍→近畿グレートリング]]<ref group="注">[[1938年]]、南海軍として設立。1947年5月に旧南海が近鉄から分離したことにより、球団の運営も南海となる。</ref>との球団の系譜としてのつながりはなく、これは現在の[[福岡ソフトバンクホークス]]の系譜である。 球団が消滅した2004年時点で現存していた12球団の中で「55年の球団史上1度も日本シリーズに4回出場した上で日本一になれなかった唯一の球団」となった<ref group="注">[[大阪近鉄バファローズ (ファーム)|二軍]]でも[[ウエスタン・リーグ]]を[[1995年]]に1回だけ優勝するも、二軍の日本一は達成できなかった。なお、楽天が[[2013年]]に日本シリーズで優勝したため、同年の時点で現存する12球団全てが日本一を経験していることになる。このほか、日本シリーズに進出した経験がありながら日本一になれなった消滅球団としては[[1950年]]の[[松竹ロビンス]]([[1953年]]に[[横浜DeNAベイスターズ|大洋ホエールズ]]と対等合併して「大洋松竹ロビンス」となるが、大洋が存続球団として扱われ、その翌年に松竹が球団経営から撤退したことに伴い、大洋漁業による単独経営に変更されたため、それ以降は消滅球団という扱いになってしまった)がある。</ref>。セ・リーグの内、[[阪神タイガース]]、[[中日ドラゴンズ]]、[[横浜DeNAベイスターズ|大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ]]、合併で[[1953年の日本プロ野球|1953年]]にチーム消滅した[[松竹ロビンス]]とは日本シリーズで対戦したことはない。 == 球団の歴史 == 設立当初より低迷が続き、万年Bクラス、最下位の近鉄は「[[地下鉄]]球団」{{Sfn|さらば|2004|p=52}}とも揶揄(やゆ)された。 === 近鉄パールス時代 === ;{{by|1949年}} [[近畿日本鉄道]]をスポンサーとする'''近鉄パールス'''(設立時は近鉄本社、後にグループ会社の近鉄野球株式会社(初代、のちの近鉄興業株式会社{{Sfn|近畿日本鉄道|2010|p=783}})が経営を担当。移管時期は不明)が[[佐伯勇]]の鶴の一声で結成。「パール([[真珠]])」は賞金5万円の公募によって決められ、近鉄沿線の[[伊勢志摩]]地方で真珠養殖が盛んなこともあって命名された<ref>[[週刊ベースボール]]5月11日号 [完全保存版]12球団ユニフォーム大図鑑 [[ベースボール・マガジン社]].2020年.P130</ref>。近鉄にとっては、[[南海電気鉄道|南海鉄道]]合併当時の[[1944年]] - [[1947年]](近畿日本軍 → グレートリング、現:[[福岡ソフトバンクホークス]])以来の球団運営である{{Sfn|球団史|2012|pp=36 - 37}}。近鉄は[[大阪電気軌道]]時代より[[近鉄ライナーズ|ラグビー部(現:近鉄ライナーズ)]]を有していたが、後の佐伯の述懐によれば「ラグビーでは儲からないから」と当時隆盛を極めていた野球経営に食指を動かしたという。[[11月26日]]に発足した太平洋野球連盟([[パシフィック・リーグ]])に加盟。2リーグ制構想を最初に打ち出した[[正力松太郎]]は、大阪地区で4チームが同一のリーグに入ることは好ましくないと考え、片方のリーグに近鉄と阪神、もう一つのリーグに阪急と南海を入れる考えを持っていたといわれる<ref>{{Cite book |和書 |author= 鈴木龍二|authorlink=鈴木龍二 |title = プロ野球と共に五十年 私のプロ野球回顧録 |volume = 上 |year = 1984 |publisher = 恒文社 |series = 恒文社新書 |page = 308 |isbn = 4770405936 }}</ref>。しかし、[[毎日新聞]]側で電鉄系球団が結束した後に阪神が離脱するという経過により、この正力の考えは実現しなかった(経過については[[プロ野球再編問題 (1949年)]]を参照)。加盟申請は早かったものの、チーム編成が遅れたため、他球団と未契約の[[東京六大学野球連盟|東京六大学]]出身者(監督[[藤田省三 (野球)|藤田省三]]始め、[[関根潤三]]など[[法政大学]]勢が多かったため、チーム内に近鉄法友会という懇親組織が存在した)を中心に編成したが、プロ野球経験者は[[黒尾重明]]([[北海道日本ハムファイターズ|東急フライヤーズ]])、[[森下重好]]、[[田川豊]](いずれも[[松竹ロビンス|太陽ロビンス]])ら数えるほどで、選手層が薄く、設立より4年連続最下位となる。 ;[[1950年の近鉄パールス|1950年]] 開幕直前に藤田省三が高熱でダウン、藤田は球場には来たが加藤春雄が実質指揮を取る中で3月12日、藤井寺球場での対[[千葉ロッテマリーンズ|毎日オリオンズ]]戦が球団としての初めての公式戦となるが、初回四番森下重好のタイムリーで先制するものの、失策で自滅し、2対6で敗戦{{Sfn|さらば|2004|p=44}}。翌13日の対[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]戦で[[沢藤光郎]]が粘投し、4対3でチーム初勝利を収める。チームは連敗、連勝、連敗を続け、この年は森下が30[[本塁打]]、沢藤が18勝を挙げる活躍を見せるが、最終的には首位の毎日から37.5ゲーム離された最下位に終わる。投打共に駒不足を露呈した{{Sfn|球団史|2012|pp=36 - 37}}。球団本社からの強化費用が予想以上に出ず、新人2選手が加入しただけで終わる{{Sfn|球団史|2012|pp=36 - 37}}(その2選手も翌年には退団){{Sfn|さらば|2004|p=44}}。 ;[[1951年の近鉄パールス|1951年]] この年もシーズン終盤まで低迷、9月に14勝8敗1分と追い上げるも6位の東急と0.5ゲーム差で2年連続最下位に終わる。この年のオフ、[[大下弘]]の獲得に乗り出すが失敗に終わる。 ;[[1952年の近鉄パールス|1952年]] 5月から6月にかけて13連敗を喫し、シーズン通して首位の南海に4勝14敗、2位の毎日には3勝15敗と大きく負け越し、最終的に30勝78敗、3割に満たない勝率<ref>[http://bis.npb.or.jp/yearly/pacificleague_1952.html|title=年度別成績 1952年 パシフィック・リーグ] [[日本野球機構]]</ref>で3年連続最下位に終わる{{Sfn|宇佐美徹也|1993|p=41}}。シーズン終了後、藤田省三が監督を辞任し、[[芥田武夫]]が就任。 [[小玉明利]]、[[鈴木武]]ら後に中心となる新人補強に加え{{Sfn|球団史|2012|pp=36 - 37}}、独特の練習スタイルで結果を出す{{Sfn|球団史|2012|pp=36 - 37}}。 ;[[1953年の近鉄パールス|1953年]] 開幕直後には9連勝するなど、[[5月8日]]に一時期ながら首位に立つ{{Sfn|球団史|2012|pp=36 - 37}}が、夏場以降は失速し、首位南海と22ゲーム差の最下位となる。勝率は初めて4割を超える{{Sfn|球団史|2012|pp=36 - 37}}。 ;[[1954年の近鉄パールス|1954年]] [[8月7日]]に新人の[[山下登]]が対[[高橋ユニオンズ]]戦で球団史上初の[[ノーヒットノーラン]]を達成している。74勝63敗5分で、創立以来初となる最下位脱出の4位、勝率5割を越えてのAクラスとなった。近鉄選手初のタイトルとして[[武智文雄|田中文雄]]が[[最多勝]]、[[鈴木武]]が[[最多盗塁 (日本プロ野球)|盗塁王]]を獲得しており{{Sfn|さらば|2004|p=49}}、チーム盗塁数223は当時の日本プロ野球歴代5位であった{{Sfn|宇佐美徹也|1993|p=714}}。 ;[[1955年の近鉄パールス|1955年]] 序盤から投手陣が大不振{{Sfn|さらば|2004|p=45}}。[[6月19日]]には武智文雄(田中から改姓)が対[[大映ユニオンズ|大映スターズ]]戦(大阪)でパ・リーグ初となる[[完全試合]]を達成する。この年連敗することが多く、60勝80敗2分の5位に終わる{{Sfn|球団史|2012|pp=36 - 37}}。 ;[[1956年の近鉄パールス|1956年]] 4月後半の10連勝で勢いをつけたが{{Sfn|球団史|2012|pp=36 - 37}}、終盤に失速し5位{{Sfn|球団史|2012|pp=36 - 37}}。この頃は万年最下位とは呼ばれなくなったが、優勝争いをしている西鉄、南海とは地力の差があった{{Sfn|さらば|2004|p=45}}。 ;[[1957年の近鉄パールス|1957年]] この年パ・リーグは高橋ユニオンズと大映スターズが合併したことで8球団から7球団となり、日程が組みにくくなったことから最下位の球団は消滅させようという動きがあり、[[関根潤三]]は「大映オーナーの[[永田雅一]]による近鉄潰しだ」と述べている{{Sfn|さらば|2004|p=49}}。[[6月22日]]、芥田がシーズン途中で休養。[[加藤春雄]]が代行を務めるが8月を終わっても最下位で、消滅の危機となったが、最終的には6位に終わっている<ref group="注">最下位は大映で、この年のオフに毎日と合併している。</ref>。加藤春雄はオフに監督就任<ref group="注">監督就任と同時に登録名を「加藤久幸」に変更した。</ref>。 ;[[1958年の近鉄パールス|1958年]] 開幕から不振が続き、6戦目で最下位になると、そのまま浮上することなく、首位の西鉄に3勝22敗1分、2位南海に4勝22敗1分と大きく負け越し、この年の近鉄のシーズン29勝は最多勝投手の[[稲尾和久]]の33勝を下回り{{Sfn|宇佐美徹也|1993|p=53}}、球団史上最低記録となる勝率.238でシーズンを終える{{Sfn|球団史|2012|pp=36 - 37}}。シーズン終了後、加藤が監督辞任、現役時代「猛牛」と呼ばれた[[千葉茂 (野球)|千葉茂]]を監督に招聘し、チーム名を'''近鉄バファロー'''に改名{{Refnest|group="注"|公募も行い、最も票の集まったのがバファローだったという情報もある<ref>[[週刊ベースボール]]5月11日号 [完全保存版]12球団ユニフォーム大図鑑 [[ベースボール・マガジン社]].2020年.P131</ref>。}}。[[岡本太郎]]による球団マーク(通称、猛牛マーク)が制作される。なお、同年はパ・リーグの他球団から名古屋への進出を持ちかけられたがこれを拒否している<ref>[[週刊ベースボール#別冊|週刊ベースボール別冊]] よみがえる1958-69年のプロ野球 [Part1] 1958年編 ルーキー・長嶋茂雄、球界席巻! [[ベースボール・マガジン社]].2023年.P68</ref>。 === 近鉄バファロー時代 === ;[[1959年の近鉄バファロー|1959年]] 5月に最下位になるとそのまま浮上できずにシーズンを終える。チーム39勝は、最多勝の南海の[[杉浦忠]]の38勝より1勝多いだけであった{{Sfn|宇佐美徹也|1993|p=55}}。前年と合わせ8人の選手が[[読売ジャイアンツ]]から移籍するなど、チームの大幅な入れ替えを図る。なおシーズン途中の[[6月20日]]に千葉茂が途中休養、代行監督に[[林義一]]が就任するが、オフに千葉が監督復帰する。 ;[[1960年の近鉄バファロー|1960年]] 43勝87敗1分で首位の大毎と39ゲーム差の最下位。 ;[[1961年の近鉄バファロー|1961年]] 日本プロ野球シーズン最多記録となる103敗を記録。首位南海とは51.5、5位阪急とも18.5ゲーム差をつけられ、チームの勝ち星は1958年に続き、稲尾和久の42勝に届かぬ36勝に終わった{{Sfn|宇佐美徹也|1993|p=59}}。新人の[[徳久利明]]が15勝を挙げ<ref group="注">チーム最多勝、26敗はリーグ最多敗戦。</ref>球団初の[[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]]を獲得する。1958年から4年連続でチームは160失策以上を記録し<ref group="注">いずれの年もリーグワースト。</ref>{{Sfn|宇佐美徹也|1993|pp=53 - 59}}、チーム38盗塁は2リーグ制以降、当時の最少記録となっている{{Sfn|宇佐美徹也|1993|p=714}}。シーズン終了後、千葉茂が監督を更迭<ref>{{harvnb|球団史|2012|p=40}}</ref>、[[別当薫]]が就任。 後年、この当時の事情を千葉茂はなかなか語ろうとしなかったが、{{by|1997年}}ごろに語ったところによれば「巨人で20年やってきたことがすべてひっくり返った」と述べ、「選手もプロ意識は低かったが、親会社の体質にも問題があった」とし、当時[[普通車|三等車]]だった列車での移動を西鉄並の[[グリーン車|二等車]]にしてほしいと頼めば、球団に「15人だけにしてほしい」と言われたとされる{{Sfn|さらば|2004|pp=50 - 51}}。一方の選手は西鉄の稲尾和久や南海の[[杉浦忠]]などが登板することが分かると、高熱や腹痛などの仮病を使って試合を欠場したとも述べている<ref>{{harvnb|球団史|2012|p=39}}。『週刊ベースボール』2011年12月12日号の「豊田泰光のオレが許さん!」でも[[豊田泰光]]が千葉から聞いた話として述べている。</ref>。 === 近鉄バファローズ時代 === 「近鉄バファローズ」という球団名は1998年まで使われたが、ここでは大阪ドーム<ref group="注" name="oskdome" />移転前年の1996年までの事について述べ、大阪ドーム<ref group="注" name="oskdome" />に移転した1997年・1998年の両年については[[#大阪ドーム時代]]を参照。 ==== 別当監督時代 ==== ;[[1962年の近鉄バファローズ|1962年]] チーム名を'''近鉄バファローズ'''に改名。[[ジャック・ブルームフィールド]]が.374の高打率で[[首位打者 (日本プロ野球)|首位打者]]を、28勝を挙げた[[久保征弘]]が[[最多勝利|最多勝]]を獲得するも、チーム全体ではわずか57勝(久保はほぼ半分の勝ち星を1人で稼いだ)で5年連続最下位。[[土井正博]]が18歳で四番に抜擢される。 ;[[1963年の近鉄バファローズ|1963年]] 5月以降チームは勝率5割を保ち、東映との3位争いをするものの、1ゲーム差{{Refnest|group="注"|<!--恐らく-->『プロ野球記録大鑑』のには1ゲーム差と書かれているが、実際は2ゲーム差である{{Sfn|宇佐美徹也|1993|pp=53 - 59}}。}}の4位に終わる。この年の[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスター]]には7人が選ばれた。長打力には乏しいものの単打や二塁打を重ねて得点をあげる攻撃に「[[ピストル打線]]」のあだ名がつく。 ;[[1964年の近鉄バファローズ|1964年]] この年4人の10勝投手が出るも、2年ぶりの最下位。1958年よりこの年まで7年連続で失策数はリーグワースト{{Sfn|宇佐美徹也|1993|pp=53 - 59}}。シーズン終了後、別当薫が監督を辞任。後任には[[岩本義行]]が就任。球団結成時から在籍している[[関根潤三]]に対して球団の中には「監督をやれ」と言う人もいたが、関根にそのつもりはなく、近鉄を退団し、巨人に移籍した<ref>プロ野球レジェンドが語るあの日、あのとき、[[産経新聞出版]]、P159、2015年</ref>。 ==== 岩本(義)監督時代 ==== ;[[1965年の近鉄バファローズ|1965年]] 優勝した南海と42.5ゲーム差で2年連続の最下位。この年[[プロ野球ドラフト会議|第1回プロ野球ドラフト会議]]が行われ、2位指名で[[鈴木啓示]]が入団している。 ;[[1966年の近鉄バファローズ|1966年]] 48勝82敗で3年連続最下位。シーズン終了後、岩本義行が監督を辞任、後任には当時31歳の[[小玉明利]]が[[選手兼任監督|選手を兼任のまま監督]]就任。 ==== 小玉監督時代 ==== ;[[1967年の近鉄バファローズ|1967年]] [[4月1日]]、球団運営のための会社法人として'''近鉄野球株式会社'''(2代目)を設立し、近鉄興業(同年3月に近鉄野球株式会社=初代を商号変更)から経営を移管{{Sfn|近畿日本鉄道|2010|p=319}}。チームは開幕ダッシュもあり5月半ばまで首位だったが、主力選手の相次ぐ故障もあり4年連続の最下位に終わる。シーズン終了後、小玉明利が監督を辞任し選手として阪神に移籍した。後任には[[三原脩]]が就任した。 ==== 三原監督時代 ==== ;[[1968年の近鉄バファローズ|1968年]]<ref name="名前なし-2">この年の記述の出典は、{{harvnb|さらば|2004|p=53}}。</ref> 西鉄との開幕戦で3連勝後、4月を14勝4敗として6月まで首位だったが、夏場以降は失速し、首位の阪急と23ゲーム差の4位に終わる。しかし、監督の三原によって選手に自信をつけさせたとされる。三原は家族の問題から退任を申し入れるも、慰留され続投。 ;[[1969年の近鉄バファローズ|1969年]]<ref name="名前なし-2"/> 5月までに9連敗を記録するなど低迷、しかしその後18勝1敗2分けと一気に追い上げ、球団初の首位争いを阪急と展開する。互いに直接対決4試合のみを残した10月17日の時点で2厘差で首位を保ち、阪急よりも優位であった<ref group="注">この時点での成績は、近鉄が72勝48敗6分(勝率.600)、阪急が73勝49敗4分(勝率.598)で、近鉄は2勝で優勝となるのに対し、阪急は2勝1分以上が条件だった(当時の新聞縮刷版による)。</ref>。しかし、10月18日からの対阪急4連戦に初戦から3連敗で阪急の逆転優勝を許し、2位に終わる。球団創立以来シーズンの対戦成績で勝ち越したことがなかった南海に対し17勝9敗と初めて勝ち越し、また15シーズン連続で負け越していた西鉄にも15勝11敗で勝ち越した。ドラフト会議では、高校野球で甲子園のアイドルと呼ばれた[[太田幸司]]を獲得。 ;[[1970年の近鉄バファローズ|1970年]] [[5月14日]]に[[黒い霧事件 (日本プロ野球)|黒い霧事件]]に関連し、球団職員だった山崎晃が外部の人間より八百長(野球協約上の敗退行為)を強要され、監督や選手に敗退行為の依頼を行ったことが報道された。山崎は1967年に当時選手兼監督だった小玉明利を始め、[[木原義隆]]、[[吉沢岳男]]、[[高木喬]]の4名に八百長を依頼したとされる。捜査の結果、依頼された4人については金銭の授受はなく試合で敗退行為を行った確証も得られなかったため、プロ野球機構からの処分は厳重戒告に留まったが、山崎については八百長工作を行っていたことが確実になったため、[[6月15日]]に野球賭博への関与を理由とした永久追放処分が下された。[[10月6日]]、対南海戦で[[佐々木宏一郎]]が完全試合を達成。シーズン終了後、三原が監督を辞任し、後任を[[鶴岡一人]]に一本化するが招聘に失敗し、コーチの[[岩本尭]]が監督に昇格した{{Sfn|球団史|2012|p=41}}。 ==== 岩本(尭)監督時代 ==== ;[[1971年の近鉄バファローズ|1971年]] [[鈴木啓示]]、[[清俊彦]]、[[佐々木宏一郎]]、[[神部年男]]の投手4本柱が防御率7位以内に入る安定感を見せ、3位を確保。 ;[[1972年の近鉄バファローズ|1972年]] 序盤に首位に立った南海相手に7連勝(1分)するなど、4月29日に同率首位にもなったが<ref>{{Cite book |和書 |editor = 南海ホークス|title = 南海ホークス四十年史 |year = 1978 |publisher = 南海ホークス |pages = 229-231 }}</ref>、総合では首位とは14ゲーム差の2位に終わる。この頃は鈴木啓示が5年連続20勝を挙げ、また太田幸司人気もあってテレビ中継も増えている{{Sfn|さらば|2004|p=53}}。 ;[[1973年の近鉄バファローズ|1973年]] パ・リーグは前後期2シーズン制を導入。投手力のある近鉄が優勝候補にも挙げられたが{{Sfn|サヨナラ|2004|p=94}}、その投手陣が相次ぐ故障などから崩壊し防御率3.83はリーグ5位で10勝以上あげたのが鈴木啓示のみ、打線も土井が唯一打率ベスト10入り(3位)しただけでチーム打率はリーグ最下位の.237、本塁打113本は南海と同数の5位、盗塁、得点はリーグ最少、失点、失策はリーグ最多で、8月末に岩本は休養し、[[島田光二]]が代理監督を務めるが、前後期とも最下位の6年ぶりの最下位に終わっている{{Sfn|宇佐美徹也|1993|p=83}}。二軍がウエスタン・リーグを初制覇している。シーズン終了後、前阪急監督の[[西本幸雄]]が監督就任。 ==== 西本監督時代 ==== <div style="float:right"> [[File:Fujiidera1.jpg|thumb|藤井寺球場(一軍は1983年まで準本拠地、1984年-1996年までメイン本拠地。1997-1999年まで再び準本拠地。二軍は創設当初から本拠地だった)]] [[File:Nissay-Stadium.jpg|thumb|1958-1983年のメイン本拠地・日生球場]] [[File:OsakaDome.jpg|thumb|1997-2004年の本拠地・大阪ドーム]]</div> 西本幸雄の下、リーグ初優勝を遂げ、長かった低迷期を脱する。また[[仰木彬]]の監督就任後は毎年のように[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]との激しいペナントレース争いとなり<ref group="注">仰木就任以前の近鉄は西武に対しては西武創設初年度の{{by|1979年}}に勝ち越して以降、仰木就任初年度の{{by|1988年}}に勝ち越すまで{{by|1986年}}のタイを除いて、全て負け越すなど相性は良くなかった。</ref>、西本退任以降の1982年から仰木彬が指揮した1992年までではBクラスは3度と安定した成績を保った{{Sfn|さらば|2004|p=78}}。 ;[[1974年の近鉄バファローズ|1974年]] 監督に就任した西本は[[羽田耕一]]、[[栗橋茂]]、[[佐々木恭介]]、[[平野光泰]]、[[梨田昌孝|梨田昌崇]]ら若手選手を鍛えてチーム力の強化を図ったが1年目は5位に終わり、オフにチームの主砲であった土井正博を[[埼玉西武ライオンズ|太平洋クラブライオンズ]]にトレードで放出する。 ;[[1975年の近鉄バファローズ|1975年]] 初めて「優勝」(ペナント2期制度での後期優勝)を果たすが、プレーオフで前期優勝の阪急に1勝3敗で敗れる。なお通期での貯金は「21」(71勝50敗9分)であり、優勝の阪急の貯金「5」を大きく上回っていた。(+8ゲーム差相当) ;[[1977年の近鉄バファローズ|1977年]] [[4月26日]]、対ロッテ戦で鈴木啓示が球団初の通算200勝を達成、近鉄入団の生え抜き選手としては唯一の[[日本プロ野球名球会|名球会]]入り選手となった。南海と[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]に勝ち越し、ロッテ、[[埼玉西武ライオンズ|クラウンライターライオンズ]]に10勝以上あげているが、首位の阪急に6勝18敗2分と大きく負け越し前期は3位としたものの、後期は最下位でシーズン通しては4位に終わる。チーム盗塁数120はリーグトップだったが、チーム打率は5位、チーム本塁打92本はリーグ最下位に終わっている{{Sfn|宇佐美徹也|1993|p=83}}。 ;[[1978年の近鉄バファローズ|1978年]] 前期は阪急に次いで2位、後期は8月まで阪急が首位を独走していたものの、9月に近鉄が猛追し一時は首位に立つなど両チームのマッチレースとなり、後期最終戦となる[[9月23日]]に阪急との後期優勝をかけた直接対決を迎えた。近鉄は勝てば後期優勝、阪急はこの試合に勝ち、さらに残り2試合中1試合を引き分け以上が優勝の条件だった。近鉄はこの年25勝で最多勝の鈴木啓示を先発に立てたが、[[山田久志]]とのエース対決に敗れ、逆転で首位に立った阪急が次の試合にも勝って前期に続き優勝を決め、近鉄は2位に終わっている。この年近鉄は全球団に勝ち越したものの、阪急は近鉄以外の4球団に大きく勝ち越していたのが差となった{{Sfn|宇佐美徹也|1993|p=83}}。 ;[[1979年の近鉄バファローズ|1979年]] 前期は5月までに2位阪急に5ゲーム差をつけ独走していたが、6月9日の対ロッテ戦で[[チャーリー・マニエル]]がアゴに死球を受け、戦線離脱、阪急の追い上げもあり、一時は阪急にマジックが点灯する<ref group="注" name="oskdome" />が、最終戦の対南海戦に引き分け前期優勝を決めた<ref>この年のここまでの出典は{{Cite book |和書 |editor = 大阪バファローズ研究会 |title = 近鉄バファローズの時代 「悲劇の球団」に捧げる惜別のノンフィクション! |year = 2004 |publisher = [[イースト・プレス]] |series = East Press Nonfiction |page = 142 |isbn = 4872575040}}</ref>。後期は2位となり、後期優勝の阪急とのプレーオフとなるが、この年防御率1位の[[山口哲治]]の3連投の活躍で3連勝し、球団創設30年目にして初のリーグ優勝を遂げる。当時の12球団最後の初リーグ優勝として近鉄初のリーグ優勝で当時の12球団において1度はリーグ優勝を経験することとなった。74勝45敗11分、勝率.622は球団記録。ただし、阪急は年間勝率1位なのに対し、近鉄は年間勝率2位通過だったことから、年間勝率1位通過を経験することなく、初リーグ優勝を成し遂げた最初で最後の球団となった([[2005年]]に発足した[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]は[[2013年]]に初リーグ優勝を達成したが、年間勝率1位を通過しており、2023年現在も近鉄が唯一となっているが、現行のプレーオフは勝率1位を競うリーグ戦とは区別されているため、勝率2位通過以下でのリーグ優勝のケースは現在のルール上では現れない)。しかし、[[広島東洋カープ]]との[[1979年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では第7戦の9回裏1点ビハインドの場面で、無死満塁の一打逆転サヨナラの好機をつかむが、[[江夏豊]]の前に阻まれ、3勝4敗で敗退([[江夏の21球]]参照)。 ;[[1980年の近鉄バファローズ|1980年]] 反発力を高めた[[ボール (野球)#「飛ぶボール」「飛ばないボール」の問題|飛ぶボール]]の効果もあり、この年本塁打・打点の二冠のマニエルをはじめチームから二桁本塁打10人を出す日本プロ野球新記録のシーズンチーム本塁打239本<ref group="注">被本塁打も251本で、こちらも日本プロ野球新記録。</ref>し、前年5月19日から[[9月29日]]まで日本プロ野球記録を更新する215試合連続で得点を記録する{{Sfn|宇佐美徹也|1993|p=571}}。チームは前期2位、後期は残り3節の時点で5位と追い込まれるがそこから巻き返し、[[10月7日]]には[[後楽園球場]]で、マジック1で引き分けでも優勝決定という日本ハムとの直接対決を6-5で勝利し、続く8日、11日の対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]2連戦にも勝利し逆転で後期優勝、[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]との[[1980年のパシフィック・リーグプレーオフ|プレーオフ]]も3勝0敗で制し2年連続でリーグ優勝を果たすが、[[1980年の日本シリーズ|日本シリーズ]]ではまたしても広島に3勝4敗で敗退。オフにマニエルが契約更改で球団と決裂し、退団。 ===== 10.7決戦 ===== 1980年10月7日に行われた後楽園球場における日本ハムと近鉄の後期最終戦。この試合は開始30分前に満員札止めとなった。日本ハムはこの試合で引き分けでも後期優勝が決まるが、近鉄が優勝するにはこの試合に勝ち、対西武戦も連勝する必要があるという日本ハムに非常に有利な試合であった。両チームの[[先発投手]]は近鉄は鈴木啓示、日本ハムは[[高橋一三]]のベテラン左腕。2回裏に日本ハムが1点を先取。打たれながらも何とか抑えていた高橋が3回表に無死二塁とすると、早くも[[木田勇]]が[[リリーフ]]した。しかし[[佐々木恭介]]に打たれて同点とされる。4回表には3本の安打を連ねられて3点を失った。木田は[[カーブ (球種)|カーブ]]の制球が定まらず、バックの[[失策]]も出た。5回裏に日本ハムが1点を返せば、近鉄も[[クリス・アーノルド]]がソロ本塁打を放つ。しかし7回裏に日本ハムは[[代打]]、[[富田勝]]の[[二塁打]]を皮切りに4連打を浴びせて2点を返し、1点差にまで迫る。8回表に[[有田修三]]がソロ本塁打を放った後に木田はマウンドに座り込んでしまい、ついに降板した。その裏に日本ハムも一死三塁から富田が近鉄2人目の投手の[[井本隆]]の頭をワンバウンドで越えるゴロを放ち、これを[[遊撃手]]の[[吹石徳一]]がギリギリ追い付いて捕球。三塁走者の[[大宮龍男]]はこの場面で生還することができなかった。二死から[[高代延博]]の安打でようやく生還して1点差に迫った。日本ハムは9回表の近鉄の攻撃を[[間柴茂有]]と[[宇田東植]]のリレーで凌いだ。9回裏の日本ハムは[[クリーンナップ]]の好打順。一番手の[[柏原純一]]の右翼への痛烈なライナーがフェンス一杯で捕球された。近鉄はこの後に3番手の[[村田辰美]]に替えた。[[トミー・クルーズ]]も右翼正面へのライナーで二死。[[トニー・ソレイタ]]は[[三振]]に終わり、5-6と近鉄の勝利で試合終了。自力優勝の機を逸した日本ハムを尻目に、近鉄は西武にも連勝して逆転優勝を果たした。監督の西本は「あそこまで鍛えに鍛えて、全員が全力を尽くして戦えば、お客さんの期待に応える、あれだけのゲームが出来るのです」とのちに振り返り、当日に新聞紙記者の一人は「かつてプロ野球は巨人一辺倒だったが、時代は変わった」と書いた<ref>{{Cite book |和書 |editor=Sports Graphic Number|editor-link=Sports Graphic Number |title = 熱闘!プロ野球三十番勝負 |year = 1992 |publisher = [[文藝春秋社]] |series = [[文春文庫|文春文庫 ビジュアル版]] |pages = 146-152 |isbn = 4168108139 }}</ref>。 ;[[1981年の近鉄バファローズ|1981年]] マニエルの抜けた穴はあまりにも大きく、前年4人いた3割打者が1人も出ず、本塁打も[[ビクター・ハリス]]の22本がチーム最高であるなど打線が低下<ref name="be2175">{{Cite book |和書 |editor = 日本野球機構ほか |title = 日本プロ野球記録大百科 2004 |year = 日本野球機構 |page = 2175 |isbn = 4583038046 }}</ref>。また鈴木啓示も5勝しかできず負け越すなど投手陣が振るわず前期6位、後期4位の最下位に終わる。シーズン終了後、西本幸雄が監督辞任、後任に[[関口清治]]が就任。 ==== 関口、岡本監督時代 ==== ;[[1982年の近鉄バファローズ|1982年]] 序盤は首位になり前後期とも勝ち越し3位となるが、首位の日本ハムからは大きく離されての結果となった。 ;[[1983年の近鉄バファローズ|1983年]] 4月末に7連敗すると5月まで最下位、持ち直すものの、以降は一度も5割にならないままこの年は4位、シーズン終了後、関口清治が監督を辞任、後任は[[岡本伊三美]]。広島から[[加藤秀司|加藤英司]]がトレードで加入。 ;[[1984年の近鉄バファローズ|1984年]] このシーズンでは、藤井寺球場のナイター設備が完成し、4月6日にナイター開きが行われた。[[5月5日]]には鈴木啓示が通算300勝を達成するが、新外国人選手だった[[ドン・マネー]]が待遇面をめぐって4月末に退団するなどもあり、4位となるが、3位の対西武戦を9勝17敗と大きく負け越している。 ;[[1985年の近鉄バファローズ|1985年]] [[7月10日]]に鈴木啓示が現役引退を表明、背番号1は球団唯一の永久欠番となる。本塁打はリーグ最多の212本だが、防御率はリーグワーストの5.10で、この年は4位の阪急と勝率1毛差の3位であったが、首位西武とは15ゲーム差をつけられ、二桁勝利投手もストッパーの[[石本貴昭]]だけであったが、この時期は1979年、1980年の優勝メンバーと、後の1989年優勝メンバーの世代交代の時期だったとされ、打者では[[大石大二郎]]、投手では石本の他に[[小野和義]]、[[吉井理人]]、[[佐々木修 (野球)|佐々木修]]、[[山崎慎太郎]]などの獲得や台頭が見られる{{Sfn|サヨナラ|2004|p=95}}。オフに有田、加藤英が巨人・[[淡口憲治]]らとトレード成立。 ;[[1986年の近鉄バファローズ|1986年]] 後半戦は西武との熾烈な優勝争いとなり、互いにマジックが点灯と消滅を繰り返す展開となる。9月終了時で西武と1ゲーム差の2位だが、残り試合の関係でマジック10が点灯していた。[[10月5日]]のロッテ戦で9回裏に2点差を追い付き、引き分けで同率首位に並ぶと、翌日はロッテに勝って単独首位に立つ。両チーム残り3試合の時点でマジック3としたが、[[10月8日]]から阪急に3連敗。ロッテにホームで連勝し逆転優勝を果たした西武と2.5ゲーム差の2位に終わる。記録の残る1952年以降としては初めて観客動員が100万人を突破している{{Sfn|宇佐美徹也|1993|p=1078}}。 ;[[1987年の近鉄バファローズ|1987年]] 移籍2年目の[[新井宏昌]]が首位打者、ルーキー[[阿波野秀幸]]が15勝を挙げ新人王を獲得する活躍をみせるもののチーム内の不協和音もあり{{Sfn|サヨナラ|2004|p=95}}5位のロッテとは1.5ゲーム差で、4球団には11勝以上したものの残る西武には5勝19敗3分と大きく負け越したこともあり{{Sfn|宇佐美徹也|1993|p=111}}、最下位となる。シーズン終了後、岡本伊三美が監督を辞任、コーチだった[[仰木彬]]が就任、[[権藤博]]が投手コーチ。 ==== 仰木監督時代 ==== ; [[1988年の近鉄バファローズ|1988年]]<ref>この節の出典は特記無い場合、{{Cite book|和書|title=毎日新聞縮刷版 1988年11月|year=1988|publishe=[[毎日新聞社]]|page=753 }}</ref> 終盤に前年までリーグ3連覇中の西武と熾烈な優勝争いを繰り広げることとなった。開幕から西武が独走、6月に入ると貯金20で2位近鉄は8ゲームをつけられ、[[6月7日|7日]]には主砲の[[リチャード・デービス (野球)|リチャード・デービス]]が大麻不法所持で逮捕され解雇というアクシデントに見舞われ、[[6月28日|同月28日]]に急遽[[中日ドラゴンズ]]から金銭トレードで[[ラルフ・ブライアント]]を獲得した。ブライアントはこの後、74試合の出場ながら34本塁打を記録するなど大活躍をした。9月に入っても西武が独走状態は続き、15日の時点では西武に6ゲーム差をつけられるが西武が一時後退して29日の時点では1.5ゲーム差、10月に入り5日にはゲーム差無しで一時近鉄が首位に立つなど、以降シーズン終了まで、首位の西武と近鉄がともに譲らずハイペースで勝ち続けるという展開となり、[[10月16日]]に西武が全日程を終了した時点では、近鉄は残り4試合のうち3勝すれば優勝だったが、17日の対阪急戦に敗れ、残り3戦を3勝が優勝の絶対条件となり、[[川崎球場]]へ移動しての18日の対ロッテ戦に勝利し、[[10月19日]]のロッテとのダブルヘッダーでは第1試合を9回に逆転勝利するが、第2試合延長10回時間切れで4対4の引き分け<ref group="注">当時は試合時間が4時間を越えると新しいイニングに入らないというルールがあった。</ref>に終わり、130試合目にして優勝を逃す結果となった(詳細は[[10.19]]を参照)<ref group="注">この日は後に近鉄と球団合併することになるオリエント・リース(現:[[オリックス (企業)|オリックス]])が阪急を買収することを発表した日でもあった。</ref>。この試合でも活躍の梨田、吹石が引退。 この年は[[昭和]]最後のペナントレースだったので、近鉄は当時のパ・リーグ全球団の中で日本ハムと共に「昭和時代に本拠地で1度も年間勝率1位によるリーグ優勝ができなかった球団」となった<ref group=注>日本ハムのリーグ優勝について。1981年は当時の本拠地・[[後楽園球場]]で[[1981年のパシフィック・リーグプレーオフ|プレーオフ]]優勝、[[1962年の野球#できごと|1962年]]は[[東映フライヤーズ]]時代に試合がなかったその日に、マジック対象チームだった[[南海ホークス]]が近鉄に敗れたことによる不戦勝である。</ref>。 ; [[1989年の近鉄バファローズ|1989年]] 開幕前は西武と近鉄が優勝争いになると見られたが、ペナントに入ると開幕戦で近鉄に大勝した[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブレーブス]]が開幕から8連勝と抜け出し、近鉄や西武は勝率5割前後と出遅れる。近鉄はエースの阿波野秀幸が開幕から6連勝や、いてまえ打線の復調もあり、7月から8月にかけて2度の4連勝などで8月に一時首位に立つが、9月に入ると連敗を重ねて9月25日の時点で3位に後退していた。近鉄に後がない状況で迎えた[[10月12日]]、対西武戦([[西武ドーム|西武球場]])ダブルヘッダーにおいて、ラルフ・ブライアントがこの日4打数連続本塁打<ref group="注">第1試合全打点をたたき出す3打席連続本塁打と、第2試合敬遠四球を挟んでの4打数連続</ref>が出て西武に連勝。近鉄がマジック2を点灯させる(詳細は[[10.19#1989年10月12日のダブルヘッダーと近鉄1年越しの優勝]]を参照)。[[10月14日]]、藤井寺球場での対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]戦に勝利し、129試合目で9年ぶり3度目の優勝達成となった<ref>この年のここまでの出典は{{Cite journal |和書 |journal = 週刊ベースボール |year = 2013 |publisher = ベースボール・マガジン社 |issue = 2013年10月7日号 |pages = 24 - 25 }}</ref>。これが近鉄にとって初の1シーズン制度上での初優勝となり、当時のパ・リーグ全球団が本拠地でリーグ優勝を果たした。初めての本拠地球場での[[1989年の日本シリーズ|日本シリーズ]]開催となったが<ref group="注">1979年、1980年はナイター設備が未整備で、大阪球場で開催している。</ref>、初戦から巨人に3連勝するものの、[[加藤哲郎 (野球)|加藤哲郎]]の「巨人はロッテより弱い」発言問題もあり<ref group="注">加藤のこの発言に対し、巨人の選手が怒って奮起し4連勝した、とされるもの。詳細は[[加藤哲郎 (野球)#「巨人はロッテより弱い」騒動|こちらを参照]]。</ref>その後4連敗を喫し、巨人に敗れる。栗橋、淡口、羽田が引退し、村田が移籍、権藤コーチが退団した。[[1989年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]]において、8球団競合<ref group="注">この時競合したのはダイエー、阪神、オリックス、大洋、ロッテ、日本ハム、ヤクルト</ref>による抽選の上、[[新日本製鐵堺硬式野球部|新日鉄堺]]の[[野茂英雄]]の交渉権を獲得し、入団している。 この年は[[平成]]最初のペナントレースだったので、近鉄は「平成最初のパ・リーグ優勝球団」となった。 ;[[1990年の近鉄バファローズ|1990年]] 野茂英雄が最多勝、防御率など主な先発投手タイトルを獲得する活躍で新人王&[[最優秀選手 (日本プロ野球)|MVP]]となり、[[沢村栄治賞|沢村賞]]も獲得。また同じく新人の[[石井浩郎]]も6月以降にレギュラーに定着し規定打席不足ながら打率.300、22本塁打と活躍。しかしチームは開幕2戦目から9連敗を喫し大きく出遅れ、阿波野の不振や小野の故障など野茂以外の投手陣が軒並み成績を落としたこともあり、西武との大差を縮められず3位に終わる。オフには[[中西太]]ヘッドコーチが退団した。 ;[[1991年の近鉄バファローズ|1991年]] 西武が開幕から抜け出すが、前半戦最後の西武との直接対決で勝って首位で折り返すものの、9月に西武との直接対決で3連敗し、逆転優勝される。この年の77勝は当時の球団最多勝利記録だった。野茂は2年連続最多勝、[[ジム・トレーバー|トレーバー]]は打点王獲得も退団した。ブライアントの故障、長期離脱も響いた。 ;[[1992年の近鉄バファローズ|1992年]] 前年とは逆に近鉄が序盤は首位を走るが、6月になると西武に逆転され、その後は西武の独走を許し2位に終わる。[[赤堀元之]]が最優秀救援とともに防御率1.80を記録し[[最優秀防御率 (日本プロ野球)|最優秀防御率]]を獲得したが、規定投球回数達成者としては球団唯一の防御率1点台投手となった<ref name="be2175" />。野茂は入団から3年連続最多勝、[[高村祐]]は新人王。シーズン終了後、仰木彬が監督辞任。後任には小玉明利以来26年ぶりとなる生え抜きの鈴木啓示が監督に就任する。 ==== 鈴木、佐々木監督時代 ==== ;[[1993年の近鉄バファローズ|1993年]] 監督の鈴木啓示と野茂英雄や吉井理人といった主力選手との確執が続いた。野茂は4年連続で最多勝を挙げるが四球や自責点もリーグ最多で安定感に欠き、野茂以外に10勝以上投手が出なかったものの、抑えの赤堀元之と、石井浩郎、ブライアントなどのいてまえ打線が好調で、開幕から好スタートの直後に連敗が続き、最下位に転落するも、最終的には首位の西武と7ゲーム差の4位に終わる{{Sfn|さらば|2004|p=94}}。 ;[[1994年の近鉄バファローズ|1994年]] 開幕の対西武戦で赤堀元之が[[伊東勤]]に開幕戦史上初の逆転サヨナラ満塁本塁打を浴びる波瀾のスタートとなり、序盤からチームは低迷。6月17日には首位西武に16ゲーム差の最下位に沈む。しかし、[[いてまえ打線]]の爆発により、夏場から調子を上げ、7月26日から8月10日にかけて球団新記録となる13連勝を記録し、一時は首位に立つなど、約1カ月半で32勝6敗、勝率.842の驚異的な成績を残す。しかし、野茂が離脱した8月以降は後退、最終的に首位西武と7.5ゲーム差の2位に終わる{{Sfn|さらば|2004|p=94}}。シーズン終了後、野茂が契約のこじれから退団、[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]の[[ロサンゼルス・ドジャース]]に移籍<ref group="注">詳しい経緯は「[[野茂英雄#近鉄退団の経緯|野茂英雄の近鉄退団]]」を参照。</ref>。[[金村義明]]が[[フリーエージェント (日本プロ野球)|FA]]権を行使し、中日に移籍。阿波野が[[香田勲男]]との交換トレードで巨人へ移籍。 ;[[1995年の近鉄バファローズ|1995年]] 開幕直前、吉井が[[西村龍次]]との1対1の交換トレードによりヤクルトに移籍。開幕から2年目の[[リー・スティーブンス]]が13試合で10本塁打と打ちまくるが、ブライアント、石井浩郎の故障離脱があり投手陣も高村が怪我で離脱、ストッパー赤堀が絶不調もあってチームは低迷。8月8日夜、鈴木は遠征先を訪ねてきた球団社長に「これ以上、あなたの顔に泥を塗れない」、3季目途中の解任通告、退任会見もせず、ひっそりグラウンドを去った<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/20230311-OYT1T50281/4/ 「草魂」300勝投手の栄光が生んだ監督としての挫折…1995年1月「あれから」<33>] 讀賣新聞、2023年3月13日</ref>。8年ぶりの最下位になる。シーズン終了後、佐々木恭介が監督に就任する。[[1995年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]]では高校生としては史上最多7球団が1位指名した[[PL学園中学校・高等学校|PL学園]]の[[福留孝介]]の交渉権を獲得するが、福留は入団拒否。ダイエーを自由契約となった[[山本和範]]が15年ぶりに復帰。 ;[[1996年の近鉄バファローズ|1996年]] テスト入団の山本が開幕から活躍しオールスターにも選ばれたが、投手陣の調子の波が激しく勝率5割付近を行き来する展開となる。翌年から本拠地が新たに[[大阪ドーム]]<ref group="注" name="oskdome" />に移転するため、Aクラス入りし、開幕カードを新本拠地で迎えたかったが、終盤戦Aクラス入りをかけた対西武2連戦に破れ、4位でシーズンを終える。オフ、大幅減俸提示を拒否した石井が巨人に移籍。 === 大阪ドーム時代 === 本拠地を[[大阪ドーム]]<ref group="注" name="oskdome">『'''大阪ドーム'''』は現在も正式名称。現在呼称されている『京セラドーム大阪』は'''大阪近鉄バファローズが消滅した後'''の2006年から大阪ドームの[[命名権|ネーミングライツ]]売却により使用されているもので、'''大阪近鉄バファローズとしては『京セラドーム大阪』は一度も使用していない。'''</ref>に移転するも、選手の年俸が高騰したことや、球場使用料が藤井寺球場(グループ会社の近鉄興業が保有)本拠地時代より大幅に上昇したこと、移転2年目である1998年以降は観客動員数が伸び悩んだこともあり、赤字額が年々膨れ上がった。また、大阪ドームも最寄り駅が近鉄の駅ではなかったため、近鉄沿線からは孤立した存在となり<ref group="注">近鉄の管轄駅で大阪ドームに最も近いのは[[大阪難波駅]](球団消滅時点の名称は「近鉄難波駅」)である。ただし、大阪ドームの最寄駅の一つには[[大阪市交通局]]([[大阪市営地下鉄]]、現在の[[大阪市高速電気軌道]](Osaka Metro))[[Osaka Metro中央線|中央線]]の[[九条駅 (大阪府)|九条駅]]があり、近鉄球団消滅前から近鉄東大阪線(現在の[[近鉄けいはんな線]])の列車が[[直通運転|相互直通運転]]で乗り入れている。近鉄球団消滅後の2009年3月20日には[[阪神なんば線]]の延伸開業に伴い[[ドーム前千代崎駅|ドーム前駅]]が新設され、[[近鉄難波線]]・[[近鉄奈良線|奈良線]]の列車も相互直通運転で同駅に乗り入れるようになった。</ref>、観客が近鉄を利用しなくなったため、その分の運賃収入も途絶えるといった影響も出た。 ==== 佐々木監督時代 ==== ;[[1997年の近鉄バファローズ|1997年]] 開幕カードの[[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]]での対オリックス2連戦がともに雨で中止となったため、[[4月8日]]の大阪ドーム<ref group="注" name="oskdome" />での対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦が開幕試合となり、大阪ドームでの初試合を4対2で勝利している<ref>{{Cite web|和書|date = 2012-04-08 |url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/pro_calendar/1204/kiji/K20120408003004460.html |title = 【4月8日】1997年(平9) 恵みの雨で本拠地開幕 京セラドーム大阪1号は鈴木貴久 |publisher = スポーツニッポン |accessdate = 2015-11-10 }}</ref>。借金が最大14になるなど、夏場までロッテと5位を争う状況だったが、8月24日の対ロッテ戦(大阪ドーム)でパ・リーグ史上初(プロ野球通算3度目)の10点差逆転勝利(延長12回)を機にチームは浮上。最終的には3位でシーズンを終える。この年の観客動員は186万6千人に達し、球団の年間最多観客動員記録となった{{Sfn|近畿日本鉄道|2010|pp=500 - 501}}。この年限りで大石大二郎が引退。 ;[[1998年の近鉄バファローズ|1998年]] 8月半ばまで日本ハムと優勝争いを繰り広げ、日本ハムの失速もあり一時0.5ゲーム差まで詰め寄るが、直後に連敗し、西武、ダイエーを含めた4チームの混戦となる。先発投手陣が安定せず1952年以来となる2桁勝利投手が出ず、[[ロブ・マットソン]]の9勝がチーム最高の勝ち星となった<ref group="注">2001年に[[前川勝彦]]が12勝するまで、近鉄は二桁勝利投手が出なかった。</ref><ref name="be2175" />。最終的には借金1の5位に終わる。 === 大阪近鉄バファローズ時代 === ;[[1999年の大阪近鉄バファローズ|1999年]] [[4月]]に地元企業との提携と地元密着を目指してチーム名を'''大阪近鉄バファローズ'''に改称し、[[9月]]に従来の近鉄野球株式会社に代わる新会社「株式会社大阪近鉄バファローズ」を設立。4月は首位で折り返すが、前年以上に先発投手陣が安定せず(2年連続して2桁勝利投手が皆無だった)、途中プロ野球新記録となる5試合連続2桁失点のワースト記録を樹立するなど、低迷して4年ぶりに最下位に終わる。シーズン終了後に佐々木恭介が監督を辞任、後任は近鉄最後の監督となる[[梨田昌孝]]。 ==== 梨田監督時代 ==== ;[[2000年の大阪近鉄バファローズ|2000年]] 就任した梨田に「選手層が薄いが、ケガ人さえいなければ」と言われた状況において、オープン戦で[[吉岡雄二]]が骨折こそ免れたものの手首に重傷のけが<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.buffaloes.co.jp/cheers/buf0009_2.html|title=苦境をバネに成長。吉岡雄二はこの夏みごと成長した。|publisher=大阪近鉄公式サイト(インターネットアーカイブ)|accessdate=2015-8-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20010622030704/http://www.buffaloes.co.jp/cheers/buf0009_2.html|archivedate=2001年6月22日}}</ref>、シーズンに入って[[礒部公一]]が顔面死球で、[[フィル・クラーク (内野手)|フィル・クラーク]]が手首骨折で次々に離脱する状況で{{Sfn|さらば|2004|p=31}}、[[中村紀洋]]が[[最多本塁打 (日本プロ野球)|本塁打王]]と[[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]の二冠を獲得するが、チームは33年ぶりの2年連続最下位に終わる。投手陣では3年連続二桁勝利投手は現れず、野手陣でも規定打席到達で3割を超えたのは[[武藤孝司]]だけであった。 ;[[2001年の大阪近鉄バファローズ|2001年]] 開幕戦の[[3月24日]]の対日本ハム戦は一時は1対6で5点差をつけられるものの、両軍合わせて8本塁打の打ちあいとなり最後は10対9で逆転勝利する。その後も4月に2試合連続サヨナラ勝ちを収めるなど、逆転勝利が多く(78勝のうち41勝が逆転勝ち)、[[7月17日]]の対ロッテ戦も9回5点差から8得点を挙げ逆転勝ち、前半戦終了時には、5位のロッテとは5ゲーム、最下位の日本ハム以外が勝率5割以上という状況ながら、10年ぶりに首位で折り返す。この年から[[ロサンゼルス・ドジャース]]と業務提携を結び、シーズン途中にドジャース元監督の[[トミー・ラソーダ]]の紹介で[[ショーン・バーグマン]]と[[ジェレミー・パウエル]]の2投手、[[ショーン・ギルバート]]内野手を獲得。この補強も功を奏した。終盤[[9月3日]]から5連敗し、[[9月5日]]の段階でもダイエーと同率首位、1厘差で西武が追い、5位まで6.5ゲーム差という混戦となるが、[[9月9日]]からの11試合を10勝1敗とした<ref>この年のここまでの記述の出典は{{Cite journal |和書 |journal = [[ベースボールマガジン]] |year = 2011 |publisher = ベースボール・マガジン社 |issue = 2011年11月号 |page = 102 }}</ref>。[[9月24日]]の対西武戦では[[タフィ・ローズ]]が当時の本塁打シーズン日本プロ野球タイ記録となる55号本塁打を達成し、試合も9回裏[[松坂大輔]]から中村紀洋のサヨナラ2ラン本塁打で勝利し、優勝マジックを1とした。[[9月26日]]、対オリックス戦(大阪ドーム<ref group="注" name="oskdome" />)で2対5とリードされた9回裏、無死満塁から代打[[北川博敏]]が日本プロ野球初となる『[[北川博敏の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打|代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打]]』で12年ぶり4度目のパ・リーグ優勝を決めている。同一監督での前年最下位からの優勝は1976年の巨人の[[長嶋茂雄]]に次いで2人目で、パ・リーグでは初。ロッテには20勝8敗と大きく勝ち越したが<ref group="注">ロッテ相手には翌年から球団消滅を迎える2004年まで負け越した。</ref>、防御率リーグ最下位(4.98)での優勝と2位チームへの2桁負け越し(ダイエーに9勝19敗)での優勝はともに史上初だった。[[2001年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]に自慢のいてまえ打線を封じ込まれ、1勝4敗で敗退。シーズン78勝は球団記録。オフに球団初(唯一)のFA移籍で[[加藤伸一]]を獲得。 [[21世紀]]最初のパ・リーグ優勝球団となったが、この年の優勝が近鉄としての最後のリーグ優勝となった。 ;[[2002年の大阪近鉄バファローズ|2002年]] 5月28日から6月15日にかけて8年ぶりの10連勝を記録し、首位西武に一時2ゲーム差に詰め寄る。しかし、その後は西武の独走を許すと、8月16日の直接対決で9点差を逆転負けし、西武に優勝マジック34が点灯<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/professional_bbd0708/kiji/K20100801Z00003080.html|website=[[スポーツニッポン]]|accessdate=2020-03-15|title=【8月16日】2002年(平14) 西武 球団史上最高の逆転劇でマジック点灯|publisher=|date=2010-08-01}}</ref>。最終的に優勝した西武から16.5ゲーム差の2位に終わる。この年限りで[[古久保健二]]が現役を引退した。古久保の引退により、[[日本生命球場|日生球場]]時代に在籍した選手が全員引退した。シーズン終了後に中村がFA宣言するが、メジャーリーグを含めて1カ月余りの交渉の末、近鉄と推定4年20億円プラス出来高払いの契約を結び、残留した。[[大塚晶文]]はメジャーリーグへの[[ポスティングシステム]]による移籍を希望するが、入札球団が現れず、中日に金銭トレードされる。打撃陣では中村とローズが本塁打を量産したものの、規定打席到達で3割を超えた選手が一人もいなかった。 ;[[2003年の大阪近鉄バファローズ|2003年]] [[1月]]に会社の商号を'''株式会社大阪バファローズ'''に変更。開幕5連勝と好調な滑り出しを見せ、首位ダイエーと1.5ゲーム差の2位で前半戦を終える。しかし、後半戦に入ると、大塚の移籍に伴う抑え投手の不在や4番中村の負傷・不振が響き、3位に後退、そのままシーズンを終える。シーズン終了後、長年主砲として活躍し、この年も本塁打王を獲得しているローズを年俸高騰から自由契約とする(巨人が獲得)。 ===== 2004年プロ野球再編問題 ===== {{Main|プロ野球再編問題 (2004年)}} ;[[2004年の大阪近鉄バファローズ|2004年]]<ref>この節の出典は特記無い場合、{{Cite journal |和書 |journal = ベースボールマガジン |year = 2005 |publisher = ベースボール・マガジン社 |issue = 2005年冬季号 |pages = 50, 129 - 136頁 }}</ref> この年が近鉄球団としての最後の年となった。 [[1月31日]]、[[命名権|ネーミングライツ]]の構想<ref group="注">球団運営は従来通り近鉄が担うものの、[[スポンサー]]を募り球団名を「●●(ネーミングライツ購入企業)バファローズ」とするもの。かつての[[埼玉西武ライオンズ|太平洋クラブライオンズ ⇒ クラウンライターライオンズ]](球団運営は[[福岡野球]])もこれに該当した。</ref>を表明するも、巨人が猛反対した<!--球団は某消費者金融会社にネーミングライツを売却することで話が纏まっていたとされるが、他球団に事前に周到な根回しを行わなかったうえに、当時は球界に絶大な影響を与えていた渡辺恒雄(当時は読売ジャイアンツオーナー)が消費者金融嫌いだったこともあり、それを知った渡辺が激しく反発した。-->ことで、他球団も多くがこれに追随し、結局失敗に終わる。[[6月13日]]、[[日本経済新聞]]が1面で「近畿日本鉄道がプロ野球球団『大阪近鉄バファローズ』を[[オリックス (企業)|オリックス]]に譲渡する方向で交渉を進めている」というスクープ記事を掲載したことで、世間が大騒ぎとなる。のち球団側もこれを認め、オリックス・ブルーウェーブと球団合併する方向で準備を進めていることを発表する。[[6月30日]]に[[LDH (持株会社) |ライブドア]]が球団を買収する動きを見せたものの、近鉄は買収には応じず(ライブドアの動きについては[[ライブドアベースボール#ライブドア、近鉄球団買収に関する動き|こちら]]も参照)<ref>{{Cite book |和書 |author = 朝日新聞スポーツ部 |title = スト決行 プロ野球が消えた2日間 |year = 2004 |publisher = [[朝日新聞社]] |page = 30 }}</ref>、[[8月10日]]に合併に関する基本合意書への調印が行われ、[[9月8日]]のオーナー会議でこの合併が正式に認められた。[[9月18日]]から[[9月19日|19日]]にかけて、この問題に反発するプロ野球選手会による日本プロ野球初となる[[プロ野球ストライキ|ストライキ]]が行われ、12球団全ての試合が中止となった<ref group="注">この中止の代替開催は行われなかった。</ref>。 オープン戦で[[吉岡雄二]]がアキレス腱断裂で離脱。ローズに代わる主砲と期待された[[ラリー・バーンズ]]が開幕3戦目で離脱、同じくストッパーとして期待された[[ヘクター・カラスコ]]も、4月に4連敗で防御率20.00となり登録抹消。4月7日に4位となって以降このシーズンはAクラスになることはなく、4月は最下位で終える。[[岩隈久志]]が開幕から球団記録となる12連勝もあり、一時は4位となるが、6月13日の球団合併発表の翌試合から4連敗するなど、5位となり、7月は4位で終わるものの、[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]で岩隈、中村が抜けた8月7日から7連敗で、以降は5位となる。梨田は合併発表時の時点では「借金4で手ごたえはあった」としているが、7月7日のオーナー会議の時点では選手は放心し、最後は立ち上がれなかったとも述べている{{Sfn|さらば|2004|p=31}}。[[9月24日]]、大阪ドーム<ref group="注" name="oskdome" />での最終戦となる対西武戦が行われ、この年ここまで出場のなかった吉岡が代打で出場、この試合が引退登板となった赤堀元之や加藤伸一などが登板した。試合は延長11回裏、1死二塁で[[星野おさむ]]の右翼線へのサヨナラ安打で3対2で勝利、これが球団公式戦最後の勝利となった{{Sfn|さらば|2004|pp=42 - 43}}。[[9月27日]]の[[神戸総合運動公園野球場|Yahoo! BBスタジアム]]の対オリックス戦が共に合併する球団同士の公式戦最終戦となったが、2対7で敗れた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_september/KFullNormal20070828158.html |title=【9月27日】2004年(平16) さらば近鉄 ラストゲームは合併するオリックス|work=[[スポーツニッポン]]|date=2007-09-27|accessdate=2012-09-12}} </ref>。チームは61勝70敗で4年ぶりのBクラスの5位で終え、消滅後の{{by|2007年}}から始まった[[クライマックスシリーズ]]を含む13球団で唯一同年以降の現行のプレーオフシーズンに参戦せずに消滅した。岩隈は15勝を挙げ、[[最多勝利|最多勝]]を獲得するなど計算できた投手陣に比べ、打撃陣はローズが抜けたことや吉岡などの故障もあり、前年より本塁打、得点が激減した。二軍は前期優勝で、[[9月30日]]、藤井寺球場で最後の二軍公式戦、ウエスタンリーグ優勝決定戦が行われたが、後期優勝の中日に敗れている。 [[11月8日]]、オリックスと[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]の間で[[選手分配ドラフト]]が行われ、近鉄の選手はオリックスと楽天に振り分けられることになった。[[大村直之]]がソフトバンクにFA移籍。中村紀洋が[[ポスティングシステム]]でロサンゼルス・ドジャースに移籍。 以上の合併への動きは選手会との労使交渉や球界再編問題にまで発展し、球団合併反対運動では選手も署名活動に参加するなど{{Sfn|さらば|2004|p=31}}、ファンを含む球界内外からの強い反発が起こるなど大きな波紋を呼んだ。そして、[[11月30日]]をもってプロ野球チームとしての大阪近鉄バファローズは55年の歴史に幕を降ろした<ref>『写真で見る日本プロ野球の歴史 パ・リーグ編―1950ー2014 プロ野球80周年企画 完全保存 (B・B MOOK 1087)』([[ベースボール・マガジン社]]:2004年)P107 - P112。ISBN 978-4583621647</ref>。 === 2005年以降 === {{by|2005年}}[[1月15日]]に御堂筋グランドビル7階に置いていた株式会社大阪バファローズ事務所を閉鎖。[[1月17日]]、同ビル15階に事務所移転し、中村紀洋のポスティング申請など、残務処理を引き続き行う。[[3月31日]]、この日をもって株式会社大阪バファローズは解散となる。[[6月20日]]付で清算結了となり、法人格が消滅した。なお、近鉄はこの後、球団合併後の暫定処置として2007年までオリックス球団の株式を20%保有し、ユニフォーム左袖部分に「近鉄」のロゴを入れたが、同年シーズン終了と同時に完全撤退した{{Sfn|近畿日本鉄道|2010|pp=500 - 501}}。ただ、球団経営から撤退後も、「近鉄沿線デー」と銘打って優待企画を実施するなどしているほか、オリックスが優勝時には[[近鉄百貨店]]で優勝セールを実施するなど、間接的に関わりは持ち続けている。 {{by|2013年}}から{{by|2019年}}<ref group="注">2016年は不開催。</ref>にかけてオリックスが[[OSAKAクラシック]]と銘打って、昭和時代に同じく大阪の球団であったソフトバンク(旧南海)との、復刻ユニフォームでの試合を行い、近鉄(大阪近鉄)各時代のユニフォームを使用した<ref group="注">なお、同じく2013年に行われたパ・リーグ全体の「レジェンド・シリーズ」(8/30-9/5)でのオリックスはブルーウェーブの1991年~2000年シーズンの復刻ユニフォームを使用した。http://special.pacificleague.jp/legend2013/</ref>。 {{by|2014年}}[[10月3日]]にDeNAに所属していた[[中村紀洋]]が戦力外通告を受け、その後現役を引退したことにより、藤井寺球場時代に在籍した選手が全員引退した<ref group="注">ただし、[[独立リーグ]]での現役選手を含めれば、[[信濃グランセローズ]]に所属していた大塚晶文と選手兼野手総合コーチとして[[新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ|新潟アルビレックスBC]]に所属していた[[高須洋介]]の引退に伴い、球団名に「大阪」がつく前の近鉄バファローズに所属した選手が全員引退した。</ref>。 {{by|2022年}}10月3日に明治神宮球場で行われた最終戦を最後にヤクルトに所属していた[[坂口智隆]]が現役を引退したことにより、大阪近鉄バファローズに所属した選手は1人もいなくなった<ref group="注">ただし、独立リーグでの現役選手を含めれば、選手兼任コーチとして[[香川オリーブガイナーズ]]に所属していた[[近藤一樹]]の引退に伴い、大阪近鉄バファローズに所属した選手が全員引退した。</ref>。しかし、それと引き換えに10月30日にオリックスが日本シリーズ第7戦でヤクルトを4勝2敗1分で下したことにより、前身球団こそ異なるものの、球団愛称「バファローズ」としては6度目の正直で悲願の日本一を達成した。この日本一で球団唯一の[[永久欠番]]の選手だった鈴木啓示は多くの祝電をもらったという<ref>{{Cite news|title=鈴木啓示氏が祝福 「バファローズ」初の日本一に浪速のド根性を見た|publisher=スポーツニッポン新聞社|newspaper=Sponichi Annex|date=2020-11-1|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/11/01/kiji/20221101s00001173116000c.html |accessdate=2023-12-09}}</ref>。バファローズの日本一達成により、2005年に誕生した楽天を含む日本プロ野球13球団全てが現在の球団愛称になって以降、特殊ルール込みで1度は日本一を達成した<ref group="注">特殊ルールを除いた場合、[[千葉ロッテマリーンズ]]のみ[[1950年の毎日オリオンズ|1950年]]の'''毎日オリオンズ'''時代にしか、年間勝率1位によるリーグ優勝をした上での日本一になっていない。</ref>。 == 球団愛称 == # 創設時の愛称・'''パールス'''(Pearls)は、近鉄沿線の[[伊勢志摩]]の特産品である[[真珠]]にちなんだものである<ref group="注">厳密に言えば、球団創設当時親会社の路線は[[宇治山田駅|宇治山田]]止まりで志摩方面まで延びておらず、同地域を走っていた私鉄線は[[鳥羽駅|鳥羽]]と[[賢島駅|賢島]]を結ぶ[[近鉄グループ|グループ]]企業の[[三重交通]]志摩線(現・[[近鉄志摩線]])だけであった。命名の理由は将来の[[近鉄特急#阪伊特急(大阪 - 伊勢志摩間)|近鉄阪伊]]・[[近鉄特急#名伊特急(名古屋 - 伊勢志摩間)|名伊特急]]の賢島への延伸計画を見越してのものとも捉えられるが、三重交通から鉄道部門を[[1964年]]に分社した三重電気鉄道が[[1965年]]に近鉄に合併されたことで志摩地区が名実ともに近鉄沿線となり、[[近鉄鳥羽線|鳥羽線]]の全線開通で志摩地区が他の近鉄線と接続し、各特急の賢島直通が実現した[[1970年]]には球団愛称が既に「'''バファローズ'''」に変わっていた。</ref>。<br>なお、日本野球機構に登録された球団名は『'''パールス'''』だが、社史など近鉄側が制作した書類や出版物では一貫して『'''パールズ'''』が用いられていたため<ref group="注">[[近鉄特急]]でも1970年から1976年頃まで「阪伊甲特急」と「名伊甲特急」に「パールズ」の愛称名が付けられていた。</ref>、球団名登録の際の手違いなどがあったと推定されている。また、当時の新聞・雑誌などのメディアでは双方が混用されていた。 # [[1958年]]オフに[[千葉茂 (野球)|千葉茂]]が監督に就任すると同時に、パールスに代わる新しい球団愛称を公募したところ、1番多かったのが現役時代「猛牛」と呼ばれた千葉にちなんだ'''バッファローズ'''だった。ところが当時の球団幹部が「『バッファローズ』では表記が長すぎる」と言ったため、2文字減らして'''バファロー'''(Buffalo)になった。千葉辞任後の[[1962年]]に「これからは監督だけが猛牛になるのではなく、チーム全員が猛牛にならなければならない」という意味を込めて複数形の'''バファローズ'''(Buffaloes)と変更された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.j-cast.com/2022/12/11452106.html?p=all |title=日本一オリックス悩ます「バッファローズ」誤読問題 間違い正す「バファローズ警察」出動も...球団の思いは |publisher=JCASTニュース |date=2022-12-11 |accessdate=2023-04-07 }}</ref>。 == 在籍選手 == {{Main|大阪近鉄バファローズの選手一覧}} == タイトル獲得選手 == === 総合 === ; 最優秀選手 * [[チャーリー・マニエル]](1979) * [[ラルフ・ブライアント]](1989) * [[野茂英雄]](1990) * [[タフィ・ローズ]](2001) : ; 最優秀新人 * [[徳久利明]](1961) * [[大石大二郎]](1982) * [[阿波野秀幸]](1987) * [[野茂英雄]](1990) * [[高村祐]](1992) === 打撃部門 === ;首位打者 * [[ジャック・ブルームフィールド|ジャック・ブルーム]](1962-1963) * [[永淵洋三]](1969) * [[佐々木恭介]](1978) * [[新井宏昌]](1987) : ;本塁打王 * [[クラレンス・ジョーンズ (野球)|クラレンス・ジョーンズ]](1974、1976) * チャーリー・マニエル(1979-1980) * ラルフ・ブライアント(1989、1993 - 1994) * [[タフィ・ローズ]](1999、2001、2003) * [[中村紀洋]](2000) : ;打点王 * チャーリー・マニエル(1980) * [[ジム・トレーバー]](1991) * ラルフ・ブライアント(1993) * [[石井浩郎]](1994) * [[タフィ・ローズ]](1999、2002) * [[中村紀洋]](2000-2001) : ;盗塁王 * [[鈴木武]](1954) * [[安井智規]](1968) * [[大石大二郎]](1983 - 1984、1987、1993) : ;最多安打 タイトル制定(1994年)以後の該当者無し。タイトル制定以前のリーグ最多安打打者は以下の通り。 * 土井正博(1964、1967) * 永淵洋三(1969) * 新井宏昌(1987) * ジム・トレーバー(1990) * 石井浩郎(1993) : ;最高出塁率 * ジャック・ブルーム(1963) * [[小川亨]](1975) * 佐々木恭介(1978) * [[栗橋茂]](1980) * [[中村紀洋]](2001) : ;最多勝利打点 ※ [[1981年]]制定、1989年から廃止 * [[リチャード・デービス (野球)|リチャード・デービス]](1985) === 投手部門 === ;最多勝利 * [[武智文雄|田中文雄]](1954) * [[久保征弘]](1962) * [[鈴木啓示]](1969、1977 - 1978) * [[阿波野秀幸]](1989) * [[野茂英雄]](1990 - 1993) * [[小池秀郎]](1997) * [[ジェレミー・パウエル]](2002) * [[岩隈久志]](2004) : ;最優秀防御率 * 久保征弘(1963) * 清俊彦(1972) * 鈴木啓示(1978) * [[山口哲治]](1979) * 野茂英雄(1990) * 赤堀元之(1992) : ;最多奪三振 タイトル制定(1989年)以後の該当者は以下の通り。 * 阿波野秀幸(1989) * 野茂英雄(1990 - 1993) * ジェレミー・パウエル(2002) タイトル制定以前の該当者は以下の通り。 * 鈴木啓示(1967 - 1972、1974、1978) * 阿波野秀幸(1987) : ;最優秀勝率 ※ [[2001年]]で廃止され、翌年からは最優秀投手となった。 * [[清俊彦]](1969) * [[佐々木宏一郎]](1970) * 鈴木啓示(1975) * [[石本貴昭]](1985) * [[野茂英雄]](1990) : ;最優秀投手 * ジェレミー・パウエル(2002) * 岩隈久志(2004) ;最優秀救援投手 ※1974年に最多セーブとして制定、[[1977年]]より[[セーブポイント]]で表彰する最優秀救援投手に変更。球団消滅後の[[2005年]]より最多セーブ投手に。 * 石本貴昭(1985 - 1986) * [[吉井理人]](1988) * [[赤堀元之]](1992 - 1994、1996 - 1997) * [[大塚晶則|大塚晶文]](1998) なお、表彰タイトルではなかったので参考だが[[1974年]]以降リーグ最多セーブ投手になったのは以下の選手。 * [[鈴木康二朗]](1984 - 1985) * 石本貴昭(1986) * 赤堀元之(1992-1994) * 大塚晶文(1998) : ;沢村賞 * 野茂英雄(1990) === ベストナイン === * [[小玉明利]]([[三塁手]]:1960、1962 - 1965) * ジャック・ブルーム([[二塁手]]:1962 - 1963) * [[高木喬]]([[一塁手]]:1965) * 土井正博([[外野手]]:1967 - 1968) * 鈴木啓示([[投手]]:1969、1975、1978) * 永淵洋三(外野手:1969) * クラレンス・ジョーンズ(一塁手:1974) * 佐々木恭介(外野手:1975、1978) * [[石渡茂]](遊撃手:1977、1979) * [[梨田昌孝]]([[捕手]]:1979 - 1981) * 栗橋茂(外野手:1979 - 1980、1982) * チャーリー・マニエル([[指名打者]]:1979 - 1980) * 大石大二郎(二塁手:1983 - 1984、1990) * リチャード・デービス(一塁手:1985) * 新井宏昌(外野手:1986 - 1987) * 阿波野秀幸(投手:1989) * [[山下和彦]](捕手:1989) * ラルフ・ブライアント(外野手:1989、指名打者:1993 - 1994) * 野茂英雄(投手:1990) * ジム・トレーバー(一塁手:1991) * 石井浩郎(一塁手:1993-1994) * [[中村紀洋]](三塁手:1996、1999 - 2002) * [[フィル・クラーク (内野手)|フィル・クラーク]](一塁手:1997 - 1998、指名打者:1999) * [[タフィ・ローズ]](外野手:1997、1999、2001 - 2003) * [[大村直之]](外野手:1998) * [[礒部公一]](外野手:2001) * ジェレミー・パウエル(投手:2002) * 岩隈久志(投手:2004) === ゴールデングラブ賞 === ※ [[1972年]] - [[1985年]]はダイヤモンドグラブ賞 * [[有田修三]](捕手:1975 - 1976) * 梨田昌孝(捕手:1979 - 1981、1983) * [[平野光泰]](外野手:1979 - 1980) * 小川亨(一塁手:1980) * [[羽田耕一]](三塁手:1980) * 大石大二郎(二塁手:1982 - 1984) * 新井宏昌(外野手:1987) * 阿波野秀幸(投手:1989) * ジム・トレーバー(一塁手:1991) * 大村直之(外野手:1998、2003) * 中村紀洋(三塁手:1999 - 2002、2004) === 正力松太郎賞 === * [[西本幸雄]](1979) == 選手記録 == ;完全試合 * 武智文雄 - [[1955年]][[6月19日]]、対[[大映ユニオンズ|大映スターズ]]第2試合([[大阪スタヂアム|大阪球場]]) * 佐々木宏一郎 - [[1970年]][[10月6日]]、対[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]](大阪) : ;ノーヒットノーラン * [[山下登]] - [[1954年]][[8月7日]]、対[[高橋ユニオンズ]]([[ナゴヤ球場|中日球場]]) * 鈴木啓示 - [[1968年]][[8月8日]]、対[[北海道日本ハムファイターズ|東映フライヤーズ]]([[日本生命球場|日生球場]]) * 鈴木啓示 - [[1971年]][[9月9日]]、対[[埼玉西武ライオンズ|西鉄ライオンズ]](日生) * [[神部年男]] - [[1975年]][[4月20日]]、対南海ホークス第2試合([[藤井寺球場]]) * [[ナルシソ・エルビラ]] - [[2000年]][[6月20日]]、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]([[大阪ドーム]]<ref group="注" name="oskdome" />) : ;サイクル安打 * 平野光泰 - [[1980年]][[7月17日]]、対[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]([[阪急西宮スタジアム|西宮球場]]) * 栗橋茂 - [[1985年]][[5月21日]]、対南海ホークス(大阪) * [[金村義明]] - [[1986年]]7月17日、対阪急ブレーブス(西宮) * 中村紀洋 - [[1994年]][[9月18日]]、対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]](藤井寺) : ;通算2000安打 * [[新井宏昌]] - [[1992年]]7月8日、対オリックス・ブルーウェーブ(藤井寺) : ;通算200勝 * [[鈴木啓示]] - [[1977年]][[4月26日]]、対[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]戦 === 通算最多記録 === 近鉄在籍時代に記録したもののみ(他球団在籍時での記録は数字に含まれない)<ref>{{Cite journal |和書 |journal = 週刊ベースボール |year = 2012 |publisher = ベースボール・マガジン社 |issue = 2012年5月28日号 |page = 27 }}</ref> * 試合出場 - 1908 [[小川亨]] ;投手 * 勝利投手 - 317 [[鈴木啓示]] * セーブ - 139 [[赤堀元之]] * 登板試合 - 703 鈴木啓示 * 奪三振 - 3061 鈴木啓示 ;打者 * 本塁打 - 307 [[中村紀洋]] * 打点 - 960 [[土井正博]] * 安打 - 1877 [[小玉明利]] * 盗塁 - 415 [[大石大二郎]] == その他のチーム記録 == [[File:Kintetsu Buffaloes Ranking.svg|320px|thumb|1950年から2004年までの順位のグラフ]] * 初試合 [[1950年]]3月12日・藤井寺球場(対毎日、2-6) * 初勝利 [[1950年]]3月13日・藤井寺球場(対南海、4-3) * リーグ優勝 4回 :(1979年 - 1980年、1989年、2001年) * 日本一 0回 * 前期優勝 1回 :(1979年) * 後期優勝 1回 :(1975年、1980年) * Aクラス 22回 :(1954年、1969年 - 1972年、1975年、1978年 - 1980年、1982年、1985年 - 1986年、1988年 - 1992年、1994年、1997年、2001年 - 2003年) * Bクラス 33回 :(1950年 - 1953年、1955年 - 1968年、1973年 - 1974年、1976年 - 1977年、1981年、1983年 - 1984年、1987年、1993年、1995年 - 1996年、1998年 - 2000年、2004年) * 最下位 19回 :(1950年 - 1953年、1958年 - 1962年、1964年 - 1967年、1973年、1981年、1987年、1995年、1999年 - 2000年) * 連続Aクラス入り最長記録 5年(1988年 - 1992年) * 連続Bクラス最長記録 14年(1955年 - 1968年) * シーズン最多勝利 78(2001年) * シーズン最少敗戦 45(1979年) * シーズン最高勝率 .622(1979年) * シーズン最少勝利 29(1958年) * シーズン最多敗戦 103(1961年)※プロ野球記録、2023年シーズン終了時点で唯一シーズン100敗を記録 * シーズン最低勝率 .238(1958年、当時は引き分けを0.5勝0.5敗で計算していたため、現在の勝率に換算すると.230) * シーズン最高打率 .290(1980年) * シーズン最多得点 791(1980年) * シーズン最多安打 1332(2001年) * シーズン最多二塁打 249(2002年) * シーズン最多三塁打 40(1953年、1954年) * シーズン最多本塁打 239(1980年)※当時日本新記録。現在はパ・リーグ記録 * シーズン最多四球 581(2001年)※日本記録) * シーズン最多四死球 644(2001年)※日本記録 * シーズン最多盗塁 223(1954年) * シーズン最多犠飛 52(1978年)※日本記録 * シーズン最高防御率 2.66(1954年) * シーズン最低防御率 5.10(1985年) * シーズン本塁打数200本以上3回(1980年、1985年、2001年)※日本記録 * 最大連勝 13([[1994年]]7月26日・対ロッテ - 8月10日・対ロッテ) * 最大連敗 13([[1952年]]5月25日・対毎日第1試合 - 6月15日・対西鉄第1試合) * 1試合最多得点 21(1980年6月30日・対ロッテ第1試合、2000年9月5日・対オリックス) * 1試合最多失点 25(1985年9月18日・対南海) * 1試合最多安打 26(2003年8月18日・対日本ハム) * 1試合最多二塁打 8(1963年6月19日・対東映、1963年10月3日・対阪急) * 1試合最多三塁打 3(1984年5月24日・対南海 他4度) * 1試合最多本塁打 8(2003年7月12日・対日本ハム) * 1試合最多犠打 7(1987年・対南海)※日本記録 * 1試合最多盗塁 9(1954年7月27日・対毎日) == 歴代監督 == '''太字'''は優勝達成監督 # 1950年 - 1952年 : [[藤田省三 (野球)|藤田省三]] <ref group="※">1952年は9月16日まで指揮、残り試合は芥田武夫が代行。</ref> # 1953年 - 1957年 : [[芥田武夫]] <ref group="※">1957年は6月20日まで指揮、残り試合は加藤春雄が代行。</ref> # 1958年 : [[加藤春雄|加藤久幸]] # 1959年 - 1961年 : [[千葉茂 (野球)|千葉茂]] <ref group="※">ここから近鉄バファロー</ref> <ref group="※">1959年は6月18日まで指揮、閉幕までは[[林義一]]が代行。</ref> # 1962年 - 1964年 : [[別当薫]] <ref group="※">ここから近鉄バファローズ</ref> # 1965年 - 1966年 : [[岩本義行]] # 1967年 : [[小玉明利]] # 1968年 - 1970年 : [[三原脩]] # 1971年 - 1973年 : [[岩本堯]] <ref group="※">1973年は9月26日まで指揮、残り試合は[[島田光二]]が代行。</ref> # 1974年 - 1981年 : '''[[西本幸雄]]''' # 1982年 - 1983年 : [[関口清治]] # 1984年 - 1987年 : [[岡本伊三美]] # 1988年 - 1992年 : '''[[仰木彬]]''' # 1993年 - 1995年 : [[鈴木啓示]] <ref group="※">1995年は8月8日まで指揮、残り試合は[[水谷実雄]]が代行。</ref> # 1996年 - 1999年 : [[佐々木恭介]] <ref group="※">ここから大阪近鉄バファローズ</ref> # 2000年 - 2004年 : '''[[梨田昌孝]]''' <ref group="※">2002年は8月16日のみ[[真弓明信]]が代行。</ref> {{Reflist|group="※"}} == 歴代オーナー == * 1950年 - 1989年 [[佐伯勇]]<ref>{{Cite book |和書 |title = 感動の軌跡 大阪近鉄バファローズ50周年記念誌 |editor = 大阪近鉄バファローズ |year = 2000 |publisher = 大阪近鉄バファローズ |pages = {{要ページ番号|date=2015年11月}} }}</ref> * 1989年 - 1998年 [[上山善紀]](1981年より1989年までオーナー代行) * 1998年 - 2002年 [[金森茂一郎]] * 2002年 - 2004年 [[田代和]] : 歴代監督名は「球団名変遷と年度別成績」の項目を参照。 == 歴代本拠地 == * 1950年 [[藤井寺球場]] * 1950年9月以後 - 1957年 [[大阪スタヂアム|大阪球場]] * 1958年 - 1983年 [[日本生命球場]] * 1984年 - 1996年 藤井寺球場 * 1997年 - 2004年 [[大阪ドーム]]<ref group="注" name="oskdome" /> なお、この他地方開催扱いとなるが、近鉄沿線への配慮から、以下のスタジアムも準本拠として公式戦を行った。 * 名古屋地区 [[ナゴヤ球場]]<ref group="注">開場から1975年までの名称は「中日スタヂアム」。</ref>( - 1996年)、[[長良川球場]](1991年 - 1996年)、[[ナゴヤドーム]](1997年 - 1999年)で3 - 10試合程度。オープン戦では本来本拠地とする中日とのビジターゲームもあった。 * 京都地区 [[京都市西京極総合運動公園野球場|西京極球場]](1965年 - 1973年:1968年は非開催)で5 - 10試合程度。これとは別に同様に準本拠地としていた阪急主催での対近鉄戦もあった。 * また、1989年と1990年は大阪球場で10試合前後の主催試合を行った。 ;本拠地についての備考 日生球場・大阪球場 * 日生球場は収容人員が[[日本野球機構]]主催による[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスター]]や日本シリーズを開催する時の最低下限である3万人よりも少なかったので、近鉄主管で行われる場合(1979年、1980年の[[プレーオフ制度 (日本プロ野球)|プレーオフ]]も)大阪球場を使った他、オールスターについては近鉄が主管となる順番となった回は[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]に開催権を譲渡していた。ただし、1975年のプレーオフは藤井寺で開催しており、仮に日本シリーズ出場が決まった場合も藤井寺を使う予定だった。なお、ナイトゲーム主催のために近鉄は日生球場にナイター設備(1958年)や観客席増設(1962年)の工事を負担している{{Sfn|近畿日本鉄道|2010|p=319}}。 藤井寺球場 * 形式上は藤井寺、大阪球場(1957年まで)→日生(1958年以後)のダブルフランチャイズだったが([[専用球場]]の届出もこの2カ所で登録された)、1983年までは日生をメインに日曜・祝日などのデーゲーム時に藤井寺を使用。1984年以後は藤井寺をメインに年10 - 20試合程度を日生で開催した。1997年にメインを大阪ドーム<ref group="注" name="oskdome" />に移した後も1999年までは藤井寺とのダブルフランチャイズで登録された。 * 球団創立(1950年)時点での藤井寺球場の所在地は「[[南河内郡]][[藤井寺町]]」であり、NPBでは唯一「市」ではなく「町」に本拠地を置いていたことがある球団であった<ref group="注">NPBの球団で本拠地が「市」ではなかったケースは、阪神タイガース(当時の名称は「大阪タイガース」)が1951年3月31日までは[[兵庫県]][[武庫郡]][[鳴尾村 (兵庫県)|鳴尾村]]に本拠地を構えていたというケースがある。</ref>。 == 永久欠番 == '''#1''' [[鈴木啓示]] : [[2004年]]当時は[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]唯一の永久欠番だったが、吸収合併先のオリックスでは当時1番をつけていた[[後藤光尊]]が引き続き着用を希望したため、引き継がれず消滅(オリックスも永久欠番の継承を検討して鈴木本人に確認したが、「自分の永久欠番はあくまで近鉄での記録によるもの」とし、後藤の継続着用を承諾した)。その後、2007・2008年は監督の[[テリー・コリンズ (野球)|テリー・コリンズ]]が着用し(後藤は24番に変更)、コリンズが退任した2009年から後藤が再び着用したが、楽天に移籍した2014年は空き番となり、2015年シーズンより、米国から帰国した[[中島裕之]]に割り当てられた。ユニフォーム復刻試合ではオリックスの通常の背番号で近鉄ユニフォームが作成されるため、2013・15年に着用された1999~2004年のユニフォームには、実際の近鉄時代にはなかった「背番号1」(2013年ホーム用で後藤、2015年ビジター用紺で中島)が登場した。 また、近鉄として最後の監督である[[梨田昌孝]]によって、以下のような言葉が残されている。 : ''「みんな胸を張ってプレーしろ。お前たちが付けている背番号は、すべて近鉄バファローズの永久欠番だ」''<ref>[https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2019/11/26/___split_208/index_3.php 消滅する近鉄のホーム最終戦。松坂と中村は抱き合い、選手は号泣した] - スポルティーバ(2019年11月26日)</ref> == 沢村栄治賞受賞者 == [[野茂英雄]]が[[パシフィック・リーグ]]初の[[沢村栄治賞]]受賞を達成。[[1990年]]に沢村賞を受賞した野茂より前の時代だと、[[鈴木啓示]]が[[三冠王|投手三冠王]]を達成するなど活躍をしたが、当時、パ・リーグは沢村賞の選考対象外だった為、鈴木は受賞出来なかった<ref name="名前なし-20231105130914">[https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/b0916054ddac843989a696eba0ca114a71dde34e 投手三冠で沢村賞を逃したのは1人だけ。千賀滉大は2人目になる!?]</ref>。 * [[野茂英雄]] :1回(1990年) == 三冠王(投手・打者) == === 投手三冠王 === 近鉄での[[三冠 (野球)|投手三冠王]]の達成者は2人<ref name="名前なし-20231105130914"/>。 * [[鈴木啓示]] :1回(1978年) * [[野茂英雄]] :1回(1990年) === 打者三冠王 === 達成者はいない<ref>{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/history/alltime/triplecrown.html |title=三冠王 <nowiki>|</nowiki> 各種記録達成者一覧 <nowiki>|</nowiki> 達成記録 |access-date=2022-10-05 |publisher=日本野球機構 |date=2022-10 |website=NPB.jp |archive-url=https://web.archive.org/web/20221005152919/https://npb.jp/history/alltime/triplecrown.html |archive-date=2022-10-05}}</ref>。 == 最優秀選手受賞者(複数回) == === 投手の複数回受賞者 === 複数回受賞の達成者はいない<ref name="名前なし_2-20231105130914">[https://www.nikkansports.com/baseball/professional/record/mvp/pf-mvp_cl.html 最優秀選手 - プロ野球 : 日刊スポーツ]</ref>。 === 打者の複数回受賞者 === 複数回受賞の達成者はいない<ref name="名前なし_2-20231105130914"/>。 == チームの特徴 == {{出典の明記|date=2013年1月|section=1}} * [[1990年代]]以前は[[外様]]監督が多く、[[仰木彬]]以前の生え抜き監督はプロ経験のない[[藤田省三 (野球)|藤田省三]]と[[芥田武夫]]を除くと、加藤久幸と[[小玉明利]]の2人しかいなかった。仰木以降は[[鈴木啓示]]・[[佐々木恭介]]・[[梨田昌孝]]と生え抜き監督が続いたが、球団消滅により梨田が近鉄最後の監督となった。監督は「基本的に若手中心で」(補強はしない)というのを毎年命じられていた。 * 打線は「いてまえ打線」([[関西弁|大阪弁]]。「やってしまえ」の意)と呼ばれ、特にリーグ優勝した2001年にはチーム防御率4.98とリーグ最下位ながらチーム打率.280、チーム本塁打数211と他チームを圧倒し優勝をさらった。この年は3番の[[タフィ・ローズ]]と4番の[[中村紀洋]]だけで101本、3番 - 7番では実に165本もの本塁打を叩き出し話題となった。ローズが本塁打王(55本)、中村が打点王(132打点)、主に5番に入ることが多かった[[礒部公一]]は得点圏打率1位(.417)の成績を残している。この年阪神監督の[[野村克也]]が自チームの貧打線に対し「(バックに)いてまえ打線があったら([[グレッグ・ハンセル]]は)20勝している」というコメントを残したのも有名。[[1980年]]には前述のようにシーズン239本塁打の日本記録を打ち出すなど、本塁打の魅力をどこよりも認識させた球団だった。''詳細は[[いてまえ打線]]を参照。'' * [[野茂英雄]]、[[吉井理人]]、[[大塚晶則]]、中村紀洋、[[岩隈久志]]など、多くのメジャーリーガーを輩出している。 * リーグ優勝する年は、必ずと言って良いほど助っ人外国人選手が本塁打を量産する傾向がある。実際に、球団設立から消滅までの55年でリーグ優勝は4回あるが、この間に[[チャーリー・マニエル]]([[1979年]]に37本、[[1980年]]に48本)、[[ラルフ・ブライアント]](1989年に49本)、ローズ([[2001年]]に55本)がそれぞれ、本塁打王を獲得している。 * [[1970年]]前後に[[日本生命球場|日生球場]]のナイター使用が[[日本プロフェッショナル野球組織|プロ野球機構]]で問題になり、近鉄沿線の[[三重県]]や[[愛知県]]へのフランチャイズ移転も検討されたが、愛知県は[[中日ドラゴンズ]]の保護地域であるため許可を得られず断念した(ただし名古屋での公式戦は地方開催扱いで[[1999年]]まで行われていた。これは近鉄の営業圏内であったことと、中京にパ球団を持たないリーグ事情も勘案されていた)。[[1973年]]に藤井寺球場のナイター工事が着手されたが、地元の反対で完成は11年後の[[1984年]]にずれこんだ。 * 日本一を経験していない球団では、最長の期間存続した。身売りの多いパ・リーグ球団としては、唯一親会社が変わらないまま歴史に幕を閉じた。 * [[2004年]]9月、[[北海道]]で行われた[[世界ラリー選手権]](WRC)、[[ラリージャパン]]に「チームバファローズ コットンファクトリー」として[[プジョー・206]]で参戦したが、リタイヤした。当時の監督の梨田がプジョーを愛車としていたことが縁だった。 * 最下位になったことが非常に多いチームであり、[[1950年]]の2リーグ分立以降では19回。[[2010年]]に[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]が最下位20回を更新するまでは消滅したチームも含めて両リーグワーストだった。 * シーズン90敗以上を5シーズンで記録している。[[2010年]]に横浜ベイスターズが6シーズンで90敗以上を更新するまでワースト記録だった。 * 選手(特に、外国人選手)の複数年契約は、原則、球団側に認められていなかった。このことが原因で、[[2003年]]シーズンオフにチームの主力であった[[タフィー・ローズ]]が交渉決裂し、[[読売ジャイアンツ]]へと移籍している。それ以前にも、近鉄初優勝の立役者であった[[チャーリー・マニエル]]の代理人が[[1980年]]シーズンオフに球団に対して法外な要求をしたため、契約交渉が決裂したこともあった<ref group="注">結局マニエルは、監督が放出を決めた[[広岡達朗]]から[[武上四郎]]に変わっていたこともあり、翌[[1981年]]にヤクルトに復帰したが、急速な衰えを見せたことから同年限りで現役を引退した。</ref><ref group="注">外国人選手の場合、基本的に代理人に交渉を一任する例が大半のため、法外な要求は代理人サイドによるものが多い。</ref><ref>『パリーグを生きた男 悲運の名将 西本幸雄』2005年、ぴあ、p.14~15</ref>。 * [[北海道日本ハムファイターズ]]が2004年に本拠地を[[東京ドーム]]から[[札幌ドーム]]に移転してからは日本ハム以外のパ・リーグ球団も東京ドームで主催試合を開催するケースが増えたが、近鉄は球団最終年となる2004年は日本ハムとの東京ドームでの試合はあったもののビジター開催だったため、21世紀以降に現存したパ・リーグ球団では唯一東京ドームでの主催試合が組まれなかった<ref group="注">一方でビジター扱いで前述したように2004年には対日本ハム戦を開催した他、対[[福岡ソフトバンクホークス|ダイエー]]との試合も開催された。また、東京ドーム開場を記念して1988年の開幕前に行われた「サッポロビール・プロ野球トーナメント大会」では、近鉄を含めた全球団がホーム用のユニフォームを着用していた他、[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]でパ・リーグ(東京ドームでは日本ハム)がホーム扱いで開催する試合や、[[日米野球]](1990年代や2000年代などの日米野球の日本代表は現在の[[侍ジャパン]]のような国際化した試合ではなく、各球団のユニフォームを着るオールスターゲームのような試合)でホーム扱いの試合ではホーム用のユニフォームを着る姿が見られた。</ref>。 * プロ野球に理解のないフロントの体質に関して不満を持つ選手も多かった。 **[[野茂英雄]]は先発日に藤井寺球場の駐車場に車を止めたところ、近鉄本社の人間が来るので車を動かすことを要求されたり、契約更改の席で「熾烈な優勝争いをして2位に終わるのが一番」(理由については野茂の項を参照)と言われたこともある。 **[[佐々木恭介]]は入団後初めてグランドに集まった際、フロントの訓示で「お前達'''野球クラブの選手'''は」と言われ、頭に血が上ったと述懐している。 **「[[ドン・マネー]]事件」での外国人選手に対する待遇のみならず、監督に[[三原脩]]が就任する以前、近鉄選手の移動は列車では当時の[[三等車]](後の[[普通車 (鉄道車両)|普通車]])のみ([[埼玉西武ライオンズ|西鉄ライオンズ]]などは[[二等車]]、後の[[グリーン車]]を既に利用していた)だったことからも、選手に対する待遇の悪さは伝統的なことであったといえる。 **[[金村義明]]も著書『在日魂』の中で1989年のパリーグ優勝旅行は[[ハワイ]]4泊6日の旅だったが、飛行機は往復とも[[エコノミークラス]](金村は球団側に「[[ビジネスクラス]]にして欲しい」と要望していたが、球団側が「ビジネスクラスは満員でチケットが取れない」と拒否)であったり、選手の子どもの飛行機代は選手の自腹だった。後年金村は西武でも優勝旅行を経験したが、近鉄と西武の優勝旅行は同じハワイでも雲泥の差だったとしている<ref>{{Cite book |和書 |author = 金村義明 |title = 在日魂 |year = 2000 |publisher = [[講談社]] |pages = {{要ページ番号|date=2015年11月}} |isbn = 4062103494 }}</ref>。 == ユニフォームの変遷 == {{出典の明記|date=2013年1月|section=1}} * [[1950年]] - [[1952年]] 球団創設期はホーム用が胸に「Pearls」が入ったもの、ビジター用は水色を基調としたユニフォームで胸に[[ゴシック体]]で「KINTETU」のロゴが入った(1952年限り)。ゴシック体の「KINTETU」は[[1957年]]まで使用される。帽子は「K」「P」など数種類が存在。 * [[1953年]] 左胸に「Pearls」と書かれた、サンフランシスコ・シールズを参考にしたユニフォームが登場。同時に縦縞となり、球団名がバファローとなった[[1959年]]まで使用。 * [[1954年]] - [[1958年]] 左胸に「P」1文字の、[[フィラデルフィア・フィリーズ]]を参考にしたデザイン。1958年には帽子のツバ、アンダーシャツ、ストッキングが赤くなる(途中から従来の物も使用)。1958年からビジター用ロゴが飾り文字に変更。 * 1959年 千葉監督就任と同時に球団名をバファローに変更。ホーム用は黒の帽子・アンダーシャツ・縦じま・袖ラインが採用され、赤い「Buffalo」の胸マークが入ったデザインに変更された。ビジター用は背番号の書体を変更。帽子の前面には、金糸で猛牛マークが入った。 * [[1960年]] - [[1961年]] 縦縞を廃止。チームカラーを黒と黄色に変更。ビジター用の左袖が近鉄の[[社章]]から猛牛マークに変更される。 * [[1962年]] - [[1965年]] 球団名がバファローズとなり、胸ロゴが「BUFFALOES」に変更。袖番号が付けられる。帽子マークは「K」と「B」を組み合わせたものに。1965年からラインを黒に変更し、番号が胸に移動。 * [[1966年]] - [[1973年]] [[ロサンゼルス・ドジャース]]を参考にしたユニフォームに変更。同時にロゴも筆記体の「Buffaloes」に変更。ストッキングは上部が濃紺に3本の白線、下部が赤色となる。 ** [[1968年]]より、[[三原脩]]監督就任時より、ホーム用の背番号、胸番号の角が取れ、丸型となる。 ** [[1969年]] - [[1971年]] ヘルメットが紺地に猛牛マークが入ったものになる。 ** [[1972年]]より、帽子のツバがオレンジ色となる。 ** [[1973年]]後期より、袖とズボンにラインが入るなどのマイナーチェンジが施される。 * [[1974年]] - [[1996年]] [[西本幸雄]]監督就任時より、ニット式のベルトレスユニフォームが登場。袖部分のラグランスリーブが赤となり、首と袖に白線が入り、丸首プルオーバースタイルとなる。左袖には、炎と猛牛を組み合わせたマークが入る。ユニフォームデザインは[[アトランタ・ブレーブス]]のものを参考にしている。 ** 帽子・ヘルメットは、紺色地に赤の「B」マーク(デザイン自体は1966年より使用しているものと同じで[[ボストン・レッドソックス]]と同じ書体)・ツバが赤。その後、ヘルメットのみ猛牛マーク(赤色のツノ・紺色の目を白縁でデザイン)に変更されたデザインが使われるようになる(採用時期不詳)。 ** [[1977年]]より 左袖のマークが猛牛マークになり、[[デサント]]社が開発した快適性、軽量化を図ったメッシュ素材の上着を、野球のユニフォームとしては世界で初めて採用する。 ** [[1978年]]より 背番号の上に選手名(英字表記)が入り、ベルトレスからインナーベルト式になる。 ** [[1978年]]後期より、帽子の地色が赤、前面が白、白部分のサイドに紺のラインが入り、紺色の「KINTETSU BUFFALOES」のロゴ(アーチ型)、猛牛マークが入る三色帽に変わる。三色帽は[[ワシントン・ナショナルズ|モントリオール・エクスポズ]]が採用していたものを参考にデザイン。 *** [[1979年]]、[[1980年]]、1989年の3度のリーグ優勝を果たしたゲンのいいユニフォームで、マイナーチェンジを繰り返しながら23年の長きに渡り使われた。 * [[1997年]] - [[2004年]] [[大阪ドーム]]<ref group="注" name="oskdome" />移転を機にフルモデルチェンジ。デザインは[[コシノヒロコ]]が手掛ける。同時に球団カラーを「バファローズホワイト」、「バファローズオレンジ」、「バファローズネイビー」、「バファローズレッド」の4色と設定。デザインはそれに基づかれた。 ** 帽子・アンダーシャツ・線は紺。 ** [[1999年]]より、球団名が'''大阪近鉄バファローズ'''となり、ビジター用が「Kintetsu」から「Osaka」に変更。これが近鉄最後のユニフォームとなった。また左袖には50周年記念のバフィーワッペンが入る(翌年以降、元のバフィーワッペンに戻す)。 *** ビジター用上着のデザインは当初は赤のみだった{{Refnest|group="注"|これはデザインを担当したコシノが、事前にバファローズのイメージカラーを調査したところ、「赤」という意見が大半を占めたため<ref>ベースボールマガジン8月号 1997-2004 大阪近鉄バファローズ 永遠の猛牛魂 ベースボール・マガジン社.2021年.P49</ref>。}}{{Refnest|group="注"|コシノはデザインを手掛けるにあたり、照明等で色彩が大きく変わる為、赤のビジター用ユニフォームが苦労したとの事<ref>週刊ベースボール別冊 よみがえる1990年代のプロ野球 [Part.4] 1997年編 野村ヤクルト日本一 [[ベースボール・マガジン社]].2021年.P101</ref>。}}。しかし、いざユニフォームが完成してみると、当時の佐々木監督や選手たちから「[[東芝硬式野球部|東芝]]のユニフォームみたい」「プロが着るユニフォームじゃない」などと異論が続出し、選手たちがユニフォーム変更を拒絶しかける事態となり<ref group="注">これと前後して『[[週刊ベースボール]]』誌がコシノにインタビューした際、コシノが「'''あたしが作ったユニフォームなんだから誰が着たって似合うに決まってるわよ'''」と放言した記事が載り、これが異論の火に油を注ぐ格好となった。</ref>、事態の沈静化を図るため急遽紺が追加された。その後もファン感謝デーでこのユニフォームが初お披露目された際、ファンから「台湾プロ野球(のユニフォーム)だ」などと酷評され、優勝するまではこのユニフォームの評判は良くなかった。 *** ビジター用はユニフォームは[[金曜日]]から[[月曜日]]は紺、[[火曜日]]から[[木曜日]]では赤と使い分けられていたが、[[2000年]]以降は紺のみとなった(使い分けに関しては当初「ナイトゲームは赤、デーゲームは紺」とされたが、使用頻度の偏りを避けるために上記のようになった)。このため、結果的に、「Osaka」ロゴの赤は[[1999年]]のみの使用となった。 :後身の[[オリックス・バファローズ]]の[[2011年]]以降の旧ユニフォーム復刻イベントで以下の時代のものが再現された。 :* 1966~73年前期 :* 1974~96年 :* 1999~2004年 - 2013年(ホーム)、2015年(ビジター紺)、2019年(ビジター赤) :** いずれもビジター用の胸ロゴが「Osaka」に変更後のもの。1999~2004年モデルには、当時永久欠番とされた「背番号1」は本来存在しなかったが、2013年は[[後藤光尊]]がホーム用で、2015年は[[中島宏之|中島裕之]]がビジター用(紺色)で着用している。 == 球団旗の変遷 == {{出典の明記|date=2013年1月|section=1}} * 1949:「近鉄パールス」時代のもの。紺地にパール=真珠を模した白丸をちりばめる。左上には、真珠貝を模した白丸の上に「KP」の組文字。 * 1950 - 1958:KPマークを真珠貝ではなく、円が囲む形となった。 * 1959 - 1981:球団ニックネームがバファローとなり、岡本太郎デザインの猛牛マークが登場。水色地に赤で猛牛マーク、両目は紺。 * 1982 - 1996:ユニフォームのカラーリングにあわせて、球団旗の配色も赤・紺・白のトリコロールとなる。赤地に白の猛牛マーク(両目の色が白であるものと紺であるものの2種類存在した)、その下に紺地に白文字で「Buffaloes」。 * 1997 - 2004:本拠地の大阪ドーム<ref group="注" name="oskdome" />移転を機に、球団旗もリニューアル。紺と赤を波型で分け、中央に白の猛牛マーク、左上には赤文字で「Buffaloes」。 == シンボルマーク・マスコット == {{Infobox baseball player |選手名 = バフィリード |英語表記=Buffie-Lead |所属球団 = 大阪近鉄バファローズ |役職 = マスコット |背番号 = 100 |選手写真ファイル名 = バフィリード20130825.jpg |写真サイズ = 275 |写真のコメント = 2013年8月25日 大阪近鉄復刻試合にて |国籍 = {{JPN}} |出身地 = |生年月日 = |没年月日 = |身長 = |体重 = |利き腕 = |打席 = |守備位置 = [[マスコット]] |プロ入り年度 = 1997年 |ドラフト順位 = |初出場 = |最終出場 = |経歴 = *近鉄バファローズ<br>大阪近鉄バファローズ(1997 - 2004) }} {{出典の明記|date=2013年1月|section=1}} ;シンボルマーク * 千葉茂が監督に就任した[[1959年]]に、「バファロー」の新チーム名称に合わせて千葉の親友だった[[岡本太郎]]がデザイン。「猛牛マーク」の通称があったが、球団広報物では「ツノマーク」と表記していた。千葉の述懐に依ると銀座のバーで、デザイン料10万円で依頼したという。以降球団が解散する[[2004年]]まで、球団旗やユニフォームなどで使われ続けた。日本一に輝いた時に姿を公開することとなっていた「猛牛マーク」を横から見たような「サブマーク」が有ったが、公開されず球団と共に消えた。しかし、[[2008年]]頃にその幻のマークの原画が発見され、[[2010年]]に[[岡本太郎記念館]]で公開された。従来の猛牛マークが牛の顔のみであるのに対してこちらは牛の全身を横から捉えた図で岡本曰く「ふとっちょの猛牛が目をむいて突っ込んでる愉快なやつ」<ref>{{Cite news |title = 岡本太郎デザインの幻の猛牛マークを展示 南青山で |newspaper = 朝日新聞デジタル |date = 2010-01-21 |url = http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201001210396.html |accessdate = 2015-11-10 |publisher = [[朝日新聞社]] }}</ref>。[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]のシンボルマークやイメージカラーを積極的に用いた[[西武グループ]]とは異なり、グループの[[バス (交通機関)|バス]]や[[タクシー]]などに猛牛マークを入れる例は少なく、運送会社である[[近物レックス|近鉄物流(現:近物レックス)]]の車両や伝票に見られた程度であった。近鉄物流も球団解散の直前にグループを離れ、同社のトラックに猛牛マークは残っていたが、現在は'''KBR'''に変更されている。 ;バッファくん * [[1976年]]から大阪ドーム<ref group="注" name="oskdome" />移転前の[[1996年]]に用いられた<ref name="WB210816"/>、白川吉男デザインによるユニフォームを着た少年をモチーフとしたマスコットキャラクター。近鉄の野球帽・ユニフォームを着用しアシックスのスパイクを履き、バットとグラブを持ち片足を上げた少年のデザインとして<ref>[http://tannen.biz/news/archives/category/profile 「自叙伝」的なプロフィール] - たんねん工房</ref>、顔のみのデザインも含めた[[ペットマーク]]として登場。初期のデザインではバットを握った右手の指本数が1本足りなかったが、後に改作された。着ぐるみも作られ、ファン感謝デーなどでも登場していた。このマスコットに似ているということで、[[中村紀洋]]の愛称になったこともある。[[2011年]]8月に開催されたオリックス・バファローズの「LEGEND OF Bs2011〜蘇る黄金の70's〜」でスタメン発表時にバッファくんのイラストが使われた。なお、バッファくん登場前には鼻息をふかして突進する姿の猛牛のマスコットを使っており、[[1975年]]後期優勝の近鉄電車の記念乗車券券面には[[西本幸雄]]監督の顔と伴に印刷されている。 * 白川が勤務していたデザイン事務所が近鉄グループと取引関係があった縁から、当初は近鉄沿線の子供向けの少年野球の募集用ポスターのイラストとして依頼されて製作したのが、知らない間に球団のマスコットとして起用されたという。 * 合併後、権利を引き継いだオリックス球団でもユニフォーム復刻に合わせてグッズが発売されたが、別途白川も近鉄本社からグッズ製作の許諾を受けたため、デザインを一部修正した上でグッズを製作・販売している<ref>[https://www.kobe-np.co.jp/news/sanda/202110/0014769400.shtml 近鉄バファローズのマスコットが“復活” 生みの親がグッズ制作 意外な誕生秘話] - 神戸新聞NEXT([[神戸新聞社]])、2018年10月18日、5時30分配信。</ref>。 ;バフィリード * 大阪ドーム<ref group="注" name="oskdome" />への本拠地移転後、1997年シーズンより「[[トムとジェリー]]」「[[原始家族フリントストーン]]」などを手掛けた[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ハンナ・バーベラ・プロダクション]]がキャラクターデザインを担当した「バフィリード」を中心としたマスコットキャラクター群が登場している<ref name="97shb">'97近鉄バファローズサポーターズハンドブック - 近鉄バファローズ(1997年3月)</ref>。夢と冒険のファンタジーワールド「バファローバレイ」に住む愉快な仲間達として以下の4体が制定され中世ヨーロッパ調の私服デザインとバフィリードのみユニフォーム姿のデザインが設定されたが<ref name="97shb"/>、その後「カペロット」「バルバロック」は2000年シーズンをもって登場が打ち切られた<ref name="WB210816">消えてしまったマスコットたちPART2もういない彼らと彼女たちの思い出 - 週刊ベースボール2021年8月16日・23日合併号</ref>。 * キャラクター着ぐるみ作成及び担当は[[さんまのまんま|明石家まんま]]や[[おはよう朝日です|朝おき太]]等を手がけた株式会社リップ。 ** '''バフィリード(Buffie-Lead、バフィ)''' - 背番号100、主人公。打ってよし・走ってよし・守ってよしのスーパープレイヤーで明るくユーモラスで親しみやすい性格、また困難が起こるとリーダーシップを発揮する。名称は一般公募で決定<ref name="97shb">'97近鉄バファローズサポーターズハンドブック - 近鉄バファローズ(1997年3月)</ref>。 ** '''ファルルリーナ(Falulu-Rena、ファルル)''' - 背番号200、女の子のキャラクター。気取った感じはなく嫌味なく物事を言う性格<ref name="97shb"/>。[[2000年]]以降ユニフォーム姿(ワンピースにベルト)に変更。 ** '''バルバロック(BALBAROCK、バル)''' - 大柄な男性のキャラクター。力持ちでボスのような性格、騎士道精神に富んだ正義の男<ref name="97shb"/>。 ** '''カペロット(CAPELOT、カペロ)''' - 子どものキャラクター。お人好しでのんびり屋、愛嬌をふりまく人気者な性格<ref name="97shb"/>。 ** 球団合併により、各キャラクターも引退したが、バフィリードだけは[[オリックス (企業)|オリックス本社]]に商標権が譲渡され<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/TR/JP-1996-080031/8DDB915B92136E14811E12371D802FB5CAF903D8518DA8AED10B8110EB5769B0/40/ja 商標出願・登録情報 登録4165094 BUFFIE-LEAD バフィリード] - J-PlatPat</ref>、2013年に復刻イベントに初めて登場し、2019年にも同様に復刻イベントで登場した。他キャラに就いては近鉄本社が更新期限まで所有する状態となっている。 ** 合併球団「オリックス・バファローズ」発足後、2010年シーズンまで球団マスコットはオリックス球団のネッピー・リプシーが続投されたが、2011年1月ユニフォームとともにマスコットが一新され「牛のマスコット」が6年ぶりに復活。のちに公募で男の子が「'''バファローブル'''」(BuffaloBULL)、女の子が「'''バファローベル'''」(BuffaloBELL)と命名された。バフィリードとは2013年6月のユニフォーム復刻イベントで復活した際に共演を果たしている。背番号はネッピー・リプシーのものを引き継ぎ111・222。詳細は[[オリックス・バファローズ#マスコット|球団の項目]]を参照。 == 応援スタイル == {{出典の明記|date=2013年1月|section=1}} * 打者に対する基本的な応援コールは「かっとばせー、○○(選手名)!××(対戦相手チーム)倒せー、オー!」だった。このスタイルは1980年代までは近鉄のみならず大半のチームで採り入れられていたが、1990年代以降は年々少なくなっていき、遂には近鉄でしか使われなくなった。一方で、近鉄は球団解散時までこのスタイルを通した(ちなみに、現在この応援コールを使っているのは[[北海道日本ハムファイターズ]]と[[福岡ソフトバンクホークス]]で、[[読売ジャイアンツ]]主催試合のみである)。 * 応援歌を流す前のコールは98年の途中までが「〜〜○○(驚弾炸裂紀洋、鋭撃巧打礒部、俊敏華麗に武藤など)」×3を1回もしくは2回のあと「○○!(○○!)○○!(○○!)○○(○○!)」から選手別応援歌、98年の途中からは「〜〜○○」×3からすぐに応援歌の演奏に変更した。 * 球団解散時には『[[暴れん坊将軍]]』のオープニングテーマを原曲とするI([[1995年]] - )、タオルマフラーを持って踊るII([[2000年]] - )、2種類の歌詞があるIII(2001年 - )、ビハインドの場面で使われるIV([[2002年]] - )、ビッグイニングの時に使われるV([[2003年]] - )と5種類のチャンステーマが存在。III以降は「踊る牛」「笑う牛」(以上III)「紅の丑」(IV)「パニ牛」(V)とタイトルもついていた(代打のテーマにも「働く牛」というタイトルがついている)。 * 前述の『[[暴れん坊将軍]]』のテーマは[[ジェシー・リード]](1991年 - 1992年在籍)の応援歌としても歌われた。 * [[ラルフ・ブライアント]](1988年途中から1995年に在籍)の応援歌は『[[仮面ライダーV3]]』が原曲。 * チャンス時のテーマ、三三七に長らく『[[8時だョ!全員集合]]』のオープニングテーマを使っていた。ドームに移転してからこの曲は安打以外での出塁テーマとなり、安打の場合の三三七は[[ハロウィン (ドイツのバンド)|ハロウィン]]の「Guardians」を使った。 * [[ジェット風船]]はチームカラーの赤色に統一していた。 * [[藤井寺球場]]は住宅地と隣接していたため、鳴り物入りの応援が禁止されており、メガホンと声だけの応援スタイルを取った<ref group="注">1999年の最終戦で試合の終盤にトランペットを使用するなど、いくつかの例外もある。</ref>。 * [[1985年の日本シリーズ]](阪神対西武)では、[[阪神甲子園球場|甲子園球場]]での西武側の応援団が少ないだろうということで近鉄の応援団が協力を申し出て共に応援を行った。 == 主な球団歌・応援歌 == * [[近鉄バファローズの歌|大阪近鉄バファローズの歌]](旧題:近鉄バファローズの歌)(作詞:[[竹中郁]]、作曲:[[米山正夫]]、歌:クールボナール) * [[炎えろ!近鉄バファローズ]](作詞:[[西沢爽]]、作曲:城賀イサム) ** 上記2曲はCD「大阪近鉄バファローズオフィシャル球団歌・応援歌」では[[高橋元太郎]]が歌っている。「近鉄バファローズの歌」のクールボナールが歌うバージョンでは、[[キダ・タロー]]が編曲を担当している。 * [[ドリーム&パワー]](作詞・作曲:岡田誠司、歌:イエスマン・ブギー・バンド フィーチャリング JUN) * [[レッドdeハッスル]](作詞:キユサマ☆ワカルフ、作曲:[[パパダイスケ]]、歌:[[大西ユカリと新世界]]) == エピソード == ===三軍構想=== [[1967年]][[8月]]、近鉄は、これまでの1・2軍とは別に、若手育成の観点から将来3軍を結成することを念頭においた新人オーディション(入団テスト)を実施した。まず面接・書類審査に98人が応募。その中から24人に絞り、実技による2次審査を4日間にわたり藤井寺球場で実施。3軍のチーム化を念頭に、十数名程度の獲得を目指そうとした。 しかし、実際に実技テストを合格したのは4人のみで、3軍を結成するとした目標には遠く及ばず、その4名のうち3人は投手で野手は1名だけだった。しかも彼らは全員結果を出せず、2人は2年、もう1人は3年で引退。残り1名についても[[1972年]]に南海へ移籍したため、3軍制構想は失敗に終わった<ref>[http://stepbystep-36.jugem.jp/?eid=143 三軍にも歴史がある]ああだこうだと好き放題書くブログ。[[2015年]][[1月16日]]記事。</ref>。 === ミケンズルール === :{{Main|グレン・ミケンズ#ミケンズルール}} === 「巨人はロッテより弱い」 === :{{Main|加藤哲郎 (野球)#「巨人はロッテより弱い」騒動}} === ネーミングライツ問題 === [[2004年]]の[[キャンプ (日本プロ野球)|キャンプ]]入りを目前とした[[1月31日]]、近鉄球団は[[2005年]]以降に球団名称を第三者に販売する「[[命名権]]」ビジネスを実施することを明らかにした。基本[[スポンサー]]料金を年間36億円とし成績に応じてそれを増減させ、スポンサーはチーム名や[[ユニフォーム]]、[[野球場|球場]]への広告掲示などができるとした。市民に親しまれる球団にするためには球団本体だけに頼っては前進しないという考えを示した発案だったが、安易に球団名が変更されてしまうことに対し他球団オーナーなどプロ野球界から「野球協約に反するものであり認められない」などと反発が相次いだ。特に発言が球界の動向に大きな影響を与えるといわれた[[読売ジャイアンツ]]オーナー・[[渡邉恒雄]]が猛反対したこともあり、球団名変更に必要なオーナー会議の同意を得られる目処が立たず、[[2月5日]]に方針を白紙撤回することを発表した。 ネーミングライツ売却は戦前の大東京軍が[[ライオン (企業)|ライオン歯磨]]をスポンサーに迎えて誕生した[[松竹ロビンス|ライオン軍]](1937年秋季 - 1940年)、戦後パ・リーグ球団の高橋ユニオンズがトンボ鉛筆をスポンサーにした[[高橋ユニオンズ|トンボユニオンズ]](1955年)、[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]の前身である太平洋クラブライオンズ(1973年 - 1976年)・クラウンライターライオンズ(1977年 - 1978年)<ref group="注">[[中村長芳]]オーナー率いる[[福岡野球]]が経営母体。</ref>、[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]](1969年 - 1970年に[[大映]]が親会社で[[永田雅一]]がオーナー、中村長芳がオーナー代行だった。1971年大映からロッテに正式に譲渡)などの例がある。近鉄の場合、命名権の販売対象企業として名前が挙がっていたのが[[消費者金融]]の[[アコム]]だったため、青少年への影響面から認められなかった理由のひとつに挙げられていた<ref group="注">企業としてのアコムは、対青少年も含めた社会福祉活動や、文化・芸術支援活動、大学での金銭教育などの金融啓発活動にも積極的に取り組んでいた。</ref>。近鉄の命名権販売が認められなかったため、「近鉄の球団消滅はこの時点で避けられないものとなってしまった」という声がある。合併問題が深刻化する頃には、一部球界関係者も「今から思えば、ネーミングライツの承認が最良のソフトランディングだった」と語っていた。 === 過去の合併計画 === [[2004年]]にオリックスとの合併で消滅した近鉄だが、それ以前にも他球団との合併が画策されたことがある。[[1965年]]オフには当時のオーナー・[[佐伯勇]]が[[広島東洋カープ|広島カープ]]オーナー・[[松田恒次]]と秘密裏に会い、合併を持ちかけている。佐伯の腹案では、 # 近鉄と広島が合併 # 本拠地を[[広島県]][[広島市]]に置き、[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]所属とする # 球団事務所・フロントや首脳陣は両オーナー相談の上で決定し、新しい首脳陣が選手50人を人選 # 資本は[[近畿日本鉄道]]と広島球団の出資者([[マツダ|東洋工業]]と同社創業家の松田家関係者や球団役員などの個人株主他)<ref group="注">当時広島球団には、[[広島電鉄]]・[[中国新聞社]]など県内の主要企業も出資していたが、これらが合併球団への出資も行う方向だったかは不明。</ref>で半々 # 球団愛称は公募する と具体的な内容まで踏み込まれていたが、松田はかねてから純益金の分配制度改正([[1952年]]以降のフランチャイズ制度以降は試合開催で得た利益は全額ホームチームのものになっていたが、それを1リーグ時代のホーム7、ビジター3の割合での分配に戻すというもの)をセ・リーグ会長・[[鈴木龍二]]に申し入れていたこともあって、佐伯の提案を拒否した。 === 幻の移転計画 === {{出典の明記|section=1|date=2014年9月}} 本拠地の変遷は先述の通りであるが、他に下記のような移転計画があった。 * 1960年代には近鉄の路線網の東端である[[名古屋市|名古屋]]への移転を計画したが、[[愛知県]]を保護地域としている[[中日ドラゴンズ]]の反対で実現しなかった。[[ナゴヤ球場]]及び[[ナゴヤドーム]]では1990年代後半まで年数試合の主催試合を開催していたが、ナゴヤドーム移転後は観客動員が極端に落ち込んだため1999年限りで撤退した。 * 1970年代に[[西本幸雄]]が[[佐伯勇]]オーナーに、近鉄沿線の[[東大阪市花園ラグビー場|花園ラグビー場]]周辺を整備して野球場を建設し、本拠地を移転することを進言したところ、「(お金が)幾らかかると思っているんだ」と近鉄グループ単独による建設が困難であることを伝えられたという。その後、1980年代初頭の藤井寺ナイター問題時には、ラグビー場の所在地である[[東大阪市]]が受け入れと球場の建設費用出資に名乗りを上げたことが新聞報道されたが、藤井寺のナイター設備設置計画がまとまったことで立ち消えとなった。なお、この花園ラグビー場周辺はその後東大阪市営の[[花園中央公園]]として整備され、野球場「花園セントラルスタジアム」も建設された。2013年には[[オリックス・バファローズ (ファーム)|オリックス2軍]]が主管試合を開いている。 また、[[青木一三]]は著書で、佐伯オーナーが[[1979年]]頃に、[[愛媛県]]を本拠とする[[新来島どっく|来島どっく]]グループ総帥の[[坪内寿夫]]に球団売却の申し入れをおこなっていたと記している<ref>{{Cite book |和書 |author= 青木一三|authorlink=青木一三 |title = 『ダイエー/オリックス球団買収の真相 |year = 1989 |publisher = ブックマン社 |pages = 107-108 |isbn = 4893081055 }}</ref>。 == 放送 == 放映権に関しては、朝日放送(現:朝日放送テレビ及び朝日放送ラジオ)に優先権があるなど、[[阪神タイガース]]とほぼ同じである。 === テレビ放送 === * [[NHKプロ野球]]([[NHK大阪放送局]]) * [[S☆1 BASEBALL|THE BASEBALL 野球烈闘]]([[毎日放送|MBSテレビ]]) * [[スーパーベースボール (テレビ朝日系列)|スーパーベースボール]]([[朝日放送テレビ]]) * [[野球道 (フジテレビ系列)|熱チュー!プロ野球2004]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]]、関西ローカル時は『プロ野球中継2004』) * [[DRAMATIC BASEBALL|1球の緊張感 THE LIVE 2004]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]) * [[ナマ虎スタジアム|藤井寺バファローズアワー]]([[テレビ大阪]]) * '''[[KBS京都エキサイトナイター|近鉄エキサイトアワー]]'''([[京都放送|KBS京都]]) * [[スカイAスタジアム|サテライトスタジアム]]([[スカイA]]。自社制作・朝日放送テレビ制作・KBS京都制作が混在) === ラジオ放送 === * [[近鉄バファローズアワー]]([[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]) * [[近鉄バファローズナイター]]([[大阪放送|OBCラジオ]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{reflist|group="注"|2}} === 出典 === {{reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author= 宇佐美徹也|authorlink=宇佐美徹也 |title = プロ野球記録大鑑 |year = 1993 |publisher = [[講談社]] |isbn = 4062061082 |ref = harv }} * {{Cite book |和書 |title = さらば大阪近鉄バファローズ 熱い心の野球ありがとう |year = 2004 |publisher = [[ベースボール・マガジン社]] |series = 週刊ベースボール別冊 冬季号 |ref = {{SfnRef|さらば|2004}} }} * {{Cite book |和書 |title = サヨナラ近鉄バファローズ |year = 2004 |publisher = [[日刊スポーツ出版社]] |series = 日刊スポーツグラフ |isbn = 4817252413 |ref = {{SfnRef|サヨナラ|2004}} }} * {{Cite book |和書 |author = 宮本又郎(監修) |editor = 近畿日本鉄道秘書広報部(社史編纂チーム) |title = 近畿日本鉄道100年のあゆみ 1910 - 2010 |year = 2010 |publisher = [[近畿日本鉄道]] |ref = {{SfnRef|近畿日本鉄道|2010}} }} * {{Cite book |和書 |title = 近鉄バファローズ球団史 1950‐2004 |year = 2012 |publisher = ベースボール・マガジン社 |series = M.M.BOOK |isbn = 9784583618692 |ref = {{SfnRef|球団史|2012}} }} == 関連項目 == * [[プロ野球チーム一覧]] * [[大阪近鉄バファローズの主催試合の地方球場一覧]] * [[近鉄バファローズナイター]]([[大阪放送|ラジオ大阪]]) * [[近鉄バファローズアワー]]([[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]) * [[近鉄百貨店]] - パ・リーグ優勝時に全店で優勝記念セールを行っていた(日本一達成時も記念セールを行うはずだったが、出場した日本シリーズ全回で敗れたため「ご声援感謝セール」として実施)。 * [[OSAKAクラシック]] * [[大阪紅牛會]] * [[東北楽天ゴールデンイーグルス]] * [[花園近鉄ライナーズ]] - 近鉄が野球と共に力を入れているシンボルスポーツ部で、近鉄の沿線地域にある[[東大阪市花園ラグビー場]]を本拠地に使用する[[JAPAN RUGBY LEAGUE ONE]]加盟の[[ラグビーユニオン|ラグビー]]チーム。発足の当初は「'''バファローズ'''」を名乗っていて、2003年度の[[ジャパンラグビートップリーグ]]加盟を機に「ライナーズ」へ改称。 * [[花園中央公園]] - 東大阪市花園ラグビー場に隣接している公園で、近鉄の本拠地に使用する目的で野球場を整備する計画があった。 * [[クラブオックス川崎AFC]] - 前身の名称が「'''近鉄バッファローズ'''」であった([[近鉄エクスプレス]]の[[アメリカンフットボール]]部)。ただし、野球の近鉄バファローズとの交流は特になかった。[[クラブオックス川崎AFC#沿革|沿革]]も参照。 * [[佐野正幸 (作家)|佐野正幸]] - パ・リーグファンの視点で、近鉄に関する著作を多々発表していたスポーツライター。西本幸雄とは阪急の監督時代から交流があって、西本が近鉄の監督へ転身したことを機に、1977年から1998年まで近鉄応援団の団長を務めていた。 * [[堀江貴文]] - 元[[ライブドア]]代表取締役。合併発表時、買収をはかる。 * [[三木谷浩史]] - [[楽天グループ]]代表取締役。堀江同様合併発表時、買収をはかる。 * [[06BULLS]] - 関西独立リーグ([[関西独立リーグ (初代)|初代]]および[[関西独立リーグ (2代目)|2代目]])に所属する球団。チーム名の「BULLS」(雄牛)は、創設者で初代監督の[[村上隆行]]が近鉄OBであったことに由来している(参考外部リンク:[http://www.h-osaka.com/06bulls/20111027.html 06BULLS村上隆行総監督単独ロングインタビュー] - 東大阪バーチャルシティ(2011年10月27日取材)) * [[横浜フリューゲルス]] - 1993年から1998年まで[[Jリーグ]]に加盟していたプロ[[サッカー]]クラブ。[[横浜マリノス]]への吸収合併を機に消滅したが、クラブの存続を願うサポーターなどが1999年に[[横浜FC]]を設立した。 <!--* [[バッファロー吾郎]](なんらかの関係があるとしても出典が必要かと--> * [[舞いあがれ!]] - [[2022年]]度下半期にNHKで放送された[[連続テレビ小説]]([[NHK大阪放送局|BK]]制作)。[[福原遥|ヒロイン]]の実家の隣でお好み焼き店を営む梅津勝(演:[[山口智充]])が近鉄バファローズのキャップとTシャツ(岡本太郎デザインのホームゲーム仕様)姿で店先に立つシーンや、近鉄バファローズが2004年限りで消滅することに触れた描写が含まれている。 * [[アトムの童]] - 2022年10月期にTBSテレビ系列「[[日曜劇場]]」枠で放送された連続ドラマ。登場人物である各務英次(演:[[塚地武雅]])が近鉄バファローズのキャップを被っている描写が多くある。 * [[バファローズ|バファローズ (曖昧さ回避)]] == 外部リンク == * [https://web.archive.org/web/20010302022154/http://www.buffaloes.co.jp/ 大阪近鉄バファローズ 公式ホームページ] {{日本プロ野球}} {{大阪近鉄バファローズ歴代オーナー}} {{各年の大阪近鉄バファローズ}} {{近鉄グループ}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=大阪バファローズ |1-1=かつて存在した大阪府の企業 |1-2=1999年設立の企業 |1-3=2005年廃止の企業 |redirect2=バフィリード |2-1=日本プロ野球のマスコットキャラクター |2-2=ハンナ・バーベラ・プロダクション |2-3=近畿地方のマスコット |2-4=哺乳類をモチーフにしたマスコット |2-5=水牛 |}} {{DEFAULTSORT:おおさかきんてつはふあろす}} [[Category:大阪近鉄バファローズ|*]] [[Category:かつて存在した大阪府の企業]] [[Category:現在活動していない日本のプロ野球チーム]] [[Category:近鉄グループの歴史]] [[Category:藤井寺市の歴史]] [[Category:大阪市中央区の歴史]] [[Category:大阪市西区の歴史]] [[Category:現在活動していない大阪府のスポーツチーム]] [[Category:1949年設立のスポーツチーム]] [[Category:2004年廃止のスポーツチーム]] [[Category:岡本太郎]] [[Category:戦後の大阪]]
2003-02-10T08:38:44Z
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ラマダーン
ラマダーンまたはラマダン(アラビア語: رمضان、フスハー発音:[ra.ma.dʕaːn]、ペルシア語: رمضان、ウルドゥー語: رمضان、発音:[ra.ma.zaːn]、トルコ語: Ramazan、インドネシア語: Ramadan)は「暑い月」の意味で、ヒジュラ暦(イスラム暦)での第9月を指す。この月の日の出から日没までの間、ムスリムの義務の一つ「断食(サウム)」として、飲食を絶つことが行われる。 「ラマダーン」を、断食のことと誤って捉える人も少なくないが、ラマダーンとは、あくまでもヒジュラ暦における月の名である。ただし、ラマダーンという言葉が断食を今日では意味することも増えてきている。 ヒジュラ暦で9月を意味するラマダーンに、コーランが預言者ムハンマドに啓示され、イスラム教徒にとって、ラマダンは「聖なる月」となった。 この月において、ムスリムは日の出から日没にかけて、一切の飲食を断つことにより、空腹や自己犠牲を経験し、飢えた人や平等への共感を育むことを重視する。また親族や友人らと共に苦しい体験を分かち合うことで、ムスリム同士の連帯感は強まり、多くの寄付(ザカート)や施し(イフタール)が行われる。 断食中は、飲食を断つだけではなく、喧嘩や悪口や闘争などの忌避されるべきことや、喫煙や性交渉などの欲も断つことにより、自身を清めてイスラム教の信仰心を強める。 ラマダーン明けの祭りは「イド・アル=フィトル」と呼ばれ、盛大なものである。 アラビア語における3文字の語根は「رمض」(R-M-Ḍ)で、「猛暑・灼熱」を意味する。 ペルシア語など、非アラビア語圏における発音に基づけば、ラマザーンないしラマザンとも書ける。ラマダーンのダの音ض(現代標準アラビア語音dʕ)はダードと呼ばれるが、これは他の言語において、近似の難しい音韻である。古典アラビア語の段階(少なくともシーバワイヒが記述・規範両面にまたがる文法を書いたころは)には、ザとダとラの混じったような咽頭化音であった(有声咽頭化側面破裂~破擦~摩擦音)。 そのため、ペルシア語、トルコ語、ウルドゥー語など西アジア、南アジア、中央アジアの諸言語のように、比較的古い時代に、アラビア語から借用した言語では、ダードをzの音で取り入れる例が多いため、「ラマザン」「ラマザーン」となる言語が多い。 インドネシア語など東南アジアの諸言語のように比較的新しい時代にアラビア語から借用した言語では、ダードをdの音で取り入れて「ラマダン」となる例が多い。スワヒリ語ではダードを摩擦子音dh(ð)で取り入れている語が多く、ラマダーンはramadhani(ラマザニ)と呼ばれている。ハウサ語では、dとlのそれぞれで取り入れた語形が共存する。それぞれ古典アラビア語や現代標準アラビア語の発音を各言語なりに借用した結果である。 ヒジュラ暦は、純粋な太陰暦で閏月による補正を行わないため、太陽暦のグレゴリオ暦では毎年11日ほど早まり、およそ33年で季節が一巡する。そのため「ムスリムは、同じ季節のラマダーンを人生で2度経験する」と言われる。 ラマダーン月の開始と終了はほとんどの国において宗教家らによる新月の観測によって行われるが、トルコなどでは計算に基づいた暦通りに決定される。目視によるラマダーン月突入方式においては、雲などで新月が確認できなかった場合は1日ずれる。夏に白夜になる北極圏や南極圏の極地地方にあっては、近隣国の日の出・日没時間に合わせるなどの調整も図られる。 ラマダーン中には、世界中のイスラム教徒が、同じ試練を共有することから、ラマダーンは、ある種の神聖さを持つ時期であるとみなされている。 ラマダーンの期間中は、رمضان كريم(Ramadan Kareem、ラマダーン・カリーム。「恵み多い月ラマダーンおめでとう」)という挨拶が使われる。 以下は、2014年までのラマダーン期間と、2015年以降のラマダーンの予定日である。グレゴリオ暦年、ヒジュラ暦年、グレゴリオ暦開始日、グレゴリオ暦最終日の順で示す。 断食といっても期間中完全に絶食するわけではなく、日没から日の出までの間(=夕方以降から翌未明まで)に、一日分の食事を摂る。この食事は普段よりも水分を多くした大麦粥であったり、ヤギのミルクを飲んだりする。 旅行者や重労働者、妊婦、産婦、病人、乳幼児、高齢者、精神的な問題を抱える人など、断食できない事情のある場合は免除され、その適用範囲にはある程度の柔軟性と幅を持つ。また、免除される者にも、後で断食をやり直す必要のある者(旅行者や妊婦、月経中の者など)と、必要の無い者(高齢者や乳幼児、回復する見込みの無い重病人など)の2つに分けられる。 すなわち、断食をするかどうかは、原則として宗教的モラルの問題である。旅行者は断食を免除されるというのを拡大解釈して、富豪の一部には、ラマダーンに旅行に出かけ、断食逃れと呼ばれるようなことをする者もいる(ただし、その場合別の日に断食をやり直さなければならない)。また、基本的に異教徒には適用されない。 断食は、ヒジュラの道中の苦難を追体験するために行われるものである。したがって、飲食物の摂取量を減らすことや、苦痛を得ること自体が目的ではない。あくまで宗教的な試練として課される。また、食べ物に対する有難みを感じさせるためとも言われている。 日没になれば、すぐに食事を摂り、日が昇るぎりぎりまで食事を摂っている事が良いとされ、日没後も念のために、しばらく飲食を控えたり、日が昇る遥か前から飲食を止めたりする事はふさわしくないと看做される。 苦しみを和らげるために、あらゆる方法を取ることは全く問題がない。例えば、仕事の無い日は、日中は礼拝をする時などを除いて、寝ていてもかまわない。日中の空腹を和らげるために、日の出前に多めに食事を取っても全く問題はなく、脱水症状にならないように日中に水を飲むなどの対策を採ることも全く禁じられていない。 また、一年を通して断食をすることは完全に禁止され、昼夜を通して断食することも禁じられている(ただし、預言者ムーサー(モーセ)やイーサー(イエス)は、例外的に昼夜を通して断食を行ったことがあるとされている)。慣例的に、ラマダーンの前日は、断食を行わないこととなっている。 断食の成立には、当人の意思が大きくかかわっている。例えば、断食をしているのを忘れうっかり飲食してしまっても、無効にはならない。一方、たとえ飲食を行っていなくても、断食をしているという意思が本人になければ、それは無効になるとされている。例えば、あまりの苦しさに断食をやめ、飲食物を探したが、日没まで見つからなかったとしても、それは断食を行ったことにはならない。 むしろラマダーン中は、日が落ちている間に食い溜めをするため(そのために日が出ていない時刻に人を起こす者が巡回していることさえある)、夜食が盛大になり、通常より食糧品の売れ行きが良くなったり、肥満になる人が多くなるといわれる。 断食期間中に禁止されている行為は、飲食・喫煙・性行為・投薬(ただし健康上支障をきたす者は、断食が免除されるので、認められる)、故意に物を吐く事などである。唾を飲み込む事や、うがい、歯磨き、入浴、昼寝などは許されている(イスラーム文化センター 断食ガイド他、参照)。 日没後も、イスラームで禁止されている物は言うに及ばないが、禁止か否か明確でないような物を食べることも避けるべきだとされている。なお、イスラーム過激派の中には、ラマダーン中、支配地域の電気を止めるなど、市民生活に重大な影響を与える措置を取る場合もある。 イスラム教徒が多数派となっている国家や地域において、非ムスリムには強要されないものの、外での飲食など自粛が求められる場合もある(ただし、ムスリムが断食によって得られる利益は、非ムスリムが断食を行っても一切無いとされている)。飲食店が営業を控えるなどの影響が出てくる。酒が入手できた地域でも、ラマダーン期間は入手が困難になることがよくある。 また、イスラム教を侮辱したととられかねない言動は、なおさら慎むことを要求される。ラマダーンでの断食を実行しないムスリムも最近は増えているものの、ムスリムと思われる人たちとの共同作業において、ラマダーンについての配慮が求められてくる。ラマダーン中に、ムスリムが多く居るイスラム国家に滞在するときは、注意が必要との指摘がある。 株式相場などでオイルマネーの影響を考えると、ラマダーン期間は、少し低調の方に動くとされている。また、イスラム勢力が関与する地域紛争においては、ラマダーン期間の戦闘行為が自粛される傾向にあったが、最近のアフガニスタンのタリバーン、シリアのISILなどは、ラマダーン期間にもかかわらず、積極的に攻勢に出ることもある。 断食が行えない高齢の者は、断食が免除されるため、イスラム教徒が多数派の国においては、当然高齢者よりも若年者のほうが積極的に断食を行うのが普通である。ところが、ムスリムが少数派の国家では、社会的制約の多い若年者よりも、退職して社会的制約が少ない高齢者のほうが、むしろ積極的に断食を行っている場合がある。つまり高齢者と若年者の立場が逆になっている。イスラム国家なら、もう断食が免除されるような超高齢者が、非イスラム国家では普通に断食を行っていることも珍しい事ではない。 厳格なイスラム法を採用しているサウジアラビアでは、ラマダーンの期間中、非ムスリムの外国人が公共の場で飲食や喫煙をした場合、国外追放すると発表している。 一方、無宗教の立場を取る中華人民共和国(社会主義国)においては、ラマダーンの断食は懲罰の対象である(懲罰である点に関しては証拠が不十分であるため、事実確認が必要である)。 2012年のロンドンオリンピックと2014 FIFAワールドカップがそれぞれ開催期間とラマダーンが、たまたま同じ期間に重なった(建前上、ラマダーンは長老の確認をもって始まるため事前に確定できないが、月の運行によって決まることから、ラマダーンがいつ頃になるかは事前に把握できる)。この二つの大会がラマダーンと重なることは当初からわかっており、イスラム圏の国は日程のスライドを要望したが、その要望は聞き入れられなかった。 また、2014 FIFAワールドカップでは、イスラム圏の国の選手が、ボトル状の容器に口をつけていた。 日本の大相撲では、エジプト生まれでイスラム世界の出身者では初の関取である大砂嵐が注目を集めた。ムスリムである大砂嵐は、本場所の開催期間とラマダーンの期間が重なった場合、日中の断食を励行していた。 2020年2月27日-3月1日にかけてマレーシアで行われたイスラム教の大規模集会で、2019新型コロナウイルスの感染が拡大。結果的に東南アジア各地にウイルスを拡散させる契機の一つとなった。ムヒディン・ヤシン首相は、ラマダーンを前にして「モスクに行くことなく、家族と一緒に家で礼拝を行ってほしい」と国民に呼びかけた。 アラブ首長国連邦では、「医療従事者や症状悪化の危険性がある感染者は断食しなくてもよい」との見解が示された。サウジアラビアでは、3月4日の時点で聖地巡礼を停止しており、ラマダーンの礼拝についてもモスクでなく自宅で行うよう求めた。
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"アラブ首長国連邦では、「医療従事者や症状悪化の危険性がある感染者は断食しなくてもよい」との見解が示された。サウジアラビアでは、3月4日の時点で聖地巡礼を停止しており、ラマダーンの礼拝についてもモスクでなく自宅で行うよう求めた。", "title": "感染症とラマダーン" } ]
ラマダーンまたはラマダンは「暑い月」の意味で、ヒジュラ暦(イスラム暦)での第9月を指す。この月の日の出から日没までの間、ムスリムの義務の一つ「断食(サウム)」として、飲食を絶つことが行われる。
{{出典の明記|date=2014年3月}} {{Islam-today}} {{islam}} [[File:هلال رمضان.jpg|thumb|right]] '''ラマダーン'''または'''ラマダン'''({{lang-ar|رمضان}}、[[フスハー]]発音:[ra.ma.dˤaːn]、{{lang-fa|رمضان}}、{{lang-ur|رمضان}}、発音:[ra.ma.zaːn]、{{lang-tr|Ramazan}}、{{lang-id|Ramadan}})は「暑い月」の意味<ref>{{Cite Kotobank |word=ラマダーン |encyclopedia=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 |accessdate=2022-02-10}}</ref>で、[[ヒジュラ暦]](イスラム暦)での第9月を指す<ref>{{Cite web|和書|url=https://toyokeizai.net/articles/-/270904|title=つらい「断食」にイスラム教徒が熱中する理由|publisher=東洋経済オンライン|date=2019-05-11|accessdate=2021-09-15}}</ref>。この月の[[日の出]]から[[日没]]までの間、[[ムスリム]]の義務の一つ「[[断食]](サウム)」として、飲食を絶つことが行われる。 == 概要 == 「ラマダーン」を、断食のことと誤って捉える人も少なくないが、ラマダーンとは、あくまでもヒジュラ暦における月の名である。ただし、ラマダーンという言葉が断食を今日では意味することも増えてきている。 ヒジュラ暦で9月を意味するラマダーンに、コーランが預言者[[ムハンマド]]に啓示され、イスラム教徒にとって、ラマダンは「聖なる月」となった。 この月において、ムスリムは[[日の出]]から[[日没]]にかけて、一切の飲食を断つことにより、空腹や自己犠牲を経験し、飢えた人や[[平等]]への共感を育むことを重視する。また親族や友人らと共に苦しい体験を分かち合うことで、ムスリム同士の連帯感は強まり、多くの寄付([[ザカート]])や施し(イフタール)が行われる<ref>{{Cite web|和書|date=2020-04-25 |url=https://globe.asahi.com/article/13320937 |title=コロナ禍で様変わりするラマダン 連帯感をどう高めるか |publisher=朝日新聞 GLOBE+ |accessdate=2020-05-22}}</ref>。 断食中は、飲食を断つだけではなく、喧嘩や悪口や闘争などの忌避されるべきことや、喫煙や性交渉などの欲も断つことにより、自身を清めて[[イスラム教]]の信仰心を強める。 ラマダーン明けの祭りは「[[イド・アル=フィトル]]」と呼ばれ、盛大なものである。 == 名称 == アラビア語における3文字の[[語根]]は「{{Ar|رمض}}」(R-M-Ḍ)で、「[[猛暑]]・灼熱」を意味する。 [[ペルシア語]]など、非アラビア語圏における発音に基づけば、'''ラマザーン'''ないし'''ラマザン'''とも書ける。ラマダーンのダの音{{ar|[[ض]]}}([[現代標準アラビア語]]音dˤ)はダードと呼ばれるが、これは他の言語において、近似の難しい[[音韻]]である。[[古典アラビア語]]の段階(少なくとも[[シーバワイヒ]]が記述・規範両面にまたがる文法を書いたころは)には、ザとダとラの混じったような[[咽頭化]]音であった(有声咽頭化[[側面音|側面]][[破裂音|破裂]]~[[破擦音|破擦]]~[[摩擦音]])。 そのため、ペルシア語、[[トルコ語]]、[[ウルドゥー語]]など西アジア、南アジア、中央アジアの諸言語のように、比較的古い時代に、アラビア語から借用した言語では、ダードをzの音で取り入れる例が多いため、「ラマザン」「ラマザーン」となる言語が多い。 [[インドネシア語]]など[[東南アジア]]の諸言語のように比較的新しい時代にアラビア語から借用した言語では、ダードをdの音で取り入れて「ラマダン」となる例が多い。[[スワヒリ語]]ではダードを摩擦子音dh([[ð]])で取り入れている語が多く、ラマダーンはramadhani(ラマザニ)と呼ばれている。ハウサ語では、dとlのそれぞれで取り入れた語形が共存する。それぞれ古典アラビア語や現代標準アラビア語の発音を各言語なりに借用した結果である。 == 期間 == ヒジュラ暦は、純粋な[[太陰暦]]で[[閏月]]による補正を行わないため、[[太陽暦]]の[[グレゴリオ暦]]では毎年11日ほど早まり、およそ33年で[[季節]]が一巡する。そのため「[[ムスリム]]は、同じ季節のラマダーンを人生で2度経験する」と言われる。 ラマダーン月の開始と終了はほとんどの国において宗教家らによる[[新月]]の観測によって行われるが、トルコなどでは計算に基づいた暦通りに決定される。目視によるラマダーン月突入方式においては、[[雲]]などで新月が確認できなかった場合は1日ずれる。夏に[[白夜]]になる[[北極圏]]や[[南極圏]]の極地地方にあっては、近隣国の日の出・日没時間に合わせるなどの調整も図られる。 ラマダーン中には、世界中のイスラム教徒が、同じ試練を共有することから、ラマダーンは、ある種の神聖さを持つ時期であるとみなされている。 ラマダーンの期間中は、{{ar|رمضان كريم}}(Ramadan Kareem、ラマダーン・カリーム。「恵み多い月ラマダーンおめでとう」)という挨拶が使われる。 === 西暦対照表 === 以下は、2014年までのラマダーン期間と、2015年以降のラマダーンの予定日である<ref>[[:en:Ramadan (calendar month)|Ramadan (calendar month) - Wikipedia]]</ref>。グレゴリオ暦年、ヒジュラ暦年、グレゴリオ暦開始日、グレゴリオ暦最終日の順で示す。 {|class="wikitable" style="text-align:center" ![[グレゴリオ暦]] |'''[[ヒジュラ暦]]''' | '''最初の日''' | '''最後の日''' |- !2005年 |1426年 |10月4日 |11月2日 |- !2006年 |1427年 |9月23日 |10月22日 |- !2007年 |1428年 |9月13日 |10月11日 |- !2008年 |1429年 |9月1日 |9月29日 |- !2009年 |1430年 |8月22日 |9月19日 |- !2010年 |1431年 |8月11日 |9月9日 |- !2011年 |1432年 |8月1日 |8月29日 |- !2012年 |1433年 |7月20日 |8月18日 |- !2013年 |1434年 |7月9日 |8月7日 |- !2014年 |1435年 |6月29日 |7月27日 |- !2015年 |1436年 |6月18日 |7月16日 |- !2016年 |1437年 |6月6日 |7月5日 |- !2017年 |1438年 |5月27日 |6月25日 |- !2018年 |1439年 |5月16日 |6月14日 |- !2019年 |1440年 |5月5日 |6月3日 |- !2020年 |1441年 |4月24日 |5月23日 |- !2021年 |1442年 |4月13日 |5月12日 |- !2022年 |1443年 |4月2日 |5月1日 |- !2023年 |'''1444年''' |'''3月22日''' |'''4月20日''' |} == 断食 == [[断食]]といっても期間中完全に絶食するわけではなく、[[日没]]から[[日の出]]までの間(=夕方以降から翌未明まで)に、一日分の食事を摂る。この食事は普段よりも[[水分]]を多くした[[大麦]][[粥]]であったり、[[ヤギ]]のミルクを飲んだりする。 旅行者や重労働者、[[妊婦]]、産婦、病人、[[乳幼児]]、高齢者、精神的な問題を抱える人など、断食できない事情のある場合は免除され、その適用範囲にはある程度の柔軟性と幅を持つ。また、免除される者にも、後で断食をやり直す必要のある者(旅行者や妊婦、[[月経]]中の者など)と、必要の無い者(高齢者や乳幼児、回復する見込みの無い重病人など)の2つに分けられる。 すなわち、断食をするかどうかは、原則として宗教的[[道徳|モラル]]の問題である。旅行者は断食を免除されるというのを拡大解釈して、[[富豪]]の一部には、ラマダーンに旅行に出かけ、断食逃れと呼ばれるようなことをする者もいる(ただし、その場合別の日に断食をやり直さなければならない)。また、基本的に異教徒には適用されない。 断食は、[[ヒジュラ]]の道中の苦難を追体験するために行われるものである。したがって、飲食物の摂取量を減らすことや、苦痛を得ること自体が目的ではない。あくまで宗教的な試練として課される。また、食べ物に対する有難みを感じさせるためとも言われている。 日没になれば、すぐに食事を摂り、日が昇るぎりぎりまで食事を摂っている事が良いとされ、日没後も念のために、しばらく飲食を控えたり、日が昇る遥か前から飲食を止めたりする事はふさわしくないと看做される。 苦しみを和らげるために、あらゆる方法を取ることは全く問題がない。例えば、仕事の無い日は、日中は[[礼拝]]をする時などを除いて、寝ていてもかまわない。日中の空腹を和らげるために、日の出前に多めに食事を取っても全く問題はなく、脱水症状にならないように日中に水を飲むなどの対策を採ることも全く禁じられていない。 また、一年を通して断食をすることは完全に禁止され、昼夜を通して断食することも禁じられている(ただし、[[預言者]]ムーサー([[モーセ]])やイーサー([[イエス・キリスト|イエス]])は、例外的に昼夜を通して断食を行ったことがあるとされている)。慣例的に、ラマダーンの前日は、断食を行わないこととなっている。 断食の成立には、当人の意思が大きくかかわっている。例えば、断食をしているのを忘れうっかり飲食してしまっても、無効にはならない。一方、たとえ飲食を行っていなくても、断食をしているという意思が本人になければ、それは無効になるとされている。例えば、あまりの苦しさに断食をやめ、飲食物を探したが、日没まで見つからなかったとしても、それは断食を行ったことにはならない。 むしろラマダーン中は、日が落ちている間に食い溜めをするため(そのために日が出ていない時刻に人を起こす者が巡回していることさえある)、[[夜食]]が盛大になり、通常より食糧品の売れ行きが良くなったり、[[肥満]]になる人が多くなるといわれる。 断食期間中に禁止されている行為は、飲食・[[喫煙]]・性行為・投薬(ただし健康上支障をきたす者は、断食が免除されるので、認められる)、故意に物を吐く事などである。唾を飲み込む事や、うがい、歯磨き、入浴、昼寝などは許されている(イスラーム文化センター 断食ガイド他、参照)。 日没後も、イスラームで禁止されている物は言うに及ばないが、禁止か否か明確でないような物を食べることも避けるべきだとされている。なお、[[イスラーム過激派]]の中には、ラマダーン中、支配地域の[[電気]]を止めるなど、市民生活に重大な影響を与える措置を取る場合もある<ref>{{Cite news |title= W杯より信仰? 「イスラム国」ラマダーン中は停電 |newspaper= [[東京新聞]] |date= 2014-6-18 |url= http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2014061802000240.html |accessdate= 2017-06-16 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20140621234321/http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2014061802000240.html |archivedate= 2014年6月21日 }} 現在は[[インターネットアーカイブ]]内に残存</ref>。 ==非イスラム教徒にとってのラマダーン== イスラム教徒が多数派となっている[[国家]]や地域において、非ムスリムには強要されないものの、外での飲食など自粛が求められる場合もある(ただし、ムスリムが断食によって得られる利益は、非ムスリムが断食を行っても一切無いとされている)。飲食店が営業を控えるなどの影響が出てくる。[[酒]]が入手できた地域でも、ラマダーン期間は入手が困難になることがよくある。 また、イスラム教を侮辱したととられかねない言動は、なおさら慎むことを要求される。ラマダーンでの断食を実行しないムスリムも最近は増えているものの、ムスリムと思われる人たちとの共同作業において、ラマダーンについての配慮が求められてくる。ラマダーン中に、ムスリムが多く居る[[イスラム国家]]に滞在するときは、注意が必要との指摘がある。 株式相場などで[[オイルマネー]]の影響を考えると、ラマダーン期間は、少し低調の方に動くとされている。また、イスラム勢力が関与する地域紛争においては、ラマダーン期間の戦闘行為が自粛される傾向にあったが、最近の[[アフガニスタン]]の[[ターリバーン|タリバーン]]、[[シリア]]の[[ISIL]]などは、ラマダーン期間にもかかわらず、積極的に攻勢に出ることもある。 断食が行えない高齢の者は、断食が免除されるため、イスラム教徒が多数派の国においては、当然高齢者よりも若年者のほうが積極的に断食を行うのが普通である。ところが、ムスリムが少数派の[[国家]]では、社会的制約の多い若年者よりも、退職して社会的制約が少ない高齢者のほうが、むしろ積極的に断食を行っている場合がある。つまり高齢者と若年者の立場が逆になっている。イスラム国家なら、もう断食が免除されるような超高齢者が、非イスラム国家では普通に断食を行っていることも珍しい事ではない。 厳格な[[シャリーア|イスラム法]]を採用している[[サウジアラビア]]では、ラマダーンの期間中、非ムスリムの外国人が公共の場で飲食や[[喫煙]]をした場合、[[国外退去|国外追放]]すると発表している<ref>{{Cite news |title= 断食月を軽視する外国人は国外追放、サウジ当局 |newspaper=[[フランス通信社]]|date= 2014-6-27 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3018984 |accessdate=2014-6-30 }}</ref>。 一方、無宗教の立場を取る[[中華人民共和国]]([[社会主義国]])においては、ラマダーンの断食は懲罰の対象である<ref>{{Cite news |title=ウイグル自治区でラマダンの断食を規制 中国当局 |newspaper=[[フランス通信社]]|date= 2014-7-2 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3019512 |accessdate=2014-7-4 }}</ref>(懲罰である点に関しては証拠が不十分であるため、事実確認が必要である)。 == ラマダーンとスポーツ == [[ロンドンオリンピック (2012年)|2012年のロンドンオリンピック]]と[[2014 FIFAワールドカップ]]がそれぞれ開催期間とラマダーンが、たまたま同じ期間に重なった(建前上、ラマダーンは長老の確認をもって始まるため事前に確定できないが、月の運行によって決まることから、ラマダーンがいつ頃になるかは事前に把握できる)。この二つの大会がラマダーンと重なることは当初からわかっており、イスラム圏の国は日程のスライドを要望したが、その要望は聞き入れられなかった。 また、[[2014 FIFAワールドカップ]]では、イスラム圏の国の選手が、ボトル状の容器に口をつけていた。 日本の[[大相撲]]では、[[エジプト]]生まれでイスラム世界の出身者では初の関取である[[大砂嵐金崇郎|大砂嵐]]が注目を集めた。[[ムスリム]]である大砂嵐は、本場所の開催期間とラマダーンの期間が重なった場合、日中の断食を励行していた。 <!-- == ラマダーンとAKB48 == 前述のとおりイスラム世界では、ヒジュラ暦の第10月(シャッワール)の頭は、断食が終わったことを祝う宗教行事(イド・アル=フィトル)を行う時期である。特に[[インドネシア]]ではこれを「レバラン」と呼んで、日本の[[お盆|盆休み]]とほぼ同様、政府の方針により1週間程を宗教祭日にしている。 日本のアイドルグループ・[[AKB48]]は[[2018年]]の「[[AKB48 53rdシングル 世界選抜総選挙|世界選抜総選挙]]」の被選挙権を海外姉妹グループの非日本人メンバーにも開放したが、インドネシアの姉妹グループである[[JKT48]]は「選挙の期間がラマダーンやレバランと重なり、メンバーが公正に立候補の判断をすることが難しい」として、最終的に参加を辞退することを決め、AKB48サイドに認めさせた<ref>{{Cite press release|title=「AKB48 53rdシングル 世界選抜総選挙」に関するJKT48メンバーの参加に関して|publisher=JKT48運営チーム|date=2018-03-27|url=https://jkt48.com/news/detail/id/892?lang=jp|accessdate=2018-03-28}}</ref>。 またJKT48は、通常の活動においても宗教上の配慮を行っており、ラマダーンと重なる時期は劇場公演を控え、代わりにチャリティーイベントなどを行っている<ref>{{Cite web|url=https://jkt48.com/calendar/list/y/2017/m/6/d/1?lang=jp|title=2017年6月のスケジュール|accessdate=2018-03-28|publisher=JKT48運営チーム}}</ref>。2012年にAKB48からJKT48に移籍した[[仲川遥香]]は2014年、現地の文化を己が身で理解するために、「異教徒」でありながら断食に参加した<ref>{{Cite news|title=JKT仲川遥香、ラマダン参加を告白「文化に触れ、メンバーとより仲良くなった」|newspaper=サンケイスポーツ|date=2014-10-15|url=http://www.sanspo.com/geino/news/20141015/akb14101517200004-n1.html|accessdate=2018-03-28|publisher=産業經済新聞社}}</ref>。現地では後に仲川が本気でインドネシアのことを理解しようとしたとして好意的に受け止められ、インドネシアでの人気獲得に繋がった。 --> == 感染症とラマダーン == [[2020年]][[2月27日]]-[[3月1日]]にかけてマレーシアで行われたイスラム教の大規模集会で、[[2019新型コロナウイルス]]の感染が拡大。結果的に東南アジア各地に[[ウイルス]]を拡散させる契機の一つとなった。[[ムヒディン・ヤシン]]首相は、ラマダーンを前にして「モスクに行くことなく、家族と一緒に家で礼拝を行ってほしい」と国民に呼びかけた<ref>{{Cite web|和書|date=2020-04-19 |url=https://www.sankei.com/article/20200419-PMUND5672VPFHKVKLJYWDHXMTM/ |title=イスラム教のラマダン 集団で食事・礼拝「3密」に厳戒 |publisher=産経新聞 |accessdate=2020-04-19}}</ref>。 アラブ首長国連邦では、「医療従事者や症状悪化の危険性がある感染者は断食しなくてもよい」との見解が示された<ref>{{Cite web|和書|date=2020-04-24 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3280091?cx_part=search |title=ラマダン、各地で始まる=コロナ感染拡大で様変わり |publisher=AFP|accessdate=2020-04-25}}</ref>。サウジアラビアでは、3月4日の時点で聖地巡礼を停止しており、ラマダーンの礼拝についてもモスクでなく自宅で行うよう求めた<ref>{{Cite web|和書|date=2020-04-24 |url=https://www.asahi.com/articles/ASN4R6TK8N4RUHBI00Z.html |title=ラマダンの様相一変 コロナか信仰か、悩むイスラム教徒 |publisher=2020-04-24朝日新聞 |accessdate=2020-04-25}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2020-03-05 |url=https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-saudi-pilgrimage-idJPKBN20S0FO |title=サウジ、国民の聖地巡礼も禁止に 新型ウイルス懸念で |publisher=ロイター |accessdate=2020-04-25}}</ref>。 ==脚注== {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|Ramadan}} * [[五行 (イスラム教)]] * [[ヒジュラ暦]] * [[イスラム教における斎戒]] * [[断食]] * [[シェイク・ムザファ・シュコア]] - マレーシア人の宇宙飛行士で、ムスリムとして史上初めて宇宙でラマダーンを過ごした。 * [[カターイフ]] - ラマダーンの時期に食される菓子。 * [[ギュルラッチ]] - ラマダーンの時期にトルコで食される菓子。 * [[:en:Laylat al-Qadr]](ライラトルカドル) * [[みいつ (クルアーン)]] * [[ラマダーン革命]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:らまたあん}} [[Category:イスラームの年中行事]] [[Category:断食]] [[Category:移動祝日]]
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ヒジュラ暦
ヒジュラ暦(ヒジュラれき、阿: التقويم الهجري at-taqwīm al-hijrīy、英: Hijri calendar)またはヒジュラ太陰暦(ヒジュラたいいんれき、阿: التقويم الهجري القمري at-taqwīm al-hijrīy al-qamrīy、英: Lunar Hijri calendar)は、主にイスラム教社会で使われている暦法である。イスラム暦(イスラムれき、阿: التقويم الإسلامي、英: Islamic calendar, Muslim calendar)とも呼ばれる。 太陰暦であって、閏月を設ける太陰太陽暦とは異なる。このため、季節または太陽暦とのズレを、毎年約11日ずつ、積み重ねていくこととなる。 紀年法はヒジュラ紀元(ヒジュラきげん)と呼ばれる。ヨーロッパでは、ラテン語: anno Hegiraeを略して、A.H.と表記する。 第2代正統代理人ウマル・イブン・ハッターブが、預言者ムハンマドがマッカからマディーナへ聖遷(ヒジュラ)したユリウス暦622年を「ヒジュラの年」と定めヒジュラ暦元年とする新たな暦を制定した。なお、ヒジュラがあったとされる正確な日付は同622年7月15日(ユリウス通日では1 948 439日)である。 以上の「制定」はクルアーンにおける規定に則ったものであり、それは次の通りである。 太陰暦は約29.5日である朔望月を基準としているため、月には「29日の小の月」と「30日の大の月」とが存在する(月の大小)。これらがおおむね交互に繰り返され、ちょうど12暦月分そろったところで1暦年ができる。そうしてできた1暦年は約354暦日であるから、毎年約11日ずつ、季節や太陽暦とズレていく。このように季節を反映しないので、農事暦や財務暦としては不向きで、ルーミー暦(ユリウス暦をベースにした暦)などによって補われることもあった。現代ではイスラーム圏でもグレゴリオ暦が併用されていることが多く、イラン、アフガニスタンなど、紀元をヒジュラ暦元年に置く太陽暦であるヒジュラ太陽暦(主にイラン暦と呼称される)を併用する地域もある。 グレゴリオ暦 (CE) とヒジュラ暦 (AH) の簡易換算式は以下の通りである。 グレゴリオ暦 (CE) → ヒジュラ暦 (AH) ヒジュラ暦 (AH) → グレゴリオ暦 (CE) グレゴリオ暦の2000年はヒジュラ暦では1421年に相当する。 サウジアラビアなどヒジュラ暦を公式の暦としている国では特許や著作権など法制度上の有効期限がグレゴリオ暦で数えた場合よりも短くなる。たとえば特許が15年間有効とした場合、グレゴリオ暦のそれよりも特許の有効期限が165日ほど短くなる。 なお、太陰太陽暦の多くが朔(さく;空の月が最も欠けた状態)を月の初めとするのに対し、ヒジュラ暦は三日月状の細い月が最初に見える日を月の初めとする。 上記のような複雑な計算を必要とするため、ヒジュラ歴のカレンダーを搭載した機械式時計は非常に少ない。スイスのパルミジャーニ・フルリエは、ヒジュラ歴の永久カレンダー搭載の腕時計を製作する希少なメーカーである。 以下に、月名とその意味、および祭礼を示す。カタカナ表記は、ここに挙げたものに限らず、さまざまな方式がある。アラビア語のラテン文字転写は DMG / ALA-LC の両方を示しておく。1つだけ記載のものは両者に共通。 月と季節の関係は、預言者ムハンマドが断ち切った。そこで行われたのが、閏調整を禁じることであり、純粋に天体の月に頼ること、そして信頼できる目撃者が夜空に新しい月を観測したときに月を始めることであった。 しかし、予測不可能な観測に基づいた暦が天文学には無益であるため、1つの理論モデルが考え出された。それは奇数の月を30日、偶数の月を29日とし、全部で354日とするものである。朔望月は実際は29日と半日よりも少し長いため、このモデルにおける1年は12の月期分に0.36708日分、つまり8時間48分36秒よりもちょっと少ない値分、足りない。それを補うために、年によっては最後の月を29日ではなく30日としている。この追加日は現時点、30年周期で11回、すなわち2, 5, 7, 10, 13, 16, 18, 21, 24, 26, 29年目に置かれている。追加日のお陰で不足分は0.0124日=17分51.36秒までに縮まっているが、イスラムの歴史を通じこれが統一的な習慣になったことはない。 t {\displaystyle t} を「(ヒジュラ暦元年からの)追加日(閏日)の累計回数」とし、 y t {\displaystyle y_{t}} を「追加日が挿入される年」(閏年)とすると、床関数と天井関数を用いることで、以下の数式が成り立つ(オンライン整数列大辞典の数列 A057347)。 y t = ⌊ 30 t − 4 11 ⌋ = ⌈ 30 t − 14 11 ⌉ {\displaystyle y_{t}=\left\lfloor {\frac {30t-4}{11}}\right\rfloor =\left\lceil {\frac {30t-14}{11}}\right\rceil } 実際、 t {\displaystyle t} を1から順に11まで増加させると、 y t {\displaystyle y_{t}} の値は上記と同じく、 2, 5, 7, 10, 13, 16, 18, 21, 24, 26, 29 となる。 一方、「ヒジュラ暦での年数」を基に「(ヒジュラ暦元年からの)追加日(閏日)の累計回数」を求めるには、前者を y {\displaystyle y} 、後者を t y {\displaystyle t_{y}} と置いた時、床関数と天井関数を用いた、 t y = ⌊ 11 y + 14 30 ⌋ = ⌈ 11 y − 15 30 ⌉ {\displaystyle t_{y}=\left\lfloor {\frac {11y+14}{30}}\right\rfloor =\left\lceil {\frac {11y-15}{30}}\right\rceil } という数式を使えばよい。 以下に、ヒジュラ暦と西暦(グレゴリオ暦)の対応表を示す。 ただし、次の2点に注意すること。 [キャッシュを破棄] [キャッシュを破棄] ヒジュラ暦での曜日名は専らアラビア語による。 古典アラビア語では、現代のものとは異なる、別の日付の数え方も存在した。それは以下の通りである。
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ヒジュラ暦またはヒジュラ太陰暦は、主にイスラム教社会で使われている暦法である。イスラム暦とも呼ばれる。 太陰暦であって、閏月を設ける太陰太陽暦とは異なる。このため、季節または太陽暦とのズレを、毎年約11日ずつ、積み重ねていくこととなる。 紀年法はヒジュラ紀元(ヒジュラきげん)と呼ばれる。ヨーロッパでは、ラテン語: anno Hegiraeを略して、A.H.と表記する。
{{Today/CE/SH/AH}} {{Islam}} '''ヒジュラ暦'''(ヒジュラれき、{{Lang-ar-short|التقويم الهجري}} ''at-taqwīm al-hijrīy''、{{Lang-en-short|Hijri calendar}})または'''ヒジュラ太陰暦'''(ヒジュラたいいんれき、{{Lang-ar-short|التقويم الهجري القمري}} ''at-taqwīm al-hijrīy al-qamrīy''、{{Lang-en-short|Lunar Hijri calendar}})は、主に[[イスラム教]]社会で使われている[[暦法]]である。'''イスラム暦'''(イスラムれき、{{Lang-ar-short|التقويم الإسلامي}}、{{Lang-en-short|Islamic calendar, Muslim calendar}})とも呼ばれる。 [[太陰暦]]{{Efn|[[月相|月の満ち欠け]]のみに基づく暦法。}}であって、[[閏月]]を設ける[[太陰太陽暦]]{{Efn|月の満ち欠けに基づきつつも、閏月によって季節とも合わせる暦法。}}とは異なる。このため、季節または[[太陽暦]]{{Efn|季節のみに基づく暦法。}}とのズレを、毎年{{Efn|name="毎年"|ここでの「毎年」は、「太陰暦たるヒジュラ暦」と「太陽暦(例えば世界的に使われている[[グレゴリオ暦]]など)」のどちらを基準とするのかを問わない。具体的には、「ヒジュラ暦上の特定の日付(月と日)を太陽暦上の日付に変換する場合に、ヒジュラ暦基準で1年経過するごとに、太陽暦の日付が約11日ずつ遅れていくように見えること」と、その逆としての「太陽暦上の日付をヒジュラ暦上の特定の日付に変換する場合に、太陽暦基準で1年経過するごとに、ヒジュラ暦の日付が約11日ずつ進んでいくように見えること」の両方を意味する。}}約11日ずつ、積み重ねていくこととなる。 [[紀年法]]は'''ヒジュラ紀元'''(ヒジュラきげん)と呼ばれる。ヨーロッパでは、{{Lang-la|anno Hegirae}}{{Efn|直訳すると「[[ヒジュラ|聖遷]]の年」である。}}を略して、'''A.H.'''と表記する。 == 概要 == 第2代[[正統カリフ|正統代理人]][[ウマル・イブン・ハッターブ]]が、[[預言者]][[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]が[[マッカ]]から[[マディーナ]]へ[[聖遷]](ヒジュラ)した[[ユリウス暦]][[622年]]を「ヒジュラの年」と定め'''ヒジュラ暦[[元年]]'''とする新たな暦を制定した。なお、ヒジュラがあったとされる正確な日付は同622年[[7月15日]]([[ユリウス通日]]では1 948 439日)である<ref>{{Cite book|和書|author = 渡邊敏夫|authorlink = 渡邊敏夫|title = 暦入門―暦のすべて|edition = 初版|date = 1994-04|publisher = 雄山閣出版|location = 東京都|isbn = 978-4639012191|page=76|ref = harv}}</ref>。 以上の「制定」は[[クルアーン]]における[[シャリーア|規定]]に則ったものであり、それは次の通りである。 # まず、[[クルアーン]](コーラン)の[[悔悟 (クルアーン)|第9章]]36節抜粋『本当に[[アッラーフ|アッラー]]の御許で、([[年#太陰暦と太陰太陽暦|1年]]の)月数は、12か月である。』<ref name="Surah_9_Ayat_34-92">{{Cite web|和書|url=http://www2.dokidoki.ne.jp/islam/quran/quran009-2.htm |title=第9章悔悟章 34-92 |accessdate=2021-08-18}}</ref>を以て、「平年の月数が12暦月である」ということが'''定められた'''。 # 次いで、同37節抜粋『本当に([[ヒジュラ暦#月名・イスラム教の祭礼|聖月]]を)延ばすことは、不信心を増長させ、それで不信者は誤って導かれている。ある年は(聖月を)普通の月とし、(他の年は)聖月とする。』{{R|Surah_9_Ayat_34-92}}を以て、「[[閏月]]の恣意的なタイミングでの挿入によって、聖月を早めたり遅らせたりすること」が'''禁じられた'''。すなわち、実質的に「閏年においても、月数を12暦月とすること」が'''定められた'''。 # 上記の2つの規定によって、その制定された暦法は、閏月を置いて季節ないし太陽暦と合わせる太陰太陽暦(日本の旧暦など)とは異なる、太陰暦(純粋太陰暦)となった。 太陰暦は約29.5日である[[朔望月]]を基準としているため、[[月 (暦)|月]]には「29日の小の月」と「30日の大の月」とが存在する([[月の大小]])。これらがおおむね交互に繰り返され、ちょうど12暦月分そろったところで1暦年ができる。そうしてできた1暦年は約354暦日であるから、毎年{{Efn|name="毎年"}}約11日ずつ、季節や太陽暦とズレていく。このように季節を反映しないので、[[農事暦]]や[[財務暦]]としては不向きで、[[ルーミー暦]](ユリウス暦をベースにした暦)などによって補われることもあった。現代では[[イスラーム圏]]でもグレゴリオ暦が併用されていることが多く、[[イラン]]、[[アフガニスタン]]など、紀元をヒジュラ暦元年に置く太陽暦である'''[[イラン暦|ヒジュラ太陽暦]]'''(主にイラン暦と呼称される)を併用する地域もある{{Efn|上記のようにクルアーンで純粋太陰暦の使用が決められているため、純粋太陰暦たるヒジュラ暦の使用は[[ムスリム|イスラム教徒]]にとって必須となる。しかしながら、1日5回の[[サラート|礼拝]]のタイミングは、地域によっては季節に左右され得るので、そのタイミングの推測には、季節を基準とする太陽暦も必要になると思われる。}}。 [[グレゴリオ暦]] (CE{{Efn|Common Era(共通紀元)の略。[[西暦#中立的な表現]]を参照。}}) とヒジュラ暦 (AH) の簡易換算式は以下の通りである<ref>ハワード・R・ターナー「図説科学で読むイスラム文化」</ref>。 グレゴリオ暦 (CE) → ヒジュラ暦 (AH) :<math>AH = \frac{33}{32}\times(CE - 622)</math> ヒジュラ暦 (AH) → グレゴリオ暦 (CE) :<math>CE = 622 + \frac{32}{33}\times AH</math> グレゴリオ暦の2000年はヒジュラ暦では1421年に相当する。 [[サウジアラビア]]などヒジュラ暦を公式の暦としている国では特許や著作権など法制度上の有効期限がグレゴリオ暦で数えた場合よりも短くなる。たとえば特許が15年間有効とした場合、グレゴリオ暦のそれよりも特許の有効期限が165日ほど短くなる。 なお、[[太陰太陽暦]]の多くが[[朔]](さく;空の月が最も欠けた状態)を月の初めとするのに対し、ヒジュラ暦は[[三日月]]状の細い[[月]]が最初に見える日を月の初めとする<ref>{{Cite web|和書|url=https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/A5A4A5B9A5E9A5E0CEF1.html |title=暦Wiki/イスラム暦 - 国立天文台暦計算室 |accessdate=2018年10月18日}}</ref>。 上記のような複雑な計算を必要とするため、ヒジュラ歴のカレンダーを搭載した[[機械式時計]]は非常に少ない。[[スイス]]の[[:fr:Parmigiani Fleurier|パルミジャーニ・フルリエ]]は、ヒジュラ歴の永久カレンダー搭載の腕時計を製作する希少なメーカーである<ref>[https://style.president.jp/watch/2020/0831_003657.php 不規則なヒジュラ暦を永久カレンダーで実現 ブランドトップの新作プレゼン【パルミジャーニ・フルリエ】]、プレジデントスタイル</ref><ref>[https://parmigiani.com/en/watches/tonda-calendrier-perpetuel-hegirien-platinum-slate/ TONDA HIJRI PERPETUAL CALENDAR PLATINUM], Parmigiani Fleurier</ref>。 == 月名・イスラーム教の祭礼 == 以下に、月名とその意味、および祭礼を示す。カタカナ表記は、ここに挙げたものに限らず、さまざまな方式がある。アラビア語のラテン文字転写は DMG / ALA-LC の両方を示しておく。1つだけ記載のものは両者に共通。 {| class="wikitable" |+ 月名と祭礼 |- ! rowspan="2" | ! colspan="3" | 月名 ! rowspan="2" | [[祭|祭礼]]<ref name=jetro_koyomi>{{Cite web|和書|url=https://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Region/Mid_e/koyomi.html |title=ヒジュラ(イスラーム)暦・西暦換算表 - ジェトロ・アジア経済研究所 |accessdate=2020-04-13}}</ref> ! rowspan="2" | 聖なる月か<ref name=daijiten>{{Cite book |和書 |author = 佐藤次高 |editor = 岡田芳朗 |year = 2014 |title = 暦の大事典 |page =160 |publisher = [[朝倉書店]] |isbn = 978-4-254-10237-6 }}</ref> |- ! カタカナ ! アラビア語 ! 意味{{R|daijiten}} |- ! 第1月 | [[ムハッラム]] | محرّم (''Muḥarram'') | 戦いを禁じられた月 | 10日<br />『[[アーシューラー]]<br /> ([[フサイン・イブン・アリー (イマーム)|フサイン]]殉教祭)』 | 該当 |- ! 第2月 | [[サファル]] |صفر (''Ṣafar'') | 略奪のために家をあける月 | | |- ! 第3月 | [[ラビーア・アル=アウワル]] (ラビーウル=アウワルなども) | ربيع الأول (''Rabīʿ al-Awwal'') | 春の第1月 | 12日<br />『[[預言者生誕祭|マウリド・アン=ナビー]]<br /> (ムハンマド生誕祭)』 | |- ! 第4月 | [[ラビーア・アッ=サーニー]] (ラビーウッ=サーニーなども) あるいは [[ラビーア・アル=アーヒル]](ラビーウル=アーヒルなども) |ربيع الثاني (''Rabīʿ aṯ-Ṯānī / Rabīʿ al-Thānī'') あるいは ربيع الآخر (''Rabīʿ al-Āḫir / Rabīʿ al-Ākhir'') | 春の第2月 | | |- ! 第5月 | [[ジュマーダー・アル=ウーラー]] (ジュマーダル=ウーラーなども) | جمادى الأولى (''Ǧumādā l-Ūlā'' / ''Jumādā al-Ūlā'') | 第1の大地がかたまる月 | | |- ! 第6月 | [[ジュマーダー・アッ=サーニヤ]](ジュマーダッ=サーニヤなども) あるいは [[ジュマーダー・アル=アーヒラ]](ジュマーダル=アーヒラなども) | جمادى الثانية (''Ǧumādā ṯ-Ṯāniya'' / ''Jumādā al-Thāniyah'') あるいは جمادى الآخر (''Ǧumādā l-Āḫira'' / ''Jumādā al-Ākhirah'') | 第2の大地がかたまる月 | | |- ! 第7月 | [[ラジャブ]] | رجب (''Raǧab'' / ''Rajab'') | 戦いを慎む月 | 27日から<br />『イスラー・ワ・ミーラージュ<br /> (預言者の天国昇天)』 | 該当 |- ! 第8月 | [[シャアバーン]] | شعبان (''Šaʿbān'' / ''Shaʿbān'') | 戦いをやめる月 | | |- ! 第9月 | [[ラマダーン]] | رمضان (''Ramaḍān'') | 暑さで大地がこげる月 | 『[[ラマダーン]](断食月)』 | |- ! 第10月 | [[シャウワール]] | شوّال (''Šawwāl'' /''Shawwāl'') | ラクダの世話をする月 | 1日から<br />『[[イド・アル=フィトル|イード・アル=フィトル]]』 | |- ! 第11月 | [[ズー・アル=カアダ]](ズル=カアダなども) | ذو القعدة (''Ḏū l-Qaʿda'' / ''Dhū al-Qaʿdah'') | 戦いをやめ、家に留まる月 | | 該当 |- ! 第12月 | [[ズー・アル=ヒッジャ]](ズル=ヒッジャなども) | ذو الحجّة (''Ḏū l-Ḥiǧǧa'' / ''Dhū al-Ḥijjah'') || rowspan="2" | 巡礼の月 | 9日<br />『ウクーフ<br /> (巡礼([[ハッジ]])の中心的行事)』<br /><br />10日から<br />『[[イード・アル=アドハー]]<br /> (犠牲祭)』 | 該当 |} {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" |+ 出典別の月名の一覧 |- ! ! 出典1<ref name=casio>{{Cite web|和書|url = https://keisan.casio.jp/exec/system/1299235060 |title = ヒジュラ暦から西暦変換 |accessdate = 2020-06-05 }}</ref> ! 出典2{{R|daijiten}} ! 出典3<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.fukuokamasjid.org/japanese/?page_id=227 |title = 7. イスラム暦について☆ |accessdate = 2019-1-15 }}</ref> ! 出典4<ref name=history>{{Cite |和書 |author = Leofranc Holford-Strevens |authorlink = Leofranc Holford-Strevens |translator = 正宗聡 |title = 暦と時間の歴史 |date = 2013 |pages = 141, 142 |publisher = [[丸善雄松堂|丸善出版株式会社]] |isbn = 978-4-621-08709-1 |ref = harv }}</ref> |- ! 第1月 | ムハッラム | ムハッラム | ムハッラム | ムハッラム |- ! 第2月 | サファル | サファル | サファル | サファル |- ! 第3月 | ラビーウ・アルアウワル | ラビー・アルアッワル | ラビーウル=アウワル | ラビー・アルアッワル |- ! 第4月 | ラビーウ・アッサーニー | ラビー・アルアーヒル | ラビーウッ=サーニー | ラビー・アッサーニー |- ! 第5月 | ジュマーダー・アルウーラー | ジュマーダー・アルウーラー | ジュマーダル=アウワル | ジュマーダ・アルアッワル |- ! 第6月 | ジュマーダー・アルアーヒラ | ジュマーダー・アルウフラー | ジュマーダッ=サーニー | ジュマーダ・アッサーニー |- ! 第7月 | ラジャブ | ラジャブ | ラジャブ | ラジャブ |- ! 第8月 | シャアバーン | シャーバーン | シャアバーン | シャーバーン |- ! 第9月 | ラマダーン | ラマダーン | ラマダーン | ラマダーン |- ! 第10月 | シャウワール | シャッワール | シヤウワール | シャッワール |- ! 第11月 | ズー・アルカアダ | ズー・アルカーダ | ズル=カイダ | ズー・アルカーダ |- ! 第12月 | ズー・アルヒッジャ | ズー・アルヒッジャ | ズル=ヒッジャ | ズー・アルヒッジャ |} == 1か月の長さと置閏 == 月と季節の関係は、預言者ムハンマドが断ち切った。そこで行われたのが、[[閏]]調整を禁じることであり、純粋に天体の月に頼ること、そして信頼できる目撃者が夜空に新しい[[月]]を観測したときに[[月 (暦)|月]]を始めることであった。 しかし、予測不可能な観測に基づいた暦が[[天文学]]には無益であるため、1つの理論モデルが考え出された。それは[[奇数]]の月を30日、[[偶数]]の月を29日とし、全部で354日とするものである。[[朔望月]]は実際は29日と半日よりも少し長いため、このモデルにおける1年は12の月期分に0.36708日分、つまり8時間48分36秒よりもちょっと少ない値分、足りない。それを補うために、年によっては最後の月を29日ではなく30日としている。この[[閏日|追加日]]は現時点、30年周期で11回、すなわち2, 5, 7, 10, 13, 16, 18, 21, 24, 26, 29年目に置かれている。追加日のお陰で不足分は0.0124日=17分51.36秒までに縮まっているが、[[イスラーム|イスラム]]の歴史を通じこれが統一的な習慣になったことはない{{R|history}}。 === 追加日の累計回数と閏年の関係 === <math>t</math> を「(ヒジュラ暦元年からの)追加日(閏日)の累計回数」とし、<math>y_t</math> を「追加日が挿入される年」([[閏年]])とすると、[[床関数と天井関数]]を用いることで、以下の数式が成り立つ({{OEIS|A057347}}){{Efn|name=floor&ceiling|右端の式は、「Graham, Knuth, & Patashnik, Ex. 3.12」により、そのすぐ左側にある式を変形したもの。}}。 {{Indent|<math>y_t = \left\lfloor\frac{30t-4}{11}\right\rfloor = \left\lceil\frac{30t-14}{11}\right\rceil</math>}} 実際、<math>t</math> を1から順に11まで増加させると、<math>y_t</math> の値は上記と同じく、 {{Indent|2, 5, 7, 10, 13, 16, 18, 21, 24, 26, 29}} となる。 一方、「ヒジュラ暦での年数」を基に「(ヒジュラ暦元年からの)追加日(閏日)の累計回数」を求めるには、前者を <math>y</math>{{Efn|その年の最終日が到来していない時は前年の年数で考える。}}、後者を <math>t_y</math> と置いた時、床関数と天井関数を用いた、 {{Indent|<math>t_y = \left\lfloor\frac{11y+14}{30}\right\rfloor = \left\lceil\frac{11y-15}{30}\right\rceil</math>}} という数式を使えばよい{{Efn|name=floor&ceiling}}{{Efn|便宜上、この注釈では、前述の <math>y_t</math> を <math>f(t)</math> に、<math>t_y</math> を <math>g(y)</math> に置き換える。また、任意の非負整数を <math>x</math> とする。この時、<math>g(x)</math> が <math>f(x)</math> の逆関数であるためには、<math>f(x+11) = f(x)+30</math>、<math>g(x+30) = g(x)+11</math> という周期性を考えれば <math>g(f(x+11)) = g(f(x))+11</math> が成り立つので、整数 <math>n</math> が1~10の時に <math>g(f(n)) = n</math> が成り立てばよい。<math>g(y)</math>(つまり、<math>t_y</math> )の式では、それが成り立つ。}}。 == 西暦対応表 == 以下に、ヒジュラ暦と西暦(グレゴリオ暦)の対応表を示す。 ただし、次の2点に注意すること。 # 表内の日付は'''[[協定世界時]]による'''ため、9時間の時差がある(日本時間は協定世界時に比べて9時間早い)。 # ヒジュラ暦において1日は、西暦のように[[真夜中|午前0時]]から始まるのではなく[[マグリブ|日没]]から始まる。したがって、表内の日付は正確なものではなく、'''概ねその前日の日没から始まる'''ものとして考える。地域や宗派などによっては、'''1日あるいは2日程度の誤差があり得る'''{{R|jetro_koyomi}}。 === 540日前-10日前 === [{{Purge}}] {| class="wikitable" |+ グレゴリオ暦-ヒジュラ暦間の日付対照表(540日前-10日前) ! 相対的な日付 ! グレゴリオ暦 !! ヒジュラ暦 ! 相対的な日付 ! グレゴリオ暦 !! ヒジュラ暦 |- ! 540日前 | {{#time:Y年Fj日|-540 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|-540 days}} ! 270日前 | {{#time:Y年Fj日|-270 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|-270 days}} |- ! 530日前 | {{#time:Y年Fj日|-530 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|-530 days}} ! 260日前 | {{#time:Y年Fj日|-260 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|-260 days}} |- ! 520日前 | {{#time:Y年Fj日|-520 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|-520 days}} ! 250日前 | {{#time:Y年Fj日|-250 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|-250 days}} |- ! 510日前 | {{#time:Y年Fj日|-510 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|-510 days}} ! 240日前 | {{#time:Y年Fj日|-240 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|-240 days}} |- ! 500日前 | {{#time:Y年Fj日|-500 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|-500 days}} ! 230日前 | {{#time:Y年Fj日|-230 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|-230 days}} |- ! 490日前 | {{#time:Y年Fj日|-490 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|-490 days}} ! 220日前 | {{#time:Y年Fj日|-220 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|-220 days}} |- ! 480日前 | {{#time:Y年Fj日|-480 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|-480 days}} ! 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相対的な日付 ! グレゴリオ暦 !! ヒジュラ暦 ! 相対的な日付 ! グレゴリオ暦 !! ヒジュラ暦 |- ! 今日 | {{#time:Y年Fj日}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日}} ! {{Mdash}} | style="text-align:center;" | {{Mdash}} || style="text-align:center;" | {{Mdash}} |- ! 10日後 | {{#time:Y年Fj日|+10 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|+10 days}} ! 280日後 | {{#time:Y年Fj日|+280 days}}|| {{#time:xmY年xmn月xmj日|+280 days}} |- ! 20日後 | {{#time:Y年Fj日|+20 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|+20 days}} ! 290日後 | {{#time:Y年Fj日|+290 days}}|| {{#time:xmY年xmn月xmj日|+290 days}} |- ! 30日後 | {{#time:Y年Fj日|+30 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|+30 days}} ! 300日後 | {{#time:Y年Fj日|+300 days}}|| {{#time:xmY年xmn月xmj日|+300 days}} |- ! 40日後 | {{#time:Y年Fj日|+40 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|+40 days}} ! 310日後 | {{#time:Y年Fj日|+310 days}}|| {{#time:xmY年xmn月xmj日|+310 days}} |- ! 50日後 | {{#time:Y年Fj日|+50 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|+50 days}} ! 320日後 | {{#time:Y年Fj日|+320 days}}|| {{#time:xmY年xmn月xmj日|+320 days}} |- ! 60日後 | {{#time:Y年Fj日|+60 days}} || {{#time:xmY年xmn月xmj日|+60 days}} ! 330日後 | {{#time:Y年Fj日|+330 days}}|| {{#time:xmY年xmn月xmj日|+330 days}} |- ! 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rowspan="2" | 日本語 ! rowspan="2" | 原義 ! rowspan="2" | アラビア語 ! colspan="2" | [[翻字]] |- ! ラテン文字 !! カタカナ |- ! 土曜日 | シャバト{{Efn|[[ユダヤ教]]の[[安息日]]。}} | {{Rtl-lang|ar|السبت}} | al-Sabt || アッ=サブト |- ! 日曜日 | 1 | {{Rtl-lang|ar|الأحد}} | al-Ahad || アル=アハド |- ! 月曜日 | 2 | {{Rtl-lang|ar|الاثنين}} | al-Ithnayn || アル=イスナイン |- ! 火曜日 | 3 | {{Rtl-lang|ar|الثلاثاء}} | al-Thalatha' || アッ=サラーサー |- ! 水曜日 | 4 | {{Rtl-lang|ar|الأربعاء}} | al-Arba'a' || アル=アルバアー |- ! 木曜日 | 5 | {{Rtl-lang|ar|الخميس}} | al-Khamis || アル=ハミース |- ! 金曜日 | 集まる{{Efn|イスラームにおいて金曜日は、[[モスク]]に「集まっ」て、[[合同礼拝 (クルアーン)|合同礼拝]]する日である。}} | {{Rtl-lang|ar|الجمعة}} | al-Jum'a || アル=ジュムア |} == 古典アラビア語での日付の数え方 == [[フスハー#古典アラビア語|古典アラビア語]]では、現代のものとは異なる、別の日付の数え方も存在した{{R|history}}。それは以下の通りである。 # 月の初日が(日中において)「一晩が過ぎ去った」と表される。 # 同様に、14日まで「何晩過ぎ去った」という形で続く。 # 15日は「真ん中」と呼ばれる。 # 16日以降は、「14晩残っている」のように、数が減らされながら呼ばれる。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|イスラーム|[[画像:Allah-green.svg|34px|Portal:イスラーム]]}} {{ウィキプロジェクトリンク|紀年法|[[画像:Nuvola apps date.svg|34px]]}} * [http://hosi.org When.exe Ruby版] - 古今東西あらゆる文化および言語で用いられた暦日・暦法・時法・暦年代・暦注などにユニークな名前付けを行い、統一的に扱うことを目的としたフレームワーク。イスラーム暦(30年周期)を含む相互換算にも対応。 * [http://www.phys.uu.nl/~vgent/islam/islam_tabcal.htm ヒジュラ暦と西暦の対応カレンダー] * [https://www.facebook.com/rhcjapan/ 新月観測委員会(Ruyat-e-Hilal Committee Japan)] - 日本におけるヒジュラ暦の日付を発表している。 * [https://www.prayer-times.info/date-convert/hijri-gregorian date converter Hijri] * {{Kotobank}} * {{Kotobank|イスラム暦}} {{月}} {{暦}} {{Time topics}} {{Chronology}} {{Time measurement and standards}} {{Authority control}} {{DEFAULTSORT:ひしゆられき}} [[Category:イスラム教]] [[Category:太陰暦]] [[Category:紀年法]] [[Category:ウマル・イブン・ハッターブ]]
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太陰暦
太陰暦(たいいんれき、英: lunar calendar、阿: تقويم قمري)は、月の満ち欠けの周期を基にした暦(暦法)である。その周期を朔望月(さくぼうげつ)といい、1朔望月を1月とする。なお、「太陰」は「月(天体)」の意味である。陰暦(いんれき)とも言われる。「太陽暦」(陽暦)の対義語である。 閏月(うるうづき)などを入れて季節のずれを調整する太陰太陽暦と、季節のずれを調整しない純粋太陰暦がある。単に「太陰暦」と言った場合、日本や中国などの東アジアでは通常は太陰太陽暦を指し、イスラム圏などでは純粋太陰暦を指す。 本稿では、特に断らない限り純粋太陰暦について述べるが、純粋太陰暦を採用している暦はほぼヒジュラ暦(イスラム暦やヒジュラ太陰暦とも)に限定されることに留意されたい。 月は地球に対して公転し、その周期はほぼ一定である。その周期平均は平均朔望月といい、2015年時点では、29.530589日である。太陰暦では、1朔望月を1月(ひとつき)とし、さらに12月を1年(1太陰年)とする。1太陰年は、29.530589日×12 = 354.36707日である。1月(ひとつき)が29日の月(小の月)と、30日の月(大の月)をそれぞれ6回ずつ設け、1太陰年を354日とすると、1年につき0.36707日の誤差が出るので、3年に1回程度、小の月の日数を1日増やして1太陰年を355日とする必要がある。太陰暦では、この1太陰年が355日となる年が閏年であり、ヒジュラ暦では30年間に11回、閏年を設けている(0.36707日×30=11.0121日)。 一方、1太陰年は1太陽年(365.242189日)に比べて約11日短く、季節に対して3年で1月以上の誤差が出る。純粋太陰暦では、この誤差に対する調整は行われず、同じ日付でも年ごとに季節は次第に変わっていき、おおよそ33年で元の季節に戻ることになる。後述するように太陰太陽暦では閏月を設けてこれを調整し、閏月を設けた年が閏年と呼ばれる。 歴史的に使われてきた純粋太陰暦は、ほぼヒジュラ暦に限定される。そのヒジュラ暦もイスラム以前の太陰太陽暦から派生したものであり、一部の月名が季節に由来していること(ラビー・ウル・アッワル月=第1の春の月、など)にその名残りを留めている。 1太陰年(太陰暦の1年)は、354.36707日であり、これは、地球の公転周期(回帰年)である365.24219日より約11日短い。一方、季節の周期は、地球の公転周期と関連する。したがって、太陰暦では、特定の月日の季節は、年により変動し、約8年で四季1つぶん(約88日)早くなり、約33年で季節を一周する。一例を挙げれば、北半球を基準とすると、ヒジュラ暦1428年のラマダーン(9月)は西暦2008年9月ごろで初秋だが、ヒジュラ暦1410年のそれは西暦1990年4月ごろで中春であった。 このように、十数年以上の時間スケールで見た場合、月日と季節はまったく無関係である。しかし短い時間スケールなら、たとえば去年と今年のラマダーンの季節はほぼ等しい。これは、太陽暦において長い時間スケールでは日と月相は無関係だが、先月と今月の同じ日の月相ならほぼ等しいことと対応している。逆に、太陰暦では同じ日なら月相はほぼ同じである。太陽暦では、同じ月日なら季節はほぼ同じである。 太陰暦の特定の月日の季節が年ごとにずれる欠点を補うため、閏月を設け季節のずれを調節したものが、太陰太陽暦である(一方、閏月を設けない太陰暦のことを純太陰暦・純粋太陰暦とよぶ場合もある)。太陰太陽暦は、月相の一致と季節の一致を両立させている(ただし季節が一致する精度は高くない)。東アジアで単に太陰暦・陰暦といった場合、かつての太陰太陽暦である中国暦や和暦など意味することが多い。これらが廃止された中国や日本では、旧暦とほぼ同義である。 太陰暦は朔望月で1か月を定めているが、12か月で1年としているのは1回帰年(1太陽年)も起源に影響している。逆に、太陽暦は太陽年で1年を定めているが、それを約30日ずつの暦月で12か月に分けているのは朔望月も起源に影響している。
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太陰暦は、月の満ち欠けの周期を基にした暦(暦法)である。その周期を朔望月(さくぼうげつ)といい、1朔望月を1月とする。なお、「太陰」は「月(天体)」の意味である。陰暦(いんれき)とも言われる。「太陽暦」(陽暦)の対義語である。 閏月(うるうづき)などを入れて季節のずれを調整する太陰太陽暦と、季節のずれを調整しない純粋太陰暦がある。単に「太陰暦」と言った場合、日本や中国などの東アジアでは通常は太陰太陽暦を指し、イスラム圏などでは純粋太陰暦を指す。 本稿では、特に断らない限り純粋太陰暦について述べるが、純粋太陰暦を採用している暦はほぼヒジュラ暦(イスラム暦やヒジュラ太陰暦とも)に限定されることに留意されたい。
'''太陰暦'''(たいいんれき、{{Lang-en-short|lunar calendar}}、{{Lang-ar-short|تقويم قمري}})は、[[月]]の満ち欠けの周期を基にした[[暦]]([[暦法]])である<ref name="sekaidaihyakka-taiinreki">{{Cite book|和書|author= 内田正男|authorlink=内田正男|title = [[世界大百科事典]]|publisher = [[平凡社]]|chapter = 太陰暦}}</ref>。その周期を[[朔望月]](さくぼうげつ)といい、1朔望月を1[[月 (暦)|月]]とする。なお、「太陰」は「月([[天体]])」の意味である<ref name=kokugo>{{Cite book|和書||title = 国語辞典|edition = 改訂新版|date =1986-10-20|publisher= 旺文社|location= 東京都|isbn=4-01-077506-8}}</ref>。'''陰暦'''(いんれき)とも言われる<ref name=kokugo />。「[[太陽暦]]」(陽暦)の[[対義語]]である<ref name=kokugo />。 閏月(うるうづき)などを入れて季節のずれを調整する'''[[太陰太陽暦]]'''と、季節のずれを調整しない'''純粋太陰暦'''がある。単に「太陰暦」と言った場合、[[日本]]や[[中国]]などの[[東アジア]]では通常は太陰太陽暦を指し、[[イスラム圏]]などでは純粋太陰暦を指す。 本稿では、特に断らない限り'''純粋太陰暦'''について述べるが、純粋太陰暦を採用している暦はほぼ[[ヒジュラ暦]](イスラム暦やヒジュラ太陰暦とも)に限定されることに留意されたい。 == 太陰太陽暦との関係 == 月は地球に対して[[公転]]し、その周期はほぼ一定である。その周期平均は平均朔望月といい、2015年時点では、29.530589日<ref name=rika>平成27年 [[理科年表]]</ref>である。太陰暦では、1朔望月を1月(ひとつき)とし、さらに12月を1年(1太陰年)とする。1太陰年は、29.530589日×12 = 354.36707日である。1月(ひとつき)が29日の月(小の月)と、30日の月(大の月)をそれぞれ6回ずつ設け、1太陰年を354日とすると、1年につき0.36707日の誤差が出るので、3年に1回程度、小の月の日数を1日増やして1太陰年を355日とする必要がある。太陰暦では、この1太陰年が355日となる年が[[閏年]]であり、[[ヒジュラ暦]]では30年間に11回、閏年を設けている(0.36707日×30=11.0121日)。 一方、1太陰年は1[[太陽年]](365.242189日)に比べて約11日短く、季節に対して3年で1月以上の誤差が出る。純粋太陰暦では、この誤差に対する調整は行われず、同じ日付でも年ごとに季節は次第に変わっていき、おおよそ33年で元の季節に戻ることになる。後述するように'''太陰太陽暦'''では[[閏月]]を設けてこれを調整し、閏月を設けた年が[[閏年]]と呼ばれる。 歴史的に使われてきた純粋太陰暦は、ほぼ[[ヒジュラ暦]]に限定される。そのヒジュラ暦もイスラム以前の太陰太陽暦から派生したものであり、一部の月名が季節に由来していること([[ラビー・ウル・アッワル]]月=第1の春の月、など)にその名残りを留めている。 == 太陰暦と季節 == 1太陰年(太陰暦の1年)は、354.36707日であり、これは、地球の公転周期(回帰年)である365.24219日<ref name=rika />より約11日短い。一方、[[季節]]の周期は、地球の公転周期と関連する。したがって、太陰暦では、特定の月日の季節は、年により変動し、約8年で四季1つぶん(約88日)早くなり、約33年で季節を一周する。一例を挙げれば、[[北半球]]を基準とすると、ヒジュラ暦1428年の[[ラマダーン]](9月)は西暦2008年9月ごろで初秋だが、ヒジュラ暦1410年のそれは西暦1990年4月ごろで中春であった。 このように、十数年以上の時間スケールで見た場合、月日と季節はまったく無関係である。しかし短い時間スケールなら、たとえば去年と今年のラマダーンの季節はほぼ等しい。これは、[[太陽暦]]において長い時間スケールでは日と[[月相]]は無関係だが、先月と今月の同じ日の月相ならほぼ等しいことと対応している。逆に、太陰暦では同じ日なら月相はほぼ同じである<ref>すなわち日本の[[旧暦]]([[天保暦]]など)では十五日はいつでも満月に近い</ref>。太陽暦では、同じ月日なら季節はほぼ同じである<ref>すなわち北半球では八月は暑い</ref>。 太陰暦の特定の月日の季節が年ごとにずれる欠点を補うため、[[閏月]]を設け季節のずれを調節したものが、'''太陰太陽暦'''である(一方、閏月を設けない太陰暦のことを'''純太陰暦'''・'''純粋太陰暦'''とよぶ場合もある)。太陰太陽暦は、月相の一致と季節の一致を両立させている(ただし季節が一致する精度は高くない)。[[東アジア]]で単に太陰暦・陰暦といった場合、かつての太陰太陽暦である[[中国暦]]や[[和暦]]などを意味することが多い。これらが廃止された[[中国]]や[[日本]]では、[[旧暦]]とほぼ同義である<ref group="注">現代において旧暦の[[日付]]について述べる場合は、一般的に最後の公的な太陰太陽暦であった[[時憲暦]]<small>(中国)</small>や[[天保暦]]<small>(日本)</small>による日付を指す。ただし、日本の[[年中行事|伝統行事]]や[[占い]]などで現在主に使用されている旧暦と本来の天保暦とでは、日付などにわずかなずれが生じる場合もある(詳細は「[[旧暦#「旧暦」の計算]]」を参照)。</ref>。 太陰暦は[[朔望月]]で1か月を定めているが、12か月で1年としているのは1回帰年(1[[太陽年]])も起源に影響している。逆に、太陽暦は太陽年で1年を定めているが、それを約30日ずつの暦月で12か月に分けているのは朔望月も起源に影響している。 == 太陰暦に基づく暦法 == * [[ヒジュラ暦]](イスラム暦、ヒジュラ太陰暦) - [[イスラム世界]]における暦。かつては公式の暦として用いられてきたが、現在は宗教行事以外では太陽暦を使うことが多い。 <!-- *[[ヴィクラム暦]] - ネパール国内の公式の暦 太陰太陽暦では?--> == 太陰暦の利用 == * [[沿岸漁業]]では[[潮汐|潮の満ち引き]]により作業時間が大きく左右される。現在は潮汐表が書き込まれた太陽暦の[[カレンダー]]も存在するが、太陰暦を使った[[潮汐|干潮・満潮]]時刻の算出や大潮([[毎月1日]]と[[毎月16日|16日]]ごろ)、小潮([[毎月8日]]ごろと[[毎月23日|23日]]ごろ)の判断は漁師として基本的な素養の1つである。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[太陰太陽暦]] * [[太陽暦]] == 外部リンク == * [http://hosi.org When.exe Ruby版] - 古今東西あらゆる文化および言語で用いられた暦日・暦法・時法・暦年代・暦注などにユニークな名前付けを行い、統一的に扱うことを目的としたフレームワーク。 * [http://www.rodurago.net/en/index.php?site=details&link=calendar 世界の異なった場所のための太陰暦。] {{en icon}} * [http://www.moonphaseinfo.com/moonch.php 月相] * [http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm 月齢カレンダー] {{暦}} {{Chronology}} {{Time measurement and standards}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:たいいんれき}} [[Category:太陰暦|*]]
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閏月
閏月(うるうづき、じゅんげつ)とは、太陰太陽暦において加えられる「月」のこと。これによって一年が13か月となる。 太陰暦は、空の月の欠けているのが満ちそして再び欠けるまでを「一か月」とし、それを12回繰り返すことで12か月すなわち「一年」としている。しかしこの月の満ち欠け(平均朔望月=約29.530 589日)による12か月は約354.3671日であり、太陽暦の一年(約365.2422日)とくらべて約11日ほど短いので、この太陰暦をこのまま使い続けると暦と実際の季節が大幅にずれてしまう。このずれは11×3 = 33日つまり3年間で1か月分ほどになる。 そこで太陰太陽暦ではこの太陰暦の12か月に、約3年に一度、1か月を加え13か月とし、季節とのずれをなるべく少なくする調整をする。この挿入された月を「閏月」という。閏月の挿入の仕方は、まず二十四節気の節気と中気を、立春は一月の節気、雨水は一月の中気とするなど、以下のように一年12か月それぞれの月に割り当てる。 そして暦をそのまま使い続けると、各月の日付と二十四節気とは次第にずれが重なってくる。そのずれで中気が本来割り当てられた月のうちに含まれなくなったとき、その月を閏月としたものである。ただし同じ二十四節気を用いた太陰太陽暦でも、暦法によっては閏月を置く方法はこれとは異なる場合がある。閏月の挿入の有無が太陰太陽暦と太陰暦との違いである。閏月の月名は、その前月の月名の前に「閏」を置いて呼称する。例えば「四月」の次に挿入される閏月は「閏四月」と呼ぶ。また閏月が加わることにより、年末に立春を迎えることがある(年内立春)。太陰太陽暦では閏月を挿入した年のことを閏年という。時折「十三月」という月が存在するものと考えられていることがあるが、それは誤解である。 閏月を19年のあいだに7回加えると、ほぼ誤差なく暦を運用できることは古代から知られていた。これは太陽暦の19年が、太陰暦の19年と7か月の日数にほぼ等しいことによるもので、この周期をメトン周期(中国では「章」)という。中国では殷の時代から暦に閏月を入れることが行われていたが、それは天体を観測して季節と暦のずれに注意し、閏月が必要なときには、十二月の次にひと月足して13か月にするという方法であった。その後、春秋時代のころにはメトン周期の原理が使われており、さらに太初暦以来、二十四節気の中気を基準とした置閏法によって閏月が暦に入れられている。日本で最初に使われた太陰太陽暦は、中国で元嘉10年(442年)から行われた元嘉暦であったとされており、その後幾度か改暦が行われたが、閏月の入る太陰太陽暦は明治時代の政府による改暦まで使い続けられた。 しかしながら閏月をどの時期に入れるかについては、同じ時代でも地域によって食い違うことがあった。例えば日本では古来より西日本では伊勢暦、東日本では三島暦が主に用いられたが、時として閏月を挿入する時期が異なっていたので、日本国内で日付の異なる暦を使っていた事がある。 なおユダヤ暦も閏月の入る太陰太陽暦だが、日本や中国の太陰太陽暦とは異なり常に年末に閏月(第13月)が挿入される。インドでも太陰太陽暦が使われているが、インドの太陰太陽暦は黄道十二宮によって閏月を暦に入れている。イスラム暦は完全な太陰暦なので、太陰太陽暦のような閏月は存在しない。2020年はグレゴリオ暦5月23日から閏4月となる。 以下は太陰太陽暦における閏月の加わり方について、明治3年(1870年 - 1871年)を例とし表を用いて解説する。日本の暦は明治5年に太陰太陽暦(天保暦)から太陽暦(グレゴリオ暦)に切替わったが、その二年前の明治3年は閏月のある最後の年であった。表は国立国会図書館デジタルコレクションの『明治三庚午暦』、『明治四辛未頒暦』、『明治五壬申頒暦』をもとに作成した。 太陰太陽暦の詳細については他項に譲るが、ごく簡単に触れておくと以下の通りである。 現在の太陽暦の「月」の日数は「31日」、「30日」、「28日」または「29日」の四つだが、太陰太陽暦では月の満ち欠けに基づく「30日」と「29日」の二つであり、「30日」を「大の月」、「29日」を「小の月」とする。しかもこの月の大小は、月の満ち欠けの仕方などによってその順番が年ごとに変わる。以下の明治3年の例では小・大・大・小・大・小・大・小・大・小・小・大・小の順となっている。そこに、約15日おきに定められる二十四節気の節気と中気を月ごとに割り振って暦を用いている。 上の表で見られるように、ひと月の内にそれぞれ節気と中気が割り当てられており、1月から10月までの節気と中気は本来割り当てられた通りの組合せとなっている。しかし10月の次は「閏10月」となり、閏10月には本来11月の節気である「大雪」だけが入る。 10月の次をそのまま11月にすると、11月の中気である「冬至」がその次の12月に来る。つまり日付よりも二十四節気のほうが遅れることになる。そこで本来割り振られた中気が来ない月は閏月とする太陰太陽暦の決まりに従い、11月になるところを閏10月とし、「冬至」が12月に来ないようにした。 閏10月の次の11月は、「冬至」のほかに12月の節気と中気である「小寒」と「大寒」を含み、12月には1月の節気である「立春」が15日にきている(年内立春)。節気と中気が本来割り振られた月に無く、二十四節気が日付から見て半月ほど先に進んでいるが、太陰太陽暦は中気を暦の基準とし、中気が本来割り振られた月の内に来る事を肝心とする。閏月を入れたことによって、次の年の明治4年では中気がその通りにおさまっている。 また節気と中気の来る月々の日付は次第に遅れている。上の明治4年の表では「雨水」が1月1日、「春分」が2月1日、「穀雨」が3月1日に来ているが、「小満」は4月3日、「夏至」は5月5日、「大暑」は6月6日、「処暑」は7月9日...と、次第に日にちのずれが大きくなっている。 これは上でも述べたように、約十五日おきに定められる二十四節気が一巡する日数よりも、月の満ち欠けの繰り返しによる一年のほうが短いからで、このまま暦を使えば日付と二十四節気はずれを積み重ね、本来割り振られた月に節気と中気が戻る。ただしこの明治4年では、まだ各々の節気が本来より一つ前の月に来ており、年末に「立春」がある。次の明治5年では日付と二十四節気のずれはさらに重なり、6月からは本来の節気と中気の組合せに戻っている。閏月の入る太陰太陽暦は、おおよそこうした流れの繰り返しで成り立っている。 明治5年11月9日(1872年12月9日)、太陰太陽暦を廃止し太陽暦に改める旨の詔書が政府より発せられ、同年12月3日にはこの日が太陽暦に基づき明治6年(1873年)1月1日と定められた。よって本来大の月である明治5年12月は公式には2日しかないことになった。 閏月は一年の内ではあるが、一月から十二月までの本来の12か月からは外れた存在であり、また同じ月がたとえば「八月」「閏八月」と2か月連続することになる。このことから、閏月を異端になぞらえ、或る程度の期間並立した複数の王朝のうちで、どれが正統でどれが異端であるかを論じる議論を「正閏論」(せいじゅんろん)と呼ぶようになった。 「天に二日なく、地に二王なし」との『礼記』の記述から中国及びその影響を受けた諸国では、「本来皇帝はただ一人であるから、過去の複数の皇帝が居た時代においてもどれか一つの皇帝を正統として歴史書を記すべきである」という思想が支配的であった。中国では三国時代の魏と蜀の正閏論、日本では南北朝正閏論が有名である。
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閏月(うるうづき、じゅんげつ)とは、太陰太陽暦において加えられる「月」のこと。これによって一年が13か月となる。
'''閏月'''(うるうづき、じゅんげつ)とは、[[太陰太陽暦]]において加えられる「[[月 (暦)|月]]」のこと。これによって一年が13か月となる。 == 解説 == [[太陰暦]]は、空の[[月]]の欠けているのが満ちそして再び欠けるまでを「一か月」とし、それを12回繰り返すことで12か月すなわち「一[[年]]」としている。しかしこの月の満ち欠け(平均[[朔望月]]=約29.530 589日)による12か月は約354.3671日であり、[[太陽暦]]の一年(約365.2422日)とくらべて約11日ほど短いので、この太陰暦をこのまま使い続けると[[暦]]と実際の[[季節]]が大幅にずれてしまう。このずれは11×3 = 33日つまり3年間で1か月分ほどになる。 そこで太陰太陽暦ではこの太陰暦の12か月に、約3年に一度、1か月を加え13か月とし、季節とのずれをなるべく少なくする調整をする。この挿入された月を「閏月」という。閏月の挿入の仕方は、まず[[二十四節気]]の[[節気]]と[[中気]]を、[[立春]]は[[1月|一月]]の節気、[[雨水]]は一月の中気とするなど、以下のように一年12か月それぞれの月に割り当てる。 {| class="wikitable" style="text-align:center" ! 月名 !! 一月 !! 二月 !! 三月 !! 四月 !! 五月 !! 六月 !! 七月 !! 八月 !! 九月 !! 十月 !! 十一月 !! 十二月 |- ! 節気 | 立春 || [[啓蟄]]|| [[清明]]|| [[立夏]]|| [[芒種]]|| [[小暑]]|| [[立秋]]|| [[白露]]|| [[寒露]]|| [[立冬]]|| [[大雪]]|| [[小寒]] |- ! 中気 | 雨水 || [[春分]]|| [[穀雨]]|| [[小満]]|| [[夏至]]|| [[大暑]]|| [[処暑]]|| [[秋分]]|| [[霜降]]|| [[小雪]]|| [[冬至]]|| [[大寒]] |} そして暦をそのまま使い続けると、各月の日付と二十四節気とは次第にずれが重なってくる。そのずれで中気が本来割り当てられた月のうちに含まれなくなったとき、その月を閏月としたものである。ただし同じ二十四節気を用いた太陰太陽暦でも、[[暦法]]によっては閏月を置く方法はこれとは異なる場合がある。閏月の挿入の有無が太陰太陽暦と太陰暦との違いである。閏月の月名は、その前月の月名の前に「閏」を置いて呼称する。例えば「四月」の次に挿入される閏月は「閏四月」と呼ぶ。また閏月が加わることにより、年末に[[立春]]を迎えることがある(年内立春)。太陰太陽暦では閏月を挿入した年のことを[[閏年]]という。時折「十三月」という月が存在するものと考えられていることがあるが、それは誤解である。 閏月を19年のあいだに7回加えると、ほぼ誤差なく暦を運用できることは古代から知られていた。これは太陽暦の19年が、太陰暦の19年と7か月の日数にほぼ等しいことによるもので、この周期を[[メトン周期]](中国では「章」)という。中国では[[殷]]の時代から暦に閏月を入れることが行われていたが、それは天体を観測して季節と暦のずれに注意し、閏月が必要なときには、十二月の次にひと月足して13か月にするという方法であった。その後、[[春秋時代]]のころにはメトン周期の原理が使われており、さらに[[太初暦]]以来、二十四節気の中気を基準とした[[置閏法]]によって閏月が暦に入れられている。日本で最初に使われた太陰太陽暦は、中国で[[元嘉 (南朝宋)|元嘉]]10年([[442年]])から行われた[[元嘉暦]]であったとされており、その後幾度か改暦が行われたが、閏月の入る太陰太陽暦は[[明治]]時代の政府による改暦まで使い続けられた。 しかしながら閏月をどの時期に入れるかについては、同じ時代でも地域によって食い違うことがあった。例えば日本では古来より西日本では[[神宮暦|伊勢暦]]、東日本では[[三島暦]]が主に用いられたが、時として閏月を挿入する時期が異なっていたので、日本国内で日付の異なる暦を使っていた事がある。 なお[[ユダヤ暦]]も閏月の入る太陰太陽暦だが、日本や中国の太陰太陽暦とは異なり常に年末に閏月(第13月)が挿入される。インドでも太陰太陽暦が使われているが、インドの太陰太陽暦は[[黄道十二宮]]によって閏月を暦に入れている。[[イスラム暦]]は完全な太陰暦なので、太陰太陽暦のような閏月は存在しない。2020年は[[グレゴリオ暦]]5月23日から閏4月となる。 == 閏月の実例 == 以下は太陰太陽暦における閏月の加わり方について、[[明治3年]]([[1870年]] - [[1871年]])を例とし表を用いて解説する。日本の暦は[[明治5年]]に太陰太陽暦([[天保暦]])から太陽暦(グレゴリオ暦)に切替わったが、その二年前の明治3年は閏月のある最後の年であった。表は[[国立国会図書館]]デジタルコレクションの『[{{NDLDC|2535340}} 明治三庚午暦]』、『[{{NDLDC|2535341}} 明治四辛未頒暦]』、『[{{NDLDC|2555060}} 明治五壬申頒暦]』をもとに作成した。 太陰太陽暦の詳細については他項に譲るが、ごく簡単に触れておくと以下の通りである。 現在の太陽暦の「月」の日数は「31日」、「30日」、「28日」または「29日」の四つだが、太陰太陽暦では月の満ち欠けに基づく「30日」と「29日」の二つであり、「30日」を「大の月」、「29日」を「小の月」とする。しかもこの月の大小は、月の満ち欠けの仕方などによってその順番が年ごとに変わる。以下の明治3年の例では小・大・大・小・大・小・大・小・大・小・小・大・小の順となっている。そこに、約15日おきに定められる二十四節気の節気と中気を月ごとに割り振って暦を用いている。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |+ {{Larger|明治3年}} !rowspan="2"|月!!colspan="30"|日付 |- 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!style="width:3em"|1!!style="width:3em"|2!!style="width:3em"|3!!style="width:3em"|4!!style="width:3em"|5!!style="width:3em"|6!!style="width:3em"|7!!style="width:3em"|8!!style="width:3em"|9!!style="width:3em"|10!!style="width:3em"|11!!style="width:3em"|12!!style="width:3em"|13!!style="width:3em"|14!!style="width:3em"|15!!style="width:3em"|16!!style="width:3em"|17!!style="width:3em"|18!!style="width:3em"|19!!style="width:3em"|20!!style="width:3em"|21!!style="width:3em"|22!!style="width:3em"|23!!style="width:3em"|24!!style="width:3em"|25!!style="width:3em"|26!!style="width:3em"|27!!style="width:3em"|28!!style="width:3em"|29!!style="width:3em"|30 |- !1月<br>(小) |style="background:#ddf;"|雨<br>水<br>1<br>月|| || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ffcccc;"|啓<br>蟄<br>2<br>月|| || || || || || || || || || || || || ||style="background:#eae7f2;"|- |- !2月<br>(大) |style="background:#ddf;"|春<br>分<br>2<br>月|| || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ffcccc;"|清<br>明<br>3<br>月|| || || || || || || || || || || || || || |- !3月<br>(小) |style="background:#ddf;"|穀<br>雨<br>3<br>月|| || || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ffcccc;"|立<br>夏<br>4<br>月|| || || || || || || || || || || || ||style="background:#eae7f2;"|- |- !4月<br>(大) | || ||style="background:#ddf;"|小<br>満<br>4<br>月|| || || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ffcccc;"|芒<br>種<br>5<br>月|| || || || || || || || || || || |- !5月<br>(大) | || || || ||style="background:#ddf;"|夏<br>至<br>5<br>月|| || || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ffcccc;"|小<br>暑<br>6<br>月|| || || || || || || || || |- !6月<br>(小) | || || || || ||style="background:#ddf;"|大<br>暑<br>6<br>月|| || || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ffcccc;"|立<br>秋<br>7<br>月|| || || || || || || ||style="background:#eae7f2;"|- |- !7月<br>(大) | || || || || || || || ||style="background:#ddf;"|処<br>暑<br>7<br>月|| || || || || || || || || || 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||style="background:#ddf;"|大<br>寒<br>12<br>月|| || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ffcccc;"|立<br>春<br>1<br>月|| || || || |} また節気と中気の来る月々の日付は次第に遅れている。上の明治4年の表では「雨水」が1月'''1日'''、「春分」が2月'''1日'''、「穀雨」が3月'''1日'''に来ているが、「小満」は4月'''3日'''、「夏至」は5月'''5日'''、「大暑」は6月'''6日'''、「処暑」は7月'''9日'''…と、次第に日にちのずれが大きくなっている。 これは上でも述べたように、約十五日おきに定められる二十四節気が一巡する日数よりも、月の満ち欠けの繰り返しによる一年のほうが短いからで、このまま暦を使えば日付と二十四節気はずれを積み重ね、本来割り振られた月に節気と中気が戻る。ただしこの明治4年では、まだ各々の節気が本来より一つ前の月に来ており、年末に「立春」がある。次の明治5年では日付と二十四節気のずれはさらに重なり、6月からは本来の節気と中気の組合せに戻っている。閏月の入る太陰太陽暦は、おおよそこうした流れの繰り返しで成り立っている。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |+ {{Larger|明治5年}} !rowspan="2"|月!!colspan="30"|日付 |- !style="width:3em"|1!!style="width:3em"|2!!style="width:3em"|3!!style="width:3em"|4!!style="width:3em"|5!!style="width:3em"|6!!style="width:3em"|7!!style="width:3em"|8!!style="width:3em"|9!!style="width:3em"|10!!style="width:3em"|11!!style="width:3em"|12!!style="width:3em"|13!!style="width:3em"|14!!style="width:3em"|15!!style="width:3em"|16!!style="width:3em"|17!!style="width:3em"|18!!style="width:3em"|19!!style="width:3em"|20!!style="width:3em"|21!!style="width:3em"|22!!style="width:3em"|23!!style="width:3em"|24!!style="width:3em"|25!!style="width:3em"|26!!style="width:3em"|27!!style="width:3em"|28!!style="width:3em"|29!!style="width:3em"|30 |- !1月<br>(小) | || || || || || || || || || ||style="background:#ddf;"|雨<br>水<br>1<br>月|| || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ffcccc;"|啓<br>蟄<br>2<br>月|| || || ||style="background:#eae7f2;"|- |- !2月<br>(大) | || || || || || || || || || || ||style="background:#ddf;"|春<br>分<br>2<br>月|| || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ffcccc;"|清<br>明<br>3<br>月|| || || |- !3月<br>(小) | || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ddf;"|穀<br>雨<br>3<br>月|| || || || || || || || || || || || ||style="background:#ffcccc;"|立<br>夏<br>4<br>月|| ||style="background:#eae7f2;"|- |- !4月<br>(大) | || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ddf;"|小<br>満<br>4<br>月|| || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ffcccc;"|芒<br>種<br>5<br>月 |- !5月<br>(大) | || || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ddf;"|夏<br>至<br>5<br>月|| || || || || || || || || || || || || || |- !6月<br>(小) | ||style="background:#ffcccc;"|小<br>暑<br>6<br>月|| || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ddf;"|大<br>暑<br>6<br>月|| || || || || || || || || || || || ||style="background:#eae7f2;"|- |- !7月<br>(大) | || || ||style="background:#ffcccc;"|立<br>秋<br>7<br>月|| || || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ddf;"|処<br>暑<br>7<br>月|| || || || || || || || || || |- !8月<br>(大) | || || || ||style="background:#ffcccc;"|白<br>露<br>8<br>月|| || || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ddf;"|秋<br>分<br>8<br>月|| || || || || || || || || |- !9月<br>(小) | || || || || ||style="background:#ffcccc;"|寒<br>露<br>9<br>月|| || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ddf;"|霜<br>降<br>9<br>月|| || || || || || || || ||style="background:#eae7f2;"|- |- !10月<br>(大) | || || || || || ||style="background:#ffcccc;"|立<br>冬<br>10<br>月|| || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ddf;"|小<br>雪<br>10<br>月|| || || || || || || || |- !11月<br>(小) | || || || || || ||style="background:#ffcccc;"|大<br>雪<br>11<br>月|| || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ddf;"|冬<br>至<br>11<br>月|| || || || || || || || ||style="background:#eae7f2;"|- |- !12月<br>(大) | || || || || || ||style="background:#ffcccc;"|小<br>寒<br>12<br>月|| || || || || || || || || || || || || || ||style="background:#ddf;"|大<br>寒<br>12<br>月|| || || || || || || || |} 明治5年[[11月9日 (旧暦)|11月9日]](1872年[[12月9日]])、太陰太陽暦を廃止し太陽暦に改める旨の[[詔書]]が政府より発せられ、同年[[12月3日 (旧暦)|12月3日]]にはこの日が太陽暦に基づき明治6年([[1873年]])1月1日と定められた。よって本来大の月である明治5年12月は公式には2日しかないことになった。 == 正閏論 == 閏月は一年の内ではあるが、一月から十二月までの本来の12か月からは外れた存在であり、また同じ月がたとえば「八月」「閏八月」と2か月連続することになる。このことから、閏月を[[異端]]になぞらえ、或る程度の期間並立した複数の王朝のうちで、どれが[[正統]]でどれが異端であるかを論じる議論を「'''[[正閏論]]'''」(せいじゅんろん)と呼ぶようになった。 「天に二日なく、地に二王なし」との『[[礼記]]』の記述から[[中国]]及びその影響を受けた諸国では、「本来[[皇帝]]はただ一人であるから、過去の複数の皇帝が居た時代においてもどれか一つの皇帝を正統として歴史書を記すべきである」という思想が支配的であった。<!--[[内藤湖南]]は『支那史学史』において、[[王夫之]]が歴代王朝における正閏(正統と異端)の議論を批判したことに触れ、「[[中国人|支那人]]には珍しい通達の論」としている<ref>『支那史学史 1』(『東洋文庫』557)310頁。</ref>。-->中国では[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[魏 (三国)|魏]]と[[蜀]]の正閏論、日本では[[南北朝正閏論]]が有名である。 == 脚注 == <references /> == 参考文献 == * 広瀬秀雄 『暦』〈『日本史小百科』〉 東京堂出版、[[1978年]] * 内藤湖南 『支那史学史 1』〈『東洋文庫』557〉 平凡社、1992年 * 岡田芳朗 『アジアの暦』〈『あじあブックス』〉 大修館書店、2002年 == 関連項目 == * [[太陰太陽暦]] * [[二十四節気]] * [[閏]] ** [[閏年]] ** [[閏日]] ** [[閏秒]] * [[架空の日付#13月|13月]] * [[Undecimber]] - プログラミング言語の[[Java]]に用意された、「13番目」の月。 {{DEFAULTSORT:うるうつき}} [[Category:太陰太陽暦]] [[Category:月 (暦)]]
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太陽暦
太陽暦(たいようれき、英: solar calendar)とは、地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基にして作られた暦(暦法)である。1年の日数を1太陽年に近似させている。ユリウス暦や、現在、世界の多くの地域で使用されているグレゴリオ暦は、太陽暦の1種である。似ている言葉として、太陰暦があるがこれとは異なる。 簡単に説明すると、太陽を基準にして1年を基本的に365日とし、12か月に分けることである。 太陽暦は、地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基にしている。太陽年の周期は、約365.242 189 44日(2015年 年央値)であり、1年を単純に365日とすると4年でほぼ1日(より正確には、約0.968 758 日)のずれが生じる。このずれを補正するために閏日が設けられる。 エジプトでは、太陽暦は歴史が始まってから使われてきた。ローマ共和国(ローマ帝国の前身)では、紀元前46年に従来の太陰太陽暦であるローマ暦に代えて導入された。そのとき導入したカエサルの名をとってユリウス暦と呼ばれる。その後、1582年に、ユリウス暦の補正の仕方(置閏法)を改良したグレゴリオ暦がローマ教皇グレゴリウス13世により制定され、その後世界中に普及した。 日本では、明治5年12月2日(西暦1872年12月31日)まで太陰太陽暦(天保暦)が使用されていたが、その翌日にあたる西暦1873年1月1日より太陽暦であるグレゴリオ暦を導入し、この日を明治6年1月1日とした(詳細は明治改暦を参照)。 この布告を明治5年11月9日に行った明治天皇は、太政大臣三条実美に改暦を行う理由を記した詔を与えた。その中で天皇が指摘した改暦を行う理由は次の通りだった。太陽の軌道に合わせるため、二、三年ごとに閏月を挿入しなければならない太陰暦は極めて不便であること、それに比べて太陽暦ははるかに正確で四年ごとに一日を加えるだけで済むこと、しかもそこから生じる誤差は七千年に一日の割合に過ぎない。この比類なき精密さこと太陽暦採用を決断した理由であるとしている。 ちなみに、それ以前にも太陽暦は、古くは戦国時代の末頃よりキリシタンの人々の間で使われてきた。江戸時代の本多利明は太陽暦の便利さを説いている。中井履軒や山片蟠桃は、太陽暦の見本を作った。蘭学医の大槻玄沢は、寛政6年閏11月11日(西暦1795年1月1日)にオランダ正月を開催した。安政元年(西暦1854年)以降、天文方の渋川景祐によって日本最初の本格的な太陽暦「万国普通暦」が刊行された。
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太陽暦とは、地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基にして作られた暦(暦法)である。1年の日数を1太陽年に近似させている。ユリウス暦や、現在、世界の多くの地域で使用されているグレゴリオ暦は、太陽暦の1種である。似ている言葉として、太陰暦があるがこれとは異なる。 簡単に説明すると、太陽を基準にして1年を基本的に365日とし、12か月に分けることである。
'''太陽暦'''(たいようれき、{{Lang-en-short|solar calendar}})とは、[[地球]]が[[太陽]]の周りを回る周期([[太陽年]])を基にして作られた[[暦]]([[暦法]])である。1年の日数を1太陽年に近似させている。[[ユリウス暦]]や、現在、世界の多くの地域で使用されている'''[[グレゴリオ暦]]'''は、太陽暦の1種である。似ている言葉として、[[太陰暦]]があるがこれとは異なる。 簡単に説明すると、太陽を基準にして1年を基本的に365日とし、12か月に分けることである。 == 概要 == 太陽暦は、地球が太陽の周りを回る周期([[太陽年]])を基にしている。太陽年の周期は、約365.242 189 44日(2015年 年央値)<ref>天文年鑑2015年版、p186(このページの執筆者:井上圭典)ISBN 978-4-416-11471-1</ref>であり、1年を単純に365日とすると4年でほぼ1日(より正確には、約0.968 758 日)のずれが生じる。このずれを補正するために[[閏日]]が設けられる。 [[エジプト]]では、太陽暦は歴史が始まってから使われてきた<ref name="sekaidaihyakka-taiinreki">{{Cite book|和書|author= 内田正男|authorlink=内田正男|title = [[世界大百科事典]]|edition = |date = |year = |publisher = [[平凡社]]|location = |isbn = |chapter = 太陰暦|ref = }}</ref>。[[共和政ローマ|ローマ共和国]]([[ローマ帝国]]の前身)では、[[紀元前46年]]に従来の[[太陰太陽暦]]である[[ローマ暦]]に代えて導入された<ref name="sekaidaihyakka-taiinreki"/>。そのとき導入した[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]の名をとって[[ユリウス暦]]と呼ばれる。その後、[[1582年]]に、ユリウス暦の補正の仕方([[置閏法]])を改良した[[グレゴリオ暦]]が[[ローマ教皇]][[グレゴリウス13世]]により制定され、その後世界中に普及した。 == 日本と太陽暦 == [[日本]]では、[[明治]]5年[[12月2日 (旧暦)|12月2日]](西暦[[1872年]]12月31日)まで[[太陰太陽暦]]([[天保暦]])が使用されていたが、その翌日にあたる西暦[[1873年]]1月1日より太陽暦であるグレゴリオ暦を導入し、この日を明治6年1月1日とした(詳細は[[明治改暦]]を参照)。 この布告を明治5年11月9日に行った[[明治天皇]]は、太政大臣[[三条実美]]に改暦を行う理由を記した詔を与えた。その中で天皇が指摘した改暦を行う理由は次の通りだった。太陽の軌道に合わせるため、二、三年ごとに閏月を挿入しなければならない太陰暦は極めて不便であること、それに比べて太陽暦ははるかに正確で四年ごとに一日を加えるだけで済むこと、しかもそこから生じる誤差は七千年に一日の割合に過ぎない。この比類なき精密さこと太陽暦採用を決断した理由であるとしている{{sfn|ドナルド・キーン上巻|2001|p=349}}。これに合わせて時法も改正され、定時法に基づく24時間制が採用された。日本の国際社会への参加が進むにつれ、外交上および経済上の互換性の必要性から必然的な帰結だったと言える{{sfn|中山和芳|2007|p=126}}。 ちなみに、それ以前にも太陽暦は、古くは[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の末頃より[[キリシタン]]の人々の間で使われてきた<ref name="sekaidaihyakka-taiinreki"/><ref>[http://tabinaga.jp/museum/139/139.html 堂崎天主堂キリシタン資料館]</ref>。[[江戸時代]]の[[本多利明]]は太陽暦の便利さを説いている。[[中井履軒]]や[[山片蟠桃]]は、太陽暦の見本を作った<ref>[http://kaitokudo.jp/Kaitokudo1_cgi-bin/DataDisplay.exe?DocID=71&StyleSheet=bunko&Link=%5BLINK-INSERT-%5D 華胥国新暦] 中井履軒</ref>。蘭学医の[[大槻玄沢]]は、寛政6年閏11月11日(西暦1795年1月1日)に[[オランダ正月]]を開催した。[[安政]]元年(西暦1854年)以降、天文方の渋川景祐によって日本最初の本格的な太陽暦「万国普通暦」が刊行された<ref name="sekaidaihyakka-taiinreki"/><ref>[https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hatamotogokenin3/contents/33/index.html 万国普通暦] 国立公文書館</ref>。 == 太陽暦に基づく暦法 == === 主に西洋の大部分で使用実績がある暦法 === * [[ユリウス暦]] * [[グレゴリオ暦]] === それ以外で使用実績がある暦法 === * [[フランス革命暦]] * [[スウェーデン暦]] * [[ソビエト連邦暦]] * [[エジプト暦]]([[シリウス暦]]) * [[コプト暦]] * [[エチオピア暦]] * [[パーシ暦]] * [[イラン暦]] * [[インド国定暦|インド太陽暦]] * [[シク暦]] * [[修正ユリウス暦]]([[正教会]]) * [[バハーイー暦]] * [[ジャラーリー暦]] * [[タイ太陽暦]] * [[ファシスト暦]] * [[世界創造紀元]] * [[主体暦]] * [[民国紀元]] === 使用実績のほとんどない暦法 === * [[十二気暦]] * [[世界暦]] * [[13の月の暦]] * [[国際固定暦]] * [[人類紀元]] * [[ハンキ=ヘンリー・パーマネント・カレンダー]] == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=ドナルド・キーン上巻|authorlink=ドナルド・キーン|title =明治天皇〈上巻〉|date=2001年(平成13年)|publisher = [[新潮社]]|language =[[日本語]]|isbn = 978-4103317043|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author=中山和芳|authorlink=中山和芳|title =ミカドの外交儀礼 明治天皇の時代|date=2007年|publisher = [[朝日新聞社]]|series=朝日選書814|language =[[日本語]]|isbn = 978-4022599148|ref=harv}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[暦]] * [[紀年法]] * [[新暦]]・[[旧暦]] * [[太陰暦]]・[[太陰太陽暦]] * [[二十四節気]] * [[閏年|うるう年]] *[[ザドクカレンダー|ツァドク暦]] == 外部リンク == *[http://hosi.org When.exe Ruby版] - 古今東西あらゆる文化および言語で用いられた暦日・暦法・時法・暦年代・暦注などにユニークな名前付けを行い、統一的に扱うことを目的としたフレームワーク。 {{暦}} {{Chronology}} {{Time measurement and standards}} {{DEFAULTSORT:たいようれき}} [[Category:太陽暦|*]] [[Category:暦法]]
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グレゴリオ暦
グレゴリオ暦(グレゴリオれき、羅: Calendarium Gregorianum、伊: Calendario gregoriano、英: Gregorian calendar)は、ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じ、1582年10月15日金曜日(グレゴリオ暦)から行用されている暦法である。 グレゴリオ暦は、現行太陽暦として日本を含む世界各国で用いられており、グレゴリオ暦を導入した地域では、ユリウス暦(旧暦)に対比して新暦(ラテン語: Ornatus)と呼ばれる場合もある。紀年法はキリスト紀元(西暦)を用いる。 グレゴリオ暦の本質は、平年では1年を365日とするが、400年間に(100回ではなく)97回の閏年を置いてその年を366日とすることにより、400年間における1年の平均日数を 365日 + (97/400)日 = 365.2425日(365日5時間49分12秒)とすることである。この平均日数365.2425日は、実際に観測で求められる平均太陽年(回帰年)の365.242189572日(2013年年央値)に比べて約26.821秒長いだけであり、ユリウス暦に比べると格段に精度が向上した。 キリスト教徒にとって復活祭は特に重要な祝祭日である。新約聖書において、イエス・キリストの処刑と復活の記事は、太陰太陽暦であるユダヤ暦に基づいて記述されており、イエスの処刑日はユダヤ教の過越しの日の前日すなわちニサン月14日(ヨハネによる福音書)または過越祭第一日目の同月15日(共観福音書)とある。このユダヤ暦ニサン月は春分の頃に来る太陰月であり、メソポタミア文明の暦においては伝統的に正月(新年)とされていたものである。 ローマ帝国領では紀元前45年にユリウス・カエサルによって制定された太陽暦であるユリウス暦を採用していたため、ローマ帝国領に住むキリスト教徒には復活祭をいつ祝うかが問題となった。初期の教会ではさまざまな方法が採用されており、ユダヤ暦に従ってニサン月15日に祝う教会や、曜日を重視してニサン月14日の直後の日曜日を復活日とする教会もあった。 他方で、エジプト暦の伝統を持つアレクサンドリアの教会では、ディオクレティアヌス紀元、コプト暦およびメトン周期を用いて季節(太陽年)と月齢(太陰月日)を独自に計算した。季節と月齢を合わせる基準日を設け、そこからメトン周期を用いて太陰年と太陽年の差を修正しながら各年の「ほぼ同じ季節に該当する太陰月日(同じ月齢の日)」を計算していけば、擬似的な太陰太陽暦を編纂するのと実質的に同じことができるのである。この方法をコンプトゥスという。ユダヤ暦ニサン月は春分の頃に訪れる太陰月であるから、春分日を基準とし、アレクサンドリア教会では春分後最初の太陰月14日のすぐ後の日曜日を復活日とした。 しかし、初期からユリウス暦と実際の太陽年のずれが問題になった。ユリウス歴は暦年の平均日数を365.25日するが、実際の太陽年は約365.24219日であるから、春分日が毎年ずれていくのである。実際、ローマ帝国ではユリウス暦施行間もない頃から3月25日を春分日とする慣習があったが、4世紀の段階で天文学的な春分日は3月21日ごろとなっており、第一次ニケーア公会議では「ユリウス歴3月21日の後、最初の太陰月14日のすぐ後の日曜日を復活日」を復活祭期日とした。 このような経緯で復活祭日が定められたが、結局後年にはユリウス歴と太陽年のずれが問題視された。イングランドの教会博士であったベーダ・ヴェネラビリスは、725年にはユリウス暦にはずれがあり、それはすでに3日間以上になっていること、このずれは今後拡大すると指摘している。 さらにメトン周期もわずかに朔望月(太陰月)とずれているため、310年ごとに1日の誤差が蓄積されていた。13世紀のロジャー・ベーコンは、ずれは7日間から8日間に及んでいると推定し、ダンテ・アリギエーリもユリウス暦の改定の必要性を説いている。 また、復活祭日が太陰月日(月齢)に準拠する方法で定められていると、ユリウス暦3月21日の月齢次第で、復活祭日の季節が1ヶ月前後してしまうという問題が生じた。 16世紀後半になると3月21日の春分日は実際の春分日から10日間弱ものずれが生じていた。ローマ・カトリック教会は改暦委員会に暦法改正を委託した。この改暦は対抗宗教改革の一環としてなされたものであって、改暦に関しては賛成・反対の立場から大きな論争となった。 1582年10月4日まで用いられていたユリウス暦では、平年は1年を365日とし、4年ごとに置く閏年を366日とし、これによって平均年を365.25日としていた。 しかし、平均太陽年、つまり実際に地球が太陽の周りを1周する平均日数は、365日5時間48分45.179秒 = 31556925.179秒 = 約365.242189572日(2013年年央)である。したがって、ユリウス暦の1年は、実際の1太陽年に比べて、365.25日 − 約365.2422日 = 約0.0078日(約11分15秒)長い。このずれは下記の計算のとおり、約128年で1日になる。 ユリウス暦は、その制定当時の天文観測水準を考えればかなりの精度だったが、千数百年も暦の運用が続くと、天文現象の発生日時と暦の上の日付の乖離は無視できないものとなり、16世紀末に10日ものずれが生じていた。 なお、上記の計算は2013年時点でのものであり、グレゴリオ改暦が議論された16世紀半ばの計算とは差異がある。 ユリウス暦による春分日のずれを、ローマ・カトリック教会としても無視できなくなり、第5ラテラン公会議(1512-1517)において改暦が検討された。このときフォッソンブローネ司教のミデルブルフのパウル(en:Paul of Middelburg)(1446-1534)は、コペルニクスを含めてヨーロッパ中の学者に意見を求めた。しかし、コペルニクスは「太陽年の長さの精度は不十分であり、改暦は時期尚早である」と返答した。コペルニクスは彼の主著「天球の回転について」の序文でこのことを明記している。 次に、トリエント公会議(1545年 - 1563年)において、実際の春分日を第1ニカイア公会議の頃の3月21日(つまり修正すべきユリウス暦のずれの蓄積は公会議開催の325年からの約1240年間分にあたる約9.6日間で、これを10日のずれと見做した)に戻すため、教皇庁に暦法改正を委託した。時の教皇グレゴリウス13世は、これを受けて1579年にシルレト枢機卿を中心とする改暦委員会を発足させ、暦法の研究を始めさせた。この委員会のメンバーには、最初の改暦案を考案した天文学者のアロイシウス・リリウスの弟であるアントニウス・リリウス(Antonio Lilio)や数学者クリストファー・クラヴィウスらが含まれていた。 アロイシウス・リリウスの提出した原稿そのものは残されていない。委員会は1577年にCompendium novae rationis restituendi kalendarium(Compendium of the New Plan for Restoring the Calendar: 暦改正の新しい原理の大要)という24ページの冊子を刊行した。この冊子も長い間、失われたと考えられていた。しかし、1981年10月に歴史家のゴードン・モイアー (Gordon Moyer) が発見した。モイアーは最初、Biblioteca Nazionale Centrale di Firenze(フィレンツェ国立中央図書館)で発見し、その後、バチカン図書館、シエーナのイントロナティ市立図書館(Biblioteca Comunale degli Intronati de Siena)でも発見した。さらに、Polytechnic Institute of New YorkのThomas B. Settle も1975年に フィレンツェのBiblioteca Marucelliana とフィレンツェ国立中央図書館で同じ冊子を発見していたことが分かり、少なくとも7冊が現存していることが明らかになった この冊子によると、アロイシウスは1252年に書かれたアルフォンソ天文表における365日5時間49分16秒 = 365.242 5463日を採用し、改暦案を考案した。しかし、アロイシウスは1576年に死亡しており、その年に実際に案を委員会に提出したのは弟のアントニウス・リリウス(Antonio Lilio)である。 ユリウス暦の約1240年間の運用により蓄積された約10日間のずれをどのように修正するかについては、次の2案が委員会に提出された。 結局、委員会は、第2案を採用したのである。 10日間を省く月を1582年の10月にしたことについて、クラヴィウスは、「単に10月が宗教典礼日(religious observance)が最も少ない月であり、教会への影響が最小だからだ」と説明している。 改暦委員会の作業の末に完成した新しい暦は1582年2月24日にグレゴリウス13世の教皇勅書として発布された。この勅書は、"Inter gravissimas"の語(「最も重要な関心事の中でも」の意)から始まるので、“en:Inter gravissimas”と称される。 この勅書はユリウス暦1582年10月4日木曜日の翌日を、曜日を連続させながら、グレゴリオ暦1582年10月15日金曜日とすることを定め、その通りに実施された。 ただし、上記の日付通りに改暦を実施したのは、イタリア、スペイン、ポルトガルなどごく少数の国に過ぎず、その他のヨーロッパの国々での導入は遅れた。 グレゴリオ改暦が議論され始めていた1560年ごろには、平均太陽年は、約365.2422日であることが知られていた。(365.25日 − 365.2422日)× 400年 = 3.12日/400年 であるから、ユリウス暦における置閏法(400年間で100回の閏年)に比べて400年間に3回の閏年を省けば、かなりよい近似となることが分かる。このため、グレゴリオ暦では、400年間に、97回 (= 100 − 3) の閏年を置くこととして、1年の平均日数を365.2425日 = 365日5時間49分12秒 = 正確に31556952秒 とした。 なお、400年間の日数は、365.2425 × 400 = 146 097日であり、これは7で割り切れる(146097 ÷ 7 = 20871週)ので、グレゴリオ暦は、曜日も含めて400年周期の暦である。 400年間に3回の閏年を省くには様々な方法があり得るが、3回の平年がなるべく均等に分布すること、わかりやすく記憶しやすいことを考慮して、「西暦紀元(西暦)の年数が、100で割り切れるが400では割り切れない年は、平年とする。これ以外の年では、西暦年数が4で割り切れる年は閏年とする。」というルールが採用された。 100で割り切れる年は400年間に4回あるが、400で割り切れる年は400年間に1回だけである。以上のルールによって、ユリウス暦では閏年になる3回分の年を、グレゴリオ暦では平年とすることができるのである。 100で割り切れる年のうち、西暦1600年・2000年・2400年は400で割り切れるので、これらの年は閏年のままである。しかし、西暦1700年・1800年・1900年・2100年・2200年・2300年・2500年・2600年・2700年は400で割り切れないので、これらの年は平年となる。 平年および閏年のそれぞれにおける各月の日数は、グレゴリオ暦でもユリウス暦と同じである。すなわち、1月・3月・5月・7月・8月・10月・12月は31日、4月・6月・9月・11月は30日、2月は平年が28日、閏年は29日である。 上記の暦法(グレゴリオ暦)を1582年以前に遡って適用すると、200年3月1日から300年2月28日までは、ユリウス暦と同じ日付となる(ユリウス通日も参照)。これは以下の経緯による。 下記のようにグレゴリオ暦での平均の1年(365.2425日)は、実際に観測される平均太陽年(2013年年央)に比べて約26.821秒(= 約0.000310428日)だけ長い。このずれは約3221年かけて1日に達する。 以上のように、ユリウス暦では1日のずれが生じるまでに約128年しかかからなかったのに対して、グレゴリオ暦では同じく1日のずれが生じるまでに約3221年を要するまでに精度が高まった。 デイヴィッド・E・ダンカン(英語版)によると、1997年時点では、1582年以来の誤差が累積して、すでに約2時間59分12秒だけ進んでいる。 なお、上記の計算は平均太陽年が不変であるとした場合のものである。実際には平均太陽年は100年(正確には1ユリウス世紀)ごとに0.532秒ずつ短くなっている(太陽年の項を参照)。このため、3221年後には、約17秒ほど平均太陽年が短くなっていることを考慮すると、グレゴリオ暦との1日のずれはもっと早い時点で起こることになる(太陽年#太陽年の変化、平均太陽年の計算式(英語版))。 また、春分日時の間隔に着目した誤差は歳差などの影響により上記の計算とは異なり、西暦2000年時点で7700年に1日、日本で明治改暦が行われた1873年の時点で7200年に1日となる。 月日を導く暦法そのものと年数を数える紀元(紀年法)は別の概念であるが、上述のように、グレゴリオ暦はその置閏法をキリスト紀元の年数に基づいて定めるものとして制定されているので、キリスト紀元と不可分一体の関係にある。ところで、キリスト紀元の正式名称は、グレゴリオ暦改暦勅書(Inter Gravissimas)末尾の日付にもある通り、"anno incarnationis dominicae" すなわち「主(イエス・キリスト)の受肉(受胎)から数えた年数」である。この点からすれば、キリスト紀元年を1つ繰り上げるべき日すなわち新年は、イエスが受胎した日すなわち受胎告知日の3月25日が正当となるはずである。実際、改暦直前のローマ教皇庁自身が、3月25日を年初とするユリウス暦を使用していた。しかしグレゴリオ暦は、ユリウス・カエサルがユリウス暦を制定した当時の新年すなわち1月1日をその年初とする方法を採用した。したがってグレゴリオ暦では常に1月1日にキリスト紀元年数が1つ増える。なお、グレゴリオ暦月日の年数として記されていても、ローマ教皇庁の公文書に記されていた教皇在位年数や、イギリスおよび英連邦王国諸国の公文書で近年まで使われていた国王在位年数(regnal year)などは、日本の元号と異なり即位日をもって年数が一つ増加する。 ユリウス暦と太陽年(実際の季節)とのずれは、13世紀の哲学者ロジャー・ベーコンが指摘してから300年もの間顧みられず、16世紀になって宗教上の問題が顕著になるまで放置された。このずれを修正し新たにグレゴリオ暦を制定した後も、それがローマ教皇による発令だったので、その導入時期は国・地域によってまちまちであった。カトリックの国は比較的早く導入したが、一方でそうでない国では宗派上の対立もあって、導入までに少なくとも100年以上かかった。正教会の大半は現在も改暦せずユリウス暦を使用し続けている。非キリスト教国においては、1873年の日本の明治改暦を皮切りに、徐々にグレゴリオ暦を導入する国家が増加していった。 グレゴリオ暦の制定後、実施日である1582年10月15日に即座にこの暦を導入したのは、カトリックを奉じるイタリア諸国、スペイン、スペインに併合されていたポルトガル、ポーランドである。フランスは2か月ほど遅れたものの、1582年中に導入を果たした。1583年には神聖ローマ帝国のカトリック諸邦で、1584年にはスイスのカトリック諸州で導入され、カトリック諸国の改暦は数年を経ずして完了した。 プロテスタント諸国は、グレゴリオ暦への改暦に消極的だった。その理由の一つとして、復活祭の日付の決定がある。自らの祭事の日付をカトリックが定めた暦によって決められることを嫌ったのである。しかし、ユリウス暦の日付がずれており、ずれた日付を基に祭日を決めることに問題があることは、プロテスタントの宗教家も認識はしていた。したがって、グレゴリオ暦はプロテスタントにも徐々に浸透した。 最も早くグレゴリオ暦を導入したのは、ドイツのプロテスタント諸国であった。1699年のレーゲンスブルク帝国議会において、日付の決定のみグレゴリオ暦を使用するが、復活祭の日付の計算にはプロテスタントのドイツ人天文学者ヨハネス・ケプラーが作成したルドルフ星表を使うということで妥協した。この暦は改良帝国暦と呼ばれた。しかし、ケプラーはグレゴリオ暦の方が優れていることを知っていたので、日付計算はすべてグレゴリオ暦で行っていた。このため、実質的には改良暦はグレゴリオ暦で計算するのとほぼ同じだった。この妥協はうまくいき、1700年に実施された際には隣国デンマークもこれに倣い、周辺のプロテスタント諸国も徐々にこれに追随していった。 1752年にはイギリスが帝国全域においてグレゴリオ暦を導入、1753年にはスウェーデンが独自暦だったスウェーデン暦を廃止してグレゴリオ暦に完全移行し、全てのプロテスタント諸国がグレゴリオ暦を導入することになった。 正教会が優勢な東欧では、導入までにより長い時間がかかった。16世紀に、コンスタンディヌーポリ全地総主教イェレミアス2世はグレゴリオ暦を否認し、他の正教会でもグレゴリオ暦を承認する教会はなかった。このことはブレスト合同が不完全なものに終わる結果にも影響があった。 グレゴリオ暦を使用するフィンランド正教会を除き、エルサレム総主教庁、グルジア正教会、ロシア正教会、セルビア正教会、日本正教会を含む正教会は、現在でもユリウス暦を使用している。 ロシアで最も強い影響力をもつロシア正教会は正教会に属しており、現在でもユリウス暦を使用している。同国で1917年グレゴリオ暦3月に起きた革命を「2月革命」、同11月に起きた革命を「10月革命」と呼称するのは、ロシア革命が起きた1918年までユリウス暦を使用していたからである。 ロシア革命後のコンスタンディヌーポリ教会が1923年に採用した暦は修正ユリウス暦(通称:ロシア暦/英語: Revised Julian calendar)と呼ばれるものであり、厳密にはグレゴリオ暦ではないが、グレゴリオ暦とユリウス暦の月日の修正が行われ、2800年までは二つの暦の間にずれが出ないようになっている。なお、2800年以降は再びずれが生じる。 現在ロシア国内では、正教会を除きグレゴリオ暦を使用している。したがって、ユリウス暦12月25日の降誕祭は、ロシアのカレンダーでは「1月7日」と表示されている。 他方、復活大祭の算出にはすべての正教会がユリウス暦を使用するので、復活祭およびそれに伴う祭日・斎日はフィンランド正教会以外の正教会が一致して祝っている。ただし、これはユダヤ教の祭日が決まった後でキリスト教の祭日を決定するという、初期のキリスト教の祭日決定法に従っているからであり、グレゴリオ暦を導入していないことによるものではない。ユダヤ教では1年の長さがユリウス暦とほぼ同じユダヤ暦を基準にして祭日を決定するので、正教会では完全にグレゴリオ暦に移行できないだけである。 アルメニア使徒教会では、1923年以来グレゴリオ暦が採用されている。ただし、エルサレムのアルメニア総主教区に関しては例外的にユリウス暦を使用している。 シリア正教会においては地域により、あるいは各信徒内での伝統の差異により、ユリウス暦とグレゴリオ暦が併用されている。 コプト正教においてはグレゴリオ暦は採用されておらず、独自のコプト暦が用いられている。 アッシリア東方教会では1964年に当時のアッシリア総主教マル・エシャイ・シムン23世(英語版)が行った宗教的改革の一環としてグレゴリオ暦が採用されている。ただしこの改革はすべての信徒に受け入れられた訳ではなく、改革に反対する信徒の一部は古代東方教会(英語版)として分離独立している。 詳細なリストは、en:List of adoption dates of the Gregorian calendar by countryを参照。 グレゴリオ暦は、ユリウス暦に比べはるかに精度が高くなっているが、それでも上記の通り誤差は完全に解消されたわけではない。そもそも地球の自転周期と公転周期の比は整数の比になっていない以上、この誤差は必然的に生ずるものである。 また年初の日付が、天文学的な現象とは関係がない日付であることや、各月の日数が不規則であること、1年の日数が週の倍数になっていないため、暦日と曜日が一致しないことなどの問題点が指摘され、しばしば改暦運動が盛り上がった。こうした改暦運動で実施されたものは、1793年にフランスで施行されたフランス革命暦のみであるが、合理性に徹するあまりそれまでの週や七曜の廃止を行うなどして大混乱を招き、1806年にはグレゴリオ暦に復帰した。しかしその後も、世界暦への改暦提案などがしばしばなされている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "グレゴリオ暦(グレゴリオれき、羅: Calendarium Gregorianum、伊: Calendario gregoriano、英: Gregorian calendar)は、ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じ、1582年10月15日金曜日(グレゴリオ暦)から行用されている暦法である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "グレゴリオ暦は、現行太陽暦として日本を含む世界各国で用いられており、グレゴリオ暦を導入した地域では、ユリウス暦(旧暦)に対比して新暦(ラテン語: Ornatus)と呼ばれる場合もある。紀年法はキリスト紀元(西暦)を用いる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "グレゴリオ暦の本質は、平年では1年を365日とするが、400年間に(100回ではなく)97回の閏年を置いてその年を366日とすることにより、400年間における1年の平均日数を 365日 + (97/400)日 = 365.2425日(365日5時間49分12秒)とすることである。この平均日数365.2425日は、実際に観測で求められる平均太陽年(回帰年)の365.242189572日(2013年年央値)に比べて約26.821秒長いだけであり、ユリウス暦に比べると格段に精度が向上した。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "キリスト教徒にとって復活祭は特に重要な祝祭日である。新約聖書において、イエス・キリストの処刑と復活の記事は、太陰太陽暦であるユダヤ暦に基づいて記述されており、イエスの処刑日はユダヤ教の過越しの日の前日すなわちニサン月14日(ヨハネによる福音書)または過越祭第一日目の同月15日(共観福音書)とある。このユダヤ暦ニサン月は春分の頃に来る太陰月であり、メソポタミア文明の暦においては伝統的に正月(新年)とされていたものである。", "title": "制定に至る背景" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ローマ帝国領では紀元前45年にユリウス・カエサルによって制定された太陽暦であるユリウス暦を採用していたため、ローマ帝国領に住むキリスト教徒には復活祭をいつ祝うかが問題となった。初期の教会ではさまざまな方法が採用されており、ユダヤ暦に従ってニサン月15日に祝う教会や、曜日を重視してニサン月14日の直後の日曜日を復活日とする教会もあった。", "title": "制定に至る背景" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "他方で、エジプト暦の伝統を持つアレクサンドリアの教会では、ディオクレティアヌス紀元、コプト暦およびメトン周期を用いて季節(太陽年)と月齢(太陰月日)を独自に計算した。季節と月齢を合わせる基準日を設け、そこからメトン周期を用いて太陰年と太陽年の差を修正しながら各年の「ほぼ同じ季節に該当する太陰月日(同じ月齢の日)」を計算していけば、擬似的な太陰太陽暦を編纂するのと実質的に同じことができるのである。この方法をコンプトゥスという。ユダヤ暦ニサン月は春分の頃に訪れる太陰月であるから、春分日を基準とし、アレクサンドリア教会では春分後最初の太陰月14日のすぐ後の日曜日を復活日とした。", "title": "制定に至る背景" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "しかし、初期からユリウス暦と実際の太陽年のずれが問題になった。ユリウス歴は暦年の平均日数を365.25日するが、実際の太陽年は約365.24219日であるから、春分日が毎年ずれていくのである。実際、ローマ帝国ではユリウス暦施行間もない頃から3月25日を春分日とする慣習があったが、4世紀の段階で天文学的な春分日は3月21日ごろとなっており、第一次ニケーア公会議では「ユリウス歴3月21日の後、最初の太陰月14日のすぐ後の日曜日を復活日」を復活祭期日とした。", "title": "制定に至る背景" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "このような経緯で復活祭日が定められたが、結局後年にはユリウス歴と太陽年のずれが問題視された。イングランドの教会博士であったベーダ・ヴェネラビリスは、725年にはユリウス暦にはずれがあり、それはすでに3日間以上になっていること、このずれは今後拡大すると指摘している。", "title": "制定に至る背景" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "さらにメトン周期もわずかに朔望月(太陰月)とずれているため、310年ごとに1日の誤差が蓄積されていた。13世紀のロジャー・ベーコンは、ずれは7日間から8日間に及んでいると推定し、ダンテ・アリギエーリもユリウス暦の改定の必要性を説いている。", "title": "制定に至る背景" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "また、復活祭日が太陰月日(月齢)に準拠する方法で定められていると、ユリウス暦3月21日の月齢次第で、復活祭日の季節が1ヶ月前後してしまうという問題が生じた。", "title": "制定に至る背景" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "16世紀後半になると3月21日の春分日は実際の春分日から10日間弱ものずれが生じていた。ローマ・カトリック教会は改暦委員会に暦法改正を委託した。この改暦は対抗宗教改革の一環としてなされたものであって、改暦に関しては賛成・反対の立場から大きな論争となった。", "title": "制定に至る背景" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1582年10月4日まで用いられていたユリウス暦では、平年は1年を365日とし、4年ごとに置く閏年を366日とし、これによって平均年を365.25日としていた。", "title": "ユリウス暦によるずれ" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "しかし、平均太陽年、つまり実際に地球が太陽の周りを1周する平均日数は、365日5時間48分45.179秒 = 31556925.179秒 = 約365.242189572日(2013年年央)である。したがって、ユリウス暦の1年は、実際の1太陽年に比べて、365.25日 − 約365.2422日 = 約0.0078日(約11分15秒)長い。このずれは下記の計算のとおり、約128年で1日になる。", "title": "ユリウス暦によるずれ" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ユリウス暦は、その制定当時の天文観測水準を考えればかなりの精度だったが、千数百年も暦の運用が続くと、天文現象の発生日時と暦の上の日付の乖離は無視できないものとなり、16世紀末に10日ものずれが生じていた。", "title": "ユリウス暦によるずれ" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "なお、上記の計算は2013年時点でのものであり、グレゴリオ改暦が議論された16世紀半ばの計算とは差異がある。", "title": "ユリウス暦によるずれ" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ユリウス暦による春分日のずれを、ローマ・カトリック教会としても無視できなくなり、第5ラテラン公会議(1512-1517)において改暦が検討された。このときフォッソンブローネ司教のミデルブルフのパウル(en:Paul of Middelburg)(1446-1534)は、コペルニクスを含めてヨーロッパ中の学者に意見を求めた。しかし、コペルニクスは「太陽年の長さの精度は不十分であり、改暦は時期尚早である」と返答した。コペルニクスは彼の主著「天球の回転について」の序文でこのことを明記している。", "title": "改暦委員会と改暦案の提案" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "次に、トリエント公会議(1545年 - 1563年)において、実際の春分日を第1ニカイア公会議の頃の3月21日(つまり修正すべきユリウス暦のずれの蓄積は公会議開催の325年からの約1240年間分にあたる約9.6日間で、これを10日のずれと見做した)に戻すため、教皇庁に暦法改正を委託した。時の教皇グレゴリウス13世は、これを受けて1579年にシルレト枢機卿を中心とする改暦委員会を発足させ、暦法の研究を始めさせた。この委員会のメンバーには、最初の改暦案を考案した天文学者のアロイシウス・リリウスの弟であるアントニウス・リリウス(Antonio Lilio)や数学者クリストファー・クラヴィウスらが含まれていた。", "title": "改暦委員会と改暦案の提案" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "アロイシウス・リリウスの提出した原稿そのものは残されていない。委員会は1577年にCompendium novae rationis restituendi kalendarium(Compendium of the New Plan for Restoring the Calendar: 暦改正の新しい原理の大要)という24ページの冊子を刊行した。この冊子も長い間、失われたと考えられていた。しかし、1981年10月に歴史家のゴードン・モイアー (Gordon Moyer) が発見した。モイアーは最初、Biblioteca Nazionale Centrale di Firenze(フィレンツェ国立中央図書館)で発見し、その後、バチカン図書館、シエーナのイントロナティ市立図書館(Biblioteca Comunale degli Intronati de Siena)でも発見した。さらに、Polytechnic Institute of New YorkのThomas B. Settle も1975年に フィレンツェのBiblioteca Marucelliana とフィレンツェ国立中央図書館で同じ冊子を発見していたことが分かり、少なくとも7冊が現存していることが明らかになった", "title": "改暦委員会と改暦案の提案" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "この冊子によると、アロイシウスは1252年に書かれたアルフォンソ天文表における365日5時間49分16秒 = 365.242 5463日を採用し、改暦案を考案した。しかし、アロイシウスは1576年に死亡しており、その年に実際に案を委員会に提出したのは弟のアントニウス・リリウス(Antonio Lilio)である。", "title": "改暦委員会と改暦案の提案" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ユリウス暦の約1240年間の運用により蓄積された約10日間のずれをどのように修正するかについては、次の2案が委員会に提出された。", "title": "改暦委員会と改暦案の提案" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "結局、委員会は、第2案を採用したのである。", "title": "改暦委員会と改暦案の提案" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "10日間を省く月を1582年の10月にしたことについて、クラヴィウスは、「単に10月が宗教典礼日(religious observance)が最も少ない月であり、教会への影響が最小だからだ」と説明している。", "title": "改暦委員会と改暦案の提案" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "改暦委員会の作業の末に完成した新しい暦は1582年2月24日にグレゴリウス13世の教皇勅書として発布された。この勅書は、\"Inter gravissimas\"の語(「最も重要な関心事の中でも」の意)から始まるので、“en:Inter gravissimas”と称される。", "title": "改暦の実施" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "この勅書はユリウス暦1582年10月4日木曜日の翌日を、曜日を連続させながら、グレゴリオ暦1582年10月15日金曜日とすることを定め、その通りに実施された。", "title": "改暦の実施" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ただし、上記の日付通りに改暦を実施したのは、イタリア、スペイン、ポルトガルなどごく少数の国に過ぎず、その他のヨーロッパの国々での導入は遅れた。", "title": "改暦の実施" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "グレゴリオ改暦が議論され始めていた1560年ごろには、平均太陽年は、約365.2422日であることが知られていた。(365.25日 − 365.2422日)× 400年 = 3.12日/400年 であるから、ユリウス暦における置閏法(400年間で100回の閏年)に比べて400年間に3回の閏年を省けば、かなりよい近似となることが分かる。このため、グレゴリオ暦では、400年間に、97回 (= 100 − 3) の閏年を置くこととして、1年の平均日数を365.2425日 = 365日5時間49分12秒 = 正確に31556952秒 とした。", "title": "暦法" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "なお、400年間の日数は、365.2425 × 400 = 146 097日であり、これは7で割り切れる(146097 ÷ 7 = 20871週)ので、グレゴリオ暦は、曜日も含めて400年周期の暦である。", "title": "暦法" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "400年間に3回の閏年を省くには様々な方法があり得るが、3回の平年がなるべく均等に分布すること、わかりやすく記憶しやすいことを考慮して、「西暦紀元(西暦)の年数が、100で割り切れるが400では割り切れない年は、平年とする。これ以外の年では、西暦年数が4で割り切れる年は閏年とする。」というルールが採用された。", "title": "暦法" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "100で割り切れる年は400年間に4回あるが、400で割り切れる年は400年間に1回だけである。以上のルールによって、ユリウス暦では閏年になる3回分の年を、グレゴリオ暦では平年とすることができるのである。", "title": "暦法" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "100で割り切れる年のうち、西暦1600年・2000年・2400年は400で割り切れるので、これらの年は閏年のままである。しかし、西暦1700年・1800年・1900年・2100年・2200年・2300年・2500年・2600年・2700年は400で割り切れないので、これらの年は平年となる。", "title": "暦法" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "平年および閏年のそれぞれにおける各月の日数は、グレゴリオ暦でもユリウス暦と同じである。すなわち、1月・3月・5月・7月・8月・10月・12月は31日、4月・6月・9月・11月は30日、2月は平年が28日、閏年は29日である。", "title": "暦法" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "上記の暦法(グレゴリオ暦)を1582年以前に遡って適用すると、200年3月1日から300年2月28日までは、ユリウス暦と同じ日付となる(ユリウス通日も参照)。これは以下の経緯による。", "title": "暦法" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "下記のようにグレゴリオ暦での平均の1年(365.2425日)は、実際に観測される平均太陽年(2013年年央)に比べて約26.821秒(= 約0.000310428日)だけ長い。このずれは約3221年かけて1日に達する。", "title": "精度" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "以上のように、ユリウス暦では1日のずれが生じるまでに約128年しかかからなかったのに対して、グレゴリオ暦では同じく1日のずれが生じるまでに約3221年を要するまでに精度が高まった。", "title": "精度" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "デイヴィッド・E・ダンカン(英語版)によると、1997年時点では、1582年以来の誤差が累積して、すでに約2時間59分12秒だけ進んでいる。", "title": "精度" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "なお、上記の計算は平均太陽年が不変であるとした場合のものである。実際には平均太陽年は100年(正確には1ユリウス世紀)ごとに0.532秒ずつ短くなっている(太陽年の項を参照)。このため、3221年後には、約17秒ほど平均太陽年が短くなっていることを考慮すると、グレゴリオ暦との1日のずれはもっと早い時点で起こることになる(太陽年#太陽年の変化、平均太陽年の計算式(英語版))。", "title": "精度" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "また、春分日時の間隔に着目した誤差は歳差などの影響により上記の計算とは異なり、西暦2000年時点で7700年に1日、日本で明治改暦が行われた1873年の時点で7200年に1日となる。", "title": "精度" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "月日を導く暦法そのものと年数を数える紀元(紀年法)は別の概念であるが、上述のように、グレゴリオ暦はその置閏法をキリスト紀元の年数に基づいて定めるものとして制定されているので、キリスト紀元と不可分一体の関係にある。ところで、キリスト紀元の正式名称は、グレゴリオ暦改暦勅書(Inter Gravissimas)末尾の日付にもある通り、\"anno incarnationis dominicae\" すなわち「主(イエス・キリスト)の受肉(受胎)から数えた年数」である。この点からすれば、キリスト紀元年を1つ繰り上げるべき日すなわち新年は、イエスが受胎した日すなわち受胎告知日の3月25日が正当となるはずである。実際、改暦直前のローマ教皇庁自身が、3月25日を年初とするユリウス暦を使用していた。しかしグレゴリオ暦は、ユリウス・カエサルがユリウス暦を制定した当時の新年すなわち1月1日をその年初とする方法を採用した。したがってグレゴリオ暦では常に1月1日にキリスト紀元年数が1つ増える。なお、グレゴリオ暦月日の年数として記されていても、ローマ教皇庁の公文書に記されていた教皇在位年数や、イギリスおよび英連邦王国諸国の公文書で近年まで使われていた国王在位年数(regnal year)などは、日本の元号と異なり即位日をもって年数が一つ増加する。", "title": "キリスト紀元とグレゴリオ暦の新年" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ユリウス暦と太陽年(実際の季節)とのずれは、13世紀の哲学者ロジャー・ベーコンが指摘してから300年もの間顧みられず、16世紀になって宗教上の問題が顕著になるまで放置された。このずれを修正し新たにグレゴリオ暦を制定した後も、それがローマ教皇による発令だったので、その導入時期は国・地域によってまちまちであった。カトリックの国は比較的早く導入したが、一方でそうでない国では宗派上の対立もあって、導入までに少なくとも100年以上かかった。正教会の大半は現在も改暦せずユリウス暦を使用し続けている。非キリスト教国においては、1873年の日本の明治改暦を皮切りに、徐々にグレゴリオ暦を導入する国家が増加していった。", "title": "各国・各地域における導入" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "グレゴリオ暦の制定後、実施日である1582年10月15日に即座にこの暦を導入したのは、カトリックを奉じるイタリア諸国、スペイン、スペインに併合されていたポルトガル、ポーランドである。フランスは2か月ほど遅れたものの、1582年中に導入を果たした。1583年には神聖ローマ帝国のカトリック諸邦で、1584年にはスイスのカトリック諸州で導入され、カトリック諸国の改暦は数年を経ずして完了した。", "title": "各国・各地域における導入" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "プロテスタント諸国は、グレゴリオ暦への改暦に消極的だった。その理由の一つとして、復活祭の日付の決定がある。自らの祭事の日付をカトリックが定めた暦によって決められることを嫌ったのである。しかし、ユリウス暦の日付がずれており、ずれた日付を基に祭日を決めることに問題があることは、プロテスタントの宗教家も認識はしていた。したがって、グレゴリオ暦はプロテスタントにも徐々に浸透した。", "title": "各国・各地域における導入" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "最も早くグレゴリオ暦を導入したのは、ドイツのプロテスタント諸国であった。1699年のレーゲンスブルク帝国議会において、日付の決定のみグレゴリオ暦を使用するが、復活祭の日付の計算にはプロテスタントのドイツ人天文学者ヨハネス・ケプラーが作成したルドルフ星表を使うということで妥協した。この暦は改良帝国暦と呼ばれた。しかし、ケプラーはグレゴリオ暦の方が優れていることを知っていたので、日付計算はすべてグレゴリオ暦で行っていた。このため、実質的には改良暦はグレゴリオ暦で計算するのとほぼ同じだった。この妥協はうまくいき、1700年に実施された際には隣国デンマークもこれに倣い、周辺のプロテスタント諸国も徐々にこれに追随していった。", "title": "各国・各地域における導入" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "1752年にはイギリスが帝国全域においてグレゴリオ暦を導入、1753年にはスウェーデンが独自暦だったスウェーデン暦を廃止してグレゴリオ暦に完全移行し、全てのプロテスタント諸国がグレゴリオ暦を導入することになった。", "title": "各国・各地域における導入" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "正教会が優勢な東欧では、導入までにより長い時間がかかった。16世紀に、コンスタンディヌーポリ全地総主教イェレミアス2世はグレゴリオ暦を否認し、他の正教会でもグレゴリオ暦を承認する教会はなかった。このことはブレスト合同が不完全なものに終わる結果にも影響があった。", "title": "各国・各地域における導入" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "グレゴリオ暦を使用するフィンランド正教会を除き、エルサレム総主教庁、グルジア正教会、ロシア正教会、セルビア正教会、日本正教会を含む正教会は、現在でもユリウス暦を使用している。", "title": "各国・各地域における導入" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "ロシアで最も強い影響力をもつロシア正教会は正教会に属しており、現在でもユリウス暦を使用している。同国で1917年グレゴリオ暦3月に起きた革命を「2月革命」、同11月に起きた革命を「10月革命」と呼称するのは、ロシア革命が起きた1918年までユリウス暦を使用していたからである。 ロシア革命後のコンスタンディヌーポリ教会が1923年に採用した暦は修正ユリウス暦(通称:ロシア暦/英語: Revised Julian calendar)と呼ばれるものであり、厳密にはグレゴリオ暦ではないが、グレゴリオ暦とユリウス暦の月日の修正が行われ、2800年までは二つの暦の間にずれが出ないようになっている。なお、2800年以降は再びずれが生じる。 現在ロシア国内では、正教会を除きグレゴリオ暦を使用している。したがって、ユリウス暦12月25日の降誕祭は、ロシアのカレンダーでは「1月7日」と表示されている。", "title": "各国・各地域における導入" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "他方、復活大祭の算出にはすべての正教会がユリウス暦を使用するので、復活祭およびそれに伴う祭日・斎日はフィンランド正教会以外の正教会が一致して祝っている。ただし、これはユダヤ教の祭日が決まった後でキリスト教の祭日を決定するという、初期のキリスト教の祭日決定法に従っているからであり、グレゴリオ暦を導入していないことによるものではない。ユダヤ教では1年の長さがユリウス暦とほぼ同じユダヤ暦を基準にして祭日を決定するので、正教会では完全にグレゴリオ暦に移行できないだけである。", "title": "各国・各地域における導入" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "アルメニア使徒教会では、1923年以来グレゴリオ暦が採用されている。ただし、エルサレムのアルメニア総主教区に関しては例外的にユリウス暦を使用している。", "title": "各国・各地域における導入" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "シリア正教会においては地域により、あるいは各信徒内での伝統の差異により、ユリウス暦とグレゴリオ暦が併用されている。", "title": "各国・各地域における導入" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "コプト正教においてはグレゴリオ暦は採用されておらず、独自のコプト暦が用いられている。", "title": "各国・各地域における導入" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "アッシリア東方教会では1964年に当時のアッシリア総主教マル・エシャイ・シムン23世(英語版)が行った宗教的改革の一環としてグレゴリオ暦が採用されている。ただしこの改革はすべての信徒に受け入れられた訳ではなく、改革に反対する信徒の一部は古代東方教会(英語版)として分離独立している。", "title": "各国・各地域における導入" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "詳細なリストは、en:List of adoption dates of the Gregorian calendar by countryを参照。", "title": "各国・各地域における導入" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "グレゴリオ暦は、ユリウス暦に比べはるかに精度が高くなっているが、それでも上記の通り誤差は完全に解消されたわけではない。そもそも地球の自転周期と公転周期の比は整数の比になっていない以上、この誤差は必然的に生ずるものである。", "title": "問題点と改暦運動" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "また年初の日付が、天文学的な現象とは関係がない日付であることや、各月の日数が不規則であること、1年の日数が週の倍数になっていないため、暦日と曜日が一致しないことなどの問題点が指摘され、しばしば改暦運動が盛り上がった。こうした改暦運動で実施されたものは、1793年にフランスで施行されたフランス革命暦のみであるが、合理性に徹するあまりそれまでの週や七曜の廃止を行うなどして大混乱を招き、1806年にはグレゴリオ暦に復帰した。しかしその後も、世界暦への改暦提案などがしばしばなされている。", "title": "問題点と改暦運動" } ]
