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ときた洸一
ときた 洸一(ときた こういち、1961年(昭和36年)4月11日 - )は日本の漫画家、イラストレーター。 代表作の『機動武闘伝Gガンダム』など『ガンダムシリーズ』のコミカライズを多数手がける。 千葉県千葉市出身。父親は挿絵画家の鴇田幹。 漫画家として活動する前は、ガンプラをはじめとしたバンダイのプラモデルのパッケージのレイアウトを担当。 日東科学教材『オモロイド』のデザインを担当した後、同社からナムコへ転職した社員の依頼で『ローリングサンダー』の製作に参加。以後、同社ゲームのキャラクターデザインや各種イラスト製作・仕上げを多数手がけた。 また、安井尚志の下で、安井がクラフト団名義で原作を担当していたやまと虹一の漫画『プラモ狂四郎』、『超戦士ガンダム野郎』、『SD武者ガンダム風雲録』などの登場メカのデザインも行っていた。 漫画家としては2002年頃まで『コミックボンボン』など講談社の雑誌を中心に活動していたが、近年では角川書店の『ガンダムエース』にて執筆活動を行っている。 一部のファンからはオーディオマニアとしても知られており、自身のブログ「ときた洸一のムダ話blog」で時々オーディオ関係にまつわるネタが取り上げられることがある。 模型・玩具 他多数
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ときた 洸一は日本の漫画家、イラストレーター。 代表作の『機動武闘伝Gガンダム』など『ガンダムシリーズ』のコミカライズを多数手がける。 千葉県千葉市出身。父親は挿絵画家の鴇田幹。
'''ときた 洸一'''(ときた こういち、[[1961年]]([[昭和]]36年)[[4月11日]] - )は[[日本]]の[[漫画家]]、[[イラストレーター]]。 代表作の『[[機動武闘伝Gガンダム]]』など『[[ガンダムシリーズ一覧|ガンダムシリーズ]]』のコミカライズを多数手がける。 [[千葉県]][[千葉市]]出身。父親は[[挿絵画家]]の[[鴇田幹]]。 == 経歴 == [[漫画家]]として活動する前は、[[ガンプラ]]をはじめとした[[バンダイ]]のプラモデルのパッケージのレイアウトを担当。 [[日東科学教材]]『[[オモロイド]]』のデザインを担当した後、同社から[[ナムコ]]へ転職した社員の依頼で『[[ローリングサンダー (コンピュータゲーム)|ローリングサンダー]]』の製作に参加<ref>{{Citation|title=第397回 アーケードアーカイバー マーベルランドスペシャル!|url=https://www.youtube.com/watch?v=isX7MKu3Www|language=ja-JP|access-date=2022-12-16}}</ref>。以後、同社ゲームのキャラクターデザインや各種[[イラストレーション|イラスト]]製作・仕上げを多数手がけた。 また、[[安井尚志]]の下で、安井が[[ストリームベース#クラフト団|クラフト団]]名義で原作を担当していた[[やまと虹一]]の漫画『[[プラモ狂四郎]]』、『[[超戦士ガンダム野郎]]』、『[[SD戦国伝 武者七人衆編|SD武者ガンダム風雲録]]』などの登場メカのデザインも行っていた。 漫画家としては[[2002年]]頃まで『[[コミックボンボン]]』など[[講談社]]の雑誌を中心に活動していたが、近年では[[角川書店]]の『[[ガンダムエース]]』にて執筆活動を行っている。 一部のファンからは[[オーディオマニア]]としても知られており、自身のブログ「ときた洸一のムダ話blog」で時々[[音響機器|オーディオ関係]]にまつわるネタが取り上げられることがある。 == 作品リスト == === コミックボンボン連載作品 === * [[ザ・グレイトバトルIII (漫画)|ザ・グレイトバトルIII]] * [[ガイアセイバー ヒーロー最大の作戦|ガイアセイバー]] * [[機動武闘伝Gガンダム]] * [[がんばれ!ドモンくん ガンダムパーティ]] * [[新機動戦記ガンダムW]] * [[新機動戦記ガンダムW BATTLEFIELD OF PACIFIST]] * [[新機動戦記ガンダムW Endless Waltz]] * [[新機動戦記ガンダムW デュアルストーリー G-UNIT]] * [[機動新世紀ガンダムX]] ** 機動新世紀ガンダムX外伝 ニュータイプ戦士ジャミルニート * [[機動戦士ガンダム 逆襲のシャア]] * [[∀ガンダム]] * [[SDガンダム英雄伝]] * [[BB戦士三国伝|SDガンダム三国伝]] === ガンダムエース連載作品 === <!-- 掲載年が古い順に並べています。 --> * [[機動戦士ガンダムSEED ASTRAY]] * [[機動戦士ガンダムSEED X ASTRAY]]  * [[機動戦士ガンダムSEED DESTINY ASTRAY]] * [[機動戦士ガンダムSEED C.E.73 Δ ASTRAY]] * [[機動戦士ガンダム00外伝#機動戦士ガンダム00F|機動戦士ガンダム00F]] * [[機動戦士ガンダム00外伝#機動戦士ガンダム00I|機動戦士ガンダム00I]] * [[機動戦士ガンダム00外伝#機動戦士ガンダム00I 2314|機動戦士ガンダム00I 2314]] * [[ガンダムEXA]] * [[ガンダムEXA#ガンダムEXA VS|ガンダムEXA VS]] * [[機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズ#機動戦士ガンダムSEED ASTRAY 天空の皇女|機動戦士ガンダムSEED ASTRAY 天空の皇女]] * [[新機動戦記ガンダムW デュアルストーリー G-UNIT|新機動戦記ガンダムW G-UNIT オペレーション・ガリアレスト]] === その他 === '''模型・玩具''' * オモロイド(日東科学教材):キャラクター設定 * エヴォロイド([[壽屋 (玩具店)|コトブキヤ]]):キャラクターデザイン ; ; ;漫画 *[[BB戦士三国伝|BB戦士三国伝 風雲豪傑編]](特典漫画) *[[機動戦士ガンダムSEED FRAME ASTRAYS]]([[電撃ホビーマガジン]]連載) *[[機動戦士ガンダムSEED VS ASTRAY]](同上) *[[彗星戦隊フルーティV]](キャラクターデザインおよびムックの漫画) *アーマードレディー(Ζガンダムレディー・ガンダムMk-IIレディー・バルキリーVF-1Sレディーのキャラクターデザイン) ;絵本 *はじめてふれるアニメ名作絵本([[ひかりのくに]]):イラスト ①シンデレラ(1987年6月)、⑩しらゆきひめ(1987年10月)、⑳はくちょうのおうじ(1987年11月)<ref>{{Cite web|和書|title=https://twitter.com/kouichi_tokita/status/718321748911996928 |url=https://twitter.com/kouichi_tokita/status/718321748911996928 |website=Twitter |access-date=2022-12-16 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=https://twitter.com/kouichi_tokita/status/1051374910822539264 |url=https://twitter.com/kouichi_tokita/status/1051374910822539264 |website=Twitter |access-date=2022-12-16 |language=ja}}</ref> *ひかりのくに名作えほんデラックス(ひかりのくに):イラスト ④青いとり(1990年4月) *とびだすきせかえ(ひかりのくに):イラスト ②おひめさま<ref>{{Cite web|和書|title=https://twitter.com/kouichi_tokita/status/1051376929029255168 |url=https://twitter.com/kouichi_tokita/status/1051376929029255168 |website=Twitter |access-date=2022-12-16 |language=ja}}</ref>、シンデレラ *原作版アニメ名作絵本(ひかりのくに):イラスト ①シンデレラ(1993年10月)、⑥しらゆきひめ(1993年11月) *はんぎょどんのようかいたいじ(サンリオ、1989年1月 新装版:1991年12月) *講談社のテレビ絵本 SD戦国伝 SD武者ガンダム [[SD戦国伝 天下統一編|てんかとういつへん]](安井尚志が原案、やまと虹一が構成と下書き、ときた洸一はペン入れと着色を担当) ;ゲーム<ref>{{Citation|title=第397回 アーケードアーカイバー マーベルランドスペシャル!|url=https://www.youtube.com/watch?v=isX7MKu3Www|language=ja-JP|access-date=2022-12-16}}</ref> *[[ローリングサンダー (コンピュータゲーム)|ローリングサンダー]]([[アーケードゲーム|AC]]):1986年 キービジュアルキャラクターセルイラスト *[[カイの冒険]]([[ファミリーコンピュータ|FC]]):1987年 パッケージ、ロゴ仕上げ(原画:篠崎雄一郎)、ポスター、『[[NG (ゲーム情報誌)|NG]]』誌キャラクターイラスト *[[えりかとさとるの夢冒険]](FC):1988年 キャラクターデザイン、パッケージ・説明書イラスト *ローリングサンダー(FC):1988年 パッケージ・説明書イラスト *[[ワンダーモモ]]([[PCエンジン|PCE]]):1988年 パッケージ・説明書イラスト *[[ドラゴンスピリット 新たなる伝説]](FC):1989年 パッケージセルワーク(原画:石川達也) *[[ワギャンランド]](FC)1989年 パッケージイラスト仕上げ *[[ワルキューレの伝説]](AC):1989年 キービジュアルイラスト(原画:[[冨士宏]]) *[[ケルナグール]](FC):1989年 キャラクターデザイン、パッケージ・説明書イラスト *[[オーダイン]](PCE):1989年 パッケージ・説明書イラスト *[[マッピーキッズ]](FC):1989年 パッケージ仕上げ *[[バルンバ]](PCE):1990年 キャラデザ、パッケージ、ロゴ仕上げ、説明書 *[[超絶倫人ベラボーマン]](PCE):1990年 パッケージ・説明書イラスト *[[メルヘンメイズ]](PCE):1990年 パッケージ・説明書イラスト *[[ゼビウス ファードラウト伝説]](PCE):1990年 説明書イラスト *[[ファイナルブラスター]](PCE):1990年 説明書イラスト *[[ワギャンランド|ワギャンランド2]](FC):1990年 パッケージ・説明書イラスト *[[ドラゴンセイバー]](AC):1990年 ポスターイラスト(原画:石川達也) *[[マーベルランド]](AC):1990年 キャラクターデザイン、ランド俯瞰図構成、キービジュアルキャライラスト *[[F1道中記]]([[MSX]]):1990年 パッケージイラスト *[[レッスルボール]]([[メガドライブ|MD]]):1990年 パッケージ・説明書イラスト *[[スティールガンナー]](AC):1991年 キービジュアルイラスト仕上げ *[[マッピー]]([[ゲームギア|GG]]):1991年 パッケージイラスト *マーベルランド(MD):1991年 キャラクターイラスト *メガトラックス(MD):1991年 パッケージ・説明書イラスト *[[スーパーワギャンランド]]([[スーパーファミコン|SFC]]):1991年 パッケージ・説明書イラスト *[[ポケット麻雀]](GG):1991年 パッケージイラスト仕上げ *[[ワギャンランド|ワギャンランド3]](FC):1991年 パッケージイラスト *[[コズモギャング・ザ・ビデオ]](AC):1992年 キービジュアルイラスト(原画修正:三枝芳宏) *[[スティールガンナー|スティールガンナー2]](AC):1992年 キービジュアルイラスト仕上げ *[[ビタミーナ王国物語]]([[ゲームボーイ|GB]]):1992年 パッケージ、線画クリンナップ、セル仕上げ *[[コズモギャング・ザ・パズル]](AC):1992年 キービジュアルイラスト(原画修正:三枝芳宏) *[[エメラルディア]](AC):1993年 キービジュアルイラスト *[[ワギャンランド|スーパーワギャンランド2]](SFC):1993年 パッケージ仕上げ、説明書イラスト *[[スーパーファミリーテニス]](SFC):1993年 パッケージイラスト仕上げ、説明書イラスト *[[コズモギャング・ザ・パズル]](SFC):1993年 パッケージイラスト(原画修正:三枝芳宏) *[[スーパーファミリーゲレンデ]](SFC):1993年 パッケージイラスト *[[ワギャンパラダイス]](SFC):1994年 パッケージセルワーク *[[テイルズ オブ ファンタジア]](SFC):1995年 説明書モンスター・アイテムイラスト *[[子育てクイズ マイエンジェル]](SFC):1996年 キービジュアルイラスト仕上げ 他多数 ;図鑑 *おおむかし大図鑑 恐竜と絶滅した生き物([[世界文化社]]):付録[[ペーパークラフト]]イラスト == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == *[[千葉県出身の人物一覧]] *[[日本の漫画家一覧]] == 外部リンク == * [https://web.archive.org/web/20071012031121/http://www2.hi-nobori.net/tokita/ ときた洸一総合カタログ]{{リンク切れ|date=2018年3月 |bot=InternetArchiveBot }} * [https://web.archive.org/web/19990825082502/http://oz-aw.co.jp/users/tokita/ ときた洸一総合カタログ] - 旧ホームページ * [https://tokita.blog.ss-blog.jp/ ときた洸一のムダ話blog] * {{Twitter|kouichi_tokita|ときた洸一}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{ナムコット}} {{DEFAULTSORT:ときた こういち}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本の男性イラストレーター]] [[Category:日本のロゴデザイナー]] [[Category:日本のパッケージデザイナー]] [[Category:千葉市出身の人物]] [[Category:1961年生]] [[Category:存命人物]]
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徳弘正也
徳弘 正也(とくひろ まさや、1959年3月1日 - )は、日本の漫画家。高知県長岡郡大豊町出身。男性。高知県立高知小津高等学校を経て、四国学院大学卒業。自称「土佐の暴れん坊」。代表作に『シェイプアップ乱』、『ジャングルの王者ターちゃん♡』、『狂四郎2030』など。 「漫画の神様」と呼ばれた手塚治虫に憧れ、漫画家を志す。 大学生になり、少年サンデーの漫画賞に度々応募し選考の最後の方まで残っていることもよくあったが、ある時『彼女の魅力は三角筋?』を送ったが、一次選考も通過しないまま原稿が戻ってきたため、フレッシュジャンプ賞に送ってみたところ入賞する。 1982年、第17回赤塚賞佳作(『美女は肉料理がお得意』)を経て、翌年1983年から集英社発行の『週刊少年ジャンプ』で連載された『シェイプアップ乱』で連載デビュー。 2作の連載を挟んで1988年から連載された『ジャングルの王者ターちゃん♡』(途中より『新ジャングルの王者ターちゃん♡』に改題)では、当初のギャグ漫画から当時の『週刊少年ジャンプ』の定番だった格闘漫画路線への変更を余儀なくされるが、従来のギャグ漫画路線に格闘漫画の要素を折り込んで高い人気を獲得し、7年間の長期連載となった。 当時アシスタントだった尾田栄一郎は徳弘を「本当のプロ」、「一生の恩人」と慕い、毎年お中元とお歳暮を贈っている。『ジャングルの王者ターちゃん♡』はアニメ化もされており、全50話が約一年かけて放送された。 『新ジャングルの王者ターちゃん♡』終了後は人気低迷により打ち切りが続き、活躍の場を青年漫画に絞る。 『週刊少年ジャンプ』の派生誌で青年漫画雑誌の『スーパージャンプ』に完全移籍し、1997年から2004年にかけて『狂四郎2030』を連載する。従来の持ち味の他に、人間の尊厳に入り込んだ内容に評判が集まった。2008年から2年間連載された『ふぐマン』では下ネタギャグを交えた人間ドラマ作品に原点回帰したが、打ち切られた。 『ふぐマン』終了後、デビューから長年執筆してきた集英社の雑誌から離れ、小学館発行の『ビッグコミックスペリオール』で2010年9月より2013年5月まで『亭主元気で犬がいい』を連載した。 2013年7月からは再び集英社に戻り、『スーパージャンプ』後継誌の『グランドジャンプ』で『黄門さま〜助さんの憂鬱〜』を連載。その後は時系列的には『黄門さま〜』から17年後の江戸が舞台の作品『もっこり半兵衛』を『グランドジャンプPREMIUM』での短期集中連載(2015年11月号~2016年3月号)を経て、めちゃコミックで独占先行配信、誌上にも不定期で掲載されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "徳弘 正也(とくひろ まさや、1959年3月1日 - )は、日本の漫画家。高知県長岡郡大豊町出身。男性。高知県立高知小津高等学校を経て、四国学院大学卒業。自称「土佐の暴れん坊」。代表作に『シェイプアップ乱』、『ジャングルの王者ターちゃん♡』、『狂四郎2030』など。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "「漫画の神様」と呼ばれた手塚治虫に憧れ、漫画家を志す。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "大学生になり、少年サンデーの漫画賞に度々応募し選考の最後の方まで残っていることもよくあったが、ある時『彼女の魅力は三角筋?』を送ったが、一次選考も通過しないまま原稿が戻ってきたため、フレッシュジャンプ賞に送ってみたところ入賞する。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1982年、第17回赤塚賞佳作(『美女は肉料理がお得意』)を経て、翌年1983年から集英社発行の『週刊少年ジャンプ』で連載された『シェイプアップ乱』で連載デビュー。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2作の連載を挟んで1988年から連載された『ジャングルの王者ターちゃん♡』(途中より『新ジャングルの王者ターちゃん♡』に改題)では、当初のギャグ漫画から当時の『週刊少年ジャンプ』の定番だった格闘漫画路線への変更を余儀なくされるが、従来のギャグ漫画路線に格闘漫画の要素を折り込んで高い人気を獲得し、7年間の長期連載となった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "当時アシスタントだった尾田栄一郎は徳弘を「本当のプロ」、「一生の恩人」と慕い、毎年お中元とお歳暮を贈っている。『ジャングルの王者ターちゃん♡』はアニメ化もされており、全50話が約一年かけて放送された。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "『新ジャングルの王者ターちゃん♡』終了後は人気低迷により打ち切りが続き、活躍の場を青年漫画に絞る。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "『週刊少年ジャンプ』の派生誌で青年漫画雑誌の『スーパージャンプ』に完全移籍し、1997年から2004年にかけて『狂四郎2030』を連載する。従来の持ち味の他に、人間の尊厳に入り込んだ内容に評判が集まった。2008年から2年間連載された『ふぐマン』では下ネタギャグを交えた人間ドラマ作品に原点回帰したが、打ち切られた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "『ふぐマン』終了後、デビューから長年執筆してきた集英社の雑誌から離れ、小学館発行の『ビッグコミックスペリオール』で2010年9月より2013年5月まで『亭主元気で犬がいい』を連載した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2013年7月からは再び集英社に戻り、『スーパージャンプ』後継誌の『グランドジャンプ』で『黄門さま〜助さんの憂鬱〜』を連載。その後は時系列的には『黄門さま〜』から17年後の江戸が舞台の作品『もっこり半兵衛』を『グランドジャンプPREMIUM』での短期集中連載(2015年11月号~2016年3月号)を経て、めちゃコミックで独占先行配信、誌上にも不定期で掲載されている。", "title": "来歴" } ]
徳弘 正也は、日本の漫画家。高知県長岡郡大豊町出身。男性。高知県立高知小津高等学校を経て、四国学院大学卒業。自称「土佐の暴れん坊」。代表作に『シェイプアップ乱』、『ジャングルの王者ターちゃん♡』、『狂四郎2030』など。
{{出典の明記|date=2021年3月}} {{JIS2004|説明=[[ハート (シンボル)|ハートマーク]]}} {{Infobox 漫画家 |名前 = 徳弘 正也 |ふりがな = とくひろ まさや |画像 = |画像サイズ = |脚注 = |本名 = |生年 = {{生年月日と年齢|1959|3|1}} |生地 = [[高知県]][[長岡郡]][[大豊町]] |没年 = |没地 = |国籍 = {{JPN}} |職業 = [[漫画家]] |活動期間 = [[1983年]] - |ジャンル = [[少年漫画]]、[[青年漫画]] |代表作 = [[シェイプアップ乱]]<br/>[[ジャングルの王者ターちゃん|ジャングルの王者ターちゃん♡]]<br />[[狂四郎2030]]<br/>[[亭主元気で犬がいい]] |受賞 = [[赤塚賞]]、[[フレッシュジャンプ]]賞 |サイン = |公式サイト = }} '''徳弘 正也'''(とくひろ まさや、[[1959年]][[3月1日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[高知県]][[長岡郡]][[大豊町]]出身。男性。[[高知県立高知小津高等学校]]を経て、[[四国学院大学]]卒業<ref>{{Cite web |url=https://www.kfca.jp/mangakan/?p=334|title=徳弘正也|publisher=[[横山隆一記念まんが館]]|accessdate=2023-11-22}}</ref>。自称「'''土佐の暴れん坊'''」<ref>徳弘正也『シェイプアップ乱 14』集英社〈ジャンプコミックス〉、1987年、186頁。</ref>。代表作に『[[シェイプアップ乱]]』、『[[ジャングルの王者ターちゃん|ジャングルの王者ターちゃん♡]]』、『[[狂四郎2030]]』など。 == 来歴 == 「漫画の神様」と呼ばれた[[手塚治虫]]に憧れ、漫画家を志す。 大学生になり、少年サンデーの漫画賞に度々応募し選考の最後の方まで残っていることもよくあったが、ある時『彼女の魅力は三角筋?』を送ったが、一次選考も通過しないまま原稿が戻ってきたため、フレッシュジャンプ賞に送ってみたところ入賞する{{Sfn|粟生|1999|p=148}}。 [[1982年]]、第17回[[赤塚賞]]佳作(『美女は肉料理がお得意』)を経て、翌年[[1983年]]から[[集英社]]発行の『[[週刊少年ジャンプ]]』で連載された『[[シェイプアップ乱]]』で連載デビュー。 2作の連載を挟んで[[1988年]]から連載された『[[ジャングルの王者ターちゃん|ジャングルの王者ターちゃん♡]]』(途中より『新ジャングルの王者ターちゃん♡』に改題)では、当初のギャグ漫画から当時の『週刊少年ジャンプ』の定番だった格闘漫画路線への変更を余儀なくされるが、従来のギャグ漫画路線に格闘漫画の要素を折り込んで高い人気を獲得し、7年間の長期連載となった。 当時[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]だった[[尾田栄一郎]]は徳弘を「本当のプロ」、「一生の恩人」と慕い、毎年お中元とお歳暮を贈っている{{Sfn|尾田|2016|p=111}}。『ジャングルの王者ターちゃん♡』はアニメ化もされており、全50話が約一年かけて放送された。 『新ジャングルの王者ターちゃん♡』終了後は人気低迷により[[打ち切り]]が続き、活躍の場を[[青年漫画]]に絞る。 『週刊少年ジャンプ』の派生誌で青年漫画雑誌の『[[スーパージャンプ]]』に完全移籍し、[[1997年]]から[[2004年]]にかけて『[[狂四郎2030]]』を連載する。従来の持ち味の他に、人間の尊厳に入り込んだ内容に評判が集まった。[[2008年]]から2年間連載された『[[ふぐマン]]』では下ネタギャグを交えた人間ドラマ作品に原点回帰したが、打ち切られた。 『ふぐマン』終了後、デビューから長年執筆してきた集英社の雑誌から離れ、[[小学館]]発行の『[[ビッグコミックスペリオール]]』で[[2010年]]9月より[[2013年]]5月まで『[[亭主元気で犬がいい]]』を連載した。 2013年7月からは再び集英社に戻り、『スーパージャンプ』後継誌の『[[グランドジャンプ]]』で『[[黄門さま〜助さんの憂鬱〜]]』を連載。その後は時系列的には『黄門さま〜』から17年後の江戸が舞台の作品『[[もっこり半兵衛]]』を『[[グランドジャンプPREMIUM]]』での短期集中連載(2015年11月号~2016年3月号)を経て、[[めちゃコミック]]で独占先行配信、誌上にも不定期で掲載されている。 == 人物 == * やり過ぎとも言えるほどの過激な[[下ネタ]]を得意とし、同じく下ネタを得意とする[[えんどコイチ]]も「どんな下ネタでも徳弘センセにはかなわない…」と自身の作品で語っており<ref>えんどコイチ「狂子の愛のためならの巻」『ついでにとんちんかん 第14巻』[[集英社]]〈[[ジャンプ・コミックス]]〉、1989年2月15日、ISBN 4-08-852744-5、165頁。</ref>、ギャグの後コケる時にスピード線を使わないアイデアを頂いたとのこと<ref name="atoman6">えんどコイチ「連載あとがきマンガ コイチのあとマンNo.6」『ついでにとんちんかん 第6巻』集英社(集英社文庫)、2004年7月21日、ISBN 4-08-618187-8、322頁。</ref>。また尾田栄一郎いわく「凄い泣き顔が描ける」。 * {{要出典|作品中で見られる過激なギャグとは対照的に、生真面目かつストイックな人柄である。漫画業界の不条理な状況については時折、辛口なコメントを寄せるなどの一面も併せ持っている。また、カレンダーの裏にサインを求められた際も、眉間に皺を寄せながらも快く書いたことがある|date=2021年3月}}。 *絵を描いているうちにアイデアが出てくるので下描きの段階でキャラや背景もアシスタント任せにせず自分で描きこんでいる{{Sfn|粟生|1999|p=150}}。『シェイプアップ乱』執筆時はネームもペン入れできるくらい描きこんでいた{{Sfn|門倉|2010|p=60}}。『もっこり半兵衛』からはアシスタントなしで描いており、妻に消しゴムかけをしてもらっている<ref>徳弘正也『もっこり半兵衛 1』集英社〈ヤングジャンプコミックス〉、2018年、207頁。</ref>。 * 自身の作品を「ちんこボイン漫画」と称している。また、手の調子が悪くなったため、「おっぱいを描く際には[[ステンシルテンプレート|円定規]]を使用している」と語っている{{Sfn|門倉|2010|p=63}}。 * 『狂四郎2030』を描いている時期に手が腱鞘炎になって[[Gペン]]が引けなくなったので、それ以降は水性ボールペンのハイテックの0.3mmと0.2mmを使用している{{Sfn|尾田|2016|p=110}}。 * {{要出典|趣味は[[少林寺拳法]]、[[モデルガン]]、[[ボディビル]][[評論]]、音楽鑑賞などである。これらの趣味は作品の中にも活かされている。少林寺拳法は学生時代に部に所属、有段者。柔法(いわゆる関節技)は身体が硬いのでよく効いたとのこと|date=2021年3月}}。 * 『[[シティーハンター]]』と共に、[[勃起]]のことを指す言葉「[[モッコリ|もっこり]]」を定着させたことでも知られる<ref group="注">実際に「もっこり」を最初に使用したのは『シェイプアップ乱』であり、『シティーハンター』よりも先である。</ref><ref group="注">股間部を過剰に大きく膨らませ、男性キャラクターが性的興奮をしている状態と表現した漫画作品は、両作以前にも官能劇画などで存在した。</ref>。 * {{要出典|[[楳図かずお]]に「徳弘さん頑張って」と激励されたこともあるという|date=2021年3月}}。 * 好きな歌手には[[鬼束ちひろ]]を挙げていて、『[[昭和不老不死伝説 バンパイア]]』の4巻の作者コメントで「復活して欲しい」と訴えていた。 * 作品中に[[聖書]]引用や[[キリスト教]]の話題を取り扱うことがしばしばある。 {{hidden begin |toggle=left|title = 作中引用例 }} :*『[[シェイプアップ乱]]』--樋口左京の目高高校拳法部に牧師の息子柳真一が登場する。試合で頬に相手の攻撃を受けた場合どうすればいいかという拳法部の後輩からの質問に対して、[[マタイの福音書]]5章39節の[[文語訳聖書]]の、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しないさい」という[[イエス・キリスト]]の言葉を引用したギャグがある。また、恋人の池谷が不良グループに襲撃された際には、マタイの福音書5章44節の文語訳聖書の「汝の敵を愛せ」というキリストの言葉を引用しながら、「ざんげさせる」と称して、暴行を加えて復讐をしている<ref>徳弘正也、「木の下でえの巻」『シェイプアップ乱』(第9巻)、集英社〈ジャンプコミック〉、1986年、45ページ</ref>。 :*『[[ふんどし刑事ケンちゃんとチャコちゃん]]』--クリスチャンの新人刑事・磯村が着任する回に聖句の引用が複数登場する。扉絵に[[ヨハネの福音書]]12章24節の一粒の麦の話と、銃撃された磯村が描かれている。磯村に聖書を読むことを勧められた茶屋四郎が(茶屋が持ってはいたが、放置していたもの)張り込み中、聖書を開いてヨハネの福音書第1章を剣崎に読んで聞かせる。そのシーンがバックになって磯村が銃撃されるシーンになる。その後[[マタイによる福音書]]5章3節から読み始め、9節の平和をつくり出す人を祝福する言葉とともに銃撃され這う磯村が描かれる<ref>徳弘正也『ふんどし刑事ケンちゃんとチャコちゃん 2』集英社〈ジャンプコミックス〉、1989年、5頁。</ref>。 :*『[[ジャングルの王者ターちゃん]]』--{{要出典|[[フランシスコ・ザビエル]]のパロディキャラである|date=2023年12月}}アフリカのサバンナでの教会設立を目指す、「フランシス牧師」が登場する<ref>徳弘正也『ジャングルの王者ターちゃん 4』集英社〈ジャンプコミックスデラックス〉、1990年、20頁。</ref>。 :*『狂四郎2030』--山崎がM型遺伝子異常がある狂四郎と白鳥の遺伝子を、所詮血塗られた遺伝子であると評した後、人が人を裁くことを戒める[[マタイによる福音書]]7章1~2節の文と共に狂四郎と白鳥が切り殺した敵の死体の山が描かれる<ref>徳弘正也『狂四郎2030 7』集英社〈ジャンプコミックス デラックス〉、2000年、235頁。</ref>。 :*『近未来不老不死伝説バンパイア』--泥棒扱いされる祖父を持つ田中が他の学生に気持ち悪がられていたところ本田マリアが、[[エレミヤ書]]31章29節を引用し、祖父の罪は田中自身と無関係であると反論した<ref>徳弘正也『近未来不老不死伝説バンパイア 4』集英社〈ジャンプコミックス デラックス〉、2008年、14頁。</ref>。 :*「[[亭主元気で犬がいい]]」--犯罪者の妹マリを水田家の嫁にする時に、親族会議を行った。水田家の親族の一人が、犯罪者の身内には罪がないとでもいうつもりかと皮肉をいうために、親の罪が子供に及ばないことを意味する聖書の言葉である、[[エレミヤ書]]31章28-30節を引用した<ref>徳弘正也『亭主元気で犬がいい 1』小学館〈[[ビッグコミックス]]〉、2011年、55頁。</ref>また、マリが勤務する探偵事務所で調査している新興宗教団体が[[シンクレティズム|混交宗教]]で、信者たちがマタイの福音書5章3節のイエス・キリストの[[山上の説教]]の一部を唱えていたシーンがあった<ref>徳弘正也『亭主元気で犬がいい 4』小学館〈[[ビッグコミックス]]〉、2012年、31頁。</ref>。 :*『黄門さま〜助さんの憂鬱〜』--黄門さま一行が泊めてもらった漁村は実は[[かくれキリシタン]]の村であり、夜に仏教徒を装った村人たちが寺に集まり神に祈りを捧げるシーンがある<ref>徳弘正也『黄門さま~助さんの憂鬱~ 4』集英社〈ヤングジャンプコミックス〉、2015年、109頁。</ref>。 {{hidden end}} == 作品リスト == * [[シェイプアップ乱]](『[[週刊少年ジャンプ]]』1983年-1986年) * [[ターヘルアナ富子]] (『週刊少年ジャンプ』1986年) ** 特別読切 ハイスクールジゴロ(『週刊少年ジャンプ増刊ウィンタースペシャル』1987年) * [[ふんどし刑事ケンちゃんとチャコちゃん]](『[[スーパージャンプ]]』1986年-1990年) * [[ジャングルの王者ターちゃん|ジャングルの王者ターちゃん♡]] (『週刊少年ジャンプ』1988年-1990年) ** 新ジャングルの王者ターちゃん♡(『週刊少年ジャンプ』1990年-1995年) * [[水のともだちカッパーマン]](『週刊少年ジャンプ』1995年-1996年) * [[Wrestling with もも子]] (『週刊少年ジャンプ』1997年) * [[狂四郎2030]] (『スーパージャンプ』1997年-2004年) * 特別読切 蜘蛛男はつらいよ(『[[週刊ヤングジャンプ]] No.40』2004年)<ref>{{Cite web |url=https://youngjump.jp/history/2004.html |title=週刊ヤングジャンプ バックナンバー 2004年|publisher=集英社 |accessdate=2023-10-12}}</ref> * [[昭和不老不死伝説 バンパイア]] (『スーパージャンプ』2005年-2006年) ** 近未来不老不死伝説 バンパイア(『スーパージャンプ』2006年-2008年) * [[ふぐマン]] (『スーパージャンプ』2008年-2010年) * [[亭主元気で犬がいい]](『ビッグコミックスペリオール』2010年-2013年) * [[黄門さま〜助さんの憂鬱〜]](『グランドジャンプ』2013年-2015年) * [[もっこり半兵衛]](『[[グランドジャンプPREMIUM]]』『[[めちゃコミック]]』2015年-) == 元アシスタント == * [[尾田栄一郎]] * 光吉賢司([[Ark Performance]]){{Sfn|尾田|2016|p=108}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=門倉紫麻|year=2010-03-24 |title= 漫画脳の鍛え方 ジャンプ人気マンガ家37名、総計15万字激白インタビュー集|page= 57-66|publisher=[[集英社]]|location= |isbn=978-4-08-782280-9|ref={{SfnRef|門倉|2010}}}} *{{Cite journal |和書 |author=[[粟生こずえ]]||title=なんとこれが初インタビュー!?徳弘正也15年目の初見参 |journal=[[別冊宝島]] ザ・マンガ家列伝―マンガ家がわかればマンガがもっと楽しくなる!|issue= 438|publisher=[[宝島社]] |date=1999-5-3 |pages=148-151|isbn=978-4796694384|ref={{SfnRef|粟生|1999}}}} * {{Cite book |和書 |author=尾田栄一郎 |title=ONE PIECE 尾田栄一郎画集 COLORWALK 7 TYRANNOSAURUS|publisher=集英社 |date=2016-7-4 |page= 107-111|isbn=978-4087925098|ref={{SfnRef|尾田|2016}}}} == 脚注 == === 注釈 === <references group="注" /> === 出典 === {{Reflist|2}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:とくひろ まさや}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:高知県出身の人物]] [[Category:四国学院大学出身の人物]] [[Category:1959年生]] [[Category:存命人物]]
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所十三
所 十三(ところ じゅうぞう、1961年8月30日 - )は、日本の漫画家。静岡県掛川市出身。静岡県立掛川西高等学校、駒澤大学卒業。本名:岡田 信幸(おかだ のぶゆき)。 駒澤大学漫画クラブOBの芳井一味と高橋葉介のアシスタントを務め、在学中に『ピントはずれのかぞく式』で講談社新人漫画賞佳作を受賞(受賞式には学生服姿で臨んでいる)、1984年(昭和59年)『月刊少年マガジン』で読み切り『名門!多古西応援団』にてデビュー。これが好評だったことから連載となる。この他にも『週刊少年マガジン』で連載した『疾風伝説 特攻の拓』などのような、硬派な世界の少年達の漫画を数多く手掛ける。最近では『DINO2』『白亜紀恐竜奇譚 竜の国のユタ』のような、かねてから興味を抱いていた恐竜をテーマにした漫画を中心に発表している。 ペンネームの「所」は大学時代に所ジョージに似ていたことから、漫画クラブの先輩がつけたニックネームに由来し、会員番号が3であることから当時は「所-03」のペンネームを使用していた。なお、「十三」は担当編集者による命名という。 恐竜の化石を所蔵しており、恐竜展で展示されることもある。
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所 十三は、日本の漫画家。静岡県掛川市出身。静岡県立掛川西高等学校、駒澤大学卒業。本名:岡田 信幸。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 所 十三 | 画像 = <!-- 画像ファイル名 --> | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = 岡田 信幸 | 生年 = {{生年月日と年齢|1961|8|30}} | 生地 = {{JPN}}・[[静岡県]][[掛川市]] | 没年 = | 没地 = | 国籍 = {{JPN}} | 職業 = [[漫画家]] | 称号 = | 活動期間 = [[1984年]] - 現在 | ジャンル = [[ヤンキー漫画|不良漫画]]ほか | 代表作 = 『[[名門!多古西応援団]]』<br/ >『[[疾風伝説 特攻の拓]]』 | 受賞 = | サイン = | 公式サイト = [http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1006 所十三が語る恐竜展の魅力] }} '''所 十三'''(ところ じゅうぞう、[[1961年]][[8月30日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[静岡県]][[掛川市]]出身。[[静岡県立掛川西高等学校]]、[[駒澤大学]]卒業。本名:'''岡田 信幸'''(おかだ のぶゆき)。 == 概要 == [[駒澤大学]]漫画クラブOBの[[芳井一味]]と[[高橋葉介]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を務め、在学中に『ピントはずれのかぞく式』で講談社新人漫画賞佳作を受賞(受賞式には学生服姿で臨んでいる)、[[1984年]]([[昭和]]59年)『[[月刊少年マガジン]]』で読み切り『[[名門!多古西応援団]]』にてデビュー。これが好評だったことから連載となる。この他にも『[[週刊少年マガジン]]』で連載した『[[疾風伝説 特攻の拓]]』などのような、硬派な世界の少年達の漫画を数多く手掛ける。最近では『DINO2』『[[白亜紀恐竜奇譚 竜の国のユタ]]』のような、かねてから興味を抱いていた[[恐竜]]をテーマにした漫画を中心に発表している。 ペンネームの「'''所'''」は大学時代に[[所ジョージ]]に似ていたことから、漫画クラブの先輩がつけた[[ニックネーム]]に由来し、会員番号が3であることから当時は「'''所-03'''」のペンネームを使用していた。なお、「'''十三'''」は担当編集者による命名という。 恐竜の化石を所蔵しており、恐竜展で展示されることもある。 == 作品 == * ピントはずれのかぞく式(講談社新人漫画賞佳作、雑誌未発表、「仰げば尊し!」6巻収録、[[講談社]]) * [[名門!多古西応援団]](1984年 - 1992年、月刊少年マガジン、講談社) * [[仰げば尊し!]](1986年 - 1987年、週刊少年マガジン、講談社) * [[SHOGUN (漫画)|SHOGUN]](原作:[[武論尊|史村翔]]、1988年 - 1991年、週刊少年マガジン、講談社) * [[疾風伝説 特攻の拓]](原作:[[佐木飛朗斗]]、1991年 - 1997年、週刊少年マガジン) ** 疾風伝説 特攻の拓 外伝 〜Early Day’s〜(原作:佐木飛朗斗、2011年 - 2013年、[[月刊ヤングマガジン]]、講談社) * 東京無頼 風祭一家 JIN-GI御免!(1994年 - 1995年、月刊少年マガジン、講談社) * [[G-HARD]](原作:史村翔、1998年 - 1999年、週刊少年マガジン、講談社) * [[スポーン|SHADOW OF SPAWN]] (1998年 - 1999年、[[電撃コミックガオ!]]、[[メディアワークス]]) * 突撃め!第二少年工科学校(2000年 - 2001年、週刊少年マガジン、講談社) * [[DINO2]]([[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]、講談社) ** COMIC恐竜物語(2013年、ポプラ社)『DINO2』の加筆修正・再編集版、全4巻 * 達磨([[イブニング]]、講談社) * Pound for Pound([[週刊少年チャンピオン]]、[[秋田書店]]) * [[白亜紀恐竜奇譚 竜の国のユタ]](週刊少年チャンピオン、秋田書店) ** D-ZOIC(2008年 - 2009年、週刊少年チャンピオン、秋田書店) * 強行-捜査一課強行犯係(原作:[[横山秀夫]]、[[ヤングマガジンアッパーズ]]、講談社) * 正義の鬼 艮 ([[週刊漫画ゴラク]]、[[日本文芸社]]) * [[AL (漫画)|AL]](2010年、週刊少年チャンピオン、秋田書店) * ドルフィン(原作:岩橋健一郎、2014年10月28日 - 2018年6月12日、[[チャンピオンクロス]]、2018年7月10日 -'''連載中'''、[[マンガクロス]]、秋田書店) * ももクロ画談録(2016年、[[白夜書房]])※[[フリーライター]]・[[小島和宏]]との共著 == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=長谷邦夫|authorlink=長谷邦夫|title=ニッポン漫画家名鑑|publisher=データハウス|year=1994|isbn=4-88718-196-5}} == 外部リンク == * [http://tokoro-dino.at.webry.info/ 所十三の「恐竜漫画描いてます」] 本人によるブログ * [http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1006 所十三が語る恐竜展の魅力] * {{Twitter|tokoro13|所 十三}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{デフォルトソート:ところ しゆうそう}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:静岡県立掛川西高等学校出身の人物]] [[Category:駒澤大学出身の人物]] [[Category:静岡県出身の人物]] [[Category:1961年生]] [[Category:存命人物]]
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ともち
ともち(6月5日 - )は日本の女性漫画家。神奈川県横浜市出身。身長150cm、血液型はO型。現在は4コマ漫画で活躍中。 同じ「ともち」名義でBLを描いているのは全くの別人。 1984年、持ち込み作品であった「海ちゃんはLLサイズ」が認められ少年ジャンプ系列の少年誌で須賀知子名義デビューするも、「そんなに甘くはなかった」と本人談で語られる様にしばらくはボツ地獄と挫折という苦節の日々を経験しつつ腕を磨く。 1988年、講談社『モーニング』の第18回ちばてつや賞一般部門入選。入選作品は『3年目のさよなら』でこの作品からペンネームを使用、すがともこから現在のともちに変更したこともあって再デビューと位置づけられる。ちなみにこの時のヤング部門優秀新人賞は岡田和人である。 講談社の少女誌『mimi』(廃刊)で数本の短編読み切りを発表したのち、1990年代はスコラの『コミックバーガー』(のち『コミックバーズ』と改名)を活動の舞台とし、代表作『だいすき!』、『愛をあげよう』などが生まれた。 順調な活動を続けていたものの『バーガー』誌発行元であるスコラが倒産し、後を受けたソニー・マガジンズも短期間で撤退。幻冬舎による編集方針の大幅変更などに翻弄され活動が中断。2003年より芳文社の4コマ誌に移って執筆活動を再開している。 現在は二児の母であり、単行本や自身のサイトに育児漫画を書き下ろす事が多い。連載中の4コマ漫画『しあわせねっ』においても日々の育児を題材とした内容が中心となっている。 2016年、藤澤ともち名義で応募した児童文学作『とうちゃんと僕、そしてユーレイババちゃん』が第18回ちゅうでん児童文学賞大賞を受賞。翌2017年に『とうちゃんとユーレイババちゃん』と改題の上、講談社から出版された。なお本作では挿画は本人ではなく佐藤真紀子が担当している。 シリーズ別・掲載順
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ともちは日本の女性漫画家。神奈川県横浜市出身。身長150cm、血液型はO型。現在は4コマ漫画で活躍中。 同じ「ともち」名義でBLを描いているのは全くの別人。
{{出典の明記| date = 2023年5月}} '''ともち'''([[6月5日]] - )は[[日本]]の女性[[漫画家]]。[[神奈川県]][[横浜市]]出身。身長150cm、[[ABO式血液型|血液型]]はO型。現在は[[4コマ漫画]]で活躍中。 同じ「ともち」名義で[[ボーイズラブ|BL]]を描いているのは全くの別人。 == 略歴と概要 == [[1984年]]、持ち込み作品であった「海ちゃんはLLサイズ」が認められ[[週刊少年ジャンプ|少年ジャンプ]]系列の少年誌で'''須賀知子'''名義デビューするも、「そんなに甘くはなかった」と本人談で語られる様にしばらくはボツ地獄と挫折という苦節の日々を経験しつつ腕を磨く。 [[1988年]]、[[講談社]]『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』の第18回[[ちばてつや賞]]一般部門入選。入選作品は『3年目のさよなら』でこの作品からペンネームを使用、'''すがともこ'''から現在の'''ともち'''に変更したこともあって再デビューと位置づけられる。ちなみにこの時のヤング部門優秀新人賞は[[岡田和人]]である。 講談社の少女誌『[[Mimi (雑誌)|mimi]]』(廃刊)で数本の短編読み切りを発表したのち、[[1990年代]]は[[スコラ]]の『コミックバーガー』(のち『[[コミックバーズ]]』と改名)を活動の舞台とし、代表作『だいすき!』、『愛をあげよう』などが生まれた。 順調な活動を続けていたものの『バーガー』誌発行元であるスコラが倒産し、後を受けた[[ソニー・マガジンズ]]も短期間で撤退。[[幻冬舎]]による編集方針の大幅変更などに翻弄され活動が中断。[[2003年]]より[[芳文社]]の4コマ誌に移って執筆活動を再開している。 現在は二児の母であり、単行本や自身のサイトに[[育児コミック|育児漫画]]を書き下ろす事が多い。連載中の4コマ漫画『しあわせねっ』においても日々の育児を題材とした内容が中心となっている。 [[2016年]]、'''藤澤ともち'''名義で応募した[[児童文学]]作『とうちゃんと僕、そしてユーレイババちゃん』が第18回[[ちゅうでん児童文学賞]]大賞を受賞。翌[[2017年]]に『とうちゃんとユーレイババちゃん』と改題の上、講談社から出版された。なお本作では挿画は本人ではなく[[佐藤真紀子]]が担当している。 == 作品リスト == === すがともこ 名義 === * 海ちゃんはLLサイズ(1984年、[[フレッシュジャンプ]]10月号、[[集英社]])※掲載時は須賀知子名義 * 満月パニック!(1985年、フレッシュジャンプ5月号)※掲載時は須賀知子名義 - 以上は単行本「ときめき新婚マニュアル」に収録 * でいもんず(雑誌未発表) - 単行本『愛をあげよう』第1巻に収録 * 卑弥呼 邪馬台国のなぞの女王(1988年、単行本、集英社) === ともち 名義 === シリーズ別・掲載順 * ときめき新婚マニュアルシリーズ *# 3年目のさよなら(1988年、週刊モーニング、講談社) *# 今夜も愛して&#x2661;(1988年、THE OPEN B コミックモーニング特別編集、講談社) *# ときめき新婚マニュアル part.1 -Welcome-(1988年、週刊モーニング) *# ときめき新婚マニュアル part.2 -明るい家族計画-(1995年、コミックバーガー、スコラ) * 結婚しよう -MARRY ME-(1989年、mimiカーニバル、講談社) * 12cmのメモリー(1989年、mimi、講談社) * HAPPY ENDでふられたい(1989年、mimiカーニバル) - ここ迄は単行本「ときめき新婚マニュアル」に収録 * ここだけのナイショの話(1990年、コミックバーガー) * Pの悲劇(1990年、コミックバーガー) * 1日遅れのValentine(1990年、コミックバーガー) * 今夜も僕は眠れない(1990年、コミックバーガー) - 以上4作品は単行本「サクラサケ」第2巻に収録 * 5Years After(1990年、コミックバーガー) - 単行本「サクラサケ」第1巻に収録 * サクラサケ(1990年 - 1992年、コミックバーガー) * 好きなんだけど(1992年、コミックバーガー) - 単行本「サクラサケ」第2巻に収録 * だいすき!(1993年 - 1994年、コミックバーガー) * 愛をあげよう(1995年 - 2000年、コミックバーガー → コミックバーズ、スコラ → ソニー・マガジンズ) * Call Me…(2001年、[[コミックガム|月刊コミックガム]]、[[ワニブックス]]) * れ・り・び(2001年 - 2002年、コミックバーズ、ソニー・マガジンズ → 幻冬舎) * しあわせねっ(2003年 - 2006年、[[まんがタイム]]、[[まんがタイムファミリー]]<!--2007年1月号まで。実売は2006年-->、芳文社) * [[おはよ♪]](2006年 - 2009年、まんがタイム、まんがタイムファミリー<!--2007年2月号より2010年1月号まで。実売は2006年 - 2009年-->、芳文社) * しぇあっち!(2009年<!--2010年1月号付--> - 2010年、まんがタイム) === 藤澤ともち 名義 === * とうちゃんと僕、そしてユーレイババちゃん(2016年、ちゅうでん児童文学賞応募作) - 出版時に「とうちゃんとユーレイババちゃん」に改題、講談社) === 単行本 === * [[学習漫画]] 日本の伝記4 [[卑弥呼]] 邪馬台国のなぞの女王(1988年、集英社)ISBN 4-08-241004-X ** ※監修:[[永原慶二]]、立案・構成:[[木村茂光]]、シナリオ:[[柳川創造]] * サクラサケ(バーガーSC、スコラ)全2巻、絶版(※2冊に渡り前述の短編6話を収録) *# 1992年、ISBN 4-7962-4167-1 *# 1992年、ISBN 4-7962-4183-3 * だいすき!(バーガーSC)全3巻、絶版 *# 1993年、ISBN 4-7962-4243-0 *# 1994年、ISBN 4-7962-4282-1 *# 1995年、ISBN 4-7962-4332-1 * ときめき新婚マニュアル -ともち短編集-(1995年、バーガーSCデラックス、スコラ)全1巻、絶版、ISBN 4-7962-4316-X ** ※ときめき新婚マニュアルシリーズ(全4話)の他、前述の短編5話を収録 * 愛をあげよう(バーガーSC、およびバーズコミックス、ソニー・マガジンズ)全9巻、両版とも絶版 *# 1995年、ISBN 4-7962-4344-5・再版: 1999年、ISBN 4-7897-8141-0 *# 1995年、ISBN 4-7962-4356-9・再版: 1999年、ISBN 4-7897-8142-9 *# 1997年、ISBN 4-7962-4415-8・再版: 1999年、ISBN 4-7897-8143-7 *# 1997年、ISBN 4-7962-4429-8・再版: 1999年、ISBN 4-7897-8144-5 *# 1998年、ISBN 4-7962-4444-1・再版: 1999年、ISBN 4-7897-8145-3 *# 1998年、ISBN 4-7962-4459-X・再版: 1999年、ISBN 4-7897-8146-1 *# 1999年、ISBN 4-7897-8147-X *# 2000年、ISBN 4-7897-8238-7 *# 2000年、ISBN 4-7897-8302-2 * れ・り・び(バーズコミックス、幻冬舎)全2巻 *# 2001年、ISBN 4-344-80002-8 *# 2002年、ISBN 4-344-80083-4 * しあわせねっ([[まんがタイムコミックス]]、芳文社) *# 2005年、ISBN 4-8322-6394-3 * おはよ♪(まんがタイムコミックス) *# 2008年、ISBN 978-4-8322-6609-4 * とうちゃんとユーレイババちゃん([[文学の扉]]、講談社)2017年、ISBN 978-4-06-283242-7 ** ※藤澤ともち名義 漫画ではなく児童文学書 * しぇあっち!([[電子書籍]]版のみ、CLAP)2017年 ** ※複数の電子書籍サプライヤーで販売されている 1・2巻分冊版と全1巻合本版との二種類あり  * 今日はお茶碗ふたりぶん~"おいしいね"が聞こえる幸せ~(バーズコミックス、幻冬舎コミックス)2019年、ISBN 978-4-344-84491-9 == 特徴的なキャラクター == ; 赤羽 : 「ときめき新婚マニュアル」、「だいすき!」に登場。基本的に周囲に害はないが全くモテないサラリーマンといった主人公の同僚というポジションで軽めのキャラクターとして描かれる。主人公にあてられっぱなしとなり、女性には縁が薄い。 ; 作者本人 : 「だいすき!」の素子先生、「愛をあげよう」の睦月先生、「しあわせねっ」の佐倉さくらなど。 ; 幼な子 : 各連載作品に一度は幼な子が登場し、子育ての苦労とそれを遙かに凌ぐ幸福感といった話題が触れられる。 == 脚注 == == 外部リンク == * [http://home.a04.itscom.net/tomochi/ ともち屋本舗] - 公式サイト * [http://manga-style.jp/press/?p=2757 新サービス:FUNDIYで ともち先生のあの名作の続きが読める!(Manga Style 2013年8月9日)] {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:ともち}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本の女性児童文学作家]] [[Category:横浜市出身の人物]] [[Category:存命人物]]
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永井豪
永井 豪(ながい ごう、本名:永井 潔(ながい きよし)、1945年9月6日 - )は、日本の漫画家。石川県輪島市出身。血液型はO型。 石ノ森章太郎のアシスタントを経て、1967年『目明しポリ吉』でデビュー。代表作に『ハレンチ学園』『あばしり一家』『デビルマン』『マジンガーZ』『キューティーハニー』など。少年漫画の世界に性やバイオレンスの表現を大胆に取り入れ、後続の漫画家に大きな影響を与えた。ナンセンスなギャグマンガからシリアスな劇画までシームレスにこなすという点でも異色の存在である。また1972年の『デビルマン』以降、多数のテレビアニメ作品に共同企画者・原作者として関わっている。1980年、『凄ノ王』により第4回講談社漫画賞を受賞した。 1996年より1999年まで日本SF作家クラブ会長、2005年より大阪芸術大学キャラクター造形学科教授を務める。また、2009年より手塚治虫文化賞選考委員を務める。2023年4月時点で、日本漫画家協会理事。 現存する四大週刊少年誌(週刊少年ジャンプ、週刊少年マガジン、週刊少年サンデー、週刊少年チャンピオン)及び、休刊した週刊少年誌4誌(週刊ぼくらマガジン、週刊少年キング、週刊少年宝島、週刊少年アクション)全てに連載経験を持つ唯一の漫画家でもある。 石川県輪島市に生まれ、1952年から東京都豊島区に住む。豊島区立大塚台小学校(現 豊島区立朋有小学校)から西巣鴨中学校を経て東京都立板橋高等学校卒業。幼少期に手塚治虫の『ロストワールド』を読んだことをきっかけに漫画家を志すようになる。 高校卒業後、早稲田ゼミ(予備校)に通っていたが、3週間止まらない下痢に悩まされて大腸癌と思い込み、自分がこの世に生きていた証として漫画作品を残そうと決意。のち大腸カタルに過ぎなかったことが判明して難なく完治したが、このときの決意をきっかけとして当初予定していた大学進学を断念した上で3ヶ月の浪人生活に終止符を打つ。その後1年半出版社へ原稿の持ち込みをするが掲載にいたらず、編集者から漫画家の先生に見てもらうよう勧められる。手塚プロダクションに赴くも手塚に会えず落胆していたが、石森章太郎(後に「石ノ森章太郎」)に原稿を見てもらうチャンスに恵まれ、すぐに石森の下で働くことになる。石森が持っていたSFテイストやキャラクターメイキングの方法論は非常に永井に近いものだったようで、石森も自分が世に出た時期が早いだけで「同じ感性の中でものを探している」と彼を評している。この時期の石森アシスタントには野口竜、桜多吾作がいた。 永井自身はストーリー漫画、特にSF志望だったが、石森のアシスタントが多忙を極めストーリー漫画を描いている時間がなく、デビューの早道として比較的ページ数の少ないギャグ作品に挑み、アシスタント業の傍ら持ち込みを続けていた。1967年、テレビアニメ『ちびっこ怪獣ヤダモン』(ピープロ)漫画化企画を担当する事となり、この腕慣らしとしてギャグ短編「目明しポリ吉」を『ぼくら』にてデビュー、続いて『〜ヤダモン』の連載とともにギャグ漫画をコンスタントに描く。 この頃、『週刊少年マガジン』の依頼で執筆した『じん太郎三度笠』が、5週連載となり高い人気を獲得するが、これに赤塚不二夫が反発して編集長に抗議した結果、内定していた正式連載の企画が没となってしまう。さらに赤塚は永井を呼び出し、「ギャグの主人公は凄く健全でなきゃいけないのに、何で人殺すのやるんだ」と言って怒ったという。しかし、この経験から「赤塚先生が描かないようなものを突き詰めて描けばよい」と、永井はスラップスティック、エロ・グロ・ナンセンスを多分に織り込んだギャグ・コメディ作品を描き続けることを決意する。その後、デビュー間もない永井の才能を早くから高く評価していた秋田書店の名物編集者で当時『冒険王』の編集長であった壁村耐三は永井に働きかけ、『まんが王』にて初のオリジナル連載である『馬子っこきん太』を掲載する。この時に壁村がアシスタントとして紹介した青年が後に永井の右腕となる蛭田充であった。 デビューの翌年(1968年)、新創刊された『少年ジャンプ』(後の『週刊少年ジャンプ』)に『ハレンチ学園』を発表。奇妙な扮装に身を包んだ教師たちとイタズラを愛する生徒たちの破天荒な日常を描いたこの作品は、本宮ひろ志作品と両輪で同誌を牽引した。ただしこの作品のヒットによりさらにギャグ漫画のイメージが定着し、仕事の依頼もギャグものが多かったという。 この中で当時の小学生を中心とした流行風俗「スカートめくり」を扱った「モーレツごっこの巻」が、サブカルチャー一般に対し行われていたPTAの抗議活動に取り上げられ、子供に悪影響を及ぼすセクシュアルな作品の代表格として糾弾の対象となる。新聞紙上・テレビのワイドショーなどで名指しつつ、時に永井自身を目の前にして、本人曰く「人格否定まで」されるほどの糾弾活動だったという。ちなみに本人が出演していた番組収録が終わると、批判していたPTAの女性陣が、若くて童顔だった永井を見て印象が変わり、サインを貰いに来たという。 しかしこのバッシングが結果的に、永井が時代を掴むきっかけとなる。『ハレンチ学園』で登場人物全てが戦争で殺し合う描写に始まり、『あばしり一家』(1969年 - 1973年)、『ガクエン退屈男』(1970年)などこの時期の発表作品の中で、その糾弾活動そのものをメタフィクション的にパロディ化、権力が奮う「正義」とは自由に生きる個人を押し潰すものとした上で、権力側も抵抗する個人の側も互いに奮うのは暴力だけという、永井作品の根幹を成す地獄絵図を描き出すことになる。 さらにこの時期、シリアスなストーリー作品も手がけ始め、差別とそれに対する復讐を描く『鬼-2889年の反乱-』(1970年)、アイデンティティ崩壊の危機を描く『くずれる』(1971年)、親と子の絆が崩壊する『ススムちゃん大ショック』(1971年)など、いずれも人間自身の存在意義を問い直すようなSFを発表した。その一方、常識を反転させて笑いに結ぶ永井ギャグ漫画としては最も先鋭化したものの一つ『オモライくん』(1972年)も描いている。それとともにSF作家の間で注目され、1970年のSF大会で筒井康隆を初代会長に永井豪ファンクラブが設立される。 永井の更なる飛躍となったのは、東映動画とNET(後のテレビ朝日)にてアニメ化された代表作『デビルマン』(1972年 - )である。前年発表の『魔王ダンテ』を基にした作品との依頼だった。この作品では「神」が必ずしも「絶対善」ではないという着想が描かれていたが、アニメ『デビルマン』は、悪魔と合体しながら苦悩しつつ人間であろうとする斬新な設定の主人公をベースに、ヒーロー作品としてリメイクすることを依頼され、企画したという。ただし、当時『魔王ダンテ』の掲載誌編集長であった内田勝の自著などによると、そもそもヒーローコミックとして位置付けていたという。 アニメと同時に漫画連載(『週刊少年マガジン』)されたこの作品では、悪魔による侵略・種族の存続を賭けたヒーローの戦いを描くゴシックホラー調から、連載中期以降は人間同士の信頼感という常識が崩れていく展開へと移っていく。同じ人間の手によるヒロイン殺害という、『ハレンチ学園』の時すら避けられていた衝撃的な結末をもって、後にSFマンガのスタンダードと数えられる作品となった。 以後、永井を中心としたダイナミックプロの企画陣は、東映動画とのタッグで本格的な操縦者搭乗型ロボット作品のパイオニア『マジンガーZ』(1972年 - )、妖怪モチーフの『ドロロンえん魔くん』(1973年 - )、戦うヒロインの草分け『キューティーハニー』(1973年 - )、初の合体ロボット作品『ゲッターロボ』(1974年 - 、石川賢と共作)などの作品群を生み出し、ヒットキャラクターメーカーとして1970年代を駆け抜ける。 ことに『マジンガーZ』では玩具メーカーバンダイ(ポピー)と出会い、玩具ブランド「超合金」をはじめとした商品展開と、マンガ・アニメ・グラフ記事など連動した講談社『テレビマガジン』の誌上企画として展開され、この分野の推進役としても重要な役割を果たした。ここで毎回の企画記事を構成していたのが、ダイナミックプロとともにアニメ企画・版権管理会社として設立されたダイナミック企画である。無敵の「超合金」や無尽蔵な夢の「光子力エネルギー」などは科学礼賛・成長幻想の産物だが、漫画もアニメも作品自体はそれに冷や水を浴びせるかのような描写がたびたびなされ、その超人的なパワーを敵を倒すために使うか、自分の欲望のために使うかは主人公の自由という、本質的には正義も悪も奮うのは暴力という一貫したテーマが見て取れる。 永井とダイナミックプロのアニメが次々と放送される中、永井自身の漫画作品はむしろ、それとは全く違う展開をしていた。1973年には、後に掲載雑誌を変えながら2005年まで発表され続けている、地震で崩壊した世界が再生の道を探りながら混沌の暴力の渦中にある『バイオレンスジャック』、それとは全く逆に個人の内面が現実世界に影響を与え、鬼の世界を現出させる『手天童子』などの伝奇SFを描く。 その間にギャグ漫画としても、『オモライくん』の学園漫画版として始まりながら、エロチックなギャグと悪乗りで暴走した挙句『デビルマン』のような人類滅亡をまたも起こす『イヤハヤ南友』(1974年 - )や、体罰が日常茶飯事な学園で「顔を隠して体隠さず」とマスクとマフラー以外は全裸という常軌を逸した究極のヒロインが戦う『けっこう仮面』(1974年 - )、男子生徒が女子として学園生活を送って騒ぎを起こす『おいら女蛮』(1974年 - )など、常識をあっけらかんと覆す世界も展開した。 1979年には青年マンガ誌の誕生とともに、得意のエロチックギャグ作品『花平バズーカ』(原作:小池一夫)をいち早く連載する。少年誌では学園漫画という舞台で、初恋の相手がレイプという屈辱を受ける性表現の限界に挑みながら、一個人の内的世界が現実を破壊し尽くしてしまうという超能力漫画『凄ノ王』を発表する。この『凄ノ王』により1980年、講談社漫画賞少年部門を受賞する。しかしこの作品は、主人公の怒りと悲しみが世界を破壊したところで唐突に終了する。永井はそれをあらかじめ決めていた流れと語ったが、読者の間では必ずしもそう受け止めるばかりではなく、賛否両論であった。 このように読者の判断が賛否に分かれる例は、『デビルマン』とつながった『バイオレンスジャック』のラストや、講談社の企画主導で一種のパラレルワールドとして始まりながら、永井の悪魔モチーフ作品を大きく纏め上げた『デビルマンレディー』の展開でも繰り返され、自身の言うように「先を決めずに」連載しながらその後の展開を読者の反応とともに創っていく、永井の作風から生まれる特徴であった。 『プロレスの星 アステカイザー』(1976年)で関わりを持った新日本プロレスとは、1980年代後半にビッグバン・ベイダーのコスチュームデザイン、獣神サンダー・ライガーなどのタイアップを行った。 1997年銀座にて「永井豪原画展」、続く1998年「永井豪と世紀末展」という企画展が催され、それまでの漫画家・アニメ企画者としての永井の業績が初めてまとまった形で再評価された。 またそれ以後、その卓抜したキャラクターを他作家の筆により展開させた『ネオデビルマン』(複数作家競作)、『AMON デビルマン黙示録』(衣谷遊)、『キューティーハニー a GO GO!』(伊藤伸平・庵野秀明)、『マジンガーエンジェル』(新名昭彦)などのプロデュース作品も生まれている。特に『ダイナミックヒーローズ』(越智一裕)は1970年代の永井ヒーロー作品があえて東映動画のタッチで描かれるという試みがなされており、往年の作品の影響力を窺わせた。 永井自身は21世紀に入って還暦を迎えても、少年誌から青年誌と広く作品を発表、それまでに描いてきたホラー調作品やギャグ漫画、ロボット作品などの他、『伊達政宗』『北条早雲』『前田利家』といった戦国時代に実在した人物の漫画化に挑むなど、旺盛な漫画家活動を続けている。 2010年5月からは『週刊漫画ゴラク』にて『デビルマン』執筆時のエピソードを多少の脚色を込めて描く『激マン!』の連載を開始、一時の休載をはさみ、2012年に完結した。基本的に永井は自画像をギャグタッチで描いており、自分自身をシリアスタッチの漫画に描く事には抵抗があったが、編集部より「不動明のようなハンサムに描いてくれ」と言われて承諾した。 2009年、故郷の輪島市に「永井豪記念館」が開館。当地に存在する「いしかわ景観総合条例」そのほか関係条例への適合が図られた町屋風の外観となっているが、中へ入ると雰囲気がガラッと変わり永井豪ワールド全開で来場者を迎え、毎年開館記念日には記念イベントを行っている。 2012年3月10日より、のと鉄道のNT211号車に永井キャラクターが描かれたラッピング車両が運行を開始した。3年間の運行予定だったが、それ以降も運行は継続しており、永井豪記念館の宣伝も兼ねている。 2016年、第25回日本映画批評家大賞・アニメ部門ダイヤモンド大賞を受賞する。 2018年、永井執筆の全作品が第47回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞する。 2018年から2019年にかけて「画業50年”突破”記念 永井GO展」が、上野の森美術館、大阪文化館・天保山、石川県立歴史博物館などで開かれた。 永井は一般に「手塚以後」といわれる戦後期に、新聞漫画、書店・貸本店作品といった様々な形態の漫画作品を読者として経験した上で送り手となった最初の世代の漫画家である。例えば自身も影響を受けたと語るように、手塚的なディズニーの影響下にある文法とともに、白土三平的な筋肉を持ち血の出るリアリティを持った形式も等価に受け取っている。永井のデビュー当時にあった他の漫画文法と比較すると、永井のタッチはリアルとギャグ両方の要素を持った独特のデフォルメである。また貸本・赤本時代の、単行本をまとめて「読ませる」タイプの作家とは異なり、主に週刊連載という形式で「引っ張る」作風をメインとしている。 コマ割りが大きく1ページ内のコマ数が少なく、コマ枠も登場人物も線が太い。時にはセリフや擬音ばかりか、登場人物までもがコマからはみ出す。1コマが見開き2ページにも及ぶこともある。ストーリー展開は速く、セリフも分かりやすく明快、メカや背景もリアルに描かれている。それでいて劇画ではない。こういった生産性を上げつつ画面を格好良く見せる手法は石ノ森のアシスタント時代に培われたとされ、永井が一般的にしたともいえる。このような作風に高橋留美子は大いに影響を受けたと後に述べている。 また、永井はギャグ漫画から始めたせいか、シビアなストーリーの途中に、ユニークなキャラクター性を持った登場人物の行動や発言など、主人公すら巻き込んでしまうギャグのシーンを入れてしまうということを、初めて完成された形で持ち込んだ。また、逆にギャグ漫画を基調としながらもアクション的要素を織り込む初期の永井の作風は70年代の『けっこう仮面』などにも継承される一方、赤塚不二夫顔負けの純粋ギャグ漫画も短編を中心に少なくなく、長尺では『オモライくん』が存在する。このように、ギャグ、シリアスそれぞれを突き詰めつつも、混合化も並行してやってのけた作家は、少なくとも永井以前には存在しなかった。 昭和40年代に漫画の書き方として、「キャラクターを作り上げてそれが動き出してストーリーが本格展開する」という概念で説明し、それで自作の展開を説明した。これは一般ファンに向けて明快に語られたものとしてはおそらく初めてであろう。 また一時期の永井は非常に多作であり、さすがに5週で挫折し4本に減らしたものの、週刊連載を5本こなしていた時期もあった。これは永井自身、手塚治虫も石ノ森章太郎も成し遂げていない記録かもしれない、としている。『デビルマン』に重きを置き仕事量を減らした時期でも、月産400-500ページをこなしていた。 筆の速さはやはり多作であった石ノ森章太郎のアシスタント時代に養われたものであるようで、限界まで仕事を受けてしまうことについては、やはり石ノ森の「来た仕事を断らないのがプロだ」と言う矜持の影響と、7歳も年上の師匠に負けていられない、と言う思いがあったと言う。 手塚治虫が多くの原稿を抱えてしめ切りも迫った状況でアメリカのコミックイベントに参加するための旅行に永井も他の漫画家仲間と一緒に参加した時を振り返って。この時手塚は国際電話で日本のアシスタント達に口頭で指示をするという方法を使って無事原稿を間に合わせた。 -「当時 永井先生も相当お忙しかったんじゃないですか?」 永井「えぇ......少年誌だけでも4本抱えていました。でも僕は全部仕上げて行きましたから!!」 -「ええっ~~~!!?」 (インタビューシーン) 元・秋田書店 「あばしり一家」担当 河野 安廣 「豪ちゃん(永井)にしめ切りで苦労させられたことは一度もなかったな。手塚先生とはまた別のタイプの天才だったね。」 元・秋田書店 「キューティーハニー」担当 大和田 俊司(たかし) 「手塚番の番とは『見張り番』の番。『手塚番』『赤塚番』という言葉はあっても『永井番』はありませんでした。あれほど多作なのに必ずしめ切りを守ってくれましたから!!」 -「......豪先生は手塚先生と同じく多作なのにずいぶんちがいますよね。しめ切りを守れるのはどうしてですか.........?」 永井「う~~~ん...どうしてっていわれても...アシスタント時代のトラウマかなあ...僕は石ノ森(章太郎)先生のアシスタントだったんだけど...当時石ノ森先生は本当に忙しくてね...」 (回想シーン、 石ノ森が後ろに回した原稿を受け取るアシスタント時代の永井)「(......ヒッ!!)」 (原稿を待ってニラんでいる13人の編集者達の視線に気付き) 「(......26個の視線が痛い~~!!)」 永井「年末にしめ切りが重なってね、13人の編集者が怖い顔して待ってるんですよ。一つの雑誌の原稿を手に取ると、それ以外の雑誌の編集者たちがすごい目でニラんできてね.......他にも先生と2人だけで月産200枚を3ヶ月続けたこともありました。......僕が多作で早描きなのは石ノ森先生ゆずりかな。」 -「なるほど!!」 永井「あと、デビューがギャグ漫画だったことも関係あるかも...ページが少ないギャグなら、アシスタントで忙しい中でも描けたんですよ。」 (193ページ~197ページ) 永井「ギャグ漫画から始まったおかげで、僕はしめ切りを守れるようになった気がします。ギャグって次のコマがどうなるか分からないところがおもしろいじゃないですか。だから僕は、描きながら考えるタイプになって...どうなるか分からないけどとにかく描き出して...自分もワクワクドキドキしながら一気に原稿を完成させるんです!!」 「描き終えておもしろくなかったらもう1本初めから描いたほうがいい。実際あんまり気に入らない作品ができて、時間までにもう1本完成させたこともありましたよ!!」 -「すごい!! そりゃ編集者からすればありがたいです!!」 (203ページ) — 講談社「ブラックジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~」『第7話 原稿を上げずに手塚先生はアメリカへ飛んだ(後編)』 だがこれだけ仕事をこなしても経費がかさみ、永井自身の収入は恐らく同年齢のサラリーマンよりも低かったとしている。一番の問題は人件費で、1972年頃のダイナミックプロには、マネージャー3名、経理2名、アシスタント15名がおり、さらに漫画家デビューしたアシスタントのアシスタントまで出入りしていたという。永井は漫画家で儲けようと思ったら小規模にコツコツこなした方が良いとしている。 70歳を迎えた2015年の時点では連載3本はつらくなり、2本に減らしている。 これらの他、短編が多数存在する。 これ以外に1990年代末期に制作された「デビルマンレディー」のテレビ放映を契機として、「ゲッターロボ・シリーズ」や「マジンガー・シリーズ」など漫画のアニメ化や、大人が見ても耐えうるOVA作品の制作も順次行われている。 他 1970年代から1980年代にかけての永井豪原作のアニメ作品の多くは、既に発表された漫画作品をアニメ化したものではない。まず、テレビアニメの企画が最初にあって、アニメ制作会社などからの依頼を受けた永井がストーリーや設定を考案し、原作者の役割を果たした。 永井の作品のアニメは、明らかにロボットものを含めSF作品が多い。それらは子供向け作品であってもセクシュアルさや過激なバイオレンスの要素を充分に含んだものであり、若年層の抱く欲求を空想科学作品というオブラート付きで満たすものだった。『マジンガーZ』が当時スペインでの最高視聴率80%を、『UFOロボ グレンダイザー』が、フランスで放送された際には最高視聴率100%を記録した、という逸話もあるほど、当時日本で放映されたテレビアニメ作品ですら、諸外国にとっては新鮮で画期的で、かつセンセーショナルであった。 東映自体の企画なのか、永井やダイナミック・プロ側の発想なのかは不明ではあるが、映画版のみの特別編『マジンガーZ対デビルマン』『グレートマジンガー対ゲッターロボ』などといった一連の諸作品も、当時の子供心をくすぐる企画であった。こういった、異なった番組の主人公が同じドラマのストーリーの中でからむ、という発想は手塚治虫ゆずりであり、それ以上に自作のキャラクターを自在に弄ぶスターシステムは彼の売りとなった。 永井の率いる漫画プロダクションが、1968年設立の株式会社ダイナミック・プロダクション(ダイナミックプロ)である。それまで漫画家による製作組織は、個人事業主である漫画家が外注としてのアシスタントを雇う方式や、徒弟制度としての師匠と弟子の関係のものが協力し合って製作する方式が一般的であった。しかし、ダイナミックプロでは一般の会社と同じように弟子の漫画家も社員として対等に扱い、雑誌社とのマネジメントも行って社員に自らの作品を発表するチャンスを与えるという、当時としては画期的なシステムであった。そのため、ダイナミックプロからは数多くの優れた漫画家が輩出される事になった。時期や作品により永井とダイナミックプロとの距離感は様々であるが、初期においては永井自身の志向で、最初の読者であり、作家性に激しく影響を与え合うプロ作家集団であり、アシスタントもするという位置づけだった。また、作品によっては永井名でありつつも、かなりシステマティックに互いの得意領分を担当しあいながら作られたものもある。極端な例では、「幻六郎」というプロ内の特定ユニットとしての集団ペンネームを用いた場合もある。 実際には、漫画家だけでなく文筆家としての作家もダイナミックプロには所属しており、例えば永井の実兄である永井泰宇(高円寺博)や、永井豪ファンクラブからプロとなった団龍彦も漫画原作者・作家としてダイナミックプロの一翼を担ってきた。 永井の多くの作品に「とダイナミックプロ」と付けられているのは、彼らプロ集団が全体として企画を形作り、作品を生み出す作家表現へと収斂してきたことを意味する。ただ、その関わり方としては、着想の1アイデアから場合によっては「原作」やペン入れ、通常のアシスタントなど多岐に渡り、一つのメソッドに基づいたものがあるというわけではない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "永井 豪(ながい ごう、本名:永井 潔(ながい きよし)、1945年9月6日 - )は、日本の漫画家。石川県輪島市出身。血液型はO型。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "石ノ森章太郎のアシスタントを経て、1967年『目明しポリ吉』でデビュー。代表作に『ハレンチ学園』『あばしり一家』『デビルマン』『マジンガーZ』『キューティーハニー』など。少年漫画の世界に性やバイオレンスの表現を大胆に取り入れ、後続の漫画家に大きな影響を与えた。ナンセンスなギャグマンガからシリアスな劇画までシームレスにこなすという点でも異色の存在である。また1972年の『デビルマン』以降、多数のテレビアニメ作品に共同企画者・原作者として関わっている。1980年、『凄ノ王』により第4回講談社漫画賞を受賞した。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1996年より1999年まで日本SF作家クラブ会長、2005年より大阪芸術大学キャラクター造形学科教授を務める。また、2009年より手塚治虫文化賞選考委員を務める。2023年4月時点で、日本漫画家協会理事。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "現存する四大週刊少年誌(週刊少年ジャンプ、週刊少年マガジン、週刊少年サンデー、週刊少年チャンピオン)及び、休刊した週刊少年誌4誌(週刊ぼくらマガジン、週刊少年キング、週刊少年宝島、週刊少年アクション)全てに連載経験を持つ唯一の漫画家でもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "石川県輪島市に生まれ、1952年から東京都豊島区に住む。豊島区立大塚台小学校(現 豊島区立朋有小学校)から西巣鴨中学校を経て東京都立板橋高等学校卒業。幼少期に手塚治虫の『ロストワールド』を読んだことをきっかけに漫画家を志すようになる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "高校卒業後、早稲田ゼミ(予備校)に通っていたが、3週間止まらない下痢に悩まされて大腸癌と思い込み、自分がこの世に生きていた証として漫画作品を残そうと決意。のち大腸カタルに過ぎなかったことが判明して難なく完治したが、このときの決意をきっかけとして当初予定していた大学進学を断念した上で3ヶ月の浪人生活に終止符を打つ。その後1年半出版社へ原稿の持ち込みをするが掲載にいたらず、編集者から漫画家の先生に見てもらうよう勧められる。手塚プロダクションに赴くも手塚に会えず落胆していたが、石森章太郎(後に「石ノ森章太郎」)に原稿を見てもらうチャンスに恵まれ、すぐに石森の下で働くことになる。石森が持っていたSFテイストやキャラクターメイキングの方法論は非常に永井に近いものだったようで、石森も自分が世に出た時期が早いだけで「同じ感性の中でものを探している」と彼を評している。この時期の石森アシスタントには野口竜、桜多吾作がいた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "永井自身はストーリー漫画、特にSF志望だったが、石森のアシスタントが多忙を極めストーリー漫画を描いている時間がなく、デビューの早道として比較的ページ数の少ないギャグ作品に挑み、アシスタント業の傍ら持ち込みを続けていた。1967年、テレビアニメ『ちびっこ怪獣ヤダモン』(ピープロ)漫画化企画を担当する事となり、この腕慣らしとしてギャグ短編「目明しポリ吉」を『ぼくら』にてデビュー、続いて『〜ヤダモン』の連載とともにギャグ漫画をコンスタントに描く。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "この頃、『週刊少年マガジン』の依頼で執筆した『じん太郎三度笠』が、5週連載となり高い人気を獲得するが、これに赤塚不二夫が反発して編集長に抗議した結果、内定していた正式連載の企画が没となってしまう。さらに赤塚は永井を呼び出し、「ギャグの主人公は凄く健全でなきゃいけないのに、何で人殺すのやるんだ」と言って怒ったという。しかし、この経験から「赤塚先生が描かないようなものを突き詰めて描けばよい」と、永井はスラップスティック、エロ・グロ・ナンセンスを多分に織り込んだギャグ・コメディ作品を描き続けることを決意する。その後、デビュー間もない永井の才能を早くから高く評価していた秋田書店の名物編集者で当時『冒険王』の編集長であった壁村耐三は永井に働きかけ、『まんが王』にて初のオリジナル連載である『馬子っこきん太』を掲載する。この時に壁村がアシスタントとして紹介した青年が後に永井の右腕となる蛭田充であった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "デビューの翌年(1968年)、新創刊された『少年ジャンプ』(後の『週刊少年ジャンプ』)に『ハレンチ学園』を発表。奇妙な扮装に身を包んだ教師たちとイタズラを愛する生徒たちの破天荒な日常を描いたこの作品は、本宮ひろ志作品と両輪で同誌を牽引した。ただしこの作品のヒットによりさらにギャグ漫画のイメージが定着し、仕事の依頼もギャグものが多かったという。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "この中で当時の小学生を中心とした流行風俗「スカートめくり」を扱った「モーレツごっこの巻」が、サブカルチャー一般に対し行われていたPTAの抗議活動に取り上げられ、子供に悪影響を及ぼすセクシュアルな作品の代表格として糾弾の対象となる。新聞紙上・テレビのワイドショーなどで名指しつつ、時に永井自身を目の前にして、本人曰く「人格否定まで」されるほどの糾弾活動だったという。ちなみに本人が出演していた番組収録が終わると、批判していたPTAの女性陣が、若くて童顔だった永井を見て印象が変わり、サインを貰いに来たという。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "しかしこのバッシングが結果的に、永井が時代を掴むきっかけとなる。『ハレンチ学園』で登場人物全てが戦争で殺し合う描写に始まり、『あばしり一家』(1969年 - 1973年)、『ガクエン退屈男』(1970年)などこの時期の発表作品の中で、その糾弾活動そのものをメタフィクション的にパロディ化、権力が奮う「正義」とは自由に生きる個人を押し潰すものとした上で、権力側も抵抗する個人の側も互いに奮うのは暴力だけという、永井作品の根幹を成す地獄絵図を描き出すことになる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "さらにこの時期、シリアスなストーリー作品も手がけ始め、差別とそれに対する復讐を描く『鬼-2889年の反乱-』(1970年)、アイデンティティ崩壊の危機を描く『くずれる』(1971年)、親と子の絆が崩壊する『ススムちゃん大ショック』(1971年)など、いずれも人間自身の存在意義を問い直すようなSFを発表した。その一方、常識を反転させて笑いに結ぶ永井ギャグ漫画としては最も先鋭化したものの一つ『オモライくん』(1972年)も描いている。それとともにSF作家の間で注目され、1970年のSF大会で筒井康隆を初代会長に永井豪ファンクラブが設立される。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "永井の更なる飛躍となったのは、東映動画とNET(後のテレビ朝日)にてアニメ化された代表作『デビルマン』(1972年 - )である。前年発表の『魔王ダンテ』を基にした作品との依頼だった。この作品では「神」が必ずしも「絶対善」ではないという着想が描かれていたが、アニメ『デビルマン』は、悪魔と合体しながら苦悩しつつ人間であろうとする斬新な設定の主人公をベースに、ヒーロー作品としてリメイクすることを依頼され、企画したという。ただし、当時『魔王ダンテ』の掲載誌編集長であった内田勝の自著などによると、そもそもヒーローコミックとして位置付けていたという。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "アニメと同時に漫画連載(『週刊少年マガジン』)されたこの作品では、悪魔による侵略・種族の存続を賭けたヒーローの戦いを描くゴシックホラー調から、連載中期以降は人間同士の信頼感という常識が崩れていく展開へと移っていく。同じ人間の手によるヒロイン殺害という、『ハレンチ学園』の時すら避けられていた衝撃的な結末をもって、後にSFマンガのスタンダードと数えられる作品となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "以後、永井を中心としたダイナミックプロの企画陣は、東映動画とのタッグで本格的な操縦者搭乗型ロボット作品のパイオニア『マジンガーZ』(1972年 - )、妖怪モチーフの『ドロロンえん魔くん』(1973年 - )、戦うヒロインの草分け『キューティーハニー』(1973年 - )、初の合体ロボット作品『ゲッターロボ』(1974年 - 、石川賢と共作)などの作品群を生み出し、ヒットキャラクターメーカーとして1970年代を駆け抜ける。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ことに『マジンガーZ』では玩具メーカーバンダイ(ポピー)と出会い、玩具ブランド「超合金」をはじめとした商品展開と、マンガ・アニメ・グラフ記事など連動した講談社『テレビマガジン』の誌上企画として展開され、この分野の推進役としても重要な役割を果たした。ここで毎回の企画記事を構成していたのが、ダイナミックプロとともにアニメ企画・版権管理会社として設立されたダイナミック企画である。無敵の「超合金」や無尽蔵な夢の「光子力エネルギー」などは科学礼賛・成長幻想の産物だが、漫画もアニメも作品自体はそれに冷や水を浴びせるかのような描写がたびたびなされ、その超人的なパワーを敵を倒すために使うか、自分の欲望のために使うかは主人公の自由という、本質的には正義も悪も奮うのは暴力という一貫したテーマが見て取れる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "永井とダイナミックプロのアニメが次々と放送される中、永井自身の漫画作品はむしろ、それとは全く違う展開をしていた。1973年には、後に掲載雑誌を変えながら2005年まで発表され続けている、地震で崩壊した世界が再生の道を探りながら混沌の暴力の渦中にある『バイオレンスジャック』、それとは全く逆に個人の内面が現実世界に影響を与え、鬼の世界を現出させる『手天童子』などの伝奇SFを描く。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "その間にギャグ漫画としても、『オモライくん』の学園漫画版として始まりながら、エロチックなギャグと悪乗りで暴走した挙句『デビルマン』のような人類滅亡をまたも起こす『イヤハヤ南友』(1974年 - )や、体罰が日常茶飯事な学園で「顔を隠して体隠さず」とマスクとマフラー以外は全裸という常軌を逸した究極のヒロインが戦う『けっこう仮面』(1974年 - )、男子生徒が女子として学園生活を送って騒ぎを起こす『おいら女蛮』(1974年 - )など、常識をあっけらかんと覆す世界も展開した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1979年には青年マンガ誌の誕生とともに、得意のエロチックギャグ作品『花平バズーカ』(原作:小池一夫)をいち早く連載する。少年誌では学園漫画という舞台で、初恋の相手がレイプという屈辱を受ける性表現の限界に挑みながら、一個人の内的世界が現実を破壊し尽くしてしまうという超能力漫画『凄ノ王』を発表する。この『凄ノ王』により1980年、講談社漫画賞少年部門を受賞する。しかしこの作品は、主人公の怒りと悲しみが世界を破壊したところで唐突に終了する。永井はそれをあらかじめ決めていた流れと語ったが、読者の間では必ずしもそう受け止めるばかりではなく、賛否両論であった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "このように読者の判断が賛否に分かれる例は、『デビルマン』とつながった『バイオレンスジャック』のラストや、講談社の企画主導で一種のパラレルワールドとして始まりながら、永井の悪魔モチーフ作品を大きく纏め上げた『デビルマンレディー』の展開でも繰り返され、自身の言うように「先を決めずに」連載しながらその後の展開を読者の反応とともに創っていく、永井の作風から生まれる特徴であった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "『プロレスの星 アステカイザー』(1976年)で関わりを持った新日本プロレスとは、1980年代後半にビッグバン・ベイダーのコスチュームデザイン、獣神サンダー・ライガーなどのタイアップを行った。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1997年銀座にて「永井豪原画展」、続く1998年「永井豪と世紀末展」という企画展が催され、それまでの漫画家・アニメ企画者としての永井の業績が初めてまとまった形で再評価された。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "またそれ以後、その卓抜したキャラクターを他作家の筆により展開させた『ネオデビルマン』(複数作家競作)、『AMON デビルマン黙示録』(衣谷遊)、『キューティーハニー a GO GO!』(伊藤伸平・庵野秀明)、『マジンガーエンジェル』(新名昭彦)などのプロデュース作品も生まれている。特に『ダイナミックヒーローズ』(越智一裕)は1970年代の永井ヒーロー作品があえて東映動画のタッチで描かれるという試みがなされており、往年の作品の影響力を窺わせた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "永井自身は21世紀に入って還暦を迎えても、少年誌から青年誌と広く作品を発表、それまでに描いてきたホラー調作品やギャグ漫画、ロボット作品などの他、『伊達政宗』『北条早雲』『前田利家』といった戦国時代に実在した人物の漫画化に挑むなど、旺盛な漫画家活動を続けている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2010年5月からは『週刊漫画ゴラク』にて『デビルマン』執筆時のエピソードを多少の脚色を込めて描く『激マン!』の連載を開始、一時の休載をはさみ、2012年に完結した。基本的に永井は自画像をギャグタッチで描いており、自分自身をシリアスタッチの漫画に描く事には抵抗があったが、編集部より「不動明のようなハンサムに描いてくれ」と言われて承諾した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2009年、故郷の輪島市に「永井豪記念館」が開館。当地に存在する「いしかわ景観総合条例」そのほか関係条例への適合が図られた町屋風の外観となっているが、中へ入ると雰囲気がガラッと変わり永井豪ワールド全開で来場者を迎え、毎年開館記念日には記念イベントを行っている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "2012年3月10日より、のと鉄道のNT211号車に永井キャラクターが描かれたラッピング車両が運行を開始した。3年間の運行予定だったが、それ以降も運行は継続しており、永井豪記念館の宣伝も兼ねている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2016年、第25回日本映画批評家大賞・アニメ部門ダイヤモンド大賞を受賞する。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2018年、永井執筆の全作品が第47回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞する。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2018年から2019年にかけて「画業50年”突破”記念 永井GO展」が、上野の森美術館、大阪文化館・天保山、石川県立歴史博物館などで開かれた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "永井は一般に「手塚以後」といわれる戦後期に、新聞漫画、書店・貸本店作品といった様々な形態の漫画作品を読者として経験した上で送り手となった最初の世代の漫画家である。例えば自身も影響を受けたと語るように、手塚的なディズニーの影響下にある文法とともに、白土三平的な筋肉を持ち血の出るリアリティを持った形式も等価に受け取っている。永井のデビュー当時にあった他の漫画文法と比較すると、永井のタッチはリアルとギャグ両方の要素を持った独特のデフォルメである。また貸本・赤本時代の、単行本をまとめて「読ませる」タイプの作家とは異なり、主に週刊連載という形式で「引っ張る」作風をメインとしている。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "コマ割りが大きく1ページ内のコマ数が少なく、コマ枠も登場人物も線が太い。時にはセリフや擬音ばかりか、登場人物までもがコマからはみ出す。1コマが見開き2ページにも及ぶこともある。ストーリー展開は速く、セリフも分かりやすく明快、メカや背景もリアルに描かれている。それでいて劇画ではない。こういった生産性を上げつつ画面を格好良く見せる手法は石ノ森のアシスタント時代に培われたとされ、永井が一般的にしたともいえる。このような作風に高橋留美子は大いに影響を受けたと後に述べている。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "また、永井はギャグ漫画から始めたせいか、シビアなストーリーの途中に、ユニークなキャラクター性を持った登場人物の行動や発言など、主人公すら巻き込んでしまうギャグのシーンを入れてしまうということを、初めて完成された形で持ち込んだ。また、逆にギャグ漫画を基調としながらもアクション的要素を織り込む初期の永井の作風は70年代の『けっこう仮面』などにも継承される一方、赤塚不二夫顔負けの純粋ギャグ漫画も短編を中心に少なくなく、長尺では『オモライくん』が存在する。このように、ギャグ、シリアスそれぞれを突き詰めつつも、混合化も並行してやってのけた作家は、少なくとも永井以前には存在しなかった。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "昭和40年代に漫画の書き方として、「キャラクターを作り上げてそれが動き出してストーリーが本格展開する」という概念で説明し、それで自作の展開を説明した。これは一般ファンに向けて明快に語られたものとしてはおそらく初めてであろう。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "また一時期の永井は非常に多作であり、さすがに5週で挫折し4本に減らしたものの、週刊連載を5本こなしていた時期もあった。これは永井自身、手塚治虫も石ノ森章太郎も成し遂げていない記録かもしれない、としている。『デビルマン』に重きを置き仕事量を減らした時期でも、月産400-500ページをこなしていた。", "title": "多作性" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "筆の速さはやはり多作であった石ノ森章太郎のアシスタント時代に養われたものであるようで、限界まで仕事を受けてしまうことについては、やはり石ノ森の「来た仕事を断らないのがプロだ」と言う矜持の影響と、7歳も年上の師匠に負けていられない、と言う思いがあったと言う。", "title": "多作性" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "手塚治虫が多くの原稿を抱えてしめ切りも迫った状況でアメリカのコミックイベントに参加するための旅行に永井も他の漫画家仲間と一緒に参加した時を振り返って。この時手塚は国際電話で日本のアシスタント達に口頭で指示をするという方法を使って無事原稿を間に合わせた。", "title": "多作性" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "-「当時 永井先生も相当お忙しかったんじゃないですか?」 永井「えぇ......少年誌だけでも4本抱えていました。でも僕は全部仕上げて行きましたから!!」 -「ええっ~~~!!?」", "title": "多作性" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "(インタビューシーン) 元・秋田書店 「あばしり一家」担当 河野 安廣 「豪ちゃん(永井)にしめ切りで苦労させられたことは一度もなかったな。手塚先生とはまた別のタイプの天才だったね。」", "title": "多作性" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "元・秋田書店 「キューティーハニー」担当 大和田 俊司(たかし) 「手塚番の番とは『見張り番』の番。『手塚番』『赤塚番』という言葉はあっても『永井番』はありませんでした。あれほど多作なのに必ずしめ切りを守ってくれましたから!!」", "title": "多作性" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "-「......豪先生は手塚先生と同じく多作なのにずいぶんちがいますよね。しめ切りを守れるのはどうしてですか.........?」 永井「う~~~ん...どうしてっていわれても...アシスタント時代のトラウマかなあ...僕は石ノ森(章太郎)先生のアシスタントだったんだけど...当時石ノ森先生は本当に忙しくてね...」", "title": "多作性" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "(回想シーン、 石ノ森が後ろに回した原稿を受け取るアシスタント時代の永井)「(......ヒッ!!)」 (原稿を待ってニラんでいる13人の編集者達の視線に気付き) 「(......26個の視線が痛い~~!!)」", "title": "多作性" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "永井「年末にしめ切りが重なってね、13人の編集者が怖い顔して待ってるんですよ。一つの雑誌の原稿を手に取ると、それ以外の雑誌の編集者たちがすごい目でニラんできてね.......他にも先生と2人だけで月産200枚を3ヶ月続けたこともありました。......僕が多作で早描きなのは石ノ森先生ゆずりかな。」 -「なるほど!!」 永井「あと、デビューがギャグ漫画だったことも関係あるかも...ページが少ないギャグなら、アシスタントで忙しい中でも描けたんですよ。」", "title": "多作性" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "(193ページ~197ページ)", "title": "多作性" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "永井「ギャグ漫画から始まったおかげで、僕はしめ切りを守れるようになった気がします。ギャグって次のコマがどうなるか分からないところがおもしろいじゃないですか。だから僕は、描きながら考えるタイプになって...どうなるか分からないけどとにかく描き出して...自分もワクワクドキドキしながら一気に原稿を完成させるんです!!」 「描き終えておもしろくなかったらもう1本初めから描いたほうがいい。実際あんまり気に入らない作品ができて、時間までにもう1本完成させたこともありましたよ!!」 -「すごい!! そりゃ編集者からすればありがたいです!!」", "title": "多作性" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "(203ページ)", "title": "多作性" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "— 講談社「ブラックジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~」『第7話 原稿を上げずに手塚先生はアメリカへ飛んだ(後編)』", "title": "多作性" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "だがこれだけ仕事をこなしても経費がかさみ、永井自身の収入は恐らく同年齢のサラリーマンよりも低かったとしている。一番の問題は人件費で、1972年頃のダイナミックプロには、マネージャー3名、経理2名、アシスタント15名がおり、さらに漫画家デビューしたアシスタントのアシスタントまで出入りしていたという。永井は漫画家で儲けようと思ったら小規模にコツコツこなした方が良いとしている。", "title": "多作性" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "70歳を迎えた2015年の時点では連載3本はつらくなり、2本に減らしている。", "title": "多作性" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "これらの他、短編が多数存在する。", "title": "作品リスト" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "これ以外に1990年代末期に制作された「デビルマンレディー」のテレビ放映を契機として、「ゲッターロボ・シリーズ」や「マジンガー・シリーズ」など漫画のアニメ化や、大人が見ても耐えうるOVA作品の制作も順次行われている。", "title": "作品リスト" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "他", "title": "作品リスト" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "1970年代から1980年代にかけての永井豪原作のアニメ作品の多くは、既に発表された漫画作品をアニメ化したものではない。まず、テレビアニメの企画が最初にあって、アニメ制作会社などからの依頼を受けた永井がストーリーや設定を考案し、原作者の役割を果たした。", "title": "アニメ作品の特徴" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "永井の作品のアニメは、明らかにロボットものを含めSF作品が多い。それらは子供向け作品であってもセクシュアルさや過激なバイオレンスの要素を充分に含んだものであり、若年層の抱く欲求を空想科学作品というオブラート付きで満たすものだった。『マジンガーZ』が当時スペインでの最高視聴率80%を、『UFOロボ グレンダイザー』が、フランスで放送された際には最高視聴率100%を記録した、という逸話もあるほど、当時日本で放映されたテレビアニメ作品ですら、諸外国にとっては新鮮で画期的で、かつセンセーショナルであった。", "title": "アニメ作品の特徴" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "東映自体の企画なのか、永井やダイナミック・プロ側の発想なのかは不明ではあるが、映画版のみの特別編『マジンガーZ対デビルマン』『グレートマジンガー対ゲッターロボ』などといった一連の諸作品も、当時の子供心をくすぐる企画であった。こういった、異なった番組の主人公が同じドラマのストーリーの中でからむ、という発想は手塚治虫ゆずりであり、それ以上に自作のキャラクターを自在に弄ぶスターシステムは彼の売りとなった。", "title": "アニメ作品の特徴" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "永井の率いる漫画プロダクションが、1968年設立の株式会社ダイナミック・プロダクション(ダイナミックプロ)である。それまで漫画家による製作組織は、個人事業主である漫画家が外注としてのアシスタントを雇う方式や、徒弟制度としての師匠と弟子の関係のものが協力し合って製作する方式が一般的であった。しかし、ダイナミックプロでは一般の会社と同じように弟子の漫画家も社員として対等に扱い、雑誌社とのマネジメントも行って社員に自らの作品を発表するチャンスを与えるという、当時としては画期的なシステムであった。そのため、ダイナミックプロからは数多くの優れた漫画家が輩出される事になった。時期や作品により永井とダイナミックプロとの距離感は様々であるが、初期においては永井自身の志向で、最初の読者であり、作家性に激しく影響を与え合うプロ作家集団であり、アシスタントもするという位置づけだった。また、作品によっては永井名でありつつも、かなりシステマティックに互いの得意領分を担当しあいながら作られたものもある。極端な例では、「幻六郎」というプロ内の特定ユニットとしての集団ペンネームを用いた場合もある。", "title": "ダイナミックプロ" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "実際には、漫画家だけでなく文筆家としての作家もダイナミックプロには所属しており、例えば永井の実兄である永井泰宇(高円寺博)や、永井豪ファンクラブからプロとなった団龍彦も漫画原作者・作家としてダイナミックプロの一翼を担ってきた。", "title": "ダイナミックプロ" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "永井の多くの作品に「とダイナミックプロ」と付けられているのは、彼らプロ集団が全体として企画を形作り、作品を生み出す作家表現へと収斂してきたことを意味する。ただ、その関わり方としては、着想の1アイデアから場合によっては「原作」やペン入れ、通常のアシスタントなど多岐に渡り、一つのメソッドに基づいたものがあるというわけではない。", "title": "ダイナミックプロ" } ]
永井 豪は、日本の漫画家。石川県輪島市出身。血液型はO型。 石ノ森章太郎のアシスタントを経て、1967年『目明しポリ吉』でデビュー。代表作に『ハレンチ学園』『あばしり一家』『デビルマン』『マジンガーZ』『キューティーハニー』など。少年漫画の世界に性やバイオレンスの表現を大胆に取り入れ、後続の漫画家に大きな影響を与えた。ナンセンスなギャグマンガからシリアスな劇画までシームレスにこなすという点でも異色の存在である。また1972年の『デビルマン』以降、多数のテレビアニメ作品に共同企画者・原作者として関わっている。1980年、『凄ノ王』により第4回講談社漫画賞を受賞した。 1996年より1999年まで日本SF作家クラブ会長、2005年より大阪芸術大学キャラクター造形学科教授を務める。また、2009年より手塚治虫文化賞選考委員を務める。2023年4月時点で、日本漫画家協会理事。 現存する四大週刊少年誌(週刊少年ジャンプ、週刊少年マガジン、週刊少年サンデー、週刊少年チャンピオン)及び、休刊した週刊少年誌4誌(週刊ぼくらマガジン、週刊少年キング、週刊少年宝島、週刊少年アクション)全てに連載経験を持つ唯一の漫画家でもある。
{{存命人物の出典明記|date=2014-9}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 永井 豪 | ふりがな = ながい ごう | 画像 = Go Nagai 20080704 Japan Expo 05 (cropped).jpg | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = 永井 潔 | 生地 = {{JPN}}・[[石川県]][[輪島市]] | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1945|9|6}} | 没年 = | 職業 = [[漫画家]] | 称号 = [[芸術文化勲章]] | 活動期間 = [[1967年]] - | ジャンル = [[少年漫画]] | 代表作 = 『[[ハレンチ学園]]』<br />『[[あばしり一家]]』<br />『[[デビルマン]]』<br />『[[マジンガーZ]]』<br />『[[ドロロンえん魔くん]]』<br />『[[キューティーハニー]]』<br />『[[バイオレンスジャック]]』 | 受賞 = 第4回[[講談社漫画賞]]少年部門(『[[凄ノ王]]』)<br/>第25回[[日本映画批評家大賞]]アニメ部門ダイヤモンド大賞<br/>第47回[[日本漫画家協会賞]]文部科学大臣賞(全作品)<br/>[[芸術文化勲章]]「シュヴァリエ」 }} '''永井 豪'''(ながい ごう、本名:'''永井 潔'''(ながい きよし)、[[1945年]][[9月6日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[石川県]][[輪島市]]出身。[[ABO式血液型|血液型]]はO型<ref name=nikkan>[https://www.nikkansports.com/special/nagai/2007/top-nagai.html 日刊スポーツ 漫画革命40年 永井豪特集]</ref>。 [[石ノ森章太郎]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を経て、[[1967年]]『[[目明しポリ吉]]』でデビュー。代表作に『[[ハレンチ学園]]』『[[あばしり一家]]』『[[デビルマン]]』『[[マジンガーZ]]』『[[キューティーハニー]]』など。少年漫画の世界に性やバイオレンスの表現を大胆に取り入れ、後続の漫画家に大きな影響を与えた。ナンセンスなギャグマンガからシリアスな劇画までシームレスにこなすという点でも異色の存在である。また[[1972年]]の『デビルマン』以降、多数の[[テレビアニメ]]作品に共同企画者・原作者として関わっている。[[1980年]]、『[[凄ノ王]]』により第4回[[講談社漫画賞]]を受賞した。 [[ファイル:Go Nagai Tokyo 1987.jpg|thumb|200px|right|[[1987年]]]] 1996年より1999年まで[[日本SF作家クラブ]]会長、2005年より[[大阪芸術大学]]キャラクター[[造形学科]]教授を務める。また、2009年より[[手塚治虫文化賞]]選考委員を務める。2023年4月時点で、[[日本漫画家協会]]理事。 現存する四大週刊少年誌([[週刊少年ジャンプ]]、[[週刊少年マガジン]]、[[週刊少年サンデー]]、[[週刊少年チャンピオン]])及び、休刊した週刊少年誌4誌([[週刊ぼくらマガジン]]、[[週刊少年キング]]、[[週刊少年宝島]]、[[週刊少年アクション]])全てに連載経験を持つ唯一の漫画家でもある。 == 経歴 == === デビュー === [[石川県]][[輪島市]]に生まれ、[[1952年]]から[[東京都]][[豊島区]]に住む。豊島区立大塚台小学校(現 豊島区立朋有小学校)から西巣鴨中学校を経て[[東京都立板橋高等学校]]卒業。幼少期に[[手塚治虫]]の『[[ロストワールド (漫画)|ロストワールド]]』を読んだことをきっかけに漫画家を志すようになる。 高校卒業後、[[早稲田ゼミ]]([[予備校]])に通っていたが、3週間止まらない[[下痢]]に悩まされて[[大腸癌]]と思い込み、自分がこの世に生きていた証として漫画作品を残そうと決意<ref name=nikkan/><ref>『[[激マン!]]』11話(2巻収録)では、17歳の頃とされている。</ref>。のち[[大腸カタル]]に過ぎなかったことが判明して難なく完治したが、このときの決意をきっかけとして当初予定していた大学進学を断念した上で3ヶ月の浪人生活に終止符を打つ。その後1年半出版社へ原稿の持ち込みをするが掲載にいたらず、編集者から漫画家の先生に見てもらうよう勧められる。手塚プロダクションに赴くも手塚に会えず落胆していたが、石森章太郎(後に「[[石ノ森章太郎]]」)に原稿を見てもらうチャンスに恵まれ、すぐに石森の下で働くことになる<ref>永井豪『漫画家』p.35(1992年、実業之日本社)</ref>。石森が持っていた[[サイエンス・フィクション|SF]]テイストやキャラクターメイキングの方法論は非常に永井に近いものだったようで、石森も自分が世に出た時期が早いだけで「同じ感性の中でものを探している」<ref>『GO NAGAI ALL HIS WORKS』より</ref>と彼を評している。この時期の石森アシスタントには[[野口竜]]、[[桜多吾作]]がいた。 永井自身はストーリー漫画、特にSF志望だったが<ref>『激マン!』デビルマン編第1話(単行本第1巻収録)</ref>、石森のアシスタントが多忙を極めストーリー漫画を描いている時間がなく<ref>『激マン!』デビルマン編第2話(単行本第1巻収録) 永井曰く「意外とセンスがあった」とのこと。</ref>、デビューの早道として比較的ページ数の少ないギャグ作品に挑み、アシスタント業の傍ら持ち込みを続けていた。[[1967年]]、テレビアニメ『[[ちびっこ怪獣ヤダモン]]』([[ピー・プロダクション|ピープロ]])漫画化企画を担当する事となり、この腕慣らしとしてギャグ短編「[[目明しポリ吉]]」を『[[ぼくら]]』にてデビュー、続いて『〜ヤダモン』の連載とともにギャグ漫画をコンスタントに描く。 この頃、『[[週刊少年マガジン]]』の依頼で執筆した『[[じん太郎三度笠]]』が、5週連載となり高い人気を獲得するが、これに[[赤塚不二夫]]が反発して編集長に抗議した結果、内定していた正式連載の企画が没となってしまう<ref name="togetter">[https://togetter.com/li/1251052 赤塚不二夫が永井豪の過激なギャグに「怒った!?」という意外な話] - [[Togetter]]</ref>。さらに赤塚は永井を呼び出し、「ギャグの主人公は凄く健全でなきゃいけないのに、何で人殺すのやるんだ」と言って怒ったという<ref name="togetter" />。しかし、この経験から「赤塚先生が描かないようなものを突き詰めて描けばよい」と、永井はスラップスティック、エロ・グロ・ナンセンスを多分に織り込んだギャグ・コメディ作品を描き続けることを決意する。その後、デビュー間もない永井の才能を早くから高く評価していた[[秋田書店]]の名物編集者で当時『[[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]]』の編集長であった[[壁村耐三]]は永井に働きかけ、『[[まんが王]]』にて初のオリジナル連載である『[[馬子っこきん太]]』を掲載する。この時に壁村がアシスタントとして紹介した青年が後に永井の右腕となる[[蛭田充]]であった<ref>週刊少年チャンピオン 2011年29号「[[ブラック・ジャック創作秘話]]」より</ref>。 === 転機 === デビューの翌年(1968年)、新創刊された『少年ジャンプ』(後の『[[週刊少年ジャンプ]]』)に『[[ハレンチ学園]]』を発表。奇妙な扮装に身を包んだ教師たちと[[イタズラ]]を愛する生徒たちの破天荒な日常を描いたこの作品は、[[本宮ひろ志]]作品と両輪で同誌を牽引した。ただしこの作品のヒットによりさらにギャグ漫画のイメージが定着し<ref>『激マン!』デビルマン編第1話、第4話(単行本第1巻収録)</ref>、仕事の依頼もギャグものが多かったという。 この中で当時の小学生を中心とした流行風俗「[[スカートめくり]]」を扱った「モーレツごっこの巻」が、[[サブカルチャー]]一般に対し行われていた[[PTA]]の抗議活動に取り上げられ、子供に悪影響を及ぼすセクシュアルな作品の代表格として糾弾の対象となる。新聞紙上・テレビのワイドショーなどで名指しつつ、時に永井自身を目の前にして、本人曰く「[[人格否定]]まで」されるほどの糾弾活動だったという<ref>『[[激マン!]]』12話(2巻収録)</ref>。ちなみに本人が出演していた番組収録が終わると、批判していたPTAの女性陣が、若くて童顔だった永井を見て印象が変わり、サインを貰いに来たという<ref>NHK『SWITCHインタビュー 達人達「園子温×永井豪」』永井の発言(2015年7月11日)</ref>。 しかしこのバッシングが結果的に、永井が時代を掴むきっかけとなる。『ハレンチ学園』で登場人物全てが戦争で殺し合う描写に始まり、『[[あばしり一家]]』(1969年 - 1973年)、『[[ガクエン退屈男]]』(1970年)などこの時期の発表作品の中で、その糾弾活動そのものを[[メタフィクション]]的にパロディ化、権力が奮う「正義」とは自由に生きる個人を押し潰すものとした上で、権力側も抵抗する個人の側も互いに奮うのは暴力だけという、永井作品の根幹を成す地獄絵図を描き出すことになる。 さらにこの時期、シリアスなストーリー作品も手がけ始め、差別とそれに対する復讐を描く『鬼-2889年の反乱-』(1970年)、アイデンティティ崩壊の危機を描く『くずれる』(1971年)、親と子の絆が崩壊する『[[ススムちゃん大ショック]]』(1971年)など、いずれも人間自身の存在意義を問い直すようなSFを発表した。その一方、常識を反転させて笑いに結ぶ永井ギャグ漫画としては最も先鋭化したものの一つ『[[オモライくん]]』(1972年)も描いている。それとともにSF作家の間で注目され、[[1970年]]のSF大会で[[筒井康隆]]を初代会長に永井豪ファンクラブが設立される。 === 『デビルマン』 - アニメ企画者へ === 永井の更なる飛躍となったのは、[[東映アニメーション|東映動画]]とNET(後の[[テレビ朝日]])にてアニメ化された代表作『[[デビルマン]]』(1972年 - )である。前年発表の『[[魔王ダンテ]]』を基にした作品との依頼だった。この作品では「神」が必ずしも「絶対善」ではないという着想が描かれていたが、アニメ『デビルマン』は、悪魔と合体しながら苦悩しつつ人間であろうとする斬新な設定の主人公をベースに、ヒーロー作品としてリメイクすることを依頼され、企画したという。ただし、当時『魔王ダンテ』の掲載誌編集長であった[[内田勝]]の自著などによると、そもそもヒーローコミックとして位置付けていたという。 アニメと同時に漫画連載(『[[週刊少年マガジン]]』)されたこの作品では、悪魔による侵略・種族の存続を賭けたヒーローの戦いを描くゴシックホラー調から、連載中期以降は人間同士の信頼感という常識が崩れていく展開へと移っていく。同じ人間の手によるヒロイン殺害という、『ハレンチ学園』の時すら避けられていた衝撃的な結末をもって、後にSFマンガのスタンダードと数えられる作品となった。 以後、永井を中心としたダイナミックプロの企画陣は、東映動画とのタッグで本格的な操縦者搭乗型ロボット作品のパイオニア『[[マジンガーZ]]』(1972年 - )、妖怪モチーフの『[[ドロロンえん魔くん]]』(1973年 - )、戦うヒロインの草分け『[[キューティーハニー]]』(1973年 - )、初の合体ロボット作品『[[ゲッターロボ]]』(1974年 - 、[[石川賢 (漫画家)|石川賢]]と共作)などの作品群を生み出し、ヒットキャラクターメーカーとして1970年代を駆け抜ける。 ことに『マジンガーZ』では玩具メーカー[[バンダイ]](ポピー)と出会い、玩具ブランド「[[超合金 (玩具)|超合金]]」をはじめとした商品展開と、マンガ・アニメ・グラフ記事など連動した講談社『[[テレビマガジン]]』の誌上企画として展開され、この分野の推進役としても重要な役割を果たした。ここで毎回の企画記事を構成していたのが、ダイナミックプロとともにアニメ企画・版権管理会社として設立されたダイナミック企画である。無敵の「超合金」や無尽蔵な夢の「光子力エネルギー」などは科学礼賛・成長幻想の産物だが、漫画もアニメも作品自体はそれに冷や水を浴びせるかのような描写がたびたびなされ、その超人的なパワーを敵を倒すために使うか、自分の欲望のために使うかは主人公の自由という、本質的には正義も悪も奮うのは暴力という一貫したテーマが見て取れる。 === 『バイオレンスジャック』以後 === 永井とダイナミックプロのアニメが次々と放送される中、永井自身の漫画作品はむしろ、それとは全く違う展開をしていた。1973年には、後に掲載雑誌を変えながら2005年まで発表され続けている、地震で崩壊した世界が再生の道を探りながら混沌の暴力の渦中にある『[[バイオレンスジャック]]』、それとは全く逆に個人の内面が現実世界に影響を与え、鬼の世界を現出させる『[[手天童子]]』などの伝奇SFを描く。 その間にギャグ漫画としても、『オモライくん』の学園漫画版として始まりながら、エロチックなギャグと悪乗りで暴走した挙句『[[デビルマン]]』のような人類滅亡をまたも起こす『[[イヤハヤ南友]]』(1974年 - )や、[[体罰]]が日常茶飯事な学園で「顔を隠して体隠さず」とマスクとマフラー以外は全裸という常軌を逸した究極のヒロインが戦う『[[けっこう仮面]]』(1974年 - )、男子生徒が女子として学園生活を送って騒ぎを起こす『[[おいら女蛮]]』(1974年 - )など、常識をあっけらかんと覆す世界も展開した。 1979年には青年マンガ誌の誕生とともに、得意のエロチックギャグ作品『[[花平バズーカ]]』(原作:[[小池一夫]])をいち早く連載する。少年誌では学園漫画という舞台で、初恋の相手がレイプという屈辱を受ける性表現の限界に挑みながら、一個人の内的世界が現実を破壊し尽くしてしまうという超能力漫画『[[凄ノ王]]』を発表する。この『凄ノ王』により[[1980年]]、[[講談社漫画賞]]少年部門を受賞する。しかしこの作品は、主人公の怒りと悲しみが世界を破壊したところで唐突に終了する。永井はそれをあらかじめ決めていた流れと語ったが、読者の間では必ずしもそう受け止めるばかりではなく、賛否両論であった。 このように読者の判断が賛否に分かれる例は、『デビルマン』とつながった『バイオレンスジャック』のラストや、講談社の企画主導で一種のパラレルワールドとして始まりながら、永井の悪魔モチーフ作品を大きく纏め上げた『[[デビルマンレディー]]』の展開でも繰り返され、自身の言うように「先を決めずに」連載しながらその後の展開を読者の反応とともに創っていく、永井の作風から生まれる特徴であった。 『[[プロレスの星 アステカイザー]]』(1976年)で関わりを持った[[新日本プロレス]]とは、1980年代後半に[[ビッグバン・ベイダー]]のコスチュームデザイン、[[獣神サンダー・ライガー]]などのタイアップを行った。 === 世紀末から21世紀 === [[ファイル:NT211 Go Nagai.jpg|thumb|200px|right|のと鉄道[[のと鉄道NT200形気動車|NT211号車]]の[[ラッピング車両]]。永井の漫画のキャラクターが描かれている。]] 1997年銀座にて「永井豪原画展」、続く1998年「永井豪と世紀末展」という企画展が催され、それまでの漫画家・アニメ企画者としての永井の業績が初めてまとまった形で再評価された。 またそれ以後、その卓抜したキャラクターを他作家の筆により展開させた『[[ネオデビルマン]]』(複数作家競作)、『[[AMON デビルマン黙示録]]』([[衣谷遊]])、『[[キューティーハニー a GO GO!]]』([[伊藤伸平]]・[[庵野秀明]])、『[[マジンガーエンジェル]]』([[新名昭彦]])などのプロデュース作品も生まれている。特に『[[ダイナミックヒーローズ]]』([[越智一裕]])は1970年代の永井ヒーロー作品があえて東映動画のタッチで描かれるという試みがなされており、往年の作品の影響力を窺わせた。 永井自身は21世紀に入って[[還暦]]を迎えても、少年誌から青年誌と広く作品を発表、それまでに描いてきたホラー調作品やギャグ漫画、ロボット作品などの他、『伊達政宗』『北条早雲』『前田利家』といった[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に実在した人物の漫画化に挑むなど、旺盛な漫画家活動を続けている。 2010年5月からは『[[週刊漫画ゴラク]]』にて『デビルマン』執筆時のエピソードを多少の脚色を込めて描く『[[激マン!]]』の連載を開始、一時の休載をはさみ、2012年に完結した。基本的に永井は自画像をギャグタッチで描いており、自分自身をシリアスタッチの漫画に描く事には抵抗があったが、編集部より「[[不動明]]のようなハンサムに描いてくれ」と言われて承諾した。 [[ファイル:永井豪記念館.jpg|thumb|200px|right|永井豪記念館]] 2009年、故郷の輪島市に「永井豪記念館」が開館<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hokkoku.co.jp/subpage/ET20090425071.htm |title=漫画文化発信に期待 輪島市 永井豪記念館オープン |date=2009-04-25 |publisher=北國新聞社 |archiveurl=https://archive.vn/uMYEP |archivedate=2013-10-11 |accessdate=2021-05-15}}</ref>。当地に存在する「いしかわ景観総合条例<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/toshi/keikan/kguidebook.html 石川県HP内:土木部都市計画課>いしかわ景観づくりガイドブック:4章に「エコサイン事例」として当館の写真が掲載されている]</ref>」そのほか関係条例への適合が図られた町屋風の外観となっているが、中へ入ると雰囲気がガラッと変わり永井豪ワールド全開で来場者を迎え、毎年開館記念日には記念イベントを行っている。 2012年3月10日より、[[のと鉄道]]の[[のと鉄道NT200形気動車|NT211号車]]に永井キャラクターが描かれた[[ラッピング車両]]が運行を開始した<ref name="railway">[http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2012/03/post_684.html 【のと鉄道】永井豪キャラクターラッピング列車登場] - 鉄道ホビダスRMニュース、2012年3月12日</ref>。3年間の運行予定だったが<ref name="railway" />、それ以降も運行は継続しており、永井豪記念館の宣伝も兼ねている<ref name="railway" /><ref group="注">ただし、[[のと鉄道七尾線]]の穴水 - 輪島間はすでに廃止されており、記念館までは穴水駅からバスの移動となる。</ref>。 2016年、第25回[[日本映画批評家大賞]]・アニメ部門ダイヤモンド大賞を受賞する<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/188463|title=批評家大賞アニメ部門で永井豪が最高賞に、功労賞・渡辺宙明を串田アキラが祝福|newspaper=映画ナタリー|date=2016-05-25|accessdate=2016-05-25}}</ref>。 2018年、永井執筆の全作品が第47回[[日本漫画家協会賞]]文部科学大臣賞を受賞する<ref>{{cite news|url=http://www.nihonmangakakyokai.or.jp/?tbl=event&id=7182|title=2018年度 第47回日本漫画家協会賞 発表|newspaper=日本漫画家協会公式サイト|date=2018-05-07|accessdate=2018-06-24}}</ref>。 2018年から2019年にかけて「画業50年”突破”記念 永井GO展」が、[[上野の森美術館]]、[[大阪文化館・天保山]]、[[石川県立歴史博物館]]などで開かれた。 == 作風 == 永井は一般に「手塚以後」といわれる戦後期に、新聞漫画、書店・貸本店作品といった様々な形態の漫画作品を読者として経験した上で送り手となった最初の世代の漫画家である。例えば自身も影響を受けたと語るように、手塚的な[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]の影響下にある文法とともに、[[白土三平]]的な筋肉を持ち血の出るリアリティを持った形式も等価に受け取っている。永井のデビュー当時にあった他の漫画文法と比較すると、永井のタッチはリアルとギャグ両方の要素を持った独特のデフォルメである。また[[貸本]]・[[赤本 (少年向け本)|赤本]]時代の、単行本をまとめて「読ませる」タイプの作家とは異なり、主に週刊連載という形式で「引っ張る」作風をメインとしている。 コマ割りが大きく1ページ内のコマ数が少なく、コマ枠も登場人物も線が太い。時にはセリフや擬音ばかりか、登場人物までもがコマからはみ出す。1コマが見開き2ページにも及ぶこともある。ストーリー展開は速く、セリフも分かりやすく明快、メカや背景もリアルに描かれている。それでいて[[劇画]]ではない。こういった生産性を上げつつ画面を格好良く見せる手法は石ノ森のアシスタント時代に培われたとされ<ref name="宇150">{{Cite journal |和書 |date=2015-10-01 |journal=[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]|volume=VOL.150 |issue=(2015 autumn)|pages=pp.122-123 |title=サイボーグ009VSデビルマン [インタビュー]永井豪 |publisher=[[ホビージャパン]] |isbn=978-4-7986-1099-3 }}</ref>、永井が一般的にしたともいえる。このような作風に[[高橋留美子]]は大いに影響を受けたと後に述べている。 また、永井はギャグ漫画から始めたせいか、シビアなストーリーの途中に、ユニークなキャラクター性を持った登場人物の行動や発言など、主人公すら巻き込んでしまうギャグのシーンを入れてしまうということを、初めて完成された形で持ち込んだ。また、逆にギャグ漫画を基調としながらもアクション的要素を織り込む初期の永井の作風は70年代の『けっこう仮面』などにも継承される一方、赤塚不二夫顔負けの純粋ギャグ漫画も短編を中心に少なくなく、長尺では『オモライくん』が存在する。このように、ギャグ、シリアスそれぞれを突き詰めつつも、混合化も並行してやってのけた作家は、少なくとも永井以前には存在しなかった。 昭和40年代に漫画の書き方として、「キャラクターを作り上げてそれが動き出してストーリーが本格展開する」という概念で説明し、それで自作の展開を説明した。これは一般ファンに向けて明快に語られたものとしてはおそらく初めてであろう。 == 多作性 == また一時期の永井は非常に多作であり、さすがに5週で挫折し4本に減らしたものの、週刊連載を5本こなしていた時期もあった<ref name="名前なし-1">『[[激マン!]]』1話(1巻収録)</ref><ref group="注">『[[週刊少年ジャンプ]]』は永井のやり方に危機感を覚え「契約制度」を得る。この後に契約制度は漫画界のみならず、小説業界でも行うようになり、[[平成]]以降は別出版会社での同時連載は非常に難しくなっている。</ref>。これは永井自身、手塚治虫も石ノ森章太郎も成し遂げていない記録かもしれない、としている。『デビルマン』に重きを置き仕事量を減らした時期でも、月産400-500ページをこなしていた<ref>『[[激マン!]]』22話(3巻収録)</ref>。 筆の速さはやはり多作であった石ノ森章太郎のアシスタント時代に養われたものであるようで<ref name="名前なし-1"/><ref name="宇150" />、限界まで仕事を受けてしまうことについては、やはり石ノ森の「来た仕事を断らないのがプロだ」と言う矜持の影響と、7歳も年上の師匠に負けていられない、と言う思いがあったと言う<ref name="名前なし-2">『[[激マン!]]』10話(2巻収録)</ref>。 {{quotation| 手塚治虫が多くの原稿を抱えてしめ切りも迫った状況でアメリカのコミックイベントに参加するための旅行に永井も他の漫画家仲間と一緒に参加した時を振り返って。この時手塚は国際電話で日本のアシスタント達に口頭で指示をするという方法を使って無事原稿を間に合わせた。 -「当時 永井先生も相当お忙しかったんじゃないですか?」<br/> 永井「えぇ......少年誌だけでも4本抱えていました。でも僕は全部仕上げて行きましたから!!」<br/> -「ええっ~~~!!?」<br/> (インタビューシーン) 元・[[秋田書店]] 「[[あばしり一家]]」担当 河野 安廣 「豪ちゃん(永井)にしめ切りで苦労させられたことは一度もなかったな。手塚先生とはまた別のタイプの天才だったね。」 元・秋田書店 「[[キューティーハニー]]」担当 大和田 俊司(たかし) 「手塚番の番とは『見張り番』の番。『手塚番』『赤塚番』という言葉はあっても『永井番』はありませんでした。あれほど多作なのに必ずしめ切りを守ってくれましたから!!」 -「......豪先生は手塚先生と同じく多作なのにずいぶんちがいますよね。しめ切りを守れるのはどうしてですか.........?」<br/> 永井「う~~~ん...どうしてっていわれても...アシスタント時代のトラウマかなあ...僕は[[石ノ森章太郎|石ノ森]](章太郎)先生のアシスタントだったんだけど...当時石ノ森先生は本当に忙しくてね...」 (回想シーン、 石ノ森が後ろに回した原稿を受け取るアシスタント時代の永井)「(......ヒッ!!)」<br/> (原稿を待ってニラんでいる13人の編集者達の視線に気付き) 「(......26個の視線が痛い~~!!)」 永井「年末にしめ切りが重なってね、13人の編集者が怖い顔して待ってるんですよ。一つの雑誌の原稿を手に取ると、それ以外の雑誌の編集者たちがすごい目でニラんできてね.......他にも先生と2人だけで月産200枚を3ヶ月続けたこともありました。......僕が多作で早描きなのは石ノ森先生ゆずりかな。」<br/> -「なるほど!!」<br/> 永井「あと、デビューがギャグ漫画だったことも関係あるかも...ページが少ないギャグなら、アシスタントで忙しい中でも描けたんですよ。」 (193ページ~197ページ) 永井「ギャグ漫画から始まったおかげで、僕はしめ切りを守れるようになった気がします。ギャグって次のコマがどうなるか分からないところがおもしろいじゃないですか。だから僕は、描きながら考えるタイプになって...どうなるか分からないけどとにかく描き出して...自分もワクワクドキドキしながら一気に原稿を完成させるんです!!」<br/> 「描き終えておもしろくなかったらもう1本初めから描いたほうがいい。実際あんまり気に入らない作品ができて、時間までにもう1本完成させたこともありましたよ!!」<br/> -「すごい!! そりゃ編集者からすればありがたいです!!」 (203ページ) |講談社「ブラックジャック創作[[㊙]]話~手塚治虫の仕事場から~」『第7話 原稿を上げずに手塚先生はアメリカへ飛んだ(後編)』 }} だがこれだけ仕事をこなしても経費がかさみ、永井自身の収入は恐らく同年齢のサラリーマンよりも低かったとしている<ref name="名前なし-2"/>。一番の問題は人件費で、1972年頃のダイナミックプロには、マネージャー3名、経理2名、アシスタント15名がおり、さらに漫画家デビューしたアシスタントのアシスタントまで出入りしていたという<ref name="名前なし-2"/>。永井は漫画家で儲けようと思ったら小規模にコツコツこなした方が良いとしている<ref name="名前なし-2"/>。 70歳を迎えた2015年の時点では連載3本はつらくなり、2本に減らしている<ref name="宇150" />。 == 作品リスト == === 漫画作品 === これらの他、短編が多数存在する。 ==== 五十音順 ==== {{col-begin}} {{col-3}} * 鉄の処女(アイアンバージン)JUN * [[アイアンマッスル]] * [[赤褌鈴乃介]](『[[赤胴鈴之助]]』のパロディ) * [[あにまるケダマン]] * [[あばしり一家]] * [[アラーくん]] * [[イヤハヤ南友]] * [[おいら女蛮]] * [[鬼 (漫画)|鬼]] * [[オモライくん]] * [[ガクエン退屈男]] * [[ガルラ (漫画)|ガルラ]] * [[鬼公子炎魔]] * [[機神]] * [[キッカイくん]] * [[吸血温泉へようこそ]] * [[吸血鬼狩り (漫画)|吸血鬼狩り]] * [[キューティーハニー]] * [[キューティーハニー天女伝説]] * [[キングボンバ]] * [[金四郎無頼桜]] * [[グレートマジンガー]] * [[黒の獅士]] * [[ゲーム戦士アニマード]] * [[激マン!]] * [[ケダマン]] * [[けっこう仮面]] * [[ゲッターロボ]](原作および一部キャラクター・メカニックデザイン) * [[ゲッターロボG]](原作および一部キャラクター・メカニックデザイン) * [[骨法伝説夢必殺拳]] * [[ゴエモン先生]] * [[ゴッドマジンガー]](魔神伝説) * [[さむらいJAPAN]] * [[サラーキア]] * [[ザ・バード (漫画)|ザ・バード]] * [[シャーヤッコホームズ]] * [[手天童子]] * [[シレーヌちゃん]] {{col-3}} * [[新デビルマン]](協力:[[辻真先]]・[[高円寺博]]) * [[シンデレラ騎士]] * [[じん太郎三度笠]] * [[新バイオレンスジャック]] * [[神話大戦 ラーマーヤナ編]] * [[獣神ライガー]] * [[スーパー西遊記]] * [[凄ノ王]](凄ノ王伝説) * [[ススムちゃん大ショック]] * [[ズバ蛮]] * [[スペオペ宙学]] * [[戦国武将烈伝 伊達政宗]] * [[Zマジンガー]] * [[大牙]] * [[第三次中華大戦]] * [[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]][[神曲]] ** 地獄編 ** 浄罪編・天国編 * [[チェンジ!さぶ]] * [[ちびっこ怪獣ヤダモン]] * [[ちゃかポコ]] * [[チャンクン]] * [[超マン]] * [[帝都女記者伝 写・らく]] * [[鉄戦士ムサシ]] * [[THIS IS 大介]] * [[デビルマン]] * [[デビルマン対ゲッターロボ]] * [[デビルマンレディー]] * [[デビルマンサーガ]] * [[天空の狗]] * [[電送人バルバー]] * [[髑髏の館]] * [[ドジラ先生]] * [[ドラグ恐竜剣]] * [[どろろん艶靡ちゃん]] * [[ドロロンえん魔くん]] * [[どんがら三銃士]] * [[永井豪のサムライワールド・豪談]] * [[なぞなぞぼうやXくん]](『永井ごう』名義) * [[ネオデビルマン]] * [[花平バズーカ]] {{col-3}} * [[ハマグリどっせ〜!!]] * [[青春一番|青春(はる)一番]] * [[バイオレンスジャック]] * [[バラバンバ]] * [[バラバンバ2]] * [[ハレンチ学園]] * [[ハレンチ紅門マン遊記]] * [[ハレンチゴルファー十べえ]] * [[パンジーちゃん]] * [[ひどい巨塔]] * [[フルメタルレディ]] * [[ブラボー!!先生]] * [[へんき〜んタマイダー]] * [[へんちんポコイダー]] * まいるど7 * [[魔王ダンテ]] * [[馬子っこきん太]] * [[魔神王ガロン]] * [[マジンガーZ]] * [[マジンカイザー]] * [[マシンガン刑事さぶ]] * [[マジン・サーガ]] * [[マシンザウラー]] * [[真夜中の戦士]] * [[まろ (漫画)|まろ]] * [[ミストストーリー]] * [[目明しポリ吉]](デビュー作) * [[メモリーグラス]] * [[柳生裸真剣]] * [[闇の宴 酒天童子異聞]] * [[勇士ダンダン]] * [[UFOロボ グレンダイザー]] * [[よくふか頭巾]] * [[ラブリーエンジェル]] * [[ランボー・センセー]] * [[ロボチョイA]] * [[若バカさま]] {{col-end}} ==== 外部原作者作品 ==== {{col-begin}} {{col-2}} * [[一発百万申し受け候]](原作:[[高橋三千綱]]) * [[株式会社徳川家康]](原作:[[新宮正春]]) * [[カーマ・スートラ|カーマスートラ]](構成:[[長谷邦夫]]) {{col-2}} * [[神州天馬侠|戦群]](原作:[[吉川英治]]) * [[花平バズーカ]](原作:[[小池一夫]]) {{col-end}} ==== ダイナミックプロ内原作付きないし共作作品 ==== {{col-begin}} {{col-2}} * [[学園番外地]](共作:[[石川賢 (漫画家)|石川賢]]) * [[テクノロGメン]](共作:石川賢) * [[リョコー少年団]](共作:石川賢) * [[心霊探偵オカルト団]](共作:[[高円寺博]]・石川賢) * [[まぼろしパンティ]](原作:高円寺博) * [[00学園スパイ大作戦]] …(共作:[[安田達矢]]) * [[翼の人]](原作:[[団龍彦]]) {{col-2}} * [[無頼・ザ・キッド]](高円寺博・石川賢らダイナミックプロ作品として共作) * [[バイオレンスカー炎の鷹]] …(共作:[[蛭田充]]) * [[ジャンジャジャ〜ン ボスボロットだい]](作画:[[どろんぱ|真樹村正]]) * [[おなり〜っ ボロッ殿だい]](作画:[[真樹村正]]) * [[魔獣大陸]](共作:[[川又千秋]]) * [[シュルルン雪子姫ちゃん feat.ドロロンえん魔くん]](作画:[[天津冴]]) * [[LS愛ちゃん]](画:[[安田タツ夫]]) {{col-end}} ==== その他 ==== * それいけスイート - デビュー作以前の未発表作品。映画[[007]]のパロディ漫画。発表こそしなかったが編集長の目に留まりデビューのきっかけとなる。 * [[ビジンマン]](作画:[[近藤豪志]])<!--共著ではなく原作名義、ダイナミックプロやアニメなどタイアップ作品とは無関係--> === アニメ作品 === {{col-begin}} {{col-2}} * [[けっこう仮面]] * [[バラバンバ]] * [[おいら女蛮]] * 平成[[ハレンチ学園]] * [[デビルマン]] ** [[サイボーグ009VSデビルマン]] * [[デビルマンレディー]] * [[魔王ダンテ]] * [[宇宙円盤大戦争]] * マジンガー・シリーズ ** [[マジンガーZ]] ** [[グレートマジンガー]] ** [[UFOロボ グレンダイザー]] ** [[ゴッドマジンガー]] ** [[マジンカイザー]] {{col-2}} * [[バイオレンスジャック]]シリーズ * [[鉄の処女JUN|鉄の処女(アイアンバージン)JUN]] * [[ハレンチ紅門マン遊記]] * [[あばしり一家]] * [[キューティーハニー]] ** 新キューティーハニー ** キューティーハニーF(フラッシュ) * [[魔女っ子チックル]] * [[サイコアーマー・ゴーバリアン]] * [[獣神ライガー]] * [[ドロロンえん魔くん]] ** [[鬼公子炎魔]] * [[CBキャラ 永井豪ワールド]] * [[夢次元ハンターファンドラ]] {{col-end}} ==== 他作家との共作 ==== {{col-begin}} {{col-2}} * ゲッターロボ・シリーズ ** [[ゲッターロボ]] ** [[ゲッターロボG]] ** [[ゲッターロボ號]] {{col-2}} * [[鋼鉄ジーグ]] {{col-end}} ==== その他 ==== これ以外に[[1990年代]]末期に制作された「[[デビルマンレディー]]」のテレビ放映を契機として、「[[ゲッターロボ]]・シリーズ」や「マジンガー・シリーズ」など漫画のアニメ化や、大人が見ても耐えうる[[OVA]]作品の制作も順次行われている。 === 実写作品 === ==== テレビドラマ ==== * [[ハレンチ学園 (テレビドラマ)|ハレンチ学園]] * [[プロレスの星 アステカイザー]] * [[バトルホーク]] * [[Xボンバー]](人形劇) * [[キューティーハニー THE LIVE]] * [[世にも奇妙な物語 25周年スペシャル・春 〜人気マンガ家競演編〜]]「面」 他 ==== 実写映画 ==== * [[キューティーハニー (映画)|キューティーハニー]] * [[デビルマン (映画)|デビルマン]] * [[兜王ビートル]] * [[あばしり一家#映画|あばしり一家]] * [[けっこう仮面#実写映画|けっこう仮面 新生]] * [[CUTIE HONEY -TEARS-]] ==== オリジナルビデオ ==== * 永井豪のこわいゾ〜ン ** [[鬼餓]](永井豪監督作品) ** [[よみがえる闇]]([[早川光]]監督作品) * 永井豪のこわいゾ〜ン2 ** [[コンクリートアベンジャー]](永井豪監督作品) ** [[吸血鬼狩り]](早川光監督作品) * [[空想科学任侠伝 極道忍者ドス竜]](永井豪監督作品) * [[けっこう仮面#オリジナルビデオ|けっこう仮面]]シリーズ * [[まぼろしパンティ#オリジナルビデオ|美少女探偵 まぼろしパンティ]] * [[おいら女蛮 決戦!パンス党]] * [[まぼろしパンティ#オリジナルビデオ|まぼろしパンティVSへんちんポコイダー]] === ゲーム === * [[地球戦士ライーザ#銀河の三人(ファミコン版)|銀河の三人]] - PCゲーム「地球戦士ライーザ」のファミコン移植版/キャラクターデザイン・パッケージ * [[スーパーロボット大戦30]] - タイトルロゴデザイン === 挿絵・イラスト === * 小説挿絵 ** [[超革命的中学生集団]] 著:[[平井和正]] サンヤングシリーズ([[朝日ソノラマ]])&[[ハヤカワ文庫]]([[早川書房]]) **:漫画作品のようにフキダシとセリフがある挿絵が特徴 ** [[戦国自衛隊]] 著:[[半村良]] [[角川文庫]]([[角川書店]]) 但し初期版のみ ** [[魔界水滸伝]] 著:[[栗本薫]] [[カドカワノベルズ]]版&角川文庫(角川書店) ** [[ぼくはエイリアン]] 著:[[田中光二]] [[徳間文庫]]([[徳間書店]]) カバーイラストのみ ** [[魔獣大陸]] 著:[[川又千秋]]・永井豪 ノヴェル&コミック(角川書店)小説と劇画がドッキングしたSFビジュアル・ノベル ** [[暗黒の序章 マシンガイ竜]] 著:[[山田正紀]]・永井豪 角川文庫(角川書店) ** [[夢次元ハンターファンドラ]] 著:[[水出弘一]] [[講談社X文庫]]([[講談社]]) オリジナル・アニメの完全小説化 ** [[ゲームブック]] デビルマン 誕生編 著:[[伊吹秀明]]・構成、編集:[[スタジオ・ハード]] 講談社X文庫(講談社) OVA第1作目のゲームブック版 ** [[巨人伝説]] 著:[[笠井潔]] 徳間文庫(徳間書店) ** [[雷獣伝説]] 1 〈闇の咆哮〉 著:[[斉藤英一朗]] [[トクマ・ノベルズ・ミオ]](徳間書店) ** 雷獣伝説 〈雪雷篇〉 著:斉藤英一朗 [[トクマ・ノベルズ]](徳間書店) ** [[女戦士フレア伝|女戦士(アマゾネス)フレア伝]] 著:[[友成純一]] [[勁文社]]〈ケイブンシャノベルズ〉 ** [[TARO! 東京大魔界]] 著:[[石井てるよし]]・[[森幸也]] [[朝日ソノラマ]]〈[[ソノラマ文庫]]〉 映画『[[TARO! TOKYO魔界大戦|TARO! MOMOTARO IN TROUBLE]]』の小説化 ** [[魏志倭神伝]] 著:[[永井泰宇]] [[講談社ノベルス]](講談社) * 絵本挿絵 ** [[三丁目が戦争です]] 著:[[筒井康隆]] 講談社の創作童話([[洋泉社]]版もあり) * 画集 ** 永井豪画集 絢爛豪画([[学研パブリッシング]]) * CD・BOXデザイン ** [[cocobat]] - 「STRUGGLE OF APHRODITE」(1993年)※ジャケットイラスト ** 「[[Janne Da Arc 10th Anniversary INDIES COMPLETE BOX]]」([[Janne Da Arc]]作品) *テレビアニメ **[[荒川アンダー ザ ブリッジ|荒川アンダー ザ ブリッジ×ブリッジ]] 9 BRIDGE×2エンドカード == アニメ作品の特徴 == [[1970年代]]から[[1980年代]]にかけての永井豪原作のアニメ作品の多くは、既に発表された漫画作品をアニメ化したものではない。まず、テレビアニメの企画が最初にあって、アニメ制作会社などからの依頼を受けた永井がストーリーや設定を考案し、原作者の役割を果たした。 永井の作品のアニメは、明らかにロボットものを含め[[サイエンス・フィクション|SF]]作品が多い。それらは子供向け作品であってもセクシュアルさや過激なバイオレンスの要素を充分に含んだものであり、若年層の抱く欲求を空想科学作品というオブラート付きで満たすものだった。『[[マジンガーZ]]』が当時スペインでの最高[[視聴率]]80%を、『[[UFOロボ グレンダイザー]]』が、[[フランス]]で放送された際には最高視聴率100%を記録した、という逸話もあるほど、当時日本で放映されたテレビアニメ作品ですら、諸外国にとっては新鮮で画期的で、かつセンセーショナルであった。 [[東映]]自体の企画なのか、永井やダイナミック・プロ側の発想なのかは不明ではあるが、映画版のみの特別編『[[マジンガーZ対デビルマン]]』『[[グレートマジンガー対ゲッターロボ]]』などといった一連の諸作品も、当時の子供心をくすぐる企画であった。こういった、異なった番組の主人公が同じドラマのストーリーの中でからむ、という発想は[[手塚治虫]]ゆずりであり、それ以上に自作のキャラクターを自在に弄ぶスターシステムは彼の売りとなった。 == ダイナミックプロ == 永井の率いる漫画プロダクションが、[[1968年]]設立の株式会社ダイナミック・プロダクション(ダイナミックプロ)である。それまで漫画家による製作組織は、個人事業主である漫画家が外注としてのアシスタントを雇う方式や、徒弟制度としての師匠と弟子の関係のものが協力し合って製作する方式が一般的であった。しかし、ダイナミックプロでは一般の会社と同じように弟子の漫画家も社員として対等に扱い、雑誌社とのマネジメントも行って社員に自らの作品を発表するチャンスを与えるという、当時としては画期的なシステムであった。そのため、ダイナミックプロからは数多くの優れた漫画家が輩出される事になった。時期や作品により永井とダイナミックプロとの距離感は様々であるが、初期においては永井自身の志向で、最初の読者であり、作家性に激しく影響を与え合うプロ作家集団であり、アシスタントもするという位置づけだった。また、作品によっては永井名でありつつも、かなりシステマティックに互いの得意領分を担当しあいながら作られたものもある。極端な例では、「幻六郎」というプロ内の特定ユニットとしての集団ペンネームを用いた場合もある。 実際には、漫画家だけでなく文筆家としての作家もダイナミックプロには所属しており、例えば永井の実兄である[[永井泰宇]](高円寺博)や、永井豪ファンクラブからプロとなった[[団龍彦]]も漫画原作者・作家としてダイナミックプロの一翼を担ってきた。 永井の多くの作品に「とダイナミックプロ」と付けられているのは、彼らプロ集団が全体として企画を形作り、作品を生み出す作家表現へと収斂してきたことを意味する。ただ、その関わり方としては、着想の1アイデアから場合によっては「原作」やペン入れ、通常のアシスタントなど多岐に渡り、一つのメソッドに基づいたものがあるというわけではない。 === アシスタント経験者 === {{col-begin}} {{col-2}} * [[石川賢 (漫画家)|石川賢]](石川賢一・幻六郎) * [[風忍]] * [[安田達矢]](安田 タツ夫・幻六郎) * [[田中成治]] * [[野口竜]](野口太陽) * [[秋本シゲル]](早田光茂・幻六郎)…不知火プロ所属 * [[石綿周一]](パンチョス石綿) * [[五十子勝]](五十子涼・風子瞳) * [[岩沢友高]] * [[桜多吾作]](おうたごさく・太田順一・北川賢・北川寛・幻六郎) * [[岡崎優]](岡田義弘) * [[おのまこと]](小野誠・村祭誠・村祭まこと・むらまつり誠・おのエントツ・邑祭誠・壮野睦) * [[小野寺克彦]] * [[小山田つとむ]] * [[白六郎]] * [[西東栄一]](斉藤栄一・おりはるこん)…不知火プロ所属 * [[坂本雄恒]] * [[佐々木和志]] * [[新宅よしみつ]] {{col-2}} * [[杉山孝幸]](キタロー) * [[高島茂]] * [[高梨順一]] * [[高梨鉄平]] * [[たかや健二]] * [[滝川健市]](おりはるこん) * [[田中正仁]] * [[田村浩一]] * [[どろんぱ]](真樹村正・槇村 ただし・幻六郎) * [[二宮博彦]] * [[のなかみのる]] * [[はまだよしみ]](幻六郎) * [[蛭田充]](ひるた充・浅井ゆきお・浅井幸雄・旭日充)…初代アシスタント * [[蛭田未来雄]](立花未来王)…蛭田充の息子 * [[星和弥]] * [[丸山功一]](ハガネ功一) * [[むつ利之]] * [[やまと虹一]] * [[よしかわ進]](葭川進・幻六郎) <!--(所属時期・事実とも不明) * [[高屋良樹]]--> {{col-end}} === 家族 === * 兄の[[永井泰宇]](高円寺博)は小説家、漫画原作者。弟の永井隆はダイナミック・プロ及びダイナミック企画社長。 == 主な出演 == * [[悪魔の毒々モンスター 東京へ行く]] (1989年、アメリカ) - 本人 役 * [[の・ようなもの]](1981年、[[角川ヘラルド・ピクチャーズ|日本ヘラルド映画]]) - エリザベス([[秋吉久美子]])に挨拶される男 役 * 二十世紀少年読本(1989年) - 警官 役 * [[未来の想い出|未来の想い出 Last Christmas]](1992年、[[東宝]]) - 本人 役([[カメオ出演]]) * [[メトロポリス (2001年の映画)|メトロポリス]](2001年、東宝) - 声優として特別出演 * [[デビルマン (映画)|デビルマン]](2004年、[[東映]]) - 神父 役 * けっこう仮面(2004年) - 永井先生 役 * [[キューティーハニー (映画)|キューティーハニー]](2004年、[[ワーナー・ブラザース]]) - 車のドライバー 役(カメオ出演) * [[キューティーハニー THE LIVE]](2008年) - 如月光史郎博士 役(DVD第26話) * [[DEVILMAN crybaby]](2018年、[[Netflix]]) - 民衆13 役(声の出演) * [[前田建設工業#前田建設ファンタジー営業部|前田建設ファンタジー営業部]](2020年) - 本人 役 ; Vシネマ * ナンバルンバ 私ヤリたいんです * 永井豪のホラー劇場 マネキン * おいら女蛮 決戦!バンス党 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book ja-jp | author = 永井豪 | year = 2010 | title = [[激マン!]] | volume = 1-2 | publisher = 日本文芸社}} - 永井豪の自伝漫画。1 - 6巻は、主にデビルマンの製作について収録。40年前の事象について記述しているため、記憶に自信が持てない部分があることから、「事実を元にしたフィクション」または「ノンフィクションにきわめて近いフィクション」としている。 *「永井豪激白」(インタビュー記事、頁134-135)「永井豪50年の歩み」(グラビア、頁153-157)、週刊朝日、2017年12月8日増大号に掲載。 == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|漫画|[[画像:Logo serie manga.png|50px|ウィキポータル 漫画]]}} * [[ロボットアニメ]] * [[アニメの歴史]] * [[東京都青少年の健全な育成に関する条例]] - [[2010年]]の改正に対する反対を表明する記者会見を[[ちばてつや]]、[[里中満智子]]、[[竹宮惠子]]らとともに行なった。 == 外部リンク == {{Commons|Go Nagai|永井豪}} * [http://www.sfwj.or.jp/member/NAGAI-GO.html 日本SF作家倶楽部 永井豪] * [http://www.dynamicproduction.co.jp/ ダイナミック・グループ] * [https://mazin-go.com/ ダイナミック企画株式会社 ホーム] * [https://www.go-wonderland.jp/ 永井豪記念館 オフィシャルサイト] * [https://www.saga-s.co.jp/articles/-/407171 「デビルマン」など漫画家・永井豪さんに仏勲章「一生懸命漫画描く」] フランス政府から芸術文化勲章シュバリエを贈られる(2019年7月)。 * [https://www.sankei.com/main/group/main-36491-g.html 産経新聞:話の肖像画 マンガ家・永井豪] * [https://news.nifty.com/article/item/neta/12136-2398840/ 永井豪が語る 漫画のタブーを破り続けた原動力「人間の純粋な気持ちを表現しただけ」(日刊ゲンダイDIGITAL 2023年6月19日)] {{永井豪}} {{マジンガーシリーズ}} {{デビルマン}} {{ゲッターロボシリーズ}} {{マグネロボシリーズ}} {{キューティーハニー}} {{石ノ森章太郎}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:なかい こう}} [[Category:永井豪|*]] [[Category:20世紀日本の教育者]] [[Category:21世紀日本の教育者]] [[Category:日本のマンガ・アニメ教育者]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:SF漫画家]] [[Category:日本のキャラクターデザイナー]] [[Category:日本のサブカルチャーに関する人物]] [[Category:大阪芸術大学の教員]] [[Category:ダイナミックプロの人物|*]] [[Category:永井泰宇|+なかい こう]] [[Category:新日本プロレスの元関係者]] [[Category:石川県出身の人物]] [[Category:1945年生]] [[Category:存命人物]]
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永久保貴一
永久保 貴一(ながくぼ たかかず、1960年6月22日 - )は、日本の漫画家、漫画原作者。神奈川県横浜市出身。 1984年、『宇宙船別冊 大冒険』(朝日ソノラマ)に掲載の「貸出しヒーロー レンタマン」でデビュー。以後、『ハロウィン』(朝日ソノラマ)や『サスペリア』『ミステリーボニータ』(秋田書店)などに作品を発表。代表作は『カルラ舞う!』シリーズ。
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永久保 貴一は、日本の漫画家、漫画原作者。神奈川県横浜市出身。 1984年、『宇宙船別冊 大冒険』(朝日ソノラマ)に掲載の「貸出しヒーロー レンタマン」でデビュー。以後、『ハロウィン』(朝日ソノラマ)や『サスペリア』『ミステリーボニータ』(秋田書店)などに作品を発表。代表作は『カルラ舞う!』シリーズ。
{{単一の出典|date=2021-07-30}} {{存命人物の出典明記|date=2021-07-30}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 永久保 貴一 | 画像 = <!-- 画像ファイル名 --> | 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px --> | 脚注 = <!-- 画像の説明文 --> | 本名 = <!-- 必ず出典を付ける --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1960|6|22}} | 生地 = {{JPN}}・[[神奈川県]][[横浜市]] | 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> | 没地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 --> | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 職業 = [[漫画家]]、[[漫画原作者]] | 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 --> | 活動期間 = [[1984年]] - <!-- YYYY年 --> | ジャンル = [[ホラー漫画]]、[[サスペンス]]、[[オカルト]] など | 代表作 = 『[[カルラ舞う!]]』シリーズ | 受賞 = <!-- 出版社の賞など --> | サイン = <!-- 画像ファイル名 --> | 公式サイト = [https://nagakuboinfo.wixsite.com/nagakuboinfowebpage 永久保本舗] }} '''永久保 貴一'''(ながくぼ たかかず、[[1960年]][[6月22日]]<ref name="na">{{Cite book|和書|date=1997-04-21|editor=日外アソシエーツ編集部|title=漫画家・アニメ作家人名事典|publisher=[[日外アソシエーツ]]|page=305|isbn=4-8169-1423-4}}</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]<ref name="na"/>、[[漫画原作者]]。[[神奈川県]][[横浜市]]出身<ref name="na"/>。 [[1984年]]、『[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]別冊 大冒険』([[朝日ソノラマ]])に掲載の「貸出しヒーロー レンタマン」でデビュー<ref name="na"/>。以後、『[[ハロウィン (雑誌)|ハロウィン]]』(朝日ソノラマ)<ref name="na"/>や『[[サスペリアミステリー|サスペリア]]』『[[ミステリーボニータ]]』([[秋田書店]])などに作品を発表。代表作は『[[カルラ舞う!]]』シリーズ。 == 作品リスト == <ref>{{Cite web|和書|url=https://iss.ndl.go.jp/books?ar=4e1f&rft.au=%E6%B0%B8%E4%B9%85%E4%BF%9D%E8%B2%B4%E4%B8%80&search_mode=advanced |title=国立国会図書館サーチ |accessdate=2021-12-22 }}</ref> === 漫画 === * [[生き人形]] 原作:[[稲川淳二]] ([[朝日ソノラマ]])全1巻 * [[カルラ舞う!]]シリーズ ** 変幻退魔夜行 [[カルラ舞う!]](朝日ソノラマ)全18巻 ** 変幻退魔夜行 新・カルラ舞う!([[秋田書店]])全18巻 ** 変幻退魔夜行 真・カルラ舞う!(秋田書店)全8巻 ** 変幻退魔夜行 超・カルラ舞う!(秋田書店)全5巻 ** 変幻退魔夜行カルラ舞う! 聖徳太子の呪術編(秋田書店)全3巻 ** 変幻退魔夜行 カルラ舞う! 少年陰陽師(秋田書店)全3巻 ** 変幻退魔夜行カルラ舞う! 葛城の古代神(秋田書店)全3巻 ** 変幻退魔夜行 カルラ舞う! 【外伝 安倍晴明編】(秋田書店)全3巻 ** 変幻退魔夜行 カルラ舞う! 【湖国幻影城】(秋田書店)全4巻 ** 変幻退魔夜行 カルラ舞う! 宿儺を殺した神([[白泉社]])既刊2巻(※2021年8月現在) * 永久保怪異談シリーズ ** 永久保怪異談 (ぶんか社)全1巻 ** 永久保怪異談 スピリチュアルを斬る!(ぶんか社)全1巻 ** 永久保怪異談 パワースポット交幽録(ぶんか社)全1巻 * 古代のVAGAN(朝日ソノラマ)全1巻 * 霞の竜笛(朝日ソノラマ)全1巻 * オカルト少女 地獄ちゃん(朝日ソノラマ)全3巻 * 検証[[四谷怪談]]・皿屋敷(朝日ソノラマ)全1巻 **【改題】 検証・四谷怪談(朝日ソノラマ)全1巻 * [[若狭鬼神戦記 倶利伽羅もんもん]](秋田書店)全7巻 * 神道オカルト草紙([[ぶんか社]])全1巻 * 恐怖耳袋 永久保怪談(朝日ソノラマ)全2巻 * 斑鳩憑依奇譚紅蓮([[集英社]])全1巻 * FEAR 恐怖という名のコミック([[白泉社]])全1巻 * 闇咲くりんどう(ぶんか社)全1巻 * 永久保貴一の極めて怖い話(白泉社)全1巻 * 稲川怪談 呪われた旅館にて([[角川書店]])全1巻 原作:稲川淳二 * 人形供養 永久保怪異傑作集(秋田書店)全1巻 * 闇の考証 -永久保異聞([[朝日新聞出版]] ほん怖コミックス) * 「カルラ舞う!」式巡礼(秋田書店)監修:ほしの ** 「カルラ舞う!」式パワースポット巡礼 全1巻 ** 「カルラ舞う!」式開運巡礼 全1巻 * 永久保交幽録(ぶんか社コミックス) ** 永久保交幽録 琉球[[ユタ]]・はる 全1巻 監修:はる ** 永久保交幽録 沖縄編 全1巻 監修:はる ** 永久保交幽録 座敷童子の謎 全1巻 ** 永久保交幽録 沖縄聖地編 全1巻 監修:はる * [[生き人形|続・生き人形 完全版]]([[ホーム社]]漫画文庫)全1巻 * 永久保貴一の封じられた霊能力([[大都社]] ダイトコミックス)全1巻 * 密教僧 秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅(朝日新聞出版 HONKOWAコミックス)全5巻 * 阿闍梨蒼雲 霊幻怪異始末(朝日新聞出版 HONKOWAコミックス)全5巻 * 咲良の居酒屋歳時奇(秋田書店 ボニータ・コミックス)全3巻 * 東京開運散歩 芝・浅草 (白泉社 花とゆめCOMICS) 全1巻 監修:ほしの === 原作 === * [[御石神落とし]](白泉社)全8巻 作画:[[増田剛]] * 鏡の巫女アヤカ(秋田書店)全5巻 作画:[[白井幸子]] ** 鏡の巫女アヤカ 黒い薔薇十字(秋田書店)1巻 作画:白井幸子 * えっちの神さま!(白泉社)全2巻 作画:増田剛 * 武闘占術伝ヒイロとナナシ(秋田書店)1巻 作画:[[とうじたつや]] * 超訳・[[伊勢物語]] 月やあらぬ([[芳文社]]) 作画:[[紅林直]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://nagakuboinfo.wixsite.com/nagakuboinfowebpage 永久保本舗] * {{Twitter|name=永久保貴一}} * {{マンガ図書館Z作家|725}} * [https://iss.ndl.go.jp/books?ar=4e1f&rft.au=%E6%B0%B8%E4%B9%85%E4%BF%9D%E8%B2%B4%E4%B8%80&search_mode=advanced 永久保貴一 国立国会図書館サーチ] {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:なかくほ たかかす}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本の漫画原作者]] [[Category:ホラーに関連する人物]] [[Category:横浜市出身の人物]] [[Category:1960年生]] [[Category:存命人物]]
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中崎タツヤ
中崎 タツヤ(なかざき タツヤ、1955年8月11日 - )は、日本の漫画家。愛媛県西予市生まれ、愛知県育ち。名古屋市立工芸高等学校卒業。 1978年、『無題』(『週刊漫画TIMES』)でデビュー。代表作に『身から出た鯖』『じみへん』など。いわゆる不条理漫画ブームの頃に登場したが、逆に条理を徹底的に詰めるスタイルを好み、登場人物が議論したり自問自答したりする描写が多い。代表作の『じみへん』というタイトルはジミ・ヘンドリックスの通称から取ったもの。 作品にスクリーントーンをほとんど使用せず、使用した際にコマ枠に「トーン初使用」と走り書きをしたこともある。 1992年、『問題サラリーMAN』で第38回文藝春秋漫画賞受賞。また、TBS系の単発特別番組枠「THE・プレゼンター」で『中崎タツヤスーパー ギャグシアター』として、作品の一部がオムニバス形式でアニメ化された。その際に、作者本人も後ろ姿だけではあるが登場した。キャストは三宅裕司や小倉久寛、劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)が出演。ビデオ化もされている。 競輪が趣味と公言しており、作中人物の苗字に競輪選手のもの(吉岡、神山など)が使われることがある。スポーツ観戦も趣味で、日本プロサッカーリーグの湘南ベルマーレのファンである。 1995年に夫婦でお遍路を経験。この体験はその後の作品でも時折とりあげられている。 ミニマリストという語が生まれるはるか前から同様の生活スタイルを取っている。不要になるとすぐに物を捨てる性格で、仕事場にも物がほとんどない。そのためすぐに引っ越しができ、頻繁に引っ越すことでも知られる。 2000年より、『ビッグコミックスピリッツ』の公式サイトにて「中崎タツヤ日記」を連載していた。他の作家の日記更新が滞る中で、中崎の日記は更新が頻繁で長期の連載となった。しかし、2009年9月の日記のあとは、2010年に編集担当者が『じみへん』1000回記念プレゼントのお知らせを投稿したのが最後の日記となった。 2015年8月、還暦を機に断筆し、『じみへん』の連載も終了。前述した性格のため、執筆道具も廃棄する予定とのこと。 2016年、『じみへん』が第20回手塚治虫文化賞・短編賞を受賞。 漫画家の浜岡賢次は中崎のギャグにおける間と作風を理想に挙げている。作品自体は少年漫画ということあり直接似た点は少ないが、単行本のフィルアップ4コマなどでオマージュが捧げられている。
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中崎 タツヤは、日本の漫画家。愛媛県西予市生まれ、愛知県育ち。名古屋市立工芸高等学校卒業。
{{Infobox 漫画家 | 本名 = | 生地 = {{flagicon|Japan}} [[愛媛県]][[西予市]] | 没地 = | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1955|8|11}} | 没年 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1978年]] - [[2015年]] | ジャンル = [[ギャグ漫画]]<br/>[[ギャグ漫画#不条理ギャグ|不条理漫画]] | 代表作 = 『[[じみへん]]』 | 受賞 = | 公式サイト = }} {{存命人物の出典明記|date=2012年9月}} '''中崎 タツヤ'''(なかざき タツヤ、[[1955年]][[8月11日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。 [[愛媛県]][[西予市]]生まれ、[[愛知県]]育ち。[[名古屋市立工芸高等学校]]卒業。 == 概要 == [[1978年]]、『無題』(『[[週刊漫画TIMES]]』)でデビュー。代表作に『身から出た鯖』『[[じみへん]]』など。いわゆる[[ギャグ漫画#不条理ギャグ|不条理漫画]]ブームの頃に登場したが、逆に条理を徹底的に詰めるスタイルを好み、登場人物が議論したり自問自答したりする描写が多い。代表作の『じみへん』というタイトルは[[ジミ・ヘンドリックス]]の通称から取ったもの。 作品に[[スクリーントーン]]をほとんど使用せず、使用した際にコマ枠に「トーン初使用」と走り書きをしたこともある。 [[1992年]]、『問題サラリーMAN』で第38回[[文藝春秋漫画賞]]受賞。また、[[TBSテレビ|TBS]]系の[[単発特別番組枠]]「[[THE・プレゼンター]]」で『[[中崎タツヤ スーパーギャグシアター]]』として、作品の一部がオムニバス形式でアニメ化された。その際に、作者本人も後ろ姿だけではあるが登場した。キャストは[[三宅裕司]]や[[小倉久寛]]、劇団[[スーパー・エキセントリック・シアター]](SET)が出演。ビデオ化もされている。 [[競輪]]が趣味と公言しており、作中人物の苗字に競輪選手のもの(吉岡・神山など)が使われることがある。スポーツ観戦も趣味で、[[日本プロサッカーリーグ]]の[[湘南ベルマーレ]]のファンである[https://web.archive.org/web/20071030210734/http://spi-net.jp/cgi-bin/inspi_diary/View.cgi?CT=tatu&RN=00001&LP=15]。 [[1995年]]に夫婦でお遍路を経験。この体験はその後の作品でも時折とりあげられている。 ミニマリストという語が生まれるはるか前から同様の生活スタイルを取っている。不要になるとすぐに物を捨てる性格で、仕事場にも物がほとんどない。そのためすぐに引っ越しができ、頻繁に引っ越すことでも知られる。 [[2000年]]より、『[[ビッグコミックスピリッツ]]』の公式サイトにて「中崎タツヤ日記」を連載していた。他の作家の日記更新が滞る中で、中崎の日記は更新が頻繁で長期の連載となった。しかし、2009年9月の日記のあとは、[[2010年]]に編集担当者が『じみへん』1000回記念プレゼントのお知らせを投稿したのが最後の日記となった。 [[2015年]]8月、[[還暦]]を機に断筆し、『じみへん』の連載も終了。前述した性格のため、執筆道具も廃棄する予定と報じられた<ref>[https://natalie.mu/comic/news/158131 中崎タツヤが描くシュールギャグ「じみへん」最終巻発売、26年連載の長寿作] - コミックナタリー 2015年8月28日</ref>。 [[2016年]]、『じみへん』が第20回[[手塚治虫文化賞]]・短編賞を受賞<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/185186|title=手塚治虫文化賞大賞は「鼻紙写楽」&「よつばと!」、新生賞に安藤ゆき|newspaper=コミックナタリー|date=2016-04-27|accessdate=2016-04-27}}</ref>。 == 影響 == 漫画家の[[浜岡賢次]]は中崎のギャグにおける間と作風を理想に挙げている。作品自体は少年漫画であるため、直接似た点は少ないが、単行本のフィルアップ4コマなどでオマージュが捧げられている。 == 作品リスト == === 漫画作品 === * [[じみへん]] * 問題サラリーMAN * 身から出た鯖 * [[中崎タツヤ作品集]] * [[男の生活]] * [[ひつこいんだから]](全1巻) === テレビアニメ === * [[中崎タツヤ スーパーギャグシアター]] === エッセイ === *もたない男([[飛鳥新社]]のち新潮文庫) == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Wayback |url=http://spi-net.jp/spi/inspi_diary/tatu_sakka.htm |title=SPINET-INSIDE SPIRITS > スピリッツ連載作家 DIARY > 『じみへん』の中崎タツヤ日記 |date=20140625113050 }} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:なかさき たつや}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:愛媛県出身の人物]] [[Category:愛知県出身の人物]] [[Category:1955年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:シンプルライフ]]
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永田トマト
永田 トマト(ながた トマト、1959年 - )は、日本の漫画家。静岡県静岡市出身。 デビュー作は『ガロ』(青林堂)の『街をきれいに』(1978年12月号、永田真人名義)。 その後、『ガロ』や『劇画ジャンプ』(サン出版)などに読切、また月刊グラビア誌であるDon't(サン出版)に解説マンガを掲載していたが、『モーニング』(講談社)にも短編作品が掲載されていた事がある。 代表作である『YOUNG BLOOD』は1987年より『ヤングサンデー』(小学館)にて連載された作品。 現在も『漫画ゴラク』(日本文芸社)などで随時活躍するほか、パチスロマンガ誌などに永田眞人名義で読切を掲載している。
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永田 トマトは、日本の漫画家。静岡県静岡市出身。 デビュー作は『ガロ』(青林堂)の『街をきれいに』(1978年12月号、永田真人名義)。 その後、『ガロ』や『劇画ジャンプ』(サン出版)などに読切、また月刊グラビア誌であるDon't(サン出版)に解説マンガを掲載していたが、『モーニング』(講談社)にも短編作品が掲載されていた事がある。 代表作である『YOUNG BLOOD』は1987年より『ヤングサンデー』(小学館)にて連載された作品。 現在も『漫画ゴラク』(日本文芸社)などで随時活躍するほか、パチスロマンガ誌などに永田眞人名義で読切を掲載している。
'''永田 トマト'''(ながた トマト、[[1959年]]<ref name="yb">『YOUNG BLOOD』第1巻 表3 小学館</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[静岡県]][[静岡市]]出身<ref name="yb" />。 デビュー作は『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』([[青林堂]])の『'''街をきれいに'''』<ref name="yb" />([[1978年]]12月号、'''永田真人'''名義<ref name="page">[http://www5e.biglobe.ne.jp/~rolling/GaroChronicle.htm ガロ・クロニクル]</ref>)。 その後、『ガロ』や『[[劇画ジャンプ]]』([[サン出版]])などに読切、また月刊グラビア誌である[[Don't]](サン出版)に解説マンガを掲載していたが、『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』([[講談社]])にも短編作品が掲載されていた事がある。 代表作である『YOUNG BLOOD』は[[1987年]]より『[[ヤングサンデー]]』([[小学館]])にて連載された作品。 現在も『[[漫画ゴラク]]』([[日本文芸社]])などで随時活躍するほか、パチスロマンガ誌などに'''永田眞人'''名義で読切を掲載している。 == 作品リスト == * YOUNG BLOOD * 掌のYesterday * トマト銀行 * 青春の == 脚注 == {{Reflist}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:なかた とまと}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:静岡市出身の人物]] [[Category:1959年生]] [[Category:存命人物]]
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中津賢也
中津 賢也(なかつ けんじ)は、日本の漫画家。「ふぁいてぃんぐ清掃人」で第11回小学館新人コミック大賞に入選し、デビュー。代表作に『黄門★じごく変』『徳川生徒会』、『桃色サバス』など。 オカルトネタやアニメ、時代劇のパロディを多用するハイテンションな学園コメディを得意としていたが、小学館『週刊少年サンデー』系統での初期作品は単行本2巻の連載終了が多く、「2巻漫画家」「2巻作家」とも呼ばれていた。このことは本人もだが、友人の漫画家である島本和彦が『燃えよペン』シリーズでよくネタにしていた。初期作品の特徴として、急に極端なディフォルメのとぼけたギャグを差し込んだり、モブキャラを非人間的キャラクターとして描く傾向があった。 角川書店『月刊コミックコンプ』を経由して、少年画報社『ヤングキング』にようやく定着するも、2007年から2023年までは休業状態だった。 自らは公言していないが、細野不二彦のアシスタント出身。『桃色サバス』文庫版1巻の巻末に細野が描き下ろしで寄稿しており、「最低2年ぐらいは頑張ってね」と声を掛けていたが、すぐに中津の連載が決定し、わずか数ヶ月でアシスタントを辞めたと描かれている。 妻は漫画家の浜田翔子。上條淳士は高校の先輩。
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中津 賢也は、日本の漫画家。「ふぁいてぃんぐ清掃人」で第11回小学館新人コミック大賞に入選し、デビュー。代表作に『黄門★じごく変』『徳川生徒会』、『桃色サバス』など。
{{存命人物の出典明記|date=2016年1月19日 (火) 05:42 (UTC)}} '''中津 賢也'''(なかつ けんじ)は、[[日本]]の[[漫画家]]。「ふぁいてぃんぐ清掃人」で[[小学館新人コミック大賞|第11回小学館新人コミック大賞]]に入選し、デビュー。代表作に『[[黄門★じごく変]]』『[[徳川生徒会]]』、『[[桃色サバス]]』など。 == 概要 == オカルトネタやアニメ、時代劇のパロディを多用するハイテンションな学園コメディを得意としていたが、[[小学館]]『[[週刊少年サンデー]]』系統での初期作品は単行本2巻の連載終了が多く、「2巻漫画家」「2巻作家」とも呼ばれていた。このことは本人もだが、友人の漫画家である[[島本和彦]]が『[[燃えよペン]]』シリーズでよくネタにしていた。初期作品の特徴として、急に極端なディフォルメのとぼけたギャグを差し込んだり、モブキャラを非人間的キャラクターとして描く傾向があった。 [[角川書店]]『[[月刊コミックコンプ]]』を経由して、[[少年画報社]]『[[ヤングキング]]』にようやく定着するも、2007年から2023年までは休業状態だった。 自らは公言していないが、[[細野不二彦]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]出身。『[[桃色サバス]]』文庫版1巻の巻末に細野が描き下ろしで寄稿しており、「最低2年ぐらいは頑張ってね」と声を掛けていたが、すぐに中津の連載が決定し、わずか数ヶ月でアシスタントを辞めたと描かれている。 妻は漫画家の[[浜田翔子 (漫画家) |浜田翔子]]。[[上條淳士]]は高校の先輩。 == 作品リスト == === 読切・短期連載作品 === * にゅうたあHERO(『[[週刊少年サンデー]]』1984年41.42号)- 『ふぁいてぃんぐスイーパー』に収録。 * 桃(『[[ビッグコミックスピリッツ]]』1986年3号) * 愛と悲しみのマンボ(『週刊ビッグコミックスピリッツ』1986年)- 短編集『てっぺー参上』に収録。 * せいけつ学園戦記(『[[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊号]]』1987年5月号)- 短編集『てっぺー参上』『ふぁいてぃんぐスイーパー(愛蔵版)』に収録。 * SNOW WHITE 疾風怒濤(1988年、『週刊少年サンデー スペシャル増刊号』)- 短編集『てっぺー参上』に収録。 * てっぺー参上(1989年、『[[月刊コミックコンプ|月刊コミックコンプティーク]]』創刊号.創刊2号)- 角川コンプコミックスより短編集『てっぺー参上』として刊行。 * 源平討魔伝(1988年、『増刊[[マル勝ファミコン]] コミックスペシャル』掲載)- 短編集『てっぺー参上』に収録。 * ハイランダー<悪魔の雀士>(『[[別冊近代麻雀]]』1989年2・3月号)- 短編集『てっぺー参上』に収録。 * 快傑イーピン・ゴッド(『別冊近代麻雀』1989年11・12月号)- 『桃色サバス』に収録。 * 戦え!! 清掃人 1-3(1992年、[[竹書房]])- 『ふぁいてぃんぐスイーパー(愛蔵版)』に収録。 * ふぁいてぃんぐスイーパー(1995年、ヤングキング増刊OURS、No.14)- 『ふぁいてぃんぐスイーパー(愛蔵版)』に収録。 * マジメに占ってもらいました 9(2023年、『ホラーシルキー』Vol.21<ref>{{Cite web|和書|title=「ホラー シルキー Vol.21」 23年4月19日配信スタート! |url=https://www.hakusensha.co.jp/news/66697/ |website=白泉社 |access-date=2023-08-26 |language=ja}}</ref>) * 桃色スレイマン(2023年、『ホラーシルキー』Vol.23<ref>{{Cite web|和書|title=「ホラー シルキー Vol.23」 23年8月16日配信スタート! |url=https://www.hakusensha.co.jp/news/68372/ |website=白泉社 |access-date=2023-08-26 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=お仕事情報|中津賢也|pixivFANBOX |url=https://nakatsu.fanbox.cc/posts/6510819 |website=pixivFANBOX |access-date=2023-08-26 |language=ja}}</ref>) === 連載作品 === * [[ふぁいてぃんぐスイーパー]](1985年、1988年、『[[週刊少年サンデー]]』連載) - 1984年12号から連載。全2巻だったが、1988年に単行本未収録分をまとめた3巻が発売された。1996年、[[ヤングキング|YKコミックス]]より愛蔵版が刊行。 * [[黄門★じごく変]](1985年 - 1986年、『[[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊号]]』連載) - 1985年2月号から連載。全2巻。 * [[徳川生徒会]](1987年 - 1988年、『週刊少年サンデー増刊号』連載) - 1986年4月号から連載。全2巻。 * ちぇりーげいる金(1989年 - 1991年、『[[月刊コミックコンプ]]』連載) - 全2巻。 * めたもる伊介(1990年、『月刊コミックコンプ』連載)- 掲載誌休刊により未完。単行本未収録のエピソードあり。全2巻。 * God(1992年、角川書店) - 単行本はYKコミックスより『Gods』のタイトルで刊行。全1巻。 * [[桃色サバス]](1992年 - 1997年、『[[ヤングキング]]』連載) - 全12巻。 * [[妖怪仕置人]](1997年 - 2003年、『ヤングキング』連載) - 全13巻。 * [[大江戸せくすぽっぷ]](2006年 - 2007年、『ヤングキング』連載) - 全2巻。 == 脚注 == {{reflist}} == 外部リンク == * {{マンガ図書館Z作家|1048}} * pixivFANBOX - [https://nakatsu.fanbox.cc/ 中津賢也] {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:なかつ けんし}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:存命人物]] [[Category:成人向け漫画家]]
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ながてゆか
ながて ゆか(7月16日 - )は、日本の漫画家。女性。愛知県出身。茨城大学教育学部美術科卒業。「凶刃」で講談社新人漫画賞に入選し、デビュー。代表作は『週刊少年マガジン』(講談社)に連載された「TENKAFUBU 信長」。劇画調の画風が特徴。 2015年3月連載開始の『ギフト±』よりナガテ ユカのペンネームを使用。以降、作風によってペンネームを使い分けるとしている。 大学在学中には約半年間、漫画家のアシスタントを務めていた。大学卒業直後に連載開始した「TENKAFUBU 信長」は、結果的に約2年間の連載となった。次の連載作品「PEAK」は短期で終了。 その後スランプに陥り、機会があって2003年からニューヨークに留学した。現地での漫画家活動のためのビザの取得が困難だったため、2006年に帰国。再び日本での漫画家活動を再開し、『週刊コミックバンチ』にて「北斗の拳」のトキを主人公にしたスピンオフ作品「銀の聖者 北斗の拳 トキ外伝」(原案:武論尊・原哲夫)の連載を始めた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ながて ゆか(7月16日 - )は、日本の漫画家。女性。愛知県出身。茨城大学教育学部美術科卒業。「凶刃」で講談社新人漫画賞に入選し、デビュー。代表作は『週刊少年マガジン』(講談社)に連載された「TENKAFUBU 信長」。劇画調の画風が特徴。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2015年3月連載開始の『ギフト±』よりナガテ ユカのペンネームを使用。以降、作風によってペンネームを使い分けるとしている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "大学在学中には約半年間、漫画家のアシスタントを務めていた。大学卒業直後に連載開始した「TENKAFUBU 信長」は、結果的に約2年間の連載となった。次の連載作品「PEAK」は短期で終了。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "その後スランプに陥り、機会があって2003年からニューヨークに留学した。現地での漫画家活動のためのビザの取得が困難だったため、2006年に帰国。再び日本での漫画家活動を再開し、『週刊コミックバンチ』にて「北斗の拳」のトキを主人公にしたスピンオフ作品「銀の聖者 北斗の拳 トキ外伝」(原案:武論尊・原哲夫)の連載を始めた。", "title": "略歴" } ]
ながて ゆかは、日本の漫画家。女性。愛知県出身。茨城大学教育学部美術科卒業。「凶刃」で講談社新人漫画賞に入選し、デビュー。代表作は『週刊少年マガジン』(講談社)に連載された「TENKAFUBU 信長」。劇画調の画風が特徴。 2015年3月連載開始の『ギフト±』よりナガテ ユカのペンネームを使用。以降、作風によってペンネームを使い分けるとしている。
'''ながて ゆか<!--漢字表記は公式情報なし-->'''(<!--[[1973年]]←生年は公式情報なし-->[[7月16日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。女性。[[愛知県]]出身。[[茨城大学]][[教育学部]]美術科卒業<ref name="blog060305">{{Cite web|和書|url=http://yukanagate.blog22.fc2.com/blog-entry-66.html |title=2006年3月5日付作者ブログ |accessdate=2008年1月12日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080705092005/http://yukanagate.blog22.fc2.com/blog-entry-66.html |archivedate=2008年7月5日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>。「凶刃」で講談社新人漫画賞に入選し、デビュー。代表作は『[[週刊少年マガジン]]』([[講談社]])に連載された「TENKAFUBU 信長<ref>版元である講談社のWebサイト上でも、"TENKA" と "FUBU" の間にスペースを入れて "TENKA FUBU" と綴るような表記ゆれが存在する。</ref>」。[[劇画]]調の画風が特徴。 2015年3月連載開始の『[[ギフト±]]』より'''ナガテ ユカ'''のペンネームを使用。以降、作風によってペンネームを使い分けるとしている。 == 略歴 == 大学在学中には約半年間、漫画家の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を務めていた<ref name = "blog060305"/><!--(なお、[[いもとさちこ]]の「FLIP」2巻あとがきにおいて、スタッフの一人に「長手ユカ」の名前が記されている)←公式情報なし-->。大学卒業直後に連載開始した<ref name="blog060222-2">{{Cite web|和書|url=http://yukanagate.blog22.fc2.com/blog-entry-52.html |title=2006年2月22日作者ブログ(2) |accessdate=2008年1月12日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080705092021/http://yukanagate.blog22.fc2.com/blog-entry-52.html |archivedate=2008年7月5日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>「TENKAFUBU 信長」は、結果的に約2年間の連載となった。次の連載作品「PEAK」は短期で終了。 その後スランプに陥り<ref name = "blog060222-2"/>、機会があって2003年から[[ニューヨーク]]に留学した。現地での漫画家活動のための[[査証|ビザ]]の取得が困難だったため<ref name="blog060222-1">{{Cite web|和書|url=http://yukanagate.blog22.fc2.com/blog-entry-51.html |title=2006年2月22日作者ブログ(1) |accessdate=2008年1月12日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080705092029/http://yukanagate.blog22.fc2.com/blog-entry-51.html |archivedate=2008年7月5日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>、2006年に帰国。再び日本での漫画家活動を再開し、『[[週刊コミックバンチ]]』にて「[[北斗の拳]]」の[[トキ (北斗の拳)|トキ]]を主人公にした[[スピンオフ]]作品「[[銀の聖者 北斗の拳 トキ外伝]]」(原案:[[武論尊]]・[[原哲夫]])の連載を始めた。 == 作品リスト == === 漫画 === * 凶刃(1995年、[[週刊少年マガジン新人漫画賞]]入選、読み切り) * TENKAFUBU 信長(『週刊少年マガジン』1996年23号 - 1998年6号連載。マガジンKC刊、全9巻) * PEAK(原作:[[横山秀夫]] 『週刊少年マガジン』2000年35号 - 49号連載。マガジンKC刊、全2巻) * 銀の聖者 北斗の拳 トキ外伝(原案:[[武論尊]]・[[原哲夫]] 『週刊コミックバンチ』2007年39号 - 2008年52号、バンチコミックス刊、全6巻) * やいばのした(『週刊コミックバンチ』2009年52号、読み切り) * 蝶獣戯譚(『週刊コミックバンチ』2010年21・22合併号 - 2010年39号連載。バンチコミックス刊、SPコミックスより新装版、共に全2巻) * ミサキの境界線(ボーダーライン)(『[[週刊漫画ゴラク]]』2011年2月4日号、読み切り) * 蝶獣戯譚II(『[[コミック乱]]』2011年5月号 - 2013年7月号連載。SPコミックス刊、全5巻) * SILENCER(原作:[[武論尊|史村翔]] 『[[ビッグコミックスペリオール]]』2012年16号 - 2014年9号。ビッグコミックス刊、全4巻) * 蜂とロシアン・ルーレット(『ビッグコミックスペリオール』2015年3号、読み切り) * [[ギフト±]](『週刊漫画ゴラク』2015年4月3日号<ref name="natalie20150320">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/141437|title=ながてゆかがペンネーム変更しゴラクで新連載、「銀牙伝説 赤目」は完結|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2015-03-20|accessdate=2022-08-19}}</ref> - 2022年9月2日号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/490268|title=ナガテユカ「ギフト±」ゴラクで完結、臓器売買の闇をめぐる社会派ミステリー|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-08-19|accessdate=2022-08-19}}</ref>、ニチブンコミックス刊、全26巻、「ナガテユカ」名義{{R|natalie20150320}}) === イラスト === * 愛される資格(作:[[樋口毅宏]] 週刊ポスト連載) == 脚注 == <references/> == 外部リンク == * {{Wayback|url=http://yukanagate.net/|title=ナガテユカ&ながてゆか オフィシャルサイト}} * {{twitter|nagate_yuka|ナガテユカ(ながてゆか)}} * {{facebook|Nagateyuka}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:なかて ゆか}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:茨城大学出身の人物]] [[Category:愛知県出身の人物]] [[Category:存命人物]]
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中西やすひろ (漫画家)
中西 やすひろ(なかにし やすひろ、1957年4月13日 - )は、日本の漫画家。 脚本家の中西やすひろとは別人。 福岡県福岡市出身。本名、中西泰博。武蔵野美術大学卒業。 『僕の彼女はスーパービューティー』でデビュー。ハーレムものに近いラブコメディを描くのを得意とする。成年漫画スレスレの性描写を盛り込ませた作品が多いが、2004年の『幸せレストラン』以降、料理をメインテーマに据えた作品を発表している。代表作の『Oh!透明人間』は、2010年と2014年に実写映画(オリジナルビデオ)化された。 高校生の頃「りぼん」に感化され、少女漫画家を志す。恋愛漫画を描くつもりだったが、編集部から「透明人間もの」を提示され、更にお色気路線で行くことになった。 こうして始まった『Oh!透明人間』(1982年 - )は読者アンケートでは常時1位となり、月マガの表紙も度々飾った。月マガ初期の功労者的存在でもあった。『Oh!透明人間』がこの時代の金字塔マンガになった為、お色気ラブコメ漫画の巨匠と称されることがある。掲載誌の月刊少年マガジンは連載開始時の17万部が、5年後に120万部と大幅に部数を伸ばし、編集長は「透明人間の貢献が大」と述べた。しかし、過労で体調を崩し連載は中止となってしまった。 月刊少年マガジン創刊40周年記念特別企画(2017年8月号)として中西の『Oh!透明人間』と上村純子の『いけない!ルナ先生』のコラボ読み切り漫画が掲載され、大きな反響を呼んだ。 第1弾 坂本冬美物語 第2弾 水森かおり物語 第3弾 山内惠介物語 (少年画報社マンガDX+、連載中)
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中西 やすひろは、日本の漫画家。 脚本家の中西やすひろとは別人。
{{存命人物の出典皆無|date=2015年1月19日 (月) 13:35 (UTC))}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 中西 やすひろ | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = 中西 泰博 | 生地 = {{JPN}}・[[福岡県]][[福岡市]] | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1957|4|13}} | 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|1957|4|13|****|**|**}} --> | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = | ジャンル = [[青年漫画]] | 代表作 = [[Oh!透明人間]] | 受賞 = | サイン = | 公式サイト = }} '''中西 やすひろ'''(なかにし やすひろ、[[1957年]][[4月13日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。 [[脚本家]]の[[中西やすひろ (脚本家)|中西やすひろ]]とは別人。 == 人物 == [[福岡県]][[福岡市]]出身。本名、中西泰博。[[武蔵野美術大学]]卒業。 『僕の彼女はスーパービューティー』でデビュー。[[ハーレムもの]]に近い[[ラブコメディ]]を描くのを得意とする。[[成年漫画]]スレスレの性描写を盛り込ませた作品が多いが、2004年の『幸せレストラン』以降、[[料理]]をメインテーマに据えた作品を発表している。代表作の『[[Oh!透明人間]]』は、2010年と2014年に実写映画([[オリジナルビデオ]])化された<ref>2010年公開の第1作は、厳密にはオリジナルビデオ作品の特別上映として劇場公開された(単館にて2日間)。2014年の第2作は、前作同様の制作体制ではあるものの、7日間劇場公開された(単館上映)。なお、いずれの作品も公式サイトでは「映画」と銘打たれている[http://www.interfilm.co.jp/tohmeiningen/index.html][http://www.oh-tohmeiningen-movie.com/]。</ref>。 高校生の頃「[[りぼん]]」に感化され、少女漫画家を志す。恋愛漫画を描くつもりだったが、編集部から「[[透明人間]]もの」を提示され、更にお色気路線で行くことになった。 こうして始まった『Oh!透明人間』(1982年 - )は読者アンケートでは常時1位となり、月マガの表紙も度々飾った。月マガ初期の功労者的存在でもあった。『Oh!透明人間』がこの時代の金字塔マンガになった為、お色気ラブコメ漫画の巨匠と称されることがある。掲載誌の月刊少年マガジンは連載開始時の17万部が、5年後に120万部と大幅に部数を伸ばし、編集長は「透明人間の貢献が大」と述べた。しかし、過労で体調を崩し連載は中止となってしまった。 月刊少年マガジン創刊40周年記念特別企画(2017年8月号)として中西の『Oh!透明人間』と[[上村純子]]の『[[いけない!ルナ先生]]』のコラボ読み切り漫画が掲載され、大きな反響を呼んだ。 == 作品リスト == === 漫画作品 === * [[Oh!透明人間]]([[月刊少年マガジン]]、全11巻、ワイド版全3巻) ** Oh!透明人間21([[スーパージャンプ]]→[[オースーパージャンプ]]、全8巻) ** 新Oh!透明人間([[週刊実話]]、[[コンビニコミック|廉価版]]上下巻) * [[温泉へゆこう!]](スーパージャンプ、全13巻) * [[めぐり愛ハウス]](月刊少年マガジン、全6巻) * [[はやく起きてヨ!]](全6巻) * [[愛DON'T恋]]([[ヤングキング]]、全12巻) * [[いけないDAY DREAM]](全3巻) * [[くらくらパラダイス]](全2巻) * [[B.C.トライアングル]](全3巻) * [[バーディーバーディー]](全6巻) * [[おさわがせラスベガス学園]](全2巻) * [[美由紀におまかせ!]](全2巻) * [[愛して恋|ウォッチ・シュワッチ愛して恋]](全1巻) * [[幸せレストラン]](ヤングキング、全5巻) * [[ビタミンガール! 管理栄養士真理ちゃん]](オースーパージャンプ、全1巻) * [[おでん (漫画)|おでん]](ヤングキング、既刊1巻・以下未刊) * [[ハッピーポール]](全1巻) * [[変身したらヤリ放題! -マニアック・ウルフ-]]([[講談社マガジンポケット]]、連載中) * [[小夜子と小陽子(さよことさよこ) -dark and shine- ]]([[少年画報社・漫画DX+|少年画報社マンガDX+]]、全12話) *演歌漫画特集(作画担当) 第1弾 [[坂本冬美物語]] 第2弾 [[水森かおり物語]] 第3弾 [[山内惠介物語]] ([[少年画報社・漫画DX+|少年画報社マンガDX+]]、連載中) ==出演== * [[もう!バカリズムさんのドH!|もう!バカリズムさんのH!]](2014年3月23日、[[NOTTV]]) ** Hなおっぱいの描き方を学ぶ == その他 == * 週刊誌 [[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]] 2015年12月22日号の「お色気マンガベスト10」に『Oh!透明人間』がランクインし、コメントした。 == 脚注 == <references /> {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:なかにし やすひろ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:武蔵野美術大学出身の人物]] [[Category:福岡市出身の人物]] [[Category:存命人物]] [[Category:1957年生]] == 外部リンク == * {{Twitter|oh_toumeiningen|中西やすひろ}}
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永野あかね
永野 あかね(ながの あかね、1969年2月11日 - )は、日本の漫画家。女性。東京都出身、武蔵野美術短期大学卒業。血液型はA型。 1987年、ラポート社のファンロード誌でデビュー。1988年、『サティにぱにっく』が第40回週刊少年マガジン新人漫画賞で佳作、『トラブルTIMEトラベル』が第41回同漫画賞で佳作を受賞。講談社の『少年マガジンスペシャル』で『猫でごめん!』を初連載。 少年向け漫画から、次第に青年漫画に活動の場を移している。 熱心な阪神ファンとして知られている。無類の柴犬好き。運動好きでもあり2006年、ホノルルマラソンを完走した。
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永野 あかねは、日本の漫画家。女性。東京都出身、武蔵野美術短期大学卒業。血液型はA型。
{{存命人物の出典明記|date=2021年1月14日 (木) 16:55 (UTC)}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 永野 あかね | 画像 = <!-- 画像ファイル名 --> | 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px --> | 脚注 = <!-- 画像の説明文 --> | 本名 = <!-- 必ず出典を付ける --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1969|02|11}} | 生地 = {{JPN}}・[[東京都]] | 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|1969|02|11|YYYY|YY|YY}} --> | 没地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 --> | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 職業 = [[漫画家]] | 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 --> | 活動期間 = [[1987年]] - | ジャンル = [[少年漫画]]<br />[[青年漫画]] | 代表作 = 『[[猫でごめん!]]』<br />『[[ふぁんたじあ]]』 | 受賞 = 第40回[[週刊少年マガジン新人漫画賞]](『サティにぱにっく』)<br />第41回週刊少年マガジン新人漫画賞(『トラブルTIMEトラベル』) | サイン = <!-- 画像ファイル名 --> | 公式サイト = [http://www.diana.dti.ne.jp/~akane-n/ 永野あかね 公式ウェブサイト <br/>『 RED SOUND 』] {{ja icon}} }} '''永野 あかね'''(ながの あかね、[[1969年]][[2月11日]]{{R|mangapedia}} - )は、[[日本]]の[[漫画家]]<ref name="mangapedia">{{Cite web|和書|url=https://mangapedia.com/永野あかね-1yr4aqkn7|title=永野 あかね(漫画家)|website=マンガペディア|accessdate=2022-01-03}}</ref>。女性{{R|mangapedia}}。[[東京都]]出身{{R|mangapedia}}、[[武蔵野美術大学|武蔵野美術短期大学]][[卒業]]。[[ABO式血液型|血液型]]はA型。 == 来歴 == 1987年、[[ラポート]]社の[[ファンロード]]誌で[[デビュー]]{{R|mangapedia}}。1988年、『サティにぱにっく』が第40回[[週刊少年マガジン新人漫画賞]]で佳作、『トラブルTIMEトラベル』が第41回同漫画賞で佳作を受賞{{R|mangapedia}}。[[講談社]]の『[[マガジンSPECIAL|少年マガジンスペシャル]]』で『[[猫でごめん!]]』を初連載。 少年向け漫画から、次第に[[青年漫画]]に活動の場を移している。 {{要出典範囲|date=2022-01-03|熱心な[[阪神ファン]]として知られている。無類の柴犬好き。運動好きでもあり[[2006年]]、[[ホノルルマラソン]]を完走した。}} == 作品リスト == === 連載中 === * Road to ぷ女子 「[[プロレスTODAY]]」(リアルクロス) 2016年9月29日 - 連載中 === 書籍 === * [[猫でごめん!]] 「[[週刊少年マガジン]]他」1989年 - 1993年([[講談社]]) 全8巻 * 戦争同盟 「[[ファンロード]]他」([[ラポート]]) * コンバット☆ハイスクール 「週刊少年マガジン」(講談社) 原案協力:[[毛利元貞]] * [[ふぁんたじあ]] 「[[コミックガンマ]]」([[竹書房]]) 1992年春号 - 、全5巻 * [[ぱぴるす戦士ライフマン!]] 「[[月刊コミックNORA]]」([[学研ホールディングス|学習研究社]]) * ぴ・あ・す 1(ファースト) 「コミックマスター」(ホビージャパン) * ARMS SPECIAL SCHOOL 「アームズマガジン」([[ホビージャパン]]) 原案協力:毛利元貞 * パワくり 「[[ナマイキッ!|Namaikiッ!]]」(竹書房) * P-nuts 「[[ヤングコミック]]」([[少年画報社]]) * みんなのおふろ 「Namaikiッ!」(竹書房) * プチりんく 「Dokiッ!スペシャル」(竹書房) * [[ぼくのアイドル]] 「ヤングアニマル嵐」(白泉社) ** [[ぼくのアイドル|トキメキとらいあんぐる]] 「ヤングアニマル嵐」(白泉社) * ラブケア(竹書房) * カナ式!ラジオスター 「ヤングアニマル嵐」(白泉社) 原作:[[花崎圭司]] * おとミヤ! 「Dokiッ!スペシャル」2007年3月号 - 2008年12月号([[竹書房]])、全2巻{{Efn|[[最終回|最終話]]までではなく、途中までのみ収録。}} * セイギクラブ 「[[コミックマーブル]]」(竹書房) 連載 「P.M. プロジェクト・メサイア」から改題{{Efn|1巻の巻数表示があるが、1巻しか発売されていない。}} * 絶対領域プリンセス スイートホーリー ([[朝日新聞出版]]){{Efn|連載されていたのは「ウェブコミック[[MiChao!]]」([[講談社]])}}、全2巻 * コイバナ診察室(竹書房)全2巻 * 一棒五穴 ~私を選んでね~(竹書房) * はらたまきよたま(講談社) === 短編作品 === * サティにぱにっく * トラブルTIMEトラベル * 月のメランコリー * C-mode 「[[コミックバウンド]]」([[エニックス]]) === 未単行本化作品 === * TAC98 「アームズマガジン」(ホビージャパン) 原案協力:毛利元貞 * あいチャンネル 「[[ヤングチャンピオン烈]]」([[秋田書店]]) 2006年Vol.1(創刊号) - 2007年Vol.8連載 === その他の活動 === * じょっぱりおはスタ島 「[[コンプティーク]]」([[角川書店]]) にて挿絵と[[4コマ漫画]]を執筆 * 趣味的活動として毎年コミケに作り手側として参加 * [[1999年]](平成11年) - [[2005年]](平成17年) WEBサイト「月間モピー星人」にてWEB漫画「裸の美少女」執筆 * アイドルの宣伝冊子「超月刊[[バニラビーンズ]]」に[[4コマ漫画]]「レナのつぶやき」執筆 == アシスタント == * [[さとうふみや]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://www.diana.dti.ne.jp/~akane-n/ 永野あかね 公式ウェブサイト 『 RED SOUND 』] {{ja icon}} * [https://akane-n.blog.ss-blog.jp/ あかねのダラダラダイアリィ] {{ja icon}}(2009年5月19日 22時44分 - 2016年1月23日 12時02分) * {{Twitter|AkaneNagano|永野あかね}} {{ja icon}}(2010年2月27日 14時30分 - ) * {{note.com|akane_n|永野あかね}} * {{マンガ図書館Z作家|68}} * [http://www2u.biglobe.ne.jp/~kenboh/comic/akane_nagano/ 永野あかね 普及委員会] {{ja icon}}(2001年5月10日 - 2006年8月18日) {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:なかの あかね}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:武蔵野美術大学出身の人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1969年生]] [[Category:存命人物]]
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中原れい
中原 れい(なかはら れい、1964年3月17日 - )は、日本の漫画家、メカニックデザイナー、演出家。東京都出身。 プロデビューは模型雑誌「デュアルマガジン」の漫画「デロイアナナちゃん」から。当時はあむろ・れいというペンネームだった。 稀に絵コンテを書くこともある。
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中原 れいは、日本の漫画家、メカニックデザイナー、演出家。東京都出身。 プロデビューは模型雑誌「デュアルマガジン」の漫画「デロイアナナちゃん」から。当時はあむろ・れいというペンネームだった。 稀に絵コンテを書くこともある。
{{redirect|あむろ・れい|[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]『[[機動戦士ガンダム]]』の主人公|アムロ・レイ}} {{存命人物の出典皆無|date=2012年2月}} '''中原 れい'''(なかはら れい、[[1964年]][[3月17日]] - )は、日本の[[漫画家]]、[[メカニックデザイン|メカニックデザイナー]]、[[演出家]]。[[東京都]]出身。 プロデビューは[[模型雑誌]]「[[デュアルマガジン]]」の漫画「デロイアナナちゃん」から。当時は'''あむろ・れい'''というペンネームだった。 稀に[[絵コンテ]]を書くこともある。 == デザイン == === テレビアニメ === * [[NG騎士ラムネ&40]] * [[宇宙の騎士テッカマンブレード]] * [[BLUE SEED]] * [[機動戦艦ナデシコ]] * [[ベターマン]] * [[星方天使エンジェルリンクス]] * [[まりんとメラン]] * [[無敵王トライゼノン]] * [[奇鋼仙女ロウラン]] * [[ゼーガペイン]] * [[神曲奏界ポリフォニカ]] * [[真マジンガー 衝撃!Z編 on television]](1話のみ) * [[レベルE]](プロップデザイン) * [[妖狐×僕SS]](妖怪デザイン) * [[ガイストクラッシャー]](サブメカ・プロップデザイン) * [[アサティール 未来の昔ばなし]](絵コンテ〈未来パート〉) * [[MARS RED]](絵コンテ) * [[東京リベンジャーズ]](絵コンテ・演出・作画監督) * [[リーマンズクラブ]](絵コンテ) === OVA === * [[KO世紀ビースト三獣士]] * [[NG騎士ラムネ&40|NG騎士ラムネ&40 EX]] * [[NG騎士ラムネ&40|NG騎士ラムネ&40 DX]] * [[宇宙の騎士テッカマンブレードII]] * [[BLUE SEED]] === 映画 === * [[機動戦艦ナデシコ|機動戦艦ナデシコ The prince of dakness]] * [[ファイナルファンタジー (映画)|FINAL FANTASY]] * [[遊☆戯☆王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS]](プロップデザイン) === 玩具 === * [[ミクロマン200X]](ミクロシスターなど) == 漫画 == * [[デロイアナナちゃん]] * [[機動戦士ガンダムF90]] * [[宇宙の騎士テッカマンブレードII]] * [[機動戦士ガンダム MSジェネレーション]] * [[KO世紀ビースト三獣士]] * [[NG騎士ラムネ&40|NG騎士ラムネ&40 EX2 ユラユラ銀河帝国 大混戦]] * [[ワースブレイド#ワースプロジェクト|聖刻邪塔伝ヴェントストラーダ]] == 絵コンテ・演出 == * [[ゼーガペイン]] (絵コンテ) * [[神曲奏界ポリフォニカ]] (絵コンテ) * [[遊☆戯☆王5D's]] (コンテ) * [[RIDEBACK]] (絵コンテ) * [[真マジンガー 衝撃! Z編|真マジンガー 衝撃! Z編 on television]] (演出チーフ) * [[戦う司書シリーズ|戦う司書 The Book of Bantorra]] (絵コンテ・演出) * [[レベルE]] (絵コンテ) * [[輪廻のラグランジェ|輪廻のラグランジェ season2]] (絵コンテ) * [[百花繚乱 SAMURAI GIRLS|百花繚乱 サムライブライド]] (絵コンテ) * [[革命機ヴァルヴレイヴ]] (演出) * [[ガイストクラッシャー]] (絵コンテ) * [[ジョジョの奇妙な冒険 (テレビアニメ)|ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース]] (絵コンテ) * [[To LOVEる -とらぶる-|To LOVEる -とらぶる- ダークネス 2nd]] (絵コンテ) * [[WORKING!! (WEB版)|WWW.WORKING!!]] (演出) * [[Lostorage incited WIXOSS|Lostorage conflated WIXOSS]](絵コンテ) * [[魔法少女サイト]](絵コンテ) * [[フルメタル・パニック! Invisible Victory]](演出・メカニック作画監督) * [[殺戮の天使]](絵コンテ) * [[宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち]] (演出) * [[ガンダムビルドダイバーズRe:RISE]](絵コンテ・演出) * [[あひるの空]](絵コンテ・アクション作監) * [[スケートリーディング☆スターズ]](絵コンテ) * 東京リベンジャーズ == 関連人物 == * [[伊東岳彦]] == 外部リンク == * [https://web.archive.org/web/20090511160433/http://www.m-net.ne.jp/~916/ auto strada] - 閉鎖。(2009年5月11日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) {{Manga-artist-stub}} {{Anime-people-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:なかはら れい}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:メカニックデザイナー]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1964年生]] [[Category:存命人物]]
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952
流水凜子
流水 凜子(ながみ りんこ、1962年4月17日 - )は、日本の漫画家。女性。東京都練馬区出身・在住。血液型O型。身長167cm、靴のサイズ25cm。多摩美術大学美術学部絵画学科日本画専攻卒業。趣味は、宝石研磨・鳥カメ昆虫飼育など。 1983年、『魍魎伝説』(廣済堂)で「柳野みずき」名義でデビュー、後に「流水凜子」に改名しホラー漫画を主に活動。代表作に『椰』『インドな日々』『インド夫婦茶碗』など。 バックパッカーとしてインドを旅行していた頃、バラナシの安宿のレストランのマネージャーとして出稼ぎで働いていたクーダトディ・サッシーと出会い、1995年に結婚。長男・長女の2児を儲ける。現在はホラーを描きつつもバックパッカー時代のインドでの経験、また国際結婚や育児を題材としたエッセイ漫画を主として執筆。これらの作品を描く際のペンネームは、ひらがな表記の「流水りんこ」である。 地元は練馬区練馬で豊島園駅がある。姉が1人おり、自伝漫画に母と共によく登場。母は集団疎開経験者で新しモノ好き。「戦争が終わっていい時代になったわね〜」が口癖。父(1993年他界)はサラリーマンで、芸術が趣味。 サッシーは南インド・ケーララ州のアダカプトゥール村で10人兄弟(そのうち4人は夭折)の末子として誕生。その時点で長兄は結婚しており、同い年の甥がいる。流水家に婿入りする形で来日し、日本語を流暢に話すがなぜかオネエ口調。現在は練馬区内で南インド料理店「ケララバワン」を経営しており、漫画を読んで店を訪れるファンも多いという。因みに、店名は「ケララの家」という意味である。 流水家ではパナマボウシインコ(2015年に42歳で他界)、インドホシガメ、ビルマホシガメ2頭、ニホンヤモリを飼育している。 なお、「恐怖体験」以外の過去の「流水凜子」名義作品は現在は絶版。但し、『輪廻男(リンネマン)』と『斬る!!』については「流水りんこ」名義に変更して文庫版が現在刊行されている。 少年画報社『MAYファミリア』が2006年9月号(発売:8月)をラストに休刊、連載「りんこちゃんハーイ!」が中断(単行本未収録)となった。また宙出版でのハーレクイン・コミックス化でも年2回ほど執筆している。 朝日ソノラマ『ほんとにあった笑っちゃう話』が会社再編により2007年10月号(隔月誌・奇数月7日)をもって休刊。連載『働く!!インド人』は、出版権が引き継がれた朝日新聞出版の不定期発行・週刊朝日増刊『ふぁみドラ』『ほんとにあった爆家族の話』に続編が掲載され、2009年3月に単行本としてまとまった。なお、『ほんとにあった爆家族の話』には、引き続き『インドな日々』などのエッセイが掲載されている。 ブリティッシュ・ロックが好きで、特に元ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズについては「殴り倒されたい」と言う程の熱狂的ファン。ライブに足を運んだ様子が漫画として単行本に記載されている。
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流水 凜子は、日本の漫画家。女性。東京都練馬区出身・在住。血液型O型。身長167cm、靴のサイズ25cm。多摩美術大学美術学部絵画学科日本画専攻卒業。趣味は、宝石研磨・鳥カメ昆虫飼育など。
'''流水 凜子'''(ながみ りんこ、[[1962年]][[4月17日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。女性。[[東京都]][[練馬区]]出身・在住。[[ABO式血液型|血液型]]O型。身長167cm、靴のサイズ25cm。[[多摩美術大学]]美術学部絵画学科日本画専攻卒業。趣味は、宝石研磨・鳥カメ昆虫飼育など。 == 経歴・人物 == [[1983年]]、『魍魎伝説』(廣済堂)で「柳野みずき」名義でデビュー、後に「流水凜子」に改名しホラー漫画を主に活動。代表作に『椰』『インドな日々』『インド夫婦茶碗』など。 [[バックパッカー]]として[[インド]]を旅行していた頃、[[ヴァーラーナシー|バラナシ]]の安宿のレストランのマネージャーとして出稼ぎで働いていたクーダトディ・サッシーと出会い、[[1995年]]に結婚。長男・長女の2児を儲ける。現在はホラーを描きつつもバックパッカー時代のインドでの経験、また国際結婚や育児を題材としたエッセイ漫画を主として執筆。これらの作品を描く際のペンネームは、ひらがな表記の「流水りんこ」である。 地元は[[練馬区]][[練馬 (練馬区)|練馬]]で[[豊島園駅]]がある。姉が1人おり、自伝漫画に母と共によく登場。母は[[集団疎開]]経験者で新しモノ好き。「戦争が終わっていい時代になったわね〜」が口癖。父(1993年他界)はサラリーマンで、芸術が趣味。 サッシーは[[南インド]]・[[ケーララ州]]のアダカプトゥール村で10人兄弟(そのうち4人は夭折)の末子として誕生。その時点で長兄は結婚しており、同い年の甥がいる。流水家に婿入りする形で来日し、日本語を流暢に話すがなぜかオネエ口調。現在は[[練馬区]]内で南インド料理店「ケララバワン」を経営しており、漫画を読んで店を訪れるファンも多いという。因みに、店名は「ケララの家」という意味である。 流水家ではパナマボウシインコ(2015年に42歳で他界)、インドホシガメ、ビルマホシガメ2頭、ニホンヤモリを飼育している。 なお、「恐怖体験」以外の過去の「流水凜子」名義作品は現在は絶版。但し、『輪廻男(リンネマン)』と『斬る!!』については「流水りんこ」名義に変更して文庫版が現在刊行されている。 [[少年画報社]]『MAYファミリア』が2006年9月号(発売:8月)をラストに休刊、連載「りんこちゃんハーイ!」が中断(単行本未収録)となった。また宙出版でのハーレクイン・コミックス化でも年2回ほど執筆している。 [[朝日ソノラマ]]『ほんとにあった笑っちゃう話』が会社再編により2007年10月号(隔月誌・奇数月7日)をもって休刊。連載『働く!!インド人』は、出版権が引き継がれた[[朝日新聞出版]]の不定期発行・週刊朝日増刊『ふぁみドラ』『ほんとにあった爆家族の話』に続編が掲載され、2009年3月に単行本としてまとまった。なお、『ほんとにあった爆家族の話』には、引き続き『インドな日々』などのエッセイが掲載されている。 ブリティッシュ・ロックが好きで、特に元[[ピンク・フロイド]]の[[ロジャー・ウォーターズ]]については「殴り倒されたい」と言う程の熱狂的ファン。ライブに足を運んだ様子が漫画として単行本に記載されている。 == 主な連載作品と雑誌 == * [[ぶんか社]]、月刊30日頃『[[本当にあった笑える話]]』→「インド夫婦茶碗」 * ぶんか社、月刊7日頃『増刊本当にあった笑える話スペシャル(ほんスペ)』→「インド親子茶碗」 * ぶんか社、月刊14日頃『別冊本当にあった笑える話』→「昭和のこども」 * [[秋田書店]]、奇数月16日頃『全部ホンネの笑える話』→「流水家の食卓」「流水りんこの怖くて笑える話」の2本立て * [[宙出版]]、奇数月11日頃『marie(マリエ)』→「りんこの道楽箱」 * [[朝日新聞出版]]、不定期発行・週刊朝日増刊『ほんとにあった爆家族の話 [http://publications.asahi.com/honbaku/]』→「インドな日々」 == 作品リスト == === 柳野みずき名義 === * 魍魎伝説(原作:谷恒生) - 廣済堂出版 {{ISBN2|978-4-33-125088-4}} === 流水凜子名義 === * 黒のたそがれ - 大陸書房 {{ISBN2|978-4-80-331183-9}} * 失われた旋律 - [[講談社]] {{ISBN2|978-4-06-313175-8}} * 千の砂 - 講談社 {{ISBN2|978-4-06-313186-4}} * [[椰 (漫画)|椰]](全8巻) - 大陸書房 {{ISBN2|978-4-80-333785-3}} ほか * 翠月楼ドリームス - [[角川書店]] {{ISBN2|978-4-04-852455-1}} * 羅巳阿の壷 - [[秋田書店]] {{ISBN2|978-4-25-312772-1}} * 斬る!! - 角川書店 {{ISBN2|978-4-04-852557-2}} * 輪廻男(全2巻) - [[朝日ソノラマ]] {{ISBN2|978-4-25-798577-8}} ほか * 恐怖体験―霊能者は語る - [[あおば出版]] {{ISBN2|978-4-87-317388-7}} * 砂漠の花嫁(原作:リン・グレアム) - [[宙出版]] {{ISBN2|978-4-87-287651-2}} * 愛の虜(原作:サラ・ウッド)- 宙出版 {{ISBN2|978-4-77-671010-3}} * 砂漠の呼び声(原作:ヴァイオレット・ウィンズピア)- 宙出版 {{ISBN2|978-4-77-671167-4}} * 愛のダイナマイト(原作:エマ・ダーシー)- 宙出版 {{ISBN2|978-4-77-671318-0}} * ワイルド・フォレスト(原作:サンドラ・ブラウン)- 宙出版 {{ISBN2|978-4-77-671761-4}} * ムーンライト・レディ(原作:バーバラ・フェイス)- 宙出版 {{ISBN2|978-4-77-671812-3}} * 愛は魔法でなく(原作:スーザン・マレリー)- 宙出版 {{ISBN2|978-4-77-671974-8}} * 砂漠にかかる月(原作:ジェニファー・テイラー)- 宙出版 {{ISBN2|978-4-77-672287-8}} * 愛が還る城(原作:ポーリン・ベントリー)- 宙出版 {{ISBN2|978-4-77-672572-5}} === 流水りんこ名義 === * インドな日々(1 - 3巻) - [[朝日ソノラマ]] {{ISBN2|978-4-02-213097-6}} ほか * 印度定食屋繁盛記 働く!!インド人 - [[朝日新聞出版]] {{ISBN2|978-4-02-214017-3}} * インド夫婦茶碗(1 - 23巻、以下続刊) - [[ぶんか社]] {{ISBN2|978-4-82-119954-9}} ほか * 昭和のこども〜こんな親でも子は育つ!〜(全6巻) - ぶんか社 {{ISBN2|978-4-82-118609-9}} * 流水さんちのペット事情家族事情 - [[学研ホールディングス|学研]] {{ISBN2|978-4-05-603760-9}} * リンコちゃんハーイッ - [[少年画報社]] {{ISBN2|978-4-78-593218-3}} * インド人と練馬で子育て。- ぶんか社 {{ISBN2|978-4-82-114312-2}} * 晴れときどき風多 [[家の光協会]] * 流水さんちの浮遊霊 - ぶんか社 {{ISBN2|978-4-8211-7561-1}} * 流水りんこの恐怖譚 - [[青泉社]] {{ISBN2|978-4-907203-17-7}} * 誰も信じなくていい… でもボクたちは見た!! - 朝日新聞出版 {{ISBN2|978-4-02-275814-9}} * 流水りんこの南印度は美味しいぞ〜! - [[主婦と生活社]] {{ISBN2|978-4-391-14480-2}} * 流水りんこのアーユルヴェーダはすごいぞ〜! - 主婦と生活社 {{ISBN2|978-4-391-14760-5}} * 流水りんこのインド占星術は深いぞ~!‐主婦と生活社 ISBN 978-4-391-15098-8 * 流水さんの霊能者行脚 - ぶんか社 {{ISBN2|978-4-8211-7853-7}} * 流水さんの百物語 - ぶんか社 {{ISBN2|978-4-8211-3657-5}} * 流水さんの百物語 2周目 - ぶんか社 {{ISBN2|978-4-8211-2810-5}} * 大家族ごはん物語 - ぶんか社 {{ISBN2|978-4-8211-2924-9}} * それってマジですか!?(既刊1巻) - 朝日新聞出版<ref>{{Cite web|和書|url=https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=23774|title=それってマジですか!? 1|publisher=朝日新聞出版|accessdate=2022-10-14}}</ref> == 文庫版/復刊リスト == * 輪廻男(全2巻) - [[朝日ソノラマ]] ISBN 978-4-02-267165-3 他 * 斬る!!(全1巻) - 朝日ソノラマ ISBN 978-4-02-267167-7 * インド夫婦茶碗~ドタバタ国際結婚編~ - [[ぶんか社]] ISBN 978-4-82-118426-2 == 廉価版コミックス == * インド式のススメ 流水家の食卓~エッセイアラカルト~ - [[秋田書店]] ISBN 978-4-25-324581-4 == 出典 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://www.nagamirinko.com/ りんこNIVAS](公式サイト) * {{Twitter|RinkoWaters|流水りんこ}} * [http://www.keralabhavan.com/ KERALA BHAVAN(ケララバワン)](夫経営の南インド料理店) {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:なかみ りんこ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:多摩美術大学出身の人物]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:1962年生]] [[Category:存命人物]]
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西山優里子
西山 優里子(にしやま ゆりこ、1966年9月30日 - )は、日本の漫画家。女性。 作品にストリートバスケを題材にした『Harlem Beat』がある。 フランス・パリ生まれ。姉と弟がおり、3人姉弟の次女。大使館に勤める父親の仕事の関係で少女時代の大半を日本国外で過ごす。8歳の時はラオス王国のヴィエンチャンに家族と共に住んでいた。当時は冷戦の時代で、サイゴン陥落が起きるなど東南アジアが東西に分かれて揺れていた時期であった。そのような中、1975年に共産勢力であるパテート・ラーオがヴィエンチャンを制圧、同年夏、共産勢力から逃れるために家族ぐるみで日本に帰国する(なお父親は大使館員として在留邦人の保護などの仕事があるためこの時は帰らず、後に帰国している)。 小学生のころ、三原順や和田慎二、柴田昌弘らに憧れ、漠然と漫画家になりたいと思うようになる。中学2年生のときに再びフランスに引っ越して暮らした。桐朋女子高等学校を経て上智大学法学部国際関係法学科入学後、漫研で本格的に漫画を描き始め、その後アメリカにミニ留学をした。(後に日本に帰国して)在学中に『花とゆめ』(白泉社)に4回ほど投稿したがうまくいかなかった。そんな折、知り合いの原作者がついてくれるという話があり、『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)にて読み切りでデビュー。 しかし連載には漕ぎ着けられず、大学卒業後は就職しOLになるが、大学時代の漫研の同人誌が『週刊少年マガジン』編集部の目に留まり、OLの仕事の傍ら漫画を執筆。1989年、「YUTA」で第43回週刊少年マガジン新人漫画賞に入選。その後漫画執筆に専念するため会社を退職。1991年、『マガジンSPECIAL』(講談社)にて「ノーハドル」で連載デビュー。以後、『週刊少年マガジン』などを中心に講談社の各漫画雑誌にて活動する。 2013年まで、講談社の女性向け漫画雑誌『Kiss』にて「家電の女」を、青年向け漫画雑誌『イブニング』にて「ジャポニカの歩き方」を連載。
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西山 優里子は、日本の漫画家。女性。 作品にストリートバスケを題材にした『Harlem Beat』がある。
{{半保護}} {{Infobox 漫画家| | 名前 = 西山 優里子 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = [[パリ]] | 国籍 = [[日本]] | 生年 = {{生年月日と年齢|1966|9|30}}{{R|mangapedia}} | 没年 = | 没地 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1989年]] - | ジャンル = [[少年漫画]] | 代表作 = <!-- 「代表作を挙げた出典」に基づき記載 --> | 受賞 = 第43回[[週刊少年マガジン新人漫画賞]]入選([[1989年]]) | 公式サイト = [http://harlemgo10.blog62.fc2.com/ HARLEM GO-TEN] }} '''西山 優里子'''(にしやま ゆりこ、[[1966年]][[9月30日]]{{R|mangapedia}} - )は、[[日本]]の[[漫画家]]<ref name="mangapedia">{{Cite web|和書|url=https://mangapedia.com/西山優里子-fkvjyl3ac|title=西山 優里子(漫画家)|website=マンガペディア|accessdate=2023-02-20}}</ref>。女性{{R|mangapedia}}。 作品に[[ストリートボール|ストリートバスケ]]を題材にした『[[Harlem Beat]]』がある。 == 来歴 == [[フランス]]・[[パリ]]生まれ{{R|mangapedia}}。姉と弟がおり、3人姉弟の次女<ref name="evening">『イブニング』連載『ジャポニカの歩き方』第一話より。なお父親は在ラオス大使館勤務(1975年)時の地位は[[参事官]]。</ref>。[[大使館]]に勤める父親<ref name="evening" />の仕事の関係で少女時代の大半を日本国外で過ごす。8歳の時は[[ラオス王国]]の[[ヴィエンチャン]]に家族と共に住んでいた<ref name="evening" />。当時は[[冷戦]]の時代で、[[サイゴン陥落]]が起きるなど東南アジアが東西に分かれて揺れていた時期であった。そのような中、[[1975年]]に共産勢力である[[パテート・ラーオ]]がヴィエンチャンを制圧、同年夏、共産勢力から逃れるために家族ぐるみで日本に帰国する(なお父親は大使館員として在留邦人の保護などの仕事があるためこの時は帰らず、後に帰国している)<ref name="evening" />。 小学生のころ、[[三原順]]や[[和田慎二]]、[[柴田昌弘]]らに憧れ、漠然と漫画家になりたいと思うようになる<ref name="kiss">[http://kc.kodansha.co.jp/magazine/special_detail.php/02292/2075/1 Kissスペシャルサイトのインタビュー]より。</ref>。中学2年生のときに再びフランスに引っ越して暮らした<ref name="aa">『イブニング』連載『ジャポニカの歩き方』第二十五話より。</ref>。[[桐朋女子高等学校]]を経て[[上智大学]][[法学部]][[国際関係]]法学科<ref>[https://www.facebook.com/yuripongogo facebook]</ref>入学後、漫研で本格的に漫画を描き始め<ref name="kiss" />、その後[[アメリカ合衆国|アメリカ]]にミニ[[留学]]をした<ref name="aa" />。(後に日本に帰国して)在学中に『[[花とゆめ]]』([[白泉社]])に4回ほど投稿したがうまくいかなかった<ref name="kiss" />。そんな折、知り合いの原作者がついてくれるという話があり、『[[週刊少年チャンピオン]]』([[秋田書店]])にて読み切りでデビュー<ref name="kiss" /><ref>ただし、西山優里子名義ではなく、別の名義。この時期の読み切り作品で原作・作画が分かれていて、なおかつ、単発(連載を持てなかった)という作品は存在しないため、原作・作画の共同ペンネーム(ex.[[藤子不二雄]])を使ったものと思われる。</ref>。 しかし連載には漕ぎ着けられず、大学卒業後は就職しOLになる<ref name="kiss" />が、大学時代の漫研の同人誌が『[[週刊少年マガジン]]』編集部の目に留まり、OLの仕事の傍ら漫画を執筆<ref name="kiss" />。[[1989年]]、「YUTA」で第43回[[週刊少年マガジン新人漫画賞]]に入選<ref name="kiss" />。その後漫画執筆に専念するため会社を退職<ref name="kiss" />。[[1991年]]、『[[マガジンSPECIAL]]』([[講談社]])にて「[[ノーハドル]]」で連載デビュー<ref name="kiss" />。以後、『週刊少年マガジン』などを中心に講談社の各漫画雑誌にて活動する。 2013年まで、講談社の女性向け漫画雑誌『[[Kiss (雑誌)|Kiss]]』にて「家電の女」を、青年向け漫画雑誌『[[イブニング]]』にて「ジャポニカの歩き方」を連載。 == 作品リスト == === 漫画 === * [[ノーハドル]]([[マガジンSPECIAL]]、1991年5号 - 1992年12号、全5巻) * [[Harlem Beat]](マガジンSPECIAL(単行本未収録)→[[週刊少年マガジン]]、1994年34号 - 2000年8号、全29巻、文庫版全16巻) * [[DRAGON VOICE]](週刊少年マガジン、2001年7号 - 2003年8号、全11巻) * 臆病者よ ギターを取れ([[月刊少年ライバル]]、2008年6月号、読切) * [[純情カレンな俺達だ!]](週刊少年マガジン、2008年40号 - 2009年13号、全3巻) * [[QBかりん 警視庁特殊SP班]]([[Kiss (雑誌)|Kiss]]、2010年1号 - 2011年7号、全4巻) * 家電の女([[Kiss (雑誌)|Kiss]]、2011年14号読切を経て、同年24号 - 2013年9月号、全4巻) * [[ジャポニカの歩き方]]([[イブニング]]、2011年7号 - 2013年9号、全7巻) * DIRTY CHRIST SUPERSTAR([[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]、2013年45号 - 同年48号<ref>短期集中連載</ref>、同年52号 - 2014年14号、全2巻) * GINZA SUGARS([[まんが王国]]、2018年6月15日<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000007.000034768.html |title=『まんが王国』オリジナルコンテンツ2作同時配信開始!!北村永吾待望の新作「過去からの使者 ~悪因悪果~」/西山優里子「GINZA SUGARS 分冊版」 |publisher=PR TIMES |date=2018-06-15 |accessdate=2021-09-21}}</ref> - 2021年7月15日<ref>{{Twitter status2|yuripongogo|1415615155551961091|2021年7月15日|accessdate=2022-06-11}}</ref>、全8巻(電子書籍のみ)) * 徳川おてんば姫 〜最後の将軍のお姫さまとのゆかいな日常〜 (原作:[[井手久美子]]、[[マンガクロス]]、2021年7月21日<ref>{{Cite web|和書|url=http://harlemgo10.blog62.fc2.com/blog-entry-2503.html |title=「徳川おてんば姫」マンガクロスで始まりました(^0^)! |publisher=HARLEM GO-TEN(著者個人サイト) |date=2021-07-21 |accessdate=2022-06-11}}</ref> - 、既刊4巻) === ゲーム === * [[シャイニング・フォース ネオ]](キャラクターデザイン担当) === その他 === * 講談社 学習まんが 日本の歴史(講談社) - 17巻「大正デモクラシー」、20巻「昭和・平成・令和」<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/386940 |title=「講談社 学習まんが 日本の歴史」全20巻発売、寺沢大介・山本航暉・西山優里子ら執筆 |publisher=コミックナタリー |date=2020-07-09 |accessdate=2021-09-21}}</ref> == 関連人物 == * [[大野純二]] - [[アシスタント (漫画)|アシスタント]]経験者。 * [[藤村真理]] - 高校生の時の同級生<ref>{{Twitter status2|1=fuji6mari|2=1248185059984773126|4=藤村真理 2020年4月9日のツイート|5=2020-04-23}}</ref>。 == 出典 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://harlemgo10.blog62.fc2.com/ HARLEM GO-TEN - 公式サイト] * {{Twitter|yuripongogo}} * [http://kc.kodansha.co.jp/magazine/special_detail.php/02292/2075/1 Kissスペシャルサイトのインタビュー] {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:にしやま ゆりこ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:パリ出身の人物]] [[Category:帰国子女]] [[Category:上智大学出身の人物]] [[Category:1966年生]] [[Category:存命人物]]
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二ノ宮知子
二ノ宮 知子(にのみや ともこ、1969年5月25日 - )は、日本の漫画家。埼玉県秩父郡皆野町出身、埼玉県在住。女性。血液型はB型。 1989年、『外国ロマンDX』(角川書店)に掲載の「London ダウト・ボーイズ」でデビュー。以後、『ヤングロゼ』(角川書店)、『Kiss』(講談社)などに作品を発表する。作品にテレビドラマ化・アニメ化・映画化された「のだめカンタービレ」があり、2004年の第28回講談社漫画賞少女部門を受賞。 板金加工会社経営者の娘として生まれ育つ。 1989年、ASUKA増刊『外国ロマンDX』(角川書店)に掲載された『London ダウト・ボーイズ』でデビュー。20代後半に、インディーズバンド「イエローダック」の元ドラマーの戸田敦夫(通称POM。現在は二ノ宮姓)と結婚する。ポンと同じイカ天へ出場した元マサ子さんのあつ子、かなんと漫画アシスタントを行っていたことを著作内で紹介している。 2001年から連載したクラシック音楽を題材とする『のだめカンタービレ』が大ヒットし、2004年に第28回(平成16年度)講談社漫画賞の少女部門を受賞。2005年、同作がきっかけとなり、東京都交響楽団常任指揮者であるジェームズ・デプリーストと対談した。2006年に月9ドラマとして実写化され、最終的には映画も制作された。 2008年8月、妊娠8ヶ月と自身のブログで告白し、同年10月24日男児を出産した。2011年6月、妊娠5ヶ月と自身のブログで告白し、同年11月24日男児を出産した。 酒豪として知られ、自身の飲酒にまつわる体験(多くは失敗談)を描いた『平成よっぱらい研究所』の中で、自身のことを「まんが家兼よっぱらい研究所・所長」と書いていたことから、二ノ宮のことを「所長」と呼ぶファンもいる。 サッカー日本代表選手・小野伸二の大ファン。Jリーグ・浦和レッズファン。