グレゴリオ暦は、ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じ、1582年10月15日金曜日(グレゴリオ暦)から行用されている暦法である。 グレゴリオ暦は、現行太陽暦として日本を含む世界各国で用いられており、グレゴリオ暦を導入した地域では、ユリウス暦(旧暦)に対比して新暦と呼ばれる場合もある。紀年法はキリスト紀元(西暦)を用いる。 グレゴリオ暦の本質は、平年では1年を365日とするが、400年間に(100回ではなく)97回の閏年を置いてその年を366日とすることにより、400年間における1年の平均日数を 365日 + (97/400)日 = 365.2425日(365日5時間49分12秒)とすることである。この平均日数365.2425日は、実際に観測で求められる平均太陽年(回帰年)の365.242189572日(2013年年央値)に比べて約26.821秒長いだけであり、ユリウス暦に比べると格段に精度が向上した。
'''グレゴリオ暦'''(グレゴリオれき、{{Lang-la-short|Calendarium Gregorianum}}、{{Lang-it-short|Calendario gregoriano}}、{{Lang-en-short|Gregorian calendar}})は、[[教皇|ローマ教皇]][[グレゴリウス13世 (ローマ教皇)|グレゴリウス13世]]が[[ユリウス暦]]の改良を命じ、[[1582年]][[10月15日]][[金曜日]](グレゴリオ暦){{Efn|この日は、[[ユリウス通日]]では「{{val|2299160.5}}」に、ユリウス暦では「1582年10月5日」に相当する。}}から行用されている[[暦法]]である。 グレゴリオ暦は、現行[[太陽暦]]として日本を含む{{Efn|日本の公文書には[[西暦]]も[[和暦]]も義務付けた法令が存在せず、省庁や自治体がどちらを使用するかはそれぞれの判断に任されている<ref>{{Cite news | title = 公文書の西暦表記、義務づけ見送り 政府方針 | newspaper = [[日本経済新聞]] | date = 2018-8-20 | accessdate = 2021-12-27 | url = https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34347110Q8A820C1PP8000/}}</ref>。}}世界各国で用いられており、グレゴリオ暦を導入した地域では、ユリウス暦(旧暦)に対比して'''[[新暦]]'''({{Lang-la|''Ornatus''}})と呼ばれる場合もある{{Efn|日本は1873年(明治6年)からグレゴリオ暦に移行し、それまでの[[天保暦]]を旧暦、導入したグレゴリオ暦を新暦と呼ぶ。}}。[[紀年法]]はキリスト紀元([[西暦]])を用いる。 <!--現代の[[西暦]]はこのグレゴリオ暦を指すが、日本では[[紀年法]]としてのキリスト紀元も西暦と呼ばれることがあり<ref>大辞林 第三版、[http://m-words.jp/w/E8A5BFE69AA6.html マネー辞典]など。</ref>、暦法と紀年法とが混同されている。--> グレゴリオ暦の本質は、[[平年]]では1年を365日とするが、400年間に(100回ではなく)97回の[[閏年]]を置いてその年を366日とすることにより、400年間における1年の平均日数を 365日 + (97/400)日 = {{val|365.2425}}日(365日5時間49分12秒)とすることである。この平均日数{{val|365.2425}}日は、実際に観測で求められる平均[[太陽年]](回帰年)の{{val|365.242189572}}日(2013年年央値)に比べて約26.821秒長いだけであり、ユリウス暦に比べると格段に精度が向上した{{Efn|ユリウス暦での1年は、平均太陽年より約675秒長い。}}。 {{Today/旧暦/CE/AH}} == 制定に至る背景 == キリスト教徒にとって[[復活祭]]は特に重要な祝祭日である。[[新約聖書]]において、[[イエス・キリスト]]の[[処刑]]と復活の記事は、[[太陰太陽暦]]である[[ユダヤ暦]]に基づいて記述されており、イエスの処刑日は[[ユダヤ教]]の[[過越し]]の日の前日すなわちニサン月14日([[ヨハネによる福音書]])または過越祭第一日目の同月15日([[共観福音書]])とある。このユダヤ暦ニサン月は[[春分]]の頃に来る太陰月であり、[[メソポタミア文明]]の暦においては伝統的に正月(新年)とされていたものである。 ローマ帝国領では紀元前45年に[[ユリウス・カエサル]]によって制定された太陽暦である[[ユリウス暦]]を採用していたため、ローマ帝国領に住むキリスト教徒には復活祭をいつ祝うかが問題となった。初期の教会ではさまざまな方法が採用されており、ユダヤ暦に従ってニサン月15日に祝う教会や、曜日を重視してニサン月14日の直後の[[日曜日]]を復活日とする教会もあった。 他方で、エジプト暦の伝統を持つ[[アレクサンドリア教会|アレクサンドリアの教会]]では、[[ディオクレティアヌス紀元]]、[[コプト暦]]および[[メトン周期]]を用いて季節(太陽年)と月齢(太陰月日)を独自に計算した。季節と月齢を合わせる基準日を設け、そこからメトン周期を用いて太陰年と太陽年の差を修正しながら各年の「ほぼ同じ季節に該当する太陰月日(同じ月齢の日)」を計算していけば、擬似的な太陰太陽暦を編纂するのと実質的に同じことができるのである。この方法を[[コンプトゥス]]という。ユダヤ暦ニサン月は春分の頃に訪れる太陰月であるから、春分日を基準とし、アレクサンドリア教会では春分後最初の太陰月14日のすぐ後の日曜日を復活日とした。 しかし、初期からユリウス暦と実際の[[太陽年]]のずれが問題になった。ユリウス暦は暦年の平均日数を{{val|365.25}}日するが、実際の[[太陽年]]は約{{val|365.24219}}日であるから、春分日が毎年ずれていくのである。実際、ローマ帝国ではユリウス暦施行間もない頃から3月25日を春分日とする慣習があったが{{Efn|この日は後にキリスト教に取り入れられ、[[聖母マリア]]がイエスを[[妊娠|身ごもった]]日「[[受胎告知]]日」として、太陽暦で祝われるイエスの誕生日12月25日すなわち[[クリスマス]]と対をなす祝祭日となり、更に中世のユリウス暦においては広く新年として扱われるようになっていく。}}、4世紀の段階で天文学的な春分日は3月21日ごろとなっており、[[第1ニカイア公会議|第一次ニケーア公会議]]では「ユリウス暦3月21日の後、最初の太陰月14日のすぐ後の日曜日を復活日」を復活祭期日とした。 このような経緯で復活祭日が定められたが、結局後年にはユリウス暦と太陽年のずれが問題視された。[[イングランド]]の[[教会博士]]であった[[ベーダ・ヴェネラビリス]]は、725年にはユリウス暦にはずれがあり、それはすでに3日間以上になっていること、このずれは今後拡大すると指摘している{{Refnest|例えば1550年のローマのユリウス暦では、春分点が現地時間で3月11日午前6時51分になる<ref>{{Cite web |url=http://www.timeanddate.com/calendar/seasons.html?year=1550&n=215 |title=Seasons calculator |accessdate=2018-09-03}}</ref>}}。 さらにメトン周期もわずかに朔望月(太陰月)とずれているため、310年ごとに1日の誤差が蓄積されていた。13世紀の[[ロジャー・ベーコン]]は、ずれは7日間から8日間に及んでいると推定し、[[ダンテ・アリギエーリ]]もユリウス暦の改定の必要性を説いている。 また、復活祭日が太陰月日(月齢)に準拠する方法で定められていると、ユリウス暦3月21日の月齢次第で、復活祭日の季節が1ヶ月前後してしまうという問題が生じた。 [[16世紀]]後半になると3月21日の[[春分]]日は実際の春分日から10日間弱ものずれが生じていた。[[カトリック教会|ローマ・カトリック教会]]は改暦委員会に暦法改正を委託した。この改暦は[[対抗宗教改革]]の一環としてなされたものであって、改暦に関しては賛成・反対の立場から大きな論争となった。 == ユリウス暦によるずれ == 1582年10月4日まで用いられていた[[ユリウス暦]]では、[[平年]]は1年を365日とし、4年ごとに置く[[閏年]]を366日とし、これによって平均年を365.25日としていた。 : ( 365 + 1/4 )日 = 365.25(日)……1年間の平均日数(平均年)= 365日6時間 = 正確に{{val|31557600}}秒 しかし、平均[[太陽年]]、つまり実際に地球が太陽の周りを1周する平均日数は、365日5時間48分45.179秒 = {{val|31556925.179}}秒 = 約{{val|365.242189572}}日(2013年年央)<ref name="名前なし-1">天文年鑑2013年版、p190(このページの執筆者:井上圭典)ISBN 9784416212851</ref>である。したがって、[[ユリウス暦]]の1年は、実際の1[[太陽年]]に比べて、365.25日 − 約365.2422日 = 約{{val|0.0078}}日(約11分15秒)長い。このずれは下記の計算のとおり、約128年で1日になる。 ユリウス暦は、その制定当時の天文観測水準を考えればかなりの精度だったが、千数百年も暦の運用が続くと、天文現象の発生日時と暦の上の日付の乖離は無視できないものとなり、16世紀末に10日ものずれが生じていた。 : {{val|31557600}}秒/年 − {{val|31556925.179}}秒/年 = 674.821秒/年 = 11分14.821秒/年 …… 1年ごとのずれ : {{val|86400}}秒/日(= 1日)÷ 674.821秒/年 = 128.03年 …… 1日のずれが生じる年数 なお、上記の計算は2013年時点でのものであり、グレゴリオ改暦が議論された16世紀半ばの計算とは差異がある。 == 改暦委員会と改暦案の提案 == ユリウス暦による春分日のずれを、[[カトリック教会|ローマ・カトリック教会]]としても無視できなくなり<ref>{{Cite book|和書|author=デイヴィッド・E・ダンカン|authorlink=デイヴィッド・E・ダンカン|others=[[松浦俊輔]]訳|year=1998|month=12|title=暦をつくった人々 人類は正確な一年をどう決めてきたか|publisher=河出書房新社|page=15|isbn=4-309-22335-4|ref=ダンカン1998}}</ref>、[[第5ラテラン公会議]](1512-1517)において改暦が検討された。このとき[[フォッソンブローネ]]司教のミデルブルフのパウル([[:en:Paul of Middelburg]])(1446-1534)は、[[ニコラウス・コペルニクス|コペルニクス]]を含めてヨーロッパ中の学者に意見を求めた。しかし、コペルニクスは「太陽年の長さの精度は不十分であり、改暦は時期尚早である」と返答した<ref>[http://www.sites.hps.cam.ac.uk/starry/copercalen.html Copernicus and Calendar Reform] Starry Messenger,Department of History and Philosophy of Science, University of Cambridge, 1999. "Copernicus wrote in a response, which is now lost, but probably stated something along the position stated in the preface to his Revolutions, that reform of the calendar was premature because the precise length of the tropical year was not yet known with sufficient accuracy." </ref><ref>青木信仰、「時と暦」、東京大学出版会、1982年9月20日、ISBN 4130020269、p.83 コペルニクスは遠慮深く、「今の天文学は不確かで、暦を改良するほど知識が揃っていない」として断っている。</ref>。コペルニクスは彼の主著「[[天球の回転について]]」の序文でこのことを明記している<ref>[http://www.webexhibits.org/calendars/year-text-Copernicus.html De Revolutionibus (On the Revolutions)天球の回転について] Nicholas Copernicus, 1543 C.E., 序文 TO HIS HOLINESS, POPE PAUL III,NICHOLAS COPERNICUS’ PREFACE TO HIS BOOKS ON THE REVOLUTIONS の最後のパラグラフの中程。「For not so long ago under Leo X the Lateran Council considered the problem of reforming the ecclesiastical calendar. The issue remained undecided then only because the lengths of the year and month and the motions of the sun and moon were regarded as not yet adequately measured.」 </ref>。 次に、[[トリエント公会議]]([[1545年]] - [[1563年]])において、実際の春分日を[[第1ニカイア公会議]]の頃の3月21日(つまり修正すべきユリウス暦のずれの蓄積は公会議開催の325年からの約1240年間分にあたる約9.6日間で、これを10日のずれと見做した)に戻すため、教皇庁に暦法改正を委託した。時の教皇[[グレゴリウス13世 (ローマ教皇)|グレゴリウス13世]]は、これを受けて[[1579年]]にシルレト[[枢機卿]]を中心とする改暦委員会を発足させ、[[暦法]]の研究を始めさせた。この委員会のメンバーには、最初の改暦案を考案した天文学者の[[アロイシウス・リリウス]]の弟であるアントニウス・リリウス(Antonio Lilio)や数学者[[クリストファー・クラヴィウス]]らが含まれていた。 === 暦改正の新しい原理の大要 === [[アロイシウス・リリウス]]の提出した原稿そのものは残されていない。委員会は1577年にCompendium novae rationis restituendi kalendarium(Compendium of the New Plan for Restoring the Calendar: 暦改正の新しい原理の大要)という24ページの冊子を刊行した。この冊子も長い間、失われたと考えられていた。しかし、1981年10月に歴史家のゴードン・モイアー (Gordon Moyer) が発見した。モイアーは最初、Biblioteca Nazionale Centrale di Firenze([[フィレンツェ国立中央図書館]])で発見し、その後、[[バチカン図書館]]、[[シエーナ]]のイントロナティ市立図書館(Biblioteca Comunale degli Intronati de Siena)でも発見した。さらに、Polytechnic Institute of New YorkのThomas B. Settle も1975年に フィレンツェのBiblioteca Marucelliana と[[フィレンツェ国立中央図書館]]で同じ冊子を発見していたことが分かり、少なくとも7冊が現存していることが明らかになった<ref>G Moyer (1983),[https://articles.adsabs.harvard.edu/full/book/grc../1983//0000173.000.html "Aloisius Lilius and the 'Compendium novae rationis restituendi kalendarium'"], pp.173-174, in G.V. Coyne (ed.), ''The Gregorian Reform of the Calendar: Proceedings of the Vatican conference to commemorate its 400th anniversary'' (Vatican City: Specola Vaticana), 1983. SAO/NASA Astrophysics Data System (ADS)</ref> この冊子によると、アロイシウスは1252年に書かれた[[アルフォンソ天文表]]における365日5時間49分16秒 = 365.242 5463日を採用し<ref>[http://articles.adsabs.harvard.edu/full/book/grc../1983//0000182.000.html GREGORIAN REFORM OF THE CALENDAR - Proceedings of the Vatican Conference to commemorate its 400th Anniversary 1582-1982] p.182</ref>、改暦案を考案した。しかし、アロイシウスは1576年に死亡しており、その年に実際に案を委員会に提出したのは弟のアントニウス・リリウス(Antonio Lilio)である<ref>[http://articles.adsabs.harvard.edu/full/book/grc../1983//0000172.000.html GREGORIAN REFORM OF THE CALENDAR - Proceedings of the Vatican Conference to commemorate its 400th Anniversary 1582-1982] p.172</ref><ref>[http://adsbit.harvard.edu/full/book/grc../1983//0000172.000.html "Aloisius Lilius and the 'Compendium novae rationis restituendi kalendarium'"] p.172, '''"a book was brought to us by our beloved son Antonio Lilio, doctor of arts and medicine, which his brother Aloysius had formerly written..."''', Gordon Moyer (1983),''The Gregorian Reform of the Calendar: Proceedings of the Vatican conference to commemorate its 400th anniversary'' (Vatican City: Specola Vaticana), 1983. </ref><ref>{{Cite book|和書|author=デイヴィッド・E・ダンカン|authorlink=デイヴィッド・E・ダンカン|others=[[松浦俊輔]]訳|year=1998|month=12|title=暦をつくった人々 人類は正確な一年をどう決めてきたか|publisher=河出書房新社|page=266, 277|isbn=4-309-22335-4|ref=ダンカン1998}}</ref>。 === ずれ修正の二つの提案 === ユリウス暦の約1240年間の運用により蓄積された約10日間のずれをどのように修正するかについては、次の2案が委員会に提出された。 * 第1案:1584年以降の40年間にわたって、閏日を設けない。 ::40年 ÷ 4年 = 10 であるから、これによって、10日間だけ暦を進めることができる。 * 第2案:1582年の最も適当な月に10日間を省く。 結局、委員会は、第2案を採用したのである<ref>[http://articles.adsabs.harvard.edu/full/book/grc../1983//0000172.000.html GREGORIAN REFORM OF THE CALENDAR - Proceedings of the Vatican Conference to commemorate its 400th Anniversary 1582-1982] pp.182-183</ref>。 === どの月から10日間を省くか === 10日間を省く月を1582年の10月にしたことについて、[[クリストファー・クラヴィウス|クラヴィウス]]は、「単に10月が宗教典礼日(religious observance)が最も少ない月であり、教会への影響が最小だからだ」と説明している<ref>[http://articles.adsabs.harvard.edu/full/book/grc../1983//0000172.000.html GREGORIAN REFORM OF THE CALENDAR - Proceedings of the Vatican Conference to commemorate its 400th Anniversary 1582-1982] p.183 クラヴィウスからMichael Maestlin への返書による。</ref>。 == 改暦の実施 == 改暦委員会の作業の末に完成した新しい暦は[[1582年]][[2月24日]]に[[グレゴリウス13世 (ローマ教皇)|グレゴリウス13世]]の教皇勅書として発布された<ref>[https://www.bluewaterarts.com/calendar/NewInterGravissimas.htm Inter Gravissimas] Issued by Pope Gregory XIII, February 24, 1582、グレゴリウス13世が発布した教皇勅書の全文、ラテン語・フランス語・英語の3言語版、英語版はBill Spencer( November 1999, revised March 2002)によるフランス語とラテン語からの[[重訳]]</ref><ref>英語版のみ、[https://myweb.ecu.edu/mccartyr/intGrvEng.html Inter Gravissimas] Home Page for Calendar Reform, Bill Spencer, November 24-28, AD 1999</ref>。この勅書は、"Inter gravissimas"の語(「最も重要な関心事の中でも」の意)から始まるので、“[[:en:Inter gravissimas]]”と称される<ref>[https://kguopac.kanto-gakuin.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=NI30000703&elmid=Body&fname=006.pdf&loginflg=on&block_id=_296&once=true 表現としての時刻――江戸期まで―] 多ヶ谷 有子、p.86, 脚注29、関東学院大学文学部 紀要 第131号(2014)</ref>。 この勅書は[[ユリウス暦]][[1582年]][[10月4日]][[木曜日]]の翌日を、'''曜日を連続させながら'''、グレゴリオ暦[[1582年]][[10月15日]][[金曜日]]とすることを定め、その通りに実施された。 {| class="wikitable" style="text-align: center;" |+ グレゴリオ暦の実施日前後の日付 ! 適用の暦 !!年月日 !! 曜日 !! [[真夜中|0時]]([[世界時]])の<br />[[ユリウス日]] |- ! ユリウス暦||1582年10月03日 | 水曜日 || {{val|2299158.5}} |- ! ユリウス暦 ||1582年10月04日 | 木曜日 || {{val|2299159.5}} |- ! グレゴリオ暦 ||1582年10月15日 | 金曜日 || {{val|2299160.5}} |- ! グレゴリオ暦 ||1582年10月16日 | 土曜日 || {{val|2299161.5}} |} {{1582年10月のカレンダー|float=left}} {{Clear}} ただし、上記の日付通りに改暦を実施したのは、イタリア、スペイン、ポルトガルなどごく少数の国に過ぎず<ref>{{Cite book|和書|author=デイヴィッド・E・ダンカン|authorlink=デイヴィッド・E・ダンカン|others=[[松浦俊輔]]訳|year=1998|month=12|title=暦をつくった人々 人類は正確な一年をどう決めてきたか|publisher=河出書房新社|page=pp.298-299|isbn=4-309-22335-4|ref=ダンカン1998}}</ref>、その他のヨーロッパの国々での導入は遅れた。 == 暦法 == グレゴリオ改暦が議論され始めていた1560年ごろには、平均太陽年は、約365.2422日であることが知られていた。(365.25日 − 365.2422日)× 400年 = 3.12日/400年 であるから、ユリウス暦における置閏法(400年間で100回の閏年)に比べて400年間に3回の閏年を省けば、かなりよい近似となることが分かる。このため、グレゴリオ暦では、400年間に、97回 (= 100 − 3) の[[閏年]]を置くこととして、1年の平均日数を365.2425日 = 365日5時間49分12秒 = 正確に{{val|31556952}}秒 とした。 : 365日 + 97/400 = 365.2425(日/年)…… グレゴリオ暦による1年の平均日数 なお、400年間の日数は、365.2425 × 400 = 146 097日であり、これは7で割り切れる({{val|146097}} ÷ 7 = {{val|20871}}[[週]])ので、グレゴリオ暦は、[[曜日]]も含めて400年[[周期]]の[[暦]]である。 {| class="wikitable" |+ 400年間における閏年の回数の差 ! 暦法 !! 閏年 !! 平年 !! 合計 |- ! ユリウス暦 | 100回 || 300回 || 400回 |- ! グレゴリオ暦 | 97回 || 303回 || 400回 |} 400年間に3回の[[閏年]]を省くには様々な方法があり得るが、3回の[[平年]]がなるべく均等に分布すること、わかりやすく記憶しやすいことを考慮して、「[[西暦|西暦紀元(西暦)]]の年数が、100で割り切れるが400では割り切れない年は、[[平年]]とする。これ以外の年では、西暦年数が[[複偶数|4で割り切れる]]年は閏年とする。」というルールが採用された。 100で割り切れる年は400年間に4回あるが、400で割り切れる年は400年間に1回だけである。以上のルールによって、ユリウス暦では閏年になる3回分の年を、グレゴリオ暦では平年とすることができるのである。 100で割り切れる年のうち、西暦[[1600年]]・[[2000年]]・[[2400年]]は400で割り切れるので、これらの年は閏年のままである。しかし、西暦[[1700年]]・[[1800年]]・[[1900年]]・[[2100年]]・[[2200年]]・[[2300年]]・[[2500年]]・2600年・2700年は400で割り切れないので、これらの年は平年となる。 {| class="wikitable" style="text-align:center;" | |+ 100で割り切れる西暦年の平年と閏年 ! 西暦年 !! 平閏の区分 ! 備考 |- | 1600年・2000年・2400年 || '''閏年''' |400で割り切れる年 |- | 1700年・2100年・2500年 || 平年 | |- | 1800年・2200年・2600年 || 平年 | |- | 1900年・2300年・2700年 || 平年 | |} [[平年]]および[[閏年]]のそれぞれにおける各月の日数は、グレゴリオ暦でもユリウス暦と同じである。すなわち、1月・3月・5月・7月・8月・10月・12月は31日、4月・6月・9月・11月は30日、2月は[[平年]]が28日、[[閏年]]は29日である。 === 先発グレゴリオ暦とユリウス暦 === {{Main|先発グレゴリオ暦}} 上記の暦法(グレゴリオ暦)を[[1582年]]以前に遡って適用すると、[[200年]][[3月1日]]から[[300年]][[2月28日]]までは、ユリウス暦と同じ日付となる([[ユリウス通日]]も参照)。これは以下の経緯による。 # [[#制定に至る背景|「制定に至る背景」の節]]にあるように、[[第1ニカイア公会議]]にて、春分日たるユリウス暦3月21日直後の太陰月14日の直後の日曜日を、復活祭とすることが決定された。 # しかし、ユリウス暦1582年には、[[#ユリウス暦によるずれ|ユリウス暦の精度があまり良くなかったこと]]によって、春分日とユリウス暦3月21日の間に約10日の差が生じており、ユリウス暦の使用を続ければ、[[キリスト紀元|西暦]][[1583年]]に含まれる春分日もまた、3月21日ではなくなってしまう。 # 西暦1582年10月15日(グレゴリオ暦)に上記の暦法が導入されたことで、西暦1583年からは3月21日と春分日とが基本的に一致するようになり{{Efn|ただし、[[#精度|下記]]のように、将来、再びズレを生じることになる。「基本的に」が意味するのは、それまでの当面の間ということである。}}、第1ニカイア公会議での決定と矛盾しなくなった。 # その結果として、ユリウス暦と1582年以前に遡って適用されたグレゴリオ暦(先発グレゴリオ暦)の日付が、200年3月1日から300年2月28日にかけて、たまたま一致する。 == 精度 == 下記のようにグレゴリオ暦での平均の1年(365.2425日)は、実際に観測される平均[[太陽年]](2013年年央)に比べて約26.821秒(= 約{{val|0.000310428}}日)だけ長い。この[[誤差|ずれ]]は約3221年かけて1日に達する。 :365 .2425日/年 × {{val|86400}}秒/日 = {{val|31556952}}秒/年 :{{val|31556952}}秒/年 − {{val|31556925.179}}秒/年<ref name="名前なし-1"/> = 26.821秒/年 …… 1年ごとのずれ :{{val|86400}}秒/日(= 1日)÷ 26.821秒/年 = 3221.36(年)…… 1日のずれが生じる年数 以上のように、[[ユリウス暦]]では1日のずれが生じるまでに約128年しかかからなかったのに対して、グレゴリオ暦では同じく1日のずれが生じるまでに約3221年を要するまでに精度が高まった。 {{仮リンク|デイヴィッド・E・ダンカン|en|David Ewing Duncan}}によると、1997年時点では、1582年以来の誤差が累積して、すでに約2時間59分12秒だけ進んでいる<ref>{{Cite book|和書|author=デイヴィッド・E・ダンカン|authorlink=デイヴィッド・E・ダンカン|others=[[松浦俊輔]]訳|year=1998|month=12|title=暦をつくった人々 人類は正確な一年をどう決めてきたか|publisher=河出書房新社|page=p.333|isbn=4-309-22335-4|ref=ダンカン1998}} ダンカンは1年につき約25.96秒の誤差があるとし、1582年10月から1997年年初までの累積時間を計算している。</ref>。 なお、上記の計算は平均[[太陽年]]が不変であるとした場合のものである。実際には平均[[太陽年]]は100年(正確には1[[ユリウス年#ユリウス世紀|ユリウス世紀]])ごとに0.532秒ずつ短くなっている([[太陽年]]の項を参照)。このため、3221年後には、約17秒ほど平均[[太陽年]]が短くなっていることを考慮すると、グレゴリオ暦との1日のずれはもっと早い時点で起こることになる([[太陽年#太陽年の変化]]、[[:en:Tropical year#Mean tropical year current value|平均太陽年の計算式(英語版)]])。 また、春分日時の間隔に着目した誤差は[[歳差]]などの影響により上記の計算とは異なり、西暦2000年時点で7700年に1日<ref>[[ジャン・メーウス|Meeus, J.]] & Savoie, D. (1992) “The history of the tropical year” Journal of the British Astronomical Association, 102(1) p. 42による。</ref>、日本で明治改暦が行われた[[1873年]]の時点で7200年に1日<ref>[[ジャン・メーウス|Meeus, J.]] “Astronomical Algorithms” (1991) p.166 および 須賀隆 “「七千年ノ後僅ニ一日」の謎” 日本暦学会 第21号 (2014) p.5 表2 による。</ref>となる。 ==キリスト紀元とグレゴリオ暦の新年== 月日を導く暦法そのものと年数を数える紀元([[紀年法]])は別の概念であるが、上述のように、グレゴリオ暦はその置閏法を[[西暦紀元|キリスト紀元]]の年数に基づいて定めるものとして制定されているので、キリスト紀元と不可分一体の関係にある。ところで、キリスト紀元の正式名称は、グレゴリオ暦改暦勅書(Inter Gravissimas)末尾の日付にもある通り、"anno incarnationis dominicae" すなわち「主(イエス・キリスト)の受肉(受胎)から数えた年数」である。この点からすれば、キリスト紀元年を1つ繰り上げるべき日すなわち新年は、イエスが受胎した日すなわち受胎告知日の3月25日が正当となるはずである。実際、改暦直前のローマ教皇庁自身が、3月25日を年初とするユリウス暦を使用していた。しかしグレゴリオ暦は、ユリウス・カエサルがユリウス暦を制定した当時の新年すなわち1月1日をその年初とする方法を採用した{{Efn|この1月1日年初は、グレゴリオ改暦前にすでにヨーロッパ各地に広まりつつあった。}}。したがってグレゴリオ暦では常に1月1日にキリスト紀元年数が1つ増える。なお、グレゴリオ暦月日の年数として記されていても、ローマ教皇庁の公文書に記されていた教皇在位年数や、[[イギリス]]および[[英連邦王国]]諸国の公文書で近年まで使われていた国王在位年数(regnal year)などは、日本の[[元号]]と異なり即位日をもって年数が一つ増加する。 == 各国・各地域における導入 == ユリウス暦と太陽年(実際の季節)とのずれは、[[13世紀]]の哲学者[[ロジャー・ベーコン]]が指摘してから300年もの間顧みられず、16世紀になって宗教上の問題が顕著になるまで放置された。このずれを修正し新たにグレゴリオ暦を制定した後も、それがローマ教皇による発令だったので、その導入時期は国・地域によってまちまちであった。[[カトリック教会|カトリック]]の国は比較的早く導入したが、一方でそうでない国では宗派上の対立もあって、導入までに少なくとも100年以上かかった。正教会の大半は現在も改暦せずユリウス暦を使用し続けている。非キリスト教国においては、[[1873年]]の[[日本]]の[[明治改暦]]を皮切りに、徐々にグレゴリオ暦を導入する国家が増加していった。 === カトリック === グレゴリオ暦の制定後、実施日である1582年10月15日に即座にこの暦を導入したのは、カトリックを奉じるイタリア諸国、スペイン、スペインに併合されていたポルトガル、ポーランドである。フランスは2か月ほど遅れたものの、1582年中に導入を果たした。1583年には神聖ローマ帝国のカトリック諸邦で、1584年にはスイスのカトリック諸州で導入され、カトリック諸国の改暦は数年を経ずして完了した。 === プロテスタント === [[プロテスタント]]諸国は、グレゴリオ暦への改暦に消極的だった。その理由の一つとして、[[復活祭]]の日付の決定がある。自らの祭事の日付をカトリックが定めた暦によって決められることを嫌ったのである。しかし、ユリウス暦の日付がずれており、ずれた日付を基に祭日を決めることに問題があることは、プロテスタントの宗教家も認識はしていた。したがって、グレゴリオ暦はプロテスタントにも徐々に浸透した。 最も早くグレゴリオ暦を導入したのは、ドイツのプロテスタント諸国であった。[[1699年]]のレーゲンスブルク帝国議会において、日付の決定のみグレゴリオ暦を使用するが、復活祭の日付の計算にはプロテスタントのドイツ人天文学者[[ヨハネス・ケプラー]]が作成した[[ルドルフ星表]]を使うということで妥協した。この暦は改良帝国暦と呼ばれた。しかし、ケプラーはグレゴリオ暦の方が優れていることを知っていたので、日付計算はすべてグレゴリオ暦で行っていた。このため、実質的には改良暦はグレゴリオ暦で計算するのとほぼ同じだった。この妥協はうまくいき、1700年に実施された際には隣国デンマークもこれに倣い、周辺のプロテスタント諸国も徐々にこれに追随していった。 [[1752年]]にはイギリスが帝国全域においてグレゴリオ暦を導入、[[1753年]]にはスウェーデンが独自暦だった[[スウェーデン暦]]を廃止してグレゴリオ暦に完全移行し、全てのプロテスタント諸国がグレゴリオ暦を導入することになった。 === 正教会 === [[正教会]]が優勢な[[東欧]]では、導入までにより長い時間がかかった。16世紀に、[[コンスタンディヌーポリ総主教庁|コンスタンディヌーポリ全地総主教]][[イェレミアス2世 (コンスタンディヌーポリ総主教)|イェレミアス2世]]はグレゴリオ暦を否認し、他の正教会でもグレゴリオ暦を承認する教会はなかった。このことは[[ブレスト合同]]が不完全なものに終わる結果にも影響があった。 グレゴリオ暦を使用する[[フィンランド正教会]]を除き、[[エルサレム総主教庁]]、[[グルジア正教会]]、[[ロシア正教会]]、[[セルビア正教会]]、[[日本正教会]]を含む正教会は、現在でもユリウス暦を使用している。 [[ロシア]]で最も強い影響力をもつ[[ロシア正教会]]は正教会に属しており、現在でもユリウス暦を使用している。同国で[[1917年]]グレゴリオ暦3月に起きた革命を「[[2月革命 (1917年)|2月革命]]」、同11月に起きた革命を「[[10月革命]]」と呼称するのは、[[ロシア革命]]が起きた[[1918年]]までユリウス暦を使用していたからである。 ロシア革命後の[[コンスタンディヌーポリ総主教庁|コンスタンディヌーポリ教会]]が[[1923年]]に採用した暦は[[修正ユリウス暦]](通称:ロシア暦/{{Lang-en|[[:en:Revised Julian calendar|Revised Julian calendar]]}})と呼ばれるものであり、厳密にはグレゴリオ暦ではないが、グレゴリオ暦とユリウス暦の月日の修正が行われ、2800年までは二つの暦の間にずれが出ないようになっている。なお、2800年以降は再びずれが生じる。 現在ロシア国内では、正教会を除きグレゴリオ暦を使用している。したがって、ユリウス暦12月25日の[[降誕祭]]は、ロシアのカレンダーでは「1月7日」と表示されている。 他方、[[復活大祭]]の算出にはすべての正教会がユリウス暦を使用するので、復活祭およびそれに伴う[[祭日]]・[[斎日]]はフィンランド正教会以外の正教会が一致して祝っている。ただし、これは[[ユダヤ教]]の祭日が決まった後でキリスト教の祭日を決定するという、初期のキリスト教の祭日決定法に従っているからであり、グレゴリオ暦を導入していないことによるものではない。ユダヤ教では1年の長さがユリウス暦とほぼ同じ[[ユダヤ暦]]を基準にして祭日を決定するので、正教会では完全にグレゴリオ暦に移行できないだけである。 === 東方諸教会 === [[アルメニア使徒教会]]では、[[1923年]]以来グレゴリオ暦が採用されている{{要出典|date=2021年12月}}。ただし、[[エルサレム]]の[[エルサレム総主教庁#アルメニア使徒教会のエルサレム総主教|アルメニア総主教区]]に関しては例外的にユリウス暦を使用している<ref>{{cite web|url=http://www.churcharmenia.com/evangelical/evmain3_30_01b.html |title=When Is Easter This Year? |first=Ardem A.|last=Tajerian |work=ChurchArmenia.com |access-date=2014-10-13 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20120311000809/http://www.churcharmenia.com/evangelical/evmain3_30_01b.html |archive-date=2012-03-11}}</ref>。 [[シリア正教会]]においては地域により、あるいは各信徒内での伝統の差異により、ユリウス暦とグレゴリオ暦が併用されている{{要出典|date=2021年12月}}。 [[コプト正教]]においてはグレゴリオ暦は採用されておらず、独自の[[コプト暦]]が用いられている。 [[アッシリア東方教会]]では[[1964年]]に当時のアッシリア総主教{{仮リンク|マル・エシャイ・シムン23世|en|Shimun XXIII Eshai}}が行った宗教的改革の一環としてグレゴリオ暦が採用されている。ただしこの改革はすべての信徒に受け入れられた訳ではなく、改革に反対する信徒の一部は{{仮リンク|古代東方教会|en|Ancient Church of the East}}として分離独立している。 === 各国のグレゴリオ暦導入年月日 === 詳細なリストは、[[:en:List of adoption dates of the Gregorian calendar by country]]を参照。 * [[1582年]][[10月15日]] - [[イタリア]]、[[スペイン]]([[ポルトガル]]を含む)、[[サヴォイ公国]]、[[ポーランド・リトアニア共和国]] * [[1582年]][[12月20日]] - [[フランス王国]] 後に中断([[フランス革命暦|フランス共和暦]]) * [[1583年]][[1月1日]] - [[ベルギー]]、[[オランダ]]のカトリック諸邦 *: [[フランドル]]とベルギーの一部では、1582年12月21日の翌日(12月22日)を1583年1月1日とした。これは1582年のクリスマスを失ったことを意味する<ref>{{Cite book |和書 |author=デイヴィッド・E・ダンカン |authorlink=デイヴィッド・E・ダンカン |others=[[松浦俊輔]]訳 |year=1998 |month=12 |title=暦をつくった人々 : 人類は正確な一年をどう決めてきたか |publisher=河出書房新社 |page=p.299 |isbn=4-309-22335-4 |ref=ダンカン1998}}</ref>。 * 1583〜1587年 - [[ドイツ]]、[[スイス]]、[[ハンガリー]]のカトリック諸都市 * [[1700年]][[3月1日]] - ドイツのプロテスタント諸都市、[[デンマーク]] * [[1752年]][[9月14日]] - [[イギリス帝国]](後の[[アメリカ合衆国]]など当時の植民地すべて) * [[1753年]][[3月1日]] - [[スウェーデン]]([[フィンランド]]を含む) * [[1867年]][[10月18日]] - [[アラスカ]] *: [[国際日付変更線|日付変更線]]がアラスカの東側から西側に移動されたため、金曜日が2回連続して繰り返された。 * [[1873年]]([[明治]]6年)[[1月1日]] - [[日本]]([[明治改暦]]) * [[1896年]]([[建陽]]元年)1月1日 - [[大韓帝国]] * [[1912年]]([[民国紀元|民国]]元年)1月1日 - [[中華民国]](建国とともに採用、同年[[2月12日]]の[[清|清朝]]滅亡とともに国内全域で正式な暦となる) * [[1918年]][[2月14日]] - [[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国|ソビエト・ロシア]]([[1929年]][[10月1日]]に[[ソビエト連邦暦]]に移行した) * [[1923年]][[3月1日]] - [[ギリシャ]] * [[1940年]][[6月27日]] - [[ソビエト連邦]](1929年10月1日より採用されていた[[ソビエト連邦暦]]から復帰した) * [[1941年]] (2485[[タイ太陽暦]]年)- [[タイ王国]] * [[2016年]]春 - [[サウジアラビア]]<ref>[http://www.economist.com/news/middle-east-and-africa/21711938-hauling-saudi-arabia-21st-century-saudi-arabia-adopts-gregorian?fsrc=scn/fb/te/bl/ed/saudiarabiaadoptsthegregoriancalendar Saudi Arabia adopts the Gregorian calendar], The Economist, 2016-12-15.</ref> == 問題点と改暦運動 == グレゴリオ暦は、ユリウス暦に比べはるかに精度が高くなっているが、それでも上記の通り誤差は完全に解消されたわけではない。そもそも地球の自転周期と公転周期の比は整数の比になっていない以上、この誤差は必然的に生ずるものである。 また年初の日付が、天文学的な現象とは関係がない日付であること{{Efn|この暦法の制定は3月21日を[[春分点|春分]]とする[[第1ニカイア公会議|キリスト教の教義]]上の都合に由来し、そこから年初である1月1日が定まる。}}や、各月の日数が不規則であること、1年の日数が週の倍数になっていないため、暦日と曜日が一致しないことなどの問題点が指摘され<ref>「暦の大事典」朝倉書店 2014年7月20日初版第1刷</ref>、しばしば改暦運動が盛り上がった。こうした改暦運動で実施されたものは、[[1793年]]にフランスで施行された[[フランス革命暦]]のみであるが、合理性に徹するあまりそれまでの週や七曜の廃止を行うなどして大混乱を招き、[[1806年]]にはグレゴリオ暦に復帰した。しかしその後も、[[世界暦]]への改暦提案などがしばしばなされている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈&nbsp;=== {{Notelist|2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[複偶数]] * [[閏年]] * [[閏秒]] * [[ISO 8601]] - 日付と時刻の表記に関する標準 * [[ユリウス通日]] * [[先発グレゴリオ暦]] * [[2000年問題]] * [[2月29日]] * [[明治改暦]] == 外部リンク == {{Wiktionary|グレゴリオ暦}} * [http://www5a.biglobe.ne.jp/~accent/kazeno/calendar/index.htm 万年カレンダー] * {{Kotobank}} {{Time topics}} {{Chronology}} {{暦}} {{Time measurement and standards}} {{歴代李氏朝鮮暦|[[建陽]]1年([[1896年]]) - 現在}} {{歴代中国暦|[[中華民国暦|民国]]1年([[1912年]]) - 現在}} {{歴代和暦|明治6年([[1873年]]) - 現在}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:くれこりおれき}} [[Category:太陽暦]] [[Category:天文学に関する記事]] [[Category:1582年設立]] [[Category:グレゴリウス13世]] [[Category:エポニム]]
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閏年
閏年(うるうどし、じゅんねん、英語: leap year、intercalary year)とは、閏のある年である。これに対し、閏年ではない年を平年(へいねん、英語: common year)と呼ぶ。 閏年は、太陰太陽暦では、月の運行を基準にしていることで生じる季節(太陽の運行)とのずれを補正するために、平年より暦月が一つ多く、太陽暦では季節(天動説では太陽の運行)と暦のずれとを、太陰暦では月の運行とのずれを補正するために、平年より暦日が一つ多い。その追加された日や月を閏月・閏日、総称して閏と呼ぶ。閏の挿入規則を置閏法(ちじゅんほう)と呼ぶ。 太陽暦では、季節に暦を一致させるため、暦年の平均の長さを平均回帰年(365.242 189 44日≒365日5時間48分45.168秒)になるべく一致させる。 太陽暦では、平年は365日であり、閏年は閏日が挿入されて366日である。現在広く採用されているグレゴリオ暦では、閏年は400年間に97回ある。 古代エジプトの暦には閏年はなく、1暦年は常に365日であった。そのため、4.129年に1日の割合で暦と季節がずれた。当時すでに回帰年は365.25日という観測値が得られていたが、暦に反映されることはなかった。農民は暦ではなく恒星・シリウスの動きを頼りに農作業のスケジュールを決めた。 ユリウス暦は、紀元前46年に古代ローマで採用され、4年に1回を閏年としていた。但し、導入直後は混乱が見られ、3年に1回を閏年としたり、暫く閏年を置かない期間があった(詳細はユリウス暦を参照)。 ユリウス暦では、閏年には2月の日数を1日増やして29日とする。閏日を2月に挿入したのは、ローマ暦の初期にはMartius(後の3月)が年初でFebruarius(後の2月)が年末だったからである。厳密には共和政初期にIanuarius(後の1月)を年初とするように変更されたが、まだ古い慣習が残っていた。 ユリウス暦の置閏法では1暦年は平均365.25日となり、約128年に1日の割合で暦と季節がずれるが、これでも閏年を置かない場合に比べれば大きな進歩であった。しかし、1500年以上に亘って使われていくうちに、次第に暦と天文学上の現象がずれてきた。ローマ・カトリック教会では325年のニカイア公会議で春分を3月21日と定めてそれを基に復活祭の日付を決めることにしたが、日数が多いが故に、16世紀には天文学上の春分が暦の上では3月11日となってしまい、問題視されるようになった。 ユリウス暦では春分日がずれる問題を解決するため、ローマ教皇グレゴリウス13世は、当時を代表する学者たちを招集して委員会を作り、暦の研究を行わせた。こうして、1582年にグレゴリオ暦が制定された。グレゴリオ暦はその後数百年かけて各国で採用され、現在に至っている。 グレゴリオ暦では、次の規則に従って400年間に97回の閏年を設ける。 理解しづらければ閏年 § コンピュータシステムと閏年も参照するとよい この置閏法によると、400年間における平均1暦年は、365+97/400=365.2425日(365日5時間49分12秒ちょうど)となり、平均回帰年との差は、1年当たり26.832秒(2015年における値)となって、かなり誤差が小さくなる。この誤差による暦と季節とのずれは約3320年で1日となる。上記の但し書きを1回で表すと、「400年に3回、100で割り切れるが400で割り切れない年は、例外で平年とする」ということになる。 グレゴリオ暦では、ユリウス暦と同じく、閏年には2月が29日まである。従って、現在のグレゴリオ暦では2月29日が閏日である。しかし、西洋の古い伝統を引き継ぐ地域では、2月24日が閏日とみなされる。詳細は「閏日#欧州における歴史」(欧米で2月24日が閏日であることの由来)を参照。 日本においては、閏年の判定は西暦ではなく皇紀(神武天皇即位紀元)によって行うことが法令(明治31年勅令第90号(閏年ニ関スル件))により定められ、現在でも効力を有する。 明治三十一年勅令第九十号(閏年ニ関スル件) 現代の表記に直すと次の通りである。 神武天皇即位紀元年数(皇紀年数)を4で割って、割り切れる年を閏年とする。ただし、皇紀年数から660を引くと100で割り切れる年で、かつ100で割った時の商が4で割り切れない年は平年とする。 これは、西暦年数から閏年を判定する方法と同値である。 なお、西暦何年が閏年であったかについては、 下2桁が4の倍数かつ400を割り切れない100の倍数を除いた年、 「[日・月・火・水・木・金・土]曜日から始まる閏年」の項目を参照。 近代オリンピックの夏季オリンピックは4年に1回、西暦年が4で割り切れる年に開催される(延期された2020年東京オリンピックは除く)。そして、1924年に開始された冬季オリンピックも、1992年のアルベールビルオリンピックまでは夏季と同じ西暦年が4で割り切れる年に開かれていた。このため、閏年はスポーツ関係を中心にしばしば「オリンピックイヤー」という名称で呼ばれている。しかし、第2回パリオリンピックが開催された西暦1900年は、閏年ではなく平年であった(100で割り切れるが400で割り切れない)ので、この呼称は正しいとは言えない。なお、西暦2100年も、100で割り切れるが400で割り切れない年数なので、夏季オリンピックが開かれる年であるが、平年である。 アメリカ合衆国大統領選挙も、最初の1789年の選挙を除き、西暦年が4で割り切れる年に実施されてきたが、それらの年は閏年とは限らない。 閏年の西暦年は必ず4で割り切れるので、閏年の十二支は子、辰、申のいずれかである。また、400年に3回の例外が来ない限り、同じ曜日の2月29日は28年周期で繰り返される(日→金→水→月→土→木→火→日)。 西暦2000年は、3番目のルールに該当する400年に1回の閏年であった。しかし、2番目までのルールをもって、2000年を平年と誤解する者もいた。これは2000年問題の一因でもあった。次回の4で割り切れる平年は西暦2100年である。 グレゴリオ暦の閏年に関する規則より、グレゴリオ暦では400年周期で同一パターンが繰り返されることになる。この400年の総日数(365日×400+97日=146 097日)は7で割り切れるため、曜日も400年周期で繰り返すことになる。そのため、特定の日が特定の曜日(例えば3月1日が月曜日)になる割合は、厳密にいうと7分の1にはならない。また、3番目のルールに当てはまる400年に1回の閏年(いわゆる「世紀末閏年」)の2月29日の曜日は、必ず火曜日になる。この例の発生は、次回は2400年の予定である。 1582年のグレゴリオ暦への改暦後も正教会はユリウス暦を使用し続けていたが、1923年、ギリシャ正教会などいくつかの正教会は修正ユリウス暦と呼ばれる暦を採用した。この暦の導入にあたって、日付をグレゴリウス暦と合わせた上で、置閏法を以下の様に改めた。 規則の3番目がグレゴリオ暦と異なる。この置閏年では、1暦年は平均365.242 222日となり、暦と季節が1日ずれるまでに約4万3500年を要する。これはグレゴリオ暦より精度がいい。 100で割り切れる年のうち閏年となるのは、グレゴリオ暦では1600年、2000年、2400年、2800年、3200年、3600年...であるが、修正ユリウス暦では2000年、2400年、2900年、3300年、3800年...である。 2800年2月28日までは両方の暦は一致している。しかし、2800年がグレゴリオ暦では閏年なのに対し、修正ユリウス暦では平年になり、そこで日付が1日ずれる。2900年は逆に修正ユリウス暦だけが閏年となり、日付は再び一致する。それ以後は断続的にこのようなずれが生まれ、5200年2月28日を最後に日付が一致することはなくなる。 太陽暦の置閏法には、閏週を挿入する方法もあり得る。 余日及び閏日を廃止し、1暦年を週の整数倍にする方法で平年は年52週(即ち364日)・閏年53週(即ち371日)とする方法である。ただし、現行のグレゴリオ暦よりも暦と季節のずれが大きくなる点が問題点としてあげられている。これまでに以下の方法が提案された。 約29年毎に閏年を設け、その年に1週間の閏週を挿入するという置閏法も可能であり、そのような暦が提案されたこともある(en:Leap week calendar)。この暦の根拠は次の通りである。 7日/(365.242 1892日 - 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"西暦2000年は、3番目のルールに該当する400年に1回の閏年であった。しかし、2番目までのルールをもって、2000年を平年と誤解する者もいた。これは2000年問題の一因でもあった。次回の4で割り切れる平年は西暦2100年である。", "title": "太陽暦" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "グレゴリオ暦の閏年に関する規則より、グレゴリオ暦では400年周期で同一パターンが繰り返されることになる。この400年の総日数(365日×400+97日=146 097日)は7で割り切れるため、曜日も400年周期で繰り返すことになる。そのため、特定の日が特定の曜日(例えば3月1日が月曜日)になる割合は、厳密にいうと7分の1にはならない。また、3番目のルールに当てはまる400年に1回の閏年(いわゆる「世紀末閏年」)の2月29日の曜日は、必ず火曜日になる。この例の発生は、次回は2400年の予定である。", "title": "太陽暦" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1582年のグレゴリオ暦への改暦後も正教会はユリウス暦を使用し続けていたが、1923年、ギリシャ正教会などいくつかの正教会は修正ユリウス暦と呼ばれる暦を採用した。この暦の導入にあたって、日付をグレゴリウス暦と合わせた上で、置閏法を以下の様に改めた。", "title": "太陽暦" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "規則の3番目がグレゴリオ暦と異なる。この置閏年では、1暦年は平均365.242 222日となり、暦と季節が1日ずれるまでに約4万3500年を要する。これはグレゴリオ暦より精度がいい。", "title": "太陽暦" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "100で割り切れる年のうち閏年となるのは、グレゴリオ暦では1600年、2000年、2400年、2800年、3200年、3600年...であるが、修正ユリウス暦では2000年、2400年、2900年、3300年、3800年...である。", "title": "太陽暦" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2800年2月28日までは両方の暦は一致している。しかし、2800年がグレゴリオ暦では閏年なのに対し、修正ユリウス暦では平年になり、そこで日付が1日ずれる。2900年は逆に修正ユリウス暦だけが閏年となり、日付は再び一致する。それ以後は断続的にこのようなずれが生まれ、5200年2月28日を最後に日付が一致することはなくなる。", "title": "太陽暦" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "太陽暦の置閏法には、閏週を挿入する方法もあり得る。", "title": "太陽暦" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "余日及び閏日を廃止し、1暦年を週の整数倍にする方法で平年は年52週(即ち364日)・閏年53週(即ち371日)とする方法である。ただし、現行のグレゴリオ暦よりも暦と季節のずれが大きくなる点が問題点としてあげられている。これまでに以下の方法が提案された。", "title": "太陽暦" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "約29年毎に閏年を設け、その年に1週間の閏週を挿入するという置閏法も可能であり、そのような暦が提案されたこともある(en:Leap week calendar)。この暦の根拠は次の通りである。", "title": "太陽暦" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "7日/(365.242 1892日 - 365日) = 28.903年 (365.242 1892日は2019年の太陽年)", "title": "太陽暦" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "したがって、29年間ごとに7日の閏日(つまり1週間の閏週)を挿入すればよい。1235年につき1日の差が出る。", "title": "太陽暦" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "純粋な太陰暦では、そもそも暦と季節とを一致させないので、太陽暦のような閏日はない。その代わり、平均朔望月(29.530 589日)が1日の整数倍でないことで生じる、暦と月相とのずれを補正するための閏日がある。", "title": "太陰暦" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ヒジュラ暦(イスラム暦)での置閏法(または、日付の付け方)には、観測に基づく方法と計算に基づく方法があるが、ここでは後者の方法(en:Tabular Islamic calendar)によるものを示す。", "title": "太陰暦" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "通常は小の月(29日)と大の月(30日)が交互に繰り返す。しかしこれでは1暦月は平均29.5日となり、月相とは少しずつずれていく。そこで、30暦年に11回、小の月に閏日を挿入して大の月とする。これにより1暦月は平均29.530 555日となり、朔望月とほぼ一致する。", "title": "太陰暦" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "閏日を含む年が閏年となり、暦年の長さは平年は354日、閏年は355日である。閏年はヒジュラ紀元の年数を30で割った余りが2、5、7、10、13、16、18、21、24、26、29となる年である。", "title": "太陰暦" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "この方法によるヒジュラ暦では、約2450年で暦と月相が1日ずれる。", "title": "太陰暦" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "太陰太陽暦では、暦を季節と月相の双方に一致させなければならない。そのため、理屈の上では2種類の閏がある。ただし、通常は暦と月相を一致させるシステムは閏とは呼ばれず、暦と季節を一致させるための閏のみが存在する。", "title": "太陰太陽暦" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "太陰太陽暦では1暦年の長さは平均朔望月のほぼ整数倍でしか選べない。1平均回帰年は12.368平均朔望月なので、平年は12ヶ月(354日前後)、閏年は閏月が挿入されて13ヶ月(384日前後)となる。", "title": "太陰太陽暦" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "閏年を2.715年に1回入れれば、平均暦年と平均回帰年が一致する。実際に行われた置閏法には、8年に3回、19年に7回(メトン周期)、76年に28回(カリポス周期)などがある。", "title": "太陰太陽暦" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "中国暦ならびに派生した和暦(以下、まとめて中国暦と書く)では、太陽と月の運行を実際に観測し、季節と暦のずれが最小になるように閏月を入れる。具体的に述べると次のようになる。", "title": "太陰太陽暦" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "暦月は朔日(月齢0を含む日)から次の朔日の前日までとする。冬至(太陽が黄経270°を通過する日)を含む暦月を11月とし、他の各中気(黄道上の太陽の位置が黄経30°の整数倍である日)を含む暦月を1月から12月とする。しかし、中気から中気までは平均すると30.437日で暦月の平均(=平均朔望月)より長いため、中気を含まず名前の付かない暦月が残ることがある。その暦月が閏月となる。例えば、閏月が7月と8月の間に生じたらその月は「閏7月」と呼ばれる。そして、閏月を含む年が閏年である。なお、中気の間隔は一定ではないため1暦月に複数の中気が含まれることがあるので、それに備え優先順位など細則が決められている。", "title": "太陰太陽暦" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "中国暦では、暦と月相の一致も実際の新月に暦月をスタートさせることで実現されている。そのため、29日の小の月と30日の大の月が不規則に出現する。ただしヒジュラ暦のような「平年」といえる状態がないため、これは閏とはいわない。", "title": "太陰太陽暦" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "中国暦では閏年、閏月、月の大小のパターンに規則性はなく、遠い未来の暦は決定できない。その代わり、太陽と月の運行の観測を怠らず正しく運用されれば暦と月相は永久にずれることはない(ただし、太陰太陽暦である以上、暦と季節の間に最大±0.5朔望月=約15日の差はできる)。", "title": "太陰太陽暦" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "閏年は季節と月相に対する暦のズレを補正するシステムだが、閏秒はこれとはまったく別の目的のためのもので暦とは無関係であり、原子時計により決められる協定世界時と地球の自転で決まる世界時との差を補正するためのシステムである。したがって、閏秒が実施される年であってもその年を閏年とはいわない。", "title": "閏秒" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "コンピュータシステムにおいて閏年を判定するアルゴリズムの記述には誤りがある場合が多く、しばしばこれが原因でシステムは重大な障害を起こす。例えば、「西暦年が4の倍数である年」としかしていなかったり、year == 2000 || year == 2004のようにある程度先の閏年しかコードしていないなどが挙げられる。", "title": "コンピュータシステムと閏年" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "この他、年数処理のバグにより、年自体を誤って判断することで閏年関係のシステムに重大な障害が発生したケースもある。2010年には二進化十進表現の問題から、2016年と認識されて「閏年である」と誤認したバグが多くみられた。→2010年問題#年数処理のバグ", "title": "コンピュータシステムと閏年" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "グレゴリオ暦の閏年は、次のどちらかで正しく判定できる。", "title": "コンピュータシステムと閏年" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "まず、プログラムで処理しやすくするために閏年の規則を、次の4条件に読み替える。", "title": "コンピュータシステムと閏年" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "Microsoft Excelでは、西暦年が記載されているセルをA1とすると、以下のように記述できる。", "title": "コンピュータシステムと閏年" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "また、閏年の規則は次の1つだけの論理式に読み替えることもできる。", "title": "コンピュータシステムと閏年" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "Microsoft Excelや他のプログラム言語では、以下のように記述できる。Microsoft Excelでは西暦年が記載されているセルをA1、他のプログラム言語では西暦年が格納されている変数をyear, YEARとする。", "title": "コンピュータシステムと閏年" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "グレゴリオ暦の場合、2月29日生まれの者の誕生日は閏年に限り到来し、平年に誕生日は存在しない。このため、誕生日を基準に何かを行う場合は、平年ではその前後の日(2月28日か3月1日)を誕生日とみなす必要がある。", "title": "誕生日" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "日本の法律では、誕生日を基準とした行政手続に限り「みなし誕生日」を2月28日としている。また、年齢計算については、もともと期間の満了は起算日応当日の前日であるところ、起算日を例外的に1日早く初日(出生日)とする関係で、1年間の満了(加齢)も1日早く誕生日の前日となる。このため、2月29日生まれの者は、平閏を問わず、毎年2月28日24時に加齢される(→満年齢、年齢計算ニ関スル法律)。", "title": "誕生日" } ]
閏年とは、閏のある年である。これに対し、閏年ではない年を平年と呼ぶ。 閏年は、太陰太陽暦では、月の運行を基準にしていることで生じる季節(太陽の運行)とのずれを補正するために、平年より暦月が一つ多く、太陽暦では季節(天動説では太陽の運行)と暦のずれとを、太陰暦では月の運行とのずれを補正するために、平年より暦日が一つ多い。その追加された日や月を閏月・閏日、総称して閏と呼ぶ。閏の挿入規則を置閏法(ちじゅんほう)と呼ぶ。
{{出典の明記|date=2015-1-20}} [[ファイル:Calendar-leapyeardate.jpg|thumb|300px|閏年のポケットカレンダー。2008年2月29日がある。]] [[ファイル:Japanese Calendar with Verses by Osman Edwards 1900 February.jpg|thumb|300px|1900年2月のカレンダー。西暦年が100で割り切れるが400では割り切れないため、1900年は平年となる(詳細は本文参照)。]] '''閏年'''(うるうどし、じゅんねん、{{Lang-en|leap year}}、{{Lang|en|intercalary year}})とは、[[閏]]のある[[年]]である。これに対し、閏年ではない年を'''[[平年]]'''(へいねん、{{Lang-en|common year}})と呼ぶ。 閏年は、[[太陰太陽暦]]では、月の運行を基準にしていることで生じる季節(太陽の運行)とのずれを補正するために、平年より'''[[月 (暦)|暦月]]が一つ多く、'''[[太陽暦]]では[[季節]]([[天動説]]では[[太陽]]の運行)と[[暦]]のずれとを、[[太陰暦]]では[[月]]の運行とのずれを補正するために、平年より'''[[日|暦日]]が一つ多い'''。その追加された日や月を'''[[閏月]]'''・'''[[閏日]]'''、総称して'''[[閏]]'''と呼ぶ<ref group="注">これに対し、「閏年」は「閏(つまり閏月や閏日)のある年」のことであって「追加された年」のことではないし、そもそも「平年の間に年が1年追加される」ということも行われない。</ref>。閏の挿入規則を'''[[置閏法]]'''(ちじゅんほう)と呼ぶ。 == 太陽暦 == [[太陽暦]]では、季節に暦を一致させるため、暦年の平均の長さを平均[[回帰年]](365.242 189 44日≒365日5時間48分45.168秒<ref group="注">この値は、2015年の年央におけるものである。</ref>)になるべく一致させる。 太陽暦では、平年は365日であり、閏年は閏日が挿入されて366日である。現在広く採用されている[[グレゴリオ暦]]では、閏年は400年間に97回ある。 === 古代エジプト === [[古代エジプト]]の暦には閏年はなく、1暦年は常に365日であった。そのため、4.129年に1日の割合で暦と季節がずれた。当時すでに回帰年は365.25日という観測値が得られていたが、暦に反映されることはなかった。農民は暦ではなく[[恒星]]・[[シリウス]]の動きを頼りに農作業のスケジュールを決めた。 === ユリウス暦 === [[ユリウス暦]]は、[[紀元前1世紀|紀元前46年]]に[[古代ローマ]]で採用され、4年に1回を閏年としていた。但し、導入直後は混乱が見られ、3年に1回を閏年としたり、暫く閏年を置かない期間があった(詳細は[[ユリウス暦]]を参照)。 ユリウス暦では、閏年には2月の日数を1日増やして29日とする。閏日を2月に挿入したのは、[[ローマ暦]]の初期にはMartius(後の3月)が年初でFebruarius(後の2月)が[[年末]]だったからである。厳密には[[共和政ローマ|共和政]]初期にIanuarius(後の1月)を年初とするように変更されたが、まだ古い慣習が残っていた。 ユリウス暦の置閏法では1暦年は平均365.25日となり、約128年に1日の割合で暦と季節がずれるが、これでも閏年を置かない場合に比べれば大きな進歩であった。しかし、1500年以上に亘って使われていくうちに、次第に暦と天文学上の現象がずれてきた。[[カトリック教会|ローマ・カトリック教会]]では[[325年]]の[[第1ニカイア公会議|ニカイア公会議]]で[[春分]]を[[3月21日]]と定めてそれを基に[[復活祭]]の日付を決めることにしたが、日数が多いが故に、[[16世紀]]には天文学上の春分が暦の上では[[3月11日]]となってしまい、問題視されるようになった。 === グレゴリオ暦 === ユリウス暦では春分日がずれる問題を解決するため、[[ローマ教皇]][[グレゴリウス13世 (ローマ教皇)|グレゴリウス13世]]は、当時を代表する学者たちを招集して委員会を作り、暦の研究を行わせた。こうして、[[1582年]]に[[グレゴリオ暦]]が制定された。グレゴリオ暦はその後数百年かけて各国で採用され、現在に至っている。 グレゴリオ暦では、次の規則に従って400年間に97回の閏年を設ける。 <blockquote> #[[西暦]]年が[[複偶数|4で割り切れる]]年は(原則として)閏年。 # ただし、西暦年が100で割り切れる年は(原則として)平年。 # ただし、西暦年が400で割り切れる年は必ず閏年。 理解しづらければ{{節リンク|閏年|コンピュータシステムと閏年}}も参照するとよい </blockquote> この置閏法によると、400年間における平均1暦年は、365+97/400=365.2425日(365日5時間49分12秒ちょうど)となり、平均[[回帰年]]との差は、1年当たり26.832秒(2015年における値)となって、かなり誤差が小さくなる。この誤差による暦と季節とのずれは約3320年で1日となる。上記の但し書きを1回で表すと、「''400年に3回、100で割り切れるが400で割り切れない年は、例外で[[平年]]とする''」ということになる。 グレゴリオ暦では、ユリウス暦と同じく、閏年には2月が29日まである。従って、現在のグレゴリオ暦では[[2月29日]]が[[閏日]]である。しかし、西洋の古い伝統を引き継ぐ地域では、[[2月24日]]が閏日とみなされる。詳細は「[[閏日#欧州における歴史]]」(欧米で2月24日が閏日であることの由来)を参照。 ==== 日本における閏年の根拠法 ==== {{Wikisource|閏年ニ關スル件|閏年ニ関スル件}} [[日本]]においては、閏年の判定は西暦ではなく皇紀([[神武天皇即位紀元]])によって行うことが[[法令]](明治31年勅令第90号(閏年ニ関スル件))により定められ、現在でも効力を有する<ref>{{Cite web|和書|url=https://hourei.ndl.go.jp/#/detail?lawId=0000004707&searchDiv=1&current=1 |title=閏年ニ関スル件 |publisher=国立国会図書館 |accessdate=2023-09-04}}</ref>。 <blockquote> '''明治三十一年勅令第九十号(閏年ニ関スル件)''' : 神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス </blockquote> 現代の表記に直すと次の通りである。 <blockquote> 神武天皇即位紀元年数(皇紀年数)を4で割って、割り切れる年を閏年とする。ただし、皇紀年数から660を引くと100で割り切れる年で、かつ100で割った時の商が4で割り切れない年は平年とする。 </blockquote> これは、西暦年数から閏年を判定する方法と同値である。 なお、西暦何年が閏年であったかについては、 下2桁が[[複偶数|4の倍数]]かつ400を割り切れない100の倍数を除いた年、 「<nowiki>[</nowiki>[[日曜日から始まる閏年|日]]・[[月曜日から始まる閏年|月]]・[[火曜日から始まる閏年|火]]・[[水曜日から始まる閏年|水]]・[[木曜日から始まる閏年|木]]・[[金曜日から始まる閏年|金]]・[[土曜日から始まる閏年|土]]<nowiki>]</nowiki>曜日から始まる閏年」の項目を参照。 ==== グレゴリオ暦の閏年に関するトピックス ==== [[近代オリンピック]]の[[夏季オリンピック]]は4年に1回、西暦年が[[複偶数|4で割り切れる]]年に開催される(延期された[[2020年東京オリンピック]]は除く)。そして、[[1924年]]に開始された[[冬季オリンピック]]も、[[1992年]]の[[1992年アルベールビルオリンピック|アルベールビルオリンピック]]までは夏季と同じ西暦年が4で割り切れる年に開かれていた。このため、閏年はスポーツ関係を中心にしばしば「'''オリンピックイヤー'''」という名称で呼ばれている。しかし、[[1900年パリオリンピック|第2回パリオリンピック]]が開催された西暦[[1900年]]は、閏年ではなく平年であった(100で割り切れるが400で割り切れない)ので、この呼称は正しいとは言えない。なお、西暦[[2100年]]も、100で割り切れるが400で割り切れない年数なので、夏季オリンピックが開かれる年であるが、平年である。 [[アメリカ合衆国大統領選挙]]も、最初の[[1789年アメリカ合衆国大統領選挙|1789年の選挙]]を除き、西暦年が4で割り切れる年に実施されてきたが、それらの年は閏年とは限らない<ref group="注">[[1800年アメリカ合衆国大統領選挙|1800年の選挙]]と[[1900年アメリカ合衆国大統領選挙|1900年の選挙]]が平年。</ref><!--><ref>申年には日本で[[参議院議員通常選挙]]も行われる。</ref>←閏年とは関係ないのでコメントアウト<-->。 閏年の西暦年は必ず4で割り切れるので、閏年の[[十二支]]は[[子 (十二支)|子]]、[[辰]]、[[申]]のいずれかである。また、400年に3回の例外が来ない限り、同じ[[曜日]]の[[2月29日]]は28年周期で繰り返される([[木曜日から始まる閏年|日]]→[[火曜日から始まる閏年|金]]→[[日曜日から始まる閏年|水]]→[[金曜日から始まる閏年|月]]→[[水曜日から始まる閏年|土]]→[[月曜日から始まる閏年|木]]→[[土曜日から始まる閏年|火]]→日)。 西暦[[2000年]]は、3番目のルールに該当する400年に1回の閏年であった。しかし、2番目までのルールをもって、2000年を平年と誤解する者もいた。これは[[2000年問題]]の一因でもあった。次回の4で割り切れる平年は西暦[[2100年]]である。 グレゴリオ暦の閏年に関する規則より、グレゴリオ暦では400年周期で同一パターンが繰り返されることになる。この400年の総日数(365日×400+97日=146 097日)は7で割り切れるため、曜日も400年周期で繰り返すことになる。そのため、特定の日が特定の曜日(例えば[[3月1日]]が[[月曜日]])になる割合は、厳密にいうと7分の1にはならない。また、3番目のルールに当てはまる400年に1回の閏年(いわゆる「[[世紀末]]閏年」)の2月29日の曜日は、必ず[[火曜日]]になる。この例の発生は、次回は[[2400年]]の予定である。 * 2000年から2399年までの間に1月1日が日曜日になる割合は58/400、土曜日になる割合は56/400である。 * 不吉とされる[[13日の金曜日]]であるが、13日が金曜日となる割合は7つの曜日の中で最も高い(688/4800=0.14333...)。 === 修正ユリウス暦 === [[1582年]]の[[グレゴリオ暦]]への改暦後も[[正教会]]は[[ユリウス暦]]を使用し続けていたが、[[1923年]]、[[ギリシャ正教会]]などいくつかの[[正教会]]は[[修正ユリウス暦]]と呼ばれる暦を採用した。この暦の導入にあたって、日付をグレゴリウス暦と合わせた上で、置閏法を以下の様に改めた。 # 西暦年が4で割り切れる年は閏年。 # ただし、西暦年が100で割り切れる年は平年。 # ただし、西暦年を900で割った余りが200または600になる年は閏年。 規則の3番目がグレゴリオ暦と異なる。この置閏年では、1暦年は平均365.242 222日となり、暦と季節が1日ずれるまでに約4万3500年を要する。これはグレゴリオ暦より精度がいい。 100で割り切れる年のうち閏年となるのは、グレゴリオ暦では[[1600年]]、[[2000年]]、[[2400年]]、[[2800年]]、[[3200年]]、[[3600年]]…であるが、修正ユリウス暦では[[2000年]]、[[2400年]]、[[2900年]]、[[3300年]]、[[3800年]]…である。 2800年2月28日までは両方の暦は一致している。しかし、2800年がグレゴリオ暦では閏年なのに対し、修正ユリウス暦では平年になり、そこで日付が1日ずれる。2900年は逆に修正ユリウス暦だけが閏年となり、日付は再び一致する。それ以後は断続的にこのようなずれが生まれ、5200年2月28日を最後に日付が一致することはなくなる。 <!-- === その他 === 現在の地球の公転周期([[太陽年]])約365.2422日から計算すると、グレゴリオ暦の規則に # 西暦年が400で割り切れる年のうち、4000で割り切れる年は平年とする。 # 西暦年が400で割り切れる年のうち、10000で割り切れる年は平年とする。 という規則を加えれば、ほぼ公転周期と整合する。グレゴリオ暦においてもこの4000年ルールを採用しているとする文献もある。地球の公転周期や[[自転]]周期自体が変動するものであるため(月による[[潮汐摩擦]]のため、地球の自転速度は少しずつ遅れていることがわかっている)、4000年ルールによる補正が適切であるかどうかは現状でははっきりしないとも言われる。--> === 閏週 === 太陽暦の置閏法には、閏週を挿入する方法もあり得る。 ==== 平年を364日とするもの ==== 余日及び閏日を廃止し、1暦年を週の整数倍にする方法で平年は年52週(即ち364日)・閏年53週(即ち371日)とする方法である。ただし、現行のグレゴリオ暦よりも暦と季節のずれが大きくなる点が問題点としてあげられている。これまでに以下の方法が提案された<ref>『増補改訂 天文学辞典』(地人書館、1991年)「改暦問題」P104</ref>。 * 西暦年数が5の倍数であって40の倍数でないとき、および400の倍数のときは閏週年とする。1暦年の平均の長さは365.242 500日になる。 * 西暦年数が5の倍数のときは閏週年とする。ただし、25の奇数倍および400倍数のときは平年とする。1暦年の平均の長さは365.242 500日になる。 * 62年を1周期として計11回、すなわち6・6・5・6・6・5・6・6・5・6・5年目を閏週年とする。1暦年の平均の長さは365.241 935日になる。 ==== 平年を365日とするもの ==== 約29年毎に閏年を設け、その年に1週間の閏週を挿入するという置閏法も可能であり、そのような暦が提案されたこともある([[:en:Leap week calendar]])。この暦の根拠は次の通りである。  7日/(365.242 1892日 - 365日) = 28.903年 (365.242 1892日は2019年の[[太陽年]]) したがって、29年間ごとに7日の閏日(つまり1週間の閏週)を挿入すればよい。1235年につき1日の差が出る。 == 太陰暦 == 純粋な[[太陰暦]]では、そもそも暦と季節とを一致させないので、太陽暦のような閏日はない。その代わり、平均[[朔望月]](29.530 589日)が1日の整数倍でないことで生じる、暦と[[月相]]とのずれを補正するための閏日がある。 === ヒジュラ暦 === {{main|ヒジュラ暦}} ヒジュラ暦(イスラム暦)での置閏法(または、日付の付け方)には、観測に基づく方法と計算に基づく方法があるが、ここでは後者の方法([[:en:Tabular Islamic calendar]])によるものを示す。 通常は小の月(29日)と大の月(30日)が交互に繰り返す。しかしこれでは1暦月は平均29.5日となり、月相とは少しずつずれていく。そこで、30暦年に11回、小の月に閏日を挿入して大の月とする。これにより1暦月は平均29.530 555日となり、朔望月とほぼ一致する。 閏日を含む年が閏年となり、暦年の長さは平年は354日、閏年は355日である。閏年は[[ヒジュラ紀元]]の年数を30で割った余りが2、5、7、10、13、16、18、21、24、26、29となる年である。 この方法によるヒジュラ暦では、約2450年で暦と月相が1日ずれる。<!-- ※ヒジュラ暦には、天文観測等により、朔望月に合わせて月のはじまりを決定する流儀もあり(詳しくはヒジュラ暦の記事のノートを参照)、必ずしも正しい説明ではないのでコメントアウトした --> == 太陰太陽暦 == {{Seealso|閏月}} [[太陰太陽暦]]では、暦を季節と月相の双方に一致させなければならない。そのため、理屈の上では2種類の閏がある。ただし、通常は暦と月相を一致させるシステムは閏とは呼ばれず、暦と季節を一致させるための閏のみが存在する。 太陰太陽暦では1暦年の長さは平均朔望月のほぼ整数倍でしか選べない。1平均回帰年は12.368平均朔望月なので、平年は12ヶ月(354日前後)、閏年は閏月が挿入されて13ヶ月(384日前後)となる。 閏年を2.715年に1回入れれば、平均暦年と平均回帰年が一致する。実際に行われた置閏法には、8年に3回、19年に7回([[メトン周期]])、76年に28回([[カリポス周期]])などがある。 === 中国暦 === [[中国暦]]ならびに派生した[[日本の暦|和暦]](以下、まとめて中国暦と書く)では、太陽と月の運行を実際に観測し、季節と暦のずれが最小になるように閏月を入れる。具体的に述べると次のようになる。 暦月は[[朔]]日(月齢0を含む日)から次の朔日の前日までとする。[[冬至]](太陽が[[黄経]]270°を通過する日)を含む暦月を11月とし、他の各[[中気]]([[黄道]]上の太陽の位置が黄経30°の整数倍である日)を含む暦月を1月から12月とする。しかし、中気から中気までは平均すると30.437日で暦月の平均(=平均朔望月)より長いため、中気を含まず名前の付かない暦月が残ることがある。その暦月が閏月となる。例えば、閏月が7月と8月の間に生じたらその月は「閏7月」と呼ばれる。そして、閏月を含む年が閏年である。なお、中気の間隔は一定ではないため1暦月に複数の中気が含まれることがあるので、それに備え優先順位など細則が決められている。 中国暦では、暦と月相の一致も実際の[[新月]]に暦月をスタートさせることで実現されている。そのため、29日の小の月と30日の大の月が不規則に出現する。ただしヒジュラ暦のような「平年」といえる状態がないため、これは閏とはいわない。 中国暦では閏年、閏月、月の大小のパターンに規則性はなく、遠い未来の暦は決定できない。その代わり、太陽と月の運行の観測を怠らず正しく運用されれば暦と月相は永久にずれることはない(ただし、太陰太陽暦である以上、暦と季節の間に最大±0.5朔望月=約15日の差はできる)。 == 閏秒 == {{Main|閏秒}} 閏年は季節と月相に対する暦のズレを補正するシステムだが、[[閏秒]]はこれとはまったく別の目的のためのもので暦とは無関係であり、[[原子時計]]により決められる[[協定世界時]]と地球の自転で決まる[[世界時]]との差を補正するためのシステムである。したがって、閏秒が実施される年であってもその年を閏年とはいわない。 == コンピュータシステムと閏年 == {{see also|閏年問題}} コンピュータシステムにおいて閏年を判定するアルゴリズムの記述には誤りがある場合が多く、しばしばこれが原因でシステムは重大な障害を起こす。例えば、「西暦年が4の倍数である年」としかしていなかったり、<syntaxhighlight inline lang="c">year == 2000 || year == 2004</syntaxhighlight>のようにある程度先の閏年しかコードしていないなどが挙げられる。 この他、年数処理のバグにより、年自体を誤って判断することで閏年関係のシステムに重大な障害が発生したケースもある。[[2010年]]には[[二進化十進表現]]の問題から、[[2016年]]と認識されて「閏年である」と誤認したバグが多くみられた。→[[2010年問題#年数処理のバグ]] グレゴリオ暦の閏年は、次のどちらかで正しく判定できる。 === 逐次的な4条件 === まず、プログラムで処理しやすくするために閏年の規則を、次の4条件に読み替える。 # 西暦年が400の倍数である場合、閏年 # 条件 1. を満たさず(西暦年が400の倍数ではなく)、かつ西暦年が100の倍数である場合、平年 # 条件 1. と 2. を両方とも満たさず(西暦年が100の倍数ではなく)、かつ西暦年が4の倍数である場合、閏年 # 条件 1. 〜 3. を全て満たさない場合、平年 [[Microsoft Excel]]では、西暦年が記載されているセルをA1とすると、以下のように記述できる。 * <syntaxhighlight inline lang="vb">=IF(MOD(A1,400)=0,"閏年",IF(MOD(A1,100)=0,"平年",IF(MOD(A1,4)=0,"閏年","平年")))</syntaxhighlight> * <syntaxhighlight inline lang="vb">=IFS(MOD(A1,400)=0,"閏年",MOD(A1,100)=0,"平年",MOD(A1,4)=0,"閏年",TRUE,"平年")</syntaxhighlight>(IFS関数が使用可能なバージョン) === 1つの論理式 === また、閏年の規則は次の1つだけの論理式に読み替えることもできる。 # 西暦年が、「4の倍数である」かつ「100の倍数でない」または「400の倍数である」<ref group="注">この条件は、 * 『「4の倍数である」かつ「100の倍数でない」』または「400の倍数である」 * 「4の倍数である」かつ『「100の倍数でない」または「400の倍数である」』 の2通りの解釈が可能であるが、いずれの解釈でも同じ結果となる(「400の倍数である」⇒「4の倍数である」が成り立つため)。</ref>ならば閏年、そうでなければ平年 Microsoft Excelや他のプログラム言語では、以下のように記述できる。Microsoft Excelでは西暦年が記載されているセルをA1、他のプログラム言語では西暦年が格納されている変数を<syntaxhighlight inline lang="c">year</syntaxhighlight>, <syntaxhighlight inline lang="cobolfree">YEAR</syntaxhighlight>とする。 *<syntaxhighlight inline lang="vb">=IF(OR(AND(MOD(A1,4)=0,MOD(A1,100)<>0),MOD(A1,400)=0),"閏年","平年")</syntaxhighlight>(Microsoft Excelなど) *<syntaxhighlight inline lang="c">year % 4 == 0 && year % 100 != 0 || year % 400 == 0</syntaxhighlight>([[C言語]]など) *<syntaxhighlight inline lang="vb">year Mod 4 = 0 And year Mod 100 <> 0 Or year Mod 400 = 0</syntaxhighlight>([[Visual Basic]]など) *<syntaxhighlight inline lang="cobolfree">FUNCTION MOD(YEAR 4) = ZERO AND FUNCTION MOD(YEAR 100) NOT = ZERO OR FUNCTION MOD(YEAR 400) = ZERO</syntaxhighlight>([[COBOL]]) == 誕生日 == グレゴリオ暦の場合、2月29日生まれの者の[[誕生日]]は閏年に限り到来し、平年に誕生日は存在しない。このため、誕生日を基準に何かを行う場合は、平年ではその前後の日([[2月28日]]か[[3月1日]])を誕生日と'''みなす'''必要がある。 日本の法律では、誕生日を基準とした行政手続に限り「みなし誕生日」を2月28日としている。また、年齢計算については、もともと期間の満了は起算日応当日の前日であるところ、起算日を例外的に1日早く初日(出生日)とする関係で、1年間の満了(加齢)も1日早く誕生日の前日となる。このため、2月29日生まれの者は、平閏を問わず、毎年2月28日24時に加齢される(→[[満年齢]]、[[年齢計算ニ関スル法律]])。 == 近年の閏年 == {| class="wikitable" |+ 閏年一覧 ! 西暦 !! 和暦 |- ! [[1988年]] | [[昭和]]63年 |- ! [[1992年]] | [[平成]]4年 |- ! [[1996年]] | 平成8年 |- ! [[2000年]] | 平成12年 |- ! [[2004年]] | 平成16年 |- ! [[2008年]] | 平成20年 |- ! [[2012年]] | 平成24年 |- ! [[2016年]] | 平成28年 |- ! [[2020年]] | [[令和]]2年 |- ! [[2024年]] | 令和6年 |- ! [[2028年]] | 令和10年 |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat}} * [[改暦]] * [[暦法の一覧]] * [[複偶数]] * [[夏季オリンピック]] * [[平年]] * [[日曜日から始まる閏年]] * [[月曜日から始まる閏年]] * [[火曜日から始まる閏年]] * [[水曜日から始まる閏年]] * [[木曜日から始まる閏年]] * [[金曜日から始まる閏年]] * [[土曜日から始まる閏年]] {{Time topics}} {{Time measurement and standards}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:うるうとし}} [[Category:暦法]]
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内田有紀
内田 有紀(うちだ ゆき、1975年(昭和50年)11月16日 - )は、日本の女優、モデル、タレント、司会者、元歌手。東京都出身。本名同じ。★☆北区つかこうへい劇団第8期生。 所属レコード会社はキングレコード、所属事務所はバーニングプロダクション。 東京都広尾生まれ、裕福な家庭に育つ。小学6年生の頃に母親がモデルにスカウトされ一緒に撮影所へ向かう。その後、中学2年生からモデル活動を始め、CMにも出演していた。 1992年(平成4年)のテレビドラマ『その時、ハートは盗まれた』(フジテレビ)への出演で女優デビューし、同年冬には、ユニチカの1993年 水着キャンペーンモデルと『フジテレビビジュアルクイーン』に選出された。この頃、芸能活動に専念するために藤村女子高等学校を高2で中退。高校在学時代はフェンシングをしており、オリンピック出場を目指していた(東京都大会で3位入賞の実績がある)。映画『CAT'S EYE』では ケイン・コスギ演じる殺し屋にフェンシングで格闘し勝利するシーンがある。 1994年(平成6年)、『時をかける少女』(フジテレビ)で連続ドラマ初主演。同年10月には『TENCAを取ろう! -内田の野望- 』で歌手デビューし、オリコン史上初女性ソロ歌手のデビュー曲で初登場1位を記録。アイドル・女優として絶大な人気を得る。以降、女優業と歌を軸に活動した。 2000年(平成12年)1月、演技の勉強を基礎からやり直すとして、「北区つかこうへい劇団」に8期生として入団。それに伴って約3年間の予定で歌手業を休業、活動の場をテレビドラマ・映画から舞台へと移した。 2002年(平成14年)に同年11月28日を以て芸能界を引退することを示し、同年9月に放送されたテレビドラマ『北の国から 2002遺言』(フジテレビ)を最後に芸能界から一時引退した。その後、同年12月に『北の国から 2002遺言』で共演した俳優の吉岡秀隆と結婚。 2005年(平成17年)12月に吉岡と離婚。ふたりの間には子どもはいなかった。「自分の居場所を見つけたい」として芸能界に復帰。翌2006年(平成18年)に放送されたテレビドラマ『誰よりもママを愛す』(TBS)に主演の田村正和演じる専業主夫の長女役で出演し、女優としての活動を再開した。芸能事務所もフリーの立場で独立・他所などへは移籍せず、古巣のバーニングプロダクションに復帰。 離婚後、『ビッグウイング』(TBS)で共演した柏原崇と長らく交際。その後、柏原は俳優業を引退し内田のマネージャーに転身した。このことは公にはしていなかったが、2022年放送の『A-Studio+』(TBS)において柏原の名前を伏せた上で初めて公表した。 2023年(令和5年)10月に、第19回クラリーノ美脚大賞2023 40代部門を受賞した。
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内田 有紀は、日本の女優、モデル、タレント、司会者、元歌手。東京都出身。本名同じ。★☆北区つかこうへい劇団第8期生。 所属レコード会社はキングレコード、所属事務所はバーニングプロダクション。
{{別人|内田侑希}} {{存命人物の出典明記|date=2017年7月14日 (金) 04:43 (UTC)}} {{ActorActress | 芸名 = 内田 有紀 | ふりがな = うちだ ゆき | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = 内田 有紀 | 別名義 = <!--別芸名がある場合記載。愛称の項目ではありません。--> | 出生地 = {{JPN}} [[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]] | 死没地 = | 国籍 = {{JPN}} | 民族 = | 身長 = 165 [[センチメートル|cm]] | 血液型 = [[ABO式血液型|O型]] | 生年 = 1975 | 生月 = 11 | 生日 = 16 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = [[俳優|女優]]・[[モデル (職業)|モデル]]・[[タレント]]・[[司会者]] | ジャンル = [[テレビドラマ]]・[[映画]]・[[舞台]]・[[コマーシャルメッセージ|CM]] | 活動期間 = [[1989年]] - [[2002年]]<br />[[2006年]] - <!-- 没年または引退した年 --> | 活動内容 = | 配偶者 = [[吉岡秀隆]](2002年 - [[2005年]])<ref name="oricon20151222">{{Cite news |title=来年には主演も決定、ボーイッシュから大人の女優へ 内田有紀再び脚光のワケ |url=https://www.oricon.co.jp/special/48553/ |newspaper=ORICON NEWS |publisher=oricon ME |date=2015-12-22 |accessdate=2022-10-31}}</ref> | 著名な家族 = | 事務所 = [[バーニングプロダクション]] | 公式サイト = [https://www.webburning.com/uchida-yuki/ 公式プロフィール] | 主な作品 = '''テレビドラマ'''<br />『[[その時、ハートは盗まれた]]』<br />『[[じゃじゃ馬ならし (テレビドラマ)|じゃじゃ馬ならし]]』<br />『[[ボクたちのドラマシリーズ#時をかける少女|時をかける少女]]』<br />『[[17才-at seventeen-]]』<br />『[[キャンパスノート]]』<br />『[[氷の世界 (テレビドラマ)|氷の世界]]』<br />『[[医龍-Team Medical Dragon- (テレビドラマ)|医龍-Team Medical Dragon-2]]』<br />『[[北の国から#北の国から 2002遺言|北の国から 2002遺言]]』<br />『[[誰よりもママを愛す]]』<br />『[[ドン★キホーテ]]』<br />『[[最後から二番目の恋]]』<br />『[[ドクターX〜外科医・大門未知子〜]]』<br />『[[軍師官兵衛]]』<br />『[[ナオミとカナコ]]』<br />『[[西郷どん (NHK大河ドラマ)|西郷どん]]』<br />『[[まんぷく]]』<br />『[[わたし、定時で帰ります。]]』<br />『[[未来への10カウント]]』<br />『[[君の花になる]]』<hr />'''映画'''<br />『[[花より男子]]』<br />『[[キャッツ・アイ|CAT'S EYE]]』<br />『[[クワイエットルームにようこそ]]』<br />『[[ばかもの#映画版|ばかもの]]』<br />『[[踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!]]』<br />『[[踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望]]』<br />『[[斉木楠雄のΨ難#実写映画|斉木楠雄のΨ難]]』 | その他の賞 ='''[[日本映画プロフェッショナル大賞]]'''<br />'''主演女優賞'''<br />[[1995年]]『[[花より男子]]』<br />[[2010年]]『[[ばかもの#映画版|ばかもの]]』 }} '''内田 有紀'''(うちだ ゆき、[[1975年]]([[昭和]]50年)[[11月16日]] - 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12月17日) - 麻生早紀 役 ** [[ボクたちのドラマシリーズ#時をかける少女|時をかける少女]](1994年2月19日 - 3月19日) - 主演・[[芳山和子]] 役 ** [[17才-at seventeen-]](1994年4月28日 - 9月1日) - 主演・日高巧美役 * [[ひとつ屋根の下]](1993年4月12日 - 6月28日、フジテレビ) - 日吉利奈 役 * [[If もしも]] 「この夏、あなたにぴったりの髪型は?ロングかショートか」(1993年7月1日、フジテレビ) - 主演・清水さおり 役 * [[じゃじゃ馬ならし (テレビドラマ)|じゃじゃ馬ならし]](1993年7月5日 - 9月20日、フジテレビ) - 玉置亜矢 役 * [[仰げば尊し (1994年のテレビドラマ)|仰げば尊し]] 第3話「さよなら…先生」(1994年1月3日、フジテレビ) - 山上ユキ 役 * [[世にも奇妙な物語]](フジテレビ) ** [[世にも奇妙な物語 冬の特別編 (1994年)|'94 冬の特別編]]「心の声が聞こえる」(1994年1月6日) - 主演 ** [[世にも奇妙な物語 秋の特別編 (2008年)|'08 秋の特別編]]「ボディレンタル」(2008年9月23日) - 主演・篠塚香織 役 * [[半熟卵 (テレビドラマ)|半熟卵]](1994年10月21日 - 12月16日、フジテレビ) - 大場歌南 役 * [[キャンパスノート]](1996年1月12日 - 3月22日、[[TBSテレビ|TBS]]) - 主演・鶴岡はるか 役 * [[翼をください!]](1996年7月1日 - 9月23日、フジテレビ) - 主演・川辺藤子 役 * [[踊る大捜査線]]番外編「[[湾岸署婦警物語 初夏の交通安全スペシャル]]」(1998年6月19日、フジテレビ) - 主演・篠原夏美 役 * [[あきまへんで!]](1998年10月9日 - 12月18日、TBS) - 青木すみれ 役 * [[甘い生活。]](1999年7月7日 - 9月22日、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) - 深町アズサ 役 * [[氷の世界 (テレビドラマ)|氷の世界]](1999年10月11日 - 12月20日、フジテレビ) - 庄野月子 役 * [[天使が消えた街 (テレビドラマ)|天使が消えた街]](2000年4月12日 - 6月28日、日本テレビ) - 吉井タマキ 役 * [[涙をふいて (テレビドラマ)|涙をふいて]](2000年10月11日 - 12月20日、フジテレビ) - 村田(斉藤)珠美 役 * [[ビッグウイング]](2001年1月12日 - 3月20日、TBS) - 主演・吉川久美子 役 * [[北の国から#北の国から 2002遺言|北の国から 2002遺言]](2002年9月6日・7日、フジテレビ) - 高村結 役 * [[誰よりもママを愛す]](2006年7月2日 - 9月10日、TBS) - 嘉門雪 役 ※復帰作 * [[マグロ (テレビドラマ)|マグロ]](2007年1月5日・6日、[[テレビ朝日]]) - 坂崎真由 役 * [[地方紙を買う女#2007年版|松本清張スペシャル 地方紙を買う女]](2007年1月30日、日本テレビ、[[火曜ドラマゴールド]]) - 主演・潮田芳子 役 * [[バンビ〜ノ!]](2007年4月18日 - 6月27日、日本テレビ) - 宍戸美幸 役 * [[医龍-Team Medical Dragon- (テレビドラマ)|医龍-Team Medical Dragon-2]](2007年10月11日 - 12月20日、フジテレビ) - 片岡一美 役 * [[イノセント・ラヴ]](2008年10月20日 - 12月22日、フジテレビ) - 遠野聖花 役 * [[神の雫#テレビドラマ|神の雫]](2009年1月13日 - 3月10日、日本テレビ) - 西園寺マキ 役 * [[ギネ 産婦人科の女たち]](2009年10月14日 - 12月9日、日本テレビ) - 瀬川一代 役 * [[東京地検特捜部長・鬼島平八郎 “眠らぬ鬼”#テレビドラマ|検事・鬼島平八郎]](2010年10月22日 - 12月3日、[[朝日放送テレビ|朝日放送]]) - 森本真紀 役 * [[大切なことはすべて君が教えてくれた]](2011年1月17日 - 3月28日、フジテレビ) - 水谷亜弥 役 * [[ドン★キホーテ]](2011年7月9日 - 9月24日、日本テレビ) - 鯖島あゆみ 役 * [[帰郷 (2011年のテレビドラマ)|帰郷]](2011年12月23日、TBS) - 神尾珠美 役 * [[最後から二番目の恋]](2012年1月12日- 3月22日、フジテレビ) - 長倉万理子 役 ** 最後から二番目の恋 2012秋(2012年11月2日) ** 続・最後から二番目の恋(2014年4月17日 - 6月26日) * [[早海さんと呼ばれる日]]スペシャル 前編(2012年6月10日、フジテレビ) - 宮沢瑛子 役 * [[未来日記-ANOTHER:WORLD-]] 第10話・最終話(2012年6月23日・30日、フジテレビ) - 神宮寺雫 役 * [[踊る大捜査線 THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件]](2012年9月1日、フジテレビ) - 篠原夏美 役 * [[ドクターX〜外科医・大門未知子〜]](テレビ朝日)(2012年10月18日 - 12月13日、テレビ朝日) - [[ドクターX〜外科医・大門未知子〜#城之内博美|城之内博美]] 役 ** ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第2シリーズ(2013年10月17日 - 12月19日) ** ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第3シリーズ(2014年10月9日 - 12月18日) ** ドクターX〜外科医・大門未知子〜スペシャル(2016年7月3日) ** ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第4シリーズ(2016年10月13日 - 12月22日) ** ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第5シリーズ(2017年10月12日 - 12月14日) ** ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第6シリーズ(2019年10月17日 - 12月19日) ** ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第7シリーズ(2021年10月14日 - 12月16日) * [[サキ (テレビドラマ)|サキ]](2013年1月8日 - 3月19日、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]) - 濱田直美 役 * [[火怨・北の英雄 アテルイ伝]](2013年1月11日 - 2月1日、[[NHK BSプレミアム]]) - 佳那 役 * [[ダブルス〜二人の刑事]](2013年4月18日 - 6月13日、テレビ朝日) - 日下涼子 役 * [[大河ドラマ]]([[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]) ** [[軍師官兵衛]](2014年1月5日 - 12月21日) - [[濃姫|お濃]] 役 ** [[西郷どん (NHK大河ドラマ)|西郷どん]](2018年) - おゆう 役<ref>{{Cite web|和書|date=2018-02-14 |url =http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/290406.html |title =『西郷どん』新キャスト発表! |work=NHKドラマトピックス |publisher =NHK |accessdate =2018-02-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180219005534/http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/290406.html|archivedate=2018-02-19}}</ref> * [[Dr.倫太郎]](2015年4月 - 6月、日本テレビ) - 桐生薫 役 * [[偽装の夫婦]](2015年10月7日 - 12月9日、日本テレビ) - 水森しおり 役<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2058196/full/ |title=天海祐希、沢村一樹と“偽装夫婦” 遊川氏脚本の大人のラブストーリー! |website=ORICON NEWS |publisher=oricon ME |date=2015-08-27 |accessdate=2015-08-27}}</ref> * [[はぶらし/女友だち]](2016年1月5日 - 2月23日、NHK BSプレミアム) - 主演・真壁鈴音 役<ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/11/21/kiji/K20151121011547240.html |title=内田有紀 NHK連ドラ初主演!40歳「おばさんって楽」 |newspaper=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2015-11-21 |accessdate=2015-11-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2062788/full/|title=内田有紀、NHKドラマ初主演 池脇千鶴に追いつめられる!?|publisher=ORICON STYLE|date=2015-11-24|accessdate=2015-11-25}}</ref><ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010467 番組エピソード ハラハラドキドキ!先が見えない【サスペンスドラマ特集】-NHKアーカイブス]</ref> * [[ナオミとカナコ#テレビドラマ|ナオミとカナコ]](2016年1月14日 - 3月17日、フジテレビ) - 服部加奈子 役<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1565407.html |title=広末涼子、内田有紀と初共演 異色サスペンスに挑戦 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2015-11-13 |accessdate=2015-11-13}}</ref> * [[荒神 (宮部みゆきの小説)#テレビドラマ|荒神]](2018年2月17日、BSプレミアム) - 主演・朱音 役<ref>{{Cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2090794/full/ |title=宮部みゆき原作『荒神』スペシャルドラマ化 内田有紀が出演 |newspaper=ORICON NEWS |publisher=oricon ME |date=2017-05-16 |accessdate=2017-07-28}}</ref> * [[真犯人 (翔田寛の小説)|真犯人]](2018年9月23日 - 10月21日、[[WOWOW]]) - ヒロイン・尾畑理恵 役<ref name="natalie284289">{{Cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/284289|title=小泉孝太郎、内田有紀、高嶋政伸らが上川隆也の主演ドラマ「真犯人」に出演|newspaper=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2018-05-30|accessdate=2019-07-12}}</ref> * [[連続テレビ小説]] [[まんぷく]](2018年10月1日 - 2019年3月30日、NHK総合) - 小野塚(今井)咲 役<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.cinemacafe.net/article/2018/03/23/56044.html| title = 「まんぷく」安藤サクラの家族発表!内田有紀&大谷亮平が“朝ドラ”初出演| date = 2018-03-23| website = cinemacafe.net| publisher = イード| accessdate = 2018-04-05}}</ref> * [[わたし、定時で帰ります。#テレビドラマ|わたし、定時で帰ります。]](2019年4月16日 - 6月25日、TBS) - 賤ヶ岳八重 役<ref>{{Cite news|url=https://realsound.jp/movie/2019/01/post-309477.html|title=吉高由里子、ワーキングガール役でTBSドラマ初主演 共演に向井理、内田有紀ら|newspaper=Real Sound|date=2019-01-24|accessdate=2019-02-20}}</ref> * [[引き抜き屋#テレビドラマ|引き抜き屋 〜ヘッドハンターの流儀〜]](2019年11月16日 - 12月14日、WOWOW) - 渡会花緒里 役<ref name="oricon2142912">{{Cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2142912/full/|title=松下奈緒主演『引き抜き屋』ドラマ化「最高で最高のヘッドハンター目指す」|newspaper=ORICON NEWS|publisher=oricon ME|date=2019-08-23|accessdate=2019-08-23}}</ref> * [[ディア・ペイシェント#テレビドラマ|ディア・ペイシェント〜絆のカルテ〜]](2020年7月17日 - 9月18日、NHK総合・[[NHK BS4K]]) - 浜口陽子 役<ref name="nhk20200121">{{Cite web|和書|date=2020-01-21 |url=https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/22000/418968.html |title=貫地谷しほりさん主演『ディア・ペイシェント〜絆のカルテ〜』制作開始! |work=ドラマトピックス |website=NHKドラマ |publisher=日本放送協会 |accessdate=2020-01-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200126171903/https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/22000/418968.html|archivedate=2020-01-26}}</ref><ref name="mantan20200121">{{Cite news|url=https://mantan-web.jp/article/20200121dog00m200003000c.html|title=貫地谷しほり:NHKドラマ10「ディア・ペイシェント」で主演 クレーマー患者に悩む女性医師に|newspaper=MANTANWEB|publisher=株式会社MANTAN|date=2020-01-21|accessdate=2020-02-21}}</ref> * [[ドクターY〜外科医・加地秀樹〜]](2020年10月4日、テレビ朝日) - 城之内博美 役 * [[うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間#テレビドラマ|うつ病九段]](2020年12月20日、NHK BSプレミアム) - ヒロイン・先崎繭 役<ref>{{Cite web|和書|date=2020-08-28 |url=https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/20000/434842.html |title=安田顕がうつ病になった実際の棋士に!特集ドラマ『うつ病九段』制作開始! |work=ドラマトピックス |website=NHKドラマ |publisher=日本放送協会 |accessdate=2020-08-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200902053304/https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/20000/434842.html|archivedate=2020-09-02}}</ref><ref name="natalie20200828">{{Cite news |title=安田顕が主演、棋士・先崎学の手記「うつ病九段」ドラマ化 |newspaper=映画ナタリー |publisher=ナターシャ |date=2020-08-28 |url=https://natalie.mu/eiga/news/394026 |accessdate=2020-08-29}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk-sc.or.jp/stera/topics/20201120_2.html |title=安田顕主演ドラマ 〈うつ病九段〉 12月20日(日)放送決定 ! |website=NHKウイークリーステラ |date=NHKサービスセンター |accessdate=2020-11-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20201117074521/https://www.nhk-sc.or.jp/stera/topics/20201120_2.html |archivedate=2020-11-17}}</ref> * [[華麗なる一族 (2021年のテレビドラマ)|華麗なる一族]](2021年4月18日 - 7月11日、WOWOW) - ヒロイン・高須相子 役<ref name="報知 20201111">{{Cite news|title=内田有紀、WOWOWドラマ「華麗なる一族」に麻生祐未と出演|url=https://hochi.news/articles/20201111-OHT1T50045.html|newspaper=スポーツ報知|date=2020-11-11|accessdate=2020-11-11|publisher=報知新聞社}}</ref> * [[津田梅子〜お札になった留学生〜]](2022年3月5日、テレビ朝日) - [[津田初子]] 役<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/464199|title=広瀬すず主演ドラマ「津田梅子」にディーン・フジオカ、田中圭、伊藤英明、内田有紀ら|newspaper=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-02-03|accessdate=2022-02-03}}</ref> * [[未来への10カウント]](2022年4月14日 - 6月9日、テレビ朝日) - 大場麻琴 役<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/468254|title=木村拓哉主演ドラマ「未来への10カウント」安田顕が親友役、柄本明や内田有紀も出演 |newspaper=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-03-05|accessdate=2022-03-05}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/469212|title=「未来への10カウント」山田杏奈や村上虹郎が出演、木村拓哉のもとに集う生徒役|newspaper=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-03-13|accessdate=2022-03-13}}</ref> * [[君の花になる]](2022年10月18日 - 12月20日、TBS) - 香坂すみれ 役<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/490417|title=「君の花になる」8LOOMのクセ強マネージャーは宮野真守、動きのキレがやたらいい|newspaper=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-08-22|accessdate=2022-08-22}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://news.mynavi.jp/article/20220907-2448127/|title=本田翼と高橋文哉ら8LOOMメンバー集結 希望に満ちた『君の花になる』ビジュアル|newspaper=マイナビニュース|publisher=マイナビ|date=2022-09-07|accessdate=2022-09-07}}</ref> * [[ドラマW|連続ドラマW]] [[フィクサー (テレビドラマ)|フィクサー]] Season1(2023年4月23日 - 5月21日、WOWOW) - 沢村玲子 役<ref>{{Cite news|url=https://www.cinemacafe.net/article/2022/11/02/81709.html|title=唐沢寿明主演ドラマW「フィクサー」放送 共演に町田啓太&小泉孝太郎ら|newspaper=シネマカフェ|publisher=イード|date=2022-11-02|accessdate=2022-11-02}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://news.mynavi.jp/article/20230206-2584574/|title=唐沢寿明主演ドラマ『フィクサー』、豪華ポスター完成&予告映像第2弾が公開|newspaper=マイナビニュース|publisher=マイナビ|date=2023-02-06|accessdate=2023-02-06}}</ref> ** フィクサー Season2(2023年7月9日 - 8月6日、WOWOW)<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/525397|title=鈴木保奈美が唐沢寿明と31年ぶり共演、「連続ドラマW フィクサー」で弁護士役|newspaper=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-05-21|accessdate=2023-05-21}}</ref> ** フィクサー Season3(2023年10月8日 - 11月5日、WOWOW)<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/535826|title=「連続ドラマW フィクサー」S3に古田新太ら、白洲迅・大友花恋も出演|website=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-08-06|accessdate=2023-10-08}}</ref> === 配信ドラマ === * 30ハケン女が就職する方法♪(2010年2月1日 - 4月5日、[[NTTドコモ]] [[BeeTV]]) - 主演・神林莉子 役 * [[踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!#係長 青島俊作 THE MOBILE|係長 青島俊作 THE MOBILE]] (2010年6月 - ドコモ動画「携帯電話配信ドラマ」) - 篠原夏美 役 === テレビ番組 === * [[フジテレビジョン|フジテレビの日888まつり〜祭りだワッショイ〜]](1996年8月8日放送) - MC * [[さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル]](1995年 - 2001年【1998年除く】、TBS) * [[歌のゴールデンヒット]] (2019年10月7日 - TBS) - MC * [[美の巨人たち|新美の巨人たち]](2021年 - 、テレビ東京) === ラジオ === * [[内田有紀 夜空にYOU KISS!]](1994年4月 - 2001年3月、[[ニッポン放送]])※後に書籍化 * 第21回 [[ラジオ・チャリティー・ミュージックソン]](1995年12月24日 - 25日、ニッポン放送系列) - メインパーソナリティを務める。 * 内田有紀の夕暮れストリートキッズ(1995年、[[セント・ギガ]]・[[サテラビュー]]) === 映画 === * [[花より男子]](1995年8月19日公開、[[東映]]、フジテレビ [[ぼくたちの映画シリーズ]]第一弾) - 主演・牧野つくし 役 * [[キャッツ・アイ#実写映画|CAT'S EYE キャッツ・アイ]](1997年8月30日公開、[[東宝]]) - 主演・来生愛(キャッツ・アイ三姉妹の三女) 役 * BEAT(1998年9月、[[松竹]]) - 主演・ミチ 役 * [[監督・ばんざい!]](2007年6月2日公開、[[東京テアトル]]/[[TAP (芸能プロダクション)|オフィス北野]]) * [[クワイエットルームにようこそ]](2007年10月20日公開、[[アスミック・エース]]) - 主演・佐倉明日香 役 * [[禅 ZEN]](2009年1月10日公開、[[角川映画]]) - おりん 役 * [[踊る大捜査線]](東宝) - 篠原夏美 役 ** [[踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!]](2010年7月3日公開) ** [[踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望]](2012年9月7日公開) * [[ばかもの#映画版|ばかもの]](2010年12月18日公開、ゴー・シネマ) - 主演・吉竹額子 役 * [[俺俺#映画|俺俺]](2013年5月25日公開、[[ジェイ・ストーム]]) - サヤカ 役 * [[斉木楠雄のΨ難#実写映画|斉木楠雄のΨ難]](2017年10月21日公開、[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント]]/アスミック・エース) - 斉木久留美 役<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/233104 |title=内田有紀&田辺誠一が「斉木楠雄のΨ難」で山崎賢人の“ぶっ飛んだ”両親役に |newspaper=映画ナタリー |publisher=ナターシャ |date=2017-05-19 |accessdate=2017-05-19}}</ref> === 吹き替え === * [[マーベル・シネマティック・ユニバース]]([[ウォルト・ディズニー・ジャパン]]) ** [[アントマン (映画)|アントマン]](2015年9月19日公開) - [[ホープ・ピム|ホープ・ヴァン・ダイン]] 役〈[[エヴァンジェリン・リリー]]〉<ref>{{Cite web|和書|url=http://eiga.com/news/20150722/2/|title=内田有紀&ブラマヨ小杉、「アントマン」日本語吹き替え声優に決定! |publisher=映画.com |accessdate=July 22, 2015}}</ref> ** [[アントマン&ワスプ]](2018年8月31日公開) - ホープ・ヴァン・ダイン / ワスプ 役〈エヴァンジェリン・リリー〉<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0102020|title=内田有紀&ブラマヨ小杉、キャラの成長に笑顔 『アントマン&ワスプ』イベント|publisher=シネマトゥデイ |accessdate=2018-07-08}}</ref> ** [[アベンジャーズ/エンドゲーム]](2019年4月26日公開) - ホープ・ヴァン・ダイン / ワスプ 役〈エヴァンジェリン・リリー〉<ref>{{Cite news|url=https://www.fukikaeru.com/?p=11706|title=アベンジャーズ/エンドゲーム|work=ふきカエル大作戦!!|date=2019-05-09|accessdate=2019-05-09}}</ref> ** [[アントマン&ワスプ:クアントマニア]](2023年2月17日公開) - ホープ・ヴァン・ダイン / ワスプ 役〈エヴァンジェリン・リリー〉<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/511059|title=「アントマン&ワスプ:クアントマニア」木内秀信、内田有紀ら吹替版キャスト発表|newspaper=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-02-01|accessdate=2023-02-01}}</ref> === CM === * [[プロクター・アンド・ギャンブル|P&G]]「[[クレアラシル]]」(1990年) * [[井村屋グループ|井村屋製菓]]「[[あずきバー]]」(1992年) * [[ロッテ]](1992年 - 1997年) ** 「[[クランキーチョコレート]]」 ** 「[[トッポ (菓子)|トッポ]]」 ** 「[[ガーナチョコレート|ガーナミルクチョコレート]]」 ** 「目的別チョコレート」 * [[コスモ石油]](1993年) * [[ロッテリア]](1994年 - 1996年) * [[コカ・コーラ]]「[[アクエリアス|アクエリアスNEO]]」(1994年) * [[ロート製薬]] **「[[ロートジー|Zi:]]リセ」(1994年 - 1996年) **「Cキューブ」(1995年 - 2002年) **「BLOOMIO」(2023年)<ref>{{Cite news|url=https://news.mynavi.jp/article/20230907-2766141/|title=内田有紀、20年ぶりにロート製薬CM出演「実家に帰ったような気持ち」|newspaper=マイナビニュース|publisher=マイナビ|date=2023-09-07|accessdate=2023-09-07}}</ref> * [[東京ニュース通信社]]「[[週刊TVガイド]]」(1994年) * [[集英社文庫]](1994年) * [[資生堂]] **「ヌーブ」(1997年) **「[[資生堂・プラウディア|プラウディア]]」(1997年) **「TISS」(1999年) * [[アサヒ飲料]] **「[[カルピスウォーター]]」(1995年 - 1997年) **「優」(1999年) * [[ゼビオホールディングス|Victoria SKI]](1995年 - 1996年) * [[セイコーエプソン|エプソン]]「[[カラリオ]]」「vividy」(1995年 - 1996年) * [[ジャストシステム]]「[[一太郎]]9」(1998年) * [[丸八ホールディングス|丸八真綿]]「ファーベット」(2000年、[[郷ひろみ]]と共演) * [[花王]] ** [[ソフィーナ]]「[[AUBE (化粧品)|AUBE]]」(2001年) ** 「[[ピュオーラ]]」(2012年 - 2013年) * [[ライオン (企業)|LION]]「[[バファリン|バファリンA]]」(2008年) * [[武富士]] ** 「計画的なビリヤード篇」(2008年10月) ** 「計画的な花言葉篇」(2008年10月) ** 「計画的な藍色篇」(2009年6月 - 2009年8月) * [[エバーライフ]]「美・皇潤」(2012年) * [[DHC]]「Q10濃密うるおいベースメークシリーズ」(2015年 - )<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20150909-LTIXKDTADRLZJK5PHYRDOMQE2M/ |title=内田有紀、昔と全く変わらない姿にビックリ!DHC新CMで女子会 |publisher=SANSPO.COM |date=2015-09-09 |accessdate=2015-09-09}}</ref> * [[ファーストリテイリング]] 「[[ジーユー|GU]]」(2016年 - )<ref>{{Cite news|url=https://www.fashion-press.net/news/25627|title=GU16年秋冬新CMで中条あやみがアラレちゃんに!オシャレな“コナレちゃん”に変身|newspaper=Fashion Press|date=|accessdate=2016-08-30}}</ref> * [[ソニー損害保険]] **「ZiPPi〈ジッピ〉新登場」篇(2017年1月14日 - )<ref>{{Cite press release |和書 |url=https://from.sonysonpo.co.jp/topics/news/2017/01/20170112.html |title=医療保険のイメージキャラクターに、内田有紀さんを起用 〜新しいテレビCM「ZiPPi〈ジッピ〉新登場」篇を放映開始します〜 |publisher=ソニー損保 |date=2017-01-12 |accessdate=2022-10-31}}</ref> * [[興和]] ** コルゲンコーワIB錠TXα「愛情 旦那さん」篇、「愛情 奥さん」篇(2021年11月2日 - ) - [[斎藤工]]と共演 *[[ヤクルト本社]] **ソフール「おヨーグルト」篇(2023年1月23日 - )<ref>{{Cite web|和書|title=内田有紀、壱百満天原サロメと共演 ソフール新CMで「おヨーグルトですわ~!」 |url=https://realsound.jp/tech/2023/01/post-1242936.html |website=Real Sound|リアルサウンド テック |access-date=2023-01-23 |language=ja}}</ref> === 舞台 === * [[蒲田行進曲|銀ちゃんが逝く]](2000年) * 新・飛龍伝(2001年) * [[熱海殺人事件]]〜モンテカルロ・イリュージョン(2002年) * ジャックとその主人(2008年) * [[異人たちとの夏#舞台|異人たちとの夏]](2009年) * [[七人ぐらいの兵士]](2015年) == 作品 == === シングル === {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! c/w ! 規格 ! [[規格品番]] ! オリコン最高位 |- ! colspan="7" | [[キングレコード]] |- ! 1st | [[1994年]][[10月21日]] | '''[[TENCAを取ろう! -内田の野望-]]''' | ヘイ・ポーラ{{efn2|「内田有紀 & [[大浦龍宇一]]」名義}} | rowspan="8" | [[8センチCD|8cmCD]] | KIDS-220 | 1位 |- ! 2nd | [[1995年]][[4月5日]] | '''[[明日は明日の風が吹く]]''' | 「ありがとう」 | KIDS-240 | 3位 |- ! 3rd | [[1995年]][[4月21日]] | '''[[Only You (内田有紀の曲)|Only You]]''' | Only You (Jungle Mix) | KIDS-250 | 2位 |- ! 4th | [[1995年]][[8月18日]] | '''[[BABY'S GROWING UP]]''' | 19 NINETEEN | KIDS-270 | 5位 |- ! 5th | [[1996年]][[1月24日]] | '''[[幸せになりたい (内田有紀の曲)|幸せになりたい]]''' | 「愛について語りましょうよ」 | KIDS-280 | 6位 |- ! 6th | [[1997年]][[2月21日]] | '''[[「アイシテル」]]''' | november | KIDS-330 | 23位 |- ! 7th | [[1997年]][[5月21日]] | '''[[Da.i.su.ki.]]''' | Uchida no Rock'n'Roll | KIDS-340 | 29位 |- ! 8th | [[1998年]][[9月25日]] | '''[[ハートブレイク スナイパー]]''' | エルミタージュの砂漠 | KIDS-340 | 32位 |} ==== コラボレーション・シングル ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller" ! 発売日 ! タイトル ! c/w ! 規格 ! [[規格品番]] ! オリコン最高位 ! 発売元 |- ! colspan="7" |内田有紀 & [[m.c.A・T]] |- | [[1996年]][[7月17日]] | '''[[EVER&EVER]]''' | EVER&EVER (ET UP & DANCE MIX) | 8cmCD | KIDS-300 | 8位 | [[キングレコード]] |- ! colspan="7" |UCHIDA YUKI supported by [[チューヤン|CHUYAN]] |- | [[1999年]][[8月27日]] | '''[[楽園 (内田有紀の曲)|楽園]]''' | 楽園 (弾き語りバージョン'99) | 8cmCD | KIDS-430 | 28位 | rowspan="2"|キングレコード |- | [[1999年]][[10月13日]] | '''[[楽園 〜Memorial Tracks〜]]''' | 楽園 (弾き語りバージョン'99)<br />楽園 〜ゴール記念オーケストラバージョン〜 | [[シングル|Maxi]] | KIDS-430 | 67位 |} === アルバム === ==== オリジナル・アルバム ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] ! オリコン最高位 |- ! colspan="6" | [[キングレコード]] |- ! 1st | [[1995年]][[2月8日]] | '''[[純情可憐乙女模様]]''' | [[コンパクトディスク|CD]] | KICS-470 | 1位 |- ! 2nd | [[1995年]][[9月21日]] | '''[[MI-CHEMIN]]''' | CD | KICS-510 | 3位 |- ! 3rd | [[1996年]][[3月23日]] | '''[[愛のバカ]]''' | CD | KICS-540 | 20位 |- ! 4th | [[1996年]][[10月10日]] | '''[[nakitakunalu]]''' | CD | KICS-600 | 18位 |} ==== ミニ・アルバム ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] ! オリコン最高位 |- ! colspan="6" | [[キングレコード]] |- ! 1st | [[1995年]][[11月22日]] | '''[[Merry Christmas For You]]''' | [[コンパクトディスク|CD]] | KICS-530 | 19位 |} ==== ベスト・アルバム ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] ! オリコン最高位 |- ! colspan="6" | [[キングレコード]] |- ! 1st | [[1997年]][[12月3日]] | '''[[Present (内田有紀のアルバム)|Present]]''' | [[コンパクトディスク|CD]] | KICS-630 | 33位 |- ! 2nd | [[2010年]][[7月7日]] | '''[[内田有紀 パーフェクト・ベスト]]''' | CD | KICS-1573 | 圏外 |} === 映像作品 === ==== イメージ・ビデオ ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] |- ! colspan="5" | [[ポニーキャニオン]] |- ! 1st | [[1993年]][[3月19日]] | '''Visual Queen of The Year'93 内田有紀 La Palette''' | [[VHS]] | PCVC-10235 |} ==== ライブ・ビデオ ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] |- ! colspan="5" | [[キングレコード]] |- ! rowspan="2"|1st | rowspan="2"|[[1996年]][[2月14日]] | rowspan="2"|'''YUKI UCHIDA 1995 CONCERT UCHIDA'S love show''' | [[VHS]] | KIVM-97 |- | [[レーザーディスク|LD]] | KILM-43 |- ! rowspan="2"|2nd | rowspan="2"|[[1997年]][[7月2日]] | rowspan="2"|'''Yuki Uchida Concert 1996“nakitakunalu”''' | VHS | KIVM-212 |- | LD | KILM-52 |- ! rowspan="2"|3rd | rowspan="2"|[[1998年]][[2月21日]] | rowspan="2"|'''Yuki Uchida Concert Tour 1997 MINNA DA I SU KI''' | VHS | KIVM-229 |- | LD | KILM-56 |} ==== ミュージック・ビデオ ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! 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後藤久美子
後藤 久美子(ごとう くみこ、1974年3月26日 - )は、日本の女優、モデル、タレント。愛称はゴクミ。東京都杉並区出身。スイス・ジュネーブ在住。オスカープロモーション所属。 くまの幼稚園、区立大宮小学校、区立大宮中学校、多摩大学附属聖ヶ丘高等学校卒業。小学校5年生のときからモデルを始め、1986年、NHKの『テレビの国のアリス』のヒロイン役で女優デビューする。第24回ゴールデンアロー賞 放送・新人賞を受賞。以降、「国民的美少女」を謳い文句に、世に言う美少女ブームを巻き起こした。映画出演作に『男はつらいよ』(松竹)、『ラブストーリーを君に』、『ガラスの中の少女』、『シティーハンター』などがある。「男はつらいよ」シリーズには、6回に渡り同役で出演し、実現しなかった第49作『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』にも出演が予定されていた。 1995年にフランス人F1レーサーのジャン・アレジと交際を始める。当時アレジには既に妻子があったが離婚調停中であり、その後前妻とは離婚が成立。96年には渡仏しアレジと同居を始める。2022年現在もアレジとの婚姻手続きはとっておらず、「事実婚」の夫婦である。ジャン・アレジは前妻との間に1人、後藤との間に3人の実子がいる。長男のジュリアーノ・アレジもレーシングドライバーで、2021年からは来日し、スーパーフォーミュラやSUPER GTなどに出場している。 渡仏後は妻としてまた子育てを重視しており、年に1〜2本のCM出演や女性ファッション誌の表紙モデルなどを中心に活動している。また女優業からは一線を退き、映画やドラマでの復帰はないとしている。子供の教育のためにフランスからスイス・ジュネーヴに豪邸を建築し移住し現在も在住しているが、パリやニューヨーク、モナコなどにも邸宅を所有している 。 クルマ好きでも知られ、かつてはクーペ・フィアットを自ら運転し、自身の20歳の誕生日には、150台のみ生産され現在は極めて希少価値が高いディーノ206GTを購入した。 2012年1月には事務所の後輩である武井咲と対面し話題を呼んだ(なお、武井自身はこの対面を“夢の対面”と感じたという)。 愛称の「ゴクミ」は1987年の新語・流行語大賞の流行語部門で銅賞に選ばれる。 2018年10月31日、23年ぶりに女優復帰を発表。2019年12月公開のシリーズ50作目になる『男はつらいよ お帰り 寅さん』でスクリーン復帰。当初はこの映画のみの特別な女優復帰とされていたが、2024年1月3日放送の『顔』にも出演を発表。テレビドラマ復帰を果たした。 サバサバした性格で落ち着きがあり、少女時代からハッキリとものを言うタイプであり、当時の記者会見などでも笑顔をみせず素っ気なく答える姿がたびたびバッシングの的にされていた。時折マスコミに対する発言で物議を醸すことも多かった。「ゴクミ語録」という書籍も出版されている。本人曰く「協調性がない分、孤独でも順応性が高い」。中学生当時はその協調性のなさから、共演者との軋轢や批判を生んだようだが、現在はそれが外国生活に活かされているとのこと。 芸歴は長く、前出のとおり小学校の頃からモデル活動を行っていた。同時期から活躍していたのは宮沢りえで、同学年ということもあって仲が良く、また良きライバル関係でもあった。りえとは11歳の頃、キットカットのCMで共演歴がある。 順調に芸歴を重ね、このままオスカープロの看板女優になると思われた矢先、妻子のあるアレジと交際が発覚した。交際時アレジは離婚調停中でありその後に離婚が成立、アレジの住むフランスへ渡った。以後の芸能活動は女優業を休止し、海外在住のまま行える雑誌グラビアやCMに出演する程度となっており、その他の仕事はどんなにギャラを積まれても受けないスタンスであった。 1996年に渡仏し、アレジとは実質的に結婚した。その後3人の子供(1996年に長女、1999年に長男、2007年に次男)を儲けた後、現在の居住であるスイス・ジュネーブへ移った。 現在はアレジと共にフランスにもある自宅で広大な土地を利用し、ワインの生産を行っている。このワインは、ヨーロッパでも高く評価されている。 F1引退後のアレジの現在の総資産は400億円以上と言われており、各国(パリ、モナコ、ロサンゼルス等)に別荘を持ち基本的には家事の一切をしないという生活をしていることが娘のTV出演時に語られている。 娘のエレナが2017年に世界的な名家の令嬢しか招待されないと言われている社交界にデビュー、後藤もアレジと共にパーティに参加したことがメディアで報道され、華やかなセレブ生活が話題となった。 小麦色の肌と引き締まったスレンダーな体格を特長にしており、かつては「国民的美少女」と呼ばれていた。 子役から10代前半のブレイク時は少女体型で華奢であったが、『週刊プレイボーイ』ではセミヌードを披露。「たかの友梨ビューティクリニック」のCMで披露した小麦色の肢体は、若い女性の注目を集めた。 1986年9月に刊行された『CAPA』ではだぶだぶのスーツにサスペンダーを着用するなど男性風の格好を披露している(撮影は篠山紀信)。また、1991年の大河ドラマ『太平記』では大河ドラマでは初めて、常時男装での出演となった。 2017年には娘のエレナの芸能界デビューに伴い久々に公の場に姿を見せ20歳の子供がいるようには見えないその美貌に再び各メディアに注目された。 2018年10月には約23年ぶりの女優復帰を発表し、映画の記者会見に出演した際にも「大人の女性になり、より美しくなった」等とネットで騒がれた。 2020年1月には映画のプロモーションを兼ねて滅多に出演することのないトーク番組「徹子の部屋」や「サワコの朝」出演での貴重なトークとその美貌が話題を呼んだ。中でも異例とも言える地方番組「おとな旅あるき旅」への出演は交友のあるナビゲーター三田村邦彦からのたっての願いで出演が実現した。2人は20年以上前にドラマで親子を演じておりその当時を知る視聴者から全く容姿が変わらないことや、ほとんど化粧をせずスッピンに近い状態で出演しておりそれも話題となった。 1987年3月18日にはレコードデビューも果たしている。デビュー曲の「teardrop」はオリコン最高3位を記録するが、彼女自身が歌手活動にあまり意欲を示さなかったためか、程なく女優業に専念することになった。1987年4月の「ザ・ベストテン延長戦」でランキング(11位)に登場するが、労働基準法(15歳未満の就労時間の問題)の関係で出演出来なかった。 フランス人のアレジと後藤の間に生まれた子供たちは混血児であることから、日本での差別やイジメの可能性を考慮し、外見を気にしないでのびのびと生活出来る環境で育ってもらいたいとのことで、スイスのジュネーブに邸宅を建築し移住した。また、子供の教育には非常に熱心であり厳しい面もある。長女はモデルをしている。 過去に女優としての復帰はないとされていたが、2019年には23年ぶりに女優として映画出演することになる。その理由として「(スイスの)ジュネーブの自宅に山田洋次監督から長いお手紙が届き『新作を作りたい。どうしても君が必要だ。どうにか考えてもらえないだろうか』と書かれていた」と、熱烈な出演依頼があったことを明かした。手紙からは「山田監督の(『男はつらいよ』)シリーズに対する大きな愛情と、『新作を撮りたい』という情熱をひしひしと感じた」とし、「読み終える頃には、引き受けるか否かを私が考慮する権利すらないのではないかとの思いに至った」と出演を受け入れた心境を説明した。ただし女優としての復帰はこの映画のみの例外的なケースであり、今後もこれまで同様どれだけのギャラを積まれても女優としての出演は無いとされる。 一時期(約一年間)、アイドル歌手としても活躍していた。全て日本コロムビアより発売。
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後藤 久美子は、日本の女優、モデル、タレント。愛称はゴクミ。東京都杉並区出身。スイス・ジュネーブ在住。オスカープロモーション所属。
{{other people}} {{存命人物の出典明記|date=2016年5月3日 (火) 02:45 (UTC)}} {{ActorActress | 芸名 = 後藤 久美子 | ふりがな = ごとう くみこ | 画像ファイル = Goto Kumiko from "Tora-san, Wish You Were Here" at Opening Ceremony of the Tokyo International Film Festival 2019 (49014206052).jpg | 画像サイズ = 220px | 画像コメント = [[第32回東京国際映画祭]]にて(2019年) | 本名 = 後藤 久美子 | 別名義 = | 出生地 = {{JPN}} [[東京都]][[杉並区]]<ref name="bettaka"/><ref name="prf">別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.120.</ref> | 死没地 = | 身長 = 161cm | 血液型 = [[ABO式血液型|O型]] | 生年 = 1974 | 生月 = 3 | 生日 = 26 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = モデル、タレント、女優 | 活動期間 = 女優 [[1984年]] - [[1995年]]、[[2019年]]<br />モデル・タレント[[1984年]] - 現在 | 活動内容 = | 配偶者 = [[ジャン・アレジ]] (1996年 - )<ref name="prf"/> | 著名な家族 = エレナ・アレジ・後藤(長女)<br />[[ジュリアーノ・アレジ]](長男) | 事務所 = [[オスカープロモーション]] | 公式サイト = [https://www.oscarpro.co.jp/#/profile/entry/47 公式プロフィール] | 主な作品 = '''映画'''<br />『[[男はつらいよ]]シリーズ』<hr/>'''テレビドラマ'''<br/>『[[ママはアイドル!]]』<br/>『[[太平記 (NHK大河ドラマ)|太平記]]』 }} '''後藤 久美子'''(ごとう くみこ、[[1974年]][[3月26日]]<ref name="prf"/> - )は、[[日本]]の[[俳優|女優]]、[[モデル (職業)|モデル]]、[[タレント]]。愛称は'''ゴクミ'''<ref name="bettaka">別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.59.</ref>。[[東京都]][[杉並区]]出身。[[スイス]]・[[ジュネーブ]]在住。[[オスカープロモーション]]所属。 == 経歴 == くまの幼稚園、区立大宮小学校、区立大宮中学校、[[多摩大学附属聖ヶ丘中学校・高等学校|多摩大学附属聖ヶ丘高等学校]]卒業<ref name="prf"/>。小学校5年生のときからモデルを始め<ref name="bettaka"/>、[[1986年]]、[[日本放送協会|NHK]]の『テレビの国のアリス』の[[ヒロイン]]役で女優デビューする<ref name="bettaka"/>。第24回[[ゴールデンアロー賞]] 放送・新人賞を受賞。以降、「国民的美少女」を謳い文句に、世に言う美少女ブームを巻き起こした。映画出演作に『[[男はつらいよ]]』(松竹)、『[[ラブストーリーを君に]]』、『[[ガラスの中の少女#東映版映画|ガラスの中の少女]]』、『[[シティーハンター (映画)|シティーハンター]]』などがある<ref name="prf"/>。「[[男はつらいよ]]」シリーズには、6回に渡り同役で出演し、実現しなかった第49作『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』にも出演が予定されていた{{要出典|date=2019年8月}}。 [[1995年]]に[[フランス]]人[[フォーミュラ1|F1]]レーサーの[[ジャン・アレジ]]と交際を始める。当時アレジには既に妻子があったが離婚調停中であり、その後前妻とは離婚が成立。96年には渡仏しアレジと同居を始める<ref name="bettaka"/>。2022年現在もアレジとの婚姻手続きはとっておらず、「[[事実婚]]」の夫婦である。ジャン・アレジは前妻との間に1人、後藤との間に3人の実子がいる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20211222-R377UK3ZMNJU5ABJHPAJLPMI3A/|title=アレジ氏を一時拘束 元F1レーサー、爆竹で事務所を損壊容疑|publisher=産経ニュース|date=2021-12-22|accessdate=2021-12-22|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211222095744/https://www.sankei.com/article/20211222-R377UK3ZMNJU5ABJHPAJLPMI3A/|archivedate=2021-12-22}}</ref>。長男の[[ジュリアーノ・アレジ]]もレーシングドライバーで、[[2021年]]からは来日し、[[スーパーフォーミュラ]]や[[SUPER GT]]などに出場している。 渡仏後は妻としてまた子育てを重視しており、年に1〜2本のCM出演や女性[[ファッション誌]]の表紙[[モデル (職業)|モデル]]などを中心に活動している。また女優業からは一線を退き、映画やドラマでの復帰はないとしている。子供の教育のためにフランスから[[スイス]]・[[ジュネーヴ]]に豪邸を建築し移住し現在も在住しているが、[[パリ]]や[[ニューヨーク]]、[[モナコ]]などにも邸宅を所有している<ref name="名前なし-1">[https://thetv.jp/news/detail/157317/ エレナアレジが語る両親ゴクミとアレジの資産400億円以上・世界各国に別荘を所有]</ref> 。 [[自動車|クルマ]]好きでも知られ、かつては[[クーペ・フィアット]]を自ら運転し、自身の20歳の誕生日には、150台のみ生産され現在は極めて希少価値が高い[[ディーノ・206/246|ディーノ206GT]]を購入した。 [[2012年]][[1月]]には事務所の後輩である[[武井咲]]と対面し話題を呼んだ(なお、武井自身はこの対面を“夢の対面”と感じたという)<ref>{{Cite web|和書|url=https://beauty.oricon.co.jp/news/2005925/full/|title=武井咲、“先輩”ゴクミとの対談に感激「幻の人と思ってた」|publisher=[[オリコン]]|date=2012-01-19|accessdate=2016-05-04}}</ref>。 愛称の「'''ゴクミ'''」は[[1987年]]の[[新語・流行語大賞]]の[[流行語]]部門で銅賞に選ばれる<ref name="bettaka"/>。 [[2018年]][[10月31日]]、23年ぶりに女優復帰を発表。2019年12月公開のシリーズ50作目になる『[[男はつらいよ お帰り 寅さん]]』でスクリーン復帰。当初はこの映画のみの特別な女優復帰とされていたが、2024年1月3日放送の『[[顔 (松本清張)#2024年版|顔]]』にも出演を発表。テレビドラマ復帰を果たした<ref name="natalie_0915">{{Cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/541123|title=後藤久美子が約30年ぶりにドラマ出演、武井咲とW主演務める「顔」2024年新春放送|newspaper=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-09-15|accessdate=2023-09-15}}</ref><ref name="natalie_1106">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/547940|title=松本清張ドラマが新春放送、第一夜は後藤久美子×武井咲 第二夜は波瑠×木村佳乃|website=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-11-06|accessdate=2023-11-06}}</ref>。 == エピソード == === 性格 === サバサバした性格で落ち着きがあり、少女時代からハッキリとものを言うタイプであり、当時の記者会見などでも笑顔をみせず素っ気なく答える姿がたびたびバッシングの的にされていた。時折マスコミに対する発言で物議を醸すことも多かった。「ゴクミ語録」という書籍も出版されている。本人曰く「協調性がない分、孤独でも順応性が高い」。中学生当時はその協調性のなさや、脚本にケチをつけるプライドの高さから<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/column/sundayhero/news/202312240000036.html|title=後藤久美子30年ぶりドラマ主演、国民的美少女時代の美貌そのまま アレジとの馴れ初めも初披露|publisher=日刊スポーツ|date=2023-12-24|accessdate=2023-12-24}}</ref>、共演者やスタッフとの軋轢や批判を生んだようで、現在はそれが外国生活に活かされているとのこと<ref name=very>[[VERY]]([[光文社]])2006年7月号 後藤久美子関連記事より</ref>。 === モデル時代 === 芸歴は長く、前出のとおり小学校の頃からモデル活動を行っていた。同時期から活躍していたのは[[宮沢りえ]]で、同学年ということもあって仲が良く、また良きライバル関係でもあった<ref name="prf"/>。りえとは11歳の頃、[[キットカット]]のCMで共演歴がある。 === アレジとの交際・生活 === 順調に芸歴を重ね、このままオスカープロの看板女優になると思われた矢先、妻子のあるアレジと交際が発覚した。交際時アレジは離婚調停中でありその後に離婚が成立、アレジの住むフランスへ渡った。以後の芸能活動は女優業を休止し、海外在住のまま行える雑誌グラビアやCMに出演する程度となっており、その他の仕事はどんなにギャラを積まれても受けないスタンスであった。 1996年に渡仏し、アレジとは実質的に結婚した。その後3人の子供(1996年に長女、1999年に長男、2007年に次男)を儲けた後、現在の居住である[[スイス]]・[[ジュネーブ]]へ移った。 現在はアレジと共にフランスにもある自宅で広大な土地を利用し、[[ワイン]]の生産を行っている。このワインは、[[ヨーロッパ]]でも高く評価されている。 F1引退後のアレジの現在の総資産は400億円以上と言われており、各国([[パリ]]、[[モナコ]]、[[ロサンゼルス]]等)に別荘を持ち基本的には家事の一切をしないという生活をしていることが娘のTV出演時に語られている<ref name="名前なし-1"/>。 娘のエレナが[[2017年]]に世界的な名家の令嬢しか招待されないと言われている[[社交界]]にデビュー、後藤もアレジと共にパーティに参加したことがメディアで報道され、華やかな[[セレブ]]生活が話題となった。 === 容姿 === 小麦色の肌と引き締まったスレンダーな体格を特長にしており<ref name=very/>、かつては「国民的美少女」と呼ばれていた<ref name="bettaka"/>。 子役から10代前半のブレイク時は少女体型で華奢であったが<ref name=very/>、『[[週刊プレイボーイ]]』では[[セミヌード]]を披露。「[[たかの友梨ビューティクリニック]]」のCMで披露した小麦色の肢体は、若い女性の注目を集めた<ref name=very/>。 [[1986年]][[9月]]に刊行された『CAPA』ではだぶだぶの[[背広|スーツ]]に[[サスペンダー]]を着用するなど男性風の格好を披露している(撮影は[[篠山紀信]])。また、[[1991年]]の[[大河ドラマ]]『[[太平記 (NHK大河ドラマ)|太平記]]』では大河ドラマでは初めて、常時男装での出演となった<ref name="prf"/>。 2017年には娘のエレナの芸能界デビューに伴い久々に公の場に姿を見せ20歳の子供がいるようには見えないその美貌に再び各メディアに注目された<ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201709270000353.html 日刊スポーツ 2017年9月27日「坂上忍「お母さんキレイすぎ」後藤久美子の美貌絶賛」]</ref>。 2018年10月には約23年ぶりの女優復帰を発表し、映画の記者会見に出演した<ref>[https://www.daily.co.jp/gossip/2018/10/31/0011778685.shtml 後藤久美子、寅さん最新作で女優復帰 第一声は「皆さん、ごぶさたしております」]</ref>際にも「大人の女性になり、より美しくなった」等とネットで騒がれた。 2020年1月には映画のプロモーションを兼ねて滅多に出演することのないトーク番組「[[徹子の部屋]]」や「[[サワコの朝]]」出演での貴重なトークとその美貌が話題を呼んだ。中でも異例とも言える地方番組「[[おとな旅あるき旅]]」への出演は交友のあるナビゲーター[[三田村邦彦]]からのたっての願いで出演が実現した。2人は20年以上前にドラマで親子を演じておりその当時を知る視聴者から全く容姿が変わらないことや、ほとんど化粧をせずスッピンに近い状態で出演しておりそれも話題となった。 === 歌手活動 === 1987年3月18日にはレコードデビューも果たしている<ref name="bettaka"/>。デビュー曲の「teardrop」はオリコン最高3位を記録するが、{{要出典範囲|date=2016年5月3日 (火) 02:45 (UTC)|彼女自身が歌手活動にあまり意欲を示さなかったためか、}}程なく女優業に専念することになった。1987年4月の「[[ザ・ベストテン]]延長戦」でランキング(11位)に登場するが、労働基準法(15歳未満の就労時間の問題)の関係で出演出来なかった。 === その他 === *中学生の時に著したエッセイ集「ゴクミ語録」には、「スポーツ万能で父親に似て力が強く、[[腕相撲]]では同級生の男子や母親にも負けない」と記述されている。 *チェリストの[[大藤桂子]]とは従姉妹にあたる。 *交友関係としては[[桃井かおり]]、[[宮沢りえ]]、[[中山美穂]]、[[三田村邦彦]]、[[沢口靖子]]、[[吉岡秀隆]]、[[津川雅彦]]と[[朝丘雪路]]の娘[[真由子]] (2005年には番組企画で真由子がフランスの豪邸を訪問している)、[[永瀬正敏]], [[工藤静香]]など。特に吉岡秀隆の相手役としては合計5作品に出演した<ref name="bettaka"/>。 *子役時代に姉ともに[[明石家さんま]]の番組[[あっぱれさんま大先生]]のオーディションを受けに行くが、美しすぎて子供らしくないという理由で落選させたと後に明石家さんまがラジオ番組で発言した。但し、番組開始当時後藤は既に国民的アイドルに上り詰めているため、別番組の記憶と混同している可能性が高い。 *5歳上の姉と2歳年上の兄がいる。この姉が学生時代によく芸能事務所からスカウトを受けておりそれを見ていた後藤が姉を羨ましく思い自らオスカーへモデルの応募をした。 *オスカープロモーションの副社長・鈴木誠司はインタビューで後藤久美子(全所属タレントの中で)だけは別格扱いだと答えている。 *オスカープロモーションが総力をあげて開催しているオーディション「国民的美少女コンテスト」は第二の後藤久美子を探せというコンセプトのもと始まった(後藤本人はこのオーディションの出身では無い)。 === 子供の教育 === フランス人のアレジと後藤の間に生まれた子供たちは混血児であることから、日本での差別やイジメの可能性を考慮し、外見を気にしないでのびのびと生活出来る環境で育ってもらいたいとのことで、[[スイス]]の[[ジュネーブ]]に邸宅を建築し移住した。また、子供の教育には非常に熱心であり厳しい面もある。長女はモデルをしている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2022/08/14/0015554730.shtml|title=後藤久美子の長女エレナ 芸術級なセクシー黒ドレス姿に「気絶するほど美しい」「最高ゴージャス」|publisher=デイリースポーツ online|date=2022-08-14|accessdate=2022-08-14}}</ref>。 === 女優復帰 === 過去に女優としての復帰はないとされていたが、2019年には23年ぶりに女優として映画出演することになる。その理由として「(スイスの)ジュネーブの自宅に[[山田洋次]]監督から長いお手紙が届き『新作を作りたい。どうしても君が必要だ。どうにか考えてもらえないだろうか』と書かれていた」と、熱烈な出演依頼があったことを明かした。手紙からは「山田監督の(『男はつらいよ』)シリーズに対する大きな愛情と、『新作を撮りたい』という情熱をひしひしと感じた」とし、「読み終える頃には、引き受けるか否かを私が考慮する権利すらないのではないかとの思いに至った」と出演を受け入れた心境を説明した。ただし女優としての復帰はこの映画のみの例外的なケースであり、今後もこれまで同様どれだけのギャラを積まれても女優としての出演は無いとされる。 == 受賞 == * [[第44回日本アカデミー賞]] 優秀助演女優賞(『男はつらいよ お帰り 寅さん』)<ref>[https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/44.html 第44回 日本アカデミー賞 優秀賞決定!]、日本アカデミー賞公式サイト、2021年2月15日閲覧。</ref> == 出演 == === テレビドラマ === * テレビの国のアリス([[1986年]]、[[日本放送協会|NHK]])主演 * [[銀河テレビ小説]]『[[続・たけしくん、ハイ!]]』(1986年、NHK) - 伊藤弘子 役 * 肝っ玉ママとオチャメな天使(1986年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系) * [[大河ドラマ]](NHK) ** 『[[独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)|独眼竜政宗]]』([[1987年]])<ref name="bettaka"/> - [[愛姫]]<small>(少女期)</small> 役 ** 『[[太平記 (NHK大河ドラマ)|太平記]]』([[1991年]]) - [[北畠顕家]] 役 * [[パンツの穴]](1987年、フジテレビ系)-主演 * [[ママはアイドル]]!(1987年、[[TBSテレビ|TBS]]系)<ref name="bettaka"/> - 水沢晶 役 * [[同級生は13歳]](1987年、フジテレビ系)<ref name="bettaka"/> - 主演・日向夏子 役 * [[おヨビでない奴!]](1987年、TBS系) * 新春ドラマスペシャル「なつかしい春が来た」(1988年、フジテレビ系) - 佐紀 役 * ママはアイドル!スペシャル完結編(1988年3月、TBS)- 水沢晶 役 * [[痛快!ロックンロール通り]](1988年、TBS系) - 主演・山口あかね 役 * [[パパは年中苦労する]]第6話 (1988年、TBS系列) - 本人役 * [[風少女]]([[1988年]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系)- 主演・麻生千秋 役 * [[橋田寿賀子]]ドラマスペシャル「女たちの百万石」(1988年10月、日本テレビ) * [[アイラブユーからはじめよう]]([[1989年]]、TBS系)- 主演・氷室由紀 役 * [[空と海をこえて]]([[1989年]]、TBS系)<ref name="his">別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.73.</ref>-主演・桂木あかね 役 * 痛快!ロックンロール通りファイナル(1989年4月、TBS)- 主演・山口あかね 役 * [[火の用心]]([[1990年]]、日本テレビ系)-主演・大口アミ 役 * [[月曜ドラマスペシャル]]「リトルステップ-命の限り踊りたい-」(1990年、TBS系)主演 * [[伊豆の踊子#テレビドラマ化|伊豆の踊り子]](1992年、TBS系) * [[もう涙は見せない]](1993年、フジテレビ系) - 主演・瀬戸碧 役 * [[鶴姫伝奇 -興亡瀬戸内水軍-]](1993年、日本テレビ系) - 主演・[[鶴姫 (大三島)|鶴姫]] 役 * [[企業病棟]](1994年4月、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]])-主演・横見翔子 役 * [[テレビ朝日]]ドラマスペシャル「誰よりも君のこと」(1994年10月6日) -主演・坪井知美 役 * [[松本清張]]ドラマスペシャル 第一夜「[[顔 (松本清張)#2024年版|顔]]」(2024年1月3日放送予定、テレビ朝日系) - 主演・石岡弓子 役([[武井咲]]とダブル主演)<ref name="natalie_0915" /><ref name="natalie_1106" /> === ラジオ番組 === *[[後藤久美子 気まぐれファンタジア]](1987年4月〜10月、[[ニッポン放送]]) *[[後藤久美子 気まぐれスケッチ]](同年10月〜88年4月、同上) **なお、上記の番組に出演していた当時後藤は13歳で、当時'''日本最年少ラジオパーソナリティ'''であった<ref>[[ラジオパラダイス]] 1988年4月号『特集 ラジオ界おもしろ大百科事典 これがラジオのNo.1』p.40「最年長と最年少のパーソナリティって誰?」</ref><ref>[[DUNK (雑誌)|DUNK]]([[集英社]])1987年6月号「アイドルDJ春の新番組 全員ん〜集合っ!」p.91</ref>。 === 映画 === * [[ラブ・ストーリーを君に]]([[1988年]]、[[東映]])<ref name="his"/> - 主演・広瀬由美 役 『[[日本アカデミー賞]]』新人俳優賞 『[[日刊スポーツ映画大賞]]』新人賞 * [[ガラスの中の少女#東映版映画|ガラスの中の少女]](1988年、東映 <small>[[吉永小百合]]出演作のリメイク</small>) - 主演・沖中靖子 役 * [[男はつらいよ|男はつらいよシリーズ]](1989 - 95年、2019年) - 及川泉 役 ** [[男はつらいよ ぼくの伯父さん]]<ref name="bettaka"/><ref name="prf"/>([[1989年]]、[[松竹]]) ** [[男はつらいよ 寅次郎の休日]]<ref name="prf"/>([[1990年]]、松竹) ** [[男はつらいよ 寅次郎の告白]]<ref name="prf"/>([[1991年]]、松竹) ** [[男はつらいよ 寅次郎の青春]]<ref name="prf"/>([[1992年]]、松竹) ** [[男はつらいよ 寅次郎紅の花]]<ref name="prf"/>([[1995年]]、松竹) ** [[男はつらいよ お帰り 寅さん]]([[2019年]]、松竹) * [[シティーハンター (映画)|シティーハンター]]([[1993年]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[香港]]合作) - 今村清子 役 * [[ひめゆりの塔 (1995年の映画)|ひめゆりの塔]](1995年、[[東宝]]) - 渡久地泰子 役 * [[キャンプで逢いましょう]](1995年、東宝) - 主演・吉川水穂 役 === CM === * マリトピア(1984年)([[佐賀市]]の[[結婚式場]]) * [[サントリーフーズ]]「フリーズドライ紅茶『TESS』」(1984年)※[[中川勝彦]]と共演 * [[ネスレ日本]] 『[[キットカット]]』(1985年)※[[宮沢りえ]]と共演 * [[ポッカサッポロフード&ビバレッジ|ポッカ]] 『元気であいさつ』 * [[スリーエム ジャパン|住友スリーエム]] 『スコッチEG , EXG』 * [[日立製作所]] 『PROSET 30』(1988年) * ヘレンカーチス『サロンセレクティブ』(1989年) * [[花王]](1986年 - 1987年、2007年 - ) * [[東燃ゼネラル石油|ゼネラル石油]] ** 『[[エッセンシャル (シャンプー)|エッセンシャル]] キューティクル・ケアシャンプー&リンス』(1986年 - 1987年) ** 『[[アジエンス]]』(2007年 - ) * [[日本アジア航空]]「JAA」起業CF * [[資生堂]] ** 『[[マシェリ|MA CHÉRIE(マシェリ)]]』(1996年) ** 『[[マキアージュ|MAQuillAGE(マキアージュ)]]』 (2012年 - 2013年) ** 『ザ・コラーゲン』 (2014年 - 2016年) <ref>{{citenews|url=http://www.asahi.com/and_w/interest/entertainment/CORI2043095.html|title=後藤久美子、“大人の背中”セクシーに披露|date=2014年10月9日|accessdate=2014年10月10日|5=asahi.com|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141009072103/http://www.asahi.com/and_w/interest/entertainment/CORI2043095.html|archivedate=2014年10月9日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref> * [[日本国有鉄道|国鉄]] ・ [[東日本旅客鉄道|JR東日本]](1987年 - 1988年) * [[ミノルタ]] 『マックデュアル』(1987年) * [[日立製作所]] * [[ヤマハ発動機]]新型電動自転車「パススマイル」 * [[デノン|DENON]] (1987年 - 1988年) * [[大正製薬]] 『パブロン』(1987年 - 1995年) * [[ヤマザキビスケット]](1986年 - 1996年) ** 『チップスター』 ** 『[[オレオ]]』 * [[マツダ]] 『[[マツダ・キャロル|キャロル]]』(1995年) * [[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]] 『[[Formula One|Formula 1 97]]』(1997年)※ジャン・アレジと共演 * [[日本コカ・コーラ]] 『ナチュア』(2001年) * [[大和地所レジデンス|日本綜合地所]](2002年10月) * [[東洋ゴム工業]] 『トランパス』 ※ジャン・アレジと共演 * [[トヨタ自動車]] 『[[トヨタ・ヴィッツ|ヴィッツ]]』(2007年 - 2010年) * [[麒麟麦酒|キリンビール]] 「キリン1000(サウザン)」(2010年 - 2012年) * [[ネスレ日本]]「ネスカフェ生豆ブレンド」 (2013年 - 2014年) * [[サントリー]]『[[オランジーナ]]』(2013年)※リチャード・ギアと共演 == ディスコグラフィー == 一時期(約一年間)、アイドル歌手としても活躍していた。全て[[日本コロムビア]]より発売。 === シングル === *1st '''teardrop''' (1987年3月18日) :1.teardrop - [[デノン|DENON]]・CDコンポ「CONCEPT」CMソング :2.若葉のイリュージョン - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]・夏のキャンペーンソング、フジテレビ系ドラマ『[[同級生は13歳]]』挿入歌 *2nd '''初恋に気づいて''' (CDS)(1988年1月21日) :1. 初恋に気づいて - [[TBSテレビ|TBS]]系ドラマ『[[痛快!ロックンロール通り]]』挿入歌、DENON・CDコンポ「CONCEPT」CMソング :2. 北風の約束 ::80年代では珍しいマキシシングルとしての発売だったが、これは8cmCDの販売開始直前であったため。 *2nd '''初恋に気づいて''' (12インチ、MAXI) :1. 初恋に気づいて :2. 北風の約束 :3. teardrop === アルバム === *'''初恋に気づいて''' (1988年2月21日) :1. 北風の約束 :2. WIND BLOWS :3. 若葉のイリュージョン :4. 初恋に気づいて :5. ポプリ :6. teardrop *'''KUMIKO MEMORY BOX 1986-1988''' (1988年12月1日) #テレビの国のアリス #花王エッセンシャルキューティクル・ケアシャンプー&リンス #住友スリーエム スコッチビデオカセット #パンツの穴 #ポッカコーポレーション「元気であいさつ」 #ヤマザキナビスコ 「チップスター」 #タカラ 「こんにちは赤ちゃん」 #teardrop #日本コロムビア DENONコンセプト #JR東日本 #日立製作所OA機器 #同級生は13歳 #気まぐれスケッチ #若葉のイリュージョン #WIND BLOWS #初恋に気づいて #北風の約束 #痛快!ロックンロール通り #風少女 #ポプリ #ラブ・ストーリーを君に #制服の天使 #タータン・チェックの手紙 == 書籍 == === 単行本 === *『ゴクミ 2000-2009』(2009年11月26日、[[講談社]])ISBN 978-4062158664 === 写真集 === *『ゴクミ語録』(1987年6月、[[角川文庫]]、撮影:[[篠山紀信]])ISBN 4041694019 *『後藤久美子 はじめて - み・つ・め・て』(1987年7月、[[学研ホールディングス|学習研究社]]、撮影:井ノ元浩二) *『ラブ・ストーリーを君に』(1988年2月、[[近代映画社]]、撮影:斉藤清貴)ISBN 4764814978 *『ゑほん・後藤久美子 少女夢』(1988年3月、[[扶桑社]]、撮影:篠山紀信)ISBN 4594002390 *『I HAD A DREAM』(1995年6月、[[朝日出版社]]、撮影:ジャンルー・シーフ)ISBN 4255950148 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[日本の女優一覧]] == 外部リンク == * [https://www.oscarpro.co.jp/#/profile/entry/47 後藤久美子プロフィール](オスカープロモーション) * {{Oricon name|205717}} * {{Kinejun name|95572}} * [http://www.tvdrama-db.com/search_result.htm?aflg=&fld1=TITLE%3A5+NAME&key1=&syn1=on&fld2=CAST&key2=%E5%BE%8C%E8%97%A4%E4%B9%85%E7%BE%8E%E5%AD%90&syn2=on&fld3=ENSHUTSU+PRODUCER+KIKAKU+SEISAKU+KYAKUHON+GENSAKU+ART+TECNIQUE&key3=&syn3=on&fld4=EXP&key4=&syn4=on&fld5=GENSAKU&key5=&syn5=on&lop=AND&term_type=0&start=1985&st_mon=00&end=&en_mon=99&cour_year=&cour_mon=&srtcnt=old&pagesize=50 後藤久美子] - [[テレビドラマデータベース]] <!-- {{Tvdrama-db name}}では同姓同名の女優を除外することが不可のため --> * {{NHK人物録|D0009071138_00000}} {{オスカープロモーション}} {{24時間テレビパーソナリティー}} {{エランドール賞新人賞}} {{日刊スポーツ映画大賞新人賞}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ことう くみこ}} [[Category:日本の女優]] [[Category:アイドル出身の俳優]] [[Category:日本の女性アイドル]] [[Category:日本の女性ポップ歌手]] [[Category:オスカープロモーションの人物]] [[Category:在スイス日本人]] [[Category:多摩大学附属聖ヶ丘高等学校出身の人物]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:1974年生]] [[Category:存命人物]]
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ビビアン・スー
ビビアン・スー(Vivian Hsu、徐 若瑄〈シュー・ルオシュエン〉、1975年3月19日- )は、台湾出身のマルチタレント。歌手、女優だけでなく作詞活動など幅広く活動している。身長161cm、血液型A型。世新大学経営学修士(MBA)。 1990年代には日本のバラエティ番組に出演し、愛くるしいルックスと天真爛漫なキャラクターで人気を得た。 1975年(昭和50年)3月19日、台湾の台中県豊原市で生まれる。父親は広東省梅県区出身の客家人、母親はタイヤル族である。 1990年(平成2年)、台湾のCTSテレビ主催「台湾美少女芸能コンテスト」でグランプリを獲得。台湾の男性アイドルグループ「小虎隊」の妹分である「少女隊(中国語版)」という3人組の女性アイドルグループの一員として、シングル『Merry Christmas (P.S.I Love You)』でデビュー。 1991年(平成3年)、少女隊としてのファーストアルバム『我的心要去旅行』をリリース。 1994年(平成6年)4月、映画『ビビアン・スーの恋しくて...』に出演し、香港デビュー。 1995年(平成7年)1月、台湾で出版した写真集『天使心』の日本版『Angel』が発売され、週刊誌や月刊誌への掲載によって、日本のメディアへ登場。9月15日、大阪ギャラクシーホールで日本では初のイベント。10月、テレビアニメ『バーチャファイター』のエンディングテーマ『くちびるの神話』をリリース。 1996年(平成8年)、ゴールデンタイムのバラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)にレギュラー出演。 1997年(平成9年)、8月30日に、松竹シネマジャパネスク系の映画館にて『殺し屋&嘘つき娘』で日本映画初出演。12月、「ブラックビスケッツ」として『STAMINA』でデビュー。 1998年(平成10年)4月、ブラックビスケッツから『Timing』を発売する。オリコン、COUNT DOWN TVで初登場2位、出荷枚数は約200万枚の大ヒット。この年のCOUNT DOWN TV年間チャートでは第3位にランクイン。12月、第49回NHK紅白歌合戦に「ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツスペシャルバンド」として初出場。日本レコードセールス大賞で新人ゴールド賞を受賞。 2001年(平成13年)、佐久間正英を中心に土屋昌巳、ミック・カーン、屋敷豪太と「The d.e.p」を結成、ヴォーカルを担当する。5月9日、「The d.e.p」からアルバム『地球的病気』を発売。 2002年(平成14年)3月、最終回のウリナリ祭りで、ブラックビスケッツが特別復活し、ブラックビスケッツの楽曲4曲全てを熱唱した。8 - 10月、PCオンラインゲーム『エターナルカオス』のイメージガールを務める。 2003年(平成15年)、元SIAM SHADEの遠藤一馬とVivian or Kazumaとして毎日放送・TBS系TVアニメ『機動戦士ガンダムSEED』のオープニング曲を歌う。作中では、声優としてアイシャの声を当てた。 2006年(平成18年)2月、持病の外反母趾が悪化し、主演映画『靴に恋する人魚』の台湾上映PR直後に台湾の病院に入院、5時間の手術を済ませ、療養しながら仕事復帰。7月、『靴に恋する人魚』公開前プロモーションのため来日。また、療養中に作詞活動を行う。9月、新アルバム『Vivi and...』を台湾で発売。香港、シンガポール、マレーシアの各国をプロモーションで廻った。 2007年(平成19年)1月下旬、主演ドラマ『天使の約束』が日本で放送される。2月から約2か月間アメリカに留学し、英語、歌やダンスなどを学ぶ。3月15日、台湾の台北市で開かれた下着メーカーのモードマリエのファッションショーに出演し「前はBカップだったけど、今はCカップに成長した」と述べる。8月、ワーナーミュージックに移籍する。10月、第20回東京国際映画祭協賛企画・2007東京・中国映画週間オープニング映画として上映された『雲水謡』に出演。 2008年(平成20年)2月、旧正月(2月7日)前あたりから父親の看病に専念するために一時的に休業するが、3月に復帰する。4月、中国各地を代表する100人の1人として、オリンピック100日記念イベントの主題歌『北京歓迎你』を歌う。5月、張惠妹の応援で林志玲(リン・チーリン)と共に来日。 2009年(平成21年)3月20日、沖縄国際映画祭にて中国映画『狙った恋の落とし方。』(映画祭邦題:If You Are The One)の舞台あいさつをするために来日、秋以降に日本語のCDを発売すると発表。 2010年(平成22年)、テレビアニメ『くるねこ』のテーマソングをきっかけに日本での活動を本格的に再開する事が決定。また、ピーター・ホーと共に上海万博のテーマソング『微笑说你好』を歌う。シングル『Beautiful Day』、『NICE AND NAUGHTY』を発売。 2011年(平成23年)、アルバム『Natural Beauty』を発売。 2014年(平成26年)2月、シンガポールの大手海運業zh:馬可波羅海業の二代目CEOである李雲峰(Sean Lee)と入籍したことを発表。同年6月にバリ島で結婚式を挙げ、招待客に祝福された。その後、台湾でも式を挙げたという。 2015年(平成27年)8月、シンガポールの病院で男児を出産。 2020年(令和2年)7月、映画『コンフィデンスマンJP -プリンセス編-』に出演。 2021年(令和3年)11月、体調不良のため入院したことを公表。 2022年(令和4年)12月3日、音楽特別番組『日テレ系音楽の祭典 ベストアーティスト』に出演するため、先述の映画公開挨拶以来2年ぶりに訪日した。出演は歌手としてで、同局系で1999年までレギュラー出演していた先述の『ウリナリ!!』発のユニット・ブラックビスケッツの楽曲を同番組最終回の2002年(平成14年)3月以来、約20年半ぶりに歌唱。 2023年(令和5年)12月10日、instagramにて李雲峰(Sean Lee)と離婚したことを公表。
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ビビアン・スーは、台湾出身のマルチタレント。歌手、女優だけでなく作詞活動など幅広く活動している。身長161cm、血液型A型。世新大学経営学修士(MBA)。 1990年代には日本のバラエティ番組に出演し、愛くるしいルックスと天真爛漫なキャラクターで人気を得た。
{{Infobox Chinese-language singer and actor | name = ビビアン・スー | image = 2023 Vivian Hsu portrait (cropped).jpg | imagesize = 220px | caption = 2023年のスー | chinesename = 徐若瑄 | tradchinesename = | simpchinesename = | pinyinchinesename = Xú Ruòxuān | bopomofochinesename = ㄒㄩˊ ㄖㄨㄛˋ ㄒㄩㄢ | jyutpingchinesename = | birthname = 徐淑娟({{注音|ㄒㄩˊ ㄕㄨˊ ㄐㄩㄢ}}、{{ピン音|Xú Shūjuān}}) | ancestry = {{TWN}}[[苗栗県]][[泰安郷]] | origin = {{TWN}}[[台北市]][[大安区 (台北市)|大安区]]にて1990年より活動開始 | birthdate = {{生年月日と年齢|1975|03|19}} | birthplace = {{TWN}}[[台中県]][[豊原区 (台中市)|豊原市]]<br/>(現:[[台中市]][[豊原区 (台中市)|豊原区]]) | deathdate = | deathplace = | restingplace = | restingplacecoordinates = | nationality = {{ROC-TW}} | othername = Bidai Syulan(タイヤル族名)<ref>[https://web.archive.org/web/20100309152052/http://www.vivianhsufanclub.com/traditional/profile.aspx 中国語版オフィシャルウェブサイト]2013年8月17日閲覧</ref> | english = Vivian Hsu | occupation = [[歌手]]<br />[[俳優|女優]]<br />[[タレント]]<br />[[グラビアアイドル]] | genre = [[ポピュラー音楽]] | instrument = [[歌]] | voicetype = | label = [[EMIミュージック・ジャパン|EASTWORLD]](1995年 - 1996年)<br />[[BMG JAPAN]](1997年 - 2000年)<br />BMG Taiwan(1998年 - 2000年)<br />[[ソニー・ミュージックレコーズ|Sony Records]](2000年 - 2001年)<br />[[Virgin Music|Virgin DCT]](2001年 - 2002年)<br />[[エスエムイーレコーズ|SME Records]](2002年 - 2003年)<br />[[エイベックス|Avex Taiwan]](2003年 - 2007年)<br />Warner Music Taiwan(2007年 - 2010年)<br />[[Far Eastern Tribe Records]](2010年 - 2011年) | yearsactive = [[1990年]] - 現在 | currentmembers = | pastmembers = | associatedact = {{仮リンク|華誼兄弟|label=華誼兄弟時代文化経紀|zh|华谊兄弟#華誼兄弟時代文化經紀有限公司}}([[北京]])<br/>[http://terio.asia/ 株式会社テリオ]([[東京]]) | spouse = 李雲峰(2014年 - 2023年)<ref>{{cite web|url= https://ent.ltn.com.tw/news/paper/791753|title=徐若瑄挽豪老公 峇里島浪漫婚|date=2014年6月30日|accessdate=2020年11月26日|author=自由時報|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160804045602/https://ent.ltn.com.tw/news/paper/791753|archivedate=2016-08-04}}</ref> | partner = | children = Dalton<br />{{Birth_date_and_age|2015|8|13}}<ref>{{cite web|url= https://ent.ltn.com.tw/news/breakingnews/1415014|title=辛苦臥床142天 徐若瑄生了!|date=2015年8月17日|accessdate=2020年11月26日|author=自由時報|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150817151708/https://ent.ltn.com.tw/news/breakingnews/1415014|archivedate=2015-08-17}}</ref> | parents = | influences = | influenced = | website = {{Wayback |url=http://vivian-hsu.tv/ |title=vivian-hsu.tv }} | hongkongfilmwards = | goldenbauhiniaawards = | hkfcsawards = | goldenhorseawards = | goldenroosterawards = | tvbanniversaryawards = | mtvasiaawards = | goldenmelodyawards = | ntsawards = | awards = }} '''ビビアン・スー'''(''Vivian Hsu''、'''徐 若瑄'''〈シュー・ルオシュエン〉、[[1975年]][[3月19日]]- )は、[[台湾]]出身の[[マルチタレント]]。[[歌手]]、[[俳優|女優]]だけでなく作詞活動など幅広く活動している。身長161[[センチメートル|cm]]、[[ABO式血液型|血液型]]A型<ref name="vt">{{Cite web|和書|url=https://www.vip-times.co.jp/?talent_id=W96-0544|title=ビビアン・スー|work=日本タレント名鑑 |publisher=VIPタイムズ社 |accessdate=2017-03-04}}</ref>。[[世新大学]][[経営学修士]](MBA)。 1990年代には日本のバラエティ番組に出演し、愛くるしいルックスと天真爛漫なキャラクターで人気を得た。 == 略歴 == 1975年(昭和50年)3月19日、台湾の[[台中県]][[豊原市 (台中県)|豊原市]]で生まれる。父親は[[広東省]][[梅県区]]出身の[[客家]]人、母親は[[タイヤル族]]である。 1990年(平成2年)、台湾の[[中華電視公司|CTSテレビ]]主催「台湾美少女芸能コンテスト」でグランプリを獲得。台湾の男性アイドルグループ「[[小虎隊]]」の妹分である「{{ill2|少女隊 (台湾)|zh|少女隊 (台灣)|label=少女隊}}」という3人組の女性アイドルグループの一員として、シングル『Merry Christmas (P.S.I Love You)』でデビュー。 1991年(平成3年)、少女隊としてのファーストアルバム『我的心要去旅行』をリリース。 1994年(平成6年)4月、映画『ビビアン・スーの恋しくて…』に出演し、[[香港]]デビュー。 1995年(平成7年)1月、台湾で出版した写真集『天使心』の日本版『Angel』が発売され、週刊誌や月刊誌への掲載によって、日本のメディアへ登場。9月15日、大阪ギャラクシーホールで日本では初のイベント。10月、[[テレビアニメ]]『[[バーチャファイター]]』のエンディングテーマ『[[くちびるの神話]]』をリリース。 1996年(平成8年)、[[プライムタイム#日本におけるプライムタイム|ゴールデンタイム]]の[[バラエティ番組]]『[[ウッチャンナンチャンのウリナリ!!]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系)にレギュラー出演。 1997年(平成9年)、8月30日に、[[松竹]][[シネマジャパネスク]]系の映画館にて『[[殺し屋&嘘つき娘]]』で日本映画初出演。12月、「[[ブラックビスケッツ]]」として『[[STAMINA]]』でデビュー。 1998年(平成10年)4月、ブラックビスケッツから『[[Timing (曲)|Timing]]』を発売する。[[オリコンチャート|オリコン]]、[[COUNT DOWN TV]]で初登場2位、出荷枚数は約200万枚の大ヒット。この年のCOUNT DOWN TV年間チャートでは第3位にランクイン。12月、[[第49回NHK紅白歌合戦]]に「[[ポケットビスケッツ]]&ブラックビスケッツスペシャルバンド」として初出場。[[オリコン年間ランキング|日本レコードセールス大賞]]で新人ゴールド賞を受賞。<ref group="注">2022年12月11日放送分の日本テレビ『[[おしゃれクリップ]]』に[[キャイ~ン]]の[[天野ひろゆき]]がコメント出演し、名曲「Timing」の歌詞が持つ意味についても言及した。作詞を担当した森浩美氏から「タイミングを合わせる歌を最初書こうとしたら、どうもしっくりこない」と打ち明けられたという。その時、ブラックビスケッツのもう1人のメンバー、[[ウッチャンナンチャン]]の[[南原清隆]]が急にボソッと「(ビビアンは)タイミング悪いんだけど、みんなを和ませて笑いになったりするんだよね」とひと言。それがまさに歌詞になっていったという。天野が「ズレた間のワルさも~それが君のタイミング」と実際にうたい上げ、「『Timing』はビビアンの曲」と告白した。</ref> 2001年(平成13年)、[[佐久間正英]]を中心に[[土屋昌巳]]、[[ミック・カーン]]、[[屋敷豪太]]と「[[The d.e.p]]」を結成、ヴォーカルを担当する。5月9日、「The d.e.p」からアルバム『地球的病気』を発売。 2002年(平成14年)3月、最終回のウリナリ祭りで、ブラックビスケッツが特別復活し、ブラックビスケッツの楽曲4曲全てを熱唱した。8 - 10月、PCオンラインゲーム『[[Laghaim|エターナルカオス]]』のイメージガールを務める。 2003年(平成15年)、元[[SIAM SHADE]]の[[遠藤一馬]]とVivian or Kazumaとして[[MBSテレビ|毎日放送]]・[[TBSテレビ|TBS]]系TVアニメ『[[機動戦士ガンダムSEED]]』のオープニング曲を歌う。作中では、声優としてアイシャの声を当てた。 2006年(平成18年)2月、持病の[[外反母趾]]が悪化し、主演映画『[[靴に恋する人魚]]』の台湾上映PR直後に台湾の病院に入院、5時間の手術を済ませ、療養しながら仕事復帰。7月、『靴に恋する人魚』公開前プロモーションのため来日。また、療養中に作詞活動を行う。9月、新アルバム『Vivi and...』を台湾で発売。香港、[[シンガポール]]、[[マレーシア]]の各国をプロモーションで廻った。 2007年(平成19年)1月下旬、主演ドラマ『天使の約束』が日本で放送される。2月から約2か月間アメリカに留学し、英語、歌やダンスなどを学ぶ。<!-- 3月、『天使の約束』を配信。-->3月15日、台湾の台北市で開かれた下着メーカーのモードマリエのファッションショーに出演し「前はBカップだったけど、今はCカップに成長した」と述べる。8月、[[ワーナー・ミュージック・グループ|ワーナーミュージック]]に移籍する。10月、[[第20回東京国際映画祭]]協賛企画・2007[[東京]]・[[中国]]映画週間オープニング映画として上映された『雲水謡』に出演。 2008年(平成20年)2月、旧正月(2月7日)前あたりから父親の看病に専念するために一時的に休業するが、3月に復帰する。4月、中国各地を代表する100人の1人として、オリンピック100日記念イベントの主題歌『北京歓迎你』を歌う。5月、[[張惠妹]]の応援で[[林志玲]](リン・チーリン)と共に来日。 2009年(平成21年)3月20日、[[沖縄国際映画祭]]にて中国映画『[[狙った恋の落とし方。]]』(映画祭邦題:If You Are The One)の舞台あいさつをするために来日、秋以降に日本語のCDを発売すると発表<ref>2009年3月31日 MovieWalker [https://moviewalker.jp/news/article/4482/ ビビアン・スー独占、日本での芸能活動再開?]</ref>。 2010年(平成22年)、テレビアニメ『[[くるねこ]]』のテーマソングをきっかけに日本での活動を本格的に再開する事が決定<ref>[[2009年]](平成21年)12月16日 シネマトゥデイ [https://www.cinematoday.jp/news/N0021345 アジアの妖精ビビアン・スー、2010年春より日本で本格再始動決定!アニメ「くるねこ」テーマ曲で]</ref>。また、[[ピーター・ホー]]と共に[[上海国際博覧会|上海万博]]のテーマソング『微笑说你好』を歌う。シングル『[[Beautiful Day (ビビアン・スーの曲)|Beautiful Day]]』、『[[NICE AND NAUGHTY]]』を発売。 2011年(平成23年)、アルバム『[[Natural Beauty (ビビアン・スーのアルバム)|Natural Beauty]]』を発売。 2014年(平成26年)2月、[[シンガポール]]の大手海運業[[:zh:馬可波羅海業]]の二代目CEOである李雲峰(Sean Lee)<ref>[https://www.elle.com/jp/wedding/wedding-celebrity/g24474960/asiarich-181031/?slide=9 世界の玉の輿ファイル アジアの“クレイジー・リッチ”に嫁いだ女編(ELLE ONLINE) - Yahoo!ニュース]</ref>と入籍したことを発表。同年6月に[[バリ島]]で結婚式を挙げ、招待客に祝福された。その後、台湾でも式を挙げたという。 2015年(平成27年)8月、シンガポールの病院で男児を出産。 2020年(令和2年)7月、映画『[[コンフィデンスマンJP#コンフィデンスマンJP プリンセス編|コンフィデンスマンJP -プリンセス編-]]』に出演。 2021年(令和3年)11月、体調不良のため入院したことを公表<ref>{{Cite news|url= https://hochi.news/articles/20211118-OHT1T51010.html |title= ビビアン・スーが緊急入院&手術を報告 子宮の腫瘍巨大化で「何日も大量の出血が続き…」 |newspaper= スポーツ報知 |publisher= 報知新聞社 |date= 2021-11-18 |accessdate= 2021-11-18 }}</ref>。 2022年(令和4年)12月3日、音楽特別番組『[[日テレ系音楽の祭典 ベストアーティスト]]』に出演するため、先述の映画公開挨拶以来2年ぶりに訪日した。出演は歌手としてで、同局系で1999年までレギュラー出演していた先述の『ウリナリ!!』発のユニット・ブラックビスケッツの楽曲を同番組最終回の2002年(平成14年)3月以来、約20年半ぶりに歌唱。 2023年(令和5年)12月10日、instagramにて李と離婚したことを公表<ref>{{Cite web|url=https://www.oricon.co.jp/news/2306453/|title=ビビアン・スーが離婚、日本マネジメント会社が「事実」と認める |accessdate=2023-12-13|publisher=Oricon}}</ref>。 == 学歴 == * 台中市立健行国民小学卒業(Taichung JianXing Elementary School) * [[新北市立樹林高級中学]]卒業(New Taipei Municipal Shu-Lin High School) * [[国立台北商業技術学院|国立台北商業専科学校]]附設高商補校中退(National Taipei College Of Business) * [[世新大学]][[経営学修士]](MBA)(Shih Hsin University) == 人物 == *特技は[[スポーツ]]全般、特に[[ボウリング]]の最高得点は256点。 *好物は、[[抹茶アイスクリーム]]と[[しゃぶしゃぶ]]。 *好きな言葉は「'''努力'''」。 *目標は、誰からも愛される歌手、女優になること。 *[[北京語]]、[[台湾語]]、[[広東語]]、[[日本語]]、[[英語]]、[[朝鮮語|韓国語]]を話す。 *日本での活動期間中も何度か台湾での仕事のためにレギュラー番組を休むことがあったが、1999年(平成11年)以降は主な活動拠点を台湾に移行。 *[[スキューバダイビング]]関連会社[[PADI]]ジャパンのイメージキャラクターとして、[[プロフェッショナル]]の[[モデル (職業)|モデル]]ダイバーを務めたこともある。 == 出演 == === テレビ === ==== バラエティ番組 ==== * [[森田一義アワー 笑っていいとも!]] *: (レギュラー出演期間は1999 - 2000年、2001,2010年に[[テレフォンショッキング|ゲスト]]出演 [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系) * [[ウッチャンナンチャンのウリナリ!!]] *: (レギュラー出演期間は1996 - 1999年、2000年・2002年にゲスト出演 [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系) * [[とんねるずの本汁でしょう!!]](フジテレビ系) * [[優香&ビビアンのムチャ修行!]]([[中京テレビ放送|中京テレビ]]制作、日本テレビ系) * [[高田・久本・ビビアン 最強の料理人を探せ!!]](中京テレビ制作、日本テレビ系) * [[DAIBAッテキ!!]](フジテレビ系) * [[THE夜もヒッパレ]](日本テレビ系) * [[さんま・所のオシャベリの殿堂]](日本テレビ系) * [[マジカル頭脳パワー!!|大マジカル頭脳パワー!! あなたは超クイズに必ず3回ひっかかるぞスペシャル!!]](1999年1月7日、絶好調チームとして出演 日本テレビ系) * [[スーパークイズスペシャル]](ウリナリチームとして出演 日本テレビ系) * [[学校へ行こう! (バラエティー番組)|学校へ行こう!]](TBS系) * [[PON!]](2010年8月30日、日本テレビ) * [[DON!]](2010年8月31日、日本テレビ) * [[歌の楽園]](2011年3月6日、テレビ東京) * [[日テレ系音楽の祭典 ベストアーティスト]](2022年12月3日、日本テレビ) * [[おしゃれクリップ]](2022年12月11日、日本テレビ) * [[ヒルナンデス!]](2022年12月21日、日本テレビ) ==== ドラマ ==== * [[Missダイヤモンド]](1995年、[[テレビ朝日]]) - 佐伯リミ役 * 東京23区の女(1996年、フジテレビ系) - 第1回「港区の女」 * [[セミダブル]](1999年、フジテレビ系) - 神田蘭蘭役 * [[バカヤロー!2000 ニッポン人の怒りが爆発する!!]]「オレは犬か!」(2000年、日本テレビ系) * [[雨に眠れ]](2000年、TBS系) - 李安安役 * [[史上最悪のデート]](2000年、日本テレビ系) - デートクイーン役 * [[本家のヨメ]](2001年、日本テレビ系、共演:[[岩下志麻]]) - 山田のぞみ役 * [[Love Storm|Love Storm〜狂愛龍捲風〜]](2003年、台湾、共演:[[F4 (ユニット)|F4]][[周渝民]]、[[朱孝天]]) - 趙家樂役 * {{仮リンク|天使の約束|zh|別愛我 (電視劇)}}(2006年、中国、共演:[[胡歌]]) * 恋愛兵法(2007年、中国、共演:[[キム・ジョンフン]]) * [[金田一少年の事件簿 (山田涼介のテレビドラマ)|金田一少年の事件簿 香港九龍財宝殺人事件]](2013年、日本テレビ系) - リュウ・アイビー役 ==== テレビアニメ ==== * [[機動戦士ガンダムSEED]](2002年、2012年、アイシャ{{R|ガンダムSEED}}) ==== 吹き替え ==== * [[マーヴェリック (1994年の映画)|マーヴェリック]] - インディアンの少女役 ※[[金曜ロードショー]]版 ==== CM ==== * [[トヨタ]] 「[[イプサム]]」 * [[エースコック]] 「ラーメンの鉄人」「うどんの鉄人」「そばの鉄人」 * [[アビバ]](1997年) * [[千寿製薬]] 「マイティアCL」(1998年) * [[大塚ベバレジ]] 「[[MATCH|マッチ]]」(1998年 - 2000年) * [[任天堂]] 「[[マリオパーティ2]]」(1999年) * [[セガトイズ]] 「プーチ」(2000年) * [[ピザーラ]] * [[ウィルコム|DDIポケット電話]] * [[ウテナ]] 「プロカリテ」 * [[ファブリカコミュニケーションズ]](2005年) * [[ダイキン工業]] 「うるるとさらら」(2000年) * [[資生堂]] 「[[資生堂・プラウディア|プラウディア]]」(2002年) * [[スリムビューティハウス]](2010年) * [[花王]]「[[エッセンシャル (シャンプー)|エッセンシャル]]」(2010年 - 2013年) === 映画 === {{Main| {{ill2|ビビアン・スーフィルモグラフィ|en|Vivian Hsu filmography}}}} * ビビアン・スーの恋しくて…(1994年、香港・台湾) * ビビアン・スーの桃色天使(1994年、台湾) * ビビアン・スーの天使の戯れ(1995年、台湾) * ビビアン・スーの天使と悪魔(1995年、台湾) * ビビアン・スーのパイレーツの逆襲(1996年、香港) * ビビアン・スーのロマンシング・ドラゴン(1996年、香港・台湾) * ビビアン・スー&スーチーin恋する季節(1997年、香港) * [[殺し屋&嘘つき娘]](1997年、日本)-麗華 役 * 君を見つけた25時(1998年、香港) * [[ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説]](2000年、日本・インド) * [[アクシデンタル・スパイ]](2001年、香港) * 一輪明月 弘一大師の生涯(2005年、中国) * [[靴に恋する人魚]](2006年、台湾) * 雲水謡(2006年、中国)2007東京・中国映画週間で上映 * 茶舞(2006年、中国) * 背着你跳舞 (2008年、中国) * [[狙った恋の落とし方。]] (2008年、中国) * 少年星海(2009年、中国) * {{仮リンク|コンシェンス/裏切りの炎|zh|火龍 (2010年電影)}}(2010年、中国) * [[ホット・サマー・デイズ]](2010年、中国) * {{仮リンク|ジュリエット(台湾映画)|zh|茱麗葉}}(2010年、台湾)[[第23回東京国際映画祭]]で上映 * [[セデック・バレ|セデック・バレ 第一部 太陽旗/第二部 虹の橋]](2011年、台湾) * [[白蛇伝説〜ホワイト・スネーク〜]](2011年、中国、香港) * 星の音(2011年、中国)2011日本・中国映画週間で上映 * ファッションの達人(2011年、中国)2012東京・中国映画週間で上映 * その夏に抱かれて(2014年、台湾)アジアフォーカス・福岡国際映画祭2015で上映 * [[人面魚 THE DEVIL FISH]](2018年、台湾) - ファン・ヤーフェイ役 * [[コンフィデンスマンJP#コンフィデンスマンJP プリンセス編|コンフィデンスマンJP -プリンセス編-]](2020年、日本) - ブリジット・フゥ役 * 弱くて強い女たち(2020年、台湾) - 陳宛瑜 役 * {{仮リンク|ママボーイ|zh|初戀慢半拍|...}}(2022年、台湾) - 樂樂 役 === プロモーションビデオ === * 可愛女人([[周杰倫]])(2000年、[[台湾]]) * 君が追いかけた夢([[Gackt]])(2003年、[[日本]]) * Lie([[Gavy N.J]])(2008年、[[大韓民国|韓国]]) * 因為妳是女人([[呉克羣]])(2012年、台湾) * 好好(想把你寫成一首歌)([[メイデイ (台湾のバンド)|五月天/メイデイ]])(2016年、台湾) == 作品 == === CD === * 少女隊名義 ** 我的心要去旅行(アルバム・1991年) ** 偏愛你的心(アルバム・1992年) * ビビアン・スー名義 ** [[くちびるの神話]](シングル・1995年:『[[バーチャファイター (アニメ)|バーチャファイター]]』エンディングテーマ曲) ** [[共犯者 (ビビアン・スーの曲)|共犯者]](シングル・1996年:バーチャファイター2代目エンディングテーマ曲) ** [[天使・想(Xiang)]](アルバム・1996年) ** [[8月のバレンタイン]](シングル・1996年) ** 天使・想(シァン)New Edition (アルバム・1998年) ** [[不敗の恋人]](アルバム・2000年) ** [[Beautiful Day (ビビアン・スーの曲)|Beautiful Day]](シングル・2010年:テレビアニメ『[[くるねこ]]』オープニングテーマ曲) ** [[NICE AND NAUGHTY]](シングル・2010年) ** [[Natural Beauty (ビビアン・スーのアルバム)|Natural Beauty]](アルバム・2011年) ** 天使・想(シアン) NEW EDITION + Natural Beauty(アルバム・2013年) * 비비언 수名義 ** 天使美少女(アルバム・1996年) * BLACK BISCUITS名義 ** [[STAMINA]](シングル・1997年) ** 鬪志(シングル・1997年) ** [[Timing (曲)|Timing]](シングル・1998年) ** 時機(シングル・1998年) ** [[Relax (ブラックビスケッツの曲)|Relax]](シングル・1998年) ** 輕鬆(シングル・1998年) ** Relax〜リラックス〜(12 inch Analog) LP(シングル・1998年) ** [[Bye-Bye (ブラックビスケッツの曲)|Bye-Bye]](シングル・1999年) ** 再見(シングル・1999年) ** [[LIFE (ブラックビスケッツのアルバム)|LIFE]](アルバム・1999年) ** 生機(アルバム・1999年) * ウリナリオールスターズ名義 ** Happy Xmas -War is over-(シングル・1999年) * Lil'Viv名義 ** [[MARRY ME?]] (シングル・2001年 :『[[本家のヨメ]] 』エンディングテーマ曲)[[DREAMS COME TRUE]] のカヴァー。 *The d.e.p.名義 ** Mr.No Problem(シングル・2001年 ) ** 地球的病気-We are the d.e.p-(アルバム・2001年 ) ** ITAI(シングル・2001年 ) ** RAINBOW / MOON SMILE(シングル・2011年 ) * Vivian or Kazuma名義 ** [[moment (Vivian or Kazumaの曲)|moment]](シングル・2003年:『[[機動戦士ガンダムSEED]]』主題歌) ** moment remixes(シングル・2003年:『機動戦士ガンダムSEED』主題歌) * 徐若瑄 名義 ** 大麻煩(アルバム・1998年):[[BMG]] TAIWAN INC. ** 不敗の恋人(アルバム・1999年):BMG TAIWAN INC. ** Happy Past Days(アルバム・2000年):BMG TAIWAN INC. ** 假扮的天使(アルバム・2000年):BMG TAIWAN INC. ** 愛的瑄言(アルバム・2001年):BMG TAIWAN INC. ** 我愛你×4(アルバム・2003年):[[AVEX]] TAIWAN INC. ** 狠狠愛(アルバム・2005年):AVEX TAIWAN INC. ** Vivi And...(アルバム・2006年):AVEX TAIWAN INC. **夢幻珍藏(アルバム・2006年):BMG TAIWAN INC. ** Love Vivian 新歌+精選(アルバム・2007年):AVEX TAIWAN INC. ** 絕對收藏:徐若瑄(アルバム・2008年):BMG TAIWAN INC. ** 敬女人(シングル・2014年):Wonderful Music Co. Ltd. TAIWAN INC. ** I'm V(アルバム・2020年):Sony Music Entertainment Taiwan === 写真集 === * 「Angel―ビビアン・スー写真集」(撮影・陳文彬、1995年)集英社文彬 * 「Venus―ビビアン・スー写真集」(撮影・陳文彬、1996年)ぶんか社 === 著作 === * 世界的日常雑記 ビビアン・スーの地球おにぎり(2000年、角川書店) * プライバシー(2001年、TOKYO FM出版) * ビビアン・スーの我愛Taiwan(2002年、ワニブックス) * 我的倒頭栽人生:從女孩14到女人40,鋼鐵V的勇敢筆記(2016年、時報出版、台湾) === 作詞 === * 可愛女人([[周杰倫]])(2000年、台湾) * 伊斯坦堡(周杰倫)(2000年、台湾) * 竜巻風(周杰倫)(2000年、台湾) * 簡単愛(周杰倫)(2001年、台湾) * 開不了口(周杰倫)(2001年、台湾) * 想像十個你([[呉建豪]])(2002年、台湾) * 那個女生(呉建豪)(2002年、台湾) * 愛情懸崖(周杰倫)(2003年、台湾) * 柴米油塩醤醋茶([[王力宏]])(2011年、台湾) == 慈善活動 == * 2023年 現代婦女基金會 「手拉手用愛守護行動」<ref>{{cite web|url=https://star.ettoday.net/news/2519992|title=徐若瑄不忍了!好友遭家暴飛踢 孩被當野狗毒打|date=2023年6月14日|accessdate=2023年7月9日|author=ETtoday新聞雲}}</ref> == 関連項目 == * [[ブラックビスケッツ]] * [[人魚 (NOKKOの曲)|人魚 -NOKKOの楽曲-]] - アルバム「我愛你×4」でカバー '''人物''' * [[ウッチャンナンチャンのウリナリ!!|ウリナリオールスターズ]] * [[岩下志麻]] - ドラマ『本家のヨメ』で共演して以来の親友で、一緒に日本の[[旅番組]](『旅の香り時の遊び』2005年(平成17年)9月27日「3時間スペシャル 心に染みる旅 第5弾」)に出演 * [[遠藤一馬]] - Vivian or Kazumaを結成 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist |refs= <ref name="ガンダムSEED">{{Cite web|和書|accessdate=2023-02-17 |publisher = [[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]] |title= アイシャ CHARACTER 機動戦士ガンダムSEED |url= https://www.gundam-seed.net/seed/character/detail.php?id=35 |website =機動戦士ガンダムSEEDシリーズ公式サイト |work =機動戦士ガンダムSEED}}</ref> }} == 外部リンク == {{Commons|Vivian Hsu}} === 個人 === * {{Instagram|vivianhsu.ironv|徐若瑄VivianHsu}} * {{Facebook|vivianhsu0319|徐若瑄 Vivian Hsu}} * {{Ameba ブログ|vivianhsu-official|ビビアン・スー オフィシャルブログ}} {{Ja icon}} === その他 === * [https://terio.asia/2019/07/18/vivian-hsu/ ビビアン・スー |(株)テリオ] * [http://riku-ent.com/talents/vivian-hsu/ ビビアン・スー |(株)リクエンターテイメント(提携)] * [https://riku-agency.jp/management/profile/vivian-hsu ビビアン・スー |(株)リクエージェンシー(提携)] * [https://www.universal-music.co.jp/vivian-hsu/ Far Eastern Tribe Recordsによるビビアン・スー アーティストページ] {{Ja icon}} * {{Wayback |url=http://www.ntv.co.jp/urinari/blabi/profile/vivian.html |title=ブラックビスケッツ }} - ブラックビスケッツでのビビアンのプロフィール {{Ja icon}} * [https://www.avex.com.tw/vivian/ avex taiwan] {{Zh-tw icon}} {{ブラックビスケッツ}} {{ウッチャンナンチャンのウリナリ!!}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:すう ひひあん}} [[Category:台湾の女性歌手]] [[Category:台湾の女優]] [[Category:台湾のアイドル]] [[Category:台湾のモデル]] [[Category:アダルトモデル]] [[Category:日本の外国人タレント]] [[Category:在日台湾人]] [[Category:在外台湾人]] [[Category:シンガポールの外国人]] [[Category:台湾原住民のミュージシャン]] [[Category:客家人]] [[Category:タイヤル族]] [[Category:台中市出身の人物]] [[Category:1975年生]] [[Category:存命人物]]
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森本さやか
森本 さやか(もりもと さやか)
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森本 さやか 森本さやか (タレント) - 女性タレント・グラビアアイドル。 森本さやか (アナウンサー) - フジテレビの元女性アナウンサー。
'''森本 さやか'''(もりもと さやか) * [[森本さやか (タレント)]] - [[タレント|女性タレント]]・[[グラビアアイドル]]。 * [[森本さやか (アナウンサー)]] - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]の元[[女性]][[アナウンサー]]。 {{人名の曖昧さ回避|もりもと さやか}}
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吉田里深
吉田 里深(よしだ さとみ、1979年8月5日 - )は、日本のグラビアアイドル。 1996年、現役女子高生水着アイドルとしてグラビアデビュー。同年10月、初の写真集である『Sixteen Revolution』を出版。 1998年、10月に日本旅行の「赤い風船」イメージガール」に選ばれる。また、ハウス食品のカレーのTVCMに出演。 時期不明だが一時期イエローキャブに所属していた。 1999年8月4日、east west japanからHAKUEIプロデュースでCDミニアルバム『Fairy Tale』を発売。 2001年3月、写真集『Sensational Skin』を発売。 2014年7月、芸能事務所GOLDSTARに所属。 2020年3月、株式会社 ENA ENTERTAINMENTに所属。
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吉田 里深は、日本のグラビアアイドル。
{{別人|吉田智美 (女優)}} {{女性アイドル | アイドル名 = 吉田 里深 | ふりがな = よしだ さとみ | 画像ファイル = | 画像コメント = | 別名義 = | 愛称 = | 生年 = 1979 | 生月 = 8 | 生日 = 5 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 出身地 = {{JPN}}・[[東京都]] | 死没地 = | 血液型 = [[ABO式血液型|B型]] | 瞳の色 = | 毛髪の色 = | 時点 = [[2014年]]<ref name="goldstar">{{Cite web|和書|url=http://www.goldstar.co.jp/product/model/yoshida_satomi/ |title=公式プロフィール |accessdate=2014-11-1 |author= |date= |work= |publisher=GOLD STAR}}</ref> | 身長 = 163 | 体重 = | バスト = 86 | ウエスト = 60 | ヒップ = 86 | カップ = E | 身体備考 = | デビュー = | ジャンル = | 所属グループ = | 活動期間 = [[1996年]] - | 著名な家族 = <!-- 著名人が家族にいる場合に記載。家族構成欄ではありません。 --> | 活動備考 = | 他の活動 = | 事務所 =株式会社 ENA ENTERTAINMENT | 音楽レーベル = | 公式サイト = [http://www.goldstar.co.jp/product/model/yoshida_satomi/ 公式プロフィール] | 主な出演作 = <!-- 映画・テレビドラマの誰もが認める代表作を3作程度まで記載。多い場合は出演欄にリンクするなど羅列にならないように注意。 --> | 主な楽曲 = <!-- 複数の二次情報源によってこの人物の代表的な曲として認められる楽曲を、出典を明記した上で3曲程度まで記載可能 --> | 受賞歴 = }} '''吉田 里深'''(よしだ さとみ、[[1979年]][[8月5日]] - )は、[[日本]]の[[グラビアアイドル]]。 == 略歴 == [[1996年]]、現役女子高生水着アイドルとしてグラビアデビュー。同年10月、初の写真集である『Sixteen Revolution』を出版。 1998年、10月に[[日本旅行]]の「赤い風船」[[キャンペーンガール|イメージガール]]」に選ばれる。また、[[ハウス食品]]の[[カレー_(代表的なトピック)|カレー]]のTVCMに出演。 時期不明だが一時期イエローキャブに所属していた。<ref>{{cite|web|url= https://www.excite.co.jp/news/article/Menscyzo_201408_post_8192/}}</ref> 1999年8月4日、[[ワーナーミュージック・ジャパン|east west japan]]からHAKUEIプロデュースでCDミニアルバム『Fairy Tale』を発売。 2001年3月、写真集『Sensational Skin』を発売。 2014年7月、芸能事務所[[GOLDSTAR]]に所属。 2020年3月、株式会社 ENA ENTERTAINMENTに所属。 == 人物 == * 喫煙者。[[へそピアス]]を開けている。 * 趣味は読書・ライブ鑑賞<ref name="goldstar" />。 * 好きな食べ物は[[イクラ]]、[[お新香]]、[[チョコレート]]。 * 1997年に放送されたテレビ番組にて163cmの80kgですと発言した。{{refnest|group=注釈|「BREAK」(読売テレビ)にて}} == DVD == * 1996年11月 『ときめきアイドル白書 9 吉田里深 しゅーくりーむ 17歳のEcup美少女にノックアウト!!』(英知出版) * 1997年3月 『Chi-Chi Eカップのミューズ』(バンダイ・ミュージックエンタテインメント) * 1997年8月 『Final Beauty』(竹書房) * 1997年12月 『恋愛微熱』(エイチエムピィ(現:h.m.p)) == 写真集 == * Sixteen Revolution(1996年10月、[[近代映画社]]、撮影:[[斉木弘吉]]) ISBN 978-4764818019 * Miss Peach(1997年5月、[[ワニブックス]]、撮影:木村 晴) ISBN 978-4847024627 * My Evolution(1998年3月、[[竹書房]]、撮影:井ノ元浩二) ISBN 978-4812403655 * Sensational Skin(2001年3月、集英社インターナショナル、撮影:[[清水清太郎]]) ISBN 978-4797670332 * La Poupee Blanche(2004年3月、竹書房、撮影:笠井爾示) ISBN 978-4812415726 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Instagram|satomiyoshidaofficial|吉田里深}} * [https://web.archive.org/web/19990202090932/http://members.tripod.com/~calenytan5/satomi.html 吉田里深のホームページ] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:よした さとみ}} [[Category:グラビアアイドル]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1979年生]] [[Category:存命人物]] {{Idol-stub}}
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暦(こよみ、れき)とは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの。また、その構成の方法論(暦法)や、それを記載した暦書・暦表(日本のいわゆる「カレンダー」)を指す。さらに、そこで配当された各日ごとに、月齢、天体の出没(日の出・日の入り・月の出・月の入り)の時刻、潮汐(干満)の時刻などの予測値を記したり、曜日、行事、吉凶(暦注)を記したものをも含める。 細分すると、 となる。 「こよみ」の語源は、江戸時代の谷川士清の『和訓栞』では「日読み」(かよみ)であるとされ、定説となっており、一日・二日...と正しく数えることを意味する。ほかに、本居宣長の「一日一日とつぎつぎと来歴(きふ)るを数へゆく由(よし)の名」、新井白石は「古語にコといひしには、詳細の義あり、ヨミとは数をかぞふる事をいひけり」などの定義がある。 暦は、地球の自転を元にした日、月の公転を元にした月、地球の公転を元にした年など、いくつかの単位に細分化されている。 このうち古代の人々がまず最初に気づいたのは太陽の出没、すなわち1日であった。また、季節の推移と、それが一定の周期で一巡することにも気付き、年の概念が現れる。さらに周期的な月の満ち欠けに気付き、これが12回繰り返すと季節の一巡することに気づいた。こうして日・月・年の単位が成立した。暦月が月の満ち欠けと一致するのは太陰暦だけで、太陽暦と月の動きは全く関連付けられていないが、それでも多くの言語で暦月と月の名称に関連があり、また太陽暦でも通常1ヶ月が30日前後となっているのは太陰暦の名残であると考えられている。 天体の運行に基づいた年月日とは異なり、週は自然現象に起源を持たない。月と日の間の計測単位は各文明によってさまざまで、例えば古代中国では月を3分し10日を1単位とした旬という単位を用いており、これは現代日本でも使用される。また、古代ローマでは7日制以前には8日を1周期とする週が使用されていたほか、4日や5日、6日、15日など、多くの周期が用いられていた。週と曜日の起源は古代メソポタミア文明にさかのぼる。メソポタミア文明では7が聖数であったため、当時判明していた7つの天体(月・火星・水星・木星・金星・土星・太陽)にそれぞれ1日を割り当て、7日で1周期となるようにした。ただし、7日周期に関しては古代エジプトが発祥であるとする文献もある。いずれにせよ古代オリエントにおいて1週間7日制が成立し、これが周辺文明に伝えられ、ヨーロッパではローマ帝国期に一般的に使用されるようになった。このため各曜日の名称は本来天体名に由来するが、周辺文明においてはあとから取り入れられた概念であるため天体と曜日の結びつきが薄く、例えばヨーロッパ諸言語においては太陽(日曜日)と月(月曜日)は天体由来名が残ったものの、惑星由来の5曜日については独自の名称が取り入れられ、天体との関係が消滅した。週は中国を経由して日本にも伝わり、10世紀末からは七曜として暦に記載されるようになったが、これは主に吉凶を判ずるためだった。その後、明治に入りグレゴリオ暦を採用すると、週は生活の上で重要な位置を占めるようになった。 古代の人々は生活の中で季節の存在やそれにともなう自然現象の推移に徐々に気づいていき、その体験を元にある程度の「月」を定めて農業や狩猟などの目安とするようになった。これが暦の起こりであると考えられている。その性質上、原始的な暦は1ヶ月の長さが不定であり、また後世の暦のように1年が正確に繰り返されるような性質のものでもなかった。こうした原始的な暦は自然暦と総称されている。こうした自然暦には、かつてイヌイットが周辺の環境変化に基づいて作成した暦や、オーストラリア・アボリジニのヨロンゴ人が風向に基づいて使用していた暦など、さまざまな種類が存在する。 次いで、月の満ち欠けの周期が暦として使用されるようになった。太陰暦である。太陰暦では「何日」と月のみかけの形が一致するためわかりやすく、また月齢と潮の干満が対応しているため漁業には適しているものの、完全な太陰暦においては一年が約354日であり、太陽暦に比べ11日短くなるため、3年間で33日、つまり1か月ほどずれてしまい、実際の季節と大きく食い違ってしまう。このため太陰暦が使用されはじめたころは、1年の終わりと翌年の始まりの間に何日かの空白があったと考えられている。また季節がずれていく性質上、農業での使用には適していないため、完全太陰暦の使用例は歴史上極めて少ない。21世紀において完全太陰暦を使用しているのはイスラム教圏で採用されているヒジュラ暦のみである。ヒジュラ暦は閏月を排除し、完全に月の満ち欠けのみによった完全太陰暦であるが、このためイスラム暦は太陽暦に比べ毎年11日程度短く、33年でほぼ1年のずれを生じる。 やがて、月の運行と季節のずれを調整する方法として太陽暦を補助的に使用し、閏月を挿入することで実際の季節と暦とのずれを修正する方法がとられるようになった。これが太陰太陽暦である。閏月の挿入は、導入当初は社会の指導者たちが状況に応じ適宜挿入を決定したと考えられているが、やがて天文学の発達によって正確な置閏法が定められ、決められた時期に閏月が挿入されるようになった。置閏法としては、19年に7度の閏月を挿入するメトン周期がギリシアで使用されており、また中国でもこの方法で閏月が挿入されていた。太陰太陽暦は多くの世界で採用され、バビロニア暦、ユダヤ暦、ローマ暦、ヴィクラム暦、中国暦など多くの暦法が存在する。 これに対し、太陽が黄道上のある点を出てその場所に戻ってくるまでの周期、いわゆる太陽年を暦として使用するのが太陽暦である。太陽暦は太陰暦に比べずれが非常に小さいものの、正確な太陽年は365.2422日であるため、適切な間隔で閏日をおかない限り、やがて季節とのずれが生じる。太陽暦が最初に制定されたのは古代エジプトで、ナイル川の氾濫の時期とシリウスの動きの周期が近似していることから考案されたとされる。これはシリウス暦と呼ばれ1年が365日となっていたが、閏日が制定されていなかったため長い年月のうちに季節と暦のずれが生じるようになった。このためプトレマイオス朝期に4年に1度の閏年が設けられるようになり、これがユリウス・カエサルによって共和政ローマに持ち込まれ、ユリウス暦として長く使用された。またイランにおいてはイスラム教伝来後も、ヒジュラ暦が季節を示す役割を持たなかったため、農業上や行事上の要請から旧来の太陽暦が存続・発展し、イラン暦として現代でも使用されている。このほかにも、エチオピア暦、シャカ暦やコッラム暦といったインドのいくつかの暦は太陽暦となっている。 ユリウス暦はかなり正確なものであり、暦と太陽年のずれは128年に1日に過ぎなかったものの、ユリウス暦施行から1000年以上経つとそのずれは無視できないほどにまで広がっていた。そこで1582年にローマ教皇グレゴリウス13世によって改暦が行われ、より正確なグレゴリオ暦が導入された。グレゴリオ暦はカトリック圏ではほぼ即座に採用され、プロテスタント圏では18世紀、ギリシア正教圏では20世紀に入ってから導入された。また1873年の日本を皮切りに非西欧諸国でも相次いでグレゴリオ暦が採用されるようになり、21世紀にはほとんどの国でグレゴリオ暦が使用されている。 中国の暦が日本に伝えられたのがいつであるか定かではないが、『日本書紀』には欽明天皇14年(553年)に百済に対し暦博士の来朝を要請し、翌年2月に来たとの記事があり、遅くとも6世紀には伝来していたと考えられる。この頃の百済で施行されていた暦法は元嘉暦であるので、このときに伝来した暦も元嘉暦ではないかと推測される。元岡古墳群(福岡県福岡市)出土の金錯銘大刀(庚寅銘大刀)には「庚寅正月六日庚寅」の銘文があるが、元嘉暦に基づけば570年1月6日と推定され、これが日本における最古の暦使用を示す考古資料となる可能性がある。また、推古天皇10年(602年)に百済から学僧観勒が暦本や天文地理書などを携えて来日し、幾人かの子弟らがこの観勒について勉強したとある。 平安時代に編集された『政事要略』という本には推古天皇12年(604年)から初めて暦の頒布を行ったと書かれているが、『日本書紀』では持統天皇4年(690年)の条にある「勅を奉りて始めて元嘉暦と儀鳳暦とを行う」という記事が初めてであり、正式採用は持統天皇6年(692年)からという説がある。文武天皇元年(697年)8月からは元嘉暦が廃され、儀鳳暦が専用された。儀鳳暦は唐で施行された麟徳暦のことである。元嘉暦と儀鳳暦の大きな違いは朔日の決定方法と閏月の置き方である。朔日については、前者は平朔を、後者は定朔を使用していた。また、置閏法については、元嘉暦が19年7閏月という章法を採用していたのに対し、儀鳳暦では章法に拘らない破章法を用いていた。 儀鳳暦以降、天平宝字7年(763年)に大衍暦、天安2年(858年)に五紀暦、貞観4年(862年)に宣明暦と、唐で施行された暦法が相次いで輸入され施行されたが、その後改暦は行われず、宣明暦は江戸時代の1684年まで823年間も施行された。実際の毎年の暦の作成・頒布は暦博士などの暦道の人々が行った。 江戸時代になると日本でも独自に天文暦学が発展した。長期にわたって改暦が行われなかったことから、置閏に必要な二十四節気測定に、誤差が累積してずれが目立ちはじめ、置閏に問題をきたすようになった(旧暦は朔日(新月)を1日とするルールだが、それは破綻していない)。このような中で、渋川春海が最初の日本独自の暦法である貞享暦を作るのに成功し、貞享元年(1684年)に改暦が行われた。 貞享暦以後、宝暦5年(1755年)宝暦暦が施行されたがあまり正確なものではなく、寛政10年(1798年)には高橋至時や間重富らによって寛政暦が作製され施行された。そして弘化元年(1844年)には日本で最後の太陰太陽暦となる天保暦が施行された。天保暦はこれまでに実施された太陰太陽暦の中で最も精密なものといわれ、当時中国で用いられていた時憲暦を上回ったと評されているが、当時の世界の流れに逆行して不定時法を導入するなどの問題点もあった。 幕末に開国が行われ欧米諸国との貿易が本格化すると、日付や年のずれからトラブルが発生し、またこれら諸国の採用する太陽暦が使いやすく世界中で広く使用されていることから、日本でも太陽暦採用を求める動きが出はじめ、明治5年11月に明治政府によってグレゴリオ暦施行が決定されて、翌明治6年(1873年)から導入された。 現在でも民間では太陰太陽暦は年中行事や占いのために用いることがあり、これを旧暦と呼んでいるが、これは閏月の置き方を天保暦に借りはしているものの数値や計算法は現代の理論に従っているので、厳密には天保暦と同義ではない。また、すでに公的には廃止された暦であるため公的機関によるメンテナンスが存在せず、2033年には旧暦の月が決定できない旧暦2033年問題が発生することが予想されているため、いくつかの解決案が提唱されている。現在の中国でも太陰太陽暦が農暦という名で使われており、基本的に日本の旧暦と同じであるが、1時間の時差のために日がずれることが少なからずある。 暦法によって定められた年の記し方を紀年法と呼び、ある起点から期間を区切らず無限に年数が加算されていく紀元、君主や統治者、政体の統治期間などによって期限を区切られる元号、一定の期間で循環する周期によって年を表わす方法が存在する。 紀年法についても、「西暦」「中華民国暦」「主体暦」のように接尾語として「暦」が用いられることがあるが、暦法と混同してはならない。 紀元の例としては、セレウコス朝ではセレウコス1世のメソポタミア占領を紀元とするセレウコス紀元を用いていた。キリスト教徒の間では、まずローマ皇帝ディオクレティアヌスの即位した284年を紀元とするディオクレティアヌス紀元が広まり、さらに6世紀にはディオニュシウス・エクシグウスによってイエス・キリストが生誕したとされる年を紀元1年とするキリスト紀元(AD)が導入された。このキリスト紀元は世界で広く使われているが、その起源や名称から非キリスト教信者や世俗主義者の批判を浴びることがある。このほか日本の皇紀、中華民国(台湾)の中華民国暦、北朝鮮の主体暦などいくつかの紀元法が存在する。 古代ギリシアでは、当該年の統治者の名を用いて年を表わすことが広く行われていた。しかしギリシアは多数の都市が存在していたため、複数の都市にまたがる事柄を記録する際には、当該都市の氏名と統治者を全て列記する必要があった。この方法は古代ローマにおいても踏襲され、当該年のコンスル2名の名をもって年を表わしていた。 古代オリエントでは王の治世期間で年を表記する紀年法が広く使われた。この即位紀元は古代中国においても広く使用されたが、前漢の時代に在位中に紀元を改める改元が始まり、武帝の時代に入るとこれに名前をつけ、元号が創始された。改元は君主の代替わりだけではなく、吉事や天変地異などさまざまな理由で行われ、本来は君主の統治期間と連動しているわけではなかったが、明代に一世一元の制が始まって君主の統治期間と元号が一本化された。 周期を用いる紀年法としては、古代ギリシアでは4年に1度開催される古代オリンピックを1周期とし、「第○オリンピア紀第×年目」のように年を表わすオリンピアード(オリンピア紀元)が用いられた。また中国では、十干と十二支を組み合わせ60を1周期とする干支が紀年法に用いられ、日本でも長く使用された。 日本で暦が用いられだした当初は干支を年の表記として使用していたが、645年に日本最初の年号である大化が制定され、和暦がはじまった。その後は幾度かの空白を挟みながら断続的に年号が制定されていたが、701年に大宝の元号が定められ、あわせて以後の公文書には必ず元号表記を用いることが定められたため、以後元号制度は固定化され、中断することはなくなった。明治天皇の即位した1868年には一世一元の詔が発せられ、日本でも一世一元制が施行された。その後、旧皇室典範の失効により一時元号の法的根拠が不明確なものとなったが、1979年に元号法が定められて元号の法的根拠および改元の要綱が定まった。 21世紀においてはほとんどの国家でグレゴリオ暦が使用されており、イスラム圏のように元々はヒジュラ暦を用いる地域においても、公式にはグレゴリオ暦を用いる国がほとんどである。グレゴリオ暦使用はさらに拡大しており、2016年にはこれまでヒジュラ暦を公式の暦としていたサウジアラビアが、公式暦のグレゴリオ暦への変更を発表した。ただし旧来の暦が完全に廃棄されたわけではなく、新旧両暦の併記・併用は珍しくない。 紀年法についても、多くの国ではグレゴリオ暦と一体化しているキリスト紀元(AD)が使用されている。一方で、いくつかの国ではグレゴリオ暦を使用しつつ、紀年法においてはキリスト紀元のかわりに独自のものを採用している。例えばタイ王国では釈迦が入滅した翌年の紀元前543年を紀元とする仏滅紀元を採用しており、また中華民国では建国した1912年を紀元とする民国紀元が西暦と併用される。1997年には、北朝鮮において金日成の生誕年である1912年を紀元とする主体暦の使用が開始された。また、日本においては元号の使用が世界で唯一残存しており、2019年5月1日には令和への改元が行われた。 世界の暦法はほとんどの地域でグレゴリオ暦へと切り替えられたが、旧暦によって行われていた年中行事や祭日が新暦へ直接移行するわけではないことが多い。例えば日本では、雛祭りのように完全に新暦へと移行したもの、新暦の8月13日から8月16日にかけて行われるお盆のように、旧暦に配慮して1ヶ月だけ行事を遅らせる月遅れ、そして十五夜のように完全に旧暦のまま行うものが存在する。中国や韓国、ベトナムでは新暦移行後も旧暦の正月である春節を盛大に祝っている。またロシア正教会やジョージア正教会、セルビア正教会など一部の正教会は祭日を従来のユリウス暦で行っているため、これらの国々ではクリスマスはユリウス暦の12月25日(グレゴリオ暦では1月7日)に行われる。イスラム圏の国々ではヒジュラ暦に基づいて行事や祭礼が行われるが、特にラマダーンの開始は目視による新月の観測から求められるため、実際には日取りがずれることが珍しくない。 現在世界の大部分で使用されているグレゴリオ暦は精度が高いものの、1ヶ月の日数が一定でないことや、1ヶ月が7の倍数でないため週とのかみ合わせが悪く日付と曜日が一致しないこと、そしてキリスト教色が強すぎるといった問題点が存在するため、それを改善するための改暦案が数多く提案されてきた。1793年にはフランスの国民公会がフランス革命暦を制定し、グレゴリオ暦からの脱却を図ったものの、週の廃止や時制の十進法への変更などといった急進的すぎる改革は大きな混乱を生み、1806年にはナポレオンによって廃止された。フランス革命暦の失敗後、1か月を28日で固定し1年を13か月とするオーギュスト・コントの実証暦(英語版)や国際固定暦のような13の月の暦、また暦日と曜日が固定できる世界暦といったさまざまな改暦案が提唱されたものの、実現せずに終わった。2012年には閏週の挿入によって曜日と日付を固定させるハンキ=ヘンリー・パーマネント・カレンダーが提唱されたものの、採用の見込みはほぼ存在しないと見なされている。 この場合、暦とはいわずカレンダーということが多い (詳しくはカレンダーの項を参照)。主に予定管理などに使われる。形式は日めくり、月めくりなど様々なものがあり、月めくりのカレンダーの場合だけでも月曜始まりと日曜始まりの2種類がある(稀に土曜始まりもある)。そのほかにも、1日1日が分離されていてパズルのように組み立ててカレンダーにする、というものもある。 カレンダーの始まりは年初である1月であるものが多いが、日本の学校や会社などでは年度の始まりである4月を先頭とするカレンダーも存在する。カレンダーは印刷業者や出版業者によって生産され、おもに翌年に備えて年末に購入されることが多い。また、日本では宣伝などのために一般企業が生産業者に社名入りのカレンダーの制作を依頼し、粗品として配布されることも多い。カレンダーが各種企業や団体からの依頼で受注生産されることは世界でもほぼ共通で、宗教団体や公的機関、民間団体、企業といったさまざまな団体名義のカレンダーが世界中で発行されているほか、商品として販売されるものが存在することも同様である。 日本では大宝元年(701年)に陰陽寮が設置され、そこに置かれた暦博士が暦を制作し、御暦奏の後に官庁へと頒暦していた。ここで制作された暦は吉凶判断のための様々な暦注が漢文で記されたいわゆる具注暦だったが、平安時代後期には簡略化され仮名文字で書かれた仮名暦も広く発行されるようになり、また暦道が幸徳井家の家職化された。一方、鎌倉時代になると暦の需要が高まって具注暦や仮名暦の筆写では供給が追いつかなくなり、木版印刷による摺暦の生産が始まった。摺暦は伊豆国の三島で始まったと考えられており、三島暦をはじめとして京暦や大宮暦など日本各地で盛んに発行されるようになった。こうした暦は地方暦と総称される。江戸時代に入ると御師の手によって伊勢神宮信仰が全国に広まるが、彼らが御札を配布する際に土産として伊勢暦を配布したことから、伊勢暦が暦の代名詞となるまでに普及したが、各地方でも特色ある暦が作成・配布され続けた。なかには非識字者を対象に文字を使わず絵や記号で暦を表示した、南部絵暦に代表される盲暦や、大の月・小の月の順番のみを記し贈答品として流行した大小暦といった暦が作られたのもこの頃のことである。 明治時代に入ると、従来の頒暦者たちを統合して明治5年に頒暦商社が設立されたが、同年にグレゴリオ暦への改暦が行われたため、すでに翌年分の旧暦で暦を作成していた頒暦商社は大損害を受けた。この救済として商社には10年間の専売権が与えられたが、新暦では従来の暦に記載されていた暦注の記載が禁じられたため使い勝手が非常に悪く、商社の専売権が終了した明治15年頃からは暦注を記載した違法のお化け暦が盛んに発行されるようになった。また明治16年からは神宮司庁により神宮暦の発行がはじまった。 中国の歴代王朝においては、天象を把握して正確な暦を策定し施行することは観象授時と呼ばれ、王朝の責務とされていた。このため、暦は強い政治性を持つようになり、王朝や支配者が交代した際にはしばしば改暦が行なわれた。また臣下や支配地域では王朝の定めた暦を施行することが義務づけられた。このため、暦を受けいれることを意味する「正朔を奉ずる」という言葉が、そのまま王朝の統治に服することを意味するようになった。この暦の使用は冊封体制下にある全ての国家でも義務づけられ、独自の暦を作成・使用することは禁じられていた。この元号強制により朝鮮半島では新羅中期以降は独自元号の使用は停止され中国元号が使用されたものの、日本では645年以降、ベトナムでは970年以降独自元号が制定され使用され続けた。 中国の暦は、月日の決定だけでなく日月食の予報や惑星運行の推算(天体暦)などを扱うものであった。過去に関する記録は「歴」、現在から未来に関する記録は「暦」であるが、これをともに扱う役職を史官といい、今でいう歴史学者と天文学者を兼ねていた。 また暦は未来を扱うものであるから、予言的な性格をもち、占星術と大きく関わる。これは東洋においても同様であり、旧暦にはさまざまな暦注が付くのが常であった。こうした暦注には二十四節気などの有用なものもあったが、大半は吉凶判断などに使用するものであったため、明治政府は新暦変更後に一切の暦注の表示を禁止した。しかし暦注が全くないのは不便だったためにまもなく暦注を記載した違法カレンダーであるおばけ暦が流行するようになり、旧来のものに加えて六曜や九星といった新たな暦注も暦に入り込むようになった。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "暦(こよみ、れき)とは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの。また、その構成の方法論(暦法)や、それを記載した暦書・暦表(日本のいわゆる「カレンダー」)を指す。さらに、そこで配当された各日ごとに、月齢、天体の出没(日の出・日の入り・月の出・月の入り)の時刻、潮汐(干満)の時刻などの予測値を記したり、曜日、行事、吉凶(暦注)を記したものをも含める。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "細分すると、", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "となる。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「こよみ」の語源は、江戸時代の谷川士清の『和訓栞』では「日読み」(かよみ)であるとされ、定説となっており、一日・二日...と正しく数えることを意味する。ほかに、本居宣長の「一日一日とつぎつぎと来歴(きふ)るを数へゆく由(よし)の名」、新井白石は「古語にコといひしには、詳細の義あり、ヨミとは数をかぞふる事をいひけり」などの定義がある。", "title": "語釈" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "暦は、地球の自転を元にした日、月の公転を元にした月、地球の公転を元にした年など、いくつかの単位に細分化されている。", "title": "単位" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "このうち古代の人々がまず最初に気づいたのは太陽の出没、すなわち1日であった。また、季節の推移と、それが一定の周期で一巡することにも気付き、年の概念が現れる。さらに周期的な月の満ち欠けに気付き、これが12回繰り返すと季節の一巡することに気づいた。こうして日・月・年の単位が成立した。暦月が月の満ち欠けと一致するのは太陰暦だけで、太陽暦と月の動きは全く関連付けられていないが、それでも多くの言語で暦月と月の名称に関連があり、また太陽暦でも通常1ヶ月が30日前後となっているのは太陰暦の名残であると考えられている。", "title": "単位" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "天体の運行に基づいた年月日とは異なり、週は自然現象に起源を持たない。月と日の間の計測単位は各文明によってさまざまで、例えば古代中国では月を3分し10日を1単位とした旬という単位を用いており、これは現代日本でも使用される。また、古代ローマでは7日制以前には8日を1周期とする週が使用されていたほか、4日や5日、6日、15日など、多くの周期が用いられていた。週と曜日の起源は古代メソポタミア文明にさかのぼる。メソポタミア文明では7が聖数であったため、当時判明していた7つの天体(月・火星・水星・木星・金星・土星・太陽)にそれぞれ1日を割り当て、7日で1周期となるようにした。ただし、7日周期に関しては古代エジプトが発祥であるとする文献もある。いずれにせよ古代オリエントにおいて1週間7日制が成立し、これが周辺文明に伝えられ、ヨーロッパではローマ帝国期に一般的に使用されるようになった。このため各曜日の名称は本来天体名に由来するが、周辺文明においてはあとから取り入れられた概念であるため天体と曜日の結びつきが薄く、例えばヨーロッパ諸言語においては太陽(日曜日)と月(月曜日)は天体由来名が残ったものの、惑星由来の5曜日については独自の名称が取り入れられ、天体との関係が消滅した。週は中国を経由して日本にも伝わり、10世紀末からは七曜として暦に記載されるようになったが、これは主に吉凶を判ずるためだった。その後、明治に入りグレゴリオ暦を採用すると、週は生活の上で重要な位置を占めるようになった。", "title": "単位" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "古代の人々は生活の中で季節の存在やそれにともなう自然現象の推移に徐々に気づいていき、その体験を元にある程度の「月」を定めて農業や狩猟などの目安とするようになった。これが暦の起こりであると考えられている。その性質上、原始的な暦は1ヶ月の長さが不定であり、また後世の暦のように1年が正確に繰り返されるような性質のものでもなかった。こうした原始的な暦は自然暦と総称されている。こうした自然暦には、かつてイヌイットが周辺の環境変化に基づいて作成した暦や、オーストラリア・アボリジニのヨロンゴ人が風向に基づいて使用していた暦など、さまざまな種類が存在する。", "title": "暦法" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "次いで、月の満ち欠けの周期が暦として使用されるようになった。太陰暦である。太陰暦では「何日」と月のみかけの形が一致するためわかりやすく、また月齢と潮の干満が対応しているため漁業には適しているものの、完全な太陰暦においては一年が約354日であり、太陽暦に比べ11日短くなるため、3年間で33日、つまり1か月ほどずれてしまい、実際の季節と大きく食い違ってしまう。このため太陰暦が使用されはじめたころは、1年の終わりと翌年の始まりの間に何日かの空白があったと考えられている。また季節がずれていく性質上、農業での使用には適していないため、完全太陰暦の使用例は歴史上極めて少ない。21世紀において完全太陰暦を使用しているのはイスラム教圏で採用されているヒジュラ暦のみである。ヒジュラ暦は閏月を排除し、完全に月の満ち欠けのみによった完全太陰暦であるが、このためイスラム暦は太陽暦に比べ毎年11日程度短く、33年でほぼ1年のずれを生じる。", "title": "暦法" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "やがて、月の運行と季節のずれを調整する方法として太陽暦を補助的に使用し、閏月を挿入することで実際の季節と暦とのずれを修正する方法がとられるようになった。これが太陰太陽暦である。閏月の挿入は、導入当初は社会の指導者たちが状況に応じ適宜挿入を決定したと考えられているが、やがて天文学の発達によって正確な置閏法が定められ、決められた時期に閏月が挿入されるようになった。置閏法としては、19年に7度の閏月を挿入するメトン周期がギリシアで使用されており、また中国でもこの方法で閏月が挿入されていた。太陰太陽暦は多くの世界で採用され、バビロニア暦、ユダヤ暦、ローマ暦、ヴィクラム暦、中国暦など多くの暦法が存在する。", "title": "暦法" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "これに対し、太陽が黄道上のある点を出てその場所に戻ってくるまでの周期、いわゆる太陽年を暦として使用するのが太陽暦である。太陽暦は太陰暦に比べずれが非常に小さいものの、正確な太陽年は365.2422日であるため、適切な間隔で閏日をおかない限り、やがて季節とのずれが生じる。太陽暦が最初に制定されたのは古代エジプトで、ナイル川の氾濫の時期とシリウスの動きの周期が近似していることから考案されたとされる。これはシリウス暦と呼ばれ1年が365日となっていたが、閏日が制定されていなかったため長い年月のうちに季節と暦のずれが生じるようになった。このためプトレマイオス朝期に4年に1度の閏年が設けられるようになり、これがユリウス・カエサルによって共和政ローマに持ち込まれ、ユリウス暦として長く使用された。またイランにおいてはイスラム教伝来後も、ヒジュラ暦が季節を示す役割を持たなかったため、農業上や行事上の要請から旧来の太陽暦が存続・発展し、イラン暦として現代でも使用されている。このほかにも、エチオピア暦、シャカ暦やコッラム暦といったインドのいくつかの暦は太陽暦となっている。", "title": "暦法" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ユリウス暦はかなり正確なものであり、暦と太陽年のずれは128年に1日に過ぎなかったものの、ユリウス暦施行から1000年以上経つとそのずれは無視できないほどにまで広がっていた。そこで1582年にローマ教皇グレゴリウス13世によって改暦が行われ、より正確なグレゴリオ暦が導入された。グレゴリオ暦はカトリック圏ではほぼ即座に採用され、プロテスタント圏では18世紀、ギリシア正教圏では20世紀に入ってから導入された。また1873年の日本を皮切りに非西欧諸国でも相次いでグレゴリオ暦が採用されるようになり、21世紀にはほとんどの国でグレゴリオ暦が使用されている。", "title": "暦法" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "中国の暦が日本に伝えられたのがいつであるか定かではないが、『日本書紀』には欽明天皇14年(553年)に百済に対し暦博士の来朝を要請し、翌年2月に来たとの記事があり、遅くとも6世紀には伝来していたと考えられる。この頃の百済で施行されていた暦法は元嘉暦であるので、このときに伝来した暦も元嘉暦ではないかと推測される。元岡古墳群(福岡県福岡市)出土の金錯銘大刀(庚寅銘大刀)には「庚寅正月六日庚寅」の銘文があるが、元嘉暦に基づけば570年1月6日と推定され、これが日本における最古の暦使用を示す考古資料となる可能性がある。また、推古天皇10年(602年)に百済から学僧観勒が暦本や天文地理書などを携えて来日し、幾人かの子弟らがこの観勒について勉強したとある。", "title": "日本と暦" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "平安時代に編集された『政事要略』という本には推古天皇12年(604年)から初めて暦の頒布を行ったと書かれているが、『日本書紀』では持統天皇4年(690年)の条にある「勅を奉りて始めて元嘉暦と儀鳳暦とを行う」という記事が初めてであり、正式採用は持統天皇6年(692年)からという説がある。文武天皇元年(697年)8月からは元嘉暦が廃され、儀鳳暦が専用された。儀鳳暦は唐で施行された麟徳暦のことである。元嘉暦と儀鳳暦の大きな違いは朔日の決定方法と閏月の置き方である。朔日については、前者は平朔を、後者は定朔を使用していた。また、置閏法については、元嘉暦が19年7閏月という章法を採用していたのに対し、儀鳳暦では章法に拘らない破章法を用いていた。", "title": "日本と暦" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "儀鳳暦以降、天平宝字7年(763年)に大衍暦、天安2年(858年)に五紀暦、貞観4年(862年)に宣明暦と、唐で施行された暦法が相次いで輸入され施行されたが、その後改暦は行われず、宣明暦は江戸時代の1684年まで823年間も施行された。実際の毎年の暦の作成・頒布は暦博士などの暦道の人々が行った。", "title": "日本と暦" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "江戸時代になると日本でも独自に天文暦学が発展した。長期にわたって改暦が行われなかったことから、置閏に必要な二十四節気測定に、誤差が累積してずれが目立ちはじめ、置閏に問題をきたすようになった(旧暦は朔日(新月)を1日とするルールだが、それは破綻していない)。このような中で、渋川春海が最初の日本独自の暦法である貞享暦を作るのに成功し、貞享元年(1684年)に改暦が行われた。", "title": "日本と暦" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "貞享暦以後、宝暦5年(1755年)宝暦暦が施行されたがあまり正確なものではなく、寛政10年(1798年)には高橋至時や間重富らによって寛政暦が作製され施行された。そして弘化元年(1844年)には日本で最後の太陰太陽暦となる天保暦が施行された。天保暦はこれまでに実施された太陰太陽暦の中で最も精密なものといわれ、当時中国で用いられていた時憲暦を上回ったと評されているが、当時の世界の流れに逆行して不定時法を導入するなどの問題点もあった。", "title": "日本と暦" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "幕末に開国が行われ欧米諸国との貿易が本格化すると、日付や年のずれからトラブルが発生し、またこれら諸国の採用する太陽暦が使いやすく世界中で広く使用されていることから、日本でも太陽暦採用を求める動きが出はじめ、明治5年11月に明治政府によってグレゴリオ暦施行が決定されて、翌明治6年(1873年)から導入された。", "title": "日本と暦" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "現在でも民間では太陰太陽暦は年中行事や占いのために用いることがあり、これを旧暦と呼んでいるが、これは閏月の置き方を天保暦に借りはしているものの数値や計算法は現代の理論に従っているので、厳密には天保暦と同義ではない。また、すでに公的には廃止された暦であるため公的機関によるメンテナンスが存在せず、2033年には旧暦の月が決定できない旧暦2033年問題が発生することが予想されているため、いくつかの解決案が提唱されている。現在の中国でも太陰太陽暦が農暦という名で使われており、基本的に日本の旧暦と同じであるが、1時間の時差のために日がずれることが少なからずある。", "title": "日本と暦" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "暦法によって定められた年の記し方を紀年法と呼び、ある起点から期間を区切らず無限に年数が加算されていく紀元、君主や統治者、政体の統治期間などによって期限を区切られる元号、一定の期間で循環する周期によって年を表わす方法が存在する。", "title": "紀年法" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "紀年法についても、「西暦」「中華民国暦」「主体暦」のように接尾語として「暦」が用いられることがあるが、暦法と混同してはならない。", "title": "紀年法" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "紀元の例としては、セレウコス朝ではセレウコス1世のメソポタミア占領を紀元とするセレウコス紀元を用いていた。キリスト教徒の間では、まずローマ皇帝ディオクレティアヌスの即位した284年を紀元とするディオクレティアヌス紀元が広まり、さらに6世紀にはディオニュシウス・エクシグウスによってイエス・キリストが生誕したとされる年を紀元1年とするキリスト紀元(AD)が導入された。このキリスト紀元は世界で広く使われているが、その起源や名称から非キリスト教信者や世俗主義者の批判を浴びることがある。このほか日本の皇紀、中華民国(台湾)の中華民国暦、北朝鮮の主体暦などいくつかの紀元法が存在する。", "title": "紀年法" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "古代ギリシアでは、当該年の統治者の名を用いて年を表わすことが広く行われていた。しかしギリシアは多数の都市が存在していたため、複数の都市にまたがる事柄を記録する際には、当該都市の氏名と統治者を全て列記する必要があった。この方法は古代ローマにおいても踏襲され、当該年のコンスル2名の名をもって年を表わしていた。", "title": "紀年法" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "古代オリエントでは王の治世期間で年を表記する紀年法が広く使われた。この即位紀元は古代中国においても広く使用されたが、前漢の時代に在位中に紀元を改める改元が始まり、武帝の時代に入るとこれに名前をつけ、元号が創始された。改元は君主の代替わりだけではなく、吉事や天変地異などさまざまな理由で行われ、本来は君主の統治期間と連動しているわけではなかったが、明代に一世一元の制が始まって君主の統治期間と元号が一本化された。", "title": "紀年法" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "周期を用いる紀年法としては、古代ギリシアでは4年に1度開催される古代オリンピックを1周期とし、「第○オリンピア紀第×年目」のように年を表わすオリンピアード(オリンピア紀元)が用いられた。また中国では、十干と十二支を組み合わせ60を1周期とする干支が紀年法に用いられ、日本でも長く使用された。", "title": "紀年法" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "日本で暦が用いられだした当初は干支を年の表記として使用していたが、645年に日本最初の年号である大化が制定され、和暦がはじまった。その後は幾度かの空白を挟みながら断続的に年号が制定されていたが、701年に大宝の元号が定められ、あわせて以後の公文書には必ず元号表記を用いることが定められたため、以後元号制度は固定化され、中断することはなくなった。明治天皇の即位した1868年には一世一元の詔が発せられ、日本でも一世一元制が施行された。その後、旧皇室典範の失効により一時元号の法的根拠が不明確なものとなったが、1979年に元号法が定められて元号の法的根拠および改元の要綱が定まった。", "title": "紀年法" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "21世紀においてはほとんどの国家でグレゴリオ暦が使用されており、イスラム圏のように元々はヒジュラ暦を用いる地域においても、公式にはグレゴリオ暦を用いる国がほとんどである。グレゴリオ暦使用はさらに拡大しており、2016年にはこれまでヒジュラ暦を公式の暦としていたサウジアラビアが、公式暦のグレゴリオ暦への変更を発表した。ただし旧来の暦が完全に廃棄されたわけではなく、新旧両暦の併記・併用は珍しくない。", "title": "現況" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "紀年法についても、多くの国ではグレゴリオ暦と一体化しているキリスト紀元(AD)が使用されている。一方で、いくつかの国ではグレゴリオ暦を使用しつつ、紀年法においてはキリスト紀元のかわりに独自のものを採用している。例えばタイ王国では釈迦が入滅した翌年の紀元前543年を紀元とする仏滅紀元を採用しており、また中華民国では建国した1912年を紀元とする民国紀元が西暦と併用される。1997年には、北朝鮮において金日成の生誕年である1912年を紀元とする主体暦の使用が開始された。また、日本においては元号の使用が世界で唯一残存しており、2019年5月1日には令和への改元が行われた。", "title": "現況" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "世界の暦法はほとんどの地域でグレゴリオ暦へと切り替えられたが、旧暦によって行われていた年中行事や祭日が新暦へ直接移行するわけではないことが多い。例えば日本では、雛祭りのように完全に新暦へと移行したもの、新暦の8月13日から8月16日にかけて行われるお盆のように、旧暦に配慮して1ヶ月だけ行事を遅らせる月遅れ、そして十五夜のように完全に旧暦のまま行うものが存在する。中国や韓国、ベトナムでは新暦移行後も旧暦の正月である春節を盛大に祝っている。またロシア正教会やジョージア正教会、セルビア正教会など一部の正教会は祭日を従来のユリウス暦で行っているため、これらの国々ではクリスマスはユリウス暦の12月25日(グレゴリオ暦では1月7日)に行われる。イスラム圏の国々ではヒジュラ暦に基づいて行事や祭礼が行われるが、特にラマダーンの開始は目視による新月の観測から求められるため、実際には日取りがずれることが珍しくない。", "title": "現況" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "現在世界の大部分で使用されているグレゴリオ暦は精度が高いものの、1ヶ月の日数が一定でないことや、1ヶ月が7の倍数でないため週とのかみ合わせが悪く日付と曜日が一致しないこと、そしてキリスト教色が強すぎるといった問題点が存在するため、それを改善するための改暦案が数多く提案されてきた。1793年にはフランスの国民公会がフランス革命暦を制定し、グレゴリオ暦からの脱却を図ったものの、週の廃止や時制の十進法への変更などといった急進的すぎる改革は大きな混乱を生み、1806年にはナポレオンによって廃止された。フランス革命暦の失敗後、1か月を28日で固定し1年を13か月とするオーギュスト・コントの実証暦(英語版)や国際固定暦のような13の月の暦、また暦日と曜日が固定できる世界暦といったさまざまな改暦案が提唱されたものの、実現せずに終わった。2012年には閏週の挿入によって曜日と日付を固定させるハンキ=ヘンリー・パーマネント・カレンダーが提唱されたものの、採用の見込みはほぼ存在しないと見なされている。", "title": "提案されている暦法" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "この場合、暦とはいわずカレンダーということが多い (詳しくはカレンダーの項を参照)。主に予定管理などに使われる。形式は日めくり、月めくりなど様々なものがあり、月めくりのカレンダーの場合だけでも月曜始まりと日曜始まりの2種類がある(稀に土曜始まりもある)。そのほかにも、1日1日が分離されていてパズルのように組み立ててカレンダーにする、というものもある。", "title": "実用品としての暦" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "カレンダーの始まりは年初である1月であるものが多いが、日本の学校や会社などでは年度の始まりである4月を先頭とするカレンダーも存在する。カレンダーは印刷業者や出版業者によって生産され、おもに翌年に備えて年末に購入されることが多い。また、日本では宣伝などのために一般企業が生産業者に社名入りのカレンダーの制作を依頼し、粗品として配布されることも多い。カレンダーが各種企業や団体からの依頼で受注生産されることは世界でもほぼ共通で、宗教団体や公的機関、民間団体、企業といったさまざまな団体名義のカレンダーが世界中で発行されているほか、商品として販売されるものが存在することも同様である。", "title": "実用品としての暦" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "日本では大宝元年(701年)に陰陽寮が設置され、そこに置かれた暦博士が暦を制作し、御暦奏の後に官庁へと頒暦していた。ここで制作された暦は吉凶判断のための様々な暦注が漢文で記されたいわゆる具注暦だったが、平安時代後期には簡略化され仮名文字で書かれた仮名暦も広く発行されるようになり、また暦道が幸徳井家の家職化された。一方、鎌倉時代になると暦の需要が高まって具注暦や仮名暦の筆写では供給が追いつかなくなり、木版印刷による摺暦の生産が始まった。摺暦は伊豆国の三島で始まったと考えられており、三島暦をはじめとして京暦や大宮暦など日本各地で盛んに発行されるようになった。こうした暦は地方暦と総称される。江戸時代に入ると御師の手によって伊勢神宮信仰が全国に広まるが、彼らが御札を配布する際に土産として伊勢暦を配布したことから、伊勢暦が暦の代名詞となるまでに普及したが、各地方でも特色ある暦が作成・配布され続けた。なかには非識字者を対象に文字を使わず絵や記号で暦を表示した、南部絵暦に代表される盲暦や、大の月・小の月の順番のみを記し贈答品として流行した大小暦といった暦が作られたのもこの頃のことである。", "title": "実用品としての暦" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "明治時代に入ると、従来の頒暦者たちを統合して明治5年に頒暦商社が設立されたが、同年にグレゴリオ暦への改暦が行われたため、すでに翌年分の旧暦で暦を作成していた頒暦商社は大損害を受けた。この救済として商社には10年間の専売権が与えられたが、新暦では従来の暦に記載されていた暦注の記載が禁じられたため使い勝手が非常に悪く、商社の専売権が終了した明治15年頃からは暦注を記載した違法のお化け暦が盛んに発行されるようになった。また明治16年からは神宮司庁により神宮暦の発行がはじまった。", "title": "実用品としての暦" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "中国の歴代王朝においては、天象を把握して正確な暦を策定し施行することは観象授時と呼ばれ、王朝の責務とされていた。このため、暦は強い政治性を持つようになり、王朝や支配者が交代した際にはしばしば改暦が行なわれた。また臣下や支配地域では王朝の定めた暦を施行することが義務づけられた。このため、暦を受けいれることを意味する「正朔を奉ずる」という言葉が、そのまま王朝の統治に服することを意味するようになった。この暦の使用は冊封体制下にある全ての国家でも義務づけられ、独自の暦を作成・使用することは禁じられていた。この元号強制により朝鮮半島では新羅中期以降は独自元号の使用は停止され中国元号が使用されたものの、日本では645年以降、ベトナムでは970年以降独自元号が制定され使用され続けた。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "中国の暦は、月日の決定だけでなく日月食の予報や惑星運行の推算(天体暦)などを扱うものであった。過去に関する記録は「歴」、現在から未来に関する記録は「暦」であるが、これをともに扱う役職を史官といい、今でいう歴史学者と天文学者を兼ねていた。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "また暦は未来を扱うものであるから、予言的な性格をもち、占星術と大きく関わる。これは東洋においても同様であり、旧暦にはさまざまな暦注が付くのが常であった。こうした暦注には二十四節気などの有用なものもあったが、大半は吉凶判断などに使用するものであったため、明治政府は新暦変更後に一切の暦注の表示を禁止した。しかし暦注が全くないのは不便だったためにまもなく暦注を記載した違法カレンダーであるおばけ暦が流行するようになり、旧来のものに加えて六曜や九星といった新たな暦注も暦に入り込むようになった。", "title": "文化" } ]
暦(こよみ、れき)とは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの。また、その構成の方法論(暦法)や、それを記載した暦書・暦表(日本のいわゆる「カレンダー」)を指す。さらに、そこで配当された各日ごとに、月齢、天体の出没(日の出・日の入り・月の出・月の入り)の時刻、潮汐(干満)の時刻などの予測値を記したり、曜日、行事、吉凶(暦注)を記したものをも含める。 細分すると、 日を記録するものを暦(こよみ、calendar) 暦による日付の並びを表形式等で表示した暦表・カレンダー (calendar) 暦の方法論である暦法(新暦、旧暦)(calendar) 天象の予報・天体の軌道を記述するものを天体暦(れき、ephemeris) 一年間の日ごとに天象に加えて行事や占いや曜日などを総合して記述したものを生活暦 (almanac) 航海用に一年間の天象・天体の視位置を記述した航海暦 紀年法、すなわち西暦・和暦など となる。
{{Otheruses}} [[File:Les Très Riches Heures du duc de Berry mars.jpg|thumb|right|[[ベリー公のいとも豪華なる時祷書]](3月)]] '''暦'''(こよみ、れき)とは、[[時間]]の流れを[[年]]・[[月 (暦)|月]]・[[週]]・[[日]]といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの。また、その構成の方法論('''[[暦法]]''')や、それを記載した'''暦書'''・'''暦表'''(日本のいわゆる「[[カレンダー]]」)を指す。さらに、そこで配当された各日ごとに、[[月齢]]、[[天体の出没]](日の出・日の入り・月の出・月の入り)の時刻、[[潮汐]](干満)の時刻などの予測値を記したり、[[曜日]]、行事、吉凶([[暦注]])を記したものをも含める。 細分すると、 * 日を記録するものを暦(こよみ、{{en|calendar}}) * 暦による日付の並びを表形式等で表示した暦表・[[カレンダー]] ({{en|calendar}}) * 暦の方法論である[[暦法]]([[新暦]]、[[旧暦]])({{en|calendar}}) * 天象の予報・天体の軌道を記述するものを[[天体暦]](れき、{{en|ephemeris}}) * 一年間の日ごとに天象に加えて行事や[[占い]]や[[曜日]]などを総合して記述したものを[[生活暦]] ({{en|almanac}}) * 航海用に一年間の天象・天体の視位置を記述した[[航海暦]]({{en|nautical almanac}}) * [[紀年法]]、すなわち[[西暦]]・[[和暦]]など ({{en|calendar era}}) となる。 == 語釈 == 「こよみ」の[[語源]]は、江戸時代の[[谷川士清]]の『和訓栞』では「日読み」(かよみ)であるとされ、定説となっており、一日・二日...と正しく数えることを意味する。ほかに、[[本居宣長]]の「一日一日とつぎつぎと来歴(きふ)るを数へゆく由(よし)の名」、[[新井白石]]は「古語にコといひしには、詳細の義あり、ヨミとは数をかぞふる事をいひけり」などの定義がある。 == 単位 == 暦は、地球の自転を元にした[[日]]、月の公転を元にした[[月 (暦)|月]]、地球の公転を元にした[[年]]など、いくつかの単位に細分化されている{{Sfn|暦の大事典|p=8}}。 このうち古代の人々がまず最初に気づいたのは太陽の出没、すなわち1日であった。また、季節の推移と、それが一定の周期で一巡することにも気付き、年の概念が現れる。さらに周期的な月の満ち欠けに気付き、これが12回繰り返すと季節の一巡することに気づいた{{Sfn|暦の大事典|p=1}}。こうして日・月・年の単位が成立した{{Sfn|暦を知る事典|pp=2-3}}。暦月が月の満ち欠けと一致するのは太陰暦だけで、太陽暦と月の動きは全く関連付けられていないが{{Sfn|ホルフォード・ストレブンズ|2013|p=31}}、それでも多くの言語で暦月と月の名称に関連があり、また太陽暦でも通常1ヶ月が30日前後となっているのは太陰暦の名残であると考えられている{{Sfn|暦を知る事典|p=3}}。 天体の運行に基づいた年月日とは異なり、[[週]]は自然現象に起源を持たない。月と日の間の計測単位は各文明によってさまざまで、例えば古代中国では月を3分し10日を1単位とした[[旬 (単位)|旬]]という単位を用いており、これは現代日本でも使用される{{Sfn|暦を知る事典|p=34}}。また、古代ローマでは7日制以前には8日を1周期とする週が使用されていたほか、4日や5日、6日、15日など、多くの周期が用いられていた{{Sfn|ホルフォード・ストレブンズ|2013|p=125}}。週と[[曜日]]の起源は古代[[メソポタミア]]文明にさかのぼる。メソポタミア文明では7が聖数であったため、当時判明していた7つの天体(月・[[火星]]・[[水星]]・[[木星]]・[[金星]]・[[土星]]・太陽)にそれぞれ1日を割り当て、7日で1周期となるようにした{{Sfn|暦を知る事典|p=34}}。ただし、7日周期に関しては[[古代エジプト]]が発祥であるとする文献もある{{Sfn|暦の大事典|p=130}}。いずれにせよ古代[[オリエント]]において1週間7日制が成立し、これが周辺文明に伝えられ、ヨーロッパではローマ帝国期に一般的に使用されるようになった{{Sfn|暦を知る事典|pp=34-35}}。このため各曜日の名称は本来天体名に由来するが、周辺文明においてはあとから取り入れられた概念であるため天体と曜日の結びつきが薄く、例えばヨーロッパ諸言語においては太陽([[日曜日]])と月([[月曜日]])は天体由来名が残ったものの、[[惑星]]由来の5曜日については独自の名称が取り入れられ、天体との関係が消滅した{{Sfn|暦の大事典|p=130}}。週は中国を経由して日本にも伝わり、10世紀末からは[[七曜]]として暦に記載されるようになったが、これは主に[[吉凶]]を判ずるためだった。その後、明治に入りグレゴリオ暦を採用すると、週は生活の上で重要な位置を占めるようになった{{Sfn|渡邊|2012|p=29}}。 == 暦法 == {{main|暦法}} 古代の人々は生活の中で[[季節]]の存在やそれにともなう自然現象の推移に徐々に気づいていき、その体験を元にある程度の「月」を定めて農業や狩猟などの目安とするようになった。これが暦の起こりであると考えられている。その性質上、原始的な暦は1ヶ月の長さが不定であり、また後世の暦のように1年が正確に繰り返されるような性質のものでもなかった。こうした原始的な暦は自然暦と総称されている{{Sfn|暦を知る事典|pp=4-6}}。こうした自然暦には、かつて[[イヌイット]]が周辺の環境変化に基づいて作成した暦<ref>「世界の暦文化事典」p362-363 中牧弘允編 丸善出版 平成29年11月25日発行</ref>や、オーストラリア・[[アボリジニ]]のヨロンゴ人が風向に基づいて使用していた暦<ref>「世界の暦文化事典」p404-406 中牧弘允編 丸善出版 平成29年11月25日発行</ref>など、さまざまな種類が存在する。 次いで、[[月]]の満ち欠けの周期が暦として使用されるようになった。[[太陰暦]]である。太陰暦では「何日」と月のみかけの形が一致するためわかりやすく{{Sfn|暦を知る事典|p=13}}、また[[月齢]]と[[潮汐|潮の干満]]が対応しているため[[漁業]]には適している<ref>「日本史を学ぶための古代の暦入門」p34 細井浩志 吉川弘文館 2014年7月10日第1刷発行</ref>ものの、完全な太陰暦においては一年が約354日であり、太陽暦に比べ11日短くなるため、3年間で33日、つまり1か月ほどずれてしまい、実際の季節と大きく食い違ってしまう。このため太陰暦が使用されはじめたころは、1年の終わりと翌年の始まりの間に何日かの空白があったと考えられている{{Sfn|暦を知る事典|pp=23-24}}。また季節がずれていく性質上、農業での使用には適していないため、完全太陰暦の使用例は歴史上極めて少ない<ref>「日本史を学ぶための古代の暦入門」p32-34 細井浩志 吉川弘文館 2014年7月10日第1刷発行</ref>。21世紀において完全太陰暦を使用しているのは[[イスラム教]]圏で採用されている[[ヒジュラ暦]]のみである{{Sfn|渡邊|2012|p=p63}}。ヒジュラ暦は閏月を排除し、完全に月の満ち欠けのみによった完全太陰暦であるが、このためイスラム暦は太陽暦に比べ毎年11日程度短く、33年でほぼ1年のずれを生じる{{Sfn|暦を知る事典|pp=24-26}}。 やがて、月の運行と季節のずれを調整する方法として太陽暦を補助的に使用し、[[閏月]]を挿入することで実際の季節と暦とのずれを修正する方法がとられるようになった<ref>{{Cite book | 和書 |title=宇宙観5000年史 人類は宇宙をどうみてきたか |page=8 |author1=[[中村士]] |author2=[[岡村定矩]] |publisher=東京大学出版会 |date=2011-12-26}}</ref>。これが[[太陰太陽暦]]である。閏月の挿入は、導入当初は社会の指導者たちが状況に応じ適宜挿入を決定したと考えられているが、やがて天文学の発達によって正確な[[置閏法]]が定められ、決められた時期に閏月が挿入されるようになった{{Sfn|暦を知る事典|p=13}}。置閏法としては、19年に7度の閏月を挿入する[[メトン周期]]がギリシアで使用されており、また中国でもこの方法で閏月が挿入されていた{{Sfn|暦を知る事典|p=13}}。太陰太陽暦は多くの世界で採用され、[[バビロニア暦]]{{Sfn|暦の大事典|pp=47-48}}、[[ユダヤ暦]]{{Sfn|暦の大事典|p=69}}、[[ローマ暦]]{{Sfn|暦を知る事典|pp=29-31}}、[[ヴィクラム暦]]{{Sfn|暦を知る事典|p=13}}{{Sfn|暦の大事典|p=191}}、[[中国暦]]{{Sfn|暦を知る事典|pp=10-14}}など多くの暦法が存在する。 これに対し、太陽が[[黄道]]上のある点を出てその場所に戻ってくるまでの周期、いわゆる[[太陽年]]を暦として使用するのが[[太陽暦]]である{{Sfn|暦を知る事典|p=13}}。太陽暦は太陰暦に比べずれが非常に小さいものの、正確な太陽年は365.2422日である{{Sfn|暦を知る事典|p=7}}ため、適切な間隔で[[閏日]]をおかない限り、やがて季節とのずれが生じる。太陽暦が最初に制定されたのは[[古代エジプト]]で、[[ナイル川]]の氾濫の時期とシリウスの動きの周期が近似していることから考案されたとされる。これは[[シリウス暦]]と呼ばれ1年が365日となっていたが、閏日が制定されていなかったため長い年月のうちに季節と暦のずれが生じるようになった。このため[[プトレマイオス朝]]期に4年に1度の[[閏年]]が設けられるようになり、これが[[ユリウス・カエサル]]によって[[共和政ローマ]]に持ち込まれ、[[ユリウス暦]]として長く使用された{{Sfn|暦を知る事典|pp=8-9}}。また[[イラン]]においてはイスラム教伝来後も、ヒジュラ暦が季節を示す役割を持たなかったため、農業上や行事上の要請から旧来の太陽暦が存続・発展し、[[イラン暦]]として現代でも使用されている<ref>「世界の暦文化事典」p184-185 中牧弘允編 丸善出版 平成29年11月25日発行</ref><ref>「日本史を学ぶための古代の暦入門」p33-34 細井浩志 吉川弘文館 2014年7月10日第1刷発行</ref>。このほかにも、[[エチオピア暦]]{{Sfn|暦を知る事典|pp=9-10}}、シャカ暦やコッラム暦といったインドのいくつかの暦{{Sfn|暦を知る事典|p=13}}は太陽暦となっている。 ユリウス暦はかなり正確なものであり、暦と太陽年のずれは128年に1日に過ぎなかったものの、ユリウス暦施行から1000年以上経つとそのずれは無視できないほどにまで広がっていた。そこで1582年に[[ローマ教皇]][[グレゴリウス13世 (ローマ教皇)|グレゴリウス13世]]によって改暦が行われ、より正確な[[グレゴリオ暦]]が導入された。グレゴリオ暦は[[カトリック教会|カトリック]]圏ではほぼ即座に採用され、プロテスタント圏では18世紀、ギリシア正教圏では20世紀に入ってから導入された。また1873年の日本を皮切りに非西欧諸国でも相次いでグレゴリオ暦が採用されるようになり、21世紀にはほとんどの国でグレゴリオ暦が使用されている{{Sfn|暦を知る事典|pp=38-41}}。 == 日本と暦 == {{main|日本の暦}} [[中国の暦]]が日本に伝えられたのがいつであるか定かではないが、『[[日本書紀]]』には[[欽明天皇]]14年([[553年]])に[[百済]]に対し暦博士の来朝を要請し、翌年2月に来たとの記事があり、遅くとも[[6世紀]]には伝来していたと考えられる{{Sfn|暦を知る事典|pp=52-53}}。この頃の百済で施行されていた暦法は[[元嘉暦]]であるので、このときに伝来した暦も元嘉暦ではないかと推測される。元岡古墳群([[福岡県]][[福岡市]])出土の金錯銘大刀([[庚寅銘大刀]])には「庚寅正月六日庚寅」の銘文があるが、元嘉暦に基づけば[[570年]]1月6日と推定され、これが日本における最古の暦使用を示す考古資料となる可能性がある<ref>[https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/1414437.html 国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定等](文化庁報道発表、2019年3月18日)。</ref>。また、[[推古天皇]]10年([[602年]])に百済から学僧[[観勒]]が暦本や天文地理書などを携えて来日し、幾人かの子弟らがこの観勒について勉強したとある{{Sfn|暦を知る事典|p=53}}。 [[平安時代]]に編集された『[[政事要略]]』という本には[[推古天皇]]12年([[604年]])から初めて暦の頒布を行ったと書かれているが、『日本書紀』では[[持統天皇]]4年([[690年]])の条にある「勅を奉りて始めて元嘉暦と[[儀鳳暦]]とを行う」という記事が初めてであり、正式採用は持統天皇6年([[692年]])からという説がある。[[文武天皇]]元年([[697年]])8月からは元嘉暦が廃され、[[儀鳳暦]]が専用された{{Sfn|暦を知る事典|pp=53-54}}。儀鳳暦は[[唐]]で施行された[[麟徳暦]]のことである。元嘉暦と儀鳳暦の大きな違いは[[朔日]]の決定方法と[[閏月]]の置き方である。朔日については、前者は[[平朔]]を、後者は[[定朔]]を使用していた<ref>「日本史を学ぶための古代の暦入門」p92-93 細井浩志 吉川弘文館 2014年7月10日第1刷発行</ref>。また、[[置閏法]]については、元嘉暦が19年7閏月という[[章法]]を採用していたのに対し、儀鳳暦では章法に拘らない[[メトン周期#破章法|破章法]]を用いていた。 儀鳳暦以降、[[天平宝字]]7年(763年)に[[大衍暦]]、[[天安 (日本)|天安]]2年(858年)に[[五紀暦]]、[[貞観 (日本)|貞観]]4年(862年)に[[宣明暦]]と、唐で施行された暦法が相次いで輸入され施行されたが、その後改暦は行われず、宣明暦は江戸時代の1684年まで823年間も施行された{{Sfn|暦を知る事典|pp=55-57}}。実際の毎年の暦の作成・頒布は[[暦博士]]などの[[暦道]]の人々が行った。 [[File:Jokyo-reki.jpg|thumb|240px|right|[[貞享暦]]。[[1729年|1729]]([[享保]]14)年版。[[国立科学博物館]]の展示。]] [[江戸時代]]になると日本でも独自に天文暦学が発展した。長期にわたって改暦が行われなかったことから、置閏に必要な[[二十四節気]]測定に、誤差が累積してずれが目立ちはじめ、置閏に問題をきたすようになった(旧暦は朔日(新月)を1日とするルールだが、それは破綻していない)。このような中で、[[渋川春海]]が最初の日本独自の暦法である[[貞享暦]]を作るのに成功し、[[貞享]]元年(1684年)に改暦が行われた{{Sfn|暦を知る事典|pp=63-65}}。 貞享暦以後、[[宝暦]]5年(1755年)[[宝暦暦]]が施行されたがあまり正確なものではなく、[[寛政]]10年(1798年)には[[高橋至時]]や[[間重富]]らによって[[寛政暦]]が作製され施行された。そして[[弘化]]元年([[1844年]])には日本で最後の太陰太陽暦となる[[天保暦]]が施行された{{Sfn|暦を知る事典|pp=65-67}}。天保暦はこれまでに実施された太陰太陽暦の中で最も精密なものといわれ、当時中国で用いられていた[[時憲暦]]を上回ったと評されているが{{Sfn|暦を知る事典|p=67}}、当時の世界の流れに逆行して[[不定時法]]を導入するなどの問題点もあった。 幕末に[[開国]]が行われ欧米諸国との貿易が本格化すると、日付や年のずれからトラブルが発生し、またこれら諸国の採用する太陽暦が使いやすく世界中で広く使用されていることから、日本でも太陽暦採用を求める動きが出はじめ、[[明治]]5年11月に[[明治政府]]によって[[グレゴリオ暦]]施行が決定されて、翌明治6年(1873年)から導入された{{Sfn|暦を知る事典|pp=67-70}}。 現在でも民間では太陰太陽暦は年中行事や占いのために用いることがあり、これを[[旧暦]]と呼んでいるが、これは閏月の置き方を[[天保暦]]に借りはしているものの数値や計算法は現代の理論に従っているので、厳密には[[天保暦]]と同義ではない。また、すでに公的には廃止された暦であるため公的機関によるメンテナンスが存在せず、[[2033年]]には旧暦の月が決定できない[[旧暦2033年問題]]が発生することが予想されているため、いくつかの解決案が提唱されている<ref>https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics2014.html 「旧暦2033年問題について」国立天文台 2023年10月22日閲覧</ref>。現在の中国でも太陰太陽暦が[[農暦]]という名で使われており、基本的に日本の旧暦と同じであるが、1時間の時差のために日がずれることが少なからずある。 == 紀年法 == [[ファイル:Yoshihide Suga announcing new imperial era Reiwa 2 (cropped).jpg|thumb|200px|[[2019年]][[5月1日]]、日本の元号は[[平成]]から[[令和]]へと改元された]] 暦法によって定められた年の記し方を[[紀年法]]と呼び、ある起点から期間を区切らず無限に年数が加算されていく[[紀元]]{{Sfn|ホルフォード・ストレブンズ|2013|p=183}}、君主や統治者、政体の統治期間などによって期限を区切られる[[元号]]{{Sfn|ホルフォード・ストレブンズ|2013|pp=169-179}}、一定の期間で循環する[[周期]]によって年を表わす方法{{Sfn|ホルフォード・ストレブンズ|2013|pp=179-181}}が存在する。 紀年法についても、「[[西暦]]」「[[主体暦]]」のように[[接尾語]]として「'''暦'''」が用いられることがあるが、[[暦法]]と混同してはならない。 紀元の例としては、[[セレウコス朝]]では[[セレウコス1世]]のメソポタミア占領を紀元とするセレウコス紀元を用いていた{{Sfn|暦の大事典|p=92}}。キリスト教徒の間では、まず[[ローマ皇帝]][[ディオクレティアヌス]]の即位した[[284年]]を紀元とする[[ディオクレティアヌス紀元]]が広まり、さらに6世紀には[[ディオニュシウス・エクシグウス]]によってイエス・キリストが生誕したとされる年を紀元1年とする[[キリスト紀元]](AD)が導入された{{Sfn|暦の大事典|pp=131}}。このキリスト紀元は世界で広く使われているが、その起源や名称から非キリスト教信者や世俗主義者の批判を浴びることがある{{Sfn|ホルフォード・ストレブンズ|2013|pp=197-199}}。このほか日本の[[神武天皇即位紀元|皇紀]]、[[中華民国]]([[台湾]])の[[民国紀元]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[主体暦]]などいくつかの紀元法が存在する{{Sfn|ホルフォード・ストレブンズ|2013|p=184}}。 [[古代ギリシア]]では、当該年の統治者の名を用いて年を表わすことが広く行われていた。しかしギリシアは多数の都市が存在していたため、複数の都市にまたがる事柄を記録する際には、当該都市の氏名と統治者を全て列記する必要があった。この方法は古代ローマにおいても踏襲され、当該年の[[執政官|コンスル]]2名の名をもって年を表わしていた{{Sfn|暦の大事典|pp=90-92}}。 古代オリエントでは王の治世期間で年を表記する紀年法が広く使われた{{Sfn|ホルフォード・ストレブンズ|2013|pp=174-175}}。この即位紀元は古代中国においても広く使用されたが、[[前漢]]の時代に在位中に紀元を改める[[改元]]が始まり、[[武帝 (漢)|武帝]]の時代に入るとこれに名前をつけ、[[元号]]が創始された{{Sfn|所|久禮|吉野|2018|pp=28-32}}。改元は君主の代替わりだけではなく、吉事や天変地異などさまざまな理由で行われ、本来は君主の統治期間と連動しているわけではなかったが{{Sfn|所|久禮|吉野|2019|pp=20-24}}、[[明]]代に[[一世一元の制]]が始まって君主の統治期間と元号が一本化された{{Sfn|所|久禮|吉野|2018|p=34}}。 周期を用いる紀年法としては、古代ギリシアでは4年に1度開催される[[古代オリンピック]]を1周期とし、「第○オリンピア紀第×年目」のように年を表わす[[オリンピアード]](オリンピア紀元)が用いられた{{Sfn|暦の大事典|pp=90-93}}。また中国では、[[十干]]と[[十二支]]を組み合わせ[[60]]を1周期とする[[干支]]が紀年法に用いられ、日本でも長く使用された{{Sfn|渡邊|2012|pp=125-126}}。 日本で暦が用いられだした当初は干支を年の表記として使用していたが{{Sfn|所|久禮|吉野|2018|pp=48-49}}、[[645年]]に日本最初の年号である[[大化]]が制定され{{Sfn|所|久禮|吉野|2018|pp=55-57}}、[[和暦]]がはじまった。その後は幾度かの空白を挟みながら断続的に年号が制定されていたが、[[701年]]に[[大宝 (日本)|大宝]]の元号が定められ、あわせて以後の公文書には必ず元号表記を用いることが定められたため、以後[[元号一覧 (日本)|元号]]制度は固定化され、中断することはなくなった{{Sfn|所|久禮|吉野|2018|pp=63-65}}。[[明治天皇]]の即位した[[1868年]]には[[一世一元の詔]]が発せられ、日本でも一世一元制が施行された{{Sfn|所|久禮|吉野|2019|pp=37-38}}。その後、[[皇室典範 (1889年)|旧皇室典範]]の失効により一時元号の法的根拠が不明確なものとなったが、1979年に[[元号法]]が定められて元号の法的根拠および改元の要綱が定まった{{Sfn|所|久禮|吉野|2019|pp=39-42}}。 == 現況 == [[File:Hatsumōde in Takekoma-jinja 1.jpg|thumb|200px|[[岩沼市]]・[[竹駒神社]]の[[初詣]]。日本では[[正月]]はほぼ完全に新暦へと移行した]] [[File:Dragon in Chinatown NYC Lunar New Year.jpg|thumb|200px|[[ニューヨーク]]・[[チャイナタウン (マンハッタン)|チャイナタウン]]の春節。中華圏では旧正月である春節を盛大に祝う]] 21世紀においてはほとんどの国家でグレゴリオ暦が使用されており<ref>「世界をよみとく暦の不思議」p87 中牧弘允 イースト・プレス 2019年1月20日初版第1刷発行</ref>、イスラム圏のように元々はヒジュラ暦を用いる地域においても、公式にはグレゴリオ暦を用いる国がほとんどである<ref>https://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Region/Mid_e/koyomi.html 「ヒジュラ(イスラーム)暦・西暦換算表」アジア経済研究所 2023年10月19日閲覧</ref>。グレゴリオ暦使用はさらに拡大しており、2016年にはこれまでヒジュラ暦を公式の暦としていた[[サウジアラビア]]が、公式暦のグレゴリオ暦への変更を発表した<ref>「世界の暦文化事典」p190-191 中牧弘允編 丸善出版 平成29年11月25日発行</ref>。ただし旧来の暦が完全に廃棄されたわけではなく、新旧両暦の併記・併用は珍しくない<ref>「世界をよみとく暦の不思議」p87-88 中牧弘允 イースト・プレス 2019年1月20日初版第1刷発行</ref>。 紀年法についても、多くの国ではグレゴリオ暦と一体化しているキリスト紀元(AD)が使用されている。一方で、いくつかの国ではグレゴリオ暦を使用しつつ、紀年法においてはキリスト紀元のかわりに独自のものを採用している。例えば[[タイ王国]]では[[釈迦]]が入滅した翌年の[[紀元前543年]]を紀元とする[[仏滅紀元]]を採用しており<ref>「世界の暦文化事典」p94 中牧弘允編 丸善出版 平成29年11月25日発行</ref>、また中華民国では建国した1912年を紀元とする[[民国紀元]]が西暦と併用される<ref>「世界の暦文化事典」p44 中牧弘允編 丸善出版 平成29年11月25日発行</ref>。1997年には、北朝鮮において[[金日成]]の生誕年である1912年を紀元とする[[主体暦]]の使用が開始された<ref>「世界の暦文化事典」p36 中牧弘允編 丸善出版 平成29年11月25日発行</ref>。また、日本においては[[元号]]の使用が世界で唯一残存しており<ref>「世界をよみとく暦の不思議」p54-56 中牧弘允 イースト・プレス 2019年1月20日初版第1刷発行</ref>、2019年5月1日には[[令和]]への[[改元]]が行われた{{Sfn|所|久禮|吉野|2019|pp=42}}。 世界の暦法はほとんどの地域でグレゴリオ暦へと切り替えられたが、旧暦によって行われていた[[年中行事]]や[[祭日]]が新暦へ直接移行するわけではないことが多い。例えば日本では、[[雛祭り]]のように完全に新暦へと移行したもの、新暦の8月13日から8月16日にかけて行われる[[お盆]]のように、旧暦に配慮して1ヶ月だけ行事を遅らせる[[月遅れ]]、そして[[十五夜]]のように完全に旧暦のまま行うものが存在する{{Sfn|暦の大事典|p=430}}。中国や韓国、ベトナムでは新暦移行後も旧暦の正月である[[春節]]を盛大に祝っている<ref>{{Cite book|和書 |title=世界の食文化百科事典|pages=310-311 |editor=[[野林厚志]] |publisher=丸善出版 |date=2021-01-30}}</ref>。また[[ロシア正教会]]や[[ジョージア正教会]]、[[セルビア正教会]]など一部の正教会は祭日を従来のユリウス暦で行っているため、これらの国々では[[クリスマス]]はユリウス暦の[[12月25日]](グレゴリオ暦では[[1月7日]])に行われる{{Sfn|ホルフォード・ストレブンズ|2013|p=61}}。イスラム圏の国々ではヒジュラ暦に基づいて行事や祭礼が行われるが、特に[[ラマダーン]]の開始は目視による[[朔|新月]]の観測から求められるため、実際には日取りがずれることが珍しくない<ref>「世界の暦文化事典」p190 中牧弘允編 丸善出版 平成29年11月25日発行</ref><ref>「東洋天文学史」p90-91 中村士 丸善出版 平成26年10月30日発行</ref>。 == 提案されている暦法 == 現在世界の大部分で使用されているグレゴリオ暦は精度が高いものの、1ヶ月の日数が一定でないことや、1ヶ月が7の倍数でないため[[週]]とのかみ合わせが悪く日付と[[曜日]]が一致しないこと、そしてキリスト教色が強すぎるといった問題点が存在するため、それを改善するための改暦案が数多く提案されてきた{{Sfn|暦の大事典|p=150}}。1793年にはフランスの[[国民公会]]が[[フランス革命暦]]を制定し、グレゴリオ暦からの脱却を図ったものの、週の廃止や時制の[[十進法]]への変更などといった急進的すぎる改革は大きな混乱を生み、1806年には[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]によって廃止された{{Sfn|暦の大事典|pp=151-154}}。フランス革命暦の失敗後、1か月を28日で固定し1年を13か月とする[[オーギュスト・コント]]の{{仮リンク|実証暦|en|Positivist calendar}}や[[国際固定暦]]のような[[13の月の暦]]、また暦日と曜日が固定できる[[世界暦]]といったさまざまな改暦案が提唱されたものの、実現せずに終わった{{Sfn|暦の大事典|pp=154-157}}。2012年には閏週の挿入によって曜日と日付を固定させる[[ハンキ=ヘンリー・パーマネント・カレンダー]]が提唱されたものの、採用の見込みはほぼ存在しないと見なされている<ref>{{Cite web| url=https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/5496/ |title=閏週で曜日を固定する新しい暦 |website=ナショナルジオグラフィック |date=2012-01-18 |accessdate=2023-01-28}}</ref>。 == 実用品としての暦 == [[ファイル:Kalender Indonesia.jpg|thumb|インドネシアのカレンダー]] この場合、暦とはいわず'''カレンダー'''ということが多い (詳しくは[[カレンダー]]の項を参照)。主に予定管理などに使われる。形式は日めくり、月めくりなど様々なものがあり、月めくりのカレンダーの場合だけでも[[月曜日|月曜]]始まりと[[日曜日|日曜]]始まりの2種類がある(稀に[[土曜日|土曜]]始まりもある)。そのほかにも、1日1日が分離されていてパズルのように組み立ててカレンダーにする、というものもある。 カレンダーの始まりは年初である1月であるものが多いが、日本の学校や会社などでは[[年度]]の始まりである4月を先頭とするカレンダーも存在する{{Sfn|暦の大事典|pp=434-435}}。カレンダーは印刷業者や出版業者によって生産され、おもに翌年に備えて年末に購入されることが多い{{Sfn|暦の大事典|p=434}}。また、日本では[[宣伝]]などのために一般企業が生産業者に社名入りのカレンダーの制作を依頼し、[[粗品]]として配布されることも多い{{Sfn|暦の大事典|p=434}}。カレンダーが各種企業や団体からの依頼で受注生産されることは世界でもほぼ共通で、宗教団体や公的機関、民間団体、企業といったさまざまな団体名義のカレンダーが世界中で発行されているほか、商品として販売されるものが存在することも同様である{{Sfn|暦の大事典|pp=440-444}}。 日本では[[大宝 (日本)|大宝]]元年(701年)に[[陰陽寮]]が設置され、そこに置かれた[[暦博士]]が暦を制作し、[[御暦奏]]の後に官庁へと[[頒暦]]していた。ここで制作された暦は吉凶判断のための様々な[[暦注]]が漢文で記されたいわゆる[[具注暦]]だったが、平安時代後期には簡略化され仮名文字で書かれた[[仮名暦]]も広く発行されるようになり、また[[暦道]]が[[幸徳井家]]の[[家職]]化された{{Sfn|暦を知る事典|pp=58-61}}。一方、鎌倉時代になると暦の需要が高まって具注暦や仮名暦の筆写では供給が追いつかなくなり、[[木版印刷]]による[[摺暦]]の生産が始まった。摺暦は[[伊豆国]]の[[三島市|三島]]で始まったと考えられており、[[三島暦]]をはじめとして京暦や[[大宮暦]]など日本各地で盛んに発行されるようになった{{Sfn|暦を知る事典|p=130}}。こうした暦は地方暦と総称される。[[江戸時代]]に入ると[[御師]]の手によって[[伊勢神宮]]信仰が全国に広まるが、彼らが御札を配布する際に土産として[[伊勢暦]]を配布したことから、伊勢暦が暦の代名詞となるまでに普及した<ref>{{Cite book |和書 |title=暦ものがたり |pages=154-155 |author=岡田芳朗 |series=角川ソフィア文庫 |date=2012-08-25}}</ref>が、各地方でも特色ある暦が作成・配布され続けた。なかには[[非識字者]]を対象に文字を使わず絵や記号で暦を表示した、南部絵暦に代表される[[盲暦]]や{{Sfn|暦を知る事典|pp=151-156}}、[[大の月]]・[[小の月]]の順番のみを記し[[贈答品]]として流行した[[大小暦]]といった暦が作られたのもこの頃のことである{{Sfn|暦を知る事典|pp=156-158}}。 明治時代に入ると、従来の頒暦者たちを統合して明治5年に[[頒暦商社]]が設立されたが、同年にグレゴリオ暦への改暦が行われたため、すでに翌年分の旧暦で暦を作成していた頒暦商社は大損害を受けた。この救済として商社には10年間の専売権が与えられたが、新暦では従来の暦に記載されていた暦注の記載が禁じられたため使い勝手が非常に悪く、商社の専売権が終了した明治15年頃からは暦注を記載した違法の[[お化け暦]]が盛んに発行されるようになった。また明治16年からは[[神宮司庁]]により[[神宮暦]]の発行がはじまった{{Sfn|暦を知る事典|pp=69-71}}。 == 文化 == 中国の歴代王朝においては、天象を把握して正確な暦を策定し施行することは[[観象授時]]と呼ばれ、王朝の責務とされていた。このため、暦は強い政治性を持つようになり、王朝や支配者が交代した際にはしばしば改暦が行なわれた<ref>「東洋天文学史」p51-52 中村士 丸善出版 平成26年10月30日発行</ref>。また臣下や支配地域では王朝の定めた暦を施行することが義務づけられた。このため、暦を受けいれることを意味する「正朔を奉ずる」という言葉が、そのまま王朝の統治に服することを意味するようになった<ref>{{Cite book |和書 |title=暦ものがたり |pages=11 |author=岡田芳朗 |series=角川ソフィア文庫 |date=2012-08-25}}</ref>。この暦の使用は[[冊封体制]]下にある全ての国家でも義務づけられ、独自の暦を作成・使用することは禁じられていた{{Sfn|暦の大事典|pp=223-228}}。この元号強制により[[朝鮮半島]]では[[新羅]]中期以降は独自元号の使用は停止され中国元号が使用されたものの{{Sfn|所|久禮|吉野|2018|pp=42-44}}、日本では645年以降{{Sfn|所|久禮|吉野|2019|pp=19-20}}、[[ベトナム]]では970年以降独自元号が制定され使用され続けた{{Sfn|所|久禮|吉野|2018|pp=38-41}}。 [[中国の暦]]は、月日の決定だけでなく日月食の予報や惑星運行の推算([[天体暦]])などを扱うものであった。過去に関する記録は「歴」、現在から未来に関する記録は「暦」であるが、これをともに扱う役職を[[史官]]といい、今でいう歴史学者と天文学者を兼ねていた。 また暦は未来を扱うものであるから、予言的な性格をもち、[[占星術]]と大きく関わる。これは東洋においても同様であり、旧暦にはさまざまな[[暦注]]が付くのが常であった。こうした暦注には二十四節気などの有用なものもあったが、大半は吉凶判断などに使用するものであったため<ref>{{Cite book |和書 |title=暦ものがたり |pages=199-200 |author=岡田芳朗 |series=角川ソフィア文庫 |date=2012-08-25}}</ref>、明治政府は新暦変更後に一切の暦注の表示を禁止した。しかし暦注が全くないのは不便だったためにまもなく暦注を記載した違法カレンダーであるおばけ暦が流行するようになり、旧来のものに加えて[[六曜]]や[[九星]]といった新たな暦注も暦に入り込むようになった<ref>{{Cite book |和書 |title=暦ものがたり |pages=209-211 |author=岡田芳朗 |series=角川ソフィア文庫 |date=2012-08-25}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <!--=== 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}}--> === 出典 === {{Reflist|24em}} === 参考文献 === * {{Cite book | 和書 |title=暦の大事典 |editor=[[岡田芳朗]] |publisher=[[朝倉書店]] |date=2014-07-20 |ref= {{SfnRef|暦の大事典}} }} * {{Cite book | 和書 |title=暦を知る事典 |author1= 岡田芳朗 |author2=伊東和彦 |author3=[[後藤晶男]] |author4=[[松井吉昭]] |date=2006-05-08 |publisher=[[東京堂出版]] |ref={{SfnRef|暦を知る事典}} }} * {{Cite book | 和書 |title=暦と時間の歴史 |author=リオフランク・ホルフォード・ストレブンズ |translator=[[正宗聡]] |publisher=[[丸善出版]] |series=サイエンス・パレット9 |date=2013-05-08 |ref={{SfnRef|ホルフォード・ストレブンズ|2013}}}} * {{Cite book | 和書 |title=暦入門 暦のすべて |author=[[渡邊敏夫]] |publisher=[[雄山閣]] |date=2012-05-30 |ref={{SfnRef|渡邊|2012}} }} * {{Cite book | 和書 |title=元号 年号から読み解く日本史 |author1=[[所功]] |author2=[[久禮旦雄]] |author3=[[吉野健一]] |series=文春新書 |date=2018-03-20 |ref={{SfnRef|所|久禮|吉野|2018}} }} * {{Cite book | 和書 |title=元号読本 「大化」から「令和」まで全248年号の読み物事典 |author1=所功 |author2=久禮旦雄 |author3=吉野健一 |publisher=[[創元社]] |date=2019-05-20 |ref={{SfnRef|所|久禮|吉野|2019}} }} == 関連項目 == * [[暦の一覧]] * [[西暦]] * [[元号から西暦への変換表]] * [[クロノグラム]] * [[日曜日から始まる平年]] - [[日曜日から始まる閏年]] * [[月曜日から始まる平年]] - [[月曜日から始まる閏年]] * [[火曜日から始まる平年]] - [[火曜日から始まる閏年]] * [[水曜日から始まる平年]] - [[水曜日から始まる閏年]] * [[木曜日から始まる平年]] - [[木曜日から始まる閏年]] * [[金曜日から始まる平年]] - [[金曜日から始まる閏年]] * [[土曜日から始まる平年]] - [[土曜日から始まる閏年]] === 今日のこよみ === (うまく表示されなかったら{{Purge}}してみてください) : <!--{{和暦|{{#time:Y|+9 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Современный календарь]}}{{ru icon}}(Krainev A.M. 現代のカレンダー) *[https://www.kongetsu-koyomi.net/ 暦カレンダー|年度別の暦分類] *<!-- http://koyomi8.com/ 2023.3現在まだ両者とも404ではない -->[http://koyomi.vis.ne.jp/ 暦のページ|暦の情報が直ぐに手に入る] *[https://docs.google.com/spreadsheets/d/1OoWNQZaDSS5DvQ8UQWMgdHeIUSkacn6JNm0Xd7di8bU/ 暦計算 Online]([[Google スプレッドシート]]、<!-- 暦カテゴリというのはないので便宜上ここにリンクする シート属性の作者表示より -->[https://ameblo.jp/inarizus1-gomadang0/entry-12595211712.html カタギリノエンレイソウ広報]) {{1年の月と日}} {{Time topics}} {{Chronology}} {{Time measurement and standards}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こよみ}} [[Category:暦|*こよみ]] [[Category:暦法|**こよみ]] [[Category:天文学に関する記事]]
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ニュートリノ天文学
ニュートリノ天文学(ニュートリノてんもんがく、英: neutrino astronomy)は、天文学の一分野。太陽や超新星爆発で生成されるニュートリノを観測し、天文現象の解明に役立てることを目的とする。ニュートリノ天文学はまだ発展途上の分野であり、確認されている地球外のニュートリノ源は太陽と超新星SN 1987Aのみである。 観測装置としてはカミオカンデ(解体済み)、スーパーカミオカンデ、カムランド、サドベリー・ニュートリノ天文台 (SNO)、ANTARES、BDUNT、 アイスキューブなどがある。 東京大学名誉教授の小柴昌俊、ペンシルベニア大学名誉教授のレイモンド・デービスがニュートリノ天文学のさきがけとなる成果をあげたとして、2002年にノーベル物理学賞を受賞した。 宇宙から飛来するニュートリノを検出する試みは1960年代から行われている。 1964年には、レイモンド・デービスらのグループが太陽ニュートリノを検出するために行われた予備実験の成果を報告している。 1967年から、デービスはアメリカ合衆国サウスダコタ州にあるホームステイク鉱山(英語版)に設置した装置で太陽ニュートリノの観測を行い、太陽が核融合反応を起こしている証拠をつかんだ。しかし同時に、観測されたニュートリノが理論値の3分の1しかないという問題が発見された。これは太陽ニュートリノ問題と呼ばれる。 一方、1983年からカミオカンデで陽子崩壊実験を行っていた小柴らのグループは、1985年からペンシルベニア大学のグループと共同で実験装置を太陽ニュートリノの検出に使えるよう改造し、1987年1月1日から運用を開始した。これによって1989年、デービスの提唱した太陽ニュートリノ問題の存在を確認した。 1987年2月23日、南半球に超新星 SN 1987A があらわれ、重力崩壊に伴うニュートリノバーストが日本のカミオカンデ、アメリカのIMB、ロシアのBaksan(英語版)の3箇所のニュートリノ検出器で検出された。観測成果はカミオカンデのグループによりまとめられ、同年4月に発表された。これにより、超新星爆発の理論モデルの正しさが検証された。一般にはこの出来事をもってニュートリノ天文学の幕開けとされる。 2002年、サドベリー・ニュートリノ天文台の研究チームによって、太陽由来とされるニュートリノからニュートリノ振動が検出され、太陽内部から放出されるニュートリノ減少に関する問題が解決された。 2006年現在、地球内部からの反電子ニュートリノを捉える実験等が進められている。また、アイスキューブ・プロジェクト等によって国際観測網の整備が進められている。
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ニュートリノ天文学は、天文学の一分野。太陽や超新星爆発で生成されるニュートリノを観測し、天文現象の解明に役立てることを目的とする。ニュートリノ天文学はまだ発展途上の分野であり、確認されている地球外のニュートリノ源は太陽と超新星SN 1987Aのみである。 観測装置としてはカミオカンデ(解体済み)、スーパーカミオカンデ、カムランド、サドベリー・ニュートリノ天文台 (SNO)、ANTARES、BDUNT、 アイスキューブなどがある。 東京大学名誉教授の小柴昌俊、ペンシルベニア大学名誉教授のレイモンド・デービスがニュートリノ天文学のさきがけとなる成果をあげたとして、2002年にノーベル物理学賞を受賞した。
{{出典の明記|date=2012年1月|ソートキー=学てんもん}} '''ニュートリノ天文学'''(ニュートリノてんもんがく、{{Lang-en-short|neutrino astronomy}})は、[[天文学]]の一分野。[[太陽]]や[[超新星爆発]]で生成される[[ニュートリノ]]を観測し、天文現象の解明に役立てることを目的とする。ニュートリノ天文学はまだ発展途上の分野であり、確認されている地球外のニュートリノ源は太陽と超新星[[SN 1987A]]のみである。 観測装置としては[[カミオカンデ]](解体済み)、[[スーパーカミオカンデ]]、[[カムランド]]、[[サドベリー・ニュートリノ天文台]] (SNO)、[[ANTARES]]、[[BDUNT]]、 [[アイスキューブ・ニュートリノ観測所|アイスキューブ]]などがある。 [[東京大学]]名誉教授の[[小柴昌俊]]、[[ペンシルベニア大学]]名誉教授の[[レイモンド・デービス]]がニュートリノ天文学のさきがけとなる成果をあげたとして、[[2002年]]に[[ノーベル物理学賞]]を受賞した。 == 歴史 == 宇宙から飛来するニュートリノを検出する試みは[[1960年代]]から行われている。<!--ひょとしたら50年代からあるかも?--> [[1964年]]には、レイモンド・デービスらのグループが[[太陽ニュートリノ]]を検出するために行われた予備実験の成果を報告している。 [[1967年]]から、デービスは[[アメリカ合衆国]][[サウスダコタ州]]にある{{仮リンク|ホームステイク鉱山|en|Homestake Mine (South Dakota)}}に設置した装置で太陽ニュートリノの観測を行い、太陽が核融合反応を起こしている証拠をつかんだ。しかし同時に、観測されたニュートリノが理論値の3分の1しかないという問題が発見された。これは[[太陽ニュートリノ問題]]と呼ばれる。 一方、[[1983年]]から[[カミオカンデ]]で陽子崩壊実験を行っていた小柴らのグループは、[[1985年]]からペンシルベニア大学のグループと共同で実験装置を太陽ニュートリノの検出に使えるよう改造し、[[1987年]][[1月1日]]から運用を開始した。これによって[[1989年]]、デービスの提唱した太陽ニュートリノ問題の存在を確認した。 [[1987年]][[2月23日]]、南半球に[[超新星]] [[SN 1987A]] があらわれ、[[重力崩壊]]に伴う[[ニュートリノバースト]]が日本の[[カミオカンデ]]、アメリカの[[アーバイン=ミシガン=ブルックヘブン|IMB]]、ロシアの{{仮リンク|バクサンニュートリノ観測所|en|Baksan Neutrino Observatory|label=Baksan}}の3箇所の[[ニュートリノ検出器]]で検出された。観測成果はカミオカンデのグループによりまとめられ、同年4月に発表された。これにより、超新星爆発の理論モデルの正しさが検証された。一般にはこの出来事をもってニュートリノ天文学の幕開けとされる。 [[2002年]]、[[サドベリー・ニュートリノ天文台]]の研究チームによって、太陽由来とされるニュートリノから[[ニュートリノ振動]]が検出され、太陽内部から放出されるニュートリノ減少に関する問題が解決された。 [[2006年]]現在、地球内部からの反電子ニュートリノを捉える実験等が進められている。また、アイスキューブ・プロジェクト等によって国際観測網の整備が進められている。 == 主要なニュートリノ天文台・観測プロジェクト == *[[スーパーカミオカンデ]] - [[東京大学宇宙線研究所]]の実験装置。 *[[カムランド]] - [[東北大学]]がカミオカンデの跡地に設置した実験装置。 *[[サドベリー・ニュートリノ天文台]] (SNO) - [[カナダ]]にあるニュートリノ天文台。[[重水]]を用いている。 *[[ANTARES]] - フランスの[[トゥーロン]]沖深度2500mの海底に光電子管アレイを敷設したニュートリノ望遠鏡。2008年より稼動。 *[[BDUNT]] - ロシアの[[バイカル湖]]において、深度1100mの湖底に設置されたニュートリノ望遠鏡。現在は192個の検出器をもつNT-200が稼働中。 *[[AMANDA]] - [[w:Antarctic Muon And Neutrino Detector Array|Antarctic Muon And Neutrino Detector Array]]。[[南極大陸]]の氷の下に設置されたニュートリノ望遠鏡。[[2005年]]に運用終了し、アイスキューブに引き継いだ。 *[[アイスキューブ・ニュートリノ観測所|アイスキューブ]] - AMANDAに続き、南極大陸の氷の下、1400mから2400mの地点に総計約5000個の[[光電子増倍管]]からなる検出器を取り付け、[[ニュートリノ]]観測を行う国際共同観測プロジェクト。[[2011年]]完成予定。完成時の総体積は1 km<sup>3</sup>(スーパーカミオカンデの約2万倍の体積)。AMANDAよりも氷を活用した規模が拡大したことによって、より感度の高いニュートリノ観測を行うことができると期待されている。 == 関連項目 == * [[ニュートリノ検出器]] * [[高エネルギー天文学]] * [[高エネルギー物理学]] == 外部リンク == * {{Wayback |url=http://wwwsoc.nii.ac.jp/jps/jps/butsuri/50th/noframe/50(5)/50th-p332.html |title=KAMIOKANDEのこと(小柴昌俊著)|date=20090605073007 }} {{天文学}} {{DEFAULTSORT:にゆうとりのてんもんかく}} [[Category:観測天文学]] [[Category:ニュートリノ]] [[Category:天文学に関する記事]] [[Category:ニュートリノ天文学|*]]
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兼六園
兼六園(けんろくえん)は、石川県金沢市に存在する日本庭園である。国の特別名勝に指定されている。広さは約11.7ヘクタール。 17世紀中期、加賀藩によって金沢城の外郭に造営された「大名庭園」を起源とする江戸時代を代表する池泉回遊式庭園であり、岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで日本三名園の1つに数えられる。2009年3月16日発売の『ミシュラン観光ガイド』では、最高評価の3つ星に選ばれた。園名は、松平定信が『洛陽名園記』を引用し、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の6つの景観を兼ね備えていることから命名した。四季それぞれに趣が深く、季節ごとにさまざまな表情を見せるが、特に雪に備えて行われる雪吊は冬の風物詩となっている。県内でも随一の桜・梅・紅葉の名所でもあり、日本さくら名所100選にも選ばれている。 金沢市の中心部に位置し、周辺には成巽閣、国立工芸館、石川県立美術館、金沢21世紀美術館、石川県政記念しいのき迎賓館を肇めとした文化施設(兼六園周辺文化の森)などの観光地があり、道路(百間堀通り)を隔てて橋一本で金沢城公園とも繋がっている。 兼六園の管理等に関しては石川県都市公園条例で定められており、石川県都市公園条例施行規則で開園時間や入園料、無料入園期間などが定められている。 1676年(延宝4年)、加賀藩5代藩主の前田綱紀が、金沢城に面する傾斜地にあった藩の御作事所を城内に移し、その跡地に自らの別荘である「蓮池御殿(れんちごてん)」を建ててその周りを庭園化したのが兼六園の始まりである。庭は当時は蓮池庭(れんちてい)と呼ばれ、歴代藩主や重臣らが観楓の宴などをする場として使われていたが、1759年(宝暦9年)4月10日に発生した宝暦の大火で焼失した。それから15年後の1774年(安永3年)、10代藩主前田治脩によって蓮池庭が再興され、同年に翠滝と夕顔亭、1776年(安永5年)には内橋亭を造り、庭園が整備された。また、蓮池庭上部にある平坦な場所で当時は空き地になっていた千歳台に藩校である明倫堂と経武館を建てた。 11代藩主の前田斉広は、1819年(文政2年)に37歳で隠居を表明した後、千歳台で自身の隠居所の建設を始め、藩校は現在のいしかわ四高記念公園の場所に移した。3年後の1822年(文政5年)には建坪4000坪・部屋数200を超える隠居所「竹沢御殿(たけざわごてん)」を完成し、この年に白河楽翁(松平定信)によって兼六園と命名された。斉広の死後、竹沢御殿は12代藩主前田斉泰によって取り壊されるが、斉泰は1837年(天保8年)に霞ヶ池を掘り広げたり、栄螺山を築いたり、姿形の良い木を植えるなどして庭を拡張・整備し、1860年(万延元年)には蓮池庭との間にあった塀を取り壊して、現在の形に近い庭園を築いた。 長らく殿様の私庭として非公開だったが、1871年(明治4年)から日時を限っての公開が開始。同年に園内の山崎山の下に異人館が建てられ、噴水前には理化学校が開設された。1872年(明治5年)には異人館は成巽閣とともに国内初の博物館である金沢勧業博物館となった。同館は1909年(明治42年)に廃止されるが、その間1879年(明治12年)に図書館、1887年(明治20年)に金沢工業学校(後の石川県立工業高等学校)が附属されるなど、大規模なものに拡張された。 1874年(明治7年)5月7日から正式に一般公開され、1876年(明治9年)には兼六園観光案内組合が組織され、積極的な観光利用の歴史が始まった。24時間開放されていたが、石の持ち去りや灯籠の破壊などが後を絶たず、保存徹底の声が上がるようになり、維持・保存費用捻出も兼ねて1976年(昭和51年)から有料とし、時間を限って公開されるようになった。1985年(昭和60年)に特別名勝に指定された。 兼六園の名前は1822年(文政5年)、前田斉広の依頼に応じて白河藩主だった松平定信(白河落翁)が命名したとされることが多い。兼六の語源は宋の詩人・李格非の『洛陽名園記』の中で中国洛陽の名園・湖園を「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える名園」と謳った文をもとに命名した。その文は以下の通り。 務宏大者少幽邃、人力勝者少蒼古、多水泉者艱眺望 兼此六者、惟湖園而已 しかし、松平定信自筆「花月日記」文政5年(1822年)9月20日の記載には、「大塚へ行。秋色をミて、ただちにかへる。加賀の大守より額字をこふ。兼六園とて、たけ三尺ニ横九尺也。兎ぐの額にハいとけやけし、兼六とハいかがと、とひにやりぬ。」とあり、兼六園の額字を頼まれた松平定信が兼六園の意味を知らなかったことから、この時点ですでに兼六園という名前があったことがわかる。 また、「明治園芸史」220頁に「前田候第12世斉広朝臣、証金龍造園竣功の後に、此湖園記文より、兼六という文字を取りて、園名と為し、白河少将楽翁公の揮毫を請ひて、扁額を作り、之を園門に揚げられしと云ふ、」とあり、加賀藩主斉広が命名したことがわかる。 定信が揮毫した扁額は現在、石川県立伝統産業工芸館に展示されている。 兼六園は、小立野台地の先端部に位置していることから、園内に自然の高低差がある。これによって、園路を登りつめていく際の幽邃な雰囲気と、高台にある霞ヶ池周辺の宏大さ、眼下の城下町の眺望を両立させている。 読みは「ことじとうろう」。霞ヶ池の北岸に位置する灯籠で、兼六園を代表する景観となっている。脚が二股になっており、琴糸を支える琴柱に似ていることから名付けられた。高さ2.7メートルの灯籠の脚は、長さが異なる。1863年(文久3年)の「兼六園絵巻」には、現在とは別の場所に両脚が同じ長さで立っている姿が見えることから、明治維新前後に何らかの理由により、片足が短い形で現在の場所に移されたと考えられる。現在の灯籠は昭和53年に設置された2代目。現在の2代目の灯籠を含め、昭和37年から54年までの間に池の中に6度倒され、破損されたため、初代灯籠は公園事務所に保管されている。 12代藩主前田斉泰が金沢城二の丸に噴水を上げるために試作したとされ、日本に現存する最も古い噴水であるといわれる。噴水のある場所より高い位置にある園内の水源・霞ヶ池から石管で水を引き、水位の高低差だけを利用して、水を噴き上げさせている。そのため、水が噴き上がる最高点は、ほぼ霞が池の水面の高さに相当する。ポンプなどの動力は一切用いておらず、位置エネルギーのみを利用したものである。 1880年(明治13年)に西南戦争で戦死した石川県戦士400人を慰霊するために建てられ、日本最初の屋外人物の銅像である。中央に日本武尊像(身長5.5m)、左に石川県戦士忠碑があり、両脇には京都の東本願寺・西本願寺の門跡から移された手向松が植えられている。明治記念之標の土台となっている石は、もともと金沢城玉泉院丸庭園にあったものである。西南戦争での戦死者を、九州の熊襲を平定したヤマトタケルになぞらえ建立された。 なお、この日本武尊像には、「ハトが寄り付かない」という逸話がある。金沢大学名誉教授の廣瀬幸雄は、このことを研究対象として、像の構成要素を調べることで「鳥を寄せ付けない合金」を開発し、2003年のイグノーベル賞を受賞した。 5代藩主前田綱紀の頃からあった建物で、明治時代に取り壊された。2000年(平成12年)に現在地に復元され、休憩処として来園者に開放されている。 霞ヶ池に面して立っているクロマツの木。13代藩主斉泰が、近江八景の一つである琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せて育てたものである。 兼六園菊桜は300枚以上の花弁がつく兼六園発祥の桜の品種で、初代は慶應年間(1865~1868)に孝明天皇より前田斉泰に下賜されたという伝承があり「御所桜」とも呼ばれて1928年(昭和3年)に天然記念物に指定されたが1970年(昭和45年)に枯死した。ただし枯死した時点で樹齢250年以上と判定されているので下賜の件はあくまでも伝承に留まる。なお現在の菊桜は接ぎ木で増殖した2代目だが樹勢が弱い。これとは別に兼六園発祥の桜の品種としては、大輪で濃い目の淡紅色の花弁を付ける一重咲きの兼六園熊谷も存在し、こちらは樹勢が強く見栄えがする。 前田家12代前田斉広が建設した竹沢御殿は、同13代前田斉泰に取り壊され、竹沢庭の改修が行われた。1837年(天保8年)には、泉水の付け替え、掘り足しの工事が行われ、掘った排土を用いて、栄螺山が築かれた。1839年(天保10年)には、山頂に三重の石塔が建てられた。この石塔は、真龍院と栄操院が、斉広の供養のために建立したもので、戸室山から切り出した石で造られている。 雁行橋は、11枚の赤戸室石を、雁が夕空を飛んで行くように作られていることから名付けられている。1枚1枚の石が亀の甲の型をしているため、亀甲(きっこう)橋の別名がある。この橋を渡ると長生きができるということから、大勢の人が渡ったために、石がすり減ってしまい、今は渡ることができない。 など 成巽閣 園の東南側に位置し、1863年(文久3年)に前田斉泰が母親である眞龍院の隠居所として建てられた。金沢城から見て巽(東南)の方向にあること、京都の鷹司家が辰巳殿と呼ばれていたことから当時は巽御殿と呼ばれていた。1929年(昭和4年)に飛鶴庭が国の名勝に指定された。建物は1938年(昭和13年)に当時の国宝保存法に基づき旧国宝(文化財保護法下の「重要文化財」に相当)に指定され、1950年(昭和25年)の文化財保護法施行に伴い重要文化財となっている。 石川県立美術館別館・石川県文化財保存修復工房 石川県立美術館別館・石川県文化財修復工房は、もともと石川県庁出羽町庁舎内にあった文化財修復工房を移転リニューアルしたもの。表具・漆芸品の各修復室と展示スペースなどからなり、展示スペースでは、実際に文化財を修復している現場を見学することが出来る。もともとは、1922年(大正11年)に陸軍第9師団長の官舎として建てられた木造2階建の洋館。戦後は家庭裁判所、児童会館、野鳥園などに使用され、2016年(平成28年)から現在の用途で使用されている。 その他の施設 2018年(平成30年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
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"1880年(明治13年)に西南戦争で戦死した石川県戦士400人を慰霊するために建てられ、日本最初の屋外人物の銅像である。中央に日本武尊像(身長5.5m)、左に石川県戦士忠碑があり、両脇には京都の東本願寺・西本願寺の門跡から移された手向松が植えられている。明治記念之標の土台となっている石は、もともと金沢城玉泉院丸庭園にあったものである。西南戦争での戦死者を、九州の熊襲を平定したヤマトタケルになぞらえ建立された。", "title": "園内施設" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "なお、この日本武尊像には、「ハトが寄り付かない」という逸話がある。金沢大学名誉教授の廣瀬幸雄は、このことを研究対象として、像の構成要素を調べることで「鳥を寄せ付けない合金」を開発し、2003年のイグノーベル賞を受賞した。", "title": "園内施設" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "5代藩主前田綱紀の頃からあった建物で、明治時代に取り壊された。2000年(平成12年)に現在地に復元され、休憩処として来園者に開放されている。", "title": "園内施設" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "霞ヶ池に面して立っているクロマツの木。13代藩主斉泰が、近江八景の一つである琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せて育てたものである。", "title": "園内施設" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "兼六園菊桜は300枚以上の花弁がつく兼六園発祥の桜の品種で、初代は慶應年間(1865~1868)に孝明天皇より前田斉泰に下賜されたという伝承があり「御所桜」とも呼ばれて1928年(昭和3年)に天然記念物に指定されたが1970年(昭和45年)に枯死した。ただし枯死した時点で樹齢250年以上と判定されているので下賜の件はあくまでも伝承に留まる。なお現在の菊桜は接ぎ木で増殖した2代目だが樹勢が弱い。これとは別に兼六園発祥の桜の品種としては、大輪で濃い目の淡紅色の花弁を付ける一重咲きの兼六園熊谷も存在し、こちらは樹勢が強く見栄えがする。", "title": "園内施設" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "前田家12代前田斉広が建設した竹沢御殿は、同13代前田斉泰に取り壊され、竹沢庭の改修が行われた。1837年(天保8年)には、泉水の付け替え、掘り足しの工事が行われ、掘った排土を用いて、栄螺山が築かれた。1839年(天保10年)には、山頂に三重の石塔が建てられた。この石塔は、真龍院と栄操院が、斉広の供養のために建立したもので、戸室山から切り出した石で造られている。", "title": "園内施設" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "雁行橋は、11枚の赤戸室石を、雁が夕空を飛んで行くように作られていることから名付けられている。1枚1枚の石が亀の甲の型をしているため、亀甲(きっこう)橋の別名がある。この橋を渡ると長生きができるということから、大勢の人が渡ったために、石がすり減ってしまい、今は渡ることができない。", "title": "園内施設" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "など", "title": "園内施設" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "成巽閣", "title": "隣接・近隣施設" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "園の東南側に位置し、1863年(文久3年)に前田斉泰が母親である眞龍院の隠居所として建てられた。金沢城から見て巽(東南)の方向にあること、京都の鷹司家が辰巳殿と呼ばれていたことから当時は巽御殿と呼ばれていた。1929年(昭和4年)に飛鶴庭が国の名勝に指定された。建物は1938年(昭和13年)に当時の国宝保存法に基づき旧国宝(文化財保護法下の「重要文化財」に相当)に指定され、1950年(昭和25年)の文化財保護法施行に伴い重要文化財となっている。", "title": "隣接・近隣施設" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "石川県立美術館別館・石川県文化財保存修復工房", "title": "隣接・近隣施設" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "石川県立美術館別館・石川県文化財修復工房は、もともと石川県庁出羽町庁舎内にあった文化財修復工房を移転リニューアルしたもの。表具・漆芸品の各修復室と展示スペースなどからなり、展示スペースでは、実際に文化財を修復している現場を見学することが出来る。もともとは、1922年(大正11年)に陸軍第9師団長の官舎として建てられた木造2階建の洋館。戦後は家庭裁判所、児童会館、野鳥園などに使用され、2016年(平成28年)から現在の用途で使用されている。", "title": "隣接・近隣施設" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "その他の施設", "title": "隣接・近隣施設" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2018年(平成30年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。", "title": "兼六町" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。", "title": "兼六町" } ]
兼六園(けんろくえん)は、石川県金沢市に存在する日本庭園である。国の特別名勝に指定されている。広さは約11.7ヘクタール。
{{公園 |名称 = 兼六園 |英語名称 = Kenrokuen |画像 = [[ファイル:Kenrokuen10-r.jpg|300px]] |画像キャプション = 徽軫灯籠と霞ヶ池 |国 = {{JPN}} |都市 = [[石川県]][[金沢市]] | 緯度度 = 36|緯度分 = 33|緯度秒 = 43.7 | 経度度 = 136|経度分 = 39|経度秒 = 45.0 | map = Japan Kanazawa city2#Japan Kanazawa city#Japan Ishikawa |分類 = 池泉回遊式[[日本庭園]] |面積 = 総面積 11.7[[ヘクタール]] |前身 = 蓮池庭([[1676年]](延宝4年)) |開園 = 一般公開は[[1874年]](明治7年)[[5月7日]] |運営者 =石川県 |年来園者数 =259万人(2019年度) |現況 = 年中開放(有料)<br/>3月1日-10月15日は午前7時-午後6時、10月16日-2月末日は午前8時-午後5時(早朝入園あり) |設備・遊具 = |駐車場 = 270台(石川県営兼六駐車場・建替工事中) |バリアフリー = |建築家と技術者 = |告示 = |事務所 = 石川県金沢城・兼六園管理事務所 |事務所所在地 = 石川県金沢市丸の内1番1号 |アクセス =[[金沢駅]]兼六園口(東口)から城下まち金沢周遊バスなどで約15分、兼六園下バス停下車 |備考 = |公式サイト = [http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/ 兼六園(石川県)] }} '''兼六園'''(けんろくえん)は、[[石川県]][[金沢市]]に存在する[[日本庭園]]である。国の[[特別名勝]]に指定されている。広さは約11.7[[ヘクタール]]。 == 概要 == [[17世紀]]中期、[[加賀藩]]によって[[金沢城]]の外郭に造営された「[[大名庭園]]」を起源とする[[江戸時代]]を代表する[[池泉回遊式庭園]]であり{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|p=100}}、[[岡山市]]の[[後楽園]]と[[水戸市]]の[[偕楽園]]と並んで[[日本三名園]]の1つに数えられる。[[2009年]][[3月16日]]発売の『[[ミシュランガイド#観光ガイド|ミシュラン観光ガイド]]』では、最高評価の3つ星に選ばれた<ref>[http://kanazawa.keizai.biz/headline/466/ ミシュラン観光版で兼六園が三つ星に-石川県内から21カ所が掲載]、金沢経済新聞、2016年3月30日閲覧</ref>。園名は、[[松平定信]]が『[[洛陽名園記]]』を引用し、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の6つの景観を兼ね備えていることから命名した{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|p=100}}。四季それぞれに趣が深く、季節ごとにさまざまな表情を見せるが、特に雪に備えて行われる[[雪吊]]は冬の風物詩となっている。県内でも随一の[[桜]]・[[梅]]・[[紅葉]]の名所でもあり、[[日本さくら名所100選]]にも選ばれている。 金沢市の中心部に位置し、周辺には[[成巽閣]]、[[国立工芸館]]、[[石川県立美術館]]、[[金沢21世紀美術館]]、[[石川県政記念しいのき迎賓館]]を肇めとした文化施設(兼六園周辺文化の森)などの観光地があり、道路(百間堀通り)を隔てて橋一本で[[金沢城公園]]とも繋がっている{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|p=101}}。 兼六園の管理等に関しては石川県都市公園条例で定められており、石川県都市公園条例施行規則で開園時間や入園料、無料入園期間などが定められている<ref>{{Citeweb|title=石川県都市公園条例施行規則|url=https://www1.g-reiki.net/ishikawa/reiki_honbun/i101RG00000748.html|work=|date=|accessdate=2023-04-04}}</ref>。 == 歴史 == === 江戸時代 === [[1676年]]([[延宝]]4年)、[[加賀藩]]5代藩主の[[前田綱紀]]が、[[金沢城]]に面する傾斜地にあった藩の御作事所を城内に移し、その跡地に自らの別荘である「蓮池御殿(れんちごてん)」を建ててその周りを庭園化したのが兼六園の始まりである。庭は当時は'''蓮池庭'''(れんちてい)と呼ばれ、歴代藩主や重臣らが[[観楓会|観楓]]の宴などをする場として使われていたが、[[1759年]]([[宝暦]]9年)[[4月10日]]に発生した宝暦の大火で焼失した。それから15年後の[[1774年]]([[安永]]3年)、10代藩主[[前田治脩]]によって蓮池庭が再興され、同年に翠滝と夕顔亭、[[1776年]](安永5年)には内橋亭を造り、庭園が整備された。また、蓮池庭上部にある平坦な場所で当時は空き地になっていた千歳台に[[藩校]]である[[明倫堂#加賀金沢藩の明倫堂|明倫堂]]と経武館を建てた<ref name="歴史">[http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/history.html 兼六園の歴史]、兼六園HP、2016年3月30日閲覧</ref>。 11代藩主の[[前田斉広]]は、[[1819年]]([[文政]]2年)に37歳で隠居を表明した後、千歳台で自身の隠居所の建設を始め、藩校は現在の[[いしかわ四高記念公園]]の場所に移した。3年後の[[1822年]](文政5年)には建坪4000坪・部屋数200を超える隠居所「竹沢御殿(たけざわごてん)」を完成し、この年に白河楽翁([[松平定信]])によって兼六園と命名された{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|p=100}}。斉広の死後、竹沢御殿は12代藩主[[前田斉泰]]によって取り壊されるが、斉泰は[[1837年]](天保8年)に霞ヶ池を掘り広げたり、栄螺山を築いたり<ref>入園券</ref>、姿形の良い木を植えるなどして庭を拡張・整備し、[[1860年]]([[万延]]元年)には蓮池庭との間にあった塀を取り壊して、現在の形に近い庭園を築いた<ref name="歴史"/>。 === 明治時代以後 === 長らく殿様の私庭として非公開だったが、1871年([[明治]]4年)から日時を限っての公開が開始。同年に園内の山崎山の下に異人館が建てられ、噴水前には理化学校が開設された。[[1872年]](明治5年)には異人館は成巽閣とともに国内初の[[博物館]]である金沢勧業博物館となった。同館は[[1909年]](明治42年)に廃止されるが、その間[[1879年]](明治12年)に図書館、[[1887年]](明治20年)に金沢工業学校(後の[[石川県立工業高等学校]])が附属されるなど、大規模なものに拡張された。 [[1874年]](明治7年)[[5月7日]]から正式に一般公開され、[[1876年]](明治9年)には兼六園観光案内組合が組織され、積極的な観光利用の歴史が始まった。24時間開放されていたが<ref group="注">この時代には「兼六公園」という通称もあった。兼六園下交差点やバス停はこれに倣って「公園下」の名称で呼ばれた時代もある。</ref>、石の持ち去りや灯籠の破壊などが後を絶たず、保存徹底の声が上がるようになり、維持・保存費用捻出も兼ねて[[1976年]](昭和51年)から有料とし、時間を限って公開されるようになった。[[1985年]](昭和60年)に特別名勝に指定された。 === 年表 === *[[1676年]]([[延宝]]4年):[[前田綱紀]]が蓮池御殿を造り、その周辺に蓮池庭を作庭。 *[[1759年]]([[宝暦]]9年):[[4月10日]]、宝暦の大火で蓮池庭が焼失。 *[[1792年]]([[寛政]]4年):3月、現在の園内に[[藩校]]の[[明倫堂#加賀金沢藩の明倫堂|明倫堂]]が開校。 *[[1822年]]([[文政]]5年):[[松平定信]]が「兼六園」と命名。[[前田斉広]]の隠居所・竹沢御殿が完成。 *[[1851年]]([[嘉永]]4年):9月、竹沢御殿が取り壊される。 *[[1863年]]([[文久]]3年):7月、[[成巽閣]]が完成。 *[[1871年]]([[明治]]4年):1月、山崎山の下に異人館が完成。正月から9月までの年間19日間、初めて一般に開放される。 *[[1874年]](明治7年):2月、[[太政官布告・太政官達|太政官布告]]にもとづいて兼六園が公園に認可される。[[5月7日]]、正式に一般公開される。7月、園内に勧業博物館が創設される。 *[[1878年]](明治11年):10月、[[明治天皇]]が北陸御巡幸で兼六園を訪問。 *[[1880年]](明治13年):10月、明治紀念之標が建立される。 *[[1922年]]([[大正]]11年):[[3月8日]]、[[名勝]]に指定される。 *[[1924年]](大正13年):5月、[[室生犀星]]の招きで[[芥川龍之介]]が園内の三芳庵別荘に滞在。 *[[1928年]]([[昭和]]3年):11月、兼六園菊桜が[[天然記念物]]に指定される。 *[[1976年]](昭和51年):9月、入園料が有料となる。 *[[1985年]](昭和60年):[[3月20日]]、[[特別名勝]]に指定される。 *[[1989年]]([[平成]]元年):5月、兼六園広坂休憩館が開館。 *[[2000年]](平成12年):時雨亭が復元完成。 *2018年(平成30年):園内の専用水路、[[伏越]]施設の遺構などは「[[辰巳用水]]関連施設群」の一部として[[土木学会選奨土木遺産]]に選ばれる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsce.or.jp/branch/chubu/isan/top/img/poster/poster_photo27.pdf |title=中部地方の選奨土木遺産 - 辰巳用水関連施設群 |access-date=2022年6月9日 |publisher=[[土木学会]]選奨土木遺産中部支部選考委員会}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=土木遺産認定銘板を城内に設置 – 辰巳用水にまなぶ会 |url=https://tatsumi-manabukai.com/topics/664/ |access-date=2022-06-09 |language=ja |date=2019年11月20日 |author=辰巳用水にまなぶ会}}</ref>。 ===名前の由来について=== [[ファイル:Matsudaira Sadanobu.jpg|thumb|150px|松平定信]] 兼六園の名前は[[1822年]](文政5年)、前田斉広の依頼に応じて[[白河藩]]主だった[[松平定信]](白河落翁)が命名したとされることが多い。'''兼六'''の語源は[[宋 (王朝)|宋]]の詩人・李格非の『[[洛陽名園記]]』<ref>[https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/na04/na04_03322/na04_03322.pdf 洛陽名園記]</ref>の中で中国洛陽の名園・[[洛陽名園記#湖園|湖園]]を「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える名園」と謳った文をもとに命名した。その文は以下の通り。 {{quotation|洛人云、園圃之勝、不能相兼者六 務宏大者少幽邃、人力勝者少蒼古、多水泉者艱眺望 兼此六者、惟湖園而已 :洛人の云ふ、園圃の勝、相ひ兼ねるあたはざるは六。 :宏大を務むるは幽邃少なし、人力勝れるは蒼古少なし、水泉多きは眺望艱し。 :この六を兼ねるは、ただ湖園のみ。}} しかし、松平定信自筆「花月日記」文政5年(1822年)9月20日の記載には、「大塚へ行。秋色をミて、ただちにかへる。加賀の大守より額字をこふ。兼六園とて、たけ三尺ニ横九尺也。兎ぐの額にハいとけやけし、兼六とハいかがと、とひにやりぬ。」<ref>{{Cite book|title=天理図書館報ビブリア|date=2012年10月|year=2012|publisher=(学)天理大学出版部}}</ref>とあり、兼六園の額字を頼まれた松平定信が兼六園の意味を知らなかったことから、この時点ですでに兼六園という名前があったことがわかる。 また、「明治園芸史」220頁に「前田候第12世斉広朝臣、証金龍造園竣功の後に、此湖園記文より、兼六という文字を取りて、園名と為し、白河少将楽翁公の揮毫を請ひて、扁額を作り、之を園門に揚げられしと云ふ、」{{sfn|長山|2007}}とあり、加賀藩主斉広が命名したことがわかる。 定信が揮毫した扁額は現在、[[石川県立伝統産業工芸館]]に展示されている。 兼六園は、小立野台地の先端部に位置していることから、園内に自然の高低差がある。これによって、園路を登りつめていく際の幽邃な雰囲気と、高台にある霞ヶ池周辺の宏大さ、眼下の城下町の眺望を両立させている。 == 園内施設 == ===徽軫灯籠=== {{Double image aside|right|131109 Kenrokuen Kanazawa Ishikawa pref Japan01s3.jpg|200|Kenroku-en-winter-lantern.jpg|200|秋:徽軫灯籠と霞ヶ池|冬:徽軫灯籠と霞ヶ池}} 読みは「ことじとうろう」。霞ヶ池の北岸に位置する[[灯籠]]で、兼六園を代表する景観となっている。脚が二股になっており、琴糸を支える琴柱に似ていることから名付けられた。高さ2.7メートルの灯籠の脚は、長さが異なる。1863年(文久3年)の「兼六園絵巻」<ref>{{harvnb|橋本確文堂|1997}}資料編</ref>には、現在とは別の場所に両脚が同じ長さで立っている姿が見えることから、明治維新前後に何らかの理由により、片足が短い形で現在の場所に移されたと考えられる<ref>{{harvnb|橋本確文堂|1997}}本編</ref>。現在の灯籠は昭和53年に設置された2代目。現在の2代目の灯籠を含め、昭和37年から54年までの間に池の中に6度倒され、破損されたため、初代灯籠は公園事務所に保管されている。<ref>北陸中日新聞 平成6年6月21日</ref> ===噴水=== [[ファイル:131109 Kenrokuen Kanazawa Ishikawa pref Japan10s3.jpg|thumb|噴水]] 12代藩主[[前田斉泰]]が金沢城二の丸に噴水を上げるために試作したとされ、日本に現存する最も古い噴水であるといわれる。噴水のある場所より高い位置にある園内の水源・霞ヶ池から石管で水を引き、水位の高低差だけを利用して、水を噴き上げさせている。そのため、水が噴き上がる最高点は、ほぼ霞が池の水面の高さに相当する。ポンプなどの動力は一切用いておらず、[[位置エネルギー]]のみを利用したものである。 ===明治紀念之標=== {{main|[[明治紀念之標]]}} [[ファイル:Ken6enmeijikinen 1880.jpg|thumb|明治紀念之標]] [[1880年]](明治13年)に[[西南戦争]]で戦死した石川県戦士400人を慰霊するために建てられ、日本最初の屋外人物の銅像である<ref name="日本武尊">[http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/meienki/zukan/cont/0111.html 明治紀念之標]、兼六園図鑑(石川新情報書府)、2016年3月30日閲覧</ref>。中央に[[日本武尊]]像(身長5.5m)、左に石川県戦士忠碑があり、両脇には京都の[[東本願寺]]・[[西本願寺]]の門跡から移された手向松が植えられている<ref name="日本武尊"/>。明治記念之標の土台となっている石は、もともと金沢城玉泉院丸庭園にあったものである。西南戦争での戦死者を、九州の[[熊襲]]を平定したヤマトタケルになぞらえ建立された。 なお、この日本武尊像には、「[[ハト]]が寄り付かない」という逸話がある。[[金沢大学]]名誉教授の[[廣瀬幸雄]]は、このことを研究対象として、像の構成要素を調べることで「鳥を寄せ付けない合金」を開発し、[[2003年]]の[[イグノーベル賞]]を受賞した。 ===時雨亭=== 5代藩主[[前田綱紀]]の頃からあった建物で、明治時代に取り壊された。[[2000年]](平成12年)に現在地に復元され、休憩処として来園者に開放されている。 ===唐崎松=== [[ファイル:131109 Kenrokuen Kanazawa Ishikawa pref Japan05s3.jpg|thumb|唐崎松の[[雪吊]]]] 霞ヶ池に面して立っている[[クロマツ]]の木。13代藩主斉泰が、[[近江八景]]の一つである[[琵琶湖]]畔の唐崎から種子を取り寄せて育てたものである<ref>[http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/meienki/zukan/cont/0005.html 唐崎の松]、兼六園図鑑(石川新情報書府)、2016年3月30日閲覧</ref>。 ===兼六園菊桜と兼六園熊谷=== 兼六園菊桜は300枚以上の花弁がつく兼六園発祥の桜の品種で、初代は[[慶應]]年間(1865~1868)に[[孝明天皇]]より[[前田斉泰]]に下賜されたという伝承があり「御所桜」とも呼ばれて[[1928年]](昭和3年)に[[天然記念物]]に指定されたが[[1970年]](昭和45年)に枯死した。ただし枯死した時点で樹齢250年以上と判定されているので下賜の件はあくまでも伝承に留まる。なお現在の菊桜は[[接ぎ木]]で増殖した2代目だが樹勢が弱い。これとは別に兼六園発祥の桜の品種としては、大輪で濃い目の淡紅色の花弁を付ける一重咲きの[[ケンロクエンクマガイ|兼六園熊谷]]も存在し、こちらは樹勢が強く見栄えがする。 === 栄螺山 === 前田家12代[[前田斉広]]が建設した竹沢御殿は、同13代[[前田斉泰]]に取り壊され、竹沢庭の改修が行われた。1837年(天保8年)には、泉水の付け替え、掘り足しの工事が行われ、掘った排土を用いて、栄螺山が築かれた。1839年(天保10年)には、山頂に三重の石塔が建てられた。この石塔は、[[鷹司隆子|真龍院]]と[[栄操院]]が、斉広の供養のために建立したもので、[[戸室山]]から切り出した石で造られている{{sfn|長山|2007}}。 ===雁行橋=== 雁行橋は、11枚の[[戸室石|赤戸室石]]を、雁が夕空を飛んで行くように作られていることから名付けられている。1枚1枚の石が亀の甲の型をしているため、亀甲(きっこう)橋の別名がある。この橋を渡ると長生きができるということから、大勢の人が渡ったために、石がすり減ってしまい、今は渡ることができない。<ref>下郷稔著『兼六園歳時記』(能登印刷出版部 1993年</ref> ===その他の施設=== *根上松 *山崎山 *内橋亭 *夕顔亭 *虹橋 *船見御亭 *雪見灯籠 *月見灯籠 *梅林 *鶺鴒島の[[相生の松]] など === ギャラリー === <gallery> ファイル:131109 Kenrokuen Kanazawa Ishikawa pref Japan11s3.jpg|辰巳用水 ファイル:2002 kenrokuen hanami 0123.jpg|茶室夕顔亭 ファイル:131109 Kenrokuen Kanazawa Ishikawa pref Japan03s3.jpg|根上松 ファイル:Kenrokuenkariganebashi.jpg|雁行橋 ファイル:Kenroku concrete object.jpg|雪見灯籠 ファイル:Kenroku-en Kasumi-ga-ike 3.jpg|内橋亭と霞ヶ池 <!--ファイル:Kenrokuen10-r.jpg|霞ヶ池 (トップ画像と重複)--> ファイル:Sazaeyama Hill in Kenroku Garden 2.JPG|栄螺山 ファイル:兼六園曲水.jpg|曲水の[[カキツバタ]] ファイル:Kenrokuenkumagai.jpg|[[ケンロクエンクマガイ]] ファイル:Kenrokuensiguretei01.jpg|茶室「時雨亭」からの眺め ファイル:Kenroku-en 20170131-2.jpg|夜の兼六園 </gallery> == 隣接・近隣施設 == '''成巽閣''' [[ファイル:131109 Seisonkaku Kanazawa Ishikawa pref Japan11s3.jpg|thumb|成巽閣]] {{Main|成巽閣}} 園の東南側に位置し、[[1863年]]([[文久]]3年)に前田斉泰が母親である眞龍院の隠居所として建てられた。金沢城から見て巽(東南)の方向にあること、京都の[[鷹司家]]が辰巳殿と呼ばれていたことから当時は巽御殿と呼ばれていた<ref>[http://www.seisonkaku.com/midokoro/midokorotop.html 成巽閣のみどころ]、成巽閣HP、2016年3月30日閲覧</ref>。[[1929年]](昭和4年)に飛鶴庭が国の[[名勝]]に指定された。建物は[[1938年]](昭和13年)に当時の[[国宝保存法]]に基づき[[国宝#「旧国宝」と「新国宝」|旧国宝]]([[文化財保護法]]下の「重要文化財」に相当)に指定され、[[1950年]](昭和25年)の文化財保護法施行に伴い[[重要文化財]]となっている。 '''石川県立美術館別館・石川県文化財保存修復工房''' 石川県立美術館別館・石川県文化財修復工房は、もともと石川県庁出羽町庁舎内にあった文化財修復工房を移転リニューアルしたもの。[[表具]]・[[漆器|漆芸品]]の各修復室と展示スペースなどからなり、展示スペースでは、実際に文化財を修復している現場を見学することが出来る。もともとは、1922年(大正11年)に[[大日本帝国陸軍|陸軍]]第9師団長の官舎として建てられた木造2階建の洋館。戦後は[[家庭裁判所]]、児童会館、野鳥園などに使用され、[[2016年]](平成28年)から現在の用途で使用されている。 '''その他の施設''' *[[金城霊澤]] - 金沢の地名の由来となった湧き水。 *[[金沢神社]] *[[石川県立伝統産業工芸館]] *[[金沢城公園]] *[[石川護国神社]][[ファイル:県道10号線.jpg|サムネイル|兼六園と金沢城公園を隔てる県道10号線]] == 交通 == {{Location map+|Japan Kanazawa city|width=300|caption=金沢市における位置|float=|places= {{Location map~|Japan Kanazawa city|lat_deg = 36| lat_min = 33| lat_sec = 43.7|lon_deg = 136| lon_min = 39| lon_sec = 45.0|position=right|label='''兼六園'''|label_size=105}} {{Location map~|Japan Kanazawa city|lat_deg=36|lat_min=34|lat_sec=41.8|lon_deg=136|lon_min=38|lon_sec=51.9|position=top|mark=blue pog.svg|label=[[金沢駅]]}} {{Location map~|Japan Kanazawa city|lat_deg=36|lat_min=33|lat_sec=11.66|lon_deg=136|lon_min=37|lon_sec=17.89|position=bottom|mark=blue pog.svg|label=[[西金沢駅]]}} {{Location map~|Japan Kanazawa 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[[石川県立美術館]] ** [[国立工芸館]] ** [[石川県立歴史博物館]] ** [[加賀本多博物館]] ** [[石川県立能楽堂]] * [[石浦神社]] * [[金沢21世紀美術館]] * [[独立行政法人国立病院機構金沢医療センター]] * [[本多の森北電ホール]] * [[白鳥路温泉]] {{div col end}} == 兼六町 == {{Infobox settlement | name = 兼六町 | settlement_type = [[町丁]] | image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル ---> | imagesize = 270px | image_caption = <!--- 画像の説明 ---> | image_map = | mapframe = {{Maplink2|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=300|zoom=14|type=shape|stroke-color=#000000|stroke-width=1}} | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = [[File:Flag of Ishikawa Prefecture.svg|border|25px]] [[石川県]] | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Kanazawa, Ishikawa.svg|border|25px]] [[金沢市]] | subdivision_type3 = 校下(地区) | subdivision_name3 = [[金沢市立小立野小学校|小立野校下]]<br/>[[金沢市立味噌蔵町小学校|味噌蔵町校下]]<ref name="example1">[http://www4.city.kanazawa.lg.jp/22054/bousai/hinan/map_2.html 金沢市防災マップ ~校下(地区)別~] 金沢市役所、2016年5月11日閲覧。</ref> | established_title1 = <!--- 設置 ---> | established_date1 = <!--- 設置日 ---> | area_footnotes = <ref>[http://toukei-labo.com/2010/?tdfk=17&city=17201&id=453 人口統計ラボ 石川県金沢市兼六町]2016年5月11日閲覧。</ref> | area_total_km2 = 0.16 | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of= [[2018年]](平成30年)[[4月1日]]現在 | population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|和書|url=http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11018/toukeidatasyu/tyoutyou_2.html|title=町丁別人口・世帯数【改正後】|publisher=金沢市|date=2018-04-01|accessdate=2018-04-24}}</ref> | population_total = 49 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 920-0936<ref name="postal">{{Cite web|和書|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=9200936|title=郵便番号|publisher=[[日本郵便]]|accessdate=2018-04-24}}</ref> | area_code = 076 ([[日本の市外局番#番号区画|金沢MA]])<ref name="areacode">{{Cite 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{{Reflist|25em}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |title=特別名勝 兼六園 その歴史と文化 |editor=橋本確文堂企画出版室 |publisher=橋本確文堂 |date=1997-02 |id={{全国書誌番号|98047646}} |isbn=9784893790422 |ref={{sfnref|橋本確文堂|1997}}}} * {{Cite book |和書 |author=「日本の道100選」研究会 |title=日本の道100選〈新版〉|editor=国土交通省道路局 |publisher=[[ぎょうせい]] |date=2002-06-20 |isbn=9784324068106 |ref=harv}} * {{Cite book |和書 |author=長山直治 |title=兼六園を読み解く―その歴史と利用 |publisher=桂書房 |date=2007-01 |isbn=9784903351223|ref={{sfnref|長山|2007}}}} == 関連項目 == * [[日本三名園]] * [[後楽園]] * [[偕楽園]] * [[辰巳用水]] * [[辰巳ダム]] * [[日本さくら名所100選]] * [[石川県営兼六園野球場]](兼六園に隣接してかつて存在した[[野球場]]) * [[日本国指定名勝の一覧]] * [[Ken Rock Station]] - [[エフエム石川]]で放送された[[リクエスト番組]]。兼六園が番組名の由来となっている == 外部リンク == {{Commons|Category:Kenroku-en}} {{osm box|w|50288147}} * [http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/index.html 兼六園] - 公式サイト * [https://web.archive.org/web/20170315192838/http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/meienki/ 兼六園 名園記] - 石川新情報書府 * [http://www.seisonkaku.com/ 成巽閣] - 公式サイト {{日本の都市公園100選}} {{日本さくら名所100選}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:けんろくえん}} [[Category:特別名勝]] [[Category:大名庭園]] [[Category:石川県にある国指定の名勝]] [[Category:中部地方にある日本庭園]] [[Category:石川県の公園]] [[Category:石川県の観光地]] [[Category:金沢市の歴史]] [[Category:金沢市の文化施設]] [[Category:金沢市の地理]] [[Category:日本さくら名所100選]] [[Category:加賀藩]] [[Category:1922年竣工の日本の建築物]]<!--広坂休憩所--> [[Category:西洋館]] [[Category:土木学会選奨土木遺産]]
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JET
JET
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JET
'''JET''' == 個人 == * [[JET (漫画家)]] - 日本の漫画家。 == 組織 == === 財団法人 === * 財団法人[[電気安全環境研究所]] * [[外国語青年招致事業]](ジェット・プログラム、JET Programme) === 法人 === * [[日欧商事]]の略称 - [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]に本社を置く、食品と酒類の輸入商社。 * [http://www.jet-inoue.co.jp/ JETイノウエ] - 自動車部品(特にいわゆる[[デコトラ]]用[[改造車|カスタム]]パーツ)メーカー。 * JET映像の略称。アダルトビデオメーカー。[https://manji-group.com/top/ 卍GROUP]所属。 * ジェイ・イー・ティ - [[岡山県]][[浅口郡]][[里庄町]]に本社を置く、[[半導体]]製造装置メーカー。 * [[日本教育テレビ (大阪府)]] - かつて[[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]に本社を置いていたビデオ映像制作会社。 === その他 === * [[ジェット (オーストラリアのバンド)]] - オーストラリアのロックバンド。 * Japan Exploration Team - [[吉田勝次]]が代表を務める[[ケイビング]]チーム。 * jet全日本エレクトーン指導者協会 - [[エレクトーン]]個人宅指導者のための全国組織。 == 楽曲 == * [[JET (清木場俊介の曲)]] - 清木場俊介のシングル曲。 * [[ジェット (曲)]] - [[ポール・マッカートニー]]&[[ウイングス]]のシングル曲。 * [[スペースシャワーTV]]の独占PVの通称。 * JET - [[KAT-TUN]]のシングル「[[UNLOCK (KAT-TUNの曲)|UNLOCK]]」の通常盤収録曲。 == 施設 == * JET (Joint European Torus) - [[欧州連合]]の[[プラズマ]]実験装置。 == 行事・イベント == * [[ジャパンエキスポ富山|第1回ジャパンエキスポ富山]] (THE FIRST JAPAN EXPOSITION IN TOYAMA '92) == コンピュータ == * [[Microsoft Jet Database Engine]] - [[Microsoft Access]]を参照。 == 関連項目 == * [[ジェット (曖昧さ回避)]] {{aimai}}
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篠原とおる
篠原 とおる(しのはら とおる、1936年4月28日 - )は、日本の漫画家。男性。愛媛県新居浜市出身、現在は大阪府八尾市在住。愛媛県立新居浜工業高校卒業。 代表作に『さそり』『にっぽん競馬伝』『ワニ分署』『河内残侠伝 軍鶏』など。 1955年、愛媛県立新居浜工業高校卒業後、大阪の自動車部品工場を入社するも10ヶ月で退社し、マンガ芸術院で通信教育を受けながら雑誌に投稿する。 1958年、「覆面博士」が童心社より初出版される。 1962年、影丸穣也・さいとう・たかを・佐藤まさあき・辰巳ヨシヒロ・水島新司等が所属していた大阪の日の丸文庫で描き始める。 1967年、「女豹マコ」「人間昆虫記」「ズベ公探偵ラン」などの女性主人公が登場する漫画を描き始める。 1970年、女囚を主人公にした「さそり」を『ビッグコミック』(小学館)に連載。サスペンス・アクション主体の作風スタイルを確立する。 1972年、東映東京撮影所で「さそり」映画化。シリーズ化されるなど大人気を博す。1971年にはリイド社『リイドコミック』で連載した「0課の女」、1979年には集英社『週刊プレイボーイ』で連載した「ワニ分署」も映画化され、ピンキーバイオレンス映画の原作者として知られる。 1973年、『ビッグコミックオリジナル』創刊から主力作家として活躍するが、1979年10月20日号掲載の「夜光虫」第100話「児心音異常」の殺人描写が全障連から猛抗議を受け、打ち切りに。原作者の柿沼宏は絶筆した。 以後はリイド社を中心に活動。夕刊紙の『夕刊フジ』では「女仕置人ゼブラ」を連載した。1990年代以降は、「さそり」「0課の女」「ワニ分署」のリメイクを含め、過去のピンキーバイオレンス系作品の多くがVシネマ化されている。 ヒロイン・アクション劇画の第一人者にしてパイオニア的存在で、多くの作品が映像化されているが、アニメ化された作品は一本もない。映像化された作品は怨念が強調されたピンキーバイオレンスが多く、原作のほうも初期はそうした傾向があったが、前述の「夜光虫」事件以降は明るいお色気と娯楽色が前面に出たものが目立つ。 一貫して強く賢明な女性主人公を描き続け、男性はたいてい悪人か無能者、良くて若干抜けたところのある協力者というポジションで描かれる。 (五十音順)
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篠原 とおるは、日本の漫画家。男性。愛媛県新居浜市出身、現在は大阪府八尾市在住。愛媛県立新居浜工業高校卒業。 代表作に『さそり』『にっぽん競馬伝』『ワニ分署』『河内残侠伝 軍鶏』など。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 篠原 とおる | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{flagicon|Japan}}[[愛媛県]][[新居浜市]] | 国籍 = [[日本]] | 生年 = {{生年月日と年齢|1936|4|28}} | 没年 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1958年]] - | ジャンル = [[青年漫画]] | 代表作 = 『さそり』<br />『にっぽん競馬伝』<br />『[[ワニ分署]]』<br />『河内残侠伝 軍鶏』 | 受賞 = | 公式サイト = }} '''篠原 とおる'''(しのはら とおる、[[1936年]][[4月28日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。男性。[[愛媛県]][[新居浜市]]出身、現在は[[大阪府]][[八尾市]]在住。[[愛媛県立新居浜工業高等学校|愛媛県立新居浜工業高校]]卒業。 代表作に『[[女囚さそりシリーズ|さそり]]』『にっぽん競馬伝』『[[ワニ分署]]』『河内残侠伝 軍鶏』など。 == 略歴 == [[1955年]]、[[愛媛県立新居浜工業高等学校|愛媛県立新居浜工業高校]]卒業後、大阪の自動車部品工場を入社するも10ヶ月で退社し、マンガ芸術院で通信教育を受けながら雑誌に投稿する。 [[1958年]]、「覆面博士」が[[童心社]]より初出版される。 [[1962年]]、[[影丸穣也]]・[[さいとう・たかを]]・[[佐藤まさあき]]・[[辰巳ヨシヒロ]]・[[水島新司]]等が所属していた大阪の[[日の丸文庫]]で描き始める。 [[1967年]]、「女豹マコ」「人間昆虫記」「ズベ公探偵ラン」などの女性主人公が登場する漫画を描き始める。 [[1970年]]、女囚を主人公にした「さそり」を『[[ビッグコミック]]』([[小学館]])に連載。[[サスペンス]]・[[アクション]]主体の作風スタイルを確立する。 [[1972年]]、[[東映東京撮影所]]で「さそり」映画化。シリーズ化されるなど大人気を博す。1971年には[[リイド社]]『[[リイドコミック]]』で連載した「[[0課の女 赤い手錠|0課の女]]」、1979年には[[集英社]]『[[週刊プレイボーイ]]』で連載した「ワニ分署」も映画化され、ピンキーバイオレンス映画の原作者として知られる。 [[1973年]]、『[[ビッグコミックオリジナル]]』創刊から主力作家として活躍するが、1979年10月20日号掲載の「夜光虫」第100話「児心音異常」の殺人描写が全障連から猛抗議を受け、打ち切りに。原作者の柿沼宏は絶筆した。 以後は[[リイド社]]を中心に活動。夕刊紙の『[[夕刊フジ]]』では「女仕置人ゼブラ」を連載した。1990年代以降は、「さそり」「0課の女」「ワニ分署」のリメイクを含め、過去のピンキーバイオレンス系作品の多くが[[Vシネマ]]化されている。 == 作風 == ヒロイン・[[劇画|アクション劇画]]の第一人者にしてパイオニア的存在で、多くの作品が映像化されているが、アニメ化された作品は一本もない。映像化された作品は怨念が強調されたピンキーバイオレンスが多く、原作のほうも初期はそうした傾向があったが、前述の「夜光虫」事件以降は明るいお色気と娯楽色が前面に出たものが目立つ。 一貫して強く賢明な女性主人公を描き続け、男性はたいてい悪人か無能者、良くて若干抜けたところのある協力者というポジションで描かれる。 == 作品リスト == (五十音順) {{columns-list|colwidth=25em| 30em|* あした狼に 全2巻 * 縁切り屋でございます。 全1巻 * おんな鑑識官千鳥 全2巻 * 女仕置人ゼブラ 全10巻 * 女刀師サヤカ 全4巻 * がらんどう 全3巻 * 河内残侠伝軍鶏 全14巻 * 河内晴れ 全3巻 * キャッツアイ(原案:吉津実) * 銀笹 * 刑事あんこう 全21巻 * 刑事500足 全1巻 * 警視庁秘密捜査官さくら(原作:伊月慶悟) 全2巻 * 現代牝犬物語 全1巻 * 恋待草メモリー 全1巻 * コミック版 プロジェクトX挑戦者たち―炎上 男たちは飛び込んだ * コードネーム348 サシバ 全8巻 * SASORI IN U.S.A. -PRISONER No.701- 全1巻 * 食虫花 全2巻 * 新女仕置人 狩人蜂 全2巻 * ズベ公探偵ラン * O課の女 全12巻 * ゼロ戦夏子 全6巻 * 定年諸君(原作:あべ善太) 全3巻 * 天下頂戴!([[リイド社]]「[[コミック乱]]」2003年11月号 - ? 掲載) * 陶子 全5巻 * 浪花のミナミ風 全2巻 * にっぽん競馬伝(原作:[[あべ善太]]) * ハーイ!さくらです。 全1巻 * パートタイム刑事 全1巻 * 白衣の天使なんかいやしない!([[小学館]] 「[[週刊少女コミック]]」、1975年11月9日号掲載) * 火喰鳥 全2巻 * 秒ドロップ 全3巻 * ヒールのテキスト 全3巻 * 夫婦コップ 全3巻 * 覆面博士 - デビュー作。 * マル暴おんな刑事ビッチ 全2巻 * 女豹マコ * もうかりまっか?(原作:[[林律雄]]) * 夜光虫(原作:[[柿沼宏]]) * やどかり~弁護士・志摩律子の事件簿~ 全14巻 * [[ワニ分署]](82分署) 全12巻 }} == 映画化・舞台化 == === 原作『さそり』 === *'''劇場公開作品''' 詳細は'''[[女囚さそりシリーズ]]'''を参照 **[[女囚701号 さそり]]([[1972年]]) **[[女囚さそり 第41雑居房]]([[1972年]]) **[[女囚さそり けもの部屋]]([[1973年]]) **[[女囚さそり 701号怨み節]]([[1973年]]) **[[新・女囚さそり 701号]]([[1976年]]) **[[新・女囚さそり 特殊房X]](エックス)([[1977年]]) **[[SASORI IN U.S.A.]].([[1997年]]) **さそり([[2008年]]) *'''Vシネマ''' **女囚さそり 殺人予告([[1991年]]) **サソリ 殺す天使([[1998年]]) **サソリ 女囚701号([[2008年]]) *'''テレビドラマ''' **[[さそり (テレビドラマ)|さそり]]([[2004年]]/[[BS-TBS]]) === 原作『O課の女』 === *'''劇場公開作品''' 詳細は'''[[Zero WOMAN]]'''を参照 **0課の女 赤い手錠([[1974年]]) **Zero WOMAN 警視庁0課の女([[1995年]]) **Zero WOMAN R 警視庁0課の女/欲望の代償 ([[2007年]]) *'''新Zero WOMANシリーズ'''([[オリジナルビデオ]]) **Zero WOMAN II 警視庁0課の女(1995年) **Zero WOMAN III 警視庁0課の女([[1996年]]) **Zero WOMAN 名前のない女(1996年) **Zero WOMAN 消せない記憶([[1997年]]) **Zero WOMAN 危ない遊戯([[1998年]]) **Zero WOMAN 最後の指令(1998年) **新Zero WOMAN 0課の女再び…([[2004年]]) === 原作『ワニ分署』 === *'''劇場公開作品''' 詳細は'''[[ワニ分署#映画|ワニ分署]]'''を参照 **スーパーGUNレディ ワニ分署([[1979年]]) **[[82分署]]([[1995年]]) *'''Vシネマ、およびオリジナルビデオ''' **82(ワニ)分署 Rebirth([[1996年]]) **新 82(ワニ)分署([[1998年]]) === 原作『刑事あんこう』 === *'''舞台''' **刑事あんこう([[1981年]]、[[日劇MH]]) *'''Vシネマ、およびオリジナルビデオ''' **あんこう([[1991年]]VHS、SHSプロジェクト) === 原作『コードネーム348 サシバ』 === *'''Vシネマ、およびオリジナルビデオ''' **[[コードネーム348・女刑事サシバ]]([[1990年]]、SHVシネマ) === 原作『女仕置人ゼブラ』 === *'''Vシネマ、およびオリジナルビデオ''' **女仕置人ゼブラ セクシー編(1990年、SHSプロジェクト) **女仕置人ゼブラ アクション編(1990年、SHSプロジェクト) === 原作『河内残侠伝 軍鶏』 === *'''Vシネマ、およびオリジナルビデオ''' **河内残侠伝 軍鶏(1991年、東映ビデオ) == アシスタント == * [[新谷かおる]](高校在学中から卒業まで<ref>『エリアファイル88』(小学館・1985年刊)に付属されたカセットテープの新谷のインタビューを参照。篠原の下では漫画の基礎を学んだと語っている。</ref>) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:しのはら とおる}} [[Category:篠原とおる|*]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:愛媛県出身の人物]] [[Category:1936年生]] [[Category:存命人物]]
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柴田亜美
柴田 亜美(しばた あみ、1967年5月24日 - )は、日本の女性漫画家・画家である。 1967年、長崎県生まれ。長崎大学教育学部附属小学校、長崎大学教育学部附属中学校、長崎県立長崎西高等学校、武蔵野美術大学短期大学美術科専攻科を卒業。 1990年、会社員時代に参加したエニックス(当時。現・スクウェア・エニックス)の『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』にて人気を集める。1991年より月刊少年ガンガンにて『南国少年パプワくん』を連載開始、アニメ化されるなどのヒット作となる。以降、エニックス(現スクウェア・エニックス)や集英社など、多数の雑誌に連載を持つ。 漫画家として活動する一方で美容方面にも興味を持ち始め、2012年2月19日より美容ブログ『女漫画家の極限美容!』を開設。2016年12月には、プライベート美容サロン『ボディオートクチュール ami』開店。(その後、2018年9月30日をもって、『ボディオートクチュール ami』閉店。) 2020年ごろから画家としての活動を開始。アートイベントや個展で、作品を継続的に発表している。。 1969年に父がマサチューセッツ工科大学に研究留学し、それを追う形で1970年に家族で渡米。その後、カナダのモントリオールに移り住む。1972年に家族で帰国。 小学校時代から絵画教室に通っていたが、中学校に入る直前あたりから本格的に漫画を書き始めるようになった。初めて完成させた作品は『邪鬼郎』というタイトルで、『柴田亜美のほん2』で「12-13歳の頃に初めて描いた漫画」として公開されている。 1982年、高校に入学。この頃には油絵の絵画教室に通い始め、1983年からは、美大の予備校(河合塾美術研究所)に通うため上京するようになる。この時期、音楽雑誌『音楽専科』の似顔絵コーナーで入選。1984年に、同誌の別冊であるロック漫画誌『8ビート・ギャグ』に漫画を掲載し商業誌デビュー。『8ビート・ギャグ』には多数の作品を掲載し、志摩あつこらと並び人気を得る。この他にも他社の洋楽雑誌でイラストなどを描いていたが、柴田自身は「コンサートのタダ券ほしさに描いていたため、プロのマンガ家になる気はなかった」と振り返っており、大学に入学する頃には漫画を描くこともなくなった。 1985年、大学に入学する。大学時代の同期には諏訪敦がいる。 1987年、同大学の専攻科に編入。1988年に卒業。 アートアドバイザーとして銀座の画廊に就職するも半年で退職。 1989年、リクルートの関連会社にイラストレーターとして就職。FromAやとらばーゆ等の求人広告のカットを描いていた。 1990年、知人の児嶋都に誘われる形で『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』に執筆を始め、「ニセ勇者」シリーズを執筆して人気を博す。同年6月には「ソードマスター剣王伝説」でエニックスファンタジーコミック大賞奨励賞を受賞。その後、創刊企画時の『月刊少年ガンガン』から執筆依頼が来るものの、当時はまだプロとしてやっていく気はなく断っていたという。しかし、私生活上で嫌なことがありヤケになっていた時に、当時会社があった渋谷の路上でエニックスの編集者から「漫画を描かないか」と声をかけられ、思わず頷いてしまったことからプロになる決意を固めた(この出来事を柴田は「エニックスナンパ事件」と呼んでいる)。 1991年に『月刊少年ガンガン』創刊号にて、『南国少年パプワくん』の連載を開始。2話目までは会社勤務と漫画連載を並行していたが、連載3話目以降は時間的に両立させるのが難しくなり会社を退職、漫画家の専業となる。『南国少年パプワくん』はアニメ化されるなどのヒット作となり、藤原カムイ、衛藤ヒロユキらと共に『月刊少年ガンガン』初期の牽引役となった。 その後エニックス(現スクウェア・エニックス)、集英社、講談社、徳間書店、小学館、アスキー(現エンターブレイン)、竹書房などでの連載経験を持つ。 2012年に『カミヨミ』の連載を終了して以降はストーリー漫画作品の制作は減少し、エッセイ漫画・レポート漫画を中心に作品を発表している。 2021年までAndroid/iOS用アプリゲーム『ファンタジーライフ オンライン』のゲーム内にて『FLO4コマ劇場』を連載。 2017年には一部報道で「柴田亜美が漫画家引退」というタイトルの記事が発表され、本人もインタビューで「私、美容家になります。漫画を辞めても悔いはない。」という旨の発言をしたものの、以降も継続して漫画作品を発表している。 2021年から画家の仕事を始め、そちらの活動が中心になりつつあるという。 保護団体「ALMA(アルマ)」に保護された犬の預かり、いわゆる保護活動をボランティアとして行っている。2005年のひろしまドッグぱーく事件を機に興味を持ったという。過去に伽羅という名前の犬を飼っていたが、2022年12月30日に急逝。さらに以前は茶壷、楽という名前の犬も飼っていたが、楽は2012年に他界した蛍と同じく、年齢によって引き取り手がいないと危惧されたことから柴田自身が引き取ることになり、その後2016年2月に他界、茶壷もまた2016年4月に他界した。一時預かりを含め、飼い犬たちとの日常をブログにて公開している。 2007年頃より体調を崩して、体重が10kg増加。これがきっかけで食事療法、筋トレ、エステ、レコーディングダイエットなどあらゆるダイエット方法で減量を試みるようになる。食事療法と筋トレを基本に継続したところ44歳になる頃には14kgの減量に成功。その後も筋トレは続けていたが、座り仕事の多い執筆業に多く見られがちな腰痛や肩こりは改善されずにいた。 2016年6月、通っていたジムでボディセラピストに受けたマッサージで体のバランスを整えることが大切であると開眼。同年9月にはサロンを開くことを決意し、12月に麻布十番にプライベートサロン『ボディオートクチュール ami』をオープン。施術は前述のボディセラピスト・柔道整復師の小林雄祐。オーナーである柴田はカウンセリングを行い、またサロンで提供する食事も自ら作っている。
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柴田 亜美は、日本の女性漫画家・画家である。
{{Infobox 漫画家 |名前 = 柴田 亜美 |画像 = |画像サイズ = |脚注 = |本名 = 同じ |生年 = {{生年月日と年齢|1967|5|24|54}} |生地 = {{JPN}}・[[長崎県]] |没年 = |没地 = |国籍 = {{JPN}} |職業 = [[漫画家]]・[[画家]] |活動期間 = [[1984年]] - [[1985年]]、[[1990年]] - |ジャンル = [[少年漫画]]、[[児童漫画]]、[[少女漫画]]<br />[[エッセイ漫画]] |代表作 = 『[[南国少年パプワくん]]』<br />『[[ジバクくん]]』<br />『[[PAPUWA]]』<br />『[[カミヨミ]]』 |受賞 = |サイン = |公式サイト = [https://papuwa.com/ 柴田亜美公式サイト【かげろうの墓】] }} {{Infobox YouTube personality | channel_url = UC-HCQ5ubDT4sAIwRU43yZ0g | channel_display_name = 柴田亜美のアーミンワールド | years_active = 2020年 - | genre = [[エンターテイメント]] | subscribers = 2.58万人 | views = 791,668回 | stats_update = {{dts|2022-4-10}} }} '''柴田 亜美'''(しばた あみ、[[1967年]][[5月24日]] - )は、[[日本]]の[[女性]][[漫画家]]・[[画家]]である。 == 来歴 == 1967年、[[長崎県]]生まれ。[[長崎大学教育学部附属小学校]]、[[長崎大学教育学部附属中学校]]、[[長崎県立長崎西高等学校]]、[[武蔵野美術大学短期大学部|武蔵野美術大学短期大学]]美術科専攻科を卒業。 1990年、会社員時代に参加した[[エニックス]](当時。現・[[スクウェア・エニックス]])の『[[ドラゴンクエストシリーズ|ドラゴンクエスト]][[4コママンガ劇場]]』にて人気を集める。1991年より[[月刊少年ガンガン]]にて『[[南国少年パプワくん]]』を連載開始、アニメ化されるなどのヒット作となる。以降、[[エニックス]](現[[スクウェア・エニックス]])や[[集英社]]など、多数の雑誌に連載を持つ。 漫画家として活動する一方で美容方面にも興味を持ち始め、2012年2月19日より美容ブログ『女漫画家の極限美容!』を開設。2016年12月には、プライベート美容サロン『ボディオートクチュール ami』開店。(その後、2018年9月30日をもって、『ボディオートクチュール ami』閉店。) 2020年ごろから画家としての活動を開始。アートイベントや個展で、作品を継続的に発表している。<ref>{{Cite web|和書|title=「人を描くのはシンドイ」「漫画家時代はムリをしていた」現代アート作家・柴田亜美(55)が“本当に描きたかったもの” |url=https://bunshun.jp/articles/-/57149 |website=文春オンライン |access-date=2022-09-18 |first=吉河 |last=未布}}</ref>。 === 幼少期 === [[1969年]]に父が[[マサチューセッツ工科大学]]に研究留学し、それを追う形で[[1970年]]に家族で渡米。その後、[[カナダ]]の[[モントリオール]]に移り住む。[[1972年]]に家族で帰国。 === 学生時代 === 小学校時代から[[絵画]]教室に通っていたが、中学校に入る直前あたりから本格的に漫画を書き始めるようになった。初めて完成させた作品は『邪鬼郎』というタイトルで、『柴田亜美のほん2』で「12-13歳の頃に初めて描いた漫画」として公開されている。 [[1982年]]、高校に入学。この頃には[[油絵]]の絵画教室に通い始め、[[1983年]]からは、美大の予備校([[河合塾]]美術研究所)に通うため上京するようになる。この時期、音楽雑誌『音楽専科』の[[似顔絵]]コーナーで入選。[[1984年]]に、同誌の別冊である[[ロック (音楽)|ロック]]漫画誌『8ビート・ギャグ』に漫画を掲載し商業誌デビュー。『8ビート・ギャグ』には多数の作品を掲載し、志摩あつこらと並び人気を得る。この他にも他社の洋楽雑誌でイラストなどを描いていたが、柴田自身は「コンサートのタダ券ほしさに描いていたため、プロのマンガ家になる気はなかった」と振り返っており、大学に入学する頃には漫画を描くこともなくなった<ref name="shibata1993.p=62">{{Harvtxt|柴田|1993|p=62}}</ref>。 [[1985年]]、大学に入学する。大学時代の同期には[[諏訪敦]]がいる<ref name="bunshun2">{{Cite web|和書|title=600万部の大ベストセラー漫画家→美容家→そして現在は…パプワくん作者・柴田亜美が54歳で見つけた「新たな夢」 |url=https://bunshun.jp/articles/-/57148 |website=文春オンライン |access-date=2022-09-18 |first=吉河 |last=未布}}</ref><ref name="realsound2">{{Cite web|和書|title=『南国少年パプワくん』柴田亜美、画家として個展準備中「漫画は短期だけど、絵画は長期決戦」独特な心情吐露が話題 |url=https://realsound.jp/book/2022/09/post-1119466_2.html |website=Real Sound |access-date=2022-09-04 |first=元城 |last=健}}</ref>。 [[1987年]]、同大学の専攻科に編入。[[1988年]]に卒業。 === 社会人として === アートアドバイザーとして[[銀座]]の[[ギャラリー (美術)|画廊]]に就職するも半年で退職。 [[1989年]]、[[リクルートホールディングス|リクルート]]の関連会社にイラストレーターとして就職。[[FromA]]や[[とらばーゆ]]等の求人広告のカットを描いていた<ref>{{Cite web|和書|title=柴田亜美staffの2021年6月13日のツイート|url=https://twitter.com/s_ami_staff/status/1403834135638994946|website=Twitter|accessdate=2021-06-13|language=ja}}</ref>。 === 執筆活動の開始 === [[1990年]]、知人の[[児嶋都]]に誘われる形で<ref>{{Cite web|和書|title=『ドラクエ35周年。』|url=https://ameblo.jp/mangakanoinutachi/entry-12677226501.html|website=漫画家の犬たち|accessdate=2021-05-30|language=ja}}</ref>『[[ドラゴンクエストシリーズ|ドラゴンクエスト]][[4コママンガ劇場]]』に執筆を始め、「ニセ勇者」シリーズを執筆して人気を博す。同年6月には「ソードマスター剣王伝説」でエニックスファンタジーコミック大賞奨励賞を受賞。その後、創刊企画時の『[[月刊少年ガンガン]]』から執筆依頼が来るものの、当時はまだプロとしてやっていく気はなく断っていたという。しかし、私生活上で嫌なことがありヤケになっていた時に、当時会社があった渋谷の路上でエニックスの編集者から「漫画を描かないか」と声をかけられ、思わず頷いてしまったことからプロになる決意を固めた(この出来事を柴田は「'''エニックスナンパ事件'''」と呼んでいる<ref name="shibata1993.p=62" />)。 [[1991年]]に『[[月刊少年ガンガン]]』創刊号にて、『[[南国少年パプワくん]]』の連載を開始。2話目までは会社勤務と漫画連載を並行していたが、連載3話目以降は時間的に両立させるのが難しくなり会社を退職、漫画家の専業となる。『南国少年パプワくん』はアニメ化されるなどのヒット作となり、[[藤原カムイ]]、[[衛藤ヒロユキ]]らと共に『月刊少年ガンガン』初期の牽引役となった。 その後[[エニックス]](現[[スクウェア・エニックス]])、[[集英社]]、[[講談社]]、[[徳間書店]]、[[小学館]]、[[アスキー (企業)|アスキー]](現[[エンターブレイン]])、[[竹書房]]などでの連載経験を持つ。 [[2012年]]に『[[カミヨミ]]』の連載を終了して以降はストーリー漫画作品の制作は減少し、[[随筆|エッセイ]]漫画・レポート漫画を中心に作品を発表している。 2021年まで[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]/[[iOS]]用アプリゲーム『[[ファンタジーライフ|ファンタジーライフ オンライン]]』のゲーム内にて『FLO4コマ劇場』を連載。 2017年には一部報道で「柴田亜美が漫画家引退」というタイトルの記事が発表され、本人もインタビューで「私、美容家になります。漫画を辞めても悔いはない。」という旨の発言をした<ref>{{Cite news|url=https://wpb.shueisha.co.jp/news/lifestyle/2017/03/08/81289/ |title=『南国少年パプワくん』の柴田亜美が漫画家引退・・・49歳の人生で"史上最強ボディ"を得た美容サロンに専念!? |newspaper=[[週刊プレイボーイ|週プレNEWS]] |publisher=[[集英社]] |date=2017-03-08|accessdate=2017-10-09}}</ref>ものの、以降も継続して漫画作品を発表している。 [[2021年]]から画家の仕事を始め、そちらの活動が中心になりつつあるという。 == 人物 == === 自画像 === * 自画像(自作に自分を出す場合)は基本的には普通の[[人間]]だが、要所要所で何の説明もなくデフォルメキャラに切り替わる。エッセイ的な漫画を書き始めた頃は[[タコ]]や[[ウサギ]]が多かったが、[[ドキばぐ]]シリーズ以降は[[タヌキ]]が多い。なお、このタヌキは、耳が確かにあるものの、口先が細長く、見る人によっては[[キツネ]]にしか見えないため、ドキばぐシリーズの連載で交友が生まれた[[岡田耕始]]と[[東京ゲームショウ]]内でのトークショーで『[[真・女神転生 デビルチルドレン 黒の書・赤の書]]』に柴田と担当編集だった小澤繁夫(現[[トムス・エンタテインメント]]執行役員兼[[セガサミーホールディングス]]株式会社・IP事業推進部部長、JadeComiX株式会社・取締役<ref>{{Cite web|和書|title=アニメ会社のトムスが“IP創出”を目指す「原作工房TMSLab」日本のマンガ・アニメ業界の新たな試みを編集長が語る (2/2) - コミックナタリー 特集・インタビュー |url=https://natalie.mu/comic/pp/tms-lab/page/2 |website=コミックナタリー |access-date=2023-08-11 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>)をゲスト出演させる約束を守り、実際に収録された際に「'''キツネ'''のナマモノ」と説明するという凡ミスが起きている<ref name=":0">{{Cite book|和書|title=ドキばぐ崖っぷちでハロー編|publisher=エンターブレイン}}</ref>。また、作者の漫画の中で犬の名前によく「チャッピー」が使われるのは、子供の頃作者が兄からチャッピーと呼ばれていたため。なぜチャッピーなのかは不明。 === 作風 === {{出典の明記|section=1|date=2020年12月}} *漫画家の中でもかなりの速筆。イラストレーター時代に大量にイラストを描いていた経験によるものだという。[[1990年代]]初頭から中盤にかけては、多い時には月刊誌に100ページ超の作品を掲載したことに加え、複数の雑誌で掛け持ち連載をしていた。だが本人がネタにしている通り、仕事を安易に引き受けすぎて年末進行期間中は来客で来ていた[[中裕司]]と[[大島直人]]に手伝わせたりしても、結局締切に間に合わず、時折印刷所を止めることがあり、[[大日本印刷]]に勤めていた親戚に謝罪したり、大日本印刷からクレームが来ることや、連載に穴をあけることも割とあった。体調を崩しかけたため、2000年代後半あたりからは仕事量を抑えている。 * 少年漫画を執筆する際、ストーリーは王道ながらも[[ボーイズラブ]]の要素を入れるのを常としている。女性キャラがほとんど出ないのも特徴。 ===プライベート === * [[1993年]]に、交際していた造形デザイナーの男性との結婚を発表したが、後に別れている(別れた時期は公表されていない)。しかし当時[[婚姻届]]を役所に提出しておらず、最終的に提出しないまま男性と別れたため、戸籍上は離婚歴がないことを[[2020年]]に公表している<ref>2020年7月21日放送『[[踊る!さんま御殿!!]]』での発言{{信頼性要検証|date=2020年12月}}。</ref>。 * 仮眠をする時は、ベッドではなく廊下で寝る。その時の枕は那須に取材に行った時に土産物屋で買った固い[[こけし]]であり、20年以上愛用している。ベッドで寝ると熟睡してしまうからだという。しかし、アシスタントには「あれだけ売れて、廊下で寝るんだ」と陰口を言われている。しかし、廊下で寝るというのは本人にとっては結構重要なことで、廊下で寝られる家を選んで2009年に麻布十番にあるマンションの3LDKの部屋を1億6000万の一括払いで買い(本当は1億9000万だったが、売り主が柴田のファンで、イラスト入りサイン色紙を描いて渡したら3000万まけてくれた)、そこを自宅兼作業場にしている。テレビで見せた酔っぱらったパフォーマンスを見るに、廊下で寝るのは(位置も決まっている)完全に癖になっている。 *[[麻布十番]]に億ションを買う前は[[高円寺]]や[[三軒茶屋]]、[[初台]]、[[南青山]]に住んでいた。 === 家族 === * 父の[[柴田尚武]]は[[脳外科]]医([[長崎大学]]医学部名誉教授)で、かつてNASAの[[アポロ計画]]で医療スタッフとして携わっていた。母は[[佐賀藩]]の[[大奥]]の末裔。 *兄が1人いる。1999年時点では、自身の著書で「都内にある[[富士銀行]]員」と紹介されている。兄は1999年時点で結婚しており<ref name="bagu3">『ジャングル少年ジャン番外編 ドッキンばぐばぐアニマル』3巻より。</ref>、1995年に産まれた甥がいる。 * [[曽祖父]]が[[孫文]]を匿っていたことがある。また[[中田弘二]]は母方の大叔父でもある<ref>{{Cite web|和書|title=2021年9月22日の柴田亜美staffのツイート|url=https://twitter.com/s_ami_staff/status/1440663053121454084|website=Twitter|accessdate=2021-10-09|language=ja}}</ref>。[[被爆二世]]であることをブログで公表している<ref>{{Cite web|和書|title=『8月9日11時02分。』|url=https://ameblo.jp/mangakanoinutachi/entry-12060181832.html|website=漫画家の犬たち|accessdate=2021-06-03|language=ja}}</ref>。父から美術大学進学を認めてもらう時に、何でもするからと言った事で[[動物実験]]用に使われていた60頭の[[ネズミ]]の世話をさせられた事がある<ref name="bagu2" />。 * [[チワワ]](名前は伽羅〈きゃら〉)をペットとして飼っていた。以前はチワワの蛍(ほたる)と楽(らく)、[[ポメラニアン]]の茶壺(ちゃつぼ)を飼っていたが、蛍が[[2012年]][[11月]]に、楽が[[2016年]][[2月]]に、茶壷が[[2016年]][[4月]]、伽羅が[[2022年]][[12月]]<ref>{{Cite web|和書|title=柴田亜美staffさんの2023年1月4日の投稿 |url=https://twitter.com/s_ami_staff/status/1610382553265102848 |website=Twitter |access-date=2023-03-04 |language=ja}}</ref>にそれぞれ他界している。蛍と楽は元預かり犬で、高齢であったことから正式に引き取られた。 === 趣味・特技 === * [[カエル]] が好きで、自宅に大量のカエルグッズがある。作品中でもしばしばカエルが扱われ、『漫画家の犬たち〜茶壺と伽羅の愉快なブログ〜』でも自身のカエルグッズを紹介することがある。 * [[エンターブレイン]]の社長だった[[浜村弘一|ヒゲ]]に付き合わされた結果<ref>{{Cite web|和書|title=『エル・デスペラード選手。』|url=https://ameblo.jp/mangakanoinutachi/entry-12419236320.html|website=漫画家の犬たち|date=2018-11-15|accessdate=2021-08-31|language=ja}}</ref>プロレス好きである。ストレス解消に週一度後楽園ホールへ行き、レモンサワーを飲みながら(本人曰くマッチョイオンを浴びるため)プロレス観戦している。後楽園ホールに住みたいともいうくらい好きである。 === 嗜好 === * 好きな物はアワビ・酒(ただしビールは好きではない)・[[バナナ]]・[[黄色]](カラー原稿の背景は必ず黄色で塗る)<ref>勇者への道、16Pより。</ref>・長電話・スルメ・チゲ鍋・買い物・犬・[[ボンカレー]]<ref name="bagu3"/>・[[鮭とば]]<ref>{{Cite web|title=柴田亜美staffのtwitter2021年6月20日のツイート|url=https://mobile.twitter.com/s_ami_staff/status/1406537509765455879|website=Twitter|accessdate=2021-08-23|language=ja}}</ref>。嫌いなものはコーヒー牛乳・チョコレートケーキ・ドーナツと[[オニオンリング]]<ref name="bagu2" />。この3つは理由なく嫌いとのこと。 === 苦手 === * [[タマネギ]]が大の苦手。アレルギーではなくただの好き嫌い。しかしブログで紹介している料理で度々使用している(2012年3月2日のブログにて「食感がダメなんですけど、風味は大丈夫なんですよ」とコメント)。 * [[マンゴー]]・[[アボカド]]・[[銀杏]]・[[ハゼノキ]]・油粘土などで顔がかぶれる。特に銀杏の時は入院するほどの症状が出た。アボカドによるアレルギー反応で体が腫れた時は、あまりの腫れの酷さに皮膚科で資料用に写真を撮られたほどである事をブログで記事にしていた事がある<ref>{{Cite web|和書|title=『本日【ザ!世界仰天ニュース】放映日です。』|url=https://ameblo.jp/mangakanoinutachi/entry-12415516230.html|website=漫画家の犬たち|accessdate=2021-08-23|language=ja}}</ref>。 * ホラーゲームとアクションゲームは苦手。そのため[[ドリームキャスト]]版の『[[バイオハザード CODE:Veronica|バイオハザード コードベロニカ]]』を逃げ足が速いという理由で[[中裕司]]に焼き肉をエサにする形でやらせたり<ref name="bagu3" />、甥っ子が柴田の代わりに『[[デビルメイクライシリーズ|デビルメイクライ]]』をプレイしていた事がある<ref>{{Cite web|和書|title=『見返りチワ美人。』|url=https://ameblo.jp/mangakanoinutachi/entry-11445305680.html|website=漫画家の犬たち|accessdate=2021-04-27|language=ja}}</ref>。 === 漫画執筆以外の活動 === ==== 犬の保護活動 ==== 保護団体「ALMA(アルマ)」に保護された犬の預かり、いわゆる保護活動をボランティアとして行っている。2005年の[[ひろしまドッグぱーく]]事件を機に興味を持ったという<ref>{{Cite web|和書|url=http://onelove.cc/interview/221.html|title=ONE LOVEへのメッセージ|ONE LOVE(ワンラブ) - VOL.107 柴田亜美さん|publisher=ONE BRAND. Inc|accessdate=2015-01-21}}</ref>。過去に伽羅という名前の犬を飼っていたが、2022年12月30日に急逝。さらに以前は茶壷、楽という名前の犬も飼っていたが、楽は2012年に他界した蛍と同じく、年齢によって引き取り手がいないと危惧されたことから柴田自身が引き取ることになり、その後2016年2月に他界、茶壷もまた2016年4月に他界した。一時預かりを含め、飼い犬たちとの日常をブログにて公開している。 ==== 美容関係 ==== [[2007年]]頃より体調を崩して、体重が10kg増加。これがきっかけで食事療法、筋トレ、エステ、レコーディングダイエットなどあらゆるダイエット方法で減量を試みるようになる。食事療法と筋トレを基本に継続したところ44歳になる頃には14kgの減量に成功。その後も筋トレは続けていたが、座り仕事の多い執筆業に多く見られがちな腰痛や肩こりは改善されずにいた。 [[2016年]][[6月]]、通っていたジムでボディセラピストに受けたマッサージで体のバランスを整えることが大切であると開眼。同年9月にはサロンを開くことを決意し、12月に麻布十番にプライベートサロン『ボディオートクチュール ami』をオープン。施術は前述のボディセラピスト・柔道整復師の[[ガッツワールドプロレスリング#歴代所属選手|小林雄祐]]。オーナーである柴田はカウンセリングを行い、またサロンで提供する食事も自ら作っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://wpb.shueisha.co.jp/news/lifestyle/2017/03/01/80844/|title=『南国少年パプワくん』の柴田亜美先生が美容家に。その“勘違いボディメイク”遍歴とは…?|publisher=週プレNews|date=2017-03-01|accessdate=2017-03-10}}</ref>。 == 交友関係 == *[[声優]]の[[緑川光]]とは親友であり、お互いが新人だった頃(時期的に『南国少年パプワくん』の頃)によく電話で「俺は100作品の声優をするから、柴田さんは100冊単行本出しなよ!」と、共に野望を語り合った(柴田本人のブログにも掲載されている)。『南国少年パプワくん』の連載時、もう1人のシンタローの名称を「金髪だから金太郎です」と言ったところ柴田自身がそれを気に入り、もう1人のシンタローの名前が「キンタロー」になった(『勇者への道』より)。『カミヨミ』ドラマCDでの雑誌インタビューでは「柴田先生から『上手くなったね』と言ってもらいたくて頑張りました」と語った。また、柴田は緑川のことを「数少ない友人」と漫画の中で語っている。 *『ドキばぐ』の連載が縁で、多数の[[ゲームクリエイター]]と交流がある。[[中裕司]]とは、『ドキばぐ』担当だったチップス小沢を含め3人で島根、鳥取旅行もしたことがある。また、ある年のとあるレストランで開かれた柴田の誕生日パーティーには、多数の著名なゲームクリエーターが参加した。その後、柴田の自宅で二次会を開いたときには、中裕司、[[岡本吉起]]、[[小島秀夫 (ゲームデザイナー)|小島秀夫]]、[[松野泰己]]らが参加し、一緒に『ファンタシースターオンライン』を楽しんだという。2009年1月30日号の『ファミ通』で行われた小島秀夫と[[名越稔洋]]との対談で、「僕たちが初めて出会ったのは柴田先生の飲み会に誘われたとき」というエピソードが語られた。また、名越は柴田の紹介で多くのクリエーターと交流を持てたことから、「今考えると柴田先生の功績ってすごい」と語った。 == エピソード == * ゲーム『[[街 〜運命の交差点〜|街]]』のセガサターン版発売記念にゲーム中に登場できる「プリクライベント」に、企画でもなんでもなく、個人で応募してゲーム中に登場した。その際、応募は原則1人1枚の所、1人で2枚送ったことを、SS版のゲーム中で指摘されている。 * 『[[不思議のダンジョン 風来のシレン2 鬼襲来!シレン城!|風来のシレン2]]』の「ひみつの巻物」の短編漫画にて「アーミン」「盗る猫(キャッツアイ)」の名前の泥棒役で出演した。なお、この際の自画像は人間とタヌキが両方出ており、「茶壺(ポメ)」という名前の愛犬が登場している。 * 同郷の[[福山雅治]]を応援するために、[[エフエム東京|TOKYO FM]]系の[[福山雅治 福のラジオ|福山雅治の番組]]に電話出演をしたことがある。いわゆるゲストではなく、一般聴取者が電話で出演するコーナーに、自ら応募しての出演であった。その後、同番組内での企画「おもしろ美女×イケてナイスガイ合コンパーティー」にも参加した。 * 2009年11月、[[ザクロ]]の実の皮が硬かったため皮ごと丸かじりして食べた際、ザクロの皮に含まれるペレチエリンによって、有毒作用で中枢性運動障害を引き起こし、3時間まったく体が動かせず、危うく命を落としかけた<ref>締め切り前は、何もかもが混乱して億劫になるので、原点に野生化していくため、何事も乱雑になっていく。締め切り前じゃなかったら、絶対皮ごとかじらなかったとのこと。</ref>。この出来事は、2018年10月30日の『[[ザ!世界仰天ニュース]]』で放送され、柴田が同番組の大ファンで、自らの体験を投稿したのが採用された。再現VTRの撮影は、柴田の自宅で行われ、VTRに登場した料理は柴田が実際に作ったもので、愛犬チワワの伽羅も、実際の飼い犬によるものである。 * 『[[ファミ通]]』と繋がりを持つきっかけになったのは、『[[シャイニング・フォース 神々の遺産]]』内の隠しキャラクターであるハンゾウの出し方を教えて欲しい、とファミ通編集部に対してFAXを送ったのがきっかけであり、そのときは1読者であったことから、ファミ通編集部との面識は、一切無かったとのことである<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.famitsu.com/news/201806/08158155.html|title=メガドライブミニの発売が待ちきれない! メガドラ大好きマンガ家・柴田亜美がメガドラの思い出を語りまくる。『ドキばぐ』メガドラ回の一部抜粋も(1/2)|publisher=ファミ通.com|date=2018-06-08|accessdate=2017-07-20}}</ref>。 == 作品リスト == === 創作作品 === ; [[南国少年パプワくん]] : 『[[月刊少年ガンガン]]』にて連載。柴田のプロデビュー作品。 ; [[変身王子ケエル]] : 『月刊少年ガンガン』1993年11月号に読切掲載、『[[フレッシュガンガン]]』にて連載。魔法によって蛙の姿にされてしまった、夢の国の王子・ケエルの物語。ケエルの設定は後に『自由人HERO』や『PAPUWA』などに使用された。柴田亜美個人製作でアニメ化されたこともある。3分ほどで、声優は、速水奨、緑川光、高山みなみ、和田仁美、柴田亜美本人も出演(当時の『[[アニメージュ]]』情報)イベントで1回上映されただけである。 ; [[自由人HERO]] : 『[[月刊少年ジャンプ]]』にて連載。『南国少年パプワくん』の拡張世界。パプワくんの時代から数百年後の物語とされ、「シンタロー」という名前のキャラや秘石などの設定のつながりが見られる。 ; [[緊急出動すずめちゃん!]] : 『[[なかよし]]』にて連載。126億円で改造手術を受けた御山野すずめが、黄金の街・ナガサキシティを狙う東京の秘密結社「スーツマン軍団」から送られた刺客と闘う。「スーツマン軍団」のモデルは掲載誌『なかよし』の編集部員・編集部長たちである。 ; [[未来冒険チャンネル5]] : 『南国少年パプワくん』の拡張世界。『自由人HERO』と同じく『パプワくん』の時代から数百年後の物語とされ、一部に設定のつながりが見られる。完結前に休載状態だったが、2010年に書き下ろしを加えた第1〜2巻を再発売し、2015年に完結編となる第3巻が発売。 ; [[Gセン場のアーミン]] : 『別冊ファミコン通信・攻略スペシャル』『[[ファミ通ブロス]]』にて連載したエッセイ漫画。柴田が送るゲーム(ゲーセン)漬けの日々をネタにしている。マネージャーとして登場する三浦のりこ(ノリコ)は、[[さくらももこ]]の姉の名前及び職歴と合致するが<ref>[https://www.nintendo.co.jp/nom/0206/ukiint/ 『さくらももこのウキウキカーニバル』制作スタッフインタビュー] [[任天堂]]</ref>、同一人物であるかは明言されていない。 ; [[勇者への道]] : 『[[ファンロード]]』にて連載。月に四コマ漫画が3本掲載される。当初はRPGを題材としたファンタジックなネタを扱っていたが徐々に本人の日記漫画へと移行していった。単行本が1冊刊行されているが、未収録回が存在する。 ; [[ドリームネットPAPA]] : 『[[Amie]]』にて連載。わずか1歳にして言葉を喋り、様々な道具をいとも簡単に生み出す[[マサチューセッツ工科大学|MIT]]卒の天才ベイビー「ネット」と、彼が作り上げたホログラフィーのバーチャルペットの「ウサたん」、そしてネットの父親であるゲームプロデューサー「五味ヒデハル」その他愉快な仲間達によって繰り広げられるドタバタホームコメディ。『緊急出動すずめちゃん!』の「スーツマン軍団」のメンバーが2人、ライバル会社「リアール」のメンバーとして登場している。同誌で連載していた[[CLAMP]]作品を丸々[[パロディー]]化した回も存在する。作中にある水害の話しは柴田が中学生時代に経験した[[長崎大水害]]の実話をもとにして描かれている<ref>{{Cite news|url=https://ameblo.jp/mangakanoinutachi/entry-11302281699.html|title=『漫画家の犬』「お昼寝毛玉。 」|work=柴田亜美|publisher=[[アメーバブログ]]|date= 2012-07-14|accessdate=2021-02-03}}</ref>。連載雑誌が休刊し終了しているが、柴田本人は後年連載を振り返った際に、「雑誌は途中で廃刊になっちゃったけれど、愉しく連載させていただいた大好きな作品です」、「雑誌が廃刊にならなかったら、ずっと続けていきたかった大好きな作品です」と発言している<ref>{{Twitter status|s_ami_staff|1333234447014006785|柴田亜美staffのツイート 2020年11月30日の発言}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=柴田亜美staffさんの2021年4月29日の投稿 |url=https://twitter.com/s_ami_staff/status/1387542994543267841 |website=jump.5ch.net |access-date=2023-04-23}}</ref>。なお、ヒデハルのモデルはゲームクリエイターの[[中裕司]]で、ナオトのモデルは[[大島直人]]である。 ; [[ジャングル少年ジャン]] : 『[[ファミ通]]』にて連載。『南国少年パプワくん』と似通った舞台設定をもつセルフパロディとでもいうべき作品だが作風は異なる。連載中にまれに番外編としてゲーム業界のレポート漫画を掲載するようになり、その頻度が増していくと本編が未完のまま番外編がメインとなって置き換わった。詳細は『[[ドキばぐ]]』にて。 ; [[ジバクくん]] : 『ファミ通ブロス』にて連載。『ジャングル少年ジャン 本編』に登場した万歳をすると爆発する不可思議なナマモノ、「ジバクくん」を主人公の相棒に添えた一種の[[スピンオフ]]作品。アニメ化もされ、本編とリンクしてとある登場人物のネタバレを行う予定であったが、アニメ側がエンディングのキャスト欄でその前にばらしてしまい、多少もめたりもした{{要出典|date=2020年12月}}。 ; [[TKman]] : 『[[ビッグコミックスピリッツ]]』にて連載。[[小室哲哉]]本人をパロディにした漫画であるが、小室本人が関わっているわけではない。とは言え、実際に小室と対談したり、漫画の中で歌手デビューをさせたりしていた。この中の小室が『PAPUWA』のキャラクターで再利用されている。 ; [[タンバリン (漫画)|タンバリン]] : 『[[コミックGOTTA]]』にて連載。柴田が、「体力的にこれが自分の描く最後の格闘漫画」と公言していた作品だが、連載していた雑誌が廃刊になって終了した。 ; [[あやかし天馬]] : 『月刊少年ジャンプ』にて連載。天狗に取り憑かれた野球少年とククリの者(=妖怪使い)の少年の友情を描いた作品。連載中に右腕を故障し、連載を断念。作中の登場キャラクターは、『カミヨミ』に多少形を変えつつ受け継がれている。 ; [[PAPUWA]] : 『月刊少年ガンガン』にて連載。『南国少年パプワくん』の直接的な続編。連載開始の経緯は、いわゆる[[エニックスお家騒動]]により主力作家が抜けたことでの連載ラインナップの弱体化を危惧したエニックス(当時)が、連載再開を要請したという説もある{{要出典|date=2020年12月}}。 ; [[ブルードラゴン#漫画|BLUE DRAGON ST]](ブルードラゴン シークレットトリック) : 『月刊少年ジャンプ』にて連載。[[Xbox 360]]専用ゲームソフト『[[ブルードラゴン]]』の[[漫画化]]の一つ。ゲームから4年後の世界が舞台で、主人公はオリジナルキャラの少女(=ちみっ子)、ラーラでゲーム版の主人公だったシュウは主にツッコミ役と、柴田流に大胆なアレンジが加えられている。 ; L♥L♥B(ラブラブベイビー) : 『[[少女コミック]]』にて連載。[[ベイビー]][[ギャング]]団と名乗る赤ちゃん2人組が悪事を働こうとして失敗を繰り返す4コマギャグ漫画。 ; [[SCRAMBLE!]] : 『[[月刊少年ガンガン]]』にて連載。 ; [[カミヨミ]] : 『[[月刊Gファンタジー]]』にて連載。『あやかし天馬』のキャラクターと趣向を受け継いでいる作品。 ==== 読切作品 ==== ; ケロたんにおまかせ! : 『[[なかよし]]』[[2001年]]2月号に掲載。 ; 屍体の医者 : 『[[good!アフタヌーン]]』[[2014年]]4月号に掲載。主人公には『[[南国少年パプワくん]]』の登場キャラクターの一人であるドクター高松をフィーチャーしている。今までの作風とは大きく変えた、シリアスな内容。本作発表後、柴田のところには各出版社の担当や知り合いの編集者から驚きの感想メールが多く届いたという。 : 当時「『描かなきゃ』ではなく『描きたい』という欲求が出るまで待っていた」という理由で、柴田は2年ほどストーリー漫画制作から遠ざかっていた。その後、[[坂上忍]]が作・演出した舞台『溺れる金魚』を見た柴田は感銘を受け、その後いろんな舞台を見た柴田は制作意欲が湧き、1日で本作の第1稿ネームを描き上げた<ref>{{Cite news|url=https://ameblo.jp/mangakanoinutachi/entry-11797405472.html| title=『漫画家の犬』「【溺れる金魚】と【屍体の医者】。」|work=柴田亜美|publisher=[[アメーバブログ]]|date=2014-03-16|accessdate=2016-10-11}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://afternoon.moae.jp/news/961|title=柴田亜美、good!アフタヌーンで新境地を切り開く読み切り『屍体の医者』を掲載! 別マガから出張掲載の長田龍伯『アビス』番外編も注目!|publisher=講談社|date=2014-03-07|accessdate=2016-10-11}}</ref>。 === レポート・エッセイ作品 === ; [[ドキばぐ]] : 『週刊ファミ通』にて連載。[[ゲーム会社一覧|ゲームメーカー]]や[[ゲームクリエイター]]に取材をする、体当りゲームレポート漫画。柴田の作品の中で一番の長期連載で、2009年の連載休止までに約13年間連載していた。その後「特別復活編」として、不定期に掲載しているが、小島秀夫が出演した特別復活編1のみ小島がコナミを退社した事で収録されていない。 ; [[ほごけん]] : 『ウーマン劇場』にて連載。 ; [[目指せ美BODYフープダイエット!!]] : 『ウーマン劇場』にて連載。『46歳人生で一番ナイスバディになりました』と改題して2014年、竹書房より書籍化。 ; [[お江戸妖怪散歩]] : 『[[まんがライフWIN#WEBコミックガンマ(旧:まんがライフWIN+)|WEBコミックガンマ]]』にて2014年7月10日より配信開始、毎週木曜日更新。『アーミンのぶらり妖怪散歩』と改題して書籍化。 ; [[れんコテ V系バンドマン×やんちゃネコの育猫奮闘記]] : 『ホーム社・WEBコミックサイト「comip!」』にて連載。「柴田亜美 with 煉&虎徹」名義。 === ゲーム作品 === ; [[4コママンガ劇場|ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場]] : [[ドラゴンクエストシリーズ]]の4コマ漫画。6巻まで参加。ドラゴンクエスト・ガンガン編は1巻のみ参加。 ; FLO4コマ劇場 : [[ファンタジーライフ|ファンタジーライフ オンライン]]の4コマ漫画。ゲーム内にて連載。 ; [[ザ・キング・オブ・ファイターズ|ザ・キング・オブ・ファイターズ'97]] エディットチームエンディングゲストイラスト : 山崎竜二、チャン・コーハン、チョイ・ボンゲの3人でプレイし、最終ボスのオロチを倒した後、このイラストが登場する。 == キャラクターデザイン == * [[ドカポンシリーズ|ドカポン3・2・1〜嵐を呼ぶ友情〜]] * [[ビヨンド ザ ビヨンド 〜遥かなるカナーンへ〜]] * [[トゥルーファンタジー ライブオンライン]] == テレビ出演 == * [[ザ!世界仰天ニュース]](2018年10月30日放送)※VTR出演 * [[オータケ・サンタマリアの100まで生きるつもりです]](2019年2月18日放送) * [[アウト×デラックス]] ** 2019年4月26日放送 ** 2020年8月20日放送 * [[ホンマでっか!?TV|ホンマでっか!?TVスペシャル]](2019年5月22日放送) * [[有田哲平と高嶋ちさ子の人生イロイロ超会議|有田哲平と高嶋ちさ子の人生イロイロ超会議SP]](2019年7月8日放送) * [[開運!なんでも鑑定団]] ** 2020年1月28日 カエルの置物を鑑定 ** 2020年8月18日 絵皿を鑑定 * [[ワイドナショー]] ** 2020年9月6日放送 ** 2020年11月1日放送 ** 2021年5月23日放送 ** 2022年12月4日放送 ** 2023年3月26日放送 * [[所JAPAN]] ** 2021年6月28日放送 * [[上田と女が吠える夜]] ** 2022年8月3日放送<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/488120|title=今夜放送「上田と女が吠える夜」に柴田亜美、「パプワくん」連載中の悲しい出来事とは|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-08-03|accessdate=2022-08-03}}</ref> ** 2022年12月21日放送 2022年年納め2時間大デトックスSP * [[総額2億1800万円を家に隠しました]](2022年8月27日、テレビ東京) == アシスタント == * [[タイジャンホクト]] * [[ちゃありぃ金城ちゃっぷりん]] * [[吉本蜂矢]] * [[K (ミュージシャン)|K]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|2|refs= <ref name="bagu2">『ジャングル少年ジャン番外編 ドッキンばぐばぐアニマル』2巻</ref> }} == 参考文献 == *{{Cite book|和書|author=柴田亜美|year=1992|month=3|title=柴田亜美のほん.|publisher=[[エニックス]]|isbn=4-900527-83-1|ref={{Harvid|柴田|1992}}}} *{{Cite book|和書|author=柴田亜美|year=1993|month=3|title=柴田亜美のほん. パート2.|publisher=エニックス|isbn=4-87025-710-6|ref={{Harvid|柴田|1993}}}} **「柴田亜美と世界」(企画構成・[[竹熊健太郎]]) == 外部リンク == * [https://papuwa.com/ 柴田亜美公式サイト【かげろうの墓】] * [https://ameblo.jp/mangakanoinutachi/ 漫画家の犬たち〜茶壺と伽羅の愉快なブログ〜] * [https://ameblo.jp/kyokugenbiyou/ 女漫画家の極限美容!] * [https://web.archive.org/web/20180720013610/http://ami.papuwa.com/ ボディオートクチュール ami] * [https://web.archive.org/web/20010111005100/http://www.spi.shogakukan.co.jp/spi/inspi_new/ami_sakka.htm 柴田亜美の「カゲロウ日記」] * {{Twitter|s_ami_staff|柴田亜美staff}} * [https://www.youtube.com/channel/UC-HCQ5ubDT4sAIwRU43yZ0g 柴田亜美のアーミンワールド -] - [[YouTube]]チャンネル {{柴田亜美}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:しはた あみ}}<!--カテゴリの50音順--> [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本の女性YouTuber]] [[Category:日本の女性タレント]] [[Category:武蔵野美術大学出身の人物]] [[Category:帰国子女]] [[Category:長崎県出身の人物]] [[Category:1967年生]] [[Category:存命人物]]
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柴田昌弘
柴田 昌弘(しばた まさひろ、1949年12月26日 - )は、日本の元漫画家。 妻は漫画家の市川ジュン。2015年より京都精華大学ストーリーマンガコース教員。 三重県松阪市出身。成蹊大学卒業。 「別冊マーガレット」(集英社)1973年6月号に掲載された「白薔薇の散る海」でデビュー。和田慎二のアシスタントを一時期務める。少女漫画にメカニックやハードなSF・サスペンスの要素を大いに取り込み、人気を博した。少年漫画を経て、青年漫画を中心に活動していた。代表作に『紅い牙 ブルーソネット』など。 浅香晶原作の「スーパー★ノバ」シリーズなどライトノベルの挿絵も複数担当している。 フォア・ナインから発売されたアダルトゲーム『リリス』ではキャラクターデザインを担当している。 「サライ」の長期連載完結を迎え、公式サイトにて今後の予定を発表。以下本人言 2008年5月6日、公式サイト閉鎖。少年画報社「ヤングキング」誌での『サライ』がプロ漫画家としての最後の連載作品となった。 2009年6月30日発行の菊池秀行・著『ミーくんの番長日記』のイラストを担当。その後漫画家を引退。 主に超能力、メカニックなどのSF漫画を手がける。長編作品においては、超人的な能力を持つ十代半ばの少年少女が世界の命運をかけて戦うといったストーリーが多く見られ、ヒロインを中心とする女性たちのお色気シーンが頻繁に描かれるのも特徴。 1973年 1975年 1976年 1977年 1979年 1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 1990年 1991年 1993年 1997年 1998年 2005年 2006年
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柴田 昌弘は、日本の元漫画家。 妻は漫画家の市川ジュン。2015年より京都精華大学ストーリーマンガコース教員。
{{別人|柴田昌宏}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 柴田 昌弘 | 画像 = <!-- 画像ファイル名 --> | 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px --> | 脚注 = <!-- 画像の説明文 --> | 本名 = 柴田誠{{Efn2|p.458に本名・出身地・生年月日・現住所・血液型を記載{{Sfn|「日本漫画家名鑑500」編集委員会|1992|p=458-459}}。}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1949|12|26}}{{Sfn|「日本漫画家名鑑500」編集委員会|1992|p=458-459}} | 生地 = {{JPN}}・[[三重県]][[松阪市]]{{Sfn|「日本漫画家名鑑500」編集委員会|1992|p=458-459}} | 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> | 没地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 --> | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 職業 = [[漫画家]] | 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 --> | 活動期間 = [[1973年]] - [[2009年]] | ジャンル = [[少女漫画]]<br />[[少年漫画]]<br />[[青年漫画]] | 代表作 = [[紅い牙]]シリーズ<br>[[ラブ・シンクロイド]]<br />[[サライ (漫画)|サライ]] | 受賞 = <!-- 出版社の賞など --> | サイン = <!-- 画像ファイル名 --> | 公式サイト = <!-- {{Official website|https://www.example.org}}や[https://www.example.org/ 公式ページ名] など --> }} '''柴田 昌弘'''(しばた まさひろ、[[1949年]][[12月26日]] - )は、[[日本]]の元[[漫画家]]。 妻は漫画家の[[市川ジュン]]。2015年より[[京都精華大学]]ストーリーマンガコース教員。 ==概要== [[三重県]][[松阪市]]出身{{Sfn|「日本漫画家名鑑500」編集委員会|1992|p=458-459}}。[[成蹊大学]]卒業。 「別冊マーガレット」([[集英社]])1973年6月号に掲載された「白薔薇の散る海」でデビュー(投稿3作目{{Sfn|「日本漫画家名鑑500」編集委員会|1992|p=458-459}})。投稿時代より[[鈴木光明]]主宰の「三日月会」に入会した縁で仲間となった[[和田慎二]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]をデビュー後に一時期務める{{Sfn|「日本漫画家名鑑500」編集委員会|1992|p=458-459}}。[[少女漫画]]にメカニックやハードなSF・サスペンスの要素を大いに取り込み、人気を博した。[[少年漫画]]を経て、[[青年漫画]]を中心に活動していた。代表作に『[[紅い牙|紅い牙 ブルーソネット]]』など。 浅香晶原作の「スーパー★ノバ」シリーズなどライトノベルの挿絵も複数担当している。 フォア・ナインから発売された[[アダルトゲーム]]『リリス』では[[キャラクターデザイン]]を担当している。 「サライ」の長期連載完結を迎え、公式サイトにて今後の予定を発表。以下本人言 {{quotation|長期連載の終了というタイミングもありましたので以前より打診のあったお誘いを受け、マンガ学部のある京都の大学で非常勤講師などをやることになりました。とりあえず一年間。……<br> ……同人活動も終了したことですし、ろくに更新もしない当HPはそろそろ閉じ時かと思います。新たに立ち上げるのもアリかなと。気分も一新したいですしね。とりあえず談話室だけは切り離して継続ということで。|2008年3月30日}} 2008年5月6日、公式サイト閉鎖。少年画報社「ヤングキング」誌での『[[サライ_(漫画)|サライ]]』がプロ漫画家としての最後の連載作品となった。 2009年6月30日発行の[[菊池秀行]]・著『ミーくんの番長日記』のイラストを担当。その後漫画家を引退。 ==作風== 主に超能力、メカニックなどのSF漫画を手がける。長編作品においては、超人的な能力を持つ十代半ばの少年少女が世界の命運をかけて戦うといったストーリーが多く見られ、ヒロインを中心とする女性たちのお色気シーンが頻繁に描かれるのも特徴。 == 作品リスト == * [[紅い牙]]シリーズ ** 狼少女ラン - 『[[別冊マーガレット]]』(1975年8月号) *** みどりの少年—青木ガ原心中— → 青木ガ原心中<ref>発表当時およびマーガレット・コミックス「紅い牙II 鳥たちの午後」では「みどりの少年ー青木ガ原心中ー」だったが、St comicsに収録の際に改題された。</ref> - 『別冊マーガレット』(1976年夏休み大増刊号、蘭の親友・桂木麗子を主人公にした伝奇ロマン。) ** 鳥たちの午後 - 『別冊マーガレット』(1977年7月号) ** さよなら雪うさぎ - 『[[デラックスマーガレット]]』(1978年冬の号) ** タロン・闇に舞うタカ - 『別冊マーガレット』(1978年3月号) ** コンクリート・パニック - 『[[花とゆめ]]』(1981年1号 - 2号) ** ハトの旋律 - 『花とゆめ』(1981年4号 - 5号) ** ブルー・ソネット - 『花とゆめ』(1981年 - 1986年) ** 32シャッフル - 『花とゆめ』(1989年13号) * 当麻宗三郎シリーズ ** 宗三郎・見参! - 『花とゆめ』(1980年15号) ** 宗三郎・あざみ地獄 - 『花とゆめ』(1981年8号) ** 宗三郎・狂い咲き - 『花とゆめ』(1981年18号) ** 宗三郎・五月雨慕情 - 『花とゆめ』(1982年11号) ** 志筑クン 事情(ワケ)ありの午後<ref>宗三郎ではなく、聖蘭学園事件に関わった3人の同志のうち志筑優が主人公となったスピンオフ作品</ref> - 『[[別冊花とゆめ]]』(1982年夏号) ** 宗三郎・おとこ菖蒲 - 『花とゆめ』(1983年11号) ** 宗三郎・風のプレッツェル - 『花とゆめ』(1984年11号) 1973年 * 白薔薇の散る海 - 『別冊マーガレット』(1973年6月号) * 魔法のラケット - 『別冊マーガレット』(1973年11月号) 1975年 * クラッシュ - 『別冊マーガレット』(1975年6月号) * 黒い珊瑚礁 - 『別冊マーガレット』(1975年10-11月号) * メデューサ号の秘密 → 貨物船メデューサ号の秘密<ref>発表当時およびマーガレット・コミックス「紅い牙 狼少女ラン」収録時は「メデューサ号の秘密」だったが、St comicsに収録される際に改題された。</ref> - 『デラックスマーガレット』(1975年冬の号) 1976年 * 凍った時計 - 『別冊マーガレット』(1976年1月号) * 雪の紅バラ - 『別冊マーガレット』(1976年2月号) * ひびわれた明日 - 『別冊マーガレット』(1976年3月号) * ブレンド・ホット作戦 - 『別冊マーガレット』(1976年4月号) * 恋人たちの空 - 『別冊マーガレット』(1976年6月号) * 人形たちは夜にささやく - 『デラックスマーガレット』(1976年秋の号) 1977年 * 大雪山の魔女 - 『別冊マーガレット』(1977年2月号) * Gパン社長メイ - 『別冊マーガレット』(1977年2月大増刊号) * クレオパトラ危機一髪 - 『デラックスマーガレット』(1977年夏の号) 1979年 * 樹氷館 - 『デラックスマーガレット』(1975年1月号) * おれの人魚姫 - 『別冊花とゆめ』(1979年秋の号) * わが友カロン・冬の魔犬 - 『別冊マーガレット』(1979年2月増刊号) 1980年 * タイタニック'80 - 『花とゆめ』(1980年2号) * 海底土人8823(パパにいちゃん) → 海底原人8823<ref>題名は『[[海底人8823]]』(はやぶさ)のパロディ。発表当時および花とゆめコミックス「盗まれたハネムーン」収録時は「海底土人8823」であったが、後に改題された。</ref> - 『花とゆめ』(1980年5号) * 盗まれたハネムーン - 『花とゆめ』(1980年8号) ** アラジンのランプ(HC216『花とゆめ』コミックス「盗まれたハネムーン」掲載の描き下ろし作品。1980年) ** 強風地帯(HC216『花とゆめ』コミックス「盗まれたハネムーン」掲載の描きおろし作品。1980年) * 第3の娘 - 『花とゆめ』(1980年14号) * 未来都市バラン - 『花とゆめ』(1980年19-20号) * 成層圏のローレライ- 『花とゆめ』(1980年夏の増刊号) ** 赤い仔猫は笑わない - 『花とゆめ』(1980年23号、「成層圏のローレライ」続編) * ひとりぽっちの戦争 - 『少年少女SFマンガ競作大全集』(1980年7号) * 枯葉の街 - 『少年少女SFマンガ競作大全集』(1980年8号) 1981年 * 村祭りの夜 - 『花とゆめ』(1981年5月増刊号) * 戦闘兵アトラス - 『花とゆめ』(1981年9月大増刊号) * [[ラブ・シンクロイド|ラブ♥シンクロイド]] - 『[[少年ジェッツ]]』(1981年 - 1983年)→『[[月刊コミコミ]]』(1983年 - 1986年) * [[グリーン・ブラッド]] - 『少年少女SFマンガ競作大全集』(1981年 - 1982年)→『花とゆめEPO』(1987年 - 1988年) * 回転扉 - 『デュオ』(1981年創刊号,1983年1月号,1984年1月号) 1982年 * ガレー夢幻航海 - 『[[リュウ (雑誌)|リュウ]]』(1982年1月号) * フェザータッチオペレーション - 『[[ウィングス (雑誌)|ウィングス]]』(1982年 - 1987年) 1983年 * ワフ・ヴァレーの神話 - 『リュウ』(1983年11月号、「ガレー夢幻航海」の美少女クェンティと青年ミンツをメインに[[氷河時代|氷河期]]の惑星ペイトラムを描いた作品。) 1984年 * 碧い沈黙 - 『花とゆめEX』(1984年夏の号) * 冬に還る - 『花とゆめEX』(1984年冬の号) 1985年 * デス・トラップ - 『[[月刊少年キャプテン]]』(1985年1月号 - 3月号) * バースト - 『少年マガジン』『少年マガジンスペシャル』『フレッシュマガジン』(1985年 - 1987年) 1986年 * 仏滅FOCUS - 『月刊コミコミ』(1986年1-2月号) 1987年 * スレッジ - 『月刊コミコミ』(1987年 - 1988年) * 黄色いウサギ - 『月刊コミコミ』(1987年3月号 - 4月号) * ハリアー - 『花とゆめ』(1987年11,16,19,20号) 1988年 * ミッシング アイランズ-失われた島-<ref>ソノラマコミック文庫「柴田昌弘傑作集 (4) ミッシングアイランズ」朝日ソノラマ、2005年2月。ISBN 4-257-72274-6。</ref> - 『花とゆめEPO』(1988年7月号) * 闇巡る声-ツクボネ-<ref>『冥界人形レヴィ・ドール』の原型、序章と言うべき読み切り作品。花とゆめCOMICS「ミッシングアイランズ」およびソノラマコミック文庫「冥界人形レヴィ・ドール」に収録。</ref>『花とゆめEPO』(1988年11月号) 1989年 * サイキック・トラベラー - 『花とゆめEPO』(1989年3月号) * エイプマン - 『ウイングス』(1989年68号 - 73号) * 冥界人形レヴィ・ドール『ウィングス』(1989年7月号 - 12月号) 1990年 * [[斎女伝説クラダルマ]] - 『[[ヤングキング]]』(1990年 - 1996年) * バージン クルーズ-消えた航跡- - 『別冊花とゆめ』(1990年夏の号) 1991年 * 魔睡宮 - 『[[ハロウィン (雑誌)|ハロウィン]]』(1991年 - 1992年) * 契りの樹 - 『セリエミステリー』(1991年11月号) 1993年 * イズナ - 『少年チャンピオン』(1993年21+22合併号) * TRANCE - 『[[コミックライジン|COMICライジン]]』(1993年 - 1994年)→『[[COMIC快楽天]]』(1994年 - 1995年) 1997年 * エリカ97 - 『[[コミックノーラ]]』(1997年4月号 - 5月号) * 闇色の柩 - 『PUTAO』(1997年 - 1998年) * 龍の砦 - 『コミックノーラ』(1997年 - 1998年)→単行本書き下ろし 1998年 * [[サライ (漫画)|サライ]] - 『ヤングキング』(1998年 - 2008年) 2005年 * ブラインドホール - [[週刊パーゴルフ#漫画|週刊パーゴルフ]]別冊『コミックビッグゴルフ』(2003年 - 2004年)→最終話書き下ろし 2006年 * [[鵺子鳥 (漫画)|鵺子鳥]] - 『ヤングキング』(2006年) == 関連作品 == === 小説挿絵 === *サード・コンタクト (小林 一夫 / [[ソノラマノベルス]]) *スーパー★ノバ シリーズ ([[浅香晶]] / [[ハヤカワ文庫#廃止・休止|ハヤカワ文庫HB]]) *ミーくんの番長日記 ([[菊池秀行]] / ISBN 9784022739162) === ゲーム === *リリス  (フォア・ナイン キャラクターデザイン) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|author=「日本漫画家名鑑500」編集委員会(委員長:[[石ノ森章太郎]])・[[加藤昇]] 編|date=1992-12-18 |title=日本漫画家名鑑500:[[1945]]-[[1992]] |pages=1069 |publisher=アクア・プランニング|id={{全国書誌番号|93037702}} |ref={{SfnRef|「日本漫画家名鑑500」編集委員会|1992}} }}<!--奥付及び編集後記より:1991年夏・東京池袋にて開催『まんが大博覧会:作家500人展』の一環で編纂された名鑑。限定5千部印刷し、協賛した漫画家・図書館・マスコミ各社等に無料配布との事。--> == 外部リンク == * [https://web.archive.org/web/20080302003325/http://www.linkclub.or.jp/~shakan/entrance_hole.html 恐慌舎](公式サイト 2008年5月6日閉鎖) * [https://web.archive.org/web/20041212234012/http://6009.teacup.com/kyoukousha/bbs 談話室](上述公式サイトに設置されていたBBS,単独運営中)2015年3月1日現在確認できません * [http://seika-manga.jp/story/BDHP/instructor.html 講師紹介](京都精華大学ストーリーマンガコース公式サイト) {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しはた まさひろ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:SF漫画家]] [[Category:1949年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:三重県出身の人物]] [[Category:京都精華大学の教員]] [[Category:成蹊大学出身の人物]]
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島崎譲
島崎 譲(しまざき ゆずる、本名・旧ペンネーム:竹之越 江津子、1962年8月20日 - )は、日本の女性漫画家。 神奈川県出身。幼少時にアニメ『サイボーグ009』に強い刺激を受け、漫画家を志す。1981年、専門学校在学中に「おやじの日曜日」(『デラックスマーガレット』掲載)でデビュー。専門学校卒業後は『増刊少年サンデー』に読み切りを多数発表する一方で、アニメーターとしても活動していた。 1985年に『週刊少年マガジン』にて『青竜の神話』で初連載する際にペンネームを現行に変更。その後20年近くは講談社の漫画雑誌で作品を発表し続けていたが、『MiChao!』での連載終了後は講談社から離れる。異世界歴史ファンタジーを得意としていたが、歴史漫画を軸に描くようになる。近年は松本零士作品のリメイク・続編も手掛ける。
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島崎 譲は、日本の女性漫画家。
{{別人|嶋崎譲|x1=政治家の}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 島崎 譲 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{JPN}} [[神奈川県]] | 国籍 = [[日本]] | 生年 = {{生年月日と年齢|1962|8|20}} | 没年 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1981年]] - | ジャンル = [[少年漫画]]、[[青年漫画]] | 代表作 = 『[[THE STAR (漫画)|THE STAR]]』<br />『[[覇王伝説 驍]]』 | 受賞 = }} '''島崎 譲'''(しまざき ゆずる、本名・旧ペンネーム:'''竹之越 江津子'''、[[1962年]][[8月20日]] - )は、[[日本]]の女性[[漫画家]]。 == 経歴 == [[神奈川県]]出身。幼少時にアニメ『[[サイボーグ009]]』に強い刺激を受け、漫画家を志す<ref>ペンネーム島崎譲も「譲」は「ジョー」とも読め、実際に『サイボーグ009』の主人公009こと島村ジョーから採ったと『サイボーグ009』への寄稿イラストに書いている。</ref>。1981年、専門学校在学中に「おやじの日曜日」(『[[デラックスマーガレット]]』掲載)でデビュー。専門学校卒業後は『[[サンデー超|増刊少年サンデー]]』に読み切りを多数発表する一方で、アニメーターとしても活動<ref>『[[レンズマン|SF新世紀レンズマン]]』にクレジットされている。</ref>していた。 1985年に『[[週刊少年マガジン]]』にて『青竜の神話』で初連載する際にペンネームを現行に変更<ref>以前は本名で仕事していたが、字画が多く漫画向きでなかったこと、作風として命のやり取りの場面が多いので‘女が描いている’と先入観を持たれたくなかったから、と述べている([http://www.areasw.com/saga/message/bk00010.htm 公式HPにおける読者とのやり取りから])。</ref>。その後20年近くは講談社の漫画雑誌で作品を発表し続けていたが、『[[MiChao!]]』での連載終了後は講談社から離れる。異世界歴史ファンタジーを得意としていたが、歴史漫画を軸に描くようになる。近年は[[松本零士]]作品のリメイク・続編も手掛ける。 == 人物 == * 親戚に[[落語家]]の[[桂枝太郎 (3代目)|桂枝太郎]]がいる。 * 2003年末の『リオン』完結後、[[腱鞘炎]]のため一時期休業。『[[宇宙戦艦ヤマト]]』の企画のオファーがあったが流れている<ref>[http://yuzusima.blog75.fc2.com/blog-entry-107.html そして…まだまだまだ…(^_^;) ]</ref>。 * 2008年にブログを開設。未公開イラストを積極的にアップしている。 == 漫画 == === 連載 === * [[青竜の神話]](『週刊少年マガジン』1985年26号-1986年1号) * 蒼き氷河の果てに(『週刊少年マガジン』1986年26号-29号) *:「[[植村直己]]物語」の副題が付くこともある<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C292821|title=蒼き氷河の果てに… 植村直己物語(島崎譲)|publisher=[[文化庁]][[メディア芸術データベース]]|accessdate=2022-05-16}}</ref> * [[THE STAR (漫画)|THE STAR]](『週刊少年マガジン』1987年19号-1991年31号) ※原案協力:[[藤本ひとみ]]<ref>3巻収録分まで。</ref> * [[覇王伝説 驍]](『週刊少年マガジン』 1991年43号-1993年28号、1993年43号-1995年34号) * [[風の如く火の如く]](『[[マガジンイーノ|マガジンGREAT]]』 1995年12月号-1999年5月号) ※原作:鷹司 * [[花影戦記 妖魔降臨]](『[[月刊少年マガジン]]』 1997年3月号-9月号) ※原作:鷹司 * [[征神記ヴァルナス]](『[[月刊マガジンZ]]』 1999年8月号-2002年2月号) * [[リオン (漫画)|リオン]](『月刊マガジンZ』 2002年7月号-2004年1月号) ※原作:[[和田慎二]] * [[関羽、出陣!]](『[[コミック三国志マガジン]]』 2005年) * [[呂布が起つ!]](『コミック三国志マガジン』 2006年) * [[花かんざし捕物帖]](『[[MiChao!]]』 2006年-2009年) ※原作:[[山田風太郎]]『おんな牢秘抄』 * お江〜信長の系譜〜 (『月刊コミック大河』 2010年06/25号-2010年10/25号) ※シナリオ協力:[[東城太郎]] * [[御宿かわせみ]] (『[[コミック乱ツインズ]]』 2012年2月号-2013年5月号) ※原作:[[平岩弓枝]] * [[ガンフロンティア (漫画)|ガンフロンティア〜ハーロック&トチロー青春の旅〜]](『[[チャンピオンRED]]』 2016年12月号-2017年5月号) ※原作・総設定・デザイン:[[松本零士]] * [[銀河鉄道999 ANOTHER STORY アルティメットジャーニー]](『チャンピオンRED』 2018年5月号-) ※原作・総設定・デザイン:松本零士 === 主な読み切り === {{節スタブ}} * 危剣は折れず!(『[[週刊少年サンデー増刊号]]』)・・・竹之越江津子名義 ※第2回同人誌グランプリ作品部門入賞作 * 君は単細胞!(『週刊少年サンデー増刊号』)・・・竹之越江津子名義 * 感動しちゃいそ(『週刊少年サンデー増刊号』)・・・竹之越江津子名義 * あいつは好敵手(ライバル)(『週刊少年サンデー増刊号』)・・・竹之越江津子名義 * 青春の水しぶき(『週刊少年サンデー増刊号』)・・・竹之越江津子名義 * ぼくん家の修司くん(『週刊少年サンデー増刊号』)・・・竹之越江津子名義 * ラスト・シュート(『週刊少年マガジン』1986年52号) * 戦、売ります! [[雑賀孫市]]伝(『[[コミック戦国マガジン]]』Vol.1とVol.2に掲載、[[2005年]]) * [[宇宙海賊キャプテンハーロック]]誕生秘話(サンエイムック『完全保存版 松本零士大解剖 無限の零次元宇宙編』に掲載、[[2016年]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 外部リンク == * [http://www.areasw.com/saga/ SAGA 〜島崎譲の世界〜] - 公認サイト * [http://yuzusima.blog75.fc2.com/ 漫画家・島崎譲のブログ] * {{Twitter|yuzuru_simazaki|島崎 譲}} * {{マンガ図書館Z作家|89}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:しまさき ゆする}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:神奈川県出身の人物]] [[Category:1962年生]] [[Category:存命人物]]
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島本和彦
島本 和彦(しまもと かずひこ、1961年〈昭和36年〉4月26日 - )は、日本の漫画家・実業家。本名:手塚 秀彦(てづか ひでひこ)。北海道中川郡池田町出身、北海道札幌市在住。漫画プロダクション「ビッグバンプロジェクト」代表、株式会社アイビックおよび株式会社アカシヤ代表取締役社長。主な作品に『炎の転校生』、『逆境ナイン』、『燃えよペン』、『吼えろペン』、『アオイホノオ』がある。 池田町の木材業を営む家庭に生まれ、幼少期を豊頃町で過ごした後、小学校1年生のときに札幌へ。小学校のころから鉛筆でギャグ漫画を描き始める。札幌清田高校時代は陸上部と演劇部に所属する一方生徒会長も務め、アニメや特撮のパロディ漫画も執筆していた。 卒業と同時に北海道を離れ、伯父(父の兄)が大阪に住んでいたこともあり、大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(映像学科)進学のため転居。在学中の1982年(昭和57年)、『週刊少年サンデー』2月増刊号にて「必殺の転校生」でデビュー。デビュー後の大学を4年に上がる手前で中退して大阪を離れ上京、プロの漫画家生活に入る。 「島本和彦」のペンネームを使ったのは「漫画の神様手塚治虫に遠慮して」とのことだが、後に自分の作品が「手塚漫画」と呼ばれることを避けるためでもある。デビュー当初『サンデー』誌上でも、読者に本名を聞かれた際に「謎である」と秘密にしていた。 1990年代前半からはまんが甲子園の審査員としても活動。 1994年(平成6年)にスーパーファミコンで発売されたRPG『ライブ・ア・ライブ』における『近未来編』のキャラクターデザインを担当。その本編中に出てくる巨大ロボット「ブリキ大王」には、主題歌「GO!GO!ブリキ大王」がある。ゲーム中では開発者達が考えた1番の歌詞しか出てこないが、製作サイドでは2番3番の歌詞を一般公募していた。そこに島本が「東京都在住、漫画家、島本和彦」の名前で、一般公募で応募したところ、2番の歌詞として即採用された。 1995年(平成7年)に東京から札幌に帰郷(後述)。それと前後して同人誌活動も行い、コミックマーケットにはほぼ毎回参加。 2001年(平成13年)から2008年(平成20年)にはラジオ番組『島本和彦のマンガチックにいこう!』(STVラジオ)のパーソナリティも務めた。 2015年(平成27年)に『アオイホノオ』で第60回小学館漫画賞一般向け部門、第18回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。 父は北海道でダスキンのフランチャイズ事業を手がけるアイビックの設立者で、TSUTAYAのフランチャイズ店舗を運営するアカシヤの会長も兼任する手塚幸夫。長男の島本は副社長を務めていた。母校の大阪芸術大学から教授就任の誘いもあったものの、母親の死去や父の高齢化を背景として父が「潰れそうな親の会社に戻ったからこそ今がある」と度々語っていた事から「何かを捨てて親の商売を手伝う事をしなければならない」との思いを強め、将来的な事業継承のために社業で経験を積むべく2014年(平成26年)末から会社に常駐するようになり、2019年(平成31年)4月には父親から業務を引き継いで両社の社長に就任した。社長業の影響で漫画の執筆に使える時間は一ヵ月あたり5日ほどとなり、連載は『アオイホノオ』のみに絞っている。2020年(令和2年)11月8日、島本がおよそ25年に渡り経営していた「TSUTAYA札幌インター店」が閉店した。 2021年(令和3年)6月19日、同年8月上旬より「復活!令和もお笑いマンガ道場」のタイトルで27年ぶりにYouTube配信番組として復活する「お笑いマンガ道場」に回答者として出演。 メディアミックス作品のコミカライズは、#メディアミックス作品も参照 映像作品の漫画(コミカライズ)を担当した作品。 審査員
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "島本 和彦(しまもと かずひこ、1961年〈昭和36年〉4月26日 - )は、日本の漫画家・実業家。本名:手塚 秀彦(てづか ひでひこ)。北海道中川郡池田町出身、北海道札幌市在住。漫画プロダクション「ビッグバンプロジェクト」代表、株式会社アイビックおよび株式会社アカシヤ代表取締役社長。主な作品に『炎の転校生』、『逆境ナイン』、『燃えよペン』、『吼えろペン』、『アオイホノオ』がある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "池田町の木材業を営む家庭に生まれ、幼少期を豊頃町で過ごした後、小学校1年生のときに札幌へ。小学校のころから鉛筆でギャグ漫画を描き始める。札幌清田高校時代は陸上部と演劇部に所属する一方生徒会長も務め、アニメや特撮のパロディ漫画も執筆していた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "卒業と同時に北海道を離れ、伯父(父の兄)が大阪に住んでいたこともあり、大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(映像学科)進学のため転居。在学中の1982年(昭和57年)、『週刊少年サンデー』2月増刊号にて「必殺の転校生」でデビュー。デビュー後の大学を4年に上がる手前で中退して大阪を離れ上京、プロの漫画家生活に入る。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「島本和彦」のペンネームを使ったのは「漫画の神様手塚治虫に遠慮して」とのことだが、後に自分の作品が「手塚漫画」と呼ばれることを避けるためでもある。デビュー当初『サンデー』誌上でも、読者に本名を聞かれた際に「謎である」と秘密にしていた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1990年代前半からはまんが甲子園の審査員としても活動。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1994年(平成6年)にスーパーファミコンで発売されたRPG『ライブ・ア・ライブ』における『近未来編』のキャラクターデザインを担当。その本編中に出てくる巨大ロボット「ブリキ大王」には、主題歌「GO!GO!ブリキ大王」がある。ゲーム中では開発者達が考えた1番の歌詞しか出てこないが、製作サイドでは2番3番の歌詞を一般公募していた。そこに島本が「東京都在住、漫画家、島本和彦」の名前で、一般公募で応募したところ、2番の歌詞として即採用された。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1995年(平成7年)に東京から札幌に帰郷(後述)。それと前後して同人誌活動も行い、コミックマーケットにはほぼ毎回参加。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2001年(平成13年)から2008年(平成20年)にはラジオ番組『島本和彦のマンガチックにいこう!』(STVラジオ)のパーソナリティも務めた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2015年(平成27年)に『アオイホノオ』で第60回小学館漫画賞一般向け部門、第18回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "父は北海道でダスキンのフランチャイズ事業を手がけるアイビックの設立者で、TSUTAYAのフランチャイズ店舗を運営するアカシヤの会長も兼任する手塚幸夫。長男の島本は副社長を務めていた。母校の大阪芸術大学から教授就任の誘いもあったものの、母親の死去や父の高齢化を背景として父が「潰れそうな親の会社に戻ったからこそ今がある」と度々語っていた事から「何かを捨てて親の商売を手伝う事をしなければならない」との思いを強め、将来的な事業継承のために社業で経験を積むべく2014年(平成26年)末から会社に常駐するようになり、2019年(平成31年)4月には父親から業務を引き継いで両社の社長に就任した。社長業の影響で漫画の執筆に使える時間は一ヵ月あたり5日ほどとなり、連載は『アオイホノオ』のみに絞っている。2020年(令和2年)11月8日、島本がおよそ25年に渡り経営していた「TSUTAYA札幌インター店」が閉店した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "2021年(令和3年)6月19日、同年8月上旬より「復活!令和もお笑いマンガ道場」のタイトルで27年ぶりにYouTube配信番組として復活する「お笑いマンガ道場」に回答者として出演。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "メディアミックス作品のコミカライズは、#メディアミックス作品も参照", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "映像作品の漫画(コミカライズ)を担当した作品。", "title": "映像化作品" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "審査員", "title": "その他の活動" } ]
島本 和彦は、日本の漫画家・実業家。本名:手塚 秀彦。北海道中川郡池田町出身、北海道札幌市在住。漫画プロダクション「ビッグバンプロジェクト」代表、株式会社アイビックおよび株式会社アカシヤ代表取締役社長。主な作品に『炎の転校生』、『逆境ナイン』、『燃えよペン』、『吼えろペン』、『アオイホノオ』がある。
{{Other people||バスケットボール解説者、編集者|島本和彦 (バスケットボール)}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 島本 和彦 | 画像 = <!-- 画像ファイル名 --> | 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px --> | 脚注 = <!-- 画像の説明文 --> | 本名 = 手塚 秀彦(てづか ひでひこ)<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=会社概要 札幌 ダスキン-アイビック-(北海道)|url= http://www.aibic-ltd.co.jp/company.html|website=|accessdate=2020-09-12|publisher=}}</ref> | 生年 = {{生年月日と年齢|1961|04|26}} | 生地 = {{JPN}}・[[北海道]][[中川郡 (十勝国)|中川郡]][[池田町 (北海道)|池田町]] | 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|1961|04|26|YYYY|YY|YY}} --> | 没地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 --> | 国籍 = {{JPN}} | 職業 = [[漫画家]]<br />[[実業家]] | 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 --> | 活動期間 = [[1981年]] - | ジャンル = [[少年漫画]]<br />[[青年漫画]]<br />[[パロディ|パロディ漫画]] | 代表作 = 『[[炎の転校生]]』<br />『[[逆境ナイン]]』<br />『[[燃えよペン|吼えろペン]]』<br />『[[アオイホノオ]]』 | 受賞 = 第60回:[[小学館漫画賞]]一般向け部門(『[[アオイホノオ]]』)<br />第18回:[[文化庁メディア芸術祭]]マンガ部門優秀賞(『[[アオイホノオ]]』) | サイン = <!-- 画像ファイル名 --> | 公式サイト = <!-- {{Official website|https://www.example.org}}や[https://www.example.org/ 公式ページ名] など --> }} '''島本 和彦'''(しまもと かずひこ、[[1961年]]〈[[昭和]]36年〉[[4月26日]]{{R|完全超悪335}} - )は、[[日本]]の[[漫画家]]・[[実業家]]。本名:'''手塚 秀彦'''(てづか ひでひこ)<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=会社概要 札幌 ダスキン-アイビック-(北海道)|url= http://www.aibic-ltd.co.jp/company.html|website=|accessdate=2020-09-12|publisher=}}</ref>。[[北海道]][[中川郡 (十勝国)|中川郡]][[池田町 (北海道)|池田町]]出身、[[北海道]][[札幌市]]在住。漫画プロダクション「ビッグバンプロジェクト」代表、[[株式会社 (日本)|株式会社]]アイビックおよび株式会社アカシヤ[[代表取締役]][[社長]]。主な作品に『[[炎の転校生]]』、『[[逆境ナイン]]』、『燃えよペン』、『[[吼えろペン]]』、『[[アオイホノオ]]』がある。 == 経歴 == [[池田町 (北海道)|池田町]]の木材業を営む家庭に生まれ<ref name="zaikai1601"/><ref name="zaikai20"/>、幼少期を[[豊頃町]]で過ごした後、小学校1年生のときに札幌へ<ref>[https://web.archive.org/web/20150201011446/http://www.tokachi.co.jp/news/201501/20150129-0020238.php 十勝毎日新聞社ニュース]</ref>。小学校のころから鉛筆で[[ギャグ漫画]]を描き始める。[[市立札幌清田高等学校|札幌清田高校]]時代は陸上部と演劇部に所属する一方生徒会長も務め<ref>[http://www.edit.ne.jp/~fire/gk9/20050716/nikkan.htm 「逆境ナイン」島本和彦氏が北の高校球児にエール] - 北海道日刊スポーツ</ref>、アニメや特撮のパロディ漫画も執筆していた。 卒業と同時に北海道を離れ、伯父(父の兄)が大阪に住んでいたこともあり<ref name="zaikai20"/>、[[大阪芸術大学]][[芸術学部]]映像計画学科(映像学科)進学のため転居。在学中の[[1982年]]([[昭和]]57年)、『[[週刊少年サンデー]]』2月増刊号にて「必殺の転校生」でデビュー{{R|完全超悪335}}。デビュー後の大学を4年に上がる手前で中退<ref>厳密には学費を払わなかったので除籍されている(大阪芸術大学 大学漫画Vol.10)</ref>して[[大阪府|大阪]]を離れ上京、プロの漫画家生活に入る。 「島本和彦」の[[ペンネーム]]を使ったのは「漫画の神様[[手塚治虫]]に遠慮して」とのことだが、後に自分の作品が「手塚漫画」と呼ばれることを避けるためでもある。デビュー当初『サンデー』誌上でも、読者に本名を聞かれた際に「謎である」と秘密にしていた。 [[1990年代]]前半からは[[まんが甲子園]]の審査員としても活動。 [[1994年]](平成6年)に[[スーパーファミコン]]で発売されたRPG『[[ライブ・ア・ライブ]]』における『近未来編』のキャラクターデザインを担当。その本編中に出てくる巨大ロボット「ブリキ大王」には、主題歌「GO!GO!ブリキ大王」がある。ゲーム中では開発者達が考えた1番の歌詞しか出てこないが、製作サイドでは2番3番の歌詞を一般公募していた。そこに島本が「東京都在住、漫画家、島本和彦」の名前で、一般公募で応募したところ、2番の歌詞として即採用された<ref>[https://www.famitsu.com/news/202205/26262521.html 『ライブアライブ』1994年に『Go!Go!ブリキ大王!!』の歌詞を投稿して採用された当時のファミ通読者の方を大捜索します!] - ファミ通.com</ref>。 [[1995年]](平成7年)に東京から札幌に帰郷(後述)。それと前後して同人誌活動も行い、[[コミックマーケット]]にはほぼ毎回参加。 [[2001年]]([[平成]]13年)から[[2008年]](平成20年)には[[ラジオ番組]]『[[島本和彦のマンガチックにいこう!]]』([[STVラジオ]])のパーソナリティも務めた。 [[2015年]](平成27年)に『[[アオイホノオ]]』で第60回[[小学館漫画賞]]一般向け部門、第18回[[文化庁メディア芸術祭]]マンガ部門優秀賞を受賞。 父は北海道で[[ダスキン]]のフランチャイズ事業を手がけるアイビックの設立者で、[[TSUTAYA]]のフランチャイズ店舗を運営するアカシヤの会長も兼任する手塚幸夫。長男の島本は副社長を務めていた<ref>[http://www.core-nt.co.jp/syoten_nav/archives/2363 北海道書店ナビ 第54回 TSUTAYA札幌インター店]</ref><ref>[[週刊少年「」]]でその経緯が語られている。</ref>。母校の大阪芸術大学から教授就任の誘いもあったものの、母親の死去や父の高齢化を背景として父が「潰れそうな親の会社に戻ったからこそ今がある」と度々語っていた事から「何かを捨てて親の商売を手伝う事をしなければならない」との思いを強め<ref name="zaikai20"/>、将来的な事業継承のために社業で経験を積むべく[[2014年]](平成26年)末から会社に常駐するようになり<ref>[https://twitter.com/simakazu/status/527983925579104256 島本和彦Twitter]</ref><ref name="zaikai1601">[https://archive.fo/20160802112823/http://www.zaikaisapporo.co.jp/president/%E5%89%B5%E6%A5%AD50%E5%B9%B4%E3%81%AE%E7%AF%80%E7%9B%AE%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E3%81%A6%E8%BA%8D%E9%80%B2%E3%82%92%E8%AA%93%E3%81%86 2016年の決意 トップ100人の先見 創業50年の節目に向けて躍進を誓う] - 財界さっぽろ2016年1月号(Archive.is)</ref>、[[2019年]](平成31年)4月には父親から業務を引き継いで両社の[[社長]]に就任した<ref name="asahi20190630">[https://www.asahi.com/articles/DA3S14076133.html (輝く人)連載絞り、家業にホノオ 漫画家・島本和彦さん] 朝日新聞[[2019年]]([[令和]]元年)6月30日朝刊Reライフ面 同日閲覧</ref><ref>[http://www.aibic-ltd.co.jp/company.html 会社概要 株式会社アイビック]株式会社アイビックHP 2019年(令和元年)6月30日閲覧</ref>。社長業の影響で漫画の執筆に使える時間は一ヵ月あたり5日ほどとなり、連載は『アオイホノオ』のみに絞っている<ref name="asahi20190630"/>。[[2020年]](令和2年)11月8日、島本がおよそ25年に渡り経営していた「TSUTAYA札幌インター店」が閉店した<ref name="zaikai20">{{Cite web|和書|url=https://www.zaikaisapporo.co.jp/news/news-article.php?id=14996|title=『閉店「TSUTAYA」経営のマンガ家・島本和彦が父から譲り受けた“社長の心得”|publisher=財界さっぽろ|date=2020-10-05|accessdate=2020-12-07}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/475795|title=名物ツタヤ、8日閉店 島本和彦さん経営「札幌インター店」 壁に漫画家仲間の絵、ファン惜しむ|publisher=北海道新聞|date=2020-10-29|accessdate=2020-12-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201101115908/https://www.hokkaido-np.co.jp/article/475795|archivedate=2020-11-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASNCB72LGNBZIIPE00T.html|title=少年漫画の聖地だったツタヤ、閉店 青山剛昌も10分で|publisher=朝日新聞デジタル|date=2020-11-11|accessdate=2020-12-07}}</ref>。 2021年(令和3年)6月19日、同年8月上旬より「復活!令和もお笑いマンガ道場」のタイトルで27年ぶりにYouTube配信番組として復活する「[[お笑いマンガ道場]]」に回答者として出演<ref>[https://twitter.com/simakazu/status/1406084547536592901 島本和彦Twitter 2021年6月19日付]</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/433289|title=島本和彦が27年ぶり復活の「お笑いマンガ道場」で回答者に|publisher=コミックナタリー|date=2021-06-19|accessdate=2021-06-19}}</ref>。 == 人物 == * 5人の息子がいる<ref name="asahi20190630"/>。漫画家と家業以外にも、息子の学校のPTA活動をしていたこともある。 *[[ゆうきまさみ]]の漫画『[[究極超人あ〜る]]』にバレーボール部部長として、島本が実名で登場している。 *漫画家デビュー当時は、[[大川めぐみ]]([[大戦隊ゴーグルファイブ]])<ref>カラー企画 島本先生あこがれの大川めぐみちゃんとデート - 週刊少年サンデー1984年1月5日増刊号</ref>、[[松本伊代]]([[ピンキーパンチ大逆転]])のファンだった。 *東京から札幌に帰郷したのは長男の誕生や前述の父が経営するアイビックが始めたTSUTAYAのフランチャイズ事業を手伝うこととなったこと<ref name="zaikai20"/>、その他にも当時は自身の漫画の人気が低迷して心機一転を図りたかったこと、当時住んでいた高田馬場では街の至るところに[[ピンクチラシ]]が貼られているのを見て「もうここ(に住むの)は厳しいなと思った」のも理由だったと話す<ref>[https://suumo.jp/town/entry/sapporo-shimamoto/ 札幌に戻ったら「最強」とか考えなくなった――炎の漫画家・島本和彦さん【ここから生み出す私たち】]suumoタウン 2020年7月30日</ref>。 * [[俳優|女優]]・[[声優]]として活躍する[[小宮有紗]]のファンであり、小宮が演じる[[テレビアニメ]]『[[ラブライブ!サンシャイン!!]]』の黒澤ダイヤを推しとしている<ref>[https://twitter.com/fukuda_u1/status/870044804633157632 福田雄一Twitter]</ref>。 *2023年4月時点で、[[日本漫画家協会]]理事。 == 作品 == === 連載作品 === <!-- 雑誌掲載順(※ 書き下ろし作品も含む) --> * [[ザ・島本|ほとんどヒーロー]] * [[炎の転校生]] * [[燃えるV]] * 一番星のジャッカル * とつげきウルフ * [[仮面ボクサー]] * [[BATTLEフィールド]] * 挑戦者 * [[逆境ナイン]] * [[デスパイ]] * バトルサンダー * [[ウルトラマンG]] * フルーツ戦士 いちご1号 * [[吼えろペン|燃えよペン]] * [[インサイダーケン]] * [[ゲンジ通信あげだま]] * [[ワンダービット]] * [[炎のニンジャマン]] * 燃える!! 女子プロレス - [[豊田真奈美]]の実録プロレス漫画 * [[炎のニンジャマン|炎の信長・戦国外伝]] * [[無謀キャプテン]] * [[サムライスピリッツ]] * [[ガレキの翔]] * トリックハンタージョウ * コマンドー明゛ * [[炎の筆魂#ザ・勝負!!|ザ・勝負!!]] * オンセンマン * メガMEGAみーな(島本ららら和彦名義。変名の由来については[[近藤るるる]]の項を参照) * 流れ星のジャッカル * 炎の鉄砲玉サブちゃん * 神聖伝メガシード * [[卓球社長]] * [[男の一枚 レッド・カード]] * 大熱言 * [[吼えろペン]] * [[吼えろペン|新・吼えろペン]] * [[アニメ店長]] * [[ゲキトウ]] * [[アオイホノオ]] * [[アスカ@未来系]] * [[超級!機動武闘伝Gガンダム]] * [[ヒーローカンパニー]] === 読み切り作品 === <!-- 雑誌掲載順(書き下ろし作品も含む) --> * [[炎の転校生#必殺の転校生|必殺の転校生]] * [[炎の転校生#華麗なる挑戦者|華麗なる挑戦者]] * [[炎の転校生|炎の転校生・怪獣戦闘!]] * [[ザ・島本|太陽の戦士ウインドブレーカーX]] * [[ザ・島本|恋の資格がナッシング]] * [[炎の筆魂#逆襲棋士瞳|逆襲棋士瞳]] * 即戦力ガッツ! * [[炎の筆魂#炎のラウンド|炎のラウンド]] * 島ちゃんお涙劇場 * テレカが友を呼ぶ([[サンデー19Show]]の1作) * [[炎の筆魂#あしたのガンダム|あしたのガンダム]] * バトルコップ * 島ちゃんの四コマシネマ * [[炎の筆魂#島ちゃんの4コマ劇場|島ちゃんの4コマ劇場]] * [[BATTLEフィールド|愛しのテディーベア]] * 熱血正義くん!! * 島ちゃんの4コマビデオ * [[デスパイ|奈々ちゃんスクランブル]] * [[炎の筆魂#ちょっとだけUターン|ちょっとだけUターン]] * [[無謀キャプテン|無謀キャプテン第0話]] * 紅一点ブレイカー * [[炎の筆魂#ブライダルソルジャー|ブライダルソルジャー]] * [[炎の筆魂#アカデミー|アカデミー]] * [[炎の筆魂#天下統虫物語|天下統虫物語]] * [[吼えろペン|燃えよペン第2部]] * ボンジュール・シャルロット * 完全犯罪レディーMissテリー * バンゲームナイト * メッキマン * [[炎の筆魂#根性戦隊ガッツマン|根性戦隊ガッツマン]] - [[宮村優子 (声優)|宮村優子]]の依頼による作品 * [[炎の筆魂#私立ジャスティス学園外伝|私立ジャスティス学園外伝]] * [[炎の筆魂#せがた三四郎 北極激闘編|せがた三四郎北極激闘編]] * [[炎の筆魂#炎の筆魂 参之拳|マグマ大使 地上最大のロケット人間の巻]] * [[炎の転校生#炎の転校生・同窓会を叩け!|炎の転校生・同窓会を叩け!!]] * [[超級!機動武闘伝Gガンダム|燃える!! キング・オブ・ハート]] * GREAT * [[無謀キャプテン|無謀キャプテン3]] === 共作 === メディアミックス作品の[[コミカライズ]]は、[[#メディアミックス作品]]も参照 * [[風の戦士ダン]](原作:[[雁屋哲]]) * [[仮面ライダーZO]](原作:[[石ノ森章太郎|石{{small|ノ}}森章太郎]]) * [[仮面ライダーBlack PART⊗ イミテーション・7]](原作:石{{small|ノ}}森章太郎) * マンガ日本の経済(共著:石{{small|ノ}}森章太郎) * [[スカルマン]](原作:石{{small|ノ}}森章太郎) * [[炎の筆魂#ファイナルワン|ファイナルワン]](原作:[[史村翔]]) * [[B'T-X|S'T-X]](原作:[[車田正美]]) * 機動戦士ガンダム なぐりあい宇宙(合作:[[そうま竜也]]) * スカルソルジャー(画:桑原V三郎) * 魔女がゆく!(画:桑原V三郎) === 執筆 === ; 書籍 * 『あしたのジョーの方程式』[[太田出版]] 2006年 - [[ササキバラ・ゴウ|サキバラ・ゴウ]]とのトーク形式による『[[あしたのジョー]]』についての解説及び分析書。 * 『熱血時代 -アオイホノオからの30年-』[[小学館]] 2012年 * 『炎の言霊 島本和彦名言集』1~3巻 [[朝日ソノラマ]] 1997年8月1日~2005年6月1日 2011年2月18日に[[朝日新聞出版]]より1巻のみ再版 - 漫画作品の中から選びだした名言を集めた単行本。 ==== 記事 ==== * 特撮雑誌 [[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]] 1984年春号(18号) - 好きな特撮についてイラストコラムを描く企画で、仮面ライダー1号、[[大川めぐみ]]、[[松本伊代]]について描いた。 * 『まんが秘宝』Vol.3「まんがチャンピオンまつり」[[洋泉社]] 1998年 -「俺の原点! 石ノ森章太郎の『仮面ライダー』」として原作漫画版について語った。全8ページ(内1ページは石ノ森の画の模写)。 ==== 解説 ==== * [[藤子・F・不二雄]]大全集『[[パーマン]]』5巻(2010年、小学館) ; === その他 === ; 脚本・台詞協力など : メディアミックス作品のコミカライズも担当した作品は、[[#メディアミックス作品]]を参照 * [[ガンダムEXA]](台詞協力) ; キャラクターデザインなど : メディアミックス作品のコミカライズも担当した作品は、[[#メディアミックス作品]]を参照 * [[BSアニメ夜話]](題字) * [[三国志大戦]](袁紹軍のスーパーレアカード、「[[袁紹]]」及びEXカード「[[孫策]]」のイラストデザイン) * [[ライブ・ア・ライブ]](近未来編 キャラクターデザインおよび主題歌「Go!Go!ブリキ大王!!」の2番作詞、HD-2Dリメイク版における「ヨシカズ」の声優) * [[闘魂ヒート]](キャラクターデザイン) * [[ファイターズマガジン]]([[北海道日本ハムファイターズ]]選手似顔絵) * [[朝松健#私闘学園|私闘学園]](小説挿絵) * メガトンアームズ(システムソフトが出していたPC-9821用の格闘ゲーム キャラクターデザイン) * [[アニ店特急]](広告・ポスターデザイン) * [[マンガノゲンバ]](ペンまるとペンじい<ref>ペンじいについては、キャラクターデザインしたのに使われていなかったことが、島本和彦が出演した際に明かされた。</ref>のキャラクターデザイン) * [[ヒーロークロスライン#サンデー×マガジン クロスライン|サンデー×マガジン クロスライン]](キャラクターデザイン) * 炎の鉄砲玉サブちゃん(キャラクターデザイン) * [[天元突破グレンラガン]](DVD特典ドラマCDジャケットデザイン) * [[仮面ライダーゴースト]](怪人デザイン) * [[仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス]](クリーチャーデザイン) * [[仮面ライダー1号 (映画)|仮面ライダー1号]](クリーチャーデザイン) * [[劇場版 仮面ライダーゴースト 100の眼魂とゴースト運命の瞬間]](クリーチャーデザイン) * 舞台「烈!バカフキ!」キービジュアル(2016年)<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/179824|title=島本和彦がキービジュアル担当、大河元気作の舞台「烈!バカフキ!」|newspaper=コミックナタリー|date=2016-03-15|accessdate=2016-03-16}}</ref> * [[ゴースト RE:BIRTH 仮面ライダースペクター]](2017年、クリーチャーデザイン) * [[パワプロアプリ]](2020年、サクセスモードシナリオ『逆境転生クロスナイン十門寺東高校編』原案) * シャゼリア☆キッス(2020年、作画) - ラブライブ!サンシャインのエイプリルフール企画。2020年10月10日、11日のAqoursオンラインライブにて未公開分と追加書き下ろしを披露 * [[アニ×パラ〜あなたのヒーローは誰ですか〜|アニ×パラ〜あなたのヒーローは誰ですか〜 第14弾「パラスノーボード」]](2022年、キャラクターデザイン)<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/463053|title=NHK「アニ×パラ」江口寿史&島本和彦がキャラデザで参加、冬競技描く新作2本に|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-01-25|accessdate=2022-01-25}}</ref> ; パチンコ、パチスロ * PS逆境ナインGF パチスロ機、[[三洋物産]]より[[2008年]]10月に5号機として発売。 == 映像化作品 == === アニメ作品 === * [[炎の転校生]](1991年) - OLA(オリジナルレーザーディスク)。主演:[[関俊彦]]、[[日髙のり子]] * [[アニメ店長]] - 宣伝用PV。主演:[[関智一]](キャストはドラマCDなどと共通) === 実写作品 === * 贋作・アニメ店長(2003年) - 舞台作品。主演:[[関智一]]、[[長沢美樹]] **贋作・アニメ店長 DESTINY!!(2005年) - 舞台作品。主演:関智一 **究極!アニメ店長(2010年) - 舞台作品。主演:関智一、[[関俊彦]] * [[逆境ナイン]](2005年) - 映画作品。主演:[[玉山鉄二]]、[[堀北真希]]、[[青木崇高]] **逆境ナイン(2012年) - 舞台作品。主演:柄谷吾史、[[市道真央]]、[[小野賢章]]、[[横山可奈子]] * [[アオイホノオ]](2014年) - テレビドラマ。主演:[[柳楽優弥]]、[[山本美月]] * [[炎の転校生]](2017年) - ネットドラマ。主演:[[ジャニーズWEST]]([[重岡大毅]]、[[桐山照史]]、[[中間淳太]]、[[神山智洋]]、[[藤井流星]]、[[濵田崇裕]]、[[小瀧望]]) === メディアミックス作品 === 映像作品の漫画(コミカライズ)を担当した作品。 *[[ウルトラマンG]] - 講談社『[[テレビマガジン]]』連載作品。単行本は徳間書店から発売、後に小学館から新装版が発売。 * [[疾風!アイアンリーガー]](画:おとといきたろう) - 漫画作品の他に 設定協力 及び OP 絵コンテ島本和彦バージョンがある。 * [[機動武闘伝Gガンダム]] - 下記の漫画作品の他、キャラクター原案を担当。 **[[超級!機動武闘伝Gガンダム|燃える!! キング・オブ・ハート]] - 読み切り作品。 **[[超級!機動武闘伝Gガンダム]] - 連載作品。 * [[仮面ライダーZO]](原作:[[石ノ森章太郎|石{{small|ノ}}森章太郎]]) * [[仮面ライダーBlack PART⊗ イミテーション・7]](原作:石{{small|ノ}}森章太郎) * [[アニメ店長]] - 連載作品。漫画作品の他、原作者としてドラマCDに脚本参加。 * [[ジャスティス学園]] - ゲーム作品。下記の宣伝用読み切り漫画作品の他、熱血隼人のキャラクターデザインを担当。 **[[炎の筆魂#私立ジャスティス学園外伝|私立ジャスティス学園外伝]] * [[炎の宅配便]] - ゲーム作品。宣伝用読み切り漫画作品の他、キャラクターデザイン・シナリオ監修。 * [[女子ーズ]] - 映画作品。宣伝用読み切り漫画作品の他、コスチュームデザインを担当。 * [[ライブ・ア・ライブ]] - ゲーム作品。同人誌として発表した「近未来編」コミカライズが公式に単行本化。「近未来編」キャラクターデザインおよび主題歌「Go!Go!ブリキ大王!!」2番作詞、HD-2Dリメイク版における「ヨシカズ」の声優。 == 出演 == === テレビ === * 漫画家になりたい!!一獲千金に賭ける青春(1985年 [[TBSテレビ]]) - 仕事場にて『風の戦士ダン』を執筆中の島本が登場。 * [[D!アンビシャス]](2006年4月9日 [[札幌テレビ放送|STV]]) - 27回 逆境を乗り越えろ!!北の燃える漫画家 島本和彦 * [[岡田斗司夫のプチクリ学園]](2007年4月 CS放送 [[MONDO21]])- 第24回にゲスト出演し岡田と対談。 * [[素晴らしい世界]](2010年2月15日、22日 [[北海道テレビ放送|HTB]]) * [[アオイホノオ#テレビドラマ|アオイホノオ]](2014年9月27日 [[テレビ東京]][[TXNネットワーク|系列]]) - 最終回(11話)にて主人公を導く言葉を与えるバイク屋の店主を演じる。 * [[100分de名著|100分de石ノ森章太郎]](2018年9月8日 [[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]])- 「石ノ森先生が天才だと思う、ワタクシ的な理由」を述べる。 * [[お笑いマンガ道場#復活版|復活!令和もお笑いマンガ道場]](2021年9月26日 [[中京テレビ]]) - [[鈴木義司]]、[[富永一朗]]のプロ漫画家枠を引き継ぐ。 * [[浦沢直樹の漫勉|浦沢直樹の漫勉 neo]](2023年2月25日 NHK Eテレ) === 映画 === * [[逆境ナイン#映画|逆境ナイン]](2005年) - 「炎尾燃」と称して野球解説者を演じる。 === ラジオ === * [[島本和彦のマンガチックにいこう!]](2001年10月 - 2008年9月 [[STVラジオ]]) - 漫画やアニメについてのトークや、近況、仕事の話など。2023年2月5日には[[サウンドプラント|サウンドプラントスペシャル]]にて『島本和彦のマンガチックにいこう! リターンズ』を放送。 * いがらしゆみこと島本和彦のお正月はマンガチックでナイト!(2004年1月1日 STVラジオ) - いがらしと島本の番組がコラボした特番。 * [[ごきげんようじ]](2019年6月1日 STVラジオ) - おはよう!ようじの部屋ゲスト * [[STVラジオ・チャリティー・ミュージックソン]](2019年12月24日 STVラジオ) - TSUTAYA札幌インター店より中継 === アニメ === * 炎の転校生(1991年) - 上述のOLA。ボクシング解説者の学生「島本」の声を演じる。 == その他の活動 == * [[小学館漫画賞]]・選考委員 - 第64回(2018年)から第67回(2021年)まで * [[日本漫画家協会]]・理事 - 2022年6月より * [[まんが甲子園]] - 審査員 == 交友・人脈 == === 漫画業界 === *[[石ノ森章太郎]] **少年時代、『[[仮面ライダー]]』を見て大きな感銘を受けるが、ライダーは架空の人物なので会うことができず、ライダーの生みの親である石{{small|ノ}}森章太郎を師と仰ぐことにした。 **週刊少年サンデーで『炎の転校生』が始まる時、石ノ森は『グリングラス』を描いており、師と同じ雑誌に作品を載せることができた。 **編集者とともに石ノ森宅を訪問し、対面を果たした。その際に「新ライダーの企画書」をもらった。これは『[[仮面ライダーBLACK]](または[[仮面ライダーBlack|Black]])』のたたき台となるものであった。 **その後『マンガ日本の経済』で共著を行ったり、『仮面ライダーBlack』『仮面ライダーZO』『スカルマン』の執筆を託されたり、『マンガ家入門』の文庫版({{ISBN2|4-253-17250-4}})の解説も書いている。テレビ番組『とことん!石{{small|ノ}}森章太郎』にて「[[サイボーグ009]]の「天使編」の続きを描くのに関わりたかったため漫画家になった」という発言をするほど。なお、これは後に「[[ヒーローズ・カムバック]]」にて実現している。 **[[江川達也]]が描いた『[[仮面ライダー THE FIRST]]』の原稿をラジオで、「描きたくなきゃ描くな」ときつく非難したこともある。詳細は[[仮面ライダー THE FIRST]]のリンク先を参照。 *[[藤田和日郎]] **同じ北海道出身で、お互いに自身の作中に相手をモデルにしたキャラクターを登場させたり、共にサイン会を行うほどの仲<ref>[https://websunday.net/6947/ サンデーまんが家BACKSTAGE 藤田和日郎 Vol.18]少年サンデー公式サイト WEBサンデー 2003年(平成15年)12月17日 2020年(令和2年)2月18日閲覧</ref>。また、島本が小学館漫画賞を受賞した際には「…(前略)おめでとう島本和彦。受賞は遅すぎるくらいだ。よかった」と自身のtwitterに投稿している<ref>[https://twitter.com/Ufujitakazuhiro/status/572977677717536768 藤田和日郎の当該ツイート]2015年3月4日</ref>。 **『[[吼えろペン]]』では主人公の親友であり最大のライバルとして、藤田和日郎をモデルにした漫画家「富士鷹ジュビロ」が登場する。このキャラクターは業界内でも広く浸透し、第三者の漫画家が藤田和日郎を指す場合に「富士鷹先生は~」と呼ぶことが多々ある。 **「サンデーGX」誌上で、『[[逆境ナイン]]』の映画化記念として、藤田和日郎の『[[からくりサーカス]]』とのコラボ作品『[[からくり逆境サーカスナイン]]』が掲載された。 *[[新谷かおる]] **島本の新人時代の担当編集者が同じで、新谷のスタジオに連れて行かれ、アシスタントの使い方を学んだ。 **新谷作品を分析をした同人誌『新谷かおるになる方法』を出した。 **新谷の同人誌『砂の薔薇 TUGシリーズ』の第5弾では島本と共作した(『炎の転校生』の滝沢が登場)。 **『ガレキの翔』に「谷かおる」というキャラクターが登場する。 *[[あだち充]] **島本初の週刊連載『ほとんどヒーロー』が始まった週刊少年サンデー1983年10号は、あだちの小学館漫画賞受賞を祝う表紙であった。 **『炎の転校生』最終回の原稿が完成すると、編集者に言われてあだちの『タッチ』のアシスタントに入る。この回は『炎の転校生』の最終回と同じ号に載り、ベテランは新人より締切が遅いことを知る。 *[[ゆうきまさみ]] **ともに[[北海道]]出身であり、「[[週刊少年サンデー]]」で連載を行い、[[特撮]]系のパロディを用いるという共通点を持ち、親交がある。 **ともに新谷かおるのアシスタント経験を持つ。 **ゆうきの『[[究極超人あ〜る]]』と島本の『[[燃えるV]]』では、両方の作品を知らなければわからないコラボが行われた([[燃えるV#エピソード]]を参照)。 *[[一本木蛮]] **「[[ファンロード]]」1982年7月号は、表紙にラムのコスプレをした蛮の写真が載った号だが、島本を推した読者投稿が初めて載った号でもあった。 **島本を「兄貴」と呼んでいる。 **島本とのトークショー内の寸劇で「ニセ島本」を演じた。真偽判定で画力対決を行ったが、蛮の方が上手く、島本が焦るという一幕も見られた。 **[[アオイホノオ]]のドラマ制作に参加した。 **島本とともに日本漫画家協会の理事を務めている。 *[[いがらしゆみこ]] **島本と同じく札幌市在住で、STVラジオで自分の番組を持っていた。 **まんが甲子園の審査員はいがらしに誘われて引き受けた。 **元夫の[[井上和彦 (声優)|井上和彦]]は[[島村ジョー]]の声を担当していた。「島村」と「和彦」ということで、ペンネーム関連の話題で取り上げられることがある。 *[[三上信一]] **週刊少年サンデー編集部在籍時に島本を担当した。 **週刊ヤングサンデーの編集長時代に『アオイホノオ』の執筆を持ちかけた。 **『炎の転校生』『吼えろペン』に三上をモデルとしたキャラクターを登場させている。 *[[Moo.念平]] **1992年頃、お互いが月刊少年キャプテンに連載している時に知り合った。 **島本に誘われてまんが甲子園の審査員を引き受けた。 **『マンガチックにいこう!』の第99回に登場(録音インタビュー)した。 === アニメ業界など === * [[庵野秀明]] ** 大学時代の同期で、入学後最初のグループ作りの時に「死にそうな顔をした」(島本談)庵野を発見するも、席が遠かったという理由で一緒の組にはならなかった。しかし以後も個性の強い庵野のことは気になっていて、島本は自分の描いたアニメの制作課題(人が走って近づいてくる動画)が、庵野の制作課題(緻密に描かれた車の上に車が落ちてくる動画)と比べて天と地の差がある<ref>『[[アオイホノオ]]』単行本第1巻p56-p57が詳しい</ref>ことに衝撃を受け、アニメでは彼には敵わないと漫画の道を進むことに決めたという。後に「頭の中が違うと思った」と話している。 ** 後に[[岡田斗司夫]]から、庵野秀明・[[山賀博之]]・[[赤井孝美]]の3名は、そもそも映像志望の自分たちと漫画家志望の島本では目指すところが違っていると思われていたので、彼らからは全くライバル視されておらず、「ライバル視し合っていた」というのは島本の思い込みであったことを[[ニコニコ生放送]]での対談において知らされ、大きなショックを受けた。 ** 初めてサインを書いた相手も庵野である。両人によれば「お互い一方的にライバル視し合っていたが授業で会うことはほとんどなかった」らしい。なお、庵野の班員であった山賀博之のことは知っていたが、赤井孝美らとはあまり面識がないようである。庵野いわく、様々な行動から大学時代はすでにちょっとした有名人だったという。 ** [[日本放送協会|NHK]] [[NHK衛星第2テレビジョン|BS2]]の[[BSマンガ夜話]]『燃えよペン』の回によると、岡田が庵野にインタビューした際「手塚(島本の本名)はねえ」と嬉しそうに切り出し、「授業でバスケットボールをやった際、手塚が敵にボールを取られた時『'''すまん! 俺のせいで! もう一度、俺にチャンスをくれええ!!'''』と叫んだ」という。そのため、庵野が島本のマンガを初めて見た際「手塚がまんま出てる」という印象を受けたという。 ** 『[[アニメ店長]]』のPVでは、友情監督を自ら買って出ている(これ以前にガイナックスは『[[炎の転校生]]』OLA版の制作にも関わっている)。 ** 『[[アオイホノオ]]』では、島本をモチーフとした主人公(ホノオ)が延々と運転免許取得に励んでいた時[[ガイナックス]]創立メンバーについて語られるなど、もう1人の主人公的な立場となっている。 * [[岡田斗司夫]] ** 島本が1984年に特撮雑誌「[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]」にイラストコラムを描いた頃、岡田は自分の経営するSFショップ「[[ゼネラルプロダクツ]]」の広告を同誌に出していた。 ** 初顔合わせ前に島本の噂を山賀・庵野・赤井から聞いていた。 ** 初顔合わせは『[[ふしぎの海のナディア]]』がリアルタイムで放送されていた頃、当時、岡田が社長を務めていたガイナックスが『炎の転校生』をOLA(オリジナルレーザーディスクアニメ)で制作することとなり、関係者が顔合わせする会議の時だった。当時はバブル時代であり、岡田は日本人はギャグは大変好きではあるものの、ギャグに金を払うのは死ぬほど嫌いな民族で、『炎の転校生』はギャグ作品のためそのまま売り出しても絶対に売れないと考えていた。そして岡田は、無駄にパンチラを出し続けるチラリズムエロとセンスの良い格闘戦が必要だという結論に至ったという。 ** 1998年1月頃の[[テレビブロス]]のコラムで「仕事場の隣が、自分の経営する本屋とレンタルビデオ店」という島本の環境を羨んだ。 ** 冠番組『岡田斗司夫のプチクリ学園』では最終回に島本を招いた。 ** 2022年7月に出た単行本『岡田斗司夫ゼミのサイコパス人生相談』では島本が表紙のイラストを描いた。 * [[南雅彦]] ** 大学時代の同期で同じ班だった。現在アニメプロデューサー。1990年代のアニメ関連の仕事はこの縁によるもの。 * [[岩郷重力]] ** 下宿の一年先輩。現在ブックデザイナー。 *[[福田雄一]] **映画版『逆境ナイン』、ドラマ版『アオイホノオ』を監督した。 **島本を師と呼んでいる。 === アシスタント経験者 === * [[みず谷なおき]] - 島本が新人の頃に一時的にアシスタントをしていた。 * [[克・亜樹]] - 2年後輩だが年齢は同じ。克は漫画研究会に所属していたが、島本は個人で活動している。この漫研の創立者は[[矢野健太郎 (漫画家)|矢野健太郎]]だが、『アオイホノオ』の描写とは異なり、矢野とは当時面識はない。 * [[渡辺道明]] * [[山下てつお]] - 『逆境ナイン』や『ワンダービット』の山下のモデル。 * [[富士原昌幸]] * [[窪之内英策]] * 仲原敬太郎 - のちに『はっぴいマリア』(講談社)など発表 * ちば・ぢろう([[滝沢ひろゆき]])- 石森プロ作品のコミカライズ等を経て、主に成年誌にて活躍 * [[大滝よしえもん]] * 塚田秀一郎 - 後に [[テレビランド]]にて戦隊物のコミカライズを執筆 == 雑誌記事 == *[[ぱふ|まんが情報誌ぱふ]] 1984年10月号 - 本号メインの特集。江川達也との対談、さくまあきら、新谷かおるらのコメントなど。 * [[月刊ニュータイプ]] 1985年7月号 - 大阪関連の業界人特集内で庵野秀明との対談。2ページ。 * [[月刊OUT]] 1991年5月号 - インタビューとアニメ版・炎の転校生の紹介。8ページ。 == 関連項目 == * [[専門学校札幌マンガ・アニメ学院]] - スペシャルセミナー講師として講義を行っている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.smg.ac.jp/top/school/teacher/|title=学校紹介・先生&スペシャル講師|publisher=SMG 札幌マンガ・アニメ学院|accessdate=2016-03-15}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist |refs= <ref name="完全超悪335">{{Harvnb|完全超悪|2020|p=335|loc=「デザイナー紹介/あとがき」}}</ref> }} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|date = 2020-12-24<!--奥付表記-->|title = 平成仮面ライダー怪人デザイン大鑑 完全超悪|publisher = ホビージャパン|isbn = 978-4-7986-2338-2|ref = {{SfnRef|完全超悪|2020}}}} == 外部リンク == * {{Twitter|simakazu}}(2010年1月27日 15:33:22 - )'''※ [[協定世界時|UTC]]表記。''' * {{Official blog|https://web.archive.org/web/20140829230410/http://yaplog.jp/simakazu/|漫画家 島本かず彦のブログ}} - 公式ブログ * [https://web.archive.org/web/20020201225721/http://urasima.lala.or.jp/sima/ 島本外伝] * [http://www.aibic-ltd.co.jp/index.aspx 株式会社アイビック 公式サイト] {{島本和彦}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しまもと かすひこ}} [[Category:島本和彦|*]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:21世紀日本の実業家]] [[Category:同人作家]] [[Category:北海道出身の人物]] [[Category:1961年生]] [[Category:存命人物]]
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868
しもさか保
しもさか 保(しもさか たもつ)は、日本の漫画家。 愛称は「もっさん先生」。「~ってかい~?」「~ざんすよ」と言う語尾が特徴。 陸上競技をテーマにしたギャグ漫画『紫色のバカな風』が、「週刊少年マガジン」の第21回週刊少年マガジン新人漫画賞を受賞。前回の第20回に続いて入選賞金100万円となっており、小林まこと(今も大親友との事)に続く100万円ゲットとなった。 『紫色のバカな風』は『ぱ~ぷる呈介』とタイトルを変えて掲載されデビュー。続けて連載となったが、連載期間は比較的短いもので終わる。またこの作品では劇中の学校名に保谷や田無などの地名が使われており、西東京市にゆかりのある人物であることがわかる。 次いで『ガクラン八年組』が読切で掲載、好評につき連載となり、現在まで代表作である。また連載時に結婚、妻が食事を作ってくれると、体型が一気に太ってしまった。 パチンコ雑誌にて連載多数だが、かなりの確率で壮絶に負けている。「スロマンガ界の借金王」の呼び名も持つ。
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869
しろー大野
しろー大野(しろーおおの、1968年 - )は、日本の漫画家・イラストレーター。福島県出身。ゲームのキャラデザインも手がけたことがある。男性。妻は同じく漫画家・イラストレーターの星野由美子。 このほかマルカツ、電撃系列ゲーム誌の挿絵を一部担当。
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'''しろー大野'''(しろーおおの、[[1968年]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]・[[イラストレーター]]。[[福島県]]出身。ゲームのキャラデザインも手がけたことがある。男性。妻は同じく漫画家・イラストレーターの[[星野由美子 (漫画家)|星野由美子]]。 == 漫画作品単行本リスト == * しろー駄作劇場(ムッシュゴリグリ鈴木・ド・ヤコペッティの優雅な生活) * 「[[双葉社]] [[4コマまんが王国]]」シリーズ * [[ネオジオ]]コミック海賊本 * [[サムライスピリッツ|SAMURAI SPIRITS]] 覇王丸地獄行 * 真SAMURAI SPIRITS 覇王丸地獄変 * オズヌ(6巻まで出版されているが未完) * 新しびとの剣 == 挿絵 == * 「[[ダブルクロス]]・リプレイ・トワイライト」シリーズ * [[オウガバトル64]] 黎明編 * アテナ 選ばれし少女 * 真説サムライスピリッツ武士道烈伝 * [[リムーブカース]] * [[創星の樹]] * [[機甲都市 伯林|パンツァーポリス1935]] == ゲーム関連 == * 真説サムライスピリッツ武士道烈伝(キャラクターデザイン) * サムライスピリッツ 斬紅郎無双剣(勝利画面などの原画) * [[ファージアスの邪皇帝]]('''薄葉士郎'''名義で原作企画版・漫画・挿絵/しろー大野名義で[[PCエンジン]] [[SUPER CD-ROM2|SUPER CD-ROM<sup>2</sup>]]版キャラクターデザイン) * ミサイルファイター(発売中止) * [[一血卍傑|一血卍傑-ONLINE-]](キャラクターデザイン) このほかマルカツ、電撃系列ゲーム誌の挿絵を一部担当。 == 外部リンク == * [http://s-ohno.sakura.ne.jp/index.shtml しろー大野の宇宙船まぐろ号](公式HP) {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しろおおおの}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本のイラストレーター]] [[Category:福島県出身の人物]] [[Category:1968年生]] [[Category:存命人物]]
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871
新谷かおる
新谷 かおる(しんたに かおる、本名:新谷 薫(読み同じ)、1951年4月26日 - )は、日本の漫画家、同人活動家。男性。大阪府豊中市出身。大阪高等学校卒業。 妻は『緋の稜線』などの作品で知られる漫画家の佐伯かよの(2021年8月29日死別)。長女はナレーター・俳優の新谷摩乃。 代表作は『エリア88』・『ふたり鷹』など多数。 中学生から漫画を描いており、高校3年の時には篠原とおるのアシスタントを務めながら『少年キング』に投稿していた 。当初は飛行機の操縦士を目指していたが、色覚異常が確認され断念。高校卒業後は航空貨物関係の仕事を経て20歳で上京し、本格的に漫画の道を志す。 1972年にりぼん漫画賞佳作入選。『りぼん4月大増刊』に掲載された「吸血鬼はおいや!?」でデビュー。大和和紀、山岸凉子のアシスタントを経験。 1973年に、同じく『りぼん』にて受賞歴のある佐伯かよのと結婚。初詣帰りのバス車内で佐伯かよのが少年サンデーを拾い、その中にあった松本零士のアシスタント募集を見て同年3月より松本零士のプロダクション「零時社」に入りアシスタントを2年半務める。零時社を出てから半年程ブラブラして描きためた原稿を『月刊プレイコミック』に持ち込み、そのまま1977年より戦場ロマン・シリーズの連載を開始した。 1978年、『週刊少年サンデー増刊号』で史村翔原作「ファントム無頼」の連載を開始。 1979年、『少年ビッグコミック』で「エリア88」の連載を開始。本作と「ファントム無頼」のヒットにより注目を集めるようになる。 1981年、『週刊少年サンデー』で「ふたり鷹」の連載を開始。 1984年、『エリア88』と『ふたり鷹』で第30回小学館漫画賞受賞。 2017年4月26日、66歳の誕生日を迎えたことと『クリスティ・ロンドンマッシブ』最終回脱稿とを区切りとして一時休筆を公式Twitterアカウントで宣言した。 メカニックと人間を絡めたロマン、シリアスとギャグをミックスした作風が特徴。登場人物は時として人生・社会・戦争・テクノロジーなどに関する哲学的なセリフを話す。スター・システムも採用しており、同じ外見、同じ名前、同じような性格のキャラクターを複数の作品に別のキャラクターとして登場させることもある。 初期の作風は師匠である松本の影響が強く郷愁色と感傷を前面に出していたが、少女漫画家志望だったこともあり徐々に繊細なペンタッチで描くようになった。メカニックの描写も単純な写実第一ではなく独特のパースが松本から受け継がれ、さらに昇華されたものとなっている。このような過程を経て、新谷の作風は「少女漫画の感性と少年漫画の熱さを併せ持つ」極めて独自色の強い作風を確立した。 夫婦で互いの作品を手伝うことも多く、作品の一部キャラクターを妻の佐伯が描き、逆に佐伯作品中のメカニックを新谷が描くこともある。 『クレオパトラD.C.』や『砂の薔薇』など、主人公が海外のさまざまな場所で活躍する作品が多いが、これについて新谷は子供のころ見ていた世界を舞台にしたアメリカのテレビドラマなどの影響によるものと語っている。 趣味はバイク・カメラ・プラモデル・飛行機・スキーなどで、その知識が多分に作品へ活かされている。 趣味を生かして資料製作を行っており、松本の漫画作品「宇宙海賊キャプテンハーロック」に登場するヤッタラン副長のモデルとなった(ヤッタランが関西弁で話し、何事もない限り「今忙しいねん」といつもプラモデルで遊んでいる点が共通している)。 自他共に遅筆であることを認めており、「急いで締め切りに間に合わせいい加減な作品を描くよりも、何度頭を下げてでも納得のいく作品を描いたほうが良い」とも語っている。 近年取り上げられている児童ポルノ法改正案に対しては慎重な立場を示しており、創作物の規制/単純所持規制に反対する請願署名市民有志の賛同人として名を連ねている。 アニメーション監督の福田己津央は、業界では有名な新谷のファンとして知られており、自身が携わった作品では『エリア88』のオマージュとも取れる設定ネタを数多く登場させている。 各作品の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。表記はデフォルトでは大きく連載作品と短編を分け、それぞれ発表順とした。年にはソートを正しく行なうため便宜的に下付き文字で数字を加えている。 書名が同じ物は【】内の注記で区分をつけている。デフォルトでの表記は作品毎にまとめてオリジナルの発売順とした。判型にはソートを正しく行なうため便宜的に上付き文字で数字を加えている。月日にもソートを行うために二桁になるように数字を加えている。出版社については以下の略号を用いる。 自身主催の同人サークル「八十八夜」では、妻の佐伯や和田慎二、島本和彦との合作やコラボレーション作品の発表もある。 また、2015年8月開催のコミックマーケット88では、開催回数と『エリア88』にかける形で、コミケット準備会からの打診を受けコミケットカタログの表紙イラストを手がけている。 著名な元アシスタントに、蛭田充、ゆうきまさみ、島本和彦、田口雅之がいる。 ゆうきの作品『究極超人あ〜る』には新谷夫妻の子供の名前をネタとして出しているほか、逆に近年の新谷の作品に登場するキーパーソンキャラクターは「機動警察パトレイバー」に登場する内海がモデルとなっている。 また、島本が自著でたびたび手伝いに訪れていたと述べている。島本はその後、同人誌「新谷かおるになる方法」にてその経験や新谷の著作への分析と見解を語っている。島本の作品『ガレキの翔』には、「谷かおる」というキャラクターが登場。『アオイホノオ』にも新谷夫妻が実名で登場する。
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新谷 かおるは、日本の漫画家、同人活動家。男性。大阪府豊中市出身。大阪高等学校卒業。 妻は『緋の稜線』などの作品で知られる漫画家の佐伯かよの(2021年8月29日死別)。長女はナレーター・俳優の新谷摩乃。 代表作は『エリア88』・『ふたり鷹』など多数。