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二ノ宮 知子は、日本の漫画家。埼玉県秩父郡皆野町出身、埼玉県在住。女性。血液型はB型。 1989年、『外国ロマンDX』(角川書店)に掲載の「London ダウト・ボーイズ」でデビュー。以後、『ヤングロゼ』(角川書店)、『Kiss』(講談社)などに作品を発表する。作品にテレビドラマ化・アニメ化・映画化された「のだめカンタービレ」があり、2004年の第28回講談社漫画賞少女部門を受賞。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 二ノ宮 知子 | ふりがな = にのみや ともこ | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = [[日本]]・[[埼玉県]][[秩父郡]][[皆野町]] | 国籍 = <!-- [[日本]] 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1969|5|25}} | 没年 = | 没地 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1989年]] - | ジャンル = [[少女漫画]]<br />[[女性漫画]] | 代表作 = <!-- 「代表作を挙げた出典」に基づき記載 --> | 受賞 = 第28回[[講談社漫画賞]]少女部門([[2004年]]) | 公式サイト = [http://www.din.or.jp/~nino/ Tomoko Ninomiya's Web] }} '''二ノ宮 知子'''(にのみや ともこ、[[1969年]][[5月25日]]<ref name="mangapedia">{{Cite web|和書|url=https://mangapedia.com/二ノ宮知子-mniys3lje|title=二ノ宮 知子(漫画家)|website=マンガペディア|accessdate=2022-01-03}}</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]{{R|mangapedia}}。[[埼玉県]]{{R|mangapedia}}[[秩父郡]][[皆野町]]出身、埼玉県在住。女性{{R|mangapedia}}。[[ABO式血液型|血液型]]はB型。 [[1989年]]、『外国ロマンDX』([[角川書店]])に掲載の「London ダウト・ボーイズ」でデビュー。以後、『[[ヤングロゼ]]』(角川書店)、『[[Kiss (雑誌)|Kiss]]』([[講談社]])などに作品を発表する。作品にテレビドラマ化・アニメ化・映画化された「[[のだめカンタービレ]]」があり、[[2004年]]の第28回[[講談社漫画賞]]少女部門を受賞{{R|mangapedia}}。 == 来歴・人物 == [[板金]]加工会社経営者の娘として生まれ育つ{{R|mangapedia}}。 [[1989年]]、ASUKA増刊『外国ロマンDX』([[角川書店]])に掲載された『London ダウト・ボーイズ』でデビュー{{R|mangapedia}}。20代後半に、[[インディーズ|インディーズバンド]]「[[イエローダック]]」の元[[ドラマー]]の戸田敦夫(通称POM。現在は二ノ宮姓)と結婚する。ポンと同じイカ天へ出場した元[[マサ子さん]]のあつ子、かなんと漫画アシスタントを行っていたことを著作内で紹介している<ref>『平成よっぱらい研究所』、p.59</ref>。 [[2001年]]から連載した[[クラシック音楽]]を題材とする『[[のだめカンタービレ]]』が大ヒットし、[[2004年]]に第28回(平成16年度)[[講談社漫画賞]]の少女部門を受賞。[[2005年]]、同作がきっかけとなり、[[東京都交響楽団]]常任[[指揮者]]である[[ジェームズ・デプリースト]]と対談した。[[2006年]]に月9ドラマとして実写化され、最終的には映画も制作された。 [[2008年]]8月、妊娠8ヶ月と自身のブログで告白し、同年[[10月24日]]男児を出産した。[[2011年]]6月、妊娠5ヶ月と自身のブログで告白し、同年[[11月24日]]男児を出産した。 [[酒豪]]として知られ、自身の飲酒にまつわる体験(多くは失敗談)を描いた『[[平成よっぱらい研究所]]』の中で、自身のことを「まんが家兼よっぱらい研究所・所長」と書いていたことから、二ノ宮のことを「所長」と呼ぶファンもいる。 [[サッカー日本代表]]選手・[[小野伸二]]の大ファン<ref>https://www.instagram.com/p/BYH4hp-lua8/</ref>。[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]ファン<ref>https://twitter.com/nino0120444/status/668453209908736001</ref>。 == 作品リスト == * [[トレンドの女王ミホ]](1991年 - 1995年、『ヤングロゼ』、[[角川書店]]、単行本全10巻、文庫版全5巻) * ニッポンの貧乏 笑ってごまかす日本の現実(絵:二ノ宮知子、文:加藤利明、1993年、[[スターツ出版]]、{{ISBN2|4-915901-05-X}}) * [[飲みに行こうぜ!!]](1993年 - 1994年、『ヤングロゼ増刊ランチタイム』) * [[天才ファミリー・カンパニー]](1994年 - 2001年、『[[きみとぼく (雑誌)|きみとぼく]]』、[[ソニー・マガジンズ]]、単行本全11巻、スペシャル版全6巻) - ドラマ化、ドラマCD化。 * [[平成よっぱらい研究所]](1995年 - 1996年、『[[FEEL YOUNG]]』、[[祥伝社]]) * [[OUT (二ノ宮知子の漫画)|OUT]](1995年、『ヤングロゼ』) * [[GREEN〜農家のヨメになりたい〜]](1998年 - 2001年、『[[Kiss (雑誌)|Kiss Carnival]]』、[[講談社]]、単行本全4巻) - ドラマ化。 * [[のだめカンタービレ]](2001年 - 2010年、『[[Kiss (雑誌)|Kiss]]』、講談社、単行本全25巻) - ドラマ化、アニメ化、実写映画化。 * [[額田王]](2010年、[[週刊マンガ日本史#週刊新マンガ日本史|週刊新マンガ日本史]]4号、[[朝日新聞出版]]) * おにぎり通信 〜ダメママ日記〜(2011年 - 2015年、『[[YOU (雑誌)|YOU]]』、[[集英社]]、全3巻) * [[87CLOCKERS]](2011年 - 2016年 、『[[ジャンプ改|JUMPX/ジャンプ改]]』 →『[[週刊ヤングジャンプ]]』)、集英社、全9巻) * [[七つ屋 志のぶの宝石匣]](2013年 - '''連載中'''、『Kiss』、講談社、既刊20巻) == テレビ出演 == *[[ボクらの時代]] (2022年4月17日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - [[伊藤理佐]]、[[安野モヨコ]]と対談<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nihon-eiga.com/program/detail/nh00016001_0001.html|title=ボクらの時代 (伊藤理佐×二ノ宮知子×安野モヨコ)|publisher=日本映画専門チャンネル|accessdate=2022-7-14}}</ref> == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Twitter|nino0120444}} === インタビュー === *[https://www.1101.com/ninomiyatomoko/index.html ほぼ日刊イトイ新聞 二ノ宮知子先生と宝石のお話しを。] {{DEFAULTSORT:にのみや ともこ}} {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:埼玉県出身の人物]] [[Category:1969年生]] [[Category:存命人物]]
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能條純一
能條 純一(のうじょう じゅんいち、本名同じ、1951年(昭和26年)1月22日 - )は、日本の漫画家。東京都墨田区出身。男性。血液型はB型。 クールでシャープな描線、タッチが特徴的な絵柄の作家である。見せ所は、主に男の美学。 1971年(昭和46年)、『COM』の読者投稿コーナー「ぐら・こん」に『錯乱』で佳作入賞。漫画家としてのデビュー後、1980年代中期までは『漫画エロトピア』『エロトピアデラックス』(ワニマガジン社)を中心に、成人向けの劇画作品を発表していた。 1985年から『別冊近代麻雀』(竹書房)で連載した『哭きの竜』で注目され、1987年には『コミックモーニング』(講談社)で『翔丸』を連載。『近代麻雀オリジナル』連載の『プロ』で注目され、『コミックモーニング』で『アクター』を連載したかわぐちかいじと同じ経路でメジャー作家となった。 1996年(平成8年)、『月下の棋士』で第42回(平成8年度)小学館漫画賞受賞。 『月下の棋士』は2000年(平成12年)、森田剛主演によりテレビ朝日にてテレビドラマ化された。 『哭きの竜』や『翔丸』に代表される、クールな主人公が登場する乾いた雰囲気の作品から、『プリンス』『ずっこけ侍ミケランジロウ』などの軽妙な人情モノの両極な作風が特徴で、『月下の棋士』や『昭和天皇物語』はその中間の作風と言える。古屋兎丸が作画を担当した短編漫画『何を切る!?』では、『哭きの竜』のパロディーギャグ漫画の原作を担当した。 ネームは描かず、最初から原稿に描くので、ペン入れをした後でボツになることもあったという。
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能條 純一は、日本の漫画家。東京都墨田区出身。男性。血液型はB型。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 能條 純一 | 画像 = <!-- 画像ファイル名 --> | 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px --> | 脚注 = <!-- 画像の説明文 --> | 本名 = 能條 純一{{R|mangapedia}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1951|01|22}} | 生地 = {{JPN}}・[[東京都]][[墨田区]] | 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|1951|01|22|YYYY|YY|YY}} --> | 没地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 --> | 国籍 = {{JPN}} | 職業 = [[漫画家]] | 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 --> | 活動期間 = <!-- XXXX年 - YYYY年 --> | ジャンル = <!-- [[少年漫画]] [[少女漫画]] [[青年漫画]] [[成人向け漫画]] [[女性漫画]]など --> | 代表作 = <!-- 「代表作を挙げた出典」に基づき記載 --> | 受賞 = 第42回(平成8年度)[[小学館漫画賞]](『[[月下の棋士]]』) | サイン = <!-- 画像ファイル名 --> | 公式サイト = <!-- {{Official website|https://www.example.org}}や[https://www.example.org/ 公式ページ名] など --> }} '''能條 純一'''(のうじょう じゅんいち、本名同じ{{R|mangapedia}}、[[1951年]]([[昭和]]26年)[[1月22日]]<ref name="mangapedia">{{Cite web|和書|url=https://mangapedia.com/能條純一-txn9s4f8p|title=能條 純一(漫画家)|website=マンガペディア|accessdate=2021-10-27}}</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[東京都]][[墨田区]]出身<ref>[http://www.manga-g.co.jp/interview/2009/int09-03.html 日本漫画学院Webインタビュー] {{リンク切れ|date= 2021年8月}}</ref>{{R|mangapedia}}。男性{{R|mangapedia}}。[[ABO式血液型|血液型]]はB型。 == 概要 == クールでシャープな描線、タッチが特徴的な絵柄の作家である。見せ所は、主に男の美学。 [[1971年]](昭和46年)、『[[COM (雑誌)|COM]]』の読者投稿コーナー「[[COM (雑誌)#ぐら・こん|ぐら・こん]]」に『錯乱』で佳作入賞。漫画家としてのデビュー後、[[1980年代]]中期までは『[[エロトピア|漫画エロトピア]]』『エロトピアデラックス』([[ワニマガジン社]])を中心に、[[成人向け漫画|成人向けの劇画作品]]を発表していた。 1985年から『[[近代麻雀|別冊近代麻雀]]』([[竹書房]])で連載した『[[麻雀飛翔伝 哭きの竜|哭きの竜]]』で注目され、1987年には『[[モーニング (漫画雑誌)|コミックモーニング]]』([[講談社]])で『[[翔丸]]』を連載。『[[近代麻雀オリジナル]]』連載の『プロ』で注目され、『[[モーニング (漫画雑誌)|コミックモーニング]]』で『アクター』を連載した[[かわぐちかいじ]]と同じ経路でメジャー作家となった。 [[1996年]]([[平成]]8年)、『[[月下の棋士]]』で第42回(平成8年度)[[小学館漫画賞]]受賞{{R|mangapedia}}。 『月下の棋士』は[[2000年]](平成12年)、[[森田剛]]主演により[[テレビ朝日]]にて[[テレビドラマ]]化された。 『哭きの竜』や『翔丸』に代表される、クールな主人公が登場する乾いた雰囲気の作品から、『プリンス』『ずっこけ侍ミケランジロウ』などの軽妙な人情モノの両極な作風が特徴で、『月下の棋士』や『[[昭和天皇物語]]』はその中間の作風と言える。[[古屋兎丸]]が作画を担当した短編漫画『何を切る!?』では、『哭きの竜』のパロディー[[ギャグ漫画]]の原作を担当した。 [[ネーム (漫画)|ネーム]]は描かず、最初から原稿に描くので、ペン入れをした後でボツになることもあったという<ref>フィルムアート社「漫画編集者」江上英樹</ref>。 == 作品リスト == * アニマル処女(1976年、[[サン出版]]) - 単行本全1巻、農條純一名義 * 甘い生活(1981年、壱番館書房) - 単行本全1巻 * 愛撫して(1982年、壱番館書房) - 単行本全1巻 * セクシーギャル(1982年 - 1983年、『漫画アルタ』、[[双葉社]]) - 単行本全4巻 * あさくさヨッコ(1982年 - 1983年、『[[漫画アクション#別冊漫画アクション|別冊漫画アクション]]』、双葉社) - 単行本全1巻 * わたしは雀(1982年 - 1983年、『[[別冊近代麻雀]]』、[[竹書房]]) - 単行本全2巻(未完) * ベビードール(1983年 - 1984年、『漫画アルタ』、双葉社) - 単行本全1巻 * 桃子の絵日記(1984年、壱番館書房) - 単行本全1巻 * [[哭きの竜]](1985年 - 1991年、『別冊近代麻雀』、竹書房) - 単行本全9巻 * [[天の男]](1986年 - 1987年、『[[エロトピア]]』、[[ワニマガジン社]]) - 単行本全1巻 * ずっこけ侍ミケランジロウ(1987年、『[[プレイコミック]]』、[[秋田書店]]) - 単行本全1巻 * [[翔丸]](1987年-1989年、『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』、[[講談社]]) - 単行本全3巻 * 悲しいぜっ(1989年、『モーニング』、講談社) - 単行本全1巻 * 東京荒野(原作:[[久保田千太郎]]、1989年、『[[ビッグコミック]]』、[[小学館]]) - 単行本全1巻 * ゴッドハンド(1990年 - 1991年、『[[ビッグコミックスペリオール]]』、小学館) - 単行本全3巻 * [[Dr.汞]](協力:中原とほる、1991年 - 1993年、『[[ミスターマガジン]]』・『[[週刊ヤングマガジン]]』、講談社) - 単行本全5巻 * プリンス(1992年 - 1993年、『ビッグコミックスペリオール』) - 単行本全3巻 * [[月下の棋士]](1993年 - 2001年、『[[ビッグコミックスピリッツ]]』、小学館) - 単行本全32巻 * 無力の王(1996年、『[[ビッグコミックオリジナル増刊]]』、小学館) - 単行本全1巻 * [[J.Boy]](2002年 - 2003年、『ビッグコミックスピリッツ』) - 単行本全6巻 * 奇跡の少年(2004年、『[[週刊少年マガジン]]』、講談社) - 単行本全3巻 * 愛の殺人者 渇きのセイ(2005年、『モーニング』) - 単行本全2巻 * [[麻雀飛翔伝 哭きの竜 外伝]](2005年 - 、『[[近代麻雀]]』、竹書房) - 単行本全9巻 * 弁護士 響渡流(『[[月刊アフタヌーン]]』、講談社) * アレルヤ-Hallelujah(2007年 - 2008年、『[[ビッグコミックオリジナル]]』、小学館) - 単行本全5巻 * ばりごく麺(2008年 - 2009年、『[[ビジネスジャンプ]]』、[[集英社]]) - 単行本全4巻 * [[いねむり先生#漫画|いねむり先生]](原作:[[伊集院静]]、2012年 - 2014年、『[[グランドジャンプPREMIUM]]』、集英社) - 単行本全4巻 * 月をさすゆび(原作:[[永福一成]]、2014年 - 2016年、『ビッグコミックオリジナル』、小学館) - 単行本全4巻 * [[昭和天皇物語]](原作:[[半藤一利]]『昭和史』、脚本:[[永福一成]]、監修:志波秀宇、2017年 - 、『ビッグコミックオリジナル』、小学館) - 単行本既刊13巻 === テレビアニメ === * [[3月のライオン]](第3話エンドカード) * [[刻刻]](第2話エンドカード) === その他 === * 何を切る!?(原作担当、作画:[[古屋兎丸]]、「Wsamarus2001」収録) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://ameblo.jp/jun-nojo/ 能條純一オフィシャルブログ「REAL」](2009年3月22日 21時12分04秒 - ) {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:のうしよう しゆんいち}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:1951年生]] [[Category:存命人物]]
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958
野口賢
野口 賢(のぐち たかし)は、日本の漫画家。拓殖大学出身。 1980年代後半、巻来功士のアシスタントとして『ザ・グリーンアイズ』などを手伝う。 1991年、『週刊少年ジャンプ』増刊に掲載された『リエカ』でデビュー。 『柳生烈風剣連也』『竜童のシグ』『BE TAKUTO!!〜野蛮なれ〜』といった格闘漫画(バトル漫画)を『週刊少年ジャンプ』に連載するが、いずれも短期で打ち切りに遭う。その後、活動場所を青年誌へ移し、『大空港』(原作: 城アラキ)や『傭兵ピエール』(原作: 佐藤賢一)といった原作付きの漫画を執筆するようになる。 劇画に近い独特な絵柄と横からの構図の多用が特徴。
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野口 賢は、日本の漫画家。拓殖大学出身。
{{別人|x1=同じく漫画家の|野口賢一}} {{出典の明記|date=2016年3月14日 (月) 07:07 (UTC)}} '''野口 賢'''(のぐち たかし)は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[拓殖大学]]出身。 == 経歴・人物 == 1980年代後半、[[巻来功士]]のアシスタントとして『[[ザ・グリーンアイズ]]』などを手伝う<ref>{{Cite book |和書 |author=巻来功士 |authorlink=巻来功士 |date=2016年2月 |title=連載終了!少年ジャンプ黄金期の舞台裏 |publisher=[[イースト・プレス]] |page= |id= |isbn=978-4781614014 |quote= }}</ref>。 [[1991年]]、『[[週刊少年ジャンプ]]』増刊に掲載された『リエカ』でデビュー。 『柳生烈風剣連也』『竜童のシグ』『BE TAKUTO!!〜野蛮なれ〜』といった[[格闘漫画]](バトル漫画)を『週刊少年ジャンプ』に連載するが、いずれも短期で[[打ち切り]]に遭う。その後、活動場所を青年誌へ移し、『大空港』(原作: [[城アラキ]])や『傭兵ピエール』(原作: [[佐藤賢一]])といった原作付きの漫画を執筆するようになる。 [[劇画]]に近い独特な絵柄と横からの構図の多用が特徴。 == 作品リスト == * -幕末人斬り伝-壬生の狼(『週刊少年ジャンプ』 1991年) * [[柳生烈風剣連也]](『週刊少年ジャンプ』 1992年 *バトルモンスター(Abiole 1995) * [[竜童のシグ]](『週刊少年ジャンプ』 1995年) * [[BE TAKUTO!!〜野蛮なれ〜]](『週刊少年ジャンプ』 1996年 - 1997年) * [[大空港 (漫画)|大空港]](原作:[[城アラキ]])(『[[スーパージャンプ]]』 1999年 - 2001年) * [[黒塚 KUROZUKA#コミック|KUROZUKA-黒塚-]](原作: [[夢枕獏]])(『スーパージャンプ』 2002年 - 2006年) * [[傭兵ピエール]](原作:[[佐藤賢一]])(『[[漫革]]』 2003年 - 2007年) * 狗ハンティング(原作:[[夢枕獏]]、構成:子安秀明)(『[[オースーパージャンプ]]』 2007年 - 2008年) * サンクチュアリ THE 幕狼異新(原作:[[冲方丁]])(『オースーパージャンプ』 2009年 - 2011年) * [[バビル2世#派生作品|バビル2世 ザ・リターナー]](原作:[[横山光輝]])(『[[ヤングチャンピオン]]』 2010年 - 2017年) * ウルトラ・レッド(原作:[[西村寿行]])(『[[チャンピオンRED]]』 2013年 - 2015年)※『往きてまた還らず』より * 新選組リベリオン(『ヤングチャンピオン』 2017年 - 2018年) * 公道ウルフ(『ヤングチャンピオン』 2020年 - ) == 出典・脚注 == {{Reflist}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:のくち たかし}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:拓殖大学出身の人物]] [[Category:生年未記載]] [[Category:存命人物]]
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野崎ふみこ
野崎 ふみこ(のざき ふみこ、1956年12月17日 - )は、漫画家。 代表作に『オリーブと3人ポパイ』など。1977年、「少女コミック」(小学館)でデビュー。
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野崎 ふみこは、漫画家。 代表作に『オリーブと3人ポパイ』など。1977年、「少女コミック」(小学館)でデビュー。
'''野崎 ふみこ'''(のざき ふみこ、[[1956年]][[12月17日]] - )は、[[漫画家]]。 代表作に『オリーブと3人ポパイ』など。[[1977年]]、「[[少女コミック]]」([[小学館]])でデビュー。 == 作品リスト == * あぶない日曜日 * オリーブと3人ポパイ * きっと会える * 恋▽しています? * MAMA2 -ママママ- * NUDE * あなたの女、私の男 * 神さまの贈りもの * よろしく!マリーン * フォーシーズン * You are a father! * ぜんぶ忘れ、た。 * 世界でいちばん好きな人 * 家族をつくろう! * ヨルノセイカツ * ホスピめし みんなのごはん * ベーグル食べない?〜幸せカフェごはん〜 * ホテルはメイドでできている * ホスピめし 2nd Season * 食べもの愛がハンパない! * たまこ定食 注文のいらないお店 * 心のイタリアごはん == 外部リンク == * [http://fumiko.tokyo/ 野崎ふみこオフィシャルサイト] * {{Twitter|_f_u_f_u_}} * {{Ameba ブログ|ffuuffuu|野崎ふみこオフィシャルブログ人生を遊ぶ!}} * {{Instagram|fumikonozaki}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-substub}} {{デフォルトソート:のさき ふみこ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:1956年生]] [[Category:存命人物]]
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野中英次
野中 英次(のなか えいじ、1965年2月21日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。男性。 1989年に投稿した『SUPER BASEBALL CLUB』が『ヤングマガジン増刊黒ブタルーキー号』に読み切りで掲載されデビュー。翌1990年から1991年まで『ヤングマガジン海賊版』において同作品を連載する。5年のブランクを経て1996年から『ミスターマガジン』において『課長バカ一代』の連載を開始。2000年に同誌が休刊するまで掲載される長期連載となった。同時期に『モーニング』で『ドリーム職人』、『しゃぼてん』を発表している。『課長バカ一代』終了後、『週刊少年マガジン』に異動した担当編集に誘われ『魁!!クロマティ高校』の連載を開始し、同作品で2002年に第26回講談社漫画賞を受賞。アニメ化や実写映画化といった各種メディアミックスが展開されるヒット作となった。その後2006年から2008年にかけて『週刊少年マガジン』で『未来町内会』を連載する。並行して『イブニング』で『ハタキ』、『good!アフタヌーン』で『赤い空 白い海』を発表するが、いずれも途中で長期休載となり未完状態である。2009年から『週刊少年マガジン』で原作のみを担当する形で『だぶるじぇい』の連載を開始(作画は亜桜まる)。2011年には『クロマティ高校』以来のアニメ化を果たすが同年内に連載を終了している。『赤い空 白い海』の長期休載以降は長らく作品を発表していなかったが、2018年に『マガジンポケット』にて『魁!!クロマティ高校』の続編『魁!!クロマティ高校職員室』を原作担当(作画は井野壱番)として7年ぶりの連載を開始した。 シュールなギャグや「あるある話」を用いることが多い。また、画風を池上遼一の絵柄に似せているのも意図的なものであり、ギャグの1つである。なお池上は野中の絵柄が自分の作品に酷似している事については認識しており容認している。 野中は自分の漫画に対し極端に無関心で、キャラクターにも愛着などないと言う態度を示している。これは自分自身もギャグの演出としていると見ることもでき、読者を逆に食ったような独特の魅力を放っている。以下に具体例を挙げる。 Mr.Childrenのメンバーは『クロマティ高校』を読んでおり『別冊カドカワ』にて彼らが特集されたときに読切作品『果てしない闇の向こうに』が掲載された(ただし、彼らを直接描いたのではなくミスチルと北島三郎を勘違いしていたという内容)。その後、メンバーは感謝の意味を込め、野中にサイン色紙を送っている。 同じ『マガジン』の連載漫画家である塀内夏子は、キャラクターのファン投票の葉書を送った事がある。 高橋留美子の『うる星やつら』完全版の企画で、主人公ラムのイラストを描いた。完全版の帯で野中は「本気度を見てもらうために、あえて資料を見ずに描いた」と述べている。 野中が自身の絵柄をパロディ化していると知人やスタッフから聞かされた池上遼一は、「自分の亜流が出てくるということは、それだけ自分の作品が認知されて有名になったということなので嬉しかった」と雑誌のインタビューで語るなど、池上からは公認されており、池上は『魁!!クロマティ高校』に登場するメカ沢新一と北斗武士を自ら描いたパネルを野中に贈っている。 『課長バカ一代』と『魁クロマティ高校』は連載終了後に小説化されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "野中 英次(のなか えいじ、1965年2月21日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。男性。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1989年に投稿した『SUPER BASEBALL CLUB』が『ヤングマガジン増刊黒ブタルーキー号』に読み切りで掲載されデビュー。翌1990年から1991年まで『ヤングマガジン海賊版』において同作品を連載する。5年のブランクを経て1996年から『ミスターマガジン』において『課長バカ一代』の連載を開始。2000年に同誌が休刊するまで掲載される長期連載となった。同時期に『モーニング』で『ドリーム職人』、『しゃぼてん』を発表している。『課長バカ一代』終了後、『週刊少年マガジン』に異動した担当編集に誘われ『魁!!クロマティ高校』の連載を開始し、同作品で2002年に第26回講談社漫画賞を受賞。アニメ化や実写映画化といった各種メディアミックスが展開されるヒット作となった。その後2006年から2008年にかけて『週刊少年マガジン』で『未来町内会』を連載する。並行して『イブニング』で『ハタキ』、『good!アフタヌーン』で『赤い空 白い海』を発表するが、いずれも途中で長期休載となり未完状態である。2009年から『週刊少年マガジン』で原作のみを担当する形で『だぶるじぇい』の連載を開始(作画は亜桜まる)。2011年には『クロマティ高校』以来のアニメ化を果たすが同年内に連載を終了している。『赤い空 白い海』の長期休載以降は長らく作品を発表していなかったが、2018年に『マガジンポケット』にて『魁!!クロマティ高校』の続編『魁!!クロマティ高校職員室』を原作担当(作画は井野壱番)として7年ぶりの連載を開始した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "シュールなギャグや「あるある話」を用いることが多い。また、画風を池上遼一の絵柄に似せているのも意図的なものであり、ギャグの1つである。なお池上は野中の絵柄が自分の作品に酷似している事については認識しており容認している。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "野中は自分の漫画に対し極端に無関心で、キャラクターにも愛着などないと言う態度を示している。これは自分自身もギャグの演出としていると見ることもでき、読者を逆に食ったような独特の魅力を放っている。以下に具体例を挙げる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "Mr.Childrenのメンバーは『クロマティ高校』を読んでおり『別冊カドカワ』にて彼らが特集されたときに読切作品『果てしない闇の向こうに』が掲載された(ただし、彼らを直接描いたのではなくミスチルと北島三郎を勘違いしていたという内容)。その後、メンバーは感謝の意味を込め、野中にサイン色紙を送っている。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "同じ『マガジン』の連載漫画家である塀内夏子は、キャラクターのファン投票の葉書を送った事がある。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "高橋留美子の『うる星やつら』完全版の企画で、主人公ラムのイラストを描いた。完全版の帯で野中は「本気度を見てもらうために、あえて資料を見ずに描いた」と述べている。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "野中が自身の絵柄をパロディ化していると知人やスタッフから聞かされた池上遼一は、「自分の亜流が出てくるということは、それだけ自分の作品が認知されて有名になったということなので嬉しかった」と雑誌のインタビューで語るなど、池上からは公認されており、池上は『魁!!クロマティ高校』に登場するメカ沢新一と北斗武士を自ら描いたパネルを野中に贈っている。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "『課長バカ一代』と『魁クロマティ高校』は連載終了後に小説化されている。", "title": "エピソード" } ]
野中 英次は、日本の漫画家。東京都出身。男性。
{{別人|野中英二|x1=政治家の}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 野中 英次 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = 野中 英次 | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1965|2|21}} | 生地 = [[東京都]] | 没年 = | 没地 = | ジャンル = [[ギャグ漫画]] | 活動期間 = [[1989年]] - | 職業 = [[漫画家]] | 公式サイト = | 代表作 = 『[[課長バカ一代]]』<br/>『[[ドリーム職人]]』<br/>『[[魁!!クロマティ高校]]』<br/>『[[未来町内会]]』<br/>『[[だぶるじぇい]]』 | 受賞 =第26回[[講談社漫画賞]]<br/>(『魁!!クロマティ高校』) }} '''野中 英次'''(のなか えいじ、[[1965年]][[2月21日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[東京都]]出身。男性。 == 経歴 == [[1989年]]に投稿した『SUPER BASEBALL CLUB』が[[週刊ヤングマガジン|『ヤングマガジン増刊黒ブタルーキー号]]』に読み切りで掲載されデビュー。翌[[1990年]]から[[1991年]]まで『[[週刊ヤングマガジン|ヤングマガジン海賊版]]』において同作品を連載する。5年のブランクを経て[[1996年]]から『[[ミスターマガジン]]』において『[[課長バカ一代]]』の連載を開始。[[2000年]]に同誌が休刊するまで掲載される長期連載となった。同時期に『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』で『[[ドリーム職人]]』、『[[しゃぼてん]]』を発表している。『課長バカ一代』終了後、『[[週刊少年マガジン]]』に異動した担当編集に誘われ『[[魁!!クロマティ高校]]』の連載を開始し、同作品で[[2002年]]に第26回[[講談社漫画賞]]を受賞。アニメ化や実写映画化といった各種メディアミックスが展開されるヒット作となった。その後[[2006年]]から[[2008年]]にかけて『週刊少年マガジン』で『[[未来町内会]]』を連載する。並行して『[[イブニング]]』で『[[ハタキ (漫画)|ハタキ]]』、『[[good!アフタヌーン]]』で『[[赤い空 白い海]]』を発表するが、いずれも途中で長期休載となり未完状態である。[[2009年]]から『週刊少年マガジン』で原作のみを担当する形で『[[だぶるじぇい]]』の連載を開始(作画は[[亜桜まる]])。[[2011年]]には『クロマティ高校』以来のアニメ化を果たすが同年内に連載を終了している。『赤い空 白い海』の長期休載以降は長らく作品を発表していなかったが、[[2018年]]に『[[マガジンポケット]]』にて『魁!!クロマティ高校』の続編『[[魁!!クロマティ高校職員室]]』を原作担当(作画は[[井野壱番]])として7年ぶりの連載を開始した。 == 特徴 == === ギャグ === シュールなギャグや「あるある話」を用いることが多い。また、画風を[[池上遼一]]の絵柄に似せているのも意図的なものであり、ギャグの1つである。なお池上は野中の絵柄が自分の作品に酷似している事については認識しており容認している。 === 「やる気のない漫画家」 === {{雑多|section=1|date=2015年2月11日 (水) 09:16 (UTC)}} 野中は自分の漫画に対し極端に無関心で、キャラクターにも愛着などないと言う態度を示している。これは自分自身もギャグの演出としていると見ることもでき、読者を逆に食ったような独特の魅力を放っている。以下に具体例を挙げる。 * デビュー作となった『SUPER BASEBALL CLUB』は投稿作品として送られた際、原稿の約半分が下書き状態であった。 * 世の中で自分の漫画が高く評価され、ゲームやアニメ、果てには実写作品まで作られても、どうとも思わない(アニメが作られたと言うのに「見てないんだけど」とキッパリ言い切った<ref>野中英次「ラブのな日記」『魁!!クロマティ高校 第11巻 打撃・走塁編』講談社([[講談社コミックス|少年マガジンコミックス]])、2005年6月17日、ISBN 978-4-06-363538-6、カバー折込。</ref>など)が、[[講談社漫画賞]]を受賞した際は初代受賞者が[[手塚治虫]]であった事を知り、光栄に思うどころか「自分が受賞したらマズい」と思った。 * 『[[魁!!クロマティ高校]]』の単行本のオマケコーナー・クロ高新聞、カバーでの編集者との会話でもやる気のなさをアピールしている。インタビューでは、主人公の神山やメカ沢に対して「むしろ壊したい」とまで発言したり、登場人物の多さを他人事のように苦言していた<ref name="nyugaku">クロマティ高校生徒会著「Part3 野中秀次◎二万字ロングインタビュー」『魁!! クロマティ高校入学案内』講談社〈プレミアムKC〉、2003年4月17日、ISBN 4-06-362024-7、152-180頁。</ref>。 * 『魁!!クロマティ高校』のコミックスのあとがきにて「まんが…あんまり好きじゃないんだけど」と発言している<ref>野中英次「あとがき」『魁!!クロマティ高校 第3巻 プロ野球編』講談社(少年マガジンコミックス)、2001年11月14日、ISBN 4-06-313048-7、159頁。</ref>。 * 「やる気がないので全くカラーを描こうとしない」ということにしており、たいていはデザイナーに作中のカットを寄せ集めたものを渡して単行本の表紙にしたり、あるときは若手漫画家「関口太郎」にデジタル彩色を頼んで、作者自身は原画だけ描くなどという行動にも出たことがある。 ** 単行本の担当がくだらない理由で遅刻した事に激怒し、仕方なく連載の担当編集者が作中のカットを使って単行本カバーを製作したこともある<ref>野中英次「作者近影」『課長バカ一代 6』講談社(ワイドKCミスターマガジン425)、2000年1月7日、ISBN 4-06-337425-4、カバー折込。</ref>。 ** また、無頓着な事から単行本のデザイナーがお遊びで、自身や動物などの写真を勝手にカバーに入れていたこともある<!--魁!クロマティ高校-->(しかもその事を知った後も特にコメントなどはせず容認している)。 * よく過去の作品のキャラが姿や設定を変えて登場するが、それは[[スター・システム (小説・アニメ・漫画)|スター・システム]]やファンサービスを意識しているわけではなく「使いまわし」だとする。 * 不定期で発表している短編『ラブのな』では、編集者と話し合いをする自分の分身「のなーえいじ」を登場させている。この分身は作者同様あまり人気はなく漫画に対しても強い思い入れはないが、『ドリーム職人』の山手川のような豪華な屋敷に住んでいる。基本的に増刊号などに掲載されているが、『魁!クロマティ高校』では本編の最中に突然登場した事がある<!--12巻、マガジン掲載時に2話掲載だった為に、2羽も考えるのは面倒と言う理由で3ページ目までは前話と同じ内容となり、4ページ目からのなーと担当の林田のシーンに変わった(ページ柱では「ラブのなだったのか…」と書かれており、単行本では巻末に「ラブのな」名義で掲載された)-->。 * 『[[週刊少年マガジン]]』にて『魁!!クロマティ高校』の連載を開始した理由は「(当時のマガジンに)巻末コメントがなかったから」とし<ref>野中英次「ラブのな日記」『魁!!クロマティ高校 第11巻 あすなろ編』講談社(少年マガジンコミックス)、2004年11月17日、ISBN 978-4-06-363448-8、カバー折込。</ref>、導入された後は「特にありません。」のコメントを連発した。 * [[2006年]]38号の『マガジン』にて、『[[未来町内会]]』の連載を開始。今回は『マガジン』の巻末コメントに「頑張ります。」と意気込むコメントを残すものの<ref>森田浩幸編『週刊少年マガジン 2006年38号』講談社、2006年9月6日、雑誌20651-9/6、478頁。</ref>、その後は「特にありません」を連発し、再び広告を募集したり担当が代わりに書く事態に戻った。最終回では「初めてですが、これで最終回です」とコメントを残した<ref>森田浩幸編『週刊少年マガジン 2008年19号』講談社、2008年4月23日、雑誌20654-4/23、490頁。</ref>。 * 『[[週刊少年マガジン]]』[[2009年]]34号(同年8月23日発売)より原作者として『[[だぶるじぇい]]』の連載を開始したが、作画担当の[[亜桜まる]]とは一度も会ったことがないとのこと。 * 基本的に連載漫画の最終回では、ショートギャグ作品でも物語をまとめるような展開が多いが、これまでの連載作品では最終回でも普通の内容になっていた。それどころか掲載誌の休刊により終了となった『[[課長バカ一代]]』に至ってはこれまでの展開や描写を台無しにするような内容であった。そんな中で、『だぶるじぇい』は初めて物語をきちんと完結させた作品である。 * その一方、休載は『マガジン』の作家の中ではかなり少ない方である。 == エピソード == [[Mr.Children]]のメンバーは『クロマティ高校』を読んでおり『別冊カドカワ』にて彼らが特集されたときに読切作品『果てしない闇の向こうに』が掲載された(ただし、彼らを直接描いたのではなくミスチルと[[北島三郎]]を勘違いしていたという内容)。その後、メンバーは感謝の意味を込め、野中にサイン色紙を送っている<ref>野中英次「特別読みきり「果てしない闇の向こうに」」『魁!!クロマティ高校 第10巻 プロ野球編』講談社(少年マガジンコミックス)、2004年7月16日、ISBN 978-4-06-363399-3、160頁。</ref>。 同じ『マガジン』の連載漫画家である[[塀内夏子]]は、キャラクターのファン投票の葉書を送った事がある。 [[高橋留美子]]の『[[うる星やつら]]』完全版の企画で、主人公ラムのイラストを描いた。完全版の帯で野中は「本気度を見てもらうために、あえて資料を見ずに描いた」と述べている。 野中が自身の絵柄をパロディ化していると知人やスタッフから聞かされた[[池上遼一]]は、「自分の亜流が出てくるということは、それだけ自分の作品が認知されて有名になったということなので嬉しかった」と雑誌のインタビューで語るなど、池上からは公認されており、池上は『魁!!クロマティ高校』に登場するメカ沢新一と北斗武士を自ら描いたパネルを野中に贈っている。 『課長バカ一代』と『魁クロマティ高校』は連載終了後に小説化されている。 == 作品リスト == === 漫画 === ; 原作および作画 * [[SUPER BASEBALL CLUB]](デビュー作、1989年、ヤングマガジン増刊黒ブタルーキー号掲載、1990年 - 1991年ヤングマガジン海賊版連載、全1巻) * [[課長バカ一代]](1996年 - 2000年、[[ミスターマガジン]]連載、全7巻) * [[ドリーム職人]](1998年 - 2000年、[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]連載、全3巻) * [[しゃぼてん]](2000年 - 2001年、モーニング連載、全1巻) * [[魁!!クロマティ高校]](2000年 - 2006年、[[週刊少年マガジン]]連載、全17巻) * [[未来町内会]](2006年 - 2008年、週刊少年マガジン連載、全4巻) * [[ハタキ (漫画)|ハタキ]](2007年 - 、[[イブニング]]連載(休載中)、既刊2巻) * [[赤い空 白い海]](2008年 - 、[[good!アフタヌーン]]連載(休載中)、既刊1巻) * [[FANTA (バンド)|最強!FANTAバンド伝説]](協力:[[亜桜まる]]<!--男性キャラ4人を野中、女性キャラの谷村のみ亜桜が描いている-->、2010年3月 - 7月 、週刊少年マガジン・講談社コミックプラス)※月一連載 * [[ラブのな]](単行本オマケや増刊号などに不定期掲載<!--マガジンFRESH、マガジンドラゴンなど。クロ高など当時の連載作品の単行本に収録-->) ; 原作のみ * [[メカ沢くん]](作画:[[ダイナミック太郎]]、2003年 - 2005年、[[コミックボンボン]]連載、全1巻) * [[だぶるじぇい]](作画:[[亜桜まる]]、2009年34号 - 2011年48号、週刊少年マガジン連載、全6巻) * [[魁!!クロマティ高校職員室]](作画:[[井野壱番]]、[[2018年]] -、[[マガジンポケット]]連載) === イラスト === * 『小説 課長バカ一代 - THE NOVEL』(著:[[ベンジャミン野口]]) * 『小説 魁!!クロマティ高校 - それから - 』(著:[[増本庄一郎]]) * 『おバカな自分をおりこうに見せる技術』(著:[[内藤誼人]]) * 『[[うぬぼれ刑事]]』(著:[[宮藤官九郎]]) == アシスタント == * [[ダイナミック太郎]] == 脚注 == {{Reflist|2}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:のなか えいし}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1965年生]] [[Category:存命人物]]
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のなかみのる
のなか みのる(本名:野中実、1957年9月8日 - ) は、日本の漫画家、創造学園大学准教授。岩手県二戸郡一戸町小鳥谷出身。 テレビアニメや特撮番組のコミック化を多く手がけ、『電脳警察サイバーコップ』ではキャラクターデザイン初期検討案、コミカライズを担当している。
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のなか みのる は、日本の漫画家、創造学園大学准教授。岩手県二戸郡一戸町小鳥谷出身。
'''のなか みのる'''(本名:野中実、[[1957年]][[9月8日]] - ) は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[創造学園大学]]准教授。[[岩手県]][[二戸郡]][[一戸町]]小鳥谷出身。 ==略歴== * [[1973年]]、高校1年生のとき『コミックレター』(近代映画社出版)でデビュー。 * [[1976年]]、[[ダイナミックプロ]]に入社。[[永井豪]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]となる。 * [[1980年]]、『われら中ガキ連』で第12回[[赤塚賞]]受賞。 * [[1981年]]、『マーダーゲーム』で講談社・新人漫画賞特別入選受賞 [[テレビアニメ]]や[[特撮]]番組のコミック化を多く手がけ、『[[電脳警察サイバーコップ]]』ではキャラクターデザイン初期検討案、コミカライズを担当している。 == 主な作品 == * ウルトラマン対宇宙鬼(小学二年生1979年7月号別冊付録) * 戦え!ザ☆ウルトラマン(小学二年生1979年8月号別冊付録) * それゆけコロット * ミラクルU坊  * [[炎の超人メガロマン]](原作:[[雁屋哲]]、[[小学館の学年別学習雑誌|小学二年生]]1979年8月号-10月号連載) * [[ザ☆ウルトラマン]](小学二年生1979年10月号付録) * デビルくん * [[宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち]](原作:[[西崎義展]]・[[松本零士]]、[[小学館の学年別学習雑誌|小学三年生1979年12月・80年1月号]]掲載) * われら中ガキ連 * へんてこオバカー(原作:永井豪、[[小学館の学年別学習雑誌|小学一年生]]、1980年) * [[わが青春のアルカディア 無限軌道SSX]](原作:松本零士、[[コミックボンボン]]1982年2月号掲載)※単行本未収録作品 * [[装甲騎兵ボトムズ]](原作:[[高橋良輔 (アニメ監督)|高橋良輔]]、コミックボンボン連載) * [[宇宙刑事ギャバン]](原作:[[八手三郎]]、[[テレビマガジン]]連載) * [[宇宙刑事シャイダー]](原作:八手三郎、テレビマガジン連載) * [[イタダキマン]]([[TVアニメマガジン]]連載) * [[機甲創世記モスピーダ]](TVアニメマガジン連載) * [[巨神ゴーグ]](原作:[[安彦良和]]、TVアニメマガジン連載) * [[巨獣特捜ジャスピオン]](原作:八手三郎、テレビマガジン連載) * [[仮面ライダーSD]](原作:[[石ノ森章太郎]]、[[テレビランド]]連載)  * [[ブルースワット]](原作:八手三郎、テレビランド連載) * [[激走戦隊カーレンジャー]](原作:八手三郎、テレビランド連載)  * [[銀河聖戦士伝]] * [[東京ゆうれいMAP]] * [[BE-BORN]] * 骨骨(こつこつ) * [[ラジコンキッド]](原作:[[神保史郎]]) * [[超音速攻撃ヘリ エアーウルフ|エアーウルフ]] * [[人の体ふしぎ探検]] * 電脳警察サイバーコップジュピター(コミックボンボン連載) * [[電脳警察サイバーコップ]](テレビマガジン連載) * サイバーコップ・ゼロ(キャラ通連載) * ウルトラマン -科特隊の永き黄昏-(原作:[[原彰孝]]、脚本:[[須甲和彦]]、[[ウルトラマンAGE]]) == 外部リンク == * [https://ameblo.jp/nonakaminoru/ のなかみのる公式ブログ] * {{Twitter|2GHrLSJDRKZqfhi}} * {{twitter|605fa47e148e44e|旧Twitterアカウント}} * {{マンガ図書館Z作家|245}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:のなか みのる}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:ダイナミックプロの人物]] [[Category:1957年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:岩手県出身の人物]] [[Category:創造学園大学の教員]]
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野部利雄
野部 利雄(のべ としお、1957年1月18日 - )は、日本の漫画家。栃木県宇都宮市出身。和光大学卒。 1979年、第18回手塚賞佳作受賞(『花と嵐がいく』)。同期受賞者に北条司、藤原カムイ。 ラブコメ、ファンタジー、美少女SF、ボクシング漫画等の長編を好んで執筆する。代表作に『わたしの沖田くん』など。
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'''野部 利雄'''(のべ としお、[[1957年]][[1月18日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[栃木県]][[宇都宮市]]出身。[[和光大学]]卒。 [[1979年]]、第18回[[手塚賞]]佳作受賞(『花と嵐がいく』)。同期受賞者に[[北条司]]、[[藤原カムイ]]。 [[ラブコメ]]、[[ファンタジー]]、[[美少女]][[サイエンス・フィクション|SF]]、[[ボクシング]]漫画等の長編を好んで執筆する。代表作に『わたしの沖田くん』など。 == 作品リスト == * [[わたしの沖田くん]] ([[週刊ヤングジャンプ]] 1980年 - 1984年) * [[弥生の大空]] (週刊ヤングジャンプ 1984年 - 1986年) * [[ミュウの伝説]] ([[少年ビッグコミック]] 1985年 - 1987年 → [[週刊ヤングサンデー|ヤングサンデー]] 1987年) * [[のぞみウィッチィズ|のぞみ♡ウィッチィズ]] (週刊ヤングジャンプ 1986年 - 1996年) *: 1990年に映画化され、[[OVA]]化もされた。 * [[妖精大戦NOA]] (週刊ヤングジャンプ 1997年 - 1999年) * [[Monacoの空へ]] (週刊ヤングジャンプ 1999年 - 2005年) ** [[Monacoの空へ2 ALAS〜輝ける翼〜]] (週刊ヤングジャンプ 2005年 - 2007年) * [[タイムスリッパー -YUKIの跳時空-]] ([[月刊ヤングジャンプ]] 2008年 - 2009年) * [[YOUKIの直球]] (週刊ヤングジャンプ 2010年 - 2011年) * [[マウンドファーザー]] ([[ビッグコミック増刊]]、[[ビッグコミック]] 2012年 - 2015年) * RISING - 短編集 * 野部利雄選集 - 短編集 == その他 == * 『のぞみウィッチィズ』と『妖精大戦NOA』の連載中に、それぞれの作品の主人公の名前の元になった作家([[司馬遼太郎]]・[[星新一]])が死亡している。 * 常勤のアシスタントが10人前後と大変多い(通常は2 - 3人程度)。 == アシスタント == * [[中原裕]] * [[椎名高志]] - 『のぞみ♡ウィッチィズ』ではオリンピック編でモブを担当。試合を観戦するモブというにはかなり個性的なキャラを描いている。 * [[モリ淳史]] * [[浦沢直樹]] * [[矢野健太郎 (漫画家)|矢野健太郎]] * [[山内繁利]] * 吉田ひろゆき {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:のへ としお}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:和光大学出身の人物]] [[Category:栃木県出身の人物]] [[Category:1957年生]] [[Category:存命人物]]
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野間和子
野間 和子(のま かずこ、1941年 - 2018年)は、日本の精神科医。群馬県桐生市出身。 横浜市立大学医学部を卒業後、神奈川県立こども医療センターに勤める。1991年、野間メンタルヘルスクリニックを開業し、その院長となる。
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野間 和子は、日本の精神科医。群馬県桐生市出身。 横浜市立大学医学部を卒業後、神奈川県立こども医療センターに勤める。1991年、野間メンタルヘルスクリニックを開業し、その院長となる。
{{特筆性|人物|date=2009年11月2日}} '''野間 和子'''(のま かずこ、[[1941年]] - [[2018年]])は、[[日本]]の[[精神科医]]。[[群馬県]][[桐生市]]出身。 [[横浜市立大学]][[医学部]]を卒業後、[[神奈川県立こども医療センター]]に勤める。[[1991年]]、野間メンタルヘルスクリニックを開業し、その院長となる。 == 著作 == * 男の子を育てる([[大泉書店]]、1998年)ISBN 4-278-03631-0。 * 女の子を育てる(大泉書店、1998年)ISBN 4-278-03632-9。 == 外部リンク == * [http://www.noma-mhc.com/ 野間メンタルヘルスクリニック] {{Normdaten}} {{scientist-stub}} {{DEFAULTSORT:のま かすこ}} [[Category:日本の女性精神科医]] [[Category:20世紀日本の精神科医]] [[Category:21世紀日本の精神科医]] [[Category:横浜市立大学出身の人物]] [[Category:群馬県出身の人物]] [[Category:1941年生]] [[Category:2018年没]]
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野間美由紀
野間 美由紀(のま みゆき、1960年12月4日 - 2020年5月2日)は、日本の漫画家。千葉県千葉市出身。 千葉県立千葉南高等学校卒業。 1979年、18歳の時、『トライアングル・スクランブル』(『花とゆめ』19号)でデビュー。同年『ひっくりかえって恋をして』で、第4回アテナ大賞2席を受賞。当初は一般的な少女漫画を描いていたが、1983年から連作形式で描き始めた『パズルゲーム☆はいすくーる』ではミステリー漫画に移行し、少女漫画誌におけるミステリー作品のさきがけとなる。 日本推理作家協会、本格ミステリ作家クラブ会員。 2020年5月2日正午頃(JST)、虚血性心疾患のため長野県内の病院で死去。59歳没。
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野間 美由紀は、日本の漫画家。千葉県千葉市出身。
{{出典の明記|date=2015年3月1日 (日) 07:46 (UTC)|ソートキー=人2020年没}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 野間 美由紀 | 画像 = <!-- 画像ファイル名 --> | 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px --> | 脚注 = <!-- 画像の説明文 --> | 本名 = <!-- 必ず出典を付ける --> | 生年 = {{生年月日|1960|12|04}} | 生地 = {{JPN}}・[[千葉県]][[千葉市]]<ref name="sanspo_20200514" /> | 没年 = {{死亡年月日と没年齢|1960|12|04|2020|05|02}} | 没地 = {{JPN}}・[[長野県]]<ref name="sanspo_20200514" /> | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 職業 = [[漫画家]] | 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 --> | 活動期間 = 1979年 - 2020年 | ジャンル = [[少女漫画]]、[[女性漫画]]、[[ミステリー漫画]] | 代表作 = [[パズルゲーム☆はいすくーる]]<br>ジュエリーコネクション | 受賞 = 第4回[[アテナ大賞]]第2席<br>第5回アテナ大賞デビュー優秀者賞 | サイン = <!-- 画像ファイル名 --> | 公式サイト = <!-- {{Official website|https://www.example.org}}や[https://www.example.org/ 公式ページ名] など --> }} '''野間 美由紀'''(のま みゆき、[[1960年]][[12月4日]]<ref name="HPprof">[http://www.studio-rose.com/profile.html MIYUKI's ROSE Garden - Profile]</ref> - [[2020年]][[5月2日]]<ref name="oricon_20200514" />)は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[千葉県]][[千葉市]]出身<ref name="sanspo_20200514" /><ref name="HPprof"/>。 == 来歴 == [[千葉県立千葉南高等学校]]卒業<ref name="MysteryWritersOfJapan">[http://www.mystery.or.jp/member/detail/0635 日本推理作家協会会員名簿 野間美由紀]</ref>。 [[1979年]]、18歳の時、『トライアングル・スクランブル』(『[[花とゆめ]]』19号)でデビュー。同年『ひっくりかえって恋をして』で、第4回アテナ大賞2席を受賞<ref>『漫画家人名事典』291頁、 [[日外アソシエーツ]]、2003年2月25日発行。</ref>。当初は一般的な[[少女漫画]]を描いていたが、1983年から連作形式で描き始めた『[[パズルゲーム☆はいすくーる]]』ではミステリー漫画に移行し、少女漫画誌におけるミステリー作品のさきがけとなる。 [[日本推理作家協会]]<ref name="HPprof"/>、[[本格ミステリ作家クラブ]]会員<ref name="HPprof"/>。 2020年5月2日正午頃([[日本標準時|JST]])、[[虚血性心疾患]]のため[[長野県]]内の病院で死去<ref name="sanspo_20200514">{{Cite news|title=漫画家、野間美由紀さん死去 「パズルゲーム☆」シリーズ連載中|newspaper=サンケイスポーツ|date=2020-05-14|url=https://www.sanspo.com/article/20200514-XSE5KPHVZBLKZLWI7W26J5ACNE/|agency=産経デジタル|accessdate=2020-05-14}}</ref><ref name="oricon_20200514">{{Cite news|title=漫画家の野間美由紀さん、虚血性心疾患のため2日に死去 59歳 『パズルゲーム』シリーズ連載中|newspaper=ORICON NEWS|date=2020-05-14|url=https://www.oricon.co.jp/news/2162109/full/|agency=oricon ME|accessdate=2020-05-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=訃報 野間美由紀先生が逝去されました |url=https://www.hakusensha.co.jp/information/57613/ |website=[[白泉社]] |date=2020-05-14|accessdate=2020-5-14}}</ref>。{{没年齢|1960|12|4|2020|5|2}}。 == 作品リスト == * [[パズルゲーム☆はいすくーる]]([[白泉社]]『[[花とゆめ]]』掲載、1983年 - 2001年 全34巻) ** 新パズルゲーム☆はいすくーる([[秋田書店]]『[[ミステリーボニータ]]』掲載、2002年 - 2008年、全6巻) *** パズルゲーム☆はいすくーるX(秋田書店『ミステリーボニータ』掲載、2008年 - 2015年、全8巻) *** パズルゲーム☆プレステージ(秋田書店『ミステリーボニータ』掲載、2016年 - 2020年、全4巻) *** パズルゲーム☆ミステール(秋田書店『ミステリーボニータ』掲載、2020年){{Efn2|『[[ミステリーボニータ]] 2020年4月号』収録の第1話をもって絶筆。『ミステリーボニータ』2020年8月号の付録に追悼企画とともに収録<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.akitashoten.co.jp/news/1991 |title=野間美由紀先生が逝去されました |accessdate=2020-5-14 |date=2020-5-14 |website=[[秋田書店]]}}</ref>。}} ** パズルゲーム☆トレジャー([[白泉社]]『[[Silky]]』掲載、2008年 - 2011年、全4巻) *** パズルゲーム☆Pro(白泉社『Silky』掲載、2011年 - 2013年、全3巻) *** パズルゲーム☆ラグジュアリー(白泉社『[[Silky|Love Silky]]』掲載、2013年 - 2016年、全5巻) *** パズルゲーム☆サクシード(白泉社『Love Silky』掲載、2016年 - 2020年、全6巻){{Efn2|『[[Silky|Love Silky]] Vol.90』収録のstory23をもって絶筆<ref name="oricon_20200514" />。}} * ジュエリーコネクション ** 新・ジュエリーコネクション * アトモスフィア * インテリア * 嘘でかまわない * ナット・クラッカー * cat's paw * Joker == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|author=まんがseek・日外アソシエーツ編集部 共著|date=2003-02-25 |title=漫画家人名事典|pages=291 |publisher=[[日外アソシエーツ]] |edition=第1刷 |isbn=4816917608 |ref={{SfnRef|日外アソシエーツ編集部|2003}} }} * {{Citation|和書|author=野間美由紀|date=1979-10-05 |title=トライアングル・スクランブル|journal=[[花とゆめ]] 1979年19号特大号(通巻137号)|volume=6 |issue=22 |pages=333-348 |publisher=[[白泉社]] |id={{全国書誌番号|00026611}} |ref={{SfnRef|野間美由紀|1979}} }}※1979年9月5日発売。 == 外部リンク == * [http://www.studio-rose.com/ ローズガーデン](公式サイト) * [https://web.archive.org/web/19981203015323/http://www.iijnet.or.jp/rose/ 旧公式サイト][https://web.archive.org/web/20001016025750/http://studio-rose.com/home.html] * {{Twitter|rose_m|野間美由紀}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:のま みゆき}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:千葉市出身の人物]] [[Category:1960年生]] [[Category:2020年没]]
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のむらしんぼ
のむら しんぼ(1955年(昭和30年)9月24日 - 、本名:野村 伸(のむら しん))は、日本の漫画家。 北海道茅部郡南茅部町(現・函館市)出身。函館ラ・サール高校卒業。立教大学文学部仏文科中退。血液型はAB型。 立教大学時代に初めて触れた青年漫画に衝撃を受けて漫画家を目指し、大学2年の時に漫画研究会に入る。大学3年生の時に似顔絵描きのアルバイトをしていた際に弘兼憲史に声をかけられ、アシスタントとなる。そして大学在学中の1979年(昭和54年)に『ケンカばんばん』(『コロコロコミック』)でデビュー。1980年(昭和55年)からは同誌で『とどろけ!一番』を連載する。なお、立教大学は本格的に漫画の世界に入ったため通わなくなり、5年間在籍した後中退している。コロコロコミックでの初仕事は『ウルトラ兄弟物語』の臨時アシスタントであった。 1985年(昭和60年)より『コロコロコミック』で『つるピカハゲ丸』の連載を開始する。元々同作は当時スランプに陥っていたのむらが、4コマ漫画を描かせたいという編集部の意向を汲み、漫画の基本である4コマからの再出発を試みた作品であった。1987年(昭和62年)には同作で小学館漫画賞児童部門を受賞、テレビアニメ化もされ、累計500万部のヒット作となった。これを機に1988年(昭和63年)に漫画制作会社「しんぼプロ」を設立。しかし同作終了後には、次作品が次々と短命に終わった事に加えて、立て続けに親戚の死が重なった等の不幸も重なり再びスランプに陥り、併せて2004年(平成16年)には離婚。数百万円もあった月収が数万円に転落し、豪遊生活が一転して借金漬けとなった。 家族から「他の漫画家を見習って素晴らしい作品を書く努力をしないのか」と叱咤され、児童漫画を描いていたが、安易に他作品からの演出やストーリー展開等の引用を繰り返した事に呆れられた上、仕事場に籠もる割合が増えて家族と接する時間が大幅に減少した事から、元妻は「マンガと心中したいんでしょう?」「その望み、叶えてあげます」との言葉を残して三人の子供を連れてのむらの下を去り、家族は崩壊したという。このエピソードは後に本人が後述の漫画『コロコロ創刊伝説』の中でも描いており、離婚以来長年家族とは絶縁状態となり音信不通だったが、第6話にて本作を読んだ娘から連絡があったことを明かしている。当時のエピソードが2016年8月29日に放送された『しくじり先生 俺みたいになるな!!3時間スペシャル』(テレビ朝日系)で紹介され、同番組HPにて、のむら本人の筆による描き下ろし4コマ漫画が期間限定で公開されている。 以降も『コロコロコミック』の系列誌を中心として作品を発表している。 2014年(平成26年)発売の『コロコロアニキ』に、『コロコロコミック』創刊の歴史に絡めて自身の漫画家人生を描いた漫画『コロコロ創刊伝説』が掲載されており、その中では近況や現在の凋落ぶりも自虐的に描写している。 かなりのゲーム好きで、『ゲームラボ』のインタビューでは『オランダ妻は電気ウナギの夢を見るか?』など過去のマイナー作品の話をして記者に驚かれた。しかし、ジャレコから発売された『ハゲ丸』のゲーム版に自分が登場している事は知らなかったという。 趣味としては、テニスを挙げている。
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のむら しんぼは、日本の漫画家。 北海道茅部郡南茅部町(現・函館市)出身。函館ラ・サール高校卒業。立教大学文学部仏文科中退。血液型はAB型。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = のむら しんぼ | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = 野村 伸<ref name="mangaseek">まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、ISBN 4-8169-1760-8、291 - 292頁</ref> | 生年 = {{生年月日と年齢|1955|9|24}} <ref name="mangaseek" /> | 生地 = {{JPN}} [[北海道]][[茅部郡]][[南茅部町]]<ref name="mangaseek" />(現在の[[函館市]]) | 役年 = | 役地 = | 国籍 = [[日本]] | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1979年]] - | ジャンル = [[幼年漫画|児童漫画]]、[[少年漫画]] | 代表作 = 『[[とどろけ!一番]]』<br />『[[つるピカハゲ丸]]』<br />『[[コロコロ創刊伝説]]』 | 受賞 = 第33回[[小学館漫画賞]]児童部門(『つるピカハゲ丸』) | サイン = | 公式サイト = }} '''のむら しんぼ'''([[1955年]](昭和30年)[[9月24日]]<ref name="mangaseek" /> - 、本名:野村 伸(のむら しん)<ref name="mangaseek" />)は、[[日本]]の[[漫画家]]。 [[北海道]][[茅部郡]][[南茅部町]](現・[[函館市]])出身<ref name="mangaseek" />。[[函館ラ・サール中学校・高等学校|函館ラ・サール高校]]卒業。[[立教大学]]文学部仏文科中退<ref>[http://sugaya.otaden.jp/e50055.html すがやみつるブログ「のむらしんぼさんにインタビュー」(2009年7月24日)] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090727133103/http://sugaya.otaden.jp/e50055.html |date=2009年7月27日 }}</ref>。血液型はAB型<ref name="academy">{{Cite web|和書|url=http://www.manga-g.co.jp/interview/int2005/int05-07.htm |title=2005年7月号/のむらしんぼ先生 |work=漫画家リレー訪問記 |publisher=日本漫画学院 |date=2006年7月 |accessdate=2009-05-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110408163711/http://www.manga-g.co.jp/interview/2005/int05-07.html |archivedate=2011年4月8日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>。 == 略歴 == 立教大学時代に初めて触れた青年漫画に衝撃を受けて漫画家を目指し、大学2年の時に漫画研究会に入る<ref name="academy" />。大学3年生の時に似顔絵描きの[[アルバイト]]をしていた際に[[弘兼憲史]]に声をかけられ、[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]となる<ref name="academy" />。そして大学在学中の[[1979年]](昭和54年)に『ケンカばんばん』(『[[月刊コロコロコミック|コロコロコミック]]』)でデビュー<ref name="academy" />。[[1980年]](昭和55年)からは同誌で『[[とどろけ!一番]]』を連載する。なお、立教大学は本格的に漫画の世界に入ったため通わなくなり、5年間在籍した後中退している。コロコロコミックでの初仕事は『[[ウルトラ兄弟物語]]』の臨時アシスタントであった<ref>『コロコロ創刊伝説』1巻第3話。</ref>。 [[1985年]](昭和60年)より『コロコロコミック』で『[[つるピカハゲ丸]]』の連載を開始する。元々同作は当時スランプに陥っていたのむらが、[[4コマ漫画]]を描かせたいという編集部の意向を汲み、漫画の基本である4コマからの再出発を試みた作品であった<ref name="academy" />。[[1987年]](昭和62年)には同作で[[小学館漫画賞]]児童部門を受賞、[[テレビアニメ]]化もされ、累計500万部<ref name="gendai">{{Cite web|和書|url=http://gendai.net/?m=view&g=geino&c=070&no=26011|title=【あの人は今こうしている】のむらしんぼ(漫画家)|work=ゲンダイネット|publisher=[[日刊ゲンダイ]]|date=2008-10-02|accessdate=2009-05-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080617115009/http://gendai.net/?m=view|archivedate=2008年6月17日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>のヒット作となった。これを機に[[1988年]](昭和63年)に漫画制作会社「しんぼプロ」を設立。しかし同作終了後には、次作品が次々と短命に終わった事に加えて、立て続けに親戚の死が重なった等の不幸も重なり再びスランプに陥り<ref name="gendai" />、併せて[[2004年]](平成16年)には離婚。数百万円もあった月収が数万円に転落し、豪遊生活が一転して借金漬けとなった。 家族から「他の漫画家を見習って素晴らしい作品を書く努力をしないのか」と叱咤され、[[幼年漫画|児童漫画]]を描いていたが、安易に他作品からの演出やストーリー展開等の引用を繰り返した事に呆れられた上、仕事場に籠もる割合が増えて家族と接する時間が大幅に減少した事から、元妻は「マンガと心中したいんでしょう?」「その望み、叶えてあげます」との言葉を残して三人の子供を連れてのむらの下を去り、家族は崩壊したという。このエピソードは後に本人が後述の漫画『[[コロコロ創刊伝説]]』の中でも描いており、離婚以来長年家族とは絶縁状態となり音信不通だったが、第6話にて本作を読んだ娘から連絡があったことを明かしている。当時のエピソードが2016年8月29日に放送された『[[しくじり先生 俺みたいになるな!!]]3時間スペシャル』([[テレビ朝日]]系)で紹介され<ref>https://news.livedoor.com/article/detail/11951351/</ref>、同番組HPにて、のむら本人の筆による描き下ろし4コマ漫画が期間限定で公開されている。 以降も『コロコロコミック』の系列誌を中心として作品を発表している。 [[2014年]](平成26年)発売の『[[コロコロアニキ]]』に、『コロコロコミック』創刊の歴史に絡めて自身の漫画家人生を描いた漫画『コロコロ創刊伝説』が掲載されており、その中では近況や現在の凋落ぶりも自虐的に描写している。 == 人物 == かなりのゲーム好きで、『[[ゲームラボ]]』のインタビューでは『[[ストロベリーポルノシリーズ|オランダ妻は電気ウナギの夢を見るか?]]』など過去のマイナー作品の話をして記者に驚かれた。しかし、[[ジャレコ]]から発売された『ハゲ丸』のゲーム版に自分が登場している事は知らなかったという<ref>『ゲームラボ』[[2008年]](平成20年)9月号</ref>。 趣味としては、テニスを挙げている。 == 作品リスト == === 連載 === * ケンカばんばん([[月刊コロコロコミック]]1979年5月号 - 1979年10月号) * [[二死満塁#その他|ガッツだ!ちび六]](原作:[[砂田弘]])([[小学館の学年別学習雑誌|小学六年生]]1979年4月号 - 11月号) * ファイト満まん(小学六年生1979年12月号 - 1981年3月号) * [[とどろけ!一番]](月刊コロコロコミック1980年2月号 - 1983年5月号) * ザ・にんぽーくん(小学六年生1981年4月号 - 1982年2月号) * ドッジ球太([[別冊コロコロコミック]]1981年5月号 - 11月号) * えぐえぐヒーローくん(小学六年生1982年4月号 - 1983年2月号) * [[男トラゴロウ]](月刊コロコロコミック1983年5月号 - 1984年9月号) * おれはキメ丸(小学六年生1983年9月号 - 1984年2月号) * とつげき百太郎(小学六年生1984年4月号 - 1985年1月号) * 熱血ヨーヨー戦士 電撃タケル(別冊コロコロコミック1984年7月号 - 12月号) * Dr.ゴックン(月刊コロコロコミック1984年11月号 - 1985年2月号) * [[つるピカハゲ丸]](月刊コロコロコミック1985年4月号 - 1994年1月号、別冊コロコロコミック1985年10月号 - 1995年4月号) ** つるピカハゲ丸21(別冊コロコロコミック1999年8月号 - 2000年8月号) ** つるピカハゲ丸(コロコロイチバン!版)([[コロコロイチバン!]]2009年26号 - 2016年1月号) * イカタコ スカタンくらぶ(別冊コロコロコミック1990年6月号 - 10月号) * ほのぼの恐竜チラノくん(月刊コロコロコミック1990年11月号 - 1991年5月号) * オヤジきっど(別冊コロコロコミック1991年6月号 - 8月号) * おせっかいくん(小学四年生1991年11月号 - 1993年9月号) * [[かげきベイビー バーブー赤ちん]](月刊コロコロコミック1993年12月号 - 1996年8月号、別冊コロコロコミック1995年8月号 - 1996年8月号) * ラク勉!ガンバくん(小学三年生1995年4月号 - 1996年2月号) * どんと カワルくん([[小学二年生]]1996年4月号 - 1997年3月号) * [[ほっとけ!コジゾウくん]](月刊コロコロコミック1996年12月号 - 1998年6月号) * 1・2のダジャルくん(小学二年生1997年4月号 - 1998年3月号) * フレッシュ!すももちゃん(北海道新聞日曜版1997年 - 1998年) * [[どすこい!サイぼん]](月刊コロコロコミック1998年8月号 - 1999年5月号) * 頑張れピンぼけママ(原作:[[西ゆうじ]])([[まんがタイム]]2000年8月号 - 2001年12月号) * [[あっぱれメガバカBoys]](月刊コロコロコミック2000年9月号 - 2002年8月号) * 売ルルンせーるすまん(まんがタイム2002年1月号ゲスト・3月号 - 8月号) * まほうの文字つかい ミスター・モジック([[小学一年生]]2002年4月号 - 2003年3月号) * マネーキッド ザ・1えんマン(別冊コロコロコミック2003年8月号 - 12月号) * [[ラチェット&クランク|ラチェット&クランク ガガガ!銀河のがけっぷち伝説]](別冊コロコロコミック2004年2月号 - 2008年2月号) * トップ 放課後社長は12さい(本名で原作を担当。作画:[[岩田和久]])(小学六年生2005年4月号 - 2007年3月号) * デカいぬ ぶるう太っす!(コロコロイチバン!創刊号 - 5号) * 超口撃格闘ギャグ ダジャ拳だじゃ丸(コロコロイチバン!8号 - 18号) * "つるセコ課長"単身赴任記!! ハゲ田ハゲ蔵([[週刊漫画ゴラク]]2007年) * [[超熱ゲームキッド!! クリエイ太]](別冊コロコロコミック2010年12月号 - 2011年4月号) * のむらしんぼのつるセコしんぼ節([[本当にあった笑える話]]2011年10月号 - 12月号) * [[コロコロ創刊伝説]]([[コロコロアニキ]]第1号 - 2021年春号、コロコロオンラインに移行して連載中) === 読切 === * サッカー小僧ねっけつ蛮児(別冊コロコロコミック1982年5月号) * どっこいムチャの介(別冊コロコロコミック1987年10月号) * 空気の色([[ビッグコミックオリジナル増刊]]1991年6月号) * 茶らりーまん 中山呑太(ビッグコミックオリジナル増刊1991年8月号) * 単身赴任マン(ソロリーマン)物語 北の寮から(ビッグコミックオリジナル増刊1992年) * 地球防衛戦士 銀河マンごろう(別冊コロコロコミック1992年10月号) * おたくま社員たくま君(ビッグコミックオリジナル増刊1993年) * おいら ゲキベン(別冊コロコロコミック1993年6月号) * 龍馬がとおる(原作:伊東まさひこ)(ビッグコミックオリジナル増刊1994年) * おげんきママ([[ビッグコミック増刊号|ビッグコミック]]2002年3月増刊号) * 新バカ社員ズ([[ビッグコミックオリジナル]]2002年8号) * ネーキッド(別冊コロコロコミック2003年2月号) * めざせ!セコセコ金メダル(小学六年生2004年8月号) * 深夜3時のグッドモロニング([[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]2014年47号) * ススメ!つるセコ人生!(増刊 本当にあった愉快な話 死ぬかと思った!!仰天スペシャル) * つるセコとバブルと私 〜安飲み3冠王!〜(めしざんまい 食欲全開!中華料理) * 皿洗い少年 洗太 (原作:長谷川雅紀([[錦鯉 (お笑いコンビ)|錦鯉]]))([[GANMA!]])[[まんが未知]]での企画 === 児童書挿絵 === * まんが攻略シリーズ ** 早おぼえ 日本史人物(著者:人物日本史教育研究会) ** 早おぼえ 理科(著者:富田京一) * チャレンジ!なぞなぞ日本一周 === その他 === * [[ラバーガール]]単独LIVE「大水が出た!」<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/198185|title=のむらしんぼ、つるピカハゲ丸×ラバーガールのイラスト描く!限定グッズに|newspaper=コミックナタリー|date=2016-08-15|accessdate=2020-05-01}}</ref> ** 2016年8月17 - 18日に行われた同名の単独ライブ内にて販売されたグッズのイラストを担当。なお、このイラストは同年10月26日に発売された同ライブDVDのジャケットにも使用されている。 * [[おはようロバート]]([[AbemaTV]]、2018年7月28日 - 2019年9月28日) ** オープニングイラストを担当。 == 関連人物 == ; [[弘兼憲史]] : のむらの師匠。学生時代に似顔絵描きをしていたところに弘兼から声をかけられ、これをきっかけとしてアシスタントとなる<ref name="academy" />。のむらの結婚時には弘兼が妻の[[柴門ふみ]]と共に[[仲人]]も務めている<ref name="gendai" />。2014年の弘兼憲史の画業40周年記念には、自身のアシスタント時代の思い出を綴った『深夜3時のグッドモロニング』をモーニングに描き下ろしで寄稿している。 : ; [[ひかわ博一]] : 元アシスタント。ひかわの初単行本となった『[[PC原人|PC原人くん]]』発売の際には、『つるピカハゲ丸』の単行本の中で宣伝を行っている<ref>『つるピカハゲ丸』17巻、[[小学館]]〈[[てんとう虫コミックス]]〉、ISBN 4-09-141337-4、96頁</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Facebook|shin.nomura.1|のむら しんぼ}} * {{Twitter|shinbostaff|のむらしんぼ}} - スタッフによるアカウント。 * [https://web.archive.org/web/20100508060453/http://www.manga-g.co.jp/interview/2005/int05-07.html 漫画家リレー訪問記](2010年5月8日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) * [https://web.archive.org/web/20080617115009/http://gendai.net/?m=view 【あの人は今こうしている】のむらしんぼ(漫画家)] * [https://web.archive.org/web/20110520140551/http://corocoro.tv/coroden/interview/02nomura.html 『熱血!!コロコロ伝説』 インタビュー] * [https://mangaseek.net/person/1307.html のむらしんぼのプロフィール、受賞歴、全作品リストなど] * [https://web.archive.org/web/20160904143549/http://www.tv-asahi.co.jp/shikujiri/news/15/ のむらしんぼ先生の描き下ろし4コマ漫画を期間限定で掲載中!] テレビ朝日「しくじり先生 俺みたいになるな!!」公式HP、2016年8月29日公開 {{Normdaten}} {{デフォルトソート:のむら しんほ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:立教大学出身の人物]] [[Category:函館ラ・サール高等学校出身の人物]] [[Category:北海道出身の人物]] [[Category:1955年生]] [[Category:存命人物]]
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萩尾望都
萩尾 望都(はぎお もと、本名同じ、1949年5月12日 - )は、日本の漫画家。女性。女子美術大学客員教授、日本SF作家クラブ名誉会員、日本漫画家協会理事。 福岡県大牟田市生まれ。1969年に「ルルとミミ」でデビューする。1972年から『ポーの一族』を連載、1976年に同作および『11人いる!』により第21回小学館漫画賞を受賞した。同時期に連載された『トーマの心臓』も人気となり、少女漫画に革新をもたらし黄金時代を築いたとして、竹宮惠子や大島弓子、山岸凉子らと共にその生年から「花の24年組」と呼ばれた。 作品のジャンルはSF、ファンタジー、ミステリー、ラブコメディー、バレエもの、サスペンスものなど幅広い分野にわたる。1997年には『残酷な神が支配する』で第1回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞、2006年には『バルバラ異界』で第27回日本SF大賞を受賞した。2011年には第40回日本漫画家協会賞・文部科学大臣賞を受賞。2012年春に少女漫画家では初となる紫綬褒章を受章した。2019年秋に女性漫画家では初となる文化功労者に選出された。2022年に日本人で7人目となるアイズナー賞「コミックの殿堂」を受賞、旭日中綬章を受章。 1949年、福岡県大牟田市白川町に生まれる。4人兄弟の次女(姉・妹・弟)。父は三井鉱山の関連会社の社員。「望都」は本名で、両親がそれぞれの思いを持って名付けられた。名前の由来には諸説ある。4歳の頃に熊本県荒尾市の父親の会社の社宅に引っ越して、小学校2年生の5月まではそちらで暮らしたのち、また大牟田市の社宅に戻る。 2歳頃から絵を描き、4歳で漫画や本を読み始めるが、教育熱心な両親により、漫画を読むことを禁止されていた。幼稚園では時間の許す限り絵を描き、小学校では3年生のころ、彼女の絵の才能を伸ばそうとした両親の勧めで絵の塾に通い油絵を学ぶ。小学校2年のときに学級文庫ができ、『ヘレンケラー物語』や『アルセーヌ・ルパン』、『青い鳥』、『不思議の国のアリス』などを夢中になって何度も読み、また図書館に入り浸りギリシャ神話や世界名作全集、児童向けのSFシリーズなどを読んでいた。さらに、親戚の本屋に遊びに行っては漫画を読み、模写していた。 1962年、大牟田市立船津中学校に入学する。中学入学後、漫画を描く友人、原田千代子(後の漫画家・はらだ蘭)と知り合い、漫画を描くための知識や漫画家になるためには作品を投稿する必要があることを知り、2人で貸本雑誌などに投稿した。中学2年生のときに大阪府吹田市に引っ越すが、その後も原田との文通は続く。 高校は大阪府立吹田高等学校に入学する。高校2年生の終わり頃に手塚治虫の『新選組』に強く感銘を受け、本気で漫画家を志し、漫画雑誌への投稿を始める。 高校3年生のときに福岡県大牟田市小浜の社宅に引っ越す。校区があり福岡県立大牟田北高等学校に転校するが、競争が激しくなじめなかったと言う。原田千代子の紹介で漫画同人誌「キーロックス」に同人漫画家として参加する。「キーロックス」は福岡県立大牟田南高等学校の生徒3、4人および卒業生を合わせた8人くらいからなるグループで、肉筆回覧誌を作っていた。 高校卒業後、福岡市内の日本デザイナー学院ファッションデザイン科に入学し、服飾デザインを学ぶ。漫画の投稿は全部で10作ほど行い、そのうちの1作『ミニレディが恋をしたら』(ペンネームは「萩尾望東」)で『別冊マーガレット』(集英社)1968年5月号の「少女まんがスクール」にて金賞を受賞するが、入賞作は掲載されなかった。続く『青空と王子さま』は7月号で銀賞に落ちてしまい、萩尾は学校の冬休みに上京して出版社を訪問する計画をたてる。 休暇で上京した際に手塚プロのアシスタントをしていた原田千代子を訪問し、そこで初めて手塚治虫と出会う。また原田と岡田史子を訪ねた。同郷の漫画家、平田真貴子のつてで講談社の『なかよし』編集部に持ち込みをした。そこで「何か短い作品を」と言われ、忘れられないうちにと2週間で20数枚の作品を仕上げ提出。その作品『ルルとミミ』が『なかよし』夏休み増刊号に掲載されてデビューした。 専門学校の卒業を控えた頃、講談社の編集者に頼まれ、東京にいた竹宮惠子のアシスタントに一晩だけ赴き、上京して一緒に住まないかと誘われる。その後『なかよし』編集部からの『ビアンカ』(掲載は別誌)以外のボツが続くが、次の『ケーキ ケーキ ケーキ』で自分のスタンスの描きたいものを描く方針を決める。竹宮惠子より小学館の編集者を紹介すると言われ、ボツになった5、6作の原稿を竹宮に送る。1970年10月頃上京し、練馬区大泉で2年間の共同生活に入る(大泉サロン)。竹宮惠子と共同アパートで生活し、後に24年組と呼ばれることとなる漫画家たちと切磋琢磨(せっさたくま)の日々を送るが、このときに増山法恵から様々な文化的な知識を吸収する。その後、描きたいSFをテーマにした作品が採用されない時期が2年ほど続くが、竹宮に伴われ小学館へネームを持ち込んだ際に『少女コミック』編集者の山本順也に可能性を認められ、「自由にわがままに思い切り描かせたい」という方針のもと、本領を発揮するようになる。 1972年2月、『ポーの一族』シリーズ第1作「すきとおった銀の髪」が『別冊少女コミック』3月号に掲載され、以後5年間断続的に連載される。代表作『ポーの一族』は、「永遠にこどもであるこどもをかきたい」との発想から、石ノ森章太郎の『きりとばらとほしと』の吸血鬼の設定の一部をヒントに構想を思いついたものだが、長編連載をやるには早すぎると編集から「待った」がかかったため、1972年、「すきとおった銀の髪」などの短編を小出しに描き、そんなにやりたいのならとようやく編集から了解が出て、同年8月から翌1973年6月にかけて当初の構想であった3部作(「ポーの一族」、「メリーベルと銀のばら」、「小鳥の巣」)を連載した。 この時期のもうひとつの代表作『トーマの心臓』は、『悲しみの天使』というフランス映画を見に行ったところ、それがバッドエンドであったために萩尾は主人公に同情し、「救いのある話を」と着手したもので、1974年4月から連載を開始したが、初回の読者アンケートが最下位だったため、当時の編集長である飯田から打ち切りを宣告された。しかし、直後に単行本化された『ポーの一族』の初版3万部が3日で完売、『トーマの心臓』の評判も徐々に上がり、「もう少しで終わりになるから」と萩尾がかわしているうちに連載は33回まで続くこととなった。 その後、単行本の人気により編集部の強い要請を受けて1974年12月『ポーの一族』を「エヴァンズの遺書」で再開、1976年5月に「エディス」で完結したが、その間に『トーマの心臓』の暗いイメージを一掃するため長編ラブコメディー『この娘うります!』を連載するとともに、念願であったSF作品『11人いる!』を連載し、その後はレイ・ブラッドベリ原作シリーズ(後に作品集『ウは宇宙船のウ』として単行本化)、『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍原作)、『スター・レッド』と矢継ぎばやにSF作品を連載する。 1976年 『ポーの一族』、『11人いる!』で第21回小学館漫画賞を受賞、人気漫画家としての地位を確立する。 一方、1977年に定年になった父親を代表として会社「望都プロダクション」を設立した。しかし後に両親との不和が高じて大げんかとなり、2年後に会社をつぶす。 親との関係を見つめるため心理学を勉強し始め、内なる親から解き放たれるために、1980年に親殺しをテーマにした『メッシュ』の連載を開始。この時期のSF作品に『銀の三角』、『モザイク・ラセン』、『マージナル』などの長編作品のほか、「A-A'」、「X+Y」などの短編作品がある。 1982年の年末に、モスクワ郊外で乗っていた観光バスとトラックが正面衝突した事故で重傷を負う。 1985年ごろから舞台演劇やバレエへの関心が強まり、『半神』を野田秀樹と共作で脚本を手がけ舞台化した。一方、『フラワー・フェスティバル』、『青い鳥』、『海賊と姫君』などのバレエものを描き発表した。 『スター・レッド』(1980年)、『銀の三角』(1983年)、「X+Y」(1985年)で、それぞれ星雲賞コミック部門を受賞する。 80年代から引き続き『ローマへの道』や『感謝知らずの男』などのバレエものを描くとともに、1992年には厳格だった母親との対立を基にした『イグアナの娘』を発表し、さらに同年、サイコ・サスペンス長編作品『残酷な神が支配する』の連載を開始する。この時期のSF作品には『海のアリア』、『あぶない丘の家』がある。 1997年、『残酷な神が支配する』で第1回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞を受賞する。 『残酷な神が支配する』終了後、1年間の休載後、2002年、SF作品『バルバラ異界』の連載を開始する。『バルバラ異界』終了後、『ここではない★どこか』シリーズや『あぶな坂HOTEL』、『レオくん』、田中アコ原作による『菱川さんと猫』(ゲバラシリーズ)などを連載する。 2006年、『バルバラ異界』で第27回日本SF大賞を受賞する。 2011年、引退を考え短編数編でフェイドアウトする予定だったが、東日本大震災で終末を表すものは止められ描けなくなり、原発事故から『なのはな』と放射性物質を擬人化した原発3部作、『福島ドライヴ』を発表するとともに、現代社会を厭い歴史漫画『王妃マルゴ』を開始、引退を延期する。また、小松左京の『お召し』を原案とする『AWAY-アウェイ』を連載する。2016年には「ハギオ モト」名義による『天使かもしれない』で漫画原作を初めて担当する(作画は波多野裕が担当)。また、連載終了から40年ぶりに『ポーの一族』の新作「春の夢」を発表する。 2011年から女子美術大学芸術学部アート・デザイン表現学科メディア表現領域客員教授に就任。 2012年春、少女漫画家としては初の紫綬褒章を受章する。 2013年、単行本『なのはな』および作者の全作品で第12回センス・オブ・ジェンダー賞生涯功労賞を受賞する。 2017年、漫画家としては、手塚治虫、水木しげるに続いて3人目、女性漫画家としては初の朝日賞を受賞する。 2018年、『なのはな』と『なのはな -幻想『銀河鉄道の夜』』により、震災からの復興と岩手県の文化振興に貢献したことが評価され、第3回マンガ郷いわて特別賞を受賞する。 2019年、デビュー50周年を記念して「萩尾望都 ポーの一族展」が松屋銀座、名古屋パルコ、阪急うめだ本店で開催される(2020年には長島美術館、2021年には久留米市美術館でも開催)。 2019年秋、漫画家としては、横山隆一、水木しげる、ちばてつやに続いて4人目、女性漫画家では初となる文化功労者に選出される。 2021年、12万字書き下ろしの出会いと別れの“大泉時代”を、現在の心境もこめて綴った70年代回想録『一度きりの大泉の話』(#エッセイ集を参照)を出版。2019年から断続的に連載されてきた『ポーの一族』シリーズ最長作品「秘密の花園」が完結。 2022年にアイズナー賞で優れた功績を残している漫画家を選出する「コミックの殿堂」に、日本の漫画家では2018年の高橋留美子以来の殿堂入りを果たした。同年秋に旭日中綬章を受章。 2023年4月、筋力がいるペンの使用を止め、デジタル作業でiPadとCLIP STUDIO PAINT(クリップスタジオペイント)で人物などを描き、原稿用紙に印刷してアナログ作業でサインペン、修正液、スクリーントーンで仕上げて漫画原稿にしている。 埼玉県在住。血液型はO型。 映画監督押井守のファンで、1番好きな作品に『天使のたまご』を挙げている。 一度見た絵を1か月間は細部まで暗記する能力がある。 「漫画の神様」と呼ばれた手塚治虫にあやかり、「少女漫画の神様」とも称えられる。
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萩尾 望都は、日本の漫画家。女性。女子美術大学客員教授、日本SF作家クラブ名誉会員、日本漫画家協会理事。 福岡県大牟田市生まれ。1969年に「ルルとミミ」でデビューする。1972年から『ポーの一族』を連載、1976年に同作および『11人いる!』により第21回小学館漫画賞を受賞した。同時期に連載された『トーマの心臓』も人気となり、少女漫画に革新をもたらし黄金時代を築いたとして、竹宮惠子や大島弓子、山岸凉子らと共にその生年から「花の24年組」と呼ばれた。 作品のジャンルはSF、ファンタジー、ミステリー、ラブコメディー、バレエもの、サスペンスものなど幅広い分野にわたる。1997年には『残酷な神が支配する』で第1回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞、2006年には『バルバラ異界』で第27回日本SF大賞を受賞した。2011年には第40回日本漫画家協会賞・文部科学大臣賞を受賞。2012年春に少女漫画家では初となる紫綬褒章を受章した。2019年秋に女性漫画家では初となる文化功労者に選出された。2022年に日本人で7人目となるアイズナー賞「コミックの殿堂」を受賞、旭日中綬章を受章。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 萩尾 望都 | ふりがな = はぎお もと | 画像 = Hagio Moto in 2008.jpg | 画像サイズ = | 脚注 = 萩尾望都([[2008年]]) | 本名 = | 生年 = {{生年月日と年齢|1949|5|12}}<ref name="Yomiuri2005">『読売年鑑2005年版 別冊 分野別人名録』[[読売新聞東京本社]],2005年3月13日発行p.389より</ref> | 生地 = [[日本]]・[[福岡県]][[大牟田市]] | 没年 = | 没地 = | 職業 = [[漫画家]] | 称号 = [[紫綬褒章]]<br/>[[文化功労者]]<br/>[[アイズナー賞#漫画家の殿堂(The Will Eisner Award Hall of Fame)|漫画家の殿堂]]<br/>[[旭日中綬章]] | 活動期間 = [[1969年]] - | ジャンル = [[少女漫画]] | 代表作 = 『[[ポーの一族]]』<br />『[[トーマの心臓]]』<br />『[[11人いる!]]』<br />『[[半神 (漫画)|半神]]』<br />『[[残酷な神が支配する]]』<ref>{{Cite web|和書|url=https://flowers.shogakukan.co.jp/author/282/ |title=萩尾望都 作品一覧 |website=[[月刊フラワーズ|月刊flowers]] 公式サイト |publisher=小学館 |accessdate=2021-04-27}}</ref> | 受賞 = 第21回[[小学館漫画賞]]<br />(『ポーの一族』,『11人いる!』)<br />第11回[[星雲賞]]コミック部門<br />(『[[スター・レッド]]』)<br />第14回星雲賞コミック部門<br />(『[[銀の三角]]』)<br />第16回星雲賞コミック部門<br />(「[[X+Y]]」)<br />第1回[[手塚治虫文化賞]]マンガ優秀賞<br />(『残酷な神が支配する』)<br />第27回[[日本SF大賞]]<br />(『[[バルバラ異界]]』)<br />第40回[[日本漫画家協会賞]]・[[文部科学大臣賞]]<br />第12回[[センス・オブ・ジェンダー賞]]生涯功労賞(『[[なのはな (漫画)|なのはな]]』および全ての作品)<br />2017年[[朝日賞]]<br />{{seealso|#受賞歴}} | サイン = Moto Hagio signature.png | 公式サイト = }} '''萩尾 望都'''(はぎお もと、本名同じ<ref name="Yomiuri2005"/><ref name="mangapedia">{{Cite web|和書|url=https://mangapedia.com/萩尾望都-765spto9k|title=萩尾 望都(漫画家)|website=マンガペディア|accessdate=2022-01-03}}</ref>、[[1949年]][[5月12日]]<ref name="Yomiuri2005"/><ref name="mangapedia"/> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]<ref name="Yomiuri2005"/><ref name="mangapedia"/>。女性<ref name="mangapedia"/>。[[女子美術大学]][[客員教授]]、[[日本SF作家クラブ]]名誉会員、[[日本漫画家協会]]理事。 [[福岡県]][[大牟田市]]生まれ。1969年に「ルルとミミ」でデビューする<ref name="Kotobank">{{Cite Kotobank|word=萩尾望都|encyclopedia=朝日新聞出版「知恵蔵mini」|accessdate=2021年9月24日}}</ref>。1972年から『[[ポーの一族]]』を連載、1976年に同作および『[[11人いる!]]』により第21回[[小学館漫画賞]]を受賞した{{sfn|文藝別冊|2010|p=204}}。同時期に連載された『[[トーマの心臓]]』も人気となり<ref name="Kotobank" />、少女漫画に革新をもたらし黄金時代を築いたとして、[[竹宮惠子]]や[[大島弓子]]、[[山岸凉子]]らと共にその生年から「[[24年組#24年組|花の24年組]]」と呼ばれた<ref>{{Cite web|和書|url=https://style.nikkei.com/article/DGXKZO50424960R01C19A0BE0P00/ |title=「少女漫画の神様」萩尾望都 異端者寄り添った50年 |website=NIKKEI STYLE |publisher=日本経済新聞社 / 日経BP |date=2019-10-01 |accessdate=2022-10-11}}</ref>。 作品のジャンルは[[サイエンス・フィクション|SF]]、[[ファンタジー]]、[[ミステリー]]、[[ラブコメディー]]、[[バレエ]]もの、[[サスペンス]]ものなど幅広い分野にわたる。1997年には『[[残酷な神が支配する]]』で第1回[[手塚治虫文化賞]]マンガ優秀賞、2006年には『[[バルバラ異界]]』で第27回[[日本SF大賞]]を受賞した<ref name="Kotobank" />。2011年には第40回[[日本漫画家協会賞]]・[[文部科学大臣賞]]を受賞<ref name="Kotobank" />。[[2012年]]春に少女漫画家では初となる[[紫綬褒章]]を受章した<ref name="natalie20120428">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/68621 |title=萩尾望都が紫綬褒章を受章、少女マンガ家では初 |website=コミックナタリー |publisher=ナターシャ |date=2012-04-28 |accessdate=2021-04-27}}</ref>。[[2019年]]秋に女性漫画家では初となる[[文化功労者]]に選出された<ref name="kai-yuo20191029">{{Cite web|和書|author=ゆうき(Yuuki Honda) |url=https://kai-you.net/article/68793 |title=文化功労者に『ポーの一族』萩尾望都、『ゼルダ』『マリオ』生んだ宮本茂ら |website=[[KAI-YOU|KAI-YOU net]] |date=2019-10-29 |accessdate=2022-10-11}}</ref><ref name="文科省20191103">{{Cite web|和書|url=https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/31/11/attach/1422025.htm |title=令和元年度 文化功労者 |publisher=[[文部科学省]] |date=2019-11-03 |accessdate=2021-04-27}}</ref>。[[2022年]]に日本人で7人目となる[[アイズナー賞]]「コミックの殿堂」を受賞<ref>{{Cite news|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2022072300502&g=soc |title=萩尾望都さん、米コミック殿堂入り 「素晴らしい贈り物」|agency=[[時事通信社|時事通信]] |date=2022-07-23 |accessdate=2022-07-23}}</ref>、[[旭日中綬章]]を受章<ref name="asahi20221103">{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASQC265S9QBWUTFK01B.html |title=秋の叙勲 4118人が受章 コシノジュンコさん、萩尾望都さんら|newspaper=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |date=2022-11-03 |accessdate=2022-11-03}}</ref><ref name="nhk20221103">{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221103/k10013879121000.html |title=秋の叙勲 各界で功労の3999人受章 |website=NHK |publisher=日本放送協会 |date=2022-11-03 |accessdate=2022-11-03}}</ref><ref name="flowers20221103">{{Cite web|和書|url=https://flowers.shogakukan.co.jp/8608/ |title=祝 萩尾望都先生 旭日中綬章ご受章おめでとうございます!! |website=月刊フラワーズ |publisher=小学館 |date=2022-11-03 |accessdate=2022-11-03}}</ref>。 == 来歴 == === 出生 - 幼少期 === [[1949年]]、[[福岡県]][[大牟田市]]白川町に生まれる{{sfn|文藝別冊|2010|p=11}}。4人兄弟の次女(姉・妹・弟){{sfn|文藝別冊|2010|p=17}}。父は[[三井鉱山]]の関連会社の社員{{sfn|中川|2020|p=23}}。「望都」は本名で、両親がそれぞれの思いを持って名付けられた。名前の由来には諸説ある<ref name="毎日グラフ 1986年10月26日号">{{Harvnb|毎日グラフ 1986年10月26日号|loc=COMIC界の“超少女”たち〔女性マンガ家インタビュー〕}}</ref>{{efn2|インタビューで萩尾の父親は、『[[浜辺の歌]]』の2番の歌詞「ゆうべ浜辺を、もとおれば」という部分から「もと」を気に入っており、また福岡出身の女流歌人・[[野村望東尼]]の名前から「もと」と考えたと語っている{{sfn|文藝別冊|2010|pp=81}}。母親は、「おもとさん」「もとおばさん」と呼ばれる自分の叔母の名にあやかったのだと、またフランス映画『[[望郷 (1937年の映画)|望郷]]』の「望」と、活発な性格になって欲しいと考えて「都を望む」と大きな意味を持つように「都」を選んだと語っている{{efn2|家族インタビュー「両親・姉妹が語る 萩尾望都の素顔」より{{sfn|文藝別冊|2010|pp=81-82}}。}}。萩尾自身は姉・妹・弟が音楽にちなんだ名前であることから、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の「モ」と「ト」を合わせたという説が本当かもしれないとの推測を述べている<ref name="sakamura-lab19960930">{{Cite web|和書|url=http://www.sakamura-lab.org/tachibana/hatachi/hagio.html |title=萩尾望都インタビュー |website=立花隆ゼミ『調べて書く、発信する』インタビュー集 二十歳のころ |accessdate=2022-04-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071111131244/http://www.sakamura-lab.org/tachibana/hatachi/hagio.html |archivedate=2007-11-11}}</ref>。}}。4歳の頃に[[熊本県]][[荒尾市]]の父親の会社の[[社宅]]に引っ越して、小学校2年生の5月まではそちらで暮らしたのち、また大牟田市の社宅に戻る{{sfn|文藝別冊|2010|p=11-12}}。 2歳頃から絵を描き、4歳で漫画や本を読み始めるが{{sfn|AERA|2006|p=69}}、教育熱心な両親により、漫画を読むことを禁止されていた<ref name="sakamura-lab19960930" />。幼稚園では時間の許す限り絵を描き、小学校では3年生のころ、彼女の絵の才能を伸ばそうとした両親の勧めで絵の塾に通い油絵を学ぶ{{sfn|萩尾望都の世界|1978|p=47}}。小学校2年のときに学級文庫ができ、『[[ヘレン・ケラー|ヘレンケラー]]物語』や『[[アルセーヌ・ルパン]]』、『[[青い鳥]]』、『[[不思議の国のアリス]]』などを夢中になって何度も読み<ref name="ダ・ヴィンチ 1996年8月号">{{Harvnb|ダ・ヴィンチ 1996年8月号|loc=「解体全書 萩尾望都」}}</ref>{{efn2|萩尾望都作品集〔第1期〕第16巻『とってもしあわせモトちゃん』の巻末エッセイ「娘のこと」(赤いカバーの旧版にのみ収載)の中で、作者の父親・萩尾浩は「なかでも『[[青い鳥]]』や『[[不思議の国のアリス]]』などのような、空想と夢の物語が好きなようであった」と記している。}}、また図書館に入り浸り[[ギリシャ神話]]や世界名作全集、児童向けの[[サイエンス・フィクション|SF]]シリーズなどを読んでいた<ref name="sakamura-lab19960930" />。さらに、親戚の本屋に遊びに行っては漫画を読み、模写していた<ref name="sakamura-lab19960930" />。 === 中学 - 高校時代 === [[1962年]]、[[大牟田市立船津中学校]]に入学する{{efn2|『銀の船と青い海』(河出書房新社 2010年)所収の「中学生」に、「私は九州福岡県の大牟田市は船津中学に通ってました」と記されている。}}。中学入学後、漫画を描く友人、原田千代子(後の漫画家・はらだ蘭)と知り合い{{sfn|萩尾望都の世界|1978|p=47}}、漫画を描くための知識や漫画家になるためには作品を投稿する必要があることを知り、2人で貸本雑誌などに投稿した{{sfn|AERA|2006|p=69}}。中学2年生{{efn2|[[吹田市立第一中学校]]に転入した{{sfn|文藝別冊|2010|p=12}}。}}のときに[[大阪府]][[吹田市]]に引っ越すが、その後も原田との文通は続く{{sfn|萩尾望都の世界|1978|p=47}}。 高校は[[大阪府立吹田高等学校]]に入学する{{sfn|文藝別冊|2010|p=12}}。高校2年生の終わり頃に[[手塚治虫]]の『[[新選組 (手塚治虫の漫画)|新選組]]』に強く感銘を受け、本気で漫画家を志し<ref name="毎日グラフ 1986年10月26日号" /><ref name="sakamura-lab19960930" />{{sfn|萩尾望都の世界|1978|p=49}}<ref name="ダ・ヴィンチ 1996年8月号" />{{efn2|1976年時点では、「読後、感動のあまり、1週間ほど呆けていました。そこで、おのればっか呆けさせられていては、割にあわないと思い、それまで、お遊びで描いていましたが、そのときから、プロになる決意をしました。」と記している{{sfn|週刊マーガレット 1976年8月15日号}}。}}{{efn2|『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』1981年7月臨時増刊号での[[吉本隆明]]との対談では、1ページ半にわたって『新選組』について語られている<ref name="ユリイカ 1981年7月臨時増刊号">{{Harvnb|ユリイカ 1981年7月臨時増刊号|loc=対話 萩尾望都 vs 吉本隆明「自己表現としての少女マンガ」}}</ref>。}}{{efn2|雑誌『[[imago]]』1995年4月号での[[巖谷國士]]との対談では、冒頭から6ページにわたって『新選組』を中心に(途中で話がいろいろな方向にそれながらも)語られている<ref name="imago 1995年4月号">{{Harvnb|imago 1995年4月号|loc=「少女マンガという装置」([[巖谷國士]]との対談)}}</ref>。}}、[[漫画雑誌]]{{efn2|1作目は『週刊マーガレット』、2作目は『週刊少女フレンド』とある。}}への投稿を始める{{sfn|マンガのあなた SFのわたし|p=48}}。 高校3年生のときに福岡県大牟田市小浜の社宅に引っ越す{{sfn|文藝別冊|2010|p=12}}。校区があり[[福岡県立大牟田北高等学校]]に転校するが、競争が激しくなじめなかったと言う{{sfn|文藝別冊|2010|p=13}}。原田千代子の紹介で漫画同人誌「キーロックス」に同人漫画家として参加する{{sfn|AERA|2006|p=70}}{{sfn|萩尾望都の世界|1978|p=47,49}}。「キーロックス」は福岡県立大牟田南高等学校の生徒3、4人および卒業生を合わせた8人くらいからなるグループで、肉筆回覧誌を作っていた{{sfn|文藝別冊|2010|p=19}}。 === デビュー前後 === 高校卒業後、福岡市内の[[日本デザイナー学院]]ファッションデザイン科に入学し、服飾デザインを学ぶ{{sfn|文藝別冊|2010|p=21}}。漫画の投稿は全部で10作ほど行い、そのうちの1作『ミニレディが恋をしたら』([[ペンネーム]]は「萩尾望東」)で『[[別冊マーガレット]]』([[集英社]])[[1968年]]5月号の「[[少女まんがスクール]]」にて金賞を受賞するが、入賞作は掲載されなかった{{sfn|マンガのあなた SFのわたし|pp=175-176|loc=第7章「手塚治虫×松本零士×萩尾望都」}}。続く『青空と王子さま』は7月号で銀賞に落ちてしまい、萩尾は学校の冬休みに上京して出版社を訪問する計画をたてる{{sfn|中川|2020|p=137}}。 休暇で上京した際に[[手塚プロ]]のアシスタントをしていた原田千代子を訪問し、そこで初めて手塚治虫と出会う{{sfn|萩尾望都の世界|1978|p=47}}。また原田と[[岡田史子]]を訪ねた。同郷の漫画家、[[平田真貴子]]のつてで[[講談社]]の『[[なかよし]]』編集部に持ち込みをした{{sfn|中川|2020|p=144}}。そこで「何か短い作品を」と言われ、忘れられないうちにと2週間で20数枚の作品を仕上げ提出<ref name="sakamura-lab19960930" />。その作品『ルルとミミ』が『なかよし』夏休み増刊号に掲載されてデビューした<ref name="sakamura-lab19960930" />{{sfn|萩尾望都の世界|1978|p=47}}{{sfn|週刊マーガレット 1976年8月15日号}}{{efn2|当初のタイトルは『すてきなケーキ』であったが、インパクトが弱いという理由で編集部に『ルルとミミ』という主人公名のタイトルに替えられた{{sfn|物語るあなた 絵描くわたし|loc=エッセイマンガ「わたしのデビュー時代」}}。}}。 専門学校の卒業を控えた頃、講談社の編集者に頼まれ、東京にいた[[竹宮惠子]]のアシスタントに一晩だけ赴き、上京して一緒に住まないかと誘われる{{sfn|文藝別冊|2010|p=23}}。その後『なかよし』編集部からの『ビアンカ』(掲載は別誌)以外のボツが続くが、次の『ケーキ ケーキ ケーキ』で自分のスタンスの描きたいものを描く方針を決める。竹宮惠子より[[小学館]]の編集者を紹介すると言われ、ボツになった5、6作の原稿を竹宮に送る{{sfn|文藝別冊|2010|p=24}}。1970年10月頃上京し、[[練馬区]]大泉で2年間の共同生活に入る([[大泉サロン]])。竹宮惠子と共同アパートで生活し、後に[[24年組]]と呼ばれることとなる漫画家たちと切磋琢磨(せっさたくま)の日々を送るが、このときに[[増山法恵]]から様々な文化的な知識を吸収する{{sfn|別冊宝島 288号|p={{要ページ番号|date=2022年10月}} }}。その後、描きたい[[サイエンス・フィクション|SF]]をテーマにした作品が採用されない時期が2年ほど続くが、竹宮に伴われ[[小学館]]へネームを持ち込んだ際に『[[少女コミック]]』編集者の[[山本順也]]に可能性を認められ、「自由にわがままに思い切り描かせたい」という方針のもと、本領を発揮するようになる{{sfn|AERA|2006|p=70}}<ref name="毎日グラフ 1986年10月26日号" />。 === 1970年代 === ; ポーの一族・トーマの心臓・SF作品 [[1972年]]2月、『[[ポーの一族]]』シリーズ第1作「[[すきとおった銀の髪]]」が『[[ベツコミ|別冊少女コミック]]』3月号に掲載され、以後5年間断続的に連載される。代表作『ポーの一族』は、「永遠にこどもであるこどもをかきたい」との発想から{{sfn|鈴木|1978|loc=インタビュー}}{{efn2|『萩尾望都の世界 テレビランド増刊 イラストアルバム(6)』([[徳間書店]] 1978年)のインタビューでは、「子どもっていうのはすぐおとなになっちゃうでしょう。つまらないなあ、と思って。年をとらないこと、つまりおばけとか吸血鬼とか、死んでしまった人の怨念とかいろいろ考えているうちに吸血鬼がでてきたのね。」と語っている。}}、[[石ノ森章太郎]]の『きりとばらとほしと』の吸血鬼の設定の一部をヒントに構想を思いついた<ref>『萩尾望都の世界 テレビランド増刊 イラストアルバム(6)』(徳間書店 1978年)のインタビューより。</ref>{{sfn|CREA 1992年9月号|loc=インタビュー}}{{efn2|『毎日グラフ』1986年10月26日号「COMIC界の“超少女”たち〔女性マンガ家インタビュー〕」では、『きりとばらとほしと』は小学校のときに読んだと語られている。「石ノ森章太郎 萬画大全集 動画インタビュー 萩尾望都」では、『きりとばらとほしと』を読んだのは中学生ぐらいと語られている。『ユリイカ』1981年7月臨時増刊号での吉本隆明との対談では、『きりとばらとほしと』を読んだのは小学校6年か中学校1年と語られている<ref name="ユリイカ 1981年7月臨時増刊号" />。}}ものだが、長編連載をやるには早すぎると編集から「待った」がかかったため、1972年、「すきとおった銀の髪」などの短編を小出しに描き、そんなにやりたいのならとようやく編集から了解が出て、同年8月から翌[[1973年]]6月にかけて当初の構想であった3部作(「[[ポーの一族 (1972年の漫画)|ポーの一族]]」、「[[メリーベルと銀のばら]]」、「[[小鳥の巣]]」)を連載した{{sfn|CREA 1992年9月号|loc=インタビュー}}。 この時期のもうひとつの代表作『[[トーマの心臓]]』は、『[[悲しみの天使 (映画)|悲しみの天使]]』というフランス映画を見に行ったところ、それがバッドエンドであったために萩尾は主人公に同情し、「救いのある話を」と着手したもので<ref name="sakamura-lab19960930" />{{sfn|鈴木|1978|loc=インタビュー}}{{efn2|『トーマの心臓1』(小学館文庫・旧版 1980年)の作者あとがきに「いつだったか、{{仮リンク|ディディエ・オードパン|fr|Didier Haudepin}}主演の『[[悲しみの天使 (映画)|悲しみの天使]]』という、男子寮を舞台にした友愛(?)映画を見たのですが(中略)、見ていた私は自殺した少年に同情するあまり立腹し、“恋愛の結果一方が自殺し、一方が「悪かった」と後悔して、そしておしまい、なんて、どうもその後が気になってしまう”といらだち、“じゃあ、誰かが自殺したその時点から始まる話をつくってみよう”というのでつくった話が実は『トーマの心臓』です。」と記載されている。}}、[[1974年]]4月から連載を開始したが、初回の読者アンケートが最下位だったため、当時の編集長である飯田から打ち切りを宣告された。しかし、直後に単行本化された『ポーの一族』{{efn2|『少女コミック』掲載作品の単行本「[[フラワーコミックス]]」で、[[フラワーコミックス#ナンバリング|最初に発刊された]]のが『ポーの一族』第1巻である。}}の初版3万部が3日で完売、『トーマの心臓』の評判も徐々に上がり、「もう少しで終わりになるから」と萩尾がかわしているうちに連載は33回まで続くこととなった{{efn2|『[[新書館#grape fruit(グレープフルーツ)|grape fruit(グレープフルーツ)]]』([[新書館]])に[[1981年]]7月に掲載されたエッセイ「しなやかに、したたかに」より。エッセイ集『思い出を切りぬくとき』{{sfn|思い出を|1998|p={{要ページ番号|date=2021年4月}} }}{{sfn|思い出を 文庫版|2009|pp=18-20}}に収載されている。}}。 その後、単行本の人気により編集部の強い要請を受けて1974年12月『ポーの一族』を「[[エヴァンズの遺書]]」で再開、[[1976年]]5月に「[[エディス (漫画)|エディス]]」で完結したが、その間に『トーマの心臓』の暗いイメージを一掃するため長編ラブコメディー『[[この娘うります!]]』を連載する{{efn2|『[[この娘うります!]]』について、『[[週刊少女コミック]]』1976年3月28日号では「『トーマ……』の暗いイメージからぬけ出たい……そんなつもりで挑んだ連載でした」と記されている{{sfn|少女コミック 1976年3月28日号|loc=萩尾望都の素顔初公開!!}}。}}とともに、念願であったSF作品『[[11人いる!]]』を連載し、その後は[[レイ・ブラッドベリ]]原作シリーズ(後に作品集『[[ウは宇宙船のウ]]』として単行本化)、『[[百億の昼と千億の夜]]』([[光瀬龍]]原作)、『[[スター・レッド]]』と矢継ぎばやにSF作品を連載する。 [[1976年]] 『ポーの一族』、『11人いる!』で第21回[[小学館漫画賞]]を受賞、人気漫画家としての地位を確立する{{efn2|「萩尾望都2万字ロングインタビュー 私のマンガ人生」より{{sfn|文藝別冊|2010|p=25}}。}}{{sfn|文藝別冊|2010|p=204}}。 一方、[[1977年]]に定年になった父親を代表として会社「望都プロダクション」を設立した{{efn2|家族インタビュー「両親・姉妹が語る 萩尾望都の素顔」より{{sfn|文藝別冊|2010|p=87}}。}}。しかし後に両親との不和が高じて大げんかとなり、2年後に会社をつぶす{{sfn|AERA|2006|p=71}}。 === 1980年代 === ; メッシュ・銀の三角・半神・バレエ作品 親との関係を見つめるため心理学を勉強し始め、内なる親から解き放たれるために、[[1980年]]に親殺しをテーマにした『[[メッシュ (漫画)|メッシュ]]』の連載を開始{{sfn|AERA|2006|p=71}}{{efn2|雑誌『[[imago]]』1995年4月号の[[巖谷國士]]との対談では、「まあとにかく親と決裂したので変な親子の話を描いてやろうと。『メッシュ』ですね。ここでやっと私は親と対決する話を描くハメになるんですね。なぜ対決するかというと、理解したいから。」と語られている<ref name="imago 1995年4月号" />。}}。この時期のSF作品に『[[銀の三角]]』、『[[モザイク・ラセン]]』、『[[マージナル (漫画)|マージナル]]』などの長編作品のほか、「[[A-A']]」、「X+Y」などの短編作品がある。 [[1982年]]の年末に、[[モスクワ]]郊外で乗っていた観光バスとトラックが正面衝突した事故で重傷を負う{{efn2|帰国後、医者からは「ふつう頭蓋骨のここを骨折すると脳みそが豆腐みたいにぐちゃぐちゃになる」と説明を受け、母親からは、同日同時刻に自転車から落ちて頭を打った話を告白され「あなたは、お母さんが頭を打ったおかげで助かったのよ」と言われる。萩尾は「不思議なことがあった。シンクロニシティかもしれない。」と回想している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hagiomoto.net/news/2017/10/post-280.html |title=●モスクワでの事故 - 女子美術大学特別公開講座「仕事を決める、選ぶ、続ける」レポート - ニュース |website=萩尾望都作品目録 |date=2017-10-22 |accessdate=2022-10-11}}</ref>。}}。 [[1985年]]ごろから舞台演劇やバレエへの関心が強まり、『[[半神 (漫画)|半神]]』を[[野田秀樹]]と共作で脚本を手がけ舞台化した<ref name="ダ・ヴィンチ 1996年8月号" />。一方、『フラワー・フェスティバル』、『青い鳥』、『海賊と姫君』などのバレエものを描き発表した。 『スター・レッド』(1980年)、『銀の三角』([[1983年]])、「X+Y」(1985年)で、それぞれ[[星雲賞]]コミック部門を受賞する。 === 1990年代 === ; イグアナの娘・残酷な神が支配する・あぶない丘の家 80年代から引き続き『ローマへの道』や『感謝知らずの男』などのバレエものを描くとともに、[[1992年]]には厳格だった母親との対立を基にした『[[イグアナの娘]]』を発表し{{sfn|藤本|2000|p=202}}{{efn2|『イグアナの娘』を読んだ母親が「ははぁ、やったなぁ。描かれちょるな。」と思ったと述べている{{sfn|AERA|2006|p=71}}。}}、さらに同年、サイコ・サスペンス長編作品『[[残酷な神が支配する]]』の連載を開始する。この時期のSF作品には『海のアリア』、『あぶない丘の家』がある。 [[1997年]]、『残酷な神が支配する』で第1回[[手塚治虫文化賞]]マンガ優秀賞を受賞する。 === 2000年代 === ; バルバラ異界・ここではない★どこか シリーズ 『残酷な神が支配する』終了後、1年間の休載後、[[2002年]]、SF作品『[[バルバラ異界]]』の連載を開始する。『バルバラ異界』終了後、『[[ここではない★どこか]]』シリーズや『あぶな坂HOTEL』、『レオくん』、田中アコ原作による『菱川さんと猫』(ゲバラシリーズ)などを連載する。 [[2006年]]、『バルバラ異界』で第27回[[日本SF大賞]]を受賞する。 === 2010年代 === ; なのはな・王妃マルゴ・ポーの一族(再開) [[2011年]]、引退を考え短編数編でフェイドアウトする予定だったが<ref name="YOU 2014年3月号">{{Harvnb|YOU 2014年3月号|loc=SPECIAL対談[萩尾望都×よしながふみ] 後篇}}</ref>、[[東日本大震災]]で終末を表すものは止められ描けなくなり、原発事故から『[[なのはな (漫画)|なのはな]]』{{efn2|『なのはな』と『プルート夫人』について、2011年11月1日付『[[毎日新聞]](夕刊)』に「萩尾望都さんが描く原発」の見出しで、[[東日本大震災]]と[[福島原発事故]]に触発された作品を相次いで発表したという記事が掲載されている。}}と[[放射性物質]]を擬人化した原発3部作{{efn2|『なのはな』と、『プルート夫人』『雨の夜 -ウラノス伯爵-』『サロメ20XX』の原発3部作について、2012年1月31日付『[[東京新聞]]』に「漫画家・萩尾望都さんの思い 原発に向き合う 手探り進むしかない」の見出しの記事が掲載されている。}}、『福島ドライヴ』{{efn2|[[甲斐バンド]]の楽曲「立川ドライヴ」をモチーフに、震災に翻弄される3人の男女の運命を曲の歌詞とともに描いた作品。}}を発表するとともに、現代社会を厭い歴史漫画『[[王妃マルゴ (漫画)|王妃マルゴ]]』を開始、引退を延期する<ref name="YOU 2014年3月号" />。また、[[小松左京]]の『お召し』を原案とする『AWAY-アウェイ』{{efn2|作者は『小松左京マガジン』第50巻(最終号)の座談会の中で、かなり以前に[[小松左京]]から「ぼくの作品で描いてみたいものある?」と聞かれたときに「『お召し』を描いてみたい」と言ったことがあり、東日本大震災が起こってから実際に世界が変わってしまうことがあるものだと、『お召し』がたびたび思い出された旨を語っている<ref>{{Cite web|和書|url=http://sakyokomatsu.jp/library/369 |title=小松左京「お召し」原案 萩尾望都先生の「AWAY-アウェイ」 |website=小松左京ライブラリ |publisher=小松左京 |date=2014-03-24 |accessdate=2021-04-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210419065333/http://sakyokomatsu.jp/library/369/ |archivedate=2021-04-19}}</ref>。}}を連載する。[[2016年]]には「'''ハギオ モト'''」名義による『[[天使かもしれない]]』で漫画原作を初めて担当する(作画は波多野裕が担当)<ref name="natalie20160415">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/183685|title=萩尾望都が初めて原作手がけるオムニバスファンタジー、YOUで始動|website=コミックナタリー |publisher=ナターシャ |date=2016-04-15|accessdate=2021-04-27}}</ref>。また、連載終了から40年ぶりに『[[ポーの一族]]』の新作「[[春の夢 (ポーの一族)|春の夢]]」を発表する<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/185359|title=萩尾望都「ポーの一族」新作が40年ぶりに登場!flowersに掲載|website=コミックナタリー |publisher=ナターシャ |date=2016-04-28|accessdate=2021-04-27}}</ref>。 2011年から[[女子美術大学]]芸術学部アート・デザイン表現学科メディア表現領域客員教授に就任<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/50502|title=萩尾望都、女子美術大学の客員教授に就任|website=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2011-06-02|accessdate=2022-04-15}}</ref>。 [[2012年]]春、少女漫画家としては初の[[紫綬褒章]]を受章する<ref name="natalie20120428" />。 [[2013年]]、単行本『なのはな』および作者の全作品で第12回[[センス・オブ・ジェンダー賞]]生涯功労賞を受賞する<ref name="gender-sf2012">{{Cite web|和書|url=https://gender-sf.org/sog/2012/|title=2012年度 第12回Sense of Gender賞|publisher=ジェンダーSF研究会|accessdate=2021-04-27}}</ref>。 [[2017年]]、漫画家としては、[[手塚治虫]]、[[水木しげる]]に続いて3人目、女性漫画家としては初の[[朝日賞]]を受賞する<ref name="flowers20170101">{{Cite web|和書|url=https://flowers.shogakukan.co.jp/migration/news/news_20170101.html |title=萩尾望都先生が朝日賞を受賞されました |website=[[月刊フラワーズ]] |publisher=小学館 |date=2017-01-01 |accessdate=2022-04-15}}</ref>。 [[2018年]]、『なのはな』と『なのはな -幻想『銀河鉄道の夜』』により、震災からの復興と[[岩手県]]の文化振興に貢献したことが評価され、第3回マンガ郷いわて特別賞を受賞する<ref name="iwanichi20181216">{{Cite web|和書|url=https://www.iwanichi.co.jp/2018/12/16/266922/ |title=いわてマンガ大賞・マンガ郷いわて表彰式 特別賞受賞 萩尾さん 知事と記念トーク |website=Iwanichi OnLine |publisher=岩手日日新聞社 |date=2018-12-16 |accessdate=2022-04-15}}</ref>。 [[2019年]]、デビュー50周年を記念して「萩尾望都 ポーの一族展」が[[松屋_(百貨店)|松屋]]銀座<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.museum.or.jp/event/93455|title=デビュー50周年記念 「萩尾望都 ポーの一族展|website=アイエム|accessdate=2022-04-29}}</ref>、名古屋[[パルコ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://flowers.shogakukan.co.jp/migration/news/news_20190910.html|title=」特報! 緊急開催決定! 「デビュー50周年記念 萩尾望都 ポーの一族展」名古屋会場のおしらせ|website=月刊フラワーズ |publisher=小学館 |date=2017-09-10 |accessdate=2022-07-15}}</ref>、[[阪急百貨店うめだ本店|阪急うめだ本店]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lmaga.jp/news/2019/11/81802/|title=梅田でポーの一族展、宝塚歌劇の衣装も|website=Lmaga.jp |publisher=[[京阪神エルマガジン社]] |date=2017-11-27 |accessdate=2022-07-15}}</ref>で開催される(2020年には[[長島美術館]]<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASNDD6QVMNDCTLTB00J.html |title=ポーの一族展開幕 鹿児島市の長島美術館 |newspaper=[[朝日新聞デジタル]] |publisher=[[朝日新聞社]] |date=2020-12-13 |accessdate=2022-10-03}}</ref>、2021年には[[久留米市美術館]]でも開催<ref>{{Cite web|和書|url=https://bijutsutecho.com/exhibitions/7678|title=デビュー50周年記念 萩尾望都 ポーの一族展|website=美術手帖|accessdate=2022-04-29}}</ref>)。 2019年秋、漫画家としては、[[横山隆一]]、水木しげる、[[ちばてつや]]に続いて4人目、女性漫画家では初となる[[文化功労者]]に選出される<ref name="kai-yuo20191029" /><ref name="文科省20191103" />。 === 2020年代 === [[2021年]]、12万字書き下ろしの出会いと別れの“大泉時代”を、現在の心境もこめて綴った70年代回想録『一度きりの大泉の話』([[#エッセイ集]]を参照)を出版{{efn2|この本は、竹宮惠子が2016年に自伝『少年の名はジルベール』(小学館)を上梓して萩尾を含めた大泉時代の内容を記して以来、萩尾の元に大泉時代に関する複数の企画や問い合わせが持ち込まれたことから、自分の立場での事情を説明したいという理由で刊行された<ref>{{Cite web|和書|url=https://book.asahi.com/article/14360453|title=「一度きりの大泉の話」書評 今も癒えない痛みの封印を解く|author=トミヤマユキコ|website=好書好読|date=2021-05-29|accessdate=2021-06-06|publisher=[[朝日新聞社]]}}</ref><ref name="honz20210509">{{Cite web|和書|author=首藤淳哉|url=https://honz.jp/articles/-/45987|title=『一度きりの大泉の話』初めて明かすあの日の出来事|website=HONZ|date=2021-05-09|accessdate=2021-06-06}}</ref>。同書の末尾で、大泉時代に関する企画については自分はかかわる意思がないことを明言した<ref name="honz20210509" />。}}。[[2019年]]から断続的に連載されてきた『[[ポーの一族]]』シリーズ最長作品「[[秘密の花園 (ポーの一族)|秘密の花園]]」が完結。 [[2022年]]に[[アイズナー賞]]で優れた功績を残している漫画家を選出する「コミックの殿堂」に、日本の漫画家では2018年の[[高橋留美子]]以来の殿堂入りを果たした<ref>{{Cite web|和書|url=https://virtualgorillaplus.com/manga/eisner-2022/ |title=萩尾望都が米“コミックの殿堂”入り タケダサナがアイズナー賞最優秀ペインター、伊藤潤二『死びとの恋わずらい』が最優秀アジア作品に|website=virtualgorillaplus |publisher=VGプラス合同会社 |date=2022-07-23 |accessdate=2022-07-23}}</ref>。同年秋に[[旭日中綬章]]を受章<ref name="asahi20221103" /><ref name="nhk20221103" /><ref name="flowers20221103" />。 2023年4月、筋力がいるペンの使用を止め、デジタル作業で[[iPad]]と[[CLIP STUDIO PAINT]](クリップスタジオペイント)で人物などを描き、原稿用紙に印刷してアナログ作業でサインペン、修正液、[[スクリーントーン]]で仕上げて漫画原稿にしている<ref name="yt20230407">{{Cite video |url=https://www.youtube.com/watch?v=GvorrYPfqro&t=12m40s |title=萩尾望都先生インタビュー #1 |publisher=公益社団法人日本漫画家協会 |time=12m40s - 14m23s |medium=YouTube配信 |date=2023-04-07 |accessdate=2023-05-27}}</ref>{{efn2|デジタルで極細線は作業室の印刷では消えるので模索中。スクリーントーンは大量の在庫と、萩尾、アシスタントも技術が追い付かず、アナログである<ref name="yt20230407" />。デジタルは、老眼のため豆粒大の顔のとき拡大して描くのにも使用する<ref>{{Cite video |url=https://www.youtube.com/watch?v=2M1LFe52wW0&t=01m35s |title=萩尾望都先生インタビュー #3 |publisher=公益社団法人日本漫画家協会 |time=01m35s - 02m10s |medium=YouTube配信 |date=2023-04-21 |accessdate=2023-05-27}}</ref>。}}。 == 人物 == [[埼玉県]]在住。[[ABO式血液型|血液型]]はO型<ref>{{Cite journal|和書|title=インタビュー 直撃50問 萩尾望都のすべて |year=1976 |month=12 |publisher=小学館 |journal=プチコミック |issue=1977年1月1日創刊号 |pages=204-208 |quote=編集部による作者への50の質問の45問目の質問「血液型は?」に対する回答が「O型」。}}</ref>。 映画監督[[押井守]]のファンで、1番好きな作品に『[[天使のたまご]]』を挙げている<ref>「押井守論 ― MEMENTO MORI」日本テレビ放送網</ref>。 一度見た絵を1か月間は細部まで暗記する[[映像記憶|能力]]がある<ref>{{Cite journal|和書|title=[[林真理子]] ゲストコレクション|journal=週刊朝日|issue=2019年7月26日号|page=97|publisher=朝日新聞出版}}</ref>。 「漫画の神様」と呼ばれた[[手塚治虫]]にあやかり、「少女漫画の神様」とも称えられる。 == 年譜 == * [[1949年]][[5月12日]]<ref name="Kotobank" />、[[福岡県]][[大牟田市]]白川町に生まれる{{sfn|文藝別冊|2010|p=11}}。父は[[三井三池港務所]]の会社員{{sfn|文藝別冊|2010|p=12}}。4人兄弟の次女(姉・妹・弟){{sfn|文藝別冊|2010|p=17}}。4歳ぐらいのとき[[熊本県]][[荒尾市]]に転居する{{sfn|文藝別冊|2010|p=11}}。 * [[1956年]]4月、荒尾市立荒尾第三小学校(資料によっては第四小学校)に入学{{sfn|中川|2020|p=25}}。 * [[1957年]]5月、大牟田市に転居し、大牟田市立三川小学校に転校する{{sfn|中川|2020|p=25}}。 * [[1962年]]4月、大牟田市立船津中学校に入学する{{sfn|中川|2020|p=61}}{{efn2|『銀の船と青い海』(河出書房新社 2010年)所収の「中学生」に、「私は九州福岡県の大牟田市は船津中学に通ってました」と記されている。}}。中学2年生の終わり頃に[[大阪府]][[吹田市]]に転居し、[[吹田市立第一中学校]]に転校する{{sfn|中川|2020|p=61}}{{sfn|文藝別冊|2010|p=12-13}}。 * [[1965年]]、[[大阪府立吹田高等学校]]に入学{{sfn|中川|2020|p=86}}{{sfn|文藝別冊|2010|p=13}}。 * [[1967年]]、高校2年生の終わりに福岡県大牟田市小浜に転居する{{sfn|文藝別冊|2010|p=12}}。校区があり[[大牟田北高校]]に転校するが、競争が激しくなじめなかった{{sfn|文藝別冊|2010|p=13}}。この時に同人作家としての活動も短期間ながら行っており、南校の生徒3、4人、卒業生との8人くらいで同人グループ「キーロックス」を作り肉筆の回覧の同人誌を発行する{{sfn|文藝別冊|2010|p=19}}。[[手塚治虫]]『新選組』に衝撃を受け[[漫画家]]になろうと決意<ref name="sakamura-lab19960930" />。[[マンガ雑誌]]に投稿を開始{{sfn|マンガのあなた SFのわたし|p=48}}。 * [[1968年]]、高校を卒業後、[[福岡市]]内の[[日本デザイナー学院]]ファッションデザイン科に入学{{sfn|中川|2020|p=134-136}}{{efn2|『萩尾望都 作画のひみつ』の年譜には、1967年に「高校卒業後、福岡市の日本デザイナー学院ファッションデザイン科に入学」と記載されている{{sfn|作画のひみつ|2020|p=71}}。}}。 * [[1969年]]、『ルルとミミ』が『[[なかよし]]』夏休み増刊号に掲載されてデビュー{{sfn|文藝別冊|2010|p=200}}。 * [[1970年]]3月、日本デザイナー学院を卒業{{sfn|中川|2020|p=159}}{{efn2|『萩尾望都 作画のひみつ』の年譜には、1969年に「デザイナー学院卒業から半年後、東京へ引越す」と記載されている{{sfn|作画のひみつ|2020|p=71}}。}}。『なかよし』編集部からの『ビアンカ』(掲載は別誌)以外のボツが続くが、次の『ケーキ ケーキ ケーキ』で自分のスタンスの描きたいものを描く方針を決め、ボツになった5、6作の原稿を[[竹宮惠子]]に送る{{sfn|文藝別冊|2010|p=24}}。 * 1970年、上京し[[練馬区]]大泉で2年間の共同生活に入る([[大泉サロン]])。竹宮を経由して『[[少女コミック]]』[[山本順也]]編集長がボツ原稿を全部買ってくれる{{sfn|文藝別冊|2010|p=24}}。以後『少女コミック』をベースにする{{sfn|文藝別冊|2010|p=25}}。 * [[1972年]]2月 『[[ポーの一族]]』シリーズ第1作「[[すきとおった銀の髪]]」が『[[ベツコミ|別冊少女コミック]]』3月号に掲載、以後5年間断続的に連載された{{sfn|文藝別冊|2010|p=204}}。 * [[1976年]]、『ポーの一族』、『[[11人いる!]]』で第21回[[小学館漫画賞]]を受賞<ref name="natalie profile">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/artist/2353|title=萩尾望都|website=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|accessdate=2022-04-14}}</ref>。 * 1977年、『11人いる!』がNHKの[[少年ドラマシリーズ]]としてテレビドラマ化<ref>{{Cite Kotobank|word=11人いる!|encyclopedia=小学館デジタル大辞泉プラス|accessdate=2022-04-15}}</ref>。 * 1986年、『11人いる!』が劇場版アニメ化、『[[半神 (漫画)|半神]]』が舞台化<ref name="natalie profile" />。 * 1996年、『[[イグアナの娘]]』がテレビドラマ化<ref name="natalie profile" />。 == 受賞歴 == * [[1976年]] 『[[ポーの一族]]』『[[11人いる!]]』で第21回[[小学館漫画賞]]受賞。 * [[1980年]] 『[[スター・レッド]]』で第11回[[星雲賞]]コミック部門受賞。 * [[1983年]] 『[[銀の三角]]』で第14回星雲賞コミック部門受賞。 * [[1985年]] 「[[X+Y]]」で第16回星雲賞コミック部門受賞。 * [[1997年]] 『[[残酷な神が支配する]]』で第1回[[手塚治虫文化賞]]マンガ優秀賞受賞。 * [[2006年]] 『[[バルバラ異界]]』で第27回[[日本SF大賞]]受賞。 * [[2010年]] [[インクポット賞]]受賞{{efn2|北米最大のコミックコンベンション「[[コミコン・インターナショナル]](Comic-Con International)」が[[1974年]]に設立した、マンガ・アニメ・SFなどのポップカルチャー領域において多大な貢献をした作家に与えられる賞で、コミコンゲストの中で特に際立った業績を残した人物に贈られる。第1回受賞者は[[レイ・ブラッドベリ]](1974年)。これまでの日本人受賞者は、[[手塚治虫]](1980年)、[[高橋留美子]](1994年)、[[池上遼一]](1995年)、[[武内直子]](1998年)、[[小池一夫]](2006年)、[[宮崎駿]](2009年)。}}。 * [[2011年]] 全作品で第40回[[日本漫画家協会賞]]にて[[文部科学大臣賞]]受賞{{efn2|受賞理由として「少女まんがの域を超えた質の高い作品群。萩尾望都さんは少女まんがの革命児です。」との選考委員会のコメントがある<ref>{{Cite web|和書|url=https://nihonmangakakyokai.or.jp/archives/3306 |title=2011年度 第40回日本漫画家協会賞 決定 |website=[[日本漫画家協会|公益社団法人日本漫画家協会]] |date=2011-07-12 |accessdate=2022-03-17}}</ref>。}}。 * [[2012年]] [[紫綬褒章]]受章<ref name="natalie20120428" />。 * [[2013年]] 『[[なのはな (漫画)|なのはな]]』および全ての作品で第12回[[センス・オブ・ジェンダー賞]]生涯功労賞受賞<ref name="gender-sf2012" />。 * [[2017年]] [[朝日賞]]受賞<ref name="flowers20170101" /> * [[2018年]] 『なのはな』と『なのはな -幻想『銀河鉄道の夜』』により、第3回マンガ郷いわて特別賞受賞<ref name="iwanichi20181216" /> * [[2019年]] [[文化功労者]]に選出される<ref>{{Cite web|和書|url=https://flowers.shogakukan.co.jp/migration/news/news_20191029.html |title=萩尾望都先生が文化功労者として顕彰されることが決定しました |website=[[月刊フラワーズ]] |publisher=小学館 |date=2019-10-29 |accessdate=2021-04-27}}</ref>。 * [[2020年]] 大牟田市民栄誉賞受賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://flowers.shogakukan.co.jp/migration/news/news_20200328c.html |title=萩尾望都先生が大牟田市民栄誉賞を受賞しました |website=[[月刊フラワーズ]] |publisher=小学館 |date=2020-03-28 |accessdate=2021-04-27}}</ref>。 * [[2022年]] [[アイズナー賞]]漫画家の殿堂受賞<ref>{{Cite news|url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220723-OYT1T50225/ |title=萩尾望都さん、米漫画賞受賞で殿堂入り「漫画という文化を世界の人々が愛して下さり感謝」|newspaper=[[読売新聞オンライン]] |date=2022-07-23 |accessdate=2022-07-23}}</ref>。[[旭日中綬章]]受章<ref name="asahi20221103" /><ref name="nhk20221103" /><ref name="flowers20221103" /><ref>『官報』号外第235号1頁 令和4年11月4日 {{Cite web2 |df=ja |url=https://kanpou.npb.go.jp/20221104/20221104g00235/20221104g002350001f.html |format=PDF |title=『官報』号外第235号 |page=1 |website=インターネット版官報 |publisher=国立印刷局 |date=2022-11-04 |accessdate=2022-11-05 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20221105064132/https://kanpou.npb.go.jp/20221104/20221104g00235/20221104g002350001f.html |archivedate=2022-11-05 |url-status=live |quote=○叙位・叙勲 萩尾 望都 旭日中綬章を授ける(各通)}}</ref>。 == 選考委員歴 == * [[日本SF大賞]]選考委員:第14回([[1993年]])から第17回([[1997年]])までおよび第28回([[2007年]])から第30回([[2009年]])まで<ref>{{Cite web|和書|url=https://prizesworld.com/prizes/sf/nhsf.htm|title=日本SF大賞受賞作・候補作一覧|website=文学賞の世界|accessdate=2022-04-15}}</ref> * [[手塚治虫文化賞]]選考委員:第7回([[2003年]])から第12回([[2008年]])まで * 『[[月刊アフタヌーン]]』の漫画賞「[[四季賞]]」の選考委員(2008年秋より)<ref>{{Cite journal|和書|year=2008 |month=7 |publisher=講談社 |journal=月刊アフタヌーン |issue=2008年7月号 |page=369}}</ref> * [[日本ファンタジーノベル大賞]]選考委員:第23回(2011年)から<ref>{{Cite web|和書|url=https://prizesworld.com/prizes/novel/fnts.htm|title=日本ファンタジーノベル大賞受賞作・候補作一覧|website=文学賞の世界|accessdate=2022-04-15}}</ref> * [[ゆきのまち幻想文学賞]]審査員<ref>{{Cite web|和書|url=https://yukigensou.site/ |title=ゆきのまち幻想文学賞 |website=ゆきのまち幻想文学賞 |accessdate=2022-10-11}}</ref> == 著作 == === 漫画 === {{dl2 | 1969年 | * ルルとミミ(『[[なかよし]]』夏休み増刊号)※デビュー作 * すてきな魔法(『なかよし』9月増刊号) | 1970年 | * クールキャット(『なかよし』2月号) * 爆発会社(『[[なかよし|別冊なかよし]]』[[虹色のマリ]]特集号) * ビアンカ(『[[少女フレンド]]』[[サインはV]]特集号) * ケーキ ケーキ ケーキ(『なかよし』9・10月号別冊付録) 原作:[[一ノ木アヤ]] | 1971年 | * ポーチで少女が小犬と(『[[COM (雑誌)|COM]]』1月号) * ベルとマイクのお話(『[[少女コミック]]』3・4合併号) * 雪の子(『[[ベツコミ|別冊少女コミック]]』3月号) * 塔のある家(『少女コミック』12号) * 花嫁をひろった男(『少女コミック』春の増刊号) * ジェニファの恋のお相手は(『なかよし』4月号) * かたっぽのふるぐつ(『なかよし』4月号増刊) * かわいそうなママ(『別冊少女コミック』5月号) * [[精霊狩り|精霊シリーズ]](1971年 - 1974年) ** [[精霊狩り]](『別冊少女コミック』1971年7月号) ** ドアの中の私の息子(『少女コミック』1972年4月号) ** みんなでお茶を(『少女コミック』1974年4月号) * モードリン(『少女コミック』29号) * 小夜の縫うゆかた(『少女コミック』夏の増刊) * ケネスおじさんとふたご(『別冊少女コミック』9月号) * もうひとつの恋(『少女コミック』39号) * 10月の少女たち(『COM』10月号) * 秋の旅(『別冊少女コミック』10月号) * 白き森白き少年の笛(『少女コミック』45号) * [[トーマの心臓#11月のギムナジウム|11月のギムナジウム]](『別冊少女コミック』11月号) * 白い鳥になった少女(『別冊少女コミック』12月号) 原作:[[ハンス・クリスチャン・アンデルセン|アンデルセン]]『[[パンをふんだ娘]]』 * セーラ・ヒルの聖夜(『少女コミック』冬の増刊号) | 1972年 | * あそび玉(『別冊少女コミック』1月号) * みつくにの娘(『別冊少女コミック』お正月増刊) * 毛糸玉にじゃれないで(『少女コミック』2号) * [[ポーの一族]](1972年 - 1976年) ** [[すきとおった銀の髪]](『別冊少女コミック』1972年3月号) ** [[ポーの村]](『別冊少女コミック』1972年7月号) ** [[グレンスミスの日記]](『別冊少女コミック』1972年8月号) ** [[ポーの一族 (1972年の漫画)|ポーの一族]](『別冊少女コミック』1972年9月号 - 12月号) ** [[メリーベルと銀のばら]](『別冊少女コミック』1973年1月号 - 3月号) ** [[小鳥の巣]](『別冊少女コミック』1973年4月号 - 7月号) ** [[エヴァンズの遺書]](『別冊少女コミック』1975年1月号 - 2月号) ** [[ペニー・レイン (漫画)|ペニー・レイン]](『別冊少女コミック』1975年5月号) ** [[リデル・森の中]](『別冊少女コミック』1975年6月号) ** [[ランプトンは語る]](『別冊少女コミック』1975年7月号) ** ピカデリー7時(『別冊少女コミック』1975年8月号) ** はるかな国の花や小鳥(『週刊少女コミック』1975年37号) ** [[ホームズの帽子]](『別冊少女コミック』1975年11月号) ** 一週間(『別冊少女コミック』1975年12月号) ** [[エディス (漫画)|エディス]](『別冊少女コミック』1976年4月号 - 6月号) ** [[春の夢 (ポーの一族)|春の夢]](『[[月刊フラワーズ|フラワーズ]]』2016年7月号、2017年3月号 - 7月号) ** [[ユニコーン (ポーの一族)|ユニコーン]](『フラワーズ』2018年7月号 - 9月号、2019年5月号 - 6月号) ** [[秘密の花園 (ポーの一族)|秘密の花園]](『フラワーズ』2019年7月号、2020年8月号 - 11月号、2021年6月号 - 8月号、10月号 - 11月号) ** (番外編ショート)月曜日はキライ(『フラワーズ』2020年7月号) ** (番外編ショート)火曜日はダイエット(『フラワーズ』2021年2月号) ** (特別ショートストーリー)満月の夜(『フラワーズ』2021年12月号) ** 青のパンドラ(『フラワーズ』2022年7月号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/479201|title=「ポーの一族」の新シリーズがflowersで開幕、西炯子2本立て&ねむようこ読み切り|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-05-27|accessdate=2022-05-27}}</ref> - 8月号、10月号、2023年1月号 - 2月号、6月号 - 7月号、9月号、11月号、2024年1月号、) * ごめんあそばせ!(『少女コミック』12号) * 3月ウサギが集団で(『少女コミック』16号) * 妖精の子もり(『別冊少女コミック』5月号) * 6月の声(『別冊少女コミック』6月号) * ママレードちゃん(『少女コミック』23号) * ミーア(『少女コミック』35号) * とってもしあわせモトちゃん(『別冊少女コミック』『少女コミック』『[[ちゃお]]』『おひさま』1972年 - 1976年) | 1973年 | * 千本めのピン(『週刊少女コミック』正月増刊フラワーコミック) * キャベツ畑の遺産相続人(『少女コミック』15号) * オーマイ ケセィラ セラ(『少女コミック』21号) | 1974年 | * ハワードさんの新聞広告(『別冊少女コミック』3月号)原作:イケダ イクミ イン・ホッカイドー{{efn2|「イケダ イクミ イン・ホッカイドー」は漫画家志望で萩尾のアシスタントをしていた池田いくみのことで、病気で地元の北海道の病院で入院していた池田を北海道旅行の折に萩尾が見舞いに訪れた際に、以前池田が何かの漫画賞に投稿して落選になった『ハワードさんの新聞広告』を萩尾が面白いと言っていたことから、池田が萩尾に「私、病気でもう漫画家を目指すのは無理だから、モーサマ描いて」と依頼し、元は20ページぐらいのところ、萩尾が絵を大きくし、シーンを増やして31ページに描き直した作品である{{sfn|一度きり|2021|pp=174-179|loc=14 田舎と田園「洞爺湖へ池田いくみさんを訪ねました」「英国ブライトンへ」}}。}} * ユニコーンの夢(『別冊少女コミック』4月号) * [[トーマの心臓]] ** [[トーマの心臓]](『少女コミック』1974年19号 - 52号) ** [[湖畔にて - エーリク 十四と半分の年の夏]](『ストロベリーフィールズ』1976年に描き下ろし) ** [[訪問者]](『[[プチフラワー]]』1980年春の号・創刊号) * まんがABC(『別冊少女コミック』6月号) * プシキャット・プシキャット(『少女コミック』夏の増刊フラワーコミック) | 1975年 | * [[この娘うります!]](『少女コミック』1975年6号 - 16号) * 温室(『[[Seventeen (日本の雑誌)|セブンティーン]]』6月号)原作:イケダイクミ{{efn2|「イケダイクミ」も池田いくみのことである{{sfn|一度きり|2021|pp=240-242|loc=18 オリジナルであろうと、原作ものであろうと}}。}} * アロイス(『[[花とゆめ]]』10・11合併号 - 12号) * [[11人いる!]] ** 11人いる!(『別冊少女コミック』1975年9月号 - 11月号) ** [[11人いる!|続・11人いる! 東の地平・西の永遠]](『別冊少女コミック』1976年12月号 - 1977年2月号) ** [[11人いる!|スペース ストリート]](『別冊少女コミック』1977年3月号 - 9月号) * 赤ッ毛のいとこ(『セブンティーン』11月号 - 1976年8月号) * ヴィオリータ(『[[女学生の友|JOTOMO]]』12月号) | 1976年 | * [[アメリカン・パイ (漫画)|アメリカン・パイ]](『[[月刊プリンセス]]』2月号 - 3月号) * 花と光の中(『少女コミック』14号) * ヨーロッパみぎひだり(『月刊プリンセス』7月号 - 8月号) | 1977年 | * 影のない森(『[[ビッグコミックオリジナル]]』2月5日号) * 少女ろまん(『月刊プリンセス』3月号 - 4月号、7月号) * Bradbury傑作選 原作:[[レイ・ブラッドベリ]] ** 霧笛(『[[マーガレット (雑誌)|週刊マーガレット]]』1977年9号) ** みずうみ(『週刊マーガレット』1977年9号) ** [[ウは宇宙船のウ]](『週刊マーガレット』1978年14号) ** ぼくの地下室へおいで(『週刊マーガレット』1978年18号) ** 宇宙船乗組員(『週刊マーガレット』1978年22号) ** 泣きさけぶ女の人(『週刊マーガレット』1978年22号) ** びっくり箱(『週刊マーガレット』1978年26号) ** 集会(『週刊マーガレット』1978年32号) * 十年目の毬絵(『ビッグコミックオリジナル』3月20日号) * マリーン(『セブンティーン』5月号) 原作:[[今里孝子]] * [[百億の昼と千億の夜]](『[[週刊少年チャンピオン]]』1977年34号 - 1978年2号) 原作:[[光瀬龍]] | 1978年 | * ゴールデンライラック(『別冊少女コミック』3月号 - 5月号) * [[スター・レッド]](『少女コミック』23号 - 1979年3号) * 左ききのイザン(『[[SFファンタジア]]』4号) | 1979年 | * 花々に住む子供(『月刊プリンセス』1月号) * さなぎ(『[[セブンコミック]]』2号) * フレア・スター・ペティコート(『[[奇想天外 (SF雑誌)|別冊奇想天外]] SFマンガ大全集』No.8) * [[恐るべき子供たち|恐るべき子どもたち]](『セブンティーン』1979年5月号 - 8月号) 原作:[[ジャン・コクトー]] * 月蝕(『[[バンピレラ]]』2号 スターログ別冊) | 1980年 | * ラーギニー(『[[SFマガジン]]』2月号) * [[メッシュ (漫画)|メッシュ]](『プチフラワー』1980年夏の号 - 1983年5月号) ** シュールな愛のリアルな死(『プチフラワー』1984年5月号 - 6月号) * 酔夢(イラスト集『金銀砂岸』に描き下ろし) * 金曜の夜の集会(『SFマガジン』11月臨時増刊号) * 銀の三角(『SFマガジン』12月号 - 1982年6月号) | 1981年 | * 一角獣種シリーズ ** [[A-A']](『月刊プリンセス』1981年8月号) ** 4/4カトルカース(『プチフラワー』1983年11月号) ** X+Y(『プチフラワー』1984年7月号 - 8月号) | 1982年 | * [[モザイク・ラセン]](『月刊プリンセス』9月号 - 12月号) | 1983年 | * 城(『プチフラワー』9月号) | 1984年 | * [[半神 (漫画)|半神]](『プチフラワー』1月号) * エッグ・スタンド(『プチフラワー』3月号) * 偽王(『プチフラワー』9月号) * ハーバル・ビューティー(『[[ぶ〜け]]』10月号) * 天使の擬態(『プチフラワー』11月号) * 船(『プチフラワー』12月号) | 1985年 | * スロー・ダウン(『プチフラワー』1月号) * ばらの花びん(『プチフラワー』2月号 - 3月号) * きみは美しい瞳(『[[月刊Asuka|ASUKA]]』8月(創刊号)) * [[マージナル (漫画)|マージナル]](『プチフラワー』1985年8月号 - 1987年10月号) * 友人K(『[[新書館#grape fruit(グレープフルーツ)|グレープフルーツ]]』21号) | 1988年 | * 完全犯罪 フェアリー(『プチフラワー』2月号 - 3月号) * フラワーフェスティバル(『プチフラワー』7月号 - 1989年1月号・3月号・5月号・7月号) | 1989年 | * 海賊と姫君(『プチフラワー』9月号) * 青い鳥(『プチフラワー』11月号) * 海のアリア(『ASUKA』1989年8月号 - 1991年5月号) | 1990年 | * ローマへの道(『プチフラワー』1月号・3月号・5月号・7月号・9月号) * 真夏の夜の惑星(『プチフラワー』11月号) | 1991年 | * ロットバルト(『プチフラワー』1月号) * ジュリエットの恋人(『プチフラワー』3月号) * 感謝知らずの男(『プチフラワー』1991年5月号 - 1992年3月号) * いるかいないかさがし(『週刊朝日百科「動物たちの地球」』1号(1991年6月23日805号) - 72号) * カタルシス(『プチフラワー』11月号) | 1992年 | * [[イグアナの娘]](『プチフラワー』5月号) * [[残酷な神が支配する]](『プチフラワー』1992年7月号 - 2001年7月号) * あぶない丘の家(『[[月刊ASUKAファンタジーDX|ASUKA増刊ファンタジーDX]]』1992年夏の号・秋の号 - 1994年10月号) | 1994年 | * 午後の日差し(『ビッグゴールド ビッグコミック増刊』14号) * 学校へ行くクスリ(『ビッグゴールド ビッグコミック増刊』16号) | 1998年 | * 帰ってくる子(『チャイルド [[異形コレクション]]7』に描き下ろし) | 2002年 | * [[バルバラ異界]](『フラワーズ』2002年9月号 - 2005年8月号) | 2005年 | * 朝はバニラの香り(『フラワーズ』2005年12月号) | 2006年 | * あぶな坂HOTEL ** あぶな坂HOTEL(『[[YOU (雑誌)|YOU]]』2006年第2号) ** あぶな坂HOTEL-3人のホスト-(『YOU』2006年第17号) ** あぶな坂HOTEL-女の一生-(『YOU』2007年第17号) ** あぶな坂HOTEL-雪山へ-(『YOU』2007年第23号) * 長靴をはいたシマ猫 (講談社MOOK「猫本」) * [[ここではない★どこか]] ** 山へ行く(『フラワーズ』2006年4月号) ** 宇宙船運転免許証(『フラワーズ』2006年5月号) ** あなたは誰ですか(『フラワーズ』2006年6月号) ** ゆれる世界(『フラワーズ』2006年7月号) ** メッセージ(『フラワーズ』2006年8月号) ** ビブラート(『フラワーズ』2006年11月号) ** 駅まで∞(『フラワーズ』2006年12月号) ** くろいひつじ(『フラワーズ』2007年1月号) ** 貴婦人-メッセージその2-(『フラワーズ』2007年3月号) ** 柳の木(『フラワーズ』2007年5月号) ** 青いドア(『フラワーズ』2007年8月号) ** オイディプス-メッセージその3-(『フラワーズ』2007年9月号) ** 世界の終わりにたった一人で(『フラワーズ』2007年10月号 - 11月号) ** 海の青(『フラワーズ』2009年7月号) ** スフィンクス(『フラワーズ』2009年10月号) ** 水玉(『フラワーズ』2010年2月号) ** シャンプー(『フラワーズ』2010年6月号) ** 百合もバラも(『フラワーズ』2010年10月号) ** 花嫁-メッセージ5-(『フラワーズ』2010年11月号) ** 海と真珠(『フラワーズ』2010年12月号) ** 春の小川(『フラワーズ』2011年3月号) ** 夜の河を渡る(『フラワーズ』2011年5月号) ** [[なのはな (漫画)|なのはな]](『フラワーズ』2011年8月号) ** プルート夫人(『フラワーズ』2011年10月号) ** 雨の夜 -ウラノス伯爵-(『フラワーズ』2012年2月号) ** サロメ20XX(『フラワーズ』2012年3月号) | 2007年 | * さみしいときは(『フラワーズ』2007年4月号) * バースディ・ケーキ(『SF Japan』2007年SUMMER号) | 2008年 | * レオくん ** レオくんのグルメ日記(『フラワーズ』2008年2月号) ** レオくんの映画スター(『フラワーズ』2008年3月号) ** レオくんの小学一年生(『フラワーズ』2008年7月号) ** お外に出して(『フラワーズ』2008年8月号) ** レオくんのお見合い(『フラワーズ』2008年12月号) ** レオくんの狩り-ヤモリ編-(『フラワーズ』2009年1月号) ** ヤマトちゃんの恋(『フラワーズ』2009年3月号) ** レオくんのアシスタント(『フラワーズ』2009年4月号) ** マルちゃんのスキヤキ(『フラワーズ』2009年6月号) ** マイのカタログ生活(『フラワーズ』2009年12月号) ** レオとまいごの子猫(『フラワーズ』2010年8月号) ** マイちゃんの木登り(『フラワーズ』2012年6月号) * 猫本クリニック(講談社[[アンソロジーコミック]]『[[猫本2]]』) {{ISBN2|978-4-06-375484-1}} | 2009年 | * 菱川さんと猫 -ゲバラシリーズ-(原作:[[田中アコ]]) ** 菱川さんと猫(『[[月刊アフタヌーン]]』2009年5月号) ** ハルカと彼方(『月刊アフタヌーン』2010年3月号 - 4月号) ** 十日月の夜(『月刊アフタヌーン』2010年10月号) | 2012年 | * [[なのはな (漫画)#なのはな -幻想『銀河鉄道の夜』|なのはな -幻想『銀河鉄道の夜]]』(萩尾望都作品集『なのはな』に描き下ろし{{efn2|「原発」をテーマにした作品集で、「なのはな -幻想『銀河鉄道の夜』」は「なのはな」の続編。}}) * [[王妃マルゴ (漫画)|王妃マルゴ]](『[[YOU (雑誌)|月刊YOU]]』9月号 - 2018年11月号 → 『[[Cocohana]]』2019年1月号 - 2020年2月号) | 2013年 | * AWAY-アウェイ (原案:[[小松左京]]「お召し」) ** AWAY-アウェイ-4月1日(『フラワーズ』2013年6月号 - 7月号) ** AWAY-アウェイ-3月21日(『フラワーズ』2014年4月号 - 6月号) ** AWAY-アウェイ-4月3日-悪い宇宙人とママ(『フラワーズ』2015年3月号 - 4月号) ** AWAY-アウェイ-2033年4月5日-仏子沼えりか(『フラワーズ』2015年6月号) ** AWAY-アウェイ-2033年11月11日-河津克美(『フラワーズ』2015年7月号) ** AWAY-アウェイ-2051年-世界の秘密(『フラワーズ』2015年8月号) * 福島ドライヴ(『[[ビッグコミック]]』11月10日号{{efn2|同号のコラム「屋根の上のマンガ読み」で[[甲斐よしひろ]]が、萩尾作品など影響を受けたマンガについてインタビューに答えている。}}) | 2016年 | * 由良の門(と)を{{efn2|「由良の門(と)」は、[[新古今和歌集]]に詠まれる[[曽禰好忠]]の[[和歌]]「由良の門(と)を 渡る舟人(ふなびと) かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋(こひ)の道かな」([[s:新古今和歌集/巻第十一#01071|巻第十一 恋歌 一 01071]]、[[s:小倉百人一首#四十六|小倉百人一首 歌番号 四十六]])の[[歌枕]]で「ゆらのと」と読み、[[紀淡海峡]]の、[[兵庫県]][[洲本市]]由良の付近のこと。}}(『月刊アフタヌーン』5月号)原作:[[岩明均]]『[[寄生獣]]』より{{efn2|さまざまな作家が『[[寄生獣]]』を描くシリーズ『[[ネオ寄生獣]]』の第12弾で、[[寄生獣#パラサイトとそれに与する者|田宮良子]]の娘・由良の成長を描く物語。}} * 天使かもしれない(『月刊YOU』5月号 - ) 原作:ハギオモト、作画:波多野裕<ref name="natalie20160415" /> | 2018年 | * バス停まで(『[[モーニング (漫画雑誌)|週刊モーニング]]』2018年1月25日号) | 2020年 | * ガリレオの宇宙(『[[Apple Store]]』<ref>{{Cite web|和書|url=https://japanese.engadget.com/hagio-moto-app-store-apple-today-manga-galileo-221222047.html|title=漫画『ガリレオの宇宙』を無料公開。App Storeで創作を語るインタビューも 望都先生初のフルデジタル漫画!|website=Engadget日本版|publisher=[[Yahoo!]]|date=2020-08-07|accessdate=2022-03-19|deadlinkdate=2022-05-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200806225131/https://japanese.engadget.com/hagio-moto-app-store-apple-today-manga-galileo-221222047.html|archivedate=2020-08-06}}</ref>) | 2021年 | * 麒麟狩り(『[[諸星大二郎]] デビュー50周年記念 トリビュート』<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/444103|title=浦沢直樹、萩尾望都、星野之宣、山岸凉子らが描き下ろし「諸星大二郎トリビュート」|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-09-07|accessdate=2021-09-07}}</ref>) }} === 小説 === * 三年生のための創作童話(『[[小三教育技術]]』1975年4月号 - 1976年3月号) * 音楽の在りて(『[[奇想天外 (SF雑誌)|奇想天外]]』1977年4月号) * CMをどうぞ(『奇想天外』1977年6月号) * マンガ原人(『奇想天外』1977年8月号) * 守人達(『奇想天外』1977年10月号) * 闇夜に声がする(『奇想天外』1977年12月号) * 子供の時間(『奇想天外』1978年2月号) * ヘルマロッド殺し(『奇想天外』1978年4月号) * プロメテにて(『奇想天外』1978年9月号) * おもちゃ箱(『奇想天外』1978年11月号) * クレバス(『奇想天外』1979年1月号) * 美しの神の伝え(『奇想天外』1979年3月号 - 1980年2月号) * 憑かれた男(『ソワレ』1977年12月号) * 左手のパズル(1995年)。書き下ろし * ピアリス(河出書房新社 2017年7月) ** 木下司名義で発表(『[[ザ・スニーカー#ザ・スニーカースペシャル|The Sneaker Special]]』1994年春号 - 1995年冬号) * 美しの神の伝え 萩尾望都・小説集(河出文庫 2017年8月) ** 『奇想天外』に発表した11篇+「クリシュナの季節」ほか全15篇 === エッセイ集 === * {{Cite book|和書|author=萩尾望都 |title=思い出を切りぬくとき |date=1998-04-01 |publisher=あんず堂 |isbn=978-4-8728-2231-1 |ref={{sfnref|思い出を|1998}} }} ** {{Cite book|和書|author=萩尾望都 |title=思い出を切りぬくとき |date=2009-11-04 |publisher=[[河出書房新社]] |series=河出文庫 |isbn=978-4-3094-0987-0 |ref={{sfnref|思い出を 文庫版|2009}} }} - 上記の文庫版 * {{Cite book|和書|author= |title=夢見るビーズ物語 |date=2009-12-15 |publisher=[[ポプラ社]] |isbn=978-4-5911-1465-0}} - コミック・エッセイ集 * {{Cite book|和書|author= |title=一瞬と永遠と |date=2011-06-01 |publisher=[[幻戯書房]] |isbn=978-4-9019-9875-8}} ** {{Cite book|和書|author= |title=一瞬と永遠と |date=2016-05-06 |publisher=朝日新聞出版 |series=[[朝日文庫]] |isbn=978-4-0226-4813-6}} - 上記の文庫版 * {{Cite book|和書|author= |title=私の少女マンガ講義 |date=2018-03-30 |publisher=[[新潮社]] |isbn=978-4-1039-9602-6}} - 聞き手:構成矢内裕子 ** {{Cite book|和書|author= |title=私の少女マンガ講義 |date=2021-06-24 |publisher=新潮社 |series=[[新潮文庫]] |isbn=978-4-1010-2981-8}} - 上記の文庫版 * {{Cite book|和書|title=一度きりの大泉の話 |date=2021-04-21 |publisher=河出書房新社 |isbn=978-4-3090-2962-7 |ref={{sfnref|一度きり|2021}} }}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309029627/ |title=一度きりの大泉の話 |publisher=河出書房新社|date=2021-04-22 |accessdate=2021-04-27}}</ref> === 対談集 === * {{Cite book|和書|title=マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都 対談集 1970年代編 |date=2012-02-21 |publisher=河出書房新社 |series=萩尾望都・対談集 |isbn=978-4-3092-7307-5 |ref={{sfnref|マンガのあなた SFのわたし}} }} * {{Cite book|和書|title=コトバのあなた マンガのわたし 萩尾望都 対談集 1980年代編 |date=2012-05-25 |publisher=河出書房新社 |series=萩尾望都・対談集 |isbn=978-4-3092-7328-0 |ref={{sfnref|コトバのあなた マンガのわたし}} }} * {{Cite book|和書|title=物語るあなた 絵描くわたし 萩尾望都 対談集 1990年代編 |date=2012-11-30 |publisher=河出書房新社 |series=萩尾望都・対談集 |isbn=978-4-3092-7367-9 |ref={{sfnref|物語るあなた 絵描くわたし}} }} * {{Cite book|和書|title=愛するあなた 恋するわたし 萩尾望都 対談集 2000年代編 |date=2014-05-23 |publisher=河出書房新社 |series=萩尾望都・対談集 |isbn=978-4-3092-7494-2 |ref={{sfnref|愛するあなた 恋するわたし}} }} * 『萩尾望都 紡ぎつづけるマンガの世界 女子美での講義より』 [[ビジネス社]] 2020年8月。{{ISBN2|978-4-8284-2202-2}}([[女子美術大学]]での講義と対談を収録) === 絵本・画集 === * とってもしあわせモトちゃん メルヘンリーフ - [[小学館]] 1972年12月 * 月夜のバイオリン - 萩尾望都童話の世界 - オリオン出版 1976年10月 * ストロベリーフィールズ - [[新書館]] 1976年11月 * 少年よ - 萩尾望都イラスト詩集 - [[白泉社]] 1976年12月 * 萩尾望都の世界 - [[徳間書店]] 1978年7月 * Cherish Gallery 萩尾望都 自選複製原画集 - 白泉社 1978年9月 * 金銀砂岸 - 新書館 1980年8月 * 宇宙叙事詩 - 小学館 1972年12月 * 月夜のバイオリン - 新書館 1981年12月 * 狩人は眠らない - 幻境にて - チェリッシュ絵本館 白泉社 1984年5月 * 左手のパズル - 新書館 1995年8月 (絵・[[東逸子]]) * 萩尾望都イラスト集 残酷な神が支配する - 小学館 2002年4月 * 金銀砂岸 - 増補愛蔵版 [[ブッキング]] 2006年8月、[[復刊ドットコム]] 2012年5月 * トリッポンのこねこ - 教育画劇 2007年2月(絵・こみねゆら) * トリッポンとおばけ - 教育画劇 2007年2月(絵・こみねゆら) * トリッポンと王様 - 教育画劇 2007年2月(絵・こみねゆら) * 銀の船と青い海 - [[河出書房新社]] 2010年10月、[[河出文庫]] 2015年2月 * 萩尾望都 SFアートワークス - 河出書房新社 2016年4月 *『ポーの一族』と萩尾望都の世界 - 小学館 2019年12月 * 江戸~東京 300年マーチ(20人の漫画家による原画集・イラストブック『もしも、東京』に収録) - 小学館 2021年9月<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09199072?utm_source=magro&utm_medium=email&utm_campaign=zokkan_20210910_050500|title=原画集・イラストブック もしも、東京 |publisher=小学館 |accessdate=2021-09-10 |date=2021-09-10}}</ref> === WEB === * 荒俣宏との対談 - 電子まんがナビゲーター eBookJapan -2013年 ** {{Wayback |url=http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/manganavi/manganavi_14-1a.asp |title=その1 新しい「嵐」としての少女漫画の巻 |date=20141205032645}} - 3月15日 ** {{Wayback |url=http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/manganavi/manganavi_14-2a.asp |title=その2 初期の萩尾ワールドを体験するの巻 |date=20140711183920}} - 3月22日 ** {{Wayback |url=http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/manganavi/manganavi_14-3a.asp |title=その3 コミックとしての日本SFの巻 |date=20140712002546}} - 4月30日 ** {{Wayback |url=http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/manganavi/manganavi_14-4a.asp |title=その4 身辺の遠近(おちこち)を聞くの巻 |date=20140711185846}} - 5月17日 * [[資生堂]] - [[TSUBAKI]]「働くワタシの髪事情」(2019年9月2日 - )※ウェブCM<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/345537 |title=種村有菜・萩尾望都が資生堂TSUBAKIとコラボ、萩尾「WEBCMの作品は初めて」 |website=コミックナタリー |publisher=ナターシャ |accessdate=2021-04-27 |date=2019-09-02}}</ref> === TVゲーム === * [[ガイア幻想紀]]([[エニックス]]、1993年11月27日) - キャラクター原案 === 装画 === * {{Cite book|和書|author=榎田ユウリ |others=萩尾望都 装画 |title=武士とジェントルマン |date=2021-04-14 |publisher=[[KADOKAWA]] |isbn=978-4-0410-9987-2 |url=https://www.kadokawa.co.jp/product/322006000163/ |accessdate=2021-04-27}} - 装画描き下ろし == 作品提供 == === ドラマ === * [[NHK総合テレビジョン|NHK]][[少年ドラマシリーズ]]『[[11人いる!]]』(1977年1月) * [[テレビ東京]]月曜女のサスペンス『春雷の目撃者 - その夜少女の告白は悲鳴に変わった』(1990年3月5日) - 原作『モードリン』 ** 出演:[[小川範子]]・[[谷啓]]・[[美木良介]]・[[高林由紀子]] 他 ** 脚本:矢代彩子/監督:中村金太/製作:テレビ東京・PDS * [[テレビ朝日]]『[[イグアナの娘]]』(1996年4 - 6月) - 原作『イグアナの娘』 ** 脚本:[[岡田惠和]]/出演:[[菅野美穂]]・[[岡田義徳]]・[[榎本加奈子]] 他 * [[テレビ朝日]] [[日曜エンターテインメント]]『ストレンジャー〜バケモノが事件を暴く〜』(2016年3月27日) - 原案『[[ポーの一族]]』 ** 出演:[[香取慎吾]]・[[中条あやみ]]・[[萩原聖人]]・[[段田安則]] 他 ** 脚本:鈴木勝秀/監督:[[本広克行]]/製作:[[アットムービー]]・[[プロダクション・アイジー|プロダクションI.G]]・テレビ朝日 === 映画 === * [[11人いる!]](1986年11月) * [[時空の旅人]](1986年12月) - キャラクターデザインを担当 ** 原作:[[眉村卓]]『[[とらえられたスクールバス]]』/監督・脚本:[[真崎守]]/声の出演:[[戸田恵子]]他/アニメーション作品 * [[1999年の夏休み]](1988年3月) - 『[[トーマの心臓]]』を翻案 === 舞台 === * キュルトヘンの帽子 グリムの国のジグソーパズル(1985年8月) - 原作・脚本を担当 ** 脚色・演出:小林裕/出演:[[小林聡美]]・[[川島なお美]]/[[新宿厚生年金会館]]他 * [[半神 (漫画)|半神]] - 原作「半神」・脚本を共作 ** 劇団[[夢の遊眠社]]/脚本:萩尾望都・[[野田秀樹]]/演出:野田秀樹 ** 1986年12月 - 出演:野田秀樹・[[円城寺あや]]他/[[本多劇場]] ** 1988年4 - 5月 - 出演:野田秀樹・[[上杉祥三]]・円城寺あや他/[[シアターアプル]]他 * アロイス(1992年7月) - 原作『アロイス』 ** スタジオSKY&池田屋企画/演出:[[池田政之 (脚本家)|池田政之]]/出演:[[渡辺博貴]]・旺なつき 他/[[青山円形劇場]] * 斎王夢語(1993年9月) - 脚本を担当 ** 演出・脚色:森田高并/三重県明和町国史跡特設会場 * 半神 ** NODA MAP/脚本:萩尾望都・野田秀樹/演出:野田秀樹 ** 1999年4 - 5月 - 出演:[[深津絵里]]・[[鷲尾真知子]] 他/[[Bunkamura]][[シアターコクーン]]他 * [[トーマの心臓]](1996年2月、1997年3月、1999年3月、2000年12月 - 2001年1月、2001年2月、2003年2月 - 3月、2006年、2010年2月 - 4月) ** 劇団[[Studio Life]] * [[訪問者]](1998年7月、 2000年12月 - 2001年1月、2001年2月、2010年2月 - 4月) ** 劇団Studio Life * [[アメリカン・パイ (漫画)|アメリカン・パイ]](2003年6 - 7月) - 原作『アメリカン・パイ』 ** [[宝塚歌劇団]]雪組/脚本・演出:[[小柳奈穂子]]/出演:[[貴城けい]]・[[山科愛]] 他/[[宝塚バウホール]] 他 * [[11人いる!]](2004年6 - 7月) ** 演劇ユニット [[アクサル]] * [[メッシュ (漫画)|メッシュ]](2005年6月 - 7月) ** 劇団Studio Life * [[マージナル (漫画)|マージナル]](2008年8月 - 9月) ** 劇団Studio Life * [[11人いる!]](2011年2月 - 3月) ** 劇団Studio Life * [[ポーの一族]](2018年1月 - 3月) ** [[宝塚歌劇団]][[花組 (宝塚歌劇)|花組]]/脚本・演出:[[小池修一郎]]/出演:[[明日海りお]]・[[仙名彩世]] 他/[[宝塚大劇場]]・[[東京宝塚ビル#東京宝塚劇場|東京宝塚劇場]] * [[なのはな (漫画)#舞台|なのはな]](2019年2 - 4月) ** 劇団Studio Life === ラジオドラマ === * NHK-FM『[[ポーの一族#ラジオドラマ|ポーの一族 (ラジオドラマ)]]』(1980年1月) * NHK-FM『[[マージナル (漫画)|マージナル]]』(1988年10 - 11月) - 原作『マージナル』 ** 音楽:[[細野晴臣]]・福沢諸/出演:[[コシミハル]]・[[石田純一]] 他 * ラジオ関西 連続ラジオドラマ『[[ポーの一族#ラジオドラマ|ポーの一族 (ラジオドラマ)]]』(2007年10月 - 2008年3月) ** 出演:[[朴璐美]](エドガー)・[[斎賀みつき]](アラン)・[[いのくちゆか]](メリーベル)他 === ドラマCD === * 『[[ポーの一族#ドラマCD|ポーの一族 (ドラマCD)]]』全6巻(2007年12月 - 2008年5月) ** 上記ラジオ関西による連続ラジオドラマを基にしたCD化作品。ラジオとは異なるディレクターズカット版を収録し、萩尾望都のオリジナル図版を使用した特製リバーシブルジャケットを封入。 * 『[[ポーの一族#ドラマCD|ポーの一族 エドガーとアラン篇]]』全1巻(2013年3月) ** [[映劇]]のドラマCDレーベル「e☆star」より発売された。 == メディア出演 == <!--単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人」参照 --> === 映画出演 === *ドモ又の死([[2007年]]、[[奥秀太郎]]監督作品) - 麻薬患者更生施設・院長役 === テレビ出演 === <!-- * [[森田一義アワー 笑っていいとも!]](1985年7月23日、[[フジネットワーク|フジテレビ系列局]]) - [[テレフォンショッキング]]コーナー出演 --> <!-- * [[斉藤さんちのお客さま]](1987年9月18日、フジテレビ系列) - ゲスト出演 --> * [[趣味百科]]『少女コミックを描く』第5回(1991年4月30日 [[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]) - アトリエ訪問コーナーに登場。 * [[浦沢直樹の漫勉]]『萩尾望都』(2016年3月3日<!-- 木曜日 -->、[[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]]) - 『王妃マルゴ』の製作過程を収録した画像を見ながら[[浦沢直樹|浦沢]]と対談。 * [[100分de名著#スペシャル放送|100分de萩尾望都]](2021年1月2日<!-- 土曜日、21時30分放送 -->、NHK Eテレ) == 関連項目 == === 作家・漫画家 === 萩尾から影響を受けたと語る人物を記す。 * [[森博嗣]] - 森の自著にて言及<ref>{{Cite book|和書|author=森博嗣 |authorlink=森博嗣 |title=森博嗣のミステリィ工作室 |year=1999 |month=3 |publisher=メディアファクトリー |series=ダ・ヴィンチブックス ダ・ヴィンチミステリシリーズ |isbn=978-4-8899-1802-1}}<br />{{Cite book|和書|author=森博嗣 |title=森博嗣のミステリィ工作室 |date=2001-12-14 |publisher=講談社 |series=講談社文庫 |isbn=978-4-0627-3322-9}}</ref> * [[恩田陸]] - 萩尾の文庫版コミックの解説にて言及<ref>{{Cite book|和書|author=萩尾望都 |title=海のアリア (1) |date=2001-08-10 |publisher=小学館 |series=小学館文庫 はA 22 |isbn=978-4-0919-1382-1 |chapter=解説「『精霊狩り』から始まった」}}</ref> * [[高野文子]] - 『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』の高野特集号にて言及<ref>{{Cite book|和書|title=ユリイカ 2002年7月号 特集=高野文子|year=2002 |month=6 |publisher=青土社 |isbn=978-4-7917-0091-2}}{{要ページ番号|date=2022年10月}}</ref> * [[羽海野チカ]] - 技法を萩尾望都の作品から独習していたことを2022年刊行(対談自体は2011年)の対談集にて言及{{sfn|マンガのあなた SFのわたし|p={{要ページ番号|date=2022年10月}} }}。 * [[二ノ宮知子]] - エッセイコミック『おにぎり通信〜ダメママ日記』では、登場する飼い猫の1匹であるロクは大先輩の萩尾の紹介で貰い受けているので<ref>{{Cite interview |和書|date=2021-01-05 |subject=二ノ宮知子 |subjectlink=二ノ宮知子 |interviewer=増田桃子 |title=二ノ宮知子×ラン・ロク - 私とペット 第18回 |url= |work=コミックナタリー |publisher=ナターシャ |accessdate=2022-10-11}}</ref>、「由緒正しい猫」として扱われている。 === アシスタント === * [[花郁悠紀子]] * [[佐藤史生]] === 関連文献 === * {{Cite book|和書|author=萩尾浩 |others=装画 萩尾望都 |title=南方記―戦地で弾いたバイオリン |date=2002-12-01 |publisher=文芸社 |isbn=978-4-8355-4750-3}} - 実父が戦争体験をつづった自伝、自費出版<ref>{{Cite web|和書|author=小野耕世 |authorlink=小野耕世 |url=https://onokosei-biography.blogspot.com/2013/11/25.html |title=第25回 マンガ家・萩尾望都のお父さまと私の父 |website=毎日なにかを思いだす 〜小野耕世の次元ドリフト〜 |publisher=Blogger |date=2013-11-01 |accessdate=2022-10-11}}</ref> == 参考文献 == * {{Cite journal|和書|title=萩尾望都の素顔初公開!! |year=1976 |month=3 |publisher=小学館 |journal=少女コミック |issue=1976年3月28日号 |page=綴込みポスター『ポーの一族』裏面 |ref={{sfnref|少女コミック 1976年3月28日号}} }} - 『[[少女コミック]]』は現在の『[[Sho-Comi]]』の前身。 * {{Cite journal|和書|title=作者自身が語る 人気まんが家のすべて〈第2回〉 萩尾望都の世界 |year=1976 |date=8 |publisher=集英社 |journal=週刊マーガレット |issue=1976年8月15日号 |ref={{sfnref|週刊マーガレット 1976年8月15日号}} }} - 『週刊マーガレット』は後の『[[マーガレット (雑誌)|マーガレット]]』(隔週刊)の前身。 * {{Cite book|和書|author=鈴木志郎康 |authorlink=鈴木志郎康 |others= |title=萩尾望都 マンガの魅力 |year=1978 |month=5 |publisher=清山社 |id={{asin|B01LTHZ7KA}} |ref={{sfnref|鈴木|1978}} }} * {{Cite book|和書|title=萩尾望都の世界 テレビランド増刊 イラストアルバム(6) |publisher=[[徳間書店]] |year=1978 |month=7 |ref={{sfnref|萩尾望都の世界|1978}} }} * {{Cite journal|和書|title=総特集=少女マンガ 対話 萩尾望都 vs 吉本隆明 |year=1981 |month=6 |publisher=青土社 |journal=ユリイカ |issue=1981年7月臨時増刊号 |id={{asin|B07FCGB3FQ}} |ref={{sfnref|ユリイカ 1981年7月臨時増刊号}} }} * {{Cite journal|和書|title=COMIC界の“超少女”たち〔女性マンガ家インタビュー〕 |year=1986 |month=10 |publisher=毎日新聞社 |journal=毎日グラフ |issue=1986年10月26日号 |ref={{sfnref|毎日グラフ 1986年10月26日号}} }} * {{Cite journal|和書|title=特集 THE少女マンガ!! 夢の永久保存版 |year=1992 |month=8 |publisher=文藝春秋 |journal=[[CREA (雑誌)|CREA]] |issue=1992年9月号 |ref={{sfnref|CREA 1992年9月号}} }} * {{Cite journal|和書|title=特集 少女マンガ「少女マンガという装置」([[巖谷國士]]との対談) |year=1995 |month=3 |publisher=青土社 |journal=imago(イマーゴ) |issue=1995年4月号 |id={{asin|B01LTIOCPK}} |ref={{sfnref|imago 1995年4月号}} }} * {{Cite journal|和書 |title=解体全書 萩尾望都 |year=1996 |month=7 |publisher=メディアファクトリー |journal=[[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]] |issue=1996年8月号 |page=184 |ref={{sfnref|ダ・ヴィンチ 1996年8月号}} }}<ref>{{Cite web|和書|url=https://ddnavi.com/davinci/backnumber/28/ |title=『ダ・ヴィンチ』1996年8月号 |website=ダ・ヴィンチWeb |publisher=KADOKAWA |accessdate=2022-10-11}}公式ページでページ番号が確認できる。</ref> * {{Cite journal|和書|title=70年代マンガ大百科 こんな名作・快作・珍作があったのか! |year=1996 |month=12 |publisher=[[宝島社]] |journal=[[別冊宝島]] |issue=288号 |isbn=978-4-7966-9288-5 |id={{asin|B00F3AWB4K}} |ref={{sfnref|別冊宝島 288号}} }} * {{Cite book|和書|author=藤本由香里 |authorlink=藤本由香里 |title=少女まんが魂 現在を映す少女まんが完全ガイド&インタビュー集 |date=2000-12-01 |publisher=[[白泉社]] |isbn=978-4-5927-3178-8 |ref={{sfnref|藤本|2000}} }} * {{Cite journal|和書|author=島崎今日子|title=現代の肖像 - 萩尾望都●漫画家 少女漫画が文学を超えた日 / 島崎今日子 |date=2006-04-24 |publisher=朝日新聞出版 |journal=[[AERA]] |issue=2006年5月1日-8日合併増大号 |pages=67-71|ref={{sfnref|AERA|2006}} }} * {{Cite book|和書|title=萩尾望都 少女マンガ界の偉大なる母 |date=2010-05-14 |publisher=河出書房新社 |series=文藝別冊 |isbn=978-4-3099-7734-8 |ref={{sfnref|文藝別冊|2010}} }} * {{Cite journal|和書|title=SPECIAL対談[萩尾望都×よしながふみ] 後篇 |date=2014-02-15 |publisher=集英社 |journal=YOU |issue=2014年3月号 |id={{JAN|089290314}} |ref={{sfnref|YOU 2014年3月号}} }} * {{Cite journal|和書|title=画業50周年記念【大特集】萩尾望都 - 少女マンガの神が語る、作画のひみつ |date=2019-06-25 |publisher=[[新潮社]] |journal=[[芸術新潮]] |issue=2019年7月号 |id={{JAN|4910033050797}} |ref={{sfnref|芸術新潮 2019年7月号}} }}<ref>{{Cite 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=== {{Notelist2|30em}} === 出典 === {{Reflist|20em}} == 外部リンク == * [https://flowers.shogakukan.co.jp/author/282/ 萩尾望都] - 小学館 [[月刊フラワーズ|月刊flowers]] ** {{Wayback |url=https://www.asahi.com/event/poeten/ |title=デビュー50周年記念 萩尾望都 ポーの一族展 |date=20210613195939}} - 2019年から2021年現在にかけて開催 ** {{Wayback |url=http://hagiomoto-sf.com/ |title=萩尾望都SF原画展 公式サイト Hagio Moto SF Exhibition |date=20220711204210}} - 2016年から2022年現在にかけて開催 * [https://mainichi.jp/sunday/articles/20210524/org/00m/040/001000d 下山進:「萩尾望都と竹宮惠子 二人の自伝を読む。 その前編」、サンデー毎日(2021年5月25日)] * 関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編(対談) ** [https://tezukaosamu.net/jp/mushi/entry/26373.html 第1回 漫画家になる決意を固めた『新選組』] - 2022年8月5日掲載 ** [https://tezukaosamu.net/jp/mushi/entry/26374.html 第2回 漫画家の視点で「手塚漫画」のすごさ] - 2022年8月12日掲載 ** [https://tezukaosamu.net/jp/mushi/entry/26375.html 第3回 萩尾望都と手塚治虫は何を話したのか] - 2022年8月19日掲載 ** [https://tezukaosamu.net/jp/mushi/entry/26376.html 第4回 『鉄腕アトム』に見る、手塚治虫の漫画手法] - 2022年8月26日掲載 {{日本SF大賞|第27回}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はきお もと}} [[Category:萩尾望都|*]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:SF漫画家]] [[Category:20世紀日本の女性著作家]] [[Category:21世紀日本の女性著作家]] [[Category:文化功労者]] [[Category:旭日中綬章受章者]] [[Category:紫綬褒章受章者]] [[Category:朝日賞受賞者]] [[Category:アイズナー賞殿堂入りの人物]] [[Category:女子美術大学の教員]] [[Category:福岡県出身の人物]] [[Category:1949年生]] [[Category:存命人物]]
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萩原玲二
萩原 玲二(はぎわら れいじ)は、日本の漫画家。1986年、『少年サンデー別冊』に掲載された「KIDS ARE ALL RIGHT」(掲載時は麗憂魅名義)でデビュー。代表作に『ALIEN秘宝伝』など。オリジナル作品のほかに、SF・伝奇小説や実話怪談などのコミカライズを数多く手掛けている。
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萩原 玲二は、日本の漫画家。1986年、『少年サンデー別冊』に掲載された「KIDS ARE ALL RIGHT」(掲載時は麗憂魅名義)でデビュー。代表作に『ALIEN秘宝伝』など。オリジナル作品のほかに、SF・伝奇小説や実話怪談などのコミカライズを数多く手掛けている。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 萩原 玲二 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生年 = | 生地 = | 没年 = | 没地 = | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1986年]] - | ジャンル = | 代表作 = 『ALIEN秘宝伝』 | 受賞 = | サイン = | 公式サイト = }} '''萩原 玲二'''(はぎわら れいじ)は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[1986年]]、『少年サンデー別冊』に掲載された「KIDS ARE ALL RIGHT」(掲載時は'''麗憂魅'''名義)でデビュー。代表作に『ALIEN秘宝伝』など。オリジナル作品のほかに、SF・伝奇小説や実話怪談などのコミカライズを数多く手掛けている。 == 作品リスト == * レッド([[講談社]]) * 勝手にジャンキィロード([[竹書房]]近代麻雀コミックス) * 地球暗黒記ナナ・ヌウ(原作:[[荒俣宏]]、[[角川書店]]) * BADGE(バッジ)(『[[コミックガンマ]]』([[竹書房]])掲載、単行本全1巻) * 旋風のイリヤ([[フランス書院]]) * 軽薄ピエロ([[白泉社]]ジェッツコミックス) * ザ・マシーン・ガン・ドーターズ ([[河出書房新社]]九龍COMICS) * 痛快お伽草紙 爆弾カチカチ山 * 薬菜飯店(原作:[[筒井康隆]]) * パプリカ(原作:筒井康隆) * 筒井漫画涜本(原作:筒井康隆、「弁天さま」、実業之日本社) * グッドバッドママ([[講談社]]) * Alien秘宝伝 (原作:[[菊地秀行]]「エイリアン秘宝街」、ヤングサンデーコミックス、全1巻) * 天使だけが翼を持っている(『[[月刊サンデージェネックス]]』([[小学館]])掲載、単行本全2巻) * アーニャの麻雀日和 - 「はぎわられいじ」名義で『[[近代麻雀]]』にて月一連載 * スヰート - 『[[近代麻雀]]』にて不定期掲載の読切シリーズ * JAPAN WAR 1945 新大東亜戦記(原作:[[佐藤大輔]]、角川書店) * [[その時歴史が動いた (漫画)|その時歴史が動いた コミック版]] * 鉄輪女 - 『[[サムケ]]』Vol.1 * [[くだんのはは]](原作:[[小松左京]]、『コミック特盛[[新耳袋]]』([[一ツ橋グループ|ホーム社]])掲載) * うしおんな(『コミック特盛[[新耳袋]]』掲載) * [[艦隊のシェフ]](原作:[[池田邦彦]]、『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』2021年43号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/446260|title=戦場の男たちの食を支えるハードボイルドグルメマンガ「艦隊のシェフ」モーニング新連載|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-09-22|accessdate=2021-09-22}}</ref> - 連載中) == アシスタント == * [[児嶋都]]<ref name="born">中野渡淳一『漫画家誕生 169人の漫画道』[[新潮社]]、2006年発行、210 - 211頁。{{ISBN2|4-10-301351-6}}。</ref> == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://twitter.com/hgwr_lzy 萩原玲二 / Twitter] * [https://note.com/hgwr_lzy/ 萩原玲二|note] - 本人のnote(2020年~)。 * [https://blog.goo.ne.jp/hagiwaral 怠惰なひな菊] - 本人のブログ。 *{{マンガ図書館Z作家|803}} * {{Mediaarts-db|name=萩原玲二}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:はきわら れいし}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:生年未記載]] [[Category:存命人物]]
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はざまもり
はざま もり(10月26日 - )は日本の漫画家。東京都出身。1980年、『ラブリーフレンド』(講談社)8月号に掲載された『そしてようよう初恋模様』でデビュー。代表作に『霊感占い殺人事件』など。 1980年、講談社新人漫画賞受賞。
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はざま もりは日本の漫画家。東京都出身。1980年、『ラブリーフレンド』(講談社)8月号に掲載された『そしてようよう初恋模様』でデビュー。代表作に『霊感占い殺人事件』など。 1980年、講談社新人漫画賞受賞。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = はざま もり | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生年 = {{生年月日と年齢||10|26}} | 生地 = {{JPN}}・[[東京都]] | 没年 = | 没地 = | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1980年]] - | ジャンル = [[少女漫画]]<br />[[ミステリー漫画]] | 代表作 =『霊感占い殺人事件』 | 受賞 = | サイン = | 公式サイト = }} '''はざま もり'''([[10月26日]] - )は[[日本]]の[[漫画家]]。[[東京都]]出身。[[1980年]]、『[[別冊フレンド#関連誌|ラブリーフレンド]]』([[講談社]])8月号に掲載された『そしてようよう初恋模様』でデビュー。代表作に『霊感占い殺人事件』など。 1980年、[[講談社新人漫画賞]]受賞。 == コミックスリスト == * 赤の旋律(1983年、講談社、全2巻) * 夢狩り伝説(1984年、講談社) * アリシア白の輪舞〜鉄仮面の秘密〜(1984年、講談社) * 階段は知っている(1985年、講談社) * リンデングリーンの騎士〜アイバンホー〜(1986年、講談社) * 夜のささやき(1987年、双葉社) * 逢う魔が時(1987年、講談社) * レディ・ドラゴン(1988年、講談社) * 暗闇に猫が鳴く(1988年、双葉社) * 模細工〜モザイク〜(1988年、双葉社) * ベイサイド・ダンディ(1989年、双葉社) * 霊感占い殺人事件(1989年 - 1995年、講談社、全10巻) * 野々村りり子23才(1990年、双葉社) * 蜉蝣の森(1991年、白泉社) * 霊界倶楽部(1991年、双葉社) * 二つの顔の悪魔(1992年、白泉社) * 通り魔(1992年、スコラ) * 闇の招待状(1993年、双葉社) * うしろの闇(1993年、スコラ) * 惨劇の娘(1993年、白泉社) * ウエディング・ナイトメア(1993年、白泉社) * 怪談 おいてけ堀(1994年、白泉社) * 怪談 吸血鬼(1995年、白泉社) * 怪奇の卵(1996年、白泉社) * 霊感占い殺人事件セレクション(2001年、講談社、全2巻) * 霊感少女(2003年、あおば出版) - 2016年に青泉社より完全版上下巻刊行 * 霊感事件簿1 死神のキス(2003年、あおば出版) ** 霊感事件簿2 幽霊屋敷(2004年、あおば出版) ** 霊感事件簿3 瞳で殺せたら(2004年、あおば出版) * 鬼門の家(2004年、あおば出版) * 獣医師の事件簿(2005年、あおば出版) - 2013年に青泉社より新装版刊行 ** 新・獣医師の事件簿(2011年 - 2019年、Bbmfマガジン、全3巻) * 駆け落ちカップルの事件メモ(2005年、あおば出版) * 遺産相続人(2005年、あおば出版) * 霊感少女・再来(2006年、あおば出版) * 病める魂(2006年、あおば出版) * 幻夢怪談 〜百物語〜(2007年、あおば出版) * ボスと見た夢(2007年、ハーレクイン) * 団地妻殺人事件(2008年、宙出版) * 悪夢の花嫁(2008年、宙出版) * 見知らぬあの子(2009年、Bbmfマガジン) * 霊感少年の事件簿(2009年、グリーンアロー出版社) ** 霊感少年の事件簿 優弥誕生編(2011年、Bbmfマガジン) ** 霊感少年の事件簿 優弥成長編(2013年、青泉社) ** 霊感少年の事件簿 半妖亜蘭編(2014年、青泉社) * 暮林教授の怪異事件簿(2014年、青泉社) * 霊界案内人(2015年、青泉社) * 幻夢怪談 百物語(2017年、青泉社、上下巻) * 探偵ケイの奇妙な日常(2017年、青泉社) * 霊感兄弟の怪奇ファイル(2018年、青泉社) * 探偵黒崎・けもの道(2018年、青泉社) * 落ちてきた災難(2019年、青泉社) * 霊界迷宮(2021年 - 、青泉社、既刊1巻) == 外部リンク == * [http://hazamamori.blog22.fc2.com/ 海と猫とおいしいもの](公式ブログ) {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{デフォルトソート:はさま もり}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:生年未記載]] [[Category:存命人物]]
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橋本きんいち
橋本 きんいち(はしもと きんいち)は、漫画家。代表作に『宗志郎100万$ハート』など。
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橋本 きんいちは、漫画家。代表作に『宗志郎100万$ハート』など。
{{特筆性|date=2022年11月20日 (日) 06:12 (UTC)|人物}} {{存命人物の出典皆無|date=2022年11月20日 (日) 06:12 (UTC)}} '''橋本 きんいち'''(はしもと きんいち)は、[[漫画家]]。代表作に『宗志郎100万$ハート』など。 == 作品リスト == * 宗志郎100万$ハート(1984年-1985年、少年マガジンKC([[講談社]])刊。全2巻) * ストリート天使(1986年、少年マガジンKC、全2巻) * NON STOP!恭兵(1986年-1989年、少年マガジンKC、全11巻) * FREEDOM(1990年、少年マガジンKC、全2巻) * JOE(1991年、少年マガジンKC、全4巻) {{Manga-artist-substub}} {{DEFAULTSORT:はしもと きんいち}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:存命人物]]
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はしもとみつお
はしもと みつお(本名:橋本 光男、1955年11月5日 - )は、日本の漫画家。埼玉県狭山市出身。男性。『ミーニャの願い』で1976年の第11回手塚賞佳作を受賞し、翌年の「少年ジャンプ」増刊号に掲載された『二人はライバル』でデビュー。その後活動の場を小学館の児童・少年誌、次いで小学館の青年誌に移す。 作品に『いつも放課後』『築地魚河岸三代目』などがある。
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はしもと みつおは、日本の漫画家。埼玉県狭山市出身。男性。『ミーニャの願い』で1976年の第11回手塚賞佳作を受賞し、翌年の「少年ジャンプ」増刊号に掲載された『二人はライバル』でデビュー。その後活動の場を小学館の児童・少年誌、次いで小学館の青年誌に移す。 作品に『いつも放課後』『築地魚河岸三代目』などがある。
{{別人|x1=本名が「橋本光夫」のアニメーション監督|橋本みつお}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = はしもと みつお | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = [[日本]]・[[埼玉県]][[狭山市]] | 生年 = {{生年月日と年齢|1955|11|5}} | 没年 = | 国籍 = <!-- [[日本]] 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1977年]] - | ジャンル = [[少年漫画]]<br />[[青年漫画]] | 代表作 = <!-- 「代表作を挙げた出典」に基づき記載 --> | 受賞 = 第11回[[手塚賞]]佳作 | サイン = | 公式サイト = }} '''はしもと みつお'''(本名:橋本 光男<ref name="mangapedia">{{Cite web|和書|url=https://mangapedia.com/はしもとみつお-yewl548xk|title=はしもと みつお(漫画家)|website=マンガペディア|accessdate=2022-07-20}}</ref>、[[1955年]][[11月5日]]<ref name="natalie1727">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/artist/1727|title=はしもとみつお|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|accessdate=2021-06-30}}</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]{{R|mangapedia}}。[[埼玉県]][[狭山市]]出身{{R|mangapedia}}。男性{{R|mangapedia}}。『ミーニャの願い』で[[1976年]]の第11回[[手塚賞]]佳作を受賞し、翌年の「[[週刊少年ジャンプの増刊号|少年ジャンプ]]」増刊号に掲載された『二人はライバル』でデビュー{{R|natalie1727}}。その後活動の場を[[小学館]]の児童・少年誌、次いで小学館の青年誌に移す。 作品に『いつも放課後』『[[築地魚河岸三代目]]』などがある。 == 作品リスト == * [[がんばれ!ドンベ]](1979年 - 、『[[月刊コロコロコミック]]』、小学館、全2巻) * 家内安全(1979年 - 、『[[週刊少年サンデー]]』、小学館) * かってに頼道(1980年 - 、『週刊少年サンデー』、小学館) * それゆけ硬派(1980年 - 、『[[週刊少年サンデー増刊号]]』、小学館) * はしれ!春馬(1981年 - 、『週刊少年サンデー』、小学館) * おれはナマズ者(1982年 - 、原作:[[やまさき十三]]、『週刊少年サンデー』、小学館、全6巻) * ナイト(1983年 - 1984年、『週刊少年サンデー増刊号』、小学館) * ばら色イレブン(1985年 - 、『[[少年ビッグコミック]]』、小学館、全4巻) * 天才ドンベ(1989年 - 、[[小学館の学年別学習雑誌]]、小学館、全8巻) * いつも放課後(1990年 - 、『少年ビッグコミック』、小学館、全7巻) * [[ふ〜ふ生活]](1991年 - 、原作:[[西ゆうじ]]、『[[ビッグコミックスペリオール]]』、小学館、全6巻) * ハナタレ学園(1991年 - 1992年、『ジャックポット』、[[リイド社]]、全2巻) * [[STATION (漫画)|STATION]](1992年 - 1996年、原作:[[大石賢一]]、『[[ビッグコミックオリジナル]]』、小学館、全6巻) * ニッポン人の幸せ(1993年 - 、『コミックニューマン』、[[学研ホールディングス|学習研究社]]) * キッチンぱらだいす(1994年 - 1995年、原作:[[青山広美]]、『ジャックポット』、リイド社、全2巻) * 希望の椅子(1997年 - 、原作:西ゆうじ、小学館、全2巻) * 陶炎(原作:[[遠崎史朗|原田大輝]]、2001年、『ビッグコミックスペリオール』、小学館、全2巻) * しゅっぱつ、進吾!!(2006年 - 2009年、原作:[[末田雄一郎]]、『[[まんがタイム]]』、[[芳文社]]) * 水古風(1996年 - 2000年、原作:グレゴリー、『ビッグコミックオリジナル』、小学館、全5巻) * ラジオの探偵(2000年 - 、原作:西ゆうじ、小学館、全1巻) * [[築地魚河岸三代目]](2001年 - 2013年、原作:[[鍋島雅治]]( - 21巻)、[[九和かずと]](21巻 - )、『[[ビッグコミック]]』、[[小学館]]) * [[鉄のほそ道]](2008年 - 2009年、『[[コミックチャージ]]』、[[角川書店]]、全2巻) * 医者を見たら死神と思え(2014年 - 2017年、原作:[[横溝邦彦|よこみぞ邦彦]]、監修:[[近藤誠]]、『ビッグコミック』、小学館、全7巻) * 徘徊先生(2020年 - 2021年、原作:伴茶彰、『ビッグコミックオリジナル』2020年18号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/394971|title=伴茶彰×はしもとみつおが描く“人生の課外授業”、BCオリジナル新連載「徘徊先生」|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2020-09-04|accessdate=2021-06-30}}</ref> - 2021年18号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/443670|title=「ラストイニング」の中原裕が新たに描く高校球児の物語、BCオリジナルで開幕|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-09-03|accessdate=2021-09-03}}</ref>、小学館、全3巻) * [[カレーマン]](2022年 - 、原作:[[宮崎克]]、『ビッグコミックオリジナル』2022年15号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/486121|title=“カレーバカ”の天才シェフがカレーの真髄追う物語、宮崎克×はしもとみつお新連載|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-07-20|accessdate=2022-07-20}}</ref> - 2024年1号<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-12-20|title=カレーマン 最終回|journal =ビッグコミックオリジナル|volume=2024年1号|publisher = 小学館|page=259}}</ref>、小学館、既刊3巻) == アシスタント == * [[原秀則]] * [[村上もとか]] * [[岡村賢二]] == 出典 == {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Twitter|915_mochi}} * [http://pokeman.jp/archives/195 ぽけまん 作者プロフィール] {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:はしもと みつお}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:埼玉県出身の人物]] [[Category:1955年生]] [[Category:存命人物]]
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972
服部あゆみ
服部 あゆみ(はっとり あゆみ、7月27日 - )は、日本の漫画家。 埼玉県立川越女子高等学校卒業。在学中は、マンガ研究部の部長(初代)を務めた。 徳間書店「ザ・モーションコミック」に「オレンジトリップ0926」でデビュー。大陸書房「ホラーハウス」等で活躍した後、角川書店、秋田書店などのホラー漫画雑誌で作品を発表している。元・アニメーターで、機動戦士ガンダム、魔法のプリンセスミンキーモモ(キャラクター・デザイン)などの作品に参加している。 また、イラストレーターとして集英社コバルト文庫にて山浦弘靖の星子ひとり旅シリーズ他数点の挿絵を手掛けている。
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服部 あゆみは、日本の漫画家。 埼玉県立川越女子高等学校卒業。在学中は、マンガ研究部の部長(初代)を務めた。 徳間書店「ザ・モーションコミック」に「オレンジトリップ0926」でデビュー。大陸書房「ホラーハウス」等で活躍した後、角川書店、秋田書店などのホラー漫画雑誌で作品を発表している。元・アニメーターで、機動戦士ガンダム、魔法のプリンセスミンキーモモ(キャラクター・デザイン)などの作品に参加している。 また、イラストレーターとして集英社コバルト文庫にて山浦弘靖の星子ひとり旅シリーズ他数点の挿絵を手掛けている。
'''服部 あゆみ'''(はっとり あゆみ、[[7月27日]] - )は、日本の[[漫画家]]。 [[埼玉県立川越女子高等学校]]卒業。在学中は、マンガ研究部の部長(初代)を務めた<ref name="asahisaitama20190302">{{Cite news|和書| title = 青春スクロール 母校群像記【県立川越女子高校】(3)愛される漫画・イラスト 息長く | newspaper = [[朝日新聞]] | edition = 埼玉 | page = 32 | date = 2019-03-02 }}</ref>。 [[徳間書店]]「[[ザ・モーションコミック]]」に「オレンジトリップ0926」でデビュー。[[大陸書房]]「[[ホラーハウス (雑誌)|ホラーハウス]]」等で活躍した後、[[角川書店]]、[[秋田書店]]などのホラー漫画雑誌で作品を発表している。元・[[アニメーター]]で、[[機動戦士ガンダム]]、[[魔法のプリンセス ミンキーモモ|魔法のプリンセスミンキーモモ]](キャラクター・デザイン)などの作品に参加している。 また、イラストレーターとして集英社コバルト文庫にて[[山浦弘靖]]の星子ひとり旅シリーズ他数点の挿絵を手掛けている。 == 作品リスト == ; 漫画 * [[風水斎シリーズ]] # ダークサイド・シティ # 君が目覚めるとき(前編) # 君が目覚めるとき(後編) # 東京発25時04分 # 騒霊 - ポルターガイスト - # 海に降る雪(前編) # 海に降る雪(後編) # 死人使い[しびとつかい] # 東京迷宮[トーキョーダンジョン] # 金蚕蠱[きんさんこ] # 平安京魔界紀行[へいあんきょうまかいきこう] # 怪談の遠近法 # 龍の罠[ドラゴン・トラップ] # 夢違え[ゆめたがえ] # 東京夢幻区[トーキョー・ドリームエリア](前編) # 東京夢幻区[トーキョー・ドリームエリア](後編) # 悪霊の館[あくりょうのやかた] # 隠れ里[かくれざと] *[[オレンジトリップ0926]] *[[ラビリンスゲーム]] *[[火星人路交差点]](オレンジトリップ0926の再録とコミック・リュウ連載分収録) * [[ナイトシーカーズ]] *[[人魚館物語]] *[[霊能戦隊プラズマン]] *[[なんでも解決110番]] * [[弟切草 (ゲーム)|弟切草]](原作:[[長坂秀佳]]) * [[かまいたちの夜]](原作:[[我孫子武丸]]、[[サスペリアミステリー]]2002年8月号掲載) * [[かまいたちの夜2 監獄島のわらべ唄]](原作:[[田中啓文]]、[[サスペリアミステリー]]2003年1月号別冊付録) * [[妖霊戦記ブルーアーク]] * 初恋 (原作:[[武者小路実篤]]) ; イラスト * 星子シリーズ 著者:山浦弘靖 #殺人切符はハート色 #死神の時刻表はスペード色 #恋の危険信号はダイヤ色 #京都迷路地図はクローバー色 #殺人占いはJの罠 #魔女特急はQの罠 #夢ハネムーンはKの罠 #ヴァージン・ロードはAの罠 #ハッピーエンドはJkの罠 #ワンペアは殺しの花言葉 #ツーペアは魔少女の呪い #スリーカードは愛の殺人案内 #殺人ゲームはポーカーで #フォーカードは悪魔の招待状 #フルハウスは殺しの予言者 上 #フルハウスは殺しの予言者 下 #フラッシュは恋の殺人迷路 #ハートストレートは天使のささやき #ダイヤストレートは京都恋殺人 #スペードストレートは死美人の恋 #クラブストレートは涙の花嫁人形 #ハネムーン探偵は7カードで #星子ひとり旅・イラスト・スペシャル1 星子(ハートマーク)宙太恋紀行 #トランプ刑事の恋はハート色 #幻の恋人はスペードの殺人者 #恋祭りはダイヤの悪魔 #星子ひとり旅・イラスト・スペシャル2 星子(ハートマーク)宙太恋の時刻表 #感傷旅行はクラブの誘惑 #運命ゲームはハートのJ #謎の黄金姫はハートのQ #ジョーカーは謎の旅案内人 星子 五つの恋の物語 #シンデレラ特急でハート殺人 #小町恋伝説でダイヤ殺人 #エンゲージリングでスペード殺人 #盗まれた結婚式でクラブ殺人 #虹の花嫁はハートのエース 上 #虹の花嫁はハートのエース 下 * 女戦士エフェ&ジーラ 著者:ひかわ玲子 :※大陸ネオファンタジー文庫 ([[大陸書房]])のみ # グラフトンの三つの流星 # 妖精界の秘宝 # ムアール宮廷の陰謀 # 紫の大陸ザーン 1 死海の勇者 # 紫の大陸ザーン 2 神々の聖堂 # オカレスク大帝の夢 * コスモ・ホッケー・イレブン! -銀河大戦紀 著者:[[ひかわ玲子]] * 水晶珠シリーズ 著者:服部あゆみ、[[布施由美子]]共著 # 恋色 魔法猫(ラブキャット)パニック # 風色 水晶珠(クリスタル)トラブル # 夢色 眠り姫ロマンス # 海色 人魚姫(マーメイド)ララバイ # 鈴色 物の怪パーティ # 花色 結婚式(ウエディング)ドリーム # 蜜色 白雪姫ウォーズ # 月色 幽霊城プリズム # 星色・不思議(マジカル)ワールド # 愛色 聖天使(エンジェル)ファクト * 魔法のランプ199X(エックス) 著者:服部あゆみ、布施由美子共著 * 神竜の赤い糸伝説 著者:服部あゆみ、布施由美子共著 * ソルジャーズパラダイス 著者:服部あゆみ、布施由美子共著 * 赤い閃光 著者:服部あゆみ、布施由美子共著 * ツー・オブ・ミー 著者:[[みやもとじゅん]] * お嬢サマ誘拐 著者:みやもとじゅん * 恋の方程式教えて 著者:[[林葉直子]] * 恋は3段活用スキ・ドキ・キス 著者:林葉直子 == アシスタント == *[[吉川うたた]]<ref name="asahisaitama20190302"/> == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://pochiko33.sakura.ne.jp/dog/ 大きな犬とお家で暮らそう] - 本人のサイト。 * {{Twitter|Ayumi_hatori}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はつとり あゆみ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:アニメのキャラクターデザイナー]] [[Category:存命人物]] [[Category:生年未記載]]
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浜口乃理子
浜口 乃理子(はまぐち のりこ、2月11日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。女性。 1994年、講談社『ミスターマガジン』にて「愛溢れる人々」で漫画家デビュー。1995年、同誌にて『酒とたたみいわしの日々』の連載を開始。この作品が本人にとって巻数が最長となる4巻まで連載された。 作風の特徴として、『酒とたたみいわしの日々』などに代表される自分漫画(作者自身を主人公にして、作者の日常を描いた漫画(作者自身が作品中で使用している用語))などエッセイ風のノンフィクション漫画を得意としている。作品よりも作者自身の方が面白いといわれている。西原理恵子の影響の濃い、ラフな画風で作者と作者をめぐる人々をコミカルに脱力気味に描く。友人も頻繁に出演し、お笑いライター「しのピー(別名S崎、これらから「シノ崎」という名前がばらされている)」、芳文社の編集者「ドマリン」等はレギュラーのように登場する。西原理恵子、倉田真由美などが同系統の作風。酒をこよなく愛し、長らく未婚であったが、現在は1女1男の母親。出産時にはさすがに禁酒し、以降も酒が弱くなりあまり量を飲まなくなったと自身の作品などで報告している。 『ミスターマガジン』で数年間同時期に執筆していた倉上淳士と交友がある。また、同じ種類の猫(アメリカンショートヘア)を飼っていたり、同じ年齢の娘を持つなどして共通点のあるおーはしるいなどとも交友が深いようである。 ※独立記事のある作品につきましてはリンク先をご参照ください。
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浜口 乃理子は、日本の漫画家。東京都出身。女性。
{{Infobox 漫画家 |名前 = 浜口 乃理子(はまぐち のりこ) |画像 = |画像サイズ = |脚注 = |本名 = |生年 = {{生年月日と年齢||2|11}} |生地 = {{JPN}}[[東京都]] |没年 = |没地 = |血液型 = |国籍 = [[日本]] |職業 = [[漫画家]] |活動期間 = [[1994年]] - |ジャンル = [[実録漫画]]、[[エッセイ漫画]]、[[4コマ漫画]] |代表作 = [[酒とたたみいわしの日々]] 全4巻<br>三十路のうなじ 1~2巻 |受賞 = |サイン = |公式サイト = }} '''浜口 乃理子'''(はまぐち のりこ、[[2月11日]]<ref name="aa">本人単行本『三十路のうなじ』1巻折り返しプロフィール参考。</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[東京都]]出身<ref name="aa"></ref>。[[女性]]。 == 概要 == [[1994年]]、[[講談社]]『[[ミスターマガジン]]』にて「愛溢れる人々」で漫画家デビュー<ref>本人単行本『う゛ぁーじんパチスロ』巻末折り返しプロフィール参考。</ref>。[[1995年]]、同誌にて『酒とたたみいわしの日々』の連載を開始。この作品が本人にとって巻数が最長となる4巻まで連載された。 作風の特徴として、『酒とたたみいわしの日々』などに代表される自分漫画(作者自身を主人公にして、作者の日常を描いた漫画(作者自身が作品中で使用している用語))など[[エッセイ]]風の[[ノンフィクション]]漫画を得意としている。作品よりも作者自身の方が面白いといわれている。[[西原理恵子]]の影響の濃い、ラフな画風で作者と作者をめぐる人々をコミカルに脱力気味に描く。友人も頻繁に出演し、お笑いライター「しのピー(別名S崎、これらから「シノ崎」という名前がばらされている)」、芳文社の編集者「ドマリン」等はレギュラーのように登場する。西原理恵子、[[倉田真由美]]などが同系統の作風。[[酒]]をこよなく愛し、長らく未婚であったが、現在は1女1男の母親<ref>本人の作品『ヒゲヒゲしっぽしっぽ』では娘と息子が主役としてエッセイ4コマ漫画として描かれていた。</ref>。出産時にはさすがに禁酒し、以降も酒が弱くなりあまり量を飲まなくなったと自身の作品などで報告している。 『ミスターマガジン』で数年間同時期に執筆していた[[倉上淳士]]と交友がある<ref>倉上淳士単行本『ぎゃるかん』5巻へのゲスト寄稿など参考。</ref>。また、同じ種類の猫([[アメリカンショートヘア]])を飼っていたり、同じ年齢の娘を持つなどして共通点のある[[おーはしるい]]などとも交友が深いようである<ref>おーはしるい単行本『ふー are you!』1~2巻へのゲスト寄稿参考。</ref><ref>またおーはしるいの公式HP内のブログにも一緒に遊びに行ったことなどを報告する記事が度々UPされていたりしている。</ref>。 == 作品リスト == ※独立記事のある作品につきましてはリンク先をご参照ください。 === 単行本リスト === * [[酒とたたみいわしの日々]](単行本全4巻、講談社)<ref>2~4巻には竹書房、芳文社などの4コマ誌、[[小学館]]の女性誌など他誌で掲載されていた短期連載作品などが複数収録されている。</ref> * [[まあじゃんよゐこ]](単行本全1巻、[[竹書房]]) * 三十路のうなじ([[まんがタイムラブリー]]、単行本1~2巻、[[芳文社]])※1巻に「のんコレクション」の一部収録 # ISBN 9784832261839(2000年9月) # ISBN 9784832262584(2002年7月) * う゛ぁーじんパチスロ([[白夜書房]]) # ISBN 9784893677617(2002年2月) * のんポリズム(単行本全1巻、講談社) # ISBN 9784063520538(2003年12月) * 子供のオキテ ~ポンコツ夫婦のムスメとムスコ~(単行本全1巻、[[秋田書店]]) # ISBN 9784253107075(2007年12月) * へっぽこ育児はじめました。(単行本全1巻、[[イースト・プレス]])※「のんコレクション」(まんがタイムラブリー、芳文社)、「ヒゲヒゲしっぽしっぽ」([[まんがタイムスペシャル]]、芳文社)等を初出とする # ISBN 9784781602318(2010年1月) === イラスト等担当作品リスト === * プノンペンどくだみ荘物語(全1巻、[[徳間書店]]) # ISBN 4-19-891911-9(2003年7月) * ぷちセレブ お手軽ホストクラブ入門(全1巻、[[マイクロマガジン社]]) # ISBN 4-89637-207-7(2005年6月) * バッチリ☆(全1巻、[[マイクロマガジン社]]) # ISBN 9784896372526(2007年6月) === 単行本未収録の主な作品リスト === * ちとせロンリネス! ([[まんがくらぶオリジナル]]、1999年~2000年、竹書房) * 元気のしるし(まんがタイムスペシャル、1999年~2004年、芳文社) * むちゅめ☆ぶろぐ(本当にあったブログ内緒な話、2006年5月~2007年6月、大洋図書) == 脚注 == {{Reflist}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:はまくち のりこ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:存命人物]]
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975
刃森尊
刃森 尊(はもり たかし)は、日本の漫画家。代表作に『伝説の頭 翔』『霊長類最強伝説 ゴリ夫』など。 主にヤンキー漫画や格闘漫画を手がけている作家であるが、デビュー作である読み切り作品『マジックBOY』だけはマジックを題材としており、全く作風が異なる。その次回作にして連載デビュー作である『破壊王ノリタカ!』以降は、現行とほぼ同じ作風が定着した。2006年に連載された『格闘料理人ムサシ』は一応料理漫画ではあるものの、その根幹にあるのは『伝説の頭 翔』などで培われたヤンキー描写、社会風刺調の作風である。ノリタカ以降の作品には必ず、セクシーなヒロインが不自然に物語に絡んできたり、ヤンキーではないエリート的な人物はほぼ必ず悪人だったり、と、共通の描写が頻発する。 作中にて「!?」「“”」「へ....!?」「ば....!?」「な....!?」などを多用するスタイルや、人物がカメラ目線で正面を向いている構図が多いのも特徴の1つ(たいてい見開きページの右上で大ゴマである)。
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刃森 尊は、日本の漫画家。代表作に『伝説の頭 翔』『霊長類最強伝説 ゴリ夫』など。
{{Infobox 漫画家 |名前 = 刃森 尊 |画像 = |画像サイズ = |脚注 = |本名 = |生年 = {{生年月日と年齢|||}} |生地 = {{JPN}} |没年 = |没地 = |国籍 = |職業 = [[漫画家]] |活動期間 = [[1989年]] - |ジャンル = [[少年漫画]]<br />[[青年漫画]] |代表作 = 『[[破壊王ノリタカ!]]』<br />『[[伝説の頭 翔]]』<br />『[[ネイチャージモン]]』<br />『[[霊長類最強伝説 ゴリ夫]]』 |受賞 = |サイン = |公式サイト = }} '''刃森 尊'''(はもり たかし)は、[[日本]]の[[漫画家]]。代表作に『[[伝説の頭 翔]]』『[[霊長類最強伝説 ゴリ夫]]』など。 == 略歴・作風等 == 主に[[ヤンキー漫画]]や[[格闘漫画]]を手がけている作家であるが、デビュー作である読み切り作品『マジックBOY』だけは[[奇術|マジック]]を題材としており、全く作風が異なる。その次回作にして連載デビュー作である『[[破壊王ノリタカ!]]』以降は、現行とほぼ同じ作風が定着した。[[2006年]]に連載された『[[格闘料理人ムサシ]]』は一応[[料理・グルメ漫画|料理漫画]]ではあるものの、その根幹にあるのは『伝説の頭 翔』などで培われた[[ヤンキー (不良少年)|ヤンキー]]描写、[[風刺|社会風刺]]調の作風である。ノリタカ以降の作品には必ず、セクシーな[[ヒロイン]]が不自然に物語に絡んできたり、ヤンキーではないエリート的な人物はほぼ必ず悪人だったり、と、共通の描写が頻発する。 作中にて「!?」「“”」「へ‥‥!?」「ば‥‥!?」「な‥‥!?」などを多用するスタイルや、人物がカメラ目線で正面を向いている構図が多いのも特徴の1つ(たいてい見開きページの右上で大ゴマである)。 == 作品リスト == * マジックBOY(1989年、マガジンフレッシュ) * [[破壊王ノリタカ!]](1991年 - 1994年、[[週刊少年マガジン]]、原作:村田ひでお、全18巻、ワイド版全9巻) * 魂の剣(1995年、週刊少年マガジン、原作:竹内海四郎、全2巻)※唯一の時代劇漫画 * 人間凶器カツオ!(1997年 - 1999年、週刊少年マガジン、全10巻) * [[霊長類最強伝説 ゴリ夫]](2001年 - 2002年、週刊少年マガジン、全7巻) * [[伝説の頭 翔]](2003年 - 2005年、週刊少年マガジン、原作:[[夏原武]]、全11巻) * [[格闘料理人ムサシ]](2006年、週刊少年マガジン、全3巻) * [[ネイチャージモン (漫画)|ネイチャージモン]](2007年 - 2012年、[[月刊ヤングマガジン]]、原作:[[寺門ジモン]]<ref>{{Cite web|和書|title=こだわり続け5年半、寺門原作「ネイチャージモン」完結|url=https://natalie.mu/comic/news/79919|website=コミックナタリー|accessdate=2019-05-26|language=ja|author=株式会社ナターシャ}}</ref>、全9巻) *どこでも呑村くん(ヤングマガジン2016年2・3合併号、原作:左近洋一郎)<ref>{{Cite web|和書|title=「中間管理録トネガワ」ヤンマガに出張、「ネイチャージモン」作者の読切も|url=https://natalie.mu/comic/news/169204|website=コミックナタリー|accessdate=2019-05-26|language=ja|author=株式会社ナターシャ}}</ref> == アシスタント == * [[出口竜正]] * [[山本航暉]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:はもり たかし}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:存命人物]]
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速水翼
速水 翼(はやみ よく、11月4日 - 2015年8月19日)は、日本の女性漫画家。代表作に『霊媒師多比野福助』など。 山梨県南巨摩郡生まれ。学生時代から同人作家として作画グループ、ティームコスモなど全国規模のマンガ同人誌活動に参加。作画グループの活動に熱心に参加する一方、ゆうきまさみなど江古田界隈に集結した同世代の漫画家やアニメーターたちと交流する。 「エースとシャンティ」(月刊OUT)でデビュー後、SF・ファンタジーを中心にマンガマニアに支持される。一方で、『ひとみ』などの少女漫画誌、少年漫画誌『少年KING』など、メジャーを意識した作品群を精力的に執筆する。かわいらしい少年・少女で人気を得たが、『霊媒師多比野福助』以降シャープな絵柄に変貌を遂げ、ファン層を広げた。 漫画家のしげの秀一と長年にわたり交際、一時結婚していた。しげのの代表作『バリバリ伝説』の主人公の名前は、速水翼の出身地から取られている。 2006年から東京工学院専門学校漫画科にて講師を務めるなどした。 2015年8月19日、脳幹出血のため死去。
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速水 翼は、日本の女性漫画家。代表作に『霊媒師多比野福助』など。
'''速水 翼'''(はやみ よく、[[11月4日]] - [[2015年]][[8月19日]])は、日本の女性[[漫画家]]。代表作に『[[霊媒師多比野福助]]』など。 == 来歴 == [[山梨県]][[南巨摩郡]]生まれ。学生時代から同人作家として[[作画グループ]]、ティームコスモなど全国規模のマンガ同人誌活動に参加。作画グループの活動に熱心に参加する一方、[[ゆうきまさみ]]など[[江古田]]界隈に集結した同世代の漫画家や[[アニメーター]]たちと交流する。 「エースとシャンティ」([[月刊OUT]])でデビュー後、SF・ファンタジーを中心にマンガマニアに支持される。一方で、『[[ひとみ (雑誌)|ひとみ]]』などの少女漫画誌、少年漫画誌『[[少年キング|少年KING]]』など、メジャーを意識した作品群を精力的に執筆する。かわいらしい少年・少女で人気を得たが、『霊媒師多比野福助』以降シャープな絵柄に変貌を遂げ、ファン層を広げた。 漫画家の[[しげの秀一]]と長年にわたり交際、一時結婚していた。しげのの代表作『[[バリバリ伝説]]』の主人公の名前は、速水翼の出身地から取られている。 2006年から[[東京工学院専門学校]]漫画科にて講師を務めるなどした<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/08/21/kiji/K20150821010977670.html|title=「霊媒師多比野福助」シリーズの漫画家・速水翼さん死去|publisher=[[スポニチ]]|date=2015-08-21|accessdate=2015-08-21}}</ref>。 2015年8月19日、[[脳幹出血]]のため死去<ref>[http://hayami49.blog26.fc2.com/blog-entry-561.html ご報告] 速水翼オフィシャルブログ 2015年8月21日</ref>。 == 作品リスト == * [[霊媒師多比野福助]]シリーズ ** 霊媒師多比野福助([[学研ホールディングス|学研]]) ** 霊媒師多比野福助外伝(学研) ** [[霊媒師多比野福助II]](学研) ** 霊媒師多比野福助眠れる爪(LCミステリー([[スコラ]])) ** 霊媒師多比野福助特別編迷宮の住人(学研) * [[AYA (漫画)|AYA]](WHATほか([[東京三世社]])) * エース&ジャック([[ウィングス (雑誌) |ウィングス]]([[新書館]])) * JIPANGシリーズ(学研) ** JIPANG ** JIPANG外伝 真夏の夜の夢 * RE-BIRTH(学研) * いにしえの緑深き地に([[月刊コミックNORA#CAIN|CAIN]](学研)) * COOL FOOL * クォーターズ・ドリーム([[きみとぼく (雑誌)|きみとぼく]]([[ソニー・マガジンズ]])) * ゴーストバスター[[安倍晴明]]([[科学と学習|6年の学習]](学研)) * Dark Loop([[大都社]]) == 出演 == * [[出没!アド街ック天国]]「[[江古田]]」(2000年1月29日 テレビ東京) - 在住漫画家の1人として紹介。 == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Official blog|http://hayami49.blog26.fc2.com/|速水翼オフィシャルブログ GARAKUTA TALK}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はやみ よく}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:同人作家]] [[Category:山梨県出身の人物]] [[Category:20世紀生]] [[Category:2015年没]] [[Category:作画グループ]]
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原田久仁信
原田 久仁信(はらだ くにちか、1951年11月3日 - )は、日本の漫画家。福岡県出身。 高校卒業後に上京、就職するが、1年で退職して漫画家を目指す。『ビッグウェーブ』が第1回小学館新人コミック大賞佳作を受賞し、『増刊少年サンデー』1978年お正月増刊号にてデビューする。1980年、梶原一騎に指名されるかたちで『週刊少年サンデー』に『プロレススーパースター列伝』を連載。当時のプロレスブームに乗りヒットとなる。 『スーパースター列伝』は1983年、梶原一騎の暴力事件に端を発する一連のスキャンダルで連載打ち切りとなる。1985年、梶原の復帰作『男の星座』(漫画ゴラク)の作画を自ら申し出る。漫画原作者として窮地に追い込まれていた梶原は原田の男気に感動し、深い信任を得る。しかし、梶原が連載途中に急逝し、この作品も未完に終わった。 その後は、青年誌を中心に執筆。実録マンガを中心に執筆する。だが、かつてのようなヒットに恵まれず、2000年の中頃から、バス会社で清掃の仕事や冷凍倉庫でのアルバイト、ラーメン屋の仕事などを兼業しながら生計を立てる。 2007年、宝島社より『別冊宝島』プロレス関連ムック本が定期刊行される。連載漫画に原田が起用され、『プロレス地獄変』シリーズを発表。プロレスファンの話題を呼び、読み切り漫画やプロレスイラストの依頼も再び来るようになる。 2013年に増田俊也からのラブコールを受けて、増田の大宅賞受賞作『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の漫画化作品『KIMURA』の連載を『週刊大衆』で開始、漫画家として本格復帰する。原田にとってほぼ30年ぶりとなる週刊誌連載であり、62歳という高齢でありながら「命がけで描いていく」と決意を語っている。