{{存命人物の出典明記|date=2013年2月}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 新谷 かおる | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = 新谷 薫 | 生地 = {{JPN}}・[[大阪府]][[豊中市]] | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1951|4|26}} | 職業 = [[漫画家]]・同人活動家 | 活動期間 = [[1972年]] - | ジャンル = [[少年漫画]]・[[少女漫画]]・[[青年漫画]] | 代表作 = 『[[エリア88]]』<br />『[[ふたり鷹]]』 | 受賞 = 第30回:[[小学館漫画賞]](『エリア88』・『ふたり鷹』) | 公式サイト = [http://www.area88.jp/ 八十八夜] }} '''新谷 かおる'''(しんたに かおる、本名:'''新谷 薫'''<ref name="FPD">『Fusion Product 創刊号』ふゅーじょんぷろだくと、1981年7月。PP170-171。</ref>(読み同じ)、[[1951年]][[4月26日]]<ref name="FPD" /> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]<ref name="FPD" />、同人活動家。[[男性]]。[[大阪府]][[豊中市]]出身。[[大阪高等学校 (私立)|大阪高等学校]]卒業。 妻は『[[緋の稜線]]』などの作品で知られる漫画家の[[佐伯かよの]]<ref name="FPD" />(2021年8月29日死別)。長女はナレーター・俳優の[[新谷摩乃]]<ref>{{Cite web|和書|title=ボイスサンプル {{!}} 新谷摩乃ウェブサイト|url=https://shintanimano.com/voice-sample/|date=2021-09-01|accessdate=2021-12-03|language=ja}}</ref>。 代表作は『[[エリア88]]』・『[[ふたり鷹]]』など多数<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.j-cast.com/2017/04/27296726.html?p=all|title=「エリア88」ファンにショック 新谷かおる休筆宣言の深層|publisher=[[J-CASTニュース]]|date=2017-04-27|accessdate=2017-09-08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.huffingtonpost.jp/2017/04/27/shintani-kaoru_n_16284496.html|title=新谷かおるが休筆宣言 漫画家生活45年『エリア88』など代表作 「感動をありがとう」の声|author=安藤健二|publisher=[[ハフポスト]]日本語版|date=2017-04-27|accessdate=2017-09-08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2089868/full/|title=漫画家・新谷かおる氏が休筆報告「一休みしてから新しい事に」|publisher=[[オリコン]]|date=2017-04-27|accessdate=2017-09-08}}</ref>。 == 略歴 == 中学生から漫画を描いており、高校3年の時には[[篠原とおる]]のアシスタントを務めながら『[[少年キング]]』に投稿していた<ref name="af88">『エリアファイル88』(小学館・1985年刊)に付属されたカセットテープの作者インタビューを参照。篠原の下では漫画の基礎を、松本の下では漫画の技術を学んだと語っている。</ref> 。当初は[[飛行機]]の[[パイロット (航空)|操縦士]]を目指していたが、[[色覚異常]]が確認され断念。高校卒業後は航空貨物関係の仕事を経て20歳で上京し、本格的に漫画の道を志す。 [[1972年]]に[[りぼん]]漫画賞佳作入選。『りぼん4月大増刊』に掲載された「吸血鬼はおいや!?」で[[デビュー]]<ref name="FPD" />。[[大和和紀]]、[[山岸凉子]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を経験。 [[1973年]]に、同じく『りぼん』にて受賞歴のある佐伯かよのと結婚。初詣帰りのバス車内で佐伯かよのが少年サンデーを拾い、その中にあった松本零士のアシスタント募集を見て同年3月より[[松本零士]]のプロダクション「零時社」に入りアシスタントを2年半務める<ref name="af88" /><ref name="FPD" />。零時社を出てから半年程ブラブラして<ref>[[東京三世社]]「ダブル・ニッケル」 p.36 を参照。</ref>描きためた原稿を『[[プレイコミック|月刊プレイコミック]]』に持ち込み、そのまま[[1977年]]より[[戦場ロマン・シリーズ]]の連載を開始した<ref>まんが情報誌『ぱふ』1982年5月号 - 特集:新谷かおる p.8 を参照。</ref>。 [[1978年]]、『[[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊号]]』で[[武論尊|史村翔]]原作「[[ファントム無頼]]」の連載を開始。 [[1979年]]、『[[少年ビッグコミック]]』で「[[エリア88]]」の連載を開始。本作と「ファントム無頼」のヒットにより注目を集めるようになる。 [[1981年]]、『[[週刊少年サンデー]]』で「[[ふたり鷹]]」の連載を開始。 [[1984年]]、『エリア88』と『ふたり鷹』で第30回[[小学館漫画賞]]受賞。 [[2017年]]4月26日、66歳の誕生日を迎えたことと『[[クリスティ・ロンドンマッシブ]]』最終回脱稿とを区切りとして一時休筆を公式Twitterアカウントで宣言した<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20170501dog00m200034000c.html|title=クリスティ・ロンドンマッシブ:“一時休筆宣言”の新谷かおるのマンガが最終回|publisher=まんたんWeb|date=2017-05-02|accessdate=2017-06-02}}</ref>。 == 作風 == メカニックと人間を絡めたロマン、シリアスとギャグをミックスした作風が特徴。登場人物は時として人生・社会・戦争・テクノロジーなどに関する哲学的なセリフを話す。[[スター・システム (小説・アニメ・漫画)|スター・システム]]も採用しており、同じ外見、同じ名前、同じような性格のキャラクターを複数の作品に別のキャラクターとして登場させることもある。 初期の作風は師匠である松本の影響が強く郷愁色と感傷を前面に出していたが、少女漫画家志望だったこともあり徐々に繊細なペンタッチで描くようになった。メカニックの描写も単純な写実第一ではなく独特のパースが松本から受け継がれ、さらに昇華されたものとなっている。このような過程を経て、新谷の作風は「少女漫画の感性と少年漫画の熱さを併せ持つ」極めて独自色の強い作風を確立した。 夫婦で互いの作品を手伝うことも多く、作品の一部キャラクターを妻の佐伯が描き、逆に佐伯作品中のメカニックを新谷が描くこともある。 『[[クレオパトラD.C.]]』や『[[砂の薔薇]]』など、主人公が海外のさまざまな場所で活躍する作品が多いが、これについて新谷は子供のころ見ていた世界を舞台にしたアメリカのテレビドラマなどの影響によるものと語っている<ref>ガイナックスCD-ROM『新谷かおるArtCollection』収録の作者コメントより。</ref>。 == 人物 == 趣味はバイク・カメラ・プラモデル・飛行機・スキーなどで、その知識が多分に作品へ活かされている。 趣味を生かして資料製作を行っており、松本の漫画作品「[[宇宙海賊キャプテンハーロック]]」に登場するヤッタラン副長のモデルとなった(ヤッタランが[[関西弁]]で話し、何事もない限り「今忙しいねん」といつもプラモデルで遊んでいる点が共通している)。 自他共に遅筆であることを認めており、「急いで締め切りに間に合わせいい加減な作品を描くよりも、何度頭を下げてでも納得のいく作品を描いたほうが良い」とも語っている<ref>[http://comics.shogakukan.co.jp/1983/ 週刊少年サンデー創刊50周年記念特別増刊『少年サンデー1983』](2009年7月15日発売)p.213 - p.215 を参照。</ref>。 近年取り上げられている[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律|児童ポルノ法]]改正案に対しては慎重な立場を示しており、創作物の規制/単純所持規制に反対する請願署名市民有志の賛同人として名を連ねている<ref>[http://www.savemanga.com/ 創作物の規制/単純所持規制に反対する請願署名市民有志] を参照。</ref>。 [[アニメーション監督]]の[[福田己津央]]は、業界では有名な新谷のファンとして知られており、自身が携わった作品では『[[エリア88]]』のオマージュとも取れる設定ネタを数多く登場させている。 == 作品リスト == === 漫画作品 === 各作品の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。表記はデフォルトでは大きく連載作品と短編を分け、それぞれ発表順とした。年にはソートを正しく行なうため便宜的に下付き文字で数字を加えている。 * {{small|〈'''R:収録'''〉未:単行本未収録 同:同人誌収録}} {| style="font-size:smaller" | style="background-color: #ff6; width: 1em; border: 1px solid gray;" | | 連載作品 | style="background-color: #cff; width: 1em; border: 1px solid gray;" | | 短編 |} {| class="wikitable sortable" style="font-size:smaller; background-color:#cff" ! !! 作品名 !! 年 !! 掲載 !! R !! 注記 |- style="background-color:#ff6" ! 1 | <span style="display:none">せんしようろまんしりす</span>[[戦場ロマン・シリーズ]] || 1977年<sub>1</sub> - <br />1982年 || [[プレイコミック|月刊プレイコミック]] || style="text-align:center" | — || |- style="background-color:#ff6" ! 2 | <span style="display:none">きんかせんし</span>銀河戦士 || 1978年<sub>01</sub> || [[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]] || style="text-align:center" | — || 原作:[[石津嵐]]。放射能に汚染された地上に緑を取り戻すため立ち上がった少年たちのSF物語。3月号 - 6月号 |- style="background-color:#ff6" ! 3 | <span style="display:none">ふあんとむふらい</span>[[ファントム無頼]] || 1978年<sub>02</sub> - <br />1984年 || [[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊号]] || style="text-align:center" | — || 原作:[[武論尊|史村翔]]。1978年4月20日号 - 1984年2月10日号 |- style="background-color:#ff6" ! 4 | <span style="display:none">いらすとしりす</span>イラストシリーズ || 1978年<sub>03</sub> || 月刊プレイコミック || style="text-align:center" | — || |- style="background-color:#ff6" ! 5 | <span style="display:none">きんかたいせん</span>[[宇宙からのメッセージ・銀河大戦|銀河大戦]] || 1978年<sub>08</sub> || [[テレビマガジン]] || style="text-align:center" | — || 特撮テレビドラマ『[[宇宙からのメッセージ・銀河大戦]]』のコミカライズ<br />原作:[[石ノ森章太郎|石森章太郎]]。8月号 - 12月号 |- style="background-color:#ff6" ! 6 | <span style="display:none">きんいろのしようせい</span>銀色の照星 || 1978年<sub>09</sub> || [[ヤングコミック]] || style="text-align:center" | — || アメリカの警察、警官を描いた連作短編<br />5号 - 14号、18号 - 20号 |- style="background-color:#ff6" ! 7 | <span style="display:none">えりあはちしゆうはち</span>[[エリア88]] || 1979年<sub>2</sub> - <br />1986年 || [[少年ビッグコミック]] || style="text-align:center" | — || 1979年8号(4月25日号) - 1986年13号(7月11日号) |- style="background-color:#ff6" ! 8 | <span style="display:none">しりすせんふんのいちひよう</span>シリーズ1/1000 sec. || 1980年<sub>1</sub> - <br />1981年 || [[マンガ少年]] || style="text-align:center" | — || [[カメラ]]、[[カメラマン]]を題材にした連作作品。<br />1980年3月号 - 9月号、1980年11月号 - 1981年4月号 |- style="background-color:#ff6" ! 9 | <span style="display:none">たふるにける</span>ダブル・ニッケル || 1980年<sub>4</sub> || ヤングコミック || style="text-align:center" | — || ダブル・ニッケルは[[5セント硬貨 (アメリカ合衆国)|5セント硬貨]]2枚で55の意。公道の制限速度である時速55マイルに由来する。[[牽引自動車|トレーラー]]を題材にした作品。主人公2人、モサクと将軍は、ルロイ・ヘンダーソンとライリー・オコンネルとして「エリア88」にもゲスト出演している。<br />3月号 - 6月号 |- style="background-color:#ff6" ! 10 | <span style="display:none">くいんたふるさていん</span>QUEEN1313 || 1981年<sub>3</sub> || [[マイアニメ]] || style="text-align:center" | — || 1313は「ダブルサーティーン」と読む。自由貿易宇宙船QUEEN1313号の乗員となったレイ・沢村の視点で描くSF作品。新谷本人は美少女がミニのチャイナドレスから太ももをチラチラ見せながらのお気楽アクション作品を要望してたが、編集の意向でシリアス作品となる。<br />1981年4月号 - 1984年9月号 |- style="background-color:#ff6" ! 11 | <span style="display:none">ふたりたか</span>[[ふたり鷹]] || 1981年<sub>6</sub> - <br />1985年 || [[週刊少年サンデー]] || style="text-align:center" | — || 1981年44号 - 1985年32号 |- style="background-color:#ff6" ! 12 | <span style="display:none">あかたんあおたん</span>[[紅たん碧たん]] || 1984年 - <br />1985年 || 週刊少年サンデー増刊号 || style="text-align:center" | — || 1984年7月号 - 1985年9月号 |- style="background-color:#ff6" ! 13 | <span style="display:none">はらんさ</span>[[バランサー (漫画)|バランサー]] || 1985年 - <br />1986年 || 週刊少年サンデー || style="text-align:center" | — || 1985年43号 - 1986年21号 |- style="background-color:#ff6" ! 14 | <span style="display:none">はすかるしてい</span>[[パスカル・シティ]] || 1986年<sub>1</sub> - <br />1987年 || 少年ビッグコミック || style="text-align:center" | — || |- style="background-color:#ff6" ! 15 | <span style="display:none">くれおはとらていしい</span>[[クレオパトラD.C.]] || 1986年<sub>3</sub> - <br />1991年 || [[コミックバーズ|コミックバーガー]] || style="text-align:center" | — || 1986年1号(創刊号・11月25日号) - 1991年 |- style="background-color:#ff6" ! 16 | <span style="display:none">ありすとうえるふ</span>ALICE12 || 1987年<sub>1</sub> || 少年ビッグコミック || style="text-align:center" | — ||民間貨物航空会社の破天荒な輸送機クルーたちを描いた作品。性欲絶倫の中年男モーガン機長は、「RAISE」でも二次大戦中の爆撃機機長としてゲスト登場しているほか、「砂の薔薇」にも傭兵部隊の隊長アーノルドとしてゲスト登場している。 |- style="background-color:#ff6" ! 17 | <span style="display:none">ひたりのおくろく</span>[[左のオクロック!!]] || 1988年<sub>1</sub> || [[月刊少年キャプテン|少年キャプテン]] || style="text-align:center" | — || |- style="background-color:#ff6" ! 18 | <span style="display:none">かてむ</span>[[ガッデム]] || 1988年<sub>2</sub> - <br />1990年 || [[ビッグコミックスペリオール]] || style="text-align:center" | — || |- style="background-color:#ff6" ! 19 | <span style="display:none">えらん</span>[[エラン (漫画)|エラン]] || 1989年<sub>1</sub> - <br />1991年 || 少年キャプテン || style="text-align:center" | — || 「エラン」とは情熱の意。無人島を購入し“自分たちの国”を造るため、少年少女たちが世界的なビジネスの世界で頭脳戦を繰り広げる。新谷かおるのお気に入りキャラ、“火付けの”柳も登場する。 |- style="background-color:#ff6" ! 20 | <span style="display:none">すなのはら</span>[[砂の薔薇]] || 1989年<sub>2</sub> - <br />1998年 || 月刊アニマルハウス→ <br />[[ヤングアニマル]] || style="text-align:center" | — || 月刊アニマルハウス1989年08月号 - 1992年4月号<br />ヤングアニマル1992年1号 - 1998年21号 |- style="background-color:#ff6" ! 21 | <span style="display:none">しえんとるまん</span>ジェントル萬 || 1991年 - <br />1993年 || コミックバーガー || style="text-align:center" | — || 八百萬(やお まん)は[[インディカー・シリーズ|インディカー]]のレーサーであり、実は八百財閥の嫡出子。萬はハート財閥が[[フォーミュラ1|F1]]参戦のためのドライバーとして、異母弟バーナード・ショックネルともどもスカウトされる。しかし、この陰には二つの財閥の争いもあった。“火付けの”柳こと柳恭平もハート財閥レーシングチーム監督として登場する。<br /> 新谷本人の言では、単行本の売り上げはトップクラスであったが、連載中に雑誌の編集長が変わり、誌面刷新のために連載を中断することになったとのこと。物語としては終了の体を成しているが、回収されていない伏線は多数ある。 |- style="background-color:#ff6" ! 22 | <span style="display:none">ふとひしひゆ</span>[[ぶっとび!!CPU]] || 1993年<sub>1</sub> - <br />1997年 || ヤングアニマル || style="text-align:center" | — || 1993年23号 - 1997年19号 |- style="background-color:#ff6" ! 23 | <span style="display:none">れふうてん</span>烈風伝 || 1993年<sub>2</sub> - <br />1995年 || コミックガイズ || style="text-align:center" | — || 競技スキー、[[滑降|ダウンヒル]]を主題とした作品。<br />1993年創刊号 - 1995年18号 |- style="background-color:#ff6" ! 24 | <span style="display:none">とらこんかふしきかいしや</span>ドラゴン株式会社 || 1996年 - <br />1997年 || 少年キャプテン || style="text-align:center" | 同 || 土地不足などから異世界の土地を取り扱うようになった現代の企業の話。掲載誌休刊につき未完。<br />1996年8月号 - 1997年2月号 |- style="background-color:#ff6" ! 25 | <span style="display:none">とうしんようひてん</span>刀神妖緋伝 || 1999年<sub>1</sub> - <br />2006年 || [[コミックフラッパー]] || style="text-align:center" | — || 少女の身体を使って仕上げられた両刃の日本刀「緋女刀」は亡くなった女性の霊が宿っていた。5本の緋女刀とそれぞれの契約者となった5人の少女の物語。コミックス全7巻。なお、7巻巻末には「8巻へ続く」の文字もあり、中断、打ち切りをうかがわせる。<br />1999年12月号 - 2006年6月号 |- style="background-color:#ff6" ! 26 | <span style="display:none">ひのまるあけて</span>[[日の丸あげて]] || 1999年<sub>2</sub> - <br />2001年 || コミックバーズ || style="text-align:center" | — || 1999年8月号 - 2001年6月号 |- style="background-color:#ff6" ! 27 | <span style="display:none">なひ</span>NAVI || 2000年 - <br />2002年 || ヤングマガジンGT || style="text-align:center" | — || イギリス在住の日本人・日下龍介(くさか・りゅうすけ)は「優勝請負人」の異名を持つラリーレースのプロ・ナヴィゲーター。レース用に自作したPC「聖人(セイント)」と共にWRCの舞台を駆ける。<br />2000年1号、2001年2号 - 4号、2002年5号 - 6号 |- style="background-color:#ff6" ! 28 | <span style="display:none">れいす</span>[[RAISE]] || 2004年 - <br />2007年 || [[ヤングキング別冊キングダム|キングダム]]→<br />[[ヤングキングアワーズ]] || style="text-align:center" | — || ヤングキング別冊キングダム2004年2月号 - ヤングキングアワーズ2007年6月号 |- style="background-color:#ff6" ! 29 | <span style="display:none">くりすていはいてんしよん</span>[[クリスティ・ハイテンション]] || 2006年 - <br />2011年 || コミックフラッパー || style="text-align:center" | — || 2006年9月号 - 2011年10月号 |- style="background-color:#ff6" ! 30 | <span style="display:none">くりすていろんとんまつしふ</span>[[クリスティ・ハイテンション|クリスティ・ロンドンマッシブ]] || 2011年 - 2017年|| コミックフラッパー || style="text-align:center" | — || 2011年12月号 - 2017年6月号 |- ! 31 | <span style="display:none">きゆうけつきはおいや</span>吸血鬼はおいや? || 1972年 || [[りぼん]] || style="text-align:center" | 未 || りぼん増刊りぼんコミック秋の号 |- ! 32 | <span style="display:none">てあみけんこうほう</span>手あみ健康法 || 1975年<sub>1</sub> || 週刊テレビファン || style="text-align:center" | — || 33号(一ノ瀬かおる名義<ref>東京三世社「ダブル・ニッケル」 p.118 を参照。</ref><ref>新谷・佐伯夫婦共同のペンネーム。新谷がストーリー作成とペン入れ、佐伯がネーム作成と下絵と作業分担している。また、当時新谷が勤めていた零時社の人間も手伝っている。</ref>) |- ! 33 | <span style="display:none">らすとらふあおやま</span>ラスト・ラヴ・アオヤマ || 1975年<sub>2</sub> || 週刊テレビファン || style="text-align:center" | — || 36号(一ノ瀬かおる名義) |- ! 34 | <span style="display:none">ふうりんかさん</span>風林火山 || 1975年<sub>3</sub> || 週刊テレビファン || style="text-align:center" | — || 40号(一ノ瀬かおる名義) |- ! 35 | <span style="display:none">めかにくしえみに</span>メカニック・ジェミニ || 1977年<sub>2</sub>|| マンガくん || style="text-align:center" | — || [[中東戦争]]を舞台に、東西陣営に分かれた双子の兄弟が[[F-4 (戦闘機)|F-4]]と[[MiG-21 (航空機)|MiG-21]]とで[[一騎討ち]]を行う。<br />8月号 |- ! 36 | <span style="display:none">らすとふらいと</span>ラスト・フライト || 1977年<sub>3</sub>|| 週刊漫画 || style="text-align:center" | — ||ジャンボジェット機の老いた操縦士はこのフライトで定年退職となる。その機には娘が[[客室乗務員]]として乗っていた。羽田空港近くまで来て何かがコクピットに激突。墜落は免れたものの、老操縦士は視覚を失い、他のコクピット乗務員の生死も不明。そんな状態で着陸を敢行する。 |- ! 37 | <span style="display:none">ふあいたにいちいちきゆう</span>ファイター2119 || 1977年<sub>4</sub>|| トップコミック || style="text-align:center" | — || 22世紀。地域を限定した戦争を行うことで、東西両陣営は発展しつづけていた。そんな中、戦闘機での100回出撃(達成者はごくわずかで莫大な恩給とリゾート地での生活が保証される)を間近に迎えた男がいた。<br />5月号 |- ! 38 | <span style="display:none">こうふくれんさ</span>幸福連鎖 || 1977年<sub>5</sub>|| トップコミック || style="text-align:center" | — ||作家志望の男は渾身のポルノ小説を「いまどき純文学は流行らない」と編集者に却下された。世間では小学生が書いたポルノ小説が大当たり。ヤケになった男だったが、なぜか次から次へと幸運が舞い込みはじめる。大金持ちの令嬢が誕生日までに結婚しなければいけないが誰でもいいので何番目に通った人を……というのに選ばれたり。<br />『少年/少女SFマンガ競作大全集 8』([[東京三世社]]、1980年11月)に再録。 |- ! 39 | <span style="display:none">あおいきようそうしや</span>蒼い競争車 || 1978年<sub>04</sub> || 週刊漫画 || style="text-align:center" | — || 6月30日号 - 7月7日号 |- ! 40 | <span style="display:none">そにくてさた</span>ソニック・デザーター || 1978年<sub>05</sub> || 週刊漫画 || style="text-align:center" | — ||アメリカ空軍、海軍でそれぞれ次期主力戦闘機の試作機を開発していたが、それは近未来に出現すると想定された[[MiG]]であった。アメリカの現状装備で最新技術を盛り込んだMiGに渡り合えるか[[アグレッサー部隊|仮想敵機]]として撃墜前提の実弾試験。全アメリカ軍の包囲網をかいくぐり、[[キューバ]]への亡命を図る。タイトルは「音速の[[脱走兵]]」の意。 |- ! 41 | <span style="display:none">ほとみしよん</span>ホットミッション || 1978年<sub>06</sub> || [[週刊少年マガジン]] || style="text-align:center" | — || [[F-1 (航空機)|F-1]]パイロットはある夜、訓練ではなく実戦(ホットミッション)に巻き込まれる。核弾頭ミサイルを装備した敵航空機を撃墜するために、F-1にも対空核ミサイルが装備された。<br />38号 |- ! 42 | <span style="display:none">さんたほると</span>サンダーボルト || 1978年<sub>07</sub> || マンガくん || style="text-align:center" | — || [[ボンネビル・ソルトフラッツ]]で速度記録車による最高速度記録に挑む物語。<br />7月号 |- ! 43 | <span style="display:none">はすなんはいちまるいち</span>定期便(バスナンバー)101 || 1978年<sub>10</sub> || ヤングコミック || style="text-align:center" | — || 飛行中の国際線旅客機101便に落雷し、副操縦士と機関士は死亡。機長も操縦ができない状態になった。<br />10月号 |- ! 44 | <span style="display:none">かせいのふりんせす</span>火星のプリンセス || 1979年<sub>1</sub> || ウィンクル増刊スターボーイ || style="text-align:center" | 未 || イラスト |- ! 45 | <span style="display:none">くらしゆゆえすえ</span>クラッシュUSA || 1979年<sub>3</sub> || 月刊プレイコミック || style="text-align:center" | — || 大量の金塊を保持し、これを市場に流すことでアメリカ経済を壊滅させようとするテロ組織に女性のみで構成される特殊部隊「KISS」が挑む。<br />7月号 |- ! 46 | <span style="display:none">ふろとたいふさんせん</span>試作番号(プロトタイプ)3000 || 1979年<sub>4</sub> || 冒険王 || style="text-align:center" | — || [[震電]]をジェットエンジン化した試作機。だが、試作番号3000とはその機体のことではなかった。<br />8月号 |- ! 47 | <span style="display:none">みくろほりす</span>ミクロ・ポリス || 1981年<sub>4</sub> || 少年少女SFマンガ競作大全集 || style="text-align:center" | — || 10号 |- ! 48 | <span style="display:none">ほうそうほりく</span>暴走ホリック(つっぱり中毒) || 1981年<sub>5</sub> || 月刊プレイコミック || style="text-align:center" | — || 「エリア88」、「ファントム無頼」の登場キャラクターをスターシステム的に登場させた青春漫画。<br />11月号 |- ! 49 | <span style="display:none">えりははちしゆうはちはんかいへん</span>エリア88番外編 || 1980年<sub>2</sub> || 小学6年生 || style="text-align:center" | 同 || 1985年発売の「新谷かおる豪華画集エリアファイル88」に収録された複製原画でのみ刊行されていたが、現在は同人誌の形で入手可能。<br />小学6年生3月号。 |- ! 50 | <span style="display:none">かくえんさんかんおう</span>学園三冠王 || 1980年<sub>3</sub> || [[ひとみ (雑誌)|ひとみ]] || style="text-align:center" | — || 勇気一番八王子蘭丸(はちおうじ らんまる)、力一番松平春九(まつだいら はるく)、美貌一番灘雪之丞(なだ ゆきのじょう)の学園三冠王。雪之丞の実家は置き屋だったが雪之丞が密かに憧れる姐さんに結婚の話が……<br />ひとみデラックス春の増刊号 |- ! 51 | <span style="display:none">あな</span>穴 || 1981年<sub>1</sub> || 少年少女SFマンガ競作大全集 || style="text-align:center" | 未 || 7号 |- ! 52 | <span style="display:none">はいうえいすた</span>ハイウェイ・スター || 1981年<sub>2</sub> || 月刊サウンドレコパル || style="text-align:center" | — || [[ディープ・パープル]]の「[[ハイウェイ・スター (曲)|ハイウェイ・スター]]」をモチーフに事故で亡くなったバイク乗りの友人を偲ぶ。<br />2月号 |- ! 53 | <span style="display:none">むらさきさんけ</span>紫ざんげ || 1982年 || 少年ビッグコミック増刊号 || style="text-align:center" | — ||極秘の政府諮問機関「紫」は、女子学生に非道を働く輩を密かに始末する女子学生3人組 |- ! 54 | <span style="display:none">かせのてんき</span>風の伝記 || 1983年<sub>1</sub> || [[ビッグコミックスピリッツ]] || style="text-align:center" | — || 5月30日号 |- ! 55 | <span style="display:none">こふらいれふん</span>コブラ11 || 1983年<sub>2</sub> || [[月刊少年マガジン]] || style="text-align:center" | — || [[ベトナム戦争]]中の日系人の攻撃ヘリパイロットを描いた読み切り作品。<br />7月号 |- ! 56 | <span style="display:none">しろとくろのひつし</span>白と黒の羊 || 1986年<sub>2</sub> || [[月刊コミックNORA|コミックNORA]] || style="text-align:center" | — || [[ル・マン24時間レース]]を舞台にした読み切り。<br />11月号 |- ! 57 | <span style="display:none">こんくりとらいふ</span>コンクリート・ライブ || 1987年<sub>2</sub> || 週刊少年サンデー || style="text-align:center" | — || アメリカ警察物。ヘコプター部隊に配属されたばかりの新人と白バイ部隊の女性警官を軸に描く。<br />21号 |- ! 58 | <span style="display:none">はとらんと</span>バードランド || 1987年<sub>3</sub> || 週刊少年サンデー増刊号 || style="text-align:center" | — || [[スキージャンプ]]競技を描く。<br />12月号 |- ! 59 | <span style="display:none">えいと</span>8-エイト- || 1989年<sub>3</sub> || 週刊少年サンデー || style="text-align:center" | — || あちこちの部隊から乗員がかき集められた[[B-17 (航空機)|B-17]]乗員たち。本来は10名で稼働させる機体だが名簿上は8名しかいない。<br />週刊少年サンデー特別編集『少年サンデー30周年記念増刊号』4月10日号 |} === 単行本 === 書名が同じ物は【】内の注記で区分をつけている。デフォルトでの表記は作品毎にまとめてオリジナルの発売順とした。判型にはソートを正しく行なうため便宜的に上付き文字で数字を加えている。月日にもソートを行うために二桁になるように数字を加えている。出版社については以下の略号を用いる。 * {{Small|〈'''出:出版社'''〉'''A''':[[秋田書店]] / '''AS''':[[朝日ソノラマ]] / '''F''':[[双葉社]] / '''GK''':[[学研ホールディングス|学習研究社]] / '''GT''':[[幻冬舎]] / '''H''':[[白泉社]] / '''K''':[[講談社]] / '''M''':[[メディアファクトリー]] / '''S''':[[小学館]] / '''SK''':スカイラブ / '''SC''':[[スコラ]] / '''SG''':[[少年画報社]] / '''SM''':[[ソニー・マガジンズ]] / '''TS''':[[東京三世社]] / '''T''':[[徳間書店]]}} {| style="font-size:smaller" | style="background-color: #ff6; width: 1em; border: 1px solid gray;" | | オリジナル | style="background-color: #ffc; width: 1em; border: 1px solid gray;" | | 再出版 | style="background-color: #cff; width: 1em; border: 1px solid gray;" | | オリジナル短編集 | style="background-color: #cf9; width: 1em; border: 1px solid gray;" | | 短編集の再出版 |} {| class="wikitable sortable" style="font-size:smaller; background-color: #ff6" ! !! 書名 !! 出 !! L !! 判型 !! 発売 !! 巻数 !! 注記 |- ! 1 | <span style="display:none">せんしようろまんしりす</span>[[戦場ロマン・シリーズ]] || A || [[サンデーコミックス]] || <sup>2</sup> 新書 || 1979年8月5日 - 1982年12月5日 || style="text-align:center;" | 8 || |- style="background-color:#ffc" ! 2 | <span style="display:none">せんしようろまんしりす</span>戦場ロマン・シリーズ【豪華版】 || A || 秋田書店豪華版 || ? || 1992年10月15日 - 1993年9月25日 || style="text-align:center;" | 5 || |- style="background-color:#ffc" ! 3 | <span style="display:none">せんしようろまんしりす</span>戦場ロマン・シリーズ【文庫版】 || A || 秋田漫画文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 1996年3月 - 1996年9月 || style="text-align:center;" | 5 || |- ! 4 | <span style="display:none">えりあはちしゆうはち</span>[[エリア88]] || S || マンガくんコミックス→<br />[[少年ビッグコミック|少年ビッグコミックス]] || <sup>2</sup> 新書 || 1979年11月5日 - 1986年9月5日 || style="text-align:center;" | 23 || 第1巻から第12巻までは当初「マンガくんコミックス」として。 |- style="background-color:#ffc" ! 5 | <span style="display:none">えりあはちしゆうはち</span>エリア88【ワイド版】 || S || 少年サンデーコミックス || <sup>4</sup> [[四六判|四六]] || 1992年4月 - 1993年10月 || style="text-align:center;" | 10 || |- style="background-color:#ffc" ! 6 | <span style="display:none">えりあはちしゆうはち</span>エリア88【スコラ漫画文庫版】 || SC || スコラ漫画文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 1994年9月 - 1991年11月 || style="text-align:center;" | 13 || |- style="background-color:#ffc" ! 7 | <span style="display:none">えりあはちしゆうはち</span>エリア88【MF文庫版】 || M || MF文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 1999年11月 - 2000年2月 || style="text-align:center;" | 13 || |- style="background-color:#ffc" ! 8 | <span style="display:none">えりあはちしゆうはち</span>エリア88【MFコミックス版】 || M || MFコミックス || <sup>1</sup> 文庫 || 2003年9月 - 2004年3月24日 || style="text-align:center;" | 13 || |- style="background-color:#cff" ! 9 | <span style="display:none">きんいろのしようせい</span>銀色の照星 || AS || サンコミックス || <sup>2</sup> 新書 || 1979年12月15日 || style="text-align:center;" | 1 || |- style="background-color:#cf9" ! 10 | <span style="display:none">きんいろのしようせい</span>銀色の照星【バーガーSC版】 || SC || バーガーSC || <sup>3</sup> 小B6 || 1989年6月15日 - 1989年7月14日 || style="text-align:center;" | 2 || |- style="background-color:#cf9" ! 11 | <span style="display:none">きんいろのしようせい</span>銀色の照星【MF文庫版】 || M || 新谷かおるマグナムロマンシリーズ1 || <sup>1</sup> 文庫 || 2006年3月 || style="text-align:center;" | 1 || |- style="background-color:#cff" ! 12 | <span style="display:none">そにくてさた</span>ソニック・デザーター || AS || サンコミックス || <sup>2</sup> 新書 || 1980年1月30日 || style="text-align:center;" | 1 || |- style="background-color:#cf9" ! 13 | <span style="display:none">そにくてさは</span>ソニック・デザーター【バーガーSC版】 || SC || バーガーSC || <sup>3</sup> 小B6 || 1989年4月15日 || style="text-align:center;" | 1 || サンコミックス版に1話追加している。 |- style="background-color:#cf9" ! 14 | <span style="display:none">そにくてさた</span>ソニック・デザーター【MF文庫版】 || M || 新谷かおるマグナムロマンシリーズ2 || <sup>1</sup> 文庫 || 2006年3月 || style="text-align:center;" | 1 || |- ! 15 | <span style="display:none">ふあんとむふらい</span>[[ファントム無頼]] || S || 少年サンデーコミックス || <sup>2</sup> 新書 || 1980年3月15日 - 1984年4月15日 || style="text-align:center;" | 12 || |- style="background-color:#ffc" ! 16 | <span style="display:none">ふあんとむふらい</span>ファントム無頼【ワイド版】 || S || 少年サンデーコミックス || <sup>4</sup> [[四六判|四六]] || 1991年5月 - 1991年10月 || style="text-align:center;" | 5 || |- style="background-color:#ffc" ! 17 | <span style="display:none">ふあんとむふらい</span>ファントム無頼【廉価版】 || S || My First WIDE || ? || 2006年3月 - 2006年6月 || style="text-align:center;" | 7 || |- style="background-color:#cff" ! 18 | <span style="display:none">たふるにける</span>ダブル・ニッケル || TS || マイコミックス || <sup>5</sup> A5 || 1980年10月10日 || style="text-align:center;" | 1 || |- ! 19 | <span style="display:none">しりすせんふんのいちひよう</span>シリーズ1/1000sec. || AS || サンコミックス || <sup>2</sup> 新書 || 1981年5月25日 - 1981年6月25日 || style="text-align:center;" | 2 || |- style="background-color:#ffc" ! 20 | <span style="display:none">しりすせんふんのいちひよう</span>シリーズ1/1000sec.【バーガーSC版】 || SC || バーガーSC || <sup>3</sup> 小B6 || 1989年10月16日 - 1989年11月15日 || style="text-align:center;" | 2 || |- style="background-color:#ffc" ! 21 | <span style="display:none">しりすせんふんのいちひよう</span>シリーズ1/1000sec.【スコラ漫画文庫版】 || SC || スコラ漫画文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 1998年2月 || style="text-align:center;" | 1 || |- style="background-color:#ffc" ! 22 | <span style="display:none">しりすせんふんのいちひよう</span>シリーズ1/1000sec.【MF文庫版】 || M || 新谷かおるマグナムロマンシリーズ4 || <sup>1</sup> 文庫 || 2006年12月 || style="text-align:center;" | 1 || |- ! 23 | <span style="display:none">ふたりたか</span>[[ふたり鷹]] || S || 少年サンデーコミックス || <sup>2</sup> 新書 || 1982年6月15日 - 1985年9月15日 || style="text-align:center;" | 19 || |- style="background-color:#ffc" ! 24 | <span style="display:none">ふたりたか</span>ふたり鷹【SV版】 || S || スーパービジュアルコミックス || <sup>4</sup> [[四六判|四六]] || 1990年8月20日 - 1991年3月16日 || style="text-align:center;" | 7 || |- style="background-color:#ffc" ! 25 | <span style="display:none">ふたりたか</span>ふたり鷹【スコラ漫画文庫版】 || SC || スコラ漫画文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 1995年3月 - 1995年7月 || style="text-align:center;" | 11 || |- style="background-color:#ffc" ! 26 | <span style="display:none">ふたりたか</span>ふたり鷹【MF文庫版】 || M || MF文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 2000年8月 - 2001年2月 || style="text-align:center;" | 11 || |- ! 27 | <span style="display:none">くいんたふるさていん</span>QUEEN1313 || A || プレイコミックシリーズ || <sup>3</sup> 小B6 || 1983年1月15日 - 1984年11月5日 || style="text-align:center;" | 2 || |- style="background-color:#ffc" ! 28 | <span style="display:none">くいんたふるさていん</span>QUEEN1313【スペシャル版】 || A || プレイコミックシリーズスペシャル || <sup>5</sup> A5 || 1990年7月25日 || style="text-align:center;" | 1 || |- style="background-color:#ffc" ! 29 | <span style="display:none">くいんたふるさていん</span>QUEEN1313【文庫版】 || A || 秋田漫画文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 2004年10月 || style="text-align:center;" | 1 || |- ! 30 | <span style="display:none">きんかせんし</span>銀河戦士 || SK || SKYLOVEコミックス || <sup>5</sup> A5 || 1983年8月7日 || style="text-align:center;" | 1 || スカイ♥ラブより限定発行。 |- style="background-color:#cff" ! 31 | <span style="display:none">しんたにかおるけさくしゆう</span>新谷かおる傑作集 || A || ECコミックス || <sup>2</sup> 新書 || 1983年8月31日 - 1983年12月10日 || style="text-align:center;" | 2 || 初期短編集。1巻に学園三冠王、2巻に[[宇宙からのメッセージ・銀河大戦|銀河大戦]]が収録されている。 |- ! 32 | <span style="display:none">あかたんあおたん</span>紅たん碧たん || S || 少年サンデーコミックス || <sup>2</sup> 新書 || 1985年6月15日 || style="text-align:center;" | 1 || |- style="background-color:#ffc" ! 33 | <span style="display:none">あかたんあおたん</span>紅たん碧たん【ジェッツコミックス版】 || H || [[ヤングアニマル|ジェッツコミックス]] || <sup>3</sup> 小B6 || 1994年4月30日 || style="text-align:center;" | 2 || 小学館版では刊行されなかった分も含めた完全版。 |- ! 34 | <span style="display:none">はらんさ</span>バランサー || S || 少年サンデーコミックス || <sup>2</sup> 新書 || 1986年4月15日 - 1986年7月15日 || style="text-align:center;" | 3 || |- style="background-color:#ffc" ! 35 | <span style="display:none">はらんさ</span>バランサー【SV版】 || S || スーパービジュアルコミックス || <sup>4</sup> [[四六判|四六]] || 1991年4月 || style="text-align:center;" | 1 || |- style="background-color:#ffc" ! 36 | <span style="display:none">はらんさ</span>バランサー【MF文庫版】 || M || MF文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 2003年11月 - 2003年12月 || style="text-align:center;" | 2 || |- ! 37 | <span style="display:none">はすかるしてい</span>パスカル・シティ || S || 少年ビッグコミックス || <sup>2</sup> 新書 || 1987年2月5日 || style="text-align:center;" | 2 || |- style="background-color:#ffc" ! 38 | <span style="display:none">はすかるしてい</span>パスカル・シティ【MF文庫版】 || M || MF文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 2001年11月 || style="text-align:center;" | 1 || |- ! 39 | <span style="display:none">くれおはとらていしい</span>[[クレオパトラD.C.]] || SC || バーガーKC→バーガーSC || <sup>3</sup> 小B6 || 1987年8月22日 - 1991年3月16日 || style="text-align:center;" | 8 || |- style="background-color:#ffc" ! 40 | <span style="display:none">くれおはとらていしい</span>クレオパトラD.C.【スコラ漫画文庫版】 || SC || スコラ漫画文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 1997年2月 - 1997年7月 || style="text-align:center;" | 6 || |- style="background-color:#ffc" ! 41 | <span style="display:none">くれおはとらていしい</span>クレオパトラD.C.【MF文庫版】 || M || MF文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 2000年3月 - 2000年5月 || style="text-align:center;" | 6 || |- ! 42 | <span style="display:none">ありすとうえるふ</span>ALICE12 || S || ビッグコミックス || <sup>3</sup> 小B6 || 1987年10月1日 || style="text-align:center;" | 1 || |- style="background-color:#ffc" ! 43 | <span style="display:none">ありすとうえるふ</span>ALICE12【ソニー・マガジンズ版】 || SM || バーズコミックススペシャル || <sup>3</sup> 小B6 || 1999年8月28日 || style="text-align:center;" | 1 || |- style="background-color:#ffc" ! 44 | <span style="display:none">ありすとうえるふ</span>ALICE12【MF文庫版】 || M || MF文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 2007年9月1日 || style="text-align:center;" | 1 || |- ! 45 | <span style="display:none">ひたりのおくろく</span>[[左のオクロック!!]] || T || [[月刊少年キャプテン|少年キャプテンコミックス]] || <sup>2</sup> 新書 || 1988年5月20日 - 1988年11月20日 || style="text-align:center;" | 2 || |- style="background-color:#ffc" ! 46 | <span style="display:none">ひたりのおくろく</span>左のオクロック!!【スペシャル版】 || T || 少年キャプテンコミックススペシャル || <sup>3</sup> 小B6 || 1997年1月 - 1997年2月 || style="text-align:center;" | 2 || |- style="background-color:#ffc" ! 47 | <span style="display:none">ひたりのおくろく</span>左のオクロック!!【MF文庫版】 || M || MF文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 2007年12月1日 || style="text-align:center;" | 1 || |- ! 48 | <span style="display:none">かてむ</span>[[ガッデム]] || S || ビッグコミックス || <sup>2</sup> 新書 || 1989年1月1日 - 1990年7月1日 || style="text-align:center;" | 5 || |- style="background-color:#ffc" ! 49 | <span style="display:none">かてむ</span>ガッデム【SVS版】 || S || スーパービジュアルコミックススペシャル || <sup>4</sup> [[四六判|四六]] || 1993年5月 - 1993年8月 || style="text-align:center;" | 4 || |- style="background-color:#ffc" ! 50 | <span style="display:none">かてむ</span>ガッデム【スコラ漫画文庫版】 || SC || スコラ漫画文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 1996年5月 - 1996年9月 || style="text-align:center;" | 4 || |- style="background-color:#ffc" ! 51 | <span style="display:none">かてむ</span>ガッデム【MF文庫版】 || M || MF文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 2001年12月 - 2002年4月 || style="text-align:center;" | 4 || |- style="background-color:#cff" ! 52 | <span style="display:none">しろとくろのひつし</span>白と黒の羊 || SC || バーガーSC || <sup>3</sup> 小B6 || 1990年7月 || style="text-align:center;" | 1 || |- style="background-color:#cf9" ! 53 | <span style="display:none">しろとくろのひつし</span>白と黒の羊【デラックス版】 || SC || バーガーSCデラックス || ? || 1995年12月 || style="text-align:center;" | 1 || |- style="background-color:#cf9" ! 54 | <span style="display:none">しろとくろのひつし</span>白と黒の羊【スコラ漫画文庫版】 || SC || スコラ漫画文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 1998年5月 || style="text-align:center;" | 1 || |- style="background-color:#cf9" ! 55 | <span style="display:none">しろとくろのひつし</span>白と黒の羊【MF文庫版】 || M || 新谷かおるマグナムロマンシリーズ3 || <sup>1</sup> 文庫 || 2006年4月 || style="text-align:center;" | 1 || |- ! 56 | <span style="display:none">すなのはら</span>[[砂の薔薇]] || H || ジェッツ・コミックス || <sup>3</sup> 小B6 || 1990年1月31日 - 1999年2月5日 || style="text-align:center;" | 15 || |- style="background-color:#ffc" ! 57 | <span style="display:none">すなのはら</span>砂の薔薇【文庫版】 || H || 白泉社文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 1999年12月 - 2000年9月 || style="text-align:center;" | 8 || |- style="background-color:#ffc" ! 58 | <span style="display:none">すなのはら</span>砂の薔薇【MFコミックス版】 || M || MFコミックス || <sup>3</sup> 小B6 || 2011年2月23日 - 2011年5月23日 || style="text-align:center;" | 8 || |- ! 59 | <span style="display:none">えらん</span>エラン || T || 少年キャプテンコミックス || <sup>2</sup> 新書 || 1990年2月20日 - 1991年4月20日 || style="text-align:center;" | 3 || |- style="background-color:#ffc" ! 60 | <span style="display:none">えらん</span>エラン【スペシャル版】 || T || 少年キャプテンコミックススペシャル || <sup>3</sup> 小B6 || 1996年12月 - 1997年01月 || style="text-align:center;" | 2 || |- style="background-color:#ffc" ! 61 | <span style="display:none">えらん</span>エラン【スコラ漫画文庫版】 || SC || スコラ漫画文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 1998年7月 - 1998年8月 || style="text-align:center;" | 2 || |- style="background-color:#ffc" ! 62 | <span style="display:none">えらん</span>エラン【MF文庫版】 || M || MF文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 2001年3月 - 2001年4月 || style="text-align:center;" | 2 || |- ! 63 | <span style="display:none">しえんとるまん</span>ジェントル萬 || SC || バーガーSC || <sup>3</sup> 小B6 || 1991年12月16日 - 1993年8月19日 || style="text-align:center;" | 4 || |- style="background-color:#ffc" ! 64 | <span style="display:none">しえんとるまん</span>ジェントル萬【スコラ漫画文庫版】 || SC || スコラ漫画文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 1999年3月 - 1999年3月 || style="text-align:center;" | 2 || |- style="background-color:#ffc" ! 65 | <span style="display:none">しえんとるまん</span>ジェントル萬【ソニー・マガジンズ版】 || SM || バーズコミックススペシャル || <sup>3</sup> 小B6 || 1999年8月 || style="text-align:center;" | 2 || |- style="background-color:#ffc" ! 66 | <span style="display:none">しえんとるまん</span>ジェントル萬【MF文庫版】 || M || MF文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 2002年8月 - 2002年10月 || style="text-align:center;" | 3 || |- ! 67 | <span style="display:none">れふうてん</span>烈風伝 || GK || ガイズコミックス || <sup>3</sup> 小B6 || 1994年9月12日 - 1995年12月12日 || style="text-align:center;" | 3 || |- style="background-color:#ffc" ! 68 | <span style="display:none">れふうてん</span>烈風伝【KCデラックス版】 || K || KCデラックス || <sup>3</sup> 小B6 || 1997年10月 || style="text-align:center;" | 2 || |- ! 69 | <span style="display:none">ふとひしひゆ</span>[[ぶっとび!!CPU]] || H || ジェッツ・コミックス || <sup>3</sup> 小B6 || 1995年5月31日 - 1997年12月20日 || style="text-align:center;" | 3 || |- style="background-color:#ffc" ! 70 | <span style="display:none">ふとひしひゆ</span>ぶっとび!!CPU【MF文庫版】 || M || MF文庫 || <sup>1</sup> 文庫 || 2003年4月 - 2003年5月 || style="text-align:center;" | 2 || |- style="background-color:#cff" ! 71 | <span style="display:none">しんたにかおるしせんけさくしゆう</span>新谷かおる―自選傑作集 || F || 日本漫画家大全 || <sup>5</sup> A5 || 1997年11月 || style="text-align:center;" | 1 || |- ! 72 | <span style="display:none">ひのまるあけて</span>日の丸あげて || SM || バーズコミックス || <sup>3</sup> 小B6 || 2000年5月29日 - 2001年5月29日 || style="text-align:center;" | 2 || |- style="background-color:#ffc" ! 73 | <span style="display:none">ひのまるあけて</span>日の丸あげて【幻冬舎版】 || GT || バーズコミックス || <sup>3</sup> 小B6 || 2003年1月 || style="text-align:center;" | 2 || |- ! 74 | <span style="display:none">とうしんようひてん</span>刀神妖緋伝 || M || MFコミックス || <sup>3</sup> 小B6 || 2000年11月1日 - 2006年7月22日 || style="text-align:center;" | 7 || |- ! 75 | <span style="display:none">とらこんかふしきかいしや</span>ドラゴン株式会社 || M || MFコミックス || <sup>3</sup> 小B6 || 2001年2月 || style="text-align:center;" | 1 || 同人誌にて続刊あり。 |- ! 76 | <span style="display:none">なひ</span>NAVI || K || ヤングマガジンコミックス || <sup>3</sup> 小B6 || 2003年1月6日 || style="text-align:center;" | 1 || |- ! 77 | <span style="display:none">らいす</span>[[RAISE]] || SG || ヤングキングコミックス || <sup>3</sup> 小B6 || 2005年5月1日 - 2007年9月1日 || style="text-align:center;" | 3 || |- ! 78 | <span style="display:none">くりすていはいてんしよん</span>[[クリスティ・ハイテンション]] || M || MFコミックス || <sup>3</sup> 小B6 || 2007年6月23日 - 2011年10月22日 || style="text-align:center;" | 7 || |- ! 79 | <span style="display:none">くりすていろんとんまつしふ</span>[[クリスティ・ハイテンション|クリスティ・ロンドンマッシブ]] || M || MFコミックス || <sup>3</sup> 小B6 || 2012年6月23日 - 2017年5月2日|| style="text-align:center;" | 5 || |} == その他の作品 == === 画集 === ; エリアファイル88(新谷かおる豪華画集) : 1985年4月発売、定価は3,000円。『エリア88』の連載6周年企画として発売された大型本。B3のカラーポスター8点、コミック未収録であった「エリア88番外編」の複製原画(製本されないB4紙20枚のかたち)、新谷かおるのインタビューが収録されたオリジナル・カセットテープが1本。ISBN 4-09-199551-9 ; クレオパトラD.C. イラストレーション集 : 1989年12月発売、定価は2,000円、大型本、62ページ。『クレオパトラD.C.』のカラーイラストなどが収録されている。ISBN 4-7962-0009-6 ; 新谷かおる Art Collection : 1999年に[[ガイナックス]]より発売された。「エリア88」・「ふたり鷹」・「クレオパトラD.C.」・「砂の薔薇」を始めとした代表作のカラーイラストを中心に、作品の制作背景を綿密に語ったロングインタビューなどが収録されている。WindowsとMacintoshに対応したハイブリッドCD-ROMで、定価は7,800円(税別)。 ; エリア88 MANIAX : GAMEBANK社より発売された。「エリア88」全話を完全収録しており、壁紙や未発表カラー原稿・作品に登場した航空機データなどが収録されている。WindowsとMacintoshに対応したハイブリッドCD-ROM2枚組で、定価は5,800円(税別)。 === 漫画原作作品 === ; オン・ザ・ウェイ : 1982年、小学館、週刊[[少女コミック]]18号、読み切り作品。作画:佐伯かよの。 ; DAT13(ダットサーティーン) : 1997年、白泉社、ヤングアニマル、ジェッツ・コミックス(全1巻)。作画:[[千葉きよかず|千葉潔和]]。ISBN 4-592-13013-8 ; [[クオ・ヴァディス (漫画)|Quo Vadis(クオ・ヴァディス)]] : 2007年 - 2018年、幻冬舎、webコミックGENZO、コミックバーズで連載。バーズコミックス(全20巻、外伝1巻)。作画:佐伯かよの。 === 同人誌 === {{節スタブ}} ; ドラゴン株式会社 完全版 : 1998年、「八十八夜」を通し[[コミケ]]で販売。掲載誌であった[[少年キャプテン]]([[徳間書店]]刊)が休刊になり未完となる。再開のメドもたたず、コミック発刊も絶望的であったため、[[同人誌]]のカタチで自費出版し、限定的に日の目を見た。 自身主催の[[同人サークル]]「八十八夜」では、妻の佐伯や[[和田慎二]]、[[島本和彦]]との合作やコラボレーション作品の発表もある<ref>[[コミックマーケット]]に初めてサークル参加した際(1999年夏のコミックマーケット56)[https://www.itmedia.co.jp/ebook/articles/1506/16/news088.html]、準備会スタッフの遊び心により、サークルスペースが通常では有り得ない、「A88」というナンバーに配置された。サークル参加の前日にはスタッフが、販売スペース前の床面に白いテープで'''A88'''と『エリア88』の滑走路に書かれているようにマーキングし、脇の柱には(作中で風間真の自室にあったような)日付に×印のつけられたカレンダーが貼られた。コミックマーケットはプロも数多く参加し、列の管理やサークル配置は安全に関わることであるため、基本的にこのような特別な処置は有り得ない。</ref>。 また、2015年8月開催のコミックマーケット88では、開催回数と『エリア88』にかける形で、コミケット準備会からの打診を受けコミケットカタログの表紙イラストを手がけている<ref>[https://mantan-web.jp/article/20150629dog00m200023000c.html エリア88:コミケ88のカタログ表紙に 新谷かおる描き下ろし],毎日新聞,2015年6月29日</ref>。 === アニメ === ; エリア88(1985年) : 全3巻のOVAシリーズが製作された。「ACT I」と「ACT II」は再編集され、1985年に映画版として公開され、その後、[[テレビ東京]]でも放映された。キャストは風間真を[[塩沢兼人]]、ミッキー・サイモンを[[富山敬]]、サキを[[志垣太郎]]が演じた。 ; エリア88(2004年) : 全12話のシリーズがテレビ朝日の深夜枠で放映された。原作とはかなり異なる内容となっており、戦闘機などのメカニックにCGが使われ、オリジナルキャラクターが2人登場している。風間真は[[子安武人]]が演じた。 ; ふたり鷹 : 全36話のシリーズがフジテレビ系列で放映された(1984年9月27日 - 1985年7月12日)。製作は国際映画社。キャストは沢渡鷹を[[古谷徹]]、東条鷹を[[塩沢兼人]]、沢渡緋沙子を[[藤田淑子]]が演じた。 ; 左のオクロック!! : 全2巻のOVAが1989年に徳間コミュニケーションズから発売された。キャストは[[佐々木望]]他。 ; クレオパトラD.C. : 全3巻のOVAシリーズが1989年から1991年に東映ビデオから発売され、2008年にはOVA全巻を収録した「クレオパトラD.C. コンプリートDVD」も発売された。クレオパトラは[[川村万梨阿]]が演じた。 ; ガッデム : 全2巻のOVA(第1巻「サバイバルチェイサー」・第2巻「ゴーアヘッド」)が1990年にビクターから発売された。キャストは[[山寺宏一]]他。 ; ぶっとび!!CPU : 全3巻のOVAが1997年に「[[ピンクパイナップル]]」レーベルから発売され、2001年にはOVA全巻を収録したDVD「ぶっとび!!CPU 全集」も発売された。監督は[[日高政光]]、主演キャストは[[柊美冬]]。[[三石琴乃]]、[[宮村優子 (声優)|宮村優子]]も出演。 ; 砂の薔薇 : 1993年に東映ビデオより「砂の薔薇 雪の黙示録」が発売され、2008年にはDVD版も発売された。オリジナル脚本だが、一部の内容は原作のエピソード「チームA」を基にしている。また、2000年に「まんがビデオ<ref>「まんがビデオ」とはセルアニメーションのような動画ではなく、漫画の原画を撮影したものに効果を施し、声優による声や効果音を付けるという形式で製作されたシリーズである。</ref>」も発売された。 == その他の仕事 == * [[宇宙大帝ゴッドシグマ]]([[1980年]]) - テレビアニメ。キャラクター原案を担当。 * コスプレ戦士 キューティ・ナイト([[1995年]]) - 実写ビデオ作品。シンタニ司令長官を演じる。 * WING OVER([[1997年]]) - [[PlayStation (ゲーム機)|PS1]]用の[[シューティングゲーム#フライトシューティング|フライトシューティングゲーム]]。キャラクターデザインを担当。 * ウェポン・フロントライン 航空自衛隊 F-4ファントム 時代を超えた戦闘機([[2014年]]、[[松竹]]) - [[F-4 (戦闘機)|F-4 ファントムII]]の映像を収めた作品。オーディオコメンタリーとして出演するほか、付属のポストカードを描き下している<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/118412|title=「エリア88」新谷かおる、F-4ファントムのBDで音声解説|date=2014-06-06|publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミック ナタリー]]|accessdate=2018-05-24}}</ref>。 == アシスタント == 著名な元アシスタントに、[[蛭田充]]、[[ゆうきまさみ]]、[[島本和彦]]、[[田口雅之]]がいる。 ゆうきの作品『[[究極超人あ〜る]]』には新谷夫妻の子供の名前をネタとして出しているほか、逆に近年の新谷の作品に登場するキーパーソンキャラクター<ref>このキャラクターについては「[[機動警察パトレイバー the Movie|パトレイバー劇場版化第一作目]]」の公開前にスペシャル版として出したムック本でゆうきとの師弟対談のコーナーがあり、その時に新谷が内海のキャラを大変気に入り使用しても良いかと尋ねた所、それをゆうきが承諾したため使われるようになった。</ref>は「[[機動警察パトレイバー]]」に登場する内海がモデルとなっている。 また、島本が自著でたびたび手伝いに訪れていたと述べている。島本はその後、同人誌「新谷かおるになる方法」にてその経験や新谷の著作への分析と見解を語っている。島本の作品『[[ガレキの翔]]』には、「谷かおる」というキャラクターが登場。『[[アオイホノオ]]』にも新谷夫妻が実名で登場する。 == その他のメディア == * 雑誌『スコラ』[[1989年]]10月12日号 - カメラ特集にコメント。他にも同誌ではメカ関係の記事にコメントをしている。 * [[防衛省|防衛庁]]広報誌『[[セキュリタリアン]]』1992年11月号 - 自衛隊を描いた作品の特集記事で「ファントム無頼」が取り上げられた(他に、[[武論尊|史村翔]]原作の「[[右向け左!]]」、「[[沈黙の艦隊]]」、「[[青空少女隊]]」なども取り上げられていた)。 * 「別冊宝島235:いきなり最終回」1990年代後半 - 漫画の連載打ち切りに関する記事で自身の体験を話した。 * 月刊『[[航空ファン (雑誌)|航空ファン]]』2003年1 - 12月号 - コラム「エマージェンシーな日々」を連載した。 * 世界の傑作機 No.96 [[F-5 (戦闘機)|F-5E/FタイガーII]]、[[F-20 (戦闘機)|F-20タイガーシャーク]] - インタビューの掲載、内容は「[[エリア88]]」誕生秘話。 * フィギュア誌『レプリカント』16号(2004年5月28日発行) - 松本零士との対談が掲載。アシスタント時代の話など。 == 関連文献 == * まんが情報誌『ぱふ』1982年5月号 - 特集:新谷かおる * まんが情報誌『ぱふ』1984年7月号 - 特集:新谷かおる2 * 「いきなり最終回 PART3」(JICC出版局 1991年) - 「エリア88」の最終回が掲載。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://plaza.harmonix.ne.jp/~katsumi/area88/ 新谷かおるデータコレクション] - ファンによる作品リスト。 * [https://www.nikon-image.com/enjoy/life/talk/pdf/2003_0301.pdf talk! talk! talk!:漫画家 新谷かおるさん] - 本人によるインタビュー。 * {{Twitter|siomiso88|公式八十八夜 新谷かおる(佐伯かよの)}} {{コミックマーケットカタログ表紙}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しんたに かおる}} [[Category:松本零士|ア しんたに かおる]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:同人作家]] [[Category:大阪府出身の人物]] [[Category:1951年生]] [[Category:存命人物]]
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鈴宮和由
鈴宮 和由(すずみや わゆ、1963年1月27日 - )は、日本の女性漫画家。愛称は「和由りん」。福岡県北九州市出身。短大卒。1982年『恋してフリル』(『週刊少年サンデー増刊号』8月号)でデビュー。代表作に『とってもひじかた君』など。 著作『朱鷺色怪魔』のOVA版では、主題歌・イメージソングを自ら歌った。
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鈴宮 和由は、日本の女性漫画家。愛称は「和由りん」。福岡県北九州市出身。短大卒。1982年『恋してフリル』(『週刊少年サンデー増刊号』8月号)でデビュー。代表作に『とってもひじかた君』など。 著作『朱鷺色怪魔』のOVA版では、主題歌・イメージソングを自ら歌った。
{{Infobox 漫画家 |名前 = 鈴宮 和由 |画像 = |画像サイズ = |脚注 = |本名 = |生年 = {{生年月日と年齢|1963|1|27}} |生地 = [[福岡県]][[北九州市]] |国籍 = {{JPN}} |職業 = [[漫画家]] |活動期間 = [[1982年]] - |ジャンル = |代表作 = 『[[とってもひじかた君]]』 |受賞 = |サイン = |公式サイト = http://shinoasu.ath.cx/~twinkle/life/ }} '''鈴宮 和由'''(すずみや わゆ、[[1963年]][[1月27日]] - )は、[[日本]]の[[女性]][[漫画家]]。愛称は「和由りん」。[[福岡県]][[北九州市]]出身。短大卒。[[1982年]]『恋してフリル』(『[[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊号]]』8月号)でデビュー。代表作に『[[とってもひじかた君]]』など。 著作『[[朱鷺色怪魔]]』の[[OVA]]版では、主題歌・イメージソングを自ら歌った。 == 作品リスト == * [[とってもひじかた君]] : 2006年文庫本再版(全3巻)<ref>[http://shinoasu.ath.cx/~twinkle/life/bunko_sale.html とってもひじかた君 文庫発売中]{{リンク切れ|date=2015-5}}</ref>。[[ウェブコミック|WEBコミック]]化もされている(全6巻)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ebookjapan.jp/shop/title.asp?titleid=8427|title=とってもひじかた君|publisher=[[eBookJapan]]|accessdate=2009年4月21日}}{{リンク切れ|date=2015-5}}</ref>。 * 獣人聖域 * ブリザートプリンセス * ステキに野蛮人 * [[蒼い妖魔たち]] * [[朱鷺色怪魔]] * 他人家族 * 和由プレイバック * うかれまくって御曹司 * ブランド・ブラッド * ポポチックるんば * 悪業ハンター * 鏡の中の遊撃隊 * 生活変換症候群 * 悪業ハンター参上!(読切) * 恋してフリル(読切)・・・南沢夕起名義 === 挿絵・イラスト等 === * 「ウルフランド」[[平井和正]]著(角川文庫・1983年) カバー・本文イラスト * 「ウルフレター」平井和正著(徳間文庫・1984年) カバー・中扉イラスト * 「ウルフ対談」平井和正著(徳間文庫・1985年) カバー・本文イラスト == その他 == * 増刊少年サンデーの企画で[[円谷プロ]]の怪獣倉庫を訪問したことがある。 * 特撮雑誌『[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]』1984年春号(Vol.18)にて特撮についてのイラストコラムを描いた。取り上げた作品は『[[怪獣王子]]』『[[好き! すき!! 魔女先生]]』など。 == 関連人物 == * [[桂正和]] - 友人の漫画家。 == 脚注 == {{reflist}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:すすみや わゆ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:北九州市出身の人物]] [[Category:1963年生]] [[Category:存命人物]]
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874
千之ナイフ
千之 ナイフ(せんの ナイフ(アルファベット表記:Senno Knife)、1960年9月5日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。男性。 デビュー時(初期)のペンネームは山本 和都(やまもと かずと)。アルファベット表記は、秋田書店、ぶんか社刊行の単行本などではSenno Naiffと誤記されている。 松本零士と牧美也子の元アシスタントであり、かつて松本零士の元でアシスタントを務めていた新谷かおるとは入れ違いにアシスタント入りした。商業デビュー以前から同人作家として同人誌での活動もしており、2020年現在も継続中である。 1981年に『レモンピープル』(あまとりあ社)創刊号にて『雪姫』で商業誌デビュー。デビュー当時から初期にかけては主に成人向け漫画雑誌で活動し、1984年以降は一般誌、少年・少女誌でも執筆している。ホラー漫画、SF漫画、ファンタジー漫画、コミカライズ作品(有名童話・小説の翻案)など幅広いジャンルを手がけている。 妻は漫画家・イラストレーターの猫井るとと。猫井がヴォーカルを務めるポスト・ニューウェーブバンド・PSYDOLLのジャケットイラストはほとんど千之が描いている。 緻密かつ耽美的な絵柄や、独特の謎めいたストーリー展開がデビュー当時からの主な作風である。特に性、死、悪魔、人形、TSF、百合などをテーマとした幻想的な作品が多いが、中にはギャグ・パロディ要素も盛り込んだものもあり、作風の幅はかなり広い。 また、初期作品では「千スクリット文字」と呼ぶ謎の文字で綴った語句を漫画原稿の余白に書き込み、作品をミステリアスに演出していた。これは一部の熱心なファンに解読された後は、ファンとのコミュニケーションに使用されていた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "千之 ナイフ(せんの ナイフ(アルファベット表記:Senno Knife)、1960年9月5日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。男性。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "デビュー時(初期)のペンネームは山本 和都(やまもと かずと)。アルファベット表記は、秋田書店、ぶんか社刊行の単行本などではSenno Naiffと誤記されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "松本零士と牧美也子の元アシスタントであり、かつて松本零士の元でアシスタントを務めていた新谷かおるとは入れ違いにアシスタント入りした。商業デビュー以前から同人作家として同人誌での活動もしており、2020年現在も継続中である。", "title": "経歴・人物" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1981年に『レモンピープル』(あまとりあ社)創刊号にて『雪姫』で商業誌デビュー。デビュー当時から初期にかけては主に成人向け漫画雑誌で活動し、1984年以降は一般誌、少年・少女誌でも執筆している。ホラー漫画、SF漫画、ファンタジー漫画、コミカライズ作品(有名童話・小説の翻案)など幅広いジャンルを手がけている。", "title": "経歴・人物" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "妻は漫画家・イラストレーターの猫井るとと。猫井がヴォーカルを務めるポスト・ニューウェーブバンド・PSYDOLLのジャケットイラストはほとんど千之が描いている。", "title": "経歴・人物" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "緻密かつ耽美的な絵柄や、独特の謎めいたストーリー展開がデビュー当時からの主な作風である。特に性、死、悪魔、人形、TSF、百合などをテーマとした幻想的な作品が多いが、中にはギャグ・パロディ要素も盛り込んだものもあり、作風の幅はかなり広い。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "また、初期作品では「千スクリット文字」と呼ぶ謎の文字で綴った語句を漫画原稿の余白に書き込み、作品をミステリアスに演出していた。これは一部の熱心なファンに解読された後は、ファンとのコミュニケーションに使用されていた。", "title": "作風" } ]
千之 ナイフは、日本の漫画家。東京都出身。男性。 デビュー時(初期)のペンネームは山本 和都。アルファベット表記は、秋田書店、ぶんか社刊行の単行本などではSenno Naiffと誤記されている。
'''千之 ナイフ'''(せんの ナイフ(アルファベット表記:'''Senno Knife''')、[[1960年]][[9月5日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[東京都]]出身。[[男性]]。 デビュー時(初期)のペンネームは'''山本 和都'''(やまもと かずと)。アルファベット表記は、秋田書店、ぶんか社刊行の単行本などでは'''Senno Naiff'''と誤記されている。 == 経歴・人物 == [[松本零士]]と[[牧美也子]]の元[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]であり、かつて松本零士の元でアシスタントを務めていた[[新谷かおる]]とは入れ違いにアシスタント入りした。商業デビュー以前から同人作家として[[同人誌]]での活動もしており、[[2020年]]現在も継続中である。 [[1981年]]に『[[レモンピープル]]』([[あまとりあ社]])創刊号にて『雪姫』で商業誌デビュー。デビュー当時から初期にかけては主に[[成人向け漫画]]雑誌で活動し、[[1984年]]以降は一般誌、少年・少女誌でも執筆している。[[ホラー漫画]]、[[SF漫画]]、[[ファンタジー漫画]]、[[漫画化|コミカライズ]]作品(有名[[童話]]・[[小説]]の翻案)など幅広いジャンルを手がけている。 妻は漫画家・[[イラストレーター]]の[[猫井るとと]]。猫井がヴォーカルを務める[[ポスト・ニューウェーブ]]バンド・[[PSYDOLL]]のジャケットイラストはほとんど千之が描いている。 == 作風 == 緻密かつ耽美的な絵柄や、独特の謎めいたストーリー展開がデビュー当時からの主な作風である。特に[[性行為|性]]、[[死]]、[[悪魔]]、[[人形]]、[[TSF (ジャンル)|TSF]]、[[百合 (ジャンル)|百合]]などをテーマとした幻想的な作品が多いが、中には[[ギャグ]]・[[パロディ]]要素も盛り込んだものもあり、作風の幅はかなり広い。 また、初期作品では「'''千スクリット文字'''」と呼ぶ謎の文字で綴った語句を漫画原稿の余白に書き込み、作品をミステリアスに演出していた。これは一部の熱心なファンに解読された後は、ファンとのコミュニケーションに使用されていた。 == 作品リスト == === 成人向け作品 === * [[夜姫]]<ref>久保書店版発売当初・オンデマンド版コミックとして復刊された際は[[レイティング]]無し</ref>(1982年9月、[[久保書店]]→1997年1月、[[シュベール出版]]→2005年9月、[[青林堂]]<ref name="no6">オンデマンド版</ref>) * [[プレゼント (漫画)|プレゼント]](1983年11月、久保書店) * [[赤いナイフの夜]](1985年3月、久保書店) * [[シンデレラDOLL]](1987年1月、[[辰巳出版]]) * [[魔女っこメルヘン]](1988年8月、[[フランス書院]]) * [[シークレットレディ]](1990年1月、久保書店) * [[魔夜中のレディ]]<ref name="no2">オンデマンド版コミックとして復刊された際はレイティング無し</ref>(1990年2月、[[司書房]]→1995年10月、[[松文館]]→2005年9月、青林堂<ref name="no6">オンデマンド版</ref>) * [[レディ エキセントリック]]<ref name="no2">オンデマンド版コミックとして復刊された際はレイティング無し</ref>(1990年10月、司書房→1997年6月、シュベール出版→2005年9月、青林堂<ref name="no6">オンデマンド版</ref>) * [[逢魔がホラーショー]]<ref>久保書店版は『逢魔がホラーショー』表記</ref>(1991年10月、久保書店→1995年11月・12月、シュベール出版、全2巻) * [[ビザリアン]]<ref name="no2">オンデマンド版コミックとして復刊された際はレイティング無し</ref>(1993年8月、司書房→2005年9月、青林堂<ref name="no6">オンデマンド版</ref>) * [[SEPIA]]<ref name="no3">新装版・オンデマンド版コミックとして復刊された際はレイティング無し</ref>(1993年12月、シュベール出版→2005年9月、青林堂<ref name="no6">オンデマンド版</ref>→2006年3月、青林堂) * [[EDEN (千之ナイフ)|EDEN]]<ref name="no2">オンデマンド版コミックとして復刊された際はレイティング無し</ref>(1994年4月〜1997年1月、シュベール出版、全5巻→2005年9月、青林堂、全5巻<ref name="no6">オンデマンド版</ref>) * [[美少女世界]](1996年5月、松文館) * [[鏡の国のちづる]]<ref name="no2">オンデマンド版コミックとして復刊された際はレイティング無し</ref>(1997年1月、シュベール出版→2005年9月、青林堂<ref name="no6">オンデマンド版</ref>) * [[夢想少女館]]<ref>『ビザリアン』改題・新装版</ref>(1999年4月、松文館) * [[迷宮秘宝館]]<ref>『美少女世界』再編集版</ref>(2005年8月、[[モエールパブリッシング]]) * [[イヌノセイカツ]]<ref>『迷宮秘宝館』フルカラー再編集版。電子書籍のみ。サイトによっては『美少女妄想館』のタイトルにて販売</ref>(青林堂) * [[ひみつ遊戯]]<ref name="no5">電子書籍のみ</ref>([[リイド社]]) * [[トランスセクシャル・ショー]]<ref>『逢魔がホラーショー』からの選集</ref>(2015年11月、久保書店) === 一般向け作品 === * [[百面相サーカス]](1984年12月、[[東京三世社]]) * [[くらくなって魔女]]<ref>連載時は『暗くなって魔女』表記</ref>(1987年3月・4月、[[ソニー・マガジンズ]]、全2巻) * [[闇のシルエット]](1987年11月〜1992年3月、[[秋田書店]]、全4巻) * [[ワルキューレ (千之ナイフ)|ワルキューレ]](1989年9月・10月、久保書店、全2巻) * [[夜はファンタジア]](1990年8月、[[大洋図書]]) * [[魔空間ゼロ]](1992年7月・12月、[[実業之日本社]]、全2巻) * [[少女パンドラ]](1995年11月、秋田書店) * [[SISTER]]{{要曖昧さ回避|date=2022年12月}}(1996年12月、秋田書店) * [[死太郎くん]](1997年8月・1998年6月、秋田書店、全2巻) * [[死の女神]](1998年6月、[[ぶんか社]]) * [[エデンの最期に]](1999年6月、秋田書店) * [[人間モドキ]](1999年8月、[[蒼馬社]]) * [[カマキリ女]](2000年5月、ぶんか社→2006年4月、ホラーMコミック文庫版、ぶんか社) * [[迷宮サーカス]](2002年3月、ぶんか社) * 古典名作集 ** [[SADE]](2005年3月、青林堂) ** [[TEMPEST]](2005年7月、青林堂) ** [[DECAMERON]](2006年8月、青林堂) ** [[FAUST]](2007年4月、青林堂) ** [[SADE2 魔性の姫]](2008年6月、青林堂) * [[ちづる奇譚]](2005年9月〜11月、青林堂、全3巻) * [[ブラック・ジャック|ブラック・ジャックM]]「身替わり」(2005年12月、秋田書店) * [[EDEN チャイニーズ姑娘編]]<ref name="no4">『EDEN』からのテーマ別選集</ref>(2006年2月、青林堂) * [[うわさの死太郎くん]](2006年8月、[[幻冬舎コミックス]]) * [[うわさの死太郎くんリターンズ!]](2007年4月、幻冬舎コミックス) * [[レズビアン 少女愛]]<ref name="no4">『EDEN』からのテーマ別選集</ref>(2007年11月、青林堂) * [[迷宮のアリス]](2008年1月、久保書店) * [[怪異実聞録なまなりさん]](原作:[[中山市朗]]、2009年8月、[[メディアファクトリー]]) * [[侍コップ]]<ref name="no5">電子書籍のみ</ref>([[X-PUBLISHING]]) * [[レズビアン2 蜜の部屋]](2010年7月、青林堂) * [[死の美術館]](2010年10月、久保書店) * [[吉原遊女絵伝]](2011年2月、リイド社) * [[レズビアン3 吸血令嬢]](2012年9月、青林堂) * [[エコール・ド・エデン]]<ref name="no5">電子書籍のみ</ref>([[NTTソルマーレ]]) * [[ホラーシアターVol.1]]<ref name="no5">電子書籍のみ</ref>([[Tyrellsya]]<ref name="no7">Kindleダイレクト・パブリッシングを利用した個人出版。たいれる社(英語表記はTyrellsya)は千之が所属する同人サークル</ref>) * [[ホラーシアターVol.2]]<ref name="no5">電子書籍のみ</ref>(Tyrellsya<ref name="no7">Kindleダイレクト・パブリッシングを利用した個人出版。たいれる社(英語表記はTyrellsya)は千之が所属する同人サークル</ref>) * [[千之ナイフ選集 少女曼荼羅]](2015年7月、久保書店) === イラスト === * 禁断の純愛戦争シミュレーション ヴェルメラント戦記([[引野利秋]]・著) * [[血ザクロ学園]]シリーズ([[黒史郎]]、しむらおとの([[Physics Point]])、春夏秋冬よもひろ、[[檜木田正史]]、皆川千尋、恵莉ひなこ・著、2020年、ラインスタッフ・プロダクツ) === ゲーム === * [[千之ナイフの魔少女館]]([[PC-8800シリーズ|PC-8801]] / [[MSX|MSX2]])([[アイセル]]) * [[千之ナイフ 迷宮の魔少女]](PC-8801 / [[PC-9800シリーズ|PC-9801]] / MSX2)(アイセル) * [[エンドセクター]]([[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]用ソフト(一部カードイラスト)) === テレビドラマ === * [[漫画喫茶都市伝説 呪いのマンナさん]](「赤い表紙のマンガ」作画) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 師匠 == * [[松本零士]] * [[牧美也子]] == 参考文献 == * [[別冊宝島]]316『日本一のマンガを探せ!』内「愛の試練、性の深淵/千之ナイフ(解説:牧秀彦)」([[宝島社]]刊) * 『千之ナイフ展 -イノセントな姫言-』カタログ(スパンアートギャラリー刊) == 外部リンク == * {{Ameba ブログ|senno200x|千のワンダーランド}}(本人のブログ) * [https://tyrellsha.themedia.jp たいれる社](同人サークルのウェブサイト) * {{Twitter|nekoirutoto|猫井るとと{{=}}千之ナイフ広報}} - 妻によるツイッターで、本人の広報も務める。 * {{マンガ図書館Z作家|4436}} {{Manga-artist-stub}} {{コミックマーケットカタログ表紙}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:せんの ないふ}} [[Category:松本零士|ア せんの ないふ]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:同人作家]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1960年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:成人向け漫画家]]
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876
曽田正人
曽田 正人(そだ まさひと、1968年6月18日 - )は日本の漫画家。東京都文京区出身。『ドカベン』、『サーキットの狼』に影響をうけて、小学校2年よりまんがを描き始める。高校在学中の先輩に三浦建太郎らがいる。日本大学藝術学部デザイン学科インダストリアルデザインコース中退後、アシスタントを経て「GET ROCK」(1990年、マガジンSPECIAL、講談社)でデビュー。以降、作品の掲載は講談社・秋田書店・小学館の3社にわたる。 『capeta』(2003年~2013年、月刊少年マガジン、講談社)以降の作品は「漫画製作におけるパートナー」である冨山玖呂との共著となっている。 五十音順。 ラリードライバーはカルロス・サインツが最も好きで、1994年1000湖ラリーで彼の走りを見にフィンランドまで行ったというほどであった。
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曽田 正人は日本の漫画家。東京都文京区出身。『ドカベン』、『サーキットの狼』に影響をうけて、小学校2年よりまんがを描き始める。高校在学中の先輩に三浦建太郎らがいる。日本大学藝術学部デザイン学科インダストリアルデザインコース中退後、アシスタントを経て「GET ROCK」(1990年、マガジンSPECIAL、講談社)でデビュー。以降、作品の掲載は講談社・秋田書店・小学館の3社にわたる。 『capeta』(2003年~2013年、月刊少年マガジン、講談社)以降の作品は「漫画製作におけるパートナー」である冨山玖呂との共著となっている。
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曽祢まさこ
曽祢 まさこ(そね まさこ、1951年4月21日 - )は、日本の漫画家。三重県伊勢市出身。妹は漫画家の志摩ようこ。 1970年、第4回講談社少年少女新人漫画賞において佳作を受賞した「手錠はおどる」でデビュー。 代表作は『呪いのシリーズ』『不思議の国の千一夜』など。フリーアナウンサーの楠田枝里子とは同郷であり、小学校から高校まで同級生であった。
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曽祢 まさこは、日本の漫画家。三重県伊勢市出身。妹は漫画家の志摩ようこ。 1970年、第4回講談社少年少女新人漫画賞において佳作を受賞した「手錠はおどる」でデビュー。 代表作は『呪いのシリーズ』『不思議の国の千一夜』など。フリーアナウンサーの楠田枝里子とは同郷であり、小学校から高校まで同級生であった。
{{存命人物の出典皆無|date=2013年3月25日 (月) 05:14 (UTC)}} '''曽祢 まさこ'''(そね まさこ、[[1951年]][[4月21日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[三重県]][[伊勢市]]出身。妹は漫画家の[[志摩ようこ]]。 [[1970年]]、第4回講談社少年少女新人漫画賞において佳作を受賞した「手錠はおどる」でデビュー。<ref>『漫画家・アニメ作家人名事典』 [[日外アソシエーツ]]、1997年4月21日発行。</ref> 代表作は『[[呪いのシリーズ]]』『[[不思議の国の千一夜 〜ヘンデク★アトラタン物語〜|不思議の国の千一夜]]』など。フリーアナウンサーの[[楠田枝里子]]とは同郷であり、小学校から高校まで同級生であった。<ref>「中3日記にあった懐かしい名前の話」[[ちゃうねこ通信]]2022年1月30日 [https://twitter.com/chawneco/status/1487724187959525379/photo/1 中3日記にあった懐かしい名前の話]</ref> == 作品リスト == * [[幽霊がり]] <!-- (1975) --> * ブローニィ家の悲劇 * 夢の園のミア * [[七年目のかぞえ唄]] * 金のベールに銀の糸<ref>コミックス『七年目のかぞえ唄』2巻に収録</ref> * [[妖精旅行]] * [[闇に消えたクリスマス]] * [[氷の城]] * [[ジョリー&マリー恋の方程式]] * OH!離婚家族 * [[魔女に白い花束を]] (マリアンヌ・マイドルフ著「魔女グレートリ アルプスの悲しい少女」の翻案) * 恐怖クラブ * [[呪いのシリーズ]] * [[わたしが死んだ夜]] * ぼくを食事につれてって * [[海にしずんだ伝説]] * [[不思議の国の千一夜 〜ヘンデク★アトラタン物語〜|不思議の国の千一夜]] * [[悪魔の十三夜]] * [[ふたりめの神話]] * 12月のエルメイン * 赤いわな * 死霊教室 * [[幻想組曲 -ばらによせて-]] * [[王さまはネコがきらい]] * [[ふしぎ館の相続人]] * ダーク・クィーン * 闇の王子の物語 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Official|http://chokipyon.html.xdomain.jp/}} * {{Twitter|chawneco|曽祢まさこ|lang=ja}} {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:そね まさこ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:三重県出身の人物]] [[Category:1951年生]] [[Category:存命人物]]
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カミオカンデ
カミオカンデ(KAMIOKANDE)は、陽子崩壊ならびにニュートリノを観測するために、岐阜県神岡鉱山地下1000mに存在した観測装置。KAMIOKANDEという名称はKamioka Nucleon Decay Experiment(神岡核子崩壊実験)に由来し、2015年ノーベル物理学賞受賞者の梶田隆章によれば「東大(理)が光電子増倍管とエレクトロニクスを担当、今の 高エネルギー加速器研究機構(当時、高エネルギー 物理学研究所)が3,000トンのタンクと純水装置 を担当、宇宙線研究所は空洞掘削を担当」など分担して建設された、。 1996年にスーパーカミオカンデが稼動したことによりその役目を終えた。跡地にはカムランドが建設され、2002年1月23日より稼動を始めている。 カミオカンデは、大統一理論の予言する陽子崩壊を実証するため1983年に完成した。 カミオカンデは3000トンの超純水を蓄えたタンクと、その壁面に設置した1000本の光電子増倍管からなる。ここで使用された光電子増倍管は研究グループと浜松ホトニクスが新規に共同開発した口径20インチのものである(一般に広く使われるのは口径2インチ型)。ガラスバルブには耐水性が高いHARIOの耐熱ガラス「ハリオ32」が使用された。 カミオカンデが地下に設けられたのは、陽子崩壊時に放出されるニュートリノ以外の粒子の影響を避けるためである。ニュートリノはものを貫通する能力が高く、他の物質と反応することなく簡単に地球を抜けていってしまう。しかし、まれに他の物質と衝突することがある。カミオカンデは、このまれに起こる衝突を検出することで間接的に陽子崩壊を実証することを目的とした。 カミオカンデはニュートリノの衝突を検出するため、超純水をつかう。カミオカンデの内部には超純水がためられており、ニュートリノが水の中の電子に衝突したあとに、高速で移動する電子より放出されるチェレンコフ光は青白く発光し、壁面に備え付けられた光電子増倍管で検出する。チェレンコフ光を検出した光電子増倍管がわかると、計算によりどの方角からきたニュートリノによる反応かがわかる仕組みになっている。 1987年2月23日、カミオカンデはこの仕組みによって、大マゼラン星雲でおきた超新星爆発 (SN 1987A) で生じたニュートリノを偶発的に世界で初めて検出した。この功績により、2002年小柴昌俊は、ノーベル物理学賞を受賞した。 その後も、太陽ニュートリノやニュートリノ振動の検出、レプトンフレーバーの保存の破れの研究に活用された。 前述したとおりカミオカンデ建設の当初の目的は、大統一理論の候補の多くが予想する陽子崩壊を観測することであった。中でも最もシンプルで有力であったSU(5)理論が正しければ、少なくとも年に数回の陽子崩壊検出が可能なように、さらには外国でも同様の実験が行われていたが、複数予想される崩壊形式の分岐比も測定可能なように設計された。 予想される崩壊の中で主なものは、陽電子とパイ中間子(π)への崩壊で、πはすぐに2つの光子に崩壊し、光子はさらに電子等を散乱したりする。これらの陽電子や電子等の発するチェレンコフ光を観測することにより、陽子崩壊を検出しようとしたのである。 SU(5)理論では陽子の寿命は10から10年と予測されていたが、陽子崩壊は観測されず、陽子の寿命は10年以上であることが分った。これによりSU(5)理論は否定され、大統一理論に修正を迫ることになった。 修正理論でも寿命は長くなるものの陽子崩壊が予想されているが、実験を受け継いだスーパーカミオカンデにおいて2018年現在でも陽子崩壊は観測されておらず、陽子の寿命は少なくとも1.6×10年以上であるとみられている。
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カミオカンデ(KAMIOKANDE)は、陽子崩壊ならびにニュートリノを観測するために、岐阜県神岡鉱山地下1000mに存在した観測装置。KAMIOKANDEという名称はKamioka Nucleon Decay Experiment(神岡核子崩壊実験)に由来し、2015年ノーベル物理学賞受賞者の梶田隆章によれば「東大(理)が光電子増倍管とエレクトロニクスを担当、今の 高エネルギー加速器研究機構(当時、高エネルギー 物理学研究所)が3,000トンのタンクと純水装置 を担当、宇宙線研究所は空洞掘削を担当」など分担して建設された、。 1996年にスーパーカミオカンデが稼動したことによりその役目を終えた。跡地にはカムランドが建設され、2002年1月23日より稼動を始めている。
[[画像:Kamiokande89.JPG|thumb|right|カミオカンデ模型]] '''カミオカンデ'''('''KAMIOKANDE''')は、[[陽子崩壊]]ならびに[[ニュートリノ]]を観測するために、[[岐阜県]][[神岡鉱山]][[地下]]1000mに存在した[[観測装置]]。KAMIOKANDEという名称は'''Kamioka''' '''N'''ucleon '''D'''ecay '''E'''xperiment(神岡核子崩壊実験)に由来し、2015年ノーベル物理学賞受賞者の梶田隆章によれば「東大(理)が光電子増倍管とエレクトロニクスを担当、高エネルギー物理学研究所(現・[[高エネルギー加速器研究機構]])タンクと純水装置を担当、[[東京大学宇宙線研究所]]が空洞掘削を担当」など、分担して建設された、<ref>{{Cite journal |和書|author=梶田 隆章 |authorlink=梶田隆章 |title=‹特別講演›神岡での基礎科学研究 |journal=学術の動向 |volume=22 |issue=7 |publisher=日本学術協力財団 |date=2017 |page=93 |doi=10.5363/tits.22.7_91}}</ref>。 1996年に[[スーパーカミオカンデ]]が稼動したことによりその役目を終えた。跡地には[[カムランド]]が建設され、2002年1月23日より稼動を始めている。 ==概要== カミオカンデは、[[大統一理論]]の予言する[[陽子#陽子の崩壊|陽子崩壊]]を実証するため[[1983年]]に完成した。 カミオカンデは3000トンの[[超純水]]を蓄えたタンクと、その壁面に設置した1000本の[[光電子増倍管]]からなる。ここで使用された光電子増倍管は研究グループと[[浜松ホトニクス]]が新規に共同開発した口径20インチのものである(一般に広く使われるのは口径2インチ型)。ガラスバルブには耐水性が高い[[HARIO]]の耐熱ガラス「ハリオ32」が使用された<ref>[https://www.hamamatsu.com/jp/ja/why-hamamatsu/academic-projects/20inch-pmts/index.html 20インチ光電子増倍管開発ストーリー:浜松ホトニクスについて] - 浜松ホトニクス</ref>。 カミオカンデが地下に設けられたのは、陽子崩壊時に放出されるニュートリノ以外の[[粒子]]の影響を避けるためである。ニュートリノはものを貫通する能力が高く、他の[[物質]]と反応することなく簡単に[[地球]]を抜けていってしまう。しかし、まれに他の物質と衝突することがある。カミオカンデは、このまれに起こる衝突を検出することで間接的に陽子崩壊を実証することを目的とした。 カミオカンデはニュートリノの衝突を検出するため、超純水をつかう。カミオカンデの内部には超純水がためられており、ニュートリノが水の中の[[電子]]に衝突したあとに、高速で移動する電子より放出される[[チェレンコフ放射|チェレンコフ光]]は青白く発光し、壁面に備え付けられた[[光電子増倍管]]で検出する。チェレンコフ光を検出した光電子増倍管がわかると、計算によりどの方角からきたニュートリノによる反応かがわかる仕組みになっている。 [[1987年]][[2月23日]]、カミオカンデはこの仕組みによって、[[大マゼラン星雲]]でおきた[[超新星爆発]] ([[SN 1987A]]) で生じたニュートリノを偶発的に世界で初めて検出した<ref>{{Cite journal|author=K. Hirata, T. Kajita, M. Koshiba, M. Nakahata, Y. Oyama, N. Sato, A. Suzuki, M. Takita, Y. Totsuka, T. Kifune, T. Suda, K. Takahashi, T. Tanimori, K. Miyano, M. Yamada, E. W. Beier, L. R. Feldscher, S. B. Kim, A. K. Mann, F. M. Newcomer, R. Van, W. Zhang, and B. G. Cortez|year=|date=1987-04-06|title=Observation of a Neutrino Burst from the Supernova SN 1987a|journal=PHYSICAL REVIEW LETTERS|volume=58|page=1490|DOI=10.1103/PhysRevLett.58.1490}}</ref>。この功績により、[[2002年]][[小柴昌俊]]は、[[ノーベル物理学賞]]を受賞した。 その後も、[[太陽ニュートリノ]]や[[ニュートリノ振動]]の検出、[[レプトン (素粒子)|レプトン]][[フレーバー (素粒子)|フレーバー]]の保存の破れの研究に活用された。 == 当初の目的 == 前述したとおりカミオカンデ建設の当初の目的は、大統一理論の候補の多くが予想する[[陽子#陽子の崩壊|陽子崩壊]]を観測することであった。中でも最もシンプルで有力であったSU(5)理論が正しければ、少なくとも年に数回の陽子崩壊検出が可能なように、さらには外国でも同様の実験が行われていたが、複数予想される崩壊形式の分岐比も測定可能なように設計された。 予想される崩壊の中で主なものは、[[陽電子]]と[[パイ中間子]](π<sup>0</sup>)への崩壊で、π<sup>0</sup>はすぐに2つの[[光子]]に崩壊し、光子はさらに[[電子]]等を散乱したりする。これらの陽電子や電子等の発するチェレンコフ光を観測することにより、陽子崩壊を検出しようとしたのである。 SU(5)理論では陽子の寿命は10<sup>30</sup>から10<sup>32</sup>年と予測されていたが、陽子崩壊は観測されず、陽子の寿命は10<sup>34</sup>年以上であることが分った<ref>[http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/sk/pdecay.html 陽子崩壊] スーパーカミオカンデ 公式ホームページ</ref>。これによりSU(5)理論は否定され、大統一理論に修正を迫ることになった。 修正理論でも寿命は長くなるものの陽子崩壊が予想されているが、実験を受け継いだスーパーカミオカンデにおいて2018年現在でも陽子崩壊は観測されておらず、陽子の寿命は少なくとも1.6×10<sup>34</sup>年以上であるとみられている<ref>[http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/news/index.html 【論文紹介】陽子崩壊の現象を探索した最新結果について論文を発表しました] 2017年1月7日発表</ref>。 == 脚注 == {{reflist}} == 関連記事 == * [[小柴昌俊]] - 装置設計を指導・監督。 * [[ニュートリノ天文学]] * [[浜松ホトニクス]] * [[カムランド]] * [[スーパーカミオカンデ]] * [[ハイパーカミオカンデ]] * [[ニュートリノ検出器]] == 外部リンク == * [http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/ 神岡宇宙素粒子研究施設] {{DEFAULTSORT:かみおかんて}} [[Category:素粒子実験]] [[Category:天文学]] [[Category:ニュートリノ観測所]] [[Category:地下研究所]] [[Category:岐阜県の研究所|廃かみおかんて]] [[Category:飛騨市の歴史]] [[Category:飛騨市の建築物]] [[Category:小柴昌俊]] [[Category:天文学に関する記事]]
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スーパーカミオカンデ
スーパーカミオカンデ(英語: Super-Kamiokande)は、岐阜県飛騨市神岡町旧神岡鉱山内の地下1000mに設置された、東京大学宇宙線研究所が運用する世界最大の水チェレンコフ宇宙素粒子観測装置である。Super-Kと略されることもある。ニュートリノの性質の全容を解明することを目的として、1991年12月に着工され、1996年4月より運用を開始した。 スーパーカミオカンデの検出器は、小柴昌俊のノーベル賞受賞研究の元となったカミオカンデと原理は同じだが性能は大きく向上した。5万トンの超純水を蓄えた直径39.3m、高さ41.4mの円筒形タンクの内壁に光電子増倍管と呼ばれる約1万3千本の光センサーが設置されている。飛来したニュートリノが貯水槽内を通過する際に、ごくまれに水分子と衝突して電子や陽電子などの荷電粒子が叩き出される。これらの粒子が水中の光の速度よりも速く水中を走るときに現れるチェレンコフ光を、光電子増倍管により検出する仕組みである。 1998年、大気ニュートリノの観測により、ニュートリノが飛行する間にその種類が変化する現象(ニュートリノ振動)を発見した。2015年、この研究を率いた宇宙線研究所長梶田隆章が「ニュートリノが質量を持つ事を示す、ニュートリノ振動現象の発見」の成果によりノーベル物理学賞を受賞した。 2020年8月より、スーパーカミオカンデの純水中にガドリニウムを加え、新生スーパーカミオカンデとして観測を開始した。これによりニュートリノの観測感度向上、特に「超新星背景ニュートリノ」の観測を目指している。 ニュートリノの質量やそれらの混合行列に関する詳細な分析を、大気ニュートリノ、太陽ニュートリノ、人工ニュートリノなどを用いて研究している。 ニュートリノは、反応した際に放出する荷電レプトンによって電子ニュートリノ(νe)、ミューニュートリノ(νμ)、タウニュートリノ(ντ)に分けられる。ニュートリノが飛行する間に、量子力学的な効果でニュートリノの種類が入れ替わる現象をニュートリノ振動と呼ぶが、このような現象が生じるためには、ニュートリノが質量を持つことと、混合していることの両条件が必要である。旧カミオカンデにおいて、宇宙線が大気中で反応して発生する大気ニュートリノを観測した結果、理論値ではνμとνeの比はほぼ2となるはずであったが、得られた値はおよそ1.2と小さな値であった。これはニュートリノ振動によるものと考えられたが、サンプル数が277事象と少ないため十分な支持は得られなかった。 カミオカンデを大きく上回る規模と精度を持つスーパーカミオカンデは、運用開始当初からこのニュートリノ振動の検出に利用された。東京大学宇宙線研究所教授の梶田隆章率いるグループがスーパーカミオカンデにおける535日間の観測で4654事象を分析して得られた結果は、やはり理論値の63〜65%程度で有意に小さな値であった。さらにニュートリノが飛来してきた角度を分析し、上方向からのものはνμの数が予測値と合致した一方、長距離を飛来してきた下方向からのものはντに振動し、数が約半分に減っていることがわかった。これはニュートリノ振動を想定しなければ説明がつかない結果であり、ニュートリノ振動の最初の発見となった。1998年、梶田は岐阜県高山市で開催されたニュートリノ国際会議においてこの研究結果を報告した。この研究成果により梶田は2015年のノーベル物理学賞を受賞した。 太陽における核融合反応の際、大量の電子ニュートリノが発生する。地球上でこの太陽ニュートリノを観測した結果は、標準太陽モデル(英語版)から得られる予想値に比べて3分の1から半分程度しかなく、長らく「太陽ニュートリノ問題」として議論されてきた。 2001年、カナダのサドベリー・ニュートリノ天文台(SNO)は、重水を使った実験により電子ニュートリノが重陽子と反応して電子を生む反応(荷電カレント反応)の観測結果を報告した。一方スーパーカミオカンデは、SNOよりも高精度の電子弾性散乱の検出により太陽ニュートリノ全体の観測を行っていた。この2つの観測結果には有意な違いがあり、太陽ニュートリノ問題の原因がニュートリノ振動であることの有力な根拠となった。SNOでの研究を率いたクイーンズ大学教授アーサー・B・マクドナルドは、2015年のノーベル物理学賞を梶田隆章とともに受賞した。 1999年、つくば市の高エネルギー加速器研究機構で作ったνμを、250km離れたスーパーカミオカンデで捉える実験(K2K実験)が開始された。これは世界初の人工ニュートリノによる実験であった。K2K実験は2004年まで行われ、観測の結果、大気ニュートリノで発見されたニュートリノ振動を99.9%以上の精度で確認することができた。 2009年には、茨城県東海村の大強度陽子加速器施設(J-PARC)で作られたニュートリノビームを295km離れたスーパーカミオカンデに打ち込むT2K実験が開始された。ニュートリノの混ざり具合を示す3つの混合角のうちθ13だけは未測定であり、この発見が期待されていた。2011年6月、ミューニュートリノから電子ニュートリノへ変化する「電子ニュートリノ出現事象」を示唆する観測結果を世界で初めてとらえ、混合角θ13が予想されていた値よりは大きい可能性を指摘した。2013年には実際にミューニュートリノから電子ニュートリノへの変化を世界で初めて観測し、ポンテコルボ・牧・中川・坂田行列が示唆するようにニュートリノが3世代間で混合していることを明らかにした。この業績により、高エネルギー加速器研究機構教授小林隆、京都大学教授中家剛が2014年度の仁科記念賞を受賞した。 太陽や超新星爆発によって生成されるニュートリノを観測することにより天文現象の解明を目指すニュートリノ天文学が発達しつつある。 1987年2月23日、東京大学教授小柴昌俊らはカミオカンデによって大マゼラン雲で起こった超新星爆発SN 1987Aからのニュートリノバーストを観測し、同年4月に発表した。これは超新星爆発の理論モデルの妥当性を裏付けるものであり、一般にはこの出来事をもってニュートリノ天文学の幕開けとされる。小柴はこの業績により1989年に日本学士院賞を受賞、2002年にノーベル物理学賞を受賞した。 スーパーカミオカンデでは、超新星爆発が銀河中心で起こった場合、超新星ニュートリノを約8000例捕獲することが可能とされ、絶え間なく監視を続けている。超新星爆発からの光はニュートリノよりも遅れて星の外に放出されるため、スーパーカミオカンデは光を捉える天文台よりも前にその爆発を観測することができる。 宇宙が誕生してから現在までに、約10個の星が超新星爆発を起こしてきたと考えられている。宇宙空間にはこの超新星爆発によって放出された「超新星背景ニュートリノ」が存在するはずである。この検出に向けて、2020年8月より、スーパーカミオカンデの純水中にガドリニウムを加え、新生スーパーカミオカンデとして観測をスタートした。これにより、ニュートリノの観測感度向上、特に「超新星背景ニュートリノ」の世界初の観測が期待されている。 旧カミオカンデの建設は、大統一理論が予言する陽子崩壊の実証が主な目的であった。この理論の有力候補と考えられていたSU(5)モデルの予想する陽子の寿命は10-10年であったが、カミオカンデでは陽子崩壊は観測されず陽子の寿命は10年以上であることが示され、SU(5)モデルは否定された。なお、SO(10)理論等他のモデルも存在するため、大統一理論という考え方がすべて否定されたわけではない。観測期間が延びれば延びるほど、たとえ極小の確率であっても検出が可能になるため、スーパーカミオカンデでは引き続き陽子崩壊の観測を行っている。 陽子崩壊観測を主目的としたカミオカンデは、Kamioka Nucleon Decay Experiment(神岡核子崩壊実験)の略した名称だった。 上記の目的に加え、ニュートリノによる天体観測を当初から目的のひとつとしていたスーパーカミオカンデは、Super-Kamioka Neutrino Detection Experiment(超神岡ニュートリノ検出実験)とSuper-Kamioka Nucleon Decay Experiment(超神岡核子崩壊実験)の双方を略した名称となっている。 スーパーカミオカンデを、東京大学宇宙線研究所附属神岡宇宙素粒子研究施設と紹介する文献もあるが、正確には東京大学宇宙線研究所附属神岡宇宙素粒子研究施設に存在する「装置の名前」がスーパーカミオカンデである。同施設はスーパーカミオカンデを中心に、ニュートリノや陽子の研究を行うための施設となっている。 1983年に運用が開始された旧カミオカンデの当初の目的は陽子崩壊の観測であった。地下深くに多量の水を蓄えてそれを常時四方八方から観測しつづけるというアイデアは小柴昌俊によるものであったが、米国でも同様のアイデアでアーバイン=ミシガン=ブルックヘブン(IMB)実験が計画されていた。IMBが深度610mに直径5インチの光電子増倍管を2048個設置したのに対し、カミオカンデはより深い地下1000mに20インチ光電子増倍管を1000本設置した。貯水槽の容量は7000トン対3000トンとIMBのほうが大きかったが、光の検出効率はカミオカンデが16倍も良好であった。 1987年の超新星爆発に伴うニュートリノの検出・分析はのちの小柴のノーベル賞受賞につながる一大業績であったが、太陽ニュートリノ検出の面では運用当初から貯水槽と検出器の規模の不足が実感されており、1983年末の時点で早くも小柴は新たな検出装置建造についての提案を行っていた。 実際にスーパーカミオカンデの建造が開始されるのは1991年のことであった。建造には民間企業が多く参加した。三井金属鉱業が掘削、三井造船が水槽を建造し、データ処理は富士通、超純水はオルガノ、大口径光電子倍増管は旧カミオカンデに引き続いて浜松ホトニクスが担当した。 1994年7月、空洞掘削工事が完了。1995年中頃にタンクの建設が完了した。1995年6月から光電子増倍管の取り付け作業と電子回路への接続が行われ、同年12月に完了した。その後2か月以上を要して5万トンのタンクを超純水で満たし、1996年4月1日0時に完成した。 スーパーカミオカンデは当初から日米の研究者の共同研究という形で開始された。IMB試験が1991年初頭に終了し、その主力メンバーがスーパーカミオカンデに合流することとなったのである。 1996年4月1日0時から後述の破損事故までの時期を Super-Kamiokande I (SK-I) と呼称する。1998年には地球の反対側から飛来する大気ニュートリノの数が少ないことを示し、ニュートリノ振動の証拠として世界に発信した。これにより、スーパーカミオカンデ実験グループはこの年の朝日賞を受賞した。1999年には世界初の長基線ニュートリノ実験K2Kを開始し、大気ニュートリノで発見されたニュートリノ振動の検証に成功した。2001年にはカナダのSNO実験の結果と合わせ、太陽から来るニュートリノも振動していることを発見した。 2001年11月12日11時01分、光電子増倍管の70%を損失するという大規模な破損事故が発生した。光電管爆縮時の衝撃波による連鎖破壊で、原因は補修作業時の負荷で基部にクラックが入ったためとされた。破壊された数量の光電子増倍管の生産には約4年を要するため、2002年光電子増倍管にプラスチックカバーを被せる防爆措置を行った上で、予備を加えた5,200本の光電子増倍管を再配置し、部分復旧された。これを「Super-Kamiokande II」と呼称する。この破損事故の震動は、近くの高感度地震観測網 (Hi-net) 神岡観測点 (KOKH) において観測されている。 2005年7月より、スーパーカミオカンデの完全再建計画が文部科学省によって承認された。同年10月から観測を中止して破損光電管の交換作業を開始、2006年4月にほぼ完了した。2006年7月11日に建造時と同数の光電管を備えた「Super-Kamiokande III」として観測を再開した。 2008年夏には、さらなる性能向上のために、信号読み出し回路の総入れ替えを行った。以降を「Super-Kamiokande IV」と呼ぶ。 2018年、反電子ニュートリノに加えて中性子による信号を捉えるため純水にガドリニウムを添加し新たな観測を行うための改修が行われた。この際12年ぶりにスーパーカミオカンデ内の水槽内部を報道陣に公開した。止水補強工事、タンク内配管の改良、不具合のある光電子増倍管の交換も実施した。 2019年1月より超純水による試運転を兼ねた観測が行われた。これ以降を「Super-Kamiokande V」と呼ぶ。2020年8月よりガドリニウム添加後の本格的な観測が始まった。 2009年11月、民主党が行った行政刷新会議事業仕分けにおいて「国立大学運営費交付金(2)特別教育研究経費」の交付額についての評定がなされ、「廃止6名、縮減6名、要求どおり2名」となり予算の縮減が決定した。この評議では研究の意義などは一切議論されず、ただ単純に予算全体を一括して縮減すべきであるという判断がなされた。実験代表者の鈴木洋一郎は、予算の縮減による影響で観測が止まってしまう可能性もあり、そうなると稀有なニュートリノの検出を逃してしまうこと、測定器の質を維持できなくなることなどによって、世界トップとなった日本のニュートリノの研究のはずが二流、三流となってしまうと主張した。 カミオカンデは、1983年から1996年まで東京大学宇宙線研究所により運用された。その後解体され、跡地に東北大学が反ニュートリノ検出器であるカムランドを設置し2002年より運用を開始した。カミオカンデとは異なり体シンチレータを用いた装置で、原子炉ニュートリノをはじめとした各種研究を行い成果を上げている。 スーパーカミオカンデをさらに上回る性能を持つ超大型地下実験装置ハイパーカミオカンデ計画が進行中である。2027年の実験開始を目指している。 タンクの体積は26万トン、有効体積は19万トンでスーパーカミオカンデの約10倍となる。内水槽の側面には50cm径の超高感度光センサーが4万本取り付けられる予定である。ニュートリノと反ニュートリノの振動の違い(CP対称性の破れ)の発見と精密測定による宇宙の物質の起源の解明、ニュートリノ天文学のさらなる発展、陽子崩壊の発見による「素粒子の統一」と「電磁力・弱い力・強い力の統一」の証明を目的とする。 2015年1月に13カ国の研究機関や大学が参加する国際共同研究グループが正式発足した。 2020年1月、ハイパーカミオカンデ計画の初年度予算35億円を含む2019年度補正予算が成立し、2021年5月に着工した。 2022年6月現在、アルメニア、ブラジル、カナダ、チェコ、フランス、ドイツ、インド、イタリア、日本、韓国、メキシコ、モロッコ、ポーランド、ロシア、スペイン、スウェーデン、スイス、イギリス、ウクライナ、アメリカの20ヶ国の研究者が参加している。 スーパーカミオカンデ一般公開は年1回秋に行われてきた。2020年、2021年はオンラインで行われた。 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[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "スーパーカミオカンデ(英語: Super-Kamiokande)は、岐阜県飛騨市神岡町旧神岡鉱山内の地下1000mに設置された、東京大学宇宙線研究所が運用する世界最大の水チェレンコフ宇宙素粒子観測装置である。Super-Kと略されることもある。ニュートリノの性質の全容を解明することを目的として、1991年12月に着工され、1996年4月より運用を開始した。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "スーパーカミオカンデの検出器は、小柴昌俊のノーベル賞受賞研究の元となったカミオカンデと原理は同じだが性能は大きく向上した。5万トンの超純水を蓄えた直径39.3m、高さ41.4mの円筒形タンクの内壁に光電子増倍管と呼ばれる約1万3千本の光センサーが設置されている。飛来したニュートリノが貯水槽内を通過する際に、ごくまれに水分子と衝突して電子や陽電子などの荷電粒子が叩き出される。これらの粒子が水中の光の速度よりも速く水中を走るときに現れるチェレンコフ光を、光電子増倍管により検出する仕組みである。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1998年、大気ニュートリノの観測により、ニュートリノが飛行する間にその種類が変化する現象(ニュートリノ振動)を発見した。2015年、この研究を率いた宇宙線研究所長梶田隆章が「ニュートリノが質量を持つ事を示す、ニュートリノ振動現象の発見」の成果によりノーベル物理学賞を受賞した。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2020年8月より、スーパーカミオカンデの純水中にガドリニウムを加え、新生スーパーカミオカンデとして観測を開始した。これによりニュートリノの観測感度向上、特に「超新星背景ニュートリノ」の観測を目指している。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ニュートリノの質量やそれらの混合行列に関する詳細な分析を、大気ニュートリノ、太陽ニュートリノ、人工ニュートリノなどを用いて研究している。", "title": "目的と研究成果" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ニュートリノは、反応した際に放出する荷電レプトンによって電子ニュートリノ(νe)、ミューニュートリノ(νμ)、タウニュートリノ(ντ)に分けられる。ニュートリノが飛行する間に、量子力学的な効果でニュートリノの種類が入れ替わる現象をニュートリノ振動と呼ぶが、このような現象が生じるためには、ニュートリノが質量を持つことと、混合していることの両条件が必要である。旧カミオカンデにおいて、宇宙線が大気中で反応して発生する大気ニュートリノを観測した結果、理論値ではνμとνeの比はほぼ2となるはずであったが、得られた値はおよそ1.2と小さな値であった。これはニュートリノ振動によるものと考えられたが、サンプル数が277事象と少ないため十分な支持は得られなかった。", "title": "目的と研究成果" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "カミオカンデを大きく上回る規模と精度を持つスーパーカミオカンデは、運用開始当初からこのニュートリノ振動の検出に利用された。東京大学宇宙線研究所教授の梶田隆章率いるグループがスーパーカミオカンデにおける535日間の観測で4654事象を分析して得られた結果は、やはり理論値の63〜65%程度で有意に小さな値であった。さらにニュートリノが飛来してきた角度を分析し、上方向からのものはνμの数が予測値と合致した一方、長距離を飛来してきた下方向からのものはντに振動し、数が約半分に減っていることがわかった。これはニュートリノ振動を想定しなければ説明がつかない結果であり、ニュートリノ振動の最初の発見となった。1998年、梶田は岐阜県高山市で開催されたニュートリノ国際会議においてこの研究結果を報告した。この研究成果により梶田は2015年のノーベル物理学賞を受賞した。", "title": "目的と研究成果" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "太陽における核融合反応の際、大量の電子ニュートリノが発生する。地球上でこの太陽ニュートリノを観測した結果は、標準太陽モデル(英語版)から得られる予想値に比べて3分の1から半分程度しかなく、長らく「太陽ニュートリノ問題」として議論されてきた。", "title": "目的と研究成果" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2001年、カナダのサドベリー・ニュートリノ天文台(SNO)は、重水を使った実験により電子ニュートリノが重陽子と反応して電子を生む反応(荷電カレント反応)の観測結果を報告した。一方スーパーカミオカンデは、SNOよりも高精度の電子弾性散乱の検出により太陽ニュートリノ全体の観測を行っていた。この2つの観測結果には有意な違いがあり、太陽ニュートリノ問題の原因がニュートリノ振動であることの有力な根拠となった。SNOでの研究を率いたクイーンズ大学教授アーサー・B・マクドナルドは、2015年のノーベル物理学賞を梶田隆章とともに受賞した。", "title": "目的と研究成果" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1999年、つくば市の高エネルギー加速器研究機構で作ったνμを、250km離れたスーパーカミオカンデで捉える実験(K2K実験)が開始された。これは世界初の人工ニュートリノによる実験であった。K2K実験は2004年まで行われ、観測の結果、大気ニュートリノで発見されたニュートリノ振動を99.9%以上の精度で確認することができた。", "title": "目的と研究成果" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": 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26, "tag": "p", "text": "2005年7月より、スーパーカミオカンデの完全再建計画が文部科学省によって承認された。同年10月から観測を中止して破損光電管の交換作業を開始、2006年4月にほぼ完了した。2006年7月11日に建造時と同数の光電管を備えた「Super-Kamiokande III」として観測を再開した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2008年夏には、さらなる性能向上のために、信号読み出し回路の総入れ替えを行った。以降を「Super-Kamiokande IV」と呼ぶ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2018年、反電子ニュートリノに加えて中性子による信号を捉えるため純水にガドリニウムを添加し新たな観測を行うための改修が行われた。この際12年ぶりにスーパーカミオカンデ内の水槽内部を報道陣に公開した。止水補強工事、タンク内配管の改良、不具合のある光電子増倍管の交換も実施した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2019年1月より超純水による試運転を兼ねた観測が行われた。これ以降を「Super-Kamiokande V」と呼ぶ。2020年8月よりガドリニウム添加後の本格的な観測が始まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2009年11月、民主党が行った行政刷新会議事業仕分けにおいて「国立大学運営費交付金(2)特別教育研究経費」の交付額についての評定がなされ、「廃止6名、縮減6名、要求どおり2名」となり予算の縮減が決定した。この評議では研究の意義などは一切議論されず、ただ単純に予算全体を一括して縮減すべきであるという判断がなされた。実験代表者の鈴木洋一郎は、予算の縮減による影響で観測が止まってしまう可能性もあり、そうなると稀有なニュートリノの検出を逃してしまうこと、測定器の質を維持できなくなることなどによって、世界トップとなった日本のニュートリノの研究のはずが二流、三流となってしまうと主張した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "カミオカンデは、1983年から1996年まで東京大学宇宙線研究所により運用された。その後解体され、跡地に東北大学が反ニュートリノ検出器であるカムランドを設置し2002年より運用を開始した。カミオカンデとは異なり体シンチレータを用いた装置で、原子炉ニュートリノをはじめとした各種研究を行い成果を上げている。", "title": "他の関連プロジェクト" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "スーパーカミオカンデをさらに上回る性能を持つ超大型地下実験装置ハイパーカミオカンデ計画が進行中である。2027年の実験開始を目指している。", "title": "他の関連プロジェクト" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "タンクの体積は26万トン、有効体積は19万トンでスーパーカミオカンデの約10倍となる。内水槽の側面には50cm径の超高感度光センサーが4万本取り付けられる予定である。ニュートリノと反ニュートリノの振動の違い(CP対称性の破れ)の発見と精密測定による宇宙の物質の起源の解明、ニュートリノ天文学のさらなる発展、陽子崩壊の発見による「素粒子の統一」と「電磁力・弱い力・強い力の統一」の証明を目的とする。", "title": "他の関連プロジェクト" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "2015年1月に13カ国の研究機関や大学が参加する国際共同研究グループが正式発足した。", "title": "他の関連プロジェクト" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "2020年1月、ハイパーカミオカンデ計画の初年度予算35億円を含む2019年度補正予算が成立し、2021年5月に着工した。", "title": "他の関連プロジェクト" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "2022年6月現在、アルメニア、ブラジル、カナダ、チェコ、フランス、ドイツ、インド、イタリア、日本、韓国、メキシコ、モロッコ、ポーランド、ロシア、スペイン、スウェーデン、スイス、イギリス、ウクライナ、アメリカの20ヶ国の研究者が参加している。", "title": "他の関連プロジェクト" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "スーパーカミオカンデ一般公開は年1回秋に行われてきた。2020年、2021年はオンラインで行われた。", "title": "広報活動" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2017年には広報と寄付募集のためにスーパーカミオカンデのジグソーパズルを制作し、東大柏キャンパス一般公開や東大生協などで販売した。", "title": "広報活動" } ]
スーパーカミオカンデは、岐阜県飛騨市神岡町旧神岡鉱山内の地下1000mに設置された、東京大学宇宙線研究所が運用する世界最大の水チェレンコフ宇宙素粒子観測装置である。Super-Kと略されることもある。ニュートリノの性質の全容を解明することを目的として、1991年12月に着工され、1996年4月より運用を開始した。 スーパーカミオカンデの検出器は、小柴昌俊のノーベル賞受賞研究の元となったカミオカンデと原理は同じだが性能は大きく向上した。5万トンの超純水を蓄えた直径39.3m、高さ41.4mの円筒形タンクの内壁に光電子増倍管と呼ばれる約1万3千本の光センサーが設置されている。飛来したニュートリノが貯水槽内を通過する際に、ごくまれに水分子と衝突して電子や陽電子などの荷電粒子が叩き出される。これらの粒子が水中の光の速度よりも速く水中を走るときに現れるチェレンコフ光を、光電子増倍管により検出する仕組みである。 1998年、大気ニュートリノの観測により、ニュートリノが飛行する間にその種類が変化する現象(ニュートリノ振動)を発見した。2015年、この研究を率いた宇宙線研究所長梶田隆章が「ニュートリノが質量を持つ事を示す、ニュートリノ振動現象の発見」の成果によりノーベル物理学賞を受賞した。 2020年8月より、スーパーカミオカンデの純水中にガドリニウムを加え、新生スーパーカミオカンデとして観測を開始した。これによりニュートリノの観測感度向上、特に「超新星背景ニュートリノ」の観測を目指している。
[[ファイル:Super Kamiokande, 1 to 135th.jpg|サムネイル|330x330px|1/135の模型([[岐阜かかみがはら航空宇宙博物館]])]] [[File:Neutrino detector - National Museum of Nature and Science, Tokyo - DSC07824.JPG|thumb|300x300px|スーパーカミオカンデに設置されている[[光電子増倍管]]([[国立科学博物館]]の展示。[[浜松ホトニクス]]製)]]'''スーパーカミオカンデ'''({{lang-en|Super-Kamiokande}})は、[[岐阜県]][[飛騨市]][[神岡町 (岐阜県)|神岡町]]旧[[神岡鉱山]]内の地下1000mに設置された、[[東京大学宇宙線研究所]]が運用する世界最大の水チェレンコフ宇宙素粒子観測装置である<ref name="icrr" />。{{en|Super-K}}と略されることもある。[[ニュートリノ]]の性質の全容を解明することを目的として、1991年12月に着工され、1996年4月より運用を開始した<ref name="icrrhistory" />。 スーパーカミオカンデの検出器は、[[小柴昌俊]]のノーベル賞受賞研究の元となった[[カミオカンデ]]と原理は同じだが性能は大きく向上した。5万トンの[[超純水]]を蓄えた直径39.3m、高さ41.4mの円筒形タンクの内壁に[[光電子増倍管]]と呼ばれる約1万3千本の光センサーが設置されている<ref name="icrr" />。飛来した[[ニュートリノ]]が貯水槽内を通過する際に、ごくまれに[[水]]分子と衝突して[[電子]]や[[陽電子]]などの[[荷電粒子]]が叩き出される。これらの粒子が水中の光の速度よりも速く水中を走るときに現れる[[チェレンコフ放射|チェレンコフ光]]を、光電子増倍管により検出する仕組みである<ref>{{Cite web|和書|title=検出器について |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/about/detector/ |website=スーパーカミオカンデ 公式ホームページ |access-date=2022-07-04 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=5分でわかるスーパーカミオカンデ |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/about/5min/ |website=スーパーカミオカンデ 公式ホームページ |access-date=2022-07-06 |language=ja}}</ref>。 1998年、大気ニュートリノの観測により、ニュートリノが飛行する間にその種類が変化する現象([[ニュートリノ振動]])を発見した<ref name=":0">{{Cite journal|和書|author=梶田隆章|date=1998|title=ニュートリノ振動の証拠: スーパーカミオカンデにおける大気ニュートリノの観測から|url=https://doi.org/10.11316/butsuri1946.53.783|journal=日本物理學會誌|volume=53|issue=10|pages=783-784|doi=10.11316/butsuri1946.53.783}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=K2K(長基線ニュートリノ振動実験) {{!}} KEK |url=https://www2.kek.jp/proffice/archives/activity/past/K2K.html |website=www2.kek.jp |access-date=2022-07-04}}</ref>。2015年、この研究を率いた宇宙線研究所長[[梶田隆章]]が「ニュートリノが質量を持つ事を示す、ニュートリノ振動現象の発見」の成果により[[ノーベル物理学賞]]を受賞した<ref name=":9">{{Cite web|和書|title=東京大学宇宙線研究所長 梶田隆章教授 ノーベル物理学賞受賞 {{!}} 受賞理由 |url=https://www.icrr.u-tokyo.ac.jp/prwps/commemorative/nobel/description.html |website=www.icrr.u-tokyo.ac.jp |access-date=2022-07-04}}</ref><ref name=":1">{{Cite news|title=ノーベル物理学賞に梶田隆章氏ら2人、ニュートリノの質量実証|url=https://jp.reuters.com/article/nobel-kajita-physics-idJPKCN0S011X20151006|work=Reuters|date=2015-10-07|access-date=2022-07-04|language=ja}}</ref>。 2020年8月より、スーパーカミオカンデの純水中に[[ガドリニウム]]を加え、新生スーパーカミオカンデとして観測を開始した。これによりニュートリノの観測感度向上、特に「超新星背景ニュートリノ」の観測を目指している<ref name="icrrhistory" />。 == 目的と研究成果 == === ニュートリノの性質の研究 === ニュートリノの質量やそれらの混合行列に関する詳細な分析を、大気ニュートリノ、[[太陽ニュートリノ]]、人工ニュートリノなどを用いて研究している<ref name="icrr" />。 ==== ニュートリノ振動 ==== {{詳細記事|ニュートリノ|ニュートリノ振動}} ニュートリノは、反応した際に放出する[[荷電レプトン]]によって''[[電子ニュートリノ]](''ν<sub>e</sub>'')''、[[ミューニュートリノ]](ν<sub>μ</sub>)、[[タウニュートリノ]](ν<sub>τ</sub>)に分けられる。ニュートリノが飛行する間に、量子力学的な効果でニュートリノの種類が入れ替わる現象をニュートリノ振動と呼ぶが<ref>{{Cite web|和書|title=ニュートリノ振動 {{!}} 天文学辞典 |url=https://astro-dic.jp/neutrino-oscillation/ |website=astro-dic.jp |date=2017-08-26 |access-date=2022-07-04 |language=ja}}</ref>、このような現象が生じるためには、ニュートリノが質量を持つことと、混合していることの両条件が必要である<ref name=":2">{{Cite journal|和書|title=ニュートリノ振動それによるニュートリノ質量の発見 |url=https://doi.org/10.5363/tits.21.2_28 |author=中畑雅行 |journal=学術の動向 |volume=21 |issue=2 |pages=2_28-2_34 |year=2016 |doi=10.5363/tits.21.2_28 |publisher=日本学術協力財団 |access-date=2022-08-04}}</ref>。旧カミオカンデにおいて、宇宙線が大気中で反応して発生する大気ニュートリノを観測した結果、理論値ではν<sub>μ</sub>とν<sub>e</sub>の比はほぼ2となるはずであったが、得られた値はおよそ1.2と小さな値であった<ref name=":0" /><ref name=":2" />。これはニュートリノ振動によるものと考えられたが、サンプル数が277事象と少ないため十分な支持は得られなかった<ref name=":2" />。 カミオカンデを大きく上回る規模と精度を持つスーパーカミオカンデは、運用開始当初からこのニュートリノ振動の検出に利用された<ref name=":2" />。東京大学宇宙線研究所教授の[[梶田隆章]]率いるグループがスーパーカミオカンデにおける535日間の観測で4654事象を分析して得られた結果は、やはり理論値の63〜65%程度で有意に小さな値であった<ref name=":0" /><ref name=":11">{{Cite journal|last=Fukuda|first=Y.|last2=Hayakawa|first2=T.|last3=Ichihara|first3=E.|last4=Inoue|first4=K.|last5=Ishihara|first5=K.|last6=Ishino|first6=H.|last7=Itow|first7=Y.|last8=Kajita|first8=T.|last9=Kameda|first9=J.|date=1998-08-24|title=Evidence for Oscillation of Atmospheric Neutrinos|url=https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevLett.81.1562|journal=Physical Review Letters|volume=81|issue=8|pages=1562-1567|language=en|doi=10.1103/PhysRevLett.81.1562|issn=0031-9007}}</ref>。さらにニュートリノが飛来してきた角度を分析し、上方向からのものはν<sub>μ</sub>の数が予測値と合致した一方、長距離を飛来してきた下方向からのものはν<sub>τ</sub>に振動し、数が約半分に減っていることがわかった<ref name=":0" /><ref name=":2" /><ref name=":11" />。これはニュートリノ振動を想定しなければ説明がつかない結果であり<ref name=":0" />、ニュートリノ振動の最初の発見となった<ref name=":2" />。1998年、梶田は[[岐阜県]][[高山市]]で開催されたニュートリノ国際会議においてこの研究結果を報告した<ref name=":2" />。この研究成果により梶田は2015年のノーベル物理学賞を受賞した<ref name=":9" /><ref name=":1" />。 ==== 太陽ニュートリノ問題 ==== {{詳細記事|太陽ニュートリノ問題}} 太陽における核融合反応の際、大量の電子ニュートリノが発生する<ref>{{Cite web|和書|title=ニュートリノは宇宙のどこでつくられる? |url=https://www.icrr.u-tokyo.ac.jp/rccn/doc2/cn2.html |website=www.icrr.u-tokyo.ac.jp |access-date=2022-07-04}}</ref>。地球上でこの太陽ニュートリノを観測した結果は、{{仮リンク|標準太陽モデル|en|Standard solar model}}から得られる予想値に比べて3分の1から半分程度しかなく、長らく「太陽ニュートリノ問題」として議論されてきた<ref name=":3">{{Cite web|和書|title=研究内容 |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/about/research/ |website=スーパーカミオカンデ 公式ホームページ |access-date=2022-07-04 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=太陽ニュートリノとは |url=https://kotobank.jp/word/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%8E-558652 |website=コトバンク |access-date=2022-07-04 |language=ja |last=日本大百科全書(ニッポニカ),デジタル大辞泉}}</ref>。 2001年、カナダの[[サドベリー・ニュートリノ天文台]](SNO)は、重水を使った実験により電子ニュートリノが重陽子と反応して電子を生む反応(荷電カレント反応)の観測結果を報告した<ref>{{Cite journal|last=Ahmad|first=Q. R.|last2=Allen|first2=R. C.|last3=Andersen|first3=T. C.|last4=Anglin|first4=J. D.|last5=Bühler|first5=G.|last6=Barton|first6=J. C.|last7=Beier|first7=E. W.|last8=Bercovitch|first8=M.|last9=Bigu|first9=J.|date=2001-07-25|title=Measurement of the Rate of ν e + d → p + p + e − Interactions Produced by B 8 Solar Neutrinos at the Sudbury Neutrino Observatory|url=https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevLett.87.071301|journal=Physical Review Letters|volume=87|issue=7|pages=071301|language=en|doi=10.1103/PhysRevLett.87.071301|issn=0031-9007}}</ref>。一方スーパーカミオカンデは、SNOよりも高精度の電子弾性散乱の検出により太陽ニュートリノ全体の観測を行っていた<ref name=":4">{{Cite journal|和書|title=太陽ニュートリノの物理 |url=https://doi.org/10.11316/butsuri1946.57.171 |author=中畑雅行 |author2=鈴木洋一郎 |journal=日本物理學會誌 |volume=57 |issue=3 |pages=171-179 |year=2002 |doi=10.11316/butsuri1946.57.171}}</ref>。この2つの観測結果には有意な違いがあり、太陽ニュートリノ問題の原因がニュートリノ振動であることの有力な根拠となった<ref name=":3" /><ref name=":4" />。SNOでの研究を率いた[[クイーンズ大学 (カナダ)|クイーンズ大学]]教授[[アーサー・B・マクドナルド]]は、2015年のノーベル物理学賞を梶田隆章とともに受賞した<ref name=":1" /><ref>{{Cite news|title=Takaaki Kajita and Arthur McDonald Share Nobel in Physics for Work on Neutrinos|url=https://www.nytimes.com/2015/10/07/science/nobel-prize-physics-takaaki-kajita-arthur-b-mcdonald.html|work=The New York Times|date=2015-10-06|access-date=2022-07-04|issn=0362-4331|language=en-US|first=Dennis|last=Overbye}}</ref>。 ==== 第3の振動モード ==== 1999年、[[つくば市]]の[[高エネルギー加速器研究機構]]で作ったν<sub>μ</sub>を、250km離れたスーパーカミオカンデで捉える実験(K2K実験)が開始された。これは世界初の人工ニュートリノによる実験であった<ref name=":2" />。K2K実験は2004年まで行われ、観測の結果、大気ニュートリノで発見されたニュートリノ振動を99.9%以上の精度で確認することができた<ref name=":3" />。 2009年には、[[茨城県]][[東海村]]の大強度陽子加速器施設([[J-PARC]])で作られたニュートリノビームを295km離れたスーパーカミオカンデに打ち込む[[T2K]]実験が開始された<ref name=":3" />。ニュートリノの混ざり具合を示す3つの混合角のうちθ<sub>13</sub>だけは未測定であり、この発見が期待されていた。2011年6月、ミューニュートリノから電子ニュートリノへ変化する「電子ニュートリノ出現事象」を示唆する観測結果を世界で初めてとらえ<ref>{{Cite web|和書|title=世界初、電子型ニュートリノ出現現象の兆候を捉える {{!}} KEK |url=https://www2.kek.jp/ja/news/press/2011/J-PARC_T2Kneutrino.html |website=www2.kek.jp |access-date=2022-07-04}}</ref>、混合角θ<sub>13</sub>が予想されていた値よりは大きい可能性を指摘した<ref>{{Cite journal|last=T2K Collaboration|last2=Abe|first2=K.|last3=Abgrall|first3=N.|last4=Ajima|first4=Y.|last5=Aihara|first5=H.|last6=Albert|first6=J. B.|last7=Andreopoulos|first7=C.|last8=Andrieu|first8=B.|last9=Aoki|first9=S.|date=2011-07-25|title=Indication of Electron Neutrino Appearance from an Accelerator-produced Off-axis Muon Neutrino Beam|url=http://arxiv.org/abs/1106.2822|journal=arXiv:1106.2822 [hep-ex]|doi=10.1103/PhysRevLett.107.041801}}</ref><ref name=":5">{{Cite web|和書|title=発見と発明のデジタル博物館: ミューニュートリノビームからの電子ニュートリノ出現事象の発見 (専門向け) |url=https://dbnst.nii.ac.jp/pro/detail/2179 |website=dbnst.nii.ac.jp |access-date=2022-07-04}}</ref>。2013年には実際にミューニュートリノから電子ニュートリノへの変化を世界で初めて観測し、[[ポンテコルボ・牧・中川・坂田行列]]が示唆するようにニュートリノが3世代間で混合していることを明らかにした<ref>{{Cite journal|last=T2K Collaboration|last2=Abe|first2=K.|last3=Abgrall|first3=N.|last4=Aihara|first4=H.|last5=Akiri|first5=T.|last6=Albert|first6=J. B.|last7=Andreopoulos|first7=C.|last8=Aoki|first8=S.|last9=Ariga|first9=A.|date=2013-08-05|title=Evidence of Electron Neutrino Appearance in a Muon Neutrino Beam|url=http://arxiv.org/abs/1304.0841|journal=Physical Review D|volume=88|issue=3|pages=032002|doi=10.1103/PhysRevD.88.032002|issn=1550-7998}}</ref><ref name=":5">{{Cite web|和書|title=発見と発明のデジタル博物館: ミューニュートリノビームからの電子ニュートリノ出現事象の発見 (専門向け) |url=https://dbnst.nii.ac.jp/pro/detail/2179 |website=dbnst.nii.ac.jp |access-date=2022-07-04}}</ref>。この業績により、高エネルギー加速器研究機構教授小林隆、京都大学教授[[中家剛]]が2014年度の[[仁科記念賞]]を受賞した。 === ニュートリノを利用した星や宇宙の観測 === 太陽や[[超新星爆発]]によって生成されるニュートリノを観測することにより天文現象の解明を目指す[[ニュートリノ天文学]]が発達しつつある<ref name=":6">{{Cite web|和書|title=ニュートリノ天文学 {{!}} 天文学辞典 |url=https://astro-dic.jp/neutrino-astronomy/ |website=astro-dic.jp |date=2017-08-26 |access-date=2022-07-04 |language=ja}}</ref>。 1987年2月23日、東京大学教授[[小柴昌俊]]らは[[カミオカンデ]]によって[[大マゼラン雲]]で起こった超新星爆発[[SN 1987A]]からのニュートリノバーストを観測し、同年4月に発表した<ref>{{Cite journal|last=Hirata|first=K.|last2=Kajita|first2=T.|last3=Koshiba|first3=M.|last4=Nakahata|first4=M.|last5=Oyama|first5=Y.|last6=Sato|first6=N.|last7=Suzuki|first7=A.|last8=Takita|first8=M.|last9=Totsuka|first9=Y.|date=1987-04-06|title=Observation of a neutrino burst from the supernova SN1987A|url=https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevLett.58.1490|journal=Physical Review Letters|volume=58|issue=14|pages=1490-1493|doi=10.1103/PhysRevLett.58.1490}}</ref>。これは超新星爆発の理論モデルの妥当性を裏付けるものであり、一般にはこの出来事をもってニュートリノ天文学の幕開けとされる<ref name=":6" />。小柴はこの業績により1989年に[[日本学士院賞]]を受賞<ref>{{Cite web|和書|title=物故会員個人情報 - 小柴昌俊|日本学士院 |url=https://www.japan-acad.go.jp/japanese/members/bukko/k_gyo/koshiba_masatoshi.html |website=www.japan-acad.go.jp |access-date=2022-07-04}}</ref>、2002年に[[ノーベル物理学賞]]を受賞した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nobelprize.org/uploads/2018/06/press-ja.pdf |title=2002年 ノーベル物理学賞 |access-date=2022-07-05 |publisher=www.nobelprize.org}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=小柴さん、2002年ノーベル物理学賞を受賞(NAOニュース) |url=https://www.astroarts.co.jp/news/2002/10/11nao591/index-j.shtml#:~:text=%E3%82%B9%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E7%8E%8B%E7%AB%8B%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%81%AF,%E3%81%AB%E4%B8%8E%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82 |website=www.astroarts.co.jp |access-date=2022-07-04}}</ref>。 スーパーカミオカンデでは、超新星爆発が銀河中心で起こった場合、超新星ニュートリノを約8000例捕獲することが可能とされ、絶え間なく監視を続けている<ref name=":3" />。超新星爆発からの光はニュートリノよりも遅れて星の外に放出されるため、スーパーカミオカンデは光を捉える[[天文台]]よりも前にその爆発を観測することができる<ref name=":3" />。 ==== 超新星背景ニュートリノの観測 ==== 宇宙が誕生してから現在までに、約10<sup>17</sup>個の星が超新星爆発を起こしてきたと考えられている<ref name=":7">{{Cite web|和書|url=https://www.ipmu.jp/sites/default/files/webfm/pdfs/news11/J_FEATURE.pdf |title=超新星爆発とニュートリノ |access-date=2022-07-05 |author=中畑雅行}}</ref>。宇宙空間にはこの超新星爆発によって放出された「超新星背景ニュートリノ」が存在するはずである<ref name=":7">{{Cite web|和書|url=https://www.ipmu.jp/sites/default/files/webfm/pdfs/news11/J_FEATURE.pdf |title=超新星爆発とニュートリノ |access-date=2022-07-05 |author=中畑雅行}}</ref>。この検出に向けて、2020年8月より、スーパーカミオカンデの純水中に[[ガドリニウム]]を加え、新生スーパーカミオカンデとして観測をスタートした<ref>{{Cite web|和書|title=新生スーパーカミオカンデがスタート、ガドリニウムを加え、新たに観測開始 |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/news/detail/304/ |website=東京大学宇宙線研究所付属神岡宇宙素粒子研究施設 |access-date=2022-07-04 |language=ja}}</ref>。これにより、ニュートリノの観測感度向上、特に「超新星背景ニュートリノ」の世界初の観測が期待されている。 === 大統一理論の実験的検証 === 旧カミオカンデの建設は、[[大統一理論]]が予言する[[陽子]]崩壊の実証が主な目的であった<ref name=":2" /><ref name=":8">{{Cite journal|和書|author=梶田隆章|date=2017|title=神岡での基礎科学研究|url=https://doi.org/10.5363/tits.22.7_91|journal=学術の動向|volume=22|issue=7|pages=7_91-7_105|doi=10.5363/tits.22.7_91}}</ref>。この理論の有力候補と考えられていたSU(5)モデルの予想する陽子の寿命は10{{sup|30}}-10{{sup|32}}年であったが、カミオカンデでは陽子崩壊は観測されず陽子の寿命は10{{sup|34}}年以上であることが示され、SU(5)モデルは否定された<ref name=":12">{{Cite journal|和書|author=中村健蔵|date=2016|title=カミオカンデからスーパーカミオカンデへ:歴史的経緯と研究成果の概要|url=https://doi,org/10.11316/butsuri.71.4_214|journal=日本物理学会誌|volume=71|issue=4|pages=214-217|doi=10.11316/butsuri.71.4_214}}</ref>。なお、SO(10)理論等他のモデルも存在するため、大統一理論という考え方がすべて否定されたわけではない。観測期間が延びれば延びるほど、たとえ極小の確率であっても検出が可能になるため、スーパーカミオカンデでは引き続き陽子崩壊の観測を行っている。 == 名称 == 陽子崩壊観測を主目的としたカミオカンデは、'''Kamioka''' '''N'''ucleon '''D'''ecay '''E'''xperiment(神岡核子崩壊実験)の略した名称だった<ref name=":8" /><ref name=":13">{{Cite web|和書|title=KAMIOKANDEのこと |url=https://www.jps.or.jp/books/50thkinen/50th_05/003.html |website=www.jps.or.jp |access-date=2022-07-05 |author=小柴昌俊}}</ref>。 上記の目的に加え、ニュートリノによる天体観測を当初から目的のひとつとしていたスーパーカミオカンデは、'''Super'''-'''Kamioka''' <u>'''N'''eutrino '''D'''etection</u> '''E'''xperiment(超神岡ニュートリノ検出実験)と'''Super'''-'''Kamioka''' <u>'''N'''ucleon '''D'''ecay</u> '''E'''xperiment(超神岡核子崩壊実験)の双方を略した名称となっている<ref>{{Cite web|和書|title=スーパーカミオカンデとは |url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%87-176690 |website=コトバンク |access-date=2022-07-04 |language=ja |first=日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,化学辞典 |last=第2版,百科事典マイペディア,デジタル大辞泉,知恵蔵}}</ref>。 スーパーカミオカンデを、'''東京大学宇宙線研究所附属神岡宇宙素粒子研究施設'''と紹介する文献もあるが、正確には東京大学宇宙線研究所附属神岡宇宙素粒子研究施設に存在する「装置の名前」がスーパーカミオカンデである。同施設はスーパーカミオカンデを中心に、ニュートリノや陽子の研究を行うための施設となっている。 == 歴史 == === スーパーカミオカンデの建造 === 1983年に運用が開始された旧カミオカンデの当初の目的は陽子崩壊の観測であった<ref name=":2" /><ref name=":8" />。地下深くに多量の水を蓄えてそれを常時四方八方から観測しつづけるというアイデアは小柴昌俊によるものであったが、米国でも同様のアイデアで[[アーバイン=ミシガン=ブルックヘブン]](IMB)実験が計画されていた<ref name=":13" />。IMBが深度610mに直径5インチの光電子増倍管を2048個設置したのに対し、カミオカンデはより深い地下1000mに20インチ光電子増倍管を1000本設置した<ref name=":13" />。貯水槽の容量は7000トン対3000トンとIMBのほうが大きかったが、光の検出効率はカミオカンデが16倍も良好であった<ref name=":13" />。 1987年の超新星爆発に伴うニュートリノの検出・分析はのちの小柴のノーベル賞受賞につながる一大業績であったが、太陽ニュートリノ検出の面では運用当初から貯水槽と検出器の規模の不足が実感されており<ref name=":8" /><ref name=":12" />、1983年末の時点で早くも小柴は新たな検出装置建造についての提案を行っていた<ref name=":12" />。 実際にスーパーカミオカンデの建造が開始されるのは1991年のことであった。建造には民間企業が多く参加した<ref>{{Cite web|和書|title=ファイナンス 2017年4月号 Vol.53 |url=https://www.mof.go.jp/public_relations/finance/denshi/201704/pageindices/index71.html#page=71 |website=www.mof.go.jp |access-date=2022-07-05}}</ref>。[[三井金属鉱業]]が掘削<ref>{{Cite web|和書|title=スーパーカミオカンデと神岡鉱山 {{!}} 宇宙誕生の謎に挑む神岡鉱山 {{!}} 三井金属鉱業株式会社 |url=https://www.mitsui-kinzoku.com/nobel/page-02/ |website=www.mitsui-kinzoku.com |access-date=2022-07-05}}</ref>、[[三井E&S|三井造船]]が水槽を建造し<ref>{{Cite web|和書|title=三井E&Sプロジェクトストーリー「地球には夢がある。」vol.05 |url=https://www.mes.co.jp/project_story/05.html |website=MITSUI E&S |access-date=2022-07-05}}</ref>、データ処理は[[富士通]]<ref>{{Cite web|和書|title=東京大学宇宙線研究所様 スーパーカミオカンデ - 富士通 |url=https://www.fujitsu.com/jp/solutions/business-technology/tc/fields/research/super-kamiokande/ |website=www.fujitsu.com |access-date=2022-07-05}}</ref>、超純水は[[オルガノ]]<ref>{{Cite web|和書|title=「宇宙劇場へ、ようこそ。」オルガノの超純水|オルガノ株式会社 |url=http://www.organo.co.jp/uchu-gekijyo/ep2.html |website=www.organo.co.jp |access-date=2022-07-05}}</ref>、大口径光電子倍増管は旧カミオカンデに引き続いて[[浜松ホトニクス]]が担当した<ref>{{Cite web|和書|title=20インチ光電子増倍管開発ストーリー {{!}} 浜松ホトニクス |url=https://www.hamamatsu.com/jp/ja/why-hamamatsu/20inch-pmts.html |website=www.hamamatsu.com |access-date=2022-07-05 |language=ja}}</ref>。 1994年7月、空洞掘削工事が完了<ref>{{Cite web|和書|title=年表 |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/about/history/ |website=東京大学宇宙線研究所付属神岡宇宙素粒子研究施設 |access-date=2022-07-05 |language=ja}}</ref>。1995年中頃にタンクの建設が完了した。1995年6月から光電子増倍管の取り付け作業と電子回路への接続が行われ、同年12月に完了した。その後2か月以上を要して5万トンのタンクを超純水で満たし、1996年4月1日0時に完成した<ref name="icrrhistory" />。 === 初期の成果 === スーパーカミオカンデは当初から日米の研究者の共同研究という形で開始された。IMB試験が1991年初頭に終了し、その主力メンバーがスーパーカミオカンデに合流することとなったのである<ref name=":12" />。 1996年4月1日0時から後述の破損事故までの時期を Super-Kamiokande I (SK-I) と呼称する<ref name=":10">{{Cite web|和書|title=スーパーカミオカンデの歴史 {{!}} スーパーカミオカンデ 公式ホームページ |url=http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/sk/history.html |website=web.archive.org |date=2020-11-14 |access-date=2022-07-05 |archive-url=https://web.archive.org/web/20201114125930/http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/sk/history.html |archive-date=2020-11-14}}</ref>。1998年には地球の反対側から飛来する大気ニュートリノの数が少ないことを示し、ニュートリノ振動の証拠として世界に発信した<ref name=":0" />。これにより、スーパーカミオカンデ実験グループはこの年の[[朝日賞]]を受賞した<ref>{{Cite journal|和書|author=荒船次郎|date=1999|title=1998年度朝日賞: 1) スーパーカミオカンデ観測グループ: ニュートリノに質量が存在する強い証拠の発見|url=https://doi.org/10.11316/butsuri1946.54.3.219_2|journal=日本物理學會誌|volume=54|issue=3|page=219|doi=10.11316/butsuri1946.54.3.219_2}}</ref>。1999年には世界初の長基線ニュートリノ実験[[K2K]]を開始し、大気ニュートリノで発見されたニュートリノ振動の検証に成功した。2001年にはカナダのSNO実験の結果と合わせ、太陽から来るニュートリノも振動していることを発見した<ref name="icrrhistory" />。 === 光電子増倍管破損事故とSuper-Kamiokande Ⅱ === [[ファイル:Masatoshi Koshiba and Junichiro Koizumi 20030827.jpg|thumb|200px|2003年8月27日、[[東京大学]][[東京大学宇宙線研究所|宇宙線研究所]]神岡宇宙素粒子研究施設にて[[内閣総理大臣]][[小泉純一郎]](右端)らにスーパーカミオカンデを説明する東京大学名誉教授[[小柴昌俊]](左端)]] 2001年11月12日11時01分、光電子増倍管の70%を損失するという大規模な破損事故が発生した。光電管[[爆縮]]時の[[衝撃波]]による連鎖破壊で、原因は補修作業時の負荷で基部にクラックが入ったためとされた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/cause-committee/1st/report-nov22.pdf |title=スーパーカミオカンデ事故等報告(平成13年11月22現在) |accessdate=2015-12-04 |publisher=東京大学宇宙線研究所 |archive-date=2016-03-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160304233426/http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/cause-committee/1st/report-nov22.pdf}} </ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.icrr.u-tokyo.ac.jp/prwps/wp-content/uploads/2019/07/ICRRnews48.pdf |title=スーパーカミオカンデ事故原因究明等委員会報告 |access-date=2022-07-05 |author=吉村太彦}}</ref><ref>{{Cite web|和書 | url= http://www2.kek.jp/ja/newskek/2002/janfeb/k2k.html | title= 衝撃の光センサー破損事故 | accessdate=2015-12-04 | publisher=高エネルギー加速器研究機構 }} </ref>。破壊された数量の光電子増倍管の生産には約4年を要するため、2002年光電子増倍管にプラスチックカバーを被せる防爆措置を行った上で、予備を加えた5,200本の光電子増倍管を再配置し、部分復旧された。これを「Super-Kamiokande II」と呼称する<ref name=":10" />。この破損事故の震動は、近くの[[高感度地震観測網]] (Hi-net) 神岡観測点 (KOKH) において観測されている<ref name="bosai" />。 === 完全復旧 (Super-Kamiokande Ⅲ) === 2005年7月より、スーパーカミオカンデの完全再建計画が[[文部科学省]]によって承認された。同年10月から観測を中止して破損光電管の交換作業を開始、2006年4月にほぼ完了した<ref>{{Cite web|和書|title=スーパーカミオカンデ、中身はこうなってます - withnews(ウィズニュース) |url=https://withnews.jp/photo-gallery/1000000175/1?article=f0151006003qq000000000000000G0010901qq000012591A |website=withnews.jp |access-date=2022-07-04 |language=ja}}</ref>。2006年7月11日に建造時と同数の光電管を備えた「Super-Kamiokande III」として観測を再開した<ref name=":10" />。 === Super-Kamiokande IV === 2008年夏には、さらなる性能向上のために、信号読み出し回路の総入れ替えを行った<ref name="icrrhistory" />。以降を「Super-Kamiokande IV」と呼ぶ<ref name=":10" />。 === Super-Kamiokande V === 2018年、反電子ニュートリノに加えて中性子による信号を捉えるため純水に[[ガドリニウム]]を添加し新たな観測を行うための改修が行われた。この際12年ぶりにスーパーカミオカンデ内の水槽内部を報道陣に公開した<ref>{{Cite web|和書|title=スーパーカミオカンデの水ぜんぶ抜いた 12年ぶり公開:朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASL9B4KC0L9BOIPE00S.html?iref=ogimage_rek |website=朝日新聞デジタル |access-date=2022-07-06 |language=ja}}</ref>。止水補強工事、タンク内配管の改良、不具合のある光電子増倍管の交換も実施した<ref>{{Cite web|和書|title=スーパーカミオカンデ改修工事開始についての概要 |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/news/detail/459/ |website=東京大学宇宙線研究所付属神岡宇宙素粒子研究施設 |access-date=2022-07-06 |language=ja}}</ref>。 2019年1月より超純水による試運転を兼ねた観測が行われた。これ以降を「Super-Kamiokande V」と呼ぶ<ref>{{Cite journal|和書|title=SK-Vにおけるニュートリノ事象再構成性能の評価 |url=https://doi.org/10.11316/jpsgaiyo.75.1.0_499 |author=小川夏実, 他Super-Kamiokande Collaboration |journal=日本物理学会講演概要集 |volume=75.1 |issue=セッションID: 17pK16-4 |page=499 |year=2020 |doi=10.11316/jpsgaiyo.75.1.0_499 |publisher=日本物理学会 |access-date=2022-08-05}}</ref>。2020年8月よりガドリニウム添加後の本格的な観測が始まった<ref>{{Cite web|和書|title=スーパーカミオカンデへのガドリニウム追加を開始しました |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/news/detail/390/ |website=東京大学宇宙線研究所付属神岡宇宙素粒子研究施設 |access-date=2022-07-06 |language=ja}}</ref>。 === 事業仕分けの影響 === 2009年11月、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]が行った[[行政刷新会議]][[事業仕分け (行政刷新会議)|事業仕分け]]において「国立大学運営費交付金(2)特別教育研究経費」の交付額についての評定がなされ、「廃止6名、縮減6名、要求どおり2名」となり予算の縮減が決定した<ref>{{Cite web|和書|title=行政刷新会議、事業仕分け作業ワーキンググループが、「スーパーカミオカンデによるニュートリノ研究」を含む経費を予算縮減と評定 {{!}} ICRR {{!}} Institute for Cosmic Ray Research University of Tokyo |url=https://www.icrr.u-tokyo.ac.jp/news/2018/ |website=ICRR {{!}} Institute for Cosmic Ray Research University of Tokyo {{!}} マルチメッセンジャーの観測を通じ、宇宙の謎に迫ります |date=2009-11-26 |access-date=2022-07-05 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=東京大学宇宙線研究所付属神岡宇宙素粒子研究施設 |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/whatsnew/new-20091127.html |website=web.archive.org |date=2020-11-08 |access-date=2022-07-05 |archive-url=https://web.archive.org/web/20201108171338/https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/whatsnew/new-20091127.html |archive-date=2020-11-08}}</ref>。この評議では研究の意義などは一切議論されず、ただ単純に予算全体を一括して縮減すべきであるという判断がなされた。実験代表者の[[鈴木洋一郎]]は、予算の縮減による影響で観測が止まってしまう可能性もあり、そうなると稀有なニュートリノの検出を逃してしまうこと、測定器の質を維持できなくなることなどによって、世界トップとなった日本のニュートリノの研究のはずが二流、三流となってしまうと主張した<ref name="icrr20091127" />。 == 他の関連プロジェクト == === カミオカンデ、カムランド === {{詳細記事|カミオカンデ|カムランド}} カミオカンデは、1983年から1996年まで東京大学宇宙線研究所により運用された。その後解体され、跡地に[[東北大学]]が[[反ニュートリノ]]検出器である[[カムランド]]を設置し2002年より運用を開始した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.scienceweb.tohoku.ac.jp/publicj/wp-content/uploads/2009/01/scienceweb02.pdf |title=物質階層を紡ぐ科学フロンティアの新展開 |access-date=2022-07-06}}</ref>。カミオカンデとは異なり液体[[シンチレータ]]を用いた装置で、原子炉ニュートリノをはじめとした各種研究を行い成果を上げている<ref>{{Cite web |title=What Keeps the Earth Cooking? |url=https://newscenter.lbl.gov/2011/07/17/kamland-geoneutrinos/ |website=News Center |date=2011-07-17 |access-date=2022-07-06 |language=en-US |last=paulpreuss}}</ref><ref>{{Cite web |title=KamLAND |url=https://www.awa.tohoku.ac.jp/kamland/About_KamLAND.html |website=www.awa.tohoku.ac.jp |access-date=2022-07-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=反ニュートリノ検出装置カムランド(KamLAND) |url=http://www.rada.or.jp/database/home4/normal/ht-docs/member/synopsis/040281.html#:~:text=%E5%8F%8D%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%8E%E6%A4%9C%E5%87%BA%E8%A3%85%E7%BD%AE%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89(KamLAND)&text=%E6%A6%82%E8%A6%81%20%EF%BC%9A,%E3%82%92%E8%AA%BF%E3%81%B9%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82 |website=www.rada.or.jp |access-date=2022-07-05}}</ref>。 === ハイパーカミオカンデ === {{詳細記事|ハイパーカミオカンデ}} スーパーカミオカンデをさらに上回る性能を持つ超大型地下実験装置[[ハイパーカミオカンデ]]計画が進行中である<ref>{{Cite web|和書|title=プロジェクト報告 |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/hk/report/ |website=ハイパーカミオカンデ |access-date=2022-07-06 |language=ja}}</ref>。2027年の実験開始を目指している<ref name="chonnichi" /><ref name="hk" /><ref name=":15">{{Cite web|和書|title=ハイパーカミオカンデの着工記念式典を開催 |url=https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/articles/z0208_00112.html |website=東京大学 |access-date=2022-07-05 |language=ja}}</ref>。 タンクの体積は26万トン、有効体積は19万トンでスーパーカミオカンデの約10倍となる<ref name=":14">{{Cite web|和書|title=ハイパーカミオカンデ概要 |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/hk/about/outline/ |website=ハイパーカミオカンデ |access-date=2022-07-06 |language=ja}}</ref>。内水槽の側面には50cm径の超高感度光センサーが4万本取り付けられる予定である<ref name=":14" /><ref>{{Cite web|和書|title=検出器について |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/hk/about/detector/ |website=ハイパーカミオカンデ |access-date=2022-07-06 |language=ja}}</ref>。ニュートリノと反ニュートリノの振動の違い(CP対称性の破れ)の発見と精密測定による宇宙の物質の起源の解明、ニュートリノ天文学のさらなる発展、陽子崩壊の発見による「素粒子の統一」と「電磁力・弱い力・強い力の統一」の証明を目的とする<ref name=":14" />。 2015年1月に13カ国の研究機関や大学が参加する国際共同研究グループが正式発足した<ref>{{Cite web|和書|title=ハイパーカミオカンデ国際共同研究グループ結成記念シンポジウム及び調印式が開催されました |url=https://www2.kek.jp/ipns/ja/post/2015/01/hk-symposium/ |website=素核研 |date=2015-02-16 |access-date=2022-07-06 |language=ja}}</ref>。 2020年1月、ハイパーカミオカンデ計画の初年度予算35億円を含む2019年度補正予算が成立し<ref>{{Cite web|和書|title=ハイパーカミオカンデ計画の開始について {{!}} ICRR {{!}} Institute for Cosmic Ray Research University of Tokyo |url=https://www.icrr.u-tokyo.ac.jp/news/8499/ |website=ICRR {{!}} Institute for Cosmic Ray Research University of Tokyo {{!}} マルチメッセンジャーの観測を通じ、宇宙の謎に迫ります |date=2020-02-12 |access-date=2022-07-06 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mext.go.jp/kaigisiryo/content/000033178.pdf |title=令和2年度文部科学省予算(案)のポイント |access-date=2022-07-06 |author=研究振興局 |date=2020-02-12}}</ref>、2021年5月に着工した<ref name=":15" /><ref>{{Cite web|和書|title=ハイパーカミオカンデ着工 3度目のノーベル賞に期待 |url=https://web.archive.org/web/20210528090238/https://www.sankeibiz.jp/business/news/210528/cpc2105281746005-n1.htm |website=SankeiBiz |date=2021-05-28 |access-date=2022-07-06 |language=ja |first=SANKEI DIGITAL |last=INC}}</ref>。 2022年6月現在、アルメニア、ブラジル、カナダ、チェコ、フランス、ドイツ、インド、イタリア、日本、韓国、メキシコ、モロッコ、ポーランド、ロシア、スペイン、スウェーデン、スイス、イギリス、ウクライナ、アメリカの20ヶ国の研究者が参加している<ref>{{Cite web|和書|title=共同研究機関 |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/hk/about/collaboration/ |website=ハイパーカミオカンデ |access-date=2022-07-06 |language=ja}}</ref>。 == 広報活動 == スーパーカミオカンデ一般公開は年1回秋に行われてきた。2020年、2021年はオンラインで行われた<ref>{{Cite web|和書|title=施設見学 |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/experience/facility/ |website=スーパーカミオカンデ 公式ホームページ |access-date=2022-07-05 |language=ja}}</ref>。 2017年には広報と寄付募集のためにスーパーカミオカンデの[[ジグソーパズル]]を制作し、東大柏キャンパス一般公開や東大生協などで販売した<ref>{{Cite web|和書|title=「激ムズです」東大発ニュートリノを感じる超難度ジグソーパズルが超クール |url=https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/icrr-puzle |website=BuzzFeed |access-date=2022-07-05 |language=ja |first=Haruna |last=Yamazaki}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist|2 |refs= <ref name="icrr">{{Cite web|和書 |title=スーパーカミオカンデ概要 |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/about/outline/ |website=スーパーカミオカンデ 公式ホームページ |access-date=2022-07-04 |language=ja |publisher=[[東京大学宇宙線研究所]] }}</ref> <ref name="icrrhistory">{{Cite web|和書 |title=スーパーカミオカンデの歴史 |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/about/history/ |accessdate=2022-07-04 |publisher=[[東京大学宇宙線研究所]]}}</ref> <ref name="icrr20091127">{{Cite web|和書 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100108140910/http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/whatsnew/new-20091127.html |archivedate=2010-01-08 |title=行政刷新会議、事業仕分け作業ワーキンググループが、「スーパーカミオカンデによるニュートリノ研究」を含む経費を予算縮減と評定 |publisher=東京大学宇宙線研究所 |date=2009-11-26 |url=http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/whatsnew/new-20091127.html |accessdate=2022-07-04}}</ref> <ref name="chonnichi">{{cite news | title = 「ハイパーカミオカンデ」実現へ 素粒子観測「スーパー」の20倍 | url = http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015012902000241.html | publisher = 中日新聞 | date = 2015-01-29 | accessdate = 2022-07-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150202020033/http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015012902000241.html |archivedate=2015-02-02}}</ref> <ref name="bosai">{{Cite web|和書 |url=http://www.hinet.bosai.go.jp/topics/kam011112/ |title=Hi-netが観測したスーパーカミオカンデ事故による震動 |publisher=[[防災科学技術研究所]] |accessdate=2022-07-04 |date=2011-11-22}}</ref> <ref name="hk">{{cite news | title = ハイパーカミオカンデ | url = https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/hk/ | publisher = ハイパーカミオカンデ ホームページ | accessdate = 2022-07-04}}</ref> }} == 関連項目 == * [[素粒子物理学]] * [[ニュートリノ検出器]] * [[戸塚洋二]] * [[大型ハドロン衝突型加速器]] == 外部リンク == * [https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/ スーパーカミオカンデ 公式ホームページ] * [https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/index.php 東京大学宇宙線研究所 神岡宇宙素粒子研究施設] * [http://neutrino.kek.jp/index-j.html K2K つくば-神岡間 長基線ニュートリノ振動実験(KEK-PS-E362)公式ホームページ] * {{youTube|T4iZaAGdi4s|スーパーカミオカンデの建設記録}} * {{youTube|2dXd_g9ZthM|失敗に学ぶ-泡が機械を破壊「スーパーカミオカンデの増倍管破損}} {{coord|36|25|N|137|18|E|region:JP|display=title}} {{DEFAULTSORT:すうはあかみおかんて}} [[Category:ニュートリノ観測所]] [[Category:素粒子物理学の施設]] [[Category:素粒子実験]] [[Category:地下研究所]] [[Category:岐阜県の研究所]] [[Category:天文学に関する記事]] [[Category:飛騨市の建築物]] [[Category:東京大学]]
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カムランド
座標: 北緯36度25分21秒 東経137度18分55秒 / 北緯36.4225度 東経137.3153度 / 36.4225; 137.3153 カムランド(KamLAND)は、東北大学大学院理学研究科付属ニュートリノ科学研究センター(Research Center for Neutrino Science)による反ニュートリノ検出器である。KamLANDという名称はKamioka Liquid Scintillator Anti-Neutrino Detector(神岡液体シンチレータ反ニュートリノ検出器)の略である。カムランドは岐阜県飛騨市(旧神岡町)にある神岡鉱山の坑道内のカミオカンデ跡地につくられた。カミオカンデが水チェレンコフ検出器であったのに対し、液体シンチレータを用いることによって、より低いエネルギーのニュートリノを検出することができる。 カムランドの周辺には複数の原子力発電所が存在する。原子力発電所の原子炉では核燃料中の放射性核分裂生成物の崩壊により反電子ニュートリノ ( ν ̄ e {\displaystyle {\bar {\nu }}_{e}} ) が生成される。この検出器は原子炉で生成されるニュートリノの25%にあたる、1.8 メガ電子ボルト (MeV) の閾値エネルギー(英語版)を超えるニュートリノを検出することができる。 もしニュートリノが質量をもつならば、ニュートリノ振動によって反電子ニュートリノがカムランドでは検出できないフレーバーのニュートリノに変化し、反電子ニュートリノの減少あるいは「消失」に至る。カムランドは原子力発電所から平均180キロメートル (km)離れた位置にあり、これによって太陽ニュートリノ問題の解決策であるニュートリノの大混合角による混合を感度良く検出することができる。 カムランド検出器の外層は、内側に1,879個の光電子増倍管(17インチのものが1,325個、20インチのものが554個)が設置された直径18メートル (m)のステンレス鋼製容器である。光電面が34%の領域を覆っている。この内側にある第2層は1,000トンの鉱油・ベンゼン・蛍光化学物質からなる液体シンチレータで満たされた、直径13メートル (m)のナイロン製バルーンである。シンチレータではない高純度の油がバルーンに浮力を与え、バルーンを光電子増倍管から離しておくための緩衝材として働く。この油は外部の放射線に対する遮蔽材の役割も持つ。3.2キロトン (=3.2x10 kg)の円柱状の水チェレンコフ検出器が容器を取り囲んでいる。これはミュー粒子に対するベトーカウンターとしての働きと宇宙線や周辺の岩盤からの放射能に対する遮蔽材としての役割を持つ。 反電子ニュートリノ (ν e)は逆ベータ崩壊反応 ν ̄ e + p → e + + n {\displaystyle {\bar {\nu }}_{e}+p\to e^{+}+n} によって検出される。この反応は ν ̄ e {\displaystyle {\bar {\nu }}_{e}} に対して1.8 MeVの閾値エネルギー(英語版)を持つ。陽電子 ( e + {\displaystyle e^{+}} )からの即発蛍光によって反ニュートリノのエネルギーを E ν = E p r o m p t + < E n > + 0.9 M e V {\displaystyle E_{\nu }=E_{prompt}+<E_{n}>+0.9MeV} と推定することができる。ここで、 E p r o m p t {\displaystyle E_{prompt}} は即発事象のエネルギーで、陽電子の運動エネルギーと e + e − {\displaystyle e^{+}e^{-}} 対消滅エネルギーを足し合わせたものである。 < E n {\displaystyle E_{n}} >は中性子反跳エネルギーの平均値で、わずか数十キロ電子ボルト (keV)である。中性子はおよそ200マイクロ秒 (μs)後に水素に捕獲され、2.2 MeVの特徴的なガンマ線を放出する。この信号の遅延同時計測は反ニュートリノの信号と他の粒子によるバックグラウンドを区別する上で強力な手段となる。 距離が離れていることによる ν ̄ e {\displaystyle {\bar {\nu }}_{e}} の減少を補うために、カムランドはそれまでの検出器よりも検出質量がはるかに大きい。カムランド検出器はBorexinoのような同様の検出器の2倍である、1,000トンの検出質量を持つ。しかしながら、体積が増えたことにより、宇宙線に対する遮蔽材もより多く必要となり、地下に検出器を設置することが必要となった。 カムランド禅の二重ベータ崩壊探索の一環として、2011年に320 kgのキセノンが溶かされたシンチレータのバルーンが検出器の中心に吊り下げられた。キセノンを追加したより汚染の少ない改良バルーンが計画されている。KamLAND-PICOはカムランドに暗黒物質探索のためのPICO-LON検出器を設置することを計画しているプロジェクトである。PICO-LONはWIMPと原子核の非弾性散乱を観測する、放射性不純物の少ないNaI (Tl)結晶である。より量子効率の高い光電子増倍管と集光ミラーを追加し、検出器の性能を向上することが計画されている。 カムランドは、2002年1月17日からデータ収集を開始した。最初の結果は約145日のデータを用いて報告された。ニュートリノ振動がなければ、86.8±5.6事象が期待されるにもかかわらず、54事象しか観測されなかった。この結果を検証するため、データサンプルを515日に増やしたところ、ニュートリノ振動がなければ、365.2事象が予想されるのに対し、258事象しか観測されなかった。これによって高い信頼度で反ニュートリノが消失していることが確認された。 カムランド検出器は、反ニュートリノの数だけでなく、エネルギーも測定している。エネルギースペクトルの形状はニュートリノ振動仮説の研究に活用することができるさらなる情報をもたらす。2005年の統計分析で、スペクトルの歪みは振動なし仮説そして2つの代替消失メカニズム、すなわちニュートリノ崩壊およびデコヒーレンス (decoherence)モデルと矛盾することが示された。2種類のニュートリノ間の振動を仮定すると矛盾がなく、Δmとθパラメータの最適値が導かれた。カムランドはΔmを最も精密に測定し、太陽ニュートリノ実験はθの測定能力でカムランドを上回っていたので、最も精密な振動パラメータは太陽ニュートリノの測定結果と組み合わせることによって得られた。これらのデータを組み合わせることで決定できる最適なニュートリノ振動パラメータとして、 Δ m 2 = 7.9 − 0.5 + 0.6 ⋅ 10 − 5 eV 2 {\displaystyle \Delta {m^{2}}=7.9_{-0.5}^{+0.6}\cdot 10^{-5}{\text{eV}}^{2}} と tan 2 θ = 0.40 − 0.07 + 0.10 {\displaystyle \tan ^{2}\theta =0.40_{-0.07}^{+0.10}} が得られた。 2008年と2011年に精度を向上させた結果が報告された。 既に他の検出器でも測定されていた太陽ニュートリノについても、カムランド検出器で測定が行われた。 2011年にBニュートリノのフラックスは 2.77 ± 0.26 ( s t a t ) ± 0.37 ( s y s t ) × 10 6 {\displaystyle 2.77\pm {0.26(\mathrm {stat} )}\pm {0.37(\mathrm {syst} )}\times 10^{6}} [個/(cm・s)]と見積もられた。これは他の検出器(スーパーカミオカンデ、サドベリー・ニュートリノ天文台、Borexino)の測定結果やニュートリノ振動を考慮した標準太陽モデルと矛盾しなかった。 2015年にBeニュートリノのフラックスは 3.26 ± 0.52 × 10 9 {\displaystyle 3.26\pm {0.52}\times 10^{9}} [個/(cm・s)]と見積もられた。これはBorexinoの測定結果やニュートリノ振動を考慮した標準太陽モデルと矛盾しなかった。Beニュートリノは862 keVとエネルギーが低く、これ以前にはBorexinoでしかこのような精度で測定できていなかった。 カムランドは地質学的に生成される反ニュートリノ(いわゆる地球ニュートリノ(英語版))の測定結果も2005年に公表した。このようなニュートリノは、地球の地殻とマントルにおけるトリウムとウランの放射性崩壊によって生成される。地球ニュートリノの測定結果により、ウランとトリウムの放射化熱による地熱への寄与の上限値として60TWが得られた。 Borexinoの測定値と組み合わせた結果が2011年に公表された。 2013年の新たな結果では、日本の原子炉が停止してバックグラウンドが低減されたため、116個の ν ̄ e {\displaystyle {\bar {\nu }}_{e}} 事象を用いて、ウランとトリウムの放射化熱生成量を 11.2 − 5.1 + 7.9 {\displaystyle 11.2_{-5.1}^{+7.9}} TWと限定することができた。これにより地球ケイ酸塩部分の構成モデルが限定されるが、既存のモデルと矛盾しなかった。 カムランドの検出器は2011年からは、キセノン136のニュートリノを放出しない二重ベータ崩壊 (0νββ)を探索するプロジェクト「カムランド禅 (KamLAND-Zen)」に使用されている。ニュートリノを放出する二重ベータ崩壊 (2νββ)は観測されたことがあるが、0νββは観測されたことがなく、観測されればニュートリノの質量を決定することができる。Zenは、Zero Neutrino Double Beta Decay Experimentの略である。 最初に公表された78日間の測定データに基づく結果は、キセノン136における0νββの半減期は90%の信頼度で5.7×10 年以上、2νββの半減期は 2.38 ± 0.02 ( s t a t ) ± 0.14 ( s y s t ) × 10 21 {\displaystyle 2.38\pm {0.02(\mathrm {stat} )}\pm {0.14(\mathrm {syst} )}\times 10^{21}} であり、他の実験結果と矛盾しないというものだった。 2011年10月から2012年6月の間に収集した第一期のデータと、キセノン純化後の2013年12月から2015年10月の第二期の間でデータを加え解析を行った結果、キセノン136における0νββの半減期の制限は90%の信頼度で1.07×10 年以上に改善された。 エネルギー分解能の向上、キセノン濃度の向上、バックグラウンドの低減などを行い、さらに精度を向上することを目指している。 バリオン数非保存現象の探索も行われた。中性子が複数のニュートリノに崩壊するモードおよび大統一理論で予測される陽子が反ニュートリノとK中間子に崩壊するモードの探索が行われたが、いずれの信号も観測されず、寿命の下限値が得られた。 2015年度のノーベル物理学賞はニュートリノに質量があることを示した研究に贈られたが、カムランド実験の貢献が同賞の受賞理由を説明する文書で言及された。 2016年、基礎物理学ブレイクスルー賞が鈴木厚人とカムランド共同研究チームに対して授与された。
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"tag": "p", "text": "既に他の検出器でも測定されていた太陽ニュートリノについても、カムランド検出器で測定が行われた。", "title": "成果" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "2011年にBニュートリノのフラックスは 2.77 ± 0.26 ( s t a t ) ± 0.37 ( s y s t ) × 10 6 {\\displaystyle 2.77\\pm {0.26(\\mathrm {stat} )}\\pm {0.37(\\mathrm {syst} )}\\times 10^{6}} [個/(cm・s)]と見積もられた。これは他の検出器(スーパーカミオカンデ、サドベリー・ニュートリノ天文台、Borexino)の測定結果やニュートリノ振動を考慮した標準太陽モデルと矛盾しなかった。", "title": "成果" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "2015年にBeニュートリノのフラックスは 3.26 ± 0.52 × 10 9 {\\displaystyle 3.26\\pm {0.52}\\times 10^{9}} [個/(cm・s)]と見積もられた。これはBorexinoの測定結果やニュートリノ振動を考慮した標準太陽モデルと矛盾しなかった。Beニュートリノは862 keVとエネルギーが低く、これ以前にはBorexinoでしかこのような精度で測定できていなかった。", "title": "成果" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "カムランドは地質学的に生成される反ニュートリノ(いわゆる地球ニュートリノ(英語版))の測定結果も2005年に公表した。このようなニュートリノは、地球の地殻とマントルにおけるトリウムとウランの放射性崩壊によって生成される。地球ニュートリノの測定結果により、ウランとトリウムの放射化熱による地熱への寄与の上限値として60TWが得られた。", "title": "成果" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "Borexinoの測定値と組み合わせた結果が2011年に公表された。", "title": "成果" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "2013年の新たな結果では、日本の原子炉が停止してバックグラウンドが低減されたため、116個の ν ̄ e {\\displaystyle {\\bar {\\nu }}_{e}} 事象を用いて、ウランとトリウムの放射化熱生成量を 11.2 − 5.1 + 7.9 {\\displaystyle 11.2_{-5.1}^{+7.9}} TWと限定することができた。これにより地球ケイ酸塩部分の構成モデルが限定されるが、既存のモデルと矛盾しなかった。", "title": "成果" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "カムランドの検出器は2011年からは、キセノン136のニュートリノを放出しない二重ベータ崩壊 (0νββ)を探索するプロジェクト「カムランド禅 (KamLAND-Zen)」に使用されている。ニュートリノを放出する二重ベータ崩壊 (2νββ)は観測されたことがあるが、0νββは観測されたことがなく、観測されればニュートリノの質量を決定することができる。Zenは、Zero Neutrino Double Beta Decay Experimentの略である。", "title": "成果" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "最初に公表された78日間の測定データに基づく結果は、キセノン136における0νββの半減期は90%の信頼度で5.7×10 年以上、2νββの半減期は 2.38 ± 0.02 ( s t a t ) ± 0.14 ( s y s t ) × 10 21 {\\displaystyle 2.38\\pm {0.02(\\mathrm {stat} )}\\pm {0.14(\\mathrm {syst} )}\\times 10^{21}} であり、他の実験結果と矛盾しないというものだった。", "title": "成果" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "2011年10月から2012年6月の間に収集した第一期のデータと、キセノン純化後の2013年12月から2015年10月の第二期の間でデータを加え解析を行った結果、キセノン136における0νββの半減期の制限は90%の信頼度で1.07×10 年以上に改善された。", "title": "成果" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "エネルギー分解能の向上、キセノン濃度の向上、バックグラウンドの低減などを行い、さらに精度を向上することを目指している。", "title": "成果" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "バリオン数非保存現象の探索も行われた。中性子が複数のニュートリノに崩壊するモードおよび大統一理論で予測される陽子が反ニュートリノとK中間子に崩壊するモードの探索が行われたが、いずれの信号も観測されず、寿命の下限値が得られた。", "title": "成果" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2015年度のノーベル物理学賞はニュートリノに質量があることを示した研究に贈られたが、カムランド実験の貢献が同賞の受賞理由を説明する文書で言及された。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "2016年、基礎物理学ブレイクスルー賞が鈴木厚人とカムランド共同研究チームに対して授与された。", "title": "評価" } ]
カムランド(KamLAND)は、東北大学大学院理学研究科付属ニュートリノ科学研究センターによる反ニュートリノ検出器である。KamLANDという名称はKamioka Liquid Scintillator Anti-Neutrino Detector(神岡液体シンチレータ反ニュートリノ検出器)の略である。カムランドは岐阜県飛騨市(旧神岡町)にある神岡鉱山の坑道内のカミオカンデ跡地につくられた。カミオカンデが水チェレンコフ検出器であったのに対し、液体シンチレータを用いることによって、より低いエネルギーのニュートリノを検出することができる。 カムランドの周辺には複数の原子力発電所が存在する。原子力発電所の原子炉では核燃料中の放射性核分裂生成物の崩壊により反電子ニュートリノ が生成される。この検出器は原子炉で生成されるニュートリノの25%にあたる、1.8 メガ電子ボルト (MeV) の閾値エネルギーを超えるニュートリノを検出することができる。 もしニュートリノが質量をもつならば、ニュートリノ振動によって反電子ニュートリノがカムランドでは検出できないフレーバーのニュートリノに変化し、反電子ニュートリノの減少あるいは「消失」に至る。カムランドは原子力発電所から平均180キロメートル (km)離れた位置にあり、これによって太陽ニュートリノ問題の解決策であるニュートリノの大混合角による混合を感度良く検出することができる。
{{coord|36.4225|N|137.3153|E|region:JP-21_type:landmark|display=title|notes=<ref name=IwamotoToshiyuki>{{Citation |url=http://kamland.lbl.gov/Dissertations/IwamotoToshiyuki-DoctorThesis.pdf |first=Toshiyuki |last=Iwamoto |title=Measurement of Reactor Anti-Neutrino Disappearance in KamLAND |type=Ph.D. thesis |publisher=Tohoku University |date=February 2003 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141006103219/http://kamland.lbl.gov/Dissertations/IwamotoToshiyuki-DoctorThesis.pdf |archivedate=2014-10-06 }}</ref>{{Rp|105}}}} '''カムランド'''('''KamLAND''')は、[[東北大学大学院理学研究科・理学部|東北大学大学院理学研究科]]付属ニュートリノ科学研究センター(Research Center for Neutrino Science)による[[ニュートリノ検出器|反ニュートリノ検出器]]である。KamLANDという名称は'''Kam'''ioka '''L'''iquid Scintillator '''A'''nti-'''N'''eutrino '''D'''etector(神岡液体シンチレータ反ニュートリノ検出器)の略である。カムランドは[[岐阜県]][[飛騨市]](旧[[神岡町 (岐阜県)|神岡町]])にある[[神岡鉱山]]の[[坑道]]内の[[カミオカンデ]]跡地につくられた。カミオカンデが水[[チェレンコフ放射|チェレンコフ]]検出器であったのに対し、液体[[シンチレータ]]を用いることによって、より低いエネルギーの[[ニュートリノ]]を検出することができる。 カムランドの周辺には複数の[[原子力発電所]]が存在する。原子力発電所の[[原子炉]]では[[核燃料]]中の放射性[[核分裂生成物]]の崩壊により[[反電子ニュートリノ]] (<math>\bar{\nu}_e</math>) が生成される。この検出器は原子炉で生成されるニュートリノの25%にあたる、1.8 [[電子ボルト|メガ電子ボルト]] (MeV) の{{仮リンク|閾値エネルギー|en|threshold energy}}を超えるニュートリノを検出することができる。 もしニュートリノが質量をもつならば、[[ニュートリノ振動]]によって反電子ニュートリノがカムランドでは検出できない[[フレーバー (素粒子)|フレーバー]]のニュートリノに変化し、反電子ニュートリノの減少あるいは「消失」に至る。カムランドは原子力発電所から平均180[[キロメートル]] (km)離れた位置にあり、これによって[[太陽ニュートリノ問題]]の解決策であるニュートリノの大混合角による混合を感度良く検出することができる。 == 装置の概要 == カムランド検出器の外層は、内側に1,879個の[[光電子増倍管]](17インチのものが1,325個、20インチのものが554個)が設置された直径18メートル (m)の[[ステンレス鋼]]製容器である<ref>{{Cite journal|last=Suzuki|first=Atsuto|last2=Collaboration|first2=KamLand|date=2005-01-01|title=Results from KamLAND Reactor Neutrino Detection|url=http://stacks.iop.org/1402-4896/2005/i=T121/a=004|journal=Physica Scripta|language=en|volume=2005|issue=T121|pages=33|doi=10.1088/0031-8949/2005/T121/004|issn=1402-4896|bibcode=2005PhST..121...33S}}</ref>。光電面が34%の領域を覆っている。この内側にある第2層は1,000[[トン]]の[[鉱油]]・[[ベンゼン]]・[[蛍光]]化学物質からなる液体[[シンチレータ]]で満たされた、直径13メートル (m)の[[ナイロン]]製バルーンである。シンチレータではない高純度の油がバルーンに[[浮力]]を与え、バルーンを光電子増倍管から離しておくための緩衝材として働く。この油は外部の放射線に対する遮蔽材の役割も持つ。3.2キロトン (=3.2x10<sup>6</sup> kg)の円柱状の水[[チェレンコフ放射|チェレンコフ]]検出器が容器を取り囲んでいる。これは[[ミュー粒子]]に対する[[ニュートリノ検出器#バックグラウンド低減|ベトーカウンター]]としての働きと[[宇宙線]]や周辺の岩盤からの[[放射能]]に対する遮蔽材としての役割を持つ。 [[反電子ニュートリノ]] ({{粒子の記号|反νe}})は[[逆ベータ崩壊]]反応 <math>\bar{\nu}_e + p \to e^+ + n</math>によって検出される。この反応は<math>\bar{\nu}_e</math>に対して1.8 MeVの{{仮リンク|閾値エネルギー|en|threshold energy}}を持つ。[[陽電子]] (<math>e^+</math>)からの即発蛍光によって反ニュートリノのエネルギーを <math>E_{\nu} = E_{prompt} + <E_n> + 0.9 MeV </math>と推定することができる。ここで、<math>E_{prompt}</math>は即発事象のエネルギーで、[[陽電子]]の[[運動エネルギー]]と<math>e^+e^-</math>[[対消滅]]エネルギーを足し合わせたものである。 &lt;<math>E_n</math>&gt;は[[中性子]]反跳エネルギーの平均値で、わずか数十キロ電子ボルト (keV)である。中性子はおよそ200[[マイクロ秒]] (μs)後に水素に捕獲され、{{Val|2.2|u=MeV}}の特徴的な[[ガンマ線]]を放出する。この信号の遅延同時計測は反ニュートリノの信号と他の粒子によるバックグラウンドを区別する上で強力な手段となる。 距離が離れていることによる<math>\bar{\nu}_e</math>の減少を補うために、カムランドはそれまでの検出器よりも検出質量がはるかに大きい。カムランド検出器は[[Borexino]]のような同様の検出器の2倍である、1,000トンの検出質量を持つ。しかしながら、体積が増えたことにより、宇宙線に対する遮蔽材もより多く必要となり、地下に検出器を設置することが必要となった。 カムランド禅の二重ベータ崩壊探索の一環として、2011年に320&nbsp;kgのキセノンが溶かされたシンチレータのバルーンが検出器の中心に吊り下げられた<ref name=":0" />。キセノンを追加したより汚染の少ない改良バルーンが計画されている。KamLAND-PICOはカムランドに[[暗黒物質]]探索のためのPICO-LON検出器を設置することを計画しているプロジェクトである。PICO-LONはWIMPと原子核の非弾性散乱を観測する、放射性不純物の少ないNaI (Tl)結晶である<ref>{{Cite journal|url = |title = PICO-LON Dark Matter Search |date = 2013|journal = {{仮リンク|Journal of Physics: Conference Series|en|Journal of Physics: Conference Series|label=Journal of Physics: Conference Series}}|volume = 469|issue = 1 |pages = 012011|doi = 10.1088/1742-6596/469/1/012011 |doi-access=free |bibcode = 2013JPhCS.469a2011F |last1 = Fushimi|first1 = K|display-authors=etal}}</ref>。より量子効率の高い光電子増倍管と集光ミラーを追加し、検出器の性能を向上することが計画されている。 == 成果 == === ニュートリノ振動 === ==== 原子炉ニュートリノ ==== カムランドは、2002年1月17日からデータ収集を開始した。最初の結果は約145日のデータを用いて報告された<ref>{{ cite journal | last1=Eguchi |first1=K. |display-authors=etal |collaboration=KamLAND Collaboration | title=First results from KamLAND: evidence for reactor antineutrino disappearance | journal=[[Physical Review Letters]] | volume=90 | issue=2 | pages=021802–021807 | doi=10.1103/PhysRevLett.90.021802 | date=2003 | pmid=12570536 | bibcode=2003PhRvL..90b1802E|arxiv = hep-ex/0212021}} [https://www.awa.tohoku.ac.jp/rcns/wp-content/publications/publication/results_0212021_j.html 日本語解説]</ref>。[[ニュートリノ振動]]がなければ、{{val|86.8|5.6}}事象が期待されるにもかかわらず、54事象しか観測されなかった。この結果を検証するため、データサンプルを515日に増やしたところ、ニュートリノ振動がなければ、365.2事象が予想されるのに対し、258事象しか観測されなかった<ref name="PhysRevLett.94">{{ cite journal | last1=Araki |first1=T. |display-authors=etal |collaboration=KamLAND Collaboration | title=Measurement of neutrino oscillation with KamLAND: evidence of spectral distortion | journal=[[Physical Review Letters]] | volume=94 | issue=8 | date=2005 | pages=081801–081806 | doi=10.1103/PhysRevLett.94.081801 | pmid=15783875 | bibcode=2005PhRvL..94h1801A|arxiv = hep-ex/0406035}} [https://www.awa.tohoku.ac.jp/rcns/wp-content/publications/publication/results_0406035_j.html 日本語解説]</ref>。これによって高い信頼度で反ニュートリノが消失していることが確認された。 カムランド検出器は、反ニュートリノの数だけでなく、エネルギーも測定している。エネルギースペクトルの形状はニュートリノ振動仮説の研究に活用することができるさらなる情報をもたらす。2005年の統計分析で、スペクトルの歪みは振動なし仮説そして2つの代替消失メカニズム、すなわちニュートリノ崩壊およびデコヒーレンス (decoherence)モデルと矛盾することが示された<ref name="PhysRevLett.94" />。2種類のニュートリノ間の振動を仮定すると矛盾がなく、Δm<sup>2</sup>とθパラメータの最適値が導かれた。カムランドはΔm<sup>2</sup>を最も精密に測定し、太陽ニュートリノ実験はθの測定能力でカムランドを上回っていたので、最も精密な振動パラメータは太陽ニュートリノの測定結果と組み合わせることによって得られた。これらのデータを組み合わせることで決定できる最適なニュートリノ振動パラメータとして、<math>\Delta{m^2} = 7.9^{+0.6}_{-0.5} \cdot 10^{-5} \text{eV}^2</math>と<math>\tan^2\theta = 0.40^{+0.10}_{-0.07}</math>が得られた。 2008年<ref>{{Cite journal|url = |title = Precision Measurement of Neutrino Oscillation Parameters with KamLAND|last= Abe |first=S. |display-authors=etal |collaboration=KamLAND Collaboration |date = 5 Jun 2008|journal = [[Physical Review Letters]]|volume = 100|issue = 22|page = 221803|accessdate = |doi = 10.1103/PhysRevLett.100.221803 |pmid = 18643415|bibcode = 2008PhRvL.100v1803A|arxiv= 0801.4589}} [https://www.awa.tohoku.ac.jp/rcns/wp-content/publications/publication/results_0801.4589_j.html 日本語解説]</ref>と2011年<ref>{{Cite journal|url = |title = Constraints on θ<sub>13</sub> from A Three-Flavor Oscillation Analysis of Reactor Antineutrinos at KamLAND|date = 2011|journal = [[Physical Review D]]|volume = 83|issue = 5|page = 052002|accessdate = |doi = 10.1103/PhysRevD.83.052002|pmid = |arxiv = 1009.4771 |bibcode = 2011PhRvD..83e2002G |last1 = Gando|first1 = A. |display-authors=etal}} [https://www.awa.tohoku.ac.jp/KamLAND/ResearchResults/results_1009.4771_j.html 日本語解説]</ref>に精度を向上させた結果が報告された。 :<math>\Delta m_{21}^2 = 7.59 \pm 0.21 \cdot 10^{-5} \, \text{eV}^2,\,\, \tan^2 \theta _{12} = 0.47^{+0.06}_{-0.05}</math> ==== 太陽ニュートリノ ==== 既に他の検出器でも測定されていた[[太陽ニュートリノ]]についても、カムランド検出器で測定が行われた。 2011年に[[ホウ素8|<sup>8</sup>B]]ニュートリノのフラックスは<math>2.77 \pm{0.26(\mathrm{stat})} \pm{0.37(\mathrm{syst})}\times10^{6}</math> [個/(cm<sup>2</sup>・s)]と見積もられた<ref>{{ cite journal | last1=Abe |first1=S. |display-authors=etal |collaboration=KamLAND Collaboration | title=Measurement of the <sup>8</sup>B Solar Neutrino Flux with the KamLAND Liquid Scintillator Detector | journal=[[Physical Review C]] | volume=84 | issue=3 | pages=035804 | doi=10.1103/PhysRevC.84.035804 | date=13 September 2011 | bibcode=2011PhRvC..84c5804A|arxiv = 1106.0861 }} [https://www.awa.tohoku.ac.jp/KamLAND/ResearchResults/results_1106.0861_j.html 日本語解説]</ref>。これは他の検出器([[スーパーカミオカンデ]]、[[サドベリー・ニュートリノ天文台]]、[[Borexino]])の測定結果やニュートリノ振動を考慮した標準太陽モデルと矛盾しなかった。 2015年に[[ベリリウム7|<sup>7</sup>Be]]ニュートリノのフラックスは<math>3.26 \pm{0.52}\times10^{9}</math> [個/(cm<sup>2</sup>・s)]と見積もられた<ref>{{ cite journal | last1=Gando |first1=A. |display-authors=etal |collaboration=KamLAND Collaboration | title=<sup>7</sup>Be Solar Neutrino Measurement with KamLAND | journal=[[Physical Review C]] | volume=92 | issue=5 | pages=0558084 | doi=10.1103/PhysRevC.92.055808 | date=30 November 2015 | bibcode=2015PhRvC..92e5808G|arxiv = 1405.6190 }}</ref>。これはBorexinoの測定結果やニュートリノ振動を考慮した標準太陽モデルと矛盾しなかった。<sup>7</sup>Beニュートリノは862 keVとエネルギーが低く、これ以前にはBorexinoでしかこのような精度で測定できていなかった。 === 地球ニュートリノ === カムランドは地質学的に生成される反ニュートリノ(いわゆる{{仮リンク|地球ニュートリノ|en|geoneutrinos}})の測定結果も2005年に公表した。このようなニュートリノは、地球の[[地殻]]と[[マントル]]における[[トリウム]]と[[ウラン]]の[[放射性崩壊]]によって生成される<ref>{{Cite journal |last1=Araki |first1=T. |display-authors=etal |collaboration=KamLAND Collaboration | title=Experimental investigation of geologically produced antineutrinos with KamLAND | journal=[[ネイチャー|Nature]] | volume=436 | issue=7050 | date=2005 | pages=499–503 | doi=10.1038/nature03980 | pmid=16049478 |bibcode = 2005Natur.436..499A}} [https://www.awa.tohoku.ac.jp/rcns/wp-content/publications/publication/results_03980_nature_j.html 日本語解説]</ref>。地球ニュートリノの測定結果により、ウランとトリウムの放射化熱による[[地熱]]への寄与の上限値として60TWが得られた。 [[Borexino]]の測定値と組み合わせた結果が2011年に公表された<ref>{{Cite journal|url = https://authors.library.caltech.edu/25422/1/Gando2011p15815Nat_Geosci.pdf|title = Partial radiogenic heat model for Earth revealed by geoneutrino measurements|last1= Gando|first1= A.|display-authors=etal |collaboration=KamLAND Collaboration |date = 17 July 2011|journal = [[ネイチャー ジオサイエンス|Nature Geoscience]]|volume = 4|issue = 9|pages = 647–651|doi = 10.1038/ngeo1205|pmid = |access-date = |bibcode = 2011NatGe...4..647K}} [https://www.awa.tohoku.ac.jp/KamLAND/ResearchResults/results_ngeo1205_j.html 日本語解説]</ref>。 2013年の新たな結果では、日本の原子炉が停止してバックグラウンドが低減されたため、116個の<math>\bar{\nu}_e</math>事象を用いて、ウランとトリウムの放射化熱生成量を<math>11.2^{+7.9}_{-5.1}</math> TWと限定することができた<ref>{{Cite journal|last1=A. Gando et al. (KamLAND Collaboration)|title=Reactor on-off antineutrino measurement with KamLAND|journal=[[フィジカル・レビュー|Physical Review D]] |volume = 88 |issue=3| page = 033001|date=2 August 2013|doi=10.1103/PhysRevD.88.033001|bibcode = 2013PhRvD..88c3001G |arxiv=1303.4667}} [https://www.awa.tohoku.ac.jp/KamLAND/ResearchResults/results_1303.4667_j.html 日本語解説]</ref>。これにより地球ケイ酸塩部分の構成モデルが限定されるが、既存のモデルと矛盾しなかった。 === カムランド禅 === カムランドの検出器は[[2011年]]からは、[[キセノンの同位体|キセノン136]]のニュートリノを放出しない[[二重ベータ崩壊]] (0νββ)を探索するプロジェクト「カムランド禅 (KamLAND-Zen)」に使用されている。ニュートリノを放出する二重ベータ崩壊 (2νββ)は観測されたことがあるが、0νββは観測されたことがなく、観測されればニュートリノの質量を決定することができる。Zenは、'''Ze'''ro '''N'''eutrino Double Beta Decay Experimentの略である<ref>[https://www.awa.tohoku.ac.jp/kamland/?p=844 KamLAND | プロジェクト開始目前、KamLAND-Zen!ミニバルーン製作vol.1]</ref>。 最初に公表された78日間の測定データに基づく結果は、キセノン136における0νββの半減期は90%の信頼度で{{val|5.7|e=24|u=年}}以上、2νββの半減期は<math>2.38 \pm{0.02(\mathrm{stat})} \pm{0.14(\mathrm{syst})}\times10^{21}</math>であり、他の実験結果と矛盾しないというものだった<ref name=":0">{{Cite journal |title=Measurement of the double-β decay half-life of <sup>136</sup>Xe with the KamLAND-Zen experiment |last1=Gando |first1=A. |collaboration=KamLAND-Zen Collaboration |date=19 April 2012 |journal=[[Physical Review C]] |volume=85 |issue=4 |page=045504 |doi=10.1103/PhysRevC.85.045504 |bibcode=2012PhRvC..85d5504G |arxiv=1201.4664}} [https://www.awa.tohoku.ac.jp/KamLAND/ResearchResults/results_1201.4664_j.html 日本語解説]</ref>。 2011年10月から2012年6月の間に収集した第一期のデータと、キセノン純化後の2013年12月から2015年10月の第二期の間でデータを加え解析を行った結果、キセノン136における0νββの半減期の制限は90%の信頼度で{{val|1.07|e=26|u=年}}以上に改善された<ref>{{Cite journal |last1=Gando |first1=A. |collaboration=KamLAND-Zen Collaboration |date=16 August 2016 |title=Search for Majorana Neutrinos Near the Inverted Mass Hierarchy Region with KamLAND-Zen |journal=[[Physical Review Letters]] |volume=117 |issue=8 |pages=082503 |doi=10.1103/PhysRevLett.117.082503 |pmid=27588852 |bibcode=2016PhRvL.117h2503G |arxiv=1605.02889}} [https://www.awa.tohoku.ac.jp/KamLAND/ResearchResults/results_1605.02889_j.html 日本語解説]</ref><ref>[https://www.ipmu.jp/ja/20160809-KamLAND 二重ベータ崩壊を使ったニュートリノ研究で宇宙物質優勢の謎に挑む | Kavli IPMU-カブリ数物連携宇宙研究機構]</ref>。 エネルギー分解能の向上、キセノン濃度の向上、バックグラウンドの低減などを行い、さらに精度を向上することを目指している<ref>{{PDFlink|[https://www.awa.tohoku.ac.jp/kamland/wp-content/uploads/2011/10/%E7%A6%85%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88.pdf 禅プレスリリース]}} - 東北大学ニュートリノ科学研究センター</ref>。 === バリオン数非保存現象 === [[バリオン数]]非保存現象の探索も行われた。中性子が複数のニュートリノに崩壊するモード<ref>{{Cite journal|last1=Araki |first1=T. |display-authors=etal |collaboration=KamLAND Collaboration |title=Search for the Invisible Decay of Neutrons with KamLAND|journal=[[Physical Review Letters]] |volume = 96 |issue=10| page = 101802|date=17 March 2006|doi=10.1103/PhysRevLett.96.101802 |arxiv=hep-ex/0512059}} [https://www.awa.tohoku.ac.jp/rcns/wp-content/publications/publication/results_0512059_j.html 日本語解説]</ref>および[[大統一理論]]で予測される陽子が反ニュートリノと[[K中間子]]に崩壊するモード<ref>{{Cite journal|last1=Asakura |first1=K. |display-authors=etal |collaboration=KamLAND Collaboration |title=Search for the proton decay mode {{粒子の記号|p}}→{{粒子の記号|反ν}}{{粒子の記号|K+}} with KamLAND|journal=[[Physical Review D]] |volume = 92 |issue=5| page = 052006|date=23 September 2015|doi=10.1103/PhysRevD.92.052006 |arxiv=1505.03612}} [https://www.awa.tohoku.ac.jp/KamLAND/ResearchResults/results_1505.03612_j.html 日本語解説]</ref>の探索が行われたが、いずれの信号も観測されず、寿命の下限値が得られた。 == 評価 == 2015年度の[[ノーベル物理学賞]]はニュートリノに質量があることを示した研究に贈られたが、カムランド実験の貢献が同賞の受賞理由を説明する文書で言及された<ref>{{cite web|url=https://www.nobelprize.org/uploads/2018/06/advanced-physicsprize2015.pdf|title=Scientific Background on the Nobel Prize in Physics 2015 NEUTRINO OSCILLATIONS|publisher= Royal Swedish Academy of Sciences|date=2015-10-06|accessdate=2020-03-01}}</ref>。 2016年、[[基礎物理学ブレイクスルー賞]]が[[鈴木厚人]]とカムランド共同研究チームに対して授与された<ref>{{cite web|url=https://breakthroughprize.org/Laureates/1/L154|title=Breakthrough Prize – Fundamental Physics Breakthrough Prize Laureates – Atsuto Suzuki <span>and the KamLAND Collaboration</span>|accessdate=2020/3/1}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[神岡鉱山]] == 外部リンク == * [http://www.awa.tohoku.ac.jp/kamland/ KamLAND | The Kamioka Liquid-scintillator Anti-Neutrino Detector] - KamLAND公式サイト * [https://www.ipmu.jp/ja/research-activities/research-program/kamland カムランド禅] - [[カブリ数物連携宇宙研究機構]] * [http://kamland.lbl.gov/research-projects/kamland KamLAND - Weak Interactions Group]{{En_icon}} - [[ローレンスバークレー国立研究所]] {{DEFAULTSORT:かむらんと}} [[Category:天文学]] [[Category:ニュートリノ観測所]] [[Category:地下研究所]] [[Category:岐阜県の研究所]] [[Category:東北大学]] [[Category:ニュートリノ実験]] [[Category:天文学に関する記事]]
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885
貸本漫画
貸本漫画(かしほんまんが)とは、かつて貸本用に制作されていた日本の漫画作品の総称。あるいは賃貸されている漫画の単行本を指す。 1948年(昭和23年)に神戸市開業の「ろまん文庫」が戦後型の貸本業の起源とされる。1953年(昭和28年)頃から貸本漫画も出回るようになり、店舗で販売されていた粗末な赤本漫画から豪華な装丁の貸本漫画に需要が移っていった。 終戦後の貸本屋にならんだ本は中小の取次店や特価本店から流れた一般流通の古本や古雑誌であったが、やがて、貸本出版社の出版する漫画単行本がほとんどとなる。1950年代末から1960年に最盛期を迎え、文具店・駄菓子店などとの兼業も含めて東京都で3000店、全国で3万店の店舗があったと推計されている。 料金は時代によって異なるが、1950年代後半の最盛期で入会金が20円、貸出料が2泊3日で10円から20円程だったと言われる。貸本漫画単行本の定価は100円から150円であり、基本的に書店では流通しなかった(ただし、小売や個人が出版社に代金を送れば通販は可能)。採算ラインは専業店で、1000人から1500人の会員をもち1日150人から200人の来客があることとされ、客は工場などではたらく労働者階級の青年男女が中心であった。書店流通の雑誌漫画の読者が児童中心であったのに対して明らかに高く、のちの劇画ブームに先行し、その下地を作り上げる形となっている。 初期の貸本漫画単行本の装丁は上製本のB6判とA5判が主流であったが、劇画短編集『影 11号』(日の丸文庫)が出版されたあたりからA5判並製本へと代わっていった。貸本漫画の作者は、戦前からのベテラン作家、赤本や紙芝居、絵描きからの転身、貸本からデビューした新人など様々である。 多くの作家が多ジャンルの作品を描いた貸本漫画は劇画の台頭などもあり1960年頃にピークを迎えるが、その頃からTVが一般家庭にも普及し若者向け娯楽としての優位を失い、また、『週刊少年サンデー』、『週刊少年マガジン』などの週刊漫画雑誌が相次いで創刊されるとシェアを奪われた。こうしてピーク時以降は前時代的出版物となって出版社の倒産、廃業が続出し、1969年末に貸本出版社主導による貸本漫画は事実上の終焉を迎え、残った出版社も雑誌・単行本の出版やチラシ等の軽印刷請負に活路を見出し、雑誌連載に主軸を移して成功した貸本漫画作家も出現した。 1990年代以降、「ゲゲゲの女房」や「劇画漂流」といった当時の業界を描いた作品が注目されるようになり、貸本漫画作品の復刻出版が相次いている。 貸本出版社中心の旧来型の貸本漫画ビジネスは一度消滅したが、漫画雑誌やコミックスが大量に流通するようになった現在、レンタルビデオ店での漫画の貸し出しや漫画喫茶、電子書籍による電子貸本など、新しい形態に変化して存続している。 ほか 他
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貸本漫画(かしほんまんが)とは、かつて貸本用に制作されていた日本の漫画作品の総称。あるいは賃貸されている漫画の単行本を指す。
'''貸本漫画'''(かしほんまんが)とは、かつて[[貸本]]用に制作されていた[[日本]]の[[漫画]]作品の総称。あるいは賃貸されている漫画の単行本を指す。 == 概要 == [[File:Nakayoshi Bunko.jpg|thumb|210px|戦後にできた貸本屋はほとんどが廃業した。写真は東京・[[根津|根津2丁目]]にあった「なかよし文庫」。]] [[1948年]]([[昭和]]23年)に[[神戸市]]開業の「ろまん文庫」が戦後型の貸本業の起源とされる。[[1953年]](昭和28年)頃から貸本漫画も出回るようになり、店舗で販売されていた粗末な[[赤本 (少年向け本)|赤本漫画]]から豪華な装丁の貸本漫画に需要が移っていった。 終戦後の貸本屋にならんだ本は中小の取次店や特価本店から流れた一般流通の古本や古雑誌であったが、やがて、貸本出版社の出版する漫画単行本がほとんどとなる。1950年代末から1960年に最盛期を迎え、文具店・駄菓子店などとの兼業も含めて東京都で3000店、全国で3万店の店舗があったと推計されている。 料金は時代によって異なるが、1950年代後半の最盛期で入会金が20円、貸出料が2泊3日で10円から20円程だったと言われる。貸本漫画単行本の定価は100円から150円であり、基本的に書店では流通しなかった(ただし、小売や個人が出版社に代金を送れば通販は可能)。採算ラインは専業店で、1000人から1500人の会員をもち1日150人から200人の来客があることとされ、客は工場などではたらく労働者階級の青年男女が中心であった。書店流通の雑誌漫画の読者が児童中心であったのに対して明らかに高く、のちの劇画ブームに先行し、その下地を作り上げる形となっている。 初期の貸本漫画単行本の装丁は[[上製本]]のB6判とA5判が主流であったが、劇画短編集『影 11号』([[日の丸文庫]])が出版されたあたりからA5判[[並製本]]へと代わっていった。貸本漫画の作者は、戦前からのベテラン作家、赤本や[[紙芝居]]、絵描きからの転身、貸本からデビューした新人など様々である。 多くの作家が多ジャンルの作品を描いた貸本漫画は[[劇画]]の台頭などもあり1960年頃にピークを迎えるが、その頃からTVが一般家庭にも普及し若者向け娯楽としての優位を失い、また、『[[週刊少年サンデー]]』、『[[週刊少年マガジン]]』などの[[週刊]][[漫画雑誌]]が相次いで創刊されると[[市場占有率|シェア]]を奪われた。<br/>こうしてピーク時以降は前時代的出版物となって出版社の倒産、廃業が続出し、1969年末に貸本出版社主導による貸本漫画は事実上の終焉を迎え、残った出版社も雑誌・単行本の出版や[[チラシ]]等の軽印刷請負に活路を見出し、雑誌連載に主軸を移して成功した貸本漫画作家も出現した。 1990年代以降、「[[ゲゲゲの女房]]」や「[[劇画漂流]]」といった当時の業界を描いた作品が注目されるようになり、貸本漫画作品の復刻出版<ref>{{Cite web|和書|date=2010-09-12 |url=http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100912/tnr1009120822003-n1.htm |title=貸本漫画に再び脚光 作品や新聞の「復刻」相次ぐ |accessdate=2011年9月23日 |website=[[MSN産経ニュース]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20101125204658/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100912/tnr1009120822003-n1.htm |archive-date=2010-11-25 |deadlinkdate=2022-08}}</ref>が相次いている。 貸本出版社中心の旧来型の貸本漫画ビジネスは一度消滅したが、漫画雑誌やコミックスが大量に流通するようになった現在、レンタルビデオ店での漫画の貸し出しや[[漫画喫茶]]、[[電子書籍]]による電子貸本など、新しい形態<ref>{{Cite web|和書|date=2011-09-22 |url=https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1109/22/news103.html |title=パピレス、電子書籍サイト「電子貸本Renta!」を Windows Phone 7.5に対応 |publisher=[[ITmedia]] |accessdate=2011年9月23日}}</ref>に変化して存続している。 == 貸本漫画を扱った主な出版社 == * 葵出版社 * あかしや書房 * [[曙出版]](文華書房) * 朝日漫画社 - 所在地が日の丸文庫と同じ。江川進が関わった出版社。 * あたみ社(あずま社・裕文社) * エンゼル文庫(大宝出版社・宝漫画文庫・やなぎ書房) * 暁星 * 金園社(金龍出版社・オリオン出版社) * きんらん社(はるみ書房) * くぎプロ * 宏文堂(秀文社・カナリヤ文庫)東京都台東区仲御徒町4-27 * 寿書房 * コメット書房(三和出版)岡田あきら氏が主宰。短期間で消滅。 * [[さいとう・たかを|さいとうプロ]] * [[佐藤まさあき|佐藤プロ]] * 三共図書 * 昌和漫画出版 * 鈴木出版 * [[高橋書店|すずらん出版社]] 東京都台東区浅草橋2-2 → 東京都新宿区東五軒町50 * 三洋社([[青林堂]]) * [[セントラル文庫]](やなぎプロ)前身は中部出版社。エンゼル文庫とは実質同資本。 * 全漫プロダクション(尼崎市)文洋社と関係があると推定。 * 泰光堂 * 太平洋文庫 * 東京トップ社 - 前身は島村出版社 * [[兎月書房]](いずみ出版) * [[東考社|東考社(ホームラン文庫)]] * 東光堂 * [[東京漫画出版社]](東京ロマン社) * 東邦図書出版社(王冠漫画社・東江堂・東邦漫画) * 東洋漫画出版社(小出書房系列) * 巴出版 * トモブック社 * 日昭館書店 * 日本漫画社 * はるみ書房 * 日の出出版 * [[日の丸文庫]](光伸書房)大阪市南区安堂寺橋通2-22 東京都千代田区富士見町2-3 * [[ひばり書房]](つばめ出版)東京都文京区小石川3-2-14 * [[辰巳ヨシヒロ|ヒロ書房]](第一プロ・第一文庫) * ホープ書房(セントラル文庫から独立した杉浦氏が設立するも半年ほどで消滅)東京都中央区銀座西8-8 * [[中村書店]] 東京都台東区浅草橋2-8  * 文洋社(研文社・一晃社) * ます美書房 * 緑書房 * 三島書房 - 後に「わかば書房」と「公楽出版社」に分裂する。 * めばえ書房(あずま社) * [[横山まさみち|横山プロ]](横山まさみちプロ) * [[若木書房]] ほか == 代表的な貸本漫画家 == * [[赤塚不二夫]] * [[ありかわ栄一]]([[園田光慶]]) * [[池上遼一]] * [[池川伸治]] * [[いばら美喜]] * [[楳図かずお]] * [[遠藤政治]](貸本漫画衰退後はアニメーターに転身。アニメ「[[あらいぐまラスカル]]」の監督などを担当。つげ義春の親友としても有名) * [[岡田晟]] * [[古賀新一]](古賀しんさく) * [[小島剛夕]] * [[さいとう・たかを]] * [[佐藤まさあき]] * [[下元克己]] * 社領系明 * [[白土三平]] * [[杉本五郎 (漫画家)|杉本五郎]](つゆきサブロー) * [[鈴原研一郎]] * [[滝田ゆう]] * 竹内寛行 * [[辰巳ヨシヒロ]] * [[つげ義春]] * [[つりたくにこ]](はざまくに子) * [[徳南晴一郎]] * [[永島慎二]] * [[長谷邦夫]] * [[浜慎二]] * [[平田弘史]] * [[藤木てるみ]] * [[松本正彦]] * [[水木しげる]] * [[望月あきら]] * [[モンキー・パンチ]](加東一彦) * [[水島新司]] * [[山上たつひこ]] * [[横山まさみち]] * [[横山光輝]] * 赤松セツ子 * 星城朗二 * [[巴里夫]] * [[矢代まさこ]] * [[好美のぼる]] * [[高橋真琴]] 他 == 脚注 == <references /> == 参考文献 == * [[梶井純]]『戦後の貸本文化』東考社、1977 * 貸本マンガ史研究会『貸本マンガreturns』ポプラ社, 2006.3 * {{Cite book|和書|year=2008|month=9|title=マンガの昭和史|publisher=[[武田ランダムハウスジャパン]]|isbn=978-4-270-00383-1}} * 『貸本マンガ史研究』 - 貸本マンガ史研究会(梶井純、三宅秀典、ちだ・きよし、権藤晋、吉備能人、三宅政吉)が発行する季刊雑誌。 == 関連項目 == * [[貸本劇画]] == 外部リンク == *[http://kan-chan.stbbs.net/manga/kashihon/about.html 貸本漫画とは何ぞや?] *[https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/entertainment/entry/2020/021550.html 「日本の漫画はここから始まったーーこれが「完全版・日本貸本漫画史だ!(解説:みなもと太郎先生)」(テレ東プラス、2020年4月2日)] *[https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/entertainment/entry/2020/021551.html 「みなもと太郎先生に聞いた! 貸本漫画のほんとのオススメは、これだ!」(テレ東プラス、2020年4月3日)] {{DEFAULTSORT:かしほんまんか}} [[Category:漫画の本]] [[Category:貸本漫画|*]]
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医療漫画
医療漫画(いりょうまんが)は、日本における漫画作品のジャンルの1つ。医師や看護師をはじめとした医療従事者を主人公としていたり、病院や診療所などの医療現場を舞台とするなど、主に医療をテーマにした漫画作品を指す。 落合隆志は医療漫画の定義として 以上の3つを挙げた。 動物医療を題材とした漫画について中垣恒太郎は医療漫画とするべきなのかとしてから、グラフィック・メディスンや生存学が基本的に人間を対象とし、方や動物医療を題材とした漫画も1つのサブジャンルとなっているため、医療漫画の研究が発展していくと動物医療ものは別のジャンルとして形成する可能性を挙げている。 1962年にアメリカの医療ドラマ『ベン・ケーシー』が日本で放送され大ヒット、翌1963年に複数の漫画雑誌で医者ものの作品が登場、そのうち、ちばてつやが週刊少年マガジンで連載した『ハチのす大将』は医療漫画黎明期の一作である。ただ同作は先輩漫画家のつのだじろうから作中の医療描写が正しくないことを指摘する手紙が毛筆の巻紙で送られてきたことをちばが恥じて短期終了となった。表智之はこのエピソードに脚色が含まれる可能性に言及しながらも、外科医である主人公がコレラの論文を書くのは不正確だと同意、主人公が地元の支援のためにお金を得ようとバイクレースに参戦するなど方向性を模索したとみられるシーンを指摘した。 『ハチのす大将』は『ベン・ケーシー』、山本周五郎の『赤ひげ診療譚』から影響もみられるが、貧困のせいで医療から遠ざかってしまっている者たちにきちんと焦点が当てられ、それは1950年代から1960年代にかけて漫画でよくみられたことであった。白土三平の『消え行く少女』(日本漫画社、1959年)においては広島で被爆して原爆症になった少女が主人公でその頃の貸本少女漫画では「難病少女もの」といえる作品が人気ジャンルであり、異色作ながらその流れで描かれた一作だったとみられる。また、貸本少女漫画では「母子もの」という悲劇も人気で、主人公の少女の母は亡くなっているか行方不明、特に結核を患って闘病していることが多く、それは現実社会を反映したものだった。現実で結核患者が減少すると原爆症がよく登場するようになり、『愛と死を見つめて』が大ヒットしたことで行き届いた医療の受けて若く美しく清らかな死のイメージが広まり、貧困は遠景となり、1961年成立の国民皆保険制度により医療は全国民が平等に受けられるものとして医療と切り離されていた貧困者は建前上いなくなった。バラエティ番組『シャボン玉ホリデー』(1961年-1971年)では『消え行く少女』で描かれたようなボロ屋に住んで病に臥せっている貧しい人がコントに登場、テレビでそういったことは笑いのネタにできる過去のものとなった。 手塚治虫が1970年にビッグコミックで連載した『きりひと讃歌』は本格的な医療漫画の始まりに挙げられ、同作は医療に情熱をかける医師による難病を解明、業界での権力争い、病気を理由とした差別など後の医療漫画で扱われることのほとんどが登場、そして手塚が1973年から週刊少年チャンピオン連載の『ブラック・ジャック』は医療漫画がまだ確立されていない中で単行本レーベル「恐怖コミックス」として刊行された同作は累計億超えの医療漫画最大のヒット作で、天才医師というパターンを誕生させ、図書館への蔵書も多く、同作をきっかけとして医師を目指した人も多くいほど影響を与え、『きりひと讃歌』とともに医療漫画のストーリーの枠組みをほぼ完成させた古典であり、今日に至るまで読み継がれている。 1988年から真船一雄が週刊少年マガジンで連載の『スーパードクターK』は医療漫画でよくある現実味、万能感とは逆に最大限活かした長編、本ジャンルの極北とも評される。同作は医師を原案協力としてクレジットすることで主人公の技量に現実味と説得力を持たせ、そういった専門家監修は1980年以降の医療漫画でよくみられるようになり『ブラック・ジャック』で描かれた医師としての超人性は『スーパードクターK』では身体的なものとなり、現実と虚構のバランスをとった。 動物医療を題材とした漫画としたサブジャンルを決定付けたのは佐々木倫子が花とゆめで連載の『動物のお医者さん』で、21世紀の医療漫画はそれまであまり注目されることのなかった専門分野を題材にしていることも多いが、それの先駆けにも挙げられ、同作は医療漫画でよくある涙を誘うような話は全くなく、専門的な診療もないが、連載に当たって募集したエピソードを元に描かれた大学獣医学部で学ぶ学生にリアリティを感じさせた。また佐々木はビッグコミックスピリッツで1995年連載開始の『おたんこナース』で原案、取材として看護師をクレジットし、医療漫画でリアルな舞台設定の傾向が見られ始め、基本はコメディだが人間模様や心情の変化、病気や死との向き合いなどから看護師ものの標準作である。 1995年に連載開始した森本梢子の『研修医なな子』は女性向け医療漫画としてはおそらく最初の作品である。 2000年に始まった山本航暉の『ゴッドハンド輝』は医療漫画として少年向け及び週刊少年マガジン史上最多の全62巻のヒット作で、同作は世間ではあまり知られていない領域、スポットが当たり辛い業界人に注目、内科診断の重要性、麻酔科医の必要性、理学療法士、臨床薬剤師、栄養士、臨床工学技士、製薬会社の営業といったことが描かれ、また、日常に役立つ家庭の医学を取り扱った情報漫画の要素もあり、現実とフィクションをうまく織り交ぜ、ドラマチックな治療や凄い技、医療従事者の苦悩や患者のドラマ、医療情報に主人公の成長が詰まった同作は医療漫画の理想とも評される。 2000年代は村上もとかの『JIN-仁-』、山田貴敏の『Dr.コトー診療所』のようなヒューマンドラマ作品、佐藤秀峰の『ブラックジャックによろしく』、乃木坂太郎の『医龍-Team Medical Dragon-』、くさか里樹の『ヘルプマン!』といった医療監修、綿密な取材をして描かれた作品が発表された。また『ヘルプマン!』は介護現場の問題を取り上げた先駆であった。 2006年出版された細川貂々の『ツレがうつになりまして。』は当事者による医療エッセイ漫画がまだ少ない中でその先駆けとして登場した。 2010年代になると現実のチーム医療が反映されたものや医療関係の職種、登場する病気などが多様化した。 病気をめぐる主観的で複雑な個々の経験を表現したコミックがふえており、それを「グラフィック・メディスン」と呼び、日本でも2018年に一般社団法人日本グラフィック・メディスン協会が設立されている。 2020年から新型コロナウイルスが流行するとそれを取り入れた、しりあがり寿がコミックビーム連載の『NEW NORMAL DAYS』、いがらしみきおの『ふつうのきもち』、複数の漫画家によるコロナ禍の日々を描く『MANGA Day to Day』などが発表された。 ブラック・ジャックに始まる数多くの病気や怪我に対応できるスーパードクターという類型が存在、同作では現実味よりフィクションとしての超人さを優先させた。『JIN-仁-』では主人公は名脳外科医だが超人というわけではなく医療が現代より発達していない幕末にタイムスリップしたことで相対的に超人になっており、スーパードクターのあり得なさを避けている。ただ特定の分野のスーパードクターは実在しても数多くの医療分野に対応できる人は実際には存在し得ず、2010年代以降の作品によくみられる高度に専門化された領域を扱うほど、リアリティを追い求めるほどスーパードクターを否定せざるを得なくなる。 作者やその家族の闘病、体験を描いたエッセイ漫画も多く、漫画をよく読む人だけではなく一般層にも開かれており、漫画文化の受容層の点からして特別な位置にある。 動物医療を題材とした漫画は人を対象の医療漫画と比べると少なく、現実社会では1970年代以降でもペットの関心は強いが、それぞれの動物の命を守る動物医療は重視されてこなかったからだとされる。
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医療漫画(いりょうまんが)は、日本における漫画作品のジャンルの1つ。医師や看護師をはじめとした医療従事者を主人公としていたり、病院や診療所などの医療現場を舞台とするなど、主に医療をテーマにした漫画作品を指す。
'''医療漫画'''(いりょうまんが)は、[[日本]]における[[漫画作品一覧|漫画作品]]のジャンルの1つ。[[医師]]や[[看護師]]をはじめとした[[医療従事者]]を主人公としていたり、[[病院]]や[[診療所]]などの[[医療]]現場を舞台とするなど、主に医療をテーマにした漫画作品を指す<ref>{{Cite news |newspaper=読売新聞 |date=2007-12-29 |publisher=読売新聞社 }}</ref>。 == 定義 == [[落合隆志]]は医療漫画の定義として {{Quotation| * 医師および医療従事者が登場するもの * 医療の専門職種や医療機関を舞台に設定しているもの * 「障・病・老・異{{refnest|group="*"|'''障'''害、'''病'''気、'''老'''い、性的アイデンティティーなど人と'''異'''なること<ref name="fiftyyears" />。}}」のテーマにおいて「生命」という普遍的な主題を取り扱うもの }} 以上の3つを挙げた<ref name="fiftyyears">{{Harvnb|日本の医療マンガ50年史|2021|p=16}}</ref>。 動物医療を題材とした漫画について[[中垣恒太郎]]は医療漫画とするべきなのかとしてから、[[:en:Graphic medicine|グラフィック・メディスン]]や[[生存学]]が基本的に人間を対象とし、方や動物医療を題材とした漫画も1つのサブジャンルとなっているため、医療漫画の研究が発展していくと動物医療ものは別のジャンルとして形成する可能性を挙げている{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=123}}。 == 歴史 == === 前史 === 1962年にアメリカの[[医療ドラマ]]『[[ベン・ケーシー]]』が日本で放送され大ヒット、翌1963年に複数の漫画雑誌で医者ものの作品が登場、そのうち、[[ちばてつや]]が[[週刊少年マガジン]]で連載した『[[ハチのす大将]]』は医療漫画黎明期の一作である<ref name="fiftyyears2">{{Harvnb|日本の医療マンガ50年史|2021|p=45}}</ref>。ただ同作は先輩漫画家の[[つのだじろう]]から作中の医療描写が正しくないことを指摘する手紙が毛筆の巻紙で送られてきたことをちばが恥じて短期終了となった<ref name="fiftyyears2" />。[[表智之]]はこのエピソードに脚色が含まれる可能性に言及しながらも、外科医である主人公が[[コレラ]]の論文を書くのは不正確だと同意、主人公が地元の支援のためにお金を得ようとバイクレースに参戦するなど方向性を模索したとみられるシーンを指摘した{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|pp=45-46}}。 『ハチのす大将』は『ベン・ケーシー』、[[山本周五郎]]の『[[赤ひげ診療譚]]』から影響もみられるが、貧困のせいで医療から遠ざかってしまっている者たちにきちんと焦点が当てられ、それは1950年代から1960年代にかけて漫画でよくみられたことであった<ref name="fiftyyears3">{{Harvnb|日本の医療マンガ50年史|2021|p=46}}</ref>。[[白土三平]]の『[[消え行く少女]]』([[日本漫画社]]、1959年)においては広島で被爆して[[原爆症]]になった少女が主人公でその頃の[[貸本]][[少女漫画]]では「難病少女もの」といえる作品が人気ジャンルであり、異色作ながらその流れで描かれた一作だったとみられる<ref name="fiftyyears3" />。また、貸本少女漫画では「母子もの」という悲劇も人気で、主人公の少女の母は亡くなっているか行方不明、特に[[結核]]を患って闘病していることが多く、それは現実社会を反映したものだった<ref name="fiftyyears4">{{Harvnb|日本の医療マンガ50年史|2021|p=47}}</ref>。現実で結核患者が減少すると原爆症がよく登場するようになり、『[[愛と死を見つめて]]』が大ヒットしたことで行き届いた医療の受けて若く美しく清らかな死のイメージが広まり、貧困は遠景となり、1961年成立の[[ユニバーサルヘルスケア|国民皆保険制度]]により医療は全国民が平等に受けられるものとして医療と切り離されていた貧困者は建前上いなくなった<ref name="fiftyyears4" />。バラエティ番組『[[シャボン玉ホリデー]]』(1961年-1971年)では『消え行く少女』で描かれたようなボロ屋に住んで病に臥せっている貧しい人がコントに登場、テレビでそういったことは笑いのネタにできる過去のものとなった{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|pp=47-48}}。 === 手塚治虫による形成 === [[手塚治虫]]が1970年に[[ビッグコミック]]で連載した『[[きりひと讃歌]]』は本格的な医療漫画の始まりに挙げられ{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=10}}、同作は医療に情熱をかける医師による難病を解明、業界での権力争い、病気を理由とした差別など後の医療漫画で扱われることのほとんどが登場{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=23}}、そして手塚が1973年から[[週刊少年チャンピオン]]連載の『[[ブラック・ジャック]]』は医療漫画がまだ確立されていない中で単行本レーベル「恐怖コミックス」として刊行された同作は累計億超えの医療漫画最大のヒット作で、天才医師というパターンを誕生させ、図書館への蔵書も多く、同作をきっかけとして医師を目指した人も多くいほど影響を与え、『きりひと讃歌』とともに医療漫画のストーリーの枠組みをほぼ完成させた古典であり、今日に至るまで読み継がれている{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|pp=23、26}}。 === ジャンルとして確立以降 === 1988年から[[真船一雄]]が週刊少年マガジンで連載の『[[スーパードクターK]]』は医療漫画でよくある現実味、万能感とは逆に最大限活かした長編、本ジャンルの極北とも評される{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=41}}。同作は医師を原案協力としてクレジットすることで主人公の技量に現実味と説得力を持たせ、そういった専門家監修は1980年以降の医療漫画でよくみられるようになり『ブラック・ジャック』で描かれた医師としての超人性は『スーパードクターK』では身体的なものとなり、現実と虚構のバランスをとった<ref name="fiftyyears5">{{Harvnb|日本の医療マンガ50年史|2021|p=94}}</ref>。 動物医療を題材とした漫画としたサブジャンルを決定付けたのは[[佐々木倫子]]が[[花とゆめ]]で連載の『[[動物のお医者さん]]』で、21世紀の医療漫画はそれまであまり注目されることのなかった専門分野を題材にしていることも多いが、それの先駆けにも挙げられ{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|pp=123-124}}、同作は医療漫画でよくある涙を誘うような話は全くなく{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=43}}、専門的な診療もないが、連載に当たって募集したエピソードを元に描かれた大学獣医学部で学ぶ学生にリアリティを感じさせた{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=44}}。また佐々木は[[ビッグコミックスピリッツ]]で1995年連載開始の『[[おたんこナース]]』で原案、取材として看護師をクレジットし、医療漫画でリアルな舞台設定の傾向が見られ始め{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=51}}、基本はコメディだが人間模様や心情の変化、病気や死との向き合いなどから看護師ものの標準作である{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=68}}。 1995年に連載開始した[[森本梢子]]の『[[研修医なな子]]』は女性向け医療漫画としてはおそらく最初の作品である{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=70}}。 2000年に始まった[[山本航暉]]の『[[ゴッドハンド輝]]』は医療漫画として少年向け及び週刊少年マガジン史上最多の全62巻のヒット作で{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=78}}、同作は世間ではあまり知られていない領域、スポットが当たり辛い業界人に注目、内科診断の重要性、麻酔科医の必要性、理学療法士、臨床薬剤師、栄養士、臨床工学技士、製薬会社の営業といったことが描かれ、また、日常に役立つ家庭の医学を取り扱った情報漫画の要素もあり{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=79}}、現実とフィクションをうまく織り交ぜ、ドラマチックな治療や凄い技、医療従事者の苦悩や患者のドラマ、医療情報に主人公の成長が詰まった同作は医療漫画の理想とも評される{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=80}}。 2000年代は[[村上もとか]]の『[[JIN-仁-]]』、[[山田貴敏]]の『[[Dr.コトー診療所]]』のようなヒューマンドラマ作品、[[佐藤秀峰]]の『[[ブラックジャックによろしく]]』、[[乃木坂太郎]]の『[[医龍-Team Medical Dragon-]]』、[[くさか里樹]]の『[[ヘルプマン!]]』といった医療監修、綿密な取材をして描かれた作品が発表された<ref name="fiftyyears7">{{Harvnb|日本の医療マンガ50年史|2021|p=139}}</ref>。また『ヘルプマン!』は介護現場の問題を取り上げた先駆であった{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=254}}。 2006年出版された[[細川貂々]]の『[[ツレがうつになりまして。]]』は当事者による医療エッセイ漫画がまだ少ない中でその先駆けとして登場した{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=118}}。 2010年代になると現実のチーム医療が反映されたものや医療関係の職種、登場する病気などが多様化した<ref name="fiftyyears7" />。 病気をめぐる主観的で複雑な個々の経験を表現したコミックがふえており、それを「グラフィック・メディスン」と呼び、日本でも2018年に一般社団法人日本グラフィック・メディスン協会が設立されている<ref>{{Cite news |title=新潮流いまどきマンガ塾 「闘病を主観的に」 |newspaper=朝日新聞 夕刊 |date=2019-11-26 |publisher=朝日新聞社 |page=3 }}</ref>。 2020年から[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルスが流行すると]]それを取り入れた、[[しりあがり寿]]が[[コミックビーム]]連載の『[[NEW NORMAL DAYS]]』{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=232}}、[[いがらしみきお]]の『[[ふつうのきもち]]』、複数の漫画家によるコロナ禍の日々を描く『[[MANGA Day to Day]]』などが発表された{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=233}}。 == 特徴 == [[ブラック・ジャック (架空の人物)|ブラック・ジャック]]に始まる数多くの病気や怪我に対応できるスーパードクターという類型が存在{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=93}}、同作では現実味よりフィクションとしての超人さを優先させた<ref name="fiftyyears5" />。『JIN-仁-』では主人公は名脳外科医だが超人というわけではなく医療が現代より発達していない幕末にタイムスリップしたことで相対的に超人になっており、スーパードクターのあり得なさを避けている<ref name="fiftyyears6">{{Harvnb|日本の医療マンガ50年史|2021|p=95}}</ref>。ただ特定の分野のスーパードクターは実在しても数多くの医療分野に対応できる人は実際には存在し得ず<ref name="fiftyyears5" />、2010年代以降の作品によくみられる高度に専門化された領域を扱うほど、リアリティを追い求めるほどスーパードクターを否定せざるを得なくなる<ref name="fiftyyears6" />。 作者やその家族の闘病、体験を描いた[[エッセイ漫画]]も多く、漫画をよく読む人だけではなく一般層にも開かれており、漫画文化の受容層の点からして特別な位置にある{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=210}}。 動物医療を題材とした漫画は人を対象の医療漫画と比べると少なく、現実社会では1970年代以降でもペットの関心は強いが、それぞれの動物の命を守る動物医療は重視されてこなかったからだとされる{{Sfn|日本の医療マンガ50年史|2021|p=122}}。 == 作品 == === 1960年代 === * [[みならい天使]](原作:[[童門冬二|太田久行]]、作画:[[赤松セツ子]]、[[少女フレンド]]、1962年 - 1963年)<ref>{{Cite web|和書|title=くだん書房:お勧め |url=http://www.kudan.jp/osusume/minaraitensi.html |website=www.kudan.jp |access-date=2023-04-23}}</ref> * [[ハチのす大将]]([[ちばてつや]]、[[週刊少年マガジン]]、1963年) === 1970年代 === * [[悪魔にメスを!]]([[丘けい子]]、[[週刊マーガレット]]、1970年)<ref>{{Cite web|和書|title=作品詳細 |url=http://okworld.sakura.ne.jp/comicwin.html?10 |website=okworld.sakura.ne.jp |access-date=2023-05-19}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=作品一覧 |url=http://okworld.sakura.ne.jp/ichiran.html |website=【丘けい子の世界】 |access-date=2023-05-19 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=駿河屋 -週刊マーガレット 1970年6月7日号 No.23(その他) |url=https://www.suruga-ya.jp/product/detail/ZNAWO48627 |website=www.suruga-ya.jp |access-date=2023-12-15 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=くだん書房 |url=http://www.kudan.jp/nikki/nikki0410.html |website=www.kudan.jp |access-date=2023-12-15}}</ref> * [[きりひと讃歌]]([[手塚治虫]]、[[ビッグコミック]]、1970年 - 1971年) * [[未来への告発]]([[丘けい子]]、[[Seventeen (日本の雑誌)|セブンティーン]]、1971年)<ref>{{Cite web|和書|title=作品一覧 |url=http://okworld.sakura.ne.jp/ichiran.html |website=【丘けい子の世界】 |access-date=2023-06-10 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=作品詳細 |url=http://okworld.sakura.ne.jp/comicwin.html?143 |website=okworld.sakura.ne.jp |access-date=2023-06-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=国立国会図書館デジタルコレクション |url=https://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?pageNum=0&pageSize=20&sortKey=SCORE&fullText=true&includeVolumeNum=true&keyword=%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%91%8A%E7%99%BA&displayMode=list&accessRestrictions=ooc&accessRestrictions=inlibrary&accessRestrictions=internet |website=dl.ndl.go.jp |access-date=2023-09-21}}</ref> * [[ブラック・ジャック]](手塚治虫、[[週刊少年チャンピオン]]、1973年 - 1983年) * [[白衣の天使なんかいやしない!]]([[篠原とおる]]、[[週刊少女コミック]]、1975年)<ref>{{Cite web|和書|title=くだん書房:目録:マンガ:雑誌:集英社 |url=http://www.kudan.jp/EC/w-comi1975.html |website=www.kudan.jp |access-date=2023-04-22}}</ref> * [[夜光虫 (漫画) |夜光虫]](原作:柿沼宏、作画:[[篠原とおる]]、[[ビッグコミックオリジナル]]、1976年 - 1979年) * [[闇の逃亡医]](原作:[[高山紀芳]]、作画:[[加藤唯史]]、[[週刊少年ジャンプ]]、1977年 - 1978年) * [[白衣の夢みつけた!]]([[灘しげみ]]、[[週刊少女コミック]]、1977年)<ref>{{Cite web|和書|title=くだん書房:目録:マンガ:雑誌:集英社 |url=http://www.kudan.jp/EC/w-comi1977.html |website=www.kudan.jp |access-date=2023-04-22}}</ref> === 1980年代 === * [[SEXドクター尖三郎]]([[ジョージ秋山]]、[[プレイコミック]]、1980年) * [[OPE]](原作:[[茜胡笳]]、作画:[[園田光慶]]、[[グッドコミック]]、1980年 - 1981年) * [[手術しちゃうから!]]([[弓月光]]、[[マーガレット (雑誌)|マーガレット]]、1980年 - 1981) * [[陽だまりの樹]](手塚治虫、ビッグコミック、1981年 - 1986年) * [[本日も休診]](原作:[[見川鯛山]]、作画:[[石川サブロウ]]、ビッグコミック、1984年) * [[おやじドクター]](原作:[[林律雄]]、作画:[[及川こうじ]]、1984年) * [[菩提樹 (漫画)|菩提樹]]([[大和和紀]]、[[講談社コミックス]]、1984年 - 1985年) * [[トラオがゆく]]([[貴志元則|貴志真典]]、1985年) * [[Dr.クマひげ]](原作:[[武論尊|史村翔]]、作画:[[ながやす巧]]、[[週刊ヤングマガジン]]、1986年 - 1987年) * [[ドクター秩父山]]([[田中圭一 (漫画家)|田中圭一]]、[[劇画村塾|コミック劇画村塾]]など、1986年 - 不明) * [[動物のお医者さん]]([[佐々木倫子]]、[[花とゆめ]]、1987年 - 1993年) * [[オペレーション (漫画)|オペレーション]](原作:[[高山よしのり|鏡丈二]]、作画:[[金井たつお]]、[[週刊ヤングジャンプ]]、1987年) * [[とっても医院]](原作:[[花井寛]]、作画:[[みやはら啓一]]、1987年 - 1990年) * [[白衣のテンちゃん]]([[やまだ三平]]、[[まんがライフ]]、1987年 - 不明) * [[Dr.フナキはゴキゲンナナメ!]]([[芳井一味]]、不明、1988年頃 - ) * [[ナースステーション(スーパージャンプ連載の漫画)|ナースステーション]](原作:[[高山よしのり]]、漫画:[[田中つかさ]]、[[スーパージャンプ]]、1988年 - 1990年) * [[スーパードクターK]]([[真船一雄]]、[[週刊少年マガジン]]、1988年 - 1996年) * [[ドクター反骨医]](原作:[[鏡丈二]]、作画:[[根本哲也]]、1988年 - 1992年) * [[メスよ輝け!!]](原作:[[高山路爛]]、作画:[[やまだ哲太]]、[[ビジネスジャンプ]]、1989年 - 1994年) * [[心剣医]](原作:[[上西一紀]]、作画:[[狩谷ゆきひで]]、1989年 - 1990年) === 1990年代 === * [[マーチ(漫画)|マーチ]]([[亜宮まさみ]]、1990年)<ref>{{Cite web|和書|title=マーチ - メディア芸術データベース |url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/M229217 |website=mediaarts-db.bunka.go.jp |access-date=2023-05-19}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=マーチ 1巻(最新刊) |無料試し読みなら漫画(マンガ)・電子書籍のコミックシーモア |url=https://www.cmoa.jp/title/114954/ |website=www.cmoa.jp |access-date=2023-05-19}}</ref> * [[こちら椿産婦人科]]([[あまねかずみ]]、1990年 - 2000年) * [[研修医 古谷健一]](原作:[[永井明]]、作画:[[里見桂]]、[[ヤングチャンピオン]]、1991年 - 1992年) * [[医候]]([[土山しげる]]、1992年) * [[Dr.汞]]([[能條純一]]、[[ミスターマガジン]]、1992年 - 1993年) * [[白の条件]]([[万里村奈加]]、[[講談社コミックスミミ]]、1991年 - 1994年) * [[エンジェル日誌]]([[ごとう和]]、講談社、1993年-) * [[AIDS―少年はなぜ死んだか]](原作:[[広河隆一]] 、漫画:[[三枝義浩]]、[[講談社]]、1993年)チェルノブイリ事故、血友病の血液製剤によるAIDS * [[ナース・ステーション (漫画)|ナース・ステーション]]([[島津郷子]]、集英社、1994年-) * [[太陽の仲間たちよ]]―身体障害者とある医師の挑戦([[三枝義浩]]、不明、1994年) * [[RASH!!]]([[北条司]]、週刊少年ジャンプ、1994年 - 1995年) * [[天使じゃないのよ]]([[ふじたしょうこ]]、1994年) * [[ドクトル・ノンベ]]([[中原とほる]]、1992年 - 1993年) * [[女医レイカ]](原作:[[剣名無]]、作画:[[嶺岸信明]]、1994年 - 2000年) * [[雫ちゃんクリニック]]([[葉月かずお]]、1994年) * [[MIND ASSASSIN]]([[かずはじめ]]、週刊少年ジャンプ、1994年 - 1995年) * [[MF動物病院日誌]]([[たらさわみち]]、1994年 - 2006年) * [[MONSTER (漫画)|MONSTER]]([[浦沢直樹]]、[[ビッグコミックオリジナル]]、1995年 - 2001年) * [[サイコドクター]](原作:[[亜樹直]]、作画:[[的場健]]、[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]、1995年 - 2003年) * [[研修医なな子]]([[森本梢子]]、[[YOU (雑誌)|YOU]]、1995年 - 不明) * [[きらきらひかる (漫画)|きらきらひかる]]([[郷田マモラ]]、[[講談社]]、1995年~)監察医 * [[おたんこナース]](佐々木倫子、[[ビッグコミックスピリッツ]]、1995年 - 1998年) * [[エン女医あきら先生]]([[水城まさひと]]、[[まんがタイムジャンボ]]等、1995年 - 2008年) * [[スポーツ医]](原作:[[寺島優]] 作画:[[ちくやまきよし]]、1995年 - 1996年) * [[ドクトレス]](原作:[[鏡丈二]]、作画:[[高山由妃]]、[[週刊アクション]]、1995年 - 1996年) * [[スーパードクターK|DoctorK]](真船一雄、週刊少年マガジン、1996年 - 1998年) * [[実録!看護婦物語]]([[甲斐さゆみ]]、[[サスペリアミステリー|サスペリア]]、1996年 - 1998年(コミックス発刊年))<ref>{{Cite web|和書|title=実録!看護婦物語 - メディア芸術データベース |url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C267162 |website=mediaarts-db.bunka.go.jp |access-date=2023-05-31}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=[全話無料(全131話)] 実録!看護婦物語 {{!}} スキマ {{!}} 無料漫画を読むだけでポイ活ができる |url=https://www.sukima.me/book/title/BT0000362713/ |website=www.sukima.me |access-date=2023-05-31}}</ref> * [[ダーク・エンジェル (漫画)|ダーク・エンジェル]]([[風間宏子]]、[[Eleganceイブ]]、1996年 - 2001年) * [[Dr.ハーレー]]([[宇田学]]、ミスターマガジン、1996年 - 2000年) * [[生死命]](原作:稲本雅之、作画:やまさき拓味、ビッグコミック、1996年) * [[われ無医村に生きる]]([[河合英則]]、1996年) * [[やぶ医者のつぶやき]](原作:[[森田功]]、作画:[[引野真二]]、ビッグコミック、1997年 - 1999年) * [[999ドクター]](原作:[[バーミー双六]]、作画:[[那須輝一郎]]、1997年 - 1999年) * [[“殺医”ドクター蘭丸]](原作:[[梶研吾]]、作画:[[井上紀良]]、週刊ヤングジャンプ、1997年 - 2000年) * [[看護婦ROCK]]([[鈴木キムチ]]、([[エンジェルコミックス]]、[[エンジェル出版]])、1998年 - 不明) * [[SAMU Dr.無限谷陽]](原作:[[米山公啓]]、作画:[[岩丸]]、[[MANGAオールマン]]、1998年) * [[ラディカル・ホスピタル]]([[ひらのあゆ]]、[[まんがタイムオリジナル]]等、1998年 - ) * [[高度救命救急センター (漫画)|高度救命救急センター]](原作:[[樋口雅一]]、作画:[[関崎俊三]]、1998年) * [[大江戸医聞十八文]]([[石ノ森章太郎]]、[[メディアファクトリー]]、1999年) * [[青ひげは行く]](原作:高山路爛、作画:やまだ哲太、ビジネスジャンプ、1999年 - 2001年) * [[白衣でポン]]([[たかさきももこ]]、1999年 - 2004年) * [[マンガ病院薬剤師物語]]([[神奈川県病院薬剤師会]]、1999年) === 2000年代 === * [[MEDICAL99]](原作:[[寺山文治郎]]、作画:[[たかもちげん]]、2000年) * [[Dr.コトー診療所]]([[山田貴敏]]、[[週刊ヤングサンデー]]、2000年頃 - ) * [[JIN-仁-]]([[村上もとか]]、[[スーパージャンプ]]、2000年 - 2010年) * [[ホットDOC]](原作:[[きむらはじめ (漫画原作者)|きむらはじめ]]、作画:[[加藤唯史]]、[[ビッグコミックオリジナル]]、2000年) * [[ゴッドハンド輝]]([[山本航暉]]、週刊少年マガジン、2000年 - 2011年) * [[ラディカルホスピタル]]([[ひらのあゆ]]、[[芳文社]]、2000年) * [[生命のダイアリー]](原作&取材:[[大崎悌造|達山一歩]]、作画:[[小山田いく]]、2001年) * [[泌尿器科医 一本木守!]]([[高倉あつこ]]、[[ヤングチャンピオン]]、2001年 - 2005年) * [[獣医ドリトル]](原作:[[夏緑]]、作画:[[ちくやまきよし]]、[[ビッグコミック増刊号]]、2001年 - ) * [[なみだ坂診療所]](原作:[[宇治谷順]]、作画:[[向後次雄]]、[[週刊漫画TIMES]]、2001年 - 2021年) * [[白衣の男子]]([[岸香里]]、[[まんがタイムスペシャル]]、2001年) * [[ブラックジャックによろしく]]([[佐藤秀峰]]、[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]、2002年頃 - 2006年) * [[医龍-Team Medical Dragon-]]([[乃木坂太郎]]、[[ビッグコミックスペリオール]]、2002年 - 2011年) * [[青木医院へ行こう!]]([[大沢たけし]]、[[まんがホーム]]等、2002年 - 2004年) * [[歯ッピィクリニック]]([[椎名二葉]]、まんがタイムジャンボ等、2002年 - 2003年) * [[傭兵女医黒樹エリカ]](原作:[[山口都志馬]]、作画:[[那須輝一郎]]、2002年 - 2003年) * [[ワイルドライフ (漫画)|ワイルドライフ]]([[藤崎聖人]]、[[週刊少年サンデー]]、2002年 - 2008年) * [[HE∀DS]](原作:[[東野圭吾]]、作画:[[間瀬元朗]]、[[週刊ヤングサンデー]]、2002年 - 2003年) * [[ヘルプマン!]]([[くさか里樹]]、[[イブニング]]、2003年 - ) * [[あぼばクリニック]]([[藤島じゅん]]、[[まんがライフMOMO]]、2003年 - 2008年) * [[サイコドクター 楷恭介]](原作:亜樹直、作画:[[オキモト・シュウ]]、モーニング、2003年 - 2004年) * [[OPEN MIND]] ([[芳崎せいむ]]、[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]、別冊モーニング、2003年 - 2004年) * [[あんこ坂のお医者さま]]([[一丸]]、ビッグコミックオリジナル、2003年 - 2005年) * [[下町の太陽 (漫画)|下町の太陽]](原作:[[矢島正雄]]、作画:[[幸野たけ志]]、2003年) * [[P.ハート]](原作:[[中山亜純]]、作画:[[直遊紀]]、[[クイーンズコミック]]、2003年 - 2004年) * [[K2 (漫画)|K2]]([[真船一雄]]、[[イブニング]]、2004年 - ) * [[エマージング]]([[外薗昌也]]、医学監修:[[中原英臣]]、[[講談社]]、2004年)都内でのエボラ出血熱類似の新型感染症 * [[Ns'あおい]]([[こしのりょう]]、[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]、2004年 - 2010年) * [[エマージング]]([[外薗昌也]]、[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]、2004年 - 2005年) * [[ツインズナース]]([[後野まつり]]、[[まんがタイムきらら]]→まんがタイムオリジナル、2004年 - 2006年) * [[看護師 みさき!]]([[池田みゆ]]、2004年 - ) * [[天医無縫]](原作:[[伊月慶悟]]、作画:[[地引かずや]]、[[別冊漫画ゴラク]]、2004年 - 2005年) * [[ドクタープリンセス]]([[荻野眞弓]]、[[まんがくらぶオリジナル]]、2004年) * [[国境を駆ける医師イコマ]]([[高野洋]]、2004年 - 2005年) * [[天使のたまご (漫画)|天使のたまご]]([[岸香里]]、2005年) * [[薬屋りかちゃん]]([[新井葉月]]、[[コミックハイ!]]、2005年 - 2008年) * [[がんばれ!猫山先生]]([[茨木保]]、日本医事新報社、2006年-2022年) * [[歯医者さんとオレ]]([[矢尾勝]]、2006年) * [[監察医 朝顔]](著:[[木村直巳]]、著:[[香川まさひと]]、著:[[佐藤喜宣]]、[[実業之日本社]]、2006-2013年) * [[E.D.D]]([[橋本エイジ]]、[[月刊ヤングキング]]、2006年 - 2009年) * [[漫画ハリ入門 楽しくわかる経絡治療]](原作:[[池田政一]]、作画:[[湯沢敏仁]]、2007年) * [[最上の命医]](原作:[[入江謙三]]、作画:[[橋口たかし]]、2007年 - 2010年) * [[麻酔科医ハナ]](原作:[[なかお白亜]]、監修:[[松本克平 (医師)|松本克平]]、2007年 - ) * [[新ブラックジャックによろしく]]([[佐藤秀峰]]、小学館、2007年-) * [[おいでよ 動物病院!]]([[たらさわみち]]、[[集英社]]、2007年〜 2012年) * [[東洋治療院ももか]]([[たなかじゅん]]、[[オースーパージャンプ]]、2008年 - ) * [[マル泌のナース!!]](高倉あつこ、[[週刊漫画ゴラク]]、2008年 - 2010年) * [[アスクレピオス (漫画)|アスクレピオス]]([[内水融]]、週刊少年ジャンプ、2008年 - 2009年) * [[ビタミンガール!管理栄養士 真理ちゃん]]([[中西やすひろ]]、[[集英社]]、2009年) * [[ムショ医 女子刑務所のカルテ]]([[佐藤智美 (漫画家)|佐藤智美]]、[[芳文社]]、2009年) === 2010年代 === * [[マンガで分かる心療内科]](原作:[[ゆうきゆう]]、作画:[[ソウ (漫画家)|ソウ]]、[[少年画報社]]、2010年) * [[踊る産科女医]](原案:[[宋美玄]]、作画:[[吉川景都]]、[[小学館]]、2011年) * [[看護助手のナナちゃん]]([[野村知紗]]、[[小学館]]、2011年) * [[ホスピめし みんなのごはん]]([[野崎ふみこ]]、[[双葉社]]、2011年)病院管理栄養士の話 * [[町医者ジャンボ!!]]([[こしのりょう]]、[[講談社]]、2011年) * [[放課後カルテ]]([[日生マユ]]、[[講談社]]、2011年) * [[Final Phase]]([[朱戸アオ]]、[[PHP研究所]]、2011年)ハンタウイルス感染症 都心湾岸エリア * [[Dr.DMAT〜瓦礫の下のヒポクラテス〜]](原作:[[高野洋]]、作画:[[菊地昭夫]]、[[集英社]]、2011年)災害医療 * [[神様のカルテ]]([[石川サブロウ]]、[[小学館]]、2011年)『神様のカルテ』 著:夏川草介 (小学館)の漫画化 * [[Dr.デュオ]](作画:[[大沢祐輔]]、原案協力:[[木下繁 (作家)|木下繁]]、[[講談社]]、2012年 - ) * [[ヤング ブラック・ジャック (漫画)|ヤング ブラック・ジャック]](原作[[手塚治虫]]、脚本[[田畑由秋]]、画[[大熊ゆうご]]、[[秋田書店]]、2012年 -) * [[コウノドリ]]([[鈴ノ木ユウ]]、[[講談社]]、2012年 - )産婦人科 * [[ドクター早乙女]]([[村田ひろゆき]]、[[講談社]]、2012-2016年) * [[研修医山田君トリロジー]]([[茨木保]]、三輪書店、2012年) * [[インハンド]]([[朱戸アオ]]、[[講談社]]、2013 -)寄生虫学 * [[パナケイアの手]]([[松本救助]]、[[白泉社]]、2013年) * [[病室で念仏を唱えないでください]] ([[こやす珠世]]、小学館、2013年-)救命救急、[[チャプレン|チャプレン(臨床宗教者)]] * [[患者さまは外国人]](原案:[[山本ルミ]]、漫画:[[世鳥アスカ]]、[[阪急コミュニケーションズ]]、2014年)インターナショナルクリニック、空飛ぶナース * [[あたふた研修医やってます]](水谷緑&POCHI、[[KADOKAWA]]、2014年) * [[帰ってきた笑うナース]]([[岸香里]]、[[いそっぷ社]]、2014年)訪問看護 * [[フラジャイル 病理医岸京一郎の所見]](原作:[[草水敏]]、画:[[恵三朗]]、[[講談社]]、2014年 -)病理医/臨床検査技師(病理)/製薬会社MR * [[エーヨーヒーロー]](原作:[[真実イチロ]]、画:[[宮越和草]]、[[集英社]]、2014年)病院の管理栄養士の話 * [[神様のカルテ]](イラスト:[[本多夏巳]]、原著:[[夏川草介]] writer:[[後藤法子]] 、[[小学館]]、2014年)『神様のカルテ2』(小学館)の漫画化 * [[医者を見たら死神と思え]](原作:[[よこみぞ邦彦]]、作画:[[はしもとみつお]]、監修:[[近藤誠]]、[[小学館]]、2014年 - 2017年)がん治療 * [[うちのセンセイ]]([[花塚由]]、[[講談社]]、2014年 - 2015年)在宅医療 * [[ナイチンゲールの市街戦]](原著:[[鈴木洋史]] 画:[[東裏友希]]、[[小学館]]、2014年 - 2015年)訪問看護師 * [[拝啓、アスペルガー先生|マンガ版 拝啓、アスペルガー先生]]([[奥田健次 漫画:武嶌波]]、[[飛鳥新社]]、2015年)ADHD児の臨床心理士によるカウンセリング * [[相談室の星 医療ソーシャルワーカーの日誌より]]([[坂口みく]]、[[双葉社]]、2015年) * [[ヘルプマン!!]]([[くさか里樹]]、[[朝日新聞出版]]、2015年 -)高齢者医療・介護 * [[ラジエーションハウス]](原作:[[横幕智裕]]、作画:[[モリタイシ]]、[[集英社]]、2015年 -)放射線科および放射線技師 * [[透明なゆりかご]]([[沖田×華]]、[[講談社]]、2015年-2021年)産婦人科の新人看護士 * [[まどか26歳、研修医やってます! 女の子のお仕事応援コミックエッセイ]] ([[水谷緑]]、KADOKAWA/メディアファクトリー、2015年-) * [[母体保護法指定医 森下光子]]([[福田素子]]、[[秋水社]]ORIGINAL、2015年-) * [[ギフト±]]([[ながてゆか|ナガテユカ]]、[[日本文芸社]]、2015年 - 2022年) * [[Dr.アシュラ]]([[こしのりょう]]、日本文芸社、2015年 - 2016年) * [[異世界薬局]](原作:高山理図、作画:[[高野聖 (漫画家)|高野聖]]、[[KADOKAWA]]、2015年 -)薬剤師 * [[腐女医の医者道!]]([[さーたり]]、[[KADOKAWA]]、2016年)消化器外科医 * [[トレース 科捜研法医研究員の追想]]([[古賀慶]]、徳間書店、2016年-)警察科学捜査研究所 * [[女赤ひげ こちらドヤ街診療所]]([[川島れいこ]]、[[ぶんか社]]、2016年) * [[はっぴーえんど]]([[魚戸おさむ]]、小学館、2017年 - 2020年)終末期医療・介護 * [[怪病医ラムネ]]([[阿呆トロ]]、講談社、2017年 -) * [[ママはスポーツドクター]]([[芹沢直樹]]、日本文芸社、2017年 -)スポーツ医療 * [[しっぽ街のコオ先生]]([[たらさわみち]]、[[集英社]]、2017年〜) * [[バカレイドッグス|バカレイドッグス→バカレイドッグス Loser]](原作:[[矢樹純]]、作画:[[青木優]]、講談社、2017年 -) * [[リウーを待ちながら]]([[朱戸アオ]]、[[講談社]]、2017年) * [[侠医冬馬]]([[村上もとか]]、作画協力:かわのいちろう、集英社、2018年 -) * [[アンサングシンデレラ|アンサングシンデレラ 病院薬剤師 葵みどり]](医療原案:[[富野浩充]]、著:[[荒井ママレ]]、[[徳間書店]]、2018年-)病院薬剤師 * [[賢者の学び舎 防衛医科大学校物語]]([[山本亜季]]、[[小学館]]、2018年 -2020年) * [[研修医うさこのどたばた奮闘記]](著:[[桜沢鈴]]、その他:[[織田うさこ]]、[[ぶんか社]]、2018年) * [[お別れホスピタル]]([[沖田×華]]、[[小学館]]、2018年-)終末期病棟 * [[おうちで死にたい〜自然で穏やかな最後の日々〜]]([[広田奈都美]]、[[秋田書店]]、2018年〜2020) * [[Dr.クインチ]]([[鈴川恵康]]、集英社、2019年 -)美容および医療整形 * [[こころのナース夜野さん]]([[水谷緑]]、[[小学館]]、2019年 -) * [[外科医エリーゼ]](原作:yuin、漫画:mini、[[KADOKAWA]]、2019年 - )<ref>{{Cite web|和書|title=外科医エリーゼ = Surgeon Elise1 - メディア芸術データベース |url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/M810536 |website=mediaarts-db.bunka.go.jp |access-date=2023-03-09}}</ref> * [[マンガでわかる薬剤師:あなたの知らない調剤薬局の裏側]](漫画:[[油沼]]、原案・監修:[[ネーヤ]]、[[河出書房新社]]、2019年)調剤薬局 * [[特養日記〜介護福祉士が見た最強ご長寿たち〜]]([[金山カメ]]、[[ぶんか社]]、2019年) * [[漫画家しながらツアーナースしています。]]([[明 (漫画家)|明]]、[[集英社]]、2019年)ツアーナース === 2020年代 === * [[Shrink〜精神科医ヨワイ〜]](原作:[[七海仁]]、漫画:[[月子 (漫画家)|月子]]、[[集英社]]、2020年-)精神科医 * [[リエゾン -こどものこころ診療所-]](原作:[[竹村優作]]、漫画:ヨンチャン、取材協力:[[杉山登志郎]]、講談社、2020年 -)小児科医・発達障害診療 *[[おとずれナース〜精神科訪問看護とこころの記録〜]]([[のまり]]、[[ぶんか社]]、2020年-)精神科訪問看護師 * [[ケンシロウによろしく]]([[ジャスミン・ギュ]]、講談社、2020年-)整体 * [[マンガでわかる薬剤師:あなたの知らない調剤薬局24時!]](漫画:[[油沼]]、原案・監修:[[ネーヤ]]、[[河出書房新社]]、2020年)調剤薬局 * [[19番目のカルテ 徳重晃の問診]]([[富士屋カツヒト]]、医療原案:[[川下剛史]]、[[コアミックス]]、2020年-)総合診療医 * [[DrivingDoctor 黒咲]](原作:[[上代務|神尾龍]]、作画:[[ユウダイ]]、日本文芸社、2020年 -)救命救急、ドクターカー医療 * [[マンガでわかる! 子どものアトピー性皮膚炎のケア]](著者:[[堀向健太]]、漫画:[[青鹿ユウ]]、内外出版社、2020年)子どものアトピー性皮膚炎 * [[プラタナスの実]]([[東元俊哉]]、[[小学館]]、2020年 -)小児科医・小児医療 * [[感染症とワクチンについて専門家の父に聞いてみた]]([[さーたり]]、[[中山哲夫]]、[[KADOKAWA]]、2020年) * [[ナースのチカラ〜私たちにできること 訪問看護物語〜]]([[広田奈都美]]、[[秋田書店]]、2020年-) * [[処方箋上のアリア]]([[三浦えりか]]、[[小学館]]、2021年-)薬剤師 * [[オペ看]](作画:[[ミサヲ]] 原作:[[人間まお]] 、[[講談社]]、2021年)手術室の看護師 * [[アンメット-ある脳外科医の日記-]](著:[[大槻閑人]] 原作:[[子鹿ゆずる]] 、[[KADOKAWA]]、2021年〜) * [[永寿総合病院看護部が書いた 新型コロナウイルス感染症アウトブレイクの記録]](著:[[髙野ひろみ]] 著:[[武田聡子]] 著:[[松尾晴美]] 、画:[[ふるやまなつみ]] 、[[医学書院]]、2021年) * [[ヒポクラテスの卵]]([[ススキノ海]]、[[白泉社]]、2021年) * [[院内警察 アスクレピオスの蛇]](原作:[[酒井義]]、作画:[[林いち]]、秋田書店、2021年 -) * [[Dr.Eggs ドクターエッグス]]([[三田紀房]]、集英社、2021年 -) * [[悪役令嬢は夜告鳥(ナイチンゲール)をめざす]](著:[[小田すずか]] 原作:さと、[[小学館]]、2021年 - )<ref>{{Cite web|和書|title=悪役令嬢は夜告鳥(ナイチンゲール)をめざす = VILLAIN LADY WISH TO BE LIKE NIGHTINGALE1 - メディア芸術データベース |url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/M848213 |website=mediaarts-db.bunka.go.jp |access-date=2023-04-23}}</ref> * [[王太子妃パドマの転生医療 「戦場の天使」は救国の夢を見る]](著:[[見雲のうり]] 原作:[[さくら青嵐]]、[[KADOKAWA]]、2022年 - )<ref>{{Cite web|和書|title=王太子妃パドマの転生医療 = Reincarnation Medical Care of Crown Princess Padma : 「戦場の天使」は救国の夢を見る1 - メディア芸術データベース |url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/M865825 |website=mediaarts-db.bunka.go.jp |access-date=2023-04-23}}</ref> * [[DOCTOR PRICE]](原作:逆津ツカサ、作画:有柚まさき、双葉社、2022年 - )医師専門の転職仲介 * [[高度に発達した医学は魔法と区別がつかない]](原作・医療監修:[[津田彷徨]]、作画:[[瀧下信英]]、講談社、2022年 - )<ref>{{Cite web|和書|title=【モーツー新連載】 医療╳異世界=「医世界」ファンタジー!? 『高度に発達した医学は魔法と区別がつかない』本日開幕 |url=https://morning.kodansha.co.jp/news/5426.html |website=モーニング公式サイト |access-date=2023-06-11 |language=ja |last=モーニング}}</ref> * [[脳外科医 竹田くん]](「脳外科医 竹田くん」製作委員会、2023年 - ) * [[王の病室]](原作:[[灰吹ジジ]] 作画:[[中西淳]]、講談社、2023年 - )<ref>{{Cite web|和書|title=王の病室(1)(最新刊) | 灰吹ジジ/中西淳 | 無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア |url=https://www.cmoa.jp/title/275411/ |website=www.cmoa.jp |access-date=2023-09-15}}</ref> === 疾患を扱った作品 === * [[I's (漫画)|I's]](庄司陽子、[[講談社文庫|講談社漫画文庫]]、2000年) 性同一性障害 * [[G.I.D]]([[庄司陽子]]、[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]、2001年) 性同一性障害 * [[光とともに…]]([[戸部けいこ]]、[[秋田書店]]、2001年 - 2010年)自閉症とその家族 * [[IS (漫画)|IS?男でも女でもない性?]]([[六花チヨ]]、[[One more Kiss (雑誌)|One more Kiss]]、2003年 - 2009年)インターセックス * [[15の夜 (漫画)|15の夜]]([[週刊少年マガジン]]、2005年 - 2008年、不定期連載)ネグレクトや薬物依存症、アスペルガー症候群、AIDSなど * [[ツレがうつになりまして。]]([[細川貂々]]、[[幻冬舎]]、2006年)躁鬱病とその家族 * [[大原さんちのダンナさんーこのごろ少し神経症]]([[大原由軌子]]、[[文藝春秋]]、2006年)神経症、パニック障害など。他にもシリーズあり * [[目の玉日記]]([[小林よしのり]]、[[小学館]]、2006年)白内障闘病?手術まで、軽い緑内障 * [[壊れた脳 生存する知]](原案:[[山田規畝子]]、作画:[[成瀬涼子]]、[[BE・LOVE]]、2007年)脳出血後の高次脳機能障害 * [[わが家の母はビョーキです]]([[中村ユキ]]、[[サンマーク出版]]、2008年)精神分裂病 * [[だって更年期なんだもーん―なんだ、そうだったの?この不調]]([[ほしばあやこ&待鳥むう]]、監修:[[善方裕美]]、主婦の友社、2009年) 更年期障害 * [[わたしは働くうつウーマン]](作:[[安部 結貴]]、漫画:[[大葉リビ]]、[[小学館]]、2009年)鬱 自立支援医療費支給認定 パニック障害 * [[漫画家ママの うちの子はADHD (こころライブラリー)]]([[かなしろにゃんこ]]、[[講談社]]、2009年)ADHD育児日記 * [[日々コウジ中]]([[柴本礼]]、[[主婦の友社]]、2010年)高次脳機能障害の夫と暮らす日常コミック * [[西原理恵子X月乃光司のおサケについてのまじめな話 アルコール依存症という病気]]([[西原理恵子]]、[[月乃光司]]、[[小学館]]、2010年 )(漫画は冒頭だけあとは対談)アルコール依存症 家族や当事者、巻末に専門医療機関&サポート団体リスト * [[続・日々コウジ中]]([[柴本礼]]、[[主婦の友社]]、2011年)高次脳機能障害の夫と暮らす日常コミック * [[Final Phase]]([[朱戸アオ]]、[[PHP研究所]]、2011年)ハンタウイルス感染症 都心湾岸エリア * [[旦那さんはアスペルガー]](著:[[野波ツナ]]、監修:[[宮尾益知]]、[[コスミック出版]]、2011年-) * [[のほほん亭主がんになる?ステージIVから大逆転]]([[日野あかね]]、[[ぶんか社]]、2012年)悪性リンパ腫患者記録 * [[さよならタマちゃん]]([[武田一義]]、[[イブニングKC講談社]]、2013)精巣腫瘍患者記録(手術と化学療法) * [[マンガ 認知症のある人って、なぜ、よく怒られるんだろう?]]([[北川なつ]]、[[ぺこなつ堂]]、2012年)認知症のある人とその介護 短編集 * [[入院しちゃったうつウーマン]](作:[[安部 結貴]]、漫画:[[大葉リビ]]、[[小学館]]、2012年)閉鎖病棟 双極性障害 * [[もう大丈夫 パニック障害でもがんばれる!]](監修:[[貝谷久宣]]、著:[[ほりみき]]、[[講談社]]、2012年 ) * [[イタリアでがんになった]]([[泉もも]]、[[PHP研究所]]、2013年)子宮体癌 * [[今夜もホットフラッシュ]]([[青沼貴子]]、[[メディアファクトリー]]、2013年) 更年期障害 * [[思ってたウツとちがう! 「新型ウツ」うちの夫場合]]([[池田暁子]]、[[秋田書店]]、2013年) 新型うつ * [[ボクの彼女は発達障害: 障害者カップルのドタバタ日記]](著者:くらげ、漫画:[[寺島ヒロ]]、監修:[[梅永雄二]]、学研マーケティング、2013年) 広汎性発達障害 自閉症スペクトラム障害(ASD) 視覚・聴覚過敏等、周囲の人の接し方 * [[ニトロちゃん: みんなと違う、発達障害の私]] ([[沖田×華]]、[[光文社]]、2013年)アスペルガーなどの〈発達障害〉幼少時代の体験 * [[せんせい、誤診です!|せんせい、誤診です! ~ホラー漫画家の本当にあった怖い闘病]]([[山本まゆり]]、ぶんか社、2013年) 脳下垂体腺腫(無月経、視野欠損、むくみ)手術、その後まで * [[失踪日記2 アル中病棟]]([[吾妻ひでお|吾妻 ひでお]]、[[イースト・プレス]]、2013年 )アルコール依存症 入院 断酒会 * [[なんびょうにっき]]([[さとうみゆき]]、[[大洋図書]]、2013年 )成人スティル病 * [[おひとりさまの遠距離介護けもの道]]([[たけしまさよ]]、[[メディカ出版]]、2014年)膝人工関節手術・仮面鬱病・介護サービス等の説明 * [[死んで生き返りましたれぽ]]([[村上竹尾]]、[[双葉社|株式会社双葉社]]、2014年)(糖尿病性ケトアシドーシス・腎不全・脳浮腫etc.)意識不明状態の人の視覚聴覚と回復の過程 * [[ずっと健康だと思ってた。34歳脳こうそく克服記]](作:[[有田奈央]]、絵: [[麻生夕貴]]、イースト・プレス、2014年) 脳梗塞(左半身麻痺)と支える家族の話 * [[乳がんでもなんとかなるさ?独女マンガ家闘病記?]]([[佐々木彩乃]]、[[ぶんか社]]、2014年)手術 同時再建 ホルモン治療 * [[夫が骨肉腫になりました]]([[まきりえこ]]、[[扶桑社]]、2015年)膝蓋骨の骨肉腫の手術と化学療法 * [[となりのお尻が気になります]]([[加藤のりこ]]、[[実業之日本社]]、2015年 )痔核 手術 * [[はざまのコドモ 息子は知的ボーダーで発達障害児]](原作:[[君影草]]、漫画:[[沖田×華]]、[[ぶんか社]]、2015年) * [[はっちゃん、またね 多発性骨髄腫とともに生きた夫婦の1094日]]([[池沢理美]]、[[講談社]]、2015年)多発性骨髄腫 * [[入院ノート]]([[火村正紀]]、[[スクウェア・エニックス]]、2016年)(本は完結していない)子宮癌、卵巣癌、腹水、胸水 * [[ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!]]([[たむらあやこ]]、[[講談社]]、2016年)痛みの強いタイプのギラン・バレー症候群 * [[ふいにたてなくなりました。おひとりさま漫画家、皮膚筋炎になる]]([[山田雨月]]、[[ぶんか社]]、2016年) 皮膚筋炎(発症、治療、退院まで) * [[元気になるシカ! アラフォーひとり暮らし、告知されました]] ([[藤河るり]]、[[KADOKAWA]]、2016年) 卵巣癌 抗癌剤治療対策 * [[漫画家、パーキンソン病になる。]]([[島津郷子]]、ぶんか社、2016年)パーキンソン病 * [[コミュ障は治らなくても大丈夫 コミックエッセイでわかるマイナスからの会話力]](著:[[水谷緑]] 原著:[[吉田尚紀]] 、[[KADOKAWA]]、2016年) * [[淋しいのはアンタだけじゃない]]([[吉本浩二]]、[[小学館]]、2016-2017年)聴覚障害 * [[33歳漫画家志望が脳梗塞になった話]]([[あやめゴン太]]、集英社、2017年) 脳梗塞体験記 理学・作業・言語療法 * [[ぢ 私、痔主になりました]]([[てらいまき]]、河出書房新社、2017年) 内痔核 外痔核 痔瘻 肛門科体験記と役立ちグッズ * [[酔うと化け物になる父がつらい]]([[菊池真理子]]、[[秋田書店]]、2017年)アルコール依存症の父と家族の苦悩 * [[「子供を殺してください」という親たち]](原作:[[押川 剛]]、画[[鈴木マサカズ|:鈴木マサカズ]]、[[新潮社]]、2017年 -)引きこもりなどの子供のトラブルと家族 医療への連携など * [[難病患者になりましたっ! 漫画家夫婦のタハツセーコーカショーの日々]]([[岡田がる]]、[[朝日新聞出版]]、2017年)多発性硬化症、難病申請 * [[うちの子は字が書けない (発達性読み書き障害の息子がいます)]](監修:[[宇野彰]]、著:[[千葉リョウコ]]、[[ポプラ者]]、2017年)発達性読み書き障害(発達性ディスレクシア) 合理的配慮 * [[うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち]]([[田中圭一 (漫画家)|田中圭一]]、[[KADOKAWA]]、2017年) * [[さよならしきゅう]]([[岡田 有希]]、[[講談社]]、2017年)33歳で子宮頸がん * [[乳がんでもなんとかなるさ〜いのちのエリー編〜]]([[佐々木彩乃]]、[[ぶんか社]]、2018年)ステージ3 再建者と乳がん患者の会 * [[32歳で初期乳がん 全然受け入れてません]]([[水谷緑]]、[[竹書房]]、2018年 )手術 放射線治療 * [[元気になるシカ!2 ひとり暮らし闘病中、仕事復帰しました]]([[藤河るり]]、[[KADOKAWA]]、2018年 )卵巣癌 * [[わたし、39歳で「閉経」っていわれました]]([[たかはしみき]]、[[主婦と生活社]]、2018年)早発卵巣不全(早発閉経) * [[生理ちゃん]]([[小山健]]、[[KADOKAWA]]、2018年) * [[強迫性障害です!]]([[みやざき 明日香]]、[[星和書店]]、2018年 ) * [[パニくる!? パニック障害、「焦らない!」が効くクスリ]]([[櫻日和鮎実]]、[[KADOKAWA]]、2018年 ) * [[わたし中学生から統合失調症やってます。: 水色ともちゃんのつれづれ日記]](解説:[[成重 竜一郎]]、著:[[ともよ]]、[[合同出版]]、2018年) * [[実録 解離性障害のちぐはぐな日々: 私の中のたくさんのワタシ]](解説:[[岡野 憲一郎]]、著:[[Tokin]]、[[合同出版]]、2018年) * [[うつを甘くみてました#拡散希望#双極性障害#受け入れる#人生]]([[ブリ猫]]、[[ぶんか社]]、2018年) * [[お別れホスピタル]]([[沖田×華]]、[[小学館]]、2018年から )終末期病棟 * [[ありがとうって言えたなら]]([[瀧波ユカリ]]、[[文藝春秋]]、2018年)膵臓癌 家族の対応 * [[統合失調症日記]]([[木村きこり]]、[[ぶんか社]]、2018年) * [[脱 産後うつ 私はこうして克服した]]([[ミィ]]、[[講談社]]、2018年) * [[認知姫~暴れる義母との戦いの日々]](著:[[野原とり子]]、著:[[GSST]]、[[アムコミ]]、2018年)認知症家族の介護 * [[ALSになりました]]([[ぷよこ]]、[[eBookJapan Plus]]、2018年)筋萎縮性側索硬化症 * [[がんまんが 私たちは大病している]]([[内田春菊]]、[[ぶんか社]]、2018年)直腸癌、人工肛門 * [[こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話]](著:[[西造]]、著:映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」、[[comico]]、2018年)原作の映画をコミック化、筋ジストロフィー * [[コータリンは要介護5 車椅子の上から見た631日]](2018年3月、朝日新聞出版)[[クモ膜下出血]]後遺症による半身麻痺及び[[高次脳機能障害]] * [[こころライブラリー|発達障害 僕にはイラつく理由がある!]](監修:[[前川あさ美]]、著:[[かなしろにゃんこ]]、[[講談社]]、2019年)ADHD * [[内臓いっこ取っちゃった]]([[内村かなめ]]、[[ナンバーナイン (出版社)|ナンバーナイン]]、2019年)胆石 * [[現実逃避してたらボロボロになった話]]([[永田カビ]]、[[イースト・プレス]]、2019年)アルコールによる急性膵炎、ADHD * [[霊能者ですがガンになりました]](著:[[小林薫(漫画家)|小林薫]]、原作:斎、[[ぶんか社]]、2019年)乳がん、手術、抗がん剤治療 * [[腸よ鼻よ]]([[島袋全優]]、[[KADOKAWA]]、2019年 -)潰瘍性大腸炎 * [[僕の妻は発達障害]](ナナトエリ・亀山聡、[[新潮社]]、2019年 -)発達障害 * [[ある日突然、慢性疲労症候群になりました]](監修:[[倉恒弘彦]]、著:[[ゆらり(漫画家)|ゆらり]]、[[合同出版]]、2019年 ) * [[強迫性障害治療日記]]([[みやざき明日香]]、[[星和書店]]、2019年 ) * [[交通事故で頭を強打したらどうなるか?]]([[大和ハジメ]]、[[KADOKAWA]]、2019年)脳挫傷 高次脳機能障害 リハビリ 大学復帰 就職 * [[うつ病九段]](著:[[先崎学]]、漫画:[[河井克夫]]、[[文藝春秋]]Kindle版、2020年)うつ病 * [[消えていく家族の顔、現役ヘルパーが描く認知症患者の生活]]([[吉田美紀子]]、[[竹書房]]Kindle版、2020年)認知症 * [[骨髄ドナーやりました!]]([[水谷さるころ]]、[[少年画報社]]Kindle版、2020年)骨髄ドナー提供者 * [[末期ガンでも元気です 38歳エロ漫画家、大腸ガンになる]]([[ひるなま]]、[[フレックスコミックス]]、2021年) * [[がんの記事を書いてきた私が乳がんに!? 育児があるのにがんもきた]](著:[[内野こめこ]] その他:[[藍原育子]] 、[[KADOKAWA]]、2021年) * [[高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで]]([[もつお]]、[[KADOKAWA]]、2021年〜)強迫性障害、摂食障害 === 細菌、細胞を擬人化した作品 === * [[もやしもん]]([[石川雅之]]、[[講談社]]、2005年-2014)農学部の菌が見える青年の話、食中毒菌の話もあり * [[はたらく細胞]]([[清水茜]]、[[講談社]]、2015年-)医学監修 原田知幸、赤血球 白血球 血小板などの話 * [[はたらく細胞BLACK]](著:[[初嘉屋一生]]、著:[[原田重光]]、監修:[[清水茜]]、[[講談社]]、2018年-)不健康状態での体内 * [[はたらく細菌]](著:[[吉田はるゆき]]、監修:[[清水茜]]、[[講談社]]、2018年-)腸内細菌 * [[はたらかない細胞]](著:[[杉本萌]]、監修:[[清水茜]]、[[講談社]]、2018年-)赤芽球 * [[はたらく細胞フレンド]](原著:[[黒野カンナ]]、著:[[和泉みお]]、監修:[[清水茜]]、[[講談社]]、2019年-)キラーT細胞 * [[はたらく細胞LADY]](著:[[原田重光]] 著:[[乙川灯]] 監修:[[清水茜]] 、[[講談社]]、2020年) * [[はたらく細胞BABY]](著:[[福田泰宏]] 監修:[[清水茜]] 、[[講談社]]、2020年) * [[はたらく細胞WHITE]](著:[[蟹江鉄史 ]] 監修:[[清水茜]] 、[[講談社]]、2021年) == 脚注 == === 注釈 === {{Reflist|group="*"|30em}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=日本グラフィック・メディスン協会|title=日本の医療マンガ50年史 マンガの力で日本の医療をわかりやすくする|date=2021|publisher=SCICUS|isbn=978-4866680187|ref={{SfnRef|日本の医療マンガ50年史|2021}}}} [[Category:医療漫画|*]]
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4コマ漫画
4コマ漫画(よんコマまんが)は、4つのコマ(齣)によって短い物語を作る日本の漫画の形式の一つ。 最小限のストーリーを描くものとして、新聞や雑誌の一部に掲載され、古くから定着している形式である。 1980年代に登場した「4コマ漫画雑誌」や、1990年代に流行した「4コマ漫画アンソロジー」など、専門に取り扱う媒体も数多く存在する。 並べた4つのコマを起承転結の配置とし、4コマ目にはオチを配置するのが基本的な表現形式である。現代の日本ではコマの配列は縦が一般的であるが、歴史的には必ずしもそうではなく(後述)、日本以外の地域でも『ピーナッツ』のような横配列や2列構成(「田」の字)などが見られる。現代の日本でも、1列に2コマ、あるいは2列構成とした作品がある。また都合上、5コマ(2列で5コマ目が他のコマの4倍。作品によっては最終ページに組み込まれることもあるが、1ページ目に組み込まれることが多く、この場合通常5コマ目の大オチがタイトル表紙を兼ねている)、3コマ(序破急)、8コマなどにコマ数が変動することもある。最近は、3コマ目にもオチを配置した2段オチと呼ばれるものや、本来は内容の表題であった小見出し(サブタイトル)もオチの要素とするもの(4コマ目まで読んで初めて小見出しの意味がわかるもの)など、必ずしも起承転結に沿わない形で笑いを取るものも多い。 複数のコマを使用した短い漫画は日本以外にも見られるが、世界的には必ずしも4コマが主流ではなく、欧米では3コマも数多く存在し、東南アジアのタイでも3コマが一般的である。一方、東アジアの韓国や中国では4コマが定着したスタイルとなっている。 4コマ漫画にはサブタイトルが付くタイプと付かないタイプがある。サブタイトルが付くタイプのものは、そのサブタイトルの対象となる内容が概ね3コマ目か4コマ目に描かれていることが多い。「4コマ漫画」の名称が示す通り、4コマで話が完成する1話完結の作品が多いが、サブタイトルの有無に関係なく、時系列で物語が進む連続性のある作品も多く、それらは実質的にストーリー漫画と変わらない。 コマの配置形式は上述のように様々な手法が採用されているが、珍しいものとしては、1コマ目と4コマ目が通常で、2コマ目と3コマ目が縦長2コマ分かつ幅が半分で横並びになっている「II」のような形式で描かれる作品もある。 日本では江戸時代に風刺画や戯画を集めた書籍が木版画で出版されていたが、それらの中にはコマのような形で連続したストーリーに仕立てたものが存在した。江戸時代後期に出された『北斎漫画』の中には、ページの中に4つの絵が配され、その最後で「オチ」をつけたものがあり、清水勲は「4コマ漫画の源流」と記している。 江戸時代末期から西欧のコマ漫画のスタイルがチャールズ・ワーグマンらによって日本に紹介された。日本で最初に紹介された欧米スタイルの4コマ漫画は、ワーグマンが刊行していた『ジャパン・パンチ』に1876年に掲載された作品とみられている。やがて、日本人の発行する新聞(時事新報など)や雑誌(『団団珍聞』など)でもこれに影響を受けたとみられるコマ漫画が描かれるようになった。一説には、岡本一平が映画のフィルムに触発されて描いた作品が起源とも言われる。しかし、この時代にはまだ4コマ漫画は主流ではなく、1枚絵の漫画が中心で、コマ漫画も2コマ、3コマ、6コマなど様々なスタイルのものが描かれていた。明治後期を代表する漫画家である北沢楽天が中心となっていた『時事新報』の漫画ページ「時事漫画」(1902年スタート)の明治期におけるコマ数別の分類では、1コマが最多で24%に対し、4コマは18%で次点にとどまっていた。また、この時代には4コマの配列も、縦4コマと2列(「田の字」)のものが混在する状況であった。 大正時代にはアメリカやイギリスのコマ漫画が日本の新聞・雑誌に掲載され、それらに影響を受ける形で日本人漫画家の手になるコマ漫画が連載された。それらの中で、1923年にスタートした『正チャンの冒険』(文:織田小星、絵:椛島勝一)と『のんきな父さん』(麻生豊)は4コマ漫画のヒット作となった。『正チャンの冒険』は当時2列配置の「田の字」でスタートしたが、掲載先が『アサヒグラフ』から東京朝日新聞に移った1923年10月20日の回で縦4コマの配置を採用した。またこの『東京朝日新聞』での連載が、毎日連載する新聞4コマ漫画の最初とされている。一方、報知新聞に掲載された『のんきな父さん』は8コマでスタートし、6コマになったのち、1923年11月26日から4コマとなり、紙面の左上に掲載されるようになった(コマ配置は「田の字」形)。また、『正チャンの冒険』が吹き出しのセリフと欄外の説明文を併用していたのに対し、『のんきな父さん』は吹き出しのセリフだけでストーリーを展開した最初の4コマ漫画でもあった。 この2作のヒットにより、新聞各紙は4コマ漫画を競って載せるようになり、最初の「新聞4コマ漫画」ブームと呼べる状況が出現した。その中で、横山隆一が1936年から東京朝日新聞に連載を開始した『江戸っ子健ちゃん』は、『フクちゃん』へと発展し、ヒット作となる。戦争による漫画の減少(漫画家の報道班への徴用や疎開、夕刊廃止などの新聞紙面縮小による)を経て、太平洋戦争後には先に漫画の掲載が復活した地方紙から長谷川町子の『サザエさん』や南部正太郎の『ヤネウラ3ちゃん』といった人気作品が生まれ、第二次「新聞4コマ漫画ブーム」が起きる。また手塚治虫もそのデビュー作は1946年に開始した4コマ漫画『マァチャンの日記帳』だった。長谷川のほか、復帰した横山隆一や、読売新聞に『轟先生』を連載した秋好馨、1954年から毎日新聞に『まっぴら君』を連載した加藤芳郎らによって、戦後を代表する長寿の新聞4コマ漫画が1950年代前半には出揃った。 その後、日本経済が高度成長すると、新聞連載の4コマ漫画は、家族の日常を描いたものから、経済活動と関わりを持つサラリーマンを主役としたものへと変遷していく(『フジ三太郎』『サンワリ君』『アサッテ君』他)。だが、高度成長がもたらした嗜好の拡散に対し、新聞には公序良俗や過激な表現への制約があり、表現がマンネリズムに陥ったり、キャラクターには「毒も個性も無い」という状況が現出した。こうした中で、より対象を絞りやすく、表現の制約が少ない雑誌において、新たなスタイルの4コマ漫画が登場する。その代表的な漫画家がいしいひさいちや植田まさしであった。いしいの『がんばれ!!タブチくん!!』のヒットは、第三次「4コマ漫画ブーム」を起こし、雑誌やスポーツ新聞・夕刊紙への4コマ作品掲載が増加した。1980年代には4コマ漫画専門の雑誌も相次いで創刊された。 1980年代後半から1990年代にかけて、ストーリー漫画とのボーダレス化が進み、普段はストーリー漫画を執筆している漫画家が、4コマ漫画の連載を持つことも多くなった。1985年に連載開始の相原コージ『コージ苑』や、1989年に連載開始の吉田戦車『伝染るんです。』により、「4コマ=起承転結」という前提が崩壊したことにより、従来のオチの面白さを追求した作品よりも、不条理ネタ、雑学、作家の身辺雑記などが題材とされる作品が増えていく。さらに2000年代にかけて、いわゆる「萌え4コマ」誌が次々に創刊されて、アニメ・ゲーム・同人誌などのサブカルチャーとの結びつきが強まり、絵柄、キャラクター、萌えなど他の要素に重点を置く作品などが主流となっていった。 長期連載作も多い。1967年に連載開始の『碧南一家』は、現在の日本のすべての連載漫画のうち、最長寿漫画である。また『小さな恋のものがたり』は連載期間が52年4か月にも及んだ。 4コマ漫画は、日本ではかつては漫画の基本と言われた。例えば手塚治虫の『漫画の描き方』では、漫画の表現に関する説明の後、「案を作る」という章の中で4コマ漫画について触れ、これを「漫画のスジ立ての基本」であると言っている。また、多くの漫画家が4コマ漫画を描いてきたこと、自分自身も発表の場が無かった頃には4コマを多く描き、それが財産となっていることなどを説明している。その基本は起承転結であること、また4コマを発展させることで、長い漫画も描けることなどにも触れている。 漫画雑誌に連載で発表されている作品には、各4コマごとにオチをつけながら、物語としては完結させずに次の4コマに連続させ、複数本(作品にもよるが、おおむね10 - 15本前後の場合が多い)の4コマが総体として1つの物語をなしているような表現形式をとるものも多い。このような形式、あるいはこの形式をとっている作品は、ストーリー4コマと呼ばれている。 ストーリー4コマは、さらに以下のように大別できる。 ストーリー4コマと呼ばれる作品が増えたのは、4コマ漫画の普及に伴って若年の読者が増えてきたこと、漫画家の世代交代で幼少の頃にストーリー漫画に親しんだ漫画家が増えてきたことが原因として考えられる。元から比較的高い年齢を対象としており、基本的な関係はまったく変化せず4コマ作品1本で話をまとめることが好まれていたが、若年層が増えたことからストーリー性のある作品を好む傾向が出てきた。新聞4コマとは異なり、毎月数ページに渡って数本 - 十数本の4コマ漫画が掲載される月刊4コマ漫画誌という体裁も、ストーリー漫画の掲載に向いている媒体であったといえる。そのため、いしいひさいち、相原コージ、小池田マヤ、胡桃ちのなどの意欲的な作家により、ストーリー4コマというジャンルが確立され、『まんがタイムラブリー』や『まんがタイムジャンボ』など、若者向けの4コマ誌が誕生していったのである。 それでもあくまで4コマ漫画であるため、作品全体としてストーリーを進めつつも4コマ作品1本にしっかりとした起承転結が存在しているものが多かった。しかし、2000年頃を境としてストーリー漫画である程度の経歴を持った作家が4コマ漫画家に転身することも多くなり、4コマ目が笑いを必要としない「ストーリー的な結果」で締めくくられる作品や、中には4コマ目であっても次の話へ続く展開だけが描かれる作品も増えている。このような作品は「単にコマが4つずつになっただけのストーリー漫画」とも見られており、このような作品を4コマ漫画と呼ぶことに違和感があるという声も多いが、元から戦前戦後の頃の漫画はコマ割が一定であることが多く、昭和後期以降の漫画のように複雑なコマ割になりすぎたストーリー漫画に対する原点回帰だとする見方もある。 なお、上記2-2.のように年齢が変化しないにもかかわらず季節や流行が移り変わる物語性を持った連載作品は、4コマ漫画でもストーリー漫画でも俗に「サザエさん方式やサザエさん時空、あるいは磯野時空になっている」などと表現されることがある。これは、長谷川町子の『サザエさん』の主な舞台である磯野()家を、長期連載にかかわらず年齢が変化しない空間(時空)であると捉えた語である。 あるいは、上記4.のような作品であれば、「この作品は途中からサザエさん時空に突入した」などのような表現も用いられる。もっとも、『サザエさん』も初期は加齢があったので、もっとも典型的な「サザエさん時空」が上記4.の例といえる。 1980年末から1990年代初頭によく見られた形式。榎本俊二の『GOLDEN LUCKY』や吉田戦車の『伝染るんです。』、相原コージの『コージ苑』、須賀原洋行の『気分は形而上』、小林銅蟲の『ねぎ姉さん』などの作品が代表的。青年誌など4コマ専門誌以外で掲載されることが多い。一見するとオチているのかオチていないのか不明瞭だったり、話のネタ自体が理解しづらいが、なにかしら笑える部分がある。このような不条理な展開の4コマは『G組のG』などのギャグ4コマや、『ゆるめいつ』などの萌え系4コマにも受け継がれている部分がある。 1990年代末に萌えを重点とした4コマ漫画が増え始め、この様な作品は一般的に萌え4コマと呼ばれている。1999年に『電撃大王』で連載されたあずまきよひこの『あずまんが大王』が大ヒットし、また同じ年に成人向け美少女漫画誌の主力作家である後藤羽矢子が『まんがライフ』において初の一般向け作品でありストーリー4コマ漫画となる『どきどき姉弟ライフ』を発表、さらに『スポコミ』(前身は『月刊まんがパロ野球ニュース』)が休刊した後に、同じ雑誌コードを引き継いだ青年向け4コマ誌『まんがくらぶオリジナル』が創刊するなどの出来事が起こっている。このことから、1999年はいわゆる「おたく文化」の4コマ漫画界への流入が本格的に始まった年であり、後の萌え4コマ流行の礎の一つとなっていった。 ここに分類される基準は萌え要素の有無である。原則的に従来の4コマ漫画よりも絵に重点が置かれていること、登場人物の大半が美少女でありなおかつ萌え絵に属する(=主に男性に好まれる)絵柄であることが特徴に挙げられる。それ以外は一概にくくれる要素を持っているわけではないが、萌え4コマというフォーマットの性格上、キャラクターの個性がネタにされることが多く、小ボケの連続により話が進んでいくことが多い。4コマ目でオチを付けることは必須条件ではないため、ストーリー4コマの特徴を含む作品も多い。総じて4コマ目のオチが淡白になる傾向があり、中には4コマ目でオチがなく次の4コマへ向けての「承」や「転」に当たる展開が延々と続くものすら存在する。これは、オチのインパクトよりも、萌えキャラのキャラクター性が重視されているからである。なお、いわゆる「脱力系4コマ漫画」(例:『らき☆すた』、『ゆるめいつ』など)も作品全体の雰囲気がゆるく脱力系で進行するという意味で前者と同様「ゆるい作品」と表現されることが多いが、後者は原則4コマ目で落とす展開の連続で作られているため、前者と後者の「オチ」の性質は似て非なるものと言える。萌え4コマやそれを原作としたアニメなどによくみられる、萌え系の表現を重視して日常生活の描写を中心とした作風のコンテンツをさす用語としては、空気系というタームもある。植田まさしは自身が「実体のあるものを仕掛けにしたアイデア」をオチに使うことを明かした上で、萌え4コマの「空気オチ」の傾向について「具体的なオチへの期待感がないんですよ。結局それはキャラクターに頼っているということで、キャラ頼りの漫画って長続きしないと思うんです」と厳しく批評している。 また、ストーリー漫画やライトノベル、美少女ゲームのイラストレーター出身の作家も多く、これらの分野から受けた影響から感動的な展開やいわゆる「泣き」の設定を取り入れる作品も少なくない。ドタバタラブコメディのような作品の手法を応用した終始ハイテンションで突っ走る作品も存在するが、画風などの特性においては萌え4コマと共通しており、同種として括られているのが通常である。 萌え4コマの元祖を特定することは難しく、万人が納得する一つの作品に絞り込むことはできていない。萌えるかどうかは作品だけでなく読者側の問題でもあり、伝統的な4コマ作品でも受け手次第で萌えることは可能といえる。 萌え4コマ専門誌の先駆者は『まんがタイムきらら』(2002年創刊)だと言われるが、その母体は複数ある。 なお、同人誌界で活躍している作家が4コマ漫画業界に多数参入してくるようになったきっかけも萌え4コマの流行と『きらら』の創刊であると考えられているが、それ以前から4コマ漫画誌でデビューを果たしていた胡桃ちの・青木光恵・さんりようこらと言った作家も元々はと言えば同人誌活動をしていて、後に漫画家としてデビューした作家である。 萌え4コマ専門誌2000年代前半 - 半ばに相次いで創刊したが、上記の『まんがタイムきらら』シリーズを除いて長続きしないものが多かった。2004年には5誌が創刊したが、翌年までに『まんがタイムきららMAX』以外は休刊に追い込まれた(双葉社『もえよん』は13号まで発刊、『COMICぎゅっと!』は3号、『コミックメガミマガジン』は2号、『まんが学園4年生』は1号のみ)。その後、2006年9月に一迅社から『まんが4コマKINGSぱれっと』が創刊された。2008年には姉妹誌『まんがぱれっとLite』が創刊されたが、2011年4月より2誌体制をやめて両誌を統合(『Lite』を廃刊)、『まんが4コマぱれっと』と改題した。 他にも、2003年には竹書房から一般誌と萌え4コマ誌の折衷型雑誌として『まんがライフMOMO』が創刊している。折衷型は永らく『MOMO』独自のポジションであったが、2000年代後期からは芳文社刊の『まんがタイムジャンボ』や『スペシャル』などの青年4コマ誌が追随するようになり、同じ竹書房刊の『まんがくらぶオリジナル』なども創刊当初の誌面構成に近い内容に回帰する形でこれに追随するようになっていった。同時に一般4コマ誌全体においても萌え4コマの掲載比率が年を追う毎に高まり、単に「萌え」というひとつのジャンルに留まらず「4コマ雑誌界全体における新人作家発掘の場」としての役割も担うこととなっていった。 2010年頃からは各社ともリスクの高い新雑誌の創刊を避け、既存4コマ誌の萌え系化やWeb4コマサイトによる公開といった方針が取られる傾向にある。そのような中で芳文社の『まんがタイムラブリー』も従来の女性向け4コマ誌からの脱却が図られ、2011年2月発行の3月号より従来の萌え4コマ世代と同じか、それよりもさらに若い漫画好き世代をターゲットとしたストーリー4コマ雑誌としてリニューアルされた。 作品自体の性質から、購読者層の男女比率は圧倒的に男性が多く、一般的な4コマ誌では概ね半々であるが『きらら』や『ぱれっと』系統では男女比が9:1〜8:2にものぼる。折衷タイプにおいても『MOMO』では7:3で男性読者の方が多く、『ジャンボ』でも同様の傾向が見られる。 萌え4コマは他ジャンルからの批判、偏見も少なくなく、『週刊少年ジャンプ』の連載作『バクマン。』作中で批判されたり、『ビッグコミックスピリッツ』の『気まぐれコンセプト』作中で批判されたこともあった。 主要な掲載媒体は、新聞、商業誌(通常の漫画雑誌、4コマ専門漫画雑誌(「4コマ誌」と略される))、アンソロジー形式の単行本、同人誌等である。近年はWebコミックによる発表も増えている。 新聞での掲載個所は社会面左上隅が一般的であり、多くの一般紙に掲載されている(朝刊のみに掲載される場合、中面に掲載される場合もある)。あらかじめ作者が提示した掲載候補から担当記者による選別を経て、掲載作品が決定される。また、不測の事態に備えて、いわゆる「描き溜め」のストックも行われている。新聞紙上における一服の清涼剤としての役割が期待され、また幅広い読者層に対応するため、古典的な起承転結を基調とし、話題は季節ネタ・時節ネタが多い。但し、時節ネタも同様な理由から刺激の強いものは避けられる傾向が強い。それでも新聞というメディアの特性上、作者の意図しない解釈による批判を受ける(参照ページ「マスコミにおける女性蔑視を考える」)ことも多く、ますます現実と遊離した無難な内容の作品が掲載される結果を招いている。制約が多く、独占的・長期に連載されるため(作者の死によって連載終了となることも多い)マンネリ化に陥ることも多い。 一部の連載(『アサッテ君』の一時期や、『ひなちゃんの日常』、『フジ三太郎』など)では8コマや9コマ、中には3コマとなったものもある。 韓国の新聞では、政治、経済、社会、文化全般の時事的な問題や人物を風刺して描かれることが多く、特に「漫評」と呼ばれることがある。 なお、掲載紙がスポーツ紙のため参考扱いであるが、『いも虫ランド』(コジロー スポーツニッポン。1984年10月11日掲載開始)が2021年9月26日時点で13075回掲載となっている(同日付紙面にて確認)。 4コマ漫画作品を主な内容として掲載している漫画雑誌(商業誌)を総称して4コマ誌(よんコマし)という。これは「4コマ漫画専門雑誌」の略で、芳文社、竹書房、双葉社、ぶんか社、などから発行されている。判型はB5判(182mm×257mm)のものが殆ど。綴じ方は中綴じのものが多いが、平綴じのものも増えつつある。ページ数は、中綴じのものは200ページ前後、平綴じのものは220ページ前後である。 1冊あたりの税込価格は概ね270円から350円程度であるが、2004年頃からは、『まんがタイムきららMAX』(2004年5月24日創刊)が450円、『もえよん』(2004年7月9日創刊)が420円にそれぞれ設定されるなど、例外的に400円を超えるものも現れつつある(価格はすべて創刊号のもの)。『まんがライフMOMO』を含む萌え4コマ誌は、基本的に自社広告以外の広告が掲載されていないこともあり(掲載される場合、ほとんどがとらのあな、メロンブックスなどの同人ショップやブロッコリーなどのゲーム・キャラクターグッズ企業である)、一般的に350円程度とおおむね通常よりも高めの価格設定をされることが多い。 「まんが○○○」などと、雑誌名の頭が平仮名で「まんが」と始まるものが多く、狭義にはこれに当てはまる雑誌のみが4コマ誌と称される。この中には(主として1人ないし少人数の漫画家を特集する)再録作品を中心とした、不定期または実質定期の増刊号=再録4コマ誌が含まれる。現在発行されている定期刊行(狭義)4コマ誌の中には、再録誌から出発した後に初出作品の分量を増やし、通常の4コマ誌にリニューアルして今に至っているものもある。 また、「本当にあった○○○な話」など、雑誌名の頭が「本当にあった」で始まるものも広義には4コマ誌に含まれるが、前者は創作漫画作品(普通の漫画作品)を中心に掲載しているのに対し、後者は読者からの投稿を4コマ漫画化したものを中心としており、前者(狭義の4コマ誌)と区別するため特に実話系4コマ誌などと称されることがある。実話系4コマの元祖は田島みるくの『本当にあった愉快な話』(現・本当にあったゆかいな話)で、ここから派生してお色気系実話に特化した『愛のイトナミ』(現・愛のイトナミSP、後藤ユタカ作)、その他医療系実話の主力・安斎かなえや、自らの恋愛体験を赤裸々に描く桜木さゆみらといった作家が実話系4コマ漫画を中心に活動している。 萌え4コマ誌については萌え4コマの節を参照。 この他に、『みこすり半劇場』とその増刊・別冊など、成人向けの4コマ漫画作品を中心とするものはエロ4コマ誌、艶笑4コマ誌などと称される(実話系4コマ誌においても成人向けの内容を多く含むものがあるが、呼称は明確には区別されていない。また通常の成人向け4コマ誌は男性読者が中心であるのに対し、実話系は女性読者が多い傾向にあるという差異もある)。便宜上成人向け4コマと呼ばれているがあくまで下ネタや色気を題材として笑わせることが目的の作品であるため、いわゆる18禁漫画に指定されることはない。 成人向け4コマ誌は『みこすり半劇場』の登場後密かなブームとなり、1990年代前半には創刊が相次ぎ一時的に乱立状態となった。しかし、ほとんどの雑誌が短命に終わり、『みこすり半劇場』のみが細々と残ることとなった。その『みこすり半劇場』自体も2010年のリニューアルでノンフィクション(実話系)4コマ中心へ、そして2013年のリニューアルでは4コマ誌の体裁を捨て成人向けストーリー漫画誌へと路線変更され、この時点で創作ものとしてのお色気・下ネタ4コマ漫画誌は出版業界から姿を消すこととなり、さらに翌2014年には雑誌自体が休刊することとなった。他にも『ビタマン』、『あべまん』→『えっち一本勝負』→『NAMAIKIッ!』(竹書房)や『まんが笑がっこう』→『SHOWGAKKO』(平和出版)のように、成人向け4コマ誌として創刊した後に成人向け漫画誌に路線変更したものもある。ちなみに現在休刊となった『SHOWGAKKO』からは、同誌で漫画を執筆していたかがみふみをと、同誌のハガキ投稿コーナーの常連であった荻野眞弓が後に4コマ漫画誌で活躍することになるという皮肉な結果も生まれている。同様に成人向け4コマから路線変更した雑誌に『まんがシャワー』(一水社)がある。この雑誌は成人向け4コマ誌から熟女系エロ劇画誌『漫画シャワー』になり、現在では『まんがシャワー』と誌名を戻したものの、漫画よりもヌードグラビアなどを重視したごく一般的なエロ本になって刊行されている。同じように現在エロ本化している元成年向け4コマ誌には『COMICび〜た』、『カルビPOWER』(いずれも若生出版)がある。市場の縮小により転身した作家も少なくなく、当時『イカしてソーロウ』を代表とする人気作品を次々と発表し、下ネタ4コマ業界で岩谷テンホーと人気を二分していた笑太郎はその後ジュニアアイドルのイメージビデオの制作業に転身し、『天使の絵日記』シリーズを制作・販売している(ちなみにかつて同シリーズに出演していた吉沢真由美は笑太郎の実娘である)。 また、この時期にはファミリー向け・成人向け・スポーツ芸能4コマを一冊の雑誌にまとめて掲載した『まんが笑アップ』と、増刊『まんがポケット』(廣済堂出版)という変り種の4コマ誌もあった。両誌とも概ね一般向け作品5割:成人向け作品3割:スポーツ芸能、その他(不条理系など)2割程度の比率で掲載されており、『みこすり半劇場』掲載作と同様の性描写や性的行為をあからさまに描いた過激な作品から、家庭などを舞台とした暖かくほのぼのとした雰囲気の作品までが1冊の雑誌内で同居しているという異色の4コマ雑誌であった。しかし、このように作品相互間において読者層が相容れないものをごちゃ混ぜにした内容であったためか長続きせず、いずれも早々に休刊となった。なお2010年現在発行されている4コマ誌においては『主任がゆく!スペシャル』(ぶんか社刊、『無敵恋愛S*girl』増刊号→『みこすり半劇場』増刊号)が一般向け・成人向け・実話系4コマを一冊にまとめて掲載する形を取っておりこれに近いものとなっているが、成人向け作品の描写を比較的ソフトに抑えることで誌面全体のバランスを取るよう図られている。 4コマ誌においても、4コマ以外の形式の作品(区別のために、「ストーリー作品」(ストーリー形式の漫画作品)と呼ばれる)も数本程度掲載される。通常、4コマ形式の作品は1作品あたり4〜8ページ、ストーリー形式の作品は1作品あたり6〜10ページ程度で、1冊の4コマ誌には少なくとも20作品以上が掲載されている。 他に、各雑誌ごとに異なるが、読者投稿欄、アンケート、パズル、占い、文章作品(エッセイなど)なども掲載される。アンケートは懸賞付きで行われ、賞品には現金や金券類などが設定される。近年は作家の色紙やサイン入り単行本などを賞品とするものも現れている。 また他の漫画雑誌と異なり、表紙が1名の作家によって複数月連続して担当される、という特徴がある。この理由としては、「複数の4コマ誌で同一作品が同時に連載されている例が多いため、表紙担当を毎号変えると読者が混乱するため」、「あまり熱心ではない読者(意識して4コマ誌を購読しているのではなく、暇潰しなどの目的で目に付いた雑誌を適当に買った読者)にとっては、各4コマ誌は雑誌名も似ており区別しづらいため、彼らに対して“前号と同一銘柄の雑誌であること”を印象付け、継続購読を促すため」、などの説があるが、定かではない。また、『まんがタイムきらら』系は他の4コマ誌と異なり「特定の作家・作品のファンとなった読者層を定期購読者として取り込む戦略を展開している(=熱心な読者を創り出しターゲットとする)」ため当初は表紙担当の固定制にはこだわっていなかったが、近年はアニメ化された看板作品に固定される時期もある。表紙作家は基本的に巻頭カラーも担当する(芳文社の一部雑誌は表紙作家以外が巻頭を担当することがある)。ページ数も毎回8ページ前後と多く、さらに竹書房の場合は連載に関連した企画連載も同時掲載されるなど、表紙作家は文字通り雑誌の看板として別格扱いとなっている。 2023年12月現在の4コマ誌の表紙作家と担当期間は次の通り。 4コマ誌に連載された作品の単行本は、判型がA5判(148mm×210mm)のものが殆どで、他の形式の作品の単行本の多くがB6判(128mm×182mm)以下であることに比べると、やや大きめになっている。価格は各出版社・各レーベルごとに異なり、更にカラー印刷のページ数などによっても異なるため、概ね600円から900円程度とまちまちである。特に先述の萌え4コマは高値に設定されており、一般誌と併売している大手では別レーベル(芳文社=まんがタイムKRコミックス、竹書房=MOMO selection)を設けて他のコミックスとシリーズ・価格とも区別する形式を取っている。これらの書籍は1頁に2本(8コマ)を収録したものが多いが、一方でいしいひさいち作品などから増え始めた、1頁に1本を収録した新書サイズのものも見られ、こちらはやや安価である。 また、単行本のための描き足しが、巻頭・巻末や本文内だけでなく、カバー裏(カバーを外した状態の、単行本本体の表紙・裏表紙をこう呼ぶ)にも付されることが多く、単行本を購入した読者にとっては、カバーをめくることも楽しみのひとつとなっている。 単行本化される作品は、連載である程度の人気を得たものに限られており、連載が長期にわたり続いても単行本が発売されない場合がある。また、単行本の第1巻が発売されても、その売れ行きが芳しくないと、連載が続いても第2巻以降が発売されないことが多い。4コマ誌掲載漫画の単行本で第2巻の出るタイトル数は第1巻のそれの約半分、と言われている。そのため、連載が完結しても、単行本上では永遠に未完となってしまう場合も珍しくない。また、単行本で完結しても、中長期連載の場合は相当数の未収録話が残るケースもみられる。単行本未収録分を同人誌として頒布したり、4コマ漫画単行本の読者プレゼントとする漫画家もいるが、これは稀な例である。主にストーリー4コマで単行本にきっちり収めて完結させるために途中から展開を早めるなどして調節される場合もあるが、このようなケースは連載が打ち切られることが前提であるとはいえ、前述のようなケースが多い実情に鑑みると恵まれている方である。単行本の発売に際しては、様々な拡販施策(フェア)が行われることがあるが、かつてのフェアは1社単独での既刊単行本や掲載誌との連動企画を中心に展開されるものだった。1999年には、竹書房・白泉社の合同企画として「みずしな&ももせコミックスフェア」が開催され、両社で主力作家であったみずしな孝之とももせたまみの対象コミックス購入者にオリジナル特製しおりがプレゼントされるなど、異なる出版社による2社合同フェアが行われるようになった。さらに、2000年頃からは、1名の作家の作品を複数の出版社で同日に発売し、合同フェアとして広告展開することによる拡販施策が行われるようになった(例:2003年、真右衛門、講談社・竹書房/2004年、森真理、竹書房・小学館)。特筆されるのは2004年10月の「重野なおきスリーランフェア」で、竹書房・双葉社・白泉社の3社から1冊ずつ計3冊の単行本が同日に発売された。これに続き、2005年1月から3月にかけて、芳文社・竹書房・メディアワークスの3社から、大井昌和の作品の単行本が毎月27日頃に各1冊ずつ発売された。いずれも、「3社合同企画」などと銘打ち、合同での懸賞が行われたり、雑誌上において他社刊行のものを含む複数冊をまとめて広告するなど、出版社ごとの垣根を越えた拡販施策が行われている。その後も胡桃ちのや小笠原朋子などについて同様の施策が行われ、4コマ誌に連載を持つ作家の単行本についての拡販施策の定石となった。 コンピュータゲーム作品(特にテレビゲーム)の世界観や登場人物を、そのまま題材として二次創作した4コマ漫画作品をゲーパロという(「ゲームパロディ」の略か)。他の作品を題材とした二次創作作品は、本来は同人誌として発行されるものであるが、ゲーパロの分野においては、ゲームメーカーと無関係の出版社が発行するほかに、ゲームメーカーが自らゲーパロ作品の単行本を発行・発売しているケースもある。このような単行本の殆どは、複数名の作家によるアンソロジー形式を採っているため、コンピューターゲーム作品を題材とした4コマ漫画作品の単行本はゲームアンソロジーと総称されている(単に「アンソロ」とも略される)。 上述の4コマ誌とは異なり、ゲームアンソロジーに収録されている作品は、雑誌等への掲載を経ずに単行本上のみで発表されることが多い。 古参かつ代表的なレーベルには、エニックス(後のスクウェア・エニックス)より刊行されていた『4コママンガ劇場』がある。『ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場』の商業的成功は、少年漫画雑誌『月刊少年ガンガン』を生み出す原動力となった。 このことに端を発し、各社が競ってゲームアンソロジーを発行するようになった。このジャンルは以前から存在したが、現在の多くの作品は『4コママンガ劇場』を参考としたものであるといえる。また、プロの漫画家ではない素人(しかも、同人作家ですらない)が起用されることもあり、これがプロデビューのきっかけとなった漫画家も多いが、これもかつての『4コママンガ劇場』の基本方針の一つであった。このレーベルからプロデビューを果たした代表的な漫画家は、衛藤ヒロユキ、柴田亜美など。 『4コマまんが王国』は、双葉社が発行していた、主にテレビゲームに関するパロディー・ギャグ4コマ漫画やショートコミックのレーベルで、双葉社アクションコミックスのシリーズである。 上述の『4コママンガ劇場』に次ぐ歴史を誇るが、既に双葉社は1986年頃にゲームソフトを題材にした漫画として「ファミコン冒険ゲームブック」のレーベルを立ち上げており、ゲームコミックの歴史としては『4コママンガ劇場』にも並ぶか、場合によっては最も古いレーベルではないかといわれている。1991年に『4コママンガ劇場』の成功に注目、『4コマまんが王国』としてシリーズ化するとともに、1993年には一雑誌の創刊を実現するまでに成長した。 表現上の規制が厳しいとされていた4コママンガ劇場よりも規制基準がかなり緩かったこともあり、質の高い数々の爆笑ネタや漫画家が誕生。4コママンガ劇場よりも多くのゲームソフトの漫画化も行われた。最盛期には任天堂のゲームを対象にしたものが多く出版されており、4コママンガ劇場のライバル的存在としてゲームコミックレーベルの中でもトップクラスの人気を誇った。このレーベルからプロデビューを果たした代表的な漫画家は佐々木亮など。 個人サイトや4コマ漫画誌の公式サイトにおけるものが主である。『livedoor デイリー4コマ』や『まんがタイムきららweb』、『ピクシブ通信』など、ポータルサイトやWebコミックサイト内の4コマ漫画用コンテンツとして設けられているものもある。 近年では竹書房が『デイリー4コマ』を縁としてライブドアとの関係を深めており、両社間での作者の交流や、新人賞の共同主催を行っており、2009年4月27日にはデイリー4コマのサイトの一部を間借りする形で新たにWeb4コマコミック『まんがライフWIN』をオープンした。『まんがライフ』系統で人気の作家を中心に起用されているが、インターネット媒体ということもあり、作品のラインナップは同社刊の雑誌系統のものよりも萌え系4コマにより比重を置いた構成となっている。 2010年2月23日には、芳文社も『まんがタイム』系、『きらら』系に続く第三の4コマ媒体として、上記と同じ『デイリー4コマ』との共同運営によるWeb4コマコミック『まんがタイムWAVE』をオープンしたが、2011年3月いっぱいで閉鎖した。 2011年6月10日より一迅社が、廃刊した『まんがぱれっとLite』に代わるWeb4コマコミック『まんが4コマぱれっとOnline』をオープンしている。 各出版社ごとに、創刊の古い順に掲げる。●は休・廃刊。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "4コマ漫画(よんコマまんが)は、4つのコマ(齣)によって短い物語を作る日本の漫画の形式の一つ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "最小限のストーリーを描くものとして、新聞や雑誌の一部に掲載され、古くから定着している形式である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1980年代に登場した「4コマ漫画雑誌」や、1990年代に流行した「4コマ漫画アンソロジー」など、専門に取り扱う媒体も数多く存在する。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "並べた4つのコマを起承転結の配置とし、4コマ目にはオチを配置するのが基本的な表現形式である。現代の日本ではコマの配列は縦が一般的であるが、歴史的には必ずしもそうではなく(後述)、日本以外の地域でも『ピーナッツ』のような横配列や2列構成(「田」の字)などが見られる。現代の日本でも、1列に2コマ、あるいは2列構成とした作品がある。また都合上、5コマ(2列で5コマ目が他のコマの4倍。作品によっては最終ページに組み込まれることもあるが、1ページ目に組み込まれることが多く、この場合通常5コマ目の大オチがタイトル表紙を兼ねている)、3コマ(序破急)、8コマなどにコマ数が変動することもある。最近は、3コマ目にもオチを配置した2段オチと呼ばれるものや、本来は内容の表題であった小見出し(サブタイトル)もオチの要素とするもの(4コマ目まで読んで初めて小見出しの意味がわかるもの)など、必ずしも起承転結に沿わない形で笑いを取るものも多い。", "title": "形式と位置づけ" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "複数のコマを使用した短い漫画は日本以外にも見られるが、世界的には必ずしも4コマが主流ではなく、欧米では3コマも数多く存在し、東南アジアのタイでも3コマが一般的である。一方、東アジアの韓国や中国では4コマが定着したスタイルとなっている。", "title": "形式と位置づけ" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "4コマ漫画にはサブタイトルが付くタイプと付かないタイプがある。サブタイトルが付くタイプのものは、そのサブタイトルの対象となる内容が概ね3コマ目か4コマ目に描かれていることが多い。「4コマ漫画」の名称が示す通り、4コマで話が完成する1話完結の作品が多いが、サブタイトルの有無に関係なく、時系列で物語が進む連続性のある作品も多く、それらは実質的にストーリー漫画と変わらない。", "title": "形式と位置づけ" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "コマの配置形式は上述のように様々な手法が採用されているが、珍しいものとしては、1コマ目と4コマ目が通常で、2コマ目と3コマ目が縦長2コマ分かつ幅が半分で横並びになっている「II」のような形式で描かれる作品もある。", "title": "形式と位置づけ" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "日本では江戸時代に風刺画や戯画を集めた書籍が木版画で出版されていたが、それらの中にはコマのような形で連続したストーリーに仕立てたものが存在した。江戸時代後期に出された『北斎漫画』の中には、ページの中に4つの絵が配され、その最後で「オチ」をつけたものがあり、清水勲は「4コマ漫画の源流」と記している。", "title": "日本における歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "江戸時代末期から西欧のコマ漫画のスタイルがチャールズ・ワーグマンらによって日本に紹介された。日本で最初に紹介された欧米スタイルの4コマ漫画は、ワーグマンが刊行していた『ジャパン・パンチ』に1876年に掲載された作品とみられている。やがて、日本人の発行する新聞(時事新報など)や雑誌(『団団珍聞』など)でもこれに影響を受けたとみられるコマ漫画が描かれるようになった。一説には、岡本一平が映画のフィルムに触発されて描いた作品が起源とも言われる。しかし、この時代にはまだ4コマ漫画は主流ではなく、1枚絵の漫画が中心で、コマ漫画も2コマ、3コマ、6コマなど様々なスタイルのものが描かれていた。明治後期を代表する漫画家である北沢楽天が中心となっていた『時事新報』の漫画ページ「時事漫画」(1902年スタート)の明治期におけるコマ数別の分類では、1コマが最多で24%に対し、4コマは18%で次点にとどまっていた。また、この時代には4コマの配列も、縦4コマと2列(「田の字」)のものが混在する状況であった。", "title": "日本における歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "大正時代にはアメリカやイギリスのコマ漫画が日本の新聞・雑誌に掲載され、それらに影響を受ける形で日本人漫画家の手になるコマ漫画が連載された。それらの中で、1923年にスタートした『正チャンの冒険』(文:織田小星、絵:椛島勝一)と『のんきな父さん』(麻生豊)は4コマ漫画のヒット作となった。『正チャンの冒険』は当時2列配置の「田の字」でスタートしたが、掲載先が『アサヒグラフ』から東京朝日新聞に移った1923年10月20日の回で縦4コマの配置を採用した。またこの『東京朝日新聞』での連載が、毎日連載する新聞4コマ漫画の最初とされている。一方、報知新聞に掲載された『のんきな父さん』は8コマでスタートし、6コマになったのち、1923年11月26日から4コマとなり、紙面の左上に掲載されるようになった(コマ配置は「田の字」形)。また、『正チャンの冒険』が吹き出しのセリフと欄外の説明文を併用していたのに対し、『のんきな父さん』は吹き出しのセリフだけでストーリーを展開した最初の4コマ漫画でもあった。", "title": "日本における歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "この2作のヒットにより、新聞各紙は4コマ漫画を競って載せるようになり、最初の「新聞4コマ漫画」ブームと呼べる状況が出現した。その中で、横山隆一が1936年から東京朝日新聞に連載を開始した『江戸っ子健ちゃん』は、『フクちゃん』へと発展し、ヒット作となる。戦争による漫画の減少(漫画家の報道班への徴用や疎開、夕刊廃止などの新聞紙面縮小による)を経て、太平洋戦争後には先に漫画の掲載が復活した地方紙から長谷川町子の『サザエさん』や南部正太郎の『ヤネウラ3ちゃん』といった人気作品が生まれ、第二次「新聞4コマ漫画ブーム」が起きる。また手塚治虫もそのデビュー作は1946年に開始した4コマ漫画『マァチャンの日記帳』だった。長谷川のほか、復帰した横山隆一や、読売新聞に『轟先生』を連載した秋好馨、1954年から毎日新聞に『まっぴら君』を連載した加藤芳郎らによって、戦後を代表する長寿の新聞4コマ漫画が1950年代前半には出揃った。", "title": "日本における歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "その後、日本経済が高度成長すると、新聞連載の4コマ漫画は、家族の日常を描いたものから、経済活動と関わりを持つサラリーマンを主役としたものへと変遷していく(『フジ三太郎』『サンワリ君』『アサッテ君』他)。だが、高度成長がもたらした嗜好の拡散に対し、新聞には公序良俗や過激な表現への制約があり、表現がマンネリズムに陥ったり、キャラクターには「毒も個性も無い」という状況が現出した。こうした中で、より対象を絞りやすく、表現の制約が少ない雑誌において、新たなスタイルの4コマ漫画が登場する。その代表的な漫画家がいしいひさいちや植田まさしであった。いしいの『がんばれ!!タブチくん!!』のヒットは、第三次「4コマ漫画ブーム」を起こし、雑誌やスポーツ新聞・夕刊紙への4コマ作品掲載が増加した。1980年代には4コマ漫画専門の雑誌も相次いで創刊された。", "title": "日本における歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1980年代後半から1990年代にかけて、ストーリー漫画とのボーダレス化が進み、普段はストーリー漫画を執筆している漫画家が、4コマ漫画の連載を持つことも多くなった。1985年に連載開始の相原コージ『コージ苑』や、1989年に連載開始の吉田戦車『伝染るんです。』により、「4コマ=起承転結」という前提が崩壊したことにより、従来のオチの面白さを追求した作品よりも、不条理ネタ、雑学、作家の身辺雑記などが題材とされる作品が増えていく。さらに2000年代にかけて、いわゆる「萌え4コマ」誌が次々に創刊されて、アニメ・ゲーム・同人誌などのサブカルチャーとの結びつきが強まり、絵柄、キャラクター、萌えなど他の要素に重点を置く作品などが主流となっていった。", "title": "日本における歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "長期連載作も多い。1967年に連載開始の『碧南一家』は、現在の日本のすべての連載漫画のうち、最長寿漫画である。また『小さな恋のものがたり』は連載期間が52年4か月にも及んだ。", "title": "日本における歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "4コマ漫画は、日本ではかつては漫画の基本と言われた。例えば手塚治虫の『漫画の描き方』では、漫画の表現に関する説明の後、「案を作る」という章の中で4コマ漫画について触れ、これを「漫画のスジ立ての基本」であると言っている。また、多くの漫画家が4コマ漫画を描いてきたこと、自分自身も発表の場が無かった頃には4コマを多く描き、それが財産となっていることなどを説明している。その基本は起承転結であること、また4コマを発展させることで、長い漫画も描けることなどにも触れている。", "title": "日本での古典的位置づけ" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "漫画雑誌に連載で発表されている作品には、各4コマごとにオチをつけながら、物語としては完結させずに次の4コマに連続させ、複数本(作品にもよるが、おおむね10 - 15本前後の場合が多い)の4コマが総体として1つの物語をなしているような表現形式をとるものも多い。このような形式、あるいはこの形式をとっている作品は、ストーリー4コマと呼ばれている。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ストーリー4コマは、さらに以下のように大別できる。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "ストーリー4コマと呼ばれる作品が増えたのは、4コマ漫画の普及に伴って若年の読者が増えてきたこと、漫画家の世代交代で幼少の頃にストーリー漫画に親しんだ漫画家が増えてきたことが原因として考えられる。元から比較的高い年齢を対象としており、基本的な関係はまったく変化せず4コマ作品1本で話をまとめることが好まれていたが、若年層が増えたことからストーリー性のある作品を好む傾向が出てきた。新聞4コマとは異なり、毎月数ページに渡って数本 - 十数本の4コマ漫画が掲載される月刊4コマ漫画誌という体裁も、ストーリー漫画の掲載に向いている媒体であったといえる。そのため、いしいひさいち、相原コージ、小池田マヤ、胡桃ちのなどの意欲的な作家により、ストーリー4コマというジャンルが確立され、『まんがタイムラブリー』や『まんがタイムジャンボ』など、若者向けの4コマ誌が誕生していったのである。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "それでもあくまで4コマ漫画であるため、作品全体としてストーリーを進めつつも4コマ作品1本にしっかりとした起承転結が存在しているものが多かった。しかし、2000年頃を境としてストーリー漫画である程度の経歴を持った作家が4コマ漫画家に転身することも多くなり、4コマ目が笑いを必要としない「ストーリー的な結果」で締めくくられる作品や、中には4コマ目であっても次の話へ続く展開だけが描かれる作品も増えている。このような作品は「単にコマが4つずつになっただけのストーリー漫画」とも見られており、このような作品を4コマ漫画と呼ぶことに違和感があるという声も多いが、元から戦前戦後の頃の漫画はコマ割が一定であることが多く、昭和後期以降の漫画のように複雑なコマ割になりすぎたストーリー漫画に対する原点回帰だとする見方もある。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "なお、上記2-2.のように年齢が変化しないにもかかわらず季節や流行が移り変わる物語性を持った連載作品は、4コマ漫画でもストーリー漫画でも俗に「サザエさん方式やサザエさん時空、あるいは磯野時空になっている」などと表現されることがある。これは、長谷川町子の『サザエさん』の主な舞台である磯野()家を、長期連載にかかわらず年齢が変化しない空間(時空)であると捉えた語である。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "あるいは、上記4.のような作品であれば、「この作品は途中からサザエさん時空に突入した」などのような表現も用いられる。もっとも、『サザエさん』も初期は加齢があったので、もっとも典型的な「サザエさん時空」が上記4.の例といえる。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1980年末から1990年代初頭によく見られた形式。榎本俊二の『GOLDEN LUCKY』や吉田戦車の『伝染るんです。』、相原コージの『コージ苑』、須賀原洋行の『気分は形而上』、小林銅蟲の『ねぎ姉さん』などの作品が代表的。青年誌など4コマ専門誌以外で掲載されることが多い。一見するとオチているのかオチていないのか不明瞭だったり、話のネタ自体が理解しづらいが、なにかしら笑える部分がある。このような不条理な展開の4コマは『G組のG』などのギャグ4コマや、『ゆるめいつ』などの萌え系4コマにも受け継がれている部分がある。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1990年代末に萌えを重点とした4コマ漫画が増え始め、この様な作品は一般的に萌え4コマと呼ばれている。1999年に『電撃大王』で連載されたあずまきよひこの『あずまんが大王』が大ヒットし、また同じ年に成人向け美少女漫画誌の主力作家である後藤羽矢子が『まんがライフ』において初の一般向け作品でありストーリー4コマ漫画となる『どきどき姉弟ライフ』を発表、さらに『スポコミ』(前身は『月刊まんがパロ野球ニュース』)が休刊した後に、同じ雑誌コードを引き継いだ青年向け4コマ誌『まんがくらぶオリジナル』が創刊するなどの出来事が起こっている。このことから、1999年はいわゆる「おたく文化」の4コマ漫画界への流入が本格的に始まった年であり、後の萌え4コマ流行の礎の一つとなっていった。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ここに分類される基準は萌え要素の有無である。原則的に従来の4コマ漫画よりも絵に重点が置かれていること、登場人物の大半が美少女でありなおかつ萌え絵に属する(=主に男性に好まれる)絵柄であることが特徴に挙げられる。それ以外は一概にくくれる要素を持っているわけではないが、萌え4コマというフォーマットの性格上、キャラクターの個性がネタにされることが多く、小ボケの連続により話が進んでいくことが多い。4コマ目でオチを付けることは必須条件ではないため、ストーリー4コマの特徴を含む作品も多い。総じて4コマ目のオチが淡白になる傾向があり、中には4コマ目でオチがなく次の4コマへ向けての「承」や「転」に当たる展開が延々と続くものすら存在する。これは、オチのインパクトよりも、萌えキャラのキャラクター性が重視されているからである。なお、いわゆる「脱力系4コマ漫画」(例:『らき☆すた』、『ゆるめいつ』など)も作品全体の雰囲気がゆるく脱力系で進行するという意味で前者と同様「ゆるい作品」と表現されることが多いが、後者は原則4コマ目で落とす展開の連続で作られているため、前者と後者の「オチ」の性質は似て非なるものと言える。萌え4コマやそれを原作としたアニメなどによくみられる、萌え系の表現を重視して日常生活の描写を中心とした作風のコンテンツをさす用語としては、空気系というタームもある。植田まさしは自身が「実体のあるものを仕掛けにしたアイデア」をオチに使うことを明かした上で、萌え4コマの「空気オチ」の傾向について「具体的なオチへの期待感がないんですよ。結局それはキャラクターに頼っているということで、キャラ頼りの漫画って長続きしないと思うんです」と厳しく批評している。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "また、ストーリー漫画やライトノベル、美少女ゲームのイラストレーター出身の作家も多く、これらの分野から受けた影響から感動的な展開やいわゆる「泣き」の設定を取り入れる作品も少なくない。ドタバタラブコメディのような作品の手法を応用した終始ハイテンションで突っ走る作品も存在するが、画風などの特性においては萌え4コマと共通しており、同種として括られているのが通常である。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "萌え4コマの元祖を特定することは難しく、万人が納得する一つの作品に絞り込むことはできていない。萌えるかどうかは作品だけでなく読者側の問題でもあり、伝統的な4コマ作品でも受け手次第で萌えることは可能といえる。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "萌え4コマ専門誌の先駆者は『まんがタイムきらら』(2002年創刊)だと言われるが、その母体は複数ある。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "なお、同人誌界で活躍している作家が4コマ漫画業界に多数参入してくるようになったきっかけも萌え4コマの流行と『きらら』の創刊であると考えられているが、それ以前から4コマ漫画誌でデビューを果たしていた胡桃ちの・青木光恵・さんりようこらと言った作家も元々はと言えば同人誌活動をしていて、後に漫画家としてデビューした作家である。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "萌え4コマ専門誌2000年代前半 - 半ばに相次いで創刊したが、上記の『まんがタイムきらら』シリーズを除いて長続きしないものが多かった。2004年には5誌が創刊したが、翌年までに『まんがタイムきららMAX』以外は休刊に追い込まれた(双葉社『もえよん』は13号まで発刊、『COMICぎゅっと!』は3号、『コミックメガミマガジン』は2号、『まんが学園4年生』は1号のみ)。その後、2006年9月に一迅社から『まんが4コマKINGSぱれっと』が創刊された。2008年には姉妹誌『まんがぱれっとLite』が創刊されたが、2011年4月より2誌体制をやめて両誌を統合(『Lite』を廃刊)、『まんが4コマぱれっと』と改題した。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "他にも、2003年には竹書房から一般誌と萌え4コマ誌の折衷型雑誌として『まんがライフMOMO』が創刊している。折衷型は永らく『MOMO』独自のポジションであったが、2000年代後期からは芳文社刊の『まんがタイムジャンボ』や『スペシャル』などの青年4コマ誌が追随するようになり、同じ竹書房刊の『まんがくらぶオリジナル』なども創刊当初の誌面構成に近い内容に回帰する形でこれに追随するようになっていった。同時に一般4コマ誌全体においても萌え4コマの掲載比率が年を追う毎に高まり、単に「萌え」というひとつのジャンルに留まらず「4コマ雑誌界全体における新人作家発掘の場」としての役割も担うこととなっていった。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2010年頃からは各社ともリスクの高い新雑誌の創刊を避け、既存4コマ誌の萌え系化やWeb4コマサイトによる公開といった方針が取られる傾向にある。そのような中で芳文社の『まんがタイムラブリー』も従来の女性向け4コマ誌からの脱却が図られ、2011年2月発行の3月号より従来の萌え4コマ世代と同じか、それよりもさらに若い漫画好き世代をターゲットとしたストーリー4コマ雑誌としてリニューアルされた。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "作品自体の性質から、購読者層の男女比率は圧倒的に男性が多く、一般的な4コマ誌では概ね半々であるが『きらら』や『ぱれっと』系統では男女比が9:1〜8:2にものぼる。折衷タイプにおいても『MOMO』では7:3で男性読者の方が多く、『ジャンボ』でも同様の傾向が見られる。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "萌え4コマは他ジャンルからの批判、偏見も少なくなく、『週刊少年ジャンプ』の連載作『バクマン。』作中で批判されたり、『ビッグコミックスピリッツ』の『気まぐれコンセプト』作中で批判されたこともあった。", "title": "内容の傾向" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "主要な掲載媒体は、新聞、商業誌(通常の漫画雑誌、4コマ専門漫画雑誌(「4コマ誌」と略される))、アンソロジー形式の単行本、同人誌等である。近年はWebコミックによる発表も増えている。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "新聞での掲載個所は社会面左上隅が一般的であり、多くの一般紙に掲載されている(朝刊のみに掲載される場合、中面に掲載される場合もある)。あらかじめ作者が提示した掲載候補から担当記者による選別を経て、掲載作品が決定される。また、不測の事態に備えて、いわゆる「描き溜め」のストックも行われている。新聞紙上における一服の清涼剤としての役割が期待され、また幅広い読者層に対応するため、古典的な起承転結を基調とし、話題は季節ネタ・時節ネタが多い。但し、時節ネタも同様な理由から刺激の強いものは避けられる傾向が強い。それでも新聞というメディアの特性上、作者の意図しない解釈による批判を受ける(参照ページ「マスコミにおける女性蔑視を考える」)ことも多く、ますます現実と遊離した無難な内容の作品が掲載される結果を招いている。制約が多く、独占的・長期に連載されるため(作者の死によって連載終了となることも多い)マンネリ化に陥ることも多い。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "一部の連載(『アサッテ君』の一時期や、『ひなちゃんの日常』、『フジ三太郎』など)では8コマや9コマ、中には3コマとなったものもある。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "韓国の新聞では、政治、経済、社会、文化全般の時事的な問題や人物を風刺して描かれることが多く、特に「漫評」と呼ばれることがある。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "なお、掲載紙がスポーツ紙のため参考扱いであるが、『いも虫ランド』(コジロー スポーツニッポン。1984年10月11日掲載開始)が2021年9月26日時点で13075回掲載となっている(同日付紙面にて確認)。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "4コマ漫画作品を主な内容として掲載している漫画雑誌(商業誌)を総称して4コマ誌(よんコマし)という。これは「4コマ漫画専門雑誌」の略で、芳文社、竹書房、双葉社、ぶんか社、などから発行されている。判型はB5判(182mm×257mm)のものが殆ど。綴じ方は中綴じのものが多いが、平綴じのものも増えつつある。ページ数は、中綴じのものは200ページ前後、平綴じのものは220ページ前後である。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "1冊あたりの税込価格は概ね270円から350円程度であるが、2004年頃からは、『まんがタイムきららMAX』(2004年5月24日創刊)が450円、『もえよん』(2004年7月9日創刊)が420円にそれぞれ設定されるなど、例外的に400円を超えるものも現れつつある(価格はすべて創刊号のもの)。『まんがライフMOMO』を含む萌え4コマ誌は、基本的に自社広告以外の広告が掲載されていないこともあり(掲載される場合、ほとんどがとらのあな、メロンブックスなどの同人ショップやブロッコリーなどのゲーム・キャラクターグッズ企業である)、一般的に350円程度とおおむね通常よりも高めの価格設定をされることが多い。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "「まんが○○○」などと、雑誌名の頭が平仮名で「まんが」と始まるものが多く、狭義にはこれに当てはまる雑誌のみが4コマ誌と称される。この中には(主として1人ないし少人数の漫画家を特集する)再録作品を中心とした、不定期または実質定期の増刊号=再録4コマ誌が含まれる。現在発行されている定期刊行(狭義)4コマ誌の中には、再録誌から出発した後に初出作品の分量を増やし、通常の4コマ誌にリニューアルして今に至っているものもある。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "また、「本当にあった○○○な話」など、雑誌名の頭が「本当にあった」で始まるものも広義には4コマ誌に含まれるが、前者は創作漫画作品(普通の漫画作品)を中心に掲載しているのに対し、後者は読者からの投稿を4コマ漫画化したものを中心としており、前者(狭義の4コマ誌)と区別するため特に実話系4コマ誌などと称されることがある。実話系4コマの元祖は田島みるくの『本当にあった愉快な話』(現・本当にあったゆかいな話)で、ここから派生してお色気系実話に特化した『愛のイトナミ』(現・愛のイトナミSP、後藤ユタカ作)、その他医療系実話の主力・安斎かなえや、自らの恋愛体験を赤裸々に描く桜木さゆみらといった作家が実話系4コマ漫画を中心に活動している。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "萌え4コマ誌については萌え4コマの節を参照。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "この他に、『みこすり半劇場』とその増刊・別冊など、成人向けの4コマ漫画作品を中心とするものはエロ4コマ誌、艶笑4コマ誌などと称される(実話系4コマ誌においても成人向けの内容を多く含むものがあるが、呼称は明確には区別されていない。また通常の成人向け4コマ誌は男性読者が中心であるのに対し、実話系は女性読者が多い傾向にあるという差異もある)。便宜上成人向け4コマと呼ばれているがあくまで下ネタや色気を題材として笑わせることが目的の作品であるため、いわゆる18禁漫画に指定されることはない。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "成人向け4コマ誌は『みこすり半劇場』の登場後密かなブームとなり、1990年代前半には創刊が相次ぎ一時的に乱立状態となった。しかし、ほとんどの雑誌が短命に終わり、『みこすり半劇場』のみが細々と残ることとなった。その『みこすり半劇場』自体も2010年のリニューアルでノンフィクション(実話系)4コマ中心へ、そして2013年のリニューアルでは4コマ誌の体裁を捨て成人向けストーリー漫画誌へと路線変更され、この時点で創作ものとしてのお色気・下ネタ4コマ漫画誌は出版業界から姿を消すこととなり、さらに翌2014年には雑誌自体が休刊することとなった。他にも『ビタマン』、『あべまん』→『えっち一本勝負』→『NAMAIKIッ!』(竹書房)や『まんが笑がっこう』→『SHOWGAKKO』(平和出版)のように、成人向け4コマ誌として創刊した後に成人向け漫画誌に路線変更したものもある。ちなみに現在休刊となった『SHOWGAKKO』からは、同誌で漫画を執筆していたかがみふみをと、同誌のハガキ投稿コーナーの常連であった荻野眞弓が後に4コマ漫画誌で活躍することになるという皮肉な結果も生まれている。同様に成人向け4コマから路線変更した雑誌に『まんがシャワー』(一水社)がある。この雑誌は成人向け4コマ誌から熟女系エロ劇画誌『漫画シャワー』になり、現在では『まんがシャワー』と誌名を戻したものの、漫画よりもヌードグラビアなどを重視したごく一般的なエロ本になって刊行されている。同じように現在エロ本化している元成年向け4コマ誌には『COMICび〜た』、『カルビPOWER』(いずれも若生出版)がある。市場の縮小により転身した作家も少なくなく、当時『イカしてソーロウ』を代表とする人気作品を次々と発表し、下ネタ4コマ業界で岩谷テンホーと人気を二分していた笑太郎はその後ジュニアアイドルのイメージビデオの制作業に転身し、『天使の絵日記』シリーズを制作・販売している(ちなみにかつて同シリーズに出演していた吉沢真由美は笑太郎の実娘である)。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "また、この時期にはファミリー向け・成人向け・スポーツ芸能4コマを一冊の雑誌にまとめて掲載した『まんが笑アップ』と、増刊『まんがポケット』(廣済堂出版)という変り種の4コマ誌もあった。両誌とも概ね一般向け作品5割:成人向け作品3割:スポーツ芸能、その他(不条理系など)2割程度の比率で掲載されており、『みこすり半劇場』掲載作と同様の性描写や性的行為をあからさまに描いた過激な作品から、家庭などを舞台とした暖かくほのぼのとした雰囲気の作品までが1冊の雑誌内で同居しているという異色の4コマ雑誌であった。しかし、このように作品相互間において読者層が相容れないものをごちゃ混ぜにした内容であったためか長続きせず、いずれも早々に休刊となった。なお2010年現在発行されている4コマ誌においては『主任がゆく!スペシャル』(ぶんか社刊、『無敵恋愛S*girl』増刊号→『みこすり半劇場』増刊号)が一般向け・成人向け・実話系4コマを一冊にまとめて掲載する形を取っておりこれに近いものとなっているが、成人向け作品の描写を比較的ソフトに抑えることで誌面全体のバランスを取るよう図られている。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "4コマ誌においても、4コマ以外の形式の作品(区別のために、「ストーリー作品」(ストーリー形式の漫画作品)と呼ばれる)も数本程度掲載される。通常、4コマ形式の作品は1作品あたり4〜8ページ、ストーリー形式の作品は1作品あたり6〜10ページ程度で、1冊の4コマ誌には少なくとも20作品以上が掲載されている。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "他に、各雑誌ごとに異なるが、読者投稿欄、アンケート、パズル、占い、文章作品(エッセイなど)なども掲載される。アンケートは懸賞付きで行われ、賞品には現金や金券類などが設定される。近年は作家の色紙やサイン入り単行本などを賞品とするものも現れている。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "また他の漫画雑誌と異なり、表紙が1名の作家によって複数月連続して担当される、という特徴がある。この理由としては、「複数の4コマ誌で同一作品が同時に連載されている例が多いため、表紙担当を毎号変えると読者が混乱するため」、「あまり熱心ではない読者(意識して4コマ誌を購読しているのではなく、暇潰しなどの目的で目に付いた雑誌を適当に買った読者)にとっては、各4コマ誌は雑誌名も似ており区別しづらいため、彼らに対して“前号と同一銘柄の雑誌であること”を印象付け、継続購読を促すため」、などの説があるが、定かではない。また、『まんがタイムきらら』系は他の4コマ誌と異なり「特定の作家・作品のファンとなった読者層を定期購読者として取り込む戦略を展開している(=熱心な読者を創り出しターゲットとする)」ため当初は表紙担当の固定制にはこだわっていなかったが、近年はアニメ化された看板作品に固定される時期もある。表紙作家は基本的に巻頭カラーも担当する(芳文社の一部雑誌は表紙作家以外が巻頭を担当することがある)。ページ数も毎回8ページ前後と多く、さらに竹書房の場合は連載に関連した企画連載も同時掲載されるなど、表紙作家は文字通り雑誌の看板として別格扱いとなっている。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "2023年12月現在の4コマ誌の表紙作家と担当期間は次の通り。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "4コマ誌に連載された作品の単行本は、判型がA5判(148mm×210mm)のものが殆どで、他の形式の作品の単行本の多くがB6判(128mm×182mm)以下であることに比べると、やや大きめになっている。価格は各出版社・各レーベルごとに異なり、更にカラー印刷のページ数などによっても異なるため、概ね600円から900円程度とまちまちである。特に先述の萌え4コマは高値に設定されており、一般誌と併売している大手では別レーベル(芳文社=まんがタイムKRコミックス、竹書房=MOMO selection)を設けて他のコミックスとシリーズ・価格とも区別する形式を取っている。これらの書籍は1頁に2本(8コマ)を収録したものが多いが、一方でいしいひさいち作品などから増え始めた、1頁に1本を収録した新書サイズのものも見られ、こちらはやや安価である。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "また、単行本のための描き足しが、巻頭・巻末や本文内だけでなく、カバー裏(カバーを外した状態の、単行本本体の表紙・裏表紙をこう呼ぶ)にも付されることが多く、単行本を購入した読者にとっては、カバーをめくることも楽しみのひとつとなっている。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "単行本化される作品は、連載である程度の人気を得たものに限られており、連載が長期にわたり続いても単行本が発売されない場合がある。また、単行本の第1巻が発売されても、その売れ行きが芳しくないと、連載が続いても第2巻以降が発売されないことが多い。4コマ誌掲載漫画の単行本で第2巻の出るタイトル数は第1巻のそれの約半分、と言われている。そのため、連載が完結しても、単行本上では永遠に未完となってしまう場合も珍しくない。また、単行本で完結しても、中長期連載の場合は相当数の未収録話が残るケースもみられる。単行本未収録分を同人誌として頒布したり、4コマ漫画単行本の読者プレゼントとする漫画家もいるが、これは稀な例である。主にストーリー4コマで単行本にきっちり収めて完結させるために途中から展開を早めるなどして調節される場合もあるが、このようなケースは連載が打ち切られることが前提であるとはいえ、前述のようなケースが多い実情に鑑みると恵まれている方である。単行本の発売に際しては、様々な拡販施策(フェア)が行われることがあるが、かつてのフェアは1社単独での既刊単行本や掲載誌との連動企画を中心に展開されるものだった。1999年には、竹書房・白泉社の合同企画として「みずしな&ももせコミックスフェア」が開催され、両社で主力作家であったみずしな孝之とももせたまみの対象コミックス購入者にオリジナル特製しおりがプレゼントされるなど、異なる出版社による2社合同フェアが行われるようになった。さらに、2000年頃からは、1名の作家の作品を複数の出版社で同日に発売し、合同フェアとして広告展開することによる拡販施策が行われるようになった(例:2003年、真右衛門、講談社・竹書房/2004年、森真理、竹書房・小学館)。特筆されるのは2004年10月の「重野なおきスリーランフェア」で、竹書房・双葉社・白泉社の3社から1冊ずつ計3冊の単行本が同日に発売された。これに続き、2005年1月から3月にかけて、芳文社・竹書房・メディアワークスの3社から、大井昌和の作品の単行本が毎月27日頃に各1冊ずつ発売された。いずれも、「3社合同企画」などと銘打ち、合同での懸賞が行われたり、雑誌上において他社刊行のものを含む複数冊をまとめて広告するなど、出版社ごとの垣根を越えた拡販施策が行われている。その後も胡桃ちのや小笠原朋子などについて同様の施策が行われ、4コマ誌に連載を持つ作家の単行本についての拡販施策の定石となった。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "コンピュータゲーム作品(特にテレビゲーム)の世界観や登場人物を、そのまま題材として二次創作した4コマ漫画作品をゲーパロという(「ゲームパロディ」の略か)。他の作品を題材とした二次創作作品は、本来は同人誌として発行されるものであるが、ゲーパロの分野においては、ゲームメーカーと無関係の出版社が発行するほかに、ゲームメーカーが自らゲーパロ作品の単行本を発行・発売しているケースもある。このような単行本の殆どは、複数名の作家によるアンソロジー形式を採っているため、コンピューターゲーム作品を題材とした4コマ漫画作品の単行本はゲームアンソロジーと総称されている(単に「アンソロ」とも略される)。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "上述の4コマ誌とは異なり、ゲームアンソロジーに収録されている作品は、雑誌等への掲載を経ずに単行本上のみで発表されることが多い。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "古参かつ代表的なレーベルには、エニックス(後のスクウェア・エニックス)より刊行されていた『4コママンガ劇場』がある。『ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場』の商業的成功は、少年漫画雑誌『月刊少年ガンガン』を生み出す原動力となった。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "このことに端を発し、各社が競ってゲームアンソロジーを発行するようになった。このジャンルは以前から存在したが、現在の多くの作品は『4コママンガ劇場』を参考としたものであるといえる。また、プロの漫画家ではない素人(しかも、同人作家ですらない)が起用されることもあり、これがプロデビューのきっかけとなった漫画家も多いが、これもかつての『4コママンガ劇場』の基本方針の一つであった。このレーベルからプロデビューを果たした代表的な漫画家は、衛藤ヒロユキ、柴田亜美など。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "『4コマまんが王国』は、双葉社が発行していた、主にテレビゲームに関するパロディー・ギャグ4コマ漫画やショートコミックのレーベルで、双葉社アクションコミックスのシリーズである。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "上述の『4コママンガ劇場』に次ぐ歴史を誇るが、既に双葉社は1986年頃にゲームソフトを題材にした漫画として「ファミコン冒険ゲームブック」のレーベルを立ち上げており、ゲームコミックの歴史としては『4コママンガ劇場』にも並ぶか、場合によっては最も古いレーベルではないかといわれている。1991年に『4コママンガ劇場』の成功に注目、『4コマまんが王国』としてシリーズ化するとともに、1993年には一雑誌の創刊を実現するまでに成長した。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "表現上の規制が厳しいとされていた4コママンガ劇場よりも規制基準がかなり緩かったこともあり、質の高い数々の爆笑ネタや漫画家が誕生。4コママンガ劇場よりも多くのゲームソフトの漫画化も行われた。最盛期には任天堂のゲームを対象にしたものが多く出版されており、4コママンガ劇場のライバル的存在としてゲームコミックレーベルの中でもトップクラスの人気を誇った。このレーベルからプロデビューを果たした代表的な漫画家は佐々木亮など。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "個人サイトや4コマ漫画誌の公式サイトにおけるものが主である。『livedoor デイリー4コマ』や『まんがタイムきららweb』、『ピクシブ通信』など、ポータルサイトやWebコミックサイト内の4コマ漫画用コンテンツとして設けられているものもある。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "近年では竹書房が『デイリー4コマ』を縁としてライブドアとの関係を深めており、両社間での作者の交流や、新人賞の共同主催を行っており、2009年4月27日にはデイリー4コマのサイトの一部を間借りする形で新たにWeb4コマコミック『まんがライフWIN』をオープンした。『まんがライフ』系統で人気の作家を中心に起用されているが、インターネット媒体ということもあり、作品のラインナップは同社刊の雑誌系統のものよりも萌え系4コマにより比重を置いた構成となっている。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "2010年2月23日には、芳文社も『まんがタイム』系、『きらら』系に続く第三の4コマ媒体として、上記と同じ『デイリー4コマ』との共同運営によるWeb4コマコミック『まんがタイムWAVE』をオープンしたが、2011年3月いっぱいで閉鎖した。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "2011年6月10日より一迅社が、廃刊した『まんがぱれっとLite』に代わるWeb4コマコミック『まんが4コマぱれっとOnline』をオープンしている。", "title": "発表形態" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "各出版社ごとに、創刊の古い順に掲げる。●は休・廃刊。", "title": "4コマ誌の一覧" } ]
4コマ漫画(よんコマまんが)は、4つのコマ(齣)によって短い物語を作る日本の漫画の形式の一つ。 最小限のストーリーを描くものとして、新聞や雑誌の一部に掲載され、古くから定着している形式である。 1980年代に登場した「4コマ漫画雑誌」や、1990年代に流行した「4コマ漫画アンソロジー」など、専門に取り扱う媒体も数多く存在する。
{{Otheruses|日本の漫画様式|欧米の新聞漫画|コミック・ストリップ}} {{複数の問題 |出典の明記= 2010年9月23日 (木) 14:45 (UTC) |独自研究= 2008年8月27日 (水) 10:55 (UTC) }} '''4コマ漫画'''(よんコマまんが)は、4つの[[コマ (映画・漫画)|コマ]](齣)によって短い物語を作る[[日本の漫画]]の形式の一つ。 最小限の[[ストーリー]]を描くものとして、[[新聞]]や[[雑誌]]の一部に掲載され、古くから定着している形式である。 [[1980年代]]に登場した「4コマ[[漫画雑誌]]」や、[[1990年代]]に流行した「4コマ漫画[[アンソロジーコミック|アンソロジー]]」など、専門に取り扱う媒体も数多く存在する。 == 形式と位置づけ == [[File:Yonkoma.svg|150px|thumb|right|縦1列に配置した場合の4コマ漫画のレイアウト]] 並べた4つのコマを[[起承転結]]の配置とし、4コマ目には[[落ち|オチ]]を配置するのが基本的な表現形式である。現代の日本ではコマの配列は縦が一般的であるが、歴史的には必ずしもそうではなく(後述)、日本以外の地域でも『[[ピーナッツ (漫画)|ピーナッツ]]』のような横配列や2列構成(「田」の字)などが見られる。現代の日本でも、1列に2コマ、あるいは2列構成とした作品がある<!--(例:[[小池田マヤ]]『バーバーハーバー』など)-->。また都合上、5コマ(2列で5コマ目が他のコマの4倍。作品によっては最終ページに組み込まれることもあるが、1ページ目に組み込まれることが多く、この場合通常5コマ目の大オチがタイトル表紙を兼ねている)、3コマ([[序破急]])、8コマなどにコマ数が変動することもある。最近は、3コマ目にもオチを配置した'''2段オチ'''と呼ばれるものや、本来は内容の表題であった小見出し(サブタイトル)もオチの要素とするもの(4コマ目まで読んで初めて小見出しの意味がわかるもの)など、必ずしも起承転結に沿わない形で笑いを取るものも多い。 複数のコマを使用した短い漫画は日本以外にも見られるが、世界的には必ずしも4コマが主流ではなく、欧米では3コマも数多く存在し、東南アジアのタイでも3コマが一般的である<ref name="shimizu1">清水、2009年、まえがきpp.ii - iii</ref>。一方、東アジアの[[大韓民国|韓国]]や[[中華人民共和国|中国]]では4コマが定着したスタイルとなっている<ref name="shimizu1" />。 4コマ漫画にはサブタイトルが付くタイプと付かないタイプがある。サブタイトルが付くタイプのものは、そのサブタイトルの対象となる内容が概ね3コマ目か4コマ目に描かれていることが多い。「4コマ漫画」の名称が示す通り、4コマで話が完成する1話完結の作品が多いが、サブタイトルの有無に関係なく、時系列で物語が進む連続性のある作品も多く、それらは実質的にストーリー漫画と変わらない。 コマの配置形式は上述のように様々な手法が採用されているが、珍しいものとしては、1コマ目と4コマ目が通常で、2コマ目と3コマ目が縦長2コマ分かつ幅が半分で横並びになっている「II」のような形式で描かれる作品もある<ref group="注">例:おりがみちよこ『河原課長とギャル部下ちゃん』第2巻29ページ右側。</ref>。 == 日本における歴史 == 日本では[[江戸時代]]に風刺画や戯画を集めた書籍が木版画で出版されていたが、それらの中にはコマのような形で連続したストーリーに仕立てたものが存在した<ref>清水、2009年、pp.2 - 6</ref>。江戸時代後期に出された『[[北斎漫画]]』の中には、ページの中に4つの絵が配され、その最後で「オチ」をつけたものがあり、[[清水勲]]は「4コマ漫画の源流」と記している<ref>清水、2009年、pp.8 - 10</ref>。 江戸時代末期から[[西ヨーロッパ|西欧]]のコマ漫画のスタイルが[[チャールズ・ワーグマン]]らによって日本に紹介された。日本で最初に紹介された欧米スタイルの4コマ漫画は、ワーグマンが刊行していた『[[ジャパン・パンチ]]』に[[1876年]]に掲載された作品とみられている<ref>清水、2009年、p20。ただし、『ジャパン・パンチ』自体には4コマ漫画の掲載は少なく、全体としては1枚絵の漫画が主流でコマ漫画も2コマや3コマが大半だった。</ref>。やがて、日本人の発行する新聞([[時事新報]]など)や雑誌(『[[団団珍聞]]』など)でもこれに影響を受けたとみられるコマ漫画が描かれるようになった。一説には、[[岡本一平]]が映画のフィルムに触発されて描いた作品が起源とも言われる<ref>NIPPONの巨人「岡本太郎 全身で過去と未来を表現した男」(NHK、2006年)</ref>。しかし、この時代にはまだ4コマ漫画は主流ではなく、1枚絵の漫画が中心で、コマ漫画も2コマ、3コマ、6コマなど様々なスタイルのものが描かれていた。[[明治]]後期を代表する漫画家である[[北沢楽天]]が中心となっていた『時事新報』の漫画ページ「時事漫画」(1902年スタート)の明治期におけるコマ数別の分類では、1コマが最多で24%に対し、4コマは18%で次点にとどまっていた<ref>清水、2009年、pp.34-35</ref>。また、この時代には4コマの配列も、縦4コマと2列(「田の字」)のものが混在する状況であった。 [[大正]]時代にはアメリカやイギリスのコマ漫画が日本の新聞・雑誌に掲載され、それらに影響を受ける形で日本人漫画家の手になるコマ漫画が連載された。それらの中で、[[1923年]]にスタートした『[[正チャンの冒険]]』(文:[[織田小星]]、絵:[[椛島勝一]])と『[[ノンキナトウサン|のんきな父さん]]』([[麻生豊]])は4コマ漫画のヒット作となった<ref name="shimizu2">清水、2009年、pp.51 - 53,58 - 64</ref>。『正チャンの冒険』は当時2列配置の「田の字」でスタートしたが、掲載先が『[[アサヒグラフ]]』から[[東京朝日新聞]]に移った1923年10月20日の回で縦4コマの配置を採用した<ref name="shimizu2" />。またこの『東京朝日新聞』での連載が、毎日連載する新聞4コマ漫画の最初とされている<ref name="shimizu2" />。一方、[[報知新聞]]に掲載された『のんきな父さん』は8コマでスタートし、6コマになったのち、1923年11月26日から4コマとなり、紙面の左上に掲載されるようになった(コマ配置は「田の字」形)<ref name="shimizu2" />。また、『正チャンの冒険』が吹き出しのセリフと欄外の説明文を併用していたのに対し、『のんきな父さん』は吹き出しのセリフだけでストーリーを展開した最初の4コマ漫画でもあった<ref name="shimizu2" />。 この2作のヒットにより、新聞各紙は4コマ漫画を競って載せるようになり、最初の「新聞4コマ漫画」ブームと呼べる状況が出現した<ref>清水、2009年、p71</ref>。その中で、[[横山隆一]]が1936年から東京朝日新聞に連載を開始した『江戸っ子健ちゃん』は、『[[フクちゃん]]』へと発展し、ヒット作となる。戦争による漫画の減少(漫画家の報道班への徴用や疎開、夕刊廃止などの新聞紙面縮小による)を経て、太平洋戦争後には先に漫画の掲載が復活した[[地方紙]]から[[長谷川町子]]の『[[サザエさん]]』や[[南部正太郎]]の『[[ヤネウラ3ちゃん]]』といった人気作品が生まれ、第二次「新聞4コマ漫画ブーム」が起きる<ref>清水、2009年、p95</ref>。また[[手塚治虫]]もそのデビュー作は1946年に開始した4コマ漫画『[[マァチャンの日記帳]]』だった。長谷川のほか、復帰した横山隆一や、[[読売新聞]]に『[[轟先生]]』を連載した[[秋好馨]]、1954年から[[毎日新聞]]に『[[まっぴら君]]』を連載した[[加藤芳郎]]らによって、戦後を代表する長寿の新聞4コマ漫画が1950年代前半には出揃った<ref>清水、2009年、pp,106 - 124</ref>。 その後、日本経済が高度成長すると、新聞連載の4コマ漫画は、家族の日常を描いたものから、経済活動と関わりを持つ[[サラリーマン]]を主役としたものへと変遷していく(『[[フジ三太郎]]』『[[サンワリ君]]』『[[アサッテ君]]』他)<ref>清水、2009年、p129</ref>。だが、高度成長がもたらした嗜好の拡散に対し、新聞には公序良俗や過激な表現への制約があり、表現がマンネリズムに陥ったり、キャラクターには「毒も個性も無い」という状況が現出した<ref name="shimizu3">清水、2009年、pp.136 - 138,145 - 146</ref>。こうした中で、より対象を絞りやすく、表現の制約が少ない雑誌において、新たなスタイルの4コマ漫画が登場する。その代表的な漫画家が[[いしいひさいち]]や[[植田まさし]]であった<ref name="shimizu3" />。いしいの『[[がんばれ!!タブチくん!!]]』のヒットは、第三次「4コマ漫画ブーム」を起こし、雑誌や[[スポーツ新聞]]・夕刊紙への4コマ作品掲載が増加した<ref name="shimizu3" />。1980年代には4コマ漫画専門の雑誌も相次いで創刊された。 1980年代後半から1990年代にかけて、ストーリー漫画とのボーダレス化が進み、普段はストーリー漫画を執筆している漫画家が、4コマ漫画の連載を持つことも多くなった。1985年に連載開始の[[相原コージ]]『[[コージ苑]]』や、1989年に連載開始の[[吉田戦車]]『[[伝染るんです。]]』により、「4コマ=起承転結」という前提が崩壊したことにより、従来のオチの面白さを追求した作品よりも、不条理ネタ、雑学、作家の身辺雑記などが題材とされる作品が増えていく。さらに2000年代にかけて、いわゆる「萌え4コマ」誌が次々に創刊されて、[[アニメーション|アニメ]]・[[ゲーム]]・[[同人誌]]などの[[サブカルチャー]]との結びつきが強まり、絵柄、キャラクター、[[萌え]]など他の要素に重点を置く作品などが主流となっていった。 長期連載作も多い。1967年に連載開始の『[[碧南一家]]』は、現在の日本のすべての連載漫画のうち、最長寿漫画である<ref name="hekinan1805">{{Cite journal |和書|title =碧南一家連載50年記念特集|date =2017-02-01|publisher =碧南市|journal =広報へきなん|volume =1805|issue = |url =http://www.city.hekinan.lg.jp/material/files/group/4/1805_02-05.pdf|format = PDF|accessdate=2019-03-11|pages =2-5|ref = }}</ref>。また『[[小さな恋のものがたり]]』は連載期間が52年4か月にも及んだ<ref name="hekinan1805">{{Cite journal |和書|title =碧南一家連載50年記念特集|date =2017-02-01|publisher =碧南市|journal =広報へきなん|volume =1805|issue = |url =http://www.city.hekinan.lg.jp/material/files/group/4/1805_02-05.pdf|format = PDF|accessdate=2019-03-11|pages =2-5|ref = }}</ref>。 == 日本での古典的位置づけ == 4コマ漫画は、日本ではかつては漫画の基本と言われた。例えば[[手塚治虫]]の『漫画の描き方』では、漫画の表現に関する説明の後、「案を作る」という章の中で4コマ漫画について触れ、これを「漫画のスジ立ての基本」であると言っている<ref>手塚(1977)、p.125</ref>。また、多くの漫画家が4コマ漫画を描いてきたこと、自分自身も発表の場が無かった頃には4コマを多く描き、それが財産となっていることなどを説明している。その基本は起承転結であること、また4コマを発展させることで、長い漫画も描けることなどにも触れている。 == 内容の傾向 == === ストーリー4コマ === 漫画雑誌に連載で発表されている作品には、各4コマごとにオチをつけながら、物語としては完結させずに次の4コマに連続させ、複数本(作品にもよるが、おおむね10 - 15本前後の場合が多い)の4コマが総体として1つの物語をなしているような表現形式をとるものも多い。このような形式、あるいはこの形式をとっている作品は、'''ストーリー4コマ'''と呼ばれている。 ストーリー4コマは、さらに以下のように大別できる<!--加除訂正可-->。 # 連載1回分を1つの物語とし、登場人物どうしの相関関係には基本的に変化の無いもの。<!--(例:[[おーはしるい]]の『[[会計チーフはゆ〜うつ]]』などの各作品、[[海藍]]の『[[トリコロ]]』などの各作品、他多数)--> ## 連載複数回分を1つの物語とし、登場人物同士の相関関係には基本的に変化の無いもの。<!--(例:[[いがらしみきお]]の『[[ぼのぼの]]』など)--> # 回を追うごとに、登場人物同士の相関関係などを少しずつ変化させていくもの。 ## 連載開始から1年経つと登場人物も1つ年齢を重ねるなど、年齢やその他の設定に継続的な経時変化があるもの。<!--(例:[[あずまきよひこ]]の『[[あずまんが大王]]』、[[後藤羽矢子]]の『[[どきどき姉弟ライフ]]』など)--> ## 年齢などの設定は経時変化しないもの。<!--(例:[[小笠原朋子]]の『さくらハイツ102』、山野りんりんの『[[メデューサの朝]]』など)--> ## 既存の登場人物の相関関係は変化させず、新たな登場人物を少しずつ継続的に加えることで物語に変化を持たせるもの。<!--(例:[[師走冬子]]の『[[スーパーメイドちるみさん]]』などの各作品など)--> # 連載開始からしばらくは上記1のように「1話完結」であったが、途中から上記2のように相関関係を変化させ始めたもの。<!--(例:[[業田良家]]の『[[自虐の詩]]』、水城まさひとの『[[エン女医あきら先生]]』、[[重野なおき]]の『[[ぼくの彼女はウエートレス]]』など)--> # 上記3の逆で、連載開始からしばらくは上記2のように年齢やその他の設定に継続的な経時変化があったが、途中で変化を止めたもの。<!--(例:[[新井理恵]]の『[[× ―ペケ―]]』など)--> ストーリー4コマと呼ばれる作品が増えたのは、4コマ漫画の普及に伴って若年の読者が増えてきたこと、漫画家の世代交代で幼少の頃に[[ストーリー漫画]]に親しんだ漫画家が増えてきたことが原因として考えられる。元から比較的高い年齢を対象としており、基本的な関係はまったく変化せず4コマ作品1本で話をまとめることが好まれていたが、若年層が増えたことからストーリー性のある作品を好む傾向が出てきた。新聞4コマとは異なり、毎月数ページに渡って数本 - 十数本の4コマ漫画が掲載される月刊4コマ漫画誌という体裁も、ストーリー漫画の掲載に向いている媒体であったといえる。そのため、[[いしいひさいち]]、[[相原コージ]]、[[小池田マヤ]]、[[胡桃ちの]]などの意欲的な作家により、ストーリー4コマというジャンルが確立され、『[[まんがタイムラブリー]]』や『[[まんがタイムジャンボ]]』など、若者向けの4コマ誌が誕生していったのである。 それでもあくまで4コマ漫画であるため、作品全体としてストーリーを進めつつも4コマ作品1本にしっかりとした起承転結が存在しているものが多かった。しかし、2000年頃を境としてストーリー漫画である程度の経歴を持った作家が4コマ漫画家に転身することも多くなり、4コマ目が笑いを必要としない「ストーリー的な結果」で締めくくられる作品や、中には4コマ目であっても次の話へ続く展開だけが描かれる作品も増えている。このような作品は「単にコマが4つずつになっただけのストーリー漫画」とも見られており、このような作品を4コマ漫画と呼ぶことに違和感があるという声も多いが、元から戦前戦後の頃の漫画はコマ割が一定であることが多く、昭和後期以降の漫画のように複雑なコマ割になりすぎたストーリー漫画に対する原点回帰だとする見方もある。 なお、上記2-2.のように年齢が変化しないにもかかわらず季節や流行が移り変わる物語性を持った連載作品は、4コマ漫画でもストーリー漫画でも俗に「'''サザエさん方式'''や'''サザエさん時空'''、あるいは'''磯野時空'''になっている」などと表現されることがある。これは、[[長谷川町子]]の『[[サザエさん]]』の主な舞台である'''{{読み仮名|磯野|いその}}家'''を、長期連載にかかわらず年齢が変化しない空間([[時空]])であると捉えた語である<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXDZO58839450T20C13A8W03501/ 時は流れても若いまま「サザエさん時空」] [[日本経済新聞電子版]]、2013年8月24日</ref>。 あるいは、上記4.のような作品であれば、「この作品は途中からサザエさん時空に突入した」などのような表現も用いられる。もっとも、『サザエさん』も初期は加齢があったので、もっとも典型的な「サザエさん時空」が上記4.の例といえる。 === 不条理4コマ === 1980年末から1990年代初頭によく見られた形式。[[榎本俊二]]の『[[GOLDEN LUCKY]]』や吉田戦車の『伝染るんです。』、相原コージの『コージ苑』、[[須賀原洋行]]の『[[気分は形而上]]』、[[小林銅蟲]]の『[[ねぎ姉さん]]』などの作品が代表的。青年誌など4コマ専門誌以外で掲載されることが多い。一見するとオチているのかオチていないのか不明瞭だったり、話のネタ自体が理解しづらいが、なにかしら笑える部分がある。このような不条理な展開の4コマは『[[G組のG]]』などのギャグ4コマや、『[[ゆるめいつ]]』などの萌え系4コマにも受け継がれている部分がある。 === 萌え4コマ === 1990年代末に[[萌え]]を重点とした4コマ漫画が増え始め、この様な作品は一般的に'''萌え4コマ'''と呼ばれている。1999年に『[[電撃大王]]』で連載された[[あずまきよひこ]]の『[[あずまんが大王]]』が大ヒットし、また同じ年に成人向け美少女漫画誌の主力作家である[[後藤羽矢子]]が『[[まんがライフ]]』において初の一般向け作品でありストーリー4コマ漫画となる『[[どきどき姉弟ライフ]]』を発表、さらに『スポコミ』(前身は『[[月刊まんがパロ野球ニュース]]』)が休刊した後に、同じ雑誌コードを引き継いだ青年向け4コマ誌『[[まんがくらぶオリジナル]]』が創刊するなどの出来事が起こっている。このことから、1999年はいわゆる'''「おたく文化」の4コマ漫画界への流入が本格的に始まった年'''であり、後の萌え4コマ流行の礎の一つとなっていった。 ここに分類される基準は萌え要素の有無である。原則的に従来の4コマ漫画よりも絵に重点が置かれていること、登場人物の大半が美少女でありなおかつ[[萌え絵]]に属する(=主に男性に好まれる)絵柄であることが特徴に挙げられる。それ以外は一概にくくれる要素を持っているわけではないが、萌え4コマというフォーマットの性格上、キャラクターの個性がネタにされることが多く、小ボケの連続により話が進んでいくことが多い。4コマ目でオチを付けることは必須条件ではないため、ストーリー4コマの特徴を含む作品も多い。総じて4コマ目のオチが淡白になる傾向があり、中には4コマ目でオチがなく次の4コマへ向けての「承」や「転」に当たる展開が延々と続くものすら存在する。これは、オチのインパクトよりも、萌えキャラのキャラクター性が重視されているからである。なお、いわゆる「脱力系4コマ漫画」(例:『[[らき☆すた]]』、『ゆるめいつ』など)も作品全体の雰囲気がゆるく脱力系で進行するという意味で前者と同様「ゆるい作品」と表現されることが多いが、後者は原則4コマ目で落とす展開の連続で作られているため、前者と後者の「オチ」の性質は似て非なるものと言える。萌え4コマやそれを原作としたアニメなどによくみられる、萌え系の表現を重視して日常生活の描写を中心とした作風のコンテンツをさす用語としては、[[空気系]]というタームもある<ref>[[宇野常寛]] 「[http://renzaburo.jp/contents/045-uno/045_main_014.html 5章「空気系」と擬似同性愛的コミュニケーション 1 「空気系」と萌え4コマ漫画]」『政治と文学の再設定』 [[集英社WEB文芸RENZABURO]](2011年3月18日)</ref>。[[植田まさし]]は自身が「実体のあるものを仕掛けにしたアイデア」をオチに使うことを明かした上で、萌え4コマの「空気オチ」の傾向について「具体的なオチへの期待感がないんですよ。結局それはキャラクターに頼っているということで、キャラ頼りの漫画って長続きしないと思うんです」と厳しく批評している<ref>[https://bunshun.jp/articles/-/3342?page=3 「おとぼけ課長」にあって「課長 島耕作」にないもの “4コマ漫画の巨匠”植田まさしロングインタビュー #2(3ページ目)] 文春オンライン、2017年7月16日</ref>。 また、ストーリー漫画や[[ライトノベル]]、[[美少女ゲーム]]のイラストレーター出身の作家も多く、これらの分野から受けた影響から感動的な展開やいわゆる「泣き」の設定を取り入れる作品も少なくない。ドタバタ[[ラブコメディ]]のような作品の手法を応用した終始ハイテンションで突っ走る作品も存在するが、画風などの特性においては萌え4コマと共通しており、同種として括られているのが通常である。 萌え4コマの元祖を特定することは難しく、万人が納得する一つの作品に絞り込むことはできていない。萌えるかどうかは作品だけでなく読者側の問題でもあり、伝統的な4コマ作品でも受け手次第で萌えることは可能といえる。 萌え4コマ専門誌の先駆者は『[[まんがタイムきらら]]』(2002年創刊)だと言われるが、その母体は複数ある。 *[[OL]]など女性を主なターゲットとした4コマ雑誌 - 『[[まんがタイムジャンボ]]』(1990年代初頭から存在、独立創刊は1995年)、『[[まんがタイムラブリー]]』(1995年創刊)など :ここで、すでに萌え4コマの萌芽が見られる。これらは伝統的な4コマの体裁を取りつつキャラクター重視、絵柄も重要な要素となり、少女漫画家の流入もあった。萌え4コマとしての資質を充分に備えていた。2000年代後半になると逆に『ジャンボ』などが『きらら』系の影響を受けて男性向け、萌え系中心へシフトしている。 *[[青年漫画|青年誌]]などに掲載されている4コマ漫画 - 青年雑誌4コマ出身の代表格[[ももせたまみ]]は萌え系4コマが流行し始める数年前から他者に先駆けて描いており、2010年代後半でも萌え4コマの第一人者として活躍している<ref>[https://natalie.mu/comic/news/267430 いがらしみきお、大川ぶくぶら24名が「ラーメン大好き小泉さん」描くアンソロ] コミックナタリー 2018年1月30日</ref>。 *[[成人向け漫画|成人向け美少女漫画誌]]の箸休めとして掲載される4コマ漫画 - [[樹るう]]や[[みやさかたかし]]、[[新条るる]]らといった作家がここから輩出されている。 *[[#ゲームアンソロジー|ゲームパロディ]]4コマ - [[新声社]]・[[エニックス]]・[[双葉社]]などが刊行したものも源流の一つに数えられる。キャラクターが中心であることは言うまでもなく、画風も2000年代以降の萌え4コマ同様、ストーリー漫画並みの描き込みが見られる作品もある。 なお、同人誌界で活躍している作家が4コマ漫画業界に多数参入してくるようになったきっかけも萌え4コマの流行と『きらら』の創刊であると考えられているが、それ以前から4コマ漫画誌でデビューを果たしていた胡桃ちの・[[青木光恵]]・[[さんりようこ]]らと言った作家も元々はと言えば同人誌活動をしていて、後に漫画家としてデビューした作家である。 萌え4コマ専門誌2000年代前半 - 半ばに相次いで創刊したが、上記の『まんがタイムきらら』シリーズを除いて長続きしないものが多かった。2004年には5誌が創刊したが、翌年までに『[[まんがタイムきららMAX]]』以外は休刊に追い込まれた(双葉社『[[もえよん]]』は13号まで発刊、『COMICぎゅっと!』は3号、『コミックメガミマガジン』は2号、『まんが学園4年生』は1号のみ)。その後、2006年9月に[[一迅社]]から『まんが4コマKINGSぱれっと』が創刊された。2008年には姉妹誌『[[まんがぱれっとLite]]』が創刊されたが、2011年4月より2誌体制をやめて両誌を統合(『Lite』を廃刊)、『[[まんが4コマぱれっと]]』と改題した。 他にも、2003年には竹書房から一般誌と萌え4コマ誌の折衷型雑誌として『[[まんがライフMOMO]]』が創刊<!-- 独立創刊は2009年1月。それまでは『近代麻雀ゴールド』→『近代麻雀ギャンブル.com』→『まんがライフ増刊号』として発行されていた -->している。折衷型は永らく『MOMO』独自のポジションであったが、2000年代後期からは芳文社刊の『まんがタイムジャンボ』や『スペシャル』などの青年4コマ誌が追随するようになり、同じ竹書房刊の『まんがくらぶオリジナル』なども創刊当初の誌面構成に近い内容に回帰する形でこれに追随するようになっていった。同時に一般4コマ誌全体においても萌え4コマの掲載比率が年を追う毎に高まり、単に「萌え」というひとつのジャンルに留まらず「4コマ雑誌界全体における新人作家発掘の場」としての役割も担うこととなっていった。 2010年頃からは各社ともリスクの高い新雑誌の創刊を避け、既存4コマ誌の萌え系化やWeb4コマサイトによる公開といった方針が取られる傾向にある。そのような中で芳文社の『まんがタイムラブリー』も従来の女性向け4コマ誌からの脱却が図られ、2011年2月発行の3月号より従来の萌え4コマ世代と同じか、それよりもさらに若い漫画好き世代をターゲットとしたストーリー4コマ雑誌としてリニューアルされた。 作品自体の性質から、購読者層の男女比率は圧倒的に男性が多く、一般的な4コマ誌では概ね半々であるが『きらら』や『ぱれっと』系統では男女比が9:1〜8:2にものぼる。折衷タイプにおいても『MOMO』では7:3で男性読者の方が多く、『ジャンボ』でも同様の傾向が見られる。 萌え4コマは他ジャンルからの批判、偏見も少なくなく、『[[週刊少年ジャンプ]]』の連載作『[[バクマン。]]』作中で批判されたり、『[[ビッグコミックスピリッツ]]』の『[[気まぐれコンセプト]]』作中で批判されたこともあった。 == 発表形態 == 主要な掲載媒体は、[[新聞]]、商業誌(通常の漫画雑誌、4コマ専門漫画雑誌(「4コマ誌」と略される))、アンソロジー形式の単行本、[[同人誌]]等である。近年{{いつ|date=2016年6月}}は[[Webコミック]]による発表も増えている。 === 新聞 === 新聞での掲載個所は社会面左上隅が一般的であり、多くの一般紙に掲載されている(朝刊のみに掲載される場合、中面に掲載される場合もある)。あらかじめ作者が提示した掲載候補から担当記者による選別を経て、掲載作品が決定される。また、不測の事態に備えて、いわゆる「描き溜め」のストックも行われている。新聞紙上における一服の清涼剤としての役割が期待され、また幅広い読者層に対応するため、古典的な起承転結を基調とし、話題は季節ネタ・時節ネタが多い。但し、時節ネタも同様な理由から刺激の強いものは避けられる傾向が強い。それでも新聞というメディアの特性上、作者の意図しない解釈による批判を受ける(参照ページ「[http://sunrise.hc.keio.ac.jp/~mariko/feminism/asahi00.html マスコミにおける女性蔑視を考える]」)ことも多く、ますます現実と遊離した無難な内容の作品が掲載される結果を招いている。制約が多く、独占的・長期に連載されるため(作者の死によって連載終了となることも多い)マンネリ化に陥ることも多い。<!--([[4コマ漫画#新聞]]も参照のこと)←該当項目がなくなっているのでコメントアウト--> 一部の連載(『[[アサッテ君]]』の一時期や、『[[南ひろこ|ひなちゃんの日常]]』、『[[フジ三太郎]]』など)では8コマや9コマ、中には3コマとなったものもある。 韓国の新聞では、政治、経済、社会、文化全般の時事的な問題や人物を風刺して描かれることが多く、特に「漫評」と呼ばれることがある。 ==== 長期連載記録 ==== *『[[ピーナッツ (漫画)|ピーナッツ]]』([[チャールズ・M・シュルツ]]) 全17897話 :ただしこれは4コマ漫画(1から5コマの不定コマ数)の短編だけでなく、それよりコマ数の多いストーリー漫画も合わせた数である。日本ではタイトルよりも犬のキャラクター「[[スヌーピー]]」の名でも知られる。 *『[[まんまる団地]]』([[オダシゲ]] [[しんぶん赤旗]]) [[1974年]]〜[[2023年]]現在連載中 *『[[ジャンケンポン]]』([[泉昭二]] [[朝日小学生新聞]]) [[1969年]]〜[[2023年]] 全16362回 :2020年8月4日時点で16289回。2018年3月26日の第15452回で『ほのぼの君』の合計回数15451回を抜いて新聞連載漫画の最多回数記録を達成した。「一つの4コマ漫画として最も多く発行された回数」として[[ギネス世界記録]]に認定されたことが第15095回の作中で描写された<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000080.000021716.html|publisher=PR Times|title=【朝日小学生新聞】4コマまんが「ジャンケンポン」作者・泉昭二さんに日本漫画家協会賞の特別賞|accessdate=2019-3-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1612/15/news098.html|publisher=ねとらぼ|title=朝日小学生新聞の「ジャンケンポン」が1万5000回 同一タイトルの新聞連載まんがの最多回数記録を更新中|accessdate=2016-12-31}}</ref>。 *『[[コボちゃん]]』([[植田まさし]] [[読売新聞]]) [[1982年]]〜2023年現在連載中 *『[[ほのぼの君]]』([[佃公彦]] [[東京新聞]]、[[中日新聞]]他) [[1955年]]〜[[2006年]] 全15451回 :旧:『ほのぼの君』〜『ちびっこ紳士』〜新:『ほのぼの君』と改題・復題しており、全てを合計した回数。 :2021年1月7日に13750回となり、毎日新聞『アサッテ君』の記録を更新し、子供が対象の朝日小学生新聞および政党機関紙である赤旗を除く一般全国紙4紙での単一タイトル4コマ漫画で最長記録を達成した<ref>{{Cite web|和書|title=「コボちゃん」通算1万3750回、全国紙連載漫画で最多に…「アサッテ君」超え : エンタメ・文化 : ニュース|url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210106-OYT1T50176/|website=読売新聞オンライン|date=2021-01-07|accessdate=2021-01-13|language=ja}}</ref>。 *『[[アサッテ君]]』([[東海林さだお]] [[毎日新聞]])[[1974年]]〜[[2014年]] 全13749回 *『[[まっぴら君]]』([[加藤芳郎]] 毎日新聞)[[1954年]]〜[[2001年]] 全13615回 *『[[サンワリ君]]』([[鈴木義司]] 読売新聞)[[1966年]]〜[[2004年]] 全11240回 *『ゴリパパ一家』([[神保あつし]] [[日本農業新聞]])[[1987年]]<!--10/1-->〜2023年現在連載中 :2017年[[5月1日]]時点で10000回を達成したことが日本農業新聞で報道された<ref>{{Cite web|和書|url=http://jafurusato.sub.jp/ko-ho/?m=20170510|publisher=日本農業新聞|title=「ゴリパパ一家」連載1万回・アニメ制作記念特集|accessdate=2019-8-22}}</ref>。紙面に話数が掲載されておらず2020年7月現在の正確な話数は不明<ref group="注">2019年8月22日は2017年5月1日から844日経過しているが、[[新聞休刊日]]がおよそ月に1度あるため、同日時点で10800回強と推測される。</ref>。 *『[https://sohutosobo.com/ そふとそぼ]』(若戸だいご 徳島新聞他) 2014年〜2023年現在連載中 *『[[フジ三太郎]]』([[サトウサンペイ]] [[朝日新聞]])[[1965年]]〜[[1991年]] 全8168回 *『[[ののちゃん]]』([[いしいひさいち]] 朝日新聞) [[1991年]]〜2023年現在連載中 :『となりの山田くん』より改題。 *『[[サザエさん]]』([[長谷川町子]] [[フクニチ新聞|夕刊フクニチ]]→[[やまと新聞|新夕刊]]→朝日新聞) [[1946年]]〜[[1974年]] 全6477回 *『[[轟先生]]』([[秋好馨]] 雑誌『漫画』→読売新聞) [[1943年]]〜[[1972年]] 全6152回 *『[[フクちゃん]]』([[横山隆一]] 朝日新聞、毎日新聞他) [[1936年]]〜[[1971年]] :改題前の『江戸ッ子健ちゃん』を含む。 なお、掲載紙がスポーツ紙のため参考扱いであるが、『いも虫ランド』([[コジロー]] [[スポーツニッポン]]。[[1984年]][[10月11日]]掲載開始)が2021年[[9月26日]]時点で13075回掲載となっている(同日付紙面にて確認)。 === 4コマ誌 === 4コマ漫画作品を主な内容として掲載している[[漫画雑誌]](商業誌)を総称して'''4コマ誌'''(よんコマし)という。これは「4コマ漫画専門雑誌」の略で、[[芳文社]]、[[竹書房]]、[[双葉社]]、[[ぶんか社]]、などから発行されている。[[判型]]はB5判(182[[ミリメートル|mm]]×257mm)のものが殆ど。綴じ方は中綴じのものが多いが、平綴じのものも増えつつある。ページ数は、中綴じのものは200ページ前後、平綴じのものは220ページ前後である。 1冊あたりの税込価格は概ね270円から350円程度であるが、[[2004年]]頃からは、『まんがタイムきららMAX』(2004年5月24日創刊)が450円、『[[もえよん]]』(2004年7月9日創刊)が420円にそれぞれ設定されるなど、例外的に400円を超えるものも現れつつある(価格はすべて創刊号のもの)。『まんがライフMOMO』を含む萌え4コマ誌は、基本的に自社広告以外の広告が掲載されていないこともあり(掲載される場合、ほとんどが[[とらのあな]]、[[メロンブックス]]などの同人ショップや[[ブロッコリー (企業)|ブロッコリー]]などのゲーム・キャラクターグッズ企業である)、一般的に350円程度とおおむね通常よりも高めの価格設定をされることが多い。 ==== 分類 ==== 「まんが○○○」などと、雑誌名の頭が平仮名で「まんが」と始まるものが多く、狭義にはこれに当てはまる雑誌のみが4コマ誌と称される。この中には(主として1人ないし少人数の漫画家を特集する)再録作品を中心とした、不定期または実質定期の増刊号='''再録4コマ誌'''が含まれる。現在{{いつ|date=2016年6月}}発行されている定期刊行(狭義)4コマ誌の中には、再録誌から出発した後に初出作品の分量を増やし、通常の4コマ誌にリニューアルして今に至っているものもある。 また、「本当にあった○○○な話」など、雑誌名の頭が「本当にあった」で始まるものも広義には4コマ誌に含まれるが、前者は創作漫画作品(普通の漫画作品)を中心に掲載しているのに対し、後者は読者からの投稿を4コマ漫画化したものを中心としており、前者(狭義の4コマ誌)と区別するため特に'''実話系4コマ誌'''などと称されることがある。実話系4コマの元祖は[[田島みるく]]の『本当にあった愉快な話』(現・本当にあったゆかいな話)で、ここから派生してお色気系実話に特化した『愛のイトナミ』(現・愛のイトナミSP、[[後藤ユタカ]]作)、その他医療系実話の主力・[[安斎かなえ]]や、自らの恋愛体験を赤裸々に描く[[桜木さゆみ]]らといった作家が実話系4コマ漫画を中心に活動している。 萌え4コマ誌については[[#萌え4コマ|萌え4コマ]]の節を参照。 この他に、『みこすり半劇場』とその増刊・別冊など、[[成人向け漫画|成人向け]]の4コマ漫画作品を中心とするものは'''エロ4コマ誌'''、'''艶笑4コマ誌'''などと称される(実話系4コマ誌においても成人向けの内容を多く含むものがあるが、呼称は明確には区別されていない。また通常の成人向け4コマ誌は男性読者が中心であるのに対し、実話系は女性読者が多い傾向にあるという差異もある)。便宜上成人向け4コマと呼ばれているがあくまで下ネタや色気を題材として笑わせることが目的の作品であるため、いわゆる18禁漫画に指定されることはない。 成人向け4コマ誌は『みこすり半劇場』の登場後密かなブームとなり、1990年代前半には創刊が相次ぎ一時的に乱立状態となった。しかし、ほとんどの雑誌が短命に終わり、『みこすり半劇場』のみが細々と残ることとなった。その『みこすり半劇場』自体も2010年のリニューアルでノンフィクション(実話系)4コマ中心へ、そして2013年のリニューアルでは4コマ誌の体裁を捨て成人向けストーリー漫画誌へと路線変更され、この時点で創作ものとしてのお色気・下ネタ4コマ漫画誌は出版業界から姿を消すこととなり、さらに翌2014年には雑誌自体が休刊することとなった。他にも『[[ビタマン]]』、『あべまん』→『えっち一本勝負』→『[[ナマイキッ!|NAMAIKIッ!]]』(竹書房)や『まんが笑がっこう』→『SHOWGAKKO』(平和出版)のように、成人向け4コマ誌として創刊した後に成人向け漫画誌に路線変更したものもある。ちなみに現在{{いつ|date=2016年6月}}休刊となった『SHOWGAKKO』からは、同誌で漫画を執筆していた[[かがみふみを]]と、同誌のハガキ投稿コーナーの常連であった[[荻野眞弓]]が後に4コマ漫画誌で活躍することになるという皮肉な結果も生まれている。同様に成人向け4コマから路線変更した雑誌に『まんがシャワー』([[一水社]])がある。この雑誌は成人向け4コマ誌から熟女系エロ劇画誌『漫画シャワー』になり、現在{{いつ|date=2016年6月}}では『まんがシャワー』と誌名を戻したものの、漫画よりもヌードグラビアなどを重視したごく一般的な[[エロ本]]になって刊行されている。同じように現在{{いつ|date=2016年6月}}[[エロ本]]化している元成年向け4コマ誌には『COMICび〜た』、『カルビPOWER』(いずれも[[若生出版]])がある。市場の縮小により転身した作家も少なくなく、当時『イカしてソーロウ』を代表とする人気作品を次々と発表し、下ネタ4コマ業界で[[岩谷テンホー]]と人気を二分していた笑太郎はその後[[ジュニアアイドル]]の[[イメージビデオ]]の制作業に転身し、『天使の絵日記』シリーズを制作・販売している(ちなみにかつて同シリーズに出演していた吉沢真由美は笑太郎の実娘である)。 また、この時期にはファミリー向け・成人向け・スポーツ芸能4コマを一冊の雑誌にまとめて掲載した『まんが笑アップ』と、増刊『まんがポケット』(廣済堂出版)という変り種の4コマ誌もあった。両誌とも概ね一般向け作品5割:成人向け作品3割:スポーツ芸能、その他(不条理系など)2割程度の比率で掲載されており、『みこすり半劇場』掲載作と同様の性描写や性的行為をあからさまに描いた過激な作品から、家庭などを舞台とした暖かくほのぼのとした雰囲気の作品までが1冊の雑誌内で同居しているという異色の4コマ雑誌であった。しかし、このように作品相互間において読者層が相容れないものをごちゃ混ぜにした内容であったためか長続きせず、いずれも早々に休刊となった。なお2010年現在発行されている4コマ誌においては『[[主任がゆく!|主任がゆく!スペシャル]]』(ぶんか社刊、『無敵恋愛S*girl』増刊号→『みこすり半劇場』増刊号)が一般向け・成人向け・実話系4コマを一冊にまとめて掲載する形を取っておりこれに近いものとなっているが、成人向け作品の描写を比較的ソフトに抑えることで誌面全体のバランスを取るよう図られている。 ==== 掲載内容 ==== 4コマ誌においても、4コマ以外の形式の作品(区別のために、「ストーリー作品」(ストーリー形式の漫画作品)と呼ばれる)も数本程度掲載される。通常、4コマ形式の作品は1作品あたり4〜8ページ、ストーリー形式の作品は1作品あたり6〜10ページ程度で、1冊の4コマ誌には少なくとも20作品以上が掲載されている。 他に、各雑誌ごとに異なるが、読者投稿欄、アンケート、パズル、占い、文章作品([[随筆|エッセイ]]など)なども掲載される。アンケートは懸賞付きで行われ、賞品には現金や金券類などが設定される。近年{{いつ|date=2016年6月}}は作家の色紙やサイン入り単行本などを賞品とするものも現れている。 また他の漫画雑誌と異なり、表紙が1名の作家によって複数月連続して担当される、という特徴がある。この理由としては、「複数の4コマ誌で同一作品が同時に連載されている例が多いため、表紙担当を毎号変えると読者が混乱するため」、「あまり熱心ではない読者(意識して4コマ誌を購読しているのではなく、暇潰しなどの目的で目に付いた雑誌を適当に買った読者)にとっては、各4コマ誌は雑誌名も似ており区別しづらいため、彼らに対して“前号と同一銘柄の雑誌であること”を印象付け、継続購読を促すため」、などの説があるが、定かではない。また、『まんがタイムきらら』系は他の4コマ誌と異なり「特定の作家・作品のファンとなった読者層を定期購読者として取り込む戦略を展開している(=熱心な読者を創り出しターゲットとする)」ため当初は表紙担当の固定制にはこだわっていなかったが、近年{{いつ|date=2016年6月}}はアニメ化された看板作品に固定される時期もある。表紙作家は基本的に巻頭カラーも担当する(芳文社の一部雑誌は表紙作家以外が巻頭を担当することがある)。ページ数も毎回8ページ前後と多く、さらに竹書房の場合は連載に関連した企画連載も同時掲載されるなど、表紙作家は文字通り雑誌の看板として別格扱いとなっている。 2023年12月現在の4コマ誌の表紙作家と担当期間は次の通り。 * 芳文社 ** まんがタイム:[[植田まさし]]([[おとぼけ課長|おとぼけ課長 → おとぼけ部長代理]]) 2004年10月号 - ** まんがタイムオリジナル:[[ひらのあゆ]]([[ラディカル・ホスピタル]]) 2002年5月号 - ** まんがホーム:[[むんこ]]([[らいか・デイズ]]) 2005年4月号 - ** まんがタイムきらら:※固定にこだわっていない ** まんがタイムきららキャラット:※固定にこだわっていない ** まんがタイムきららMAX:※固定にこだわっていない * 竹書房 ** まんがライフオリジナル:[[大井昌和]]([[ちぃちゃんのおしながき]]) 2016年7月号<ref>{{Cite web|和書|url=http://4koma.takeshobo.co.jp/cat04/9446/ |title=まんがライフオリジナル7月号本日発売!! |website=竹書房4コママンガ誌オフィシャルサイト |accessdate=2016-06-12}}</ref> - ** 本当にあった愉快な話:[[安斎かなえ]] 不明 ** 増刊 本当にあった愉快な話:安斎かなえ<ref group="注">号によっては違う作家が担当。</ref> 不明 * ぶんか社 ** 本当にあった笑える話:[[桜木さゆみ]] 創刊号(2001年) - ** 主任がゆく!スペシャル:[[たかの宗美]]([[主任がゆく!]]) vol.1(2007年) - * KADOKAWA ** アスキー・メディアワークス ブランドカンパニー *** コミック電撃だいおうじ:※固定にこだわっていない ** メディアファクトリー ブランドカンパニー *** コミックキューン:※固定にこだわっていない ==== 単行本 ==== 4コマ誌に連載された作品の[[単行本]]は、判型がA5判(148mm×210mm)のものが殆どで、他の形式の作品の単行本の多くがB6判(128mm×182mm)以下であることに比べると、やや大きめになっている。価格は各出版社・各レーベルごとに異なり、更にカラー印刷のページ数などによっても異なるため、概ね600円から900円程度とまちまちである。特に先述の萌え4コマは高値に設定されており、一般誌と併売している大手では別レーベル(芳文社=まんがタイムKRコミックス、竹書房=MOMO selection)を設けて他のコミックスとシリーズ・価格とも区別する形式を取っている。これらの書籍は1頁に2本(8コマ)を収録したものが多いが、一方でいしいひさいち作品などから増え始めた、1頁に1本を収録した新書サイズのものも見られ、こちらはやや安価である。 また、単行本のための描き足しが、巻頭・巻末や本文内だけでなく、カバー裏([[ブックカバー#工場出荷時のカバー|カバー]]を外した状態の、単行本本体の[[表紙]]・裏表紙をこう呼ぶ)にも付されることが多く、単行本を購入した読者にとっては、カバーをめくることも楽しみのひとつとなっている。 単行本化される作品は、連載である程度の人気を得たものに限られており、連載が長期にわたり続いても単行本が発売されない場合がある。また、単行本の第1巻が発売されても、その売れ行きが芳しくないと、連載が続いても第2巻以降が発売されないことが多い。4コマ誌掲載漫画の単行本で第2巻の出るタイトル数は第1巻のそれの約半分、と言われている。<!--特に萌え4コマでその傾向が強い-->そのため、連載が完結しても、単行本上では永遠に未完となってしまう場合も珍しくない。また、単行本で完結しても、中長期連載の場合は相当数の未収録話が残るケースもみられる。単行本未収録分を同人誌として頒布したり、4コマ漫画単行本の読者プレゼントとする漫画家もいるが、これは稀な例である。主にストーリー4コマで単行本にきっちり収めて完結させるために途中から展開を早めるなどして調節される場合もあるが、このようなケースは連載が打ち切られることが前提であるとはいえ、前述のようなケースが多い実情に鑑みると恵まれている方である。単行本の発売に際しては、様々な拡販施策(フェア)が行われることがあるが、<!--。最も多く行われるのは、[[出版社]]が主催し、単行本購入者を対象とした[[懸賞]](クローズド懸賞)で、単行本の[[帯]]などに付されている応募券を切り取って[[はがき|葉書]]に貼って郵送する、或いは単行本に挟み込まれている専用の葉書に感想などを記して郵送する、などの方法によって応募すると、作家のサイン色紙などが抽選で当たる、というものである。 [[書店]]において行われる施策には、原画展やサイン会などがある。 * '''原画展'''(げんがてん)とは、作家の直筆[[原稿]]を書店内において展示するもので、サイン本(作家の直筆サイン入りの単行本)の販売なども同時に行われることが多い(なお、ここでいう「[[原画]]」とは、アニメの分野での「原画」とは異なる意味である)。 * '''サイン会'''とは、作家が実際に書店に招かれ、読者(単行本購入者)の目の前で単行本にサインを入れてくれるというもので、作家と読者とが直接交流する貴重な機会となっている。サイン会に参加するためには、予め対象となる単行本を当該書店で購入し、整理券を受領しておく必要がある。整理券の配布は先着200名程度に制限されている場合が多いが、書店によっては、遠方からの参加者に配慮してか、事前の電話予約を受け付けることもある。 -->かつてのフェアは1社単独での既刊単行本や掲載誌との連動企画を中心に展開されるものだった。1999年には、竹書房・[[白泉社]]の合同企画として「みずしな&ももせコミックスフェア」が開催され、両社で主力作家であった[[みずしな孝之]]と[[ももせたまみ]]の対象コミックス購入者に'''オリジナル特製しおり'''がプレゼントされるなど、異なる出版社による2社合同フェアが行われるようになった。さらに、2000年頃からは、1名の作家の作品を複数の出版社で同日に発売し、合同フェアとして広告展開することによる拡販施策が行われるようになった(例:2003年、[[真右衛門]]、[[講談社]]・竹書房/2004年、[[森真理]]、竹書房・[[小学館]]<!--正確な発売日は不明だが2002年には双葉社・竹書房による植田まさしの合同広告がある-->)。特筆されるのは2004年10月の「[[重野なおき]]スリーランフェア」で、竹書房・双葉社・白泉社の3社から1冊ずつ計3冊の単行本が同日に発売された。これに続き、2005年1月から3月にかけて、芳文社・竹書房・[[メディアワークス]]の3社から、[[大井昌和]]の作品の単行本が毎月27日頃に各1冊ずつ発売された。いずれも、「3社合同企画」などと銘打ち、合同での懸賞が行われたり、雑誌上において他社刊行のものを含む複数冊をまとめて広告するなど、出版社ごとの垣根を越えた拡販施策が行われている。その後も[[胡桃ちの]]や[[小笠原朋子]]などについて同様の施策が行われ、4コマ誌に連載を持つ作家の単行本についての拡販施策の定石となった。 === ゲームアンソロジー === [[コンピュータゲーム]]作品(特に[[テレビゲーム]])の世界観や登場人物を、そのまま題材として二次創作した4コマ漫画作品を'''ゲーパロ'''という(「ゲーム[[パロディ]]」の略か)。他の作品を題材とした二次創作作品は、本来は[[同人誌]]として発行されるものであるが、ゲーパロの分野においては、ゲームメーカーと無関係の出版社が発行するほかに、ゲームメーカーが自らゲーパロ作品の単行本を発行・発売しているケースもある。このような単行本の殆どは、複数名の作家による[[アンソロジー]]形式を採っているため、コンピューターゲーム作品を題材とした4コマ漫画作品の単行本は'''ゲーム[[アンソロジーコミック|アンソロジー]]'''と総称されている(単に「アンソロ」とも略される)。 上述の4コマ誌とは異なり、ゲームアンソロジーに収録されている作品は、雑誌等への掲載を経ずに単行本上のみで発表されることが多い。 ==== 4コママンガ劇場 ==== 古参かつ代表的なレーベルには、[[エニックス]](後の[[スクウェア・エニックス]])より刊行されていた『[[4コママンガ劇場]]』がある。『[[ドラゴンクエストシリーズ|ドラゴンクエスト]] 4コママンガ劇場』の商業的成功は、[[少年漫画]]雑誌『[[月刊少年ガンガン]]』を生み出す原動力となった。 このことに端を発し、各社が競ってゲームアンソロジーを発行するようになった。このジャンルは以前から存在したが、現在{{いつ|date=2016年6月}}の多くの作品は『4コママンガ劇場』を参考としたものであるといえる。また、プロの漫画家ではない素人(しかも、同人作家ですらない)が起用されることもあり、これがプロデビューのきっかけとなった漫画家も多いが、これもかつての『4コママンガ劇場』の基本方針の一つであった。このレーベルからプロデビューを果たした代表的な漫画家は、[[衛藤ヒロユキ]]、[[柴田亜美]]など。 ==== 4コマまんが王国 ==== 『[[4コマまんが王国]]』は、[[双葉社]]が発行していた、主に[[テレビゲーム]]に関するパロディー・ギャグ4コマ漫画やショートコミックのレーベルで、双葉社アクションコミックスのシリーズである。 上述の『4コママンガ劇場』に次ぐ歴史を誇るが、既に[[双葉社]]は[[1986年]]頃にゲームソフトを題材にした漫画として「[[ファミコン冒険ゲームブック]]」のレーベルを立ち上げており、ゲームコミックの歴史としては『4コママンガ劇場』にも並ぶか、場合によっては最も古いレーベルではないかといわれている。[[1991年]]に『4コママンガ劇場』の成功に注目、『4コマまんが王国』としてシリーズ化するとともに、[[1993年]]には一雑誌の創刊を実現するまでに成長した。 表現上の規制が厳しいとされていた4コママンガ劇場よりも規制基準がかなり緩かったこともあり、質の高い数々の爆笑ネタや[[漫画家]]が誕生。4コママンガ劇場よりも多くのゲームソフトの漫画化も行われた。最盛期には[[任天堂]]のゲームを対象にしたものが多く出版されており、4コママンガ劇場のライバル的存在としてゲームコミックレーベルの中でもトップクラスの人気を誇った。このレーベルからプロデビューを果たした代表的な漫画家は[[佐々木亮 (漫画家)|佐々木亮]]など。 === Webコミック === 個人サイトや4コマ漫画誌の公式サイトにおけるものが主である。『[[livedoor デイリー4コマ]]』や『まんがタイムきららweb』、『[[pixiv|ピクシブ通信]]』など、[[ポータルサイト]]やWebコミックサイト内の4コマ漫画用コンテンツとして設けられているものもある。 近年{{いつ|date=2016年6月}}では竹書房が『デイリー4コマ』を縁としてライブドアとの関係を深めており、両社間での作者の交流や、新人賞の共同主催を行っており、2009年4月27日にはデイリー4コマのサイトの一部を間借りする形で新たにWeb4コマコミック『[[まんがライフWIN]]』をオープンした。『まんがライフ』系統で人気の作家を中心に起用されているが、インターネット媒体ということもあり、作品のラインナップは同社刊の雑誌系統のものよりも萌え系4コマにより比重を置いた構成となっている。 2010年2月23日には、芳文社も『まんがタイム』系、『きらら』系に続く第三の4コマ媒体として、上記と同じ『デイリー4コマ』との共同運営によるWeb4コマコミック『まんがタイムWAVE』をオープンしたが、2011年3月いっぱいで閉鎖した。 2011年6月10日より一迅社が、廃刊した『まんがぱれっとLite』に代わるWeb4コマコミック『[[まんが4コマぱれっと#まんが4コマぱれっとonline|まんが4コマぱれっとOnline]]』をオープンしている。 == 4コマ誌の一覧 == 各出版社ごとに、創刊の古い順に掲げる<!--もし違っていれば直してください-->。●は休・廃刊。 === 芳文社 === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * [[まんがタイム]] * まんがセブン● * [[まんがタイムオリジナル]] * [[まんがタイムファミリー]](旧:別冊まんがタイム)● * [[まんがスポーツ]]● * [[まんがホーム]] * [[まんがタイムスペシャル]]● * [[まんがタイムラブリー]]● * [[まんがタイムジャンボ]]● * まんがタイムキッチュ!!● * まんがタイムナチュラル(旧:まんがタイムオプショナル)● * [[まんがタイムポップ]](旧:まんがタイムポップセレクション)● * ビッグバン4コマ● * まんがタイムDash!● * [[まんがタイムきらら]] * [[まんがタイムきららキャラット]] * [[まんがタイムきららMAX]] * [[本当にあった(生)ここだけの話|本当にあった(生)ここだけの話]]● * [[本当にあった(生)ここだけの話#超本当にあった(生)ここだけの話|超本当にあった(生)ここだけの話]](旧:増刊本当にあった(生)ここだけの話)● * [[まんがタイムきららミラク]]● === 竹書房 === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * [[まんがくらぶ]](旧:天才くらぶ。通称「まんくら」)● * [[まんがライフ]](旧:ギャグダ)● * [[まんがライフオリジナル]](通称「ライオリ」) * [[まんがくらぶオリジナル]](旧:まんがパロ野球ニュース → 月刊スポコミ。通称「くらオリ」)● * [[まんがライフMOMO]](旧:まんがライフオリジナル ももせたまみ増刊)● * [[あにまるパラダイス]]●<ref group="注">後にコミックス扱いの新書判『ねこじかん』にリニューアル。</ref> * ウルトラ4コマ● * 本当にあった愉快な話(一時期:本当にあったゆかいな話) * 増刊 本当にあった愉快な話 * [[本当にあった愉快な話芸能ズキュン!|本当にあった愉快な話芸能ズキュン]](旧:本当にあった愉快な話 愛のイトナミSpecial→本当にあったゆかいな話DX→本当にあった仰天スクープまんがズキュン!→本当にあったゆかいな話芸能ズキュン!)● * [[すくすくパラダイス]]● === 双葉社 === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * まんがアクションランド● * [[まんがタウン]](旧:[[漫画アクション]] ファミリー増刊 クレヨンしんちゃん特集号)● * [[まんがタウンオリジナル]]● * [[もえよん]]● === 少年画報社 === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * まんが笑ルーム● === ぶんか社 === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * [[みこすり半劇場]]● * みこすり半劇場別館● * 月刊まんがシャレダ!● * 月刊イケイケ課長●<ref group="注">1997年、メイン作家の[[安藤しげき]]の死去に伴い休刊。</ref> * 月刊イカしてソーロウ● * まんが4コマ丼(旧:まんがアロハ!)● * [[本当にあった笑える話]] * 愉快で笑える本当の話(旧:本当にあった笑える話 爆笑4コマ魂)●<!--雑誌コード上は『みこすり半劇場』増刊扱い--> * [[本当にあった笑える話#別冊本当にあった笑える話|別冊本当にあった笑える話]]● * [[本当にあった笑える話#本当にあった笑える話スペシャル|本当にあった笑える話スペシャル]]● * [[本当にあった笑える話#本当にあった笑える話Pinky|本当にあった笑える話Pinky]]● * [[主任がゆく!|主任がゆく!スペシャル]] * [[たかの宗美|たかの宗美スペシャル]]● === 徳間オリオン === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * まんがハイム● === 廣済堂出版 === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * まんが笑アップ● === 平和出版 === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * 愉快本舗● * [[COMICぎゅっと!]]● === イースト・プレス === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * [[ハムスペ]]●<ref group="注">休刊後に『あにスペ』にリニューアルしたが、2009年9月に休刊。</ref> === 日本出版社 === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * [[ねこのしっぽ (雑誌)|ねこのしっぽ]]● === 朝日新聞出版 === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * ほんとにあった爆家族の話(旧:ほんとにあった笑っちゃう話(朝日ソノラマ) → ふぁみドラコミック)●<!--事実上、長期間刊行実績なし--> === 宙出版 === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * まんが学園4年生● === 学習研究社 === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * [[メガミマガジン#コミックメガミマガジン|コミックメガミマガジン]]● === 秋田書店 === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * 全部ホンネの笑える話● === 大洋図書 === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * 本当にあったブログないしょ話● === 一迅社 === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * [[まんが4コマぱれっと]](旧:まんが4コマKINGSぱれっと)● * [[まんがぱれっとLite]](旧:まんが4コマKINGSぱれっとLite)● === メディアックス === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * [[まんがドカン小町]]● === KADOKAWA === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * [[4コマnanoエース]](角川書店BC)● * [[コミック電撃だいおうじ]](アスキー・メディアワークスBC) * [[コミックキューン]](メディアファクトリーBC) === 辰巳出版 === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * まんが あ!ホクサイ● === ビブロス === <!--Wikipedia内にまだ記事の無い雑誌名は、リンクにしないで下さい。--> * Do!ぴーかん● == 4コマ漫画家の一覧 == {{Main|4コマ漫画家の一覧}} == 記事のある4コマ漫画作品の一覧 == {{See|4コマ漫画作品の一覧}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * 清水勲『四コマ漫画』2009年、岩波書店《[[岩波新書]]》 * 手塚治虫『漫画の描き方 似顔絵から長編まで』1977年、[[光文社]]《[[カッパ・ブックス|カッパ・ホームズ]]》 == 関連項目 == * [[漫画家]] ** [[日本の漫画家一覧]] * [[日本の漫画作品一覧]] * [[漫画レーベル一覧]] * [[日本の漫画雑誌]] * [[コミック・ストリップ]] - 欧米における新聞漫画 <!--この手の外部リンクは、本項目ではなくそれぞれの項目に記述すべき。 == 外部リンク == * 4コマ誌を発行している出版社の公式サイト ** [http://www.houbunsha.co.jp/ 芳文社] *** [http://www.manga-time.com/ まんがタイムWeb] *** [http://www.dokidokivisual.com/ まんがタイムきらら★公式サイト] *** {{Wayback|url=http://blog.livedoor.jp/mangatime_lovely/ |title=まんがタイムLovely情報室 |date=20101118042644}} ** [https://www.takeshobo.co.jp/ 竹書房] *** 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劇画
劇画(げきが)は、漫画の表現技法、もしくは漫画のジャンルの一つである。 「劇画」という名称は辰巳ヨシヒロの考案によるものであり、劇画工房の誕生以降の劇画ブームによって世間一般に名称が定着した。 劇画とは、それまでの漫画から一線を画した漫画表現の手法であり、青年向け漫画を子供向けの漫画と異化・区別させるために作られたジャンルでもある。従来の漫画はあくまで子供向けであり、辰巳らは自分たちの作品がそのような評価を受けることを極端に嫌っていた。貸本劇画の読者層は労働者階級の若者であり、また劇画工房のメンバーも同じような階層の若者であった。作風としてはハリウッド映画やハードボイルド小説の影響が大きい。 劇画という名称は1957年(昭和32年)末に、名古屋の貸本出版社「セントラル文庫」から出版された漫画短編集『街 12号』に掲載された辰巳ヨシヒロの「幽霊タクシー」で初めてその扉ページに使用されたとされる。以降、辰巳は新しい漫画のジャンルとして「劇画」という名称を積極的に使い始める。 そのころ、大阪の「日の丸文庫」で貸本漫画を描いていた漫画家らは原稿料の不払いに悩んでいた。そこで漫画家同士で団結して出版社との交渉に当たる目的で石川フミヤス、K・元美津、桜井昌一、山森ススム、佐藤まさあき、岩井しげお、鈴木洸史らの7人で漫画制作集団「関西漫画家同人」が結成された。 1959年(昭和34年)1月5日、辰巳ヨシヒロと「関西漫画家同人」所属のうち石川、元美津、桜井、山森、佐藤の5人が大阪の辰巳の実家で会合を持った(連絡が取れなかった岩井、鈴木は不参加)。その際、山森の「自分たちにも『劇画』という名称を使わせてほしい」との要望を受け、辰巳が個人的に使用していた「劇画」を日の丸文庫の漫画家仲間の間で共用することになった。 1959年、辰巳ヨシヒロが中心となり、石川フミヤス、K・元美津、桜井昌一、山森ススム、佐藤まさあき、そしてさいとう・たかをら7人で劇画制作集団「劇画工房」が結成される。さいとう・たかをは当初「説画」という名称にこだわっていたが、辰巳の説得に折れて参加することになった。結成時の話し合いに同席していた松本正彦もまた、自らの付けた名称「駒画」にこだわり参加を渋っていたが、4月になってようやくに加入、後に8人体制となる。 活動に先んじて「劇画工房ご案内」と題名された挨拶状(はがき)150枚が、新聞社、出版社や漫画家に向けて送付された。劇画宣言と呼ばれる。この宣言文の宣伝効果は絶大で、漫画業界に「劇画」という言葉が定着する。手塚治虫の元にも届けられ、手塚は後に自伝「ぼくはマンガ家」でこの挨拶状を取り上げている。 この新しいジャンル「劇画」は貸本漫画読者の間でたちまち人気となり、『影』(日の丸文庫)、『街』(セントラル文庫)、『摩天楼』(兎月書房)等、劇画短編集が多数出版され貸本漫画の黄金期が始まることになった。ところが、1959年8月、メンバーは辰巳ヨシヒロ宅に急遽招集され、そこで辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかを、松本正彦の3人が「劇画工房」からの脱退を表明、後に解散となる。 1965年(昭和40年)、当時のトップ漫画家であった手塚治虫がいわゆる「W3事件」で「週刊少年マガジン」の連載を降板するという事件が起こった。編集長の内田勝は手塚の抜けた穴を埋めるべく、貸本劇画で活躍していた劇画家に執筆を依頼。これらの劇画は読者の高い支持を得て、以降、マガジンは劇画路線を推進していくことになる。 劇画の人気を見てとった他の出版社からも次々と劇画雑誌が創刊される。1966年(昭和41年)創刊の「コミックmagazine」(芳文社)を皮切りに、1967年(昭和42年)創刊の「週刊漫画アクション」(双葉社)と「ヤングコミック」(少年画報社)、1968年(昭和43年)創刊の「ビッグコミック」(小学館)、「プレイコミック」(秋田書店)などが挙げられる。それらの雑誌には、貸本から商業雑誌に移行後もヒットを飛ばした、さいとう・たかをや佐藤まさあき、彼らのスタッフだった川崎のぼるや、南波健二、小池一夫、劇画調に作風を変化させた永島慎二や白土三平、つげ義春、新世代の梶原一騎や宮谷一彦、バロン吉元、池上遼一、上村一夫らが執筆し人気を博した。 労働者階級の若者がメインターゲットの読者であった劇画は、当時盛んであった学生運動の熱狂と同期し、社会的なブームを巻き起こすことになる。貸本劇画誌を前身として1964年に創刊された「ガロ」(青林堂)は全共闘世代の大学生の愛読誌であった。1970年(昭和45年)3月31日によど号ハイジャック事件を起こした赤軍派グループの宣言「われわれは明日のジョーである」は当時の劇画の若者に対する影響力を物語っている。 劇画ブームに対して反発もあり、劇画嫌いで知られる寺田ヒロオはさいとう・たかをに批判文書を送りつけた。 1972年(昭和47年)のあさま山荘事件などの左翼の過激化で学生運動が退潮したと同時に、若者らに支持されていた劇画業界も冷え込んでいった。劇画は「重く」「暑苦しい」ものとして若者らから敬遠されるようになり、それまで人気を誇っていた劇画雑誌は1970年代中頃より急激に部数を落としていった。ヤングコミックの編集者であった岡崎英生によると劇画雑誌の衰退は、三流劇画誌(エロ劇画誌)の流行や、1979年(昭和54年)6月に創刊された「週刊ヤングジャンプ」(集英社)や1980年7月に創刊の「週刊ヤングマガジン」(講談社)といった新しい青年漫画雑誌の影響が大きいとしている。 ニューウェーブ漫画を含む、劇画の手法を取り入れた新しい漫画の登場で、従来型の劇画は淘汰されていった。 劇画ブーム後も生き残ったベテランや、その後デビューした劇画家によって今も作品は描かれているが、「ジャンルとしての劇画」は低迷している。1995年(平成7年)には辰巳ヨシヒロが自伝漫画である『劇画漂流』を発表。自らの経歴を振り返ると共に、ブーム以降に誤解された劇画のイメージを回復させるべく活動した。現在の漫画の多くは少なからず劇画の影響下にあるが、漫画と劇画を分離して呼称するという提唱は未だに実現しておらず、包括的な呼称としてなお漫画が用いつづられている。 劇画の技術的な手法としては、カメラワークを使ったコマ割りが挙げられる。俯瞰や煽りで三人称視点を取り入れたダイナミックな視点からの描写(それまでの漫画の視点はほぼ正面固定だった)、人物のアップによる内面心理描写(それまでの漫画の世界では人物のアップは手抜きと見なされていた)などがある。また、太字で強調された擬音や、効果線、集中線を使った演出、同じシーンを連続的にコマに描くことによって時間経過を圧縮する演出なども劇画工房の開発によるものである。 劇画工房はハリウッド映画を参考にこれらを漫画技法として開発したのであり、このような革新的な表現が許されたのは、彼らが主に執筆していた日の丸文庫の「表紙以外は自由に描かせる」という放任主義の成果、日の丸文庫の専務で漫画編集をしていた山田喜一が映画に対して理解が深かったおかげとされる。 これらの技法はすぐに模倣されて漫画の一般的な技法として定着し、劇画の独自手法として見なされなくなってしまったため、世間一般には後の劇画雑誌ブームの際に流行した「描線の多いリアルタッチな画風の漫画が劇画である」というステレオタイプなイメージが残った。 さいとう・たかを曰く、「本来、絵は劇画の条件には含まれていない、デフォルメされた絵、少年・少女向けの絵でも構わないもの」であった。ところが「劇画黎明期を支えた面々が第一線から消え、さいとうのみが残ってしまったため、さいとう調の絵が「劇画」だと世間が誤解し、定着してしまった」という。事実、劇画黎明期を支えた代表的作家辰巳ヨシヒロや松本正彦の絵は一般的な「劇画調」のイメージとは異なるし、一般的には劇画家の範疇に含まれないつげ義春や水木しげるも若い頃には貸本劇画を手がけている。 概ね生年順
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劇画(げきが)は、漫画の表現技法、もしくは漫画のジャンルの一つである。
'''劇画'''(げきが)は、[[漫画]]の表現技法、もしくは漫画のジャンルの一つである。 == 概要 == 「劇画」という名称は[[辰巳ヨシヒロ]]の考案によるものであり、[[劇画工房]]の誕生以降の劇画ブームによって世間一般に名称が定着した。 劇画とは、それまでの漫画から一線を画した漫画表現の手法であり、青年向け漫画を子供向けの漫画と異化・区別させるために作られたジャンルでもある。従来の漫画はあくまで子供向けであり、辰巳らは自分たちの作品がそのような評価を受けることを極端に嫌っていた。貸本劇画の読者層は[[労働者階級]]の若者であり、また劇画工房のメンバーも同じような階層の若者であった。作風としては[[ハリウッド映画]]や[[ハードボイルド]]小説の影響が大きい。 == 劇画の歴史 == === 劇画の誕生 === 劇画という名称は[[1957年]](昭和32年)末に、名古屋の貸本出版社「セントラル文庫」から出版された漫画短編集『街 12号』に掲載された辰巳ヨシヒロの「幽霊タクシー」で初めてその扉ページに使用されたとされる。以降、辰巳は新しい漫画のジャンルとして「劇画」という名称を積極的に使い始める。 そのころ、大阪の「[[日の丸文庫]]」で貸本漫画を描いていた漫画家らは原稿料の不払いに悩んでいた。そこで漫画家同士で団結して出版社との交渉に当たる目的で[[石川フミヤス]]、[[K・元美津]]、[[桜井昌一]]、[[山森ススム]]、[[佐藤まさあき]]、岩井しげお、鈴木洸史らの7人で漫画制作集団「関西漫画家同人」が結成された。 [[1959年]](昭和34年)1月5日、辰巳ヨシヒロと「関西漫画家同人」所属のうち石川、元美津、桜井、山森、佐藤の5人が大阪の辰巳の実家で会合を持った(連絡が取れなかった岩井、鈴木は不参加)。その際、山森の「自分たちにも『劇画』という名称を使わせてほしい」との要望を受け、辰巳が個人的に使用していた「劇画」を日の丸文庫の漫画家仲間の間で共用することになった<ref>佐藤まさあき『「劇画の星」をめざして - 誰も書かなかった「劇画内幕史」』p112</ref>。 === 劇画工房 === [[1959年]]、[[辰巳ヨシヒロ]]が中心となり、[[石川フミヤス]]、[[K・元美津]]、[[桜井昌一]]、[[山森ススム]]、[[佐藤まさあき]]、そして[[さいとう・たかを]]ら7人で劇画制作集団「[[劇画工房]]」が結成される。さいとう・たかをは当初「説画」という名称にこだわっていたが、辰巳の説得に折れて参加することになった。結成時の話し合いに同席していた[[松本正彦]]もまた、自らの付けた名称「駒画」にこだわり参加を渋っていたが、4月になってようやくに加入、後に8人体制となる。 活動に先んじて「劇画工房ご案内」と題名された挨拶状(はがき)150枚が、新聞社、出版社や漫画家に向けて送付された。[[劇画工房#劇画宣言|劇画宣言]]と呼ばれる。この宣言文の宣伝効果は絶大で、漫画業界に「劇画」という言葉が定着する。[[手塚治虫]]の元にも届けられ、手塚は後に自伝「ぼくはマンガ家」でこの挨拶状を取り上げている。 この新しいジャンル「劇画」は貸本漫画読者の間でたちまち人気となり、『影』(日の丸文庫)、『街』([[セントラル文庫]])、『摩天楼』([[兎月書房]])等、劇画短編集が多数出版され貸本漫画の黄金期が始まることになった。ところが、1959年8月、メンバーは辰巳ヨシヒロ宅に急遽招集され、そこで辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかを、松本正彦の3人が「劇画工房」からの脱退を表明、後に解散となる。 === 劇画ブーム === [[1965年]](昭和40年)、当時のトップ漫画家であった手塚治虫がいわゆる「[[W3事件]]」で「[[週刊少年マガジン]]」の連載を降板するという事件が起こった。編集長の[[内田勝]]は手塚の抜けた穴を埋めるべく、貸本劇画で活躍していた劇画家に執筆を依頼。これらの劇画は読者の高い支持を得て、以降、マガジンは劇画路線を推進していくことになる。 劇画の人気を見てとった他の出版社からも次々と劇画雑誌が創刊される。[[1966年]](昭和41年)創刊の「[[コミックmagazine]]」([[芳文社]])を皮切りに、[[1967年]](昭和42年)創刊の「[[週刊漫画アクション]]」([[双葉社]])と「[[ヤングコミック]]」([[少年画報社]])、[[1968年]](昭和43年)創刊の「[[ビッグコミック]]」(小学館)、「[[プレイコミック]]」([[秋田書店]])などが挙げられる。それらの雑誌には、貸本から商業雑誌に移行後もヒットを飛ばした、さいとう・たかをや佐藤まさあき、彼らのスタッフだった[[川崎のぼる]]や、[[南波健二]]、[[小池一夫]]、劇画調に作風を変化させた[[永島慎二]]や[[白土三平]]、[[つげ義春]]、新世代の[[梶原一騎]]や[[宮谷一彦]]、[[バロン吉元]]、[[池上遼一]]、[[上村一夫]]らが執筆し人気を博した。 労働者階級の若者がメインターゲットの読者であった劇画は、当時盛んであった学生運動の熱狂と同期し、社会的なブームを巻き起こすことになる。貸本劇画誌を前身として[[1964年]]に創刊された「[[ガロ_(雑誌)|ガロ]]」([[青林堂]])は[[全共闘世代]]の大学生の愛読誌であった。[[1970年]](昭和45年)3月31日に[[よど号ハイジャック事件]]を起こした[[赤軍派]]グループの宣言「'''われわれは明日のジョーである'''」は当時の劇画の若者に対する影響力を物語っている。 === ブームの終焉 === 劇画ブームに対して反発もあり、劇画嫌いで知られる[[寺田ヒロオ]]は[[さいとう・たかを]]に批判文書を送りつけた<ref>藤子不二雄A監修 まんが道大解剖</ref>。 [[1972年]](昭和47年)の[[あさま山荘事件]]などの左翼の過激化で学生運動が退潮したと同時に、若者らに支持されていた劇画業界も冷え込んでいった。劇画は「重く」「暑苦しい」ものとして若者らから敬遠されるようになり、それまで人気を誇っていた劇画雑誌は1970年代中頃より急激に部数を落としていった。ヤングコミックの編集者であった[[岡崎英生]]によると劇画雑誌の衰退は、[[エロ劇画誌|三流劇画誌(エロ劇画誌)]]の流行や、[[1979年]](昭和54年)6月に創刊された「[[週刊ヤングジャンプ]]」(集英社)や[[1980年]]7月に創刊の「[[週刊ヤングマガジン]]」(講談社)といった新しい青年漫画雑誌の影響が大きいとしている<ref>[[岡崎英生]]『劇画狂時代』p286-287</ref>。 [[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ漫画]]を含む、劇画の手法を取り入れた新しい漫画の登場で、従来型の劇画は淘汰されていった。 === 劇画の現在 === 劇画ブーム後も生き残ったベテランや、その後デビューした劇画家によって今も作品は描かれているが、「ジャンルとしての劇画」は低迷している。[[1995年]](平成7年)には辰巳ヨシヒロが自伝漫画である『[[劇画漂流]]』を発表。自らの経歴を振り返ると共に、ブーム以降に誤解された劇画のイメージを回復させるべく活動した。現在の漫画の多くは少なからず劇画の影響下にあるが、漫画と劇画を分離して呼称するという提唱は未だに実現しておらず、包括的な呼称としてなお漫画が用いつづられている。 == 劇画の表現技術 == 劇画の技術的な手法としては、[[カメラワーク]]を使ったコマ割りが挙げられる。[[俯瞰]]や[[あおり (写真)|煽り]]で三人称視点を取り入れたダイナミックな視点からの描写(それまでの漫画の視点はほぼ正面固定だった)、人物のアップによる内面心理描写(それまでの漫画の世界では人物のアップは手抜きと見なされていた)などがある。また、太字で強調された[[擬音]]や、[[効果線]]、[[集中線]]を使った演出、同じシーンを連続的にコマに描くことによって時間経過を圧縮する演出なども劇画工房の開発によるものである。 劇画工房はハリウッド映画を参考にこれらを漫画技法として開発したのであり、このような革新的な表現が許されたのは、彼らが主に執筆していた日の丸文庫の「表紙以外は自由に描かせる」という放任主義の成果、日の丸文庫の専務で漫画編集をしていた山田喜一が映画に対して理解が深かったおかげとされる。 これらの技法はすぐに模倣されて漫画の一般的な技法として定着し、劇画の独自手法として見なされなくなってしまったため、世間一般には後の劇画雑誌ブームの際に流行した「描線の多いリアルタッチな画風の漫画が劇画である」という[[ステレオタイプ]]なイメージが残った。[[画像:Gekiga.JPG|thumb|300px|漫画的な絵(左)と劇画的な絵(右)(ステレオタイプなイメージ)]] [[さいとう・たかを]]曰く、「本来、絵は劇画の条件には含まれていない、[[デフォルメ]]された絵、少年・少女向けの絵でも構わないもの」であった。ところが「劇画黎明期を支えた面々が第一線から消え、さいとうのみが残ってしまったため、さいとう調の絵が「劇画」だと世間が誤解し、定着してしまった」という<ref>松本正彦 『劇画バカたち』 青林工藝舎、2009年 さいとうたかをインタビューより</ref>。事実、劇画黎明期を支えた代表的作家[[辰巳ヨシヒロ]]や[[松本正彦]]の絵は一般的な「劇画調」のイメージとは異なるし、一般的には劇画家の範疇に含まれない[[つげ義春]]や[[水木しげる]]も若い頃には貸本劇画を手がけている。 == 主な劇画作家 == 概ね生年順 * [[白土三平]](『[[カムイ伝]]』など) * [[小島剛夕]](『[[子連れ狼]]』など) * [[川崎のぼる]](『[[巨人の星]]』など) * [[さいとう・たかを]](『[[ゴルゴ13]]』、『[[バロム・1]]』など) * [[平田弘史]](『[[座頭市]]』『薩摩義士伝』など) * [[佐藤まさあき]](『[[堕靡泥の星]]』など) * [[辰巳ヨシヒロ]](『劇画大学』など) * [[トチボリ茂]](『クレイジー海底軍艦』など) * [[南波健二]](『[[タックル猛牛シリーズ]]』『アタックアクション』『ジャンプ獅子』など) * [[バロン吉元]](『柔侠伝』シリーズなど) * [[園田光慶|ありかわ栄一]](『アイアンマッスル』『挑戦資格』など。後に園田光慶に改名) * [[下元克己]](『ゴキブリ野郎』『快男児ゴリ一平』など) * [[池上遼一]](『I・餓男(アイウエオボーイ)』『[[男組]]』『[[クライング フリーマン]]』など) * [[かわぐちかいじ]](『[[沈黙の艦隊]]』『[[ジパング (漫画)|ジパング]]』『[[太陽の黙示録]]』など) * [[叶精作]](『[[実験人形ダミー・オスカー]]』など) * [[ながやす巧]](『[[愛と誠]]』など) * [[一ノ関圭]](『らんぷの下』など) * [[寺沢武一]](『[[コブラ (漫画)|コブラ]]』『[[ゴクウ]]』など) * [[長谷川法世]](『[[博多っ子純情]]』など) == 出典 == {{reflist}} == 参考文献 == * 手塚治虫『ぼくはマンガ家』毎日新聞社、1969年 * 桜井昌一『ぼくは劇画の仕掛け人だった』エイプリル・ミュージック、1978年 * 佐藤まさあき『劇画私史三十年』桜井文庫、東考社、1984年 * 水木しげる『[[劇画ヒットラー]]』[[ちくま文庫]]、1990年7月、ISBN 4-480-02449-2 * 佐藤まさあき『「劇画の星」をめざして - 誰も書かなかった「劇画内幕史」』文藝春秋、1996年、ISBN 978-4163523200 * [[岡崎英生]]『劇画狂時代』飛鳥新社、2002年 * 辰巳ヨシヒロ『劇画漂流 上巻』青林工藝舎、2008年、ISBN 978-4883792733 * 辰巳ヨシヒロ『劇画漂流 下巻』青林工藝舎、2008年、ISBN 978-4883792764 * 辰巳ヨシヒロ『劇画暮らし』本の雑誌社、2010年、ISBN 9784860112103 * 松本正彦『劇画バカたち!!』青林工藝舎、2009年、ISBN 978-4883792849 * 青林堂(編)『創刊50周年「ガロ」という時代』青林堂、2014年、ISBN 978-4-7926-0500-1 * 秋山高廣『再び大阪が まんが大国に甦る日』ブレーンセンター、新なにわ塾叢書、2014年、ISBN 978-4833907064 == 関連項目 == * [[劇画工房]] {{DEFAULTSORT:けきか}} [[Category:漫画のジャンル]] [[Category:漫画のムーブメント]]
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2023-04-29T21:10:36Z
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レースクイーン
レースクイーン(race queen)は、モータースポーツに参戦する各チームのスポンサーのコンパニオンであり職業美人である。「RQ」と略される場合もある。 レース前配置(グリッド)を案内するため、レーサーの名前と番号が書かれたプラカードを持っている係員は、主催者が雇ったグリッドガール(Grid-Girl)である。 元々はレース主催者などに雇われた(選ばれた)数名の女性(例えば鈴鹿サーキットクイーン等)で、優勝者の表彰などレース運営の中で一定のシンボル的役目を担う者を指す言葉だったが、現在ではそれらの女性をサーキットクイーンと呼び、チームに雇われたキャンペーンガール(キャンギャル)をレースクイーンと呼ぶようになっている。また「レースクイーン」という用語は元々英語のPromotional modelのサーキット版というニュアンスで作られた和製英語で、英語では上記の「Promotional model」に加え「Paddock girls」などの名称が用いられている。しかし昨今では性差別の観点から、先進国では廃止の方向性にある。 レースクイーンの分類としては、純粋にレースクイーンだけを生業とする者がいる一方で、学生やその企業の従業員が兼業で就業することもままある。また、タレントや俳優として名を成した者もしくはグラビアアイドルなどでデビューした後に年契約でレースクイーンを務める、コスプレイヤーやネットアイドルといった「アイドル予備軍」が参入する、など経歴や形態が多様化している。 1960年代後半に小川ローザらがサーキットでモデルとして活躍したのが起源といわれている。以後その形態にあまり変化はなく、開会式や表彰式のアシスタントとして従事する程度であったが、1984年に開催された日本最高峰のオートバイ耐久レース「鈴鹿8時間耐久ロードレース」で、一部チームのキャンペーンガールがチーム名のロゴマークを入れた水着を着て応援し、話題となった。 1980年代後半のバブル経済絶頂期に入ると、チームやスポンサー企業のロゴが入った極めて布地面積が少ないハイレグ・レオタードを身に纏った女性たちがサーキットに多数出現し、人気を博した。それ以降、このようなスタイルがレースクイーンの主流として定着した。特にオートバイのレーシングチームでキャンペーンガールを務めた飯島直子と岡本夏生の大ブレイクで、レースクイーンはサーキットを飛び出して様々な舞台へと進出するようになっていった。日本のレースクイーンは芸能界、人気タレントやアイドル特に映画女優への登竜門的存在となっている。当時は日本以外の国では余り存在しておらず、レースクイーンは日本が発祥の地であると言われ、次第と海外のレースにも広がった。 現在はレースクイーンを多く輩出する芸能事務所が多数あり、レースが行われない週末のカメラ小僧向けのアマチュア撮影会に所属のレースクイーンをモデルとして出演させて収益を得る、といったことが行われている。そのため最近では、レースはスポンサーアピールだけでなく、撮影会の集客の宣伝の場ともなっている。また、ワンエイトプロモーション、フェスタソーレ、エモーションカンパニーなどレースクイーンに特化したタレントマネージメント・撮影会事業を展開する業者も登場している。 逆に「レースクイーン」の肩書き欲しさに、イベントコンパニオン関連の事務所(中でもパチンコ系のイベント会社)が自社の資金でレーシングチームのスポンサーとなり、自社のコンパニオンをレースクイーンに起用するといった例も見られる。過去にはAV女優をレースクイーンとしたソフト・オン・デマンドの例(2002年のフォーミュラ・ニッポンで山本清大をスポンサードした)もあるが、当時プレスのみならずレース関係者、一般の観客の間からも激しい批判が起こった。 国内モータースポーツで一番動員力があるSUPER GT(旧全日本GT選手権)は注目度も高いため、年々レースクイーンの数も増加の一途をたどった。特に2003年には飽和状態に達し、1レースで200名以上、1台のマシンに10名以上が立つチームも現れたことから、翌2004年以降は競技の進行を円滑に行うため、1台に対する人数の規定が設けられた。しかし、1レースに立てるのが4人だけで、実際は2007年までは5人以上登録していたチームも存在したため、全体で160〜180人程度いた。2008年に正式に公式規則で登録できるのが1シーズン4名までと規定され、人数も100人程度に減少した。(2008年から2011年までは4名まで、2012年より6名まで、2016年から登録人数は8人に緩和、1レースに立てるのは6人で変わらず) そもそも日本で行われるレースが少ないことやレースクイーンとしてのギャランティーも下落している。岡本夏生・飯島直子らが人気レースクイーンとして活躍していたバブル期はレースウィークだけでも数十万円という時代はあったが、1990年代後半は所属事務所がレースクイーンになりたいモデルを無料で送り出すケースも出始め、ギャラのケタも一つ少なくなった。狭き門のオーデションを通過してレースクイーンになってもレースのない時期はイベントコンパニオン・撮影会モデルや、一般企業のOLなどの副業で生計を立てる者がほとんどである。 1990年代後半から、「レースクイーン・キャンギャル情報誌」を名乗る書籍(雑誌、ムック等)が雨後の筍のごとく次々と創刊されたが、大方ほんの数年で軒並み休刊・廃刊に追いやられている。しかし、『オートスポーツ』別冊として当初スタートした『ギャルズパラダイス』などはモーターショーや見本市のコンパニオンとして出演するモデル達も取りあげることで現在も発行を続けている。 欧米では「Paddock Girls」「Grid Girls」等の名称で、決勝レース時のダミーグリッドでの看板持ちなどに女性を起用することが多いが、これは基本的にレース主催者側が用意するもので、日本のレースクイーンのように各チームと契約して、胸を強調するような服を着てレース毎に帯同する形態とは異なる。 ただ欧米ではこれらの女性についても「性差別の象徴」とみなして批判する意見があり、実際にFIA 世界耐久選手権(WEC)では2015年よりグリッドガールを原則廃止している(ただし富士スピードウェイで行われる日本ラウンドでは、2017年現在もグリッドガールが存在している)。 F1でも2015年ブラジルグランプリでは「女性だけを起用するのは不公平」との意見から「Grid boy and girl」として男女混在形式が導入されたほか、2017年末にはWEC同様にグリッドガールを原則廃止すべきとの議論が巻き起こった(ただしドライバーやチーム関係者はこれに反対している)。 コスチュームのデザインは、同じチーム・スポンサーであっても毎年細部を含めて変更されており、その時代の流行が多く反映されている。 サーキットのイメージガールである、本来のレースクイーンの活躍が見られた時期。 コスチュームはTシャツかタンクトップとホットパンツの組み合わせに、足元はブーツといういでたちが一般的。季節によって、丈の短いジャケットが加わる場合もある。たすきは必携で、時代やサーキットによっては、ミニスカートやティアラも見られる。 まだロングヘアはあまり見られない。 当時のエアロビクスブームの影響から、足ぐりの角度を極端に上げたハイレッグカット(ハイレグ)のワンピース型レオタードが主流となり、これにスポンサー名を直接プリントするか、またはたすきが用いられる。下には海外製を中心とした、ジャズダンス用のマチの見えない光沢のあるストッキングが組み合わされた。また、Tバックタイプのレオタードを着用するレースクイーンも多く見られた。 ピンヒールと大きな傘、そして当時流行の髪形(初期はレイヤー、その後ワンレンやソバージュ)とともに、レースクイーンの象徴的なスタイルとして強い印象を与えた。フェイスメイクは色黒、太眉が主流であった。 ハイレグ路線から転換し、極端なミニスカートのワンピースが主流となる。スパンデックス素材で作成された体のラインがそのままに出るものから、徐々にエナメル素材(PVC)のものへと変化していった。 ワンピースの利点は布地面積が広いことであり、スポンサーロゴが大きくプリントされ、企業やチームカラーで色とりどりにデザインされた。大きな襟が付いていることも特徴的だった。 ハイレグに代わるセクシーさを求め、大胆なスリットを設けたり、バストの部分をくり抜き、谷間を強調するデザインが現れた。 大きな変化としてはワンピースからセパレートタイプへの移行が挙げられる。ウエスト部分を露出したアンダーバストまでの上衣(ホルターネック・チューブトップ・ハーフトップやキャミソールが中心)とミニスカートに、ブーツ(夏季はサンダル)、春や秋には七分袖丈の上着を合わせるというスタイルが主流となった。ワンピース時代と比べスポンサーロゴは小さくなったが、カラーリングの組み合わせが容易になった。 またパンツスタイルも採用されるようになり、長ズボン(スラックス)と短いホットパンツに大別される。この場合もサイドを網状にしたりカッティングしたりするなど大胆な露出が施されていた。 引き続きセパレートタイプが主流となっているが、色や素材の違うパターンを織り込んで縫製された、細部にわたる複雑なデザインのものへと変化している。またショートパンツはローライズタイプが主流となっている。またアクセサリー・帽子・上着もチームによってさまざまに取り入れられている。さらにスポンサーによってはドレスやメイド服、セーラー服など、萌え系コスプレを意識したデザインも登場しており、露出一辺倒からの転換がうかがえる。 「Category:レースクイーン」「Yahoo 検索エンジン」も参照
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レースクイーンは、モータースポーツに参戦する各チームのスポンサーのコンパニオンであり職業美人である。「RQ」と略される場合もある。 レース前配置(グリッド)を案内するため、レーサーの名前と番号が書かれたプラカードを持っている係員は、主催者が雇ったグリッドガール(Grid-Girl)である。
{{複数の問題 |独自研究=2009年7月 |出典の明記=2009年7月}} [[Image:Umbrella_girl.JPG|thumb|200px|レースクイーン]] [[Image:DTM_Girls_2009_amk.JPG|thumb|200px|こちらはレースクイーンではなく、主催者が雇ったグリッドガール([[ドイツツーリングカー選手権]])]] [[Image:Pirelli girls at the 2004 Rally Finland.jpg|thumb|240px|3人が並んでいるレースクイーン]] [[File:Race queens in Macau Grand Prix 1.jpg|thumb|100px|マカオグランプリ]] '''レースクイーン'''(race queen)は、[[モータースポーツ]]に参戦する各チームの[[スポンサー]]の[[イベントコンパニオン|コンパニオン]]であり職業[[美人]]である。「RQ」と略される場合もある。 レース前配置([[グリッド (モータースポーツ)|グリッド]])を案内するため、レーサーの名前と番号が書かれた[[プラカード]]を持っている係員は、主催者が雇った'''グリッドガール'''(Grid-Girl)である。 ==概要== 元々はレース主催者などに雇われた(選ばれた)数名の女性(例えば[[鈴鹿サーキットクイーン]]等)で、優勝者の表彰などレース運営の中で一定のシンボル的役目を担う者を指す言葉だったが、現在ではそれらの女性をサーキットクイーンと呼び、チームに雇われた'''[[キャンペーンガール]]'''([[キャンギャル]])をレースクイーンと呼ぶようになっている。また「レースクイーン」という用語は元々英語の[[:en:Promotional model|Promotional model]]のサーキット版というニュアンスで作られた[[和製英語]]で、英語では上記の「Promotional model」に加え「[[:en:Paddock girls|Paddock girls]]」などの名称が用いられている。しかし昨今では[[性差別]]の観点から、[[先進国]]では廃止の方向性にある。 レースクイーンの分類としては、純粋にレースクイーンだけを生業とする者がいる一方で、学生やその企業の従業員が兼業で就業することもままある。また、タレントや俳優として名を成した者もしくは[[グラビアアイドル]]などでデビューした後に年契約でレースクイーンを務める、[[コスプレイヤー]]や[[ネットアイドル]]といった「アイドル予備軍」が参入する、など経歴や形態が多様化している。 ==歴史== [[1960年代]]後半に[[小川ローザ]]らがサーキットでモデルとして活躍したのが起源といわれている{{R|sankei-msn 2011-12-29}}。以後その形態にあまり変化はなく、開会式や表彰式のアシスタントとして従事する程度であったが、[[1984年]]に開催された日本最高峰のオートバイ耐久レース「[[鈴鹿8時間耐久ロードレース]]」で、一部チームのキャンペーンガールがチーム名のロゴマークを入れた[[水着]]を着て応援し、話題となった。 [[1980年代]]後半の[[バブル経済]]絶頂期に入ると、チームやスポンサー企業のロゴが入った極めて布地面積が少ない[[レオタード|ハイレグ・レオタード]]を身に纏った女性たちがサーキットに多数出現し、人気を博した。それ以降、このようなスタイルがレースクイーンの主流として定着した。特にオートバイのレーシングチームでキャンペーンガールを務めた[[飯島直子]]と[[岡本夏生]]の大ブレイクで、レースクイーンはサーキットを飛び出して様々な舞台へと進出するようになっていった。日本のレースクイーンは芸能界、人気タレントやアイドル特に映画女優への登竜門的存在となっている<ref name="thepage" />。当時は日本以外の国では余り存在しておらず、レースクイーンは日本が発祥の地であると言われ、次第と海外のレースにも広がった<ref name="sankei-msn 2011-12-29">{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/sports/news/111229/oth11122918000003-n1.htm|title=【美女カタログ】一挙蔵出し! Fニッポン・レースクイーン集|newspaper=[[MSN産経ニュース]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20111229113337/http://sankei.jp.msn.com/sports/news/111229/oth11122918000003-n1.htm|archivedate=2011-12-29|deadlinkdate=2022-10-24|date=2011-12-29|accessdate=2011-12-30}}</ref>。 ==現状== 現在はレースクイーンを多く輩出する[[芸能事務所]]が多数あり、レースが行われない週末の[[カメラ小僧]]向けのアマチュア[[撮影会]]に所属のレースクイーンをモデルとして出演させて収益を得る、といったことが行われている。そのため最近では、レースはスポンサーアピールだけでなく、撮影会の集客の宣伝の場ともなっている。また、[[ワンエイトプロモーション]]、[[フェスタソーレ]]、[[エモーションカンパニー]]などレースクイーンに特化したタレントマネージメント・撮影会事業を展開する業者も登場している。 逆に「レースクイーン」の肩書き欲しさに、[[イベントコンパニオン]]関連の事務所(中でも[[パチンコ]]系のイベント会社)が自社の資金でレーシングチームのスポンサーとなり、自社のコンパニオンをレースクイーンに起用するといった例も見られる。過去には[[AV女優]]をレースクイーンとした[[ソフト・オン・デマンド]]の例([[2002年のフォーミュラ・ニッポン]]で[[山本清大]]をスポンサードした)もあるが、当時プレスのみならずレース関係者、一般の観客の間からも激しい批判が起こった。 国内[[モータースポーツ]]で一番動員力がある[[SUPER GT]](旧[[全日本GT選手権]])は注目度も高いため、年々レースクイーンの数も増加の一途をたどった。特に[[2003年]]には飽和状態に達し、1レースで200名以上、1台のマシンに10名以上が立つチームも現れたことから、翌[[2004年]]以降は競技の進行を円滑に行うため、1台に対する人数の規定が設けられた。しかし、1レースに立てるのが4人だけで、実際は2007年までは5人以上登録していたチームも存在したため、全体で160〜180人程度いた。2008年に正式に公式規則で登録できるのが1シーズン4名までと規定され、人数も100人程度に減少した。(2008年から2011年までは4名まで、2012年より6名まで、2016年から登録人数は8人に緩和、1レースに立てるのは6人で変わらず) そもそも日本で行われるレースが少ないことやレースクイーンとしてのギャランティーも下落している。岡本夏生・飯島直子らが人気レースクイーンとして活躍していたバブル期はレースウィークだけでも数十万円という時代はあったが、1990年代後半は所属事務所がレースクイーンになりたいモデルを無料で送り出すケースも出始め、ギャラのケタも一つ少なくなった<ref>{{Cite web|和書|date=2019-02-23 |url=https://yomitai.jp/special/03-racequeen/2/ |title=2日間のギャラは50万円!? 80年代後半から始まった”レースクイーン・バブル”は、こんなにスゴかった! |publisher=集英社 ヨミタイ|accessdate=2019-07-25}}</ref>。狭き門のオーデションを通過してレースクイーンになってもレースのない時期はイベントコンパニオン・撮影会モデルや、一般企業のOLなどの副業で生計を立てる者がほとんどである。 [[1990年代]]後半から、「レースクイーン・キャンギャル情報誌」を名乗る書籍(雑誌、[[ムック (出版)|ムック]]等)が雨後の筍のごとく次々と創刊されたが、大方ほんの数年で軒並み[[休刊]]・[[廃刊]]に追いやられている。しかし、『[[オートスポーツ]]』別冊として当初スタートした『ギャルズパラダイス』などは[[モーターショー]]や[[見本市]]のコンパニオンとして出演するモデル達も取りあげることで現在も発行を続けている。 ==世界での状況== 欧米では「Paddock Girls」「Grid Girls」等の名称で、決勝レース時のダミーグリッドでの看板持ちなどに女性を起用することが多いが、これは基本的にレース主催者側が用意するもので、日本のレースクイーンのように各チームと契約して、胸を強調するような服を着てレース毎に帯同する形態とは異なる。 ただ欧米ではこれらの女性についても「[[性差別]]の象徴」とみなして批判する意見があり、実際に[[FIA 世界耐久選手権]](WEC)では2015年よりグリッドガールを原則廃止している<ref>[http://jp.autoblog.com/2015/04/07/world-endurance-championship-drops-grid-girls/ FIA世界耐久選手権のグリッド・ガールが今年から廃止に!] - autoblog日本版・2015年4月8日</ref>(ただし[[富士スピードウェイ]]で行われる日本ラウンドでは、2017年現在もグリッドガールが存在している<ref>[https://www.walkerplus.com/article/123251/ 日本のトップレースクイーン8名が世界耐久選手権のグリッドを華やかに演出] - NewsWalker・2017年10月2日</ref>)。 F1でも[[2015年ブラジルグランプリ]]では「女性だけを起用するのは不公平」との意見から「Grid boy and girl」として男女混在形式が導入されたほか<ref>[http://www.thisisf1.com/2015/11/17/verstappen-also-no-f1-grid-boy-fan/ Verstappen also no F1 ‘grid boy’ fan] - ThisisF1・2015年11月17日</ref>、2017年末にはWEC同様にグリッドガールを原則廃止すべきとの議論が巻き起こった(ただしドライバーやチーム関係者はこれに反対している)<ref>[https://www.as-web.jp/f1/189111?all グリッドガール廃止説にドライバーたちが反対「F1から美しさをこれ以上奪わないで……」] - オートスポーツ・2017年12月18日</ref>。 == 廃止 == * [[鈴鹿サーキットクイーン]]は2020年末を持って活動及び新規募集を終了した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.formula-web.jp/f1news/23929.html|title=「鈴鹿サーキットクイーン」、2020年限りで活動を終了|website=Formula Web|date=2020-12-28|accessdate=2022-10-24}}</ref>。 * 性差別に関するマナーは欧米は当然のごとく、ユーラシア・アジアでも非常に厳しくみられる傾向が21世紀に入り急激に強まっており、グリッドガールはその批判の先頭に立たされてきたこともあって、[[2018年]]1月31日、[[フォーミュラ1]]は「現代の社会規範にそぐわない」として[[2018年のF1世界選手権|2018年シーズン]]からグリッドガール(レースクイーン)の廃止を決定した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3160728|title=F1、グリッドガール廃止 「現代の社会規範にそぐわず」|publisher=[[フランス通信社]]|date=2018-02-01|accessdate=2018-05-26}}</ref>。グリッドガールに代わって「グリッドキッズ」を導入した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.as-web.jp/f1/269783?all|title=F1、グリッドガール廃止に代わって『グリッドキッズ』の導入を正式発表|publisher=オートスポーツWeb|date=2018-02-06|accessdate=2018-05-26}}</ref>。[[グリッドボーイ]]を試験的に導入したうえでの変更であった。 ==コスチュームの変遷== コスチュームのデザインは、同じチーム・スポンサーであっても毎年細部を含めて変更されており、その時代の流行が多く反映されている。 ===1980年代以前=== サーキットのイメージガールである、本来のレースクイーンの活躍が見られた時期。 コスチュームは[[Tシャツ]]か[[タンクトップ]]と[[ホットパンツ]]の組み合わせに、足元は[[ブーツ]]といういでたちが一般的。季節によって、丈の短い[[ジャケット]]が加わる場合もある。[[たすき]]は必携で、時代やサーキットによっては、[[ミニスカート]]や[[ティアラ]]も見られる。 まだ[[ロングヘア]]はあまり見られない。 ===1980年代から1990年代前半=== 当時の[[エアロビクスダンス|エアロビクス]]ブームの影響から、足ぐりの角度を極端に上げたハイレッグカット([[ハイレグ]])のワンピース型[[レオタード]]が主流となり、これにスポンサー名を直接プリントするか、またはたすきが用いられる。下には海外製を中心とした、[[ジャズダンス]]用のマチの見えない光沢のある[[ストッキング]]が組み合わされた。また、[[Tバック]]タイプのレオタードを着用するレースクイーンも多く見られた。 [[ハイヒール|ピンヒール]]と大きな傘、そして当時流行の髪形(初期はレイヤー、その後[[ワンレングス|ワンレン]]や[[ソバージュ]])とともに、レースクイーンの象徴的なスタイルとして強い印象を与えた。[[化粧|フェイスメイク]]は色黒、太眉が主流であった。 ===1990年代後半=== ハイレグ路線から転換し、極端なミニスカートのワンピースが主流となる。[[スパンデックス]]素材で作成された体のラインがそのままに出るものから、徐々にエナメル素材([[ポリ塩化ビニル|PVC]])のものへと変化していった。 ワンピースの利点は布地面積が広いことであり、スポンサーロゴが大きくプリントされ、企業やチームカラーで色とりどりにデザインされた。大きな襟が付いていることも特徴的だった。 ハイレグに代わるセクシーさを求め、大胆なスリットを設けたり、バストの部分をくり抜き、谷間を強調するデザインが現れた。 ===2000年代初頭=== 大きな変化としてはワンピースからセパレートタイプへの移行が挙げられる。ウエスト部分を露出したアンダーバストまでの上衣(ホルターネック・[[チューブトップ]]・[[ハーフトップ]]や[[キャミソール]]が中心)とミニスカートに、ブーツ(夏季は[[サンダル]])、春や秋には七分袖丈の上着を合わせるというスタイルが主流となった。ワンピース時代と比べスポンサーロゴは小さくなったが、カラーリングの組み合わせが容易になった。 またパンツスタイルも採用されるようになり、[[長ズボン]]([[スラックス]])と短い[[ホットパンツ]]に大別される。この場合もサイドを網状にしたりカッティングしたりするなど大胆な露出が施されていた。 ===2000年代後半=== 引き続きセパレートタイプが主流となっているが、色や素材の違うパターンを織り込んで縫製された、細部にわたる複雑なデザインのものへと変化している。また[[ショートパンツ]]は[[ローライズ]]タイプが主流となっている。またアクセサリー・帽子・上着もチームによってさまざまに取り入れられている。さらにスポンサーによってはドレスや[[メイド服]]、[[セーラー服]]など、[[萌え]]系[[コスプレ]]を意識したデザインも登場しており、露出一辺倒からの転換がうかがえる。 == レースクイーンのイベント == *[[レースクイーン・オブ・ザ・イヤー]] *[[日本レースクイーン大賞]] ==レースクイーン出身タレント(50音順)== 「[[:Category:レースクイーン]]」「[https://web.archive.org/web/20000815094824/http://dir.yahoo.co.jp/Entertainment/TV_People/Race_Queen/ Yahoo 検索エンジン]」も参照 <div style="float:left; width:50%"> <!--あ行--> *[[相川友希]] *[[あいざわかおり]](相沢かおり) *[[相沢菜々子]] *[[相沢まき]](矢野麻衣子) *[[藍田愛]] *[[蒼雪乃]] *[[葵ゆりか]] *[[阿久津真央]] *[[あのん]] *[[あべみほ]] *[[荒井華奈]] *[[荒井つかさ]] *[[有栖未桜]] *[[明璃奈]](星乃ゆん) *[[有馬綾香]] *[[有馬奈那]] *[[飯島直子]] *[[市川久美]] *[[生田ちむ]] *[[一色亜莉沙]] *[[いとうりな]] *[[インリン・オブ・ジョイトイ]] *[[牛川とこ]] *[[江藤菜摘]] *[[遠藤賀子]] *[[太田麻美]] *[[大矢真夕]] *[[岡田文栄]] *[[岡本夏生]] *[[緒川たまき]] *[[おのののか]](タレント、元・東京ドーム売り子) *[[忍野さら]] <!--か行--> *[[柏木美里]] *[[片石貴子]] *[[片瀬ゆき]] *[[加藤紗里]] *[[神谷樹里]] *[[川崎あや]] *[[川瀬もえ]] *[[川村那月]] *[[北川美麗]] *[[清瀬まち]] *[[霧島聖子]] *[[熊江琉唯]] *[[栗原みさ]] *[[久留須ゆみ]] *[[黒木麗奈]] *[[黒沢美怜]] *[[黒田万結花]] *[[小嶋みやび]] *[[KONAN]] *[[近藤みやび]] <!--さ行--> *[[さくらこ]] *[[沙倉しずか]] *[[佐崎愛里]] *[[佐々木萌香]] *[[佐々木美乃里]] *[[佐藤ゆりな]] *[[澤井玲菜]] *[[沢木涼子]] *[[澤田実架]] *[[三浦りさ子]](設楽りさ子)、夫は[[三浦知良]](サッカー選手) *[[渋谷千賀]] *[[清水りさ]] *[[新庄千歳]] *[[杉浦未幸]] *[[杉本彩]] </div><div style="float:left; width:50%"> *[[涼雅]] *[[鈴木史華]] *[[鈴々木保香]] *[[須之内美帆子]] *[[瀬長奈津実]] *[[芹沢まりな]] *[[相馬茜]] <!--た行--> *[[高島礼子]] *[[高杉さと美]] *[[貴村真夕子]] *[[立花サキ]] *[[辰巳ゆい]]([[AV女優]]、[[タレント]]、[[俳優#性別での分類|女優]]へ転身) *[[丹野友美]] *[[知本真以子]] *[[都築あこ]] *[[遠野千夏]] <!--な行--> *[[永島さや佳]] *[[永瀬あや]] *[[中田あさみ]] *[[永浜いりあ]] *[[中村アン]] *[[夏本あさみ]] *[[名取くるみ]] *[[菜々緒]] *[[七生奈央]] *[[七瀬なな]] *[[名波はるか]] <!--は行--> *[[橋本雪乃]] *[[葉月美優]] *[[浜田コウ]] *[[浜田翔子 (タレント)|浜田翔子]] *[[林紗久羅]] *[[林ゆめ]] *[[早瀬あや]] *[[原久美子]] *[[はらことは]] *[[春菜めぐみ]] *[[番ことみ]] *[[日南まみ]] *[[比留川マイ]] *[[福江ななか]] *[[福岡みもれ]] *[[福田淳子]] *[[福愛美]] *[[福山理子]] *[[藤井マリー]] *[[藤木由貴]] *[[古川あおい]] *[[古川真奈美]] *[[古崎瞳]] *[[細川ふみえ]] *[[ぽぽちゃん (タレント)|ぽぽちゃん]] *[[堀尾実咲]] *[[堀口としみ]] <!--ま行--> *[[益子梨恵]] *[[益田アンナ]] *[[松田蘭]] *[[松本麻実]] *[[三島ゆかり]] *[[水谷さくら]](実姉の[[仁科百香]]もレースクイーンとして活動している) *[[美月千佳]] *[[水谷望愛]] *[[水野ちはる]] *[[三瀬真美子]] *[[三井ゆり]] *[[宮越愛恵]] *[[村岡沙耶香]] *[[村上麻莉奈]] *[[室井佑月]] - 作家、テレビのコメンテーターとして活躍 *[[森下千里]] *[[森脇亜紗紀]] *[[諸岡愛美]] <!--や行--> *[[矢代梢]] *[[安枝瞳]] *[[安田七奈]] *[[柳本絵美]] *[[八伏紗世]] *[[山口由紀子]] *[[横田りか]] *[[吉岡美穂]] *[[吉永千夏]](後藤知恵) *[[米倉みゆ]] <!--ら行--> *[[リア・ディゾン]] <!--わ行--> *[[若槻千夏]] - [[全日本GT選手権]]イメージガール </div>{{clear}} ==その他のレースクイーン出身著名人== *[[オ・ユナ]]([[韓国]]・[[蔚山広域市]]出身女優、2000年サイバーレーシングクイーン選抜大会第1位) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|refs= <ref name="thepage">[https://news.yahoo.co.jp/articles/12be7f41b72412c559b11ae283590286cb0b1023?page=2 F1がレースクイーン廃止を発表!「現代の社会規範に適さない」] [[THE PAGE]]、2018年2月1日、2022年8月7日閲覧。</ref> }} == 関連項目 == {{Commonscat|Auto racing girls|レースクイーン}} *[[グラビアページ]] *[[ZENT sweeties]] * [[チアリーダー]] ;イベント、会場のマスコット *[[SUPER GTイメージガール]] *[[鈴鹿サーキットクイーン]] *[[スポーツのマスコットキャラクター一覧]] {{DEFAULTSORT:れえすくいいん}} [[Category:レースクイーン|!]] [[Category:スポーツ関連の職業]] [[Category:和製英語]] [[Category:モータースポーツ]] [[Category:職業別の女性]]
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1982年
1982年(1982 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。昭和57年。 この項目では、国際的な視点に基づいた1982年について記載する。 ※主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国で1997年に制定された。
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1982年は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。昭和57年。 この項目では、国際的な視点に基づいた1982年について記載する。
{{Otheruses||日本ローカルの事柄|1982年の日本}} {{年代ナビ|1982}} {{YearInTopic | BC = | 千年紀 = 2 | 世紀 = 20 | 年代 = 1980 | 年 = 1982 }} {{year-definition|1982}} この項目では、国際的な視点に基づいた1982年について記載する。 <!--(他の年記事にない節のためコメントアウト) == 「1982年」で始まる他のページ一覧 == 1982年に関するページは他に多数あり、以下はそれらのページの一覧である。スポーツなどはそれらのページにより詳しい記事がある場合もある。 * [[特別:前方一致ページ一覧/1982年|「1982年」で始まる他のページ一覧]] --> == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[壬戌]](みずのえ いぬ) * 日本(月日は一致) ** [[昭和]]57年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2642年 * [[大韓民国]](月日は一致) ** [[檀君紀元|檀紀]]4315年 * [[中華民国]](月日は一致) ** [[民国紀元|中華民国]]71年 <!--** 游戏文王元年--> * [[朝鮮民主主義人民共和国]](月日は一致) ** [[主体暦|主体]]71年 * [[仏滅紀元]]:2524年 - 2525年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1402年3月5日 - 1403年3月15日 * [[ユダヤ暦]]:5742年4月6日 - 5743年4月15日 * Unix Time:378691200 - 410227199 * [[修正ユリウス日]](MJD):44970 - 45334 * [[リリウス日]](LD):145811 - 146175 <div style="font-size:smaller"> ※主体暦は、[[朝鮮民主主義人民共和国]]で[[1997年]]に制定された。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1982}} == できごと == === 1月 === * [[1月6日]] - [[第二十八あけぼの丸]]が[[ベーリング海]]で沈没。32人が死亡。 * [[1月13日]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港|ワシントン国際空港]]を吹雪の中、現地時間16時過ぎに離陸した[[エア・フロリダ]]90便が、直後に氷結した[[ポトマック川]]に墜落([[エア・フロリダ90便墜落事故]])。 === 2月 === * [[2月8日]] - [[ホテルニュージャパン火災]]。 * [[2月9日]] - [[日本航空350便墜落事故]]。(日航羽田沖墜落事故、日航逆噴射事故) * [[2月28日]] - [[岡本綾子]]がゴルフのアメリカLPGAツアーで初優勝<ref>[http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/golf/2012/02/28/post_23/ 【今日は何の日?】岡本綾子が米ツアー初優勝]. web Sportiva (集英社). (2012年2月28日) 2021年5月14日閲覧。 </ref>。 === 3月 === * [[3月18日]] - [[釜山アメリカ文化院放火事件]] * [[3月27日]] - [[韓国野球委員会|韓国プロ野球]]が開始。 * [[3月29日]] - [[メキシコ]]の[[エルチチョン山]]が大噴火。[[火砕流]]が発生した他、[[エアロゾル]]で世界の平均気温が0.3℃程低下。死者2000人以上(1万7000人が犠牲になったとされる資料もあり)。 === 4月 === * [[4月2日]] - [[アルゼンチン]]軍が[[イギリス]]と領有権を争っていた[[フォークランド諸島]]を占領([[フォークランド紛争]]勃発)。 * [[4月26日]] - [[大韓民国]]南部の[[慶尚南道]][[宜寧郡]]宮柳面で警察官の[[禹範坤]]がM2カービン銃2丁と実弾180発、[[手榴弾]]7発を使って57人を殺害する。 === 5月 === * [[5月8日]] - [[フォーミュラ1|F1]]・[[ベルギーグランプリ|ベルギーGP]]で[[ジル・ヴィルヌーヴ]]が事故死。 * [[5月17日]] - [[荃湾線]]全綫開業。 * [[5月28日]] - [[教皇|ローマ教皇]][[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]がイギリスを訪問。[[カトリック教会]]と[[イングランド国教会]]が450年ぶりに和解。 * [[5月30日]] - [[メジャーリーグベースボール]]で[[カル・リプケン・ジュニア]]が同日の試合から[[1998年]][[9月20日]]まで2632試合連続出場の世界記録を成し遂げる。 === 6月 === * [[6月4日]] - 第8回[[サミット]]開催(6.6ベルサイユ宣言)。 * [[6月6日]] - [[イスラエル]]が[[レバノン内戦|レバノン侵攻]]開始。 * [[6月8日]] - [[ロッキード事件]][[全日本空輸|全日空]]ルートの裁判で[[橋本登美三郎]]、[[佐藤孝行]](いずれも[[政治家]])の2人に実刑判決。 * [[6月13日]] - スペイン、[[1982 FIFAワールドカップ]]開催( - [[7月11日]])。 * [[6月14日]] - フォークランド紛争終結(フォークランド諸島の領有権はイギリスが獲得)。 * [[6月22日]] - [[IBM]]社のコンピュータ情報を不法入手したとして、アメリカ[[連邦捜査局]](FBI)は[[日立製作所]]と[[三菱電機]]の社員6人を[[おとり捜査]]で逮捕([[IBM産業スパイ事件]])。 * [[6月24日]] - [[ブリティッシュ・エアウェイズ9便エンジン故障事故]] === 7月 === * [[7月14日]] - [[スタニスラフ・レフチェンコ|レフチェンコ]][[ソ連国家保安委員会|KGB]][[少佐]]が米下院の秘密聴聞会で工作活動を暴露。([[レフチェンコ事件]]) * [[7月23日]] - [[国際捕鯨委員会]]で[[1986年]]からの商業[[捕鯨]]全面禁止案が採択。 === 8月 === * [[8月17日]] - [[フィリップス]]が世界初の[[コンパクトディスク|CD]]を製造。[[ABBA]]の項目参照。 === 9月 === * [[9月14日]] - [[モナコ公国]]の[[グレース・ケリー]]大公妃が自動車事故死。 === 10月 === * [[10月1日]] - [[ソニー]]が世界初の[[コンパクトディスク|CD]]プレーヤー、「CDP-101」発売。CDソフト50タイトルも同時発売。 * 10月1日 - [[西ドイツ]]で[[ヘルムート・シュミット]]首相が議会で不信任となり退陣。[[ドイツキリスト教民主同盟]]党首の[[ヘルムート・コール]]が首相に就任。 * [[10月19日]] - [[デロリアン]]・モーター・カンパニー(DMC)が倒産。 === 11月 === * [[11月10日]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]の[[レオニード・ブレジネフ]]書記長死去。後任に[[ユーリ・アンドロポフ]]第二書記が就任。 === 12月 === === 日付不詳 === * アメリカの集団食中毒で[[O157]]が見つかる。 == 芸術・文化 == === 音楽 === {{Main|1982年の音楽}} * ホール&オーツ「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」 * [[イヴリン・キング]] 「[[ラブ・カム・ダウン]]」<ref>[http://www.allmusic.com/artist/evelyn-champagne-king-p93992/charts-awards/billboard-singles オールミュージック] イヴリン・キング 2022年11月2日閲覧</ref> * [[ウィリー・ネルソン]] 「オールウェイズ・オン・マイ・マインド」 * [[ドナルド・フェイゲン]] 「I.G.Y.」 * [[デニース・ウィリアムズ]] 「イッツ・ゴナ・テイク・ア・ミラクル」 * デバージ 「[[アイ・ライク・イット]]」 * ダズ・バンド「レット・イット・ホイップ」 === 映画 === {{Main|1982年の映画}} * 初体験リッジモンドハイ * [[愛と青春の旅立ち]] == スポーツ == {{Main|1982年のスポーツ}} === 野球 === {{Main|1982年の野球}} === サッカー === * [[1982 FIFAワールドカップ]] 優勝 [[イタリア]](3回目) ** [[ジーコ]]らを擁する[[ブラジル]]は第2ラウンドでイタリアに敗れ敗退 === モータースポーツ === * [[フォーミュラ1|F1 世界選手権]] ** ドライバーズ・チャンピオン [[ケケ・ロズベルグ]] ** 第5戦ベルギーGPにて[[ジル・ヴィルヌーヴ]]が事故死。また、第8戦カナダGPでは[[リカルド・パレッティ]]が事故死。 * [[スポーツカー世界選手権|世界耐久選手権]]・日本大会開催。5年ぶりの[[世界選手権]]日本開催。[[ジャッキー・イクス|イクス]]/マス組[[ポルシェ・956]]が優勝。 * [[ロードレース世界選手権]] ** 500cc [[フランコ・ウンチーニ]] == 誕生 == {{see also|1982年の日本#誕生|Category:1982年生}} <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は上記「1982年の日本」項内に記入(世界的に著名な人物は本節と併記)--> === 1月 === <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1982年の日本」項内に記入--> * [[1月1日]] - [[ダビド・ナルバンディアン]]、テニス選手 * [[1月5日]] - [[ヤニツァ・コステリッチ]]、[[アルペンスキー]]選手 * 1月5日 - [[ドゥシャン・ルジック]]、[[野球選手]] * 1月5日 - [[青木宣親]]、[[プロ野球選手]] * [[1月6日]] - [[ギルバート・アリナス]]、[[バスケットボール]]選手 * 1月6日 - [[エディ・レッドメイン]]、[[俳優]] * [[1月7日]] - [[フランシスコ・ロドリゲス]]、[[メジャーリーガー]] * 1月7日 - [[梁勇基]]、サッカー選手 * [[1月8日]] - [[バッドラック・ファレ]]、元[[ラグビーユニオン]]選手、プロレスラー * [[1月9日]] - [[キャサリン (プリンセス・オブ・ウェールズ)]] * 1月9日 - [[トニー・ペーニャ (投手)|トニー・ペーニャ]]、[[プロ野球選手]] * [[1月10日]] - [[福圓美里]]、声優 * [[1月11日]] - [[ソン・イェジン]]、女優 * [[1月12日]] - [[ドントレル・ウィリス]]、メジャーリーガー * [[1月15日]] - [[アーマンド・ガララーガ]]、元メジャーリーガー * 1月15日 - [[ビクトル・バルデス]]、サッカー選手 * [[1月17日]] - [[ドウェイン・ウェイド]]、バスケットボール選手 * [[1月18日]] - [[ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー|バレー]]、サッカー選手 * [[1月21日]] - [[潮崎豪]]、プロレスラー * [[1月21日]] - [[アドリアーノ・フェヘイラ・マルティンス]]、サッカー選手 * [[1月22日]] - [[ファブリシオ・コロッチーニ]]、サッカー選手 * [[1月23日]] - [[ウィリー・モー・ペーニャ]]、メジャーリーガー * [[1月25日]] - [[櫻井翔]]、タレント、歌手、俳優、[[嵐 (グループ)|嵐]] * 1月25日 - [[ノエミ (歌手)|ノエミ]]、イタリアの歌手 <!-- 韓国のローカルの情報? * 1月25日 - 朴善英、韓国 アナウンサー --> * [[1月26日]] - [[村上信五]]、タレント、歌手、俳優、[[関ジャニ∞]] * 1月26日 - [[綾野剛]]、俳優 * [[1月27日]] - [[ゼウス (プロレスラー)|ゼウス]]、元[[ボディビル|ボディビルダー]]、プロレスラー * [[1月31日]] - [[ユニエスキー・ベタンコート]]、プロ野球選手 * 1月31日 - [[アラン・マクレガー]]、サッカー選手 === 2月 === <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1982年の日本」項内に記入--> * [[2月1日]] - [[ジーン・マチー]]、[[メジャーリーガー]] * 2月1日 - [[ライアン・ウィング]]、[[プロ野球選手]] * [[2月4日]] - [[クリス・セイビン]]、プロレスラー * [[2月5日]] - [[小林ゆう]]、声優 * [[2月5日]] - [[ロドリゴ・パラシオ]]、サッカー選手 * [[2月6日]] - [[アリス・イヴ]]、女優 * 2月6日 - [[白露山佑太]]、大相撲力士 <!-- 韓国のローカルの情報? * 2月6日 - 許美英、韓国 --> * [[2月7日]] - [[ミカエル・ピートラス]]、バスケットボール選手 * 2月7日 - [[向井理]]、日本の俳優 * [[2月9日]] - [[ジャミーア・ネルソン]]、バスケットボール選手 * [[2月10日]] - [[細谷佳正]]、声優 * [[2月10日]] - [[ジャスティン・ガトリン]]、[[陸上競技]]選手 * 2月10日 - [[ハ・ソクジン]]、俳優 * [[2月11日]] - [[クリスティアン・マッジョ]]、サッカー選手 * [[2月13日]] - [[阿部力]]、俳優 * [[2月16日]] - [[ルーペ・フィアスコ]]、ラッパー * [[2月17日]] - [[ユニエスキ・グリエル]]、[[野球選手]] * 2月17日 - [[アドリアーノ・レイテ・リベイロ]]、サッカー選手 * [[2月21日]] - [[アレクサンドル・マルクンツォフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[2月22日]] - [[ケリー・ジョンソン]]、メジャーリーガー * 2月22日 - [[スザンナ・ポイキオ]]、フィギュアスケート選手 * [[2月25日]] - [[大谷雅恵]]、元メロン記念日、歌手、女優 * [[2月26日]] - [[李娜]]、テニス選手 * 2月26日 - [[ソン・ヘギョ]]、女優 * [[2月28日]] - [[ナタリア・ヴォディアノヴァ]]、スーパーモデル * 2月28日 - [[フロリアン・ユスト]]、[[フィギュアスケート]]選手 === 3月 === <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1982年の日本」項内に記入--> * [[3月2日]] - [[ケヴィン・クラニー]]、サッカー選手 * 3月2日 - [[フェドール・アンドレーエフ]]、フィギュアスケート選手 * 3月2日 - [[ベン・ロスリスバーガー]]、[[アメリカンフットボール]]選手 * [[3月4日]] - [[ランドン・ドノバン]]、サッカー選手 * [[3月5日]] - [[ダン・カーター]]、ラグビーユニオン選手 * [[3月7日]] - [[山川恵里佳]]、タレント * [[3月10日]] - [[クワミ・ブラウン]]、バスケットボール選手 * [[3月11日]] - [[ソーラ・バーチ]]、女優 * 3月11日 - [[ブライアン・アンダーソン (外野手)|ブライアン・アンダーソン]]、[[メジャーリーガー]] * [[3月12日]] - [[佐々木義人 (プロレスラー)|佐々木義人]]、元プロレスラー * [[3月15日]] - [[ウィルソン・キプサング・キプロティチ]]、マラソン選手 * 3月15日 - [[中村ゆり]]、女優 * [[3月16日]] - [[ブライアン・ウィルソン (野球)|ブライアン・ウィルソン]]、メジャーリーガー * [[3月17日]] - [[スティーヴン・ピーナール]]、サッカー選手 * [[3月18日]] - [[ティモ・グロック]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー * 3月18日 - [[チャド・コルデロ]]、メジャーリーガー * [[3月20日]] - [[トマシュ・クシュチャク]]、サッカー選手 * 3月20日 - [[ジョゼ・モレイラ]]、サッカー選手 * [[3月21日]] - [[アーロン・ヒル]]、メジャーリーガー * [[3月23日]] - [[アフマド・ハールーン (モルディブの政治家)|アフマド・ハールーン]]、政治家 * [[3月24日]] - [[ロビンソン・テヘダ]]、メジャーリーガー * 3月24日 - [[マギヌン・ラファエル・ファリアス・タバレス]]、サッカー選手 * [[3月26日]] - [[ブレンダン・ライアン]]、メジャーリーガー * 3月26日 - [[ミケル・アルテタ]]、サッカー選手 * [[3月29日]] - [[滝沢秀明]]、俳優、歌手、タレント * [[3月30日]] - [[レスリー・アンダーソン]]、プロ野球選手 * 3月30日 - [[フィリップ・メクセス]]、サッカー選手 === 4月 === <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1982年の日本」項内に記入--> * [[4月1日]] - [[タラン・キラム]]、俳優、声優、コメディアン * 4月1日 - [[アンドレアス・トルキルドセン]]、[[陸上競技]]選手 * [[4月2日]] - [[マルコ・アメリア]]、サッカー選手 * [[4月10日]] - [[アンドレ・イーシアー]]、[[メジャーリーガー]] * [[4月13日]] - [[ヨハン・クロンジェ]]、陸上競技選手 * [[4月14日]] - [[ジョシュ・ホワイトセル]]、[[プロ野球選手]] * [[4月16日]] - [[ジョー・ドーリング]]、プロレスラー * [[4月17日]] - [[イ・ジュンギ]]、俳優 * [[4月21日]] - [[マキシモ・ネルソン]]、プロ野球選手 * [[4月21日]] - [[KAGETORA (プロレスラー)|Kagetora]]、プロレスラー * 4月21日 - [[ウェイン・ラングレン]]、[[野球選手]] * [[4月22日]] - [[アンドリュー・グラハム (野球)|アンドリュー・グラハム]]、野球選手 * [[4月22日]] - [[リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ|カカ]]、サッカー選手 * [[4月22日]] - [[下屋則子]]、声優 * [[4月23日]] - [[ケリー・クラークソン]]、[[歌手]] * 4月23日 - [[タイオ・クルーズ]]、[[歌手]] <!-- 日本ローカル? * 4月26日 - [[李景一]]、元プロ野球選手 --> * [[4月27日]] - [[マルク・ラマッキア]]、野球選手 * [[4月30日]] - [[キルスティン・ダンスト]]、女優 * 4月30日 - [[スティーブ・ハモンド (投手)|スティーブ・ハモンド]]、プロ野球選手 === 5月 === <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1982年の日本」項内に記入--> * [[5月1日]] - [[ダリヨ・スルナ]]、サッカー選手 * 5月1日 - [[アントニオ・アルベルト・バストス・ピンパレル|ベト]]、サッカー選手 * [[5月3日]] - [[ボブ・マクローリー]]、[[プロ野球選手]] * 5月3日 - [[ニック・スタビノア]]、プロ野球選手 * [[5月5日]] - [[アガスティン・ムリーヨ]]、プロ野球選手 * [[5月6日]] - [[ジェイソン・ウィッテン]]、アメリカンフットボール選手 * [[5月7日]] - [[ルイス・ヒメネス (1982年生の内野手)|ルイス・ヒメネス]]、プロ野球選手 * [[5月8日]] - [[ブアカーオ・ポー.プラムック]]、[[ムエタイ]]選手 * 5月8日 - [[エイドリアン・ゴンザレス]]、[[メジャーリーガー]] * [[5月11日]] - [[ジョナサン・ジャクソン (俳優)|ジョナサン・ジャクソン]]、俳優 * 5月11日 - [[コリー・モンティス]]、俳優、歌手(+[[2013年]]) * [[5月12日]] - [[ジェイミー・デントナ]]、プロ野球選手 * [[5月15日]] - [[ベロニカ・キャンベル=ブラウン]]、[[陸上競技]]選手 * 5月15日 - [[ラファエル・ペレス]]、メジャーリーガー * [[5月15日]] - [[藤原竜也]]、俳優 * [[5月17日]] - [[トニー・パーカー]]、バスケットボール選手 * 5月17日 - [[ニック・マセット]]、メジャーリーガー * [[5月20日]] - [[ペトル・チェフ]]、サッカー選手 * [[5月21日]] - [[飯伏幸太]]、プロレスラー * [[5月21日]] - [[エド・ルーカス]]、メジャーリーガー * 5月21日 - [[沖本摩幸]]、プロレスラー * [[5月22日]] - [[アポロ・アントン・オーノ]]、[[ショートトラックスピードスケート]]選手 * 5月22日 - [[アドルフォ・リベラ]]、元野球選手 * [[5月24日]] - [[呉偲佑]]、プロ野球選手 * [[5月25日]] - [[YOSHI-HASHI]]、プロレスラー * [[5月25日]] - [[ブラッド・スナイダー]]、プロ野球選手 * 5月25日 - [[宮本裕向]]、プロレスラー * [[5月28日]] - [[アレクシス・キャンデラリオ]]、プロ野球選手 * [[5月29日]] - [[金泰均 (1982年生の内野手)|金泰均]]、プロ野球選手 === 6月 === <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1982年の日本」項内に記入--> * [[6月1日]] - [[ジュスティーヌ・エナン]]、テニス選手 * [[6月3日]] - [[エレーナ・イシンバエワ]]、[[陸上競技]]選手 * [[6月4日]] - [[アベル・キルイ]]、[[陸上競技]]選手 * [[6月5日]] - [[ユ・インナ]]、女優 * [[6月8日]] - [[ケディ|ケディ・ティン]]、タレント * 6月8日 - [[ジョシュ・ペンス]]、俳優 * [[6月10日]] - [[タラ・リピンスキー]]、フィギュアスケート選手 * 6月10日 - [[マデレーン (スウェーデン王女)|マデレーン]]、スウェーデン王女 * [[6月11日]] - [[ボビー・ケッペル]]、[[プロ野球選手]] * 6月11日 - [[ダイアナ・トーラジ]]、バスケットボール選手 * [[6月12日]] - [[杉原杏璃]]、グラビアアイドル・タレント * [[6月13日]] - [[ケネニサ・ベケレ]]、[[陸上競技]]選手 * 6月13日 - [[鬼嵐力]]、大相撲力士 * [[6月14日]] - [[ラン・ラン]]、[[ピアニスト]] * [[6月15日]] - [[クレイトン・ハミルトン]]、プロ野球選手 * [[6月18日]] - [[マルコ・ボリエッロ]]、サッカー選手 * [[6月19日]] - [[クリス・バーミューレン]]、[[ロードレース世界選手権|MotoGP]]レーサー * [[6月21日]] - [[ウィリアム (プリンス・オブ・ウェールズ)|ウィリアム皇太子]]、イギリス王[[チャールズ3世 (イギリス王)|チャールズ3世]]の長男 * 6月21日 - [[ロマン・アダモフ]]、サッカー選手 * 6月21日 - [[李大浩]]、野球選手 * [[6月22日]] - [[イアン・キンズラー]]、メジャーリーガー * [[6月22日]] - [[内藤哲也]]、プロレスラー * [[6月25日]] - [[ピ (歌手)|ピ]]、歌手 * [[6月30日]] - [[ジャ・ジャ]]、[[歌手]] === 7月 === <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1982年の日本」項内に記入--> * [[7月3日]] - [[吉田隆司]]、プロレスラー * [[7月5日]] - [[アルベルト・ジラルディーノ]]、サッカー選手 * 7月5日 - [[フィリップ・ジルベール]]、[[ロードレース (自転車競技)|自転車ロードレース]]選手 * [[7月8日]] - [[レニエル・ピント]]、[[プロ野球選手]] * [[7月9日]] - [[山本左近]]、レーシングドライバー * [[7月11日]] - [[ジェフ・コブ]]、元[[2004年アテネオリンピック|オリンピック]]選手、プロレスラー * [[7月12日]] - [[アントニオ・カッサーノ]]、サッカー選手 * [[7月13日]] - [[秋信守]]、プロ野球選手 * 7月13日 - [[ヤディアー・モリーナ]]、[[メジャーリーガー]] * [[7月14日]] - [[エンリケ・ゴンザレス]]、プロ野球選手 <!-- 日本ローカル? * 7月14日 - [[吉水快聞]]、[[彫刻家]] --> * [[7月15日]] - [[呉昇桓]]、プロ野球選手 * 7月15日 - [[パク・ウニョン]]、[[韓国放送公社|KBS]]アナウンサー * [[7月16日]] - [[スティーブン・フッカー]]、[[陸上競技]]選手 * [[7月19日]] - [[フィル・コーク]]、[[メジャーリーガー]] * [[7月20日]] - [[ジェイク・フォックス]]、プロ野球選手 * [[7月21日]] - [[小林麻央]]、フリーアナウンサー(+ 2017年<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASK4B62D0K4BUCLV01B.html|title=小林麻央さん死去 乳がんで闘病、34歳|publisher=朝日新聞デジタル|date=2017-06-23|accessdate=2020-11-14}}</ref>) * [[7月22日]] - [[上野由岐子]]、[[ソフトボール]]選手 * 7月22日 - [[トリスタン・クロフォード]]、[[野球選手]] * [[7月23日]] - [[ポール・ウェズレイ]]、俳優 * 7月23日 - [[トム・マイソン]]、俳優 * [[7月24日]] - [[アンナ・パキン]]、女優 * 7月24日 - [[デビッド・ペイン]]、陸上競技選手 <!-- 日本ローカル? * [[7月28日]] - [[田中彰孝]]、ミュージカル俳優 --> * [[7月29日]] - [[アリソン・マック]]、女優 * [[7月30日]] - [[マーティン・スター]]、俳優 * 7月30日 - [[イヴォンヌ・ストラホフスキー]]、女優 * 7月30日- [[古閑美保]]、プロゴルファー === 8月 === <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1982年の日本」項内に記入--> * [[8月2日]] - [[グレイディ・サイズモア]]、[[メジャーリーガー]] * 8月2日 - [[エルデル・ポスティガ]]、サッカー選手 <!-- 日本ローカル? * [[8月3日]] - [[岩崎晋也]]、ミュージカル俳優 --> * [[8月4日]] - [[ジョシュ・レニキー]]、メジャーリーガー * [[8月6日]] - [[ケビン・ヴァン・デル・ペレン]]、フィギュアスケート選手 * 8月6日 - [[ロモーラ・ガライ]]、女優 * 8月6日 - [[ジャスティン・ジャマーノ]]、プロ野球選手 * [[8月8日]] - [[ロス・オーレンドルフ]]、メジャーリーガー * [[8月9日]] - [[タイソン・ゲイ]]、[[陸上競技選手]] <!-- 韓国のローカルの情報? ** [[孔瑞英]]、[[韓国]] の 放送人, 前 アナウンサー --> * [[8月13日]] - [[シャーニー・デービス]]、[[ショートトラックスピードスケート|ショートトラック]]、[[スピードスケート]]選手 * 8月13日 - [[セバスチャン・スタン]]、俳優 * [[8月17日]] - [[フィル・ジャギエルカ]]、サッカー選手 * [[8月20日]] - [[エンジェルベルト・ソト]]、プロ野球選手 * 8月20日 - [[ジョシュア・ケネディ]]、サッカー選手 * [[8月21日]] - [[大前茜]]、声優 * [[8月23日]] - [[ナタリー・コーグリン]]、競泳選手 <!-- 日本ローカル? * 8月23日 - [[池邉啓二]]、[[野球選手]] --> * [[8月24日]] - [[キム・シェルストレーム]]、サッカー選手 * 8月24日 - [[ジョゼ・ボシングワ]]、サッカー選手 * [[8月27日]] - [[山下穂尊]]、歌手、[[いきものがかり]] * [[8月28日]] - [[カルロス・クエンティン]]、メジャーリーガー * 8月28日 - [[ティアゴ・モッタ]]、サッカー選手 * 8月28日 - [[石垣佑磨]]、俳優、タレント * [[8月30日]] - [[アンディ・ロディック]]、テニス選手 * [[8月31日]] - [[ホセ・マヌエル・レイナ]]、サッカー選手 === 9月 === <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1982年の日本」項内に記入--> * [[9月1日]] - [[ジェフリー・バトル]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[9月2日]] - [[ジョーイ・バートン]]、サッカー選手 * [[9月3日]] - [[藤村歩]]、声優 * [[9月3日]] - [[サラ・バーク]]、女子スノーボーダー(+ [[2012年]]) * [[9月5日]] - [[王心凌]](シンディー・ワン)、[[台湾]]のアイドル歌手 * [[9月7日]] - [[白石涼子]]、声優 * [[9月12日]] - [[マリア・テレサ・ガウ]]、女優、タレント * [[9月13日]] - [[ネネイ]]、バスケットボール選手 * [[9月15日]] - [[エジミウソン・ドス・サントス・シルバ]]、サッカー選手 * [[9月16日]] - [[クリス・カーター (1982年生の外野手)|クリス・カーター]]、[[プロ野球選手]] * 9月16日 - [[レオン・ブリットン]]、サッカー選手 <!-- 日本ローカル? * [[9月18日]] - [[やまもとりえ]]、漫画家、イラストレーター --> * [[9月19日]] - [[エドゥアルド・ドス・レイス・カルヴァーリョ|エドゥアルド]]、サッカー選手 * [[9月20日]] - [[賈曉晨]]、歌手、女優 * [[9月22日]] - [[マールテン・ステケレンブルフ]]、サッカー選手 * 9月22日 - [[ビリー・パイパー]]、歌手、女優 * [[9月24日]] - [[ポール・ハム]]、[[体操競技]]選手 * [[9月25日]] - [[ヒョンビン]]、俳優 * [[9月27日]] - [[リル・ウェイン]]、[[ラッパー]] === 10月 === <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1982年の日本」項内に記入--> * [[10月1日]] - [[KAZMA SAKAMOTO]]、プロレスラー * [[10月4日]] - [[ジェレッド・ウィーバー]]、[[メジャーリーガー]] * 10月4日 - [[カルロス・マーモル]]、メジャーリーガー * 10月4日 - [[トニー・グウィン・ジュニア]]、メジャーリーガー * [[10月7日]] - [[ユンディ・リ]]、[[ピアニスト]] * 10月7日 - [[ジャーメイン・デフォー]]、サッカー選手 * [[10月10日]] - [[タチアナ・フィロワ]]、[[陸上競技]]選手 * [[10月12日]] - [[ケーシー・マギー]]、[[プロ野球選手]] <!-- 日本ローカル? * 10月12日 - [[壱城あずさ]]、女優、タレント --> * [[10月13日]] - [[イアン・ソープ]]、競泳選手 * [[10月14日]] - [[カルロス・マーモル]]、メジャーリーガー * [[10月15日]] - [[真木よう子]]、女優 * [[10月15日]] - [[タマ・トンガ]]、プロレスラー * [[10月16日]] - [[キム・アジュン]]、女優 * 10月16日 - [[パトリシア・ホール]]、陸上競技選手 * [[10月18日]] - [[ロス・ウルフ]]、メジャーリーガー * 10月18日 - [[森泉]]、ファッションモデル * [[10月20日]] - [[ケイティー・フェザーストン]]、女優 * [[10月22日]] - [[ロビンソン・カノ]]、メジャーリーガー * 10月22日 - [[ヒース・ミラー (アメリカンフットボール)|ヒース・ミラー]]、アメリカンフットボール選手 * [[10月24日]] - [[ドリュー・トゥサント]]、プロ野球選手 * [[10月26日]] - [[ニコラ・アダムズ]]、ボクシング選手 * [[10月27日]] - [[ジェッシー・マタドール]]、歌手 * 10月27日 - [[賈愛蘭]]、[[韓国放送公社|KBS]]アナウンサー * 10月27日 - [[塚本高史]]、俳優 * [[10月28日]] - [[倉木麻衣]]、歌手 * 10月28日 - [[マット・スミス]]、俳優 * 10月28日 - [[ジェレミー・ボンダーマン]]、メジャーリーガー * 10月28日 - [[アンソニー・レルー]]、プロ野球選手 * [[10月29日]] - [[ウィル・ベナブル]]、メジャーリーガー * 10月29日 - [[林依晨]]、女優、歌手 * [[10月30日]] - [[アンダーソン・エルナンデス]]、プロ野球選手 * [[10月31日]] - [[岡林裕二]]、プロレスラー === 11月 === <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1982年の日本」項内に記入--> * [[11月1日]] - [[全美貞]]、プロゴルファー * [[11月2日]] - [[ユネル・エスコバー]]、[[メジャーリーガー]] * 11月2日 - [[深田恭子]]、女優 * [[11月3日]] - [[エフゲニー・プルシェンコ]]、フィギュアスケート選手 * 11月3日 - [[ちすん]]、女優 * [[11月4日]] - [[エバン・マクレーン]]、[[プロ野球選手]] * 11月4日 - [[トラビス・ブラックリー]]、プロ野球選手 * [[11月5日]] - [[ハン・ジミン]]、女優 * 11月5日 - [[ブライアン・ラヘア]]、プロ野球選手 * [[11月9日]] - [[アンディ・サワー]]、シュートボクサー * [[11月10日]] - [[浦田直也]]、歌手、タレント、元AAA * [[11月12日]] - [[アン・ハサウェイ]]、女優 * [[11月13日]] - [[ネルソン・パヤノ]]、プロ野球選手 * 11月13日 - [[倖田來未]]、歌手 * [[11月14日]] - [[アンヘル・カストロ]]、メジャーリーガー * 11月14日 - [[倪福徳]]、[[野球選手]] * [[11月16日]] - [[アマーレ・スタウダマイアー]]、[[NBA]]プロ[[バスケットボール選手]] * [[11月18日]] - [[ブレント・リーチ]]、プロ野球選手 * [[11月21日]] - [[鷹木信悟]]、プロレスラー * [[11月22日]] - [[スティーヴ・アンジェロ]]、DJ、レコードプロデューサー、リミキサー * [[11月22日]] - [[清貴]](天道清貴)、歌手 * [[11月23日]] - [[アサファ・パウエル]]、[[陸上競技]]選手 * [[11月25日]] - [[ミンナ・カウッピ]]、[[オリエンテーリング]]選手 * [[11月27日]] - [[アレクサンドル・ケルジャコフ]]、サッカー選手 === 12月 === <!--世界的に著名な人物を除き、主に日本国内のみで知られる日本人は「1982年の日本」項内に記入--> * [[12月1日]] - [[三遊亭わん丈]]、[[落語家]] * [[12月3日]] - [[アレクサンダー (モデル)|アレクサンダー]]、ファッションモデル * 12月3日 - [[マニー・コーパス]]、[[メキシカンリーガー]] * 12月3日 - [[マイケル・エッシェン]]、サッカー選手 * [[12月4日]] - [[杉田一明]]、[[YouTuber]] * [[12月6日]] - [[アルベルト・コンタドール]]、[[自転車競技]]ロードレース選手 * [[12月8日]] - [[ハミト・アルトゥントップ]]、サッカー選手 * 12月8日 - [[ハリル・アルトゥントップ]]、サッカー選手 * 12月8日 - [[後藤輝樹]]、[[政治活動家]]、[[音楽家]]、[[YouTuber]] * [[12月12日]] - [[加藤あい]]、俳優・タレント * 12月12日 - [[アービン・サンタナ]]、メジャーリーガー * [[12月13日]] - [[永山瑛太]]、俳優 * 12月13日 - [[リッキー・ノラスコ]]、メジャーリーガー * [[12月14日]] - [[ジョシュ・フィールズ]]、[[プロ野球選手]] * [[12月17日]] - [[水野良樹]]、歌手、いきものがかり * 12月17日 - [[ジョシュ・バーフィールド]]、メジャーリーガー * [[12月20日]] - [[デビッド・ライト (野球)|デビッド・ライト]]、メジャーリーガー * [[12月21日]] - [[フィリップ・ハンバー]]、プロ野球選手 * [[12月24日]] - [[相葉雅紀]]、[[歌手]]、[[俳優]]、[[タレント]]、[[嵐 (グループ)|嵐]] * [[12月26日]] - [[小栗旬]]、俳優 * 12月26日 - [[アクセル・ルンド・スヴィンダル]]、[[アルペンスキー]]選手 * [[12月27日]] - [[マイケル・ボーン]]、メジャーリーガー * 12月27日 - [[クリス・ジメネス]]、メジャーリーガー * [[12月29日]] - [[アリソン・ブリー]]、女優 * [[12月31日]] - [[ロナルド・ベリサリオ]]、メジャーリーガー == 死去 == {{See|訃報 1982年}} == ノーベル賞 == * [[ノーベル物理学賞|物理学賞]] - [[ケネス・ウィルソン]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]]) * [[ノーベル化学賞|化学賞]] - [[アーロン・クルーグ]]([[イギリス]]) * [[ノーベル生理学・医学賞|生理学・医学賞]] - [[スネ・ベリストローム]]([[スウェーデン]])、[[ベンクト・サミュエルソン]](スウェーデン)、[[ジョン・ベーン]](イギリス) * [[ノーベル文学賞|文学賞]] - [[ガブリエル・ガルシア=マルケス]]([[コロンビア]]) * [[ノーベル平和賞|平和賞]] - [[アルバ・ライマル・ミュルダール]](スウェーデン)、[[アルフォンソ・ガルシア・ロブレス]]([[メキシコ]]) * [[ノーベル経済学賞|経済学賞]] - [[ジョージ・スティグラー]](アメリカ) == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=年1982|date=2011年7月}} * 2月 - ゴラスが地球に最接近する(『[[妖星ゴラス]]』)。 * 4月 - 真壁純平が大学に入学する(『[[東京エイティーズ]]』) * 11月23日 - 共産国家「アルストツカ(Arstotzka)」の国境検問所が再開される。(『[[Papers, Please]]』) * 12月6日 - 関東地区に新型爆弾が使用され、3度目の世界大戦が勃発。(『[[AKIRA (漫画)|AKIRA]]』) * 不明 - 猿間根博士、「電子脳」を改良し、人間型ロボットに備え付ける事に成功。同じ頃、ジェームス・ダルトン博士、プラスチックから人造皮膚を発明。(原作版『[[鉄腕アトム]]』) * 不明 - 太陽系惑星が直列して地球に大規模な天変地異が起こると予測されていた。(『[[ウルトラマン80]]』22話) * 不明 - マジシャン北野、自ら作った「マジックゾーン」を使った大奇術を行うも失敗、奇術に使った子供を負傷させる。北野は奇術界から追放され、妻子にも逃げられて失意のどん底と化し、2年後の[[1984年]]に「テンタクル」首領・プロフェッサーKがマジックゾーンを完成させ、同組織の悪の片棒を担がされる。(『[[星雲仮面マシンマン]]』第12話「子供が消えていく」) * 不明 - モナークが地球に接近。地球人を絶滅させ、自らの種族を地球に置こうとする。(『[[ドクター・フー]]』) * 不明 - [[ヒースロー空港]]を出発した[[コンコルド]]が1億4000万年前の地球へタイムスリップする。(『ドクター・フー』) === 『復活の日』映画版 === * 2月 - [[ドイツ民主共和国|東ドイツ]][[ライプツィヒ]]の陸軍細菌研究所からMM-88菌が持ち出されるが、[[アルプス山脈]]中で散逸。 * 4月 - 全世界でイタリア風邪が流行し始める。 * 7月 - 日本全土に[[戒厳令]]発令。 * 9月 - 米大統領が全南極基地に対して最後の演説。ガーランド統参議長、独断でARSを起動。 * 11月 - 南極会議発足。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <!--=== 注釈 === {{Notelist2}}--> === 出典 === {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1982}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] {{十年紀と各年|世紀=20|年代=1900}} {{Navboxes | title = 1982年の各国([[各年の国の一覧|一覧]]) | list1 = {{各年のアメリカ|1982|unit=1||List=1}} {{各年のヨーロッパ|1982|unit=1||List=1}} {{各年のアフリカ|1982|unit=1||List=1}} {{各年のアジア|1982|unit=1||List=1}} {{各年のオセアニア|1982|unit=1||List=1}} }} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1982ねん}} [[Category:1982年|*]]
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1973年
1973年(1973 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。昭和48年。 この項目では、国際的な視点に基づいた1973年について記載する。 ※主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国で1997年に制定された。 1973年のスポーツも参照
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1973年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。昭和48年。 この項目では、国際的な視点に基づいた1973年について記載する。
{{Otheruses||日本ローカルの事柄|1973年の日本}} {{年代ナビ|1973}} {{YearInTopic | BC = | 千年紀 = 2 | 世紀 = 20 | 年代 = 1970 | 年 = 1973 }} <ref name=":0" />{{year-definition|1973}} この項目では、国際的な視点に基づいた1973年について記載する。 == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[癸丑]](みずのと うし) * 日本(月日は一致) ** [[昭和]]48年 ** [[皇紀]]2633年 * [[中華民国]](月日は一致) ** [[民国紀元|中華民国]]62年 * [[朝鮮民主主義人民共和国]](月日は一致) ** [[主体暦|主体]]62年 * [[仏滅紀元]]:2515年 - 2516年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1392年11月26日 - 1393年12月6日 * [[ユダヤ暦]]:5733年4月27日 - 5734年4月6日 * [[Unix Time]]:94694400 - 126230399 * [[修正ユリウス日]](MJD):41683 - 42047 * [[リリウス日]](LD):142524 - 142888 <div style="font-size:smaller"> ※主体暦は、[[朝鮮民主主義人民共和国]]で[[1997年]]に制定された。 </div> ==カレンダー== {{年間カレンダー|年=1973}} == できごと == === 1月 === * [[1月1日]] - [[デンマーク]]、[[アイルランド]]、[[イギリス]]が[[欧州諸共同体]]に加盟{{要出典|date=2021-04}}。 * [[1月2日]] - [[両国 (墨田区)|東京・両国]]の[[両国国技館#日大講堂時代|日大講堂]]で行われた[[ボクシング|プロボクシング]]・[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[フライ級]]タイトルマッチで、王者・[[大場政夫]]が挑戦者・[[チャチャイ・チオノイ]]([[タイ王国|タイ]])を12回KOで破り5度目の防衛に成功<ref name="JapanProBoxingHistory">ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年</ref>。 * [[1月17日]] - [[フィリピン]]の[[フェルディナンド・マルコス|マルコス]][[フィリピンの大統領|大統領]]によって新憲法発布、同時に[[戒厳令]]の無期限延長を発表。 * [[1月22日]] - [[合衆国最高裁判所|米最高裁]]が[[人工妊娠中絶|妊娠中絶]]を規制する米国内法の大部分を[[違憲審査制|違憲無効]]とする判断を示す。([[ロー対ウェイド事件]]) * [[1月23日]] - [[キッシンジャー]]と[[黎徳寿]]、和平協定案に仮調印 * [[1月25日]] - 3週間前に5度目の防衛に成功したばかりのWBA世界フライ級王者、[[大場政夫]]が[[首都高速道路]]の[[新宿区]][[新小川町]]付近で交通事故死(享年23)。現役世界王者のまま夭逝したため「'''永遠のチャンプ'''」の称号が与えられる。 * [[1月27日]] - [[ベトナム和平協定]](翌[[1月28日|28日]]発効)。 === 2月 === * [[2月14日]] - [[為替レート]]・1[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]=308[[円 (通貨)|円]]の[[固定相場制]]から、[[変動相場制]]に移行。スタートは、1ドル=277円。 === 3月 === * [[3月29日]] - [[ベトナム戦争]]、[[アメリカ合衆国軍|アメリカ軍]]の最後の兵士が[[ベトナム共和国|南ベトナム]]から撤退。 === 4月 === * [[4月4日]] - [[ワールドトレードセンター (ニューヨーク)|ニューヨーク・ワールドトレードセンタービル]](現:[[1 ワールドトレードセンター]])グランドオープン。 * [[4月29日]] - ボードゲームの[[オセロ (ボードゲーム)|オセロ]]が発売される(4月25日とする説もある)。 === 5月 === * [[5月14日]] - [[スカイラブ計画]]として、スカイラブ1号が無人飛行で打ち上げ。 === 6月 === * [[6月3日]] - [[Tu-144 (航空機)|Tu-144]]、パリ航空ショーにて墜落。 {{main|1973年パリ航空ショーTu-144墜落事故}} === 7月 === * [[7月10日]] - [[バハマ]]が[[イギリス]]より独立。 * [[7月11日]] - [[リオデジャネイロ]]発[[パリ]]行きの[[ヴァリグ・ブラジル航空]]820便[[ボーイング707]]型機でパリの[[オルリー空港]]への着陸進入中火災が発生、不時着を試みたが滑走路端5キロの地点に墜落し乗員乗客135名中124名が死亡。''→[[ヴァリグ・ブラジル航空820便墜落事故]]参照'' * [[7月20日]] ** [[日本赤軍]]による[[ドバイ日航機ハイジャック事件]]発生。 ** [[香港]]の俳優で、[[カンフー映画]]の第一人者として知られた[[ブルース・リー]]が死亡。 * [[7月23日]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]が[[地球観測衛星]]『[[ランドサット]]1号』を打ち上げる。 === 8月 === * [[8月8日]] - [[金大中事件]]。 * [[8月23日]] ** [[リチャード・ニクソン|ニクソン]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]が[[ヘンリー・キッシンジャー]]を[[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]に指名。 ** [[ストックホルム]]で銀行立てこもり事件([[ノルマルム広場強盗事件]])が発生、[[犯罪被害者]]が[[犯人]]に過度の同情や共感をよせる現象を意味する[[ストックホルム症候群]]という呼称の嚆矢となる。 === 9月 === * [[9月11日]] - [[チリ・クーデター]]発生。 * [[9月18日]] - [[国際連合総会|国連総会]]において[[ドイツ民主共和国|東]][[西ドイツ|西]]ドイツの[[国際連合]]加盟が承認される。 * [[9月21日]] - 日[[ベトナム|越]]国交樹立。 * [[9月24日]] - [[ギニアビサウ]]が独立宣言。 === 10月 === * [[10月6日]] - [[第四次中東戦争]] * [[10月10日]] - [[スピロ・アグニュー]]が州知事時代の収賄容疑により、[[ジョン・カルフーン]]以来史上二人目の[[アメリカ合衆国副大統領|米副大統領]]辞任。 * [[10月14日]] - [[タイ王国|タイ]]で[[クーデター]]が発生。([[血の日曜日事件 (1973年)|血の日曜日事件]]) * [[10月16日]] - [[パリ協定 (ベトナム和平)|ベトナム和平]]への功績が認められ、[[ヘンリー・キッシンジャー]]と[[レ・ドゥク・ト]]の[[ノーベル平和賞]]受賞が決定。(トは辞退する) * [[10月17日]] - [[第四次中東戦争]]で[[オイルショック]]・モノ不足・大手商社の買い占め。 === 11月 === * [[11月3日]] - [[アメリカ航空宇宙局|NASA]]が[[マリナー10号]]を[[水星]]に向けて打ち上げ。 * [[11月27日]] - [[インド]]、[[ムンバイ]]の病院で女性看護師がレイプの被害に遭い、植物状態になる。看護師は以後41年半意識を取り戻さないまま、[[2015年]][[5月18日]]に死去した([[アルナ・シャンバグ|参照]])。 === 12月 === * [[12月]] - [[2児拉致事件]] * [[12月20日]] - バスク分離主義者が政府によって処刑されたことに対する報復として、[[マドリード]]で首相の[[ルイス・カレロ・ブランコ]]を{{仮リンク|ルイス・カレーロ・ブランコ暗殺事件|label=暗殺|en|Assassination of Luis Carrero Blanco}}。 == 芸術・文化・ファッション == * 音楽 *[[ミッシェル・ポルナレフ]]「忘れじのグローリア」「愛の伝説」 *[[アルバート・ハモンド]]「[[カリフォルニアの青い空]]」 * [[ローリング・ストーンズ]] 「[[悲しみのアンジー]]」 * [[シカゴ (バンド)|シカゴ]] 「愛の絆」「君と二人で」 * [[T・レックス]] 「[[20センチュリー・ボーイ]]」「イージー・アクション」「ザ・グルーバー」 * [[クール&ザ・ギャング]] 「ファンキー・スタッフ」 * ジム・クロウチ 「リロイ・ブラウンは悪い奴」「タイム・イン・ア・ボトル」 * [[マーヴィン・ゲイ]] 「[[レッツ・ゲット・イット・オン]]」 *[[エルトン・ジョン]]「ダニエル」 *ドーン「幸せの黄色いリボン」 *[[ジョン・レノン]]「マインド・ゲームズ」 *[[カーペンターズ]]「[[イエスタデイ・ワンス・モア]]」 * [[1973年の映画]] **[[アメリカン・グラフィティ]] **[[最後の猿の惑星]](原題:BATTLE FOR THE PLANET OF THE APES) **[[ジャッカルの日 (映画)|ジャッカルの日]] **[[ジョニーは戦場へ行った]] ** [[スケアクロウ]] ** [[スティング (映画)|スティング]] ** [[007 死ぬのは奴らだ]] LIVE AND LET DIE ** [[ブラザー・サン シスター・ムーン]] ** [[マクベス (1971年の映画)|マクベス]] ** [[ミツバチのささやき]] **[[燃えよドラゴン]] Enter the Dragon(龍争虎闘) **[[ロビン・フッド (1973年の映画)|ロビン・フッド]] * 1973年の文学 ** [[ベストセラー]] *** [[フレデリック・フォーサイス]] 『ジャッカルの日』 == スポーツ == [[1973年のスポーツ]]も参照 * ボクシング *1月、[[ジョージ・フォアマン]](37戦37勝34KO)が、[[世界ボクシング協会|WBA]]・[[世界ボクシング評議会|WBC]]統一ヘビー級タイトルマッチで、29戦29勝のチャンピオン、[[ジョー・フレージャー]]を2RTKOで倒し王座を獲得した。 * [[競馬]](アメリカ) **[[三冠 (競馬)|三冠]]([[6月9日]]) [[セクレタリアト]] * 野球/大リーグ * NBA == 誕生 == {{see also|Category:1973年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 1月 === * [[1月3日]] - [[金敏宰]]、野球選手 * [[1月8日]] - [[ショーン・ポール]]、[[歌手]] * 1月8日 - [[マイク・キャメロン]]、元メジャーリーガー * [[1月10日]] - [[ゲーリー・ラス]]、元[[プロ野球選手]] * [[1月12日]] - [[オリビエ・ペリエ]]、[[騎手]] * [[1月14日]] - [[ジャンカルロ・フィジケラ]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー * [[1月15日]] - [[オーレリー・デュポン]]、[[バレエ]]ダンサー * 1月15日 - [[クリストファー・カンバーランド]]、元プロ野球選手 * [[1月20日]] - [[ルスラン・ゴンチャロフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1月22日]] - [[ロジェリオ・セニ]]、サッカー選手 * [[1月23日]] - [[ニコラス・ペタス]]、空手家 * [[1月28日]] - [[タチアナ・マリニナ]]、フィギュアスケート選手 * [[1月30日]] - [[笹本優子]]、声優 * 1月30日 - [[イ・ソジン]]、俳優 * [[1月31日]] - [[ポーシャ・デ・ロッシ]]、[[俳優|女優]] === 2月 === * [[2月1日]] - [[大本眞基子]]、声優 * 2月1日 - [[オスカル・ペレス・ロハス]]、サッカー選手 * [[2月2日]] - [[サエキトモ]]、声優 * [[2月4日]] - [[ドナート・カブレラ]]、指揮者 * 2月4日 - [[オスカー・デ・ラ・ホーヤ]]、プロボクサー * [[2月5日]] - [[トウ亞萍|鄧亞萍]]、元[[卓球]]選手 * [[2月7日]] - [[園崎未恵]]、声優 * [[2月8日]] - [[川島得愛]]、声優 * [[2月9日]] - [[増田ゆき]]、声優 * [[2月11日]] - [[寺田はるひ]]、声優 * [[2月11日]] - [[チョン・ドヨン]]、女優 * 2月11日 - [[ヴァルグ・ヴィーケネス]]、ミュージシャン * [[2月12日]] - [[水樹洵]]、声優 * [[2月12日]] - [[タラ・ストロング]]、[[俳優|女優]]、[[声優]] * 2月14日 - [[スティーブ・マクネア]]、アメリカンフットボール選手(+[[2009年]]) * 2月16日 - [[ユン・ジョンファン]]、サッカー選手 * [[2月18日]] - [[イリーナ・ロバチェワ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 2月18日 - [[クロード・マケレレ]]、元サッカー選手 * [[2月27日]] - [[内ヶ﨑茂]]、コンサルタント * [[2月26日]] - [[オーレ・グンナー・スールシャール]]、元サッカー選手、サッカー指導者 * 2月26日 - [[アンダース・ビョーラー]]、ミュージシャン * 2月26日 - [[ヨナス・ビョーラー]]、ミュージシャン * 2月26日 - [[マーシャル・フォーク]]、アメリカンフットボール選手 === 3月 === * [[3月1日]] - [[クリス・ウェバー]]、元バスケットボール選手 * 3月1日 - [[ライアン・ピーク]]、[[ミュージシャン]]([[ニッケルバック]]の[[ギタリスト]]) * [[3月2日]] - [[宋志晩]]、野球選手 * [[3月5日]] - [[フェリペ・クレスポ]]、元[[プロ野球選手]] * 3月5日 - [[ライアン・フランクリン]]、元[[メジャーリーガー]] * [[3月6日]] - [[マイケル・フィンリー]]、バスケットボール選手 * [[3月7日]] - [[竹本英史]]、声優 * [[3月9日]] - [[クリストファー・ニコースキー]]、プロ野球選手 * 3月9日 - [[アーロン・ブーン]]、メジャーリーガー * [[3月10日]] - [[ダン・スワノ]]、ミュージシャン、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア * 3月10日 - [[クリス・サットン]]、元サッカー選手 * [[3月13日]] - [[エドガー・ダーヴィッツ]]、元[[サッカー選手]]、[[サッカー]]指導者 * [[3月14日]] - [[パット・フリューリー]]、元プロ野球選手 * [[3月15日]] - [[橘U子]]、声優 * [[3月20日]] - [[ユーリス・ラザグリアエフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[3月23日]] - [[ジェイソン・キッド]]、[[バスケットボール]]選手 * [[3月24日]] - [[丹下桜]]、声優 * [[3月25日]] - [[アンダース・フリーデン]]、ミュージシャン ([[イン・フレイムス]]) * 3月25日 - [[ジョディ・ハーラー]]、[[野球選手]] * [[3月29日]] - [[マルク・オーフェルマルス]]、元サッカー選手 * [[3月30日]] - [[ヤン・コレル]]、元サッカー選手 === 4月 === * [[4月2日]] - [[マーク・クルーン]]、[[プロ野球選手]] * [[4月3日]] - [[大泉洋]]、俳優 * [[4月4日]] - [[ロリス・カピロッシ]]、[[オートバイ]]レーサー * [[4月5日]] - [[趙成珉]]、元プロ野球選手(+ [[2013年]]) * 4月5日 - [[ファレル・ウィリアムス]]、ミュージシャン、[[ファッションデザイナー]] * [[4月8日]] - [[ボビー・オロゴン]]、タレント、格闘家 * [[4月9日]] - [[グラウベ・フェイトーザ]]、[[極真空手]]の選手 * [[4月10日]] - [[ロベルト・カルロス・ダ・シウバ|ロベルト・カルロス]]、元サッカー選手、サッカー指導者 * 4月11日 - [[トミ・コイヴサーリ]]、ヘヴィメタル・ミュージシャン * [[4月12日]] - [[クリスティアン・パヌッチ]]、元サッカー選手 * 4月12日 - [[デイモン・アレン (フィギュアスケート選手)|デイモン・アレン]]、フィギュアスケート選手 * [[4月14日]] - [[ロベルト・アジャラ]]、元サッカー選手 * [[4月15日]] - [[ペドロ・ラソ]]、野球選手 * [[4月18日]] - [[ハイレ・ゲブレセラシェ]]、[[陸上選手]] * [[4月21日]] - [[小西克幸]]、声優 * [[4月24日]] - [[カルロス・ミラバル]]、元プロ野球選手 * [[4月28日]] - [[ラファエル・オレラーノ]]、元プロ野球選手 === 5月 === * [[5月1日]] - [[吉田直樹 (ゲームクリエイター)|吉田直樹]]、ゲームクリエイター * [[5月3日]] - [[ルイス・ミゲル・ロドリゲス]]、元野球選手 * [[5月6日]] - [[マイク・キンケード]]、元プロ野球選手 * [[5月8日]] - [[荒川弘]]、[[漫画家]] * 5月8日 - [[張智成]](ゼット・チャン)、歌手 * [[5月10日]] - [[ジェーン・スー]]、[[作詞家]] [[コラムニスト]] * 5月10日 - [[リュシュテュ・レチベル]]、元サッカー選手 * [[5月16日]] - [[鳥海浩輔]]、声優 * [[5月19日]] - [[ダリオ・フランキッティ]]、レーシングドライバー * [[5月22日]] - [[フリアン・タバレス]]、元メジャーリーガー * 5月22日 - [[ブレンダン・キングマン]]、[[野球選手]] * [[5月23日]] - [[エンペラー・マグス・カリグラ]]、ミュージシャン * [[5月24日]] - [[ラモン・オルティズ]]、元プロ野球選手 * 5月24日 - [[バートロ・コローン]]、元メジャーリーガー * [[5月26日]] - [[クリス・レイサム (野球)|クリス・レイサム]]、元プロ野球選手 * [[5月29日]] - [[金田朋子]]、声優 === 6月 === * [[6月4日]] - [[平川大輔]]、声優 * 6月4日 - [[デビッド・ランドクィスト]]、元プロ野球選手 * [[6月7日]] - [[ソン・ユナ]]、女優 * [[6月12日]] - [[斎賀みつき]]、声優 * [[6月18日]] - [[かかずゆみ]]、声優 * [[6月22日]] - [[関裕通]]、政治家 * [[6月24日]] - [[トッド・ベッツ]]、元プロ野球選手 * 6月24日 - [[ケビン・ホッジス]]、元プロ野球選手 * [[6月25日]] - [[鄭世真]]、[[韓国放送公社|KBS]]アナウンサー * [[6月27日]] - [[オルヴェ・エイケモ]]、ミュージシャン * 6月27日 - [[吉田敬]]、お笑い芸人([[ブラックマヨネーズ]]) * [[6月28日]] - [[フロスト (ミュージシャン)|フロスト]]、ミュージシャン * [[6月29日]] - [[ペドロ・バルデス]]、元プロ野球選手 * 6月29日 - [[朴賛浩]]、元プロ野球選手 * [[6月30日]] - [[フランク・ロスト]]、元サッカー選手 === 7月 === * [[7月4日]] - [[アンジェリカ・クリロワ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[7月5日]] - [[小杉竜一]]、お笑い芸人、([[ブラックマヨネーズ]]) * [[7月9日]] - [[今村直樹]]、声優 * [[7月10日]] - [[みずしな孝之]]、漫画家 * [[7月12日]] - [[クリスティアン・ヴィエリ]]、元サッカー選手 * 7月12日 - [[エレーナ・レオノワ]]、フィギュアスケート選手 * [[7月19日]] - [[アイウトン・ゴンサウヴェス・ダ・シウヴァ|アイウトン]]、サッカー選手 * [[7月20日]] - [[ヴェサ・ランタ]]、音楽家、写真家、グラフィックデザイナー * [[7月21日]] - [[ブライアン・ブキャナン]]、元プロ野球選手 * 7月21日 - [[マンディ・ベッツェル]]、フィギュアスケート選手 * [[7月22日]] - [[マイク・スウィーニー]]、[[メジャーリーガー]] * [[7月23日]] - [[ノマー・ガルシアパーラ]]、元メジャーリーガー * 7月23日 - [[モニカ・ルインスキー]]、実業家 * [[7月24日]] - [[フェリックス・ペルドモ]]、元プロ野球選手 * [[7月25日]] - [[ギレルモ・モタ]]、メジャーリーガー * 7月25日 - [[ケニー・ロバーツ・ジュニア]]、[[オートバイ]]レーサー * 7月25日 - [[ケヴィン・フィリップス]]、サッカー選手 * 7月25日 - [[ドミトリー・ドミトレンコ]]、[[フィギュアスケート]]選手 === 8月 === * [[8月2日]] - [[友近]]、タレント * [[8月9日]] - [[フィリッポ・インザーギ]]、元サッカー選手 * [[8月10日]] - [[ハビエル・サネッティ]]、サッカー選手 * [[8月14日]] - [[オーガスティン・オコチャ|ジェイジェイ・オコチャ]]、元サッカー選手 * 8月14日 - [[ハレド・ボルヘッティ]]、サッカー選手 * [[8月19日]] - [[マルコ・マテラッツィ]]、サッカー選手 * [[8月22日]] - {{仮リンク|ハウィー・D.|en|Howie Dorough}}、歌手([[バックストリート・ボーイズ]]) * [[8月24日]] - [[アルキメデス・ポゾ]]、元プロ野球選手 * [[8月31日]] - [[水森かおり]]、[[演歌歌手]] === 9月 === * [[9月6日]] - [[カルロ・クディチーニ]]、サッカー選手 * [[9月8日]] - [[ボブ・ウォルコット]]、元プロ野球選手 * [[9月11日]] - [[トム・デイビー]]、プロ野球選手 * [[9月12日]] - [[ポール・ウォーカー]]、俳優(+ [[2013年]]) * [[9月13日]] - [[クリスティーン・アーロン]]、陸上選手 * 9月13日 - [[陳連宏]]、野球選手 * 9月13日 - [[ファビオ・カンナヴァーロ]]、元サッカー選手 * 9月13日 - [[フィリップ・デュレボーン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[9月14日]] - [[金鍾国 (野球)|金鍾国]]、野球選手 * 9月14日 - [[ナズ]]、ラッパー * 9月14日 - [[アンドリュー・リンカーン]]、俳優 * [[9月15日]] - [[藤谷美紀]]、女優 * [[9月21日]] - [[オスワルド・サンチェス]]、サッカー選手 * [[9月22日]] - [[趙宏博]]、フィギュアスケート選手 * [[9月22日]] - [[ボブ・サップ]]、格闘家 * [[9月23日]] - [[レネ・ローゼ]]、フィギュアスケート選手 * [[9月27日]] - [[クリストファー・ゼッターストランド]]、画家 === 10月 === * [[10月1日]] - [[キム・ソナ|金宣兒]]、女優 * [[10月2日]] - [[スコット・ショーエンワイス]]、元メジャーリーガー * [[10月5日]] - [[ルイス・ロペス (1973年生の内野手)|ルイス・ロペス]]、元プロ野球選手 * 10月5日 - [[陳文賓]]、元プロ野球選手 * [[10月7日]] - [[サミ・ヒーピア]]、元サッカー選手、サッカー指導者 * 10月7日 - [[ネウソン・デ・ジェズス・シウヴァ|ジーダ]]、サッカー選手 * [[10月11日]] - [[金城武]]、俳優 * 10月11日 - [[阪口大助]]、声優 * [[10月13日]] - [[天神英貴]]、声優 * 10月13日 - [[マット・ヒューズ]]、元[[総合格闘家]] * [[10月18日]] - [[ジョン・ボルドウィン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[10月21日]] - [[ブライアン・コーリー]]、[[メジャーリーガー]] * 10月21日 - [[レーラ・アウエルバッハ]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]]、[[作家]] * [[10月22日]] - [[イチロー]]、元プロ野球選手 * [[10月25日]] - [[小笠原道大]]、元プロ野球選手 * [[10月27日]] - [[セミー・シュルト]]、[[K-1]]選手 * 10月27日 - [[ジェーソン・ジョンソン]]、メジャーリーガー * [[10月29日]] - [[ロベール・ピレス]]、元サッカー選手 * [[10月30日]] - [[シルビア・コルソ]]、[[ニュースキャスター]] * 10月30日 - [[アダム・コープランド|エッジ]]、[[WWE]]の[[プロレスラー]] === 11月 === * [[11月3日]] - [[ミック・トムソン]]、ギタリスト、([[スリップノット]]) * 11月3日 - [[サントス・ヘルナンデス]]、元マイナーリーガー * [[11月5日]] - [[ジョニー・デイモン]]、元メジャーリーガー * [[11月6日]] - [[宍戸留美]]、声優 * [[11月7日]] - [[マルティン・パレルモ]]、サッカー選手 * 11月7日 - [[戸次重幸]]、俳優 * [[11月8日]] - [[磯崎亜紀子]]、元女優 * 11月8日 - [[エドガルド・アルフォンゾ]]、元メジャーリーガー * [[11月10日]] - [[マルコ・ロドリゲス]]、サッカー審判 * [[11月12日]] - [[ラダ・ミッチェル]]、女優 * [[11月14日]] - [[ルーベン・リベラ]]、元メジャーリーガー * [[11月17日]] - [[アレクセイ・ウルマノフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[11月22日]] - [[狩俣倫太郎]]、[[琉球放送]]アナウンサー * [[11月24日]] - [[岩田まこ都]]、フリーアナウンサー * [[11月25日]] - [[オクタビオ・ドーテル]]、元メジャーリーガー * [[11月26日]] - [[ジョン・ジマーマン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 11月26日 - [[高木礼子]]、声優 * [[11月27日]] - [[ジェイソン・ベバリン]]、元プロ野球選手 * 11月27日 - [[トゥイスタ]]、ヒップホップMC * [[11月29日]] - [[ライアン・ギグス]]、サッカー選手 * [[11月30日]] - [[澤田博幸]]、声優 === 12月 === * [[12月1日]] - [[中川亜紀子]]、声優 * [[12月2日]] - [[サイモン・ケリー猪木|サイモン猪木]]、[[新日本プロレス]]元[[社長]] * [[12月4日]] - [[フェリー・コーステン]]、[[DJ]] * [[12月4日]] - [[田村淳]]、お笑い芸人、([[ロンドンブーツ1号2号]]) * [[12月7日]] - [[藤本たかひろ]]、声優 * [[12月8日]] - [[コリィ・テイラー]]、ヴォーカル、([[スリップノット]])、([[ストーン・サワー]]) * 12月8日 - [[稲垣吾郎]]、俳優 * 12月8日 - [[安田顕]]、俳優 * [[12月9日]] - [[トニー・バティスタ]]、[[メジャーリーガー]] * [[12月11日]] - [[アンディ・トレーシー]]、元プロ野球選手 * [[12月15日]] - [[スルヤ・ボナリー]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[12月17日]] - [[ポーラ・ラドクリフ]]、[[マラソン]]選手 * 12月17日 - [[フレディ・エレーラ]]、元野球選手 * [[12月18日]] - [[イリヤ・アベルブフ]]、フィギュアスケート選手 * [[12月26日]] - [[中川里江]]、声優 * [[12月27日]] - [[ベルト・アッペルモント]]、[[作曲家]] * [[12月29日]] - [[トマス・ペレス]]、元メジャーリーガー * [[12月31日]] - [[カイ・ハフト]]、ヘヴィメタル・ミュージシャン == 死去 == {{See|訃報 1973年}} == ノーベル賞 == * [[ノーベル物理学賞|物理学賞]] - [[江崎玲於奈]]([[日本]])、[[アイヴァー・ジェーバー]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]])、[[ブライアン・ジョセフソン]]([[イギリス]]) * [[ノーベル化学賞|化学賞]] - [[エルンスト・オットー・フィッシャー|エルンスト・フィッシャー]]([[ドイツ]])、[[ジェフリー・ウィルキンソン]](イギリス) * [[ノーベル生理学・医学賞|生理学・医学賞]] - [[カール・フォン・フリッシュ]](ドイツ)、[[コンラート・ローレンツ]]([[オーストリア]])、[[ニコ・ティンバーゲン]](イギリス) * [[ノーベル文学賞|文学賞]] - [[パトリック・ホワイト]]([[オーストラリア]]) * [[ノーベル平和賞|平和賞]] - [[ヘンリー・キッシンジャー]](アメリカ)、[[レ・ドゥク・ト]]([[ベトナム]]) * [[ノーベル経済学賞|経済学賞]] - [[ワシリー・レオンチェフ]](アメリカ) == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=年1973|date=2011年7月}} * [[2月1日]] - ウィリー・ウォンカが、自らのチョコレート工場に5名の少年少女を招待する。(小説『[[チョコレート工場の秘密]]』)<ref>{{Cite book |和書 |author= ロアルド・ダール|authorlink=ロアルド・ダール |title = チョコレート工場の秘密 |publisher = [[評論社]] |year = 2005 |pages = 38-40,87-106 |isbn = 978-4-566-01411-4}}</ref><ref name=":0">{{Cite book |和書 |author = ロアルド・ダール |title = ガラスの大エレベーター |publisher = 評論社 |year = 2005 |page = 231 |isbn = 978-4-566-01414-5}}</ref> * [[2月10日]] - 風見志郎の両親と妹がデストロンの怪人ハサミジャガーによって惨殺される(TV『[[仮面ライダーV3]]』)<ref>2話の墓石の表示より。</ref>。 * 2月 - アメリカ合衆国が地球軌道上に打ち上げた「宇宙ホテルUSA」が、惑星「害星」から来訪した害獣「クニッド」に占拠される。(小説『{{仮リンク|ガラスの大エレベーター|en|Charlie and the Great Glass Elevator}}』)<ref>{{Cite book |和書 |author = ロアルド・ダール |title = ガラスの大エレベーター |publisher = 評論社 |year = 2005 |pages = 24-26,82-93,110-122,231 |isbn = 978-4-566-01414-5}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author = ロアルド・ダール |title = チョコレート工場の秘密 |publisher = 評論社 |year = 2005 |page = 88 |isbn = 978-4-566-01411-4}}</ref> * [[4月19日]] - 異星起源種「[[マブラヴ オルタネイティヴ#BETA|BETA]]」の着陸ユニットが[[新疆ウイグル自治区]][[カシュガル地区|喀什]]に落下し、オリジナルハイヴの建造を開始するとともに西方への侵攻を開始。中ソ連合軍による反撃は当初優勢に推移するが、光線属種のBETAの出現により航空戦力が封じられると形勢は逆転し、[[戦術核兵器|戦術核]]による焦土作戦に至るも効果はなく終わる。(ゲームほか『[[マブラヴ]]』シリーズ)<ref>{{Cite book |和書 |author= 吉宗鋼紀|authorlink=吉田博彦 |title = [[マブラヴ オルタネイティヴ トータル・イクリプス]] 1 朧月の衛士 |publisher = [[エンターブレイン]] |year = 2008 |pages = 6,7,286 |isbn = 978-4-7577-3920-8}}</ref><ref name = "TE3">{{Cite book |和書 |author = 吉宗鋼紀 |title = マブラヴ オルタネイティヴ トータル・イクリプス 3 虚耗の檻穽 |publisher = エンターブレイン |year = 2009 |pages = 170,175,176 |isbn = 978-4-7577-4521-6}}</ref><ref name = "INTEGRAL WORKS">{{Cite book |和書 |author = |title = 『マブラヴ オルタネイティヴ』公式メカ設定資料集 MUV-LUV ALTERNATIVE INTEGRAL WORKS |publisher = エンターブレイン |year = 2009 |pages = 10,11,19 |isbn = 978-4-04-726223-2}}</ref> * 夏 - 秋 - スペインの太平洋岸沖の海底から発掘された巨大な石盤と、[[神戸市]]の花崗岩丘陵で発見された石室に、「神」が用いる「古代文字」が刻まれているのが発見されるが、双方ともに霊感応者アーサー・ジャクスンの手によって破壊される。(小説『[[神狩り]]』)<ref>{{Cite book |和書 |author= 山田正紀|authorlink=山田正紀 |title = 神狩り |publisher = [[早川書房]] |year = 1976 |pages = 17-24,62,66-71,82-84 |isbn = 978-4-15-030088-3}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author = 山田正紀 |title = 神狩り2 リッパー |publisher = [[徳間書店]] |year = 2010 |pages = 189,203 |isbn = 978-4-19-893177-3}}</ref> * [[12月3日]] - 惑星探査機「[[パイオニア10号]]」が撮影した画像によって、[[木星]]の衛星[[エウロパ (衛星)|エウロパ]]の南半球に刻まれた巨大な鉤十字型のシンボルが発見され、[[宇宙人|地球外知的生命体]]の存在を示す証拠と判断される。その後、この発見は極秘[[大統領令 (アメリカ合衆国)|大統領令]]によって最高機密に指定される。(小説『{{仮リンク|アルマダ (小説)|label=アルマダ|en|Armada (novel)}}』)<ref>{{Cite book |和書 |author= アーネスト・クライン|authorlink=アーネスト・クライン |title = アルマダ〔上〕 |publisher = 早川書房 |year = 2018 |pages = 220-224 |isbn = 978-4-15-012174-7}}</ref> * [[12月6日]] - アメリカ合衆国[[ペンシルベニア州]]で14歳のスージー・サーモンが行方不明になる。後に隣人のジョージ・ハーベイが関与していることが判明するが、犯人は逃亡後に事故死。(映画『[[ラブリーボーン]]』) * 国連のウィザード(A級ハッカー)の侵入により、[[月]]の内部に存在するエネルギー蓄積体「ムーンセル・オートマトン」の存在が公式に判明。その後、ムーンセルは異星文明が遺した演算装置であると判断される。(ゲーム『[[Fate/EXTRA]]』『[[Fate/EXTELLA]]』ほか)<ref>{{Cite book |和書 |author=奈須きのこテキスト・監修|authorlink=奈須きのこ|title = Fate/EXTRA material |publisher = [[TYPE-MOON]] |year = 2013 |pages = 169,212,213 |isbn = }}</ref> * [[中国人民解放軍]]による[[地球外知的生命体探査]]が行われていた[[大興安嶺山脈|大興安嶺]]の紅岸基地にて、探査監視システムが[[ケンタウルス座アルファ星]]系の知的文明「三体世界」の平和主義者による、紅岸基地から地球外文明へ送信されたメッセージに対しての警告を受信する。(小説『[[三体]]』)<ref>{{Cite book |和書 |author= 劉慈欣|authorlink=劉慈欣 |title = 三体 |publisher = 早川書房 |year = 2019 |pages = 24,30,48-52,181-189,297-302,384 |isbn = 978-4-15-209870-2}}</ref> * コーネリアス、ジーラ、マイロを乗せた宇宙船がアメリカに到着。(映画『[[新・猿の惑星]]』) * グローバル・ケミカル社の廃坑にて、数千匹の巨大なウジが発見される。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』) * ソンターランが宇宙船修繕のため科学者を拉致する。(ドラマ『ドクター・フー』) * BETAの地球侵攻を受け、月でBETAと戦われていた「第一次月面戦争」が、月面基地「プラトー1」の放棄および国連航空宇宙総軍の月からの全面撤退という形で終結する。(ゲームほか『マブラヴ』シリーズ)<ref name = "TE3" /><ref name = "INTEGRAL WORKS" /> * 地球人の地球外進出を妨害する宇宙人に対抗すべく、超国家的な[[妖精作戦#SCF|太陽系宇宙軍(SCF)]]が秘密裏に創設される。(小説『[[妖精作戦]]』)<ref>{{Cite book |和書 |author= 笹本祐一|authorlink=笹本祐一 |year = 2011 |title = 妖精作戦 |pages = 28,61,62,127,206,207 |publisher = [[東京創元社]] |isbn = 978-4-488-74101-3}}</ref> * 人間の母親から動物の子が生まれる「胎児異変」が世界中で発生。発生率は100パーセント近くにまで上昇し、100年以内に人類は滅亡すると予測される。これを受け、日本を含む世界各地で大恐慌が生じる。(漫画『[[わたしの赤ちゃん]]』)<ref>{{Cite book |和書 |author= 日野日出志|authorlink=日野日出志 |title = 胎児異変 わたしの赤ちゃん |publisher = [[ひばり書房]] |year = 1982 |pages = 17-23,54-65 |isbn = 978-4-8280-1005-2}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <!--=== 注釈 === {{Notelist}}--> === 出典 === {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1973}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] {{十年紀と各年|世紀=20|年代=1900}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:1973ねん}} [[Category:1973年|*]]
2003-02-11T06:10:40Z
2023-12-27T13:10:57Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1973%E5%B9%B4
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2月11日
2月11日(にがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から42日目にあたり、年末まであと323日(閏年では324日)ある。