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原田 久仁信は、日本の漫画家。福岡県出身。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 原田 久仁信 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{JPN}}・[[福岡県]] | 国籍 = {{JPN}} | 血液型 = | 生年 = {{生年月日と年齢|1951|11|3|}} | 没年 = | ジャンル = [[格闘漫画]]・伝記漫画 | 活動期間 = [[1977年]] - | 代表作 = 『[[プロレススーパースター列伝]]』<br />『[[男の星座]]』 | 受賞 = 第1回:小学館新人コミック大賞 | 公式サイト = }} '''原田 久仁信'''(はらだ くにちか、[[1951年]][[11月3日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[福岡県]]出身。 == 概要 == 高校卒業後に上京、就職するが、1年で退職して漫画家を目指す。『ビッグウェーブ』が第1回小学館新人コミック大賞佳作を受賞し、『[[増刊少年サンデー]]』1978年お正月増刊号にてデビューする。1980年、[[梶原一騎]]に指名されるかたちで『[[週刊少年サンデー]]』に『[[プロレススーパースター列伝]]』を連載。当時のプロレスブームに乗りヒットとなる。 『スーパースター列伝』は1983年、梶原一騎の暴力事件に端を発する一連のスキャンダルで連載打ち切りとなる。1985年、梶原の復帰作『[[男の星座]]』([[漫画ゴラク]])の作画を自ら申し出る。漫画原作者として窮地に追い込まれていた梶原は原田の男気に感動し、深い信任を得る。しかし、梶原が連載途中に急逝し、この作品も未完に終わった。 その後は、青年誌を中心に執筆。実録マンガを中心に執筆する。だが、かつてのようなヒットに恵まれず、2000年の中頃から、バス会社で清掃の仕事や冷凍倉庫でのアルバイト、ラーメン屋の仕事などを兼業しながら生計を立てる。 2007年、宝島社より『[[別冊宝島]]』プロレス関連ムック本が定期刊行される。連載漫画に原田が起用され、『[[プロレス地獄変]]』シリーズを発表。プロレスファンの話題を呼び、読み切り漫画やプロレスイラストの依頼も再び来るようになる。 2013年に[[増田俊也]]からのラブコールを受けて、増田の[[大宅賞]]受賞作『[[木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか]]』の漫画化作品『[[KIMURA (漫画)|KIMURA]]』の連載を『[[週刊大衆]]』で開始、漫画家として本格復帰する。原田にとってほぼ30年ぶりとなる週刊誌連載であり、62歳という高齢でありながら「命がけで描いていく」と決意を語っている<ref>「週刊読書人」</ref><ref>「ゴング格闘技」2013年8月号</ref>。 == 作品リスト == * [[プロレススーパースター列伝]] (原作:[[梶原一騎]]) * [[男の星座|一騎人生劇場 男の星座]] (原作:梶原一騎) * 劇画内閣総理大臣伝 (原作:よつや文) * 日本宰相列伝(原作:よつや文) * 格闘技セカイオー (原作:[[真樹日佐夫]]) * サラバ兄貴(原作:真樹日佐夫) * プロレスヒーロー列伝・力道山 修業編 (原作:[[桜井康雄|原康史]]) * 熱いですよ!(原作:[[勝鹿北星|きむらはじめ]]) * スポーツ名勝負列伝(原作:本間正夫) * スポーツ名勝負物語(原作:本間正夫) * プロ野球スーパースター列伝 * ヤクザ大辞典(原作:[[山平重樹]]) * ザ・YAKUZA * 靖逆の犬 * マンガ仕手相場([[こずかた治]]) * 男漢ジョー * 不死鳥(フェニックス)ドン * プロレス大勝負 * マグナムチキン * シューティングタイガー ** シューティングタイガー199X * 毛利元就西国の覇者 * 徳川慶喜最後の将軍 * 格闘技の描き方 * オカルトの描き方 * バトルの描き方 * [[プロレス地獄変|劇画 プロレス地獄変]] * 劇画 プロレス夢十夜 *[[KIMURA (漫画)|KIMURA]](原作:[[増田俊也]]) - 『[[週刊大衆]]』([[双葉社]])連載 *:増田俊也『[[木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか]]』の漫画化作品。 *:全11巻(第0巻 - 第10巻) *力道山プロレス地獄変 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか〜最終章〜(原作:増田俊也) *:『KIMURA』の続編。上下巻。 * 増補DX完全版 劇画 プロレス地獄変(2017年、宝島社) == 師匠 == * [[小山ゆう]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はらた くにちか}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:福岡県出身の人物]] [[Category:1951年生]] [[Category:存命人物]]
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原哲夫
原 哲夫(はら てつお、1961年9月2日 - )は、日本の漫画家。東京都渋谷区生まれで埼玉県越谷市育ち。代表作に『北斗の拳』など。既婚。 子供のころは『天才バカボン』や『タイガーマスク』を見て育ち、絵は『タイガーマスク』の影響を受けたという。小学校4年から越谷市に住み、越谷市立大沢北小学校、越谷市立栄進中学校、私立本郷高校デザイン科卒。トランザクション創業者の石川諭は小学校から高校までの同級生で友人。現代美術家の村上隆も高校の同級生にいた。 日本大学第二高等学校を経て、本郷高校在籍時は漫画劇画部に所属。駒澤大学仏教学部中退。 漫画家を目指して『週刊少年ジャンプ』に持ち込みを始める。高校の先輩である秋本治の仕事場を訪問したこともあったという。卒業後は小池一夫主催の劇画村塾に通いながら、堀江信彦の紹介で高橋よしひろのアシスタントを務める。1982年、『スーパーチャレンジャー』で週刊少年ジャンプのフレッシュジャンプ賞を受賞。同年、堀江の勧めでモトクロスを題材にした漫画『鉄のドンキホーテ』(週刊少年ジャンプ)で連載デビュー。この作品は人気が出なかったこと、堀江の「原はもっと大きな話が書けるからドンキホーテにこだわらず仕切り直ししよう」という判断などから、わずか連載10回で打ち切りとなる。 1983年、代表作となるバイオレンスアクション漫画『北斗の拳』(『週刊少年ジャンプ』)を連載開始。「秘孔」や「世紀末」といった独特の設定で描かれた『北斗の拳』は驚異的な人気を誇り、1980年代の『週刊少年ジャンプ』を支えると同時に、『スーパードクターK』、『魁!!男塾』、『ろくでなしBLUES』など、後のジャンプ漫画の作風に多大な影響を与えた。 1990年から1993年まで、隆慶一郎の小説を原作にした時代劇漫画の『花の慶次 ―雲のかなたに―』(『週刊少年ジャンプ』)を連載。これ以来、時代劇漫画を執筆する機会が多くなる。 2000年には集英社から離れ『週刊コミックバンチ』に移籍、以降、後継誌である『月刊コミックゼノン』に執筆している。移籍に合わせ、雑誌の編集や版権事業を手がける株式会社コアミックスを堀江信彦らと共に設立し、役員に就いている。2005年には子供向けの絵本、森の戦士ボノロンのプロデュースを行っている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "原 哲夫(はら てつお、1961年9月2日 - )は、日本の漫画家。東京都渋谷区生まれで埼玉県越谷市育ち。代表作に『北斗の拳』など。既婚。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "子供のころは『天才バカボン』や『タイガーマスク』を見て育ち、絵は『タイガーマスク』の影響を受けたという。小学校4年から越谷市に住み、越谷市立大沢北小学校、越谷市立栄進中学校、私立本郷高校デザイン科卒。トランザクション創業者の石川諭は小学校から高校までの同級生で友人。現代美術家の村上隆も高校の同級生にいた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "日本大学第二高等学校を経て、本郷高校在籍時は漫画劇画部に所属。駒澤大学仏教学部中退。 漫画家を目指して『週刊少年ジャンプ』に持ち込みを始める。高校の先輩である秋本治の仕事場を訪問したこともあったという。卒業後は小池一夫主催の劇画村塾に通いながら、堀江信彦の紹介で高橋よしひろのアシスタントを務める。1982年、『スーパーチャレンジャー』で週刊少年ジャンプのフレッシュジャンプ賞を受賞。同年、堀江の勧めでモトクロスを題材にした漫画『鉄のドンキホーテ』(週刊少年ジャンプ)で連載デビュー。この作品は人気が出なかったこと、堀江の「原はもっと大きな話が書けるからドンキホーテにこだわらず仕切り直ししよう」という判断などから、わずか連載10回で打ち切りとなる。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1983年、代表作となるバイオレンスアクション漫画『北斗の拳』(『週刊少年ジャンプ』)を連載開始。「秘孔」や「世紀末」といった独特の設定で描かれた『北斗の拳』は驚異的な人気を誇り、1980年代の『週刊少年ジャンプ』を支えると同時に、『スーパードクターK』、『魁!!男塾』、『ろくでなしBLUES』など、後のジャンプ漫画の作風に多大な影響を与えた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1990年から1993年まで、隆慶一郎の小説を原作にした時代劇漫画の『花の慶次 ―雲のかなたに―』(『週刊少年ジャンプ』)を連載。これ以来、時代劇漫画を執筆する機会が多くなる。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2000年には集英社から離れ『週刊コミックバンチ』に移籍、以降、後継誌である『月刊コミックゼノン』に執筆している。移籍に合わせ、雑誌の編集や版権事業を手がける株式会社コアミックスを堀江信彦らと共に設立し、役員に就いている。2005年には子供向けの絵本、森の戦士ボノロンのプロデュースを行っている。", "title": "来歴" } ]
原 哲夫は、日本の漫画家。東京都渋谷区生まれで埼玉県越谷市育ち。代表作に『北斗の拳』など。既婚。
{{別人|原哲男|x1=お笑い芸人の}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 原 哲夫 | ふりがな = はら てつお | 画像 = Tetsuo Hara - Dimanche - Japan Expo 2013 - P1670527.jpg | 画像サイズ = | 脚注 =Japan Expo 2013にて | 本名 = | 生年 = {{JPN}} [[東京都]][[渋谷区]] | 生地 = {{生年月日と年齢|1961|9|2}} | 没年 = | 没地 = | 国籍 = {{JPN}} | 職業 = | 活動期間 = [[1982年]] - | ジャンル = [[少年漫画]]、[[青年漫画]] | 代表作 = 『[[北斗の拳]]』<br />『[[花の慶次|花の慶次 ―雲のかなたに―]]』<br />『[[蒼天の拳]]』 | 受賞 =1982年フレッシュジャンプ賞(『スーパーチャレンジャー』) | サイン = | 公式サイト = [http://www.haratetsuo.com/ 原哲夫公式ホームページ] }} '''原 哲夫'''(はら てつお、[[1961年]][[9月2日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[東京都]][[渋谷区]]生まれで[[埼玉県]][[越谷市]]育ち。代表作に『[[北斗の拳]]』など。既婚。 == 来歴 == 子供のころは『[[天才バカボン]]』や『[[タイガーマスク]]』を見て育ち、絵は『タイガーマスク』の影響を受けたという。[[小学校]]4年から[[越谷市]]に住み、[[越谷市立大沢北小学校]]、[[越谷市立栄進中学校]]、私立[[本郷中学校・高等学校|本郷高校]]デザイン科卒。[[トランザクション (企業)|トランザクション]]創業者の[[石川諭]]は小学校から高校までの同級生で友人。現代美術家の[[村上隆]]も高校の同級生にいた<ref>[http://www.city.koshigaya.saitama.jp/koho_pdf/1980/0809_S630801.pdf 昭和 63年 8月 1日 - ] 越谷市</ref><ref>[https://www.dreamgate.gr.jp/contents/case/interview/35766 第128回 株式会社トランザクション 代表取締役  石川 諭] ドリームゲート2011.05.24</ref>。 [[日本大学第二高等学校]]を経て、本郷高校在籍時は漫画劇画部に所属。[[駒澤大学]]仏教学部中退。 漫画家を目指して『[[週刊少年ジャンプ]]』に持ち込みを始める。高校の先輩である[[秋本治]]の仕事場を訪問したこともあったという。卒業後は[[小池一夫]]主催の[[劇画村塾]]に通いながら、[[堀江信彦]]の紹介で[[高橋よしひろ]]のアシスタントを務める。1982年、『スーパーチャレンジャー』で週刊少年ジャンプのフレッシュジャンプ賞を受賞。同年、堀江の勧めで[[モトクロス]]を題材にした漫画『鉄のドンキホーテ』(週刊少年ジャンプ)で連載デビュー。この作品は人気が出なかったこと、堀江の「原はもっと大きな話が書けるからドンキホーテにこだわらず仕切り直ししよう」という判断などから、わずか連載10回で[[打ち切り]]となる。 1983年、代表作となるバイオレンスアクション漫画『[[北斗の拳]]』(『週刊少年ジャンプ』)を連載開始。「[[秘孔]]」や「[[世紀末]]」といった独特の設定で描かれた『北斗の拳』は驚異的な人気を誇り、1980年代の『週刊少年ジャンプ』を支えると同時に、『[[スーパードクターK]]』、『[[魁!!男塾]]』、『[[ろくでなしBLUES]]』など、後のジャンプ漫画の作風に多大な影響を与えた{{要出典|date=2022年5月}}。 1990年から1993年まで、[[隆慶一郎]]の小説を原作にした時代劇漫画の『[[花の慶次|花の慶次 ―雲のかなたに―]]』(『週刊少年ジャンプ』)を連載。これ以来、時代劇漫画を執筆する機会が多くなる。 2000年には集英社から離れ『[[週刊コミックバンチ]]』に移籍、以降、後継誌である『[[月刊コミックゼノン]]』に執筆している。移籍に合わせ、雑誌の編集や版権事業を手がける株式会社[[コアミックス]]を堀江信彦らと共に設立し、役員に就いている。2005年には子供向けの絵本、[[森の戦士ボノロン]]のプロデュースを行っている。 == 人物 == *[[お笑い芸人]]の[[ふかわりょう]]とは母方の従兄弟で、原の叔母(実母の妹)が、ふかわりょうの母親である<ref>{{Cite book |和書 |author=フジテレビトリビア普及委員会 |year=2003 |title=トリビアの泉〜へぇの本〜 4 |publisher=講談社 }}</ref>。原はふかわが小学生だった当時に逢って以降再会のチャンスに恵まれなかったが、2010年、ROCKETMANが自身のベストアルバム『thank you for the music!』を発表するに辺り、原に裏ジャケットの[[イラスト]]を依頼したことから再会を果たした<ref>[https://natalie.mu/comic/news/34990 実の従兄弟コラボ!原哲夫がふかわりょうジャケを熱筆] コミックナタリー 2019年8月20日閲覧</ref>。原は『[[爆笑問題のバク天!]]』(2004年9月25日放送)で、レギュラー降板がかかったふかわに応援イラストを送ったこともある上<ref>[http://www.tbs.co.jp/bakuten/housou/040925/040925.html 『爆笑問題のバク天!』公式HP]</ref>、原夫人と娘がふかわと親しいことも明かしている<ref>[http://www.sanspo.com/geino/news/100721/gnf1007210506001-n2.htm ふかわりょう、原哲夫ジャケでベスト盤] サンケイスポーツ 2010年7月21日閲覧{{リンク切れ|date=2019年8月}}</ref>。 * 原が劇画調の画風になったきっかけは、『I・餓男』(アイウエオボーイ)(原作・小池一夫、画・[[池上遼一]])の影響だと原本人は語っている。中学生時代に友人からI・餓男の単行本を借りて以来池上遼一の信者になり劇画の虜になった。その後高校のクラブで漫画を書き出したころはひたすら池上遼一のアクションシーンを研究し、その絵や構図、コマ運びを何度も繰り返し模写したという。特にI・餓男のアメリカ編は徹底的に模写を重ねた。小池一夫の劇画村塾に参加したのもI・餓男のファンだったのがその理由だった。2000年ごろのインタビューによると2000年時点で原の仕事場にあるI・餓男の単行本は5代目であるという。「今でも仕事が行き詰まると読み返す、I・餓男は私の原点」と原は語っている。また原は後の池上遼一との対談で『I・餓男』と同時期の池上遼一の代表作『男組』(原作・雁屋哲)の画にも影響を受けたと池上本人に語っている。 * 学生時代は[[松田優作]]が好きで、学生時代に画風が今と変わらない松田の似顔絵を描いている。北斗の拳の主人公であるケンシロウは、松田優作、[[ブルース・リー]]、映画[[マッドマックス2]]の[[メル・ギブソン]]らがモデルとなっている。 * 長年にわたる過酷な仕事の影響で[[円錐角膜]]を患い、視力はかなり悪くなっている。そのため、患った片目を閉じて描いているが、現在は「根性で描いている」とのこと(絵の線が多いのも、何度も真直ぐな線を引こうと描き直しているためと語っている)。このような事情により、一時期は「[[蒼天の拳]]」の連載終了をもって漫画家を引退すると宣言したこともあったが、実際には2010年の「蒼天の拳」の終了後も引き続き「[[いくさの子 織田三郎信長伝]]」の執筆を開始し、2022年まで連載を続けていた。 * 「原哲夫」は本名である。自身は関東育ちだが、関西では「はらてつお」といえば[[吉本新喜劇]]の俳優[[原哲男]]が非常に有名であるため、関西出身の関係者からは何度も「なんでそんな筆名にしたんですか?」と聞かれ、閉口したという。 == 作品リスト == === 北斗の拳 === * 北斗の拳 [特別読切版](1983年、『フレッシュジャンプ』4月号、集英社) * 北斗の拳II [特別読切第二弾](1983年、『フレッシュジャンプ』6月号、集英社) * [[北斗の拳]](1983年 - 1988年、『週刊少年ジャンプ』、集英社)原作:[[武論尊]] * [[蒼天の拳]](2001年 - 2010年、『[[週刊コミックバンチ]]』、[[新潮社]])監修:武論尊 - 『北斗の拳』の過去を描く物語 * 北斗の拳 -LAST PIECE-(2013年、『月刊コミックゼノン』、徳間書店)原作:武論尊 - 『北斗の拳』の第一部と第二部の間を描いた特別編 === 花の慶次・義風堂々 === * [[花の慶次|花の慶次 -雲のかなたに-]](1990年 - 1993年、『週刊少年ジャンプ』、集英社)原作:[[隆慶一郎]]、脚本:麻生未央、全18巻(文庫全10巻)。 ** [[義風堂々 直江兼続 -前田慶次月語り-]](2008年 - 2010年、『[[週刊コミックバンチ]]』、新潮社)原作:原哲夫・堀江信彦、作画:[[武村勇治]]、全9巻。 ** [[義風堂々 直江兼続 -前田慶次酒語り-|義風堂々!!直江兼続 -前田慶次酒語り-]](2010年 - 2014年、『[[月刊コミックゼノン]]』、新潮社)原作:原哲夫・堀江信彦、作画:武村勇治、全10巻。 ** [[義風堂々 直江兼続 -前田慶次月語り-|義風堂々!!直江兼続 -前田慶次花語り-]](2014年 - 2018年、『月刊コミックゼノン』、新潮社)原作:原哲夫・堀江信彦、作画:[[出口真人]]、全14巻。 *** [[義風堂々!! 疾風の軍師 -黒田官兵衛-]](2013年 - 2017年、『月刊コミックゼノン』、新潮社)原作:原哲夫・堀江信彦、脚本:[[八津弘幸]]、作画:山田俊明、全10巻。 ** [[前田慶次 かぶき旅]](2019年 - 連載中、『月刊コミックゼノン』、新潮社)原作:原哲夫・堀江信彦、作画:出口真人 === その他 === * スーパーチャレンジャー(1982年、『週刊少年ジャンプ』4月10日増刊号、[[集英社]])- 原のデビュー作品。下述の『鉄のドンキホーテ』1996年発売の[[ジャンプ・コミックス|ジャンプスーパーエース]]版2巻の他、[[次原隆二]]『少年リーダム〜友情・努力・勝利の詩〜』の単行本第2巻([[新潮社]]・バンチコミックス)にも特別収録の形で収録されている<ref>「少年リーダム」話中では原の名前が「原島哲」と変更され、タイトルが変更されている(『北斗の拳』を始めとした他の作品名も同様)が、単行本表紙や話中で使われたカットは実際の作品のを使用している。さらに原自身も『少年リーダム』2巻のインタビュー「描線の律儀」にも登場している。</ref>。 * マッドファイター(1982年、『フレッシュジャンプ』8月号、集英社) * クラッシュヒーロー(1982年、『週刊少年ジャンプ』43号、集英社)原案:阿久沢徹行 * 鉄のドンキホーテ(1982年 - 1983年、『週刊少年ジャンプ』、集英社) * [[CYBERブルー]](1988年 - 1989年、『週刊少年ジャンプ』、集英社)原作:BOB、脚本:三井隆一 * 職業兇手(1993年、『週刊少年ジャンプ』5-6号、集英社)原作:[[大沢在昌]] * [[影武者徳川家康]](1994年 - 1995年、『週刊少年ジャンプ』、集英社)原作:隆慶一郎、脚本:[[會川昇]] * [[猛き龍星]](1995年、『週刊少年ジャンプ』、集英社) * 輝石燃ゆる時(1996年、『週刊少年ジャンプ』43号、集英社) * 火焰の掌(1996年、『週刊少年ジャンプ特別編集SpringSpecial』、集英社) * チェイス-追跡-(1997年、『MANGAオールマン』No.2(巻頭カラー読切40p)、集英社)原作:武論尊 * [[SAKON(左近) -戦国風雲録-]](1997年 - 2000年、『[[月刊少年ジャンプ]]』、集英社)原作:隆慶一郎、脚本:二橋進吾 * 九頭龍(ヒュドラ)(1997年 - 1998年、『[[MANGAオールマン]]』、集英社)原作:生田正 * [[公権力横領捜査官 中坊林太郎]](1998年 - 2000年、『[[BART (雑誌)|BART3230]]』、集英社)監修:[[佐高信]] * [[阿弖流為II世]](2000年、『月刊[[コミックGOTTA]]』、[[小学館]])原作:[[高橋克彦]] * [[いくさの子 織田三郎信長伝]](2010年<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/39569|title=コミックゼノン創刊号、御パンツ付録でかぶいて候|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2010-10-25|accessdate=2022-09-24}}</ref> - 2022年<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/494977|title=北原星望×原哲夫「いくさの子」が12年の連載に幕、完結記念のインタビューも|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-09-24|accessdate=2022-09-24}}</ref>、『月刊コミックゼノン』、[[徳間書店]])原作:[[堀江信彦|北原星望]] == 漫画以外の活動 == === キャラクターデザイン === * [[マッスルボマー]](1993年、[[カプコン]]) * [[スーパーマッスルボマー]](1994年、カプコン) * [[森の戦士ボノロン]](2005年6月 - 、ノース・スターズ・ピクチャーズ)(プロデュースも兼務) * [[いただきマッスル!]](2006年4月 - 2007年9月、[[中京テレビ放送|中京テレビ]])オープニングのレギュラーキャラクターイラスト === その他デザイン === * [[K-1|K-1 ワールドグランプリ2007]]パンフレット表紙(2007年12月、[[K-1]])パンフレット表紙絵 * 「いくさの子×名古屋市」コラボ 桶狭間PRポスター<ref>{{Cite news|url=http://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/cmsfiles/contents/0000088/88134/281003okehazama.pdf |title=報道資料 平成28年10月3日発表 漫画家「原哲夫」先生の作品「いくさの子 ―織田三郎信長伝―」とコラボレーションして「桶狭間の戦い」のポスター、パンフレット等を製作し、全国に向けてPRします! |format=PDF |publisher=名古屋市 |accessdate=2017-05-07}}</ref> === 音楽 === * [[パチンコ]]「[[CR花の慶次〜斬]]」(2009年、[[ニューギン]]) ** [[よっしゃあ漢唄|ひとひらの花]](プレミアム大当たりBGM)作詞([[森由里子]]と共著) ** 煌き(プレミアムラウンドBGM)作詞 * パチンコ「[[CR花の慶次〜愛]]」(2010年、ニューギン) ** [[修羅の果てまでも/義風堂々!!|修羅の果てまでも]](確変モードBGM)作詞 ** 最後の戦士〜DARING WARRIOR〜(プレミアム大当たりBGM)作詞 == 出演作品 == === テレビアニメ === * [[DD北斗の拳]](2013年)ボス 役(モデルは原本人)<ref>話中でも「(CV 原 哲夫)」と表記されていた。</ref> == 関連人物 == === 師匠 === * [[高橋よしひろ]] * [[小池一夫]] === アシスタント === * [[巻来功士]] * [[森田まさのり]] * [[戸舘新吾]] * [[渡辺保裕]] * [[出口竜正]] * [[鬼窪浩久]] * [[長沢克泰]] * [[長谷川哲也]] * 柳田東一郎 * 松森茂嘉 * [[今泉伸二]] * [[真船一雄]]{{要出典|date=2019年1月}} * [[ウラモトユウコ]]{{要出典|date=2016年1月}} * [[辻秀輝]] * [[田中克樹]] === 書生(シナリオアシスタント) === * テーラー平良(平良隆久) === 同僚・友人 === * [[宮下あきら]] * [[荒木飛呂彦]] * [[北条司]] == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[本宮ひろ志]] * [[雷門獅篭|立川志加吾]](雷門獅篭) - 『風とマンダラ』で、頻繁に原が登場した * [[行列のできる法律相談所#有名人100枚の絵でつなぐ カンボジア学校建設プロジェクト|有名人100枚の絵でつなぐ カンボジア学校建設プロジェクト]] * [[前田利益]] == 外部リンク == * [http://www.haratetsuo.com/ 原哲夫公式ホームページ] {{原哲夫}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:はら てつお}} [[Category:原哲夫|*]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:本郷高等学校出身の人物]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:埼玉県出身の人物]] [[Category:1961年生]] [[Category:存命人物]]
2003-02-11T09:47:32Z
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原秀則
原 秀則(はら ひでのり、1961年6月14日 - )は、日本の漫画家。兵庫県明石市出身。男性。 1980年、『週刊少年サンデー』(小学館)掲載の「春よ恋」でデビュー。同誌で翌年から開始した『さよなら三角』が初連載作品である(デビューから連載までの原の状況は『さよなら三角』の概要を参照)。代表作に『ジャストミート』『冬物語』など。第33回(昭和62年度)小学館漫画賞を受賞(『ジャストミート』『冬物語』)。 富山県氷見市を舞台とした漫画『ほしのふるまち』の好評を受け、2007年に氷見市長の堂故茂から氷見市の観光大使「氷見市きときと魚大使」に任命された。 競馬が趣味であり、自身のブログでレースの予想をしたり、レース後の反省を書くこともある。 猫を3匹飼っており(名前はキー、ベン、ワカ)、ブログ内でも猫の写真が頻繁に登場する。
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原 秀則は、日本の漫画家。兵庫県明石市出身。男性。 1980年、『週刊少年サンデー』(小学館)掲載の「春よ恋」でデビュー。同誌で翌年から開始した『さよなら三角』が初連載作品である(デビューから連載までの原の状況は『さよなら三角』の概要を参照)。代表作に『ジャストミート』『冬物語』など。第33回(昭和62年度)小学館漫画賞を受賞(『ジャストミート』『冬物語』)。 富山県氷見市を舞台とした漫画『ほしのふるまち』の好評を受け、2007年に氷見市長の堂故茂から氷見市の観光大使「氷見市きときと魚大使」に任命された。 競馬が趣味であり、自身のブログでレースの予想をしたり、レース後の反省を書くこともある。 猫を3匹飼っており(名前はキー、ベン、ワカ)、ブログ内でも猫の写真が頻繁に登場する。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 原 秀則 | ふりがな = はら ひでのり | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = [[日本]]・[[兵庫県]][[明石市]] | 国籍 = <!-- [[日本]] 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1961|6|14}} | 没年 = | 没地 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1980年]] - | ジャンル = [[少年漫画]]<br />[[青年漫画]] | 代表作 = 『[[ジャストミート (漫画)|ジャストミート]]』{{R|booklive}}<br />『[[冬物語 (漫画)|冬物語]]』{{R|booklive}} | 受賞 = 第33回(昭和62年度)[[小学館漫画賞]]([[1987年]]){{R|booklive}} | 公式サイト = [https://ameblo.jp/hidenori-hara/ 原秀則オフィシャルブログ] }} '''原 秀則'''(はら ひでのり、[[1961年]][[6月14日]]{{R|booklive}} - )は、日本の[[漫画家]]<ref name="booklive">{{Cite web|和書|url=https://booklive.jp/focus/author/a_id/22537|title=原秀則の一覧 プロフィール|website=BookLive!|publisher=凸版印刷グループ|accessdate=2023-05-25}}</ref>。[[兵庫県]]{{R|booklive}}[[明石市]]出身。[[男性]]{{R|booklive}}。 [[1980年]]、『[[週刊少年サンデー]]』([[小学館]])掲載の「春よ恋」でデビュー{{R|booklive}}。同誌で翌年から開始した『[[さよなら三角]]』が初連載作品である(デビューから連載までの原の状況は『[[さよなら三角]]』の概要を参照)。代表作に『[[ジャストミート (漫画)|ジャストミート]]』『[[冬物語 (漫画)|冬物語]]』など{{R|booklive}}。第33回(昭和62年度)[[小学館漫画賞]]を受賞(『ジャストミート』『冬物語』){{R|booklive}}。 [[富山県]][[氷見市]]を舞台とした漫画『[[ほしのふるまち]]』の好評を受け、[[2007年]]に氷見市長の[[堂故茂]]から氷見市の観光大使「'''氷見市きときと魚大使'''」に任命された<ref>[http://www.city.himi.toyama.jp/hp/page000002100/hpg000002024.htm 氷見市 きときと魚大使委嘱式]</ref>。 [[競馬]]が趣味であり、自身のブログでレースの予想をしたり、レース後の反省を書くこともある。 猫を3匹飼っており(名前は'''キー'''、'''ベン'''、'''ワカ''')、ブログ内でも猫の写真が頻繁に登場する。 == 作品リスト == === 小学館刊行 === * [[さよなら三角]](1981年 - 1984年、『[[週刊少年サンデー]]』、全17巻) - 1983年にテレビドラマ化 * [[らぶらぶ・ぽりす]](1981年 - 1983年、『[[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊号]]』、全3巻) * [[とりあえずON AIR]](1983年 - 1984年、『週刊少年サンデー増刊号』、全2巻) * [[ジャストミート (漫画)|ジャストミート]](1984年 - 1987年、『週刊少年サンデー』、全19巻、スーパー・ビジュアル・コミックス全8巻、文庫版全11巻) ** ジャストミート外伝 ふぁうるちっぷ(1985年 - 1986年、『週刊少年サンデー増刊号』、全2巻、スーパー・ビジュアル・コミックス全1巻) * [[冬物語 (漫画)|冬物語]](1987年 - 1990年、『[[少年ビッグコミック]]』・『[[週刊ヤングサンデー|ヤングサンデー]]』、全7巻、文庫版全5巻) - 1989年に映画化 * [[マイペース風太郎]](1988年、『週刊少年サンデー』、全4巻) * [[フリーキック!]](1989年 - 1990年、『週刊少年サンデー』、全8巻、スーパー・ビジュアル・コミックス全4巻) * [[部屋においでよ]](1990年 - 1994年、『ヤングサンデー』、全7巻、ワイド版全4巻、文庫版全4巻) - 1995年、2002年(台湾)にテレビドラマ化 * [[やったろうじゃん!!]](1991年 - 1996年、『[[ビッグコミックスピリッツ]]』、全19巻、ワイド版全9巻) * [[いつでも夢を (漫画)|いつでも夢を]](1994年 - 1997年、『週刊ヤングサンデー』、全6巻) * [[SOMEDAY (漫画)|SOMEDAY]](1997年 - 1999年、『週刊ヤングサンデー』、全8巻) * [[青空 (漫画)|青空]](1998年 - 2002年、『ビッグコミックスピリッツ』、全13巻) * [[シーソーゲーム (漫画)|シーソーゲーム]](1999年 - 2001年、『週刊ヤングサンデー』、全2巻) * [[レガッタ〜君といた永遠〜]](2001年 - 2004年、『週刊ヤングサンデー』、全6巻) - 2006年にテレビドラマ化 * [[G -GOKUDO GIRL-]](原作:[[武論尊]]、2002年 - 2004年、『週刊ヤングサンデー』、全5巻) * [[電車男#漫画|電車男 ネット発、各駅停車のラブ・ストーリー]](原作:[[電車男|中野独人]]、2005年、『週刊ヤングサンデー』、全3巻) - 同原作による多数の漫画化作品の一作 * [[ほしのふるまち]](2006年 - 2008年、『週刊ヤングサンデー』、全7巻) - 2011年に映画化 * [[駅恋]](2008年 - 2009年、『[[モバMAN]]』、既刊1巻) * [[冬はなび]](2009年 - 2010年、『[[ビッグコミックオリジナル]]』、全1巻) * [[王様のホームタウン]](2010年 - 2012年、『[[ビッグコミックスペリオール]]』、全3巻) * [[バンクーバー朝日軍]](原作:[[デッド・Y・フルモト]]、2012年 - 2014年、『ビッグコミックスペリオール』、全5巻) * ハートボール(脚本:[[風巻龍平]]、2013年、『[[ビッグコミック]]』、2015年 - 2016年、『[[ビッグコミック増刊号]]』、全2巻) * [[しょうもない僕らの恋愛論]](2019年 - 2021年、『ビッグコミック』、全6巻) * ダンプ・ザ・ヒール(原案協力:[[ダンプ松本]]・平塚雅人(東京スポーツ)、2021年 - 2023年、『ビッグコミック』2021年20号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/448439|title=原秀則が描く悪役レスラー・ダンプ松本の壮絶な下積み時代、ビッグコミック新連載|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-10-08|accessdate=2021-10-08}}</ref> - 2023年11号<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-05-25|title =ダンプ・ザ・ヒール 最終話 道|journal =ビッグコミック|volume=2023年11号|publisher = 小学館|page=269|asin = B0C4Z71RDN}}</ref>、全5巻) === その他 === * 桜桃小町(原作:三冬恋、[[リイド社]]『[[コミック乱ツインズ]]』2018年1月号<ref>[https://www.leed.co.jp/4910038830189 コミック乱ツインズ 2018年1月号]([[リイド社]]ホームページ)</ref> - 2019年6月号、全2巻) == アシスタント == * [[満田拓也]] * [[猪熊しのぶ]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Ameba ブログ|hidenori-hara|原秀則オフィシャルブログ}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:はら ひてのり}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:兵庫県立明石高等学校出身の人物]] [[Category:兵庫県出身の人物]] [[Category:1961年生]] [[Category:存命人物]]
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ハロルド作石
ハロルド 作石(ハロルド さくいし、1969年3月16日 - )は、日本の漫画家。愛知県出身。血液型AB型。 本名:作石 貴浩(さくいし たかひろ)。愛知県立守山高等学校出身。『ゴリラーマン』の舞台となる白武高校は、この守山高校がモデルである。 作品の随所にプロ野球、プロレス、三国志、また『BECK』中期からは欧州サッカーに関する小ネタが用意されている。群衆シーンに他の漫画のキャラやプロレスラーを登場させていることも多い。 ペンネームの由来は、力道山をスカウトしたレスラー「ハロルド坂田」からきている。ゴリラーマン連載時に、このペンネームを使用したところ、当時編集長から「ハロルドは言いにくい、作石も言いにくい。」と言われる。またケンドーコバヤシとの対談では、芸名の由来が同じくレスラーであることから感銘を受けている。 初長編『ゴリラーマン』はオフビートなユーモアと、シリアスな展開の混在を特徴とした作品であったが、第2作『サバンナのハイエナ』でアメリカン・カートゥーン系の絵柄に変えて、作風を大幅に変更した。その実験精神はいしかわじゅんにも高評価されたが、『サバンナのハイエナ』は連載途中で中断した。 続く『バカイチ』『ストッパー毒島』では、元の作風に戻る。『BECK』は少年誌連載ということもあり、ユーモアは抑えられてストレートな青春ドラマになっている。 『7人のシェイクスピア』は『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)2010年3・4合併号(2009年12月発売)より連載開始したが、2011年50号で「第一部:完」となった。のち、続編『7人のシェイクスピア NON SANZ DROICT』が『週刊ヤングマガジン』(講談社)2017年2・3合併号(2016年12月発売)より連載されている。 影響を受けた漫画は藤子不二雄Aの自伝的漫画『まんが道』。 お笑いコンビ「新作のハーモニカ」のメンバーの藤田隼人は、従甥に当たる。 『週刊ヤングマガジン』2019年8月12日号に、特集記事「ハロルド作石のまんが道!」が掲載された。自身が、漫画家を志したきっかけから連載に至るまでを語っている。
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ハロルド 作石は、日本の漫画家。愛知県出身。血液型AB型。 本名:作石 貴浩。愛知県立守山高等学校出身。『ゴリラーマン』の舞台となる白武高校は、この守山高校がモデルである。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = ハロルド作石 | ふりがな = ハロルド さくいし | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = 作石 貴浩{{R|natalie1731}} | 生地 = [[日本]]・[[愛知県]]{{R|natalie1731}} | 国籍 = <!-- [[日本]] 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1969|3|16}}{{R|natalie1731}} | 没年 = | 没地 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = | ジャンル = [[少年漫画]] | 代表作 = <!-- 「代表作を挙げた出典」に基づき記載 --> | 受賞 = 第17回:[[ちばてつや賞]]優秀新人賞(『そうはいかん』作石智祥名義){{R|natalie1731}}<br />第14回:[[講談社漫画賞]]一般部門受賞(『ゴリラーマン』){{R|natalie1731}}<br />第26回:[[講談社漫画賞]]少年部門受賞(『BECK』){{R|natalie1731}} | 公式サイト = }} '''ハロルド 作石'''(ハロルド さくいし、[[1969年]][[3月16日]]<ref name="natalie1731">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/artist/1731|title=ハロルド作石|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|accessdate=2022-08-22}}</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[愛知県]]出身{{R|natalie1731}}。[[ABO式血液型|血液型]]AB型。 本名:'''作石 貴浩'''(さくいし たかひろ){{R|natalie1731}}。[[愛知県立守山高等学校]]出身。『[[ゴリラーマン]]』の舞台となる白武高校は、この守山高校がモデルである。 == 人物 == {{独自研究|section=1|date=2022年8月}} 作品の随所に[[日本プロ野球|プロ野球]]、[[プロレス]]、[[三国志]]、また『[[BECK (漫画)|BECK]]』中期からは欧州サッカーに関する小ネタが用意されている。[[モブキャラクター|群衆]]シーンに他の漫画のキャラやプロレスラーを登場させていることも多い。 [[ペンネーム]]の由来は、[[力道山]]をスカウトしたレスラー「[[ハロルド坂田]]」からきている。ゴリラーマン連載時に、このペンネームを使用したところ、当時編集長から「ハロルドは言いにくい、作石も言いにくい。」と言われる。また[[ケンドーコバヤシ]]との対談では、芸名の由来が同じくレスラーであることから感銘を受けている。 初長編『ゴリラーマン』は[[オフビート]]なユーモアと、シリアスな展開の混在を特徴とした作品であったが、第2作『[[サバンナのハイエナ]]』でアメリカン・[[カートゥーン]]系の絵柄に変えて、作風を大幅に変更した。その実験精神は[[いしかわじゅん]]にも高評価されたが、『サバンナのハイエナ』は連載途中で中断した{{efn|連載終了時の作者の巻末コメントに「勉強不足ですいませんでした」と書かれており、主人公キャラクターの風貌に問題があったと推測されている。}}。 続く『[[バカイチ]]』『[[ストッパー毒島]]』では、元の作風に戻る。『BECK』は少年誌連載ということもあり、ユーモアは抑えられてストレートな青春ドラマになっている。 『[[7人のシェイクスピア]]』は『[[ビッグコミックスピリッツ]]』([[小学館]])2010年3・4合併号(2009年12月発売)より連載開始したが、2011年50号で「第一部:完」となった。のち、続編『7人のシェイクスピア NON SANZ DROICT』が『[[週刊ヤングマガジン]]』([[講談社]])2017年2・3合併号(2016年12月発売)より連載されている。 影響を受けた漫画は[[藤子不二雄A]]の自伝的漫画『[[まんが道]]』<ref>{{Cite web|和書|url=https://honcierge.jp/articles/shelf_story/1640|title=ハロルド作石のおすすめ漫画5作品!漫画家漫画『RiN』で大人気! |publisher=ホンシェルジュ|date=2017-02-24|accessdate=2017-07-23}}</ref>。 お笑いコンビ「[[新作のハーモニカ]]」のメンバーの藤田隼人は、[[従甥]]に当たる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.watanabepro.co.jp/genre/talk/|title=得意トーク一覧(「漫画・アニメ・ゲーム」を参照)|publisher=[[ワタナベエンターテインメント]]|date=|accessdate=2017-07-22}}</ref>。 == 作品リスト == * [[ゴリラーマン]] ([[講談社]]『[[週刊ヤングマガジン]]』連載、単行本全19巻、文庫版全12巻) ** ストーリー別総集編版(単行本全10巻) ** 復刻版『ゴリラーマン 新世紀リマスター』(単行本全19巻) * [[サバンナのハイエナ]] (講談社『週刊ヤングマガジン』連載、単行本未収録) * [[バカイチ]] (講談社『週刊ヤングマガジン』連載、単行本全4巻) * [[ストッパー毒島]] (講談社『週刊ヤングマガジン』連載、単行本全12巻) * [[BECK (漫画)|BECK]] (講談社『[[月刊少年マガジン]]』連載、単行本全34巻、文庫版全17巻) * [[7人のシェイクスピア]] ([[小学館]]『[[ビッグコミックスピリッツ]]』連載、単行本全6巻) ** 7人のシェイクスピア NON SANZ DROICT(講談社『週刊ヤングマガジン』連載、単行本既刊13巻) * [[RiN]] (講談社『月刊少年マガジン』連載、単行本全14巻) * ゴリラーマン40(講談社『週刊ヤングマガジン』2022年19号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/471513|title=「ゴリラーマン40」がヤンマガで始動、ハロルド作石「この楽しい気持ちが伝われば」|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-03-28|accessdate=2022-08-22}}</ref> - 2022年38号<ref>{{Cite journal|和書|date = 2022-08-22|journal =週刊ヤングマガジン|volume=2022年38合併号|publisher = 講談社|asin = B0B8R8RC6H}}表紙より。</ref>、単行本全3巻) ** ゴリラーマン40 ファミリー編(講談社『週刊ヤングマガジン』2023年4・5合併号<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-12-25|journal =週刊ヤングマガジン|volume=2024年4・5合併号|publisher = 講談社}}表紙より。</ref> - ) == 特集記事 == 『週刊ヤングマガジン』2019年8月12日号に、特集記事「ハロルド作石のまんが道!」が掲載された。自身が、漫画家を志したきっかけから連載に至るまでを語っている。 == 受賞歴 == * [[1987年]]、第17回[[ちばてつや賞]]優秀新人賞受賞。(『そうはいかん』作石智祥名義) * [[1990年]]、第14回(平成2年度)[[講談社漫画賞]]一般部門受賞。(『ゴリラーマン』) * [[2002年]]、第26回(平成14年度)[[講談社漫画賞]]少年部門受賞。(『BECK』) == 師匠 == * [[大島岳詩]]<ref>ハロルド作石のまんが道(ヤングマガジン 2019年No.35 P419)より</ref> == アシスタント == * [[SP☆なかてま]] * 間中信行 * [[渡辺潤]] * [[マーチン角屋]] * [[柴田ヨクサル]] * [[ジョン・K・ペー太]] - 『ジョン・K・ペー太の世界』(2005年、桃園書房刊、{{ISBN2|978-4-80-784136-3}})の「疑問・質問に答えるコーナー」にて明かしている。ハロルド作石自身も同本へメッセージイラストを寄稿している。 * 佐久間力 == 著名ファン == * [[奥田民生]] * [[伊集院光]] * [[蝶野正洋]] * [[松本太郎]] * [[ケンドーコバヤシ]] * [[高橋茂雄]] - 『サバンナのハイエナ』にちなんでコンビ名を[[サバンナ (お笑いコンビ)|サバンナ]]に決定した。 * [[有吉弘行]]<ref>{{Cite book|title=独占インタビュー!有吉弘行さんオススメコミック特集/めちゃコミック|url=https://sp.comics.mecha.cc/feature/i_ariyoshi|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=有吉弘行も暇を有意義に活用?「ゴリラーマン」「ストッパー毒島」ハロルド作石作品を一気読み宣言|url=https://futaman.futabanet.jp/articles/-/80853|website=ふたまん+|accessdate=2021-08-29|language=ja}}</ref> * [[ゆめまる]]([[東海オンエア]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はろると さくいし}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:愛知県出身の人物]] [[Category:1969年生]] [[Category:存命人物]]
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幡地英明
幡地 英明(はたじ ひであき、1961年 - )は、日本の漫画家。兵庫県出身。代表作に『あした天兵』など。漫画の他に『ジャンプ ジェイ ブックス』の挿絵などでも活躍している。
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幡地 英明は、日本の漫画家。兵庫県出身。代表作に『あした天兵』など。漫画の他に『ジャンプ ジェイ ブックス』の挿絵などでも活躍している。
'''幡地 英明'''(はたじ ひであき、[[1961年]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[兵庫県]]出身。代表作に『あした天兵』など。漫画の他に『[[ジャンプ ジェイ ブックス]]』の挿絵などでも活躍している。 == 作品リスト == * あした天兵 ([[やまさき十三]]原作):1983年-1984年、[[週刊少年ジャンプ]]([[集英社]])、全2巻 * スタア爆発:1987年、週刊少年ジャンプ、全2巻 * 謎解きコミック:1989年 - 1991年、[[スーパージャンプ]]、全2巻 * 漫画家殺人事件:1991年、[[ジャンプ・コミックス|ジャンプ・コミックス デラックス]] * 我が人生にゴルフあり([[高橋三千綱]]原作):1993年 - 2001年、[[オースーパージャンプ]](集英社)、全10巻 * 男の涙 女の愛([[高橋三千綱]]原作):1997年、ジャンプ・コミックス デラックス) * 地の子([[毛利甚八]]原作):2002年 - 2003年、オースーパージャンプ、全3巻(ジャンプ・コミックスデラックス) * ナデシコ([[末田雄一郎]]原作):[[近代麻雀オリジナル]]2004年02月号掲載(読切) * 新 徳川家康 竹千代の秋([[久保田千太郎]]原作):2004年 - 2005年、[[ビジネスジャンプ]]増刊、全2巻(ジャンプ・コミックスデラックス) * 裁判員になりました-疑惑と真実の間で([[毛利甚八]]原作):2007年、[[日本弁護士連合会|日弁連]]の依頼で製作された「[[裁判員制度]]」を扱った書下ろし作品)<ref>{{Cite web|和書|date=2007-03-08 |url=http://www.47news.jp/CN/200703/CN2007030801000606.html |title=裁判員描いた漫画発行 日弁連、原作は毛利さん |publisher=47NEWS |accessdate=2012-09-06}}</ref> * [[学習漫画 日本の歴史|新版 学習まんが 日本の歴史]]([[集英社]]、2016年) 本編まんが <ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/193537|title=岸本斉史、荒木飛呂彦らが偉人描く「学習まんが 日本の歴史」表紙イラスト公開|newspaper=コミックナタリー|date=2016-07-06|accessdate=2016-07-06}}</ref> ** 6巻「鎌倉幕府の成立 鎌倉時代」 ※ 監修:高橋典幸 === ジャンプ ジェイ ブックス挿絵 === * 卒業([[高橋三千綱]]): 1993年 * 夏と花火と私の死体([[乙一]]): 1996年 ==アシスタント== * [[有賀照人]] ==関連事項== * [[まつもと泉]] - まつもとの『[[せさみ☆すとりーと]]』で、幡地が助っ人として作業に携わったことがある。 == 脚注 == {{Reflist}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:はたし ひてあき}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:兵庫県出身の人物]] [[Category:1961年生]] [[Category:存命人物]]
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メモリ管理
メモリ管理(メモリかんり)とは、コンピュータのメモリを管理するもの。単純化すれば、プログラム(プロセスなど)の要求に応じてメモリの一部を割り当てる方法と、そのメモリが不要となったときに再利用のために解放する方法を提供する。 今日では、CPU(メモリ管理ユニット)とオペレーティングシステムが協働して仮想記憶やメモリ保護を提供するのが一般的である。 また、各種データ構造を線形空間であるメモリに展開する場合の管理手法(アルゴリズム)についても「メモリ管理」と呼ばれる。 現在のオペレーティングシステム(OS)においては、メモリ管理の1つとして仮想記憶が代表的である。 仮想記憶システムはプロセスが使用するメモリ空間 (アドレス空間) を物理アドレスから分離し、プロセス単位の分離を実現すると共に、実質的に使用可能なメモリ量を増大させる。仮想記憶管理の品質はオペレーティングシステム全体の性能に大きな影響がある。また、プロセス間通信の一種である共有メモリは多重仮想空間でのプロセス間のメモリ共有を実現する機能である。 仮想記憶システムには、単純に言うと、メモリ管理ユニット(MMU)を付加または内蔵したCPUが必要である。一般的なCPUに専用のMMUが内蔵されるまでは、バンク切り換えなどによるメモリ管理(拡張)が行われていた。 MS-DOSではメモリマネージャと呼ばれるプログラムが開発された(バンクメモリ、EMS、XMS等)。これはOSの一部を通常の位置から移動させ、アプリケーションがより多くのメモリを使えるようにするものである。
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仮想記憶
仮想記憶(かそうきおく、英語: Virtual Memory、バーチャルメモリ)とは、コンピュータ分野におけるメモリ管理の仮想化技法の一種であり、オペレーティングシステム (OS) などが物理的なメモリを、アプリケーション・ソフトウェア(プロセスなど)に対して、専用の連続した主記憶装置に見えるように提供する。 この技術により、物理的な主記憶装置に加えてハードディスク装置等の補助記憶装置を併用すれば、物理的な主記憶装置よりも大きな仮想メモリを提供する事ができる。またアプリケーション・プログラム側は、物理メモリ上のアドレスを意識しなくて良いため、マルチタスクの実現が容易である。このため現代のオペレーティングシステムの多くが仮想記憶をサポートしている。 仮想的に与えられたアドレスを仮想アドレス (virtual address) または論理アドレス (logical address)、実記憶上で有効なアドレスを物理アドレス (physical address) または実アドレス (real address) という。仮想アドレスの範囲を仮想アドレス空間、物理アドレスの範囲を物理アドレス空間という。 仮想記憶の実装(仮想記憶方式)には、大きく分けてセグメント方式とページング方式の二種類がある。ちなみに68000システムでは、68451(セグメント方式)と、68851(ページング方式)のメモリ管理ユニット (Memory Management Unit、MMU) が準備されていた。 一般にページング方式の方がよく使われている。これにより、メモリスワッピング(あるいは匿名メモリページング)と仮想記憶が結びつけられる。メモリスワッピングとは、一次記憶装置内のメモリページを二次記憶装置(のスワップファイルあるいはスワップパーティションと呼ばれる場所)に書き出して、より高速な一次記憶装置を他のプロセスが使えるように解放することである。 Windows系OSのうち、#Windows NT系ではページング方式の仮想記憶を採用しており、システムUI上では「仮想メモリ」という名前の設定項目が用意されているが、このシステム設定項目はページングファイル(ストレージへのメモリスワップ)に関するものである。アプリケーションおよび多くのシステムプロセスは常に仮想アドレスを使用してメモリを参照する。OSカーネルのコア部のみがアドレスの仮想化をバイパスすることができ、実アドレスを直接使用できる。たとえ稼働中の全プロセスによって要求されるメモリが、システムにインストールされているRAMの容量を超えていなくても、仮想記憶は常に使われている。 Unix系システムでもスワップファイルやスワップパーティションなしで仮想記憶を使用することが可能である。従って主記憶装置以上の大きな記憶領域を仮想的に使用できるようにすることは仮想記憶の主な目的ではあるが、本質ではないとも言える。本質は、不連続な物理メモリ領域を連続な仮想メモリ領域にマッピングすることであり、複数のプロセスがそれぞれ固有の連続な仮想メモリ領域を割り当てられる点である。これによって他のプロセスのことを気にせずに動作できる環境が提供されている。そういった意味で、仮想機械がゲストOSに対して提供していることと、仮想記憶がユーザープロセスに提供していることは等価である。仮想記憶は物理メモリのフラグメンテーションを隠蔽することでアプリケーションのプログラミングを容易にする。すなわちカーネルに記憶階層の管理を委任することで、プログラムが明示的なオーバーレイの制御を行う必要性を排除している。 技術的には、仮想記憶を使うことにより、ソフトウェアが動作するメモリアドレス空間のサイズとアドレス範囲は当該コンピュータの物理メモリ領域には必ずしも縛られなくなる。仮想記憶を適切に実装するには、CPU(あるいはそれに付随するデバイス)がOSに対して仮想メモリを物理メモリにマップする(対応付ける)手段を提供し、主記憶(物理メモリ)に対応していない仮想アドレスにアクセスしたことを検出する手段を提供して必要なデータをスワップインできるようにしなければならない。CPUの支援なしで仮想記憶を提供することも可能だが、その場合は上述の機能を提供するCPUをエミュレートするだけであって、本質的には同じことである。アドビの一部のアプリケーションのように、アプリケーションプログラムが自前で仮想記憶機構を持つ例もある。 ソフトウェアによって仮想記憶を実現することは、本来ハードウェアで実現できる機能をあえてソフトウェアで行おうとしているので一見非効率に思える場合がある。しかし、この見方は場合によっては誤りである。なぜならページ方式やセグメント方式では仮想アドレス空間に対する広がりを持たせているので、例えば画像などを扱う場合には単にアドレス空間方向への広がり=すなわち水平方向への広がりしか持たない。だが画像に対する操作は、特定の2次元空間=面的な広がりを持っている。ここにソフトウェアで仮想記憶を実施するに当たって、面的な広がりをメモリ参照の局在性としてみなすと、単なる仮想記憶よりも性能の向上が期待できる。 まず、以下の議論の前提とする、簡略化した典型的な記憶装置の階層構造のモデルを述べる。 主記憶装置とキャッシュメモリのどちらを使用するかは、一般にハードウェアに任せられているため、プログラマからはどちらも同じ物理メモリとしてしか見えない(しかし性能への影響は大きいので、高性能計算など、キャッシュヒット率を考慮してコードを書くこともある)。ハードウェアの動作としては、まずキャッシュメモリをアクセスし、さらに必要ならキャッシュメモリと主記憶とのやり取りを行う。 多くのアプリケーションは、情報(実行ファイルの命令列やデータ)がなるべく物理メモリ上に格納された状態でアクセスできることを要求する。これは特に見かけ上並列に複数のプロセス/アプリケーションを同時実行するオペレーティングシステムでは重要となる。全実行中プログラムが必要とする物理メモリ量が実装されている物理メモリ量より大きい場合、当然の結果として情報の一部をディスクに退避し、必要に応じてその内容を物理メモリに戻して使用することになる。しかし、これを実現する手法は様々である。 ひとつの方法として、アプリケーション自身が物理メモリ上に置くべき情報の範囲を決定し、補助記憶装置との情報のやりとりも制御することが考えられる。プログラマはプログラム(およびデータ)のどの部分が現時点で必要か不必要かを判断し、それらの領域の物理メモリへのロード(あるいはアンロード)を必要に応じて行わなければならないだろう。この手法の欠点は、各アプリケーションのプログラマがそのような設計/実装/デバッグに時間を費やす必要がある点であり、アプリケーションそのものに集中できなくなってプログラミング効率が低下する。また、あるプログラマがある時点で物理メモリ上に置くべきデータなどを決定しても、それが例えば、どうしても全物理メモリが必要となった場合など、他のプログラマの決定と衝突してしまう危険がある。仮想記憶が普及する以前のオーバーレイ方式がほぼこれに相当する。 別の方法として、データの参照をポインタではなく何らかのハンドルで行う方式である。OSはそのようなハンドルと対応するデータを物理メモリにロードしたり、逆に補助記憶装置に移したりする。この方式の欠点は、アプリケーションのコードが非常に複雑になる点、アプリケーションがうまく振舞わなければならない点(必要なデータを物理メモリにロックする機能が必要になるだろう)、標準ライブラリが大きなメモリを確保しておいてアプリケーションのメモリ確保要求に応えるという機能を使えなくなる点などが上げられる。この方式の既存の例としてはMicrosoft Windows 3.1が有名である。 現代の解決策は仮想記憶方式の使用である。特別なハードウェアとOSの組合せにより、主記憶容量が大きくなったように見せ、各プログラムが自由気ままに空間を広げて使用することを可能にする。動作中の他のソフトウェアからは、仮想記憶機構の内部の動きは見えない。一般に仮想的な主記憶容量はほとんどどんな大きさにもできる。ただし、アドレスそのもののサイズによる制限がある。32ビットシステムでは、仮想アドレス空間サイズは全体で 2バイト、つまり4ギガバイトである。64ビットの場合、アドレスは64ビットや48ビットといったさらに大きなものになっている。多くのオペレーティングシステムは仮想アドレス空間全体をアプリケーションに使わせることはなく、一部をカーネル空間にすることでカーネルからユーザ空間に容易にアクセスできるようにしている。ただし、これは絶対必要な機能ではなく、OSによっては仮想空間全体をユーザー空間としている。 仮想記憶によってアプリケーションプログラマの仕事はずっと単純になる。アプリケーションが必要とするメモリ容量を気にする必要はなく、必要なサイズの主記憶が使えるように見え、仮想アドレス空間全体の好きな場所にデータを配置することができる。プログラマは主記憶と補助記憶の間でデータをやりとりするのを気にしなくてもよい。もちろん、プログラマが大量のデータを扱う際の性能を考慮しなければならない場合、アクセスするデータがなるべく近いアドレスに配置されるよう注意して、ある時点で必要なメモリ量を減らし不要なスワッピングを回避しなければならない。 仮想記憶はコンピュータ・アーキテクチャの重要な部分であり、その実装にはハードウェア的サポートがほぼ必須である。メモリ管理ユニット (MMU) と呼ばれる部分であり、性能の都合もありCPUに組込まれることも多い。1960年代までのメインフレームの大部分は、基本的には仮想記憶をサポートしていなかった。1960年代のメインフレームで例外といえるものを以下に挙げる。 1980年代のパーソナルコンピュータで仮想記憶をサポートした例として Apple Lisa がある。 仮想記憶技術が開発される以前、1940年代から1950年代のプログラマは2レベルの記憶装置(主記憶あるいはRAMと、磁気ディスク装置あるいは磁気ドラムメモリといった二次記憶)を直接管理する必要があり、大規模プログラムではオーバーレイなどの技法が使われていた。従って仮想記憶は、主記憶を拡張するためだけでなく、そのような拡張をプログラマが可能な限り容易に扱えるように導入された。マルチプログラミングやマルチタスクを実装した初期のシステムは、メモリを複数のプログラムに分割するのに仮想記憶を使っていない。例えば初期のPDP-10はレジスタを使ってマルチタスクを実現していた。 ページング方式はマンチェスター大学のAtlas上で開発された。1万6千ワードの磁気コアメモリの一次記憶と9万6千ワードの磁気ドラムメモリによる二次記憶を制御するものである。最初のAtlasは1962年に稼働開始したが、ページングのプロトタイプは1959年に開発されている。なお、ドイツの初期の情報工学者 Fritz-Rudolf Güntsch (後に Telefunken TR 440 というメインフレームを開発)は 1957年の博士論文 Logischer Entwurf eines digitalen Rechengerätes mit mehreren asynchron laufenden Trommeln und automatischem Schnellspeicherbetrieb(複数非同期ドラム装置と自動高速メモリモードを持つデジタル計算機の論理概念)で仮想記憶のコンセプトを発明していたと言われている。 1961年、バロースはセグメント方式で仮想記憶をサポートした世界初の商用コンピュータ B5000 をリリースした。 1965年にMITが開発したMultics以降、仮想記憶は本格的に採用され始めた。 コンピュータ史上の多くの技術と同様、仮想記憶にも様々な曲折があった。安定した技術と見なされるまで、仮想記憶の様々な問題点を解決しようとするモデルや理論が開発され実験がなされた。仮想アドレスを物理アドレスに変換するハードウェア機構の開発も必然的だったが、初期の実装ではそれによってメモリアクセスが若干遅くなった。システム全体を対象とするアルゴリズム(仮想記憶)は従来のアプリケーション単位のアルゴリズム(オーバーレイ)よりも非効率ではないかという懸念もあった。1969年、商用コンピュータでの仮想記憶に関する論争は事実上終結した。David Sayre 率いるIBMの研究チームが仮想記憶システムが手動制御システムよりも優位にあることを示したのである。 1970年、IBMはSystem/370シリーズのOSであるDOS/VS、OS/VS1、OS/VS2(後のMVS)で仮想記憶をサポートした。OS/VS1はシングルタスクの仮想記憶で、マルチタスクには従来通りユーザーによるマルチプログラミングが必要であったが、OS/VS2はマルチタスクの仮想記憶(複数の仮想アドレススペース)をオペレーティングシステムの機能としてサポートした。以後の各社メインフレームでは仮想記憶が一般的となる。 ミニコンピュータで初めて仮想記憶を導入したのは、ノルウェーのNORD-1である(1969年)。1976年、DECのミニコンピュータ VAXシリーズのOSであるVMSで仮想記憶をサポートした。 しかし、1980年代の初期のパーソナルコンピュータでは仮想記憶は採用されていない。これは当時のマイクロプロセッサの性能や機能の問題もあるし、個人用のコンピュータに仮想記憶が必要になると見なされていなかったという面もある。当時の主流はバンク切り換えによるメモリ増設だった。x86アーキテクチャで仮想記憶が導入されたのは、Intel 80286 によるプロテクトモードが最初だが、セグメント単位のスワッピングはセグメントが大きくなると性能が悪くなるという問題があった。Intel 80386 では既存のセグメント方式の下層にページング方式を実装し、ページフォールトによるページングが可能となった。しかしセグメントディスクリプタのロードは時間のかかる処理だったため、OS設計者はセグメントを使わずページングだけを使うようになっていった。仮想記憶が導入されたのは、OS/2(1987年)、Microsoft Windows 3.0 (1990年)、MacintoshのSystem 7(1991年)、Linuxカーネル 0.11+VM(1991年)などが最初である。 仮想記憶は、必須ではないものの通常ページング方式を使って実装される。ページングでは仮想アドレスを表すビット列の下位ビット列部分はそのまま物理アドレスの下位ビット列部分として使われる。上位ビット列部分はアドレス変換テーブル(群)のキーとして使用され、それによって実際の物理アドレスの上位ビット部分を得る。 このため、サイズが2の冪乗の仮想アドレス空間の連続したアドレス範囲が、対応する連続な物理アドレス範囲に変換される。そのような範囲で参照されるメモリをページと呼ぶ。ページサイズは512バイトから8192バイトが一般的であり、特に4096バイトが最もよく使われるが、特殊用途として4Mバイトやそれ以上のサイズのページも使われることがある。 オペレーティングシステムは、ページテーブルと呼ばれるデータ構造にアドレス変換テーブル、つまり仮想ページ番号と物理ページ番号のマッピング情報を格納する。 あるページが使用不可とされている場合(物理メモリに対応しておらず、スワップ領域に内容がある場合など)、CPUがそのページ内のメモリ位置を参照しようとしたとき、ハードウェアの機構がオペレーティングシステムに、一般にページフォールトと呼ばれる例外を通知する。これにより実行コンテキストはオペレーティングシステム内の例外処理ルーチンにジャンプする。そのページがスワップ領域にあるなら、そのルーチンは「ページスワップ」と呼ばれる処理を実行して必要なページの内容を物理メモリに読み込む。 ページスワップ操作には一連の段階がある。まず、メモリ上のページを選択する。例えば、最近アクセスされておらず、なるべくならスワップ領域を含む何らかのディスクから読み込まれたままで変更されていないページを選択する(詳細はページ置換アルゴリズムを参照)。そのページが変更されている場合、その内容をスワップ領域に書き出す。次に必要とされている、例外発生時に参照しようとしていた仮想アドレスに対応するページの情報を読み込む。ページの読み込みが完了したら、その物理メモリの内容更新に応じて仮想アドレスから物理アドレスへの変換テーブルを更新する。ページスワップが完了すると、例外処理を完了し、元のプログラムの実行が例外発生箇所から再開されて何事もなかったかのように処理が続行される。 仮想ページに何も割り当てられていないために使用不可となっている可能性もある。そのような場合、未使用、あるいはスワップアウトして未使用にした物理ページを割り当て、OSによってはその内容をゼロクリアする。ページテーブルはそれに対応して更新され、上述の場合と同様にプログラムが再開される。 バロース B5000などのシステムは、ページング方式ではなくセグメント方式を使い、仮想アドレス空間を可変長のセグメントに分割する。その場合、仮想アドレスはセグメント番号とセグメント内オフセットから成る。Intel 80286の保護モードにもそのようなセグメント方式があったが、ほとんど使われなかった。セグメントとページは、セグメントをページに分割するという形で同時に使用できる。そのようなメモリ構成のシステムとして、MulticsやSystem/38がある。その場合の基本はページングであり、セグメントはメモリ保護に使われる。 Intel 80386 とその後のIA-32プロセッサでは、セグメントをページ化された32ビットのリニアなアドレス空間に置く。セグメントによる管理と、ページ単位による管理の、2段階のシステムとなっている。しかし、複数のセグメントを活用しているOSは少なく(ただし、研究レベルまで含めればそんなに少なくない)、単純にベースアドレスを全てゼロとして、範囲のみ指定した最小限必要なだけのセグメントと、ページングのみを使っていることが多い。 これは、mmapやWin32のMapViewOfFileのような機構とは異なる。mmap等ではファイルは任意の位置にマッピングされる可能性があるため、ファイル間のポインタは使えないためである。Multicsでは、ファイル(複セグメントファイルの場合はセグメント)はセグメント機構を通してアドレス空間にマッピングされる。そのためファイルは常にセグメント境界にマッピングされる。ファイルのリンク部分にはポインタが並んでおり、そのポインタをレジスタにロードしたり間接参照したりするとトラップが発生する。未解決のポインタにはセグメント名を示す値とセグメント内オフセットがある。トラップハンドラは対応するセグメントをアドレス空間にマッピングし、ポインタのセグメント識別子部分をセグメント番号に書き換えるので、2度目以降はそのポインタにアクセスしてもトラップが発生しなくなる。この方式ではリンケージエディタが不要であり、同じファイルを複数のプロセスが異なる位置にマッピングしても問題なく機能する。 仮想アドレスから物理アドレスへの変換はメモリ管理ユニット (MMU) というハードウェア装置によって実装されている。これはCPUに内蔵されたモジュールの場合もあるし、外付けでCPUに密結合された別のチップの場合もある。これを動的アドレス変換機構 (DAT : Dynamic Address Translation) と呼ぶ。 OSは、プログラムの仮想アドレス空間のどの部分を物理メモリに保持するかを決定する。OSは、MMUが使用する仮想アドレスから物理アドレスへの変換テーブルも管理する。さらに仮想メモリ例外が発生したら、OSはそれを解決するために物理メモリ領域を確保し、必要なら元の内容をディスクに追い出した上で新たに必要とされている情報をディスクから持ってきて、変換テーブルを更新し、例外発生したソフトウェアの実行を再開する。 多くのコンピュータでは、この変換テーブルは物理メモリに格納されている。従って仮想メモリを参照すると、本来の参照以外に変換テーブルの参照が(変換テーブルの構成によっては複数回)発生する。このアドレス変換による性能低下を低減するため、ほとんどのMMUはよく使われる仮想ページに高速にアクセスできるよう、最近使われた仮想アドレスとそれに対応する物理アドレスを保持しておくテーブルを持っている。これをトランスレーション・ルックアサイド・バッファ(TLB)と呼ぶ。参照アドレスがTLB内に格納された変換テーブルでカバーされていれば、余分な変換テーブルの参照をせずに、高速に変換を行うことができる。ただし、TLBは高価な装置のためテーブルの大きさが限られており、目標の仮想アドレスが見当たらない場合は物理メモリ上の変換テーブルを参照してアドレス変換が行われる。 プロセッサによっては、この一連の処理がハードウェア内で行われる。MMUは物理メモリ上の変換テーブルから必要な変換内容を持ってくるので、ソフトウェア側は余分な処理を必要としない。別の種類のプロセッサでは、オペレーティングシステムの介在が必須である。TLBに必要な変換内容がない場合、例外が発生し、オペレーティングシステムがTLB内の1つのエントリを必要な変換テーブルの内容と置き換え、当初のメモリ参照を行った命令から実行が再開され、再度TLBを参照して変換を行う。 仮想記憶をサポートするハードウェアの多くはメモリ保護もサポートしている。MMUはメモリ参照の種類(リード、ライト、実行)やメモリ参照時のCPUモードによって扱いを変える機能を持っていることもある。これによってオペレーティングシステムは自身のコードとデータ(例えばアドレス変換テーブルなど)を問題のあるアプリケーションプログラムの不正なメモリアクセスから保護したり、アプリケーションを相互に保護したり、アプリケーション自身の不正動作(例えば自身のコード部分に書き込もうとするなどの動作)から保護したりする。 各プロセスの仮想アドレス空間には、そのプロセスが使用するコードやデータが配置される。ページング方式であれ、セグメント方式であれ、仮想アドレス空間内で使用している範囲の管理と制御が仮想記憶機構として必須である。例えば、実行ファイルの内容を仮想メモリ上に配置する領域、スタックを配置する領域などがある。このような領域をセグメントと呼ぶ。セグメント方式のセグメントと似ているが、純粋に仮想的なオブジェクトである。実行ファイルを配置する領域は必ずしも連続ではない。プログラムのコード部分とデータ部分を分離して配置するのが一般的で、前者をテキストセグメントもしくはコードセグメント、後者をデータセグメントと呼ぶ。Unix系システムや Windows では、一般的にデータセグメントの一部としてBSSセクションとヒープ領域を含む。BSSセクションにはプロセス起動時に0に初期化される静的変数を配置する。初期値が0の静的変数を別扱いしているのは、読み書きが発生するまで0で初期化するのを後回しに出来るようにするための高速化のテクニックである。Unix系システムではヒープ領域はデータセグメントの末尾に配置され、brk() 関数などでデータセグメントのサイズを変えることでヒープ領域のサイズを変えられるようにする。各セグメントはマッピングしているオブジェクトが何であるか、その領域へのアクセス権などを属性情報として保持する。 テキストセグメントはファイルシステム上の実行ファイルの一部と完全に対応しており、書き換えられることもない。従って、マッピングしているオブジェクトは実行ファイルであり、アクセス属性は「リードオンリー」となる。データセグメントやスタックは一時的な存在であるため何かをマッピングしているわけではない。そこでこれらは匿名ファイル(Anonymous File)をマッピングしているものとして管理される。匿名ファイルをマッピングしているセグメントに対応するページを匿名ページと呼び、これがスワッピングの際にスワップ領域に書き出される。データセグメントは当初は実行ファイルの一部と対応しているが、書き込み可能な属性が設定されている。ページング方式の場合、データセグメント内の内容が更新されたページはページ単位で匿名ページへと属性変更される。 exec() システムコールなどで新たにプロセスの仮想アドレス空間を設定した当初は、基本的にこのような仮想アドレス空間を管理するデータ構造がカーネル内に作成されるだけで、実際の実行ファイルの内容はロードされない。Unix系システムでは、exec() システムコールからユーザ空間に制御が戻された瞬間にページフォールトが発生し、そこで初めてページ単位に実行ファイルの内容がロードされる。ただし、性能向上目的で事前にマッピングを作成する場合もある。 各プロセスの仮想アドレス空間のアドレス範囲は同じでありオーバーラップしているのが一般的である。これを多重仮想記憶と呼ぶ。MMUは現に実行中のプロセスの仮想空間のみを認識する。コンテキストスイッチでプロセスを切り替える際、MMUに対して仮想アドレス空間の切り替えも指示する必要があるが、その方式はアーキテクチャによって様々である。 同じプログラムを実行するプロセスが複数存在する場合、多重仮想記憶ではそれぞれが同じ仮想アドレスに実行ファイルをマッピングしていながら、それぞれ独立した仮想空間を使用する。このため、実行ファイルを配置する仮想アドレスはどのプロセスでも同じにすることができ、実行ファイル自体に配置すべきアドレスを格納しておくようになっているのが一般的である。また、それぞれのプロセスが実行ファイルのテキストセグメントをマッピングするのに使う物理メモリは共有することができる。他にも mmap() でファイルをマッピングする場合や共有メモリ機能でプロセス間の通信を行う場合、マッピングされる物理メモリが共有される。 なお、アーキテクチャによっては、多重仮想記憶がオーバーラップしていると捉えず、全仮想空間がフラットに並んだ巨大な仮想空間を想定することもある。この場合、仮想空間識別番号が巨大な仮想空間のアドレスの一部と考えられる。もっとも、これは単にモデル化の手法が違うだけで実装に大きな違いがあるわけではない。実際、各ユーザープロセスが自分の仮想空間識別番号以外の仮想空間にアクセスすることはできない。 1962年に世界で初めてページングをサポートしたコンピュータAtlasは、フェランティ、マンチェスター大学、Plesseyが共同開発した。このマシンには連想メモリがあり、1エントリに512ワード長のページが対応している。スーパーバイザは非同値割り込みを処理し、磁気コアメモリと磁気ドラムメモリ間のページ転送を管理する。特筆すべきは、世界初の仮想記憶システムであるにもかかわらず、難しさなどから後のシステムでも実現例のあまり多くない、プログラムに単一レベル記憶を提供していることである。 Windows では、1990年のWindows 3.0から仮想記憶をサポートしている。マイクロソフトはWindows 1.0とWindows 2.0での失敗を受け、OSへのリソース要求を削減するために仮想記憶を導入した。 全てのプロセスは固定の変更不可能な仮想記憶空間を持っている(32ビットの場合、一般に2GB)。 Windows 3.xには隠しファイルとして386SPART.PARまたはWIN386.SWPがあり、それらがスワップファイルとして使われる。通常、ルートディレクトリにあるが、WINDOWSなど他のディレクトリに置くこともある。そのサイズはコントロールパネルで設定される「仮想メモリ」サイズで決定される。ユーザーがこのファイルを削除したり移動させたりすると、次回Windowsを起動したときにブルースクリーンが表示され、エラーメッセージが表示される(英語では "The permanent swap file is corrupt")。 Windows 95、Windows 98 / 98 SE、Windows Me でも同様の仕組みになっている。スワップファイルの大きさはデフォルトでは物理メモリ量の1.5倍であり、最大で物理メモリの3倍まで拡張できる。 NT系のWindows(Windows NT、Windows 2000、Windows XP、Windows Vista、Windows 7、Windows 8 / 8.1、Windows 10およびWindows Serverシリーズなど)は、pagefile.sysというファイルを使用する。このファイルのデフォルトの位置はWindowsをインストールしたパーティションのルートディレクトリである。Windowsは任意のドライブの空き領域をページファイルとして使用できる。XPまでのWindowsではシステムクラッシュ時にカーネルまたは全メモリをダンプする設定にしている場合、ブートパーティション(Windowsがインストールされたドライブ)にこのファイルを置く必要があった(ダンプ先として使用するため)。リブートすると、システムがダンプを通常のファイルに移す。 ページングファイルのサイズには初期サイズと最大サイズがあり、ページングファイルが不足するとページングファイルは最大サイズまで拡張される。拡張されたページングファイルは再起動するまで小さくならない。サイズ設定値が小さい場合、動作が不安定になるアプリケーションもある。 ページングファイルがあると、積極的なクリーニングにより物理メモリで足りる場合であってもページファイルへの書き出しが行われる。積極的なクリーニングは仮想記憶を実装するページ置換アルゴリズムの一つで、CPUの余剰時間を使ってページ内容をディスクに書き出しクリーンな状態にしておき、ページが必要になった時に短時間でページを再利用する手法である。勿論クリーンな状態のページ内容そのものが必要になった時には、ページファイル上のページ内容を無視するだけで良いので、オーバーヘッドは発生しない。 Windows XP以降ではページファイルを使用しないオプションが選択できる。もちろんこれは物理メモリの容量が十分に足りている場合(かつ、ページファイル必須アプリケーション運用を必要としない場合)にのみ選択すべきオプションである。ページファイルを使用しない場合、ほとんど使用されない常駐ソフトなどのデータをスワップアウトすることができなくなるので、キャッシュとして使える物理メモリの空き領域が減ってパフォーマンスが低下することがある。いくつかのアプリケーションが動作しなくなったり、システム機能が効率的に動作しなくなったり、といったことも発生しうる。しかし、ファイルを読み書きするI/Oアクセスが起こらないため、パフォーマンスを落とさないというメリットがある。 32ビット版Windowsでは、バージョンおよびエディションにも左右されるが、ページングファイルのサイズは最大36ビットのアドレス空間すなわち64GiBまでサポートされる。 ページングファイルのサイズには初期サイズと最大サイズがあり、ページングファイルが不足するとページングファイルは最大サイズまで拡張される。徐々に拡張された場合、フラグメンテーションが起き、性能に悪影響を与えることがある。これに対する助言としては、ページファイルのサイズを固定することでOSがそのサイズを変更できないようにするという対策がある。ただし、ページファイルが拡張されるのは全部を使い切ったときで、デフォルト設定では物理メモリの150%の量になっている。したがって、ページファイルに対応した仮想記憶の要求が物理メモリの250%を越えないと、ページファイルは拡張されない。 ページファイルの拡張によるフラグメンテーションは一時的なものである。拡張された領域が使われなくなれば(遅くとも次回の再起動時には)、追加で確保されたディスク領域は解放され、ページファイルは本来の状態に戻る。 ページファイルの大きさを固定にすると、物理メモリとページファイルを合わせた以上のメモリを要求するアプリケーションがある場合に問題となる。その場合、メモリ確保要求が失敗し、アプリケーションやシステムプロセスが異常終了する可能性がある。ページファイルを拡張可能にすべきだという根拠として、ページファイルが先頭から順にシーケンシャルにアクセスされることはなく、ページファイルが連続領域になっていること性能上の利点はほとんどないという見方もある。いずれにしても、メモリを大量に使うアプリケーションを使用するならページファイルは大きい方がよく、ページファイルを大きくしてもディスク容量がそれに割かれる以外のペナルティはない。 現代的な仕様のシステムでは余分にディスク領域を使用しても問題はない。例えば、メモリが3GBのシステムで6GBの固定スワップファイルを使用するとしても、HDDが750GBなら問題はないし、メモリが6GB、スワップファイルが16GB、HDDが2TBなら、これも問題はない。どちらの場合もスワップファイルとして使用する領域はHDDの1%に満たない。 ページファイルは任意のドライブに作成する事ができる。これはUNIX同様スワップ専用のパーティション割り当てが行えるのに等しい。またページファイルはストライピングが行われるので複数のハードディスクドライブに小分けにしてページファイルを作成すると、ページング速度が向上する。 物理メモリ以上のメモリを常に使うような使い方をする場合、ページファイルのデフラグメンテーションをすることで性能が改善する可能性もある。しかし、根本的には物理メモリを追加する方が性能改善に役立つ。 Mac OSはSystem 7から「仮想メモリ」として実装される。当時はコントロールパネルでメモリサイズ(メインメモリのサイズを加算した値)を指定し機能を入にすることで使用できるようになる。すると起動ディスクに隠しファイルとしてスワップファイルが作成される。スワップファイルは指定したメモリサイズの大きさとなり、これ以上は増えない。この頃の仮想メモリは使用しているかどうかでプログラムの動作が不安定になることがあった。そのため、プログラムのパッケージや説明書には仮想メモリの設定を確認させる記述が見られる。 UNIXおよびUnix系OSでは、ハードディスクのパーティションを丸ごとスワップに使用することが多く、そのようなパーティションをスワップパーティションと呼ぶ。ドライブを1個丸ごとスワップパーティションとすることもある。そのようなドライブをスワップドライブなどと呼ぶ。スワップパーティションしかサポートしないシステムもあるが、ファイルへのスワッピングもサポートするシステムもある。フラグメンテーション問題を回避して性能を維持するためにもパーティションの使用が推奨されている。また、スワップパーティションを使うと、スワップ領域をディスク内の最も高速アクセス可能な場所に配置できる。最近のハードディスクでは、先頭の方がよいとされている。 Linuxのユーザプロセスから見れば、大局的にはメモリはCPUキャッシュ (L1, L2, ...)、メインメモリ、ファイルの順に階層化されており、上位(CPUにより近い)メモリは下位メモリのキャッシュに過ぎない。実行可能なファイルや共有ライブラリのテキストセグメントやmmapで明示的にマップされる名前付きファイルに対して、スワップエリアはスタックやヒープを保持する名無しファイルである(データセグメントやBSSセグメントは読み出し専用の実行可能ファイルや共有ライブラリファイルからプロセス固有の読み書き可能な無名ファイルに展開・コピーされると考えられる)。もちろん、実際にはカーネルは性能維持のためにスワップエリアの使用とアクセスを最小限にするような最適化の努力を払う(メインメモリに余裕があればスワップエリアには書き出さず「キャッシュ(メインメモリ)」だけにしか情報が保持されない)。 2.6のLinuxカーネルではスワップファイルはスワップパーティションと同程度の性能である。カーネルはスワップファイルの存在するディスク上の位置を把握しており、バッファキャッシュやファイルシステムのオーバヘッドを回避して直接ディスクにアクセスする。レッドハットはスワップパーティションの使用を推奨している。スワップパーティションの場合、ディスク上の位置を決めることができるので、スループットが最も高い場所に置くことができる。一方スワップファイルは管理の柔軟性という点でスワップパーティションに優っている。例えば、スワップファイルは任意のドライブ上に置くことができ、どんな大きさにもでき、必要に応じた追加や変更が容易であるだけでなく、ネットワークを介して外部ホスト上のリモートファイルを使うことも可能である。一方、スワップパーティションは一度位置と大きさを決めたら、ドライブ全体のパーティショニングをやり直さないと変更できない。 Linuxは事実上無制限な個数のスワップデバイスをサポートし、それぞれに優先度を設定できる。オペレーティングシステムが物理メモリをスワップアウトする場合、最高優先度のデバイスの空き領域から使っていく。同じ優先度に複数のデバイスがある場合、それらは RAID 0と同様の使い方をされる。これによって並列的に複数のデバイスにアクセスするので性能が向上する。従って優先度の設定には注意が必要である。例えば、同じドライブ上の複数のスワップ領域を同じ優先度にするのは得策ではない。また、高速なデバイスを高優先度に設定するのが性能的に有利である。 Linuxシステムでスワップを追加するには、その前にスワップ領域を作成しなければならない。パーティションならば一般のパーティション作成ツールが使用できる。通常ファイルの場合、ddコマンドと /dev/zeroを使って内容がゼロのファイルを作ることができる。作成したスワップ領域はmkswap filename/deviceでフォーマットし、swaponおよびswapoffコマンドでON/OFFを制御する。 Windowsとは違い、物理メモリに入りきらない場合のみ、スワップが利用される。これは積極的なクリーニングが実装されていないためで、ページングが開始された時システムは著しい速度低下を起こす(スラッシング)。しかし、これは物理メモリが飽和状態を続けている場合さほど深刻では無い。メモリが飽和すればあまり利用されないページは自ずとハードディスクに追い出され、物理メモリには有用なページが残される様になる。 macOSではUnix系をベースとしたことで仮想メモリは常に使用するようになっており、複数のスワップファイルを使用できる。デフォルト(かつアップルの推奨)ではルートパーティションに配置されるが、他のパーティションやデバイスに置くこともできる。 コンピュータの起動時から64MBのスワップファイルが1つ作成されている。場所は/private/var/vm/以下で、swapfilenという名前がつけられている(nは0からの数字)。容量が不足するとスワップファイルは自動的に追加される。swapfile1までは64MB、以降のスワップファイルのサイズは128MB、256MB...と8の倍数で増えるのが基本だが、メモリの最大容量・ハードディスクの空き容量の1/4・1GBのいずれか小さい方を選択し容量が決定する。ひとつのスワップファイルが大きくなるのではなく複数のファイルが作成される。すなわちスワップファイルが4つなら64+64+128+256で合計512MBとなる。スワップファイルの場所はコマンドライン操作などで他のデバイスに変更できる。 スワップファイルを削除するアプリケーションも存在し、これを用いなくとも削除できる(ただし、削除後は再起動するのが望ましい)。また、一旦ログアウトしてからログインしなおすと再起動することなく削除できる。 macOSでは多重仮想記憶がサポートされ、仮想空間はプロセス毎に資源が分離されている。この違いが、Classic Mac OSとmacOSでの仮想記憶に対する信頼性の違いとなって現れている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "仮想記憶(かそうきおく、英語: Virtual Memory、バーチャルメモリ)とは、コンピュータ分野におけるメモリ管理の仮想化技法の一種であり、オペレーティングシステム (OS) などが物理的なメモリを、アプリケーション・ソフトウェア(プロセスなど)に対して、専用の連続した主記憶装置に見えるように提供する。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "この技術により、物理的な主記憶装置に加えてハードディスク装置等の補助記憶装置を併用すれば、物理的な主記憶装置よりも大きな仮想メモリを提供する事ができる。またアプリケーション・プログラム側は、物理メモリ上のアドレスを意識しなくて良いため、マルチタスクの実現が容易である。このため現代のオペレーティングシステムの多くが仮想記憶をサポートしている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "仮想的に与えられたアドレスを仮想アドレス (virtual address) または論理アドレス (logical address)、実記憶上で有効なアドレスを物理アドレス (physical address) または実アドレス (real address) という。仮想アドレスの範囲を仮想アドレス空間、物理アドレスの範囲を物理アドレス空間という。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "仮想記憶の実装(仮想記憶方式)には、大きく分けてセグメント方式とページング方式の二種類がある。ちなみに68000システムでは、68451(セグメント方式)と、68851(ページング方式)のメモリ管理ユニット (Memory Management Unit、MMU) が準備されていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "一般にページング方式の方がよく使われている。これにより、メモリスワッピング(あるいは匿名メモリページング)と仮想記憶が結びつけられる。メモリスワッピングとは、一次記憶装置内のメモリページを二次記憶装置(のスワップファイルあるいはスワップパーティションと呼ばれる場所)に書き出して、より高速な一次記憶装置を他のプロセスが使えるように解放することである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "Windows系OSのうち、#Windows NT系ではページング方式の仮想記憶を採用しており、システムUI上では「仮想メモリ」という名前の設定項目が用意されているが、このシステム設定項目はページングファイル(ストレージへのメモリスワップ)に関するものである。アプリケーションおよび多くのシステムプロセスは常に仮想アドレスを使用してメモリを参照する。OSカーネルのコア部のみがアドレスの仮想化をバイパスすることができ、実アドレスを直接使用できる。たとえ稼働中の全プロセスによって要求されるメモリが、システムにインストールされているRAMの容量を超えていなくても、仮想記憶は常に使われている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "Unix系システムでもスワップファイルやスワップパーティションなしで仮想記憶を使用することが可能である。従って主記憶装置以上の大きな記憶領域を仮想的に使用できるようにすることは仮想記憶の主な目的ではあるが、本質ではないとも言える。本質は、不連続な物理メモリ領域を連続な仮想メモリ領域にマッピングすることであり、複数のプロセスがそれぞれ固有の連続な仮想メモリ領域を割り当てられる点である。これによって他のプロセスのことを気にせずに動作できる環境が提供されている。そういった意味で、仮想機械がゲストOSに対して提供していることと、仮想記憶がユーザープロセスに提供していることは等価である。仮想記憶は物理メモリのフラグメンテーションを隠蔽することでアプリケーションのプログラミングを容易にする。すなわちカーネルに記憶階層の管理を委任することで、プログラムが明示的なオーバーレイの制御を行う必要性を排除している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "技術的には、仮想記憶を使うことにより、ソフトウェアが動作するメモリアドレス空間のサイズとアドレス範囲は当該コンピュータの物理メモリ領域には必ずしも縛られなくなる。仮想記憶を適切に実装するには、CPU(あるいはそれに付随するデバイス)がOSに対して仮想メモリを物理メモリにマップする(対応付ける)手段を提供し、主記憶(物理メモリ)に対応していない仮想アドレスにアクセスしたことを検出する手段を提供して必要なデータをスワップインできるようにしなければならない。CPUの支援なしで仮想記憶を提供することも可能だが、その場合は上述の機能を提供するCPUをエミュレートするだけであって、本質的には同じことである。アドビの一部のアプリケーションのように、アプリケーションプログラムが自前で仮想記憶機構を持つ例もある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ソフトウェアによって仮想記憶を実現することは、本来ハードウェアで実現できる機能をあえてソフトウェアで行おうとしているので一見非効率に思える場合がある。しかし、この見方は場合によっては誤りである。なぜならページ方式やセグメント方式では仮想アドレス空間に対する広がりを持たせているので、例えば画像などを扱う場合には単にアドレス空間方向への広がり=すなわち水平方向への広がりしか持たない。だが画像に対する操作は、特定の2次元空間=面的な広がりを持っている。ここにソフトウェアで仮想記憶を実施するに当たって、面的な広がりをメモリ参照の局在性としてみなすと、単なる仮想記憶よりも性能の向上が期待できる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "まず、以下の議論の前提とする、簡略化した典型的な記憶装置の階層構造のモデルを述べる。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "主記憶装置とキャッシュメモリのどちらを使用するかは、一般にハードウェアに任せられているため、プログラマからはどちらも同じ物理メモリとしてしか見えない(しかし性能への影響は大きいので、高性能計算など、キャッシュヒット率を考慮してコードを書くこともある)。ハードウェアの動作としては、まずキャッシュメモリをアクセスし、さらに必要ならキャッシュメモリと主記憶とのやり取りを行う。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "多くのアプリケーションは、情報(実行ファイルの命令列やデータ)がなるべく物理メモリ上に格納された状態でアクセスできることを要求する。これは特に見かけ上並列に複数のプロセス/アプリケーションを同時実行するオペレーティングシステムでは重要となる。全実行中プログラムが必要とする物理メモリ量が実装されている物理メモリ量より大きい場合、当然の結果として情報の一部をディスクに退避し、必要に応じてその内容を物理メモリに戻して使用することになる。しかし、これを実現する手法は様々である。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ひとつの方法として、アプリケーション自身が物理メモリ上に置くべき情報の範囲を決定し、補助記憶装置との情報のやりとりも制御することが考えられる。プログラマはプログラム(およびデータ)のどの部分が現時点で必要か不必要かを判断し、それらの領域の物理メモリへのロード(あるいはアンロード)を必要に応じて行わなければならないだろう。この手法の欠点は、各アプリケーションのプログラマがそのような設計/実装/デバッグに時間を費やす必要がある点であり、アプリケーションそのものに集中できなくなってプログラミング効率が低下する。また、あるプログラマがある時点で物理メモリ上に置くべきデータなどを決定しても、それが例えば、どうしても全物理メモリが必要となった場合など、他のプログラマの決定と衝突してしまう危険がある。仮想記憶が普及する以前のオーバーレイ方式がほぼこれに相当する。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "別の方法として、データの参照をポインタではなく何らかのハンドルで行う方式である。OSはそのようなハンドルと対応するデータを物理メモリにロードしたり、逆に補助記憶装置に移したりする。この方式の欠点は、アプリケーションのコードが非常に複雑になる点、アプリケーションがうまく振舞わなければならない点(必要なデータを物理メモリにロックする機能が必要になるだろう)、標準ライブラリが大きなメモリを確保しておいてアプリケーションのメモリ確保要求に応えるという機能を使えなくなる点などが上げられる。この方式の既存の例としてはMicrosoft Windows 3.1が有名である。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "現代の解決策は仮想記憶方式の使用である。特別なハードウェアとOSの組合せにより、主記憶容量が大きくなったように見せ、各プログラムが自由気ままに空間を広げて使用することを可能にする。動作中の他のソフトウェアからは、仮想記憶機構の内部の動きは見えない。一般に仮想的な主記憶容量はほとんどどんな大きさにもできる。ただし、アドレスそのもののサイズによる制限がある。32ビットシステムでは、仮想アドレス空間サイズは全体で 2バイト、つまり4ギガバイトである。64ビットの場合、アドレスは64ビットや48ビットといったさらに大きなものになっている。多くのオペレーティングシステムは仮想アドレス空間全体をアプリケーションに使わせることはなく、一部をカーネル空間にすることでカーネルからユーザ空間に容易にアクセスできるようにしている。ただし、これは絶対必要な機能ではなく、OSによっては仮想空間全体をユーザー空間としている。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "仮想記憶によってアプリケーションプログラマの仕事はずっと単純になる。アプリケーションが必要とするメモリ容量を気にする必要はなく、必要なサイズの主記憶が使えるように見え、仮想アドレス空間全体の好きな場所にデータを配置することができる。プログラマは主記憶と補助記憶の間でデータをやりとりするのを気にしなくてもよい。もちろん、プログラマが大量のデータを扱う際の性能を考慮しなければならない場合、アクセスするデータがなるべく近いアドレスに配置されるよう注意して、ある時点で必要なメモリ量を減らし不要なスワッピングを回避しなければならない。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "仮想記憶はコンピュータ・アーキテクチャの重要な部分であり、その実装にはハードウェア的サポートがほぼ必須である。メモリ管理ユニット (MMU) と呼ばれる部分であり、性能の都合もありCPUに組込まれることも多い。1960年代までのメインフレームの大部分は、基本的には仮想記憶をサポートしていなかった。1960年代のメインフレームで例外といえるものを以下に挙げる。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1980年代のパーソナルコンピュータで仮想記憶をサポートした例として Apple Lisa がある。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "仮想記憶技術が開発される以前、1940年代から1950年代のプログラマは2レベルの記憶装置(主記憶あるいはRAMと、磁気ディスク装置あるいは磁気ドラムメモリといった二次記憶)を直接管理する必要があり、大規模プログラムではオーバーレイなどの技法が使われていた。従って仮想記憶は、主記憶を拡張するためだけでなく、そのような拡張をプログラマが可能な限り容易に扱えるように導入された。マルチプログラミングやマルチタスクを実装した初期のシステムは、メモリを複数のプログラムに分割するのに仮想記憶を使っていない。例えば初期のPDP-10はレジスタを使ってマルチタスクを実現していた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ページング方式はマンチェスター大学のAtlas上で開発された。1万6千ワードの磁気コアメモリの一次記憶と9万6千ワードの磁気ドラムメモリによる二次記憶を制御するものである。最初のAtlasは1962年に稼働開始したが、ページングのプロトタイプは1959年に開発されている。なお、ドイツの初期の情報工学者 Fritz-Rudolf Güntsch (後に Telefunken TR 440 というメインフレームを開発)は 1957年の博士論文 Logischer Entwurf eines digitalen Rechengerätes mit mehreren asynchron laufenden Trommeln und automatischem Schnellspeicherbetrieb(複数非同期ドラム装置と自動高速メモリモードを持つデジタル計算機の論理概念)で仮想記憶のコンセプトを発明していたと言われている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1961年、バロースはセグメント方式で仮想記憶をサポートした世界初の商用コンピュータ B5000 をリリースした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1965年にMITが開発したMultics以降、仮想記憶は本格的に採用され始めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "コンピュータ史上の多くの技術と同様、仮想記憶にも様々な曲折があった。安定した技術と見なされるまで、仮想記憶の様々な問題点を解決しようとするモデルや理論が開発され実験がなされた。仮想アドレスを物理アドレスに変換するハードウェア機構の開発も必然的だったが、初期の実装ではそれによってメモリアクセスが若干遅くなった。システム全体を対象とするアルゴリズム(仮想記憶)は従来のアプリケーション単位のアルゴリズム(オーバーレイ)よりも非効率ではないかという懸念もあった。1969年、商用コンピュータでの仮想記憶に関する論争は事実上終結した。David Sayre 率いるIBMの研究チームが仮想記憶システムが手動制御システムよりも優位にあることを示したのである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "1970年、IBMはSystem/370シリーズのOSであるDOS/VS、OS/VS1、OS/VS2(後のMVS)で仮想記憶をサポートした。OS/VS1はシングルタスクの仮想記憶で、マルチタスクには従来通りユーザーによるマルチプログラミングが必要であったが、OS/VS2はマルチタスクの仮想記憶(複数の仮想アドレススペース)をオペレーティングシステムの機能としてサポートした。以後の各社メインフレームでは仮想記憶が一般的となる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ミニコンピュータで初めて仮想記憶を導入したのは、ノルウェーのNORD-1である(1969年)。1976年、DECのミニコンピュータ VAXシリーズのOSであるVMSで仮想記憶をサポートした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "しかし、1980年代の初期のパーソナルコンピュータでは仮想記憶は採用されていない。これは当時のマイクロプロセッサの性能や機能の問題もあるし、個人用のコンピュータに仮想記憶が必要になると見なされていなかったという面もある。当時の主流はバンク切り換えによるメモリ増設だった。x86アーキテクチャで仮想記憶が導入されたのは、Intel 80286 によるプロテクトモードが最初だが、セグメント単位のスワッピングはセグメントが大きくなると性能が悪くなるという問題があった。Intel 80386 では既存のセグメント方式の下層にページング方式を実装し、ページフォールトによるページングが可能となった。しかしセグメントディスクリプタのロードは時間のかかる処理だったため、OS設計者はセグメントを使わずページングだけを使うようになっていった。仮想記憶が導入されたのは、OS/2(1987年)、Microsoft Windows 3.0 (1990年)、MacintoshのSystem 7(1991年)、Linuxカーネル 0.11+VM(1991年)などが最初である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "仮想記憶は、必須ではないものの通常ページング方式を使って実装される。ページングでは仮想アドレスを表すビット列の下位ビット列部分はそのまま物理アドレスの下位ビット列部分として使われる。上位ビット列部分はアドレス変換テーブル(群)のキーとして使用され、それによって実際の物理アドレスの上位ビット部分を得る。", "title": "ページング方式" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "このため、サイズが2の冪乗の仮想アドレス空間の連続したアドレス範囲が、対応する連続な物理アドレス範囲に変換される。そのような範囲で参照されるメモリをページと呼ぶ。ページサイズは512バイトから8192バイトが一般的であり、特に4096バイトが最もよく使われるが、特殊用途として4Mバイトやそれ以上のサイズのページも使われることがある。", "title": "ページング方式" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "オペレーティングシステムは、ページテーブルと呼ばれるデータ構造にアドレス変換テーブル、つまり仮想ページ番号と物理ページ番号のマッピング情報を格納する。", "title": "ページング方式" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "あるページが使用不可とされている場合(物理メモリに対応しておらず、スワップ領域に内容がある場合など)、CPUがそのページ内のメモリ位置を参照しようとしたとき、ハードウェアの機構がオペレーティングシステムに、一般にページフォールトと呼ばれる例外を通知する。これにより実行コンテキストはオペレーティングシステム内の例外処理ルーチンにジャンプする。そのページがスワップ領域にあるなら、そのルーチンは「ページスワップ」と呼ばれる処理を実行して必要なページの内容を物理メモリに読み込む。", "title": "ページング方式" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "ページスワップ操作には一連の段階がある。まず、メモリ上のページを選択する。例えば、最近アクセスされておらず、なるべくならスワップ領域を含む何らかのディスクから読み込まれたままで変更されていないページを選択する(詳細はページ置換アルゴリズムを参照)。そのページが変更されている場合、その内容をスワップ領域に書き出す。次に必要とされている、例外発生時に参照しようとしていた仮想アドレスに対応するページの情報を読み込む。ページの読み込みが完了したら、その物理メモリの内容更新に応じて仮想アドレスから物理アドレスへの変換テーブルを更新する。ページスワップが完了すると、例外処理を完了し、元のプログラムの実行が例外発生箇所から再開されて何事もなかったかのように処理が続行される。", "title": "ページング方式" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "仮想ページに何も割り当てられていないために使用不可となっている可能性もある。そのような場合、未使用、あるいはスワップアウトして未使用にした物理ページを割り当て、OSによってはその内容をゼロクリアする。ページテーブルはそれに対応して更新され、上述の場合と同様にプログラムが再開される。", "title": "ページング方式" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "バロース B5000などのシステムは、ページング方式ではなくセグメント方式を使い、仮想アドレス空間を可変長のセグメントに分割する。その場合、仮想アドレスはセグメント番号とセグメント内オフセットから成る。Intel 80286の保護モードにもそのようなセグメント方式があったが、ほとんど使われなかった。セグメントとページは、セグメントをページに分割するという形で同時に使用できる。そのようなメモリ構成のシステムとして、MulticsやSystem/38がある。その場合の基本はページングであり、セグメントはメモリ保護に使われる。", "title": "セグメント方式" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "Intel 80386 とその後のIA-32プロセッサでは、セグメントをページ化された32ビットのリニアなアドレス空間に置く。セグメントによる管理と、ページ単位による管理の、2段階のシステムとなっている。しかし、複数のセグメントを活用しているOSは少なく(ただし、研究レベルまで含めればそんなに少なくない)、単純にベースアドレスを全てゼロとして、範囲のみ指定した最小限必要なだけのセグメントと、ページングのみを使っていることが多い。", "title": "セグメント方式" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "これは、mmapやWin32のMapViewOfFileのような機構とは異なる。mmap等ではファイルは任意の位置にマッピングされる可能性があるため、ファイル間のポインタは使えないためである。Multicsでは、ファイル(複セグメントファイルの場合はセグメント)はセグメント機構を通してアドレス空間にマッピングされる。そのためファイルは常にセグメント境界にマッピングされる。ファイルのリンク部分にはポインタが並んでおり、そのポインタをレジスタにロードしたり間接参照したりするとトラップが発生する。未解決のポインタにはセグメント名を示す値とセグメント内オフセットがある。トラップハンドラは対応するセグメントをアドレス空間にマッピングし、ポインタのセグメント識別子部分をセグメント番号に書き換えるので、2度目以降はそのポインタにアクセスしてもトラップが発生しなくなる。この方式ではリンケージエディタが不要であり、同じファイルを複数のプロセスが異なる位置にマッピングしても問題なく機能する。", "title": "単一レベル記憶" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "仮想アドレスから物理アドレスへの変換はメモリ管理ユニット (MMU) というハードウェア装置によって実装されている。これはCPUに内蔵されたモジュールの場合もあるし、外付けでCPUに密結合された別のチップの場合もある。これを動的アドレス変換機構 (DAT : Dynamic Address Translation) と呼ぶ。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "OSは、プログラムの仮想アドレス空間のどの部分を物理メモリに保持するかを決定する。OSは、MMUが使用する仮想アドレスから物理アドレスへの変換テーブルも管理する。さらに仮想メモリ例外が発生したら、OSはそれを解決するために物理メモリ領域を確保し、必要なら元の内容をディスクに追い出した上で新たに必要とされている情報をディスクから持ってきて、変換テーブルを更新し、例外発生したソフトウェアの実行を再開する。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "多くのコンピュータでは、この変換テーブルは物理メモリに格納されている。従って仮想メモリを参照すると、本来の参照以外に変換テーブルの参照が(変換テーブルの構成によっては複数回)発生する。このアドレス変換による性能低下を低減するため、ほとんどのMMUはよく使われる仮想ページに高速にアクセスできるよう、最近使われた仮想アドレスとそれに対応する物理アドレスを保持しておくテーブルを持っている。これをトランスレーション・ルックアサイド・バッファ(TLB)と呼ぶ。参照アドレスがTLB内に格納された変換テーブルでカバーされていれば、余分な変換テーブルの参照をせずに、高速に変換を行うことができる。ただし、TLBは高価な装置のためテーブルの大きさが限られており、目標の仮想アドレスが見当たらない場合は物理メモリ上の変換テーブルを参照してアドレス変換が行われる。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "プロセッサによっては、この一連の処理がハードウェア内で行われる。MMUは物理メモリ上の変換テーブルから必要な変換内容を持ってくるので、ソフトウェア側は余分な処理を必要としない。別の種類のプロセッサでは、オペレーティングシステムの介在が必須である。TLBに必要な変換内容がない場合、例外が発生し、オペレーティングシステムがTLB内の1つのエントリを必要な変換テーブルの内容と置き換え、当初のメモリ参照を行った命令から実行が再開され、再度TLBを参照して変換を行う。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "仮想記憶をサポートするハードウェアの多くはメモリ保護もサポートしている。MMUはメモリ参照の種類(リード、ライト、実行)やメモリ参照時のCPUモードによって扱いを変える機能を持っていることもある。これによってオペレーティングシステムは自身のコードとデータ(例えばアドレス変換テーブルなど)を問題のあるアプリケーションプログラムの不正なメモリアクセスから保護したり、アプリケーションを相互に保護したり、アプリケーション自身の不正動作(例えば自身のコード部分に書き込もうとするなどの動作)から保護したりする。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "各プロセスの仮想アドレス空間には、そのプロセスが使用するコードやデータが配置される。ページング方式であれ、セグメント方式であれ、仮想アドレス空間内で使用している範囲の管理と制御が仮想記憶機構として必須である。例えば、実行ファイルの内容を仮想メモリ上に配置する領域、スタックを配置する領域などがある。このような領域をセグメントと呼ぶ。セグメント方式のセグメントと似ているが、純粋に仮想的なオブジェクトである。実行ファイルを配置する領域は必ずしも連続ではない。プログラムのコード部分とデータ部分を分離して配置するのが一般的で、前者をテキストセグメントもしくはコードセグメント、後者をデータセグメントと呼ぶ。Unix系システムや Windows では、一般的にデータセグメントの一部としてBSSセクションとヒープ領域を含む。BSSセクションにはプロセス起動時に0に初期化される静的変数を配置する。初期値が0の静的変数を別扱いしているのは、読み書きが発生するまで0で初期化するのを後回しに出来るようにするための高速化のテクニックである。Unix系システムではヒープ領域はデータセグメントの末尾に配置され、brk() 関数などでデータセグメントのサイズを変えることでヒープ領域のサイズを変えられるようにする。各セグメントはマッピングしているオブジェクトが何であるか、その領域へのアクセス権などを属性情報として保持する。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "テキストセグメントはファイルシステム上の実行ファイルの一部と完全に対応しており、書き換えられることもない。従って、マッピングしているオブジェクトは実行ファイルであり、アクセス属性は「リードオンリー」となる。データセグメントやスタックは一時的な存在であるため何かをマッピングしているわけではない。そこでこれらは匿名ファイル(Anonymous File)をマッピングしているものとして管理される。匿名ファイルをマッピングしているセグメントに対応するページを匿名ページと呼び、これがスワッピングの際にスワップ領域に書き出される。データセグメントは当初は実行ファイルの一部と対応しているが、書き込み可能な属性が設定されている。ページング方式の場合、データセグメント内の内容が更新されたページはページ単位で匿名ページへと属性変更される。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "exec() システムコールなどで新たにプロセスの仮想アドレス空間を設定した当初は、基本的にこのような仮想アドレス空間を管理するデータ構造がカーネル内に作成されるだけで、実際の実行ファイルの内容はロードされない。Unix系システムでは、exec() システムコールからユーザ空間に制御が戻された瞬間にページフォールトが発生し、そこで初めてページ単位に実行ファイルの内容がロードされる。ただし、性能向上目的で事前にマッピングを作成する場合もある。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "各プロセスの仮想アドレス空間のアドレス範囲は同じでありオーバーラップしているのが一般的である。これを多重仮想記憶と呼ぶ。MMUは現に実行中のプロセスの仮想空間のみを認識する。コンテキストスイッチでプロセスを切り替える際、MMUに対して仮想アドレス空間の切り替えも指示する必要があるが、その方式はアーキテクチャによって様々である。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "同じプログラムを実行するプロセスが複数存在する場合、多重仮想記憶ではそれぞれが同じ仮想アドレスに実行ファイルをマッピングしていながら、それぞれ独立した仮想空間を使用する。このため、実行ファイルを配置する仮想アドレスはどのプロセスでも同じにすることができ、実行ファイル自体に配置すべきアドレスを格納しておくようになっているのが一般的である。また、それぞれのプロセスが実行ファイルのテキストセグメントをマッピングするのに使う物理メモリは共有することができる。他にも mmap() でファイルをマッピングする場合や共有メモリ機能でプロセス間の通信を行う場合、マッピングされる物理メモリが共有される。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "なお、アーキテクチャによっては、多重仮想記憶がオーバーラップしていると捉えず、全仮想空間がフラットに並んだ巨大な仮想空間を想定することもある。この場合、仮想空間識別番号が巨大な仮想空間のアドレスの一部と考えられる。もっとも、これは単にモデル化の手法が違うだけで実装に大きな違いがあるわけではない。実際、各ユーザープロセスが自分の仮想空間識別番号以外の仮想空間にアクセスすることはできない。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "1962年に世界で初めてページングをサポートしたコンピュータAtlasは、フェランティ、マンチェスター大学、Plesseyが共同開発した。このマシンには連想メモリがあり、1エントリに512ワード長のページが対応している。スーパーバイザは非同値割り込みを処理し、磁気コアメモリと磁気ドラムメモリ間のページ転送を管理する。特筆すべきは、世界初の仮想記憶システムであるにもかかわらず、難しさなどから後のシステムでも実現例のあまり多くない、プログラムに単一レベル記憶を提供していることである。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "Windows では、1990年のWindows 3.0から仮想記憶をサポートしている。マイクロソフトはWindows 1.0とWindows 2.0での失敗を受け、OSへのリソース要求を削減するために仮想記憶を導入した。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "全てのプロセスは固定の変更不可能な仮想記憶空間を持っている(32ビットの場合、一般に2GB)。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "Windows 3.xには隠しファイルとして386SPART.PARまたはWIN386.SWPがあり、それらがスワップファイルとして使われる。通常、ルートディレクトリにあるが、WINDOWSなど他のディレクトリに置くこともある。そのサイズはコントロールパネルで設定される「仮想メモリ」サイズで決定される。ユーザーがこのファイルを削除したり移動させたりすると、次回Windowsを起動したときにブルースクリーンが表示され、エラーメッセージが表示される(英語では \"The permanent swap file is corrupt\")。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "Windows 95、Windows 98 / 98 SE、Windows Me でも同様の仕組みになっている。スワップファイルの大きさはデフォルトでは物理メモリ量の1.5倍であり、最大で物理メモリの3倍まで拡張できる。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "NT系のWindows(Windows NT、Windows 2000、Windows XP、Windows Vista、Windows 7、Windows 8 / 8.1、Windows 10およびWindows Serverシリーズなど)は、pagefile.sysというファイルを使用する。このファイルのデフォルトの位置はWindowsをインストールしたパーティションのルートディレクトリである。Windowsは任意のドライブの空き領域をページファイルとして使用できる。XPまでのWindowsではシステムクラッシュ時にカーネルまたは全メモリをダンプする設定にしている場合、ブートパーティション(Windowsがインストールされたドライブ)にこのファイルを置く必要があった(ダンプ先として使用するため)。リブートすると、システムがダンプを通常のファイルに移す。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "ページングファイルのサイズには初期サイズと最大サイズがあり、ページングファイルが不足するとページングファイルは最大サイズまで拡張される。拡張されたページングファイルは再起動するまで小さくならない。サイズ設定値が小さい場合、動作が不安定になるアプリケーションもある。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "ページングファイルがあると、積極的なクリーニングにより物理メモリで足りる場合であってもページファイルへの書き出しが行われる。積極的なクリーニングは仮想記憶を実装するページ置換アルゴリズムの一つで、CPUの余剰時間を使ってページ内容をディスクに書き出しクリーンな状態にしておき、ページが必要になった時に短時間でページを再利用する手法である。勿論クリーンな状態のページ内容そのものが必要になった時には、ページファイル上のページ内容を無視するだけで良いので、オーバーヘッドは発生しない。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "Windows XP以降ではページファイルを使用しないオプションが選択できる。もちろんこれは物理メモリの容量が十分に足りている場合(かつ、ページファイル必須アプリケーション運用を必要としない場合)にのみ選択すべきオプションである。ページファイルを使用しない場合、ほとんど使用されない常駐ソフトなどのデータをスワップアウトすることができなくなるので、キャッシュとして使える物理メモリの空き領域が減ってパフォーマンスが低下することがある。いくつかのアプリケーションが動作しなくなったり、システム機能が効率的に動作しなくなったり、といったことも発生しうる。しかし、ファイルを読み書きするI/Oアクセスが起こらないため、パフォーマンスを落とさないというメリットがある。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "32ビット版Windowsでは、バージョンおよびエディションにも左右されるが、ページングファイルのサイズは最大36ビットのアドレス空間すなわち64GiBまでサポートされる。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "ページングファイルのサイズには初期サイズと最大サイズがあり、ページングファイルが不足するとページングファイルは最大サイズまで拡張される。徐々に拡張された場合、フラグメンテーションが起き、性能に悪影響を与えることがある。これに対する助言としては、ページファイルのサイズを固定することでOSがそのサイズを変更できないようにするという対策がある。ただし、ページファイルが拡張されるのは全部を使い切ったときで、デフォルト設定では物理メモリの150%の量になっている。したがって、ページファイルに対応した仮想記憶の要求が物理メモリの250%を越えないと、ページファイルは拡張されない。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "ページファイルの拡張によるフラグメンテーションは一時的なものである。拡張された領域が使われなくなれば(遅くとも次回の再起動時には)、追加で確保されたディスク領域は解放され、ページファイルは本来の状態に戻る。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ページファイルの大きさを固定にすると、物理メモリとページファイルを合わせた以上のメモリを要求するアプリケーションがある場合に問題となる。その場合、メモリ確保要求が失敗し、アプリケーションやシステムプロセスが異常終了する可能性がある。ページファイルを拡張可能にすべきだという根拠として、ページファイルが先頭から順にシーケンシャルにアクセスされることはなく、ページファイルが連続領域になっていること性能上の利点はほとんどないという見方もある。いずれにしても、メモリを大量に使うアプリケーションを使用するならページファイルは大きい方がよく、ページファイルを大きくしてもディスク容量がそれに割かれる以外のペナルティはない。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "現代的な仕様のシステムでは余分にディスク領域を使用しても問題はない。例えば、メモリが3GBのシステムで6GBの固定スワップファイルを使用するとしても、HDDが750GBなら問題はないし、メモリが6GB、スワップファイルが16GB、HDDが2TBなら、これも問題はない。どちらの場合もスワップファイルとして使用する領域はHDDの1%に満たない。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ページファイルは任意のドライブに作成する事ができる。これはUNIX同様スワップ専用のパーティション割り当てが行えるのに等しい。またページファイルはストライピングが行われるので複数のハードディスクドライブに小分けにしてページファイルを作成すると、ページング速度が向上する。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "物理メモリ以上のメモリを常に使うような使い方をする場合、ページファイルのデフラグメンテーションをすることで性能が改善する可能性もある。しかし、根本的には物理メモリを追加する方が性能改善に役立つ。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "Mac OSはSystem 7から「仮想メモリ」として実装される。当時はコントロールパネルでメモリサイズ(メインメモリのサイズを加算した値)を指定し機能を入にすることで使用できるようになる。すると起動ディスクに隠しファイルとしてスワップファイルが作成される。スワップファイルは指定したメモリサイズの大きさとなり、これ以上は増えない。この頃の仮想メモリは使用しているかどうかでプログラムの動作が不安定になることがあった。そのため、プログラムのパッケージや説明書には仮想メモリの設定を確認させる記述が見られる。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "UNIXおよびUnix系OSでは、ハードディスクのパーティションを丸ごとスワップに使用することが多く、そのようなパーティションをスワップパーティションと呼ぶ。ドライブを1個丸ごとスワップパーティションとすることもある。そのようなドライブをスワップドライブなどと呼ぶ。スワップパーティションしかサポートしないシステムもあるが、ファイルへのスワッピングもサポートするシステムもある。フラグメンテーション問題を回避して性能を維持するためにもパーティションの使用が推奨されている。また、スワップパーティションを使うと、スワップ領域をディスク内の最も高速アクセス可能な場所に配置できる。最近のハードディスクでは、先頭の方がよいとされている。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "Linuxのユーザプロセスから見れば、大局的にはメモリはCPUキャッシュ (L1, L2, ...)、メインメモリ、ファイルの順に階層化されており、上位(CPUにより近い)メモリは下位メモリのキャッシュに過ぎない。実行可能なファイルや共有ライブラリのテキストセグメントやmmapで明示的にマップされる名前付きファイルに対して、スワップエリアはスタックやヒープを保持する名無しファイルである(データセグメントやBSSセグメントは読み出し専用の実行可能ファイルや共有ライブラリファイルからプロセス固有の読み書き可能な無名ファイルに展開・コピーされると考えられる)。もちろん、実際にはカーネルは性能維持のためにスワップエリアの使用とアクセスを最小限にするような最適化の努力を払う(メインメモリに余裕があればスワップエリアには書き出さず「キャッシュ(メインメモリ)」だけにしか情報が保持されない)。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "2.6のLinuxカーネルではスワップファイルはスワップパーティションと同程度の性能である。カーネルはスワップファイルの存在するディスク上の位置を把握しており、バッファキャッシュやファイルシステムのオーバヘッドを回避して直接ディスクにアクセスする。レッドハットはスワップパーティションの使用を推奨している。スワップパーティションの場合、ディスク上の位置を決めることができるので、スループットが最も高い場所に置くことができる。一方スワップファイルは管理の柔軟性という点でスワップパーティションに優っている。例えば、スワップファイルは任意のドライブ上に置くことができ、どんな大きさにもでき、必要に応じた追加や変更が容易であるだけでなく、ネットワークを介して外部ホスト上のリモートファイルを使うことも可能である。一方、スワップパーティションは一度位置と大きさを決めたら、ドライブ全体のパーティショニングをやり直さないと変更できない。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "Linuxは事実上無制限な個数のスワップデバイスをサポートし、それぞれに優先度を設定できる。オペレーティングシステムが物理メモリをスワップアウトする場合、最高優先度のデバイスの空き領域から使っていく。同じ優先度に複数のデバイスがある場合、それらは RAID 0と同様の使い方をされる。これによって並列的に複数のデバイスにアクセスするので性能が向上する。従って優先度の設定には注意が必要である。例えば、同じドライブ上の複数のスワップ領域を同じ優先度にするのは得策ではない。また、高速なデバイスを高優先度に設定するのが性能的に有利である。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "Linuxシステムでスワップを追加するには、その前にスワップ領域を作成しなければならない。パーティションならば一般のパーティション作成ツールが使用できる。通常ファイルの場合、ddコマンドと /dev/zeroを使って内容がゼロのファイルを作ることができる。作成したスワップ領域はmkswap filename/deviceでフォーマットし、swaponおよびswapoffコマンドでON/OFFを制御する。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "Windowsとは違い、物理メモリに入りきらない場合のみ、スワップが利用される。これは積極的なクリーニングが実装されていないためで、ページングが開始された時システムは著しい速度低下を起こす(スラッシング)。しかし、これは物理メモリが飽和状態を続けている場合さほど深刻では無い。メモリが飽和すればあまり利用されないページは自ずとハードディスクに追い出され、物理メモリには有用なページが残される様になる。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "macOSではUnix系をベースとしたことで仮想メモリは常に使用するようになっており、複数のスワップファイルを使用できる。デフォルト(かつアップルの推奨)ではルートパーティションに配置されるが、他のパーティションやデバイスに置くこともできる。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "コンピュータの起動時から64MBのスワップファイルが1つ作成されている。場所は/private/var/vm/以下で、swapfilenという名前がつけられている(nは0からの数字)。容量が不足するとスワップファイルは自動的に追加される。swapfile1までは64MB、以降のスワップファイルのサイズは128MB、256MB...と8の倍数で増えるのが基本だが、メモリの最大容量・ハードディスクの空き容量の1/4・1GBのいずれか小さい方を選択し容量が決定する。ひとつのスワップファイルが大きくなるのではなく複数のファイルが作成される。すなわちスワップファイルが4つなら64+64+128+256で合計512MBとなる。スワップファイルの場所はコマンドライン操作などで他のデバイスに変更できる。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "スワップファイルを削除するアプリケーションも存在し、これを用いなくとも削除できる(ただし、削除後は再起動するのが望ましい)。また、一旦ログアウトしてからログインしなおすと再起動することなく削除できる。", "title": "実装例" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "macOSでは多重仮想記憶がサポートされ、仮想空間はプロセス毎に資源が分離されている。この違いが、Classic Mac OSとmacOSでの仮想記憶に対する信頼性の違いとなって現れている。", "title": "実装例" } ]
仮想記憶とは、コンピュータ分野におけるメモリ管理の仮想化技法の一種であり、オペレーティングシステム (OS) などが物理的なメモリを、アプリケーション・ソフトウェア(プロセスなど)に対して、専用の連続した主記憶装置に見えるように提供する。 この技術により、物理的な主記憶装置に加えてハードディスク装置等の補助記憶装置を併用すれば、物理的な主記憶装置よりも大きな仮想メモリを提供する事ができる。またアプリケーション・プログラム側は、物理メモリ上のアドレスを意識しなくて良いため、マルチタスクの実現が容易である。このため現代のオペレーティングシステムの多くが仮想記憶をサポートしている。 仮想的に与えられたアドレスを仮想アドレス または論理アドレス、実記憶上で有効なアドレスを物理アドレス または実アドレス という。仮想アドレスの範囲を仮想アドレス空間、物理アドレスの範囲を物理アドレス空間という。
[[File:Virtual memory ja.svg|thumb|right|350px|仮想記憶の概念図]] '''仮想記憶'''(かそうきおく、{{lang-en|Virtual Memory}}、'''バーチャルメモリ''')とは、[[コンピュータ]]分野における[[主記憶装置|メモリ]]管理の[[仮想化]]技法の一種であり、[[オペレーティングシステム]] (OS) などが物理的なメモリを、[[アプリケーション・ソフトウェア]]([[プロセス]]など)に対して、専用の連続した[[主記憶装置]]に見えるように提供する。 この技術により、物理的な主記憶装置に加えて[[ハードディスクドライブ|ハードディスク装置]]等の[[補助記憶装置]]を併用すれば、物理的な[[主記憶装置]]よりも大きな仮想メモリを提供する事ができる。またアプリケーション・プログラム側は、物理メモリ上のアドレスを意識しなくて良いため、[[マルチタスク]]の実現が容易である。このため現代のオペレーティングシステムの多くが仮想記憶をサポートしている。 仮想的に与えられたアドレスを'''仮想アドレス''' (virtual address) または'''論理アドレス''' (logical address)、実記憶上で有効なアドレスを'''物理アドレス''' (physical address) または'''実アドレス''' (real address) という。仮想アドレスの範囲を'''仮想[[アドレス空間]]'''、物理アドレスの範囲を'''物理アドレス空間'''という。 == 概要 == 仮想記憶の実装(仮想記憶方式)には、大きく分けて[[セグメント方式]]と[[ページング方式]]の二種類がある。ちなみに[[MC68000|68000]]システムでは、68451(セグメント方式)と、68851(ページング方式)の[[メモリ管理ユニット]] (Memory Management Unit、MMU) が準備されていた。 一般に[[ページング方式]]の方がよく使われている。これにより、'''メモリスワッピング'''(あるいは'''匿名メモリページング''')と仮想記憶が結びつけられる。メモリスワッピングとは、[[主記憶装置|一次記憶装置]]内のメモリページを[[二次記憶装置]](の'''スワップファイル'''あるいは'''スワップ[[パーティション]]'''と呼ばれる場所)に書き出して、より高速な一次記憶装置を他のプロセスが使えるように解放することである<ref>[https://e-words.jp/w/%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%97.html スワップとは - 意味をわかりやすく - IT用語辞典 e-Words]</ref>。 [[Microsoft Windows|Windows]]系OSのうち、[[#Windows NT系]]ではページング方式の仮想記憶を採用しており、システムUI上では「仮想メモリ」という名前の設定項目が用意されているが、このシステム設定項目はページングファイル(ストレージへのメモリスワップ)に関するものである{{efn|「仮想メモリ」のシステム設定でページングファイルをOFFにすると、ストレージへのメモリスワップが実行されなくなる。結果としてOSおよびアプリケーションの動作が不安定になることもある。}}。アプリケーションおよび多くのシステムプロセスは常に仮想アドレスを使用してメモリを参照する。OSカーネルのコア部のみがアドレスの仮想化をバイパスすることができ、実アドレスを直接使用できる。たとえ稼働中の全プロセスによって要求されるメモリが、システムにインストールされているRAMの容量を超えていなくても、仮想記憶は常に使われている<ref>[https://learn.microsoft.com/en-us/troubleshoot/windows-server/performance/ram-virtual-memory-pagefile-management#summary Virtual memory in 32-bit version of Windows - Windows Server | Microsoft Learn]</ref>。 [[Unix系]]システムでもスワップファイルやスワップパーティションなしで仮想記憶を使用することが可能である。従って主記憶装置以上の大きな記憶領域を仮想的に使用できるようにすることは仮想記憶の主な目的ではあるが、本質ではないとも言える。本質は、不連続な物理メモリ領域を連続な仮想メモリ領域にマッピングすることであり、複数のプロセスがそれぞれ固有の連続な仮想メモリ領域を割り当てられる点である。これによって他のプロセスのことを気にせずに動作できる環境が提供されている。そういった意味で、[[仮想機械]]がゲストOSに対して提供していることと、仮想記憶がユーザープロセスに提供していることは等価である。仮想記憶は物理メモリの[[フラグメンテーション]]を隠蔽することでアプリケーションのプログラミングを容易にする。すなわち[[カーネル]]に[[記憶装置#階層構造|記憶階層]]の管理を委任することで、プログラムが明示的な[[オーバーレイ (コンピュータ用語)|オーバーレイ]]の制御を行う必要性を排除している。 技術的には、仮想記憶を使うことにより、ソフトウェアが動作するメモリ[[アドレス空間]]のサイズとアドレス範囲は当該コンピュータの物理メモリ領域には必ずしも縛られなくなる。仮想記憶を適切に実装するには、[[CPU]](あるいはそれに付随するデバイス)がOSに対して仮想メモリを物理メモリにマップする(対応付ける)手段を提供し、主記憶(物理メモリ)に対応していない仮想アドレスにアクセスしたことを検出する手段を提供して必要なデータをスワップインできるようにしなければならない。CPUの支援なしで仮想記憶を提供することも可能だが、その場合は上述の機能を提供するCPUをエミュレートするだけであって、本質的には同じことである。[[アドビ]]の一部の[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]のように、アプリケーションプログラムが自前で仮想記憶機構を持つ例もある<ref>[https://helpx.adobe.com/jp/photoshop/using/scratch-disks-preferences.html Photoshop で仮想記憶ディスクを設定する]</ref><ref>[https://helpx.adobe.com/jp/illustrator/kb/optimize-illustrator-performance.html Windows および macOS 上での Illustrator のパフォーマンスの改善]</ref>。 ソフトウェアによって仮想記憶を実現することは、本来ハードウェアで実現できる機能をあえてソフトウェアで行おうとしているので一見非効率に思える場合がある。しかし、この見方は場合によっては誤りである。なぜならページ方式やセグメント方式では仮想アドレス空間に対する広がりを持たせているので、例えば画像などを扱う場合には単にアドレス空間方向への広がり=すなわち水平方向への広がりしか持たない。だが画像に対する操作は、特定の2次元空間=面的な広がりを持っている。ここにソフトウェアで仮想記憶を実施するに当たって、面的な広がりをメモリ参照の局在性としてみなすと、単なる仮想記憶よりも性能の向上が期待できる。 == 背景 == まず、以下の議論の前提とする、簡略化した典型的な[[記憶装置#階層構造|記憶装置の階層構造]]のモデルを述べる。 * CPU内の[[レジスタ (コンピュータ)|レジスタ]]。CPUのクロック速度で動作するため、最も高速である。レジスタの使用は一般に[[呼出規約]]の制限下にあり、コンパイラによる管理に任せられる。大きな容量はないため(32ビットあるいは64ビット、現代的なマイクロプロセッサでは16本〜普通は100本前後)次の計算が使えるように明け渡す必要があり、データを長期間保持させることは通常はできない{{efn|プログラムカウンタやスタックポインタのように、特別な値を特に持つレジスタを特に確保する、といった方法がないでもないが(特別なコンパイラなどで、使っている、あるいは可能なものがある)、使えるレジスタの減少がもたらす他の計算の性能低下が著しいのが普通。}}。内部的には[[レジスタ・リネーミング]]を行っていることもある。 * CPU内かCPUに隣接した[[キャッシュメモリ]]。通常はある種の[[Static Random Access Memory|SRAM]]を使用。レジスタに次いで高速であるが、容量は128kバイト〜数メガバイト程度に留まる。{{いつ範囲|date=2023-03|近年}}では1次キャッシュから3次キャッシュまでもがオンダイという場合もあり、ここで示した容量などに特に拘る意味は無い。 * [[主記憶装置]](通常は[[Dynamic Random Access Memory|DRAM]]を使用)は、プログラミング上CPUが直接リード/ライトできる。<!--適度に高速である。-->キャッシュメモリに比べると速度は落ちるものの、より大きな容量(数百メガバイト〜数ギガバイト)を装着できる。 * [[補助記憶装置]]としての[[磁気ディスク装置]]は、機械的な動作を伴うため、主記憶装置と比べても桁違いに低速だが、数十ギガバイト~数十テラバイト以上と容量が大きい。 主記憶装置とキャッシュメモリのどちらを使用するかは、一般にハードウェアに任せられているため、[[プログラマ]]からはどちらも同じ物理メモリとしてしか見えない(しかし性能への影響は大きいので、[[高性能計算]]など、キャッシュヒット率を考慮してコードを書くこともある)。ハードウェアの動作としては、まずキャッシュメモリをアクセスし、さらに必要ならキャッシュメモリと主記憶とのやり取りを行う。 多くのアプリケーションは、情報([[実行ファイル]]の命令列やデータ)がなるべく物理メモリ上に格納された状態でアクセスできることを要求する。これは特に見かけ上並列に複数の[[プロセス]]/アプリケーションを同時実行するオペレーティングシステムでは重要となる。全実行中プログラムが必要とする物理メモリ量が実装されている物理メモリ量より大きい場合、当然の結果として情報の一部をディスクに退避し、必要に応じてその内容を物理メモリに戻して使用することになる。しかし、これを実現する手法は様々である。 ひとつの方法として、アプリケーション自身が物理メモリ上に置くべき情報の範囲を決定し、補助記憶装置との情報のやりとりも制御することが考えられる。プログラマはプログラム(およびデータ)のどの部分が現時点で必要か不必要かを判断し、それらの領域の物理メモリへのロード(あるいはアンロード)を必要に応じて行わなければならないだろう。この手法の欠点は、各アプリケーションのプログラマがそのような設計/実装/デバッグに時間を費やす必要がある点であり、アプリケーションそのものに集中できなくなってプログラミング効率が低下する。また、あるプログラマがある時点で物理メモリ上に置くべきデータなどを決定しても、それが例えば、どうしても全物理メモリが必要となった場合など、他のプログラマの決定と衝突してしまう危険がある。'''仮想記憶'''が普及する以前の[[オーバーレイ (コンピュータ用語)|オーバーレイ]]方式がほぼこれに相当する。 別の方法として、データの[[参照 (情報工学)|参照]]を[[ポインタ (プログラミング)|ポインタ]]ではなく何らかのハンドルで行う方式である。OSはそのようなハンドルと対応するデータを物理メモリにロードしたり、逆に補助記憶装置に移したりする。この方式の欠点は、アプリケーションのコードが非常に複雑になる点、アプリケーションがうまく振舞わなければならない点(必要なデータを物理メモリにロックする機能が必要になるだろう)、標準ライブラリが大きなメモリを確保しておいてアプリケーションのメモリ確保要求に応えるという機能を使えなくなる点などが上げられる。この方式の既存の例としては[[Microsoft Windows 3.x|Microsoft Windows 3.1]]が有名である。 現代の解決策は仮想記憶方式の使用である。特別な[[ハードウェア]]とOSの組合せにより、主記憶容量が大きくなったように見せ、各プログラムが自由気ままに空間を広げて使用することを可能にする。動作中の他のソフトウェアからは、仮想記憶機構の内部の動きは見えない。一般に仮想的な主記憶容量はほとんどどんな大きさにもできる。ただし、アドレスそのもののサイズによる制限がある。32ビットシステムでは、仮想アドレス空間サイズは全体で 2<sup>32</sup>バイト、つまり4ギガバイトである。64ビットの場合、アドレスは64ビットや48ビットといったさらに大きなものになっている。多くのオペレーティングシステムは仮想アドレス空間全体をアプリケーションに使わせることはなく、一部を[[アドレス空間#カーネル空間|カーネル空間]]にすることでカーネルから[[アドレス空間#ユーザー空間|ユーザ空間]]に容易にアクセスできるようにしている。ただし、これは絶対必要な機能ではなく、OSによっては仮想空間全体をユーザー空間としている。 仮想記憶によってアプリケーションプログラマの仕事はずっと単純になる。アプリケーションが必要とするメモリ容量を気にする必要はなく、必要なサイズの主記憶が使えるように見え、仮想アドレス空間全体の好きな場所にデータを配置することができる。プログラマは主記憶と補助記憶の間でデータをやりとりするのを気にしなくてもよい。もちろん、プログラマが大量のデータを扱う際の性能を考慮しなければならない場合、アクセスするデータがなるべく近いアドレスに配置されるよう注意して、ある時点で必要なメモリ量を減らし不要なスワッピングを回避しなければならない。 仮想記憶は[[コンピュータ・アーキテクチャ]]の重要な部分であり、その実装にはハードウェア的サポートがほぼ{{efn|{{独自研究範囲|date=2023-03|ハードウェアサポートが無い場合でも無理してなんとか実現できなくもないかもしれないが、ほぼ間違いなく性能が全く出ないものになるはずである}}。}}必須である。[[メモリ管理ユニット]] (MMU) と呼ばれる部分であり、性能の都合もあり[[CPU]]に組込まれることも多い。<!--必須ではないが、[[エミュレータ]]や[[仮想機械]]もハードウェアサポートがあれば仮想記憶実装の性能を向上させることができる<ref>{{Cite web |title=AMD-V™ Nested Paging |url= http://developer.amd.com/assets/NPT-WP-1%201-final-TM.pdf |publisher=AMD |accessdate=2012-05-11}}</ref>。--><!-- ← AMD-V の資料を出典としているが、[[x86仮想化]]には固有の事情が多いため、一般的な議論にその関係の記述を持ち出すことは問題がある -->1960年代までの[[メインフレーム]]の大部分<!--と1980年代中ごろのパーソナルコンピュータ([[DOS (OS)|DOS]])<ref>{{Cite web |url= http://support.microsoft.com/kb/32905 |title=Windows のバージョン履歴 |accessdate=2008-12-03 |publisher=Microsoft |date=Last Review: July 19, 2005 }}</ref>--><!-- ← 出典付きの記述なのでコメントとして残すが、MS-DOS環境に保護が無いのはCPUおよびマシンがそうだったからで、DOSの責ではない -->は、基本的には仮想記憶をサポートしていなかった。1960年代のメインフレームで例外といえるものを以下に挙げる。 * [[:en:Atlas Supervisor|Atlas Supervisor]]([[Atlas (コンピュータ)|Atlas]]) * [[:en:Burroughs MCP|MCP]]([[バロース B5000]]) * [[:en:Michigan Terminal System|MTS]]、[[:en:TSS/360|TSS/360]]、[[:en:CP/CMS|CP/CMS]]([[:en:IBM System/360 Model 67|IBM System/360 Model 67]]) * [[Multics]]([[GE-600シリーズ|GE 645]]) * [[:en:Time Sharing Operating System|TSOS]]([[:en:RCA Spectra 70|RCA Spectra 70/46]]) 1980年代のパーソナルコンピュータで仮想記憶をサポートした例として [[Lisa (コンピュータ)|Apple Lisa]] がある。 == 歴史 == 仮想記憶技術が開発される以前、[[1940年代]]から[[1950年代]]のプログラマは2レベルの記憶装置(主記憶あるいはRAMと、[[磁気ディスク装置]]あるいは[[磁気ドラムメモリ]]といった二次記憶)を直接管理する必要があり、大規模プログラムでは[[オーバーレイ (コンピュータ用語)|オーバーレイ]]などの技法が使われていた。従って仮想記憶は、主記憶を拡張するためだけでなく、そのような拡張をプログラマが可能な限り容易に扱えるように導入された<ref name="denning">{{Cite journal |last=Denning |first=Peter |authorlink=ピーター・J・デニング |title=Before Memory Was Virtual |journal=In the Beginning: Recollections of Software Pioneers |year=1997 |url= http://cs.gmu.edu/cne/pjd/PUBS/bvm.pdf |format=PDF}}</ref>。マルチプログラミングや[[マルチタスク]]を実装した初期のシステムは、メモリを複数のプログラムに分割するのに仮想記憶を使っていない。例えば初期の[[PDP-10]]は[[レジスタ (コンピュータ)|レジスタ]]を使ってマルチタスクを実現していた。 [[ページング方式]]は[[マンチェスター大学]]の[[Atlas (コンピュータ)|Atlas]]上で開発された。1万6千ワードの[[磁気コアメモリ]]の一次記憶と9万6千ワードの[[磁気ドラムメモリ]]による二次記憶を制御するものである。最初のAtlasは1962年に稼働開始したが、ページングのプロトタイプは1959年に開発されている<ref name="denning"/>{{Rp|page=2}}<ref>R. J. Creasy, "[http://pages.cs.wisc.edu/~stjones/proj/vm_reading/ibmrd2505M.pdf The origin of the VM/370 time-sharing system]", ''IBM Journal of Research & Development'', Vol. 25, No. 5 (September 1981), ''p.'' 486</ref><ref>[http://www.computer50.org/kgill/atlas/atlas.html Atlas design includes virtual memory] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120728105352/http://www.computer50.org/kgill/atlas/atlas.html |date=2012年7月28日 }}</ref>。なお、ドイツの初期の情報工学者 Fritz-Rudolf Güntsch (後に Telefunken TR 440 というメインフレームを開発)は 1957年の博士論文 ''Logischer Entwurf eines digitalen Rechengerätes mit mehreren asynchron laufenden Trommeln und automatischem Schnellspeicherbetrieb''(複数非同期ドラム装置と自動高速メモリモードを持つデジタル計算機の論理概念)で仮想記憶のコンセプトを発明していたと言われている。 [[1961年]]、[[バロース]]は[[セグメント方式]]で仮想記憶をサポートした世界初の商用コンピュータ [[バロース B5000|B5000]] をリリースした<ref>{{Cite book |first=Harvey G. |last=Cragon |title=Memory Systems and Pipelined Processors |publisher=Jones and Bartlett Publishers |page=113 |year=1996 |url= https://books.google.co.jp/books?id=q2w3JSFD7l4C&redir_esc=y&hl=ja |isbn=0-86720-474-5}}</ref>。 [[1965年]]に[[マサチューセッツ工科大学|MIT]]が開発した[[Multics]]以降、仮想記憶は本格的に採用され始めた。 コンピュータ史上の多くの技術と同様、仮想記憶にも様々な曲折があった。安定した技術と見なされるまで、仮想記憶の様々な問題点を解決しようとするモデルや理論が開発され実験がなされた。仮想アドレスを物理アドレスに変換するハードウェア機構の開発も必然的だったが、初期の実装ではそれによってメモリアクセスが若干遅くなった<ref name="denning" />。システム全体を対象とするアルゴリズム(仮想記憶)は従来のアプリケーション単位のアルゴリズム(オーバーレイ)よりも非効率ではないかという懸念もあった。[[1969年]]、商用コンピュータでの仮想記憶に関する論争は事実上終結した<ref name="denning" />。David Sayre 率いる[[IBM]]の研究チームが仮想記憶システムが手動制御システムよりも優位にあることを示したのである。 [[1970年]]、IBMは[[System/370]]シリーズのOSである[[DOS/VS]]、OS/VS1、OS/VS2(後の[[Multiple Virtual Storage|MVS]])で仮想記憶をサポートした。OS/VS1はシングルタスクの仮想記憶で、マルチタスクには従来通りユーザーによる[[マルチプログラミング]]が必要であったが、OS/VS2はマルチタスクの仮想記憶(複数の仮想アドレススペース)をオペレーティングシステムの機能としてサポートした。以後の各社[[メインフレーム]]では仮想記憶が一般的となる。 [[ミニコンピュータ]]で初めて仮想記憶を導入したのは、ノルウェーの[[:en:NORD-1|NORD-1]]である(1969年)。[[1976年]]、[[ディジタル・イクイップメント・コーポレーション|DEC]]の[[ミニコンピュータ]] [[VAX]]シリーズのOSである[[OpenVMS|VMS]]で仮想記憶をサポートした。 しかし、[[1980年代]]の初期のパーソナルコンピュータでは仮想記憶は採用されていない。これは当時の[[マイクロプロセッサ]]の性能や機能の問題もあるし、個人用のコンピュータに仮想記憶が必要になると見なされていなかったという面もある。当時の主流は[[バンク切り換え]]によるメモリ増設だった。[[x86]]アーキテクチャで仮想記憶が導入されたのは、[[Intel 80286]] による[[プロテクトモード]]が最初だが、セグメント単位のスワッピングはセグメントが大きくなると性能が悪くなるという問題があった。[[Intel 80386]] では既存の[[セグメント方式]]の下層にページング方式を実装し、[[ページフォールト]]によるページングが可能となった。しかしセグメントディスクリプタのロードは時間のかかる処理だったため、OS設計者はセグメントを使わずページングだけを使うようになっていった。仮想記憶が導入されたのは、[[OS/2]](1987年)、[[Microsoft Windows 3.x|Microsoft Windows 3.0]] (1990年)、[[Macintosh]]の[[Mac OS#System 7系列 (1991-1997)|System 7]](1991年)、[[Linuxカーネル]] 0.11+VM(1991年)などが最初である。 == ページング方式 == 仮想記憶は、必須ではないものの通常[[ページング方式]]を使って実装される。ページングでは仮想アドレスを表すビット列の下位ビット列部分はそのまま物理アドレスの下位ビット列部分として使われる。上位ビット列部分はアドレス変換テーブル(群)のキーとして使用され、それによって実際の物理アドレスの上位ビット部分を得る。 このため、サイズが[[2の冪]]乗の仮想[[アドレス空間]]の連続したアドレス範囲が、対応する連続な物理アドレス範囲に変換される。そのような範囲で参照されるメモリを'''ページ'''と呼ぶ。ページサイズは512バイトから8192バイトが一般的であり、特に4096バイトが最もよく使われるが、特殊用途として4Mバイトやそれ以上のサイズのページも使われることがある。 オペレーティングシステムは、[[ページテーブル]]と呼ばれるデータ構造にアドレス変換テーブル、つまり仮想ページ番号と物理ページ番号のマッピング情報を格納する。 あるページが使用不可とされている場合(物理メモリに対応しておらず、スワップ領域に内容がある場合など)、CPUがそのページ内のメモリ位置を参照しようとしたとき、ハードウェアの機構がオペレーティングシステムに、一般に[[ページフォールト]]と呼ばれる例外を通知する。これにより実行[[コンテキスト]]はオペレーティングシステム内の例外処理ルーチンにジャンプする。そのページがスワップ領域にあるなら、そのルーチンは「ページスワップ」と呼ばれる処理を実行して必要なページの内容を物理メモリに読み込む。 ページスワップ操作には一連の段階がある。まず、メモリ上のページを選択する。例えば、最近アクセスされておらず、なるべくならスワップ領域を含む何らかのディスクから読み込まれたままで変更されていないページを選択する(詳細は[[ページ置換アルゴリズム]]を参照)。そのページが変更されている場合、その内容をスワップ領域に書き出す。次に必要とされている、例外発生時に参照しようとしていた仮想アドレスに対応するページの情報を読み込む。ページの読み込みが完了したら、その物理メモリの内容更新に応じて仮想アドレスから物理アドレスへの変換テーブルを更新する。ページスワップが完了すると、例外処理を完了し、元のプログラムの実行が例外発生箇所から再開されて何事もなかったかのように処理が続行される。 仮想ページに何も割り当てられていないために使用不可となっている可能性もある。そのような場合、未使用、あるいはスワップアウトして未使用にした物理ページを割り当て、OSによってはその内容をゼロクリアする。ページテーブルはそれに対応して更新され、上述の場合と同様にプログラムが再開される。 == セグメント方式 == [[バロース]] [[バロース B5000|B5000]]<ref>{{Cite manual |author=Burroughs |id=1021326 |title=Burroughs B5500 Information Processing System Reference Manual}}</ref>などのシステムは、ページング方式ではなく[[セグメント方式]]を使い、仮想アドレス空間を可変長のセグメントに分割する。その場合、仮想アドレスはセグメント番号とセグメント内オフセットから成る。[[Intel 80286]]の保護モードにもそのようなセグメント方式があったが、ほとんど使われなかった。セグメントとページは、セグメントをページに分割するという形で同時に使用できる。そのようなメモリ構成のシステムとして、[[Multics]]や[[System/38]]がある。その場合の基本はページングであり、セグメントは[[メモリ保護]]に使われる<ref>{{Cite book |title=GE-645 System Manual |pages=21–30 |month=January |year=1968 }}</ref><ref>{{Cite web |author=Corbató, F.J.|authorlink=フェルナンド・J・コルバト|author2 Vyssotsky, V. A. |title=Introduction and Overview of the Multics System |url= http://www.multicians.org/fjcc1.html |accessdate=2007-11-13 }}</ref><ref>{{Cite web |author=Glaser, Edward L.; Couleur, John F.; and Oliver, G. A. |title=System Design of a Computer for Time Sharing Applications |url= http://www.multicians.org/fjcc2.html |accessdate=2012-10-13}}</ref>。 [[Intel 80386]] とその後の[[IA-32]]プロセッサでは、セグメントをページ化された[[32ビット]]のリニアなアドレス空間に置く。セグメントによる管理と、ページ単位による管理の、2段階のシステムとなっている。しかし、複数のセグメントを活用しているOSは少なく(ただし、研究レベルまで含めればそんなに少なくない)、単純にベースアドレスを全てゼロとして、範囲のみ指定した最小限必要なだけのセグメントと、ページングのみを使っていることが多い。<!--初期のハードウェアによるサポートがなかった[[x86仮想化]]では、セグメントとページングを組み合わせて使っていた。というのも、「VM / ゲストOS / ゲストアプリケーション」という構成では3層の保護機構を必要とするが、x86のページングだけでは2層しか提供できなかったためである<ref>{{cite conference |url=http://www.hotchips.org/wp-content/uploads/hc_archives/hc17/1_Sun/HC17.T1P2.pdf |title=Virtual Machines: Architectures, Implementations and Applications|author=J. E. Smith|author2=R. Uhlig|date=2005-08-14|conference=HOTCHIPS 17, Tutorial 1, part 2|conferenceurl=http://www.hotchips.org/archives/hc17|format=PDF|accessdate=2013-04-11|page=22}}</ref>。 --><!-- 出典付いてますが、英語版の時点で記述が変です。出典では386のリング保護機構に沿って説明していますが(というか、ここで説明しようとしていることを説明するには、リングを出さずには説明できない)、リングについて全く触れていないため話がおかしくなっているように見えます。 --> <!-- ページング方式とセグメント方式の違いは、メモリの分割単位だけではない。セグメントはメモリモデルの一部としてユーザープロセスからも見えている。したがって、単一の大きなアドレス空間ではなく、複数の空間に構造化されたアドレス空間として認識される。この違いは重大である。セグメントは可変長のページではないし、アドレス空間を拡張する単純な手段でもない。セグメント方式は、プロセスのメモリと[[ファイルシステム]]を同じように扱う[[単一レベル記憶]]を提供でき、プロセスのアドレス空間にマッピングされたセグメント(ファイル)のリストのみで管理する<ref>{{Cite journal |last=Bensoussan |first=André| last2=Clingen |first2=CharlesT. |last3=Daley |first3=Robert C. |date=May 1972|title=The Multics Virtual Memory: Concepts and Design |journal=Communications of the ACM |volume=15 |issue=5 |pages=308–318 |url= http://www.multicians.org/multics-vm.html |doi=10.1145/355602.361306}}</ref>。 --><!-- 出典が付いてるので削ると元に戻されますからコメントにしますが、この段落における説明は、386などのページ化セグメント方式の「セグメント」と、Multicsにおける[[単一レベル記憶]]で使われる用語の「セグメント」を意図的に混同しているようにしか見えません。 実際、最初の説明から間違っています。386ではセグメントはメモリモデルの一部ですが、保護されていて、OSからは見えるますがユーザープロセスからは見えません。 --> == 単一レベル記憶 == {{main|単一レベル記憶}} これは、[[mmap]]や[[Windows API|Win32]]のMapViewOfFileのような機構とは異なる。mmap等ではファイルは任意の位置にマッピングされる可能性があるため、ファイル間のポインタは使えないためである。Multicsでは、ファイル(複セグメントファイルの場合はセグメント)はセグメント機構を通してアドレス空間にマッピングされる。そのためファイルは常にセグメント境界にマッピングされる。ファイルのリンク部分にはポインタが並んでおり、そのポインタをレジスタにロードしたり間接参照したりするとトラップが発生する。未解決のポインタにはセグメント名を示す値とセグメント内オフセットがある。トラップハンドラは対応するセグメントをアドレス空間にマッピングし、ポインタのセグメント識別子部分をセグメント番号に書き換えるので、2度目以降はそのポインタにアクセスしてもトラップが発生しなくなる<ref>{{Cite web |title=Multics Execution Environment |url= http://www.multicians.org/exec-env.html |accessdate=2012-10-13}}</ref>。この方式では[[リンケージエディタ]]が不要であり<ref name="denning" />、同じファイルを複数のプロセスが異なる位置にマッピングしても問題なく機能する<ref>{{Cite book |first=Elliott I. |last=Organick |title=The Multics System: An Examination of Its Structure |publisher=MIT Press |year=1972 |isbn=0-262-15012-3}}</ref>。 == 詳細 == [[画像:Virtual Memory DAT Ja 1.JPG|thumb|right|350px|アドレス変換機構の概念図]] 仮想アドレスから物理アドレスへの変換は[[メモリ管理ユニット]] (MMU) というハードウェア装置によって実装されている。これはCPUに内蔵されたモジュールの場合もあるし、外付けでCPUに密結合された別のチップの場合もある。これを'''動的アドレス変換機構''' ('''DAT''' : Dynamic Address Translation) と呼ぶ。 OSは、プログラムの仮想アドレス空間のどの部分を物理メモリに保持するかを決定する。OSは、MMUが使用する仮想アドレスから物理アドレスへの変換テーブルも管理する。さらに仮想メモリ例外が発生したら、OSはそれを解決するために物理メモリ領域を確保し、必要なら元の内容をディスクに追い出した上で新たに必要とされている情報をディスクから持ってきて、変換テーブルを更新し、例外発生したソフトウェアの実行を再開する。 多くのコンピュータでは、この変換テーブルは物理メモリに格納されている。従って仮想メモリを参照すると、本来の参照以外に変換テーブルの参照が(変換テーブルの構成によっては複数回)発生する。このアドレス変換による性能低下を低減するため、ほとんどのMMUはよく使われる仮想ページに高速にアクセスできるよう、最近使われた仮想アドレスとそれに対応する物理アドレスを保持しておくテーブルを持っている。これを[[トランスレーション・ルックアサイド・バッファ]](TLB)と呼ぶ。参照アドレスがTLB内に格納された変換テーブルでカバーされていれば、余分な変換テーブルの参照をせずに、高速に変換を行うことができる。ただし、TLBは高価な装置のためテーブルの大きさが限られており、目標の仮想アドレスが見当たらない場合は物理メモリ上の変換テーブルを参照してアドレス変換が行われる。 プロセッサによっては、この一連の処理がハードウェア内で行われる。MMUは物理メモリ上の変換テーブルから必要な変換内容を持ってくるので、ソフトウェア側は余分な処理を必要としない。別の種類のプロセッサでは、オペレーティングシステムの介在が必須である。TLBに必要な変換内容がない場合、例外が発生し、オペレーティングシステムがTLB内の1つのエントリを必要な変換テーブルの内容と置き換え、当初のメモリ参照を行った命令から実行が再開され、再度TLBを参照して変換を行う。 仮想記憶をサポートするハードウェアの多くは[[メモリ保護]]もサポートしている。MMUはメモリ参照の種類(リード、ライト、実行)やメモリ参照時の[[CPUモード]]によって扱いを変える機能を持っていることもある。これによってオペレーティングシステムは自身のコードとデータ(例えばアドレス変換テーブルなど)を問題のあるアプリケーションプログラムの不正なメモリアクセスから保護したり、アプリケーションを相互に保護したり、アプリケーション自身の不正動作(例えば自身のコード部分に書き込もうとするなどの動作)から保護したりする。 === 仮想アドレス空間管理 === [[画像:Virtual Memory Ja 3.JPG|thumb|right|350px|多重仮想記憶の概念図]] 各[[プロセス]]の仮想アドレス空間には、そのプロセスが使用するコードやデータが配置される。[[ページング方式]]であれ、[[セグメント方式]]であれ、仮想アドレス空間内で使用している範囲の管理と制御が仮想記憶機構として必須である。例えば、[[実行ファイル]]の内容を仮想メモリ上に配置する領域、[[スタック]]を配置する領域などがある。このような領域を'''セグメント'''と呼ぶ。セグメント方式のセグメントと似ているが、純粋に仮想的なオブジェクトである。実行ファイルを配置する領域は必ずしも連続ではない。プログラムのコード部分とデータ部分を分離して配置するのが一般的で、前者を'''テキストセグメント'''もしくは'''コードセグメント'''、後者を'''データセグメント'''と呼ぶ。[[Unix系]]システムや Windows では、一般的にデータセグメントの一部として[[.bss|BSSセクション]]と[[ヒープ領域]]を含む。BSSセクションにはプロセス起動時に0に初期化される静的変数を配置する。初期値が0の静的変数を別扱いしているのは、読み書きが発生するまで0で初期化するのを後回しに出来るようにするための高速化のテクニックである。Unix系システムではヒープ領域はデータセグメントの末尾に配置され、<code>brk()</code> 関数などでデータセグメントのサイズを変えることでヒープ領域のサイズを変えられるようにする。各セグメントはマッピングしているオブジェクトが何であるか、その領域へのアクセス権などを属性情報として保持する。 テキストセグメントは[[ファイルシステム]]上の実行ファイルの一部と完全に対応しており、書き換えられることもない。従って、マッピングしているオブジェクトは実行ファイルであり、アクセス属性は「リードオンリー」となる。データセグメントやスタックは一時的な存在であるため何かをマッピングしているわけではない。そこでこれらは匿名ファイル(Anonymous File)をマッピングしているものとして管理される。匿名ファイルをマッピングしているセグメントに対応するページを匿名ページと呼び、これがスワッピングの際にスワップ領域に書き出される。データセグメントは当初は実行ファイルの一部と対応しているが、書き込み可能な属性が設定されている。ページング方式の場合、データセグメント内の内容が更新されたページはページ単位で匿名ページへと属性変更される。 <code>exec()</code> [[システムコール]]などで新たにプロセスの仮想アドレス空間を設定した当初は、基本的にこのような仮想アドレス空間を管理するデータ構造が[[カーネル]]内に作成されるだけで、実際の実行ファイルの内容はロードされない。Unix系システムでは、<code>exec()</code> システムコールからユーザ空間に制御が戻された瞬間に[[ページフォールト]]が発生し、そこで初めてページ単位に実行ファイルの内容がロードされる。ただし、性能向上目的で事前にマッピングを作成する場合もある。 各プロセスの仮想アドレス空間のアドレス範囲は同じでありオーバーラップしているのが一般的である。これを'''多重仮想記憶'''と呼ぶ。MMUは現に実行中のプロセスの仮想空間のみを認識する。[[コンテキストスイッチ]]でプロセスを切り替える際、MMUに対して仮想アドレス空間の切り替えも指示する必要があるが、その方式はアーキテクチャによって様々である。 同じプログラムを実行するプロセスが複数存在する場合、多重仮想記憶ではそれぞれが同じ仮想アドレスに実行ファイルをマッピングしていながら、それぞれ独立した仮想空間を使用する。このため、実行ファイルを配置する仮想アドレスはどのプロセスでも同じにすることができ、実行ファイル自体に配置すべきアドレスを格納しておくようになっているのが一般的である。また、それぞれのプロセスが実行ファイルのテキストセグメントをマッピングするのに使う物理メモリは共有することができる。他にも <code>[[mmap]]()</code> でファイルをマッピングする場合や[[共有メモリ]]機能でプロセス間の通信を行う場合、マッピングされる物理メモリが共有される。 なお、アーキテクチャによっては、多重仮想記憶がオーバーラップしていると捉えず、全仮想空間がフラットに並んだ巨大な仮想空間を想定することもある<ref>{{cite web |title=The virtual storage address space |url=https://www.ibm.com/support/knowledgecenter/en/SSLTBW_2.1.0/com.ibm.zos.v2r1.ieae100/vaddr.htm |website=ibm.com |date=2014 |access-date=December 11, 2020 |page=Figure.1 |first= |last= |url-status= |archive-url= |archive-date=}}</ref>。この場合、仮想空間識別番号が巨大な仮想空間のアドレスの一部と考えられる。もっとも、これは単にモデル化の手法が違うだけで実装に大きな違いがあるわけではない。実際、各ユーザープロセスが自分の仮想空間識別番号以外の仮想空間にアクセスすることはできない<ref>{{Cite web|和書 |title=単一アドレス空間におけるプロセス生成とデータ共有 |url=https://ci.nii.ac.jp/naid/110003276987 |website=ci.nii.ac.jp |date=1998 |access-date=December 11, 2020 |page= |first= |last= |url-status= |archive-url= |archive-date=}}</ref>。 == 実装例 == === Ferranti Atlas === 1962年に世界で初めてページングをサポートしたコンピュータ[[Atlas (コンピュータ)|Atlas]]は<ref>{{Cite book |last1 = Sumner |first1 = F. H. |last2 = Haley |first2 = G. |last3 = Chenh |first3 = E. C. Y. |title = Information Processing 1962 |series = IFIP Congress Proceedings |chapter = The Central Control Unit of the 'Atlas' Computer |volume = Proceedings of IFIP Congress 62 |year = 1962 |publisher = Spartan |separator = , |postscript =}}</ref><ref>{{Cite web | url= http://www.computer50.org/kgill/atlas/atlas.html | title= The Atlas | publisher= Department of Computer Science | location= University of Manchester | accessdate= 2012-10-14 | archiveurl= https://web.archive.org/web/20120728105352/http://www.computer50.org/kgill/atlas/atlas.html | archivedate= 2012年7月28日 | deadlinkdate= 2017年9月 }}</ref><ref>{{Cite web| url= http://www.chilton-computing.org.uk/acl/technology/atlas/p005.htm | title= Atlas Architecture | work= Atlas Computer | publisher= Atlas Computer Laboratory | location= Chilton | accessdate = 2012-10-14}}</ref>、[[フェランティ]]、[[マンチェスター大学]]、[[:en:Plessey|Plessey]]が共同開発した。このマシンには[[連想メモリ]]があり、1エントリに512ワード長のページが対応している。スーパーバイザ<ref>{{Cite book |last1 = Kilburn |first1 = T. |last2 = Payne |first2 = R. B. |last3 = Howarth |first3 = D. J. |title = Computers - Key to Total Systems Control |series = Conferences Proceedings |pages = 279–294 |chapter = The Atlas Supervisor |chapterurl = http://www.chilton-computing.org.uk/acl/technology/atlas/p019.htm |volume = Volume 20, Proceedings of the Eastern Joint Computer Conference Washington, D.C. |year = 1961 |month = December |publisher = Macmillan |separator = , | postscript =}}</ref>は非同値割り込みを処理し{{efn|「非同値割り込み」は、アドレスの上位ビット列(ページ番号)が連想メモリのどのエントリとも一致しないとき発生する。}}、磁気コアメモリと磁気ドラムメモリ間のページ転送を管理する。特筆すべきは、世界初の仮想記憶システムであるにもかかわらず、難しさなどから後のシステムでも実現例のあまり多くない、プログラムに[[単一レベル記憶]]を提供している<ref>{{Cite journal | last1= Kilburn | first1= T. | last2= Edwards | first2= D. B. G. | last3= Lanigan | first3= M. J. | last4= Sumner | first4= F. H. | year= 1962 | month= April | title= One-Level Storage System | journal= IRE Transactions Electronic Computers | publisher= Institute of Radio Engineers | separator = ,| postscript = }}</ref>ことである。 === Windows 3.x と Windows 9x === [[Microsoft Windows|Windows]] では、1990年のWindows 3.0から仮想記憶をサポートしている。[[マイクロソフト]]は[[Microsoft Windows 1.0|Windows 1.0]]と[[Microsoft Windows 2.0|Windows 2.0]]での失敗を受け、OSへのリソース要求を削減するために仮想記憶を導入した。 全てのプロセスは固定の変更不可能な仮想記憶空間を持っている(32ビットの場合、一般に2[[ギガバイト|GB]])。 Windows 3.xには隠しファイルとして<tt>386SPART.PAR</tt>または<tt>WIN386.SWP</tt>があり、それらがスワップファイルとして使われる。通常、[[ルートディレクトリ]]にあるが、WINDOWSなど他のディレクトリに置くこともある。そのサイズは[[コントロールパネル (Windows)|コントロールパネル]]で設定される「仮想メモリ」サイズで決定される。ユーザーがこのファイルを削除したり移動させたりすると、次回Windowsを起動したときに[[ブルースクリーン]]が表示され、[[エラーメッセージ]]が表示される(英語では "The permanent swap file is corrupt")。 [[Microsoft Windows 95|Windows 95]]、[[Microsoft Windows 98|Windows 98 / 98 SE]]、[[Microsoft Windows Millennium Edition|Windows Me]] でも同様の仕組みになっている。スワップファイルの大きさはデフォルトでは物理メモリ量の1.5倍であり、最大で物理メモリの3倍まで拡張できる。 === Windows NT系 === [[Windows NT系|NT系のWindows]]([[Microsoft Windows NT|Windows NT]]、[[Microsoft Windows 2000|Windows 2000]]、[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]、[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]、[[Microsoft Windows 7|Windows 7]]、[[Microsoft Windows 8|Windows 8 / 8.1]]、[[Microsoft Windows 10|Windows 10]]および[[Windows Server]]シリーズなど)は、<tt>pagefile.sys</tt>というファイルを使用する。このファイルのデフォルトの位置はWindowsをインストールしたパーティションのルートディレクトリである。Windowsは任意のドライブの空き領域をページファイルとして使用できる。XPまでのWindowsではシステムクラッシュ時にカーネルまたは全メモリを[[コアダンプ|ダンプ]]する設定にしている場合、ブートパーティション(Windowsがインストールされたドライブ)にこのファイルを置く必要があった(ダンプ先として使用するため)。リブートすると、システムがダンプを通常のファイルに移す<ref>{{Cite web | url= http://blogs.msdn.com/iliast/archive/2006/12/11/crash-dump-analysis.aspx | title=Crash Dump Analysis | last=Tsigkogiannis | first=Ilias | date=December 11, 2006 | accessdate=2008-07-22 | publisher=MSDN Blogs | work=Ilias Tsigkogiannis' Introduction to Windows Device Drivers}}</ref><ref>{{Cite web|和書| url= http://jp.fujitsu.com/platform/server/primergy/technical/construct/| title=Windows Server 2008 / 2008 R2 / 2012/ 2012 R2 大容量メモリダンプファイル 設計ガイド| accessdate=2014-11-02}}</ref>。 ページングファイルのサイズには初期サイズと最大サイズがあり、ページングファイルが不足するとページングファイルは最大サイズまで拡張される。拡張されたページングファイルは[[再起動]]するまで小さくならない。サイズ設定値が小さい場合、動作が不安定になるアプリケーションもある<ref>[https://learn.microsoft.com/en-us/office/troubleshoot/office-suite-issues/your-system-is-low-on-virtual-memory Your system is low on virtual memory - Office | Microsoft Learn]</ref>。 ページングファイルがあると、[[ページング方式#事前クリーニング|積極的なクリーニング]]により物理メモリで足りる場合であってもページファイルへの書き出しが行われる。積極的なクリーニングは仮想記憶を実装する[[ページ置換アルゴリズム#事前クリーニング|ページ置換アルゴリズム]]の一つで、CPUの余剰時間を使ってページ内容をディスクに書き出しクリーンな状態にしておき、ページが必要になった時に短時間でページを再利用する手法である。勿論クリーンな状態のページ内容そのものが必要になった時には、ページファイル上のページ内容を無視するだけで良いので、オーバーヘッドは発生しない。 Windows XP以降ではページファイルを使用しないオプションが選択できる。もちろんこれは物理メモリの容量が十分に足りている場合(かつ、ページファイル必須アプリケーション運用を必要としない場合)にのみ選択すべきオプションである。ページファイルを使用しない場合、ほとんど使用されない常駐ソフトなどのデータをスワップアウトすることができなくなるので、キャッシュとして使える物理メモリの空き領域が減ってパフォーマンスが低下することがある。いくつかのアプリケーションが動作しなくなったり、システム機能が効率的に動作しなくなったり、といったことも発生しうる<ref>[https://www.windowscentral.com/how-change-virtual-memory-size-windows-10 How to change virtual memory size on Windows 10 | Windows Central]</ref>。しかし、ファイルを読み書きするI/Oアクセスが起こらないため、パフォーマンスを落とさないというメリットがある。 32ビット版Windowsでは、バージョンおよびエディションにも左右されるが、ページングファイルのサイズは最大36ビットのアドレス空間すなわち64[[ギビバイト|GiB]]までサポートされる<ref>[https://learn.microsoft.com/en-us/troubleshoot/windows-server/performance/ram-virtual-memory-pagefile-management#processes-and-address-spaces Virtual memory in 32-bit version of Windows - Windows Server | Microsoft Learn]</ref>。 ==== フラグメンテーション ==== ページングファイルのサイズには初期サイズと最大サイズがあり、ページングファイルが不足するとページングファイルは最大サイズまで拡張される。徐々に拡張された場合、[[フラグメンテーション]]が起き、性能に悪影響を与えることがある<ref>{{Cite web | url= http://technet.microsoft.com/en-us/sysinternals/bb897426 | title=Windows Sysinternals PageDefrag | work=Sysinternals | publisher=Microsoft | date=November 1, 2006 | accessdate=2010-12-20}}</ref>。これに対する助言としては、ページファイルのサイズを固定することでOSがそのサイズを変更できないようにするという対策がある。ただし、ページファイルが拡張されるのは全部を使い切ったときで、デフォルト設定では物理メモリの150%の量になっている<ref>{{Cite web|和書| url= http://support.microsoft.com/kb/889654 | title=64 ビット バージョンの Windows の適切なページ ファイル サイズを確認する方法 | work=Knowledge Base | publisher=Microsoft | date=November 7, 2007 | accessdate=2007-12-26}}</ref>。したがって、ページファイルに対応した仮想記憶の要求が物理メモリの250%を越えないと、ページファイルは拡張されない。 ページファイルの拡張によるフラグメンテーションは一時的なものである。拡張された領域が使われなくなれば(遅くとも次回の再起動時には)、追加で確保されたディスク領域は解放され、ページファイルは本来の状態に戻る。 ページファイルの大きさを固定にすると、物理メモリとページファイルを合わせた以上のメモリを要求するアプリケーションがある場合に問題となる。その場合、メモリ確保要求が失敗し、アプリケーションやシステムプロセスが異常終了する可能性がある。ページファイルを拡張可能にすべきだという根拠として、ページファイルが先頭から順にシーケンシャルにアクセスされることはなく、ページファイルが連続領域になっていること性能上の利点はほとんどないという見方もある。いずれにしても、メモリを大量に使うアプリケーションを使用するならページファイルは大きい方がよく、ページファイルを大きくしてもディスク容量がそれに割かれる以外のペナルティはない。 現代的な仕様のシステムでは余分にディスク領域を使用しても問題はない。例えば、メモリが3GBのシステムで6GBの固定スワップファイルを使用するとしても、HDDが750GBなら問題はないし、メモリが6GB、スワップファイルが16GB、HDDが2TBなら、これも問題はない。どちらの場合もスワップファイルとして使用する領域はHDDの1%に満たない。 ページファイルは任意のドライブに作成する事ができる。これはUNIX同様スワップ専用のパーティション割り当てが行えるのに等しい。またページファイルはストライピングが行われるので複数のハードディスクドライブに小分けにしてページファイルを作成すると、ページング速度が向上する。 物理メモリ以上のメモリを常に使うような使い方をする場合、ページファイルの[[デフラグメンテーション]]をすることで性能が改善する可能性もある。しかし、根本的には物理メモリを追加する方が性能改善に役立つ。 === Mac OS === [[Mac OS]]はSystem 7から「仮想メモリ」として実装される。当時は[[コントロールパネル (Mac OS)|コントロールパネル]]でメモリサイズ(メインメモリのサイズを加算した値)を指定し機能を入にすることで使用できるようになる。すると起動ディスクに隠しファイルとしてスワップファイルが作成される。スワップファイルは指定したメモリサイズの大きさとなり、これ以上は増えない。この頃の仮想メモリは使用しているかどうかでプログラムの動作が不安定になることがあった。そのため、プログラムのパッケージや説明書には仮想メモリの設定を確認させる記述が見られる。 === UNIXとUnix系システム === [[UNIX]]および[[Unix系]]OSでは、ハードディスクのパーティションを丸ごとスワップに使用することが多く、そのようなパーティションをスワップパーティションと呼ぶ。ドライブを1個丸ごとスワップパーティションとすることもある。そのようなドライブをスワップドライブなどと呼ぶ。スワップパーティションしかサポートしないシステムもあるが、ファイルへのスワッピングもサポートするシステムもある。[[フラグメンテーション]]問題を回避して性能を維持するためにもパーティションの使用が推奨されている。また、スワップパーティションを使うと、スワップ領域をディスク内の最も高速アクセス可能な場所に配置できる。最近のハードディスクでは、先頭の方がよいとされている。 ==== Linux ==== Linuxのユーザ[[プロセス]]から見れば、大局的にはメモリは[[CPUキャッシュ]] (L1, L2, …)、メインメモリ、ファイルの順に階層化されており、上位(CPUにより近い)メモリは下位メモリのキャッシュに過ぎない。実行可能なファイルや[[共有ライブラリ]]の[[テキストセグメント]]や[[mmap]]で明示的にマップされる名前付きファイルに対して、スワップエリアはスタックやヒープを保持する名無しファイルである(データセグメントやBSSセグメントは読み出し専用の実行可能ファイルや共有ライブラリファイルからプロセス固有の読み書き可能な無名ファイルに展開・コピーされると考えられる)。もちろん、実際にはカーネルは性能維持のためにスワップエリアの使用とアクセスを最小限にするような最適化の努力を払う(メインメモリに余裕があればスワップエリアには書き出さず「キャッシュ(メインメモリ)」だけにしか情報が保持されない)。 2.6の[[Linuxカーネル]]ではスワップファイルはスワップパーティションと同程度の性能である<ref>{{Cite web|url= http://lkml.org/lkml/2006/5/29/3 |title="Jesper Juhl": Re: How to send a break? - dump from frozen 64bit linux |publisher=LKML |date=2006-05-29 |accessdate=2010-10-28}}</ref><ref name="autogenerated2005">{{Cite web|url= http://lkml.org/lkml/2005/7/7/326 |title=Andrew Morton: Re: Swap partition vs swap file |publisher=LKML |date= |accessdate=2010-10-28}}</ref>。カーネルはスワップファイルの存在するディスク上の位置を把握しており、バッファキャッシュやファイルシステムのオーバヘッドを回避して直接ディスクにアクセスする<ref name="autogenerated2005"/>。[[レッドハット]]はスワップパーティションの使用を推奨している<ref name="autogenerated1">[http://docs.redhat.com/docs/en-US/Red_Hat_Enterprise_Linux/5/html/Deployment_Guide/ch-swapspace.html Chapter 6. Swap Space] "Swap space can be a dedicated swap partition (recommended), a swap file, or a combination of swap partitions and swap files."</ref>。スワップパーティションの場合、ディスク上の位置を決めることができるので、スループットが最も高い場所に置くことができる。一方スワップファイルは管理の柔軟性という点でスワップパーティションに優っている。例えば、スワップファイルは任意のドライブ上に置くことができ、どんな大きさにもでき、必要に応じた追加や変更が容易であるだけでなく、ネットワークを介して外部ホスト上のリモートファイルを使うことも可能である。一方、スワップパーティションは一度位置と大きさを決めたら、ドライブ全体のパーティショニングをやり直さないと変更できない。 Linuxは事実上無制限な個数のスワップデバイスをサポートし、それぞれに優先度を設定できる。オペレーティングシステムが物理メモリをスワップアウトする場合、最高優先度のデバイスの空き領域から使っていく。同じ優先度に複数のデバイスがある場合、それらは [[RAID]] 0と同様の使い方をされる。これによって並列的に複数のデバイスにアクセスするので性能が向上する。従って優先度の設定には注意が必要である。例えば、同じドライブ上の複数のスワップ領域を同じ優先度にするのは得策ではない。また、高速なデバイスを高優先度に設定するのが性能的に有利である。 Linuxシステムでスワップを追加するには、その前にスワップ領域を作成しなければならない。パーティションならば一般のパーティション作成ツールが使用できる。通常ファイルの場合、<tt>dd</tt>コマンドと <tt>/dev/zero</tt>を使って内容がゼロのファイルを作ることができる。作成したスワップ領域は<tt>mkswap</tt> ''filename/device''でフォーマットし、<tt>swapon</tt>および<tt>swapoff</tt>コマンドでON/OFFを制御する。 [[Microsoft Windows|Windows]]とは違い、物理メモリに入りきらない場合のみ、スワップが利用される。これは積極的なクリーニングが実装されていないためで、ページングが開始された時システムは著しい速度低下を起こす([[スラッシング]])。しかし、これは物理メモリが飽和状態を続けている場合さほど深刻では無い。メモリが飽和すればあまり利用されないページは自ずとハードディスクに追い出され、物理メモリには有用なページが残される様になる。 ==== macOS ==== [[macOS]]ではUnix系をベースとしたことで仮想メモリは常に使用するようになっており、複数のスワップファイルを使用できる。デフォルト(かつアップルの推奨)ではルートパーティションに配置されるが、他のパーティションやデバイスに置くこともできる<ref>{{Cite web |url= http://arstechnica.com/reviews/os/macosx-10-1.ars/7 |title=Mac OS X 10.1 |author=John Siracusa |publisher=Ars Technica |date=October 15, 2001 |accessdate=2008-07-23}}</ref>。 コンピュータの起動時から64MBのスワップファイルが1つ作成されている。場所は/private/var/vm/以下で、swapfile''n''という名前がつけられている(''n''は0からの数字)。容量が不足するとスワップファイルは自動的に追加される。swapfile1までは64MB、以降のスワップファイルのサイズは128MB、256MB...と8の倍数で増えるのが基本だが、メモリの最大容量・ハードディスクの空き容量の1/4・1GBのいずれか小さい方を選択し容量が決定する<ref>[http://www.geocities.jp/nmuta2004/unei0610.html OS運用記録]</ref>。ひとつのスワップファイルが大きくなるのではなく複数のファイルが作成される。すなわちスワップファイルが4つなら64+64+128+256で合計512MBとなる。スワップファイルの場所はコマンドライン操作などで他のデバイスに変更できる。 スワップファイルを削除するアプリケーションも存在し、これを用いなくとも削除できる(ただし、削除後は再起動するのが望ましい)。また、一旦ログアウトしてから[[ログイン]]しなおすと再起動することなく削除できる。 macOSでは多重仮想記憶がサポートされ、仮想空間はプロセス毎に資源が分離されている。この違いが、[[Classic Mac OS]]とmacOSでの仮想記憶に対する信頼性の違いとなって現れている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} {{FOLDOC}} == 参考文献 == * John L. Hennessy, David A. Patterson, ''Computer Architecture, A Quantitative Approach'' (ISBN 1-55860-724-2) == 関連項目 == * [[仮想機械]] * [[CPU設計]] * [[単一レベル記憶]]/[[動的メモリ確保]] ** [[ページング方式]] *** [[ページ置換アルゴリズム]] ****[[ワーキングセット]] **** [[キャッシュアルゴリズム]] ** [[セグメント方式]] *** [[System/38]] * [[メモリ管理]]/[[メモリ保護]] **[[メモリアドレス]] *** [[アドレス空間]] **[[メモリ管理ユニット]] ***[[ページテーブル]] ** [[プロテクトモード]] - [[x86]] の仮想記憶が可能な動作モード == 外部リンク == * [http://archive.michigan-terminal-system.org/documentation/documents/timeSharingSupervisorPrograms-1971.pdf "Time-Sharing Supervisor Programs"] by Michael T. Alexander in ''Advanced Topics in Systems Programming'', University of Michigan Engineering Summer Conference 1970 (revised May 1971) - 仮想記憶とページングを含むリソース割り当て技法とスケジューリングについて、[[:en:CP-67|CP-67]]、[[:en:TSS/360|TSS/360]]、[[:en:Michigan Terminal System|MTS]]、[[Multics]] というメインフレーム用OSを比較している。 * [https://linux-mm.org/ LinuxMM: Linux Memory Management]. * [http://gnulinuxclub.org/index.php?option=com_content&task=view&id=161&Itemid=32 Birth of Linux Kernel], mailing list discussion. * {{Wayback|url=http://msdn2.microsoft.com/en-us/library/ms810616.aspx |title=The Virtual-Memory Manager in Windows NT, Randy Kath, Microsoft Developer Network Technology Group, 12 December 1992 |date= 20100622062522 }} {{仮想化}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:かそうきおく}} [[Category:メモリ管理]] [[Category:仮想化]]
2003-02-11T11:48:48Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E6%83%B3%E8%A8%98%E6%86%B6
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共有メモリ
情報処理において共有メモリ(きょうゆうメモリ)とは、複数のプログラムが同時並行的にアクセスするメモリである。 複数のプログラム間の通信手段として使う場合と、単に複製を用意する冗長さを防ぐ目的の場合などがある。共有メモリはプログラム間でデータをやりとりする効率的手段である。文脈によって、それらプログラムが単一のプロセッサ上で動作する場合と複数の異なるプロセッサ群上で動作する場合がある。単一のプログラムの内部でメモリを使って通信する場合もあり、例えばマルチスレッドが典型的だが、仮想空間をもともと共有している場合は「共有メモリ」とは呼ばない。 コンピュータのハードウェアによる共有メモリは、マルチプロセッサシステムにおける複数のCPUがアクセスできるRAMの(通常)大きなブロックを意味する。 共有メモリシステムでは、全プロセッサがデータを共有しているためプログラミングが比較的容易で、同じメモリ位置へのアクセスによって高速なプロセッサ間通信が可能である。問題は、CPUはなるべく高速なメモリアクセスを必要とするため、それぞれにキャッシュメモリを持っていることが多い点である。そのため、以下の2つの問題が生じる。 ボトルネック問題を和らげる技術として、クロスバースイッチ、オメガネットワーク(英語版)、HyperTransport、CPUバスの分離(フロントサイドバスとバックサイドバス、等)などがある。 共有メモリ以外の方式として分散メモリ(英語版)や分散共有メモリがあるが、どちらにも似たような問題がある。また、NUMAも参照。 GPGPUに対応したモダンなGPUは、GPUのスレッドブロック(ワークグループ、スレッドグループ)内でのみアクセス可能な共有メモリ(ローカルメモリ、グループ共有メモリ)を有している。この共有メモリは、VRAM上に確保されるグローバルメモリと比べると小容量だが高速であり、アプリケーションコードから操作可能なキャッシュメモリの役割を果たす。CUDA、OpenCL、DirectComputeのようなAPIは、それぞれ名称は異なるものの、このGPU共有メモリを利用する機能を持ち、グローバルメモリから読み出したデータをGPUのスレッドブロック内で共有したり、計算結果を交換したりする用途に活用することで、高速化を図ることができる。 ソフトウェアにおける共有メモリは、以下のいずれかを意味する。 プロセス群は共有メモリ領域に通常のメモリ領域と同じようにアクセスできるので、他のプロセス間通信(名前付きパイプ、ソケット、CORBAなど)と比較して通信手段としては非常に高速である。しかし、プロセス群が同じマシン上で動作しなければならないという制約があり(他のIPC手段はネットワーク上でも機能する)、プロセスが別々のCPU上で動作する場合はハードウェアによる共有メモリを使っていることになり、キャッシュコヒーレンシなどに注意が必要となる。プロセス間の通信がFIFOなストリーム型の場合は、名前付きパイプも通信手段として検討すべきである。一般に共有メモリ自体は保護機能をもたないので動作は高速である。しかし共有されるメモリは不定のタイミングで複数のプロセスからアクセスされる可能性がある。競合を避ける為にはセマフォやロックなどで競合を回避しなければならない。 共有メモリによるIPCは、例えばUNIX上のXサーバとアプリケーションの間で画像を転送する場合や、WindowsのCOMライブラリで CoMarshalInterThreadInterfaceInStream() 関数が返す IStream オブジェクトの内部で使われている。一般的に共有メモリが使われるアプリケーションとしてOracleなどのデータベースがある。Unix版OracleではSGAと呼ばれる共有メモリ空間にデータベースバッファキャッシュがおかれて複数のプロセスからアクセスさせて性能の向上を図っている。 動的ライブラリは一度メモリ上に置かれると、それが複数のプロセスにマッピングされ、プロセスごとにカスタマイズされるページ群(シンボル解決に違いが生じる部分)だけが複製され、通常コピーオンライトという機構で、そのページに書き込もうとしたときにコピーが行われる。 POSIX には共有メモリの標準化APIとして POSIX Shared Memory がある。これは、sys/mman.h にある shm_open という関数を使う。POSIXのプロセス間通信(POSIX:XSI拡張の一部)には共有メモリ関数として shmat、shmctl、shmdt が含まれている。 shm_open で生成された共有メモリは永続的であり、プロセスが明示的に削除しない限りシステム内に存在し続ける。ただしこれには欠点もあり、共有メモリを削除すべきプロセスがその前に異常終了したとき、その共有メモリがシステムのシャットダウンまで残存し続けることになる。そのような問題を避けるには、mmapを使って共有メモリを作成すればよい。2つの通信しあうプロセスが同じ名前の一時ファイルをオープンし、それに対してmmapすることでファイルをメモリにマッピングする。結果として、メモリマップされたファイル(メモリマップトファイル)への変更はもう一方のプロセスからも同時に観測できる。この技法の利点は、両方のプロセスが終了したとき、OSが自動的にファイルをクローズし、共有メモリを削除する点である。 Linuxカーネル 2.6 では、RAMディスク形式の共有メモリとして /dev/shm が導入された。より正確に言えば、誰でも書き込めるメモリ内のディレクトリであり、その容量の上限は /etc/default/tmpfs で指定できる。/dev/shm 機能サポートはカーネルの設定ファイルで指定でき、デフォルトでは無効となっている。なお、RedHat や Debian ベースのディストリビューションではデフォルトで有効になっている。 Android では Linux カーネルを使用しているが、IPC 関係が一部無効になっており、独自に開発した(現在はLinuxカーネルに入っている)ashmem (anonymous shared memory) を使用している。メモリが不足したときにカーネルが解放する仕組みがあり、解放されないようにするには、ashmem_pin_region() を使い指定する。 Microsoft Windowsでは、Win32 APIのCreateFileMapping()関数を使って共有メモリ(メモリマップトファイル)を作成することができる。クライアント側プロセスはOpenFileMapping()関数を使って、ホスト側プロセスにて作成済みの共有メモリのハンドルを取得することができる。共有メモリを各プロセスのアドレス空間にマッピングするにはMapViewOfFile()関数を使う。 なおWindows APIには、CreateSharedMemory() など “-SharedMemory” の名前を持つ関数があるが、これはセキュリティ関連のAPIであり、メモリ共有のためのAPIではない。これをメモリ共有のために使用すれば、リソースを大量に消費しシステムリソースを使い果たす可能性がある。 一部のC++ライブラリは、共有メモリ機能への移植性の高いオブジェクト指向的なアクセスを提供している。例えば、Boost C++ライブラリには Boost.Interprocess があり、POCO C++ Libraries には Poco::SharedMemory、Qt には QSharedMemory クラスがある。 PHP では POSIX で定義している関数群とよく似た共有メモリ用APIが存在する。 .NET Frameworkはバージョン4でSystem.IO.MemoryMappedFiles.MemoryMappedFileクラスを標準化した。.NET CoreあるいはXamarin (Mono) を通じて、Windows以外の他のプラットフォームでも利用できる。
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情報処理において共有メモリ(きょうゆうメモリ)とは、複数のプログラムが同時並行的にアクセスするメモリである。
[[情報処理]]において'''共有メモリ'''(きょうゆうメモリ)とは、複数のプログラムが同時並行的にアクセスする[[メモリ]]である。 == 概要 == [[File:Shared memory.svg|300px|thumb|3つのプロセッサによる共有メモリシステムの図。]] 複数のプログラム間の通信手段として使う場合と、単に複製を用意する冗長さを防ぐ目的の場合などがある。共有メモリはプログラム間でデータをやりとりする効率的手段である。文脈によって、それらプログラムが単一のプロセッサ上で動作する場合と複数の異なるプロセッサ群上で動作する場合がある。単一のプログラムの内部でメモリを使って通信する場合もあり、例えば[[マルチスレッド]]が典型的だが、仮想空間をもともと共有している場合は「共有メモリ」とは呼ばない。 == ハードウェアによる共有メモリ == [[File:MMU and IOMMU.svg|thumb|]] コンピュータの[[ハードウェア]]による'''共有メモリ'''は、[[マルチプロセッシング|マルチプロセッサシステム]]における複数の[[CPU]]がアクセスできる[[Random Access Memory|RAM]]の(通常)大きなブロックを意味する。 共有メモリシステムでは、全プロセッサがデータを共有しているためプログラミングが比較的容易で、同じメモリ位置へのアクセスによって高速なプロセッサ間通信が可能である。問題は、CPUはなるべく高速なメモリアクセスを必要とするため、それぞれに[[キャッシュメモリ]]を持っていることが多い点である。そのため、以下の2つの問題が生じる。 * CPU-メモリ間が[[ボトルネック]]になりやすい。共有メモリ型コンピュータはあまりプロセッサ数を増やせない(CPUを増やしてもCPU数に比例して性能が強化されなくなる)。多くの場合、10個かそれ以下のプロセッサ数である。 * [[キャッシュコヒーレンシ]]問題。あるキャッシュ上であるメモリ位置の情報が更新され、それを他のプロセッサが必要とする場合、その更新を他のプロセッサにも反映させなければならない。さもないとそれぞれのプロセッサが一貫していないデータを使って動作することになる。そのためのプロトコルをコヒーレンシプロトコルと呼び、それがうまく機能すれば複数のプロセッサが高速に共有メモリ(上の情報)にアクセスできるようになる。しかし一方で、コヒーレンシプロトコルがオーバーヘッドとなり、性能のボトルネックになることもある。 ボトルネック問題を和らげる技術として、[[クロスバースイッチ]]、{{仮リンク|オメガネットワーク|en|Omega_network}}、[[HyperTransport]]、[[CPUバス]]の分離([[フロントサイドバス]]とバックサイドバス、等)などがある。 共有メモリ以外の方式として{{仮リンク|分散メモリ|en|distributed memory}}や[[分散共有メモリ]]があるが、どちらにも似たような問題がある。また、[[NUMA]]も参照。 === GPU内の共有メモリ === [[GPGPU]]に対応したモダンな[[Graphics Processing Unit|GPU]]は、GPUのスレッドブロック(ワークグループ、スレッドグループ)内でのみアクセス可能な共有メモリ(ローカルメモリ、グループ共有メモリ)を有している。この共有メモリは、[[VRAM]]上に確保されるグローバルメモリと比べると小容量だが高速であり、アプリケーションコードから操作可能なキャッシュメモリの役割を果たす<ref>[https://http.download.nvidia.com/developer/cuda/jp/CUDA_Programming_Basics_PartII_jp.pdf CUDAプログラミングの基本 / パート II - カーネル | NVIDIA]</ref>。[[CUDA]]、[[OpenCL]]、[[DirectCompute]]のようなAPIは、それぞれ名称は異なるものの、このGPU共有メモリを利用する機能を持ち、グローバルメモリから読み出したデータをGPUのスレッドブロック内で共有したり、計算結果を交換したりする用途に活用することで、高速化を図ることができる。 == ソフトウェアによる共有メモリ == ソフトウェアにおける'''共有メモリ'''は、以下のいずれかを意味する。 * [[プロセス間通信]] (IPC) の技法の一つ。同時に動作しているプログラム間でデータを交換する方法である。1つの[[プロセス]]がメモリ上に他のプロセスからもアクセスできる領域を作成する。 * 通常、アクセスする主体ごとにコピーを用意するようなデータがあるとき、[[仮想記憶]]機構や何らかの明示的プログラム機構を使ってそれらが同じ実体(物理メモリ)をアクセスするようマッピングすること。[[共有ライブラリ]]や{{仮リンク|Execute in place|en|Execute in place|label=XIP}} (Execute in Place) でよく使われる。 * [[スレッド (コンピュータ)|スレッド]]実装の一方式 プロセス群は共有メモリ領域に通常のメモリ領域と同じようにアクセスできるので、他のプロセス間通信([[名前付きパイプ]]、[[ソケット (BSD)|ソケット]]、[[Common Object Request Broker Architecture|CORBA]]など)と比較して通信手段としては非常に高速である。しかし、プロセス群が同じマシン上で動作しなければならないという制約があり(他のIPC手段はネットワーク上でも機能する)、プロセスが別々のCPU上で動作する場合はハードウェアによる共有メモリを使っていることになり、[[キャッシュコヒーレンシ]]などに注意が必要となる。プロセス間の通信が[[FIFO]]な[[ストリーム (プログラミング)|ストリーム]]型の場合は、名前付き[[パイプ (コンピュータ)|パイプ]]も通信手段として検討すべきである。一般に共有メモリ自体は保護機能をもたないので動作は高速である。しかし共有されるメモリは不定のタイミングで複数のプロセスからアクセスされる可能性がある。競合を避ける為には[[セマフォ]]やロックなどで競合を回避しなければならない。 共有メモリによるIPCは、例えば[[UNIX]]上の[[X Window System|Xサーバ]]とアプリケーションの間で画像を転送する場合や、[[Microsoft Windows|Windows]]の[[Component Object Model|COM]]ライブラリで <code>CoMarshalInterThreadInterfaceInStream()</code> 関数が返す <code>IStream</code> オブジェクトの内部で使われている。一般的に共有メモリが使われるアプリケーションとして[[Oracle Database|Oracle]]などのデータベースがある。Unix版OracleではSGAと呼ばれる共有メモリ空間にデータベースバッファキャッシュがおかれて複数のプロセスからアクセスさせて性能の向上を図っている。 [[ライブラリ|動的ライブラリ]]は一度メモリ上に置かれると、それが複数のプロセスにマッピングされ、プロセスごとにカスタマイズされるページ群(シンボル解決に違いが生じる部分)だけが複製され、通常[[コピーオンライト]]という機構で、そのページに書き込もうとしたときにコピーが行われる。 === UNIXでのサポート === [[POSIX]] には共有メモリの標準化APIとして ''POSIX Shared Memory'' がある。これは、sys/mman.h にある <code>shm_open</code> という関数を使う<ref>[http://www.opengroup.org/onlinepubs/007908799/xsh/shm_open.html Documentation of shm_open] from the Single UNIX Specification</ref>。POSIXのプロセス間通信(POSIX:XSI拡張の一部)には共有メモリ関数として <code>shmat</code>、<code>shmctl</code>、<code>shmdt</code> が含まれている<ref>{{Cite book| last = Robbins| first = Kay A.| coauthors = Steven Robbins| title = UNIX systems programming: communication, concurrency, and threads| url = https://books.google.co.jp/books?id=tdsZHyH9bQEC&redir_esc=y&hl=ja| accessdate = 2011-05-13| edition = 2| year = 2003| publisher = Prentice Hall PTR| isbn = 978-0-13-042411-2| page = 512| pages = 893| quote = The POSIX interprocess communication (IPC) is part of the POSIX:XSI Extension and has its origin in UNIX System V interprocess communication.}}</ref><ref>[http://www.opengroup.org/onlinepubs/007908799/xsh/sysshm.h.html Shared memory facility] from the Single UNIX Specification.</ref>。 <code>shm_open</code> で生成された共有メモリは永続的であり、プロセスが明示的に削除しない限りシステム内に存在し続ける。ただしこれには欠点もあり、共有メモリを削除すべきプロセスがその前に異常終了したとき、その共有メモリがシステムのシャットダウンまで残存し続けることになる。そのような問題を避けるには、[[mmap]]を使って共有メモリを作成すればよい<ref>{{Cite book| last = Stevens| first = Richard | title = UNIX Network Programming, Volume 2, Second Edition: Interprocess Communications.| edition = 2| year = 1999| publisher = Prentice Hall PTR| isbn = 0-13-081081-9| page = 311}}</ref>。2つの通信しあうプロセスが同じ名前の一時ファイルをオープンし、それに対してmmapすることでファイルをメモリにマッピングする。結果として、メモリマップされたファイル([[メモリマップトファイル]])への変更はもう一方のプロセスからも同時に観測できる。この技法の利点は、両方のプロセスが終了したとき、OSが自動的にファイルをクローズし、共有メモリを削除する点である。 [[Linuxカーネル]] 2.6 では、[[RAMディスク]]形式の共有メモリとして /dev/shm が導入された。より正確に言えば、誰でも書き込めるメモリ内のディレクトリであり、その容量の上限は /etc/default/tmpfs で指定できる。/dev/shm 機能サポートはカーネルの[[設定ファイル]]で指定でき、デフォルトでは無効となっている。なお、[[Red Hat Linux|RedHat]] や [[Debian]] ベースのディストリビューションではデフォルトで有効になっている。 === Androidでのサポート === [[Android (オペレーティングシステム)|Android]] では Linux カーネルを使用しているが、IPC 関係が一部無効になっており、独自に開発した(現在はLinuxカーネルに入っている)ashmem (anonymous shared memory) を使用している。メモリが不足したときにカーネルが解放する仕組みがあり、解放されないようにするには、<code>ashmem_pin_region()</code> を使い指定する。 === Windowsでのサポート === [[Microsoft Windows]]では、[[Windows API|Win32 API]]の<code>CreateFileMapping()</code>関数を使って共有メモリ([[メモリマップトファイル]])を作成することができる<ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/windows/desktop/Memory/creating-named-shared-memory Creating Named Shared Memory - Windows applications | Microsoft Docs]</ref>。クライアント側プロセスは<code>OpenFileMapping()</code>関数を使って、ホスト側プロセスにて作成済みの共有メモリのハンドルを取得することができる。共有メモリを各プロセスのアドレス空間にマッピングするには<code>MapViewOfFile()</code>関数を使う。 なおWindows APIには、<code>CreateSharedMemory()</code> <ref>[https://web.archive.org/web/20160415204025/https://msdn.microsoft.com/en-us/library/aa374778.aspx CreateSharedMemory function (Windows)], [[Internet Archive]]</ref><ref>[https://learn.microsoft.com/en-us/windows/win32/api/ntsecpkg/nc-ntsecpkg-lsa_create_shared_memory LSA_CREATE_SHARED_MEMORY (ntsecpkg.h) - Win32 apps | Microsoft Learn]</ref>など “-SharedMemory” の名前を持つ関数があるが、これはセキュリティ関連のAPIであり、メモリ共有のためのAPIではない。これをメモリ共有のために使用すれば、リソースを大量に消費しシステムリソースを使い果たす可能性がある。 === プログラミング言語ごとのサポート === 一部の[[C++]]ライブラリは、共有メモリ機能への移植性の高いオブジェクト指向的なアクセスを提供している。例えば、[[Boost C++ライブラリ]]には Boost.Interprocess があり<ref>[https://www.boost.org/doc/libs/1_80_0/doc/html/interprocess.html Chapter 16. Boost.Interprocess - 1.80.0]</ref>、[[POCO C++ Libraries]] には Poco::SharedMemory、[[Qt]] には QSharedMemory クラスがある<ref>[http://qt-project.org/doc/qt-4.8/qsharedmemory.html QSharedMemory Class Reference]</ref>。 [[PHP (プログラミング言語)|PHP]] では POSIX で定義している関数群とよく似た共有メモリ用APIが存在する<ref>[http://www.php.net/manual/ja/ref.shmop.php PHP 共有メモリ関数]</ref>。 [[.NET Framework]]はバージョン4で<code>System.IO.MemoryMappedFiles.MemoryMappedFile</code>クラス<ref>[https://docs.microsoft.com/ja-jp/dotnet/api/system.io.memorymappedfiles.memorymappedfile?view=netframework-4.7.2 MemoryMappedFile Class (System.IO.MemoryMappedFiles) | Microsoft Docs]</ref>を標準化した。[[.NET Core]]あるいは[[Xamarin]] ([[Mono (ソフトウェア)|Mono]]) を通じて、Windows以外の他のプラットフォームでも利用できる。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[分散共有メモリ]] * [[グローバル変数]] * [[ユニファイドメモリアーキテクチャ]] == 学習参考書 == * Julian Shun: "Shared-Memory Parallelism Can be Simple, Fast, and Scalable", ACM books, {{ISBN2|978-1-97000-191-4}}, {{DOI|10.1145/3018787}} (2017). == 外部リンク == * {{Man|7|shm_overview|Linux}} * [http://www.cs.cf.ac.uk/Dave/C/node27.html IPC:Shared Memory] by Dave Marshall * [http://www.kohala.com/start/unpv22e/unpv22e.chap12.pdf Shared Memory Introduction], Ch. 12 from book by Richard Stevens "UNIX Network Programming, Volume 2, Second Edition: Interprocess Communications". {{並列コンピューティング}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:きようゆうめもり}} [[Category:メモリ管理]] [[Category:プロセス間通信]] [[Category:並行計算]] [[Category:コンピュータアーキテクチャ]] [[Category:主記憶装置]]
2003-02-11T11:51:55Z
2023-10-28T23:23:34Z
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統計図表
統計図表(とうけいずひょう)は、複数の統計データの整理・視覚化・分析・解析などに用いられるグラフおよび表の総称である。ここで、グラフとは「図形を用いて視覚的に、複数の数量・標本資料の関係などを特徴付けたもの」を指す。この意味においてのグラフはしばしば「統計グラフ」と呼ばれる。 統計図表は、統計データの整理・分析・検定などの過程で用いられる。統計図表を駆使することで を視覚的に理解できる。 統計図表を適切に活用すれば など、現状把握や客観的判断を行ううえで大きな手助けとなる。統計図表を用いて、統計データの傾向などを把握することを「統計データの解釈」あるいは「資料解釈」という。 どんなときにどんなグラフを用いるのがよいのだろうか?研究やそれに準じる調査活動において統計グラフを作成する必要がある局面は など様々な状況がありえるが、どのような場合においても、 がなければ統計グラフの作成が不可能である。これについては「統計図表を作る前に」で述べる。 統計グラフの作成は方眼紙などを用いるのが基本だが、小中学校の教育の現場を除けば、最近ではExcelなどの表計算ソフト、場合によってはOriginやカレイダグラフなどの統計ソフトを用いるほうが多いと思われる。 統計図表の作成は、実験・社会調査・マーケティングなどの調査活動におけるデータの整理・分析の一環として行われる。統計グラフの作成を、調査活動自体から切り離して考えるのは難しい。何を分析するのか、何を訴えるのかによって「適切なグラフは何か」が変わってくる。一般的な見地から「正しい統計グラフを作成するための目安」(一般的な精神のほか、「棒グラフを用いるのが適切な側面」のような事例分析)を示すこと自体は可能だが、馬鹿の一つ覚えは通用しない(データマイニング参照)。それぞれの場合に応じて、工夫をこらすだけの力をもつのが必要で、そのためにはよいといわれる論文などに掲載されている統計図表を、その論旨と照らし合わせながら吟味して、目を肥やす必要がある。 また、統計データそのものがない状態で、あたかもそれがあるように偽ってグラフを作成して発表しまっては、少数の例外を除き捏造である。あくまで統計グラフの作成は、データの加工手段の一つである。「目的や着眼点に沿って散在する情報を収集する」という過程なしには成立し得ない。さらに言えば、グラフ作成の前に、データ自体に何らかの統計処理を加える場合がある。データの取得・処理の妥当性については、グラフの選択やスケールなどの設定以前の問題だが、この段階で問題がある場合には、グラフ自体の価値はなくなる。ただし、データの取得・処理の妥当性についても、統計学特に実験計画法などの体系的な学問が存在するが、安易に可否を決められる問題ではない。 先にも述べたように、グラフを作成する上では、 を明確にしておく必要がある。 たとえば「ここに全国の小学生それぞれの身長・体重・学年・学校を記したデータがあります。さぁ統計グラフを作ってください」といわれたとして、データとしては膨大であるにしても、これだけの“情報”では「どのようなグラフをどのように作成するのが適切か」を決めることはできない。つまり、 などが定まらない(「統計グラフの種類と、グラフ選択の目安」参照)。たとえば のように、同じデータを用いたとしても何を議論するのかによって適切なグラフは異なる。同じ「身長のバラつき」が見たいと言った場合でも のように、スケールの選択や場合によってはグラフの選択さえ変わってくる。無論、複数の種類のグラフを選択し得る場合もある。なお、目的が明確になったとしても、どのような問題を論じるのにはどのようなグラフがよいのかについて知らねば、どうにもならないが、これについては後述する。 グラフ作成の下準備の過程は、概ね下記のとおりである。 より一般に、グラフを作成するという問題は「『主張すべき事柄』を論証するための素材をどのような素材を集め、それをどのように配置するか」という問題の一部である。統計グラフの作成までの具体的な手順は、人それぞれで状況次第ではあるが、どのような場合においても「どのようなデータからどのような知見を得ようとするのか」がある程度定まらなければ作成できない。そのため統計グラフ作成の手順は、研究の手順とほぼ同じで、概ね 「目的や着眼点に沿って散在する情報を集約した後、それを整理・分析し、特徴・傾向を見出す」という過程を経る。当然の話だが、これらの各段階が適切に行われていることが、グラフ自体の適切・不適切を決める。 統計グラフの分類は、人によって様々だが、よく使われるものから順に などがある。これらそれぞれの説明は、それぞれの項目に委ねる。 統計グラフ選択の目安を以下に示す。 自然科学、社会科学、人文科学を問わず、統計を根拠とした実証性が求められる研究分野では、データの整理・分析の一環として、統計図表を作成する局面が多数ある。具体的には、 など様々な状況がありえる。 そして、いずれの分野においても、 といった場面が挙げられる。 変量同士の相関を議論することが主となる場合には、実際に用いられるグラフのほとんどが散布図である。そのほか等高線図や2次元分布図等の広い意味でのカラーグラフ(2D・3D)、棒グラフである。棒グラフはヒストグラムの提示に用いられるのがほとんどである。3Dグラフは、正しく使えば値の3次元的な分布を正確かつ直感的に伝えることができるため、特に最近では、権威ある査読つき論文においてもよく使われている。箇条書きにすると、以下がよく使われる。 統計処理に際し、本来的に「データは連続的な量として取得されているはず」という暗黙の前提があり、物理学・化学・工学・経済学・心理学問わず「変量同士の相関」を見るのが主な目的であるため、理想的には関数グラフのようなものを得たいという考えが暗にある。そのため圧倒的大多数において散布図を用いて という処理が行われる。作成される散布図は、少数のデータから全体像を推測する場合には、「実際のデータの測定値」をそのまま散布図上に書き込むことが多い。データのラベルが離散的で、かつデータの量が充分多数で、そのデータの分布が正規分布に従っている場合には、ラベルごとの平均値のみをプロットし、それに適切なエラーバーをつける方法で作成されることが多い。 コンピュータ技術の進展により、統計グラフと画像(写真)の区別が曖昧になってきているという傾向がある。デジタル化された画像は空間座標・色の2種類の系列からなる情報の相関関係を2次元的あるいは3次元的に示したある種のカラーグラフの一種でしかなく、実際カラーグラフとして作成された等高線図などと解像度や、数字の羅列としてのデータ自体のみからでは区別がつかない。 初等教育の過程で重視される折れ線グラフは、ロードマップなどの未来技術予測などには多用されるものの、 などの理由から、ほとんどの場合は散布図にとってかわられている。 データのないグラフが描かれる場合もある。例えばある考えを主張する場合、それを説明するために、言葉で行うのが普通であるが、おそらくデータがあればこうなる、という形でグラフが活用されることがある。 例えば島嶼生態学における種数平衡説は、海洋島における生物の種数を島へ新たに入植する種数と島で絶滅する種数の間の平衡によって決定されると論ずるが、前者については大陸からの距離が遠くなるほど低くなる、また後者は島が小さいほど高くなるということは容易に想像できる。これをグラフ化すれば、両者の曲線が中程の特定の点で交差し、そこがその島の種数の平衡点にあたることになるだろうことが容易に理解できる。この場合、実際にその曲線がどのような形であるかは実際の調査が必要であろうが、いずれにせよ右上がり、右下がりであれば議論が成立するので、グラフを作成することは虚偽にならない範囲でそれにわかりやすさをもたらす効果がある。 最近では統計グラフの作成・解釈はノート作成、プレゼンテーション技術、文章技術などと並び、調査活動を行ううえで必要なアカデミックスキルの一つだと考えられるようになってきた。しかし、統計グラフの作成・解釈に関する系統だった指導は、あまりおこなわれていない。 小学校における算数の時間では棒グラフや折れ線グラフ、ドットプロットの扱いを習い、中学校の数学では、単元「資料の整理」の中でヒストグラムや箱ひげ図について学習する。また、高等学校の数学の教科書には「統計」の項目があり、そこでも簡単に触れられる。また、小中高を通じて、地理の時間には、社会統計や等高線の扱いを白地図などを用いて学ぶ。小中高の理科の時間にも「実験データの整理」などという意味合いで教えられることがある。大学では、学生実験などにおいて実験ノート指導などと平行して指導される。 公務員試験などでは「資料解釈」という科目として出題される。システムアドミニストレータ試験においても「状況に応じた適切なグラフ選択」の問題が出題される。また、品質管理などの現場で教育されることがあり、品質管理関係の教材には、グラフの選択などに対して詳しい検討を行っているものがある。
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統計図表(とうけいずひょう)は、複数の統計データの整理・視覚化・分析・解析などに用いられるグラフおよび表の総称である。ここで、グラフとは「図形を用いて視覚的に、複数の数量・標本資料の関係などを特徴付けたもの」を指す。この意味においてのグラフはしばしば「統計グラフ」と呼ばれる。 統計図表は、統計データの整理・分析・検定などの過程で用いられる。統計図表を駆使することで 調査活動によって得られた数量(統計データ)の特徴(増減の傾向の型、集団の構成など) 統計データ同士の関係(相関関係など) を視覚的に理解できる。