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{{カレンダー 2月}} '''2月11日'''(にがつじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から42日目にあたり、年末まであと323日([[閏年]]では324日)ある。 == できごと == [[File:Emperor Jimmu.jpg|thumb|right|210px|[[月岡芳年]] 『大日本名将鑑』の内「神武天皇」<br>[[1876年|1876]](明治9)-[[1882年|1882]](明治15)年頃の作]] * [[紀元前660年]]([[神武天皇即位紀元]]元年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - 初代[[天皇]]・[[神武天皇]]が即位(『[[日本書紀]]』による。2月11日は[[グレゴリオ暦]]での日付)。日付は1873年に制定。 * [[55年]] - ローマ皇帝[[ネロ]]が義弟[[ブリタンニクス]]を暗殺。 * [[200年]]([[建安 (漢)|建安]]5年1月9日) - [[曹操]]打倒のクーデター計画が発覚して捕らえられた、[[董承]]ら一派とその[[族誅#三族|三族]]が処刑。 * [[1806年]] - [[ウィリアム・ピット (小ピット)|小ピット]]の死をうけて[[ウィリアム・グレンヴィル]]がイギリス首相に就任。 * [[1812年]] - [[マサチューセッツ州知事]][[エルブリッジ・ゲリー]]が、自分の所属する政党に有利なように選挙区の区割りを変更。いびつな形から[[ゲリマンダー]]と呼ばれる。 * [[1814年]] - [[ノルウェー]]が[[デンマーク=ノルウェー]]からの独立を宣言。 * [[1840年]] - [[ガエターノ・ドニゼッティ]]の[[オペラ・コミック]]『[[連隊の娘]]』がパリで初演。 * [[1843年]] - [[ジュゼッペ・ヴェルディ]]のオペラ『[[十字軍のロンバルディア人]]』がミラノで初演。 * [[1855年]] - [[テオドロス2世 (エチオピア皇帝)|テオドロス2世]]が[[エチオピア帝国|エチオピア皇帝]]に即位。 * [[1858年]] - [[ルルド]]に聖母マリアが出現。 * [[1869年]]([[明治]]2年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - [[三浦半島]]に日本初の洋式[[灯台]]である[[観音埼灯台]]が完成する。 * [[1873年]] - [[スペイン]]国王[[アマデオ1世 (スペイン王)|アマデオ1世]]が退位し、[[スペイン第一共和政]]が成立。 * [[1875年]] - [[大阪会議]]が開かれる。 * [[1889年]] - [[大日本帝国憲法]]・[[皇室典範 (1889年)|旧皇室典範]]などが公布。 * 1889年 - [[伊勢神宮]]で不敬な態度をとったと報じられた文部大臣[[森有礼]]が、国粋主義者の士族・[[西野文太郎]]に刺される。翌日死亡。 * [[1890年]] - [[金鵄勲章]]制定。 * [[1903年]] - [[アントン・ブルックナー]]の[[交響曲第9番 (ブルックナー)|交響曲第9番]]がウィーンで初演。 * [[1913年]] - [[大正政変]]: [[第3次桂内閣|桂太郎内閣]]が総辞職を表明。 * [[1916年]] - [[エマ・ゴールドマン]]が[[産児制限]]の指導をしたことにより投獄される。 * [[1919年]] - [[フリードリヒ・エーベルト]]が[[ドイツ国]]の初代[[ドイツ国大統領|大統領]]に就任。 * [[1922年]] - 1粒300mがキャッチコピーの[[グリコ (菓子)|グリコ]]が[[三越|三越百貨店]]で発売される。 * [[1928年]] - 第2回[[冬季オリンピック]]、[[サンモリッツオリンピック (1928年)|サンモリッツ大会]]開催。[[2月19日]]まで。 * [[1929年]] - [[ローマ教皇庁]]と[[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]政権下の[[イタリア王国]]が[[ラテラノ条約]]を締結。[[バチカン|バチカン市国]]が成立。 * [[1931年]] - [[三菱重工業|三菱重工]]設立(三菱造船より改名)。 * [[1937年]] - [[文化勲章]]制定。 * [[1938年]] - [[英国放送協会|BBC]]が[[カレル・チャペック]]の[[戯曲]]『[[R.U.R.]]』を原作としたテレビドラマを放送。世界初の[[SFドラマ]]。 * [[1940年]] - [[紀元二千六百年記念行事|皇紀2600年]]紀元節の詔書発布。日本全国の[[神社]]で祭礼が行われる。 * [[1950年]] - [[熊本県]][[松尾村 (熊本県)|松尾村]]で[[路線バス]]が[[養殖]]池に転落。乗員乗客22人が死亡、重傷10人<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=76 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1951年]] - [[居昌事件|居昌良民虐殺事件]]。 <!-- * [[1959年]] - 和製[[ポップス]][[歌手]]の[[ザ・ピーナッツ]]が「日劇コーラスパレード」でデビューする。 --> * [[1959年]] - 「紀元節奉祝建国祭大会」参加直後の[[右翼]]が、批判的発言をした[[三笠宮崇仁親王]]邸に押しかける。 * [[1969年]] - [[江藤小三郎]]([[国士|憂国烈士]]、[[江藤新平]]の曾孫にして衆議院議員[[江藤夏雄]]の三男)が[[国会議事堂]]前で遺書「覚醒書」を残して焼身自殺。 * [[1970年]] - [[宇宙科学研究所|東京大学宇宙航空研究所]]が5回目の打ち上げで[[人工衛星]]「[[おおすみ]]」の打ち上げに成功。日本初の人工衛星。 * [[1971年]] - 87か国が[[海底非核化条約]]に調印。 * [[1975年]] - [[マーガレット・サッチャー]]が[[イギリス保守党]]の党首に就任。イギリス初の女性党首。 * [[1977年]] - [[革労協書記長内ゲバ殺人事件]]。 * [[1979年]] - [[ルーホッラー・ホメイニー]]率いる革命軍が首都・[[テヘラン]]を掌握。[[イラン革命]]政権が成立。 * 1979年 - [[西鉄福岡市内線]]が全廃。 * [[1986年]] - [[ホテル大東館火災]]。 <!-- * [[1989年]] - バンドブームを起こしたTBSテレビ『[[三宅裕司のいかすバンド天国]]』が放送開始。 --> * [[1990年]] - [[南アフリカ共和国]]で政治犯として捕えられていたアフリカ民族会議の最高指導者[[ネルソン・マンデラ]]が釈放される。 * 1990年 - [[世界ボクシング評議会|WBC]]・[[世界ボクシング協会|WBA]]・[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[ヘビー級]][[統一世界王者|統一王者]][[マイク・タイソン]]が[[東京ドーム]]でプロ38戦目としてWBC世界同級3位・WBA世界同級4位の[[ジェームス・ダグラス]]と世界同級タイトルマッチを行い、タイソンが10回KO負けを喫し、1985年のプロデビュー以来タイソンが保持してきた無敗記録が37でストップしたと同時に王座陥落([[マイク・タイソン 対 ジェームス・ダグラス戦]])。 * [[1995年]] - [[安房峠道路]]水蒸気爆発事故。4人死亡。 * [[1998年]] - [[長野オリンピック]]の[[モーグル]]女子決勝で[[里谷多英]]が優勝。冬季大会で日本人女子初の金メダル。 * [[2000年]] - [[宮城県]][[山元町]]にある、[[社台レースホース]][[山元トレーニングセンター]]の中の厩舎から出火し、[[小田切有一]]所有馬[[エガオヲミセテ]]など現役競走馬22頭が焼死。 * [[2002年]] - [[長崎水族館]]で、世界最高齢の[[キングペンギン]]「ぎん吉」が死去。飼育期間39年9か月15日。 * [[2004年]] - [[吉野家]]、アメリカ産[[牛肉]]の[[牛海綿状脳症|BSE]]による禁輸処置が長引き在庫がなくなり、[[牛丼]]販売の一時全面停止に踏み切る。 <!-- * [[2005年]] - 吉野家、冷凍されていたアメリカ産牛肉150トンを使用し、ちょうど一年ぶりに一日だけ牛丼販売を再開。全国1,000店舗で計150万食を販売した。 --> <!-- (「日本の自治体改編」節に編入) * [[2005年]] - 青森県[[つがる市]]、熊本県[[阿蘇市]]が市制施行。滋賀県[[八日市市]]ほかが合併して[[東近江市]]が発足。 --> <!-- * 2005年 - [[ウィキペディア日本語版]]が[[Wikipedia:発表/10万項目達成|10万項目を達成]]。 --> <!-- * 2006年 - [[東京都]][[葛飾区]][[亀有駅]]前に[[両津勘吉]]像除幕式 --> * [[2006年]] - [[東京都]][[渋谷区]]神宮前の[[表参道 (原宿)|表参道]]の[[同潤会アパート|同潤会青山アパート]]跡地に[[表参道ヒルズ]]が開業。 * [[2007年]] - 韓国・[[麗水市 (全羅南道)|麗水市]]で[[麗水外国人保護所火災事故]]発生。 * [[2009年]] - [[北海道]][[釧路市]]の[[釧路川]][[河口]]に[[ラッコ]]が出現。[[クーちゃん]]と名付けられる。 * [[2011年]] - [[エジプト革命 (2011年)|エジプト革命]] : [[ホスニー・ムバーラク]]が大統領を辞任<ref>{{Cite web|和書|date=2011年2月12日 |url=https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-19508620110211 |title=ムバラク・エジプト大統領が辞任、軍に権限委譲 |publisher=ロイター |accessdate=2018-02-12}}</ref>。 * [[2018年]] - [[サラトフ航空703便墜落事故]]が発生<ref>{{Cite web|和書|date=2018-02-12 |url=https://www.cnn.co.jp/world/35114577.html |title=ロシアで旅客機墜落、71人死亡 トラブルの連絡なし |work=CNN.co.jp |publisher=CNN |accessdate=2018-02-13}}</ref>。 === 日本の自治体改編 === * [[1920年]] - 愛媛県[[今治市]]が市制施行。 * [[1929年]] - 岡山県[[津山市]]が市制施行。 * [[1933年]] - 千葉県[[銚子市]]、宮崎県[[延岡市]]が市制施行。 * [[1934年]] - 埼玉県[[浦和市]](現在の[[さいたま市]]の一部)が市制施行。 * [[1935年]] - 愛媛県[[八幡浜市]]が市制施行。 * [[1937年]] - 滋賀県[[彦根市]]が市制施行。 * [[1940年]] - 兵庫県[[飾磨市]](現在の[[姫路市]]の一部)・[[洲本市]]、鹿児島県[[川内市]](現在の[[薩摩川内市]]の一部)が市制施行。 * [[1941年]] - 岩手県[[宮古市]]が市制施行。 * [[1942年]] - 長崎県[[大村市]]、熊本県[[人吉市]]が市制施行。 * [[1947年]] - 北海道[[網走市]]が市制施行。 * [[1954年]] - 茨城県[[石岡市]]、栃木県[[日光市]]が市制施行。 * [[1955年]] - 静岡県[[御殿場市]]が市制施行。 * [[1956年]] - 奈良県[[橿原市]]が市制施行。 * [[2005年]] - 青森県[[つがる市]]、熊本県[[阿蘇市]]が市制施行。 * 2005年 - 滋賀県[[八日市市]]ほかが合併して[[東近江市]]が発足。 * [[2006年]] - 福岡県[[宮若市]]が市制施行。 == 誕生日 == * [[1380年]] - [[ポッジョ・ブラッチョリーニ]]、[[ルネサンス]]期の[[人文主義者]](+ [[1459年]]) * [[1494年]]([[明応]]3年[[1月6日 (旧暦)|1月6日]]) - [[武田信虎]]、[[戦国大名]](+ [[1574年]]) * [[1535年]] - [[グレゴリウス14世 (ローマ教皇)|グレゴリウス14世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Gregory-XIV Gregory XIV pope] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[ローマ教皇]](+ [[1591年]]) * [[1657年]] - [[ベルナール・フォントネル]]、[[著述家]](+ [[1757年]]) * [[1661年]]([[万治]]4年[[1月22日 (旧暦)|1月22日]]) - [[松平近貞 (豊後国府内藩主)|松平近貞]]、[[豊後国]][[府内藩]]主(+ [[1757年]]) * [[1745年]]([[延享]]2年[[1月11日 (旧暦)|1月11日]]) - [[伊能忠敬]]、[[測量|測量家]](+ [[1818年]]) * [[1767年]]([[万治]]4年[[1月13日 (旧暦)|1月13日]]) - [[堀直方 (左京亮) |堀直方]]、[[越後国]][[村松藩]]主(+ [[1805年]]) * [[1776年]] - [[イオアニス・カポディストリアス]]、[[政治家]](+ [[1831年]]) * [[1778年]]([[安永 (元号)|安永]]7年[[1月15日 (旧暦)|1月15日]]) - [[帆足万里]]、[[儒教|儒学者]]、[[経世論|経世家]](+ [[1852年]]) * [[1796年]] - [[ジョヴァンニ・パチーニ]]、[[作曲家]](+ [[1867年]]) * [[1800年]] - [[ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット]]、[[写真]]技術の先駆者(+ [[1877年]]) * [[1815年]] - [[ジョン・アップルトン (政治家)|ジョン・アップルトン]]、[[政治家]]、[[外交官]](+ [[1864年]]) * [[1821年]] - [[オギュスト・マリエット]]、[[考古学者]](+ [[1881年]]) * [[1839年]] - [[ウィラード・ギブズ]]、[[物理学者]](+ [[1903年]]) * [[1847年]] - [[トーマス・エジソン]]、[[発明家]](+ [[1931年]]) * [[1852年]]([[嘉永]]5年[[1月22日 (旧暦)|1月22日]]) - [[本多忠伸]]、[[陸奥国]][[泉藩]]主(+ [[1903年]]) * [[1855年]] - [[エーリック・ヴァーレンショルド]]、[[画家]](+ [[1938年]]) * [[1862年]]([[文久]]2年[[1月13日 (旧暦)|1月13日]]) - [[有栖川宮威仁親王]]、[[近代]]の[[皇族]](+ [[1913年]]) * [[1867年]]([[慶応]]3年[[1月7日 (旧暦)|1月7日]]) - [[上田萬年]]、[[日本語学者|国語学者]](+ [[1937年]]) * [[1868年]]([[明治元年]][[1月18日 (旧暦)|1月18日]]) - [[狩野直喜]]、[[中国文学者]](+ [[1947年]]) * [[1869年]] - [[エルゼ・ラスカー=シューラー]]、[[詩人]](+ [[1945年]]) * [[1872年]]([[明治5年]][[1月3日 (旧暦)|1月3日]]) - [[築田多吉]]、[[看護師]](+ [[1958年]]) * [[1874年]] - [[内田良平 (政治運動家)|内田良平]]、[[国家主義|国家主義者]](+ [[1937年]]) * [[1879年]] - [[安藤紀三郎]]、[[陸軍軍人]](+ [[1954年]]) * [[1881年]] - [[カルロ・カッラ]]、[[画家]](+ [[1966年]]) * [[1883年]] - [[小林古径]]、[[日本画家]](+ [[1957年]]) * [[1887年]] - [[折口信夫]]、[[民俗学|民俗学者]]、国文学者(+ [[1953年]]) * [[1889年]] - [[清水金太郎]]、[[声楽家]](+ [[1932年]]) * [[1890年]] - [[岡敬純]]、[[海軍軍人]](+ [[1973年]]) * [[1898年]] - [[辻吉之助]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1985年]]) * 1898年 - [[島田芳文]]、[[作詞家]](+ [[1973年]]) * 1898年 - [[レオ・シラード]]、物理学者(+ [[1964年]]) * [[1899年]] - [[山手樹一郎]]、[[小説家]](+ [[1978年]]) * [[1900年]] - [[戸田城聖]]、[[創価学会]]創設者(+ [[1958年]]) * 1900年 - [[ハンス・ゲオルク・ガダマー]]、[[哲学|哲学者]](+ [[2002年]]) * [[1902年]] - [[アルネ・ヤコブセン]]、[[建築家]]、[[デザイナー]](+ [[1971年]]) * [[1904年]] - [[リュシル・ランドン]]、世界最高齢者だった人物(+ [[2023年]]) * [[1908年]] - [[笹村草家人]]、[[彫刻家]](+ [[1975年]]) * 1908年 - [[勝間田清一]]、[[政治家]](+ [[1989年]]) * [[1909年]] - [[ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ]]、[[映画監督]](+ [[1993年]]) * [[1912年]] - [[丸木俊]]、[[洋画家]](+ [[2000年]]) * 1912年 - [[ルドルフ・フィルクスニー]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](+ [[1994年]]) * [[1913年]] - [[渡辺敏夫]]、[[プロ野球選手]](+ 没年不詳) * [[1915年]] - [[リチャード・ハミング]]、[[数学者]]、[[計算機科学|計算機科学者]](+ [[1998年]]) * [[1917年]] - [[シドニィ・シェルダン]]、[[小説家]](+ [[2007年]]) * [[1918年]] - [[池部良]]、[[俳優]]、[[随筆家]](+ [[2010年]]) * [[1921年]] - [[エドワード・G・サイデンステッカー]]、[[翻訳家]](+ [[2007年]]) * 1921年 - [[コリンヌ・リュシェール]]、女優(+ [[1950年]]) * 1921年 - [[中田金一]]、プロ野球選手(+ [[2008年]]) * [[1926年]] - [[ポール・ボキューズ]]、[[フランス料理]]の[[シェフ]](+ [[2018年]]<ref>{{Cite news|url=http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-42758189|title=Paul Bocuse: Top French chef dies at 91|work=BBC News|agency=[[英国放送協会|BBC]]|date=2018-01-20|accessdate=2020-11-05}}</ref>) * 1926年 - [[レスリー・ニールセン]]、俳優(+ [[2010年]]) * 1926年 - [[大沢紀三男]]、プロ野球選手(+ [[2003年]]) * [[1927年]] - [[末吉俊信]]、プロ野球選手(+ [[2016年]]) * [[1928年]] - [[田宮謙次郎]]、プロ野球選手(+ [[2010年]]) * [[1931年]] - [[小林武史 (ヴァイオリニスト)|小林武史]] 、[[ヴァイオリニスト]] * 1931年 - [[中西妙子]]、[[声優]] * [[1934年]] - [[ジョン・サーティース]]、[[レーシングドライバー]](+ [[2017年]]) * 1934年 - [[マヌエル・ノリエガ]]、[[パナマ]]の国家元首(+ [[2017年]]) * 1934年 - [[マリー・クヮント]]、[[ファッションデザイナー]](+ [[2023年]]) * [[1935年]] - [[ジーン・ヴィンセント]]、[[ミュージシャン]](+ [[1971年]]) * [[1936年]] - [[山口昌紀]]、[[近畿日本鉄道]]社長、会長(+ [[2017年]]) * 1936年 - [[一井淳治]]、[[政治家]](+ [[2023年]]) * 1936年 - [[坂部恵]]、哲学者(+ [[2009年]]) * 1936年 - [[バート・レイノルズ]]、俳優(+ [[2018年]]) * 1936年 - [[小島武夫]]、[[麻雀#雀士|プロ雀士]](+ [[2018年]]) * [[1937年]] - [[野添ひとみ]]、[[俳優|女優]](+ [[1995年]]) * [[1938年]] - [[大木利男]]、元プロ野球選手 * [[1939年]] - [[ジェイン・ヨーレン]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]] * 1939年 - [[土肥隆一]]、政治家(+ [[2016年]]) * [[1940年]] - [[小野ヤスシ]]、[[タレント]](+ [[2012年]]) * 1940年 - [[唐十郎]]、[[劇作家]] * 1940年 - [[有本欽隆]]、声優(+ [[2019年]]<ref>{{Cite news|title=声優・有本欽隆さん 食道がんで死去「ワンピース」白ひげ役など|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2019/02/08/0012049713.shtml|newspaper=デイリースポーツ|date=2019-02-08|accessdate=2020-10-27}}</ref>) * 1940年 - [[魚住汎英]]、政治家 * [[1941年]] - [[瀧安治]]、プロ野球選手(+ [[2003年]]) * 1941年 - [[大沢悠里]]、[[アナウンサー]] * 1941年 - [[セルジオ・メンデス]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * [[1942年]] - [[オーティス・クレイ]]、ソウル・シンガー(+ [[2016年]]) * 1942年 - [[伊藤博文 (野球)|伊藤博文]]、元プロ野球選手 * [[1943年]] - [[山田昇 (実業家)|山田昇]]、[[ヤマダ電機]]創業者 * [[1944年]] - [[クロード・チアリ]]、[[ギタリスト]] * 1944年 - [[清水綋治]]、俳優 * [[1946年]] - [[井脇ノブ子]]、[[政治家]]、[[教育者]] * [[1947年]] - [[鳩山由紀夫]]、政治家、第93代[[内閣総理大臣]] * 1947年 - [[松岡きっこ]]、タレント * 1947年 - [[布川ゆうじ]]、[[アニメーション]][[演出家]](+ [[2022年]]) * [[1948年]] - [[桂宮宜仁親王]]、皇族、[[三笠宮家]]の二男(+ [[2014年]]) * 1948年 - [[渡海紀三朗]]、政治家 * [[1949年]] - [[ベン・オグリビー]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[木曽功]]、[[内閣官房参与]]、元[[ユネスコ]]政府代表部[[特命全権大使]] * [[1953年]] - [[たいらいさお]]、歌手 * [[1954年]] - [[清水和夫]]、[[自動車評論|自動車評論家]] * [[1955年]] - [[益田由美]]、元アナウンサー * [[1957年]] - [[土田義晴]]、[[絵本作家]] * 1957年 - [[ピーター・クラスホースト]]、[[画家]]、[[彫刻家]]、[[写真家]] * 1957年 - [[織田淳太郎]]、[[作家]] * [[1959年]] - [[井上紀良]]、[[漫画家]] * 1959年 - [[岡田惠和]]、[[脚本家]] * 1959年 - [[ロベルト・モレノ]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー * 1959年 - [[準・メルクル]]、[[指揮者]] * [[1962年]] - [[シェリル・クロウ]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * [[1963年]] - [[棚橋泰文]]、[[政治家]] * [[1964年]] - [[浅尾慶一郎]]、[[政治家]] * 1964年 - [[サラ・ペイリン]]、政治家、第11代[[アラスカ州]]知事 * 1964年 - [[ケン・シャムロック]]、[[総合格闘家]]、[[プロレスラー]] * [[1965年]] - [[栗林誠一郎]]、[[シンガーソングライター]]、[[作曲家]] * 1965年 - [[佐藤可士和]]、[[クリエイティブディレクター]]、[[アートディレクター]]、[[グラフィックデザイナー]] * [[1966年]] - [[依田紀基]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]] * 1966年 - [[石渡譲|石渡康浩]]、俳優 * 1966年 - [[川本克彦]]、声優 * 1966年 - [[中村大伸]]、野球選手 * [[1969年]] - [[小畑健]]、漫画家、[[イラストレーター]] * 1969年 - [[ジェニファー・アニストン]]、俳優 * 1969年 - [[長谷川祥之]]、[[サッカー選手]] * 1969年 - [[永野あかね]]、漫画家 * [[1970年]] - [[青山裕次]]、ミュージカル俳優 * [[1972年]] - [[緒川たまき]]、女優 * 1972年 - 松井亮、ミュージシャン(元[[the brilliant green]]) * 1972年 - [[スティーブ・マクマナマン]]、サッカー選手 <!-- 出典不明 * 1972年 - [[ケーリー・スレーター]]、サーファー --> * 1972年 - [[ヤマグチノボル]]、 作家(+ [[2013年]]) * [[1973年]] - [[七緒はるひ]]、声優 * 1973年 - [[ヴァルグ・ヴィーケネス]]、ミュージシャン * [[1974年]] - [[代田建紀]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[ディアンジェロ]]、ミュージシャン * [[1975年]] - [[レイニエル・ジェロ]]、元野球選手 * [[1976年]] - [[山本モナ]]、[[アナウンサー]]、キャスター * 1976年 - [[内田也哉子]]、[[エッセイスト]] * 1976年 - [[リカルド・ペレイラ]]、サッカー選手 * [[1977年]] - [[ホリ (タレント)|ホリ]]、ものまねタレント * 1977年 - [[小島邦裕]]、俳優 * 1977年 - [[室伏由佳]]、[[陸上競技]]選手 * 1977年 - [[金折知則]]、[[騎手]] * 1977年 - [[マイク・シノダ]]、歌手([[リンキン・パーク]]) * [[1978年]] - [[田内裕一]]、声優 * 1978年 - [[宇野祥平]]、俳優 * [[1979年]] - [[ミチェル・エンリケス]]、元野球選手 * 1979年 - [[ブランディ]]、シンガーソングライター * [[1980年]] - [[マット・リンドストロム]]、プロ野球選手 * 1980年 - [[マーク・ブレッシアーノ]]、サッカー選手 * 1980年 - [[ゆうまお]]、シンガーソングライター * 1980年 - [[藤井悠]]、タレント * 1980年 - [[サカモト教授]]、ミュージシャン * [[1981年]] - [[嶋恭輔]]、俳優、[[ファッションモデル]] * 1981年 - [[森田まりこ]]、[[お笑いタレント]] * 1981年 - [[ケリー・ローランド]]、シンガーソングライター * [[1982年]] - [[上杉周大]]、ミュージシャン、タレント([[THE TON-UP MOTORS]]) * [[1983年]] - [[eri]]、ミュージシャン、[[デザイナー]] * 1983年 - [[ラファエル・ファン・デル・ファールト]]、サッカー選手 * 1983年 - [[尾野貴之]]、元プロアイスホッケー選手 * [[1984年]] - [[出水麻衣]]、[[TBSテレビ|TBS]][[アナウンサー]] * 1984年 - [[深山ジュン]]、タレント * [[1986年]] - [[清田育宏]]、元プロ野球選手 * [[1987年]] - [[朝倉えりか]]、女優、タレント * 1987年 - [[カナイ (お笑い芸人)|カナイ]]、お笑いタレント * 1987年 - [[ダニーロ・デヘスス]]、プロ野球選手 * [[1988年]] - [[明日香 (歌手)|明日香]]、元歌手(元[[スパークリング☆ポイント]]) * 1988年 - [[三津谷亮]]、俳優([[D-BOYS]]) * [[1989年]] - [[クタイ・エルヨルダシュ]]、フィギュアスケート選手 * [[1990年]] - [[チャンソン|ファン・チャンソン]]、アイドル([[2PM]]) * 1990年 - [[サラ・アーノルド]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[Ara]]、女優 * 1990年 - [[アレッサンドロ・ピッティン]]、[[ノルディック複合]]選手 * 1990年 - [[エットーレ・メンディチーノ]]、サッカー選手 * [[1991年]] - [[石川真衣]]、元バスケットボール選手 * 1991年 - たくろー、お笑いタレント([[ヒノトリ]]) * 1991年 - [[遠谷比芽子]]、タレント * 1991年 - [[無良崇人]]、フィギュアスケート選手 * 1991年 - [[我妻三輪子]]、ファッションモデル * 1991年 - [[ローレント・デュバニーターディフ]]、[[アメリカンフットボール]]選手 * [[1992年]] - [[岸井ゆきの]]、女優 * [[1993年]] - [[黒澤詩音]]、フリーアナウンサー * 1993年 - イ・デヨル、アイドル([[Golden Child]]) * 1993年 - [[岩見香枝]]、元プロ野球選手 * [[1994年]] - [[ダンズビー・スワンソン]]、プロ野球選手 * 1994年 - [[鈴木武蔵]]、サッカー選手 * [[1996年]] - [[木﨑ゆりあ]]、アイドル(元[[AKB48]]) * [[1997年]] - [[志田友美]]、ファッションモデル、元アイドル(元[[夢みるアドレセンス]]) * [[1998年]] - [[カリード]]、[[歌手]] * 1998年 - [[ティム・ヘンリックソン]]、プロアイスホッケー選手 * [[1999年]] - [[田川亨介]]、サッカー選手 * 1999年 - DINO、アイドル([[SEVENTEEN (音楽グループ)|SEVENTEEN]]) * 2000年 - [[四谷真佑]]、アイドル([[OCTPATH]]) * [[2002年]] - [[森元流那]]、タレント、[[YouTuber]] * 2002年 - [[三浦龍司]]、陸上選手 * [[2003年]] - [[小堀柊]]、アイドル([[OCTPATH]]) * 生年不明 - [[うごくちゃん]]、YouTuber(+ [[2020年]]) * 生年不明 - [[藤沼建人]]、声優 * 生年不明 - [[松江名俊]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://websunday.net/author/677/|title=松江名 俊 Vol.10|publisher=サンデーまんが家BACKSTAGE|accessdate=2021-01-06}}</ref>、漫画家 * 生年不明 - [[なな茶]]、[[グラビアアイドル]]、[[TikTok|TikToker]] == 忌日 == [[File:Katsuya_Nomura_20120530.jpg|thumb|100px|元プロ野球選手・監督、[[野村克也]](1935-2020)没]] * [[200年]]([[建安 (漢)|建安]]5年1月9日) - [[董承]]、[[車騎将軍]](* 生年不詳) * [[641年]] - [[ヘラクレイオス]]、[[東ローマ帝国]][[皇帝]](* [[575年]]頃) * [[1160年]]([[永暦]]元年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]]) - [[源義朝]]、[[河内源氏]]の[[武将]](* [[1123年]]) * [[1232年]]([[寛喜]]4年[[1月19日 (旧暦)|1月19日]]) - [[明恵]]、[[僧侶]]、[[華厳宗]]中興の祖(* [[1173年]]) * [[1503年]] - [[エリザベス・オブ・ヨーク]]、[[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]の王妃(* [[1466年]]) * [[1586年]] - [[アウグスト (ザクセン選帝侯)|アウグスト]]、[[ザクセン君主一覧|ザクセン選帝侯]](* [[1526年]]) * [[1650年]] - [[ルネ・デカルト]]、[[哲学|哲学者]](* [[1596年]]) * [[1762年]] - [[ヨハン・トビアス・クレープス]]、[[作曲家]](* [[1690年]]) * [[1795年]] - [[カール・ミカエル・ベルマン]]、詩人(* [[1740年]]) * [[1811年]]([[文化 (元号)|文化]]8年[[1月18日 (旧暦)|1月18日]]) - [[稲村三伯]]、[[蘭学者]](* [[1758年]]) * [[1813年]] - [[アンデルス・エーケベリ]]、[[化学者]](* [[1767年]]) * [[1844年]]([[天保]]14年[[12月23日 (旧暦)|12月23日]]) - [[為永春水]]、[[戯作|戯作者]](* [[1790年]]) * [[1868年]] - [[レオン・フーコー]]、[[物理学者]](* [[1819年]]) * [[1882年]] - [[フランチェスコ・アイエツ]]、[[画家]](* [[1791年]]) * [[1900年]] - [[談洲楼燕枝 (初代)]]、[[落語家]](* [[1837年]]) * [[1904年]] - [[ウラジミール・マルコフニコフ]]、[[化学者]](* [[1838年]]) * [[1920年]] - [[浜野昇]]、[[医師]]、[[衆議院議員]](* [[1854年]]) * [[1924年]] - [[ジャック・レーブ]]、[[実験物理学|実験物理学者]](* [[1859年]]) * [[1929年]] - [[ヨーハン2世 (リヒテンシュタイン公)|ヨーハン2世]]、[[リヒテンシュタイン]][[大公]](* [[1840年]]) * [[1931年]] - [[チャールズ・アルジャーノン・パーソンズ]]、技術者、[[蒸気タービン]]開発者(* [[1854年]]) * [[1937年]] - [[ウォルター・バーリー・グリフィン]]、[[建築家]](* [[1876年]]) * [[1939年]] - [[フランツ・シュミット]]、作曲家(* [[1874年]]) * [[1947年]] - [[門脇誠一郎]]、[[柔道|柔道家]](* [[1886年]]) * [[1948年]] - [[セルゲイ・エイゼンシュテイン]]、[[映画監督]](* [[1898年]]) * [[1950年]] - [[カイカイ・カイラー]]、[[プロ野球選手]](* [[1898年]]) * [[1956年]] - [[セルゲイ・ニコラエヴィッチ・ブラッコ]]、[[天文学者の一覧|天文学者]](* [[1870年]]) * [[1960年]] - [[野村茂久馬]]、[[実業家]](* [[1870年]]) * [[1963年]] - [[西村伊作]]、[[教育者]]、[[文化学院]]創立者(* [[1884年]]) * 1963年 - [[シルヴィア・プラス]]、[[詩人]](* [[1932年]]) * [[1964年]] - [[田中百畝]]、実業家(* [[1901年]]) * [[1968年]] - [[ピティリム・ソローキン]]、[[社会学者]](* [[1889年]]) * [[1969年]] - [[江藤小三郎]]、[[思想家]]、[[社会運動家一覧|社会運動家]]、[[自衛官|陸上自衛官]](* [[1945年]]) * [[1973年]] - [[ヨハネス・ハンス・イェンゼン]]、[[物理学者]](* [[1907年]]) * [[1975年]] - [[夏目伸六]]、[[随筆家]](* [[1908年]]) * [[1978年]] - [[江田孝]]、プロ野球選手(* [[1923年]]) * [[1981年]] - [[市川房枝]]、[[政治家]](* [[1893年]]) * [[1982年]] - [[志村喬]]<ref>「野良犬」、「生きる」、「七人の侍」 ”よき時代”いぶし銀の味 「黒沢映画」支えた名優・志村喬さん死去(『[[読売新聞]]』[[1982年]][[2月12日]]朝刊)</ref>、[[俳優]](* [[1905年]]) * 1982年 - [[カラ・カラーエフ]]、作曲家(* [[1918年]]) * [[1984年]] - [[小金義照]]、政治家(* [[1898年]]) * [[1985年]] - [[ヘンリー・ハサウェイ]]、[[映画監督]]、[[映画プロデューサー]](* [[1898年]]) * [[1986年]] - [[フランク・ハーバート]]、[[SF作家]](* [[1920年]]) * 1986年 - [[遠山信二]]、[[指揮者]](* [[1923年]]) * [[1989年]] - [[レオン・フェスティンガー]]、[[心理学者]](* [[1919年]]) * [[1994年]] - [[ポール・ファイヤアーベント]]、[[科学哲学|科学哲学者]](* [[1924年]]) * [[1997年]] - [[小島禎二]]、プロ野球選手(* [[1927年]]) * [[1998年]] - [[クスタ・インケリ]]、[[数学者]](* [[1908年]]) * [[2000年]] - [[ロジェ・ヴァディム]]、映画監督、プロデューサー、[[脚本家]]、俳優、[[ジャーナリスト]](* [[1928年]]) * [[2001年]] - [[大埜正雄]]、[[サッカー選手]](* [[1923年]]) * [[2002年]] - [[フランキー・クロセッティ]]、プロ野球選手(* [[1910年]]) * [[2004年]] - [[高木均]]、俳優、[[声優]](* [[1925年]]) * [[2006年]] - [[ピーター・ベンチリー]]、小説家(* [[1940年]]) * 2006年 - [[ケン・フレッチャー]]、[[テニス]]選手(* [[1940年]]) * [[2007年]] - [[細田吉蔵]]、政治家(* [[1912年]]) * 2007年 - [[衣笠駿雄]]、第9代[[陸上幕僚長]](* [[1915年]]) * 2007年 - [[マリアンネ・フレデリクセン]]、作家(* [[1927年]]) * [[2008年]] - [[中村寅吉]]、[[ゴルファー]](* [[1915年]]) * 2008年 - [[トム・ラントス]]、[[アメリカ合衆国下院|アメリカ合衆国下院議員]](* [[1928年]]) * 2008年 - [[野々村一男]]、[[彫刻家]](* [[1906年]]) * [[2010年]] - [[玉置宏]]、[[司会者]]、[[アナウンサー]](* [[1933年]]) * [[2012年]] - [[ホイットニー・ヒューストン]]、[[歌手]]、俳優(* [[1963年]]) * [[2013年]] - [[殊能将之]]、[[推理作家]](* [[1964年]]) * [[2016年]] - [[ケビン・ランデルマン]]、[[総合格闘家]]、[[プロレスラー]](* [[1971年]]) * [[2017年]] - [[谷口ジロー]]、漫画家(* [[1947年]]) * [[2020年]] - [[野村克也]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/158113|title=野村克也さん死去、84歳 プロ野球・阪神などで監督、京丹後市網野町出身|publisher=京都新聞(2020年2月11日)|accessdate=2021年2月28日}}</ref>、プロ野球選手、監督(* [[1935年]]) * [[2023年]] - [[手塚治]]、テレビドラマプロデューサー、[[東映]][[代表取締役]][[社長]](* [[1960年]]) == 記念日・年中行事 == * [[建国記念の日]]({{JPN}}、[[1966年]] - ) : [[国民の祝日]]の一つ。日本の[[建国神話]]で、[[紀元前660年]]に[[神武天皇]]が[[即位]]した日を記念する。なお、神武天皇は神話の中の人物とされており、日本の国が成立した正確な日付はわかっていない<ref>{{Cite web|和書|url=https://hugkum.sho.jp/114081 |title=2月11日は「建国記念の日」。「建国記念日」との違いは?正しい意味を子ども向けに説明する方法も |access-date=2023-02-10 |publisher=[[小学館]] |date=2023-01-24}}</ref>。 * [[紀元節]]({{JPN}}、[[1873年]] - [[1948年]]) : かつての[[祝祭日]]の中の[[四大節]]の一つ。戦後廃止され、建国記念の日として再制定された。 * イスラム革命記念日({{IRN}}) : [[1979年]]のこの日、[[ルーホッラー・ホメイニー]]率いる革命軍が首都・[[テヘラン]]を掌握し[[イラン革命]]政権が成立した。 * {{仮リンク|青年の日|en|Youth Day}}({{CMR}}) * 文化勲章制定記念日({{JPN}}) : [[1937年]]2月11日に[[文化勲章]]が制定されたことに由来。 * 万歳三唱の日({{JPN}}) : [[1889年]]、[[大日本帝国憲法]]発布の祝典ではじめて万歳三唱が行なわれたことを記念して制定。[[天皇]]への祝意を表すものとして[[明治政府]]が万歳を奨励<ref name="saito1997">{{cite book|和書|title=366日誕生石の本|author=斉藤貴子|publisher=日本ヴォーグ社|year=1997|page=80}}</ref>。 * [[世界病者の日]](World Day of the Sick)([[カトリック教会|カトリック]]) * [[ルルドの聖母]]の祝日([[カトリック教会|カトリック]]) * [[鬼祭]] : [[安久美神戸神明社]](豊橋神明社・[[愛知県]][[豊橋市]])の例祭の本祭日。 * [[江包・大西の御綱]]({{JPN}}・[[桜井市]]) : [[重要無形民俗文化財]]、元は[[1月10日 (旧暦)|旧暦1月10日]]に行われていた。 * [[出雲そば]]の日({{JPN}}・[[島根県|島根]]県[[出雲市]]・[[松江市]]) : [[信濃国]][[松本藩]]の城主だった[[松平直政]]が3代将軍[[徳川家光]]から[[出雲国]][[松江藩]]への国替えを命じられ、松平が松本からそば職人をともなって来たことから出雲松江地方にそばが伝わったとされ、今の出雲そばにつながっている。この国替えを命じられた1638年(寛永15年)2月11日にちなみ出雲市と松江市のそば組合で結成した「出雲そばの日記念日登録実行委員会」が2022年に[https://www.kinenbi.gr.jp 日本記念日協会]に申請し登録された。 *信教の自由を守る日({{JPN}}) :1966年に紀元節が「建国記念の日」として復活させられた事に抗議し、キリスト教諸教派で1967年に制定。 * 科学における女性と女児の国際デー(International Day of Women and Girls in Science)([[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]、[[国際連合女性機関]]) : [[2015年]]制定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.unesco-school.mext.go.jp/international-day/let-s-celebrate-the-international-day-of-women-and-children-in-science-2-11/ |title=「科学における女性と女児の国際デー」(2/11)を記念して |publisher =ユネスコスクール |date=2022-02-05 |accessdate=2022-02-11}}</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0211|date=2011年6月}} === 誕生日(フィクション) === * [[1971年]] - 守村悠季、小説『[[富士見二丁目交響楽団]]』に登場する主人公<ref>小説各章プロフィール項及び、「15th MEMORIAL BOOK 富士見二丁目交響楽団シリーズ」などに記載。✳︎要ページ番号記載</ref> * [[1976年]] - 南空ナオミ、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター(+ [[2004年]])<ref>{{Cite book |和書 |author=大場つぐみ|authorlink=大場つぐみ |coauthors = [[小畑健]] |year = 2006 |title = DEATH NOTE |volume = 第13巻 |page = 25 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 978-4-08-874095-9 }}</ref> * 生年不明 - シグレ、漫画『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=岸本斉史 |authorlink=岸本斉史 |year=2002 |title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK |page=20 |publisher=集英社 |series=ジャンプ・コミックス |isbn=4-08-873288-X}}</ref> * 生年不明 - 砕蜂、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=久保帯人 |authorlink=久保帯人 |year=2006 |title=BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs. |page=196 |publisher=集英社 |series=ジャンプ・コミックス |isbn=4-08-874079-3}}</ref> * 生年不明 - 雨取千佳、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|W_Trigger_off|830069107890483200}}</ref> * 生年不明 - 柳レイ子、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group02/02-11/ |title=柳レイ子 |access-date=2023-02-10 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |work=『僕のヒーローアカデミア』}}</ref> * 生年不明 - 片瀬詩織里、漫画・アニメ『[[うちの会社の小さい先輩の話]]』のヒロイン * 生年不明 - 日本、漫画、アニメ『[[Axis powers ヘタリア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=AXIS POWESヘタリア2 |date=2008-12-31 |publisher=[[幻冬舎]] |page=14 |author=日丸屋秀和}}</ref> * 生年不明 - 神ケツァルコアトルのカルベラ、漫画、アニメ『[[聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|teshi_kuro413|1492032181014867969}}</ref> * 生年不明 - 剣持文伽、漫画・アニメ『[[ナナマル サンバツ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://7o3x.com/char/profiles.html#17 |title=剣持文伽 |publisher=[[杉基イクラ]]/[[KADOKAWA]] 7○3×クイズ研究会 |accessdate=2023-02-10 |work=『ナナマル サンバツ』}}</ref> * 生年不明 - 和泉、漫画・アニメ『[[可愛いだけじゃない式守さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|shikimori_off|1347015131130187777}}</ref> * 生年不明 - のりっぺ、ゲーム『[[どうぶつの森シリーズ|どうぶつの森]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/m02.html |title=住民名簿 2月 のりっぺ |access-date=2023-02-10 |publisher=[[任天堂]] |work=『どうぶつの森』}}</ref> * 生年不明 - 浅野風香、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20007 |title=浅野 風香(あさの ふうか) |access-date=2023-02-10 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 岩本樹、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130412_151666/ |title=【ガールフレンド(仮)通信17】戦場を駆ける一輪の華 岩本樹ちゃん |access-date=2023-02-10 |publisher=ファミ通App}}</ref> <!--* 生年不明 - ライトっち、ゲーム・アニメ『[[たまごっち|たまごっち ゆめキラドリーム]]』に登場するキャラクター--> * 生年不明 - 吉田翔子、漫画『[[しょうこセンセイ!]]』の主人公<ref>{{Twitter status|mangatimekirara|1351168441462513667}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons|Category:11 February}} {{新暦365日|2|10|2|12|[[1月11日]]|[[3月11日]]|[[2月11日 (旧暦)|2月11日]]|0211|2|11}} * [[新聞休刊日]] {{1年の月と日}}
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井上陽水
井上 陽水(いのうえ ようすい、1948年〈昭和23年〉8月30日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター。本名は、表記は同じで読みが「いのうえ あきみ」。旧芸名:アンドレ・カンドレ。福岡県嘉穂郡幸袋町(現:福岡県飯塚市幸袋)生まれ・福岡県田川郡糸田町育ち。血液型はAB型。身長180cm。 1969年に「アンドレ・カンドレ」としてデビュー。1971年に本名の井上陽水として再デビュー。1970年代には吉田拓郎と並んでフォーク、ニュー・ミュージック界を牽引。その後も現在に至るまで第一線で活躍を続ける、日本を代表するシンガー・ソングライターの一人。2人目の妻・石川セリとの間に1男2女をもうける。長女は作詞家・歌手の依布サラサ(本名・井上ニサ)。 本名は『あきみ』と読むが、吉田拓郎を意識したレコード会社が『拓郎(たくろう)のように陽水(ようすい)にしよう』と言い出し、本人は『そうですか』と受け入れた。 1948年(昭和23年)8月30日、福岡県田川郡糸田町中糸田に生まれる。本籍地は高知県幡多郡佐賀町で、佐賀町町役場に提出された出生届には「陽水」の下に「あきみ」と振り仮名が付いている。 父は高知県幡多郡佐賀町(現:黒潮町)出身の元軍医井上 若水(いのうえ わかみ、-1972年6月) 。若水の幼少期の井上家は大きな網元で広い山林を持つ資産家であった。しかし不漁続きとなり、昭和初期には没落。若水は子供ながら一人神戸へ旅立ち、キリスト教の伝道関係の職に就き勉強を続ける。苦学の末に高等専門学校卒業の資格を得る。その後、神戸で金属工芸の技術者として働くが、やがて朝鮮総督府に勤務する兄から人手の足りない福祉・医療関係の仕事に誘われ、1940年に朝鮮(京城(現在のソウル))へ渡る。ここでの経験がのちに開業歯科医の免許取得に役立つ。間もなく、同じ歯科医を兄弟・親戚に持つ母・フジと知り合い結婚。南下してくるソ連軍から逃れるため、フジはやっとの思いで先に帰国。開業歯科医をしていたフジの兄の地元の福岡県直方市にたどり着く。追って父が引き揚げる。若水は引き揚げ後は炭鉱で働いていたが、陽水が生まれてまもなく、フジの兄の意見も参考に隣接する糸田町で歯科医院を開業する。兄弟姉妹は姉1人、妹1人。 1953年、糸田町に引っ越す。田川は何も縁のない土地で、ずっと"よそ者"意識があったという。糸田小学校、糸田中学校、西田川高校と進学。 小学校時代、子供会や婦人会の集まりで歌わせられることが多々あり、当時から歌がうまいと褒められていた。またこの頃から、8歳上の姉の影響でプラターズやエルヴィス・プレスリーなど洋楽を聴くようになり、ヒットパレード系のラジオに熱中するようになる。 1963年、中学3年の時に小島正雄のラジオ番組で紹介された「プリーズ・プリーズ・ミー」に衝撃を受け、以降ビートルズに熱中する。高校時代はビートルズ狂いと周りから呼ばれ、数人の仲間と一日中歌いまくり、休日には(当時出始めの)オープンリールのテープレコーダーでその歌を録音するなど、ビートルズ漬けの生活を送っており、仲間内のみならず町内でも生粋の音楽狂として名が知られていた。 家業を継いで歯科医になることを期待されていたため、1967年、九州歯科大学を受験するも失敗し、予備校に通い始める。この年は小倉育英館に通ったが、翌年には九州英数学舘に変える。二浪目の1969年「帰って来たヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセダーズ)を深夜放送で聞き、自らも高校時代に歌を録音する際に同じような早回しテクニックで遊んでいた経験 から、「これなら自分にもできる」「音楽でひとやま当てたい」と思ったのが曲を作り始めたきっかけ。ギターを見よう見まねで始める。1968年、再度の受験にも失敗する。1969年、3度目の受験に失敗し、大学進学を諦めた。その後「東京で勉強して大学入学を目指す。」と父に伝え上京するが歌手となるための活動に専念し、受験活動は行っていなかった。 1969年、RKB毎日放送のラジオ番組『スマッシュ!!11』が放送開始される。この番組には視聴者が作った音楽を流すコーナーがあり、それを知った陽水は12弦ギターを使って「カンドレ・マンドレ」を自宅録音(テープレコーダーを二つ使った多重録音の擬似弾き語り)し、4月16日、テープをRKB毎日に持ち込む。『スマッシュ!!11』のディレクターの野見山実は、録音を聴きすっかり興奮した。陽気だが何か寂しげなところがあり、その発想に驚嘆した。このとき陽水は「マンドレ」という芸名を考えていたが、野見山が難色を示し(「マン」が女性器を連想させるという理由で)芸名は「アンドレ・カンドレ」に決まる。「カンドレ・マンドレ」は『スマッシュ!!11』で放送され、数多くのリクエストを受け、中には「生の声を聴きたい」というものもあった。ただしリクエストの大半は、陽水が友人(主に浪人仲間)にはがきを配ってリクエストを出すよう指令したためのものだったという。野見山は彼らとの比較で、陽水の曲には非常に高度なものが内在していることに気付き、その将来性を買ってCBSソニーの中曽根晧二宛に手紙で送るとともに、新聞記者にも陽水に対する考えを隠すことなく話した。中曽根の反応は早く、当時としては異色な面白さだとして、発売を急いだ。当時、CBSソニーはカルメン・マキの「時には母のない子のように」のヒットの余勢をかって、さらなる一発を狙っていた。躊躇していては他社に取られる恐れがあったため、会社側は中曽根にすぐに福岡へ迎えに行くよう指示した。両親は陽水の上京には反対したが、陽水の強い信念に父は「1曲吹き込んだら帰ってくるんだな。音楽がダメでもお前には別の生きる道がある」と伝えた。 放送後、RKBのスタッフからホリプロを紹介され、1969年7月初旬にレコーディングのため福岡市から上京。「カンドレ・マンドレ」を改めてレコーディングし、同年9月1日、CBSソニー(現:ソニー・ミュージックレコーズ)からアンドレ・カンドレとして同曲でデビュー。演奏は六文銭、編曲は小室等が担当したが、ほとんど注目されず、続く「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」も、松山猛と加藤和彦から楽曲提供を受けた「花にさえ、鳥にさえ」(1970年)も不振に終わり、シングル3枚でアンドレ・カンドレとしての活動は終わることになった。以後、ポリドール移籍までの間は、本人も語ろうとしない空白の1年間となる。当時は、麻雀とパチンコに明け暮れており、仕事はあっても月2日位であったと後に語っている。 ビートルズ狂いの経緯もあり、本人は自らをフォーク歌手とは全く思っていなかったが、当時一般には「ギターを持って歌う歌手はフォーク歌手」として認識されていたため、フォーク歌手的な扱いを受けることが多く、営業先で嫌な目にあうことがしばしばあり、これが後にホリプロから独立する遠因になった。 アンドレ・カンドレ時代に知り合った小室等、安田裕美(六文銭のギタリスト)、星勝(モップスのギタリスト)、RCサクセションの忌野清志郎などとは以後長く深い交際になる。特に小室等からボブ・ディランを薦められ、以降の作詞に強い影響を受けた。 当時の映像として1970年公開の、和田アキ子主演映画『女番長 野良猫ロック』にモップスなどホリプロのアーティストと共に出演。「カンドレ・マンドレ」を歌うシーンがある(ただし、レコード音源に合わせて歌う、いわゆる「リップシンク」)。 この当時の陽水をよく知る高石ともやは、陽水の印象を「ギター1本で客ひとりひとりをねじ伏せるような歌だった。彼の言葉はとても鋭く、近づけないような雰囲気だった。演奏している背中を見ると、なんだか切なかったことを覚えている」と語っている。 1971年、ポリドール・レコードのディレクター多賀英典に誘われて移籍し、初のアルバム『断絶』のレコーディングを始める。このアルバムの製作開始に合わせて名前を変えることになり、マネジメントの指揮を執った奥田義行が本名を聞くと「井上アキミ」というので、どんな字かと思ったら「陽水」と書くという。奥田は吉田拓郎を意識し、「拓郎がその二文字で若者にインパクトを与えている。だったら下の名前の「陽水」の2文字で対抗、強調していこう」と戦略を立てた。 吉田拓郎の生活派ソングというべきフォークがもてはやされるに至り、翌1972年3月1日、芸名を井上陽水(ようすい)と改め、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たす。「人生が二度あれば」を編曲した星勝は、以後しばらく、陽水の作品の大部分を編曲することになる。5月に「傘がない」が収録された初アルバム『断絶』がリリースされる。陽水が売れ始めたのは、このアルバム『断絶』から。陽水自身は売れた理由について『陽水ライヴ もどり道』ジャケット内自筆年表で、「おりからのフォークブームでなんとなく浮上」と書いている。「傘がない」は虚無的な当時の若者の真情を表現しているとして注目された。その年の12月には2ndアルバム『センチメンタル』をリリース。また陽水がお客の前で本格的なライブを演ったのはこの1972年の大晦日、「渋谷ジァン・ジァン」と「青い森」が初めてで、ライブ活動を主戦場にしていた他のフォークシンガーに比べると、先のCBSソニーという大手レコード会社で一旦デビュー後に、別の大手から再デビュー等と合わせ、当時としては異色の経歴だった。このライブの陽水のギャラは1ステージ5,000円だった。 翌1973年3月のシングルで東宝『放課後』の主題歌「夢の中へ」が初のヒット(オリコン17位、以下売り上げ順位はすべてオリコン)となり、同年7月には初のライブアルバム『陽水ライヴ もどり道』がリリースに至る。人気上昇の切り口となった「夢の中へ」は、自身が「みんなで歌えるように作った」とコメントしているとおり、単純で明るく、親しみやすい曲である。中川右介はこの曲がようやくヒットするまでの陽水は低迷していたと指摘している。そして、同年9月にはシングル「心もよう」をリリース。これもスマッシュ・ヒットとなる。 そして、同年12月にアルバム『氷の世界』をリリース。当アルバムは100週以上BEST10に留まるなどロングセールスを続け、発売から2年後の1975年8月に日本レコード史上初のLP販売100万枚突破の金字塔を打ち立てた。オリコンのLPチャートでは5度も1位に返り咲くという記録も持っており、陽水は第一期の黄金時代を迎える。 この間、『二色の独楽』や『断絶』などの過去アルバムもチャートの上位を独占するなど、それまでのシングル・レコードを寄せ集めたアルバムではなく、吉田拓郎や小椋佳などとともに、シンガーソングライターによる良質なアルバム中心の時代に移行する先駆けとなった。 ポリドール時代には理由は諸説あるが殆どテレビに出演せず、外見が一般の目に触れる機会はレコードのジャケット写真がもっとも多くを占めていた。シングル「人生が二度あれば」からアルバム『氷の世界』までのジャケットでは、髪型がアフロヘアー、サングラスはなしで写っている。しかし『氷の世界』のインナースリーブにある写真の一枚ではサングラスをかけており、サングラスなしの写真は1975年のシングル「御免」以降、著書『綺麗ごと』のために撮られたものなど少数の例外を除き見られなくなる。テレビ拒否の理由について多賀は、1975年1月22日付けの日刊スポーツの取材に答え、「拒否しているわけではありません。学芸会でないものが出来ればという条件付きでです」と述べ、当の陽水は「積極的に出ていけるような広い心を持ちたいです」などと話し、芸能週刊誌をたくさん読み漁って、「自分のことがどう書かれているか興味深い」などと話した。 1974年1月17日、熊本県出身の女性と結婚する。これを機に中野南台の四畳半アパートから、世田谷三軒茶屋の3DKのマンションに引っ越す。 1974年は5枚のアルバムだけで売り上げ150万枚、金額にして34億1,000万円(オリジナルコンフィデンス誌調べ)を売り上げ、年収は3~4億円と推定された。"テレビ嫌い"とも評され、歌謡番組からワイドショーから相当数の出演交渉を全て断っていたが、陽水名となって初めてのテレビ出演とされる1974年12月に東京12チャンネル(テレビ東京)で陽水、小椋佳、遠藤賢司の3人のコンサート実況がフィルム構成で放送されている。この年大晦日の第16回日本レコード大賞は、日本レコード大賞を森進一の「襟裳岬」が受賞したため、作曲者の吉田拓郎が授賞式にジーンズで登壇し物議を醸したが、陽水も企画賞を受賞していたが欠席した。 1975年、陽水・吉田拓郎・泉谷しげる・小室等が中心となって、フォーライフ・レコードを発起する。また、後に結婚する石川セリと出会う。 1976年2月、離婚。同年にフォーライフからリリースした『招待状のないショー』は9週連続1位を獲得。1977年、石川のアルバム『気まぐれ』に「ダンスはうまく踊れない」ほか2曲を提供する。「ダンスはうまく踊れない」は、陽水の部屋に遊びに来たセリの目の前で30分ほどで作られたという。 1977年9月10日、大麻所持容疑で逮捕され、「自分は酒が飲めないので、くつろぐためにマリファナを吸った」と自供した。9月22日に保釈され、10月11日には懲役8か月、執行猶予2年の判決を受ける。この逮捕に関して、当時朝日新聞記者だった筑紫哲也が、「マリファナは日本では違法であるが、これと絡めて井上陽水の歌まで否定する一部の意見は間違っている」と発言し、擁護を行っている。この時はまだ互いに親交こそなかったが、のちに筑紫がテレビに進出し、初のメインキャスターを務めた『日曜夕刊!こちらデスク』の最終回(1982年9月26日)では陽水がゲスト出演し持ち歌を3曲歌唱、報道番組では異例の全編生歌で番組を締めくくった。筑紫は初めて番組を持つことになった時、『傘がない』の「テレビではわが国の将来の問題を 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる」というくだりが頭に浮かんだ、と回想している。その後、1989年に筑紫が新聞社を退社してスタートした『筑紫哲也 NEWS23』では、筑紫からの要請で初代のオープニングとエンディング曲(『最後のニュース』)を陽水が担当した。 1978年7月、上記の事件後(執行猶予中)にリリースされたアルバム『"white"』はオリコンチャートの3位を獲得した。 1978年8月30日、30歳の誕生日に石川と再婚、同年12月16日には長男が産まれている。 1979年のアルバム『スニーカーダンサー』では高中正義が5曲の編曲を務め、1980年のアルバム『EVERY NIGHT』では星勝が編曲から外れるなど、この時期にはサウンドが大きな転換を遂げている。さらに1981年のアルバム『あやしい夜をまって』から編曲に加わった川島裕二、その後BANANAなどの名義で陽水の作品に多数携わり、星勝と並んで重要な位置を占めるようになる。上述の通りセールスは伸びなかったが、この時期の作品には「なぜか上海」「海へ来なさい」「ジェラシー」「とまどうペリカン」「カナリア」「リバーサイドホテル」など、その後のライブやコンピレーション作品で頻繁に取り上げられる楽曲が多数含まれている。 1981年1月、『ばらえてい テレビファソラシド』にゲスト出演。7月『夜のヒットスタジオ』に「ジェラシー」で出演。8月『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」コーナーに「ジェラシー」で出演。 1982年、バックバンドを務めていた安全地帯がデビューし、1983年には自身作詞による「ワインレッドの心」をヒットさせる。さらに1984年には安全地帯に歌詞を提供した「恋の予感」、中森明菜に歌詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」、そして自身の「いっそセレナーデ」がヒットする。12月10日付のチャートでは「飾りじゃ〜」が2位、「恋の予感」が3位、「いっそ〜」が4位と、陽水の手がけた作品が上位を占める。同月21日にはこれらのヒット曲をはじめとする提供曲を、自身が自ら歌ったアルバム『9.5カラット』がリリースされ、翌1985年にかけてヒットする。『9.5カラット』は1985年のアルバム年間売り上げ1位を獲得し、陽水にとっては『氷の世界』以来自身2作目のミリオンセラーとなる。このヒットにより第27回日本レコード大賞で作曲賞とアルバム賞を獲得する。 1986年8月にはライブアルバム『クラムチャウダー』がリリースされ、9月には同じ題名のライブビデオも発売される。さらに8月20日から2日間、安全地帯とのジョイントで「STARDUST RENDEZ-VOUS」と題したコンサートを明治神宮野球場で行う。このコンサートで「夏の終りのハーモニー」を初披露、6万人の聴衆を動員しテレビ中継のほか、ライブアルバム、ライブビデオにも収録された。 1988年9月1日、日産自動車より新発売されたセフィーロ(初代・A31型)のCMに「今夜、私に」を提供。陽水自身も出演し、アドリブで「みなさん、お元気ですか?......失礼しまーす」と声を出す。ところがこのCMが公開されて間もなく、病床に臥した昭和天皇が危篤になったため、声はカットされた。いしいひさいちは団欒中の家族に、窓を開けた陽水が「皆さんお元気ですか」と言うと一気にしらける、イラク軍の捕虜にこのCMを見せた途端、それまで騒がしかった捕虜たちが脱力しておとなしくなる、という作品を描いている。それから間もない10月、フジテレビ系のドラマ『ニューヨーク恋物語』の主題歌に使われた「リバーサイドホテル」がヒットする(11位)。「リバーサイドホテル」は1982年に発表されていた作品だが、リリースから6年を隔ててのヒットとなった。 翌1990年から1991年にかけて、映画『少年時代』の主題歌として作られた「少年時代」(作曲は平井夏美との共作)がヒットする。リリース直後は穏やかなチャートアクションだったが、1991年、ソニーのビデオカメラ「ハンディカム・CCD-TR105」のCMに使われてから売上を伸ばし、ロングセラーとなった。当初は藤子不二雄Aの作詞という話であったが、出来上がってみると藤子の歌詞はまったく使われていなかった。陽水は「安孫子さん の心をもらった」とコメントしており、藤子不二雄Aもイメージ通りの曲だとして出来栄えに満足した。実際に使われなかったオリジナルの歌詞全文は藤子不二雄Aの著書に何度か記載されている。 1993年、フジテレビ系のドラマ『素晴らしきかな人生』の主題歌に使われた「Make-up Shadow」(2007年にはトヨタ・ブレイドのTVCFソングとしても使われた)がオリコン最高2位、売上80万枚超のヒットを記録。第35回日本レコード大賞の金賞を受賞する。 このころからリリースのペースが落ち始める。1994年にアルバム『永遠のシュール』を発表してから、次のアルバム『九段』(1998年)までには3年半のブランクがある。また、この時期はコンサートも少なく、1994年末から1999年9月までのおよそ5年間は全国ツアーを一度も行っていない。 1996年、PUFFYのデビュー曲として歌詞を提供した「アジアの純真」がヒットする。「アジアの純真」の作曲は、以前から交流のあった奥田民生(1994年には「月ひとしずく」(小泉今日子)を共作している)。同じく陽水作詞、民生作曲でPUFFYに提供した「渚にまつわるエトセトラ」もヒットする。続いて「井上陽水奥田民生」というアーティスト名で1997年にリリースしたシングル「ありがとう」、アルバム『ショッピング』はこれらのヒットを受けたものといえよう。「ありがとう」はリリース同年にサッポロビール「黒ラベル」のCMに使われたことも手伝ってオリコン最高2位、売上約25万枚のヒットを記録。 1999年、アンドレ・カンドレとしてのデビューから30周年になることを記念して、2枚組のベスト・アルバム『GOLDEN BEST』がリリースされる。『GOLDEN BEST』は自身3作目のミリオンセラーとなった後も売上を伸ばし続ける。このヒットを受け、『GOLDEN BEST』のリリースからちょうど1年後には「裏ベスト」として『GOLDEN BAD』、『GOLDEN BEST』の売上が200万枚を突破した2003年にはその記念として『GOLDEN BEST SUPER』が発売される。 2001年、「コーヒー・ルンバ」「花の首飾り」のカバーがヒット。これに続いてリリースしたカバーアルバム『UNITED COVER』は80万枚を売るヒットとなり、その期間のライヴ映像はDVD『UNITED TOUR』として発売される。 2002年には4年振りの新作『カシス』と、ジャズ・アレンジを施したセルフカバー・アルバム『Blue Selection』をリリース。1999年から2006年までに、2004年を除いて毎年全国ツアーを開催した。 2006年にはツアーの合間を縫って制作された4年振りの新作『LOVE COMPLEX』をリリース。翌年はツアーの他、「井上陽水奥田民生」としてシングル「パラレル・ラブ」、アルバム『ダブルドライブ』を発表。2008年もツアー活動を行いつつ、ベスト・アルバム『弾き語りパッション』と『BEST BALLADE』の2作を発表している。2009年にはデビュー40周年を迎え、12月には15年振りとなる日本武道館公演を行い、その模様を収録したDVD『40th Special Thanks Live in 武道館』をリリース。翌2010年には4年半振りとなるオリジナル・アルバム「魔力」をリリースしている。 2014〜2015年「井上陽水 氷の世界ツアー」を行う。40年前に発売されたアルバム「氷の世界」を全曲歌う、という内容のツアーだった。 2015年、40年ぶりにポリドールの流れを組むユニバーサル・ミュージックに復帰することが発表された。 2022年現在までにはユニバーサル・ミュージックからアルバム「UNITED COVER 2」とシングル「care」を発売している。 2019年に、歌手活動50周年記念ツアーを敢行して以降は、表立った音楽活動を行っておらず、代表を務めてきた個人事務所の「キャンプ」と「ファイヤー音楽出版」の代表取締役は2021年末に辞任し、長男に譲っている。 文壇との交際が広い。文壇を含む文化人との交流は麻雀がきっかけ。1976年に『青空ふたり旅』として出版された五木寛之との対談をきっかけに、まず「話の特集」の矢崎泰久がベトナムに行く時の壮行麻雀大会に五木に連れて行かれ、そこで矢崎、ばばこういち、阿佐田哲也に会い、この後、長谷川和彦と知り合い、長谷川に近代麻雀に出ないかと誘われて田村光昭に会い、その繋がりで長門裕之、黒鉄ヒロシ、畑正憲らと知り合った。 世代的に上の人との付き合いが多い理由について、「吉田拓郎なんかは、自分がリーダーシップを取って周りの人間を引っ張っていくタイプでしょう。僕はそういうの不得意なんです。高校時代、タテ関係が希薄で女性も多い弓道部にいたせいかもしれないけど、下の世代に対する訓練ができていないんですよ」と、40代のころは話していた。同年代およびそれ以下との交流として、沢木耕太郎は歌詞集『ラインダンス』に、村上龍は『綺麗ごと』に寄稿し、町田康は「新しい恋」を作詞している。活動分野は違ってくるが、三谷幸喜は『You Are The Top〜今宵の君』の劇中歌である「You are the top」を作詞している。 また、同郷のタモリとはタモリのオールナイトニッポンにゲスト出演した事をきっかけに親しくなり、「テレフォンショッキング」には計11回、また「ミュージックステーション」、「タモリ倶楽部」、「ヨルタモリ」などにも、前述の通り殆どテレビに出演しないものの「タモリさんの番組なら」としてゲスト出演がある。さらに「ブラタモリ」のテーマ曲に「MAP」「女神」「瞬き」と書き下ろし曲を提供している。 水谷豊にも多くの楽曲を提供したが、初対面のレコーディングの際はほとんど会話が無かったという。それにもかかわらず「今日家に来ない?」と持ちかけ、水谷はその不思議な雰囲気に戸惑いながらも応諾する。翌日、水谷は勧められるまま、鰻丼を食べたり近所の公園でキャッチボールをしたという。 1969年9月1日に『カンドレ・マンドレ』でデビューして以降、2010年頃までは継続的に作品を発表した。2010年以降は発表の間隔が長くなるが、2019年にデビュー50周年を記念したライブを収録した映像作品『井上陽水50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』〜少年老い易く 学成り難し〜』を2020年9月1日に発表した。 自らの作品のほか、多くの楽曲をほかの歌手に提供している。経歴で挙げた例のほかには、沢田研二のアルバム『Mis cast.』の全曲を作詞作曲した例がある。また一青窈は自ら陽水のファンと称しており、アルバム『一青想』のうち2曲は陽水の作曲による。 また、曲をカバーした歌手には、「夢の中へ」の斉藤由貴、TRICERATOPS、「心もよう」の中森明菜、南沙織、「氷の世界」の筋肉少女帯、工藤静香、「傘がない」の中森明菜、斉藤和義、「東へ西へ」の本木雅弘、中村あゆみ、「神無月にかこまれて」の香坂みゆき、「Make-up Shadow」の上原多香子、「いつのまにか少女は」の持田香織、「ジェラシー」の髙橋真梨子、「結詞」の高橋真梨子、中村あゆみ、「夏の終りのハーモニー」の中村あゆみ、MOOMIN、「最後のニュース」の奥田民生、「カナリア」に英語の歌詞を付けて歌ったジェーン・バーキン、「桜三月散歩道」をカヴァーしたキンモクセイなどがいる。 本職の歌手でないところでは、お笑い芸人の友近が「Tokyo」を、THE IDOLM@STER RADIOにおいて今井麻美・たかはし智秋が「少年時代」をカバー、また2019年発売の「井上陽水トリビュート」によっても多数の歌手がカバーした。 いくつかの曲でPVが制作されている。 以下が1991年「NO SELECTION 井上陽水全集」の特典VHSに収録された。その他にも、 などが制作されている。また、「傘がない」は2008年の『弾き語りパッション』発売時、新規に制作され、俳優のオダギリジョーが主演を務めた。陽水本人も一瞬だけ出演した。 1969年のデビューから殆どテレビ•ラジオに出演する事は多くなく、親交が深いタモリや筑紫哲也などの冠番組、一部の音楽番組の出演等が大半を占める。
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。若水の幼少期の井上家は大きな網元で広い山林を持つ資産家であった。しかし不漁続きとなり、昭和初期には没落。若水は子供ながら一人神戸へ旅立ち、キリスト教の伝道関係の職に就き勉強を続ける。苦学の末に高等専門学校卒業の資格を得る。その後、神戸で金属工芸の技術者として働くが、やがて朝鮮総督府に勤務する兄から人手の足りない福祉・医療関係の仕事に誘われ、1940年に朝鮮(京城(現在のソウル))へ渡る。ここでの経験がのちに開業歯科医の免許取得に役立つ。間もなく、同じ歯科医を兄弟・親戚に持つ母・フジと知り合い結婚。南下してくるソ連軍から逃れるため、フジはやっとの思いで先に帰国。開業歯科医をしていたフジの兄の地元の福岡県直方市にたどり着く。追って父が引き揚げる。若水は引き揚げ後は炭鉱で働いていたが、陽水が生まれてまもなく、フジの兄の意見も参考に隣接する糸田町で歯科医院を開業する。兄弟姉妹は姉1人、妹1人。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1953年、糸田町に引っ越す。田川は何も縁のない土地で、ずっと\"よそ者\"意識があったという。糸田小学校、糸田中学校、西田川高校と進学。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "小学校時代、子供会や婦人会の集まりで歌わせられることが多々あり、当時から歌がうまいと褒められていた。またこの頃から、8歳上の姉の影響でプラターズやエルヴィス・プレスリーなど洋楽を聴くようになり、ヒットパレード系のラジオに熱中するようになる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1963年、中学3年の時に小島正雄のラジオ番組で紹介された「プリーズ・プリーズ・ミー」に衝撃を受け、以降ビートルズに熱中する。高校時代はビートルズ狂いと周りから呼ばれ、数人の仲間と一日中歌いまくり、休日には(当時出始めの)オープンリールのテープレコーダーでその歌を録音するなど、ビートルズ漬けの生活を送っており、仲間内のみならず町内でも生粋の音楽狂として名が知られていた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "家業を継いで歯科医になることを期待されていたため、1967年、九州歯科大学を受験するも失敗し、予備校に通い始める。この年は小倉育英館に通ったが、翌年には九州英数学舘に変える。二浪目の1969年「帰って来たヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセダーズ)を深夜放送で聞き、自らも高校時代に歌を録音する際に同じような早回しテクニックで遊んでいた経験 から、「これなら自分にもできる」「音楽でひとやま当てたい」と思ったのが曲を作り始めたきっかけ。ギターを見よう見まねで始める。1968年、再度の受験にも失敗する。1969年、3度目の受験に失敗し、大学進学を諦めた。その後「東京で勉強して大学入学を目指す。」と父に伝え上京するが歌手となるための活動に専念し、受験活動は行っていなかった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1969年、RKB毎日放送のラジオ番組『スマッシュ!!11』が放送開始される。この番組には視聴者が作った音楽を流すコーナーがあり、それを知った陽水は12弦ギターを使って「カンドレ・マンドレ」を自宅録音(テープレコーダーを二つ使った多重録音の擬似弾き語り)し、4月16日、テープをRKB毎日に持ち込む。『スマッシュ!!11』のディレクターの野見山実は、録音を聴きすっかり興奮した。陽気だが何か寂しげなところがあり、その発想に驚嘆した。このとき陽水は「マンドレ」という芸名を考えていたが、野見山が難色を示し(「マン」が女性器を連想させるという理由で)芸名は「アンドレ・カンドレ」に決まる。「カンドレ・マンドレ」は『スマッシュ!!11』で放送され、数多くのリクエストを受け、中には「生の声を聴きたい」というものもあった。ただしリクエストの大半は、陽水が友人(主に浪人仲間)にはがきを配ってリクエストを出すよう指令したためのものだったという。野見山は彼らとの比較で、陽水の曲には非常に高度なものが内在していることに気付き、その将来性を買ってCBSソニーの中曽根晧二宛に手紙で送るとともに、新聞記者にも陽水に対する考えを隠すことなく話した。中曽根の反応は早く、当時としては異色な面白さだとして、発売を急いだ。当時、CBSソニーはカルメン・マキの「時には母のない子のように」のヒットの余勢をかって、さらなる一発を狙っていた。躊躇していては他社に取られる恐れがあったため、会社側は中曽根にすぐに福岡へ迎えに行くよう指示した。両親は陽水の上京には反対したが、陽水の強い信念に父は「1曲吹き込んだら帰ってくるんだな。音楽がダメでもお前には別の生きる道がある」と伝えた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "放送後、RKBのスタッフからホリプロを紹介され、1969年7月初旬にレコーディングのため福岡市から上京。「カンドレ・マンドレ」を改めてレコーディングし、同年9月1日、CBSソニー(現:ソニー・ミュージックレコーズ)からアンドレ・カンドレとして同曲でデビュー。演奏は六文銭、編曲は小室等が担当したが、ほとんど注目されず、続く「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」も、松山猛と加藤和彦から楽曲提供を受けた「花にさえ、鳥にさえ」(1970年)も不振に終わり、シングル3枚でアンドレ・カンドレとしての活動は終わることになった。以後、ポリドール移籍までの間は、本人も語ろうとしない空白の1年間となる。当時は、麻雀とパチンコに明け暮れており、仕事はあっても月2日位であったと後に語っている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ビートルズ狂いの経緯もあり、本人は自らをフォーク歌手とは全く思っていなかったが、当時一般には「ギターを持って歌う歌手はフォーク歌手」として認識されていたため、フォーク歌手的な扱いを受けることが多く、営業先で嫌な目にあうことがしばしばあり、これが後にホリプロから独立する遠因になった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "アンドレ・カンドレ時代に知り合った小室等、安田裕美(六文銭のギタリスト)、星勝(モップスのギタリスト)、RCサクセションの忌野清志郎などとは以後長く深い交際になる。特に小室等からボブ・ディランを薦められ、以降の作詞に強い影響を受けた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "当時の映像として1970年公開の、和田アキ子主演映画『女番長 野良猫ロック』にモップスなどホリプロのアーティストと共に出演。「カンドレ・マンドレ」を歌うシーンがある(ただし、レコード音源に合わせて歌う、いわゆる「リップシンク」)。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "この当時の陽水をよく知る高石ともやは、陽水の印象を「ギター1本で客ひとりひとりをねじ伏せるような歌だった。彼の言葉はとても鋭く、近づけないような雰囲気だった。演奏している背中を見ると、なんだか切なかったことを覚えている」と語っている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1971年、ポリドール・レコードのディレクター多賀英典に誘われて移籍し、初のアルバム『断絶』のレコーディングを始める。このアルバムの製作開始に合わせて名前を変えることになり、マネジメントの指揮を執った奥田義行が本名を聞くと「井上アキミ」というので、どんな字かと思ったら「陽水」と書くという。奥田は吉田拓郎を意識し、「拓郎がその二文字で若者にインパクトを与えている。だったら下の名前の「陽水」の2文字で対抗、強調していこう」と戦略を立てた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "吉田拓郎の生活派ソングというべきフォークがもてはやされるに至り、翌1972年3月1日、芸名を井上陽水(ようすい)と改め、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たす。「人生が二度あれば」を編曲した星勝は、以後しばらく、陽水の作品の大部分を編曲することになる。5月に「傘がない」が収録された初アルバム『断絶』がリリースされる。陽水が売れ始めたのは、このアルバム『断絶』から。陽水自身は売れた理由について『陽水ライヴ もどり道』ジャケット内自筆年表で、「おりからのフォークブームでなんとなく浮上」と書いている。「傘がない」は虚無的な当時の若者の真情を表現しているとして注目された。その年の12月には2ndアルバム『センチメンタル』をリリース。また陽水がお客の前で本格的なライブを演ったのはこの1972年の大晦日、「渋谷ジァン・ジァン」と「青い森」が初めてで、ライブ活動を主戦場にしていた他のフォークシンガーに比べると、先のCBSソニーという大手レコード会社で一旦デビュー後に、別の大手から再デビュー等と合わせ、当時としては異色の経歴だった。このライブの陽水のギャラは1ステージ5,000円だった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "翌1973年3月のシングルで東宝『放課後』の主題歌「夢の中へ」が初のヒット(オリコン17位、以下売り上げ順位はすべてオリコン)となり、同年7月には初のライブアルバム『陽水ライヴ もどり道』がリリースに至る。人気上昇の切り口となった「夢の中へ」は、自身が「みんなで歌えるように作った」とコメントしているとおり、単純で明るく、親しみやすい曲である。中川右介はこの曲がようやくヒットするまでの陽水は低迷していたと指摘している。そして、同年9月にはシングル「心もよう」をリリース。これもスマッシュ・ヒットとなる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "そして、同年12月にアルバム『氷の世界』をリリース。当アルバムは100週以上BEST10に留まるなどロングセールスを続け、発売から2年後の1975年8月に日本レコード史上初のLP販売100万枚突破の金字塔を打ち立てた。オリコンのLPチャートでは5度も1位に返り咲くという記録も持っており、陽水は第一期の黄金時代を迎える。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "この間、『二色の独楽』や『断絶』などの過去アルバムもチャートの上位を独占するなど、それまでのシングル・レコードを寄せ集めたアルバムではなく、吉田拓郎や小椋佳などとともに、シンガーソングライターによる良質なアルバム中心の時代に移行する先駆けとなった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ポリドール時代には理由は諸説あるが殆どテレビに出演せず、外見が一般の目に触れる機会はレコードのジャケット写真がもっとも多くを占めていた。シングル「人生が二度あれば」からアルバム『氷の世界』までのジャケットでは、髪型がアフロヘアー、サングラスはなしで写っている。しかし『氷の世界』のインナースリーブにある写真の一枚ではサングラスをかけており、サングラスなしの写真は1975年のシングル「御免」以降、著書『綺麗ごと』のために撮られたものなど少数の例外を除き見られなくなる。テレビ拒否の理由について多賀は、1975年1月22日付けの日刊スポーツの取材に答え、「拒否しているわけではありません。学芸会でないものが出来ればという条件付きでです」と述べ、当の陽水は「積極的に出ていけるような広い心を持ちたいです」などと話し、芸能週刊誌をたくさん読み漁って、「自分のことがどう書かれているか興味深い」などと話した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1974年1月17日、熊本県出身の女性と結婚する。これを機に中野南台の四畳半アパートから、世田谷三軒茶屋の3DKのマンションに引っ越す。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1974年は5枚のアルバムだけで売り上げ150万枚、金額にして34億1,000万円(オリジナルコンフィデンス誌調べ)を売り上げ、年収は3~4億円と推定された。\"テレビ嫌い\"とも評され、歌謡番組からワイドショーから相当数の出演交渉を全て断っていたが、陽水名となって初めてのテレビ出演とされる1974年12月に東京12チャンネル(テレビ東京)で陽水、小椋佳、遠藤賢司の3人のコンサート実況がフィルム構成で放送されている。この年大晦日の第16回日本レコード大賞は、日本レコード大賞を森進一の「襟裳岬」が受賞したため、作曲者の吉田拓郎が授賞式にジーンズで登壇し物議を醸したが、陽水も企画賞を受賞していたが欠席した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "1975年、陽水・吉田拓郎・泉谷しげる・小室等が中心となって、フォーライフ・レコードを発起する。また、後に結婚する石川セリと出会う。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1976年2月、離婚。同年にフォーライフからリリースした『招待状のないショー』は9週連続1位を獲得。1977年、石川のアルバム『気まぐれ』に「ダンスはうまく踊れない」ほか2曲を提供する。「ダンスはうまく踊れない」は、陽水の部屋に遊びに来たセリの目の前で30分ほどで作られたという。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1977年9月10日、大麻所持容疑で逮捕され、「自分は酒が飲めないので、くつろぐためにマリファナを吸った」と自供した。9月22日に保釈され、10月11日には懲役8か月、執行猶予2年の判決を受ける。この逮捕に関して、当時朝日新聞記者だった筑紫哲也が、「マリファナは日本では違法であるが、これと絡めて井上陽水の歌まで否定する一部の意見は間違っている」と発言し、擁護を行っている。この時はまだ互いに親交こそなかったが、のちに筑紫がテレビに進出し、初のメインキャスターを務めた『日曜夕刊!こちらデスク』の最終回(1982年9月26日)では陽水がゲスト出演し持ち歌を3曲歌唱、報道番組では異例の全編生歌で番組を締めくくった。筑紫は初めて番組を持つことになった時、『傘がない』の「テレビではわが国の将来の問題を 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる」というくだりが頭に浮かんだ、と回想している。その後、1989年に筑紫が新聞社を退社してスタートした『筑紫哲也 NEWS23』では、筑紫からの要請で初代のオープニングとエンディング曲(『最後のニュース』)を陽水が担当した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1978年7月、上記の事件後(執行猶予中)にリリースされたアルバム『\"white\"』はオリコンチャートの3位を獲得した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "1978年8月30日、30歳の誕生日に石川と再婚、同年12月16日には長男が産まれている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1979年のアルバム『スニーカーダンサー』では高中正義が5曲の編曲を務め、1980年のアルバム『EVERY NIGHT』では星勝が編曲から外れるなど、この時期にはサウンドが大きな転換を遂げている。さらに1981年のアルバム『あやしい夜をまって』から編曲に加わった川島裕二、その後BANANAなどの名義で陽水の作品に多数携わり、星勝と並んで重要な位置を占めるようになる。上述の通りセールスは伸びなかったが、この時期の作品には「なぜか上海」「海へ来なさい」「ジェラシー」「とまどうペリカン」「カナリア」「リバーサイドホテル」など、その後のライブやコンピレーション作品で頻繁に取り上げられる楽曲が多数含まれている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1981年1月、『ばらえてい テレビファソラシド』にゲスト出演。7月『夜のヒットスタジオ』に「ジェラシー」で出演。8月『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」コーナーに「ジェラシー」で出演。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "1982年、バックバンドを務めていた安全地帯がデビューし、1983年には自身作詞による「ワインレッドの心」をヒットさせる。さらに1984年には安全地帯に歌詞を提供した「恋の予感」、中森明菜に歌詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」、そして自身の「いっそセレナーデ」がヒットする。12月10日付のチャートでは「飾りじゃ〜」が2位、「恋の予感」が3位、「いっそ〜」が4位と、陽水の手がけた作品が上位を占める。同月21日にはこれらのヒット曲をはじめとする提供曲を、自身が自ら歌ったアルバム『9.5カラット』がリリースされ、翌1985年にかけてヒットする。『9.5カラット』は1985年のアルバム年間売り上げ1位を獲得し、陽水にとっては『氷の世界』以来自身2作目のミリオンセラーとなる。このヒットにより第27回日本レコード大賞で作曲賞とアルバム賞を獲得する。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1986年8月にはライブアルバム『クラムチャウダー』がリリースされ、9月には同じ題名のライブビデオも発売される。さらに8月20日から2日間、安全地帯とのジョイントで「STARDUST RENDEZ-VOUS」と題したコンサートを明治神宮野球場で行う。このコンサートで「夏の終りのハーモニー」を初披露、6万人の聴衆を動員しテレビ中継のほか、ライブアルバム、ライブビデオにも収録された。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1988年9月1日、日産自動車より新発売されたセフィーロ(初代・A31型)のCMに「今夜、私に」を提供。陽水自身も出演し、アドリブで「みなさん、お元気ですか?......失礼しまーす」と声を出す。ところがこのCMが公開されて間もなく、病床に臥した昭和天皇が危篤になったため、声はカットされた。いしいひさいちは団欒中の家族に、窓を開けた陽水が「皆さんお元気ですか」と言うと一気にしらける、イラク軍の捕虜にこのCMを見せた途端、それまで騒がしかった捕虜たちが脱力しておとなしくなる、という作品を描いている。それから間もない10月、フジテレビ系のドラマ『ニューヨーク恋物語』の主題歌に使われた「リバーサイドホテル」がヒットする(11位)。「リバーサイドホテル」は1982年に発表されていた作品だが、リリースから6年を隔ててのヒットとなった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "翌1990年から1991年にかけて、映画『少年時代』の主題歌として作られた「少年時代」(作曲は平井夏美との共作)がヒットする。リリース直後は穏やかなチャートアクションだったが、1991年、ソニーのビデオカメラ「ハンディカム・CCD-TR105」のCMに使われてから売上を伸ばし、ロングセラーとなった。当初は藤子不二雄Aの作詞という話であったが、出来上がってみると藤子の歌詞はまったく使われていなかった。陽水は「安孫子さん の心をもらった」とコメントしており、藤子不二雄Aもイメージ通りの曲だとして出来栄えに満足した。実際に使われなかったオリジナルの歌詞全文は藤子不二雄Aの著書に何度か記載されている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "1993年、フジテレビ系のドラマ『素晴らしきかな人生』の主題歌に使われた「Make-up Shadow」(2007年にはトヨタ・ブレイドのTVCFソングとしても使われた)がオリコン最高2位、売上80万枚超のヒットを記録。第35回日本レコード大賞の金賞を受賞する。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "このころからリリースのペースが落ち始める。1994年にアルバム『永遠のシュール』を発表してから、次のアルバム『九段』(1998年)までには3年半のブランクがある。また、この時期はコンサートも少なく、1994年末から1999年9月までのおよそ5年間は全国ツアーを一度も行っていない。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "1996年、PUFFYのデビュー曲として歌詞を提供した「アジアの純真」がヒットする。「アジアの純真」の作曲は、以前から交流のあった奥田民生(1994年には「月ひとしずく」(小泉今日子)を共作している)。同じく陽水作詞、民生作曲でPUFFYに提供した「渚にまつわるエトセトラ」もヒットする。続いて「井上陽水奥田民生」というアーティスト名で1997年にリリースしたシングル「ありがとう」、アルバム『ショッピング』はこれらのヒットを受けたものといえよう。「ありがとう」はリリース同年にサッポロビール「黒ラベル」のCMに使われたことも手伝ってオリコン最高2位、売上約25万枚のヒットを記録。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1999年、アンドレ・カンドレとしてのデビューから30周年になることを記念して、2枚組のベスト・アルバム『GOLDEN BEST』がリリースされる。『GOLDEN BEST』は自身3作目のミリオンセラーとなった後も売上を伸ばし続ける。このヒットを受け、『GOLDEN BEST』のリリースからちょうど1年後には「裏ベスト」として『GOLDEN BAD』、『GOLDEN BEST』の売上が200万枚を突破した2003年にはその記念として『GOLDEN BEST SUPER』が発売される。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2001年、「コーヒー・ルンバ」「花の首飾り」のカバーがヒット。これに続いてリリースしたカバーアルバム『UNITED COVER』は80万枚を売るヒットとなり、その期間のライヴ映像はDVD『UNITED TOUR』として発売される。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "2002年には4年振りの新作『カシス』と、ジャズ・アレンジを施したセルフカバー・アルバム『Blue Selection』をリリース。1999年から2006年までに、2004年を除いて毎年全国ツアーを開催した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "2006年にはツアーの合間を縫って制作された4年振りの新作『LOVE COMPLEX』をリリース。翌年はツアーの他、「井上陽水奥田民生」としてシングル「パラレル・ラブ」、アルバム『ダブルドライブ』を発表。2008年もツアー活動を行いつつ、ベスト・アルバム『弾き語りパッション』と『BEST BALLADE』の2作を発表している。2009年にはデビュー40周年を迎え、12月には15年振りとなる日本武道館公演を行い、その模様を収録したDVD『40th Special Thanks Live in 武道館』をリリース。翌2010年には4年半振りとなるオリジナル・アルバム「魔力」をリリースしている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "2014〜2015年「井上陽水 氷の世界ツアー」を行う。40年前に発売されたアルバム「氷の世界」を全曲歌う、という内容のツアーだった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2015年、40年ぶりにポリドールの流れを組むユニバーサル・ミュージックに復帰することが発表された。 2022年現在までにはユニバーサル・ミュージックからアルバム「UNITED COVER 2」とシングル「care」を発売している。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "2019年に、歌手活動50周年記念ツアーを敢行して以降は、表立った音楽活動を行っておらず、代表を務めてきた個人事務所の「キャンプ」と「ファイヤー音楽出版」の代表取締役は2021年末に辞任し、長男に譲っている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "文壇との交際が広い。文壇を含む文化人との交流は麻雀がきっかけ。1976年に『青空ふたり旅』として出版された五木寛之との対談をきっかけに、まず「話の特集」の矢崎泰久がベトナムに行く時の壮行麻雀大会に五木に連れて行かれ、そこで矢崎、ばばこういち、阿佐田哲也に会い、この後、長谷川和彦と知り合い、長谷川に近代麻雀に出ないかと誘われて田村光昭に会い、その繋がりで長門裕之、黒鉄ヒロシ、畑正憲らと知り合った。", "title": "交流関係" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "世代的に上の人との付き合いが多い理由について、「吉田拓郎なんかは、自分がリーダーシップを取って周りの人間を引っ張っていくタイプでしょう。僕はそういうの不得意なんです。高校時代、タテ関係が希薄で女性も多い弓道部にいたせいかもしれないけど、下の世代に対する訓練ができていないんですよ」と、40代のころは話していた。同年代およびそれ以下との交流として、沢木耕太郎は歌詞集『ラインダンス』に、村上龍は『綺麗ごと』に寄稿し、町田康は「新しい恋」を作詞している。活動分野は違ってくるが、三谷幸喜は『You Are The Top〜今宵の君』の劇中歌である「You are the top」を作詞している。", "title": "交流関係" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "また、同郷のタモリとはタモリのオールナイトニッポンにゲスト出演した事をきっかけに親しくなり、「テレフォンショッキング」には計11回、また「ミュージックステーション」、「タモリ倶楽部」、「ヨルタモリ」などにも、前述の通り殆どテレビに出演しないものの「タモリさんの番組なら」としてゲスト出演がある。さらに「ブラタモリ」のテーマ曲に「MAP」「女神」「瞬き」と書き下ろし曲を提供している。", "title": "交流関係" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "水谷豊にも多くの楽曲を提供したが、初対面のレコーディングの際はほとんど会話が無かったという。それにもかかわらず「今日家に来ない?」と持ちかけ、水谷はその不思議な雰囲気に戸惑いながらも応諾する。翌日、水谷は勧められるまま、鰻丼を食べたり近所の公園でキャッチボールをしたという。", "title": "交流関係" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "1969年9月1日に『カンドレ・マンドレ』でデビューして以降、2010年頃までは継続的に作品を発表した。2010年以降は発表の間隔が長くなるが、2019年にデビュー50周年を記念したライブを収録した映像作品『井上陽水50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』〜少年老い易く 学成り難し〜』を2020年9月1日に発表した。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "自らの作品のほか、多くの楽曲をほかの歌手に提供している。経歴で挙げた例のほかには、沢田研二のアルバム『Mis cast.』の全曲を作詞作曲した例がある。また一青窈は自ら陽水のファンと称しており、アルバム『一青想』のうち2曲は陽水の作曲による。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "また、曲をカバーした歌手には、「夢の中へ」の斉藤由貴、TRICERATOPS、「心もよう」の中森明菜、南沙織、「氷の世界」の筋肉少女帯、工藤静香、「傘がない」の中森明菜、斉藤和義、「東へ西へ」の本木雅弘、中村あゆみ、「神無月にかこまれて」の香坂みゆき、「Make-up Shadow」の上原多香子、「いつのまにか少女は」の持田香織、「ジェラシー」の髙橋真梨子、「結詞」の高橋真梨子、中村あゆみ、「夏の終りのハーモニー」の中村あゆみ、MOOMIN、「最後のニュース」の奥田民生、「カナリア」に英語の歌詞を付けて歌ったジェーン・バーキン、「桜三月散歩道」をカヴァーしたキンモクセイなどがいる。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "本職の歌手でないところでは、お笑い芸人の友近が「Tokyo」を、THE IDOLM@STER RADIOにおいて今井麻美・たかはし智秋が「少年時代」をカバー、また2019年発売の「井上陽水トリビュート」によっても多数の歌手がカバーした。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "いくつかの曲でPVが制作されている。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "以下が1991年「NO SELECTION 井上陽水全集」の特典VHSに収録された。その他にも、", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "などが制作されている。また、「傘がない」は2008年の『弾き語りパッション』発売時、新規に制作され、俳優のオダギリジョーが主演を務めた。陽水本人も一瞬だけ出演した。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "1969年のデビューから殆どテレビ•ラジオに出演する事は多くなく、親交が深いタモリや筑紫哲也などの冠番組、一部の音楽番組の出演等が大半を占める。", "title": "出演" } ]
井上 陽水は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター。本名は、表記は同じで読みが「いのうえ あきみ」。旧芸名:アンドレ・カンドレ。福岡県嘉穂郡幸袋町生まれ・福岡県田川郡糸田町育ち。血液型はAB型。身長180cm。
{{複数の問題 |百科事典的でない = 2018-01 }} {{Infobox Musician<!-- Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照 --> | 名前 = 井上 陽水 | 画像 = | 画像説明 = | 画像サイズ = <!-- サイズが幅250ピクセルに満たない場合のみ記入 --> | 画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --> | 背景色 = singer | 出生名 = 井上 陽水(いのうえ あきみ) | 別名 = アンドレ・カンドレ(旧芸名)<br/>田所純一郎<br/>立花海<br/>南杜夫 | 出生 = {{Plainlist| * {{生年月日と年齢|1948|8|30}} * {{JPN}}・[[福岡県]][[嘉穂郡]][[幸袋町]](現:[[飯塚市]]幸袋地区) }} | 出身地 = {{JPN}}・福岡県[[田川郡]][[糸田町]]<ref name="sio"/> | 死没 = | 学歴 = [[福岡県立西田川高等学校]]卒業 | ジャンル = {{Hlist-comma|[[フォークロック]]<ref name="allmusic">{{AllMusic |first=Adam |last=Greenberg |title=Yosui Inoue {{!}} Biography & History |class=artist |id=yosui-inoue-mn0003083868/biography |accessdate=2020-11-25 }}</ref>|[[ロック (音楽)|ロック]]<ref name="allmusic" />|[[サイケデリック・ミュージック|サイケデリア]]<ref name="allmusic" />}} | 職業 = {{Hlist-comma|[[シンガーソングライター]]|[[音楽プロデューサー]]}} | 担当楽器 = {{Hlist-comma|[[ボーカル]]|[[ギター]]}} | 活動期間 = [[1969年]] - | レーベル = {{Hlist-comma|[[ソニー・ミュージックレコーズ|CBSソニー]]|[[ポリドール・レコード|ポリドール]]|[[フォーライフミュージックエンタテイメント|フォーライフ]]|[[ユニバーサルミュージック (日本)|UMJ / ZEN MUSIC]]}} | 事務所 = | 共同作業者 = {{Plainlist| * [[多賀英典]] * [[星勝]] * [[安全地帯 (ロックバンド)|安全地帯]] * [[奥田民生]] * [[忌野清志郎]] }} | 公式サイト = {{Official website|https://yosui.jp/|井上陽水 オフィシャルサイト[ Yosui Inoue Official Site ]}} | 著名使用楽器 = {{Plainlist| * [[ギブソン・J-160E]] * [[ギブソン・J-45]] * [[Sヤイリ・YD-304]] * [[フェンダー・ストラトキャスター]] }} }} '''井上 陽水'''(いのうえ ようすい<ref name="FMPJ">{{Cite web|和書|title=アーティスト・アーカイヴ 井上陽水 {{small|イノウエヨウスイ}}|url=https://www.kiokunokiroku.jp/artistarchives|work=記憶の記録 LIBRARY|publisher=[[日本音楽制作者連盟]]|accessdate=2023-06-21}}</ref>、[[1948年]]〈昭和23年〉[[8月30日]] - )は、[[日本]]の[[シンガーソングライター]]。本名は、表記は同じで読みが'''「いのうえ あきみ」'''<ref name="日刊750122">{{Cite news |title = 怪物陽水 その実像に迫る <small>(プロローグ) (売れないころ) (人気上昇) (テレビ嫌い) (人気の理由) (私生活) (ファッション) (エピローグ)</small> |date = 1975年1月22日 |newspaper = [[日刊スポーツ]] |publisher = [[日刊スポーツ新聞社]] |page = 12 }}</ref>。旧芸名:'''アンドレ・カンドレ'''。[[福岡県]][[嘉穂郡]][[幸袋町]](現:[[福岡県]][[飯塚市]]幸袋)生まれ・福岡県[[田川郡]][[糸田町]]育ち。[[ABO式血液型|血液型]]はAB型。身長180cm<ref name="日刊750122"/>。 == 概要 == [[1969年]]に「アンドレ・カンドレ」としてデビュー<ref name="FMPJ"/>。[[1971年]]に本名の井上陽水として再デビュー。1970年代には[[吉田拓郎]]と並んで[[フォークソング|フォーク]]、[[ニュー・ミュージック]]界を牽引。その後も現在に至るまで第一線で活躍を続ける、日本を代表する[[シンガー・ソングライター]]の一人。2人目の妻・[[石川セリ]]との間に1男2女をもうける。長女は作詞家・歌手の[[依布サラサ]](本名・井上ニサ)<ref>{{Cite web|和書|url=http://book.asahi.com/reviews/column/2013092500008.html |title=長い猫と不思議な家族 依布サラサさん |work=BOOK.asahi.com |author=加来由子 |date=2013-09-22 |accessdate=2016-09-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130929000721/http://book.asahi.com/reviews/column/2013092500008.html|archivedate=2013-09-29}}</ref>。 本名は『あきみ』と読むが、吉田拓郎を意識したレコード会社が『拓郎(たくろう)のように陽水(ようすい)にしよう』と言い出し、本人は『そうですか』と受け入れた<ref name="NEWSポストセブン20210512_1658173">{{Cite web|和書|date=2021-05-12|url=https://www.news-postseven.com/archives/20210512_1658173.html?DETAIL|title=井上陽水の吉田拓郎評「こうなんだと前面に言い放っている感じ」|website=NEWSポストセブン|publisher=小学館|accessdate=2021-10-11}}</ref>。 == 経歴 == === 生い立ち === 1948年(昭和23年)[[8月30日]]、福岡県田川郡糸田町中糸田に生まれる。[[本籍]]地は[[高知県]][[幡多郡]][[佐賀町]]で、佐賀町町役場に提出された[[出生届]]には「陽水」の下に「あきみ」と振り仮名が付いている。 父は[[高知県]][[幡多郡]][[佐賀町]](現:[[黒潮町]])出身の元[[軍医]]井上 若水(いのうえ わかみ、-1972年6月)<ref>[https://web.archive.org/web/20090207013845/https://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/kayou/20061117/20061117_001.shtml 九州歌謡地図 第5部・井上陽水の世界<2>]</ref><ref name="もどり道">[[アルバム]]『[[陽水ライヴ もどり道]]』ジャケット自筆年表(うれいの年表)</ref><ref name="綺麗ごと15">自著『綺麗ごと』、[[集英社]]、1985年、pp.15-16</ref> 。若水の幼少期の井上家は大きな[[網元]]で広い山林を持つ資産家であった。しかし不漁続きとなり、昭和初期には没落。若水は子供ながら一人神戸へ旅立ち、[[キリスト教]]の[[伝道]]関係の職に就き勉強を続ける。苦学の末に[[高等専門学校]]卒業の資格を得る。その後、神戸で金属工芸の技術者として働くが、やがて[[朝鮮総督府]]に勤務する兄から人手の足りない福祉・医療関係の仕事に誘われ、[[1940年]]に朝鮮([[京城]](現在の[[ソウル]]))へ渡る。ここでの経験がのちに開業[[歯科医]]の免許取得に役立つ。間もなく、同じ歯科医を兄弟・親戚に持つ母・フジと知り合い結婚。南下してくる[[ソ連軍]]から逃れるため、フジはやっとの思いで先に帰国。開業歯科医をしていたフジの兄の地元の福岡県[[直方市]]にたどり着く。追って父が[[引揚者|引き揚げ]]る。若水は[[引き揚げ]]後は[[炭鉱]]で働いていたが、陽水が生まれてまもなく、フジの兄の意見も参考に隣接する糸田町で[[歯科医師#日本の歯科医師|歯科医院]]を開業する<ref name="sio"/><ref name="綺麗ごと15" />。兄弟姉妹は姉1人、妹1人。 [[1953年]]、糸田町に引っ越す。田川は何も縁のない土地で、ずっと"よそ者"意識があったという<ref name="青空ふたり旅p285">[[五木寛之]]・井上陽水『青空ふたり旅』、ペップ出版、1976年、p.285</ref>。糸田小学校、糸田中学校、[[福岡県立西田川高等学校|西田川高校]]と進学。 小学校時代、子供会や婦人会の集まりで歌わせられることが多々あり、当時から歌がうまいと褒められていた<ref name=rockgaku>[[相倉久人]]『日本ロック学入門』(新潮社)対談</ref>。またこの頃から、8歳上の姉の影響で[[プラターズ]]や[[エルヴィス・プレスリー]]など洋楽を聴くようになり、ヒットパレード系の[[ラジオ]]に熱中するようになる。 [[1963年]]、中学3年の時に[[小島正雄]]のラジオ番組で紹介された「[[プリーズ・プリーズ・ミー (曲)|プリーズ・プリーズ・ミー]]」に衝撃を受け、以降[[ビートルズ]]に熱中する。高校時代はビートルズ狂いと周りから呼ばれ、数人の仲間と一日中歌いまくり、休日には(当時出始めの)オープンリールのテープレコーダーでその歌を録音するなど<ref name=rockgaku/>、ビートルズ漬けの生活を送っており、仲間内のみならず町内でも生粋の音楽狂として名が知られていた。 家業を継いで歯科医になることを期待されていたため<ref name="日刊750122"/>、[[1967年]]、[[九州歯科大学]]を受験するも失敗し、予備校に通い始める。この年は小倉育英館に通ったが、翌年には[[九州英数学舘]]に変える。二浪目の[[1969年]]「[[帰って来たヨッパライ]]」([[ザ・フォーク・クルセダーズ]])を[[深夜放送]]で聞き、自らも高校時代に歌を録音する際に同じような早回しテクニックで遊んでいた経験<ref>[[相倉久人]]『日本ロック学入門』(新潮社)対談、p.164</ref> から、「これなら自分にもできる」「音楽でひとやま当てたい」と思ったのが曲を作り始めたきっかけ<ref name="青空ふたり旅">[[五木寛之]]・井上陽水『青空ふたり旅』、ペップ出版、1976年、pp.70-71</ref><ref>自著『媚売る作家』[[角川書店]]、1993年、p49、251、自著『ラインダンス』、[[新潮社]]、1982年、p30</ref>。ギターを見よう見まねで始める<ref name="青空ふたり旅" />。[[1968年]]、再度の受験にも失敗する。[[1969年]]、3度目の受験に失敗し<ref name="日刊750122"/>、大学進学を諦めた。その後「東京で勉強して大学入学を目指す。」と父に伝え上京するが歌手となるための活動に専念し、受験活動は行っていなかった{{Efn2|受験に失敗した原因について、のちに「天才的頭脳がない」「裏口入学させられるほど金持ちの親がいない」(『断絶』の歌詞カード)、「ビートルズ」「女性」「受験慣れ」(『もどり道』のインナースリーブ)などとコメントしている。またゲスト出演したラジオ番組で、作詞方法は日本語辞書を見ながら面白いと感じた言葉を抜き出して創作することなどや、「なぜ歌手になったのか」の質問に「[[歯科大学]]の受験に3度失敗して歯科医を断念したほど、頭が悪かったから。頭が良かったら歌手なんてやっていません」などと語った<ref>{{Cite book|和書|author=[[富澤一誠]] |title=ユーミン・陽水からみゆきまで |date=2015-04-10 |publisher=廣済堂出版 |isbn=978-4331519202 |page=87}}</ref>。}}。 === アンドレ・カンドレ時代 === [[1969年]]、[[RKB毎日放送]]の[[ラジオ番組]]『[[スマッシュ!!11]]』が放送開始される。この番組には視聴者が作った音楽を流すコーナーがあり、それを知った陽水は[[12弦ギター]]を使って「カンドレ・マンドレ」を自宅録音(テープレコーダーを二つ使った多重録音の擬似弾き語り)し、[[4月16日]]、テープをRKB毎日に持ち込む<ref name="日刊750122"/><ref name="青空ふたり旅" />。『スマッシュ!!11』のディレクターの野見山実は、録音を聴きすっかり興奮した。陽気だが何か寂しげなところがあり、その発想に驚嘆した<ref name="sio"/>。このとき陽水は「マンドレ」という芸名を考えていたが、野見山が難色を示し(「マン」が女性器を連想させるという理由で)芸名は「'''アンドレ・カンドレ'''」に決まる。「カンドレ・マンドレ」は『スマッシュ!!11』で放送され、数多くのリクエストを受け、中には「生の声を聴きたい」というものもあった。ただしリクエストの大半は、陽水が友人(主に浪人仲間)に[[はがき]]を配ってリクエストを出すよう指令したためのものだったという<ref>『媚売る作家』、pp.50-51</ref>。野見山は彼らとの比較で、陽水の曲には非常に高度なものが内在していることに気付き、その将来性を買って[[CBSソニー]]の中曽根晧二宛に手紙で送るとともに、新聞記者にも陽水に対する考えを隠すことなく話した。中曽根の反応は早く、当時としては異色な面白さだとして、発売を急いだ。当時、CBSソニーは[[カルメン・マキ]]の「[[時には母のない子のように]]」のヒットの余勢をかって、さらなる一発を狙っていた。躊躇していては他社に取られる恐れがあったため、会社側は中曽根にすぐに福岡へ迎えに行くよう指示した。両親は陽水の上京には反対したが、陽水の強い信念に父は「1曲吹き込んだら帰ってくるんだな。音楽がダメでもお前には別の生きる道がある」と伝えた<ref name="sio"/>。 放送後、RKBのスタッフから[[ホリプロ]]を紹介され、1969年7月初旬にレコーディングのため福岡市から上京<ref name="sio"/>。「カンドレ・マンドレ」を改めてレコーディングし、同年[[9月1日]]、CBSソニー(現:[[ソニー・ミュージックレコーズ]])からアンドレ・カンドレとして同曲で[[デビュー]]<ref name="FMPJ"/>。演奏は[[六文銭 (音楽ユニット)|六文銭]]、編曲は[[小室等]]が担当したが、ほとんど注目されず<ref name="FMPJ"/>、続く「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」も、[[松山猛]]と[[加藤和彦]]から楽曲提供を受けた「花にさえ、鳥にさえ」([[1970年]])も不振に終わり、シングル3枚でアンドレ・カンドレとしての活動は終わることになった<ref name="FMPJ"/><ref name="日刊750122"/>。以後、[[ポリドール]]移籍までの間は、本人も語ろうとしない空白の1年間となる<ref name="日刊750122"/><ref>[[富澤一誠]] 『ユーミン・陽水からみゆきまで {{small|時代を変えたフォーク・ニューミュージックのカリスマたち}}』 [[廣済堂新書]] 055 ISBN 978-4331519202、pp.91-92。なお同書には「カンドレ・マンドレ」がリクエスト1位になったという記述はあるが、友人に葉書を出させたことには全く触れていない。p.88。</ref>。当時は、麻雀とパチンコに明け暮れており、仕事はあっても月2日位であったと後に語っている<ref name="sio">[[塩沢茂]]『井上陽水 孤独の世界』([[講談社]] 1975年8月8日発行)</ref>。 [[ビートルズ]]狂いの経緯もあり、本人は自らをフォーク歌手とは全く思っていなかったが、当時一般には「ギターを持って歌う歌手はフォーク歌手」として認識されていたため、フォーク歌手的な扱いを受けることが多く、営業先で嫌な目にあうことがしばしばあり、これが後にホリプロから独立する遠因になった<ref>[[相倉久人]]『日本ロック学入門』(新潮社)対談、p166-167</ref>。 アンドレ・カンドレ時代に知り合った小室等、[[安田裕美]](六文銭の[[ギター|ギタリスト]])、[[星勝]]([[ザ・モップス|モップス]]のギタリスト)、[[RCサクセション]]の[[忌野清志郎]]などとは以後長く深い交際になる。特に小室等から[[ボブ・ディラン]]を薦められ、以降の作詞に強い影響を受けた<ref>「LIFE 井上陽水 40年を語る」、2009年8月25日</ref>。 当時の映像として1970年公開の、[[和田アキ子]]主演映画『[[野良猫ロック|女番長 野良猫ロック]]』にモップスなどホリプロのアーティストと共に出演。「カンドレ・マンドレ」を歌うシーンがある(ただし、レコード音源に合わせて歌う、いわゆる「[[口パク|リップシンク]]」)。 この当時の陽水をよく知る[[高石ともや]]は、陽水の印象を「[[ギター]]1本で客ひとりひとりをねじ伏せるような歌だった。彼の言葉はとても鋭く、近づけないような雰囲気だった。演奏している背中を見ると、なんだか切なかったことを覚えている」と語っている<ref name="NEWSポストセブン20210512_1658173"/>。 === ポリドール時代 === [[1971年]]、[[ポリドール・レコード]]のディレクター[[多賀英典]]に誘われて移籍し、初の[[アルバム]]『断絶』のレコーディングを始める。このアルバムの製作開始に合わせて名前を変えることになり、マネジメントの指揮を執った奥田義行が本名を聞くと「井上アキミ」というので、どんな字かと思ったら「陽水」と書くという。奥田は吉田拓郎を意識し、「拓郎がその二文字で若者にインパクトを与えている。だったら下の名前の「陽水」の2文字で対抗、強調していこう」と戦略を立てた<ref>あの日フォークが流れていた、シンコー・ミュージック、pp.76-78</ref>。 吉田拓郎の生活派ソングというべきフォークがもてはやされるに至り<ref name="日刊750122"/>、翌[[1972年]][[3月1日]]、[[芸名]]を'''井上陽水'''(ようすい)と改め<ref name="FMPJ"/>、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たす<ref name="FMPJ"/><ref name="日刊750122"/>。「人生が二度あれば」を[[編曲]]した星勝は、以後しばらく、陽水の作品の大部分を編曲することになる。5月に「[[傘がない]]」が収録された初アルバム『断絶』がリリースされる<ref name="日刊750122"/>。陽水が売れ始めたのは、このアルバム『断絶』から<ref>[https://web.archive.org/web/20090403145331/http://www.thebeatlemania.com/brutus.html 川瀬泰雄 - The Beatlemania.com]</ref>。陽水自身は売れた理由について『[[陽水ライヴ もどり道]]』ジャケット内自筆年表で、「おりからのフォークブームでなんとなく浮上」と書いている<ref name="もどり道" />。「傘がない」は[[ニヒリズム|虚無的]]な当時の若者の真情を表現しているとして注目された<ref name="FMPJ"/>。その年の12月には2ndアルバム『[[陽水II センチメンタル|センチメンタル]]』をリリース。また陽水がお客の前で本格的なライブを演ったのはこの1972年の[[大晦日]]、「[[渋谷ジァン・ジァン]]」と「青い森」が初めてで<ref name="日刊750122"/>、ライブ活動を主戦場にしていた他のフォークシンガーに比べると、先のCBSソニーという大手[[レコード会社]]で一旦デビュー後に、別の大手から再デビュー等と合わせ、当時としては異色の経歴だった<ref name="日刊750122"/>。このライブの陽水の[[ギャランティ|ギャラ]]は1ステージ5,000円だった<ref name="日刊750122"/><ref group="注">1975年には1ステージ50万円と10倍に跳ね上がる(日刊スポーツ1975年1月22日付p.12)。 </ref>。 翌[[1973年]]3月のシングルで[[東宝]]『[[放課後 (映画)|放課後]]』の[[主題歌]]「'''[[夢の中へ]]'''」が初のヒット([[オリコンチャート|オリコン]]17位<ref name="日刊750122"/>、以下売り上げ順位はすべてオリコン)となり、同年7月には初のライブアルバム『陽水ライヴ もどり道』がリリースに至る。人気上昇の切り口となった「夢の中へ」は、自身が「みんなで歌えるように作った」とコメントしているとおり、単純で明るく、親しみやすい曲である。[[中川右介]]はこの曲がようやくヒットするまでの陽水は低迷していたと指摘している<ref>[[中川右介]] 『山口百恵 {{small|赤と青とイミテイション・ゴールドと}}』 [[朝日文庫]] [な-36-1] ISBN 978-4022617255、pp.113-114</ref>。そして、同年9月にはシングル「'''[[心もよう]]'''」をリリース。これもスマッシュ・ヒットとなる。 そして、同年12月にアルバム『'''[[氷の世界 (アルバム)|氷の世界]]'''』をリリース。当アルバムは100週以上BEST10に留まるなどロングセールスを続け、発売から2年後の1975年8月に'''日本レコード史上初のLP販売100万枚突破'''の金字塔を打ち立てた。オリコンのLPチャートでは5度も1位に返り咲くという記録も持っており、陽水は第一期の黄金時代を迎える。 この間、『二色の独楽』や『断絶』などの過去アルバムもチャートの上位を独占するなど<ref name="FMPJ"/>、それまでの[[シングル#シングル・レコード|シングル・レコード]]を寄せ集めた[[レコード#LP盤|アルバム]]ではなく<ref name="FMPJ"/><ref name="広告と音楽">{{Cite book |和書 |author1 = 林進 |authorlink1 = |author2 = 小川博司 |authorlink2 = 小川博司 (社会学者) |author3 = 吉井篤子 |title=消費社会の広告と音楽 |year=1984 |publisher=[[有斐閣]] |isbn=9784641024052 |pages= 40-41}}</ref>、吉田拓郎や[[小椋佳]]などとともに、シンガーソングライターによる良質なアルバム中心の時代に移行する先駆けとなった<ref name="FMPJ"/><ref name="広告と音楽"/>。 ポリドール時代には理由は諸説あるが殆どテレビに出演せず、外見が一般の目に触れる機会はレコードのジャケット写真がもっとも多くを占めていた。シングル「人生が二度あれば」からアルバム『氷の世界』までのジャケットでは、髪型が[[アフロヘアー]]、サングラスはなしで写っている。しかし『氷の世界』のインナースリーブにある写真の一枚ではサングラスをかけており、サングラスなしの写真は[[1975年]]のシングル「御免」以降、著書『綺麗ごと』のために撮られたものなど少数の例外を除き見られなくなる。テレビ拒否の理由について多賀は、1975年1月22日付けの[[日刊スポーツ]]の取材に答え、「拒否しているわけではありません。学芸会でないものが出来ればという条件付きでです」と述べ<ref name="日刊750122"/>、当の陽水は「積極的に出ていけるような広い心を持ちたいです」などと話し<ref name="日刊750122"/>、芸能週刊誌をたくさん読み漁って、「自分のことがどう書かれているか興味深い」などと話した<ref name="日刊750122"/>。 [[1974年]][[1月17日]]、[[熊本県]]出身の女性<ref>アルバム『[[二色の独楽]]』のジャケットにはこの女性とのツーショットが掲載されている。</ref>と結婚する<ref name="日刊750122"/>。これを機に[[中野区|中野]][[南台 (中野区)|南台]]の[[四畳半]][[アパート#日本のアパート|アパート]]から<ref name="日刊750122"/>、[[世田谷区|世田谷]][[三軒茶屋]]の3[[ダイニングキッチン|DK]]の[[マンション#日本|マンション]]に引っ越す<ref name="日刊750122"/>。 1974年は5枚の[[レコード#LP盤|アルバム]]だけで売り上げ150万枚<ref name="日刊750122"/>、金額にして34億1,000万円([[オリコン|オリジナルコンフィデンス誌]]調べ)を売り上げ<ref name="日刊750122"/>、[[収入|年収]]は3~4億円と推定された<ref name="日刊750122"/>。"テレビ嫌い"とも評され<ref name="日刊750122"/>、[[歌謡番組]]から[[ワイドショー]]から相当数の出演交渉を全て断っていたが<ref name="日刊750122"/>、陽水名となって初めてのテレビ出演とされる1974年12月に東京12チャンネル([[テレビ東京]])で陽水、[[小椋佳]]、[[遠藤賢司]]の3人のコンサート実況がフィルム構成で放送されている<ref name="日刊750122"/>。この年[[大晦日]]の[[第16回日本レコード大賞]]は、[[日本レコード大賞]]を[[森進一]]の「[[襟裳岬 (森進一の曲)|襟裳岬]]」が受賞したため、作曲者の吉田拓郎が授賞式に[[ジーンズ]]で登壇し物議を醸したが、陽水も[[第16回日本レコード大賞#企画賞|企画賞]]を受賞していたが欠席した<ref name="日刊750122"/>。 [[1975年]]、陽水・吉田拓郎・[[泉谷しげる]]・[[小室等]]が中心となって、[[フォーライフ・レコード]]を発起する。また、後に結婚する'''[[石川セリ]]'''と出会う。 === フォーライフ時代:大麻取締法違反容疑で逮捕〜第二次陽水ブームまで === [[1976年]]2月、[[離婚]]。同年にフォーライフからリリースした『招待状のないショー』は9週連続1位を獲得。[[1977年]]、石川のアルバム『気まぐれ』に「ダンスはうまく踊れない」ほか2曲を提供する。「ダンスはうまく踊れない」は、陽水の部屋に遊びに来たセリの目の前で30分ほどで作られたという。 1977年[[9月10日]]、[[大麻取締法|大麻所持容疑]]で[[逮捕]]され、「自分は酒が飲めないので、くつろぐためにマリファナを吸った」と自供した。[[9月22日]]に[[保釈]]され、[[10月11日]]には[[懲役]]8か月、[[執行猶予]]2年の[[判決 (日本法)|判決]]を受ける。この逮捕に関して、当時[[朝日新聞]][[記者]]だった[[筑紫哲也]]が、「マリファナは日本では違法であるが、これと絡めて井上陽水の歌まで否定する一部の意見は間違っている」と発言し、擁護を行っている<ref>今村守之『問題発言』[[新潮新書]] 446 ISBN 978-4106104466、pp.96-97</ref><ref>筑紫哲也『ニュースキャスター』 [[集英社新書]] 0145-B ISBN 4087201457、pp.31-32</ref>。この時はまだ互いに親交こそなかったが、のちに筑紫がテレビに進出し、初のメインキャスターを務めた『[[日曜夕刊!こちらデスク]]』の最終回([[1982年]][[9月26日]])では陽水がゲスト出演し持ち歌を3曲歌唱、報道番組では異例の全編生歌で番組を締めくくった。筑紫は初めて番組を持つことになった時、『傘がない』の「テレビではわが国の将来の問題を 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる」というくだりが頭に浮かんだ、と回想している<ref name="ニュースキャスター">『ニュースキャスター』、p.33</ref>。その後、[[1989年]]に筑紫が新聞社を退社してスタートした『[[筑紫哲也 NEWS23]]』では、筑紫からの要請で初代のオープニングとエンディング曲(『[[最後のニュース]]』)を陽水が担当した<ref>[[泉麻人]] 『ナウのしくみ (2)』 [[文春文庫]] [い-22-3] ISBN 4167486032、pp.259-260</ref>。 [[1978年]]7月、上記の事件後(執行猶予中)にリリースされたアルバム『[["white"]]』はオリコンチャートの3位を獲得した。 [[1978年]][[8月30日]]、30歳の[[誕生日]]に石川と再婚、同年[[12月16日]]には長男が産まれている。 [[1979年]]のアルバム『[[スニーカーダンサー]]』では[[高中正義]]が5曲の編曲を務め、[[1980年]]のアルバム『[[EVERY NIGHT]]』では星勝が編曲から外れるなど、この時期にはサウンドが大きな転換を遂げている。さらに[[1981年]]のアルバム『あやしい夜をまって』から編曲に加わった'''[[川島裕二]]'''、その後'''BANANA'''などの名義で陽水の作品に多数携わり、星勝と並んで重要な位置を占めるようになる。上述の通りセールスは伸びなかったが、この時期の作品には「なぜか上海」「海へ来なさい」「[[ジェラシー (井上陽水の曲)|ジェラシー]]」「とまどうペリカン」「カナリア」「[[リバーサイドホテル]]」など、その後のライブやコンピレーション作品で頻繁に取り上げられる楽曲が多数含まれている。 [[1981年]]1月、『[[ばらえてい テレビファソラシド]]』にゲスト出演。7月『[[夜のヒットスタジオ]]』に「ジェラシー」で出演<ref name="ラインダンス">『ラインダンス』、p.230, 250</ref>。8月『[[ザ・ベストテン]]』の「今週のスポットライト」コーナーに「ジェラシー」で出演<ref name="ラインダンス" />。 [[1982年]]、[[バックバンド]]を務めていた[[安全地帯 (ロックバンド)|安全地帯]]がデビューし、[[1983年]]には自身作詞による「[[ワインレッドの心]]」をヒットさせる。さらに[[1984年]]には安全地帯に歌詞を提供した「[[恋の予感]]」、[[中森明菜]]に歌詞と曲を提供した「[[飾りじゃないのよ涙は]]」、そして自身の「[[いっそセレナーデ]]」がヒットする。[[12月10日]]付のチャートでは「飾りじゃ〜」が2位、「恋の予感」が3位、「いっそ〜」が4位と、陽水の手がけた作品が上位を占める。同月21日にはこれらのヒット曲をはじめとする提供曲を、自身が自ら歌ったアルバム『[[9.5カラット]]』がリリースされ、翌[[1985年]]にかけてヒットする。『[[9.5カラット]]』は[[1985年]]のアルバム'''年間売り上げ1位'''を獲得し、陽水にとっては『氷の世界』以来'''自身2作目のミリオンセラー'''となる。このヒットにより[[第27回日本レコード大賞]]で作曲賞とアルバム賞を獲得する。 [[1986年]]8月にはライブアルバム『クラムチャウダー』がリリースされ、9月には同じ題名のライブビデオも発売される。さらに[[8月20日]]から2日間、安全地帯とのジョイントで「STARDUST RENDEZ-VOUS」と題したコンサートを[[明治神宮野球場]]で行う。このコンサートで「[[夏の終りのハーモニー]]」を初披露、6万人の聴衆を動員しテレビ中継のほか、ライブアルバム、ライブビデオにも収録された。 === フォーライフ時代:タイアップによるシングルヒット〜『九段』まで === [[1988年]]9月1日、[[日産自動車]]より新発売された[[日産・セフィーロ|セフィーロ]](初代・A31型)のCMに「[[今夜、私に]]」を提供。陽水自身も出演し、[[即興|アドリブ]]で「みなさん、お元気ですか?……失礼しまーす」と声を出す。ところがこのCMが公開されて間もなく、病床に臥した[[昭和天皇]]が[[危篤]]になったため、声はカットされた<ref>[[天野祐吉]] 『天野祐吉のCMウオッチング』朝日文庫 [あ-17-1] ISBN 4022610050、pp.484-485</ref><ref>『歴史読本』編集部 編『日本の華族 {{small|その栄光と挫折の一部始終}}』[[新人物往来社|新人物文庫]] [れ-1-8] ISBN 978-4404039224、p.262。当該箇所の執筆は[[前坂俊之]]。</ref>。[[いしいひさいち]]は団欒中の家族に、窓を開けた陽水が「皆さんお元気ですか」と言うと一気にしらける、イラク軍の捕虜にこのCMを見せた途端、それまで騒がしかった捕虜たちが脱力しておとなしくなる、という作品を描いている<ref>[[いしいひさいち]] 『{{small|ひさいち文庫}} くるくるクロニクル』 [[双葉社|双葉文庫]] [い-17-22] ISBN 4575713090、pp.110-111</ref>。それから間もない10月、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系のドラマ『[[ニューヨーク恋物語]]』の[[主題歌]]に使われた「リバーサイドホテル」がヒットする(11位)。「リバーサイドホテル」は[[1982年]]に発表されていた作品だが、リリースから6年を隔ててのヒットとなった。 翌[[1990年]]から[[1991年]]にかけて、映画『[[少年時代]]』の主題歌として作られた「[[少年時代 (井上陽水の曲)|少年時代]]」(作曲は[[川原伸司|平井夏美]]との共作)がヒットする。リリース直後は穏やかなチャートアクションだったが、1991年、[[ソニー]]のビデオカメラ「[[ハンディカム]]・CCD-TR105」の[[コマーシャルメッセージ|CM]]に使われてから売上を伸ばし、ロングセラーとなった。当初は[[藤子不二雄A]]の作詞という話であったが、出来上がってみると藤子の歌詞はまったく使われていなかった<ref>[[えびはら武司]] 『藤子スタジオアシスタント日記〜まいっちんぐマンガ道〜』 [[竹書房]] ISBN 978-4801903562、pp.75-80。同書では他に、[[藤子・F・不二雄]]が『傘がない』を好まず、この曲があちこちで流れていたためにウンザリしていた、という記述もある。</ref>。陽水は「安孫子さん<ref group="注">藤子不二雄Aの本名。</ref> の心をもらった」とコメントしており、藤子不二雄Aもイメージ通りの曲だとして出来栄えに満足した<ref>藤子不二雄A:「78歳いまだまんが道を…」、P.180、中央公論新社、ISBN 978-4-12-004391-8(2012年8月24日)</ref>。実際に使われなかったオリジナルの歌詞全文は藤子不二雄Aの著書に何度か記載されている<ref>1995年7月初版[[中公文庫]]コミック版『少年時代』第1巻、2012年[[中央公論新社]]刊『78歳いまだまんが道を…』P.178-180など。</ref>。 [[1993年]]、フジテレビ系のドラマ『[[素晴らしきかな人生]]』の主題歌に使われた「[[Make-up Shadow]]」([[2007年]]には[[トヨタ・ブレイド]]のTVCFソングとしても使われた)がオリコン最高2位、売上80万枚超のヒットを記録。[[第35回日本レコード大賞]]の金賞を受賞する。 このころからリリースのペースが落ち始める。[[1994年]]にアルバム『[[永遠のシュール]]』を発表してから、次のアルバム『[[九段 (井上陽水のアルバム)|九段]]』([[1998年]])までには3年半のブランクがある。また、この時期はコンサートも少なく、[[1994年]]末から[[1999年]]9月までのおよそ5年間は全国ツアーを一度も行っていない。 [[1996年]]、[[PUFFY]]のデビュー曲として歌詞を提供した「[[アジアの純真]]」がヒットする。「アジアの純真」の作曲は、以前から交流のあった'''[[奥田民生]]'''([[1994年]]には「月ひとしずく」([[小泉今日子]])を共作している)。同じく陽水作詞、民生作曲でPUFFYに提供した「[[渚にまつわるエトセトラ]]」もヒットする。続いて「[[井上陽水奥田民生]]」というアーティスト名で[[1997年]]にリリースしたシングル「ありがとう」、アルバム『ショッピング』はこれらのヒットを受けたものといえよう。「ありがとう」はリリース同年に[[サッポロビール]]「黒ラベル」のCMに使われたことも手伝ってオリコン最高2位、売上約25万枚のヒットを記録。 === 『GOLDEN BEST』のミリオンセラー〜その後 === [[1999年]]、アンドレ・カンドレとしてのデビューから30周年になることを記念して、2枚組のベスト・アルバム『'''[[GOLDEN BEST]]'''』がリリースされる。『GOLDEN BEST』は'''自身3作目のミリオンセラー'''となった後も売上を伸ばし続ける。このヒットを受け、『GOLDEN BEST』のリリースからちょうど1年後には「裏ベスト」として『[[GOLDEN BAD]]』、『GOLDEN BEST』の売上が'''200万枚を突破'''した[[2003年]]にはその記念として『[[GOLDEN BEST|GOLDEN BEST SUPER]]』が発売される。 [[2001年]]、「[[コーヒー・ルンバ]]」「[[花の首飾り]]」の[[カバー]]がヒット。これに続いてリリースしたカバーアルバム『[[UNITED COVER]]』は80万枚を売るヒットとなり、その期間のライヴ映像は[[DVD]]『UNITED TOUR』として発売される。 [[2002年]]には4年振りの新作『[[カシス (アルバム)|カシス]]』と、ジャズ・アレンジを施したセルフカバー・アルバム『[[Blue Selection]]』をリリース。[[1999年]]から[[2006年]]までに、[[2004年]]を除いて毎年全国ツアーを開催した。 [[2006年]]にはツアーの合間を縫って制作された4年振りの新作『[[LOVE COMPLEX]]』をリリース。翌年はツアーの他、「[[井上陽水奥田民生]]」としてシングル「パラレル・ラブ」、アルバム『[[ダブルドライブ]]』を発表。[[2008年]]もツアー活動を行いつつ、ベスト・アルバム『弾き語りパッション』と『[[BEST BALLADE]]』の2作を発表している。[[2009年]]にはデビュー40周年を迎え、12月には15年振りとなる[[日本武道館]]公演を行い、その模様を収録したDVD『40th Special Thanks Live in 武道館』をリリース。翌[[2010年]]には4年半振りとなるオリジナル・アルバム「[[魔力 (アルバム)|魔力]]」をリリースしている。 2014〜2015年「井上陽水 氷の世界ツアー」を行う。40年前に発売されたアルバム「氷の世界」を全曲歌う、という内容のツアーだった。 [[2015年]]、40年ぶりにポリドールの流れを組むユニバーサル・ミュージックに復帰することが発表された<ref>[https://realsound.jp/2015/06/post-3591.html 井上陽水が、ポリドール(現:ユニバーサルミュージック)復帰 アルバム『UNITED COVER 2』リリースへ]</ref>。 [[2022年]]現在までにはユニバーサル・ミュージックからアルバム「[[UNITED COVER 2]]」とシングル「care」を発売している。 [[2019年]]に、歌手活動50周年記念ツアーを敢行して以降は、表立った音楽活動を行っておらず<ref name="a">{{Cite news|title=井上陽水が進める引退への準備 個人事務所の社長は辞任、連絡が取れない状態か|url=https://www.news-postseven.com/archives/20220623_1767079.html?DETAIL|newspaper=NEWSポストセブン|date=2022-06-23|accessdate=2022-07-27}}</ref>、代表を務めてきた個人事務所の「キャンプ」と「ファイヤー音楽出版」の代表取締役は[[2021年]]末に辞任し、長男に譲っている<ref name="a"/>。 == 交流関係 == [[文壇]]との交際が広い。文壇を含む[[文化人]]との交流は[[麻雀]]がきっかけ<ref name="井上陽水全発言">『井上陽水全発言』[[えのきどいちろう]]編集、[[ベネッセコーポレーション|福武書店]]、[[1994年]]、p.131</ref><ref name="究極の10冊物語">『究極の10冊物語』[[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ編集部]]、[[メディアファクトリー]]、1996年、p60-68</ref><ref>『貧乏だけど贅沢』、p.311</ref>。[[1976年]]に『青空ふたり旅』として出版された[[五木寛之]]との対談をきっかけに、まず「[[話の特集]]」の[[矢崎泰久]]が[[ベトナム]]に行く時の壮行麻雀大会に五木に連れて行かれ、そこで矢崎、[[ばばこういち]]、[[阿佐田哲也]]に会い、この後、[[長谷川和彦]]と知り合い、長谷川に[[近代麻雀]]に出ないかと誘われて田村光昭に会い、その繋がりで[[長門裕之]]、[[黒鉄ヒロシ]]、[[畑正憲]]らと知り合った<ref name="井上陽水全発言" /><ref>『媚売る作家』、p.186、259-260</ref><ref>『綺麗ごと』、pp.222-227</ref>。 世代的に上の人との付き合いが多い理由について、「[[吉田拓郎]]なんかは、自分がリーダーシップを取って周りの人間を引っ張っていくタイプでしょう。僕はそういうの不得意なんです。高校時代、タテ関係が希薄で女性も多い[[弓道部]]にいたせいかもしれないけど、下の世代に対する訓練ができていないんですよ」と、40代のころは話していた<ref name="究極の10冊物語" />。同年代およびそれ以下との交流として、[[沢木耕太郎]]は歌詞集『ラインダンス』に、[[村上龍]]は『綺麗ごと』に寄稿し、[[町田康]]は「新しい恋」を作詞している。活動分野は違ってくるが、[[三谷幸喜]]は『[[You Are The Top〜今宵の君]]』の劇中歌である「You are the top」を作詞している。 また、同郷の[[タモリ]]とは[[タモリのオールナイトニッポン]]にゲスト出演した事をきっかけに親しくなり、「[[テレフォンショッキング]]」には計11回、また「[[ミュージックステーション]]」、「[[タモリ倶楽部]]」、「[[ヨルタモリ]]」などにも、前述の通り殆どテレビに出演しないものの「タモリさんの番組なら」としてゲスト出演がある。さらに「[[ブラタモリ]]」のテーマ曲に「MAP」「女神」「瞬き」と書き下ろし曲を提供している。 [[水谷豊]]にも多くの楽曲を提供したが、初対面のレコーディングの際はほとんど会話が無かったという。それにもかかわらず「今日家に来ない?」と持ちかけ、水谷はその不思議な雰囲気に戸惑いながらも応諾する。翌日、水谷は勧められるまま、[[鰻丼]]を食べたり近所の公園で[[キャッチボール]]をしたという<ref>SONGS井上陽水 水谷豊インタビューより</ref>。 == 逸話、関連人物など == {{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2009-07|ソートキー=人}} * 『[[NHK紅白歌合戦]]』には1度も出場経験がなく、本人も全く出場する意思が無い事を明らかにしている。NHKの番組には度々出演しているが、「紅白は別」と出場を何度も辞退している。 ** 同局の[[1993年]]の[[連続テレビ小説]]『[[かりん (テレビドラマ)|かりん]]』の主題歌『[[カナディアン アコーデオン]]』を担当したが、その年の[[第44回NHK紅白歌合戦]]出場については、「'''あの場は余りにもハデ。恥ずかしいから'''」と辞退<ref>『[[読売新聞]]』1993年12月6日付東京夕刊、9頁。</ref>。 ** [[1996年]]にも「恥ずかしい」と辞退<ref>『読売新聞』1996年11月30日付東京夕刊、5頁。</ref><ref>『[[産経新聞]]』1996年12月18日付東京夕刊。</ref><ref>宝島編集部 『現代下世話大全 バウきゅー まちのヘンなもの大カタログ』 [[宝島社]] ISBN 4796612351、p.158</ref>。のちに「(出演を拒否していた当時)テレビに出なかったことは後悔している」というコメントも行っている<ref>鈴木英之 『よみがえれ! 昭和40年代 {{small|高度成長期、少年少女たちの宝箱}}』 [[小学館101新書]] 144 ISBN 978-4098251445、p.207</ref>。 ** [[2006年]]には、「今年は出る気がない。今後の紅白の出演を検討する」と出場の可能性を否定。 *[[嘉門達夫]]は「リバーサイド・ホテル」からヒント得て「温泉はリバーサイド」(アルバム「リゾート計画」収録)を発表。「リバーサイド・ホテル」のイントロのギターカッティングを同じにしている他、間奏のセリフでは井上がCMで発した「お元気ですか?」のフレーズを挿入した。 * 1979年に[[三洋電機]]の[[カラーテレビ]]「くっきりタテ7」のコマーシャルソングの歌手候補として、当時デビュー前の久保田小百合(後の[[久保田早紀]])、「[[たそがれマイ・ラブ]]」などでヒットを記録していた[[大橋純子]]と共に選ばれていた<ref>[[亀山太一]]『固定客は一人もいない』[[日本工業新聞社]]、1983年、201頁。</ref>。後に三洋電機の意向により久保田に決定し、作られた曲が「[[異邦人 -シルクロードのテーマ-|異邦人]]」である。 == 作品 == {{Infobox Artist Discography |Artist = ''井上陽水''(アンドレ・カンドレ、コラボレーション含む) |Studio = 24 |Live = 5 |Compilation = 1 |Best = 20 |Video = 6 |Tribute = 2 |Singles = 50 }} 1969年9月1日に『カンドレ・マンドレ』でデビューして以降、2010年頃までは継続的に作品を発表した。2010年以降は発表の間隔が長くなるが、2019年にデビュー50周年を記念したライブを収録した映像作品『井上陽水50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』〜少年老い易く 学成り難し〜』を2020年9月1日に発表した。 自らの作品のほか、多くの楽曲をほかの歌手に提供している。経歴で挙げた例のほかには、[[沢田研二]]のアルバム『Mis cast.』の全曲を作詞作曲した例がある。また[[一青窈]]は自ら陽水のファンと称しており、アルバム『[[一青想]]』のうち2曲は陽水の作曲による。 また、曲をカバーした歌手には、「夢の中へ」の[[斉藤由貴]]、[[TRICERATOPS]]、「心もよう」の[[中森明菜]]、[[南沙織]]、「氷の世界」の[[筋肉少女帯]]、[[工藤静香]]、「傘がない」の中森明菜、[[斉藤和義]]、「東へ西へ」の[[本木雅弘]]、[[中村あゆみ]]、「神無月にかこまれて」の[[香坂みゆき]]、「Make-up Shadow」の[[上原多香子]]、「いつのまにか少女は」の[[持田香織]]、「ジェラシー」の[[髙橋真梨子]]、「結詞」の高橋真梨子、中村あゆみ、「夏の終りのハーモニー」の中村あゆみ、[[MOOMIN]]、「最後のニュース」の[[奥田民生]]、「カナリア」に英語の歌詞を付けて歌った[[ジェーン・バーキン]]、「桜三月散歩道」をカヴァーした[[キンモクセイ (バンド)|キンモクセイ]]などがいる。 本職の歌手でないところでは、お笑い芸人の[[友近]]が「Tokyo」を、[[THE IDOLM@STER RADIO]]において[[今井麻美]]・[[たかはし智秋]]が「少年時代」をカバー、また2019年発売の「[[井上陽水トリビュート]]」によっても多数の歌手がカバーした。 === シングル === ==== 「アンドレ・カンドレ」名義 ==== {|class="wikitable" style="font-size:smaller;width:100%" ! !!発売日!!タイトル!!収録曲!!レーベル!!備考!!最高位 |- |rowspan="2"|1st |rowspan="2"|{{center|1969年9月1日}} |rowspan="2"|'''[[カンドレ・マンドレ]]''' |カンドレ・マンドレ |rowspan="2"|[[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]] | |rowspan="2"| - |- |終りがないのは | |- |rowspan="2"|2nd |rowspan="2"|{{center|1969年12月5日}} |rowspan="2"|'''[[ビューティフル・ワンダフル・バーズ]]''' |ビューティフル・ワンダフル・バーズ |rowspan="2"|CBS・ソニー | |rowspan="2"| - |- |闇の中で | |- |rowspan="2"|3rd |rowspan="2"|{{center|1970年10月1日}} |rowspan="2"|'''[[花にさえ、鳥にさえ]]''' |花にさえ、鳥にさえ |rowspan="2"|CBS・ソニー | |rowspan="2"| - |- |さあ、おぬぎ | |} ==== 「井上陽水」名義 ==== {|class="wikitable" style="font-size:smaller;width:100%" ! !!style="width:10.5em"|発売日!!style="width:9em"|タイトル!!収録曲!!style="width:7em"|レーベル!!備考!!最高位 |- |rowspan="2"|1st |rowspan="2"|{{center|1972年3月1日<ref group="注" name="Recurrence I">1989年5月25日再発。</ref>}} |rowspan="2"|'''[[人生が二度あれば]]''' |人生が二度あれば |rowspan="2"|[[ポリドール・レコード]] | |rowspan="2"| - |- |断絶 | |- |rowspan="2"|2nd |rowspan="2"|{{center|1972年7月1日}} |rowspan="2"|'''[[傘がない]]''' |傘がない |rowspan="2"|ポリドール・レコード | |rowspan="2"|69位 |- |感謝知らずの女 | |- |rowspan="2"|3rd |rowspan="2"|{{center|1973年3月1日<ref group="注" name="Recurrence I" />}} |rowspan="2"|'''[[夢の中へ]]''' |夢の中へ |rowspan="2"|ポリドール・レコード | |rowspan="2"|17位 |- |[[いつのまにか少女は]] | |- |rowspan="2"|4th |rowspan="2"|{{center|1973年9月21日<ref group="注" name="Recurrence I" />}} |rowspan="2"|'''[[心もよう]]''' |心もよう |rowspan="2"|ポリドール・レコード | |rowspan="2"|7位 |- |[[帰れない二人]] | |- |rowspan="2"|5th |rowspan="2"|{{center|1974年4月1日}} |rowspan="2"|'''[[闇夜の国から]]''' |闇夜の国から |rowspan="2"|ポリドール・レコード | |rowspan="2"|11位 |- |いつもと違った春 | |- |rowspan="2"|6th |rowspan="2"|{{center|1974年9月1日}} |rowspan="2"|'''[[夕立 (井上陽水の曲)|夕立]]''' |夕立 |rowspan="2"|ポリドール・レコード | |rowspan="2"|15位 |- |ゼンマイじかけのカブト虫 | |- |rowspan="2"|7th |rowspan="2"|{{center|1975年6月21日}} |rowspan="2"|'''[[御免]]''' |御免 |rowspan="2"|ポリドール・レコード | |rowspan="2"|29位 |- |旅から旅 | |- |rowspan="2"|8th |rowspan="2"|{{center|1975年11月25日}} |rowspan="2"|'''[[青空、ひとりきり]]''' |青空、ひとりきり |rowspan="2"|[[フォーライフ・レコード]] |アルバムとは編集の異なるシングルバージョン。 |rowspan="2"|8位 |- |Flight | |- |rowspan="2"|9th |rowspan="2"|{{center|1976年2月25日}} |rowspan="2"|'''[[Good, Good-Bye]]''' |Good, Good-Bye |rowspan="2"|フォーライフ・レコード |関西テレビ放送「さんまのまんま」エンディングテーマで使用された時期あり。 |rowspan="2"|13位 |- |子供への唄 | |- |rowspan="4"|10th |rowspan="4"|{{center|1977年5月25日}} |rowspan="4"|'''[[夏願望]]''' |夏願望 |rowspan="4"|フォーライフ・レコード | |rowspan="4"| - |- |青空、ひとりきり |アルバムとは編集の異なるシングルバージョン。 |- |招待状のないショー | |- |子供への唄 | |- |rowspan="2"|11th |rowspan="2"|{{center|1978年8月10日}} |rowspan="2"|'''[[青い闇の警告]]''' |青い闇の警告 |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|100位 |- |映画に行こう | |- |rowspan="2"|12th |rowspan="2"|{{center|1978年10月21日}} |rowspan="2"|'''[[ミスコンテスト (井上陽水の曲)|ミスコンテスト]]''' |ミスコンテスト |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"| - |- |八月の休暇 |シングルバージョンはここでしか聞けない。 |- |rowspan="2"|13th |rowspan="2"|{{center|1979年8月5日}} |rowspan="2"|'''[[なぜか上海]]''' |なぜか上海 |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|87位 |- |娘がねじれる時 | |- |rowspan="2"|14th |rowspan="2"|{{center|1980年7月5日}} |rowspan="2"|'''{{仮リンク|ブライト・アイズ (アート・ガーファンクルの曲)|en|Bright Eyes (Art Garfunkel song)|label=BRIGHT EYES}}''' |BRIGHT EYES |rowspan="2"|フォーライフ・レコード |[[アート・ガーファンクル]]のカバー。<br />歌詞は[[日本語]]で、訳詞は陽水本人による。 |rowspan="2"| - |- |答えはUNDERSTAND | |- |rowspan="2"|15th |rowspan="2"|{{center|1980年11月21日<ref group="注">1999年5月21日再発。</ref>}} |rowspan="2"|'''[[Crazy Love (山口百恵の曲)|クレイジーラブ]]''' |クレイジーラブ |rowspan="2"|フォーライフ・レコード |[[山口百恵]]への提供曲(アルバム『[[This is my trial]]』収録)のセルフカバー。 |rowspan="2"| - |- |空はブルーエンジェル |再発盤ではカップリングが「答えはUNDERSTAND」になっている。 |- |rowspan="2"|16th |rowspan="2"|{{center|1981年6月21日<ref group="注" name="Recurrence II">1988年5月21日再発。</ref>}} |rowspan="2"|'''[[ジェラシー (井上陽水の曲)|ジェラシー]]''' |ジェラシー |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|14位 |- |夏星屑 | |- |rowspan="2"|17th |rowspan="2"|{{center|1981年11月21日}} |rowspan="2"|'''[[風のエレジー]]''' |風のエレジー |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|55位 |- |海はどうだ | |- |rowspan="2"|18th |rowspan="2"|{{center|1982年7月5日<ref group="注" name="Recurrence II" />}} |rowspan="2"|'''[[リバーサイドホテル]]''' |リバーサイドホテル |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|11位 |- |俺の事務所はCAMP | |- |rowspan="2"|19th |rowspan="2"|{{center|1982年10月21日}} |rowspan="2"|'''[[とまどうペリカン]]''' |とまどうペリカン |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|69位 |- |Music High |[[水谷豊]]への提供曲のセルフカバー |- |rowspan="2"|20th |rowspan="2"|{{center|1983年2月5日}} |rowspan="2"|'''[[愛されてばかりいると]]''' |愛されてばかりいると |rowspan="2"|フォーライフ・レコード |アルバム『LION & PELICAN』に収録されたものとはアレンジが違う。 |rowspan="2"|35位 |- |[[背中まで45分]] |[[沢田研二]]への提供曲のセルフカバー |- |rowspan="2"|21st |rowspan="2"|{{center|1983年12月5日}} |rowspan="2"|'''[[誘惑 (井上陽水の曲)|誘惑]]''' |誘惑 |rowspan="2"|フォーライフ・レコード |アルバムバージョンよりエンディングのフェードアウトが短くなっており、ここでしか聞けない。 |rowspan="2"| - |- |Frozen Eyes | |- |rowspan="2"|22nd |rowspan="2"|{{center|1984年7月21日}} |rowspan="2"|'''[[悲しき恋人]]''' |悲しき恋人 |rowspan="2"|フォーライフ・レコード |[[長戸大幸]]が「パインジュースの缶」名義で作曲を担当。 |rowspan="2"| - |- |ダンスのチャンス | |- |rowspan="2"|23rd |rowspan="2"|{{center|1984年10月24日<ref group="注" name="Recurrence II" />}} |rowspan="2"|'''[[いっそ セレナーデ]]''' |いっそ セレナーデ |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|4位 |- |Speedy Night | |- |rowspan="2"|24th |rowspan="2"|{{center|1986年5月21日<ref group="注">1996年2月21日再発。</ref>}} |rowspan="2"|'''[[新しいラプソディー]]''' |新しいラプソディー |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|25位 |- |ダメなメロン | |- |rowspan="2"|25th |rowspan="2"|{{center|1987年11月21日}} |rowspan="2"|'''[[WHY (井上陽水の曲)|WHY]]''' |WHY |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|63位 |- |揺れる花園 | |- |rowspan="2"|26th |rowspan="2"|{{center|1988年9月7日}} |rowspan="2"|'''[[今夜、私に]]''' |今夜、私に |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|43位 |- |恋は自分勝手に | |- |rowspan="2"|27th |rowspan="2"|{{center|1989年4月11日}} |rowspan="2"|'''[[夢寝見]]''' |夢寝見 |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|37位 |- |紅すべり | |- |rowspan="2"|28th |rowspan="2"|{{center|1989年12月21日}} |rowspan="2"|'''[[最後のニュース]]''' |最後のニュース |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|57位 |- |BACK SIDE | |- |rowspan="2"|29th |rowspan="2"|{{center|1990年9月21日<ref group="注">2008年7月16日再発。</ref>}} |rowspan="2"|'''[[少年時代 (井上陽水の曲)|少年時代]]''' |少年時代 |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|4位 |- |荒ワシの歌 | |- |rowspan="2"|30th |rowspan="2"|{{center|1991年3月21日}} |rowspan="2"|'''[[Tokyo (井上陽水の曲)|Tokyo]]''' |Tokyo |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|76位 |- |夢の背中 | [[野田秀樹]]が手掛けた芝居『野田版 国戦爺合戦』の劇中歌のセルフカバー。 |- |rowspan="2"|31st |rowspan="2"|{{center|1992年10月21日}} |rowspan="2"|'''[[結詞]]''' |結詞 |rowspan="2"|フォーライフ・レコード |再録。セルフカバーアルバム『ガイドのいない夜』に収録されたものと同じ。 |rowspan="2"|33位 |- |野イチゴ |再録で、CD-BOX『ReMASTER』に収録された。 |- |rowspan="2"|32nd |rowspan="2"|{{center|1993年3月19日}} |rowspan="2"|'''[[5月の別れ]]''' |5月の別れ |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|27位 |- |Be-Pop Juggler | |- |rowspan="2"|33rd |rowspan="2"|{{center|1993年7月21日<ref group="注">2007年3月21日再発。</ref>}} |rowspan="2"|'''[[Make-up Shadow]]''' |Make-up Shadow |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|2位 |- |プレゼント | |- |rowspan="2"|34th |rowspan="2"|{{center|1993年11月3日}} |rowspan="2"|'''[[カナディアン アコーデオン]]''' |カナディアン アコーデオン |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|35位 |- |引き揚げ者の唄 | |- |rowspan="2"|35th |rowspan="2"|{{center|1994年4月10日}} |rowspan="2"|'''[[愛は君]]''' |愛は君 |rowspan="2"|ポリドール・レコード | |rowspan="2"|45位 |- |あこがれ | |- |rowspan="2"|36th |rowspan="2"|{{center|1994年10月21日}} |rowspan="2"|'''[[移動電話/カミナリと風]]''' |移動電話 |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|36位 |- |カミナリと風 | |- |rowspan="2"|37th |rowspan="2"|{{center|1995年12月6日}} |rowspan="2"|'''[[嘘つきダイヤモンド]]''' |嘘つきダイヤモンド |rowspan="2"|フォーライフ・レコード | |rowspan="2"|32位 |- |OVER TIME | |- |rowspan="2"|38th |rowspan="2"|{{center|1997年3月5日}} |rowspan="2"|'''[[太陽の町]]''' |太陽の町 |rowspan="2"|ポリドール・レコード | |rowspan="2"| - |- |眠りにさそわれ | |- |rowspan="3"|39th |rowspan="3"|{{center|1998年2月21日}} |rowspan="3"|'''[[TEENAGER (井上陽水の曲)|TEENAGER]]''' |TEENAGER |rowspan="3"|フォーライフ・レコード | |rowspan="3"|60位 |- |積み荷のない船 | |- |HAWAIIAN LOVE SONG(リリウオカラニ女王に捧ぐ) | |- |rowspan="4"|40th |rowspan="4"|{{center|2001年1月24日}} |rowspan="4"|'''[[コーヒールンバ|コーヒー・ルンバ]]''' |コーヒー・ルンバ |rowspan="4"|フォーライフ・レコード |[[アルパ]]奏者の[[ウーゴ・ブランコ]] ([[:es:Hugo Blanco (músico)|Hugo Blanco]]) のカバー。歌詞は[[西田佐知子]]が初めて歌った日本語のもの。 |rowspan="4"|19位 |- |[[星のフラメンコ]] |[[西郷輝彦]]のカバー |- |ドミノ |[[ペギー葉山]]のカバー |- |旅人よ |[[加山雄三]]のカバー |- |rowspan="2"|41st |rowspan="2"|{{center|2001年4月1日}} |rowspan="2"|'''[[花の首飾り#井上陽水のカバー・シングル|花の首飾り]]''' |[[花の首飾り]] |rowspan="2"|フォーライフ・レコード |[[ザ・タイガース]]のカバー |rowspan="2"|12位 |- |[[お嫁においで]] |加山雄三のカバー |- |rowspan="3"|42nd |rowspan="3"|{{center|2001年11月21日}} |rowspan="3"|'''[[この世の定め]]''' |この世の定め |rowspan="3"|フォーライフ・レコード | |rowspan="3"|60位 |- |毛ガニ |rowspan="2"|コンサートで[[即興演奏]]した楽曲 |- |名古屋食べ物事情 |- |rowspan="2"|43rd |rowspan="2"|{{center|2002年4月3日}} |rowspan="2"|'''[[Final Love Song]]''' |Final Love Song |rowspan="2"|[[フォーライフミュージックエンタテイメント]] | |rowspan="2"|43位 |- |ヤギのミルク | |- |rowspan="2"|44th |rowspan="2"|{{center|2002年8月21日}} |rowspan="2"|'''[[森花処女林]]''' |森花処女林 |rowspan="2"|フォーライフミュージックエンタテイメント | |rowspan="2"| - |- |決められたリズム (Single Version) | |- |rowspan="2"|45th |rowspan="2"|{{center|2002年10月23日}} |rowspan="2"|'''[[飾りじゃないのよ涙は#井上陽水による歌唱盤|飾りじゃないのよ涙は]]''' |[[飾りじゃないのよ涙は]] |rowspan="2"|フォーライフミュージックエンタテイメント |再録。セルフカバーアルバム『Blue Selection』に収録された。 |rowspan="2"|93位 |- |決められたリズム |アルバム『カシス』に収録されたものと同じ。 |- |46th |{{center|2004年4月1日}} |'''歌に誘われて''' |歌に誘われて |ピンジャックレーベル |型番 PJCF-0001 売価500円(税込)。発売元:ピンジャックレコード 販売元:株式会社西鉄エージェンシー。[[8センチCD]]。西鉄グループである株式会社インキューブ西鉄が運営する「雑貨屋 インキューブ」のみの販売だった。福岡県限定販売ながら、約2万枚を売り上げた<ref>[https://web.archive.org/web/20041206074512/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2004/05/26/01.html 陽水ローカルCM曲が全国発売]、[[スポーツニッポン|スポニチアネックス]]、2004年5月26日。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>。 販売当時、西鉄バスイメージCMソングとして主に路線バスで使用された。ジャケットは二つ折りの厚紙に印刷され、表側はタイトル曲名(「誘」は赤色)とともにバスに揺られるセーラー服の女性と、夕方で曇りがかった博多区中洲をバックに走る西鉄バスの写真。内側は淡い空色で曲名と作詞・作曲の井上陽水のクレジットと歌詞の印字がされている(若干長い明朝体を使用し、要所で二周り程大きく、濃淡の付いた形式)。<br />後に2006年6月28日発売のアルバム「LOVE COMPLEX」の9曲目に収録された。 | |- |rowspan="2"|47th |rowspan="2"|{{center|2006年3月29日}} |rowspan="2"|'''[[新しい恋/長い猫]]''' |新しい恋 |rowspan="2"|フォーライフミュージックエンタテイメント | |rowspan="2"|50位 |- |長い猫 |作詞は長女の[[依布サラサ]]との共作 |- |rowspan="2"|48th |rowspan="2"|{{center|2009年4月29日}} |rowspan="2"|'''[[Love Rainbow]]''' |Love Rainbow |rowspan="2"|フォーライフミュージックエンタテイメント | |rowspan="2"|62位 |- |LOVE LILA | |- |rowspan="12"|49th |rowspan="12"|{{center|2017年2月15日}} |rowspan="9"|'''[[夢の中へ]]'''(初回限定盤) |夢の中へ |rowspan="9"|[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]] | |rowspan="12"|36位 |- |女神 | |- |瞬き | |- |ミス コンテスト(ライブ・パフォーマンス 井上陽水 コンサート2016秋「UNITED COVER 2」より) |rowspan="6"|[[ボーナス・トラック|Bonus Track]] |- |Make-up Shadow(ライブ・パフォーマンス 井上陽水 コンサート2016秋「UNITED COVER 2」より) |- |バレリーナ(ライブ・パフォーマンス 井上陽水 コンサート2016秋「UNITED COVER 2」より) |- |氷の世界(ライブ・パフォーマンス 井上陽水 コンサート2016秋「UNITED COVER 2」より) |- |海へ来なさい(ライブ・パフォーマンス 井上陽水 コンサート2016秋「UNITED COVER 2」より) |- |夏の終りのハーモニー(ライブ・パフォーマンス 井上陽水 コンサート2016秋「UNITED COVER 2」より) |- |rowspan="3"|'''[[夢の中へ]]'''(通常盤) |夢の中へ |rowspan="3"|ユニバーサルミュージック |- |女神 | |- |瞬き | |- |rowspan="2"|50th |rowspan="2"|{{center|2018年7月25日}} |rowspan="2"|'''[[care (曲)|care]]''' |care |rowspan="2"|ユニバーサルミュージック |ピアノに[[Official髭男dism]]の[[藤原聡]]が参加している。 |rowspan="2"|99位 |- |MUSIC PLAY |ギター、ベース、ドラムに[[奥田民生]]が参加している。 |} ==== コラボレーション ==== {|class="wikitable" style="font-size:smaller;width:100%" !名義!!style="width:8.5em"|発売日!!タイトル!!収録曲!!レーベル!!備考!!最高位 |- |rowspan="2"|井上陽水・[[安全地帯 (ロックバンド)|安全地帯]] |rowspan="2"|{{center|1986年9月25日}} |rowspan="2"|'''[[夏の終りのハーモニー/俺はシャウト!]]''' |夏の終りのハーモニー |rowspan="2"|[[キティ・フィルム|Kitty Records]] | |rowspan="2"|6位 |- |俺はシャウト! | |- |rowspan="2"|[[忌野清志郎]] with 井上陽水 |rowspan="2"|{{center|2005年7月27日}} |rowspan="2"|'''[[愛を謳おう]]''' |愛を謳おう |rowspan="2"|ユニバーサルミュージック |『妖怪大戦争 オリジナル・サウンドトラック』にはCinema Versionを収録 |rowspan="2"| - |- |教えてジィジ | |} === アルバム === ==== スタジオ・アルバム ==== {|class="wikitable" style="font-size:smaller" !枚!!style="width:8.5em"|発売日!!タイトル!!レーベル!!style="width:6em"|規格品番!!備考!!最高位 |- !1st |1972年5月1日||'''[[断絶 (アルバム)|断絶]]'''||ポリドール・レコード||UPCY-7586|| ||8位 |- !2nd |1972年12月10日||'''[[陽水II センチメンタル]]'''||ポリドール・レコード||UPCY-7587 || ||10位 |- !3rd |1973年12月1日||'''[[氷の世界 (アルバム)|氷の世界]]'''||ポリドール・レコード||UPCY-7589 ||日本初の[[ミリオンセラー]]・アルバム。<br />ジャケット撮影は大学生時代に、[[全共闘運動]]に共感、「[[べ平連]]」に参加し[[デモ]]を撮影していた[[中村冬夫]]が抜擢された<ref name="fuyuo">{{Cite web|和書|url=http://blog.livedoor.jp/nakamura_fuyuo/archives/1243178.html|title=中村 冬夫公式ブログ|accessdate=2021-4-12}}</ref>。|| rowspan="3" |1位 |- !4th |1974年10月1日||'''[[二色の独楽]]'''||ポリドール・レコード||UPCY-7590 || |- !5th |1976年3月25日||'''[[招待状のないショー]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5069 ||井上にとってフォーライフ設立後、初アルバム |- !6th |1978年7月25日||'''[["white"]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5071 || || rowspan="2" |3位 |- !7th |1979年9月21日||'''[[スニーカーダンサー]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5072 || |- !8th |1980年12月5日||'''[[EVERY NIGHT]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5073 || ||28位 |- !9th |1981年11月21日||'''[[あやしい夜をまって]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5074 || ||11位 |- !10th |1982年12月5日||'''[[LION & PELICAN]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5075 ||井上自身多く言及、ライブで歌う曲も多い。||13位 |- !11th |1983年12月5日||'''[[バレリーナ (井上陽水のアルバム)|バレリーナ]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5076|| ||25位 |- !12th |1987年12月16日||'''[[Negative (井上陽水のアルバム)|Negative]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5078|| ||5位 |- !13th |1990年10月21日||'''[[ハンサムボーイ]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5079||タイアップ曲多数収録。||2位 |- !14th |1993年9月15日||'''[[UNDER THE SUN (井上陽水のアルバム)|UNDER THE SUN]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5081|| ||1位 |- !15th |1994年10月21日||'''[[永遠のシュール]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5082|| ||7位 |- !16th |1998年3月18日||'''[[九段 (井上陽水のアルバム)|九段]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5083|| ||23位 |- !17th |2002年7月24日||'''[[カシス (井上陽水のアルバム)|カシス]]'''||フォーライフミュージックエンタテイメント||FLCF-5085|| ||12位 |- !18th |2006年6月28日||'''[[LOVE COMPLEX]]'''||フォーライフミュージックエンタテイメント||FLCF-5087|| ||17位 |- !19th |2010年11月17日||'''[[魔力 (アルバム)|魔力]]'''||フォーライフミュージックエンタテイメント||FLCF-5088|| ||22位 |} ==== カバー・セルフカバーアルバム ==== {|class="wikitable" style="font-size:smaller" !タイプ!!style="width:8.5em"|発売日!!タイトル!!レーベル!!style="width:6em"|規格品番!!備考!!最高位 |- |rowspan="2"|セルフカバー||1984年12月21日||'''[[9.5カラット]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5077 |井上自身2作目のミリオンセラー||1位 |- |1992年11月20日||'''[[ガイドのいない夜]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5080 |「[[MIS CAST|Just Fit]]」は[[沢田研二]]に提供した楽曲||7位 |- |カバー||2001年5月30日||'''[[UNITED COVER]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5084||「手引きのようなもの」のみセルフカバー||2位 |- |セルフカバー||2002年11月20日||'''[[Blue Selection]]'''||フォーライフミュージックエンタテイメント||FLCF-5086||全曲に[[ジャズ]]アレンジが施されている。||20位 |- |カバー||2015年7月29日||'''[[UNITED COVER 2]]'''||ユニバーサルミュージック||UPCH-7591||「氷の世界」のみセルフカバー。オリジナルの新曲2曲あり。シリーズ第1弾より足掛け15年振りの続編。||16位 |} ==== ライブ・アルバム ==== {|class="wikitable" style="font-size:smaller" !枚!!style="width:8.5em"|発売日!!タイトル!!レーベル!!style="width:6em"|規格品番!!備考 |- !1st |1973年7月1日||'''[[陽水ライヴ もどり道]]'''||ポリドール・レコード||UPCY-7588|| |- !2nd |1976年12月5日||'''[[東京ワシントンクラブ]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5070||CD単体発売も左記品番で予定されていたが、諸事情により発売中止。後述のCD-BOX『[[YOSUI BOX Remastered]]』で初CD化。 |- !3rd |1982年4月5日||'''[[陽水ライブ<ジェラシー>]]'''||フォーライフ・レコード||33C-1||カセットテープのみの発売。 |- !4th |1986年8月27日||'''[[クラムチャウダー (アルバム)|クラムチャウダー]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-5009 ||キャッチコピーは「冷めないうちに」。 |- !5th |2014年9月10日||'''[[氷の世界ツアー2014 ライブ・ザ・ベスト]]'''||ユニバーサルミュージック||UMCK-9701||SHM-CD使用。 |} ==== ベスト・アルバム ==== {|class="wikitable" style="font-size:smaller" !style="width:8.5em"|発売日!!タイトル!!style="width:7em"|レーベル!!style="width:6em"|規格品番!!備考 |- |1975年7月21日||'''[[GOOD PAGES]]'''||ポリドール・レコード||MR-5060||初のベスト・アルバム。 |- |1976年10月21日||'''[[GOOD PAGES 2]]'''||ポリドール・レコード||MR-3026||全12曲収録。ポリドール音源ベスト・アルバム第2弾。歌詞カードには各曲ごとの楽譜付。 |- |1980年9月21日||'''[[井上陽水ベスト20]]'''||フォーライフ・レコード||36C-1||カセットテープのみの独自企画。A面全てのライブ音源と、B面「傘がない」の弾き語りスタジオ新録音源は当商品のみ。 |- |1981年3月21日||'''[[井上陽水メタル・スペシャル]]'''||フォーライフ・レコード||33C-5002||カセットテープのみの独自企画。メタルテープを使用したベストアルバム。 |- |1982年3月5日||'''SO'''||ポリドール・レコード||25MX-9030||ポリドールおよびフォーライフで発表した曲を収録したベストアルバム。 |- |1982年3月5日||'''MUCH'''||フォーライフ・レコード||25K-2||ポリドールおよびフォーライフで発表した曲を収録したベストアルバム。 |- |rowspan="2"|1985年3月1日|| rowspan="2" |'''[[明星 (アルバム)|明星]]'''||rowspan="2" |ポリドール・レコード||25MS-0072 (LP)||rowspan="2"|ポリドール音源を集めた陽水自身の選曲によるベストアルバムだが、諸事情により、初版はキティレコードからリリース。後述のフォーライフ音源を集めた「平凡」と同時期に発売。LPは10曲、CDは16曲と、収録曲数が異なる。CDのみ聴ける6曲は「夏まつり」「東へ西へ」「人生が二度あれば」「傘がない」「感謝知らずの女」「小春おばさん」。 |- |POCH-1591 (CD) |- |rowspan="2"|1985年3月5日||rowspan="2"|'''[[平凡 (アルバム)|平凡]]'''||rowspan="2"|フォーライフ・レコード||28K-83 (LP)||rowspan="2"|上記の『明星』と同時期に発売。「招待状のないショー (New Take)」収録は、当作品のみ。「青空、ひとりきり」「愛されてばかりいると」「Good, Good-Bye」はシングルバージョンで収録。 |- |35KD-5 (CD) |- |1987年7月21日||'''[[Re-View]]'''||フォーライフ・レコード||33KD-106||「愛されてばかりいると」はシングルバージョン、「青空、ひとりきり」「なぜか上海」は別ミックス。CDのみの発売。 |- |rowspan="2"|1987年9月1日||rowspan="2"|'''[[YOSUI SINGLE COLLECTIONS]]'''||rowspan="2"|ポリドール・レコード||POCH-1592 (CD)|| rowspan="2" |[[コンパクトディスク|CD]]・[[カセットテープ]]のみ。<br />ポリドールの音源のシングル7枚、全14曲を収録。 |- |(CT) |- |1993年8月6日||'''[[心もよう (アルバム)|心もよう]]'''||ポリドール・レコード||POCH-1275||全15曲収録。 |- |1994年12月1日||'''[[井上陽水 全曲集|全曲集]]'''||ポリドール・レコード||POCH-1434||全20曲収録。カセットテープ同時発売。 |- |1997年11月19日||'''[[ベスト・コレクション (井上陽水のアルバム)|ベスト・コレクション]]'''||ポリドール・レコード||POCH-1660||全19曲収録。ポリドール楽曲16曲、フォーライフ楽曲3曲。 |- |1999年5月26日||'''[[夢の中へ -井上陽水ベストアルバム-]]'''||ポリドール・レコード||POCH-1797||全19曲収録。 |- |1999年7月28日||'''[[GOLDEN BEST]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-3761||初の公式2枚組ベスト。200万枚以上のセールスを記録。 |- |2000年7月28日||'''[[GOLDEN BAD]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-3800||B面曲、アルバム収録曲より陽水自身が選んだ通称「裏ベスト」。 |- |2003年6月25日||'''[[GOLDEN BEST|GOLDEN BEST SUPER]]'''||フォーライフミュージックエンタテイメント||FLCF-3965||既発の『GOLDEN BEST』に、新たに『GOLDEN BEST SUPER Disc3』を加えて3枚組とした限定盤(Disc3はCD単体発売無し)。『Disc3』収録のライブバージョンの一部は、期間限定でネット配信された。 |- |2003年11月5日||'''[[井上陽水 プラチナ・ベスト 〜アーリー・タイムズ〜]]'''||ユニバーサルミュージック|||UICZ-4085||全20曲収録。陽水の既発楽曲18曲、井上陽水・安全地帯による86年のシングル「夏の終わりのハーモニー」、カップリング曲「俺はシャウト!」を収録。 |- |2008年7月16日||'''[[弾き語りパッション]]'''||フォーライフミュージックエンタテイメント||FLCF-4240||2007年ツアーから初期の楽曲を中心に収録された弾き語りベスト・アルバム。当初は2008年ツアー会場のみでの限定販売であったが、反響の多さでメジャー流通でも発売された。 |- |2008年12月10日||'''[[BEST BALLADE]]'''||フォーライフミュージックエンタテイメント||FLCF-4269||バラードベスト |- |rowspan="2"|2010年3月3日||'''[[井上陽水 傘がない〜東へ西へ]]'''||ユニバーサルミュージック||DCI-85904||全15曲収録。一般のCDショップルートに並ばないCD。 |- |'''[[井上陽水 氷の世界〜夢の中へ]]'''||ユニバーサルミュージック||DCI-85905||全16曲収録。一般のCDショップルートに並ばないCD。 |} ==== CD-BOX ==== {|class="wikitable" style="font-size:smaller" !style="width:8.5em"|発売日!!タイトル!!style="width:7em"|レーベル!!style="width:8em"|規格品番!!備考 |- |1986年12月5日||'''[[井上陽水 1975〜]]'''||フォーライフ・レコード||190KD-66||フォーライフ移籍以降の全曲集(アルバム『東京ワシントンクラブ』とオムニバス収録曲、ライヴ音源を除く)。シングルバージョンは「青空、ひとりきり」のみ。 |- |1988年11月25日||'''[[YOSUI 4 ORIGINAL ALBUMS]]'''||ポリドール・レコード||H96P-20201/4||ポリドール時代の4枚をBOX化したもの。 『氷の世界』の1曲目に「夢の中へ」を追加収録(当商品のみ) |- |1991年12月11日||'''[[NO SELECTION 井上陽水全集]]'''||フォーライフ・レコード||FLC3-84122||ポリドール時代4枚とフォーライフ時代10枚の計14枚のアルバムとシングル曲集2枚『SPECIAL EDITION 1』『SPECIAL EDITION 2』を加えた16枚BOX。<br />『SPECIAL EDITION1』にアンドレ・カンドレ時代6曲を収録。<br />特典で、非売品VHS『SELECTION』が付属。「[[傘がない]]」、「夏まつり」「[[夢の中へ]]」、「[[心もよう]]」、「青空、ひとりきり」、「[[最後のニュース]]」のプロモーションビデオが収録。 |- |1996年3月25日||'''[[COMPLETE YOHSUI IN POLYDOR DAYS 5 ALBUMS+2 SINGLES|COMPLETE YOSUI IN POLYDOR DAYS 5 ALBUMS+2 SINGLES]]'''||ポリドール・レコード||POCH-1555/9||5枚組BOX。ユニバーサルミュージックHPの井上陽水ディスコグラフィーは、BOX紹介ではなく5枚単品扱い紹介されている。(各作品の収録内容は、このBOXのみに適用。永久通常仕様のオリジナル5枚各々の収録内容とは異なる) |- |1999年12月1日||'''[[GOLDEN YEARS 1972-1974]]'''||ポリドール・レコード||POCH-9018/22||5枚組BOX。全54曲収録。 |- |2001年5月30日||'''[[井上陽水 ReMASTER]]'''||フォーライフ・レコード||FLCF-3860||フォーライフ時代15枚とシングル曲集2枚『Re MASTER extra-1』『Re MASTER extra-2』を加えた17枚BOX。<br />[[ボーナストラック]]「少年時代」ライブバージョンが当商品のみ収録。 |- |2019年1月30日||'''[[YOSUI BOX Remastered]]'''||ユニバーサルミュージック||UPCH-7461||当初2018年12月19日発売予定が、製造スケジュール都合により発売延期。全スタジオアルバム24作をリマスタリングしてパッケージしたスペシャルBOX。1976年に発表されたライブアルバム『[[東京ワシントンクラブ]]』が初CD化。 |} ==== トリビュート・アルバム ==== {|class="wikitable" style="font-size:smaller" !発売日!!タイトル!!レーベル!!規格品番!!備考 |- |2004年11月10日||'''[[YOSUI TRIBUTE]]'''||フォーライフミュージックエンタテイメント||FLCF-4038|| |- |2019年11月27日||'''[[井上陽水トリビュート]]'''||ユニバーサルミュージック||UPCH-2198|| |} ==== コンピレーション・アルバム ==== {|class="wikitable" style="font-size:smaller" !style="width:8em"|発売日!!style="width:4.5em"|タイトル!!レーベル!!style="width:4.5em"|規格品番!!備考 |- |1975年7月29日||'''[[陽水生誕]]'''||[[インディーズ|Kaleidoscope]]||KL-0002||ライブ音源やアンドレカンドレの楽曲など、ここでしか聴けないトラックを含んでいるが、陽水の同意を得ずにリリースされたため発売停止となった。 |} === 関連作品 === * '''桜三月散歩道'''(1973年) ** 『[[まんがNo.1]]』付属ソノシートとして発表<ref name="manga_no1">[http://www.koredeiinoda.net/fujiopro-topic/?p=48 あの幻の「まんがNo.1」が今蘇る!?]、赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!、2006年9月26日。</ref>。アルバム『[[氷の世界 (アルバム)|氷の世界]]』収録の同名曲とは別バージョン。 * '''[[クリスマス (アルバム)|クリスマス]]'''(1976年11月10日) ** [[小室等]]・[[吉田拓郎]]・井上陽水・[[泉谷しげる]]による[[オムニバス]]アルバム。 * '''[[限りなく透明に近いブルー]] オリジナル・サウンドトラック'''(1978年5月) ** [[サイモン&ガーファンクル]]の「Homeward Bound」「Cloudy」をカバーしている。 * '''[[Natural Menu]]'''(1979年12月10日) ** [[来生たかお]]のアルバム。「ゆるやかに愛が…」にコーラスで参加している。 * '''[[スターダスト・ランデヴー井上陽水・安全地帯LIVE AT 神宮|STARDUST RENDEZ-VOUS 井上陽水・安全地帯LIVE at 神宮]]'''(1986年11月5日) ** アーティスト名は「井上陽水・安全地帯」。ライブアルバム。 * '''115人のイラストレーターが描く井上陽水の115曲'''(1997年12月10日) ** 115点のイラストに合わせて陽水の歌が流れるCD-ROM。ここでしか聞けない録音が含まれている。 * '''[[オフ・オフ・マザーグース]]'''(1995年)EMIミュージック・ジャパン ** 37曲めの「みんなくたくた」というシュールな歌を歌っている。 * '''[[RESPECT! The 30th Anniversary of Kiyoshiro Imawano]]'''(2000年5月5日) ** 2000年3月3日に日本武道館で行われた[[忌野清志郎]]30周年記念ライヴの録音盤。清志郎とともに「帰れない二人」を歌っている。また、2000年6月14日には同ライヴのDVDが発売されており、同様に「帰れない二人」が収録されている。 * '''地上のスピード'''(2000年10月21日) ** 来生たかおのシングル。シングルバージョンとアルバムバージョン(アルバム『[[Dear my company]]』収録)があり、ともに作詞とコーラスで参加している。2つのバージョンが存在するのは、陽水の提案によるものだという。 * '''[[Queen's Fellows]]: yuming 30th anniversary cover album'''(2002年12月11日) ** [[松任谷由実]]への[[トリビュートアルバム]]。陽水は「甘い予感」で参加している。 * '''[[ランデ・ヴー (ジェーン・バーキンのアルバム)|Rendez-vous]]'''(2004年3月30日、日本盤は31日) ** [[ジェーン・バーキン]]のアルバム。 ** ''Canary Canary''は陽水の曲「カナリア」に英語の歌詞をつけたもので、バーキンと陽水が[[デュエット]]している。 ** 陽水の参加作品が海外に向けて発売された唯一の例である。 * '''[[いつのまにか少女は]]''' c/w ミステリー あなたに夢中(2004年10月20日) ** アーティスト名は「[[持田香織]] produced by 井上陽水」。持田香織が歌った作品である。 ** 「いつのまにか少女は」は陽水のカバー。陽水は[[ハーモニカ]]で参加している。 ** 「ミステリー〜」はこのシングルのための提供曲。陽水は[[コーラス (ポピュラー音楽)|コーラス]]で参加している。 ** 『LOVE COMPLEX』には陽水が歌う「ミステリー〜」が収録されている。 ** シティ・ポップスカバーコンピ『[[Happy Holidays! 〜CITY POPS COVERS〜]]』には「[[いつのまにか少女は]]/持田香織 produced by 井上陽水]」が収録されている。 * '''[[はじめてのやのあきこ]]'''(2006年3月8日) ** [[矢野顕子]]のアルバム。陽水は「架空の星座」を作詞し、矢野とデュエットしている。 ** 『LOVE COMPLEX』には再録された「架空の星座」が収録されている。 * '''[[服部良一 〜生誕100周年記念トリビュート・アルバム〜]]'''(2007年10月17日) ** [[服部良一]]へのトリビュート・アルバム。2曲目の「[[胸の振り子]]」に参加。 * '''[[奥田民生・カバーズ]]'''(2007年10月24日) ** [[奥田民生]]のトリビュート・アルバム。「The STANDARD」を歌っている。 * '''[[宇多田ヒカルのうた -13組の音楽家による13の解釈について-]]'''(2014年12月9日) ** [[宇多田ヒカル]]がデビュー15周年を記念してリリースされた初となるトリビュート・アルバム。「[[SAKURAドロップス]]」を歌っている。 * '''[[アダムとイヴの林檎]]'''(2018年5月23日) ** [[椎名林檎]]のデビュー20周年を記念してリリースされた初のトリビュート・アルバム。「[[カーネーション (椎名林檎の曲)|カーネーション]]」を歌っている。 === 映像作品 === * '''[[クラムチャウダー (アルバム)#ビデオ|クラムチャウダー<NHKホールライブ>]]'''(1986年9月1日) ** ライブ映像。[[VHS]]、[[レーザーディスク|LD]]、[[ベータマックス|β]]、[[VHD]]の4形態で発売。 * '''井上陽水ライブ'88サントリーホール 夜のシミュレーション'''(1989年4月21日) ** ライブ映像。VHS、LD、βの3形態で発売。 * '''夢寝見'''(1989年10月21日) ** プロモーションビデオ。VHSとLDの2形態で発売。 * '''Curve Yousui Inoue'''(1990年) ** プロモーションビデオ、ライブ映像、コンサート会場限定販売。 * '''井上陽水 CONCERT 1999〜2001 UNITED TOUR'''(2001年12月5日) ** ライブ映像。VHSと[[DVD]]の2形態で発売。 * '''「The Premium Night」―昭和女子大学 人見記念講堂ライブ―'''(2007年4月11日) ** ライブ映像。DVDのみの発売。 * '''「40th Special Thanks Live in 武道館」'''(2010年3月31日) ** ライブ映像。DVDのみの発売。 * '''「氷の世界ツアー2014 ライブ・ザ・ベスト」CD特典ライブ映像'''(2014年9月10日) ** ライブ映像。限定盤Aの付属品[[Blu-ray]] 限定盤Bの付属品[[DVD]]の2形態で付属。 * '''「井上陽水 コンサート2015 UC2」'''(2016年3月16日) ** ライブ映像。[[DVD]]と[[Blu-ray]]の2形態で発売。 * '''「GOLDEN BEST VIEW ~SUPER LIVE SELECTION~」'''(2017年10月4日) ** ライブ映像。[[DVD]]と[[Blu-ray]]の2形態で発売。 * '''「井上陽水50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』〜少年老い易く 学成り難し〜」'''(2020年9月1日) ** ライブ映像。[[DVD]]と[[Blu-ray]]の2形態で発売。 ==== PV ==== いくつかの曲でPVが制作されている。 * 「[[傘がない]]」 * 「夏まつり」 * 「[[夢の中へ]]」 * 「[[心もよう]]」 * 「青空、ひとりきり」-レコーディングの風景が撮影された。 * 「[[最後のニュース]]」-1990年12月頃に制作され陽水本人が監督を務めた。 以下が1991年「NO SELECTION 井上陽水全集」の特典VHSに収録された。その他にも、 * 「[[少年時代 (井上陽水の曲)|少年時代]]」 * 「夢寝見」-[[操上和美]]が監督を務め、1989年10月21日にVHSとLDの2形態で発売。 * 「Just fit」-前述同様[[操上和美]]が監督を務める。故郷の[[田川郡|田川]]で撮影が行われた。 * 「嘘つきダイヤモンド」 * 「[[リバーサイドホテル]]」-再発時の1988年頃に新規制作された。 * 「[[Make-up Shadow]]」 * 「花の首飾り」 * 「Love Rainbow」 などが制作されている。また、「傘がない」は2008年の『弾き語りパッション』発売時、新規に制作され、俳優の[[オダギリジョー]]が主演を務めた。陽水本人も一瞬だけ出演した。 === 「井上陽水奥田民生」名義 === {{See|井上陽水奥田民生#ディスコグラフィ}} === タイアップ一覧 === {|class="wikitable" style="font-size:small" !楽曲!!タイアップ |- |rowspan="5"|夢の中へ |映画『[[放課後 (映画)|放課後]]』主題歌 |- |[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[カシオペア (列車)|カシオペア]]CMソング |- |[[au (携帯電話)|au]] [[CDMA 1X WIN]]CMソング |- |[[ダブル定額|EZフラット]]CMソング |- |映画『[[すずめの戸締まり]]』挿入歌 |- |rowspan="2"|愛は君 |[[日活ロマンポルノ]]『感じるんです』挿入歌 |- |[[TBSテレビ|TBS]]系ドラマ『[[スチュワーデスの恋人]]』主題歌 |- |BRIGHT EYES |映画『[[ウォーターシップダウンのうさぎたち]]』主題歌 |- |rowspan="2"|とまどうペリカン |[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系スペシャルドラマ『季節が変わる日』エンディングテーマ |- |映画『[[幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬]]』劇中歌 |- |いっそセレナーデ | rowspan="2" |[[サントリー角瓶]]CMソング |- |rowspan="5"|新しいラプソディー |- |[[サッポロビール|サッポロ]]<生>黒ラベルCMソング |- |[[日清食品|日清]]カップヌードルCMソング |- |[[全日本空輸|ANA]]CMソング |- |サッポロビールCMソング |- |WHY |[[日立製作所]][[オーディオ・ビジュアル|AV]]用品CMソング |- |We are 魚 |[[ホンダ・トゥデイ (自動車)|ホンダ・トゥデイ]]CMソング |- |今夜、私に |[[日産・セフィーロ]]CMソング |- |リバーサイドホテル |[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系ドラマ『[[ニューヨーク恋物語]]』テーマ曲 |- |rowspan="2"|最後のニュース |[[TBSテレビ|TBS]]系列『[[筑紫哲也 NEWS23]]』エンディングテーマ |- |[[キノフィルムズ]]映画『[[だれかの木琴]]』主題歌 |- |rowspan="3"|少年時代 |[[東宝]]映画『[[少年時代]]』主題歌 |- |[[1991年]][[ソニー]][[8ミリビデオ|8mmビデオ]]CMソング |- |[[麒麟麦酒|KIRIN]]・[[ラガー (ビール)|ラガービール]]CMソング |- |Tokyo |サントリーローヤルCMソング |- |結詞 |[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]「その先の日本へ」テーマソング |- |5月の別れ |[[1993年|'93]]キリンラガービール「日本の恵みシリーズ」CMソング |- |rowspan="2"|Make-up Shadow |フジテレビ系ドラマ『[[素晴らしきかな人生]]』主題歌 |- |[[トヨタ・ブレイド]]CMソング |- |カナディアン・アコーデオン |[[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説]]『[[かりん (テレビドラマ)|かりん]]』テーマ曲 |- |移動電話 |TBS系ドラマ『[[夢見る頃を過ぎても (テレビドラマ)|夢見る頃を過ぎても]]』主題歌 |- |カミナリと風 |TBS系ドラマ『夢見る頃を過ぎても』挿入歌 |- |嘘つきダイヤモンド |フジテレビ系『[[HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP]]』エンディングテーマ |- |太陽の町 |東映映画『[[機関車先生]]』テーマ曲 |- |積み荷のない船 |[[テレビ朝日]]系ドラマ『[[深夜特急]]』主題歌 |- |HAWAIIAN LOVE SONG (リリウオカラニ女王に捧ぐ) |ハワイ観光局CMソング |- |TEENAGER |日本テレビ系ドラマ『[[三姉妹探偵団]]』エンディング曲 |- |最新伝説 |[[毎日放送|MBS]]-TBS系テレビ番組『[[世界ウルルン滞在記]]』4・5月エンディングテーマ曲 |- |rowspan="2"|クレイジーラブ |フジテレビ系ドラマ『[[アフリカの夜]]』挿入歌 |- |映画『[[かもめ食堂]]』エンディング曲 |- |この世の定め |rowspan="2"|[[キリンビバレッジ]]聞茶CMソング |- |Final Love Song |- |森花処女林 |フジテレビ系『[[ランチの女王]]』挿入歌 |- |決められたリズム |[[松竹]]映画『[[たそがれ清兵衛]]』主題歌 |- |歌に誘われて |[[西鉄バス]] CMソング |- |新しい恋 |[[サントリーオールド|ザ・サントリーオールド]]CMソング |- |Love Rainbow |[[資生堂]]「ザ・コラーゲン」CMソング |- |MAP |NHK『[[ブラタモリ]]』第1 - 3シリーズエンディングテーマ |- |赤い目のクラウン |映画『[[今度は愛妻家]]』主題歌 |- |覚めない夢 |NHKドラマ『[[さよなら、アルマ#NHKスペシャル版|さよなら、アルマ〜赤紙をもらった犬〜]]』主題歌 |- |女神 |NHK『ブラタモリ』第4シリーズオープニングテーマ |- |瞬き |NHK『ブラタモリ』第4シリーズエンディングテーマ |- |care |[[大塚製薬]]『[[ポカリスエット]]』CMソング |} === 楽曲提供 === * オリーブ ** 「愛ある国へ」 - 作詞・作曲:井上陽水(1970年) * [[ザ・モップス]] ** 「窓をあけろ」 - 作詞・作曲:井上陽水(1972年) ** 「あかずの踏切り」 - 作詞:井上陽水/作曲:[[星勝]](1973年) * [[石川セリ]] ** 「[[ダンスはうまく踊れない]]」 - 作詞・作曲:井上陽水(1977年)- 5年後の1982年、[[高樹澪]]が[[カバー]]・シングルとしてリリース ** 「気まぐれ」 - 作詞:石川セリ/作曲:井上陽水 * [[水谷豊]] ** 「はーばーらいと」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水(1977年) ** 「男の手紙」 - 作詞:[[白石ありす]]/作曲:井上陽水 ** 「鍵はかけない」 - 作詞:[[松本隆]]/作曲:井上陽水 ** 「通過します」 - 作詞:[[友部正人]]/作曲:井上陽水 ** 「テンダネス」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 ** 「マリーナ デル レイ」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 (1981年) ** 「AMERICAN LINE」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 ** 「MUSIC HIGH」 - 作詞・作曲:井上陽水 (1982年) * [[佐藤博 (ミュージシャン)|佐藤博]] ** 「月の子の名前はレオ」 - 作詞:井上陽水/作曲:佐藤博(1979年) * [[中山千夏]] ** 「Kiss」 - 作詞:井上陽水/作曲:小室等(1980年) * [[山口百恵]] ** 「[[This is my trial|Crazy love]]」 - 作詞:井上陽水/作曲:井上陽水(1980年) * [[三上寛]] ** 「俺のあの娘は可愛いい」 - 作詞・作曲:井上陽水(1981年) * [[沢田研二]] ** 「News」 ** 「デモンストレーションAir Line」 ** 「[[背中まで45分]]」 ** 「Darling」 ** 「A.B.C.D.」 ** 「チャイニーズフード」 ** 「How Many “Good Bye”」 ** 「次のデイト」 ** 「ジャスト フィット」 ** 「ミスキャスト」 *** 全曲、作詞・作曲:井上陽水(1982年12月10日) * [[柏原芳恵]] ** 「[[夢模様 (柏原芳恵のアルバム)|夏のたった今]]」 - 作詞:[[友部正人]]/作曲:田所純一郎(井上陽水)(1983年7月30日) * [[安全地帯 (ロックバンド)|安全地帯]] ** 「[[ワインレッドの心]]」 - 作詞:井上陽水/作曲:[[玉置浩二]] (1983年11月25日) ** 「[[真夜中すぎの恋]]」 - 作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二 (1984年) ** 「[[恋の予感]]」 - 作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二 (1984年10月25日) * [[中森明菜]] ** 「[[飾りじゃないのよ涙は]]」 - 作詞・作曲:井上陽水 (1984年11月14日) ** 「ムーンライトレター」 - 作詞:[[松井五郎]]/作曲:井上陽水 * [[吉永小百合]] ** 「夢さぐり」 - 作詞:[[来生えつこ]]/作曲:井上陽水 (1984年) * [[薬師丸ひろ子]] ** 「[[ステキな恋の忘れ方]]」 - 作詞・作曲:井上陽水 (1985年11月1日) ** 「哀しみの種」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 ** 「ローズ・ティーはいかが?」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 ** 「めぐり逢い」 - 作詞・作曲:井上陽水(2017年) * [[安倍理津子|安倍里葎子]] ** 「年下ごのみ」作詞:[[森山幸男|吉法かずさ]]/作曲:南杜夫(井上陽水)(1988年3月2日) * [[ブレッド&バター]] ** 「WYOMING GIRL」 - 作詞・作曲:井上陽水 (1989年) ** 「ファッションラヴァー」 - 作詞:GALLWAY PETER ALAN、井上陽水/作曲:GALLWAY PETER ALAN * [[森進一]] ** 「フィクション」 - 作詞・作曲:井上陽水 (1990年) * [[荻野目洋子]] ** 「[[ギャラリー (荻野目洋子の曲)|ギャラリー]]」 - 作詞・作曲:井上陽水(1990年6月27日) ** 「ON BED」 - 作詞:井上陽水/作曲:井上陽水・平井夏美(1990年6月27日) * [[小泉今日子]] ** 「[[月ひとしずく]]」 - 作詞:井上陽水・奥田民生・小泉今日子/作曲:井上陽水・奥田民生(1994年11月14日) * [[デーモン閣下|デーモン小暮閣下]] ** 「LOVE ROMANCE」 - 作詞・作曲:井上陽水(1995年8月21日) * [[篠原涼子]] ** 「ダメ!」 - 作詞・作曲:井上陽水(1995年11月22日) * [[PUFFY]] ** 「[[アジアの純真]]」 - 作詞:井上陽水/作曲:奥田民生(1996年5月13日) ** 「[[渚にまつわるエトセトラ]]」 - 作詞:井上陽水/作曲:奥田民生(1997年4月16日) ** 「CAKE IS LOVE」 - 作詞・作曲:井上陽水(1998年4月1日) ** 「[[オリエンタル・ダイヤモンド/くちびるモーション|オリエンタル・ダイヤモンド]]」 - 作詞:井上陽水/作曲:奥田民生(2007年9月5日) * [[Chappie]] ** 「DOCU-MENTARY KISS」 - 作詞:井上陽水/作曲:ギターペイダー(1999年10月10日) * [[ペギー葉山]] ** 「プラス・ピアス」 - 作詞・作曲:井上陽水 (2000年) * [[来生たかお]] ** 「地上のスピード」 - 作詞:井上陽水/作曲:来生たかお (2000年10月21日) * [[一青窈]] ** 「一思案」 - 作詞:一青窈/作曲:井上陽水(2004年4月7日) ** 「面影モダン」 - 作詞:一青窈/作曲:井上陽水(2004年4月7日) * [[持田香織]] ** 「ミステリーあなたに夢中」 - 作詞・作曲:井上陽水(2004年10月20日) * [[岡本知高]] ** 「E-I-E-N」 - 作詞:井上陽水/作曲:筒美京平(2004年10月21日) * [[Akeboshi]] ** 「Yellow Moon」 - 作詞:井上陽水/作曲:Akeboshi(2006年4月19日) * [[小野リサ]] ** 「青いフラミンゴ」 - 作詞・作曲:井上陽水 (2013年) * [[依布サラサ]] ** 「キャッホー」 -作詞・作曲:井上陽水 (2013年) * [[伊藤蘭]] ** 「LALA TIME」-作詞・作曲:井上陽水、みりん (2019年) * [[DR.STRANGE LOVE]] ** 「アメリカのアリゾナ」 - 作詞:井上陽水/作曲:長田進 * [[本山ツトム]] ** 「一枚ガラスの喫茶店」 - 作詞:[[小椋佳]]/作曲:井上陽水 * [[野崎沙穂]] ** 「エアメール・ブルー」 - 作詞:[[安井かずみ]]/作曲:井上陽水 * [[かしわ哲]] ** 「オシエテモット」 - 作詞:かしわ哲/作曲:井上陽水 * [[矢野顕子]] ** 「架空の星座」 - 作詞:井上陽水/作曲:矢野顕子 * [[三田寛子]] ** 「[[駈けてきた処女]]」 - 作詞:[[阿木燿子]]/作曲:井上陽水 ** 「夏の雫」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水/編曲:[[坂本龍一]] ** 「ふたりぽっち物語」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水 * [[町田義人]] ** 「風のように」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水 * [[樋口可南子]] ** 「からたちの花」 - 作詞:流れ星犬太郎/作曲:井上陽水 * [[小林麻美]] ** 「グランプリの夏」 - 作詞:小林和子/作曲:井上陽水 ** 「TRANSIT」 - 作詞:[[松任谷由実]]/作曲:井上陽水 * [[郷ひろみ]] ** 「[[サファイア・ブルー]]」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 * [[姫乃樹リカ]] ** 「地上の楽園」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 * [[風間杜夫]] ** 「東京さみしがり屋」 - 作詞・作曲:井上陽水 * [[長谷川きよし]] ** 「ドライアイス」 - 作詞:井上陽水/作曲:長谷川きよし * [[武田久美子]] ** 「半分ピエロ」 - 作詞:友部正人/作曲:井上陽水 * [[YK型]] ** 「バルサの翼」 - 作詞:[[吉田照美]]/作曲:井上陽水 * [[亀淵友香]] ** 「夢のくらし」 - 作詞:[[及川恒平]]/作曲:井上陽水 * [[松坂慶子]] ** 「ラジオのついたナイト・テーブル」 - 作詞:井上陽水/作曲:小室等 * [[かまやつひろし]] ** 「ロンドン急行」 - 作詞・作曲:井上陽水 * [[MAACHO]] ** 「NOTHING IN BLUE」 - 作詞:CASS MARK/作曲:井上陽水 * [[上原さくら|岩下京子]] ** 「BOOING」 - 作詞・作曲:井上陽水(「立花海」名義<ref>https://web.archive.org/web/20160305020601/http://ameblo.jp/sakura-uehara/archive18-201112.html 上原さくらオフィシャルブログ</ref>) == 出演 == 1969年のデビューから殆どテレビ•ラジオに出演する事は多くなく、親交が深い[[タモリ]]や[[筑紫哲也]]などの冠番組、一部の音楽番組の出演等が大半を占める。 === 音楽番組 === * [[ザ・ベストテン]](1981年、1984年など、[[TBSテレビ|TBS]]) * 第27回日本レコード大賞(1985年12月31日、TBS) * [[夜のヒットスタジオ]](1981年、1987年など、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) * [[ミュージックフェア]](1983年、1987年、フジテレビ) * [[加山雄三ショー]](1988年1月16日•23日、[[NHK総合]]) * [[ミュージックステーション]](1989年7月28日「夢寝見」、1991年10月25日「[[少年時代 (井上陽水の曲)|少年時代]]」、1992年11月27日「結詞」、1994年10月21日「移動電話」、1995年12月22日「嘘つきダイヤモンド」、1997年2月14日「ありがとう」、2001年1月19日「[[コーヒールンバ]]」、2006年12月28日「パラレル・ラブ」、[[テレビ朝日]]) * タモリ・山田邦子のヤマモリ音楽ステーション(1992年1月2日) * [[MJ -MUSIC JOURNAL-]](1993年04月14日、フジテレビ) * [[HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP]](1995年、2002年など、フジテレビ) * [[僕らの音楽 Our Music|僕らの音楽2]] (2006年04月07日、フジテレビ) * [[SONGS (テレビ番組)|SONGS]](2009年、2012年、2015年など、NHK総合) * [[The Covers]](2015年2月16日、NHK総合) === ドキュメンタリー === * [[情熱大陸]](1999年8月29日、TBS) * 陽水の50年〜5人の表現者が語る井上陽水〜(2019年12月27日、NHK総合) === 報道番組 === * [[日曜夕刊!こちらデスク]](1982年9月26日、テレビ朝日) * [[筑紫哲也 NEWS23]](1990年、2003年など、TBS) * [[ミッドナイトジャーナル (NHK総合)| ミッドナイトジャーナル]](1992年、NHK総合) * [[ニュースステーション]](1999年、テレビ朝日) === トーク番組 === * [[徹子の部屋]](1982年、2012年4月5日、テレビ朝日) * [[Ryu's Bar 気ままにいい夜]](1987年10月4日、TBS) * [[TK MUSIC CLAMP]](1995年10月25日、フジテレビ) * [[ETV特集|ETV2000]]「いま クリエイティブとは何か」(2000年8月22日、[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]])- 糸井重里と対談 === 映画 === *[[女番長 野良猫ロック]](1970年、日活) ※アンドレ・カンドレ名義 * [[お葬式]](1984年) * [[無能の人]](1991年) === 特別番組 === * タモリ&井上陽水の大人のお正月(テレビ朝日、1995年1月1日) * 井上陽水 ハロー、グッバイ(NHK、2000年12月10日) * 井上陽水 空想ハイウェイ(NHK、2004年から2005年)-全4回放送。 ** 持田香織、[[三上寛]]、[[加川良]]、[[高田渡]]、[[友部正人]]、小室等、[[押尾コータロー]]、[[ジェイク・シマブクロ]]、[[山下洋輔]]、[[高田漣]]、[[菊地成孔]]に加え、陽水への[[トリビュートアルバム]]『YOSUI TRIBUTE』に参加した[[トライセラトップス]]、[[布袋寅泰]]、[[平原綾香]]、[[小野リサ]]、一青窈、奥田民生、忌野清志郎らが出演。 * 井上陽水スペシャルTV(TBS、2007年12月26日) * LIFE 井上陽水(NHK、2009年)-全4回放送。 * 井上陽水マニアックカタログ(NHK、2013年4月7日) === バラエティ番組 === *[[ばらえてい テレビファソラシド]](NHK総合、1981年1月22日) *[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]・[[テレフォンショッキング]](フジテレビ、1983年6月29日、2001年1月25日、2014年3月19日他) *[[とんねるずのみなさんのおかげです|とんねるずのみなさんのおかげです 年末特別スペシャル]]『[[とんねるずのみなさんのおかげですのコーナー一覧#井上陽水物語|井上陽水物語]]』(フジテレビ、1990年12月27日) * [[タモリ倶楽部]](テレビ朝日、1992年、1993年、1994年) * 今夜は営業中!(日本テレビ、1999年9月18日) * [[木梨サイクル]](フジテレビ、2001年12月7日•14日) * [[ヨルタモリ]](フジテレビ、2014年10月26日) === テレビドラマ === * [[幕末青春グラフィティ 坂本竜馬]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、1982年) - [[伊藤博文|伊藤俊輔]]役 === ラジオ番組 === * [[スマッシュ!!11]](1969年、1970年など、[[RKBラジオ]]) * クェスチョンズ~井上陽水の人間探検~(1980年、[[TBSラジオ]])-'''陽水自身が半年間パーソナリティを務めた。'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20060520115905/http://aidisc.hp.infoseek.co.jp/yearbook/1980.shtml|title=陽水年表 1980年|accessdate=2022-07-11}}</ref> <ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20131219150842/http://www.tbs.co.jp/radio/radiotokyo/img/198010.pdf |title=ラジオ東京スピリッツ 1980年タイムテーブル|accessdate=2022-07-11}}</ref> * [[タモリのオールナイトニッポン]](1981年頃、[[ニッポン放送]]) * 吉田拓郎の[[オールナイトニッポンDX]](1997年10月6日、ニッポン放送) * [[吉田照美のやる気MANMAN!]](2001年、2002年など、[[文化放送]])- やるMANリスナーを公言していた。 * [[タモリの週刊ダイナマイク]](2002年11月17日、ニッポン放送) * [[坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD]](2012年6月11日、ニッポン放送) * [[たまむすび]](2013年、2019年他、TBSラジオ) * [[ラジオ深夜便]](2013年6月10日、NHKラジオ) === CM === * [[サントリー]] [[サントリー角瓶|角瓶]](1984年) * [[日産自動車]] [[日産・セフィーロ|セフィーロ]](1988年 - 1990年頃) * [[キリンビバレッジ]] [[聞茶]](2001年頃) * サントリー [[サントリーオールド]](2006年) == 書籍 == === 著書 === * 音のそとがわで(1974年、[[サンリオ]]) ** エッセイ集。 * 青空ふたり旅(1985年、[[角川書店]])ISBN 4041294150 ** 1976年の[[五木寛之]]との対談。<br />{{small|1976年のペップ出版発行の方にあった「田川のどろぼう部落」が強くてたくましいイメージ、九州的なものとして大事にしたい、などと二人で擁護する件(同書1976年版p163)などが1985年版では削除されている。}} * ラインダンス(1982年、[[新潮社]])ISBN 4101282013 ** 歌詞集。 * 綺麗ごと(1985年、[[集英社]])ISBN 4087800857 ** ロングインタビューなどを掲載。 * 歌う見人(ケンジン) - 井上陽水カセットブック(1986年、[[小学館]])ISBN 4093632510。以下の英語詞ヴァージョンが収録されている。 ** A1:Dream(夢) ** A2:I Fell For You(揺れる花園) ** A3:Tangerine Summers(飾りじゃないのよ涙は) ** A4:Transit(トランジット) ** B1:Sweet Serenade(いっそセレナーデ) ** B2:Waiting Game(新しいラプソディー) ** B3:Couldn't We(招待状のないショー) ** B4:Frozen Eyes(フローズン・アイズ) * 媚売る作家(1993年、角川書店)ISBN 4048833294 ** 作品解説などを掲載。 * 夢の旅人(1994年、新潮社)ISBN 4105299018 ** 井上陽水による詩、[[ギー・ビルー]]による絵で構成された[[絵本]]。 * 井上陽水 FILE FROM 1969(2009年、エフエム東京)ISBN 4887452144 ** 井上陽水40周年記念として今までの多数の活動記録をまとめた本。 * 別冊カドカワ 総力特集 井上陽水(2009年、角川マーケティング(角川グループパブリッシング))ISBN 4048950657 ** 井上陽水の40周年記念に作られた特集号。陽水と親交のある著名アーティストによる陽水についてのインタビュー等も掲載。 === 関連書籍 === * 「井上陽水・孤独の世界」(1975年、塩沢茂著、講談社発行「ビッグ・バックス」) * 井上陽水 全発言(1994年、[[えのきどいちろう]]編集、[[福武書店]])ISBN 4828817360 * 陽水の快楽 ― 井上陽水論(1999年、[[竹田青嗣]]著、[[筑摩書房]])ISBN 4480034587 * 満月、空に満月(1995年、[[海老沢泰久]]著、[[文藝春秋]])ISBN 4167414112 * 井上陽水英訳詩集(2019年、[[ロバート・キャンベル]]著、講談社)ISBN 9784065131312 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 関連項目 == * [[1969年の音楽#デビュー]] - (アンドレ・カンドレ 名義)同じ年にデビューした歌手 * [[1972年の音楽#デビュー]] - (井上陽水 名義)同じ年にデビューした歌手 == 外部リンク == {{ウィキプロジェクトリンク|音楽家|[[File:Band Silhouette 04.jpg|35px|ウィキプロジェクト 音楽家]]}} * [https://yosui.jp/ Yosui Inoue Official Site] - 公式サイト * [http://www.forlife.co.jp/artist/fl00001/ 井上陽水 フォーライフ公式サイト] - フォーライフミュージックエンタテイメントによる公式ページ * [https://www.universal-music.co.jp/inoue-yosui/ 井上陽水 ユニバーサルミュージック公式サイト] - ユニバーサルミュージックによる公式ページ * {{Twitter|yosuiinfo|井上陽水 info}} {{井上陽水}} {{奥田民生}} {{パフィー}} {{忌野清志郎}} {{Normdaten}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect= アンドレ・カンドレ |1= ソニー・ミュージックレコーズのアーティスト}} {{デフォルトソート:いのうえ ようすい}} [[Category:井上陽水|*]] [[Category:日本の男性シンガーソングライター]] [[Category:日本の男性ポップ歌手]] [[Category:日本のギタリスト]] [[Category:日本のフォークシンガー]] [[Category:フォーク・ロック・ミュージシャン]] [[Category:日本の音楽プロデューサー]] [[Category:日本のソングライター]] [[Category:日本の作詞家]] [[Category:日本の男性作曲家]] [[Category:過去のホリプロ所属者]] [[Category:ソニー・ミュージックレコーズのアーティスト]] [[Category:フォーライフミュージックエンタテイメントのアーティスト]] [[Category:ユニバーサルミュージックジャパンのアーティスト]] [[Category:オリコン年間アルバムチャート1位獲得アーティスト]] [[Category:フジロック・フェスティバル出演者]] [[Category:みうらじゅん賞受賞者]] [[Category:ROCK IN JAPAN FESTIVAL出場者]] [[Category:福岡県出身の人物]] [[Category:1948年生]] [[Category:存命人物]]
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旭川市
旭川市(あさひかわし)は、北海道北中部(道北地方)に位置し、上川総合振興局に属する市。上川盆地に広がっている。振興局所在地であり、札幌市に次ぐ北海道第2位の人口(約32万人)を有する中核市である。 北海道中央部に位置し、道北の経済・産業・文化の中心都市。ユネスコの「デザイン都市」、そして「国際会議観光都市」に認定されている。交通面では国道や鉄道路線の終起点となり高速道路が整備されているなど道内物流の拠点となっており、旭川空港からは東京・名古屋・大阪などへ直行便が就航している。全国的に知名度の高い旭川市旭山動物園が存在し、年間500万人以上の観光入込客数があることから、札幌市・小樽市・函館市と並ぶ北海道の観光都市として知名度が高い都市である。北海道パウダーベルトに位置し、冬季はカムイスキーリンクスを中心としたスキーリゾート観光もメインとなっている。また、旭川にゆかりのある文学者や芸術家も多く、市内各所に野外彫刻作品が置かれているほか(旭川の野外彫刻)、旭川家具をはじめとした木工業が盛んである。 一般に、旭川の名が初めて登場したのは明治23年9月20日の開村告知の時とされているが、実際にはその7か月ほど前の明治23年2月9日付『北海道毎日新聞』に掲載された以下の記事がある。 この記事は、当時の北海道庁長官(兼屯田兵本部長)永山武四郎の直属の部下である岡部方幾(屯田兵司令部付曹長)が会見したもので、前年末に上川への離宮設置が山縣有朋内閣によって閣議決定されて以降、まだ村名すら決まっていない地の離宮の名称について語っている。現在確認できる資料としては開村前に「旭川」の名が登場する唯一のものである。 命名者の意図として『旧称(アイヌ地名)の意義を存し(有し)且つ大日本帝国等の意味に縁あり』と明確にしており、「旭川」の名は、アイヌ語に由来する「日」=「旭」の意と、大日本帝国の象徴としての「旭」の意を併せ持つ名として命名された事が読み取れる。 ただ、旭川開村を伝える同年9月23日付北海新聞記事などは、名の由来についてアイヌ語意訳部分しか伝えていない。 なお、記事中の「忠別」とは従前からのこの地域の呼称で、岡部方幾が語ったアイヌ語源「チユプペト」の意訳は、翌年発刊の永田方正『北海道蝦夷語地名解』のチュプペツ項に記述された意訳とほとんど同じ意である。永田は函館県令・北海道庁の命を受けて全道のアイヌ語地名を調査した当時の権威学者であるが、空知・上川・樺戸3郡の調査は同年3月であるはずの永田の意訳が2月のこの時点で既に成されていたという事は、この意訳が調査以前に創作されていた疑いがある。 「旭川」の名の由来については、かなり以前からこの新聞記事の存在は市史編集会議や郷土史家など各方面で知られていたが、旭川市をはじめとしてその見解は長年アイヌ語意訳のみに固定化しており、地名とは直接関係のない忠別川語源説が諸説として混同されるなど種々誤解が多い。 旭川市は北海道内最大の盆地となる上川盆地にあり、石狩川、牛朱別川、忠別川、美瑛川などの河川合流部に位置している。市西部に幌内山地、天塩山地、嵐山丘陵が南北に連なっており、石狩川は幌内山地を侵食して神居古潭渓谷を形成している。大雪山系ではエゾナキウサギ、キタキツネ、エゾリスなどの動物が観られる。「神居古潭渓谷の変成岩」として「日本の地質百選」に選定されている。市北部に比布丘陵、市東部に米飯山地が分布している。突哨山(とっしょうざん)には日本最大級のカタクリ群落がある。 札幌市に次ぐ北海道内第2の人口規模を持つ都市であり、東北地方を含めても長らく札幌市、仙台市に次ぐ第3の人口を持つ都市であったが、2010年代に入ってから人口減少が加速化し、2016年にいわき市に抜かれている。昭和中期に周辺6町村を吸収合併したこと、および都市部への人口集中により1985年(昭和60年)頃まで人口増加傾向が続いてきたが、横ばいとなった後、2003年(平成15年)から減少傾向となっている。近年は、都市圏人口はそこまで減っていないにもかかわらず、東神楽町や東川町といった隣接する町がベッドタウンとして人口増加をみせているため(ドーナツ化現象)、市域人口の減少はペースを上げている。 2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている。 ケッペンの気候区分によると、旭川市は湿潤大陸性気候(または亜寒帯湿潤気候)に属する。寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。降雪量が多く、豪雪地帯に指定されている。 1902年1月25日に日本の気象官署での観測史上最低気温となる-41.0°Cを記録、2021年8月7日には37.9°Cの観測史上最高気温を記録。旭川市郊外の江丹別では同年7月31日に最高気温38.4°Cを記録し、7月における道内の観測史上最高気温となっている。 春は移動性高気圧に覆われる日が多く、穏やかな天気の日が続くが、寒さが残る。夏になるとオホーツク海高気圧の影響により、肌寒い日もあるが、梅雨前線の北上と太平洋高気圧の勢力が強まることにより、気温も上昇する。時折、雷を伴った強い雨が降ることもある。秋は低気圧や秋雨前線が北海道付近を通るため、天気は周期的に変わる。昼と夜の気温の差が大きくなり、明け方頃に晴れていると放射冷却現象により、大きく気温が下がって霜が降りたり、水たまりに氷が張ることもある。冬はシベリア高気圧の勢力が強まり、オホーツク海に低気圧が進んで等圧線が南北に走る西高東低の冬型の気圧配置となり、気温は氷点下で雪の日が続く。 降雪量は市内各地区によって違いがあり、忠和地区や春光台地区では旭川気象台観測より約30%増の降雪量を観測する。降雪量の平年値は北海道内で倶知安町、岩見沢市に次ぐ数値を記録しているが、ドカ雪が比較的少ないため、最深積雪はあまり大きくならない。1年間に雪の降る日数は143.8日で、日本国内の都市で最も多い。 冬季の旭川市中心部はヒートアイランド現象により、最低気温の上昇が著しく、-25°Cを下回る気温が観測されることも少なくなった。一方、江丹別では近年でも-30°Cを下回る気温を観測することが珍しくなく、2020年2月6日に-31.6°C、2020年2月8日に-30.3°C、2020年2月9日に-36.0°C、2020年12月31日に-31.5°C、2021年1月24日に-31.8°C、2021年2月8日に-31.5°C、2023年1月30日に-31.3°C、2023年2月15日に-31.2°Cを観測している。 「旭川市の概要 あゆみ」参照 「日本歴代市長」参照 市民憲章 都市宣言 内閣府 総務省 法務省 財務省 厚生労働省 農林水産省 国土交通省 防衛省 独立行政法人 地方独立行政法人 特殊法人等 集配郵便局 体育館 公園施設 旭川市は大日本帝国陸軍第七師団が移駐した影響により経済や産業基盤が成立していき、 農業をはじめ食料品、紙・パルプなどの製造業を基幹産業とし、地理的条件により北北海道(道北、オホーツク、北空知)の商業、物流の拠点になっている。 また、医療、教育、文化などの都市機能が集積している。 産業別の就業者では、第三次産業に従事している割合が全体の約80 %と最も高く、製造品出荷額等では食料品製造業の割合が最も高くなっている。 旭川市は多くの河川が市内を流れて大雪山系の雪解け水や伏流水の恩恵を受けているため、様々な産業で水資源を有効活用している。 水稲作付面積と収穫量ランキングは北海道内でともに岩見沢市に次ぐ2位となっており、ソバの作付面積は北海道内で幌加内町、深川市に次ぐ3位となっている。 また、豊富な水資源と良質な米によって酒造りが行われているほか、 旭川地域では家具や木材、木製品(木器)に関係する企業が集積している。 市の指定金融機関は、1998年11月より旭川信用金庫が指定されている。それ以前は北海道拓殖銀行が指定されていた。 銀行 協同組織金融機関 証券会社 50音順 業界紙・フリーペーパー・映像制作会社など 現存する旅客列車は全てJR北海道の路線である。毎時1本もしくは2本の頻度で、特急列車が札幌 - 旭川間を1時間半で結んでいる。 北海道運輸局による「一般乗用旅客自動車運送事業(タクシー)の自動認可運賃等」では「北海道B地区」に区分。営業区域は旭川交通圏。 市内を通る幹線道路は、シーニックバイウェイの「大雪・富良野ルート」、大雪 - 富良野 - 十勝を結ぶ「北海道ガーデン街道」になっている。 都道府県道 北海道を代表する観光地「旭川市旭山動物園」を始め、北海道ガーデン街道の「上野ファーム」・北北海道エリア屈指の規模を誇る「カムイスキーリンクス」・大雪山連峰を一望できる展望地「就実の丘」等が存在する。また、全国的に有名な「旭川ラーメン」・「ジンギスカン」に加え「塩ホルモン」・「新子焼き」といった肉類の名物料理、さらに流通の拠点として北海道各地から新鮮な海産物が集まることから、ガイドブックではグルメが充実した都市と紹介されることも多く、近年では北海道有数の観光都市となっている。特に歓楽街である「3・6街」には、約800店の飲食店がひしめき合い、札幌市のすすきのに次ぐ規模の歓楽街として知られている。 上記に加え、近隣の美瑛町 (青い池・丘陵風景)・富良野市 (ラベンダー園)・東川町(大雪山国立公園)・上川町(層雲峡温泉・大雪高原温泉など)へのアクセスの拠点となっているため、旭川市内での宿泊者も多い。 「旭川市内の指定・登録文化財」参照 「旭川市勢要覧 ランキングで見る旭川」参照 1990年(平成2年)から3年おきに『国際家具デザインフェア旭川』(IFDA ASAHIKAWA)を開催し、2000年(平成12年)から『旭川彫刻フェスタ』も開催している。特に9月に開催される「北の恵み 食べマルシェ」は、北海道最大級のグルメイベントとして、多くの市民・観光客が来訪する一大イベントとなっている。 日本国内有数の米どころであり、郊外には大雪の山々を背景とした田園風景が広がっている。大雪山連峰に源を発している伏流水が田を潤し、盆地ならではの寒暖の差が米のおいしさを増している。さらに、冷涼な気候は病害虫の発生が少ないので農薬の散布量も比較的少なくて済む利点がある。1891年(明治24年)に屯田兵が入植した年から酒造りが始まっており、1996年(平成8年)には大雪地ビールが誕生した。江丹別地域を中心にソバの栽培が盛んで、江丹別そばが有名である。旭川ラーメンは北海道遺産「北海道のラーメン」の1つであり、加水率の低い麺を使用している。粉をこねるときに加える水が少ないことでスープをよく吸って小麦の香りを感じる歯触りの良い麺となる。米と同様に良い水に恵まれていることが麺の要因となっている。また、かつて養豚業が盛んであったことから塩ホルモン、豚トロは旭川が発祥の地とされている。 ご当地グルメとしては主に旭川や空知地方の一部で提供しているもつそば、おにぎりとホットドッグを足して2で割ったかのようなジュンドッグ、若鶏の半身を炭火などで素焼きした新子焼き、イカの足を片栗粉でまぶして揚げたゲソ丼がある。 旭川家具は100年以上ある歴史の中で機能性やデザイン性に優れた家具づくりをしており、日本国外の見本市にも出展している。 名誉市民 旭川市功労者 旭川市貢献賞 旭川市民栄誉賞 旭川市文化賞 旭川市新人奨励賞 栄誉をたたえて 旭川市特別表彰 旭川観光大使 ※太字は旭川観光大使 政治 行政 経済 軍事 学術 教育 文化 芸能 ポピュラー音楽 マスコミ 格闘技 陸上競技 球技 ウインタースポーツ その他 2010年(平成22年)の旭川市開村120年に合わせて誕生した。旭橋のベルトや旭川ラーメンのフリンジなど旭川の特徴を取り入れ、“旭川”の“ハッピー”を願うキャラクターとなっている。 ロケーション撮影に関する窓口として「旭川地域フィルムコミッション」(旭川FC)を設立している。
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"paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "上記に加え、近隣の美瑛町 (青い池・丘陵風景)・富良野市 (ラベンダー園)・東川町(大雪山国立公園)・上川町(層雲峡温泉・大雪高原温泉など)へのアクセスの拠点となっているため、旭川市内での宿泊者も多い。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "「旭川市内の指定・登録文化財」参照", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "「旭川市勢要覧 ランキングで見る旭川」参照", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "1990年(平成2年)から3年おきに『国際家具デザインフェア旭川』(IFDA ASAHIKAWA)を開催し、2000年(平成12年)から『旭川彫刻フェスタ』も開催している。特に9月に開催される「北の恵み 食べマルシェ」は、北海道最大級のグルメイベントとして、多くの市民・観光客が来訪する一大イベントとなっている。", "title": "文化・名物" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "日本国内有数の米どころであり、郊外には大雪の山々を背景とした田園風景が広がっている。大雪山連峰に源を発している伏流水が田を潤し、盆地ならではの寒暖の差が米のおいしさを増している。さらに、冷涼な気候は病害虫の発生が少ないので農薬の散布量も比較的少なくて済む利点がある。1891年(明治24年)に屯田兵が入植した年から酒造りが始まっており、1996年(平成8年)には大雪地ビールが誕生した。江丹別地域を中心にソバの栽培が盛んで、江丹別そばが有名である。旭川ラーメンは北海道遺産「北海道のラーメン」の1つであり、加水率の低い麺を使用している。粉をこねるときに加える水が少ないことでスープをよく吸って小麦の香りを感じる歯触りの良い麺となる。米と同様に良い水に恵まれていることが麺の要因となっている。また、かつて養豚業が盛んであったことから塩ホルモン、豚トロは旭川が発祥の地とされている。", "title": "文化・名物" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "ご当地グルメとしては主に旭川や空知地方の一部で提供しているもつそば、おにぎりとホットドッグを足して2で割ったかのようなジュンドッグ、若鶏の半身を炭火などで素焼きした新子焼き、イカの足を片栗粉でまぶして揚げたゲソ丼がある。", "title": "文化・名物" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "旭川家具は100年以上ある歴史の中で機能性やデザイン性に優れた家具づくりをしており、日本国外の見本市にも出展している。", "title": "文化・名物" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "名誉市民", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "旭川市功労者", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "旭川市貢献賞", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "旭川市民栄誉賞", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "旭川市文化賞", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "旭川市新人奨励賞", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "栄誉をたたえて", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "旭川市特別表彰", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "旭川観光大使", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "※太字は旭川観光大使", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "政治", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "行政", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "経済", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "軍事", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "学術", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "教育", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "文化", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "芸能", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "ポピュラー音楽", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "マスコミ", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "格闘技", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "陸上競技", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "球技", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "ウインタースポーツ", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "その他", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "2010年(平成22年)の旭川市開村120年に合わせて誕生した。旭橋のベルトや旭川ラーメンのフリンジなど旭川の特徴を取り入れ、“旭川”の“ハッピー”を願うキャラクターとなっている。", "title": "出身・関連著名人" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "ロケーション撮影に関する窓口として「旭川地域フィルムコミッション」(旭川FC)を設立している。", "title": "旭川市を舞台にした作品" } ]
旭川市(あさひかわし)は、北海道北中部(道北地方)に位置し、上川総合振興局に属する市。上川盆地に広がっている。振興局所在地であり、札幌市に次ぐ北海道第2位の人口(約32万人)を有する中核市である。