{{独自研究|date=2010年9月}} {{WikipediaPage|ウィキペディアにおける表の作成方法については[[Help:表の作り方]]を、棒グラフの書き方については[[Help:棒グラフの書き方]]をご覧ください。}} '''統計図表'''(とうけいずひょう)は、複数の[[統計]]データの整理・視覚化・[[分析]]・[[解析]]などに用いられるグラフ<ref name="hosaka">内田治『グラフ活用の技術 データの分析からプレゼンテーションまで』</ref><ref name="minamike">南川利雄『表とグラフの作り方』</ref><ref name="yamamoto">山本 義郎『レポート・プレゼンに強くなるグラフの表現術』([[講談社現代新書]])</ref><ref name="tohoku">[http://jikken.he.tohoku.ac.jp/ri/modules/tinyd4/index.php?id=3 東北大学 自然科学総合実験 グラフの書き方]</ref><ref name="guracon">http://www.pref.chiba.jp/syozoku/b_toukei/graph-con/gr_tsukurikata.html</ref><ref name="msomai">見延 庄士郎『理系のためのレポート論文完全ナビ』</ref><ref name="KD">『実験データを正しく扱うために』</ref><ref name="Yo">吉村忠与志『厳選例題Excelで解く問題解決のための科学計算入門』</ref><ref name="DC">David Carr Baird・加藤幸弘・千川道幸・近藤康『実験法入門』(ピアソンエデュケーション)</ref><ref name="JM"> Jane C. Miller『データのとり方とまとめ方―分析化学のための統計学とケモメトリックス』(共立出版)</ref><ref name="MS">http://office.microsoft.com/ja-jp/excel/HA012337371041.aspx?pid=CH100648751041</ref><ref name="Snaegino">http://www.hulinks.co.jp/support/kaleida/plot.html#01</ref><ref name="origin">http://www.lightstone.co.jp/products/origin/graphselect.htm</ref>および[[テーブル (情報)|表]]{{要出典|date=2010年6月}}の総称である。ここで、グラフとは「[[図形]]を用いて視覚的に、複数の数量・標本資料の関係などを特徴付けたもの」を指す。この意味においてのグラフはしばしば「統計グラフ」と呼ばれる。 統計図表は、統計データの整理・分析・[[仮説検定|検定]]などの過程で用いられる。統計図表を駆使することで * [[調査]]活動によって得られた数量(統計データ)の特徴(増減の傾向の型、集団の構成など) * 統計データ同士の関係(相関関係など) を視覚的に理解できる。 == 概要 == 統計図表を適切に活用すれば * 統計データの特徴(増減など)をつかむ * 得られた統計データを系統だてて比較する など、現状把握や客観的判断を行ううえで大きな手助けとなる。統計図表を用いて、統計データの傾向などを把握することを「統計データの解釈」あるいは「資料解釈」という。 どんなときにどんなグラフを用いるのがよいのだろうか?[[研究]]やそれに準じる調査活動において統計グラフを作成する必要がある局面は * [[実験ノート]]上などの一次的な記録物や計算紙などの上でのデータの簡易的な分析 * [[実験]]・調査後に行う本格的なデータの分析 * [[論文]]・講演のスライドなどの公表用の資料 など様々な状況がありえるが、どのような場合においても、 * 「何を分析するのか」「何を主張するのか」「何を検定するのか」といった目的意識(下記統計グラフで分かること参照) * 研究目的に照らして適切に取得・処理された統計データそのもの がなければ統計グラフの作成が不可能である。これについては「[[#統計図表を作る前に|統計図表を作る前に]]」で述べる。 統計グラフの作成は[[方眼紙]]などを用いるのが基本だが、小中学校の教育の現場を除けば、最近では[[Excel]]などの[[表計算ソフト]]、場合によっては[[Origin (グラフ作成ソフト)|Origin]]や[[カレイダグラフ]]などの統計ソフトを用いるほうが多いと思われる。 == 統計図表を作る前に == 統計図表の作成は、実験・[[社会調査]]・[[マーケティング]]などの調査活動におけるデータの整理・分析の一環として行われる。統計グラフの作成を、調査活動自体から切り離して考えるのは難しい。何を分析するのか、何を訴えるのかによって「適切なグラフは何か」が変わってくる。一般的な見地から「正しい統計グラフを作成するための目安」(一般的な精神のほか、「棒グラフを用いるのが適切な側面」のような事例分析)を示すこと自体は可能だが、馬鹿の一つ覚えは通用しない([[データマイニング]]参照)。それぞれの場合に応じて、工夫をこらすだけの力をもつのが必要で、そのためにはよいといわれる論文などに掲載されている統計図表を、その論旨と照らし合わせながら吟味して、目を肥やす必要がある。 また、統計データそのものがない状態で、あたかもそれがあるように偽ってグラフを作成して発表しまっては、少数の例外を除き[[捏造]]である<ref group="注釈" name="tyu1">グラフの使い方自体を議論・評価する場合には、架空のデータを用いることは問題ない。なお、特殊な例として科学的な[[予想]]をグラフ化する場合があり、その場合はデータが存在しないことはあり得る。下に詳述する。</ref>。あくまで統計グラフの作成は、データの加工手段の一つである。「目的や着眼点に沿って散在する情報を収集する」という過程なしには成立し得ない。さらに言えば、グラフ作成の前に、データ自体に何らかの統計処理を加える場合がある。データの取得・処理の妥当性については、グラフの選択やスケールなどの設定以前の問題だが、この段階で問題がある場合には、グラフ自体の価値はなくなる。ただし、データの取得・処理の妥当性についても、[[統計学]]特に[[実験計画法]]などの体系的な学問が存在するが、安易に可否を決められる問題ではない。 先にも述べたように、グラフを作成する上では、 * 「何を分析するのか」「何を主張するのか」「何を検定するのか」といった目的意識(下記統計グラフで分かること参照) * 研究目的に照らして適切に取得、処理された統計データそのもの を明確にしておく必要がある<ref name="yamamoto" /><ref name="guracon" />。 たとえば「ここに全国の小学生それぞれの身長・体重・学年・学校を記したデータがあります。さぁ統計グラフを作ってください」といわれたとして、データとしては膨大であるにしても、これだけの“情報”では「どのようなグラフをどのように作成するのが適切か」を決めることはできない。つまり、 * 使用するグラフの種類(円グラフにするのか、棒グラフにするのかなど) * 主要なパラメータの選択(棒グラフの場合は軸の設定、円グラフの場合には分類の設定、ヒストグラムの場合には階級の設定) * スケールの選択 などが定まらない(「[[#統計グラフの種類と、グラフ選択の目安|統計グラフの種類と、グラフ選択の目安]]」参照)。たとえば * 身長のバラつき(ここでは敢えて、評価方法を特定しないために素朴なバラつきという言葉を用いる。)が見たい(普通はヒストグラムを使う) * 身長と体重の関係を見たい(普通は散分図を用いる) のように、同じデータを用いたとしても'''何を議論するのか'''によって適切なグラフは異なる。同じ「身長のバラつき」が見たいと言った場合でも * 小学2年生身長のバラつきが見たい(ヒストグラム) * 小学2年生身長のバラつきと、5年生の身長のばらつき具合を比較したい(2個のヒストグラムをスケールを統一して表示。あるいは、箱ひげ図を用いる) のように、スケールの選択や場合によってはグラフの選択さえ変わってくる。無論、複数の種類のグラフを選択し得る場合もある。なお、目的が明確になったとしても、'''どのような問題を論じるのにはどのようなグラフがよいのか'''について知らねば、どうにもならないが、これについては後述する。 グラフ作成の下準備の過程は、概ね下記のとおりである<ref name="yamamoto" /><ref name="guracon" />。 # 作成する統計グラフの主題を決める # 作成するグラフの主題に沿って必要と思われるデータを収集・整理する # データの取捨選択、主題の再検討 # どのようなグラフを作成するのかを検討する # 実際に作成する より一般に、グラフを作成するという問題は「『主張すべき事柄』を論証するための素材をどのような素材を集め、それをどのように配置するか」という問題の一部である。統計グラフの作成までの具体的な手順は、人それぞれで状況次第ではあるが、どのような場合においても「どのようなデータからどのような知見を得ようとするのか」がある程度定まらなければ作成できない。そのため統計グラフ作成の手順は、[[研究]]の手順とほぼ同じで、概ね 「目的や着眼点に沿って散在する情報を集約した後、それを整理・分析し、特徴・傾向を見出す」という過程を経る。当然の話だが、これらの各段階が適切に行われていることが、グラフ自体の適切・不適切を決める。 == 統計グラフの種類と、グラフ選択の目安 == 統計グラフの分類は、人によって様々だが、よく使われるものから順に * [[散布図]](「[[折れ線グラフ]]」を含む) * [[柱状グラフ]](特に[[ヒストグラム]]) * [[円グラフ]] * [[箱ひげ図]](場合によっては「エラーバー付き線グラフ」の一種とみなされる) などがある<ref name="yamamoto" /><ref name="guracon" /><ref name="MS" /><ref name="Snaegino" /><ref name="origin" />。これらそれぞれの説明は、それぞれの項目に委ねる。 統計グラフ選択の目安を以下に示す。<ref name="hosaka" /><ref name="minamike" /><ref name="yamamoto" /> * 1種類の系列からなるデータの時間的推移(時間との相関)- 折れ線グラフ(散布図の一種に分類されることが多い) * 2種類の系列からなるデータの相関 - 散布図 * 3種類の系列からなるデータの比較 - 2次元等高線図、[[ヒートマップ]](塗りつぶした2次元等高線図)、3次元等高線図(高次元の散布図の一種に分類されることがある) * 大きさの比較 - [[棒グラフ]] * 内訳や構成比を見る - [[円グラフ]] * ばらつきをみる - ヒストグラム(棒グラフの一種に分類されることが多い)・[[エラーバー付き線グラフ]]・箱ひげ図 == 実証的な研究分野における統計図表の活用 == [[自然科学]]、[[社会科学]]、[[人文科学]]を問わず、統計を根拠とした実証性が求められる研究分野では、データの整理・分析の一環として、統計図表を作成する局面が多数ある。具体的には、 * [[実験ノート]]上などの一次的な記録物や計算紙などの上でのデータの簡易的な分析 * 実験・調査後に行う本格的なデータの分析 * 論文・講演のスライド等の公表用の資料 など様々な状況がありえる。 そして、いずれの分野においても、 * 「何を分析するのか」「何を主張するのか」「何を検定するのか」といった目的意識 * 研究目的に照らして適切に取得・処理された統計データそのもの といった場面が挙げられる。 変量同士の相関を議論することが主となる場合には、実際に用いられるグラフのほとんどが散布図である。そのほか等高線図や2次元分布図等の広い意味でのカラーグラフ([[平面|2D]]・[[立体|3D]])、棒グラフである。棒グラフはヒストグラムの提示に用いられるのがほとんどである。3Dグラフは、正しく使えば値の3次元的な分布を正確かつ直感的に伝えることができるため、特に最近では、権威ある[[査読]]つき論文においてもよく使われている。[[箇条書き]]にすると、以下がよく使われる。 * 二次元分布図(2D mapping,カラーマッピング)<ref>[http://www.lightstone.co.jp/products/origin/gg/contour/cont03.htm Originの等高線グラフ-XYZデータから作成した等高線]</ref>・等高線図およびその[[ラインプロファイル]](断面プロファイル)<ref>[http://www.lightstone.co.jp/products/origin/gg/contour/cont05.htm Originの等高線グラフ-等高線プロファイル]</ref> * 散布図・エラーバー付き散布図およびその[[回帰曲線]] * ヒストグラム 統計処理に際し、本来的に「データは連続的な量として取得されているはず」という暗黙の前提があり、[[物理学]]・[[化学]]・[[工学]]・[[経済学]]・[[心理学]]問わず「変量同士の相関」を見るのが主な目的であるため、理想的には[[グラフ (関数)|関数グラフ]]のようなものを得たいという考えが暗にある。そのため圧倒的大多数において散布図を用いて * 2種類(あるいは3種類)のデータの相関を散布図にまとめる * そのデータに最もフィットし、現象論的にもっともらしい回帰曲線を描く([[アレニウスの式|アレニウスプロット]]など) という処理が行われる。作成される散布図は、少数のデータから全体像を推測する場合には、「実際のデータの測定値」をそのまま散布図上に書き込むことが多い。データのラベルが離散的で、かつデータの量が充分多数で、そのデータの分布が[[正規分布]]に従っている場合には、ラベルごとの[[平均値]]のみをプロットし、それに適切なエラーバーをつける方法で作成されることが多い。 コンピュータ技術の進展により、統計グラフと画像(写真)の区別が曖昧になってきているという傾向がある。デジタル化された画像は空間座標・色の2種類の系列からなる情報の相関関係を2次元的あるいは3次元的に示したある種のカラーグラフの一種でしかなく、実際カラーグラフとして作成された等高線図などと解像度や、数字の羅列としてのデータ自体のみからでは区別がつかない。 初等教育の過程で重視される折れ線グラフは、[[ロードマップ]]などの未来技術予測などには多用されるものの、 * [[自然科学]]特に物理学において時間的推移(時系列)とは「時間と測定結果の相関」に過ぎない * ExcelやOriginなど一部のグラフ作成機能を有するソフトウェアでは「散布図の各点を棒で結ぶ」という方法で折れ線グラフが作成できる * 特にExcelでは、仕様上折れ線グラフは「目盛り間隔は必ず等間隔」とされていて、ある特定の時間のデータが欠落した場合などに不自由するが、散布図として作成すればそのような問題が生じない などの理由から、ほとんどの場合は散布図にとってかわられている。 === データの存在しない場合 === データのないグラフが描かれる場合もある。例えばある考えを主張する場合、それを説明するために、言葉で行うのが普通であるが、おそらくデータがあればこうなる、という形でグラフが活用されることがある。 例えば[[島嶼生態学]]における[[種数平衡説]]は、[[海洋島]]における生物の種数を島へ新たに入植する種数と島で[[絶滅]]する種数の間の[[平衡]]によって決定されると論ずるが、前者については大陸からの距離が遠くなるほど低くなる、また後者は島が小さいほど高くなるということは容易に想像できる。これをグラフ化すれば、両者の曲線が中程の特定の点で交差し、そこがその島の種数の平衡点にあたることになるだろうことが容易に理解できる。この場合、実際にその曲線がどのような形であるかは実際の調査が必要であろうが、いずれにせよ右上がり、右下がりであれば議論が成立するので、グラフを作成することは虚偽にならない範囲でそれにわかりやすさをもたらす効果がある。 == 学校教育等における統計図表に関する指導 == 最近では統計グラフの作成・解釈はノート作成、[[プレゼンテーション]]技術、文章技術などと並び、調査活動を行ううえで必要なアカデミックスキルの一つだと考えられるようになってきた。しかし、統計グラフの作成・解釈に関する系統だった指導は、あまりおこなわれていない。 小学校における[[算数]]の時間では棒グラフや折れ線グラフ、ドットプロットの扱いを習い、中学校の[[数学]]では、単元「資料の整理」の中でヒストグラムや箱ひげ図について学習する。また、高等学校の[[数学]]の[[教科書]]には「統計」の項目があり、そこでも簡単に触れられる。また、小中高を通じて、[[地理 (科目)|地理]]の時間には、社会統計や[[等高線]]の扱いを[[白地図]]などを用いて学ぶ。小中高の[[理科]]の時間にも「実験データの整理」などという意味合いで教えられることがある。大学では、学生実験などにおいて実験ノート指導などと平行して指導される。 [[公務員試験]]などでは「資料解釈」という科目として出題される。[[システムアドミニストレータ]]試験においても「状況に応じた適切なグラフ選択」の問題が出題される。また、[[品質管理]]などの現場で教育されることがあり、品質管理関係の教材には、グラフの選択などに対して詳しい検討を行っているものがある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[統計学]] * [[グラフ (関数)]] * [[グラフィックス]] * [[3次元コンピュータグラフィックス]] * [[グラフ作成ソフト]] * [[データ可視化]] * [[片対数グラフ]] * [[両対数グラフ]] * [[視覚化]] {{統計学}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:とうけいすひよう}} [[Category:グラフ|*]] [[Category:初等数学]] [[Category:コンピュータグラフィックス]] [[Category:アカデミックスキル]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:モデリング言語]]
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木 (数学)
数学、特にグラフ理論の分野における木(き、英: tree)とは、連結で閉路を持たない(無向)グラフである。有向グラフについての木(有向木)についても論じられるが、当記事では専ら無向木を扱う(有向木については節にまとめた)。 閉路を持たない(連結であるとは限らない)グラフを森(もり、英: forest)という。木は明らかに森である。あるいは、森を一般的な場合とし、連結な森を木という、とすることもある。 n 個の点からなるグラフ T について次は同値である。 木 T には、以下のような性質がある。 上の定理から、木には必ず端末点があり、その端末点を除去すると位数の一つ小さい木が得られる。逆に言えば、位数 n の木は、位数 n − 1 の木に一つの新しい点と、これに接続する一本の新しい辺を加えて得られる。 あるノードを選んで、それを一番「上」にあると考えると、そのノードを基準として2つのノードに上下の関係を考えることが出来る(すべてのノードの組み合わせについて定義されるとは限らない)。このとき、その一番上のノードを根(ね、英: root)という。根を持つ木を単なる木と区別して根付き木という。 根つき木に関する用語は、それを家系図に見たてたものが多く使われる。 また、根つき木に関する用語として、他に以下のようなものがある。 n を自然数とする。葉ではない各点に対しその点の子の数が常に n であるような木をn分木(nぶんぎ; n-ary tree)という。特に二分木はいくつかのアルゴリズムと密接に関わるデータ構造である(ただし大抵は次で述べる有向木による二分木)。 一般に、無向木は任意の点を根とみなすことができる。それに対し有向木は、根である点をただ1つだけ持つ。辺の向きとして、根から葉に向かっている場合と、葉から根に向かっている場合とがある。混在はできない(混在してしまうと閉路ができてしまう)。 閉路を持たない任意の有向グラフは有向非巡回グラフ(Directed Acyclic Graph、DAG)である。有向木は連結な有向非巡回グラフでもあるが、連結な有向非巡回グラフが必ずしも有向木とは限らない(DAGでは子孫あるいは親の共有がある場合がある。そうするとそれは木ではない)。
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数学、特にグラフ理論の分野における木とは、連結で閉路を持たない(無向)グラフである。有向グラフについての木(有向木)についても論じられるが、当記事では専ら無向木を扱う(有向木については節にまとめた)。 閉路を持たない(連結であるとは限らない)グラフを森という。木は明らかに森である。あるいは、森を一般的な場合とし、連結な森を木という、とすることもある。
{{Redirect|樹形図|[[小比類巻かほる]]のアルバム|樹形図 (アルバム)}} {{infobox graph | name = 木 | image = [[Image:Tree graph.svg|180px]] | image_caption = 6つの頂点と5つの辺からなる木の例 | vertices = {{mvar|n}} | edges = {{mvar|''n'' &minus; 1}} | radius = | diameter = | girth = | chromatic_number = 2 | chromatic_index = | properties = }} [[数学]]、特に[[グラフ理論]]の分野における'''木'''(き、{{lang-en-short|tree}})とは、[[連結グラフ|連結]]で[[閉路]]を持たない(無向)グラフである。有向グラフについての木(有向木)についても論じられるが、当記事では専ら無向木を扱う(有向木については節にまとめた)。 閉路を持たない(連結であるとは限らない)グラフを'''森'''(もり、{{lang-en-short|forest}})という。木は明らかに森である。あるいは、森を一般的な場合とし、連結な森を木という、とすることもある。{{Main2|コンピュータ上での木の扱い|木構造 (データ構造)}} [[画像:Tree-sample1.png]] == 特徴づけ == {{mvar|n}} 個の点からなる[[グラフ理論|グラフ]] {{mvar|T}} について次は同値である{{Sfn|ウィルソン|2007|p=60}}。 {{div col|cols=2}} * {{mvar|T}} は木である * {{mvar|T}} に[[閉路]]はなく、 {{math|''n'' &minus; 1}} 本の辺を持つ * {{mvar|T}} は[[連結グラフ|連結]]で、 {{math|''n'' &minus; 1}} 本の辺を持つ * {{mvar|T}} は連結で、すべての辺は[[連結グラフ#辺連結度|橋]]である * {{mvar|T}} の任意の2点を結ぶ[[道 (グラフ理論)|道]]がちょうど1つある * {{mvar|T}} に閉路はないが、新しい辺をつけ加えると閉路が必ず1つできる {{div col end}} == 性質 == 木 {{mvar|T}} には、以下のような性質がある。 * {{mvar|T}} の2点を結ぶ {{mvar|T}} に含まれない辺 {{mvar|e}} に対して、{{math|''T'' + ''e''}} には {{mvar|e}} を通るただ一つの閉路があり、この閉路上の任意の辺 {{mvar|f}} に対して {{mvar|T}} + ''e'' - {{mvar|f}} は木となる。 * 頂点が2つ以上ある木には少なくとも2個の端末点がある。また、端末点とは[[次数 (グラフ理論)|次数]]1の点である。 上の定理から、木には必ず端末点があり、その端末点を除去すると位数の一つ小さい木が得られる。逆に言えば、位数 {{mvar|n}} の木は、位数 {{math|''n'' &minus; 1}} の木に一つの新しい点と、これに接続する一本の新しい辺を加えて得られる。 == 根つき木 == あるノードを選んで、それを一番「上」にあると考えると、そのノードを基準として2つのノードに上下の関係を考えることが出来る(すべてのノードの組み合わせについて定義されるとは限らない)。このとき、その一番上のノードを'''根'''(ね、{{lang-en-short|root}})という。根を持つ木を単なる木と区別して'''根付き木'''という。 根つき木に関する用語は、それを[[系図|家系図]]に見たてたものが多く使われる。 * 点 {{math|''v''<sub>1</sub>}} と {{math|''v''<sub>2</sub>}} が辺で結ばれており、しかも {{math|''v''<sub>1</sub>}} の方が {{math|''v''<sub>2</sub>}} よりも根に近いとき、{{math|''v''<sub>1</sub>}} は {{math|''v''<sub>2</sub>}} の'''親'''であるといい、{{math|''v''<sub>2</sub>}} は {{math|''v''<sub>1</sub>}} の'''子'''であるという。 * 点 {{math|''v''<sub>2</sub>}} と {{math|''v''<sub>3</sub>}} が共通の親を持つとき、{{math|''v''<sub>2</sub>}} と {{math|''v''<sub>3</sub>}} は'''兄弟'''という。 * 根つき木上の2点 {{math|''v''<sub>1</sub>}}, {{math|''v''<sub>2</sub>}} に対し、{{math|''v''<sub>2</sub>}} と根を結ぶ経路上に {{math|''v''<sub>1</sub>}} があるとき、{{math|''v''<sub>1</sub>}} は {{math|''v''<sub>2</sub>}} の'''先祖'''であるといい、{{math|''v''<sub>2</sub>}} は {{math|''v''<sub>1</sub>}} の'''子孫'''であるという。 また、根つき木に関する用語として、他に以下のようなものがある。 * 子を持たない点を'''葉'''という。 * 各辺の長さを1とするとき、点と根との経路の長さをその点の'''高さ'''という。また、根から最も経路の長さが長くなる点までの長さを、その木の'''高さ'''という。 == n分木 == {{mvar|n}} を自然数とする。葉ではない各点に対しその点の子の数が常に {{mvar|n}} であるような木を'''{{mvar|n}}分木'''({{mvar|n}}ぶんぎ; n-ary tree)という。特に[[二分木]]はいくつかの[[アルゴリズム]]と密接に関わる[[データ構造]]である(ただし大抵は次で述べる有向木による二分木)。 == 有向木 == 一般に、無向木は任意の点を根とみなすことができる。それに対し有向木は、根である点をただ1つだけ持つ。辺の向きとして、根から葉に向かっている場合と、葉から根に向かっている場合とがある。混在はできない(混在してしまうと閉路ができてしまう)<ref>データ構造などの実装としてはしばしば、Unixのファイルシステムにおける <code>..</code> というディレクトリエントリなどのように、逆向きのリンクを持たせることがある。</ref>。 閉路を持たない任意の有向グラフは[[有向非巡回グラフ]](Directed Acyclic Graph、DAG<ref>頻出するデータ構造であり、アクロニム風に「だぐ」と呼ばれることも多い。</ref>)である。有向木は連結な有向非巡回グラフでもあるが、連結な有向非巡回グラフが必ずしも有向木とは限らない(DAGでは子孫あるいは親の共有がある場合がある。そうするとそれは木ではない)。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |last1 = ウィルソン |first1 = R. J. |author = R. J. ウィルソン |others = 西関隆夫・西関裕子 |year = 2007 |title = [http://www.kindaikagaku.co.jp/information/kd0296.htm グラフ理論] |volume = 原書第4版 |publisher = 近代科学社 |isbn = 978-4-7649-0296-1 |ref = harv }} == 関連項目 == * [[カクタスグラフ]] * [[系統樹]] == 外部リンク == * [https://diestel-graph-theory.com/ Graph Theory (Reinhard Diestel)] {{Graph Theory-footer}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:き}} [[Category:グラフ理論]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:ダイアグラム]] [[Category:データ構造]] [[Category:組合せ論]]
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グラフ理論
グラフ理論(グラフりろん、英: Graph theory)は、ノード(節点・頂点、点)の集合とエッジ(枝・辺、線)の集合で構成されるグラフに関する数学の理論である。 グラフ(データ構造)などの応用がある。 グラフによって、様々なものの関連を表すことができる。 例えば、鉄道や路線バス等の路線図を考える際には、駅(節点)がどのように路線(辺)で結ばれているかが問題となる一方、線路が具体的にどのような曲線を描いているかは本質的な問題とならないことが多い。 したがって、路線図では駅間の距離や微妙な配置、路線の形状などがしばしば地理上の実際とは異なって描かれている。つまり、路線図の利用者にとっては、駅と駅の「つながり方」が主に重要な情報なのである。 このように、「つながり方」に着目して抽象化された「点とそれらをむすぶ線」の概念がグラフであり、グラフがもつ様々な性質を探求するのがグラフ理論である。 つながり方だけではなく「どちらからどちらにつながっているか」をも問題にする場合、エッジに矢印をつける。このようなグラフを有向グラフ、または、ダイグラフという。矢印のないグラフは、無向グラフという。 グラフを表現するのに、図ではなく、隣接行列を用いることがある。無向グラフの隣接行列は、対称行列になる。例えば、上のグラフは、次の隣接行列で表現できる。 日常的な問題や工学的問題の多くをグラフとして考えることができる。 グラフ理論は、1736年に「ケーニヒスベルクの問題」と呼ばれるパズルに対してオイラーが解法を示したのが起源のひとつとされる。この問題は、一筆書きと深く関連している。 集合 V , E と、E の元(げん、要素)に、二つの V を元の対で対応させる写像 の三つ組 を有向グラフという。V の元を G の頂点またはノード、E の元を G の辺または弧と呼ぶ。f(e)=(v, v)となるe∈Eはループに対応し、f(a)=f(b)となるa,b∈Eは多重辺に対応する。 P(V) を V の冪集合とする。E の元に V の 部分集合を対応させる写像 があって、E の任意の元 e について、e の像 g(e) の濃度が1または2であるとき、三つ組 を無向グラフという。V の元を G の頂点、E の元を G の辺と呼ぶ。 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グラフは物理学的、生物学的、社会的、および情報システムにおける多くの種類の関係と過程をモデル化するために使うことができる。多くの現実的問題はグラフによって表すことができる。現実世界のシステムへの応用を強調する時には、「ネットワーク」という用語がグラフを意味するために定義されることがある。このグラフでは、属性(例えば名前)が頂点および辺と関連付けられる。現実世界のシステムをネットワークとして表現し理解する主題はネットワーク科学(英語版)と呼ばれる。 計算機科学において、グラフはコミュニケーション、データ編成、計算装置、計算の流れ等のネットワークを表すために使われる。例えば、ウェブサイトのリンク構造は有向グラフとして表すことができる。ここでは、頂点がウェブページを表し、有向辺があるページから別のページへのリンクを表す。同様のアプローチを、ソーシャルメディア、旅行、生物学、コンピュータチップ設計、神経変性疾患の進行のマッピング、そしてその他多くの分野における課題について取ることができる。したがって、グラフを取り扱うためのアルゴリズムの開発が計算機科学における主要な興味である。グラフの変換(英語版)はグラフ書換え系によってしばしば定式化され、表現される。グラフ変換系と相補的なグラフの規則に基づくメモリー内操作に注目したシステムが、グラフ構造を持つデータのトランザクションセーフで永続的な格納と問い合わせに対応したグラフデータベース(英語版)である。 様々な形式のグラフ理論的手法は言語学において特に有用であることが証明されている。これは、自然言語がしばしば離散構造へとよく適しているためである。伝統的に、統語論と合成意味論は木構造に従い、それらの表現力は、階層的グラフによってモデル化される構成性の原理(英語版)に密接に関係する。主辞駆動句構造文法といったより現代的な手法は型付き素性構造(これは有向非巡回グラフである)を用いて自然言語の構文をモデル化する。語彙意味論内、特に計算機へ応用としては、単語の意味のモデル化は、与えられた単語が関連する単語の観点から理解される時により容易である。したがって意味ネットワークは計算言語学において重要である。今で、哲学(例えば、格子グラフ(英語版)を用いる最適性理論)や形態論(例えば有限状態トランスデューサ(英語版)を用いる有限状態形態論)におけるその他の手法は、グラフとしての言語の解析において一般的である。実際、この数学の分野の言語学への有用性は、TextGraphs、WordNetやVerbNet(英語版)といった様々な "Net" プロジェクトのような組織を生んできた。 グラフ理論は化学および物理学において分子を研究するためにも使われる。凝縮系物理学では、シミュレーションした複雑な原子構造の3次元構造は、原子のトポロジーに関連したグラフ理論的性質に関する統計量を集めることによって定量的に研究することができる。また、ファインマンの計算のグラフと規則は、理解したい実験的数字と密接に関係した形式で量子場理論を要約する。化学では、グラフは分子についての自然な模型を作り、ここでは頂点が原子、辺が結合を表わす。このアプローチは分子構造の計算処理(分子エディタからデータベース探索まで)において特に使われる。統計物理学では、グラフは系の相互作用している部位間の局所的つながりや、こういった系における物理的過程のダイナミクスを表わすことができる。同様に、計算論的神経科学では、グラフは様々な認知過程を生じさせるために相互作用する脳領域間の機能的結合を表わすために使うことができる。ここでは、頂点が脳の異なる領域を表わし、辺がそれらの領域間の結合を表わす。グラフ理論は電気回路網の電気的モデリングにおいて重要な役割を果たす。ここで、重みはネットワーク構造の電気的性質を得るために有線部分の抵抗と関連付けられる。グラフは多孔質材料のミクロスケールチャネルを表わすらために使うこともできる。ここでは、頂点が孔を表わし、辺が孔間をつなぐより小さなチャネルを表わす。化学グラフ理論は分子をモデル化する手段として分子グラフを使用する。 グラフ理論は社会学においても、例えば、特に社会ネットワーク分析ソフトウェアを使って俳優の名声を見積ったり(英語版)、うわさの広がりを調査したりする手段として広く使われている。社会ネットワークの傘の下に、多くの異なる種類のグラフがある。知り合い関係グラフと友情関係グラフは人々が知り合いかどうかを記述する。影響グラフは特定の人々が他者の振る舞いに影響するかどうかをモデル化する。最後に、協調グラフは2人の人物が、映画で一緒に演技するといったある特定のやり方で協力するかどうかをモデル化する。 同じく、グラフ理論は生物学および保全の取り組みにおいて有用である。ここでは、頂点が特定の種が存在(または生息)する地域を表わすことができ、辺は地域間の移動経路または移動を表わす。この情報は、繁殖パターンを見る時や、病気や寄生虫の広がり、移動が他の種にどのように影響しうるかを追跡するために重要である。 グラフ理論はコネクトミクスでも使われる。神経系はグラフとして見ることができる。ここで、節点はニューロンであり、辺はニューロン間のつながりである。 数学では、グラフは幾何学ならびに結び目理論といったトポロジーの特定の分野において有用である。代数的グラフ理論は群論と密接なつながりを持つ。代数的グラフ理論は動的系や複雑性を含む多くの分野に応用されている。 グラフ構造は、グラフのそれぞれの辺に重みを割り当てることによって拡張することができる。重み付きグラフは、対ごとのつながりが何らかの数値を持つ構造を表わすために使われる。例えば、グラフが道路網を表わすとすると、重みは各道路の長さを表わすことができるだろう。それぞれの辺に関連した複数の重み(距離、旅行時間、金銭的コストなど)が存在するかもしれない。このような重み付きグラフはGPSおよび飛行時間と費用を比較する旅行計画探索エンジンをプログラムするために一般的に使われる。 2022年から日本で導入される高等学校新学習指導要領の数学C(公式配布されるのは2024年4月)には「図、表、統計グラフ、離散グラフ及び行列などを用いて、日常の事象や社会の事象などを数学的に表現し、考察すること」とあり、日本では初めてグラフ理論にかかわる分野が高等学校の数学教科書に掲載される予定である。ただし、その分野を入試に出題する大学は殆どない。
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"備考" } ]
グラフ理論は、ノード(節点・頂点、点)の集合とエッジ(枝・辺、線)の集合で構成されるグラフに関する数学の理論である。 グラフ(データ構造)などの応用がある。
'''グラフ理論'''(グラフりろん、{{lang-en-short|Graph theory}})は、'''ノード'''('''節点'''・'''頂点、点''')の集合と'''エッジ'''('''枝'''・'''辺、線''')の集合で構成される'''[[グラフ (離散数学)|グラフ]]'''に関する[[数学]]の[[理論]]である。 [[グラフ (データ構造)|グラフ(データ構造)]]などの応用がある。 == 概要 == グラフによって、様々なものの関連を表すことができる。 [[画像:6n-graf.svg|frame|6つの節点と7つの辺から成るグラフの一例]] 例えば、[[鉄道]]や[[路線バス]]等の[[路線図]]を考える際には、[[鉄道駅|駅]](節点)がどのように[[路線]](辺)で結ばれているかが問題となる一方、[[線路 (鉄道)|線路]]が具体的にどのような曲線を描いているかは本質的な問題とならないことが多い。 したがって、路線図では駅間の距離や微妙な配置、路線の形状などがしばしば地理上の実際とは異なって描かれている。つまり、路線図の利用者にとっては、駅と駅の「つながり方」が主に重要な情報なのである。 このように、「つながり方」に着目して抽象化された「点とそれらをむすぶ線」の[[概念]]が'''グラフ'''であり<ref>[http://www.kobepharma-u.ac.jp/knot/document/sec3.pdf 概念]</ref>、グラフがもつ様々な性質を探求するのが'''グラフ理論'''である。 つながり方だけではなく「どちらからどちらにつながっているか」をも問題にする場合、エッジに[[矢印]]をつける。このようなグラフを'''[[有向グラフ]]'''、または、ダイグラフという。矢印のないグラフは、'''[[無向グラフ]]'''という。 グラフを表現するのに、図ではなく、[[隣接行列]]を用いることがある。無向グラフの隣接行列は、対称行列になる。例えば、上のグラフは、次の隣接行列で表現できる。 :<math>\begin{pmatrix} 0 & 1 & 0 & 0 & 1 & 0\\ 1 & 0 & 1 & 0 & 1 & 0\\ 0 & 1 & 0 & 1 & 0 & 0\\ 0 & 0 & 1 & 0 & 1 & 1\\ 1 & 1 & 0 & 1 & 0 & 0\\ 0 & 0 & 0 & 1 & 0 & 0\\ \end{pmatrix}</math> === グラフの例 === {{main|グラフ (離散数学)}} 日常的な問題や工学的問題の多くをグラフとして考えることができる。 *路線図: 前節のとおり。 *[[電気回路]]: [[回路図]]を書く場合、実際の[[リード線]]どおりの形状に図を描いたりはしない。この場合も、「[[接点]]がどうつながっているか」だけが問題であって、「つながり方」を保ちつつできるだけ見やすい形に絵を描く。回路図は一種のグラフである。 *WWWの構造: [[World Wide Web|WWW]]における[[ウェブページ]]の、[[ハイパーリンク]]・被リンク関係がなす構造は、有向グラフの一種である<ref>[http://boost.cppll.jp/HEAD/libs/graph/doc/graph_theory_review.html ハイパーリンク]</ref>。 == 起源 == グラフ理論は、[[1736年]]に「[[一筆書き#ケーニヒスベルクの七つの橋問題|ケーニヒスベルクの問題]]」と呼ばれるパズルに対して[[レオンハルト・オイラー|オイラー]]が解法を示した<ref> ([[ラテン語]]) Leonhard Euler - Solutio problematis ad geometriam situs pertinentis, Commentarii academiae scientiarum Petropolitanae 8, 1741, pages 128–140. [http://eulerarchive.maa.org/pages/E053.html Konigsberg Bridge problem]を参照。</ref><ref>Diestel, p. 20</ref>のが起源のひとつとされる<ref>グラフ理論の歴史を扱っている{{harvtxt|Biggs et al.|1998}}にオイラーの論文の英訳を含む節がある。</ref>。この問題は、[[一筆書き]]と深く関連している<ref>詳しくは、[[一筆書き]]の項を参照。</ref>。 == 形式的な定義 == === 有向グラフ === [[集合]] ''V'' , ''E'' と、''E'' の[[元_(数学)|元]](げん、要素)に、二つの ''V'' を元の対で対応させる[[写像]] :<math>f\colon\ E \to V \times V</math> の三つ組 :<math>G := (f, V, E)</math> を'''有向グラフ'''という。''V'' の元を ''G'' の'''頂点'''または'''ノード'''、''E'' の元を ''G'' の'''辺'''または'''弧'''と呼ぶ。''f(e)=(v, v)となるe∈Eはループに対応し、f(a)=f(b)となるa,b∈Eは多重辺に対応する。'' === 無向グラフ === P(''V'') を ''V'' の[[冪集合]]とする。''E'' の元に ''V'' の [[部分集合]]を対応させる写像 :<math>g\colon\ E \to P(V)</math> があって、''E'' の任意の元 ''e'' について、''e'' の像 ''g(e)'' の濃度が1または2であるとき、三つ組 :<math>G := (g, V, E)</math> を'''無向グラフ'''という<ref>[http://www.dais.is.tohoku.ac.jp/~shioura/teaching/ad11/ad11-09.pdf 無向グラフと有向グラフ]</ref>。''V'' の元を ''G'' の頂点、''E'' の元を ''G'' の辺と呼ぶ。 ''g(e)の濃度が1となるe∈Eはループに対応し、g(a)=g(b)となるa,b∈Eは多重辺に対応する。'' ''単純グラフに限って言えば、E'' を最初からある集合の部分集合と考え、写像を用いずにグラフを定義することもできる:有向グラフでは、''E'' を ''V''&times;''V'' の部分集合、無向グラフでは、''E'' を P(''V'') の部分集合で、2つの元の集合だけからなるものとすればよい。 == 用語 == 以下では単にグラフといった時には無向グラフを指す。 === 頂点と辺 === '''頂点'''の集合は<math>V</math>、'''辺'''の集合は<math>E</math>で表す。グラフ<math>G</math>が先に与えられている場合には、頂点集合を<math>V(G)</math>、辺集合を<math>E(G)</math> と表すこともある<ref name="Diestel-§1.1">{{harvnb|ディーステル|2000|loc={{google books quote|id=CZq8AAAAQBAJ|page=2|1.1 グラフ}}}}</ref>。 数学以外の分野では、頂点を'''節点'''、辺を'''枝'''と呼ぶことが多い。辺を'''弧'''や'''リンク'''と呼ぶこともある。 === 重み付きグラフ === グラフの辺に'''重み'''('''コスト''')が付いているグラフを、'''重み付きグラフ'''と呼ぶ{{sfn|Bondy|Murty|2008|p=50}}。乗換案内図の場合、駅間の所要時間が「重み」にあたる。重み付きグラフは'''ネットワーク'''とも呼ばれる([[フローネットワーク]], [[ベイジアンネットワーク]], [[ニューラルネットワーク]]など)。 === 接合と隣接 === 辺<math>e</math>の両端の点を'''端点'''といい、端点は辺<math>e</math>に'''接合'''(または接続)しているという。また、辺と辺がある頂点を共有しているとき、その辺どうしは'''隣接'''しているという<ref name="Diestel-§1.1" />。 === 距離と直径 === 2頂点間(隣接している必要はない)を経由する辺数を'''長さ'''と呼び、特に最短経路における辺数を'''距離'''と呼ぶ。グラフ ''G'' の最大頂点間距離を'''直径'''と呼び、diam(''G'') と表す{{sfn|ディーステル|2000|p={{google books quote|id=CZq8AAAAQBAJ|page=10|10}}}}。 === ループと多重グラフ === ある辺の両端点が等しいとき、'''ループ'''('''自己ループ''')という。また、2頂点間に複数の辺があるとき、'''多重辺'''という。ループも多重辺も含まないグラフのことを'''単純グラフ'''といい、ループや多重辺を含むグラフのことを'''多重グラフ'''という<ref>[http://www.di.kagawa-nct.ac.jp/~matusita/Arena/graph-and-algorithm/page01-03.html 多重グラフ]</ref>。 === 部分グラフと拡大グラフ === [[File:Edge contraction.svg|thumb|縮約の図示]] 2つのグラフ<math>G</math>と<math>G'</math> について、<math>G' </math>の頂点集合と辺集合が共に<math>G</math>の頂点集合と辺集合の部分集合になっているとき、<math>G'</math>は<math>G</math>の'''部分グラフ'''である、または<math>G</math>は<math>G'</math> の'''拡大グラフ'''であるといい、<math>G' \subseteq G</math>と表す<ref name="Diestel-§1.1" />。特に、<math>G</math>と<math>G'</math>の頂点集合が等しいとき、<math>G'</math>は<math>G</math>の'''全域部分グラフ'''であるという。また、<math>G</math> の頂点集合 <math>V</math> の部分集合 <math>U</math> を取り出して、両端点が <math>U</math> に属する全ての辺を辺集合とする ''G'' の部分グラフ <math>G[U]</math> を、'''誘導部分グラフ'''という。グラフ <math>G</math> からある辺 <math>e</math> を取り除き、その辺の両端点を一つの頂点にまとめることを(辺の)'''縮約'''といい、縮約の結果得られるグラフを <math>G/e</math> と表す。 なお、誘導部分グラフの「誘導」はinducedの訳語である。induceの訳としてはこの「誘導する」の他に「生成する」がある<ref>ベルジュ「グラフの理論I」p.8.</ref><ref>ディーステル, 2000</ref>。このため、誘導部分グラフのことを生成部分グラフということもある<ref>茨木「アルゴリズムとデータ構造」</ref>。一方、生成部分グラフは全域部分グラフのことを指すこともある。このため、生成部分グラフという語を使う際は、混乱がないか気を付ける必要がある。 === 次数と正則グラフ === {{See also|次数 (グラフ理論)}} [[File:3r3c well-covered.svg|thumb|3-正則グラフの例]] 頂点 <math>v</math> に接続する枝の数を'''[[次数 (グラフ理論)|次数]]'''といい、<math>d(v)</math> で表す。有向グラフにおいては、<math>v</math> に入ってくる辺数のことを'''入次数'''、<math>v</math> から出て行く辺数のことを'''出次数'''という。すべての頂点が同数の隣接点、つまり次数をもつグラフを'''[[正則グラフ]]'''と呼ぶ{{sfn|ディーステル|2000|p={{google books quote|id=CZq8AAAAQBAJ|page=6|6}}}}。任意の頂点 <math>v</math> について、<math>d(v)=k</math> が成り立つとき、'''''k'' -正則'''という。''k'' -正則なグラフのことを''k'' -正則グラフという。グラフ <math>G</math> が持つ頂点の次数の最小値を <math>\delta(G)</math>、最大値を <math>\Delta(G)</math> で表す。また、次数 0 の頂点のことを'''孤立点'''という。 === 道と閉路 === 隣接している頂点同士をたどった <math>v_0,~ e_0,~ v_1,~ e_1, ... ,~ e_{n-1},~ v_n</math> の系列を長さ ''n'' (&ge; 0) の'''歩道'''('''鎖'''・'''ウォーク''')という。辺の重複を許さない歩道を'''路'''('''小径'''・'''トレイル''')という{{sfn|Bondy|Murty|2008|p=80}}。頂点の重複を許さない場合、つまり、両端の2頂点の次数が1、それ以外のすべての頂点の次数が2であるグラフを、'''[[道 (グラフ理論)|道]]'''('''パス''')、開いた歩道をパスという場合は'''単純パス'''という。また、始点と終点が同じ路のことを'''[[閉路]]'''('''回路'''・'''循環''' ・'''サーキット'''、'''サイクル''')、始点と終点が同じ道(つまり<math>e_1,~ e_2,~ ... ,~ e_n,~ e_1</math>という路で<math> e_i ~</math>が相異なるもの)のことを'''[[閉道]]'''('''サイクル''')という<ref>[http://logic.cs.tsukuba.ac.jp/~kam/discrete/text/5.pdf 閉路]</ref>。 === 完全グラフとクリーク === [[File:Complete graph K3.svg|thumb|3頂点からなる完全グラフ:三角形]] 任意の 2 頂点間に枝があるグラフのことを'''[[完全グラフ]]'''('''完備グラフ''')という<ref name="Diestel-§1.1" /><ref>Diestel, p. 115</ref>。<math>n</math> 頂点の完全グラフは、<math>K_n</math> で表す。<math>K_3</math> は三角形と呼ばれる。また、完全グラフになる[[誘導部分グラフ]]のことを'''[[クリーク (グラフ理論)|クリーク]]'''という。大きさ(サイズ) <math>n</math> のクリークを含むグラフは「''n''-クリークである」という。辺をもつグラフは必ず2頂点の完全グラフを含むので 2-クリークである。また ''n''-クリークであって、直径が ''n'' 未満となるグラフを ''n''-クランという。 === その他の用語 === {{columns-list|2| *[[オイラー路]](オイラー閉路・オイラーグラフ) *[[ハミルトン路]](ハミルトン閉路・ハミルトングラフ) *[[木 (数学)|木]] (根つき木・森) **[[全域木]] **[[シュタイナー木]] *[[直径]] *[[カット (グラフ理論)|カット]] *[[2部グラフ]] (''n'' 部グラフ・彩色) *[[同型グラフ]] *[[連結グラフ]] (連結成分・連結度) *[[平面グラフ]] (平面的グラフ) *[[隣接行列]] *[[接続行列]] *[[次数行列]] *[[対称グラフ]] *[[マッチング (グラフ理論)|マッチング]] *[[閉路グラフ]] *[[有向非巡回グラフ]] *[[独立集合]] *{{仮リンク|ランダム・グラフ|en|Random graph}} *{{仮リンク|マイナー (グラフ理論)|en|Graph minor}} *{{仮リンク|グラフ代数|en|Graph algebra}} *[[空グラフ]] *[[量子グラフ]] }} == 応用 == {{columns-list|2| *[[デッドロック]]の検出 *[[ガベージコレクション]] *[[ファイルシステム]] *[[ニューラルネットワーク]] *[[ペトリネット]] *[[ループ量子重力理論]] *[[グラフ彩色#スケジューリング|スケジューリング問題]] *[[意味ネットワーク]] *[[パーコレーション]] *{{仮リンク|複合進化|en|Dual-phase evolution}} *[[PERT]] *[[全域木]] *[[タングル]] *[[結び目理論]] }} [[File:Wikipedia multilingual network graph July 2013.svg|thumb|2013年の夏の1カ月の間に異なる言語版のWikipedia(頂点)に貢献したWikipedia編集者(辺)によって形成されたネットワークグラフ<ref>{{Cite journal|arxiv=1312.0976|last1=Hale|first1=Scott A.|title=Multilinguals and Wikipedia Editing|year=2013|doi=10.1145/2615569.2615684|journal=Proceedings of the 2014 ACM Conference on Web Science - WebSci '14|pages=99–108|isbn=9781450326223}}</ref>。]] グラフは物理学的、生物学的<ref>{{cite journal |last=Mashaghi |first=A. |title=Investigation of a protein complex network |journal=European Physical Journal B |volume=41 |issue=1 |pages=113–121 |year=2004 |doi=10.1140/epjb/e2004-00301-0 |display-authors=etal|arxiv=cond-mat/0304207 |bibcode=2004EPJB...41..113M }}</ref><ref name="名前なし-1">{{Cite journal|last=Shah|first=Preya|last2=Ashourvan|first2=Arian|last3=Mikhail|first3=Fadi|last4=Pines|first4=Adam|last5=Kini|first5=Lohith|last6=Oechsel|first6=Kelly|last7=Das|first7=Sandhitsu R|last8=Stein|first8=Joel M|last9=Shinohara|first9=Russell T|date=2019-07-01|title=Characterizing the role of the structural connectome in seizure dynamics|url=https://academic.oup.com/brain/article/142/7/1955/5491072|journal=Brain|language=en|volume=142|issue=7|pages=1955–1972|doi=10.1093/brain/awz125|issn=0006-8950}}</ref>、社会的、および情報システムにおける多くの種類の関係と過程をモデル化するために使うことができる。多くの現実的問題はグラフによって表すことができる。現実世界のシステムへの応用を強調する時には、「ネットワーク」という用語がグラフを意味するために定義されることがある。このグラフでは、属性(例えば名前)が頂点および辺と関連付けられる。現実世界のシステムをネットワークとして表現し理解する主題は{{仮リンク|ネットワーク科学|en|Network science}}と呼ばれる。 === 計算機科学 === [[計算機科学]]において、グラフはコミュニケーション、データ編成、計算装置、計算の流れ等のネットワークを表すために使われる。例えば、[[ウェブサイト]]のリンク構造は有向グラフとして表すことができる。ここでは、頂点がウェブページを表し、有向辺があるページから別のページへの[[ハイパーリンク|リンク]]を表す。同様のアプローチを、ソーシャルメディア<ref>{{Cite journal | volume = 3| issue = 1| last = Grandjean| first = Martin| title = A social network analysis of Twitter: Mapping the digital humanities community| journal =Cogent Arts & Humanities| date = 2016| pages = 1171458|doi=10.1080/23311983.2016.1171458}}</ref>、旅行、生物学、コンピュータチップ設計、神経変性疾患の進行のマッピング<ref>{{Cite Journal | volume = 11| issue = 2| last = Vecchio | first = F| title = "Small World" architecture in brain connectivity and hippocampal volume in Alzheimer's disease: a study via graph theory from EEG data| journal =Brain Imaging and Behavior| date = 2017| pages = 473–485| pmid =26960946 | doi = 10.1007/s11682-016-9528-3}}</ref><ref>{{Cite Journal | volume = 81| issue = 2| last = Vecchio | first = F| title = Brain network connectivity assessed using graph theory in frontotemporal dementia| journal = Neurology| date = 2013| pages = 134–143| doi = 10.1212/WNL.0b013e31829a33f8}}</ref>、そしてその他多くの分野における課題について取ることができる。したがって、グラフを取り扱うための[[アルゴリズム]]の開発が計算機科学における主要な興味である。{{仮リンク|グラフ書換え|en|Graph rewriting|label=グラフの変換}}はグラフ書換え系によってしばしば定式化され、表現される。グラフ変換系と相補的なグラフの規則に基づくメモリー内操作に注目したシステムが、[[グラフ (データ構造)|グラフ構造を持つデータ]]の[[トランザクション]]セーフで[[永続性|永続的]]な格納と問い合わせに対応した{{仮リンク|グラフデータベース|en|Graph database}}である。 === 言語学 === 様々な形式のグラフ理論的手法は[[言語学]]において特に有用であることが証明されている。これは、自然言語がしばしば離散構造へとよく適しているためである。伝統的に、[[統語論]]と[[合成意味論]]は木構造に従い、それらの表現力は、階層的グラフによってモデル化される{{仮リンク|構成性の原理|en|Principle of compositionality}}に密接に関係する。[[主辞駆動句構造文法]]といったより現代的な手法は[[素性構造|型付き素性構造]](これは[[有向非巡回グラフ]]である)を用いて自然言語の構文をモデル化する。[[語彙意味論]]内、特に計算機へ応用としては、単語の意味のモデル化は、与えられた単語が関連する単語の観点から理解される時により容易である。したがって[[意味ネットワーク]]は[[計算言語学]]において重要である。今で、[[哲学]](例えば、{{仮リンク|格子グラフ|en|Lattice graph}}を用いる[[最適性理論]])や形態論(例えば{{仮リンク|有限状態トランスデューサ|en|Finite-state transducer}}を用いる有限状態形態論)におけるその他の手法は、グラフとしての言語の解析において一般的である。実際、この数学の分野の言語学への有用性は、TextGraphs<ref>{{cite web|url=http://www.textgraphs.org/ |title=TextGraphs: Graph-based Algorithms for Natural Language Processing|accessdate=2019-07-26}}</ref>、[[WordNet]]や{{仮リンク|VerbNet|en|VerbNet}}といった様々な "Net" プロジェクトのような組織を生んできた。 === 物理学および化学 === グラフ理論は[[化学]]および[[物理学]]において[[分子]]を研究するためにも使われる。[[物性物理学|凝縮系物理学]]では、シミュレーションした複雑な原子構造の3次元構造は、原子のトポロジーに関連したグラフ理論的性質に関する統計量を集めることによって定量的に研究することができる。また、[[ファインマン・ダイアグラム|ファインマンの計算のグラフと規則]]は、理解したい実験的数字と密接に関係した形式で[[量子場理論]]を要約する<ref>{{cite book|first=J. D.|last=Bjorken |first2=S. D. |last2=Drell |title=Relativistic Quantum Fields |publisher=McGraw-Hill |location=New York |year=1965 |page=viii }}</ref>。化学では、グラフは分子についての自然な模型を作り、ここでは頂点が[[原子]]、辺が[[化学結合|結合]]を表わす。このアプローチは分子構造の計算処理([[構造式エディタ|分子エディタ]]からデータベース探索まで)において特に使われる。[[統計物理学]]では、グラフは系の相互作用している部位間の局所的つながりや、こういった系における物理的過程のダイナミクスを表わすことができる。同様に、[[計算論的神経科学]]では、グラフは様々な認知過程を生じさせるために相互作用する脳領域間の機能的結合を表わすために使うことができる。ここでは、頂点が脳の異なる領域を表わし、辺がそれらの領域間の結合を表わす。グラフ理論は電気回路網の電気的モデリングにおいて重要な役割を果たす。ここで、[[重み]]はネットワーク構造の電気的性質を得るために有線部分の抵抗と関連付けられる<ref>{{Cite journal|last=Kumar|first=Ankush|last2=Kulkarni|first2=G. U.|date=2016-01-04|title=Evaluating conducting network based transparent electrodes from geometrical considerations|journal=Journal of Applied Physics|volume=119|issue=1|pages=015102|doi=10.1063/1.4939280|issn=0021-8979|bibcode=2016JAP...119a5102K}}</ref>。グラフは[[多孔質材料]]のミクロスケールチャネルを表わすらために使うこともできる。ここでは、頂点が孔を表わし、辺が孔間をつなぐより小さなチャネルを表わす。[[化学グラフ理論]]は分子をモデル化する手段として[[分子グラフ]]を使用する。 ===社会科学=== [[File:Moreno Sociogram 2nd Grade.png|thumb|社会学におけるグラフ理論: [[ヤコブ・モレノ|モレノ]]の{{仮リンク|ソシオグラム|en|Sociogram}}(1953年)<ref>Grandjean, Martin (2015). [http://www.martingrandjean.ch/social-network-analysis-visualization-morenos-sociograms-revisited/ "Social network analysis and visualization: Moreno’s Sociograms revisited"]. Redesigned network strictly based on Moreno (1934), ''Who Shall Survive''.</ref>。]] グラフ理論は[[社会学]]においても、例えば、特に{{仮リンク|社会ネットワーク分析|en|Social network analysis}}ソフトウェアを使って{{仮リンク|六次のケヴィン・ベーコン|en|Six Degrees of Kevin Bacon|label=俳優の名声を見積ったり}}、うわさの広がりを調査したりする手段として広く使われている。社会ネットワークの傘の下に、多くの異なる種類のグラフがある<ref>{{cite book|last=Rosen|first=Kenneth H.|title=Discrete mathematics and its applications|publisher=McGraw-Hill|location=New York|isbn=978-0-07-338309-5|edition=7th|date=2011-06-14}}</ref>。知り合い関係グラフと友情関係グラフは人々が知り合いかどうかを記述する。影響グラフは特定の人々が他者の振る舞いに影響するかどうかをモデル化する。最後に、協調グラフは2人の人物が、映画で一緒に演技するといったある特定のやり方で協力するかどうかをモデル化する。 === 生物学 === 同じく、グラフ理論は[[生物学]]および保全の取り組みにおいて有用である。ここでは、頂点が特定の種が存在(または生息)する地域を表わすことができ、辺は地域間の移動経路または移動を表わす。この情報は、繁殖パターンを見る時や、病気や寄生虫の広がり、移動が他の種にどのように影響しうるかを追跡するために重要である。 グラフ理論は[[コネクトミクス]]でも使われる<ref name="名前なし-1"/>。神経系はグラフとして見ることができる。ここで、節点はニューロンであり、辺はニューロン間のつながりである。 === 数学 === 数学では、グラフは幾何学ならびに[[結び目理論]]といったトポロジーの特定の分野において有用である。[[代数的グラフ理論]]は[[群論]]と密接なつながりを持つ。代数的グラフ理論は動的系や複雑性を含む多くの分野に応用されている。 === その他 === グラフ構造は、グラフのそれぞれの辺に重みを割り当てることによって拡張することができる。重み付きグラフは、対ごとのつながりが何らかの数値を持つ構造を表わすために使われる。例えば、グラフが道路網を表わすとすると、重みは各道路の長さを表わすことができるだろう。それぞれの辺に関連した複数の重み(距離、旅行時間、金銭的コストなど)が存在するかもしれない。このような重み付きグラフはGPSおよび飛行時間と費用を比較する旅行計画探索エンジンをプログラムするために一般的に使われる。 == 問題と定理 == {{columns-list|2| *[[最短経路問題]] *[[ハミルトン閉路問題]] *[[巡回セールスマン問題]] *[[中国人郵便配達問題]] *[[最小全域木問題]] *[[最大クリーク問題]] *[[頂点被覆問題]] *[[最大流最小カット定理]] *[[グラフ彩色]]問題 - [[四色定理]]<ref>Fritsch (2012), p. 99</ref> *[[ワーシャル-フロイド法]] (Warshall-Floyd 問題) *[[次数直径問題]] *[[安定結婚問題]] *{{仮リンク|グラフ・マイナー定理|en|Graph minor theorem}} *{{仮リンク|グラフサンドウィッチ問題|en|Graph sandwich problem}} *{{仮リンク|小石運動問題|en|Pebble motion problems}} }} == 備考 == [[2022年]]から日本で導入される高等学校新学習指導要領の数学C(公式配布されるのは[[2024年]][[4月]])には「図、表、[[統計図表|統計グラフ]]、[[離散数学|離散]]グラフ及び[[行列]]などを用いて、日常の事象や社会の事象などを数学的に表現し、考察すること」とあり、日本では初めてグラフ理論にかかわる分野が高等学校の数学教科書に掲載される予定である<ref>{{Cite web |url =https://web.archive.org/web/20181219010628/http://eic.obunsha.co.jp/resource/viewpoint-pdf/201805.pdf |title =高校「新学習指導要領」は教え方改革 - 旺文社 教育情報センター |publisher =eic.obunsha.co.jp |date = |accessdate =2019-02-01 }}</ref>。ただし、その分野を入試に出題する大学は殆どない<ref>{{Cite web |url = https://www.keinet.ne.jp/exam/2025/public/kobetsu/national/index.html |title = 国公立大学 2025年度 2次試験・個別学力検査 入試科目|website = www.keinet.ne.jp|publisher = 河合塾|date = |accessdate = 2023-06-21}}</ref>。 == 脚注 == ===出典と補足=== {{Reflist|2}} <!-- ===英語による専門用語=== {{Reflist|group=英|3}} --> == 参考文献 == *{{Cite book |和書 |last1 = ベルジュ |first1 = C. |translator = [[伊理正夫]]・伊理由美・岩坪秀一・小林欣吾・佐藤創・星守 |year = 1976 |title = グラフの理論I |publisher = [[サイエンス社]] |isbn = 4-7819-0111-5 }} *{{Cite book |和書 |last1 = ディーステル |first1 = ラインハルト |translator = 根上生也・[[太田克弘]] |year = 2000 |title = グラフ理論 |edition = 原書第2版 |url = {{google books|CZq8AAAAQBAJ|plainurl=yes}} |publisher = [[シュプリンガー・ジャパン|シュプリンガー・フェアラーク東京]] |isbn = 978-4-431-70876-6 |ref = harv }}([https://pub.maruzen.co.jp/book_magazine/book_data/search/9784621061855.html 現在は丸善に移管]) *Reinhard Diestel (2010), Graphentheorie. Springer-Verlag, Vierte Auflage, 2010 Korrigierter Nachdruck 2012 Heidelberg xviii+355 Seiten, 129 Abbildungen September 2010 (2006, 2000, 1996) ISBN 978-3-642-14911-5 EUR 32,99. *{{cite book |last1 = Biggs |first1 = Norman L. |last2 = Lloyd |first2 = E. Keith |last3 = Wilson |first3 = Robin J. |year = 1998 |title = Graph theory 1736&ndash;1936 |edition = Reprint with corrections |url = {{google books|XqYTk0sXmpoC|plainurl=yes}} |publisher = Oxford University Press |isbn = 0-19-853916-9 |mr = 0879117 |zbl = 0904.05001 |ref = {{sfnref|Biggs et al.|1998}} }} *{{cite book |last1 = Bondy |first1 = J. A. |last2 = Murty |first2 = U. S. R. |year = 2008 |title = Graph theory |series = Graduate Texts in Mathematics |volume = 244 |publisher = Springer |isbn = 978-1-84628-969-9 |mr = 2368647 |ref = harv }} *Rudolf Fritsch, Gerda Fritsch, translated by J.lie Peschke:The Four-Color Theorem (2012): History, Topological Foundations, and Idea of Proof, Springer; Softcover reprint of the original 1st edition 1998; ISBN 978-1-46127-254-0 == 関連文献 == ===日本語の文献=== * {{Cite book|和書 |author=根上生也|authorlink=根上生也 |title=離散構造 |series=情報数学講座 3 |publisher=[[共立出版]] |date=1993 |isbn=4-320-02653-5 |ref=harv }} * {{Cite book|和書 |author=秋山仁 |authorlink=秋山仁 |author2=ロナルド・ルイス・グラハム |authorlink2=ロナルド・グラハム|title=離散数学入門 |series=入門有限・離散の数学 1 |publisher=[[朝倉書店]] |date=1993 |isbn=4-254-11419-2 |ref=harv }} *[[秋山仁]] 『グラフ理論最前線』[[朝倉書店]] ISBN 978-4-254-11420-1. *[[加納幹雄]] 『[[情報科学]]のためのグラフ理論』[[朝倉書店]] ISBN 978-4-254-11424-9. *{{Cite book |和書 |last1 = ハラリー |first1 = フランク |translator = [[池田貞雄]] |year = 1971 |title = グラフ理論 |edition = |url = |publisher = 共立出版 |isbn = 978-4-320-01073-4 |ref = harv }} *{{Cite book |和書 |author= 茨木俊秀|authorlink=茨木俊秀 |year = 1986 |title = アルゴリズムとデータ構造 |url = |publisher = 昭晃堂 |isbn = 4-7856-0119-1 |ref = harv }} *[[鈴木晋一]]編著 『数学教材としてのグラフ理論』, [[早稲田教育叢書]] 31, [[学文社]], ISBN 978-4-76202-253-1 *[[ノラ・ハーツフィールド]]&[[ゲーハード・リンゲル]]著 [[鈴木晋一]]訳,『グラフ理論入門』,[[サイエンス社]], ISBN 978-4-78190-654-6 *[[ボロバシュ・ベーラ]]著 [[斎藤伸自]], [[西関隆夫]]訳,『グラフ理論入門』,[[培風館]], ISBN 978-4-56300-544-3 ===日本語以外=== *Berge, Claude (1958), Théorie des graphes et ses applications, Collection Universitaire de Mathématiques II, Paris: Dunod. English edition, Wiley 1961; Methuen & Co, New York 1962; Russian, Moscow 1961; Spanish, Mexico 1962; Roumanian, Bucharest 1969; Chinese, Shanghai 1963; Second printing of the 1962 first English edition, Dover, New York 2001.ISBN 978-0-48641-975-6. *Chartrand, Gary (1985), Introductory Graph Theory, Dover, ISBN 0-486-24775-9. *Leonhard Euler, Euler Complete Edition (Opera Omnia: Series 1, Volume 7, pp. 1 - 10) *Hajnal Péter (2003), [http://www.typotex.hu/book/3889/grafelmelt_hajnal Gráfelmélet] - Polygon jegyzet *Harary, Frank (1969), Graph Theory, Reading, MA: Addison-Wesley. *Harary, Frank; Palmer, Edgar M. (1973), Graphical Enumeration, New York, NY: Academic Press. *Lovász László (2008), Kombinatorikai problémák és feladatok, Typotex Kiadó, ISBN 978-963-9664-93-7. *Manfred Nitzsche (2004), Graphen für Einsteiger, Rund um das Haus vom Nikolaus. XII, 233 S. Br. € 22,90 ISBN 3-528-03215-4 *Peter Gritzmann, René Brandenberg (2003) Das Geheimnis des kürzesten Weges. Ein mathematisches Abenteuer. Springer, Berlin - Heidelberg (2.Aufl.). ISBN 3-540-00045-3 *William Thomas Tutte (2001), Graph Theory, Cambridge University Press, ISBN 978-0-521-79489-3. == 関連項目 == {{Wikibooks}} *[[グラフ (離散数学)]] *[[ラムゼー理論]] *[[マトロイド]] *[[スモール・ワールド現象]] *[[グラフ (データ構造)]] *[[ネットワーク理論]] *[[存在グラフ]] *[[素集合データ構造]] *[[名称のあるグラフのギャラリー]] *[[全域木]] *[[平面グラフ]] *[[応用数学]] == 外部リンク == {{ウィキプロジェクトリンク|数学|[[画像:Nuvola apps edu mathematics blue-p.svg|34px|Project:数学]]}} {{ウィキポータルリンク|数学|[[画像:Nuvola apps edu mathematics-p.svg|34px|Portal:数学]]}} *[http://www.gfredericks.com/main/sandbox/graphs A searchable database of small connected graphs] *[http://www.babelgraph.org/links.html Concise, annotated list of graph theory resources for researchers] *[http://www.cs.rhul.ac.uk/books/dbook/ Digraphs: Theory Algorithms and Applications] 2007 by Jorgen Bang-Jensen and Gregory Gutin *[http://diestel-graph-theory.com/index.html Graph Theory, by Reinhard Diestel] *[http://graphtheorysoftware.com/ Graph Theory Software] - tools to teach and learn graph theory *[http://www.utm.edu/departments/math/graph/ Graph theory tutorial] *[http://arxiv.org/pdf/cond-mat/0602129 Phase Transitions in Combinatorial Optimization Problems, Section 3: Introduction to Graphs] (2006) by Hartmann and Weigt *[http://www.kde.org/applications/education/rocs/ rocs] - a graph theory IDE *[http://www.orgnet.com/SocialLifeOfRouters.pdf The Social Life of Routers] - non-technical paper discussing graphs of people and computers {{Graph Theory-footer}} {{最適化アルゴリズム}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:くらふりろん}} [[Category:グラフ理論|*]] [[Category:数学に関する記事]]
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データ構造
データ構造(データこうぞう、英: data structure)とは、コンピュータプログラミングでの、データの集まりの形式化された構成である。格納された各データの参照や修正といった管理を容易にするための構成である。一定の関係性を持たせたデータ型のコレクションであり、データ値に適用するための関数や手続きも格納されることがある。データの代数的構造とも言われる。 ソフトウェア開発において、データ構造についてどのような設計を行うかは、プログラム(アルゴリズム)の効率に大きく影響する。そのため、さまざまなデータ構造が考え出されている。多くのプログラムの設計において、データ構造の選択は主要な問題である。これは大規模システムの構築において、実装の困難さや質、最終的なパフォーマンスはベストのデータ構造を選択したかどうかに大きく依存してきたという経験の結果である。 多くの場合、データ構造が決まれば、利用するアルゴリズムは比較的自明に決まる。しかし場合によっては、順番が逆になる。つまり、与えられた仕事をこなす最適なアルゴリズムを使うために、そのアルゴリズムが前提としている特定のデータ構造が選択される。いずれにしても適切なデータ構造の選択は極めて重要である。この洞察は、多くの定式化された設計手法やプログラミング言語において、データ構造がアルゴリズムよりもキーとなる構成要素となっていることに現れている。大半の言語は異なるアプリケーションにおいてデータ構造を安全に再利用できるよう、実装の詳細をインターフェースの背後に隠蔽するような、モジュール化のしくみを備えている。C++やJavaといったオブジェクト指向プログラミング言語はクラスをこの目的に用いている。 データ構造は専門的な、あるいは非専門的な(すなわち、あらゆる)プログラミングにとって非常に重要なので、C++におけるSTLや、Java API、および.NET Frameworkのようなプログラミング言語の標準ライブラリや環境において多くのデータ構造がサポートされている。データ構造が実装を表すのかインターフェースを表すのかについてはいくらか議論がある。どのように見えるかは相対的な問題なのかもしれない。データ構造は2つの関数の間にあるインターフェイスとして見ることもできるし、データ型に基づいて構成されたストレージにアクセスする方法を実装したものとして見ることもできる。
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データ構造とは、コンピュータプログラミングでの、データの集まりの形式化された構成である。格納された各データの参照や修正といった管理を容易にするための構成である。一定の関係性を持たせたデータ型のコレクションであり、データ値に適用するための関数や手続きも格納されることがある。データの代数的構造とも言われる。
[[Image:binary_tree.svg|thumb|[[二分木]]のデータ構造]] [[File:Hash_table_3_1_1_0_1_0_0_SP.svg|リンク=https://en.wikipedia.org/wiki/File:Hash_table_3_1_1_0_1_0_0_SP.svg|サムネイル|ハッシュテーブルのデータ構造]] '''データ構造'''(データこうぞう、{{lang-en-short|data structure}})とは、[[コンピュータプログラミング]]での、[[データ]]の集まりの形式化された構成である。格納された各データの参照や修正といった管理を容易にするための構成である<ref>{{Cite book|url=https://dl.acm.org/citation.cfm?id=1614191|title=Introduction to Algorithms, Third Edition|last=Cormen|first=Thomas H.|last2=Leiserson|first2=Charles E.|last3=Rivest|first3=Ronald L.|last4=Stein|first4=Clifford|date=2009|publisher=The MIT Press|isbn=978-0262033848|edition=3rd}}</ref><ref>{{cite book|last1=Black|first1=Paul E.|editor1-last=Pieterse|editor1-first=Vreda|editor2-last=Black|editor2-first=Paul E.|title=Dictionary of Algorithms and Data Structures [online]|date=15 December 2004|publisher=[[National Institute of Standards and Technology]]|chapter-url=https://xlinux.nist.gov/dads/HTML/datastructur.html|access-date=2018-11-06|chapter=data structure}}</ref><ref>{{cite encyclopedia|encyclopedia=Encyclopaedia Britannica|title=Data structure|url=https://www.britannica.com/technology/data-structure|access-date=2018-11-06|date=17 April 2017}}</ref>。一定の関係性を持たせた[[データ型]]のコレクションであり、[[値 (計算機科学)|データ値]]に適用するための[[関数 (数学)|関数]]や[[プロシージャ|手続き]]も格納されることがある<ref>{{Cite book|url=http://dl.acm.org/citation.cfm?id=1074100.1074312|title=Encyclopedia of Computer Science|last=Wegner|first=Peter|last2=Reilly|first2=Edwin D.|publisher=John Wiley and Sons|isbn=978-0470864128|location=Chichester, UK|pages=507–512|date=2003-08-29}}</ref>。データの[[代数的構造]]とも言われる。 == 概要 == [[ソフトウェア]]開発において、データ構造についてどのような[[設計]]を行うかは、[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]([[アルゴリズム]])の効率に大きく影響する。そのため、さまざまなデータ構造が考え出されている。多くのプログラムの設計において、データ構造の選択は主要な問題である。これは大規模システムの構築において、実装の困難さや質、最終的なパフォーマンスはベストのデータ構造を選択したかどうかに大きく依存してきたという経験の結果である。 多くの場合、データ構造が決まれば、利用する[[アルゴリズム]]は比較的自明に決まる。しかし場合によっては、順番が逆になる。つまり、与えられた仕事をこなす最適なアルゴリズムを使うために、そのアルゴリズムが前提としている特定のデータ構造が選択される。いずれにしても適切なデータ構造の選択は極めて重要である。この洞察は、多くの定式化された設計手法や[[プログラミング言語]]において、データ構造が[[アルゴリズム]]よりもキーとなる構成要素となっていることに現れている。大半の言語は異なる[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]においてデータ構造を安全に再利用できるよう、実装の詳細を[[インタフェース (抽象型)|インターフェース]]の背後に隠蔽するような、[[モジュール化]]のしくみを備えている。[[C++]]や[[Java]]といった[[オブジェクト指向プログラミング]]言語は[[クラス (コンピュータ)|クラス]]をこの目的に用いている。 データ構造は専門的な、あるいは非専門的な(すなわち、あらゆる)プログラミングにとって非常に重要なので、C++における[[Standard Template Library|STL]]や、Java API、および[[.NET Framework]]のような[[プログラミング言語]]の標準ライブラリや環境において多くのデータ構造がサポートされている。データ構造が[[実装]]を表すのか[[インタフェース (情報技術)|インターフェース]]を表すのかについてはいくらか議論がある。どのように見えるかは相対的な問題なのかもしれない。データ構造は2つの関数の間にあるインターフェイスとして見ることもできるし、[[データ型]]に基づいて構成されたストレージにアクセスする方法を実装したものとして見ることもできる。 == 脚注 == <references/> == 関連項目 == * [[型システム]] *[[データ型]] {{データ構造}}{{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:てえたこうそう}} [[Category:データ構造|*]] [[Category:プログラミング]] [[Category:コンピュータのデータ]] [[Category:プログラミング言語の概念]]
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Python
Python(パイソン)はインタープリタ型の高水準汎用プログラミング言語である。 Pythonは1991年にグイド・ヴァン・ロッサムにより開発されたプログラミング言語である。 最初にリリースされたPythonの設計哲学は、ホワイトスペース(オフサイドルール)の顕著な使用によってコードの可読性を重視している。その言語構成とオブジェクト指向のアプローチは、プログラマが小規模なプロジェクトから大規模なプロジェクトまで、明確で論理的なコードを書くのを支援することを目的としている。 Pythonは動的に型付けされていて、ガベージコレクションされている。構造化(特に手続き型)、オブジェクト指向、関数型プログラミングを含む複数のプログラミングパラダイムをサポートしている。Pythonは、その包括的な標準ライブラリのため、しばしば「バッテリーを含む」言語と表現されている。 Pythonのインタプリタは多くのOSに対応している。プログラマーのグローバルコミュニティは、無料のオープンソース リファレンス実装であるCPythonを開発および保守している 。非営利団体であるPythonソフトウェア財団は、PythonとCPythonの開発のためのリソースを管理・指導している。 Pythonはインタプリタ上で実行することを前提に設計している。以下の特徴をもっている: Pythonには、読みやすく、それでいて効率もよいコードをなるべく簡単に書けるようにするという思想が浸透しており、Pythonコミュニティでも単純で簡潔なコードをよしとする傾向が強い。 Pythonの本体は、ユーザがいつも必要とする最小限の機能のみを提供する。基本機能以外の専門機能や拡張プログラムはインターネット上にライブラリとして提供されており、別途ダウンロードして保存し、必要なツールはこのツールキットからその都度呼び出して使用する。 Pythonでは「あることをなすのに唯一の良いやり方があるはず」という哲学がある(参考: Perl「やり方は一つじゃない」)。 Pythonではプログラムの文書化(ソフトウェアドキュメンテーション)が重視されており、言語の基本機能の一部となっている。 インデントが意味を持つ「オフサイドルール」が特徴的である。 以下に、階乗 (関数名: factorial)を題材にC言語と比較した例を示す。 Pythonのコード: わかりやすく整形されたC言語のコード: この例では、Pythonと整形されたC言語とでは、プログラムコードの間に違いがほとんど見られない。しかし、C言語のインデントは構文規則上のルールではなく、単なる読みやすさを向上させるコーディングスタイルでしかない。そのためC言語では全く同じプログラムを以下のように書くこともできる。 わかりにくいC: Pythonではインデントは構文規則として決められているため、こうした書き方は不可能である。Pythonではこのように強制することによって、ソースコードのスタイルがその書き手にかかわらずほぼ統一したものになり、その結果読みやすくなるという考え方が取り入れられている。これについては賛否両論があり、批判的立場の人々からは、これはプログラマがスタイルを選ぶ自由を制限するものだ、という意見も出されている。 インデントによる整形は、単に「見かけ」だけではなく品質そのものにも関係する。例として次のコードを示す。 間違えたC: このコードはC言語の構文規則上は問題無いが、インデントによる見かけのifの範囲と、言語仕様によるifの実際の範囲とが異なっているため、プログラマの意図が曖昧になる。(前者は"y = 0;"がif文に包含され、後者は"{}"がないため"y = 0;"がif文に包含されない)この曖昧さは、検知しにくいバグを生む原因になる。例としてはApple goto failが挙げられる。 ソースコードを読む際、多くの人はインデントのような空白を元に整列されたコードを読み、コンパイラのように構文解析しながらソースを読むものではない。その結果、一見しただけでは原因を見つけられないバグを作成する危険がある。 Pythonではインデントをルールとすることにより、人間が目視するソースコードの理解とコンパイラの構文解析の間の差を少なくすることで、より正確に意図した通りにコーディングすることができると主張されている。 Pythonは動的型付けシステムをもつ。同時に任意の型ヒントを持っており外部ツールによる静的型チェックを可能にしている。 値自身が型を持っており、変数はすべて値への参照である。 基本的なデータ型として、論理型・整数型・浮動小数点数型・複素数型・文字列型・バイト列型・関数型がある。整数型は(メモリの許す限り)無制限の桁数で整数計算が可能である。浮動小数点数型を整数型にキャストすると、小数点以下が切り捨てられる。 組み込みのコンテナ型として、リスト型、タプル型、辞書型、集合型がある。リスト型および辞書型はミュータブル、タプル型はイミュータブルである。集合型には変更可能なものと変更不能なものの2種類がある。タプル型とリスト型は、多くのプログラミング言語では配列と呼ばれるものに類似している。しかし、Pythonではタプル型は辞書のキーとして使うことができるが、リスト型は内容が変わるため辞書のキーとして使うことはできないという理由から、これら2つの型を区別している。 多くのオブジェクト指向プログラミング言語と同様、Pythonではユーザが新しく自分の型を定義することも可能である。この場合、組み込み型を含む既存の型を継承して新たな型(クラス)を定義する事も、ゼロから全く新しい型を作り出す事も出来る。 Pythonは基本的にメソッドや関数の引数に型を指定する必要がない。そのため、ダック・タイピングという、内部で必要とする演算子やメソッドに対応していれば、関数やオブジェクトの設計時点で意図していなかったオブジェクトを引き渡すことも可能である。 Pythonは型ヒントの構文を用意している。これはプログラマ向けの注釈および外部ツールによる静的型チェックに用いられる。 例として、文字列型の値を受け取って文字列型の値を返す関数は次のようにアノテーションできる。 Pythonはガベージコレクションを内蔵しており、参照されなくなったオブジェクトは自動的にメモリから破棄される。CPythonでは、ガベージコレクションの方式として参照カウント方式とマーク・アンド・スイープ方式を併用している。マーク・アンド・スイープ方式のみに頼っている言語では、オブジェクトがいつ回収されるか保証されないので、ファイルのクローズなどをデストラクタに任せることができない。CPythonは参照カウント方式を併用することで、循環参照が発生しない限り、オブジェクトはスコープアウトした時点で必ずデストラクトされることを保証している。なおJythonおよびIronPythonではマーク・アンド・スイープ方式を採用しているため、スコープアウトした時点で必ずデストラクトされることが前提のコードだとJythonやIronPythonでは正しく動かない。 イテレータを実装するためのジェネレータが言語仕様に組み込まれており、Pythonでは多くの場面でイテレータを使うように設計されている。イテレータの使用はPython全体に普及していて、プログラミングスタイルの統一性をもたらしている。 Pythonでは扱えるデータの全てがオブジェクトである。単純な数値といった基本的なデータ型をはじめ、組み込みのコンテナ型、組み込み関数など、これらは全て統一的な継承関係をもつオブジェクトであり「型」をもっている。これらの組み込み型とユーザ定義型は区別されず、組み込み型を継承したクラスを定義できる。上の「データ型」の項で述べたように Pythonは静的な型チェックを持たないため、Javaのようなインターフェイスという言語上の仕組みは必要とされない。 クラスの継承 (inheritance) メカニズムでは、複数の基底クラスを持つことができ(多重継承)、導出されたクラスでは基底クラスの任意のメソッドをオーバライド(override; 上書き)することが可能である。 また、オブジェクトには任意のデータを入れることができる。これらのメソッドやデータは、基本的に、すべてpublicであり、virtual(仮想)である。ただし、先頭にアンダースコアをもつメンバをprivateとすることができる。これは単なるマナーであるが、アンダースコアを2つもつ場合は、クラスの外部からメンバの名前を隠された状態(mangle; 難号化)とすることでカプセル化を実現できる。また、利用者定義演算子が機能として用意されておりほとんどの組み込み演算子(算術演算子(arithmetic operator)や添字表記)はクラスインスタンスで使うために再定義することが可能となっている。 Pythonには「電池付属 ("Battery Included")」という思想があり、プログラマがすぐに使えるようなライブラリや統合環境をあらかじめディストリビューションに含めるようにしている。このため標準ライブラリは非常に充実している。 サードパーティによるライブラリも豊富に存在する(参考: Python#エコシステム)。 Pythonは様々な組み込み型(built-in types)をサポートする。 Mapping型はハッシュ可能な値を任意のオブジェクトへ対応付ける型である。対応する具象クラスは dict である。抽象基底クラスに collections.abc.Mapping があり、抽象メソッドとして __getitem__, __iter__, __len__ が定義されている。__getitem__ をもったcollectionとも言える。 最初のPythonでは1バイト単位での文字列型のみ扱い、ひらがな・(全角) カタカナおよび漢字のようなマルチバイト文字はサポートしていなかったが、その後のPython 2.0からはUnicode文字型が新たに導入された。 Python 3.0では、Python 2.xにおける文字列型がバイト列型に、またUnicode文字列型が文字列型に変更された。これにより、文字列をPython 3.0で扱う際には後述の変換処理を必ず行う必要がある。ファイル入出力などでエンコードを明示しなければ、標準エンコードを用いて暗黙に行われる場合も多い。これにより多言語の扱いを一貫したものにしている。 Pythonでは文字のエンコードとUnicodeの内部表現を明確に区別している。Unicode文字はメモリ中に保持される抽象的なオブジェクトであり、画面表示やファイルへの入出力の際には変換ルーチン(コーデック)を介して特定のエンコーディングのバイト列表現との間で相互に変換する。また、ソースコード中の文字コードを認識する機能があり、これによって異なる文字コードで書かれたプログラムの動きが異なるリスクを解消している。 Pythonでは変換ルーチンをモジュールとして追加することで、さまざまなエンコーディングに対応できるようになっている。日本語の文字コード (EUC-JP, Shift_JIS, MS932, ISO-2022-JP) に対応したコーデックも作成されている。Python 2.4からは、日中韓国語用のコーデックが標準でディストリビューションに含まれるようになったため、現在では日本語の処理に関する問題はほとんどなくなった。ただしGUIライブラリであるTkinterや統合開発環境のIDLEは、プラットフォームにもよるが、まだきちんと日本語に対応していないものもある。 ソースコードの文字コードには、ASCIIと互換性があり、Pythonが対応しているものを使用する。ソースコードのデフォルトエンコーディングは、Python 3.xではUTF-8(ソースコード以外のPython 3のデフォルトエンコーディングは複雑になっている)、Python 2.xではASCIIであるが、デフォルトエンコーディング以外の文字コードを使う場合は、ソースファイルの1行目か2行目に一定の書式でコメントとして記述することになっており、しばしば以下のようにEmacsやVimなどのテキストエディタにも認識可能な書式で記述される(次の例は Emacs が認識できる書式)。 Pythonはインタプリタ型言語であり(ほとんどの場合)プログラムの実行に際して実行環境(ランタイム)を必要とする。以下はランタイム(実装)およびそれらが実装されているプラットフォームの一覧である。 Pythonの最初のバージョンはAmoeba上で開発された。のちに多くの計算機環境上で動作するようになった。 Pythonには複数の実装(ランタイム又はコンパイラ)が存在する。 Pythonはパッケージ管理ソフト・ライブラリ・レポジトリなどからなるエコシステムを形成している。 Pythonのパッケージ管理はpip・pipenv・poetry・EasyInstallなどのパッケージ管理システムによっておこなわれる。バイナリパッケージのフォーマットにはwheelがあり、これをインタフェースとしてビルドシステムとパッケージ管理システムの分離が可能になっている。 Python Package Index (PyPI) と呼ぶ公式のパッケージリポジトリが存在する。 パッケージ管理および実行環境管理を含めた統合開発環境としてはAnaconda (Pythonディストリビューション)が存在する。 Pythonは多様なコミュニティライブラリによって支えられている。 Pythonは全世界で使われているが、欧米の企業でもよく使われている。大企業ではマイクロソフトやAppleなどのパッケージソフトウェア企業をはじめ、Google, Yahoo!, YouTube などの企業も利用している。また携帯電話メーカーのノキアでは、S60シリーズでPythonアプリケーションが動く。研究機関では、NASAや日本の高エネルギー加速器研究機構でPythonが使われている。 適応範囲はデータサイエンス、Webプログラミング、GUIベースのアプリケーション、CAD、3Dモデリング、数式処理など幅広い分野に及ぶ。 NumPy, SciPyなどの高速な数値計算ライブラリの存在により、データサイエンスや科学技術コンピューティングにもよく用いられる。NumPy, SciPyの内部はC言語で書かれているので、動的スクリプト言語の欠点の一つである動作速度の遅さを補っている。Numba を使うと、Python のコードが LLVM に JITコンパイルして利用可能であり、非常に高速な計算ができる。TensorFlow などのライブラリにより GPU 上で高速に計算するライブラリも充実している。 JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査によると、2017年10月現在、最も主要な用途は何かというアンケートで、用途の27%がデータサイエンス(そのうち18%がデータ解析、9%が機械学習)である。 Django や Flask といったWebアプリケーションフレームワークが充実しているため、Webアプリケーション開発用途にも多く使われている。JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査によると、2017年10月現在、26%の人が最も主要な用途としてWeb開発を選んだ。 スクリプト言語としての特性から、従来Perlやシェルスクリプトが用いられることの多かったシステム管理用のスクリプトとして複数のOSで採用されている。また、異なる言語で書かれた多数のモジュールの機能を貼り合わせるグルー言語(糊の言語)として利用する例も多い。実際、多くの商用アプリケーションで Python は組み込みのスクリプト言語として採用されている。 JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査によると、2017年10月現在、9%の人が最も主要な用途としてDevOps, システム管理, 自動化スクリプトを上げた。 Pythonは教育用の目的で設計されたわけではないが、その単純さから子供が最初に学ぶプログラミングにおける教育用の言語としても利用が増えている。グイド・ヴァンロッサムはPython設計以前に教育用言語であるABCの開発にかかわり、教育用としての利用について期待感を示したこともあり、方針として非技術者向けといった利用を視野に入れているとされることもある。 私の大好きなPython利用法は、騒ぎ立てずに、言語教育でプログラミングの原理を教えること。それを考えてくれ――次の世代の話だね。-- スラッシュドット・ジャパン『 Guido van Rossum へのインタビュー』 情報処理推進機構 (IPA) は国家試験の基本情報技術者試験で2020年の春期試験より COBOL を廃止して Python を追加した。 日本の高等学校情報科「情報I」の教員向け研修教材の中で、プログラミング用言語としてPythonが使われている。 ただし、Pythonの言語は,言語自身に組み込まれている型とそれに付随するメソッドの多いことなどから,C言語などと較べて遙かに多くの憶えねばならない事柄があることになる。持つ機能の一部に限定して教育に使えば,憶える事柄を減らせるが,言語の機能をすべて知らなければ他人によって書かれたプログラムを正しく理解することが出来ない可能性がある。変数自身には型が無いことからプログラム上で扱われているデータ・オブジェクトの型が何であるかは実行時に決まるので、それを読み解きながらでないとプログラムの動作をうまく理解しにくい場合もある。 また、Pythonは処理の記述が最低一行で済む位文法がシンプルなため、まだプログラミングについてあまり深く知らない子どもにとっても取り組みやすい言語と言える。 Pythonはその文法のシンプルさのおかげで、 誰が書いても似たようなコードになるという性質があるので、学習していけば大人の作成したコードを理解できるようになる。 また、シンプルな文法なのでコードを記述している途中で混乱することがあまりなく、子どもが途中で投げ出しにくいという点も教育用として利用される理由でもある。 Pythonはプロスポーツの分析によく使われている。メジャーリーグベースボール(野球)、イングリッシュプレミアリーグ(サッカー)、ナショナルバスケットボールアソシエーション(バスケットボール)、ナショナルホッケーリーグ(アイスホッケー)、インディアンプレミアリーグ(クリケット)の実際のデータセットからのスポーツ分析は、ベストセラーの本と映画であるマネーボールによって示される現実世界の成功によって部分的に推進され、人気が高まっている研究分野として浮上している(セイバーメトリクス)。チームとプレーヤーのパフォーマンスデータの分析は、フィールド、コート、氷上だけでなく、ファンタジースポーツプレーヤーやオンラインスポーツギャンブルのリビングルームでもスポーツ業界に革命をもたらし続けている。実際のスポーツデータを使用した予測スポーツ分析の原則を使用して、プレーヤーとチームのパフォーマンスを予測する。 Pythonを使ってデータをプログラミングする方法を示したり、マネーボールのストーリーの背景にある主張を検証したり、マネーボールの統計の進化を調べたりすることが可能である。公開されているデータセットから野球のパフォーマンス統計を計算するプロセスを案内される。実行期待値マトリックスを使用して導出された、より高度な測定値(Wins Over Replace(WAR)など)に進む。これらの統計を使用して、独自のチームおよびプレーヤーの分析を行うことができるようになる。 Pythonを使用してプロスポーツの試合結果の予測を生成する方法の主な重点は、チームの支出に関するデータを使用して、ゲームの結果をモデル化する方法としてロジスティック回帰の方法を教えることである。過去の結果をモデル化し、そのモデルを使用して、まだプレイされていない結果のゲームを予測するプロセスを実行する。ベッティングオッズのデータを使用してモデルの信頼性を評価する方法をオーナーに示す。分析は最初に英国プレミアリーグに適用され、次にNBAとNHLに適用される。データ分析とギャンブルの関係、その歴史、および個人的なリスクを含むスポーツベッティングに関連して発生する社会的問題の概要も説明する。マネーボールは、データ分析を使用してチームの勝率を高めることができることを示すことにより、プロスポーツのパフォーマンス統計の分析に革命を引き起こした。 Pythonを使用してデータをプログラムし、マネーボールのストーリーの背後にある主張をテストし、マネーボール統計の進化を調べる方法を示し、公開されているデータセットから野球のパフォーマンス統計を計算するプロセスができる。スポーツ分析には、トレーニングと競技の両方の取り組みを定量化するアスリートとチームからの大量のPythonデータセットが含まれるようになった。ウェアラブルテクノロジーデバイスは、アスリートが毎日着用しており、シーズン全体にわたるアスリートのストレスと回復を詳細に調べるためのかなりの機会を提供する。これらの大規模なデータセットのキャプチャは、怪我の予防に関する新しい仮説と戦略、およびトレーニングと回復を最適化するためのアスリートへの詳細なフィードバックにつながった。Pythonでのプログラミングを使用して、トレーニング、回復、パフォーマンスに関連する概念を調査することもできる。 Python Scikit-learn(sklearn)ツールキットと実際の運動データを使用して教師あり機械学習手法を探索し、機械学習アルゴリズムと運動結果の予測方法の両方を理解する。サポートベクターマシン(SVM)、決定木、ランダムフォレスト、線形回帰およびロジスティック回帰、アンサンブルなどの方法を適用して、NHLやMLBなどのプロスポーツリーグからのデータを調べる。また、Apple Watchや慣性測定ユニット(IMU)などのウェアラブルデバイスも含まれる。分類と回帰の手法を使用して、運動活動やイベント全体であるスポーツ分析を可能にする方法を幅広く理解できるようになる。スポーツコンテストのカテゴリ別結果変数(つまり、勝ち、引き分け、負け)を処理する際の回帰モデル、線形確率モデル(LPM)を、その理論的基礎、計算アプリケーション、および経験的制限の観点からモジュールは、カテゴリ従属変数のLPMのより良い代替として、ロジスティック回帰をし、デモンストレーションする。順序付けられたロジットモデルと公開されている情報を使用してEPLサッカーゲームの結果を予測する方法を示す。ベッティングオッズに対してこれらの予測の正確さを評価し、それらが非常に正確であることを示す。北米の3つのチームスポーツリーグ(NHL、NBA、MLB)のコンテキストでモデルを複製することにより、前週に取り上げたEPL予測モデルの有効性を評価する。具体的には、順序付けられたロジットモデルと公開されている情報を使用して、NHL、NBA、MLBのレギュラーシーズンゲームの結果を予測する。 元々はAmoebaの使用言語であるABC言語に例外処理やオブジェクト指向を対応させるために作られた言語である。 1991年にヴァンロッサムがPython 0.90のソースコードを公開した。この時点ですでにオブジェクト指向言語の特徴である継承、クラス、例外処理、メソッドやさらに抽象データ型である文字列、リストの概念を利用している。これはModula-3のモジュールを参考にしていた。 1994年1月、Python 1.0を公開した。主な特徴として関数型言語の基本であるラムダ計算を実装、map関数・reduce関数などを組み込んだ。 バージョン1.4からはCommon Lispにある機能とよく似たキーワード引数を導入した。また簡易ながら名前修飾を用いたカプセル化も実装した。 2000年に公開。ガベージコレクションやUnicode、リストを導入した。一躍メジャーな言語となった。多くの機能はHaskellを参考にして導入している。 バージョン2.4には、子プロセスの起動やコマンドを実行できるsubprocessモジュールが実装された。 2.6以降のバージョンには、2.xから3.xへの移植を助ける「2to3 ツール」と「lib2to3 モジュール」を含んでいる。2.7が2.xの最後のバージョンで、2.7のサポートは2020年1月1日までである。ただし、サポート終了後に 2.7.18 を2020年4月にリリースし、これが最後の 2.7.x になる。これ以上のセキュリティパッチやその他の改善はリリースされない。 2008年、長い試験期間を経てPython 3.0が公開された。 開発初期には、西暦3000年に公開予定の理想のPythonとして、Python 3000と呼んでいた。Py3Kと略すこともある。 しかし2.xとの後方互換性が損なわれている。当初は2.xに比べて3.xが利用できるライブラリ等が著しく少ないという問題点があったが、Djangoなど徐々に3.xに対応したフレームワークやライブラリなどが増えていったこともあり、2016年時点においては新規のプロジェクトについて3.xで開発することが多くなっている。JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査では、Python の 2 と 3 がどっちがメインであるかというアンケートで、Python 3 がメインであると答えた人が、2016年1月は40%だったが、2017年10月は75%になった。 2015年11月にリリースされたFedora 23や2016年4月にリリースされたUbuntu 16.04 LTSでは、デフォルトでインストールされるPythonのバージョンが2.xから3.xに変更されている。Red Hat Enterprise Linuxでは7.5をもってPython 2が廃止予定(deprecated)となった。 3.0 3.1 3.2 Pythonは PSF (Python Software Foundationライセンス) の下、オープンソースで配布されている。このライセンスの内容はGPLに類似したものであるが、変更したバージョンを配布する際に変更をオープンソースにしなくてもよい、という点がGPLとは異なっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Python(パイソン)はインタープリタ型の高水準汎用プログラミング言語である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "Pythonは1991年にグイド・ヴァン・ロッサムにより開発されたプログラミング言語である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "最初にリリースされたPythonの設計哲学は、ホワイトスペース(オフサイドルール)の顕著な使用によってコードの可読性を重視している。その言語構成とオブジェクト指向のアプローチは、プログラマが小規模なプロジェクトから大規模なプロジェクトまで、明確で論理的なコードを書くのを支援することを目的としている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "Pythonは動的に型付けされていて、ガベージコレクションされている。構造化(特に手続き型)、オブジェクト指向、関数型プログラミングを含む複数のプログラミングパラダイムをサポートしている。Pythonは、その包括的な標準ライブラリのため、しばしば「バッテリーを含む」言語と表現されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "Pythonのインタプリタは多くのOSに対応している。プログラマーのグローバルコミュニティは、無料のオープンソース リファレンス実装であるCPythonを開発および保守している 。非営利団体であるPythonソフトウェア財団は、PythonとCPythonの開発のためのリソースを管理・指導している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "Pythonはインタプリタ上で実行することを前提に設計している。以下の特徴をもっている:", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "Pythonには、読みやすく、それでいて効率もよいコードをなるべく簡単に書けるようにするという思想が浸透しており、Pythonコミュニティでも単純で簡潔なコードをよしとする傾向が強い。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "Pythonの本体は、ユーザがいつも必要とする最小限の機能のみを提供する。基本機能以外の専門機能や拡張プログラムはインターネット上にライブラリとして提供されており、別途ダウンロードして保存し、必要なツールはこのツールキットからその都度呼び出して使用する。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "Pythonでは「あることをなすのに唯一の良いやり方があるはず」という哲学がある(参考: Perl「やり方は一つじゃない」)。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "Pythonではプログラムの文書化(ソフトウェアドキュメンテーション)が重視されており、言語の基本機能の一部となっている。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "インデントが意味を持つ「オフサイドルール」が特徴的である。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "以下に、階乗 (関数名: factorial)を題材にC言語と比較した例を示す。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "Pythonのコード:", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "わかりやすく整形されたC言語のコード:", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "この例では、Pythonと整形されたC言語とでは、プログラムコードの間に違いがほとんど見られない。しかし、C言語のインデントは構文規則上のルールではなく、単なる読みやすさを向上させるコーディングスタイルでしかない。そのためC言語では全く同じプログラムを以下のように書くこともできる。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "わかりにくいC:", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "Pythonではインデントは構文規則として決められているため、こうした書き方は不可能である。Pythonではこのように強制することによって、ソースコードのスタイルがその書き手にかかわらずほぼ統一したものになり、その結果読みやすくなるという考え方が取り入れられている。これについては賛否両論があり、批判的立場の人々からは、これはプログラマがスタイルを選ぶ自由を制限するものだ、という意見も出されている。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "インデントによる整形は、単に「見かけ」だけではなく品質そのものにも関係する。例として次のコードを示す。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "間違えたC:", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "このコードはC言語の構文規則上は問題無いが、インデントによる見かけのifの範囲と、言語仕様によるifの実際の範囲とが異なっているため、プログラマの意図が曖昧になる。(前者は\"y = 0;\"がif文に包含され、後者は\"{}\"がないため\"y = 0;\"がif文に包含されない)この曖昧さは、検知しにくいバグを生む原因になる。例としてはApple goto failが挙げられる。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ソースコードを読む際、多くの人はインデントのような空白を元に整列されたコードを読み、コンパイラのように構文解析しながらソースを読むものではない。その結果、一見しただけでは原因を見つけられないバグを作成する危険がある。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "Pythonではインデントをルールとすることにより、人間が目視するソースコードの理解とコンパイラの構文解析の間の差を少なくすることで、より正確に意図した通りにコーディングすることができると主張されている。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "Pythonは動的型付けシステムをもつ。同時に任意の型ヒントを持っており外部ツールによる静的型チェックを可能にしている。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "値自身が型を持っており、変数はすべて値への参照である。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "基本的なデータ型として、論理型・整数型・浮動小数点数型・複素数型・文字列型・バイト列型・関数型がある。整数型は(メモリの許す限り)無制限の桁数で整数計算が可能である。浮動小数点数型を整数型にキャストすると、小数点以下が切り捨てられる。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "組み込みのコンテナ型として、リスト型、タプル型、辞書型、集合型がある。リスト型および辞書型はミュータブル、タプル型はイミュータブルである。集合型には変更可能なものと変更不能なものの2種類がある。タプル型とリスト型は、多くのプログラミング言語では配列と呼ばれるものに類似している。しかし、Pythonではタプル型は辞書のキーとして使うことができるが、リスト型は内容が変わるため辞書のキーとして使うことはできないという理由から、これら2つの型を区別している。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "多くのオブジェクト指向プログラミング言語と同様、Pythonではユーザが新しく自分の型を定義することも可能である。この場合、組み込み型を含む既存の型を継承して新たな型(クラス)を定義する事も、ゼロから全く新しい型を作り出す事も出来る。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "Pythonは基本的にメソッドや関数の引数に型を指定する必要がない。そのため、ダック・タイピングという、内部で必要とする演算子やメソッドに対応していれば、関数やオブジェクトの設計時点で意図していなかったオブジェクトを引き渡すことも可能である。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "Pythonは型ヒントの構文を用意している。これはプログラマ向けの注釈および外部ツールによる静的型チェックに用いられる。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "例として、文字列型の値を受け取って文字列型の値を返す関数は次のようにアノテーションできる。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "Pythonはガベージコレクションを内蔵しており、参照されなくなったオブジェクトは自動的にメモリから破棄される。CPythonでは、ガベージコレクションの方式として参照カウント方式とマーク・アンド・スイープ方式を併用している。マーク・アンド・スイープ方式のみに頼っている言語では、オブジェクトがいつ回収されるか保証されないので、ファイルのクローズなどをデストラクタに任せることができない。CPythonは参照カウント方式を併用することで、循環参照が発生しない限り、オブジェクトはスコープアウトした時点で必ずデストラクトされることを保証している。なおJythonおよびIronPythonではマーク・アンド・スイープ方式を採用しているため、スコープアウトした時点で必ずデストラクトされることが前提のコードだとJythonやIronPythonでは正しく動かない。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "イテレータを実装するためのジェネレータが言語仕様に組み込まれており、Pythonでは多くの場面でイテレータを使うように設計されている。イテレータの使用はPython全体に普及していて、プログラミングスタイルの統一性をもたらしている。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "Pythonでは扱えるデータの全てがオブジェクトである。単純な数値といった基本的なデータ型をはじめ、組み込みのコンテナ型、組み込み関数など、これらは全て統一的な継承関係をもつオブジェクトであり「型」をもっている。これらの組み込み型とユーザ定義型は区別されず、組み込み型を継承したクラスを定義できる。上の「データ型」の項で述べたように Pythonは静的な型チェックを持たないため、Javaのようなインターフェイスという言語上の仕組みは必要とされない。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "クラスの継承 (inheritance) メカニズムでは、複数の基底クラスを持つことができ(多重継承)、導出されたクラスでは基底クラスの任意のメソッドをオーバライド(override; 上書き)することが可能である。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "また、オブジェクトには任意のデータを入れることができる。これらのメソッドやデータは、基本的に、すべてpublicであり、virtual(仮想)である。ただし、先頭にアンダースコアをもつメンバをprivateとすることができる。これは単なるマナーであるが、アンダースコアを2つもつ場合は、クラスの外部からメンバの名前を隠された状態(mangle; 難号化)とすることでカプセル化を実現できる。また、利用者定義演算子が機能として用意されておりほとんどの組み込み演算子(算術演算子(arithmetic operator)や添字表記)はクラスインスタンスで使うために再定義することが可能となっている。", 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3.0で扱う際には後述の変換処理を必ず行う必要がある。ファイル入出力などでエンコードを明示しなければ、標準エンコードを用いて暗黙に行われる場合も多い。これにより多言語の扱いを一貫したものにしている。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "Pythonでは文字のエンコードとUnicodeの内部表現を明確に区別している。Unicode文字はメモリ中に保持される抽象的なオブジェクトであり、画面表示やファイルへの入出力の際には変換ルーチン(コーデック)を介して特定のエンコーディングのバイト列表現との間で相互に変換する。また、ソースコード中の文字コードを認識する機能があり、これによって異なる文字コードで書かれたプログラムの動きが異なるリスクを解消している。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "Pythonでは変換ルーチンをモジュールとして追加することで、さまざまなエンコーディングに対応できるようになっている。日本語の文字コード (EUC-JP, Shift_JIS, MS932, ISO-2022-JP) に対応したコーデックも作成されている。Python 2.4からは、日中韓国語用のコーデックが標準でディストリビューションに含まれるようになったため、現在では日本語の処理に関する問題はほとんどなくなった。ただしGUIライブラリであるTkinterや統合開発環境のIDLEは、プラットフォームにもよるが、まだきちんと日本語に対応していないものもある。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ソースコードの文字コードには、ASCIIと互換性があり、Pythonが対応しているものを使用する。ソースコードのデフォルトエンコーディングは、Python 3.xではUTF-8(ソースコード以外のPython 3のデフォルトエンコーディングは複雑になっている)、Python 2.xではASCIIであるが、デフォルトエンコーディング以外の文字コードを使う場合は、ソースファイルの1行目か2行目に一定の書式でコメントとして記述することになっており、しばしば以下のようにEmacsやVimなどのテキストエディタにも認識可能な書式で記述される(次の例は Emacs が認識できる書式)。", "title": "言語" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "Pythonはインタプリタ型言語であり(ほとんどの場合)プログラムの実行に際して実行環境(ランタイム)を必要とする。以下はランタイム(実装)およびそれらが実装されているプラットフォームの一覧である。", "title": "実行環境" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "Pythonの最初のバージョンはAmoeba上で開発された。のちに多くの計算機環境上で動作するようになった。", "title": "実行環境" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "Pythonには複数の実装(ランタイム又はコンパイラ)が存在する。", "title": "実行環境" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "Pythonはパッケージ管理ソフト・ライブラリ・レポジトリなどからなるエコシステムを形成している。", "title": "エコシステム" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "Pythonのパッケージ管理はpip・pipenv・poetry・EasyInstallなどのパッケージ管理システムによっておこなわれる。バイナリパッケージのフォーマットにはwheelがあり、これをインタフェースとしてビルドシステムとパッケージ管理システムの分離が可能になっている。", "title": "エコシステム" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "Python Package Index (PyPI) と呼ぶ公式のパッケージリポジトリが存在する。", "title": "エコシステム" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "パッケージ管理および実行環境管理を含めた統合開発環境としてはAnaconda (Pythonディストリビューション)が存在する。", "title": "エコシステム" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "Pythonは多様なコミュニティライブラリによって支えられている。", "title": "エコシステム" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "Pythonは全世界で使われているが、欧米の企業でもよく使われている。大企業ではマイクロソフトやAppleなどのパッケージソフトウェア企業をはじめ、Google, Yahoo!, YouTube などの企業も利用している。また携帯電話メーカーのノキアでは、S60シリーズでPythonアプリケーションが動く。研究機関では、NASAや日本の高エネルギー加速器研究機構でPythonが使われている。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "適応範囲はデータサイエンス、Webプログラミング、GUIベースのアプリケーション、CAD、3Dモデリング、数式処理など幅広い分野に及ぶ。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "NumPy, SciPyなどの高速な数値計算ライブラリの存在により、データサイエンスや科学技術コンピューティングにもよく用いられる。NumPy, SciPyの内部はC言語で書かれているので、動的スクリプト言語の欠点の一つである動作速度の遅さを補っている。Numba を使うと、Python のコードが LLVM に JITコンパイルして利用可能であり、非常に高速な計算ができる。TensorFlow などのライブラリにより GPU 上で高速に計算するライブラリも充実している。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査によると、2017年10月現在、最も主要な用途は何かというアンケートで、用途の27%がデータサイエンス(そのうち18%がデータ解析、9%が機械学習)である。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "Django や Flask といったWebアプリケーションフレームワークが充実しているため、Webアプリケーション開発用途にも多く使われている。JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査によると、2017年10月現在、26%の人が最も主要な用途としてWeb開発を選んだ。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "スクリプト言語としての特性から、従来Perlやシェルスクリプトが用いられることの多かったシステム管理用のスクリプトとして複数のOSで採用されている。また、異なる言語で書かれた多数のモジュールの機能を貼り合わせるグルー言語(糊の言語)として利用する例も多い。実際、多くの商用アプリケーションで Python は組み込みのスクリプト言語として採用されている。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査によると、2017年10月現在、9%の人が最も主要な用途としてDevOps, システム管理, 自動化スクリプトを上げた。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "Pythonは教育用の目的で設計されたわけではないが、その単純さから子供が最初に学ぶプログラミングにおける教育用の言語としても利用が増えている。グイド・ヴァンロッサムはPython設計以前に教育用言語であるABCの開発にかかわり、教育用としての利用について期待感を示したこともあり、方針として非技術者向けといった利用を視野に入れているとされることもある。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "私の大好きなPython利用法は、騒ぎ立てずに、言語教育でプログラミングの原理を教えること。それを考えてくれ――次の世代の話だね。-- スラッシュドット・ジャパン『 Guido van Rossum へのインタビュー』", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "情報処理推進機構 (IPA) は国家試験の基本情報技術者試験で2020年の春期試験より COBOL を廃止して Python を追加した。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "日本の高等学校情報科「情報I」の教員向け研修教材の中で、プログラミング用言語としてPythonが使われている。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ただし、Pythonの言語は,言語自身に組み込まれている型とそれに付随するメソッドの多いことなどから,C言語などと較べて遙かに多くの憶えねばならない事柄があることになる。持つ機能の一部に限定して教育に使えば,憶える事柄を減らせるが,言語の機能をすべて知らなければ他人によって書かれたプログラムを正しく理解することが出来ない可能性がある。変数自身には型が無いことからプログラム上で扱われているデータ・オブジェクトの型が何であるかは実行時に決まるので、それを読み解きながらでないとプログラムの動作をうまく理解しにくい場合もある。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "また、Pythonは処理の記述が最低一行で済む位文法がシンプルなため、まだプログラミングについてあまり深く知らない子どもにとっても取り組みやすい言語と言える。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "Pythonはその文法のシンプルさのおかげで、 誰が書いても似たようなコードになるという性質があるので、学習していけば大人の作成したコードを理解できるようになる。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "また、シンプルな文法なのでコードを記述している途中で混乱することがあまりなく、子どもが途中で投げ出しにくいという点も教育用として利用される理由でもある。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "Pythonはプロスポーツの分析によく使われている。メジャーリーグベースボール(野球)、イングリッシュプレミアリーグ(サッカー)、ナショナルバスケットボールアソシエーション(バスケットボール)、ナショナルホッケーリーグ(アイスホッケー)、インディアンプレミアリーグ(クリケット)の実際のデータセットからのスポーツ分析は、ベストセラーの本と映画であるマネーボールによって示される現実世界の成功によって部分的に推進され、人気が高まっている研究分野として浮上している(セイバーメトリクス)。チームとプレーヤーのパフォーマンスデータの分析は、フィールド、コート、氷上だけでなく、ファンタジースポーツプレーヤーやオンラインスポーツギャンブルのリビングルームでもスポーツ業界に革命をもたらし続けている。実際のスポーツデータを使用した予測スポーツ分析の原則を使用して、プレーヤーとチームのパフォーマンスを予測する。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "Pythonを使ってデータをプログラミングする方法を示したり、マネーボールのストーリーの背景にある主張を検証したり、マネーボールの統計の進化を調べたりすることが可能である。公開されているデータセットから野球のパフォーマンス統計を計算するプロセスを案内される。実行期待値マトリックスを使用して導出された、より高度な測定値(Wins Over Replace(WAR)など)に進む。これらの統計を使用して、独自のチームおよびプレーヤーの分析を行うことができるようになる。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "Pythonを使用してプロスポーツの試合結果の予測を生成する方法の主な重点は、チームの支出に関するデータを使用して、ゲームの結果をモデル化する方法としてロジスティック回帰の方法を教えることである。過去の結果をモデル化し、そのモデルを使用して、まだプレイされていない結果のゲームを予測するプロセスを実行する。ベッティングオッズのデータを使用してモデルの信頼性を評価する方法をオーナーに示す。分析は最初に英国プレミアリーグに適用され、次にNBAとNHLに適用される。データ分析とギャンブルの関係、その歴史、および個人的なリスクを含むスポーツベッティングに関連して発生する社会的問題の概要も説明する。マネーボールは、データ分析を使用してチームの勝率を高めることができることを示すことにより、プロスポーツのパフォーマンス統計の分析に革命を引き起こした。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "Pythonを使用してデータをプログラムし、マネーボールのストーリーの背後にある主張をテストし、マネーボール統計の進化を調べる方法を示し、公開されているデータセットから野球のパフォーマンス統計を計算するプロセスができる。スポーツ分析には、トレーニングと競技の両方の取り組みを定量化するアスリートとチームからの大量のPythonデータセットが含まれるようになった。ウェアラブルテクノロジーデバイスは、アスリートが毎日着用しており、シーズン全体にわたるアスリートのストレスと回復を詳細に調べるためのかなりの機会を提供する。これらの大規模なデータセットのキャプチャは、怪我の予防に関する新しい仮説と戦略、およびトレーニングと回復を最適化するためのアスリートへの詳細なフィードバックにつながった。Pythonでのプログラミングを使用して、トレーニング、回復、パフォーマンスに関連する概念を調査することもできる。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "Python Scikit-learn(sklearn)ツールキットと実際の運動データを使用して教師あり機械学習手法を探索し、機械学習アルゴリズムと運動結果の予測方法の両方を理解する。サポートベクターマシン(SVM)、決定木、ランダムフォレスト、線形回帰およびロジスティック回帰、アンサンブルなどの方法を適用して、NHLやMLBなどのプロスポーツリーグからのデータを調べる。また、Apple Watchや慣性測定ユニット(IMU)などのウェアラブルデバイスも含まれる。分類と回帰の手法を使用して、運動活動やイベント全体であるスポーツ分析を可能にする方法を幅広く理解できるようになる。スポーツコンテストのカテゴリ別結果変数(つまり、勝ち、引き分け、負け)を処理する際の回帰モデル、線形確率モデル(LPM)を、その理論的基礎、計算アプリケーション、および経験的制限の観点からモジュールは、カテゴリ従属変数のLPMのより良い代替として、ロジスティック回帰をし、デモンストレーションする。順序付けられたロジットモデルと公開されている情報を使用してEPLサッカーゲームの結果を予測する方法を示す。ベッティングオッズに対してこれらの予測の正確さを評価し、それらが非常に正確であることを示す。北米の3つのチームスポーツリーグ(NHL、NBA、MLB)のコンテキストでモデルを複製することにより、前週に取り上げたEPL予測モデルの有効性を評価する。具体的には、順序付けられたロジットモデルと公開されている情報を使用して、NHL、NBA、MLBのレギュラーシーズンゲームの結果を予測する。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "元々はAmoebaの使用言語であるABC言語に例外処理やオブジェクト指向を対応させるために作られた言語である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "1991年にヴァンロッサムがPython 0.90のソースコードを公開した。この時点ですでにオブジェクト指向言語の特徴である継承、クラス、例外処理、メソッドやさらに抽象データ型である文字列、リストの概念を利用している。これはModula-3のモジュールを参考にしていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "1994年1月、Python 1.0を公開した。主な特徴として関数型言語の基本であるラムダ計算を実装、map関数・reduce関数などを組み込んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "バージョン1.4からはCommon Lispにある機能とよく似たキーワード引数を導入した。また簡易ながら名前修飾を用いたカプセル化も実装した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "2000年に公開。ガベージコレクションやUnicode、リストを導入した。一躍メジャーな言語となった。多くの機能はHaskellを参考にして導入している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "バージョン2.4には、子プロセスの起動やコマンドを実行できるsubprocessモジュールが実装された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "2.6以降のバージョンには、2.xから3.xへの移植を助ける「2to3 ツール」と「lib2to3 モジュール」を含んでいる。2.7が2.xの最後のバージョンで、2.7のサポートは2020年1月1日までである。ただし、サポート終了後に 2.7.18 を2020年4月にリリースし、これが最後の 2.7.x になる。これ以上のセキュリティパッチやその他の改善はリリースされない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "2008年、長い試験期間を経てPython 3.0が公開された。 開発初期には、西暦3000年に公開予定の理想のPythonとして、Python 3000と呼んでいた。Py3Kと略すこともある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "しかし2.xとの後方互換性が損なわれている。当初は2.xに比べて3.xが利用できるライブラリ等が著しく少ないという問題点があったが、Djangoなど徐々に3.xに対応したフレームワークやライブラリなどが増えていったこともあり、2016年時点においては新規のプロジェクトについて3.xで開発することが多くなっている。JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査では、Python の 2 と 3 がどっちがメインであるかというアンケートで、Python 3 がメインであると答えた人が、2016年1月は40%だったが、2017年10月は75%になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "2015年11月にリリースされたFedora 23や2016年4月にリリースされたUbuntu 16.04 LTSでは、デフォルトでインストールされるPythonのバージョンが2.xから3.xに変更されている。Red Hat Enterprise Linuxでは7.5をもってPython 2が廃止予定(deprecated)となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "3.0", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "3.1", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "3.2", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "Pythonは PSF (Python Software Foundationライセンス) の下、オープンソースで配布されている。このライセンスの内容はGPLに類似したものであるが、変更したバージョンを配布する際に変更をオープンソースにしなくてもよい、という点がGPLとは異なっている。", "title": "ライセンス" } ]
Python(パイソン)はインタープリタ型の高水準汎用プログラミング言語である。
{{著作権問題調査依頼}} <!-- [[WP:POV]]に関する議論の形跡がノートなどで見られない (どこがNPOVでないか?など) {{中立|date=2020年3月}} --> {{Otheruses|プログラミング言語|その他の用法|パイソン (曖昧さ回避)}} {{Infobox プログラミング言語 | fetchwikidata = ALL | onlysourced = false | name = Python | logo = File:Python logo and wordmark.svg | released = {{start date and age|1991}} | latest release version = {{Latest stable software release/CPython}} <!-- バージョンを更新するときはこのページを編集せず、Template:Latest stable software release/CPython で番号と日付を更新して下さい --> | dialects = [[Cython]], [[RPython]], [[Stackless Python]] | typing = [[強い型付け]] [[動的型付け]]<!--[[ダック・タイピング]]--> | implementations = [[CPython]], [[PyPy]], [[IronPython]], [[Jython]] | influenced = [[Boo (プログラミング言語)|Boo]], [[Cobra (プログラミング言語)|Cobra]], [[D言語|D]], [[F Sharp|F#]], [[Falcon]], [[Go (プログラミング言語)|Go]], [[Groovy]], [[JavaScript]]<ref>[http://speakingjs.com/es5/ch03.html Chapter 3. The Nature of JavaScript] - Speaking JavaScript、2019年4月19日閲覧</ref>, [[Ruby]]<ref name="bini"/>, [[Perl]], [[Swift (プログラミング言語)|Swift]], [[Scala]] | website = {{ConditionalURL}} }} '''Python'''(パイソン)は[[インタプリタ|インタープリタ]]型の[[高水準言語|高水準]]汎用[[プログラミング言語]]である。 == 概要 == Pythonは1991年に[[グイド・ヴァンロッサム|グイド・ヴァン・ロッサム]]により開発されたプログラミング言語である。 最初にリリースされたPythonの設計哲学は、ホワイトスペース([[オフサイドルール]])の顕著な使用によって[[ソースコード|コード]]の可読性を重視している。その言語構成と[[オブジェクト指向]]のアプローチは、[[プログラマ]]が小規模なプロジェクトから大規模なプロジェクトまで、明確で論理的なコードを書くのを支援することを目的としている。 Pythonは[[動的プログラミング言語|動的に型付け]]されていて、[[ガベージコレクション]]されている。[[構造化プログラミング|構造化]](特に[[手続き型プログラミング|手続き型]])、[[オブジェクト指向]]、[[関数型言語|関数型プログラミング]]を含む複数の[[プログラミングパラダイム]]をサポートしている。Pythonは、その包括的な標準ライブラリのため、しばしば「バッテリーを含む」言語と表現されている<ref group="†">{{Cite web|title=Welcome to Python.org|url=https://www.python.org/about/|website=Python.org|accessdate=2020-08-10|language=en}}</ref>。 Pythonのインタプリタは多くのOSに対応している。プログラマーのグローバルコミュニティは、[[FLOSS|無料のオープンソース]] <ref group="†">{{Cite web|url=https://docs.python.org/3/license.html|title=History and License|accessdate=5 December 2016}} "All Python releases are Open Source"</ref> [[リファレンス実装]]である[[CPython]]を開発および保守している 。非営利団体である[[Pythonソフトウェア財団]]は、PythonとCPythonの開発のためのリソースを管理・指導している。 === 特徴 === Pythonは[[インタプリタ]]上で実行することを前提に設計している。以下の特徴をもっている: * [[動的型付け|動的な型付け]] * [[ガベージコレクション]] * [[マルチパラダイムプログラミング言語|マルチパラダイム]] * [[モジュール]]・[[クラス (コンピュータ)|クラス]]・オブジェクト等の言語の要素が内部からアクセス可能であり、[[リフレクション (情報工学)|リフレクション]]を利用した記述が可能。 == 言語 == Pythonには、読みやすく、それでいて効率もよいコードをなるべく簡単に書けるようにするという思想が浸透しており、Pythonコミュニティでも単純で簡潔なコードをよしとする傾向が強い<ref group="†" name="PEP20" />。 === 設計思想 === Pythonの本体は、ユーザがいつも必要とする最小限の機能のみを提供する。基本機能以外の専門機能や拡張プログラムはインターネット上にライブラリとして提供されており、別途ダウンロードして保存し、必要なツールはこのツールキットからその都度呼び出して使用する<ref group="†" name="About" />。 Pythonでは「あることをなすのに唯一の良いやり方があるはず」という哲学がある<ref group="†" name="PEP20" />(参考: [[Perl]]「やり方は一つじゃない」<ref>TIMTOWTDI。{{lang|en|there's more than one way to do it}}</ref>)。 Pythonではプログラムの文書化([[ソフトウェアドキュメンテーション]])が重視されており、言語の基本機能の一部となっている。 === 構文 === [[インデント]]が意味を持つ「[[オフサイドルール]]」が特徴的である。 以下に、[[階乗]] (関数名: factorial)を題材にC言語と比較した例を示す。 '''Pythonのコード:''' <syntaxhighlight lang="python"> def factorial(x): if x == 0: return 1 else: return x * factorial(x - 1) </syntaxhighlight> '''わかりやすく整形されたC言語のコード:''' <syntaxhighlight lang="c"> int factorial(int x) { if (x == 0) { return 1; } else { return x * factorial(x - 1); } } </syntaxhighlight> この例では、Pythonと整形されたC言語とでは、プログラムコードの間に違いがほとんど見られない。しかし、C言語のインデントは構文規則上のルールではなく、単なる読みやすさを向上させる[[コーディングスタイル]]でしかない。そのためC言語では全く同じプログラムを以下のように書くこともできる。 '''わかりにくいC:''' <syntaxhighlight lang="c"> int factorial(int x) { if(x == 0) {return 1;} else {return x * factorial(x - 1); } } </syntaxhighlight> Pythonではインデントは構文規則として決められているため、こうした書き方は不可能である。Pythonではこのように強制することによって、ソースコードのスタイルがその書き手にかかわらずほぼ統一したものになり、その結果読みやすくなるという考え方が取り入れられている。これについては賛否両論があり、批判的立場の人々からは、これはプログラマがスタイルを選ぶ自由を制限するものだ、という意見も出されている。 インデントによる整形は、単に「見かけ」だけではなく品質そのものにも関係する<ref name=":0">{{Cite web|title=Design and History FAQ — Python 3.9.6 documentation|url=https://docs.python.org/3.9/faq/design.html#why-does-python-use-indentation-for-grouping-of-statements|website=docs.python.org|accessdate=2021-08-26}}</ref>。例として次のコードを示す。 '''間違えたC:''' <syntaxhighlight lang="c"> if (x > 10) x = 10; y = 0; </syntaxhighlight> このコードはC言語の構文規則上は問題無いが、インデントによる見かけのifの範囲と、言語仕様によるifの実際の範囲とが異なっているため、プログラマの意図が曖昧になる。(前者は"y = 0;"がif文に包含され、後者は"{}"がないため"y = 0;"がif文に包含されない)この曖昧さは、検知しにくいバグを生む原因になる。例としては[[到達不能コード#CVE-2014-1266|Apple goto fail]]が挙げられる。 ソースコードを読む際、多くの人はインデントのような空白を元に整列されたコードを読み、コンパイラのように構文解析しながらソースを読むものではない。その結果、一見しただけでは原因を見つけられないバグを作成する危険がある。 Pythonではインデントをルールとすることにより、人間が目視するソースコードの理解とコンパイラの構文解析の間の差を少なくすることで、より正確に意図した通りにコーディングすることができると主張されている<ref name=":0" />。 === 型システム === Pythonは[[動的型付け]]システムをもつ。同時に任意の型ヒントを持っており外部ツールによる静的型チェックを可能にしている。 値自身が型を持っており、変数はすべて値への[[参照 (情報工学)|参照]]である。 基本的な[[データ型]]として、[[ブーリアン型|論理型]]・[[整数]]型・[[浮動小数点数]]型・[[複素数]]型・文字列型・バイト列型・関数型がある。整数型は(メモリの許す限り)無制限の桁数で整数計算が可能である。浮動小数点数型を整数型にキャストすると、小数点以下が切り捨てられる。 組み込みの[[コンテナ (データ型)|コンテナ型]]として、[[リスト (抽象データ型)|リスト]]型、[[タプル#Python におけるタプル|タプル]]型、[[連想配列|辞書]]型、[[集合]]型がある。リスト型および辞書型はミュータブル、タプル型は[[イミュータブル]]である。集合型には変更可能なものと変更不能なものの2種類がある。タプル型とリスト型は、多くのプログラミング言語では[[配列]]と呼ばれるものに類似している。しかし、Pythonではタプル型は辞書のキーとして使うことができるが、リスト型は内容が変わるため辞書のキーとして使うことはできないという理由から、これら2つの型を区別している。 多くのオブジェクト指向プログラミング言語と同様、Pythonではユーザが新しく自分の型を定義することも可能である。この場合、組み込み型を含む既存の型を継承して新たな型(クラス)を定義する事も、ゼロから全く新しい型を作り出す事も出来る。 Pythonは基本的にメソッドや関数の引数に型を指定する必要がない。そのため、[[ダック・タイピング]]という、内部で必要とする演算子やメソッドに対応していれば、関数やオブジェクトの設計時点で意図していなかったオブジェクトを引き渡すことも可能である。 <!-- ただしPythonではJavaなどの言語よりも型の扱いがルーズであり、既存の型を拡張した新しい型を定義する場合、Pythonではまったく独立した新しいクラスを作成し、模倣したい型と同じメソッドさえ揃えればよい。 例えば、ファイルのようにふるまう新しいデータ型を定義して既存のファイル型の代わりに使いたい場合、Javaでは<code>InputStream</code>などのクラスを継承しなければコンパイルエラーとなる。しかしPythonではそのような型のチェック機構が存在しないため、新たなクラスをつくり、そこに<code>read</code>や<code>seek</code>、<code>close</code>など既存のファイル型に対して行うであろう操作と同じメソッドを提供してさえやれば、そのクラスをファイルとして扱うことができるのである。このような型の拡張方法は[[ダック・タイピング]]({{lang|en|duck typing}})と呼ばれる。なお、この方法では型の安全性を静的にチェックできないため、ダック・タイピングを用いたPythonプログラムは実行時に型エラー(多くの場合これは「メソッドが定義されていない」というエラーとなって現れる)が発生する危険性がある。したがって新しい型を設計する際には、Python プログラマは(Javaなどよりも)多少は注意深くなる必要がある。 --> ==== 型ヒント ==== Pythonは型ヒントの構文を用意している<ref>[https://docs.python.org/ja/3/library/typing.html typing --- 型ヒントのサポート — Python 3.10.0b2 ドキュメント]</ref>。これはプログラマ向けの注釈および外部ツールによる静的型チェックに用いられる。 例として、文字列型の値を受け取って文字列型の値を返す関数は次のようにアノテーションできる。<syntaxhighlight lang="python3"> def greeting(name: str) -> str: return 'Hello ' + name </syntaxhighlight> === メモリ管理 === Pythonは[[ガベージコレクション]]を内蔵しており、参照されなくなったオブジェクトは自動的にメモリから破棄される。CPythonでは、ガベージコレクションの方式として[[参照カウント]]方式と[[マーク・アンド・スイープ]]方式を併用している。マーク・アンド・スイープ方式のみに頼っている言語では、オブジェクトがいつ回収されるか保証されないので、ファイルのクローズなどを[[デストラクタ]]に任せることができない。CPythonは参照カウント方式を併用することで、循環参照が発生しない限り、オブジェクトはスコープアウトした時点で必ずデストラクトされることを保証している。なおJythonおよびIronPythonではマーク・アンド・スイープ方式を採用しているため、スコープアウトした時点で必ずデストラクトされることが前提のコードだとJythonやIronPythonでは正しく動かない。 === イテレータ === [[イテレータ]]を実装するためのジェネレータが言語仕様に組み込まれており、Pythonでは多くの場面で[[イテレータ]]を使うように設計されている。イテレータの使用はPython全体に普及していて、プログラミングスタイルの統一性をもたらしている。 === オブジェクト指向プログラミング === Pythonでは扱えるデータの全てがオブジェクトである。単純な数値といった基本的なデータ型をはじめ、組み込みのコンテナ型、組み込み関数など、これらは全て統一的な継承関係をもつオブジェクトであり「型」をもっている。これらの組み込み型とユーザ定義型は区別されず、組み込み型を継承したクラスを定義できる。上の「データ型」の項で述べたように Pythonは静的な型チェックを持たないため、Javaのようなインターフェイスという言語上の仕組みは必要とされない。 クラスの[[継承 (プログラミング)|継承]] ({{lang|en|inheritance}}) メカニズムでは、複数の基底クラスを持つことができ(多重継承)、導出されたクラスでは基底クラスの任意のメソッドをオーバライド({{lang|en|override}}; 上書き)することが可能である。 また、オブジェクトには任意のデータを入れることができる。これらのメソッドやデータは、基本的に、すべて<code>public</code>であり、<code>virtual</code>(仮想)である。ただし、先頭にアンダースコアをもつメンバを<code>private</code>とすることができる。これは単なるマナーであるが、アンダースコアを2つもつ場合は、クラスの外部からメンバの名前を隠された状態({{lang|en|mangle}}; 難号化)とすることで[[カプセル化]]を実現できる。また、[[利用者定義演算子]]が機能として用意されており<!-- C++ と同じで、特別な構文を伴う、-->ほとんどの組み込み演算子(算術演算子({{lang|en|arithmetic operator}})や添字表記)はクラスインスタンスで使うために再定義することが可能となっている。 === 標準ライブラリ === Pythonには「電池付属 ({{lang|en|"Battery Included"}})」という思想があり、プログラマがすぐに使えるようなライブラリや統合環境をあらかじめディストリビューションに含めるようにしている。このため標準ライブラリは非常に充実している。 * [[正規表現]] * OSの[[システムコール]] * [[Extensible Markup Language|XML]]処理系 * [[シリアライズ|シリアライゼーション]] * [[Hypertext Transfer Protocol|HTTP]], [[File Transfer Protocol|FTP]]等の各種[[通信プロトコル]] * [[電子メール]]や[[Comma-Separated Values|CSV]]ファイルの処理 * [[データベース]]接続 ([[SQLite]]を標準で扱える) * [[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]フレームワーク ([[Tkinter]]) * [[HyperText Markup Language|HTML]]のパーサー * Python自身のコードの[[構文解析]]ツール [[サードパーティー|サードパーティ]]によるライブラリも豊富に存在する(参考: [[Python#エコシステム]])。 ==== 組み込み型 ==== Pythonは様々な組み込み型(built-in types)をサポートする。 ===== Mapping型 ===== Mapping型はハッシュ可能な値を任意のオブジェクトへ対応付ける型である<ref>"A mapping object maps hashable values to arbitrary objects." [https://docs.python.org/3/library/stdtypes.html#mapping-types-dict The Python Standard Library - Python ver3.11.2]. 2023-03-01閲覧.</ref>。対応する具象クラスは <code>dict</code> である。抽象基底クラスに <code>collections.abc.Mapping</code> があり、抽象メソッドとして <code>__getitem__</code>, <code>__iter__</code>, <code>__len__</code> が定義されている。<code>__getitem__</code> をもったcollectionとも言える。 === 多言語の扱い === 最初のPythonでは1バイト単位での[[文字列]]型のみ扱い、[[仮名|ひらがな・(全角) カタカナ]]および漢字のような[[マルチバイト文字]]はサポートしていなかったが、その後のPython 2.0からは[[Unicode]]文字型が新たに導入された<ref group="†" name="PEP100" />。 Python 3.0では、Python 2.xにおける文字列型がバイト列型に、またUnicode文字列型が文字列型に変更された。これにより、文字列をPython 3.0で扱う際には後述の変換処理を必ず行う必要がある。ファイル入出力などでエンコードを明示しなければ、標準エンコードを用いて暗黙に行われる場合も多い。これにより多言語の扱いを一貫したものにしている。 Pythonでは文字の[[エンコード]]とUnicodeの内部表現を明確に区別している。Unicode文字はメモリ中に保持される抽象的なオブジェクトであり、画面表示やファイルへの入出力の際には変換ルーチン([[コーデック]])を介して特定のエンコーディングのバイト列表現との間で相互に変換する。また、ソースコード中の文字コードを認識する機能があり、これによって異なる文字コードで書かれたプログラムの動きが異なるリスクを解消している。 Pythonでは変換ルーチンをモジュールとして追加することで、さまざまなエンコーディングに対応できるようになっている。日本語の文字コード (EUC-JP, Shift_JIS, MS932, ISO-2022-JP) に対応したコーデックも作成されている。Python 2.4からは、日中韓国語用のコーデックが標準でディストリビューションに含まれるようになったため<ref group="†" name="whats-new-in-python-24" />、現在では日本語の処理に関する問題はほとんどなくなった。ただしGUIライブラリである[[Tkinter]]や[[統合開発環境]]の[[IDLE (Python)|IDLE]]は、プラットフォームにもよるが、まだきちんと日本語に対応していないものもある。 ソースコードの文字コードには、ASCIIと互換性があり、Pythonが対応しているものを使用する。ソースコードのデフォルトエンコーディングは、Python 3.xではUTF-8<ref group="†">[https://www.python.org/dev/peps/pep-3120/ PEP 3120 -- Using UTF-8 as the default source encoding | Python.org]</ref>(ソースコード以外のPython 3のデフォルトエンコーディングは複雑になっている<ref group="†">[https://www.python.org/dev/peps/pep-0538/ PEP 538 -- Coercing the legacy C locale to a UTF-8 based locale | Python.org]</ref><ref group="†">[https://www.python.org/dev/peps/pep-0540/ PEP 540 -- Add a new UTF-8 Mode | Python.org]</ref>)、Python 2.xではASCIIであるが、デフォルトエンコーディング以外の文字コードを使う場合は、ソースファイルの1行目か2行目に一定の書式でコメントとして記述することになっており<ref group="†" name="PEP263" />、しばしば以下のように[[Emacs]]や[[Vim]]などのテキストエディタにも認識可能な書式で記述される(次の例は Emacs が認識できる書式)。 <syntaxhighlight lang="python"> #! /usr/bin/python2 # -*- coding: utf-8 -*- s = '日本語の文字列' </syntaxhighlight> == 実行環境 == Pythonは[[インタプリタ]]型言語であり(ほとんどの場合)プログラムの実行に際して実行環境([[ランタイムシステム|ランタイム]])を必要とする。以下はランタイム(実装)およびそれらが実装されているプラットフォームの一覧である。 === 動作環境 === Pythonの最初のバージョンは[[Amoeba (オペレーティングシステム)|Amoeba]]上で開発された。のちに多くの計算機環境上で動作するようになった。 * [[Microsoft Windows|Windows]]<ref name=":2">Windows (MS)にPython (Anaconda)を導入する(6つの罠) https://qiita.com/kaizen_nagoya/items/7bfd7ecdc4e8edcbd679</ref>, [[Microsoft Windows CE|Windows CE]]([[Windows 9x系|9x系]]および[[Windows NT系|NT系]]は最新版、[[Microsoft Windows 3.x|Windows 3.1]]および[[MS-DOS]]は旧版のみ) * Macintosh ([[Classic Mac OS]]および[[macOS]]ともに) * iOS Pythonista for iOS (omz:software) * Android Pydroid3 for Android (IIEC) * 各種[[UNIX]] * [[Linux]] ([[Linux Standard Base]]3.2で標準仕様となった) * [[Plan 9 from Bell Labs|Plan 9]] (Python 3.xは未移植) * [[Garnet OS|PalmOS]] * [[S60]] * [[Javaプラットフォーム]] ([[Jython]]) * [[.NET Framework]]プラットフォーム ([[IronPython]]) === ランタイム・コンパイラ === Pythonには複数の実装(ランタイム又はコンパイラ)が存在する。 * [[CPython]] - 作者によって[[C言語]]で書かれたバージョン。通常「Python」といえばこのCPythonを指す。 * [[Stackless Python]] - C[[スタック]]を使わずに独自のスタック(Pythonスタック)で実装したもの。 * [[Unladen Swallow]] - [[Google]]のチームによるPythonの実装。 * [[Jython]] - [[Java仮想マシン]]上に移植したもの。PythonからJavaのライブラリを使うことができる。 * [[IronPython]] - .NET Framework/[[Mono (ソフトウェア)|Mono]]で動作するPython。[[C Sharp|C#]]で実装されている。.NET Frameworkのライブラリを使うことができる。[[動的言語ランタイム]]上に構築されているため、既存の.NETアプリケーションへ[[マクロ言語]]として搭載することも可能となっている。 * [[PyPy]] - Python ([[RPython]]) によるPythonの実装。 * [[Psyco]] - CPython向けの[[実行時コンパイラ|JITコンパイラ]] *[[Cython]] - PythonをC言語化へトランスコードするソフトウェア。静的型付けが可能で速度の向上をはかれる。 * [[PyMite]] - 組み込み向けの実装、[[Atmel AVR|AVR]]などに対応。 * [[tinypy]] - 同じく組み込み向けの実装。ソースコードが 64 [[キロバイト|kB]]未満と非常に軽量なことが謳われている。 * [[MicroPython]] - 組み込み向けの実装。256 kB以上のフラッシュを推奨。 * [[Pyodide]] - [[WebAssembly]]向けの実装<ref group="※">[https://github.com/iodide-project/pyodide GitHub - pyodide/pyodide: Python with the scientific stack, compiled to WebAssembly.]</ref>。 * [[IPython]] - 対話計算に向けたPythonへのシェル * Codon - Python言語ソースから機械語へのコンパイラ処理系<ref>[https://github.com/exaloop/codon exaloop/Codon]</ref><ref>[https://news.mit.edu/2023/codon-python-based-compiler-achieve-orders-magnitude-speedups-0314 "Python-based compiler achieves orders-of-magnitude speedups", MIT News, (March 14, 2023).]</ref><ref>[https://spectrum.ieee.org/python-compiler "MIT Turbocharges Python’s Notoriously Slow Compiler > Codon lets users run Python code as efficiently as C or C++", IEEE Spectrum (2023年3月30日掲載記事)]</ref>。 * PyOMP - PythonをOpenMPで並列化するシステム<ref>T. G. Mattson, T. A. Anderson and G. Georgakoudis, "PyOMP: Multithreaded Parallel Programming in Python," in Computing in Science & Engineering, vol. 23, no. 6, pp. 77-80, 1 Nov.-Dec. 2021, doi: 10.1109/MCSE.2021.3128806.</ref><ref>[https://www.youtube.com/watch?v=uKD21Yo4yVg PyOMP: Parallel multithreading that is fast AND Pythonic. Presented by Tim Mattson (Intel)]</ref>。 == エコシステム == Pythonはパッケージ管理ソフト・ライブラリ・レポジトリなどからなるエコシステムを形成している。 === パッケージ管理 === [[ファイル:Python build and install.png|サムネイル|ビルドシステム/wheel/インストーラ]] Pythonのパッケージ管理は[[Pip|<code>pip</code>]]・<code>pipenv</code>・<code>poetry</code>・[[EasyInstall]]などの[[パッケージ管理システム]]によっておこなわれる。バイナリパッケージの[[ファイルフォーマット|フォーマット]]には'''wheel'''があり、これを[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]としてビルドシステムとパッケージ管理システムの分離が可能になっている<ref group="†">"Wheel attempts to remedy these problems by providing a simpler interface between the build system and the installer." [https://www.python.org/dev/peps/pep-0427/ PEP 427 -- The Wheel Binary Package Format 1.0]</ref>。 [[Python Package Index]] (PyPI) と呼ぶ公式のパッケージリポジトリが存在する。 パッケージ管理および実行環境管理を含めた統合開発環境としては[[Anaconda (Pythonディストリビューション)]]が存在する。 === ライブラリ === Pythonは多様なコミュニティライブラリによって支えられている。 *数値計算 **[[行列]]演算パッケージの [[NumPy]] ** プログラミング数学、科学、工学のための数値計算 [[SciPy]] * データ解析ソフト [[pandas]] * データ処理インタフェース [[IPython]] * グラフ表示ソフト [[Matplotlib]] * 描画ソフト [[Seaborn]] * 数式処理機能 [[SymPy]] * データ処理の高速化 [[PyPy]] * Pythonアプリのコンパイルによる高速化 [[Numba]] * 機械学習 ** [[scikit-learn]] ** [[TensorFlow]] ** [[PyTorch]] * 画像処理のための [[Python Imaging Library]] * [[SDL]]のラッパである [[Pygame]] * [[スクレイピング]]ライブラリ [[Beautiful Soup]] * クローリング、スクレイピング用のpythonフレームワーク [[Scrapy]] * 離散事象シミュレーション [[SimPy]] * [[OpenCL]]へのインタフェース [[pyOpenCL]] * [[OpenGL]]へのインタフェース [[pyOpenGL]] * [[OpenCV]]へのインタフェース [[pyOpenCV]] * [[CUDA]]へのインタフェース [[pyCUDA]] * 3Dグラフィックスやアニメーション [[VPython]] * [[PyODE]] * [[Python(x,y)]] * Webアプリケーションフレームワーク ** [[Bottle]](ボトル) - https://bottlepy.org/docs/dev/ ** [[CherryPy]](チェリーパイ) - https://cherrypy.org/ ** [[Django]](ジャンゴ) - https://www.djangoproject.com/ ** [[Flask]](フラスク) - http://flask.pocoo.org/ ** [[Pylons#Pyramid|Pyramid]](ピラミッド) - https://pylonsproject.org/projects/pyramid/ ** [[Plone]](プローン) - https://plone.org/ ** [[Tornado (Webサーバ)]](トルネード) - https://sites.google.com/site/tornadowebja/ ** [[Cyclone(C10K問題対応)]](サイクロン) - http://cyclone.io/ == 利用 == {{seealso|Pythonを使っている製品あるいはソフトウェアの一覧}} Pythonは全世界で使われているが、欧米の企業でもよく使われている。大企業では[[マイクロソフト]]や[[Apple]]などのパッケージソフトウェア企業をはじめ、[[Google]], [[Yahoo!]], [[YouTube]] などの企業も利用している<ref group="†" name="quotes" />。また携帯電話メーカーの[[ノキア]]では、S60シリーズでPythonアプリケーションが動く<ref>{{cite web|url=http://forum.nokia.com/python|title=Python for S60|accessdate=2007-01-17}}</ref>。研究機関では、[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]<ref group="†" name="quotes" />や日本の[[高エネルギー加速器研究機構]]<ref>{{cite web|url=http://www-acc.kek.jp/WWW-ACC-exp/KEKB/control/KEKB-Control-home.html|title=KEKB: An Asymmetric Electron-Positron Collider for B-Factory in KEK|accessdate=2007-01-17}}</ref>でPythonが使われている。 適応範囲は[[データサイエンス]]、[[Webプログラミング]]、[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]ベースのアプリケーション、[[CAD]]、[[3Dモデリング]]、[[数式処理]]など幅広い分野に及ぶ。 === データサイエンスおよび数値計算用途 === [[NumPy]], [[SciPy]]などの高速な数値計算ライブラリの存在により、データサイエンスや科学技術コンピューティングにもよく用いられる。NumPy, SciPyの内部はC言語で書かれているので、動的スクリプト言語の欠点の一つである動作速度の遅さを補っている<ref>{{cite web|url=http://www.computer.org/csdl/mags/cs/2011/02/mcs2011020009.html|title=Python for Scientists and Engineers|accessdate=2015-08-09}}</ref>。[[Numba]] を使うと、Python のコードが [[LLVM]] に [[JITコンパイル]]して利用可能であり、非常に高速な計算ができる。[[TensorFlow]] などのライブラリにより [[Graphics Processing Unit|GPU]] 上で高速に計算するライブラリも充実している。 [[ジェットブレインズ|JetBrains]] とPythonソフトウェア財団による共同調査によると、2017年10月現在、最も主要な用途は何かというアンケートで、用途の27%がデータサイエンス(そのうち18%がデータ解析、9%が[[機械学習]])である<ref name="python-developers-survey-2017"/>。 === Webアプリケーション用途 === [[Django]] や [[Flask]] といった[[Webアプリケーションフレームワーク]]が充実しているため、Webアプリケーション開発用途にも多く使われている。JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査によると、2017年10月現在、26%の人が最も主要な用途としてWeb開発を選んだ<ref name="python-developers-survey-2017"/>。 === スマホアプリ用途=== * [[kivy]]:オープンソースで商用利用も可能なので、スマホアプリの販売が可能。androidアプリもiOSアプリも作成することが可能 * [[tkinter]]:pythonの標準ライブラリで簡単にGUIアプリを作成可能。ネットでの情報が最も多い * [[PyQt]]:クロスプラットフォームで作成可能だが、商用利用は有償 * [[xPython]]:クロスプラットフォームで動作可能なGUIアプリを作成可能 === システム管理およびグルー言語用途 === [[スクリプト言語]]としての特性から、従来[[Perl]]や[[シェル#シェルスクリプト|シェルスクリプト]]が用いられることの多かったシステム管理用のスクリプトとして複数の[[オペレーティングシステム|OS]]で採用されている。また、異なる言語で書かれた多数のモジュールの機能を貼り合わせる[[グルー言語]](糊の言語)として利用する例も多い。実際、多くの商用[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]で Python は組み込みのスクリプト言語として採用されている。 JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査によると、2017年10月現在、9%の人が最も主要な用途として[[DevOps]], システム管理, 自動化スクリプトを上げた<ref name="python-developers-survey-2017"/>。 === 教育用 === Pythonは教育用の目的で設計されたわけではないが<ref name="not-for-education" />、その単純さから子供が最初に学ぶプログラミングにおける教育用の言語としても利用が増えている。[[グイド・ヴァンロッサム]]はPython設計以前に教育用言語である[[ABC_(プログラミング言語)|ABC]]の開発にかかわり、教育用としての利用について期待感を示したこともあり、方針として非技術者向けといった利用を視野に入れているとされることもある<ref name="edu-sig" />。 <blockquote>私の大好きなPython利用法は、騒ぎ立てずに、言語教育でプログラミングの原理を教えること。それを考えてくれ――次の世代の話だね。<cite>-- [http://slashdot.jp/story/04/07/24/1020202/ スラッシュドット・ジャパン『 Guido van Rossum へのインタビュー』]</cite></blockquote> [[情報処理推進機構]] (IPA) は[[国家試験]]の[[基本情報技術者試験]]で2020年の春期試験より [[COBOL]] を廃止して Python を追加した<ref>[https://www.ipa.go.jp/about/press/20190124.html プレス発表 基本情報技術者試験における出題を見直し:IPA 独立行政法人 情報処理推進機構]</ref>。 日本の[[情報 (教科)|高等学校情報科]]「情報Ⅰ」の教員向け研修教材の中で、プログラミング用言語としてPythonが使われている<ref>[[文部科学省]]初等中等教育局情報教育・外国語教育課 [https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/detail/1416756.htm 高等学校情報科「情報Ⅰ」教員研修用教材(本編)]「[http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/05/15/1416758_005.pdf 第3章 コンピューターとプログラミング]」(2019年5月)</ref>。 ただし、Pythonの言語は,言語自身に組み込まれている型とそれに付随するメソッドの多いことなどから,C言語などと較べて遙かに多くの憶えねばならない事柄があることになる。持つ機能の一部に限定して教育に使えば,憶える事柄を減らせるが,言語の機能をすべて知らなければ他人によって書かれたプログラムを正しく理解することが出来ない可能性がある。変数自身には型が無いことからプログラム上で扱われているデータ・オブジェクトの型が何であるかは実行時に決まるので、それを読み解きながらでないとプログラムの動作をうまく理解しにくい場合もある。 また、Pythonは処理の記述が最低一行で済む位文法がシンプルなため、まだプログラミングについてあまり深く知らない子どもにとっても取り組みやすい言語と言える。<ref name=":5">{{Cite web|和書|title=Pythonとは?主な特徴や子どもに習得させるメリットを知っておこう |url=https://www.hallo.jp/fs/column/20230202/ |website=www.hallo.jp |access-date=2023-06-02 |language=ja}}</ref> <syntaxhighlight lang="python3"> # Pythonで記述した「Hello,World!」の例 # Pythonは最低一行のコードで文字を表示することができる。 print("Hello, World!") </syntaxhighlight><syntaxhighlight lang="java"> // Javaで記述した「Hello, World!」の例 // Javaは文字の表示に最低5行(括弧を除くと3行)コードを記述する必要がある。 public class hoge { public static void main(String...args) { System.out.println("Hello, World!"); } } </syntaxhighlight>Pythonはその文法のシンプルさのおかげで、 誰が書いても似たようなコードになるという性質があるので、学習していけば大人の作成したコードを理解できるようになる。<ref name=":5" /> また、シンプルな文法なのでコードを記述している途中で混乱することがあまりなく、子どもが途中で投げ出しにくいという点も教育用として利用される理由でもある。<ref name=":5" /> === スポーツパフォーマンス分析 === Pythonはプロスポーツの分析によく使われている。[[メジャーリーグベースボール]](野球)、[[プレミアリーグ|イングリッシュプレミアリーグ]](サッカー)、[[NBA|ナショナルバスケットボールアソシエーション]](バスケットボール)、[[ナショナルホッケーリーグ]](アイスホッケー)、[[インディアン・プレミアリーグ|インディアンプレミアリーグ]](クリケット)の実際のデータセットからのスポーツ分析は、ベストセラーの[[マネー・ボール|本]]と[[マネーボール (映画)|映画]]である[[マネー・ボール|マネーボール]]によって示される現実世界の成功によって部分的に推進され、人気が高まっている研究分野として浮上している([[セイバーメトリクス]])。チームとプレーヤーのパフォーマンスデータの分析は、フィールド、コート、氷上だけでなく、ファンタジースポーツプレーヤーやオンラインスポーツギャンブルのリビングルームでもスポーツ業界に革命をもたらし続けている。実際のスポーツデータを使用した予測スポーツ分析の原則を使用して、プレーヤーとチームのパフォーマンスを予測する<ref>{{Cite web |title=Foundations of Sports Analytics: Data, Representation, and Models in Sports |url=https://www.coursera.org/learn/foundations-sports-analytics?specialization=sports-analytics |website=Coursera |accessdate=2022-02-02 |language=ja}}</ref>。 Pythonを使ってデータをプログラミングする方法を示したり、マネーボールのストーリーの背景にある主張を検証したり、マネーボールの統計の進化を調べたりすることが可能である。公開されているデータセットから野球のパフォーマンス統計を計算するプロセスを案内される。実行期待値マトリックスを使用して導出された、より高度な測定値(Wins Over Replace([[WAR (野球)|WAR]])など)に進む。これらの統計を使用して、独自のチームおよびプレーヤーの分析を行うことができるようになる<ref name=":4">{{Cite web |title=Moneyball and Beyond |url=https://www.coursera.org/learn/moneyball-and-beyond?specialization=sports-analytics |website=Coursera |accessdate=2022-02-02 |language=ja}}</ref><ref name=":3">{{Cite web |title=Prediction Models with Sports Data |url=https://www.coursera.org/learn/prediction-models-sports-data?specialization=sports-analytics |website=Coursera |accessdate=2022-02-02 |language=ja}}</ref>。 Pythonを使用してプロスポーツの試合結果の予測を生成する方法の主な重点は、チームの支出に関するデータを使用して、ゲームの結果をモデル化する方法として[[ロジスティック回帰]]の方法を教えることである。過去の結果をモデル化し、そのモデルを使用して、まだプレイされていない結果のゲームを予測するプロセスを実行する。ベッティングオッズのデータを使用してモデルの信頼性を評価する方法をオーナーに示す。分析は最初に英国プレミアリーグに適用され、次にNBAとNHLに適用される。データ分析とギャンブルの関係、その歴史、および個人的なリスクを含むスポーツベッティングに関連して発生する社会的問題の概要も説明する。マネーボールは、データ分析を使用してチームの勝率を高めることができることを示すことにより、プロスポーツのパフォーマンス統計の分析に革命を引き起こした<ref name=":4">{{Cite web |title=Moneyball and Beyond |url=https://www.coursera.org/learn/moneyball-and-beyond?specialization=sports-analytics |website=Coursera |accessdate=2022-02-02 |language=ja}}</ref><ref name=":3">{{Cite web |title=Prediction Models with Sports Data |url=https://www.coursera.org/learn/prediction-models-sports-data?specialization=sports-analytics |website=Coursera |accessdate=2022-02-02 |language=ja}}</ref>。 Pythonを使用してデータをプログラムし、マネーボールのストーリーの背後にある主張をテストし、マネーボール統計の進化を調べる方法を示し、公開されているデータセットから野球のパフォーマンス統計を計算するプロセスができる<ref name=":4">{{Cite web |title=Moneyball and Beyond |url=https://www.coursera.org/learn/moneyball-and-beyond?specialization=sports-analytics |website=Coursera |accessdate=2022-02-02 |language=ja}}</ref><ref name=":3">{{Cite web |title=Prediction Models with Sports Data |url=https://www.coursera.org/learn/prediction-models-sports-data?specialization=sports-analytics |website=Coursera |accessdate=2022-02-02 |language=ja}}</ref>。スポーツ分析には、トレーニングと競技の両方の取り組みを定量化するアスリートとチームからの大量のPythonデータセットが含まれるようになった。ウェアラブルテクノロジーデバイスは、アスリートが毎日着用しており、シーズン全体にわたるアスリートのストレスと回復を詳細に調べるためのかなりの機会を提供する。これらの大規模なデータセットのキャプチャは、怪我の予防に関する新しい仮説と戦略、およびトレーニングと回復を最適化するためのアスリートへの詳細なフィードバックにつながった。Pythonでのプログラミングを使用して、トレーニング、回復、パフォーマンスに関連する概念を調査することもできる<ref>{{Cite web |title=Wearable Technologies and Sports Analytics |url=https://www.coursera.org/learn/wearable-technologies?specialization=sports-analytics |website=Coursera |accessdate=2022-02-02 |language=ja}}</ref>。 Python [[Scikit-learn]](sklearn)ツールキットと実際の運動データを使用して教師あり機械学習手法を探索し、機械学習アルゴリズムと運動結果の予測方法の両方を理解する。[[サポートベクターマシン]](SVM)、[[決定木]]、[[ランダムフォレスト]]、[[線形回帰]]および[[ロジスティック回帰]]、[[統計集団|アンサンブル]]などの方法を適用して、NHLやMLBなどのプロスポーツリーグからのデータを調べる。また、[[Apple Watch]]や[[慣性計測装置|慣性測定ユニット(IMU)]]などのウェアラブルデバイスも含まれる。分類と回帰の手法を使用して、運動活動やイベント全体であるスポーツ分析を可能にする方法を幅広く理解できるようになる。スポーツコンテストのカテゴリ別結果変数(つまり、勝ち、引き分け、負け)を処理する際の回帰モデル、線形確率モデル(LPM)を、その理論的基礎、計算アプリケーション、および経験的制限の観点からモジュールは、カテゴリ従属変数のLPMのより良い代替として、ロジスティック回帰をし、デモンストレーションする。順序付けられたロジットモデルと公開されている情報を使用してEPLサッカーゲームの結果を予測する方法を示す。ベッティングオッズに対してこれらの予測の正確さを評価し、それらが非常に正確であることを示す。北米の3つのチームスポーツリーグ(NHL、NBA、MLB)のコンテキストでモデルを複製することにより、前週に取り上げたEPL予測モデルの有効性を評価する。具体的には、順序付けられたロジットモデルと公開されている情報を使用して、NHL、NBA、MLBのレギュラーシーズンゲームの結果を予測する<ref>{{Cite web |title=Introduction to Machine Learning in Sports Analytics |url=https://www.coursera.org/learn/machine-learning-sports-analytics?specialization=sports-analytics |website=Coursera |accessdate=2022-02-02 |language=ja}}</ref>。 == 歴史 == 元々は[[Amoeba (オペレーティングシステム)|Amoeba]]の使用言語である[[ABC_(プログラミング言語)|ABC言語]]に[[例外処理]]や[[オブジェクト指向]]を対応させるために作られた言語である<ref name="faq-created" />。 ===0.9x=== [[1991年]]にヴァンロッサムがPython 0.90の[[ソースコード]]を公開した。この時点ですでにオブジェクト指向言語の特徴である[[継承 (プログラミング)|継承]]、[[クラス_(コンピュータ)|クラス]]、[[例外処理]]、[[メソッド (計算機科学)|メソッド]]やさらに[[抽象データ型]]である[[文字列]]、[[リスト (抽象データ型)|リスト]]の概念を利用している。これは[[Modula-3]]の[[モジュール]]を参考にしていた。 ===1.x=== [[1994年]]1月、Python 1.0を公開した。主な特徴として[[関数型言語]]の基本である[[ラムダ計算]]を実装、map関数・reduce関数などを組み込んだ。 バージョン1.4からは[[Common Lisp]]にある機能とよく似た[[キーワード引数]]を導入した。また簡易ながら[[名前修飾]]を用いた[[カプセル化]]も実装した。 ===2.x=== [[2000年]]に公開。[[ガベージコレクション]]や[[Unicode]]、[[リスト (抽象データ型)|リスト]]を導入した。一躍メジャーな言語となった。多くの機能は[[Haskell]]を参考にして導入している。 バージョン2.4には、子プロセスの起動やコマンドを実行できるsubprocessモジュールが実装された。<ref name="about-subprocess-module">https://www.fenet.jp/dotnet/column/language/7841/ 「Pythonのsubprocessモジュールの使い方|子プロセスの起動方法からわかりやすく解説」.NET Column (2021年3月25日) 2023年5月17日閲覧。</ref> 2.6以降のバージョンには、2.xから3.xへの移植を助ける「2to3 ツール」と「lib2to3 モジュール」を含んでいる<ref group="†" name="2to3">{{Cite web|和書|url=http://docs.python.jp/3.3/howto/pyporting.html|title=Python 2 から Python 3 への移植|publisher=Python Software Foundation|accessdate=2014-03-13}}</ref>。2.7が2.xの最後のバージョンで、2.7のサポートは[[2020年]][[1月1日]]までである<ref group="†">[https://www.python.org/dev/peps/pep-0373/ PEP 373 -- Python 2.7 Release Schedule | Python.org]</ref>。ただし、サポート終了後に 2.7.18 を2020年4月にリリースし、これが最後の 2.7.x になる<ref>"Python 2.7.18はPython 2.7の最後のリリースであり、したがってPython 2の最後のリリースである "</ref><ref name=":1">{{Cite web |url=https://pythoninsider.blogspot.com/2020/04/python-2718-last-release-of-python-2.html |title=Python Insider: Python 2.7.18, the last release of Python 2 |last=Peterson |first=Benjamin |date=2020-04-20 |website=Python Insider |access-date=2020-04-27}}</ref>。これ以上のセキュリティパッチやその他の改善はリリースされない<ref group="†">{{Cite web |url=https://www.python.org/doc/sunset-python-2/ |title=Sunsetting Python 2 |website=Python.org |language=en |access-date=2019-09-22}}</ref>。 {| class="wikitable" style="float: center;" ! バージョン ! リリース日<ref name="Version_release_date">{{cite web|url=http://www.python.org/doc/versions/|title=Python Documentation by Version|publisher=Python Software Foundation|accessdate=2014-03-20}}</ref> ! サポート期限<ref name="end-of-life-branches"/> |- | 2.0 | 2000年10月16日 | |- | 2.1 | 2001年4月15日 | |- | 2.2 | 2001年12月21日 | |- | 2.3 | 2003年7月29日 | |- | 2.4 | 2004年11月30日 | |- | 2.5 | 2006年9月19日 | |- | 2.6 | 2008年10月1日 | 2013年10月29日 |- | 2.7 | 2010年7月4日 | 2020年1月1日 |} ===3.x=== [[2008年]]、長い試験期間を経てPython 3.0が公開された。 開発初期には、西暦3000年に公開予定の理想のPythonとして、Python 3000と呼んでいた。Py3Kと略すこともある。 しかし2.xとの後方互換性が損なわれている。当初は2.xに比べて3.xが利用できるライブラリ等が著しく少ないという問題点があったが、[[Django]]など徐々に3.xに対応したフレームワークやライブラリなどが増えていったこともあり、[[2016年]]時点においては新規のプロジェクトについて3.xで開発することが多くなっている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sejuku.net/blog/8988/|title=【入門者必見】Python2と3、どっちを学習すべき?違いを徹底解説! |author=佐野裕史|publisher=株式会社 侍 |accessdate=2016-09-21}}</ref>{{要高次出典|date=2018-11}}。JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査では、Python の 2 と 3 がどっちがメインであるかというアンケートで、Python 3 がメインであると答えた人が、2016年1月は40%だったが、2017年10月は75%になった<ref name="python-developers-survey-2017">[https://www.jetbrains.com/research/python-developers-survey-2017/ Python Developers Survey 2017 - Results]</ref><ref>[https://opensource.com/article/18/5/numbers-python-community-trends By the numbers: Python community trends in 2017/2018 | Opensource.com]</ref>。 [[2015年]]11月にリリースされた[[Fedora|Fedora 23]]<ref name="Fedora 23_Python3_Change">{{cite web|url=https://fedoraproject.org/wiki/Changes/Python_3_as_Default/|title=【Changes/Python 3 as Default |publisher=[[Fedora Project]] |accessdate=2016-09-21}}</ref>や2016年4月にリリースされた[[Ubuntu|Ubuntu 16.04 LTS]]<ref name="Ubuntu 16.04 LTS_Python3_Change">{{cite web|url=https://wiki.ubuntu.com/XenialXerus/ReleaseNotes/Ja/|title= Ja |author=kuromabo|publisher=Ubuntu.com |accessdate=2016-09-21}}</ref>では、デフォルトでインストールされるPythonのバージョンが2.xから3.xに変更されている。[[Red Hat Enterprise Linux]]では7.5をもってPython 2が廃止予定(deprecated)となった<ref>[https://access.redhat.com/documentation/en-us/red_hat_enterprise_linux/7/html/7.5_release_notes/chap-red_hat_enterprise_linux-7.5_release_notes-deprecated_functionality_in_rhel7 Red Hat Enterprise Linux 7 Chapter 53. Deprecated Functionality - Red Hat Customer Portal]</ref>。 {| class="wikitable" style="float: center;" ! バージョン ! リリース日<ref name="Version_release_date"/> ! サポート期限<ref name="end-of-life-branches">[https://devguide.python.org/devcycle/#end-of-life-branches 17. Development Cycle — Python Developer's Guide]</ref> |- | 3.0 | 2008年12月3日 | 2009年1月13日 |- | 3.1 | 2009年6月27日 | 2012年4月9日 |- | 3.2 | 2011年2月20日 |2016年2月20日 |- | 3.3 | 2012年9月29日 | 2017年9月29日 |- | 3.4 | 2014年3月16日 | 2019年3月18日 |- | 3.5 | 2015年9月13日 | 2020年9月30日 |- | 3.6 | 2016年12月23日 | 2021年12月 |- | 3.7 | 2018年6月27日 | 2023年6月 |- | 3.8 | 2019年10月14日 | 2024年10月 |- | 3.9 | 2020年10月5日 | 2025年10月 |- |3.10 |2021年10月4日 |2026年10月 |- |3.11 |2022年10月24日 |2027年10月 |- |3.12 |2023年10月2日 |2028年10月 |} '''3.0'''<ref name="Version_3.0">{{Cite web|和書|url=https://news.mynavi.jp/techplus/article/20090101-python3/|title=登場! Python 3.0 - 2系との違いを比較|publisher=[[マイナビ]]|date=2009-01-01|accessdate=2014-03-13}}</ref> * print命令をprint関数へ変更 * Unicodeを全面採用 * 整数をint型に一本化 '''3.1'''<ref name="Version_3.1_a">{{Cite web|和書|url=http://sourceforge.jp/magazine/09/06/30/0623238|title=「Python 3.1」正式版リリース|publisher=OSDN Corporation|date=2009-07-01|accessdate=2014-03-13}}</ref><ref name="Version_3.1_b">{{Cite web|和書|url=http://slashdot.jp/story/09/07/01/0410243/Python-3.1%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9|title=Python 3.1リリース|publisher=OSDN Corporation|date=2009-06-30|accessdate=2014-03-13}}</ref> * 順序付き辞書 * 単体テストフレームワーク「unittest」への機能追加 * TkinterでのTile対応 * import文のリファレンス実装となる、Pythonで実装したimportlibモジュール * ネストしたwith文に対する新たな文法 '''3.2'''<ref name="Version_3.2">{{Cite web|和書|url=http://developers.slashdot.jp/story/11/02/21/221210/Python-3.2-%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9|title=Python 3.2リリース|publisher=OSDN Corporation|date=2011-02-22|accessdate=2014-03-13}}</ref> * 単体テストモジュールのアップデートや拡張モジュール向け stable ABI * pyc レポジトリディレクトリのサポート * E-mail パッケージや SSL モジュールの改善 * pdb (Python debugger) の改良 ;3.3 :3.1リリースから2年間、言語仕様を凍結し変更を行わない「モラトリアム期間」を解除した<ref name="Version_3.3">{{Cite web|和書|url=http://sourceforge.jp/magazine/12/10/01/004254|title=仕様変更凍結が解除され新機能が追加された「Python 3.3」、ついにリリース|publisher=[[SourceForge.JP]]|author=末岡洋子|date=2012-10-01|accessdate=2014-03-13}}</ref>。 * 新しい文法として、ジェネレータ関数内で別のジェネレータ関数を利用する「yield from」を追加。 * 「u」や「U」といったプレフィックスを用いたUnicodeリテラルシンタックスを復活 * UCS-4文字列にも対応し、文字列表現の柔軟性を強化 * 仮想化Python実行環境を導入するためのvirtualenvパッケージの機能を「venv」機能としてコアに取り込んだ。 ;3.4<ref name="Version_3.4_a">{{Cite web|和書|url=https://news.mynavi.jp/techplus/article/20140318-a217/|title=Python 3.4登場|publisher=[[マイナビニュース]]|author=後藤大地|date=2014-03-18|accessdate=2014-03-20}}</ref><ref name="Version_3.4_b">{{Cite web|和書|url=http://sourceforge.jp/magazine/14/03/18/170000|title=「Python 3.4」リリース、標準ライブラリを強化|publisher=[[SourceForge.JP]]|author=末岡洋子|date=2014-03-18|accessdate=2014-03-20}}</ref> * オブジェクト指向ファイルシステムパスを提供する「pathlib」モジュールの提供 * 列挙型を扱うためのenumモジュールの標準化 * 統計関数を提供するstatisticsモジュールの導入 * Pythonが割り当てたメモリブロックを追跡するためのデバッグツールのtracemallocモジュールの導入 * 非同期I/Oを扱うためのフレームワークとなるasyncioモジュールの導入 * Pythonの組み込み関数に関する分析情報を得るため機構の実装 ;3.5<ref name="Version_3.5_a">{{Cite web|和書|url=https://news.mynavi.jp/techplus/article/20150914-a192/|title=Python 3.5.0登場|publisher=[[マイナビニュース]]|author=後藤大地|date=2015-09-13|accessdate=2015-11-05}}</ref><ref name="Version_3.5_b">{{Cite web|和書|url=http://www.softantenna.com/wp/software/python-3-5-released/|title=「Python 3.5」正式版がリリース – 新機能が多数追加 |publisher= ソフトアンテナブログ|date=2015-09-14|accessdate=2015-11-05}}</ref> * zipアプリケーションサポートの改良 * byte/bytearrayオブジェクトのための「%」フォーマット対応の追加 * 行列乗算演算子@の導入 * 高速ディレクトリトラバーサル機能os.scandir()の導入 * 割込がかかったシステムコールのオートリトライ機能追加 * 近似値であるかどうかをテストする機能の導入 * .pyoファイルの削除 * 拡張モジュールをロードするための新しい仕組みの導入 ;3.6<ref name="Version_3.6">{{Cite web|和書|url=https://mag.osdn.jp/16/12/26/153000|title=「Python 3.6」がリリース|publisher=[[OSDN]]|author=末岡洋子|date=2016-12-26|accessdate=2017-05-26}}</ref> * 文字列中に式を埋め込める「Formatted string literals」の導入 * 変数に対して型に関する情報(型ヒント)を与える「Syntax for variable annotations」の導入 * 「async」および「await」文法 ([[async/await]])でコルーチンを利用可能にする「Asynchronous generators」の導入 * 標準ライブラリにsecretsモジュールを追加 * DTraceおよびSystemTapプローブのサポートを追加 ;3.7<ref name="Version_3.7">{{Cite web|和書|url=https://mag.osdn.jp/18/06/29/163000|title=「Python 3.7」リリース、型アノーテーションの強化などさまざまな機能が追加される|publisher=[[OSDN]]|author=末岡洋子|date=2018-06-29|accessdate=2018-07-11}}</ref><ref group="†">[https://docs.python.org/ja/3.7/whatsnew/3.7.html What's New In Python 3.7 — Python 3.7.5 ドキュメント]</ref> * 使用時点では宣言されていない型を使った型アノテーション表記が可能となる * レガシーな C ロケールの抑圧、強制 UTF-8 実行モード * breakpoint() 関数の追加 * dict の挿入順の保存 * [[ナノ秒]] (10<sup>-9</sup> s) 単位の分解能を持つ新しい時間関数の追加 * コンテキスト変数 * データクラス ;3.8<ref group="†">[https://docs.python.org/ja/3/whatsnew/3.8.html What's New In Python 3.8 — Python 3.8.0 ドキュメント]</ref> * 代入式 := * 位置のみのパラメータ * f文字列で f'{expr=}' の形式のサポート * pickle プロトコル5 *dict での reversed のサポート ;3.9<ref>[https://docs.python.org/ja/3.9/whatsnew/3.9.html What's New In Python 3.9 — Python 3.9.12 ドキュメント]</ref> * 辞書のマージ演算子 * removeprefix(),removesuffix()メソッド追加 * 組み込みGeneric型 * zoneinfoモジュール ;3.10<ref>[https://docs.python.org/ja/3/whatsnew/3.10.html What's New In Python 3.10 — Python 3.10.4 ドキュメント]</ref> *構造的パターンマッチング *デバッガなどでより正確な行番号を表示 *型ヒント **ユニオン型を X | Y と書けるようになった ** <code>: TypeAlias</code> を付与した明示的な型エイリアス ** 引数仕様変数 * zip関数の追加パラメータ === Python の時系列 === * 1990年代始め - [[オランダ]]にある[https://www.cwi.nl/ Stichting Mathematisch Centrum (CWI)]で、グイド・ヴァンロッサムによってPythonの初期バージョンが作成される。 * 1995年 - ヴァンロッサムは米国ヴァージニア州レストンにある[https://www.cnri.reston.va.us/ Corporation for National Research Initiatives (CNRI)] に移動。ここでPythonの開発に携わり、いくつかのバージョンを公開する。 * 2000年3月 - ヴァンロッサムとPythonのコア開発チームは BeOpen.com に移り、BeOpen PythonLabs チームを結成する。同年10月、PythonLabsチームはDigital Creations (現在の[http://www.zope.com/ Zope Corporation]) に移る。 * 2001年 - Pythonに関する知的財産を保有するための非営利組織[[Pythonソフトウェア財団]] (PSF) が立ち上がる。このときZope CorporationはPSFの賛助会員となる。 === Pythonに影響を与えた言語 === * [[ABC (プログラミング言語)|ABC]]([[字下げ|インデント]]による構文) * [[Modula-2]], [[Modula-3|-3]](モジュール機能、オブジェクト指向) * [[Icon]](辞書、スライス演算子など) * {{仮リンク|SETL|en|SETL}}(リストの内包表現) * [[C言語|C]], [[C++]](基本的な構文) * [[Smalltalk]](仮想マシン機構、動的性) * [[LISP|Lisp]], [[Scheme]]([[関数型言語]]の機能) == ライセンス == Pythonは [https://www.python.org/download/releases/2.5/license/ PSF (Python Software Foundationライセンス)] の下、[[オープンソース]]で配布されている。このライセンスの内容は[[GNU General Public License|GPL]]に類似したものであるが、変更したバージョンを配布する際に変更をオープンソースにしなくてもよい、という点がGPLとは異なっている。 == 注釈 == {{Reflist|group="※"}} == 出典 == {{reflist|30em|refs= <ref name="faq-created">{{cite web | url = http://docs.python.org/faq/general.html#why-was-python-created-in-the-first-place | title = Why was Python created in the first place? | work = General Python FAQ | publisher = Python Software Foundation | accessdate = 22 March 2007 }}</ref> <ref name="bini">{{ cite book | last = Bini | first = Ola | title = Practical JRuby on Rails Web 2.0 Projects: bringing Ruby on Rails to the Java platform | year = 2007 | publisher = APress | location = Berkeley | isbn = 978-1-59059-881-8 | page = 3 }}</ref> <ref name="faq-created">{{cite web | url = http://docs.python.org/faq/general.html#why-was-python-created-in-the-first-place | title = Why was Python created in the first place? | work = General Python FAQ | publisher = Python Software Foundation | accessdate = 22 March 2007 }}</ref> <!-- 引用エラーが出ているためコメントアウト。この出典は本文中で使用されていないそうです。再使用する際はコメントアウトを外して下さい。 <ref name="AutoNT-7">{{cite web | author = Dave Kuhlman | url = http://cutter.rexx.com/~dkuhlman/python_book_01.html | title = A Python Book: Beginning Python, Advanced Python, and Python Exercises |accessdate=2012-06-11}}</ref> --> <ref name="not-for-education">[http://www.rakunet.org/tsnet/TSpython/35/1067.html TSpython 発言]</ref> <ref name="edu-sig">{{Cite web | url = http://www.python.org/community/sigs/current/edu-sig/ | title =EDU-SIG: Python in Education|accessdate=2011-05-16}}</ref> }} === 一次文献 === {{Reflist|30em|group="†"|refs= <ref name="About">{{cite web | url = http://www.python.org/about | title = About Python | publisher = Python Software Foundation | accessdate = 24 April 2012}}, second section "Fans of Python use the phrase "batteries included" to describe the standard library, which covers everything from asynchronous processing to zip files."</ref> <ref name="PEP20">{{cite web | url = http://www.python.org/dev/peps/pep-0020/ | title = PEP 20&nbsp;– The Zen of Python | last = Peters | first = Tim | date = 19 August 2004 | work = Python Enhancement Proposals | publisher = Python Software Foundation | accessdate = 24 November 2008 }}</ref> <ref name="PEP100">{{cite web | url = http://www.python.org/dev/peps/pep-0100/ | title = PEP 100&nbsp;-- Python Unicode Integration | last = Lemburg | first = Marc-André | date = 10 Mar 2000 | work = Python Enhancement Proposals | publisher = Python Software Foundation | accessdate = 12 February 2014 }}</ref> <ref name="quotes">{{cite web|url=http://www.python.org/about/quotes/|title=Quotes about Python|accessdate=2007-01-15}}</ref> <ref name="whats-new-in-python-24">[http://docs.python.org/whatsnew/2.4.html#new-improved-and-deprecated-modules What’s New in Python 2.4]</ref> <ref name="PEP263">{{cite web | url = https://www.python.org/dev/peps/pep-0263/ | title = PEP 0263 -- Defining Python Source Code Encodings | last1 = Lemburg | first1 = Marc-André | last2 = von Löwis | first2 = Martin | date = 06 Jun 2001 | work = Python Enhancement Proposals | publisher = Python Software Foundation | accessdate = 12 February 2014 }}</ref> }} == 関連項目 == {{Portal|FLOSS|[[ファイル:FLOSS logo.svg|41px]]}} * [[IPython]] - Pythonを対話的に実行するためのシェル。 * [[MyHDL]] - Python言語ベースのハードウェア記述言語 * [[Julia (プログラミング言語)]] - PythonのライブラリやC言語、Fortran言語のコードを呼び出せるプログラミング言語。Pythonよりも動作が高速である。 * [[スクリプト言語]] * [[オブジェクト指向プログラミング]] * [[空飛ぶモンティ・パイソン]] - これがPythonという言語名の由来である<ref>[https://docs.python.org/3/faq/general.html#why-is-it-called-python Why is it called Python?] - Python Software Foundation</ref><ref>{{Cite book|和書 |author= Glyn Moody 小山祐司監訳 |title= ソースコードの反逆 |date=2002-6-11 |page= 384 |publisher=[[アスキー (企業)|株式会社アスキー]]|isbn = }}</ref> == 学習用図書の例 == * Quentin Charatan, Aaron Kans: ''Programming in Two Semesters: Using Python and Java'', Springer, (2022). * John Hunt: ''A Beginners Guide to Python 3 Programming'', Springer, (2023). * John Hunt: ''Advanced Guide to Python 3 Programming'', Springer, (2023). * 大和田勇人、金盛克俊:「Pythonで始めるプログラミング入門」、コロナ社、ISBN 978-4-339-02498-2(2015年10月13日)。 * 滝澤成人:「Python [基礎編] ワークブック」、カットシステム、ISBN 978-4-87783-837-9(2018年5月10日)。 * 松浦健一郎、司ゆき:「わかるPython [決定版] 」、SBクリエイティブ、ISBN 978-4-7973-9544-0(2018年5月22日)。 * 柴田望洋:「新・明解Python入門」、SBクリエイティブ 、ISBN 978-4815601522(2019年5月30日)。 * 亀田健司:「1週間でPythonの基礎が学べる本」、インプレス、ISBN 978-4-295-00853-8(2020年3月11日)。 * 山田祥寛:「独習Python」、翔泳社、{{ISBN2|978-4-7981-6364-2}}(2020年6月22日)。 * Guido van Rossum:「Pythonチュートリアル 第4版」、オライリージャパン、ISBN 978-4-87311-935-9(2021年1月27日)。 * Bill Lubanovic:「入門 Python 3 第2版」、オライリージャパン、ISBN 978-4-87311-932-8(2021年3月22日)。 * 松浦健一郎、司ゆき:「Python [完全] 入門」、SBクリエイティブ、ISBN 978-4-8156-0764-7(2021年1月22日)。 * 小高知宏:「Python言語で学ぶ基礎からのプログラミング」、近代科学社、{{ISBN2| 978-4-7649-0633-4}}(2021年7月31日)。 * 岩崎圭、北川慎治、寺田学:「スラスラわかるPython 第2版」、ISBN 978-4-7981-6936-1(2021年11月17日)。 * 松尾正信:「Pythonプログラミング ABCー正確に・美しく・簡潔に! ー」、近代科学社、ISBN 978-4764906426(2022年9月16日)。 * 上野照正、山崎貴史:「プログラムのつくりかた Python 基礎編 Lv.1」、実教出版、ISBN 978-4-407-35255-9(2022年10月26日)。 * 山崎貴史、廣田龍之介、森田直人:「Python ハンディプログラミング事典」、実教出版、ISBN 978-4-407-35591-8(2022年11月25日)。 * Patrick Viafore:「ロバストPython ―クリーンで保守しやすいコードを書く」、オライリー・ジャパン、ISBN 978-4-8144-0017-1 (2023年3月25日)。 * Micha Gorelick、Ian Ozsvald:「ハイパフォーマンスPython 第2版」、オライリー・ジャパン、ISBN 978-4873119908 (2023年4月14日)。 * Michal Jaworski and Tarek Ziade:「エキスパートPythonプログラミング 改訂4版」、KADOKAWA、ISBN 978-4-048931113 (2023年7月21日)。 * Wes McKinney:「Pythonによるデータ分析入門 第3版」、オライリー・ジャパン、ISBN 978-4814400195 (2023年8月12日)。 * 柴田望洋:「新・明解Python入門 第2版」、SBクリエイティブ 、ISBN 978-4815617837(2023年8月29日)。 * David M. Beazley、鈴木駿(訳):「Python Distilled - プログラミング言語Pythonのエッセンス」、オライリー・ジャパン、ISBN 978-4-8144-0046-1(2023年10月14日)。 ==脚注== {{Reflist}} == 外部リンク == {{Commonscat|Python (programming language)}} {{Wikibooks}} * {{Official website|name=Welcome to Python.org}} - Python公式サイト {{En icon}} * [https://docs.python.org/ja/3/tutorial/ Python チュートリアル] * [https://www.python.jp/ Python Japan] - マニュアル日本語訳の配布 * [https://pythonawesome.com Python awesome]{{en icon}} * [https://cauldron.sakura.ne.jp/thinkpython/thinkpython/ThinkPython.pdf Allen B. Downey、相川利樹(訳):「Think Python:コンピュータサイエンティストのように考えてみよう」(原題: "Think Python: How to Think Like a Computer Scientist"), Creative Common、PDF書籍] * [https://runestone.academy/ns/books/published/thinkcspy/index.html How to Think Like a Computer Scientist: Interactive Edition] * [https://wesmckinney.com/book/ Wes, Mckinney: "Python for Data Analysis, 3E" (Open Edition, HTML).] * [https://python.atelierkobato.com/basic/ あとりえこばと:「Python プログラミング講座」(2018年8月13日).] * {{Cite journal|和書|author=喜多一 |date=2020-02 |url=https://hdl.handle.net/2433/245698 |title=プログラミング演習 Python 2019 |pages=1-200 |hdl=2433/245698 |CRID=1510292572199325696 |quote=''本書はCC-BY-NC-NDライセンスによって許諾されています。ライセンスの内容を知りたい方は https://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/4.0/deed.ja でご確認ください。''}} * [https://utokyo-ipp.github.io Pythonプログラミング入門] - 東京大学 * [https://www.python.jp/train/ ゼロからのPython入門講座] - Python Japan * [http://www.turbare.net/transl/scipy-lecture-notes/intro/ 1. 科学技術計算のために Python を始めよう。] * [https://www.kamishima.net/archive/scipy-overview.pdf Python による科学技術計算の概要] 神嶌敏弘(2020年4月21日)。 * 情報処理学会公開教材 IPSJ MOOC # (これらは講義スタイルのビデオ教材です) **[https://sites.google.com/a.ipsj.or.jp/mooc/list/C3-1 基本的なプログラミング (Python入門)] **[https://sites.google.com/a.ipsj.or.jp/mooc/list/C3-2 アルゴリズム (Pythonを使ったアルゴリズム入門)] **[https://sites.google.com/a.ipsj.or.jp/mooc/list/C3-3 モデル化とシミュレーション(Pythonを使ったシミュレーション入門)] * [https://www.tohoho-web.com/python/index.html 「とほほのPython入門」((C) 2014-2022 杜甫々, 最終更新2022年10月9日)] * [https://utokyo-ipp.github.io/IPP_textbook.pdf 「Pythonプログラミング入門」©2020–2023, 東京大学 数理・情報教育研究センター (CC BY-NC-ND 4.0)] * {{kotobank}} {{Python}} {{プログラミング言語一覧}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:はいそん}} [[Category:オブジェクト指向言語|PYTHON]] [[Category:スクリプト言語|PYTHON]] [[Category:オープンソースソフトウェア|PYTHON]] [[Category:Python|*]] [[Category:基本情報技術者試験|PYTHON]]
2003-02-11T14:20:15Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/Python
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カトリシズム
カトリシズム(羅: Catholicismus、英: Catholicism)は、本来はカトリック教会における普遍的(コモンセンス[共通-普遍通念-概念])・同教会の理念・信仰・礼拝・実践であるカトリック(公同(こうどう)、羅: catholicus、英: Catholic、蘭: katholiek)を奉じる主義・思想のことである。 後に「カトリック」という言葉が、ローマ教皇を長とするローマ教会の首位権を認めてこれを正統視する集団が自称するようになると、同教会が掲げる理念・信仰・礼拝・実践に基づいた宗教観・世界観およびそこから派生した思想・芸術その他を指すようになった(カトリック教会)。 その一方で、正教会やプロテスタントはローマ教会が唱える唯一のカトリックの語源としての性格を認めていない。例えば、東方正教会は自らをもって「聖なる正統教会」であると主張し、プロテスタントは正しい福音と聖礼典が行われる全ての教派を包括すると唱える。 聖公会は自己のカトリック性の正統については論じるものの他派のカトリック性には触れない姿勢を採っている。また、ローマ教会(カトリック教会)も他の教派のカトリック性こそは認めないものの、その信徒に関しては洗礼を受けた全てのキリスト教徒を自己の信徒であるとするのが通説である(宗教改革期には、ローマ教皇を奉じない異端および異教徒には神の恩寵の一滴すら落ちることは無いとする神学者の説もあったが、あくまでも過激な主張の1つでしかない)。 このため、今日のキリスト教社会においては「カトリック」という言葉が次の5つの意味で用いられることが多い。 カトリック(公同)という言葉は、元はギリシア語の「普遍的」・「世界的」を意味する“katholikos”に由来するとされ、アンティオキアのイグナティオスが晩年にスミルナの教会宛に書いた書簡の中に登場するのが初出であるとされている。ここでは、イエス・キリストの教えを全ての教会が忠実に守ってその正統な神学を擁護し、異端的な分派を生み出さないことを希求していた。 また、3世紀のカルタゴの司教キプリアヌスは著書『カトリック教会統一論』(251年)において、教会におけるカトリック性の要件として唯一の正典・教理・組織・洗礼の存在を掲げている。これらはあらゆる時代に生きる全人類が人間生活を送る上で必要かつ適切な規範であり、その実践を通じて初めて神からの救済が得られ、あるいは聖化が行われるものと考えられた。 その後、ペトロの教えを継承するローマ教会の権威が高まり、更にローマ帝国がこれまでの迫害政策をやめてキリスト教の公認・国教化へと路線を転換した4世紀にはさまざまな分派的な動きに対抗するためにローマ教会への結集を働きかける動きが強まった。 380年にローマ皇帝テオドシウス1世によって出された『クンクトス・ポプロス』(Cunctos populos)はペテロがローマ人に伝えた信仰がカトリック性を有する信仰であると定義(結果的にペトロが創設したとされるローマ教会がその教えの継承者となる)。続いて、381年のコンスタンティノポリス公会議におけるニカイア・コンスタンティノポリス信条において、ローマを頂点とする教会が聖的・使徒的・普遍的(すなわち「カトリック」)であることが確認されたのである。以後、ローマ教会は自己を「唯一の真なる教会」と位置づけて自らを「カトリック教会」と名乗るようになった。 ローマ帝国崩壊以後、フランク王国・神聖ローマ帝国などの諸国家の庇護を受けて発展していったローマ教会とローマとの交通が途絶しがちとなり、未だ健在であったビザンツ帝国(東ローマ帝国)の庇護を受けて発展したコンスタンディヌーポリスのコンスタンディヌーポリ総主教庁を中心とする東方の教会との教理的・儀礼的な齟齬が深刻化していった。 やがて1054年にはいわゆる「東西教会の分裂」が発生したとされ、キリスト教教会はローマ教会と東方正教会に分裂した。ただし、この1054年に実際に発生したのは、教皇使節とコンスタンディヌーポリ総主教の相互破門というセンセーショナルではあるが、教会全体から見れば小さな事件であり、実際の分裂はローマ帝国分裂時から醸成され、1204年の第4回十字軍によるコンスタンディヌーポリス占領によって決定的になったとする見方もある。 ともあれ、中世後期には東西教会の分裂は紛れも無い事実として顕れ、東西それぞれの教会が「真にして唯一の教会」であると主張して譲ることがない状況が今日まで継続されることとなる。もっとも、東方正教会ではローマ教会を連想させる「カトリック」という言葉を避けて、替わりに「聖なる正統教会」(Holy Orthodox Church)という語を用いてその普遍性を強調している。 更に、宗教改革によるプロテスタント教会の成立によって教会の分裂は深刻化することになる。プロテスタントは聖書のみを唯一の権威として個々の信仰者の自由と主体性を重んじ、また義認の問題においては信仰義認を唱えた。 こうした状況に対してローマ教会側には自らのアイデンティティに対する真摯な反省と強い危機感が生み出され、同教会が唯一の教会であり、キリストへの信仰を媒介できる唯一の存在であるとする理論付けが行われるようになった。これが「カトリシズム」の形成である。「カトリシズム」という言葉が具体的に定義づけられたのは、ヘーゲルの『美学講義』によるものとされているが、カトリシズム自体は宗教改革期に生み出されて発展してきたものである。 カトリシズムを代表する言葉に「教会外に救い無し」という命題がある。これは、カトリック以外のキリスト教徒および異教徒には救いがないというのではなく、 と、いう論理展開を行い、人間の本性はその堕落を経てもなおも神による普遍的な救済意志の恩恵を受ける資格を有しているとする。その救済を受けるためにはイエス・キリストの体に替わる存在であるローマ教皇を頂点とする教会組織に加入することによって「新しい神の民」となり、その信仰が福音の真理から逸脱しない保証を獲得する必要があるとした。また、カトリシズムは自然と恩恵の相互作用を重視して、奇蹟などの恩恵して、自然現象・科学理論のみを万能とする考えにも、逆に自然的な作用・努力を無視して、人間の本性=堕落として全否定してひたすら神の恩恵・救済のみを待ち続ける考えにも強く反対している。 これに対して反対派からは、 などの反論が行われて、長く論争が行われることとなる(もっとも、最後の2点については中傷あるいは誤解に基づく要素が含まれており、今日のカトリシズム批判者でもこの主張をする者はほとんどいないとされている)。 また、人間に対する楽観主義からカトリシズムは厳格な倫理観の一方で、芸術や音楽に対しては人間の信仰の表出のために行われる営みの一環として捉えられている。これは人間の自由と主体性を重視しながらも聖画像をはじめとする芸術・音楽の類が福音の純粋性を曇らせる危険性を唱えるプロテスタンティズムとは対照的である。 当初、カトリック教会はプロテスタントに対する強硬な敵意からカトリック教会以外の救いを否定するような過激な主張も存在し、教皇を頂点とするヒエラルキア的組織であるローマ教会の組織防衛に重点が置かれるとともに、秘蹟による恩寵手段に主張の重点が置かれた。 20世紀に入ると、カトリシズムを唱える人々の間にも組織防衛に力を注ぎすぎて、カトリック理念の根幹であるキリスト教の普遍的理念の確立からは却って遠ざかっていることに対する反省が生まれ、フランスのイヴ・コンガールらを中心とした「新神学」運動が発生した。 1962年の第2バチカン公会議においては「カトリシズムとは何か?」という根本的な議論が行われた。その結果、「教会憲章」および「現代世界憲章」が採択され、聖職者は信徒の支配者ではなく公僕であること、それぞれの地域に存在する伝統文化に対する配慮の必要性を認めることなど、より一般の信徒全体を重視する方針を打ち立て、従来のヒエラルキア的組織こそは維持するものの、内外のカトリシズムに対する批判に答える形でカトリック教会内部の改革が推し進められた。 ただし、ローマ教会(教皇庁)が2007年になって、ローマ教皇ベネディクト16世の承認の元に「ローマ・カトリック教会は唯一の正統な教会である」との記述内容を含む文書を公表したために、東方正教会およびプロテスタント教会からの強い反感を買うなど、依然としてローマ教会=カトリックの姿勢の堅持の姿勢を示している点には注目される。
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カトリシズムは、本来はカトリック教会における普遍的(コモンセンス[共通-普遍通念-概念])・同教会の理念・信仰・礼拝・実践であるカトリックを奉じる主義・思想のことである。
{{参照方法|date=2012年11月}} {{キリスト教}} '''カトリシズム'''({{lang-la-short|Catholicismus}}、{{lang-en-short|Catholicism}})は、本来は[[カトリック教会]]における普遍的(コモンセンス[共通-普遍通念-概念])・同教会の理念・信仰・礼拝・実践である[[カトリック (概念)|カトリック]](公同(こうどう)、{{lang-la-short|catholicus}}、{{lang-en-short|Catholic}}、{{lang-nl-short|katholiek}})を奉じる[[主義]]・[[思想]]のことである。 == 概要 == 後に「カトリック」という言葉が、[[ローマ教皇]]を長とする[[カトリック教会|ローマ教会]]の[[首位権]]を認めてこれを正統視する集団が自称するようになると、同教会が掲げる理念・信仰・礼拝・実践に基づいた宗教観・世界観およびそこから派生した思想・芸術その他を指すようになった([[カトリック教会]])。 その一方で、[[正教会]]や[[プロテスタント]]はローマ教会が唱える唯一のカトリックの語源としての性格を認めていない。例えば、東方正教会は自らをもって「聖なる正統教会」であると主張し、プロテスタントは正しい福音と聖礼典が行われる全ての教派を包括すると唱える。 [[聖公会]]は自己のカトリック性の正統については論じるものの他派のカトリック性には触れない姿勢を採っている。また、ローマ教会(カトリック教会)も他の教派のカトリック性こそは認めないものの、その信徒に関しては洗礼を受けた全てのキリスト教徒を自己の信徒であるとするのが通説である([[宗教改革期]]には、ローマ教皇を奉じない異端および異教徒には神の恩寵の一滴すら落ちることは無いとする神学者の説もあったが、あくまでも過激な主張の1つでしかない)。 このため、今日のキリスト教社会においては「カトリック」という言葉が次の5つの意味で用いられることが多い。 * ローマ教皇の首位権と正統性を認めるカトリック教会が他派と区別するために用いる自称。 * 全世界のキリスト教信徒集団の信仰として共通性・普遍性を持つもの。 * 異端と認定された諸派に対する正統派信仰。 * [[1054年]]の東西教会分裂以前のキリスト教教会。 * [[イエス・キリスト]]以来の司教・使徒の使徒伝承性とそれに基づく信仰と礼拝の保持を主張するキリスト教徒のこと。 == カトリックの成立 == '''[[カトリック (概念)|カトリック]]'''('''公同''')という言葉は、元は[[ギリシア語]]の「普遍的」・「世界的」を意味する“katholikos”に由来するとされ、[[アンティオキアのイグナティオス]]が晩年にスミルナの教会宛に書いた書簡の中に登場するのが初出であるとされている。ここでは、[[イエス・キリスト]]の教えを全ての教会が忠実に守ってその正統な神学を擁護し、異端的な分派を生み出さないことを希求していた。 また、[[3世紀]]の[[カルタゴ]]の司教[[キプリアヌス]]は著書『カトリック教会統一論』([[251年]])において、教会におけるカトリック性の要件として唯一の正典・教理・組織・洗礼の存在を掲げている。これらはあらゆる時代に生きる全人類が人間生活を送る上で必要かつ適切な規範であり、その実践を通じて初めて神からの救済が得られ、あるいは聖化が行われるものと考えられた。 その後、[[ペトロ]]の教えを継承するローマ教会の権威が高まり、更に[[ローマ帝国]]がこれまでの迫害政策をやめてキリスト教の公認・国教化へと路線を転換した[[4世紀]]にはさまざまな分派的な動きに対抗するためにローマ教会への結集を働きかける動きが強まった。 [[380年]]に[[ローマ皇帝]][[テオドシウス1世]]によって出された『[[クンクトス・ポプロス]]』(Cunctos populos)はペテロが[[ローマ人]]に伝えた信仰がカトリック性を有する信仰であると定義(結果的にペトロが創設したとされるローマ教会がその教えの継承者となる)。続いて、[[381年]]の[[第1コンスタンティノポリス公会議|コンスタンティノポリス公会議]]における[[ニカイア・コンスタンティノポリス信条]]において、ローマを頂点とする教会が聖的・使徒的・普遍的(すなわち「カトリック」)であることが確認されたのである。以後、ローマ教会は自己を「唯一の真なる教会」と位置づけて自らを「カトリック教会」と名乗るようになった。 == カトリシズムの確立 == ローマ帝国崩壊以後、[[フランク王国]]・[[神聖ローマ帝国]]などの諸国家の庇護を受けて発展していったローマ教会とローマとの交通が途絶しがちとなり、未だ健在であった[[ビザンツ帝国]]([[東ローマ帝国]])の庇護を受けて発展した[[コンスタンディヌーポリス]]の[[コンスタンディヌーポリ総主教庁]]を中心とする東方の教会との教理的・儀礼的な齟齬が深刻化していった。 やがて1054年にはいわゆる「[[東西教会の分裂]]」が発生したとされ、キリスト教教会はローマ教会と東方正教会に分裂した。ただし、この1054年に実際に発生したのは、[[教皇使節]]と[[コンスタンディヌーポリ総主教]]の相互破門というセンセーショナルではあるが、教会全体から見れば小さな事件であり、実際の分裂はローマ帝国分裂時から醸成され、[[1204年]]の[[第4回十字軍]]によるコンスタンディヌーポリス占領によって決定的になったとする見方もある。 ともあれ、中世後期には東西教会の分裂は紛れも無い事実として顕れ、東西それぞれの教会が「真にして唯一の教会」であると主張して譲ることがない状況が今日まで継続されることとなる。もっとも、東方正教会ではローマ教会を連想させる「カトリック」という言葉を避けて、替わりに「'''聖なる正統教会'''」(Holy Orthodox Church)という語を用いてその普遍性を強調している。 更に、[[宗教改革]]による[[プロテスタント|プロテスタント教会]]の成立によって教会の分裂は深刻化することになる。プロテスタントは[[聖書]]のみを唯一の権威として個々の信仰者の自由と主体性を重んじ、また[[義認]]の問題においては[[信仰義認]]を唱えた。 こうした状況に対してローマ教会側には自らのアイデンティティに対する真摯な反省と強い危機感が生み出され、同教会が唯一の教会であり、キリストへの信仰を媒介できる唯一の存在であるとする理論付けが行われるようになった。これが「'''カトリシズム'''」の形成である。「'''カトリシズム'''」という言葉が具体的に定義づけられたのは、[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]の『[[美学講義]]』によるものとされているが、カトリシズム自体は宗教改革期に生み出されて発展してきたものである。 カトリシズムを代表する言葉に「教会外に救い無し」という命題がある。これは、カトリック以外のキリスト教徒および異教徒には救いがないというのではなく、 * 人間の魂は全てイエス・キリストからの恩恵を受けており、本性上キリスト教的な存在である従って全人類は『可能的』にキリスト教徒である。 * 従って、無知によって教会に所属していなくても、良心の声に忠実に生きる人は知らずして神に従い、またイエス・キリストの恩恵を受けることになる(含蓄的な恩恵 {{lang-la-short|fides implicita}})。従って、カトリック以外の教派あるいは異教徒にも『含蓄的』な信仰を抱き「見えざる教会」の一員になり得る場合がある。 * 含蓄的な信仰を抱いた人はイエス・キリストの啓示真理に接することによって、その信仰は『顕現的』なものとなって、目の前に存在する唯一の教会の一員となる。 と、いう論理展開を行い、人間の本性はその堕落を経てもなおも神による普遍的な救済意志の恩恵を受ける資格を有しているとする。その救済を受けるためにはイエス・キリストの体に替わる存在であるローマ教皇を頂点とする教会組織に加入することによって「新しい神の民」となり、その信仰が福音の真理から逸脱しない保証を獲得する必要があるとした。また、カトリシズムは自然と恩恵の相互作用を重視して、奇蹟などの恩恵して、自然現象・科学理論のみを万能とする考えにも、逆に自然的な作用・努力を無視して、人間の本性=堕落として全否定してひたすら神の恩恵・救済のみを待ち続ける考えにも強く反対している。 これに対して反対派からは、 * カトリシズムは[[ギリシア思想]]の影響を強く受けすぎて、イエス・キリストとその弟子の間で築かれた初期の素朴なキリスト教の原点から逸脱している。また、人間の自然本性を楽天的に捉え過ぎて安易な救済を認めており、全ての罪を背負って十字架に架けられたイエス・キリストの行動の否認につながりかねない。 * 啓示真理の保持と信仰の統一への努力は評価できても、結果的に[[位階制]]という身分制度を教会内部に形成し、信仰よりも権威が教会を支配し、普遍性よりも内部の絶対主義が優先されている。特に[[第1バチカン公会議]]における[[教皇の不可謬性]]は、極端な権威主義に過ぎない。 * カトリシズムにおける[[インカルチュレーション]](諸民族の慣習・民族性に対する寛容)は教義・祭礼の多様化・充実をもたらす一方でキリスト教の中心的使信を曖昧にし、更にその蓄積が重荷となって却って新しい時代の変化や未知の異文化に対する柔軟性の欠如につながっている。 * カトリシズムは政治と密着して、各国の政治に深く干渉してカトリックに反対する人々の排斥に加担している。 * カトリシズムの教条主義こそが[[中世]][[ヨーロッパ]]の[[暗黒時代]]や[[十字軍]]による蛮行の原因である。 などの反論が行われて、長く論争が行われることとなる(もっとも、最後の2点については中傷あるいは誤解に基づく要素が含まれており、今日のカトリシズム批判者でもこの主張をする者はほとんどいないとされている)。 また、人間に対する楽観主義からカトリシズムは厳格な倫理観の一方で、芸術や音楽に対しては人間の信仰の表出のために行われる営みの一環として捉えられている。これは人間の自由と主体性を重視しながらも聖画像をはじめとする芸術・音楽の類が福音の純粋性を曇らせる危険性を唱える[[プロテスタント|プロテスタンティズム]]とは対照的である。 当初、カトリック教会はプロテスタントに対する強硬な敵意からカトリック教会以外の救いを否定するような過激な主張も存在し、教皇を頂点とするヒエラルキア的組織であるローマ教会の組織防衛に重点が置かれるとともに、秘蹟による恩寵手段に主張の重点が置かれた。 == 現状 == [[20世紀]]に入ると、カトリシズムを唱える人々の間にも組織防衛に力を注ぎすぎて、カトリック理念の根幹であるキリスト教の普遍的理念の確立からは却って遠ざかっていることに対する反省が生まれ、フランスの[[イヴ・コンガール]]らを中心とした「[[新神学]]」運動が発生した。 [[1962年]]の[[第2バチカン公会議]]においては「カトリシズムとは何か?」という根本的な議論が行われた。その結果、「[[教会憲章]]」および「[[現代世界憲章]]」が採択され、聖職者は信徒の支配者ではなく公僕であること、それぞれの地域に存在する伝統文化に対する配慮の必要性を認めることなど、より一般の信徒全体を重視する方針を打ち立て、従来のヒエラルキア的組織こそは維持するものの、内外のカトリシズムに対する批判に答える形でカトリック教会内部の改革が推し進められた。 ただし、ローマ教会([[教皇庁]])が[[2007年]]になって、ローマ教皇[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]の承認の元に「ローマ・カトリック教会は唯一の正統な教会である」との記述内容を含む文書を公表したために、東方正教会およびプロテスタント教会からの強い反感を買うなど、依然としてローマ教会=カトリックの姿勢の堅持の姿勢を示している点には注目される。 == 参考文献 == * 『社会科学大辞典 第3巻』鹿島研究所出版会、1968年 ISBN 4306091546 * 『現代カトリック事典』エンデルレ書店、1982年 ISBN 4754402049 * 『[[新カトリック大事典]] 第1巻』研究社、1996年 ISBN 4767490111 * 『[[岩波キリスト教辞典]]』岩波書店、2002年 ISBN 400080202X * 『歴史学事典 第11巻』弘文館、2004年 ISBN 4335210418 * 『キリスト教神学事典』教文館、2005年 ISBN 4764240297 == 関連項目 == * [[新共同訳聖書]] * [[公同の教会]] {{キリスト教 横}} {{Christ-stub|かとりしすむ}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:かとりしすむ}} [[Category:キリスト教神学]] [[Category:カトリック|*]] [[Category:教会論]]
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1,001
80年代
80年代(はちじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)80年から89年までの10年間を指す十年紀。
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認識論
認識論(にんしきろん、英: Epistemology)は、認識、知識や真理の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)について考察する、哲学の一部門である。存在論ないし形而上学と並ぶ哲学の主要な一部門とされ、知識論とも呼ばれる。 日本語の「認識論」はドイツ語からの訳語であり、カント『純粋理性批判』以後のドイツ哲学に由来する。フランス現代思想では「エピステモロジー」という分野があるが、20世紀にフランスで生まれた科学哲学の一つの方法論ないし理論であり、日本語では「科学認識論」と訳される。 哲学はアリストテレス以来大きく認識論と存在論に大別され、現在もこの分類が生きている。認識論ではヒトの外の世界を諸々の感覚や理性等を通じていかに認識していくかが問題とされる。 認識という行為は、人間のあらゆる日常的、あるいは知的活動の根源にあり、認識の成立根拠と普遍妥当性を論ずることが認識論である。しかし、仮説を立て実験によって検証するという科学的方法論は長年取り入れられることはなかった。内観法が哲学者の主たる武器であった。19世紀末ごろ、認識論の一部が哲学の外に出て心理学という学問を成立させるが、初期にはもっぱら内観や内省を方法論とし、思弁哲学と大差はなかった。やがて、思弁を排し客観的、科学的方法論を意図する実験心理学が登場し、認識論の一部は、心理学に分かれていった。錯覚現象などがその研究対象になった。実験心理学では、データの統計的処理では科学的であったが、なぜ錯覚が生まれるかというメカニズムの解明では、仮説を立て実験データとの照合を論じてはいたものの、その仮説自体はやはり思弁に過ぎなかった。それを嫌い人間の主観を離れて、実験動物を用いた観察可能な行動のみを研究対象とする一派も存在したが、人間の認識は研究対象から外された。このため、認識論の問題は比較的最近まで自然科学化されずに哲学の領域にとどまり続けた。 多義的な語なので注意が必要である。日本語の「認識論」は 独: Erkenntnistheorie の訳語である。ドイツで初めてこの語を用いたのはドイツの哲学者K・ラインホールトであると言われているが、もちろん認識論的な問題そのものは古代ギリシアから存在した。 英語の Epistemology と仏語の Épistémologie の語源は、ギリシア語の「知」(希: epistēmē、エピステーメー)と、合理的な言説(希: logos、ロゴス)を合成したものであり、スコットランドの哲学者J・フェリエが1854年に出版した「形而上学概論」で初めて使用したとされる。 英語の Epistemology は theory of knowledge と互換的な意味あいがあるが、仏語の Épistémologie はそのような意味合いはなく、あくまで科学哲学の一つの方法論ないし理論であり、日本語では「科学認識論」と訳される。フランス語の 仏: Théorie de la connaissance はグノセオロジー(フランス語版) とも呼ばれる。 認識論で扱われる問いには次のようなものがある。 認識論は、今日、「哲学的認識論」と、20世紀にフランスで生まれた「科学的認識論」の二つに大別され、哲学的認識論についても古典的認識論と現代的認識論の区別が必要であるとされる。そこで、以下に、まずは歴史の流れに沿って哲学的認識論について解説する。 今日でいうところの認識論的な問題の原典は、プラトンの『テアイテトス』にまで遡ることができる。本対話篇では「知識とは何か?」という問いに対し、知識とは常に存在し、疑いなきものであるとの対話者間の共通の前提から、テアイテトスはまず知識とは知覚であると主張する。これに対して、ソクラテスは、知覚は人それぞれによって異なるものであるとした上で、「人間は万物の尺度である」と主張して相対主義を唱えたプロタゴラスを引き合いに出し、彼が自らの思いが真であると固執すれば、自らの思いが偽であると認めざるを得なくなるとしてその主張を論難する。テアイテトスは引き続き知識とは真なる意見であると主張し、更に真なる意見に説明を加えたものであるとも主張するが、いずれもソクラテスによって論難され、結局のところ、本対話篇では、知識とは何かに対する回答は示されず、アポリアに終わる。しかしながら、そこでは、知識とは、正当化された真なる確信であるという定式を既に見出すことができる。 プラトンにとって知識とは常に存在する普遍的なものでなければならないが、それは実体であるイデアの世界にあり、この現実の世界は仮象の生成流転する世界であって永遠に存在するものはなにもない。したがって、知識も決して師や賢者が一方的に教授できるものではなく、弁論術による対話を通じてようやく到達できるものである。プラトンの著作が対話篇という形をとり、その結末がアポリアを呈示する形で終わっているのは、このようなプラトンの思想を反映したものである。プラトンによれば、物の本質は、感覚によって把握することはできず、物のイデアを「心の眼」で直視し、「想起」することによって認識することができる。 プラトンは、知識とは正当化された真なる確信であるという定式を否定したのだが、その理由は「ある事」を確信しているということは、その正当化の理由となる「ある事」を既に知っているからであるという循環論法を疑ったからである。これに対して、アリストテレスは、知には常に何らかの前提が存在していることを否定せず、ある事を確信している場合、その前提となっている理由はその都度問われても良いと考えた。 また、プラトンは感覚を五感に制限せず、「精神の目」と呼ばれる内的感覚を認めていたが、アリストテレスはこれを否定し、広い意味での経験によって得られるもののみを知と見て、知の諸形式を知覚、記憶、経験、学問に分類した。 さらに、アリストテレスは、その学問体系を、「論理学」をあらゆる学問成果を手に入れるための「道具」(希: organon)であるとした上で、「理論」(テオリア)、「実践」(プラクシス)、「制作」(ポイエーシス)に三分し、理論学を「自然学」と「形而上学」、実践学を「政治学」と「倫理学」、制作学を「詩学」に分類した。アリストテレスによれば、形而上学は存在するものについての「第一哲学」であり、始まりの原理についての知である。また、彼は、その著書『形而上学』において、有を無、無を有と論証するのが虚偽であり、有を有、無を無と論証するのが真であるとした。そこでは、「有・無」という「存在論」が基礎にあり、これを「論証する」という「判断」が支えている。そこでは、存在論が真理論と認識論とに分かちがたく結び付けられている。アリストテレスの学問体系は、その後、トマス・アクィナスらを介して古代・中世の学問体系を規定することとなったが、そこでは、認識論的・真理論的な問題は常に存在論と分かちがたく結び付いていた。そのため、形而上学の中心的な問題は存在論であった。 アウグスティヌスの認識論は、プラトンのイデア思想の流れをくむものであり、存在論と幸福論とが一体となっている。 彼によれば、人間は魂と身体の複合体であり、両者は共に独立した実体であり、魂は「わたし」という意思である。魂は自律するゆえに、探求するが、彼を探求に導くものは愛であり、愛は最後の憩いの場として万有の根源である神を求める。「神は存在である」(羅: Deus est esse)、神が自己自身を認識することによって、われわれの認識が始まる。したがって、神は認識の原理であるとともに真理である。人は真理を認識するためには、感覚(外的人間)に頼るのではなく、理性(内的人間)によらなければならない。創世記には、神は人間を神の似姿として創ったとあり、神に似るのは動物にはない人間のみが有する理性部分だからである。理性は外に向かうのではなく、内部に向かい、それを超えた果てに真理を見る。内的人間と真理との一致に霊的な最高の喜びがある。 トマス・アクィナスの認識論は、アリストテレスの思想の流れをくむ。トマス・アクィナスは、アリストテレスの存在論を承継しつつも、その上でキリスト教神学と調和し難い部分については、新たな考えを付け加えて彼を乗り越えようとした。トマスにとって、神は、万物の根源であるが、アリステレスの説くように純粋形相ではあり得なかった。旧約聖書の『出エジプト記』第3章第14節で、神は「私は在りて在るものである」との啓示をモーセに与えているからである。そこで、彼は、アリストテレスの存在に修正を加え、「存在-本質」(羅: esse-essentia) を加えた。彼によれば、「存在」は「本質」を存在者とするため「現実態」であり、「本質」はそれだけで現実に存在できないため「可能態」である。「存在」はいかなるときにおいても「現実態」である。神は、自存する「存在そのもの」であり、純粋現実態である。人間は、理性によって神の存在を認識できる(いわゆる宇宙論的証明)。しかし、有限である人間は無限である神の本質を認識することはできず、理性には限界がある。もっとも、人間は神から「恩寵の光」と「栄光の光」を与えられることによって知性は成長し神を認識できるようになるが、生きている間は「恩寵の光」のみ与えられるので、人には教会による信仰・愛・希望の導きが必要になる。人は死して初めて「栄光の光」を得て神の本質を完全に認識するものであり、真の幸福が得られる。トマスは、存在論に基づく神中心主義と、理性と信仰に基づく人間中心主義の統合を図り、後世の存在論に多大な影響を与えることになった。スコラ学は彼によって体系化されたのだが、その世界観はやがて独断的で権威主義的なものへと変質していった。 プラトン・アリストテレス伝統においては観念と対象と一致することが真であると考えられていたが、当時そのような考え方に対する権威が失墜し、人は果たして物事を正しく知ることができるのかという知に対する根本的な疑いが生じるようになっていた。 時代背景としては、コロンブスによる新大陸発見、エラスムスの痴愚礼賛に象徴されるスコラ哲学の権威失墜・人文主義者の台頭、そして何より宗教改革があった。カトリックとプロテスタントはお互いに、いかにして(教義についての宗教的な)正しい認識は可能なのか、信頼に足る真理の基準は何かということを問答し、やがてお互いに向けられた懐疑主義は自らの信頼の基盤をも突き崩していった。そのような中で、モンテーニュの主著エセーにみられるように、およそ人間たるもの物事を正しく知ることはできず、ただ神の啓示を待つほかなく、それまでは判断を留保し、自然と慣習に従って慎ましく生活するという全面的な懐疑主義(新ピュロン主義)が通俗化していった。 近代的な意味での認識論を成立させたのは、ルネ・デカルトである。デカルトは、数学・幾何学の研究によって得られた概念は疑い得ない明証的なものと考え、これを基礎付けるための哲学体系を確立しようと欲した。デカルトは、合理的な学問的知識さえを疑う全面的な懐疑主義に対して方法的懐疑論を唱え、肉体を含む全ての外的事物が懐疑にかけられた後に、どれだけ疑っても疑いえないものとして純化された精神だけが残ると主張した。 そこでは、存在について語る前にどのようにして存在を認識するのかを論じなければならないとされ、形而上学はもはや存在についての第一哲学ではなく、存在の認識についての第一哲学となった。このようなデカルトの革命的な主張は、形而上学の中心的な課題を存在論から認識論へ転回させただけでなく、認識に関する様々な物議を醸すきっかけとなった。既に述べたとおりアリストテレス的学問伝統の下においては、認識論と真理論は存在論と分かちがたく結び付いていたが、認識論を存在論に優位させることにより、問題は大きく三つに分かれることとなった。以下に分説する。 哲学的認識論の第一の問題は、人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか、人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか、という認識の起源の問題である。おおむね四つの立場がある。 ルネ・デカルトは認識の起源は理性であるとした。デカルトは、アリストテレスがその著書『霊魂論』において述べた経験主義的原則、すなわち、知覚によって対象から受け取った表象なしに人は思考することはできないという立場に反対し、精神を独立した実体と見て、精神自身の内に生得的な観念があり、理性の力によって精神自身が、観念を演繹して展開していくことが可能であるとした。 このような考え方の背景には、当時の飛躍的な数学、幾何学、自然学の発展があり、当時の人々は、誰がどのように考えても同一の結論に到達するというイデア的な観念の源泉を理性、つまり動物とは区別された人間の本性のうちに見た。このような人間の思考には経験内容から独立した概念が用いられているという考え方を生得説という。 デカルトは、結論としては、精神、物体を有限の実体であるとした上で、無限の実体である神の三つが実体であるとした。精神と物体の二元論において、主観と客観の一致を保証するため、神の存在を必要とした。 デカルトを引き継ぐニコラ・ド・マルブランシュ、バールーフ・デ・スピノザ、ゴットフリート・ライプニッツなどの大陸合理主義者は、生得説を擁護しつつも、様々な点でデカルトと対立し、これを乗り越えようとした。 デカルトの革命的な主張は、その直後から様々な立場から厳しい批判を浴びることとなった。特に、デカルトの提出した神の概念は、自然法則を証明するための条件にすぎず、キリスト教的伝統に基づく人格神ではなく、実質は無神論ではないかとの疑惑も根強いものがあった。 このような状況下において、デカルト哲学とアウグスティヌス神学との総合を企図したのがニコラ・ド・マルブランシュである。彼は、認識論的にはアウグスティヌスのイデア説を継承し、神は万象の原因であり、われわれは万物を神のうちに観るとの思想を基本に、デカルト的な心身問題の解決を図ろうとし、精神や身体の変化のみならず、物体相互の接触や運動は神の作用の機会にすぎないという「機会原因論」を主唱し、その上に壮大な形而上学体系を構築した。 スピノザは、デカルトを批判し、神のみが実体であるとし、そこからすべてを理性によって演繹するという方法をとった。スピノザによれば、神が唯一の実体である以上、精神も身体も、その二つの異なる属性に他ならないことになる。 スピノザは、その著書『エチカ』において、表象を「第一種の認識」、理性を「第二種の認識」、直観を「第三種の認識」と三分類した。彼によれば、人間は自然の一部であるから、外部から様々な影響を受けるが、人間の精神はまず自分の身体の変状についての観念を持たざるを得ないが、これが第一種の認識である。この観念は人間の身体と外部の本性を共に部分的に持つものであるがゆえに「認識の欠如」の観念を含む。したがって、第一種の認識に基づくデカルト流の方法的懐疑は認識の欠如を含むゆえ決して明証性・確実性を有するに至ることはない。しかし、人間の身体と外部の本性を共に部分的に持つということは、本性を共通にする部分についての普遍的な認識をすることはでき、これを第二種の認識と呼ぶ。さらに、個物の本性に関する認識を第三種の認識と呼び、真と偽の区別は第二種ないし第三の認識に基づきなされる。 ライプニッツの認識論は、多元的で最小の実体であるモナドを基礎にする。モナドは万物の数に応じて多数ある分割不能な実体であるが、モナドは鏡であり、表象能力を有し、自発的に世界全体を自己の内部に映し出し、世界全体を認識する。また、彼は、モナドは窓がなく、独立した別個の実体であるから、相互に影響を与えることはできないので、神の創造による予定調和によって他のモナドと協調して表象を展開することができるとした。このような立場から、決定論、汎神論に陥ったスピノザと異なり、自由意思、人格神を認めることができ、また、いちいち神が機械人形を操るように世界に介在しなければならないとしたマルブランシュの機械原因論を否定した上で、デカルト的な心身問題を解決することができるようになる。いわば対立するすべての合理論を調停した上で、伝統的なキリスト教的神学を擁護しようとしたのがライプニッツ哲学といえる。 合理主義は概念による理性認識に従って普遍必然性を有する知識、最終的には神の存在証明に至ることができると信じたが、ひとたび数学や自然学の問題を離れ、形而上学上の問題を論じるや否や合理主義内部においてさえその対立はとどまるところを知らず、徒らに概念をもてあそび内容空虚な思弁を弄することになり、独断論化していった。 カントが師のクヌッツェンから学んだのは、当時のドイツの講壇哲学において支配的であったライプニッツ=ヴォルフ派の壮大な形而上学で、彼は、自身が批判哲学を確立する前に、自身がかつて所属していた当該学派における状態をその著書『プロレゴメナ』において「独断論のまどろみ」と比喩的に呼んだ。 ジョン・ロックは認識の起源は経験であるとした。 時代背景としては、ピューリタン革命や内乱のため1641年に高等宗務裁判所が廃止されたことがあり、当時、英国国教会とカトリック教徒やクエーカー教徒との対立が激化しただけではなく、民衆にはヘルメス主義などが流行し、自分の目も感覚も明らかな証拠も信用せず、自分の経験すら偽りとしてまで自らの教義に一致しないものを認めようとしない頑固な人びとが多くおり、独断主義との対立が迫られるというような社会情勢にあった。 ロックと彼を引き継ぐジョージ・バークリーやデイヴィッド・ヒュームなどのイギリス経験論者は、経験に先立って何らかの観念が存在することはなく、人間は「白紙状態」(タブラ・ラサ)として生まれてくるものと考えて生得説を批判した。 ロックは、観念は感覚(英: sensation) もしくは反省(英: reflection) から発生すると考えた。彼によれば、観念には単純観念と単純観念が合わさって形成した複合観念があるが、このような観念の結合・一致・不一致・背反の知覚が知識である。したがって、全ての観念と知識は人間が経験を通じて形成するものだということになる。 ロックは、デカルトと同様、精神、物体、神の三つが実体であるとしており、数学に関しても論証的知識に属するとしてその確実性を否定したわけではなかった。ロックは、反省によって生成された観念を理性によって演繹することを認めるので、その限りで、ロックはデカルト主義者であるということもできる。ただし、自然学については、その知識は確実なものではなく、蓋然性を得るにとどまるとした。ロックによれば、物体の性質は、固性・延長性・形状等の外物に由来する客観的な「第一性質」(英: primary quality) と、色・味・香り等の主観的な「第二性質」(英: secondary quality) に分かれるが、我々が知ることのできるのは後者のみで、それすらも経験によって全てを知ることはできず、その蓋然性を得るにすぎない。 ジョージ・バークリーは、ロックの経験論を承継しつつ、ロックが物体を実体とした上で、物体の第一性質と第二性質を区別したことを批判した。彼は、両者の区別を否定し、実体とは同時的なる観念の束(英: bandle or collection of ideas)に他ならないと考えた。このような考え方から、彼は、物体が実体であることを否定し、知覚する精神と、神のみを実体と認めた。 このことを端的に表す有名な言葉として「存在とは知覚されてあることである」(羅: Esse est percipi、英: To be is to be perceived) がある。 バークリは、主観的観念論、独我論と批判されることになったが、彼は聖職者であり、神を実体としていたことから、その思想はむしろマルブランシュに近いものであったとされている。ロックの経験論は独我論と懐疑論の中道を目指す経験的実在論を基礎にしていたが、バークリはデカルト主義的なロックの観念論を承継していた。 デビット・ヒュームは、主著『人間本性論』において、あらゆる観念の理性による基礎付けを否定し、当時の自然科学の知見に基づき、観念の形成過程を分析した。ヒュームによれば、人間の「知覚」は印象(impression)と、そこから創出される観念(idea)の二種類に分けられるが、全ての観念は印象から生まれる。印象は人の意識に強く迫ってくるいきいきとしたものであるが、なぜそれが生じるのか説明のつかないものであり、観念は印象の色あせた映像にすぎない。この観念が結合することによって知識が成立するが、知識には数学や論理学のように確実な知識と蓋然的な知識の二種がある。観念の結合について「自然的関係」と「哲学的関係」の2種があり、前者は「類似」(英: similarity)・「時空的近接」(英: contiguity)・「因果関係」(英: causality) があり、後者は量・質・類似・反対および時空・同一性・因果がある。その上で、ヒュームは、因果関係の特徴は必然性にあるとしたが、一般に因果関係といわれるpとqのつながりは、人間が繰り返し経験する中で「習慣」(英: habit) によって心の中に生じた蓋然性でしかないと論じ、理性による因果関係の認識の限界を示した。 この因果関係に関するヒュームの考えは後にカントに決定的な影響を与えた。カントは、その著書『プロレゴメナ』において、ヒュームが自分を独断論のまどろみから眼覚めさせたと後に明らかにした。認識のための道具は理性であり、もしこの道具に限界があるのであれば、なによりも先に、その可能性と根拠について問われなければならない。カントは後に認識の可能性と根拠を問う哲学を超越論哲学と呼び、これを展開していくことになる。 イマヌエル・カントは、このように合理主義と経験主義が激しく対立する時代に、観念の発生が経験と共にあることは明らかであるとして合理主義を批判し、逆に、すべての観念が経験に由来するわけでないとして経験主義を批判し、二派の対立を統合したとする見方が今日広く受け入れられている。カントの立場は、このように経験的実在論から出発し、超越論的観念論に至るというパラドキシカルなものである。 デカルトは、外界にある対象を知覚することによって得る内的な対象を意味する語として 仏: idée の語を充てていたが、このような構造に関しては経験主義に立つロックも同様の見解をとっていた。 カントは、これらの受動的に与えられる内的対象と観念ないし概念を短絡させる見方を批判し、表象(独: Vorstellung)を自己の認識論体系の中心に置いた。カントは、表象それ自体は説明不能な概念であるとした上で、表象一般はその下位カテゴリーに意識を伴う表象があり、その下位には二種の知覚、主観的知覚=感覚と、客観的知覚=認識があるとした。人間の認識能力には感性と悟性の二種の認識形式がアプリオリにそなわっているが、これが主観的知覚と客観的知覚にそれぞれ対応する。感覚は直感によりいわば受動的に与えられるものであるが、認識は悟性の作用によって自発的に思考する。意識は感性と悟性の綜合により初めて「ある対象」を表象するが、これが現象を構成する。このような考え方を彼は自ら「コペルニクス的転回」と呼んだ。カントによれば、「時間」と「空間」、「因果関係」など限られた少数の概念は人間の思考にあらかじめ備わったものであり、そうした概念を用いつつ、経験を通じて与えられた認識内容を処理して更に概念や知識を獲得していくのが人間の思考のあり方だということになる。 20世紀初頭、エトムント・フッサールは、西欧諸科学が危機に直面しており、その解決が学問の基礎付けによってもたらされると考え、現象学の確立を試みた。 当時は、アインシュタインの相対性理論を始めに、量子力学を含め理論物理学が飛躍的に発展し、デカルトやカントが前提としていたニュートン力学に対する重大な疑義が出された時代であり、改めて学問の基礎付けが問題となった。 フッサールは、数、自己、時間、世界などの諸事象についての、確実な知見を得るべく、通常採用している物事についての諸前提を一旦保留状態にし、物事が心に立ち現れる様態について慎重に省察することで、イデア的な意味を直観し、明証を得ることで諸学問の基礎付けを行うことができると考えた。 哲学的認識論の第二の問題は、人間にとって不可知の領域はあるか。あるとしたら、どのような形で存在するのかという問題である。これは認識主体たる意識と認識客体という対立するいずれの項に基本を置いて認識の本質を規定するのかという問題でもあり、観念論と実在論が対立した。 実在論は、素朴実在論を批判して、物体の第一性質と第二性質を分けるロックの主張があり、科学的実在論と呼ばれる。 観念論は、主観的観念論の立場に立つものとしてバークリが挙げられることが多いが、その主張は複雑である。 カントにおいては、現象は、物自体と対比され、物自体と主観との共同作業によって構成される。別の言い方をすると、現象というのは物自体に主観の構成が加わった結果であるとし、人は現象が構成される以前の物自体を認識することはできない、とした。1781年に出版した『純粋理性批判』の中で、カントは人間の持つ理性がどのようなものであるかを、分析した。そしてその分析を通じて、人間の理性は、どんな問題でも扱える万能の装置ではなく、扱える問題について一定の制約・限界を持ったものであることを論じた。そして人間の理性によって扱えないような問題の例として、カントは純粋理性のアンチノミーという四つの命題の組を例示し、ライプニッツが行ったような形而上学的、神学的な議論は、原理的に答えを出せない問題であり、哲学者が真剣に議論すべきものではない、と斥けた。 カントは純粋理性批判の中で、次の四つのアンチノミーを例示した。 アンチノミー(二律背反)とは、ある命題(テーゼ、定立)と、その否定命題(アンチテーゼ、反定立)が、同時に成立してしまうような場合を言う。つまり「Aである」と「Aでない」が、同時に成り立つような場合を言う。この四つの命題の組は、そのどちらを正しいとしても矛盾が生じるものであり、このどちらかが正しいという事を、理性によって結論付けることは不可能、つまり議論しても仕方のない問題だ、とカントは論じた。それぞれについて簡単に内容を説明しておくと、第一のものは時間に始まりはあるか、空間に果てはあるか、という問題、第二のものは原子や素粒子といったこれ以上分割できない最小の構成要素があるかどうかの問題、第三のものは自由意志と決定論の問題、そして第四のものは世界の第一原因と神の存在の問題である。 カントによる形而上学批判は、以降の西洋の哲学に大きい影響を与えることとなり、神の存在証明や宇宙の始まりなどの形而上学的な問題は、哲学の中心的なテーマとして議論される傾向は抑制されていった。 哲学的認識論の第三の問題は、ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか、という真理論の問題である。 古典的な哲学的認識論としての真理の問題に関する見解はおおまかに以下の四つに分類することができる。 古典的認識論は、既に述べたとおり認識主体がどのようにして認識客体を認識するのかという二項対立図式において認識をとらえようとしたが、この難問が認識論の危機を招くこととなった。 カントは、二項対立図式を前提としつつ、現象と物自体を厳密に区別したが、ショーペンハウアーは、理性によっては認識できない物自体という概念を維持しつつ、現象とは私の表象であり、物自体とはただ生きんとする盲目的な意思そのものにほかならないとして理性を批判した。このような図式を引き継いだニーチェの思想はやがて生の哲学と呼ばれる潮流を作り、ドイツ・フランスで多くの哲学者に影響を与えたが、やがて実存主義に吸収されていった。 フィヒテに始まり、ヘーゲルによって完成を見たドイツ観念論は、理性によって現象と物自体の区別を乗り越えるような形で発展した。ヘーゲルによれば、カントの認識論は、認識の限界を認識するという循環論法的な議論であって、それはあたかも水に入る前に水泳を習うようなものであって、本来的に不可能である。ヘーゲルの批判は認識論にとって本質的な異議であったが、ヘーゲルの死後、ヘーゲル学派は分裂・対立を繰り返して崩壊し、かえって哲学の危機の時代を招いた。 その後、さまざまなバリエーションがあるものの、二項対立図式そのものが放棄されるべきではないかが議論されるようになった。 まず、当時の自然科学、とりわけ物理学の飛躍的な発展を背景にした二項対立図式の乗り越えがある。エルンスト・マッハは、ニュートン力学の絶対空間の概念に形而上学の残滓が残っていると考え、自然科学は形而上学概念を排した思考以前の純粋要素である感覚からすべて説明されるべきであり、概念や法則は思考を経済化するためのものにすぎないとした。このような感覚を「純粋経験」とよび、主観と客観の対立を原理的に同格とみなした。マッハの哲学は、アメリカのプラグマティズムやウィーン学団の論理実証主義に多大な影響を与えた。ウィーン学団は、マッハの他にも、ウィトゲンシュタインの論理哲学論考から多大な影響を受けているが、そのメンバーの多くがユダヤ人であったことから、ナチスの弾圧を受け、これから逃れるために参加者の多くはアメリカに亡命し、学団自体は立ち消えになったが、その考えが米英に広まり、英米系の現代的認識論に多大な影響を及ぼすことになった。 次いで、フッサールは、志向性という概念を用いてデカルト的な主観/客観図式を乗り越えようとしたが、生物学や心理学によって学問を基礎付けようとする考え方については逆に心理主義と呼んで厳しく批判した。フッサールは、ノエシス/ノエマ構造を本質とする志向性意識についての認識論的考察と、志向対象としての存在者への考察を現象学的還元を介して批判的に記述することにより、限定的ながらも存在論への道を開いたが、現象学は、ドイツでは、フッサールの意図を超えた展開を見せ、マルティン・ハイデッガー、ニコライ・ハルトマンらによって存在論の復権の方向へと発展していった。他方で、現象学は、その後フランスで受容され、フランスの現代的認識論に多大な影響を与えることになった。 英米では、論理実証主義運動を契機に、科学哲学や分析哲学が発展し、古典的経験論の失敗に学び、スコットランド常識学派の成果を吸収した上で、いわば現代的経験論ともいう立場を打ち立てて、フランスやドイツとも異なる独自の発展を見た。英米の現代的認識論では、知識とは何か、正当化とは何か、懐疑主義とどう向き合うかといった問題を軸に活発な議論が行われてきた。 英米の現代認識論で扱われるその他のテーマとしては、知覚の認識論、徳認識論、認識論の社会化、アプリオリな知識の可能性などがある。また、近年では、知識の価値とは何か、知識の実践的、社会的機能とは何か、合理的な不一致はありうるか、などの多様なテーマが論じられるようにもなっている。 知識の概念分析においては、「知識とは正当化された真なる信念である」というプラトン由来の知識の古典的定義をどう修正していくかということが一つの焦点となってきた。これはゲティア問題のために、古典的定義が文字どおりには正しくないと考えられるようになったためである(ただし、ゲティア問題のこのような含意を否定する論者も存在する)。この文脈では、以下のような立場がさまざまな哲学者によって展開されてきた。 基礎付け主義(英: foundationalism) とは、認識主体が何かを信じるための正当化を持つかどうかは、その認識主体のなんらかの基礎的な信念、またはそれに類似する心的状態に最終的に依拠するという立場。これらの信念ないし心的状態は、他の信念、心的状態を正当化するものでありながら、それら自体は(他の信念、心的状態によっては)正当化されないため、基礎的と呼ばれる。基礎付け主義は、伝統的にはセンス・データ論の形をとって展開された。 ウィルフリッド・セラーズは、センス・データ論を、所与の神話(英: myth of the given) の典型的な形態として批判する。センス・データ論では、非言語的な所与としてのセンス・データが、命題内容をもつ信念を最終的に正当化すると考える。しかし、もしセンスデータが非言語的なものであり、正当化がある種の推論関係と捉えられるならば、非言語的であり命題内容を持たないセンス・データが、どうやって命題内容をもつ信念と推論-正当化関係に立つのかが謎になる。 整合説(英: coherentism) とは、ある認識主体の持つ信念がお互いに調和しあっていることをもって、個々の信念が正当化されるとする考え方。調和、整合ということで、論理的な整合性(英: logical consistency) 以上のことが意味されるかどうかは、整合説論者でも意見が分かれる。 内在主義と外在主義を端的に区別するような基準を特徴づけることは非常に難しい(これは個々の論者が、これらの語で異なることを意味している場合が多いためである)。また、内在主義・外在主義という区分は、知識に対して適用される場合と正当化に対して適用される場合があり、両者を区別する必要がある。 典型的なヴァージョンの内在主義(英: internalism) は、アクセス内在主義と呼ばれるものである。正当化に関するアクセス内在主義とは、認識主体が何かを信じるための正当化を持つかどうかを決定する要素は、全て(あるいは少なくとも、主要なものは)、その認知主体が反省のみによってアクセスすることができるものだけだという考え方。知識に関するアクセス内在主義とは、同様の条件を、認識主体が知識を持つかどうかを決定する要素に対して課す立場である。ゲティア問題を知識に関するアクセス内在主義で切り抜けるのは非常に困難である。 外在主義を内在主義の否定と解するならば、アクセス内在主義の否定としての外在主義(英: externalism) も、「正当化に関する外在主義」と「知識に関する外在主義」に区別される。前者は、認識主体が何かを信じるための正当化を持つ際に、当の認識主体の反省的アクセスの対象ではない要素が介在するという立場である。後者は、同様の条件を、認識主体が知識を持つための条件とする。 ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインによって提案された「自然化された認識論」は外在主義と結びついた形をとることが多い。 信頼性主義(英: reliabilism) と呼ばれる立場で、最も有名なものは、プロセス信頼性主義であり、正当化に関する外在主義の中心的な立場である。プロセス信頼性主義によれば、ある信念が正当化されるためには、その信念が信頼のおける認知プロセスによって形成されることが必要である。類似する立場として、知識に関する信頼性主義があり、D.M.アームストロング(英語版))によって提唱された。 知識の因果説(英: causal theory of knowledge) とは、ある信念が知識かどうかは、その信念が、因果的に適切な仕方で生じたかどうかによって決まるという立場。アルヴィン・ゴールドマンによって提唱された。 決定的理由(英: conclusive reasons) はフレッド・ドレツキの提案した概念で、その信念が間違いであるならば、その理由がえられることはないであろうような理由。ドレツキはある人の信念が知識であるのは、その信念が、その正しさを保証する決定的理由に基づいて信じられているときであるという考え方をとる。これは知識に関する外在主義の一種となる。 懐疑主義、特にデカルトの「欺く神」(仏: Dieu trompeur) にどう対処するかということも近現代を通じて認識論の大きな課題である。これについてもいろいろな立場が提案されてきた。 すでに見た外在主義は、知識ないし正当化の条件として、認識主体本人が反省的アクセスを持たない要素を認める。従って、われわれがデカルトの欺く神に騙されているのでないということを認識主体が証明できなくとも、現実世界のあり方や、認識主体の認知プロセスが実際に信頼可能であるという事実によって、知ることができるという可能性が開ける。 閉包原理(英: closure principle) とは、(ある仕方で解釈された)デカルトの懐疑論が依存しているとされる原理の一つで、認識主体がAを知っており、かつ、AからBが論理的に導けるということを知っているならば、その認識主体はBを知っている、という原理である。言い換えれば、知識は既知の論理的含意のもとで閉じている。閉包原理を否定するならば、欺く神に騙されているかどうかを知らないことは、様々なことを知っているということと両立可能である。閉包原理と呼ばれるものはこれ以外にも幾つかあり、どの原理が正しいかを巡る議論が行われている。 認識論における広義の文脈主義(英: contextualism) とは、極めて大まかに言えば、何が正当化されているか、何が知識かは文脈によって変化する、という立場。欺く神について考える文脈と、より日常的な問題について考える文脈を区別することで、デカルト的懐疑が日常の思考にも影響することを食い止めることができる。ジョン・L・オースティンが提唱者の一人である。 フランスには、デカルトに端を発し、実証主義の祖オーギュスト・コントらが引き継いだ大陸合理主義・啓蒙主義の哲学的伝統がある。これらは、知識、信念、科学とは何か、合理的に知識を得る事とは、という認識論を中心とした問題意識を有するが、イギリス経験論を拒否するとともに、抽象的な定義から始まり、これを演繹するというドイツ哲学のような態度をも拒否し、理性について歴史的に考察する。 ミシェル・フーコーによれば、フランスの哲学的伝統は、ドイツ発祥の現象学をフランスにおいて受容するに際して、ガストン・バシュラール、ジョルジュ・カンギレムらによって代表される「知識、理性、概念の哲学」と、サルトル、メルロ・ポンティらによって代表される「経験、感覚、主体の哲学」の二派に分かれた。フランスの現代思想において、サルトルらの実存主義の流行後、1960年代に入って構造主義が台頭し、更にこれに対する反動としてポスト構造主義が台頭してくる歴史もそのような大きな流れの中で理解されるべきであるとされる。 現代のフランスの科学的認識論は、「エピステモロジー」(仏: Épistémologie) とよばれ、科学哲学と分野が一部競合している様相を示している。 エピステモロジーの歴史的に重要な人物としては、上で挙げたバシュラール、カンギレムらがいる。 エピステモロジーは、科学史と哲学の密着な結びつきを重視するが、他方でイギリス経験論を拒否し、コント以来の実証主義的伝統を受け継ぐという特徴を有しているが、科学哲学とはその発展の歴史が異なるだけでなく、科学哲学が有する総括的な意図、論争的な調子とは一線を画しているという特徴も有している。 ポストモダニズム、ポスト構造主義と呼ばれる人文・社会科学上の潮流は構造主義にあり、構造主義的認識論を基礎にしている。 非本質主義、相対主義などと形容されることが多いポストモダニズムの典型的な議論、認識論として、次のような特徴が挙げられる。 こうした認識論上の主張は、フリードリヒ・ニーチェ、ミシェル・フーコー、ジャン=フランソワ・リオタール、リチャード・ローティなどの哲学的な著作に基づいてなされることが多い。 ドイツには、フリードリヒ・シュライアマハーに始まる解釈学の哲学的伝統があり、英米系の言語哲学が歴史を軽視していることが、このような哲学的伝統に反するものと考えられてきた。 第二次世界大戦後しばらくの間はマルティン・ハイデッガーによる認識論批判・存在論の復権の影響が大きく、フランスのエピステモロジーの影響はあったものの哲学的には停滞していた時期が続いた。 1960年ころ、いわゆる「ドイツ社会学の実証主義論争」を経て、英米系の言語哲学、科学哲学の発展の成果を受容する流れが強くなった。このような流れにある人物として、カール=オットー・アーペルらがいる。 もっとも、このような流れの中にあっても、ハンス・ゲオルク・ガダマーのようにあくまでドイツの哲学的伝統に足場を置き研究を続けるものも多数いる。その意味で科学的認識論の重要性は増したものの、現代においても哲学的認識論の問題が古くなってしまったわけではないと考えられている。 ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインによって提案された「自然化された認識論(英語版)」は、自然科学的な方法論によって認識論を行おうという立場であり、クワイン以降、様々な形で展開されている。 クワインは、まず、古典的な経験主義には二つのドグマがあり、ドクマなき新たな経験主義を確立する必要があると主張する。彼によれば、経験主義には、事実に基づく総合的真理と事実問題と独立な意味に基づく分析的真理の間には根本的な相違があるという信念と、有意味な言明は直接的経験を指示する諸名辞からの論理的構成物と同値であるという信念の二つのドグマがあり、この二つのドグマは同じ根を持つ。経験主義の伝統においては、真理とは、観念と実在の対応であり、その場合の観念とは、一つの名辞を単位に考えられていたが、カルナップらの論理実証主義は、この単位を一つの言明に置き換えた。つまり、ここでは、直接的経験によるセンス・データ(感覚所与)言語に翻訳可能であれば、この言明は有意味であると考えられた。しかしながら、クワインによれば、このように実在と観念の対応を一つの名辞、一つの言明に分解していく還元主義は不可能であり、われわれの認識は一つの言語体系であり、したがって、とある信念を検証するにあたっては、一つの理論の全体との関係で、経験の審判を仰がねばならず、そのコロラリーとして、分析的真理と総合的真理は区別することはできない。 クワインは、これを「全体論」と呼んだが、これによれば、経験による改訂の可能性を原理的に免責されている信念はなく、もし対立する二つの理論があるときは、どのような経験によっても、そのどちらかが完全に否定されることはなく、どのような信念でも保持しつづけることができることになる。 ジャン・ピアジェは、心理学者として、とりわけ発達心理学で著名であるが、もともとは古典的認識論の諸問題を解決する糸口を生物学・心理学に求め、「発生的認識論(ドイツ語版)」を提唱した。彼は、多数の実験により幼児の認識の発達段階を解明した上で、認識は対象から独立しており、決して対象に到達することはないが、同時に対象によって支えられているという点で構成的なものであるとする。また、発生的認識論は哲学ではなく、科学であり、極めて専門的・集団的なものであるとの考えから、1955年、発生的認識論国際センターをジュネーヴに設立し、世界中のさまざまな分野の研究者たちとの共同研究を晩年まで精力的に行ない、現在も多くの学者が共同で研究を続けている。 コンラート・ローレンツは、動物行動学で著名であるが、哲学者のカール・ポパーと共に、人間の認識の起源の問題を個々人ではなく、生物種としての人の認知構造に求め、知識の変化を進化とみて通時的なアプローチを試みる「進化論的認識論(英語版)」を主張した。 1970年代後半に人間の心の本質について新知見をもたらす学問分野が発展し、その後も進展が続いている。脳科学、心理学、認知科学、神経生物学、人工知能、コンピューターなどに関連する研究である。これらの発展は“見る”事がいかになされているか、いかに心が外界の表象を形作るか、いかに情報が蓄えられ再起されるかなどの理解につながっている。これらの分野の発展が認識論に影響を及ぼす事が示唆されている。 近時は社会科学に属する社会学を認識論に応用することはできないかが議論されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "認識論(にんしきろん、英: Epistemology)は、認識、知識や真理の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)について考察する、哲学の一部門である。存在論ないし形而上学と並ぶ哲学の主要な一部門とされ、知識論とも呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "日本語の「認識論」はドイツ語からの訳語であり、カント『純粋理性批判』以後のドイツ哲学に由来する。フランス現代思想では「エピステモロジー」という分野があるが、20世紀にフランスで生まれた科学哲学の一つの方法論ないし理論であり、日本語では「科学認識論」と訳される。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "哲学はアリストテレス以来大きく認識論と存在論に大別され、現在もこの分類が生きている。認識論ではヒトの外の世界を諸々の感覚や理性等を通じていかに認識していくかが問題とされる。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "認識という行為は、人間のあらゆる日常的、あるいは知的活動の根源にあり、認識の成立根拠と普遍妥当性を論ずることが認識論である。しかし、仮説を立て実験によって検証するという科学的方法論は長年取り入れられることはなかった。内観法が哲学者の主たる武器であった。19世紀末ごろ、認識論の一部が哲学の外に出て心理学という学問を成立させるが、初期にはもっぱら内観や内省を方法論とし、思弁哲学と大差はなかった。やがて、思弁を排し客観的、科学的方法論を意図する実験心理学が登場し、認識論の一部は、心理学に分かれていった。錯覚現象などがその研究対象になった。実験心理学では、データの統計的処理では科学的であったが、なぜ錯覚が生まれるかというメカニズムの解明では、仮説を立て実験データとの照合を論じてはいたものの、その仮説自体はやはり思弁に過ぎなかった。それを嫌い人間の主観を離れて、実験動物を用いた観察可能な行動のみを研究対象とする一派も存在したが、人間の認識は研究対象から外された。このため、認識論の問題は比較的最近まで自然科学化されずに哲学の領域にとどまり続けた。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "多義的な語なので注意が必要である。日本語の「認識論」は 独: Erkenntnistheorie の訳語である。ドイツで初めてこの語を用いたのはドイツの哲学者K・ラインホールトであると言われているが、もちろん認識論的な問題そのものは古代ギリシアから存在した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "英語の Epistemology と仏語の Épistémologie の語源は、ギリシア語の「知」(希: epistēmē、エピステーメー)と、合理的な言説(希: logos、ロゴス)を合成したものであり、スコットランドの哲学者J・フェリエが1854年に出版した「形而上学概論」で初めて使用したとされる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "英語の Epistemology は theory of knowledge と互換的な意味あいがあるが、仏語の Épistémologie はそのような意味合いはなく、あくまで科学哲学の一つの方法論ないし理論であり、日本語では「科学認識論」と訳される。フランス語の 仏: Théorie de la connaissance はグノセオロジー(フランス語版) とも呼ばれる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "認識論で扱われる問いには次のようなものがある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "認識論は、今日、「哲学的認識論」と、20世紀にフランスで生まれた「科学的認識論」の二つに大別され、哲学的認識論についても古典的認識論と現代的認識論の区別が必要であるとされる。そこで、以下に、まずは歴史の流れに沿って哲学的認識論について解説する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "今日でいうところの認識論的な問題の原典は、プラトンの『テアイテトス』にまで遡ることができる。本対話篇では「知識とは何か?」という問いに対し、知識とは常に存在し、疑いなきものであるとの対話者間の共通の前提から、テアイテトスはまず知識とは知覚であると主張する。これに対して、ソクラテスは、知覚は人それぞれによって異なるものであるとした上で、「人間は万物の尺度である」と主張して相対主義を唱えたプロタゴラスを引き合いに出し、彼が自らの思いが真であると固執すれば、自らの思いが偽であると認めざるを得なくなるとしてその主張を論難する。テアイテトスは引き続き知識とは真なる意見であると主張し、更に真なる意見に説明を加えたものであるとも主張するが、いずれもソクラテスによって論難され、結局のところ、本対話篇では、知識とは何かに対する回答は示されず、アポリアに終わる。しかしながら、そこでは、知識とは、正当化された真なる確信であるという定式を既に見出すことができる。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "プラトンにとって知識とは常に存在する普遍的なものでなければならないが、それは実体であるイデアの世界にあり、この現実の世界は仮象の生成流転する世界であって永遠に存在するものはなにもない。したがって、知識も決して師や賢者が一方的に教授できるものではなく、弁論術による対話を通じてようやく到達できるものである。プラトンの著作が対話篇という形をとり、その結末がアポリアを呈示する形で終わっているのは、このようなプラトンの思想を反映したものである。プラトンによれば、物の本質は、感覚によって把握することはできず、物のイデアを「心の眼」で直視し、「想起」することによって認識することができる。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "プラトンは、知識とは正当化された真なる確信であるという定式を否定したのだが、その理由は「ある事」を確信しているということは、その正当化の理由となる「ある事」を既に知っているからであるという循環論法を疑ったからである。これに対して、アリストテレスは、知には常に何らかの前提が存在していることを否定せず、ある事を確信している場合、その前提となっている理由はその都度問われても良いと考えた。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "また、プラトンは感覚を五感に制限せず、「精神の目」と呼ばれる内的感覚を認めていたが、アリストテレスはこれを否定し、広い意味での経験によって得られるもののみを知と見て、知の諸形式を知覚、記憶、経験、学問に分類した。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "さらに、アリストテレスは、その学問体系を、「論理学」をあらゆる学問成果を手に入れるための「道具」(希: organon)であるとした上で、「理論」(テオリア)、「実践」(プラクシス)、「制作」(ポイエーシス)に三分し、理論学を「自然学」と「形而上学」、実践学を「政治学」と「倫理学」、制作学を「詩学」に分類した。アリストテレスによれば、形而上学は存在するものについての「第一哲学」であり、始まりの原理についての知である。また、彼は、その著書『形而上学』において、有を無、無を有と論証するのが虚偽であり、有を有、無を無と論証するのが真であるとした。そこでは、「有・無」という「存在論」が基礎にあり、これを「論証する」という「判断」が支えている。そこでは、存在論が真理論と認識論とに分かちがたく結び付けられている。アリストテレスの学問体系は、その後、トマス・アクィナスらを介して古代・中世の学問体系を規定することとなったが、そこでは、認識論的・真理論的な問題は常に存在論と分かちがたく結び付いていた。そのため、形而上学の中心的な問題は存在論であった。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "アウグスティヌスの認識論は、プラトンのイデア思想の流れをくむものであり、存在論と幸福論とが一体となっている。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "彼によれば、人間は魂と身体の複合体であり、両者は共に独立した実体であり、魂は「わたし」という意思である。魂は自律するゆえに、探求するが、彼を探求に導くものは愛であり、愛は最後の憩いの場として万有の根源である神を求める。「神は存在である」(羅: Deus est esse)、神が自己自身を認識することによって、われわれの認識が始まる。したがって、神は認識の原理であるとともに真理である。人は真理を認識するためには、感覚(外的人間)に頼るのではなく、理性(内的人間)によらなければならない。創世記には、神は人間を神の似姿として創ったとあり、神に似るのは動物にはない人間のみが有する理性部分だからである。理性は外に向かうのではなく、内部に向かい、それを超えた果てに真理を見る。内的人間と真理との一致に霊的な最高の喜びがある。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "トマス・アクィナスの認識論は、アリストテレスの思想の流れをくむ。トマス・アクィナスは、アリストテレスの存在論を承継しつつも、その上でキリスト教神学と調和し難い部分については、新たな考えを付け加えて彼を乗り越えようとした。トマスにとって、神は、万物の根源であるが、アリステレスの説くように純粋形相ではあり得なかった。旧約聖書の『出エジプト記』第3章第14節で、神は「私は在りて在るものである」との啓示をモーセに与えているからである。そこで、彼は、アリストテレスの存在に修正を加え、「存在-本質」(羅: esse-essentia) を加えた。彼によれば、「存在」は「本質」を存在者とするため「現実態」であり、「本質」はそれだけで現実に存在できないため「可能態」である。「存在」はいかなるときにおいても「現実態」である。神は、自存する「存在そのもの」であり、純粋現実態である。人間は、理性によって神の存在を認識できる(いわゆる宇宙論的証明)。しかし、有限である人間は無限である神の本質を認識することはできず、理性には限界がある。もっとも、人間は神から「恩寵の光」と「栄光の光」を与えられることによって知性は成長し神を認識できるようになるが、生きている間は「恩寵の光」のみ与えられるので、人には教会による信仰・愛・希望の導きが必要になる。人は死して初めて「栄光の光」を得て神の本質を完全に認識するものであり、真の幸福が得られる。トマスは、存在論に基づく神中心主義と、理性と信仰に基づく人間中心主義の統合を図り、後世の存在論に多大な影響を与えることになった。スコラ学は彼によって体系化されたのだが、その世界観はやがて独断的で権威主義的なものへと変質していった。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "プラトン・アリストテレス伝統においては観念と対象と一致することが真であると考えられていたが、当時そのような考え方に対する権威が失墜し、人は果たして物事を正しく知ることができるのかという知に対する根本的な疑いが生じるようになっていた。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "時代背景としては、コロンブスによる新大陸発見、エラスムスの痴愚礼賛に象徴されるスコラ哲学の権威失墜・人文主義者の台頭、そして何より宗教改革があった。カトリックとプロテスタントはお互いに、いかにして(教義についての宗教的な)正しい認識は可能なのか、信頼に足る真理の基準は何かということを問答し、やがてお互いに向けられた懐疑主義は自らの信頼の基盤をも突き崩していった。そのような中で、モンテーニュの主著エセーにみられるように、およそ人間たるもの物事を正しく知ることはできず、ただ神の啓示を待つほかなく、それまでは判断を留保し、自然と慣習に従って慎ましく生活するという全面的な懐疑主義(新ピュロン主義)が通俗化していった。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "近代的な意味での認識論を成立させたのは、ルネ・デカルトである。デカルトは、数学・幾何学の研究によって得られた概念は疑い得ない明証的なものと考え、これを基礎付けるための哲学体系を確立しようと欲した。デカルトは、合理的な学問的知識さえを疑う全面的な懐疑主義に対して方法的懐疑論を唱え、肉体を含む全ての外的事物が懐疑にかけられた後に、どれだけ疑っても疑いえないものとして純化された精神だけが残ると主張した。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "そこでは、存在について語る前にどのようにして存在を認識するのかを論じなければならないとされ、形而上学はもはや存在についての第一哲学ではなく、存在の認識についての第一哲学となった。このようなデカルトの革命的な主張は、形而上学の中心的な課題を存在論から認識論へ転回させただけでなく、認識に関する様々な物議を醸すきっかけとなった。既に述べたとおりアリストテレス的学問伝統の下においては、認識論と真理論は存在論と分かちがたく結び付いていたが、認識論を存在論に優位させることにより、問題は大きく三つに分かれることとなった。以下に分説する。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "哲学的認識論の第一の問題は、人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか、人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか、という認識の起源の問題である。おおむね四つの立場がある。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ルネ・デカルトは認識の起源は理性であるとした。デカルトは、アリストテレスがその著書『霊魂論』において述べた経験主義的原則、すなわち、知覚によって対象から受け取った表象なしに人は思考することはできないという立場に反対し、精神を独立した実体と見て、精神自身の内に生得的な観念があり、理性の力によって精神自身が、観念を演繹して展開していくことが可能であるとした。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "このような考え方の背景には、当時の飛躍的な数学、幾何学、自然学の発展があり、当時の人々は、誰がどのように考えても同一の結論に到達するというイデア的な観念の源泉を理性、つまり動物とは区別された人間の本性のうちに見た。このような人間の思考には経験内容から独立した概念が用いられているという考え方を生得説という。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "デカルトは、結論としては、精神、物体を有限の実体であるとした上で、無限の実体である神の三つが実体であるとした。精神と物体の二元論において、主観と客観の一致を保証するため、神の存在を必要とした。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "デカルトを引き継ぐニコラ・ド・マルブランシュ、バールーフ・デ・スピノザ、ゴットフリート・ライプニッツなどの大陸合理主義者は、生得説を擁護しつつも、様々な点でデカルトと対立し、これを乗り越えようとした。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "デカルトの革命的な主張は、その直後から様々な立場から厳しい批判を浴びることとなった。特に、デカルトの提出した神の概念は、自然法則を証明するための条件にすぎず、キリスト教的伝統に基づく人格神ではなく、実質は無神論ではないかとの疑惑も根強いものがあった。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "このような状況下において、デカルト哲学とアウグスティヌス神学との総合を企図したのがニコラ・ド・マルブランシュである。彼は、認識論的にはアウグスティヌスのイデア説を継承し、神は万象の原因であり、われわれは万物を神のうちに観るとの思想を基本に、デカルト的な心身問題の解決を図ろうとし、精神や身体の変化のみならず、物体相互の接触や運動は神の作用の機会にすぎないという「機会原因論」を主唱し、その上に壮大な形而上学体系を構築した。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "スピノザは、デカルトを批判し、神のみが実体であるとし、そこからすべてを理性によって演繹するという方法をとった。スピノザによれば、神が唯一の実体である以上、精神も身体も、その二つの異なる属性に他ならないことになる。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "スピノザは、その著書『エチカ』において、表象を「第一種の認識」、理性を「第二種の認識」、直観を「第三種の認識」と三分類した。彼によれば、人間は自然の一部であるから、外部から様々な影響を受けるが、人間の精神はまず自分の身体の変状についての観念を持たざるを得ないが、これが第一種の認識である。この観念は人間の身体と外部の本性を共に部分的に持つものであるがゆえに「認識の欠如」の観念を含む。したがって、第一種の認識に基づくデカルト流の方法的懐疑は認識の欠如を含むゆえ決して明証性・確実性を有するに至ることはない。しかし、人間の身体と外部の本性を共に部分的に持つということは、本性を共通にする部分についての普遍的な認識をすることはでき、これを第二種の認識と呼ぶ。さらに、個物の本性に関する認識を第三種の認識と呼び、真と偽の区別は第二種ないし第三の認識に基づきなされる。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "ライプニッツの認識論は、多元的で最小の実体であるモナドを基礎にする。モナドは万物の数に応じて多数ある分割不能な実体であるが、モナドは鏡であり、表象能力を有し、自発的に世界全体を自己の内部に映し出し、世界全体を認識する。また、彼は、モナドは窓がなく、独立した別個の実体であるから、相互に影響を与えることはできないので、神の創造による予定調和によって他のモナドと協調して表象を展開することができるとした。このような立場から、決定論、汎神論に陥ったスピノザと異なり、自由意思、人格神を認めることができ、また、いちいち神が機械人形を操るように世界に介在しなければならないとしたマルブランシュの機械原因論を否定した上で、デカルト的な心身問題を解決することができるようになる。いわば対立するすべての合理論を調停した上で、伝統的なキリスト教的神学を擁護しようとしたのがライプニッツ哲学といえる。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "合理主義は概念による理性認識に従って普遍必然性を有する知識、最終的には神の存在証明に至ることができると信じたが、ひとたび数学や自然学の問題を離れ、形而上学上の問題を論じるや否や合理主義内部においてさえその対立はとどまるところを知らず、徒らに概念をもてあそび内容空虚な思弁を弄することになり、独断論化していった。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "カントが師のクヌッツェンから学んだのは、当時のドイツの講壇哲学において支配的であったライプニッツ=ヴォルフ派の壮大な形而上学で、彼は、自身が批判哲学を確立する前に、自身がかつて所属していた当該学派における状態をその著書『プロレゴメナ』において「独断論のまどろみ」と比喩的に呼んだ。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "ジョン・ロックは認識の起源は経験であるとした。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "時代背景としては、ピューリタン革命や内乱のため1641年に高等宗務裁判所が廃止されたことがあり、当時、英国国教会とカトリック教徒やクエーカー教徒との対立が激化しただけではなく、民衆にはヘルメス主義などが流行し、自分の目も感覚も明らかな証拠も信用せず、自分の経験すら偽りとしてまで自らの教義に一致しないものを認めようとしない頑固な人びとが多くおり、独断主義との対立が迫られるというような社会情勢にあった。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "ロックと彼を引き継ぐジョージ・バークリーやデイヴィッド・ヒュームなどのイギリス経験論者は、経験に先立って何らかの観念が存在することはなく、人間は「白紙状態」(タブラ・ラサ)として生まれてくるものと考えて生得説を批判した。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ロックは、観念は感覚(英: sensation) もしくは反省(英: reflection) から発生すると考えた。彼によれば、観念には単純観念と単純観念が合わさって形成した複合観念があるが、このような観念の結合・一致・不一致・背反の知覚が知識である。したがって、全ての観念と知識は人間が経験を通じて形成するものだということになる。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ロックは、デカルトと同様、精神、物体、神の三つが実体であるとしており、数学に関しても論証的知識に属するとしてその確実性を否定したわけではなかった。ロックは、反省によって生成された観念を理性によって演繹することを認めるので、その限りで、ロックはデカルト主義者であるということもできる。ただし、自然学については、その知識は確実なものではなく、蓋然性を得るにとどまるとした。ロックによれば、物体の性質は、固性・延長性・形状等の外物に由来する客観的な「第一性質」(英: primary quality) と、色・味・香り等の主観的な「第二性質」(英: secondary quality) に分かれるが、我々が知ることのできるのは後者のみで、それすらも経験によって全てを知ることはできず、その蓋然性を得るにすぎない。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ジョージ・バークリーは、ロックの経験論を承継しつつ、ロックが物体を実体とした上で、物体の第一性質と第二性質を区別したことを批判した。彼は、両者の区別を否定し、実体とは同時的なる観念の束(英: bandle or collection of ideas)に他ならないと考えた。このような考え方から、彼は、物体が実体であることを否定し、知覚する精神と、神のみを実体と認めた。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "このことを端的に表す有名な言葉として「存在とは知覚されてあることである」(羅: Esse est percipi、英: To be is to be perceived) がある。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "バークリは、主観的観念論、独我論と批判されることになったが、彼は聖職者であり、神を実体としていたことから、その思想はむしろマルブランシュに近いものであったとされている。ロックの経験論は独我論と懐疑論の中道を目指す経験的実在論を基礎にしていたが、バークリはデカルト主義的なロックの観念論を承継していた。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "デビット・ヒュームは、主著『人間本性論』において、あらゆる観念の理性による基礎付けを否定し、当時の自然科学の知見に基づき、観念の形成過程を分析した。ヒュームによれば、人間の「知覚」は印象(impression)と、そこから創出される観念(idea)の二種類に分けられるが、全ての観念は印象から生まれる。印象は人の意識に強く迫ってくるいきいきとしたものであるが、なぜそれが生じるのか説明のつかないものであり、観念は印象の色あせた映像にすぎない。この観念が結合することによって知識が成立するが、知識には数学や論理学のように確実な知識と蓋然的な知識の二種がある。観念の結合について「自然的関係」と「哲学的関係」の2種があり、前者は「類似」(英: similarity)・「時空的近接」(英: contiguity)・「因果関係」(英: causality) があり、後者は量・質・類似・反対および時空・同一性・因果がある。その上で、ヒュームは、因果関係の特徴は必然性にあるとしたが、一般に因果関係といわれるpとqのつながりは、人間が繰り返し経験する中で「習慣」(英: habit) によって心の中に生じた蓋然性でしかないと論じ、理性による因果関係の認識の限界を示した。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "この因果関係に関するヒュームの考えは後にカントに決定的な影響を与えた。カントは、その著書『プロレゴメナ』において、ヒュームが自分を独断論のまどろみから眼覚めさせたと後に明らかにした。認識のための道具は理性であり、もしこの道具に限界があるのであれば、なによりも先に、その可能性と根拠について問われなければならない。カントは後に認識の可能性と根拠を問う哲学を超越論哲学と呼び、これを展開していくことになる。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "イマヌエル・カントは、このように合理主義と経験主義が激しく対立する時代に、観念の発生が経験と共にあることは明らかであるとして合理主義を批判し、逆に、すべての観念が経験に由来するわけでないとして経験主義を批判し、二派の対立を統合したとする見方が今日広く受け入れられている。カントの立場は、このように経験的実在論から出発し、超越論的観念論に至るというパラドキシカルなものである。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "デカルトは、外界にある対象を知覚することによって得る内的な対象を意味する語として 仏: idée の語を充てていたが、このような構造に関しては経験主義に立つロックも同様の見解をとっていた。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "カントは、これらの受動的に与えられる内的対象と観念ないし概念を短絡させる見方を批判し、表象(独: Vorstellung)を自己の認識論体系の中心に置いた。カントは、表象それ自体は説明不能な概念であるとした上で、表象一般はその下位カテゴリーに意識を伴う表象があり、その下位には二種の知覚、主観的知覚=感覚と、客観的知覚=認識があるとした。人間の認識能力には感性と悟性の二種の認識形式がアプリオリにそなわっているが、これが主観的知覚と客観的知覚にそれぞれ対応する。感覚は直感によりいわば受動的に与えられるものであるが、認識は悟性の作用によって自発的に思考する。意識は感性と悟性の綜合により初めて「ある対象」を表象するが、これが現象を構成する。このような考え方を彼は自ら「コペルニクス的転回」と呼んだ。カントによれば、「時間」と「空間」、「因果関係」など限られた少数の概念は人間の思考にあらかじめ備わったものであり、そうした概念を用いつつ、経験を通じて与えられた認識内容を処理して更に概念や知識を獲得していくのが人間の思考のあり方だということになる。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "20世紀初頭、エトムント・フッサールは、西欧諸科学が危機に直面しており、その解決が学問の基礎付けによってもたらされると考え、現象学の確立を試みた。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "当時は、アインシュタインの相対性理論を始めに、量子力学を含め理論物理学が飛躍的に発展し、デカルトやカントが前提としていたニュートン力学に対する重大な疑義が出された時代であり、改めて学問の基礎付けが問題となった。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "フッサールは、数、自己、時間、世界などの諸事象についての、確実な知見を得るべく、通常採用している物事についての諸前提を一旦保留状態にし、物事が心に立ち現れる様態について慎重に省察することで、イデア的な意味を直観し、明証を得ることで諸学問の基礎付けを行うことができると考えた。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "哲学的認識論の第二の問題は、人間にとって不可知の領域はあるか。あるとしたら、どのような形で存在するのかという問題である。これは認識主体たる意識と認識客体という対立するいずれの項に基本を置いて認識の本質を規定するのかという問題でもあり、観念論と実在論が対立した。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "実在論は、素朴実在論を批判して、物体の第一性質と第二性質を分けるロックの主張があり、科学的実在論と呼ばれる。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "観念論は、主観的観念論の立場に立つものとしてバークリが挙げられることが多いが、その主張は複雑である。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "カントにおいては、現象は、物自体と対比され、物自体と主観との共同作業によって構成される。別の言い方をすると、現象というのは物自体に主観の構成が加わった結果であるとし、人は現象が構成される以前の物自体を認識することはできない、とした。1781年に出版した『純粋理性批判』の中で、カントは人間の持つ理性がどのようなものであるかを、分析した。そしてその分析を通じて、人間の理性は、どんな問題でも扱える万能の装置ではなく、扱える問題について一定の制約・限界を持ったものであることを論じた。そして人間の理性によって扱えないような問題の例として、カントは純粋理性のアンチノミーという四つの命題の組を例示し、ライプニッツが行ったような形而上学的、神学的な議論は、原理的に答えを出せない問題であり、哲学者が真剣に議論すべきものではない、と斥けた。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "カントは純粋理性批判の中で、次の四つのアンチノミーを例示した。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "アンチノミー(二律背反)とは、ある命題(テーゼ、定立)と、その否定命題(アンチテーゼ、反定立)が、同時に成立してしまうような場合を言う。つまり「Aである」と「Aでない」が、同時に成り立つような場合を言う。この四つの命題の組は、そのどちらを正しいとしても矛盾が生じるものであり、このどちらかが正しいという事を、理性によって結論付けることは不可能、つまり議論しても仕方のない問題だ、とカントは論じた。それぞれについて簡単に内容を説明しておくと、第一のものは時間に始まりはあるか、空間に果てはあるか、という問題、第二のものは原子や素粒子といったこれ以上分割できない最小の構成要素があるかどうかの問題、第三のものは自由意志と決定論の問題、そして第四のものは世界の第一原因と神の存在の問題である。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "カントによる形而上学批判は、以降の西洋の哲学に大きい影響を与えることとなり、神の存在証明や宇宙の始まりなどの形而上学的な問題は、哲学の中心的なテーマとして議論される傾向は抑制されていった。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "哲学的認識論の第三の問題は、ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか、という真理論の問題である。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "古典的な哲学的認識論としての真理の問題に関する見解はおおまかに以下の四つに分類することができる。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "古典的認識論は、既に述べたとおり認識主体がどのようにして認識客体を認識するのかという二項対立図式において認識をとらえようとしたが、この難問が認識論の危機を招くこととなった。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "カントは、二項対立図式を前提としつつ、現象と物自体を厳密に区別したが、ショーペンハウアーは、理性によっては認識できない物自体という概念を維持しつつ、現象とは私の表象であり、物自体とはただ生きんとする盲目的な意思そのものにほかならないとして理性を批判した。このような図式を引き継いだニーチェの思想はやがて生の哲学と呼ばれる潮流を作り、ドイツ・フランスで多くの哲学者に影響を与えたが、やがて実存主義に吸収されていった。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "フィヒテに始まり、ヘーゲルによって完成を見たドイツ観念論は、理性によって現象と物自体の区別を乗り越えるような形で発展した。ヘーゲルによれば、カントの認識論は、認識の限界を認識するという循環論法的な議論であって、それはあたかも水に入る前に水泳を習うようなものであって、本来的に不可能である。ヘーゲルの批判は認識論にとって本質的な異議であったが、ヘーゲルの死後、ヘーゲル学派は分裂・対立を繰り返して崩壊し、かえって哲学の危機の時代を招いた。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "その後、さまざまなバリエーションがあるものの、二項対立図式そのものが放棄されるべきではないかが議論されるようになった。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "まず、当時の自然科学、とりわけ物理学の飛躍的な発展を背景にした二項対立図式の乗り越えがある。エルンスト・マッハは、ニュートン力学の絶対空間の概念に形而上学の残滓が残っていると考え、自然科学は形而上学概念を排した思考以前の純粋要素である感覚からすべて説明されるべきであり、概念や法則は思考を経済化するためのものにすぎないとした。このような感覚を「純粋経験」とよび、主観と客観の対立を原理的に同格とみなした。マッハの哲学は、アメリカのプラグマティズムやウィーン学団の論理実証主義に多大な影響を与えた。ウィーン学団は、マッハの他にも、ウィトゲンシュタインの論理哲学論考から多大な影響を受けているが、そのメンバーの多くがユダヤ人であったことから、ナチスの弾圧を受け、これから逃れるために参加者の多くはアメリカに亡命し、学団自体は立ち消えになったが、その考えが米英に広まり、英米系の現代的認識論に多大な影響を及ぼすことになった。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "次いで、フッサールは、志向性という概念を用いてデカルト的な主観/客観図式を乗り越えようとしたが、生物学や心理学によって学問を基礎付けようとする考え方については逆に心理主義と呼んで厳しく批判した。フッサールは、ノエシス/ノエマ構造を本質とする志向性意識についての認識論的考察と、志向対象としての存在者への考察を現象学的還元を介して批判的に記述することにより、限定的ながらも存在論への道を開いたが、現象学は、ドイツでは、フッサールの意図を超えた展開を見せ、マルティン・ハイデッガー、ニコライ・ハルトマンらによって存在論の復権の方向へと発展していった。他方で、現象学は、その後フランスで受容され、フランスの現代的認識論に多大な影響を与えることになった。", "title": "哲学的認識論の歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "英米では、論理実証主義運動を契機に、科学哲学や分析哲学が発展し、古典的経験論の失敗に学び、スコットランド常識学派の成果を吸収した上で、いわば現代的経験論ともいう立場を打ち立てて、フランスやドイツとも異なる独自の発展を見た。英米の現代的認識論では、知識とは何か、正当化とは何か、懐疑主義とどう向き合うかといった問題を軸に活発な議論が行われてきた。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "英米の現代認識論で扱われるその他のテーマとしては、知覚の認識論、徳認識論、認識論の社会化、アプリオリな知識の可能性などがある。また、近年では、知識の価値とは何か、知識の実践的、社会的機能とは何か、合理的な不一致はありうるか、などの多様なテーマが論じられるようにもなっている。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "知識の概念分析においては、「知識とは正当化された真なる信念である」というプラトン由来の知識の古典的定義をどう修正していくかということが一つの焦点となってきた。これはゲティア問題のために、古典的定義が文字どおりには正しくないと考えられるようになったためである(ただし、ゲティア問題のこのような含意を否定する論者も存在する)。この文脈では、以下のような立場がさまざまな哲学者によって展開されてきた。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "基礎付け主義(英: foundationalism) とは、認識主体が何かを信じるための正当化を持つかどうかは、その認識主体のなんらかの基礎的な信念、またはそれに類似する心的状態に最終的に依拠するという立場。これらの信念ないし心的状態は、他の信念、心的状態を正当化するものでありながら、それら自体は(他の信念、心的状態によっては)正当化されないため、基礎的と呼ばれる。基礎付け主義は、伝統的にはセンス・データ論の形をとって展開された。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "ウィルフリッド・セラーズは、センス・データ論を、所与の神話(英: myth of the given) の典型的な形態として批判する。センス・データ論では、非言語的な所与としてのセンス・データが、命題内容をもつ信念を最終的に正当化すると考える。しかし、もしセンスデータが非言語的なものであり、正当化がある種の推論関係と捉えられるならば、非言語的であり命題内容を持たないセンス・データが、どうやって命題内容をもつ信念と推論-正当化関係に立つのかが謎になる。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "整合説(英: coherentism) とは、ある認識主体の持つ信念がお互いに調和しあっていることをもって、個々の信念が正当化されるとする考え方。調和、整合ということで、論理的な整合性(英: logical consistency) 以上のことが意味されるかどうかは、整合説論者でも意見が分かれる。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "内在主義と外在主義を端的に区別するような基準を特徴づけることは非常に難しい(これは個々の論者が、これらの語で異なることを意味している場合が多いためである)。また、内在主義・外在主義という区分は、知識に対して適用される場合と正当化に対して適用される場合があり、両者を区別する必要がある。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "典型的なヴァージョンの内在主義(英: internalism) は、アクセス内在主義と呼ばれるものである。正当化に関するアクセス内在主義とは、認識主体が何かを信じるための正当化を持つかどうかを決定する要素は、全て(あるいは少なくとも、主要なものは)、その認知主体が反省のみによってアクセスすることができるものだけだという考え方。知識に関するアクセス内在主義とは、同様の条件を、認識主体が知識を持つかどうかを決定する要素に対して課す立場である。ゲティア問題を知識に関するアクセス内在主義で切り抜けるのは非常に困難である。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "外在主義を内在主義の否定と解するならば、アクセス内在主義の否定としての外在主義(英: externalism) も、「正当化に関する外在主義」と「知識に関する外在主義」に区別される。前者は、認識主体が何かを信じるための正当化を持つ際に、当の認識主体の反省的アクセスの対象ではない要素が介在するという立場である。後者は、同様の条件を、認識主体が知識を持つための条件とする。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインによって提案された「自然化された認識論」は外在主義と結びついた形をとることが多い。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "信頼性主義(英: reliabilism) と呼ばれる立場で、最も有名なものは、プロセス信頼性主義であり、正当化に関する外在主義の中心的な立場である。プロセス信頼性主義によれば、ある信念が正当化されるためには、その信念が信頼のおける認知プロセスによって形成されることが必要である。類似する立場として、知識に関する信頼性主義があり、D.M.アームストロング(英語版))によって提唱された。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "知識の因果説(英: causal theory of knowledge) とは、ある信念が知識かどうかは、その信念が、因果的に適切な仕方で生じたかどうかによって決まるという立場。アルヴィン・ゴールドマンによって提唱された。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "決定的理由(英: conclusive reasons) はフレッド・ドレツキの提案した概念で、その信念が間違いであるならば、その理由がえられることはないであろうような理由。ドレツキはある人の信念が知識であるのは、その信念が、その正しさを保証する決定的理由に基づいて信じられているときであるという考え方をとる。これは知識に関する外在主義の一種となる。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "懐疑主義、特にデカルトの「欺く神」(仏: Dieu trompeur) にどう対処するかということも近現代を通じて認識論の大きな課題である。これについてもいろいろな立場が提案されてきた。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "すでに見た外在主義は、知識ないし正当化の条件として、認識主体本人が反省的アクセスを持たない要素を認める。従って、われわれがデカルトの欺く神に騙されているのでないということを認識主体が証明できなくとも、現実世界のあり方や、認識主体の認知プロセスが実際に信頼可能であるという事実によって、知ることができるという可能性が開ける。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "閉包原理(英: closure principle) とは、(ある仕方で解釈された)デカルトの懐疑論が依存しているとされる原理の一つで、認識主体がAを知っており、かつ、AからBが論理的に導けるということを知っているならば、その認識主体はBを知っている、という原理である。言い換えれば、知識は既知の論理的含意のもとで閉じている。閉包原理を否定するならば、欺く神に騙されているかどうかを知らないことは、様々なことを知っているということと両立可能である。閉包原理と呼ばれるものはこれ以外にも幾つかあり、どの原理が正しいかを巡る議論が行われている。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "認識論における広義の文脈主義(英: contextualism) とは、極めて大まかに言えば、何が正当化されているか、何が知識かは文脈によって変化する、という立場。欺く神について考える文脈と、より日常的な問題について考える文脈を区別することで、デカルト的懐疑が日常の思考にも影響することを食い止めることができる。ジョン・L・オースティンが提唱者の一人である。", "title": "英米の現代的認識論" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "フランスには、デカルトに端を発し、実証主義の祖オーギュスト・コントらが引き継いだ大陸合理主義・啓蒙主義の哲学的伝統がある。これらは、知識、信念、科学とは何か、合理的に知識を得る事とは、という認識論を中心とした問題意識を有するが、イギリス経験論を拒否するとともに、抽象的な定義から始まり、これを演繹するというドイツ哲学のような態度をも拒否し、理性について歴史的に考察する。", "title": "フランスの現代的認識論" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "ミシェル・フーコーによれば、フランスの哲学的伝統は、ドイツ発祥の現象学をフランスにおいて受容するに際して、ガストン・バシュラール、ジョルジュ・カンギレムらによって代表される「知識、理性、概念の哲学」と、サルトル、メルロ・ポンティらによって代表される「経験、感覚、主体の哲学」の二派に分かれた。フランスの現代思想において、サルトルらの実存主義の流行後、1960年代に入って構造主義が台頭し、更にこれに対する反動としてポスト構造主義が台頭してくる歴史もそのような大きな流れの中で理解されるべきであるとされる。", "title": "フランスの現代的認識論" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "現代のフランスの科学的認識論は、「エピステモロジー」(仏: Épistémologie) とよばれ、科学哲学と分野が一部競合している様相を示している。", "title": "フランスの現代的認識論" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "エピステモロジーの歴史的に重要な人物としては、上で挙げたバシュラール、カンギレムらがいる。", "title": "フランスの現代的認識論" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "エピステモロジーは、科学史と哲学の密着な結びつきを重視するが、他方でイギリス経験論を拒否し、コント以来の実証主義的伝統を受け継ぐという特徴を有しているが、科学哲学とはその発展の歴史が異なるだけでなく、科学哲学が有する総括的な意図、論争的な調子とは一線を画しているという特徴も有している。", "title": "フランスの現代的認識論" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "ポストモダニズム、ポスト構造主義と呼ばれる人文・社会科学上の潮流は構造主義にあり、構造主義的認識論を基礎にしている。", "title": "フランスの現代的認識論" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "非本質主義、相対主義などと形容されることが多いポストモダニズムの典型的な議論、認識論として、次のような特徴が挙げられる。", "title": "フランスの現代的認識論" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "こうした認識論上の主張は、フリードリヒ・ニーチェ、ミシェル・フーコー、ジャン=フランソワ・リオタール、リチャード・ローティなどの哲学的な著作に基づいてなされることが多い。", "title": "フランスの現代的認識論" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "ドイツには、フリードリヒ・シュライアマハーに始まる解釈学の哲学的伝統があり、英米系の言語哲学が歴史を軽視していることが、このような哲学的伝統に反するものと考えられてきた。", "title": "ドイツの現代的認識論" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦後しばらくの間はマルティン・ハイデッガーによる認識論批判・存在論の復権の影響が大きく、フランスのエピステモロジーの影響はあったものの哲学的には停滞していた時期が続いた。", "title": "ドイツの現代的認識論" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "1960年ころ、いわゆる「ドイツ社会学の実証主義論争」を経て、英米系の言語哲学、科学哲学の発展の成果を受容する流れが強くなった。このような流れにある人物として、カール=オットー・アーペルらがいる。", "title": "ドイツの現代的認識論" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "もっとも、このような流れの中にあっても、ハンス・ゲオルク・ガダマーのようにあくまでドイツの哲学的伝統に足場を置き研究を続けるものも多数いる。その意味で科学的認識論の重要性は増したものの、現代においても哲学的認識論の問題が古くなってしまったわけではないと考えられている。", "title": "ドイツの現代的認識論" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインによって提案された「自然化された認識論(英語版)」は、自然科学的な方法論によって認識論を行おうという立場であり、クワイン以降、様々な形で展開されている。", "title": "認識論の現在と未来" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "クワインは、まず、古典的な経験主義には二つのドグマがあり、ドクマなき新たな経験主義を確立する必要があると主張する。彼によれば、経験主義には、事実に基づく総合的真理と事実問題と独立な意味に基づく分析的真理の間には根本的な相違があるという信念と、有意味な言明は直接的経験を指示する諸名辞からの論理的構成物と同値であるという信念の二つのドグマがあり、この二つのドグマは同じ根を持つ。経験主義の伝統においては、真理とは、観念と実在の対応であり、その場合の観念とは、一つの名辞を単位に考えられていたが、カルナップらの論理実証主義は、この単位を一つの言明に置き換えた。つまり、ここでは、直接的経験によるセンス・データ(感覚所与)言語に翻訳可能であれば、この言明は有意味であると考えられた。しかしながら、クワインによれば、このように実在と観念の対応を一つの名辞、一つの言明に分解していく還元主義は不可能であり、われわれの認識は一つの言語体系であり、したがって、とある信念を検証するにあたっては、一つの理論の全体との関係で、経験の審判を仰がねばならず、そのコロラリーとして、分析的真理と総合的真理は区別することはできない。", "title": "認識論の現在と未来" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "クワインは、これを「全体論」と呼んだが、これによれば、経験による改訂の可能性を原理的に免責されている信念はなく、もし対立する二つの理論があるときは、どのような経験によっても、そのどちらかが完全に否定されることはなく、どのような信念でも保持しつづけることができることになる。", "title": "認識論の現在と未来" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "ジャン・ピアジェは、心理学者として、とりわけ発達心理学で著名であるが、もともとは古典的認識論の諸問題を解決する糸口を生物学・心理学に求め、「発生的認識論(ドイツ語版)」を提唱した。彼は、多数の実験により幼児の認識の発達段階を解明した上で、認識は対象から独立しており、決して対象に到達することはないが、同時に対象によって支えられているという点で構成的なものであるとする。また、発生的認識論は哲学ではなく、科学であり、極めて専門的・集団的なものであるとの考えから、1955年、発生的認識論国際センターをジュネーヴに設立し、世界中のさまざまな分野の研究者たちとの共同研究を晩年まで精力的に行ない、現在も多くの学者が共同で研究を続けている。", "title": "認識論の現在と未来" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "コンラート・ローレンツは、動物行動学で著名であるが、哲学者のカール・ポパーと共に、人間の認識の起源の問題を個々人ではなく、生物種としての人の認知構造に求め、知識の変化を進化とみて通時的なアプローチを試みる「進化論的認識論(英語版)」を主張した。", "title": "認識論の現在と未来" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "1970年代後半に人間の心の本質について新知見をもたらす学問分野が発展し、その後も進展が続いている。脳科学、心理学、認知科学、神経生物学、人工知能、コンピューターなどに関連する研究である。これらの発展は“見る”事がいかになされているか、いかに心が外界の表象を形作るか、いかに情報が蓄えられ再起されるかなどの理解につながっている。これらの分野の発展が認識論に影響を及ぼす事が示唆されている。", "title": "認識論の現在と未来" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "近時は社会科学に属する社会学を認識論に応用することはできないかが議論されている。", "title": "認識論の現在と未来" } ]
認識論は、認識、知識や真理の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)について考察する、哲学の一部門である。存在論ないし形而上学と並ぶ哲学の主要な一部門とされ、知識論とも呼ばれる。 日本語の「認識論」はドイツ語からの訳語であり、カント『純粋理性批判』以後のドイツ哲学に由来する。フランス現代思想では「エピステモロジー」という分野があるが、20世紀にフランスで生まれた科学哲学の一つの方法論ないし理論であり、日本語では「科学認識論」と訳される。 哲学はアリストテレス以来大きく認識論と存在論に大別され、現在もこの分類が生きている。認識論ではヒトの外の世界を諸々の感覚や理性等を通じていかに認識していくかが問題とされる。 認識という行為は、人間のあらゆる日常的、あるいは知的活動の根源にあり、認識の成立根拠と普遍妥当性を論ずることが認識論である。しかし、仮説を立て実験によって検証するという科学的方法論は長年取り入れられることはなかった。内観法が哲学者の主たる武器であった。19世紀末ごろ、認識論の一部が哲学の外に出て心理学という学問を成立させるが、初期にはもっぱら内観や内省を方法論とし、思弁哲学と大差はなかった。やがて、思弁を排し客観的、科学的方法論を意図する実験心理学が登場し、認識論の一部は、心理学に分かれていった。錯覚現象などがその研究対象になった。実験心理学では、データの統計的処理では科学的であったが、なぜ錯覚が生まれるかというメカニズムの解明では、仮説を立て実験データとの照合を論じてはいたものの、その仮説自体はやはり思弁に過ぎなかった。それを嫌い人間の主観を離れて、実験動物を用いた観察可能な行動のみを研究対象とする一派も存在したが、人間の認識は研究対象から外された。このため、認識論の問題は比較的最近まで自然科学化されずに哲学の領域にとどまり続けた。
{{哲学のサイドバー}} {{独自研究|date=2022年1月}} '''認識論'''(にんしきろん、{{lang-en-short|Epistemology}})は、[[認識]]、[[知識]]や[[真理]]の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)について考察する、[[哲学]]の一部門である。[[存在論]]ないし[[形而上学]]と並ぶ哲学の主要な一部門とされ、知識論とも呼ばれる。 日本語の「認識論」はドイツ語からの訳語であり、[[カント]]『[[純粋理性批判]]』以後の[[ドイツ哲学]]に由来する。[[フランス現代思想]]では「エピステモロジー」という分野があるが、[[20世紀]]に[[フランス]]で生まれた[[科学哲学]]の一つの方法論ないし理論であり、[[日本語]]では「[[科学認識論]]」と訳される。 哲学は[[アリストテレス]]以来大きく認識論と存在論に大別され、現在もこの分類が生きている。認識論ではヒトの外の世界を諸々の[[感覚]]や[[理性]]等を通じていかに[[認識]]していくかが問題とされる。 認識という行為は、人間のあらゆる日常的、あるいは[[知的活動]]の根源にあり、認識の成立根拠と普遍妥当性を論ずることが認識論である。しかし、[[仮説]]を立て[[実験]]によって[[検証]]するという科学的方法論は長年取り入れられることはなかった。[[内観法]]が[[哲学者]]の主たる武器であった。[[19世紀]]末ごろ、認識論の一部が哲学の外に出て[[心理学]]という[[学問]]を成立させるが、初期にはもっぱら[[内観]]や[[内省]]を[[方法論]]とし、[[思弁哲学]]と大差はなかった。やがて、思弁を排し客観的、科学的方法論を意図する[[実験心理学]]が登場し、認識論の一部は、心理学に分かれていった。[[錯覚]]現象などがその研究対象になった。実験心理学では、[[データ]]の統計的処理では科学的であったが、なぜ錯覚が生まれるかというメカニズムの解明では、仮説を立て実験データとの照合を論じてはいたものの、その仮説自体はやはり思弁に過ぎなかった。それを嫌い人間の主観を離れて、[[実験動物]]を用いた観察可能な行動のみを研究対象とする一派も存在したが、人間の認識は研究対象から外された。このため、認識論の問題は比較的最近まで自然科学化されずに哲学の領域にとどまり続けた。 == 概要 == [[ファイル:Classical Definition of Knowledg - ja.svg|thumb|250px|right|[[知識]]とは、真であり、かつ、信じられている[[命題]]の[[部分集合]]であるとの定式はプラトンに起源をもつ。]] === 多義性 === 多義的な語なので注意が必要である。日本語の「認識論」は {{lang-de-short|''Erkenntnistheorie''}} の訳語である<ref name="kamiwaka">{{Cite web|和書|author=[[神川正彦]]|url=https://kotobank.jp/word/%E8%AA%8D%E8%AD%98%E8%AB%96-110840#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29|title=認識論|publisher=[[日本大百科全書]](ニッポニカ)([[コトバンク]])|accessdate=2019-06-10}}</ref>。ドイツで初めてこの語を用いたのはドイツの哲学者K・ラインホールトであると言われているが、もちろん認識論的な問題そのものは古代ギリシアから存在した<ref name="kamiwaka" />。 英語の ''Epistemology'' と仏語の ''Épistémologie'' の語源は、ギリシア語の「知」({{lang-el-short|''epistēmē''}}、エピステーメー)と、合理的な言説({{lang-el-short|''logos''}}、[[ロゴス]])を合成したものであり、スコットランドの哲学者J・フェリエが[[1854年]]に出版した「形而上学概論」で初めて使用したとされる<ref name="kamiwaka" />。 英語の ''Epistemology'' は ''theory of knowledge'' と互換的な意味あいがあるが、仏語の ''Épistémologie'' はそのような意味合いはなく、あくまで科学哲学の一つの方法論ないし理論であり、日本語では「科学認識論」と訳される<ref name="kamiwaka" />。フランス語の {{lang-fr-short|''[[:fr:Théorie de la connaissance|Théorie de la connaissance]]''}} は{{仮リンク|グノセオロジー|fr|Gnoséologie}} とも呼ばれる。 === 特徴 === 認識論で扱われる問いには次のようなものがある。 *人はどのようにして[[物事]]を正しく知ることができるのか。 *人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか。 *ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか。 *人間にとって[[不可知論|不可知の領域]]はあるか。あるとしたら、どのような形で存在するのか。 === 哲学的認識論と科学的認識論 === 認識論は、今日、「哲学的認識論」と、20世紀にフランスで生まれた「科学的認識論」の二つに大別され、哲学的認識論についても古典的認識論と現代的認識論の区別が必要であるとされる<ref name="kamiwaka" />。そこで、以下に、まずは歴史の流れに沿って哲学的認識論について解説する。 == 哲学的認識論の歴史 == === 前史 === ==== 古代 ==== ===== プラトン ===== [[Image:Plato-raphael.jpg|right|thumb|170px|プラトン([[紀元前427年]] - [[紀元前347年]])]] 今日でいうところの認識論的な問題の原典は、[[プラトン]]の『[[テアイテトス (対話篇)|テアイテトス]]』にまで遡ることができる。本対話篇では「知識とは何か?」という問いに対し、知識とは常に存在し、疑いなきものであるとの対話者間の共通の前提から、テアイテトスはまず知識とは[[知覚]]であると主張する。これに対して、[[ソクラテス]]は、知覚は人それぞれによって異なるものであるとした上で、「人間は万物の尺度である」と主張して[[相対主義]]を唱えた[[プロタゴラス]]を引き合いに出し、彼が自らの思いが真であると固執すれば、自らの思いが偽であると認めざるを得なくなるとしてその主張を論難する。テアイテトスは引き続き知識とは[[真]]なる意見であると主張し、更に真なる意見に説明を加えたものであるとも主張するが、いずれもソクラテスによって論難され、結局のところ、本対話篇では、知識とは何かに対する回答は示されず、[[アポリア]]に終わる。しかしながら、そこでは、知識とは、正当化された真なる確信であるという定式を既に見出すことができる。 プラトンにとって知識とは常に存在する普遍的なものでなければならないが、それは[[実体]]である[[イデア]]の世界にあり、この現実の世界は仮象の生成流転する世界であって永遠に存在するものはなにもない。したがって、知識も決して師や賢者が一方的に教授できるものではなく、[[弁論術]]による対話を通じてようやく到達できるものである。プラトンの著作が対話篇という形をとり、その結末がアポリアを呈示する形で終わっているのは、このようなプラトンの思想を反映したものである。プラトンによれば、物の本質は、[[感覚]]によって把握することはできず、物のイデアを「心の眼」で直視し、「想起」することによって認識することができる。 ===== アリストテレス ===== [[ファイル:Aristotle Altemps Inv8575.jpg|thumb|170px|アリストテレス([[紀元前384年]] - [[紀元前322年]])]] プラトンは、知識とは正当化された真なる確信であるという定式を否定したのだが、その理由は「ある事」を確信しているということは、その正当化の理由となる「ある事」を既に知っているからであるという循環論法を疑ったからである。これに対して、[[アリストテレス]]は、知には常に何らかの前提が存在していることを否定せず、ある事を確信している場合、その前提となっている理由はその都度問われても良いと考えた。 また、プラトンは[[感覚]]を五感に制限せず、「精神の目」と呼ばれる[[反省|内的感覚]]を認めていたが、アリストテレスはこれを否定し、広い意味での経験によって得られるもののみを知と見て、知の諸形式を[[知覚]]、[[記憶]]、[[経験]]、[[学問]]に分類した。 さらに、アリストテレスは、その学問体系を、「論理学」をあらゆる学問成果を手に入れるための「道具」({{lang-el-short|''organon''}})であるとした上で、「理論」(テオリア)、「実践」(プラクシス)、「制作」(ポイエーシス)に三分し、理論学を「[[自然学]]」と「[[形而上学]]」、実践学を「[[政治学]]」と「[[倫理学]]」、制作学を「詩学」に分類した。アリストテレスによれば、形而上学は存在するものについての「第一哲学」であり、始まりの原理についての知である。また、彼は、その著書『形而上学』において、有を無、無を有と論証するのが虚偽であり、有を有、無を無と論証するのが真であるとした。そこでは、「有・無」という「存在論」が基礎にあり、これを「論証する」という「判断」が支えている。そこでは、存在論が真理論と認識論とに分かちがたく結び付けられている。アリストテレスの学問体系は、その後、[[トマス・アクィナス]]らを介して古代・中世の学問体系を規定することとなったが、そこでは、認識論的・真理論的な問題は常に[[存在論]]と分かちがたく結び付いていた。そのため、形而上学の中心的な問題は存在論であった。 ==== 中世 ==== ===== アウグスティヌス ===== [[ファイル:AugustineLateran.jpg|right|thumb|110px|アウグスティヌス([[354年]] - [[430年]])]] [[アウグスティヌス]]の認識論は、プラトンの[[イデア]]思想の流れをくむものであり、存在論と幸福論とが一体となっている。 彼によれば、人間は魂と身体の複合体であり、両者は共に独立した実体であり、魂は「わたし」という意思である<ref group="注釈">アウグスティヌスは懐疑論の時代に生きた人物であるが、彼はこれに「わたしは間違えるなら、ゆえにわたしは存在する」と論駁し、後のデカルトに大きな影響を与えた。</ref>。魂は自律するゆえに、探求するが、彼を探求に導くものは愛であり、愛は最後の憩いの場として万有の根源である神を求める。「神は存在である」({{lang-la-short|''Deus est esse''}})、神が自己自身を認識することによって、われわれの認識が始まる。したがって、神は認識の原理であるとともに真理である<ref group="注釈">このような考え方は後のマルブランシュに影響を与えた。</ref>。人は真理を認識するためには、感覚(外的人間)に頼るのではなく、理性(内的人間)によらなければならない。創世記には、神は人間を神の似姿として創ったとあり、神に似るのは動物にはない人間のみが有する理性部分だからである。理性は外に向かうのではなく、内部に向かい、それを超えた果てに真理を見る。内的人間と真理との一致に霊的な最高の喜びがある。 ===== トマス・アクィナス ===== [[ファイル:St-thomas-aquinas.jpg|thumb|110px|トマス・アクィナス([[1225年]]頃 - [[1274年]])]] [[トマス・アクィナス]]の認識論は、アリストテレスの思想の流れをくむ。トマス・アクィナスは、アリストテレスの存在論を承継しつつも、その上でキリスト教神学と調和し難い部分については、新たな考えを付け加えて彼を乗り越えようとした。トマスにとって、神は、万物の根源であるが、アリステレスの説くように純粋形相ではあり得なかった。旧約聖書の『出エジプト記』第3章第14節で、神は「私は在りて在るものである」との啓示をモーセに与えているからである。そこで、彼は、アリストテレスの存在に修正を加え、「存在-本質」({{lang-la-short|''esse-essentia''}}) を加えた。彼によれば、「存在」は「本質」を存在者とするため「現実態」であり、「本質」はそれだけで現実に存在できないため「可能態」である。「存在」はいかなるときにおいても「現実態」である。神は、自存する「存在そのもの」であり、純粋現実態である。人間は、理性によって神の存在を認識できる(いわゆる[[神の存在証明|宇宙論的証明]])。しかし、有限である人間は無限である神の本質を認識することはできず、理性には限界がある。もっとも、人間は神から「恩寵の光」と「栄光の光」を与えられることによって知性は成長し神を認識できるようになるが、生きている間は「恩寵の光」のみ与えられるので、人には教会による信仰・愛・希望の導きが必要になる。人は死して初めて「栄光の光」を得て神の本質を完全に認識するものであり、真の幸福が得られる。トマスは、存在論に基づく神中心主義と、理性と信仰に基づく人間中心主義の統合を図り、後世の存在論に多大な影響を与えることになった。[[スコラ学]]は彼によって体系化されたのだが、その世界観はやがて独断的で権威主義的なものへと変質していった。 === 近代的認識論の成立 === ==== 懐疑主義との対決 ==== プラトン・アリストテレス伝統においては観念と対象と一致することが真であると考えられていたが、当時そのような考え方に対する権威が失墜し、人は果たして物事を正しく知ることができるのかという知に対する根本的な疑いが生じるようになっていた。 時代背景としては、[[クリストファー・コロンブス|コロンブス]]による[[新大陸発見]]、[[エラスムス]]の[[痴愚礼賛]]に象徴される[[スコラ哲学]]の権威失墜・[[人文主義]]者の台頭、そして何より[[宗教改革]]があった。[[カトリック教会|カトリック]]と[[プロテスタント]]はお互いに、いかにして(教義についての宗教的な)正しい認識は可能なのか、信頼に足る真理の基準は何かということを問答し、やがてお互いに向けられた懐疑主義は自らの信頼の基盤をも突き崩していった。そのような中で、[[モンテーニュ]]の主著[[エセー]]にみられるように、およそ人間たるもの物事を正しく知ることはできず、ただ神の啓示を待つほかなく、それまでは判断を留保し、自然と慣習に従って慎ましく生活するという全面的な懐疑主義(新ピュロン主義)が通俗化していった。 ==== デカルト革命 ==== [[Image:Frans_Hals_-_Portret_van_René_Descartes.jpg|thumb|180px|デカルト([[1596年]]-[[1650年]])]] 近代的な意味での認識論を成立させたのは、[[ルネ・デカルト]]である。デカルトは、[[数学]]・[[幾何学]]の研究によって得られた概念は疑い得ない明証的なものと考え、これを基礎付けるための哲学体系を確立しようと欲した。デカルトは、合理的な学問的知識さえを疑う全面的な[[懐疑主義]]に対して方法的懐疑論を唱え、肉体を含む全ての外的事物が懐疑にかけられた後に、どれだけ疑っても疑いえないものとして純化された精神だけが残ると主張した。 そこでは、存在について語る前にどのようにして存在を認識するのかを論じなければならないとされ、形而上学はもはや存在についての第一哲学ではなく、存在の認識についての第一哲学となった。このようなデカルトの革命的な主張は、形而上学の中心的な課題を存在論から認識論へ転回させただけでなく、認識に関する様々な物議を醸すきっかけとなった。既に述べたとおりアリストテレス的学問伝統の下においては、認識論と真理論は存在論と分かちがたく結び付いていたが、認識論を存在論に優位させることにより、問題は大きく三つに分かれることとなった。以下に分説する。 === 認識の起源 === 哲学的認識論の第一の問題は、人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか、人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか、という認識の起源の問題である<ref name="kamiwaka" />。おおむね四つの立場がある。 ==== 合理主義 ==== ===== デカルト ===== [[ルネ・デカルト]]は認識の起源は理性であるとした。デカルトは、[[アリストテレス]]がその著書『[[霊魂論]]』において述べた経験主義的原則、すなわち、[[知覚]]によって対象から受け取った[[表象]]なしに人は[[思考]]することはできないという立場に反対し、[[精神]]を独立した[[実体]]と見て、精神自身の内に生得的な[[観念]]があり、[[理性]]の力によって精神自身が、観念を演繹して展開していくことが可能であるとした。 このような考え方の背景には、当時の飛躍的な[[数学]]、[[幾何学]]、[[自然学]]の発展があり、当時の人々は、誰がどのように考えても同一の結論に到達するという[[イデア]]的な観念の源泉を[[理性]]、つまり動物とは区別された人間の本性のうちに見た。このような人間の[[思考]]には経験内容から独立した[[概念]]が用いられているという考え方を[[生得説]]という。 デカルトは、結論としては、精神、[[物体]]を有限の実体であるとした上で、無限の実体である[[神]]の三つが実体であるとした。精神と物体の[[二元論]]において、主観と客観の一致を保証するため、神の存在を必要とした。 デカルトを引き継ぐ[[ニコラ・ド・マルブランシュ]]、[[バールーフ・デ・スピノザ]]、[[ゴットフリート・ライプニッツ]]などの[[合理主義哲学|大陸合理主義者]]は、生得説を擁護しつつも、様々な点でデカルトと対立し、これを乗り越えようとした。 ===== マルブランシュ ===== [[Image:Nicolas_Malebranche.jpg|thumb|120px|ニコラ・ド・マルブランシュ([[1638年]]-[[1715年]])]] デカルトの革命的な主張は、その直後から様々な立場から厳しい批判を浴びることとなった。特に、デカルトの提出した神の概念は、自然法則を証明するための条件にすぎず、キリスト教的伝統に基づく人格神ではなく、実質は無神論ではないかとの疑惑も根強いものがあった。 このような状況下において、デカルト哲学と[[アウグスティヌス]]神学との総合を企図したのが[[ニコラ・ド・マルブランシュ]]である。彼は、認識論的にはアウグスティヌスのイデア説を継承し、神は万象の原因であり、われわれは万物を神のうちに観るとの思想を基本に、デカルト的な心身問題の解決を図ろうとし、精神や身体の変化のみならず、物体相互の接触や運動は神の作用の機会にすぎないという「[[機会原因論]]」を主唱し、その上に壮大な形而上学体系を構築した。 ===== スピノザ ===== [[Image:Spinoza.jpg|thumb|120px|スピノザ([[1632年]] - [[1677年]])]] [[スピノザ]]は、デカルトを批判し、神のみが実体であるとし、そこからすべてを理性によって演繹するという方法をとった。スピノザによれば、神が唯一の実体である以上、精神も身体も、その二つの異なる属性に他ならないことになる。 スピノザは、その著書『[[エチカ (スピノザ)|エチカ]]』において、表象を「第一種の認識」、理性を「第二種の認識」、直観を「第三種の認識」と三分類した。彼によれば、人間は自然の一部であるから、外部から様々な影響を受けるが、人間の精神はまず自分の身体の変状についての観念を持たざるを得ないが、これが第一種の認識である。この観念は人間の身体と外部の本性を共に部分的に持つものであるがゆえに「認識の欠如」の観念を含む。したがって、第一種の認識に基づくデカルト流の方法的懐疑は認識の欠如を含むゆえ決して明証性・確実性を有するに至ることはない。しかし、人間の身体と外部の本性を共に部分的に持つということは、本性を共通にする部分についての普遍的な認識をすることはでき、これを第二種の認識と呼ぶ。さらに、個物の本性に関する認識を第三種の認識と呼び、真と偽の区別は第二種ないし第三の認識に基づきなされる。 ===== ライプニッツ ===== [[Image:Gottfried_Wilhelm_von_Leibniz.jpg|thumb|120px|ライプニッツ([[1646年]] - [[1716年]])]] [[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]の認識論は、多元的で最小の実体である[[モナド (哲学)|モナド]]を基礎にする。モナドは万物の数に応じて多数ある分割不能な実体であるが、モナドは鏡であり、[[表象]]能力を有し、自発的に世界全体を自己の内部に映し出し、世界全体を認識する。また、彼は、モナドは窓がなく、独立した別個の実体であるから、相互に影響を与えることはできないので、神の創造による[[予定調和]]によって他のモナドと協調して表象を展開することができるとした。このような立場から、[[決定論]]、[[汎神論]]に陥ったスピノザと異なり、[[自由意思]]、人格神を認めることができ、また、いちいち神が機械人形を操るように世界に介在しなければならないとしたマルブランシュの機械原因論を否定した上で、デカルト的な[[心身問題]]を解決することができるようになる。いわば対立するすべての合理論を調停した上で、伝統的なキリスト教的神学を擁護しようとしたのがライプニッツ哲学といえる。 合理主義は概念による理性認識に従って普遍必然性を有する知識、最終的には[[神の存在証明]]に至ることができると信じたが、ひとたび数学や自然学の問題を離れ、形而上学上の問題を論じるや否や合理主義内部においてさえその対立はとどまるところを知らず、徒らに概念をもてあそび内容空虚な思弁を弄することになり、独断論化していった。 カントが師のクヌッツェンから学んだのは、当時のドイツの講壇哲学において支配的であったライプニッツ=[[クリスチャン・ヴォルフ|ヴォルフ]]派の壮大な形而上学で、彼は、自身が批判哲学を確立する前に、自身がかつて所属していた当該学派における状態をその著書『[[プロレゴメナ]]』において「独断論のまどろみ」と比喩的に呼んだ。 ==== 経験主義 ==== ===== ロック ===== [[画像:John Locke.jpg|thumb|160px|ロック([[1632年]] - [[1704年]])]] [[ジョン・ロック]]は認識の起源は[[経験]]であるとした。 時代背景としては、[[ピューリタン革命]]や内乱のため[[1641年]]に高等宗務裁判所が廃止されたことがあり、当時、英国国教会とカトリック教徒やクエーカー教徒との対立が激化しただけではなく、民衆には[[ヘルメス主義]]などが流行し、自分の目も感覚も明らかな証拠も信用せず、自分の経験すら偽りとしてまで自らの教義に一致しないものを認めようとしない頑固な人びとが多くおり、独断主義との対立が迫られるというような社会情勢にあった。 ロックと彼を引き継ぐ[[ジョージ・バークリー]]や[[デイヴィッド・ヒューム]]などの[[イギリス経験論|イギリス経験論者]]は、経験に先立って何らかの観念が存在することはなく、人間は「白紙状態」([[タブラ・ラーサ|タブラ・ラサ]])として生まれてくるものと考えて生得説を批判した。 ロックは、観念は[[感覚]]({{lang-en-short|''sensation''}}) もしくは[[反省]]({{lang-en-short|''reflection''}}) から発生すると考えた。彼によれば、観念には単純観念と単純観念が合わさって形成した複合観念があるが、このような観念の結合・一致・不一致・背反の知覚が[[知識]]である。したがって、全ての観念と知識は人間が経験を通じて形成するものだということになる。 ロックは、デカルトと同様、精神、物体、神の三つが[[実体]]であるとしており<ref group="注釈">デカルトの実体概念は他に依存せず独立して存在するものというものであるが、ロックはこれを批判し、実体概念を複合観念の一種とする。彼によれば、単純観念の諸属性の基となる何ものかがあると人は想定したくなるが、その何ものかは説明不能である。</ref>、数学に関しても論証的知識に属するとしてその確実性を否定したわけではなかった<ref group="注釈">経験論者にとって、数学の[[定理]]は少し厄介な問題を引き起こす。こうした経験論の立場に立つ定理の真偽は人間の経験に依存せず、経験論の立場に対する反証となる。経験論者の典型的な議論は、このような定理はそもそもそれに対応する認識内容を欠いており、単に諸概念の間の[[関係]]を扱っているだけだというものだが、合理主義者は、定理にもそれに対応する認識内容の一種があると考える。</ref>。ロックは、反省によって生成された観念を理性によって演繹することを認めるので、その限りで、ロックはデカルト主義者であるということもできる。ただし、[[自然学]]については、その知識は確実なものではなく、蓋然性を得るにとどまるとした。ロックによれば、物体の性質は、固性・延長性・形状等の外物に由来する客観的な「第一性質」({{lang-en-short|''primary quality''}}) と、色・味・香り等の主観的な「第二性質」({{lang-en-short|''secondary quality''}}) に分かれるが、我々が知ることのできるのは後者のみで、それすらも経験によって全てを知ることはできず、その蓋然性を得るにすぎない。 ===== バークリ ===== [[ファイル:George_Berkeley.jpg|thumb|right|110px|ジョージ・バークリ([[1685年]]-[[1753年]])]] [[ジョージ・バークリー]]は、ロックの経験論を承継しつつ、ロックが物体を実体とした上で、物体の第一性質と第二性質を区別したことを批判した。彼は、両者の区別を否定し、実体とは同時的なる'''観念の束'''({{lang-en-short|''bandle or collection of ideas''}})に他ならないと考えた。このような考え方から、彼は、物体が実体であることを否定し、知覚する精神と、神のみを実体と認めた。 このことを端的に表す有名な言葉として「存在とは知覚されてあることである」({{lang-la-short|''Esse est percipi''}}、{{lang-en-short|''To be is to be perceived''}}) がある。 バークリは、主観的観念論、[[独我論]]と批判されることになったが、彼は聖職者であり、神を実体としていたことから、その思想はむしろマルブランシュに近いものであったとされている。ロックの経験論は独我論と懐疑論の中道を目指す経験的実在論を基礎にしていたが、バークリはデカルト主義的なロックの観念論を承継していた。 ===== ヒューム ===== [[Image:David Hume.jpg|thumb|140px|right|ヒューム([[1711年]]- [[1776年]])]] [[デビット・ヒューム]]は、主著『[[人間本性論]]』において、あらゆる[[観念]]の理性による基礎付けを否定し、当時の自然科学の知見に基づき、観念の形成過程を分析した。ヒュームによれば、人間の「[[知覚]]」は[[印象]](impression)と、そこから創出される観念(idea)の二種類に分けられるが、全ての観念は印象から生まれる。印象は人の意識に強く迫ってくるいきいきとしたものであるが、なぜそれが生じるのか説明のつかないものであり、観念は印象の色あせた映像にすぎない。この観念が結合することによって知識が成立するが、知識には数学や論理学のように確実な知識と蓋然的な知識の二種がある。観念の結合について「自然的関係」と「哲学的関係」の2種があり、前者は「類似」({{lang-en-short|''similarity''}})・「時空的近接」({{lang-en-short|''contiguity''}})・「因果関係」({{lang-en-short|''causality''}}) があり、後者は量・質・類似・反対および時空・同一性・因果がある。その上で、ヒュームは、因果関係の特徴は[[必然性]]にあるとしたが、一般に因果関係といわれるpとqのつながりは、人間が繰り返し経験する中で「習慣」({{lang-en-short|''habit''}}) によって心の中に生じた[[蓋然性]]でしかないと論じ、理性による因果関係の認識の限界を示した。 この因果関係に関するヒュームの考えは後にカントに決定的な影響を与えた。カントは、その著書『[[プロレゴメナ]]』において、ヒュームが自分を[[独断論]]のまどろみから眼覚めさせたと後に明らかにした。認識のための道具は理性であり、もしこの道具に限界があるのであれば、なによりも先に、その可能性と根拠について問われなければならない。カントは後に認識の可能性と根拠を問う哲学を[[超越論哲学]]と呼び、これを展開していくことになる。 ==== 批判主義 ==== [[Image:Immanuel Kant portrait c1790.jpg|right|thumb|200px|カント([[1724年]]-[[1804年]])]] [[イマヌエル・カント]]は、このように合理主義と経験主義が激しく対立する時代に、観念の発生が経験と共にあることは明らかであるとして合理主義を批判し、逆に、すべての観念が経験に由来するわけでないとして経験主義を批判し、二派の対立を統合したとする見方が今日広く受け入れられている。カントの立場は、このように経験的実在論から出発し、超越論的観念論に至るというパラドキシカルなものである。 デカルトは、外界にある[[対象]]を[[知覚]]することによって得る内的な対象を意味する語として {{lang-fr-short|''idée''}} の語を充てていたが、このような構造に関しては経験主義に立つロックも同様の見解をとっていた。 カントは、これらの受動的に与えられる内的対象と観念ないし概念を短絡させる見方を批判し、[[表象]]({{lang-de-short|''Vorstellung''}})を自己の認識論体系の中心に置いた。カントは、表象それ自体は説明不能な概念であるとした上で、表象一般はその下位カテゴリーに[[意識]]を伴う表象があり、その下位には二種の[[知覚]]、主観的知覚=[[感覚]]と、客観的知覚=[[認識]]があるとした。人間の認識能力には[[感性]]と[[悟性]]の二種の認識形式がアプリオリにそなわっているが、これが主観的知覚と客観的知覚にそれぞれ対応する。感覚は直感によりいわば受動的に与えられるものであるが、認識は悟性の作用によって自発的に[[思考]]する。意識は感性と悟性の綜合により初めて「ある対象」を表象するが、これが[[現象]]を構成する。このような考え方を彼は自ら「[[コペルニクス的転回]]」と呼んだ。カントによれば、「[[時間]]」と「[[空間]]」、「[[因果|因果関係]]」など限られた少数の概念は人間の思考にあらかじめ備わったものであり、そうした概念を用いつつ、経験を通じて与えられた認識内容を処理して更に概念や知識を獲得していくのが人間の思考のあり方だということになる。 ==== 直観主義 ==== [[Image:Edmund_Husserl_1900.jpg|thumb|upright|200px|フッサール ([[1859年]] - [[1938年]])]] [[20世紀]]初頭、[[エトムント・フッサール]]は、西欧諸科学が危機に直面しており、その解決が学問の基礎付けによってもたらされると考え、[[現象学]]の確立を試みた。 当時は、[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]の[[相対性理論]]を始めに、[[量子力学]]を含め理論物理学が飛躍的に発展し、デカルトやカントが前提としていたニュートン力学に対する重大な疑義が出された時代であり、改めて学問の基礎付けが問題となった。 フッサールは、[[数]]、[[自己]]、[[時間]]、[[世界]]などの諸事象についての、確実な知見を得るべく、通常採用している物事についての諸前提を一旦保留状態にし、物事が心に立ち現れる様態について慎重に省察することで、イデア的な意味を[[直観]]し、明証を得ることで諸学問の基礎付けを行うことができると考えた<ref group="注釈">フッサールには『デカルト省察』というフランス人に向けて書いた現象学の入門書があり、彼は、デカルトの主観/客観図式を批判した上であるが、その方法的懐疑論を承継している。また、「事象そのものへ」立ち返るという[[超越論哲学|超越論的方法論]]は基本的にはカントを承継したものといえる。</ref>。 === 認識の本質 === 哲学的認識論の第二の問題は、人間にとって[[不可知論|不可知]]の領域はあるか。あるとしたら、どのような形で存在するのかという問題である。これは認識主体たる意識と認識客体という対立するいずれの項に基本を置いて認識の本質を規定するのかという問題でもあり、[[観念論]]と[[実在論]]が対立した<ref name="kamiwaka" />。 実在論は、素朴実在論を批判して、物体の第一性質と第二性質を分けるロックの主張があり、[[科学的実在論]]と呼ばれる<ref>{{Cite web|和書|author=[[杖下隆英]]|url=https://kotobank.jp/word/%E5%AE%9F%E5%9C%A8%E8%AB%96-74062#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29|title=実在論|publisher=[[日本大百科全書]](ニッポニカ)([[コトバンク]])|accessdate=2019-06-10}}</ref>。 観念論は、主観的観念論の立場に立つものとしてバークリが挙げられることが多いが、その主張は複雑である<ref>{{Cite web|和書|author=[[坂部恵]]|url=https://kotobank.jp/word/%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E8%AB%96-49438#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29|title=観念論|publisher=[[日本大百科全書]](ニッポニカ)([[コトバンク]])|accessdate=2019-06-10}}</ref>。 カントにおいては、現象は、物自体と対比され、物自体と主観との共同作業によって構成される。別の言い方をすると、現象というのは物自体に主観の構成が加わった結果であるとし、人は現象が構成される以前の物自体を認識することはできない、とした。[[1781年]]に出版した『[[純粋理性批判]]』の中で、カントは人間の持つ[[理性]]がどのようなものであるかを、分析した。そしてその分析を通じて、人間の理性は、どんな問題でも扱える万能の装置ではなく、扱える問題について一定の制約・限界を持ったものであることを論じた。そして人間の理性によって扱えないような問題の例として、カントは純粋理性のアンチノミーという四つの命題の組を例示し、ライプニッツが行ったような形而上学的、神学的な議論は、原理的に答えを出せない問題であり、哲学者が真剣に議論すべきものではない、と斥けた。 カントは純粋理性批判の中で、次の四つのアンチノミーを例示した<ref>[[#伊藤2007|伊藤 (2007)]], pp.112-128</ref>。 # 世界は時間的、空間的に有限である/世界は無限である # 世界はすべて単純な要素から構成されている/世界に単純な構成要素はない # 世界のなかには自由が働く余地がある/世界に自由はなくすべてが必然である # 世界の原因の系列をたどると絶対的な必然者に至る/系列のすべては偶然の産物で、世界に絶対的必然者は存在しない [[アンチノミー]](二律背反)とは、ある[[命題]]([[テーゼ]]、定立)と、その否定命題([[アンチテーゼ]]、反定立)が、同時に成立してしまうような場合を言う<ref>[[#熊野2002|熊野 (2002)]], p.20</ref>。つまり「Aである」と「Aでない」が、同時に成り立つような場合を言う。この四つの命題の組は、そのどちらを正しいとしても矛盾が生じるものであり、このどちらかが正しいという事を、理性によって結論付けることは不可能、つまり議論しても仕方のない問題だ、とカントは論じた。それぞれについて簡単に内容を説明しておくと、第一のものは時間に始まりはあるか、空間に果てはあるか、という問題、第二のものは[[原子]]や[[素粒子]]といったこれ以上分割できない最小の構成要素があるかどうかの問題、第三のものは[[自由意志]]と[[決定論]]の問題、そして第四のものは世界の第一原因と神の存在の問題である。 カントによる形而上学批判は、以降の西洋の哲学に大きい影響を与えることとなり、[[神の存在証明]]や宇宙の始まりなどの形而上学的な問題は、哲学の中心的なテーマとして議論される傾向は抑制されていった。 === 真理論 === 哲学的認識論の第三の問題は、ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか、という[[真理|真理論]]の問題である<ref name="kamiwaka" />。 古典的な哲学的認識論としての真理の問題に関する見解はおおまかに以下の四つに分類することができる<ref name="kamiwaka" />。 #プラトン・アリストテレス以来の古典的な伝統を引き継ぐ見解として、実在と観念との一致であるとする「'''対応説'''」である。アリストテレスは、その著書『[[形而上学 (アリストテレス)|形而上学]]』において、有を無、無を有と論証するのが虚偽であり、有を有、無を無と論証するのが真であるとした。そこでは、「有・無」という「存在論」が基礎にあり、これを「論証する」という「判断」が支えている<ref name="iwa_philo">『岩波哲学・思想事典』「真理」の項目</ref>。カントにおいては、認識と現象が同時に成立するので厳密な意味での「対応」ではないが、基本的には対応説であるとされている<ref name="iwa_philo" />。 #次いで、デカルトによって始まる、意識に対して明証的に現れるものを真理とみる「'''明証説'''」があり、これはフッサールがその立場を引き継いだ。 #また、スピノザに始まる、認識が体系内で論理的に矛盾がないかどうかで判定する「'''整合説'''」がある。その萌芽は、中期プラトン、ライプニッツにもみることができる<ref name="iwa_philo" />。 #さらに、[[ニーチェ]]、[[プラグマティズム]]の立場から主張されるに至った、行為の結果の有効性で真偽を判定する「'''有用説'''」もある。これら三つはいずれも主観主義の一形態と見ることができる<ref>{{Cite web|和書|author=加藤信朗|url=https://kotobank.jp/word/%E7%9C%9F%E7%90%86-82706#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29|title=真理|publisher=[[日本大百科全書]](ニッポニカ)([[コトバンク]])|accessdate=2019-06-10}}</ref> === 古典的認識論から現代的認識論へ === 古典的認識論は、既に述べたとおり認識主体がどのようにして認識客体を認識するのかという二項対立図式において認識をとらえようとしたが、この難問が認識論の危機を招くこととなった。 カントは、二項対立図式を前提としつつ、[[現象]]と[[物自体]]を厳密に区別したが、[[アルトゥル・ショーペンハウアー|ショーペンハウアー]]は、理性によっては認識できない物自体という概念を維持しつつ、現象とは私の[[表象]]であり、物自体とはただ生きんとする盲目的な意思そのものにほかならないとして理性を批判した。このような図式を引き継いだ[[ニーチェ]]の思想はやがて[[生の哲学]]と呼ばれる潮流を作り、ドイツ・フランスで多くの哲学者に影響を与えたが、やがて[[実存主義]]に吸収されていった。 [[フィヒテ]]に始まり、[[ヘーゲル]]によって完成を見た[[ドイツ観念論]]は、理性によって現象と物自体の区別を乗り越えるような形で発展した。ヘーゲルによれば、カントの認識論は、認識の限界を認識するという循環論法的な議論であって、それはあたかも水に入る前に水泳を習うようなものであって、本来的に不可能である。ヘーゲルの批判は認識論にとって本質的な異議であったが、ヘーゲルの死後、[[ヘーゲル学派]]は分裂・対立を繰り返して崩壊し、かえって哲学の危機の時代を招いた。 その後、さまざまなバリエーションがあるものの、二項対立図式そのものが放棄されるべきではないかが議論されるようになった<ref name="kamiwaka" />。 まず、当時の[[自然科学]]、とりわけ[[物理学]]の飛躍的な発展を背景にした二項対立図式の乗り越えがある。[[エルンスト・マッハ]]は、ニュートン力学の[[絶対空間]]の概念に形而上学の残滓が残っていると考え、自然科学は形而上学概念を排した思考以前の純粋要素である感覚からすべて説明されるべきであり、概念や法則は思考を経済化するためのものにすぎないとした。このような感覚を「純粋経験」とよび、主観と客観の対立を原理的に同格とみなした。マッハの哲学は、アメリカの[[プラグマティズム]]や[[ウィーン学団]]の[[論理実証主義]]に多大な影響を与えた。ウィーン学団は、マッハの他にも、[[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン|ウィトゲンシュタイン]]の[[論理哲学論考]]から多大な影響を受けているが、そのメンバーの多くがユダヤ人であったことから、ナチスの弾圧を受け、これから逃れるために参加者の多くは[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に亡命し、学団自体は立ち消えになったが、その考えが米英に広まり、英米系の現代的認識論に多大な影響を及ぼすことになった。 次いで、フッサールは、志向性という概念を用いてデカルト的な主観/客観図式を乗り越えようとしたが、生物学や心理学によって学問を基礎付けようとする考え方については逆に[[心理主義]]と呼んで厳しく批判した。フッサールは、ノエシス/ノエマ構造を本質とする志向性意識についての認識論的考察と、志向対象としての存在者への考察を現象学的還元を介して批判的に記述することにより、限定的ながらも存在論への道を開いたが、[[現象学]]は、ドイツでは、フッサールの意図を超えた展開を見せ、[[マルティン・ハイデッガー]]、[[ニコライ・ハルトマン]]らによって[[存在論]]の復権の方向へと発展していった。他方で、現象学は、その後フランスで受容され、フランスの現代的認識論に多大な影響を与えることになった。 == 英米の現代的認識論 == 英米では、論理実証主義運動を契機に、[[科学哲学]]や[[分析哲学]]が発展し、古典的経験論の失敗に学び、[[スコットランド常識学派]]の成果を吸収した上で、いわば現代的経験論ともいう立場を打ち立てて、フランスやドイツとも異なる独自の発展を見た。英米の現代的認識論では、[[知識]]とは何か、[[:en:Theory of justification|正当化]]とは何か、[[懐疑主義]]とどう向き合うかといった問題を軸に活発な議論が行われてきた。 英米の現代認識論で扱われるその他のテーマとしては、[[知覚]]の認識論、徳認識論、認識論の社会化、[[アプリオリ]]な知識の可能性などがある。また、近年では、知識の[[価値]]とは何か、知識の実践的、社会的機能とは何か、合理的な不一致はありうるか、などの多様なテーマが論じられるようにもなっている。 === 知識と正当化の概念分析 === [[知識]]の概念分析においては、「知識とは正当化された真なる信念である」というプラトン由来の知識の古典的定義をどう修正していくかということが一つの焦点となってきた。これは[[ゲティア問題]]のために、古典的定義が文字どおりには正しくないと考えられるようになったためである(ただし、ゲティア問題のこのような含意を否定する論者も存在する)。この文脈では、以下のような立場がさまざまな哲学者によって展開されてきた。 ==== 基礎付け主義 ==== [[基礎付け主義]]({{lang-en-short|''foundationalism''}}) とは、認識主体が何かを信じるための正当化を持つかどうかは、その認識主体のなんらかの基礎的な信念、またはそれに類似する心的状態に最終的に依拠するという立場。これらの信念ないし心的状態は、他の信念、心的状態を正当化するものでありながら、それら自体は(他の信念、心的状態によっては)正当化されないため、基礎的と呼ばれる。基礎付け主義は、伝統的にはセンス・データ論の形をとって展開された。 [[ウィルフリッド・セラーズ]]は、センス・データ論を、所与の神話({{lang-en-short|''myth of the given''}}) の典型的な形態として批判する<ref>[[#セラーズ2006|セラーズ (2006)]]{{要ページ番号|date=2011年12月}}</ref>。センス・データ論では、非言語的な所与としてのセンス・データが、命題内容をもつ信念を最終的に正当化すると考える。しかし、もしセンスデータが非言語的なものであり、正当化がある種の推論関係と捉えられるならば、非言語的であり命題内容を持たないセンス・データが、どうやって命題内容をもつ信念と推論-正当化関係に立つのかが謎になる。 ==== 整合説 ==== [[整合説]]({{lang-en-short|''coherentism''}}) とは、ある認識主体の持つ信念がお互いに調和しあっていることをもって、個々の信念が正当化されるとする考え方。調和、整合ということで、論理的な整合性({{lang-en-short|''logical consistency''}}) 以上のことが意味されるかどうかは、整合説論者でも意見が分かれる。 ==== 内在主義と外在主義 ==== 内在主義と外在主義を端的に区別するような基準を特徴づけることは非常に難しい(これは個々の論者が、これらの語で異なることを意味している場合が多いためである)。また、内在主義・外在主義という区分は、知識に対して適用される場合と正当化に対して適用される場合があり、両者を区別する必要がある。 ===== 内在主義 ===== 典型的なヴァージョンの内在主義({{lang-en-short|''internalism''}}) は、アクセス内在主義と呼ばれるものである。正当化に関するアクセス内在主義とは、認識主体が何かを信じるための正当化を持つかどうかを決定する要素は、全て(あるいは少なくとも、主要なものは)、その認知主体が反省のみによってアクセスすることができるものだけだという考え方。知識に関するアクセス内在主義とは、同様の条件を、認識主体が知識を持つかどうかを決定する要素に対して課す立場である。ゲティア問題を知識に関するアクセス内在主義で切り抜けるのは非常に困難である。 ===== 外在主義 ===== 外在主義を内在主義の否定と解するならば、アクセス内在主義の否定としての外在主義({{lang-en-short|''externalism''}}) も、「正当化に関する外在主義」と「知識に関する外在主義」に区別される。前者は、認識主体が何かを信じるための正当化を持つ際に、当の認識主体の反省的アクセスの対象ではない要素が介在するという立場である。後者は、同様の条件を、認識主体が知識を持つための条件とする。 [[ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン]]によって提案された「自然化された認識論」は外在主義と結びついた形をとることが多い。 ====== 信頼性主義 ====== 信頼性主義({{lang-en-short|''reliabilism''}}) と呼ばれる立場で、最も有名なものは、プロセス信頼性主義であり、正当化に関する外在主義の中心的な立場である。プロセス信頼性主義によれば、ある信念が正当化されるためには、その信念が信頼のおける認知プロセスによって形成されることが必要である。類似する立場として、知識に関する信頼性主義があり、{{仮リンク|D.M.アームストロング|en|David Malet Armstrong}})によって提唱された<ref>[[#戸田山2002|戸田山 (2002)]]、pp.52-56</ref>。 ====== 知識の因果説 ====== 知識の因果説({{lang-en-short|''causal theory of knowledge''}}) とは、ある信念が知識かどうかは、その信念が、因果的に適切な仕方で生じたかどうかによって決まるという立場。[[アルヴィン・ゴールドマン]]によって提唱された<ref>[[#戸田山2002|戸田山 (2002)]]、pp.62-64</ref>。 ====== 決定的理由分析 ====== 決定的理由({{lang-en-short|''conclusive reasons''}}) は[[フレッド・ドレツキ]]の提案した概念で、その信念が間違いであるならば、その理由がえられることはないであろうような理由。ドレツキはある人の信念が知識であるのは、その信念が、その正しさを保証する決定的理由に基づいて信じられているときであるという考え方をとる。これは知識に関する外在主義の一種となる。 === 懐疑主義との対決 === [[懐疑主義]]、特にデカルトの「欺く神」({{lang-fr-short|''Dieu trompeur''}}) にどう対処するかということも近現代を通じて認識論の大きな課題である。これについてもいろいろな立場が提案されてきた。 ==== 外在主義 ==== すでに見た外在主義は、知識ないし正当化の条件として、認識主体本人が反省的アクセスを持たない要素を認める。従って、われわれがデカルトの欺く神に騙されているのでないということを認識主体が証明できなくとも、現実世界のあり方や、認識主体の認知プロセスが実際に信頼可能であるという事実によって、知ることができるという可能性が開ける。 ==== 閉包原理 ==== 閉包原理({{lang-en-short|''closure principle''}}) とは、(ある仕方で解釈された)デカルトの懐疑論が依存しているとされる原理の一つで、認識主体がAを知っており、かつ、AからBが論理的に導けるということを知っているならば、その認識主体はBを知っている、という原理である<ref>[[#戸田山2002|戸田山 (2002)]]、pp.94-98</ref>。言い換えれば、知識は既知の論理的含意のもとで閉じている。閉包原理を否定するならば、欺く神に騙されているかどうかを知らないことは、様々なことを知っているということと両立可能である。閉包原理と呼ばれるものはこれ以外にも幾つかあり、どの原理が正しいかを巡る議論が行われている。 ==== 文脈主義 ==== 認識論における広義の文脈主義({{lang-en-short|''contextualism''}}) とは、極めて大まかに言えば、何が正当化されているか、何が知識かは文脈によって変化する、という立場。欺く神について考える文脈と、より日常的な問題について考える文脈を区別することで、デカルト的懐疑が日常の思考にも影響することを食い止めることができる。[[ジョン・L・オースティン]]が提唱者の一人である。 == フランスの現代的認識論 == フランスには、[[ルネ・デカルト|デカルト]]に端を発し、[[実証主義]]の祖[[オーギュスト・コント]]らが引き継いだ大陸合理主義・[[啓蒙主義]]の哲学的伝統がある。これらは、知識、信念、科学とは何か、合理的に知識を得る事とは、という認識論を中心とした問題意識を有するが、[[イギリス経験論]]を拒否するとともに、抽象的な定義から始まり、これを演繹するというドイツ哲学のような態度をも拒否し、理性について歴史的に考察する。 [[ミシェル・フーコー]]によれば、フランスの哲学的伝統は、ドイツ発祥の現象学をフランスにおいて受容するに際して、[[ガストン・バシュラール]]、[[ジョルジュ・カンギレム]]らによって代表される「知識、理性、概念の哲学」と、[[サルトル]]、[[メルロ・ポンティ]]らによって代表される「経験、感覚、主体の哲学」の二派に分かれた。フランスの現代思想において、サルトルらの実存主義の流行後、1960年代に入って[[構造主義]]が台頭し、更にこれに対する反動として[[ポスト構造主義]]が台頭してくる歴史もそのような大きな流れの中で理解されるべきであるとされる。 === エピステモロジー === 現代のフランスの科学的認識論は、「エピステモロジー」({{lang-fr-short|''Épistémologie''}}) とよばれ、[[科学哲学]]と分野が一部競合している様相を示している。 エピステモロジーの歴史的に重要な人物としては、上で挙げたバシュラール、カンギレムらがいる。 エピステモロジーは、[[科学史]]と哲学の密着な結びつきを重視するが、他方でイギリス経験論を拒否し、コント以来の[[実証主義]]的伝統を受け継ぐという特徴を有しているが、科学哲学とはその発展の歴史が異なるだけでなく、科学哲学が有する総括的な意図、論争的な調子とは一線を画しているという特徴も有している。 === ポストモダニズム・ポスト構造主義 === [[ポストモダニズム]]、[[ポスト構造主義]]と呼ばれる[[人文科学|人文]]・[[社会科学]]上の潮流は[[構造主義]]にあり、構造主義的認識論を基礎にしている。 非本質主義、[[相対主義]]などと形容されることが多いポストモダニズムの典型的な議論、認識論として、次のような特徴が挙げられる。 *地理的、歴史的な[[差異]]を捨象する一般理論に対する警戒、反駁。 *計量的なアプローチに対する反発と、物事の[[定性的]]で詳細な[[観察]]や記述に基づく[[事例研究]]の重視。 *個々人の差を捨象する[[カテゴリー]]化や[[ステレオタイプ]]に対する警戒、反駁。 *[[国家]]、[[民族]]、などの「起源」に溯って特定の集団の特権的地位を主張する議論に対する反駁。 *[[主体と客体|客観的]]、[[中立|中立的]]な見地から行われているように見える研究やその結果にも、そこに含まれる前提や、研究に用いられる基本的概念が、[[文化_(代表的なトピック)|文化]]の影響と無縁ではないことの指摘。とりわけ[[性差]](ジェンダー)や[[健康]]をめぐるもの。 *抽象的概念、学問、理性などに対する深い懐疑。あるいはそれらを放棄しようとする試み。 *[[進歩]]の概念に対する警戒や反駁。特定の集団や社会が「より進んでいる」とする立場に立って、「後れている」集団や社会をどのように改善できるかを検討するような議論に対し、そうした優劣の構図を反転させ、「改善」が別の観点からは「改悪」でありうることを示すもの。 *学問の進歩に対する懐疑。 *中立的な立場があり得ないことから、特定の政治目的のために研究を行い、特定の政治目的のために論述を行うべきだとする主張。ここで目標となるのは、[[多元主義]]、[[相対主義]]、少数派の擁護、反権威主義、などであることが多い。 こうした認識論上の主張は、[[フリードリヒ・ニーチェ]]、[[ミシェル・フーコー]]、[[ジャン=フランソワ・リオタール]]、[[リチャード・ローティ]]などの哲学的な著作に基づいてなされることが多い。 == ドイツの現代的認識論 == ドイツには、[[フリードリヒ・シュライアマハー]]に始まる[[解釈学]]の哲学的伝統があり、英米系の言語哲学が歴史を軽視していることが、このような哲学的伝統に反するものと考えられてきた。 第二次世界大戦後しばらくの間は[[マルティン・ハイデッガー]]による認識論批判・存在論の復権の影響が大きく、フランスのエピステモロジーの影響はあったものの哲学的には停滞していた時期が続いた。 1960年ころ、いわゆる「ドイツ社会学の実証主義論争」を経て、英米系の言語哲学、科学哲学の発展の成果を受容する流れが強くなった。このような流れにある人物として、[[カール=オットー・アーペル]]らがいる。 もっとも、このような流れの中にあっても、[[ハンス・ゲオルク・ガダマー]]のようにあくまでドイツの哲学的伝統に足場を置き研究を続けるものも多数いる。その意味で科学的認識論の重要性は増したものの、現代においても哲学的認識論の問題が古くなってしまったわけではないと考えられている。 ==認識論の現在と未来== ===自然化された認識論=== [[ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン]]によって提案された「{{仮リンク|自然化された認識論|en|Naturalized epistemology}}」は、自然科学的な方法論によって認識論を行おうという立場であり、クワイン以降、様々な形で展開されている。 クワインは、まず、古典的な経験主義には二つのドグマがあり、ドクマなき新たな経験主義を確立する必要があると主張する。彼によれば、経験主義には、事実に基づく総合的真理と事実問題と独立な意味に基づく分析的真理の間には根本的な相違があるという信念と、有意味な言明は直接的経験を指示する諸名辞からの論理的構成物と同値であるという信念の二つのドグマがあり、この二つのドグマは同じ根を持つ。経験主義の伝統においては、真理とは、観念と実在の対応であり、その場合の観念とは、一つの名辞を単位に考えられていたが、カルナップらの論理実証主義は、この単位を一つの言明に置き換えた。つまり、ここでは、直接的経験によるセンス・データ(感覚所与)言語に翻訳可能であれば、この言明は有意味であると考えられた。しかしながら、クワインによれば、このように実在と観念の対応を一つの名辞、一つの言明に分解していく還元主義は不可能であり、われわれの認識は一つの言語体系であり、したがって、とある信念を検証するにあたっては、一つの理論の全体との関係で、経験の審判を仰がねばならず、そのコロラリーとして、分析的真理と総合的真理は区別することはできない。 クワインは、これを「全体論」と呼んだが、これによれば、経験による改訂の可能性を原理的に免責されている信念はなく、もし対立する二つの理論があるときは、どのような経験によっても、そのどちらかが完全に否定されることはなく、どのような信念でも保持しつづけることができることになる。 ===発生的認識論=== [[ジャン・ピアジェ]]は、[[心理学者]]として、とりわけ[[発達心理学]]で著名であるが、もともとは古典的認識論の諸問題を解決する糸口を[[生物学]]・[[心理学]]に求め、「{{仮リンク|発生的認識論|de|Genetische Epistemologie}}」を提唱した<ref>{{Cite book|author=Miles Hewstone|coauthors=Frank Fincham, Jonathan Foster|year=2005|month=June|title=Psychology|series=BPS Textbooks in Psychology|publisher=Wiley-Blackwell|isbn=0631206787|ref=Hewstone2005}}page19~20,184~186</ref>。彼は、多数の実験により幼児の認識の発達段階を解明した上で、認識は対象から独立しており、決して対象に到達することはないが、同時に対象によって支えられているという点で構成的なものであるとする。また、発生的認識論は哲学ではなく、科学であり、極めて専門的・集団的なものであるとの考えから、1955年、発生的認識論国際センターをジュネーヴに設立し、世界中のさまざまな分野の研究者たちとの共同研究を晩年まで精力的に行ない、現在も多くの学者が共同で研究を続けている。 ===進化論的認識論=== [[コンラート・ローレンツ]]は、[[動物行動学]]で著名であるが、哲学者の[[カール・ポパー]]と共に、人間の認識の起源の問題を個々人ではなく、生物種としての人の認知構造に求め、知識の変化を進化とみて通時的なアプローチを試みる「{{仮リンク|進化論的認識論|en|Evolutionary epistemology}}」を主張した。 ===自然科学の発展と認識論=== 1970年代後半に人間の心の本質について新知見をもたらす学問分野が発展し、その後も進展が続いている。[[脳科学]]、[[心理学]]、[[認知科学]]、神経生物学、[[人工知能]]、[[コンピューター]]などに関連する研究である。これらの発展は“見る”事がいかになされているか、いかに心が外界の[[表象]]を形作るか、いかに情報が蓄えられ再起されるかなどの理解につながっている。これらの分野の発展が認識論に影響を及ぼす事が示唆されている<ref>Encyclopedia Britannica,15th ed.,1994,vol.18,Epistemology,page487</ref>。 ===認識論の社会化=== 近時は社会科学に属する[[社会学]]を認識論に応用することはできないかが議論されている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == *{{Cite book|和書|author=アリストテレス|authorlink=アリストテレス|others=[[桑子敏雄]]訳|year=1999|month=2|title=心とは何か|series=[[講談社学術文庫]] 1363|publisher=講談社|isbn=4-06-159363-3|url=https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000150964|ref=アリストテレス1999}} *{{Cite book|和書|author=伊勢田哲治|authorlink=伊勢田哲治|year=2004|month=7|title=認識論を社会化する|publisher=名古屋大学出版会|isbn=4-8158-0489-3|url=http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN4-8158-0489-3.html|ref=伊勢田2004}} *{{Cite book|和書|author=伊藤邦武|authorlink=伊藤邦武|year=2007|month=11|title=宇宙を哲学する|series=双書 哲学塾|publisher=岩波書店|isbn=978-4-00-028156-0|url=http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/9/0281560.html|ref=伊藤2007}} *{{Kotobank}} *{{Cite book|和書|author=熊野純彦|authorlink=熊野純彦|year=2002|month=11|title=カント 世界の限界を経験することは可能か|series=シリーズ・哲学のエッセンス|publisher=日本放送出版協会|isbn=4-14-009303-X|url=https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=C5010101&webCode=00093032002|ref=熊野2002}} *{{Cite book|和書|first=ウィルフリド|last=セラーズ|authorlink=ウィルフリド・セラーズ|others=[[浜野研三]]訳|year=2006|month=3|title=経験論と心の哲学|publisher=岩波書店|isbn=4-00-022752-1|url=http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/1/0227520.html|ref=セラーズ2006}} *{{Cite book|和書|author=戸田山和久|authorlink=戸田山和久|year=2002|month=6|title=知識の哲学|series=哲学教科書シリーズ |publisher=産業図書|isbn=4-7828-0208-0|ref=戸田山2002}} *{{Cite book|和書|first=ジャン|last=ピアジェ|authorlink=ジャン・ピアジェ|others=[[滝沢武久]]訳|year=1972|month=7|title=発生的認識論|series=[[文庫クセジュ]] Q519|publisher=白水社|isbn=4-560-05519-X|url=http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=05519|ref=ピアジェ1972}} *{{Cite book|和書|author=プラトン|authorlink=プラトン|others=[[渡辺邦夫 (哲学者)|渡辺邦夫]]訳|year=2004|month=3|title=テアイテトス|series=ちくま学芸文庫|publisher=筑摩書房|isbn=4-480-08818-0|url=http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480088185/|ref=プラトン2004}} *{{Cite book|和書|first=ドミニック|last=ルクール|authorlink=ドミニック・ルクール|others=[[沢崎壮宏]]・[[竹中利彦]]・[[三宅岳史]]訳|year=2005|month=8|title=科学哲学|series=[[文庫クセジュ]] Q891|publisher=白水社|isbn=4-560-50891-7|url=http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=50891|ref=ルクール2005}} *{{Cite book|和書|author=ガーダマー, ハンス・ゲオルクほか|authorlink=ハンス・ゲオルク・ガーダマー|editor=竹市明弘|editor-link=竹市明弘|year=1984|month=4|title=哲学の変貌 現代ドイツ哲学|series=岩波現代選書 88|publisher=岩波書店|isbn=4-00-004757-4|url=http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/4/0047570.html|ref=ガーダマー1984}} **{{Cite book|和書|author=ガーダマー, ハンス・ゲオルクほか|authorlink=ハンス・ゲオルク・ガーダマー|editor=竹市明弘|editor-link=竹市明弘|year=2000|month=9|title=哲学の変貌 現代ドイツ哲学|series=岩波モダンクラシックス|publisher=岩波書店|isbn=4-00-026537-7|url=http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/7/0265370.html|ref=ガーダマー2000}} == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|哲学}} {{Div col}}<!--項目の50音順--> *[[コウモリであるとはどのようなことか]] *[[心の哲学]] *[[心理学]] *[[水槽の脳]] *[[テアイテトス (対話篇)|テアイテトス]] *[[認識論理]] *[[認知]] *[[認知科学]] *[[反省]] *[[表象]] *[[霊魂論|心とは何か]] {{Div col end}} == 外部リンク == * {{Kotobank}} * [http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~tiseda/works/epistemology.html 伊勢田哲治による『知識の哲学』の書評] * [http://www.j|ournalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=jpssj1968&cdvol=38&noissue=2&startpage=145&lang=ja&from=jnltoc 中山康雄による『認識論を社会化する』の書評] * [http://www.journalarchive.jst.go.jp/japanese/jnltoc_ja.php?cdjournal=jpssj1968&cdvol=25&noissue=0 『科学哲学-25号-特集「自然化された認識論」』、日本科学哲学会、1992] * {{青空文庫|000281|3599|新字新仮名|認識論とは何か}}([[戸坂潤]]著) {{SEP|epistemology|Epistemology}} {{認識論}} {{哲学}} {{科学哲学}} {{authority control}} {{デフォルトソート:にんしきろん}}<!--項目の50音順--> [[Category:知識]] [[Category:認識論|*ろん]] [[Category:方法論]]
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1,004
震度
地震における震度(しんど)とは、地震動の強さを表す尺度を言う。工学的震度という場合、主に地震動の加速度を言う。 地震動の強さを表す尺度として気象庁震度階級は便利なもので一般にも広く普及しているが、当初は個人の主観に頼って階級判断されていたこともあり、客観性のある尺度としては不十分なものであった。そのため、建築物の耐震設計などをするにあたっては科学的に正確な尺度として用いることができず、別途地震動の強さを表す工学的定義が必要となる。現在においては以下の加速度による定義(佐野震度)がよく用いられている。 1916年(大正5年)に、佐野利器は著書『家屋耐震構造論』の中で、耐震計算をするための尺度として、地震動の強さは地震波の最大加速度 α に比例するものと考えα の重力加速度 g(= 980 Gal)に対する比 K を震度(seismic coefficient)と名付けた(佐野震度)。現在においては工学的震度とも呼ばれる。 地震動による水平加速度 αh、鉛直加速度 αv が問題となるときは、 とし、それぞれ水平震度(horizontal seismic coefficient)および鉛直震度(vertical seismic coefficient)と呼ぶ。なお、耐震設計においては基本的に水平震度が問題となる。 この震度概念の導入は、物体が地震動を受けることによってかかる力(地震力)の算出を簡明にした。 いま、(質量ではなく)重量 W kg重 の物体が α Gal の地震動を受けたとする。このとき、物体の質量を m とすると、ニュートンの運動方程式から地震力 F は となる。ここで、重力加速度は地球上ではほぼ一定の g であることから m = W/g となるので、 が導かれる。 すなわち、重量 W kg重の物体が震度 K の地震動を受けるとき、地震動の方向に を受けることとなる。 一般には地震の強さは地震波の加速度に比例すると考えられ、主に工学的震度(佐野震度)K が用いられているが、震害の大きさは一概に工学的震度 K に比例するわけではないこともあり、他にも定義が存在する。 地震動の強弱を表す尺度としては震度階級(seismic intensity scale)または単に震度階と呼ばれるものもある。それぞれ揺れの違いがある10前後のレベルで表現され、世界では地域により定義の異なるいくつかの震度階級が用いられている。現在の日本では気象庁震度階級が使われており、日本では一般的にこれを「震度」と呼ぶ。なお、震度階級と工学的震度(佐野震度)の強さは一概には比例しない。 震度階級は、断層破壊で放出されるエネルギーの大きさを表すマグニチュード(地震のエネルギーの規模)とは異なり、観測する地点によって全く異なる。なお、マグニチュード(規模)が大きな地震ほど、最大震度階級も比例する形で大きくなる関係にある。震源が浅い直下の地震では、マグニチュードの値と気象庁震度階級の値がほぼ同じ数値になることが経験的に知られていて、例えばマグニチュード4程度の地震では最大震度はおおむね4以下(計測震度4.5未満)となることが多い。ただし、地盤の固さや震源の深さなどにより、最大震度は比例関係から外れ大きくなる場合がある。その地震によって各地で観測されたうち、最大の震度階級を最大震度階級(maximum seismic intensity scale)という。 原則として、震度階級は震源(震央)からの距離に逆比例し、震源から遠いほど震度階級は小さくなる。最大震度階級は震源の直上である震央付近となるのが普通で、震度階級の広がりを地図上に表すと同心円に近い分布をとる。 震度の階級表は国際的に統一された標準的な規格はなく、それぞれの国や地域が採用したいくつかの指標がある。主な海外で使用されている震度階級としては以下のようなものがある。なお、それぞれの震度階級の間で、数式などを用いて対応関係を示すことは難しい。また同じ震度階級でも機関によって運用や基準が異なり、単純に同じとはみなせない場合がある。各国の気象機関で公式に使用する震度を定めていないところも多いが、メルカリ震度階級を使用するところが多い。
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地震における震度(しんど)とは、地震動の強さを表す尺度を言う。工学的震度という場合、主に地震動の加速度を言う。
{{Otheruses|'''理工学的震度'''|[[日本]]において一般に「'''震度'''」と呼ばれる[[地震]]の揺れの強さ|気象庁震度階級}} {{出典の明記|date=2021年3月}} 地震における'''震度'''(しんど)とは、[[地震動]]の強さを表す尺度を言う。工学的震度という場合、主に地震動の[[加速度]]を言う。 == 工学的震度 == 地震動の強さを表す尺度として[[気象庁震度階級]]は便利なもので一般にも広く普及しているが、当初は個人の主観に頼って階級判断されていたこともあり、客観性のある尺度としては不十分なものであった。そのため、建築物の[[耐震]]設計などをするにあたっては科学的に正確な尺度として用いることができず、別途地震動の強さを表す工学的定義が必要となる。現在においては以下の加速度による定義(佐野震度)がよく用いられている<ref>[[#大崎(1983)|大崎(1983)]] p.49</ref>。 === 佐野震度(Sano's seismic coefficient) === [[1916年]]([[大正]]5年)に、[[佐野利器]]は著書『家屋耐震構造論』の中で、耐震計算をするための尺度として、地震動の強さは地震波の最大加速度 &alpha; に比例するものと考え&alpha; の重力加速度 g(= 980 [[ガル|Gal]])に対する比 K を'''震度'''(seismic coefficient)と名付けた(佐野震度)<ref>[[#武藤(耐震設計1)|武藤(耐震設計1)]] pp.1-2、[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/book/11-17-2/pdf/chapter15.pdf 15耐震設計と今後の課題]</ref>。現在においては'''工学的震度'''とも呼ばれる<ref>[[#大地(1984)|大地(1984)]] p.13</ref>。 : 佐野震度 <math> K = \alpha / g </math> 地震動による水平加速度 &alpha;<sub>h</sub>、鉛直加速度 &alpha;<sub>v</sub> が問題となるときは、 : <math>K_h = \alpha_h/g \ ,\ K_v = \alpha_v /g </math> とし、それぞれ'''水平震度'''(horizontal seismic coefficient)および'''鉛直震度'''(vertical seismic coefficient)と呼ぶ。なお、耐震設計においては基本的に水平震度が問題となる<ref> 例えば、構造計算法の中の許容応力度計算(一次設計)では、地震力を決める係数のひとつとして標準せん断力係数Coを用いており、通常0.2、軟弱地盤における木造建築物では0.3とされていて、それぞれおよそ水平震度0.2、水平震度0.3に相当する(厳g密には地域係数、振動特性係数など他の係数も関係するため若干異なる)。建築物の地上階の設計においては、[[1981年]]以前の法令で『水平震度』が規定されていたが現行法令上は標準せん断力係数がこれを代替している。地下階の設計においては法令上も『水平震度』が登場する。ここでいう水平震度0.2は水平加速度0.2g=約200[[ガル]]に相当する。 なお、耐震基準で定める一次設計水平震度0.2を超えると建物は損傷を起こし始め、二次設計水平震度1.0を超えると倒壊が始まるとされる。こう考えると1000ガル程度の地震で建物が倒壊するように聞こえるが、実際の地震では[[表面最大加速度|最大加速度]]は一瞬にしか現れないので、通常はこの数倍の最大加速度の地震に耐えることができる。ただし、卓越周期(その建物を揺らした地震動の周期をスペクトルで表した時に大きな値をとる周期)が[[固有振動|固有振動周期]]に近い地震動ではこの限りでない。</ref>。 この震度概念の導入は、物体が地震動を受けることによってかかる力(地震力)の算出を簡明にした。 いま、(質量ではなく)重量 W [[重量キログラム|kg重]] の物体が &alpha; Gal の地震動を受けたとする。このとき、物体の質量を m とすると、ニュートンの運動方程式から地震力 F は : <math>F = m \ \alpha </math> となる。ここで、重力加速度は地球上ではほぼ一定の g であることから m = W/g となるので、 : <math>F = m \ \alpha = \frac{W}{g} \alpha</math> = <math>\left( \frac{\alpha}{g} \right) W = K W</math> が導かれる。 すなわち、重量 W [[重量キログラム|kg重]]の物体が震度 K の地震動を受けるとき、地震動の方向に : 地震力 F = KW (単位:[[重量キログラム|kg重]]) を受けることとなる。 === 他の工学的な震度(速度によるもの) === 一般には地震の強さは地震波の加速度に比例すると考えられ、主に工学的震度(佐野震度)K が用いられているが、震害の大きさは一概に工学的震度 K に比例するわけではないこともあり、他にも定義が存在する<ref>[[#大地(1984)|大地(1984)]] p.15</ref>。 ; ハウスナーのスペクトル強度(SI, Spectral Intensity) : ハウスナー(G.W. Hausner)は、地震の強さを測る強度として、応答速度スペクトル<ref>建物を揺らす地面の地震動を速度の周期分布で表現したのが速度表面スペクトルである。これに対し、地震動に呼応して建物自体が揺れる振動を速度の周期分布で表現したのが応答速度スペクトルである。一般的に前者よりも後者の方が大きな速度値をとり、またピーク周期も異なるため、建物被害を考える上では後者の方が重要。</ref>と呼ばれるものを周期 0.1 secから2.5 secの間で平均し :: SI([[メートル毎秒|cm/s]]) = <math>\frac{1}{2.4}\int^{2.5}_{0.1}S_v dT</math> : という量を定義し、これをスペクトル強度(SI, '''S'''pectral '''I'''ntensity)と名付けた<ref>ただし、固有周期2.5秒を超えるような[[長周期地震動]]はSI値の定義外のため、被害との相関性が低くなる。 </ref>。 == 震度階級 == [[Image:Peru Quake Aug 15-2007.jpg|thumb|200px|right|[[ペルー地震 (2007年)|2007年のペルー地震]]の震度分布図。改正メルカリ震度基準でUSGSの推定によるもの。]] 地震動の強弱を表す尺度としては'''震度階級'''(seismic intensity scale)または単に'''震度階'''と呼ばれるものもある。それぞれ揺れの違いがある10前後のレベルで表現され、世界では地域により定義の異なるいくつかの震度階級が用いられている。現在の日本では[[気象庁震度階級]]が使われており、日本では一般的にこれを「震度」と呼ぶ。なお、震度階級と工学的震度(佐野震度)の強さは一概には比例しない。 === 震度階級の性質 === 震度階級は、[[断層]]破壊で放出されるエネルギーの大きさを表す[[マグニチュード]](地震のエネルギーの規模)<ref>マグニチュードは「地震のエネルギー規模」を表すもので、マグニチュードが大きくなれば最大震度も比例する形で大きくなるが、逆に同じマグニチュードでも最大震度の差異を生じることもある。小さな揺れが広範囲に渡ったり、長時間揺れれば、マグニチュードは相対的に大きくなる。これに対して、震度は実際の揺れの測定値であり、地震の発生源が浅ければ(地表に近ければ)、マグニチュードが小さくても最大震度が大きくなる場合もある。震度は地震動の強さを表し、1つの地震につき場所によって多数の値をとる(後述の「最大震度」だけは1つの地震につき1つの値をとる)。 </ref>とは異なり、観測する地点によって全く異なる。なお、マグニチュード(規模)が大きな地震ほど、最大震度階級も比例する形で大きくなる関係にある。震源が浅い直下の地震では、マグニチュードの値と気象庁震度階級の値がほぼ同じ数値になることが経験的に知られていて、例えばマグニチュード4程度の地震では最大震度はおおむね4以下(計測震度4.5未満)となることが多い。ただし、地盤の固さや震源の深さなどにより、最大震度は比例関係から外れ大きくなる場合がある。その地震によって各地で観測されたうち、最大の震度階級を'''最大震度階級'''(maximum seismic intensity scale)という<ref>報道における「震度○の地震」という表現は、「その地震の最大震度階級」を意味する場合と、「その地震における、ある地点の震度階級」を意味する場合があり、最大震度階級を容易に特定できない場合もあるため、注意を要する。</ref>。 原則として、震度階級は震源(震央)からの距離に逆比例し、震源から遠いほど震度階級は小さくなる<ref>厳密には震度階級は震央からの距離に逆比例し、震央からの距離が同じ地震でも、震源の深さが深くなるほど、同じ地点でも震度階級は小さくなる。なお、日本付近の約100kmより深い太平洋プレートで発生する[[深発地震]]の中には、プレートの重なりの原因の[[異常震域]]のため、震央で揺れが小さいにもかかわらず東北地方や関東地方の太平洋岸で揺れが大きくなる事例がしばしば見られる。 </ref>。最大震度階級は震源の直上である震央付近となるのが普通で、震度階級の広がりを地図上に表すと同心円に近い分布をとる<ref>ただし、主に地表付近の地盤の固さや地下の[[テクトニクス]]構造([[プレート]]の重なりの構造)の違いが揺れを増幅させたり減衰させたりして、震度階級が周囲より大きくなった小さくなったりすることがある。これが顕著なところを[[異常震域]]ということがある。</ref>。 === 震度階級の種類 === 震度の階級表は国際的に統一された標準的な規格はなく、それぞれの国や地域が採用したいくつかの指標がある。主な海外で使用されている震度階級としては以下のようなものがある。なお、それぞれの震度階級の間で、数式などを用いて対応関係を示すことは難しい。また同じ震度階級でも機関によって運用や基準が異なり、単純に同じとはみなせない場合がある。各国の気象機関で公式に使用する震度を定めていないところも多いが、メルカリ震度階級を使用するところが多い。 ; [[気象庁震度階級]] : 日本の気象庁震度階級は、現在では機械による計測値、いわゆる「計測震度」を使用しており<ref>なお、震度の定義は何度か改定されている場合が多く、研究資料として用いる場合の連続性が問題となる場合がある。気象庁震度階級を例にとれば、計測震度が導入された[[1996年]][[10月1日]]の改正前後で大きな差がある。また[[気象庁震度階級]]は観測点数が[[1990年代]] - [[2000年代]]にかけて急増し観測密度が高くなったため、震度の統計には補正が必要である。</ref>、デジタル震度計が観測した計測値を10段階に換算して[[気象庁]]が発表している<ref>ただし、計測震度の採用前年の[[1995年]][[1月17日]]に発生した[[兵庫県南部地震]]([[阪神・淡路大震災]])や、[[2011年]][[3月11日]]に発生した[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])では、その後の現地調査や家屋倒壊の状況などによって震度が修正されることがある。</ref>。また、気象庁は地震や津波の早期周知のため、地震発生数分以内に報道機関などに震度を含めた[[地震情報]]を発表している。震度3以上の場合は[[都道府県]]を数個に区切った地域ごとの震度、そののちに地点ごとの震度という形で段階的に詳細な情報が発表される。大規模な地震では、その後にデータを詳細に分析するなどして、推計震度分布図も作成される<ref>なお、[[アメリカ地質調査所]](USGS)も、既知の地盤強度データをもとに推計震度分布を発表している。</ref><ref>ちなみに、現在までの計測の最大は[[熊本地震 (2016年)|平成28年熊本地震]](本震)で[[熊本県]][[益城町]]で観測された計測震度6.7の震度7である。</ref>。なお、[[日本]]以外の多くの地域では、[[加速度計]]や[[地震計]]といった機械のデータも参考にされるが、主に人体感覚や被害の程度などを総合的に勘案して、人が判定している。日本でも1996年9月までは、気象台の職員が、体感や被害などから判定していた<ref>境有紀、神野達夫、纐纈一起、[https://doi.org/10.3130/aijs.69.71_4 震度の高低によって地震動の周期帯を変化させた震度算定法の提案] 日本建築学会構造系論文集 2004年 69巻 585号 p.71-76, {{doi|10.3130/aijs.69.71_4}}</ref>。<!--この場所に「震度7」に関する記述は不要-->また[[2013年]]、現在の気象庁震度階級とは別に長周期地震動に関する4段階の「気象庁'''[[長周期地震動#長周期地震動階級|長周期地震動階級]]'''」を設定し、同年11月から試行的に「長周期地震動に関する観測情報」として運用を始め、[[2019年]]3月より本運用に移行した。 ; [[ロッシ・フォレル震度階級]] : ロッシ・フォレル震度階級は、[[1873年]]ごろに出てきた地震の強さをIからXの10階級に分類した震度階級である。Xの適用範囲が広すぎること、ヨーロッパの生活を基にした基準であり、メルカリ震度階級が出てきたこともあり、次第に使用されなくなった。 ; [[メルカリ震度階級]] : メルカリ震度階級はロッシ・フォレル震度階級から発展したもので、1902年ごろに出てきた13階級からなる震度階級表である<ref>[[#大崎(1983)|大崎(1983)]] p.48</ref>。後に何度か修正が重ねられ、メルカリ・カンニーニ・シーベルグ震度階級(Mercalli-Cancani-Sieberg intensity scale、MCS scale)が提案され、1931年にはメルカリ・ウッド・ニューマン震度階級(Mercalli-Wood-Neuman intensity scale、MWN scale)となり、現在ではIからXIIの12階級からなる修正メルカリ震度階級(Modified Mercalli intensity scale、MMI scale)という。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[大韓民国|韓国]]などの国で使われている。 ; [[メドヴェーデフ・シュポンホイアー・カルニク震度階級]] : メドヴェーデフ・シュポンホイアー・カルニク震度階級は、ヨーロッパでは日本の[[気象庁震度階級]]とも修正メルカリ震度階級とも異なる別のものを使用している国があり、国際間の情報交換に都合が悪かったことから、国際的に統一した震度階級として提案されたIからXIIの12階級からなる階級表である。[[1964年]]の会議の議題となったが結局見送りとなり国際的な統一とはならなかった<ref>[[#大崎(1983)|大崎(1983)]] pp.48-49</ref>。[[独立国家共同体|CIS]]諸国、[[東欧]]諸国、[[イスラエル]]、[[インド]]などで使われている。 ; [[中国震度階級]] : 中国震度階級は、[[1980年]]ごろに出てきた([[1999年]]改正)[[中華人民共和国]]で使われるIからXIIの12階級からなる震度階級表である。 ; [[ヨーロッパ震度階級]] : ヨーロッパ震度階級は、ヨーロッパ地震学委員会によって[[1988年]]ごろに提案され、[[ヨーロッパ]]各国で1から12までの12階級からなる震度階級表である。 ; [[中央気象局震度階級]] : 中央気象局震度階級は、[[台湾]]の[[中央気象局]]が[[2000年]]に制定した、[[1996年]][[9月30日]]以前の旧・気象庁震度階級を参考にした0から7の8段階の震度階級であった<ref>[https://scweb.cwb.gov.tw/earthquake/Page.aspx?ItemId=10&NId=36&loc=tw 地震百問 震度] - 台湾中央気象局</ref>。 :[[2020年]][[1月1日]]より従来の5級(強震)と6級(烈震)を、5弱、5強、6弱、6強に細分し、気象庁震度階級を参考にした0から7の10段階の震度階級に変更した<ref>{{Cite web|title=中央気象局、地震の揺れの大きさ示す震度階級を改訂|url=https://jp.taiwantoday.tw/news.php?unit=148,149,150,151,152&post=168091|website=Taiwan Today|date=2019-12-19|accessdate=2020-01-06|language=jp|first=Ministry of Foreign Affairs, Republic of|last=China (Taiwan)|publisher=}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|30em}} == 参考文献 == * {{cite book | 和書 | title=地震と建築 | author=[[大崎順彦]] | year=1983 | series=岩波新書 | publisher=[[岩波書店]] | ref=大崎(1983) }} * {{cite book | 和書 | title=耐震計算法入門 付・マイコンによる計算プログラム | author=[[大地羊三]] | publisher=[[鹿島出版会]] | year=1984 | ref=大地(1984) }} * {{cite book | 和書 | title=耐震計算法 | author=[[武藤清]] | series=耐震設計シリーズ | publisher=丸善 | year=1963 | ref=武藤(耐震設計1) }} == 外部リンク == * [https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/shindo/index.html 気象庁 | 震度について] {{ja icon}} * [http://www.bousai.go.jp/oshirase/h17/yureyasusa/index.html 表層地盤のゆれやすさ全国マップ(内閣府)] {{ja icon}} * {{PDFlink|[https://www.zisin.jp/publications/pdf/nf-vol9.pdf 社団法人日本地震学会:なゐふる:vol.9]}} {{ja icon}} - (日本における震度の歴史) * [http://www.cive.gifu-u.ac.jp/lab/ed2/kensaku/motomekata.html 震度の歴史と求め方] {{ja icon}} - [[岐阜大学]]地震工学研究室 * [http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/book/11-17-2/ 兵庫県南部地震緊急被害調査報告書(第2報)] {{ja icon}} {{Earthquake}} {{DEFAULTSORT:しんと}} [[Category:震度階級|*]] [[Category:建築構造]]
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マグニチュード
地震のマグニチュード(英: Seismic magnitude scales)とは、地震が発するエネルギーの大きさを対数で表した指標値である。揺れの大きさを表す震度とは異なる。日本の地震学者和達清夫の最大震度と震央までの距離を書き込んだ地図に着想を得て、アメリカの地震学者チャールズ・リヒターが考案した。 この最初に考案されたマグニチュードはローカル・マグニチュード (ML) と呼ばれており、リヒターの名からリヒター・スケール (Richter scale, 英語発音: [ˈɹɪktɚ skeɪl]〈読:リクター・スケール〉) とも呼称される。マグニチュードは地震のエネルギーを1000の平方根を底とした対数で表した数値で、マグニチュードが 1 増えると地震のエネルギーは約31.6倍になり、マグニチュードが 2 増えると地震のエネルギーは1000倍になる。 地震学ではモーメント・マグニチュード (Mw) が広く使われている。日本では気象庁マグニチュード (Mj) が広く使われるが、長周期の波が観測できるような規模の地震(Mj 5.0以上)ではモーメント・マグニチュードも解析・公表されている。 一般的にマグニチュードは M = log 10 A + B ( Δ , h ) {\displaystyle M=\log _{10}{A}+B(\Delta ,h)} の形の式で表される。ここで、Aはある観測点の振幅、Bは震央距離Δや震源の深さhによる補正項である。 地震が発するエネルギーの大きさを E(単位:ジュール)、マグニチュードを M とすると、次の関係がある。 この式からマグニチュード M が 1 大きくなると左辺の log10 E が 1.5 増加するからエネルギーは約32倍大きくなる (10 = 10√10 ≒ 31.62)。同様にマグニチュードが 2 大きくなるとエネルギーは1000倍になる (10 = 10 = 1000)。また、マグニチュードで0.2の差はエネルギーでは約2倍の差になる (10 = 10 ≒ 1.995)。 一般に使われる他の各種のマグニチュードでは、概ね8(表面波マグニチュードで8.5、実体波マグニチュードでは7程度)を超えると数値が頭打ち傾向になる。これを「マグニチュードの飽和」と呼ぶ。例えばローカル・マグニチュード (ML) 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気象庁マグニチュードは周期5秒までの強い揺れを観測する強震計で記録された地震波形の最大振幅の値を用いて計算する方式で、地震発生から3分程で計算可能という点から速報性に優れている。一方、マグニチュードが8を超える巨大地震の場合はより長い周期の地震波は大きくなるが、周期5秒程度までの地震波の大きさはほとんど変わらないため、マグニチュードの飽和が起き正確な数値を推定できない欠点がある。東北地方太平洋沖地震では気象庁マグニチュードを発生当日に速報値で7.9、暫定値で8.4と発表したが、発生2日後に地震情報として発表されたモーメント・マグニチュードは9.0であった。 2003年9月24日までは、下記のように、変位マグニチュードと速度マグニチュードを組み合わせる方法により計算していた。 変位マグニチュードは、系統的にモーメント・マグニチュードとずれることがわかってきたため、差異が小さくなるよう、2003年9月25日からは計算方法を改訂し(一部は先行して2001年4月23日に改訂)、あわせて過去の地震についてもマグニチュードの見直しを行った。 ここで、βd は震央距離と震源深度の関数(距離減衰項)であり、H が小さい場合には坪井の式に整合する。Cd は補正係数。 ここで、βv は Md と連続しながら、深さ 700 km、震央距離 2000 km までを定義した距離減衰項である。Cv は補正係数。 マグニチュードを厳密に区別すると、その種類は40種類以上に及ぶが、ここでは特徴的なものを記載する。 地震記象上で振動が継続する時間 Td はマグニチュードとともに長くなる傾向がある。そこで一般に、 の式が成り立つ。c0, c1, c2 は定数、Δ は震央距離である。c2Δ は小さいため、第3項を省略することもある。 過去には河角のWiechert式地震計に対しての式 などが提案されている。 地震波記録の回収や解析に多大な労力を要した1970年代頃までは、1つの地震計記録からマグニチュードを概算する方法として、気象台・観測所などで利用された。ただし各定数は地震計の特性に大きく依存するため、短時間で多くの地震波記録を扱うことができる現在ではこの式はほとんど用いられない。 グーテンベルクとリヒターは、南カリフォルニアの地震について、有感半径 R を用いて、 の式を得ている。 日本でも市川が日本の浅発地震に対して を与えている。なお、R は飛び離れた有感地点を除く最大有感半径 (km) である。 気象庁の震度で、4以上、5以上、6以上の区域の面積 (km) をそれぞれ S4、S5、S6 とするとき、勝又護と徳永規一は という実験式を、村松郁栄は という実験式を得ている。 河角廣は震央からの距離 100 km における平均震度を MK と定義し、リヒタースケールとの間に M = 4.85 + 0.5 MK の関係があるとした。また震央距離と震度、マグニチュードの間には以下の関係があるとした。 これらは地震計による記録がなかった歴史地震のマグニチュードを推定する際に有効である。家屋被害に関する文献記録から各地域の震度を求め、それをもとにマグニチュードを推定する。 微小地震については上記の Ms、Mb、Mj などでは正確な規模の評価ができない。そこで、たとえば渡辺は上下方向の最大速度振幅 Av (cm/s) と震源距離 r (km) を用いて、 の式を示している。なおこの式は r が 200 km 未満のときに限られる。マグニチュードがマイナス値を示す場合にもある程度有効であるため、ごくごく微小な人工地震のマグニチュードを求める際にも利用される。 低周波地震では Ms、Mb、Mj を用いると地震の規模が実際よりも小さく評価される。そこで阿部勝征によって、津波を用いたマグニチュード Mt が考案された。 ここで H は津波の高さ (m)、Δ は伝播距離 (km) (Δ ≧ 100 km)、D は Mt がモーメントマグニチュード Mw と近い値を取るように定められた定数である。D は日本において観測されたデータを用いると 5.80 となる。 また、震央より1000 km以上離れた、遠隔地で発生した地震による津波における Mt は ΔC を Mt が Mw と近い値を取るように定められた定数とすれば、 と表される。ΔC は津波の発生地域及び観測地域によって変化する経験値で、太平洋で発生した津波地震については、−0.6 から +0.5 の値を取る。 津波地震では、津波マグニチュードは表面波マグニチュード・実体波マグニチュードよりも大きくなる。 簡易な計算式として、マグニチュードが ΔM 増えたときのエネルギーは 10倍となる。たとえば、マグニチュードが1増えるとエネルギーは約31.62倍、2増えると1000倍となる(#マグニチュードと地震のエネルギーの節参照)。 また、マグニチュードが1増えると地震の発生頻度はおよそ10分の1になる(#頻度の目安の節参照)。 地域や構造物の強度等にもよるが、一般にM6を超える程度の直下型地震が、地下20キロメートル前後の深さで起こると、ほぼ確実に、人数の差こそあれ死傷者を出す“災害”となる。M7クラスの直下型地震では、条件にもよるが大災害になる。兵庫県南部地震は Mj7.3 (Mw6.9) だった。また、東海地震や南海地震といったプレート型地震はM8前後である。またMが7を大きく超えると、被害を生じさせる津波が発生する場合がある。一般的にマグニチュードが大きくなると、地震断層面も大きくなるため、被害の程度だけでなく被害が生じる範囲も拡大する。 M5未満では被害が生じることは稀で、M2程度の地震では、陸上でも人に感じられないことが多い。M0クラスになると、日本の地震計観測網でも捉えられない場合がある。なお、理論上マグニチュードにはマイナスの値が存在するが、この規模の地震になると精密地震計でも捉えられない場合が多く、また常時微動やノイズとの区別も難しくなってくる。 大きな地震のマグニチュードを求めることは、地震の規模や被害の推定に有用である。一方マグニチュードが小さく被害をもたらさないような地震も、地震や火山・プレートテクトニクスのメカニズムを解明するのに役立つため観測が行われている。 大地震の内、特にM8以上の地震を巨大地震、巨大地震の内、Mw9以上の地震を超巨大地震と区分けすることがある。 マグニチュード(以下M)のエネルギーの規模の比較と代表的な地震。 地震の発生頻度は以下のグーテンベルグ・リヒターの関係式により表される。 この式はマグニチュードが M のときの地震の頻度を n(回/年)で表す。傾きを表す b を「b 値」と言い、統計期間や地域により若干異なるものの、0.9 - 1.0 前後となる。この式から、マグニチュードが1大きくなるごとに地震の回数は約10分の1となる。ただ、実際に観測される地震の回数をグラフに表すと、日本付近ではM3 - 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"text": "の式を示している。なおこの式は r が 200 km 未満のときに限られる。マグニチュードがマイナス値を示す場合にもある程度有効であるため、ごくごく微小な人工地震のマグニチュードを求める際にも利用される。", "title": "特殊なマグニチュードの種類" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "低周波地震では Ms、Mb、Mj を用いると地震の規模が実際よりも小さく評価される。そこで阿部勝征によって、津波を用いたマグニチュード Mt が考案された。", "title": "特殊なマグニチュードの種類" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "ここで H は津波の高さ (m)、Δ は伝播距離 (km) (Δ ≧ 100 km)、D は Mt がモーメントマグニチュード Mw と近い値を取るように定められた定数である。D は日本において観測されたデータを用いると 5.80 となる。", "title": "特殊なマグニチュードの種類" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "また、震央より1000 km以上離れた、遠隔地で発生した地震による津波における Mt は ΔC を Mt が Mw と近い値を取るように定められた定数とすれば、", "title": "特殊なマグニチュードの種類" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "と表される。ΔC は津波の発生地域及び観測地域によって変化する経験値で、太平洋で発生した津波地震については、−0.6 から +0.5 の値を取る。", "title": "特殊なマグニチュードの種類" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "津波地震では、津波マグニチュードは表面波マグニチュード・実体波マグニチュードよりも大きくなる。", "title": "特殊なマグニチュードの種類" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "簡易な計算式として、マグニチュードが ΔM 増えたときのエネルギーは 10倍となる。たとえば、マグニチュードが1増えるとエネルギーは約31.62倍、2増えると1000倍となる(#マグニチュードと地震のエネルギーの節参照)。", "title": "マグニチュードの目安" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "また、マグニチュードが1増えると地震の発生頻度はおよそ10分の1になる(#頻度の目安の節参照)。", "title": "マグニチュードの目安" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "地域や構造物の強度等にもよるが、一般にM6を超える程度の直下型地震が、地下20キロメートル前後の深さで起こると、ほぼ確実に、人数の差こそあれ死傷者を出す“災害”となる。M7クラスの直下型地震では、条件にもよるが大災害になる。兵庫県南部地震は Mj7.3 (Mw6.9) だった。また、東海地震や南海地震といったプレート型地震はM8前後である。またMが7を大きく超えると、被害を生じさせる津波が発生する場合がある。一般的にマグニチュードが大きくなると、地震断層面も大きくなるため、被害の程度だけでなく被害が生じる範囲も拡大する。", "title": "マグニチュードの目安" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "M5未満では被害が生じることは稀で、M2程度の地震では、陸上でも人に感じられないことが多い。M0クラスになると、日本の地震計観測網でも捉えられない場合がある。なお、理論上マグニチュードにはマイナスの値が存在するが、この規模の地震になると精密地震計でも捉えられない場合が多く、また常時微動やノイズとの区別も難しくなってくる。", "title": "マグニチュードの目安" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "大きな地震のマグニチュードを求めることは、地震の規模や被害の推定に有用である。一方マグニチュードが小さく被害をもたらさないような地震も、地震や火山・プレートテクトニクスのメカニズムを解明するのに役立つため観測が行われている。", "title": "マグニチュードの目安" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "大地震の内、特にM8以上の地震を巨大地震、巨大地震の内、Mw9以上の地震を超巨大地震と区分けすることがある。", "title": "マグニチュードの目安" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "マグニチュード(以下M)のエネルギーの規模の比較と代表的な地震。", "title": "マグニチュードの目安" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "地震の発生頻度は以下のグーテンベルグ・リヒターの関係式により表される。", "title": "マグニチュードの目安" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "この式はマグニチュードが M のときの地震の頻度を n(回/年)で表す。傾きを表す b を「b 値」と言い、統計期間や地域により若干異なるものの、0.9 - 1.0 前後となる。この式から、マグニチュードが1大きくなるごとに地震の回数は約10分の1となる。ただ、実際に観測される地震の回数をグラフに表すと、日本付近ではM3 - 8付近では式に沿ったものとなるが、M3以下とM8以上では、正しく表されなくなる。これは、M3以下の地震は、規模が小さすぎるために観測できていないものが多いからであり、この規模の地震の観測数を調べることで地震の観測網の能力を計ることもできるとされている。一方、M8以上の地震は、発生回数自体が少ないために正確に表せていないもので、より長期間調査することで精度が高まるとされている。", "title": "マグニチュードの目安" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "日本での頻度の目安は以下の通り。規模の小さなものは、1小さくなる毎に10倍になると考えればよい。", "title": "マグニチュードの目安" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "また、M5程度の地震は世界のどこかでほとんど毎日発生しており、M3 - 4程度の地震は日本でもほとんど毎日発生している。", "title": "マグニチュードの目安" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "以下は理論値ではなく、ある期間の観測結果からの年間の回数である。", "title": "マグニチュードの目安" } ]
地震のマグニチュードとは、地震が発するエネルギーの大きさを対数で表した指標値である。揺れの大きさを表す震度とは異なる。日本の地震学者和達清夫の最大震度と震央までの距離を書き込んだ地図に着想を得て、アメリカの地震学者チャールズ・リヒターが考案した。 この最初に考案されたマグニチュードはローカル・マグニチュード (ML) と呼ばれており、リヒターの名からリヒター・スケール とも呼称される。マグニチュードは地震のエネルギーを1000の平方根を底とした対数で表した数値で、マグニチュードが 1 増えると地震のエネルギーは約31.6倍になり、マグニチュードが 2 増えると地震のエネルギーは1000倍になる。 地震学ではモーメント・マグニチュード (Mw) が広く使われている。日本では気象庁マグニチュード (Mj) が広く使われるが、長周期の波が観測できるような規模の地震ではモーメント・マグニチュードも解析・公表されている。 一般的にマグニチュードは M = log 10 ⁡ A + B の形の式で表される。ここで、Aはある観測点の振幅、Bは震央距離Δや震源の深さhによる補正項である。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{See Wiktionary|地震のマグニチュード|magnitude}} {{Otheruses|'''[[地震]]の規模を表す指標全般'''|その他}} [[地震]]の'''マグニチュード'''({{lang-en-short|Seismic magnitude scales}})とは、地震が発する[[エネルギー]]の大きさを[[対数]]で表した指標値である。揺れの大きさを表す[[震度]]とは異なる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jma-net.go.jp/sendai/knowledge/kyouiku/eqvol/i_m.pdf |title=震度とマグニチュード |publisher=[[気象庁]] |accessdate=2023-01-22}}</ref>。日本の地震学者[[和達清夫]]の最大震度と[[震央]]までの距離を書き込んだ地図<ref>[[和達清夫]]、1931年「Shallow and Deep Earthquakes」『中央氣象臺歐文彙報マグニチュード (Geophysical magazine)』4巻231ページ、{{ISSN|0016-8017}}</ref>に着想を得て、アメリカの地震学者[[チャールズ・リヒター]]が考案した<ref>[[チャールズ・リヒター|Richter, Charles F.]], 1935年1月「[https://www2.bc.edu/~ebel/Richter1935.pdf An instrumental earthquake magnitude scale] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130730032040/https://www2.bc.edu/~ebel/Richter1935.pdf |date=2013年7月30日}}」『Bulletin of the Seismological Society of America』25巻1号(2011年1月16日閲覧)</ref><ref>Bolt, Bruce A.、1986年6月「[http://articles.adsabs.harvard.edu/full/gif/1986QJRAS..27..308./0000310.000.html Obituary - Richter, Charles-Francis]」『Quarterly Journal of the Royal Astronomical Society』([[天体物理データシステム|SAO/NASA ADS]] Astronomy Abstract Service) 27巻2号308ページ(2011年1月16日閲覧)、310ページ目参照</ref>。 この最初に考案されたマグニチュードは'''[[ローカル・マグニチュード]]''' (''M<sub>L</sub>'') と呼ばれており、リヒター<ref group="注">リヒターはリクターとも[[発音]]される。発音のゆれについては、「[[チャールズ・リヒター]]」を参照。</ref>の名から'''リヒター・スケール''' (Richter scale, {{IPA-en|ˈɹɪktɚ skeɪl}}〈読:リクター・スケール〉) とも呼称される<ref group="注">英語での発音は、「[https://www.merriam-webster.com/dictionary/Richter%20scale Richter scale (Merriam-Webster Dictionary)]」を参照。</ref>。マグニチュードは地震のエネルギーを1000の[[平方根]]を底とした[[対数]]で表した数値で、マグニチュードが 1 増えると地震のエネルギーは約31.6倍になり、マグニチュードが 2 増えると地震のエネルギーは1000倍になる。 [[地震学]]では'''[[モーメント・マグニチュード]]''' (''M<sub>w</sub>'') が広く使われている。日本では'''[[気象庁マグニチュード]]''' (''M<sub>j</sub>'') が広く使われるが、[[長周期地震動|長周期の波]]が観測できるような規模の地震(''M<sub>j</sub>'' 5.0以上)<ref>[https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/mech/cmthowto.html CMT解のページの見方 - 気象庁]</ref>ではモーメント・マグニチュードも解析・公表されている。 一般的にマグニチュードは <math> M = \log_{10} {A} + B(\Delta, h) </math> の形の式で表される。ここで、''A''はある観測点の振幅、''B''は震央距離Δや震源の深さ''h''による補正項である<ref>[[長谷川昭 (地震学者)|長谷川昭]]・[[佐藤春夫]]・[[西村太志]]『地震学』[[共立出版]]〈現代地球科学入門シリーズ〉、2015年</ref>。 == マグニチュードと地震のエネルギー == 地震が発するエネルギーの大きさを {{mvar|E}}(単位:[[ジュール]])、マグニチュードを {{mvar|M}} とすると、次の関係がある<ref>例えば、国立天文台:理科年表(2016年版)、p.&nbsp;718、[[丸善出版]]、2015年11月30日 発行</ref>。 :<math> \log_{10} E = 4.8 + 1.5 M. </math> この式からマグニチュード {{mvar|M}} が 1 大きくなると左辺の {{math|log{{sub|10}} ''E''}} が 1.5 増加するからエネルギーは約32倍大きくなる ({{math|1=10{{sup|1.5}} = 10{{sqrt|10}} ≒ 31.62}})。同様にマグニチュードが 2 大きくなるとエネルギーは1000倍になる ({{Math|1=10{{sup|1.5×2}} = 10{{sup|3}} = 1000}})。また、マグニチュードで0.2の差はエネルギーでは約2倍の差になる ({{Math|1=10{{sup|1.5×0.2}} = 10{{sup|0.3}} ≒ 1.995}})。 == マグニチュードの飽和 == 一般に使われる他の各種のマグニチュードでは、概ね8([[表面波マグニチュード]]で8.5、実体波マグニチュードでは7程度)を超えると数値が頭打ち傾向になる。これを「マグニチュードの飽和」と呼ぶ。例えばローカル・マグニチュード (''M<sub>L</sub>'') は約6.5あたりから飽和しはじめ、約7が最大値となる。 短周期の地震波ほど減衰しやすく、その影響を受ける地震波の周期はおよそ ''L''/''v''(''L'': 断層の長さ、''v'': 断層破壊の伝播速度)程度以下、すなわち断層の破壊に要した時間程度以下の周期である。従って断層破壊に要する時間が長い巨大地震では地震の発生を瞬時の破壊と見なせなくなり、例えば周期20秒の地震波の振幅に着目する表面波マグニチュードは断層破壊に20秒程度かかる約100 kmより長い断層では、地震の規模が大きくなっても地震波の振幅が頭打ちとなる<ref name="Kanamori">[[金森博雄]] 『地震の物理』 [[岩波書店]]、1991年</ref>。 マグニチュードを決めるために用いる地震波の周波数とエネルギーのモデルから地震波によるマグニチュードは高周波、かつ規模の小さな地震ほど飽和が起こりにくいことが示される<ref>Geller, R. J., [http://bssaonline.org/cgi/content/abstract/66/5/1501 Scaling relations for earthquake source parameters and magnitudes], ''Bull. Seismol. Soc. Am.'', 66, 1501–1523, 1976.</ref>。このモデルでは実体波マグニチュード (''M<sub>b</sub>'') は約5.5から飽和しはじめ6で飽和となり、表面波マグニチュード (''M<sub>s</sub>'') では7.25から飽和しはじめ8で飽和となるが、飽和となる数値は観測される地震により異なり、''M<sub>b</sub>'' ≧ 6 の報告例も多数あるためモデルがあらゆる地震に当てはまるわけではない<ref name="Terry">[[T.C. ウォレス]]『地震学 上巻』柳谷俊訳、[[古今書院]]、2002年</ref>。 エネルギーが大きく、長周期(低周波)の地震動が卓越した巨大地震においても飽和がなく、より正確に地震の規模を表す指標として、無限大の長周期地震波に基づくと見做されるモーメント・マグニチュードが考案され、[[地震学]]では広く使われている。 == 一般的なマグニチュードの種類 == [[地震学]]では各種のマグニチュードを区別するために「''M''」に続けて区別の記号を付ける。[[地震学]]ではモーメント・マグニチュード (''M''w) を単に「''M''」と表記することが多い([[アメリカ地質調査所]] (USGS) など)。日本では気象庁マグニチュード (''M<sub>j</sub>'') を単に「''M''」と表記することが多い。各種のマグニチュードの値の間では差異を持つので注意が必要である。 以下、振幅という場合は片振幅(中心値からの振幅)を意味する。 === ローカルマグニチュード ''M<sub>L</sub>'' === <!--他記事より当節へのリンクあり--> {{main|ローカル・マグニチュード}} リヒター・スケールとも。リヒターは、[[ウッド・アンダーソン式地震計]](2800倍)の最大振幅 ''A''(単位:μm)を震央からの距離100 kmのところの値に換算したものの常用対数をマグニチュードとした。従って、地震波の振幅が10倍大きくなるごとに、マグニチュードが1ずつあがる。 : <math> M_l = \log_{10} A. </math> === 表面波マグニチュード ''M<sub>s</sub>'' === <!--他記事より当節へのリンクあり--> {{main|表面波マグニチュード}} [[ベノー・グーテンベルグ]]は、表面波マグニチュードを <!-- : ''M<sub>s</sub>'' = log ''A<sub>h</sub>'' + 1.656 log Δ + 1.818 + ''C'' --> : <math> M_s = \log A_h + 1.656 \log \Delta + 1.818 + C </math> で定義した<ref>Gutenberg, B., 1945年1月「Amplitudes of surface waves and magnitudes of shallow earthquakes」『Bulletin of the Seismological Society of America』35巻1号3〜12ページ、{{ISSN|0037-1106}}</ref>。ここで、{{mvar|A{{sub|h}}}} は表面波水平成分の最大振幅、Δ は震央距離(角度)、''C'' は観測点ごとの補正値である。 これとほぼ同じであるが、国際地震学地球内部物理学協会の勧告(1967年)では、 <!-- : ''M<sub>s</sub>'' = log(''A''/''T'') + 1.66 log Δ + 3.30 (20° ≦ Δ ≦ 60°) --> : <math> M_s = \log (A/T) + 1.66 \log \Delta + 3.30 </math>(なお、20° ≦ Δ ≦ 60°) としている。''A'' は表面波水平成分の最大振幅 (μm)、''T'' は[[周期]](秒)である。周期約20秒の地震動に着目して求められている<ref name="Kanamori" /><ref name="Terry" />。 より長周期の例えば周期100秒の表面波に基づいてその振幅からマグニチュードを算出すれば、巨大な地震の規模もある程度適切に表される様になる。例えば周期20秒の表面波マグニチュードではほとんど差が見られない1933年[[昭和三陸地震|三陸地震]]、1960年[[チリ地震 (1960年)|チリ地震]]、1964年[[アラスカ地震]]の周期100秒表面波マグニチュード ''M''<sub>100</sub> は、それぞれ、8.4、8.8、8.9となる<ref>[http://bssa.geoscienceworld.org/cgi/content/abstract/59/2/923 Brune, J.N. and G.R. Engen (1969)] Brune, J.N. and G.R. Engen (1969): Excitation of mantle Love waves and definition of mantle wave magnitude; ''Bull. Seism. Soc. Am.'', '''59''', 923–933.</ref>。 === 実体波マグニチュード ''M<sub>b</sub>'' === <!--他記事より当節へのリンクあり--> グーテンベルクおよびリヒターは、実体波マグニチュードを <!-- : ''M<sub>b</sub>'' = log(''A''/''T'') + ''Q''(''h'', Δ) --> : <math> M_b = \log_{10} \left(\frac{A}{T}\right) + B (\Delta, h) </math> で定義した。''A'' は実体波(P波、S波)の最大振幅、''T'' はその周期、''B'' は震源の深さ ''h'' と震央距離 Δ の関数である。 経験的に、 <!-- : ''M<sub>b</sub>'' = 0.63 ''M<sub>s</sub>'' + 2.5 --> : <math> M_b = 0.63 M_s + 2.5 </math> が成り立つ。周期約1秒の地震動に着目して求められている<ref name="Kanamori" />。 === モーメントマグニチュード M<sub>w</sub> === <!--他記事より当節へのリンクあり--> {{main|モーメント・マグニチュード}} 1979年、当時[[カリフォルニア工科大学]]の[[地震学]]の教授であった[[金森博雄]]と彼の学生であった{{仮リンク|トーマス・ハンクス|en|Thomas C. Hanks}}は、従来のマグニチュードは地震を起こす[[断層|断層運動]]の[[地震モーメント]] (''M''<sub>0</sub>) と密接な関係があり、これを使えば大規模な地震でも値が飽和しにくいスケールを定義できるという金森のアイデア<ref name="Kanamori2">Kanamori, H., 1977, "[https://agupubs.onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1029/JB082i020p02981 The energy release in great earthquakes.]" J. Geophys. Res. 82, 2981-2987., {{doi|10.1029/JB082i020p02981}}</ref>をモーメント・マグニチュード (''M<sub>w</sub>'') と名付け、以下のように計算される量として発表した<ref>Hanks, T., and Kanamori, H. (1979), [http://gps-prod-storage.cloud.caltech.edu.s3.amazonaws.com/people_personal_assets/kanamori/HKjgr79d.pdf A moment magnitude scale] : J. Geophys. Res., v. 84, no. B5, pp. 2348–2350. Retrieved 2011-01-16.</ref>。 <!-- : Mw = (log Mo - 9.1) / 1.5 (Mo = μ × D × S) --> : <math> M_\mathrm{w} = \frac{\log_{10} M_0 - 9.1}{1.5} </math>(ただし {{math|1=''M''{{sub|0}} = ''&mu;'' &times; ''D'' &times; ''S''}}) ''S'' は震源断層面積、''D'' は平均変位量、''μ'' は剛性率である。 これまでに観測された地震のモーメント・マグニチュードの最大値は、1960年に発生した[[チリ地震 (1960年)|チリ地震]]の9.5である<ref name="Kanamori2" />。 # 断層面の面積(長さ×幅)と、変位の平均量、断層付近の[[地殻]]の剛性から算出する、まさに断層運動の規模そのものである。 # 他の種類のマグニチュードでは、M8を超える[[巨大地震]]で地震の大きさの割りに値が大きくならない「頭打ち」と呼ばれる現象が起こる。モーメント・マグニチュードはこれが起こりにくく、[[巨大地震]]の規模を物理的に評価するのに適しているとされ、[[アメリカ地質調査所]] (USGS) をはじめ国際的に広く使われている。 # 日本の[[気象庁]]では、2011年に発生した[[東北地方太平洋沖地震]]に対して、地震の規模をより適切に表せるとして、下記の気象庁マグニチュード (''M<sub>j</sub>''8.4) に加え、モーメント・マグニチュードの計算値 (''M<sub>w</sub>''9.0) を発表した。 === 気象庁マグニチュード M<sub>j</sub> === <!--他記事より当節へのリンクあり--> {{main|気象庁マグニチュード}} 気象庁マグニチュードは、日本で国としての[[地震情報]]として使用されており<ref>[https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/mech/kaisetu/cmt_kaisetu.html CMT解とは何か] - 気象庁</ref>、2003年の約80年前まで遡って一貫した方法で決定され、モーメント・マグニチュードともよく一致している<ref>[https://www.jma.go.jp/jma/press/0309/17a/m.pdf 気象庁マグニチュード算出方法の改訂について] 気象庁</ref>。略称としてM{{sub|jma}}、或いはM<sub>j</sub>が使われる。 気象庁マグニチュードは周期5秒までの強い揺れを観測する強震計で記録された地震波形の最大振幅の値を用いて計算する方式で、地震発生から3分程で計算可能という点から速報性に優れている。一方、マグニチュードが8を超える巨大地震の場合はより長い周期の地震波は大きくなるが、周期5秒程度までの地震波の大きさはほとんど変わらないため、マグニチュードの飽和が起き正確な数値を推定できない欠点がある<ref>{{PDFlink|[https://www.jma.go.jp/jma/press/1109/12a/torimatome.pdf 東北地方太平洋沖地震による津波被害を踏まえた津波警報の改善の方向性について] 気象庁}}</ref>。[[東北地方太平洋沖地震]]では気象庁マグニチュードを発生当日に速報値で7.9、暫定値で8.4と発表したが、発生2日後に[[地震情報]]として発表されたモーメント・マグニチュードは9.0であった<ref>{{PDFlink|[https://www.jma.go.jp/jma/press/1103/13b/kaisetsu201103131255.pdf 「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第15報)] 気象庁}}</ref>。 ==== 2003年9月24日以前 ==== 2003年9月24日までは、下記のように、変位マグニチュードと速度マグニチュードを組み合わせる方法により計算していた。 ; 変位計 (''h'' ≦ 60 km) の場合 <!-- : Mj = log ''A'' + 1.73 log Δ − 0.83(A は周期5秒以下の最大振幅) --> :: <math> M_j = \log A + 1.73 \log \Delta - 0.83 </math>(''A'' は周期5秒以下の最大振幅) ; 変位計 (''h'' ≧ 60 km) の場合 <!-- : Mj = log ''A'' + ''K''(Δ, ''h'')(''K''(Δ, ''h'') は表による) --> :: <math> M_j = \log A + K (\Delta , h). </math>(''K''(Δ, ''h'') は表による) ; 速度計の場合 <!-- : Mj = log ''A<sub>Z</sub>'' + 1.64 log Δ + α(''A<sub>Z</sub>'' は最大振幅、α は地震計特性補正項) --> :: <math> M_j = \log A_Z + 1.64 \log \Delta + \alpha. </math>(''A<sub>Z</sub>'' は最大振幅、{{mvar|&alpha;}} は地震計特性補正項) ==== 2003年9月25日以降 ==== 変位マグニチュードは、系統的にモーメント・マグニチュードとずれることがわかってきたため、差異が小さくなるよう、2003年[[9月25日]]からは計算方法を改訂し(一部は先行して2001年4月23日に改訂)、あわせて過去の地震についてもマグニチュードの見直しを行った。<!--ただ、モーメント・マグニチュードと気象庁マグニチュードにはバラつきがあるため注意が必要である。--> ; 変位によるマグニチュード <!-- : Md = (1/2) × log(An<sup>2</sup> + Ae<sup>2</sup>) + βd(Δ, H) + Cd(An, Ae の単位は 10<sup>−6</sup> m) --> : <math>M_d = \frac{1}{2} \times \log (\mathrm{A_n}^{2} + \mathrm{A_e}^{2}) + \beta_d (\Delta, H) + C_d. </math>(A<sub>n</sub>, A<sub>e</sub> の単位は {{math|10{{sup|−6}} m}}) ここで、''β''<sub>''d''</sub> は[[震央距離]]と震源深度の関数(距離減衰項)であり、''H'' が小さい場合には坪井の式に整合する。''C<sub>d</sub>'' は補正係数。 ; 速度振幅によるマグニチュード <!-- : Mv = α × log(Az) + βv(Δ, H) + Cv(Az の単位は 10<sup>−5</sup> m/s) --> : <math> M_v = \alpha \times \log (A_z) + \beta_v (\Delta, H) + C_v. </math>({{mvar|A<sub>z</sub>}} の単位は 10{{sup|−5}}&nbsp;m/s) ここで、''β<sub>v</sub>'' は ''M<sub>d</sub>'' と連続しながら、深さ 700 km、震央距離 2000 km までを定義した距離減衰項である。''C<sub>v</sub>'' は補正係数。 == 特殊なマグニチュードの種類 == マグニチュードを厳密に区別すると、その種類は40種類以上に及ぶ<ref>[[宇津徳治]] (1999)『地震活動総説』、東京大学出版会</ref>が、ここでは特徴的なものを記載する。 === 地震動継続時間から求めるマグニチュード === 地震記象上で振動が継続する時間 ''T<sub>d</sub>'' はマグニチュードとともに長くなる傾向がある。そこで一般に、 <!-- : ''M'' = ''c''<sub>0</sub> + ''c''<sub>1</sub> log ''T<sub>d</sub>'' + ''c''<sub>2</sub> Δ --> : <math> M = c_0 + c_1 \log T_d + c_2 \Delta </math> の式が成り立つ。{{math|''c''{{sub|0}}}}, {{math|''c''{{sub|1}}}}, {{math|''c''{{sub|2}}}} は定数、{{math|&Delta;}} は震央距離である。{{math|''c''{{sub|2}}&Delta;}} は小さいため、第3項を省略することもある。 過去には河角のWiechert式地震計に対しての式 <!-- : ''M'' = 4.71 + 1.67 log ''T<sub>d</sub>'' --> : <math> M = 4.71 + 1.67 \log T_d </math> などが提案されている。 地震波記録の回収や解析に多大な労力を要した1970年代頃までは、1つの地震計記録からマグニチュードを概算する方法として、[[気象台]]・観測所などで利用された。ただし各定数は[[地震計]]の特性に大きく依存するため、短時間で多くの地震波記録を扱うことができる現在ではこの式はほとんど用いられない。 === 有感半径から求めるマグニチュード === グーテンベルクとリヒターは、[[カリフォルニア州|南カリフォルニア]]の地震について、有感半径 ''R'' を用いて、 <!-- : ''M'' = −3.0 + 3.8 log ''R'' --> : <math> M = -3.0 + 3.8 \log R </math> の式を得ている。 日本でも市川が日本の浅発地震に対して <!-- : M = −1.0 + 2.7 log ''R'' --> : <math> M = -1.0 + 2.7 \log R </math> を与えている。なお、''R'' は飛び離れた有感地点を除く最大有感半径 (km) である。 === 震度4, 5, 6の範囲から求めるマグニチュード === 気象庁の震度で、4以上、5以上、6以上の区域の面積 (km{{sup|2}}) をそれぞれ {{math|''S''{{sub|4}}}}、{{math|''S''{{sub|5}}}}、{{math|''S''{{sub|6}}}} とするとき、[[勝又護]]と[[徳永規一]]は : <math> \log_{10} S_4 = 0.82 M - 1.0 </math> という[[実験式]]を<ref>勝又護、徳永規一、1971年「震度IVの範囲と地震の規模および震度と加速度との対応」『気象庁技術報告』76巻39〜41ページ、{{ISSN|0447-3868}}</ref>、[[村松郁栄]]は : <math> \log_{10} S_5 = M - 3.2 </math>、 : <math> \log_{10} S_6 = 1.36 M - 6.66 </math> という実験式を得ている<ref>村松郁栄、1969年「震度分布と地震のマグニチュードとの関係」『岐阜大学教育学部研究報告 自然科学』4号168〜176ページ、{{ISSN|0533-9529}}</ref>。 [[河角廣]]は震央からの距離 100 km における平均震度を {{mvar|M{{sub|K}}}} と定義し、リヒタースケールとの間に {{math|1=''M'' = 4.85 + 0.5 ''M{{sub|K}}''}} の関係があるとした。また震央距離と震度、マグニチュードの間には以下の関係があるとした<ref>河角廣 (1951)、「[https://hdl.handle.net/2261/11692 有史以來の地震活動より見たる我國各地の地震危險度及び最高震度の期待値]」 東京大學地震研究所彙報 第29冊 第3号, 1951.10.5, pp.469-482, {{hdl|2261/11692}}</ref>。 <!-- : ''I'' = 2 ''M'' - 4.605 log<sub>10</sub> ⊿ − 0.00166 ⊿ − 0.32(''I'': [[気象庁震度階級]], ⊿: 震央距離 [km]) --> : <math> I = 2 M-4.605 \log_{10} \Delta - 0.00166 \Delta - 0.32 </math>。(''I'': [[気象庁震度階級]], {{math|&Delta;}}: 震央距離 [km]) これらは地震計による記録がなかった[[歴史地震]]のマグニチュードを推定する際に有効である。家屋被害に関する文献記録から各地域の震度を求め、それをもとにマグニチュードを推定する。 === 微小地震のマグニチュード === 微小地震については上記の ''M<sub>s</sub>''、''M<sub>b</sub>''、''M<sub>j</sub>'' などでは正確な規模の評価ができない。そこで、たとえば渡辺は上下方向の最大速度振幅 {{mvar|A{{sub|v}}}} (cm/s) と震源距離 {{mvar|r}} (km) を用いて、 <!-- : 0.85''M'' − 2.50 = log ''A<sub>v</sub>'' + 1.73 log ''r'' --> : <math> 0.85M - 2.50 = \log A_v + 1.73 \log r </math> の式を示している。なおこの式は ''r'' が 200 km 未満のときに限られる。マグニチュードがマイナス値を示す場合にもある程度有効であるため、ごくごく微小な人工地震のマグニチュードを求める際にも利用される。 === 津波マグニチュード ''Mt'' === <!--他記事より当節へのリンクあり--> 低周波地震では ''M<sub>s</sub>''、''M<sub>b</sub>''、''M<sub>j</sub>'' を用いると地震の規模が実際よりも小さく評価される。そこで[[阿部勝征]]によって、[[津波]]を用いたマグニチュード ''Mt'' が考案された<ref>阿部勝征、1981年12月「Physical size of tsunamigenic earthquakes of the northwestern Pacific Purchase the full-text article」『Physics of The Earth and Planetary Interiors』27巻3号194〜205ページ、{{Doi|10.1016/0031-9201(81)90016-9}}</ref><ref>阿部勝征 (1988)、「[https://hdl.handle.net/2261/13019 津波マグニチュードによる日本付近の地震津波の定量化]」 『東京大學地震研究所彙報』 1988年 63巻 3号 p.289-303.{{hdl|2261/13019}}, 東京大学地震研究所</ref>。 <!-- : ''M<sub>t</sub>'' = log ''H'' + log Δ + ''D''. --> : <math> M_t = \log H + \log \Delta + D </math> ここで ''H'' は津波の高さ (m)、Δ は伝播距離 (km) (Δ ≧ 100 km)、''D'' は ''M<sub>t</sub>'' がモーメントマグニチュード ''M''<sub>w</sub> と近い値を取るように定められた定数である{{Sfn|宇津徳治|嶋悦三|吉井敏尅|山科健一郎|2010|p=337}}。D は日本において観測されたデータを用いると 5.80 となる{{Sfn|宇津徳治|嶋悦三|吉井敏尅|山科健一郎|2010|pp=337–338}}。 また、震央より1000 km以上離れた、遠隔地で発生した地震による津波における ''Mt'' は {{math|&Delta;''C''}} を ''Mt'' が ''M''w と近い値を取るように定められた定数とすれば、 <!-- : ''M<sub>t</sub>'' = log ''H''<sub>max</sub> + 9.1 + Δ''C'' --> : <math> M_t = \log H_{\mathrm{max}} + 9.1 + \Delta C </math> と表される{{Sfn|宇津徳治|嶋悦三|吉井敏尅|山科健一郎|2010|p=338}}。{{math|&Delta;''C''}} は津波の発生地域及び観測地域によって変化する経験値で、太平洋で発生した津波地震については、−0.6 から +0.5 の値を取る{{Sfn|宇津徳治|嶋悦三|吉井敏尅|山科健一郎|2010|pp=377–378}}。 [[津波地震]]では、津波マグニチュードは表面波マグニチュード・実体波マグニチュードよりも大きくなる。 == マグニチュードの目安 == 簡易な計算式として、マグニチュードが Δ''M'' 増えたときのエネルギーは {{Math|10{{sup|1.5 × ΔM }}}}倍となる。たとえば、マグニチュードが1増えるとエネルギーは約31.62倍、2増えると1000倍となる([[#マグニチュードと地震のエネルギー]]の節参照)。 また、マグニチュードが1増えると地震の発生頻度はおよそ10分の1になる([[#頻度の目安]]の節参照)。 === マグニチュードの大小と被害 === 地域や構造物の強度等にもよるが、一般にM6を超える程度の直下型地震が、地下20キロメートル前後の深さで起こると、ほぼ確実に、人数の差こそあれ死傷者を出す“[[災害]]”となる<ref group="注">M6程度でも、外洋の海底下を含む非居住地域で発生する地震や、[[深発地震]]では災害が発生しないことが多い。</ref>。M7クラスの直下型地震では、条件にもよるが大災害になる。[[兵庫県南部地震]]は ''M<sub>j</sub>''7.3 (''M<sub>w</sub>''6.9) だった。また、[[東海地震]]や[[南海地震]]といったプレート型地震はM8前後である。またMが7を大きく超えると、被害を生じさせる[[津波]]が発生する場合がある。一般的にマグニチュードが大きくなると、地震断層面も大きくなるため、被害の程度だけでなく被害が生じる範囲も拡大する。 [[File:EQs 1900-2016 Japan tsum.png|thumb|1900年以降の日本周辺での地震 (マグニチュード5.5以上)]] M5未満では被害が生じることは稀で<ref group="注">[[明治|明治時代]]以降に日本で発生し、死者を出した地震のうち、[[気象庁]]マグニチュードが最も小さかったのは、1961年に発生した[[長岡地震]](''M<sub>j</sub>''5.2、死者5人)である。</ref>、M2程度の[[地震]]では、陸上でも人に感じられないことが多い。M0クラスになると、日本の[[地震計]]観測網でも捉えられない場合がある。なお、理論上マグニチュードには[[負の数|マイナス]]の値が存在するが、この規模の地震になると精密地震計でも捉えられない場合が多く<ref group="注">高密度に地震計を配し、その地域内で発生した震源の浅い地震などは十分観測できる場合もある。</ref>、また常時微動やノイズとの区別も難しくなってくる。 大きな地震のマグニチュードを求めることは、地震の規模や被害の推定に有用である。一方マグニチュードが小さく被害をもたらさないような地震も、地震や火山・[[プレートテクトニクス]]のメカニズムを解明するのに役立つため観測が行われている。 大地震の内、特にM8以上の地震を[[巨大地震]]、巨大地震の内、M<sub>w</sub>9以上の地震を[[超巨大地震]]と区分けすることがある<ref name="Koyama2013">[[小山順二]]、[[都筑基博]]、[[蓬田清]]、[[吉澤和範]](2013年)、「[https://hdl.handle.net/2115/52306 2011年東北沖超巨大地震が明らかにした超巨大地震の多様性]」 北海道大学地球物理学研究報告, '''76''', 129 – 146., {{hdl|2115/52306}}</ref>。 ==== マグニチュードの大小の目安 ==== マグニチュード(以下M)のエネルギーの規模の比較と代表的な地震。 {{See also|エネルギーの比較|地震の年表|地震の年表 (日本)}} {| class="wikitable" style="font-size:95%; text-align:right;" ! M !! 名称 !! style="white-space:nowrap;"|[[エネルギーの比較|エネルギー]]<br />([[ジュール|J]]) 換算 !! [[TNT換算]] !! colspan="2"|備考 |- | −2.0 || rowspan="6" style="text-align:center;"|極微小地震 || 63 || 15 mg || colspan="2" style="text-align:left;"|<!-- -->60J:30[[ワット (単位)|W]][[蛍光灯]]の2秒間点灯時の[[消費電力]] |- | −1.5 || 350 || 83 mg || colspan="2" rowspan="3"|&nbsp; |- | −1.0 || 2 × 10{{sup|3}} || 0.48 g |- | −0.5 || 11 × 10{{sup|3}} || 2.6 g |- | 0 || 63 × 10{{sup|3}} || 15 g || colspan="2" style="text-align:left;"|Mj0.2:2002年1月22日7時22分29秒(日本時間)に伊豆大島近海で発生した最も小さな有感地震(最大震度は1)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/Event.php?ID=161665|title=震度データベース検索|accessdate=2020年4月19日|publisher=気象庁}}</ref> |- | 0.5 || 35 × 10{{sup|4}} || 84 g || colspan="2" rowspan="2"|&nbsp; |- | 1.0 || rowspan="4" style="text-align:center; background-color:#ddf;"|微小地震 || 2 × 10{{sup|6}} || 480 g |- | 1.5 || 11 × 10{{sup|6}} || 2.6 kg || colspan="2" style="text-align:left;"|<!-- -->M1.5:[[カランカス隕石|2007年ペルーの隕石落下]]時に発生した地震([[n:en:Peruvian crater caused by meteor|en:ニュース]]) |- | 2.0 || 63 × 10{{sup|6}} || 15 kg || colspan="2" style="text-align:left;"|<!-- -->M2.1:2013年4月の[[テキサス州肥料工場爆発事故]]で放出されたエネルギー Mj2.4:[[Template‐ノート:日本近代地震#富山県東部地震?|富山県東部地震(2011)]] 10.07 07:20(JST)に発生。落石で1人死亡。日本で最も低い規模で死者を出した地震。 |- | 2.5 || 35 × 10{{sup|7}} || 84 kg || colspan="2" rowspan="3"|&nbsp; |- | 3.0 || rowspan="4" style="text-align:center;"|小地震 || 2 × 10{{sup|9}} || 480 kg |- | 3.5 || 11 × 10{{sup|9}} || 2.6 t |- | 4.0 || 63 × 10{{sup|9}} || 15 t || colspan="2" style="text-align:left;"|小型核爆弾が放出するエネルギー<br /><!-- -->M4.0:[[北朝鮮の核実験 (2006年)|北朝鮮の核実験(2006年)]]で観測された地震 (CTBTO) |- | 4.5 || 35 × 10{{sup|10}} || 84 t || colspan="2"|&nbsp; |- | 5.0 || rowspan="4" style="text-align:center; background-color:#ddf;"|中地震 || 2 × 10{{sup|12}} || 480 t || colspan="2" style="text-align:left;"|[[ツングースカ大爆発|ツングースカ隕石の衝突(1908年)]]時に発生した地震(推定)<ref name="Traynor2">Traynor, Chris, ''The Tunguska Event, [[Journal of the British Astronomical Association]],'' 107, 3, 1997</ref><br /><!-- -->Mj5.2:[[長岡地震|長岡地震(1961年)]](1900年以降に日本で発生し複数の死者を生じた最小の地震<ref name="usami2013">宇佐美龍夫ほか(2013)「日本被害地震総覧 599-2012」、東京大学出版会</ref><ref name="utsu2016">宇津徳治、[https://iisee.kenken.go.jp/utsu/ 世界の被害地震の表]</ref>)<br /><!-- -->Mb5.25:[[ツァーリ・ボンバ|史上最大の核兵器]]実験による[[人工地震]]<ref>{{Cite journal2|first=Vitaly I.|last=Khalturin|first2=Tatyana G.|last2=Rautian|first3=Paul G.|last3=Richards|first4=William S.|last4=Leith|year=2005|title=A Review of Nuclear Testing by the Soviet Union at Novaya Zemlya, 1955–1990|journal=Science and Global Security|volume=13|pages=1–42|doi=10.1080/08929880590961862|url=http://www.ldeo.columbia.edu/~richards/my_papers/khalturin_NZ_1-42%20.pdf|format=PDF|quote=Although it was exploded in the atmosphere, it generated several types of seismic signal. According to a bulletin of the U.S. Geological Survey it had seismic magnitude mb = 5.0–5.25.}}</ref><ref name=nwa>[http://www.nuclearweaponarchive.org/Russia/TsarBomba.html ''Big Ivan'', The Tsar Bomba (“King of Bombs”)] ''The Nuclear Weapon Archive'' (3 September 2007)</ref><ref group="注" name="cfenergy">「放出した全エネルギー([[核出力]])」と「それにより発生した地震のエネルギー」の違いに注意。</ref> |- | 5.5 || 11 × 10{{sup|12}} || 2,600 t || colspan="2" style="text-align:left;"|<!-- -->M5.5:[[バリンジャー・クレーター]]が形成された時に発生した地震(推定)<br /><!-- -->55〜63 TJ:[[リトルボーイ|広島の原爆]]が放出した全エネルギー<ref group="注" name="cfenergy"/> |- | 6.0 || 63 × 10{{sup|12}} || 1.5万 t || colspan="2" style="text-align:left;"|<!-- -->一般におおよそこれより規模の大きな地震では[[津波]]を発生させることがある。<br /><!-- -->Mj6.1:[[長野地震|長野地震(1941年)]]、[[大阪府北部地震|大阪府北部地震(2018年)]]<br /><!-- -->Mj6.2:[[宮城県北部地震|宮城県北部地震(2003年)]] |- | 6.5 || 35 × 10{{sup|13}} || 8.4万 t || colspan="2" style="text-align:left;"|Mj6.5:[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]の[[前震]](2016年)<br /><!-- -->Mj6.7 (Mw6.6):[[北海道胆振東部地震]](2018年)<br /><!-- -->Mj6.8 (Mw6.6):[[三河地震]](1945年)<br /><!-- -->Mj6.8 (Mw6.6):[[新潟県中越地震|新潟県中越地震(2004年)]]、[[新潟県中越沖地震|新潟県中越沖地震(2007年)]]<br /><!-- -->Mj6.9 (Mw6.7):[[能登半島地震|能登半島地震(2007年)]] |- | 7.0 || rowspan="2" style="text-align:center;"|[[巨大地震|大地震]] || 2 × 10{{sup|15}} || 48万 t || colspan="2" style="text-align:left;"|Mj7.0 (Mw6.6):[[福岡県西方沖地震|福岡県西方沖地震(2005年)]]<br /><!-- -->M7.0:[[W71 (核弾頭)|史上最大の地下核実験]]による[[人工地震]]<ref>[http://www.globalsecurity.org/wmd/systems/w71.htm Weapons of Mass Destruction: W71] ''GlobalSecurity.org''. 2011年8月26日閲覧</ref><ref group="注" name="cfenergy"/><br /><!-- -->Mw7.0:[[ハイチ地震 (2010年)]]<br /><!-- -->Mj7.1:[[福井地震|福井地震(1948年)]]<br /><!-- -->Mj7.2 (Mw7.0):[[鳥取地震]](1943年) Mj7.3(Mw7.4):[[宮城県沖地震 (1978年)|宮城県沖地震(1978年6月)]]<br /><!-- -->Mj7.3 (Mw6.9):[[兵庫県南部地震|兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)(1995年)]]<br /><!-- -->Mj7.3 (Mw7.0):熊本地震の[[本震]](2016年))<br /><!-- -->Mj7.3 (Mw7.3):[[三陸沖地震 (2011年3月)]]([[東北地方太平洋沖地震]]の前震) |- | 7.5 || 11 × 10{{sup|15}} || 260万 t || colspan="2" style="text-align:left;"|Mw7.5:[[唐山地震]](1976年)<br /><!-- -->Mj7.5 (Ms7.5):[[新潟地震|新潟地震(1964年)]]<br /><!-- -->Mw7.6:台湾[[921大地震]](1999年)<br /><!-- -->Mj7.8 (Mw7.7):[[北海道南西沖地震|北海道南西沖地震(1993年)]]<br /><!-- -->Mj7.9:[[根室半島沖地震|根室半島沖地震(1894年)]]<br /><!-- -->Mj7.9:[[三陸沖北部地震|十勝沖地震(1968年)]] |- | 8.0 || rowspan="2" style="text-align:center; background-color:#ddf;"|[[巨大地震]] || 63 × 10{{sup|15}} || 1500万 t || colspan="2" style="text-align:left;"|M8.0:[[濃尾地震|濃尾地震(1891年)]]<br /><!-- -->Mj8.0:[[喜界島地震|喜界島地震(1911年)]]<br /><!-- -->Mw7.9 - 8.0:[[関東地震|関東地震(関東大震災)(1923年)]]<br /><!-- -->Mw7.9 (Ms8.0):[[四川大地震]](2008年)<br /><!-- -->Mw8.4 (Mj8.0):[[昭和南海地震|南海地震(1946年)]]<br /><!-- -->Mw8.1 (Mj7.9):[[東南海地震|東南海地震(1944年)]]<br /><!-- -->Mw8.2 (Mj7.6?):[[イキケ地震|イキケ地震(2014年)]]<br /><!-- -->Mj8.1:[[小笠原諸島西方沖地震]](2015年)<br /><!-- -->Mw8.3 (Mj8.2):[[北海道東方沖地震|北海道東方沖地震(1994年)]]<br /><!-- -->Mj8.2:[[十勝沖地震|十勝沖地震(1952年)]]<br /><!-- -->Mw8.3 (Mj8.0):[[十勝沖地震|十勝沖地震(2003年)]]<br /><!-- -->210PJ:[[ツァーリ・ボンバ|史上最大の核兵器]]が放出した全エネルギー<ref name=nwa/><ref group="注" name="cfenergy"/><br /><!-- -->Mw8.4 (Mj8.1):[[昭和三陸地震|昭和三陸地震(1933年)]] |- | 8.5 || 35 × 10{{sup|16}} || 8400万 t || style="text-align:left;"|Mw8.5:[[明治三陸地震|明治三陸地震(1896年)]]<br />Mw8.8:[[チリ地震 (2010年)|チリ地震(2010年)]] || rowspan="2" style="text-align:left;" |M8.4<:[[貞観地震|貞観地震(869年)]]<br /><!-- -->M8.5<:[[バルディビア地震|バルディビア地震(1575年)]]<ref>Marco Cisternas, Brian F. Atwater, Fernando Torrejón, Yuki Sawai, Gonzalo Machuca, Marcelo Lagos, Annaliese Eipert, Cristián Youlton, Ignacio Salgado, Kamataki T., Shishikura M., Rajendran C. P., Malik. K., Rizal Y., Husni M. (2005) Predecessors of the giant 1960 Chile earthquake., ''Letter. [[ネイチャー|Nature]]'' 437, 404–407 (15 September 2005)</ref><br /><!-- -->Mw8.7〜9.2:[[カスケード地震|カスケード地震(1700年)]]<ref>{{PDFlink|[http://pubs.usgs.gov/pp/pp1707/pp1707.pdf USGS Professional Paper 1707]}} The Orphan Tsunami of 1700—Japanese Clues to a Parent Earthquake in North America</ref><br /><!-- -->Mw8.7〜9.3:[[宝永地震|宝永地震(1707年)]]<ref>石川有三(産総研): 1707年宝永地震の規模の再評価,日本地震学会2011年秋季大会講演予稿集,D11-09.</ref><br /><!-- -->Mw8.8〜9.0:[[リスボン地震 (1755年)|リスボン地震(1755年)]]<ref>[http://hal.archives-ouvertes.fr/hal-00112082 Gutscher (2006)] M.-A. Gutscher, M.A. Baptista,.M. Miranda (2006): The Gibraltar Arc seismogenic zone (part 2): Constraints on a shallow east dipping fault plane source for the 1755 Lisbon earthquake provided by tsunami modeling and seismic intensity, ''Tectonophysics'' '''426''': 153–166</ref><br /><!-- -->Mw8.5〜9.1:[[アリカ地震|アリカ地震(1868年)]]<ref name="Review">{{PDFlink|[http://www.civildefence.govt.nz/memwebsite.nsf/Files/Tsunami_Hazard_report/$file/Final_Hazard_and_Risk_Report_part_5(1).pdf DEFINING TSUNAMI SOURCES]}}{{リンク切れ|date=2016年4月}} Review of Tsunami Hazard and Risk in New Zealand. ''Institute of Geological & Nuclear Sciences Limited''</ref><ref group="注">[[歴史地震]]のマグニチュードは正確に決定することが困難であり、値は諸説ある。</ref> |- | 9.0 || rowspan="3" style="text-align:center;"|[[超巨大地震]] || 2 × 10{{sup|18}} || style="white-space:nowrap;"|4.8億 t || style="text-align:left;"|Mw9.0:[[カムチャツカ地震|カムチャツカ地震(1952年)]]<br /><!-- -->Mw9.0:[[東北地方太平洋沖地震|東北地方太平洋沖地震(2011年)]]<ref group="注">気象庁の観測上最大 Mj8.4。</ref><ref>[https://www.jma.go.jp/jma/press/1103/13c/201103131830.html 「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」の地震について(第16報)]</ref><br /><!-- -->Mw9.2:[[アラスカ地震|アラスカ地震(1964年)]]<br /><!-- -->Mw9.1〜9.3:[[スマトラ島沖地震 (2004年)|スマトラ島沖地震(2004年)]] |- | 9.5 || 11 × 10{{sup|18}} || 26億 t || colspan="2" style="text-align:left;"|Mw9.5:[[チリ地震 (1960年)|チリ地震(1960年)]]<br /><!-- -->これ以上の規模の地震は実測でも地質調査でも発見されていない。 |- | 10.0 || 63 × 10{{sup|18}} || 150億 t || colspan="2" style="text-align:left;"|M10.0:地球上で起こり得る最大の地震<ref group="注">[[ナスカプレート]]と[[南アメリカプレート]]のプレート境界が一度に破壊した場合。</ref><ref>[[菊地正幸]]『リアルタイム地震学』、東京大学出版会、2003年。</ref><ref group="注">[[千島海溝]]と[[日本海溝]]、合計3000キロメートルが連動して60メートルずれた場合。松澤は、M9の東北地方太平洋沖地震の発生まで2つ以上の断層が連動する可能性は想定されていなかったとしている。</ref><ref name="asahi20121122">[http://www.asahi.com/science/update/1122/TKY201211220376.html 「最大地震はM10と推定」 地震学者、予知連で報告]{{リンク切れ|date=2017年10月}} 朝日新聞2012年11月22日 {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20121125130124/http://www.asahi.com/science/update/1122/TKY201211220376.html |date=2012年11月25日 }}</ref><ref>[http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/activity/197/image197/023.pdf 第197回地震予知連絡会 東北大学教授・松澤暢資料]</ref><ref>[https://doi.org/10.1016/j.engeos.2020.04.001 Yoshida, M. and Santosh, M. (2020). Energetics of the Solid Earth: An integrated perspective. Energy Geoscience, 1(1-2), 28-35, doi:10.1016/j.engeos.2020.04.001.]</ref> |- | 10.5 || rowspan="4" style="text-align:center; background-color:#ddf;"|参考 || 32 × 10{{sup|19}} || 840億 t || colspan="2"| |- | 11.0 || 2 × 10{{sup|21}} || style="white-space:nowrap;"|4800億 t || colspan="2" style="text-align:left;"|M11.3:[[チクシュルーブ・クレーター|チクシュルーブ隕石]]の地球衝突のエネルギー。[[K-T境界|恐竜絶滅の最も有力な一因]]とされる<ref>[http://www.asahi.com/science/update/0305/TKY201003040492.html 恐竜絶滅、原因は小惑星 国際チーム結論、論争に決着か] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100306020406/http://www.asahi.com/science/update/0305/TKY201003040492.html |date=2010年3月6日 }}</ref>。値は推定。断層のずれで発生すると仮定した場合、その総延長は2万キロメートル以上になるもので、考慮は不要である([[松澤暢]]・東北大学教授による推論)<ref name="asahi20121122"/>。 |- | 11.5 || 11 × 10{{sup|21}} || 2.6兆 t || colspan="2" style="text-align:left;"|15ZJ:地球が[[太陽]]から受ける総エネルギー1日分<br /> M11.8:[[フレデフォート・ドーム|フレデフォート隕石]]の衝突エネルギー。現在地球上で確認された最大の隕石孔で、値は推定。 |- | 12.0 || 63 × 10{{sup|21}} || 15兆 t || colspan="2" style="text-align:left;"|M12:長さ1万キロメートルの断層が動き、地球が真っ二つに割れて起こる地震(実際の断層面は地球の表面付近に限られるため理屈上のもの)<ref>[[東京大学地震研究所]]「[http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/filmnc06/qa019.html 「日本沈没」と地球科学に関するQ&Aコーナー]」</ref> |- ! M !! 名 !! ジュール !! TNT !! colspan="2"|備考 |} * 月面で観測される地震を'''[[月震]]'''という。M1 - M4 程度が観測されている。 * 恒星の振動を'''[[星震学|星震]]''' ([[:en:Starquake (astrophysics)|Starquake]]) といい、時に爆発現象を伴う。観測は恒星の内部構造を調べるのに利用される。2004年に[[SGR 1806-20]]で観測された星震では、M23.1 という値が算出されている。 === 頻度の目安 === [[ファイル:Richter.png|thumb|300px|'''エネルギー'''(横軸下)と'''マグニチュード''' ''M''(横軸上)の対応関係と、その規模の地震が発生する'''頻度''' ''n''(毎年、縦軸)。このグラフの傾きが b 値。]] {{See also|グーテンベルグ・リヒター則}} 地震の発生頻度は以下の'''グーテンベルグ・リヒターの関係式'''により表される。 : <math> \log_{10} n = a - bM. </math> この式はマグニチュードが ''M'' のときの地震の頻度を ''n''(回/年)で表す。傾きを表す ''b'' を「''b'' 値」と言い、統計期間や地域により若干異なるものの、0.9 - 1.0 前後となる。この式から、マグニチュードが1大きくなるごとに地震の回数は約10分の1となる。ただ、実際に観測される地震の回数をグラフに表すと、日本付近ではM3 - 8付近では式に沿ったものとなるが、M3以下とM8以上では、正しく表されなくなる。これは、M3以下の地震は、規模が小さすぎるために観測できていないものが多いからであり、この規模の地震の観測数を調べることで地震の観測網の能力を計ることもできるとされている<ref group="注">高密度な地震計観測網が構築され高い検知能力が期待できる、おおむね1997年以降の日本の内陸部の浅発地震に限れば、おおよそM1以上から式に沿ったものになる。</ref>。一方、M8以上の地震は、発生回数自体が少ないために正確に表せていないもので、より長期間調査することで精度が高まるとされている。 日本での頻度の目安は以下の通り。規模の小さなものは、1小さくなる毎に10倍になると考えればよい。 * M10:500年に1回程度(グーテンベルグ・リヒター則の相似則を適用<ref>[[蓬田清]]:[https://hdl.handle.net/2115/52305 M10 地震の発生条件:2011 年東北沖地震の新しい知見から] 北海道大学地球物理学研究報告 No.76 2013年3月19日 pp.111–128, {{hdl|2115/52305}}</ref>) * M9.0 - 9.9 * M8.0 - 8.9:10年に1回程度 * M7.0 - 7.9:1年に1 - 2回程度 * M6.0 - 6.9:1年に10数回程度 また、M5程度の地震は世界のどこかでほとんど毎日発生しており、M3 - 4程度の地震は'''日本でもほとんど毎日発生している。''' 以下は理論値ではなく、ある期間の観測結果からの年間の回数である。 {| class="wikitable" style="text-align:center;" |+ 地震のマグニチュードと頻度(明記なき場合は回/年) |- !Ms<ref group="注">以上、次のMまで。</ref> !名称 !style="width:40em;"|震源が浅い場合に想定される被害<ref name=bosai>防災科学技術研究所 [http://www.hinet.bosai.go.jp/about_earthquake/sec1.2.html 「1.2 マグニチュード」] 閲覧2017-10/14</ref> !日本周辺<br><small>防災研</small><ref name=bosai/> !地球<br><small>USGS</small><ref>国土交通省・気象庁 [https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq7.html 「表1 世界の地震回数(1年間の平均:USGS(アメリカ地質調査所)による)」] 閲覧2017-10/14。1990年以降のデータより。</ref> !地球<br><small>USGS</small><ref>USGS [https://earthquake.usgs.gov/learn/topics/measure.php Measuring the Size of an Earthquake / magnitude] 閲覧2017-10/14。※直近の47年間の観測データからの計算値であり、どの期間をとるかで結果は大きく振れると注意書きを入れている。</ref> |- |9+ |rowspan="3" |巨大<br>地震 |数100から1000kmの範囲で大きな地殻変動を生じ、広域で大災害・大津波 |style="white-space:nowrap;" |数百年に1度 |rowspan="3" |1<ref group="注">1900年以降のデータより。</ref> |rowspan="2" |0.3 |- |8.5 |rowspan="2" |内陸では広域大災害、海底であれば大津波 |rowspan="2" |10年に1度 |- |8.0 |1.1 |- |7.5 |rowspan="2" |大地震 |rowspan="2" |内陸では大災害、海底であれば津波 |rowspan="2" |1 - 2 |rowspan="2" |17<ref name=usgs1990 group="注">1990年以降のデータより。</ref> |3.1 |- |7.0 |15 |- |6.5 |rowspan="3" |中地震 |rowspan="2" |震央付近で小被害、M7に近くなると大被害 |rowspan="2" |10 - 15 |rowspan="2" |134<ref name=usgs1990 group="注"/> |56 |- |6.0 |210 |- |5 |被害が出ることは少ない |120 |1,319<ref name=usgs1990 group="注"/> | |- |4 |rowspan="2" |小地震 |震央付近で有感、震源がごく浅いと軽い被害 |約1000<ref group="注">原典では1日数回。</ref> |<small>13 000</small><ref name=usgsest group="注">推定値。</ref> | |- |3 |震央付近で有感となることがある |約1万<ref group="注">原典では1日数十回。</ref> |<small>130 000</small><ref name=usgsest group="注"/> | |- |2 |rowspan="2" |<small>微小<br>地震</small> |極まれに有感 |<small>毎時10回</small><ref group="注">年換算は87 600回。</ref> | | |- |1 | |<small>毎分1 - 2回</small> | | |- |0 |rowspan="2" |<small>極微小<br>地震</small> | | | | |- |−1 | | | | |- |} == 参考文献 == * [[宇津徳治]]『地震学 第3版』[[共立出版]]、2001年、ISBN 4-320-00216-4。 * [http://www.s-yamaga.jp/nanimono/chikyu/jishin-02.htm 第1章 地震 2] - [[山賀進]]『われわれは何者か-宇宙・地球・人類-』第2部 2 地球の科学、2008年2月23日閲覧。 * [http://www.hinet.bosai.go.jp/about_earthquake/sec1.2.html 1.2 マグニチュード] - [[防災科学技術研究所]]『地震の基礎知識とその観測』第1部 地震の基礎知識、2008年2月23日閲覧。 * [http://www.seismo.unr.edu/ftp/pub/louie/class/100/magnitude.html What is Richter Magnitude?] - J. Louie, 9 Oct. 1996年 * [http://earth.hc.keio.ac.jp/eq/meactivity.html 地震のマグニチュードとエネルギー] - [[慶應義塾高等学校]]地学教室, 2002年 * [http://www.s-yamaga.jp/nanimono/chikyu/magnitude-energy.htm マグニチュードとエネルギー] - 山賀進 * {{Cite book|和書|editor= [[宇津徳治]]、嶋悦三、吉井敏尅、山科健一郎|title= 地震の事典|edition= 第2版 普及版|publisher= 朝倉書店|date= 2010-03-25|year= 2010|isbn= 9784254160536|id= {{全国書誌番号|21740479}}|ref= {{SfnRef|宇津徳治|嶋悦三|吉井敏尅|山科健一郎|2010}}}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 関連項目 == * [[地震]] * [[地震計]] * [[震度]] == 外部リンク == * [http://www.hinet.bosai.go.jp/about_earthquake/ 防災科学技術研究所 地震の基礎知識] * [https://web.archive.org/web/20061224214812/http://earthquake.usgs.gov/eqcenter/recenteqsww/glossary.php アメリカ地質調査所 (USGS) 地震の用語解説]{{en icon}} * [http://earthquake.usgs.gov/ アメリカ地質調査所 (USGS) 地震一覧]{{en icon}} ** [https://webcitation.org/5vC4K2OKx?url=http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/recenteqsww/Quakes/quakes_big.php Latest Earthquakes M5.0+ in the World]{{en icon}} - 過去7日間の世界の地震(M 5.0以上) ** [https://web.archive.org/web/20110408211609/http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/world/historical_mag_big.php Sorted by Magnitude, Magnitude 6.0 and Greater]{{en icon}} - 世界の過去の主要な地震(M 6.0以上) {{Earthquake}} {{DEFAULTSORT:まくにちゆと}} [[Category:地震学]] [[Category:スケール]] [[Category:エネルギー]] [[Category:対数スケールの単位]]