{{日本の市 | 自治体名 = 旭川市 | 画像 = Asahikawa Montage.jpg | 画像の説明 = <table style="width:280px; margin:2px auto; border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:50%">[[旧旭川偕行社]]<td style="width:50%">[[旭山動物園]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[旭川ラーメン]]<td style="width:50%">[[神居古潭]]</tr> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[旭橋 (旭川市)|旭橋]]と[[大雪山|大雪山連峰]]</tr> </table> | 市旗 = [[ファイル:Flag of Asahikawa, Hokkaido.svg|border|100px|旭川市旗]] | 市旗の説明 = 旭川[[市町村旗|市旗]]<br />[[1970年]][[9月18日]]制定 | 市章 = [[ファイル:Emblem of Asahikawa, Hokkaido.svg|75px|旭川市章]] | 市章の説明 = 旭川[[市町村章|市章]]<br />[[1911年]][[6月29日]]制定 | 都道府県 = 北海道 | 支庁 = {{Wd|properties|references|linked|P131}} | コード = 01204-1 |隣接自治体 = {{flatlist|class=hlist-comma| '''上川総合振興局''':[[上川郡 (石狩国)|石狩上川郡]][[鷹栖町]]・[[東神楽町]]・[[当麻町]]・[[比布町]]・[[上川町]]・[[東川町]]・[[美瑛町]]、[[上川郡 (天塩国)|天塩国上川郡]][[和寒町]]、[[雨竜郡]][[幌加内町]]<br/>'''[[空知総合振興局]]''':[[芦別市]]、[[深川市]] }} | 木 = [[ナナカマド]] | 花 = [[ツツジ]] | シンボル名 = 他のシンボル | 鳥など = 市民の鳥:[[キレンジャク]]<br />市民の虫:[[カンタン (昆虫)|カンタン]] | 郵便番号 = 070-8525 | 所在地 = 旭川市7条通9丁目<br />{{Coord|format=dms|type:adm3rd_region:JP-01|display=inline,title}}<br />[[ファイル:旭川市庁舎.JPG|250px]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = {{基礎自治体位置図|01|204|image_hokkaido=Indicator map for Kamikawa and Sorachi Subprefecture in Hokkaido Japan.svg |image=基礎自治体位置図 01204.svg}}<br/>{{Maplink2|zoom=9|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=230|frame-height=180|type=shape-inverse|fill=#fffff0|stroke-color=#cc0000|stroke-width=1|coord2={{coord|43.7706|142.365}}|type2=point|marker2=town-hall|frame-latitude=43.72|frame-longitude=142.31|text=市庁舎位置}} | 特記事項 = }} '''旭川市'''(あさひかわし)は、[[北海道]]北中部([[道北|道北地方]])に位置し、[[上川総合振興局]]に属する[[市]]。[[上川盆地]]に広がっている。振興局所在地であり、[[札幌市]]に次ぐ北海道[[第二都市|第2]]位の人口(約32万人)を有する[[中核市]]である<ref name="中核市市長会">{{Cite web|和書|url=http://www.chuukakushi.gr.jp/introduction/ |title=中核市の紹介 |publisher=中核市市長会 |accessdate=2015-08-26}}</ref>。 == 概要 == [[ファイル:Asahikawa city center area Aerial photograph.2014.jpg|300px|thumb|旭川市中心部周辺の空中写真。2014年9月2日撮影の63枚を合成作成。<br />{{国土航空写真}}。]] 北海道中央部に位置し、[[道北]]の経済・産業・文化の中心都市<ref name="旭川市企業誘致ガイド">{{Cite web|和書|url=http://www1.city.asahikawa.hokkaido.jp/files/sangyousinkou/yuuchi/asahikawa.html |title=旭川市の概要 |work=北海道・旭川市企業誘致ガイド |publisher=旭川市 |accessdate=2016-11-19|deadlinkdate=2023-04-10}}</ref>。[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の「[[創造都市ネットワーク|デザイン都市]]」、そして「[[国際会議観光都市]]」に認定されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/common/000122077.pdf |title=国際会議観光都市 |date=2010-09-01 |format=PDF |publisher=[[観光庁]] |accessdate=2015-08-26}}</ref>。交通面では[[国道]]や[[鉄道路線]]の終起点となり[[高速道路]]が整備されているなど道内物流の拠点となっており<ref name="旭川市企業誘致ガイド"/>、[[旭川空港]]からは東京・名古屋・大阪などへ直行便が就航している<ref name="旭川市企業誘致ガイド"/>。全国的に知名度の高い[[旭川市旭山動物園]]が存在し、年間500万人以上の観光入込客数があることから、[[札幌市]]・[[小樽市]]・[[函館市]]と並ぶ北海道の観光都市として知名度が高い都市である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/701/705/d055229_d/fil/h26irikomi.pdf |title=平成26年度観光入込客数について |format=PDF |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10}}</ref>。[[北海道パウダーベルト]]に位置し、冬季は[[カムイスキーリンクス]]を中心としたスキーリゾート観光もメインとなっている<ref>[https://www.snowtomamu.jp/special/yukimonogatari/season02/single01-01.php 星野リゾート]</ref>。また、旭川にゆかりのある[[文学者]]や[[芸術家]]も多く{{Sfn|旭川市勢要覧|2015|pp=9-10}}、市内各所に野外彫刻作品が置かれているほか([[旭川の野外彫刻]]){{Sfn|旭川市勢要覧|2015|pp=9-10}}{{Sfn|旭川市勢要覧|2015|pp=31-32}}、[[旭川家具]]をはじめとした木工業が盛んである{{Refnest|group="注"|旭川家具とは、旭川市と近郊にあるメーカーが製造する家具の総称<ref name="旭川家具">{{Cite web|和書|url=http://www.asahikawa-kagu.or.jp/furniture/ |title=旭川家具 |publisher=旭川家具工業協同組合 |accessdate=2015-08-27}}</ref>。}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://pucchi.net/hokkaido/closeup/asahikawa_kagu.php |title=日本五大家具産地の一つ「旭川家具」とは |date=2009-12-16 |work=[[北海道ファンマガジン]] |accessdate=2015-08-28}}</ref>。 === 地名の由来 === 一般に、旭川の名が初めて登場したのは明治23年9月20日の開村告知の時<ref name="旭川市のあゆみ">{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/701/summary/p008252.html|title=旭川市のあゆみ|work=旭川市公式サイト|accessdate=2017-08-29}}</ref>{{Refnest|group="注"|旭川市は平成29年9月4日、疑義があるとして『「旭川」という地名は開村の告示で村名として登場したのが最初である。』という一文をHPより削除した。}}とされているが、実際にはその7か月ほど前の明治23年2月9日付『[[北海タイムス|北海道毎日新聞]]』に掲載された以下の記事がある<ref>旭川市史編集会議『新旭川市史』第2巻(通史2)、1993年(平成5年)、第一章第三節 P-97</ref>{{Refnest|group="注"|新旭川市史では、この新聞記事を開村の三ヶ月前と記述しているが、明らかな誤りである。}}。 ::: <記事全文> ::: [[上川離宮]]の御名称 - 昨8日岡部(山室改)方幾氏が弊社に来られ ::: 「上川離宮の御名称の事に就いては夫々の御詮議も在らせらるべきは勿論のことなれとも ::: 九重の深き雲の上の事なれば素より窺い奉るべき様なきことなるが ::: 然るに彼の'''上川郡の忠別はアイヌ人の発音に従ふ時はチユプペト(Chuppt)にして''' ::: '''「チユプ」は太陽、日、東等の意、又た「ペト」は川の義なり''' ::: '''故に離宮の御名称は旭川或いは東川等の文字を御用い遊ばさるゝに至らば''' ::: '''旧称の意義を存し且つ大日本帝国等の意味に縁あり'''旁々適当ならんか」 ::: との談話ありし ::: 何は兎もあれ旧称に太陽、日、東等の意義ありとは明治の聖世に至りて ::: 天津日継の宮柱を建てさせ玉ふべき土地と業に既に定まり居りしものか この記事は、当時の北海道庁長官(兼屯田兵本部長)[[永山武四郎]]の直属の部下である岡部方幾(屯田兵司令部付曹長){{Refnest|group="注"|旧姓は山室。軍人でありながらも北海道学友会会員であり、アイヌ語に精通していて新聞・学友会誌などにも寄稿していた。[[永田方正]]とも親交があったと言われる。}}が会見したもので、前年末に上川への離宮設置が[[山縣有朋内閣]]によって閣議決定されて以降、まだ村名すら決まっていない地の離宮の名称について語っている。現在確認できる資料{{Refnest|group="注"|実際の新聞は旭川中央図書館にて閲覧可能。}}としては開村前に「旭川」の名が登場する唯一のものである。 命名者の意図として'''『旧称(アイヌ地名)の意義を存し(有し)'''且つ'''大日本帝国等の意味に縁あり』'''と明確にしており、「旭川」の名は、アイヌ語に由来する「日」=「旭」の意と、大日本帝国の象徴としての「旭」の意を'''併せ持つ名'''として命名された事が読み取れる。<br /> ただ、旭川開村を伝える同年9月23日付北海新聞記事{{Refnest|group="注"|市立函館図書館所蔵、旭川市博物館にて展示閲覧可能。札幌で発刊された北海新聞ではなく明治22年函館で発刊された同名紙。同時に開村した沼貝村、神居村、永山村と合わせ4村を一括した記事。}}などは、名の由来についてアイヌ語意訳部分しか伝えていない。 なお、記事中の「忠別」とは従前からのこの地域の呼称で、岡部方幾が語ったアイヌ語源「チユプペト」の意訳は、翌年発刊の[[永田方正]]『北海道蝦夷語地名解』<ref name="北海道蝦夷語地名解">{{Cite web|和書|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992037|title=北海道蝦夷語地名解. 第1-3篇|work=国立国会図書館デジタルコレクション|accessdate=2017-08-29}}</ref>のチュプペツ項<ref>[[永田方正]]『[[北海道蝦夷語地名解]]』第1-3篇、1891年(明治24年)初版、「第1篇石狩国」P-14</ref>に記述された意訳{{Refnest|group="注"|チュプペツ  東川「チュプカペツ」ニ同ジ、此川ノ水源ハ東ニアリテ日月ノ出ル処故ニ名ク。明治二三年旭川村ヲ置ク}}とほとんど同じ意である。永田は[[県令|函館県令]]・[[北海道庁 (1886-1947)|北海道庁]]の命を受けて全道のアイヌ語地名を調査した当時の権威学者であるが、空知・上川・樺戸3郡の調査は同年3月<ref>[[永田方正]]『[[北海道蝦夷語地名解]]』第1-3篇、1891年(明治24年)初版、「例言」P-3</ref>であるはずの永田の意訳が2月のこの時点で既に成されていた{{Refnest|group="注"|実際には1月30日発刊の北海道学友会発行『北海道』第9号にも岡部(山室)方幾は同様のチュプペト意訳を寄稿している}}という事は、この意訳が調査以前に創作されていた疑いがある。 「旭川」の名の由来については、かなり以前からこの新聞記事の存在は市史編集会議や郷土史家<ref>高橋基『アイヌ語地名研究4』「旭川の地名起源考-その1-」、アイヌ語地名研究会、2001年(平成13年)、P-12,13</ref>など各方面で知られていたが、旭川市をはじめとしてその見解は長年アイヌ語意訳のみに固定化しており、地名とは直接関係のない[[忠別川]]語源説<ref>旭川市史編集会議『新旭川市史』第2巻(通史2)、1993年(平成5年)、第一章第三節 P-98</ref>{{Refnest|group="注"|[[知里真志保]]「チゥ・ペッ」(波・川)説や[[山田秀三]]「チュク・ペッ」(秋・川)説が代表例であるが、これらは永田方正の忠別川に対する「チュプ・ペッ」の語源・解釈は誤りであると指摘したに過ぎず、自説を旭川の地名由来と主張したものではない。}}が諸説として混同されるなど種々誤解が多い。 == 地理 == 旭川市は北海道内最大の[[盆地]]となる[[上川盆地]]にあり、[[石狩川]]、[[牛朱別川]]、[[忠別川]]、[[美瑛川]]などの河川合流部に位置している{{Sfn|旭川市地域防災計画|2015|p=12}}。市西部に幌内山地、[[天塩山地]]、嵐山丘陵が南北に連なっており{{Sfn|旭川市地域防災計画|2015|p=12}}、石狩川は幌内山地を侵食して神居古潭渓谷を形成している{{Sfn|旭川市地域防災計画|2015|p=12}}。[[大雪山系]]では[[エゾナキウサギ]]、[[キタキツネ]]、[[エゾリス]]などの動物が観られる。「神居古潭渓谷の変成岩」として「[[日本の地質百選]]」に選定されている<ref name="地質百選">{{Cite web|和書|url=http://www.web-gis.jp/geo100ta.html |title=日本の地質百選 |publisher=全国地質調査業協会連合会・地質情報整備活用機構 |accessdate=2015-09-01}}</ref>。市北部に比布丘陵、市東部に米飯山地が分布している{{Sfn|旭川市地域防災計画|2015|p=12}}。[[突哨山]](とっしょうざん)には日本最大級の[[カタクリ]]群落がある<ref>{{Cite web |url=http://morinet-h.org/tossyozan/ |title=突哨山 |work=もりねっと北海道 |accessdate=2015-08-27}}</ref>。 === 地形 === ==== 山地 ==== ; 主な山 {{colbegin|4}} * 伊納山(533 m) * 常盤山(593 m) * [[神居山 (旭川市)|神居山]](799 m) * 神楽山(493 m) * 神楽岳(583 m) * 丸子山(896 m) * 瑠辺蘂山(859 m) * [[旭山]](296 m) * 岐登牛山(457 m) * 米飯山(920 m) * 上米飯山(623 m) * [[射的山]](171 m) * 突哨山(239 m) * 鬼斗牛山(379 m) * 高砂山(464 m) * 冬路山(625 m) * 幌内山(577 m) {{colend}} ==== 河川 ==== ;主な川 {{colbegin|4}} * 石狩川 * 牛朱別川 * 忠別川 * 美瑛川 * [[辺別川]] * [[永山新川]] * [[オサラッペ川]] * 内大部川 * キムクシュハイシュベツ川 * 東光川 * 永山3号川 * 神水川 * オロエン川 * [[ウッペツ川]] * ポン川 * 小股川分水路 * 近文内川 * 伊野川 * オホーツナイ川 * 栄川 * 難波田川 * 桜川 * 神居川 * 南校川 * 近文オホーツナイ川 * 愛宕新川 * 江丹別川 * 五号川 * 難波田川分水路 * 秋葉の沢川 * 雨紛川 * 基北川 * ペーパン川 * 西里川 * 西八号川 * ポンウシベツ川 * 倉沼川 * 拓北川 * 十五号川 * ポンウシベツ川分水路 * ペーパン第二支川 * ヨンカシュッペ川 * 千代ヶ岡川 * 小股川 * ペーパン第三支川 * ハイシュベツ川 * アイヌ川 * 永山二号川 {{colend}} ==== 湖沼 ==== ;主な湖 *神居ダム <gallery widths="180" heights="120"> Ishikari river at kamui kotan.jpg|石狩川(2006年8月) Usyubetsuriver1.jpg|牛朱別川(2016年9月) Chubetsu-River.Crystal-Bridge.JPG|忠別川(2022年3月) Bebetsuriver3.jpg|辺別川(2013年8月) Nagayama-shin.jpg|永山新川(2006年6月) Osarappegawa.jpg|オサラッペ川(2010年10月) </gallery> === 人口 === [[札幌市]]に次ぐ北海道内第2の人口規模を持つ都市であり、[[東北地方]]を含めても長らく札幌市、[[仙台市]]に次ぐ第3の人口を持つ都市であったが、2010年代に入ってから人口減少が加速化し、2016年に[[いわき市]]に抜かれている{{Sfn|旭川市の重点提案・要望|2015|p=1}}。昭和中期に周辺6町村を吸収合併したこと、および都市部への人口集中により1985年(昭和60年)頃まで人口増加傾向が続いてきたが、横ばいとなった後、2003年(平成15年)から減少傾向となっている{{Sfn|旭川市地域防災計画|2015|p=15}}。近年は、[[都市圏人口]]はそこまで減っていないにもかかわらず、[[東神楽町]]や[[東川町]]といった隣接する[[町]]が[[ベッドタウン]]として人口増加をみせているため([[ドーナツ化現象]])、市域人口の減少はペースを上げている。 {{人口統計|code=01204|name=旭川市|image=Demography01204.svg}} ==== 消滅集落 ==== 2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の[[消滅集落]]となっている<ref name="kokusei2015-01-a">{{Cite report|author=総務省統計局統計調査部国勢統計課|authorlink=統計局|date=2017-01-27|title=平成27年国勢調査小地域集計01北海道《年齢(5歳階級)、男女別人口、総年齢及び平均年齢(外国人-特掲)-町丁・字等》|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files/data?fileid=000007841019&rcount=1|publisher=総務省|format=CSV|accessdate=2017-05-20|quote=}}※条町区分地の一部に0人の地域がある場合でも他の同一区分地で人口がある場合は除いた。</ref>。 * 旭川市 - 字近文六線、字近文五線4号、字近文五線5号、緑台、東鷹栖十四線21号、東鷹栖十四線22号、東鷹栖十三線24号、東鷹栖十二線23号,東鷹栖十一線24号、東鷹栖十一線14号、東鷹栖十線18号、東鷹栖四線10号、江丹別町清水 ===隣接自治体=== ; [[上川総合振興局]] * [[上川郡 (石狩国)|石狩上川郡]][[鷹栖町]] * 石狩上川郡[[東神楽町]] * 石狩上川郡[[当麻町]] * 石狩上川郡[[比布町]] * 石狩上川郡[[上川町]] * 石狩上川郡[[東川町]] * 石狩上川郡[[美瑛町]] * [[上川郡 (天塩国)|天塩上川郡]][[和寒町]] * [[雨竜郡]][[幌加内町]] ; [[空知総合振興局]] * [[芦別市]] * [[深川市]] == 気候 == <div style="font-size:middle;"> {{climate chart|'''旭川市''' |-11.7|-3.3|66.9 |-11.8|-1.7|54.7 |-6.1|3.0|55.0 |0.2|11.2|48.5 |6.1|18.8|66.6 |12.0|22.8|71.4 |16.4|26.2|129.5 |16.9|26.6|152.9 |11.7|21.9|136.3 |4.4|14.9|105.8 |-1.5|6.2|114.5 |-8.0|-0.8|102.4 |float=right |source=[https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_sfc_ym.php?prec_no=12&block_no=47407&year=&month=&day=&view= 気象庁] }}</div> ケッペンの気候区分によると、旭川市は[[湿潤大陸性気候]](または[[亜寒帯湿潤気候]])に属する。寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な[[大陸性気候]]である。降雪量が多く、[[豪雪地帯]]に指定されている。 [[1902年]][[1月25日]]に日本の気象官署での観測史上最低気温となる-41.0℃を記録<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/rankall.php?prec_no=&prec_ch=&block_no=&block_ch=&year=2010&month=13&day=5&view= |title=歴代全国ランキング |work=気象庁 |accessdate=2015-08-27}}</ref><ref name="旭川観測史上">{{Cite web|和書|url=https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/rank_s.php?prec_no=12&block_no=47407&year=&month=&day=&view=p1 |title=旭川 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値) |work=気象庁 |accessdate=2021-08-08}}</ref>、[[2021年]][[8月7日]]には37.9℃の観測史上最高気温を記録<ref name="旭川観測史上" />。旭川市郊外の江丹別では同年7月31日に最高気温38.4℃を記録し、7月における道内の観測史上最高気温となっている<ref name="江丹別観測史上">{{Cite web|和書|url=https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/rank_a.php?prec_no=12&block_no=1191&year=&month=&day=&view= 1 |title=江丹別 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値) |work=気象庁 |accessdate=2021-08-08}}</ref>。 春は[[移動性高気圧]]に覆われる日が多く、穏やかな天気の日が続くが、寒さが残る<ref name="上川地方の四季">{{Cite web|和書|url=https://www.jma-net.go.jp/asahikawa/shiki/kisetsu.html |title=上川地方の四季 |work=旭川地方気象台 |accessdate=2015-09-02}}</ref>。夏になると[[オホーツク海高気圧]]の影響により、肌寒い日もあるが、[[梅雨前線]]の北上と[[太平洋高気圧]]の勢力が強まることにより、気温も上昇する<ref name="上川地方の四季" />。時折、雷を伴った強い雨が降ることもある<ref name="上川地方の四季" />。秋は低気圧や[[秋雨前線]]が北海道付近を通るため、天気は周期的に変わる<ref name="上川地方の四季" />。昼と夜の気温の差が大きくなり、明け方頃に晴れていると[[放射冷却]]現象により、大きく気温が下がって霜が降りたり、水たまりに氷が張ることもある<ref name="上川地方の四季" />。冬は[[シベリア高気圧]]の勢力が強まり、オホーツク海に低気圧が進んで等圧線が南北に走る[[西高東低]]の冬型の気圧配置となり、気温は氷点下で雪の日が続く<ref name="上川地方の四季" />。 降雪量は市内各地区によって違いがあり<ref name="冬の気象">{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/files/dobokuzigyousyo/soumu/p023.pdf |title=旭川市新総合雪対策基本計画策定にあたって 資料-3 旭川市の冬の気象 |year=2004 |format=PDF |publisher=旭川市 |accessdate=2015-08-27 |deadlink=2016-07-10}}</ref>、忠和地区や春光台地区では旭川気象台観測より約30%増の降雪量を観測する<ref name="冬の気象" />。降雪量の平年値は北海道内で[[倶知安町]]、[[岩見沢市]]に次ぐ数値を記録しているが<ref name="冬の気象" />、ドカ雪が比較的少ないため、最深積雪はあまり大きくならない<ref name="冬の気象" />。1年間に雪の降る日数は143.8日で、日本国内の都市で最も多い{{Sfn|市勢要覧|2015|p=39}}。 冬季の旭川市中心部は[[ヒートアイランド現象]]により、最低気温の上昇が著しく、-25℃を下回る気温が観測されることも少なくなった。一方、江丹別では近年でも-30℃を下回る気温を観測することが珍しくなく、2020年2月6日に-31.6℃、2020年2月8日に-30.3℃、2020年2月9日に-36.0℃、2020年12月31日に-31.5℃、2021年1月24日に-31.8℃、2021年2月8日に-31.5℃、2023年1月30日に-31.3℃、2023年2月15日に-31.2℃を観測している<ref name="江丹別観測史上" />。 {{Asahikawa weatherbox}} {{Weather box|location=江丹別(1991年 - 2020年)|single line=Y|metric first=Y |Jan record high C=7.0 |Feb record high C=9.7 |Mar record high C=16.1 |Apr record high C=25.7 |May record high C=33.5 |Jun record high C=36.1 |Jul record high C=38.4 |Aug record high C=37.7 |Sep record high C=32.0 |Oct record high C=26.6 |Nov record high C=19.7 |Dec record high C=12.6 |year record high C=38.4 |Jan high C=-3.6 |Feb high C=-2.3 |Mar high C=2.2 |Apr high C=9.2 |May high C=17.6 |Jun high C=22.0 |Jul high C=25.7 |Aug high C=25.8 |Sep high C=21.4 |Oct high C=14.3 |Nov high C=5.6 |Dec high C=-1.5 |year high C=11.4 |Jan mean C=-9.1 |Feb mean C=-8.4 |Mar mean C=-3.3 |Apr mean C=3.1 |May mean C=10.6 |Jun mean C=15.7 |Jul mean C=19.8 |Aug mean C=20.0 |Sep mean C=15.1 |Oct mean C=8.0 |Nov mean C=1.1 |Dec mean C=-5.7 |year mean C=5.6 |Jan low C=-16.3 |Feb low C=-16.3 |Mar low C=-10.5 |Apr low C=-2.9 |May low C=3.5 |Jun low C=9.6 |Jul low C=14.6 |Aug low C=15.1 |Sep low C=9.7 |Oct low C=2.6 |Nov low C=-3.1 |Dec low C=-11.0 |year low C=-0.4 |Jan record low C=-37.1 |Feb record low C=-38.1 |Mar record low C=-30.6 |Apr record low C=-18.6 |May record low C=-4.8 |Jun record low C=-1.4 |Jul record low C=2.5 |Aug record low C=3.8 |Sep record low C=-0.5 |Oct record low C=-7.8 |Nov record low C=-23.4 |Dec record low C=-31.5 |year record low C=-38.1 |Jan precipitation mm=96.8 |Feb precipitation mm=78.6 |Mar precipitation mm=76.0 |Apr precipitation mm=62.7 |May precipitation mm=80.0 |Jun precipitation mm=71.1 |Jul precipitation mm=144.2 |Aug precipitation mm=158.8 |Sep precipitation mm=166.9 |Oct precipitation mm=147.4 |Nov precipitation mm=165.0 |Dec precipitation mm=147.4 |year precipitation mm=1394.9 |unit precipitation days=1.0 mm |Jan precipitation days=20.8 |Feb precipitation days=17.2 |Mar precipitation days=17.2 |Apr precipitation days=12.3 |May precipitation days=11.7 |Jun precipitation days=10.2 |Jul precipitation days=12.0 |Aug precipitation days=12.4 |Sep precipitation days=14.7 |Oct precipitation days=17.1 |Nov precipitation days=21.2 |Dec precipitation days=24.7 |year precipitation days=191.5 |Jan sun=54.0 |Feb sun=71.0 |Mar sun=112.3 |Apr sun=154.3 |May sun=186.1 |Jun sun=159.7 |Jul sun=152.3 |Aug sun=148.5 |Sep sun=139.8 |Oct sun=113.5 |Nov sun=52.4 |Dec sun=32.9 |year sun=1376.8 |source 1=[https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php Japan Meteorological Agency ]|source 2=[[気象庁]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php?prec_no=12&block_no=1191&year=&month=&day=&view= |title=江丹別 過去の気象データ検索 |accessdate=2023-12-23 |publisher=気象庁}}</ref>}} {| class="wikitable" style="margin:0 auto" |- | {| class="wikitable" style="width:40em" |- !'''平均気温の推移''' |- | {{Graph:Chart|width=400|height=100|legend=凡例|type=line|x= 1889,1890,1891,1892,1893,1894,1895,1896,1897,1898,1899,1900,1901,1902,1903,1904,1905,1906,1907,1908,1909,1910,1911,1912,1913,1914,1915,1916,1917,1918,1919,1920,1921,1922,1923,1924,1925,1926,1927,1928,1929,1930,1931,1932,1933,1934,1935,1936,1937,1938,1939,1940,1941,1942,1943,1944,1945,1946,1947,1948,1949,1950,1951,1952,1953,1954,1955,1956,1957,1958,1959,1960,1961,1962,1963,1964,1965,1966,1967,1968,1969,1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977,1978,1979,1980,1981,1982,1983,1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998,1999,2000,2001,2002,2003,2004,2005,2006,2007,2008,2009,2010,2011,2012,2013,2014,2015,2016,2017,2018,2019,2020,2021,2022 |y1= 4.1,6.4,5.3,4.6,4.9,5.5,4.5,5.2,4.1,4.4,5.1,4.7,5.2,4.7,5.9,5.6,5.2,4.8,5,4.3,4.8,5.3,5.6,4.6,4.3,6.3,5.6,6.4,5.4,5.7,5.6,6.3,5.6,5.3,5.6,5.5,6.2,5.2,6,6.6,5.7,5.9,5,6.1,6,5.7,6.2,6.3,6.1,6.3,6.1,5.8,5.6,5.4,6.3,5.7,4.9,6.5,5.3,7.6,6.7,6.7,6.1,5.5,5.3,5.9,6.6,6.1,6.2,6.6,6.9,6.2,7,6.4,6.8,5.8,6.1,6.3,6.3,6.9,5.5,6.4,6.3,7,6.7,6,6.2,6.1,5.7,6.2,6.6,6,5.9,7,6.1,6.2,6.5,5.8,6.4,6.5,7.6,8.2,7.5,6.8,6.8,7.5,7.4,6.5,7.2,6.9,7.4,6.8,6.2,7.1,6.8,7.6,6.7,7.1,7.3,7.2,7.2,7.8,7.1,7.2,7.2,7.2,7.9,7.2,7.1,7.4,7.7,7.9,8.3,8.2 |y1Title=平均気温°C|colors=#696969}} |} {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:40em" |- ! style="background-color:#ffc6c6" |'''最高気温・最低気温・湿度の推移''' |- !'''平均最高気温''' |- | {{Graph:Chart|width=400|height=100|legend=凡例|type=line|x= 1889,1890,1891,1892,1893,1894,1895,1896,1897,1898,1899,1900,1901,1902,1903,1904,1905,1906,1907,1908,1909,1910,1911,1912,1913,1914,1915,1916,1917,1918,1919,1920,1921,1922,1923,1924,1925,1926,1927,1928,1929,1930,1931,1932,1933,1934,1935,1936,1937,1938,1939,1940,1941,1942,1943,1944,1945,1946,1947,1948,1949,1950,1951,1952,1953,1954,1955,1956,1957,1958,1959,1960,1961,1962,1963,1964,1965,1966,1967,1968,1969,1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977,1978,1979,1980,1981,1982,1983,1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998,1999,2000,2001,2002,2003,2004,2005,2006,2007,2008,2009,2010,2011,2012,2013,2014,2015,2016,2017,2018,2019,2020,2021,2022 |y1= 9.9,12.4,11.6,10.8,10.7,11.4,10.7,11.1,10.2,10.3,11.1,10.7,11.3,10.7,11.9,11.8,12.5,11.3,11.1,10.5,11.1,11.7,11.6,10.3,10.4,12.3,11.3,12.6,12.1,11.6,11.2,12.1,11.6,11.2,11.4,11.4,12,10.6,11.9,12.7,11.5,11.9,10.4,11.8,11.8,11.5,11.8,12,11.8,12.3,11.8,11.7,11.1,10.9,11.8,11.3,10.4,12.3,11.1,13.1,11.9,12.3,11.6,11.1,10.7,11.2,11.7,11.5,11.5,11.7,12,11.6,12.4,11.7,12.1,10.9,11.1,11.1,11.5,12.3,10.5,11.8,11.1,12,11.6,10.8,11.2,11.1,10.8,11.4,11.5,10.9,10.6,12,11,11.4,11.5,10.8,11.3,11.4,12.6,13.4,12.3,11.6,11.5,12.3,12.1,11.1,12,12.2,12.2,11.6,11.2,11.9,11.9,12.6,11.5,12,12.4,12.7,12,12.5,12.1,12.1,12,12.5,12.8,12.1,12,12.3,12.8,12.7,13.6,13.2 |y1Title=平均最高気温|colors=#ffa500}} |- !'''最高気温(最高値)''' |- | {{Graph:Chart|width=400|height=100|legend=凡例|type=line|x= 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1889,1890,1891,1892,1893,1894,1895,1896,1897,1898,1899,1900,1901,1902,1903,1904,1905,1906,1907,1908,1909,1910,1911,1912,1913,1914,1915,1916,1917,1918,1919,1920,1921,1922,1923,1924,1925,1926,1927,1928,1929,1930,1931,1932,1933,1934,1935,1936,1937,1938,1939,1940,1941,1942,1943,1944,1945,1946,1947,1948,1949,1950,1951,1952,1953,1954,1955,1956,1957,1958,1959,1960,1961,1962,1963,1964,1965,1966,1967,1968,1969,1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977,1978,1979,1980,1981,1982,1983,1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998,1999,2000,2001,2002,2003,2004,2005,2006,2007,2008,2009,2010,2011,2012,2013,2014,2015,2016,2017,2018,2019,2020,2021,2022 |y1= 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1889,1890,1891,1892,1893,1894,1895,1896,1897,1898,1899,1900,1901,1902,1903,1904,1905,1906,1907,1908,1909,1910,1911,1912,1913,1914,1915,1916,1917,1918,1919,1920,1921,1922,1923,1924,1925,1926,1927,1928,1929,1930,1931,1932,1933,1934,1935,1936,1937,1938,1939,1940,1941,1942,1943,1944,1945,1946,1947,1948,1949,1950,1951,1952,1953,1954,1955,1956,1957,1958,1959,1960,1961,1962,1963,1964,1965,1966,1967,1968,1969,1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977,1978,1979,1980,1981,1982,1983,1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998,1999,2000,2001,2002,2003,2004,2005,2006,2007,2008,2009,2010,2011,2012,2013,2014,2015,2016,2017,2018,2019,2020,2021,2022 |y1= 86,81,79,82,82,82,82,82,82,82,82,83,81,80,81,82,80,80,79,80,80,79,80,80,80,78,81,80,80,81,81,82,82,83,81,81,82,83,82,81,83,82,82,81,80,81,80,80,79,82,81,81,80,81,81,81,83,82,81,80,81,77,78,79,77,75,76,76,77,78,78,76,78,78,77,78,79,80,78,79,77,77,76,76,75,75,74,71,76,76,75,77,78,76,76,75,76,76,76,77,77,74,76,77,75,75,76,74,74,77,79,,76,75,74,74,77,77,75,75,75,75,76,77,77,75,76,77,77,78,77,78,76,77 |y1Title=平均湿度|colors=#66cdaa}} |} |- | 出典:気象庁<ref name="kishou01">{{Cite web|和書|url=https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/annually_s.php?prec_no=12&block_no=47407&year=&month=&day=&view=a2 |title=過去の気象データ |publisher=[[気象庁]] |accessdate=2023-01-02}}</ref> |} ==歴史== [[File:View_of_Asahikawa_City_Hokkaido_c1920.png|thumb|旭川市(1920年頃)]] 「旭川市の概要 あゆみ」参照<ref name="あゆみ">{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/701/summary/p008252.html |title=旭川市のあゆみ |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10}}</ref> {{See also|上川離宮}} ===沿革=== * [[縄文時代]]より栄えた。装飾、石器などが発見されている。 * [[アイヌ]]圏が形成されていく。[[神居古潭]]は『[[アイヌ]]の聖地』でもある。 * [[江戸時代]]の半ば:忠別川と美瑛川が合流して石狩川に注ぐあたりで、[[和人]]と上川[[アイヌ]]の人々と交易をする。 * 幕末期:[[松田市太郎]]や[[松浦武四郎]]らが和人として初めて大雪山系を探索し、[[上川町]]で温泉を発見する。1950年代に[[層雲峡温泉]]と改称される。 * [[明治]]{{0}}2年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]([[1869年]]9月20日):[[蝦夷地]]を[[北海道 (令制)|北海道]]と改称。[[石狩国]][[上川郡 (石狩国)|上川郡]]を置く。 * [[1877年]](明治10年):[[鈴木亀蔵]]が和人として初めて定住する(現在の[[亀吉 (旭川市)|亀吉]]地区)。 * [[1885年]](明治18年):[[岩村通俊]]・[[永山武四郎]]一行が上川に入り、近文山より国見をする。 * [[1890年]](明治23年):北海道庁令により、上川郡に旭川・[[永山 (旭川市)|永山]]・神居の3村を設置<ref>{{Cite book|和書|editor=山本和重 |title=地域のなかの軍隊1 北の軍隊と軍都 北海道・東北 |publisher=吉川弘文館 |isbn=978-4-642-06473-6}}</ref>。 * [[1891年]](明治24年):永山村に[[屯田兵]]入植。翌年には旭川村(現東旭川地区)に入植。 * [[1897年]](明治30年):上川郡役所を旭川に移転。[[上川支庁]]と改称。 * [[1898年]](明治31年):[[北海道官設鉄道]]([[日本国有鉄道]]・[[北海道旅客鉄道]]の前身)[[旭川駅]]開業。滝川(当時ソラチプト)から旭川までの上川線開通で小樽・札幌とも繋がり、以降年1000人ずつ人口増加<ref>[https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8688771_po_00056031701.pdf?contentNo=1&alternativeNo= 豊平川のほとり] 田村嘉子、土木研究所寒地土木研究所『北海道開発土木研究所月報. 2003年度(特集号)』、2004-03</ref>。 * [[1899年]](明治32年):写真師・[[中鉢直綱]]が旭川で初の写真館「中鉢写真館」を開業。 * [[1900年]](明治33年):旭川村を'''旭川町'''と改称。 * [[1901年]](明治34年):[[大日本帝国陸軍]][[第7師団 (日本軍)|第七師団]]が札幌から移駐。 * [[1902年]](明治35年):国内観測史上最低気温(摂氏氷点下41.0度)を記録(1月25日)。旭川町が一級町村制施行。 * [[1904年]](明治37年):初代[[旭橋 (旭川市)|旭橋]]完成。 * [[1911年]](明治44年):区章(現在の市章)制定<ref>図典 日本の市町村章 p8</ref>。 * [[1911年]](明治44年):皇太子嘉仁親王([[大正天皇]])が行啓。 * [[1914年]]([[大正]]{{0}}3年):[[北海道区制]]施行、'''旭川区'''となる。 * [[1916年]](大正{{0}}5年):[[常磐公園]]開園。 * [[1922年]](大正11年):[[市制]]施行、'''旭川市'''となる(8月1日)。 * [[1923年]](大正12年):北海道旭川師範学校(現在の[[北海道教育大学]]旭川校)開校。 * [[1929年]]([[昭和]]{{0}}4年):『慰霊音楽大行進』(現在の『[[北海道音楽大行進]]』)初開催。 * [[1930年]](昭和{{0}}5年):市立診療所(現在の[[市立旭川病院]])開設。 * [[1932年]](昭和{{0}}7年):[[石北本線]]全線開通。現在の旭橋完成。[[牛朱別川]]切り替え工事完成。 * [[1936年]](昭和11年):[[旭川常盤ロータリー]]完成。[[昭和天皇]]の行幸をする。 * [[1940年]](昭和15年):国策[[パルプ]]工業旭川工場(現在の[[日本製紙]]北海道工場旭川事業所)操業開始。 * [[1945年]](昭和20年):[[アメリカ軍]]による空襲([[北海道空襲]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/hokkaido_02.html |title=旭川市における戦災の状況(北海道) |publisher=[[総務省]] |accessdate=2015-09-04}}</ref>。 * [[1946年]] (昭和21年) : 北海道分県提議 旭川県設置要望書をGHQへ提出するも拒絶される。 * [[1950年]](昭和25年):『[[北海道開発大博覧会]]』開催。 * [[1952年]](昭和27年):[[保安隊]]第2管区総監部(現在の[[陸上自衛隊]][[第2師団 (陸上自衛隊)|第2師団]]司令部)が移駐。 * [[1955年]](昭和30年):[[神居村]]・[[江丹別村]]を編入合併(4月1日)。 * [[1960年]](昭和35年):『[[旭川冬まつり]]』初開催。市民憲章制定。 * [[1961年]](昭和36年):[[永山町]]を編入合併(4月1日)。 * [[1962年]](昭和37年):『旭川夏まつり』初開催。[[アメリカ合衆国]][[ブルーミントン (イリノイ州)|ブルーミントン]]市と[[姉妹都市]]提携。 * [[1963年]](昭和38年):[[東旭川町]]を編入合併(8月15日)。 * [[1966年]](昭和41年):[[旭川空港]]開港。 * [[1967年]](昭和42年):[[旭川市旭山動物園]]開園。[[ソビエト連邦]](現在の[[ロシア]])[[ユジノサハリンスク|ユジノ・サハリンスク]]市と友好都市提携。 * [[1968年]](昭和43年):[[神楽町]]を編入合併(3月1日)。第1回『[[小熊秀雄賞]]』授賞式。 * [[1970年]](昭和45年):人口30万人突破。 * [[1970年]](昭和45年):市旗制定<ref>{{Cite web|和書|url=http://www1.city.asahikawa.hokkaido.jp/files/soumu_soumu/d1w_reiki/34590250013900000000/34590250013900000000/34590250013900000000.html |title=旭川市旗 |work=旭川市例規類集 |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10}}</ref>。第1回『中原悌二郎賞』授賞式。 * [[1971年]](昭和46年):[[東鷹栖町]]を編入合併(3月2日)。 * [[1972年]](昭和47年):日本国内初の恒久[[歩行者天国]]となる[[平和通買物公園]]開設。市制50周年を記念し[[市町村歌|市歌]]「[[若いまち旭川]]」を制定(8月12日)。 * [[1973年]](昭和48年):[[北海道新幹線]]の終点が旭川市に変更され、札幌 - 旭川間が[[全国新幹線鉄道整備法]]に基づく「[[建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画#昭和47年告示第243号|基本計画線]]」に制定。[[宗谷本線]]の[[連続立体交差事業]](鉄道高架)完了。[[旭川医科大学]]開校。 * [[1975年]](昭和50年):[[旭川市民文化会館]]開館。 * [[1976年]](昭和51年):「[[ナナカマド]]」「[[ツツジ]]」を市民の木、花に制定。 * [[1978年]](昭和53年):「[[キレンジャク]]」と「[[カンタン (昆虫)|カンタン]]」を市民の鳥、虫に制定。 * [[1979年]](昭和54年):[[旭川市総合体育館]]開館。 * [[1980年]](昭和55年):[[優佳良織工芸館]]開館(現在、長期休館中)。 * [[1981年]](昭和56年):『旭川国際バーサースキー大会』([[バーサーロペットジャパン]])初開催。 * [[1982年]](昭和57年):旭川空港にジェット機就航。[[北海道立旭川美術館]]開館。 * [[1984年]](昭和59年):[[花咲スポーツ公園硬式野球場]](スタルヒン球場)オープン。 * [[1986年]](昭和61年):[[旭川大雪アリーナ]]オープン。 * [[1989年]]([[平成]]元年):[[大韓民国]][[水原市]]と姉妹都市提携。 * [[1990年]](平成{{0}}2年):『国際家具デザインフェア旭川』初開催。開基100年記念式典及び記念イベント『日本のまつり・旭川』開催。[[道央自動車道]][[旭川鷹栖インターチェンジ|旭川鷹栖IC]]開通。 * [[1992年]](平成{{0}}4年):旭川生活文化産業振興協会(現在の旭川産業創造プラザ)設立。 * [[1993年]](平成{{0}}5年):[[井上靖記念館]]開館。[[旭川市大雪クリスタルホール]]オープン。[[FMりべーる]]の開局。 * [[1994年]](平成{{0}}6年):[[中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館]]開館。旭川市中央図書館開館。 * [[1995年]](平成{{0}}7年):旭川市を含む1市8町が「地方拠点都市地域」指定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/kokudoseisaku/chisei/crd_chisei_tk_000035.html |title=地方拠点都市地域 構成市町村一覧 |publisher=国土交通省 |accessdate=2015-08-25}}</ref>。[[旭川新道]]が[[暫定2車線]]で開通。[[中華人民共和国]][[哈爾濱]](ハルビン)市と友好都市提携。 * [[1997年]](平成{{0}}9年):旭川空港2,500m 滑走路供用開始。旭川市農業センター(花菜里ランド)開設。 * [[1998年]](平成10年):[[三浦綾子記念文学館]]開館。 * [[1999年]](平成11年):永山に上川合同庁舎完成。旭川環状線([[北海道道90号旭川環状線]])全線開通。 * [[2000年]](平成12年):[[中核市]]へ移行(4月1日)<ref name="中核市市長会"/>。道央道[[旭川北インターチェンジ|旭川北IC]]供用開始。 * [[2002年]](平成14年):[[旭川市障害者福祉センターおぴった]]オープン。[[永山新川]](牛朱別川分水路)供用開始。 * [[2005年]](平成17年):[[旭川市科学館 サイパル]]オープン。 * [[2006年]](平成18年):旭川空港初の国際定期便(旭川 - [[仁川国際空港|ソウル]])就航。 * [[2007年]](平成19年):家庭ごみ有料化。神楽市民交流センターオープン。[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]開始(10月1日)。 * [[2008年]](平成20年):旭川新道全線4車線開通。[[旭川競馬場]]閉鎖。 * [[2009年]](平成21年):旭川市を含む1市8町が「定住自立圏形成協定」を締結し、旭川市が「中心市宣言」した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/735/73601/kouiki01/p005596_d/fil/sengensyo.pdf |title=定住自立圏構想 中心市宣言書 |date=2009-12-28 |format=PDF |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10}}</ref>。 * [[2010年]](平成22年):[[旭川市市民活動交流センター]](CoCoDe)オープン。 * [[2011年]](平成23年):旭川駅新駅舎全面開業。 * [[2013年]](平成25年):スタルヒン球場にナイター照明設備。 * [[2014年]](平成26年):[[北彩都あさひかわ]]完成記念事業<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.atca.jp/kitasaito07052014/ |title=「北彩都あさひかわ」完成記念事業のご案内 |date=2014-06-30 |publisher=旭川観光コンベンション協会 |accessdate=2016-07-10}}</ref>。 * [[2015年]](平成27年):[[鹿児島県]][[南さつま市]]と姉妹都市提携。 * [[2017年]](平成29年):[[暴力団排除条例]]が改正され、さんろく街に暴力団排除特別強化地域が設定。[[みかじめ料]]の要求も支払いも禁止された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/info/keiji/bouryoku_taisaku/jyourei/bouhai-kinshi.html |title=北海道暴力団の排除の推進に関する条例 |publisher=北海道警察本部刑事部組織犯罪対策局捜査第四課暴力団排除係 |date=2017年 |accessdate=2022-08-17}}</ref>。 * [[2019年]]([[令和]]元年):ユネスコ([[国際連合教育科学文化機関]])が選出するユネスコ[[創造都市ネットワーク#参加都市|創造都市ネットワーク]]の「デザイン都市」分野に認定される。 * [[2022年]](令和4年):旭川市市制施行100年記念事業を施行。市制施行日にあたる[[8月1日]]を毎年の[[記念日]]とする「旭川市民の日」を制定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/408/0801/d074793.html|title=「旭川市民の日」を制定しました|date=2022-02-17|publisher=旭川市|access-date=2022-09-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220217104102/https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/408/0801/d074793.html|archivedate=2022-02-17|url-status=live}}</ref>。 * 2022年(令和4年)[[8月8日]] - 市内に初めて[[ヒグマ]]注意報が発出(注意報等の制度は同年より北海道庁が始めたもの)。同年9月7日に解除<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/skn/108365.html |title=北海道ヒグマ注意報等について |publisher=北海道自然環境局 |date=2023年 |accessdate=2023-09-22}}</ref>。 == 行政 == === 役所 === * [[旭川市役所]] ** 総合庁舎・第二庁舎・第三庁舎・神居支所・江丹別支所・永山支所・東旭川支所・神楽支所・西神楽支所・東鷹栖支所・神居古潭出張所・嵐山出張所・米原出張所 === 市長 === ; 歴代市長 「日本歴代市長」参照<ref>『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。</ref> {|class="wikitable" |- !代!!氏名!!就任期間!!任期 |- |colspan="6"|'''官選''' |- |style="text-align:center;" |初 - 2 |[[岩田恒]] |[[1923年]](大正12年)6月25日 - [[1928年]](昭和3年)10月5日 |style="text-align:center;" |2 |- |style="text-align:center;" |3 |[[奥田千春]] |[[1929年]](昭和4年)6月20日 - 1933年(昭和8年)6月19日 |style="text-align:center;" |1 |- |style="text-align:center;" |4 |[[渡辺勘一]] |[[1933年]](昭和8年)6月28日 - 1936年(昭和11年)7月4日 |style="text-align:center;" |1 |- |style="text-align:center;" |5 |[[井上英]] |[[1936年]](昭和11年)9月10日 - [[1938年]](昭和13年)11月21日 |style="text-align:center;" |1 |- |style="text-align:center;" |6 - 7 |[[足立富]] |[[1939年]](昭和14年)3月18日 - [[1946年]](昭和21年)11月7日 |style="text-align:center;" |2 |- |colspan="6"|'''公選''' |- |style="text-align:center;" |初 |[[大塚守穂]] |[[1947年]](昭和22年)4月5日 - 1947年(昭和22年)5月14日 |style="text-align:center;" |1 |- |style="text-align:center;" |2 |[[前野与三吉]] |[[1947年]](昭和22年)6月11日 - 1951年(昭和26年)3月14日 |style="text-align:center;" |1 |- |style="text-align:center;" |3 |[[坂東幸太郎]] |[[1951年]](昭和26年)4月25日 - 1955年(昭和30年)4月14日 |style="text-align:center;" |1 |- |style="text-align:center;" |4 - 5 |前野与三吉 |[[1955年]](昭和30年)4月30日 - 1963年(昭和38年)4月29日 |style="text-align:center;" |2 |- |style="text-align:center;" |6 - 8 |[[五十嵐広三]] |[[1963年]](昭和38年)4月30日 - 1974年(昭和49年)9月30日 |style="text-align:center;" |3 |- |style="text-align:center;" |9 |[[松本勇 (旭川市長)|松本勇]] |[[1974年]](昭和49年)11月17日 - 1978年(昭和53年)11月16日 |style="text-align:center;" |1 |- |style="text-align:center;" |10 - 13 |[[坂東徹]] |[[1978年]](昭和53年)11月17日 - 1994年(平成6年)11月16日 |style="text-align:center;" |4 |- |style="text-align:center;" |14 - 16 |[[菅原功一]] |[[1994年]](平成6年)11月17日 - 2006年(平成18年)11月16日 |style="text-align:center;" |3 |- |style="text-align:center;" |17 - 20 |[[西川将人]] |[[2006年]](平成18年)11月17日 - 2021年(令和3年)8月31日 |style="text-align:center;" |4 |- |style="text-align:center;" |21 |[[今津寛介]] |[[2021年]](令和3年)9月26日 - |style="text-align:center;" |1 |} === 市民憲章・都市宣言 === '''市民憲章''' {{quotation| わたくしたちは、旭川市の市民であることに誇りと責任を感じ、この憲章を掲げて、よりよい旭川をつくることに努めましょう。{{Ublist|style=padding-left:1em| | 1. 元気で働き、楽しい家庭をつくりましょう。 | 1. 親切をつくし、あたたかい社会をつくりましょう。 | 1. きまりを守り、明るいまちをつくりましょう。 | 1. 自然を愛し、きれいな都市をつくりましょう。 | 1. 文化を育て、豊かな郷土をつくりましょう。 }}|昭和35年9月20日制定<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/408/427/428/p006144.html |title=市民憲章の推進 |publisher=旭川市 |accessdate=2017-06-27}}</ref> }} '''都市宣言''' * 安全都市宣言(昭和37年2月27日議会議決) * 平和都市宣言(昭和58年5月3日告示) * 健康都市宣言(平成2年10月10日宣言) * 長寿都市宣言(平成10年3月30日議会議決) == 議会 == === 市議会 === {{main|旭川市議会}} === 道議会 === ;2021年北海道議会議員補欠選挙 * 選挙区:旭川市選挙区 * 定数:2人 * 投票日:2021年9月26日 * 当日有権者数:284,499人 * 投票率:49.47% {| class="wikitable" style="font-size:small;" ! 候補者名 !! 当落 !! 年齢 !! 党派名 !! 新旧別 !! 得票数 |- | 宮崎アカネ || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 当 || align="center" | 49 || 無所属 || align="center" | 新 || 50,796票 |- | 林祐作 || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 当 || align="center" | 33 || [[自由民主党 (日本)|自由民主党]] || align="center" | 新 || 48,345票 |- | 木下雅之 || align="center" | 落 || align="center" | 45 || 自由民主党 || align="center" | 新 || 37,547票 |} ;2019年北海道議会議員選挙 * 選挙区:旭川市選挙区 * 定数:6人 * 投票日:2019年4月7日 * 当日有権者数:286,466人 * 投票率:52.34% {| class="wikitable" style="font-size:small;" ! 候補者名 !! 当落 !! 年齢 !! 党派名 !! 新旧別 !! 得票数 !! 備考 |- | [[東国幹]] || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 当 || align="center" | 51 || [[自由民主党 (日本)|自由民主党]] || align="center" | 現 || 34,730票 || 衆院選出馬のため2021年4月30日に辞職<ref>{{Cite web|和書| url=https://www.gikai.pref.hokkaido.lg.jp/iinkai/giun/31zenki-giunsinngi.html | title=議会運営委員会審議概要(第31期前期) | publisher=北海道議会 | date= | accessdate=2023-2-20 }}</ref> |- | 安住太伸 || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 当 || align="center" | 49 || 無所属 || align="center" | 現 || 24,518票 || |- | 寺島信寿 || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 当 || align="center" | 54 || [[公明党]] || align="center" | 新 || 20,980票 || |- | 笠木薫 || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 当 || align="center" | 62 || [[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]] || align="center" | 新 || 20,514票 || 市長選挙出馬のため2021年8月10日に辞職 |- | 真下紀子 || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 当 || align="center" | 62 || [[日本共産党]] || align="center" | 現 || 18,489票 || |- | 松本将門 || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 当 || align="center" | 49 || 立憲民主党 || align="center" | 新 || 16,890票 || |- | 穴田貴洋 || align="center" | 落 || align="center" | 43 || 自由民主党 || align="center" | 新 || 10,910票 || |} === 衆議院 === * 選挙区:[[北海道第6区|北海道6区]](旭川市、[[士別市]]、[[名寄市]]、[[富良野市]]、北海道[[上川総合振興局]]管内) * 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日 * 投票日:2021年10月31日 * 当日有権者数:415,008人 * 投票率:56.86% {| class="wikitable" ! 当落 !! 候補者名 !! 年齢 !! 所属党派 !! 新旧別 !! 得票数 !! 重複 |- style="background-color:#ffc0cb;" | align="center" | 当 || [[東国幹]] || align="center" | 53 || [[自由民主党 (日本)|自由民主党]] || align="center" | 新 || 128,670票 || align="center" | ○ |- | || [[西川将人]] || align="center" | 52 || [[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]] || align="center" | 新 || align="right" | 93,403票 || align="center" | ○ |- | || 齊藤忠行 || align="center" | 30 || <small>[[NHK党|NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で]]</small> || align="center" | 新 || align="right" | 9,776票 || align="center" | ○ |} == 国家機関 == === 官公庁 === {{Columns-list|2| '''[[内閣府]]''' * [[警察庁]]北海道警察情報通信部旭川方面情報通信部 '''[[総務省]]''' * 北海道管区行政評価局旭川行政監視行政相談センター '''[[法務省]]''' * 旭川地方法務局 * 旭川保護観察所 * [[旭川刑務所]] * 旭川少年鑑別所 * [[旭川地方検察庁]] ** [[旭川区検察庁]] ** 深川区検察庁 ** 富良野区検察庁 * [[出入国在留管理庁]][[札幌出入国在留管理局]]旭川出張所 '''[[財務省]]''' * [[北海道財務局]]旭川財務事務所 * [[国税庁]][[札幌国税局]] ** 旭川中税務署 ** 旭川東税務署 '''[[厚生労働省]]''' * [[北海道労働局]] ** 旭川労働基準監督署 ** 旭川公共職業安定所(ハローワーク旭川) '''[[農林水産省]]''' * [[北海道農政事務所]]旭川支局 * [[林野庁]][[北海道森林管理局]] ** 旭川事務所 ** 上川中部森林管理署 '''[[国土交通省]]''' * [[北海道開発局]]旭川開発建設部 ** 旭川河川事務所 ** 旭川道路事務所 ** 旭川農業事務所 * [[北海道運輸局]][[旭川運輸支局]] * [[気象庁]][[旭川地方気象台]] '''[[防衛省]]''' * [[陸上自衛隊]][[北部方面隊]] ** [[第2師団 (陸上自衛隊)|第2師団]][[司令部]](旭川駐屯地内) ** [[旭川駐屯地]](旭川飛行場) ** [[近文台分屯地]](弾薬・燃料) * [[自衛隊旭川地方協力本部]] ** 南地区隊 ** 北地区隊 ** 道北地域援護センター旭川本部 }} <gallery widths="180" heights="120"> 合同庁舎.JPG|[[旭川合同庁舎]](2007年) MHLW-HLB-PESO.Asahikawa.JPG|旭川公共職業安定所(2020年) Mlit-HDTB.Asahikawa.JPG|旭川運輸支局(2020年) </gallery> === 裁判所 === * [[旭川地方裁判所]] * [[旭川家庭裁判所]] * [[旭川簡易裁判所]] * [[旭川弁護士会]] === 道の機関 === {{Columns-list|2| * 上川合同庁舎([[上川総合振興局]]) ** 北海道教育庁上川教育局 ** 北海道上川保健所 ** 旭川建設管理部 ** 北海道計量検定所旭川支所 * [[北海道旭川方面公安委員会]] * 北海道旭川児童相談所 * [[北海道立旭川高等技術専門学院]] * [[北海道立旭川肢体不自由児総合療育センター]] * 北海道上川家畜保健衛生所 * 上川総合振興局南部森林室 }} <gallery widths="180" heights="120"> 上川合同庁舎.JPG|上川合同庁舎(2006年7月) </gallery> === 独立行政法人・地方独立行政法人・特殊法人等 === '''独立行政法人''' {{Columns-list|2| * [[国立高等専門学校機構]][[旭川工業高等専門学校]] * [[高齢・障害・求職者雇用支援機構]]北海道障害者職業センター旭川支所 * 北海道職業能力開発促進センター旭川訓練センター(ポリテクセンター旭川) * [[国立病院機構]][[国立病院機構旭川医療センター|旭川医療センター]] * [[日本貿易振興機構]]北海道貿易情報センター旭川相談窓口 * [[中小企業基盤整備機構]]北海道本部[[中小企業大学校]]旭川校 * [[土木研究所]]寒地土木研究所道北支所 * [[自動車技術総合機構]]北海道検査部旭川事務所 * [[自動車事故対策機構]]札幌主管支所旭川支所 }} '''地方独立行政法人''' {{Columns-list|2| * [[北海道立総合研究機構]] ** [[北海道立総合研究機構森林研究本部林産試験場|森林研究本部林産試験場]] ** 建築研究本部北方建築総合研究所 * [[公立大学法人旭川市立大学]]{{small|(2022年認可、2023年設立予定)}} }} '''特殊法人等''' {{Columns-list|2| * [[日本放送協会]][[NHK旭川放送局|旭川放送局]] * [[日本司法支援センター]]旭川地方事務所(法テラス旭川) * [[日本政策金融公庫]]旭川支店 * [[日本銀行]]旭川事務所 * [[放送大学学園]][[放送大学]]旭川サテライトスペース * [[日本年金機構]]旭川年金事務所 * [[軽自動車検査協会]]旭川事務所 * [[商工組合中央金庫]]旭川支店 * [[北海道旅客鉄道]][[北海道旅客鉄道旭川支社|旭川支社]] * [[日本貨物鉄道]][[日本貨物鉄道北海道支社|北海道支社]]道北支店 * [[東日本高速道路]][[東日本高速道路北海道支社|北海道支社]]旭川管理事務所 }} <gallery widths="180" heights="120"> Asahikawa Medical Center.jpg|国立病院機構旭川医療センター(2010年9月) NHK Asahikawa Station.jpg|NHK旭川放送局(2010年9月) </gallery> == 施設 == === 警察 === ; 本部 * [[北海道警察旭川方面本部]] ** [[旭川運転免許試験場]] ; 警察署 * [[旭川東警察署|北海道旭川方面旭川東警察署]] * [[旭川中央警察署|北海道旭川方面旭川中央警察署]] <gallery widths="180" heights="120"> Asahikawa East Police Station.jpg|北海道警察旭川方面本部・旭川東警察署(2010年10月) Asahikawa Central Police Station.jpg|旭川中央警察署(2016年6月) Asahikawa driver's license examination hall.jpg|旭川運転免許試験場(2009年6月) </gallery> === 消防 === ; 本部 * [[旭川市消防本部]] ; 消防署 * 南消防署、緑が丘出張所、神楽出張所、豊岡出張所、東旭川出張所、忠和出張所 * 総合防災センター中核施設(東光出張所) * 北消防署、新旭川出張所、春光出張所、永山出張所、西神楽分遣所、近文分遣所、東鷹栖分遣所 <gallery widths="180" heights="120"> Asahikawa Fire Department.jpg|旭川市南消防署(2016年6月) </gallery> === 医療 === ; 主な病院 {{Columns-list|2| * 相川記念病院 * 愛生会病院 * [[旭川医科大学病院]] * [[旭川圭泉会病院]] * [[旭川厚生病院]] * 旭川三愛病院 * 旭川十条病院 * [[旭川赤十字病院]] * 旭川高砂台病院 * 旭川脳神経外科病院 * 旭川ペインクリニック病院 * 旭川南病院 * 旭川リハビリテーション病院 * [[一条通病院]] * 岩田病院 * 大西病院 * 唐沢病院 * [[北彩都病院]] * くにもと病院 * [[国立病院機構旭川医療センター]] * 佐久間病院 * 佐野病院 * [[市立旭川病院]] * 進藤病院 * 大雪病院 * 豊岡中央病院 * 中島病院 * 沼﨑病院 * はらだ病院 * 東旭川病院 * 藤井病院 * [[北海道立旭川肢体不自由児総合療育センター]] * 北海道療育園 * 丸谷病院 * メイプル病院 * 森産科婦人科病院 * [[森山病院]] * 森山メモリアル病院 * [[吉田病院 (北海道)|吉田病院]] }} <gallery widths="180" heights="120"> AMU H.jpg|旭川医科大学病院(2008年11月) Asahikawa Kosei General Hospital.jpg|旭川厚生病院(2010年10月) Japanese Red Cross Asahikawa Hospital 20100501.jpg|旭川赤十字病院(2010年5月) Kitasaito Hospital.jpg|北彩都病院(2019年10月) Asahikawa City Hospital.jpg|市立旭川病院(2016年6月) Asahikawa.Moriyama-Hospital2022.JPG|森山病院(2022年3月) Keiyukai Yoshida Hospital.jpg|吉田病院(2021年4月) </gallery> === 郵便局 === '''[[集配郵便局]]''' {{Columns-list|2| * [[旭川中央郵便局]]([[かんぽ生命保険]]旭川支店併設) * [[旭川東郵便局]] * [[永山郵便局]] * 旭川北郵便局 * 西神楽郵便局 * 豊田郵便局 }} <gallery widths="180" heights="120"> Asahikawachuou.JPG|旭川中央郵便局(2008年4月) Asahikawwa-East-Post-Office-01.jpg|旭川東郵便局(2009年5月) Nagayama post office.jpg|永山郵便局(2010年3月) </gallery> === 文化施設 === {{Columns-list|3| * [[旭川市民文化会館]] * [[旭川市公会堂]] * [[旭川市図書館]] ** 中央図書館・末広図書館・永山図書館・東光図書館・神楽図書館 * 旭川市文学資料館 * [[北海道立旭川美術館]] * 旭川市ときわ市民ホール * 旭川勤労者福祉会館 * 旭川建設労働者福祉センター(サン・アザレア) * [[旭川市科学館 サイパル]] * [[中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館]] ** ステーションギャラリー }} <gallery widths="180" heights="120"> 文館.JPG|旭川市民文化会館(2007年) 公会堂.JPG|旭川市公会堂(2007年) 旭川市中央図書館.JPG|旭川市中央図書館(2007年) 北海道立旭川美術館.JPG|北海道立旭川美術館(2006年7月) サイパル.JPG|旭川市科学館 サイパル(2007年) 六角堂と旭川市彫刻美術館.jpg|六角堂と中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館(2010年5月) </gallery> === 公共施設 === {{Columns-list|2| * [[ジョブカフェ]]・ジョブサロン旭川 * あさひかわ若者サポートステーション * 旭川しごとサポートプラザ * [[旭川市障害者福祉センターおぴった]] * 旭川市夜間急病センター * 旭川市動物愛護センターあにまある<ref>{{Cite web|和書|url=http://www1.city.asahikawa.hokkaido.jp/files/eiseikensa/Animaal_HP/index.html |title=旭川市動物愛護センターあにまある |accessdate=2016-07-10}}</ref> * 旭川市国際交流センター<ref>{{Cite web|和書|url=http://asahikawaic.jp |title=旭川市国際交流センター |accessdate=2016-07-10}}</ref> * 旭川市工業技術センター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/dept/50000000/50350000/ |title=旭川市工業技術センター |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10}}</ref> * 旭川産業創造プラザ<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.arc-net.or.jp |title=旭川産業創造プラザ |accessdate=2016-07-10}}</ref> ** 旭川市工芸センター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/364/365/369/d053192.html |title=工芸センター(施設の概要) |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10}}</ref> * 旭川市農業センター(花菜里ランド)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/364/374/385/p005200.html |title=旭川市農業センター(花菜里ランド)トップページ |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10}}</ref> * 川のふるさと交流館 さらら * [[旭川聖苑]] * 旭川市近文リサイクルプラザ * 旭川市近文清掃工場<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/500/509/519/520/p002687.html |title=旭川市近文清掃工場のページ |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10}}</ref> * [[旭川市廃棄物最終処分場]] }} <gallery widths="180" heights="120"> おぴった.JPG|旭川市障害者福祉センターおぴった(2007年) </gallery> === 多目的施設 === * 道北地域旭川地場産業振興センター([[道の駅あさひかわ]]) * [[旭川大雪アリーナ]](道北アークス大雪アリーナ) * [[旭川市大雪クリスタルホール]] ** 旭川市博物館 ** 旭川市音楽堂 ** 旭川国際会議場 * [[旭川市市民活動交流センター]](CoCoDe)- 国の登録有形文化財 ** 市民活動支援棟 ** ホール棟 <gallery widths="180" heights="120"> 大雪アリーナ.jpg|旭川大雪アリーナ(2012年7月) クリスタルホールコピー.JPG|旭川市大雪クリスタルホール(2007年) Asahikawa Koryu Center.jpg|旭川市市民活動交流センター(CoCoDe)(2010年6月) </gallery> === 運動施設 === '''体育館''' {{Columns-list|2| * [[旭川市総合体育館]](旭川市リアルター夢りんご体育館) * [[大成市民センター]]体育館 * [[忠和公園体育館]] * 東豊公園体育館 * 旭川勤労者体育センター * 旭川市東地区体育センター * 旭川市近文市民ふれあいセンター(ちかふれ) }} <gallery widths="180" heights="120"> Facade of Asahikawa Gymnasium.JPG|旭川市総合体育館(2007年) 旭川市忠和公園体育館.JPG|忠和公園体育館(2011年4月) </gallery> '''公園施設''' {{Columns-list|2| * [[花咲スポーツ公園]] ** [[花咲スポーツ公園硬式野球場]](スタルヒン球場) ** [[花咲スポーツ公園陸上競技場]] ** 旭川市総合体育館 ** 花咲スポーツ公園球技場 ** 花咲スポーツ公園馬場 ** 花咲スポーツ公園軟式野球場 ** 花咲スポーツ公園テニスコート ** 花咲プール ** 和弓場(誠心館) ** 洋弓場 ** スケート場 ** 馬場 ** 相撲場 * [[東光スポーツ公園]] ** [[東光スポーツ公園軟式野球場]](旭川ドリームスタジアム(第一球場)・第二球場・第三球場) ** 東光スポーツ公園球技場 ** 東光スポーツ公園武道館 ** 東光スポーツ公園パークゴルフ場 ** 歩くスキーコース * 河川公園(石狩川水系緑地) ** 野球場 ** ソフトボール場 ** テニスコート ** サッカー・ラグビー場 ** ゲートボール場 ** パークゴルフ場 }} <gallery widths="180" heights="120"> スタルヒン像.jpg|スタルヒン像とスタルヒン球場 </gallery> == 対外関係 == === 姉妹都市・提携都市 === ==== 海外 ==== ;姉妹都市 * {{Flagicon|USA}} [[ブルーミントン (イリノイ州)|ブルーミントン]]市([[アメリカ合衆国]] [[イリノイ州]]) *: [[1962年]](昭和37年)[[10月11日]]提携。 * {{Flagicon|USA}} {{仮リンク|ノーマル (イリノイ州)|label=ノーマル市|en|Normal, Illinois}}([[アメリカ合衆国]] イリノイ州) *: [[1987年]](昭和62年)[[7月7日]]提携。ブルーミントン市とは双子都市である。 * {{Flagicon|KOR}} [[水原市]]([[大韓民国]] [[京畿道]]) *: [[1989年]](平成元年)[[10月17日]]提携。 ; 友好都市 * {{Flagicon|RUS}} [[ユジノサハリンスク|ユジノ・サハリンスク]]市([[ロシア連邦]] [[サハリン州]]) *: [[1967年]](昭和42年)[[11月10日]]提携。 * {{Flagicon|CHN}} [[哈爾濱]](ハルビン)市([[中華人民共和国]] [[黒竜江省]]) *: [[1995年]](平成7年)[[11月21日]]提携。 ; その他 * {{Flagicon|SWE}} [[ムーラ市 (スウェーデン)|モーラ市]]([[スウェーデン|スウェーデン王国]] [[ダーラナ県]]) *: 『[[バーサーロペットジャパン]]』の元になった、本家『バーサーロペット』開催都市。[[1990年]](平成2年)3月に「三国交流会議」結成。 * {{Flagicon|USA}} {{仮リンク|モーラ (ミネソタ州)|label=モーラ市|en|Mora, Minnesota}}([[アメリカ合衆国]] [[ミネソタ州]]) *: 『バーサーロペットUSA』開催都市。1990年(平成2年)に「三国交流会議」結成。 * {{Flagicon|CHN}} [[長春市]]([[中華人民共和国]] [[吉林省]]) *: [[2003年]](平成15年)より『バーサーロペット・チャイナ』開催。[[2006年]](平成18年)に「交流会議」(国際バーサーロペット交流会議)参加。 ==== 国内 ==== ;姉妹都市 * {{Flagicon|鹿児島県}} [[南さつま市]]([[九州地方]] [[鹿児島県]]) *: [[2015年]](平成27年)[[5月3日]] 姉妹都市提携。 ;提携都市 * {{Flagicon|愛知県}} [[北名古屋市]]([[中部地方]] [[愛知県]]) *: [[2014年]](平成26年)[[2月8日]] 災害時相互応援協定締結。 == 経済 == [[ファイル:JRH-Asahikawa.BranchOffice.JPG|thumb|200px|[[北海道旅客鉄道旭川支社]]と旭川の[[スカイライン (風景)|スカイライン]]]] [[ファイル:Asahikawa Hokkaido Japan.jpg|thumb|200px|[[平和通買物公園]]]] [[ファイル:JR-Asahikawa-North-Entrance01.JPG|thumb|200px|[[旭川駅]]北口周辺]] 旭川市は[[大日本帝国陸軍]][[第7師団 (日本軍)|第七師団]]が移駐した影響により経済や産業基盤が成立していき<ref name="大雪ものしり百科産業編">{{Cite web|和書|url=http://www.kamikawa.pref.hokkaido.lg.jp/ts/tss/mintara/monoshiri/a_towns/asahikawashi.html |title=旭川市 |work=大雪ものしり百科「産業編」 |publisher=上川総合振興局 |accessdate=2015-08-28}}</ref>、 [[農業]]をはじめ[[食品|食料品]]、[[紙]]・[[パルプ]]などの[[製造業]]を基幹産業とし{{Sfn|旭川市環境白書|2016|p=2}}、地理的条件により北北海道([[道北]]、[[オホーツク総合振興局|オホーツク]]、[[北空知]])の[[商業]]、[[物流]]の拠点になっている{{Sfn|旭川市環境白書|2016|p=2}}。 また、[[医療]]、[[教育]]、[[文化 (代表的なトピック)|文化]]などの都市機能が集積している{{Sfn|旭川市環境白書|2016|p=2}}。 産業別の就業者では、[[第三次産業]]に従事している割合が全体の約80 %と最も高く{{Sfn|旭川市環境白書|2016|p=2}}、製造品出荷額等では食料品製造業の割合が最も高くなっている{{Sfn|旭川市環境白書|2016|p=2}}。 旭川市は多くの河川が市内を流れて大雪山系の雪解け水や[[伏流水]]の恩恵を受けているため、様々な産業で水資源を有効活用している<ref name="大雪ものしり百科産業編"/>。 === 第一次産業 === 水稲作付面積と収穫量ランキングは北海道内でともに[[岩見沢市]]に次ぐ2位となっており{{Sfn|あさひかわの農業|2015|p=53}}、[[ソバ]]の作付面積は北海道内で[[幌加内町]]、[[深川市]]に次ぐ3位となっている<ref>{{Cite web|和書|url=http://asahikawa.hokkaido-np.co.jp/n_burari/13/ |title=Vol.13『江丹別』|date=2011-09-22 |work=北海道新聞旭川支社 |publisher=[[北海道新聞社]] |accessdate=2015-08-27}}</ref>。 また、豊富な水資源と良質な[[米]]によって酒造りが行われているほか<ref>{{Cite web|和書|url=http://www1.city.asahikawa.hokkaido.jp/koho/h26_11/04-09p.pdf |title=特集 旭川の地酒 |date=2014-11 |format=PDF |work=こうほう旭川市民 |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10}}</ref>、 旭川地域では[[家具]]や[[木材]]、木製品([[木器]])に関係する企業が集積している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/364/365/369/p004867.html |title=「読みもの」のページ 旭川家具のこれまでとこれから |work=旭川市工芸センター |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10}}</ref>。 ==== 農業 ==== * [[稲作]] * [[蕎麦]] ;農業協同組合 * 上川生産農業協同組合連合会(JA上川生産連)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kseisanren.or.jp |title=JA上川生産連(上川生産農業協同組合連合会) |accessdate=2015-09-01}}</ref> * [[あさひかわ農業協同組合]](JAあさひかわ) * たいせつ農業協同組合(JAたいせつ)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jataisetu.or.jp |title=たいせつ農業協同組合 |accessdate=2015-08-27}}</ref> * 東旭川農業協同組合(JA東旭川)<ref>{{Cite web |url=http://www.ja-higashiasahikawa.net |title=東旭川農業協同組合 |accessdate=2015-08-27}}</ref> * 東神楽農業協同組合(JAひがしかぐら)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ja-higashikagura.com/ |title=JAひがしかぐら |accessdate=2015-08-27}}</ref> * [[ホクレン農業協同組合連合会|ホクレン]]旭川支所・旭川鶏卵流通センター・旭川生活総合事業所 * [[北海道農業共済組合]](NOSAI北海道)上川中央支所・上川中央家畜診療所<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nosai-do.or.jp/office/central-hokkaido/#office_n10 |title=道央統括センター事業所紹介 |accessdate=2022-04-15}}</ref> <gallery widths="180" heights="120"> ファイル:JA-Kamikawa-Bldg01.JPG|農業関連団体が多数入居するJA上川ビル(2022年3月) </gallery> ==== 林業 ==== * [[木材]] * [[木器]](木製品) ;林業協同組合 * 協同組合旭川木工センター<ref>{{Cite web|和書|url=http://asahikawa-mokkocenter.com |title=旭川木工センター |publisher=協同組合旭川木工センター |accessdate=2015-09-13}}</ref> * 旭川市森林組合<ref>{{Cite web|和書|url=http://business4.plala.or.jp/a-sinrin/ |title=旭川市森林組合 |accessdate=2015-11-21}}</ref> === 第二次産業 === ==== 工業 ==== ;産業集積地(工業団地) * 旭川流通団地 * [[旭川工業団地]] * [[旭川リサーチパーク]] * 旭川木工センター ;工業協同組合 * 旭川家具工業協同組合<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahikawa-kagu.or.jp |title=旭川家具工業協同組合 |accessdate=2015-08-27}}</ref> * 旭川魚菜商業協同組合<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.gyosaikumiai.com/ |title=あさひかわ魚菜商業協同組合 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * 旭川地方自動車整備協同組合<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.h4.dion.ne.jp/~ashikaw/ |title=旭川地方自動車整備振興会 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * 旭川工業団地協同組合<ref>{{Cite web |url=http://www.asahikawa-ip.com/ |title=旭川工業団地協同組合 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * 旭川総合鉄工団地協同組合<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aisg.jp |title=旭川総合鉄工団地協同組合 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * 道北電気工事業協同組合<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.douhokudenkyo.jp |title=道北電気工事業協同組合 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * 旭川市管工事業協同組合<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asakan.or.jp |title=旭川市管工事業協同組合 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * 旭川ボーリング工業協同組合<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asabor.jp |title=旭川ボーリング工業協同組合 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * 旭川地方左官工業協同組合<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hokusaren.gr.jp/list/asahikawa/ |title=旭川地方左官工業協同組合 |publisher=北海道左官業組合連合会 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * 旭川情報産業事業協同組合<ref>{{Cite web |url=http://www.a-iic.net |title=旭川情報産業事業協同組合 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * 旭川印刷製本工業協同組合<ref>{{Cite web |url=http://apbia.org/ |title=旭川印刷製本工業協同組合 |accessdate=2015-09-01}}</ref> ===第三次産業=== ====商業==== ;[[ショッピングセンター]] {{Columns-list|2| * オクノ(2025年に閉館・解体予定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/685429/|title=旭川オクノ閉館へ惜しむ常連客 道北のファッション拠点が… 中心部衰退の懸念「跡地利用思い切って」|publisher=北海道新聞|date=2022年5月26日|accessdate=2022-05-26}}</ref>) ** OKUNO * フィール旭川開発 ** [[Feeeal旭川]] * 海晃 ** [[マルカツデパート]] * [[イオン北海道]]([[イオングループ]]) ** [[イオンモール旭川西]] ** イオン旭川永山店 * [[イオンモール]]{{Refnest|group="注"|1階に[[イオン北海道]]が[[テナント]]として入っている<ref>{{Cite web|和書|url=http://hre-net.com/keizai/ryutu/13820/ |title=3月下旬オープン「イオンモール旭川駅前」に北海道一の食と美容・健康ゾーン、イオン北海道の新機軸を具現化 |date=2015-02-14 |work=リアルエコノミー |accessdate=2015-08-25}}</ref>。}}(イオングループ) ** [[イオンモール旭川駅前]] * [[旭川電気軌道]] ** アモールショッピングセンター(豊岡ショッピングセンター) * [[長崎屋]]([[パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス]]グループ) ** [[ドン・キホーテ (企業)|MEGAドン・キホーテ]]旭川店 * 北海道富士興業 ** [[パワーズ (旭川市)|パワーズ]] * 交洋不動産 ** [[大成ファミリープラザ]] * 北海道ジェイ・アール都市開発([[北海道旅客鉄道|JR北海道]]グループ) ** 宮前ショッピングセンター }} * [[旭川 Harete|旭川はれて]] <gallery widths="180" heights="120"> OKUNO-Asahikawa01.JPG|OKUNO(2020年1月) Feeeal Asahikawa 20160501.jpg|Feeeal旭川(2016年5月) Marukatsu-Department-Store.JPG|マルカツデパート(2018年3月) AEON-MALL.Asahikawa-Nishi.JPG|イオンモール旭川西(2022年9月) AEON-Nagayama01.JPG|イオン旭川永山店(2020年2月) AEON Mall Around Asahikawa Station.jpg|イオンモール旭川駅前(2016年6月) Western-Powers.CiNEPLEX-Asahikawa01.JPG|ウェスタンパワーズ(2020年2月) Taisei-Family-Plaza01.JPG|大成ファミリープラザ(2022年9月) </gallery> ;スーパーマーケット {{Columns-list|2| * [[道北アークス]]([[アークス (北海道の企業)|アークス]]グループ) ** ウェスタンパワーズ(パワーズ内) ** ウェスタン川端 ** スーパーアークスウェスタン北彩都 ** スーパーアークス西神楽 ** スーパーアークスパルプタウン ** スーパーアークス東光 ** スーパーアークス豊岡3条 ** スーパーアークス永山中央 ** スーパーアークス六合店 ** スーパーアークス末広東店 ** スーパーアークス神居東店 ** ベストプライス神居店 ** ベストプライス10条通店 ** ベストプライス豊岡中央店 ** ベストプライス南6条通店 ** ベストプライス東旭川店 ** ラルズマート豊岡店 ** スーパーチェーンふじ春光台店 ** スーパーチェーンふじ末広5条店 ** スーパーチェーンふじ新富店 ** スーパーチェーンふじ永山西店 * [[生活協同組合コープさっぽろ]]旭川地区 ** 春光店 ** 東光店 ** Shena(シーナ)店 ** 神楽店 ** 忠和店 ** ツインハープ店 * [[ダイイチ (帯広市)|ダイイチ]] ** 西店 ** 東光店 ** 末広店 ** 東旭川店 ** 旭町店 ** 二条通店 ** 花咲店 * [[ホクレン商事]] ** ホクレンショップ忠和店 ** ホクレンショップ春光台店 ** ホクレンショップ東光店 * [[トライアルカンパニー]] ** メガセンタートライアル旭川店(大成ファミリープラザ内) ** スーパーセンタートライアル神楽店 ** スーパーセンタートライアル永山店 * [[イオン北海道]](イオングループ) ** [[ザ・ビッグ]]宮前通店(宮前ショッピングセンター内) ** ザ・ビッグ緑が丘店 ** ザ・ビッグアモール店(アモールショッピングセンター内) ** ザ・ビッグ永山店 }} <gallery widths="180" heights="120"> ウェスタン川端店.JPG|ウェスタン川端(2011年6月) Best-Price.Nagayama-Chuo.JPG|ベストプライス永山中央店(2020年8月) </gallery> ;協同組合 * 旭川折込広告協同組合<ref>{{Cite web|和書|url=http://dorico.org/wordpress/ |title=ドリコ 旭川折込広告協同組合 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * 旭川酒販協同組合<ref>{{Cite web |url=http://www.asahikawa-kyodo-sake.com/ |title=旭川酒販協同組合 |accessdate=2015-08-28}}</ref> * 旭川ホテル旅館協同組合<ref>{{Cite web|和書|url=http://park15.wakwak.com/~asahotel/ |title=旭川ホテル旅館協同組合 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * あさひかわ福祉生活協同組合<ref>{{Cite web|和書|url=http://fukushi-s.com |title=あさひかわ福祉生活協同組合 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * 旭川弁護士協同組合<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.zenbenkyo.or.jp/cooperative/asahikawa/ |title=旭川弁護士協同組合 |publisher=全国弁護士協同組合連合会 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * 旭川地方個人タクシー協同組合<ref name="個人タクシー協同組合">{{Cite web|和書|url=http://www.kojintaxi-asahikawa.netC |title=旭川地方個人タクシー協同組合 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * 旭川個人タクシー協会<ref name="個人タクシー協会">{{Cite web|和書|url=http://www.kojin-taxi.or.jp/area/hokkaido/07ashkw/ |title=旭川個人タクシー協会 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * 赤帽北海道軽自動車運送協同組合旭川支部 === 金融機関 === 市の[[指定金融機関]]は、1998年11月より[[旭川信用金庫]]が指定されている<ref>[http://www.asahikawa-shinkin.co.jp/spm/about/finance.html 指定金融機関] 旭川信用金庫</ref>。それ以前は[[北海道拓殖銀行]]が指定されていた。 '''[[銀行]]''' {{Columns-list|2| * [[みずほ銀行]] - 旭川支店 * [[北洋銀行]] - 旭川中央支店・大雪通支店、春光支店・旭川北支店、永山中央支店・永山北支店、豊岡支店、神楽支店 * [[北海道銀行]] - 旭川支店・神楽支店、豊岡支店・銀座通支店、永山支店、大町支店 * [[北陸銀行]] - 旭川支店 * [[秋田銀行]] - 旭川支店 }} <gallery widths="180" heights="120"> Hokuyo bank asahikawa.jpg|北洋銀行旭川支店(2011年8月) 2013年11月旭川中央支店に統合 </gallery> '''[[協同組織金融機関]]''' {{Columns-list|2| * [[信金中央金庫]] - 北海道支店旭川分室 * [[旭川信用金庫]] - 本店、銀座支店、北星支店、神楽支店、西神楽特別出張所、南出張所、東支店、南六条出張所、末広支店、春光出張所、新旭川支店、西支店、東旭川支店、豊岡支店、永山支店、近文支店、神居支店、東光支店、あたご支店、流通団地支店、緑が丘支店、忠和支店、東光東支店、末広北支店、永山南支店 * [[北星信用金庫]] - 旭川支店、旭川北支店、永山支店、東光支店、金星橋支店 * [[遠軽信用金庫]] - 旭川支店、新町支店、末広支店、永山支店、豊岡支店 * [[留萌信用金庫]] - 旭川支店、旭川北支店、旭川東支店、あたご支店 * [[稚内信用金庫]] - 旭川支店、神居支店、末広支店 * [[北空知信用金庫]] - 旭川支店、旭川東支店 * [[北見信用金庫]] - 旭川支店 * [[北央信用組合]] - 旭川支店、豊岡支店、永山支店 * [[ウリ信用組合]] - 旭川支店 * [[北海道労働金庫]] - 旭川支店 * JAバンク北海道([[北海道信用農業協同組合連合会]]) - 旭川支所 }} <gallery widths="180" heights="120"> Asahikawa shinkin bank honten.jpg|旭川信用金庫本店(2011年8月) </gallery> '''[[証券会社]]''' * [[野村證券]]旭川支店 * [[SMBC日興証券]]旭川支店 === 物流 === * [[ヤマト運輸]]道北主管支店 ** イオンモール旭川駅前出張所 ** 旭川駅前センター ** 旭川旭町センター ** 駅前東センター ** 駅前西センター ** 旭川曙センター ** 旭川末広センター ** 神楽センター ** 永山センター ** 旭川流通団地センター ** 東光センター * [[佐川急便]]旭川営業所 === 拠点を置く企業 === 50音順 {{Columns-list|3| * [[旭川ガス]] * [[旭川ケーブルテレビ]] * [[旭川信用金庫]] * 旭川スズキ販売 * 旭川生花市場 * 旭川通運 * [[旭川電気軌道]] * [[旭川トヨタ自動車]] * 旭川トヨペット * [[旭川日産自動車]] * 旭ダンケ * 旭ダンボール工業 * [[荒井建設]] * 生駒組 * 一印旭川魚卸売市場 * 大阪畜産 * [[男山 (酒造メーカー)|男山]] * 表鉄工所 * 片桐紙器 * [[片倉コープアグリ]] * 加藤ラーメン * 北北海道ダイハツ販売 * キョクイチ * 旭栄大城建設(旧:大城建設 / 旭栄工務) * 旭新運輸([[日本製紙]]グループ) *くまだ *今野醸造 * [[くみあい乳業]]([[よつ葉乳業]]グループ) * 香貴 * 合同酒精([[オエノンホールディングス]]) * 国策機工(日本製紙グループ) * [[国策共栄]](日本製紙グループ) * 寿 須藤製麺工場 * コハタ * サンデリカ([[山崎製パン|ヤマザキグループ]]) * 昭和木材 * 新谷建設 * [[住友ゴム工業]] * 正和電工 *[[大成ロテック]] * [[大雪地ビール]] * [[高砂酒造 (北海道)|高砂酒造]] * タカハタ建設 * [[館脇倉庫]] * [[壺屋総本店]] * [[東芝ホクト電子]]([[東芝]]グループ) * ドースイ * 東成建設 * [[道北アークス]]([[アークス (北海道の企業)|アークス]]グループ) * 道北振興 * [[道北バス]] * [[特一番]] * トヨタカローラ旭川 * トヨタカローラ道北 * 日東石油 * [[日本製紙]] * [[日本ハム]]北海道ファクトリー * 日本醤油工業([[キッコーマン]]グループ) * 日本メディカルプロダクツ * ネッツトヨタ旭川 * ネッツトヨタたいせつ * 梅光軒 * 橋本川島コーポレーション * [[蜂屋]] * 檜山鐵工所 * 廣野組 * [[藤原製麺]]([[永谷園ホールディングス|永谷園グループ]]) * [[北海道畜産公社]](ホクレングループ) * [[北海道地図 (企業)|北海道地図]] * [[福山醸造|北海道味噌]] * [[北海道録画センター]] * 北海丸油 * 北興運輸 * Honda Cars 旭川 * 丸果旭川地方卸売市場 * [[丸善三番舘]] * [[明治 (企業)|明治]]<ref>2023年3月旭川工場閉鎖。恵庭工場([[恵庭市]])に集約。</ref> * [[茂田石油]] * 盛永組 * 山下食品 * [[UDトラックス北海道]](旧:日産ディーゼル旭川販売) * [[横浜ゴム]] * [[吉川園]] * [[らーめん山頭火]] * [[レンゴー]] * [[ロバ菓子司]] }} == 情報・通信 == === マスメディア === ==== 新聞社 ==== {{Columns-list|2| * [[北海道新聞社]]旭川支社 * 北のまち新聞社([[あさひかわ新聞]]) * [[読売新聞北海道支社]]旭川支局 * [[朝日新聞北海道支社]]旭川支局 * [[毎日新聞北海道支社]]旭川支局 * [[日本経済新聞社]]旭川支局 }} '''業界紙・フリーペーパー・映像制作会社など''' {{Columns-list|2| * あさひかわタウン情報([[asatan]]) * [[北海道建設新聞|北海道建設新聞社]]旭川支社 * 北海道経済(月刊北海道経済) * [[メディアあさひかわ]] * [[ライナーネットワーク]] * [[北海道録画センター]] * エム・ドゥ([[ベアーズマガジン]])<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.bear-mag.com/ |title=ベアーズマガジン |publisher=エム・ドゥ |accessdate=2015-08-26}}</ref> * グラフ旭川(月刊誌グラフ旭川)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.graph-as.com/page/ |title=グラフ旭川 |accessdate=2015-08-26}}</ref> * ネスティコーポレーション(あさひかわ経済新聞)<ref>{{Cite web |url=http://asahikawa.keizai.biz/ |title=旭川経済新聞 |work=ネスティコーポレーション |accessdate=2015-08-26}}</ref> * 鏑木商店 * ㈱ビデオライン * ㈱ヒューマン・アイ * ファーストステップ * ㈲ビー・プラニング }} ==== 通信社 ==== * [[時事通信社]]旭川支局 * [[共同通信社]]旭川支局 * [[北海道通信社]]旭川支社 ==== 放送局 ==== ;テレビ {{Columns-list|2| * [[北海道放送]](HBC)旭川放送局 * [[日本放送協会]](NHK)[[NHK旭川放送局|旭川放送局]] * [[札幌テレビ放送]](STV)旭川放送局 * [[北海道テレビ放送]](HTB)旭川支社 * [[北海道文化放送]] (uhb) 旭川支社 * [[テレビ北海道]](TVh)旭川支局 * [[旭川ケーブルテレビ]](ポテト) }} ;ラジオ * [[旭川シティネットワーク]](FMりべーる) <gallery widths="180" heights="120"> 北海道新聞旭川支社.jpg|北海道新聞旭川支社が入居する旭川北洋ビル(2016年9月) STV旭川放送局.jpeg|札幌テレビ放送(STV)旭川放送局(2016年9月) 北海道放送旭川放送局.jpg|北海道放送(HBC)旭川放送局(2016年9月) Asahikawa Cable Television 1.jpg|旭川ケーブルテレビ(2010年12月) </gallery> == 生活基盤 == === ライフライン === ==== 電気 ==== * [[北海道電力]]旭川支店 ==== 電話 ==== * NTT東日本-北海道 北海道北支店 ==== ガス ==== * [[旭川ガス]] ==== 上下水道 ==== * [[旭川市水道局]] == 教育 == [[ファイル:AMU H.jpg|thumb|200px|[[旭川医科大学]]]] === 大学 === ; 国立 * [[北海道教育大学]] 旭川校 * [[旭川医科大学]] ; 公立 * [[旭川市立大学]](旧:旭川大学) ; 通信 * [[星槎大学]] 旭川学習センター === 短期大学 === ; 公立 * [[旭川市立大学短期大学部]](旧:旭川大学短期大学部) === 高等専門学校 === *[[旭川工業高等専門学校]] === 専修学校 === {{Columns-list|2| * [[旭川医療情報専門学校]] * [[旭川厚生看護専門学校]] * [[旭川市医師会看護専門学校]] * [[旭川歯科学院専門学校]] * [[旭川調理師専門学校]] * [[旭川理容美容専門学校]] * [[北都保健福祉専門学校]] * [[北海道立旭川高等看護学院]] * [[北海道医学技術専門学校]] * [[旭川情報ビジネス専門学校]](旧:旭川大学情報ビジネス専門学校) }} === 高等学校 === ; 道立 {{Columns-list|2| * [[北海道旭川東高等学校]] * [[北海道旭川北高等学校]] * [[北海道旭川西高等学校]] * [[北海道旭川永嶺高等学校]](旧:北海道旭川凌雲高等学校 / [[北海道旭川東栄高等学校]]) * [[北海道旭川南高等学校]] * [[北海道旭川工業高等学校]] * [[北海道旭川商業高等学校]] * [[北海道旭川農業高等学校]] }} ; 私立 {{Columns-list|2| * [[旭川龍谷高等学校]] * [[旭川藤星高等学校]](旧:旭川藤女子高等学校) * [[旭川実業高等学校]] * [[旭川志峯高等学校]](旧:旭川大学高等学校) * [[旭川明成高等学校]] }} ; 通信 * [[クラーク記念国際高等学校]]本校 旭川サテライト * [[池上学院高等学校]]旭川キャンパス === 中学校 === {{Columns-list|2| * [[北海道教育大学附属旭川中学校]] * [[旭川市立旭川中学校]] * [[旭川市立愛宕中学校]] * [[旭川市立嵐山中学校]] * [[旭川市立江丹別中学校]] * [[旭川市立神楽中学校]] * [[旭川市立神居中学校]] * [[旭川市立神居東中学校]] * [[旭川市立啓北中学校]] * [[旭川市立光陽中学校]] * [[旭川市立広陵中学校]] * [[旭川市立桜岡中学校]] * [[旭川市立春光台中学校]] * [[旭川市立中央中学校]] * [[旭川市立忠和中学校]] * [[旭川市立東光中学校]] * [[旭川市立東明中学校]] * [[旭川市立東陽中学校]] * [[旭川市立永山中学校]] * [[旭川市立永山南中学校]] * [[旭川市立西神楽中学校]] * [[旭川市立東鷹栖中学校]] * [[旭川市立北星中学校]] * [[旭川市立北門中学校]] * [[旭川市立緑が丘中学校]] * [[旭川市立明星中学校]] * [[旭川市立六合中学校]] }} === 小学校 === {{Columns-list|2| * [[北海道教育大学附属旭川小学校]] * [[旭川市立西御料地小学校]] * [[旭川市立朝日小学校]] * [[旭川市立旭川小学校]] * [[旭川市立旭川第一小学校]] * [[旭川市立旭川第三小学校]] * [[旭川市立旭川第五小学校]] * [[旭川市立愛宕小学校]] * [[旭川市立愛宕東小学校]] * [[旭川市立嵐山小学校]] * [[旭川市立雨紛小学校]] * [[旭川市立江丹別小学校]] * [[旭川市立大町小学校]] * [[旭川市立神楽小学校]] * [[旭川市立神楽岡小学校]] * [[旭川市立神居小学校]] * [[旭川市立神居東小学校]] * [[旭川市立共栄小学校]] * [[旭川市立啓明小学校]] * [[旭川市立向陵小学校]] * [[旭川市立春光小学校]] * [[旭川市立新富小学校]] * [[旭川市立新町小学校]] * [[旭川市立末広小学校]] * [[旭川市立末広北小学校]] * [[旭川市立青雲小学校]] * [[旭川市立正和小学校]] * [[旭川市立大有小学校]] * [[旭川市立台場小学校]] * [[旭川市立高台小学校]] * [[旭川市立近文小学校]] * [[旭川市立近文第一小学校]] * [[旭川市立近文第二小学校]] * [[旭川市立知新小学校]] * [[旭川市立忠和小学校]] * [[旭川市立千代田小学校]] * [[旭川市立東栄小学校]] * [[旭川市立東光小学校]] * [[旭川市立富沢小学校]] * [[旭川市立豊岡小学校]] * [[旭川市立永山小学校]] * [[旭川市立永山西小学校]] * [[旭川市立永山東小学校]] * [[旭川市立永山南小学校]] * [[旭川市立西神楽小学校]] * [[旭川市立日章小学校]] * [[旭川市立東五条小学校]] * [[旭川市立東町小学校]] * [[旭川市立北鎮小学校]] * [[旭川市立北光小学校]] * [[旭川市立緑が丘小学校]] * [[旭川市立陵雲小学校]] * [[旭川市立緑新小学校]] }} === インターナショナルスクール === * [[グレースマウンテンインターナショナルスクール]] === 特別支援学校 === * 北海道旭川盲学校 * 北海道旭川養護学校 * 北海道旭川聾学校 === 学校教育以外の施設 === {{Columns-list|2| * [[中小企業大学校]]旭川校 * 旭川市シニア大学<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/329/330/333/p004997.html |title=旭川市シニア大学 |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10}}</ref> * 旭川市民農業大学<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/364/374/379/p005261.html |title=旭川市民農業大学トップページ |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10}}</ref> * 北海道職業能力開発促進センター旭川訓練センター(旧:ポリテクセンター旭川) * [[北海道立旭川高等技術専門学院]] * 旭川建築高等職業訓練校 * 旭川左官高等職業訓練校 * 北海道・大工養成塾 * 北海道クミアイ自動車学校 * 花咲自動車学校 * 北工学園モータースクール * 山添自動車学園 * 共立自動車教習所 }} == 交通 == [[ファイル:140724 Asahikawa Airport Hokkaido Japan01s3.JPG|thumb|200px|旭川空港(2014年7月)]] [[ファイル:JR Asahikwa Station building (North Exit).jpg|thumb|200px|旭川駅(2017年8月)]] [[ファイル:Asahikawatakasu.JPG|thumb|200px|旭川鷹栖IC料金所(2008年4月)]] [[ファイル:Asahikawa-Kita IC.jpg|thumb|200px|旭川北IC料金所(2016年9月)]] [[ファイル:Asahikawa Tokiwa Rotary.JPG|thumb|200px|旭川常盤ロータリー(2006年7月)]] [[ファイル:Michinoeki Asahikawa.jpg|thumb|200px|道の駅あさひかわ(2008年6月)]] ===空路=== ====空港==== * [[旭川空港]]{{Refnest|group="注"|空港管理者は旭川市。空港ターミナルビルは[[東神楽町]]にある<ref>{{Cite web|和書|url=http://pucchi.net/hokkaido/closeup/asahikawaairport.php |title=旭川空港ターミナルビルが旭川市にないという事実 |date=2012-04-24 |work=北海道ファンマガジン |accessdate=2015-08-28}}</ref>。}} ===鉄道=== ====鉄道路線==== 現存する旅客列車は全てJR北海道の路線である。毎時1本もしくは2本の頻度で、特急列車が札幌 - 旭川間を1時間半で結んでいる。 ;[[北海道旅客鉄道]](JR北海道) * [[函館本線]] ** [[近文駅]] - [[旭川駅]] *** [[納内駅]] - 近文駅間にあった[[伊納駅]]は、2021年3月13日の[[ダイヤ改正]]時に廃止された<ref name="press/20201209_KO_kaisei">{{Cite press release|和書|url=https://www.jrhokkaido.co.jp/CM/Info/press/pdf/20201209_KO_kaisei.pdf|title=来春のダイヤ見直しについて|format=PDF|publisher=北海道旅客鉄道|date=2020-12-09|accessdate=2021-01-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201209060401/https://www.jrhokkaido.co.jp/CM/Info/press/pdf/20201209_KO_kaisei.pdf|archivedate=2021-01-05}}</ref><ref name="press/20201218_KO_Daikai">{{Cite press release|和書|url=https://www.jrhokkaido.co.jp/CM/Info/press/pdf/20201218_KO_Daikai.pdf|title=2021年3月ダイヤ改正について|format=PDF|publisher=北海道旅客鉄道|date=2020-12-18|accessdate=2021-01-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201218050637/https://www.jrhokkaido.co.jp/CM/Info/press/pdf/20201218_KO_Daikai.pdf|archivedate=2020-12-18}}</ref>。 * [[宗谷本線]] ** 旭川駅 - [[旭川四条駅]] - [[新旭川駅]] - [[永山駅]] - [[北永山駅]] * [[石北本線]] ** 新旭川駅 - [[南永山駅]] - [[東旭川駅]] - [[桜岡駅]] *** 東旭川駅 - 桜岡駅間にあった[[北日ノ出駅]]は、2021年3月13日のダイヤ改正時に廃止された<ref name="press/20201209_KO_kaisei" /><ref name="press/20201218_KO_Daikai" />。 * [[富良野線]] ** 旭川駅 - [[神楽岡駅]] - [[緑が丘駅 (北海道)|緑が丘駅]] - [[西御料駅]] - [[西瑞穂駅]] - [[西神楽駅]] - [[西聖和駅]] - [[千代ヶ岡駅]] ;[[日本貨物鉄道]](JR貨物)[[日本貨物鉄道北海道支社|北海道支社]] * [[宗谷本線]] ** 新旭川駅 - [[北旭川駅]] ====かつてあった路線==== ;[[旭川電気軌道]] * [[旭川電気軌道東旭川線|東旭川線]] ** 旭川四条駅 - 旭川追分駅 - 墓地前駅 - 愛宕駅 - 二丁目駅 - 東旭川駅 - 五丁目駅 - 旭山公園駅 * [[旭川電気軌道東川線|東川線]] ** 旭川四条駅 - 旭川追分駅 - 千代田駅 - 観音駅 - 共栄駅 - 東川駅 === バス === ====路線バス==== ;市内線 * [[道北バス]] * [[旭川電気軌道]] ;郊外線 * 道北バス * 旭川電気軌道 * [[空知中央バス]] * [[ふらのバス]] * [[沿岸バス]] ;コミュニティバス * [[永山コミュニティバス]] - 2003年より[[永山 (旭川市)|永山地区]]で運行していたが廃止された。 ====高速バス==== ;都市間バス * [[北海道中央バス]]([[北海道中央バス旭川営業所|旭川営業所]]) * 道北バス * [[北海道拓殖バス]] * [[十勝バス]] * [[北海道北見バス]] * [[阿寒バス]] * [[宗谷バス]] * [[ジェイ・アール北海道バス]] === タクシー === 北海道運輸局による「一般乗用旅客自動車運送事業(タクシー)の自動認可運賃等」では「北海道B地区」に区分<ref>{{Cite web|和書|url=http://hokuhakyo.or.jp/fare/ |title=運賃について |publisher=北海道ハイヤー協会 |accessdate=2015-09-01}}</ref>。営業区域は旭川交通圏。 {{Columns-list|2| * 旭川合同自動車([[北海道交運グループ]]) * 小鳩交通 * 金星旭川ハイヤー * 富士タクシー * [[旭川中央交通]](旧・旭川中央ハイヤー) * すゞらん交通([[北都交通 (北海道)|北都交通]]グループ) * 三王交通 * 大丸交通 * 平成ハイヤー * みつばちタクシー * みどりハイヤー * HEYタクシー }} * 旭川個人タクシー・四ッ星会<ref>{{Cite web|和書|url=http://www012.upp.so-net.ne.jp/kojintaxi/ |title=旭川個人タクシー・四ッ星会 |accessdate=2015-09-01}}</ref> * 旭川地方個人タクシー協同組合<ref name="個人タクシー協同組合"/> * 旭川個人タクシー協会<ref name="個人タクシー協会"/> === 道路 === 市内を通る幹線道路は、[[シーニックバイウェイ]]の「大雪・富良野ルート」、大雪 - 富良野 - 十勝を結ぶ「[[北海道ガーデン街道]]」になっている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.scenicbyway.jp/routes/taisetsu-furano |title=大雪・富良野ルート |work=シーニックバイウェイ北海道 |accessdate=2015-09-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hokkaido-garden.jp |title=北海道ガーデン街道 |publisher=北海道ガーデン街道協議会 |accessdate=2015-05-18}}</ref>。 ==== 高速道路 ==== * [[道央自動車道]]([[北海道縦貫自動車道]]):[[旭川鷹栖インターチェンジ|旭川鷹栖IC]] - [[旭川北インターチェンジ|旭川北IC]] ==== 地域高規格道路 ==== * [[旭川十勝道路]](旭川東神楽道路) ==== 国道 ==== * [[国道12号]] ** [[旭川新道]] * [[国道39号]] * [[国道40号]] ** [[旭川常盤ロータリー]] * [[国道233号]](国道12号との[[重用区間]]) * [[国道237号]] * [[国道333号]](国道39号との重用区間) * [[国道452号]] ==== 道道 ==== '''[[都道府県道]]''' {{Columns-list|2| * [[北海道道4号旭川芦別線]] * [[北海道道20号旭川停車場線]] * [[北海道道37号鷹栖東神楽線]] * [[北海道道57号旭川深川線]] * [[北海道道68号旭川空港線]] * [[北海道道72号旭川幌加内線]] * [[北海道道79号深川豊里線]] * [[北海道道90号旭川環状線]] * [[北海道道98号旭川多度志線]] * [[北海道道140号愛別当麻旭川線]] * [[北海道道146号旭川鷹栖インター線]] * [[北海道道213号天人峡美瑛線]] * [[北海道道219号新開旭川線]] * [[北海道道251号雨竜旭川線]] * [[北海道道294号東川東神楽旭川線]] * [[北海道道295号瑞穂旭川停車場線]] * [[北海道道329号新旭川停車場線]] * [[北海道道331号永山停車場線]] * [[北海道道486号豊田当麻線]] * [[北海道道487号近文停車場線]] * [[北海道道520号鷹栖東鷹栖比布線]] * [[北海道道542号東旭川停車場線]] * [[北海道道580号美馬牛神楽線]] * [[北海道道579号新開西神楽停車場線]] * [[北海道道611号瑞穂東川線]] * [[北海道道641号北旭川停車場線]] * [[北海道道761号北旭川停車場永山線]] * [[北海道道848号鷹栖江丹別線]] * [[北海道道915号共和嵐山線]] * [[北海道道937号上雨紛台場線]] * [[北海道道940号東川旭川線]] * [[北海道道942号東鷹栖永山線]] * [[北海道道1124号近文停車場緑町線]] * [[北海道道1125号嵐山公園線]] * [[北海道道1150号旭川北インター線]] * [[北海道道1160号旭川旭岳温泉線]] }} ==== 道の駅 ==== * [[道の駅あさひかわ|あさひかわ]] == 観光 == 北海道を代表する観光地「[[旭川市旭山動物園]]」を始め、[[北海道ガーデン街道]]の「[[上野ファーム]]」・北北海道エリア屈指の規模を誇る「[[カムイスキーリンクス]]」・大雪山連峰を一望できる展望地「[[就実の丘]]」等が存在する。また、全国的に有名な「[[旭川ラーメン]]」・「[[ジンギスカン (料理)|ジンギスカン]]」に加え「[[塩ホルモン]]」・「[[新子焼き]]」といった肉類の名物料理、さらに流通の拠点として北海道各地から新鮮な'''海産物'''が集まることから、ガイドブックではグルメが充実した都市と紹介されることも多く、<ref>るるぶ情報版 北海道23'</ref><ref>まっぷる 北海道23'</ref>近年では北海道有数の観光都市となっている<ref>北海道観光局観光振興課 北海道観光客数調査報告書</ref>。特に歓楽街である「[[3・6街]]」には、約800店の飲食店がひしめき合い、札幌市の[[すすきの]]に次ぐ規模の歓楽街として知られている。 上記に加え、近隣の[[美瑛町]] ([[青い池]]・丘陵風景)・[[富良野市]] (ラベンダー園)・[[東川町]]([[大雪山国立公園]])・[[上川町]]([[層雲峡温泉]]・[[大雪高原温泉]]など)へのアクセスの拠点となっているため、旭川市内での宿泊者も多い。 === 文化財 === 「旭川市内の指定・登録文化財」参照<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/329/348/353/p000162.html |title=旭川市内の指定・登録文化財 |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10}}</ref> ==== 国指定 ==== * [[重要文化財]] ** 旧旭川偕行社 - [[中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館]] * [[重要無形民俗文化財]] ** アイヌ古式舞踊 - 旭川チカップニアイヌ民族文化保存会 ==== 国登録 ==== * [[有形文化財]] ** 上川倉庫群 ** [[旭川市市民活動交流センター]] (愛称:CoCoDe) ** あさでん春光整備工場(旧第七師団騎兵第七連隊覆馬場) ** 松岡家住宅 ** 最創山光岸寺本堂 ** 旧岡田家住宅(主屋・蔵) ** 山崎家住宅 ==== 道指定 ==== * [[史跡]] ** 神居古潭竪穴住居遺跡 ==== 市指定 ==== * 有形文化財 ** 上川郡農作試験所事務所棟(忠別太駅逓第一美英舎) ** 永山屯田兵屋 - 旭川市博物館 ** 養蚕民家 ** [[神居古潭駅|旧神居古潭駅舎]] ** 旭川兵村中隊記録及び屯田物語原画綴り - 旭川兵村記念館 ** 錦町5遺跡出土の斧柄 - 旭川市博物館 ** 蕨手刀 - 旭川市博物館 ** 第七師団関係記録 - [[陸上自衛隊]][[旭川駐屯地]][[北鎮記念館]] ** 知里幸恵遺稿ノート - 旭川市博物館 ** 旭川兵村中隊記録(追加) - 旭川兵村記念館 * 史跡 ** 近文山国見の碑 - [[嵐山公園 (北海道)|嵐山公園]] * [[天然記念物]] ** 梅の木 - 旭川第一小学校校庭 ** 神居古潭おう穴群 - [[神居古潭]][[石狩川]]河川敷 <gallery widths="180" heights="120"> Asahikawa Museum of Sculpture.JPG|旧旭川偕行社(2006年7月) JNR Kamuikotan st.JPG|旧神居古潭駅舎(2007年7月) Pot hole at Kamuikotan (Asahikawa, Hokkaido) No. 2.JPG|神居古潭おう穴群(2009年5月) </gallery> === 選定 === 「旭川市勢要覧 ランキングで見る旭川」参照{{Sfn|市勢要覧|2015|p=39}} * ふるさと産業50選「優佳良織」 * [[近代水道百選]]「春光台配水池」 * [[日本の都市公園100選]]、北の造園遺産「[[常磐公園]]」<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jila-hokkaido.com/gyouji_/kitanozouensisan/kitanozoen_all/9_jyouban/Isan-9(Tokiwa).pdf |title=常磐公園(旭川市) |format=PDF |publisher=[[日本造園学会]]北海道支部 |accessdate=2015-09-13}}</ref> * [[旭川八景]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kankou/2100/d053286.html |title=旭川八景 |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10}}</ref> ** [[旭橋 (旭川市)|旭橋]] ** 嵐山と嵐山からの眺望 ** [[外国樹種見本林]] ** [[神居古潭]] ** 旧旭川偕行社・[[中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館|旭川市彫刻美術館]] ** ダイヤモンドダスト([[細氷]]) ** 常磐公園 ** [[平和通買物公園]] * [[北海道遺産]]「旭橋」「[[旭川ラーメン]]」 * [[日本の地質百選]]「神居古潭渓谷の変成岩」<ref name="地質百選"/> * [[平成百景]]「[[旭川市旭山動物園]]」 <gallery widths="180" heights="120"> Tokiwa Park in Asahikawa.jpg|常磐公園碑(2010年4月) Asahibashi Bridge Asahikawa Hokkaido Japan.jpg|旭橋(2005年6月)<ref>{{Cite web |url=http://pucchi.net/hokkaido/closeup/bridge.php |title=北海道三大名橋をご存じ? 豊平橋・旭橋・幣舞橋 |date=2008-03-13 |work=北海道ファンマガジン |accessdate=2015-08-28}}</ref> Cityscape of Asahikawa from Mt. Arashiyama.jpg|嵐山展望台から眺めた旭川市街(2016年10月) Mihonrin 0001.jpg|外国樹種見本林(2010年3月) Asahiyama.polar bear2.jpg|旭川市旭山動物園のホッキョクグマ(2009年8月) </gallery> ===名所・旧跡=== ;主な神社 *[[上川神社]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20211222-MUG5CPUF7ZMYTMRER6VHOPVMEM/|title=エゾリス、冬の間も大忙し 雪積もる中、旭川|publisher=産経ニュース|date=2021-12-22|accessdate=2021-12-22}}</ref> *[[永山神社]] *[[北海道護國神社]] ;主な寺院 *[[妙法寺 (旭川市)|妙法寺]] <gallery> File:KamikawaJinja.jpg|[[上川神社]] File:Nagayamajinjya1.jpg|[[永山神社]] File:Hokkaido Gokoku.JPG|[[北海道護國神社]] </gallery> === 観光スポット === {{Columns-list|3| * [[旭川市旭山動物園]] * [[平和通買物公園]] * [[3・6街]] * [[あさひかわラーメン村]] * [[あさひかわ北彩都ガーデン]] * [[上野ファーム]] * [[就実の丘]] * [[旭川 Harete]] * [[5・7小路ふらりーと]](中央市場) * [https://www.tsuboya.net/kibananomori/about/ き花の杜] * [https://www.asahikawa-kagu.or.jp/ 旭川デザインセンター] * [[ロマンティック街道 (旭川市)|ロマンティック街道]](プラタナス通り/裏参道) * [[外国樹種見本林]] * [[サンタプレゼントパーク・マロースゲレンデ|ニコラス展望タワー]] ([[日本夜景遺産]]) * [[神居古潭]] * 大雪地ビール館<ref name="大雪地ビール">{{Cite web|和書|url=http://www.ji-beer.com/ |title=大雪地ビール |accessdate=2015-08-27}}</ref> * [[七条緑道|7条緑道]] * [[北の嵐山]] * [[三浦綾子記念文学館]] * [[中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館]] * [[旭川市科学館 サイパル]] * 西川徹郎文學館 * [[北海道立旭川美術館]] * [[川村カ子トアイヌ記念館]] * [[北鎮記念館]] * [[井上靖記念館]] * 男山酒造り資料館<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.otokoyama.com/otoko_b/otoko_b2/ |title=酒造り資料館 |publisher=[[男山 (酒造メーカー)|男山]] |accessdate=2015-08-27}}</ref> * [[高砂酒造 (北海道)|高砂酒造]] * 旭川兵村記念館<ref>{{Cite web|和書|url=http://a-heison.sakura.ne.jp |title=旭川兵村記念館 |accessdate=2015-09-02}}</ref> * クラークホースガーデン<ref>{{Cite web|和書|url=http://clark-horse.sakura.ne.jp |title=クラークホースガーデン |accessdate=2015-08-27}}</ref> * [[斉藤牧場]] }} <gallery widths="180" heights="120"> 旭川平和通買物公園 - panoramio.jpg|平和通買物公園(2012年6月) Daisetsu ji beer hall.jpg|上川倉庫十一号倉庫(大雪地ビール館)(2007年8月) AyakoMiuraMemorial.jpg|三浦綾子記念文学館(2010年3月) プラタナス通.jpg|市道神楽岡通線(プラタナス通)(2007年9月) 北鎮鎮.JPG|北鎮記念館(2007年) Yasushi-Inoue-Gedankstaette.jpg|井上靖記念館(2006年7月) Otokoyama, Asahikawa.jpg|男山酒造り資料館(2006年7月) Asahiyama zoo entrance.jpg|旭山動物園正門(2009年5月) Shujitsu Hill, Aasahikawa, Hokkaido, Japan - panoramio (1).jpg|就実の丘(2011年7月) </gallery> ;公園・キャンプ場 {{Columns-list|2| * [[常磐公園]] * [[神楽岡公園]] * [[春光台公園]] * [[忠和公園]] * 旭山公園 ** [[旭山三浦庭園]] * [[嵐山公園 (北海道)|嵐山公園]] ** [[北邦野草園]]<ref group="注">所在地は[[鷹栖町]]であるが、運営管理は旭川市が行っている。</ref> * [[カムイの杜公園]] * [[突哨山#男山自然公園|男山自然公園]] * 春光台公園グリーンスポーツ施設キャンプ場 * 神楽岡公園少年キャンプ村 * 西神楽公園キャンプ場 * カムイの杜公園キャンプ場 * 江丹別若者の郷 * 富沢ふれあいの家 * とみはら自然の森 * パークランド嵐山 * 春日青少年の家 * 旭川市21世紀の森 }} <gallery widths="180" heights="120"> 旭川常磐公園2.JPG|常磐公園(2006年7月) Kaguraoka Park Asahikawa.JPG|神楽岡公園(2010年8月) Otokoyama-Park01.JPG|男山自然公園(2022年4月) </gallery> ;スキー場・ゴルフ場 * [[カムイスキーリンクス]] - 「[[北海道パウダーベルト]]」に位置するスキー場の一つ * [[サンタプレゼントパーク・マロースゲレンデ]] * 旭川ゴルフ倶楽部 * 旭川メモリアルカントリークラブ * フォレスト旭川カントリークラブ <gallery widths="180" heights="120"> サンタプレゼントパーク・マロースゲレンデ.JPG|サンタプレゼントパーク・マロースゲレンデ(2011年4月) カムイスキーリンクス2.JPG|カムイスキーリンクス(神居山)(2013年4月) </gallery> == 文化・名物 == === 祭事・催事 === 1990年(平成2年)から3年おきに『国際家具デザインフェア旭川』(IFDA ASAHIKAWA)を開催し<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ifda.jp |title=国際家具デザインフェア旭川(IFDA ASAHIKAWA) |accessdate=2015-08-28}}</ref>、2000年(平成12年)から『旭川彫刻フェスタ』も開催している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/files/bunkashinko/sculpture_mus/asa-mus/sakuhinutiwake/festa.html |title=旭川彫刻フェスタ作家 |work=[[中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館]] |accessdate=2015-09-04}}</ref>。特に9月に開催される「[[北の恵み 食べマルシェ]]」は、北海道最大級のグルメイベントとして、多くの市民・観光客が来訪する一大イベントとなっている。 {{Columns-list|2| * [[旭川冬まつり]](2月) * 氷彫刻世界大会(2月) * [[バーサーロペットジャパン]](3月) * [[北海道護國神社]]慰霊大祭(6月) * [[北海道音楽大行進]](6月) * [[永山神社]]例祭(6月から7月) * 石狩川フェスティバル(7月)<ref>{{Cite web|和書|url=http://asahikawashokokai.info/mizumaturi/ |title=石狩川フェスティバル |accessdate=2015-09-02}}</ref> * [[上川神社]]例大祭(7月) * [[永山屯田まつり]](7月) * ホタル祭りin西神楽(7月) * 旭川夏まつり(7月から8月)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ccia.or.jp/event/summer_fes/ |title=旭川夏まつり |accessdate=2015-09-02}}</ref> * 銀座七夕まつり(8月) * [[北の恵み 食べマルシェ]](9月) * こたんまつり(9月) * 旭川陶芸フェスティバル(9月)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www7b.biglobe.ne.jp/~tohjin/F3.htm |title=旭川陶芸フェスティバル |accessdate=2015-09-02}}</ref> * 旭川ハーフマラソン(9月)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahikawa-half-marathon.jp |title=旭川ハーフマラソン公式サイト |accessdate=2015-09-01}}</ref> }} === 名産・特産 === 日本国内有数の米どころであり、郊外には大雪の山々を背景とした田園風景が広がっている{{Sfn|旭川市勢要覧|2015|pp=11-12}}。大雪山連峰に源を発している[[伏流水]]が[[田]]を潤し、[[盆地]]ならではの寒暖の差が[[米]]のおいしさを増している{{Sfn|旭川市勢要覧|2015|pp=11-12}}。さらに、冷涼な気候は病害虫の発生が少ないので農薬の散布量も比較的少なくて済む利点がある{{Sfn|旭川市勢要覧|2015|pp=11-12}}。1891年(明治24年)に[[屯田兵]]が入植した年から酒造りが始まっており<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/files/bunkashinko/culture-art-map/cam-column-h.html |title=北海の灘について |work=あさひかわの文化 |accessdate=2015-08-28 |deadlink=2016-07-10}}</ref>、1996年(平成8年)には[[大雪地ビール]]が誕生した<ref name="大雪地ビール"/>。江丹別地域を中心に[[ソバ]]の栽培が盛んで、[[江丹別そば]]が有名である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/koho/h23_11/P04-07.pdf |title=特集 わがマチの自慢 江丹別そば |date=2011-11 |format=PDF |work=こうほう旭川市民 |publisher=旭川市 |accessdate=2015-08-28 |deadlink=2016-07-10}}</ref>。[[旭川ラーメン]]は[[北海道遺産]]「[[北海道のラーメン]]」の1つであり、加水率の低い[[麺]]を使用している{{Sfn|旭川市勢要覧|2015|pp=15-16}}。粉をこねるときに加える水が少ないことでスープをよく吸って[[コムギ|小麦]]の香りを感じる歯触りの良い麺となる{{Sfn|旭川市勢要覧|2015|pp=15-16}}。米と同様に良い水に恵まれていることが麺の要因となっている{{Sfn|旭川市勢要覧|2015|pp=15-16}}。また、かつて養豚業が盛んであったことから[[塩ホルモン]]、[[豚トロ]]は旭川が発祥の地とされている<ref name="大雪ものしり百科産業編"/><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/koho/h24_03/p04_09.pdf |title=特集 旭川の豚肉でまちも人もパワーアップ! |date=2012-03 |format=PDF |work=こうほう旭川市民 |publisher=旭川市 |accessdate=2015-09-01 |deadlink=2016-07-10}}</ref>。 [[ご当地グルメ]]としては主に旭川や空知地方の一部で提供している[[もつそば]]、おにぎりとホットドッグを足して2で割ったかのような[[ジュンドッグ]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://pucchi.net/hokkaido/foods/jundog.php |title=おにぎり+ホットドッグ÷2!? 旭川名物「ジュンドッグ」って何? |date=2008-03-13 |work=北海道ファンマガジン |accessdate=2015-08-28}}</ref>、若鶏の半身を炭火などで素焼きした[[新子焼き]]<ref>{{Cite news |url=http://www.nikkei.com/article/DGXKZO84773810U5A320C1EL1P01/ |title=旭川「新子焼き」黄金の輝き 若鶏半身を食べ尽くす |date=2015-03-24 |newspaper=[[日本経済新聞]] |publisher=[[日本経済新聞社]] |accessdate=2016-07-10}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.asahikawa-np.com/digest/2015/04/00108918/ |title=4月5日は「新子焼きの日」「新子焼き月間」スタート |date=2015-03-31 |newspaper=[[あさひかわ新聞]] |publisher=北のまち新聞社 |accessdate=2015-09-01}}</ref>、イカの足を片栗粉でまぶして揚げた[[ゲソ丼]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sankei.com/premium/news/141214/prm1412140002-n1.html |title=B級グルメ「ゲソ丼」イカ足の空揚げに風味 |date=2014-12-14 |work=産経ニュース |accessdate=2016-07-10}}</ref>がある。 [[旭川家具]]は100年以上ある歴史の中で機能性やデザイン性に優れた家具づくりをしており、日本国外の見本市にも出展している{{Sfn|旭川市勢要覧|2015|pp=13-14}}。 <gallery widths="180" heights="120"> 旭川ラーメン老舗.jpeg|旭川ラーメン 新子焼き.jpg|新子焼き Geso-Don.Hanachan2016.JPG|ゲソ丼とそばのセット </gallery> ===スポーツ=== ;[[野球]] *[[旭川ビースターズ]] -([[北海道ベースボールリーグ]]) *[[日本製紙旭川硬式野球部]] - [[日本製紙]]の旭川事業所を拠点に活動していた[[社会人野球]]の企業チーム。2000年に解散した。 ;[[サッカー]] *[[旭蹴会]]([[北海道サッカーリーグ]]) *[[ヴェルデラッソ旭川]]([[道央・道北ブロックリーグ]]) *[[リオグージョ旭川]](旭川社会人リーグ) ;[[バレーボール]] *[[ヴォレアス北海道]]([[V.LEAGUE]]) ====公営競技==== ;[[競馬]] *[[場外勝馬投票券発売所]] **[[Aiba旭川]]([[ホッカイドウ競馬]]) **[[レラ・スポット北彩都]]([[ばんえい競走]]) == 出身・関連著名人 == === 各種表彰 === '''名誉市民''' {{See|[http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/701/710/p001692.html 旭川市名誉市民]}} {{Columns-list|2| * [[黒田岩吉]](政治家。元旭川市議会議員) * [[坂東幸太郎]](政治家。元旭川区会・市会議員、元衆議院議員、元旭川市長) * [[前野与三吉]](政治家。元旭川市議会議員、元北海道議会議員、元旭川市長) * [[五十嵐広三]](政治家。元衆議院議員、元旭川市長) * [[坂東徹]](政治家。元旭川市長、元旭川市議会議員) }} '''旭川市功労者''' {{Main|[http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/701/710/p001688.html 旭川市功労者]}} {{Columns-list|| * [[大谷岩太郎]](政治家。旭川村総代人、旭川町会議員、旭川市開拓功労者) }} '''旭川市貢献賞''' {{Main|[http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/701/710/p008906.html 旭川市貢献賞]}} '''旭川市民栄誉賞''' {{See|[http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/701/710/p001698.html 旭川市民栄誉賞]}} {{Columns-list|2| * [[小林光一]](囲碁棋士) * [[恵本裕子]](柔道家) * [[星野伸之]](元プロ野球選手) * [[山下敬吾]](囲碁棋士) * [[上野雅恵]](柔道家) * [[高平慎士]](陸上競技選手) * [[永瀬充]](アイススレッジホッケー選手) * [[三澤英司]](アイススレッジホッケー選手) * [[伊藤仙孝]](アイススレッジホッケー選手) * [[上野順恵]](柔道家) * [[竹内智香]](スノーボード選手) }} '''旭川市文化賞''' {{Main|[http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/329/348/351/p000181.html 旭川市文化賞]}} '''旭川市新人奨励賞''' {{Main|[http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/701/710/p001702.html 旭川市新人奨励賞]}} '''栄誉をたたえて''' {{Main|[http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/701/710/p001678.html 栄誉をたたえて]}} '''旭川市特別表彰''' {{Main|[http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/701/710/p001704.html 旭川市特別表彰]}} '''旭川観光大使''' {{Main|[https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kankou/2200/d059903_d/fil/meibo.pdf 旭川観光大使]}} === 出身著名人 === ※'''太字'''は旭川観光大使 ==== 政治・行政・経済・軍事 ==== '''政治''' {{Columns-list|2| * [[東隆]] - 元衆議院議員、元参議院議員 * [[池田幸太郎 (首長)|池田幸太郎]] - 元[[名寄市]]長 * [[五十嵐広三]] - 政治家、元[[内閣官房長官]]・旭川市長 * [[石崎岳]] - 衆議院議員、元[[北海道放送]] (HBC) 記者 * [[伊東良孝]] - 衆議院議員、[[農林水産副大臣]]、元[[釧路市]]長 * [[今津寛]] - 衆議院議員、元防衛庁副長官 * [[今津寛介]] - 旭川市長 * [[片岡春雄]] - [[寿都町]]長 * [[金田英行]] - 元衆議院議員 * [[亀田得治]] - 弁護士、元参議院議員 * [[打越さく良]]<ref>[https://www.cdp-niigata.com/2019/04/21/%E5%8F%82%E9%99%A2%E9%81%B8%E6%96%B0%E6%BD%9F%E9%81%B8%E6%8C%99%E5%8C%BA%E5%80%99%E8%A3%9C%E3%80%80%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%A3%AB%E3%83%BB%E6%89%93%E8%B6%8A%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%95%E3%82%93/ 参院選新潟選挙区候補 弁護士・打越さくらさん決定|立憲民主党 新潟県連合]</ref> - 弁護士、参議院議員 * [[倉嶋清次]] -元[[笛吹市]]長 * [[佐々木秀典]] - 元衆議院議員 * [[菅原功一]] - 元旭川市長、元旭川市議会議員、元北海道議会議員 * [[杉村太蔵]] - 元衆議院議員、タレント * [[滝野啓次郎]] - 元[[北見市]]長 * [[西川将人]] - 元旭川市長 * [[坂東徹]] - 元旭川市長、元旭川市議会議員 * [[松井旭]] - 元[[千葉市]]長 * [[川村カ子ト]] - 上川[[アイヌ]]の長、国鉄測量技手、元[[川村カ子トアイヌ記念館]]館長 }} '''行政''' * [[磯田憲一 (公務員)|磯田憲一]] - 社会企業家。元北海道副知事 * [[富樫凱一]] - 元[[本州四国連絡橋公団]]総裁 * [[福田勝一]] - 元[[警視総監]] * [[古屋浩明]] - [[人事官]]、元[[人事院]]事務総長 * [[水島徹治]] - 元[[国土交通省]][[北海道開発局]]長、元国土交通省北海道局長 '''経済''' {{Columns-list|2| * [[相木孝仁]] - [[インクリメント・ピー]]社長。元[[フュージョン・コミュニケーションズ]]社長、[[コボ]]最高経営責任者、[[楽天グループ|楽天]]ヨーロッパ最高経営責任者 * [[上山典男]] - [[日本ケミコン]]社長 * 島村靖三 - 元[[明治乳業]](現・[[明治 (企業)|明治]])社長 * [[嶋村輝郎]] - 元[[ニコン]]社長 * [[下妻博]] - 元[[住友金属工業]](現・[[日本製鉄]])社長 * [[鶴羽肇]] - 元[[ツルハホールディングス]]社長 * [[中島尚俊]] - 元[[北海道旅客鉄道|JR北海道]]代表取締役社長 * [[平岡敏男]] - 元[[毎日新聞]]社長 * [[福嶋康博]] - [[スクウェア・エニックス]]相談役・名誉会長 * [[前田義徳]] - 元[[日本放送協会|NHK]]会長 * [[真弓明彦]] - [[北海道電力]]会長・元社長 * [[三橋勲]] - 元旭川ガス社長、元旭川大学理事長 * [[森岡仙太]] - 元愛知県副知事、元[[トヨタホーム]]代表取締役社長 * [[山川広行]] - [[札幌ドーム]]代表取締役社長 * [[綿貫泰之]] - [[北海道旅客鉄道|JR北海道]]代表取締役社長 }} '''軍事''' * [[尾崎義春]] - 旧帝国陸軍軍人(中将) * [[加藤建夫]] - 旧帝国陸軍軍人(少将)、「[[加藤隼戦闘隊]]」隊長 * [[河田槌太郎]] - 旧帝国陸軍軍人(中将) * [[中永太郎]] - 旧帝国陸軍軍人(中将) * [[村中孝次]] - 旧帝国陸軍軍人(大尉)、[[二・二六事件]]の首謀者の一人 * [[坂本雄一]] - [[陸上自衛隊]]陸将 ==== 学術・教育・文化 ==== '''学術''' {{Columns-list|2| * [[赤松俊秀]] - 歴史学者 * [[鮎田耕一]] - 工学者、工学博士 * [[荒憲治郎]] - 経済学者 * [[安藤実]] - 経済学者、財政学者 * [[飯浜浩幸]] - 社会福祉学者 * [[岩佐茂]] - 哲学者 * [[大橋英寿]] - 社会心理学者 * [[鍵谷幸信]] - 英文学者 * [[北郷裕美]] - 社会学者 * [[北村文雄]] - 造園学者、造園教育者 * [[霧生和夫]] - 仏文学者 * [[黒田勲]] - 航空医学者 * [[小島衛]] - 独文学者 * [[近藤典彦]] - 日本近代文学研究者 * [[霜山龍志]] - 医師、医学者、文筆家 * [[杉島敬志]] - 文化人類学者 * [[田下昌明]] - 医学博士 * [[田中嫺玉]] - インド哲学研究者 * [[谷口義明]] - 天文学者 * [[玉田弘毅]] - 法学者 * [[常本秀幸]] - 工学者、工学博士 * [[十川信介]] - 日本近代文学研究者 * [[中川俊男]] - 脳神経外科医、医学者、第20代[[日本医師会]]会長 * [[長澤秀行]] - 獣医学者 * [[中原淳]] - 教育学者 * [[畠山武道]] - 法学者 * [[坂東義教]] - 教育評論家 * [[松浦信]] - 社会学者 * [[水野忠彦]] - 原子力工学者 * [[村田真]] - 情報工学者、ソフトウェア技術者 * [[吉崎栄泰]] - ソフトウェア開発者 }} '''教育''' * [[野又貞夫]] - 元野又学園理事長、元函館市議会議員 * [[渡辺和子]] - ノートルダム清心学園理事長 '''文化''' {{Columns-list|2| * [[井上靖]] - 作家(「[[蒼き狼 (小説)|蒼き狼]]」、「[[氷壁]]」) * [[八匠衆一]] - 作家 * [[板東三百]] - 作家 * [[三浦綾子]] - 作家(「[[氷点]]」、「[[塩狩峠]]」) * [[浮穴みみ]] - 小説家 * [[加藤千恵 (歌人)|加藤千恵]] - 歌人、小説家 * [[加藤千恵 (菓子研究家)|加藤千恵]] - 菓子研究家 * [[木野工]] - 作家 * [[嶋戸悠祐]] - 小説家、推理作家 * [[清水博子]] - 作家 * [[小路幸也]] - 作家(「[[東京公園]]」、「[[東京バンドワゴン]]」) * [[春見朔子]] - 作家 * [[久藤冬貴]] - 作家 * [[岡和田晃]] - 文芸評論家・翻訳家 * [[風樹茂]] - ノンフィクション作家 * [[永江朗]] - ライター * [[菊地慶一]] - 著作家 * [[あべ弘士]] - 絵本作家 * [[今野大力]] - 詩人(宮城県生まれ) * [[柳澤美晴]] - 歌人 * [[片岡修二]] - 映画監督 * [[白石和彌]] - 映画監督(「[[凶悪 (映画)|凶悪]]」) * [[要ゆうじ]] - 脚本家、コメディライター、俳優 * [[信本敬子]] - 脚本家(「[[白線流し]]」、「[[東京ゴッドファーザーズ]]」) * '''[[藤井邦夫]]''' - 脚本家(「[[スーパー戦隊シリーズ]]」)、小説家 * '''[[山本むつみ]]''' - 脚本家(「[[ゲゲゲの女房]]」、「[[八重の桜]]」) * [[福井爽人]] - 日本画家 * [[武田範芳]] - 洋画家 * [[難波田龍起]] - 洋画家 * [[山口正城]] - 画家、デザイナー * [[木村多伎子]] - 版画家 * [[いすたえこ]] - グラフィックデザイナー、アートディレクター * [[木内綾]] - 染色工芸家 * [[砂澤ビッキ]] - 彫刻家 * [[鈴木基紀]] - 建築家 * [[林雅子]] - 建築家 * [[上野砂由紀]] - [[ガーデンデザイナー]] * [[伊東剛]] - 写真家 * [[谷口雅彦]] - 写真家、令和4年度 旭川文化奨励賞受賞者 * [[宍戸睦郎]] - 作曲家 * [[間宮芳生]] - 作曲家 * [[原田甫]] - 作曲家 * [[座光寺公明]] - 作曲家、生まれは東京都 * [[藤川真弓]] - ヴァイオリニスト * [[佐藤まどか (ヴァイオリニスト)|佐藤まどか]] - ヴァイオリニスト * [[太田有香]] - ピアニスト * [[川上昌裕]] - ピアニスト * [[hatao]] - 笛演奏家 * [[熊川哲也]] - バレエダンサー * [[蔵健太]] - バレエダンサー * [[竹島由美子]] - バレエダンサー * [[いがらしゆみこ]] - 漫画家(「[[キャンディ・キャンディ]]」) * [[井上英沖]] - 漫画家(「[[遊星少年パピイ]]」) * [[小原ヨシツグ]] - 漫画家(「[[ガタガール]]」) * [[佐々木倫子]] - 漫画家(「[[おたんこナース]]」、「[[チャンネルはそのまま!]]」) * [[寺沢武一]] - 漫画家(「[[コブラ (漫画)|コブラ]]」) * [[中山昌亮]] - 漫画家(「[[PS -羅生門-]]」、「不安の種」) * [[布浦翼]] - 漫画家(「[[きこちゃんすまいる]]」) * '''[[藤田和日郎]]''' - 漫画家(「[[うしおととら]]」) * [[藤田素子]] - 漫画家(「[[高齢出産ドンとこい!!]]」) * [[前川たけし]] - 漫画家(「[[鉄拳チンミ]]」) * [[大杉宜弘]] - アニメーター、アニメ演出家 * [[小野敦生]] - 将棋棋士 * [[小林光一]] - 囲碁棋士、旭川市民栄誉賞受賞 * [[山下敬吾]] - 囲碁棋士、旭川市民栄誉賞受賞 * [[青木日出雄]] - 航空・軍事評論家 * [[石川佐智子]] - 教育評論家、政治運動家 * [[坂東義教]] - 教育評論家 * [[原田和典]] - 音楽評論家 * [[二階堂裕]] - 自動車評論家、会社経営者 * [[河原敏明]] - 皇室ジャーナリスト * [[宇恵和昭]] - CMディレクター * [[滝内泉]] - プロデューサー * [[大宮守人]] - ラーメン『味の三平』初代店主・[[味噌ラーメン]]の開発者 * [[丸山奏子]] - プロ雀士 * [[砂沢クラ]] - アイヌ文化伝承者 }} ==== 芸能・ポピュラー音楽・マスコミ ==== '''芸能''' {{Columns-list|2| * [[安斉英樹]] - 俳優 * [[飯島寛騎]] - 俳優 * [[IKKAN]] - 俳優、演出家 * [[音尾琢真]] - 俳優、タレント([[TEAM NACS]]) * [[小野匠]] - 俳優 * [[木村梨恵子]] - 女優 * [[坂田加奈子]] - 女優([[劇団四季]]) * [[品川徹]] - 俳優 * [[品田誠]] - 俳優 * [[菅原健 (俳優)|菅原健]] - 俳優 * [[西沢利明]] - 俳優 * [[福井晶一]] - 俳優(劇団四季 * '''[[潤花]]''' - 女優、元[[宝塚歌劇団]][[宙組 (宝塚歌劇)|宙組]]トップ娘役<ref>{{Cite news |url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/859923/|title=宝塚歌劇団、宙組トップコンビの真風さんと旭川出身・潤花さんが退団 |publisher=北海道新聞|date=2023-06-11 |accessdate=2023-11-24}}</ref> * [[野村玲子]] - 女優(劇団四季) * [[萬歳恵子]] - 女優 * '''[[松原愛]]''' - 女優、歌手、タレント * [[山賀琴子]] - 女優、現在はブランドプロデューサーとして活動<ref name="道新20210223">「<まなびのひろ ぐんぐん 伸びゆく君へ>ブランドプロデューサー 山賀琴子さん*周囲気にせず好きなことを」北海道新聞、2021年2月23日朝刊全道17頁</ref> * [[山本麟一]] - 俳優 * [[青野武]] - 声優<ref name="archive">{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20161029230523if_/http://www.aoni.co.jp/actor/a/aono-takeshi.html|title=青二プロダクション 青野 武(Wayback Machineによるアーカイブ)|accessdate=2020-11-23}}</ref> * [[西村朋紘]] - 声優 * [[坂東尚樹]] - 声優 * [[秋元ともみ]] - [[AV女優]] * [[明日花キララ]] - AV女優 * [[Emma (モデル)|emma]] - ファッションモデル、女優([[with (雑誌)|with]]専属) * [[熊林保奈美]] - ファッションモデル、レースクイーン * [[滝元吏紗]] - ファッションモデル、女優 * [[矢部美穂]](出生地) - タレント * [[小橋亜樹]] - タレント * [[米村美咲]] - タレント * [[加藤ジュン]] - ラジオパーソナリティ * [[MAYU (ラジオパーソナリティ)|MAYU]] - ラジオパーソナリティ * [[筑紫美主子]] - 佐賀俄役者) * [[あさひのぼる]] - 漫談家 * '''[[かねきよ勝則]]''' - お笑い芸人([[新宿カウボーイ]]) * [[くり (タレント)|くり(栗山直人)]] - お笑いタレント(元[[アームストロング (お笑いコンビ)|アームストロング]]) * '''[[とにかく明るい安村]]''' - お笑いタレント(元アームストロング) * [[トシ|三浦敏和]] - 漫才師([[タカアンドトシ]]) * [[則末チエ]] - お笑い芸人([[ちむりん]]) * なみえ - お笑い芸人(ちむりん、[[姫くり]]) * [[さんだあず|山田和史]] - お笑いタレント * [[市原 (お笑い)|市原]] - お笑いコンビ * [[ラフ→チケット]] - お笑い芸人 * [[和田輪]] - Youtuber * [[デカキン]] - Youtuber }} '''ポピュラー音楽''' {{Columns-list|2| * [[橋本奈々未]] - [[アイドル]](元[[乃木坂46]])<ref>[https://smart-flash.jp/showbiz/geino/12950/ “卒業、引退!乃木坂46「橋本奈々未」涙の赤貧秘話”]. ''Smart FLASH'' (光文社). (2016年10月27日) 2020年8月1日閲覧。</ref> * '''[[坂口渚沙]]''' - アイドル(元[[AKB48]]) * [[藤圭子]] - 歌手(岩手県生まれ) * '''[[浅井未歩]]''' - 歌手 * 小笠原有次郎 - 歌手、[[秋庭豊とアローナイツ]]メンバー * [[坂田おさむ]] - 歌手 * [[武山あきよ]] - 歌手 * '''[[水田竜子]]''' - 歌手 * '''[[宮澤篤司]]''' - 歌手 * '''[[冴木杏奈]]''' - タンゴ歌手 * [[松本優香]] - ゴスペルシンガー * [[片桐麻美]] - シンガーソングライター * [[モモイヒトミ]] - シンガーソングライター * [[ウユ]] - 作詞家、歌手 * [[白井裕紀]] - 作詞家、歌手 * [[安全地帯 (ロックバンド)|安全地帯]] - ロックグループ ** [[玉置浩二]] ** [[武沢豊]] ** [[田中裕二 (ミュージシャン)|田中裕二]] ** [[矢萩渉]] * [[SAIJI]] - ミュージシャン * [[酒井ミキオ]] - ミュージシャン * [[さつき が てんこもり]] - ミュージシャン * チュウ - ドラマー。[[月光グリーン]]メンバー * [[冨田恵一]] - ミュージシャン、音楽プロデューサー * 奈良巧介 - ミュージシャン。[[GHOSTY BLOW]]メンバー * [[ハマノヒロチカ]] - ミュージシャン。元[[野狐禅]]メンバー * [[BOH (ベーシスト)|BOH]] - ベーシスト * HIRO  [[ビートボクサー]]、[[rofu]]のメンバー * '''[[YOUNG DAIS]]''' - ミュージシャン * '''[[米澤美玖]]''' - ジャズ・フュージョンサックス奏者 * [[藤森淳一]] - レコーディング・エンジニア、音楽プロデューサー * [[宗本康兵]] - ミュージシャン、音楽プロデューサー * [[谷本真規]] - ヴォイストレーナー }} '''マスコミ''' {{Columns-list|2| * [[佐藤のりゆき]] - ニュースキャスター、元北海道放送アナウンサー * '''[[朝妻久実]]''' - フリーアナウンサー、旭川市観光大使 * '''[[岩田公雄]]''' - ジャーナリスト、元[[讀賣テレビ放送]]報道局特別解説委員 * '''[[金平茂紀]]''' - ジャーナリスト、元[[TBSテレビ]]編成制作本部 報道局長 * [[青山美保]] - 元[[テレビ岩手]]アナウンサー * [[明石英一郎]] - [[札幌映像プロダクション]]専務取締役エグゼクティブアナウンサー、元[[札幌テレビ放送]]アナウンサー * [[島ひとみ]] - フリーアナウンサー、元NHK契約キャスター([[NHK旭川放送局|旭川]]→[[NHK札幌放送局|札幌]]) * [[鈴木俊光]] - 元[[RSK山陽放送|山陽放送]]・[[東北放送]]アナウンサー * [[高橋麻美 (アナウンサー)|高橋麻美]] - フリーアナウンサー * [[千葉朱里]] - 元[[北海道文化放送]]アナウンサー * [[折坂章子]] - [[気象予報士]] * '''[[奥山コーシン]]''' - 放送作家 }} ==== スポーツ選手 ==== '''格闘技''' {{Columns-list|2| * [[北の富士勝昭]] - 大相撲元横綱、相撲解説者 * [[旭川幸之焏]] - 大相撲元関脇 * [[旭國強]] - 大相撲元十両 * [[旭桜隆秀]] - 元大相撲力士 * [[福緑正義]] - 大相撲元十両 * [[若ノ里雄三]] - 大相撲元十両 * [[北吹雪弘士]] - 大相撲元十両 * [[旭大星託也]] - 大相撲力士 * [[高橋政男]] - 柔道家 * [[恵本裕子]] - 柔道家・[[1996年アトランタオリンピック|アトランタオリンピック]]61kg級'''金メダル'''、旭川市民栄誉賞受賞 * [[上野雅恵]] - 柔道家・[[2004年アテネオリンピック|アテネオリンピック]]70kg'''金メダル'''、旭川市民栄誉賞受賞 * [[上野順恵]] - 柔道家・[[2012年ロンドンオリンピック|ロンドンオリンピック]]63kg級'''銅メダル'''、旭川市民栄誉賞受賞 * [[上野巴恵]] - 柔道家 * '''[[吉田義勝]]''' - アマチュアレスリング選手・1964年[[1964年東京オリンピック|東京五輪]]フリースタイルフライ級'''金メダル''' * [[中田茂男]] - アマチュアレスリング選手・[[1968年メキシコシティーオリンピック|メキシコ五輪]]フリースタイルフライ級'''金メダル''' * '''[[加藤喜代美]]''' - アマチュアレスリング選手・[[1972年ミュンヘンオリンピック|ミュンヘン五輪]]フリースタイル52キロ級'''金メダル''' * '''[[安廣一哉]]''' - 空手家、K1戦士 * 阿部脩 - 大相撲力士、プロレスラー、プロレスレフェリー、俳優 * [[澤田敦士]] - プロレスラー、元柔道家 * [[中川ともか]] - プロレスラー([[エスオベーション]]所属) * [[藪下めぐみ]] - 女子総合格闘家 * [[プロスパー松浦]] - ボクシング選手 }} '''陸上競技''' * '''[[高平慎士]]''' - 陸上選手、[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]男子400mリレー'''銀メダル'''、旭川市民栄誉賞受賞 * [[北口榛花]] - 陸上競技選手 * [[久保倉里美]] - 陸上選手 '''球技''' {{Columns-list|2| * [[ヴィクトル・スタルヒン]] - 元プロ野球選手([[読売ジャイアンツ]]他、プロ野球初の300勝投手) * [[干場一夫]] - 元プロ野球選手([[阪神タイガース]]) * [[鈴木貴久]] - 元プロ野球選手([[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]) * '''[[星野伸之]]''' - 元プロ野球選手([[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]ほか)、解説者、旭川市民栄誉賞受賞 * [[浅沼寿紀]] - 元プロ野球選手([[北海道日本ハムファイターズ]]) * [[伊林厚志]] - 元プロ野球選手([[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]) * [[杉山俊介]] - 元プロ野球選手([[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]ほか) * [[牧谷宇佐美]] - 元プロ野球選手(ヤクルトスワローズ) * [[田沢由哉]] - 元プロ野球選手([[埼玉西武ライオンズ]]) * [[明石健志]] - 元プロ野球選手([[福岡ソフトバンクホークス]]) * [[笠井崇正]] - 元プロ野球選手(横浜DeNAベイスターズ) * [[成瀬功亮]] - 元プロ野球選手(読売ジャイアンツ) * [[持丸泰輝]] - プロ野球選手([[広島東洋カープ]]) * [[沼田翔平]] - プロ野球選手(ヤクルトスワローズ) * [[はす池均|𨂊池均]] - 元プロ野球審判員 * [[石田威仁]] - 元野球選手 * [[岩本賢一]] - 北海道日本ハムファイターズ球団職員 * [[阿部陽輔]] - 元プロサッカー選手([[横浜F・マリノス]]、[[ツエーゲン金沢]])、指導者、キックボクサー * 尾崎祐司 - 元プロサッカー選手([[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]) * [[大津一貴]] - プロサッカー選手 * [[北出勉]] - 元プロサッカー選手([[ジュビロ磐田]]他)、指導者 * [[本田れん]] - プロサッカー選手 * [[高橋健介 (フットサル選手)|高橋健介]] - フットサル選手 * [[吉野美津子]] - バレーボール選手、元[[バレーボール日本女子代表|日本女子代表]] * [[成田郁久美]] - バレーボール選手、元全日本女子 * [[遠山向人]] - バスケットボール選手、指導者([[熊本ヴォルターズ]]) * [[高田汐織]] - 元バスケットボール選手 * [[町田瑠唯]] - バスケットボール選手([[ワシントン・ミスティクス]]-[[WNBA]]) * [[大西樹]] - ラグビー選手([[埼玉パナソニックワイルドナイツ]]) * [[高橋勝成]] - プロゴルファー }} '''ウインタースポーツ''' * [[但野寛]] - クロスカントリースキー選手([[1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック]]代表) * '''[[荒井秀樹]]''' - スキー指導者 * [[竹内智香]] - スノーボード選手、[[2014年ソチオリンピック|ソチオリンピック]]パラレル大回転'''銀メダル'''、旭川市民栄誉賞受賞 * [[安藤麻]] - アルペンスキー選手 * [[佐藤瞳 (スキー選手)|佐藤瞳]] - フリースタイルスキー選手 * [[大塚博文]] - スピードスケート選手 * [[小野粧子]] - アイスホッケー選手 '''その他''' * [[金山明彦]] - 競馬騎手、調教師 * [[丸田恭介]] - 競馬騎手 * [[俵信之]] - 競輪選手 * [[熊谷直樹]] - 競艇選手 * [[三浦敬太]] - 競艇選手 * [[三浦裕貴]] - 競艇選手 ==== 旭川市シンボルキャラクター「あさっぴー」 ==== {{Main|あさっぴー}} [[2010年]]([[平成]]22年)の旭川市開村120年に合わせて誕生した{{Sfn|旭川観光基本方針|2014|pp=10-11}}。旭橋のベルトや旭川ラーメンのフリンジなど旭川の特徴を取り入れ{{Sfn|旭川観光基本方針|2014|pp=10-11}}、“旭川”の“ハッピー”を願うキャラクターとなっている{{Sfn|旭川観光基本方針|2014|pp=10-11}}。 === ゆかりのある人物 === ==== 政治・経済・軍事・社会活動 ==== {{Columns-list|2| * [[永山武四郎]] - 元貴族院議員、元北海道庁長官、陸軍軍人 * [[岩村通俊]] - 政治家。元北海道庁長官、元鹿児島県令、元沖縄県令、元佐賀県令 * [[佐々木秀世]] - 政治家。元衆議院議員、元運輸大臣 * [[白井芳夫]] - 技術者。元[[日野自動車]]社長、元[[豊田通商]]副会長 * [[菅野久光]] - 政治家。元参議院議員 * [[川田正則]] - 政治家。元衆議院議員 * [[浅川浩]] - 実業家。元衆議院議員 * [[林路一]] - 政治家。元衆議院議員 * [[酒井峰治]] - 実業家。元白虎隊士 * [[大谷岩太郎]] - 実業家、政治家、元旭川村総代人、元旭川町会議員 * [[テオドール・エードラー・フォン・レルヒ]] - オーストリア=ハンガリー帝国陸軍軍人 * [[佐野文子]] - 社会運動家 }} ==== 学術・文化 ==== {{Columns-list|2| * [[田中菊雄]] - 英語学者 * [[北村紗衣]] - 英文学者 * [[魚井一由]] - 言語研究者、通訳人 * [[小熊秀雄]] - 詩人、漫画原作者 * [[安部公房]] - 小説家、劇作家 * [[遠藤啄郎]] - 劇作家、演出家 * [[三浦光世]] - 歌人。三浦綾子は妻 * [[西川徹郎]] - 俳人、文芸評論家 * [[高野斗志美]] - 文芸評論家 * [[太田紫織]] - 小説家、推理作家 * 徳長しのぶ([[岡しのぶ]]) - 歌人 * [[藤本壮介]] - 建築家 * [[中原悌二郎]] - 彫刻家 * [[加藤顕清]] - 彫刻家 * 神田一明 - 画家。神田比呂子は妻 * 神田比呂子 - 彫刻家。神田一明は夫 * [[太田敏孝]]‐木彫作家 * [[小林米作]] - 記録映画カメラマン、映画プロデューサー * [[外山啓介]] - ピアニスト * [[資延敏雄]] - 僧侶。元金峰寺住職 * [[永江二朗]] - 映画監督、脚本家 * [[新波歩]] - 漫画家、イラストレーター }} ==== 芸能・ポピュラー音楽・マスコミ ==== * [[宇多田ヒカル]] - シンガーソングライター * [[武田真治]] - 俳優、ミュージシャン * [[大村英治]] - テレビプロデューサー * [[マダムケロコ]] - ラジオパーソナリティ * [[コウメ太夫]] - お笑いタレント ==== その他 ==== * [[内山雄介]] - 元プロ野球選手 * [[小菅正夫]] - 獣医師。元旭山動物園園長 * [[P. C. ソーカー]] - 魔術師 == 旭川市を舞台にした作品 == [[ロケーション撮影]]に関する窓口として「旭川地域フィルムコミッション」(旭川FC)を設立している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahikawafc.jp |title=旭川地域フィルムコミッション |publisher=旭川観光コンベンション協会 |accessdate=2016-07-10}}</ref>。 {{See also|Category:旭川市を舞台とした作品}} === 文学 === ;小説 {{Columns-list|2| * 三浦綾子『[[氷点]]』 * [[村上春樹]]『[[ノルウェイの森]]』 * [[徳富蘆花]]『寄生木』 * [[井上靖]]『幼き日のこと』 * [[岡田三郎]]『惨めな戯れ』 * 坂東三百『兵村』 * [[西村京太郎]]『東京 - 旭川殺人ルート』 * 梓林太郎『大雪・層雲峡殺人事件』 * [[桜庭一樹]]『[[少女七竈と七人の可愛そうな大人]]』 * 太田紫織『[[櫻子さんの足下には死体が埋まっている]]』 * [[加藤千恵 (歌人)|加藤千恵]]『ラジオラジオラジオ!』 }} ; 詩 * [[宮沢賢治]]「旭川」(『[[春と修羅]]』より)<ref>{{青空文庫|000081|43040|新字新仮名|春と修羅}}</ref> ; 随筆 * [[大町桂月]]『層雲峡より大雪山へ』<ref>{{青空文庫|000237|49598|新字新仮名|層雲峡より大雪山へ}}</ref> === 漫画 === * ヤマモトマナブ『[[リピートアフターミー]]』 * ヤマモトマナブ『キューナナハチヨン』 * [[野田サトル]]『[[ゴールデンカムイ]]』 === アニメーション === * 『[[櫻子さんの足下には死体が埋まっている]]』<ref>2017年8月26日、『訪れてみたい日本のアニメ聖地88(2018年版)』において、この作品の舞台となった旭川市が選出された。{{Cite web|和書|url=https://animetourism88.com/ja/news/88 |title=一般社団法人 アニメツーリズム協会 |accessdate=2017-8-28}}</ref> === 映画 === {{Columns-list|2| * 『[[氷点#映画|氷点]]』 (1966年、[[山本薩夫]]監督、[[若尾文子]]主演) * 『流れの譜』 * 『[[動乱 (映画)|動乱]]』 * 『[[学校 (映画)#学校II|学校II]]』 * 『[[四月物語]]』 (1998年、[[岩井俊二]]監督、[[松たか子]]主演) * 『[[雨鱒の川#映画|雨鱒の川]]』 * 『[[遠くの空に消えた]]』 * 『[[犬と私の10の約束]]』 * 『[[旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ]]』 (2009年、[[津川雅彦|マキノ雅彦]]監督、[[西田敏行]]主演) * 『[[ホコリと幻想]]』 }} === ドラマ === {{Columns-list|2| * 『[[旅路 (1967年のテレビドラマ)|旅路]]』 * 『[[山岳ミステリー]]』 * 『[[さすらい刑事旅情編]]II 寝台特急“北斗星”・層雲峡の女』 * 『[[ラーメン刑事「龍」の殺人推理]]「北海道旭川氷点下41度の完全犯罪! 雪の結晶は天からの証言者」』 * 『[[ヤンキー母校に帰る]]』 * 『[[土曜ワイド劇場]] フリー女子アナの殺人リポート』 * 『[[西村京太郎トラベルミステリー]]42 [[北帰行殺人事件]] 口紅を塗られた男の死体が三つ! 超豪華寝台カシオペアと特急オホーツクが結ぶ殺人トリック』 * 『[[赤い疑惑]]・北海道編』 * 『[[氷点#2006年|氷点]]』 * 『[[ヤマトナデシコ七変化 (テレビドラマ)|ヤマトナデシコ七変化]]』 * 『[[奇跡の動物園〜旭山動物園物語〜]]』 * 『[[美ら海からの年賀状]]』 * 『[[シロクマ園長 命の事件簿]]』 * 『[[ラブレイン]]』 * 『[[風のガーデン]]』 }} === 音楽 === * 中坪健「旭川ブルース」 * [[細川たかし]]「旭川恋の町」 * [[美川憲一]]「旭川の夜」 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"|2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == <!-- 実際に参考にした文献一覧(本文中の追加した情報の後に脚注を導入し文献参照ページを示して、実際に参考にした出典〈書籍、論文、資料やウェブページなど〉のみを列挙して下さい。さらにこの項目を理解するのに役立つ関連した文献は、「関連文献」などとセクション名を分けて区別して下さい。) --> {{参照方法|date=2018年11月|section=1}} * {{Cite book|和書|title=各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況 |editor=内務省衛生局保健衛生調査室 |year=1919 |publisher=[[内務省 (日本)|内務省]]衛生局 |id={{NDLJP|985144}}}} * {{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/735/76001/p005604_d/fil/h27juten.pdf |title=旭川市の重点提案・要望 〜北・北海道の拠点都市として〜 |year=2015 |format=PDF |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10 |ref={{SfnRef|旭川市の重点提案・要望|2015}}}} * {{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/735/76003/d055303_d/fil/H27_housin_honbun.pdf |title=旭川観光基本方針(本文) |year=2015 |format=PDF |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10 |ref={{SfnRef|旭川観光基本方針|2015}}}} * {{Cite web|和書|url=http://www.scinex.co.jp/wagamachi/area/prf/hokkaido/asahikawa/_SWF_Window.html |title=旭川市くらしの便利帳 |year=2014 |format=flash版 |publisher=旭川市 |accessdate=2015-08-25 |ref={{SfnRef|旭川市くらしの便利帳|2014}}}} * {{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/271/299/304/p002785_d/fil/h27.pdf |title=旭川市環境白書 平成27年度版 |year=2016 |format=PDF |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10 |ref={{SfnRef|旭川市環境白書|2016}}}} * {{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/364/374/375/p005265_d/fil/H27_asahikawa_nonougyou.pdf |title=あさひかわの農業 |year=2015 |format=PDF |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10 |ref={{SfnRef|あさひかわの農業|2015}}}} * {{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/701/summary/p008254_d/fil/all.pdf |title=平成27年度旭川市勢要覧 |year=2015 |format=PDF |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10 |ref={{SfnRef|旭川市勢要覧|2015}}}} * {{Cite web|和書|url=http://www.ccia.or.jp/infomation/mini/mini.pdf |title=あさひかわ経済ミニガイド |year=2015 |format=PDF |publisher=旭川商工会議所 |accessdate=2015-09-14 |ref={{SfnRef|あさひかわ経済ミニガイド|2015}}}} * {{Cite web|和書|url=http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/320/328001/382001/p008841_d/fil/zenpen.pdf |title=旭川市地域防災計画 |year=2015 |format=PDF |publisher=旭川市 |accessdate=2016-07-10 |ref={{SfnRef|旭川市地域防災計画|2015}}}} == 関連項目 == {{Sisterlinks |commons=旭川市 |commonscat=Asahikawa, Hokkaido |q=no |v=no |voy=ja:旭川市 |d=Q200740 }} * [[日本の地方公共団体 (あ)]] * [[日本の地方公共団体一覧]] == 外部リンク == {{osm box|r|4060429}} '''行政''' * {{Official website}} ** {{Facebook|asahikawacity|旭川市役所}} ** {{Twitter|asahikawa_jp|旭川市役所}} ** {{Facebook|345998278879702|旭川市防災}} ** {{Twitter|bosai_asahikawa|旭川市防災}} ** {{YouTube|user=kohokocho027|旭川市役所}} ** {{LINE公式アカウント|asahikawa}} '''産業''' * [http://www.arc-net.or.jp 旭川産業創造プラザ] * [https://www.ccia.or.jp/ 旭川商工会議所] '''観光''' * [https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kankou/ 観光 {{!}} 旭川市] * [https://www.atca.jp 旭川観光コンベンション協会] ** {{Facebook|asahikawa.tourist.convention.association|旭川観光コンベンション協会}} * [https://www.atca.jp/kamikan/ 上川地方観光連盟] * [http://www.asahikawa-daisetsu.jp 大雪みどころナビ] {{日本の中核市}} {{日本100大都市}} {{上川支庁の自治体}} {{北海道の市と郡}} {{旭川市の町・字}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:あさひかわし}} [[Category:旭川市|*]] [[Category:中核市]] [[Category:上川管内]] [[Category:北海道の市町村]] [[Category:1922年設置の日本の市町村]]
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1980年代
1980年代(せんきゅうひゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1980年から1989年までの10年間を指す十年紀。この項目では、国際的な視点に基づいた1980年代について記載する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1980年代(せんきゅうひゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1980年から1989年までの10年間を指す十年紀。この項目では、国際的な視点に基づいた1980年代について記載する。", "title": null } ]
1980年代(せんきゅうひゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1980年から1989年までの10年間を指す十年紀。この項目では、国際的な視点に基づいた1980年代について記載する。
{{Otheruses||日本ローカルの事柄|1980年代の日本}} {{Decadebox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 20 | 年代 = 1980 | 年 = 1980 }} <imagemap>File:1980s replacement montage02.PNG|thumb|420px|'''上段''': (左)1981年に打ち上げげられた1番目[[スペースシャトル]][[スペースシャトル・コロンビア|コロンビア]]。(右)アメリカ合衆国大統領[[ロナルド・レーガン]]と[[ソビエト連邦]][[ソビエト連邦共産党書記長|書記長]][[ミハイル・ゴルバチョフ]]は、2つの超大国間の緊張をやわらげ、[[冷戦]]を終結させた。<br />'''中段''': (左)1980年から1988年にかけて起こった[[イラン・イラク戦争]]では、100万人もの死に1兆ドルが費やされた。(右)1989年の[[ベルリンの壁崩壊]]は、1980年代で最も重大な出来事のうちの1つであると考えられている。<br /> '''下段''': (左)1986年の[[ウクライナ]]で起きた[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]。(中央)1985年に行われた[[ライヴエイド]]は、「アフリカ難民救済」を目的に開催されたチャリティー・コンサート。(右)1981年に発売された、[[IBM PC|IBMパーソナルコンピュータ]]。 rect 2 3 199 169 [[スペースシャトル・コロンビア]] rect 201 1 497 171 [[中距離核戦力全廃条約]] rect 1 172 241 336 [[イラン・イラク戦争]] rect 246 173 506 336 [[ベルリンの壁崩壊]] rect 123 337 323 525 [[ライヴエイド]] rect 326 338 510 536 [[IBM PC]] rect 0 339 121 515 [[チェルノブイリ原子力発電所事故]] </imagemap> '''1980年代'''(せんきゅうひゃくはちじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1980年から1989年までの10年間を指す[[十年紀]]。この項目では、国際的な視点に基づいた1980年代について記載する。 == できごと == === 1980年 === {{main|1980年}} *[[ユーゴスラビア]]終身[[大統領]][[ヨシップ・ブロズ・チトー]]、[[スロベニア]]の[[リュブリャナ]]で病死。 *[[ポーランド]]で[[独立自主管理労働組合「連帯」]]結成。 *[[世界保健機関]]が、[[天然痘]]の根絶宣言。 *[[モスクワオリンピック]]開催。[[アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)|ソ連のアフガニスタン侵攻]]のため[[日本]]・[[アメリカ合衆国]]・[[西ドイツ]]はボイコット。 *8年半にわたる[[イラン・イラク戦争]]が開戦。 *元[[ビートルズ]]の[[ジョン・レノン]]が[[ニューヨーク]]のダコタ・ハウスで射殺された([[ジョン・レノンの殺害]])。 === 1981年 === {{main|1981年}} *[[イギリス]]の[[チャールズ3世 (イギリス王)|チャールズ3世]](当時皇太子)と[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ・スペンサー]]が結婚。 *[[ギリシャ]]が[[欧州諸共同体|欧州共同体]]に加盟。 *[[エジプト]]で[[アンワル・アッ=サーダート]](サダト)大統領が暗殺される。 *[[アメリカ合衆国|米国]][[ロナルド・レーガン|レーガン]]大統領就任。 *[[トヨタ・ソアラ]]が発売。社会現象を巻き起こす。 *[[スペースシャトル・コロンビア]]が初の[[スペースシャトル]]ミッションで打ち上げ。 *[[台湾]]で[[遠東航空]]機墜落事故発生。 === 1982年 === {{main|1982年}} *[[モナコ|モナコ公国]]の元女優[[グレース・ケリー|グレース]]公妃が死去。 *[[フォークランド紛争]](マルビナス戦争)。 *[[ソビエト連邦|ソ連]][[レオニード・ブレジネフ]]書記長死去し、[[ユーリ・アンドロポフ]]が書記長に就任。 *[[レバノン内戦]]起こる。 *[[1982 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・スペイン大会]]開催。[[サッカーイタリア代表|イタリア]]が[[サッカードイツ代表|西ドイツ]]を破って優勝。 *最初の[[コンパクトディスク|コンパクトディスクプレーヤー (CDP-101) とCDソフト]]をソニーが発売。 === 1983年 === {{main|1983年}} *'''[[インターネット]]'''が誕生する<ref>[http://jp.globalvoicesonline.org/2008/01/04/184 インターネット誕生から25年](Global Voices 日本語)</ref>。 *[[任天堂]]から家庭用ゲーム機「[[ファミリーコンピュータ]]」(ファミコン)が発売。 *[[フィリピン]]の[[ベニグノ・アキノ・ジュニア|ベニグノ・アキノ]]上院議員が射殺される。 *[[大韓航空機撃墜事件]]起こる。 === 1984年 === {{main|1984年}} *[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[ユーリ・アンドロポフ]]書記長が死去し、[[コンスタンティン・チェルネンコ]]が書記長に就任。 *[[Macintosh]]が発売される。 *[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルスオリンピック]]開催。 *[[インド]]首相、[[インディラ・ガンディー]]が暗殺される。 *米[[大統領]]選挙で[[ロナルド・レーガン|レーガン]]が再選。 *[[AT&T]]、解体される。[[地域ベル電話会社]]が成立する。 *[[日本人]]の[[平均寿命]]が男女とも世界一に。 *[[ボパール化学工場事故]]発生。 === 1985年 === {{main|1985年}} *[[国際科学技術博覧会]](つくば万博)開催。 *[[ソビエト連邦|ソ連]]で[[コンスタンティン・チェルネンコ]]が死去し、[[ミハイル・ゴルバチョフ]]が書記長に就任。 *[[ヘイゼルの悲劇]]。観客39人が死亡し、この結果[[サッカー]]の母国[[イングランド]]が国際舞台から姿を消す。 *[[ファミリーコンピュータ]]用ソフト「[[スーパーマリオブラザーズ]]」が大ヒットし、ファミコンブームとなる。 *[[五大国#G5|G5]]が[[プラザ合意]]声明。[[日本]]ではその後の[[バブル景気]]の原因のひとつになる。 *[[日本航空123便墜落事故]]で乗客乗員520名が死亡。史上最悪の死者数を出す航空機墜落事故となる。 *[[パレスチナ]]・[[ゲリラ]]による[[ローマ]]・[[ウィーン]]両空港同時テロで20人が死亡。 *[[マイクロソフト]]から[[オペレーティングシステム|OS]]ソフト「[[Microsoft Windows|Windows]]」が初めて発売される。 === 1986年 === {{main|1986年}} *[[ハレー彗星]]大接近。 *急激な[[円高]]による[[プラザ合意]]不況・[[半導体]]不況。 *[[スペイン]]と[[ポルトガル]]が[[欧州共同体|EC]]に加盟。 *[[スペースシャトル]]、[[スペースシャトル・チャレンジャー|チャレンジャー号]]爆発事故、乗組員全員死亡。 *[[フィリピン]]の[[フェルディナンド・マルコス|マルコス大統領]]が国外脱出、[[コラソン・アキノ|アキノ大統領]]が就任。([[エドサ革命]]) *'''[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]'''発生。 *[[1986 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・メキシコ大会]]開催。[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]が[[サッカードイツ代表|西ドイツ]]を破って優勝。 *米ソ首脳会談。[[アイスランド]]の[[レイキャヴィーク|レイキャビク]]で[[ロナルド・レーガン|レーガン大統領]]と[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ書記長]]が会談。 *[[ISO]]が[[Standard Generalized Markup Language|SGML規約]]を出版 === 1987年 === {{main|1987年}} *日本国有鉄道の分割民営化 *世界の[[人口]]が50億人突破。 *[[10月19日]] - [[ブラックマンデー]]。世界の株式市場大暴落。 *[[Apple|Apple Computer]]が[[ハイパーテキスト]]を実現した最初の商用ソフトウェア[[HyperCard]]を発表。 *[[大韓航空機爆破事件]]が起こる === 1988年 === {{main|1988年}} *[[日産・シーマ]]発売。([[ハイソカー|シーマ現象]]) *[[1988年カルガリーオリンピック|カルガリーオリンピック]]開催 *[[イラン・イラク戦争]]停戦。 *[[1988年ソウルオリンピック|ソウルオリンピック]]開催。 *[[NEC-HE]]が世界初となる[[CD-ROM]]を[[電子媒体|媒体]]として採用した[[PCエンジン]]用のCD-ROMドライブ[[CD-ROM2]]を発売。 === 1989年 === {{main|1989年}} * *[[1月7日]]、第124代[[天皇]]・[[昭和天皇]]が崩御し、第125代天皇・[[明仁]]が即位。[[1月8日]]、[[元号法]]に基づき、元号が[[昭和]]から[[平成]]へ。 *'''[[東欧革命]]'''が起こる。[[ポーランド]]、[[ハンガリー]]での非共産党政権誕生に始まり、'''[[ベルリンの壁崩壊]]'''、[[チェコスロバキア]]の[[ビロード革命]]、[[ルーマニア]]の[[ルーマニア革命 (1989年)|チャウシェスク体制の崩壊]]と続く。 *[[地中海]]の[[マルタ]]島で[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]と[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]が会談し、'''[[冷戦]]の終結を宣言'''。 *[[六四天安門事件]] == 世相 == === 社会 === *[[イギリス]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[日本]]で[[新保守主義]]的な政策が推進される。中道左派政権の[[ニュージーランド]]でも[[新自由主義]]的な社会改革が行われた。 *[[大韓民国|韓国]]、[[台湾]]の民主化が進む。 *[[中華人民共和国|中国]]、[[改革開放]]政策による市場経済への移行。 *[[中国民主化運動]]が最盛期を迎えるが、[[六四天安門事件]]により過酷な弾圧を受け、退潮する。 *[[新興工業経済地域|アジアNICs]]諸国の台頭。[[ASEAN]]諸国が経済成長をとげる。 *アメリカと日本との間で[[貿易摩擦]]が深刻化。大都市で治安が悪化し、犯罪が多発。 *中南米での経済が大破産する。 *[[ペレストロイカ]](改革)、[[グラスノスチ]](情報公開) - [[ミハイル・ゴルバチョフ]]が推進した[[ソビエト連邦|ソ連]]の体制改革。[[西側諸国|西側]]との関係が改善し、ソビエト国内でも[[言論の自由]]が確保されてくるなど一定の成果を上げた。しかし、[[ソビエト連邦共産党|ソ連共産党]]の失政や汚職も明らかになり、その改革のエネルギーはそのまま[[社会主義]]陣営の崩壊をもたらすことになる。 === 文化 === *[[ヘヴィメタル]]が流行。[[MTV]]の影響力を背景に、ロックの商業化が進む。 *[[MTV]]を巧みに利用した戦略で[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]や[[マイケル・ジャクソン]]が大ヒットする。 ; ゲーム市場 *[[アタリ (企業)|アタリ社]]が[[1978年]]にアメリカで発売した[[コンシューマーゲーム|家庭用ゲーム機]]「[[Atari 2600]]」に『[[スペースインベーダー]]』などの[[アーケードゲーム]][[キラーソフト|キラータイトル]]が移植され、大ブームとなった。しかし、参入した[[サードパーティー]]が低品質なゲームを粗製濫造したため、1980年代前半にはアメリカにおける家庭用ゲーム市場の崩壊「[[アタリショック]]」を招く結果となった(''[[ゲーム機#第2世代|第2世代]]'')。 *[[1982年]]に[[任天堂]]が[[日本]]で家庭用ゲーム機「[[ファミリーコンピュータ]]」を発売し、大人気を博す。北米では[[1985年]]に、[[ヨーロッパ]]では翌1986年に「[[Nintendo Entertainment System]]」として発売され、北米で家庭用ゲーム市場が復活するきっかけとなった(''[[ゲーム機#第3世代|第3世代]]'')。 *[[1989年]]に[[セガ]]が家庭用ゲーム機「[[メガドライブ#北米市場|Sega Genesis]]」(日本の「[[メガドライブ]]」に相当)を北米で発売、翌年に発売された任天堂の「[[スーパーファミコン#海外版|Super Nintendo Entertainment System]]」(SNES, 日本の「[[スーパーファミコン]]」に相当)と互角以上のシェア争いを展開し、セガの[[ゲーム機]]の中で最大の成功を収めた(''[[ゲーム機#第4世代|第4世代]]'')。 <gallery> ファイル:Atari-2600-Wood-4Sw-Set.png|Atari 2600 ファイル:Nintendo-Famicom-Console-Set-FL.png|ファミリーコンピュータ ファイル:NES-Console-Set.png|Nintendo Entertainment System ファイル:Sega-Mega-Drive-JP-Mk1-Console-Set.png|メガドライブ ファイル:Sega-Genesis-Mod1-Set.png|Sega Genesis </gallery> == 人物 == === アメリカ合衆国と西ヨーロッパ === ==== 政治 ==== *[[アミントレ・ファンファーニ]] ([[1908年]] - [[1999年]]) *[[ロナルド・レーガン]]([[1911年]] - [[2004年]]) *[[フランソワ・ミッテラン]]([[1916年]] - [[1996年]]) *[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]([[1920年]] - [[2005年]]) *[[ポール・マルチンクス]]([[1922年]] - [[2006年]]) *[[ジョージ・H・W・ブッシュ|ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ]]([[1924年]] - [[2018年]]) *[[マーガレット・サッチャー]]([[1925年]] - [[2013年]]) *[[ハンス・ディートリヒ・ゲンシャー]]([[1927年]] - [[2016年]]) *[[オロフ・パルメ]]([[1927年]] - [[1986年]]) *[[ヘルムート・コール]]([[1930年]] - [[2017年]]) *[[ブライアン・マルルーニー]]([[1939年]] - ) ==== 思想と哲学 ==== *[[ジョージ・スティグラー]]([[1911年]] - [[1991年]]) *[[ミルトン・フリードマン]]([[1912年]] - [[2006年]]) *エルンスト・ノルテ([[1923年]] - [[2016年]])<ref>{{Cite book|和書 |author=川口マーン惠美|authorlink=川口マーン惠美 |year = 2018 |title = そしてドイツは理想を見失った |publisher = [[KADOKAWA]] |page = 33 |isbn = 978-4-04-082217-4}}</ref> *[[ヤーコプ・タウベス]]([[1923年]] - [[1987年]]) *[[アリス・ミラー]]([[1923年]] - [[2010年]]) *[[ジャン・フランソワ・リオタール]]([[1924年]] - [[1998年]]) *[[ジャック・ル・ゴフ]]([[1924年]] - [[2014年]]) *[[ジグムント・バウマン]]([[1925年]] - [[2017年]]) *マリー・ロスバード([[1926年]] - [[1995年]]) *[[ロバート・ニーリー・ベラー]]([[1927年]] - [[2013年]]) *[[ジャン・ボードリヤール]]([[1929年]] - [[2007年]]) *[[アラスデア・マッキンタイア]]([[1929年]] - ) *[[アラン・ブルーム (哲学者)|アラン・ブルーム]]([[1930年]] - [[1992年]]) *[[ピエール・ルジャンドル]]([[1930年]] - [[2023年]]) *[[チャールズ・マーグレイヴ・テイラー]]([[1931年]] - ) *[[ウンベルト・エーコ]]([[1932年]] - [[2016年]]) *[[モーリス・ゴドリエ]]([[1934年]] - ) *[[フレドリック・ジェイムソン]]([[1934年]] - ) *[[ベネディクト・アンダーソン]]([[1936年]] - [[2015年]]) *[[アラン・バディウ]]([[1937年]] - ) *[[マーティン・バナール]]([[1937年]] - [[2013年]]) *[[ソール・クリプキ]]([[1940年]] - [[2022年]]) *[[ジュリア・クリステヴァ]]([[1941年]] - ) *[[スティーヴン・グリーンブラット]]([[1943年]] - ) *[[ウルリッヒ・ベック]]([[1944年]] - [[2015年]]) *[[サンダー・ギルマン]]([[1944年]] - ) *ジョナサン・カラー([[1944年]] - ) *[[ペーター・スローターダイク]]([[1947年]] - ) *ハル・フォスター([[1955年]] - ) ==== 文学 ==== *[[シドニィ・シェルダン]]([[1917年]] - [[2007年]]) *[[イヴ・ボヌフォワ]]([[1923年]] - [[2016年]]) *[[ミラン・クンデラ]]([[1929年]] - ) *[[ドミニック・フェルナンデス]]([[1929年]] - ) *[[クリスタ・ヴォルフ]]([[1929年]] - [[2011年]]) *[[トム・ウルフ]]([[1931年]] - [[2018年]]) *[[クリシュトーフ・アーゴタ|アゴタ・クリストフ]]([[1935年]] - [[2011年]]) *[[マーガレット・アトウッド]]([[1939年]] - ) *[[レイモンド・カーヴァー]]([[1938年]] - [[1988年]]) *[[ヨシフ・ブロツキー]]([[1940年]] - [[1996年]]) *[[アントニオ・タブッキ]]([[1943年]] - [[2012年]]) *[[ジュリアン・バーンズ]]([[1946年]] - ) *[[サルマン・ラシュディ]]([[1947年]] - ) *[[ポール・オースター]]([[1947年]] - ) *[[キャシー・アッカー]]([[1947年]] - [[1997年]]) *[[ウィリアム・ギブスン]]([[1948年]] - ) *[[パトリック・ジュースキント]]([[1949年]] - ) *[[スティーヴ・エリクソン]]([[1950年]] - ) *[[カズオ・イシグロ]]([[1954年]] - ) *[[ブルース・スターリング]]([[1954年]] - ) *[[リチャード・パワーズ]]([[1957年]] - ) *[[ジャン=フィリップ・トゥーサン|ジャン・フィリップ・トゥーサン]]([[1957年]] - ) *[[ジャネット・ウィンターソン]]([[1959年]] - ) ==== 芸術 ==== *[[フィリップ・ジョンソン]]([[1906年]] - [[2005年]]) *[[ルイーズ・ブルジョワ]]([[1911年]] - [[2010年]]) *[[イオ・ミン・ペイ]]([[1917年]] - [[2019年]]) *[[エットレ・ソットサス]]([[1917年]] - [[2007年]]) *[[ガエ・アウレンティ]]([[1927年]] - [[2012年]]) *[[フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー]]([[1928年]] - [[2000年]]) *[[ゲルハルト・リヒター]]([[1932年]] - ) *[[フランク・ステラ]]([[1936年]] - ) *A.R.ペンク([[1939年]] - ) *[[ジョエル=ピーター・ウィトキン|ジョエル・ピーター・ウィトキン]]([[1939年]] - ) *[[バリー・フラナガン]]([[1941年]] - [[2009年]]) *[[ジョナサン・ボロフスキー]]([[1942年]] - ) *[[アンゼルム・キーファー]]([[1945年]] - ) *[[ジャン・ヌーヴェル]]([[1945年]] - ) *[[ロバート・メイプルソープ]]([[1946年]] - [[1989年]]) *[[ブルース・ウェーバー]]([[1946年]] - ) *[[サンドロ・キア]]([[1946年]] - ) *エンツォ・クッキ([[1950年]] - ) *アンドレ・セラーノ([[1950年]] - ) *[[ジュリアン・シュナーベル]]([[1951年]] - ) *フランチェスコ・クレメンテ([[1952年]] - ) *デイヴィッド・サーレ([[1952年]] - ) *[[ハーブ・リッツ]]([[1952年]] - [[2002年]]) *[[ナン・ゴールディン]]([[1953年]] - ) *[[ロバート・ロンゴ]]([[1953年]] - ) *[[ジェフ・クーンズ]]([[1955年]] - ) *[[キース・ヘリング]]([[1958年]] - [[1990年]]) *[[ジャン=ミシェル・バスキア|ジャン・ミシェル・バスキア]]([[1960年]] - [[1988年]]) *マーク・コスタビ([[1960年]] - ) ==== ファッション ==== *[[カール・ラガーフェルド]]([[1933年]] - [[2019年]]) *[[ジョルジオ・アルマーニ]]([[1934年]] - ) *アズディン・アライア([[1940年]] - [[2017年]]) *[[ジャンフランコ・フェレ]]([[1944年]] - [[2007年]]) *[[ジャンニ・ヴェルサーチ]]([[1946年]] - [[1997年]]) *[[ジャン=ポール・ゴルチエ|ジャン・ポール・ゴルチエ]]([[1952年]] - ) ==== 映画とエンターテイナー ==== *[[リチャード・アッテンボロー]]([[1923年]] - [[2014年]]) *[[クロード・ランズマン]]([[1925年]] - [[2018年]]) *[[ジェームズ・アイヴォリー]]([[1928年]] - ) *[[マイケル・ケイン]]([[1933年]] - ) *[[ジュディ・デンチ]]([[1934年]] - ) *[[リドリー・スコット]]([[1937年]] - ) *[[ジャック・ニコルソン]]([[1937年]] - ) *[[ダスティン・ホフマン]]([[1937年]] - ) *[[クリストファー・ロイド]]([[1938年]] - ) *[[テリー・ギリアム]]([[1940年]] - ) *[[ベルナルド・ベルトルッチ]]([[1941年]] - ) *[[ハリソン・フォード]]([[1942年]] - ) *[[デレク・ジャーマン]]([[1942年]] - [[1994年]]) *[[ピーター・グリーナウェイ]]([[1942年]] - ) *[[ロバート・デ・ニーロ]]([[1943年]] - ) *[[デヴィッド・クローネンバーグ]]([[1943年]] - ) *[[ベン・キングズレー]]([[1943年]] - ) *[[ヴィム・ヴェンダース]]([[1945年]] - ) *[[デイヴィッド・リンチ]]([[1946年]] - ) *[[オリバー・ストーン]]([[1946年]] - ) *[[アイヴァン・ライトマン]]([[1946年]] - ) *[[アーノルド・シュワルツェネッガー]]([[1947年]] - ) *[[グレイス・ジョーンズ]]([[1948年]] - ) *[[ジェラール・ドパルデュー]]([[1948年]] - ) *[[メリル・ストリープ]]([[1949年]] - ) *[[リチャード・ギア]]([[1949年]] - ) *[[ビル・マーレイ]]([[1950年]] - ) *[[ロビン・ウィリアムズ]]([[1951年]] - [[2014年]]) *[[ロバート・ゼメキス]]([[1952年]] - ) *[[デブラ・ウィンガー]]([[1955年]] - ) *[[ブルース・ウィリス]]([[1955年]] - ) *[[イザベル・アジャーニ]]([[1955年]] - ) *[[ジュゼッペ・トルナトーレ]]([[1956年]] - ) *[[メル・ギブソン]]([[1956年]] - ) *[[ダニエル・デイ=ルイス|ダニエル・デイ・ルイス]]([[1958年]] - ) *[[リュック・ベッソン]]([[1959年]] - ) *[[レオス・カラックス]]([[1960年]] - ) *[[マイケル・J・フォックス]]([[1961年]] - ) *[[トム・クルーズ]]([[1962年]] - ) *[[ジョディ・フォスター]]([[1962年]] - ) ==== 音楽 ==== *[[ティナ・ターナー]]([[1939年]] - [[2023年]]) *[[ヴァンゲリス]]([[1943年]] - [[2022年]]) *[[クラウス・ノミ]]([[1944年]] - [[1983年]]) *[[ローリー・アンダーソン]]([[1947年]] - ) *[[スティーヴィー・ワンダー]]([[1950年]] - ) *[[マイケル・ジャクソン]]([[1958年]] - [[2009年]]) *[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]([[1958年]] - ) ==== 科学と技術 ==== *[[ジョージ・コーワン]]([[1920年]] - [[2012年]]) *[[カール・セーガン]]([[1934年]] - [[1996年]]) *[[マイケル・グリーン (物理学者)|マイケル・グリーン]]([[1946年]] - ) *[[アラン・グース]]([[1947年]] - ) *[[スティーブ・ジョブズ]]([[1955年]] - [[2011年]]) *[[ビル・ゲイツ]]([[1955年]] - ) ==== その他 ==== *[[トミー・ラソーダ]]([[1927年]] - [[2021年]]) *[[ホワイティ・ハーゾグ]]([[1931年]] - ) *[[デービー・ジョンソン]]([[1943年]] - ) *[[オジー・スミス]]([[1954年]] - ) *[[マーク・チャップマン]]([[1955年]] - ) *[[ラリー・バード]]([[1956年]] - ) *[[リッキー・ヘンダーソン]]([[1958年]] - ) *[[マジック・ジョンソン]]([[1959年]] - ) *[[カル・リプケン・ジュニア]]([[1960年]] - ) *[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ・スペンサー]]([[1961年]] - [[1997年]]) === ソ連と東ヨーロッパ === *[[コンスタンティン・チェルネンコ]]([[1911年]] - [[1985年]]) *[[ユーリ・アンドロポフ]]([[1914年]] - [[1984年]]) *[[エレナ・チャウシェスク]]([[1916年]] - [[1989年]]) *[[ニコラエ・チャウシェスク]]([[1918年]] - [[1989年]]) *[[アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ヤコヴレフ|アレクサンドル・ヤコブレフ]]([[1923年]] - [[2005年]]) *[[ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ]]([[1923年]] - [[2014年]]) *[[タデウシュ・マゾヴィエツキ]]([[1927年]] - [[2013年]]) *[[エドゥアルド・シェワルナゼ]]([[1928年]] - [[2014年]]) *[[ミロラド・パヴィチ]]([[1929年]] - [[2009年]]) *[[ミハイル・ゴルバチョフ]]([[1931年]] - [[2022年]]) *[[ソフィア・グバイドゥーリナ]]([[1931年]] - ) *[[アンドレイ・タルコフスキー]]([[1932年]] - [[1986年]]) *[[イリヤ&エミリア・カバコフ|イリヤ・カバコフ]]([[1933年]] - ) *[[アルフレート・シュニトケ]]([[1934年]] - [[1998年]]) *[[エゴン・クレンツ]]([[1937年]] - ) *[[レフ・ヴァウェンサ]]([[1943年]] - ) *[[ネーメト・ミクローシュ (政治家)|ネーメト・ミクローシュ]]([[1948年]] - ) *[[エミール・クストリッツァ]]([[1954年]] - ) === ラテンアメリカ === *[[レオポルド・ガルチェリ]]([[1926年]] - [[2003年]]) *[[ガブリエル・ガルシア=マルケス|ガブリエル・ガルシア・マルケス]]([[1928年]] - [[2014年]]) *[[ビクトル・ファリアス]]([[1940年]] - ) *[[レイナルド・アレナス]]([[1943年]] - [[1990年]]) *[[パウロ・コエーリョ]]([[1947年]] - ) === サハラ以南のアフリカ === *[[ロバート・ムガベ]]([[1924年]] - [[2019年]]) *[[デズモンド・ムピロ・ツツ]]([[1931年]] - [[2021年]]) *[[ウォーレ・ショインカ]]([[1934年]] - ) *[[J・M・クッツェー|ジョン・マックスウェル・クッツェー]]([[1940年]] - ) === 西アジアと北アフリカ === *[[ナギーブ・マフフーズ]]([[1911年]] - [[2006年]]) *[[イツハク・シャミル]]([[1915年]] - [[2012年]]) *[[ホスニー・ムバーラク]]([[1928年]] - [[2020年]]) === 南アジア === *[[ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ]]([[1906年]] - 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高口里純
高口 里純(たかぐち さとすみ、1957年9月30日 - )は、日本の女性漫画家、同人作家。血液型A型。 栃木県鹿沼市出身、在住。宇都宮女子商業高校(現・宇都宮文星女子高等学校)卒業。1977年、第2回白泉社アテナ新人大賞第2席を受賞。1979年、『花とゆめ』(白泉社)に掲載の「赤いシャッポ」でデビュー。 2006年から文星芸術大学講師、2007年から同大学准教授、2009年から同大学マンガ専攻客員教授を勤め、2013年に辞職した。 一時期使用した二次創作同人誌のペンネームは「かちとみさする」。 代表作に『花のあすか組!』『ロンタイBABY』『少年濡れやすく恋成りがたし』など。 1980年代末から1990年代末にかけて『花のあすか組!』『ロンタイBABY』のヒットを中心として一世を風靡した。角川書店より1988年から1992年にかけて「高口里純傑作集」がまとめられ、1997年には「コミック版 高口里純文庫」レーベルが作られた。 古本での転売に反対している。高口里純が作品を発表し続けるためには、読者による新刊の購入が不可欠と述べる(公式サイトTwitter 2019年7月8日、同人誌、他)。 1988年以前に発表されたほとんどの作品は、角川書店あすかコミックス「高口里純傑作集」(全22冊)として1988年から1992年にかけて再編集、再出版された。 #同人誌発表作品 #同人誌未単行本化作品 2000年から2006年にかけて同人誌で作品発表が行われた。「悪態 AQUA ROSE」シリーズ全16巻、「小説 悪態 AQUA ROSE」シリーズ全4巻、総集編「別冊 悪態 AQUA ROSE」シリーズ全6冊。素描集「SHARE」。 「著作権保護のため転売を禁止すること。不要になった場合捨てて処分するか人にただであげるように」と記載されている。 掲載されたのは以下のものである。 以下に、単行本未収録の作品を述べる。 かちとみさする名義。小林智美、ほたか乱、雁須磨子、かわかみじゅんこ、山田ユギ、浅田寅ヲ、菅野彰、などと共同執筆。 他。
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高口 里純は、日本の女性漫画家、同人作家。血液型A型。 栃木県鹿沼市出身、在住。宇都宮女子商業高校(現・宇都宮文星女子高等学校)卒業。1977年、第2回白泉社アテナ新人大賞第2席を受賞。1979年、『花とゆめ』(白泉社)に掲載の「赤いシャッポ」でデビュー。 2006年から文星芸術大学講師、2007年から同大学准教授、2009年から同大学マンガ専攻客員教授を勤め、2013年に辞職した。 一時期使用した二次創作同人誌のペンネームは「かちとみさする」。 代表作に『花のあすか組!』『ロンタイBABY』『少年濡れやすく恋成りがたし』など。
{{存命人物の出典明記|date=2020年4月14日 (火) 01:57 (UTC)}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 高口 里純 | 本名 = | 生地 = {{JPN}} [[栃木県]][[鹿沼市]] | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1957|9|30}} | 没年 = | ジャンル = [[少女漫画]]<br/>[[女性漫画]]<br/>[[青年漫画]]<br/>[[ボーイズラブ]]<br/>[[ヤンキー漫画]]<br/>[[ギャグ漫画]] | 活動期間 = [[1979年]] - | 職業 = [[漫画家]]、同人作家 | 公式サイト = [https://www.takaguchi.net/ サロンバタイユ] | 代表作 = 『[[花のあすか組!]]』<br />『[[ロンタイBABY]]』<br />『[[少年濡れやすく恋成りがたし]]』 | 受賞 = }} '''高口 里純'''(たかぐち さとすみ、[[1957年]][[9月30日]] - )は、[[日本]]の[[女性]][[漫画家]]、[[同人]]作家。[[ABO式血液型|血液型]]A型。 [[栃木県]][[鹿沼市]]出身、在住。宇都宮女子商業高校(現・[[宇都宮文星女子高等学校]])卒業。[[1977年]]、第2回[[白泉社アテナ新人大賞]]第2席を受賞。[[1979年]]、『[[花とゆめ]]』([[白泉社]])に掲載の「赤いシャッポ」でデビュー<ref>[http://feelyoung.jp/box/takaguchisatosumi.php FEEL YOUNG 作家BOX > 高口里純]</ref><ref>『高口里純 自選傑作集』作者紹介</ref>。 2006年から[[文星芸術大学]][[講師 (教育)|講師]]<ref>『世の中は僕らに甘い』5巻(2006年)あとがき。</ref>、2007年から同大学[[准教授]]<ref>『世の中は僕らに甘い』6巻(2007年)あとがき。</ref>、2009年から同大学[[マンガ学科|マンガ専攻]][[客員教授]]を勤め、2013年に辞職した。 一時期使用した[[二次創作]][[同人誌]]のペンネームは「[[#二次創作同人誌|かちとみさする]]」。 代表作に『[[花のあすか組!]]』『[[ロンタイBABY]]』『[[少年濡れやすく恋成りがたし]]』など。 == 概要 == 1980年代末から1990年代末にかけて『花のあすか組!』『ロンタイBABY』のヒットを中心として一世を風靡した。[[角川書店]]より1988年から1992年にかけて「高口里純傑作集」がまとめられ、1997年には「コミック版 高口里純文庫」レーベルが作られた。 [[古本]]での転売に反対している。高口里純が作品を発表し続けるためには、読者による新刊の購入が不可欠と述べる(公式サイトTwitter 2019年7月8日<ref>[https://twitter.com/takaguchinet/status/1148249023276441601 高口里純公式サイトTwitter 2019年7月8日]</ref>、同人誌<ref>同人誌「悪態 AQUA ROSE」あとがき。2000年頃。【禁転売】著作権保護のために転売を禁止します。不要になった場合はすみやかに処分してください。(「悪態 AQUA ROSE」では「転売禁止」を記載してます。これからヤフーなどのオークションを巡回して、もし転売されていた場合、売主に直接警告するなどの処置を行う場合がございます。売らないで下さい。人に差し上げるのは結構です。在庫切れも出てますが、何かしらの方法を考えてみたいと思ってます。)</ref>、他)。 === 連載中 === * [[グランマの憂鬱]] === 人物 === * 「[[鹿沼市|かぬま]]ふるさと大使」である<ref>[https://www.takaguchi.net/?cat=172 公式サイト › 鹿沼観光大使]</ref>。近隣の学校から[[職場体験]]を受け入れ<ref name="ex02">『虹色仮面』7巻(2001年)あとがき。イラストを寄稿。</ref>、文星芸術大学の教員を務めるなど、地元地域に密接した活動をしている。 * 娘と息子がいる<ref>あとがき、エッセイ漫画など。</ref>。妊娠、出産体験は[[SF漫画]]『明日のために』に昇華された。 * 主婦でもあり、家事、育児の経験を作品に盛り込んでいる(『ロイヤルドッグ -忠実な犬-』『悩みごと、あったらね?』『ミラクルダイエッターMIYUKI』『紅のメリーポピンズ』『息子が心配で、夜も眠れない』)。 * 『[[仮面ライダークウガ]]』を視聴して以来、[[オダギリジョー]]のファンである<ref>『世の中は僕らに甘い』4巻(2006年)あとがき、『世の中は僕らに甘い』7巻(2008年)あとがき、『ななひかり』7巻(2012年)あとがき、など。</ref>。 * 女性の体型の好みは、[[ほしのあき]]である<ref>文庫版『バラと最悪の魂』2巻(2006年)あとがき、『世の中は僕らに甘い』5巻(2006年)あとがき、など。</ref>。 * 2005年頃から[[周杰倫]]の熱烈なファンとなり<ref>『世の中は僕らに甘い』5巻(2006年)あとがき、『勝負は時の…運だろ?SEVEN 』3巻(2007年)プロフィール、『世の中は僕らに甘い』6巻(2007年)あとがき、『世の中は僕らに甘い』7巻(2008年)あとがき、『グランマの憂鬱』8巻(2021年)あとがき、など。</ref> 、作品に周杰倫を想起させるキャラクターが登場するようになった(『ななひかり』『不思議は何で出来ているか』『将棋の時間』)。 * 周杰倫への情熱で[[台湾]]を訪れたが、周杰倫とは関係なく台湾[[淡水区]]に夢中になり<ref>『勝負は時の…運だろ?SEVEN 』3巻(2007年)プロフィール、『不思議は何で出来ているか』1巻(2008年)あとがき、『新・花のあすか組!』8巻(2009年)あとがき、『グランマの憂鬱』8巻(2021年)あとがき、など。</ref>、作品に反映されるようになる(『将棋の時間』『台湾が好きすぎて、家借りちゃいました。』)。 * [[酒井美羽]]、[[谷地恵美子]]、[[竹宮惠子]]と交流がある<ref name="ex03">文庫版『傷つかないと(Night) 』高口里純に聞く(1999年)より。</ref>。 * [[日本共産党]]の支持者として知られ、選挙などではたびたび応援メッセージなどを送っている。 === 作風 === * 小学校4年生の頃から漫画家を志し、[[志賀公江]]『[[スマッシュをきめろ!]]』、[[木原敏江]]、[[萩尾望都]]から影響を受けた<ref name="ex03">文庫版『傷つかないと(Night) 』高口里純に聞く(1999年)より。</ref>。 * 事前に作品の資料は充分に揃えるが、<ref name="ex03">文庫版『傷つかないと(Night) 』高口里純に聞く(1999年)より。</ref>先の展開をあまり考えず物語を作り始める。<ref>『少年濡れやすく恋成りがたし[神戸編]-過ちを犯す月-』あとがき。「たいしたプロットも立てずに書き始めてしまいます。」</ref> * 多種多様な作品を大量に創作するが、様々な雑誌に連載するため、雑誌廃刊や[[打ち切り]]などによる[[未完成作品]]が多い。 * 締め切り前の修羅場を経験したことが無く<ref>『PINK』3巻82ページ(2001年)「作者には経験がないので修羅場は描写出来ません」。</ref>、締め切りを破ったことも無い。 * 頻繁に「[[バラ|薔薇]]」「[[月]]」をキーワードに使う。 * SF漫画作品は、アシスタントに[[加倉井ミサイル]]の居た時期に、彼女からメカニック協力のあった『美しい男』『明日のために』の2作品のみである。 * 1995年頃から[[コンピュータ]]での彩色を始めた。2000年頃から[[筆ペン]]を多用するようになった。 * 2000年頃からモノローグを担当する登場人物の年齢が上がってきている(『ロイヤルドッグ -忠実な犬-』『バラと最悪の魂』『不思議は何で出来ているか』『グランマの憂鬱』)。 * 2005年頃から瞳の描き方を変えている。 === 略歴 === * 1977年 - 第2回白泉社アテナ新人大賞第2席を受賞 * 1979年 - 「赤いシャッポ」が『花とゆめ』に掲載されデビュー * 1985年 - 『花のあすか組!』連載開始(1995年終了) * 1987年 - 『ロンタイBABY』連載開始(1997年終了) * 1988年 - 『花のあすか組!』テレビドラマ化、映画化 * 1990年 - かちとみさする名義で二次創作[[やおい]]同人誌の発行を始める(1998年頃まで/20冊程度) * 1995年 - 『少年濡れやすく恋成りがたし』イメージビデオ化 * 1995年 - 『[[汚い奴]]』Vシネマ化 * 1997年 - 『ロンタイBABY』Vシネマ化 * 2000年 - [[高口里純#同人誌発表作品|同人誌「悪態 AQUA ROSE」シリーズ]](全16巻、「小説 悪態 AQUA ROSE」全4巻)での創作発表を行う(2006年終了) * 2003年 - 『[[新・花のあすか組!]]』連載開始(2009年終了) * 2006年 - 文星芸術大学マンガ専攻講師に就任(2013年、客員教授を辞職) * 2018年 - 『[[花のあすか組! BS(ブラックスクール)編]]』連載開始および終了。『[[花のあすか組! ∞インフィニティ]]』連載開始(2021年終了)。 == 発表作品 == === 漫画作品 === 1988年以前に発表されたほとんどの作品は、角川書店[[あすかコミックス]]「高口里純傑作集」(全22冊)として1988年から1992年にかけて再編集、再出版された。 ==== 1979年〜 ==== * [[トロピカル半次郎]]【全3巻】[1979 - 1980、[[LaLa]]、白泉社] ** [[ギャグ漫画]]。[[学園漫画]]。 * 『[[久美と森男のラブメロディ]]』シリーズ[1979 - 1982、花とゆめ、白泉社] ** 『熱くなるまで待って』 ** 『パーフェクト・ディ』 ** 『赤いピアノ線』【全2巻】 ** 『ワルツの似合うころ』【全2巻】 * 自選傑作集 =短編集= [1979 - 1996、日本漫画家大全、[[双葉社]]] ** 「汚い奴 TYPE1」 ** 「汚い奴 TYPE2」 ** 「モスクワの夜はふけて」 ** 「イヤリング・サマー」 ** 「コンクリート・ボディ佐藤」 ** 「ツイてるご家族」 ** 「べっぴん」 * アスファルトに眠れ =短編集= [1981頃、白泉社] * [[伯爵と呼ばれた男]] 【全5巻】[1982 - 1989、LaLa] ** 1930年代の[[ハリウッド]]を舞台とする、[[オムニバス]]ストーリー。 * 愛し合ってなんかいられない =不明=[1983頃、白泉社] * 愛しているよ =短編集= [1984頃、[[朝日ソノラマ]]] * 赤鼻のアズナブル =短編集= [1984頃、朝日ソノラマ] * 空っぽハイスクール[1984頃、朝日ソノラマ] ** ギャグ漫画。 * 王(キング)のいる街 =短編集= [1984頃、朝日ソノラマ] * ジョニーの戦場日記 =短編集= [1984頃、朝日ソノラマ] * [[いっぱしマン]][1984 - 1985、花とゆめ] ** ギャグ漫画。[[栃木県]]を舞台とする。 * ピンナップ・ベイビー 【全2巻】[1985、新書館] * BERLIN =不明= [1985頃、朝日ソノラマ] * ナンパちゃん =短編集= [1985頃、朝日ソノラマ] * ローマで夜だった =不明=[1985頃、朝日ソノラマ] * 蒼い夜青い叫び」 =短編集= [1986頃、朝日ソノラマ] * [[女神の見た夢]] [1986、朝日ソノラマ] ** 共著:[[酒井美羽]]、[[谷地恵美子]] ** ゲスト参加:太田博子、[[木原敏江]]、[[坂田靖子]]、[[篠有紀子]]、古館由紀子、[[松苗あけみ]] ** [[マリリン・モンロー]]をモチーフにし、[[1963年]]の[[ニューヨーク]]を舞台とする。 * [[私は薔薇 -ココ・シャネルの秘密-]] 【全2巻】[1986頃、[[主婦と生活社]]] ** [[ココ・シャネル]]の伝記。 * [[花のあすか組!]]【全27巻】[1987 - 1995、[[月刊Asuka]]、角川書店] ** [[ヤンキー漫画]]。学園漫画。中学生の[[いじめ]]問題などを扱う。 * [[花のあすか組!#外伝|花のあすか組!外伝]] 【全6巻】[1987 - 1995、月刊あすか] ** 『花のあすか組!』の[[前日譚]]、[[サイドストーリー]]。 * 花のあすか組!番外編 -ロンリーキャッツ・バトルロイヤル- [1990、月刊あすか] ** 『花のあすか組!』[[花のあすか組!#OVA2|OVA2]]の原作。 * 悪いあなた =短編集= [1987頃、[[mimi (雑誌)|mimi]]、[[講談社]]] * [[EX-MEN(エクセレントメン)聞いて]] 【全2巻】[1988 - 1989、mimi] ** ニューヨークの[[モデル (職業)|モデル]]業界を扱う。 * [[ロンタイBABY]] 【全15巻】[1988 - 1997、mimi] ** ヤンキー漫画。[[暴走族漫画]]。[[1974年]]の栃木県[[宇都宮市]]の高校生を扱う。未完。 * 兎 -うさぎ- [1988、[[月刊アフタヌーン]]、講談社] ** ヤクザ漫画。母と息子との関係を扱う。未完。 * シルクのブラウス =短編集=[1988頃、[[Silky]]、白泉社] * 蜃気楼を見た =短編集=[1988頃、Silky] * 悪女は夜つくられる =短編集= [1989頃、[[BE・LOVE]]、講談社] * 純愛タイトロープ =短編集=[1989頃、Silky] * touch =短編集=[1989頃、Silky] * 夜のスタイリスト =短編集=[1989頃、Silky] * ワルツを踊る女 =短編集= [1989頃、BE・LOVE] * 傷つかないと(Night) [1989、[[少女フレンド]]、講談社] * [[赤いドレスの男]] [1989、[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]、講談社] ** [[犯罪予告]]を題材とする。 * [[汚い奴]] [1989、[[漫画アクション]]、双葉社] ** [[犯罪]]、ユスリ屋、[[プロボクサー]]を扱う。 * [[幸運男子 -ラッキーくん-]] 【全3巻】[1989 - 1999、mimi] ** [[義兄弟姉妹|義兄弟]]を扱うボーイズラブ漫画。 ==== 1990年〜 ==== * [[Sex, Baseball & Rock'nroll]] 【全2巻】[1990、[[週刊ヤングマガジン]]、講談社] ** ギャグ漫画。[[スポーツ漫画]]。[[野球漫画]]。未完。 * [[渋谷で会いましょう]] [1991頃、漫画アクション] ** ギャグ漫画。ヤクザ漫画。未完。 * [[少年濡れやすく恋成りがたし]] 【全7巻】[1991 - 1997、[[ヤングロゼ]]、角川書店] ** 教師と生徒との情事、男子高校生の[[売春]]、[[暴力団]]、[[解離性同一性障害]]などを扱う。 * 力を抜いて =短編集=[1990頃、Silky] * スウィート・ハート・ライフ =短編集=[1992頃、BE・LOVE] * Girl =短編集=[1992頃、Silky] * [[ルビー・カイロ]] [1992、ヤングロゼ] ** 映画『ルビー・カイロ』の漫画化。 * [[イノセント・サイズ#『イノセント・サイズ外伝』|イノセント・サイズ外伝]] [1994頃、角川書店] ** 原案:高口組・サイズユニット。『イノセント・サイズ』登場人物の[[前世]]での物語。[[ファンタジー漫画]]。 * [[銀 (漫画)|銀]] 【全4巻】[1995頃、花とゆめ] ** テニス漫画。[[超能力]]漫画。[[移植 (医療)|臓器移植]]などを扱う。未完。 * [[叫んでやるぜ!]] 【全5巻】[1995 - 1999、[[CIEL (雑誌)|CIEL]]、角川書店] ** [[声優]]業界。声優の父親と[[アイスホッケー]]選手の息子との交流を扱うボーイズラブ漫画。 * [[美しい男]] 【全6巻】[1995 - 2000、[[Chara (雑誌)|Chara]]、[[徳間書店]]] ** [[架空世界]]を舞台とする[[サイエンス・フィクション|SF]]。[[戦闘機]]パイロット、[[コールドスリープ]]などを扱うボーイズラブ漫画。 * クロイツ [1996、CIEL] ** 暴走族漫画。ボーイズラブ漫画。 * [[黒 -ニグレード-]] 【全4巻】[1996 - 1998年、角川書店] ** 『銀』の前日譚でもあり『銀』の人物が登場。ファンタジー漫画。 * [[ロンタイBABY#『ロンタイBABY プレイバック』|ロンタイBABY プレイバック]][1997、ヤングロゼ] ** 『ロンタイBABY』の続編。ヤンキー漫画。 * 詩人は一日にして成らず =短編集=[1997頃、[[スコラ]]] * [[COME ON! CLASH BABY]] [1998 - 2002、[[祥伝社]]] ** [[ストリートファイト|ストリートファイター]]の女子高校生を扱う。ヤンキー漫画。漫画の描き方を変えている。 ** 同時収録「熱の花」「リンダマン」 * [[明日のために (漫画)|明日のために]]【全3巻】[1998 - 1999、[[コミックバーズ]]、[[スコラ]]] ** 近[[未来SF]]。出産、母親達と子供達の関係を扱う。瞳の描き方を変えている。 * [[虹色仮面]] 【全7巻】[1998 - 2001、[[FEEL YOUNG]]、[[祥伝社]]] ** [[美容]]、[[女装]]、[[銀座]]、[[健忘|記憶喪失]]などを扱った[[推理漫画]]。『少年濡れやすく恋成りがたし』との[[クロスオーバー作品]]。 * [[PINK (高口里純の漫画)|PINK]] 【全3巻】[1998 - 2000、[[Chara (雑誌)|Chara Selection]]、徳間書店] ** 漫画原作者と作画家を扱ったギャグ漫画。ボーイズラブ漫画。 * [[勝負は時の…運だろ?#『勝負は時の…運だろ?SEVEN』|勝負は時の…運だろ?SEVEN]] 【全3巻】[1998 - 2007、同人誌/[[花音 (漫画雑誌)|花音]]、[[芳文社]]] ** 『勝負は時の…運だろ?』のスピンオフ作品、続編。バスケットボール部を扱うボーイズラブ漫画。 * 彼女を泣かせて [1999、少女フレンド] ** 瞳の描き方を変えている。 * [[ロイヤルドッグ -忠実な犬-]] 【全2巻】[1999 - 2000、[[ヤングチャンピオン]]、[[秋田書店]]] ** ヤクザ漫画。父性と幼児の生命力を扱う。未完。 ==== 2000年〜 ==== * [[暗殺者は魚を嫌う]][2000 - 、同人誌、[[オークラ出版]]] ** ヤクザ漫画。『ロイヤルドッグ -忠実な犬-』のスピンオフ作品。『汚い奴』とのクロスオーバー作品。 * [[少年失格 -ナチュラルキッド-]] 【全3巻】[2000 - 2002、ヤングチャンピオン] ** ギャグ漫画。男子中学生の女装を扱う。瞳の描き方を変えている。 * [[虹色仮面#『ラ・グランダム』|ラ・グランダム]][2001 - 2002、FEEL YOUNG] ** 『虹色仮面』の前日譚、スピンオフ作品。[[ハーバード大学]]を舞台とする。 * [[バラと最悪の魂]] 【全4巻】[2002 - 2003、BE・LOVE] ** [[トランスジェンダー]]、[[不倫]]、家族などを扱う。未完。 * [[世の中は僕らに甘い]] 【全7巻】[2002 - 2008、Chara Selection] ** [[双生児|双子]]同士の恋愛、モデル業界を扱うボーイズラブ漫画。 * [[詩人は一日にして成らず]] [1995 - 2003、Silky/同人誌/花音] ** ボーイズラブ漫画。 * [[新・花のあすか組!]] 【全8巻】[2003 - 2009、FEEL YOUNG/フィーヤン・ネット、祥伝社] ** 『花のあすか組!』の続編。ヤンキー漫画。[[携帯電話依存症]]などを扱う。未完。 * 美しい美しい美しい [2006、[[マンガ・エロティクス・エフ]]、[[太田出版]]] ** 漫画の描き方を変えているボーイズラブ漫画。  ** 同時収録「after story」(描き下ろし後日談)、「白い指の悪魔」 * [[ななひかり]] 【全7巻】[2006 - 2012、Chara] ** [[異母兄弟]]、[[芸能界]]、音楽などを扱うボーイズラブ漫画。 * [[不思議は何で出来ているか]] 【全2巻】[2007 - 2008、Hug/[[携帯コミック]]サイト描き下ろし連載、[[飛鳥新社]]] ** [[オカルト]]を扱うボーイズラブ漫画。 * [[コキュートスは嗤う]] 【全3巻】[2008 - 2010、[[マリカ (雑誌)|マリカ]]/[[ミステリーサラ]]、[[扶桑社]]/[[Bbmfマガジン]]/[[ワニブックス]]] ** 原作:[[江上剛]] 『腐蝕の王国』。[[1985年]]からの[[金融機関]]を題材とする。 * [[骨まで愛して (漫画)|骨まで愛して]] 【全2巻】[2009 - 2012、Chara Selection] ** サラリーマンフェチの[[おたく]]を扱うボーイズラブ漫画。 * [[獣の条件]][2009 - 2010、[[週刊プレイボーイ#増刊|漫'sプレイボーイ]]/携帯コミックサイト描き下ろし連載、[[集英社]]] ** 漫画の描き方を変えている。[[成人向け漫画]]。 ==== 2010年〜 ==== * [[ロンタイBABY#『ロンタイBABY 喧嘩上等1974』|ロンタイBABY 喧嘩上等1974]] 【全4巻】[2011 - 2013、携帯コミックサイト描き下ろし連載、双葉社] ** 『ロンタイBABY プレイバック』の続編。ヤンキー漫画。 * [[叫んでやるぜ!#『恋待ち 高口里純作品集』書誌情報|恋待ち 高口里純作品集]] =短編集=[ピュアフルコミックス、[[ジャイブ]]] ** 「可愛い娘はなぜいつも隣のクラスなんだろう」 ** 「[[叫んでやるぜ!#『悩みごと、あったらね?』|悩みごと、あったらね?]]」 (2002 - 、[[しんぶん赤旗#日曜版|しんぶん赤旗日曜版]]) *** 『叫んでやるぜ!』のスピンオフ作品。続編でもある。父親と娘の交流を扱う。 * 悪の花 -逆臣・陶晴賢- [2012 - 、コミック戦国無頼web、[[松文館]]] ** 原作:[[小川良]] 『妖臣伝 厳島合戦異聞』。未完。単行本未刊行。 * [[サハラ -誘惑のエトランゼ-]] [2012、ハーモニィRomance、[[宙出版]]] ** [[シンデレラ・ストーリー]]。 * 花と王子の物語 [2013、ハーモニィRomance、宙出版] ** シンデレラ・ストーリー。 * [[公爵家の薔薇の実]] [2013、[[ほんとうに怖い童話]]、[[ぶんか社]]] ** 絵柄を変えている。 * [[紅のメリーポピンズ]] 【全4巻】[2013 - 2015、[[JOURすてきな主婦たち]]、双葉社] ** [[ナニー (イギリス)|ナニー]]による[[育児]]、[[教育]]を扱う。 * [[奇人探偵 銀鼠]][2014 - 2015、ほんとうに怖い童話、ぶんか社] ** [[明治]]時代を舞台とした推理漫画。絵柄を変えている。 * [[悪いキス]] 【全3巻】[2015 - 2017、[[女性セブン]]、[[小学館]]] ** 原作:テレビドラマ『[[赤と黒 (2010年のテレビドラマ)|赤と黒]]』。電子書籍版『悪いキス』【全6巻】先行発売。 * [[グランマの憂鬱]] 【既刊13巻】[2015 - 、JOURすてきな主婦たち、双葉社] ** [[田舎]]を舞台とし、祖母と孫との交流を扱う。『紅のメリーポピンズ』のスピンオフ作品。連載中。 * [[花のあすか組! BS(ブラックスクール)編]]【上下巻】[2018年4月6日 - 7月27日、Renta!/マンガJAM、祥伝社] ** 『新・花のあすか組!』の続編。ヤンキー漫画。[[ネットいじめ]]を扱う。 * [[花のあすか組! ∞インフィニティ]]【全9巻】[2018年9月7日 - 2021年8月20日<ref>{{Cite web|和書|url=http://info.feelyoung.jp/article/483004326.html|title=『花のあすか組!∞インフィニティ』全話無料公開キャンペーン|website=Feel web|publisher=祥伝社|date=2021-08-19|accessdate=2021-09-09}}</ref>、Renta!/マンガJAM、祥伝社] ** 『花のあすか組! BS(ブラックスクール)編』の続編。ヤンキー漫画。[[ライブアイドル|地下アイドル]]などを扱う。 === エッセイ漫画 === * 息子が心配で、夜も眠れない [2013、双葉社] * 息子が心配で、夜も眠れない バイト編 [2015、クリーク・アンド・リバー社]単行本未刊行。 * 息子が心配で、夜も眠れない 就活編 [2016、クリーク・アンド・リバー社]単行本未刊行。 * 台湾が好きすぎて、家借りちゃいました。完全版 日本語版 [2017、双葉社] ** (台湾で先行発売)日本人氣漫畫家追星瘋台灣 中国語版 [2013] * 真のイケメンは正面からあなたを倒す(増刊ハーレクイン 2021年4月号 - 、宙出版) === 未単行本化作品 === * すてきな女(Silky 1990年5月号) * イキそうでイカない(Silky 1991年5月号) * 私のデビュー時代 ([[きみとぼく (雑誌)|きみとぼく]] [[ソニー・マガジンズ]]) * イニシャルK in パリ(漫画アクション 2005年12月28日増刊号) * 将棋の時間 ([[YOU (雑誌)|YOU]] 2007年NO.20、2008年NO.6、集英社) * 悪の花 -逆臣・陶晴賢- (コミック戦国無頼web 2012 - 、松文館) * 美女にしか向かない職業 (JOURすてきな主婦たち 2012年10月号、双葉社) * わたしとツッパリの日々 (JOURすてきな主婦たち 2015年3月号、双葉社) ==== 同人誌発表未単行本化作品 ==== [[#同人誌発表作品]] * [[少年濡れやすく恋成りがたし#『28階に湧くシルクの水』|28階に湧くシルクの水]] [電子書籍化](2000 - 2006) * [[美しい男#同人誌発表作品|『美しい男』関連]] ** マリッツ将軍の特別休暇(小説)[電子書籍化](2000) ** カリスマ(小説)[電子書籍化](2001) ** 恋に至る病(小説)(2001) ** 美しい男 -特別番外編-(2001 - 2004) * 忠実な犬(2001 - 2006) * [[PINK (高口里純の漫画)#外部リンク|PINK -スイッチ-]] 短編2編[電子書籍化](2001 - 2002) * [[叫んでやるぜ!#同人誌発表作品『叫んでやるぜ! 番外編』|『叫んでやるぜ!』関連]] ** メリット[電子書籍化](2001) ** 訪問者[電子書籍化](2002) * 十人の略奪された花婿(小説)(公式サイトWeb連載小説) === 小説作品 === * [[花のあすか組!#外伝|花のあすか組!外伝 -ヨコハマ・ユカリ命-]] [1990、角川書店] ** 『花のあすか組!』のスピンオフ作品、前日譚。『花のあすか組!外伝』vol.9〜vol.11を小説化。[[暴走族]]を扱う。 * [[少年濡れやすく恋成りがたし#『少年濡れやすく恋成りがたし[神戸編]』|少年濡れやすく恋成りがたし[神戸編]]] [1996、ASUKAノベルス、角川書店] ** 『少年濡れやすく恋成りがたし』のスピンオフ作品、前日譚。ヤクザを扱う。 * [[少年濡れやすく恋成りがたし#『少年濡れやすく恋成りがたし[神戸編]-過ちを犯す月-』|少年濡れやすく恋成りがたし[神戸編]-過ちを犯す月-]] [2001、[[角川ルビー文庫]]、角川書店] ** 『少年濡れやすく恋成りがたし』のスピンオフ作品。ヤクザを扱う。ボーイズラブ。 * [[叫んでやるぜ!#小説|叫んでやるぜ!]] [2001、同人誌/書き下ろし、角川ルビー文庫、角川書店] ** 続編、スピンオフなど。ボーイズラブ。 * あなたがいたから [2010、書き下ろし、[[講談社X文庫]]、講談社] === 漫画原作作品 === * [[勝負は時の…運だろ?]] 【全5巻】[1995-、CIEL、角川書店] ** 復刊 【全3巻】[花音、芳文社] ** 作画:藤崎一也 ** バスケットボール部を扱う。ボーイズラブ漫画。 * [[泣かせやがってこのやろう]] 【全3巻】[1995-、角川書店] ** 作画:架月弥 * [[ルパン三世 (Shusay版)|ルパン三世Takaguchi/Shusayスペシャル版]] [1997、双葉社] ** 原作・監修:[[モンキー・パンチ]] ** 作画:[[Shusay]] * 恋の渇き [2001、花音] ** 作画:[[穂波ゆきね]] ** ボーイズラブ漫画。 * [[きみには勝てない!]] 【全3巻】[2003-、花音] ** 作画:穂波ゆきね ** 全寮制男子校を扱う。ボーイズラブ漫画。 * [[ミラクルダイエッターMIYUKI]] 【全2巻】[2003-、しんぶん赤旗日曜版、ジャイブ、電子書籍化] ** 作画:高口組 ** [[食生活]]を扱う。『叫んでやるぜ!』に登場した劇中アニメ番組のスピンオフ作品。『[[美少女戦士セーラームーン]]』をベースにした[[魔法少女]]もの。 * ミラクルダイエッターMIYUKI vv(ブイブイ) [2005-、しんぶん赤旗日曜版、電子書籍化] ** 作画:高口組 ** 『ミラクルダイエッターMIYUKI』の続編。単行本未刊行。  === その他出版物 === * イラスト集 ** ラブレター[1985、新書館] ** 九楽あすか参る! [1988、角川書店] ** SATOSUMI GRAFFITI 1982-1991[1992、角川書店] * [[ぱふ]]『花のあすか組!』特集 [1988、[[雑草社]]] * ぱふ 高口里純 特集 [1992、雑草社] * まれな「少女まんが家」の生活 [1990、[[大陸書房]]] ==== アンソロジー ==== * 熱狂短編マンガ傑作集'83 [1983、小学館] ** 「ナンパちゃん」 * グレープフルーツ別冊「ヒロイン&ヒーロー」歴史ロマンSPECIAL [1984、新書館] * SFマンガ大全集 PART29 [1985、[[東京三世社]]] ** 「ジョニーの戦場日記」 * 少女漫画恐怖傑作選 - ミステリー館 (Part 1) 夢の扉の章[1993、[[宝島社]]] * [[銀河英雄伝説#同人誌アンソロジー|天下無敵あどりぶ銀英伝]] [1994、徳間書店] * マンガ構成術 -ストーリーメイキングガイド- [2000、Comickersテクニックブック、[[美術出版社]]] ** 共著:[[川原由美子]]、酒井美羽、坂田靖子、松苗あけみ * [[ブラック・ジャック#リメイク漫画|ブラック・ジャック ALIVE]] 2 [2005、秋田書店] ** 「The last acting」(ヤングチャンピオン 2005年5月10日号) * [[かりあげクン#かりあげクン トリビュート増刊|かりあげクン トリビュート増刊]] (漫画アクション 2005年12月28日増刊号) **「イニシャルK in パリ」 * 実話が怖い! 怪談新耳袋 - 母影 [2006、[[中山市朗#コミック原作|コミック新耳袋]]、メディアファクトリー] ** 「不思議話買います」 * 30周年だゾ!嵐を呼ぶ[[クレヨンしんちゃん]]トリビュート[2020年9月25日、[[WEBコミックアクション]]] ** 「クレヨンしんちゃん×グランマの憂鬱」<ref>[https://comic-action.com/episode/13933686331704306008 クレヨンしんちゃん 原作30周年プロジェクト]</ref> ==== 挿絵作品 ==== * 22歳 季節がひとつ過ぎていく [1988、[[角川スニーカー文庫]]、角川書店] 著者:[[唯川恵]] * アベルの島で [1992、角川ルビー文庫、角川書店] 著者:荘山ゆたか * [[イノセント・サイズ]] 【全4巻】 [1992-、EASY BOOKS、[[ムービック]]] 著者:荘山ゆたか、高口組サイズユニット * レベッカ・ストリート [1995、花丸ノベルズ、白泉社] 著者:[[菅野彰]] * スーパー・エージェント [2000、[[ハヤカワ文庫|ハヤカワ・ミステリ文庫]]、[[早川書房]]] 著者:[[ハーラン・コーベン]] * ウイニング・ラン [2002、ハヤカワ・ミステリ文庫、早川書房] 著者:ハーラン・コーベン * 好奇心は猫をも殺す [2003、キャラ文庫、徳間書店] 著者:前田栄 * 色重ね [2005、キャラ文庫、徳間書店] 著者:剛しいら == 漫画文庫化作品 == {{Col| * トロピカル半次郎 【全2巻】[双葉社] * 久美と森男のラブメロディ 【全3巻】[メディアファクトリー] ** 収録 『熱くなるまで待って』『パーフェクト・ディ』『赤いピアノ線』『ワルツの似合うころ』 * 伯爵と呼ばれた男 【全3巻】 [双葉社] ** 新規収録 「番外・特別編」 (同人誌) * ピンナップベイビー [双葉社] * 女神の見た夢 [双葉社] ** 共著:酒井美羽、谷地恵美子 ** ゲスト参加:太田博子、木原敏江、坂田靖子、篠有紀子、古館由紀子、松苗あけみ * 私は薔薇 -ココ・シャネルの秘密- 【全2巻】 [双葉社] **復刊(改題)ココ・シャネル 愛と孤独の日々 [[[ジャンプ・コミックス#ホーム社|ホーム社]]] * 花のあすか組! 【全13巻】 [角川書店] ** 復刊 新装版文庫 【全8巻】 [祥伝社] * 花のあすか組!外伝 【全4巻】 [角川書店] ** 復刊 新装版文庫 【全3巻】 [祥伝社] ** 収録 『花のあすか組!外伝』『花のあすか組!番外編』 * EX-MEN(エクセレントメン)聞いて [講談社] * ロンタイBABY 【全8巻】 [角川書店] * ロンタイBABY プレイバック [角川書店] ** 復刊 【全8巻】 [KissKCDX、講談社] * 兎 -うさぎ- [講談社] | * 夜のスタイリスト [双葉社] * 情事の達人 [双葉社] * 純愛タイトロープ [双葉社] * スウィート・ハート・ライフ [双葉社] * きのうの夜は [双葉社] * 傷つかないと (Night) [講談社] ** 新規収録 高口里純に聞く * 赤いドレスの男 [講談社] * 汚い奴 [双葉社] ** 同時収録 「汚い奴TYPE 1」「汚い奴TYPE 2」 * 幸運男子 -ラッキーくん- 【全2巻】 [角川書店] ** 新規収録 「幸運男子・番外編」 (「CIEL」1999年3月号) * Sex, Baseball & Rock'nroll [講談社] * 渋谷で会いましょう [双葉社] * 少年濡れやすく恋成りがたし 【全4巻】 [双葉社] * 銀/黒 【全4巻】 [メディアファクトリー] ** 収録 『銀』『黒 -ニグレード-』 ** 新規収録 作者インタビュー * ルパン三世Takaguchi/Shusayスペシャル版 [双葉社] ** 原作・監修:モンキー・パンチ ** 作画:Shusay * 叫んでやるぜ! 【全3巻】 [双葉社] * バラと最悪の魂 【全2巻】 [白泉社] }} == 短編漫画初出 == {{Col| *1978年 ** 赤いシャッポ (『花とゆめ』6号) ** ゲシュタポ非常線 (『花とゆめ』春の増刊号) ** 地下鉄のドグ (『花とゆめ』夏の増刊号) ** 三文喜劇 (『花とゆめ』秋の増刊号) * 1979年 ** レモンかじった? (『LaLa』3月号) ** レモン感じちゃう (『LaLa』5月増刊号) ** コンクリート・ボディ佐藤 (『花とゆめEX』7月増刊号) ** 美・三角関係 (別冊『花とゆめ』春の号) ** 美・カルテット (別冊『花とゆめ』夏の増刊号) ** 美・サミットSOS (『花とゆめ』20号) ** バラと歌いたい (『花とゆめ』20号) ** わたし愛・たぶん愛 (『花とゆめ』24号) ** 恋しちゃいけない17歳 (『花とゆめ』24号) * 1980年 ** かすみか雲か聖少女(『花とゆめ』2号) ** 雨 (『花とゆめ』秋の増刊号) * 1981年 ** 誘惑の季節 (『花とゆめ』2月増刊号) ** アスファルトに眠れ (『花とゆめ』6 - 7号) ** いやらしい初恋 (『花とゆめ』5月増刊号) ** 王(キング)のいる街 (『LaLa』6月号) ** ロッカ・フラ・ベイビー (『LaLa』8月号) ** いけない娘 (『花とゆめ』9月増刊号) ** バラードは終らない (『花とゆめ』11 - 12号) ** 夜の運動会 (『花とゆめ』11月増刊号) ** ロッカビーティン・ブギ (『LaLa』11 - 12月号) * 1982年 ** ピンクピストル・バーボン・ママ (『花とゆめ』1号) ** ビューティー&ザ・ビート (『花とゆめ』3号) ** 赤鼻のアズナブル (『花とゆめ』2月大増刊号) ** ポップン・ロール胸さわぎ (『花とゆめ』』19号) * 1983年 ** あした勝つ1 (『LaLa』2月増刊号) ** あした勝つ2 (『LaLa』4月号) ** ナンパちゃんPart1 (『[[月刊コミコミ]]』5月号) ** ナンパちゃんPart2 (『月刊コミコミ』8月号) ** アイ・ラブ・熊 (『月刊コミコミ』秋の増刊号) ** 愛しているよ (『花とゆめ』20号) ** 蒼い夜青い叫び (『花とゆめ』11月増刊号) ** サクランボ・ハウス (『花とゆめ』24号) * 1984年 ** 風花鳥 (『花とゆめ』1号) ** ハイ・ヌーン (『花とゆめ』2月大増刊号) ** 優しい瞳 (『別冊花とゆめ』春の号) ** 旅篭 (『グレープフルーツ別冊』7/15号) ** モスクワの夜は更けて (『グレープフルーツ』15号) ** イヤリング・サマー (『花とゆめ』9月大増刊号) ** ジョニーの戦場日記 (『SFマンガ競作大全集』12月号) ** やさしくてかなしくて (『花とゆめEX』WINTER) * 1985年 ** ワルツを踊る女 (『BE・LOVEペア』第1号) ** 娼婦リリ- (『BE・LOVEペア』第3号) ** 丸の内アベニュー (『花とゆめEX』SPRING号) ** 赤い関係 (『Silky』9月号) ** 窓灯りの情事 (『BE・LOVEペア』10月号) ** 人妻という名の女 (『Silky』11月号) * 1986年 ** かすれた線路 (『BE・LOVEペア』1月号) ** 恋…恋の季節 (『mimi DX』1月号) ** 蜃気楼を見た (『Silky』1月号) ** 真夜中のフェアリー・テール (『Silky』2月号) ** 午前0時のコントロール・カラー (『Silky』4月号) ** 牝犬 (『BE・LOVEペア』4月号) ** まだ恋をしている (『mimi DX』5月号) ** 六本木にて (『Silky』1986年5月号) ** 夫が帰ってくる (『BE・LOVEペア』6月号) ** 低い声でささやくわ (『Silky』7月号) ** オフィスに私生活はない (『Silky』8月号) ** ユウウツな恋人 (『Silky』9月号) ** 恋のフーガ (『Silky』10月号) ** 白と黒の悪夢 (『BE・LOVEペア』11月号) ** ロスト・ラブ・夕暮れに (『Silky』12月号) | * 1987年 ** スウィート・ハート・ライフ (『BE・LOVEパフェ』1月号) ** スウィート・ハート・ライフ2 (『BE・LOVEパフェ』1月号) ** シルクのブラウス (『Silky』1月号) ** おだやかな休止符 (『Silky』2月号) ** 波の華(原作:[[矢島正雄]]) (『Silky』3月号) **情熱バトルロワイヤル(『[[ヤングユー]]』3月号) ** ツイてるご家族 (『少年サンデー』3月増刊号) ** 讃美歌(原作:矢島正雄) (『Silky』5月号) ** 悪いあなた(『mimi Carnival』6月号) ** 初恋 (『Silky』7月号) ** あしゅら (『[[コミックハイ!]]』8月号) ** 純愛タイトロープ (『Silky』9月号) ** 白昼堂々 (『Silky』11月号) * 1988年 ** 獣のように (『Silky』1月号) ** touch (『Silky』3月号) ** キューピーの弓 (『Silky』5月号) ** 悪女は夜つくられる (『BE・LOVEパフェ』7月号) ** 罠 (『BE・LOVEパフェ』8月号) ** 夜のスタイリスト (『Silky』9月号) ** 情事の達人 (『Silky』11月号) * 1989年 ** 神様のおぼしめし (『BE・LOVEミステリー』第3集) ** いまどきのHOW TO SEX (『Silky』1月号) ** ナミダは女の武器です (『Silky』4月号) ** 力を抜いて (『Silky』6月号) ** ここに触れなきゃ (『Silky』8月号) ** ベッドサイドテクニック (『Silky』10月号) ** 道をおたずね下さい (『Silky』12月号) * 1990年 ** ラブレター (『Silky』3月号) ** すてきな女 (『Silky』5月号) ** きのうの夜は (『Silky』8月号) ** あいつと私 (『Silky』10月号) ** Girl (『Silky』12月号) * 1991年 ** 土曜日はひとり (『Silky』3月号) ** イキそうでイカない (『Silky』5月号) ** べっぴん (『ヤングマガジン マリちゃん増刊』6月20日号) ** フェイク・ウーマン (『Silky』7月号) * 1995年 ** この世で最も漆黒の夜 (『Silky』7月号) ** 詩人は一日にして成らず 1(『Silky』10月号) * 1999年 ** 幸運男子 -ラッキーくん-・番外編(『CIEL』3月号) * 2002年 ** 熱の花 (『Chara』4月号) * 2003年 ** 詩人は一日にして成らず 6(『花音』9月号) * 2005年 ** The last acting (ブラック・ジャック ALIVE)(『ヤングチャンピオン』5月10日号) ** イニシャルK in パリ(かりあげクン トリビュート増刊)(『漫画アクション』12月28日増刊号) * 2007年 ** 白い指の悪魔 (『マンガ・エロティクスF』vol.43) ** 将棋の時間 (YOU 2007年NO.20、2008年NO.6、集英社) * 2011年 ** 可愛い娘はなぜいつも隣のクラスなんだろう([[commons&sense man]] ISSUE11、[[河出書房新社]]) * 2012年 ** 美女にしか向かない職業 (JOURすてきな主婦たち 10月号) * 2015年 ** わたしとツッパリの日々 (JOURすてきな主婦たち 3月号) * 不明 ** 夢舞踏に赤いバラ ** ニューブーツ・アンド・パンティーズ ** リンダマン * 初期同人誌 ** BERLIN ** BLUE BOY ** 恋人たちの森 }} == 同人誌発表作品 == [[#同人誌未単行本化作品]] 2000年から2006年にかけて同人誌で作品発表が行われた。「悪態 AQUA ROSE」シリーズ全16巻、「小説 悪態 AQUA ROSE」シリーズ全4巻、総集編「別冊 悪態 AQUA ROSE」シリーズ全6冊。素描集「SHARE」。 「著作権保護のため転売を禁止すること。不要になった場合捨てて処分するか人にただであげるように」と記載されている。 掲載されたのは以下のものである。 * 新作 * 過去作品の続編 * 過去作品の番外編 * 過去作品の小説化 * 単行本化されていない作品の収録 * ゲストによる二次創作原案を高口里純が漫画化した作品 * ゲストによる二次創作小説に高口里純が挿絵を付けた作品 * 「かちとみさする」名義で発表された二次創作物の再録 以下に、単行本未収録の作品を述べる。 ; 28階に湧くシルクの水[電子書籍化] : 『少年濡れやすく、恋成りがたし』のスピンオフ作品。翼郎と水人を主役に描かれる。「少年濡れやすく、恋成りがたし(神戸編)」の続編でもある。第一部完結。第二部完結。中断。 ; マリッツ将軍の特別休暇(小説)[電子書籍化] : 『美しい男』のスピンオフ作品。マリッツ・デュナンのエピソード。 ; カリスマ(小説)[電子書籍化] : 『美しい男』の物語を補完するエピソード。コミックス第6巻でのM2とラモンとのストーリー。 ; 恋に至る病(小説) : 『美しい男』の物語を補完するエピソード。コミックス第5巻でのクラウドとステラスタとのストーリー。 ; 美しい男 -特別番外編- : 『美しい男』の続編。その後のM2とマリッツ・D・ジュニアが描かれる。1〜4話。短編。中断。 ;忠実な犬(小説) : 『ロイヤルドッグ -忠実な犬-』コミックス第2巻の小説化。 ; 忠実な犬 : 『ロイヤルドッグ -忠実な犬-』の続編。中断。 ; PINK -スイッチ- [電子書籍化] : 『PINK』の続編。短編。2編。 ; 叫んでやるぜ! -ワードローブ- [電子書籍化] : 『叫んでやるぜ!』の続編。信乃と天竜とのストーリー。短編。角川ルビー文庫『叫んでやるぜ!』にも収録。 ; 叫んでやるぜ! -メリット- [電子書籍化] : 『叫んでやるぜ!』の続編。信乃と天竜とのストーリー。短編。 ; 叫んでやるぜ! -訪問者- [電子書籍化] : 『叫んでやるぜ!』の続編。南夏也と映日とのストーリー。短編。 ; 十人の略奪された花婿(小説) : Web連載小説。第一部完結。第二部未完結。 === 二次創作同人誌 === かちとみさする<ref>[http://higuma.whitesnow.jp/do/db.cgi?keys6=%82%B2%82%DF%82%F1%82%CB%8F%A4%89%EF コミック同人誌データベース]</ref>名義。[[小林智美]]、ほたか乱、[[雁須磨子]]、[[かわかみじゅんこ]]、[[山田ユギ]]、[[浅田寅ヲ]]、[[菅野彰]]、などと共同執筆。 * [[花のあすか組!]] - 「あすか組-Z- リバーシブル・ヴァージョン」(1990年12月)登場人物の性別を逆転させた漫画。 * [[銀河英雄伝説]] * [[頭文字D]] 他。 == メディア化作品 == * '''伯爵と呼ばれた男''' ** イメージアルバム (1986年7月21日発売) *** 作曲:[[羽田健太郎]] *** 歌手:[[阪口あや]]、澄淳子、清水三恵子 * '''花のあすか組!''' ** [[花のあすか組!#テレビドラマ|テレビドラマ]] (1988年4月11日 - 同年9月26日) ** [[花のあすか組!#映画|実写映画]] (1988年8月13日 - ) ** [[花のあすか組!#OVA1|OVA1]] 「新歌舞伎町ストーリー 花のあすか組!」 (1987年6月10日発売) ** [[花のあすか組!#OVA2|OVA2]] 「花のあすか組! 2 ロンリーキャッツ・バトルロイヤル」 (1990年3月23日発売) ** [[花のあすか組!#ビジュアルサウンドシリーズ|ビジュアル・サウンド・シリーズ]] (1987年6月発売) ** [[花のあすか組!#ドラマCD1|ドラマCD1]] (1991年10月23日発売) ** [[花のあすか組!#ドラマCD2|ドラマCD2]] (1992年4月23日発売) ** [[花のあすか組!#ドラマCD外伝|ドラマCD外伝]] (1997年3月20日発売) * '''ロンタイBABY''' ** [[ロンタイBABY#映画|実写映画]] (1997年1月3日 - ) * '''汚い奴''' ** [[汚い奴#映画|実写映画]] (1995年8月12日 - ) * '''幸運男子 -ラッキーくん-''' ** [[幸運男子 -ラッキーくん-#ドラマCD|ドラマCD]] (1996年6月26日発売) * '''少年濡れやすく恋成りがたし''' ** [[少年濡れやすく恋成りがたし#イメージビデオ|実写イメージビデオ]] (1995年8月1日発売) ** [[少年濡れやすく恋成りがたし#ドラマCD1|ドラマCD1]] (1995年4月21日発売) ** [[少年濡れやすく恋成りがたし#ドラマCD2|ドラマCD2]] (1996年3月30日発売) * '''[[イノセント・サイズ#ドラマCD|イノセント・サイズ]]''' ** ドラマCD1 (1994年4月1日発売)  ** ドラマCD2 (1996年2月21日発売) * '''[[叫んでやるぜ!#ドラマCD|叫んでやるぜ!]]''' ** ドラマCD1 (1996年4月20日発売) ** ドラマCD2 (1997年7月19日発売) ** ドラマCD3 (2000年発売) ** ドラマCD4 (2000年発売) * '''勝負は時の…運だろ?''' ** [[勝負は時の…運だろ?#ドラマCD|ドラマCD]] (1996年6月26日発売) * '''美しい男''' ** [[美しい男#ドラマCD|ドラマCD]] (1997年6月25日発売) * '''きみには勝てない!''' ** [[きみには勝てない!#ドラマCD|ドラマCD]] (2004年7月23日発売) * '''新・花のあすか組!''' ** [[新・花のあすか組!#劇場版「花のあすか組 NEO!」|実写映画]] 劇場版「花のあすか組 NEO!」(2009年4月25日 - ) == アシスタント == * [[加倉井ミサイル]]<ref name="ex03">文庫版『傷つかないと(Night) 』高口里純に聞く(1999年)より。</ref> * 架月弥<ref name="ex03">文庫版『傷つかないと(Night) 』高口里純に聞く(1999年)より。</ref> * [[雁須磨子]]<ref name="ex04">文庫版『傷つかないと(Night) 』高口里純に聞く(1999年)より。『美しい男』6巻(2000年)スタッフクレジットに記載。</ref> * [[かわかみじゅんこ]]<ref name="ex03">文庫版『傷つかないと(Night) 』高口里純に聞く(1999年)より。</ref> * 霧ヶ峰梨沙<ref name="ex03">文庫版『傷つかないと(Night) 』高口里純に聞く(1999年)より。</ref> * 捨井タスコ * [[千里唱子]]<ref name="ex03">文庫版『傷つかないと(Night) 』高口里純に聞く(1999年)より。</ref> * 茶花ぽこ * 藤崎一也<ref name="ex03">文庫版『傷つかないと(Night) 』高口里純に聞く(1999年)より。</ref> * [[森真理]] * [[山田ユギ]]<ref name="ex04">文庫版『傷つかないと(Night) 』高口里純に聞く(1999年)より。『美しい男』6巻(2000年)スタッフクレジットに記載。</ref> * 近隣の学校から職場体験に来た学生<ref name="ex02">『虹色仮面』7巻(2001年)あとがき。イラストを寄稿。</ref> * 文星芸術大学マンガ専攻の一部の学生<ref>『世の中は僕らに甘い』7巻(2008年)あとがき。イラストを寄稿。</ref> * しだらちより(高口里純の娘)<ref>『グランマの憂鬱』5巻(2019年)あとがき「高口組でアシスタントのバイト中」。</ref> == その他 == * [[藤本由香里]] 『少女まんが魂 現在を映す少女まんが完全ガイド&インタビュー集』 白泉社 2000年12月 ** 少女マンガ評論家・藤本由香里によるインタビューを掲載 * 中野渡淳一 『漫画家誕生 169人の漫画道』 [[新潮社]] 2006年3月 ** インタビューを掲載 * 大井夏代 『あこがれの、少女まんが家に会いにいく。』 けやき出版 2014年3月 ** インタビューを掲載 * [[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]] [[趣味百科]]『少女コミックを描く』 第9回(1991年5月28日) 講師・[[里中満智子]] ** アトリエ訪問 * [[日本放送協会|NHK]] 「[[あの歌がきこえる]]」 (2006年10月18日放送分) * [[NHK衛星第2テレビジョン|NHKBS2]] 「[[マンガノゲンバ]]」 (2007年7月31日放送分) ** 作者ノゲンバ「新・花のあすか組!」 * 「[[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]]」2014年6月号 『[[相棒]]』特集(メディアファクトリー)<ref>[https://natalie.mu/comic/news/116182 コミックナタリー 2014年5月8日 東村アキコ、細野不二彦ら16名が「相棒」の右京を描く]</ref> ** 杉下右京をイラスト化 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == {{外部リンクの注意|section=1}} * [https://www.takaguchi.net/ 高口里純公式サイト サロンバタイユ] * {{Twitter|takaguchinet}} * {{instagram|takaguchijay|高口里純}} * {{マンガ図書館Z作家|175}} * {{Mediaarts-db|id=C55458|name=高口里純}} {{高口里純}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:たかくち さとすみ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本の漫画原作者]] [[Category:女性の漫画原作者]] [[Category:新聞連載の漫画家]] [[Category:やおい漫画家]] [[Category:やおい小説家]] [[Category:日本の女性作詞家]] [[Category:日本の女性イラストレーター]] [[Category:同人作家]] [[Category:文星芸術大学の教員]] [[Category:日本のマンガ・アニメ教育者]] [[Category:栃木県出身の人物]] [[Category:1957年生]] [[Category:存命人物]]
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高瀬由香
高瀬 由香(たかせ ゆか、1960年9月26日 - )は、日本の漫画家。兵庫県神戸市出身。 1979年、小学館の少女漫画誌『別冊少女コミック』8月号にて「ふたりぼっちのサイレントナイト」でデビュー。以降、同誌や『ちゃお』、女性向け漫画誌『プチコミック』、『Judy』(いずれも小学館より刊行)などで活動。2005年頃より秋田書店の女性向け雑誌などでも執筆活動を展開。2009年12月現在、同社のレディースコミック誌『Eleganceイブ』などで作品を発表している。 (出版社の記載がない作品の単行本は小学館発行)
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高瀬 由香は、日本の漫画家。兵庫県神戸市出身。
{{Infobox 漫画家 |名前 = 高瀬 由香(たかせ ゆか) |画像 = |画像サイズ = |脚注 = |本名 = |生年 = {{生年月日と年齢|1960|9|26}} |生地 = {{JPN}}[[兵庫県]][[神戸市]] |没年 = |没地 = |血液型 = O型 |国籍 = [[日本]] |職業 = [[漫画家]] |活動期間 = [[1979年]] - |ジャンル = [[少女漫画]]・[[レディースコミック]] |代表作 = 『DokiDoki』<br>『I LOVE YOU』<br>『エンジェル』 |受賞 = |サイン = |公式サイト = }} '''高瀬 由香'''(たかせ ゆか、[[1960年]]<ref>『プリンセス待夢』初版単行本カバーの作家略歴</ref>[[9月26日]]<ref name="aa">[http://www.petitcomic.com/comics/auther_ta01.html プチコミックス作家データ]高瀬由香</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[兵庫県]][[神戸市]]出身<ref name="aa" />。 == 来歴 == [[1979年]]、[[小学館]]の[[少女漫画]]誌『[[ベツコミ|別冊少女コミック]]』8月号にて「ふたりぼっちのサイレントナイト」でデビュー。以降、同誌や『[[ちゃお]]』、女性向け漫画誌『[[プチコミック]]』、『[[Judy]]』(いずれも小学館より刊行)などで活動。[[2005年]]頃より[[秋田書店]]の女性向け雑誌などでも執筆活動を展開。[[2009年]]12月現在、同社の[[レディースコミック]]誌『[[Eleganceイブ]]』などで作品を発表している。 == 作品リスト == (出版社の記載がない作品の単行本は[[小学館]]発行) * 浪漫ちっくパラダイス ISBN 978-4-09-131611-0(1984年7月)- 短編集。高瀬にとって初の単行本。 * ロマンチックを抱きしめて ISBN 978-4-09-131612-7(1984年12月) * 夢咲きロマンス ISBN 978-4-09-131613-4(1985年9月) * ラストロマンス 全2巻 # ISBN 978-4-09-132211-1(1986年2月) # ISBN 978-4-09-132212-8(1986年6月) * プリンセス待夢 全2巻 # ISBN 978-4-09-132461-0(1986年12月) # ISBN 978-4-09-132462-7(1987年2月) * エンジェル 全6巻 # ISBN 978-4-09-132671-3(1987年7月) # ISBN 978-4-09-132672-0(1988年2月) # ISBN 978-4-09-132673-7(1988年6月) # ISBN 978-4-09-132674-4(1988年12月) # ISBN 978-4-09-132676-8(1989年3月) # ISBN 978-4-09-132675-1(1989年5月) * 彼の瞳に彼女の涙 ISBN 978-4-09-131614-1(1987年10月) * MEMORY ISBN 978-4-09-131615-8(1988年10月) * SCHOOL 全3巻 -2004年に新装版として全1巻発行 # ISBN 978-4-09-133351-3(1990年1月) # ISBN 978-4-09-133352-0(1990年5月) # ISBN 978-4-09-133353-7(1990年8月) * DOKI・DOKI 全10巻 # ISBN 978-4-09-133601-9(1991年2月) # ISBN 978-4-09-133602-6(1991年9月) # ISBN 978-4-09-133603-3(1992年1月) # ISBN 978-4-09-133604-0(1992年5月) # ISBN 978-4-09-133605-7(1992年9月) # ISBN 978-4-09-133606-4(1993年2月) # ISBN 978-4-09-133607-1(1993年7月) # ISBN 978-4-09-133608-8(1993年12月) # ISBN 978-4-09-133609-5(1994年4月) # ISBN 978-4-09-133610-1(1994年7月) * 15の夏がゆく ISBN 978-4-09-131616-5(1993年10月) * I LOVE YOU 全6巻 # ISBN 978-4-09-136301-5(1995年1月) # ISBN 978-4-09-136302-2(1995年7月) # ISBN 978-4-09-136303-9(1996年2月) # ISBN 978-4-09-136304-6(1996年7月) # ISBN 978-4-09-136305-3(1996年10月) # ISBN 978-4-09-136306-0(1997年3月) * V-笑顔のために- ISBN 978-4-09-136307-7(1997年8月) * そんな愛のある場所 ISBN 978-4-09-137761-6(1999年3月) * あの夏の永遠 ISBN 978-4-09-137762-3(1999年11月) * if-輝きの翼で- ISBN 978-4-09-169151-4(2000年2月) * MAX純情系 全2巻 # ISBN 978-4-09-137764-7(2000年10月) # ISBN 978-4-09-137765-4(2001年12月) * 愛は舞い降りた ISBN 978-4-09-169152-1(2002年11月) * ふたりがいいね ISBN 978-4-7780-1031-7(2004年2月) * 桜の木の下で 全3巻 # ISBN 978-4-09-130156-7(2005年4月) # ISBN 978-4-09-130209-0(2005年7月) # ISBN 978-4-09-130210-6(2005年8月) * OVER HEAT ISBN 978-4-7780-1032-4(2005年4月) * 風のゆくさき ISBN 978-4-7780-1033-1(2005年8月) * 彼の鼓動が聞こえる(秋田書店)ISBN 978-4-253-15858-9(2006年4月) * ママにお願い!(秋田書店)ISBN 978-4-253-12149-1(2007年4月) * 咲かない桜 ISBN 978-4-7780-1049-2(2007年6月) * 空への約束 ISBN 978-4-7780-1071-3(2008年3月) * 赤い雪が降る-罪と懺悔- ISBN 978-4-7780-1097-3(2009年2月) * そこにはちゃんと愛がある(秋田書店)ISBN 978-4-253-15859-6(2009年7月) == イラスト作品 == * 高瀬由香 ポストカードブック(小学館)(1993年12月)-カラーイラスト集 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:たかせ ゆか}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:神戸市出身の人物]] [[Category:1960年生]] [[Category:存命人物]]
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高田裕三
高田 裕三(たかだ ゆうぞう、1963年3月21日 - )は、日本の漫画家。東京都江戸川区出身。明治大学付属明治高等学校卒業、明治大学文学部日本文学専攻中退。本名:高田裕次。代表作は、『3×3 EYES』や『万能文化猫娘』、『碧奇魂ブルーシード』など。 『3×3 EYES』で1993年度 第17回 講談社漫画賞受賞。 漫画家を志した高校時代は少女漫画を描いていたが、当時はまだ少女漫画は絵柄等の自由度が低く、そのことから作者の描く絵は少女漫画には向いていないと持ち込みの段階で編集部から拒絶され少年漫画などへと転向した。大学では明治大学漫画研究会に所属、4年留年し中退。当時は片山まさゆき、細野不二彦、五十嵐浩一のアシスタントをしていた。 本人の弁によると病弱であり、インスリン欠乏症(1型糖尿病)の持病を抱えているという。
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高田 裕三は、日本の漫画家。東京都江戸川区出身。明治大学付属明治高等学校卒業、明治大学文学部日本文学専攻中退。本名:高田裕次。代表作は、『3×3 EYES』や『万能文化猫娘』、『碧奇魂ブルーシード』など。 『3×3 EYES』で1993年度 第17回 講談社漫画賞受賞。
{{Otheruses|[[漫画家]]|初期に高田裕三の芸名で活動していた[[タレント]]|グッチ裕三}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 高田裕三 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生年 = {{生年月日と年齢|1963|3|21}} | 生地 = {{JPN}}・[[東京都]][[江戸川区]] | 没年 = | 没地 = | 国籍 = {{JPN}} | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = 1983年 - | ジャンル = | 代表作 = 『[[3×3 EYES]]』<br>『[[万能文化猫娘]]』<br>『[[BLUE SEED|碧奇魂ブルーシード]]』 | 受賞 = | サイン = | 公式サイト = }} '''高田 裕三'''(たかだ ゆうぞう、[[1963年]][[3月21日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[東京都]][[江戸川区]]出身。[[明治大学付属明治中学校・高等学校|明治大学付属明治高等学校]]卒業、[[明治大学]]文学部日本文学専攻中退。本名:'''高田裕次'''。代表作は、『[[3×3 EYES]]』や『[[万能文化猫娘]]』、『[[BLUE SEED|碧奇魂ブルーシード]]』など。 『3×3 EYES』で[[1993年]]度 第17回 [[講談社漫画賞]]受賞。 == 経歴・人物 == 漫画家を志した高校時代は[[少女漫画]]を描いていたが、当時はまだ少女漫画は絵柄等の自由度が低く、そのことから作者の描く絵は少女漫画には向いていないと持ち込みの段階で編集部から拒絶され少年漫画などへと転向した<ref>後に、わずかではあるが『[[りぼん]]』で少女漫画を発表したこともある。</ref>。大学では明治大学漫画研究会に所属、4年留年し中退。当時は[[片山まさゆき]]、[[細野不二彦]]、[[五十嵐浩一]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]をしていた。 本人の弁によると病弱であり<ref>『3×3 EYES』13巻掲載「あとがきのようなもの」。</ref>、[[インスリン欠乏症]]([[糖尿病#1型糖尿病|1型糖尿病]])の持病を抱えている<ref>『3×3 EYES』19巻掲載「あとがきのようなもの<!-- 原文ママ -->」。病名の表記は「インシュリン欠乏症」となっている。</ref>という。 == エピソード == * 高校生の頃、[[コミックマーケット]]の警備スタッフをしていた経験がある。 * 非常時の補充などに不便が生じる恐れがあることから、特殊な画材は極力用いないという。『[[コミッカーズ]]』誌上でカラー原稿の彩色に安価な普及品の[[水彩|水彩絵具]]を愛用していることが紹介され、その理由を「どんな店でも大抵手に入るから」と述べている。 == 作品リスト == * 合縁奇縁 高田裕三画集 * 生物まんが細胞・遺伝 * 常夏バンク - 全2巻 * スポーションKIDS - 全2巻 * 旗持偏屈男 - 全3巻 * 毎日が日曜日 - 全2巻 少女時代に、交通事故から救ってくれた手品師を一途に思う婦警が主人公。 * [[万能文化猫娘]] - 全1巻 ** 新・万能文化猫娘 - 全1巻 * [[トリツキくん]] - 全1巻 * [[BLUE SEED|碧奇魂ブルーシード]] - 全2巻 * [[3×3 EYES]] - 全40巻、新装版全4巻、文庫版全24巻 ** 3×3 EYES 幻獣の森の遭難者 - 全4巻 ** 3×3 EYES 鬼籍の闇の契約者 - 全8巻 * [[幻蔵人形鬼話]] - 全5巻 * ゴリ押し成就ドラマジ!? - 全2巻 * ブッキングライフ - 全2巻 臓器移植コーディネーターがテーマ * [[九十九眠るしずめ]] - 全3巻 ** 九十九眠るしずめ 明治17年編 -全4巻 * [[リトル・ジャンパー]] - 全7巻 * [[ウルトラマン THE FIRST]] - 全3巻 * [[CAPTAINアリス]] - 全10巻 * 鸞鳳 - 既刊2巻<!--全3巻?--> * 無号のシュネルギア - 既刊6巻 * [[転生したらスライムだった件|転生したらスライムだった件 番外編 とある休暇の過ごし方]](原作:[[伏瀬]]、キャラクター原案:みっつばー、『月刊少年シリウス』2023年9月号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/534332|title=伏瀬書き下ろし番外編を高田裕三がコミカライズ、「転スラ」最強トリオの夏休み|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-07-26|accessdate=2023-07-26}}</ref> - ) == アニメ化作品 == * 3×3 EYES * 毎日が日曜日 - ヒロインを[[伊藤美紀 (声優)|伊藤美紀]]が演じている。その他3作品は全て[[林原めぐみ]]。 * BLUE SEED * 万能文化猫娘 == その他 == * [[SDガンダム]] - [[コンパクトディスク|CD]][[ジャケット]]イラスト * [[デビルマン]] - CDジャケットイラスト * [[ジャストブリード]] - キャラクターデザイン * [[椎名恵]]『いつか空に届いて』 - [[機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争]]主題歌 CDジャケットイラスト * [[林原めぐみ]]ベストアルバム『[[VINTAGE S]]』ジャケットイラスト * まんが家になろう! (ワンダーランドスタディブックス) - 漫画、インタビュー == 脚注・参考文献 == {{Reflist}} == 外部リンク == * {{YouTube|channel=UCrf67LIwG6M_l3JUQ3_YUfg}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{デフォルトソート:たかた ゆうそう}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:明治大学付属明治高等学校出身の人物]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:1963年生]] [[Category:存命人物]]
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高橋幸二
高橋幸二(たかはし こうじ)
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高橋幸二 漫画家。高橋幸慈を参照。 高橋幸二 (野球)
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高橋千鶴
高橋 千鶴(たかはし ちづる、3月18日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。大阪府出身。 1975年、講談社の少女漫画誌『なかよし』にて「ルーディの誕生日」でデビュー。以降『なかよし』を中心に少女誌にて執筆活動をしていた。また、1985年頃よりレディース誌にも執筆の場を広げ、同社の『mimi』、秋田書店の『COLLET』、株式会社スコラの女性向け雑誌などでも作品を発表していた。 少女誌に連載していた作品では、中高生の女の子を主人公として、クラブ活動や恋愛、家族をテーマとし、逆境を跳ね返していく姿などを描いた作品が多い。 1980年に『なかよし』で連載した『コクリコ坂から』(原作・佐山哲郎)は、2011年にスタジオジブリによってアニメ映画化された。 (特に出版社の記載がなければ講談社発行)
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高橋 千鶴は、日本の漫画家、イラストレーター。大阪府出身。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 高橋 千鶴 | ふりがな = たかはし ちづる | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生年 = {{生年月日と年齢||3|18}} | 生地 = [[日本]]・[[大阪府]] | 没年 = | 没地 = | 国籍 = <!-- [[日本]] 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 職業 = [[漫画家]]、[[イラストレーター]] | 活動期間 = [[1975年]] - | ジャンル = [[少女漫画]] | 代表作 = <!-- 「代表作を挙げた出典」に基づき記載 --> | 受賞 = | サイン = | 公式サイト = }} '''高橋 千鶴'''(たかはし ちづる、[[3月18日]]<ref name="aa">日外アソシエーツ発行『漫画家人名事典』(2003年2月)ISBN 9784816917608、P222</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[イラストレーター]]。[[大阪府]]出身<ref name="aa" />。 == 来歴 == [[1975年]]、[[講談社]]の[[少女漫画]]誌『[[なかよし]]』にて「ルーディの誕生日」でデビュー<ref name="aa" />。以降『なかよし』を中心に少女誌にて執筆活動をしていた。また、[[1985年]]頃より[[ファッション雑誌|レディース誌]]にも執筆の場を広げ、同社の『[[mimi (雑誌)|mimi]]』、[[秋田書店]]の『COLLET』、株式会社[[スコラ]]の女性向け雑誌などでも作品を発表していた。 {{独自研究範囲|date=2023-11-14|少女誌に連載していた作品では、中高生の女の子を主人公として、クラブ活動や恋愛、家族をテーマとし、逆境を跳ね返していく姿などを描いた作品が多い。}} [[1980年]]に『なかよし』で連載した『[[コクリコ坂から]]』(原作・[[佐山哲郎]])は、[[2011年]]に[[スタジオジブリ]]によってアニメ映画化された。 == 作品リスト == === 単行本リスト === (特に出版社の記載がなければ講談社発行) <!--初版発行日順--> * プルルンコーヒーゼリー ISBN 4-06-108273-6(1977年5月4日第1刷発行)※短編集 ** プルルンコーヒーゼリー(『なかよし』1977年4月号) ** 白いレースのカトリーヌ(『なかよし』1976年9月号掲載) ** かあるくハートにタッチして(『なかよし』1976年12月号掲載) ** ピンクの羽の妖精(『なかよし』1977年1月号掲載) ** 赤っ毛人形いかがかな(『なかよし』1976年11月増刊号掲載) ** 片思いはサフラン色(『なかよし』1977年2月増刊号掲載) * [[翼ちゃんのト音記号]] ISBN 9784061082861(1977年11月)※短編集 * [[GOOD MORNING メグ]] ISBN 9784061082915(1978年1月) *: 1998年10月に講談社より新装版発行 ISBN 9784063339802 ** [[LET'S SMILE メグ]] ISBN 9784061083486(1980年2月) **: 1998年10月に講談社より新装版発行 ISBN 9784063339819 * [[小夜子より…星便り]] ISBN 9784061083301(1979年6月)※短編集 原作:[[佐山哲郎]] * [[しあわせ半分こ]] ISBN 9784061083578(1980年6月) * [[コクリコ坂から]] 全2巻 原作:佐山哲郎 *# ISBN 9784061083639(1980年9月) *# ISBN 9784061083691(1980年12月) *: 2010年7月に[[角川書店]]より新装版発行 ISBN 978-4-04-854514-3 * [[ミルキー☆レディ]] 全2巻 *# ISBN 9784061083844(1981年7月) *# ISBN 9784061084117(1982年6月) * [[きゃらめるフィーリング]] ISBN 9784061084018(1982年2月) * さくらんぼデュエット ISBN 9784061084377(1983年5月) * アリスにきっす ISBN 9784061700765(1985年2月) * わくわくファンタジア ISBN 9784061701083(1985年12月) * [[マリエ背番号16]] 全3巻 原作:[[神崎あおい]] *# ISBN 9784061785250(1986年2月) *# ISBN 9784061785427(1986年7月) *# ISBN 9784061785601(1987年2月) * 16歳のラストスパート([[小学館]])全2巻 原作:[[矢島正雄]] *# ISBN 9784091323514(1986年8月) *# ISBN 9784091323521(1986年11月) * [[王子さまーっ]] ISBN 9784061785519(1986年10月) * 丸の内コットンクラブ 全2巻 原作:[[内館牧子]] *# ISBN 9784061701502(1987年2月) *# ISBN 9784061701571(1987年5月) * [[ピンクのイレブン]] 全2巻 原作:神崎あおい *# ISBN 9784061785816(1987年8月) *# ISBN 9784061785939(1987年12月) * ライオンは泣かない ISBN 9784061702226(1989年1月)原作:内館牧子 * ピンクのくじら ISBN 9784061702479(1989年7月)原作:内館牧子 * トマト・フレーバー ISBN 9784063131642(1990年8月)原作:[[倉橋燿子]] * [[三姉妹探偵団]] ISBN 9784061762466(1990年2月)原作:[[赤川次郎]] * 時の流れに泣かされて ISBN 9784061703377(1991年8月)原作:内館牧子 * 戀むらさき〜[[与謝野晶子]]物語〜 全3巻 原作:倉橋燿子 *# ISBN 9784063132557(1991年10月) *# ISBN 9784063132779(1992年2月) *# ISBN 9784063193015(1992年7月) * 暗闇の彼方(スコラ)ISBN 9784796286244(1992年10月) * やさしさに包まれて ISBN 9784063274172(1993年5月) * 若葉白書 ISBN 9784063274660(1994年11月) * 病院へ行こう(スコラ)ISBN 9784796287159(1995年11月) * ママは元総長(秋田書店)全6巻 *# ISBN 9784253161145(1996年2月) *# ISBN 9784253161152(1996年11月) *# ISBN 9784253161602(1997年11月) *# ISBN 9784253161619(1998年12月) *# ISBN 9784253161626(2000年2月) *# ISBN 9784253162258(2001年1月) === イラスト等担当作品 === ;神崎あおい作品([[講談社X文庫ティーンズハート]]) * CATCH ME!!幽霊くん(1987年10月) * ヨコハマ指輪物語 全17巻(1988年4月‐1994年10月) * 8月5日ときめき座(1988年7月) ** 11月8日きらめき座(1989年11月) * 青の迷宮<small>(ラビリンス)</small>(1988年9月) ** 夢色の迷宮<small>(ラビリンス)</small>(1989年4月) * 抱きしめて!!スターライト(1988年11月) ** ささやいて!!ホラーナイト(1989年9月) ** 追いかけて!!ロックスター(1992年3月) * 恋のシアターへようこそ! 全2巻(1991年4月・9月) * いつだって今が始まり(1992年6月) ;その他 * 亜衣六年生きみが好き ゆめが好き([[ポプラ社文庫]])ISBN 4-591-03475-5(1990年2月)著者:[[弥生まゆ]] ** さつき五年生 好きって言いたい(ポプラ社文庫)ISBN 4-591-03146-2(1990年9月)著者:弥生まゆ * 恐竜の国のアリス (講談社X文庫ティーンズハート) (1988年6月)著者:[[中原涼]] * 銀のエチュード 全3巻 ([[角川ルビー文庫]]) (1994年8月‐1995年4月)著者:[[桐原佐和子]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:たかはし ちつる}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:大阪府出身の人物]] [[Category:生年未記載]] [[Category:存命人物]]
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髙橋ツトム
髙橋 ツトム(たかはし ツトム、男性、1965年9月20日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。既婚。 1989年、『モーニング』(講談社)に掲載された『地雷震』の読み切りでデビュー。『月刊アフタヌーン』(同)、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)などで活動。代表作に『地雷震』『スカイハイ』『爆音列島』『SIDOOH/士道』など。 学生時代はパンクバンドを組んで音楽、並行して暴走族「ZERO」、それぞれで活動し、高校を1学年で中退する。一時は就職するも、交際する女性に振られてバンド活動を再開するとメンバーと意向が一致せず、「ひとりでできるものは何か」と考え、小学生の時に『ドカベン』の岩鬼正美を模写して他人から褒められたことを思い出して漫画を描き始める。漫画は8年ほど読んでいなかった。 講談社『モーニング』に掲載されていたかわぐちかいじ『アクター』に感銘をうけ、初めて描いた作品『GOTAVOICE』(アフタヌーン四季賞CHRONICLE掲載)を講談社に持ち込む。自信がある作品だが編集者から酷評を受けて「捨ててください」と原稿を置き去るも、1987年にアフタヌーン四季賞で準入選し、担当編集者の口添えでかわぐちのアシスタントとなる。1989年に読み切り『地雷震』が『モーニング』に掲載されて漫画家として活動を始める。『地雷震』は1992年から『月刊アフタヌーン』で8年間連載する。 2000年に連載を始めた『鉄腕ガール』を経て、2001年から『週刊ヤングジャンプ』で『スカイハイ』シリーズの連載を始めると、北村龍平監督、釈由美子主演でテレビドラマと映画が製作された。ほかに中編『ALIVE』、短編『69』は『LOVEDEATH』として、北村龍平が実写映画を製作した。原作を基にした映画は好まないが、北村と意気投合して映像化を承諾した。2004年に高橋自身がオリジナル映画『苺の破片』を中原俊と共同で監督した。 ギャグ漫画家のおおひなたごうと親交があり、バンドを組んで活動するほか、1998年に高橋が原作を書きおおひなたが作画した、読み切り『天使のわけまえ』を『COMIC CUE』(イーストプレス)に掲載した。
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髙橋 ツトムは、日本の漫画家。東京都出身。既婚。 1989年、『モーニング』(講談社)に掲載された『地雷震』の読み切りでデビュー。『月刊アフタヌーン』(同)、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)などで活動。代表作に『地雷震』『スカイハイ』『爆音列島』『SIDOOH/士道』など。
{{特殊文字|説明=[[Microsoftコードページ932]]([[はしご高]])}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 髙橋ツトム | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生年 = {{生年月日と年齢|1965|9|20}} | 生地 = | 没年 = | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1989年]] - | ジャンル = [[青年漫画]] | 代表作 = 『[[地雷震]]』<br />『[[スカイハイ (漫画)|スカイハイ]]』<br />『[[SIDOOH/士道]]』{{R|natalie1947}} }} '''髙橋 ツトム'''(たかはし ツトム、[[男性]]、[[1965年]][[9月20日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[東京都]]出身。既婚。 [[1989年]]、『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』([[講談社]])に掲載された『[[地雷震]]』の読み切りでデビュー<ref name="natalie1947">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/artist/1947|title=高橋ツトム|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|accessdate=2021-10-20}}</ref>。『[[月刊アフタヌーン]]』(同)、『[[週刊ヤングジャンプ]]』([[集英社]])などで活動。代表作に『[[地雷震]]』『[[スカイハイ (漫画)|スカイハイ]]』『[[爆音列島]]』『[[SIDOOH/士道]]』など。 == 来歴 == 学生時代は[[パンク・ロック|パンク]][[バンド (音楽)|バンド]]を組んで音楽、並行して[[暴走族]]「ZERO」、それぞれで活動し、高校を1学年で[[退学#中途退学と満期退学|中退]]する。一時は就職するも、交際する女性に振られてバンド活動を再開するとメンバーと意向が一致せず、「ひとりでできるものは何か」と考え、小学生の時に『[[ドカベン]]』の[[岩鬼正美]]を[[模写]]して他人から褒められたことを思い出して漫画を描き始める。漫画は8年ほど読んでいなかった。 [[講談社]]『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』に掲載されていた[[かわぐちかいじ]]『[[アクター (漫画)|アクター]]』に感銘をうけ、初めて描いた作品『GOTAVOICE』([[アフタヌーン四季賞CHRONICLE]]掲載)を講談社に持ち込む。自信がある作品だが編集者から酷評を受けて「捨ててください」と原稿を置き去るも、1987年に[[アフタヌーン四季賞]]で準入選し、担当編集者の口添えでかわぐちのアシスタントとなる。[[1989年]]に読み切り『[[地雷震]]』が『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』に掲載されて漫画家として活動を始める{{R|natalie1947}}。『地雷震』は1992年から『[[月刊アフタヌーン]]』で8年間連載する{{R|natalie1947}}。 2000年に連載を始めた『鉄腕ガール』を経て、2001年から『[[週刊ヤングジャンプ]]』で『[[スカイハイ (漫画)|スカイハイ]]』シリーズの連載を始めると、[[北村龍平]]監督、[[釈由美子]]主演でテレビドラマと映画が製作された。ほかに中編『ALIVE』、短編『69』は『LOVEDEATH』として、北村龍平が実写映画を製作した。原作を基にした映画は好まないが、北村と意気投合して映像化を承諾した。2004年に高橋自身がオリジナル映画『苺の破片』を[[中原俊]]と共同で監督した。 [[ギャグ漫画|ギャグ漫画家]]の[[おおひなたごう]]と親交があり、バンドを組んで活動するほか、1998年に高橋が原作を書きおおひなたが作画した、読み切り『天使のわけまえ』を『[[COMIC CUE]]』([[イーストプレス]])に掲載した。 == 作風 == * アシスタントは使わない。 * 筆記具には[[筆ペン]](太い線やベタ)と[[ボールペン]](細い線や効果)を使用。 * 作業時間短縮のためにデジタルを使用(元原稿と効果用レイヤーをデジタル化、加工を施した後、それらを重ねて紙に出力する)。 * 下書きも仕上げも速い。カスレや飛び散りなどのライブ感、偶然性を大事にしている。 == 作品リスト == === 漫画作品 === * [[地雷震]](1992年 - 2000年、アフタヌーンKC全19巻/講談社漫画文庫全10巻/アフタヌーンコミックス新装版全10巻) ** 地雷震 Diablo(2008年 - 2011年、アフタヌーンKC全3巻)※『地雷震』の続編 * ALIVE (1999年、ヤングジャンプコミックス全1巻) * 鉄腕ガール (2000年 - 2002年、モーニングKC全9巻/講談社漫画文庫全5巻) * [[スカイハイ (漫画)|スカイハイ]](2001年 - 2002年、ヤングジャンプコミックス全2巻) ** スカイハイ・カルマ(2003年、ヤングジャンプコミックス全2巻) ** スカイハイ・新章(2003年 - 2004年、ヤングジャンプコミックス全4巻) ** スカイハイ4(フォア)(2005年 - 2010年、ヤングジャンプコミックス全1巻) ** スカイハイ・ヘヴン(2011年、『[[スーパージャンプ]]』に前後編掲載、2021年、『グランドジャンプ』22号<ref>{{Cite web|和書|url=http://grandjump.shueisha.co.jp/news/211020gj.html|title=グランドジャンプNo.22 大好評発売中!!本宮ひろ志『猛き黄金の国 二宮金次郎』新連載 表紙&巻頭カラー!高橋ツトム特別読切『スカイハイ ヘヴン』巻中カラー!|website=グランドジャンプ公式サイト|publisher=集英社|date=2021-10-20|accessdate=2021-10-20}}</ref>) ** [[天間荘の三姉妹-スカイハイ-]](2013年 - 2014年、ヤングジャンプコミックス全4巻) * [[Blue Heaven (漫画)|Blue Heaven]] (2002年 - 2003年、ヤングジャンプコミックス全3巻)※短編『69』収録 * [[爆音列島]](2002年 - 2012年、アフタヌーンKC全18巻) * [[SIDOOH/士道]](2005年 - 2010年、ヤングジャンプコミックス全25巻) ** 士道 サンライズ(2011年、ヤングジャンプコミックス全1巻) * ヒトヒトリフタリ(2011年 - 2013年、ヤングジャンプコミックス全8巻) * 二次元JUMPIN'(2014年 - 2015年、ヤングジャンプコミックス全3巻) * 残響(2015年 - 2016年、ビッグコミックススペシャル全3巻) * BLACK-BOX(2015年 - 2019年、アフタヌーンKC全6巻) * ムヨン -影無し-(2008年 - 、原作担当、漫画:金正賢、[[ケータイ★まんが王国]]連載中、GAコミックス既刊5巻) * 『[[週刊マンガ日本史|週刊新マンガ日本史]]』37号 [[高杉晋作]]([[朝日新聞出版]]) * 四季彩 高橋ツトム短編集(モーニングKC全1巻) * [[NeuN]](2017年 - 2020年、ヤングマガジンコミックス全6巻) * ヨリシロシ(2015年 - 、『[[ヤングマガジンサード]]』休載中) * JUMBO MAX ジャンボマックス(2020年 - 、ビッグコミックス、『[[ビッグコミック]]』、既刊9巻) * ギターショップ・ロージー(2018年、『ビッグコミック』(読み切り)、2020年 - 、『[[ビッグコミック増刊号]]』、既刊1巻) === イラスト === * 高橋ツトム画集『K』([[講談社]])、高橋ツトム画集『S』([[集英社]]) - 漫画家生活20周年の画集。講談社と集英社のコラボで同時発売された。 * D.O.A 地雷震(新田隆男著、[[講談社|講談社ノベルス]]) * 多重人格探偵サイコ―西園伸二の憂鬱([[大塚英志]]著、講談社ノベルス) * 多重人格探偵サイコ―雨宮一彦の帰還(大塚英志著、講談社ノベルス) * 多重人格探偵サイコ―小林洋介の最後の事件(大塚英志著、講談社ノベルス) * 修羅々([[梶研吾]]著、講談社X文庫) * [[トリガー (小説)|トリガー]]([[板倉俊之]]著 リトルモア) * [[戦神 -いくさがみ-|戦神-いくさがみ-]]([[PlayStation 2|PS2]]用ソフト)キャラクターデザイン == メディア出演 == * [[浦沢直樹の漫勉]] (2016年9月29日、[[NHK Eテレ]]) - 『残響』の製作過程を収録した画像を見ながら浦沢と対談した。(その後、浦沢は『JUMBO MAX』1巻の帯に登場した) * 国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙 (2019年12月28日、[[テレビ朝日]]) *[[伊集院光とらじおと]] (2020年12月1日、[[TBSラジオ]]) - ゲストコーナーで約30分話した。『JUMBO MAX』の主人公の風貌が伊集院に似ている、かつて伊集院が関わった架空アイドル「[[芳賀ゆい]]」のムーブメントを『地雷震』の話作りのヒントにした、など。(その後、伊集院は『JUMBO MAX』2巻の帯に写真入りで登場した) *[[川島・山内のマンガ沼]] (2021年8月13日、2021年8月20日、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])- その後、マンガ沼は『JUMBO MAX』3巻の帯の惹句に登場した。 == 関連人物 == === 師匠 === * [[かわぐちかいじ]] === アシスタント === * [[佐藤秀峰]] * [[宮野ともちか]] * [[弐瓶勉]] * [[真鍋昌平]] == 出典 == {{Reflist}} == 参考文献 == * マガジンファイブ『MHz』vol.3、2006年(インタビュー記事) == 外部リンク == * [http://tao-69.com/ 公式サイト] * {{twitter|tsutomu69}} *[https://manba.co.jp/manba_magazines/13805 「改造していると本質に気付かない」髙橋ツトムが語るマンガ論|川島・山内のマンガ沼web] - [https://manba.co.jp/ マンバ] {{Normdaten}} {{デフォルトソート:たかはし つとむ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1965年生]] [[Category:存命人物]]
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高橋陽子
高橋 陽子(たかはし ようこ)
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高橋 陽子 高橋陽子 (小説家) - 日本の小説家。 高橋陽子 (漫画家) - 日本の漫画家。⇒プロジェクト:漫画家/日本の漫画家 た行#高橋陽子 高橋陽子 (女優) - 日本の女優。 写真家・デザイナーのたかはしようこの本名(髙橋陽子)
'''高橋 陽子'''(たかはし ようこ) * [[高橋陽子 (小説家)]] - 日本の[[小説家]]。 * [[高橋陽子 (漫画家)]] - 日本の[[漫画家]]。⇒[[プロジェクト:漫画家/日本の漫画家 た行#高橋陽子]] * [[高橋陽子 (女優)]] - 日本の女優。 * 写真家・デザイナーの[[たかはしようこ]]の本名(髙橋陽子) == 関連項目 == === 同音異字の名前 === * [[高橋洋子 (曖昧さ回避)]] {{人名の曖昧さ回避|たかはし ようこ}}
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913
高橋よしひろ