2003-02-12T06:58:21Z
2023-10-31T01:01:48Z
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1,008
2月21日
2月21日(にがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から52日目にあたり、年末まであと313日(閏年では314日)ある。
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{{カレンダー 2月}} '''2月21日'''(にがつにじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から52日目にあたり、年末まであと313日([[閏年]]では314日)ある。 == できごと == [[ファイル:Stamp Soviet Union 1948 CPA 1246.jpg|200px|thumb|『[[共産党宣言]]』(1848)が出版される。画像は出版100周年を記念した[[ソビエト連邦|ソ連]]の切手]] * [[901年]]([[昌泰]]4年[[1月25日 (旧暦)|1月25日]]) - [[菅原道真]]が[[大宰権帥|大宰員外帥]]に左遷。 * [[1431年]] - [[ジャンヌ・ダルク]]の[[異端審問]]が開始される。 * [[1482年]]([[文明 (日本)|文明]]14年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]) - [[足利義政]]が[[慈照寺]](銀閣)の造営を始める。 * [[1613年]]([[ユリウス暦]][[2月11日]]) - [[ロシア・ツァーリ国|ロシア]]で、[[ミハイル・ロマノフ]]が[[ゼムスキー・ソボル|全国会議]]で[[ツァーリ]]に選出され即位。[[ロマノフ朝]]が始まる。 * [[1743年]] - [[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]の[[オラトリオ]]『[[サムソン (ヘンデル)|サムソン]]』が[[ロンドン]]で初演される。 * [[1804年]] - イギリスで、[[リチャード・トレビシック]]が発明した[[蒸気機関車]]の試運転に成功。 * [[1842年]] - ジョン・グリーノウが、[[アメリカ合衆国]]における初めての[[ミシン]]の特許を取得<ref>{{Cite book |last = Cooper |first = Grace Rogers |year = 1968 |title = The Invention of the Sewing Machine |publisher = [[スミソニアン博物館]] |page = 13 |url = http://www.gutenberg.org/files/32677/32677-h/32677-h.htm }}</ref>。 * [[1848年]] - [[カール・マルクス]]と[[フリードリヒ・エンゲルス]]の『[[共産党宣言]]』が出版される。 * [[1878年]] - 最初の[[電話帳]]が[[コネチカット州]][[ニューヘイブン (コネチカット州)|ニューヘイブン]]で発行される。 * [[1911年]] - 改正[[日米通商航海条約]]調印。[[不平等条約]]を撤廃し[[関税自主権]]を確立。 * 1911年 - [[夏目漱石]]が文学博士号授与の辞退を表明。 * [[1916年]] - [[第一次世界大戦]]: [[ドイツ帝国|ドイツ]]軍が[[フランス]]の[[ヴェルダン]]要塞への攻撃を開始。[[ヴェルダンの戦い]]が始まる。 * [[1918年]] - [[シンシナティ動物園]]で飼われていた最後の[[カロライナインコ]]が死亡し[[絶滅]]。 * [[1919年]] - [[ドイツ革命|ミュンヘン革命]]の中心人物[[クルト・アイスナー]]が右翼青年[[アントン・グラーフ・フォン・アルコ・アオフ・ファーライ|アントン・アルコ・ファーライ]]に[[暗殺]]される。 * [[1927年|1923年]] - [[孫文]]が第三次広東軍政府を設立。 * [[1925年]] - [[高田商会]]の破綻に伴い機関銀行であった永楽銀行が休業に入る<ref>高田商会の破綻で永楽銀行が休業『大阪毎日新聞』大正14年2月22日夕刊(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p142 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1936年]] - [[天皇機関説事件]]: [[天皇機関説]]を唱えた[[美濃部達吉]]が右翼に襲撃され負傷。 * [[1942年]] - 日本で[[食糧管理法]]を公布。 * [[1947年]] - [[エドウィン・ハーバード・ランド]]が初の[[インスタントカメラ]]を[[アメリカ光学会]]で発表。 * [[1946年]] - 日本で[[警視庁]]が[[婦人警察官]]の募集を開始。 * [[1948年]] - 全米自動車競争協会([[NASCAR]])設立。 * [[1951年]] - ベルリンで[[世界平和評議会]]第1回総会開催。五大国による平和協定締結を要求する「ベルリンアピール」を採択。 * [[ファイル:21 Feb 1952 MeetingAtAamTola.JPG|サムネイル|ベンガル語の公用語としての使用を求める集会(1952年)]][[1952年]] - 東パキスタン(現在の[[バングラデシュ]])で[[ベンガル語国語化運動|ベンガル語国語化運動家]]と軍隊が衝突([[国際母語デー|言語殉教者の日]])。 * [[1953年]] - [[フランシス・クリック]]と[[ジェームズ・ワトソン]]が[[デオキシリボ核酸|DNA]]の[[二重らせん|二重螺旋]]構造を発見。 * [[1955年]] - [[西日本スポーツ]]([[西日本新聞社]])創刊。 * [[1958年]] - {{仮リンク|ジェラード・ホルトム|en|Gerald Holtom}}が平和・反戦のシンボル「[[ピースマーク]]」(☮)を作成。 * [[1965年]] - アメリカの黒人運動指導者[[マルコム・X]]が演説中に{{仮リンク|マルコム・X暗殺事件|en|Assassination of Malcolm X|label=暗殺}}される。 <!-- * 1965年 - [[プリンス自動車工業]]、[[日産・スカイライン|スカイライン2000GT]]を発売。 --> * [[1968年]] - [[えびの地震]]発生。 * [[1969年]] - 岡田屋・フタギ・シロの[[スーパーマーケット]]3社が共同仕入会社として[[ジャスコ]]株式会社(現・[[イオン (企業)|イオン]]の前身)を設立。 * [[1970年]] - [[スイス航空330便爆破事件]]発生。 * [[1971年]] - [[ウィーン]]で[[向精神薬に関する条約]]が採択される。 * [[1972年]] - [[リチャード・ニクソン]]アメリカ大統領が[[ニクソン大統領の中国訪問|中華人民共和国を訪問]]。[[アメリカ合衆国大統領]]としては初。 * 1972年 - ソ連の無人月探査機「[[ルナ20号]]」が月に着陸。 * [[1973年]] - [[リビア航空機撃墜事件]]。[[イスラエル]]空軍が[[シナイ半島]]で[[リビア航空]]機を撃墜。死者108人。 * 1973年 - [[東京地検]]が『四畳半襖の下張』を掲載した雑誌編集長[[野坂昭如]]らを起訴([[四畳半襖の下張事件]])。 * [[1974年]] - [[朝日新聞]]で連載されていた[[4コマ漫画]]『[[サザエさん]]』が、作者・[[長谷川町子]]の病気療養によりこの日を最後に休載。そのまま打ち切りとなる。 * [[1979年]] - [[宇宙科学研究所|東大宇宙航空研]]がX線観測衛星「[[ひのとり (人工衛星)|はくちょう]]」を打ち上げ。 * [[1980年]] - 家元制度に反対する前衛舞踊家の[[花柳幻舟]]が、花柳流家元[[花柳壽輔 (3世)|3世花柳寿輔]]を襲撃。 * [[1983年]] - [[蔵王観光ホテル火災]]。11人が死亡。 * [[1988年]] - [[8センチCD|8センチサイズ]]の[[シングル]][[CD]]が日本国内で初めて販売される。 * [[1990年]] - [[神戸新交通六甲アイランド線|六甲ライナー]]開業。 * [[2004年]] - 初の[[欧州規模の政党|汎ヨーロッパ政党]]・[[欧州緑の党]]が[[ローマ]]で結成。 * [[2008年]] - [[歌手]]の[[リアーナ]]が母国[[バルバドス]]の名誉文化大使に任命される。バルバドス政府がこの日を「リアーナの日」と制定。 * [[2018年]] - [[2018年平昌オリンピック|平昌オリンピック]]: [[スピードスケート]]女子[[チームパシュート|団体パシュート]]で日本チーム([[髙木美帆]]、[[髙木菜那]]、[[菊池彩花]]、[[佐藤綾乃 (スピードスケート選手)|佐藤綾乃]])が同種目初の優勝<ref>{{Cite news|url=http://sp.yomiuri.co.jp/olympic/2018/skate/20180221-OYT1T50075.html|title=女子追い抜き、オランダ破り初の「金」…五輪新|newspaper=読売新聞社|date=2018-02-21|accessdate=2018-02-22}}</ref>。 == 誕生日 == [[ファイル:Abe Seimei.jpg|thumb|180px|[[陰陽師]]、[[安倍晴明]](921-1005)生誕]] [[ファイル:Czerny 2.jpg|thumb|180px|[[カール・チェルニー]](1791-1857)生誕。偉大な[[ピアニスト]]・[[作曲家]]であるとともに、多くの練習曲を発表し、教育面でも大きな足跡を残した]] * [[921年]]([[延喜]]21年[[1月11日 (旧暦)|1月11日]]) - [[安倍晴明]]<ref>宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年、369頁。また卒年85歳(「安倍氏系図」(『続群書類従』巻第170 所収)による)とも一致する。</ref>、[[陰陽師]](+ [[1005年]]) * [[1173年]]([[承安 (日本)|承安]]3年[[1月8日 (旧暦)|1月8日]]) - [[明恵]]<ref>[[#納冨|納冨(2004)]]</ref>(高弁)、[[僧|僧侶]]、[[華厳宗]]中興の祖(+ [[1232年]]) * [[1559年]]([[嘉靖]]38年1月5日) - [[ヌルハチ]]{{要出典|date=2021-04}}、[[中国]][[後金]]の創始者、[[清]]の初代[[皇帝]](+ [[1626年]]) * [[1591年]] - [[ジラール・デザルグ]]、[[数学者]](+ [[1661年]]) * [[1609年]] - [[ライモンド・モンテクッコリ]]、[[軍人]](+ [[1680年]]) * [[1628年]]([[寛永]]5年[[1月17日 (旧暦)|1月17日]]) - [[岩城重隆 (亀田藩主) |岩城重隆]]、[[出羽国]][[亀田藩]]主(+ [[1708年]]) * [[1664年]]([[寛文]]4年[[1月25日 (旧暦)|1月25日]]) - [[松平頼貞]]、[[陸奥国]][[守山藩]]主(+ [[1744年]]) * [[1717年]]([[享保]]2年[[1月11日 (旧暦)|1月11日]]) - [[遠山友明]]、[[美濃国]][[苗木藩]]主(+ [[1753年]]) * [[1728年]] - [[ピョートル3世 (ロシア皇帝)|ピョートル3世]]、[[ロシア皇帝]]、[[エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)|エカチェリーナ2世]]の夫(+ [[1762年]]) * [[1734年]](享保19年[[1月18日 (旧暦)|1月18日]]) - [[松平義敏]]、[[美濃国]][[高須藩]]主(+ [[1771年]]) * [[1779年]] - [[フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニー]]、[[法学者]](+ [[1861年]]) * [[1791年]] - [[カール・チェルニー]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](+ [[1857年]]) * [[1800年]]([[寛政]]12年[[1月28日 (旧暦)|1月28日]]) - [[九鬼隆徳]]、[[摂津国]][[三田藩]]主(+ [[1864年]]) * [[1805年]] - [[デイヴィッド・トッド (政治家)|デイヴィッド・トッド]]、第25代[[オハイオ州知事]](+ [[1868年]]) * [[1836年]] - [[レオ・ドリーブ]]、作曲家(+ [[1891年]]) * [[1844年]] - [[シャルル=マリー・ヴィドール]]、[[オルガニスト]]、作曲家(+ [[1937年]]) * [[1865年]]([[元治]]2年[[1月26日 (旧暦)|1月26日]]) - [[小川正孝]]、[[化学者]](+ [[1930年]]) * [[1866年]] - [[アウグスト・フォン・ワッセルマン]] ([[:en:August von Wassermann|August von Wassermann]])、[[細菌学者]](+ [[1925年]]) * [[1867年]] - [[金須嘉之進]]、[[作曲家]]、[[正教徒]](+ [[1951年]]) * [[1875年]] - [[ジャンヌ・カルマン]]、世界最高齢記録をもつ[[フランス]]の女性(+ [[1997年]]) * [[1880年]] - [[ワルデマル・ボンゼルス]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](+ [[1952年]]) * [[1885年]] - [[サシャ・ギトリ]]、[[映画監督]](+ [[1957年]]) * [[1886年]] - [[八田與一]]、水利技術者(+ [[1942年]]) * [[1887年]] - [[阿南惟幾]]、[[陸軍軍人]](+ [[1945年]]) * [[1892年]] - [[ハリー・スタック・サリヴァン]]、[[精神科医]](+ [[1949年]]) * [[1893年]] - [[アンドレス・セゴビア]]、[[ギタリスト]](+ [[1987年]]) * [[1894年]] - [[神田茂]]、[[日本の天文学者の一覧|天文学者]](+ [[1974年]]) * [[1895年]] - [[カール・ピーター・ヘンリク・ダム]]、[[生化学|生化学者]](+ [[1976年]]) * [[1902年]] - [[マックス・ワルター・スワンベルク]]、画家(+ [[1994年]]) * [[1903年]] - [[レーモン・クノー]]、[[作家]](+ [[1976年]]) * 1903年 - [[アナイス・ニン]]、作家(+ [[1977年]]) * 1903年 - [[中島健蔵]]、[[フランス文学者|仏文学者]]、[[文芸評論家]](+ [[1979年]]) * 1903年 - [[トム・ヨーキー]]、[[メジャーリーグ]]球団オーナー(+ [[1976年]]) * [[1904年]] - [[田村駒治郎]]、経営者(+ [[1961年]]) * [[1907年]] - [[W・H・オーデン]]、[[詩人]](+ [[1973年]]) * [[1908年]] - [[加藤喜作]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1981年]]) * [[1905年]] - [[木村義雄 (棋士)|木村義雄]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]](+ [[1986年]]) * [[1914年]] - [[エイノ・イルマリ・ユーティライネン]]、[[軍人]](+ [[1999年]]) * [[1915年]] - [[アン・シェリダン]]、[[俳優|女優]](+ [[1967年]]) * [[1917年]] - [[オットー・キッテル]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+ 1945年) * [[1920年]] - [[石垣りん]]、[[詩人]](+ [[2004年]]) * 1920年 - [[大路三千緒]]、女優(元[[宝塚歌劇団]])(+ [[2021年]]) * [[1921年]] - [[ジョン・ロールズ]]、[[政治哲学者]](+ [[2002年]]) * [[1923年]] - [[木暮力三]]、元プロ野球選手 * 1923年 - [[中村妙子]]、[[翻訳|翻訳家]] * [[1924年]] - [[石田五郎]]、天文学者(+ [[1992年]]) * [[1925年]] - [[サム・ペキンパー]]、[[映画監督]](+ [[1984年]]) * [[1926年]] - [[笈田敏夫]]、ジャズ歌手(+ [[2003年]]) * [[1927年]] - [[ユベール・ド・ジバンシィ]]、[[ファッションデザイナー]] * [[1929年]] - [[キラーイ・エデ]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[2009年]]) * [[1933年]] - [[ニーナ・シモン]]、[[歌手]](+ [[2003年]]) * [[1937年]] - [[ハーラル5世 (ノルウェー王)|ハーラル5世]]、[[ノルウェー]]国王 * [[1940年]] - [[熊代昭彦]]、[[政治家]] * [[1943年]] - [[大前研一]]、経営評論家 * [[1944年]] - [[長池徳士]]、元プロ野球選手 * 1944年 - [[パンチョ加賀美]]、[[ドラマー]]、[[ミュージシャン]](+2018年<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20180604-NCIAQNQPQNP2ZO5YUL7OIESBZU/|title=「ピンキーとキラーズ」パンチョ加賀美さんが死去|publisher=SANSPO.COM(サンスポ)|date=2018-06-04|accessdate=2020-11-15}}</ref>) * 1944年 - [[前田吟]]、[[俳優]] * [[1945年]] - [[坂田明]]、ミュージシャン * 1945年 - [[前田康介]]、元プロ野球選手 * [[1946年]] - [[椎正年]]、元プロ野球選手 * 1946年 - [[アンソニー・ダニエルズ]]、俳優 * [[1947年]] - [[井上順]]、俳優、[[タレント]] * [[1952年]] - [[横尾まり]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/横尾まり/|title=横尾まり(よこおまり)の解説|work=goo人名事典|accessdate=2020-12-01}}</ref>、声優 * [[1953年]] - [[ウィリアム・ピーターセン]]、俳優 * [[1954年]] - [[橋本以蔵]]、[[脚本家]] * [[1956年]] - [[佐藤清]]、元[[野球選手]] * [[1958年]] - [[引間克幸]]、元プロ野球選手 * 1958年 - [[アラン・トランメル]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[弓あきら]]、ファションモデル * [[1962年]] - [[川端健嗣]]、元[[アナウンサー]] * [[1963年]] - [[ウィリアム・ボールドウィン]]、俳優 * [[1964年]] - [[ハイヒールモモコ]]、[[漫才師]] * [[1964年]] - [[切通理作]]、[[評論家]]、[[脚本家]] * [[1965年]] - [[野中英次]]、[[漫画家]] * [[1966年]] - [[鮎ゆうき]]、[[俳優|女優]] * 1966年 - [[ペトリ・コッコ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1967年]] - [[伊藤つかさ]]、女優 * 1967年 - [[リロイ・バレル]]、元[[陸上競技]]選手 * 1967年 - [[ミヒャエル・ザンデルリング]]、[[指揮者]]、[[チェリスト]] * 1967年 - [[クノ真季子]]、女優 * [[1968年]] - [[家富ヨウジ]]、俳優、[[声優]] * 1968年 - [[パトリック・ギャラガー]]、俳優 * [[1969年]] - [[鈴木康博 (野球)|鈴木康博]]、元プロ野球選手 * 1969年 - [[ジェームス・ディーン・ブラッドフィールド]]、ミュージシャン、[[歌手]]([[マニック・ストリート・プリーチャーズ]]) * [[1970年]] - [[田丸浩史]]、漫画家 * 1970年 - [[ゆうたろう (ものまねタレント)|ゆうたろう]]、[[お笑いタレント]] * 1970年 - [[松田岳二]]、ミュージシャン * [[1972年]] - [[ソ・テジ]]、歌手(元[[ソテジワアイドゥル]]) * [[1973年]] - [[林純次]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[市来貴代子]]、[[プロレスラー]] * [[1974年]] - [[やまもとまさみ]]、お笑いタレント * [[1975年]] - [[山内崇嗣]]、[[美術家]]、[[画家]] * 1975年 - [[馬渕隆雄]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[岩城雄太]]、ミュージカル俳優 * 1975年 - [[吉田孝 (声優)|吉田孝]]、ナレーター * [[1976年]] - [[つぐみ (女優)|つぐみ]]、[[俳優|女優]] * [[1977年]] - [[ロドリーゴ・グラウ]]、サッカー選手 * 1977年 - [[山下敏和]]、ライフル射撃選手 * [[1978年]] - [[酒井美紀]]、タレント、女優、歌手 * 1978年 - [[阿部みさと]]、女優、タレント * 1978年 - [[田辺あゆみ]]、[[ファッションモデル]] * 1978年 - [[前田弘二]]、[[映画監督]] * 1978年 - [[キム・ハヌル (女優)|キム・ハヌル]]、女優 * 1978年 - [[パク・ウネ]]、女優 * [[1979年]] - [[ジェニファー・ラブ・ヒューイット]]、女優 * 1979年 - [[ジョーダン・ピール]]、[[コメディアン]]、俳優 * [[1980年]] - [[板倉康弘]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク]]、[[ブータン]][[国王]] * 1980年 - [[柴田かよこ]]、女優 * 1980年 - [[松宮隆行]]、元陸上競技選手 * 1980年 - [[松宮祐行]]、陸上競技選手 * [[1981年]] - [[要潤]]、[[俳優]] * 1981年 - [[和田毅]]、プロ野球選手 * 1981年 - [[アダム・グリーンバーグ (野球)|アダム・グリーンバーグ]]、元プロ野球選手 * [[1982年]] - [[アレクサンドル・マルクンツォフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1983年]] - [[隆の山俊太郎]]、元[[大相撲]][[力士]] * 1983年 - [[太田在]]、ファッションモデル * 1983年 - [[メラニー・ロラン]]、女優 * [[1984年]] - [[香里奈]]、[[モデル (職業)|モデル]]、女優 * 1984年 - [[仁平裕子]]、元女優 * 1984年 - [[ダビド・オドンコール]]、元サッカー選手 * [[1985年]] - [[ゲオルギオス・サマラス]]、元サッカー選手 * 1985年 - [[綾奈千瑞]]、タレント * [[1986年]] - [[川嶋あい]]、[[歌手]] * 1986年 - [[シャルロット・チャーチ]]、歌手 * 1986年 - [[オーランド・イェンテマ]]、野球選手 * [[1987年]] - [[エリオット・ペイジ]]、俳優 * 1987年 - [[アシュリー・グリーン]]、女優 * [[1988年]] - [[神山知也]]、陸上競技選手 * 1988年 - [[蔣智賢]]、プロ野球選手 * [[1989年]] - [[山本由貴]]、タレント、元グラビアアイドル * 1989年 - 加納、お笑いタレント([[Aマッソ]]) * 1989年 - [[ジェレミー・テン]]、元[[フィギュアスケート]]選手 * 1989年 - [[コービン・ブルー]]、俳優 * 1989年 - [[浦口史帆]]、[[東海テレビ]]アナウンサー * [[1990年]] - [[ジャック・マーダー]]、野球選手 * 1990年 - [[カン・ハヌル]]、俳優 * 1990年 - [[マーク・ウェブスター]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[ヘドヴィグ・カラカス]]、柔道選手 * [[1991年]] - [[デボン・トラビス]]、プロ野球選手 * 1991年 - [[世界 (パフォーマー)|世界]]、パフォーマー([[EXILE]]) * 1991年 - [[ソラ (MAMAMOO)|ソラ]]、アイドル([[MAMAMOO]]) * [[1992年]] - [[武田梓]]、女優、モデル * 1992年 - [[佐藤慶季]]、俳優 * 1992年 - [[藤田のぞみ]]、サッカー選手 * [[1993年]] - [[菅田将暉]]、俳優、歌手 * [[1994年]] - 坂本遥、ミュージシャン([[エドガー・サリヴァン]]、[[THEラブ人間]]) * 1994年 - [[ウェンディ (Red Velvet)|ウェンディ]]、アイドル([[Red Velvet]]、Girls On Top) * 1994年 - [[ジュリア (プロレスラー)|ジュリア]]、プロレスラー * 1994年 - [[宮崎理奈]]、女優、アイドル(元[[SUPER☆GiRLS]]) * 1994年 - [[横山雄哉]]、元プロ野球選手 * [[1995年]] - [[高山竜太朗]]、元プロ野球選手 * 1995年 - [[大川立樹]]、フジテレビアナウンサー * [[1996年]] - [[桜庭大翔]]、俳優 * 1996年 - [[ソフィー・ターナー]]、俳優 * [[1997年]] - [[塹江敦哉]]、プロ野球選手 * [[1998年]] - [[仲谷香春]]、元ファッションモデル、女優 * 1998年 - [[四宮吏桜]]、女優、元[[Rev. from DVL]] * [[1999年]] - [[三森大貴]]、プロ野球選手 * 1999年 - [[小鷹狩百花]]、アイドル、タレント(元[[Cheeky Parade]]) * [[2000年]] - 奈良崎とわ、アイドル(元[[たこやきレインボー]]) * 2000年 - [[木下彩音]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://deview.co.jp/X_tsc2015report |title= 第40回ホリプロタレントスカウトキャラバン 決選大会レポート #kawaii |work= Deview-デビュー |publisher= 株式会社oricon ME |accessdate= 2021-01-22 }}</ref>、タレント * 2000年 - ハル、アイドル([[NATURE (音楽グループ)|NATURE]]) * 2000年 - [[櫻井優衣]]、アイドル([[FRUITS ZIPPER]]) * [[2002年]] - [[南条采良]]、歌手、ダンサー * [[2003年]] - 岩田陽菜、アイドル([[STU48]]) * 2003年 - [[桐原美月]]、アイドル(CANDY TUNE、元[[リルネード]]) * 2003年 - [[和内璃乃]]、女優 * 2003年 - [[アイリーン (ファッションモデル)|アイリーン]]、ファッションモデル * [[2004年]] - 宇田川桜夢、アイドル(元[[ラストアイドル]]) * [[2005年]] - [[大西統眞]]、子役 * [[2007年]] - イソ、アイドル([[IVE (音楽グループ)|IVE]]) * 生年不明 - [[内山典子]]、声優 == 忌日 == === 人物 === * [[239年]]([[景初]]3年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - [[曹叡]]、[[魏 (三国)|魏]]の第2代[[皇帝]](* [[204年]]) * [[1051年]]([[永承]]6年[[1月8日 (旧暦)|1月8日]]) - [[敦明親王]]、[[三条天皇]]第一皇子(* [[994年]]) * [[1333年]]([[元弘]]3年/[[正慶]]2年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]) - [[日興]]{{Sfn | 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 | 2002 | p = 187 }}、[[僧|僧侶]]、[[六老僧|日蓮六老僧]]の1人(* [[1246年]]) * [[1413年]] - [[ジェームズ1世 (スコットランド王)|ジェームズ1世]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]王(* [[1394年]]) * [[1513年]] - [[ユリウス2世 (ローマ教皇)|ユリウス2世]]、[[教皇|ローマ教皇]](* [[1503年]]) * [[1653年]]([[承応]]2年[[1月24日 (旧暦)|1月24日]]) - [[愛姫]]、[[伊達政宗]]の正室(* [[1568年]]) * [[1677年]] - [[バールーフ・デ・スピノザ]]、[[哲学|哲学者]](* [[1632年]]) * [[1824年]] - [[ウジェーヌ・ド・ボアルネ]]、[[イタリア王国 (1805年-1814年)|イタリア]]副王(* [[1781年]]) * [[1842年]] - [[ヴォイチェフ・アダルベルト・ジヴヌィ]]、[[音楽家]](* [[1756年]]) * [[1846年]]([[弘化]]3年[[1月26日 (旧暦)|1月26日]]) - [[仁孝天皇]]、第120代[[天皇]](* [[1800年]]) * [[1877年]] - [[三野村利左衛門]]、[[実業家]](* [[1821年]]) * [[1894年]] - [[尾崎谷斎]]、[[根付|根付師]](* [[1835年]]) * 1894年 - [[ギュスターヴ・カイユボット]]、[[画家]](* [[1848年]]) * [[1901年]] - [[ジョージ・フィッツジェラルド]]、[[物理学者]](* [[1851年]]) * [[1924年]] - [[中村春二]]、[[学校法人成蹊学園|成蹊学園]]創立者(* [[1877年]]) * [[1926年]] - [[ヘイケ・カメルリング・オネス]]、物理学者(* [[1853年]]) * [[1934年]] - [[アウグスト・セサル・サンディーノ]]、[[ニカラグア]]の[[革命家]](* [[1895年]]) * [[1936年]] - [[堀定一]]、[[野球選手]](* [[1909年]]) * [[1938年]] - [[ジョージ・ヘール]]、[[天文学者]](* [[1868年]]) * [[1945年]] - [[エリック・リデル]]、[[陸上競技]]選手(* [[1902年]]) * [[1958年]] - [[ダンカン・エドワーズ]]、[[サッカー選手]](* [[1936年]]) * [[1960年]] - [[ジャック・ベッケル]]、[[映画監督]]、[[脚本家]](* [[1906年]]) * [[1961年]] - [[赤木圭一郎]]、[[俳優]](* [[1939年]]) * [[1962年]] - [[千賀千太郎]]、実業家・衆議院議員(* [[1882年]]) * [[1963年]] - [[加納久朗]]、[[千葉県知事一覧|千葉県知事]](* [[1886年]]) [[ファイル:Malcolm X bullet holes2.jpg|thumb|240px|黒人解放運動指導者[[マルコムX]](1925-1965)、演説中に暗殺される]] * [[1965年]] - [[マルコムX]]、[[アフリカ系アメリカ人公民権運動|黒人解放運動]]指導者(* [[1925年]]) * [[1969年]] - [[イツィク・マンゲル]]、[[イディッシュ語]]作家(* [[1901年]]) * [[1972年]] - [[ブロニスラヴァ・ニジンスカ]]、[[バレリーナ]]、[[振付師]](* [[1891年]]) * [[1974年]] - [[ティム・ホートン]]、[[アイスホッケー]]選手(* [[1930年]]) * [[1975年]] - [[安藤博]]、[[発明家]](* [[1902年]]) * [[1981年]] - [[大内青圃]]、[[仏師]]、[[彫刻家]](* [[1898年]]) * [[1984年]] - [[ミハイル・ショーロホフ]]、[[小説家]](* [[1905年]]) * [[1986年]] - [[泉重千代]]、120歳237日の長寿世界一とされた人物。(* [[1865年]]) * 1986年 - [[松木謙治郎]]、元[[プロ野球選手]]、[[プロ野球監督|監督]](* [[1909年]]) * [[1988年]] - [[黒川利雄]]、臨床医学者(* [[1897年]]) * [[1991年]] - [[マーゴ・フォンテイン]]、[[バレエダンサー]](* [[1919年]]) * [[1995年]] - [[ロバート・ボルト]]、[[劇作家]]、[[脚本家]](* [[1924年]]) * [[1996年]] - [[モートン・グールド]]、[[作曲家]](* [[1913年]]) * [[1998年]] - [[宮島義勇]]、[[撮影監督]](* [[1909年]]) * [[1999年]] - [[ガートルード・エリオン]]、[[生化学|生化学者]](* [[1918年]]) * 1999年 - [[エイノ・イルマリ・ユーティライネン]]、[[フィンランド]]の[[エース・パイロット]](* [[1914年]]) * 1999年 - [[夏目純一]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1907年]]) * [[2001年]] - [[韓徳銖]]、[[在日本朝鮮人総聯合会|朝鮮総聯]]議長(* 1907年) * [[2004年]] - [[ジョン・チャールズ]]、元サッカー選手(* [[1931年]]) * [[2007年]] - [[木村現]]、元サッカー選手(* 1931年) * 2007年 - [[岩崎考司]]、原画家(* [[1979年]]) * [[2008年]] - [[中山公男]]、[[美術評論家]](* [[1927年]]) * 2008年 - [[尾形智矩]]、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]][[国会議員|衆議院議員]]、[[苅田町|苅田町長]](* [[1936年]]) * 2008年 - [[安田辰昭]]、高校野球指導者(* [[1938年]]) * [[2012年]] - [[福王寺法林]]、画家(* [[1920年]]) * 2012年 - [[河村保彦]]、元プロ野球選手(* [[1940年]]) * [[2015年]] - [[坂東三津五郎 (10代目)|十代目坂東三津五郎]]、[[歌舞伎役者]]、俳優(* [[1956年]]) * [[2016年]] - [[江藤晴康]]、元プロ野球選手(* [[1922年]]) * [[2017年]] - [[ケネス・アロー]]、[[経済学者]](* [[1921年]]) * 2017年 - [[スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ]]、指揮者(* [[1923年]]) * [[2018年]] - [[大杉漣]]、俳優(* [[1951年]]) * [[2019年]] - [[スタンリー・ドーネン]]、[[映画監督]](* [[1924年]]) * 2019年 - [[倉田冬樹]]、ギタリスト、音楽プロデューサー(* [[1967年]]) * [[2020年]] - [[勝田久]]<ref name="asahi20200222">{{Cite news|title=声優の勝田久さん死去 鉄腕アトムの「お茶の水博士」|url=https://www.asahi.com/articles/ASN2Q570QN2QUTFL002.html|newspaper=朝日新聞DIGITAL|date=2020-02-22|accessdate=2020-11-19}}</ref>、俳優、[[声優]](* [[1927年]]) * [[2021年]] - [[平井英子]]、歌手(* [[1918年]]) === 人物以外(動物など) === * [[1781年]] - [[マッチェム]]、[[競走馬]]・[[種牡馬]](* [[1748年]]) * [[2021年]] - [[アブクマポーロ]]、競走馬(* [[1992年]]) == 記念日・年中行事 == [[Image:Int-mother-lang-day-monument.jpg|thumb|240px|[[国際母語デー|国際母語の日]]の記念碑]] * {{仮リンク|言語殉教者の日|en|Language Movement Day}}({{BGD}}) *: [[1952年]]に[[東パキスタン]](現在の[[バングラデシュ]])で[[ベンガル語]]運動家と軍隊が衝突した日。 * [[国際母語デー]]({{World}}) *: [[国際連合教育科学文化機関]] (UNESCO) が言語殉教者の日にちなんで[[1999年]]に制定した[[国際デー]]。 * ファザー・リニ・ディ({{VUT}}) *: バヌアツの独立運動のリーダーで初代首相となった{{仮リンク|ウォルター・リニ|en|Walter Lini}}を記念する日。[[1999年]]のウォルター・リニの忌日。 * リアーナの日({{BRB}}) *:[[2008年]]、[[歌手]]の[[リアーナ]]が母国[[バルバドス]]に文化貢献を称えられ名誉文化大使に任命された日に由来。バルバドス政府が制定。<!-- この年だけ、の可能性あり --> * 日刊新聞創刊の日({{JPN}}) *: [[1872年]]に日本で初の日刊新聞、[[東京日日新聞]](現在の[[毎日新聞]])が創刊した日<ref>{{cite book|和書|title=記念日・祝日の事典|author=加藤迪男|publisher=東京堂出版|year=2006|page=26}}</ref><!-- 「東京初の日刊新聞創刊日」として記載 --><ref>{{cite book|和書|title=すぐに役立つ 366日記念日事典|author=日本記念日協会 編、加瀬清志 著|publisher=創元社|year=2009|page=33}}</ref>。 * [[夏目漱石|漱石]]の日({{JPN}}) *: [[文部省]]が作家・夏目漱石に[[博士(文学)|文学博士]]の称号を送ると伝えたのに対して、[[1911年]]のこの日に漱石が「自分に肩書きは必要ない」として博士号を辞退する旨を書いた手紙を時の[[福原鐐二郎|文部省専門学部局長]]に送ったことに由来する<ref>{{cite book|和書|title=366日誕生石の本|author=斉藤貴子|publisher=日本ヴォーグ社|year=1997|page=90}}</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0221|date=2011年6月}} * [[2002年]] - [[横浜ベイブリッジ]]爆破事件が発生。(アニメ映画『[[機動警察パトレイバー 2 the Movie]]』) * [[2015年]] - SL9号事件が発生。 (ゲーム『[[逆転裁判 蘇る逆転]]』) === 誕生日(フィクション) === * 生年不明 - 小川里央、漫画『[[小川とゆかいな斎藤たち]]』の主人公 * 生年不明 - 後藤ひとり、漫画・アニメ・舞台『[[ぼっち・ざ・ろっく!]]』の主人公<ref>{{Twitter status|btr_anime|1495413234505228290}}</ref> * 生年不明 - ステイシー、[[スーパー戦隊シリーズ]]『[[機界戦隊ゼンカイジャー]]』の登場人物<ref>{{Twitter status|toei_ZENKAIGER|1627999111332139009}}</ref> * 生年不明 - 小野小町、漫画・アニメ『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 結野晴明、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ジゴロウ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Jigoro.html |title=ジゴロウ |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-10-12 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - シャーロット・ドラジェ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Charlotte_Dragee.html |title=シャーロット・ドラジェ |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-10-12 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - シャーロット・ドルチェ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Charlotte_Dolce.html |title=シャーロット・ドルチェ |work=ONE PIECE.com |accessdate=2021-10-12 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - パシア、漫画『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Pasia.html |title=パシア |work=ONE PIECE.com |accessdate=2021-10-12 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 赤胴ヨロイ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|date=2002-07-04|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=15|publisher= [[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088732886}}</ref> * 生年不明 - ロロペチカ、漫画・アニメ『[[ブラッククローバー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|blackclover_off|1495412936902426625}}</ref> * 生年不明 - フラギル・トルメンタ、漫画・アニメ『[[ブラッククローバー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 三宅陽介、漫画・アニメ『[[MAJOR]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=満田拓也|authorlink=満田拓也|date=1999-05-18 |title = MAJOR |volume = 第24巻 |page = 165 |publisher = [[小学館]] |series = 少年サンデーコミックス|isbn = 978-4091255044 }}</ref> * 生年不明 - 織田裕行、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oofuri.com/1st/chara/mihoshi.html |title=三星学園 織田裕行 |access-date=2023-01-22 |publisher=[[ひぐちアサ]]・[[講談社]]/おお振り製作委員会 [[アニプレックス|Aniplex Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - 颯太、漫画『[[夢幻伝説 タカマガハラ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 白鬼院凜々蝶、漫画・アニメ『[[妖狐×僕SS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=藤原ここあ|authorlink=藤原ここあ|date=2011-02-22|title=妖狐×僕SS|volume=第4巻|page=212|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|series=[[月刊ガンガンJOKER#ガンガンコミックスJOKER|ガンガンコミックスJOKER]]|isbn=978-4757531468}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=藤原ここあ|authorlink=藤原ここあ|date=2012-03-22|title=妖狐×僕SS オフィシャルガイド 0巻|volume=第4巻|page=22|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|series=[[月刊ガンガンJOKER#ガンガンコミックスJOKER|ガンガンコミックスJOKER]]|isbn=978-4757535008}}</ref> * 生年不明 - 墨染朱美、漫画・アニメ『[[いなり、こんこん、恋いろは。]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 是枝一希、漫画『[[王様達のヴァイキング]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 折本かおり、小説・アニメ『[[やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 三神遥、ホラー小説・漫画・アニメ『[[カラダ探し]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ビーチャ・オーレグ、アニメ『[[機動戦士ガンダムΖΖ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 藤村静、ゲーム・アニメ『[[この青空に約束を― ~ようこそつぐみ寮へ~]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|entergram_info|833979625575424000}}</ref> * 生年不明 - 七咲逢、ゲーム・アニメ『[[アマガミ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://amagami.info/chara05.html |title=七咲 逢 |publisher=エンターブレイン [[KADOKAWA]] |work=アマガミ 公式サイト |accessdate=2022-10-12}}</ref> * 生年不明 - バン・オードナー、ゲーム・アニメ『[[ガンスリンガー ストラトス|GUNSLINGER STRATOS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|gunsPR|963673009113436162}}</ref> * 生年不明 - 八壁ひかる、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|833872965611565058}}</ref> * 生年不明 - 日々樹渉、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ensemble-stars.jp/characters/hibiki_wataru/ |title=日々樹 渉 |accessdate=2022-10-14 |publisher=Happy Elements |work=あんさんぶるスターズ!!}}</ref> * 生年不明 - 白椋れい、ゲーム『[[夢色キャスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ycast.sega-net.com/cast.html |title=GENESIS 白椋 れい CV.山下 大輝 |access-date=2022-10-12 |publisher=SEGA/夢色カンパニー |work=夢キャス 【公式】夢色キャスト}}</ref> * 生年不明 - 安倍晴明、ゲーム『茜さすセカイでキミと詠う』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aka_seka|966153002821103616}}</ref> * 生年不明 - エイラ・イルマタル・ユーティライネン、メディアミックス『[[ストライクウィッチーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://w-witch.jp/s-witch/movie/characters/eila.html |title=エイラ・イルマタル・ユーティライネン |access-date=2022-10-14 |publisher=ストライクウィッチーズ劇場版}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{新暦365日|2|20|2|22|[[1月21日]]|[[3月21日]]|[[2月21日 (旧暦)|2月21日]]|0221|2|21}} {{1年の月と日}}
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排他制御
排他制御(はいたせいぎょ)とは、コンピュータ・プログラムの実行において、複数のプロセスが利用出来る共有資源に対し、複数のプロセスからの同時アクセスにより競合が発生する場合に、あるプロセスに資源を独占的に利用させている間は、他のプロセスが利用できないようにする事で整合性を保つ処理の事をいう。相互排除または相互排他(mutual exclusion)ともいう。最大k個のプロセスが共有資源にアクセスして良い場合を k-相互排除という。 換言すれば1つのクリティカルセクションに複数のプロセス(またはスレッド)が同時に入ることを防ぐことである。クリティカルセクションとは、プロセスが共有メモリなどの共有資源にアクセスしている期間を指す。排他制御の問題は1965年、エドガー・ダイクストラが並行プログラミング制御における問題の解法に付いて扱った論文で扱ったのが最初である。 排他制御の重要性を示す例として、片方向連結リストがある(右図)。このような連結リストからノードを削除するには、1つ前のノードにある、次のノードを指すポインタを、削除したいノードの、次のノードを指すように書き換える(例えば、ノード i を削除するには、ノード i-1 のnextポインタをノード i+1 を指すよう書き換える)。このとき、その連結リストを複数プロセスが共有しているなら、2つのプロセスがそれぞれ別のノードを削除しようとして次のような問題を生じる可能性がある。 この問題は排他制御を施して複数の状態更新処理が同時に行われないようにすれば解決する。 排他制御を実施する手段はハードウェアによるものとソフトウェアによるものがある。 シングルプロセッサシステムでは、あるプロセスがクリティカルセクションにあるとき割り込みを禁止するというのが最も単純な排他制御である。その間、いかなる割り込みハンドラも動作できない(それによって実質的にプリエンプションを防ぐ)。この方式は効果的だが、同時に様々な問題もはらんでいる。クリティカルセクションが長い場合、クロック割り込みが処理されないためにシステム時刻が徐々に遅れていくという事態が発生しうる。また、クリティカルセクション内でプロセスが停止すると、他のプロセスに制御を渡せなくなり、結果としてシステム全体が停止することになる。μITRONなどでは、タスク切り替え(プリエンプションとディスパッチ)を禁止するという操作もある。より上品な方式としてビジーウェイトで相互排他する方式もある。 ビジーウェイトはシングルプロセッサでもマルチプロセッサでも有効である。共有メモリと不可分なテスト・アンド・セット命令を使うことで、排他制御を実現する。プロセスは共有メモリ上の特定位置について値を調べて新たな値をセットするという操作を不可分に実施でき、それによって一度に1つのプロセスだけがフラグをセットできることを保証する。フラグをセットできなかったプロセスは別の処理を行って後で再試行するか、プロセッサを他のプロセスに明け渡して後で再試行するか、フラグをセットできるまでループして再試行を繰り返すといった動作が可能である。プリエンプションは可能なので、この方式ではプロセスがフラグ(ロック)を保持したまま停止してもシステム全体は機能し続ける。 不可分操作命令は他にもいくつかの実装があり、どれもデータ構造の排他制御に使える。よく見られるのはコンペア・アンド・スワップ (CAS) である。CAS命令を使えば wait free と呼ばれる排他制御を任意の共有データに実施できる。そのためには連結リストを作り、各ノードが実行したい操作を表すようにする。CAS命令はその連結リストに新しいノードを挿入する際に使用する。ノードの挿入はCAS命令を使えば一度に1つのプロセスしか成功しない。失敗したプロセスはノード追加処理が成功するまで試行し続ける。各プロセスはこのデータ構造のローカルなコピーを保持でき、連結リストを走査でき、リストのローカルコピー上の各操作を実行できる。 ハードウェアサポートを必要とする方式とは別に、ビジーウェイトを使ってソフトウェアのみで排他制御を実現する方式も存在する。例えば、次のようなものがある。 これらのアルゴリズムはアウト・オブ・オーダー実行が働くプラットフォーム上では動作できない(但し、メモリバリアを実現する機械語命令を持っているCPUプラットフォームの場合は除く)。アルゴリズム実施中、メモリ操作はプログラミングした通りに行われなければならない。 OSのマルチスレッドライブラリが同期機構を提供しているなら、それを使う方が望ましい。ハードウェアによる方式が利用可能ならばそれを使って実装されているだろうし、そうでないならばソフトウェアによる方式を利用しているだろう。たとえばOSのライブラリを使い、スレッドが他者が既に獲得しているロックを獲得しようとしたとき、OSはそのスレッドを中断させてコンテキストスイッチし動作可能な他のスレッドを動作させたり、動作可能な他のスレッドがなければプロセッサを省電力状態にしたりといったことをする可能性がある。したがって、ほとんどの現代の排他制御技法はキューイングとコンテキストスイッチを使いレイテンシとビジーウェイト時間を削減しようとする。しかし、スレッドを中断させて再開させるのにかかる時間がスレッドがロックを獲得できるまでの待ち時間より長い場合に限り、スピンロックの方が適しているといえる。 これまでに説明した方式を使い、次のような同期プリミティブが構築できる。 排他制御の多くの形式には副作用がある。例えば、古典的セマフォはデッドロックを引き起こしうる。あるプロセスがあるセマフォを獲得し、別のプロセスが別のセマフォを獲得した状態で、互いに相手の獲得したセマフォが解放されるのを待ち続けることが考えられる。よくある副作用としてリソーススタベーションがあり、その場合プロセスは処理を完遂するのに十分な資源を決して得られない。また、優先順位の逆転は低優先度のスレッドのせいで高優先度のスレッドが待たされる現象であり、レイテンシが長くなり、割り込みへの反応が悪くなる。 排他制御に関する研究の多くはそういった副作用を排除することを目的としており、例えばLock-freeとWait-freeアルゴリズムはブロッキングされずに処理が進行することを保証する。完璧な方法はまだ見つかっていない。 排他制御によりロックされた資源に他のユーザからアクセス要求が出された時、両者は互いに使用中の資源が解放されるのをブロック状態で待つという状況が発生することがある。2つ以上のユーザ間で生じるが、この状態ではどのユーザも資源の解放を待ったまま処理が進まずに停止状態となる。 このような状態をデッドロックという。 デッドロックと同様、排他制御によりロックされた資源に、複数のユーザからアクセス要求が出されたときに、お互いに資源が解放されるのをビジー状態で待つという状況が発生する。デッドロックでは個々のユーザにおける資源獲得のための処理が進行しないのに対し、ライブロックでは資源獲得の処理が進行しているにも拘らず、どのユーザも資源が獲得できない状況である。 例えば、狭い道を歩いていて対面した歩行者2名が、お互いに相手が避けようとした方向に動いてしまい、避けられないという事が有る。次に、逆の方向に避けようして避けられない。このような状況が続いて、何時まで経ってもすれ違うことができないという状況にあたる。(リソーススタベーション参照) 「共有資源を利用したいユーザが、いつかは共有資源を利用できる」という、排他制御アルゴリズムが満たすべき性質。 フェアネスが満たされない場合の例であるが、駅の切符売り場に3台の券売機があって、各券売機に行列が出来ているとき、並んだ行列の進みが遅い場合に他の行列の後尾に並びなおす戦略を採用すると、運が悪ければ何時まで経っても券を購入できないということが起こりうる。 共有資源へのアクセス要求を出したユーザが、後から要求を出した最大k個のユーザによって、先に資源を使われてしまう可能性があるということを表す、フェアネスの度合いを計る指標である。 あるプロセスがロックを獲得したにもかかわらず、そのプロセスが現にCPU上で実行されていないため、実質的にどのプロセスやCPUもクリティカルセクション内の処理を実行していない状態。ロックの目的に照らし合わせると無駄な状態である。ロックの獲得からクリティカルセクション内の処理を開始するまでに遅延が発生したりコンテキストスイッチの回数が増加するため、システムの応答遅延増加や全体性能の劣化を招く。 ロックを解放したプロセスが、そのロックを待ってスリープしているプロセスのいずれかへロックの所有権を直接渡してしまう実装になっていると発生しやすくなる。対策として、ロックを獲得したいプロセスは必ず自分自身でロック獲得を試みる実装にすることにより問題が軽減される。典型例はスピンロックで、ロックを獲得したいプロセスは仕様上決してスリープしない。逆にロック待ちのプロセスがスリープする場合は、スリープ終了からロック獲得までの手順によってはコンボイに陥りやすくなる。 優先度上限プロトコルは優先度がサポートされている環境下にて、優先度継承はロック所有中のプロセスよりも優先度が高いプロセスがロックを獲得しようとした場合に、それぞれこの問題を優先度に依存した別々のアプローチで解決しようとする。ただし、コンボイの本質は「プロセスが現にCPU上で実行中ではないにもかかわらずロックを獲得してしまう」ことにあり、優先度の有無には関係ないため、両者とも問題を直接解決するものではない。スピンロックがコンボイの問題を逃れていることから明らかなように、「プロセスが自力でロックを獲得する」実装に制限することが本質的な解決となる。
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排他制御(はいたせいぎょ)とは、コンピュータ・プログラムの実行において、複数のプロセスが利用出来る共有資源に対し、複数のプロセスからの同時アクセスにより競合が発生する場合に、あるプロセスに資源を独占的に利用させている間は、他のプロセスが利用できないようにする事で整合性を保つ処理の事をいう。相互排除または相互排他ともいう。最大k個のプロセスが共有資源にアクセスして良い場合を k-相互排除という。 換言すれば1つのクリティカルセクションに複数のプロセス(またはスレッド)が同時に入ることを防ぐことである。クリティカルセクションとは、プロセスが共有メモリなどの共有資源にアクセスしている期間を指す。排他制御の問題は1965年、エドガー・ダイクストラが並行プログラミング制御における問題の解法に付いて扱った論文で扱ったのが最初である。 排他制御の重要性を示す例として、片方向連結リストがある(右図)。このような連結リストからノードを削除するには、1つ前のノードにある、次のノードを指すポインタを、削除したいノードの、次のノードを指すように書き換える。このとき、その連結リストを複数プロセスが共有しているなら、2つのプロセスがそれぞれ別のノードを削除しようとして次のような問題を生じる可能性がある。 2つのプロセスはそれぞれノード i と i+1 を同時に削除しようとする。どちらのノードも連結リストの途中にあり、先頭でも最後尾でもないとする。 ノード i-1 のnextポインタはノード i+1 を指すよう書き換えられ、ノード i のnextポインタはノード i+2 を指すよう書き換えられる。 両方の削除処理が完了した状態を見ると、ノード i-1 がノード i+1 を指すよう書き換えられたために、ノード i+1 は連結リストに残ってしまう。 この問題は排他制御を施して複数の状態更新処理が同時に行われないようにすれば解決する。
[[ファイル:Mutual exclusion example with linked list.png|thumb|排他制御せずに ''i'' と ''i+1'' という2つのノードを同時に[[連結リスト]]から外す操作を行うと、結果として ''i+1'' のノードが外れないという状態になりうる。]] {{読み仮名_ruby不使用|'''排他制御'''|はいたせいぎょ}}とは、[[プログラム (コンピュータ)|コンピュータ・プログラム]]の実行において、複数の[[プロセス]]が利用出来る共有資源に対し、複数のプロセスからの同時アクセスにより[[競合状態|競合]]が発生する場合に、あるプロセスに資源を独占的に利用させている間は、他のプロセスが利用できないようにする事で整合性を保つ処理の事をいう。'''相互排除'''または'''相互排他'''({{lang|en|mutual exclusion}})ともいう。最大k個のプロセスが共有資源にアクセスして良い場合を k-相互排除という。 換言すれば1つの[[クリティカルセクション]]に複数のプロセス(またはスレッド)が同時に入ることを防ぐことである。クリティカルセクションとは、プロセスが[[共有メモリ]]などの共有資源にアクセスしている期間を指す。排他制御の問題は1965年、[[エドガー・ダイクストラ]]が並行プログラミング制御における問題の解法に付いて扱った論文で扱ったのが最初である<ref>E. W. Dijkstra. [http://www.di.ens.fr/~pouzet/cours/systeme/bib/dijkstra.pdf Solution of a problem in concurrent programming control]. Communications of the ACM, 8(9), page 569, September, 1965.</ref><ref name="Taubenfeld:2004">Taubenfeld. [http://www.cs.tau.ac.il/~afek/gadi.pdf The Black-White Bakery Algorithm]. In Proc. Distributed Computing, 18th international conference, DISC 2004. Vol 18, 56-70, 2004</ref>。 排他制御の重要性を示す例として、片方向[[連結リスト]]がある(右図)。このような連結リストからノードを削除するには、1つ前のノードにある、次のノードを指すポインタを、削除したいノードの、次のノードを指すように書き換える(例えば、ノード ''i'' を削除するには、ノード ''i-1'' のnextポインタをノード ''i+1'' を指すよう書き換える)。このとき、その連結リストを複数プロセスが共有しているなら、2つのプロセスがそれぞれ別のノードを削除しようとして次のような問題を生じる可能性がある。 * 2つのプロセスはそれぞれノード ''i'' と ''i+1'' を同時に削除しようとする。どちらのノードも連結リストの途中にあり、先頭でも最後尾でもないとする。 * ノード ''i-1'' のnextポインタはノード ''i+1'' を指すよう書き換えられ、ノード ''i'' のnextポインタはノード ''i+2'' を指すよう書き換えられる。 * 両方の削除処理が完了した状態を見ると、ノード ''i-1'' がノード ''i+1'' を指すよう書き換えられたために、ノード ''i+1'' は連結リストに残ってしまう。 この問題は排他制御を施して複数の状態更新処理が同時に行われないようにすれば解決する。 == 排他制御の実施 == 排他制御を実施する手段はハードウェアによるものとソフトウェアによるものがある。 === ハードウェアによる方式 === シングルプロセッサシステムでは、あるプロセスがクリティカルセクションにあるとき[[割り込み (コンピュータ)|割り込み]]を禁止するというのが最も単純な排他制御である。その間、いかなる[[割り込みハンドラ]]も動作できない(それによって実質的に[[プリエンプション]]を防ぐ)。この方式は効果的だが、同時に様々な問題もはらんでいる。クリティカルセクションが長い場合、クロック割り込みが処理されないために[[システム時刻]]が徐々に遅れていくという事態が発生しうる。また、クリティカルセクション内でプロセスが停止すると、他のプロセスに制御を渡せなくなり、結果としてシステム全体が停止することになる。[[μITRON]]などでは、タスク切り替え([[プリエンプション]]と[[スケジューリング#ディスパッチャ|ディスパッチ]])を禁止するという操作もある。より上品な方式として[[ビジーウェイト]]で相互排他する方式もある。 ビジーウェイトはシングルプロセッサでも[[マルチプロセッサ]]でも有効である。共有メモリと[[不可分操作|不可分]]な[[テスト・アンド・セット]]命令を使うことで、排他制御を実現する。プロセスは共有メモリ上の特定位置について値を調べて新たな値をセットするという操作を不可分に実施でき、それによって一度に1つのプロセスだけがフラグをセットできることを保証する。フラグをセットできなかったプロセスは別の処理を行って後で再試行するか、プロセッサを他のプロセスに明け渡して後で再試行するか、フラグをセットできるまでループして再試行を繰り返すといった動作が可能である。プリエンプションは可能なので、この方式ではプロセスがフラグ(ロック)を保持したまま停止してもシステム全体は機能し続ける。 不可分操作命令は他にもいくつかの実装があり、どれもデータ構造の排他制御に使える。よく見られるのは[[コンペア・アンド・スワップ]] (CAS) である。CAS命令を使えば [[Lock-freeとWait-freeアルゴリズム|wait free]] と呼ばれる排他制御を任意の共有データに実施できる。そのためには連結リストを作り、各ノードが実行したい操作を表すようにする。CAS命令はその連結リストに新しいノードを挿入する際に使用する。ノードの挿入はCAS命令を使えば一度に1つのプロセスしか成功しない。失敗したプロセスはノード追加処理が成功するまで試行し続ける。各プロセスはこのデータ構造のローカルなコピーを保持でき、連結リストを走査でき、リストのローカルコピー上の各操作を実行できる。 === ソフトウェアによる方式 === ハードウェアサポートを必要とする方式とは別に、[[ビジーウェイト]]を使ってソフトウェアのみで排他制御を実現する方式も存在する。例えば、次のようなものがある。 * [[デッカーのアルゴリズム]] * [[ピーターソンのアルゴリズム]] * [[ランポートのパン屋のアルゴリズム]]<ref>L. Lamport. [http://www.dc.uba.ar/materias/so/2010/verano/descargas/articulos/p453-lamport.pdf A new solution of Dijkstra’s concurrent programming problem]. ''Communications of the ACM'', 17(8):453–455, August 1974.</ref> * Szymanskiのアルゴリズム([[:en:Szymanski's Algorithm|en]]) * Taubenfeld の Black-White Bakery Algorithm<ref name="Taubenfeld:2004" /> これらのアルゴリズムは[[アウト・オブ・オーダー実行]]が働くプラットフォーム上では動作できない(但し、[[メモリバリア]]を実現する機械語命令を持っているCPUプラットフォームの場合は除く)。アルゴリズム実施中、メモリ操作はプログラミングした通りに行われなければならない<ref>Holzmann, G.J. Bosnacki, D. “[http://ieeexplore.ieee.org/xpl/login.jsp?tp=&arnumber=4302778&url=http%3A%2F%2Fieeexplore.ieee.org%2Fiel5%2F32%2F4302773%2F04302778.pdf%3Farnumber%3D4302778 The Design of a Multicore Extension of the SPIN Model Checker]”, ''Software Engineering'', ''IEEE Transactions on'', vol. 33, no. 10, pp.659-674, Oct. 2007</ref>。 OSのマルチスレッドライブラリが同期機構を提供しているなら、それを使う方が望ましい。ハードウェアによる方式が利用可能ならばそれを使って実装されているだろうし、そうでないならばソフトウェアによる方式を利用しているだろう。たとえばOSのライブラリを使い、スレッドが他者が既に獲得しているロックを獲得しようとしたとき、OSはそのスレッドを中断させて[[コンテキストスイッチ]]し動作可能な他のスレッドを動作させたり、動作可能な他のスレッドがなければプロセッサを省電力状態にしたりといったことをする可能性がある。したがって、ほとんどの現代の排他制御技法はキューイングとコンテキストスイッチを使い[[レイテンシ]]とビジーウェイト時間を削減しようとする。しかし、スレッドを中断させて再開させるのにかかる時間がスレッドがロックを獲得できるまでの待ち時間より長い場合に限り、[[スピンロック]]の方が適しているといえる。 == 高度な排他制御 == これまでに説明した方式を使い、次のような同期プリミティブが構築できる。 * [[ロック (情報工学)|ロック]] ** [[スピンロック]] * [[ミューテックス]] - 単純な相互排除 * [[セマフォ]] - k-相互排除 * [[モニタ (同期)|モニタ]] * [[メッセージ (コンピュータ)|メッセージパッシング]] 排他制御の多くの形式には副作用がある。例えば、古典的[[セマフォ]]は[[デッドロック]]を引き起こしうる。あるプロセスがあるセマフォを獲得し、別のプロセスが別のセマフォを獲得した状態で、互いに相手の獲得したセマフォが解放されるのを待ち続けることが考えられる。よくある副作用として[[リソーススタベーション]]があり、その場合プロセスは処理を完遂するのに十分な資源を決して得られない。また、[[優先順位の逆転]]は低優先度のスレッドのせいで高優先度のスレッドが待たされる現象であり、レイテンシが長くなり、割り込みへの反応が悪くなる。 排他制御に関する研究の多くはそういった副作用を排除することを目的としており、例えば[[Lock-freeとWait-freeアルゴリズム]]はブロッキングされずに処理が進行することを保証する。完璧な方法はまだ見つかっていない。 == 留意すべき現象と性質 == === デッドロック === {{Main|デッドロック}} 排他制御によりロックされた資源に他のユーザからアクセス要求が出された時、両者は互いに使用中の資源が解放されるのをブロック状態で待つという状況が発生することがある。2つ以上のユーザ間で生じるが、この状態ではどのユーザも資源の解放を待ったまま処理が進まずに停止状態となる。 このような状態をデッドロックという。 === ライブロック({{lang|en|livelock}}) === デッドロックと同様、排他制御によりロックされた資源に、複数のユーザからアクセス要求が出されたときに、お互いに資源が解放されるのをビジー状態で待つという状況が発生する。デッドロックでは個々のユーザにおける資源獲得のための処理が進行しないのに対し、ライブロックでは資源獲得の処理が進行しているにも拘らず、どのユーザも資源が獲得できない状況である。 例えば、狭い道を歩いていて対面した歩行者2名が、お互いに相手が避けようとした方向に動いてしまい、避けられないという事が有る。次に、逆の方向に避けようして避けられない。このような状況が続いて、何時まで経ってもすれ違うことができないという状況にあたる。([[リソーススタベーション]]参照) === フェアネス({{lang|en|fairness}}) === 「共有資源を利用したいユーザが、いつかは共有資源を利用できる」という、排他制御アルゴリズムが満たすべき性質。 フェアネスが満たされない場合の例であるが、駅の切符売り場に3台の券売機があって、各券売機に行列が出来ているとき、並んだ行列の進みが遅い場合に他の行列の後尾に並びなおす戦略を採用すると、運が悪ければ何時まで経っても券を購入できないということが起こりうる。 === k-バイパス({{lang|en|k-bypass}}) === 共有資源へのアクセス要求を出したユーザが、後から要求を出した最大k個のユーザによって、先に資源を使われてしまう可能性があるということを表す、フェアネスの度合いを計る指標である。 === コンボイ({{lang|en|Convoy}}) === あるプロセスがロックを獲得したにもかかわらず、そのプロセスが現にCPU上で実行されていないため、実質的にどのプロセスやCPUもクリティカルセクション内の処理を実行していない状態。ロックの目的に照らし合わせると無駄な状態である。ロックの獲得からクリティカルセクション内の処理を開始するまでに遅延が発生したりコンテキストスイッチの回数が増加するため、システムの応答遅延増加や全体性能の劣化を招く。 ロックを解放したプロセスが、そのロックを待ってスリープしているプロセスのいずれかへロックの所有権を直接渡してしまう実装になっていると発生しやすくなる。対策として、ロックを獲得したいプロセスは必ず自分自身でロック獲得を試みる実装にすることにより問題が軽減される。典型例は[[スピンロック]]で、ロックを獲得したいプロセスは仕様上決してスリープしない。逆にロック待ちのプロセスがスリープする場合は、スリープ終了からロック獲得までの手順によってはコンボイに陥りやすくなる。 [[優先度上限プロトコル]]は優先度がサポートされている環境下にて、[[優先度継承]]はロック所有中のプロセスよりも優先度が高いプロセスがロックを獲得しようとした場合に、それぞれこの問題を優先度に依存した別々のアプローチで解決しようとする。ただし、コンボイの本質は「プロセスが現にCPU上で実行中ではないにもかかわらずロックを獲得してしまう」ことにあり、優先度の有無には関係ないため、両者とも問題を直接解決するものではない。<ref>優先度上限プロトコルは、ロックを獲得したいプロセスがすべて上限いっぱいの優先度であると機能しない。優先度継承は、ロック獲得中のプロセスよりも優先度が高いプロセスがロックを獲得しようとするまで動作しない。</ref>スピンロックがコンボイの問題を逃れていることから明らかなように、「プロセスが自力でロックを獲得する」実装に制限することが本質的な解決となる。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * Michel Raynal: ''Algorithms for Mutual Exclusion'', MIT Press, ISBN 0-262-18119-3 * Sunil R. Das, Pradip K. Srimani: ''Distributed Mutual Exclusion Algorithms'', IEEE Computer Society, ISBN 0-8186-3380-8 * Thomas W. Christopher, George K. Thiruvathukal: ''High-Performance Java Platform Computing'', Prentice Hall, ISBN 0-13-016164-0 * Gadi Taubenfeld, ''Synchronization Algorithms and Concurrent Programming'', Pearson/Prentice Hall, ISBN 0-13-197259-6 == 関連項目 == * [[不可分操作]] * [[並行性制御]] * [[セマフォ]] * [[食事する哲学者の問題]] * [[インターロック (安全技術)]] == 外部リンク == * "[http://www-106.ibm.com/developerworks/library/l-posix2/ Common threads: POSIX threads explained - The little things called mutexes]" by Daniel Robbins * [https://archive.is/20121206025630/http://bardavid.com/mead/ Mutual exclusion algorithm discovery] * [http://www.cs.adelaide.edu.au/users/esser/mutual.html Mutual Exclusion Petri Net] * [http://www.thinkingparallel.com/2006/09/09/mutual-exclusion-with-locks-an-introduction/ Mutual Exclusion with Locks - an Introduction] * [http://www.thinkingparallel.com/2006/08/21/scoped-locking-vs-critical-in-openmp-a-personal-shootout/ Mutual exclusion variants in OpenMP] * [http://www.faculty.idc.ac.il/gadi/Publications.htm The Black-White Bakery Algorithm] {{DEFAULTSORT:はいたせいきよ}} [[Category:排他制御|*はいたせいきよ]] [[Category:並行性]] [[Category:プログラミング]] [[Category:OSのプロセス管理]] [[Category:エドガー・ダイクストラ]]
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内戦
内戦(ないせん、英: Civil war)は、国家の領域内で対立した勢力によって起こる、政府と非政府による組織間の武力紛争を指す。1816年以降に発生した内戦を収集したデータベースであるCorrelates of War(英語版)では、内戦を「一国内で発生し、当該国政府が介入し、政府・反政府両勢力が拮抗した、年間死者が1000人に達する武力紛争」と定義しているが、この定義には異論もある。 「内戦 (civil war)」と「内乱 (rebellion)」は同義に用いられることも多く、用語の使い分けは慣習的なもので、厳密な区別はない。例えば、スペイン内戦は「スペイン内乱」とも呼ばれる。しかし、一般的には暴動の範囲内である事象を「内乱」と呼び、武力を用いる形態にまで発展した事象を「内戦」と呼んで区別する場合もある。欧米言語では「civil war」(英語)や「bellum civile」(ラテン語)や「Bürgerkrieg」(独語)というように「市民戦争」「市民同士の戦争」という言い方をする。 ただし、近代的な国際関係・国際秩序が形成された1648年のヴェストファーレン条約前の時代では、内戦と対外戦争との区別は明確ではない。また、政府が倒されて政治体制が転換された場合にはフランス革命・共産主義革命・ルーマニア革命 (1989年)のように、内戦や内乱ではなく「革命」という表記を用いる場合も多い。 国際法上の位置づけとしては、従来は中央政府が反乱側を交戦団体として承認しない限り戦時国際法は適用されず、交戦団体承認自体がアメリカ南北戦争を例外としてはほぼ行われなかったため、ほとんどの内戦は戦時国際法の範囲から外れていた。しかし、 1949年のジュネーブ諸条約共通三条において、内戦時の戦闘外人員に対する人道的対応が義務づけられ、1977年のジュネーヴ諸条約第二追加議定書によってさらに保護は強化された。また、同年のジュネーヴ諸条約第一追加議定書により、民族解放戦争に関しては戦時国際法の全面的な適用が可能となった。国家の転覆を意図した者には内乱罪が適用される例が見られるが、内戦の規模が大きくなると、アメリカ南北戦争やレバノン内戦のように政治的理由から内乱罪の適用が避けられることもある。 植民地の独立戦争などにおいて支配側は「内戦」や「反乱」と呼び、植民地側は「独立戦争」と呼ぶことが多く、アルジェリア戦争のようにアルジェリア側は「独立戦争」と呼び、フランス側は「内戦」と呼んだように、戦争の性質によって内戦かどうか意見が分かれることも多い。このような場合には、支配者側が交戦相手を国家とは見なさず、相手を戦時捕虜ではなく犯罪者として扱い、捕虜の権利を認めない、犯罪者として処刑したりする事態が発生することも多い。1989年のルーマニア革命では、国軍と秘密警察という国家機関同士の戦いになり、秘密警察の構成員は全員が非合法組織の犯罪者とされ、死刑、懲役、公職追放などの処罰を受けている。 まず内戦は、全国政府の座を争うためのものと、分離独立や自治権確立といった地方の分離主義によるものの2種類に大きく分けられる。1960年から2006年までのデータでは、発生した内戦のうちおおよそ7割が全国統治を、3割が分離独立を争う内戦だった。前者の例としては、戊辰戦争、国共内戦、シリア内戦、アンゴラ内戦などが挙げられる。 従来、内戦の原因としては国家内の各集団間の不平等や格差による不満が主因であると考えられてきた。これに対し、1998年にポール・コリアーとアンケ・ヘフラー(ドイツ語版)が経済的利益のために内戦が起こるという説を提唱し、以後この「強欲対不満(英語版)」論争は内戦研究の大きな潮流となったが、この枠組みでの分類を不適切であるとする研究者もいる。 1998年のコリアーとヘフラーの研究においては、まず貧困国の方が富裕国よりも内戦の可能性が高いこと、さらにそのなかでも経済成長がマイナスあるいは停滞している国家はさらに内戦の可能性が高まることが示された。これは、貧困国では治安維持予算が不十分なため警察能力や国軍の能力が低く反乱を起こしやすいことや、住民の収入が低い場合反乱に訴えた方がよりよい収入を確保できる可能性が高いことが理由と考えられている。例として、労働力が不足していて失業率が低い場合や、識字率が高くより仕事を求めやすい地域においては反乱の発生率が下がることが判明している。 さらにエドワード・ミゲルらによる2004年の研究では、アフリカにおいて旱魃が起きた年は平年に比べ内戦リスクが非常に高くなることが証明された。これは、旱魃によって収穫が大幅に減少したため地域住民の収入が減少し、反乱へとつながることを示しており、内戦が起きたから貧困になったのではなく、重大な経済的ショックによって貧しくなった人々がその改善を求めて内戦を起こすことを証明する結果である。 コリアーとヘフラーの研究ではまた、当該国が天然資源や一次産品に経済を頼っている場合、内戦の可能性が高まることも示された。経済の一次産品への依存度が26%になる場合が最も内戦の危険が大きく、およそ2割前後の発生危険性があるとされる。これは天然資源は現金化しやすく、反乱軍の資金源になりやすいことや、資源収入は不平等を作り出しやすいこと、資源収入があれば市民からの税収に頼る必要が減少するためガバナンスが劣悪化し市民の不満がたまりやすいこと、資源は地理的に偏在しやすく産出地の不満と野望を生みやすいこと、そして一次産品は価格が変動しやすく不況時に受ける経済的ショックが大きくなりがちであることなどが理由であると考えられている。 ただしその後研究が進み、たとえば石油収入が経済の大部分を占めるようになると、逆に内戦の危険は大幅に低下することが判明している。これは豊富な資金によって治安関係や国民福祉を大幅に増強することができるため、国民の不満が減り統治能力が増強されるためであると考えられている。また内戦リスクは資源の存在場所にも左右され、例えば陸上に油井がある国では内戦リスクが非常に高まるのに対し、海上油田のみの国では非資源国と同程度にまで内戦リスクは低下する。これは反乱する地元住民が存在せず、反乱者からの攻撃も防ぎやすいためであるとされる。同様にダイヤモンドでも、硬い岩盤のなかに埋蔵されている鉱床では内戦リスクの増加は見られないが、河川敷などで容易に採掘できる漂砂鉱床のある国では内戦リスクが増加するとの研究結果が発表されている。 一般的なイメージとは違い、民族や宗教などの多様性は必ずしも内戦の可能性を高めるわけではないとの研究結果はフィアロン&レイティン、コリアー&へフラーの研究など複数存在する。一方で、2013年のラース・エリック・シダーマンの研究では、国家体制から政治的・経済的に疎外される民族集団が存在し、民族集団間で不平等が存在する場合は疎外された集団の反乱可能性は非常に高くなるとの結果が得られている。 中央政府の統治能力の低さは内戦につながりやすいと考えられている。ジェームズ・フィアロン(英語版)とデビッド・レイティン(英語版)は2003年の研究で、統治能力の低い国家では治安維持能力の強化や交通網の整備が不十分で、反乱が起こりやすいと指摘した。経済的な不満や地域的な対立などの不安要素が存在する場合においても、政府の統治能力が高い場合は内戦勃発リスクは大幅に減少する。 政府の統治能力の極端に低い、いわゆる失敗国家において、特に失敗の度合いがひどい場合は暴力の独占が崩れ、各地に軍閥が割拠し内戦が勃発する場合がある。内戦が激化した場合、1991年以降のソマリアのように中央政府そのものが事実上崩壊し、無政府状態となる例も存在する。 政体に関しては、閉鎖的な独裁政治と成熟した民主主義体制ではともに内戦リスクが非常に低くなる一方、独裁というほどではないが民主的でもない混合体制の国家において内戦リスクが高くなると考えられている。つまり、独裁度または民主度が高い体制ほど内戦は起きにくく、両方の中間に近くなるほど内戦は起きやすくなる。また、クーデターや革命などの非制度的な理由によって権力を握った指導者の統治下では、国民が政権に政治的正統性を認めないため内戦が勃発しやすくなり、内戦リスクが通常の指導者と同レベルにまで低下するのは約15年が必要となる。 地形に関しては、平地が多く見通しのよい地形の国家よりも、山地が多く地形の複雑な国家の方が反乱軍が発見されにくいために内戦リスクが高まるとの研究結果が存在する。 2019年現在、国際連合の加盟国193カ国中50カ国以上が内戦状態にある。冷戦終結以降、国家間の武力衝突は非常に数が少なくなっており、武力紛争のほとんどは内戦となっている。 ウプサラ紛争データプログラムによれば、1940年代には20件/年以下だった内戦は1980年代には40件/年以上になり、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が始まった1992年には50件/年を超えた。その後、2000年代には30件台/年まで減少したが、アラブの春が始まった2010年代に急増し、2015年以降は毎年50件/年を超えた。またシリア内戦のように周辺国やグローバル大国が内戦に介入する国際化した内戦も2013年以降急増しており、2015年には第二次世界大戦後初めて20件/年を超え、その後も超過が続いている。 内戦の特徴としては、冷戦期には高い軍事力を持つ政府軍に対し反政府軍側がゲリラ戦を行うものが半数以上を占めていたのに対し、冷戦後には政府軍側の軍備も劣悪化し、双方が明確な戦線を形成できずにゲリラ戦を行うタイプの内戦が増加している。双方が十分な軍備を保持し戦線を形成して正面から激突するタイプの内戦は、冷戦の前後を通じてそれほど発生数に変化は見られない。 内戦継続期間に関しては、全国支配権を巡る内戦は短く、分離独立を目指す内戦は長期化する傾向が明確に現れている。2004年のフィアロンの研究では、全国支配型の内戦は平均3年間継続するのに対し、資源の産地で利権を巡って起きた内戦は平均25年、少数派集団が土地の支配を求めて起こした内戦は平均30年と、非常に長く継続する。このため、資源型や分離型の反乱の多いサブサハラアフリカやアジアにおいて、内戦は長期化する傾向にある。 また、反政府勢力が複数存在することは珍しくなく、政府対反政府勢力だけでなく、反政府勢力間での武力衝突も頻繁に起こっている。コンゴ民主共和国内戦やソマリア内戦、ダルフール紛争などではこうした反政府勢力の群雄割拠が起き、和平交渉は困難を極めることとなった。 内戦は、発生国の経済に大きな打撃を与える。内戦発生国の経済成長率は平均で1年あたり-2.3%になると推定されており、長期化すればこの打撃が累積してさらに経済は縮小する。そのうえ内戦は深刻な難民や国内避難民の問題を生み出す。2015年末時点で世界の難民は1548万人、内戦および暴力による国内避難民は4080万人と推定されている。2015年時点で難民が最も多く発生しているのはシリアで485万人が国外難民となっており、以下アフガニスタン、ソマリア、南スーダン、スーダンと、深刻な内戦に苦しむ国が難民発生数の上位を占めている。また、内戦中の公衆衛生システムの崩壊と難民の大量移動は感染症の流行リスクを増大させる。 内戦は近隣諸国の貿易や投資も減少させる上、当該国家は軍事支出を増大して内戦の波及に備えるため、紛争国隣接地域の経済をも悪化させる。内戦国における権力の空白と治安の崩壊は麻薬など違法物品の生産・流通の拠点を生み出すため、隣接国以外にも悪影響を及ぼす。 さらに、隣接国の内戦が直接波及して内戦が新たに勃発することすら珍しくない。例として、第一次リベリア内戦中の1991年、リベリアの反乱軍のリベリア国民愛国戦線 (NPFL)はシエラレオネの革命統一戦線(RUF)を支援して同国に侵攻させ、シエラレオネ内戦の発端となった。また1994年のルワンダ内戦でコンゴ民主共和国東部に大量に流れ込んだ難民はローラン・カビラのコンゴ・ザイール解放民主勢力連合 (AFDL) の蜂起を促し、第一次コンゴ戦争へとつながった。 内戦には、しばしば他国からの介入が行われる。冷戦期には主にソビエト連邦から社会主義を掲げるゲリラに軍事援助が行われ、また欧米諸国からは自国民の保護を表向きの理由として自国利益のために内戦への介入を行うことが珍しくなかったが、冷戦終結後そういった露骨な介入は慎まれる傾向にある。一方、第一次コンゴ戦争・第二次コンゴ戦争においてルワンダやアンゴラといった周辺諸国がコンゴ民主共和国の内戦に介入したように、安全保障や政治的・経済的利益を求めて周辺諸国に直接軍事介入する事態は冷戦後にも存在している。 冷戦後、人道目的や地域安定目的といった、直接自国の利益につながらない目的での内戦介入も目立つようになってきている。各国が直接派兵を行うほか、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)やアフリカ連合、ヨーロッパ連合といった地域協力機構を通じた派兵も行われているが、紛争調停時に最も盛んに派兵されているのは国際連合平和維持活動である。 冷戦時代のPKOは停戦監視と兵力の引きはなしが主要任務であったが、冷戦の終結後、1992年に当時のブトロス・ブトロス=ガーリ国連事務総長は増加する地域紛争を抑制するための予防外交という概念を提唱しPKOを大規模化・強化した。しかしこの試みはマケドニア共和国では成功したものの、ソマリア内戦(UNOSOM II)やボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(UNPROFOR)では紛争の抑止に失敗し、国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)でもルワンダ虐殺を阻止することはできなかった。しかしその後もPKOの拡大強化は進み、内戦後も含めた平和構築にPKOが果たす役割は大きくなってきている。 こうした直接国益に関わらない介入が冷戦後増加したのにはいくつかの理由がある。まず、ルワンダやソマリアなどの内戦による人道危機が大きな波紋を呼び起こしたため、自国の世論への対策としてさらなる悪化を防ぐために大国はある程度の介入を迫られる場合がある。また、こうした内戦は隣接諸国に波及しやすいため、地域の動揺を最低限に抑えるために介入が迫られることもある。そして、国家の破綻はテロリストなどに拠点を与え国家安全保障上の問題を引き起こすため、ある程度の秩序の構築は国際秩序維持上不可欠と考えられるようになったことも理由となっている。 このほか、内戦の資金源を絶つため諸外国が経済制裁や貿易制限を行う場合もある。例えばダイヤモンドでは、1990年代にいくつかの国の反政府勢力が勢力範囲でダイヤモンドの採掘を行い主要な資金源としたため人道危機が発生し、紛争ダイヤモンドと呼ばれる大問題となったため、2003年にはキンバリー・プロセスが発効し、全てのダイヤモンド原石の輸出入に対してキンバリー・プロセス加盟国による適切な扱いの証明書を添付し、非参加国からの輸出入を禁じることで、紛争ダイヤモンドの排除と適切なダイヤモンド流通を行っている。 内戦は、武力によって片方の勢力が打ち倒されるか、あるいは交渉によって参加勢力間に和平協定や停戦合意が成立した場合に終結する。こうした和平交渉のほとんどでは外国や国際機関といった第三者が仲介し、和平のため調停を行う。こうした仲介者の意思は和平後の道筋に大きな影響を与える。また上記のように、内戦終結後もある程度情勢が安定するまでPKOは残留し、新国家の制度整備や選挙支援などの平和構築を行う。内戦中の人権侵害や戦争犯罪については、特に重大な犯罪を犯した個人に対し国際刑事裁判所への起訴と裁判が行われるものの、加盟国の偏りが指摘され、またアフリカを中心に国際刑事裁判そのものへの反発と不満も起きている。 内戦が終結後に再発する可能性は非常に高く、5年以内に約20%が、10年以内には約40%が再発すると推定されている。内戦終結後の政治体制では、閉鎖的な独裁体制の国では内戦再発率が25%にとどまるのに対し、民主的な体制では70%にものぼり、非民主的強権体制の方が内戦再発リスクが低くなるとされる。また内戦終結後に実施される選挙においては、選挙実施前年の内戦リスクが非常に減少するのに対し、選挙実施後から翌年にかけては内戦リスクは大幅に高まった。これは、選挙の敗者が勝者の横暴を予測して敗北を受け入れず、再び内戦へと訴えるためであると考えられている。 近代的な国際関係・国際秩序が形成されたおもに17世紀後半以降の内戦のみをあげる。戦争一覧および独立戦争一覧も参照。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "内戦(ないせん、英: Civil war)は、国家の領域内で対立した勢力によって起こる、政府と非政府による組織間の武力紛争を指す。1816年以降に発生した内戦を収集したデータベースであるCorrelates of War(英語版)では、内戦を「一国内で発生し、当該国政府が介入し、政府・反政府両勢力が拮抗した、年間死者が1000人に達する武力紛争」と定義しているが、この定義には異論もある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "「内戦 (civil war)」と「内乱 (rebellion)」は同義に用いられることも多く、用語の使い分けは慣習的なもので、厳密な区別はない。例えば、スペイン内戦は「スペイン内乱」とも呼ばれる。しかし、一般的には暴動の範囲内である事象を「内乱」と呼び、武力を用いる形態にまで発展した事象を「内戦」と呼んで区別する場合もある。欧米言語では「civil war」(英語)や「bellum civile」(ラテン語)や「Bürgerkrieg」(独語)というように「市民戦争」「市民同士の戦争」という言い方をする。", "title": "用語" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ただし、近代的な国際関係・国際秩序が形成された1648年のヴェストファーレン条約前の時代では、内戦と対外戦争との区別は明確ではない。また、政府が倒されて政治体制が転換された場合にはフランス革命・共産主義革命・ルーマニア革命 (1989年)のように、内戦や内乱ではなく「革命」という表記を用いる場合も多い。", "title": "用語" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "国際法上の位置づけとしては、従来は中央政府が反乱側を交戦団体として承認しない限り戦時国際法は適用されず、交戦団体承認自体がアメリカ南北戦争を例外としてはほぼ行われなかったため、ほとんどの内戦は戦時国際法の範囲から外れていた。しかし、 1949年のジュネーブ諸条約共通三条において、内戦時の戦闘外人員に対する人道的対応が義務づけられ、1977年のジュネーヴ諸条約第二追加議定書によってさらに保護は強化された。また、同年のジュネーヴ諸条約第一追加議定書により、民族解放戦争に関しては戦時国際法の全面的な適用が可能となった。国家の転覆を意図した者には内乱罪が適用される例が見られるが、内戦の規模が大きくなると、アメリカ南北戦争やレバノン内戦のように政治的理由から内乱罪の適用が避けられることもある。", "title": "用語" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "植民地の独立戦争などにおいて支配側は「内戦」や「反乱」と呼び、植民地側は「独立戦争」と呼ぶことが多く、アルジェリア戦争のようにアルジェリア側は「独立戦争」と呼び、フランス側は「内戦」と呼んだように、戦争の性質によって内戦かどうか意見が分かれることも多い。このような場合には、支配者側が交戦相手を国家とは見なさず、相手を戦時捕虜ではなく犯罪者として扱い、捕虜の権利を認めない、犯罪者として処刑したりする事態が発生することも多い。1989年のルーマニア革命では、国軍と秘密警察という国家機関同士の戦いになり、秘密警察の構成員は全員が非合法組織の犯罪者とされ、死刑、懲役、公職追放などの処罰を受けている。", "title": "用語" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "まず内戦は、全国政府の座を争うためのものと、分離独立や自治権確立といった地方の分離主義によるものの2種類に大きく分けられる。1960年から2006年までのデータでは、発生した内戦のうちおおよそ7割が全国統治を、3割が分離独立を争う内戦だった。前者の例としては、戊辰戦争、国共内戦、シリア内戦、アンゴラ内戦などが挙げられる。", "title": "原因" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "従来、内戦の原因としては国家内の各集団間の不平等や格差による不満が主因であると考えられてきた。これに対し、1998年にポール・コリアーとアンケ・ヘフラー(ドイツ語版)が経済的利益のために内戦が起こるという説を提唱し、以後この「強欲対不満(英語版)」論争は内戦研究の大きな潮流となったが、この枠組みでの分類を不適切であるとする研究者もいる。", "title": "原因" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1998年のコリアーとヘフラーの研究においては、まず貧困国の方が富裕国よりも内戦の可能性が高いこと、さらにそのなかでも経済成長がマイナスあるいは停滞している国家はさらに内戦の可能性が高まることが示された。これは、貧困国では治安維持予算が不十分なため警察能力や国軍の能力が低く反乱を起こしやすいことや、住民の収入が低い場合反乱に訴えた方がよりよい収入を確保できる可能性が高いことが理由と考えられている。例として、労働力が不足していて失業率が低い場合や、識字率が高くより仕事を求めやすい地域においては反乱の発生率が下がることが判明している。", "title": "原因" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "さらにエドワード・ミゲルらによる2004年の研究では、アフリカにおいて旱魃が起きた年は平年に比べ内戦リスクが非常に高くなることが証明された。これは、旱魃によって収穫が大幅に減少したため地域住民の収入が減少し、反乱へとつながることを示しており、内戦が起きたから貧困になったのではなく、重大な経済的ショックによって貧しくなった人々がその改善を求めて内戦を起こすことを証明する結果である。", "title": "原因" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "コリアーとヘフラーの研究ではまた、当該国が天然資源や一次産品に経済を頼っている場合、内戦の可能性が高まることも示された。経済の一次産品への依存度が26%になる場合が最も内戦の危険が大きく、およそ2割前後の発生危険性があるとされる。これは天然資源は現金化しやすく、反乱軍の資金源になりやすいことや、資源収入は不平等を作り出しやすいこと、資源収入があれば市民からの税収に頼る必要が減少するためガバナンスが劣悪化し市民の不満がたまりやすいこと、資源は地理的に偏在しやすく産出地の不満と野望を生みやすいこと、そして一次産品は価格が変動しやすく不況時に受ける経済的ショックが大きくなりがちであることなどが理由であると考えられている。", "title": "原因" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ただしその後研究が進み、たとえば石油収入が経済の大部分を占めるようになると、逆に内戦の危険は大幅に低下することが判明している。これは豊富な資金によって治安関係や国民福祉を大幅に増強することができるため、国民の不満が減り統治能力が増強されるためであると考えられている。また内戦リスクは資源の存在場所にも左右され、例えば陸上に油井がある国では内戦リスクが非常に高まるのに対し、海上油田のみの国では非資源国と同程度にまで内戦リスクは低下する。これは反乱する地元住民が存在せず、反乱者からの攻撃も防ぎやすいためであるとされる。同様にダイヤモンドでも、硬い岩盤のなかに埋蔵されている鉱床では内戦リスクの増加は見られないが、河川敷などで容易に採掘できる漂砂鉱床のある国では内戦リスクが増加するとの研究結果が発表されている。", "title": "原因" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "一般的なイメージとは違い、民族や宗教などの多様性は必ずしも内戦の可能性を高めるわけではないとの研究結果はフィアロン&レイティン、コリアー&へフラーの研究など複数存在する。一方で、2013年のラース・エリック・シダーマンの研究では、国家体制から政治的・経済的に疎外される民族集団が存在し、民族集団間で不平等が存在する場合は疎外された集団の反乱可能性は非常に高くなるとの結果が得られている。", "title": "原因" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "中央政府の統治能力の低さは内戦につながりやすいと考えられている。ジェームズ・フィアロン(英語版)とデビッド・レイティン(英語版)は2003年の研究で、統治能力の低い国家では治安維持能力の強化や交通網の整備が不十分で、反乱が起こりやすいと指摘した。経済的な不満や地域的な対立などの不安要素が存在する場合においても、政府の統治能力が高い場合は内戦勃発リスクは大幅に減少する。", "title": "原因" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "政府の統治能力の極端に低い、いわゆる失敗国家において、特に失敗の度合いがひどい場合は暴力の独占が崩れ、各地に軍閥が割拠し内戦が勃発する場合がある。内戦が激化した場合、1991年以降のソマリアのように中央政府そのものが事実上崩壊し、無政府状態となる例も存在する。", "title": "原因" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "政体に関しては、閉鎖的な独裁政治と成熟した民主主義体制ではともに内戦リスクが非常に低くなる一方、独裁というほどではないが民主的でもない混合体制の国家において内戦リスクが高くなると考えられている。つまり、独裁度または民主度が高い体制ほど内戦は起きにくく、両方の中間に近くなるほど内戦は起きやすくなる。また、クーデターや革命などの非制度的な理由によって権力を握った指導者の統治下では、国民が政権に政治的正統性を認めないため内戦が勃発しやすくなり、内戦リスクが通常の指導者と同レベルにまで低下するのは約15年が必要となる。", "title": "原因" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "地形に関しては、平地が多く見通しのよい地形の国家よりも、山地が多く地形の複雑な国家の方が反乱軍が発見されにくいために内戦リスクが高まるとの研究結果が存在する。", "title": "原因" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "2019年現在、国際連合の加盟国193カ国中50カ国以上が内戦状態にある。冷戦終結以降、国家間の武力衝突は非常に数が少なくなっており、武力紛争のほとんどは内戦となっている。", "title": "最近の傾向" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "ウプサラ紛争データプログラムによれば、1940年代には20件/年以下だった内戦は1980年代には40件/年以上になり、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が始まった1992年には50件/年を超えた。その後、2000年代には30件台/年まで減少したが、アラブの春が始まった2010年代に急増し、2015年以降は毎年50件/年を超えた。またシリア内戦のように周辺国やグローバル大国が内戦に介入する国際化した内戦も2013年以降急増しており、2015年には第二次世界大戦後初めて20件/年を超え、その後も超過が続いている。", "title": "最近の傾向" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "内戦の特徴としては、冷戦期には高い軍事力を持つ政府軍に対し反政府軍側がゲリラ戦を行うものが半数以上を占めていたのに対し、冷戦後には政府軍側の軍備も劣悪化し、双方が明確な戦線を形成できずにゲリラ戦を行うタイプの内戦が増加している。双方が十分な軍備を保持し戦線を形成して正面から激突するタイプの内戦は、冷戦の前後を通じてそれほど発生数に変化は見られない。", "title": "最近の傾向" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "内戦継続期間に関しては、全国支配権を巡る内戦は短く、分離独立を目指す内戦は長期化する傾向が明確に現れている。2004年のフィアロンの研究では、全国支配型の内戦は平均3年間継続するのに対し、資源の産地で利権を巡って起きた内戦は平均25年、少数派集団が土地の支配を求めて起こした内戦は平均30年と、非常に長く継続する。このため、資源型や分離型の反乱の多いサブサハラアフリカやアジアにおいて、内戦は長期化する傾向にある。", "title": "最近の傾向" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "また、反政府勢力が複数存在することは珍しくなく、政府対反政府勢力だけでなく、反政府勢力間での武力衝突も頻繁に起こっている。コンゴ民主共和国内戦やソマリア内戦、ダルフール紛争などではこうした反政府勢力の群雄割拠が起き、和平交渉は困難を極めることとなった。", "title": "最近の傾向" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "内戦は、発生国の経済に大きな打撃を与える。内戦発生国の経済成長率は平均で1年あたり-2.3%になると推定されており、長期化すればこの打撃が累積してさらに経済は縮小する。そのうえ内戦は深刻な難民や国内避難民の問題を生み出す。2015年末時点で世界の難民は1548万人、内戦および暴力による国内避難民は4080万人と推定されている。2015年時点で難民が最も多く発生しているのはシリアで485万人が国外難民となっており、以下アフガニスタン、ソマリア、南スーダン、スーダンと、深刻な内戦に苦しむ国が難民発生数の上位を占めている。また、内戦中の公衆衛生システムの崩壊と難民の大量移動は感染症の流行リスクを増大させる。", "title": "影響" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "内戦は近隣諸国の貿易や投資も減少させる上、当該国家は軍事支出を増大して内戦の波及に備えるため、紛争国隣接地域の経済をも悪化させる。内戦国における権力の空白と治安の崩壊は麻薬など違法物品の生産・流通の拠点を生み出すため、隣接国以外にも悪影響を及ぼす。", "title": "影響" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "さらに、隣接国の内戦が直接波及して内戦が新たに勃発することすら珍しくない。例として、第一次リベリア内戦中の1991年、リベリアの反乱軍のリベリア国民愛国戦線 (NPFL)はシエラレオネの革命統一戦線(RUF)を支援して同国に侵攻させ、シエラレオネ内戦の発端となった。また1994年のルワンダ内戦でコンゴ民主共和国東部に大量に流れ込んだ難民はローラン・カビラのコンゴ・ザイール解放民主勢力連合 (AFDL) の蜂起を促し、第一次コンゴ戦争へとつながった。", "title": "影響" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "内戦には、しばしば他国からの介入が行われる。冷戦期には主にソビエト連邦から社会主義を掲げるゲリラに軍事援助が行われ、また欧米諸国からは自国民の保護を表向きの理由として自国利益のために内戦への介入を行うことが珍しくなかったが、冷戦終結後そういった露骨な介入は慎まれる傾向にある。一方、第一次コンゴ戦争・第二次コンゴ戦争においてルワンダやアンゴラといった周辺諸国がコンゴ民主共和国の内戦に介入したように、安全保障や政治的・経済的利益を求めて周辺諸国に直接軍事介入する事態は冷戦後にも存在している。", "title": "介入" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "冷戦後、人道目的や地域安定目的といった、直接自国の利益につながらない目的での内戦介入も目立つようになってきている。各国が直接派兵を行うほか、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)やアフリカ連合、ヨーロッパ連合といった地域協力機構を通じた派兵も行われているが、紛争調停時に最も盛んに派兵されているのは国際連合平和維持活動である。", "title": "介入" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "冷戦時代のPKOは停戦監視と兵力の引きはなしが主要任務であったが、冷戦の終結後、1992年に当時のブトロス・ブトロス=ガーリ国連事務総長は増加する地域紛争を抑制するための予防外交という概念を提唱しPKOを大規模化・強化した。しかしこの試みはマケドニア共和国では成功したものの、ソマリア内戦(UNOSOM II)やボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(UNPROFOR)では紛争の抑止に失敗し、国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)でもルワンダ虐殺を阻止することはできなかった。しかしその後もPKOの拡大強化は進み、内戦後も含めた平和構築にPKOが果たす役割は大きくなってきている。", "title": "介入" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "こうした直接国益に関わらない介入が冷戦後増加したのにはいくつかの理由がある。まず、ルワンダやソマリアなどの内戦による人道危機が大きな波紋を呼び起こしたため、自国の世論への対策としてさらなる悪化を防ぐために大国はある程度の介入を迫られる場合がある。また、こうした内戦は隣接諸国に波及しやすいため、地域の動揺を最低限に抑えるために介入が迫られることもある。そして、国家の破綻はテロリストなどに拠点を与え国家安全保障上の問題を引き起こすため、ある程度の秩序の構築は国際秩序維持上不可欠と考えられるようになったことも理由となっている。", "title": "介入" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "このほか、内戦の資金源を絶つため諸外国が経済制裁や貿易制限を行う場合もある。例えばダイヤモンドでは、1990年代にいくつかの国の反政府勢力が勢力範囲でダイヤモンドの採掘を行い主要な資金源としたため人道危機が発生し、紛争ダイヤモンドと呼ばれる大問題となったため、2003年にはキンバリー・プロセスが発効し、全てのダイヤモンド原石の輸出入に対してキンバリー・プロセス加盟国による適切な扱いの証明書を添付し、非参加国からの輸出入を禁じることで、紛争ダイヤモンドの排除と適切なダイヤモンド流通を行っている。", "title": "介入" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "内戦は、武力によって片方の勢力が打ち倒されるか、あるいは交渉によって参加勢力間に和平協定や停戦合意が成立した場合に終結する。こうした和平交渉のほとんどでは外国や国際機関といった第三者が仲介し、和平のため調停を行う。こうした仲介者の意思は和平後の道筋に大きな影響を与える。また上記のように、内戦終結後もある程度情勢が安定するまでPKOは残留し、新国家の制度整備や選挙支援などの平和構築を行う。内戦中の人権侵害や戦争犯罪については、特に重大な犯罪を犯した個人に対し国際刑事裁判所への起訴と裁判が行われるものの、加盟国の偏りが指摘され、またアフリカを中心に国際刑事裁判そのものへの反発と不満も起きている。", "title": "終結と内戦後" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "内戦が終結後に再発する可能性は非常に高く、5年以内に約20%が、10年以内には約40%が再発すると推定されている。内戦終結後の政治体制では、閉鎖的な独裁体制の国では内戦再発率が25%にとどまるのに対し、民主的な体制では70%にものぼり、非民主的強権体制の方が内戦再発リスクが低くなるとされる。また内戦終結後に実施される選挙においては、選挙実施前年の内戦リスクが非常に減少するのに対し、選挙実施後から翌年にかけては内戦リスクは大幅に高まった。これは、選挙の敗者が勝者の横暴を予測して敗北を受け入れず、再び内戦へと訴えるためであると考えられている。", "title": "終結と内戦後" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "近代的な国際関係・国際秩序が形成されたおもに17世紀後半以降の内戦のみをあげる。戦争一覧および独立戦争一覧も参照。", "title": "内戦一覧" } ]
内戦は、国家の領域内で対立した勢力によって起こる、政府と非政府による組織間の武力紛争を指す。1816年以降に発生した内戦を収集したデータベースであるCorrelates of Warでは、内戦を「一国内で発生し、当該国政府が介入し、政府・反政府両勢力が拮抗した、年間死者が1000人に達する武力紛争」と定義しているが、この定義には異論もある。
{{no footnotes|date=2018年8月}} {{Redirect|内乱|日本の刑法典における犯罪類型|内乱罪}} [[ファイル:Tampere destroyed in Civil War.jpg|thumb|200px|[[タンペレ]]の戦い後の都市遺跡([[フィンランド内戦]]; 1918年)]] [[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-H25224, Guernica, Ruinen.jpg|thumb|200px|スペイン内戦(1937年)]] [[ファイル:Beirut2 i april 1978.jpg|thumb|200px|レバノン内戦(1978年)]] '''内戦'''(ないせん、{{lang-en-short|Civil war}})は、[[国家]]の領域内で対立した勢力によって起こる、政府と非政府による組織間の武力[[紛争]]を指す。1816年以降に発生した内戦を収集したデータベースである{{仮リンク|Correlates of War|en|Correlates of War}}では、内戦を「一国内で発生し、当該国政府が介入し、政府・反政府両勢力が拮抗した、年間死者が1000人に達する武力紛争」と定義しているが、この定義には異論もある<ref>「比較政治学」p70-71 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。 == 用語 == 「内戦 (civil war)」と「内乱 (rebellion)」は同義に用いられることも多く、用語の使い分けは慣習的なもので、厳密な区別はない。例えば、[[スペイン内戦]]は「スペイン内乱」とも呼ばれる。しかし、一般的には[[暴動]]の範囲内である事象を「内乱」と呼び、武力を用いる形態にまで発展した事象を「内戦」と呼んで区別する場合もある。欧米言語では「''civil war''」(英語)や「''bellum civile''」(ラテン語)や「''Bürgerkrieg''」(独語)というように「市民戦争」「市民同士の戦争」という言い方をする。 ただし、近代的な国際関係・国際秩序が形成された[[1648年]]の[[ヴェストファーレン条約]]前の時代では、内戦と対外戦争との区別は明確ではない。また、政府が倒されて政治体制が転換された場合には[[フランス革命]]・[[共産主義革命]]・[[ルーマニア革命 (1989年)]]のように、内戦や内乱ではなく「[[革命]]」という表記を用いる場合も多い。 [[国際法]]上の位置づけとしては、従来は中央政府が反乱側を[[交戦団体]]として承認しない限り[[戦時国際法]]は適用されず、交戦団体承認自体が[[南北戦争|アメリカ南北戦争]]を例外としてはほぼ行われなかったため、ほとんどの内戦は戦時国際法の範囲から外れていた。しかし、 1949年の[[ジュネーヴ諸条約 (1949年)|ジュネーブ諸条約]][[ジュネーヴ共通三条|共通三条]]において、内戦時の戦闘外人員に対する人道的対応が義務づけられ、1977年の[[ジュネーヴ諸条約第二追加議定書]]によってさらに保護は強化された。また、同年の[[ジュネーヴ諸条約第一追加議定書]]により、民族解放戦争に関しては戦時国際法の全面的な適用が可能となった<ref>「国際法 第5版」p308-310 松井芳郎・佐分晴夫・坂元茂樹・小畑郁・松田竹男・田中則夫・岡田泉・薬師寺公夫著 有斐閣 2007年3月20日第5版第1刷発行</ref>。国家の転覆を意図した者には[[内乱罪]]が適用される例が見られるが、内戦の規模が大きくなると、アメリカ南北戦争や[[レバノン内戦]]のように政治的理由から内乱罪の適用が避けられることもある。 植民地の独立戦争などにおいて支配側は「内戦」や「反乱」と呼び、植民地側は「独立戦争」と呼ぶことが多く、[[アルジェリア戦争]]のようにアルジェリア側は「独立戦争」と呼び、フランス側は「内戦」と呼んだように、戦争の性質によって内戦かどうか意見が分かれることも多い。このような場合には、支配者側が交戦相手を国家とは見なさず、相手を戦時捕虜ではなく犯罪者として扱い、捕虜の権利を認めない、犯罪者として処刑したりする事態が発生することも多い。[[ルーマニア革命 (1989年)|1989年のルーマニア革命]]では、[[ルーマニア軍|国軍]]と[[セクリタテア|秘密警察]]という国家機関同士の戦いになり、[[セクリタテア|秘密警察]]の構成員は全員が非合法組織の犯罪者とされ、死刑、懲役、公職追放などの処罰を受けている。 == 原因 == まず内戦は、全国政府の座を争うためのものと、分離独立や自治権確立といった地方の分離主義によるものの2種類に大きく分けられる<ref>「戦争とは何か」p90 多湖淳 中公新書 2020年1月25日発行</ref>。1960年から2006年までのデータでは、発生した内戦のうちおおよそ7割が全国統治を、3割が分離独立を争う内戦だった<ref name="名前なし-20230316112956">「石油の呪い 国家の発展経路はいかに決定されるか」p178 マイケル・L・ロス 松尾昌樹・浜中新吾訳 吉田書店 2017年2月10日初版第1刷発行</ref>。前者の例としては、[[戊辰戦争]]、[[国共内戦]]、[[シリア内戦]]、[[アンゴラ内戦]]などが挙げられる。 === 経済的要因 === 従来、内戦の原因としては国家内の各集団間の[[不平等]]や[[格差]]による[[不満]]が主因であると考えられてきた。これに対し、1998年に[[ポール・コリアー]]と{{仮リンク|アンケ・ヘフラー|de|Anke Hoeffler}}が経済的利益のために内戦が起こるという説を提唱し、以後この「{{仮リンク|強欲対不満|en|Greed versus grievance}}」論争は内戦研究の大きな潮流となったが、この枠組みでの分類を不適切であるとする研究者もいる<ref>「比較政治学」p75 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。 1998年のコリアーとヘフラーの研究においては、まず貧困国の方が富裕国よりも内戦の可能性が高いこと、さらにそのなかでも経済成長がマイナスあるいは停滞している国家はさらに内戦の可能性が高まることが示された<ref>「民主主義がアフリカ経済を殺す 最底辺の10億人の国で起きている真実」p166 ポール・コリアー 甘糟智子訳 日経BP社 2010年1月18日第1版第1刷発行</ref>。これは、貧困国では[[治安|治安維持]]予算が不十分なため[[警察]]能力や国軍の能力が低く反乱を起こしやすいことや、住民の収入が低い場合反乱に訴えた方がよりよい収入を確保できる可能性が高いことが理由と考えられている。例として、労働力が不足していて[[失業|失業率]]が低い場合や、[[識字率]]が高くより仕事を求めやすい地域においては反乱の発生率が下がることが判明している<ref>「戦争の経済学」p268-269 ポール・ポースト 山形浩生訳</ref>。 さらにエドワード・ミゲルらによる2004年の研究では、アフリカにおいて[[旱魃]]が起きた年は平年に比べ内戦リスクが非常に高くなることが証明された。これは、旱魃によって収穫が大幅に減少したため地域住民の収入が減少し、反乱へとつながることを示しており、内戦が起きたから貧困になったのではなく、重大な経済的ショックによって貧しくなった人々がその改善を求めて内戦を起こすことを証明する結果である<ref>「悪い奴ほど合理的 腐敗・暴力・貧困の経済学」p143-148 レイモンド・フィスマン、エドワード・ミゲル著 田村勝省訳 NTT出版 2014年2月28日初版第1刷発行</ref>。 コリアーとヘフラーの研究ではまた、当該国が[[天然資源]]や[[一次産品]]に経済を頼っている場合、内戦の可能性が高まることも示された<ref>「民主主義がアフリカ経済を殺す 最底辺の10億人の国で起きている真実」p167 ポール・コリアー 甘糟智子訳 日経BP社 2010年1月18日第1版第1刷発行</ref>。経済の一次産品への依存度が26%になる場合が最も内戦の危険が大きく、およそ2割前後の発生危険性があるとされる<ref>「戦争の経済学」p270 ポール・ポースト 山形浩生訳</ref>。これは天然資源は現金化しやすく、反乱軍の資金源になりやすいことや、資源収入は不平等を作り出しやすいこと、資源収入があれば市民からの税収に頼る必要が減少するため[[ガバナンス]]が劣悪化し市民の不満がたまりやすいこと、資源は地理的に偏在しやすく産出地の不満と野望を生みやすいこと、そして一次産品は価格が変動しやすく不況時に受ける経済的ショックが大きくなりがちであることなどが理由であると考えられている<ref>「戦争の経済学」p270-271 ポール・ポースト 山形浩生訳</ref>。 ただしその後研究が進み、たとえば[[石油]]収入が経済の大部分を占めるようになると、逆に内戦の危険は大幅に低下することが判明している。これは豊富な資金によって治安関係や国民福祉を大幅に増強することができるため、国民の不満が減り統治能力が増強されるためであると考えられている<ref>「比較政治学」p77 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。また内戦リスクは資源の存在場所にも左右され、例えば陸上に[[油井]]がある国では内戦リスクが非常に高まるのに対し、[[海底油田|海上油田]]のみの国では非資源国と同程度にまで内戦リスクは低下する。これは反乱する地元住民が存在せず、反乱者からの攻撃も防ぎやすいためであるとされる<ref>「石油の呪い 国家の発展経路はいかに決定されるか」p196 マイケル・L・ロス 松尾昌樹・浜中新吾訳 吉田書店 2017年2月10日初版第1刷発行</ref>。同様に[[ダイヤモンド]]でも、硬い[[岩盤]]のなかに埋蔵されている鉱床では内戦リスクの増加は見られないが、[[河川敷]]などで容易に採掘できる[[漂砂鉱床]]のある国では内戦リスクが増加するとの研究結果が発表されている<ref>「比較政治学」p77-78 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。 === 不平等と不満 === 一般的なイメージとは違い、[[民族]]や[[宗教]]などの[[多様性]]は必ずしも内戦の可能性を高めるわけではないとの研究結果はフィアロン&レイティン、コリアー&へフラーの研究など複数存在する<ref>「比較政治学」p78 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。一方で、2013年のラース・エリック・シダーマンの研究では、国家体制から政治的・経済的に疎外される民族集団が存在し、民族集団間で不平等が存在する場合は疎外された集団の反乱可能性は非常に高くなるとの結果が得られている<ref>「戦争とは何か」p98-101 多湖淳 中公新書 2020年1月25日発行</ref>。 === 政治的要因 === 中央政府の統治能力の低さは内戦につながりやすいと考えられている。{{仮リンク|ジェームズ・フィアロン|en|James Fearon}}と{{仮リンク|デビッド・レイティン|en|David D. Laitin}}は2003年の研究で、統治能力の低い国家では治安維持能力の強化や交通網の整備が不十分で、反乱が起こりやすいと指摘した<ref>「比較政治学」p80 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。経済的な不満や地域的な対立などの不安要素が存在する場合においても、政府の統治能力が高い場合は内戦勃発リスクは大幅に減少する<ref>「暴力的紛争リスクの経済学 内戦・テロの発生要因・予防と対策に焦点を当てて」p252 木原隆司 (巨大災害・リスクと経済」所収 澤田康幸編 日本経済新聞出版社 2014年1月10日1版1刷)</ref>。 政府の統治能力の極端に低い、いわゆる[[失敗国家]]において、特に失敗の度合いがひどい場合は[[暴力の独占]]が崩れ、各地に[[軍閥]]が割拠し内戦が勃発する場合がある<ref>「政治学の第一歩」p29-30 砂原庸介・稗田健志・多湖淳著 有斐閣 2015年10月15日初版第1刷</ref>。内戦が激化した場合、1991年以降の[[ソマリア]]のように中央政府そのものが事実上崩壊し、[[無政府状態]]となる例も存在する<ref>「国家の破綻」p22-23 武内進一 (「平和構築・入門」所収 藤原帰一・大芝亮・山田哲也編著 有斐閣 2011年12月10日初版第1刷)</ref>。 政体に関しては、閉鎖的な[[独裁政治]]と成熟した[[民主主義]]体制ではともに内戦リスクが非常に低くなる一方、独裁というほどではないが民主的でもない混合体制の国家において内戦リスクが高くなると考えられている。つまり、独裁度または民主度が高い体制ほど内戦は起きにくく、両方の中間に近くなるほど内戦は起きやすくなる<ref>「比較政治学」p81-82 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。また、[[クーデター]]や[[革命]]などの非制度的な理由によって権力を握った指導者の統治下では、国民が政権に政治的[[正統性]]を認めないため内戦が勃発しやすくなり、内戦リスクが通常の指導者と同レベルにまで低下するのは約15年が必要となる<ref>「比較政治学」p82-83 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。 地形に関しては、[[平地]]が多く見通しのよい地形の国家よりも、[[山地]]が多く地形の複雑な国家の方が反乱軍が発見されにくいために内戦リスクが高まるとの研究結果が存在する<ref>「民主主義がアフリカ経済を殺す 最底辺の10億人の国で起きている真実」p174 ポール・コリアー 甘糟智子訳 日経BP社 2010年1月18日第1版第1刷発行</ref>。 == 最近の傾向 == [[File:State-based conflicts since 1946, OWID.svg|thumb|250px|1946年から2016年までの武力紛争数とその内訳。緑が植民地主義・帝国主義的戦争、青が通常の国家間戦争、黄色が内戦、赤が他国から軍事介入を受けた内戦を示す]] 2019年現在、国際連合の加盟国193カ国中50カ国以上が内戦状態にある<ref name=":0">{{Cite journal|author=Pettersson, Therese & Magnus Öberg|year=2020|title=Organized violence, 1989-2019|url=https://www.ucdp.uu.se/downloads/charts/graphs/pdf_20/armedconf_by_type.pdf|journal=Journal of Peace Research 57(4)}}</ref><ref name=":1">{{Cite book|和書|title=内戦と和平 現代戦争をどう終わらせるか|date=2020-1-25|year=2020|publisher=中央公論新社|pages=Kindle版、位置No. 486/3211|author=東大作}}</ref>。冷戦終結以降、国家間の武力衝突は非常に数が少なくなっており、武力紛争のほとんどは内戦となっている<ref name="名前なし-20230316112956"/>。 [[ウプサラ紛争データプログラム]]によれば、1940年代には20件/年以下だった内戦は1980年代には40件/年以上になり、[[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]]が始まった1992年には50件/年を超えた<ref name=":0" />。その後、2000年代には30件台/年まで減少したが、[[アラブの春]]が始まった2010年代に急増し、2015年以降は毎年50件/年を超えた<ref name=":0" />。また[[シリア内戦]]のように周辺国やグローバル大国が内戦に介入する'''国際化した内戦'''も2013年以降急増しており、2015年には第二次世界大戦後初めて20件/年を超え、その後も超過が続いている<ref name=":0" /><ref name=":1" />。 内戦の特徴としては、[[冷戦]]期には高い軍事力を持つ政府軍に対し反政府軍側が[[ゲリラ戦]]を行うものが半数以上を占めていたのに対し、冷戦後には政府軍側の軍備も劣悪化し、双方が明確な戦線を形成できずにゲリラ戦を行うタイプの内戦が増加している。双方が十分な軍備を保持し[[戦線]]を形成して正面から激突するタイプの内戦は、冷戦の前後を通じてそれほど発生数に変化は見られない<ref>「比較政治学」p72-75 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。 内戦継続期間に関しては、全国支配権を巡る内戦は短く、分離独立を目指す内戦は長期化する傾向が明確に現れている。2004年のフィアロンの研究では、全国支配型の内戦は平均3年間継続するのに対し、資源の産地で利権を巡って起きた内戦は平均25年、少数派集団が土地の支配を求めて起こした内戦は平均30年と、非常に長く継続する。このため、資源型や分離型の反乱の多い[[サブサハラアフリカ]]や[[アジア]]において、内戦は長期化する傾向にある<ref>「戦争とは何か」p108-111 多湖淳 中公新書 2020年1月25日発行</ref>。 また、反政府勢力が複数存在することは珍しくなく、政府対反政府勢力だけでなく、反政府勢力間での武力衝突も頻繁に起こっている。コンゴ民主共和国内戦や[[ソマリア内戦]]、[[ダルフール紛争]]などではこうした反政府勢力の群雄割拠が起き、和平交渉は困難を極めることとなった<ref>「新・現代アフリカ入門 人々が変える大陸」p122-123 勝俣誠 岩波新書 2013年4月19日第1刷発行</ref>。 == 影響 == 内戦は、発生国の経済に大きな打撃を与える。内戦発生国の[[経済成長率]]は平均で1年あたり-2.3%になると推定されており、長期化すればこの打撃が累積してさらに経済は縮小する<ref>「最底辺の10億人 最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か?」p49 ポール・コリアー 中谷和男訳 日経BP社 2008年6月30日第1版第1刷発行</ref>。そのうえ内戦は深刻な[[難民]]や[[国内避難民]]の問題を生み出す。2015年末時点で世界の難民は1548万人、内戦および暴力による国内避難民は4080万人と推定されている<ref>「難民問題」p28-29 墓田桂 中公新書 2016年9月25日発行</ref>。2015年時点で難民が最も多く発生しているのは[[シリア]]で485万人が国外難民となっており、以下[[アフガニスタン]]、[[ソマリア]]、[[南スーダン]]、[[スーダン]]と、深刻な内戦に苦しむ国が難民発生数の上位を占めている<ref>「難民問題」p30-31 墓田桂 中公新書 2016年9月25日発行</ref>。また、内戦中の[[公衆衛生]]システムの崩壊と難民の大量移動は[[感染症]]の流行リスクを増大させる<ref>「最底辺の10億人 最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か?」p49-50 ポール・コリアー 中谷和男訳 日経BP社 2008年6月30日第1版第1刷発行</ref>。 内戦は近隣諸国の貿易や投資も減少させる上、当該国家は軍事支出を増大して内戦の波及に備えるため、紛争国隣接地域の経済をも悪化させる<ref>「戦争の経済学」p266-267 ポール・ポースト 山形浩生訳</ref>。内戦国における権力の空白と治安の崩壊は[[麻薬]]など違法物品の生産・流通の拠点を生み出すため、隣接国以外にも悪影響を及ぼす<ref>「最底辺の10億人 最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か?」p54-55 ポール・コリアー 中谷和男訳 日経BP社 2008年6月30日第1版第1刷発行</ref>。 さらに、隣接国の内戦が直接波及して内戦が新たに勃発することすら珍しくない。例として、[[第一次リベリア内戦]]中の1991年、[[リベリア]]の反乱軍の[[リベリア国民愛国戦線]] (NPFL)は[[シエラレオネ]]の[[革命統一戦線]](RUF)を支援して同国に侵攻させ、[[シエラレオネ内戦]]の発端となった。また1994年の[[ルワンダ紛争|ルワンダ内戦]]で[[コンゴ民主共和国]]東部に大量に流れ込んだ難民は[[ローラン・カビラ]]の[[コンゴ・ザイール解放民主勢力連合]] (AFDL) の蜂起を促し、[[第一次コンゴ戦争]]へとつながった<ref>「新・現代アフリカ入門 人々が変える大陸」p121-122 勝俣誠 岩波新書 2013年4月19日第1刷発行</ref>。 == 介入 == 内戦には、しばしば他国からの介入が行われる。冷戦期には主に[[ソビエト連邦]]から[[社会主義]]を掲げる[[ゲリラ]]に軍事援助が行われ<ref>「比較政治学」p74 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>、また欧米諸国からは自国民の保護を表向きの理由として自国利益のために内戦への介入を行うことが珍しくなかったが、冷戦終結後そういった露骨な介入は慎まれる傾向にある<ref>「戦争と平和の間 紛争勃発後のアフリカと国際社会」p10-11 武内進一編 アジア経済研究所 2008年11月5日発行</ref>。一方、[[第一次コンゴ戦争]]・[[第二次コンゴ戦争]]において[[ルワンダ]]や[[アンゴラ]]といった周辺諸国が[[コンゴ民主共和国]]の内戦に介入したように、安全保障や政治的・経済的利益を求めて周辺諸国に直接軍事介入する事態は冷戦後にも存在している<ref>「戦争と平和の間 紛争勃発後のアフリカと国際社会」p11-12 武内進一編 アジア経済研究所 2008年11月5日発行</ref>。 冷戦後、人道目的や地域安定目的といった、直接自国の利益につながらない目的での内戦介入も目立つようになってきている。各国が直接派兵を行うほか、[[西アフリカ諸国経済共同体]](ECOWAS)や[[アフリカ連合]]、[[ヨーロッパ連合]]といった地域協力機構を通じた派兵も行われているが、紛争調停時に最も盛んに派兵されているのは[[国際連合平和維持活動]]である<ref>「戦争と平和の間 紛争勃発後のアフリカと国際社会」p8-10 武内進一編 アジア経済研究所 2008年11月5日発行</ref>。 冷戦時代のPKOは停戦監視と兵力の引きはなしが主要任務であったが<ref>「国際関係学 地球社会を理解するために 第2版」p195 滝田賢治・大芝亮・都留康子編 有信堂高文社 2017年4月20日第2版第1刷発行</ref>、冷戦の終結後、[[1992年]]に当時の[[ブトロス・ブトロス=ガーリ]][[国際連合事務総長|国連事務総長]]は増加する地域紛争を抑制するための[[予防外交]]という概念を提唱しPKOを大規模化・強化した。しかしこの試みは[[マケドニア共和国]]では成功したものの、[[ソマリア内戦]]([[第二次国際連合ソマリア活動|UNOSOM II]])や[[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]]([[国際連合保護軍|UNPROFOR]])では紛争の抑止に失敗し、[[国際連合ルワンダ支援団]](UNAMIR)でも[[ルワンダ虐殺]]を阻止することはできなかった<ref>「国際政治の基礎知識 増補版」p325-326 加藤秀治郎・渡邊啓貴編 芦書房 2002年5月1日増補版第1刷</ref>。しかしその後もPKOの拡大強化は進み、内戦後も含めた[[平和構築]]にPKOが果たす役割は大きくなってきている<ref>「国際関係学 地球社会を理解するために 第2版」p196-197 滝田賢治・大芝亮・都留康子編 有信堂高文社 2017年4月20日第2版第1刷発行</ref>。 こうした直接国益に関わらない介入が冷戦後増加したのにはいくつかの理由がある。まず、ルワンダやソマリアなどの内戦による[[人道的危機|人道危機]]が大きな波紋を呼び起こしたため、自国の[[世論]]への対策としてさらなる悪化を防ぐために大国はある程度の介入を迫られる場合がある。また、こうした内戦は隣接諸国に波及しやすいため、地域の動揺を最低限に抑えるために介入が迫られることもある。そして、国家の破綻は[[テロリズム|テロリスト]]などに拠点を与え[[国家安全保障]]上の問題を引き起こすため、ある程度の秩序の構築は国際秩序維持上不可欠と考えられるようになったことも理由となっている<ref>「戦争と平和の間 紛争勃発後のアフリカと国際社会」p23-27 武内進一編 アジア経済研究所 2008年11月5日発行</ref>。 このほか、内戦の資金源を絶つため諸外国が[[経済制裁]]や[[貿易]]制限を行う場合もある。例えばダイヤモンドでは、1990年代にいくつかの国の反政府勢力が勢力範囲でダイヤモンドの採掘を行い主要な資金源としたため人道危機が発生し、[[紛争ダイヤモンド]]と呼ばれる大問題となったため、2003年には[[キンバリー・プロセス]]が発効し、全てのダイヤモンド原石の輸出入に対してキンバリー・プロセス加盟国による適切な扱いの証明書を添付し、非参加国からの輸出入を禁じることで、紛争ダイヤモンドの排除と適切なダイヤモンド流通を行っている<ref>https://www.meti.go.jp/policy/external_economy/trade_control/02_exandim/05_diamond/index.html 「ダイヤモンド原石の輸出入管理」日本国経済産業省 2022年11月28日閲覧</ref>。 == 終結と内戦後 == 内戦は、武力によって片方の勢力が打ち倒されるか、あるいは交渉によって参加勢力間に和平協定や停戦合意が成立した場合に終結する。こうした和平交渉のほとんどでは外国や国際機関といった第三者が仲介し、和平のため調停を行う。こうした仲介者の意思は和平後の道筋に大きな影響を与える<ref>「戦争と平和の間 紛争勃発後のアフリカと国際社会」p6-8 武内進一編 アジア経済研究所 2008年11月5日発行</ref>。また上記のように、内戦終結後もある程度情勢が安定するまでPKOは残留し、新国家の制度整備や選挙支援などの平和構築を行う<ref>「国際関係学 地球社会を理解するために 第2版」p196 滝田賢治・大芝亮・都留康子編 有信堂高文社 2017年4月20日第2版第1刷発行</ref>。内戦中の[[人権侵害]]や[[戦争犯罪]]については、特に重大な犯罪を犯した個人に対し[[国際刑事裁判所]]への起訴と裁判が行われるものの、加盟国の偏りが指摘され、またアフリカを中心に国際刑事裁判そのものへの反発と不満も起きている<ref>「国際関係学 地球社会を理解するために 第2版」p201-203 滝田賢治・大芝亮・都留康子編 有信堂高文社 2017年4月20日第2版第1刷発行</ref>。 内戦が終結後に再発する可能性は非常に高く、5年以内に約20%が<ref>「石油の呪い 国家の発展経路はいかに決定されるか」p179 マイケル・L・ロス 松尾昌樹・浜中新吾訳 吉田書店 2017年2月10日初版第1刷発行</ref>、10年以内には約40%が再発すると推定されている<ref>「民主主義がアフリカ経済を殺す 最底辺の10億人の国で起きている真実」p102 ポール・コリアー 甘糟智子訳 日経BP社 2010年1月18日第1版第1刷発行</ref>。内戦終結後の政治体制では、閉鎖的な独裁体制の国では内戦再発率が25%にとどまるのに対し、民主的な体制では70%にものぼり、非民主的強権体制の方が内戦再発リスクが低くなるとされる<ref>「民主主義がアフリカ経済を殺す 最底辺の10億人の国で起きている真実」p108-109 ポール・コリアー 甘糟智子訳 日経BP社 2010年1月18日第1版第1刷発行</ref>。また内戦終結後に実施される選挙においては、選挙実施前年の内戦リスクが非常に減少するのに対し、選挙実施後から翌年にかけては内戦リスクは大幅に高まった。これは、選挙の敗者が勝者の横暴を予測して敗北を受け入れず、再び内戦へと訴えるためであると考えられている<ref>「民主主義がアフリカ経済を殺す 最底辺の10億人の国で起きている真実」p110-111 ポール・コリアー 甘糟智子訳 日経BP社 2010年1月18日第1版第1刷発行</ref>。 == 内戦一覧 == 近代的な国際関係・国際秩序が形成されたおもに[[17世紀]]後半以降の内戦のみをあげる。[[戦争一覧]]および[[独立戦争#独立戦争一覧|独立戦争一覧]]も参照。 * [[1605年]]–[[1618年]]{{ColonSp}}[[動乱時代|大動乱]] ([[ロシア・ツァーリ国|ロシア]]) * [[1641年]]–[[1649年]]{{ColonSp}}[[イングランド内戦]]([[イングランド]] - [[三王国戦争]]) * [[1648年]]–[[1667年]]{{ColonSp}}[[大洪水時代]]([[ポーランド・リトアニア共和国|ポーランド]]) * [[1648年]]–[[1653年]]{{ColonSp}}[[フロンドの乱]]([[フランス王国|フランス]]) * [[1700年]]{{ColonSp}}[[リトアニア内戦 (1700年)|リトアニア内戦]]([[リトアニア大公国|リトアニア]]) * [[1793年]]–[[1796年]]{{ColonSp}}[[ヴァンデの反乱]](フランス) * [[1814年]]–[[1880年]]{{ColonSp}}[[アルゼンチン内戦]]([[:es:Guerras civiles argentinas]]、[[アルゼンチン]]) * [[1820年]]–[[1823年]]{{ColonSp}}[[スペイン内戦 (1820年-1823年)]]([[:en:Spanish Civil War, 1820–1823]]、[[スペイン]]) * [[1828年]]–[[1834年]]{{ColonSp}}[[ポルトガル内戦]]([[ポルトガル]]) * [[1833年]]–[[1839年]]{{ColonSp}}[[第一次カルリスタ戦争]](スペイン) * [[1835年]]{{ColonSp}}[[トレド戦争]]([[アメリカ合衆国]]) * [[1839年]]–[[1851年]]{{ColonSp}}[[ウルグアイ内戦|大戦争]]([[ウルグアイ]]) * [[1845年]]–[[1872年]]{{ColonSp}}[[ニュージーランド戦争]]([[:en:New Zealand land wars]]、[[ニュージーランド]]) * [[1847年]]{{ColonSp}}[[分離同盟戦争]]([[スイス]]) * [[1851年]]–[[1864年]]{{ColonSp}}[[太平天国の乱]]([[中国]]) * [[1857年]]–[[1861年]]{{ColonSp}}[[レフォルマ戦争]]([[メキシコ]]) * [[1859年]]–[[1863年]]{{ColonSp}}[[連邦戦争]]([[:en:Federal War]]、[[ベネズエラ]]) * [[1861年]]–[[1865年]]{{ColonSp}}[[南北戦争]](アメリカ合衆国) - [[:Category:南北戦争]] * [[1868年]]–[[1869年]]{{ColonSp}}[[戊辰戦争]](日本) - [[:Category:戊辰戦争]] - [[:Category:戊辰戦争の戦闘]] * [[1877年]]{{ColonSp}}[[西南戦争]](日本) - [[:Category:西南戦争]] * [[1891年]]{{ColonSp}}[[チリ内戦]]([[:en:Chilean Civil War]]、[[チリ]]) * [[1899年]]–[[1903年]]{{ColonSp}}[[千日戦争]]([[コロンビア]]) * [[1918年]]–[[1922年]]{{ColonSp}}[[ロシア内戦]]([[ロシア]]) * [[1918年]]{{ColonSp}}[[フィンランド内戦]]([[フィンランド]]) * [[1922年]]–[[1923年]]{{ColonSp}}[[アイルランド内戦]]([[アイルランド]]) * [[1926年]]–[[1929年]]{{ColonSp}}[[クリステロ戦争]]([[メキシコ]]) * [[1927年]]–[[1949年]]{{ColonSp}}[[中華民国]]政府および諸軍閥の抗争、[[国共内戦]](中国) * [[1936年]]–[[1939年]]{{ColonSp}}[[スペイン内戦]](スペイン) * [[1946年]]–[[1949年]]{{ColonSp}}[[ギリシャ内戦]]([[ギリシャ王国|ギリシャ]]) * [[1947年]]{{ColonSp}}[[パラグアイ内戦]]([[パラグアイ]]) * [[1948年]]{{ColonSp}}[[コスタリカ内戦]]([[:en:Costa Rican Civil War]]、[[コスタリカ]]) * [[1948年]]–継続{{ColonSp}}[[ミャンマー内戦|ビルマ内戦]]([[ビルマ]]) * [[1953年]]–[[1975年]]{{ColonSp}}[[ラオス内戦]]([[ラオス]]) * [[1955年]]–継続{{ColonSp}}[[キプロス紛争]]([[キプロス]]) * [[1955年]]–[[1972年]]{{ColonSp}}[[第一次スーダン内戦]]([[スーダン]]) * [[1959年]]–[[2011年]]{{ColonSp}}[[バスク紛争]](スペイン) * [[1960年]]–[[1966年]]{{ColonSp}}[[コンゴ動乱]]([[コンゴ民主共和国]]) * [[1960年]]–[[1980年]]{{ColonSp}}[[ローデシア紛争]]([[ローデシア]]) * [[1960年]]–[[1996年]]{{ColonSp}}[[グアテマラ内戦]]([[グアテマラ]]) * [[1962年]]–[[1970年]]、[[北イエメン内戦]]([[イエメン]]) * [[1964年]]–[[2017年]]{{ColonSp}}[[コロンビア内戦]]([[コロンビア]]) * [[1965年]]{{ColonSp}}[[ドミニカ内戦]]([[ドミニカ共和国]]、[[アメリカ軍によるドミニカ共和国占領 (1965年-1966年)|ドミニカ侵攻]]とも) * [[1965年]]–[[1979年]]{{ColonSp}}{{仮リンク|チャド内戦 (1965年–1979年)|en|Chadian Civil War (1965–1979)}}([[チャド]]) * [[1967年]]–[[1970年]]{{ColonSp}}[[ナイジェリア内戦]]([[ナイジェリア]]、ビアフラ戦争とも) * [[1969年]]–継続{{ColonSp}}[[フィリピン紛争]]([[フィリピン]]) * [[1970年]]–[[1991年]]{{ColonSp}}[[カンボジア内戦]]([[カンボジア]]) * [[1970年]]{{ColonSp}}[[ヨルダン内戦]]([[ヨルダン]]) * [[1971年]]{{ColonSp}}[[パキスタン内戦]]([[:en:Bangladesh Liberation War]]、[[バングラデシュ|当時の東パキスタン]]) * [[1974年]]–[[1991年]]{{ColonSp}}[[エチオピア内戦]]([[エチオピア]]) * [[1975年]]–[[2002年]]{{ColonSp}}[[アンゴラ内戦]]([[アンゴラ]]) * [[1975年]]–[[1991年]]{{ColonSp}}[[レバノン内戦]]([[レバノン]]) * [[1977年]]–[[1992年]]{{ColonSp}}[[モザンビーク内戦]]([[モザンビーク]]) * [[1978年]]–継続{{ColonSp}}[[トルコ・クルド労働者党紛争]]([[:en:Turkey–Kurdistan Workers' Party conflict]]、[[トルコ]]) * [[1978年]]–継続{{ColonSp}}[[アフガニスタン紛争]]([[アフガニスタン]]) * [[1979年]]–[[1990年]]{{ColonSp}}[[ニカラグア内戦]]([[ニカラグア]]) * [[1980年]]–[[1992年]]{{ColonSp}}[[エルサルバドル内戦]]([[エルサルバドル]]) * [[1980年]]–[[2006年]]{{ColonSp}}[[カザマンス紛争]]([[セネガル]]の[[カザマンス]]) * [[1980年]]–[[2000年]]{{ColonSp}}[[ペルー内戦]]([[:en:Internal conflict in Peru]]、[[ペルー]]) * [[1981年]]–[[1986年]]{{ColonSp}}[[ウガンダ内戦]]([[:en:Ugandan Bush War]]、[[ウガンダ]]) * [[1983年]]–[[2009年]]{{ColonSp}}[[スリランカ内戦]]([[スリランカ]]) * [[1983年]]–[[2005年]]{{ColonSp}}[[第二次スーダン内戦]]([[スーダン]]) * [[1987年]]–継続{{ColonSp}}[[神の抵抗軍の反乱]]([[:en:Lord's Resistance Army insurgency]]、[[ウガンダ]]、[[スーダン]]、[[コンゴ民主共和国]]、[[中央アフリカ共和国]]) * [[1989年]]–[[1996年]]{{ColonSp}}[[第一次リベリア内戦]]([[リベリア]]) * [[1990年]]–[[1993年]]{{ColonSp}}[[ルワンダ内戦]]([[ルワンダ]]) * [[1991年]]–[[1994年]]{{ColonSp}}[[グルジア内戦]]([[:en:Georgian Civil War]]、[[グルジア]]) * [[1991年]]–[[2000年]]{{ColonSp}}[[ユーゴスラビア紛争]]・[[ボスニア紛争]]・[[コソボ紛争]]([[ユーゴスラビア]]) * [[1991年]]–継続{{ColonSp}}[[ソマリア内戦]]([[ソマリア]]) * [[1991年]]–[[2002年]]{{ColonSp}}[[シエラレオネ内戦]]([[シエラレオネ]]) * [[1991年]]–[[2002年]]{{ColonSp}}[[アルジェリア内戦]]([[アルジェリア]]) * [[1992年]]–[[1997年]]{{ColonSp}}[[タジキスタン内戦]]([[タジキスタン]]) * [[1994年]]–[[イエメン内戦 (1994年)|イエメン内戦]]([[イエメン]]) * [[1994年]]–[[1996年]]{{ColonSp}}[[第一次チェチェン紛争]]([[チェチェン共和国|チェチェン]]) * [[1994年]]–[[1997年]]{{ColonSp}}[[イラク・クルド内戦]]([[:en:Iraqi Kurdish Civil War]]、[[イラク]]) * [[1996年]]–[[2006年]]{{ColonSp}}[[ネパール内戦]]([[ネパール]]) * [[1996年]]–[[1997年]]{{ColonSp}}[[第一次コンゴ戦争]]([[コンゴ民主共和国]]) * [[1998年]]–[[1999年]]{{ColonSp}}[[ギニアビサウ内戦]]([[ギニアビサウ]]) * [[1998年]]–[[2003年]]{{ColonSp}}[[第二次コンゴ戦争]](コンゴ民主共和国) * [[1999年]]–[[2009年]]{{ColonSp}}[[第二次チェチェン紛争]](チェチェンとその周辺) * [[1999年]]–[[2002年]]{{ColonSp}}[[東ティモール紛争]]([[東ティモール]]) * [[1999年]]–[[2003年]]{{ColonSp}}[[リベリア内戦|第二次リベリア内戦]] * [[2002年]]–[[2007年]]{{ColonSp}}[[コートジボワール内戦]]([[:fr:Crise politico-militaire en Côte d'Ivoire]]、[[コートジボワール]]) * [[2003年]]–継続{{ColonSp}}[[ダルフール紛争]](スーダン) * [[2004年]]–[[2007年]]{{ColonSp}}[[中央アフリカ共和国内戦]]([[:en:Central African Republic Bush War]]、[[中央アフリカ共和国]]) * [[2005年]]–[[2010年]]{{ColonSp}}{{仮リンク|チャド内戦 (2005年–2010年)|en|Chadian Civil War (2005–2010)}}([[チャド]]) * [[2011年]]{{ColonSp}}[[2011年リビア内戦|第一次リビア内戦]]([[リビア]]) * [[2011年]]–継続{{ColonSp}}[[シリア内戦]]([[シリア]]) * [[2013年]]–継続{{ColonSp}}[[南スーダン]]における政府軍と反政府軍の内戦([[南スーダン]]) * [[2014年]]–継続{{ColonSp}}[[ウクライナ紛争 (2014年-)]]([[ウクライナ]]) * [[2014年]]–[[2020年]]{{ColonSp}}[[2014年リビア内戦|第二次リビア内戦]](リビア) * [[2015年]]–継続{{ColonSp}}[[イエメン内戦 (2015年-)|イエメン内戦]]([[イエメン]]) * [[2018年]]–継続{{ColonSp}}[[エチオピア内戦 (2018年-)|エチオピア内戦]]([[エチオピア]]) == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * 田所昌幸「安全保障の新展開:1 内戦型紛争」防衛大学校安全保障学研究会編『最新版 安全保障学入門』亜紀書房、2003年、pp.254-258. * Asprey, R. B. 1975. War in the shadows: The guerrilla in history. 2 vols. New York: Doubleday. * Bond, J. E. 1974. The rules of riot: International conflict and the law of war. Princeton, N.J.: Princeton Univ. Press. * Wheatcroft, A. 1983. The world atlas of revolutions. New York: Simon and Schuster. == 関連項目 == * [[戦争]] * [[紛争]] * [[反乱]] * [[クーデター]] * [[民族紛争]] * [[交戦団体]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ないせん}} [[Category:内戦|*]] [[Category:歴史の一覧]] [[Category:軍事の一覧]]
2003-02-12T11:24:40Z
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青山剛昌
青山 剛昌(あおやま ごうしょう、1963年〈昭和38年〉6月21日 - )は、日本の漫画家。血液型はB型。鳥取県東伯郡大栄町(現・北栄町)出身。鳥取県立由良育英高等学校、日本大学藝術学部美術学科絵画コース卒。 代表作の『名探偵コナン』と『YAIBA』は、それぞれ小学館漫画賞を受賞し、テレビアニメ化やコンピュータゲーム化がされている。特に『名探偵コナン』は、連載が25年以上続いており、劇場アニメ化、テレビドラマ化もされている(2021年に発行部数が2億5千万冊を突破)。ほかに、『まじっく快斗』『4番サード』などの作品がある。 1963年、鳥取県大栄町(現・北栄町)に4人兄弟の次男として生まれる。子供のころから漫画が好きで描いてはいたが親に叱られるためこっそり描いていた。北栄町立大栄小学校を卒業。小学生の時の卒業文集に「私立探偵専門の漫画家になりたい」と書いており、青山剛昌ふるさと館に展示されているが、本人はそのことを覚えていなかったと発言している。北栄町立大栄中学校時代、民藝運動に関わる染織家で美術教師の吉田たすくから絵を褒められ、「やりたいことがあったらそれをやったらいいよ」と薦められ、美術関係の道を考えるようになった。鳥取県立由良育英高等学校を卒業した後、漠然と美術教師を目指して日本大学芸術学部へ進学する。剣道少年であり、部活動は小中高とずっと剣道部に在籍していたが、アニメーターに憧れて高2から美術部に入った。 大学時代は漫画研究部「熱血漫画根性会」に所属。元々はアニメーターを志望していたが、漫研の先輩である矢野博之にアニメーターよりも、漫画家のほうが儲かると言われ、漫画家を目指すことになる。 ちばてつやの大ファンであり、『おれは鉄兵』が好きだったことから『週刊少年マガジン』に持ち込み、佳作をもらい、担当編集者とも上手く行っていたが、ある時、編集長から「青山くんの絵が気に食わない」「このまま『マガジン』でやるなら絵柄を変えたほうがいい」と担当経由で伝えられ、『マガジン』でやっていくことを断念。 その後、講談社を出て、持ち込み先を選ぶために近くの本屋へ雑誌を探しに行き、その場にあった『週刊少年サンデー』を見たことやあだち充のファンで絵が可愛いこともあり、編集部へ連絡し、その足で原稿を持ち込んだ。この時に原稿を見てくれた編集者の世話になり、1986年、『ちょっとまってて』で小学館新人コミック大賞に入選し、同作でデビューした。 それを機に就職活動はせず、生活費は『ひらけ!ポンキッキ』の背景を描くアルバイトをしたり新人賞の賞金を使ったりして、半年間は頻繁にネームを編集者へ持って行った。 1987年に、『週刊少年サンデー』増刊号で『まじっく快斗』の連載を開始。 1988年には、『週刊少年サンデー』でチャンバラアクション漫画『YAIBA』の連載を開始する。これが人気作となり初の長期連載となって、1993年に『YAIBA』で第38回小学館漫画賞・児童部門を受賞。その後、『剣勇伝説YAIBA』としてテレビアニメ化される。 1994年(平成6年)、『週刊少年サンデー』で『名探偵コナン』の連載を開始する。「『マガジン』で『金田一』がヒットしているので、『サンデー』でも推理マンガをやってくれないか」と編集部に打診されて『名探偵コナン』を描き始めた。当初はあまり乗り気ではなく、ネタ的に続かないため3か月程度で終わるだろうと思っていた。 2005年、高山みなみと結婚、2007年に離婚。 2007年3月18日には出身地である鳥取県北栄町の道の駅大栄に青山剛昌ふるさと館が開館した。 2017年12月13日、療養と充電のため、『名探偵コナン』の再開時期未定の長期休載が、『少年サンデー』第3・4合併号で発表された。2018年4月にVTR出演した際には4か月の休養については編集部の意図であり、青山本人は「病床に伏せっていたわけではない」と述べている。 2022年には小学館、集英社という出版社の垣根を越えて週刊少年ジャンプの代表作家である尾田栄一郎とのコラボレーションと対談が実現している。 2005年5月5日に声優の高山みなみと結婚。青山自身の作品『YAIBA』の主人公・鉄刃(くろがねやいば)役や、『名探偵コナン』の主人公・江戸川コナン役として出演しており、それがきっかけとなった。愛猫は結婚祝いにアシスタント達から贈られたロシアンブルーのカイト。その後、2007年12月10日に離婚したことが報じられた。 2002年に『名探偵コナン』の制作は1つのエピソードが描き終わると仮眠、起きるとその日のうちに編集者と次の話作りに取りかかり結末まで一気に3、4話を打ち合わせ、3日間でネームを仕上げ、再び打ち合わせ、そして4日間でペン入れと仕上げという1週間の流れで原稿を完成させており、睡眠するときくらいしか休みはなく休載時に旅行へ出かけてもコナンのことを考えて完全な休みはないと話している。「結婚するとこの生活が続けられない」と質問されたのに対して結婚するとペースを維持できないと肯定しており、上の人から何を言われても勝手にさせてもらわないとやらないと言ったこともあり、生活も作品も好き勝手にやっているから続けていけるんだろうと語っていた。 4人兄弟の次男で、兄は科学者、1つ下の弟は実家を継いでエンジニア、1番下の弟が米子市の病院に勤務する医師。科学的なことは兄に聞き、アニメにも詳しいことから登場人物の声優は誰がいいか助言を受けたり、死亡推定時刻などは医師である弟に聞き、もう1人の弟から車関係のことを聞いている。また、従兄弟の一人に小学校教員がおり、県警の警視であるアシスタントの義父も合わせて、コナンを描くときのアドバイスを貰っているとのこと。従兄弟の一人にはお笑いコンビ・オキシジェンの田中知史がいる。 「(主人公やヒロインの精神年齢に対する)肉体の年齢が、ある日突然大きく狂わされる」または「肉体の年齢を飛び越える」というモチーフを多く使用している。例えば、年上の恋人と同い年になるためにタイムスリップを試みる少年を描いたデビュー作『ちょっとまってて』、桜が起こした奇跡で青年の姿に若返った老剣士が、つかの間蘇った青春を楽しむ活劇『プレイ イット アゲイン』、永遠の命をもたらす伝説の宝石を追う組織に父親を殺害された高校生が、組織の野望を砕くために二代目怪盗として活躍する『まじっく快斗』、若い娘の生気を吸い老婆に変える宇宙人の女王によってヒロインが老婆の姿にされる『YAIBA』かぐや編、名探偵として名を馳せた高校生が未完成の毒薬の作用で小学1年生相当の姿に若返り、探偵としての地位や証言能力を失った状態で正体を隠したまま組織を追うため、奇想天外な秘密道具の行使や幼馴染の父を影武者に仕立て上げる事で子供姿のまま探偵稼業を続ける『名探偵コナン』など。 以前は作品が完結しないで連載・執筆を終えることもあった。しかし『名探偵コナン』の最終回のプロットは、作者自身の頭の中ですでに出来上がっていると話している。その後2019年4月24日に放送された『1周回って知らない話』にゲスト出演した際には最終回のオチが本格的に決まったことを明かしている。 アニメーター志望であったこともあり、『剣勇伝説YAIBA』の最終回や『名探偵コナン』の劇場版、2019年1月12日放送の新春・連載1000回記念2週連続1時間スペシャル『紅の修学旅行(恋紅編)』では、原画や絵コンテをはじめ、ゲストキャラクターのデザインや脚本の監修など(いずれも一部)、積極的に関わっている。原画は、主にクライマックスなど、キャラクターの見せ場となるシーンを担当している。 絵の特徴の一つである目のハイライトの入れ方のルーツは、大学1年の時にハマっていた『戦闘メカ ザブングル』のキャラの瞳であり、通称「ネジ目」と呼ばれる虹彩のない瞳に1本のハイライトが入ったデザインを変化させ、もっとキラキラさせたのが最初とのこと。また、光の入れ方には「目線の逆方向に入れる」という法則がある。この特徴的な目の描き方について「これは発明した!」と答えている。
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青山 剛昌は、日本の漫画家。血液型はB型。鳥取県東伯郡大栄町(現・北栄町)出身。鳥取県立由良育英高等学校、日本大学藝術学部美術学科絵画コース卒。 代表作の『名探偵コナン』と『YAIBA』は、それぞれ小学館漫画賞を受賞し、テレビアニメ化やコンピュータゲーム化がされている。特に『名探偵コナン』は、連載が25年以上続いており、劇場アニメ化、テレビドラマ化もされている(2021年に発行部数が2億5千万冊を突破)。ほかに、『まじっく快斗』『4番サード』などの作品がある。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 青山 剛昌 | ふりがな = あおやま ごうしょう | 画像 = Gosho Aoyama.jpg | 画像サイズ = 150px | 脚注 = <!-- 画像の説明文 --> | 本名 = 青山 剛昌<br />(あおやま よしまさ)<ref name="conandrill1">{{Harvnb|コナンドリル|2003|p=197}}</ref> | 生年 = {{生年月日と年齢|1963|6|21}} | 生地 = [[日本]]・[[鳥取県]][[東伯郡]][[北栄町]] | 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> | 没地 = <!-- [[日本]]・XX都道府県YY市区町村 --> | 国籍 = <!-- [[日本]]出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 職業 = [[漫画家]] | 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 --> | 活動期間 = [[1986年]] - | ジャンル = [[少年漫画]] | 代表作 = 『[[まじっく快斗]]』<br />『[[YAIBA]]』<br />『[[名探偵コナン]]』 | 受賞 = 1986年:[[小学館新人コミック大賞]]『[[ちょっとまってて]]』<br />第38回:[[小学館漫画賞]]児童部門『YAIBA』<br />第46回:小学館漫画賞少年部門『名探偵コナン』<br/>第37回:[[藤本賞]]『[[名探偵コナン から紅の恋歌]]』<br />第67回:「[[映画の日]]」中央式典特別功労賞 | サイン = <!-- 画像ファイル名 --> | 公式サイト = [http://www.conatsu.com/ こなん通信社] }} '''青山 剛昌'''(あおやま ごうしょう、[[1963年]]〈[[昭和]]38年〉[[6月21日]]<ref name="mangaseek">まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、{{ISBN2|4-8169-1760-8}}、7頁</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[ABO式血液型|血液型]]は[[ABO式血液型|B型]]。[[鳥取県]][[東伯郡]][[大栄町 (鳥取県)|大栄町]](現・[[北栄町]])出身<ref name="mangaseek" />。[[鳥取県立鳥取中央育英高等学校|鳥取県立由良育英高等学校]]<ref name="ふるさと館">[http://www.gamf.jp/41.html 青山剛昌ふるさと館 青山剛昌さんについて プロフィール]</ref><ref group="注">1998年に再編で[[鳥取県立鳥取中央育英高等学校]]に。</ref>、[[日本大学芸術学部・大学院芸術学研究科|日本大学藝術学部]][[美術科 (学科)|美術学科]]絵画コース卒<ref name="mangaseek" />。 代表作の『[[名探偵コナン]]』と『[[YAIBA]]』は、それぞれ[[小学館漫画賞]]を受賞し、[[テレビアニメ]]化や[[コンピュータゲーム]]化がされている。特に『名探偵コナン』は、連載が25年以上続いており、[[アニメーション映画|劇場アニメ]]化、[[テレビドラマ]]化もされている(2021年に発行部数が2億5千万冊を突破)。ほかに、『[[まじっく快斗]]』『[[4番サード]]』などの作品がある。 == 来歴 == === 生い立ち === [[1963年]]、[[鳥取県]][[大栄町 (鳥取県)|大栄町]](現・[[北栄町]])に4人兄弟の次男として生まれる<ref>[http://www.conan-town.jp/contents/sec2_6.htm 青山剛昌(あおやまごうしょう)先生のプロフィール] - [http://www.conan-town.jp/ 北栄町商工会]</ref><ref name="MS2019-5">{{Cite journal |和書 |title=あだち充×青山剛昌 スペシャル対談!!!!! |date=2019-4-12 |publisher=[[小学館]] |journal=[[ゲッサン]] 2019年5月号 |volume=11 |issue=5 |pages=7-10}}</ref>。子供のころから漫画が好きで描いてはいたが親に叱られるためこっそり描いていた<ref name="conandrill2">{{Harvnb|コナンドリル|2003|p=193}}</ref>。[[北栄町立大栄小学校]]を卒業<ref name="ふるさと館" />。小学生の時の[[卒業文集]]に「私立探偵専門の漫画家になりたい」と書いており、[[青山剛昌ふるさと館]]に展示されているが<ref>[https://web.archive.org/web/20160927163353/http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/owarai/pbb5afab007a844617e78da49dcc94725 コナン作者が卒業文集に書いた夢に驚き]</ref>、本人はそのことを覚えていなかったと発言している<ref name="conandrill2 " />。[[北栄町立大栄中学校]]時代、[[民藝運動]]に関わる[[染織家]]で美術教師の[[吉田たすく]]から絵を褒められ、「やりたいことがあったらそれをやったらいいよ」と薦められ、美術関係の道を考えるようになった<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGKDZO45325290T20C12A8NNSP00/ 漫画家 青山剛昌さん「やりたいことをやったらいい」美術の先生、部活を辞めたときに:日本経済新聞]</ref>。[[鳥取県立鳥取中央育英高等学校|鳥取県立由良育英高等学校]]を卒業した後、漠然と美術教師を目指して[[日本大学芸術学部・大学院芸術学研究科|日本大学芸術学部]]へ進学する<ref name="ふるさと館" /><ref name="conandrill2 " />。剣道少年であり、部活動は小中高とずっと[[剣道]]部に在籍していたが、アニメーターに憧れて高2から美術部に入った<ref name="sunday20172324">週刊少年サンデー2017年5月10日・17日合併号 Vol.23・24『サンデー非科学研究所』「その53 青山剛昌のルーツを探れ!の巻」内での本人談</ref>。 === 大学時代とデビュー === 大学時代は漫画研究部「熱血漫画根性会」に所属<ref>[https://www.art.nihon-u.ac.jp/about/award/award5.html 日藝賞第5回受賞者] - [https://www.art.nihon-u.ac.jp/ 日本大学藝術学部]</ref>。元々は[[アニメーター]]を志望していたが<ref name="mancolle"/>、漫研の先輩である[[矢野博之]]にアニメーターよりも、漫画家のほうが儲かると言われ、漫画家を目指すことになる<ref name="hikagaku1">[[週刊少年サンデー]] 2016年5月4日号 Vol.21 pp.426-431「サンデー非科学研究所 その4 作画メシ〜青山剛昌先生編2〜『名探偵コナン』が生み出される部屋に潜入セヨ!!」。2016年4月20日発行・発売。</ref>。 [[ちばてつや]]の大ファンであり、『[[おれは鉄兵]]』が好きだったことから『[[週刊少年マガジン]]』に持ち込み、佳作をもらい、担当編集者とも上手く行っていたが、ある時、[[週刊少年マガジン#歴代編集長|編集長]]から「青山くんの絵が気に食わない」「このまま『マガジン』でやるなら絵柄を変えたほうがいい」と担当経由で伝えられ、『マガジン』でやっていくことを断念<ref name="hikagaku1"/><ref name="hikagaku2">[[週刊少年サンデー]] 2016年5月11日/18日号 Vol.22・23 pp.500-505「サンデー非科学研究所 研究その5 作画メシ〜青山剛昌先生編3〜 コナン誕生の数年前…青山先生の新人時代に迫る!!」2016年4月27日発行・発売。</ref>。 その後、[[講談社]]を出て、持ち込み先を選ぶために近くの本屋へ雑誌を探しに行き、その場にあった『[[週刊少年サンデー]]』を見たことや[[あだち充]]のファンで絵が可愛いこともあり、編集部へ連絡し、その足で原稿を持ち込んだ<ref name="hikagaku2"/><ref name="conandrill3">{{Harvnb|コナンドリル|2003|p=194}}</ref>。この時に原稿を見てくれた編集者の世話になり、[[1986年]]、『[[ちょっとまってて]]』で小学館新人コミック大賞に入選し、同作でデビューした<ref name="hikagaku2"/>。 それを機に就職活動はせず、生活費は『[[ひらけ!ポンキッキ]]』の背景を描くアルバイトをしたり新人賞の賞金を使ったりして、半年間は頻繁にネームを編集者へ持って行った<ref name="conandrill2" />{{Sfn|コナンドリル|2003|p=194-195}}。 === デビュー後 === 1987年に、『週刊少年サンデー』増刊号で『[[まじっく快斗]]』の連載を開始。 1988年には、『週刊少年サンデー』でチャンバラアクション漫画『[[YAIBA]]』の連載を開始する。これが人気作となり初の長期連載となって、1993年に『YAIBA』で第38回[[小学館漫画賞]]・児童部門を受賞。その後、『剣勇伝説YAIBA』としてテレビアニメ化される。 [[1994年]](平成6年)、『週刊少年サンデー』で『[[名探偵コナン]]』の連載を開始する。「『[[週刊少年マガジン|マガジン]]』で『[[金田一少年の事件簿|金田一]]』がヒットしているので、『[[週刊少年サンデー|サンデー]]』でも推理マンガをやってくれないか」と編集部に打診されて『名探偵コナン』を描き始めた。当初はあまり乗り気ではなく、ネタ的に続かないため3か月程度で終わるだろうと思っていた<ref name="teidan">{{Cite |和書 |title=名探偵コナン&金田一少年の事件簿01 |date=2008-4-10 |publisher=小学館 |series=小学館 少年サンデー特別増刊&講談社 少年マガジン増刊 }}青山剛昌、[[樹林伸|天樹征丸]]、[[さとうふみや]]による鼎談。</ref>。 === 2000年代以降 === [[ファイル:Gosho Aoyama Manga Factory.jpg|thumb|right|240px|青山剛昌ふるさと館]] 2005年、[[高山みなみ]]と結婚、2007年に離婚。 [[2007年]][[3月18日]]には出身地である鳥取県北栄町の[[道の駅大栄]]に[[青山剛昌ふるさと館]]が開館した<ref>{{Cite web|和書|title=鳥取)入館者100万人達成 青山剛昌ふるさと館:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/ASL8H46MNL8HPUUB003.html|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2021-02-02|language=ja}}</ref>。 [[2017年]][[12月13日]]、療養と充電のため、『名探偵コナン』の再開時期未定の長期休載が、『少年サンデー』第3・4合併号で発表された<ref>{{Cite web|和書|website=[[MANTANWEB]] |date=2017年12月13日 |url=https://mantan-web.jp/article/20171212dog00m200032000c.html |title=名探偵コナン:作者が病気療養、充電で長期休載へ |publisher=MANTAN |accessdate=2017年12月13日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171213010522/https://mantan-web.jp/article/20171212dog00m200032000c.html |archivedate=2017年12月13日 |deadlinkdate=}}</ref>。[[2018年]]4月にVTR出演した際には4か月の休養については編集部の意図であり、青山本人は「病床に伏せっていたわけではない」と述べている<ref>{{Cite web|和書|website=ORICON NEWS |date=2018年4月12日 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2109404/full/ |title=青山剛昌氏『名探偵コナン』休載の4ヶ月「描きたくてしょうがなかった」 |publisher=[[オリコン]] |accessdate=2018年4月12日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180412063622/https://www.oricon.co.jp/news/2109404/full/ |archivedate=2018年4月12日 |deadlinkdate=}}</ref>。 [[2022年]]には[[小学館]]、[[集英社]]という出版社の垣根を越えて[[週刊少年ジャンプ]]の代表作家である[[尾田栄一郎]]とのコラボレーションと対談が実現している<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=ehk6TMfro_s 【超特報】真実はいつもひとつなぎの大秘宝]</ref><ref>[https://www.youtube.com/watch?v=QUm1GNA3uXw 青山剛昌×尾田栄一郎OVER100雑誌横断対談発売記念PV]</ref>。 == 略歴 == * [[1986年]]([[昭和]]61年) - 『[[ちょっとまってて]]』で第19回小学館新人コミック大賞入選、デビュー(『[[週刊少年サンデー]]』1987年3・4合併号(1986年12月24日発売)に掲載)。 * [[1987年]](昭和62年) - 『週刊少年サンデー』増刊号で『[[まじっく快斗]]』の連載を開始。 * [[1988年]](昭和63年) - 『週刊少年サンデー』で『[[YAIBA]]』の連載を開始。 * [[1993年]]([[平成]]5年) - 『YAIBA』で第38回[[小学館漫画賞]](児童部門)受賞。『YAIBA』が『[[剣勇伝説YAIBA]]』としてテレビアニメ化される。 * [[1994年]](平成6年) - 『週刊少年サンデー』で『[[名探偵コナン]]』の連載を開始。 * [[1996年]](平成8年) - 『名探偵コナン』が[[名探偵コナン (アニメ)|テレビアニメ化]]される。 * [[2001年]](平成13年) - 『名探偵コナン』で第46回小学館漫画賞(少年部門)受賞。 * [[2003年]](平成15年) - 『名探偵コナン』の[[単行本|コミック]]の総発行部数が1億冊を突破。 * [[2005年]](平成17年) - 高山みなみと結婚 * [[2007年]](平成19年)[[3月18日]] - 青山剛昌ふるさと館が開館。 * [[2014年]](平成26年) - 『まじっく快斗』が『[[まじっく快斗#まじっく快斗1412|まじっく快斗1412]]』としてテレビアニメ化される。 * [[2017年]](平成29年) - 『名探偵コナン』のコミックの総発行部数が2億冊を突破<ref>[https://mantan-web.jp/article/20170808dog00m200027000c.html <名探偵コナン>サンデー初の連載1000話達成(2017年8月9日) -まんたんウェブ]</ref>。 == 人物 == ; 家族・親族 [[2005年]][[5月5日]]に声優の[[高山みなみ]]と結婚<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.little-station.co.jp/cafe/minami/minami_log/20050602.html | archiveurl = https://web.archive.org/web/20060414145417/http://www.little-station.co.jp/cafe/minami/minami_log/20050602.html | archivedate = 2006-4-14| title =ご報告します。 | publisher = LITTLE STATION| accessdate = 2020-04-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書| url = https://www.zakzak.co.jp/gei/2005_06/g2005060202.html | archiveurl = https://web.archive.org/web/20170915041834/http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_06/g2005060202.html | archivedate = 2017-9-15| title =コナン作者・青山剛昌さん、声優の高山みなみと入籍 | publisher = zakzak| accessdate = 2020-04-14}}</ref>。青山自身の作品『YAIBA』の主人公・鉄刃(くろがねやいば)役や、『名探偵コナン』の主人公・[[江戸川コナン]]役として出演しており、それがきっかけとなった。愛猫は結婚祝いに[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]達から贈られた[[ロシアンブルー]]のカイト{{refn|group="注"|『まじっく快斗』に由来。コナンにしなかったのは、妻である高山みなみが「コナンは私!」といったためとのこと<ref>『名探偵コナン51巻』({{ISBN2|978-4-09-127361-1}})より。</ref>。}}。その後、[[2007年]][[12月10日]]に離婚したことが報じられた<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/special/2007hakyoku/KFullNormal20071210064.html | archiveurl = https://web.archive.org/web/20160527211404/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special/2007hakyoku/KFullNormal20071210064.html | archivedate = 2016-5-27| title =「名探偵コナン」声優と原作者が離婚 | publisher = Sponichi Anne| accessdate = 2020-04-14}}</ref>。 2002年に『名探偵コナン』の制作は1つのエピソードが描き終わると仮眠、起きるとその日のうちに編集者と次の話作りに取りかかり結末まで一気に3、4話を打ち合わせ、3日間でネームを仕上げ、再び打ち合わせ、そして4日間でペン入れと仕上げという1週間の流れで原稿を完成させており、睡眠するときくらいしか休みはなく休載時に旅行へ出かけてもコナンのことを考えて完全な休みはないと話している<ref name="conandrill3" />{{Sfn|コナンドリル|2003|p=198}}。「結婚するとこの生活が続けられない」と質問されたのに対して結婚するとペースを維持できないと肯定しており、上の人から何を言われても勝手にさせてもらわないとやらないと言ったこともあり、生活も作品も好き勝手にやっているから続けていけるんだろうと語っていた{{Sfn|コナンドリル|2003|p=199}}。 4人兄弟の次男で、兄は[[科学者]]、1つ下の弟は実家を継いで[[自動車整備士|エンジニア]]、1番下の弟が[[米子市]]の[[病院]]に勤務する[[医師]]。科学的なことは兄に聞き、アニメにも詳しいことから登場人物の声優は誰がいいか助言を受けたり、死亡推定時刻などは医師である弟に聞き、もう1人の弟から車関係のことを聞いている{{Sfn|コナンドリル|2003|p=196}}。また、[[いとこ|従兄弟]]の一人に[[小学校教員]]がおり、県警の[[警視]]であるアシスタントの義父も合わせて、コナンを描くときのアドバイスを貰っているとのこと<ref name="sunday20172324"/>。従兄弟の一人にはお笑いコンビ・[[オキシジェン (お笑い)|オキシジェン]]の田中知史がいる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gamf.jp/2158.html|title=★オキシジェン田中さんご来館★|publisher=[[青山剛昌ふるさと館]] オフィシャルサイト|accessdate=2016-04-13}}</ref>。 ; 趣味・嗜好 * [[B'z]]、[[ZARD]]の大ファンであり、1997年以降の『名探偵コナン』の主題歌を、双方の所属する[[ビーイング]]グループ所属のアーティストが担当していることの所以の一つである。 * [[テレビドラマ]]『[[相棒]]』のファン。[[2011年]][[1月1日]]放送のseason9・第10話(元日SP)『聖戦』では、鑑識役として[[カメオ出演]]した。 * [[モンキー・パンチ]]、[[ちばてつや]]、[[あだち充]]の大ファンである。 * 『[[ルパン三世]]』、『[[機動戦士ガンダム]]』が好きで、度々インタビューなどで話題に出している他、『コナン』において『ルパン』や『ガンダム』関連の要素を取り入れることもある。 * [[コンピューターゲーム]]も好きで、『[[艦隊これくしょん -艦これ-|艦これ]]』にハマっていることがファンブックにおいて触れられている。 * 小学4年から高校2年まで[[剣道]]をやっていたため、自身の作品にも剣豪キャラが出るなどの影響が出ている。 * 好きな色は[[青紫]]。 * 熱烈な[[サッカー]]ファンとしても知られており、[[サッカー日本代表]]のことは93年の[[ドーハの悲劇]]がきっかけでその頃からずっと応援し続けている。また元イタリア代表の[[ロベルト・バッジョ]]のファンでもある<ref>[月刊BLT 6月号 2012]</ref>。 * 漫画家として挫折した事はなく、物欲もあまりなく、漫画さえ描けていればそれでいいと答えている<ref name="aoym">『青山剛昌 30周年記念本』三〇〇〇〇字インタビュー 82頁 - 123頁</ref>。 ; 食べ物 * 好きな食べ物は[[カレーライス]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.merumo.ne.jp/article/genre/4287778|title=名探偵コナンの作者のルーツを知れる「青山剛昌ふるさと館」|publisher=Yomerumo|accessdate=2017-03-19}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/19991019004659/http://www.nehe.nec.co.jp/digista/vehicle/vback4z.htm|title=Digital Station インタビュー|publisher=[[NEC]]|accessdate=2023-11-12}}</ref>。また、[[サントリー]]の[[ウーロン茶]]も大変好んでおり、長年に渡り日頃から愛飲しているという。なお、『コナン』の扉絵での作者メッセージにおいては、度々取材先などの食べ物の話題を出している。 * [[レーズン]]が嫌い。そのため『名探偵コナン』特別編にて主人公・江戸川コナンの嫌いな食べ物は青山と同じレーズンであるという設定の話が出されたことがある<ref>『名探偵コナン 特別編』第2巻おまけ漫画より。</ref>。[[納豆]]も嫌いであったが、ある時テレビ番組で、ひきわり納豆と細切り豚肉を合わせて炒めるとおいしいと言っていたため試したところとても美味しく、そこから納豆が大好きになった<ref name="aoym" />。 ; その他 * 身長は174センチメートルで工藤新一と同じ<ref name="conandrill1" />。 * 漫画家の中では比較的メディア出演が多い。 * デビュー間も無い頃に『[[痛快なりゆき番組 風雲!たけし城]]』([[TBSテレビ|TBS]])に挑戦者として出演している<ref>[https://web.archive.org/web/20151012114708/http://tvtopic.goo.ne.jp/program/tbs/59780/899430/ 『TBSもさんまも60歳 伝説のドラマ&バラエティ全部見せます!夢共演も大連発 (2015年10月12日放送回)』の番組概要ページ - gooテレビ番組(関東版):]2015年11月22日閲覧</ref>。結果は「悪魔の館」で[[丹古母鬼馬二]]扮する悪魔に捕まり、顔面に墨を塗られて失格<ref group="注">尚、青山と同じ放送回に参加したメンバーの中には当時[[毎日放送]][[アナウンサー]]だった[[子守康範]]がおり、子守も「悪魔の館」で池に落ちて失格となっている。</ref>。 * 大学時代、[[東京ディズニーランド]]の[[カリブの海賊]]の背景を描いている。描いた場所は海賊船が出てくる直前の、海賊たちが荒らしている街のレンガであり、その時にもらった記念の小切手を失くしたときはショックを受けたという<ref>『名探偵コナン 57巻』作者コメントより。</ref><ref>週刊少年サンデー 2018年 29号 目次コメント</ref>。尚、現在はリニューアルされたため、青山が描いたレンガは無くなっている。 * アシスタントは全員大学時代の漫画研究部の同級生や後輩であり、投稿作から現在に至るまで誰一人欠けることなく同じメンバーである<ref name="aoym" />。 * 『[[美少女戦士セーラームーン]]』の作者である[[武内直子]]から、「快斗がタキシード仮面のモデルなんですよ。」と言われたことがあるという<ref name="aoym" />。 * 『名探偵コナン』87巻に収録されている、「蘭GIRL」「新一BOY」は、2015年に入院した時に、もしかしたらこの先、漫画が描けなくなるかもしれないと感じ、「これだけは残しておきたい!」「絶対に描きたい!」と本気で思い、描いた作品であり、コナンのエピソードの中で一番好きだと答えている<ref name="aoym" />。 * 心の底から一番描きたいのは『まじっく快斗』で、コナンは終わるかもしれないけど、まじっく快斗は終わらないかもしれないと答えている<ref name="aoym" />。 == 作風 == 「(主人公やヒロインの精神年齢に対する)肉体の年齢が、ある日突然大きく狂わされる」または「肉体の年齢を飛び越える」というモチーフを多く使用している。例えば、年上の恋人と同い年になるためにタイムスリップを試みる少年を描いたデビュー作『ちょっとまってて』、桜が起こした奇跡で青年の姿に若返った老剣士が、つかの間蘇った青春を楽しむ活劇『プレイ イット アゲイン』、永遠の命をもたらす伝説の宝石を追う組織に父親を殺害された高校生が、組織の野望を砕くために二代目怪盗として活躍する『[[まじっく快斗]]』、若い娘の生気を吸い老婆に変える宇宙人の女王によってヒロインが老婆の姿にされる『[[YAIBA]]』かぐや編、名探偵として名を馳せた高校生が未完成の毒薬の作用で小学1年生相当の姿に若返り、探偵としての地位や証言能力を失った状態で正体を隠したまま組織を追うため、奇想天外な秘密道具の行使や幼馴染の父を影武者に仕立て上げる事で子供姿のまま探偵稼業を続ける『[[名探偵コナン]]』など。 以前は作品が完結しないで連載・執筆を終えることもあった。しかし『名探偵コナン』の最終回のプロットは、作者自身の頭の中ですでに出来上がっていると話している<ref>『名探偵コナン10+SDB』({{ISBN2|978-4-09-124716-2}})での読者の「最終回をどのようにするのかもう決めているのか」という旨の質問に「あります」と答えている。</ref>。その後2019年4月24日に放送された『[[1周回って知らない話]]』にゲスト出演した際には最終回のオチが本格的に決まったことを明かしている<ref>[https://datazoo.jp/tv/1%E5%91%A8%E5%9B%9E%E3%81%A3%E3%81%A6%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E8%A9%B1/1257025/2 1周回って知らない話 2019/04/24(水)19:00 の放送内容 ページ2 | TVでた蔵]</ref>。 [[アニメーター]]志望であったこともあり<ref name="mancolle">[https://web.archive.org/web/20160818193032/https://websunday.net/mezase/smc_p/hiden/094.html まんカレ通信/プロが語るまんが秘伝 part094 青山剛昌先生]</ref>、『剣勇伝説YAIBA』の最終回や『名探偵コナン』の劇場版、[[2019年]][[1月12日]]放送の新春・連載1000回記念2週連続1時間スペシャル『[[名探偵コナン 紅の修学旅行|紅の修学旅行(恋紅編)]]』では、[[原画#アニメーション|原画]]や[[絵コンテ]]をはじめ、ゲストキャラクターのデザインや脚本の監修など(いずれも一部)、積極的に関わっている。原画は、主にクライマックスなど、キャラクターの見せ場となるシーンを担当している。 絵の特徴の一つである目のハイライトの入れ方のルーツは、大学1年の時にハマっていた『[[戦闘メカ ザブングル]]』のキャラの瞳であり、通称「ネジ目」と呼ばれる虹彩のない瞳に1本のハイライトが入ったデザインを変化させ、もっとキラキラさせたのが最初とのこと。また、光の入れ方には「目線の逆方向に入れる」という法則がある<ref name="sunday20172324"/>。この特徴的な目の描き方について「これは発明した!」と答えている<ref name="aoym" />。 == 作品一覧 == [[ファイル:Hokuei GAMF Detective Conan Monument 1.jpg|thumb|right|220px|北栄町で開催される「すいか・ながいも健康マラソン」がモチーフとなっている石製モニュメント。]] {| class="wikitable" style="font-size:smaller; background-color:#ddf" ! タイトル !! 形式 !! 掲載誌 !! 収録!!備考 |- |[[ちょっとまってて]] ||読切||『週刊少年サンデー』(1987年3・4合併号)||[[青山剛昌短編集]]||デビュー作 |- |[[さりげなくルパン]] ||読切||雑誌未発表(文庫版、ワイド版のみ収録)||[[まじっく快斗]]||『まじっく快斗』の原型とされる作品。 |- |夏のサンタクロース||読切||『週刊少年サンデー』(1987年15号)||青山剛昌短編集|| |-style="background-color:#fdd" |まじっく快斗||連載||『[[週刊少年サンデー]]』『[[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊号]]』(1987年26号 - 不定期連載中)||まじっく快斗|| |- |サンデー19show さまよえる赤い蝶||読切||『週刊少年サンデー』(1988年6号)||青山剛昌短編集|| |-style="background-color:#fdd" |[[探偵ジョージのミニミニ大作戦]]||連載|| 『週刊少年サンデー』(1988年18号 - 20号)||青山剛昌短編集|| |- |プレイ イット アゲイン||読切||『週刊少年サンデー増刊号』(1988年5月号)||青山剛昌短編集||『YAIBA』の原型とされる作品。 |- |[[えくすかりばあ]]||読切||『週刊少年サンデー増刊号』(1988年8月号)||青山剛昌短編集||『4番サード』の原型とされる作品。 |-style="background-color:#fdd" |[[YAIBA]]||連載||『週刊少年サンデー』(1988年39号 - 1993年50号)||YAIBA|| |-style="background-color:#fdd" ||[[4番サード]]||連載||『週刊少年サンデー増刊号』(1991年1月号 - 1993年2月号)||4番サード|| |-style="background-color:#fdd" |[[名探偵コナン]]||連載||『週刊少年サンデー』(1994年5号 - 連載中)|||| |- |Tell Me A Lie 〜私にウソをついて||読切||(2007年[[週刊ヤングサンデー]]読切([[ショートショート]])作品)||短(新装版のみ)|| |- |} ===原作担当漫画=== {| class="wikitable" style="font-size:smaller; background-color:#fdd" ! タイトル !! 形式 !! 掲載誌 !! 担当!!スタッフ!!収録!!備考 |- |[[名探偵コナン 特別編]]||連載||[[小学館の学年別学習雑誌]]→[[コロコロイチバン!]](1996年 - 連載中)||原案||'''まんが'''<br>山㟁栄一<br>阿部ゆたか・丸伝次郎/プロット:平良隆久<br>太田勝と江古田探偵団 → 太田勝・窪田一裕 ||単行本||『名探偵コナン』のスピンオフ作品 |- |[[AKB48殺人事件]]||連載||『週刊少年サンデー』(2012年31号 - 2012年41号)||原作||'''原案''':[[秋元康]]、'''作画''':[[梧桐柾木]]|| 単行本|| |- |[[名探偵コナン 犯人の犯沢さん]]||連載||[[週刊少年サンデーS]](2017年7月号 - 連載中)||原作||'''作画''':[[かんばまゆこ]]||単行本||『名探偵コナン』のスピンオフ作品 |- |[[名探偵コナン ゼロの日常]]||連載|| 週刊少年サンデー(2018年24号 - 2022年26号) ||原作||'''作画''':[[新井隆広]]||単行本||『名探偵コナン』のスピンオフ作品 |} == 書籍情報 == === 少年サンデーコミックス === * [[まじっく快斗]] - 既刊5巻 * [[YAIBA]] - 全24巻 * [[YAIBA]] 新装版 - 全24巻 * [[4番サード]] - 全1巻 * [[青山剛昌短編集]] - 全1巻 * [[青山剛昌短編集]] 新装版 - 全1巻 * [[名探偵コナン]] - 既刊104巻 === 少年サンデーコミックス スペシャル=== * [[まじっく快斗]] TREASURED EDITION - 既刊5巻 === 少年サンデーコミックス ワイド版 === * [[YAIBA]] ワイド版 - 全12巻 === 少年サンデーブックス === * [[4番サード|青山剛昌短編集 4番サード]] - 全1巻 === 小学館文庫 === * [[YAIBA]] 文庫版 - 全10巻 * [[4番サード|青山剛昌短編集 4番サード]] 文庫版 - 全1巻 == その他の参加作品 == * [[人生ゲーム|SUPER人生ゲーム]](ゲーム、1994年、[[タカラ (玩具メーカー)|タカラ]]) - キャラクターデザイン * [[ライブ・ア・ライブ]] (ゲーム、1994年、[[スクウェア・エニックス|スクウェア]])幕末編のキャラクターデザイン * CM:[[江崎グリコ]]『[[アイスの実]]』「AKB48殺人事件」篇(2012年6月25日 - )※原作担当 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|title=コナンドリル|editor=少年サンデー特別編集プロジェクト編|publisher=[[小学館]]|date=2003-05|isbn=9784091794024|ref={{SfnRef|コナンドリル|2003}}}} == 外部リンク == * [http://www.conatsu.com/ こなん通信社] - 公式サイト * [https://websunday.net/author/639/ まんが家バックステージ 青山剛昌] * [https://www.gamf.jp/ 名探偵コナンに会えるまち 鳥取県北栄町 青山剛昌ふるさと館 オフィシャルサイト] * {{Mediaarts-db|C55995|青山剛昌}} {{名探偵コナン}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:あおやま こうしよう}} [[Category:青山剛昌|*]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:芸術学士取得者]] [[Category:日本大学出身の人物]] [[Category:剣道に関する人物]] [[Category:鳥取県立鳥取中央育英高等学校出身の人物]] [[Category:鳥取県出身の人物]] [[Category:1963年生]] [[Category:存命人物]]
2003-02-12T11:31:37Z
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ケン・イシイ
ケン・イシイ(Ken Ishii、石井健、1970年5月12日 - )は、日本のテクノミュージシャン、DJ。別称は「東洋のテクノ・ゴッド」など。ニックネームはけんちゃん、ケニー。活動初期から、東京の雰囲気を題材としたオリエンタルかつインテリジェントな作風で知られている。 北海道札幌市生まれ、東京都育ち。筑波大学附属駒場中学校・高等学校から一橋大学社会学部卒業後、大手広告代理店電通に勤務する。内部メモリ上のデータが壊れ、プリセットが全く使えない状態になってしまったコルグM1(オールインワンシンセ)を、音色をゼロから作り直す等して駆使し、デトロイトテクノの影響下にありつつも、東京をモチーフとした東洋的なセンスの楽曲を製作した。1993年には、学生時代に制作したデモテープがベルギーのテクノレーベル・R&Sレコーズに採用される。 その後リリースされた 1st『Garden On The Palm』 は、イギリスの音楽誌『NME』のテクノチャートでNo.1を獲得。当時、日本では全く無名の存在だった為、当初は英国在住の日系人ではないか等、様々な噂や憶測が飛び交った。その後『電気グルーヴのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)等、いくつかの日本のメディアでも逆輸入のかたちで紹介されることとなる。 1990年代以降、日本人のテクノミュージシャンで海外で本格的に評価された最初の人物であり、その道を切り開いた功績は大きい。続く2nd『Jelly Tones』は、その音の美しさ、繊細さと独特なビートで世界を席巻、瞬く間に頂点に駆け上った。このアルバムでは従来のリスニング路線に加え、ダンスビートをより意識した作風へと徐々に変化を遂げた。 ケン・イシイ名義および別名義「FLR」での活動は日本のサブライムレコーズからのリリースが中心となっている。また、楽曲制作と並行してDJとしての活動も精力的に行っており、2004年の「Ibiza DJ Award」では、Best Techno DJを受賞した。毎年恒例のREEL UPというイベントをサブライムレコーズのDJ YAMAと主催している。 2011年英国アカデミー賞音響賞ノミネート。 R&Sレコーズでデビューする以前に、当時アルファレコードのA&Rで後にソニーテクノを立ち上げる弘石雅和へデモテープを渡している。しかしリリースには至らなかった。 プロレス通であり、インディーズ団体などにも詳しい。
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ケン・イシイは、日本のテクノミュージシャン、DJ。別称は「東洋のテクノ・ゴッド」など。ニックネームはけんちゃん、ケニー。活動初期から、東京の雰囲気を題材としたオリエンタルかつインテリジェントな作風で知られている。
{{Infobox Musician <!-- プロジェクト:音楽家を参照 --> |名前 = ケン・イシイ |画像 = KEN ISHII clubasia 14th Anniversary (4489667620).jpg |画像説明 = |画像サイズ = <!-- サイズが幅250ピクセルに満たない場合のみ記入 --> |画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --> |背景色 = singer |出生名 = 石井健 |別名 = 東洋のテクノ・ゴッド <br /> けんちゃん <br /> ケニー <br /> Rising Sun <br />ケニシ |出生 = {{生年月日と年齢|1970|5|12}}<br>{{JPN}} [[北海道]][[札幌市]] |出身地 = {{JPN}} [[東京都]] |死没 = <!-- 個人のみ --><!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> |学歴 = [[一橋大学社会学部]]卒業 |ジャンル = [[テクノ_(ダンスミュージック)|テクノ]] |職業 = [[テクノ_(ダンスミュージック)|テクノ]][[ミュージシャン]]、[[ディスクジョッキー|DJ]]、[[音楽プロデューサー]] |担当楽器 = <!-- 個人のみ --> |活動期間 = [[1993年]] - |レーベル = 70 Drums、sublimerecords |事務所 = |共同作業者 = |公式サイト = [https://kenishii.com official site] |著名使用楽器 = <!-- 個人のみ --> }} '''ケン・イシイ'''(''Ken Ishii''、石井健、[[1970年]][[5月12日]]<ref>[https://checkout.tokyo/archives/130 東洋のテクノ・ゴッドkenishii(ケン・イシイ)!活動内容や代表曲をリサーチ!]、checkout</ref> - )は、[[日本]]の[[テクノ_(ダンスミュージック)|テクノ]][[ミュージシャン]]、[[ディスクジョッキー|DJ]]。別称は「'''東洋のテクノ・ゴッド'''」など。ニックネームはけんちゃん、ケニー。活動初期から、[[東京]]の雰囲気を題材とした[[オリエンタル]]かつ[[インテリジェント・ダンス・ミュージック|インテリジェント]]な作風で知られている。 == 略歴 == [[北海道]][[札幌市]]生まれ、[[東京都]]育ち。[[筑波大学附属駒場中学校・高等学校]]から[[一橋大学社会学部]]卒業後、大手広告代理店[[電通]]に勤務する。内部メモリ上のデータが壊れ、プリセットが全く使えない状態になってしまった[[コルグ]][[コルグ・Mシリーズ|M1]](オールインワンシンセ)を、音色をゼロから作り直す等して駆使し、[[デトロイトテクノ]]の影響下にありつつも、東京をモチーフとした東洋的なセンスの楽曲を製作した。[[1993年]]には、学生時代に制作したデモテープが[[ベルギー]]の[[テクノ_(ダンスミュージック)|テクノ]]レーベル・[[R&Sレコーズ]]に採用される。 その後リリースされた 1st『'''Garden On The Palm'''』 は、イギリスの音楽誌『[[ニュー・ミュージカル・エクスプレス|NME]]』のテクノチャートでNo.1を獲得。当時、日本では全く無名の存在だった為、当初は英国在住の日系人ではないか等、様々な噂や憶測が飛び交った。その後『[[電気グルーヴのオールナイトニッポン]]』([[ニッポン放送]])等、いくつかの日本のメディアでも逆輸入のかたちで紹介されることとなる。 [[1990年]]代以降、日本人のテクノミュージシャンで海外で本格的に評価された最初の人物であり、その道を切り開いた功績は大きい。続く2nd『Jelly Tones』は、その音の美しさ、繊細さと独特なビートで世界を席巻、瞬く間に頂点に駆け上った。このアルバムでは従来のリスニング路線に加え、ダンスビートをより意識した作風へと徐々に変化を遂げた。 ケン・イシイ名義および別名義「FLR」での活動は日本の[[サブライムレコーズ]]からのリリースが中心となっている。また、楽曲制作と並行してDJとしての活動も精力的に行っており、[[2004年]]の「Ibiza DJ Award」では、Best Techno DJを受賞した。毎年恒例のREEL UPというイベントをサブライムレコーズのDJ YAMAと主催している。 [[2011年]][[英国アカデミー賞]]音響賞ノミネート。 R&Sレコーズでデビューする以前に、当時[[アルファレコード]]の[[A&R]]で後に[[ソニーテクノ]]を立ち上げる[[弘石雅和]]へデモテープを渡している。しかしリリースには至らなかった。 [[プロレス]]通であり、インディーズ団体などにも詳しい。 == ディスコグラフィ == [[File:Ken Ishii at Maniac Beach 20070819.jpg|thumb|250px|ケン・イシイ(2007年8月19日)]] === シングル === * Switch of Love(1993年)(ESP/トモヒロ・ハセクラとのユニット、Rising Sun名義) * Samsara(1993年)(+8/Utu名義) * Deep Sleep(1993年) * Pneuma(1993年) * Tangled Notes(1994年) * Nettin Pure 1(1995年)(Reel Musiq/Flare名義) * EXTRA(1995年) * Nettin Pure 2(1996年)(Reel Musiq/Flare名義) * STRETCH(1996年8月7日) * Circular Motion(1996年10月2日<ref>[https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/SonyTechno/catalog/KI_CM.html KI_CM]、ソニーミュージックエンターテインメント</ref>) : [[タカシマヤタイムズスクエア]]CM曲 * Echo Exit(1997年4月9日<ref>[https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/SonyTechno/release/echo.html ECHO EXIT/ KEN SIHII]、ソニーミュージックエンターテインメント</ref>) : ジャケットデザインは長篇アニメ『[[AKIRA (アニメ映画)|AKIRA]]』等で有名な[[アニメーター]]、[[森本晃司 (アニメーター)|森本晃司]] * ICEBLINK -Theme Track For [[ホワイトアウト (小説)|WHITEOUT]]- (2000年7月19日) === アルバム === * Garden On The Palm(1993年)ミニアルバム * Inner Elements(1994年)  : 日本盤は、海外盤の「Garden On The Palm」重複曲を他シングルからの未収録曲に差しかえられている * Reference To Difference(1994年) (sublime)  : 1995年にFlare名義でコンピレーション提供曲を追加・曲順を変更し再発 * Green Times(1995年) (sublime)  : 93年にESPから発表されたRising Sun・Yoga名義の曲をコンパイル。初回盤にはボーナスディスク「Solar Man」(Flare名義)が封入。 * Jelly Tones(1995年12月1日) : ジャケット及び一曲目の「EXTRA」のPVは森本晃司に依るもの。原画は[[福島敦子 (アニメーター)|福島敦子]] * Grip(1996年) (sublime/Flare名義) * Re Grip(1996年) (sublime/Flare名義 Gripのリミックス盤) * Metal Blue America(1997年12月12日)<ref>[https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/SonyTechno/catalog/product/8523/index.html METAL BLUE AMERICA / KEN ISHII]、ソニーミュージックエンターテインメント</ref> : 同アルバム初回限定盤のみ収録のボーナストラック"drummelter"が[[テレビ朝日]]「[[ル・マン24時間レース]]」のイメージソングに起用される。 * Sleeping Madness(1997年5月21日) * Flatspin(2000年8月18日) * Future In Light(2002年10月30日) * SUNRISER(2006年11月1日) * Daybreak Reprise -SUNRISER Remixed- (2008年8月6日) * KI15 - The Best of Ken Ishii(2009年11月25日) * The Works + The Unreleased & Unexpected(2009年11月25日) * KI15-The Box(2010年1月27日) * Music for Daydreams(2012年2月8日) * Mobius Strip(2019年11月27日) * Abyssal Plain Remixes(2020年3月25日) === 参加作品 === * [[Rez]] * [[LSD (ゲーム)]] * [[ルミネス|ルミネスII]] * [[電気グルーヴ]]「[[N.O.]]」(1994年2月2日) : 3. N.O. (Ken Ishii Reproduction) * [[CONFUSION]]「[[WAY TO GO]]」(1995年1月21日) : 3. WAY TO GO (DISTORTED DIRECTION MIX) * [[V.A.]]「[[TRANSONIC 5(RE-ENTRY)]]」(1995年) : 3. MIND DESIGN / SKYWALK(KEN ISHII REMIX) * [[ダン・カーティン|Dan Curtin]]「[[Voices From Another Age]]」(1995年) : 3. Voices From Another Age (KEN ISHII REMIX) * [[東京スカパラダイスオーケストラ]]「ROCK MONSTER STRIKES BACK(KEN ISHII REMIX)」(maxiシングル、1996年7月21日) : カップリングは逆にイシイの楽曲「EXTRA」をスカパラが演奏している。イラストは[[大友克洋]]が担当。 * [[ヒカシュー]]「RETROACTIVE」(1996年8月28日) : 2. モデル (KEN ISHII REMIX) * [[イエロー・マジック・オーケストラ|YMO]]「YMO REMIXES TECHNOPOLIS 2000-01」(1999年11月3日) : 2. TIGHTEN UP (KEN ISHII REMIX) * [[倉木麻衣]]「Reach for the sky」(2000年11月8日) : 4. Reach for the sky KEN ISHII REMIX * [[藤原ヒロシ]]「Sametape?」(2003年8月20日) : 1. Sametape?(Ken Ishii Remix) * [[TRIBUTE TO YMO]](2004年) : 6. FIRECRACKER * [[PARADE?RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK?]](2005年12月21日) : 6. Living on the Net(Ken Ishii Remix) * [[ORANGE RANGE]]「[[Squeezed]]」(2006年4月12日) : 8. [[*〜アスタリスク〜]]Ken Ishii’s Seventh City Remix * DAVE ANGEL(2011年10月7日) : 11.「Type E」Dave Angel & Ken Ishii Dave Angelのアルバム「Frame By Frame」に収録 === その他 === * [[東京スマートドライバー]] - テーマBGM *FREEDOMMUNE 0<ZERO><ref>{{Cite web|title=KEN ISHII - DJ @ FREEDOMMUNE 0<ZERO> - YouTube|url=https://www.youtube.com/watch?v=gCpNe875JbE|website=www.youtube.com|accessdate=2020-12-01}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[石野卓球]] * [[ススム・ヨコタ]] * [[スティーヴ・ライヒ]] (現代音楽の巨匠。彼の作品をリミックスしている) * [[電気グルーヴ]] * [[砂原良徳]] * [[DJ Hell]] * [[フロッグマンレコーズ]] * [[YMOチルドレン]] * [http://iflyer.tv/event/90832 Synchronicity] * [[レイ・ハラカミ]] *[[OSAMU M]] == 外部リンク == * [http://www.kenishii.com/ KENISHII.COM] * {{MySpace|70drums}} * {{Twitter|k_ishii_70drums}} * {{Facebook|kenishiiofficial}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:いしい けん}} [[Category:日本の男性作曲家]] [[Category:日本のテクノミュージシャン]] [[Category:電通の人物]] [[Category:フジロック・フェスティバル出演者]] [[Category:一橋大学出身の人物]] [[Category:筑波大学附属駒場中学校・高等学校出身の人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:札幌市出身の人物]] [[Category:1970年生]] [[Category:存命人物]]
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学研
学研(がっけん)
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学研(がっけん) 学研ホールディングスの旧社名である学習研究社(がくしゅうけんきゅうしゃ)の略称。 上記企業の傘下にある出版社の株式会社Gakkenが使用する出版ブランド。「学研の図鑑」など。 学術研究都市(学研都市)の略称。 特に関西文化学術研究都市の愛称であるけいはんな学研都市の略称。 西日本旅客鉄道(JR西日本)片町線の愛称(学研都市線)。 近畿日本鉄道(近鉄)近鉄けいはんな線の駅 学研北生駒駅 学研奈良登美ヶ丘駅
'''学研'''(がっけん) * [[学研ホールディングス]]の旧社名である'''学'''習'''研'''究社(がくしゅうけんきゅうしゃ)の略称。 ** 上記企業の傘下にある出版社の'''[[Gakken|株式会社Gakken]]'''が使用する出版ブランド。「[[学研の図鑑]]」など。 * [[学術都市|学術研究都市]]([[学研都市]])の略称。 ** 特に[[関西文化学術研究都市]]の愛称である'''けいはんな学研都市'''の略称。 ** [[西日本旅客鉄道]](JR西日本)[[片町線]]の愛称(学研都市線)。 ** [[近畿日本鉄道]](近鉄)[[近鉄けいはんな線]]の駅 *** [[学研北生駒駅]] *** [[学研奈良登美ヶ丘駅]] {{aimai}} {{デフォルトソート:かつけん}}
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データベース