高橋 よしひろ(たかはし よしひろ、1953年9月18日 - )は、日本の漫画家。秋田県雄勝郡東成瀬村出身。血液型はB型。初期のペンネームに高橋義弘、高宮じゅん、結城剛など。犬漫画の第一人者。 秋田県雄勝郡東成瀬村の自然に囲まれた田舎で生まれ育つ。川崎のぼるや石川球太の影響を受け、小学6年生の頃より漫画を描き始める。中学卒業後、愛知県の自動車工場に就職。その後、職を転々としながら漫画家を目指す。名古屋市の理容店で働いている時に店主に勧められ、漫画家として1971年に上京、本宮ひろ志のアシスタントとなる。この年、『週刊少年ジャンプ』第3回手塚賞に『下町弁慶』を応募するが落選。しかし、編集者の目にとまり、1972年『週刊少年ジャンプ』に同作が掲載されて漫画家デビュー。 1973年、再び手塚賞に応募し、佳作を受賞(第5回『おれのアルプス』、高橋義広名義)。同年、本宮の紹介で『別冊少年ジャンプ』(後の『月刊少年ジャンプ』)に『あばれ次郎』を連載開始(高宮じゅん名義、高橋の「高」と師匠・本宮の「宮」、妻の名前「じゅん」を合わせたペンネーム)。1976年より『週刊少年ジャンプ』に『悪たれ巨人』、『月刊少年ジャンプ』に『白い戦士ヤマト』を同時連載する。 1983年、『週刊少年ジャンプ』に代表作となる『銀牙 -流れ星 銀-』を連載開始。1987年、同作品で第32回(昭和61年度)小学館漫画賞受賞。『銀牙』はフィンランドなど北欧でも人気が高く、フィンランドにたびたび招待されサイン会を行っている。 2012年にデビュー40周年を記念した原画展が横手市増田まんが美術館で開催された。 2021年、前年に亡くなった漫画家矢口高雄の後継として、横手市増田まんが美術館の2代目名誉館長に就任した。 2019年5月3日「高橋よしひろ×宮下あきら 子弟の絆トーク&サイン会イベント」(横手市増田まんが美術館リニューアル記念イベント)
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高橋 よしひろは、日本の漫画家。秋田県雄勝郡東成瀬村出身。血液型はB型。初期のペンネームに高橋義弘、高宮じゅん、結城剛など。犬漫画の第一人者。
{{統合文字|牙}} {{Infobox 漫画家 |名前 = 高橋 よしひろ |画像 = Yoshihiro Takahashi.jpg |本名 = 高橋義廣(読み同じ) |生年 = {{生年月日と年齢|1953|9|18}} |生地 = {{JPN}}・[[秋田県]][[雄勝郡]][[東成瀬村]] |職業 = [[漫画家]] |活動期間 = [[1971年]] - |ジャンル = [[少年漫画]] |代表作 = 『[[白い戦士ヤマト]]』<br/>『[[銀牙 -流れ星 銀-]]』など |受賞 = [[1973年]]:第5回[[手塚賞]]佳作(『おれのアルプス』、高橋義広名義)<br/>[[1987年]]:第32回([[昭和]]61年度)[[小学館漫画賞]]受賞(『銀牙-流れ星銀-』) |公式サイト = [http://www.nihonbungeisha.co.jp/weed/index.html 銀牙伝説WEED FANオフィシャルページ] }} '''高橋 よしひろ'''(たかはし よしひろ、[[1953年]][[9月18日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[秋田県]][[雄勝郡]][[東成瀬村]]出身。[[ABO式血液型|血液型]]はB型。初期のペンネームに'''高橋義弘'''、'''高宮じゅん'''、'''結城剛'''など。[[イヌ|犬]]漫画の第一人者<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=「銀牙」シリーズの高橋よしひろが語る、犬マンガの原点と不変のテーマ |url=https://ddnavi.com/interview/923491/ |website=ダ・ヴィンチWeb |access-date=2022-08-28 |language=ja}}</ref>。 == 来歴 == [[秋田県]][[雄勝郡]][[東成瀬村]]の自然に囲まれた田舎で生まれ育つ。[[川崎のぼる]]や[[石川球太]]の影響を受け、小学6年生の頃より漫画を描き始める。中学卒業後、[[愛知県]]の自動車工場に就職。その後、職を転々としながら漫画家を目指す。[[名古屋市]]の理容店で働いている時に店主に勧められ、漫画家として[[1971年]]に上京、[[本宮ひろ志]]のアシスタントとなる<ref name=":0" />。この年、『[[週刊少年ジャンプ]]』第3回[[手塚賞]]に『下町弁慶』を応募するが落選。しかし、編集者の目にとまり、1972年『週刊少年ジャンプ』に同作が掲載されて漫画家デビュー<ref name=":0" /><ref name=":1">{{Cite web|和書|title=高橋よしひろ氏、市のまんが美術館の名誉館長に就任へ:朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASP3T6S9PP3TULUC00P.html?iref=ogimage_rek |website=朝日新聞デジタル |date=2021-03-25 |access-date=2022-08-28 |language=ja}}</ref>。 [[1973年]]、再び手塚賞に応募し、佳作を受賞(第5回『おれのアルプス』、高橋義広名義)。同年、本宮の紹介で『別冊少年ジャンプ』(後の『[[月刊少年ジャンプ]]』)に『あばれ次郎』を連載開始(高宮じゅん名義、高橋の「高」と師匠・本宮の「宮」、妻の名前「じゅん」を合わせたペンネーム)。1976年より『週刊少年ジャンプ』に『[[悪たれ巨人]]』、『月刊少年ジャンプ』に『[[白い戦士ヤマト]]』を同時連載する<ref name=":0" />。 [[1983年]]、『週刊少年ジャンプ』に代表作となる『[[銀牙 -流れ星 銀-]]』を連載開始<ref name=":0" />。[[1987年]]、同作品で第32回([[昭和]]61年度)[[小学館漫画賞]]受賞<ref name=":1" />。『銀牙』は[[フィンランド]]など北欧でも人気が高く<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/01/03/kiji/20180102s00041000152000c.html 犬マンガ「銀牙」、こち亀抜く!作者高橋よしひろ氏 200巻超え意欲]</ref>、フィンランドにたびたび招待されサイン会を行っている。 [[2012年]]にデビュー40周年を記念した原画展が[[横手市増田まんが美術館]]で開催された<ref>[http://www.city.yokote.lg.jp/koho/event000715.html 高橋よしひろ40周年原画展]</ref>。 2021年、前年に亡くなった漫画家[[矢口高雄]]の後継として、横手市増田まんが美術館の2代目名誉館長に就任した<ref name=":1" /><ref>横手市増田まんが美術館HP参照</ref>。 == 作品リスト == === 銀牙シリーズ === * [[銀牙 -流れ星 銀-]] - 銀牙シリーズ最初の作品。全18巻<ref>[[ジャンプ・コミックス#ホーム社|ジャンプコミックス セレクション]]版と[[集英社文庫]]版が全10巻、[[コンビニコミック#集英社ジャンプリミックス|集英社ジャンプリミックス]]版(コンビニコミック版)が全8巻。</ref> 。 * [[銀牙伝説WEED]] - 銀の息子・ウィードを主人公にした続編。全60巻。 ** 銀牙伝説WEED 外伝 *** 夢見る戦士たち - オールカラー4頁の掌編。ウィードが見た夢を語る小品。 *** メルの旅立ち *** ロンリーロン *** シオンの{{読み仮名|疾風|かぜ}} *** HANAKO - 作者の高橋が作中に登場する短編。 * [[銀牙伝説WEEDオリオン]] - ウィードの子たちを描く第3シリーズ。全30巻。 ** 銀牙伝説リキ RIKI - オリオンたち四兄弟の [[曽祖父]]リキを主人公にした作品。全1巻<ref>日本文芸社ニチブン・コミックスでは「銀牙伝説リキ」表記。</ref> 。 ** 銀牙伝説 杏樹と次郎丸 - 老マタギ・沢村義人の孫である杏樹と、銀の姪「ユキ」の子・次郎丸たちの強い絆の物語。 * 銀牙伝説 赤目 - 赤目の先祖を描いた番外編。全5巻。 * [[銀牙〜THE LAST WARS〜]] - 赤カブトの血を引く巨熊モンスーンとの闘い。全22巻。 ** ぎんが〜THE FIRST WARS〜(原案・高橋よしひろ、作画・つじつかさ) - オリオンたち四兄弟の幼犬時代の日常を、デフォルメキャラ絵で描く。『漫画ゴラクスペシャル』連載。 * [[銀牙伝説ノア]] - THE LAST WARSの続編。『週刊漫画ゴラク』2019年6月7日号から連載<ref>『週刊漫画ゴラク』2019年5月31日号「次号予告」(308ページ)</ref>。全17巻<ref>{{Cite web|和書|publisher=日本文芸社|url=https://www.nihonbungeisha.co.jp/book/b612332.html|title=銀牙伝説ノア 完 17 (単行本)|accessdate=2023-03-24}}</ref>。 ** 銀牙四代 - 銀牙伝説ファンブック。2019年9月11日発売<ref>『週刊漫画ゴラク』2019年9月6日号「次号予告」(308ページ)</ref>。 * 銀牙少年伝説 ドッグデイズ─ロクとぼくの一番熱かった日々─ - 高橋の実体験をもとに描いたシリーズの原点<ref name="natalie20220916">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/494025|title=高橋よしひろが実体験を基に銀牙伝説の原点描く、“昭和奥羽少年回想録”がゴラクで|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-09-16|accessdate=2022-09-16}}</ref>。『週刊漫画ゴラク』2022年9月30日・10月7日合併号から2023年4月7日号まで連載{{R|natalie20220916}}<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/517895|title=「白竜HADOU」連載300回!「この一件、私が仕切らせて頂きます!!」バスタオルが30人に|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-03-24|accessdate=2023-03-24}}</ref>。全3巻。 === その他の作品 === * あばれ次郎 * ボクサー(原作・[[武論尊]]) * げんこつボーイ(原作・[[牛次郎]]) * [[白い戦士ヤマト]] * 男の旅立ち * 青空フィッシング(原作・[[布勢博一]]) * 翔と大地 * [[悪たれ巨人|悪たれ{{読み仮名|巨人|ジャイアンツ}}]] * 甲冑の戦士{{読み仮名|雅武|ガム}} * グレートホース * 天翔ける{{読み仮名|瞬間|とき}} * 白蓮のファング(原作・星野広明) * 恭子の修羅(原作・[[工藤かずや]]) * 孤島の冒険者 * 少年と犬(原作・伊藤アキラ、電子書籍版はタイトル「銀牙の犬たち」原作:[[城アラキ]]名義) * FANG(原作・伊藤アキラ、電子書籍版は原作:城アラキ名義) * ドランク * 一撃 * ラッシー == 師匠 == * [[本宮ひろ志]] == アシスタント == * [[宮下あきら]] * [[原哲夫]] * [[荒井清和]] * [[車田正美]]{{要出典|date=2022年5月}} ==イベント== 2019年5月3日「高橋よしひろ×宮下あきら 子弟の絆トーク&サイン会イベント」([[横手市増田まんが美術館]]リニューアル記念イベント)<ref>{{Cite web|和書|title=高橋よしひろ×宮下あきら、青春時代を語る。横手市増田まんが美術館リニューアル記念イベントレポート | マンバ通信 - マンバ|url=https://manba.co.jp/manba_magazines/8255 |accessdate=2020-05-19}}</ref> == 脚注 == <div class="references-small"><references /></div> == 関連項目 == *[[マタギ犬]] == 外部リンク == * [https://manba.co.jp/manba_magazines/8255 高橋よしひろ×宮下あきら、青春時代を語る。横手市増田まんが美術館リニューアル記念イベントレポート | マンバ通信 - マンバ ] * [http://www.nihonbungeisha.co.jp/weed/sakusya/sakusya00.html 高橋よしひろ年表 - 銀牙伝説WEED FAN オフィシャルページ]{{リンク切れ|date=2018年4月}} {{銀牙}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:たかはし よしひろ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:秋田県出身の人物]] [[Category:1953年生]] [[Category:存命人物]]
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高見まこ
高見 まこ(たかみ まこ、女性、12月6日生)は、日本の漫画家。長岡造形大学非常勤講師。 本名は渡部宣子。夫は漫画家のわたべ淳で、堀田あきお、石坂啓らとともに手塚治虫のアシスタントの同期の仲間であった。 東京都生まれ、千葉県育ち。血液型A型。千葉県立佐倉高等学校、武蔵野美術大学卒業。 手塚治虫に憧れ漫画家を志し、手塚プロダクションに就職した。なお、当該項目に「高見の同期に寺沢武一、三浦みつるなどがいた」との記述がかつてあったが、堀田あきお『手塚治虫アシスタントの食卓』(ぶんか社)の内容によると、寺沢・三浦は同期ではない(堀田、石坂らは1978年入社、寺沢は1976年入社)。 1980年に『みどりのラブ・ステップ』(「LaLa増刊号」)でデビュー、同時に手塚プロダクションを退職した。1984年には初の連載『いとしのエリー』(「週刊ヤングジャンプ」)がヒットした。 「年下男性と年上女性の恋愛」の描写は絶妙で、代表作の『いとしのエリー』や『ふたりの気持ち』、『愛 虹の始まる谷から』などでも同様の描写がある。
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高見 まこは、日本の漫画家。長岡造形大学非常勤講師。 本名は渡部宣子。夫は漫画家のわたべ淳で、堀田あきお、石坂啓らとともに手塚治虫のアシスタントの同期の仲間であった。
'''高見 まこ'''(たかみ まこ、女性、[[12月6日]]生)は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[長岡造形大学]][[非常勤講師]]。 本名は渡部宣子。夫は漫画家の[[わたべ淳]]で、[[堀田あきお]]、[[石坂啓]]らとともに[[手塚治虫]]のアシスタントの同期の仲間であった<ref>[[堀田あきお]]『手塚治虫アシスタントの食卓』(ぶんか社)2019の巻末対談</ref>。 == 来歴 == [[東京都]]生まれ、[[千葉県]]育ち。[[ABO式血液型|血液型]]A型。[[千葉県立佐倉高等学校]]、[[武蔵野美術大学]]卒業。 [[手塚治虫]]に憧れ漫画家を志し、[[手塚プロダクション]]に就職した。なお、当該項目に「高見の同期に[[寺沢武一]]、[[三浦みつる]]などがいた」との記述がかつてあったが、[[堀田あきお]]『手塚治虫アシスタントの食卓』([[ぶんか社]])の内容によると、寺沢・三浦は同期ではない(堀田、石坂らは1978年入社、寺沢は1976年入社)。 [[1980年]]に『みどりのラブ・ステップ』(「[[LaLa]]増刊号」)でデビュー、同時に手塚プロダクションを退職した。[[1984年]]には初の連載『[[いとしのエリー (漫画)|いとしのエリー]]』(「[[週刊ヤングジャンプ]]」)がヒットした。 「年下男性と年上女性の恋愛」の描写は絶妙で、代表作の『[[いとしのエリー (漫画)|いとしのエリー]]』や『ふたりの気持ち』、『愛 虹の始まる谷から』などでも同様の描写がある。 == 作品リスト == * みどりのラブ・ステップ - デビュー作 [[LaLa]]大増刊号 読み切り(1980年9月) * [[いとしのエリー (漫画)|いとしのエリー]] - 女教師と生徒の恋愛を描いた作品。YJコミックス全20巻。連載:「[[週刊ヤングジャンプ]]」([[集英社]])[[1983年]] - [[1987年]]。1987年、[[国生さゆり]]の主演で映画化された。 * BABY BEAT - 全1巻 連載:「[[週刊ヤングジャンプ]]」([[集英社]]) * ふたりの気持ち - 別れた夫の弟との恋愛を描いた作品 全8巻 連載:「[[週刊ヤングジャンプ]]」([[集英社]]) * ボクの彼女 - 短編集 全2巻([[集英社]]) * 愛の風景 - 短編集 全2巻([[双葉社]]) * 愛 虹の始まる谷から * 幻の愛夢の恋 - 短編集(集英社) * ロマンス - [[大正]]の[[喜多川歌麿|歌麿]]こと詩画人[[竹久夢二]]([[1884年|明治17年]] - [[1934年|昭和9年]])の生涯がモデル。全9巻([[1997年]][[7月]] - [[2000年]][[3月]])。 * 美弥の恋 * 学習コミックアトムポケット人物館『[[やなせたかし]]』([[講談社]] / 作:[[圷紀子]] / 監修:やなせスタジオ) * 夏の夜の夢 * [[不如帰 (小説)|不如帰]] - 原作:[[徳冨蘆花]] * 一十郎とお蘭さま - 全3巻 連載:「[[コミック乱]]」([[リイド社]]) / 原作:[[南條範夫]] * 仲蔵狂乱 - 連載:「コミック乱」 / 原作:[[松井今朝子]] * [[週刊マンガ日本史]]第8号『[[紫式部]]』([[朝日新聞出版]] / 監修:[[河合敦]]、[[山口正]]、[[川村裕子]]) == 関連作品 == * [[ブラック・ジャック]]創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜(2009年、[[秋田書店]]) - アシスタント時代の高見が登場。 * ブラック・ジャックREAL~感動の医療体験談~(2013年、秋田書店) - 実話を元にしたストーリーに、手塚治虫のアシスタント経験者らが絵を描いた作品集。高見も1編を担当。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == *[[喜国雅彦]] - 漫画家、元アシスタント(ヤングジャンプ・コミックス「[[いとしのエリー (漫画)|いとしのエリー]]」15巻カバーにコメント寄贈) == 外部リンク == * [http://pokeman.jp/archives/3349 ぽけまん 作者プロフィール] * {{マンガ図書館Z作家|3762|高見まこ}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:たかみ まこ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:武蔵野美術大学出身の人物]] [[Category:千葉県立佐倉高等学校出身の人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:千葉県出身の人物]] [[Category:生年未記載]] [[Category:存命人物]]
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たがみよしひさ
たがみ よしひさ(本名:田上 喜久、1958年12月9日 - )は、日本の漫画家。代表作に『軽井沢シンドローム』など。同じく漫画家の小山田いくは実兄。 長野県小諸市出身。 1979年、『ビッグコミック』1月10日号(小学館)に掲載された「ざしきわらし」(昭和53年度上期小学館新人コミック大賞の佳作)でデビュー。 作風における最大の特徴は、8頭身のシリアスな絵柄と2 - 3頭身のギャグ調を混在させる作風にある(8頭身のシリアスのみ、2 - 3頭身でギャグのみの作品も存在)。前者は目鼻立ちが強調された欧米人風の絵柄が特徴。また、当て字を多用する独特の台詞回しと、ふきだし以外の部分や枠線外の書き込みが多い。台詞以外の字体は丸文字を使用するが、読解が難しい箇所も見受けられる。 作品の主題としては、青春群像劇、シリアスなSF、ミステリーおよびサスペンス、オカルト、伝奇、ミリタリーなど、様々なジャンルを幅広く手がける。作品の枠を超えてキャラクターのクロスオーバーがしばしばあり、なかでも『NERVOUS BREAKDOWN』においては、現代を舞台とする主要作品の登場人物のほとんどが登場している。また、出身地である長野県が舞台になる作品が多く(『我が名は狼』『軽井沢シンドローム』など)、個別エピソードでもよく舞台になる。また、作中の人物が通う架空の学校に「白鳳高校」「白鳳大学」がある。 同じく漫画家の小山田いくは実兄。小山田の初期作品では「おこちゃん」のペンネームで車や列車など背景を描いていた。 一時期「雪女を出すと連載が終わる」というジンクスを抱えていた事があり、自身も『NERVOUS BREAKDOWN』の単行本で言及している。ただしその『NERVOUS BREAKDOWN』自体は雪女を出した後も長期に渡って連載している。 近年は病気のため、自宅療養中。
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たがみ よしひさは、日本の漫画家。代表作に『軽井沢シンドローム』など。同じく漫画家の小山田いくは実兄。
{{Infobox 漫画家 |名前 = たがみ よしひさ |画像 = |画像サイズ = |脚注 = |本名 = |生年 = {{生年月日と年齢|1958|12|9}} |生地 = {{JPN}}・[[長野県]][[小諸市]] |没年 = |没地 = |国籍 = {{JPN}} |職業 = [[漫画家]] |活動期間 = 1979年 - |ジャンル = |代表作 = 『[[軽井沢シンドローム]]』<br />『[[我が名は狼]]』<br /> 『[[GREY]]』<br /> 『[[NERVOUS BREAKDOWN]]』 |受賞 = |サイン = |公式サイト = }} '''たがみ よしひさ'''(本名:田上 喜久<ref name="duo">[[DUO (マンガ雑誌)|デュオ]]別冊『たがみよしひさの世界』、1983年7月1日、朝日ソノラマ、p.236</ref><ref name="wolf">プレイコミックシリーズ版『我が名は狼』全3巻(1982年 - 1983年)の折り返し部分に、著者近影とともにプロフィールが記載されている。</ref>、[[1958年]][[12月9日]]<ref name="duo" /><ref name="wolf" /> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。代表作に『[[軽井沢シンドローム]]』など。同じく漫画家の[[小山田いく]]は実兄<ref>[[DUO (マンガ雑誌)|デュオ]]別冊『たがみよしひさの世界』、1983年7月1日、朝日ソノラマ、p.236</ref><ref>[[秋田書店]]『我が名は狼』プレイコミックシリーズ版全3巻(1982年 - 1983年)の折り返し部分、'''たがみよしひさ'''のプロフィール参照。</ref>。 == 人物 == [[長野県]][[小諸市]]出身<ref name="duo" /><ref name="wolf" />。 [[1979年]]、『[[ビッグコミック]]』1月10日号([[小学館]])に掲載された「ざしきわらし」(昭和53年度上期[[小学館新人コミック大賞]]の佳作<ref name="duo" /><ref name="wolf" />)でデビュー。 作風における最大の特徴は、8頭身のシリアスな絵柄と2 - 3頭身のギャグ調を混在させる作風にある(8頭身のシリアスのみ、2 - 3頭身でギャグのみの作品も存在)。前者のときは目鼻立ちが強調された欧米人風ではあるが、描線としては少女漫画的である絵柄が特徴。また、当て字を多用する独特の台詞回しと、[[ふきだし]]以外の部分や枠線外の書き込みが多い。台詞以外の字体は[[丸文字]]を使用するが、読解が難しい箇所も見受けられる。 作品の主題としては、青春群像劇、シリアスな[[サイエンス・フィクション|SF]]、[[ミステリー]]および[[サスペンス]]、[[オカルト]]、[[伝奇小説#日本の近現代の伝奇風小説|伝奇]]、[[ミリタリー]]など、様々なジャンルを幅広く手がける。作品の枠を超えてキャラクターの[[クロスオーバー作品|クロスオーバー]]がしばしばあり、なかでも『[[NERVOUS BREAKDOWN]]』においては、現代を舞台とする主要作品の登場人物のほとんどが登場している。また、出身地である長野県が舞台になる作品が多く(『我が名は狼』『軽井沢シンドローム』など)、個別エピソードでもよく舞台になる。また、作中の人物が通う架空の学校に「白鳳高校」「白鳳大学」がある。 同じく漫画家の[[小山田いく]]は実兄<ref name="duo" /><ref name="wolf" />。小山田の初期作品では「'''おこちゃん'''」のペンネームで車や列車など背景を描いていた。 一時期「[[雪女]]を出すと連載が終わる」というジンクスを抱えていた事があり、自身も『[[NERVOUS BREAKDOWN]]』の単行本で言及している。ただしその『[[NERVOUS BREAKDOWN]]』自体は雪女を出した後も長期に渡って連載している。 近年は病気のため、自宅療養中<ref>{{Cite web|和書|title=信州が生んだ漫画界の風雲児たち! 武論尊 井浦秀夫 たがみよしひさ |url=https://www.abn-tv.co.jp/shinsyujin/backnumber/%E4%BF%A1%E5%B7%9E%E3%81%8C%E7%94%9F%E3%82%93%E3%81%A0%E6%BC%AB%E7%94%BB%E7%95%8C%E3%81%AE%E9%A2%A8%E9%9B%B2%E5%85%90%E3%81%9F%E3%81%A1%EF%BC%81%E3%80%80%E6%AD%A6%E8%AB%96%E5%B0%8A%E3%80%80%E4%BA%95/ |website=www.abn-tv.co.jp |access-date=2022-09-02 |language=ja}}</ref>。 == 作品リスト ==<!--基本的には発表年順--> ; まゆ : 作者のプロデビュー前に制作された作品。 : 寄生虫(突然変異で誕生した、[[ヒト]]に卵を産み付ける[[コマユバチ]]。孵化した場合の致死率は100パーセント)がテーマのホラーミステリー作品。単行本『精霊紀行 ―ルポルタージュ・アルフ―』に収録。『終齢幼虫』のタイトルでセルフリメイクされている。 ; [[精霊紀行 ―ルポルタージュ・アルフ―]] : 1979年 - 1983年、[[ビッグコミック]]・[[ビッグコミック増刊]]・別冊ビッグコミック、いずれも[[小学館]]、単行本:1984年 - 1985年、BIG CUSTOM SERIES、小学館 : 初期短編作品集。 ; [[軽井沢シンドローム]] : [[ビッグコミックスピリッツ]]、小学館、単行本:1982年 - 1985年、[[ビッグコミックス]]、小学館 : [[軽井沢]]での恋愛模様を独自のタッチで描く青春もの。ふきだし外の台詞や欄外のコメントなどの書き込みの多さや、[[機動戦士ガンダム|ガンダム]]などのアニメネタを多用する、いわゆる「同人誌的な」演出が当時のメジャー誌掲載の商業作品としては珍しかった。青年漫画雑誌の連載作品らしく、やや過激ともいえる性描写で、若い男性の支持を集める。 : 1985年に[[OVA]]化されている。 ; [[依頼人から一言]] ※「依頼人」の読みは「スポンサー」 : 1982年、[[DUO (マンガ雑誌)|月刊マンガDuO]]、[[朝日ソノラマ]] : 学園オカルトミステリー。永らく絶版になっていた経緯を踏まえて、キャラクターがゲスト出演した『NERVOUS BREAKDOWN』の単行本第11巻(ノーラコミックス版)に再収録されている。 ; [[我が名は狼]] ※「狼」の読みは「うるふ」 : 1982年 - 1983年、[[週刊少年チャンピオン#増刊号|週刊少年チャンピオン増刊 ヤングチャンピオン]]→[[プレイコミック]]、ともに[[秋田書店]] : 青春もの。架空の避暑地でペンションを経営する一家に父の親友の息子である若い男が転がり込む。 : 同時期に連載されていた『軽井沢シンドローム』と双璧をなす、作者の代表作の1つ。こちらは連載後期に移籍した掲載誌の傾向から、さらに開放的な若者の性行動が描写されている。 ; 道はコンチェルト : 1982年、週刊少年チャンピオン、秋田書店、 : 実兄・[[小山田いく]]との合作。中学生がSF漫画を描く学園もので、たがみは作中劇となるSF漫画パートを担当した。プレイコミックシリーズ版『我が名は狼』第1巻に併録。後に「[[超攻速ガルビオン]]」の主人公となる(酷似する)二人が登場する。 ; Dが落ちた日 : 1983年4号、[[少女コミック]]、小学館 : [[第三種接近遭遇]]のSFもの。ビッグコミックス版『軽井沢シンドローム』第8巻、および単行本『私立北鳳高校K.I.E』に収録。 ; [[フェダーイン:戦士]] : 1983年、[[週刊少年マガジン]]、[[講談社]]、単行本:1986年、マイブックKC、講談社 : 「'''マッド・クッキィ'''」の異名をとる[[傭兵]]・朽木三郎を主人公とした、中東を舞台にするミリタリーもの。<!--独立記事のある項目は、詳細な解説を省略した。--> ; [[アフリカの太陽]] : 1983年 - 1984年、[[リュウ (雑誌)|リュウ]]、[[徳間書店]]、単行本:1991年、少年キャプテンコミックススペシャル、徳間書店 : 『フェダーイン:戦士』の姉妹編的な存在だが、こちらはオカルト色が強く作風は異なる。アフリカの小部族「ゴル」の祭っていた忌まわしき暗黒神とその眷族神の像に象徴として埋め込まれていた宝石が奪われる。暗黒神「ビ・ホー」を宿した宝石は持ち主や周囲の悪意を糧として肥大化していく。日本人学者とゴルの女性の間に生まれた最後の族長・巫女神太陽がゴルの生き残りや巡り合った仲間と共に戦う。 : この作品では、シリアスな8頭身キャラに混じって、2、3頭身のギャグ調キャラでアフリカ出身の[[シャーマニズム|シャーマン]]が描かれている。同一人物を8頭身と2、3頭身の2種類で描くこともしておらず、たがみ作品の中では、キャラ毎の描き分けが最もハッキリしている。後編が描かれたのがかなり後なので、絵柄がだいぶ違っている。 ; [[たがみよしひさマガジン]] : 1983年 - 1984年、各種雑誌掲載作品およびインタビュー等、単行本:1984年、別冊SFイズム3、みき書房 ; [[HERO (漫画)|HERO]] : 1983年 - 1984年、各種雑誌掲載作品、単行本:1985年、みき書房 : [[サイエンス・フィクション|SF]]もの。 ; [[それさえもおそらくは平穏な日々]] : 1984年 - 1986年、少年キャプテンコミックス、徳間書店 : 作者の日常を描いた短編集。たがみ夫人もモデルとして登場する。 ; それ故におそらくは平穏なゴジラ : 1984年、ビッグコミックスピリッツ、小学館 : 同年公開の映画『[[ゴジラ (1984年の映画)|ゴジラ]]』へのオマージュを描いたエッセイ漫画。ビッグコミックス版『軽井沢シンドローム』第8巻に収録。 ; 怒りのルドラ : 1985年1号、[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]パーティー増刊、講談社 : 怪獣映画のパロディ短編。単行本『なくしたピース』に収録。 ; 妄想超人マイナマン : 1985年12月号、[[月刊ウィングス]]、[[新書館]] : ヒーローもの。単行本『それさえもおそらくは平穏な日々』、および『なくしたピース』に収録の短編。 ; [[GREY]] : 1985年 - 1986年、[[月刊少年キャプテン]]、徳間書店、単行本:1986年、少年キャプテンコミックス、徳間書店 : 近未来SFもの。1986年にOVA作品『GREY デジタル・ターゲット』として、徳間書店からアニメ化されている。一部では劇場公開もされた。ただしアニメのストーリーは、ヒロインの交代など、大幅に変更されている。 ; [[私立北鳳高校K.I.E]] : 1986年、ビッグコミックスピリッツ、小学館、単行本:1995年、ノーラコミックスデラックス、学習研究社 : 学園もの。[[ファミリーコンピュータ]]のゲームを題材にパロディ化された実験的作品。 ; [[化石の記憶]] ※「化石」の読みは「いし」 : 1985年 - 1987年、プレイコミック、秋田書店、単行本:1986年 - 1987年、プレイコミックシリーズスペシャル、秋田書店 : [[タイムスリップ]]もの。初版はB5サイズの大判コミックで出版され、長らく絶版だったが、秋田書店より文庫化された。 ; [[なくしたピース]] : 1986年 - 1988年、月刊ウィングス、新書館、単行本:1991年、ノーラコミックスデラックス、学習研究社 : ミステリー短編集。 ; まかいのもりのあかいぬま : 1987年7号、ビッグコミックスピリッツ、小学館 : 失恋をテーマにした青春もの。単行本『私立北鳳高校K.I.E』に収録。 ; [[FRONTIER LINE]] : 1987年 - 1988年、[[月刊コミックNORA]]、[[学研ホールディングス|学習研究社]]、単行本:1988年、[[ノーラコミックス]]、学習研究社 : シリアスな連作SFロボットもの。 ; [[滅日 (漫画)|滅日]] ※読みは「ほろび」 : 月刊少年キャプテン、徳間書店、単行本:1987年 - 1990年、少年キャプテンコミックス、徳間書店 : シリアスな[[伝奇小説#日本の近現代の伝奇風小説|伝奇]]もの、超能力バトルもの。古来「鬼」と呼ばれ弾圧されてきた超能力者たちの団体SATORIとYAMAKO。その対立抗争のさなかに生まれた2人の若者、尼子全(あまこぜん)と相賀修一(あいがしゅういち)が、天乃滅日命(あめのほろびのみこと)を祭神(まつりがみ)とする通称「イダリの祠(ほこら)」の御神体に触れて超能力を発現し、やがて世界の支配権をめぐるイダリとホロビ、すなわち「神」と「魔」の最終決戦にまで至る運命を描く。 ; [[NERVOUS BREAKDOWN]] : 1988年 - 1995年、月刊コミックNORA、学習研究社、単行本:1989年 - 1997年、ノーラコミックス、学習研究社 : 私立[[探偵]]事務所を舞台にしたミステリー。コミックスで全13巻と、作者にとって最大のボリュームとなる作品。作中のいくつかのエピソードに、過去作品の登場人物が多数ゲスト出演している。 ; [[ファイター (漫画)|ファイター]] : 1989年 - 1992年、[[月刊アニマルハウス]]、[[白泉社]]、単行本:1990年 - 1992年、ジェッツコミックス、白泉社 : [[格闘技]]もの。架空の古武術を使う主人公と強豪達との闘い、それを取り巻く陰謀を描くストーリー。雑誌休刊に伴い、連載が中断したまま未完となっている。当時はあまり知られていなかった、[[テコンドー]]の起源が実は空手であるというタブーを描写している。 ; [[“PEPPER”]] : 1991年、秋田書店 : [[西部劇]]。[[スクリーントーン]]を極力使わず、ほぼ全ての陰影は掛け網によって処理されている。 ; [[侠客 (たがみよしひさの漫画)|侠客]] : 1992年 - 1993年、[[ヤングアニマル]]、白泉社、単行本:1993年、[[ジェッツコミックス]]、白泉社 : [[ヤクザ]]もの。架空の地方都市を舞台とした陰謀劇だが、事態が収束しないまま完結している。 ; 首 : 1993年14号、ヤングアニマル、白泉社 : [[オカルト]]ホラー短編。ジェッツコミックス版『侠客』第2巻に収録。 ; サマーバケーション : 1993年16号、ヤングアニマル、白泉社 : 館もののサスペンス。ジェッツコミックス版『侠客』第2巻に収録。 ; [[メタルハンターズD]] : [[コミックトム]]、[[潮出版社]]、単行本:1994年 - 1995年、[[希望コミックス]]、潮出版社 : SFもの。「メタル・ワークドレス」と呼ばれる搭乗型ロボット重機を悪用した犯罪が蔓延る未来の日本で、巨大企業グループ「DAINO」の私設軍隊ともいうべき非合法の特殊警備部門「D機関」の戦いを描く。 ; [[妖怪戦記]] : 月刊少年キャプテン、徳間書店、単行本:1994年 - 、少年キャプテンコミックススペシャル、徳間書店 : 雑誌休刊に伴い、未完。恐怖や憎悪、嫉妬など人の負の感情を餌として肥大し暴れる妖怪(鬼部=おにべ)を退治する鬼部降伏師一族の末裔、巫子神唯円(みこがみゆいえん)と、たまたまバイク事故で頭部に傷を負ったせいで妖怪の姿を見る能力、切り裂く能力を身につけたフリーライター地童吾郎(じどうごろう)がコンビを組み、様々な事件にからむ凶悪な妖怪と対決するサイキック・アクション。 ; [[HARD (漫画)|HARD]] : 1995年、ノーラコミックスデラックス、学習研究社 : ハードホイルドな雰囲気の伝奇もの。 『滅日』同様に、超能力を持つ特殊な一族の攻防を描く。全3話。単行本では表題作のほかに、「紅葉狩り」など短編を4作品収録(他の3編は再録)。 ; [[たがみよしひさ作品集 だれかが見ている]] : 単行本:1995年、学習研究社 : ホラー短編集。 ; [[お江戸忍法帖]] : 1995年 - 1999年、コミックトム → コミックトムプラス、潮出版社、単行本:全5巻、希望コミックス、潮出版社 : ギャグ忍者もの。敵組織の名前は、テレビ特撮作品『[[アイアンキング]]』などからヒントを得ている。 ; [[NIGHT ADULTCHILDREN]] : 1997年 - 1998年、月刊コミックNORA、学習研究社、単行本:1998年、ノーラコミックス、学習研究社 : 怪盗もの。特異な才能を持つ美術品窃盗団と警察との対決を描く。『NERVOUS BREAKDOWN』の姉妹編にあたり、同作の登場人物も出演する。あとがきでは作者本人が『ないちる』と省略して欲しいと書いている。 ; [[W (漫画)|W]] ※読みは「ウォン」 : プレイコミック、秋田書店、単行本:1998年、秋田書店、全1巻。 : ビリヤードもの。昼は高校の物理教師、夜は賭けビリヤードで無敗を誇る謎の凄腕ハスラー(通称ウォン)という二つの顔を持つ主人公の過去の因縁をめぐるサスペンスドラマ。 ; [[雪の降る日は気をつけて]] : 単行本:1999年、秋田コミックサスペリア、秋田書店 : ホラー短編集。 ; [[UNDER GROUND]] : ヤングチャンピオン、秋田書店、単行本:2000年、ヤングチャンピオンコミックス、秋田書店、全2巻。 : 原作:[[本橋信宏]]。本橋信宏を主人公とし、本橋を業界に引き込むことになる草野博美(後にAV監督の[[村西とおる]]として有名になる)も登場する。1980年代の[[ビニール本]]、[[裏本]]業界の内幕や写真誌『[[スクランブルPHOTO]]』の創刊から廃刊までを描くノンフィクション。 ; [[軽井沢シンドローム|軽井沢シンドロームSPROUT]] : 2002年 - 2006年、ヤングチャンピオン、秋田書店 : 『軽井沢シンドローム』の続編。前作の主役だった相沢耕平の息子・相沢薫平が主役となる次世代物語。 ; [[ベルリンの豹]] : 単行本:2006年、[[歴史群像]]コミックス、学習研究社 : 第二次世界大戦中のドイツ軍戦車兵を描いたミリタリーもの。日本海軍飛行隊の漫画も併せて収録。 === 単行本未収録作品 ===<!--年代順のソートなのか?--> * リリカル ナイト ライダース * 偽生 * 五才の頃(いつつのころ) * 待っている… * それゆえにおそらくは不穏な毎日・・・Titleがない * アウトドアズマン列伝(レジェンド):2010年 - 2011年、[[BE-PAL]]、小学館 * 欠片の記憶(漫画昭和人情食堂 丼・お弁当編 (ぶんか社コミックス))2016/6/27 === イラストその他 === ; 小説挿絵 :* 花が散る春 蜜柑山奇譚([[大和真也]])[[角川スニーカー文庫]] 1988年 :* 鳥が来る夏 蜜柑山奇譚2(大和真也)角川スニーカー文庫 1990年 :* 平壌で朝食を。([[勝谷誠彦]]) [[光文社文庫]] 2010年 : ; TVゲーム :* [[怒 (ゲーム)|怒 IKARI]](1986年):ファミコン版のパッケージと説明書内のイラストを担当。 : ; アニメ作品 :* [[超攻速ガルビオン]](1984年):キャラクターデザイン :* 軽井沢シンドローム(1984年) :* GREY(1986年) == アシスタント ==<!--現状のままならば削除予定--><!--しらの氏は90年代前半に単行本を出している以外には詳細不明。横山氏はまったく不明。--> * [[しのらさとし]]:漫画家 * [[横山力也]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://taua1yosh2.blog39.fc2.com/ たがみよしひさのひねもすのたり] - 公式ブログ * [https://twitter.com/Yoshisa2aru たがみよしひさ] - Twitter {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:たかみ よしひさ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:長野県出身の人物]] [[Category:1958年生]] [[Category:存命人物]]
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田口雅之
田口 雅之(たぐち まさゆき、1966年 - )は、日本の漫画家。愛知県出身。 1990年、『象的人間』でアフタヌーン四季賞(1990年秋の四季賞)に入賞。1991年、講談社の『月刊アフタヌーン』にて「知的ボクサー」で連載デビューするが4話で終了する。1994年、秋田書店の『週刊少年チャンピオン』で「イノセント・インカル」の連載を開始するが13話で終了する。その後約2年間新谷かおるのアシスタントを経験しそれ以降の作品から銃や車のアクション描写が増える。1997年、『週刊少年チャンピオン』で「バロン・ゴング・バトル」を連載開始。この作品は作者にとって初の単行本化作品であり初の長期連載作品となった。
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田口 雅之は、日本の漫画家。愛知県出身。
'''田口 雅之'''(たぐち まさゆき、[[1966年]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[愛知県]]出身。 == 略歴 == [[1990年]]、『象的人間』でアフタヌーン四季賞(1990年秋の四季賞)に入賞。[[1991年]]、[[講談社]]の『[[月刊アフタヌーン]]』にて「知的ボクサー」で連載デビューするが4話で終了する。[[1994年]]、[[秋田書店]]の『[[週刊少年チャンピオン]]』で「イノセント・インカル」の連載を開始するが13話で終了する。その後約2年間[[新谷かおる]]のアシスタントを経験しそれ以降の作品から銃や車のアクション描写が増える。[[1997年]]、『週刊少年チャンピオン』で「バロン・ゴング・バトル」を連載開始。この作品は作者にとって初の単行本化作品であり初の長期連載作品となった。 == 作品リスト == === 連載 === * 知的ボクサー(『[[月刊アフタヌーン]]』 1991年10月号 - 1992年1月号) * イノセント・インカル(『[[週刊少年チャンピオン]]』 1994年41号 - 53号) * バロン・ゴング・バトル(『週刊少年チャンピオン』)全9巻 * [[バトル・ロワイアル]](『[[ヤングチャンピオン]]』)全15巻 * [[ブラック・ジャック#リメイク漫画|ブラック・ジャック NEO]](『ヤングチャンピオン』)全2巻 * LIVES ライブス(『[[チャンピオンRED]]』)全2巻 * [[ブラック・ジョーク (漫画)|ブラック・ジョーク]](『ヤングチャンピオン』2008年No.5 - 2011年No.7)→(『月刊[[ヤングチャンピオン烈]]』2011年No.6 - 2022年No.12)全11巻 === 読切 === * 象的人間(『月刊アフタヌーン』 1990年11月号) * 知的ボクサー(『月刊アフタヌーン』 1991年8月号) == 師匠 == * [[新谷かおる]] {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:たくち まさゆき}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:愛知県出身の人物]] [[Category:1966年生]] [[Category:存命人物]]
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竹内桜
竹内 桜(たけうち さくら)は、日本の漫画家。 1987年、読み切り作品『a.Long.Break』でデビュー。同年の読み切り作品『ぼくのマリー』は1994年に『週刊ヤングジャンプ』誌上で連載化され人気を博し、1996年にはOVA化もされた。 その後、『特命高校生』の連載や数度の読み切り掲載を経て、2002年から2007年にかけて『ヤングアニマル』で連載されていた『ちょこッとSister』(作画担当、原作は雑破業)は同誌の看板作品の一つとなり2006年にはテレビアニメ化された。
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竹内 桜は、日本の漫画家。 1987年、読み切り作品『a.Long.Break』でデビュー。同年の読み切り作品『ぼくのマリー』は1994年に『週刊ヤングジャンプ』誌上で連載化され人気を博し、1996年にはOVA化もされた。 その後、『特命高校生』の連載や数度の読み切り掲載を経て、2002年から2007年にかけて『ヤングアニマル』で連載されていた『ちょこッとSister』(作画担当、原作は雑破業)は同誌の看板作品の一つとなり2006年にはテレビアニメ化された。
'''竹内 桜'''(たけうち さくら)は、[[日本]]の[[漫画家]]。 1987年、[[読み切り]]作品『a.Long.Break』でデビュー。同年の読み切り作品『[[ぼくのマリー]]』は1994年に『[[週刊ヤングジャンプ]]』誌上で連載化され人気を博し、1996年には[[OVA]]化もされた。 その後、『特命高校生』の連載や数度の読み切り掲載を経て、2002年から2007年にかけて『[[ヤングアニマル]]』で連載されていた『[[ちょこッとSister]]』(作画担当、原作は[[雑破業]])は同誌の看板作品の一つとなり2006年には[[テレビアニメ]]化された。 == 主な作品 == === 連載 === * [[ぼくのマリー]](1994年 - 1997年、『[[週刊ヤングジャンプ]]』) * 特命高校生(1998年 - 1999年、『[[ヤングアニマル]]』) * [[ちょこッとSister]](原作:[[雑破業]]、2002年 - 2007年、『ヤングアニマル』) * ステューディオ5(2008年10月 - 2013年6月、『[[ヤングアニマルあいらんど]]』) * 赤龍の乙女(2008年12月 - 2010年10月、『[[JC.COM]]』) * [[民法改正〜日本は一夫多妻制になった〜]](原作:[[あかほりさとる]]、2015年 - 2018年、『ヤングアニマル』) * うしみつ★inc(2014年5月2日 - '''連載中'''、『[[ヤングアニマル#ヤングアニマルDensi|ヤングアニマルDensi]]』) === 読み切り、その他 === *竹内桜短編集(1999年)収録作品 ** ぼくのマリー(『増刊ヤングジャンプ』S62年ザ・グレート青春号掲載)※後に連載作品としてリメイク ** I♥鉄太郎(『ベアーズクラブ』H4年春号・H5年12月号掲載、『週刊ヤングジャンプ』平成10年52号・平成11年1号掲載) ** スタンス(『別冊ヤングジャンプ』H9年7/27号掲載) ** 流星少女(『週刊ヤングジャンプ』H9年36・37合併号掲載) ** 鯨人(『週刊ヤングジャンプ』H10年6・7号掲載) ** trajet(『別冊ヤングジャンプ』H12/15号掲載) **※なお、I♥鉄太郎 第1話は短編集のためにリメイクしたものを収録。 * ちょこッとSister(『ヤングアニマル』H14年24号掲載)※後に連載へ移行。第0話として単行本1巻に収録。 * ぱにっく!! けろけろ王国([[ぱじゃまソフト]])※キャラクター原画(フォルモーサのみ) == 関連項目 == *[[きたがわ翔]] 師匠にあたる。 == 外部リンク == * {{twitter|hizaname|竹内桜}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:たけうち さくら}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:生年未記載]] [[Category:存命人物]]
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田島昭宇
田島 昭宇(たじま しょうう、Sho-U Tajima)は、日本の漫画家、イラストレーター。埼玉県出身。男性。 代表作に、『魍魎戦記MADARA』(魍魎戦記MADARAシリーズ)、『多重人格探偵サイコ』、『BROTHERS』など。キャラクターデザインに『キル・ビル』『お伽草子』『怪童丸』などを手がける。 名前の由来は「昭和は宇宙の時代だ」という父親の考えによるもの。幼少期は「しょぼん」と呼ばれていた。 本郷高校デザイン科卒業後、デザイン専門学校に入学するも中退。漫画家を目指し出版社などに持込をしていると、当時徳間書店にいた大塚英志と出会い、1985年に『アワ・タイム』(プチ・アップルパイ)でデビュー。その後、藤原カムイ、白倉由美、高橋葉介のアシスタントを務める。 そして、原作・大塚英志と組んで「魍魎戦記MADARA」の作画担当となる。当初は小学生から「僕の方が上手い」などと的確なファンレターが届いたが、それが後に彼の画力を劇的に向上させるきっかけとなった。 また、FC版「魍魎戦記MADARA」の雑誌広告においてはマダラのコスプレをする事になる。 「BROTHERS」においては自分でストーリーテリングも担当した。 細い線でリアルに描かれた人物や明暗のコントラストのはっきりした絵と、映画的な画面構成が作品の特徴。また、登場人物の服装や髪型のデザインセンスも評価が高く、ゲームのキャラクターデザインなども行っている。登場人物の服装はケルトアンドコブラなど、実在するブランドが多い。 浅田弘幸、小畑健の3人で「水瓶3」を結成(由来:3人が水瓶座である事から)。ロックミュージックファンで知られているが、洋楽はあまり聴かない。邦楽ではブランキージェットシティがお気に入りで、メンバーの照井利幸とは交友がある。 2016年7月8日より8月3日にかけて「多重人格探偵サイコ」の連載完結と田島の画業30周年を記念して「多重人格探偵サイコ完結記念&画業30周年記念 田島昭宇原画展『HUMAN 1/2 BABY DAYS』(読みはヒューマン ハーフ ベイビー デイズ)」(発表当初の企画名は「多重人格探偵サイコ完結記念&画業30周年記念 田島昭宇原画展『HUMAN GUS DAYS』」だったが後に現企画名へ変更された。)が東京・space caimanにて開催された。 2017年12月から2018年8月にかけて「魍魎戦記MADARA」の連載30周年を記念して、KADOKAWAより限定愛蔵版『MADARA ARCHIVES』が全5巻で発売された。(5巻は当初2018年5月2日発売予定だったが後に諸般の事情により発売日が8月4日へと変更された。) また、これに併せる形で「魍魎戦記MADARA」連載30周年と「MADARA ARCHIVES」発売開始を記念して「MADARA30周年記念 田島昭宇原画展『GOD TIME FANTASTIC WORLD』」が、11月11日から12月10日まで東京・space caimanにて開催された。 2021年4月にはデビュー35周年を記念して、1990年代から2000年代にかけて描かれた単行本未収録の短編が収録された『田島昭宇画業35周年作品集「Baby Baby」』を発売。その刊行を記念して、同年7月27日から8月8日まで「田島昭宇画業35周年記念展 <Side: A>『Baby Baby』」、同年11月30日から12月12日まで「田島昭宇画業35周年記念展 <Side: B>『冬暮れの金星』」と題した原画展が東京・ヴァニラ画廊にて開催された。 下記のほとんどの作品が単行本未収録であったが2021年に発売された田島昭宇画業35周年作品集『Baby Baby』にて単行本初収録された。
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田島 昭宇は、日本の漫画家、イラストレーター。埼玉県出身。男性。 代表作に、『魍魎戦記MADARA』(魍魎戦記MADARAシリーズ)、『多重人格探偵サイコ』、『BROTHERS』など。キャラクターデザインに『キル・ビル』『お伽草子』『怪童丸』などを手がける。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 田島 昭宇 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生年 = {{生年月日と年齢|1966|2|7}} | 生地 = {{JPN}}・[[埼玉県]] | 没年 = | 没地 = | 国籍 =日本 | 職業 = [[漫画家]]・[[イラストレーター]] | 活動期間 = [[1985年]]- | ジャンル = [[少年漫画]]・[[青年漫画]] | 代表作 = 『[[魍魎戦記MADARA]]』([[魍魎戦記MADARAシリーズ]])<br />『[[多重人格探偵サイコ]]』 | 受賞 = | サイン = | 公式サイト =https://www.shoutajima.com/ }} '''田島 昭宇'''(たじま しょうう、''Sho-U Tajima'')は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[イラストレーター]]。[[埼玉県]]出身。男性。 代表作に、『[[魍魎戦記MADARA]]』([[魍魎戦記MADARAシリーズ]])、『[[多重人格探偵サイコ]]』、『[[BROTHERS]]』など。キャラクターデザインに『[[キル・ビル]]』『[[お伽草子 (アニメ)|お伽草子]]』『[[怪童丸]]』などを手がける。 == 略歴 == 名前の由来は「昭和は宇宙の時代だ」という父親の考えによるもの。幼少期は「しょぼん」と呼ばれていた。 [[本郷中学校・高等学校|本郷高校]]デザイン科卒業後、デザイン専門学校に入学するも中退。漫画家を目指し出版社などに持込をしていると、当時[[徳間書店]]にいた[[大塚英志]]と出会い、1985年に『アワ・タイム』(プチ・アップルパイ)でデビュー。その後、[[藤原カムイ]]<ref name="名前なし-1">電撃摩陀羅海賊本(1)(メディアワークス)の著者紹介の田島昭宇のプロフィールより</ref>、[[白倉由美]]<ref name="名前なし-1"/>、[[高橋葉介]]<ref name="名前なし-1"/>の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を務める。 そして、原作・大塚英志と組んで「魍魎戦記MADARA」の作画担当となる。当初は小学生から「僕の方が上手い」などと的確なファンレターが届いたが<ref name="名前なし-1"/>、それが後に彼の画力を劇的に向上させるきっかけとなった。 また、FC版「魍魎戦記MADARA」の雑誌広告においてはマダラのコスプレをする事になる<ref>『MADARA四神篇』の大塚英志による解説より。</ref>。 「BROTHERS」においては自分でストーリーテリングも担当した。 細い線でリアルに描かれた人物や明暗のコントラストのはっきりした絵と、映画的な画面構成が作品の特徴。また、登場人物の服装や髪型のデザインセンスも評価が高く、ゲームのキャラクターデザインなども行っている。登場人物の服装は[[ケルトアンドコブラ]]など、実在する[[ブランド]]が多い。 [[浅田弘幸]]、[[小畑健]]の3人で「水瓶3」を結成(由来:3人が[[水瓶座]]である事から)。[[ロック (音楽)|ロックミュージック]]ファンで知られているが、洋楽はあまり聴かない。邦楽では[[ブランキージェットシティ]]がお気に入りで、メンバーの[[照井利幸]]とは交友がある。 2016年7月8日より8月3日にかけて「多重人格探偵サイコ」の連載完結と田島の画業30周年を記念して「多重人格探偵サイコ完結記念&画業30周年記念 田島昭宇原画展『HUMAN 1/2 BABY DAYS』(読みはヒューマン ハーフ ベイビー デイズ)」(発表当初の企画名は「多重人格探偵サイコ完結記念&画業30周年記念 田島昭宇原画展『HUMAN GUS DAYS』」だったが後に現企画名へ変更された。)が東京・space caimanにて開催された<ref>{{Cite news|newspaper=wanimagazine|publisher=wanimagazine|url=https://www.wani.com/special/sho-u_human/|title=田島昭宇原画展 HUMAN 1/2 BABY DAYS}}</ref>。 2017年12月から2018年8月にかけて「魍魎戦記MADARA」の連載30周年を記念して、KADOKAWAより限定愛蔵版『MADARA ARCHIVES』が全5巻で発売された。(5巻は当初2018年5月2日発売予定だったが後に諸般の事情により発売日が8月4日へと変更された。) <ref>{{Cite news|newspaper=KADOKAWA|publisher=KADOKAWA|url=https://promo.kadokawa.co.jp/feature/madara/|title=魍魎戦記MADARA}}</ref>また、これに併せる形で「魍魎戦記MADARA」連載30周年と「MADARA ARCHIVES」発売開始を記念して「MADARA30周年記念 田島昭宇原画展『GOD TIME FANTASTIC WORLD』」が、11月11日から12月10日まで東京・space caimanにて開催された<ref>{{Cite news|newspaper=space caiman|publisher=space caiman|url=https://www.wani.com/special/madara30th/|title=MADARA30周年記念 田島昭宇原画展}}</ref>。 2021年4月にはデビュー35周年を記念して、1990年代から2000年代にかけて描かれた単行本未収録の短編が収録された『田島昭宇画業35周年作品集「Baby Baby」』を発売<ref>{{Cite news|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|url=https://natalie.mu/comic/news/426298|title=田島昭宇デビュー35周年で単行本未収録を集めた短編集、描き下ろしの新作も|date=2021-04-28|accessdate=2021-04-28}}</ref>。その刊行を記念して、同年7月27日から8月8日まで「田島昭宇画業35周年記念展 <Side: A>『Baby Baby』」<ref>{{Cite news|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|url=https://natalie.mu/comic/news/436569|title=田島昭宇の画業35周年作品集「Baby Baby」の原画展示イベント、サイン会も|date=2021-07-12|accessdate=2021-07-13}}</ref>、同年11月30日から12月12日まで「田島昭宇画業35周年記念展 <Side: B>『冬暮れの金星』」と題した原画展<ref>{{Cite news|newspaper=ヴァニラ画廊|publisher=ヴァニラ画廊|url=https://www.vanilla-gallery.com/archives/2021/20211130ab.html|title=田島昭宇画業35周年記念展 <Side: B>}}</ref>が東京・ヴァニラ画廊にて開催された。 == 作品リスト == === 漫画 === *[[魍魎戦記MADARAシリーズ]] **[[魍魎戦記MADARA]] 全5巻(原作:[[大塚英志]]) **[[魍魎戦記MADARA摩陀羅弐]] 全3巻(原作:大塚英志) **[[魍魎戦記MADARA赤]] 全3巻(原作:大塚英志) **[[MADARA転生編]] 全1巻 (原作:大塚英志) * [[多重人格探偵サイコ]] 全24巻(原作:大塚英志) * [[BROTHERS]] * Baby Baby(田島昭宇画業35周年作品集) ** BABY LOST(Baby Baby副読本) === 未収録作品 === 下記のほとんどの作品が単行本未収録であったが2021年に発売された田島昭宇画業35周年作品集『Baby Baby』にて単行本初収録された。<!--2021年12月4日に作品集に描きおろしを加えた『プラネタリウムの天使complete』が発売された。--> * アワ・タイム * スクール・オブ・ザ・リビングデッド * スーパー・チャイニーズ * 場所 * とどめをハデにくれ! * Baby Baby(『[[Comic新現実]]』Vol.6収録) * 7月4日ハレ。(「[[FLAT (アンソロジーコミック)|FLAT]]」収録) * SUZUGAMORI(田島昭宇vs浅田弘幸 収録) * Lust For Life(「[[Adidas MANGA FEVER]]」収録、「田島昭宇×[[浅田弘幸]]×[[小畑健]]」名義) * MADE IN HEAVEN(「[[デビルマン|ネオデビルマン]]3」収録) * プラネタリウムの天使(「[[robot (雑誌)|robot]]1」収録) === 画集 === * マダラ・カラーズ * ガレリアンズ・ア・ヘッド * SHO-U * M-FILE * ゴリラキック * BABY★STARDUST * 光速ガールズ * BABY★STARDUST+ * SHO-U TAJIMA(st) * GALERIANS A HEAD―田島昭宇ガレリアンズ画集 * ロザリオイエティ * LOVE GOD MURDER * 冬暮れの金星(田島昭宇画業35周年記念画集) * 夢限パヤパヤ(田島昭宇 装画集) === キャラクターデザイン === * [[ガレリアンズ]] * [[ガレリアンズ:アッシュ]] * [[怪童丸]] * [[お伽草子 (アニメ)|お伽草子]](原案) * [[キル・ビル Vol.1]](アニメパート) * 漫画版 [[そのケータイはXXで#漫画版|XX(エクスクロス)]](原作:[[上甲宣之]]、作画・製作協力:[[プロダクション・アイジー|Production I.G]])(キャラクター原案) * [[K-20 怪人二十面相・伝]](コスチュームデザイン) * [[Fate/Grand Order]](一部キャラクターデザイン) === イラスト === * 果ての塔の物語(作:[[前田珠子|森山櫂]]、ウィングス・ノヴェルス) * トップラン(作:[[清涼院流水]]、[[幻冬舎文庫]]) * [[帝都物語]](作:[[荒俣宏]]、[[角川文庫]]) * [[修羅雪姫]] * 東京ゲンジ物語(作:[[樹林伸|天樹征丸]]、[[講談社]]) * サウンドトラック(作:[[古川日出男]]、[[集英社文庫]]) * 雑誌「[[九龍]]」([[河出書房新社]]) * [[陰陽ノ京]](作:[[渡瀬草一郎]]、[[電撃文庫]]、但し第一巻のみ) * [[コスプレ幽霊 紅蓮女]](作:[[上甲宣之]]、宝島文庫) * Fragile-こわれもの(作:[[石崎洋司]]、長埼夏実、[[令丈ヒロ子]]、[[花形みつる]]、[[ピュアフル文庫]]) * Helpless(作:[[青山真治]]、角川文庫) * 江戸川乱歩ベストセレクション(作:[[江戸川乱歩]]、[[角川ホラー文庫]]) * [[創竜伝]](作:[[田中芳樹]]、[[YA!ENTERTAINMENT]]) * 山田風太郎ベストコレクション(作:[[山田風太郎]]、角川文庫) * ハンターダーク(作:[[秋田禎信]]、[[TOブックス]]) * 忍びの森(作:[[武内涼]]、角川ホラー文庫) * 山田風太郎全仕事(編:角川文庫編集部、角川文庫) * [[ファイナルファンタジーVII|小説ファイナルファンタジーVII外伝 タークス〜ザ・キッズ・アー・オールライト〜]](作:[[野島一成]]、[[スクウェア・エニックス]]) * [[ストレイヤーズ・クロニクル]](作:[[本多孝好]]、[[集英社]]) * 悪人の名言(作:悪人の名言研究会、TOブックス) * 殺人遺伝子ギルティ(作:ソフィー・ジョーダン、[[ハーパーBOOKS]]) * [[さよなら絶望先生 (アニメ)|懺・さよなら絶望先生]](第12話エンドカード) * [[ブラッドラッド]](第5話エンドカード) == 脚註 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Twitter|softmachine1966}} * Official {{Twitter|shoutajima}} * [https://www.shoutajima.com/ 田島昭宇 オフィシャルサイト] * [https://foundation.app/@shoutajima 田島昭宇 NFT(foundation)] * [https://shoutajima.booth.pm/ 田島昭宇 オフィシャルストア(BOOTH)] * [https://shoutajima.stores.jp/ 田島昭宇 オフィシャルストア(stores)] {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{デフォルトソート:たしま しようう}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本のイラストレーター]] [[Category:本郷高等学校出身の人物]] [[Category:埼玉県出身の人物]] [[Category:1966年生]] [[Category:存命人物]]
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田島みるく
田島 みるく(たじま みるく、1958年12月30日 - )は、日本の漫画家、小説家。熊本県熊本市武蔵ヶ丘出身、埼玉県所沢市在住。熊本県立第一高等学校卒、明治大学農学部農芸化学科卒。女性で既婚(1男2女の母)。 3歳から9歳の頃までは人吉市で過ごした。1986年、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)掲載の4コマ漫画でデビュー。『本当にあった愉快な話』(竹書房)などで読者投稿漫画やエッセイ漫画、育児コミックなどを描いているほか、講演やテレビ番組出演もこなしている。代表作に、自身の育児体験をもとに描いた『あたし天使あなた悪魔』など。2010年からは、小説家としても活動を始めている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "田島 みるく(たじま みるく、1958年12月30日 - )は、日本の漫画家、小説家。熊本県熊本市武蔵ヶ丘出身、埼玉県所沢市在住。熊本県立第一高等学校卒、明治大学農学部農芸化学科卒。女性で既婚(1男2女の母)。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "3歳から9歳の頃までは人吉市で過ごした。1986年、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)掲載の4コマ漫画でデビュー。『本当にあった愉快な話』(竹書房)などで読者投稿漫画やエッセイ漫画、育児コミックなどを描いているほか、講演やテレビ番組出演もこなしている。代表作に、自身の育児体験をもとに描いた『あたし天使あなた悪魔』など。2010年からは、小説家としても活動を始めている。", "title": "経歴・人物" } ]
田島 みるくは、日本の漫画家、小説家。熊本県熊本市武蔵ヶ丘出身、埼玉県所沢市在住。熊本県立第一高等学校卒、明治大学農学部農芸化学科卒。女性で既婚(1男2女の母)。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 田島 みるく | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{flagicon|Japan}} [[熊本県]][[熊本市]]<ref name="kumamoto1" />[[武蔵ヶ丘]]<ref name="kumamoto2" /> | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1958|12|30}} | 没年 = | 没地 = | 職業 = [[漫画家]]、[[小説家]] | 活動期間 = [[1986年]]<ref name="kumamoto1" /> - | ジャンル = [[エッセイ漫画]] | 代表作 = 『[[あたし天使あなた悪魔]]』など | 受賞 = | 公式サイト = }} '''田島 みるく'''(たじま みるく、[[1958年]]<ref name="kumamoto1">[http://www.kininaru-k.jp/bns/back_doc/09062002/column.html 関連情報サイト「“くまもと”な私」第23号]</ref>[[12月30日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[小説家]]。[[熊本県]][[熊本市]]<ref name="kumamoto1" />[[武蔵ヶ丘]]<ref name="kumamoto2">[http://www.kininaru-k.jp/bns/back_doc/09132002/column.html 関連情報サイト「“くまもと”な私」第24号]</ref>出身、[[埼玉県]][[所沢市]]在住。[[熊本県立第一高等学校]]卒<ref>[http://www.kumamoto-kenjinkai.com/big_name/index.php 熊本出身有名人 - 東京熊本県人会]</ref>、[[明治大学]][[農学部]]農芸化学科卒<ref>[http://4koma.livedoor.com/mangalife/tajimamilk/ 『まんがライフWIN』内のプロフィール]より。</ref>。女性で既婚(1男2女の母)<ref name="kumamoto1" />。 == 経歴・人物 == 3歳から9歳の頃までは[[人吉市]]で過ごした<ref name="kumamoto2" />。[[1986年]]、『[[週刊ヤングジャンプ]]』([[集英社]])掲載の[[4コマ漫画]]でデビュー<ref name="kumamoto1" />。『本当にあった愉快な話』([[竹書房]])などで読者投稿漫画や[[エッセイ漫画]]、[[育児コミック]]などを描いているほか、講演やテレビ番組出演もこなしている<ref name="kumamoto1" />。代表作に、自身の育児体験をもとに描いた『[[あたし天使あなた悪魔]]』など。[[2010年]]からは、小説家としても活動を始めている。 == 単行本作品リスト == ; 漫画作品 * ボッキーホラーSHOW([[集英社]]) * ツルネコ家族([[竹書房]]) * [[あたし天使あなた悪魔]](婦人生活社、全4巻) ※2003年に[[PHP研究所]]から新装版全4巻発行。 * ケッコンカン([[徳間書店]]) * 桃尻草子([[ぶんか社]]) * ミルキィ通信(竹書房) * アダムとイブの大疑問([[青春出版社]]) * 本当にあった愉快な話(竹書房)1 - 10巻 ** 本当にあった愉快な話 珍事件スペシャル ** 本当にあった愉快な話セレクション ** 本当にあった愉快な話 ヒィーギャー恐怖スペシャル ** 本当にあった愉快な話 ここがヘンだよスクープ大賞編 ** 本当にあった愉快な話 愛憎ドキュメント編 ** 本当にあった愉快な話 生ネタいちばん! * お子様ってやつは(PHP研究所) * のぞみかなえ株式会社([[主婦と生活社]]) * うるわしのオジータ(竹書房) * おかあさんがおこってる(主婦と生活社) * 出産ってやつは(PHP研究所) * 田島みるくのコギャル伝説くるみちゃん(ぶんか社) * 好毛子<!--すけこ-->さん([[光文社]]) * ガーデニングってやつは(PHP研究所) * おかあさんはおこってる(主婦と生活社) * とんでもママの子育て図鑑([[日本文芸社]]) * 田島みるくのXin Chao! こんにちはベトナム([[東京書籍]]) * 嫁VS姑聞いてよ聞いてっ!!(竹書房) * 親バカってやつは(PHP研究所) ; イラスト等担当作品 * 子どもを伸ばすあの手・この手・すべての手(著者:[[小林陽子]]、[[小学館]]) * 最新介護保険まるごとQ&A(小学館) * まるごとわかる株・投資信託・外貨預金の買い方、始め方(著者:吉田明弘、[[日本文芸社]]) * ちんちんとおっぱいとだっこ(著者:[[松田ようこ]]、小学館) * やさしくわかるワイン入門(PHP研究所) * しあわせ脳にスイッチを入れる魔法の言葉51(著者:[[佐藤富雄]]、[[幻冬舎]]) ; 小説作品 * ぼくら!花中探偵クラブシリーズ(PHP研究所) ** ぼくら!花中探偵クラブ 学園をおびやかす謎の幽霊事件 ** ぼくら!花中探偵クラブ 2 幽霊沼と三つ子地蔵の伝説 ** ぼくら!花中探偵クラブ 3 呪い村神隠し事件の謎 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://4koma.livedoor.com/mangalife/tajimamilk/ 田島みるく 先生 - まんがライフWIN - livedoor デイリー4コマ]{{リンク切れ|date=2019年8月}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{Writer-stub}} {{デフォルトソート:たしま みるく}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本の小説家]] [[Category:明治大学出身の人物]] [[Category:熊本市出身の人物]] [[Category:1958年生]] [[Category:存命人物]]
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立原あゆみ
立原 あゆみ(たちはら あゆみ、1946年11月27日 - )は、日本の漫画家。千葉県出身。男性。日本大学芸術学部美術学科卒業。 ペンネームの由来は、立原道造と、彼の作品における「あゆ」より。 1970年、『ダブダブ』(集英社「週刊マーガレット」)でデビューし、講談社、小学館、白泉社、秋田書店、サンリオなどでリリカルな少女漫画を中心に執筆。1970年代後半より、大人の女性向け漫画を執筆し、YOU(集英社)・BE・LOVEなど女性向け漫画誌でも多くの作品を発表した。 1983年に週刊少年チャンピオンで少年誌での執筆を始めてからは、少年誌・青年誌での仕事が多くなった。『本気!』が開始された1986年以降は任侠(ヤクザ)ものの漫画を中心に描いている。任侠漫画がヒットした後も、「きらら16(セーズ)」(秋田書店)創刊時などに看板作家として少女漫画を手がけている。 代表作は『麦ちゃんのヰタ・セクスアリス』『本気!』・『弱虫』・『JINGI 仁義』・『あばよ白書』など。 世界観を共通とする作品が多く、特に任侠漫画ではその傾向が強い。 初期にはのなかのばら名義の作品もあり、また、原作者として積木爆のペンネームで執筆することもある。 過去には、講談社のゴルフコンペで出会ったことをきっかけに石ノ森章太郎の弟子となり、絵入りの手紙による指導を受けるなどしていた。 また、立原は、映像的にはあすなひろしのファンであり、「もうひとりの師匠といえる」「いろいろ美的感覚を学びました」とも語っている。
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立原 あゆみは、日本の漫画家。千葉県出身。男性。日本大学芸術学部美術学科卒業。
{{Redirect|のなかのばら|4コマ漫画家|野中のばら}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 立原 あゆみ | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生年 = {{生年月日と年齢|1946|11|27}} | 生地 = [[千葉県]] | 没年 = | 没地 = | 国籍 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間= [[1970年]] - | ジャンル = [[少女漫画]]、任侠漫画 | 代表作 = 「[[本気!]]』<br />『[[JINGI 仁義]]』他 | 受賞 = | サイン = | 公式サイト = }} {{統合文字|犭}} '''立原 あゆみ'''(たちはら あゆみ、[[1946年]][[11月27日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[千葉県]]出身。男性。[[日本大学]]芸術学部美術学科卒業。 == 来歴 == ペンネームの由来は、[[立原道造]]と、彼の作品における「あゆ」より。 [[1970年]]、『ダブダブ』([[集英社]]「[[マーガレット (雑誌)|週刊マーガレット]]」)でデビューし、講談社、小学館、白泉社、秋田書店、サンリオなどでリリカルな少女漫画を中心に執筆。1970年代後半より、大人の女性向け漫画を執筆し、YOU(集英社)・BE・LOVEなど女性向け漫画誌でも多くの作品を発表した。 1983年に[[週刊少年チャンピオン]]で少年誌での執筆を始めてからは、少年誌・青年誌での仕事が多くなった。『本気!』が開始された1986年以降は[[任侠]]([[ヤクザ]])ものの漫画を中心に描いている。[[任侠漫画]]がヒットした後も、「[[きらら16|きらら16(セーズ)]]」(秋田書店)創刊時などに看板作家として少女漫画を手がけている。 代表作は『麦ちゃんのヰタ・セクスアリス』『本気!』・『弱虫』・『JINGI 仁義』・『あばよ白書』など。 世界観を共通とする作品が多く、特に任侠漫画ではその傾向が強い。 初期には'''のなかのばら'''名義の作品もあり、また、原作者として'''積木爆'''のペンネームで執筆することもある。 過去には、講談社のゴルフコンペで出会ったことをきっかけに[[石ノ森章太郎]]の弟子となり、絵入りの手紙による指導を受けるなどしていた<ref name="SQ">ジャンプスクエア2008年7月号 722頁「『極道の食卓』作者立原あゆみ先生直撃インタビュー!!」</ref>。 また、立原は、映像的には[[あすなひろし]]のファンであり、「もうひとりの師匠といえる」「いろいろ美的感覚を学びました」とも語っている<ref name="SQ" />。 == 作品リスト == === 立原あゆみ === * 涙星(アース)チンピラ子守歌(『[[週刊漫画TIMES]]』([[芳文社]])連載) * 青空いっぱいのらくがき (『[[ひとみ (雑誌)|ひとみ]]』([[秋田書店]])連載) * 青の群れ(『[[ヤングアニマル]]』([[白泉社]])連載) * 熱(あっ)くんの微熱(『[[週刊少年チャンピオン]]』(秋田書店)連載) * [[あばよ白書]](『月刊アニマルハウス』『ヤングアニマル』(白泉社)連載) * あばよポニーテール(『週刊セブンティーン』(集英社)掲載) * After School Wars(『月刊セブンティーン』(集英社)連載) * Am a Boy(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) ** 恐竜は2時間前まで生きていた ** 帰りたいのは蜜蜂だけじゃない * いけない草の町子(『セブンティーン』(集英社)掲載) * 恋愛(いたずら)(『[[別冊漫画ゴラク]]』([[日本文芸社]])連載) * うさねこちゃん(『小学四年生』(小学館)掲載) * 桜桃物語(『BE・LOVE』『び〜らぶペア』(講談社)連載) ** 桜桃物語(桃子16歳) ** 桜桃物語 ** プレ桜桃物語 * かすみ君のSomething(『月刊セブンティーン』(集英社)連載) * 風家族(『シルキー』(白泉社)連載) * 黄色い鳥(『週刊セブンティーン』(集英社)連載) * きらら(『[[月刊少年キャプテン]]』([[徳間書店]])連載) * ぎんねこMINMIN(『[[ひとみ (雑誌)|ひとみ]]』([[秋田書店]])連載) * 銀翼(『[[週刊少年チャンピオン]]』([[秋田書店]])連載) * グッバイカンパニー(『月刊セブンティーン』(集英社)連載) * 喰人(『[[ヤングチャンピオン]]』(秋田書店)連載) - 立原あゆみ本人をモデルとしている漫画家が登場する。 * こうのとり行進曲(『月刊セブンティーン』(集英社)連載) * 極道の食卓 ** 極道の食卓(『[[プレイコミック]]』(秋田書店)連載) ** 極道の食卓 獄中編(『プレイコミック』(秋田書店)連載) * さくらんぼ物語 * 潮騒が聞こえる * JACK&BETTY(『月刊セブンティーン』(集英社)連載) * 自由律(『シルキー』(白泉社)連載) * 瞬くんの瞬間(『月刊セブンティーン』(集英社)連載) * [[JINGI 仁義]] ** JINGI 仁義(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) ** JINGI2 仁義2(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) ** JINGIS 仁義S(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) ** 火薬(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)掲載) - JINGIと本気!のクロスオーバー作品 ** JINGI ZERO 仁義零(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) ** 仁義 AFTER(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) * すーぱーアスパラガス(『ひとみデラックス』([[秋田書店]])連載) * スーパーマンの子供(『ヤングレディ』(講談社)掲載) * 先公(『ヤングアニマル』(白泉社)連載) * 草原白書(『BE・LOVE』(講談社)掲載) * ダブダブ(『[[マーガレット (雑誌)|週刊マーガレット]]』([[集英社]]) * 地球儀の海(『リリカ』(サンリオ)連載) * [[弱虫(チンピラ)]](『[[週刊漫画ゴラク]]』(日本文芸社)連載) * 東京(『[[スーパージャンプ]]』([[集英社]])連載) * リストラ大王(『スーパージャンプ』(集英社)連載) * 当選(『[[グランドチャンピオン (雑誌)|グランドチャンピオン]]』(秋田書店)連載) * 遠い放課後(『BE・LOVE』(講談社)掲載) * のらねこ教室(『別冊マーガレット』『デラックスマーガレット』『ぶ〜け』(集英社)、『デュオ』(朝日ソノラマ)、『小学四年生』『小学六年生』(小学館)掲載) ** のらねこ教室 ** NEWのらねこ教室 * 麦(ばく)ちゃん ** 麦ちゃん ** 麦ちゃんのヰタ・セクスアリス (『[[小説ジュニア]]』(集英社)連載) ** 第2部麦ちゃんのヰタ・セクスアリス (『コミックST』(集英社)連載) * 花火(『コミックGIGA』(主婦と生活社)連載。休刊後、秋田書店より描き下ろしを合わせて単行本化) * フランダースの犬(絵本) * 不良レポート(『[[週刊少年チャンピオン]]』([[秋田書店]])掲載) * プレッシャーあっぷるず(『モーニングパーティー増刊』『モーニング』(講談社)連載) * Boys be 夏くん!!(『[[小説ジュニア]]』『YOU』(集英社)連載) * ぼくはウイリー!(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) * 地球儀(ほし)(『[[オースーパージャンプ]]』(集英社)連載) * 星くんの朝(『ひとみ』([[秋田書店]])連載) * ポニーテールがゆれてたぜ(『週刊セブンティーン』(集英社)掲載) * ポリ公(『週刊漫画ゴラク』(日本文芸社)連載) * [[本気!]](マジ!) ** 本気!(マジ!) (『[[週刊少年チャンピオン]]』([[秋田書店]])連載) ** [[本気!番外編1「風」]](『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) ** 本気!番外編2「命」(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) ** 本気!番外編3「SOS」(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) ** 本気!II(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) ** 本気!サンダーナ(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) ** 本気!雑記(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)不定期連載) ** 本気!外伝クジラ(『プレイコミック』(秋田書店)連載) - 本気!と極道の食卓のクロスオーバー作品 ** 本気!終章 火薬(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) * 森のイルカ(『きらら16』(秋田書店)連載) * 立夏物語(『ヤングレディ』(講談社)掲載) * 林檎物語(『ヤングレディ』(講談社)掲載) * 林檎たちの森(『び〜らぶペア』(講談社)掲載) * ルージュ(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)掲載) * Red Data Book 赤(『ヤングアニマル』(白泉社)連載) * 夢人(『YOU』(集英社)掲載) * 若き獅子の伝説(『JOTOMO(女学生の友)』(小学館)掲載) * わたしは萌(『週刊セブンティーン』(集英社)掲載) * 悪い男たち(『YOU』(集英社)掲載) === のなかのばら === * しあわせノック トントン・ミトン(『小学四年生』(小学館)掲載)<ref>{{Cite book|title=小学四年生|url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000670276-00|publisher=小学館|date=1975-04|location=東京|last=小学館}}</ref> * ポッポの日記(『小学四年生』(小学館)掲載) * 星の子ジュジュ(『[[なかよし]]』([[講談社]])連載)(株式会社トーヨーから、「星の子ジュジュ」を題材とした、折り紙などファンシー商品が1976年から1990年ごろまで発売されていた) === 立原あゆみ(原作) === * [[オレは力だ!]](画:[[吉田窓]])(『[[週刊少年チャンピオン]]』([[秋田書店]])連載) * [[房総暴走族ブラック金魚]](画:吉田窓)(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) === 積木爆(原作) === * ボーイズ(画:[[神矢みのる]])(『[[月刊少年チャンピオン]]』(秋田書店)連載) * [[Let'sダチ公]] ** [[Let'sダチ公]](画:木村知夫)(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) ** [[I'mダチ公]](画:木村知夫)(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) ** [[新Let'sダチ公 極道大学金時計]](画:木村知夫)(『別冊漫画ゴラク』(日本文芸社)連載) * 冒険王 THE ADVENTURE KING(画:[[木村知夫]])(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) * マルボウ!(画:木村知夫)(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) == 同一の世界観の作品 == * 『本気!』シリーズ、『JINGI 仁義』シリーズ、『あばよ白書』<ref>『あばよ白書』は同一の世界観に組み込まれたのは第三部からである。</ref>、『花火』、『当選』、『弱虫(チンピラ)』、『東京』、『恋愛(いたずら)』、『極道の食卓』などが同一の世界観で描かれている。 * 『麦ちゃん』シリーズ、『黄色い鳥』、『あばよポニーテール』、『かすみくんのSOMETHING』、『アフタースクールウォーズ』なども同一の世界観(上記とは別)で描かれている。 * 『熱くんの微熱』と上記作品では同じキャラクター(風岡翔)が出てきているが、パラレルである。 * 『喰人』と『極道の食卓』は同じキャラクターと同じ店が出てきているが、パラレルである。 === 『本気!』と同一の世界観の作品に登場する主な組織 === * '''羆組''' - 北海道 ** 月の輪会 ** 黒毛組 * '''雪見会''' - 東北 ** 日輪組 - 『花火』 ** 烏組 * '''風組''' - 関東 ** 望月組 - 『恋愛(いたずら)』、風の草書 ** 長野組 - 風の草書、'''紅屋組'''へ *** 月島組 - 『弱虫(チンピラ)』、'''紅屋組'''へ *** 江戸川組 - 『弱虫(チンピラ)』 ** 渚組 - 『本気!』、風の草書 *** 子組 - 『本気!』 ** 小間組 - 風の草書 *** 雨組 - 『東京』 ** 主税会 - 風の草書 ** 五社谷組 - 風の草書 ** 錦組 - 風の草書 ** 紅花組 - 風の草書 ** 赤目組 - 風の草書 ** 広地会 - 風の草書 ** 小風会 - 風の草書 ** 豊海組 - 風の草書 ** 本気組 - 『本気!』、風の草書 ** 集優会 - '''潮紋会'''と手を組み風組から独立→解散 ** 濁組 - 『極道の食卓』 * '''関東一円会'''(関東一円連合会) - 関東 ** 墨田川会 - 『JINGI』、一円会執行部 *** 砂組 - 『JINGI』 *** 七ツ山組 - 『JINGIS』 ** 浅見組(小笠原組) - 一円会執行部、六星会に参加→復帰 ** 高山組(横山組) - 一円会執行部 ** 酒井組 - 一円会執行部 ** 森の石会 - 一円会執行部 ** 利根組 - 一円会執行部 ** 上州またたび会 - 一円会執行部 ** 鳩山会 - 一円会執行部、岩見会に参加→復帰→六星会に参加→復帰 ** 雄武会 - 一円会執行部、六星会に参加 ** 立志会 - 一円会執行部、六星会に参加→復帰 ** 竜門会 - 一円会執行部、分裂し'''六星会'''を結成→六星会解散 ** 真十字会 - 元一円会執行部 ** 岩見組 - 元一円会執行部、独立し'''岩見会'''→解散 ** 平間組 - 元一円会執行部、岩見会に参加→解散 * '''犭会'''(けもの会) - 東海 ** 猩猩組 - 『あばよ白書』『弱虫(チンピラ)』、犭会最古七組 ** 天狗組 - 犭会最古七組 ** 狐尾組 - 犭会最古七組 ** 独会 - 犭会最古七組 ** 獲物組 - 犭会最古七組 ** 狩首組 - 犭会最古七組 ** 猿楽組 - 犭会最古七組 * '''雷音会''' - 佐渡、北陸 ** 若獅子会 ** 小獅子会 ** 獅吼組 * '''極地天道会''' - 関西 ** 飛田組 極地天道会八奉行 ** 種倉組 極地天道会八奉行 *** 新宮組 - 『弱虫(チンピラ)』 ** 鐘組 極地天道会八奉行 ** 図譜組 極地天道会八奉行 ** 去来組 極地天道会八奉行 ** 後の月会 極地天道会八奉行 ** 津島組 極地天道会八奉行 ** 玉仁会 極地天道会八奉行 ** 水野組 ** 天組 - 『本気!』 * '''紅屋組''' - 関西 ** 長野組 - 風組より *** 月島組 - 風組より * '''潮紋会''' - 四国 ** 波間組 - 『当選』 ** 舟組 ** 中組 * '''鷲組''' - 九州 == アシスタント == * [[白銀章]] * [[吉田窓]] == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://tachihara-ayumi.com/ 立原あゆみweb.] * [https://web.archive.org/web/20190621141629/https://tachihara.jpn.com/ 立原あゆみweb.] - 旧サイトのアーカイブ {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:たちはら あゆみ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:千葉県立成東高等学校出身の人物]] [[Category:日本大学出身の人物]] [[Category:千葉県出身の人物]] [[Category:1946年生]] [[Category:存命人物]]
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たなか亜希夫
たなか 亜希夫(たなか あきお、1956年1月6日 - )は、日本の漫画家。 宮城県石巻市出身。小池一夫の主宰した漫画・劇画製作者を養成する私塾「劇画村塾」出身。代表作は『軍鶏』など。
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たなか 亜希夫は、日本の漫画家。 宮城県石巻市出身。小池一夫の主宰した漫画・劇画製作者を養成する私塾「劇画村塾」出身。代表作は『軍鶏』など。
'''たなか 亜希夫'''(たなか あきお、[[1956年]][[1月6日]]<ref name="tanaka">[http://tanaka-akio.com/profile/ たなか亜希夫 OFFICIAL WEBSITE 略歴]</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。 [[宮城県]][[石巻市]]出身<ref name="tanaka" /><ref>{{Cite web|和書|title=たなか亜希夫が故郷石巻を描く「リバーエンド・カフェ」アクションで開幕|url=https://news.mynavi.jp/article/20170718-a209/|website=マイナビニュース|date=2017-07-18|accessdate=2021-02-22|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=石巻を舞台にした人間模様描く 〝絆〟に嫌悪の高校生が主人公|url=https://www.kyodo.co.jp/national-culture/2020-04-06_2649197/|website=株式会社共同通信社 {{!}} 株式会社共同通信社の情報ポータルサイト|accessdate=2021-02-22|language=ja}}</ref>。[[小池一夫]]の主宰した[[漫画]]・[[劇画]]製作者を養成する[[私塾]]「[[劇画村塾]]」出身<ref>[http://www.gekison.com/admission/index.html 小池一夫 劇画村塾] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090512171414/http://www.gekison.com/admission/index.html |date=2009年5月12日 }}</ref>。代表作は『[[軍鶏 (漫画)|軍鶏]]』など。 == 作品リスト == * [[ア・ホーマンス]] (原作: 狩撫麻礼、『[[週刊漫画アクション]]』) * [[迷走王 ボーダー]] (原作: [[狩撫麻礼]]、『週刊漫画アクション』) * 雪崩式ブレンバスター * [[クラッシュ!正宗]] (原作: [[小林信也]]、『週刊漫画アクション』、[[双葉社]]) * 南回帰線 (原作: [[中上健次]]) * [[軍鶏 (漫画)|軍鶏]] (原作: [[橋本以蔵]]、『週刊漫画アクション』→『[[イブニング]]』、[[講談社]]) * 下北沢フォービート・ソルジャー * 侍・にっぽん * らっきーまん(『[[コミックバーガー]]』、[[スコラ]]) * 人が人を愛することのどうしようもなさ (原作: [[石井隆]]) * 20世紀伝説 (原作: 石井隆) * フジワラくん (『[[週刊ヤングサンデー]]』、[[小学館]]) * 幸福になりたい * Glaucos グロコス(『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』、講談社) * かぶく者(原作:[[デビッド宮原]]、『モーニング』) * 喧嘩猿(原作:[[きうちかずひろ]]、『イブニング』) * [[リバースエッジ 大川端探偵社]](原作:[[ひじかた憂峰]]、『[[週刊漫画ゴラク]]』、[[日本文芸社]]) * [[リバーエンド・カフェ]](『[[漫画アクション]]』、双葉社) * 隠密教師キド(『グランドチャンピオン』、秋田書店) * ボタン・ダウンSt.(『ヤングコミック』少年画報社、1981年) == アシスタント == * 仲能健児<ref>仲能健児 『猿王』 [[青林工藝舎]]、2005年。</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[日本の漫画家一覧]] * [[宮城県出身の人物一覧]] == 外部リンク == * [http://tanaka-akio.com たなか亜希夫 OFFICIAL WEBSITE](公式ページ) {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:たなか あきお}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:宮城県出身の人物]] [[Category:1956年生]] [[Category:存命人物]]
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田辺節雄
田辺 節雄(たなべ せつお、本名同じ、1949年1月28日)は、日本の漫画家。大分県東国東郡出身、大分県立安岐高等学校卒。少年向け作品で「たなべせつを」表記が使われることがある。 高校卒業後、京都の電機会社に就職するが、望月三起也から誘いの手紙をもらい退職、その後上京して望月のアシスタントとなり、約2年半続けた。独立後、1971年に『月刊少年チャンピオン』(秋田書店)にてサッカー劇画『どろんこシュート』でデビュー。少年画報社新人漫画賞佳作受賞。 以後、『戦国自衛隊』(原作・半村良)『地球0年』(原作・矢野徹)、『謀殺のチェス・ゲーム』(原作・山田正紀)、『滅びの笛』(原作・西村寿行)などを執筆。『週刊漫画TIMES』(芳文社)に『悪党貴族』(原作・間都聖史)、『悪玉志願』(原作・渡辺一雄/脚色・磯田健生)、『しぶとい男』(原作・伊東恒久)、「歴史と旅」に『武田信玄』を連載。 また、ゴルフレッスンもの等を10年余り連載し、少年向けのサッカー解説書『少年サッカー』やサッカー解説者として知られている湯浅健二の『サッカーを「観る」技術 スーパープレー5秒間のドラマ』(新潮社)においてイラストを担当するなどスポーツ漫画、イラストの作者としても知られる。 アシスタントからは佐佐木勝彦がデビューした。 月刊少年チャンピオンの「劇画ロードショー」枠に掲載された。後半では「たなべせつを」表記が使われた。
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田辺 節雄は、日本の漫画家。大分県東国東郡出身、大分県立安岐高等学校卒。少年向け作品で「たなべせつを」表記が使われることがある。
'''田辺 節雄'''(たなべ せつお、本名同じ<ref name="all">『劇画・マンガ家オール名鑑』 p218 [[徳間書店]]</ref>、[[1949年]][[1月28日]]<ref name="all" />)は、日本の[[漫画家]]。[[大分県]][[東国東郡]]出身<ref name="all" />、[[大分県立安岐高等学校]]卒<ref name="all" />。少年向け作品で「たなべせつを」表記が使われることがある。 == 来歴・人物 == 高校卒業後、京都の電機会社に就職するが、[[望月三起也]]から誘いの手紙をもらい退職、その後上京して望月の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]となり、約2年半続けた<ref name="all" />。独立後、[[1971年]]に『[[月刊少年チャンピオン]]』([[秋田書店]])にて[[サッカー漫画|サッカー劇画]]『'''どろんこシュート'''』でデビュー<ref name="all" />。[[少年画報社]]新人漫画賞佳作受賞。 以後、『戦国自衛隊』(原作・半村良)『地球0年』(原作・矢野徹)、『謀殺のチェス・ゲーム』(原作・山田正紀)、『滅びの笛』(原作・西村寿行)などを執筆。『[[週刊漫画TIMES]]』([[芳文社]])に『悪党貴族』(原作・間都聖史)、『悪玉志願』(原作・渡辺一雄/脚色・磯田健生)、『しぶとい男』(原作・伊東恒久)、「歴史と旅」に『武田信玄』を連載。 また、ゴルフレッスンもの等を10年余り連載し、少年向けのサッカー解説書『少年サッカー』やサッカー解説者として知られている[[湯浅健二]]の『サッカーを「観る」技術 スーパープレー5秒間のドラマ』(新潮社)においてイラストを担当するなど[[スポーツ漫画]]、イラストの作者としても知られる。 アシスタントからは[[佐佐木勝彦]]がデビューした。 == 作品リスト == * どろんこシュート(1971年、月刊少年チャンピオン 秋田書店) * [[戦国自衛隊 (劇画)|戦国自衛隊]](1975年、プレイコミック 秋田書店 原作:[[半村良]]) * [[戦国自衛隊 (劇画)|続・戦国自衛隊]](2000年、書下ろし 世界文化社 原案:半村良) *黄金伝説(1973年、月刊少年チャンピオン 秋田書店 原作:半村良) - 9月号および10月号に前後編で掲載 * [[滅びの笛]](1977年、プレイコミック 秋田書店 原作:[[西村寿行]]) * 滅びの宴(1985年、月刊プレイコミック 秋田書店 原作:西村寿行) * [[蒼茫の大地、滅ぶ]](1980年、プレイコミック 秋田書店 原作:西村寿行) * 戦略列島(原作:[[六本木二郎]]) * 地球0年(原作:[[矢野徹]]) * [[謀殺のチェス・ゲーム]](1977年 [[Apache (雑誌)|Apache]] 講談社 原作:[[山田正紀]]) * [[崑崙遊撃隊]](原作:山田正紀) * エルドラドの翼(原作:[[原麻紀夫]]) * メガロ刑事(原作:原麻紀夫) * いれずみ刑事(原作:[[大野武士]]) * 白熱(デッドヒート)(原作:[[田中光二]]) * 悪党貴族(原作・[[間都聖史]]) * 悪玉志願(原作・[[渡辺一雄 (作家)|渡辺一雄]]/脚色・[[磯田健生]]) * 海獣(原作:[[斎藤栄]]) * 高野聖(原作:[[泉鏡花]]) * しぶとい男(ヤツ)(原作:[[伊東恒久]]) * 武田信玄 * 日本中を震撼させた血の激突!(原作:[[大下英治]] [[大和書房]]) ** [[ミリオン出版]]の各テーマ集の[[コンビニコミック]]の作画。 * くにさき漫画偉人伝ペトロ・カスイ岐部 * [[超時空DDH ヘリ母艦南海の決戦]] *トクマコミックス バイク戦士(ソルジャー) *遺作 皇軍西へ征け(原作林千勝 ワック) == コミカライズ作品 == === テレビアニメ === * [[激走!ルーベンカイザー]] - [[徳間書店]]「[[テレビランド]]」1977年11月号から1978年2月号まで掲載。 === 映画 === 月刊少年チャンピオンの「劇画ロードショー」枠に掲載された。後半では「たなべせつを」表記が使われた。 * [[燃えよドラゴン]] - 1973年12月号 *[[ドラゴンへの道]] - 1975年3月号 *[[タワーリング・インフェルノ]] - 1975年7月号 *[[ジョーズ]] - 1975年12月号 *[[狼たちの午後]] - 1976年4月号 *[[風とライオン]] - 1976年6月号 *[[スカイハイ]] - 1976年7月号 *[[ヒンデンブルグ (映画)|ヒンデンブルグ]] - 1976年8月号 *ジャイアント・スパイダー大襲来 - 1976年9月号 *[[オーメン]] - 1976年11月号 *[[カサンドラ・クロス]] - 1977年1月号 == 脚注 == {{reflist}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:たなへ せつお}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:大分県出身の人物]] [[Category:1949年生]] [[Category:存命人物]]
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ちばあきお
ちば あきお(本名:千葉 亜喜生、1943年〈昭和18年〉1月29日 - 1984年〈昭和59年〉9月13日)は、日本の漫画家。満洲国の奉天(現:中華人民共和国遼寧省瀋陽市)出身。4人兄弟の三男で、長兄は漫画家のちばてつや、次兄は千葉プロダクション社長の千葉研作(元漫画家)、弟は漫画原作者の七三太朗。 少年時代は手先が器用でラジオの修理なども出来たほど。高校は夜間学校で、昼間は玩具製造工場に勤めていたが、身体を壊し退社した。療養中にちばてつやのアシスタントとして漫画界に携わる。 ちばてつやのアシスタントをする中、1967年『なかよし』(講談社)掲載の『サブとチビ』でデビュー。代表作は『キャプテン』、『プレイボール』など。ひたむきで健全な少年たちを明朗に描いた作品で人気を得た。 躁鬱病を患った後に、1984年9月13日、仕事場2階にて首を吊り自殺した。41歳没。絶筆となった『チャンプ』の最終回(第8話)は、チーフアシスタントであった高橋広が、ちばあきおの下絵をもとに作品として仕上げ掲載された。 21世紀に入ってからも『プレイボール』がアニメ化されるなど、根強く評価されている。 2022年3月に長男である千葉一郎(ちばあきおプロダクション代表)による『ちばあきおを憶えていますか 昭和と漫画と千葉家の物語』が出版された。
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ちば あきおは、日本の漫画家。満洲国の奉天出身。4人兄弟の三男で、長兄は漫画家のちばてつや、次兄は千葉プロダクション社長の千葉研作(元漫画家)、弟は漫画原作者の七三太朗。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = ちば あきお | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = 千葉 亜喜生 | 生年 = {{生年月日と年齢|1943|1|29|no}} | 生地 = {{MCK}} [[奉天省 (満洲国)|奉天省]][[奉天市]] | 没年 = {{死亡年月日と没年齢|1943|1|29|1984|9|13}} | 没地 = [[東京都]] | 国籍 = {{JPN}} | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1967年]] - [[1984年]] | ジャンル = [[野球漫画]]<br />[[スポーツ漫画]] | 代表作 = 『[[キャプテン (漫画)|キャプテン]]』<br />『[[プレイボール (漫画)|プレイボール]]』<br />『[[ふしぎトーボくん]]』ほか | 受賞 = 第22回[[小学館漫画賞]]([[1976年]]) | サイン = | 公式サイト = {{Official website|https://www.chibaakio.jp/|ちばあきお オフィシャルウェブサイト}} }} '''ちば あきお'''(本名:千葉 亜喜生、[[1943年]]〈[[昭和]]18年〉[[1月29日]] - [[1984年]]〈昭和59年〉[[9月13日]])は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[満洲国]]の[[奉天市|奉天]](現:[[中華人民共和国]][[遼寧省]][[瀋陽市]])出身。4人兄弟の三男で、長兄は漫画家の[[ちばてつや]]、次兄は千葉プロダクション社長の千葉研作(元漫画家)、弟は漫画原作者の[[七三太朗]]。 == 来歴 == 少年時代は手先が器用でラジオの修理なども出来たほど{{efn2|ただし、本人談。兄・ちばてつやが『[[ひねもすのたり日記]]』にてこのエピソードを披露している<ref>{{Cite journal|和書|author=ちばてつや |authorlink=ちばてつや |title=『[[ひねもすのたり日記]]』第33回 あきおのこと(2) |publisher=小学館 |journal=[[ビッグコミック]] |issue=2017年5月10日号}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=ちばてつや |title=ひねもすのたり日記 第2集 |date=2019-04-26 |publisher=小学館サービス |series=ビッグコミックススペシャル |isbn=978-4-0986-0335-0 |page=14 |chapter=第33回 あきおのこと(2)}}</ref>}}。高校は夜間学校で、昼間は玩具製造工場に勤めていたが、身体を壊し退社した。療養中にちばてつやの[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]として漫画界に携わる。 ちばてつやのアシスタントをする中、[[1967年]]『[[なかよし]]』([[講談社]])掲載の『サブとチビ』でデビュー。代表作は『[[キャプテン (漫画)|キャプテン]]』、『[[プレイボール (漫画)|プレイボール]]』など。ひたむきで健全な少年たちを明朗に描いた作品で人気を得た。 [[双極性障害|躁鬱病]]を患った後に、[[1984年]][[9月13日]]、仕事場2階にて首を吊り自殺した。{{没年齢|1943|1|29|1984|9|13}}。絶筆となった『[[チャンプ (漫画)|チャンプ]]』の最終回(第8話)は、チーフアシスタントであった[[高橋広 (漫画家)|高橋広]]が、ちばあきおの下絵をもとに作品として仕上げ掲載された。 21世紀に入ってからも『プレイボール』がアニメ化されるなど、根強く評価されている。 == 経歴 == *1967年、『サブとチビ』でデビュー。 *:各種少年少女誌に読切作品を掲載する。ちばてつやのアシスタントは[[1971年]]まで行う。 *1972年、『[[キャプテン (漫画)|キャプテン]]』を連載開始( - 1979年)※1972年読みきりの『がんばらなくっちゃ』好評に付き改題して連載化する。 *1973年、『[[プレイボール (漫画)|プレイボール]]』を連載開始 - 1978年) *1977年、第22回(昭和51年度)[[小学館漫画賞]]受賞(『キャプテン』『プレイボール』) *1979年、『[[キャプテン (漫画)|キャプテン]]』終了後、休筆 *1982年、『[[ふしぎトーボくん]]』を連載( - 1983年) *1984年、『[[チャンプ (漫画)|チャンプ]]』を連載(絶筆) == 作品リスト == *[[あかねちゃん|あかねちゃんとさくらちゃん]]([[たのしい幼稚園 (雑誌)|たのしい幼稚園]] 1968年6月号 - 1969年3月号、[[講談社]]) *:兄・てつやの作品『[[あかねちゃん]]』のアニメ化に伴い、姉妹版として連載。 *校舎うらのイレブン(1971年、[[別冊少年ジャンプ]]2月号、[[集英社]]) *半ちゃん(1971年、別冊少年ジャンプ9月号){{efn2|name="半ちゃん"|『半ちゃん』(ジャンプスーパーコミックス、1979年4月発行)に収録。}} *ニタリくん{{efn2|name="半ちゃん"}} *愛の惨歌{{efn2|name="半ちゃん"}} *みちくさ(1972年、[[別冊少年サンデー]]1月号、[[小学館]]){{efn2|name="半ちゃん"}} *がんばらなくっちゃ(1973年2月号、別冊少年ジャンプ掲載) *:自伝的短編。主にデビュー作執筆中の奮闘ぶりが描かれている。 *[[キャプテン (漫画)|キャプテン]](1972年 - 1979年、別冊少年ジャンプ) *:中学野球の物語。谷口、丸井、イガラシ、近藤の墨谷二中の4代にわたるキャプテンと仲間の物語。 *:[[1980年代]]初頭にアニメ化。 *[[プレイボール (漫画)|プレイボール]](1973年 - 1978年、[[週刊少年ジャンプ]]、集英社) *:『キャプテン』の初代キャプテン谷口の高校野球における活躍を描く。 *:2005年にアニメ化。 *[[ふしぎトーボくん]](1982年 - 1983年、[[月刊少年ジャンプ]]、集英社) 原案:七三太朗 *:動物と言葉を交わす不思議な少年を描く。 *[[チャンプ (漫画)|チャンプ]](1984年4月号 - 11月号:絶筆、月刊少年ジャンプ) 原案:七三太朗 *:田舎育ちの少年がボクシングの世界に挑戦する物語。 *いってきま~す *:コミックス「校舎うらのイレブン ちばあきお傑作集」に収録<ref name="booklive">{{Cite web|和書|title=校舎うらのイレブン ちばあきお傑作集 |url=https://booklive.jp/product/index/title_id/514270/vol_no/001 |website=ブックライブ |access-date=2023-05-18}}</ref>。 *サブとチビ *:コミックス「校舎うらのイレブン ちばあきお傑作集」に収録<ref name="booklive" />。 == エピソード == * [[2008年]]に『[[週刊ヤングマガジン]]』で発表されたちばてつやの読み切り作品『トモガキ』によると、てつやは気分転換として弟のあきおと幼い頃から他の人に[[電気あんま]]をかますことがしばしばあった。 :『ママのバイオリン』(1958年7月 - 1959年5月、少女クラブ、講談社)が連載されていた当時も締め切りが迫っていて缶詰状態だったために、気分転換のために当時の担当者にあきおと電気あんまをかましたところ、担当者は堪らずにてつやを蹴飛ばしてしまった。てつやは蹴飛ばされた勢いで窓ガラスに体を突っ込んで、割れたガラスの破片で腕の腱を切る大怪我を負い、一時は漫画が描けなくなった。この時、口の中にもガラスの破片が刺さっていたが、かろうじて奥歯で食い止められていたため頚動脈を切らずに済んだとのことだった。 * 漫画原作者の[[武論尊]]を、まだ売れる前から面倒を見ていた。当時、武論尊の住んでいたマンションにあきおの仕事場があり、あきおがアシスタントの食事を作る際に1食分多く用意し、武論尊はよく食べさせてもらっていたという。 :後に『[[ドーベルマン刑事]]』がヒットして有頂天になっていた武論尊を、あきおが呼び出して「最近のお前、かっこ悪いぞ」と諭したこともあった。武論尊は当時を振り返り、「あきおさんのひと言がなければ、ヒット作を一本出しただけでオレは消えていたかもしれない」と語っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cyzo.com/2013/07/post_13874_entry.html |title=『北斗の拳』原作者・武論尊が語る自衛隊時代、そして、恩人ちばあきおに伝えられなかった言葉 |website=日刊サイゾー |publisher=サイゾー |date=2013-07-18 |accessdate=2022-09-30}}</ref>。 == その他 == 2022年3月に長男である千葉一郎(ちばあきおプロダクション代表)による『ちばあきおを憶えていますか 昭和と漫画と千葉家の物語』が出版された<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/470212 |title=ちばあきおの長男が父の知られざる足跡をたどる書籍「ちばあきおを憶えていますか」 |website=コミックナタリー |publisher=ナターシャ |date=2022-03-18 |accessdate=2022-09-30}}</ref>。 == アシスタント == * [[なかいま強]] * [[高橋広 (漫画家)|高橋広]] * 江田二三夫 * 島田賢司 * 多賀慎治 * あいきさだむ == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧]] == 外部リンク == * {{Official website|https://www.chibaakio.jp/|ちばあきお オフィシャルウェブサイト}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ちは あきお}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:ちばてつや|*ちは あきお]] [[Category:七三太朗|*ちは あきお]] [[Category:日本の引揚者]] [[Category:満洲国出身の人物]] [[Category:瀋陽出身の人物]] [[Category:自殺した日本の人物]] [[Category:1943年生]] [[Category:1984年没]]
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ちば拓
ちば 拓(ちば たく、1959年12月12日 - 2016年2月27日)は、日本の漫画家。群馬県太田市出身。かつて『週刊少年ジャンプ』で活躍していた。 『週刊少年ジャンプ』誌上で1982年5号から2年近く続いた『キックオフ』の終了後、ラグビー漫画『ノーサイド』や『虹のランナー』など他のスポーツ漫画を同誌で連載するが、いずれも短期連載に終わった。後に『コミック・フィギュア王』(1999年12月発刊)にて、『キックオフ2』を発表した。 2016年2月27日、腎盂がんで死去。
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ちば 拓は、日本の漫画家。群馬県太田市出身。かつて『週刊少年ジャンプ』で活躍していた。 『週刊少年ジャンプ』誌上で1982年5号から2年近く続いた『キックオフ』の終了後、ラグビー漫画『ノーサイド』や『虹のランナー』など他のスポーツ漫画を同誌で連載するが、いずれも短期連載に終わった。後に『コミック・フィギュア王』(1999年12月発刊)にて、『キックオフ2』を発表した。 2016年2月27日、腎盂がんで死去。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = ちば 拓 | 画像 = <!-- 画像ファイル名 --> | 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px --> | 脚注 = <!-- 画像の説明文 --> | 本名 = 板倉義一(いたくら よしかず)<ref name="yomi20160304" /><!-- 必ず出典を付ける --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1959|12|12|no}} | 生地 = {{JPN}}・[[群馬県]][[太田市]] | 没年 = {{死亡年月日と没年齢|1959|12|12|2016|02|27}} | 没地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 --> | 国籍 = <!-- {{JPN}} --> | 職業 = <!-- [[漫画家]] --> | 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 --> | 活動期間 = <!-- XXXX年 - YYYY年 --> | ジャンル = [[少年漫画]] | 代表作 = [[キックオフ (漫画)|キックオフ]] | 受賞 = <!-- 出版社の賞など --> | サイン = <!-- 画像ファイル名 --> | 公式サイト = <!-- {{Official|http://www.example.org}}や[http://www.example.org 公式ページ名] など --> }} '''ちば 拓'''(ちば たく、[[1959年]][[12月12日]] - [[2016年]][[2月27日]]<ref name="yomi20160304">{{Cite web|和書 |date = 2016-03-04 |url = https://web.archive.org/web/20160314123429/http://www.yomiuri.co.jp/obit/20160304-OYT1T50065.html |title = 【訃報】ちば拓氏=漫画家 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) |publisher = [[読売新聞]] |accessdate = 2016-03-04 }}{{リンク切れ|date=2018年3月 |bot=InternetArchiveBot }}</ref>)は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[群馬県]][[太田市]]出身。かつて『[[週刊少年ジャンプ]]』で活躍していた。 『週刊少年ジャンプ』誌上で[[1982年]]5号から2年近く続いた『キックオフ』の終了後、[[ラグビーフットボール|ラグビー]]漫画『ノーサイド』や『虹のランナー』など他のスポーツ漫画を同誌で連載するが、いずれも短期連載に終わった。後に『コミック・フィギュア王』(1999年12月発刊)にて、『キックオフ2』を発表した。 [[2016年]][[2月27日]]、[[腎盤|腎盂]][[悪性腫瘍|がん]]で死去<ref name="yomi20160304"/>。 == 作品リスト == * [[キックオフ (漫画)|キックオフ]]([[週刊少年ジャンプ]]、全12巻、ワイド版全7巻) * ショーリ!!(週刊少年ジャンプ、全2巻) * ノーサイド(週刊少年ジャンプ、全2巻) * 虹のランナー(週刊少年ジャンプ、全2巻) * たんぽぽの咲く道(短編集、全1巻) * クルミ(フレッシュジャンプ、読切) * キックオフ2(コミック・フィギュア王) * ときめき真子先生([[Vジャンプ]]) == 出典 == <references /> {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:ちは たく}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:群馬県出身の人物]] [[Category:1959年生]] [[Category:2016年没]]
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ちばてつや
ちば てつや(本名:千葉 徹彌、1939年〈昭和14年〉1月11日 - )は、日本の漫画家。代表作に『あしたのジョー』(原作:高森朝雄)、『ハリスの旋風』、『あした天気になあれ』、『のたり松太郎』、『みそっかす』など。 東京府(東京都の前身)出身。現在は練馬区在住。日本大学第一高等学校卒業。 2005年からは文星芸術大学教授を務める。2012年7月から2018年6月まで日本漫画家協会理事長を務め、2018年6月から同協会会長。2019年4月1日より2022年3月31日まで文星芸術大学学長に就任。 『キャプテン』『プレイボール』などが代表作の漫画家、ちばあきおは実弟。 1939年(昭和14年)1月11日、東京府東京市京橋区(現:東京都中央区)明石町の聖路加国際病院で生まれる。同年11月に日本を離れ、朝鮮半島を経て1941年1月、2歳の時に満州国奉天(現:中華人民共和国遼寧省瀋陽市)に渡る。印刷会社に勤めていた父親が暖房用にと貰ってきた紙の切れ端に絵を書いて寒い冬を過ごしていた。 1945年(昭和20年)、同地で終戦を迎え、敗戦に伴い暴動や略奪などが相次ぐ社会的混乱の中、生と死が隣り合わせの過酷な幼少の一時期を過ごした。父の同僚の中国人徐集川に一家は助けられて、屋根裏部屋にかくまってもらった。翌年家族共々葫芦島へ約200kmを移動、いわゆる葫芦島在留日本人大送還により舞鶴港に引き揚げ、父親の故郷である千葉県海上郡飯岡町(現:旭市)に住んだ後、東京都墨田区に移り住んだ。『ユカを呼ぶ海』を描いた時の浜辺のモチーフは、この飯岡町である。 道ばたに落ちていた豆本で初めて漫画を見る。『アラビアンナイト』を題材にした杉浦茂の作品で、その面白さに衝撃を受け、漫画にのめり込む。しかしちばの家は漫画に対して厳しく、一切禁止されていたため購入や家で読むことはできず、友人の家でこっそりと読むなどしていた。 小学生時にちばが絵を好きなことを見て声をかけた木内堯央と親友になり、彼が作成していた同人誌「漫画クラブ」に1950年(昭和25年)より参加するようになる。 高校生だった16歳のちばは、新聞の三行広告で漫画家を募集しているのを見つけて日昭書店に応募。社長の石橋国松は、ちばにプロの生原稿を見せて道具の使い方を教え、試しに描いてくるように指示したため、ちばは本格的な執筆を始めた。約3か月間にわたり、毎回20ページから30ページずつ原稿を持って行くとそのたびに続きを描くように言われていたちばは、これをテストだと思い込んでいたが、128ページ目で話を終わらせるように指示を受けて描いた最後の原稿を持ち込むと、その場で当時の大卒初任給を超える1万2351円を原稿料として石橋から手渡された。 この時に執筆した『復讐のせむし男』は1956年(昭和31年)に貸本として出版され、ちばは17歳で漫画家としてデビュー。以降、高校に通いながら貸本の執筆を続けた。 高校卒業を前に先輩の漫画家である鳥海やすに付いて訪れた『少女クラブ』(講談社)の編集部で自身の原稿(江戸川乱歩原作の『魔法人形』)を見せて執筆依頼を受け、読み切り『リカちゃん』を執筆。また同時期に訪れた『少女ブック』(集英社)でも執筆依頼を取り付け、読み切り『舞踏会の少女』を執筆する。両作共に1958年(昭和33年)に発表されたが『少女ブック』が先に発売されたため、『舞踏会の少女』が雑誌デビュー作となった。ともに少女誌となったのは、当時執筆陣が固まっていた少年漫画に比べ、少女漫画の方が新人の入る隙があったためであった。 両作をきっかけに連載も依頼され、同年6月号より『オデット城のにじ』(『少女ブック』)と『ママのバイオリン』(『少女クラブ』)を同時に連載開始する。しかし『少女ブック』がちばの了承なしに別冊への掲載を予告したことを機に講談社との専属契約を結び、『オデット城のにじ』は連載途中で降板する。 1961年(昭和36年)には『週刊少年マガジン』(講談社)において野球漫画『ちかいの魔球』(原作:福本和也)の連載を開始し、少年漫画の執筆にも活動を広げる。1962年(昭和37年)より『少女クラブ』の別冊ふろくで『1・2・3と4・5・ロク』を連載開始し、同年に同作と『魚屋チャンピオン』で第3回講談社児童まんが賞を受賞する。 その後も『紫電改のタカ』、『ユキの太陽』などヒット作を手がけ、1965年(昭和40年)に発表された『ハリスの旋風』はテレビアニメ化され、注目を集めた。 1968年(昭和43年)には劇画作家である高森朝雄(梶原一騎)と組み、ボクシングを舞台とした『あしたのジョー』を発表。同作品は爆発的なヒットとなり、連載されていた『週刊少年マガジン』の発行部部数を飛躍的に伸ばしたほか、一躍社会現象にもなった。 その後は、角界を舞台にした『のたり松太郎』や、プロゴルフを舞台にした『あした天気になあれ』などスポーツ漫画のロングランヒット作に加え、幅広い作品を発表。1980年(昭和55年)にはこれまでの功績を称え、青年漫画家の発掘を主とした講談社主催のちばてつや賞が設立された。 1984年(昭和59年)の創刊時から『GOLFコミック』(秋田書店)の表紙イラストを担当し、2018年の休刊まで続いた。 『少年よラケットを抱け』の執筆中、心臓疾患と網膜剥離を患って手術を受けることになり、ちばの身を案じた妻がちばの入院中にスタッフを解散させた。このため、1994年(平成6年)に連載を終了した『少年よラケットを抱け』以降は短編作品の執筆を中心とし、大人数を雇うプロダクション形式での長期連載は行っていない。 1998年(平成10年)にはやなせたかしの後任として、社団法人日本漫画家協会の常任理事に就任。また、2002年(平成14年)に横浜市で開催された『第5回アジアMANGAサミット』実行委員長に就任し、漫画文化の担い手として活躍する一方、2005年(平成17年)からは文星芸術大学でマンガ専攻の教授を務め、後進の育成に力を注いでいる。 2012年、日本漫画家協会理事長に就任し、2018年6月から同協会会長となる。2019年4月1日より文星芸術大学学長に就任。 2021年10月29日、体調を崩し東京都内の病院へ入院した。持病の心臓疾患などの治療を受け、年内に退院予定。 2022年1月4日、自身のブログを更新し仮退院したことを報告した。 2022年2月22日、2022年3月1日付けで文部科学大臣が発令する予定の日本芸術院の新設分野「マンガ」の新会員候補として選出された。 2022年3月31日、文星芸術大学学長を退任。 四人兄弟の長男で、実弟に漫画家のちばあきお(三男)と漫画原作者の七三太朗(四男)がいる。妻は漫画家のチバユキコ。ちばの次男の千葉修平は文星芸術大学で専任講師を務め、父の助手として漫画教育に携わっている。 連載作品のみを記載。詳細はちばてつやの漫画作品一覧を参照。
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ちば てつやは、日本の漫画家。代表作に『あしたのジョー』、『ハリスの旋風』、『あした天気になあれ』、『のたり松太郎』、『みそっかす』など。 東京府(東京都の前身)出身。現在は練馬区在住。日本大学第一高等学校卒業。 2005年からは文星芸術大学教授を務める。2012年7月から2018年6月まで日本漫画家協会理事長を務め、2018年6月から同協会会長。2019年4月1日より2022年3月31日まで文星芸術大学学長に就任。 『キャプテン』『プレイボール』などが代表作の漫画家、ちばあきおは実弟。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = ちば てつや | 画像 = Tetsuya Chiba 20231101.jpg | 画像サイズ = 230 | 脚注 = 2023年10月、[[内閣総理大臣官邸]]にて | 本名 = 千葉 徹彌{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|p=9}} | 生地 = {{JPN}}・[[東京府]][[東京市]][[京橋区]]<br />(現:[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]){{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|p=9}} | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1939|1|11}}{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|p=9}} | 没年 = | 職業 = [[漫画家]] | 称号 = [[紫綬褒章]]<br />[[旭日小綬章]]<br />[[文化功労者]]<br />[[日本芸術院会員]] | 活動期間 = [[1956年]]{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|p=9}} - | ジャンル = [[少女漫画]]<br />[[少年漫画]]<br />[[青年漫画]] | 代表作 = 『[[あしたのジョー]]』(原作:[[梶原一騎|高森朝雄]])<br />『[[ハリスの旋風]]』<br />『[[おれは鉄兵]]』<br />『[[あした天気になあれ (漫画)|あした天気になあれ]]』<br />『[[のたり松太郎]]』<br />『[[あかねちゃん|みそっかす]]』<br />『ユカをよぶ海』 | 受賞 = * 第3回[[講談社児童まんが賞]] (『1・2・3と4・5・ロク』・『魚屋チャンピオン』) * 第7回講談社出版文化賞児童まんが部門(『[[おれは鉄兵]]』) * 第23回[[小学館漫画賞]]青年一般部門(『[[のたり松太郎]]』) * 第6回[[日本漫画家協会賞]]特別賞(『のたり松太郎』) * 文部科学大臣賞 * 第33回[[講談社漫画賞]]講談社創業100周年記念特別賞 | 公式サイト = [https://ameblo.jp/chibatetsu/ ちばてつやのブログ『ぐずてつ日記』] }} '''ちば てつや'''(本名:千葉 徹彌{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|p=9}}、[[1939年]]〈[[昭和]]14年〉[[1月11日]]{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|p=9}} - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。代表作に『[[あしたのジョー]]』(原作:[[梶原一騎|高森朝雄]])、『[[ハリスの旋風]]』、『[[あした天気になあれ (漫画)|あした天気になあれ]]』、『[[のたり松太郎]]』、『[[あかねちゃん|みそっかす]]』など。 [[東京府]]([[東京都]]の前身)出身{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|p=9}}。現在は[[練馬区]]在住。[[日本大学第一中学校・高等学校|日本大学第一高等学校]][[卒業]]{{sfn|漫画家人名事典|2003|p=243}}。 2005年からは[[文星芸術大学]]教授を務める{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|pp=108-113|loc=「親子対談 ちばてつや×千葉修平」}}。2012年7月から2018年6月まで[[日本漫画家協会]]理事長を務め、2018年6月から同協会会長。2019年4月1日より2022年3月31日まで文星芸術大学学長に就任<ref name="asahi20190227">{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASM2W4CV2M2WUUHB016.html |title=ちばてつや氏、文星芸大学長に あしたのジョー漫画家 |website=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |date=2019-02-27 |accessdate=2021-11-03}}</ref><ref name="shimotsuke20220326">{{Cite web|和書|url=https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/569694 |title=文星芸大のちばてつや学長辞任へ 後任に田中副学長 |website=下野新聞 SOON(スーン) |publisher=下野新聞 |date=2022-03-26 |accessdate=2022-09-10}}</ref>。 『[[キャプテン (漫画)|キャプテン]]』『[[プレイボール (漫画)|プレイボール]]』などが代表作の漫画家、[[ちばあきお]]は実弟。 == 来歴 == === 生い立ち === [[1939年]](昭和14年)[[1月11日]]、[[東京府]][[東京市]][[京橋区]](現:[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]])[[明石町 (東京都中央区)|明石町]]の[[聖路加国際病院]]で生まれる{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|p=9}}<ref>佐藤正弥編著 『データ・バンク にっぽん人』現代書林、[[1982年]]、196頁。</ref>。同年11月に日本を離れ、[[朝鮮半島]]を経て1941年1月、2歳の時に[[満州国]][[奉天]](現:[[中華人民共和国]][[遼寧省]][[瀋陽市]])に渡る。印刷会社に勤めていた父親が暖房用にと貰ってきた紙の切れ端に絵を書いて寒い冬を過ごしていた{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|pp=196-204|loc=「ちばてつや×モンキーパンチ “漫画家”になるために」}}。 [[1945年]](昭和20年)、同地で終戦を迎え、敗戦に伴い暴動や略奪などが相次ぐ社会的混乱の中、生と死が隣り合わせの過酷な幼少の一時期を過ごした。父の同僚の中国人徐集川に一家は助けられて、屋根裏部屋にかくまってもらった。翌年家族共々[[葫芦島市|葫芦島]]へ約200kmを移動、いわゆる[[葫芦島在留日本人大送還]]により[[舞鶴港]]に[[引き揚げ]]、父親の故郷である[[千葉県]][[海上郡]][[飯岡町]](現:[[旭市]])に住んだ後、東京都[[墨田区]]に移り住んだ。『ユカを呼ぶ海』を描いた時の浜辺のモチーフは、この飯岡町である。 道ばたに落ちていた[[豆本]]で初めて漫画を見る。『[[千夜一夜物語|アラビアンナイト]]』を題材にした[[杉浦茂]]の作品で、その面白さに衝撃を受け、漫画にのめり込む<ref>{{Cite web|和書|url=https://serai.jp/hobby/300499 |title=【インタビュー】ちばてつやさん(漫画家)|漫画家デビュー60年、戦争体験を描き続ける |website=サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト |publisher=小学館 |date=2018-01-08 |accessdate=2021-11-03}}<!-- 『サライ』2017年8月号より転載 実物を探しているが見つかっていない--></ref>。しかしちばの家は漫画に対して厳しく、一切禁止されていたため購入や家で読むことはできず、友人の家でこっそりと読むなどしていた{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|pp=10-41|loc=「ちばてつや3万字ロングインタビュー 「真っ白な灰に燃え尽きるまで」」}}。 小学生時にちばが絵を好きなことを見て声をかけた[[木内堯央]]<ref>{{Cite web|和書|author=ちばてつや|date=2005-08-31|url=http://chibapro.co.jp/index.php?tbl=news&id=106|title=木内くんを偲んで|work=[http://chibapro.co.jp/ ちばてつや公式サイト]|publisher=ちばてつやプロダクション|accessdate=2011-02-13}}{{リンク切れ|date=2021年11月}}</ref>と親友になり、彼が作成していた[[同人誌]]「漫画クラブ」に[[1950年]](昭和25年)より参加するようになる{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|pp=10-41|loc=「ちばてつや3万字ロングインタビュー 「真っ白な灰に燃え尽きるまで」」}}。 === 貸本時代 === 高校生だった16歳のちばは、[[新聞広告|新聞の三行広告]]で漫画家を募集しているのを見つけて日昭書店に応募{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|pp=196-204|loc=「ちばてつや×モンキーパンチ “漫画家”になるために」}}。社長の石橋国松{{efn2|『[[ハリスの旋風]]』の主人公・石田国松の名前は、石橋への恩を忘れぬために彼の名前にちなんで命名された。}}は、ちばにプロの生原稿を見せて道具の使い方を教え、試しに描いてくるように指示したため、ちばは本格的な執筆を始めた。約3か月間にわたり、毎回20ページから30ページずつ原稿を持って行くとそのたびに続きを描くように言われていたちばは、これをテストだと思い込んでいたが、128ページ目で話を終わらせるように指示を受けて描いた最後の原稿を持ち込むと、その場で当時の大卒初任給を超える1万2351円を原稿料として石橋から手渡された{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|pp=196-204|loc=「ちばてつや×モンキーパンチ “漫画家”になるために」}}。 この時に執筆した『復讐のせむし男』は[[1956年]](昭和31年)に貸本として出版され、ちばは17歳で漫画家としてデビュー{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|pp=10-41|loc=「ちばてつや3万字ロングインタビュー 「真っ白な灰に燃え尽きるまで」」}}。以降、高校に通いながら貸本の執筆を続けた。 === 雑誌デビュー === 高校卒業を前に先輩の漫画家である鳥海やすに付いて訪れた『[[少女クラブ]]』([[講談社]])の編集部で自身の原稿([[江戸川乱歩]]原作の『魔法人形』)を見せて執筆依頼を受け、読み切り『リカちゃん』を執筆。また同時期に訪れた『[[少女ブック]]』([[集英社]])でも執筆依頼を取り付け、読み切り『舞踏会の少女』を執筆する。両作共に[[1958年]](昭和33年)に発表されたが『少女ブック』が先に発売されたため、『舞踏会の少女』が雑誌デビュー作となった。ともに少女誌となったのは、当時執筆陣が固まっていた少年漫画に比べ、少女漫画の方が新人の入る隙があったためであった{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|pp=196-204|loc=「ちばてつや×モンキーパンチ “漫画家”になるために」}}。 両作をきっかけに連載も依頼され、同年6月号より『オデット城のにじ』(『少女ブック』)と『ママのバイオリン』(『少女クラブ』)を同時に連載開始する。しかし『少女ブック』がちばの了承なしに別冊への掲載を予告したことを機に講談社との専属契約を結び、『オデット城のにじ』は連載途中で降板する{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|p=212|loc=「ちばてつや作品解説 1956 - 2008」}}。 [[1961年]](昭和36年)には『[[週刊少年マガジン]]』(講談社)において[[野球漫画]]『[[ちかいの魔球]]』(原作:[[福本和也]])の連載を開始し、少年漫画の執筆にも活動を広げる。[[1962年]](昭和37年)より『少女クラブ』の別冊ふろくで『[[1・2・3と4・5・ロク]]』を連載開始し、同年に同作と『魚屋チャンピオン』で第3回[[講談社児童まんが賞]]を受賞する。 === 『あしたのジョー』で社会現象に === その後も『[[紫電改のタカ]]』、『ユキの太陽』などヒット作を手がけ、[[1965年]](昭和40年)に発表された『[[ハリスの旋風]]』は[[テレビアニメ]]化され、注目を集めた。 [[1968年]](昭和43年)には劇画作家である高森朝雄([[梶原一騎]])と組み、[[ボクシング]]を舞台とした『[[あしたのジョー]]』を発表。同作品は爆発的なヒットとなり、連載されていた『[[週刊少年マガジン]]』の発行部部数を飛躍的に伸ばしたほか、一躍社会現象にもなった。 === スポーツ漫画の長期連載 === その後は、[[角界]]を舞台にした『[[のたり松太郎]]』や、[[プロゴルフ]]を舞台にした『[[あした天気になあれ (漫画)|あした天気になあれ]]』などスポーツ漫画のロングランヒット作に加え、幅広い作品を発表。[[1980年]](昭和55年)にはこれまでの功績を称え、青年漫画家の発掘を主とした講談社主催の[[ちばてつや賞]]が設立された。 [[1984年]](昭和59年)の創刊時から『[[GOLFコミック]]』([[秋田書店]])の表紙イラストを担当し、2018年の休刊まで続いた<ref>{{Cite web|和書|title=GOLFコミックが休刊、ちばてつやが表紙を描くゴルフ専門月刊マンガ誌|url=https://natalie.mu/comic/news/263296|website=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2017-12-28|accessdate=2020-08-10}}</ref>。 === 連載活動の休止 === [[ファイル:Shinji Mizushima Machiko Satonaka Tetsuo Saito Tetsuya Chiba and Monkey Punch cropped 1 Shinji Mizushima Machiko Satonaka Tetsuo Saito Tetsuya Chiba and Monkey Punch 20090906.jpg|thumb|200px|[[2009年]][[9月6日]]、国際マンガサミットフェスタにて国際マンガサミット実行委員会[[委員長]][[水島新司]](左端)、[[マンガジャパン]][[代表理事]][[里中満智子]](左から2人目)、[[環境大臣]][[斉藤鉄夫]](中央)、[[デジタルマンガ協会]][[会長]][[モンキー・パンチ]](右端)と]] 『[[少年よラケットを抱け]]』の執筆中、心臓疾患と[[網膜剥離]]を患って手術を受けることになり、ちばの身を案じた妻がちばの入院中にスタッフを解散させた<ref>{{Cite web|和書|author=松岡かすみ |author2=一木俊雄|url=https://dot.asahi.com/articles/-/117622?page=1 |title=ちばてつやの入院中に妻がアシスタント8人を解散させ…そのワケは? |website=AERA dot. (アエラドット) |publisher=週刊朝日 |date=2019-06-08 |accessdate=2021-11-03}}</ref>。このため、[[1994年]](平成6年)に連載を終了した『少年よラケットを抱け』以降は短編作品の執筆を中心とし、大人数を雇うプロダクション形式での長期連載は行っていない{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|pp=114-121|loc=「妻・千葉幸子」}}<ref>{{Cite web|和書|author=荒俣宏|authorlink=荒俣宏|author2=ちばてつや|date=2010-10-22|url=http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/manganavi/manganavi_03-4h.asp|title=荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第3回 ちばてつや編 その4 まんがのこと、自分のことの巻 (8)|work=荒俣宏の電子まんがナビゲーター|publisher=eBookJapan|accessdate=2011-02-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141010183732/http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/manganavi/manganavi_03-4h.asp |archivedate=2014-10-10}}</ref>。 [[1998年]](平成10年)には[[やなせたかし]]の後任として、社団法人[[日本漫画家協会]]の常任理事に就任<ref>{{Cite web|和書|date=不明|url=http://www.nihonmangakakyokai.or.jp/history.php?startIndex=30&tbl=&key=|title=社団法人日本漫画家協会の歩み|work=[http://www.nihonmangakakyokai.or.jp/ 社団法人日本漫画家協会]|publisher=社団法人[[日本漫画家協会]]|accessdate=2011-02-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101226123103/http://www.nihonmangakakyokai.or.jp/history.php?startIndex=30&tbl=&key=|archivedate=2010-12-26}}</ref>。また、[[2002年]](平成14年)に[[横浜市]]で開催された『第5回[[マンガサミット|アジアMANGAサミット]]』実行委員長に就任し、漫画文化の担い手として活躍する一方、[[2005年]](平成17年)からは[[文星芸術大学]]でマンガ専攻の教授を務め、後進の育成に力を注いでいる。 2012年、日本漫画家協会理事長に就任し、2018年6月から同協会会長となる。2019年4月1日より文星芸術大学学長に就任<ref name="asahi20190227" />。 2021年10月29日、体調を崩し東京都内の病院へ入院した<ref name="sankei20211103">{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20211103-BL4HDIA2QBMLRBFOZBCDXADGK4/ |title=漫画家ちばてつやさん入院 持病の心臓疾患などで |website=産経ニュース |publisher=産経新聞社 |date=2021-11-03 |accessdate=2021-11-03}}</ref>。持病の心臓疾患などの治療を受け、年内に退院予定<ref name="sankei20211103" />。 2022年1月4日、自身のブログを更新し仮退院したことを報告した<ref>{{Cite web|和書|author=ちばてつや |url=https://ameblo.jp/chibatetsu/entry-12719340073.html |title=か、帰ってきました。 |website=ちばてつやのブログ『ぐずてつ日記』 |date=2022-01-04 |accessdate=2022-01-11}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2022/01/04/0014961839.shtml |title=漫画家ちばてつや氏 仮退院を報告「あしたのために、頑張っとります」 |website=デイリースポーツ online |publisher=デイリースポーツ社 |date=2022-01-04 |accessdate=2022-01-11}}</ref>。 2022年2月22日、2022年3月1日付けで[[文部科学大臣]]が発令する予定の[[日本芸術院]]の新設分野「マンガ」の新会員候補として選出された<ref>{{Cite web|和書|author=黒田健朗 |url=https://www.asahi.com/articles/ASQ2Q5RPXQ2QUCVL01L.html |title=ちばてつやさん「漫画が芸術、文化のひとつに」 芸術院新会員に |website=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |date=2022-02-22 |accessdate=2022-02-23}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=ちばてつや |url=http://www.chibapro.co.jp/news/news.html |title=【日本芸術院 入会のご報告】 - ニュース |website=ちばてつやホームページ |accessdate=2022-02-23}}</ref>。 2022年3月31日、文星芸術大学学長を退任<ref name="shimotsuke20220326" />。 == 受賞歴 == [[ファイル:ちばてつや.jpg|サムネイル|文化功労者顕彰に際して公表された肖像写真]] * [[1962年]] - 第3回[[講談社児童まんが賞]] - 『[[1・2・3と4・5・ロク]]』・『魚屋チャンピオン』 * [[1976年]] - 第7回[[講談社出版文化賞]]児童まんが部門 - 『[[おれは鉄兵]]』 * [[1977年]] - 第23回[[小学館漫画賞]]青年一般部門 - 『[[のたり松太郎]]』 * [[1977年]] - 第6回[[日本漫画家協会賞]]特別賞 - 『のたり松太郎』 * [[2001年]] - 文部科学大臣賞 * [[2002年]] - [[紫綬褒章]] * [[2009年]] - 第33回[[講談社漫画賞]]講談社創業100周年記念特別賞 * [[2012年]]11月 - [[旭日小綬章]]<ref>{{Cite web2|df=ja|url=http://www8.cao.go.jp/shokun/hatsurei/24aki/meibo_jokun/kyokujitsu-13tokyo.pdf#page=2|title=平成24年秋の叙勲 旭日小綬章等受章者 東京都|format=PDF|publisher=内閣府|accessdate=2017-01-17|date=2012-11-03|page=2|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170117233636/http://www8.cao.go.jp/shokun/hatsurei/24aki/meibo_jokun/kyokujitsu-13tokyo.pdf#page=2|archivedate=2017-01-17|url-status-date=2023-05-26}}</ref> * [[2014年]] - [[文化功労者]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.news-postseven.com/archives/20141110_286088.html?DETAIL |title=文化功労者選出のちばてつや氏とノーベル賞受賞者2人の写真 |website=NEWSポストセブン |publisher=小学館 |date=2014-11-10 |accessdate=2021-11-03}}</ref> * [[2017年]] - [[練馬区]]名誉区民に選定<ref>{{Cite web|和書|url=https://nerima.keizai.biz/headline/1283/|title=練馬区、名誉区民を選定 画家・野見山暁治さん、漫画家・ちばてつやさん|publisher=練馬経済新聞|date=2017-06-09|accessdate=2021-11-03}}</ref> * [[2022年]] - 日本芸術院会員 == 家族構成 == 四人兄弟の長男で、実弟に漫画家の[[ちばあきお]](三男){{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|p=105|loc=「ちばてつやが語る 弟・ちばあきおの素顔」}}と[[漫画原作者]]の[[七三太朗]](四男){{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|p=230|loc=「ちばてつや作品解説 1956 - 2008」}}がいる。妻は漫画家のチバユキコ{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|p=114|loc=「妻・千葉幸子」}}。ちばの次男の千葉修平は文星芸術大学で専任講師を務め、父の助手として漫画教育に携わっている{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|pp=108-113|loc=「親子対談 ちばてつや×千葉修平」}}。 == 功績・評価 == * キャラクター作りの名手として知られる。特に「品行方正」な人物が求められた1960年代の少年、少女漫画の世界に、破天荒で欠点だらけだが愛嬌のある主人公(『[[ハリスの旋風]]』)、勝ち気で情に厚いヒロイン( 『[[あかねちゃん|みそっかす]]』)など型にはまらない人間味のあるキャラクターを登場させ、従来のストーリー重視の作風から、キャラクターの意志に沿ってストーリーを構築していく'''「キャラクターがストーリーを創る」'''作劇方法を確立させた{{sfn|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011|p={{要ページ番号|date=2024年1月}} }}。生き生きとしたキャラクターと彼らの作り出す物語は読者の多くの共感と支持を集め、加えてキャラクターの心理や行動を巧みに描写した手法は後進の漫画家にも大きな影響を与えた<ref>ちばてつやが語る「ちばてつや」 (集英社新書)</ref>。 * また誠実な人柄と共に80を過ぎても新作を発表し、漫画文化の担い手として活動する姿は多くの漫画家たちの尊敬を集めている。[[高橋留美子]]、[[浦沢直樹]]<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.joqr.co.jp/article/detail/post_266.php |title=浦沢直樹が語る、ちばてつや最新作は「わからないところがない」!?『純次と直樹』 |website=文化放送 |publisher=文化放送 |date=2020-02-17 |accessdate=2023-12-16}}</ref>、[[荒木飛呂彦]]、[[大友克洋]]<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://mantan-web.jp/article/20181109dog00m200041000c.html |title=ビッグに聞く:第20回 大友克洋 ちばてつやの意外な影響 気になる新作は… |website=MANTANWEB(まんたんウェブ) |publisher=MANTAN |date=2018-11-10 |accessdate=2023-12-16}}</ref>、[[秋本治]]、[[あだち充]]、[[井上雄彦]]、[[宮崎駿]]などジャンルを超えてその影響や敬意を公言する漫画家も少なくない<ref>ちばてつや--漫画家生活55周年記念号(文藝別冊)</ref>。 * 少年、少女漫画以外にも1970年代に頻発していた暴力事件から発想を得た『餓鬼』<ref>ちばてつやが語る「ちばてつや」 (集英社新書)</ref>、終戦時の引き上げの際に壮絶な体験を描いた「家路」といった作品も数多く発表しており、人間の暗部を生々しいタッチで描いたリアリズムは批評家からも高い評価を受けている<ref>呉智英「マンガ狂につける薬」(リクルート ダヴィンチ編集部)</ref>。 * 漫画編集者の[[鳥嶋和彦]]は、ちばの漫画を「一目見ただけで、登場人物のキャラクターや心理、ストーリーや状況が理解できる」と評し、少年漫画には必要不可欠なものであると語っている。また鳥嶋自身もちばの代表作である『[[おれは鉄兵]]』の19ページの漫画を50回読み返すことで漫画の基礎を学び、その培った知識を若手漫画家に伝授したところ飛躍的に技術が向上したと語っている<ref>{{Cite web2 |df=ja |author=今野大一 |url=https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1903/26/news037_5.html |title=ジャンプ「伝説の編集長」がFGO誕生に関わった“黒子”、電ファミニコゲーマー編集長と語る「才能を“超一流”に育てる極意」:「マシリト」こと鳥嶋和彦が語るキャリア論【前編】(5/7 ページ) |website=ITmedia ビジネスオンライン |publisher=ITmedia |page=5 |date=2019-03-26 |accessdate=2023-12-11}}</ref>。 == エピソード == * 漫画家デビュー作の『復讐のせむし男』の元版(日昭館書店)は2018年現在、5冊のみ現存が確認されている([[まんだらけ]]調べ)<ref>{{Cite web|和書|url=https://ekizo.mandarake.co.jp/auction/item/itemInfoJa.html?index=561318 |title=日昭館書店-千葉徹弥「復讐のせむし男」 |website=まんだらけ |accessdate=2021-11-03}}</ref>。 *スポーツ愛好家として知られる。執筆中にノイローゼに陥り、気分転換で運動をしたことがその解消につながったことがきっかけであると自著で語っている<ref>「みんみん蝉の唄 」(人間の記録)日本図書センター</ref>。漫画の取材を通じて、野球やゴルフなどを嗜むようになりそれがきっかけで[[さいとうたかを]]や[[松本零士]]など他ジャンルの漫画家と親交を深めるきっかけになったという<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.asahi.com/articles/ASP9Y6F9BP9YUCVL01X.html |title=ジェントルマンだった「たかをちゃん」 ちばてつやさんが悼む |website=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |date=2021-09-29 |accessdate=2023-12-11}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.asahi.com/articles/ASR637H6GR63UCVL00Q.html |title=松本零士さんが夢見た、座布団ビフテキ ちばてつやさんら別れの言葉 |website=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |date=2023-06-03 |accessdate=2023-12-11}}</ref>。 *『ママのバイオリン』(1958年7月 - 1959年5月、『[[少女クラブ]]』[[講談社]])の連載時、[[トキワ荘]]のメンバーである[[赤塚不二夫]]、[[石ノ森章太郎]]をはじめとしたメンバーが代筆したことがある。締め切りが迫っていて缶詰状態になった際、ふざけて弟の[[ちばあきお]]に[[電気あんま]]をかけた際に乱闘となり、蹴飛ばされた拍子に窓ガラスに体を突っ込み大けがをしたことが原因である。この一件からちばとトキワ荘のメンバーとの交流が始まり、一連の出来事は後に『トモガキ』という作品にまとめられ、[[2008年]]に『[[週刊ヤングマガジン]]』にて同年に逝去した[[赤塚不二夫]]の追悼として発表された。 *戦時中の検閲や1950年代の[[悪書追放運動]]に遭遇した経験から、「表現は法律などで規制すべきもではなく、常に描く側の良識に委され己れの仕事に対する誇りや自粛に計るべきである」という持論を貫いている。[[東京都青少年の健全な育成に関する条例]]改正問題に関しても何度も積極的に発言しており、“非実在青少年”規制には否定的な見解を述べたり、また[[松文館裁判]]では証人として持論を述べたほか、自身のホームページでもその件に関わる漫画を公表している。 * 人間描写の力を磨くため、大学に通勤する電車の中で車内の人物をこっそり無断でスケッチしている。ただ、それが元でトラブルになったことも何度かあるという<ref>{{Cite web|和書|author=田中圭一|authorlink=田中圭一|url=https://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/1337 |title=【田中圭一のペンと箸-漫画家の好物-】第一話:ちばてつやの「こづゆ」 |website=ぐるなび みんなのごはん。 |date=2014-05-20 |accessdate=2021-11-03}}</ref>。 * 『[[あしたのジョー]]』の[[力石徹]]が亡くなったのはちばがボクシングをよく理解せずに、力石徹を丈より大柄に描いてしまったため、設定の都合で、力石徹に減量が必要になってしまったためである。『[[トリビアの泉]]』で「力石徹は作者のつじつま合わせで死んだ」というトリビアが紹介され、ちばがコメントをしておりVTRの最後で力石をつじつま合わせで死なせたことに対して、「彼(力石)には申し訳なく思っている」とコメントしている<ref>フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 6』講談社、2004年。</ref>。ただし、ちばは後年、この見解を撤回している。最初は少年院編でのみ登場するキャラクターだったが、梶原が力石のキャラクターを気に入って方針変更したのではないかと語っている<ref>ちば曰く「当時はしょっちゅう梶原さんと会って、打ち合わせをしていましたから。ボクシングは同じ体重同士で戦うんだから、最初からライバルと決めていればそう言うでしょう」伊藤和弘『「週刊少年マガジン」はどのようにマンガの歴史を築き上げてきたのか? 1959-2009』星海社新書、2022年、pp.75-76。ちばてつやの発言引用箇所</ref>。 * 漫画家志望者に対しては「キャラクターはシルエットでわかるようにする」「編集者など作品にはじめて触れる読者の反応を意識して作品を作る」「いったん失敗だと思ったキャラクターや物語でも廃棄せずに保存し、時間がたってから再度内容を吟味する」ことをアドバイスとしている<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.comitia.co.jp/html/145kikaku.html |title=ちばてつや×鳥嶋和彦 公開対談「マンガの話」 |website=COMITIA |accessdate=2023-12-11}}ページ内の動画で対談を行っている。総再生時間 1h24m13s。「キャラクターはシルエットで」については1h15m57sから、「初めて触れる読者の反応を大切にする」は14m10sから、「失敗しても廃棄しない」は43m13sからそれぞれ発言している。</ref>。 == 作品リスト == 連載作品のみを記載。詳細は[[ちばてつやの漫画作品一覧]]を参照。 * オデット城のにじ(1958年6月号 - 8月号、[[少女ブック]]、[[集英社]]) - 初連載作品。 * [[ママのバイオリン]](1958年7月 - 1959年5月、[[少女クラブ]]、[[講談社]]) *: (単行本。母と娘でみる漫画名作館シリーズやちばてつや全集において各全3巻。) * [[ユカをよぶ海]](1959年6月 - 1960年8月、少女クラブ) * [[リナ (漫画)|リナ]](1960年9月 - 1961年12月、少女クラブ) * [[ちかいの魔球]](1961年1月 - 1962年12月、[[週刊少年マガジン]]、講談社、原作:[[福本和也]]) * [[1・2・3と4・5・ロク]](1962年1月 - 12月、少女クラブ) - [[1972年]]及び[[1988年]]-[[1989年]]に2度ドラマ化されている。 * [[ハチのす大将]](1963年1月-5月、週刊少年マガジン) * [[紫電改のタカ]](1963年7月 - 1965年1月、週刊少年マガジン) * パパのお嫁さん(1964年1号 - 9号、[[マーガレット (雑誌)|週刊マーガレット]]、集英社) * [[島っ子]](1964年3月 - 1965年6月、[[少女フレンド|週刊少女フレンド]]、講談社) * [[少年ジャイアンツ]](1964年11月 - 1966年11月、[[少年ブック]]、[[集英社]]) * [[ハリスの旋風]](1965年4月 - 1967年11月、週刊少年マガジン) - 2度のテレビアニメ化 * [[アリンコの歌]](1965年9月 - 1966年7月、週刊少女フレンド) * [[あかねちゃん|みそっかす]](1966年8月 - 1967年8月、週刊少女フレンド) - 『あかねちゃん』としてアニメ化。 * ジャンボ・リコ(1967年39号 - 48号、週刊少女フレンド) * [[あしたのジョー]](1968年1月 - 1973年6月、週刊少年マガジン、原作:[[梶原一騎|高森朝雄]]) - アニメ化・映画化 * テレビ天使(1968年7号 - 50号、週刊少女フレンド) * 若とのゴン(1968年6月15日付 - 1971年8月26日付、[[産経新聞]]) * モサ(1969年20号 - 1970年2・3号、[[週刊少年ジャンプ]]、[[集英社]]) * 餓鬼(1970年6号 - 36号、[[週刊ぼくらマガジン|ぼくらマガジン]]、講談社) * 蛍三七子 * [[おれは鉄兵]](1973年8月 - 1980年4月、週刊少年マガジン) - アニメ化 * [[のたり松太郎]](1973年8月 - 1993年6月、1995年10月 - 1998年5月、[[ビッグコミック]]、[[小学館]]) - アニメ化 * おれイガオくん(1975年3月23日付-12月21日付、[[読売新聞]]) * 練馬のイタチ(1980年7月 - 同年10月、[[週刊ヤングマガジン|ヤングマガジン]]、講談社) * [[あした天気になあれ (漫画)|あした天気になあれ]](1981年1月 - 1991年5月、週刊少年マガジン) - アニメ化 * [[男たち]](1982年1月 - 1983年7月、[[モーニング (漫画雑誌)|コミックモーニング]]、講談社) * [[少年よラケットを抱け]](1992年5月 - 1994年6月、週刊少年マガジン、講談社) * ハネ太(1998年4号 - 1999年13号、[[コミックアルファ]]、[[メディアファクトリー]]) * [[ひねもすのたり日記]](2016年1号 - ビッグコミック、小学館) === アニメ作品 === * テレビアニメ『[[3月のライオン]]』第7話エンドカード * テレビアニメ『[[おじゃる丸]]』放送20周年記念イラスト<ref>{{Cite news|url=https://www6.nhk.or.jp/anime/topics/detail.html?i=4659|title=著名マンガ家続々!「おじゃる丸」にスペシャルなイラストが登場|newspaper=NHKアニメワールド|date=2017-10-13|accessdate=2021-11-03}}</ref> * テレビアニメ『[[UQ HOLDER!]]』第12話エンドカード * テレビアニメ『[[アニ×パラ〜あなたのヒーローは誰ですか〜]] episode5 車いすラグビー』キャラクターデザイン<ref>{{Cite web|和書|date=2018-12-10|url=https://www.oricon.co.jp/news/2125164/full/|title=ちばてつや氏、車いすラグビー描く 声優は玉山鉄二|website=ORICON NEWS|publisher=oricon ME|accessdate=2019-03-29}}</ref> * アニメ映画『[https://anime.or.jp/kazenoyouni.html 風のように]』(2016年7月9日)原作(1969年) * テレビアニメ「[[青春アニメ全集|住友生命 青春アニメ全集]] 日本名作文学 『[[姿三四郎 ]]』」(1986年10月、日本テレビ系列、全3回)キャラクターデザイン == 展覧会 == * 2015年9月 [[大英博物館]]「Manga now three generations」(漫画の現在 3世代)展<ref>{{Cite web |url=http://www.britishmuseum.org/whats_on/exhibitions/manga_now.aspx |title=Manga now - three generations |website=British Museum |accessdate=2015-10-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151020115333/http://www.britishmuseum.org/whats_on/exhibitions/manga_now.aspx |archivedate=2015-10-20}}</ref> - [[星野之宣]]・[[中村光 (漫画家)|中村光]]とともに、3世代の漫画家のひとりとして取り上げられた。 == その他の活動 == === 文庫解説 === * 『[[男おいどん]]』1巻(著:[[松本零士]] 1996年 講談社) * 『[[魔女天使]]』(著:[[松本零士]] 1999年 講談社) - 主に松本との交友について書いた。 === 出演 === * [[課外授業 ようこそ先輩]]「いかせ! 君のキャラクター」(2000年9月10日 NHK) - 小学生を相手に特別授業を行った。 * [[伊集院光とらじおと]](TBSラジオ)- ゲストコーナーで[[伊集院光|伊集院]]と約30分間、話した。 ** 2017年12月27日 - 『あしたのジョー』の最終回など。 ** 2021年10月20日 - 少年時代の思い出([[木内堯央]]との交友など)、[[コロナ禍]]での活動など。 * [[The News Masters TOKYO]](文化放送 2019年2月4日 - 2月8日) - プロゴルファーの[[タケ小山]]を相手に約4分×5回話した(ゴルフ関連の話題もあり)。 * 『屋根裏のちばてつや』(NHK総合、2020年6月1日) - ちばの日常を追った30分間のドキュメンタリー番組。 * [[浦沢直樹の漫勉|浦沢直樹の漫勉 neo]]『ちばてつや』(NHK Eテレ 2020年10月1日) - 『[[ひねもすのたり日記]]』の製作過程を収録した画像を見ながら[[浦沢直樹|浦沢]]と対談した。 == アシスタント出身者 == * [[ちばあきお]]{{sfn|漫画家人名事典|2003|p=243}} * [[川三番地]]{{sfn|漫画家人名事典|2003|p=110}} - 2013年よりちばてつやのアシスタント時代を描く自伝的漫画『あしたのジョーに憧れて』を執筆。 * [[倉田よしみ]]{{sfn|漫画家人名事典|2003|p=136}} * [[ながとしやすなり]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1219816922218/html/common/48d22b56005.htm |title=特集 鳥取市出身の漫画家たち |website=とっとり市報 2008年9月号 |publisher=鳥取市役所 |date=2008-09 |accessdate=2011-02-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160305050311/http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1219816922218/html/common/48d22b56005.htm |archivedate=2016-03-05}}</ref> * [[政岡としや]]{{sfn|漫画家人名事典|2003|p=341}} * [[梅本さちお]]{{sfn|漫画家人名事典|2003|p=66}} * [[石井さだよし]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://isshy22.com/about/profile/ |title=石井さだよし紹介 |website=石井漫画工房 |accessdate=2021-11-03}}</ref> * 村尾忠義(村尾ただよし){{sfn|漫画家人名事典|2003|p=371}} * [[あべりつこ]](阿部律子){{sfn|ちば|2014|p={{要ページ番号|date=2021年11月}} }} == 関連文献 == *『少女マンガはどこからきたの? 「少女マンガを語る会」全記録』全349頁(本編335頁+索引など14頁),2023年5月30日第1刷発行,[[青土社]],語る会メンバー12名:[[水野英子]](発起人)/[[上田トシコ]]/[[むれあきこ]]/[[わたなべまさこ]]/[[巴里夫]]/[[高橋真琴]]/[[今村洋子]]/'''ちばてつや'''/[[牧美也子]]/[[望月あきら]]/[[花村えい子]]/[[北島洋子]]【※発起人水野以外はデビュー順<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/527169 |title=少女マンガはどこからきたの?上田トシコ、むれあきこら50~60年代の少女マンガ語る書籍|newspaper=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]]|publisher=ナターシャ|date=2023-06-02|accessdate=2023-06-02}} “帯:ジャンルを育てたレジェンドたちの証言/1953年の手塚治虫「リボンの騎士」から1972年の池田理代子「ベルサイユのばら」までの期間で、少女マンガというジャンルがいかにして開拓されてきたのかをたどる。”</ref>】{{ISBN2|978-4-7917-7553-8}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|20em}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|title=ちばてつや 漫画家生活55周年記念号 |date=2011-02-07 |publisher=[[河出書房新社]] |series=文藝別冊 KAWADE夢ムック |isbn=978-4-309-97745-4 |ref={{sfnref|ちばてつや 漫画家生活55周年記念号|2011}} }} * {{Cite book|和書|editor=まんがseek、[[日外アソシエーツ]]編集部 |title=漫画家人名事典 |date=2003-02-01 |publisher=[[日外アソシエーツ]] |isbn=978-4-8169-1760-8 |ref={{sfnref|漫画家人名事典|2003}} }} * {{Cite book|和書|author=ちばてつや |title=ちばてつやが語る「ちばてつや」 |date=2014-05-16 |publisher=[[集英社]] |series=[[集英社新書]] |isbn=978-4-0872-0739-2 |ref={{sfnref|ちば|2014}} }} == 関連項目 == * [[国松さまのお通りだい]] - 『[[ハリスの旋風]]』の2度目のアニメ化作品 * [[松文館裁判]](証人として) * [[ちばてつや賞]](選考委員) * [[トキワ荘]] * [[行列のできる法律相談所#有名人100枚の絵でつなぐ カンボジア学校建設プロジェクト| 有名人100枚の絵でつなぐ カンボジア学校建設プロジェクト]] * [[戦後70年 ニッポンの肖像]](オープニング映像キャラクターデザイン) == 外部リンク == * {{Ameba ブログ|chibatetsu|ちばてつやのブログ『ぐずてつ日記』}} * [https://www.chibapro.co.jp/ ちばてつや公式サイト] ** {{Wayback |url=http://www.aruke.com/tetsuya/ |title=ちばてつやホームページ |date=20050203174758}} * {{Twitter|chibatetsu8}} * [http://www.bunsei.ac.jp/sys/speciality/manga/ 文星芸術大学マンガ専攻] ** [http://www.bunsei.ac.jp/sys/?s=%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%81%A6%E3%81%A4%E3%82%84&sp=&t=&mode=teacher 講師紹介] * {{Wayback |url=http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/manganavi/manganavi_03-1a.asp |title=荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第3回 ちばてつや編 |date=20140711223729}} * [https://www.animation-nerima.jp/ 練馬アニメーションサイト「ネリマアニメウォーク2 ちばてつや先生」インタビュー動画] {{日本漫画家協会理事長}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ちは てつや}} [[Category:ちばてつや|*]] [[Category:20世紀日本の教育者]] [[Category:21世紀日本の教育者]] [[Category:日本のマンガ・アニメ教育者]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:文星芸術大学の教員]] [[Category:文化功労者]] [[Category:紫綬褒章受章者]] [[Category:旭日小綬章受章者]] [[Category:七三太朗|*ちは てつや]] [[Category:日本の引揚者]] [[Category:日本大学第一高等学校出身の人物]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:1939年生]] [[Category:存命人物]]
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都築和彦
都築 和彦(つづき かずひこ、1962年5月19日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。元日本ファルコム社員。 1980年代後半、『ザナドゥ』など、日本ファルコムのいくつかのゲームで公式イラストを手がけていた。 カラーイラストは『IZUMO』連載時まではアナログ、現在はデジタル(2DCG)画を自ら作成した「きらきら筆」と呼ばれるソフトを使用している。また、水村かおるという名で、アダルト系のイラストも描いている。
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都築 和彦は、日本の漫画家、イラストレーター。元日本ファルコム社員。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 都築 和彦 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1962|05|19}} | 没年 = | 職業 = [[漫画家]]<br />[[イラストレーター]] | 活動期間 = | ジャンル = | 代表作 = | 受賞 = }} '''都築 和彦'''(つづき かずひこ、[[1962年]][[5月19日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[イラストレーター]]。元[[日本ファルコム]]社員。 == 経歴 == [[1980年代]]後半、『[[ザナドゥ (ゲーム)|ザナドゥ]]』など、[[日本ファルコム]]のいくつかのゲームで公式イラストを手がけていた<ref>公式イラストだけでなく、『[[イースII]]』や『[[ソーサリアン]]』など(いずれもオリジナル版)のスタッフクレジットに「Kazuhiko Tsuzuki」と明記されている。</ref>。 カラーイラストは『IZUMO』連載時まではアナログ、現在はデジタル(2DCG)画を自ら作成した「きらきら筆」と呼ばれるソフトを使用している。また、'''水村かおる'''という名で、アダルト系のイラストも描いている。<!--日本ファルコムには元々プログラマとして入社した旨を何かの書籍で見た記憶がありますが、ソースとなる書籍が思い出せないので、念の為コメントアウトの形で覚書しておきます。ソースが確認でき次第追記できればと思います。--> == 作品リスト == * おさかなマーチ(『[[月刊コミックNORA]]』[[学習研究社]]) * SSディッガー(『コンバットコミック』[[日本出版社]]→『[[コミックゲーメスト]]』[[新声社]]) * WHOO?!(『[[月刊アフタヌーン]]』[[講談社]]) * ANGEL DOLL(『月刊アフタヌーン』講談社) * やまとものがたり(『[[Good!アフタヌーン]]』講談社) * まじかるティポット(『[[レモンピープル]]』[[あまとりあ社]]) * IZUMO(『月刊コミックNORA』学習研究社)※[[OVA]]化作品 * [[ザナドゥ (ゲーム)|ザナドゥ]](『[[月刊コンプティーク]]』[[角川書店]]) * 陽一郎わんすもあ(『富士見ファンタジアコミックス』[[富士見書房]]) - 「水村かおる」名義。 === 小説挿絵 === * [[宇宙一の無責任男]]([[富士見ファンタジア文庫]]、富士見書房) - 外伝4まで。 ** [[無責任艦長タイラー]] スーパー・デラックス版([[朝日ノベルズ]]、[[朝日新聞出版]]) * [[やっぱりRPGが好き!]]([[富士見ドラゴンブック]]、富士見書房) ** それでもRPGが好き!(富士見ドラゴンブック、富士見書房) === 画集 === * AQUA(アクア)(学習研究社) * 赤い角笛プラネットブルート神話(富士見書房) * ねこのこ([[メディアックス]]) * まあめいど * 夢夢夢(むーむーむー) * Etude(エチュード) * Stream(ストリーム) * lllusion(イリュージョン) * まぼろし(学習研究社) === キャラクターデザイン === * [[ひざの上の同居人]]([[D3パブリッシャー]]) * ANGEL DOLL([[アスク講談社]]) 発表中止 == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://www115.sakura.ne.jp/~byunbyun/ ByunByun's Home & Gallery] * [https://web.archive.org/web/19970605072237/http://www.ifnet.or.jp/~byunbyun/ ByunByun's Home & Gallery] - 旧サイト * [http://www.kt.rim.or.jp/~mizumura/ びゅんびゅんはうす] 十八禁につきご注意 * {{Twitter|kazuhikotsuduki|都築和彦}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:つつき かすひこ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:1962年生]] [[Category:存命人物]]
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つの丸
つの丸(つのまる、本名:津野 将昭〈つの まさあき〉、1970年5月27日 - )は、日本の漫画家。千葉県千葉市出身。千葉市立稲毛高等学校卒業。男性。血液型はA型。 1991年、『さる大使』で第2回GAGキング準キングを受賞。『週刊少年ジャンプ 1991年 Spring Special』(集英社)に『さる大使』『GOGOポチョムキン』の2作が掲載され、デビュー。その後『週刊少年ジャンプ』(集英社)1991年16号に『GOGOポチョムキン』が掲載。いくつかの読み切り掲載を経た後、『モンモンモン』で連載デビュー。以降、集英社の雑誌を中心に活動を続ける。 代表作はアニメ化もされた『みどりのマキバオー』。他に『モンモンモン』(猿)、『サバイビー』(ミツバチ)といった、動物が主人公の漫画を得意とする。またかなりディープな競馬ファンでもあり、競馬関連の作品も手掛けている。 同じ阪神ファンである森田まさのりと仲が良く、互いにコラボレーションを行ったこともある。パンク・ロック好きで登場人物の名前(ビッグ・ジョン、ウォッティ、キャル、ビアフラ、ベキ、スーパースナッズ、グラインドハウスなど)にもその影響が見られる。 第42回(平成8年度)小学館漫画賞児童部門受賞(『みどりのマキバオー』)。 雑誌掲載時にはペンネームの書体が定まっているのが特徴。写研の和文書体「イボテ」(輪郭が滑らかでなく角の丸い太字)が用いられている。 なお、少女漫画風ギャグ漫画を読み切りで掲載したときに「つのま・るみ」のペンネームを使ったことがある。 2018年に少年ジャンプ+の企画で行われた『ギャグマンガ家 人間ドックデスレース』では大脳に複数の虚血性白質病変が見つかり、監修した医師から寿命が10年と判定された。 漫画作品以外は阪神タイガースと共同で榎田大樹関連商品の描き下ろしを担当する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "つの丸(つのまる、本名:津野 将昭〈つの まさあき〉、1970年5月27日 - )は、日本の漫画家。千葉県千葉市出身。千葉市立稲毛高等学校卒業。男性。血液型はA型。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1991年、『さる大使』で第2回GAGキング準キングを受賞。『週刊少年ジャンプ 1991年 Spring Special』(集英社)に『さる大使』『GOGOポチョムキン』の2作が掲載され、デビュー。その後『週刊少年ジャンプ』(集英社)1991年16号に『GOGOポチョムキン』が掲載。いくつかの読み切り掲載を経た後、『モンモンモン』で連載デビュー。以降、集英社の雑誌を中心に活動を続ける。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "代表作はアニメ化もされた『みどりのマキバオー』。他に『モンモンモン』(猿)、『サバイビー』(ミツバチ)といった、動物が主人公の漫画を得意とする。またかなりディープな競馬ファンでもあり、競馬関連の作品も手掛けている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "同じ阪神ファンである森田まさのりと仲が良く、互いにコラボレーションを行ったこともある。パンク・ロック好きで登場人物の名前(ビッグ・ジョン、ウォッティ、キャル、ビアフラ、ベキ、スーパースナッズ、グラインドハウスなど)にもその影響が見られる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "第42回(平成8年度)小学館漫画賞児童部門受賞(『みどりのマキバオー』)。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "雑誌掲載時にはペンネームの書体が定まっているのが特徴。写研の和文書体「イボテ」(輪郭が滑らかでなく角の丸い太字)が用いられている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "なお、少女漫画風ギャグ漫画を読み切りで掲載したときに「つのま・るみ」のペンネームを使ったことがある。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2018年に少年ジャンプ+の企画で行われた『ギャグマンガ家 人間ドックデスレース』では大脳に複数の虚血性白質病変が見つかり、監修した医師から寿命が10年と判定された。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "漫画作品以外は阪神タイガースと共同で榎田大樹関連商品の描き下ろしを担当する。", "title": "作品リスト" } ]
つの丸は、日本の漫画家。千葉県千葉市出身。千葉市立稲毛高等学校卒業。男性。血液型はA型。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = つの丸 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = 津野 将昭 | 生地 = {{flagicon|Japan}} [[千葉県]]<ref name="プロフィール" />[[千葉市]] | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1970|5|27}}<ref name="プロフィール" /> | 没年 = | 没地 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1991年]] - | ジャンル = [[少年漫画]]<br />[[青年漫画]]<br />[[動物漫画]] | 代表作 = 『[[みどりのマキバオー]]』<br />『[[たいようのマキバオー]]』 | 受賞 = 第42回[[小学館漫画賞]]児童部門([[1996年]])<br />(『みどりのマキバオー』) | 公式サイト = [http://ge-ha.jp/mobstars/ WE ARE SUPER GE-HA MOBSTARS!!]<br />{{Twitter|ge_ha_mob|つの丸}} }} '''つの丸'''(つのまる、本名:'''津野 将昭'''〈つの まさあき〉<ref>『ギャグマンガ家 人間ドックデスレース』第3回 玄米茶で大丈夫!、少年ジャンプ+ 2018年4月4日配信</ref>、[[1970年]][[5月27日]]<ref name="プロフィール">公式ブログのプロフィールより。</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[千葉県]]<ref name="プロフィール" />[[千葉市]]出身。[[千葉市立稲毛高等学校・附属中学校|千葉市立稲毛高等学校]]卒業。男性<ref name="プロフィール" />。血液型はA型<ref name="プロフィール" />。 == 経歴 == [[1991年]]、『さる大使』で第2回[[GAGキング]]準キングを受賞。『[[週刊少年ジャンプの増刊号|週刊少年ジャンプ 1991年 Spring Special]]』([[集英社]])に『さる大使』『GOGOポチョムキン』の2作が掲載され、デビュー。その後『[[週刊少年ジャンプ]]』(集英社)1991年16号に『GOGOポチョムキン』が掲載。いくつかの読み切り掲載を経た後、『[[モンモンモン]]』で連載デビュー。以降、集英社の雑誌を中心に活動を続ける。 代表作はアニメ化もされた『[[みどりのマキバオー]]』<ref>[[フジテレビ]]系でアニメ化された関係で同局の競馬中継[[スーパー競馬]]の予想ゲストとして出演したこともある。</ref>。他に『[[モンモンモン]]』([[サル|猿]])、『[[サバイビー]]』([[ミツバチ]])といった、動物が主人公の漫画を得意とする。またかなりディープな[[競馬ファン]]でもあり、競馬関連の作品も手掛けている。 同じ[[阪神ファン]]である[[森田まさのり]]と仲が良く、互いにコラボレーションを行ったこともある。[[パンク・ロック]]好きで登場人物の名前([[エクスプロイテッド|ビッグ・ジョン]]、[[エクスプロイテッド|ウォッティ]]、[[ディスチャージ (バンド)|キャル]]、[[ジェロ・ビアフラ|ビアフラ]]、[[:en:Vice_Squad|ベキ]]、スーパースナッズ、グラインドハウスなど)にもその影響が見られる。 第42回(平成8年度)[[小学館漫画賞]]児童部門受賞(『みどりのマキバオー』)。 雑誌掲載時にはペンネームの書体が定まっているのが特徴。[[写研]]の和文書体「イボテ」(輪郭が滑らかでなく角の丸い太字)が用いられている。 なお、少女漫画風ギャグ漫画を読み切りで掲載したときに「'''つのま・るみ'''」のペンネームを使ったことがある。 2018年に[[少年ジャンプ+]]の企画で行われた『ギャグマンガ家 人間ドックデスレース』では[[大脳]]に複数の虚血性白質病変が見つかり、監修した医師から寿命が10年と判定された<ref>[https://shonenjumpplus.com/article/entry/ningendock_04 【4話】ギャグマンガ家 人間ドックデスレース - 少年ジャンプ+α]</ref>。 == 作品リスト == === 週刊少年ジャンプ連載作品 === * [[モンモンモン]](1992年13号 - 1993年50号、全8巻) * [[みどりのマキバオー]](1994年50号 - 1998年9号 → [[赤マルジャンプ]] 1998年SPRING号〈完結編〉、全16巻、文庫版全10巻) * [[サバイビー]](1999年31号 - 51号、全3巻) * [[重臣 猪狩虎次郎]](2001年11号 - 34号、全2巻) * [[ごっちゃんです!!]](2003年29号 - 2004年16号、全5巻) === ジャンプ以降の雑誌連載作品 === * [[天職貴族モン次郎]]([[スーパージャンプ]]、2004年19号 - 2005年16号、全2巻) * [[がんばれ! パンダ内閣]]([[週刊プレイボーイ]]、2004年42号 - 2005年40号、全3巻) * [[岸辺のサブロー|わんぱくカッパ岸辺のサブロー]]([[週刊コミックバンチ]]、2004年46号 - 2006年21号、シリーズ掲載) * [[たいようのマキバオー]](週刊プレイボーイ、2007年15号 - 2011年19・20号、全16巻) ** たいようのマキバオーW(週プレNEWS、2011年5月9日更新分 - 2016年11月14日更新分、全20巻) * ギャグマンガ家 人間ドックデスレース([[少年ジャンプ+]]、2018年4月2日 - 5日、短期集中連載) === 読切作品 === * さる大使(週刊少年ジャンプ、1991年 Spring Special) * GOGOポチョムキン(週刊少年ジャンプ、1991年16号) * GOGOポチョムキンin4コマ(週刊少年ジャンプ、1991年17号) * モンモン物語(週刊少年ジャンプ、1991年19号) * モンモンの最も危険な遊戯(週刊少年ジャンプ、1991年 Summer Special) * ひらけ!モンモン(週刊少年ジャンプ、1991年42号) - この作品は『モンモンモン』第7巻に収録されている。 * モンモンの相撲遊戯(週刊少年ジャンプ、1992年3・4号) * モンモンモン(番外編)/おさる大喜利(週刊少年ジャンプ、1993年 Spring Special) * 熱血新入りモンモン物語(週刊少年ジャンプ、1994年47号) * ときめきラブポーション(週刊少年ジャンプ、1997年24号)※つのま・るみ名義 * ときめきのアラベスク(週刊少年ジャンプ増刊、ジャンプGAG Special 2002)※つのま・るみ名義 * タエコでございます([[Oh!スーパージャンプ]]、2005年11月25日号) - この作品は『天職貴族モン次郎』第2巻の巻末に収録されている。 * んあっ!!マキバオーの凱旋門賞観戦記なのねっ!(週刊プレイボーイ、2006年44号) - この作品は『たいようのマキバオー』第1巻の巻末に収録されている。 * がんばれジャンボ([[週刊ヤングジャンプ]]、2007年2号) * 父子虎(ビッグコミックオリジナル阪神タイガース増刊号、2015年6月30日号) *ときめき❤︎ハイクリーン([[ジャンプスクエア|ジャンプSQ]]、2020年12月号)※つのま❤︎るみ名義 漫画作品以外は[[阪神タイガース]]と共同で[[榎田大樹]]関連商品の描き下ろしを担当する。 == アシスタント == * [[フルカワマモる]] <ref>『たいようのマキバオーW』20巻スタッフクレジットより</ref> * [[小西紀行]]<ref>『みどりのマキバオー』16巻スタッフクレジット、『サバイビー』3巻スタッフクレジットより</ref> * [[森多ヒロ]]<ref>[https://twitter.com/Hiromorita_/status/997130234427146240 森多ヒロ公式Twitterでのツイートより]</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Twitter|ge_ha_mob|つの丸}} * [http://jra-van.jp/fun/mykeiba/027_tsunomarusan_01.html JRA-VAN 私の競馬はちょっと新しい] - JRA-VANによる、つの丸へのインタビュー。 {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:つのまる}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:千葉県出身の人物]] [[Category:千葉市出身の人物]] [[Category:1970年生]] [[Category:存命人物]]
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出口竜正
出口 竜正(でぐち りゅうせい、1月22日 - )は、日本の漫画家。 石川県金沢市出身。石川県立金沢二水高等学校、大阪府立大学工学部航空宇宙工学科卒業。 現在は赤羽在住。 1987年、第33回手塚賞準入選(『荒鷲の伝説』、庵老竜正名義)、第26回赤塚賞佳作、第35回手塚賞佳作。 代表作に『命~紅の守護神~』など。 戦闘機マニアとしても知られ、航空宇宙系同人誌即売会東京とびもの学会で同人誌を販売している。2010年12月17日放送のタモリ倶楽部で「東京とびもの学会2010」が取り上げられた際に出演した。 2010年、赤松健と共に株式会社Jコミを立ち上げる。
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出口 竜正は、日本の漫画家。 石川県金沢市出身。石川県立金沢二水高等学校、大阪府立大学工学部航空宇宙工学科卒業。 現在は赤羽在住。 1987年、第33回手塚賞準入選(『荒鷲の伝説』、庵老竜正名義)、第26回赤塚賞佳作、第35回手塚賞佳作。 代表作に『命~紅の守護神~』など。 戦闘機マニアとしても知られ、航空宇宙系同人誌即売会東京とびもの学会で同人誌を販売している。2010年12月17日放送のタモリ倶楽部で「東京とびもの学会2010」が取り上げられた際に出演した。 2010年、赤松健と共に株式会社Jコミを立ち上げる。
'''出口 竜正'''(でぐち りゅうせい、[[1月22日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。 [[石川県]][[金沢市]]出身。[[石川県立金沢二水高等学校]]、[[大阪府立大学]][[工学部]]航空宇宙工学科卒業。 現在は赤羽在住。 [[1987年]]、第33回[[手塚賞]]準入選(『荒鷲の伝説』、庵老竜正名義)、第26回[[赤塚賞]]佳作、第35回手塚賞佳作。 代表作に『命~紅の守護神~』など。 戦闘機マニアとしても知られ、航空宇宙系同人誌即売会[http://tokyo.tobimono.org/ 東京とびもの学会]で[[同人誌]]を販売している。[[2010年]][[12月17日]]放送の[[タモリ倶楽部]]で「東京とびもの学会2010」が取り上げられた際に出演した。 [[2010年]]、[[赤松健]]と共に株式会社[[Jコミ]]を立ち上げる。 == 作品リスト == * 命~紅の守護神~([[マガジンSPECIAL]]、全5巻) * [[アベノ橋魔法☆商店街]]([[月刊マガジンZ]]、全2巻) * 女大太郎([[マガジンSPECIAL]]、全6巻) * ドールガン([[週刊少年チャンピオン]]、全9巻) == アシスタント歴 == * [[今泉伸二]](神様はサウスポー・チェンジUP) * [[原哲夫]](花の慶次) * [[刃森尊]](破壊王ノリタカ)など == アシスタント仲間 == * [[巻来功士]] * [[森田まさのり]] * [[渡辺保裕]] * [[戸舘新吾]] == 外部リンク == * [http://www.t3.rim.or.jp/~ryuse/ RYUSE-P](公式サイト) * {{Twitter|RYUSEdeg|出口竜正}} * {{マンガ図書館Z作家|30}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:てくち りゆうせい}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:石川県出身の人物]] [[Category:大阪府立大学出身の人物]] [[Category:生年非公表]] [[Category:存命人物]] [[Category:原哲夫|アてくち りゆうせい]]
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イエスタデイをうたって
『イエスタデイをうたって』は、冬目景による日本の漫画。当初は『ビジネスジャンプ』(集英社)にて1998年1号から不定期連載され、同誌休刊後『グランドジャンプ』(集英社)に移籍し2015年13号まで連載された。単行本は全11巻。2020年1月時点でコミックスのシリーズ累計発行部数は140万部を突破している。 完結から約4年後の2019年4月17日にアニメ化が発表され、2020年4月から6月までテレビ朝日の深夜アニメ枠『NUMAnimation』ほかにて放送された。 これまで『羊のうた』や『黒鉄〈KUROGANE〉』などを発表していた冬目景による青春群像劇にして、自身最長連載作品。前述の2作品を連載する最中、集英社から熱心な電話が自宅にかかってきたことがきっかけとなり『ビジネスジャンプ』(集英社)1998年1号より連載を開始した。当初タイトル案はヒロインの名前から『ハル』とする予定だったが、編集部からの変更依頼によって忌野清志郎が率いたロックバンド・RCサクセションの曲より採用したという。2011年には『ビジネスジャンプ』の休刊に伴い、後継誌である『グランドジャンプ』(集英社)へ移籍している。 1年間の掲載が5回に満たないこともあり、単行本第3巻出版から第4巻までに2年以上、第4巻から第5巻まではほぼ3年かかるなど大きく間隔が開く刊行ペースとなり、2015年に完結。足掛け18年間という長期連載作品となった。これは当時の執筆スタンスが「描きたい作品は描ける場があれば描く」という方針を採っているためであり、実際に本作の連載中にも多数の連載・読切作品が発表されている。なお冬目自身は当初3巻ほどで終わるのではと考えていたが、連載を続けるにつれ描くのが楽しくなり、構想が膨らんでいったという。完結にあたって「辛抱強く待ってくれた読者が居たから完結できた」と、感謝の気持ちが述べられた。第6巻発売と同時に画集『イエスタデイをうたって画集 ―YESTERDAYS―』、完結に前後して画集『イエスタデイをうたって画集 ―YESTERDAYS―2』がそれぞれ発売。この画集第2弾発売と連載完結を記念し、2015年9月26日から10月26日にかけて東京日本橋にあるギャラリー・space caiman にて原画展『冬目景原画展 -YESTERDAY ONCE MORE-』が開催された。 2020年のアニメ放送に合わせ、後日談の読み切り『イエスタデイをうたって特別編-11・S14-』が『グランドジャンプ』2020年9号に掲載された。 大卒のフリーターとして登場した後、物語の進展とともに写真スタジオで働きはじめる主人公を中心に、歳の離れているふたりのヒロインや、個性的で深みのあるサブキャラクターたちが、恋愛、仕事、(美大)受験、家族、夢といった日常的な問題に直面し、一進一退を繰り返しながら、じぶんたちの未来をほんの少しずつ手探りしてゆく人間ドラマ。物語の主な舞台となるのは「新宿にほど近い私鉄沿線の小さな街」とされているが、これは東京都世田谷区であるという。この他、横浜や金沢なども重要な舞台として登場する。後述する通り、冬目作の漫画『羊のうた』『ももんち』とは世界観を共有している。 当時『羊のうた』や『黒鉄〈KUROGANE〉』といった暗い漫画を執筆していたこともあり、本作の連載開始にあたっては明るい話・明るいキャラクターが良いなと思っていたという。また掲載誌が『ビジネスジャンプ』であったものの勤め経験が無かったため、逆にビジネスしていないフリーターの漫画となった。物語の主要人物があまり携帯電話を使わないという特徴があるが、これはなるべく時代風俗の表現を避けて描いていたことも関係している。 連載中期までは数話ごとに章立ての構成が採られており、それぞれ副題がつけられていたが、8巻からはそのようなスタイルではなくなっている。 大学を卒業したものの職に就くことなく、フリーターとして特に目標もないまま過ごしているリクオ。そんなある日、カラスを連れた黒ずくめの少女・ハルが現れる。彼女の破天荒な振る舞いに戸惑う中、リクオはかつての想い人・榀子が東京に戻ってきたことを知る。 主な登場人物には、男性キャラクターは水に関係する名前、女性キャラクターは植物に関係する名前が付けられている。 2020年4月から6月まで、テレビ朝日の土曜深夜アニメ枠『NUMAnimation』枠ほかにて放送された。インターネット配信版では、約1分の限定エピソードも展開される。監督を務める藤原佳幸は、高校生の時に原作漫画を表紙買いしてからの大ファンだという。全話においてOPがないのは、会話していていない間を丁寧に描きたいとの監督の強い希望があったため。EDが話数を追って変えたのは演出的な狙いもあったが、話題作りにもなるかと思ったためと語っている。放送の1クール前には全話の制作が終わっていた。 また、アニメ本編と連動した書き下ろしの特別編音声ドラマが同6月17日からSPINEARおよびApple Podcasts、Google Podcasts、Spotifyなどの主要なリスニングサービスで配信された。 同年8月5日に全12話(映像特典として配信版エピソード全6話も含む)を収録したBlu-ray BOX (CAXA-00001) およびDVD BOX (CABA-00001) が発売。
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『イエスタデイをうたって』は、冬目景による日本の漫画。当初は『ビジネスジャンプ』(集英社)にて1998年1号から不定期連載され、同誌休刊後『グランドジャンプ』(集英社)に移籍し2015年13号まで連載された。単行本は全11巻。2020年1月時点でコミックスのシリーズ累計発行部数は140万部を突破している。 完結から約4年後の2019年4月17日にアニメ化が発表され、2020年4月から6月までテレビ朝日の深夜アニメ枠『NUMAnimation』ほかにて放送された。
{{Infobox animanga/Header | タイトル = イエスタデイをうたって | ジャンル = [[青年漫画]]、[[恋愛漫画|恋愛]] }} {{Infobox animanga/Manga | 作者 = [[冬目景]] | 出版社 = [[集英社]] | 掲載誌 = [[ビジネスジャンプ]]<br />[[グランドジャンプ]] | レーベル = [[ヤングジャンプ・コミックス|ヤングジャンプ・コミックス・ビージャン]]<br />[[ヤングジャンプ・コミックス|ヤングジャンプ・コミックス・グランド]] | 開始号 = ビジネスジャンプ:<br />[[1998年]]1号 | 終了号 = [[2011年]]17号<br />グランドジャンプ:<br />2011年1号 - [[2015年]]13号 | 巻数 = 全11巻 | 話数 = 全112話 }} {{Infobox animanga/TVAnime | 原作 = 冬目景 | 監督 = [[藤原佳幸]] | シリーズ構成 = 藤原佳幸 | 脚本 = 藤原佳幸、[[田中仁 (脚本家)|田中仁]] | キャラクターデザイン = [[谷口淳一郎]] | メカニックデザイン = | 音楽 = [[玉井健二]]、[[agehasprings]]、近藤貴亮 | アニメーション制作 = [[動画工房]] | 製作 = イエスタデイをうたって製作委員会 | 放送局 = [[テレビ朝日]]ほか | 放送開始 = [[2020年]]4月 | 放送終了 = 6月 | 話数 = 全12話+配信限定全6話 | その他 = }} {{Infobox animanga/Footer |ウィキプロジェクト= [[プロジェクト:漫画|漫画]]、[[プロジェクト:アニメ|アニメ]] |ウィキポータル= [[Portal:漫画|漫画]]、[[Portal:アニメ|アニメ]] }} 『'''イエスタデイをうたって'''』は、[[冬目景]]による[[日本]]の[[漫画]]。当初は『[[ビジネスジャンプ]]』([[集英社]])にて1998年1号から不定期連載され、同誌休刊後『[[グランドジャンプ]]』(集英社)に移籍し2015年13号まで連載された。単行本は全11巻。2020年1月時点でコミックスのシリーズ累計発行部数は140万部を突破している<ref name="oricon20200122">[https://www.oricon.co.jp/news/2153662/full/ テレ朝、深夜アニメ枠新設 4月より第1弾放送『イエスタデイをうたって』キャスト公開],ORICON NEWS,2020年1月22日</ref>。 完結から約4年後の2019年4月17日にアニメ化が発表され<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20190416dog00m200042000c.html|date=2019-04-17|title=イエスタデイをうたって:冬目景の人気マンガがアニメ化|website=MANTANWEB(まんたんウェブ)|publisher=MANTAN|accessdate=2019-04-17}}</ref>、2020年4月から6月まで[[テレビ朝日]]の深夜アニメ枠『[[NUMAnimation]]』ほかにて放送された{{R|oricon20200122}}<ref>{{Cite news |和書|title= テレビ朝日:4月に“沼落ち”する深夜アニメ枠「NUMAnimation」新設 「イエスタデイをうたって」放送|newspaper=まんたんウェブ|date= 2020-01-22|author= |url= https://mantan-web.jp/article/20200121dog00m200057000c.html|accessdate= 2020-01-22}}</ref>。 == 制作背景 == これまで『[[羊のうた]]』や『[[黒鉄|黒鉄〈KUROGANE〉]]』などを発表していた冬目景による[[青春]][[群像劇]]にして、自身最長連載作品。前述の2作品を連載する最中、集英社から熱心な電話が自宅にかかってきたことがきっかけとなり『ビジネスジャンプ』(集英社)[[1998年]]1号より連載を開始した<ref name="interview_Febri">{{Cite journal|和書 |author=取材・文:宮昌太朗 |date=2019-09-01 |title=Febri MANGA creator interview 漫画家/冬目 景 |journal=[[Febri]] |volume=VOL.56 |pages=121-124 |publisher=発行:[[一迅社]] 発売元:[[講談社]] }}</ref>。当初タイトル案はヒロインの名前から『ハル』とする予定だったが、編集部からの変更依頼によって[[忌野清志郎]]が率いたロックバンド・[[RCサクセション]]の曲より採用したという<ref name="interview_EX">{{Cite book|和書 |author = 冬目景 |title = イエスタデイをうたってEX 〜原点を訪ねて 冬目景 初期短編集〜 |edition = 第1刷 |date = 2009-11-25 |publisher = [[集英社]] |series = ビジネスジャンプ愛蔵版コミックス |isbn = 978-4-08-782255-7 |pages = 12-26 }}</ref>。2011年には『ビジネスジャンプ』の休刊に伴い、後継誌である『グランドジャンプ』(集英社)へ移籍している。 1年間の掲載が5回に満たないこともあり、単行本第3巻出版から第4巻までに2年以上、第4巻から第5巻まではほぼ3年かかるなど大きく間隔が開く刊行ペースとなり、2015年に完結。足掛け18年間という長期連載作品となった。これは当時の執筆スタンスが「描きたい作品は描ける場があれば描く」という方針を採っているためであり<ref name="interview_11">{{Cite book|和書 |author = 冬目景 |title = イエスタデイをうたって |edition = 第1刷 |date = 2015-09-23 |volume = 第11巻 |publisher = [[集英社]] |series = [[ヤングジャンプ・コミックス|ヤングジャンプ・コミックス・グランド]] |isbn = 978-4-08-890249-4 |pages = 291-297 }}</ref>、実際に本作の連載中にも多数の連載・読切作品が発表されている。なお冬目自身は当初3巻ほどで終わるのではと考えていたが、連載を続けるにつれ描くのが楽しくなり、構想が膨らんでいったという{{R|interview_Febri}}。完結にあたって「辛抱強く待ってくれた読者が居たから完結できた」と、感謝の気持ちが述べられた{{R|interview_11}}。第6巻発売と同時に画集『イエスタデイをうたって画集 ―YESTERDAYS―』、完結に前後して画集『イエスタデイをうたって画集 ―YESTERDAYS―2』がそれぞれ発売。この画集第2弾発売と連載完結を記念し、2015年9月26日から10月26日にかけて[[東京]][[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]にあるギャラリー・space caiman<ref>[http://www.caiman.jp/space/ space caiman]</ref> にて原画展『冬目景原画展 -YESTERDAY ONCE MORE-』が開催された<ref>{{Cite news |title= 冬目景原画展に「イエスタデイをうたって」ミルクホールのコーヒー豆も登場 - コミックナタリー|publisher= [[ナタリー (ニュースサイト)|ナターシャ]]|date= 2015-09-24|url= https://natalie.mu/comic/news/160943|accessdate= 2020-04-04}}</ref>。 2020年のアニメ放送に合わせ、後日談の読み切り『イエスタデイをうたって特別編-11・S14-』が『グランドジャンプ』2020年9号に掲載された<ref>{{Cite news |title= 「イエスタデイをうたって」最終回後のリクオとハル描く特別編がグラジャンに - コミックナタリー|publisher= [[ナタリー (ニュースサイト)|ナターシャ]]|date= 2020-04-01|url= https://natalie.mu/comic/news/373658|accessdate= 2020-04-01}}</ref>。 == 作風 == 大卒の[[フリーター]]として登場した後、物語の進展とともに写真スタジオで働きはじめる主人公を中心に、歳の離れているふたりのヒロインや、個性的で深みのあるサブキャラクターたちが、恋愛、仕事、(美大)受験、家族、夢といった日常的な問題に直面し、一進一退を繰り返しながら、じぶんたちの未来をほんの少しずつ手探りしてゆく人間ドラマ。物語の主な舞台となるのは「[[新宿]]にほど近い私鉄沿線の小さな街」とされているが<ref>{{Twitter status|anime_yesterday|1208595393052758016}}</ref>、これは[[東京都]][[世田谷区]]であるという{{R|interview_EX}}。この他、[[横浜市|横浜]]や[[金沢市|金沢]]なども重要な舞台として登場する。後述する通り、冬目作の漫画『羊のうた』『[[ももんち]]』とは世界観を共有している。 当時『羊のうた』や『黒鉄〈KUROGANE〉』といった暗い漫画を執筆していたこともあり、本作の連載開始にあたっては明るい話・明るいキャラクターが良いなと思っていたという{{R|interview_Febri}}。また掲載誌が『ビジネスジャンプ』であったものの勤め経験が無かったため、逆にビジネスしていないフリーターの漫画となった{{R|interview_EX|interview_Febri}}。物語の主要人物があまり携帯電話を使わないという特徴があるが<ref group="注">主要人物以外は頻度は低いものの使用している。</ref>、これはなるべく時代風俗の表現を避けて描いていたことも関係している{{R|interview_EX}}。 連載中期までは数話ごとに章立ての構成が採られており、それぞれ副題がつけられていたが、8巻からはそのようなスタイルではなくなっている。 == あらすじ == 大学を卒業したものの職に就くことなく、フリーターとして特に目標もないまま過ごしているリクオ。そんなある日、カラスを連れた黒ずくめの少女・ハルが現れる。彼女の破天荒な振る舞いに戸惑う中、リクオはかつての想い人・榀子が東京に戻ってきたことを知る。 == 登場人物 == 主な登場人物には、男性キャラクターは水に関係する名前、女性キャラクターは植物に関係する名前が付けられている{{R|interview_EX}}。 === 主要人物 === ; リクオ / 魚住 陸生(うおずみ りくお) : [[声優|声]] - [[小林親弘]]{{R|oricon20200122}} : 主人公。大学を卒業しても、就職できなかった(しなかった)いわゆる[[フリーター]]。 : お人よしな性格。自分の方向性を見失っている。[[カメラ]]が好きだが、仕事にする気はないようだ。自称人は撮らない主義。 : 一人暮らしで主に[[コンビニエンスストア|コンビニ]]で[[アルバイト|バイト]]をしており、途中から写真ギャラリーでバイトを始める。第5巻で写真スタジオに正社員として就職した。第6巻でコンビニのバイトを辞めた。[[横浜市]]に実家がある。 : 大学卒業後、榀子に一度告白した。その際、振られているが、榀子とは今でも「友達以上恋人未満」の微妙な関係が続いている。 : ハルには第1巻から好きだと告げられ、アプローチを受けており、ふとした瞬間にドキッとさせられたりするなど、微妙な感情を抱くようになっている。よく風邪で寝込むことがある。 ; ハル / 野中 晴(のなか はる) : 声 - [[宮本侑芽]]{{R|oricon20200122}} : 不思議な雰囲気の少女。常に黒を基調とした服を着て、カンスケ(声 - [[前川涼子]]<ref name="natalie372882">{{Cite news |title= 「イエスタデイをうたって」冒頭シーン公開、冬目景が最終回の後日談を読切で描く - コミックナタリー|website= [https://natalie.mu/ ナタリー]|publisher= [[ナタリー (ニュースサイト)|ナターシャ]]|date= 2020-03-27|url= https://natalie.mu/comic/news/372882|accessdate= 2020-03-27}}</ref>)という足の悪い[[カラス]]をつれている。 : かつては[[都立]]十泉高校に通っていたが、あるバーでバイトをしていたことを咎められ、自主退学してしまった。ミルクホールという[[喫茶店]](夜は[[バー (酒場)|バー]])でバイトとして働いている。 : 家庭は母子家庭だが実父の姓である「野中」を名乗っている(母親の姓は秋本)。2巻では母親に再婚の話が出ているが、名前は変えない、と固辞した。祖父が住んでいた古い一軒家で一人暮らしをしている。おにぎりの具を[[餡|あんこ]]や[[チョコレート]]などにするなど、作る料理はとにかく奇抜で周囲を当惑させる。 : リクオの大学受験の当日、バス停に向かうリクオが落とした受験票を拾って渡したことがきっかけで、彼に想いを寄せ始めた。型破りな性格で、リクオをしょっちゅう振り回しているが、恋愛に関してはとても健気で一途。リクオが振り向くまでいつまでも待つつもりでいる。 ; 森ノ目 榀子(もりのめ しなこ) : 声 - [[花澤香菜]]{{R|oricon20200122}} : リクオの大学の同級生。[[金沢市]]出身で、東京の大学を出て金沢で非常勤講師をしていたが東京に戻ってきた。 : コンビニ近くの都立十泉高校で、[[化学]]の教師をしている。一時とはいえハルの副担任であり、学校に隠してバイトをしていた彼女を庇いきれなかったことに罪悪感を覚えていた。 : 過去に好きだった幼馴染み、'''早川 湧'''(はやかわ ゆう)を亡くしたことをずっと引きずっていて前に進めないでいる。第1巻の途中で長かった髪をばっさりと短くした。 : リクオに告白されるも、「友達の関係がいい」と振ってしまう。しかし時が経つにつれ、リクオに対する想いが少しずつ変わりつつある。 ; 早川 浪(はやかわ ろう) : 声 - [[花江夏樹]]{{R|oricon20200122}}、[[村井美里]] (幼少期) : 榀子を追いかけるように金沢から上京してきた幼馴染みの少年。榀子の想い人であった早川 湧の弟。 : 時折左耳に[[安全ピン]]を[[ピアス]]のように身に付けている。 : 年が7つも離れているものの、榀子のことが本気で好き。しかし当の榀子からは弟以上の感情を持たれておらず苦悩している。美大を目指しており、[[予備校]]に通っている。女子にモテるのだが、榀子以外の女性には全く興味を示さず、つっけんどんな反応しか示さない。恋敵のリクオに対してたびたび牽制をかけている。 : 「湧の弟」としてではなく、自分自身を見てもらうために絵(美大)という[[アイデンティティ]]で自分を示そうとしている。 : デリバリーで度々予備校に訪れるハルとは顔見知りで、立場上戦友のような関係。 : 莉緒に泣きつく形で同棲を始め、イタリアまで同行するが、結局榀子が忘れられず帰国する。 === 準主要人物 === ; 早川 湧(はやかわ ゆう) : 声 - [[小林千晃]] : 榀子の幼馴染みで、浪の兄。故人。 :生まれつき体が弱く、病弱であったため、自分の死を身近に感じていた。 : 榀子が高校3年の春の時に夭折するも、いまなお榀子の心の中心に在り続けている。浪からは無敵のラスボスと揶揄された。 : 顔は一度もきちんと描かれてはいないが回想シーンでの登場数は多く、存在感は大きい。 ; 湊 航一(みなと こういち) : 声 - [[小野友樹]]{{R|natalie372882}} : 写真家を目指す大学2年生。ハルとは高校時代の同級生。将来はマスコミ関係に進みたいと思っている。それ故に自分のやりたいことが決められず、ふらふらしているリクオとは馬が合わなかった。高校時からハルを気にしており、再会を機にアプローチをかけていたが、思いは遂げられなかった。第4巻で大学を辞め、海外に留学。 : 最終巻にて、ハルと奇跡的な再会を果たし、再登場。 ; 柚原 チカ(ゆずはら チカ) : 声 - [[喜多村英梨]]{{R|natalie372882}} : リクオの高校2年の時の彼女。しかし4ヶ月で破局。 : どこかポーッとしており、男心をくすぐるタイプ。お金が無いことを理由に、ある日突然リクオの部屋に寄宿する。その後ピアノ関係のバイトが決まり、無事(?)出て行く。 : 湊と柚原はリクオ、ハル、榀子の三角関係に微妙な変化をもたらしたキーパーソンであるといえる。 : 第9巻〜第10巻にかけて再登場。 ; 木ノ下さん(きのしたさん) : 声 - [[鈴木達央]]{{R|natalie372882}} : リクオのコンビニでの同僚。バンドをやっている。母子家庭で妹と弟がいる。第3巻に妹が、『羊のうた』に弟がでている。物語にはあまり深く関わってこないが、第三者的な立場からリクオにいくつものアドバイスを送っている。 : 第5巻辺りよりライブハウスのバイトをはじめており、コンビニにはリクオ同様あまり顔をみせていないようだ。第6巻でリクオと同じ日にコンビニのバイトを辞めた。 : 最終巻にて、久々に再登場する。 ; 木ノ下 楼子(きのした たかこ) : 高校生。木ノ下さんの妹(木ノ下兄弟の真ん中)で、ハルの後輩、榀子の生徒にあたる(浪の同級生でもあるが、物語上のつながりはない)。同級生の深町が撮る映画に協力しており、兄に音楽を頼んだり、撮影費のためにこっそりミルクホールでバイトをしたりする。それを学校に見つかり咎められるが、ハルと榀子のお陰で穏便に済んだ。 : 兄に似ず美人で大人っぽく、杏子に20歳と偽っても全く怪しまれなかった。 : 第10巻より、バイトを休むハルに代わってミルクホールに復帰し、再登場。また後述の通り、『羊のうた』にも登場する人物。 ; 福田 タカノリ(ふくだタカノリ) : 声 - [[寺島拓篤]]{{R|natalie372882}} : リクオと榀子の大学時代の同級生。眼鏡をかけている。梢(声 - [[洲崎綾]])という妻がいる。第1巻での名刺によると下の名前は総一で、[[株式会社]]ミツシタの第四広報部に所属、となっている。しかし第6巻では下の名前が「タカノリ」になっている<ref group="注">作者が総一という名前を第1巻で出したのを忘れていてもう1度名前を付けてしまったため。今後はタカノリ(漢字未定)で統一すると短編集『[[イエスタデイをうたって#短編集|イエスタデイをうたってEX]]』のインタビューで答えている。</ref>。後述のアニメーション版でも「タカノリ」が採用された。 : リクオとは正反対に人生設計にぬかりがなく、物事を論理的に捉える。就職・結婚してからもリクオと付き合いが多い。 : 出番の少なくなった木ノ下さんに代わって、彼がリクオの相談役になる機会が増えた。 ; 杜田(もりた) : 声 - [[名塚佳織]]{{R|natalie372882}} : 榀子の同僚の女性教師。たびたび榀子の相談に乗ったりからかったりしている。自称「森ノ目先生の操を守る会」の会長。 ; 滝下 克美(たきした かつみ) : 声 - [[堀江瞬]]{{R|natalie372882}} : 美大を目指して予備校に通う、浪と同い年の少年。絵の技術は浪より上だったが、浪人中。自己分析・他者分析が得意で浪に様々なアドバイスを送るが、何故か恋愛面に関しては例外。 : 飄々としたところがあって女の子にとてもモテるが、受身の恋愛ばかりだった。6巻で調子の悪い自動販売機に蹴りを入れていた葛原未里に恋をし、すぐに告白したが玉砕した。しかし、それにめげずにアタックを続けている。 ; 狭山 杏子(さやま きょうこ) : 声 - [[坂本真綾]]{{R|natalie372882}} : 喫茶ミルクホールのマスター。大人の色気がある穏やかな女性。 : もともとは彼女の祖父の店であったミルクホールを、母親と一緒に継いでいたが、その母親が亡くなり、ハルをアルバイトとして雇って切り盛りしている。ハルがバイト中に着ているメイド服は杏子の趣味である。 : 独創的すぎるハルの創作料理には困惑している模様。 ; 葛原 未里(くずはら みさと) : 声 - [[藤原夏海|藤原夏美]]<ref>{{Cite web|和書|title=第2話 イノセントブルー {{!}} イエスタデイをうたって|url=https://spinear.com/shows/sing-yesterday/episodes/episode-2/|website=SPINEAR (スピナー)|accessdate=2020-06-29|language=ja}}</ref> : 予備校の彫刻科に通う少女。髪型はおかっぱ気味のショートヘアで、男勝りな性格。 : 上にジャージ、下にズボンをよくはいている。第6巻でほとんど見ず知らずの滝下に告白され、間髪いれずに拒絶した。その後も付きまとってくる滝下に辟易している。 ; 居沢(いざわ) : 声 - [[田中宏樹 (俳優)|田中宏樹]] : 通称「クマさん」。狭山の高校時代の同級生で、大学に通いながら予備校教師を務める。 : 狭山とは互いに惹かれ合っているが、実家でトラブルが発生し、東京を離れざるを得なくなる。 ; 雨宮(あめみや) : 声 - [[西山宏太朗]] : 予備校教師。予備校でのクリスマス・パーティー以後、ハルに猛烈なアプローチを繰り返す。 : 実の親を亡くしており、養子夫妻に育てられた過去を持つ。みもりは、(おそらく)下の名前で「ユウ」と呼ぶ。 : ハルとリクオの関係を大きく変化させる、連載後半のキーパーソン。 ; みもり : 大学生。雨宮とは本当の家族になるはずだったが、再婚予定だった互いの肉親の事故死によって引き裂かれる。 : 地元・長野から上京し、12年ぶりに雨宮に連絡をとる。ハルに惹かれている雨宮、そしてハルを揺さぶってゆく。 ; 莉緒(りお) : モデル。浪とは大学の人物素描の授業で知り合う。深く傷ついた浪と交流するうちに、二人の関係性が大きく進展してゆく。 : 幼い頃から画家・上岡紫成のモデルを務めている。親はイタリアに住んでいる。 === ゲストキャラ === ; 秋本 陽子(あきもと ようこ) : 声 - [[本田貴子]] : 第2巻収録「ゆらゆら」に登場。 : ハルの実母。ハルに似ず長身の女性で、「ハハ」と呼ばれている。ハルとは別居しているが、仲が悪いという訳ではなく、きちんと娘のことを理解している。さばさばして強引なところがややある。 : 男運が悪く、登場時に再婚の報告をした。ハルの実父を含めて、最低でもこれが3度目の結婚である。 ; 川島 省吾(かわしま しょうご) : 「ゆらゆら」に登場。 : 陽子の再婚相手。温和な性格で、少しハルの実父に似ているらしい。彼女たち親子のことを不思議な関係と言いつつも、認めている。 : 陽子とは大学時代のサークル仲間で、OB会での再会がきっかけ。 ; 桐島(きりしま) : 第2巻収録「川は流れる」に登場。 : 浪の通う予備校に在籍している女性。元々芸大生だったが、自分の絵と才能に行き詰まり退学、予備校に戻った。しかしなにかのために絵を描くのではなく、純粋に絵が描きたかったのだとして、新たな生きがいをみつけるべく予備校を去った。 : 彼女の絵は滝下でさえ憧れるほどのものだったという。 ; 深町 泉(ふかまち いずみ) : 第3巻収録「少年たちと浮遊青年」に登場。 : 楼子と同じ高校生。文化祭の出し物のために自主映画を作製している映研部の少年。金策に困った際にも自分の力でなんとかしようとするなど、責任感が強い。しかしそれが意地となって、楼子と衝突。後に和解し、映画を無事完成させる。 : 映像に携わる者として感じるところがあったのか、リクオはよく彼の面倒を見ていた。 : 楼子とはお互いに、一定以上の感情を持っているようである。 ; 中原 夏樹(なかはら なつき) : 第5巻収録「青春の蹉跌」に登場。 : 浪の通う予備校の現役生。技術そのものはあまりないが、他の生徒とは一段抜き出た才覚をもつ。船塚とつきあっており、彼を「洋ちゃん」と呼ぶ。同作者の別作品『ももんち』では、もものクラスメートとして登場している。時間軸的には「青春の蹉跌」よりも後のふたりを見ることができる。 ; 船塚(ふなつか) : 「青春の蹉跌」に登場。 : 浪の通う予備校の現役生。中原とつきあっているが、彼女に比べて小手先の技術しかもたない自分にやきもきしている。 : 夏樹とともに『ももんち』にも登場。 == 書誌情報 == === 単行本 === * 表紙カバー折返しの写真は、第2巻を除いて冬目自身の撮影によるものである{{R|interview_EX|interview_11}}。 * 冬目景 『イエスタデイをうたって』 [[集英社]] 〈ヤングジャンプ・コミックス・ビージャン〉→〈ヤングジャンプ・コミックス・グランド〉<ref group="注">掲載誌の移動に伴い、第8巻より移行。なお第5巻のフィギュア特装版は〈ビジネスジャンプ・キャラクターブックス〉、第7巻のポストカードブック付き特装版は〈ビジネスジャンプ・マルチメディア〉からの発行である。</ref>、全11巻 *# 1999年3月24日第1刷発行(3月19日発売<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=4-08-875771-8|title=イエスタデイをうたって 1/冬目 景|work=[http://www.s-manga.net 集英社コミック公式 S-MANGA]|publisher=[[集英社]]|accessdate=2020-03-30}}</ref>)、{{ISBN2|4-08-875771-8}} <!-- 『ビジネスジャンプ』[[1998年]]1号 - 4号 / 18号 - 22号に掲載分を収録。 --> *# 2000年4月24日第1刷発行(4月19日発売<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=4-08-876013-1|title=イエスタデイをうたって 2/冬目 景|work=[http://www.s-manga.net 集英社コミック公式 S-MANGA]|publisher=[[集英社]]|accessdate=2020-03-30}}</ref>)、{{ISBN2|4-08-876013-1}} <!--『ビジネスジャンプ』1999年18号 - 2000年4号に掲載分を収録。 --> *# 2002年2月24日第1刷発行(2月19日発売<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=4-08-876274-6|title=イエスタデイをうたって 3/冬目 景|work=[http://www.s-manga.net 集英社コミック公式 S-MANGA]|publisher=[[集英社]]|accessdate=2020-03-30}}</ref>)、{{ISBN2|4-08-876274-6}} <!-- 『ビジネスジャンプ』2000年9号 / 11号 / 13号 / 15号 / [[2001年]]2号 / 4号 / 6号 / 23号 / 24号 / 2002年1号に掲載分を収録。 --> *# 2004年7月21日第1刷発行(7月16日発売<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=4-08-876646-6|title=イエスタデイをうたって 4/冬目 景 |work=[http://www.s-manga.net 集英社コミック公式 S-MANGA]|publisher=[[集英社]]|accessdate=2020-03-30}}</ref>)、{{ISBN2|4-08-876646-6}} <!-- 『ビジネスジャンプ』2002年22号 - 23号 / [[2003年]]13号 - 15号 / 2004年5号 - 9号に掲載分を収録。 --> *# 2007年4月24日第1刷発行(4月19日発売<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=978-4-08-877255-4|title=イエスタデイをうたって 5/冬目 景|work=[http://www.s-manga.net 集英社コミック公式 S-MANGA]|publisher=[[集英社]]|accessdate=2020-03-30}}</ref>)、{{ISBN2|978-4-08-877255-4}} *#* フィギュア特装版、{{ISBN2|978-4-08-908055-9}} <!-- 『ビジネスジャンプ』[[2005年]]15号 / 17号 / 19号 / 21号 / 23号 / [[2006年]]12号 / 14号 / 16号 / 18号 / 20号に掲載分を収録。 --> *# 2008年11月24日第1刷発行(11月19日発売<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=978-4-08-877554-8|title=イエスタデイをうたって 6/冬目 景|work=[http://www.s-manga.net 集英社コミック公式 S-MANGA]|publisher=[[集英社]]|accessdate=2020-03-30}}</ref>)、{{ISBN2|978-4-08-877554-8}} <!-- 『ビジネスジャンプ』[[2007年]]8号 / 10号 / 12号 / 14号 / [[2008年]]9号 / 11号 / 13号 / 15号 / 17号 / 19号に掲載分を収録。 --> *# 2010年11月24日第1刷発行(11月19日発売<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=978-4-08-879064-0|title=イエスタデイをうたって 7/冬目 景|work=[http://www.s-manga.net 集英社コミック公式 S-MANGA]|publisher=[[集英社]]|accessdate=2020-03-30}}</ref>)、{{ISBN2|978-4-08-879064-0}} *#* ポストカードブック付き特装版、{{ISBN2|978-4-08-908122-8}} <!--『ビジネスジャンプ』[[2009年]]10号 / 12号 / 14号 / 16号 / 18号 / [[2010年]]10号 / 12号 / 14号 / 16号 / 18号に掲載分を収録。 --> *# 2012年7月24日第1刷発行(7月19日発売<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=978-4-08-879366-5|title=イエスタデイをうたって 8/冬目 景|work=[http://www.s-manga.net 集英社コミック公式 S-MANGA]|publisher=[[集英社]]|accessdate=2020-03-30}}</ref>)、{{ISBN2|978-4-08-879366-5}} <!-- 『ビジネスジャンプ』[[2010年]]24号 / [[2011年]]13号 / 15号 / 17号 『グランドジャンプ』[[2011年]]1号 / [[2012年]] 3号 / 5号 / 7号 / 9号 / 11号 / 13号 / に掲載分を収録。 --> *# 2013年7月24日第1刷発行(7月19日発売<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=978-4-08-879638-3|title=イエスタデイをうたって 9/冬目 景|work=[http://www.s-manga.net 集英社コミック公式 S-MANGA]|publisher=[[集英社]]|accessdate=2020-03-30}}</ref>)、{{ISBN2|978-4-08-879638-3}} <!-- 『グランドジャンプ』[[2012年]]17号 / 19号 / 21号 / 23号 / 25号 / [[2013年]]2号 / 4号 / 6号 / 8号 / 10号 に掲載分を収録。 --> *# 2014年5月24日第1刷発行(5月19日発売<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=978-4-08-879775-5|title=イエスタデイをうたって 10/冬目 景|work=[http://www.s-manga.net 集英社コミック公式 S-MANGA]|publisher=[[集英社]]|accessdate=2020-03-30}}</ref>)、{{ISBN2|978-4-08-879775-5}} <!-- 『グランドジャンプ』[[2013年]]12号 / 16号 / 18号 / 20号 / 22号 / 24号 / [[2014年]]2号 / 4号 / 6号 / 8号 に掲載分を収録。 --> *# 2015年9月23日第1刷発行(9月18日発売<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=978-4-08-890249-4|title=イエスタデイをうたって 11/冬目 景 |work=[http://www.s-manga.net 集英社コミック公式 S-MANGA]|publisher=[[集英社]]|accessdate=2020-03-30}}</ref>)、{{ISBN2|978-4-08-890249-4}} *冬目景 『イエスタデイをうたって afterword』 [[集英社]]、{{ISBN2|978-4-08-891557-9}} **本編最終回の後日談を描いた新作読切『イエスタデイをうたって 特別編―11・S14―』、単行本未収録の読切『夏の姉』を初収録。その他冬目景のインタビューや対談、後述の『イエスタデイをうたってEX 〜原点を訪ねて 冬目景 初期短編集〜』からの選り抜き収録も含む。 <!-- 『グランドジャンプ』[[2014年]]12号 / 14号 / 16号 / 18号 / 20号 / 22号 / 24号 / [[2015年]]2号 / 4号 / 6号 / 8号 / 10号 / 13号 に掲載分を収録。 --> === 短編集 === * 番外編及び「イエスタデイをうたって」の演出方法などを垣間見ることが出来る初期の短編を収録。その他にキャラクター集や作者へのインタビューも掲載されており、ガイドブックとしての側面も持っている。 * 冬目景『イエスタデイをうたってEX 〜原点を訪ねて 冬目景 初期短編集〜』集英社 〈ビジネスジャンプ愛蔵版コミックス〉 ** 2009年11月25日第1刷発行(11月20日発売<ref>{{Cite news |title= 「イエスタデイ」の原点を探る、冬目景の初期短編集 - コミックナタリー|website= [https://natalie.mu/ ナタリー]|publisher= [[ナタリー (ニュースサイト)|ナターシャ]]|date= 2009-11-18|url= https://natalie.mu/comic/news/23937|accessdate= 2020-03-30}}</ref>)、{{ISBN2|978-4-08-782255-7}} <!-- :*イエスタデイをうたって番外編 其ノ壱(『ビジネスジャンプ』2008年24号) :*イエスタデイをうたって番外編 其ノ弐(『[[BJ魂]]』Vol.46(2009年5月)) :*イエスタデイをうたって番外編 其ノ参(『ビジネスジャンプ』2009年24号) :*イエスタデイをうたって番外編 其ノ四(描き下ろし) :*縁側の人([[同人誌]]『ながまる〜植物的〜』) :*ユメノ生活(同人誌『ながまる2〜押入〜』) :*みそののいえ(同人誌『ながまる3〜コワイハナシ〜』) :*あつあつ(同人誌『ながまる4〜HOT〜』) :*帰り道(同人誌『ながまる5〜台風〜』) :*石を買う(同人誌『ながまる6〜石を買う〜』) :*雨ノ中泳グ(同人誌『ながまる7〜水〜』 :*田中02(『[[モーニング新マグナム増刊]]』Vol.1(1997年12月)) :*サイレンの棲む海(『[[エクストラビージャン]]』1999年4月30日号) ;イエスタデイをうたって afterword :集英社 〈ヤングジャンプ・コミックス・グランド〉 2020年4月22日第1刷発行(4月17日発売<ref>{{Cite web|url=https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=978-4-08-891557-9|title=イエスタデイをうたって afterword|work=[http://www.s-manga.net 集英社コミック公式 S-MANGA]|publisher=[[集英社]]|accessdate=2020-04-17}}</ref>)、{{ISBN2|978-4-08-891557-9}} :『EX』にて既出の短編に加えて、本編完結後に掲載された読み切りや作者のインタビュー、作者とテレビアニメ版の監督の対談などを収録。 :*イエスタデイをうたって特別編-11・S14-(『グランドジャンプ』2020年9号) :*イエスタデイをうたって番外編 其ノ壱〜四 :*田中02 :*サイレンの棲む海 :*夏の姉(『グランドジャンプ』2015年20号) --> === 小説版 === * 星希代子(小説) / 冬目景(原作・挿絵)『イエスタデイをうたって デイ・ドリーム・ビリーバー』集英社 〈[[ジャンプ ジェイ ブックス]]〉 ** 2010年11月24日第1刷発行(11月19日発売<ref>{{Cite news |title= ハルたちの過去書く「イエスタデイをうたって」初の小説版 - コミックナタリー|website= [https://natalie.mu/ ナタリー]|publisher= [[ナタリー (ニュースサイト)|ナターシャ]]|date= 2010-10-20|url= https://natalie.mu/comic/news/39337|accessdate= 2020-03-30}}</ref>)、{{ISBN2|978-4-08-703233-8}} <!-- :*デイ・ドリーム・ビリーバー :*ペーパームーン :*旅をしませんか :*どこまでも行こう! --> === 画集 === * 『イエスタデイをうたって画集―YESTERDAYS―』、集英社 2008年11月24日第1刷発行(11月19日発売<ref>{{Cite book|和書 |author = 冬目景 |title = イエスタデイをうたって |edition = 第1刷 |date = 2008-11-24 |volume = 第6巻 |publisher = [[集英社]] |series = [[ヤングジャンプ・コミックス|ヤングジャンプ・コミックス・ビージャン]] |isbn = 978-4-08-877554-8 |page = 帯 }}</ref>)、{{ISBN2|978-4-08-782179-6}}、A4判 * 『イエスタデイをうたって画集―YESTERDAYS― II』、集英社 2015年9月23日第1刷発行(9月18日発売<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=978-4-08-792708-5 |title=[イエスタデイをうたって]画集―YESTERDAYS― 2/冬目 景 |work=[http://www.s-manga.net 集英社コミック公式 S-MANGA] |publisher=[[集英社]] |accessdate=2020-04-04 }}</ref>)、{{ISBN2|978-4-08-792708-5}}、A4判 === ポストカード集 === * 『「イエスタデイをうたって」ポストカード集』、集英社 2002年10月第1刷発行、{{ISBN2|4-08-908009-6}}、B6判 == オリジナルサウンドストーリー == ;イエスタデイをうたって オリジナルサウンドストーリー :ABCA-5018、モモアンドグレープスカンパニー、[[2003年]][[8月27日]]発売 :オリジナル作品、[[ビートルズ]]作品、[[森田童子]]作品がそれぞれ4曲ずつ、計12曲が収録されている。編曲は広瀬充寿が担当。野中晴役は[[宍戸留美]]、森ノ目榀子役は[[かかずゆみ]]が担当している。 #「イエスタデイをうたって」メインテーマ #[[ペニー・レイン (代表的なトピック)|Penny Lane]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 --> #[[ぼくたちの失敗]](ボーカル:宍戸留美) #晴のテーマ #[[ガール (ビートルズの曲)|Girl]] #[[A BOY ボーイ|ぼくが君の思い出になってあげよう]](ボーカル:宍戸留美) #榀子のテーマ #[[イエスタデイ (ビートルズの曲)|YESTERDAY]] #[[A BOY ボーイ|君と淋しい風になる]](ボーカル:かかずゆみ) #宣戦布告 #[[ラスト・ワルツ (森田童子のアルバム)|みんな夢でありました]](ボーカル:かかずゆみ) #[[レット・イット・ビー (曲)|Let It Be]] == テレビアニメ == 2020年4月から6月まで、[[テレビ朝日]]の土曜深夜アニメ枠『[[NUMAnimation]]』枠ほかにて放送された。インターネット配信版では、約1分の限定エピソードも展開される<ref name="onair"/>。監督を務める[[藤原佳幸]]は、高校生の時に原作漫画を表紙買いしてからの大ファンだという<ref>{{Cite news |title= 「イエスタデイをうたって」アニメ放送記念対談 監督が「ジャケ買い」した原作の魅力 &#x7C; アニメ!アニメ!|publisher= [[イード (企業)|イード]]|date= 2020-04-03|url= https://animeanime.jp/article/2020/04/03/52689.html|accessdate= 2020-04-04}}</ref>。全話においてOPがないのは、会話していていない間を丁寧に描きたいとの監督の強い希望があったため。EDが話数を追って変えたのは演出的な狙いもあったが、話題作りにもなるかと思ったためと語っている<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=TVアニメ「イエスタデイをうたって」特集 藤原佳幸監督×古屋遙(宣伝プロデュース)×ユアネス・古閑翔平(主題歌)インタビュー (2/2) - コミックナタリー 特集・インタビュー|url=https://natalie.mu/comic/pp/singyesterday|website=コミックナタリー|accessdate=2020-06-29|language=ja|publisher=株式会社ナターシャ}}</ref>。放送の1クール前には全話の制作が終わっていた<ref name=":0" />。 また、アニメ本編と連動した書き下ろしの特別編音声ドラマが同6月17日からSPINEARおよびApple Podcasts、[[Google Podcasts]]、Spotifyなどの主要なリスニングサービスで配信された<ref>{{Cite web|和書|title=人気TVアニメ『イエスタデイをうたって』書き下ろし特別編音声ドラマ、デジタル音声コンテンツ配信サービス「SPINEAR」にて6/17(水)17:00配信スタート!|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000678.000025404.html|website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES|accessdate=2020-06-29}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=https://twitter.com/spinearmedia/status/1274981890580025345|url=https://twitter.com/spinearmedia/status/1274981890580025345|website=Twitter|accessdate=2020-06-29|language=ja}}</ref>。 同年8月5日に全12話(映像特典として配信版エピソード全6話も含む)を収録したBlu-ray BOX (CAXA-00001) およびDVD BOX (CABA-00001) が発売<ref>{{Cite web|url=https://singyesterday.com/bluray/|title=Blu-ray & DVD|work=TVアニメ『イエスタデイをうたって』公式サイト|accessdate=2020-04-04}}</ref>。 === スタッフ === * 原作 - [[冬目景]]<ref name="youtube20200121">{{Cite video|url=https://www.youtube.com/watch?v=Acwat8MO51A|title=TVアニメ「イエスタデイをうたって」4月4日(土)テレビ朝日 新・深夜アニメ枠「NUMAnimation」放送開始|work=[[YouTube]]|time=0:16|date=2020-01-21|accessdate=2020-01-22}}</ref> * 監督・シリーズ構成 - [[藤原佳幸]]{{R|youtube20200121}} * 副監督 - [[rato|伊藤良太]]{{R|youtube20200121}} * 脚本 - 藤原佳幸、[[田中仁 (脚本家)|田中仁]]{{R|youtube20200121}} * キャラクターデザイン - [[谷口淳一郎]]{{R|youtube20200121}} * プロップデザイン - 合田麻美、永田杏子 * 音響監督 - [[土屋雅紀]]{{R|youtube20200121}} * 美術監督 - 宇佐美哲也{{R|youtube20200121}} * 美術設定 - 藤井祐太 * 色彩設計 - 石黒けい{{R|youtube20200121}} * 撮影監督 - 桒野貴文{{R|youtube20200121}} * 編集 - 平木大輔{{R|youtube20200121}} * 背景 - [[スタジオ・イースター]]{{R|youtube20200121}} * 音楽 - [[玉井健二]]&[[agehasprings]] × 近藤貴亮<ref name="animatetimes20200327">{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1585275512|title=春アニメ『イエスタデイをうたって』冒頭シーン&主題歌が公開!|work=[[アニメイトタイムズ]]|date=2020-03-27|accessdate=2020-03-27}}</ref> * 音楽制作 - agehasprings{{R|animatetimes20200327}} * チーフプロデューサー - [[竹内宏彰]] * プロデューサー - 椛嶋麻菜美、劉嵐、森悠紀、柳井寛史、関根大輔、工藤雅世 * 制作プロデューサー - 内海洋 * アニメーションプロデューサー - 鎌田肇 * アニメーション制作 - [[動画工房]]{{R|youtube20200121}} * 制作 - [[DMM.futureworks]]{{R|youtube20200121}} * 製作 - イエスタデイをうたって製作委員会 === 主題歌 === ; 「籠の中に鳥」 : 第1話から第6話までのエンディングテーマ。作詞・作曲は古閑翔平、歌は[[ユアネス]]、編曲は[[ユアネス]]、[[玉井健二]]、横山裕章。4月11日に公開されたMV<ref>{{Citation|title=ユアネス-yourness-「籠の中に鳥」Official Music Video【アニメ「イエスタデイをうたって」主題歌】|url=https://www.youtube.com/watch?v=5CklZVlT7Hs|accessdate=2020-06-29|year=}}</ref> には1話から12話まで、すべての話数のカットを使われている<ref name=":0" />。 ; 「葵橋」<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/88050/2|title=さユり、アニメ『イエスタデイをうたって』第2弾主題歌を書き下ろし|work=Billboard JAPAN|date=2020-05-16|accessdate=2020-05-16}}</ref> : 第7話から第9話までのエンディングテーマ。作詞・作曲・歌は[[さユり]]。編曲は[[江口亮]]。楽曲のタイトルである『葵橋』とは[[京王線]]が[[甲州街道]]を路面電車として走っていた時代の駅名である「[[葵橋駅]]」から来てるが、本アニメの作中に京王線は登場しない。 ; 「イエスタデイをうたって」 : 第10話と第11話のエンディングテーマ。作詞は[[忌野清志郎]]、作曲は[[肝沢幅一]]による[[RCサクセション]]のカバー。編曲は玉井健二、[[大西省吾]]、ミックスは[[森真樹]]。歌手はそれまで未公表だったが、最終話放送前の2020年6月19日、公式サイト内の発表で[[agehasprings]] feat あにー([[TaNaBaTa]])であることを明かした。 === 各話リスト === {{エピソードリスト/base/header | LineColor = #000000 | Number = 話数 | Title = サブタイトル | Aux1 = 脚本 | Aux2 = 絵コンテ | Aux3 = 演出 | Aux4 = {{nobr|作画監督}} | Aux5 = {{nobr|総作画監督}} | Aux6 = {{nobr|初放送日}} | TableStyle = font-size:small }} {{エピソードリスト/base | Number = {{nobr|scene 01}} | Title = {{nobr|社会のはみ出し者は自己変革を目指す}} | Aux1 = {{nobr|[[藤原佳幸]]}} | Aux1RowSpan = 2 | Aux2 = 藤原佳幸 | Aux2ColSpan = 2 | Aux4 = 山野雅明 | Aux5 = [[谷口淳一郎]] | Aux5RowSpan = 3 | Aux6 = '''2020年'''<br />4月5日 }} {{エピソードリスト/base | Number = scene 02 | Title = 袋小路 | Aux2 = [[rato|伊藤良太]] | Aux3 = {{nobr|牛嶋新一郎}} | Aux4 = {{hlist-comma|武藤幹|矢野桃子|長尾圭吾|[[寿門堂]]|菊永千里|菊池政芳|海保仁美|菅原美智代|上野沙弥佳|池添優子|乘富梓}} | Aux6 = 4月12日 }} {{エピソードリスト/base | Number = scene 03 | Title = 愛とはなんぞや | Aux1 = [[田中仁 (脚本家)|田中仁]] | Aux1RowSpan = 2 | Aux2 = 伊藤良太 | Aux2ColSpan = 2 | Aux4 = {{hlist-comma|藤原奈津子|渥美智也|[[松浦麻衣]]|山野雅明|寿門堂|菊永千里|菊池政芳|海保仁美|菅原美智代|上野沙弥佳|高山洋輔}} | Aux6 = 4月19日 }} {{エピソードリスト/base | Number = scene 04 | Title = 川は流れて 榀子帰郷 | Aux2 = 奥田佳子 | Aux3 = 原口浩 | Aux4 = {{hlist-comma|山野雅明|久保茉莉子|長尾圭吾|立口徳孝|寿門堂|菊永千里|菊池政芳|海保仁美}} | Aux5 = 吉川真帆 | Aux6 = 4月26日 }} {{エピソードリスト/base | Number = scene 05 | Title = ミナトという男 | Aux1 = 藤原佳幸 | Aux2 = {{nobr|おざわかずひろ}} | Aux3 = 越田知明 | Aux4 = {{hlist-comma|久保茉莉子|小倉寛之|武藤幹|山野雅明|曾我篤史|市原圭子|山本恭平|寿門堂|菊永千里|菊池政芳|海保仁美|菅原美智代|上野沙弥佳|宮野健}} | Aux5 = 谷口淳一郎 | Aux6 = 5月3日 }} {{エピソードリスト/base | Number = scene 06 | Title = ユズハラという女 | Aux1 = 田中仁 | Aux2 = [[田中雄一 (アニメーター)|田中雄一]] | Aux3 = {{hlist-comma|藤原佳幸|金成旻}} | Aux4 = {{hlist-comma|藤原奈津子|渥美智也|小林恵祐|久保茉莉子|曾我篤史|[[ゼクシズ|ZEXCS]]|松本翔吾|寿門堂|菊永千里|海保仁美|上野沙弥佳|乘富梓}} | Aux5 = 吉川真帆 | Aux6 = 5月10日 }} {{エピソードリスト/base | Number = scene 07 | Title = 恋人たちの予感 | Aux1 = 藤原佳幸 | Aux2 = 奥田佳子 | Aux3 = 越田知明 | Aux4 = {{hlist-comma|長尾圭吾|久保茉莉子|山野雅明|曾我篤史|澤井駿|寿門堂|上野沙弥佳|菊永千里|海保仁美|菊池政芳}} | Aux5 = 谷口淳一郎 | Aux6 = 5月17日 }} {{エピソードリスト/base | Number = scene 08 | Title = イノセント・ブルー | Aux1 = 田中仁 | Aux2 = 堀口和樹 | Aux2ColSpan = 2 | Aux4 = {{hlist-comma|渥美智也|山野雅明|山本恭平|立口徳孝|長尾圭吾|永田杏子|寿門堂|菊永千里|海保仁美|菅原美智代|上野沙弥佳}} | Aux5 = 吉川真帆 | Aux6 = 5月24日 }} {{エピソードリスト/base | Number = scene 09 | Title = クリスマス・キャロル | Aux1 = 藤原佳幸 | Aux2 = 伊藤良太 | Aux3 = 越田知明 | Aux4 = {{hlist-comma|武藤幹|藤原奈津子|曾我篤史|平塚知哉|舘崎大|寿門堂|菊永千里|海保仁美|菅原美智代|上野沙弥佳|乘富梓}} | Aux5 = 谷口淳一郎 | Aux6 = 5月31日 }} {{エピソードリスト/base | Number = scene 10 | Title = はじまりの新年 | Aux1 = 田中仁 | Aux2 = 原口浩 | Aux3 = {{hlist-comma|原口浩|山﨑みつえ|野呂純恵}} | Aux4 = {{hlist-comma|渥美智也|澤井駿|長尾圭吾|山野雅明|尾辻浩晃|寿門堂|海保仁美|金璐浩|永田文宏}} | Aux5 = 吉川真帆 | Aux6 = 6月7日 }} {{エピソードリスト/base | Number = scene 11 | Title = はるの嵐 | Aux1 = 藤原佳幸 | Aux2 = 伊藤良太 | Aux2ColSpan = 2 | Aux4 = {{hlist-comma|長尾圭吾|武藤幹|渥美智也|山野雅明|澤井駿|藤原奈津子|寿門堂|海保仁美|金璐浩|上野沙弥佳|永田文宏|畠山元}} | Aux5 = 谷口淳一郎 | Aux6 = 6月14日 }} {{エピソードリスト/base | Number = scene 12 | Title = 遠回り | Aux1 = 田中仁 | Aux2 = {{hlist-comma|藤原佳幸|伊藤良太}} | Aux3 = 藤原佳幸 | Aux4 = {{hlist-comma|山野雅明|尾辻浩晃|長尾圭吾|渥美智也|武藤幹|藤原奈津子|澤井駿|大津豪|新沼拓也|宗圓祐輔|寿門堂}} | Aux5 = {{hlist-comma|谷口淳一郎|吉川真帆}} | Aux6 = 6月21日 }} {{エピソードリスト/base/footer}} === 放送局・配信サイト === {{注意|[[プロジェクト:放送または配信の番組#放送]]に基づき、本放送期間内の放送局および配信サイトのみを記載しています。}} {{放送期間 | network=[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]] | 放送期間 | 放送時間 | 放送局 | 対象地域 | 備考 | [[2020年]][[4月5日]] - [[6月21日]] | 日曜 1:30 - 2:00(土曜深夜) | [[テレビ朝日]] | [[広域放送|関東広域圏]] | '''製作参加''' / [[文字多重放送|字幕放送]] / 『[[NUMAnimation]]』枠 | 2020年[[4月10日]] - [[6月26日]] | 金曜 23:30 - 土曜 0:00 | [[BS朝日]] | [[全国放送|日本全域]] | [[日本における衛星放送#BSデジタル放送|BS/BS4K放送]] / 『[[アニメA]]』第2部 / 字幕放送 | 2020年[[5月10日]] - | 日曜 2:00 - 2:30(土曜深夜) | [[大分朝日放送]] | [[大分県]] | | 2020年[[6月4日]] - | 木曜 21:00 - 22:00 | [[テレ朝チャンネル|テレ朝チャンネル1]] | 日本全域 | [[日本における衛星放送#CSデジタル放送|CS放送]] / 2話連続放送<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tv-asahi.co.jp/ch/contents/anime/0366/|title=イエスタデイをうたって|work=テレ朝チャンネル|publisher=テレビ朝日|accessdate=2020-05-17}}</ref> | ref={{Cite web|url=https://singyesterday.com/onair/|title=ON AIR|work=TVアニメ『イエスタデイをうたって』公式サイト|accessdate=2020-04-01}} | refname=onair }} {{放送期間 | media=インターネット | 配信期間 | 配信時間 | 配信サイト | | | {{nobr|2020年4月5日 - 6月21日}} | {{nobr|日曜 1:30 - 2:00(土曜深夜)}} | [[AbemaTV|ABEMA]] | | | 2020年[[4月7日]] - [[6月23日]] | 火曜 12:00 更新 | [[dアニメストア]] | | | 2020年[[4月8日]] - [[6月24日]] | 水曜 12:00 更新 | {{flatlist|class=hlist-pipe| * [[Netflix]] * [[Amazonプライム・ビデオ]] * [[U-NEXT]] * [[アニメ放題]] * [[Hulu]] * [[J:COMオンデマンド]] * [[TELASA]] * milplus * [[auスマートパスプレミアム]] * [[ひかりTV]] * [[GYAO!]] * [[GYAO!ストア]] * [[フジテレビオンデマンド|FOD]] * [[ニコニコチャンネル]] * [[ニコニコ生放送]] * [[バンダイチャンネル]] * [[ビデオマーケット]] * [[music.jp]] * [[DMM.com]] * [[TSUTAYA TV]] * [[Rakuten TV]] * HAPPY!動画 * [[テレ朝動画]] * [[あにてれ]] }} | | | refname=onair }} ===特別編音声ドラマ<ref>{{Cite web|和書|title=イエスタデイをうたって - SPINEAR|url=https://open.spotify.com/show/15ojNGNrilly6lzgRq1fu9|website=Spotify|accessdate=2020-06-29|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=Apple Podcast内のイエスタデイをうたって|url=https://podcasts.apple.com/jp/podcast/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%87%E3%82%A4%E3%82%92%E3%81%86%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%A6/id1518954072|website=Apple Podcast|accessdate=2020-06-29|language=ja-jp}}</ref> === {| class="wikitable" !'''話数''' !タイトル !あらすじ !出演者 !配信開始日 |- |第1話 |夏と花火と金魚と背中 |近くの河川敷で行われる花火大会。 晴は陸生を、浪は榀子を誘い花火を見に行くことになったが…。 |小林親弘、宮本侑芽、花澤香菜、花江夏樹、堀江瞬、長谷川育美、珠宮夕貴、島袋美由利 |2020年6月17日 |- |第2話 |イノセントブルー |幼馴染の榀子に強い想いを寄せる浪。 周りを取り巻く様々な人たちとの関わりで少しずつ変化が…。 |小林親弘、宮本侑芽、花江夏樹、堀江瞬、藤原夏海、長谷川育美 |2020年6月18日 |- |第3話 |引越の手伝い |榀子の引越の手伝いに集まった陸生たち。 晴が持参した風変わりなお弁当がきっかけで…。 |小林親弘、宮本侑芽、花澤香菜、花江夏樹、小野友樹 |2020年6月19日 |- |第4話 |柚原という女 |陸生のバイト先に突然現れた金髪の女性。 陸生の元彼女の柚原だと名乗るが…。 |小林親弘、宮本侑芽、喜多村英梨 |2020年6月20日 |} {{前後番組 | 放送局 = [[テレビ朝日]] | 放送枠 = [[テレビ朝日の深夜アニメ枠|日曜 1:30 - 2:00(土曜深夜)]] | 番組名 = イエスタデイをうたって | 番組名備考 = ※ここから『[[NUMAnimation]]』枠 | 前番組 = [[虚構推理]] | 次番組 = [[新世紀エヴァンゲリオン|新世紀エヴァンゲリオン 地上波補完計画]]<br />(セレクション放送) | 次番組備考 = ※ここまでローカルセールス |次番組備考B=※ここのみ[[テレビ東京]]製作}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"|30em}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 外部リンク == * [https://singyesterday.com アニメ「イエスタデイをうたって」公式サイト] * {{Twitter|anime_yesterday|アニメ「イエスタデイをうたって」公式Twitter}} * {{YouTube|channel = UCydZ6OhumIpHnm06VNbxyiQ|TVアニメ『イエスタデイをうたって』公式チャンネル}} * [https://www.bs-asahi.co.jp/singyesterday/ アニメ「イエスタデイをうたって」] - BS朝日 {{冬目景}} {{藤原佳幸監督作品}} {{動画工房}} {{NUMAnimation}} {{デフォルトソート:いえすたていをうたつて}} [[Category:漫画作品 い|えすたていをうたつて]] [[Category:1998年の漫画]] [[Category:冬目景の漫画作品]] [[Category:ビジネスジャンプ]] [[Category:グランドジャンプ]] [[Category:ジャンプ ジェイ ブックス]] [[Category:世田谷区を舞台とした漫画作品]] [[Category:恋愛漫画]] [[Category:アニメ作品 い|えすたていをうたつて]] [[Category:2020年のテレビアニメ]] [[Category:NUMAnimation]] [[Category:2020年のWebアニメ]]<!-- 配信限定エピソードもあるため --> [[Category:動画工房]] [[Category:DMM.futureworksのアニメ作品]] [[Category:サイバーエージェントのアニメ作品]] [[Category:創通のアニメ作品]] [[Category:ハピネットのアニメ作品]] [[Category:ヤングジャンプ コミックスのアニメ作品]] [[Category:田中仁のシナリオ作品]] [[Category:恋愛アニメ]] [[Category:世田谷区を舞台としたアニメ作品]]
2003-02-11T08:49:00Z
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どおくまん
どおくまん(1950年1月1日 - )は、日本の漫画家。本名:鈴木和明。大阪市東淀川区出身。1960年代から活動している。漫画執筆にあたって同じ東淀川区出身の男性4人組の共同ペンネームとして「どおくまんプロ」(略称:どプロ)も名乗る。 当初、ペンネームを独漫としており、「孤独な漫画家」の意を込めていた。その後、独りでの漫画製作は厳しいと、実弟の「太地大介(たいち・だいすけ)(本名・鈴木信治)」、龍谷大学で知り合った「小池たかし(本名・小池隆)」、太地の友人であった「みわみわ(本名・宮勝彦)」に声を掛けた。この時にペンネームを漢字の独漫から、大阪の「お」を入れ、ひらがなにしたどおくまんとし、4人組の名前として「独立大阪漫人集団」の略からどおくまんプロとした。どおくまんプロは大阪府吹田市に活動拠点を置き、法人化もされている。 「どおくまん」が複数人による合作ペンネームであるとの勘違いも多いが、「どおくまん」は飽くまで鈴木本人だけである。 幼い頃は普通に漫画、貸本漫画を読んでいた。特にさいとう・たかをのヒット作『台風五郎』を気に入るが、特に漫画家を志すようなことはなく、成長するにつれ漫画とは離れてスポーツ一辺倒の高校時代を過ごす。大学時代になり、つげ義春、みやわき心太郎、山上たつひこらの漫画を読むようになり衝撃を受けるが、あくまでも読者、ファンとしてであり、漫画家を志すことはなかった。 転機は、『サンデー毎日』で大賞賞金1000万円の漫画賞を開催していることを知った1968年である。賞金目当てに発奮し、漫画の描き方もわからなかったが、画用紙に墨汁と筆で処女作『人形の疑惑』というサスペンス漫画を執筆し応募する。3次選考まで通過し、ベスト20には残るものの、大賞は逃す(ただし、大賞そのものが該当無しであった)。その後、「ちゃんとやれば、もうちょっと行けるんじゃないかな」と思い立ち大学の漫研へ行き、そこで小池と出会う。2作目を大手出版社の少年漫画誌の懸賞漫画に投稿し、これが佳作を受賞。本誌にも掲載され賞金も獲得する。どおくまんはここから本格的に漫画家を目指すことになる。 しかしながら、執筆した10作品、約300ページの原稿をトランクに詰め込んで上京し、大手出版社の編集に見せた際にはほとんど相手にされなかった。どおくまんは、その足で、創刊したばかりで新人を多く起用しているという集英社の『少年ジャンプ』編集部へ向かう。この時に『花田秀治郎』が編集の目に留まり、『別冊少年ジャンプ』での掲載がその場で決まった。『花田秀次郎くんシリーズ』は別冊少年ジャンプで隔月連載となる。また、同作を連載していた1974年には、非商業的漫画を掲載していた当時の青林堂の『ガロ』に「どく・まん」名義で「粗相」という作品を持込、掲載されている。この頃から、どおくまんプロも結成しているが、小池たかしは単独で漫画を執筆し『週刊少年ジャンプ』に読み切り掲載も行っており、締切間際に手伝いに来る程度であった。また、小池を除く3人は、漫画を描く傍ら、どおくまんの実兄が経営する工場で働いていた。 1975年に再び転機が訪れる。『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)の編集長・壁村耐三からの執筆依頼の電話がどおくまんたちが働いていた工場にかかってきた。これを機に『月刊少年チャンピオン』(秋田書店)1975年4月号より『暴力大将』が連載されることになり、この連載は1985年まで続くことになる。同年10月には『週刊漫画アクション』(双葉社)でも『嗚呼!!花の応援団』の連載が始まる。『嗚呼!!花の応援団』は1976年に映画化もされ、その年の邦画配給収入ランキング第8位のヒット作となり、続編映画も製作された。 画はどおくまんが中心であるが、アイデア、ストーリー、キャラクターなどはどおくまんプロのメンバーでお互いに持ち寄りながら作品を製作していた。また、最盛期には、月産500ページを超し、雇っていたアシスタントも30人近い大所帯となっていた。 実弟である太地大介が亡くなった後は、何のために漫画を描くのかわからなくなり、モチベーションが低下。『週刊少年チャンピオン』で連載していた『怪人ヒイロ』の完結以降は、いったんペンを置き、どおくまんプロも小池たかしとみわみわに任せる形となった。 過去に一度だけ、クイズダービーに出演したことがある。
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どおくまんは、日本の漫画家。本名:鈴木和明。大阪市東淀川区出身。1960年代から活動している。漫画執筆にあたって同じ東淀川区出身の男性4人組の共同ペンネームとして「どおくまんプロ」も名乗る。 当初、ペンネームを独漫としており、「孤独な漫画家」の意を込めていた。その後、独りでの漫画製作は厳しいと、実弟の「太地大介(たいち・だいすけ)(本名・鈴木信治)」、龍谷大学で知り合った「小池たかし(本名・小池隆)」、太地の友人であった「みわみわ(本名・宮勝彦)」に声を掛けた。この時にペンネームを漢字の独漫から、大阪の「お」を入れ、ひらがなにしたどおくまんとし、4人組の名前として「独立大阪漫人集団」の略からどおくまんプロとした。どおくまんプロは大阪府吹田市に活動拠点を置き、法人化もされている。 「どおくまん」が複数人による合作ペンネームであるとの勘違いも多いが、「どおくまん」は飽くまで鈴木本人だけである。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = どおくまん | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = 鈴木 和明 | 別名義 = どく・まん | 生年 = {{生年月日と年齢|1950|1|1}} | 生地 = [[大阪府]][[大阪市]][[東淀川区]] | 没年 = | 没地 = | 国籍 = {{JPN}} | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1960年代]] - | ジャンル = [[ギャグ漫画]]、青春漫画 | 代表作 = 『暴力大将』<br />『[[嗚呼!!花の応援団]]』<br />『[[熱笑!! 花沢高校]]』 | 受賞 = | サイン = | 公式サイト = }} '''どおくまん'''([[1950年]][[1月1日]]<ref name="book">『漫画家人名事典』 205頁 [[日外アソシエーツ]]</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。本名:鈴木和明。[[大阪市]][[東淀川区]]出身。[[1960年代]]から活動している。漫画執筆にあたって同じ東淀川区出身の男性4人組の共同ペンネームとして「'''どおくまんプロ'''」(略称:'''どプロ''')も名乗る。 当初、ペンネームを'''独漫'''としており、「孤独な漫画家」の意を込めていた。その後、独りでの漫画製作は厳しいと、実弟の「'''太地大介(たいち・だいすけ)'''(本名・鈴木信治)」、[[龍谷大学]]で知り合った「'''小池たかし'''<ref>過去、「岩草一発(いわくさ・いっぱつ)」、「KOIKEYA」のペンネームで活動した時期がある。</ref>(本名・小池隆)」、太地の友人であった「'''みわみわ'''(本名・宮勝彦)」に声を掛けた<ref name="笑論" /><ref name="all">『劇画・マンガ家オール名鑑』 242頁 [[徳間書店]]</ref>。この時にペンネームを漢字の独漫から、大阪の「お」を入れ、ひらがなにした'''どおくまん'''とし、4人組の名前として「'''独立大阪漫人集団'''」の略から'''どおくまんプロ'''とした<ref name="ebook1" /><ref>[https://dookuman.blogspot.com/2010/11/blog-post.html どおくまんプロ結成秘話 | その1] - どおくまんプロ少年誌読者用BLOG 2010年11月15日</ref>。どおくまんプロは[[大阪府]][[吹田市]]に活動拠点を置き、法人化もされている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.houjin-bangou.nta.go.jp/henkorireki-johoto.html?selHouzinNo=2120901007542 |title=国税庁 法人番号公表サイト |access-date=2023-03-26 |publisher=国税庁}}</ref>。 「どおくまん」が複数人による合作ペンネームであるとの勘違いも多いが、「どおくまん」は飽くまで鈴木本人だけである<ref name="ebook1" />。 == 経歴 == 幼い頃は普通に漫画、[[貸本漫画]]を読んでいた。特に[[さいとう・たかを]]のヒット作『台風五郎』を気に入るが、特に漫画家を志すようなことはなく、成長するにつれ漫画とは離れてスポーツ一辺倒の高校時代を過ごす<ref name="ebook1" />。大学時代になり、[[つげ義春]]、[[みやわき心太郎]]、[[山上たつひこ]]らの漫画を読むようになり衝撃を受けるが、あくまでも読者、ファンとしてであり、漫画家を志すことはなかった<ref name="ebook1" />。 転機は、『[[サンデー毎日]]』で大賞賞金1000万円の漫画賞を開催していることを知った[[1968年]]である。賞金目当てに発奮し、漫画の描き方もわからなかったが、画用紙に墨汁と筆で処女作『人形の疑惑』というサスペンス漫画を執筆し応募する<ref name="ebook1" />。3次選考まで通過し、ベスト20には残るものの、大賞は逃す(ただし、大賞そのものが該当無しであった)<ref name="ebook1" />。その後、「ちゃんとやれば、もうちょっと行けるんじゃないかな」と思い立ち大学の漫研へ行き、そこで小池と出会う<ref>。[https://manba.co.jp/manba_magazines/2267 どおくまんインタビュー[前編]「プロには絶対負ける気がしない、って思ってた」]</ref>。2作目を大手出版社の少年漫画誌の懸賞漫画に投稿し、これが佳作を受賞。本誌にも掲載され賞金も獲得する<ref name="ebook1" />。どおくまんはここから本格的に漫画家を目指すことになる。 しかしながら、執筆した10作品、約300ページの原稿をトランクに詰め込んで上京し、大手出版社の編集に見せた際にはほとんど相手にされなかった。どおくまんは、その足で、創刊したばかりで新人を多く起用しているという[[集英社]]の『[[少年ジャンプ]]』編集部へ向かう。この時に『花田秀治郎』が編集の目に留まり、『[[月刊少年ジャンプ|別冊少年ジャンプ]]』での掲載がその場で決まった<ref name="ebook1" />。『花田秀次郎くんシリーズ』は別冊少年ジャンプで隔月連載となる。また、同作を連載していた[[1974年]]には、非商業的漫画を掲載していた当時の[[青林堂]]の『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』に「'''どく・まん'''」名義で「粗相」という作品を持込、掲載されている<ref name="ガロ" />。この頃から、どおくまんプロも結成しているが、小池たかしは単独で漫画を執筆し『[[週刊少年ジャンプ]]』に読み切り掲載も行っており、締切間際に手伝いに来る程度であった。また、小池を除く3人は、漫画を描く傍ら、どおくまんの実兄が経営する工場で働いていた<ref name="ebook2" />。 [[1975年]]に再び転機が訪れる。『[[週刊少年チャンピオン]]』([[秋田書店]])の編集長・[[壁村耐三]]からの執筆依頼の電話がどおくまんたちが働いていた工場にかかってきた<ref name="ebook2" />。これを機に『[[月刊少年チャンピオン]]』(秋田書店)1975年4月号より『暴力大将』が連載されることになり、この連載は1985年まで続くことになる。同年10月には『[[漫画アクション|週刊漫画アクション]]』([[双葉社]])でも『[[嗚呼!!花の応援団]]』の連載が始まる。『嗚呼!!花の応援団』は1976年に映画化もされ、その年の邦画配給収入ランキング第8位のヒット作となり、続編映画も製作された。 画はどおくまんが中心であるが、アイデア、ストーリー、キャラクターなどはどおくまんプロのメンバーでお互いに持ち寄りながら作品を製作していた<ref name="all" />。また、最盛期には、月産500ページを超し、雇っていた[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]も30人近い大所帯となっていた<ref name="ebook2" />。 実弟である太地大介が亡くなった<ref>[https://dookuman.blogspot.com/2013/04/blog-post_6521.html 太地大介の想い出 その1] - どおくまんプロ少年誌読者用BLOG 2013年4月24日。記事によれば太地が亡くなって25年経ったとある。</ref>後は、何のために漫画を描くのかわからなくなり、モチベーションが低下。『週刊少年チャンピオン』で連載していた『怪人ヒイロ』の完結以降は、いったんペンを置き、どおくまんプロも小池たかしとみわみわに任せる形となった<ref name="ebook2" />。 過去に一度だけ、[[クイズダービー]]に出演したことがある。 == 作品リスト == * 花田秀治郎くん(1973年 - 1975年) - デビュー作。『[[月刊少年ジャンプ|別冊少年ジャンプ]]』にて連載された青春漫画。1976年に[[立風書房]]で単行本化された(全2巻)。[[マンガ図書館Z]]にて広告付きながら無料で閲覧可能[https://vw.mangaz.com/virgo/view/3521//i:0]。 * 暴力大将(1975年 - 1985年) - 『[[月刊少年チャンピオン]]』にて連載。戦前~終戦直後の混乱した大阪を舞台に描く。 * 黄金探偵(1975年)- 『[[ヤングコミック]]』([[少年画報社]])にて連載。全1巻。 * [[嗚呼!!花の応援団]](1975年 - 1979年) - 『週刊[[漫画アクション]]』にて連載。1976年には[[日活]]で実写映画化。 * 花の女子高生 * [[熱笑!! 花沢高校]](1980年 - 1984年) - 『[[週刊少年チャンピオン]]』にて連載。初期はギャグ漫画だったが、途中からシリアスな展開に路線変更された。 * 怪人ヒイロ(1985年 - 1988年) - 怪人は「ミラクル」と読む。『週刊少年チャンピオン』にて連載。担当編集者の計算ミスにより、単行本のページ数が足りない状態で連載を終了してしまい、2011年に電子書籍として発売されるまで最終巻が発売されなかった<ref>[https://dookuman.blogspot.com/2012/01/aa_1390.html どおくまんが語る幻の「ミラクル怪人ヒイロ」の生原稿発見秘話] - どおくまんプロ少年誌読者用BLOG 2011年7月21日</ref>。 * 超人S氏の奮戦(1993年 - 1995年) - 『週刊少年チャンピオン』にて連載。 * 怒りの吹田テレビ ※作:小池たかし 制作:どおくまんプロ * 怒りの家谷タイムズ ※作:小池たかし 制作:どおくまんプロ * なんでもあり ※作:小池たかし 制作:どおくまんプロ * いけ!いけ!清田 ※制作:どおくまんプロ 総指揮:どおくまん 作画:小池たかし・みわみわ - [[清原和博]]をモデルとしたプロ野球選手「清田」の活躍を描いた野球漫画。 * なにわ遊侠伝 ※制作:どおくまんプロ 作:みわみわ・太地大介(協力:小池たかし) * 宇宙家族メカトロ -『[[少年ジェッツ]]』にて連載。※作:みわみわ 制作:どおくまんプロ * SFしらけ博士 - 『[[コミックトム|月刊少年ワールド]]』にて連載。※作:小池たかし 制作:どおくまんプロ * どおくまん作品集(全11巻) * 摩訶不思議!通販大王 - 『[[週刊実話]]』にて連載。制作:どおくまんプロ 総指揮:どおくまん 作画:小池たかし/みわみわ * 京都札の辻下宿(全3巻) * まかしい屋 - 『[[アサヒ芸能]]』にて連載。 * ヤンキー愚連隊 なんぼのもんじゃい! * GO!GO!清田 - 『[[アサヒ芸能]]』にて連載。主人公モデルは[[読売ジャイアンツ|巨人]]時代の[[清原和博]]。 * 南吹田大学野球部 * 南千里物語 * なにわの怪商人通販大王がゆく *狂乱横丁 *SF頭狂帝大 *なにわ極楽会館 *関西無敵会 *つっぱり天神中 *平成人間博覧会 *フィットネスジムZOO *阿火組始末記 *爆裂GONG *いてまえ警部 *なにわ爆裂野球団 *新世界のボン *どおくまんてんこもり *どおくまん作品集 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|refs= <ref name="笑論">須田康成監修『笑論』パジリコP.270</ref> <ref name="ガロ">『ガロ』1996年3月・[[長井勝一]]追悼号</ref> <ref name="ebook1">{{Cite web|和書|url=http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/st/dookuman_sp.asp|title=どおくまん特集 SPECALインタビュー その1|publisher=[[イーブックイニシアティブジャパン]]|accessdate=2015-12-15}}</ref> <ref name="ebook2">{{Cite web|和書|url=http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/st/dookuman_sp02.asp|title=どおくまん特集 SPECALインタビュー その2|publisher=[[イーブックイニシアティブジャパン]]|accessdate=2015-12-15}}</ref> }} == 外部リンク == '''インタビュー''' * [https://manba.co.jp/manba_magazines/2267 どおくまんインタビュー《前編》「プロには絶対負ける気がしない、って思ってた」]- マンバ通信 * [https://manba.co.jp/manba_magazines/2289 どおくまんインタビュー《後編》「100%以上出さないと、面白いものはできない」]- マンバ通信 '''作者公式SNSアカウント、ブログ・関連サイト''' 近年は公式ブログにて未単行本化作品を中心に掲載していたが、2020年10月で画像サーバーの不具合のため更新停止(閉鎖はせず閲覧は可能)となり、以降は[[pixiv]]にて発表・掲載している。 * {{pixiv|59674705|どおくまんプロ}} * [https://dookuman.blogspot.com/ どおくまん少年誌読者用blog] - 公式ブログ * [https://dookuman-pro.blogspot.com/ どおくまん青年誌読者用blog] - 公式ブログ(成人向けの内容が含まれるためアクセス時に警告が表示される) * {{マンガ図書館Z作家|45}} * {{Twitter|dookuman_pro|どおくまんプロ}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:とおくまん}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:大阪府出身の人物]] [[Category:存命人物]]
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