コンピューティングにおいて、データベース(英: database)は、電子的に保存され、アクセスできる組織化されたデータの集合である。実メモリに保存されるもの、CSVなどのファイルに保管される物、OSのファイルシステムなどから、後述のデータベース管理システムを使った大規模なものまである。 小規模なデータベースはOSのファイルシステム上にファイルとして保存されるが、大規模なデータベースはOSに依存しない低レベルなフォーマットで外部記憶装置に保存される。またコンピュータ・クラスターまたはクラウド・ストレージ(英語版)で保存される。データベース設計に関わる分野は多岐にわたり、データモデリング、効率的なデータ表現と保存、クエリ言語、機密データのセキュリティ(英語版)やプライバシー、同時アクセスとフォールトトレランスのサポートを含む分散コンピューティングの課題など、形式技術と実用的な考慮事項に及ぶ。 データベース管理システム(DBMS)は、エンドユーザー、アプリケーション、およびデータベース自体と対話し、データを取得し分析するためのソフトウェアである。さらに、DBMSソフトウェアには、データベースを管理するために提供される関連機能も含まれている。データベース、DBMS、関連アプリケーションの全体を含めてデータベースシステムと呼ぶ。しばしば「データベース」という用語が、DBMS、データベースシステム、またはデータベースに関連するアプリケーションのいずれかを指す場合に漠然と使われている。 コンピュータ科学者は、データベース管理システムを、サポートするデータベースモデルに基づいて分類している。リレーショナルデータベースは、1980年代の主流であった。これらは、データを一連の表の行と列としてモデル化し、大多数はデータの書き込みとクエリ(問い合わせ)にSQLを使用する。2000年代には、異なるクエリ言語を使用する NoSQL と総称される非リレーショナルデータベースが普及した。 形式的な「データベース」は、関連するデータの集合とその編成方法を指す。通常、このデータへのアクセスは、「データベース管理システム」(DBMS)によって提供される。DBMSは、ユーザーが1つまたは複数のデータベースと対話し、データベースに含まれるすべてのデータへのアクセスを提供するコンピュータソフトウェアの統合セットで構成されている(ただし、特定のデータへのアクセスを制限する制約が存在することもある)。DBMSは、大量の情報の入力、保存、および検索を可能にするさまざまな機能を提供し、その情報がどのように編成されているかを管理する方法を提供する。 このように、両者は密接な関係にあるため、「データベース」という用語は、データの集まりとしてのデータベースと、それを操作するために用いるDBMSの両方を指す言葉として気軽に使われることが多い。 情報技術の専門家以外の世界では、「データベース」という用語は、関連するデータの集合体(例: スプレッドシートやカードインデックスなど)を指すことが多く、サイズや使用要件の点からデータベース管理システムを用いることが一般的である。 既存のDBMSは、データベースとそのデータを管理するためのさまざまなな機能を提供しており、それらは次の4つの主要な機能群に分類される。 データベースとそのDBMSは共に、特定のデータベースモデルの原則に準拠している。 「データベースシステム」とは、データベースモデル、データベース管理システム、データベースを総称したものである。 物理的には、データベース・サーバーは、実際のデータベースを格納し、DBMSと関連ソフトウェアのみを実行する専用コンピュータである。データベース・サーバーは通常、大容量のメモリと、安定したストレージ(例: RAIDディスクアレイ)を備えたマルチプロセッサ・コンピュータである。大容量のトランザクション処理環境では、複数台のサーバーと高速チャネルを介して接続されたハードウェア・データベース・アクセラレータも使用される。ほとんどのデータベース・アプリケーション(英語版)の中心にDBMSがある。DBMSは、ネットワークのサポートを組み込んだカスタムのマルチタスク・カーネルを中心に構築されることもあるが、最近のDBMSは通常、これらの機能を提供するために、標準的なオペレーティングシステムに依存している。 DBMSは重要な市場(英語版)を形成しているため、コンピューターやストレージのベンダーは、自社の開発計画にDBMSの要件を考慮に入れていることが多い。 データベースとDBMSは、サポートするデータベースモデル(リレーショナルやXMLなど)、実行するコンピュータの種類(サーバークラスタから携帯電話まで)、データベースへのアクセスに使用するクエリ言語(SQLやXQueryなど)、内部エンジニアリング(性能、スケーラビリティ、障害許容力、およびセキュリティに影響する)によって分類することができる。 データベースとそれぞれのDBMSの規模、機能、性能は桁違いに大きくなっている。これらの性能向上は、プロセッサ、コンピュータメモリ、コンピュータストレージ、およびコンピュータネットワークの技術進歩により可能となった。データベースの概念は、1960年代半ばに広く普及した磁気ディスクなどの直接アクセス記憶媒体の出現によって可能となった。それ以前のシステムは、磁気テープへのデータの順次保存に依っていた。その後のデータベース技術の発展は、データモデルまたはデータ構造に基づいて、ナビゲーショナル、SQL/リレーショナル、ポストリレーショナルの3つの時代に分けることができる。 初期のナビゲーショナル・データモデルは、階層型モデルとネットワーク型モデル(CODASYLモデル)の2つが主であった。これらは、あるレコードから別のレコードへの関係を追跡するために、ポインタ(多くの場合、物理的なディスクアドレス)を使用することが特徴であった。 1970年にエドガー・F・コッドが提唱したリレーショナルモデルは、この伝統から脱却するもので、アプリケーションがリンクをたどるのではなく、内容からデータを検索すべきであると主張するものであった。リレーショナルモデルは、元帳型の表の集まりを組み合わせたもので、それぞれの表は異なる種類のエンティティ(実体)を格納する。1980年代半ばになって、コンピューティング・ハードウェアは、リレーショナルシステム(DBMSとアプリケーション)を幅広く普及するのに十分な性能を持つようになった。けれども、1990年代初頭には、すべての大規模なデータ処理アプリケーションにおいてリレーショナルシステムが主流となり、2018年現在も主流であり続けている。IBM Db2、Oracle、MySQL、Microsoft SQL Server、PostgreSQLは、最も検索されているDBMSである。リレーショナルモデル用の主要なデータベース言語である標準SQLは、他のデータモデル用のデータベース言語にも影響を与えた。 オブジェクトデータベースは、オブジェクト指向とリレーショナル型とのインピーダンスミスマッチ(相性の欠如)による不便さを解消するために1980年代に開発され、これにより「ポストリレーショナル(post-relational)」という言葉が生まれ、また、ハイブリッド型のオブジェクト・リレーショナルデータベースも開発された。 2000年代後半に登場した、次世代のポスト・リレーショナルデータベースは、高速なキーバリュー型ストアやドキュメント指向データベースを導入し、NoSQLデータベースと呼ばれるようになった。これと競合するNewSQLと呼ばれる次世代データベースは、リレーショナル/SQLモデルを維持しつつ、市販のリレーショナルDBMSと比較してNoSQLの高い性能に見合うような新しい実装を試みている。 データベースという言葉が登場したのは、1960年代半ば以降に、直接アクセスストレージ(ディスクやドラム)が利用できるようになった時期と重なる。この用語は、過去のテープベースのシステムとは対照的に、日常のバッチ処理ではなく、対話的な共有での利用を可能にすることを意味した。オックスフォード英語辞典では、カリフォルニアのSystem Development Corporation(英語版)が1962年に発表した報告書を、特定の技術的な意味で「データベース」という用語を初めて使用したものとして引用している。 コンピュータの速度と機能が向上するに伴い、多くの汎用データベースシステムが登場し、1960年代半ばには多くのこうしたシステムが商用化されるようになった。標準化への関心が高まり、そうした製品の一つであるIntegrated Data Store(IDS)の制作者であるチャールズ・バックマンが、COBOLの作成と標準化を担当したグループCODASYL内にデータベース・タスクグループを設立した。1971年、データベース・タスクグループは、一般に「CODASYLアプローチ」として知られるようになった彼らの標準を提供し、まもなくこのアプローチに基づいた多くの商用製品が市場に参入した。 CODASYLアプローチ方式は、アプリケーションに対し、大規模ネットワーク内に形成された連結データセットを移動する機能を提供した。アプリケーションは、3つの方法のうちのいずれかによってレコードを見つけることができる。 その後のシステムで、B木(B-tree)が追加され、代替アクセス経路を提供するようになった。また、多くのCODASYLデータベースでは、エンドユーザー向けに(ナビゲーション型APIとは異なる)宣言型クエリ言語も追加された。しかし、CODASYLデータベースは複雑で、有用なアプリケーションを作るには多大な訓練と労力を要した。 また、IBMは、1966年に、Information Management System(IMS)として知られる独自のDBMSを持っていた。IMSは、アポロ計画のために作成されたソフトウェアのSystem/360への発展型であった。IMSは一般にCODASYLと概念が似ているが、そのデータナビゲーションのモデルは厳密な階層を使用し、CODASYLのネットワーク型モデルではなかった。どちらの概念も、データへのアクセス方法の観点から、後にナビゲーショナル・データベースと呼ばれるようになった。この用語は、1973年のバックマンのチューリング賞の講演「The Programmer as Navigator」によって広まった。IBMによって、IMSは階層型データベースとして分類されている。IDMSやCincom Systems(英語版)のTOTALデータベースは、ネットワーク型データベースに分類される。2014年現在、IMSは使用されている。 エドガー・F・コッドは、カリフォルニア州サンノゼにあるIBMの研究室の1つで、主にハードディスクシステムの開発に携わっていた。彼は、CODASYLアプローチのナビゲーションモデルにおいて、特に「検索(search)」機能の欠如に不満を抱いていた。1970年、彼はデータベース構築の新しいアプローチを概説する多くの論文を書き、最終的に画期的な論文「大規模共有データバンクのためのデータのリレーショナルモデル(A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks)」に結実させた。 この論文で、彼は大規模なデータベースを保存し、操作するための新しいシステムについて説明した。コッドの考えは、CODASYLのように自由形式のレコードをある種の連結リストに格納するのではなく、データをいくつかの「テーブル」(table、表)として編成し、それぞれのテーブルを異なる種類のエンティティ(entity、実体)に使用することであった。各テーブルは、エンティティの属性を含む固定数の列を含むことになる。各テーブルの1つ以上の列は、テーブルの行を一意に識別するための主キーとして指定され、テーブル間の相互参照には、ディスクアドレスではなく、常にこの主キーが使用された。クエリにおいては、関係論理の数学的体系に基づく一連の操作を用いて、これらのキー関係に基づいてテーブルを結合する(モデルの名前の由来)。データを正規化された一連のテーブル(または関係(relation)、リレーション)に分割することで、各々の「ファクト(fact、事実)」を一度だけ保存するようにし、更新操作を簡略化する。ビュー(view)と呼ばれる仮想的なテーブルは、ユーザーごとに異なる方法でデータを表示することができるが、ビューを直接更新することはできなかった。 コッドは、テーブル、行、列ではなく、関係(relation)、組(tuple)、定義域(domain)という数学用語を使ってモデルを定義した。現在よく知られているこれらの用語は、初期の実装に由来するものである。コッドは後に、実際の実装が、モデルの基礎となった数学的な基礎から逸脱する傾向にあることを批判した。 テーブル間の関係を表すために、ディスクアドレスではなく主キー(ユーザー指向の識別子)を使用したのは、主に2つの動機があった。エンジニアリングの観点からは、費用がかかるデータベースの再編成をすることなく、テーブルの再配置やサイズ変更を可能とした。しかし、コッドは、セマンティクス(意味)の違いにより強い興味を持っていた。明示的な識別子を使用することで、純粋な数学的定義で更新操作を定義することが容易になり、一階述語論理という確立した学問分野の観点でクエリ操作を定義できるようになった。これらの操作は純粋な数学的性質があるため、クエリ最適化の基礎をなす証明可能な正しい方法でクエリを書き換えることが可能となる。テーブル間の接続は明示的ではなくなったが、階層型モデルやネットワーク型モデルと比較して表現力が損なわれることはない。 階層型モデルやネットワーク型モデルでは、レコードが複雑な内部構造を持つことが許容された。たとえば、ある従業員の給与履歴は、従業員レコードの中の「繰り返しグループ」として表わされることがある。リレーショナルモデルでは、正規化の過程によって、そのような内部構造は、論理キーのみで結合された複数のテーブルに保持されたデータで置き換えられた。 たとえば、データベースシステムの一般的な使い方として、ユーザーに関する情報、名前、ログイン情報、さまざまな住所や電話番号を突き止めることがあげられる。ナビゲーショナル方式では、これらのデータはすべて1つの可変長レコード内に格納される。リレーショナル方式では、そのデータは(たとえば)ユーザーテーブル、アドレステーブル、電話番号テーブルに「正規化(normalize)」される。これらの任意のテーブル内には、実際に住所や電話番号が提供された場合のみ、レコードが作成される。 コッドは、(ディスクアドレスではなく)論理的な識別子を使用して行/レコードを識別するだけでなく、アプリケーションが複数のレコードからデータを組み立てる方法も変更した。アプリケーションがリンクを移動して1レコードずつデータを収集することを要求するのではなく、アプリケーションは、宣言型のクエリ言語を使用して(どのようにデータを見つけるかというアクセス経路ではなく)どのようなデータが必要なのかを表現する。データへの効率的なアクセス経路を見つけるのは、アプリケーションのプログラマーではなく、データベース管理システムの責任となった。クエリ最適化(query optimization)と呼ばれるこの過程は、クエリが数学的論理の観点で表現されているという事実に基づいている。 コッドの論文は、バークレー校のユージン・ウォン(英語版)とマイケル・ストーンブレーカーの二人によって着目された。彼らは、地理データベースプロジェクトにすでに割り当てられていた資金と、コードを作成する学生プログラマーを使って、INGRESと呼ばれるプロジェクトを開始した。INGRESは、1973年の初頭に最初のテスト製品を提供し、1979年には一般に広く使用されるようになった。INGRESは、データアクセス(英語版)のためのQUELと呼ばれる「言語(language)」の使用を含め、多くの点でIBM System Rと類似していた。時の経過とともに、INGRESは新しい標準SQLに移行していった。 IBM自身は、リレーショナルモデルのテスト実装であるPRTV(英語版)と、製品版であるBusiness System 12(英語版)の開発を一度行ったが、いずれも現在は廃止されている。Honeywellは、Multics用のMRDS(英語版)を開発したが、現在ではAlphora Dataphor(英語版)とRel(英語版)の2つの新しい実装が存在する。「リレーショナル」と呼ばれる他のDBMSの実装のほとんどは、実際にはSQL DBMSである。 1970年、ミシガン大学は、デイヴィッド・L・チャイルズ(英語版)の集合論的データモデルに基づくMICRO情報管理システム(英語版)の開発を開始した。MICROは、非常に大きなデータセットを管理するために、米国労働省、米国環境保護庁、アルバータ大学、ミシガン大学、ウェイン州立大学の研究者によって使用された。これは、ミシガン・ターミナル・システム(英語版)を使用するIBMメインフレームコンピューター上で稼働した。このシステムは1998年まで稼動し続けた。 1970年代から1980年代にかけ、ハードウェアとソフトウェアを統合したデータベースシステムの構築が試みられた。その根底にある理念は、このような統合が、より高い性能をより低い費用で提供できるというものである。その例として、IBM System/38、Teradataの初期の製品、およびBritton Lee, Inc.(英語版)のデータベースマシンがあげられる。 また、データベース管理をハードウェアでサポートするアプローチには、ICL(英語版)のCAFS(英語版)アクセラレータという、プログラム可能な検索機能を持つハードウェアディスクコントローラーがあった。しかし、汎用コンピュータの急速な発展と進歩に、データベース専用機が追いつくことができなかったため、長期的にはこれらの取り組みは概して失敗に終わった。こうしたことから、現今のほとんどのデータベースシステムは、汎用ハードウェア上で動作するソフトウェアシステムであり、汎用のコンピュータとデータストレージを使用している。しかし、この着想は今もなお、Netezza(英語版)やOracle (Exadata(英語版))など一部の企業によって特定の用途で追求されている。 1970年代前半、IBMは、System Rとして、コッドの概念に大まかに基づいたプロトタイプシステムの開発を始めた。最初のバージョンは1974年5月に完成し、その後、レコードを構成するすべての要素(一部はオプション)を単一の大きな「チャンク(chunk、塊)」に格納する必要がないように、データを分割できるマルチテーブルシステムに対応する作業が開始された。その後、1978年と1979年にマルチユーザーバージョンが顧客によってテストされ、その時点では標準化されていたクエリ言語SQLが追加されていた。コッドのアイデアは、実行可能でCODASYLよりも優れたものとして確立され、IBMがSQL/DSとして知られるSystem Rの真の製品版、そして後にDatabase 2(IBM Db2)を開発することを後押しした。 ラリー・エリソンのOracle Database(以下、Oracle)は、IBMのSystem Rに関する論文を基に、別の系統から出発した。Oracle V1の実装は1978年に完了したが、エリソンが1979年にIBMを打ち負かしたのはOracle Version 2を市場に投入してからであった。 ストーンブレーカーはその後、INGRESからの教訓を応用して、現在はPostgreSQLとして知られている新しいデータベースPostgresを開発した。PostgreSQLは、大域的で基幹的な業務アプリケーションによく使用されている。(.orgや.infoのドメイン名レジストリでは、多くの大企業や金融機関と同様に、これを主要データストア(英語版)として使用している)。 スウェーデンでもコッドの論文は読まれ、1970年代半ばにウプサラ大学でMimer SQL(英語版)が開発された。1984年、このプロジェクトは独立した企業に統合された。 1976年に登場した実体関係モデルは、それまでのリレーショナルモデルよりも馴染みのある記述法を重視したもう一つのデータモデルであり、データベース設計で人気を博した。その後、実体-関係構造は、リレーショナルモデルのデータモデリング構造として追加され、両者の違いは無意味なものとなった。 1980年代は、デスクトップコンピューティングの時代の到来を告げた。新しいコンピュータは、Lotus 1-2-3のような表計算ソフトやdBASEのようなデータベースソフトで、ユーザーに力をもたらした。dBASE製品は軽量で、コンピューターユーザーは誰でも容易に理解できた。dBASEの作者、ウェイン・ラトリフ(英語版)は次のように述べている。「dBASEは、BASIC、C、FORTRAN、COBOLのようなプログラムとは異なり、多くの汚い仕事はすでに行われている。データ操作はユーザーではなくdBASEが行うので、ユーザーはファイルを開き、読み込み、閉じ、スペース割り当ての管理などの汚い詳細に煩わされることなく、自分のしていることに集中することができる」。dBASEは、1980年代から1990年代初頭にかけて、最も売れたソフトウェアの一つであった。 1990年代は、オブジェクト指向プログラミングの台頭とともに、さまざまなデータベース内のデータの扱い方で発展が見られた。プログラマーと設計者は、データベース内のデータをオブジェクトとして扱うようになった。つまり、ある個人のデータがデータベース内にある場合、その人の住所、電話番号、年齢などの特性は外来のデータではなく、その人に属するものと考えられるようになった。これにより、データ間の関係は、個々のフィールドではなく、オブジェクトとその属性に関連付けられる。プログラムされたオブジェクトとデータベースのテーブルとの間の変換の不都合は、「オブジェクト-リレーショナル・インピーダンスミスマッチ」という言葉で表わされる。オブジェクト・データベースやオブジェクト・リレーショナルデータベースは、この問題を解決するために、プログラマーが純粋なリレーショナルSQLの代わりに使用できるオブジェクト指向言語(SQLの拡張機能という場合もある)を提供しようとするものである。プログラミング側の立場では、オブジェクト・リレーショナル・マッピング(ORM)と呼ばれるライブラリで、同じ問題を解決しようとしている XMLデータベースは、構造化されたドキュメント指向データベースの一種で、XML文書の属性に基づいたクエリが可能である。XMLデータベースは、たとえば科学論文、特許、税務申告、人事記録など、非常に柔軟なものから非常に厳格なものまで、データをさまざまな構造を持つ文書の集合として見るのに便利なアプリケーションで主に使用される。 NoSQLデータベースは、多くの場合、非常に高速で、固定化したテーブルスキーマを必要とせず、非正規化(英語版)したデータを格納することで結合操作を回避し、水平スケーリングするように設計されている。 近年、高い分断耐性を備えた大規模分散データベースが強く求められているが、CAP定理によれば、分散システムで一貫性、可用性、分断耐性を同時に備えることは不可能とされている。分散システムは、これら3つの保証のうち、いずれか2つを同時に満たすことはできても、3つすべてを満たすことはできない。そのため、多くのNoSQLデータベースでは、データ整合性のレベルを下げて可用性と分断耐性の両方を保証する、結果整合性という考え方を採用している。 最新のリレーショナルデータベースの一種であるNewSQLは、SQLを使用し、また従来のデータベースシステムのACID保証を維持しながらも、オンライントランザクション処理のワークロード(読み込みと書き込みの両方を伴う)に対して、NoSQLシステムと同じスケーラブルな性能を提供することを目的としている。 データベースは、組織の内部業務を支援し、顧客や発注先とのオンラインでのやり取りを支えるために使用される(エンタープライズ・ソフトウェアを参照)。 データベースは、業務における管理情報、エンジニアリングデータや経済モデルなどのより専門的なデータを保持するためにも使用される。たとえば、コンピュータによる図書館システム、航空座席予約システム、コンピュータ化された部品在庫管理システム、およびウェブサイトをウェブページの集合としてデータベースに保存する多くのコンテンツ管理システムなどがあげられる。 データベースを分類する方法として、たとえば、書誌(英語版)、文書、テキスト、統計、マルチメディアなど、その内容の種類によるものがある。第二の方法は、会計、作曲、映画、銀行、製造、保険など、応用面による分類がある。第三の方法は、データベースの構造やインタフェースの種類など、技術的な側面によるものである。この節では、さまざまな種類のデータベースを特徴付けるために使用される用語をいくつか列挙する。 ConnollyとBeggは、データベース管理システム(DBMS)を「ユーザーがデータベースを定義、作成、保守、およびアクセスを制御できるようにするソフトウェアシステム」と定義している。DBMSの例として、MySQL、PostgreSQL、Microsoft SQL Server、Oracle Database、Microsoft Accessがあげられる。 DBMSの頭文字は、基盤となるデータベースモデルを示して拡張されることがあり、リレーショナル型はRDBMS、オブジェクト(指向)型(英語版)はOODBMS、オブジェクトリレーショナル型はORDBMSと呼ばれる。また、分散型データベース管理システムを表すDDBMSなど、他の特性を表すように拡張することができる。 DBMSが提供する機能は非常に多様である。中心的な機能は、データの保存、検索、更新である。コッドは、本格的な汎用DBMSが提供すべき機能およびサービスとして、次のようなものを提案した。 また、DBMS は、インポート、エクスポート、監視、デフラグメント、分析ユーティリティなど、データベースを効果的に管理するために必要な一連のユーティリティを提供することも、一般に期待されている。データベースとアプリケーション・インタフェースの間で相互作用するDBMSの中心部分は、データベース・エンジンと呼ばれることもある。 多くのDBMSは、データベースが使用できるサーバ上のメインメモリの最大量など、静的または動的に調整可能な構成パラメータを持っている。手動構成する量を最小限に抑える傾向があり、組み込みデータベース(英語版)のような場合は、ゼロ管理を目標とする要求が最も重要である。 大規模なエンタープライズDBMSでは、サイズや機能が増大する傾向があり、その生涯を通じて数千人年の開発努力が費やされることがある。 初期のマルチユーザーDBMSでは、一般的に、アプリケーションを同じコンピュータ上で動作させ、コンピュータ端末または端末エミュレーションソフトウェアを通じてアクセスすることしかできなかった。クライアント・サーバー・アーキテクチャは、アプリケーションはクライアントのデスクトップ上にあり、サーバー上に存在するデータベースが処理を分散できるように開発された。これが進化して、アプリケーションサーバーやウェブサーバーを組み込んだ多層アーキテクチャとなり、エンドユーザーインターフェイスはウェブブラウザーを介してアクセスし、データベースは隣接する層に直接接続されるのみとなった。 汎用DBMSは、公開のアプリケーション・プログラミング・インタフェース(API)と、オプションでSQLなどのデータベース言語用のプロセッサを提供して、データベースと対話し操作するアプリケーションを作成できるようにする。特殊用途のDBMSは、プライベートなAPIを使用し、特別にカスタマイズして単一のアプリケーションにリンクされることがある。たとえば、電子メールシステムは、メッセージの挿入、削除、添付ファイルの処理、ブロックリストの検索、メッセージと電子メールアドレスの関連付けなど、汎用DBMSの機能の多くを実行するが、これらの機能は電子メールの処理に必要なものに限定されている。 データベースとの外部相互作用は、DBMSと接続するアプリケーション・プログラムを介して行われる。アプリケーションは、ユーザーが文字的または視覚的にSQLクエリを実行できるデータベースツールから、情報を格納し検索するためにデータベースを使用するWebサイトまで、多岐にわたる。 プログラマーは、アプリケーション・プログラミング・インタフェース(API)またはデータベース言語を介して、データベース(データソース(英語版)と呼ばれることもある)との相互対話をコーディングする。選択された特定のAPIや言語は、DBMSによって直接的にサポートされるか、またはプリプロセッサまたはブリッジングAPIを介して間接的にサポートされる必要がある。APIの中にはデータベースに依存しないことを目的とするものもあり、ODBCはそのよく知られた例である。その他の一般的なAPIには、JDBCやADO.NETがある。 データベース言語は、次のような作業を可能とする特殊用途の言語であり、部分言語(英語版)として区別されることもある。 データベース言語は、特定のデータモデルに特化した言語である。著名な例として次のものがある。 データベース言語には、次のような機能を組み込んでいるものもある。 データベースストレージは、データベースの物理的な実体の格納庫である。これは、データベースアーキテクチャの「内部(物理)レベル」を構成する。また、必要に応じて「内部レベル」から「概念レベル」や「外部レベル」を再構築するために必要なすべての情報(たとえばメタデータ、「データに関するデータ」、内部データ構造など)も含んでいる。デジタル・オブジェクトとしてのデータベースには、データ、構造、セマンティクス(意味)の3つの層からなる情報が含まれ、保存する必要がある。長期間に渡ってデータベースを保存(英語版)し、長持ちさせるために、3つの層すべてを適切に保存する必要がある。データを永続的ストレージに保存するのは、一般に、データベースエンジン(別名「ストレージエンジン」)の責任である。DBMSは通常、基盤となるオペレーティングシステムを通じてアクセスするが(多くの場合、オペレーティングシステムのファイルシステムを、ストレージ配置の仲介役として使用する)、ストレージの特性と構成設定はDBMSの効率的な運用に極めて重要であるため、データベース管理者によって密接に管理される。DBMSは、その運用中に、常に数種類のストレージ(メモリや外部ストレージ)にデータベースを常駐させている。データベースのデータと、追加の必要な情報(おそらく非常に大量にある)は、ビット列に符号化される。データは通常、概念レベルや外部レベルでの見え方とは全く異なる構造でストレージ内に存在するが、ユーザーやプログラムが必要とするとき、または必要な情報の追加形式をデータから計算するとき(例: データベースに問い合わせる時)、これらのレベルの再構築を(可能な限り)最適化するような方法で格納される。 DBMSの中には、データの格納に用いる文字エンコーディングを指定できるものがあり、同じデータベースで複数のエンコーディングを使用することができる。 データモデルをシリアル化し、選ばれた媒体に書き込めるようにするために、ストレージエンジンは、さまざまな低レベルのデータベースストレージ構造(英語版)を使用する。性能を向上させるために、インデックス作成などの手法を使用することもある。従来のストレージは行指向であるが、列指向データベースや相関データベース (en:英語版) もある。 性能を向上させるためにストレージを冗長化することがよくある。一般的な例は、頻繁に必要とされる外部ビュー(external view)や、クエリ結果から構成されるマテリアライズド・ビュー(materialized view)の保存である。このようなビューを保存することで、必要になるたびに計算する費用を節約することができる。マテリアライズド・ビューの欠点は、元の更新されたデータベースデータと同期を維持するためにビューを更新する際に発生するオーバーヘッドと、ストレージの冗長化にかかる費用である。 データベースは、データの可用性を向上させるために、データベース・オブジェクトの複製(1つ以上のレプリケーション)によるストレージ冗長性を採用することがある。これによって、同じデータベース・オブジェクトに複数のエンドユーザーが同時アクセスした場合の性能を向上させ、また、分散データベースに部分的な障害が発生した場合の回復力を提供する。複製されたオブジェクトの更新には、オブジェクトのコピー間で同期される必要がある。多くの場合、データベース全体が複製される。 データベース・セキュリティ(英語版)は、データベースの内容、その所有者、およびそのユーザーを保護するためのあらゆる側面を扱う。その範囲は、意図的な不正なデータベースの使用から、権限のないエンティティ(たとえば、人やコンピュータプログラムなど)による意図しないデータベースへのアクセスまで、さまざまな保護に及ぶ。 データベースアクセス制御は、データベース内のどの情報に誰が(人間または特定のコンピュータプログラム)アクセスを許可されるかを制御することを扱う。その情報には、特定のデータベースオブジェクト(例: レコード種類、特定レコード、データ構造)、特定のオブジェクトに対する特定の計算(例: クエリ種類、特定のクエリ)、または前者に対する特定のアクセス経路の使用(例: 情報にアクセスするために特定のインデックスまたは他のデータ構造の使用)が含まれる。データベースのアクセス制御は、データベース所有者から特別に許可された人員によって、保護された専用のセキュリティDBMSインタフェースを用いて設定される。 アクセス制御の管理は、個人別に直接行うことも、個人と特権(英語版)をグループに割り当てることも、(最も精巧なモデルでは)個人やグループにロール(役割)を割り当ててからロールに権限を付与することもできる。データセキュリティは、権限のないユーザーによるデータベースの閲覧や更新を阻止する。パスワードを使用すると、ユーザーはデータベース全体、または「サブスキーマ」と呼ばれる一部分へのアクセスを許可される。たとえば、従業員データベースには個々の従業員に関するすべてのデータを含めていても、あるグループのユーザーには給与データのみの閲覧を許可し、別のグループには職歴と医療データのみアクセスを許可することが可能である。DBMSがデータベースの入力、更新、問い合わせを対話的に行う方法を提供している場合、この機能によって個人データベースを管理することができる。 一般にデータセキュリティ(英語版)は、特定のデータチャンク(data chunk、塊)を物理的に保護すること(すなわち破損、破壊、削除から。物理的セキュリティ(英語版)を参照)、または、データチャンクやその一部を意味のある情報に変換すること(例: それらが構成するビット列を見て、特定の有効なクレジットカード番号を決定する。データ暗号化を参照)の両方を扱う。 変更およびアクセスのロギングは、誰がどの属性にアクセスしたか、何が変更されたか、そしていつ変更されたかを記録する。ロギングサービスは、アクセスの発生や変更の記録を保持することで、後でフォレンジックデータベース監査(英語版)を行うことを可能にする。場合によっては、データベースレベルで記録するのではなく、アプリケーションレベルのコードで変更を記録することもある。セキュリティ違反の検出を試みるために監視を設定することもできる。データベース・セキュリティには多くの利点があるため、組織はこれに真剣に取り組む必要がある。組織は、ファイアウォール内への侵入、ウィルスの蔓延、ランサムウェアなどのセキュリティ違反やハッキング行為から守られる。これは、企業において、いかなる理由があっても部外者と共有することが許されない、重要な情報を保護するために役に立つ。 データベース・トランザクションは、クラッシュ(障害)からの復旧後に、ある程度の耐障害性とデータ完全性を導入するために使用することができる。データベーストランザクションは通常、データベースに対する一連の操作(データベースオブジェクトの読み込み、書き込み、ロック(英語版)の取得や解放など)をカプセル化した作業の単位であり、データベースやその他のシステムでサポートされている抽象概念である。各トランザクションには、どのプログラム/コードの実行がそのトランザクションに含まれるかという点で、明確に定義された境界がある(トランザクションの設計者が、特別なトランザクションコマンドで決定する)。 ACIDという頭字語は、データベーストランザクションの理想的な特性である、原子性(atomicity)、一貫性(consistency)、分離性(isolation)、永続性(英語版)(durability)を表している。 あるDBMSで構築されたデータベースは、別のDBMSに移植できない(つまり、別のDBMSでは実行できない)。しかし、状況によっては、あるDBMSから別のDBMSにデータベースを移行(database migration)するのが望ましい場合がある。その理由は、主に経済的(DBMS によって総所有コスト(TCO)が異なる)、機能的、および運用的(DBMSによって機能が異なることがある)である。移行には、あるDBMSの種類から別の種類へデータベースを変換することも含まれる。この変換では、(可能であれば)データベース関連のアプリケーション(つまり、関連するすべてのアプリケーションプログラム)をそのまま維持する必要がある。したがって、データベースの概念レベルおよび外部レベルのアーキテクチャ(英語版)は、変換時に維持する必要がある。また、アーキテクチャの内部レベルのいくつかの側面も維持されることが望まれる場合もある。複雑または大規模なデータベースの移行は、それ自体が複雑で費用のかかる(1度きりの)プロジェクトになる可能性があるので、移行を決定するときはその点を考慮する必要がある。これは、特定のDBMS間の移行を支援するツールが存在する可能性があるのにも関わらない。一般に、DBMSベンダーは、他の普及しているDBMSからデータベースをインポートするツールを提供している。 アプリケーションのデータベースを設計したら、次の段階はデータベースの構築である。通常、この用途で用いるために、適切な汎用DBMSを選択することができる。DBMSは、データベース管理者が必要なアプリケーションのデータ構造をDBMSの各データモデルに準じて定義するために必要なユーザーインタフェースを提供する。その他のユーザーインタフェースは、必要なDBMSパラメータ(セキュリティ関連、ストレージ割り当てパラメータなど)を選択するために用いられる。 データベースの準備が整うと(データ構造およびその他の必要なコンポーネントがすべて定義される)、通常は、運用を開始する前にアプリケーションの初期データを入力する(データベースの初期化は、通常は別プロジェクトとされ、多くの場合、一括挿入をサポートする専用のDBMSインタフェースを用いる)。場合によっては、アプリケーションのデータを持たない状態でデータベースが稼働し、その運用を経てデータが蓄積されることもある。 データベースを作成し、初期化し、データを入力した後は、データベースを維持する必要がある。たとえば、より良い性能を得るために、さまざまなデータベース・パラメータを変更し、データベースをチューニング(英語版)する必要があるかもしれない。あるいは、アプリケーションの機能を追加するために、アプリケーションのデータ構造を変更または追加し、新しい関連アプリケーションプログラムを作成するかもしれない。 場合によっては、データベースを以前の状態に戻すことが必要となる(たとえばソフトウェアの誤りが原因でデータベースが破損していることが判明した場合や、誤ったデータで更新された場合など、さまざまな理由が考えられる)。そのために、バックアップ操作が時々または継続的に実施され、それぞれの望ましいデータベースの状態(すなわち、データ値とデータベースのデータ構造への埋め込み)が専用のバックアップファイルに保持される(これを効果的に行うための多くの技術が存在する)。データベース管理者がデータベースをこの状態に戻すと決めたとき(たとえば、データベースがこの状態にあった時、所望の時点を指定する)、これらのファイルをその状態を復元するために使用する。 ソフトウェア検証のための静的解析技術は、クエリ言語の領域にも適用することができる。特に、抽象解釈フレームワークは、適切な近似技術をサポートする方法として、リレーショナルデータベースのクエリ言語の分野に拡張されている。クエリ言語のセマンティクスは、データの具体的な領域(ドメイン)を適切に抽象化することによって調整することができる。リレーショナルデータベースシステムの抽象化は、特に、細粒度アクセス制御や、電子透かしなどのセキュリティ分野で、多くの興味深い応用がある。 DBMSのその他の機能として、次のようなものもあげられる。 データベース管理とソース管理のために、ビルド、テスト、デプロイメントフレームワークに、これらの中心機能をすべて組み込んだ単一システムを求める声はますます高まっている。ソフトウェア業界における別の進化を借りて、そうした製品を「データベース用DevOps」として提供する企業もある。 データベース設計者の最初の作業は概念データモデル (en:英語版) の作成で、データベースに保持する情報の構造を反映する。そのための一般的な方法は、描画ツールを用いて実体関連モデルを作成することが多い。統一モデリング言語(UML)の使用は、もう一つのよく知られた方法である。出来のよいデータモデルは、モデル化される外界の可能な状態を正確に反映する。たとえば、人々が複数の電話番号を持つことができる場合、その情報を取得することが可能となる。優れた概念データモデルを設計するには、アプリケーションの領域を十分に理解する必要がある。それには、一般的に、組織が関心を持っていることについて深い問いを立てる必要がある。たとえば「顧客は発注先にもなり得るのか?」、あるいは「ある製品が2種類の包装形態で販売されている場合、それらは同じ製品か、それとも異なる製品なのか?」、あるいは「飛行機がニューヨークからフランクフルト経由でドバイまで飛ぶ場合、それは1便か2便か(または3便か)?」のような質問をする。これらの質問に対する回答によって、エンティティ(顧客、製品、フライト、フライト区間)に使用される用語の定義、およびそれらの関係や属性を確立する。 概念データモデルを作成する過程で、ビジネスプロセスからの入力や、組織内のワークフロー分析からの入力が必要な場合がある。これによって、データベースにどのような情報が必要で、何を省略できるかを特定することができる。たとえば、データベースに現在のデータだけでなく、過去の履歴データも保持する必要があるかどうかを決定するのに役立つ。 ユーザーが満足できる概念データモデルを作成したら、次の段階では、これをデータベース内の関連データ構造を実装するスキーマに変換する必要がある。この過程は、しばしば論理データベース設計と呼ばれ、スキーマの形で表現された論理データモデルを作成する。概念データモデルがデータベース技術の選択と関係しないのに対し(少なくとも理論的には)、論理データモデルは、選択したDBMSがサポートする特定のデータベースモデルの観点で表現される。(データモデルとデータベースモデルという用語はしばしば同じ意味で用いられるが、この記事では特定のデータベースの設計を「データモデル」、その設計を表現するために用いられるモデリング表記を「データベースモデル」とそれぞれ呼ぶ。) 汎用データベースで最も普及しているデータベースモデルはリレーショナルモデル、より正確には、SQL言語で表現されるリレーショナルモデルである。このモデルを用いて論理データベースを設計する過程では、正規化と呼ばれる系統的アプローチが用いられる。正規化の目的は、挿入、更新、削除の一貫性を自然に維持することで、おのおのの基本的「事実」を一箇所にのみ記録することでなされる。 データベース設計の最終段階では、特定のDBMSに依存する性能、スケーラビリティ、回復、セキュリティなどに影響する決定をする。これはしばしば「物理データベース設計」と呼ばれ、物理データモデルを作成する。この段階での重要な目標はデータの独立性(英語版)である。これは、性能を最適化するために行われた決定を、エンドユーザーやアプリケーションから見えないようにすることを意味する。データの独立性には2つのタイプがあり、物理的なデータ独立性と論理的なデータ独立性である。物理設計は主に性能要件によって推進され、予想される作業負荷とアクセスパターンに関する十分な知識と、選択したDBMSが持つ機能についての深い理解を必要とする。 物理データベース設計のもうひとつの側面はセキュリティである。これには、データベースオブジェクトへのアクセス制御を定義することと、データ自体のセキュリティレベルとメソッド(手順)の定義の両方を含んでいる。 データベースモデルとは、データベースの論理構造を決定するデータモデルの一種で、データをどのように格納、整理、操作するかの根本を規定するものである。データベースモデルの最も一般的な例は、テーブルベースの形式を使用するリレーショナルモデル(またはリレーションを近似したSQL)である。 データベースの一般的な論理データモデルを次にあげる。 オブジェクトリレーショナルデータベースは、この2つの関連する構造を組み合わせたものである。 物理データモデルを次にあげる。 その他、次のようなモデルがある。 特定の種類のデータ用に最適化された特殊モデルがある。 データベース管理システムは、データベースのデータに対して三層のビューを提供する。 データの概念ビュー(または論理ビュー)および物理ビュー(または内部ビュー)は、通常、1つしかないが、さまざまな外部ビューはいくつでも存在することができる。これにより、ユーザーは、技術的あるいは処理的な視点からではなく、よりビジネスに関連した視点からデータベース情報を見ることができるようになる。たとえば、企業の財務部門は会社の経費の一部として全従業員の支払明細を必要とするが、人事部門の関心事である従業員に関する明細は必要ない。このように、部門によって、企業データベースには異なるビューが必要となる。 三層データベース・アーキテクチャは、リレーショナルモデルの主要な初期推進力の1つであったデータの独立性(英語版)の概念に関連している。この考え方は、あるレベルで行われた変更は、より高いレベルのビューに影響を与えないというものである。たとえば、内部レベルの変更は、概念レベルのインタフェースを使用して記述されたアプリケーションプログラムには影響しないので、性能を向上させるために物理的変更を加えてもその影響を軽減することができる。 概念ビューは、内部ビューと外部ビューの間に間接的なレベルを提供する。一方では、異なる外部ビュー構造に依存しないデータベースの共通ビューを提供し、また他方では、データがどのように格納され管理されるかという詳細(内部レベル)を抽象化する。原則として、すべてのレベルの、さらにはすべての外部ビューは、異なるデータモデルで表現することができる。実際には通常、特定のDBMSは外部レベルと概念レベルの両方で同じデータモデルを使用する(例: リレーショナルモデル)。内部レベルは特定のDBMSの内側に隠されており、(その実装にも依存するが)異なるレベルの詳細が要求され、独自の種類のデータ構造型が用いられる。 外部、概念、および内部レベルを分離することは、21世紀のデータベースを支配するリレーショナルデータベースモデルの実装における大きな特徴であった。 データベース技術は、1960年代から、学界や企業の研究開発グループ(例: IBM基礎研究所)の両方で活発な研究課題となっている。研究活動には、理論(英語版)やプロトタイプの開発が含まれる。注目すべき研究課題には、モデル、アトミックトランザクションの概念、関連する並行性制御技術、クエリ言語とクエリ最適化手法、RAIDがある。 データベース研究分野には、いくつかの専門学術誌や(例: ACM Transactions on Database Systems-TODS、Data and Knowledge Engineering-DKE)、年次会議(例: ACM SIGMOD、ACM PODS、VLDB、IEEE ICDE)がある。 日本の学会としては、日本データベース学会があげられる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "コンピューティングにおいて、データベース(英: database)は、電子的に保存され、アクセスできる組織化されたデータの集合である。実メモリに保存されるもの、CSVなどのファイルに保管される物、OSのファイルシステムなどから、後述のデータベース管理システムを使った大規模なものまである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "小規模なデータベースはOSのファイルシステム上にファイルとして保存されるが、大規模なデータベースはOSに依存しない低レベルなフォーマットで外部記憶装置に保存される。またコンピュータ・クラスターまたはクラウド・ストレージ(英語版)で保存される。データベース設計に関わる分野は多岐にわたり、データモデリング、効率的なデータ表現と保存、クエリ言語、機密データのセキュリティ(英語版)やプライバシー、同時アクセスとフォールトトレランスのサポートを含む分散コンピューティングの課題など、形式技術と実用的な考慮事項に及ぶ。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "データベース管理システム(DBMS)は、エンドユーザー、アプリケーション、およびデータベース自体と対話し、データを取得し分析するためのソフトウェアである。さらに、DBMSソフトウェアには、データベースを管理するために提供される関連機能も含まれている。データベース、DBMS、関連アプリケーションの全体を含めてデータベースシステムと呼ぶ。しばしば「データベース」という用語が、DBMS、データベースシステム、またはデータベースに関連するアプリケーションのいずれかを指す場合に漠然と使われている。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "コンピュータ科学者は、データベース管理システムを、サポートするデータベースモデルに基づいて分類している。リレーショナルデータベースは、1980年代の主流であった。これらは、データを一連の表の行と列としてモデル化し、大多数はデータの書き込みとクエリ(問い合わせ)にSQLを使用する。2000年代には、異なるクエリ言語を使用する NoSQL と総称される非リレーショナルデータベースが普及した。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "形式的な「データベース」は、関連するデータの集合とその編成方法を指す。通常、このデータへのアクセスは、「データベース管理システム」(DBMS)によって提供される。DBMSは、ユーザーが1つまたは複数のデータベースと対話し、データベースに含まれるすべてのデータへのアクセスを提供するコンピュータソフトウェアの統合セットで構成されている(ただし、特定のデータへのアクセスを制限する制約が存在することもある)。DBMSは、大量の情報の入力、保存、および検索を可能にするさまざまな機能を提供し、その情報がどのように編成されているかを管理する方法を提供する。", "title": "用語と概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "このように、両者は密接な関係にあるため、「データベース」という用語は、データの集まりとしてのデータベースと、それを操作するために用いるDBMSの両方を指す言葉として気軽に使われることが多い。", "title": "用語と概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "情報技術の専門家以外の世界では、「データベース」という用語は、関連するデータの集合体(例: スプレッドシートやカードインデックスなど)を指すことが多く、サイズや使用要件の点からデータベース管理システムを用いることが一般的である。", "title": "用語と概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "既存のDBMSは、データベースとそのデータを管理するためのさまざまなな機能を提供しており、それらは次の4つの主要な機能群に分類される。", "title": "用語と概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "データベースとそのDBMSは共に、特定のデータベースモデルの原則に準拠している。 「データベースシステム」とは、データベースモデル、データベース管理システム、データベースを総称したものである。", "title": "用語と概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "物理的には、データベース・サーバーは、実際のデータベースを格納し、DBMSと関連ソフトウェアのみを実行する専用コンピュータである。データベース・サーバーは通常、大容量のメモリと、安定したストレージ(例: RAIDディスクアレイ)を備えたマルチプロセッサ・コンピュータである。大容量のトランザクション処理環境では、複数台のサーバーと高速チャネルを介して接続されたハードウェア・データベース・アクセラレータも使用される。ほとんどのデータベース・アプリケーション(英語版)の中心にDBMSがある。DBMSは、ネットワークのサポートを組み込んだカスタムのマルチタスク・カーネルを中心に構築されることもあるが、最近のDBMSは通常、これらの機能を提供するために、標準的なオペレーティングシステムに依存している。", "title": "用語と概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "DBMSは重要な市場(英語版)を形成しているため、コンピューターやストレージのベンダーは、自社の開発計画にDBMSの要件を考慮に入れていることが多い。", "title": "用語と概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "データベースとDBMSは、サポートするデータベースモデル(リレーショナルやXMLなど)、実行するコンピュータの種類(サーバークラスタから携帯電話まで)、データベースへのアクセスに使用するクエリ言語(SQLやXQueryなど)、内部エンジニアリング(性能、スケーラビリティ、障害許容力、およびセキュリティに影響する)によって分類することができる。", "title": "用語と概要" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "データベースとそれぞれのDBMSの規模、機能、性能は桁違いに大きくなっている。これらの性能向上は、プロセッサ、コンピュータメモリ、コンピュータストレージ、およびコンピュータネットワークの技術進歩により可能となった。データベースの概念は、1960年代半ばに広く普及した磁気ディスクなどの直接アクセス記憶媒体の出現によって可能となった。それ以前のシステムは、磁気テープへのデータの順次保存に依っていた。その後のデータベース技術の発展は、データモデルまたはデータ構造に基づいて、ナビゲーショナル、SQL/リレーショナル、ポストリレーショナルの3つの時代に分けることができる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "初期のナビゲーショナル・データモデルは、階層型モデルとネットワーク型モデル(CODASYLモデル)の2つが主であった。これらは、あるレコードから別のレコードへの関係を追跡するために、ポインタ(多くの場合、物理的なディスクアドレス)を使用することが特徴であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1970年にエドガー・F・コッドが提唱したリレーショナルモデルは、この伝統から脱却するもので、アプリケーションがリンクをたどるのではなく、内容からデータを検索すべきであると主張するものであった。リレーショナルモデルは、元帳型の表の集まりを組み合わせたもので、それぞれの表は異なる種類のエンティティ(実体)を格納する。1980年代半ばになって、コンピューティング・ハードウェアは、リレーショナルシステム(DBMSとアプリケーション)を幅広く普及するのに十分な性能を持つようになった。けれども、1990年代初頭には、すべての大規模なデータ処理アプリケーションにおいてリレーショナルシステムが主流となり、2018年現在も主流であり続けている。IBM Db2、Oracle、MySQL、Microsoft SQL Server、PostgreSQLは、最も検索されているDBMSである。リレーショナルモデル用の主要なデータベース言語である標準SQLは、他のデータモデル用のデータベース言語にも影響を与えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "オブジェクトデータベースは、オブジェクト指向とリレーショナル型とのインピーダンスミスマッチ(相性の欠如)による不便さを解消するために1980年代に開発され、これにより「ポストリレーショナル(post-relational)」という言葉が生まれ、また、ハイブリッド型のオブジェクト・リレーショナルデータベースも開発された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "2000年代後半に登場した、次世代のポスト・リレーショナルデータベースは、高速なキーバリュー型ストアやドキュメント指向データベースを導入し、NoSQLデータベースと呼ばれるようになった。これと競合するNewSQLと呼ばれる次世代データベースは、リレーショナル/SQLモデルを維持しつつ、市販のリレーショナルDBMSと比較してNoSQLの高い性能に見合うような新しい実装を試みている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "データベースという言葉が登場したのは、1960年代半ば以降に、直接アクセスストレージ(ディスクやドラム)が利用できるようになった時期と重なる。この用語は、過去のテープベースのシステムとは対照的に、日常のバッチ処理ではなく、対話的な共有での利用を可能にすることを意味した。オックスフォード英語辞典では、カリフォルニアのSystem Development Corporation(英語版)が1962年に発表した報告書を、特定の技術的な意味で「データベース」という用語を初めて使用したものとして引用している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "コンピュータの速度と機能が向上するに伴い、多くの汎用データベースシステムが登場し、1960年代半ばには多くのこうしたシステムが商用化されるようになった。標準化への関心が高まり、そうした製品の一つであるIntegrated Data Store(IDS)の制作者であるチャールズ・バックマンが、COBOLの作成と標準化を担当したグループCODASYL内にデータベース・タスクグループを設立した。1971年、データベース・タスクグループは、一般に「CODASYLアプローチ」として知られるようになった彼らの標準を提供し、まもなくこのアプローチに基づいた多くの商用製品が市場に参入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "CODASYLアプローチ方式は、アプリケーションに対し、大規模ネットワーク内に形成された連結データセットを移動する機能を提供した。アプリケーションは、3つの方法のうちのいずれかによってレコードを見つけることができる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "その後のシステムで、B木(B-tree)が追加され、代替アクセス経路を提供するようになった。また、多くのCODASYLデータベースでは、エンドユーザー向けに(ナビゲーション型APIとは異なる)宣言型クエリ言語も追加された。しかし、CODASYLデータベースは複雑で、有用なアプリケーションを作るには多大な訓練と労力を要した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "また、IBMは、1966年に、Information Management System(IMS)として知られる独自のDBMSを持っていた。IMSは、アポロ計画のために作成されたソフトウェアのSystem/360への発展型であった。IMSは一般にCODASYLと概念が似ているが、そのデータナビゲーションのモデルは厳密な階層を使用し、CODASYLのネットワーク型モデルではなかった。どちらの概念も、データへのアクセス方法の観点から、後にナビゲーショナル・データベースと呼ばれるようになった。この用語は、1973年のバックマンのチューリング賞の講演「The Programmer as Navigator」によって広まった。IBMによって、IMSは階層型データベースとして分類されている。IDMSやCincom Systems(英語版)のTOTALデータベースは、ネットワーク型データベースに分類される。2014年現在、IMSは使用されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "エドガー・F・コッドは、カリフォルニア州サンノゼにあるIBMの研究室の1つで、主にハードディスクシステムの開発に携わっていた。彼は、CODASYLアプローチのナビゲーションモデルにおいて、特に「検索(search)」機能の欠如に不満を抱いていた。1970年、彼はデータベース構築の新しいアプローチを概説する多くの論文を書き、最終的に画期的な論文「大規模共有データバンクのためのデータのリレーショナルモデル(A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks)」に結実させた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "この論文で、彼は大規模なデータベースを保存し、操作するための新しいシステムについて説明した。コッドの考えは、CODASYLのように自由形式のレコードをある種の連結リストに格納するのではなく、データをいくつかの「テーブル」(table、表)として編成し、それぞれのテーブルを異なる種類のエンティティ(entity、実体)に使用することであった。各テーブルは、エンティティの属性を含む固定数の列を含むことになる。各テーブルの1つ以上の列は、テーブルの行を一意に識別するための主キーとして指定され、テーブル間の相互参照には、ディスクアドレスではなく、常にこの主キーが使用された。クエリにおいては、関係論理の数学的体系に基づく一連の操作を用いて、これらのキー関係に基づいてテーブルを結合する(モデルの名前の由来)。データを正規化された一連のテーブル(または関係(relation)、リレーション)に分割することで、各々の「ファクト(fact、事実)」を一度だけ保存するようにし、更新操作を簡略化する。ビュー(view)と呼ばれる仮想的なテーブルは、ユーザーごとに異なる方法でデータを表示することができるが、ビューを直接更新することはできなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "コッドは、テーブル、行、列ではなく、関係(relation)、組(tuple)、定義域(domain)という数学用語を使ってモデルを定義した。現在よく知られているこれらの用語は、初期の実装に由来するものである。コッドは後に、実際の実装が、モデルの基礎となった数学的な基礎から逸脱する傾向にあることを批判した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "テーブル間の関係を表すために、ディスクアドレスではなく主キー(ユーザー指向の識別子)を使用したのは、主に2つの動機があった。エンジニアリングの観点からは、費用がかかるデータベースの再編成をすることなく、テーブルの再配置やサイズ変更を可能とした。しかし、コッドは、セマンティクス(意味)の違いにより強い興味を持っていた。明示的な識別子を使用することで、純粋な数学的定義で更新操作を定義することが容易になり、一階述語論理という確立した学問分野の観点でクエリ操作を定義できるようになった。これらの操作は純粋な数学的性質があるため、クエリ最適化の基礎をなす証明可能な正しい方法でクエリを書き換えることが可能となる。テーブル間の接続は明示的ではなくなったが、階層型モデルやネットワーク型モデルと比較して表現力が損なわれることはない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "階層型モデルやネットワーク型モデルでは、レコードが複雑な内部構造を持つことが許容された。たとえば、ある従業員の給与履歴は、従業員レコードの中の「繰り返しグループ」として表わされることがある。リレーショナルモデルでは、正規化の過程によって、そのような内部構造は、論理キーのみで結合された複数のテーブルに保持されたデータで置き換えられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "たとえば、データベースシステムの一般的な使い方として、ユーザーに関する情報、名前、ログイン情報、さまざまな住所や電話番号を突き止めることがあげられる。ナビゲーショナル方式では、これらのデータはすべて1つの可変長レコード内に格納される。リレーショナル方式では、そのデータは(たとえば)ユーザーテーブル、アドレステーブル、電話番号テーブルに「正規化(normalize)」される。これらの任意のテーブル内には、実際に住所や電話番号が提供された場合のみ、レコードが作成される。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "コッドは、(ディスクアドレスではなく)論理的な識別子を使用して行/レコードを識別するだけでなく、アプリケーションが複数のレコードからデータを組み立てる方法も変更した。アプリケーションがリンクを移動して1レコードずつデータを収集することを要求するのではなく、アプリケーションは、宣言型のクエリ言語を使用して(どのようにデータを見つけるかというアクセス経路ではなく)どのようなデータが必要なのかを表現する。データへの効率的なアクセス経路を見つけるのは、アプリケーションのプログラマーではなく、データベース管理システムの責任となった。クエリ最適化(query optimization)と呼ばれるこの過程は、クエリが数学的論理の観点で表現されているという事実に基づいている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "コッドの論文は、バークレー校のユージン・ウォン(英語版)とマイケル・ストーンブレーカーの二人によって着目された。彼らは、地理データベースプロジェクトにすでに割り当てられていた資金と、コードを作成する学生プログラマーを使って、INGRESと呼ばれるプロジェクトを開始した。INGRESは、1973年の初頭に最初のテスト製品を提供し、1979年には一般に広く使用されるようになった。INGRESは、データアクセス(英語版)のためのQUELと呼ばれる「言語(language)」の使用を含め、多くの点でIBM System Rと類似していた。時の経過とともに、INGRESは新しい標準SQLに移行していった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "IBM自身は、リレーショナルモデルのテスト実装であるPRTV(英語版)と、製品版であるBusiness System 12(英語版)の開発を一度行ったが、いずれも現在は廃止されている。Honeywellは、Multics用のMRDS(英語版)を開発したが、現在ではAlphora Dataphor(英語版)とRel(英語版)の2つの新しい実装が存在する。「リレーショナル」と呼ばれる他のDBMSの実装のほとんどは、実際にはSQL DBMSである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1970年、ミシガン大学は、デイヴィッド・L・チャイルズ(英語版)の集合論的データモデルに基づくMICRO情報管理システム(英語版)の開発を開始した。MICROは、非常に大きなデータセットを管理するために、米国労働省、米国環境保護庁、アルバータ大学、ミシガン大学、ウェイン州立大学の研究者によって使用された。これは、ミシガン・ターミナル・システム(英語版)を使用するIBMメインフレームコンピューター上で稼働した。このシステムは1998年まで稼動し続けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1970年代から1980年代にかけ、ハードウェアとソフトウェアを統合したデータベースシステムの構築が試みられた。その根底にある理念は、このような統合が、より高い性能をより低い費用で提供できるというものである。その例として、IBM System/38、Teradataの初期の製品、およびBritton Lee, Inc.(英語版)のデータベースマシンがあげられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "また、データベース管理をハードウェアでサポートするアプローチには、ICL(英語版)のCAFS(英語版)アクセラレータという、プログラム可能な検索機能を持つハードウェアディスクコントローラーがあった。しかし、汎用コンピュータの急速な発展と進歩に、データベース専用機が追いつくことができなかったため、長期的にはこれらの取り組みは概して失敗に終わった。こうしたことから、現今のほとんどのデータベースシステムは、汎用ハードウェア上で動作するソフトウェアシステムであり、汎用のコンピュータとデータストレージを使用している。しかし、この着想は今もなお、Netezza(英語版)やOracle (Exadata(英語版))など一部の企業によって特定の用途で追求されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "1970年代前半、IBMは、System Rとして、コッドの概念に大まかに基づいたプロトタイプシステムの開発を始めた。最初のバージョンは1974年5月に完成し、その後、レコードを構成するすべての要素(一部はオプション)を単一の大きな「チャンク(chunk、塊)」に格納する必要がないように、データを分割できるマルチテーブルシステムに対応する作業が開始された。その後、1978年と1979年にマルチユーザーバージョンが顧客によってテストされ、その時点では標準化されていたクエリ言語SQLが追加されていた。コッドのアイデアは、実行可能でCODASYLよりも優れたものとして確立され、IBMがSQL/DSとして知られるSystem Rの真の製品版、そして後にDatabase 2(IBM Db2)を開発することを後押しした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "ラリー・エリソンのOracle Database(以下、Oracle)は、IBMのSystem Rに関する論文を基に、別の系統から出発した。Oracle V1の実装は1978年に完了したが、エリソンが1979年にIBMを打ち負かしたのはOracle Version 2を市場に投入してからであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ストーンブレーカーはその後、INGRESからの教訓を応用して、現在はPostgreSQLとして知られている新しいデータベースPostgresを開発した。PostgreSQLは、大域的で基幹的な業務アプリケーションによく使用されている。(.orgや.infoのドメイン名レジストリでは、多くの大企業や金融機関と同様に、これを主要データストア(英語版)として使用している)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "スウェーデンでもコッドの論文は読まれ、1970年代半ばにウプサラ大学でMimer SQL(英語版)が開発された。1984年、このプロジェクトは独立した企業に統合された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "1976年に登場した実体関係モデルは、それまでのリレーショナルモデルよりも馴染みのある記述法を重視したもう一つのデータモデルであり、データベース設計で人気を博した。その後、実体-関係構造は、リレーショナルモデルのデータモデリング構造として追加され、両者の違いは無意味なものとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "1980年代は、デスクトップコンピューティングの時代の到来を告げた。新しいコンピュータは、Lotus 1-2-3のような表計算ソフトやdBASEのようなデータベースソフトで、ユーザーに力をもたらした。dBASE製品は軽量で、コンピューターユーザーは誰でも容易に理解できた。dBASEの作者、ウェイン・ラトリフ(英語版)は次のように述べている。「dBASEは、BASIC、C、FORTRAN、COBOLのようなプログラムとは異なり、多くの汚い仕事はすでに行われている。データ操作はユーザーではなくdBASEが行うので、ユーザーはファイルを開き、読み込み、閉じ、スペース割り当ての管理などの汚い詳細に煩わされることなく、自分のしていることに集中することができる」。dBASEは、1980年代から1990年代初頭にかけて、最も売れたソフトウェアの一つであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "1990年代は、オブジェクト指向プログラミングの台頭とともに、さまざまなデータベース内のデータの扱い方で発展が見られた。プログラマーと設計者は、データベース内のデータをオブジェクトとして扱うようになった。つまり、ある個人のデータがデータベース内にある場合、その人の住所、電話番号、年齢などの特性は外来のデータではなく、その人に属するものと考えられるようになった。これにより、データ間の関係は、個々のフィールドではなく、オブジェクトとその属性に関連付けられる。プログラムされたオブジェクトとデータベースのテーブルとの間の変換の不都合は、「オブジェクト-リレーショナル・インピーダンスミスマッチ」という言葉で表わされる。オブジェクト・データベースやオブジェクト・リレーショナルデータベースは、この問題を解決するために、プログラマーが純粋なリレーショナルSQLの代わりに使用できるオブジェクト指向言語(SQLの拡張機能という場合もある)を提供しようとするものである。プログラミング側の立場では、オブジェクト・リレーショナル・マッピング(ORM)と呼ばれるライブラリで、同じ問題を解決しようとしている", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "XMLデータベースは、構造化されたドキュメント指向データベースの一種で、XML文書の属性に基づいたクエリが可能である。XMLデータベースは、たとえば科学論文、特許、税務申告、人事記録など、非常に柔軟なものから非常に厳格なものまで、データをさまざまな構造を持つ文書の集合として見るのに便利なアプリケーションで主に使用される。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "NoSQLデータベースは、多くの場合、非常に高速で、固定化したテーブルスキーマを必要とせず、非正規化(英語版)したデータを格納することで結合操作を回避し、水平スケーリングするように設計されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "近年、高い分断耐性を備えた大規模分散データベースが強く求められているが、CAP定理によれば、分散システムで一貫性、可用性、分断耐性を同時に備えることは不可能とされている。分散システムは、これら3つの保証のうち、いずれか2つを同時に満たすことはできても、3つすべてを満たすことはできない。そのため、多くのNoSQLデータベースでは、データ整合性のレベルを下げて可用性と分断耐性の両方を保証する、結果整合性という考え方を採用している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "最新のリレーショナルデータベースの一種であるNewSQLは、SQLを使用し、また従来のデータベースシステムのACID保証を維持しながらも、オンライントランザクション処理のワークロード(読み込みと書き込みの両方を伴う)に対して、NoSQLシステムと同じスケーラブルな性能を提供することを目的としている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "データベースは、組織の内部業務を支援し、顧客や発注先とのオンラインでのやり取りを支えるために使用される(エンタープライズ・ソフトウェアを参照)。", "title": "使用例" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "データベースは、業務における管理情報、エンジニアリングデータや経済モデルなどのより専門的なデータを保持するためにも使用される。たとえば、コンピュータによる図書館システム、航空座席予約システム、コンピュータ化された部品在庫管理システム、およびウェブサイトをウェブページの集合としてデータベースに保存する多くのコンテンツ管理システムなどがあげられる。", "title": "使用例" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "データベースを分類する方法として、たとえば、書誌(英語版)、文書、テキスト、統計、マルチメディアなど、その内容の種類によるものがある。第二の方法は、会計、作曲、映画、銀行、製造、保険など、応用面による分類がある。第三の方法は、データベースの構造やインタフェースの種類など、技術的な側面によるものである。この節では、さまざまな種類のデータベースを特徴付けるために使用される用語をいくつか列挙する。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "ConnollyとBeggは、データベース管理システム(DBMS)を「ユーザーがデータベースを定義、作成、保守、およびアクセスを制御できるようにするソフトウェアシステム」と定義している。DBMSの例として、MySQL、PostgreSQL、Microsoft SQL Server、Oracle Database、Microsoft Accessがあげられる。", "title": "データベース管理システム" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "DBMSの頭文字は、基盤となるデータベースモデルを示して拡張されることがあり、リレーショナル型はRDBMS、オブジェクト(指向)型(英語版)はOODBMS、オブジェクトリレーショナル型はORDBMSと呼ばれる。また、分散型データベース管理システムを表すDDBMSなど、他の特性を表すように拡張することができる。", "title": "データベース管理システム" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "DBMSが提供する機能は非常に多様である。中心的な機能は、データの保存、検索、更新である。コッドは、本格的な汎用DBMSが提供すべき機能およびサービスとして、次のようなものを提案した。", "title": "データベース管理システム" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "また、DBMS は、インポート、エクスポート、監視、デフラグメント、分析ユーティリティなど、データベースを効果的に管理するために必要な一連のユーティリティを提供することも、一般に期待されている。データベースとアプリケーション・インタフェースの間で相互作用するDBMSの中心部分は、データベース・エンジンと呼ばれることもある。", "title": "データベース管理システム" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "多くのDBMSは、データベースが使用できるサーバ上のメインメモリの最大量など、静的または動的に調整可能な構成パラメータを持っている。手動構成する量を最小限に抑える傾向があり、組み込みデータベース(英語版)のような場合は、ゼロ管理を目標とする要求が最も重要である。", "title": "データベース管理システム" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "大規模なエンタープライズDBMSでは、サイズや機能が増大する傾向があり、その生涯を通じて数千人年の開発努力が費やされることがある。", "title": "データベース管理システム" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "初期のマルチユーザーDBMSでは、一般的に、アプリケーションを同じコンピュータ上で動作させ、コンピュータ端末または端末エミュレーションソフトウェアを通じてアクセスすることしかできなかった。クライアント・サーバー・アーキテクチャは、アプリケーションはクライアントのデスクトップ上にあり、サーバー上に存在するデータベースが処理を分散できるように開発された。これが進化して、アプリケーションサーバーやウェブサーバーを組み込んだ多層アーキテクチャとなり、エンドユーザーインターフェイスはウェブブラウザーを介してアクセスし、データベースは隣接する層に直接接続されるのみとなった。", "title": "データベース管理システム" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "汎用DBMSは、公開のアプリケーション・プログラミング・インタフェース(API)と、オプションでSQLなどのデータベース言語用のプロセッサを提供して、データベースと対話し操作するアプリケーションを作成できるようにする。特殊用途のDBMSは、プライベートなAPIを使用し、特別にカスタマイズして単一のアプリケーションにリンクされることがある。たとえば、電子メールシステムは、メッセージの挿入、削除、添付ファイルの処理、ブロックリストの検索、メッセージと電子メールアドレスの関連付けなど、汎用DBMSの機能の多くを実行するが、これらの機能は電子メールの処理に必要なものに限定されている。", "title": "データベース管理システム" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "データベースとの外部相互作用は、DBMSと接続するアプリケーション・プログラムを介して行われる。アプリケーションは、ユーザーが文字的または視覚的にSQLクエリを実行できるデータベースツールから、情報を格納し検索するためにデータベースを使用するWebサイトまで、多岐にわたる。", "title": "アプリケーション" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "プログラマーは、アプリケーション・プログラミング・インタフェース(API)またはデータベース言語を介して、データベース(データソース(英語版)と呼ばれることもある)との相互対話をコーディングする。選択された特定のAPIや言語は、DBMSによって直接的にサポートされるか、またはプリプロセッサまたはブリッジングAPIを介して間接的にサポートされる必要がある。APIの中にはデータベースに依存しないことを目的とするものもあり、ODBCはそのよく知られた例である。その他の一般的なAPIには、JDBCやADO.NETがある。", "title": "アプリケーション" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "データベース言語は、次のような作業を可能とする特殊用途の言語であり、部分言語(英語版)として区別されることもある。", "title": "データベース言語" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "データベース言語は、特定のデータモデルに特化した言語である。著名な例として次のものがある。", "title": "データベース言語" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "データベース言語には、次のような機能を組み込んでいるものもある。", "title": "データベース言語" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "データベースストレージは、データベースの物理的な実体の格納庫である。これは、データベースアーキテクチャの「内部(物理)レベル」を構成する。また、必要に応じて「内部レベル」から「概念レベル」や「外部レベル」を再構築するために必要なすべての情報(たとえばメタデータ、「データに関するデータ」、内部データ構造など)も含んでいる。デジタル・オブジェクトとしてのデータベースには、データ、構造、セマンティクス(意味)の3つの層からなる情報が含まれ、保存する必要がある。長期間に渡ってデータベースを保存(英語版)し、長持ちさせるために、3つの層すべてを適切に保存する必要がある。データを永続的ストレージに保存するのは、一般に、データベースエンジン(別名「ストレージエンジン」)の責任である。DBMSは通常、基盤となるオペレーティングシステムを通じてアクセスするが(多くの場合、オペレーティングシステムのファイルシステムを、ストレージ配置の仲介役として使用する)、ストレージの特性と構成設定はDBMSの効率的な運用に極めて重要であるため、データベース管理者によって密接に管理される。DBMSは、その運用中に、常に数種類のストレージ(メモリや外部ストレージ)にデータベースを常駐させている。データベースのデータと、追加の必要な情報(おそらく非常に大量にある)は、ビット列に符号化される。データは通常、概念レベルや外部レベルでの見え方とは全く異なる構造でストレージ内に存在するが、ユーザーやプログラムが必要とするとき、または必要な情報の追加形式をデータから計算するとき(例: データベースに問い合わせる時)、これらのレベルの再構築を(可能な限り)最適化するような方法で格納される。", "title": "ストレージ" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "DBMSの中には、データの格納に用いる文字エンコーディングを指定できるものがあり、同じデータベースで複数のエンコーディングを使用することができる。", "title": "ストレージ" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "データモデルをシリアル化し、選ばれた媒体に書き込めるようにするために、ストレージエンジンは、さまざまな低レベルのデータベースストレージ構造(英語版)を使用する。性能を向上させるために、インデックス作成などの手法を使用することもある。従来のストレージは行指向であるが、列指向データベースや相関データベース (en:英語版) もある。", "title": "ストレージ" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "性能を向上させるためにストレージを冗長化することがよくある。一般的な例は、頻繁に必要とされる外部ビュー(external view)や、クエリ結果から構成されるマテリアライズド・ビュー(materialized view)の保存である。このようなビューを保存することで、必要になるたびに計算する費用を節約することができる。マテリアライズド・ビューの欠点は、元の更新されたデータベースデータと同期を維持するためにビューを更新する際に発生するオーバーヘッドと、ストレージの冗長化にかかる費用である。", "title": "ストレージ" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "データベースは、データの可用性を向上させるために、データベース・オブジェクトの複製(1つ以上のレプリケーション)によるストレージ冗長性を採用することがある。これによって、同じデータベース・オブジェクトに複数のエンドユーザーが同時アクセスした場合の性能を向上させ、また、分散データベースに部分的な障害が発生した場合の回復力を提供する。複製されたオブジェクトの更新には、オブジェクトのコピー間で同期される必要がある。多くの場合、データベース全体が複製される。", "title": "ストレージ" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "データベース・セキュリティ(英語版)は、データベースの内容、その所有者、およびそのユーザーを保護するためのあらゆる側面を扱う。その範囲は、意図的な不正なデータベースの使用から、権限のないエンティティ(たとえば、人やコンピュータプログラムなど)による意図しないデータベースへのアクセスまで、さまざまな保護に及ぶ。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "データベースアクセス制御は、データベース内のどの情報に誰が(人間または特定のコンピュータプログラム)アクセスを許可されるかを制御することを扱う。その情報には、特定のデータベースオブジェクト(例: レコード種類、特定レコード、データ構造)、特定のオブジェクトに対する特定の計算(例: クエリ種類、特定のクエリ)、または前者に対する特定のアクセス経路の使用(例: 情報にアクセスするために特定のインデックスまたは他のデータ構造の使用)が含まれる。データベースのアクセス制御は、データベース所有者から特別に許可された人員によって、保護された専用のセキュリティDBMSインタフェースを用いて設定される。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "アクセス制御の管理は、個人別に直接行うことも、個人と特権(英語版)をグループに割り当てることも、(最も精巧なモデルでは)個人やグループにロール(役割)を割り当ててからロールに権限を付与することもできる。データセキュリティは、権限のないユーザーによるデータベースの閲覧や更新を阻止する。パスワードを使用すると、ユーザーはデータベース全体、または「サブスキーマ」と呼ばれる一部分へのアクセスを許可される。たとえば、従業員データベースには個々の従業員に関するすべてのデータを含めていても、あるグループのユーザーには給与データのみの閲覧を許可し、別のグループには職歴と医療データのみアクセスを許可することが可能である。DBMSがデータベースの入力、更新、問い合わせを対話的に行う方法を提供している場合、この機能によって個人データベースを管理することができる。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "一般にデータセキュリティ(英語版)は、特定のデータチャンク(data chunk、塊)を物理的に保護すること(すなわち破損、破壊、削除から。物理的セキュリティ(英語版)を参照)、または、データチャンクやその一部を意味のある情報に変換すること(例: それらが構成するビット列を見て、特定の有効なクレジットカード番号を決定する。データ暗号化を参照)の両方を扱う。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "変更およびアクセスのロギングは、誰がどの属性にアクセスしたか、何が変更されたか、そしていつ変更されたかを記録する。ロギングサービスは、アクセスの発生や変更の記録を保持することで、後でフォレンジックデータベース監査(英語版)を行うことを可能にする。場合によっては、データベースレベルで記録するのではなく、アプリケーションレベルのコードで変更を記録することもある。セキュリティ違反の検出を試みるために監視を設定することもできる。データベース・セキュリティには多くの利点があるため、組織はこれに真剣に取り組む必要がある。組織は、ファイアウォール内への侵入、ウィルスの蔓延、ランサムウェアなどのセキュリティ違反やハッキング行為から守られる。これは、企業において、いかなる理由があっても部外者と共有することが許されない、重要な情報を保護するために役に立つ。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "データベース・トランザクションは、クラッシュ(障害)からの復旧後に、ある程度の耐障害性とデータ完全性を導入するために使用することができる。データベーストランザクションは通常、データベースに対する一連の操作(データベースオブジェクトの読み込み、書き込み、ロック(英語版)の取得や解放など)をカプセル化した作業の単位であり、データベースやその他のシステムでサポートされている抽象概念である。各トランザクションには、どのプログラム/コードの実行がそのトランザクションに含まれるかという点で、明確に定義された境界がある(トランザクションの設計者が、特別なトランザクションコマンドで決定する)。", "title": "トランザクションと同時平行" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "ACIDという頭字語は、データベーストランザクションの理想的な特性である、原子性(atomicity)、一貫性(consistency)、分離性(isolation)、永続性(英語版)(durability)を表している。", "title": "トランザクションと同時平行" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "あるDBMSで構築されたデータベースは、別のDBMSに移植できない(つまり、別のDBMSでは実行できない)。しかし、状況によっては、あるDBMSから別のDBMSにデータベースを移行(database migration)するのが望ましい場合がある。その理由は、主に経済的(DBMS によって総所有コスト(TCO)が異なる)、機能的、および運用的(DBMSによって機能が異なることがある)である。移行には、あるDBMSの種類から別の種類へデータベースを変換することも含まれる。この変換では、(可能であれば)データベース関連のアプリケーション(つまり、関連するすべてのアプリケーションプログラム)をそのまま維持する必要がある。したがって、データベースの概念レベルおよび外部レベルのアーキテクチャ(英語版)は、変換時に維持する必要がある。また、アーキテクチャの内部レベルのいくつかの側面も維持されることが望まれる場合もある。複雑または大規模なデータベースの移行は、それ自体が複雑で費用のかかる(1度きりの)プロジェクトになる可能性があるので、移行を決定するときはその点を考慮する必要がある。これは、特定のDBMS間の移行を支援するツールが存在する可能性があるのにも関わらない。一般に、DBMSベンダーは、他の普及しているDBMSからデータベースをインポートするツールを提供している。", "title": "移行" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "アプリケーションのデータベースを設計したら、次の段階はデータベースの構築である。通常、この用途で用いるために、適切な汎用DBMSを選択することができる。DBMSは、データベース管理者が必要なアプリケーションのデータ構造をDBMSの各データモデルに準じて定義するために必要なユーザーインタフェースを提供する。その他のユーザーインタフェースは、必要なDBMSパラメータ(セキュリティ関連、ストレージ割り当てパラメータなど)を選択するために用いられる。", "title": "構築、保守、およびチューニング" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "データベースの準備が整うと(データ構造およびその他の必要なコンポーネントがすべて定義される)、通常は、運用を開始する前にアプリケーションの初期データを入力する(データベースの初期化は、通常は別プロジェクトとされ、多くの場合、一括挿入をサポートする専用のDBMSインタフェースを用いる)。場合によっては、アプリケーションのデータを持たない状態でデータベースが稼働し、その運用を経てデータが蓄積されることもある。", "title": "構築、保守、およびチューニング" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "データベースを作成し、初期化し、データを入力した後は、データベースを維持する必要がある。たとえば、より良い性能を得るために、さまざまなデータベース・パラメータを変更し、データベースをチューニング(英語版)する必要があるかもしれない。あるいは、アプリケーションの機能を追加するために、アプリケーションのデータ構造を変更または追加し、新しい関連アプリケーションプログラムを作成するかもしれない。", "title": "構築、保守、およびチューニング" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "場合によっては、データベースを以前の状態に戻すことが必要となる(たとえばソフトウェアの誤りが原因でデータベースが破損していることが判明した場合や、誤ったデータで更新された場合など、さまざまな理由が考えられる)。そのために、バックアップ操作が時々または継続的に実施され、それぞれの望ましいデータベースの状態(すなわち、データ値とデータベースのデータ構造への埋め込み)が専用のバックアップファイルに保持される(これを効果的に行うための多くの技術が存在する)。データベース管理者がデータベースをこの状態に戻すと決めたとき(たとえば、データベースがこの状態にあった時、所望の時点を指定する)、これらのファイルをその状態を復元するために使用する。", "title": "バックアップと復元" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "ソフトウェア検証のための静的解析技術は、クエリ言語の領域にも適用することができる。特に、抽象解釈フレームワークは、適切な近似技術をサポートする方法として、リレーショナルデータベースのクエリ言語の分野に拡張されている。クエリ言語のセマンティクスは、データの具体的な領域(ドメイン)を適切に抽象化することによって調整することができる。リレーショナルデータベースシステムの抽象化は、特に、細粒度アクセス制御や、電子透かしなどのセキュリティ分野で、多くの興味深い応用がある。", "title": "静的解析" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "DBMSのその他の機能として、次のようなものもあげられる。", "title": "その他の機能" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "データベース管理とソース管理のために、ビルド、テスト、デプロイメントフレームワークに、これらの中心機能をすべて組み込んだ単一システムを求める声はますます高まっている。ソフトウェア業界における別の進化を借りて、そうした製品を「データベース用DevOps」として提供する企業もある。", "title": "その他の機能" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "データベース設計者の最初の作業は概念データモデル (en:英語版) の作成で、データベースに保持する情報の構造を反映する。そのための一般的な方法は、描画ツールを用いて実体関連モデルを作成することが多い。統一モデリング言語(UML)の使用は、もう一つのよく知られた方法である。出来のよいデータモデルは、モデル化される外界の可能な状態を正確に反映する。たとえば、人々が複数の電話番号を持つことができる場合、その情報を取得することが可能となる。優れた概念データモデルを設計するには、アプリケーションの領域を十分に理解する必要がある。それには、一般的に、組織が関心を持っていることについて深い問いを立てる必要がある。たとえば「顧客は発注先にもなり得るのか?」、あるいは「ある製品が2種類の包装形態で販売されている場合、それらは同じ製品か、それとも異なる製品なのか?」、あるいは「飛行機がニューヨークからフランクフルト経由でドバイまで飛ぶ場合、それは1便か2便か(または3便か)?」のような質問をする。これらの質問に対する回答によって、エンティティ(顧客、製品、フライト、フライト区間)に使用される用語の定義、およびそれらの関係や属性を確立する。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "概念データモデルを作成する過程で、ビジネスプロセスからの入力や、組織内のワークフロー分析からの入力が必要な場合がある。これによって、データベースにどのような情報が必要で、何を省略できるかを特定することができる。たとえば、データベースに現在のデータだけでなく、過去の履歴データも保持する必要があるかどうかを決定するのに役立つ。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "ユーザーが満足できる概念データモデルを作成したら、次の段階では、これをデータベース内の関連データ構造を実装するスキーマに変換する必要がある。この過程は、しばしば論理データベース設計と呼ばれ、スキーマの形で表現された論理データモデルを作成する。概念データモデルがデータベース技術の選択と関係しないのに対し(少なくとも理論的には)、論理データモデルは、選択したDBMSがサポートする特定のデータベースモデルの観点で表現される。(データモデルとデータベースモデルという用語はしばしば同じ意味で用いられるが、この記事では特定のデータベースの設計を「データモデル」、その設計を表現するために用いられるモデリング表記を「データベースモデル」とそれぞれ呼ぶ。)", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "汎用データベースで最も普及しているデータベースモデルはリレーショナルモデル、より正確には、SQL言語で表現されるリレーショナルモデルである。このモデルを用いて論理データベースを設計する過程では、正規化と呼ばれる系統的アプローチが用いられる。正規化の目的は、挿入、更新、削除の一貫性を自然に維持することで、おのおのの基本的「事実」を一箇所にのみ記録することでなされる。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "データベース設計の最終段階では、特定のDBMSに依存する性能、スケーラビリティ、回復、セキュリティなどに影響する決定をする。これはしばしば「物理データベース設計」と呼ばれ、物理データモデルを作成する。この段階での重要な目標はデータの独立性(英語版)である。これは、性能を最適化するために行われた決定を、エンドユーザーやアプリケーションから見えないようにすることを意味する。データの独立性には2つのタイプがあり、物理的なデータ独立性と論理的なデータ独立性である。物理設計は主に性能要件によって推進され、予想される作業負荷とアクセスパターンに関する十分な知識と、選択したDBMSが持つ機能についての深い理解を必要とする。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "物理データベース設計のもうひとつの側面はセキュリティである。これには、データベースオブジェクトへのアクセス制御を定義することと、データ自体のセキュリティレベルとメソッド(手順)の定義の両方を含んでいる。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "データベースモデルとは、データベースの論理構造を決定するデータモデルの一種で、データをどのように格納、整理、操作するかの根本を規定するものである。データベースモデルの最も一般的な例は、テーブルベースの形式を使用するリレーショナルモデル(またはリレーションを近似したSQL)である。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "データベースの一般的な論理データモデルを次にあげる。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "オブジェクトリレーショナルデータベースは、この2つの関連する構造を組み合わせたものである。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "物理データモデルを次にあげる。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "その他、次のようなモデルがある。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "特定の種類のデータ用に最適化された特殊モデルがある。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "データベース管理システムは、データベースのデータに対して三層のビューを提供する。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "データの概念ビュー(または論理ビュー)および物理ビュー(または内部ビュー)は、通常、1つしかないが、さまざまな外部ビューはいくつでも存在することができる。これにより、ユーザーは、技術的あるいは処理的な視点からではなく、よりビジネスに関連した視点からデータベース情報を見ることができるようになる。たとえば、企業の財務部門は会社の経費の一部として全従業員の支払明細を必要とするが、人事部門の関心事である従業員に関する明細は必要ない。このように、部門によって、企業データベースには異なるビューが必要となる。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "三層データベース・アーキテクチャは、リレーショナルモデルの主要な初期推進力の1つであったデータの独立性(英語版)の概念に関連している。この考え方は、あるレベルで行われた変更は、より高いレベルのビューに影響を与えないというものである。たとえば、内部レベルの変更は、概念レベルのインタフェースを使用して記述されたアプリケーションプログラムには影響しないので、性能を向上させるために物理的変更を加えてもその影響を軽減することができる。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "概念ビューは、内部ビューと外部ビューの間に間接的なレベルを提供する。一方では、異なる外部ビュー構造に依存しないデータベースの共通ビューを提供し、また他方では、データがどのように格納され管理されるかという詳細(内部レベル)を抽象化する。原則として、すべてのレベルの、さらにはすべての外部ビューは、異なるデータモデルで表現することができる。実際には通常、特定のDBMSは外部レベルと概念レベルの両方で同じデータモデルを使用する(例: リレーショナルモデル)。内部レベルは特定のDBMSの内側に隠されており、(その実装にも依存するが)異なるレベルの詳細が要求され、独自の種類のデータ構造型が用いられる。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "外部、概念、および内部レベルを分離することは、21世紀のデータベースを支配するリレーショナルデータベースモデルの実装における大きな特徴であった。", "title": "設計とモデリング" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "データベース技術は、1960年代から、学界や企業の研究開発グループ(例: IBM基礎研究所)の両方で活発な研究課題となっている。研究活動には、理論(英語版)やプロトタイプの開発が含まれる。注目すべき研究課題には、モデル、アトミックトランザクションの概念、関連する並行性制御技術、クエリ言語とクエリ最適化手法、RAIDがある。", "title": "研究" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "データベース研究分野には、いくつかの専門学術誌や(例: ACM Transactions on Database Systems-TODS、Data and Knowledge Engineering-DKE)、年次会議(例: ACM SIGMOD、ACM PODS、VLDB、IEEE ICDE)がある。", "title": "研究" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "日本の学会としては、日本データベース学会があげられる。", "title": "研究" } ]
コンピューティングにおいて、データベースは、電子的に保存され、アクセスできる組織化されたデータの集合である。実メモリに保存されるもの、CSVなどのファイルに保管される物、OSのファイルシステムなどから、後述のデータベース管理システムを使った大規模なものまである。 小規模なデータベースはOSのファイルシステム上にファイルとして保存されるが、大規模なデータベースはOSに依存しない低レベルなフォーマットで外部記憶装置に保存される。またコンピュータ・クラスターまたはクラウド・ストレージで保存される。データベース設計に関わる分野は多岐にわたり、データモデリング、効率的なデータ表現と保存、クエリ言語、機密データのセキュリティやプライバシー、同時アクセスとフォールトトレランスのサポートを含む分散コンピューティングの課題など、形式技術と実用的な考慮事項に及ぶ。 データベース管理システム(DBMS)は、エンドユーザー、アプリケーション、およびデータベース自体と対話し、データを取得し分析するためのソフトウェアである。さらに、DBMSソフトウェアには、データベースを管理するために提供される関連機能も含まれている。データベース、DBMS、関連アプリケーションの全体を含めてデータベースシステムと呼ぶ。しばしば「データベース」という用語が、DBMS、データベースシステム、またはデータベースに関連するアプリケーションのいずれかを指す場合に漠然と使われている。 コンピュータ科学者は、データベース管理システムを、サポートするデータベースモデルに基づいて分類している。リレーショナルデータベースは、1980年代の主流であった。これらは、データを一連の表の行と列としてモデル化し、大多数はデータの書き込みとクエリ(問い合わせ)にSQLを使用する。2000年代には、異なるクエリ言語を使用する NoSQL と総称される非リレーショナルデータベースが普及した。
{{about|コンピューティング的な概念<!--the computing concept-->|データベースの実例<!--instances of the general concept-->|{{ill2|データベースの一覧|en|Lists of databases}}|データベースの概要およびトピックガイド|{{ill2|データベースの概要|en|Outline of databases}}}} {{WikipediaPage|データベースの利用|Wikipedia:データベースダウンロード}} [[Image:DVD Rental Query.png|thumb|SQL言語の[[SELECT (SQL)|SELECT文]]とその実行結果を示す。|upright=1.35]] [[コンピューティング]]において、'''データベース'''({{Lang-en-short|database}})は、電子的に保存され、アクセスできる組織化された[[データ]]の集合である。実[[メモリ]]に保存されるもの、CSVなどのファイルに保管される物、[[オペレーティングシステム|OS]]のファイルシステムなどから、後述のデータベース管理システムを使った大規模なものまである。 小規模なデータベースはOSの[[ファイルシステム]]上にファイルとして保存されるが、大規模なデータベースはOSに依存しない低レベルなフォーマットで外部記憶装置に保存される。また[[コンピュータ・クラスター]]または[[クラウドストレージ]]で保存される。[[データベース設計]]に関わる分野は多岐にわたり、[[データモデリング]]、効率的なデータ表現と保存、[[問い合わせ言語|クエリ言語]]、機密データの{{Ill2|データベース・セキュリティ|en|Database security|label=セキュリティ}}や[[情報プライバシー|プライバシー]]、[[並行計算|同時アクセス]]と[[フォールトトレランス]]のサポートを含む[[分散コンピューティング]]の課題など、形式技術と実用的な考慮事項に及ぶ。 '''[[データベース管理システム]]'''('''DBMS''')は、[[エンドユーザー]]、アプリケーション、およびデータベース自体と対話し、データを取得し分析するための[[ソフトウェア]]である。さらに、DBMSソフトウェアには、データベースを管理するために提供される関連機能も含まれている。データベース、DBMS、関連アプリケーションの全体を含めて'''データベースシステム'''と呼ぶ。しばしば「データベース」という用語が、DBMS、データベースシステム、またはデータベースに関連するアプリケーションのいずれかを指す場合に漠然と使われている。 コンピュータ科学者は、データベース管理システムを、サポートする[[データベースモデル]]に基づいて分類している。[[リレーショナルデータベース]]は、1980年代の主流であった。これらは、データを一連の[[表 (データベース)|表]]の[[行 (データベース)|行]]と[[列 (データベース)|列]]としてモデル化し、大多数はデータの書き込みとクエリ(問い合わせ)に[[SQL]]を使用する。2000年代には、異なる[[問い合わせ言語|クエリ言語]]を使用する [[NoSQL]] と総称される非リレーショナルデータベースが普及した。 == 用語と概要 == 形式的な「''データベース''」は、関連するデータの集合とその編成方法を指す。通常、このデータへのアクセスは、「''データベース管理システム''」(''DBMS'')によって提供される。DBMSは、[[ユーザー (コンピュータ)|ユーザー]]が1つまたは複数のデータベースと対話し、データベースに含まれるすべてのデータへのアクセスを提供するコンピュータソフトウェアの統合セットで構成されている(ただし、特定のデータへのアクセスを制限する制約が存在することもある)。DBMSは、大量の情報の入力、保存、および検索を可能にするさまざまな機能を提供し、その情報がどのように編成されているかを管理する方法を提供する。 このように、両者は密接な関係にあるため、「データベース」という用語は、データの集まりとしてのデータベースと、それを操作するために用いるDBMSの両方を指す言葉として気軽に使われることが多い。 [[情報技術]]の専門家以外の世界では、「データベース」という用語は、関連するデータの集合体(例: [[スプレッドシート]]や[[情報カード|カードインデックス]]など)を指すことが多く、サイズや使用要件の点からデータベース管理システムを用いることが一般的である{{sfn|Ullman|Widom|1997|p=1}}。 既存のDBMSは、データベースとそのデータを管理するためのさまざまなな機能を提供しており、それらは次の4つの主要な機能群に分類される。 * '''データ定義'''(''Data definition'')- データの編成を規定する定義を作成、変更、および削除する。 * '''更新'''(''Update'')- 実データを挿入、変更、および削除する<ref>{{cite web |url=http://www.merriam-webster.com/dictionary/update |title=Update – Definition of update by Merriam-Webster |work=merriam-webster.com |access-date=2022-08-14}}</ref>。 * '''検索'''(''Retrieval'')- 情報を直接利用できる形式で、または他のアプリケーションでさらに処理できる形式で提供する。検索したデータは、基本的にデータベースに保存されているのと同じ形式で利用できる他、データベースの既存のデータを変更または組み合わせて得た新たな形式でも利用することができる<ref>{{cite web |url=http://www.merriam-webster.com/dictionary/retrieval |title=Retrieval – Definition of retrieval by Merriam-Webster |work=merriam-webster.com |access-date=2022-08-14}}</ref>。 * '''管理'''(''Administration'')- ユーザーの登録と監視、データセキュリティの実施、性能の監視、[[データ完全性]]の維持、並行性制御の対応、予期しないシステム障害などの事象によって破損した情報の回復など<ref>{{cite web |url=http://www.merriam-webster.com/dictionary/administration |title=Administration – Definition of administration by Merriam-Webster |work=merriam-webster.com |access-date=2022-08-14}}</ref>。 データベースとそのDBMSは共に、特定の[[データベースモデル]]の原則に準拠している{{sfn|Tsitchizris|Lochovsky|1982}}。 「データベースシステム」とは、データベースモデル、データベース管理システム、データベースを総称したものである{{sfn|Beynon-Davies|2003}}。 物理的には、データベース・[[サーバー (コンピューター)|サーバー]]は、実際のデータベースを格納し、DBMSと関連ソフトウェアのみを実行する専用コンピュータである。データベース・サーバーは通常、大容量のメモリと、安定したストレージ(例: [[RAID]]ディスクアレイ)を備えた[[マルチプロセッサ]]・コンピュータである。大容量の[[トランザクション処理]]環境では、複数台のサーバーと高速[[チャネル・コントローラ|チャネル]]を介して接続された[[ハードウェアアクセラレーション|ハードウェア・データベース・アクセラレータ]]も使用される。ほとんどの{{Ill2|データベース・アプリケーション|en|Database application}}の中心にDBMSがある。DBMSは、ネットワークのサポートを組み込んだカスタムの[[マルチタスク]]・[[カーネル]]を中心に構築されることもあるが、最近のDBMSは通常、これらの機能を提供するために、標準的な[[オペレーティングシステム]]に依存している{{cn|reason=This has become a mish-mash people's opinion and while boardly accurate may be in places undue and ignored e.g. SAN storage and needs cited rewrite from scrach|date=January 2020}}。 DBMSは重要な{{Ill2|市場 (経済学)|en|Market (economics)|label=市場}}を形成しているため、コンピューターやストレージのベンダーは、自社の開発計画にDBMSの要件を考慮に入れていることが多い{{sfn|Nelson|Nelson|2001}}。 データベースとDBMSは、サポートするデータベースモデル(リレーショナルやXMLなど)、実行するコンピュータの種類(サーバークラスタから携帯電話まで)、データベースへのアクセスに使用するクエリ言語(SQLや[[XQuery]]など)、内部エンジニアリング(性能、[[スケーラビリティ]]、障害許容力、およびセキュリティに影響する)によって分類することができる。 == 歴史 == データベースとそれぞれのDBMSの規模、機能、性能は桁違いに大きくなっている。これらの性能向上は、[[中央処理装置|プロセッサ]]、[[コンピュータメモリ]]、[[コンピュータデータストレージ|コンピュータストレージ]]、および[[コンピュータネットワーク]]の技術進歩により可能となった。データベースの概念は、1960年代半ばに広く普及した磁気ディスクなどの[[直接アクセス記憶装置|直接アクセス記憶媒体]]の出現によって可能となった。それ以前のシステムは、[[磁気テープ]]へのデータの順次保存に依っていた。その後のデータベース技術の発展は、データモデルまたは[[データ構造]]に基づいて、[[ナビゲーショナルデータベース|ナビゲーショナル]]{{sfn|Bachman|1973}}、SQL/[[リレーショナルデータベース|リレーショナル]]、ポストリレーショナルの3つの時代に分けることができる。 初期のナビゲーショナル・データモデルは、[[階層型データモデル|階層型モデル]]と[[ネットワーク型データモデル|ネットワーク型モデル]]([[CODASYL]]モデル)の2つが主であった。これらは、あるレコードから別のレコードへの関係を追跡するために、[[ポインタ (プログラミング)|ポインタ]](多くの場合、物理的なディスクアドレス)を使用することが特徴であった。 1970年に[[エドガー・F・コッド]]が提唱した[[リレーショナルモデル]]は、この伝統から脱却するもので、アプリケーションがリンクをたどるのではなく、内容からデータを検索すべきであると主張するものであった。リレーショナルモデルは、元帳型の表<!-- ledger-style tables -->の集まりを組み合わせたもので、それぞれの表は異なる種類のエンティティ(実体)を格納する。1980年代半ばになって、コンピューティング・ハードウェアは、リレーショナルシステム(DBMSとアプリケーション)を幅広く普及するのに十分な性能を持つようになった。けれども、1990年代初頭には、すべての大規模な[[データ処理]]アプリケーションにおいてリレーショナルシステムが主流となり、2018年現在も主流であり続けている。[[IBM Db2]]、[[Oracle Database|Oracle]]、[[MySQL]]、[[Microsoft SQL Server]]、[[PostgreSQL]]は、最も検索されている[[DBMS]]である<ref>{{cite web |url=https://pypl.github.io/DB.html |title=TOPDB Top Database index |work=pypl.github.io |access-date=2022-07-16}}</ref>。リレーショナルモデル用の主要なデータベース言語である標準SQLは、他のデータモデル用のデータベース言語にも影響を与えた{{Citation needed|date=March 2013}}。 [[オブジェクトデータベース]]は、[[オブジェクト指向]]とリレーショナル型との[[インピーダンスミスマッチ]](相性の欠如)による不便さを解消するために1980年代に開発され、これにより「ポストリレーショナル(''post-relational'')」という言葉が生まれ、また、ハイブリッド型の[[オブジェクトリレーショナルデータベース|オブジェクト・リレーショナルデータベース]]も開発された。 2000年代後半に登場した、次世代のポスト・リレーショナルデータベースは、高速な[[キーバリュー型データベース|キーバリュー型ストア]]や[[ドキュメント指向データベース]]を導入し、[[NoSQL]]データベースと呼ばれるようになった。これと競合する[[NewSQL]]と呼ばれる次世代データベースは、リレーショナル/SQLモデルを維持しつつ、市販のリレーショナルDBMSと比較してNoSQLの高い性能に見合うような新しい実装を試みている。 === 1960年代、ナビゲーショナルDBMS === {{Further|[[ナビゲーショナルデータベース|ナビゲーショナル・データベース]]}} [[File:CodasylB.png|thumb|upright=1.15|ナビゲーショナル・データベースモデル(例: [[CODASYL]])の基本構造であるレコードセットの閉じた連鎖を示す。レコードセットは、「オーナー」とも呼ばれる1つの親レコードと、「メンバーレコード」とも呼ばれるn個の子レコードから構成される。各レコードのキーによって正方向ポインタ、逆方向ポインタ、直接ポインタが提供される。]] データベースという言葉が登場したのは、1960年代半ば以降に、[[直接アクセス記憶装置|直接アクセスストレージ]](ディスクやドラム)が利用できるようになった時期と重なる。この用語は、過去のテープベースのシステムとは対照的に、日常の[[バッチ処理]]ではなく、対話的な共有での利用を可能にすることを意味した。[[オックスフォード英語辞典]]では、カリフォルニアの{{Ill2|System Development Corporation|en|System Development Corporation}}が1962年に発表した報告書を、特定の技術的な意味で「データベース」という用語を初めて使用したものとして引用している<ref>{{cite web|title=database, n|url=http://www.oed.com/view/Entry/47411|work=OED Online|publisher=Oxford University Press|access-date=July 12, 2013|date=June 2013}} {{subscription required|s}}</ref>。 コンピュータの速度と機能が向上するに伴い、多くの汎用データベースシステムが登場し、1960年代半ばには多くのこうしたシステムが商用化されるようになった。標準化への関心が高まり、そうした製品の一つである[[Integrated Data Store|Integrated Data Store(IDS)]]の制作者である[[チャールズ・バックマン]]が、[[COBOL]]の作成と標準化を担当したグループ[[CODASYL]]内にデータベース・タスクグループを設立した。1971年、データベース・タスクグループは、一般に「''CODASYLアプローチ''」として知られるようになった彼らの標準を提供し、まもなくこのアプローチに基づいた多くの商用製品が市場に参入した。 CODASYLアプローチ方式は、アプリケーションに対し、大規模ネットワーク内に形成された連結データセット<!-- linked data set -->を移動する機能を提供した。アプリケーションは、3つの方法のうちのいずれかによってレコードを見つけることができる。 # 主キーの使用(CALCキーとして知られ、典型的には[[ハッシュ関数|ハッシュ]]によって実装される)。 # あるレコードから別のレコードへの関係(セットと呼ばれる)の移動。 # すべてのレコードを順番にスキャンする。 その後のシステムで、[[B木]](''B-tree'')が追加され、代替アクセス経路を提供するようになった。また、多くのCODASYLデータベースでは、エンドユーザー向けに(ナビゲーション型APIとは異なる)宣言型クエリ言語も追加された。しかし、CODASYLデータベースは複雑で、有用なアプリケーションを作るには多大な訓練と労力を要した。 また、[[IBM]]は、1966年に、[[IBM Information Management System|Information Management System]](IMS)として知られる独自のDBMSを持っていた。IMSは、[[アポロ計画]]のために作成されたソフトウェアの[[System/360]]への発展型であった。IMSは一般にCODASYLと概念が似ているが、そのデータナビゲーションのモデルは厳密な階層を使用し、CODASYLのネットワーク型モデルではなかった。どちらの概念も、データへのアクセス方法の観点から、後にナビゲーショナル・データベースと呼ばれるようになった。この用語は、1973年のバックマンの[[チューリング次数|チューリング賞]]の講演「''The Programmer as Navigator''」によって広まった。IBMによって、IMSは[[階層型データベース]]として分類されている。IDMSや{{Ill2|Cincom Systems|en|Cincom Systems}}の[[:en:Cincom Systems#1970s and 1980s|TOTALデータベース]]は、[[ネットワーク型データベース]]に分類される。2014年現在、IMSは使用されている<ref>{{cite web|last=IBM Corporation|title=IBM Information Management System (IMS) 13 Transaction and Database Servers delivers high performance and low total cost of ownership|url=http://www-01.ibm.com/common/ssi/cgi-bin/ssialias?subtype=ca&infotype=an&appname=iSource&supplier=897&letternum=ENUS213-381|access-date=Feb 20, 2014|date=October 2013}}</ref>。 === 1970年代、リレーショナルDBMS === [[エドガー・F・コッド]]は、[[サンノゼ|カリフォルニア州サンノゼ]]にあるIBMの研究室の1つで、主に[[ハードディスクドライブ|ハードディスク]]システムの開発に携わっていた。彼は、CODASYLアプローチのナビゲーションモデルにおいて、特に「検索(''search'')」機能の欠如に不満を抱いていた。1970年、彼はデータベース構築の新しいアプローチを概説する多くの論文を書き、最終的に画期的な論文「大規模共有データバンクのためのデータのリレーショナルモデル(''A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks'')」に結実させた{{sfn|Codd|1970}}。 この論文で、彼は大規模なデータベースを保存し、操作するための新しいシステムについて説明した。コッドの考えは、CODASYLのように自由形式のレコードをある種の[[連結リスト]]に格納するのではなく、データをいくつかの「[[表 (データベース)|テーブル]]」(''table''、表)として編成し、それぞれのテーブルを異なる種類のエンティティ(''entity''、実体)に使用することであった。各テーブルは、エンティティの属性を含む固定数の列を含むことになる。各テーブルの1つ以上の列は、テーブルの行を一意に識別するための[[主キー]]として指定され、テーブル間の相互参照には、ディスクアドレスではなく、常にこの主キーが使用された。クエリにおいては、[[関係論理]]の数学的体系に基づく一連の操作を用いて、これらのキー関係に基づいてテーブルを結合する(モデルの名前の由来)。データを正規化された一連のテーブル(または[[関係 (データベース)|関係]](''relation'')、リレーション)に分割することで、各々の「ファクト(''fact''、事実)」を一度だけ保存するようにし、更新操作を簡略化する。ビュー(''view'')と呼ばれる仮想的なテーブルは、ユーザーごとに異なる方法でデータを表示することができるが、ビューを直接更新することはできなかった。 コッドは、テーブル、行、列ではなく、関係(relation)、[[組 (データベース)|組]](tuple)、[[定義域 (データベース)|定義域]](domain)という数学用語を使ってモデルを定義した。現在よく知られているこれらの用語は、初期の実装に由来するものである。コッドは後に、実際の実装が、モデルの基礎となった数学的な基礎から逸脱する傾向にあることを批判した。[[File:Relational key SVG.svg|thumb|[[リレーショナルモデル]]では、仮想キーを使ってレコードどうしがリンクされる。仮想キーは、データベースに格納されていないが、必要に応じてレコードに含まれるデータ間で定義される。この図は、login列の値「mark」を仮想キーとしてリンクした2つのレコードを示す。]] テーブル間の関係を表すために、ディスクアドレスではなく主キー(ユーザー指向の識別子)を使用したのは、主に2つの動機があった。エンジニアリングの観点からは、費用がかかるデータベースの再編成をすることなく、テーブルの再配置やサイズ変更を可能とした。しかし、コッドは、セマンティクス(意味)の違いにより強い興味を持っていた。明示的な識別子を使用することで、純粋な数学的定義で更新操作を定義することが容易になり、[[一階述語論理]]という確立した学問分野の観点でクエリ操作を定義できるようになった。これらの操作は純粋な数学的性質があるため、クエリ最適化の基礎をなす証明可能な正しい方法でクエリを書き換えることが可能となる。テーブル間の接続は明示的ではなくなったが、階層型モデルやネットワーク型モデルと比較して表現力が損なわれることはない。 階層型モデルやネットワーク型モデルでは、レコードが複雑な内部構造を持つことが許容された。たとえば、ある従業員の給与履歴は、従業員レコードの中の「繰り返しグループ」として表わされることがある。リレーショナルモデルでは、正規化の過程によって、そのような内部構造は、論理キーのみで結合された複数のテーブルに保持されたデータで置き換えられた。 たとえば、データベースシステムの一般的な使い方として、ユーザーに関する情報、名前、ログイン情報、さまざまな住所や電話番号を突き止めることがあげられる。ナビゲーショナル方式では、これらのデータはすべて1つの可変長レコード内に格納される。リレーショナル方式では、そのデータは(たとえば)ユーザーテーブル、アドレステーブル、電話番号テーブルに「正規化(''normalize'')」される。これらの任意のテーブル内には、実際に住所や電話番号が提供された場合のみ、レコードが作成される。 コッドは、(ディスクアドレスではなく)論理的な識別子を使用して行/レコードを識別するだけでなく、アプリケーションが複数のレコードからデータを組み立てる方法も変更した。アプリケーションがリンクを移動して1レコードずつデータを収集することを要求するのではなく、アプリケーションは、宣言型のクエリ言語を使用して(どのようにデータを見つけるかというアクセス経路ではなく)どのようなデータが必要なのかを表現する。データへの効率的なアクセス経路を見つけるのは、アプリケーションの[[プログラマー]]ではなく、データベース管理システムの責任となった。クエリ最適化(''query optimization'')と呼ばれるこの過程は、クエリが数学的論理の観点で表現されているという事実に基づいている。 コッドの論文は、[[カリフォルニア大学バークレー校|バークレー校]]の{{Ill2|ユージン・ウォン|en|Eugene Wong}}と[[マイケル・ストーンブレーカー]]の二人によって着目された。彼らは、地理データベースプロジェクトにすでに割り当てられていた資金と、コードを作成する学生プログラマーを使って、[[Ingres|INGRES]]と呼ばれるプロジェクトを開始した。INGRESは、1973年の初頭に最初のテスト製品を提供し、1979年には一般に広く使用されるようになった。INGRESは、{{Ill2|データアクセス|en|Data access}}のための[[QUEL]]と呼ばれる「言語(''language'')」の使用を含め、多くの点で[[System R|IBM System R]]と類似していた。時の経過とともに、INGRESは新しい標準SQLに移行していった。 IBM自身は、リレーショナルモデルのテスト実装である{{Ill2|IBM Peterlee Relational Test Vehicle (ソフトウェア)|en|IBM Peterlee Relational Test Vehicle (PRTV)|label=PRTV}}と、製品版である{{Ill2|IBM Business System 12|en|IBM Business System 12|label=Business System 12}}の開発を一度行ったが、いずれも現在は廃止されている。[[ハネウェル|Honeywell]]は、[[Multics]]用の{{Ill2|Multics Relational Data Store|en|Multics Relational Data Store|label=MRDS}}を開発したが、現在では{{Ill2|Dataphor|en|Dataphor|label=Alphora Dataphor}}と{{Ill2|Rel (DBMS)|en|Rel (DBMS)|label=Rel}}の2つの新しい実装が存在する。「リレーショナル」と呼ばれる他のDBMSの実装のほとんどは、実際にはSQL DBMSである。 1970年、ミシガン大学は、{{Ill2|デイヴィッド・L・チャイルズ|en|David L. Childs}}の集合論的データモデル<!-- Set-Theoretic Data model -->に基づく{{Ill2|MICRO情報管理システム|en|MICRO Relational Database Management System}}{{sfn|Hershey|Easthope|1972}}の開発を開始した{{sfn|North|2010}}{{sfn|Childs|1968a}}{{sfn|Childs|1968b}}。MICROは、非常に大きなデータセットを管理するために、[[アメリカ合衆国労働省|米国労働省]]、[[アメリカ合衆国環境保護庁|米国環境保護庁]]、[[アルバータ大学]]、[[ミシガン大学]]、[[ウェイン州立大学]]の研究者によって使用された。これは、{{Ill2|ミシガン・ターミナル・システム|en|Michigan Terminal System}}を使用するIBM[[メインフレーム]]コンピューター上で稼働した<ref name="MICROManual1977">{{cite book |author1=M.A. Kahn |author2=D.L. Rumelhart |author3=B.L. Bronson |date=October 1977 |url=https://docs.google.com/viewer?a=v&pid=explorer&chrome=true&srcid=0B4t_NX-QeWDYZGMwOTRmOTItZTg2Zi00YmJkLTg4MTktN2E4MWU0YmZlMjE3 |title=MICRO Information Management System (Version 5.0) Reference Manual |publisher=Institute of Labor and Industrial Relations (ILIR), University of Michigan and Wayne State University}}</ref>。このシステムは1998年まで稼動し続けた。 === 統合型アプローチ === {{Main|{{ill2|データベースマシン|en|Database machine}}}} 1970年代から1980年代にかけ、ハードウェアとソフトウェアを統合したデータベースシステムの構築が試みられた。その根底にある理念は、このような統合が、より高い性能をより低い費用で提供できるというものである。その例として、[[IBM System/38]]、[[Teradata]]の初期の製品、および{{Ill2|Britton Lee, Inc.|en|Britton Lee, Inc.}}のデータベースマシンがあげられる。 また、データベース管理をハードウェアでサポートするアプローチには、{{Ill2|International Computers Limited|en|International Computers Limited|label=ICL}}の{{Ill2|Content Addressable File Store|en|Content Addressable File Store|label=CAFS}}アクセラレータという、プログラム可能な検索機能を持つハードウェアディスクコントローラーがあった。しかし、汎用コンピュータの急速な発展と進歩に、データベース専用機が追いつくことができなかったため、長期的にはこれらの取り組みは概して失敗に終わった。こうしたことから、現今のほとんどのデータベースシステムは、汎用ハードウェア上で動作するソフトウェアシステムであり、汎用のコンピュータとデータストレージを使用している。しかし、この着想は今もなお、{{Ill2|Netezza|en|Netezza}}やOracle ({{Ill2|Oracle Exadata|en|Oracle Exadata|label=Exadata}})など一部の企業によって特定の用途で追求されている。 === 1970年代後半、SQL DBMS === 1970年代前半、IBMは、''[[System R]]''として、コッドの概念に大まかに基づいたプロトタイプシステムの開発を始めた。最初のバージョンは1974年5月に完成し、その後、レコードを構成するすべての要素(一部はオプション)を単一の大きな「チャンク(''chunk''、塊)」に格納する必要がないように、データを分割できるマルチテーブルシステムに対応する作業が開始された。その後、1978年と1979年にマルチユーザーバージョンが顧客によってテストされ、その時点では標準化されていた[[問い合わせ言語|クエリ言語]]SQLが追加されていた{{Citation needed|reason=First version of SQL standard was SQL-86 adopted in 1986|date=May 2012}}。コッドのアイデアは、実行可能でCODASYLよりも優れたものとして確立され、IBMが''SQL/DS''として知られるSystem Rの真の製品版、そして後に''Database 2''([[IBM Db2]])を開発することを後押しした。 [[ラリー・エリソン]]の[[Oracle Database]](以下、Oracle)は、IBMのSystem Rに関する論文を基に、別の系統から出発した。Oracle V1の実装は1978年に完了したが、エリソンが1979年にIBMを打ち負かしたのはOracle Version 2を市場に投入してからであった<ref>{{cite web|url=https://www.oracle.com/us/corporate/profit/p27anniv-timeline-151918.pdf |title=Oracle 30th Anniversary Timeline |access-date=23 August 2017}}</ref>。 ストーンブレーカーはその後、INGRESからの教訓を応用して、現在は[[PostgreSQL]]として知られている新しいデータベースPostgresを開発した。PostgreSQLは、大域的で基幹的な業務アプリケーションによく使用されている。(.orgや.infoのドメイン名レジストリでは、多くの大企業や金融機関と同様に、これを主要{{Ill2|データストア|en|Data store}}として使用している)。 スウェーデンでもコッドの論文は読まれ、1970年代半ばに[[ウプサラ大学]]で{{Ill2|Mimer SQL|en|Mimer SQL}}が開発された。1984年、このプロジェクトは独立した企業に統合された。 1976年に登場した[[実体関連モデル|実体関係モデル]]は、それまでのリレーショナルモデルよりも馴染みのある記述法を重視したもう一つのデータモデルであり、[[データベース設計]]で人気を博した。その後、実体-関係構造は、リレーショナルモデルの[[データモデリング]]構造として追加され、両者の違いは無意味なものとなった{{Citation needed|date=March 2013}}。 === 1980年代、デスクトップ === 1980年代は、[[デスクトップコンピュータ|デスクトップコンピューティング]]の時代の到来を告げた。新しいコンピュータは、[[Lotus 1-2-3]]のような表計算ソフトや[[dBASE]]のようなデータベースソフトで、ユーザーに力をもたらした。dBASE製品は軽量で、コンピューターユーザーは誰でも容易に理解できた。dBASEの作者、{{Ill2|ウェイン・ラトリフ|en|Wayne Ratliff}}は次のように述べている。「dBASEは、BASIC、C、FORTRAN、COBOLのようなプログラムとは異なり、多くの汚い仕事はすでに行われている。データ操作はユーザーではなくdBASEが行うので、ユーザーはファイルを開き、読み込み、閉じ、スペース割り当ての管理などの汚い詳細に煩わされることなく、自分のしていることに集中することができる」<ref>[http://www.foxprohistory.org/interview_wayne_ratliff.htm Interview with Wayne Ratliff]. The FoxPro History. Retrieved on 2013-07-12.</ref>。dBASEは、1980年代から1990年代初頭にかけて、最も売れたソフトウェアの一つであった。 === 1990年代、オブジェクト指向 === 1990年代は、[[オブジェクト指向プログラミング]]の台頭とともに、さまざまなデータベース内のデータの扱い方で発展が見られた。プログラマーと設計者は、データベース内のデータを[[オブジェクト (プログラミング)|オブジェクト]]として扱うようになった。つまり、ある個人のデータがデータベース内にある場合、その人の住所、電話番号、年齢などの特性は外来のデータではなく、その人に属するものと考えられるようになった<ref>Development of an object-oriented DBMS; Portland, Oregon, United States; Pages: 472–482; 1986; {{ISBN2|0-89791-204-7}}</ref>。これにより、データ間の関係は、個々のフィールドではなく、オブジェクトとその[[プロパティ (プログラミング)|属性]]に関連付けられる。プログラムされたオブジェクトとデータベースのテーブルとの間の変換の不都合は、「[[オブジェクト-リレーショナル・インピーダンスミスマッチ]]」という言葉で表わされる。[[オブジェクトデータベース|オブジェクト・データベース]]や[[オブジェクトリレーショナルデータベース|オブジェクト・リレーショナルデータベース]]は、この問題を解決するために、プログラマーが純粋なリレーショナルSQLの代わりに使用できるオブジェクト指向言語(SQLの拡張機能という場合もある)を提供しようとするものである。プログラミング側の立場では、[[オブジェクトリレーショナルマッピング|オブジェクト・リレーショナル・マッピング]](ORM)と呼ばれるライブラリで、同じ問題を解決しようとしている === 2000年代、NoSQLとNewSQL === {{Main|NoSQL|NewSQL}} [[XMLデータベース]]は、構造化されたドキュメント指向データベースの一種で、[[Extensible Markup Language|XML文書]]の属性に基づいたクエリが可能である。XMLデータベースは、たとえば科学論文、特許、税務申告、人事記録など、非常に柔軟なものから非常に厳格なものまで、データをさまざまな構造を持つ文書の集合として見るのに便利なアプリケーションで主に使用される。 [[NoSQL]]データベースは、多くの場合、非常に高速で、固定化したテーブルスキーマを必要とせず、{{Ill2|非正規化|en|Denormalization}}したデータを格納することで結合操作を回避し、[[スケーラビリティ#スケールアップとスケールアウト|水平スケーリング]]するように設計されている。 近年、高い[[分断耐性]]を備えた大規模分散データベースが強く求められているが、[[CAP定理]]によれば、[[分散システム]]で[[一貫性モデル (ソフトウェア)|一貫性]]、可用性、分断耐性を同時に備えることは不可能とされている。分散システムは、これら3つの保証のうち、いずれか2つを同時に満たすことはできても、3つすべてを満たすことはできない。そのため、多くのNoSQLデータベースでは、データ整合性のレベルを下げて可用性と分断耐性の両方を保証する、[[結果整合性]]という考え方を採用している。 最新のリレーショナルデータベースの一種である[[NewSQL]]は、SQLを使用し、また従来のデータベースシステムの[[ACID (コンピュータ科学)|ACID]]保証を維持しながらも、オンライントランザクション処理のワークロード(読み込みと書き込みの両方を伴う)に対して、NoSQLシステムと同じスケーラブルな性能を提供することを目的としている。 == 使用例 == {{unreferenced section|date=March 2013}} データベースは、組織の内部業務を支援し、顧客や発注先とのオンラインでのやり取りを支えるために使用される([[エンタープライズソフトウェア|エンタープライズ・ソフトウェア]]を参照)。 データベースは、業務における管理情報、エンジニアリングデータや経済モデルなどのより専門的なデータを保持するためにも使用される。たとえば、コンピュータによる[[図書館]]システム、[[航空座席予約システム]]<ref name="斎藤謙一郎2003">{{Cite journal|和書|journal=電気学会誌|year=2003|title=航空予約システムとその動向|volume=123|page=352|last=斎藤<!--さいとう-->|first=謙一郎<!--けんいちろう-->|issue=6|language=ja|DOI=10.1541/ieejjournal.123.349|ISSN=1881-4190}}</ref>、コンピュータ化された部品[[在庫管理]]システム、および[[ウェブサイト]]をウェブページの集合としてデータベースに保存する多くの[[コンテンツ管理システム]]などがあげられる。 == 分類 == データベースを分類する方法として、たとえば、{{Ill2|文献データベース|en|Bibliographic database|label=書誌}}、文書、テキスト、統計、マルチメディアなど、その内容の種類によるものがある。第二の方法は、会計、作曲、映画、銀行、製造、保険など、応用面による分類がある。第三の方法は、データベースの構造やインタフェースの種類など、技術的な側面によるものである。この節では、さまざまな種類のデータベースを特徴付けるために使用される用語をいくつか列挙する。 * [[インメモリデータベース]]とは、主に[[メインメモリー|メインメモリ]]内に存在するデータベースで、一般的に不揮発性のコンピューターデータストレージによってバックアップされる。メインメモリーデータベースはディスクデータベースよりも高速であるため、通信ネットワーク機器など、応答時間が重要な場合に使用されることが多い。 * {{Ill2|アクティブデータベース|en|Active database}}は、データベース内外の両方の状況に応答できる[[イベント駆動]]型[[アーキテクチャ]]を備えている。セキュリティ監視、アラート、統計収集、および承認などの用途が考えられる。多くのデータベースは、[[データベーストリガ|データベーストリガー]]という形でアクティブデータベースの機能を提供する。 * {{Ill2|クラウドデータベース|en|Cloud database}}は、[[クラウドコンピューティング|クラウド技術]]に基づいている。データベースとDBMSの大半はいずれも遠く離れた「クラウド」上に存在するが、アプリケーションはプログラマーが開発し、エンドユーザーが[[ウェブブラウザ]]と{{Ill2|オープンAPI|en|Open API}}を通じてデータベースを保守/利用する。 * [[データウェアハウス]]は、業務用データベースや、しばしば市場調査会社などの外部ソースから得たデータをアーカイブする。 データウェアハウスは、業務データにアクセスできない管理者やその他のエンドユーザーが使用するデータの中心的な供給源となる。たとえば、販売データを週ごとの合計に集計し、[[エーシーニールセン|ACニールセン]]のデータと比較できるように社内商品コードを[[統一商品コード]](UPC)に変換する。データウェアハウジングの基本的かつ不可欠なコンポーネントには、データの抽出、[[データ分析|分析]]、[[データマイニング|マイニング]]、変換、読み込み、そしてデータをさらに利用できるようにするデータ管理がある。 * {{Ill2|演繹データベース|en|Deductive database}}は、[[論理プログラミング]]とリレーショナルデータベースを組み合わせたものである。 * [[分散データベース]]とは、データとDBMSの両方が複数のコンピュータにまたがったデータベースのことである。 *[[ドキュメント指向データベース]]は、ドキュメント指向または半構造化された情報を格納、取得、および管理するために設計されている。ドキュメント指向データベースは、NoSQLデータベースの主要なカテゴリの一つである。 * {{Ill2|組み込みデータベース|en|Embedded database}}システムとは、保存されたデータへのアクセスを要するアプリケーションソフトウェアと緊密に統合されたDBMSで、アプリケーションのエンドユーザーから隠され、継続的なメンテナンスをほとんど(あるいは全く)必要としないものである<ref>Graves, Steve. [http://www.embedded-computing.com/articles/id/?2020 "COTS Databases For Embedded Systems"] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20071114050734/http://www.embedded-computing.com/articles/id/?2020 |date=2007-11-14 }}, ''Embedded Computing Design'' magazine, January 2007. Retrieved on August 13, 2008.</ref>。 *エンドユーザー・データベースは、個々のエンドユーザーによって開発されたデータから構成されている。たとえば、文書、スプレッドシート、プレゼンテーション、マルチメディア、およびその他のファイルの集合体である。このようなデータベースをサポートするいくつかの製品が存在する。その中には、本格的なDBMSよりもはるかに単純で、基本的なDBMSの機能を備えているものもある。 * [[連合データベース]]システムは、複数の異なるデータベースから構成され、それぞれは独自のDBMSを持っている。これは連合データベース管理システム (FDBMS) によって単一のデータベースとして扱われ、あるいは複数の自律的なDBMSを透過的に統合し(この場合、異種データベースシステムでもある)、統合された概念ビューを提供するものである。 * マルチデータベースという用語は、連合データベースの同義語として用いられることもあるが、単一のアプリケーション内で連携する、あまり統合されていないデータベースのグループを指す場合もある(例: FDBMSや管理された統合スキーマを持たない)。この場合、一般的には[[アトミックコミット|アトミックコミットプロトコル]](ACP、たとえば[[2相コミット|2フェーズコミットプロトコル]])を含む[[ミドルウェア]]が分散に使われ、参加データベース間での[[分散トランザクション|分散(グローバル)トランザクション]]を可能とする。 * {{Ill2|グラフデータベース|en|Graph database}}は、ノード、エッジ、プロパティを持つグラフ構造を用いて情報を表現および保存するデータベースであり、NoSQLデータベースの一種である。任意のグラフを格納できる一般的なグラフデータベースは、{{Ill2|トリプルストア|en|Triplestore}}や[[ネットワーク型データベース]]などの特殊なグラフデータベースとは異なるものとして区別される。 * {{Ill2|配列DBMS|en|Array DBMS}}は、衛星画像や気候シミュレーションの出力など、(通常は大規模な)多次元配列のモデリング、保存、検索を可能にするNoSQL DBMSの一種である。 * [[ハイパーテキスト]]または[[ハイパーメディア]]・データベースでは、オブジェクト(例: 別のテキスト、記事、画像、または映画)を表す任意の単語やテキスト部分を、そのオブジェクトに[[ハイパーリンク]]することができる。ハイパーテキスト・データベースは、大量にある異種の情報を整理するのに特に有効である。たとえば、ユーザーがテキストの中を簡単に飛び回ることができる[[オンライン百科事典]]を整理するのに役立つ。したがって、[[ワールドワイドウェブ]]は大規模な分散型ハイパーテキストデータベースと言える。 * [[知識ベース]](KB、kb、またはΔと略す<ref>Argumentation in Artificial Intelligence by Iyad Rahwan, Guillermo R. Simari</ref><ref>{{cite web | title = OWL DL Semantics | url = http://www.obitko.com/tutorials/ontologies-semantic-web/owl-dl-semantics.html | access-date = 10 December 2010}}</ref>)は、[[知識管理]]のための特別な種類のデータベースであり、コンピュータ化された[[知識]]を収集、編成、および[[情報検索|検索]]するための手段を提供するものである。また、問題点とその解決策、あるいは関連する経験などを表すデータの集合でもある。 * {{Ill2|モバイルデータベース|en|Mobile database}}は、[[携帯機器|モバイル・コンピューティング・デバイス]]で実行したり、他のデバイスと同期させたりできる。 * {{Ill2|運用データベース|en|Operational database}}は、組織の運営に関する詳細なデータを格納する。通常、[[トランザクション]]を使用して、比較的大量の更新を処理する。たとえば、[[カスタマーリレーションシップマネジメント|顧客データベース]]は、企業の顧客に関する連絡先、信用情報、人口統計情報を記録し、人事データベースは、従業員に関する給与、福利厚生、技能データなどの情報を保持し、[[企業資源計画]]システムは、製品の部品、部品在庫、財務に関する詳細を管理し、財務データベースは、組織の収支、会計、および金融取引を監視する。 * {{Ill2|並列データベース|en|Parallel database}}は、データのロード、[[索引 (データベース)|インデックス]]の作成、クエリの実行などの作業を並列化することで性能向上を図るものである。 ::基盤となるハードウェア・アーキテクチャによって分類される主な並列DBMSアーキテクチャは次のとおりである。 ::* [[共有メモリ|共有メモリ・アーキテクチャ]]: 複数のプロセッサが主記憶領域や他のデータスト レージを共有する。 ::* {{Ill2|共有ディスク・アーキテクチャ|en|Shared-disk architecture|label=共有ディスク・アーキテクチャ}}: 各処理装置(通常は複数のプロセッサで構成)は、独自の主記憶領域を持つが、他のストレージは全装置で共有する。 ::* [[シェアード・ナッシング・アーキテクチャ]]: 各処理装置が独自の主記憶領域その他のストレージを持つ。 * {{Ill2|確率的データベース|en|Probabilistic database}}:[[ファジィ論理]]を採用して不正確なデータから推論を引き出す。 * {{Ill2|リアルタイムデータベース|en|Real-time database}}は、結果が戻ってすぐに処理するのに十分な速度でトランザクションを処理する。 * {{Ill2|空間データベース|en|Spatial database}}は、多次元的な特徴を持つデータを格納することができる。このようなデータに対するクエリには、たとえば「私のいる地域で最も近いホテルはどこですか?」というような、位置に基づくクエリが含まれる。 * {{Ill2|時間データベース|en|Temporal database}}は、時間データモデルや時間バージョンの[[SQL]]など、時間的な側面が組み込まれている。より具体的には、通常、時間的側面には有効時間とトランザクション時間が含まれる。 * {{Ill2|用語指向データベース|en|Terminology-oriented database}}は、[[オブジェクト指向データベース]]に基づいて構築され、多くの場合、特定の分野向けにカスタマイズされている。 * 非構造化データデータベースは、一般的なデータベースに自然かつ簡単に適合しない多様なオブジェクトを、管理可能かつ保護された方法で格納することを目的としている。これには、電子メールメッセージ、文書、雑誌、マルチメディアオブジェクトなどが含まれることがある。オブジェクトの中には高度に構造化されたものもあるため、この名称は誤解を招く可能性がある。しかし、可能性のあるオブジェクトの集合全体が、あらかじめ定義された構造化フレームワークに適合するものではない。現在、ほとんどの既製のDBMSは、さまざまな方法で非構造化データをサポートしており、新しい専用DBMSも登場している。 <!-- (英語版記事のコメントの翻訳) これは文書指向のデータベースではないか? 違うなら明確に区別して欲しい。 --> == データベース管理システム == ConnollyとBeggは、データベース管理システム(DBMS)を「ユーザーがデータベースを定義、作成、保守、およびアクセスを制御できるようにするソフトウェアシステム」と定義している{{sfn|Connolly|Begg|2014|p=64}}。DBMSの例として、[[MySQL]]、[[PostgreSQL]]、[[Microsoft SQL Server]]、[[Oracle Database]]、[[Microsoft Access]]があげられる。 DBMSの頭文字は、基盤となる[[データベースモデル]]を示して拡張されることがあり、[[リレーショナルモデル|リレーショナル型]]はRDBMS、{{Ill2|オブジェクトモデル|en|Object model|label=オブジェクト(指向)型}}はOODBMS、[[オブジェクトリレーショナルデータベース|オブジェクトリレーショナル型]]はORDBMSと呼ばれる。また、[[分散型データベース|分散型データベース管理システム]]を表すDDBMSなど、他の特性を表すように拡張することができる。 DBMSが提供する機能は非常に多様である。中心的な機能は、データの保存、検索、更新である。コッドは、本格的な汎用DBMSが提供すべき機能およびサービスとして、次のようなものを提案した{{sfn|Connolly|Begg|2014|pp=97–102}}。 * データの保存、検索、更新 * メタデータを記述した、ユーザーがアクセス可能なカタログまたは[[データディクショナリ]] * トランザクションと並行処理のサポート * データベースが破損した場合に復旧するための機能 * データへのアクセス時および更新時の承認のサポート * 遠隔地からのアクセスサポート * データベース内のデータが特定の規則に従うことを保証するための制約の適用 また、DBMS は、インポート、エクスポート、監視、デフラグメント、分析ユーティリティなど、データベースを効果的に管理するために必要な一連のユーティリティを提供することも、一般に期待されている{{sfn|Connolly|Begg|2014|p=102}}。データベースと[[アプリケーション・プログラミング・インタフェース|アプリケーション・インタフェース]]の間で相互作用するDBMSの中心部分は、[[データベースエンジン|データベース・エンジン]]と呼ばれることもある。 多くのDBMSは、データベースが使用できるサーバ上のメインメモリの最大量など、静的または動的に調整可能な構成パラメータを持っている。手動構成する量を最小限に抑える傾向があり、{{Ill2|組み込みデータベース|en|Embedded database}}のような場合は、ゼロ管理を目標とする要求が最も重要である。 大規模なエンタープライズDBMSでは、サイズや機能が増大する傾向があり、その生涯を通じて数千人年の開発努力が費やされることがある{{efn|<!--This article quotes a development time of 5 years involving 750 people for DB2 release 9 alone.-->この記事では、DB2リリース9単独で750人が関与した5年間の開発期間を引用している。{{harv|Chong|Wang|Dang|Snow|2007}}}}。 初期のマルチユーザーDBMSでは、一般的に、アプリケーションを同じコンピュータ上で動作させ、[[コンピュータ端末]]または端末エミュレーションソフトウェアを通じてアクセスすることしかできなかった。[[クライアントサーバモデル|クライアント・サーバー・アーキテクチャ]]は、アプリケーションはクライアントのデスクトップ上にあり、サーバー上に存在するデータベースが処理を分散できるように開発された。これが進化して、[[アプリケーションサーバ|アプリケーションサーバー]]や[[ウェブサーバー]]を組み込んだ[[多層アーキテクチャ]]となり、エンドユーザーインターフェイスは[[ウェブブラウザー]]を介してアクセスし、データベースは隣接する層に直接接続されるのみとなった{{sfn|Connolly|Begg|2014|pp=106–113}}。 汎用DBMSは、公開の[[アプリケーション・プログラミング・インタフェース]](API)と、オプションで[[SQL]]などの[[データベース言語]]用のプロセッサを提供して、データベースと対話し操作するアプリケーションを作成できるようにする。特殊用途のDBMSは、プライベートなAPIを使用し、特別にカスタマイズして単一のアプリケーションにリンクされることがある。たとえば、[[電子メール]]システムは、メッセージの挿入、削除、添付ファイルの処理、ブロックリストの検索、メッセージと電子メールアドレスの関連付けなど、汎用DBMSの機能の多くを実行するが、これらの機能は電子メールの処理に必要なものに限定されている。 == アプリケーション == {{main|{{ill2|データベースアプリケーション|en|Database application}}}} データベースとの外部相互作用は、DBMSと接続するアプリケーション・プログラムを介して行われる{{sfn|Connolly|Begg|2014|p=65}}。アプリケーションは、ユーザーが文字的または視覚的にSQLクエリを実行できる[[データベース管理ツールの比較|データベースツール]]から、情報を格納し検索するためにデータベースを使用するWebサイトまで、多岐にわたる。 === アプリケーション・プログラム・インタフェース === [[プログラマー]]は、[[アプリケーション・プログラミング・インタフェース]](API)または[[データベース言語]]を介して、データベース({{Ill2|データソース|en|Datasource}}と呼ばれることもある)との相互対話を[[コーディング]]する。選択された特定のAPIや言語は、DBMSによって直接的にサポートされるか、または[[プリプロセッサ]]またはブリッジングAPIを介して間接的にサポートされる必要がある。APIの中にはデータベースに依存しないことを目的とするものもあり、[[ODBC]]はそのよく知られた例である。その他の一般的なAPIには、[[JDBC]]や[[ADO.NET]]がある。 == データベース言語 == データベース言語は、次のような作業を可能とする特殊用途の言語であり、{{Ill2|部分言語|en|Sublanguage}}として区別されることもある。 * [[データ制御言語]](DCL)- データへのアクセスを制御する。 * [[データ定義言語]](DDL)- テーブルの作成、変更、削除などのデータ型の定義や、テーブル間の関係を定義する。 * [[データ操作言語]](DML)- 発生データ<!-- data occurrences -->の挿入、更新、削除などの作業を実行する。 * {{Ill2|データ問い合わせ言語|en|Data query language}}(DQL)- 情報を検索し、派生情報を導出できる。 データベース言語は、特定のデータモデルに特化した言語である。著名な例として次のものがある。 * SQLは、データ定義、データ操作、およびクエリ(問い合わせ)の役割を1つの言語で兼ね備えたものである。SQLは、[[コッドの12の規則|コッドによって説明されたリレーショナルモデル]]とはからいくつかの点で異なっているが(たとえば、テーブルの行と列を並び替えることができる)、リレーショナルモデルの最初の商用言語の1つである。SQLは1986年に[[米国規格協会]](ANSI)標準となり、1987年に[[国際標準化機構]](ISO)標準となった。この標準はそれ以降も定期的に強化されており、すべての主流の商用リレーショナルDBMSによってサポートされている(適合性の程度はさまざまである){{sfn|Chapple|2005}}<ref name="IBM-sql">{{cite web | title = Structured Query Language (SQL) | publisher = International Business Machines | url = http://publib.boulder.ibm.com/infocenter/db2luw/v9/index.jsp?topic=com.ibm.db2.udb.admin.doc/doc/c0004100.htm | date = October 27, 2006 | access-date = 2007-06-10 }}</ref>。 * [[オブジェクト問い合わせ言語|OQL]]は、オブジェクトモデル言語標準である([[Object Data Management Group]]による)。これは、[[JDOQL]]や{{Ill2|EJB QL|en|EJB QL}}などの新しいクエリ言語の設計に影響を与えている。 * [[XQuery]]は、{{Ill2|MarkLogic|en|MarkLogic}}や{{Ill2|eXist|en|eXist}}などのXMLデータベースシステム、OracleやDb2などのXML機能を備えたリレーショナルデータベース、およびSaxonなどのインメモリXMLプロセッサで実装された標準のXMLクエリ言語である。 * {{Ill2|SQL/XML|en|SQL/XML}}は、XQueryとSQLを組み合わせたものである{{sfn|Wagner|2010}}。 データベース言語には、次のような機能を組み込んでいるものもある。 * DBMS固有の構成やストレージエンジンの管理。 * クエリ結果を変更するための計算。たとえば、カウント、合計、平均、並び替え、グループ化、クロスリファレンス。 * 制約の適用(例: 自動車データベースでは、1台の車ごとに1種類のエンジンのみ許可される)。 * プログラマーの便宜のために、クエリ言語のアプリケーション・プログラミング・インターフェース版。 == ストレージ == {{Main|[[記憶装置]]<!--Computer data storage-->|[[データベースエンジン]]<!--Database engine-->}} データベースストレージは、データベースの物理的な実体の格納庫である。これは、データベースアーキテクチャの「''内部(物理)レベル''」を構成する。また、必要に応じて「内部レベル」から「概念レベル」や「外部レベル」を再構築するために必要なすべての情報(たとえば[[メタデータ]]、「データに関するデータ」、内部[[データ構造]]など)も含んでいる。デジタル・オブジェクトとしてのデータベースには、データ、構造、セマンティクス(意味)の3つの層からなる情報が含まれ、保存する必要がある。長期間に渡って{{Ill2|データベース保存|en|Database preservation|label=データベースを保存}}し、長持ちさせるために、3つの層すべてを適切に保存する必要がある<ref>{{Cite journal |author=Ramalho, José Carlos |author2=Faria, Luis |author3=Silva, Hélder |author4=Coutada, Miguel |title=Database Preservation Toolkit: a flexible tool to normalize and give access to databases |year=2014 |publisher=Biblioteca Nacional de Portugal (BNP) |ISBN=978-972-565-541-2 |hdl=1822/35183 |url=https://repositorium.sdum.uminho.pt/handle/1822/35183}}</ref>。データを永続的ストレージに保存するのは、一般に、[[データベースエンジン]](別名「ストレージエンジン」)の責任である。DBMSは通常、基盤となるオペレーティングシステムを通じてアクセスするが(多くの場合、オペレーティングシステムのファイルシステムを、ストレージ配置の仲介役として使用する)、ストレージの特性と構成設定はDBMSの効率的な運用に極めて重要であるため、データベース管理者によって密接に管理される。DBMSは、その運用中に、常に数種類のストレージ(メモリや外部ストレージ)にデータベースを常駐させている。データベースのデータと、追加の必要な情報(おそらく非常に大量にある)は、[[ビット|ビット列]]に[[符号化]]される。データは通常、概念レベルや外部レベルでの見え方とは全く異なる構造でストレージ内に存在するが、ユーザーやプログラムが必要とするとき、または必要な情報の追加形式をデータから計算するとき(例: データベースに問い合わせる時)、これらのレベルの再構築を(可能な限り)最適化するような方法で格納される。 DBMSの中には、データの格納に用いる[[文字エンコーディング]]を指定できるものがあり、同じデータベースで複数のエンコーディングを使用することができる。 データモデルをシリアル化し、選ばれた媒体に書き込めるようにするために、ストレージエンジンは、さまざまな低レベルの{{Ill2|データベースストレージ構造|en|Database storage structures}}を使用する。性能を向上させるために、インデックス作成などの手法を使用することもある。従来のストレージは行指向であるが、[[列指向データベース管理システム|列指向データベース]]や相関データベース{{Enlink|Outline of databases#Types of databases|英語版|en}}もある。 === マテリアライズド・ビュー === {{Main|[[マテリアライズドビュー|マテリアライズド・ビュー]]<!--Materialized view-->}} 性能を向上させるためにストレージを冗長化することがよくある。一般的な例は、頻繁に必要とされる外部ビュー(''external view'')や、クエリ結果から構成される[[マテリアライズドビュー|マテリアライズド・ビュー]](''materialized view'')の保存である。このようなビューを保存することで、必要になるたびに計算する費用を節約することができる。マテリアライズド・ビューの欠点は、元の更新されたデータベースデータと同期を維持するためにビューを更新する際に発生するオーバーヘッドと、ストレージの冗長化にかかる費用である。 === レプリケーション === {{Main|[[データベースレプリケーション]]<!--Replication (computing)#Database replication-->}} データベースは、データの可用性を向上させるために、データベース・オブジェクトの複製(1つ以上の[[データベースレプリケーション|レプリケーション]])によるストレージ冗長性を採用することがある。これによって、同じデータベース・オブジェクトに複数のエンドユーザーが同時アクセスした場合の性能を向上させ、また、分散データベースに部分的な障害が発生した場合の回復力を提供する。複製されたオブジェクトの更新には、オブジェクトのコピー間で同期される必要がある。多くの場合、データベース全体が複製される。 == セキュリティ == {{Main|{{ill2|データベースセキュリティ|en|Database security}}}} {{ill2|データベースセキュリティ|en|Database security|label=データベース・セキュリティ}}は、データベースの内容、その所有者、およびそのユーザーを保護するためのあらゆる側面を扱う。その範囲は、意図的な不正なデータベースの使用から、権限のないエンティティ(たとえば、人やコンピュータプログラムなど)による意図しないデータベースへのアクセスまで、さまざまな保護に及ぶ。 データベースアクセス制御は、データベース内のどの情報に誰が(人間または特定のコンピュータプログラム)アクセスを許可されるかを制御することを扱う。その情報には、特定のデータベースオブジェクト(例: レコード種類、特定レコード、データ構造)、特定のオブジェクトに対する特定の計算(例: クエリ種類、特定のクエリ)、または前者に対する特定のアクセス経路の使用(例: 情報にアクセスするために特定のインデックスまたは他のデータ構造の使用)が含まれる。データベースのアクセス制御は、データベース所有者から特別に許可された人員によって、保護された専用のセキュリティDBMSインタフェースを用いて設定される。 アクセス制御の管理は、個人別に直接行うことも、個人と{{Ill2|特権 (コンピュータ)|en|Privilege (computing)|label=特権}}をグループに割り当てることも、(最も精巧なモデルでは)個人やグループにロール(役割)を割り当ててからロールに権限を付与することもできる。データセキュリティは、権限のないユーザーによるデータベースの閲覧や更新を阻止する。パスワードを使用すると、ユーザーはデータベース全体、または「サブスキーマ」と呼ばれる一部分へのアクセスを許可される。たとえば、従業員データベースには個々の従業員に関するすべてのデータを含めていても、あるグループのユーザーには給与データのみの閲覧を許可し、別のグループには職歴と医療データのみアクセスを許可することが可能である。DBMSがデータベースの入力、更新、問い合わせを対話的に行う方法を提供している場合、この機能によって個人データベースを管理することができる。 一般に{{Ill2|データセキュリティ|en|Data security}}は、特定のデータチャンク(''data chunk''、塊)を物理的に保護すること(すなわち破損、破壊、削除から。{{Ill2|物理的セキュリティ|en|Physical security}}を参照)、または、データチャンクやその一部を意味のある情報に変換すること(例: それらが構成するビット列を見て、特定の有効なクレジットカード番号を決定する。[[データ暗号化]]を参照)の両方を扱う。 変更およびアクセスの[[ロギング]]は、誰がどの属性にアクセスしたか、何が変更されたか、そしていつ変更されたかを記録する。ロギングサービスは、アクセスの発生や変更の記録を保持することで、後で[[デジタル・フォレンジクス|フォレンジック]]{{Ill2|データベース監査|en|Database audit}}を行うことを可能にする。場合によっては、データベースレベルで記録するのではなく、アプリケーションレベルのコードで変更を記録することもある。セキュリティ違反の検出を試みるために監視を設定することもできる。データベース・セキュリティには多くの利点があるため、組織はこれに真剣に取り組む必要がある。組織は、ファイアウォール内への侵入、ウィルスの蔓延、[[ランサムウェア]]などのセキュリティ違反やハッキング行為から守られる。これは、企業において、いかなる理由があっても部外者と共有することが許されない、重要な情報を保護するために役に立つ<ref>{{Cite book |title=Continuous auditing : theory and application |date=2018 |author1=David Y. Chan |author2=Victoria Chiu |author3=Miklos A. Vasarhelyi |isbn=978-1-78743-413-4 |edition=1st |location=Bingley, UK |oclc=1029759767}}</ref>。 == トランザクションと同時平行 == {{Further|[[並行性制御]]<!--Concurrency control-->}} [[データベーストランザクション|データベース・トランザクション]]は、[[クラッシュ (コンピュータ)|クラッシュ(障害)]]からの復旧後に、ある程度の[[フォールトトレランス|耐障害性]]と[[データ完全性]]を導入するために使用することができる。データベーストランザクションは通常、データベースに対する一連の操作(データベースオブジェクトの読み込み、書き込み、{{Ill2|レコードロック|en|Record locking|label=ロック}}の取得や解放など)をカプセル化した作業の単位であり、データベースやその他のシステムでサポートされている抽象概念である。各トランザクションには、どのプログラム/コードの実行がそのトランザクションに含まれるかという点で、明確に定義された境界がある(トランザクションの設計者が、特別なトランザクションコマンドで決定する)。 [[ACID (コンピュータ科学)|ACID]]という頭字語は、データベーストランザクションの理想的な特性である、[[原子性 (データベース)|原子性]](''atomicity'')、[[一貫性 (データベース)|一貫性]](''consistency'')、[[分離性 (データベース)|分離性]](''isolation'')、{{Ill2|耐久性 (データベース)|en|Durability (database systems)|label=永続性}}(''durability'')を表している。 == 移行 == {{See also|[[データ移行#データベース移行]]<!--Data migration#Database migration-->}} あるDBMSで構築されたデータベースは、別のDBMSに移植できない(つまり、別のDBMSでは実行できない)。しかし、状況によっては、あるDBMSから別のDBMSにデータベースを移行(''database migration'')するのが望ましい場合がある。その理由は、主に経済的(DBMS によって[[TCO|総所有コスト]](TCO)が異なる)、機能的、および運用的(DBMSによって機能が異なることがある)である。移行には、あるDBMSの種類から別の種類へデータベースを変換することも含まれる。この変換では、(可能であれば)データベース関連のアプリケーション(つまり、関連するすべてのアプリケーションプログラム)をそのまま維持する必要がある。したがって、データベースの概念レベルおよび外部レベルの{{Ill2|データアーキテクチャ|en|Data architecture|label=アーキテクチャ}}は、変換時に維持する必要がある。また、アーキテクチャの内部レベルのいくつかの側面も維持されることが望まれる場合もある。複雑または大規模なデータベースの移行は、それ自体が複雑で費用のかかる(1度きりの)プロジェクトになる可能性があるので、移行を決定するときはその点を考慮する必要がある。これは、特定のDBMS間の移行を支援するツールが存在する可能性があるのにも関わらない。一般に、DBMSベンダーは、他の普及しているDBMSからデータベースをインポートするツールを提供している。 == 構築、保守、およびチューニング == {{Main|{{ill2|データベースチューニング|en|Database tuning}}}} アプリケーションのデータベースを設計したら、次の段階はデータベースの構築である。通常、この用途で用いるために、適切な汎用DBMSを選択することができる。DBMSは、データベース管理者が必要なアプリケーションのデータ構造をDBMSの各データモデルに準じて定義するために必要な[[ユーザインタフェース|ユーザーインタフェース]]を提供する。その他のユーザーインタフェースは、必要なDBMSパラメータ(セキュリティ関連、ストレージ割り当てパラメータなど)を選択するために用いられる。 データベースの準備が整うと(データ構造およびその他の必要なコンポーネントがすべて定義される)、通常は、運用を開始する前にアプリケーションの初期データを入力する(データベースの初期化は、通常は別プロジェクトとされ、多くの場合、一括挿入をサポートする専用のDBMSインタフェースを用いる)。場合によっては、アプリケーションのデータを持たない状態でデータベースが稼働し、その運用を経てデータが蓄積されることもある。 データベースを作成し、初期化し、データを入力した後は、データベースを維持する必要がある。たとえば、より良い性能を得るために、さまざまなデータベース・パラメータを変更し、データベースを{{ill2|データベースチューニング|en|Database tuning|label=チューニング}}する必要があるかもしれない。あるいは、アプリケーションの機能を追加するために、アプリケーションのデータ構造を変更または追加し、新しい関連アプリケーションプログラムを作成するかもしれない。 == バックアップと復元 == {{Main|[[バックアップ]]<!--Backup-->}} 場合によっては、データベースを以前の状態に戻すことが必要となる(たとえばソフトウェアの誤りが原因でデータベースが破損していることが判明した場合や、誤ったデータで更新された場合など、さまざまな理由が考えられる)。そのために、バックアップ操作が時々または継続的に実施され、それぞれの望ましいデータベースの状態(すなわち、データ値とデータベースのデータ構造への埋め込み)が専用のバックアップファイルに保持される(これを効果的に行うための多くの技術が存在する)。データベース管理者がデータベースをこの状態に戻すと決めたとき(たとえば、データベースがこの状態にあった時、所望の時点を指定する)、これらのファイルをその状態を復元するために使用する。 == 静的解析 == ソフトウェア検証のための静的解析技術は、クエリ言語の領域にも適用することができる。特に、[[抽象解釈]]フレームワーク<!-- abstract interpretation framework -->は、適切な近似技術をサポートする方法として、リレーショナルデータベースのクエリ言語の分野に拡張されている{{sfn|Halder|Cortesi|2011}}。クエリ言語のセマンティクスは、データの具体的な領域(ドメイン)を適切に抽象化することによって調整することができる。リレーショナルデータベースシステムの抽象化は、特に、細粒度アクセス制御<!-- fine-grained access control -->や、電子透かしなどのセキュリティ分野で、多くの興味深い応用がある。 == その他の機能 == DBMSのその他の機能として、次のようなものもあげられる。 * [[データベースログ]] - これは実行された機能の履歴を残すのに役立つ。 * グラフィックコンポーネント - 特に[[データウェアハウス]]システムで、グラフやチャートを作成するためのもの。 * [[クエリオプティマイザ]] - すべてのクエリに対してクエリを最適化し、クエリ結果を効率的に得るための[[実行計画]](手順の部分的な順序(ツリー))を選択する。特定のストレージエンジンに特化することもある。 * データベース設計、アプリケーションプログラミング、アプリケーションプログラムの保守、データベース性能分析および監視、データベース構成監視、DBMSハードウェア構成(DBMSや関連データベースはコンピュータ、ネットワーク、ストレージ装置にまたがる場合がある)および関連するデータベースマッピング(特に分散DBMS)、ストレージ割り当てとデータベースレイアウトの監視、ストレージ移行のためのツールまたはフック。 データベース管理とソース管理のために、ビルド、テスト、デプロイメントフレームワークに、これらの中心機能をすべて組み込んだ単一システムを求める声はますます高まっている。ソフトウェア業界における別の進化を借りて、そうした製品を「データベース用[[DevOps]]」として提供する企業もある<ref>{{cite web | title = How Database Administration Fits into DevOps |author= Ben Linders |date= January 28, 2016 | url = https://www.infoq.com/news/2016/01/database-administration-devops | access-date = April 15, 2017 }}</ref>。 == 設計とモデリング == {{Main|[[データベース設計]]<!--Database design-->}} [[File:Process of database design v2.png|upright=2|thumb|データベース設計の過程を示す流れ図。1.まずビジネス上の用途や知識から概念データモデルを作成し、2.次にデータベース内のデータ構造を反映した論理データモデルを作成し、3.最後に特定のRDBMSに依存した決定に基づく物理データベースを作成する。]] データベース設計者の最初の作業は[[概念スキーマ|概念データモデル]]{{Enlink|Conceptual schema|英語版|en}}の作成で、データベースに保持する情報の構造を反映する。そのための一般的な方法は、描画ツールを用いて[[実体関連モデル]]を作成することが多い。[[統一モデリング言語]](UML)の使用は、もう一つのよく知られた方法である。出来のよいデータモデルは、モデル化される外界の可能な状態を正確に反映する。たとえば、人々が複数の電話番号を持つことができる場合、その情報を取得することが可能となる。優れた概念データモデルを設計するには、アプリケーションの領域を十分に理解する必要がある。それには、一般的に、組織が関心を持っていることについて深い問いを立てる必要がある。たとえば「顧客は発注先にもなり得るのか?」、あるいは「ある製品が2種類の包装形態で販売されている場合、それらは同じ製品か、それとも異なる製品なのか?」、あるいは「飛行機がニューヨークからフランクフルト経由でドバイまで飛ぶ場合、それは1便か2便か(または3便か)?」のような質問をする。これらの質問に対する回答によって、エンティティ(顧客、製品、フライト、フライト区間)に使用される用語の定義、およびそれらの関係や属性を確立する。 概念データモデルを作成する過程で、[[ビジネスプロセスモデリング|ビジネスプロセス]]からの入力や、組織内の[[ワークフロー]]分析からの入力が必要な場合がある。これによって、データベースにどのような情報が必要で、何を省略できるかを特定することができる。たとえば、データベースに現在のデータだけでなく、過去の履歴データも保持する必要があるかどうかを決定するのに役立つ。 ユーザーが満足できる概念データモデルを作成したら、次の段階では、これをデータベース内の関連データ構造を実装する[[スキーマ (データベース)|スキーマ]]に変換する必要がある。この過程は、しばしば論理データベース設計と呼ばれ、スキーマの形で表現された[[スキーマ_(データベース)#論理スキーマ|論理データモデル]]を作成する。概念データモデルがデータベース技術の選択と関係しないのに対し(少なくとも理論的には)、論理データモデルは、選択したDBMSがサポートする特定のデータベースモデルの観点で表現される。(データモデルとデータベースモデルという用語はしばしば同じ意味で用いられるが、この記事では特定のデータベースの設計を「''データモデル''」、その設計を表現するために用いられるモデリング表記を「''データベースモデル''」とそれぞれ呼ぶ。) 汎用データベースで最も普及しているデータベースモデルはリレーショナルモデル、より正確には、SQL言語で表現されるリレーショナルモデルである。このモデルを用いて論理データベースを設計する過程では、[[データベース正規化|正規化]]と呼ばれる系統的アプローチが用いられる。正規化の目的は、挿入、更新、削除の一貫性を自然に維持することで、おのおのの基本的「事実」を一箇所にのみ記録することでなされる。 データベース設計の最終段階では、特定のDBMSに依存する性能、スケーラビリティ、回復、セキュリティなどに影響する決定をする。これはしばしば「物理データベース設計」と呼ばれ、[[物理スキーマ|物理データモデル]]を作成する。この段階での重要な目標は{{Ill2|データの独立性|en|Data independence}}である。これは、性能を最適化するために行われた決定を、エンドユーザーやアプリケーションから見えないようにすることを意味する。データの独立性には2つのタイプがあり、物理的なデータ独立性と論理的なデータ独立性である。物理設計は主に性能要件によって推進され、予想される作業負荷とアクセスパターンに関する十分な知識と、選択したDBMSが持つ機能についての深い理解を必要とする。 物理データベース設計のもうひとつの側面はセキュリティである。これには、データベースオブジェクトへの[[アクセス制御]]を定義することと、データ自体のセキュリティレベルとメソッド(手順)の定義の両方を含んでいる。 === モデル === {{Main|データモデル#データベース・モデル}} [[File:Database models.jpg|thumb|upright=2|5種類のデータベースモデルを切り貼りした図。]] [[データベースモデル]]とは、データベースの論理構造を決定するデータモデルの一種で、[[データ (コンピュータ)|データ]]をどのように格納、整理、操作するかの根本を規定するものである。データベースモデルの最も一般的な例は、テーブルベースの形式を使用するリレーショナルモデル(またはリレーションを近似したSQL)<!-- the SQL approximation of relational -->である。 データベースの一般的な論理データモデルを次にあげる。 * [[ナビゲーショナルデータベース|ナビゲーショナル・データベース]] ** [[階層型データモデル]] ** [[ネットワーク型データモデル]] ** {{Ill2|グラフデータベース|en|Graph database}} * [[リレーショナルモデル]] * [[実体関連モデル|実体関係モデル]] ** {{Ill2|拡張実体関係モデル|en|Enhanced entity–relationship model}} * [[オブジェクトデータベース|オブジェクトモデル]] * [[ドキュメント指向データベース|ドキュメント型モデル]] * {{Ill2|実体-属性-値モデル|en|Entity–attribute–value model}} * [[スタースキーマ]] オブジェクトリレーショナルデータベースは、この2つの関連する構造を組み合わせたものである。 [[物理スキーマ|物理データモデル]]を次にあげる。 * [[転置インデックス]] * [[フラットファイルデータベース|フラットファイル]] その他、次のようなモデルがある。 * [[OLAPキューブ|多次元モデル]] * {{Ill2|配列DBMS|en|Array DBMS|label=配列モデル}} * [[マルチバリュー|多値モデル]] 特定の種類のデータ用に最適化された特殊モデルがある。 * [[XMLデータベース]] * {{Ill2|意味データモデル|en|Semantic data model|label=セマンティックモデル}} * [[コンテンツストア]] * {{Ill2|イベントストア|en|Event store}} * [[時系列データベース|時系列モデル]] === 外部、概念、内部ビュー === {{Main|{{ill2|三層スキーマ方式|en|Three-schema approach}}}} {| class="vatop" style="width:100%;" |[[Image:Traditional View of Data SVG.svg|thumb|upright=1.15|データに対する従来の捉え方は、ユーザ視点とコンピュータ視点という、2つの異なる視点からデータ定義することに焦点を当ててきた。アプリケーションと物理的に保存されたデータが直接に対応した結果、アプリケーション数の増加にともないデータの冗長性や整合性の問題が起こりやすかった。<ref name="ITL93">itl.nist.gov (1993) [http://www.itl.nist.gov/fipspubs/idef1x.doc ''Integration Definition for Information Modeling (IDEFIX)''] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20131203223034/http://www.itl.nist.gov/fipspubs/idef1x.doc |date=2013-12-03 }}. 21 December 1993.</ref>]] |[[Image:A2 3 Three schema approach.svg|thumb|320px|{{ill2|三層スキーマ方式|en|Three-schema approach}}は、データを単一に定義する概念レベルを介すことで、データのアクセス方法(外部レベル)やデータの物理的な保存方法(内部レベル)に依存しないデータ提供を可能にするものである。<ref name= "ITL93"/>]] |} データベース管理システムは、データベースのデータに対して三層のビューを提供する。{{Efn|3層の分け方はいくつかの種類があり、次の説明は、外部-概念-内部の3層に分けているが、他にも概念-論理-物理の3層に分けた説明もある。}} * '''外部レベル'''(''external level'')では、エンドユーザーの各グループがデータベース内のデータ構成をどのように見るかを定義する。1つのデータベースは、外部レベルで任意の数のビューを持つことができる。 * '''概念レベル'''(''conceptual level'')では、さまざまな外部レベルのビューを、適合性のある単一の大域的ビュー<!-- compatible global view -->に統一化する{{sfn|Date|2003|pages=31–32}}。概念レベルのビューは、すべての外部ビューを組み立てる。それは、データベースのさまざまなエンドユーザーの範囲外であり、むしろデータベースアプリケーション開発者やデータベース管理者にとって興味対象である。 * '''内部レベル'''(''internal level'')または'''物理レベル'''(''physical level'')とは、DBMS内におけるデータの内部編成のことである。これは費用、性能、スケーラビリティ、その他の運用上の事項に関与している。このレベルでは、データの記憶領域配置を扱い、性能を向上させるために[[索引 (データベース)|インデックス(索引)]]などの格納構造を用いる。冗長性に対する性能上の正当性が認められる場合は、一般的なデータから計算された個々のビュー([[マテリアライズドビュー|マテリアライズド・ビュー]])のデータを格納することもある。すべての活動において、全体的な性能を最適化するために、すべての外部ビューの性能要件(競合する可能性のある)の間でバランスをとる。 データの概念ビュー(または論理ビュー)および物理ビュー(または内部ビュー)は、通常、1つしかないが、さまざまな外部ビューはいくつでも存在することができる。これにより、ユーザーは、技術的あるいは処理的な視点からではなく、よりビジネスに関連した視点からデータベース情報を見ることができるようになる。たとえば、企業の[[経営財務|財務]]部門は会社の経費の一部として全従業員の支払明細を必要とするが、[[ヒューマンリソース|人事]]部門の関心事である従業員に関する明細は必要ない。このように、部門によって、企業データベースには異なるビューが必要となる。 三層データベース・アーキテクチャは、リレーショナルモデルの主要な初期推進力の1つであった{{Ill2|データの独立性|en|Data independence}}の概念に関連している。この考え方は、あるレベルで行われた変更は、より高いレベルのビューに影響を与えないというものである。たとえば、内部レベルの変更は、概念レベルのインタフェースを使用して記述されたアプリケーションプログラムには影響しないので、性能を向上させるために物理的変更を加えてもその影響を軽減することができる。 概念ビューは、内部ビューと外部ビューの間に間接的なレベルを提供する。一方では、異なる外部ビュー構造に依存しないデータベースの共通ビューを提供し、また他方では、データがどのように格納され管理されるかという詳細(内部レベル)を抽象化する。原則として、すべてのレベルの、さらにはすべての外部ビューは、異なる[[データモデル]]で表現することができる。実際には通常、特定のDBMSは外部レベルと概念レベルの両方で同じデータモデルを使用する(例: リレーショナルモデル)。内部レベルは特定のDBMSの内側に隠されており、(その実装にも依存するが)異なるレベルの詳細が要求され、独自の種類のデータ構造型が用いられる。 外部、概念、および内部レベルを分離することは、21世紀のデータベースを支配するリレーショナルデータベースモデルの実装における大きな特徴であった{{sfn|Date|2003|pages=31–32}}。 == 研究 == データベース技術は、1960年代から、[[アカデミー|学界]]や企業の研究開発グループ(例: [[IBM基礎研究所]])の両方で活発な研究課題となっている。研究活動には、{{Ill2|データベース理論|en|Database theory|label=理論}}や[[プロトタイプ]]の開発が含まれる。注目すべき研究課題には、[[データモデル|モデル]]、アトミックトランザクションの概念、関連する[[並行性制御]]技術、クエリ言語と[[クエリ最適化]]手法、[[RAID]]がある。 データベース研究分野には、いくつかの専門[[学術誌]]や(例: ''[[:en:ACM Transactions on Database Systems|ACM Transactions on Database Systems]]''-TODS、''[[:en:Data and Knowledge Engineering|Data and Knowledge Engineering]]''-DKE)、年次[[学会 (会議)|会議]](例: [[Association for Computing Machinery|ACM]] [[SIGMOD]]、ACM [[:en:Symposium on Principles of Database Systems|PODS]]、[[:en:International Conference on Very Large Data Bases|VLDB]]、IEEE [[:en:ICDE|ICDE]])がある。 日本の学会としては、[[日本データベース学会]]があげられる。 == 参照項目 == {{Div col|colwidth=18em}} * [[データベース管理ツールの比較]] * {{ill2|オブジェクトデータベース管理システムの比較|en|Comparison of object database management systems}} * {{ill2|オブジェクト・リレーショナルデータベース管理システムの比較|en|Comparison of object–relational database management systems}} * [[リレーショナルデータベース管理システムの比較]] * {{ill2|データ階層|en|Data hierarchy}} * {{ill2|データバンク|en|Data bank}} * {{ill2|データストア|en|Data store}} * {{ill2|データベース理論|en|Database theory}} * {{ill2|データベーステスト|en|Database testing}} * {{ill2|データベース中心アーキテクチャ|en|Database-centric architecture}} * [[フラットファイルデータベース]] <!-- * [[:en:INP (database)|INP (database)]] --> <!-- * [[:en:Journal of Database Management|Journal of Database Management]] --> <!-- * [[:en:Question-focused dataset|Question-focused dataset]] --> {{Div col end}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 出典 == {{refbegin|30em}} * {{cite journal | first1 = Charles W. | last1 = Bachman | author1-link = Charles Bachman | title = The Programmer as Navigator | date = 1973 | volume = 16 | issue = 11 | pages = 653–658 | journal = Communications of the ACM | doi = 10.1145/355611.362534 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Childs }} * {{cite techreport | url = https://deepblue.lib.umich.edu/bitstream/handle/2027.42/4164/bac0293.0001.001.pdf?sequence=5&isAllowed=y | title = Feasibility of a set-theoretic data structure: a general structure based on a reconstituted definition | first1 = David L. | last1 = Childs | date = 1968b | id = Technical Report 6 | series = CONCOMP (Research in Conversational Use of Computers) Project | publisher = University of Michigan | author-link = David L. Childs }} * {{cite book | first1 = Raul F. | last1 = Chong | first2 = Xiaomei | last2 = Wang | first3 = Michael | last3 = Dang | first4 = Dwaine R. | last4 = Snow | chapter = Introduction to DB2 | chapter-url = http://www.ibmpressbooks.com/articles/article.asp?p=1163083 | title = Understanding DB2: Learning Visually with Examples | edition = 2nd | year = 2007 | isbn = 978-0131580183 | access-date = 17 March 2013 }} * {{cite journal | last1 = Codd | first1 = Edgar F. | author1-link = Edgar F. Codd | date = 1970 | url = http://www.seas.upenn.edu/~zives/03f/cis550/codd.pdf | title = A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks | journal = Communications of the ACM | volume = 13 | issue = 6 | pages = 377–387 | doi=10.1145/362384.362685 | s2cid = 207549016 }} * {{cite book | last1 = Connolly | first1 = Thomas M. | last2 = Begg | first2 = Carolyn E. | date = 2014 | title = Database Systems – A Practical Approach to Design Implementation and Management | edition = 6th | isbn = 978-1292061184 | publisher = Pearson }} * {{cite book |last1 = Date |first1 = C. J. |author1-link = Christopher J. Date |title = An Introduction to Database Systems |edition = 8th |publisher = Pearson |year = 2003 |isbn = 978-0321197849 |url-access = registration |url = https://archive.org/details/introductiontoda0000date }} * {{cite journal | first1 = Raju | last1 = Halder | first2 = Agostino | last2 = Cortesi | url = http://www.dsi.unive.it/~cortesi/paperi/CL2012.pdf | doi = 10.1016/j.cl.2011.10.004 | title = Abstract Interpretation of Database Query Languages | journal = Computer Languages, Systems & Structures | volume = 38 | issue = 2 | year = 2011 | pages = 123–157 | issn = 1477-8424 }} * {{cite conference | first1 = William | last1 = Hershey | first2 = Carol | last2 = Easthope | url = https://docs.google.com/open?id=0B4t_NX-QeWDYNmVhYjAwMWMtYzc3ZS00YjI0LWJhMjgtZTYyODZmNmFkNThh | title = A set theoretic data structure and retrieval language | conference = Spring Joint Computer Conference, May 1972 | journal = ACM SIGIR Forum | volume = 7 | issue = 4 | year = 1972 | pages = 45–55 | doi = 10.1145/1095495.1095500 }} * {{cite book | last1 = Nelson | first1 = Anne Fulcher | last2 = Nelson | first2 = William Harris Morehead | date = 2001 | title = Building Electronic Commerce: With Web Database Constructions | publisher = Prentice Hall | isbn = 978-0201741308 }} * {{cite journal | first1 = Ken | last1 = North | url = http://drdobbs.com/blogs/database/228700616 | title = Sets, Data Models and Data Independence | journal = Dr. Dobb's | date = 10 March 2010 | archive-url = https://web.archive.org/web/20121024064523/http://www.drdobbs.com/database/sets-data-models-and-data-independence/228700616 | archive-date = 24 October 2010 | url-status = live }} * {{cite book |last1 = Tsitchizris |first1 = Dionysios C. |last2 = Lochovsky |first2 = Fred H. |date = 1982 |title = Data Models |isbn = 978-0131964280 |publisher = Prentice–Hall |url = https://archive.org/details/datamodels00tsic/page/13/mode/1up |url-access = registration |ref = harv }} * {{cite book |first1 = Jeffrey |last1 = Ullman |first2 = Jennifer |last2 = Widom |date = 1997 |title = A First Course in Database Systems |publisher = Prentice–Hall |isbn = 978-0138613372 |url = https://archive.org/details/firstcourseindat00ullm }} * {{Citation | title = SQL/XML:2006 – Evaluierung der Standardkonformität ausgewählter Datenbanksysteme | last1 = Wagner | first1 = Michael | year = 2010 | publisher = Diplomica Verlag | isbn = 978-3836696098 }} {{refend}} == 推薦文献 == * {{Cite book|和書|title=データベース入門 [第2版]|date=2021年2月10日|year=2021|publisher=サイエンス社|isbn=978-4-7819-1500-5|author=増永良文}} * {{Cite book|和書|title=リレーショナルデータベース入門 [第3版]|date=2017年2月|year=2017|publisher=サイエンス社|isbn=978-4-7819-1390-2|author=増永良文}} * Ling Liu and Tamer M. Özsu (Eds.) (2009). "[https://www.springer.com/computer/database+management+&+information+retrieval/book/978-0-387-49616-0 Encyclopedia of Database Systems], 4100 p.&nbsp;60 illus. {{ISBN2|978-0-387-49616-0}}. * Gray, J. and Reuter, A. ''Transaction Processing: Concepts and Techniques'', 1st edition, Morgan Kaufmann Publishers, 1992. * Kroenke, David M. and David J. Auer. ''Database Concepts.'' 3rd ed. New York: Prentice, 2007. * [[:en:Raghu Ramakrishnan|Raghu Ramakrishnan]] and [[:en:Johannes Gehrke|Johannes Gehrke]], ''[http://pages.cs.wisc.edu/~dbbook/ Database Management Systems]'' * [[:en:Abraham Silberschatz|Abraham Silberschatz]], [[:en:Henry F. Korth|Henry F. Korth]], S. Sudarshan, ''[http://www.db-book.com/ Database System Concepts]'' * {{cite book|last1=Lightstone |first1=S. |first2=T. |last2=Teorey |first3=T. |last3=Nadeau |title=Physical Database Design: the database professional's guide to exploiting indexes, views, storage, and more |publisher=Morgan Kaufmann Press |year=2007 |isbn=978-0-12-369389-1 |ref=none}} * Teorey, T.; Lightstone, S. and Nadeau, T. ''Database Modeling & Design: Logical Design'', 4th edition, Morgan Kaufmann Press, 2005. {{ISBN2|0-12-685352-5}} == 外部リンク == {{Sister project links|wikt=database|commons=Category:Database|v=Topic:Databases}} *[http://www.fileextension.org/DB DB File extension]&nbsp;- DB拡張子を持つファイルに関する情報{{En icon}} {{Navboxes |list= {{Computer science}} {{Database}} {{Databases}} {{Database models}} {{Data warehouse}} {{Semantic Web}} {{Systems science}} }} {{Authority control}} {{DEFAULTSORT:てえたへえす}} [[Category:データベース]] [[Category:データベース管理システム]]
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ゲッコー
ゲッコー (Gecko)
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ゲッコー (Gecko) ヤモリの英名。 Gecko - Netscapeシリーズ・Mozilla用HTMLレンダリングエンジン群の総称。 米国タイタン社製オートバイのシリーズ車種名。 SA-8 Gecko - 旧ソ連の地対空ミサイルのNATOコードネーム。 ゴードン・ゲッコー - 映画「ウォール街」の登場人物
{{Wt|gecko}} '''ゲッコー''' (Gecko) * [[ヤモリ科|ヤモリ]]の[[英名]]。 * [[Gecko]] - [[Netscapeシリーズ]]・[[Mozilla]]用[[HTMLレンダリングエンジン]]群の総称。 * 米国[[タイタン (オートバイ)|タイタン社]]製[[オートバイ]]のシリーズ車種名。 * [[9K33|SA-8 Gecko]] - 旧ソ連の地対空ミサイルのNATOコードネーム。 * ゴードン・ゲッコー - [[ウォール街 (映画)|映画「ウォール街」]]の登場人物 <!-- *[[交響詩篇エウレカセブン]]』に登場する架空の反政府組織、'''ゲッコーステイト'''。 *[[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]用ゲーム「[[アインハンダー]]」に登場する、架空の四脚無人戦闘車の名。 架空の物であり、独立記事が無ければ記載の意味が無い。[[WP:D]]参照。 --> == 関連項目 == * [[月光]] - 日本語での標準的な発音はアクセント位置以外は同じ。 {{Aimai}} {{デフォルトソート:けつこお}}
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飲料水
飲料水(いんりょうすい、仏: eau potable、英: drinking water、独: Trinkwasser)とは、飲用に適した水を表す。「のみみず」とも。 飲料水は病原微生物や有毒物質を含まず、無味・無臭・透明が求められ、一般に水道水、湧水、流水、井戸水などを用いる。 飲むことができる水を確保しておくことは大切である。人は水を飲まずにいられるのは、一般的にはせいぜい4~5日程度だと言われている。安全な飲み水を確保することは、古の時代から重要な課題であった。病原体で汚染された飲み水を飲むと、それに感染することによってさまざまな病気にかかる。赤痢やコレラの大流行は、しばしば、不適切な水を飲用に用いたことで起きている。有毒物質を含んだ水を飲むことで、さまざまな障害が生じる。 世界の様々な地域の生水は概して飲料水としては使えない。熱帯地方では河川の水が病原微生物を含んでいることは多い。水道で運ばれてきて蛇口から出てくる水でさえそうである。地元の住民ならばかろうじて耐えられる場合でも、旅行者には危険な場合もあり得る。病原微生物を死滅させるためには少なくとも一旦煮沸する必要がある。 海水は塩分などが多過ぎるため、飲料水としては使えない。無寄港で海上を旅する時や、海で遭難した場合には、飲料水の確保が問題となるため、周囲にありあまるほどの海水が見えているにもかかわらず飲める水が無い、という皮肉な状況に追い込まれてしまう。同様に、内陸の塩水湖の湖水も飲料水としては使えない。火山地帯の湧水も特殊な成分を含み、飲用には適さない場合がある。 飲料水を得るひとつの方法として、植物体内の水を用いるという方法がある。植物体内の水であれば、あらかじめ植物の繊維構造でフィルターがかけられていることが多く、植物自体が生きのびるために菌類の繁殖を防ぐようなシステム(抗菌作用)を持っており、ほぼ無菌に近いからである。例えばココヤシの実の中の水を飲む方法がある。アマゾンには水を大量に含んだ樹木がいくつもあり、ジャングル内を旅する時などには、それを見つけて枝をナタで切り落として傾ければ、飲用に適した水が出てくる。水筒を持ち歩かなくても、そこかしこに飲料水があるため、現地人は俗称で「水筒の木」などと呼んでいる。ウツボカズラの捕食袋の水も飲用にされる(ただし、これの場合は袋が開く前に限る)。昔から、瓜(ウリ)、スイカ、メロン類、リンゴなど水分量が多い果物の果汁を飲料水の代用とする地域もある。 世界的に、乾燥した地域も多く、そういった地域では、まず水そのものを得る方法を考案しなければならない。井戸はその代表的な技術である。サウジアラビアでは、電力を使って海水の塩分を分離し、飲用水を作り出している。サウジアラビアやイラク等々では、飲用水はガソリンよりも高価である。 日本の上水道は、水道局の関係者が日々水の質を高く保つために努力を積み重ねており、そのため蛇口をひねって出てきた水がそのまま飲める状態に保たれている。これは世界的に見て例外的なことといわれることもあるが、ヨーロッパや米国の、大抵の先進国では水道水はそのまま飲める。ただし硬度が高い場合もあり、そのため上質の水源の水を使い、ボトル詰めされたミネラルウォーターを買い飲用とすることも多い。 海外の飲食店(カウンター式の喫茶や「バー」や「スタンド」など)では、客が席についてもコップやグラスに入った水が出てこない地域もある。アメリカでも日本のように客席に座ればコップに入った飲料水を無料で出してくれるが、ヨーロッパでは基本的に有料である。ミネラルウォーターとビールを比較すると、ミネラルウォーターのほうが値段が高いこともある。 米国の開拓時代、カウボーイは自分が得た水の水質を信用しきれない場合、それに殺菌防腐効果があるアルコール度の高い酒を加えて飲む、などということも行ったが、殺菌効果が最も高いのはアルコール濃度(重量%)が70から80パーセントの時 で、数パーセントまで希釈されている場合、殺菌効果はあまり期待できない。 供給者は、地域住民の共同体から公的機関、公共企業体、民間事業者まで多種多様。戦争や大規模災害時は、地方自治体、国家や国際的なNGOや国連難民高等弁務官事務所などが直接供給、供給手段を提供することがある。
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飲料水とは、飲用に適した水を表す。「のみみず」とも。
{{出典の明記|date=2015年3月}} [[画像:Water fountains - two stainless steel.jpg|thumb|200px|飲料水を提供している水飲み場。]] [[File:Drinking_Water_Security_Poster_EPA.jpg|thumb|right|200px|[[アメリカ合衆国環境保護庁|EPA]]によるポスター。飲料水の品質に注意を呼び掛けるもの。]] '''飲料水'''(いんりょうすい、{{lang-fr-short|eau potable}}、{{lang-en-short|drinking water}}、{{lang-de-short|Trinkwasser}})とは、[[飲む|飲用]]に適した[[水]]を表す<ref name="koujien">広辞苑 第六版「飲料水」</ref>。「'''のみみず'''」とも<ref name="koujien" />。 == 飲料水== 飲料水は[[病原微生物]]や[[有毒物質]]を含まず<ref name="koujien" />、[[無味]]・[[無臭]]・[[透明]]が求められ<ref name="koujien" />、一般に[[上水道|水道]]水、[[湧水]]、[[流水]]、[[井戸]]水など<ref name="koujien" />を用いる。 飲むことができる水を確保しておくことは大切である。人は水を飲まずにいられるのは、一般的にはせいぜい4~5日程度だと言われている。安全な飲み水を確保することは、古の時代から重要な課題であった。[[病原体]]で汚染された飲み水を飲むと、それに[[感染]]することによってさまざまな[[病気]]にかかる。[[赤痢]]や[[コレラ]]の大流行は、しばしば、不適切な水を飲用に用いたことで起きている。有毒物質を含んだ水を飲むことで、さまざまな障害が生じる。 世界の様々な地域の[[生水]]は概して飲料水としては使えない。[[熱帯地方]]では河川の水が病原微生物を含んでいることは多い。水道で運ばれてきて蛇口から出てくる水でさえそうである。地元の住民ならばかろうじて耐えられる場合でも、旅行者には危険な場合もあり得る。病原微生物を死滅させるためには少なくとも一旦[[煮沸]]する必要がある。 [[海水]]は[[塩分]]などが多過ぎるため、飲料水としては使えない<ref>{{Cite web|和書|url= https://ulunom.tokai.jp/column/detail/147|title= 何故海の水は飲んではいけないか~海の水が塩辛い理由~|publisher=TOKAI|accessdate=2020-11-15}}</ref>。無寄港で海上を旅する時や、海で遭難した場合には、飲料水の確保が問題となるため、周囲にありあまるほどの海水が見えているにもかかわらず飲める水が無い、という皮肉な状況に追い込まれてしまう。同様に、内陸の[[塩水湖]]の湖水も飲料水としては使えない。[[火山]]地帯の湧水も特殊な成分を含み、飲用には適さない場合がある。 飲料水を得るひとつの方法として、[[植物]]体内の水を用いるという方法がある。植物体内の水であれば、あらかじめ植物の繊維構造で[[ろ過|フィルター]]がかけられていることが多く、植物自体が生きのびるために菌類の繁殖を防ぐようなシステム(抗菌作用)を持っており、ほぼ[[無菌]]に近いからである。例えば[[ココヤシ]]の[[果実|実]]の中の水を飲む方法がある。アマゾンには水を大量に含んだ樹木がいくつもあり、ジャングル内を旅する時などには、それを見つけて枝をナタで切り落として傾ければ、飲用に適した水が出てくる。水筒を持ち歩かなくても、そこかしこに飲料水があるため、現地人は俗称で「水筒の木」などと呼んでいる。[[ウツボカズラ]]の[[捕食袋]]の水も飲用にされる(ただし、これの場合は袋が開く前に限る)。昔から、[[瓜]](ウリ)、[[スイカ]]、[[メロン]]類、[[リンゴ]]など水分量が多い果物の[[果汁]]を飲料水の代用とする地域もある。 == 世界各地の事情 == {{出典の明記|date=2016年2月|section=1}} 世界的に、[[乾燥]]した地域も多く、そういった地域では、まず水そのものを得る方法を考案しなければならない。[[井戸]]はその代表的な技術である。[[サウジアラビア]]では、電力を使って海水の塩分を分離し、飲用水を作り出している。サウジアラビアや[[イラク]]等々では、飲用水は[[ガソリン]]よりも高価である。 [[日本]]の[[上水道]]は、[[水道局]]の関係者が日々水の質を高く保つために努力を積み重ねており、そのため蛇口をひねって出てきた水がそのまま飲める状態に保たれている。これは世界的に見て例外的なことといわれる<ref>[https://www.mlit.go.jp/common/001371917.pdf 令和2年版 日本の水資源の現況について 第7章 水資源に関する国際的な取組] 108ページ。</ref>こともあるが、{{要出典範囲|date=2021年6月|[[ヨーロッパ]]や[[アメリカ合衆国|米国]]の、大抵の先進国では水道水はそのまま飲める。ただし硬度が高い場合もあり、そのため}}上質の水源の水を使い、ボトル詰めされた[[ミネラルウォーター]]を買い飲用とすることも多い。 {{要出典範囲|date=2021年6月|海外{{どこ|date=2021年6月}}の飲食店(カウンター式の喫茶や「バー」や「スタンド」など)では、客が席についてもコップやグラスに入った水が出てこない地域もある。アメリカでも日本のように客席に座ればコップに入った飲料水を無料で出してくれるが、ヨーロッパでは基本的に有料である。ミネラルウォーターと[[ビール]]を比較すると、ミネラルウォーターのほうが値段が高いこともある}}。 米国の開拓時代、カウボーイは自分が得た水の水質を信用しきれない場合、それに殺菌防腐効果があるアルコール度の高い[[酒]]を加えて飲む、などということも行ったが、殺菌効果が最も高いのはアルコール濃度(重量%)が70から80パーセントの時<ref>{{Cite web|和書|url=http://shokusen.jp/ethanol.html |title= エタノールの除菌効果 - 日本食品洗浄剤衛生協会|publisher=日本食品洗浄剤衛生協会 |accessdate=2021-02-10}}</ref> で、数パーセントまで希釈されている場合、殺菌効果はあまり期待できない。 == 日本における水質基準 == [[File:Undrinkable water sign in Japan.jpg|thumb|200px|飲用には適さない水。]] * 飲用を目的として給水する[[水道水]]については[[水道法]]で51項目の水道水質基準が定められており<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/topics/bukyoku/kenkou/suido/kijun/kijunchi.html |title= 水質基準項目と基準値(51項目)|publisher=厚生労働省 |accessdate=2021-02-10}}</ref>、水道事業者はこの基準に適合した水を供給しなければならない。各水道事業者は、それぞれ水道水質検査計画を定め、定期的な検査を実施している。 * 給水事業ではない(例えば個人所有の井戸水等)の水質基準については、法的に定められていない<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jagh.jp/jp/g/activities/torikichi/faq/70.html |title= 井戸水に水質検査の義務はありますか? |公益社団法人 日本地下水学会|publisher=公益社団法人 日本地下水学会 |accessdate=2021-02-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.suisitu-bunseki.com/water/inspection/ |title= 井戸水検査|publisher=水質検査分析センター |accessdate=2021-02-10}}</ref>。一般的な水質の目安として、約10項目([[大腸菌]]、[[一般細菌]]、硝酸態及び[[亜硝酸態窒素]]、[[塩化物イオン]]、有機物等(全有機炭素)、[[水素イオン指数|pH]]値、臭気、色度、[[濁度]]、味:これらを総称して「簡易飲適」と言われる)及び[[残留塩素]]についてを検査・確認することが多い。飲用を目的とする場合には、出来るだけ水道水質基準の全項目の検査を実施した方がよい。不適合である場合には、[[滅菌]]装置や[[濾過]]装置の設置などによる浄化対策を講じた後、再検査を行う必要がある。検査は、保健所や環境計量証明事業所などで実施している。 == 飲料水の種類 == * [[硬水]] * [[軟水]] * [[ミネラルウォーター]]([[ボトルドウォーター]]) * [[海洋深層水]] * [[清涼飲料水]] == 供給(販売)者 == 供給者は、地域住民の[[共同体]]から公的機関、[[公共企業体]]、民間事業者まで多種多様。戦争や大規模災害時は、[[地方政府|地方自治体]]、[[国家]]や国際的な[[NGO]]や[[国連難民高等弁務官事務所]]などが直接供給、供給手段を提供することがある<ref>[http://www.japanforunhcr.org/act/t_water.html UNHCRの難民援助活動](国連難民高等弁務官事務所公式ホームページ)</ref>。 == 出典 == <references/> == 関連項目 == * [[水]] * [[水道]] * [[地下水]] * [[白湯]] {{Food-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:いんりようすい}} [[Category:飲料水|*]] [[Category:水]] [[Category:持続可能な開発目標]]
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田村由美
田村 由美(たむら ゆみ、9月5日 - )は、日本の女性漫画家。和歌山県出身、東京都在住。O型。1983年(昭和58年)、『別冊少女コミック』(小学館)9月号増刊に掲載の「オレたちの絶対時間」でデビュー。以後、小学館が発行する漫画雑誌で執筆活動を展開する。2013年、和歌山県文化表彰・文化功労賞を受賞。 マーガレットコミックス 前田珠子によるライトノベル「魅魎暗躍譚シリーズ」 前田珠子によるライトノベル「魅魎暗躍譚シリーズ」の再刊版 氏家仮名子によるライト文芸
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田村 由美は、日本の女性漫画家。和歌山県出身、東京都在住。O型。1983年(昭和58年)、『別冊少女コミック』(小学館)9月号増刊に掲載の「オレたちの絶対時間」でデビュー。以後、小学館が発行する漫画雑誌で執筆活動を展開する。2013年、和歌山県文化表彰・文化功労賞を受賞。
{{単一の出典|date=2021年7月22日 (木) 10:19 (UTC)|ソートキー=人}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 田村 由美 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{JPN}}・[[和歌山県]]<ref name="nataprof">{{Cite web|和書|url = https://natalie.mu/comic/artist/2281 | title = コミックナタリー - 田村由美のプロフィール | publisher = 株式会社ナターシャ | accessdate = 2013-02-03 }}</ref> | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = | 没年 = | ジャンル = [[少女漫画]]<br />[[SF漫画]]<br />[[ファンタジー漫画]] | 活動期間 = [[1983年]](昭和58年)<ref name="nataprof" /> - 現在 | 職業 = [[漫画家]] | 公式サイト = | 代表作 = 『[[巴がゆく!]]』<br />『[[BASARA]]』<br />『[[7SEEDS]]』<br />『[[ミステリと言う勿れ]]』 | 受賞 = * 第38回[[小学館漫画賞]](「BASARA」) * 第52回小学館漫画賞少女向け部門(「7SEEDS」) * 第67回小学館漫画賞一般向け部門(「ミステリと言う勿れ」) }} '''田村 由美'''(たむら ゆみ、<!--1964年-->[[9月5日]]<ref name="nataprof" /> - )は、[[日本]]の[[女性]][[漫画家]]。[[和歌山県]]出身<ref name="nataprof" />、[[東京都]]在住。[[ABO式血液型|O型]]。[[1983年]](昭和58年)、『[[ベツコミ|別冊少女コミック]]』([[小学館]])9月号増刊に掲載の「オレたちの絶対時間」でデビュー<ref name="nataprof" />。以後、小学館が発行する漫画雑誌で執筆活動を展開する。2013年、和歌山県文化表彰・文化功労賞を受賞。 == 漫画作品 == === 長編 === * [[巴がゆく!]](1987年 - 1990年、『[[別冊少女コミック]]』) * [[BASARA]](1990年 - 1998年、『別冊少女コミック』) * [[7SEEDS]](2001年 - 2017年、『別冊少女コミック』→『[[月刊フラワーズ]]』) * [[猫mix幻奇譚とらじ]](2006年 - 、『月刊フラワーズ』・『[[増刊flowers|凛花]]』・『[[増刊flowers]]』) * [[イロメン〜十人十色〜]](2012年 - 2020年、『[[Cocohana]]』) * [[ミステリと言う勿れ]](2018年 - 、『月刊フラワーズ』) === 短編 === * ウエディングベルは聞こえない(1985年5月号増刊、『別冊少女コミック』) * あの夏が終わる(1985年11月号増刊、『別冊少女コミック』) * ビショップの輪(1989年4月30日号 - <!-- 連載終了年・号数 -->、『デラックス別冊少女コミック』) * MADONNAに告ぐ(1990年12号、『週刊少女コミック』) * 海は静かな秋の迷宮(平成2年20号、『別冊少女コミック』) * 通り魔1991(1991年4月号、『プチコミック』) * X-DAY(1991年9月号、『別冊少女コミック特別増刊・花林』) * 4人の女(1992年1月号、『別冊少女コミック特別増刊・花林』) * 彼女は誰を殺したか(1992年9月号、『別冊少女コミック特別増刊・花林』) * 拾った男(1993年1月号、『別冊少女コミック特別増刊・花林』) * 女神が落ちた日(1993年7月号、『別冊少女コミック特別増刊・花林』) * こわいもの(1994年2月号、『別冊少女コミック特別増刊・花林』) * Hearts-灰とダイヤモンド-(1994年9月号、『別冊少女コミック』) * きねづかん(1995年7月30日号、『デラックス別冊少女コミック』) * Catch-白昼のRUN-(1995年9月号、『別冊少女コミック』) * Touch-恋の仕方がわからない-(1996年8月5号、『デラックス別冊少女コミック』) * 踊る教室(1997年6月5日号、『デラックス別冊少女コミック』) * パイナップル3(スリー)(1998年2月5日号、『デラックス別冊少女コミック』) * 王子くん(1999年1月号、『別冊少女コミック』) * 晴れ、ときどき闇。(1999年2月号、『別冊少女コミック』) * 霧の家-公開されない3本の棘-(1999年3月号、『別冊少女コミック』) * ぼくらの村には湖があった(1999年4月号、『別冊少女コミック』) * 不幸作家と呼ばれたい(1999年5月号、『別冊少女コミック』) * 6月の獣(1999年6月号、『別冊少女コミック』) * 超能力労働隊(スーパーナチュラルパワーズ)WILD COM.(1999年7月号、『別冊少女コミック』) * 針の眼(1999年8月号、『別冊少女コミック』) * [[湾岸JUNGLE]](1999年9月号、『別冊少女コミック』) * BOX系!(2000年1月号 - 7月号、『別冊少女コミック』) * [[シカゴ (漫画)|シカゴ]](2000年11月号 - 2001年5月号、『別冊少女コミック』) * ジャングルBOX(2001年10月5日号、『デラックス別冊少女コミック』) * 空に続く青(2022年8月号<ref>{{Twitter status2|1=Cocohana_manga|2=1541640112114520064|4=ココハナ編集部 2022年6月28日のツイート|5=2022-06-28}}</ref>、『[[Cocohana]]』) === のーこシリーズ === * 天使かもしれない(1985年8月号、『別冊少女コミック』) * 宇宙人といっしょ(1986年6月号、『別冊少女コミック』) * 神話になった午後(1986年8月号・9月号、『別冊少女コミック』) * ソフトボーイ つるちゃん回想録 * シャワー・ロード(1987年1月30日号、『デラックス別冊少女コミック』) * 17日めのショパン(1987年7月30日号、『デラックス別冊少女コミック』) * 六本木心中(1988年9月30日号、『デラックス別冊少女コミック』) * 水中都市(1991年4月30日号、『別冊少女コミック』) === 龍三郎シリーズ === {{See|龍三郎シリーズ}} === 既刊 === ; [[フラワーコミックス]] * ちょっと英雄(ヒーロー)してみたい 全2巻 1987年 - 1988年 * [[巴がゆく!]] 全8巻 1988年 - 1990年 * ビショップの輪 全2巻 1990年 * [[BASARA]] 全27巻 1991年 - 2000年 * BOX系! 全2巻 2000年 * [[シカゴ (漫画)|シカゴ]] 全2巻 2001年 * [[7SEEDS]] 全35巻 2001年 - 2017年 * [[猫mix幻奇譚とらじ]] 既刊13巻<!-- 2019年7月10日現在の巻数 --> 2008年 - * 田村由美ベストセレクション ** 田村由美The Best Selection 2008年 {{ISBN2|978-4-09-132044-5}} *** きねづかん、拾った男、あの夏が終わる、ウエディングベルは聞こえない、彼女は誰を殺したか ** 田村由美The Best Selection2 2009年 {{ISBN2|978-4-09-132699-7}} * 田村由美-生命の熱量- 全1巻 2013年 {{ISBN2|978-4-09-179143-6}} * [[ミステリと言う勿れ]] 既刊13巻<!-- 2023年9月15日現在の巻数 --> 2018年 -  ; タムのなんでもカプセル # 神話になった午後 1986年 {{ISBN2|4-09-132431-2}} # あの夏が終る 1987年 {{ISBN2|4-09-132432-0}} # 17日めのショパン 1987年 {{ISBN2|4-09-132433-9}} # ボクが泥棒になった理由(ワケ) 1991年 {{ISBN2|4-09-132434-7}} # 六本木心中 1991年 {{ISBN2|4-09-132435-5}} # MADONNAに告ぐ 1992年 {{ISBN2|4-09-132436-3}} # ボクが天使を産んだ理由 1992年 {{ISBN2|4-09-132437-1}} # ボクがボクを忘れた理由 1993年 {{ISBN2|4-09-132438-X}} # ボクがサンタに会った理由 1994年 {{ISBN2|4-09-132439-8}} # ボクがゴミを捨てた理由 1995年 {{ISBN2|4-09-132440-1}} # Hearts-灰とダイヤモンド- 1996年 {{ISBN2|4-09-137021-7}} # ボクがCDになった理由 1997年 {{ISBN2|4-09-137022-5}} # ボクが十番勝負する理由 2001年 {{ISBN2|4-09-137023-3}} ; フラワーコミックススペシャル * X-DAY 1993年 {{ISBN2|4-09-134831-9}} * 女神が落ちた日 1995年 {{ISBN2|4-09-134832-7}} ; たむたむVARIETY THEATER # 踊る教室 1999年 {{ISBN2|4-09-137024-1}} # 王子くん 1999年 {{ISBN2|4-09-137025-X}} # 超能力労働隊(スーパーナチュラルパワーズ)WILD COM. 1999年 {{ISBN2|4-09-137026-8}} # [[湾岸JUNGLE]] 2002年 {{ISBN2|4-09-137027-6}} ; 小学館文庫 * 『巴がゆく!』 全5巻 1996年 * 『きねづかん』 全1巻 1997年 {{ISBN2|4-09-191136-6}} ** きねづかん、X-DAY、4人の女、彼女は誰を殺したか、拾った男、こわいもの。 * 『通り魔1991』 全1巻 1998年 {{ISBN2|4-09-191138-2}} ** 通り魔1991、女神が落ちた日、MADONNAに告ぐ、あの夏が終わる、ウエディングベルは聞こえない * のーこシリーズ ** 『天使かもしれない』 全1巻 1998年 {{ISBN2|4-09-191137-4}} * 『ビショップの輪』 全1巻 1999年 {{ISBN2|4-09-191139-0}} * [[龍三郎シリーズ]] ** 『ボクが泥棒になった理由(ワケ)』 全4巻 2000年 * 『BASARA』 全16巻 2002年 * 『BOX系!』 全1巻 2004年 {{ISBN2|4-09-191345-8}} * 『[[シカゴ (漫画)|シカゴ]]』 全1巻 2004年 {{ISBN2|4-09-191346-6}} * 『針の眼』 全1巻 2007年 {{ISBN2|978-4-09-191348-7}} ** 針の眼、6月の獣、湾岸JUNGLE、ジャングルBOX、超能力労働隊(スーパーナチュラルパワーズ)WILD COM. * 『ボクが十番勝負する理由』(ワケ)全1巻 2007年 {{ISBN2|978-4-09-191349-4}} ** ボクが十番勝負する理由、不幸作家と呼ばれたい、パイナップル3、たむたむたいむ(パズル誌にて掲載された単行本未収録分) * 『ぼくらの村には湖があった』 全1巻 2007年 {{ISBN2|978-4-09-191347-0}} ** ぼくらの村には湖があった、踊る教室、王子くん、晴れ、ときどき闇。、霧の家 '''マーガレットコミックス''' * イロメン ─十人十色─ 既刊3巻<!-- 2019年2月5日現在の巻数 --> 2014年 - == イラスト集 == # BASARA炎 1998年 {{ISBN2|4-09-199741-4}} # BASARA大地 1998年 {{ISBN2|4-09-199742-2}} == 小説作品 == ; [[パレット文庫]] * 真夜中に馬車が来る 1991年 {{ISBN2|4-09-420161-0}} ** 新版 2000年 {{ISBN2|4-09-420164-5}} * 楽園に行きませんか 1992年 {{ISBN2|4-09-420162-9}} * 終わらない夜のためのミステリー 1992年 {{ISBN2|4-09-420163-7}} ; [[キャンバス文庫|小学館キャンバス文庫]] * 戦国KIDS 1993年 {{ISBN2|4-09-430061-9}} == 作品提供 == * [[巴がゆく!#メディアミックス|巴がゆく!]] * [[BASARA#メディアミックス一覧|BASARA]] * [[龍三郎シリーズ#作品一覧|龍三郎シリーズ]] === オリジナルビデオ === * 別冊少女コミックビデオ イラスト・アンソロジー vol.1 田村由美 *# 田村由美、漫画の魅力を語る *# デビュー作品&プロフィール紹介 *# インタビュー (1) デビューするまでのこと、教えて? *# 「神話になった午後」紹介&解説 *# 「ちょっと英雄(ヒーロー)してみたい」紹介&解説 *# [[松本保典]]の仕事場拝見コーナー *# インタビュー (2) キャラクターについて教えて? *# 「巴がゆく!」紹介&解説 *# 「理由(ワケ)」シリーズ紹介&解説 *# 初の映像化! 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C言語
■カテゴリ / ■テンプレート C言語(シーげんご、英: C programming language)は、1972年にAT&Tベル研究所のデニス・リッチーが主体となって開発した汎用プログラミング言語である。英語圏では「C language」または単に「C」と呼ばれることが多い。日本でも文書や文脈によっては同様に「C」と呼ぶことがある。制御構文などに高水準言語の特徴を持ちながら、ハードウェア寄りの記述も可能な低水準言語の特徴も併せ持つ。基幹系システムや、動作環境の資源制約が厳しい、あるいは実行速度性能が要求されるソフトウェアの開発に用いられることが多い。後発のC++やJava、C#など、「C系」と呼ばれる派生言語の始祖でもある。 ANSI、ISO、またJISにより言語仕様が標準規格化されている。 Cには他のプログラミング言語と比較して、特筆すべきいくつかの特徴がある。 上記のように、利点でもあり、同時に欠点にもなる特徴を備えている。 もともとUNIXおよびCコンパイラの移植性を高めるために開発されてきた経緯から、オペレーティングシステム(OS)のカーネルおよびコンパイラ向けの低水準な記述ができるなど、ハードウェアをある程度抽象化しつつも、必要に応じて低水準言語と同じことを実現できるようなコンピュータ寄りの言語仕様になっている。そのため、低水準な記述ができる高水準言語と言われたり、高水準言語の顔をした低水準言語(高級アセンブラ、汎用アセンブラ)と言われたりすることがある。 Cはアマチュアからプロ技術者まで、プログラマ人口が多く、プログラマのコミュニティが充実している。使用者の多さから、正負の両面含め、Cはプログラミング文化に大きな影響を及ぼしている。また、多目的性と、対応機器の多彩さのため、「コンピュータを使ってやること」は大抵、Cで対応可能である。ただし、Cで効率的かつ安全に記述できるかどうかはまた別の話である。スクリプト言語やコマンドラインシェルを使えば手軽に実現にできるような処理まで、わざわざCで記述する必要はない。また、GUIアプリケーションフレームワークは、Cからは利用できず、統合開発環境と連携する新しいプログラミングツールやプログラミングパラダイムに対応した後発言語でなければ利用できないものもある。 MISRA CやCERT Cというコーディング標準(コーディング規約)を定義して、危険な機能の使用や記述を禁止するという制限を設けることでCを安全に利用するためのガイドラインが運用されている分野もある。特にプログラミングミスが人命に直結する自動車分野などでCを利用するには、このような制約が重要である。 処理系の簡素化のため、以下のように安全性を犠牲にした仕様が多い。なお、ホスト環境やプログラムの内容によっては、以下に対して脆弱性対策を施したとしても実行速度の低下が無視できる程度であることも多く、言語仕様側の欠点とみなされることも少なくない。 C言語のHello worldプログラムは、ホスト環境を前提とするか、フリースタンディング環境を前提とするかで、方向性が異なる。ホスト環境を前提とする場合には、標準入出力の利用により、動作をすぐに確かめることができる。以下では、標準Cライブラリのヘッダstdio.hにて宣言されている、puts関数あるいはprintf関数を利用したものを例示する。 上記サンプルソース中の「\n」は、エスケープ文字\によるエスケープシーケンスのひとつであり、改行(ラインフィード)を表す。 main関数は標準的なプログラムエントリーポイントであり、プログラムを開始すると、ランタイムライブラリによるスタートアップ処理が実行された後にこのmain関数が呼ばれる。引数のないバージョンと、コマンドライン引数をポインタ配列として受け取るバージョンどちらを使ってもよい。 なお、printf関数は書式文字列とそれに対応する可変個引数を受け取り、書式化された文字列として表示できる高機能な標準出力関数であるが、序盤から例示に使用している入門書もある。 main関数とprintf関数は、いずれも入門者や初学者にとっては最初の関門となる難解な関数であり、C言語によるプログラミングのハードルを高くしている一因でもある。JavaやC#のような後発言語では、文字列の扱いや、可変個引数の扱いがより簡潔で安全になっている。Pythonのようなインタプリタや対話環境上で動作することを前提とした言語では、main関数を定義する必要はない。 C言語は、AT&Tベル研究所のケン・トンプソンが開発したB言語の改良として誕生した(#外部リンクの「The Development of the C Language」参照)。 1972年、トンプソンとUNIXの開発を行っていたデニス・リッチーはB言語を改良し、実行可能な機械語を直接生成するC言語のコンパイラを開発した。後に、UNIXは大部分をC言語によって書き換えられ、C言語のコンパイラ自体も移植性の高い実装のPortable C Compilerに置き換わったこともあり、UNIX上のプログラムはその後にC言語を広く利用するようになった。 ちなみに、「UNIXを開発するためにC言語が作り出された」と言われることがあるが、「The Development of the C Language」によると、これは正しくなく、経緯は以下の通りである。C言語は、当初はあくまでもOS上で動くユーティリティを作成する目的で作り出されたものであり、OSのカーネルを記述するために使われるようになるのは後の展開である。 アセンブラとの親和性が高いために、ハードウェアに密着したコーディングがやりやすかったこと、言語仕様が小さいためコンパイラの開発が楽だったこと、小さな資源で動く実行プログラムを作りやすかったこと、UNIX環境での実績があり、後述のK&Rといった解説文書が存在していたことなど、さまざまな要因からC言語は業務開発や情報処理研究での利用者を増やしていった。特にメーカー間でオペレーティングシステムやCPUなどのアーキテクチャが違うUNIX環境では再移植の必要性がしばしば生じて、プログラムをC言語で書いてソースレベル互換を確保することが標準となった。 C言語の開発当初に使われた入力端末はASR-37(英語版)であったことが知られている。 ASR-37は1967年制定の旧ASCII ISO R646-7bitにもとづいており、「{」および「}」の入力を行うことができたが、当時は一般的に使われていた入力端末ではなかった。 当時PDP-11の入力端末として広く使われていたのはASR-33であるが、これは1963年制定の旧ASCIIであるASA X3.4に準拠しており、「{」や「}」の入力を行うことはできなかった。 このことは、ブロック構造に「{」や「}」を用いるC言語(さらに元をたどればB言語)は、当時の一般的な環境では使用不可能であったことを示している。 これは、C言語はその誕生当初にあっては一般に広く使われることを想定しておらず、ベル研究所内部で使われることを一義的に考えた言語であったという側面の表れである。 これに対し、PascalやBASIC等の当初から広く使われることを想定した言語では、ブロック構造に記号を用いずにbeginとendをトークンとして用いることや、コメント行を表す際に開始トークンとしてREMという文字列を用いることなど、記号入力に制約がある多くの入力端末に対応できるように配慮されていた。この頃の他の言語やOSで大文字と小文字の区別をしないものが多いのも、当時は大文字しか入力できない環境も少なくなかったことの表れである。 このような事情のため、C言語が普及するのは、ASCII対応端末が一般化した1980年代に入ってからである。 現在、ブロック構造の書式等で、{...}形式のC言語と、begin...end等を使用する他の言語との比較において優劣を論じられることがあるが、開発時の環境等をふまえずに現時点での利便性のみで論じるのは適切ではない場合があることに留意が必要である。 1980年代に普及し始めたパーソナルコンピュータ (PC) は当初、8ビットCPUでROM-BASICを搭載していたものも多く、BASICが普及していたが、1980年代後半以降、16ビットCPUを採用しメモリも増えた(ROM-BASIC非搭載の)PCが主流になりだすと、Turbo CやQuick Cといった2万円程度の比較的安価なコンパイラが存在したこともあり、ユーザーが急増した。8ビットや8086系のPCへの移植は、ポインタなどに制限や拡張を加えることで解決していた。 1990年代中盤には、最初に学ぶプログラミング言語としても主流となった。また、同時期にはゲーム専用機(ゲームコンソール)の性能向上とプログラムの大規模化、マルチプラットフォーム展開を受け、メインの開発言語がアセンブラからC言語に移行した。 1990年代後半から2000年代以降は、PCのさらなる性能向上と普及、GUI環境やオブジェクト指向の普及、インターネットおよびウェブブラウザの普及、スマートフォンの普及に伴い、より高水準で開発効率の高い言語やフレームワークを求める開発者が増えたことにより、C++、Visual Basic、Java、C#、Objective-C、PHP、JavaScriptなどが台頭してきた。広く利用されるプログラミング言語の数は増加傾向にあり、相対的にC言語が使われる場面は減りつつある。特にアプリケーションソフトウェアなどの上位層の開発には、C言語よりも記述性に優れるC++、Java、C#などC言語派生の後発言語が利用されることが多くなっている。資源制約の厳しかったゲーム開発においても、ハードウェアの性能向上やミドルウェアの普及により、C++やC#などが使われる場面が増えている。速度性能や省メモリが特に重視されるシステムプログラミングに関しても、伝統的にC/C++の独壇場だったが、新規コードではより安全性の高いRustを導入する事例が現れている。 しかし、C言語は比較的移植性に優れた言語であり、個人開発/業務用開発/学術研究開発やプロプライエタリ/オープンソースを問わず、オペレーティングシステムやデバイスドライバーなどの下位層、クロスプラットフォームAPIの外部仕様、C++やJavaなどの高水準言語の処理系および実行環境の実装が困難な小規模の組み込みシステムなどを中心に、2021年現在でも幅広く利用されている。 プログラミング入門者にとっては、Python、JavaScript、Swift、Kotlinなどのように、インタラクティブな対話環境(REPL、インタプリタ)が利用でき、抽象化が進んでおり、煩雑なメモリ管理が不要で、危険な機能を制限した高水準言語のほうが学習・習得しやすいが、コンピュータの動作原理やハードウェア仕様を理解するには、Cのような原始的な言語を用いたほうがかえって分かりやすいケースもある。 米国国家規格協会(ANSI)による標準化が行われるまで、1978年出版のデニス・リッチーとブライアン・カーニハンの共著『The C Programming Language』が実質的なC言語の標準として参照されてきた。この書籍は、著者らのイニシャルを取って「K&R」とも呼ばれている。C言語は発展可能な言語で、K&Rの記述も発展の可能性のある部分は厳密な記述をしておらず、曖昧な部分が存在していた。そのためC言語が普及するとともに、互換性のない処理系が数多く誕生した。 そこで、ISO/IEC JTC1とANSIは協同でC言語の規格の標準化を進め、1989年12月にANSIがANSI X3.159-1989, American National Standard for Information Systems -Programming Language-Cを、1990年12月にISOがINTERNATIONAL STANDARD ISO/IEC 9899 : 1990(E) Programming Languages-Cを発行した。ISO/IEC規格のほうが章立てを追加しており、その後ANSIもISO/IEC規格にならって章立てを追加した。それぞれC89 (ANSI C89) およびISO/IEC C90という通称で呼ぶことがある。 日本では、これを翻訳したものを『JIS X 3010-1993 プログラム言語C』として、1993年10月に制定した。 最大の特徴は、C++と同様の関数プロトタイプを導入して引数の型チェックを強化したことと、voidやenumなどの新しい型を導入したことである。一方、「処理系に依存するものとする」に留めた部分も幾つかある(int型のビット幅、char型の符号、ビットフィールドのエンディアン、シフト演算の挙動、構造体などへのパディング等)。 規格では以下の3種類の自由を認めている部分がいくつかある。 これにより、プラットフォームやプロセッサアーキテクチャとの相性による有利不利が生じないような仕様になっている。 8ビット/16ビット/32ビットなど、レジスタ幅(ワードサイズ)の異なるプロセッサ (CPU) に対応・最適化できるようにするため、組み込み型の情報量(大きさ)や内部表現にも処理系の自由を認めている。型のバイト数はsizeof演算子で取得し、各型の最小値・最大値はlimits.hで定義されているマクロ定数で参照することとしている。ただし、1バイトあたりのビット数は規定されていない。sizeof(char) == 1すなわちchar型が1バイトであることは常に保証されるが、8ビット(オクテット)とは限らない。実際のビット数はCHAR_BITマクロ定数で取得できる。とはいえ、現実の多くの処理系ではchar型は8ビットである。また、その他の整数型については、sizeof(int) >= 2、sizeof(int) >= 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C11はUnicode文字列(UTF-32、UTF-16、UTF-8の各符号化方式)に標準で対応している。そのほか、type-generic式、C++と同様の無名構造体・無名共用体、排他的アクセスによるファイルオープン方法、quick_exitなどのいくつかの標準関数などを追加した。 また、_Noreturn関数指示子を追加した。_Noreturnは従来処理系ごとに独自に付加していた属性情報(たとえばgccでは__attribute__((__noreturn__)))を標準化したもので、「呼び出し元に戻ることがない」という特殊な関数についてその特性を示すためにある。return文を持たない関数という意味ではなく(規格ではreturn文を持たなくとも、関数の最後の文の実行が終われば制御は呼び出し元に戻る)、この指示が意味するものは、当該の関数、ないしその内部から呼び出している関数の実行中に、必ず_exitやexecveを実行したり、例外などで終了する、あるいは、longjmpによる大域ジャンプで抜け出す、継続渡しスタイル変換されたコードである、などのために、絶対に制御が呼び出し元に戻らない、という関数を指示するためにある。そのような関数は、スタックに戻りアドレスを積む通常の呼び出しではなく、スタックを消費しないジャンプによって実行できる。 アラインメント機能、_Atomic型やC言語ネイティブの原始的なスレッド機能などを省略可能な機能として規格に組み込んだ。また、C99では規格上必須要件とされていた機能のうち、複素数型と可変長配列を省略可能なものに変更した。これらの省略可能な機能はC11規格合致の必須要件ではないので、仮に完全に規格合致の処理系であっても、対応していないかもしれない。C11規格では、省略可能な機能のうちコンパイラがどれを提供しているかを判別するために利用できる、テスト用のマクロを用意している。 これにより、gets関数は廃止されている。 2018年にISO/IEC 9899:2018(通称C17またはC18)として改訂された。仕様の欠陥修正がメインのマイナーアップデートである。 大抵の処理系はC言語とC++両方をサポートしている。C言語とC++の共通部分を明確にし、二つの言語の違いに矛盾が生じないようにすることが課題になっている。 その他にも、OpenGLシェーダー言語であるGLSL、DirectX(Direct3D)シェーダー言語であるHLSL、OpenCLカーネル記述言語であるOpenCL-Cなど、C言語の文法的特徴を取り入れた派生言語やDSLが多数存在する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "■カテゴリ / ■テンプレート", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "C言語(シーげんご、英: C programming language)は、1972年にAT&Tベル研究所のデニス・リッチーが主体となって開発した汎用プログラミング言語である。英語圏では「C language」または単に「C」と呼ばれることが多い。日本でも文書や文脈によっては同様に「C」と呼ぶことがある。制御構文などに高水準言語の特徴を持ちながら、ハードウェア寄りの記述も可能な低水準言語の特徴も併せ持つ。基幹系システムや、動作環境の資源制約が厳しい、あるいは実行速度性能が要求されるソフトウェアの開発に用いられることが多い。後発のC++やJava、C#など、「C系」と呼ばれる派生言語の始祖でもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ANSI、ISO、またJISにより言語仕様が標準規格化されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "Cには他のプログラミング言語と比較して、特筆すべきいくつかの特徴がある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "上記のように、利点でもあり、同時に欠点にもなる特徴を備えている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "もともとUNIXおよびCコンパイラの移植性を高めるために開発されてきた経緯から、オペレーティングシステム(OS)のカーネルおよびコンパイラ向けの低水準な記述ができるなど、ハードウェアをある程度抽象化しつつも、必要に応じて低水準言語と同じことを実現できるようなコンピュータ寄りの言語仕様になっている。そのため、低水準な記述ができる高水準言語と言われたり、高水準言語の顔をした低水準言語(高級アセンブラ、汎用アセンブラ)と言われたりすることがある。", 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"C言語は、AT&Tベル研究所のケン・トンプソンが開発したB言語の改良として誕生した(#外部リンクの「The Development of the C Language」参照)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1972年、トンプソンとUNIXの開発を行っていたデニス・リッチーはB言語を改良し、実行可能な機械語を直接生成するC言語のコンパイラを開発した。後に、UNIXは大部分をC言語によって書き換えられ、C言語のコンパイラ自体も移植性の高い実装のPortable C Compilerに置き換わったこともあり、UNIX上のプログラムはその後にC言語を広く利用するようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ちなみに、「UNIXを開発するためにC言語が作り出された」と言われることがあるが、「The Development of the C Language」によると、これは正しくなく、経緯は以下の通りである。C言語は、当初はあくまでもOS上で動くユーティリティを作成する目的で作り出されたものであり、OSのカーネルを記述するために使われるようになるのは後の展開である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "アセンブラとの親和性が高いために、ハードウェアに密着したコーディングがやりやすかったこと、言語仕様が小さいためコンパイラの開発が楽だったこと、小さな資源で動く実行プログラムを作りやすかったこと、UNIX環境での実績があり、後述のK&Rといった解説文書が存在していたことなど、さまざまな要因からC言語は業務開発や情報処理研究での利用者を増やしていった。特にメーカー間でオペレーティングシステムやCPUなどのアーキテクチャが違うUNIX環境では再移植の必要性がしばしば生じて、プログラムをC言語で書いてソースレベル互換を確保することが標準となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "C言語の開発当初に使われた入力端末はASR-37(英語版)であったことが知られている。 ASR-37は1967年制定の旧ASCII ISO R646-7bitにもとづいており、「{」および「}」の入力を行うことができたが、当時は一般的に使われていた入力端末ではなかった。 当時PDP-11の入力端末として広く使われていたのはASR-33であるが、これは1963年制定の旧ASCIIであるASA X3.4に準拠しており、「{」や「}」の入力を行うことはできなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "このことは、ブロック構造に「{」や「}」を用いるC言語(さらに元をたどればB言語)は、当時の一般的な環境では使用不可能であったことを示している。 これは、C言語はその誕生当初にあっては一般に広く使われることを想定しておらず、ベル研究所内部で使われることを一義的に考えた言語であったという側面の表れである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "これに対し、PascalやBASIC等の当初から広く使われることを想定した言語では、ブロック構造に記号を用いずにbeginとendをトークンとして用いることや、コメント行を表す際に開始トークンとしてREMという文字列を用いることなど、記号入力に制約がある多くの入力端末に対応できるように配慮されていた。この頃の他の言語やOSで大文字と小文字の区別をしないものが多いのも、当時は大文字しか入力できない環境も少なくなかったことの表れである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "このような事情のため、C言語が普及するのは、ASCII対応端末が一般化した1980年代に入ってからである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "現在、ブロック構造の書式等で、{...}形式のC言語と、begin...end等を使用する他の言語との比較において優劣を論じられることがあるが、開発時の環境等をふまえずに現時点での利便性のみで論じるのは適切ではない場合があることに留意が必要である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "1980年代に普及し始めたパーソナルコンピュータ (PC) は当初、8ビットCPUでROM-BASICを搭載していたものも多く、BASICが普及していたが、1980年代後半以降、16ビットCPUを採用しメモリも増えた(ROM-BASIC非搭載の)PCが主流になりだすと、Turbo CやQuick Cといった2万円程度の比較的安価なコンパイラが存在したこともあり、ユーザーが急増した。8ビットや8086系のPCへの移植は、ポインタなどに制限や拡張を加えることで解決していた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1990年代中盤には、最初に学ぶプログラミング言語としても主流となった。また、同時期にはゲーム専用機(ゲームコンソール)の性能向上とプログラムの大規模化、マルチプラットフォーム展開を受け、メインの開発言語がアセンブラからC言語に移行した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1990年代後半から2000年代以降は、PCのさらなる性能向上と普及、GUI環境やオブジェクト指向の普及、インターネットおよびウェブブラウザの普及、スマートフォンの普及に伴い、より高水準で開発効率の高い言語やフレームワークを求める開発者が増えたことにより、C++、Visual Basic、Java、C#、Objective-C、PHP、JavaScriptなどが台頭してきた。広く利用されるプログラミング言語の数は増加傾向にあり、相対的にC言語が使われる場面は減りつつある。特にアプリケーションソフトウェアなどの上位層の開発には、C言語よりも記述性に優れるC++、Java、C#などC言語派生の後発言語が利用されることが多くなっている。資源制約の厳しかったゲーム開発においても、ハードウェアの性能向上やミドルウェアの普及により、C++やC#などが使われる場面が増えている。速度性能や省メモリが特に重視されるシステムプログラミングに関しても、伝統的にC/C++の独壇場だったが、新規コードではより安全性の高いRustを導入する事例が現れている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "しかし、C言語は比較的移植性に優れた言語であり、個人開発/業務用開発/学術研究開発やプロプライエタリ/オープンソースを問わず、オペレーティングシステムやデバイスドライバーなどの下位層、クロスプラットフォームAPIの外部仕様、C++やJavaなどの高水準言語の処理系および実行環境の実装が困難な小規模の組み込みシステムなどを中心に、2021年現在でも幅広く利用されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "プログラミング入門者にとっては、Python、JavaScript、Swift、Kotlinなどのように、インタラクティブな対話環境(REPL、インタプリタ)が利用でき、抽象化が進んでおり、煩雑なメモリ管理が不要で、危険な機能を制限した高水準言語のほうが学習・習得しやすいが、コンピュータの動作原理やハードウェア仕様を理解するには、Cのような原始的な言語を用いたほうがかえって分かりやすいケースもある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "米国国家規格協会(ANSI)による標準化が行われるまで、1978年出版のデニス・リッチーとブライアン・カーニハンの共著『The C Programming 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"アラインメント機能、_Atomic型やC言語ネイティブの原始的なスレッド機能などを省略可能な機能として規格に組み込んだ。また、C99では規格上必須要件とされていた機能のうち、複素数型と可変長配列を省略可能なものに変更した。これらの省略可能な機能はC11規格合致の必須要件ではないので、仮に完全に規格合致の処理系であっても、対応していないかもしれない。C11規格では、省略可能な機能のうちコンパイラがどれを提供しているかを判別するために利用できる、テスト用のマクロを用意している。", "title": "規格" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "これにより、gets関数は廃止されている。", "title": "規格" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "2018年にISO/IEC 9899:2018(通称C17またはC18)として改訂された。仕様の欠陥修正がメインのマイナーアップデートである。", "title": "規格" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "大抵の処理系はC言語とC++両方をサポートしている。C言語とC++の共通部分を明確にし、二つの言語の違いに矛盾が生じないようにすることが課題になっている。", "title": "主なC言語処理系" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "その他にも、OpenGLシェーダー言語であるGLSL、DirectX(Direct3D)シェーダー言語であるHLSL、OpenCLカーネル記述言語であるOpenCL-Cなど、C言語の文法的特徴を取り入れた派生言語やDSLが多数存在する。", "title": "関連する主なプログラミング言語" } ]
C言語は、1972年にAT&Tベル研究所のデニス・リッチーが主体となって開発した汎用プログラミング言語である。英語圏では「C language」または単に「C」と呼ばれることが多い。日本でも文書や文脈によっては同様に「C」と呼ぶことがある。制御構文などに高水準言語の特徴を持ちながら、ハードウェア寄りの記述も可能な低水準言語の特徴も併せ持つ。基幹系システムや、動作環境の資源制約が厳しい、あるいは実行速度性能が要求されるソフトウェアの開発に用いられることが多い。後発のC++やJava、C#など、「C系」と呼ばれる派生言語の始祖でもある。 ANSI、ISO、またJISにより言語仕様が標準規格化されている。
{{Infobox プログラミング言語 | fetchwikidata = ALL | onlysourced = false | name = C言語 | released = {{start date and age|1972}}. | latest release version = ISO/IEC 9899:2018 | latest release date = {{Start date and age|2018}} | typing = 弱い[[静的型付け]] | implementations = [[GNUコンパイラコレクション|GCC]], [[Clang]], [[Microsoft Visual C++|Visual C++]], [[Intel C++ Compiler]] | influenced = [[awk]]、[[csh]]、[[C++]]、[[Objective-C]]、[[Rust (プログラミング言語)|Rust]]、[[D言語]]、[[Java]]、[[JavaScript]]、[[Limbo (プログラミング言語)|Limbo]] | file ext = <code>.c</code>, <code>.h</code> }} {{プログラミング言語}} {{Wikibooks|C言語|C言語}} '''C言語'''(シーげんご、{{lang-en-short|C programming language}})は、[[1972年]]に[[ベル研究所|AT&Tベル研究所]]の[[デニス・リッチー]]が主体となって開発した汎用[[プログラミング言語]]である。英語圏では「C language」または単に「C」と呼ばれることが多い。日本でも文書や文脈によっては同様に「C」と呼ぶことがある。[[制御構文]]などに[[高水準言語]]の特徴を持ちながら、ハードウェア寄りの記述も可能な[[低水準言語]]の特徴も併せ持つ。基幹系システムや、動作環境の資源制約が厳しい、あるいは実行速度性能が要求されるソフトウェアの開発に用いられることが多い。後発の[[C++]]や[[Java]]、[[C Sharp|C#]]など、「C系」と呼ばれる派生言語の始祖でもある{{efn|英語では{{lang|en|C-family}}, {{lang|en|C-style}}, {{lang|en|C-like}}などと呼ばれる。「C系」の定義は明確ではないが、構文がCに類似しているものを指すことが多い。}}。 [[米国国家規格協会|ANSI]]、[[国際標準化機構|ISO]]、また[[日本産業規格|JIS]]により言語仕様が標準規格化されている。 == 特徴 == {{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2019年8月}} Cには他のプログラミング言語と比較して、特筆すべきいくつかの特徴がある。 === 利点 === * [[構造化プログラミング]]のパラダイムに対応した高水準の[[手続き型言語]]である。ハードウェアの直接的な制御ができる機能を備えつつ、[[機械語]]や[[アセンブリ言語]](アセンブラ)のような[[低水準言語]]と比較して、[[ソースコード]]の再利用性やメンテナンス性に優れており、目的に応じたプログラムの変更や拡張が容易である。 * 汎用性およびプログラムの自由度が高く、[[計算資源|リソース]]や性能要求の厳しい用途にも耐えうるため、[[アプリケーションソフトウェア]]の開発だけでなく、[[オペレーティングシステム]](OS)や[[デバイスドライバ|デバイスドライバー]]、[[ファームウェア]]の記述、[[マイクロコントローラ|マイコン]]制御・機械制御など、上位層・下位層を問わず、あらゆる分野で利用されている。 * 対応する機器の範囲が広い。[[パーソナルコンピュータ]]や[[ワークステーション]]はもちろん、自動車や家電の[[組み込みシステム|組み込み]]用[[マイクロコントローラ|マイコン]]から[[スーパーコンピュータ]]まで、C言語を使用できるハードウェアは多様である。そのため、C言語のコード資産が蓄積されている環境・分野は多岐に渡る。 * 商用・非商用を問わず、採用ソフトウェア分野が広い。プログラム作成や[[デバッグ]]のための補助的なソフトウェア([[プログラミングツール]])が豊富である。 * ソースコードを機械語に変換するソフトウェア([[コンパイラ]])などの開発環境が[[CPU]]やOSに付属していたり無償だったりするものもあるため、ライセンス料の支払いをしなくても使用が始められる。 === 欠点 === * 開発時期が古いことから、言語構文(文法)に機械語の影響が強く、仕様自体は単純ではあるが明快ではなく難解である。この欠点を改良するためのちに開発された後発言語に比較し、プログラマが記述しなければならないことが多く、[[低水準言語]]のように面倒で習得しにくい側面を持つ。 * Cは、移植の容易性、自由度、実行速度、コンパイル速度などを追求した。代わりにコンパイル後のコードの安全性を犠牲にしている。また、詳細を規格で規定せず処理系に委ねている部分が多く、Cで書かれたソフトウェアでは処理系依存のコードが氾濫する原因となった。セキュリティ上の脆弱性や潜在的バグによる想定外の動作、コンパイラによる最適化の難しさ{{efn|例えばポインタのエイリアシングは最適化やベクトル化を妨げる<ref>[https://www.isus.jp/products/c-compilers/pointer-aliasing-and-vectorization/ ポインター・エイリアシングとベクトル化 | iSUS]</ref>。}}といった問題を抱えており、最適化するとコンパイル速度が遅くなるなどの問題が生じることがある。 上記のように、利点でもあり、同時に欠点にもなる特徴を備えている。 もともと[[UNIX]]およびCコンパイラの移植性を高めるために開発されてきた経緯から、[[オペレーティングシステム]](OS)の[[カーネル]]およびコンパイラ向けの低水準な記述ができるなど、ハードウェアをある程度抽象化しつつも、必要に応じて低水準言語と同じことを実現できるようなコンピュータ寄りの言語仕様になっている。そのため、低水準な記述ができる高水準言語と言われたり、高水準言語の顔をした低水準言語(高級アセンブラ<ref>[https://www.grapecity.com/tools/support/powernews/column/clang/019/page01.htm もう一度基礎からC言語 第19回 いろいろな演算子~ビット演算子 Cは高級アセンブラ?]</ref>、汎用アセンブラ<ref>[https://gihyo.jp/dev/serial/01/c-programming-introduction/0001 第1回 Chapter 1 C言語の概要(1):Cプログラミング入門|gihyo.jp … 技術評論社]</ref>)と言われたりすることがある。 Cはアマチュアからプロ技術者まで、プログラマ人口が多く、プログラマのコミュニティが充実している。使用者の多さから、正負の両面含め、Cはプログラミング文化に大きな影響を及ぼしている。また、多目的性と、対応機器の多彩さのため、「コンピュータを使ってやること」は大抵、Cで対応可能である。ただし、Cで効率的かつ安全に記述できるかどうかはまた別の話である。[[スクリプト言語]]やコマンドラインシェルを使えば手軽に実現にできるような処理まで、わざわざCで記述する必要はない。また、[[Graphical User Interface|GUI]][[アプリケーションフレームワーク]]は、Cからは利用できず、[[統合開発環境]]と連携する新しいプログラミングツールやプログラミングパラダイムに対応した後発言語でなければ利用できないものもある。 [[MISRA C]]や[[CERT Secure Coding Standards|CERT C]]というコーディング標準(コーディング規約)を定義して、危険な機能の使用や記述を禁止するという制限を設けることでCを安全に利用するためのガイドラインが運用されている分野もある。特にプログラミングミスが人命に直結する自動車分野などでCを利用するには、このような制約が重要である。 === 機能と自由度 === * 文の区切りを終端記号 [[セミコロン]]「<code>;</code>」で表し、[[改行コード|改行文字]]にも[[スペース|空白]]にも[[字句解析|トークン]]の区切りとしての意味しか持たせない「[[フリーフォーマット (コンピュータ)|フリーフォーマット]]」という形式を採用している。中括弧<code>{ }</code>によるブロック構造および[[スコープ (プログラミング)|スコープ]]をサポートする。 * [[ALGOL]]の思想を受け継いで'''[[構造化プログラミング]]'''に対応している。手順を[[ネスティング|入れ子]]構造で示して見通しの良い記述をすることができる。原理的に'''無条件分岐(<code>[[goto文|goto]]</code>)'''を使用する必要はなく、MISRA Cでは当初goto文を禁止していた。 * '''[[モジュール|モジュール化]]'''が[[ファイル (コンピュータ)|ファイル]]を単位として可能。モジュール内だけで有効な名前を使うことができる[[スコープ (プログラミング)|スコープ]]を持っている。 * プログラムを[[戻り値]]つきの[[サブルーチン]]に分離できる。C言語ではこれを'''[[関数 (プログラミング)|関数]]'''と呼び、関数内のプログラムコードでは、独立したスコープを持つ変数([[ローカル変数]])が使用できる。これにより、データの流れがブロックごとに完結するのでデバッグが容易になり、また関数の再帰呼び出しも可能となる。また、多人数での共同開発の際にも変数名の衝突が回避しやすくなる。なお、C言語ではUNIXのようなOSを前提とした[[ホスト環境]]と、割り込み制御のようなOSを前提としない[[フリースタンディング環境]]とがある。ホスト環境では、プログラム開始直後に実行するプログラム要素を <code>main</code> という名前の関数として定義する<ref group="注釈">他の言語、例えば、[[BASIC]]や[[Pascal]]ではプログラム開始直後に実行するプログラム要素はサブルーチンや手続きや関数ではない。</ref>。プログラム中で再帰的に<code>main</code>関数を呼ぶことも可能(C++では不可能<ref>ISO/IEC 14882:2003 §3.6.1 「The function main shall not be used within a program.」</ref><ref>{{cite jis|X|3014|2003|name=プログラム言語C++}} §3.6.1 「関数mainは、プログラムの中で挙用してはならない。」</ref>)。フリースタンディング環境では、[[エントリーポイント]]と呼ばれるアドレスに置かれたコードをプログラムの開始点とするが、それがmain関数である必要はない。なお再帰呼び出しそのものは、[[スタックオーバーフロー]]の原因となるため、MISRA Cでは禁止している。 * システム記述言語として開発されたため、高級言語であるが[[アセンブラ]]的な低水準の操作ができる。'''[[ポインタ (プログラミング)|ポインタ]]演算'''、[[ビット]]ごとの[[論理演算]]、シフト[[演算]]などの機能を持ち、[[ハードウェア]]に密着した処理を効率よく記述できる。これはオペレーティングシステムや[[デバイスドライバ|デバイスドライバー]]などを記述する上では便利であるが、注意深く利用しないと発見しにくい[[バグ]]の原因となる。ライブラリ関数は、C言語規格が規定している関数と、OSが規定している関数との間の整合性、棲み分けなどが流動的である。MISRA Cのようないくつかの制約では、C言語規格が規定している関数の妥当性について指摘し、いくつかの関数を利用しないように規定している。 <!-- * 配列とポインタとでは、宣言の仕方と領域確保の仕組みは異なっているが、配列アクセスそのものは、ポインタ演算および間接参照と同等である。 ** ポインタを配列表記でアクセスすることや、配列をポインタ表記でアクセスすることができる[[糖衣構文]]がある。 ** MISRA Cでは、応用ソフトを記述することが目的であるため、ポインタの利用を禁止している。 --><!-- ポインタと配列は違うものです。 ポインタ p があって p[2] といったようにアクセスする時は、 p addr addr+1 addr+2 [addr] ===> [data0][data1][data2] というように、まずデリファレンスをして、その先でオフセットします。 一方、配列 a への a[2] といったようなアクセスは、 (これが配列aそのもの) a[0] a[1] a[2] [data0][data1][data2] のようになるので、「配列アクセスそのものは、ポインタ演算および間接参照と同等」ではありません。しかし、ウィキペディアにそう書いてあるのを信じて、多くのプログラマがそれに基づくバグを書いたのでしょう。 確かに、*(a+2) は a[2] と同等であるというシンタクティックシュガーや、「配列を関数の実引数として渡そうとすると、配列が渡されるのではなく、その先頭要素を指すポインタが渡される」という仕様がありますが、ちゃんと理解していればそれを「配列アクセスそのものは、ポインタ演算および間接参照と同等」とは表現しないでしょう。 --> <!-- 上記は誤り。言語仕様を理解していない、完全に的外れの説明なので参考にしないように。 添字演算子 E1[E2] は *((E1)+(E2)) と同一。 E1 あるいは E2 が配列式であろうがポインタ式であろうが、オフセットしてからデリファレンス、となる。 https://ja.cppreference.com/w/c/language/operator_member_access ポインタ式は変更可能な左辺値式になれるが、配列式は変更可能な左辺値式になれない。この点がポインタと配列の大きな違いのひとつ。 int* p = NULL; int* q = NULL; p = q; // Well-formed. int a[10] = {0}; int b[10] = {0}; a = b; // Ill-formed. https://ja.cppreference.com/w/c/language/value_category --> * ソースコードの記述に使う文字集合は[[ANSI C]] (C89) およびISO/IEC 9899:1990 (C90) では[[ASCII]]を標準としている。他の[[ISO 646]]でも書けるように、3文字利用した[[トライグラフ]]と呼ばれる表記法も存在する。その後、ISO/IEC 9899:1995 AMD (C95) などでは[[マルチバイト文字]]セット対応の拡張を規定している。さらに、その後トライグラフは複数のコードを利用したシステムでしか利用がない{{要説明|date=2020-01}}ため、より分かり易い2文字による[[ダイグラフ]]を規定している。 * 組み込みの[[整数型]]および[[浮動小数点数]]型のほか、[[構造体]]、[[共用体]]、列挙体([[列挙型]])によるユーザー定義のデータ型や列挙定数をサポートする。構造体および共用体は[[ビットフィールド]]をサポートする。 ===アセンブラとのインタフェース=== * 多くの処理系が[[インラインアセンブラ]]を搭載しているほか、アセンブラで出力したオブジェクトとのリンクが容易になっている。これにより速度が要求される部分だけを[[アセンブリ言語]]で記述するということが容易に行えることが多い。アセンブラとの[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]は#pragma asmなどを用いて局所化を図る努力はあるが、コンパイラごとに定義があり、CPUが同一であっても移植性が低い場合がある。 <!-- * [[RISC]] CPUには、アセンブラでの記述が難しく、Cでの記述を前提とするものも多い{{要出典|date=2009年12月}}。- コンパイラ言語の利用が一般化した後に設計されたCPUではアセンブラでなく高級言語/コンパイラの使用を前提に設計されて、CPUメーカーが用意するコンパイラ言語としてまずC言語は用意されていると思われるが、ここに記述なくてもよいと思い削除 --> ===コンパイラ仕様=== * コンパイラの処理が1パスで済む仕様になっている。歴史的な経緯から、[[変数 (プログラミング)|変数]]の宣言において型指定がない場合は<code>int</code>型とみなし、[[サブルーチン|関数]]の戻り値の型指定がない場合は<code>int</code>型とみなす。ANSI C (C89) ではコンパイル時型検査の強化のために[[関数プロトタイプ]]の機能が導入されたが、関数の宣言がない場合の[[戻り値]]は<code>int</code>型とみなし、引数は未知(任意)とみなす。しかし、このような暗黙の型指定は型安全性を損ない[[未定義動作]]を引き起こす危険性があるため、ISO/IEC C:1999 (C99) 以降では暗黙の型指定に関する仕様が標準規格の文面から削除された。いずれも使用(参照)するより前に適切に宣言する必要がある。ClangやGCCといったC99準拠のコンパイラは、このような暗黙の型指定について、C99モードであってもC89互換の動作を残してはいるものの、非標準の動作であるため警告を出すようになっている。なお、関数宣言において<code>()</code>のように引数を省略すると、引数を未知とする仕様はC99でも残されている。後継言語では完全なプロトタイプ宣言を必須とするか、あるいはプロトタイプ宣言自体を不要としているが、記述によっては先読みが必要になりうる。 * マクロ記述やコンパイル条件の指定などができる前処理指令が標準化されている。前処理指令の解釈をする'''[[プリプロセッサ]]''' (preprocessor) を持っている。プリプロセッサは、その名の通りコンパイル処理の前に自動的に実行される。コンパイラの機能として、プリプロセッサを通しただけの段階のソースコードを出力可能になっているものがある。前処理の結果を検査することで、設計者の意図と前処理の結果のずれがないか確認できる。 ===処理系の簡素化=== 処理系の簡素化のため、以下のように安全性を犠牲にした仕様が多い。なお、ホスト環境やプログラムの内容によっては、以下に対して脆弱性対策を施したとしても実行速度の低下が無視できる程度であることも多く、言語仕様側の欠点とみなされることも少なくない。 ; [[配列]]参照時の自動的な添字のチェックをしない : これを要因とする代表的なバグが、固定長のバッファ領域をはみだしてデータの書き込みが行われてしまう「[[バッファオーバーフロー]]」([[バッファオーバーラン]])である。範囲外のアクセスは、書き込みだけでなく読み取りの場合も[[未定義動作]]を引き起こす。標準ライブラリにはバッファオーバーフローや範囲外アクセスを考慮していない関数があり、かつ多用されがちなため、しばしば[[脆弱性]]の原因となる。また、Cではプログラムにより明示的に制御([[動的メモリ確保]])することで[[可変長配列]]の実現を可能にしているが、確保した領域の範囲外にアクセスしても自動的な伸長は行なわれない。 : 後継言語では、標準ライブラリまたは組み込み型により可変長配列をサポートしていたり、範囲外アクセス時には例外(実行時エラー)を送出するなどして安全性を優先していたりすることが多い。 ; [[文字列]]を格納するための特別な型が存在しない : 文字列には<code>char</code>型の配列を利用する。言語仕様上に特別な扱いはないが、[[ヌル文字]](<code><nowiki>'\0'</nowiki></code>)を終端とする[[文字列]]表現を使い、その操作をする[[標準Cライブラリ|標準ライブラリ]]関数がある。これは実質的にメモリ領域のポインタアクセスそのもので、固定長バッファに対して、それより長い可変長の文字列を書き込んでしまうことがあり、[[バッファオーバーラン]]の元凶の1つとなっている。 : 後継言語では文字列処理を特に強化している場合が多く、標準ライブラリあるいは言語仕様による組み込みの文字列型を提供している。 ; 自動変数の自動的な初期化をしない : 自動変数(静的でないローカル変数)は変数の中でも最も頻繁に用いられる。初期化されていない変数を参照した場合、値は不定となるが、不定な値へのアクセスは[[未定義動作]]であるので、[[コンパイラ最適化]]の過程で想定しない形に改変することもある<ref>[http://www.jpcert.or.jp/sc-rules/c-exp33-c.html EXP33-C. 未初期化のメモリを参照しない] [[JPCERT/CC]]、2014年3月25日(2014年8月22日閲覧)。</ref>。変数宣言・初期化の仕様による制限から、変数宣言の時点で初期化せず後で代入することで初期化に代えることが日常的で、誤って不定の値の変数を読み出す[[バグ]]を作り込みやすい。なお自動変数の自動とは<!--[[スタック]]上に - 仕様上はスタックによる実装を強制していなかったはずです。-->変数の領域の確保と解放が自動であるという意味であり、自動的に初期化されるという意味ではない。 : 後継言語では、明示的な初期化が記述されていない変数は、不定値ではなくその変数の型の既定値(ゼロあるいはゼロ相当の値)で初期化される仕様になっていることが多い。 ===その他=== * ソースコード上の文字の大文字・小文字を区別する。 * [[入出力]]や[[動的メモリ確保]]を含めほとんどの機能が、C言語自身で書かれた[[ライブラリ]]によって提供される。このことは、C言語の機種や環境依存性が低く、それらに依存する箇所をライブラリへ分離することにより[[移植性]](ポータビリティ)が高いことを意味する{{要出典|date=2009年12月}}。さまざまな機種があるUNIXの世界でC言語が普及した理由のひとつである。 ** 例として、[[POSIX]]環境での動的メモリ確保は<code>[[malloc]]</code>およびその類似関数にて提供される。一方、[[カーネル]]ではメモリ確保の際にスレッドがブロックされるとカーネル内のデータが他のスレッドにより変更され、予期せぬ動作を起こす恐れがあることや、メモリ内容の初期化が必要かどうかによって割当先のページを選択することによりシステムの効率が上がることから、多くの場合POSIXとは異なるAPIを使用している。[[Linuxカーネル]]の場合、前者はフラグ<code>GFP_KERNEL</code>と<code>GFP_ATOMIC</code>の使い分け、後者は関数<code>kmalloc</code>(割り当てたメモリの内容は不定)と<code>kzalloc</code>(割り当てたメモリの内容はゼロクリア済)の使い分けにより実装している。<ref> {{cite web | url = https://www.kernel.org/doc/html/next/core-api/memory-allocation.html | title = Memory Allocation Guide | website = The Linux Kernel documentation | access-date = 2023-11-08 }} </ref> * プログラムの実行に必要とする[[ハードウェア]]資源が、アセンブラよりは多いが他の高級言語より少なくてすむため、現在さまざまな電化製品などの[[組み込みシステム]]でも使用されている。 * 組み込み向けの場合は、プログラミング言語として、アセンブラ以外ではCとC++しか用意されていないことがある。その場合、他のプログラミング言語は、CやC++で書かれた処理系が存在すればコンパイルすることにより利用可能となることもあるが、メモリ制約などで動作しないことがある。 * ANSI/ISOにより規格が標準化された後は言語仕様の変化が小さく安定していること、C言語のプログラマ人口やコード資産が多いこと、[[C++]]や[[Objective-C]]からC言語関数を直接利用できること、また必要に応じて他のプログラミング言語からC言語関数を呼び出すためのバインディングを記述することが容易であることなどから、[[Application Programming Interface|API]]の外部仕様としてC言語の関数インターフェイスが選ばれることが多い。例えば[[OpenGL]]や[[OpenCL]]のようなオープン規格は第一級言語としてC言語を採用している。 ===コード例=== ====Hello worldプログラム==== C言語の[[Hello world]]プログラムは、ホスト環境を前提とするか、フリースタンディング環境を前提とするかで、方向性が異なる。ホスト環境を前提とする場合には、[[標準入出力]]の利用により、動作をすぐに確かめることができる。以下では、[[標準Cライブラリ]]の[[ヘッダファイル|ヘッダ]]<code>stdio.h</code>にて宣言されている、<code>[[puts]]</code>関数あるいは<code>[[printf]]</code>関数を利用したものを例示する。 <syntaxhighlight lang="c"> /* int puts(const char* s) を使う場合。 */ #include <stdio.h> int main(void) { puts("Hello, world!"); return 0; } </syntaxhighlight> <syntaxhighlight lang="c"> /* int printf(const char* format, ...) を使う場合。 */ #include <stdio.h> int main(int argc, char* argv[]) { printf("Hello, world!\n"); return 0; } </syntaxhighlight> 上記サンプルソース中の「<code>\n</code>」は、[[エスケープ文字]]<code>\</code>による[[エスケープシーケンス]]のひとつであり、[[改行]](ラインフィード)を表す。 <code>main</code>関数は標準的なプログラム[[エントリーポイント]]であり、プログラムを開始すると、ランタイムライブラリによるスタートアップ処理が実行された後にこの<code>main</code>関数が呼ばれる。引数のないバージョンと、コマンドライン引数をポインタ配列として受け取るバージョンどちらを使ってもよい<ref>[https://ja.cppreference.com/w/c/language/main_function main 関数 - cppreference.com]</ref>。 なお、<code>printf</code>関数は書式文字列とそれに対応する[[可変個引数]]を受け取り、書式化された文字列として表示できる高機能な標準出力関数であるが、序盤から例示に使用している入門書もある。 <code>main</code>関数と<code>printf</code>関数は、いずれも入門者や初学者にとっては最初の関門となる難解な関数であり、C言語によるプログラミングのハードルを高くしている一因でもある<ref>[https://atmarkit.itmedia.co.jp/ait/articles/1904/02/news024.html [Python入門]Pythonってどんな言語なの?:Python入門(1/2 ページ) - @IT]</ref><ref>[https://programming-place.net/ppp/contents/c/002.html Hello, Worldプログラム | Programming Place Plus C言語編 第2章]</ref><!-- 他の言語のエントリポイントおよび標準入出力と比べれば、Cのそれらが入門者にとって難解であるのは自明。後発言語だけでなく、同時代の他の言語と比べても。 -->。[[Java]]や[[C Sharp|C#]]のような後発言語では、文字列の扱いや、可変個引数の扱いがより簡潔で安全になっている。[[Python]]のような[[インタプリタ]]や対話環境上で動作することを前提とした言語では、<code>main</code>関数を定義する必要はない。 ===主な制御構造=== * <code>[[do-while文|do/while]]</code> * <code>[[for文|for]]</code> * <code>[[goto文|goto]]</code> * <code>[[if文|if]]</code> * <code>[[return文|return]]</code> * <code>[[switch文|switch]]</code> * <code>[[while文|while]]</code> * [[サブルーチン#関数|関数]] ===主な標準ライブラリ関数=== {{Main|標準Cライブラリ}} ==歴史== ===誕生=== C言語は、AT&Tベル研究所の[[ケン・トンプソン]]が開発した[[B言語]]の改良として誕生した([[#外部リンク]]の「The Development of the C Language」参照)。 [[1972年]]、トンプソンと[[UNIX]]の開発を行っていた[[デニス・リッチー]]はB言語を改良し、実行可能な[[機械語]]を直接生成するC言語のコンパイラを開発した<ref>[https://www.bell-labs.com/usr/dmr/www/portpap.html Portability of C Programs and the UNIX Systems]</ref>。後に、UNIXは大部分をC言語によって書き換えられ、C言語のコンパイラ自体も移植性の高い実装の[[Portable C Compiler]]に置き換わったこともあり、UNIX上のプログラムはその後にC言語を広く利用するようになった。 ちなみに、「UNIXを開発するためにC言語が作り出された」と言われることがあるが、「The Development of the C Language」によると、これは正しくなく、経緯は以下の通りである。C言語は、当初はあくまでもOS上で動くユーティリティを作成する目的で作り出されたものであり、OSのカーネルを記述するために使われるようになるのは後の展開である。 * UNIXの開発当初、[[Multics]]プロジェクトが目指していた高級言語によるOSの開発という目標は見送られた。 * アセンブリ言語でUNIXが作成されると、OS上で動くユーティリティを作成するためのプログラミング言語が必要とされた。 * ケン・トンプソンは、当初Fortranコンパイラを作ろうとしたが、途中で放棄し、新しい言語であるB言語を作成した。 * B言語はインタプリタ言語であったため動作が遅く、B言語でユーティリティを作ることはあまりなかった。 : 開発者達は、コンパイラなどのユーティリティを「システムプログラム」と呼んでいたが、それらの作成に使われる「システムプログラミング言語」は、OSのカーネルを作成するための言語という意味ではない<ref name="evolution">[https://www.bell-labs.com/usr/dmr/www/hist.html The Evolution of the Unix Time-sharing System]</ref>。 * B言語の欠点を解消するため、1971年に改良作業を開始した。 * 1972年にC言語のコンパイラができあがり、UNIXバージョン2において、いくつかのユーティリティを作成するために使用された。 ===UNIX環境とC言語=== アセンブラとの親和性が高いために、ハードウェアに密着したコーディングがやりやすかったこと、言語仕様が小さいためコンパイラの開発が楽だったこと、小さな資源で動く実行プログラムを作りやすかったこと、UNIX環境での実績があり、後述のK&Rといった解説文書が存在していたことなど、さまざまな要因からC言語は業務開発や情報処理研究での利用者を増やしていった。特にメーカー間でオペレーティングシステムやCPUなどのアーキテクチャが違うUNIX環境では再移植の必要性がしばしば生じて、プログラムをC言語で書いてソースレベル互換<ref>[http://japan.zdnet.com/glossary/exp/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%83%99%E3%83%AB%E4%BA%92%E6%8F%9B/?s=4 ソースレベル互換] - ZDNet Japan</ref>を確保することが標準となった。 ===C言語誕生時の環境と他言語との比較=== C言語の開発当初に使われた入力端末は{{仮リンク|ASR-37|en|Teletype Model 37}}であったことが知られている<ref name="evolution" />。 ASR-37は1967年制定の旧ASCII ISO R646-7bitにもとづいており、「<code>{</code>」および「<code>}</code>」の入力を行うことができたが、当時は一般的に使われていた入力端末ではなかった。 当時[[PDP-11]]の入力端末として広く使われていたのは[[ASR-33]]であるが、これは1963年制定の旧ASCIIであるASA X3.4に準拠しており、「<code>{</code>」や「<code>}</code>」の入力を行うことはできなかった<ref>http://www.tohoho-web.com/ex/draft/kanji.htm</ref>。 このことは、ブロック構造に「<code>{</code>」や「<code>}</code>」を用いるC言語(さらに元をたどれば[[B言語]])は、当時の一般的な環境では使用不可能であったことを示している。 これは、C言語はその誕生当初にあっては一般に広く使われることを想定しておらず、ベル研究所内部で使われることを一義的に考えた言語であったという側面の表れである。 これに対し、[[Pascal]]や[[BASIC]]等の当初から広く使われることを想定した言語では、ブロック構造に記号を用いずに<code>begin</code>と<code>end</code>をトークンとして用いることや、コメント行を表す際に開始トークンとして<code>REM</code>という文字列を用いることなど、記号入力に制約がある多くの入力端末に対応できるように配慮されていた。この頃の他の言語やOSで大文字と小文字の区別をしないものが多いのも、当時は大文字しか入力できない環境も少なくなかったことの表れである。 このような事情のため、C言語が普及するのは、ASCII対応端末が一般化した1980年代に入ってからである。 現在、ブロック構造の書式等で、<code>{...}</code>形式のC言語と、<code>begin...end</code>等を使用する他の言語との比較において優劣を論じられることがあるが、開発時の環境等をふまえずに現時点での利便性のみで論じるのは適切ではない場合があることに留意が必要である。 ===PCとC言語=== [[1980年代]]に普及し始めた[[パーソナルコンピュータ]] (PC) は当初、[[8ビット]]CPUでROM-BASICを搭載していたものも多く、BASICが普及していたが、1980年代後半以降、[[16ビット]]CPUを採用しメモリも増えた(ROM-BASIC非搭載の)PCが主流になりだすと、Turbo CやQuick Cといった2万円程度の比較的安価なコンパイラが存在したこともあり、ユーザーが急増した。8ビットや[[Intel 8086|8086]]系のPCへの移植は、ポインタなどに制限や拡張を加えることで解決していた。 ===現在のC言語=== 1990年代中盤には、最初に学ぶプログラミング言語としても主流となった。また、同時期にはゲーム専用機(ゲームコンソール)の性能向上とプログラムの大規模化、マルチプラットフォーム展開を受け、メインの開発言語がアセンブラからC言語に移行した。 1990年代後半から2000年代以降は、PCのさらなる性能向上と普及、[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]環境や[[オブジェクト指向]]の普及、インターネットおよびウェブブラウザの普及、[[スマートフォン]]の普及に伴い、より高水準で開発効率の高い言語やフレームワークを求める開発者が増えたことにより、[[C++]]、[[Microsoft Visual Basic|Visual Basic]]、[[Java]]、[[C Sharp|C#]]、[[Objective-C]]、[[PHP (プログラミング言語)|PHP]]、[[JavaScript]]などが台頭してきた。広く利用されるプログラミング言語の数は増加傾向にあり、相対的にC言語が使われる場面は減りつつある。特にアプリケーションソフトウェアなどの上位層の開発には、C言語よりも記述性に優れるC++、Java、C#などC言語派生の後発言語が利用されることが多くなっている。資源制約の厳しかったゲーム開発においても、ハードウェアの性能向上や[[ミドルウェア]]の普及により、C++やC#などが使われる場面が増えている。速度性能や省メモリが特に重視されるシステムプログラミングに関しても、伝統的にC/C++の独壇場だったが、新規コードではより安全性の高い[[Rust (プログラミング言語)|Rust]]を導入する事例が現れている<ref>[https://forest.watch.impress.co.jp/docs/news/1317183.html Rust言語でAndroidはより強固・安全に ~GoogleがOS開発への導入を進める - 窓の杜]</ref><ref>[https://news.mynavi.jp/techplus/article/20191205-933334/ Microsoft、Windows 10の一部をRustへ書き換えてセキュリティ強化狙う | TECH+]</ref>。 しかし、C言語は比較的移植性に優れた言語であり、個人開発/業務用開発/学術研究開発や[[プロプライエタリ]]/[[オープンソース]]を問わず、オペレーティングシステムやデバイスドライバーなどの下位層、クロスプラットフォームAPIの外部仕様、C++やJavaなどの高水準言語の処理系および実行環境の実装が困難な小規模の組み込みシステムなどを中心に、2021年現在でも幅広く利用されている。 プログラミング入門者にとっては、[[Python]]、JavaScript、[[Swift (プログラミング言語)|Swift]]、[[Kotlin]]などのように、インタラクティブな対話環境([[REPL]]、[[インタプリタ]])が利用でき、抽象化が進んでおり、煩雑なメモリ管理が不要で、危険な機能を制限した高水準言語のほうが学習・習得しやすいが、コンピュータの動作原理やハードウェア仕様を理解するには、Cのような原始的な言語を用いたほうがかえって分かりやすいケースもある。 ==規格== ===K&R=== {{See also|プログラミング言語C}} [[米国国家規格協会]](ANSI)による標準化が行われるまで、[[1978年]]出版の[[デニス・リッチー]]と[[ブライアン・カーニハン]]の共著『[[プログラミング言語C|The C Programming Language]]』が実質的なC言語の標準として参照されてきた。この書籍は、著者らのイニシャルを取って「K&R」とも呼ばれている。C言語は発展可能な言語で、K&Rの記述も発展の可能性のある部分は厳密な記述をしておらず、曖昧な部分が存在していた。そのためC言語が普及するとともに、[[方言 (プログラミング言語)|互換性のない処理系]]が数多く誕生した。 ===C89/C90=== {{main|ANSI C}} そこで、[[国際標準化機構|ISO]]/IEC JTC1と[[ANSI]]は協同でC言語の規格の標準化を進め、[[1989年]]12月にANSIがANSI X3.159-1989, American National Standard for Information Systems -Programming Language-Cを、[[1990年]]12月にISOがINTERNATIONAL STANDARD ISO/IEC 9899 : 1990(E) Programming Languages-Cを発行した。ISO/IEC規格のほうが章立てを追加しており、その後ANSIもISO/IEC規格にならって章立てを追加した。それぞれC89 (ANSI C89) およびISO/IEC C90という通称で呼ぶことがある。 日本では、これを翻訳したものを『JIS X 3010-1993 プログラム言語C』として、[[1993年]]10月に制定した。 最大の特徴は、C++と同様の[[関数プロトタイプ]]<ref group="注釈">C89においては[[関数プロトタイプ]]は必須ではない。</ref>を導入して引数の型チェックを強化したことと、<code>[[void (コンピュータ)|void]]</code>や<code>enum</code>などの新しい型を導入したことである。一方、「処理系に依存するものとする」に留めた部分も幾つかある(<code>int</code>型のビット幅、<code>char</code>型の符号、[[ビットフィールド]]の[[エンディアン]]、シフト演算の挙動、構造体などへのパディング等)。 規格では以下の3種類の自由を認めている部分がいくつかある<ref>[http://www.kouno.jp/home/c_faq/c11.html C FAQ 11]</ref>。 * 規格で定義しないことを決めている「[[未定義動作|未定義]]」 (undefined) * 規格で選択肢を定義したもののどれにするかを決めておらず、処理系が選択する必要があるが、文書化の必要はない「未規定」 (unspecified) * 処理系ごとに決めて文書化する必要のある「処理系定義」 (implementation-defined) これにより、プラットフォームやプロセッサアーキテクチャとの相性による有利不利が生じないような仕様になっている。 [[8ビット]]/[[16ビット]]/[[32ビット]]など、レジスタ幅([[ワード]]サイズ)の異なるプロセッサ (CPU) に対応・最適化できるようにするため、組み込み型の情報量(大きさ)や内部表現にも処理系の自由を認めている。型のバイト数は<code>[[sizeof]]</code>演算子で取得し、各型の最小値・最大値は<code>limits.h</code>で定義されているマクロ定数で参照することとしている。ただし、1バイトあたりのビット数は規定されていない。<code>sizeof(char) == 1</code>すなわち<code>char</code>型が1バイトであることは常に保証されるが、8ビット([[オクテット (コンピュータ)|オクテット]])とは限らない。実際のビット数は<code>CHAR_BIT</code>マクロ定数で取得できる。とはいえ、現実の多くの処理系では<code>char</code>型は8ビットである。また、その他の[[整数型]]については、<code>sizeof(int) >= 2</code>、<code>sizeof(int) >= sizeof(short)</code>、<code>sizeof(long) >= sizeof(int)</code>、という大小関係が定められているだけである(符号無し型も同様)。多くの処理系では<code>short</code>型のサイズは2バイト(16ビット)であるが、<code>int</code>や<code>long</code>のサイズはCPUのレジスタ幅などによって決められることが多い。<code>int</code>型、<code>short</code>型、<code>long</code>型で符号を明示しない場合は<code>signed</code>を付けた符号付き型として扱われる。しかし<code>char</code>型に関しては、<code>signed</code>(符号付き)にするか、それとも<code>unsigned</code>(符号無し)にするかは処理系依存である。<code>char</code>型、<code>signed char</code>型、<code>unsigned char</code>型はそれぞれ異なる型として扱われる。 {{see also|整数型|typedef}} 規格上には、BCPLやC++形式の1行コメント(<code>//…</code>)は無いが、オプションで対応した処理系も多く、gccやClangはGNU拡張<code>-std=gnu89</code>でサポートしている。 GNU Cコンパイラ や [[Clang]] では、<code>-std=c89</code>(または<code>-ansi</code>もしくは<code>-std=c90</code>)をつけることにより、GNU拡張を使わないC89規格に準拠したコンパイルを行うことができる<ref group="注釈">C89規格に準拠しないソースコードをGNU Cコンパイラでコンパイル失敗させるには、<pre>gcc -ansi -pedantic -fstrict-aliasing -Wall -Wextra -Wmissing-declarations -Werror test.c</pre>とすれば良い(→[[エイリアシング]])。</ref>。加えて、<code>-pedantic</code>をつければ診断結果が出る。商用のコンパイラではWatcom Cコンパイラが規格適合の比率が高いと言われていた。現在Open Watcomとして公開している。 C89には、下記の追加の訂正と追加を行った。 * ISO/IEC 9899/COR1:1994 * ISO/IEC 9899/AMD1:1995 - 英語圏での利用を想定して制定したC89に対して、国際化のため[[ワイド文字]]版ライブラリを追加したAmendment1が[[1995年]]に発行された。 * ISO/IEC 9899/COR2:1996 ===C99=== {{main|C99}} [[1999年]][[12月1日]]に、ISO/IEC JTC1 SC22 WG14 で規格の改訂を行い、C++の機能のいくつかを取り込むことを含め機能を拡張し、ISO/IEC 9899:1999(E) Programming Language--C (Second Edition) を制定した。この版のC言語の規格を、通称として[[C99]]と呼ぶ。 日本では、日本産業規格 JIS X 3010:<!-- 1998(?)年以降はコロン -->2003「プログラム言語C」がある。 主な追加機能: * 変数宣言がブロックの先頭でなくても良くなった。 * ブール代数を扱うための<code>_Bool</code>型が予約語に追加され、標準ライブラリとして<code>stdbool.h</code>を追加した。 * 複素数を扱うための<code>_Complex</code>型や<code>_Imaginary</code>型を予約語に追加し、標準ライブラリとして、<code>complex.h</code>を追加した。 * 少なくとも[[64ビット]]の整数値を保持できる <code>long long int</code>型の追加。 * オプションとして、固定幅かつ内部表現の規定された整数型の標準化(<code>stdint.h</code>)。 * <code>//</code>による1行コメント。 * インライン関数(<code>inline</code>キーワード)。 * [[可変長配列]](<code>alloca</code>関数の代替)<ref>[http://gcc.gnu.org/onlinedocs/gcc/Variable-Length.html 6.19 Arrays of Variable Length]</ref>。 C99は下記の訂正がある。 * ISO/IEC 9899:1999 Cor. 1:2001(E) * ISO/IEC 9899:1999 Cor. 2:2004(E) * ISO/IEC 9899:1999 Cor. 3:2007(E) ===C11=== {{main|C11 (C言語)}} [[2011年]][[12月8日]]に''ISO/IEC 9899:2011''(通称 '''C11''')として改訂された。改訂による変更・追加・削除機能の一部を以下に記述する。 C11は[[Unicode]]文字列([[UTF-32]]、[[UTF-16]]、[[UTF-8]]の各符号化方式)に標準で対応している。そのほか、<code>type-generic</code>式、C++と同様の無名構造体・無名共用体、排他的アクセスによるファイルオープン方法、quick_exitなどのいくつかの標準関数などを追加した。 また、<code>_Noreturn</code>関数指示子を追加した。<code>_Noreturn</code>は従来処理系ごとに独自に付加していた属性情報(たとえばgccでは<code>__attribute__((__noreturn__))</code>)を標準化したもので、「呼び出し元に戻ることがない」という特殊な関数についてその特性を示すためにある。<code>return</code>文を持たない関数という意味ではなく(規格では<code>return</code>文を持たなくとも、関数の最後の文の実行が終われば制御は呼び出し元に戻る)、この指示が意味するものは、当該の関数、ないしその内部から呼び出している関数の実行中に、必ず<code>_exit</code>や<code>execve</code>を実行したり、例外などで終了する、あるいは、<code>longjmp</code>による大域ジャンプで抜け出す<ref group="注釈"><code>setjmp.h</code>を参照。</ref>、[[継続渡しスタイル]]変換されたコードである、などのために、絶対に制御が呼び出し元に戻らない、という関数を指示するためにある。そのような関数は、スタックに戻りアドレスを積む通常の呼び出しではなく、スタックを消費しないジャンプによって実行できる。 [[データ構造アライメント|アラインメント]]機能、<code>_Atomic</code>型やC言語ネイティブの原始的なスレッド機能などを省略可能な機能として規格に組み込んだ。また、C99では規格上必須要件とされていた機能のうち、複素数型と可変長配列を省略可能なものに変更した。これらの省略可能な機能はC11規格合致の必須要件ではないので、仮に完全に規格合致の処理系であっても、対応していないかもしれない。C11規格では、省略可能な機能のうちコンパイラがどれを提供しているかを判別するために利用できる、テスト用のマクロを用意している。 これにより、<code>[[gets]]</code>関数は廃止されている。 ===C17=== 2018年に''ISO/IEC 9899:2018''(通称'''C17'''または'''C18''')として改訂された。仕様の欠陥修正がメインのマイナーアップデートである<ref>[https://ja.cppreference.com/w/c/language/history C の歴史 - cppreference.com]</ref>。 ==主なC言語処理系== 大抵の処理系はC言語とC++両方をサポートしている。C言語とC++の共通部分を明確にし、二つの言語の違いに矛盾が生じないようにすることが課題になっている。 === Linux、Windows、UNIX用 === ; [[C++ Builder]] : Windows/[[macOS]]/[[iOS]]/[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]対応のC/C++コンパイラBCCを含む、[[Rapid Application Development|RAD]]ツール。以前はWindowsおよびx86のみがメインターゲットだったが、Clang/LLVMをベースに再設計され、多数のプラットフォームやアーキテクチャをサポートするようになった<ref>[http://docwiki.embarcadero.com/RADStudio/Rio/ja/Clang_%E6%8B%A1%E5%BC%B5_C%2B%2B_%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%A9 Clang 拡張 C++ コンパイラ - RAD Studio]</ref>。前身はDOS/Windows用の[[ボーランド|Borland C/C++]]。さらに前身としてTurbo C/C++がある。 ; [[Clang]] : [[Low Level Virtual Machine|LLVM]]をバックエンドとして用いる[[オープンソース]]のC/C++・Objective-Cコンパイラ。多数のCPUに対応。 ; [[GNUコンパイラコレクション]] (GCC) : C/C++以外の言語もサポートし、多数のCPUやオペレーティングシステムに対応、組み込み向けも含む多様な開発に広く使われる[[オープンソース]]のコンパイラ。独自拡張機能も多い。 : GCC 4.5で実質的にC99を完全サポートした<ref>[https://gcc.gnu.org/c99status.html Status of C99 features in GCC - GNU Project - Free Software Foundation (FSF)]</ref>。 : GCC 4.9で実質的にC11を完全サポートした<ref>[https://gcc.gnu.org/wiki/C11Status C11Status - GCC Wiki]</ref>。 ; [[Microsoft Visual C++]] (MSVC) : Windows系プラットフォーム用のC/C++コンパイラ。ANSI C準拠(バージョン2013にてC99ライブラリをほぼ実装したが、言語機能など規格自体はサポートされていない)。x86・x64が主だが、[[Xbox 360]]、[[Microsoft Windows Embedded CE|Windows CE]]等向けに[[PowerPC]]、[[ARMアーキテクチャ|ARM]]、[[MIPSアーキテクチャ|MIPS]]、[[Itanium]]等に対応した版もある。前身としてMS-DOS・Windows用のMicrosoft C Compilerがある。またその廉価版としてQuick Cがあった<ref>{{Cite news|title=Microsoft Releases C Program Wares, Provides Rebates|newspaper=InfoWorld|date=November 9, 1987|page=29|url=https://books.google.pl/books?id=Sj0EAAAAMBAJ}}</ref>。 ; [[Intel C++ Compiler]] (ICL/ICC) : [[インテル]]製の[[IA-32]] ([[x86]]) および[[Intel 64]] ([[x64]]) 用のC/C++コンパイラ。Windows/Linux/[[macOS]]/[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]向けがある。gcc互換。 : バージョン11.1までは[[IA-64]] ([[Itanium]]) をサポートするが、バージョン12.0以降ではサポートされない<ref>[http://registrationcenter-download.intel.com/akdlm/irc_nas/2371/w_ccompxe_2011.7.258_Release_Notes_ja_JP.pdf インテル® C++ Composer XE 2011 Windows* 版インストール・ガイドおよびリリースノート - w_ccompxe_2011.7.258_Release_Notes_ja_JP.pdf]</ref>。 : C99<ref>[https://software.intel.com/en-us/articles/c99-support-in-intel-c-compiler C99 Support in Intel® C++ Compiler | Intel® Software]</ref>とC11<ref>[https://software.intel.com/en-us/articles/c11-support-in-intel-c-compiler C11 Support in Intel C++ Compiler | Intel® Software]</ref>の対応リストが公開されている。バージョン18.0でC11にほぼ対応している。 ; Open Watcom C/C++ : Windows・Linux・[[OS/2]]・MS-DOS・[[DOSエクステンダ]]を対象とするx86用C言語・C++コンパイラ。商用だったWatcom C/C++がオープンソース化したもの。 ; [[Portable C Compiler]] : gccが普及する以前のUNIXにおける標準的C言語コンパイラ。現在は[[オープンソース]]。 ; Digital Mars C/C++ : Windows・MS-DOS・DOSエクステンダを対象とするx86用のC言語・C++コンパイラ。無料版もある。[[ウォルター・ブライト]]作でDatalight C、Zorland C、Zortech C/C++、Symantec C/C++と変遷している。 ===組み込み用、8ビット・16ビット・32ビット・64ビットCPU用(クロスコンパイラ)=== ; {{仮リンク|Green Hills Software C/C++|en|Green Hills Software}} : 組み込み向けのC言語・C++コンパイラ。 Windows用・[[Solaris]]用・[[Linux]]用があり、HP/UX用がver4ではあった。 ; [[CodeWarrior|CodeWarrior C/C++]] : 組み込み向けやゲーム機開発向けのC言語・C++コンパイラ。[[Classic Mac OS]]用として発祥、かってはWindows用・[[BeOS]]用・[[Palm (PDA)|Palm]]用もあった。 ; [[ARMアーキテクチャ|ARM C/C++]] : ARM CPU用C言語・C++コンパイラ。 ; [[IARシステムズ|IAR C/C++]] : 新旧の組み込み向けCPU各種を広くカバーする。現在は統合開発環境EW・SWに移行。ARM CPU用C言語・C++コンパイラが著名。ARMをコアにした各社のCPUに対応している。 ; High C : 元はx86向けで[[PC/AT互換機]]用だが[[Intel 80386|80386]]のネイティブモードに対応したため[[FM TOWNS]]でも標準開発環境、「High C 386」として使用された。現在は各社[[RISC]]向け。 ; [[BDS-C]] : [[CP/M]](8080・Z80)用のサブセット(整数のみ)のK&R系のC言語コンパイラ。現在は[[パブリックドメインソフトウェア]]。 ; Hitech-C : [[Z80]]、[[PIC (コントローラ)|PIC]]など。 ; Lattice C : 1980年代に、日本で高い普及率を見せたコンパイラ。解説書も多く出版されていた。日本での発売はライフボート。初期版はマイクロソフトCコンパイラ1.0として発売された。商用利用のできない個人向けの「personal」版も販売されており、これの価格は19,800円であった<ref>{{Cite book ja-jp|year=1987|author=脇英世(監修)|title=パソコンの常識事典|publisher=日本実業出版社|pages=339、342}} - 普及率、解説書の多さについて。</ref><ref>{{Cite book ja-jp|title=パソコンベストソフトカタログ|editor=長沢英夫|year=1988|publisher=JICC出版局|pages=201}} - Personal版、解説書の多さについて。</ref> ; LSI C : [[Intel 8080|8080]]・[[Z80]]用のLSI C-80(セルフ版・クロス版。現在はクロス版のみ)と、8086用の[[LSI C-86]]がある。8086では機能限定([[Intel 8086#プログラミングモデル|スモールモデル]]のプログラムしか開発できず、[[デバッガ]]がない)の「試食版」が[[フリーウェア|フリーソフト]]で公開され、広く使われた。 ; micro-C : 8ビット・マイクロプロセッサ[[MC6809]]用C言語サブセット・コンパイラ{{Sfn |ucom10 |1983 |p=80}}。 == 関連する主なプログラミング言語 == === 先祖 === ; [[ALGOL]] : ヨーロッパ生まれのアルゴリズム記述言語。[[Pascal]]やC言語などに影響を与えたとされる。 ; [[BCPL]] : [[MULTICS]]で作成された高級言語。 ; [[B言語]] : 初期のUNIXで作成されたインタプリタ方式の高級言語。BCPLを元に作られ、Cの原型となった。 === 継承・拡張・サブセット === ; [[C++]] : C言語を拡張して[[オブジェクト指向]]化したもの。[[Simula]]の影響を強く受けている。当初はC言語の[[スーパーセット]]だったが、現在は細かい部分において非互換仕様が増えている。 ; [[Objective-C]] : C言語を拡張してオブジェクト指向化したもの。C言語に [[Smalltalk]] のオブジェクトシステムを取り付けたような設計で、互換性は保たれている。C言語からの拡張部分がC++と干渉しないため、C++と混在した記述が可能。 ; [[Java]] : C++よりも言語文法レベルでオブジェクト指向を重視した言語。[[バッファオーバーラン]]などの危険性が高いポインタといったローレベルな要素を言語文法から排除している。[[仮想マシン]]([[Java VM]], JVM)上で動作する。 ; [[C Sharp|C#]] : [[マイクロソフト]]が[[.NET Framework]]向けに開発した言語。文法はC言語およびC++に近い書式を持ち、Javaと似ている部分も存在するが、機能的には[[Delphi]]がベースとなっている。 ; [[Rust (プログラミング言語)|Rust]] : C言語およびC++に代わる[[システムプログラミング言語]]を目指している言語。言語レベルでの[[RAII]]の強制による自動メモリ管理機構を持ち、[[ガベージコレクション]]無しでも手動のメモリ管理が不要であり、実行性能はC/C++と同等である。 ; {{仮リンク|Cyclone (プログラミング言語)|label=Cyclone|en|Cyclone (programming language)}} : C言語の上位互換セキュア実装。ポインタの扱いを厳格化して安全面に配慮して拡張したもの。その他リージョンベースメモリ管理システム、[[正規表現]]、タグ付共用体などを追加している。 ; [[SystemC]] : [[ハードウェア記述言語]]向けに拡張したもの。書式はC++。IEEE 1666-2005。ISO 8866:1991。 ; {{仮リンク|Impulse C|en|Impulse C}} : [[ハードウェア記述言語]]向けに拡張したもの。書式はC。 ; [[Unified Parallel C]] : [[並列計算]]向けに[[C99]]を拡張して作られた言語。 ; [[Cg (プログラミング言語)|Cg]] : C言語を[[Graphics Processing Unit|GPU]]上での[[3次元コンピュータグラフィックス]]処理用に特化させたもの([[シェーダー]]言語、[[シェーディング言語]])。[[NVIDIA]]によって開発された。 その他にも、[[OpenGL]]シェーダー言語である[[GLSL]]、[[DirectX]]([[Direct3D]])シェーダー言語である[[HLSL]]、[[OpenCL]]カーネル記述言語であるOpenCL-Cなど、C言語の文法的特徴を取り入れた派生言語や[[ドメイン固有言語|DSL]]が多数存在する。 ==注釈・出典== ===注釈=== {{Notelist}} ===出典=== {{Reflist}} ==参考文献== 2015年現在、初心者向けのイラスト入り入門書や[[サブルーチン]]のサンプル集の他、[[組み込みシステム|組み込み機器]]の制御や[[科学技術計算]]など目的を特化した専門書なども多数ある。便利な機能の説明はあっても、学習者の水準や目的にあった本を見つけるのは必ずしも容易でない。オープンソースのCコンパイラ、OSも大規模なものがあり、直接読み始めるのは困難になっている。オープンソースのOSの小規模なものから始めるとよい。 ; [[プログラミング言語C]] : ブライアン・カーニハン、デニス・リッチー 共著、[[石田晴久]]訳、[[共立出版]]。 : 「K&R」として知られている「The C Programming Language」の邦訳。入門書ではなく、特にプログラミングそのものが初めてという読者には不適である。初版と第2版があり、第2版が現在も時折増刷されている(邦訳では事情により、原書第2版を基とした版には旧版と改訂新版がある。旧版は装丁が緑地で新版は白地である)。標準の制定以前は本書初版を言語仕様の参考文献として扱っていたが、現在はISOなどの標準規格を参照すべきであり、本書の記述は参考にとどめるべきである。なお、日本工業規格(現・日本産業規格)のJIS X 3010:2003「プログラム言語C」は、ISO/IEC JTC1 SC22 WG14+ISO/IEC 9899:1999 Cor. 1:2001(E)つまりC99の和訳相当で、2021年8月現在の最新規格であるISO/IEC 9899:2018との乖離を生じている。 ; {{仮リンク|Cプログラミングの落とし穴|en|C Traps and Pitfalls}} : コーニグ、中村明訳、新紀元社 : Cプログラミングで嵌まるところを指摘している。MISRA Cでも参考文献になっている。 ; [[Cパズルブック]] : アラン・R. フューアー、田中和明訳、カットシステム : Cプログラミングの芸当を示し、読み書きを推奨しない例を示している。 ; {{Cite book|和書 | author= |title=マイコンピュータ No.10 | year=1983 | date=1983-9-1 |publisher=[[CQ出版社]]|isbn = | ref={{Sfnref |ucom10 |1983}} }} : 入門特集 C言語の研究 ==外部リンク== * [https://www.open-std.org/jtc1/sc22/wg14/ ISO C Working Group] * [https://www.bell-labs.com/usr/dmr/www/chist.html The Development of the C Language] - C言語がどのように開発されたかがわかる文書 * [https://code-reference.com/c/stdio.h stdio.h on Coding Programmer Page / C Library Reference and Examples] - C Reference * [https://ja.cppreference.com/w/c C言語リファレンス - cppreference.com] - 標準C/C++のオンライン言語リファレンス {{CProLang}} {{プログラミング言語一覧}} {{authority control}} {{DEFAULTSORT:Cけんこ}} [[Category:C言語|*]] [[Category:UNIX]] [[Category:JIS]] [[Category:基本情報技術者試験]] [[Category:デニス・リッチー]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/C%E8%A8%80%E8%AA%9E
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ドナルド・クヌース
ドナルド・アーヴィン・クヌース(Donald Ervin Knuth [kəˈnuːθ], 1938年1月10日 -)は、数学者・計算機科学者。スタンフォード大学名誉教授。 クヌースによるアルゴリズムに関する著作 The Art of Computer Programming のシリーズはプログラミングに携わるものの間では有名である。アルゴリズム解析と呼ばれる分野を開拓し、計算理論の発展に多大な貢献をしている。その過程で漸近記法で計算量を表すことを一般化させた。 計算機科学への貢献とは別に、コンピュータによる組版システム TeX とフォント設計システム METAFONT の開発者でもあり、Computer Modern という書体ファミリも開発した。 作家であり学者であるクヌースは、文芸的プログラミングのコンセプトを生み出し、そのためのプログラミングシステム WEB / CWEB を開発。また、MIX / MMIX 命令セットアーキテクチャを設計。 ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ。父は小さな印刷会社を経営し、近くの高校で簿記の講師をしており、父親が教えているその高校にクヌースは進学した。高校2年生のとき、"Ziegler's Giant Bar" という文字列から文字を取り出して組み合わせ、どれだけ意味のある単語を作れるかというコンテストが行われた。審査員が事前に用意した回答例は2500語だったが、クヌースは4500語も見つけ出すという才能を発揮し優勝した。賞品として学校にテレビ受像機(当時は高価であった)が贈られ、クラス全員にキャンディバーが配られた。 大学進学にあたって、音楽と物理学のどちらを選ぶかで悩んだ末、ケース工科大学(現在はケース・ウェスタン・リザーブ大学)で物理学を学ぶことにした。ケース工科大学で物理学を学んでいた頃、初期のコンピュータの一つである IBM 650 と出会う。そのマニュアルを読んだクヌースは、自分ならもっとうまくできると信じ、アセンブラとコンパイラのコードを書き換えることを決心した。1958年、大学のバスケットボールのチームがリーグ優勝するのを助けるため、クヌースは各選手の能力に基づいたプログラムを構築した。これは当時あまりにも画期的だったため、ニューズウィーク誌に記事が掲載され、CBSイブニングニュースでウォルター・クロンカイトも取り上げた。Engineering and Science Review という技術専門誌の立ち上げに編集者として参加しており、同誌は1959年に技術誌の国家的な賞を受賞している。その頃物理学から数学に転向し、1960年には、ずば抜けた成果により学士号と修士号を同時に与えられた。 1963年、カリフォルニア工科大学で数学の博士号を取得し、同大学で准教授として働き始め、そこで The Art of Computer Programming の執筆を開始した。実は元々はコンパイラに関する本の執筆を依頼され、当初1冊で内容を完結させる予定だったのだが The Art of Computer Programming という大作になってしまった。6部作となってしまい、さらに7部作へと構想が膨らんでいった。第1巻を出版する直前の1968年、プリンストン大学キャンパスにあった Institute for Defense Analyses (IDA) の通信研究部門を通してアメリカ国家安全保障局 (NSA) の仕事を請け負う職に就いた。しかし、その仕事はクヌースの政治信条には合わなかったようで、間もなくスタンフォード大学に移った。 TAoCP あるいは ACP と略されることがある。コンピュータプログラミングの「Art」について集積した大著である。クヌース自身がここで意図している「Art」がどのようなものであるかは、本書の公刊という業績によって第3巻を刊行後の1974年にチューリング賞を受賞した際に、受賞講演の冒頭で詳細に述べている。 本書を企図した当時、計算機科学は第一歩を恐る恐る踏み出したばかりで、クヌースは「それは正体不明の全く新しい領域だった」と述べている。さらに「入手可能な出版物の水準はあまり高いとは言えなかった。次々と書かれる論文の内容がはっきり言えば間違っている、というような状況だった。(中略)だから、ひどい形で語られてしまっていたストーリーを直したいと私は思ったんだ。」と述べている。 その後1976年に、2巻の第2版の準備中にその版面の仕上がりに不満を持ち、TeX と METAFONT を自ら開発し始めてしまい、4巻への着手は多少後ろ倒しとなった。結果として、コンパイラの技法についても続刊の内容として2020年の時点でも予告には含まれているが、それらの分野については既に多くの書籍がある。一方で既刊部分に含まれる、徹底したサーベイと実践に基づき書かれた内容は、しばしば参照される、貴重な記録と言えるものも多い。 2012年現在、最初の3巻と第4巻の第1部が出版済みである。 他に『超現実数』(Surreal Numbers) という本も執筆している。ジョン・ホートン・コンウェイの集合論に基づいて代替の数体系を構築するという数学的小説である。この本は単に主題をそのまま説明するのではなく、数学の発展過程を示すことに努めている。クヌースはこの本を読んだ学生がオリジナルの創造的研究を行うことを望んでいる。 クヌースの他の著作として 3:16 Bible Texts Illuminated がある。これは聖書に層化抽出法を適用するという試みをしたもので、それぞれの書の3章16節を抜き出して解析している(3章16節を選んだのは「ヨハネによる福音書3章16節」の存在からであるが、他の書の3章16節には基本的に特別な意味は無い)。それぞれの節を美しく効果的に見せるため、ヘルマン・ツァップの指揮でカリグラファー達が協力した。クヌースはルター派である。 名誉教授となった今も、年に数回スタンフォード大学で非公式の講義を行っている。彼はこれを Computer Musings と呼ぶ。また、オックスフォード大学コンピュータ研究所の客員教授であり、同大学モードリン・カレッジの名誉フェローでもある。 クヌースはプログラマとしても有名で、専門的ユーモアでも知られている。 クヌースの計算機科学への貢献に敬意を表し、1990年、彼は「プログラミング技法の教授; Professor of the Art of Computer Programming」という唯一の称号を与えられた(現在では「名誉教授」に変更されている)。 1992年、クヌースはフランスの科学アカデミーの準会員となった。同年教授職を引退し、The Art of Computer Programming の完成に専念するようになった。2003年、イギリスの王立協会の外国人会員に選ばれた。 2009年、アメリカ応用数理学会 (SIAM) の特別フェローに選ばれた。Norwegian Academy of Science and Letters の会員でもある。 1961年6月24日にナンシー・ジル・カーター(Nancy Jill Carter)と結婚。子をふたり授かる(John Martin KnuthおよびJennifer Sierra Knuth)。 2006年、前立腺癌を患っている。同年12月に手術を受け、放射線療法を受けているが予後はかなり良好だと動画にて報告している。 主な著作を以下に示す。
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ドナルド・アーヴィン・クヌースは、数学者・計算機科学者。スタンフォード大学名誉教授。 クヌースによるアルゴリズムに関する著作 The Art of Computer Programming のシリーズはプログラミングに携わるものの間では有名である。アルゴリズム解析と呼ばれる分野を開拓し、計算理論の発展に多大な貢献をしている。その過程で漸近記法で計算量を表すことを一般化させた。 計算機科学への貢献とは別に、コンピュータによる組版システム TeX とフォント設計システム METAFONT の開発者でもあり、Computer Modern という書体ファミリも開発した。 作家であり学者であるクヌースは、文芸的プログラミングのコンセプトを生み出し、そのためのプログラミングシステム WEB / CWEB を開発。また、MIX / MMIX 命令セットアーキテクチャを設計。
{{Infobox Scientist |name = ドナルド・エルビン・クヌース<br>Donald Ervin Knuth |image = KnuthAtOpenContentAlliance.jpg |image_size = 200px |caption = [[Open Content Alliance]] のレセプションでのクヌース(2005年10月25日) |birth_date = {{生年月日と年齢|1938|1|10}} |birth_place = {{USA}} [[ウィスコンシン州]][[ミルウォーキー]] |residence = {{USA}} |nationality = {{USA}} |field = [[数学]]<br>[[計算機科学]] |work_institutions = [[スタンフォード大学]] |alma_mater = [[ケース・ウェスタン・リザーブ大学]]<br>[[カリフォルニア工科大学]] |doctoral_advisor = [[:en:Marshall Hall (mathematician)|Marshall Hall, Jr.]] |doctoral_students = |known_for = ''[[The Art of Computer Programming]]''<br>[[TeX|{{TeX}}]], [[METAFONT]]<br>[[クヌース-モリス-プラット法]]<br>[[クヌース・ベンディックス完備化アルゴリズム]]<br>[[MMIX]] |prizes = [[チューリング賞]] (1974)<br>[[アメリカ国家科学賞]] (1979)<br>[[フランクリン・メダル]](1988)<br />[[フォン・ノイマンメダル]] (1995) }} '''ドナルド・アーヴィン・クヌース'''<ref>{{Cite web|和書 |url = https://www.kyotoprize.org/laureates/donald_ervin_knuth/ |title = ドナルド・アーヴィン・クヌース - 京都賞 |publisher = 公益財団法人 [[稲盛財団]] |accessdate = 2021-11-13 }}</ref>(''Donald Ervin Knuth'' {{IPA-en|kəˈnuːθ|}}<ref>{{Cite web |url = http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/faq.html |title = Knuth: Frequently Asked Questions |last = Knuth |first = Don |work = Don Knuth's home page |publisher = [[スタンフォード大学|Stanford University]] |accessdate = 2010-11-02 |quote = How do you pronounce your last name? Ka-NOOTH. }}</ref>, [[1938年]][[1月10日]] -)は、[[数学者]]・[[計算機科学]]者。[[スタンフォード大学]][[名誉教授]]<ref>[http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/ Donald Knuth's Homepage at Stanford].</ref>。 クヌースによる[[アルゴリズム]]に関する著作 ''[[The Art of Computer Programming]]'' のシリーズは[[プログラミング]]に携わるものの間では有名である<ref>[http://www-cs-faculty.stanford.edu/~uno/taocp.html The Art of Computer Programming] (Stanford University).</ref>。[[アルゴリズム解析]]と呼ばれる分野を開拓し、[[計算理論]]の発展に多大な貢献をしている。その過程で[[ランダウの記号|漸近記法]]で計算量を表すことを一般化させた。 [[計算機科学]]への貢献とは別に、[[コンピュータ]]による[[組版]]システム [[TeX|{{TeX}}]] とフォント設計システム [[METAFONT]] の開発者でもあり、[[Computer Modern]] という書体ファミリも開発した。 [[作家]]であり[[学者]]であるクヌースは<ref>[http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/vita.html Knuth's CV]</ref>、[[文芸的プログラミング]]のコンセプトを生み出し、そのためのプログラミングシステム [[WEB]] / [[:en:CWEB|CWEB]] を開発。また、[[MIX (プログラミング)|MIX]] / [[MMIX]] [[命令セット|命令セットアーキテクチャ]]を設計。 == 生い立ち == [[ウィスコンシン州]][[ミルウォーキー]]生まれ。父は小さな[[印刷]]会社を経営し、近くの高校で[[簿記]]の講師をしており、父親が教えているその高校にクヌースは進学した。高校2年生のとき、"Ziegler's Giant Bar" という[[文字列]]から文字を取り出して組み合わせ、どれだけ意味のある単語を作れるかというコンテストが行われた。審査員が事前に用意した回答例は2500語だったが、クヌースは4500語も見つけ出すという才能を発揮し優勝した。賞品として学校にテレビ受像機(当時は高価であった)が贈られ、クラス全員にキャンディバーが配られた<ref>{{Cite book |year = 1998 |title = Out of their minds: the lives and discoveries of 15 great computer scientists |author1 = Dennis Elliott Shasha |author2 = Cathy A. Lazere |publisher = Springer |isbn = 978-0-387-98269-4 |page = 90 |url = https://books.google.co.jp/books?id=-0tDZX3z-8UC&pg=PA90 }}</ref>。 == 大学教育と初期の職歴 == 大学進学にあたって、音楽と物理学のどちらを選ぶかで悩んだ末、ケース工科大学(現在は[[ケース・ウェスタン・リザーブ大学]])で物理学を学ぶことにした。ケース工科大学で物理学を学んでいた頃、初期のコンピュータの一つである [[IBM 650]] と出会う。そのマニュアルを読んだクヌースは、自分ならもっとうまくできると信じ、[[アセンブラ]]と[[コンパイラ]]のコードを書き換えることを決心した<ref name="Koshy2004">{{Cite book |author = Thomas Koshy |title = Discrete mathematics with applications |url = https://books.google.co.jp/books?id=90KApidK5NwC&pg=PA244&redir_esc=y&hl=ja |accessdate = 2011-07-30 |year = 2004 |publisher = Academic Press |isbn = 978-0-12-421180-3 |page = 244 }}</ref>。1958年、大学のバスケットボールのチームがリーグ優勝するのを助けるため、クヌースは各選手の能力に基づいたプログラムを構築した。これは当時あまりにも画期的だったため、[[ニューズウィーク]]誌に記事が掲載され、[[CBSイブニングニュース]]で[[ウォルター・クロンカイト]]も取り上げた<ref name="Koshy2004"/>。''Engineering and Science Review'' という技術専門誌の立ち上げに編集者として参加しており、同誌は1959年に技術誌の国家的な賞を受賞している<ref name="Beta Nu Chapter">[http://thetachi.cwru.edu/history.php History of Beta Nu Chapter]</ref>。その頃物理学から数学に転向し、1960年には、ずば抜けた成果により学士号と修士号を同時に与えられた<ref name="Koshy2004"/>。 [[1963年]]、[[カリフォルニア工科大学]]で数学の[[博士]]号を取得し<ref>[http://thesis.library.caltech.edu/2441/1/Knuth_de_1963.pdf Finite Semifields and Projective Planes] – Donald Knuth's Ph.D. dissertation</ref>、同大学で准教授として働き始め、そこで ''[[The Art of Computer Programming]]'' の執筆を開始した。実は元々はコンパイラに関する本の執筆を依頼され、当初1冊で内容を完結させる予定だったのだが ''The Art of Computer Programming'' という大作になってしまった。6部作となってしまい、さらに7部作へと構想が膨らんでいった。第1巻を出版する直前の1968年、[[プリンストン大学]]キャンパスにあった [[国防分析研究所|Institute for Defense Analyses]] (IDA) の通信研究部門を通して[[アメリカ国家安全保障局]] (NSA) の仕事を請け負う職に就いた。しかし、その仕事はクヌースの政治信条には合わなかったようで、間もなく[[スタンフォード大学]]に移った。 == 執筆 == === The Art of Computer Programming === {{Main|The Art of Computer Programming}} TAoCP あるいは ACP と略されることがある。コンピュータプログラミングの「Art」について集積した大著である。クヌース自身がここで意図している「Art」がどのようなものであるかは、本書の公刊という業績によって第3巻を刊行後の1974年に[[チューリング賞]]を受賞<ref>https://amturing.acm.org/award_winners/knuth_1013846.cfm</ref>した際に、受賞講演の冒頭で詳細に<ref group="※">コンピュータ科学者の ''Art''hur Evans に言及するなどジョークを交えながら、</ref>述べている。 {{Quotation|人類のコミュニケーション方法で最良のものは、ストーリーを通したそれだ。|ドナルド・クヌース}} 本書を企図した当時、計算機科学は第一歩を恐る恐る踏み出したばかりで、クヌースは「それは正体不明の全く新しい領域だった」と述べている。さらに「入手可能な出版物の水準はあまり高いとは言えなかった。次々と書かれる論文の内容がはっきり言えば間違っている、というような状況だった。(中略)だから、ひどい形で語られてしまっていたストーリーを直したいと私は思ったんだ<ref>原文のput straitは「直す」とか「正す」という意味。<!--「真っ直ぐなストーリーに置き直すこと」を動機とした」 --><!--それと、「one of my motivation was to」は「〜したかったんだ」と訳すとよい。人は動機を意図的に選ばない。まず何かしたいと心が動き、後になってからそれを客観的に説明する時に、特に第三者の心を説明する時に「Aさんの<<動機>>は○○だった」と言う。なお、当人の心について説明する場合でも「動機にした」とは絶対に言わない。動機は意図的に選ぶものではない。英語で当人が「one of my motivation was to」と言うのはI wanted to do〜 と言ってもいいことを、もう少し大人っぽい言い回しで言っている、くらいのニュアンス。--></ref>。」と述べている。 その後1976年に、2巻の第2版の準備中にその版面の仕上がりに不満を持ち<ref group="※">出版界に当時、新しく導入された[[電算写植]]システムについて編集者や印刷業者の使いこなしに問題があったことが遠因だが、クヌースが「電子出版ツールに不満を持」った、というわけではない。</ref>、[[TeX|{{TeX}}]] と [[METAFONT]] を自ら開発し始めてしまい、4巻への着手は多少後ろ倒しとなった。結果として、コンパイラの技法についても続刊の内容として2020年の時点でも予告には含まれているが、それらの分野については既に多くの書籍がある。一方で既刊部分に含まれる、徹底したサーベイと実践に基づき書かれた内容は、しばしば参照される、貴重な記録と言えるものも多い。 2012年現在、最初の3巻と第4巻の第1部が出版済みである<ref>{{Cite web |author = ドナルド・クヌース |title = The Art of Computer Programming (TAOCP) |url = http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/taocp.html |accessdate = 2012-05-20 }}</ref>。 === 他の業績 === 他に『[[超現実数]]』(Surreal Numbers) という本も執筆している<ref>{{Cite book |last = Knuth |first = Donald |title = Surreal numbers : how two ex-students turned on to pure mathematics and found total happiness : a mathematical novelette |year = 1974 |publisher = Addison-Wesley |isbn = 978-0-201-03812-5 }}</ref>。[[ジョン・ホートン・コンウェイ]]の[[集合論]]に基づいて代替の数体系を構築するという数学的小説である。この本は単に主題をそのまま説明するのではなく、数学の発展過程を示すことに努めている。クヌースはこの本を読んだ学生がオリジナルの創造的研究を行うことを望んでいる。 === 信仰と宗教的業績 === クヌースの他の著作として ''3:16 Bible Texts Illuminated'' がある<ref>{{Cite book |last = Knuth |first = Donald |title = 3:16 : Bible texts illuminated |year = 1991 |publisher = A-R Eds. |isbn = 978-0-89579-252-5 }}</ref>。これは[[聖書]]に[[層化抽出法]]を適用するという試みをしたもので、それぞれの書の3章16節を抜き出して解析している(3章16節を選んだのは「[[ヨハネによる福音書3章16節]]」の存在からであるが、他の書の3章16節には基本的に特別な意味は無い)。それぞれの節を美しく効果的に見せるため、[[ヘルマン・ツァップ]]の指揮で[[カリグラフィー|カリグラファー]]達が協力した。クヌースは[[ルーテル教会|ルター派]]である<ref name=alumni>[http://www.stanfordalumni.org/news/magazine/2006/mayjun/features/knuth.html Love at First Byte]. Stanford Magazine, May/June 2006.</ref>。 == Computer Musings == 名誉教授となった今も、年に数回[[スタンフォード大学]]で非公式の講義を行っている。彼はこれを Computer Musings と呼ぶ。また、[[オックスフォード大学]]コンピュータ研究所の[[客員教授]]であり、同大学モードリン・カレッジの名誉[[フェロー]]でもある<ref>{{Cite web |title = Professor Donald Knuth |publisher = Magdalen College |url = http://www.magd.ox.ac.uk/whos-here/fellows-and-lecturers/fellows/knuthd |accessdate = 2010-12-06 }}</ref>。 == クヌースのユーモア == クヌースは[[プログラマ]]としても有名で、専門的ユーモアでも知られている。 [[画像:knuth-check2.png|thumb|right|[[クヌース賞金小切手]](一部[[モザイク処理|ボカシ]]入)]] *彼は自身の著作の間違いや[[誤植|タイポ]]に対して 2.56ドルを支払うとしている。この金額は256[[ペニー]]が1([[十六進法|16進数]])ドルになるということで決められた。また、「価値ある示唆」に対しては0.32ドルを支払う。なお、''3:16 Bible Texts Illuminated'' の間違いに関しては 3.16ドルを支払うことになっている。[[マサチューセッツ工科大学|MIT]] の ''Technology Review'' によれば、これらの賞金の[[クヌース賞金小切手|小切手]]は「コンピュータ界の最高の栄誉」だという。ただし2008年、実際の小切手を送ることは止め、架空の銀行「[[サンセリフ (架空の国)|サンセリフ]]銀行」の預金証明書を送ることにした<ref>[[マサチューセッツ工科大学|MIT]]の ''Technology Review''の[http://www.technologyreview.com/articles/99/09/ditlea0999.asp "Rewriting the Bible in 0's and 1's"]</ref>。 *彼は自身の[[ソフトウェア]]に「上記コードの[[バグ]]に注意; 正しいことは確認したが使ってみたことはない」と警告を入れたことがある<ref>{{Cite web |url = http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/faq.html |title = Knuth: Frequently Asked Questions |author = ドナルド・クヌース |work = Don Knuth's home page |publisher = [[スタンフォード大学|Stanford University]] |accessdate = 2010-11-02 }}</ref>。 *''[[Concrete Mathematics]]'' の序文より: クヌースが Concrete Mathematics をスタンフォードで最初に教えたとき、彼はその奇妙なタイトルについて「この数学コースは決してソフトではない」という意味であると説明した。実際、誤解した[[土木工学]]などの学生が講義室にやってきて、静かに帰っていったという。 *クヌースは1957年、"[[:en:Potrzebie|Potrzebie]] System of Weights and Measures"(度量衡のPotrzebieシステム)というタイトルで学内雑誌に科学論文を発表した。その中で[[長さ]]の基本単位を ''[[MAD (雑誌)|MAD]]''誌(アメリカのユーモア雑誌)の26号の厚さとし、力の基本単位を "whatmeworry" とした。''MAD''誌はこの記事を買い取り、1957年6月号 (#33) に掲載した。 *クヌースの "[[:en:The Complexity of Songs|The Complexity of Songs]]"(歌の計算複雑性)という論文は計算機科学の学会誌に2回掲載された。 *''The Art of Computer Programming'' 第3巻の索引には "Royalties, use of, 405" という行がある。しかし405ページを見ても著作権使用料 (Royalty) に関する記述はなく、図2として "organ-pipe arrangement"(オルガン-パイプ配置)の図がある。彼の自宅のパイプオルガンは同書の著作権使用料で購入したのであった<ref>[http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/organ.html "Pipe Organ" at Stanford site]</ref>。 *[[TeX|{{TeX}}]] のバージョン番号は、3, 3.1, 3.14, … というように[[円周率]] [[π|{{π}}]] に近づいている。[[METAFONT]]のバージョン番号は同様に[[ネイピア数]] {{mvar|e}} に近づいている。 *''Computers and Typesetting'' シリーズの全ての付録は、付録を識別する文字から始まるタイトルになっている。 *[http://river-valley.tv/media/conferences/tug-2010/Don-Knuth/ TUG 2010 Conference] にて、クヌースは [[Extensible Markup Language|XML]] をベースとした {{TeX}} の後継 "iTeX" を発表した。任意の縮尺の無理数単位、[[3Dプリンタ|3Dプリンティング]]、アニメーション、[[ステレオ]]音声などをサポートするとしている<ref group="※">クヌースの許可を得て、録画した動画が [http://river-valley.tv/an-earthshaking-announcement/ River Valley TV] で公開されている。</ref><ref>{{Cite journal |author = ドナルド・クヌース |year = 2010 |journal = TUGboat |volume = 31 |title = An Earthshaking Announcement |pages = 121–124 |issue = 2 |issn = 0896-3207 |url = http://tug.org/TUGboat/tb31-2/tb98knut.pdf }}</ref>。 *クヌースは、お気に入りの Emacs について、[[ストールマン]]に提案を行ったことがあるが返事はもらえてないとのことで、伝達手段が電子メールでなかったことが原因かも知れないとされる<ref>{{Cite book|和書 | author= GLYN MOODY 小山祐司監訳 | title= ソースコードの反逆 | year=2002 | date=2002-6-11 | publisher=[[アスキー (企業)|株式会社アスキー]]|isbn = | page=194}}</ref>。 == 受賞歴と栄誉 == *1971年 - 第1回 [[Association for Computing Machinery|ACM]] [[グレース・ホッパー賞]] *1974年 - [[チューリング賞]] *1979年 - [[アメリカ国家科学賞]] *1986年 - [[スティール賞]] *1988年 - [[フランクリン・メダル]] *1995年 - [[IEEE]] [[フォン・ノイマンメダル]] *1995年 - [[ハーヴェイ賞]]([[イスラエル工科大学|テクニオン]])<ref>http://www.admin.technion.ac.il/harvey/1995-2.html</ref> *1996年 - [[京都賞先端技術部門]] *1998年 - [[コンピュータ歴史博物館]]フェロー *2009年 - [[片柳コンピュータ科学賞]]片柳優秀研究賞<ref>http://www.cs.cmu.edu/~katayanagi/</ref> *2010年 - [[ビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行|BBVA]] Foundation Frontiers of Knowledge Award<ref>http://www.fbbva.es/TLFU/tlfu/ing/microsites/premios/fronteras/galardonados/2010/informacion.jsp</ref> *2011年 - Hero Award([[スタンフォード大学]]工学部)<ref>{{Cite news |title = Stanford's Don Knuth, a pioneering hero of computer programming |work = Stanford Report |author = Andrew Myers |date = June 1, 2001 |url = http://news.stanford.edu/news/2011/june/knuth-engineering-hero-060111.html |accessdate = 2011-06-27 }}</ref> *2011年 - [[ファラデー・メダル (英国工学技術学会)|ファラデー・メダル]] クヌースの[[計算機科学]]への貢献に敬意を表し、[[1990年]]、彼は「プログラミング技法の教授; Professor of the Art of Computer Programming」という唯一の称号を与えられた(現在では「[[名誉教授]]」に変更されている)。 [[1992年]]、クヌースはフランスの[[科学アカデミー (フランス)|科学アカデミー]]の準会員となった。同年教授職を引退し、''[[The Art of Computer Programming]]'' の完成に専念するようになった。[[2003年]]、イギリスの[[王立協会]]の[[王立協会外国人会員|外国人会員]]に選ばれた。 2009年、[[アメリカ応用数理学会]] (SIAM) の特別フェローに選ばれた<ref>http://fellows.siam.org/index.php?sort=year&value=2009</ref>。[[:en:Norwegian Academy of Science and Letters|Norwegian Academy of Science and Letters]] の会員でもある<ref>{{Cite web |url = http://www.dnva.no/c26849/artikkel/vis.html?tid=40116 |title = Gruppe 1: Matematiske fag |publisher = Norwegian Academy of Science and Letters |language = Norwegian |accessdate = 2010-10-07 }}</ref>。 == 私生活 == 1961年6月24日にナンシー・ジル・カーター(Nancy Jill Carter)と結婚。子をふたり授かる(John Martin KnuthおよびJennifer Sierra Knuth)。 ;健康 2006年、[[前立腺癌]]を患っている。同年12月に手術を受け、[[放射線療法]]を受けているが予後はかなり良好だと動画にて報告している<ref name=cancer>{{Cite web |url = http://www.webofstories.com/people/donald.knuth/85 |title = Donald Knuth: 85 - Coping with cancer |work = Web of Stories |date = April 2006 |accessdate = 2012-05-02 }}</ref>。 == 著作 == 主な著作を以下に示す<ref group="※">完全な著作リストは [http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/books.html "Books" at Stanford site] にある。</ref>。 *''[[The Art of Computer Programming]]'', Volumes 1–4, Addison-Wesley Professional #Volume 1: ''Fundamental Algorithms'' (3rd edition) 1997. Addison-Wesley Professional, ISBN 0-201-89683-4 #*『基本算法 基礎概念』広瀬健訳 [[サイエンス社]] 1978年(第二版対応) #*『基本算法 情報構造』米田信夫、筧捷彦共訳 サイエンス社 1978年(第二版対応) #*『Fundamental algorithms 日本語版』有澤誠、和田英一監訳 青木孝他訳、[[アスキー (企業)|アスキー]]、2004年 #Volume 2: ''Seminumerical Algorithms'' (3rd Edition) 1997. Addison-Wesley Professional, ISBN 0-201-89684-2 #*『準数値算法 乱数』渋谷政昭訳 サイエンス社 1981年(第二版対応) #*『準数値算法 算術演算』中川圭介訳 サイエンス社 1986年(第二版対応) #*『Seminumerical algorithms 日本語版』有澤誠、和田英一監訳 斎藤博昭他訳、アスキー 2004年 #Volume 3: ''Sorting and Searching'' (2nd Edition) 1998. Addison-Wesley Professional, ISBN 0-201-89685-0 #*『Sorting and searching 日本語版』有澤誠、和田英一監訳 石井裕一郎、伊知池宏、小出洋、高岡詠子、田中久美子、長尾高弘訳 アスキー 2006年 #Volume 4A: ''Combinatorial Algorithms, Part 1'', 2011. Addison-Wesley Professional, ISBN 0-201-03804-8 #Volume 4: ''Combinatorial Algorithms'' (remainder) 準備中 #Volume 5: ''Syntactic Algorithms'' 準備中、2015年に出版可能になる予定<ref>http://www-cs-faculty.stanford.edu/~uno/taocp.html</ref> *''The Art of Computer Programming'', fascicles(分冊): #Volume 1, Fascicle 1: [[MMIX]]—A RISC Computer for the New Millennium, 2005. ISBN 0-201-85392-2 #*『MMIX-a risc computer for the new millennium 日本語版』有澤誠、和田英一監訳 青木孝訳 アスキー 2006年 #Volume 4, Fascicle 0: Introduction to Combinatorial Algorithms and Boolean Functions. 2008. ISBN 0-321-53496-4 #*『Introduction to Combinatorial Algorithms and Boolean Functions 日本語版』和田英一訳 アスキー 2009年 #Volume 4, Fascicle 1: Bitwise Tricks & Techniques; Binary Decision Diagrams. 2009. ISBN 0-321-58050-8 #*『Bitwise Tricks & Techniques; Binary Decision Diagrams 日本語版』和田英一訳 アスキー 2011年 #Volume 4, Fascicle 2: Generating All Tuples and Permutations, 2005. ISBN 0-201-85393-0 #*『Generating all tuples and permutations 日本語版』有澤誠、和田英一監訳 小出洋訳 アスキー 2006年 #Volume 4, Fascicle 3: Generating All Combinations and Partitions, 2005. ISBN 0-201-85394-9 #*『Generating all combinations and partitions 日本語版』有澤誠、和田英一監訳 筧一彦訳 アスキー 2008年 #Volume 4, Fascicle 4: Generating All Trees—History of Combinatorial Generation, 2006. ISBN 0-321-33570-8 #*『Generating all trees-history of combinatorial generation 日本語版』有澤誠、和田英一監訳 筧一彦、小出洋訳 アスキー 2010年 *''Computers & Typesetting'':<ref group="※">完全なリストは [http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/abcde.html "Books" at Stanford site] にある。</ref> #Volume A, The TeXbook (Reading, Massachusetts: Addison-Wesley, 1984) x+483pp. ISBN 0-201-13447-0 #*『TEXブック コンピュータによる組版システム』鷺谷好輝訳 アスキー 1989年 #Volume B, TeX: The Program (Reading, Massachusetts: Addison-Wesley, 1986) xviii+600pp. ISBN 0-201-13437-3 #Volume C, The METAFONTbook (Reading, Massachusetts: Addison-Wesley, 1986) xii+361pp. ISBN 0-201-13445-4 #*『METAFONTブック タイポグラファのためのプログラミング言語』鷺谷好輝訳 アスキー 1994年 #Volume D, METAFONT: The Program (Reading, Massachusetts: Addison-Wesley, 1986) xviii+566pp. ISBN 0-201-13438-1 #Volume E, Computer Modern Typefaces (Reading, Massachusetts: Addison-Wesley, 1986) xvi+588pp. *''[[:en:Selected papers series of Knuth|Selected papers series]]''<ref>[http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/selected.html "Selected Papers" at Stanford site]</ref> #''[[文芸的プログラミング|Literate Programming]]''<ref>[http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/lp.html "Literate Programming"]</ref>(Stanford, California: [[スタンフォード人工知能研究所|Center for the Study of Language and Information]] — CSLI Lecture Notes, no. 27) 1992. ''ISBN 0-937073-80-6'' #*『文芸的プログラミング』有沢誠訳 アスキー 1994.3 #''Selected Papers on Computer Science''<ref>[http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/cs.html "Selected Papers on Computer Science"]</ref> (Stanford, California: Center for the Study of Language and Information&nbsp;— CSLI Lecture Notes, no. 59) 1996. ISBN 1-881526-91-7 #''Digital Typography''<ref>[http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/dt.html "Digital Typography"]</ref> (Stanford, California: Center for the Study of Language and Information&nbsp;— CSLI Lecture Notes, no. 78) 1999. ISBN 1-57586-010-4 #''Selected Papers on Analysis of Algorithms''<ref>[http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/aa.html "Selected Papers on Analysis of Algorithms"]</ref>(Stanford, California: Center for the Study of Language and Information&nbsp;— CSLI Lecture Notes, no. 102) 2000. ISBN 1-57586-212-3 #'' Selected Papers on Computer Languages''<ref>[http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/cl.html "Selected Papers on Computer Languages"]</ref> (Stanford, California: Center for the Study of Language and Information&nbsp;— CSLI Lecture Notes, no. 139) 2003. ISBN 1-57586-381-2 (cloth) ISBN 1-57586-382-0 (paperback) #''Selected Papers on Discrete Mathematics''<ref>[http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/dm.html "Selected Papers on Discrete Mathematics"]</ref> (Stanford, California: Center for the Study of Language and Information&nbsp;— CSLI Lecture Notes, no. 106) 2003. ISBN 1-57586-249-2 (cloth) ISBN 1-57586-248-4 (paperback) #''Selected Papers on Design of Algorithms''<ref>[http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/da.html "Selected Papers on Design of Algorithms"]</ref> (Stanford, California: Center for the Study of Language and Information&nbsp;— CSLI Lecture Notes, no. 191) 2010. ISBN 1-57586-583-1 (cloth) ISBN 1-57586-582-3 (paperback) #''Selected Papers on Fun and Games''<ref>[http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/fg.html "Selected Papers on Fun and Games"]</ref> (Stanford, California: Center for the Study of Language and Information — CSLI Lecture Notes, no. 192) 2011. ISBN 978-1-57586-585-0 (cloth) ISBN 978-1-57586-584-3 (paperback) #''Companion to the Papers of Donald Knuth''<ref>[http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/cp.html "Companion to the Papers of Donald Knuth"]</ref> (Stanford, California: Center for the Study of Language and Information&nbsp;— CSLI Lecture Notes, no. 202) 2011. ISBN 978-1-57586-635-2 (cloth) ISBN 978-1-57586-634-5 (paperback) *{{Cite book |last1 = Graham |first1 = Ronald L. |author2 = ドナルド・クヌース |last3 = Patashnik |first3 = Oren |title = [[Concrete Mathematics|Concrete Mathematics: A foundation for computer science]] |edition = Second |publisher = Addison-Wesley Publishing Company |location = Reading, MA |year=1994 |pages = xiv+657 |isbn = 0-201-55802-5 |mr = 1397498 }} *''Surreal Numbers: How Two Ex-Students Turned on to Pure Mathematics and Found Total Happiness''. 1974, ISBN 0-201-03812-9.<ref>[http://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/sn.html the book's official homepage]</ref> **『超現実数 数学小説』好田順治訳 海鳴社 1978年 **『至福の超現実数 純粋数学に魅せられた男と女の物語』[[松浦俊輔]]訳 [[柏書房]] 2004年 *''The Stanford GraphBase: A Platform for Combinatorial Computing'' (New York, ACM Press) 1993. second paperback printing 2009. ISBN 0-321-60632-9 *''3:16 Bible Texts Illuminated'' (Madison, Wisconsin: A-R Editions) 1990. ISBN 0-89579-252-4 *''[[Things a Computer Scientist Rarely Talks About]]'' (Center for the Study of Language and Information&nbsp;— CSLI Lecture Notes no 136) 2001. ISBN 1-57586-326-X **『コンピュータ科学者がめったに語らないこと』滝沢徹、牧野祐子、富澤昇訳 エスアイビー・アクセス 2003年 *''Mathematical Writing'' 1989年(共著) **『クヌース先生のドキュメント纂法』有沢誠訳 [[共立出版]] 1989年 *''Mmixware: A Risc Computer for the Third Millennium'' 2000年 **『MMIXware 第三千年紀のためのRISCコンピュータ』滝沢徹訳 エスアイビー・アクセス 2001年 *『クヌース先生のプログラム論』有沢誠編 共立出版 1991年(日本オリジナル編集) == 注釈 == {{Reflist|group="※"}} == 出典 == {{Reflist|2}} == インタビューなど == *Woehr, J. [http://www.ntg.nl/maps/pdf/16_14.pdf An interview with Donald Knuth] ''Dr. Dobb's Journal'', 1996年4月, p. 16-22. *[http://www.awprofessional.com/content/images/0201896834/interview/0201896834.html Donald Knuth on The Art of Computer Programming] Addison-Wesley Innovations, 1996年 *[http://www.ntg.nl/maps/pdf/16_15.pdf Knuth meets NTG members], [[アムステルダム]], [[1996年]][[3月13日]] *[http://www.literateprogramming.com/byte1996.html Knuth Comments on Code], Byte magazine, 1996年9月 *[http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/feature/-/4165 Donald Knuth: A life's work in the art of programming] [[Amazon.com]], 1997年 *Wallace, Mark. [http://www.salon.com/tech/feature/1999/09/16/knuth The art of Don E. Knuth] salon.comによるインタビュー, 1999年 *[http://www.tug.org/TUGboat/Articles/tb17-1/tb50knut.pdf TUG'95 (St Petersburg, FL, USA) Questions and answers with Prof. Donald E. Knuth]. ''TUGboat'' 17 (1), 1996年 *[http://www.tug.org/TUGboat/Articles/tb21-2/tb67advo.pdf Advogato, 2000] ''TUGboat'' 21 (2), 2000年 *[http://www.tug.org/TUGboat/Articles/tb22-1-2/tb70knut.pdf U.K. TUG, Oxford, 12 September 1999:Question & Answer Session with Donald Knuth]. ''TUGboat'', 22 (1/2), 2001年 *[http://www.tug.org/TUGboat/Articles/tb23-3-4/tb75knuth.pdf Oslo, 2002] ''TUGboat'' 23 (3/4), 2002年 *[http://www.ams.org/notices/200203/fea-knuth.pdf AMS, 2001] *[http://www.geekchic.com/repliq6.htm Geek Celebs, 2001] *[http://www.heise.de/ct/02/05/190 c't, 2002]{{De icon}} *[http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=4532247 Donald Knuth, Founding Artist of Computer Science]. David Kestenbaum による National Public Radio でのインタビューの録音; または [http://www.soundbytes.org/phpBB2/viewtopic.php?t=5643&sid=bf7d0d454451865c6409201cf55746f5 書き起こしたもの], [[2005年]][[3月14日]] *[http://www.freesoftwaremagazine.com/articles/interview_knuth Free Software Magazine interview by Gianluca Pignalberi, August 2005]. == 関連項目 == {{Commonscat|Donald Ervin Knuth}} *[[TeX|{{TeX}}]] *[[クヌースの矢印表記]] *[[クヌース-モリス-プラット法]] *[[クヌース・ベンディックス完備化アルゴリズム]] *[[ランダウの記号|漸近記法]] *[[属性文法]] *[[クヌース賞]] == 外部リンク == *{{公式サイト|name=Don Knuth's Home Page}} 公式ウェブサイト([[スタンフォード大学]]){{en icon}} *[https://profiles.stanford.edu/donald-knuth Donald Knuth's Profile | Stanford Profiles] プロフィール *[https://conservancy.umn.edu/handle/11299/107413 Oral history interview with Donald E. Knuth] at [[チャールズ・バベッジ研究所|Charles Babbage Institute]], University of Minnesota. *[http://www.stanfordalumni.org/news/magazine/2006/mayjun/features/knuth.html “Love at First Byte,”] Kara Platoni, with photography by Timothy Archibald, ''S<small>TANFORD</small> Magazine'', May/June 2006.&nbsp;A retrospective of Knuth’s life and work, with some rare, recent photos. *{{MathGenealogy|id=10416title=Donald Knuth}} *{{MacTutor|id=Knuth|title=Donald Knuth}} *{{Worldcat id|lccn-n79-135509|name=Donald Knuth}} *[http://scpd.stanford.edu/free-stuff/engineering-archives/donald-e-knuth-lectures Donald Knuth's Stanford lectures archive] *[http://www.softpanorama.org/People/Knuth/index.shtml Donald Knuth: Leonard Euler of Computer Science (Softpanorama)] *[http://www.crossmyt.com/hc/potrzebi.gif The Potrzebie System of Weights and Measures] {{TeX関連}} {{Free and open source typography}} {{ドナルド・クヌース}} {{チューリング賞}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:くぬうす となると}} [[Category:ドナルド・クヌース|*]] [[Category:20世紀アメリカ合衆国の数学者]] [[Category:21世紀アメリカ合衆国の数学者]] [[Category:アメリカ合衆国の計算機科学者]] [[Category:アメリカ合衆国のプログラマ]] [[Category:アメリカ合衆国のタイポグラファー]] [[Category:計算機科学教育者]] [[Category:アメリカ合衆国のプログラミング言語設計者]] [[Category:チューリング賞受賞者]] [[Category:アメリカ国家科学賞受賞者]] [[Category:京都賞先端技術部門受賞者]] [[Category:ACMフェロー]] [[Category:王立協会外国人会員]] [[Category:米国科学アカデミー会員]] [[Category:ロシア科学アカデミー外国人会員]] [[Category:全米技術アカデミー会員]] [[Category:アメリカ数学会フェロー]] [[Category:コンピュータ歴史博物館フェロー]] [[Category:バイエルン科学アカデミー会員]] [[Category:ノルウェー科学文学アカデミー会員]] [[Category:TeX]] [[Category:形式手法の人物]] [[Category:スタンフォード大学計算機科学科の教員]] [[Category:カリフォルニア工科大学の教員]] [[Category:ミルウォーキー出身の人物]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:ケース・ウェスタン・リザーブ大学出身の人物]] [[Category:カリフォルニア工科大学出身の人物]] [[Category:1938年生]] [[Category:存命人物]]
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Ruby
■カテゴリ / ■テンプレート Ruby(ルビー)は、まつもとゆきひろ(通称: Matz)により開発された、簡潔な文法が特徴的なオブジェクト指向スクリプト言語。 日本で開発されたプログラミング言語としては初めて国際電気標準会議(IEC)で国際規格に認証された事例となった。 Ruby は1993年2月24日に生まれ、1995年12月にfj上で発表された。名称の Ruby は、プログラミング言語 Perl が6月の誕生石である Pearl(真珠)と同じ発音をし、「Perlに続く」という意味で、6月の次の誕生石(7月)のルビーから名付けられた。競合言語として Perl の他に Python があり、「Matz(まつもと) が Python に満足していれば Ruby は生まれなかったであろう」と公式のリファレンスの用語集で言及されている。 機能として、クラス定義、ガベージコレクション、強力な正規表現処理、マルチスレッド、例外処理、イテレータ、クロージャ、Mixin、利用者定義演算子などがある。Perl を代替可能であることが初期の段階から重視されている。Perlと同様にグルー言語としての使い方が可能で、C言語プログラムやライブラリを呼び出す拡張モジュールを組み込むことができる。 Ruby 処理系は、インタプリタとコンパイラが存在する(詳しくは#実装を参照)。 可読性を重視した構文となっている。Ruby においては整数や文字列なども含めデータ型はすべてがオブジェクトであり、純粋なオブジェクト指向言語といえる。 長らく言語仕様が明文化されず、まつもとによる実装が言語仕様に準ずるものとして扱われて来たが、2010年6月現在、JRuby や Rubinius といった互換実装の作者を中心に機械実行可能な形で明文化する RubySpec という試みが行われている。公的規格としては2011年3月22日にJIS規格(JIS X 3017)が制定され、その後2012年4月1日に日本発のプログラム言語では初めてISO/IEC規格(ISO/IEC 30170)として承認された 。 フリーソフトウェアとしてバージョン1.9.2までは Rubyライセンス(Ruby License や Ruby'sと表記されることもある。GPLかArtisticに似た独自ライセンスを選択するデュアルライセンス)で配布されていたが、バージョン1.9.3以降は2-clause BSDLとのデュアルライセンスで配布されている。 Rubyは日本の国産言語として知られており、特にRubyとゆかりのある地域はRubyの聖地と呼ばれている。 開発者のまつもとゆきひろは、「Rubyの言語仕様策定において最も重視しているのはストレスなくプログラミングを楽しむことである (enjoy programming)」と述べている。 ただし、まつもとによる明文化された言語仕様は存在しない。Perlのモットー「やり方はいろいろある (There's More Than One Way To Do It; TMTOWTDI)」は「多様性は善 (Diversity is Good)」というスローガンで Ruby に引き継がれてはいるものの最重要なものではないとも述べており、非推奨な手法も可能にするとともに、そのような手法を言語仕様により使いにくくすることによって自粛を促している。 また、まつもとは『まつもとゆきひろ コードの世界 スーパー・プログラマになる14の思考法』でもRubyの開発理由を次のように述べている。 また、英語圏の開発者の間ではMINASWAN (Matz is nice and so we are nice. 和訳: まつもとがナイスだから我々もナイスであろう) の標語が用いられている。 「Python、PHP、Perlでは静的型を導入しているため、Rubyも型を導入するべきでは」と長年言われているが、まつもとは「Rubyに型を取り入れたくない。DRY (Don't repeat yourself)ではないから」「型宣言することはコンピュータに使われているような気になる」と否定的であり、2019年5月現在Rubyに静的型が導入される予定はない。 クラス名はアルファベットの大文字から始めるという制約があり、日本語などの非ASCII文字のみでクラス名を定義する方法がない。この件についてまつもとは以下のように語っており、英語を共通言語として使うべきであるという立場を表明している。 Rubyの公式な実装には、以下の二種類が存在する。 基本的なコード 配列の作成と使用法 ハッシュの作成と使用法 ほかの言語でもよくみられるような制御構造を用いることができる。 上記、 は、 のような記述もできる。 一部の制御構造は後述するイテレータで代替することができる。 Ruby ではブロック付きメソッド呼び出しを用いるコードが好まれることが多い。これを用いると、ユーザー定義の制御構造やコールバックなど様々な処理を簡潔に記述できるからである。 ブロックとは波括弧 {、} または do、end によって囲まれたコード列のことである。メソッド呼び出しの末尾に記述することが出来る。この2つは基本的に同一だが、結合の優先度が異なる。慣習的に一行で書くときは波括弧が、複数行に渡る場合はdo、endが使用される場合が多い。 ブロック付きメソッド呼び出しが繰り返し処理を主な役割としていたことから、イテレータと呼ばれていた時期がある。しかし、実際には繰り返し処理にとどまらず、様々な使われ方をしているので、最近はブロック付きメソッド呼び出し全体の総称としてイテレータという名称を用いるのは適切でないと考えられている。 配列の各要素への繰り返し処理 以下はブロックを使わずに同じことを行う場合 指定した回数の繰り返し処理 gsub()による文字列置換の繰り返し処理 ブロックの内容を実行してから、決められた後処理を行うメソッドもある。 これは次の例と同様の処理を行う(ensure については例外処理の項を参照) 実際に行いたい処理をブロックで記述する。前項の後処理の省力化もこれの一例といえる。 この例は、ツリーから要素と分枝をつぎつぎと取り出して取り出したものになんらかの処理を行うものである。メソッドの利用者は、なんらかの処理のみを記述すればよく、取り出しのアルゴリズムなど、本質的でない内容に意識を向ける必要がなくなる。 クロージャとなるようなブロックの引数渡し メソッドからクロージャを返す例 次のコードはPersonという名前のクラスである。その中、まずinitializeはオブジェクトを初期化するコンストラクタである。ほかに2つのメソッドがあり、1つは比較演算子である<=>をオーバーライドしておりArray#sortによりプロパティageでソートすることができる。もう1つのオーバーライド箇所のto_sメソッドは Kernel#puts での表示の形式を整える。attr_readerは Ruby におけるメタプログラミングの例であり、attr はインスタンス変数の入出力を司る、いわゆる値を取得する getter メソッドや値を設定する setter メソッド(アクセサ)を定義する。attr_readerは getter メソッドのみの定義である。なおメソッド中では最後に評価された式が返り値となり、明示的なreturnは省略できる。 結果は3つの名前が年の大きい順に表示される 例外は不具合が起こったときraiseの呼び出しで発生させることができる。Ruby での例外は Exception クラスか、そのサブクラスのインスタンスである。 例外にはメッセージを追加することもできる さらに例外のタイプも指定できる 例外はrescue節で処理することができ、次のようにコードにrescueを付加するだけである ベンチマークテストで使用される以下のようなコードを実行したとき、処理速度が著しく低下することがある。 Ruby ではブロック構造を end で終える構文が採用されているが、開発者のまつもとゆきひろは他の構文が採用される可能性があったことを述べている。当時、Emacs 上で end で終える構文をオートインデントさせた例はあまりなく、Ruby 言語用の編集モードにオートインデント機能を持たせられるかどうかが問題になっていたためである。実際には数日の試行でオートインデント可能であることがわかり、現在の構文になった。C言語のような{〜}を使った構文も検討されていたが、結局これは採用されなかった。 「Rubyはよく『死んだ』って言われる言語である」とまつもとは認識しておりTwitterがRuby on RailsからJava仮想マシン用言語のScalaに移行した話などを例に出し「Rubyは死んだ」みたいに言われることが増えたとしているほか、オランダのTIOBEという会社が発表しているプログラミング言語の人気ランキングでRubyが上位に入らないことをもってして「Rubyは死んだ」「Rubyは凋落している」と見られることがあるが、「RubyとかRuby on Railsだと、さまざまなジャンルで実際の適用例があるので、なにか困ったとき同じ問題に直面した人を探せたり、あるいはその問題を解決するRubyGemsを見つけられる。そういう点でいうと、トータルの生産性はかなり高いことがある」「実際に仕事として、あるいは自分のプロダクトを作るときに、どんな言語を選択してどういうふうに開発したらいいのかを考えると、Rubyの持っているビジネス上の価値はそんなに下がっていないと思います。たとえ順位が下がって、表面上Rubyの人気が凋落したように見えても、ある意味『まだまだ大丈夫』が1つの見識だと思います」とまつもとは述べている。 デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソンがRuby on Railsを構築するのにPythonを選ばなかった理由として「私の場合は、恋に落ちたのがRubyなのです。私はRubyに恋をしていますし、もう14年間もそうなのです。(中略)『最適なツール』などというものは存在しないのです。あなたの脳をちょうどいい具合に刺激するパズルがあるだけなのです。今日では、ほぼなんでも作ることができます。そして、それを使って、さらに何でも作れてしまうのです。これは素晴らしいことです。表現や言語、そして思考の多様性に乾杯しましょう!」と質問サイトのQuoraで本人が回答している。 2020年9月8日現在、RubyのCコード509,802行のうち、まつもとがコミットしたのは36,437行で1割以下になっている。
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Ruby(ルビー)は、まつもとゆきひろにより開発された、簡潔な文法が特徴的なオブジェクト指向スクリプト言語。 日本で開発されたプログラミング言語としては初めて国際電気標準会議(IEC)で国際規格に認証された事例となった。
{{otheruses|プログラミング言語|「ルビー」・「ルビ」の他の使い方|ルビー (曖昧さ回避)}} {{Infobox プログラミング言語 | fetchwikidata = ALL | onlysourced = false | name = Ruby | logo = [[File:Ruby logo.svg|70px]] | released = {{start date and age|1995}} | latest release version = {{Latest stable software release/CRuby}} <!-- バージョンを更新するときはこのページを編集せず、Template:Latest stable software release/CRuby で番号と日付を更新して下さい --> | typing = 強い[[動的型付け]], [[ダック・タイピング]] | implementations = [[CRuby|MRI]], [[YARV]], [[JRuby]], [[IronRuby]], MacRuby | influenced = [[D言語]]<ref>[http://www.digitalmars.com/d/1.0/ Intro - D Programming Language 1.0 - Digital Mars]</ref>、[[Groovy]]、[[Swift (プログラミング言語)|Swift]]、[[Crystal (プログラミング言語)|Crystal]]、[[Scala]]、[[Elixir (プログラミング言語)|Elixir]] | website = {{ConditionalURL}} }} {{プログラミング言語}} '''Ruby'''(ルビー)は、[[まつもとゆきひろ]](通称: Matz)により開発された、簡潔な文法が[[特徴]]的な[[オブジェクト指向]][[スクリプト言語]]{{Efn|スクリプト言語とはプログラミング言語の一種で、ソースコードを逐次(実行形式に)翻訳しながら実行する。}}<ref>{{Cite web |url=https://ruby-doc.org/3.2.2/ |title=RDoc Documentation |access-date=2023-12-15 |author=Yukihiro Matsumoto (Matz) |language=en |quote=Ruby is an interpreted object-oriented programming language often used for web development. It also offers many scripting features to process plain text and serialized files, or manage system tasks. It is simple, straightforward, and extensible.}}</ref>。 日本で開発されたプログラミング言語としては初めて[[国際電気標準会議|国際電気標準会議(IEC)]]で国際規格に認証された事例となった<ref name="ipa20120402">{{Cite press release |和書 |title=プログラム言語Ruby、国際規格として承認 |url=https://www.ipa.go.jp/about/press/20120402_2.html |publisher=独立行政法人情報処理推進機構 |date=2012-04-02}}</ref>{{Sfn|山田祥寛|2021|p=ⅱ}}。 == 概要 == Ruby は[[1993年]][[2月24日]]に生まれ、[[1995年]]12月に[[Fj (ニュースグループ)|fj]]上で発表された。名称の Ruby は、プログラミング言語 [[Perl]] が6月の[[誕生石]]である Pearl([[真珠]])と同じ発音をし、「Perlに続く」という意味で、6月の次の誕生石(7月)の[[ルビー]]から名付けられた<ref name="名前なし-1">{{Cite web|和書|url=https://docs.ruby-lang.org/ja/latest/doc/glossary.html|title=Ruby用語集(Ruby 2.7.0 リファレンスマニュアル)|accessdate=2020-02-07}}</ref>。競合言語として Perl の他に [[Python]] があり、「Matz(まつもと) が [[Python]] に満足していれば Ruby は生まれなかったであろう」と公式のリファレンスの用語集で言及されている<ref name="名前なし-1"/>。 機能として、[[クラス (コンピュータ)|クラス定義]]、[[ガベージコレクション]]、強力な[[正規表現]]処理、[[マルチスレッド]]、[[例外処理]]、[[イテレータ]]、[[クロージャ]]、[[Mixin]]、[[利用者定義演算子]]などがある。Perl を代替可能であることが初期の段階から重視されている。Perlと同様に[[グルー言語]]としての使い方が可能で、[[C言語]]プログラムやライブラリを呼び出す[[拡張モジュール]]を組み込むことができる。 Ruby 処理系は、[[インタプリタ]]と[[コンパイラ]]が存在する(詳しくは[[#実装]]を参照)。 [[可読性]]を重視した構文となっている。Ruby においては整数や文字列なども含めデータ型はすべてがオブジェクトであり、純粋な[[オブジェクト指向]]言語といえる。 長らく言語仕様が明文化されず、まつもとによる実装が言語仕様に準ずるものとして扱われて来たが、2010年6月現在、[[JRuby]] や Rubinius といった互換実装の作者を中心に機械実行可能な形で明文化する RubySpec という試みが行われている。公的規格としては2011年3月22日にJIS規格(JIS X 3017)が制定され、その後2012年4月1日に日本発のプログラム言語では初めてISO/IEC規格(ISO/IEC 30170)として承認された <ref name="ipa20120402" />。 [[フリーソフトウェア]]としてバージョン1.9.2までは [[Rubyライセンス]](Ruby License や Ruby'sと表記されることもある。[[GNU General Public License|GPL]]か[[アーティスティック・ライセンス|Artistic]]に似た独自ライセンスを選択する[[デュアルライセンス]])で配布されていたが、バージョン1.9.3以降は[[BSDライセンス#二条項BSDライセンス|2-clause BSDL]]とのデュアルライセンスで配布されている<ref>{{Cite web|url=https://www.ruby-lang.org/en/about/license.txt|title=Ruby License|accessdate=2020-09-29|publisher=ruby-lang.org}}</ref>。 <!--Ruby Licenseがデュアルライセンス全体を指すことは http://www.rubyist.net/~matz/20030607.html#p07 を根拠としている。 --> == ゆかりのある地域 == Rubyは日本の国産言語として知られており、特にRubyとゆかりのある地域はRubyの聖地と呼ばれている。 * [[静岡県]][[浜松市]] - 開発者のまつもとゆきひろが日本タイムシェア株式会社(現:[[TIS (企業)|TIS]]株式会社)の浜松市にあった研究所に勤務していた[[1993年]]にRubyの開発を開始<ref name="ruby0.95">{{Cite web|和書|url=https://www.tech-tsushin.jp/interview/tech4_netlab/2/|title=Tech通信|accessdate=2019-03-01}}</ref>。 * [[愛知県]][[名古屋市]] - 株式会社[[トヨタケーラム]](現:株式会社[[トヨタシステムズ]])在籍時、[[1995年]]にRubyを[[オープンソースソフトウェア]]として公開<ref name="ruby0.95" />。 * [[島根県]][[松江市]] - [[1997年]]から島根県松江市に移り、同市の株式会社[[ネットワーク応用通信研究所 ]](NaCl)フェローとしてRubyの普及に尽力<ref name="ruby0.95" />。 == 設計思想 == 開発者のまつもとゆきひろは、「Rubyの言語仕様策定において最も重視しているのはストレスなく[[プログラミング]]を楽しむことである (''enjoy programming'')」と述べている。 {{Quotation|Ruby には Perl や Python とは決定的に違う点があり、それこそが Ruby の存在価値なのです。それは「楽しさ」です。私の知る限り、Ruby ほど「楽しさ」について焦点を当てている言語は他にありません。Ruby は純粋に楽しみのために設計され、言語を作る人、使う人、学ぶ人すべてが楽しめることを目的としています。しかし、ただ単に楽しいだけではありません。Ruby は実用性も十分です。実用性がなければ楽しめないではありませんか。|まつもとゆきひろ|Ruby プログラミング入門 まえがき 監修者よりのページ}} ただし、まつもとによる明文化された言語仕様は存在しない。Perlのモットー「やり方はいろいろある (''There's More Than One Way To Do It; TMTOWTDI'')」は「多様性は善 (''Diversity is Good'')」というスローガンで Ruby に引き継がれてはいるものの最重要なものではないとも述べており、非推奨な手法も可能にするとともに、そのような手法を言語仕様により使いにくくすることによって自粛を促している。 また、まつもとは『まつもとゆきひろ コードの世界 スーパー・プログラマになる14の思考法』でもRubyの開発理由を次のように述べている。 {{Quotation|「なぜRubyを開発したのか」。そのように問われるときに、もっとも適切な答えは、[[Linux]]開発者である[[リーナス・トーバルズ]]の言葉と同じではないかと思います。『[[それがぼくには楽しかったから]]』|まつもとゆきひろ|まつもとゆきひろ コードの世界 スーパー・プログラマになる14の思考法 P.9}} また、英語圏の開発者の間では'''MINASWAN''' (Matz is nice and so we are nice. 和訳: まつもとがナイスだから我々もナイスであろう) の標語が用いられている。 「Python、PHP、Perlでは静的型を導入しているため、Rubyも型を導入するべきでは」と長年言われているが、まつもとは「Rubyに型を取り入れたくない。DRY (Don't repeat yourself)ではないから⁠」⁠「⁠型宣言することはコンピュータに使われているような気になる」と否定的であり、2019年5月現在Rubyに静的型が導入される予定はない<ref>[https://gihyo.jp/news/report/01/rubykaigi2019/0001 まつもとゆきひろさん「Ruby3の目指す未来 –The Year of Concurrency–」〜RubyKaigi 2019 1日目 基調講演:RubyKaigi 2019 Keynote レポート|gihyo.jp … 技術評論社]</ref>。 クラス名はアルファベットの大文字から始めるという制約があり、日本語などの非ASCII文字のみでクラス名を定義する方法がない。この件についてまつもとは以下のように語っており、英語を共通言語として使うべきであるという立場を表明している。 {{Quotation|2文字目以降は自由なので、もしどうしても日本語が使いたいのであれば、少々不自然にも見えますが、先頭だけ大文字の接頭辞をつけるのはどうでしょうか。しかし、私個人としては、日本語の変数名などを使うことは、そのプログラムを読む人の範囲を日本語が読める人に限定してしまうことになるので、ひどくもったいないのではないかと感じています。そこで、この点を積極的に改善する気にはなれないのです。<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.quora.com/Ruby%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%A8%E5%AE%9A%E6%95%B0%E3%81%AE%E5%85%88%E9%A0%AD%E3%82%92%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E5%A4%A7%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%AB%E9%99%90|title=Rubyのクラスと定数の先頭をアルファベット大文字に限定しているのはなぜですか?クラス名を日本語にできないのが他の言語ではできるので少し惜しい気がします。|publisher=Quora|date=|accessdate=2022-06-11}}</ref>}} == 実装 == === 公式な実装 === Rubyの公式な実装には、以下の二種類が存在する。 ;[[CRuby|MRI]](Matz' Ruby Implementation) :まつもとゆきひろによって開発されはじめたC言語による実装であり、最も広く使われている。狭義として、evalを中心とした部分が次で述べるYARVに更新される以前(1.8.x以前)のバージョンを指して言うこともある。JRuby などに対して CRuby と呼ばれることもある。また、JRuby などに対して、広義として YARV 以降も含んで言うこともある。 ;[[YARV]] :1.9で採用された、MRIのevalをバイトコードを実行するタイプに置き換えたもの。(狭義の)MRIはソースコードを構文木にコンパイルした後、構文木を解釈する仮想機械であるevalで実行するインタプリタであるが、YARVはソースコードをバイトコードにコンパイルした後、バイトコードを解釈する仮想機械であるevalで実行するインタプリタである。[[Java]]などのバイトコードとは違い、このバイトコードはファイルとしては生成されない(ファイルとして静的に外部化することを考慮した設計では基本的になく、シンボルを多用するなどしている)。なお「YARV」は、もともとは開発中におけるその仮想機械の名前だった。 === その他の実装 === ;[[JRuby]] :[[Java]] 言語による実装。純粋な Java で行われているため、プラットフォーム非依存の利用が可能。ほとんどの Ruby クラスが組み込みで提供されている。インタープリタ・[[実行時コンパイラ]]・[[事前コンパイラ]]の3種類が用意されている。事前コンパイラでは、Java バイトコードへ変換し、JRuby が無くても他の Java プラットフォーム上で動作させることが可能となる。 ;[[IronRuby]] :[[.NET Framework]] 上で Ruby を動作させる実装であり、.NET Framework のライブラリと連携させることができる。[[ジャストインタイムコンパイル方式|JIT方式]]のバイトコードインタプリタ。[[共通言語基盤]]に準拠した実装([[Mono (ソフトウェア)|Mono]]など)で動作するため、プラットフォーム非依存の利用も可能(ただし、ソースコードが .NET Framework のライブラリに依存している場合は Mono での動作は不可能)。 ;{{仮リンク|MacRuby|en|MacRuby}} :[[macOS]] 上で動作する Ruby 実装。[[Cocoa (API)|Cocoa]] を含む様々なフレームワークとの連携が可能。[[RubyCocoa]] の問題点を解決するために開発されている。 ;{{仮リンク|Rubinius|en|Rubinius}} :[[仮想機械]]上で Ruby を実行する[[ジャストインタイムコンパイル方式|JIT方式]]のバイトコードインタプリタ。大部分が Ruby で実装されている。 ;{{仮リンク|MagLev|en|MagLev (software)}} :[[smalltalk]]仮想マシン上で動作する実装 [https://maglev.github.io MagLev]。 ;[[mruby]] :[[組み込みシステム]]向けの軽量版。[[家電機器|家電製品]]の他、[[スマートフォン]]、[[コンピュータゲーム|ゲーム]]などでの使用を想定している。 ;その他 :[[Parrot]] 上で Ruby を動作させるための実装なども開発されている。 == 例 == 基本的なコード <syntaxhighlight lang="ruby"> # 文字列、数値を含め、全てがオブジェクトである -199.abs # 199 "ruby is cool".length # 12 "Rick".index("c") # 2 "Nice Day Isn't It?".split(//).uniq.sort.join # " '?DINaceinsty" </syntaxhighlight> === コレクション === [[配列]]の作成と使用法 <syntaxhighlight lang="ruby"> a = [1, 'hi', 3.14, 1, 2, [4, 5]] a[2] # 3.14 a.reverse # [[4, 5], 2, 1, 3.14, 'hi', 1] a.flatten.uniq # [1, 'hi', 3.14, 2, 4, 5] </syntaxhighlight> [[ハッシュテーブル|ハッシュ]]の作成と使用法 <syntaxhighlight lang="ruby"> hash = {'water' => 'wet', 'fire' => 'hot'} hash = {water: 'wet', fire: 'hot'} # シンボルリテラルをキーとする場合、Ruby 1.9 からはこのような Javascript 風の表記ができる。 puts hash[:fire] # 表示: hot hash.each do |key, value| puts "#{key} is #{value}" end # 表示: water is wet # fire is hot hash.delete_if {|key, value| key == :water} # Deletes :water => 'wet' </syntaxhighlight> === 制御構造 === ほかの言語でもよくみられるような制御構造を用いることができる。 <syntaxhighlight lang="ruby"> if "fablic".length > 3 puts 'ya' else puts 'nop' end # 表示: ya list = [1, 2, 5, 13, 21] for item in list puts item end # 表示: 1 # 2 # 5 # 13 # 21 n = 0 while n < 3 puts 'foobar' n += 1 end # 表示: foobar # foobar # foobar </syntaxhighlight> 上記、 <syntaxhighlight lang="ruby"> if "fablic".length > 3 puts 'ya' else puts 'nop' end </syntaxhighlight> は、 <syntaxhighlight lang="ruby"> puts "fablic".length > 3 ? "ya" : "nop" </syntaxhighlight> <syntaxhighlight lang="ruby"> puts( if "fablic".length > 3 "ya" else "nop" end ) </syntaxhighlight> <syntaxhighlight lang="ruby"> puts( case "fablic".length when .. 3 "nop" else "ya" end ) </syntaxhighlight> のような記述もできる。 一部の制御構造は後述するイテレータで代替することができる。 === ブロック付きメソッド呼び出し === Ruby ではブロック付きメソッド呼び出しを用いるコードが好まれることが多い。これを用いると、ユーザー定義の[[制御構造]]や[[コールバック (情報工学)|コールバック]]など様々な処理を簡潔に記述できるからである。 ブロックとは波括弧 <syntaxhighlight lang="ruby" inline>{</syntaxhighlight>、<syntaxhighlight lang="ruby" inline>}</syntaxhighlight> または <syntaxhighlight lang="ruby" inline>do</syntaxhighlight>、<syntaxhighlight lang="ruby" inline>end</syntaxhighlight> によって囲まれたコード列のことである。メソッド呼び出しの末尾に記述することが出来る。この2つは基本的に同一だが、結合の優先度が異なる。慣習的に一行で書くときは波括弧が、複数行に渡る場合は<syntaxhighlight lang="ruby" inline>do</syntaxhighlight>、<syntaxhighlight lang="ruby" inline>end</syntaxhighlight>が使用される場合が多い。 <syntaxhighlight lang="ruby"> # { ... } method1 { puts "Hello, World!" } # do ... end method2 do puts "Hello, world!" end </syntaxhighlight> ブロック付きメソッド呼び出しが繰り返し処理を主な役割としていたことから、イテレータと呼ばれていた時期がある。しかし、実際には繰り返し処理にとどまらず、様々な使われ方をしているので、最近はブロック付きメソッド呼び出し全体の総称としてイテレータという名称を用いるのは適切でないと考えられている<ref>[http://blade.nagaokaut.ac.jp/cgi-bin/scat.rb/ruby/ruby-list/39878 {{Bracket|ruby-list:39878}} Re: イテレータとfor文]</ref>。 ==== 繰り返し処理 ==== 配列の各要素への繰り返し処理 <syntaxhighlight lang="ruby"> list = [1, 2, 5, 13, 21] list.map! {|item| item * 2} # listの各要素を2倍する処理 </syntaxhighlight> 以下はブロックを使わずに同じことを行う場合 <syntaxhighlight lang="ruby"> list = [1, 2, 5, 13, 21] n = 0 while n < list.length list[n] *= 2 n += 1 end </syntaxhighlight> 指定した回数の繰り返し処理 <syntaxhighlight lang="ruby"> 3.times { puts 'foobar' } # 制御構造の項のwhileの例と同じ </syntaxhighlight> <code>gsub()</code>による文字列置換の繰り返し処理 <syntaxhighlight lang="ruby"> puts "ABC-ABC".gsub("B", "1B2") # OK "A1B2C-A1B2C" puts "ABC-ABC".gsub(/(B)/, "1#{$1}2") # NG "A12C-A12C" puts "ABC-ABC".gsub(/(B)/){"1#{$1}2"} # OK "A1B2C-A1B2C" </syntaxhighlight> ==== 後処理の省力化 ==== ブロックの内容を実行してから、決められた後処理を行うメソッドもある。 <syntaxhighlight lang="ruby"> File.open('file.txt', 'w+b') do |file| file.puts 'Wrote some text.' end # file.txtはここで自動的に閉じられる </syntaxhighlight> これは次の例と同様の処理を行う(<code>ensure</code> については[[#例外処理|例外処理]]の項を参照) <syntaxhighlight lang="ruby"> begin file = File.open('file.txt', 'w+b') file.puts 'Wrote some text.' ensure file.close end </syntaxhighlight> ==== 本処理を後から指定 ==== 実際に行いたい処理をブロックで記述する。前項の後処理の省力化もこれの一例といえる。 <syntaxhighlight lang="ruby"> def bfs(list) #配列をツリーに見立てた処理 until list.empty? unit = list.shift yield unit #ブロックの内容を実行 unit.each{|v| list.push v} if defined? unit.push end end bfs([0,1,[2,3],4,[5,[6,7,8]],9]) {|v| p v} </syntaxhighlight> この例は、ツリーから要素と分枝をつぎつぎと取り出して取り出したものになんらかの処理を行うものである。メソッドの利用者は、なんらかの処理のみを記述すればよく、取り出しのアルゴリズムなど、本質的でない内容に意識を向ける必要がなくなる。 ==== クロージャ ==== [[クロージャ]]となるようなブロックの引数渡し <syntaxhighlight lang="ruby"> # オブジェクトのインスタンス変数(変数名の頭に@が付く)でブロックを記憶。 def remember(&p) @block = p end # nameを受け取るブロックを引数に、上記のメソッドを呼び出す。 remember {|name| puts "Hello, " + name + "!"} # 後に必要になった時点でクロージャを呼び出す。 @block.call("John") # 表示:"Hello, John!" </syntaxhighlight> メソッドからクロージャを返す例 <syntaxhighlight lang="ruby"> def create_set_and_get(value = 0) return proc {|x| value = x}, proc { value } end setter, getter = create_set_and_get setter.call(21) getter.call # => 21 </syntaxhighlight> === クラス === 次のコードは<code>Person</code>という名前のクラスである。その中、まず<code>initialize</code>はオブジェクトを初期化するコンストラクタである。ほかに2つのメソッドがあり、1つは比較演算子である<code>&lt;=&gt;</code>を[[オーバーライド]]しており<code>Array#sort</code>によりプロパティ<code>age</code>でソートすることができる。もう1つのオーバーライド箇所の<code>to_s</code>メソッドは <code>Kernel#puts</code> での表示の形式を整える。<code>attr_reader</code>は Ruby における[[メタプログラミング]]の例であり、<code>attr</code> はインスタンス変数の入出力を司る、いわゆる値を取得する <code>getter</code> メソッドや値を設定する <code>setter</code> メソッド([[アクセサ]])を定義する。<code>attr_reader</code>は <code>getter</code> メソッドのみの定義である。なおメソッド中では最後に評価された式が返り値となり、明示的な<code>return</code>は省略できる。 <syntaxhighlight lang="ruby"> class Person def initialize(name, age) @name, @age = name, age end def <=>(person) @age <=> person.age end def to_s "#{@name} (#{@age})" end attr_reader :name, :age end group = [ Person.new("John", 20), Person.new("Markus", 63), Person.new("Ash", 16) ] puts group.sort.reverse </syntaxhighlight> 結果は3つの名前が年の大きい順に表示される Markus (63) John (20) Ash (16) === 例外処理 === 例外は不具合が起こったとき<code>raise</code>の呼び出しで発生させることができる。Ruby での例外は <code>Exception</code> クラスか、そのサブクラスのインスタンスである。 例外にはメッセージを追加することもできる <syntaxhighlight lang="ruby"> raise "This is a message" </syntaxhighlight> さらに例外のタイプも指定できる <syntaxhighlight lang="ruby"> raise ArgumentError, "Illegal arguments!" </syntaxhighlight> 例外は<code>rescue</code>節で処理することができ、次のようにコードに<code>rescue</code>を付加するだけである <syntaxhighlight lang="ruby"> begin # 通常処理 rescue # 例外処理。引数を省略すると、StandardErrorのサブクラスの例外のみ処理する rescue SomeError # 例外処理。SomeErrorの例外のみ処理する。 ensure # 例外の発生に関わらず必ず実行される処理 else # 例外が発生しなかったときに実行される処理 end </syntaxhighlight> === 不向きな処理 === ベンチマークテストで使用される以下のようなコードを実行したとき、処理速度が著しく低下することがある。 <syntaxhighlight lang="ruby"> i1 = 1000000 while i1 <= 1010000 i2 = i1 - 1 i3 = 2 while i3 <= i1 if (i1 % i3) == 0 break elsif i3 == i2 puts i1.to_s break end i3 += 1 end i1 += 1 end </syntaxhighlight> == Rubyの周辺技術 == *[[分散オブジェクト]]を実現する [[dRuby]] *Ruby スクリプトに埋め込むことができる文書形式[[Ruby Document format|RD]] *Ruby によるRDを採用した[[ウィキ]]、[[RWiki]] *Ruby から[[SDL]]ライブラリを扱えるようにする[[Ruby/SDL]] *Ruby から [[Delphi]] を扱えるようにする Apollo *Ruby によるウェブアプリケーションフレームワーク [[Ruby on Rails]] *Ruby の処理系の一つでRuby1.9以後の処理系として採用されている [[YARV]] *Ruby の統合開発環境 [https://www.vector.co.jp/soft/win95/prog/se209196.html RDE] *Ruby のコードを Windows の[[実行ファイル|実行形式ファイル]]に変換する [[Exerb]] *Ruby 用のライブラリ管理システムである [[RubyGems]] *[[Apache HTTP Server]] に組み込むための [[mod ruby]] *サーバサイドで[[HyperText Markup Language|HTML]]への埋め込み Ruby 文を実現する [[eRuby]] *Ruby のコードをJavaScriptへ変換するコンパイラ [https://opalrb.com/ Opal] *[[Microsoft Windows]] の [[ActiveX]] 環境で Ruby インタープリターを呼び出す [[ActiveScriptRuby]]([[Internet Explorer]] 限定だがHTMLに埋めこんでクライアント上で動かすスクリプト言語として Rubyを指定できるようになる) *Ruby から [[Windows API|Win32API]] や[[Component Object Model|COMコンポーネント]]を呼び出すためのライブラリー WIN32OLE *JavaScript や Flash 上で動く Ruby の処理系 [[HotRuby]] *Ruby による[[ビヘイビア駆動開発]]のためのフレームワーク [[RSpec]] *Ruby で書かれた[[ビルドツール]] [[Rake (ソフトウェア)|Rake]] *Ruby で書かれたmacOS パッケージ管理システム [[Homebrew (パッケージ管理システム)|homebrew]] *Ruby から[[DirectX]]を使用するための拡張ライブラリ [[DXRuby]] *Ruby プログラミングを視覚的直感的に開発可能とする、[[Scratch (プログラミング言語)]]のRuby対応版(Rubyソースを生成するScratchとも言えるもの)とでも言うべきGUI型IDE [[Smalruby]] == Rubyで開発されたアプリケーション == *[[tDiary]] *[[影舞]] *[[Hiki]] *[[Chef (ソフトウェア)|Chef]] *[[Vagrant (ソフトウェア)|Vagrant]] *[[Ruby on Rails]] **[[GitHub]] **[[Metasploit]] **[[Redmine]] **[[Basecamp]] **[[RadiantCMS]] *[[qwikWeb]] *[[WEBrick]] *{{仮リンク|Mongrel|en|Mongrel (web server)}} *[[Phusion Passenger]] *[[Puppet (ソフトウェア)|Puppet]] *[[mikutter]] *[[Serverspec]] == Rubyを組み込んだアプリケーション == ;RPGツクールXP・RPGツクールVX :株式会社エンターブレインから発売されているRPG制作ソフトシリーズのうち、[[RPGツクールXP]]と[[RPGツクールVX]]では、Ruby をツクール専用にカスタマイズした [[RGSS]]を搭載している。同シリーズの従来ソフトではあらかじめ用意された機能しか使えなかったが、RGSSにより戦闘などのシステムを一から構築する事が出来るようになった。 :[[RPGツクールMV]]からは開発言語がJavaScriptに変更になった。 == エピソード == Ruby ではブロック構造を <code>end</code> で終える構文が採用されているが、開発者のまつもとゆきひろは他の構文が採用される可能性があったことを述べている。当時、[[Emacs]] 上で <code>end</code> で終える構文をオートインデントさせた例はあまりなく、Ruby 言語用の編集モードにオートインデント機能を持たせられるかどうかが問題になっていたためである{{efn|まつもとゆきひろは1988年に Emacs に触れて以来、Emacsを使い続けている<ref>{{cite book|和書|title=Emacs実践入門 思考を直感的にコード化し、開発を加速する|author=大竹智也|isbn=978-4-7741-5002-4|publisher=技術評論社|date=2012-04-05|edition=初版第1刷|pages=iiiからivページ|chapter=本書に寄せて}}</ref>。}}。実際には数日の試行でオートインデント可能であることがわかり、現在の構文になった。[[C言語]]のような<code>{〜}</code>を使った構文も検討されていたが、結局これは採用されなかった<ref>まつもとゆきひろ 「探訪 Ruby 第6回」『Linux Magazine』56号、[[アスキー (企業)|株式会社アスキー]]、2004年。</ref>。 === 「Rubyは死んだ」 === 「Rubyはよく『死んだ』って言われる言語である」とまつもとは認識しており[[Twitter]]が[[Ruby on Rails]]から[[Java仮想マシン]]用言語の[[Scala]]に移行した話などを例に出し「Rubyは死んだ」みたいに言われることが増えたとしているほか、オランダの[[TIOBE]]という会社が発表しているプログラミング言語の人気ランキングでRubyが上位に入らないことをもってして「Rubyは死んだ」「Rubyは凋落している」と見られることがあるが、「RubyとかRuby on Railsだと、さまざまなジャンルで実際の適用例があるので、なにか困ったとき同じ問題に直面した人を探せたり、あるいはその問題を解決するRubyGemsを見つけられる。そういう点でいうと、トータルの生産性はかなり高いことがある」「実際に仕事として、あるいは自分のプロダクトを作るときに、どんな言語を選択してどういうふうに開発したらいいのかを考えると、Rubyの持っているビジネス上の価値はそんなに下がっていないと思います。たとえ順位が下がって、表面上Rubyの人気が凋落したように見えても、ある意味『まだまだ大丈夫』が1つの見識だと思います」とまつもとは述べている<ref>[https://logmi.jp/tech/articles/320750 “Rubyは死んだ”のか?まつもとゆきひろ氏が語る「プログラミング言語サバイバル」とRubyの未来 - Part1 - ログミーTech]</ref>。 === Ruby on RailsがPythonで作られなかった理由 === [[デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン]]がRuby on Railsを構築するのに[[Python]]を選ばなかった理由として「私の場合は、恋に落ちたのがRubyなのです。私はRubyに恋をしていますし、もう14年間もそうなのです。(中略)『最適なツール』などというものは存在しないのです。あなたの脳をちょうどいい具合に刺激するパズルがあるだけなのです。今日では、ほぼなんでも作ることができます。そして、それを使って、さらに何でも作れてしまうのです。これは素晴らしいことです。表現や言語、そして思考の多様性に乾杯しましょう!」と質問サイトの[[Quora]]で本人が回答している<ref>[https://jp.quora.com/Ruby-on-Rails%E4%BD%9C%E8%80%85%E3%81%AE%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89-%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC-%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%81%AFRails Ruby on Rails作者のデイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソンはRailsを構築するのに(Pythonではなく)、なぜRubyを選んだのでしょうか? - Quora]</ref>。 === まつもとゆきひろが書いたコードの割合 === 2020年9月8日現在、RubyのCコード509,802行のうち、まつもとがコミットしたのは36,437行で1割以下になっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.quora.com/Rubyレベルのプログラミング言語はどのくらいの部分が|title=Rubyレベルのプログラミング言語はどのくらいの部分が発明者だけによるコードなのでしょうか?|publisher=Quora|date=2020-09-08|accessdate=2022-04-19}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == {{参照方法|date=2021-02-23|section=1}} *{{Cite book|和書|author=高橋征義|coauthors=後藤裕蔵|others=[[まつもとゆきひろ]]監修|year=2002|month=4|title=たのしい Ruby Rubyではじめる気軽なプログラミング|publisher=[[ソフトバンクパブリッシング]]|isbn=4-7973-1408-7|ref=harv}} - プログラム未経験者向けの入門書。 **{{Cite book|和書|author=高橋征義|coauthors=後藤裕蔵|others=まつもとゆきひろ監修|year=2006|month=8|title=たのしいRuby Rubyではじめる気軽なプログラミング|edition=第2版|publisher=ソフトバンクパブリッシング|isbn=4-7973-3661-7|ref=harv}} **{{Cite book|和書|author=高橋征義|coauthors=後藤裕蔵|others=まつもとゆきひろ監修|year=2010|month=3|title=たのしい Ruby|edition=第3版|publisher=ソフトバンクパブリッシング|isbn=978-4-7973-5740-0|ref=harv}} **{{Cite book|和書|author=高橋征義|coauthors=後藤裕蔵|others=まつもとゆきひろ監修|year=2013|month=6|title=たのしい Ruby|edition=第4版|publisher=ソフトバンクパブリッシング||isbn=978-4-7973-7227-4|ref=harv}} **{{Cite book|和書|author=高橋征義|coauthors=後藤裕蔵|others=まつもとゆきひろ監修|year=2016|month=2|title=たのしい Ruby|edition=第5版|publisher=ソフトバンクパブリッシング||isbn=978-4-7973-8629-5|ref=harv}} **{{Cite book|和書|author=高橋征義|coauthors=後藤裕蔵|others=まつもとゆきひろ監修|year=2019|month=3|title=たのしい 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ライブラリ編|publisher=オーム社|isbn=978-4-274-06810-2|ref=harv}} *{{Cite book|和書|author=David Flanagan|coauthors=まつもとゆきひろ|others=卜部昌平監訳、長尾高弘訳|year=2009|month=1|title=プログラミング言語 Ruby|publisher=[[オライリー・ジャパン]]|isbn=978-4-87311-394-4|ref=harv}} *{{Cite book|和書|author=まつもとゆきひろ|coauthors=石塚圭樹|year=1999|month=11|title=オブジェクト指向スクリプト言語 Ruby|series=ASCII software science : Language 11|publisher=[[アスキー (企業)|アスキー]]|isbn=4-7561-3254-5}} *{{Cite book|和書|author=まつもとゆきひろ|others=[[日経Linux]]編集|year=2009|month=5|title=まつもとゆきひろ コードの世界~スーパー・プログラマになる14の思考法|publisher=[[日経BP社]]|isbn=978-4-8222-3431-7|ref=harv}} *{{Citebook|和書 |title=独習Ruby |date=2021-09-13 |year=2021 |publisher=翔泳社 |ref=harv |author=山田祥寛 |edition=新版 |isbn=978-4-7981-6884-5 |series=独習シリーズ |author-link=山田祥寛}} == 関連項目 == {{Portal|FLOSS|[[ファイル:FLOSS logo.svg|41px]]}} *[[Goby(Golang+Ruby)]] *[[Perl]] *[[Python]] *[[スクリプト言語]] *[[オブジェクト指向プログラミング]] == 外部リンク == {{Commonscat|Ruby programming language}} {{Wikibooks}} *{{Official website|name=オブジェクト指向スクリプト言語 Ruby}}:Ruby公式ウェブサイト *{{URL|https://www.ruby.or.jp/|Rubyアソシエーション}} *[https://www.jisc.go.jp/app/jis/general/GnrJISNumberNameSearchList?show&jisStdNo=X3017 JISC - JISX3017 プログラム言語Ruby] {{Ruby programming language}} {{プログラミング言語一覧}} {{FOSS}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:RUBY}} {{pri|Ruby (代表的なトピック)}} [[Category:オブジェクト指向言語]] [[Category:オープンソースソフトウェア]] [[Category:スクリプト言語]] [[Category:Ruby|*]] [[Category:1995年のソフトウェア]]
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TeX
TeX (TeX) は,ドナルド・クヌース (Donald E. Knuth) が開発し,広く有志による拡張などが続けられている組版処理システムである。 TeXは以下のようなメリットがある。 スタンフォード大学のドナルド・クヌース教授(現在は退職)が、1976年に自身の著書 The Art of Computer Programming の改訂版の準備中に、鉛版により組版された (en:Hot metal typesetting) 旧版の職人仕事による美しさが、改訂版の当時の写植では再現できていないことに憤慨し、自分自身が心ゆくまで組版を制御するために開発を決意した。 クヌースはまず、伝統的な組版およびその関連技術に対する広範囲にわたる調査を行い、その調査結果を取り入れることで、商業品質の組版ができる、柔軟で強力な組版システムを開発した。それは技術と同時に芸術をも意味するギリシア語の言葉である、τέχνη(テクネ)から採られ“TeX”と名付けられた。 当初の開発は本業である研究や教育の合間仕事であったが、クヌースには1978年に1年間のサバティカルがあったことから、その1年間の全てをこれに集中して完成させるという見込みであった。しかし実際には、同年に初版をリリースしたものの、その後も改訂を続けることとなった。最終的に、後述する「完成版」の系列であるバージョン3の最初のリリースは、実に1989年のことであった。 TeXを他人が改造したり拡張したりした場合について、それを直接配布することをクヌースは許しておらず、change file というメカニズムを利用して差分を添付する、という形で行わなければならない(これは当時まだ diff と patch が一般的に広く使われていなかったことから、これもクヌースが開発したものである)。この制限はいわゆる「バザールモデル」であるとは多少言い難い所があるが、「オープンソースの定義」では(そのような制限との妥協の産物である)第4項により、差分等を添付した再配布を許しているならば、派生物の配布にそのような制限があってもよい、ということになっているため「オープンソースの定義」には合致している。 前述のような開発期間の長さの理由の一つに、クヌースが徹底的にバグを探して潰していたから、ということも挙げられる。どのようなバグを修正したか、ということも記録しており、ある時期までのものについて解説と一覧が『文芸的プログラミング』の第10章と第11章に収録されている。そのため、残っているバグは少ないだろうとして、ジョーク好きのクヌースが、バグ発見者に対しては前回のバグ発見者の2倍の懸賞金を掛けている。この賞金は小切手(クヌース賞金小切手)で払われるが、貰っても記念に取っておくばかりなので、結局クヌースの出費はほとんどないという(とはいえやはりジョークかもしれないが、やめておけば良かった、というように取れることも書いている)。 クヌースは TeX のバージョン 3 を開発した際に、これ以上の機能拡張はしないことを宣言した。その後は不具合の修正のみがなされ、バージョン番号は 3.14, 3.141, 3.1415, ... というように付けられている。これは更新の度に値が円周率に近づいていくようになっていて、クヌースの死の時点をもってバージョン π として、バージョンアップを打ち切るとのことである。 クヌースは TeX の開発と同時に、TeX で利用するフォントを作成するためのシステムである METAFONT も開発した。こちらのバージョン番号は 2.71, 2.718, 2.7182, ... というように、更新の度に値がネイピア数に近づいていくようになっている。さらにクヌースは METAFONT を使って、欧文フォント Computer Modern も設計(デザイン)した。Computer Modern(cmと略されることもある)にはクヌース自身の欧文フォントに対する美的感覚が反映され、全くのプレーンな TeX ではデフォルトのフォントであるが、現在の多くの利用者は Times など伝統的な定番フォントを使うよう設定していることも多い。 TeX および METAFONT はまた、同様にクヌース自身が提唱する文芸的プログラミング (Literate Programming) の「ドキュメンテーションを主とし、コードはそれに付随する」スタイルによる大規模なプロジェクトの一例でもある。やはりクヌースによる文芸的プログラミングのためのシステム WEB の tangle により、そのようにして書かれている文芸的な「プログラム」の中から Pascal で書かれているコード部分が取り出され、コンパイルできるように編集し直されて何らかの Pascal の実装により処理される(大規模なコードのため、多くの Pascal 実装において1個以上のバグを見つけている、ともいわれる)。同様にして WEB の weave を通して得られるドキュメントを書籍にしたものが TeXbook と METAFONTbook である。Pascal が使われているのは開発にとりかかったのが古く、C言語が広く一般的になるより前だったこともあるが、近年ではC言語をターゲットとした WEB である WEB2C が使われることも多い。 (注)LaTeXとの違いはLaTeX参照。LaTeXにはTeXより便利な機能が多いため、TeXを使用しているといってもLaTeXを利用している、という場合がある。ちなみに、後述にも登場するwikipedia上の数式は、Wikipediaサーバ上のLaTeXでSVG画像にしているものである。 製作者のドナルド・クヌースにより以下のように要請されている。 は ギリシア語: τέχνη「技術、芸術」に由来し、ギリシア文字の Τ(タウ)- Ε(イプシロン)- Χ(カイ)である。E を少し下げて、字間を詰めて書く。プレーンテキストなどそれができない場合には “TeX” と表記する(“TEX”や“Tex”と表記するのは誤り)。 英語のアルファベット ⟨X⟩(エックス、/ˈɛks/)として読むのではなく、ギリシア語風に無声軟口蓋摩擦音 /x/(ドイツ語の ach-laut の ⟨ch⟩)で /tex/ と発音するのが本来である。TeXbook では、そのように正しく発音するとコンピュータの端末(のCRTディスプレイ)が、呼気でちょっと曇る、と冗談が書かれている(CRTディスプレイが曇るという冗談はともかく、その発音が呼気を伴うものであるのは確か)。英語においては、多くの方言で音素 /x/ が存在せず代わりに /k/ が使われること、τέχνη に由来する英語: technical が /ˈtɛk.nɪk.əl/ と読むことから /ˈtɛk/ と読まれる。ドイツ語では /ɛ/ が前舌母音であることから ich-laut の発音になり、/ˈtɛç/ である。日本ではどれもカタカナで表現するのが難しいため「テック」ないし「テフ」と書かれる。ドイツ語の ⟨ch⟩ をハ行で表現することもあるので間違いとは言い切れないものの、あえてローマ字で書くなら ⟨hu⟩ であり、日本語の「ファ行のフ」である無声両唇摩擦音 /ɸ/(ローマ字で ⟨fu⟩)ではない。TeXbookの邦訳出版など、日本での普及に大きく関与したアスキーで、編集者だった鈴木嘉平によれば、アスキー社内では「テック」と読んでいたが、先輩編集者によれば(fuで発音する)「テフ」ではないとはっきり書いておかなかったのが原因で、日本には「テフ」が広まってしまった、という。 TeX はマークアップ言語のスタイルをとっている。すなわち、文章そのもの(テキスト)と文章の構造を指定する命令(コントロールシーケンス)が記述されたテキストファイルを読み込み、そこに書かれた命令により文章を組版し、組版結果を DVI 形式のファイルに書き出す。DVI 形式とは、装置に依存しない (device-independent) 中間形式のことである。処理系は多機能で、チューリング完全である。 DVIファイルには紙面のどの位置にどの文字を配置するかといった情報が書き込まれている。実際に紙に印刷したりディスプレイ上に表示したりするためには、DVI ファイルを解釈する別のソフトウェアが用いられる。DVI ファイルを扱うソフトウェアとして、各種のビューワや PostScript など他のページ記述言語へのトランスレータ、プリンタドライバなどが利用されている。 組版処理については、行分割およびページ分割位置の判別、ハイフネーション、リガチャ、およびカーニングなどを自動で処理でき、その自動処理の内容も種々のパラメータを変更することによりカスタマイズできる。数式組版についても、多くの機能が盛り込まれている。TeX が文字などを配置する分解能は 25.4/(72.27 × 2) mm(約 5.363 nm、4,736,286.72 dpi)である。 TeX の扱う命令文の中には、組版に直接係わる命令文の他に、新しい命令文を定義するための命令文もある。こうした命令文はマクロと呼ばれ、TeX ユーザー独自の改良により、種々のマクロパッケージが配布されている。 比較的よく知られている TeX 上のマクロパッケージには、クヌース自身による plain TeX、一般的な文書記述に優れた LaTeX、数学的文書用の AmS-TeX などがある。一般の使用者は、TeX を直接使うよりも、TeX に何らかのマクロパッケージを読み込ませたものを使うことの方が多い。 TeX の用途を拡張したマクロパッケージとして、他に次のようなものがある。 TeX とそれに関連するプログラム、および TeX のマクロパッケージなどは CTAN(Comprehensive TeX Archive Network、包括 TeX アーカイブネットワーク)からダウンロードできる。 たとえば は以下のように表示される。 また、 は以下のように表示される。 日本語組版処理のできる日本語版の TeX および LaTeX には、アスキーによる pTeX および pLaTeX と、NTT の斉藤康己による NTT JTeXおよび磯崎秀樹による NTT JLaTeX などがある。 TeX の日本語対応において技術的に最も大きな課題は、マルチバイト文字への対応である。pTeX(および前身の日本語 TeX)は、JIS X 0208 を文字集合とした文字コード(ISO-2022-JP、EUC-JP、および Shift_JIS)を直接扱う。DVI フォーマットは元々16ビット以上の文字コードを格納できる仕様が含まれていた。しかしオリジナルの英語版では使われていなかったため、既存プログラムの多くは pTeX が出力する DVI ファイルを処理できない。またフォントに関係するファイルフォーマットが拡張されている。これに対して NTT JTeX は、複数の1バイト文字セットに分割することで対応している。たとえば、ひらがなとカタカナは内部的には別々の1バイト文字セットとして扱われる。このためにオリジナルの英語版からの変更が小さく、移植も比較的容易である。ファイルフォーマットが同じなので英語版のプログラムで DVI ファイル等を処理することもできる。しかし後述するフォントのマッピングの問題があるため、実際には多くの使用者が NTT JTeX 用に拡張されたプログラムを使っている。 使用する日本語用フォントについては pTeX が写研フォントの使用を、NTT JTeX が大日本印刷フォントの使用を前提としており、それぞれフォントメトリック情報(フォントの文字寸法の情報)をバンドルして配布している。しかし有償であるこれらのフォントのグリフ情報を持っていなくても、画面表示や印刷の際に使用者が利用できる他の日本語用フォントで代用することができる。つまり写研フォントや大日本印刷フォントのフォントメトリック情報を用いて文字の位置を固定し、画面表示や個人ユースの安価なプリンタによるプレビュー印刷には他の日本語用フォントを用い、業者などによる最終的な出力では商用フォントを使用して目的の仕上がりを得る、といったことも可能である。このため日本語化された TeX 関係プログラムのほとんどは、画面表示や印刷で実際に使うフォントを選択できるように、フォントのマッピング(対応付け)を定義する機能を持っている。 歴史的には、アスキーが日本語 TeX の PC-9800 シリーズ対応版を販売したために個人の使用者を中心に普及した。一方、NTT JTeX は元の英語版プログラムからの変更が比較的小さいという利点を受けて、Unix系OSを使う大学や研究機関の関係者を中心に普及した。 しかし現在では次に挙げる理由から、日本語対応 TeX として pTeX が使われていることが多い。 TeX による組版の作業工程は、通常次のようになる。 この間、作業工程が変わるたびにそれぞれのプログラムを切り替えたり、扱う文書が大きいと章ごとにソースファイルを分割して管理したりと、比較的煩雑な作業を伴う。そのため、この工程に係わる各種のプログラムやソースファイルの管理を一元的に行う TeX 用の統合環境(TeXworks や TeXShop など)がいくつか作成されている。 GUI は PC の普及に一役買ったが、それとともに TeX などのコマンドラインインタプリタに不慣れな PC 利用者が増加した。そのために、GUI に特化した TeX 用統合環境が LyX などいくつか作成されている。 有名な TeX コミュニティの一つは TeX Users Group (TUG) であり、TUGboat(英語版) や The PracTeX Journal(英語版) (TPJ) を出版している。Deutschsprachige Anwendervereinigung TeX(英語版) はドイツの大きなユーザーグループである。tex.stackexchange.com は TeX ユーザーのための質問・回答サイトである。 TeX ユーザの集いは、日本で2009年以降毎年開かれている TeX の研究集会であり、TeX や組版・出版など関する知見の共有や、TeX ユーザーの相互交流を目的としている。ただし2013年は、TUG 2013 が東京で開催され、TeX ユーザの集いは開催されなかった。
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"title": "名称について" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "TeX はマークアップ言語のスタイルをとっている。すなわち、文章そのもの(テキスト)と文章の構造を指定する命令(コントロールシーケンス)が記述されたテキストファイルを読み込み、そこに書かれた命令により文章を組版し、組版結果を DVI 形式のファイルに書き出す。DVI 形式とは、装置に依存しない (device-independent) 中間形式のことである。処理系は多機能で、チューリング完全である。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "DVIファイルには紙面のどの位置にどの文字を配置するかといった情報が書き込まれている。実際に紙に印刷したりディスプレイ上に表示したりするためには、DVI ファイルを解釈する別のソフトウェアが用いられる。DVI ファイルを扱うソフトウェアとして、各種のビューワや PostScript など他のページ記述言語へのトランスレータ、プリンタドライバなどが利用されている。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "組版処理については、行分割およびページ分割位置の判別、ハイフネーション、リガチャ、およびカーニングなどを自動で処理でき、その自動処理の内容も種々のパラメータを変更することによりカスタマイズできる。数式組版についても、多くの機能が盛り込まれている。TeX が文字などを配置する分解能は 25.4/(72.27 × 2) mm(約 5.363 nm、4,736,286.72 dpi)である。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "TeX の扱う命令文の中には、組版に直接係わる命令文の他に、新しい命令文を定義するための命令文もある。こうした命令文はマクロと呼ばれ、TeX ユーザー独自の改良により、種々のマクロパッケージが配布されている。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "比較的よく知られている TeX 上のマクロパッケージには、クヌース自身による plain TeX、一般的な文書記述に優れた LaTeX、数学的文書用の AmS-TeX などがある。一般の使用者は、TeX を直接使うよりも、TeX に何らかのマクロパッケージを読み込ませたものを使うことの方が多い。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "TeX の用途を拡張したマクロパッケージとして、他に次のようなものがある。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "TeX とそれに関連するプログラム、および TeX のマクロパッケージなどは CTAN(Comprehensive TeX Archive Network、包括 TeX アーカイブネットワーク)からダウンロードできる。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "たとえば", "title": "数式の表示例" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "は以下のように表示される。", "title": "数式の表示例" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "また、", "title": "数式の表示例" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "は以下のように表示される。", "title": "数式の表示例" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "日本語組版処理のできる日本語版の TeX および LaTeX には、アスキーによる pTeX および pLaTeX と、NTT の斉藤康己による NTT JTeXおよび磯崎秀樹による NTT JLaTeX などがある。", "title": "TeX の日本語化" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "TeX の日本語対応において技術的に最も大きな課題は、マルチバイト文字への対応である。pTeX(および前身の日本語 TeX)は、JIS X 0208 を文字集合とした文字コード(ISO-2022-JP、EUC-JP、および Shift_JIS)を直接扱う。DVI フォーマットは元々16ビット以上の文字コードを格納できる仕様が含まれていた。しかしオリジナルの英語版では使われていなかったため、既存プログラムの多くは pTeX が出力する DVI ファイルを処理できない。またフォントに関係するファイルフォーマットが拡張されている。これに対して NTT JTeX は、複数の1バイト文字セットに分割することで対応している。たとえば、ひらがなとカタカナは内部的には別々の1バイト文字セットとして扱われる。このためにオリジナルの英語版からの変更が小さく、移植も比較的容易である。ファイルフォーマットが同じなので英語版のプログラムで DVI ファイル等を処理することもできる。しかし後述するフォントのマッピングの問題があるため、実際には多くの使用者が NTT JTeX 用に拡張されたプログラムを使っている。", "title": "TeX の日本語化" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "使用する日本語用フォントについては pTeX が写研フォントの使用を、NTT JTeX が大日本印刷フォントの使用を前提としており、それぞれフォントメトリック情報(フォントの文字寸法の情報)をバンドルして配布している。しかし有償であるこれらのフォントのグリフ情報を持っていなくても、画面表示や印刷の際に使用者が利用できる他の日本語用フォントで代用することができる。つまり写研フォントや大日本印刷フォントのフォントメトリック情報を用いて文字の位置を固定し、画面表示や個人ユースの安価なプリンタによるプレビュー印刷には他の日本語用フォントを用い、業者などによる最終的な出力では商用フォントを使用して目的の仕上がりを得る、といったことも可能である。このため日本語化された TeX 関係プログラムのほとんどは、画面表示や印刷で実際に使うフォントを選択できるように、フォントのマッピング(対応付け)を定義する機能を持っている。", "title": "TeX の日本語化" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "歴史的には、アスキーが日本語 TeX の PC-9800 シリーズ対応版を販売したために個人の使用者を中心に普及した。一方、NTT JTeX は元の英語版プログラムからの変更が比較的小さいという利点を受けて、Unix系OSを使う大学や研究機関の関係者を中心に普及した。", "title": "TeX の日本語化" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "しかし現在では次に挙げる理由から、日本語対応 TeX として pTeX が使われていることが多い。", "title": "TeX の日本語化" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "TeX による組版の作業工程は、通常次のようになる。", "title": "TeX による組版の作業工程" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "この間、作業工程が変わるたびにそれぞれのプログラムを切り替えたり、扱う文書が大きいと章ごとにソースファイルを分割して管理したりと、比較的煩雑な作業を伴う。そのため、この工程に係わる各種のプログラムやソースファイルの管理を一元的に行う TeX 用の統合環境(TeXworks や TeXShop など)がいくつか作成されている。", "title": "TeX による組版の作業工程" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "GUI は PC の普及に一役買ったが、それとともに TeX などのコマンドラインインタプリタに不慣れな PC 利用者が増加した。そのために、GUI に特化した TeX 用統合環境が LyX などいくつか作成されている。", "title": "TeX による組版の作業工程" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "有名な TeX コミュニティの一つは TeX Users Group (TUG) であり、TUGboat(英語版) や The PracTeX Journal(英語版) (TPJ) を出版している。Deutschsprachige Anwendervereinigung TeX(英語版) はドイツの大きなユーザーグループである。tex.stackexchange.com は TeX ユーザーのための質問・回答サイトである。", "title": "コミュニティ" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "TeX ユーザの集いは、日本で2009年以降毎年開かれている TeX の研究集会であり、TeX や組版・出版など関する知見の共有や、TeX ユーザーの相互交流を目的としている。ただし2013年は、TUG 2013 が東京で開催され、TeX ユーザの集いは開催されなかった。", "title": "コミュニティ" } ]
TeX (TeX) は,ドナルド・クヌース が開発し,広く有志による拡張などが続けられている組版処理システムである。
{{Otheruses|組版処理システム|その他のTEX、tex|TEX}} {{DISPLAYTITLE:{{TeX}}}} {{WikipediaPage|ウィキメディアプロジェクトにおける {{TeX}} を利用した組版については、「[[m:Help:Displaying a formula/ja|ヘルプ:数式の書き方]]」の項目をご覧ください。}} {{Infobox Software | 名称 = {{TeX}} | ロゴ = [[File:TeX logo.svg|100px|The TeX logo]] | スクリーンショット = | 説明文 = マークアップ言語による組版処理システム | 開発者 = [[ドナルド・クヌース|Donald E. Knuth]] | 開発元 = | 初版 = {{start date and age|df=yes|1978}} | 最新版 = 3.141592653 | 最新版発表日 = {{start date and age|2021|02|05}}<ref>{{Cite web |url=https://www.ctan.org/pkg/tex|title=CTAN: Package TeX |publisher=CTAN |accessdate=2021-02-21}}</ref> | 最新評価版 = | 最新評価版発表日 = | プログラミング言語 = [[WEB]] | 対応OS = [[クロスプラットフォーム]] | エンジン = | 対応プラットフォーム = | サイズ = | サポート状況 = 開発中 | 種別 = [[組版]]処理 | ライセンス = [[パーミッシブ・ライセンス]] | 公式サイト = [https://tug.org/ The TeX Users Group (TUG)] | 対応言語 = }} '''{{TeX}}''' (TeX) は,[[ドナルド・クヌース]] (Donald E. Knuth) が開発<ref>{{Cite book|和書 | author= bit 編集部 |title= bit 単語帳 | year=1990 | date=1990-8-15 |page=155 |publisher=[[共立出版]]|isbn =4-320-02526-1 }}</ref>し,広く有志による拡張などが続けられている[[組版]]処理システムである。 == 概要 == === TeXの特徴 === TeXは以下のようなメリットがある<ref>{{Cite book|和書|title=LaTeX2ε美文書作成入門|date=11月27日|year=2020年|publisher=技術評論社|page=p.1}}</ref>。 * オープンソースソフトである。 * 出力結果がWindows, Macといった機器によらない。 * 自動処理が多い。 * 数式の仕上がりに定評がある(cf.「数式の表示例」)。 === TeXの成立 === スタンフォード大学の[[ドナルド・クヌース]]教授(現在は退職)が、1976年に自身の著書 ''[[The Art of Computer Programming]]'' の改訂版の準備中に、[[鉛版]]により[[組版]]された ([[:en:Hot metal typesetting]]) 旧版の職人仕事による美しさが、改訂版の当時の[[写真植字|写植]]では再現できていないことに憤慨し、自分自身が心ゆくまで組版を制御するために開発を決意した。 クヌースはまず、伝統的な組版およびその関連技術に対する広範囲にわたる調査を行い、その調査結果を取り入れることで、商業品質の組版ができる、柔軟で強力な組版システムを開発した。それは技術と同時に芸術をも意味するギリシア語の言葉である、τέχνη(テクネ)から採られ“{{TeX}}”と名付けられた{{sfn|Knuth|1984}}。 当初の開発は本業である研究や教育の合間仕事であったが、クヌースには1978年に1年間の[[サバティカル]]があったことから、その1年間の全てをこれに集中して完成させるという見込みであった。しかし実際には、同年に初版をリリースしたものの、その後も改訂を続けることとなった。最終的に、後述する「完成版」の系列であるバージョン3の最初のリリースは、実に1989年のことであった。 [[画像:knuth-check2.png|thumb|right|クヌースの賞金小切手(一部[[モザイク処理|ボカシ]]入)]] <!--{{TeX}}のライセンスは[[オープンソースの定義]]に合致しており{{要出典|date=2017年3月}}、 -->{{TeX}}を他人が改造したり拡張したりした場合について、それを直接配布することをクヌースは許しておらず、'''change file''' というメカニズムを利用して差分を添付する、という形で行わなければならない(これは当時まだ diff と patch が一般的に広く使われていなかったことから、これもクヌースが開発したものである)。この制限はいわゆる「[[伽藍とバザール|バザールモデル]]」であるとは多少言い難い所があるが、「[[オープンソースの定義]]」では(そのような制限との妥協の産物である)第4項により、差分等を添付した再配布を許しているならば、派生物の配布にそのような制限があってもよい、ということになっているため「オープンソースの定義」には合致している。<!-- 誰でも改良を加えることができる。その改良版の配布も、{{TeX}} と明らかに区別できる名称にさえすれば許される。また、 --><!--そもそも利用者がソフトウェアを改良することは著作権法が同一性保持権の及ばない範囲としてわざわざ書いており、自由さを表現するためにそのようなことを書くこと自体がプロプラ脳症である--> 前述のような開発期間の長さの理由の一つに、クヌースが徹底的にバグを探して潰していたから、ということも挙げられる。どのようなバグを修正したか、ということも記録しており、ある時期までのものについて解説と一覧が『文芸的プログラミング』の第10章と第11章に収録されている。そのため、残っているバグは少ないだろうとして、ジョーク好きのクヌースが、バグ発見者に対しては前回のバグ発見者の2倍の懸賞金を掛けている。この賞金は[[小切手]]([[クヌース賞金小切手]])で払われるが、貰っても記念に取っておくばかりなので、結局クヌースの出費はほとんどないという(とはいえやはりジョークかもしれないが、やめておけば良かった、というように取れることも書いている)。 クヌースは {{TeX}} のバージョン 3 を開発した際に、これ以上の機能拡張はしないことを宣言した。その後は不具合の修正のみがなされ、バージョン番号は 3.14, 3.141, 3.1415, … というように付けられている。これは更新の度に値が[[円周率]]に近づいていくようになっていて、クヌースの死の時点をもってバージョン {{π}} として、バージョンアップを打ち切るとのことである<ref group="注">2021年2月現在のバージョンは 3.141592653 である。</ref>。 クヌースは {{TeX}} の開発と同時に、{{TeX}} で利用する[[フォント]]を作成するためのシステムである [[METAFONT]] も開発した。こちらのバージョン番号は 2.71, 2.718, 2.7182, … というように、更新の度に値が[[ネイピア数]]に近づいていくようになっている<ref group="注">2021年2月現在のバージョンは 2.71828182 である。</ref>。さらにクヌースは METAFONT を使って、欧文フォント [[Computer Modern]] も設計(デザイン)した。Computer Modern(cmと略されることもある)にはクヌース自身の欧文フォントに対する美的感覚が反映され、全くのプレーンな {{TeX}} ではデフォルトのフォントであるが、現在の多くの利用者は Times など伝統的な定番フォントを使うよう設定していることも多い。 {{TeX}} および METAFONT はまた、同様にクヌース自身が提唱する[[文芸的プログラミング]] (Literate Programming) の「ドキュメンテーションを主とし、コードはそれに付随する」スタイルによる大規模なプロジェクトの一例でもある。やはりクヌースによる文芸的プログラミングのためのシステム [[WEB]] の tangle により、そのようにして書かれている文芸的な「プログラム」の中から [[Pascal]] で書かれているコード部分が取り出され、[[コンパイル]]できるように編集し直されて何らかの Pascal の実装により処理される(大規模なコードのため、多くの Pascal 実装において1個以上のバグを見つけている、ともいわれる)。同様にして WEB の weave を通して得られるドキュメントを書籍にしたものが {{TeX}}book と METAFONTbook である。Pascal が使われているのは開発にとりかかったのが古く、[[C言語]]が広く一般的になるより前だったこともあるが、近年ではC言語をターゲットとした WEB である WEB2C が使われることも多い。 '''(注)'''LaTeXとの違いは[[LaTeX]]参照。LaTeXにはTeXより便利な機能が多いため、TeXを使用しているといってもLaTeXを利用している、という場合がある。ちなみに、後述にも登場するwikipedia上の数式は、Wikipediaサーバ上のLaTeXで[[Scalable Vector Graphics|SVG]]画像にしているものである。 == 名称について == 製作者の[[ドナルド・クヌース]]により以下のように要請されている。 === 表記 === [[画像:TeX_logo.svg|middle|x16px|\TeX]] は {{lang-el|τέχνη}}「技術、芸術」に由来し、[[ギリシア文字]]の [[&Tau;]](タウ)- [[&Epsilon;]](イプシロン)- [[&Chi;]](カイ)である。E を少し下げて、字間を詰めて書く。[[プレーンテキスト]]などそれができない場合には “'''TeX'''” と表記する(“TEX”や“Tex”と表記するのは誤り)。 === 読み方 === 英語の[[アルファベット]] {{angbr|X}}(エックス、{{IPA|/ˈɛks/}})として読むのではなく、[[ギリシア語]]風に[[無声軟口蓋摩擦音]] {{IPA|/x/}}(ドイツ語の [[ドイツ語音韻論|ach-laut]] の {{angbr|ch}})で /tex/ と発音するのが本来である{{sfn|Knuth|1984|loc=Ch. 1: The Name of the Game|p=1}}。''{{TeX}}book'' では、そのように正しく発音するとコンピュータの端末(のCRTディスプレイ)が、呼気でちょっと曇る、と冗談が書かれている(CRTディスプレイが曇るという冗談はともかく、その発音が呼気を伴うものであるのは確か)。英語においては、多くの方言で音素 {{IPA|/x/}} が存在せず代わりに {{IPA|/k/}} が使われること、{{lang|grc|τέχνη}} に由来する{{lang-en|technical}} が {{IPA|/ˈtɛk.nɪk.əl/}} と読むことから {{IPA|/ˈtɛk/}} と読まれる。ドイツ語では {{IPA|/ɛ/}} が[[前舌母音]]であることから [[ドイツ語音韻論|ich-laut]] の発音になり、{{IPA|/ˈtɛç/}} である。日本ではどれもカタカナで表現するのが難しいため「テック」ないし「テフ」と書かれる。ドイツ語の {{angbr|ch}} をハ行で表現することもあるので間違いとは言い切れないものの、あえてローマ字で書くなら {{angbr|hu}} であり、日本語の「ファ行のフ」である[[無声両唇摩擦音]] {{IPA|/ɸ/}}(ローマ字で {{angbr|fu}})ではない。''{{TeX}}book''の邦訳出版など、日本での普及に大きく関与したアスキーで、編集者だった鈴木嘉平によれば、アスキー社内では「テック」と読んでいたが、先輩編集者によれば(fuで発音する)「テフ」ではないとはっきり書いておかなかったのが原因で、日本には「テフ」が広まってしまった、という<ref>[https://www.kahei.org/2014/04/tex.html Talpa memorandum: TeXはテック]</ref>。 == 機能 == {{TeX}} は[[マークアップ言語]]のスタイルをとっている。すなわち、文章そのもの(テキスト)と文章の構造を指定する命令(コントロールシーケンス)が記述された[[テキストファイル]]を読み込み、そこに書かれた命令により文章を[[組版]]し、組版結果を [[DVI (ファイルフォーマット)|DVI]] 形式のファイルに書き出す。DVI 形式とは、装置に依存しない ('''d'''e'''v'''ice-'''i'''ndependent) 中間形式のことである。処理系は多機能で、[[チューリング完全]]である。 DVIファイルには紙面のどの位置にどの文字を配置するかといった情報が書き込まれている。実際に紙に印刷したりディスプレイ上に表示したりするためには、DVI ファイルを解釈する別のソフトウェアが用いられる。DVI ファイルを扱うソフトウェアとして、各種のビューワや [[PostScript]] など他のページ記述言語へのトランスレータ、プリンタ[[デバイスドライバ|ドライバ]]などが利用されている。 組版処理については、行分割およびページ分割位置の判別、[[ハイフン|ハイフネーション]]、[[合字|リガチャ]]、および[[カーニング]]などを自動で処理でき、その自動処理の内容も種々のパラメータを変更することによりカスタマイズできる。数式組版についても、多くの機能が盛り込まれている。{{TeX}} が文字などを配置する分解能は {{nowrap|25.4/(72.27 × 2{{sup|16}}) mm}}(約 5.363&nbsp;[[ナノメートル|nm]]、4,736,286.72&nbsp;[[dpi]])である。 {{TeX}} の扱う命令文の中には、組版に直接係わる命令文の他に、新しい命令文を定義するための命令文もある。こうした命令文は[[マクロ (コンピュータ用語)|マクロ]]と呼ばれ、{{TeX}} ユーザー独自の改良により、種々のマクロパッケージが配布されている。 比較的よく知られている {{TeX}} 上のマクロパッケージには、クヌース自身による plain {{TeX}}、一般的な文書記述に優れた [[LaTeX|{{LaTeX}}]]、数学的文書用の [[AmS-TeX|{{AmS-TeX}}]] などがある。一般の使用者は、{{TeX}} を直接使うよりも、{{TeX}} に何らかのマクロパッケージを読み込ませたものを使うことの方が多い。 {{TeX}} の用途を拡張したマクロパッケージとして、他に次のようなものがある。 *[[BibTeX|{{BibTeX}}]] - [[参考文献]]リストの作成に用いる。 *[[SLiTeX|{{SLiTeX}}]] - [[プレゼンテーション]]用[[スライド (写真)|スライド]]の作成に用いる<ref>[http://mirror.ctan.org/help/Catalogue/entries/slides.html The TeX Catalogue OnLine, Entry for slides, Ctan Edition]([http://www.ring.gr.jp/pub/text/CTAN/help/Catalogue/entries/slides.html Ring Server によるミラーリング])</ref>。 *[[AMS-LaTeX|{{AmS-LaTeX}}]] - 数学的な文書の記述に強い [[AmS-TeX|{{AmS-TeX}}]] の機能と {{LaTeX}} の機能を併せ持つ<ref>[http://www.ams.org/tex/amslatex.html AMS-LaTeX &mdash; American Mathematical Society]</ref><ref>[http://mirror.ctan.org/help/Catalogue/entries/amslatex.html The TeX Catalogue OnLine, Entry for amslatex, Ctan Edition]([http://www.ring.gr.jp/pub/text/CTAN/help/Catalogue/entries/amslatex.html Ring Server によるミラーリング])</ref>。 *[[XyMTeX|{{XyMTeX}}]] - [[化学式#構造式|化学構造式]]の描画に用いる<ref>[http://xymtex.com/fujitas3/xymtex/ XyMTeX 化学構造式描画システム]</ref><ref>[http://mirror.ctan.org/help/Catalogue/entries/xymtex.html The TeX Catalogue OnLine, Entry for XyMTeX, Ctan Edition]([http://www.ring.gr.jp/pub/text/CTAN/help/Catalogue/entries/xymtex.html Ring Server によるミラーリング])</ref>。 *[[MusiXTeX|MusiX{{TeX}}]] - [[楽譜]]の記述に用いる<ref>[http://icking-music-archive.org/software/indexmt6.html Werner Icking Music Archive: MusiXTeX Files]</ref><ref>[http://mirror.ctan.org/help/Catalogue/entries/musixtex.html The TeX Catalogue OnLine, Entry for MusiXTeX, Ctan Edition]([http://www.ring.gr.jp/pub/text/CTAN/help/Catalogue/entries/musixtex.html Ring Server によるミラーリング])</ref>。 {{TeX}} とそれに関連するプログラム、および {{TeX}} のマクロパッケージなどは [[CTAN]]('''C'''omprehensive '''T'''eX '''A'''rchive '''N'''etwork、包括 {{TeX}} アーカイブネットワーク)<ref>[http://www.ctan.org/ the Comprehensive TeX Archive Network]</ref>からダウンロードできる。 == 数式の表示例 == たとえば <syntaxhighlight lang="latex">-b\pm \sqrt{b^2 -4ac} \over 2a</syntaxhighlight><!-- <syntaxhighlight lang="latex">\frac{-b \pm \sqrt{b^2 -4ac}}{2a}</syntaxhighlight> <syntaxhighlight lang="latex">-b\pm \sqrt{b^2 -4ac} \over 2a</syntaxhighlight>--> は以下のように表示される。 :<math>-b\pm \sqrt{b^2 -4ac} \over 2a</math> また、 <syntaxhighlight lang="latex">f(a,b)=\int_a^b \frac{1+x}{a+x^2 +x^3} \, dx</syntaxhighlight> は以下のように表示される。 :<math>f(a,b)=\int_a^b \frac{1+x}{a+x^2 +x^3} \, dx</math> == {{TeX}} の日本語化 == {{更新|date=2023年6月}}<!-- (e-)upTeXがやLuaTeXについても言及が必要。 --> [[日本語]]組版処理のできる日本語版の {{TeX}} および {{LaTeX}} には、[[アスキー (企業)|アスキー]]による [[Publishing TeX|{{pTeX}}]] および {{pLaTeX}} と、[[日本電信電話|NTT]] の斉藤康己による [[NTT JTeX|NTT {{JTeX}}]]<ref group="注">NTT {{JTeX}} は[[千葉大学]]の櫻井貴文によって [[UNIX]] システムに移植され、メンテナンスされている。現在、「[http://www.math.s.chiba-u.ac.jp/~sakurai/software.html Software by Takafumi SAKURAI]」で公開されている。</ref>および磯崎秀樹による NTT {{JLaTeX}} などがある。 {{TeX}} の日本語対応において技術的に最も大きな課題は、[[マルチバイト文字]]への対応である。{{pTeX}}(および前身の日本語 {{TeX}})は、[[JIS X 0208]] を[[文字集合]]とした[[文字コード]]([[ISO-2022-JP]]、[[EUC-JP]]、および [[Shift_JIS]])を直接扱う。DVI フォーマットは元々16[[ビット]]以上の文字コードを格納できる仕様が含まれていた。しかしオリジナルの英語版では使われていなかったため、既存プログラムの多くは {{pTeX}} が出力する DVI ファイルを処理できない。また[[フォント]]に関係するファイルフォーマットが拡張されている。これに対して NTT {{JTeX}} は、複数の1[[バイト (情報)|バイト]]文字セットに分割することで対応している。たとえば、ひらがなとカタカナは内部的には別々の1バイト文字セットとして扱われる。このためにオリジナルの英語版からの変更が小さく、移植も比較的容易である。ファイルフォーマットが同じなので英語版のプログラムで DVI ファイル等を処理することもできる。しかし後述するフォントのマッピングの問題があるため、実際には多くの使用者が NTT {{JTeX}} 用に拡張されたプログラムを使っている。 使用する[[日本語]]用フォントについては {{pTeX}} が[[写研]]フォントの使用を、NTT {{JTeX}} が[[大日本印刷]]フォントの使用を前提としており、それぞれフォントメトリック情報(フォントの文字寸法の情報)を[[バンドル]]して配布している。しかし有償であるこれらのフォントのグリフ情報を持っていなくても、画面表示や印刷の際に使用者が利用できる他の日本語用フォントで代用することができる。つまり写研フォントや大日本印刷フォントのフォントメトリック情報を用いて文字の位置を固定し、画面表示や個人ユースの安価なプリンタによるプレビュー印刷には他の日本語用フォントを用い、業者などによる最終的な出力では商用フォントを使用して目的の仕上がりを得る、といったことも可能である。このため日本語化された TeX 関係プログラムのほとんどは、画面表示や印刷で実際に使うフォントを選択できるように、フォントのマッピング(対応付け)を定義する機能を持っている。 歴史的には、[[アスキー (企業)|アスキー]]が日本語 {{TeX}} の [[PC-9800シリーズ|PC-9800 シリーズ]]対応版を販売したために個人の使用者を中心に普及した。一方、NTT {{JTeX}} は元の英語版プログラムからの変更が比較的小さいという利点を受けて、[[Unix系]]OSを使う大学や研究機関の関係者を中心に普及した。 しかし現在では次に挙げる理由から、日本語対応 {{TeX}} として {{pTeX}} が使われていることが多い。 *[[Unix系]]OS用の主な日本語対応 {{TeX}} 配布形態である ptexlive<ref>[http://tutimura.ath.cx/ptexlive/ ptexlive Wiki]</ref>や ptetex3<ref>[http://tutimura.ath.cx/~nob/tex/ptetex.html ptetex&mdash;teTeX 用日本語パッチ集]</ref><ref>[http://tutimura.ath.cx/ptetex/ ptetex Wiki]</ref>が {{pTeX}} のみを採用している。 *[[Microsoft Windows]] 用の主な日本語対応 {{TeX}} 配布形態である [[W32TeX]]<ref>[http://w32tex.org/index-ja.html W32TeX{{ja icon}}]</ref>が {{pTeX}} を扱える(NTT {{JTeX}} も扱える)。 *{{pTeX}} の扱い方を解説する文献の方が、NTT {{JTeX}} のものに比べて、出版物と [[World Wide Web|Web]] 上文書の両方で多い。 *{{pTeX}} は[[縦組み]]にも対応しているが、NTT {{JTeX}} は対応していない。 == {{TeX}} による組版の作業工程 == {{TeX}} による組版の作業工程は、通常次のようになる。 #文章に組版用命令文を織り込んだ[[テキストファイル]]である、tex ファイルを作成する([[テキストエディタ]]などで)。 #[[オペレーティングシステム|OS]] の[[コマンドライン]]から “<code>tex <em>FileName</em>.tex</code>” などと入力して {{TeX}} を起動し、DVI ファイルを生成させる。 #*ソースファイルにエラーがあれば、修正して再度 {{TeX}} を起動する。 #DVI 命令文を解するソフトウェア(DVI ウェア)を用いて組版結果を表示し、確認する。 #*DVI ウェアには [[xdvi]] / [[xdvik]] や [[dviout]]<ref>[http://akagi.ms.u-tokyo.ac.jp/dvitest.html dviout/dviprt 開発室 &mdash; Oshima Laboratory]</ref><ref>[http://mirror.ctan.org/help/Catalogue/entries/dviout.html The TeX Catalogue OnLine, Entry for dviout, Ctan Edition]([http://www.ring.gr.jp/pub/text/CTAN/help/Catalogue/entries/dviout.html Ring Server によるミラーリング])</ref>などの DVI ヴューア、[[Dvips|Dvips(k)]] や [[dvipdfm]] / DVIPDFM''x'' などの[[ファイルフォーマット|ファイル形式]]変換[[ソフトウェア]]などがある<ref group="注">各 DVI ウェアの間には DVI ファイルの解釈・表示について[[互換性]]がない場合がある。特に、ある DVI ウェアに依存したパッケージをソースファイルに用いるなどして、その DVI ウェア用の専用命令文 (special) を埋め込んで作成した DVI ファイルは、当然ながらその専用命令文を解釈可能な DVI ウェアでなければ画面表示・印刷などが正しくできない。</ref>。 #*DVI ファイルを DVI ビューアで画面表示または印刷する、あるいは [[Portable Document Format|PDF]] や [[PostScript]] に変換して画面表示または印刷することで、組版結果を確認する。 #*修正の必要があれば、ソースファイルを修正して再度DVIファイルを作成、確認する。 この間、作業工程が変わるたびにそれぞれのプログラムを切り替えたり、扱う文書が大きいと章ごとにソースファイルを分割して管理したりと、比較的煩雑な作業を伴う。そのため、この工程に係わる各種のプログラムやソースファイルの管理を一元的に行う {{TeX}} 用の[[統合開発環境|統合環境]]([[TeXworks]] や [[TeXShop]] など)がいくつか作成されている。 === GUI 環境と {{TeX}} === [[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]] は [[パーソナルコンピュータ|PC]] の普及に一役買ったが、それとともに {{TeX}} などの[[コマンドラインインタプリタ]]に不慣れな PC 利用者が増加した。そのために、GUI に特化した {{TeX}} 用[[統合開発環境|統合環境]]が [[LyX]]<ref>[http://www.lyx.org/WebJa.Home LyX]</ref> などいくつか作成されている。 == 関連ソフトウェア == *DVI ウェア **[[xdvi]]/[[xdvik]], [[dviout for Windows]], [[Dvips|Dvips(k)]], [[dvipdfm]] / DVIPDFM''x'' など。 *{{TeX}} 文書の文献管理のための [[BibTeX|{{BibTeX}}]] や索引作成のための ''[[MakeIndex]]''<ref>[http://mirror.ctan.org/help/Catalogue/entries/makeindex.html The TeX Catalogue OnLine, Entry for ''MakeIndex'', Ctan Edition]([http://www.ring.gr.jp/pub/text/CTAN/help/Catalogue/entries/makeindex.html Ring Server によるミラーリング])</ref>。 *機能拡張版 {{TeX}} **[[pdfTeX|pdf{{TeX}}]], [[ConTeXt|{{ConTeXt}}]], [[e-TeX|{{e-TeX}}]]<ref>[http://mirror.ctan.org/help/Catalogue/entries/etex.html The TeX Catalogue OnLine, Entry for etex, Ctan Edition]([http://www.ring.gr.jp/pub/text/CTAN/help/Catalogue/entries/etex.html Ring Server によるミラーリング])</ref>, [[XeTeX|{{XeTeX}}]] など。 *[[Unicode]] をベースとした多言語拡張版 {{TeX}} **Omega<ref>[http://mirror.ctan.org/help/Catalogue/entries/omega.html The {{TeX}} Catalogue OnLine, Entry for Omega, Ctan Edition]([http://www.ring.gr.jp/pub/text/CTAN/help/Catalogue/entries/omega.html Ring Server によるミラーリング])</ref>(lambda), Aleph<ref>[http://mirror.ctan.org/help/Catalogue/entries/aleph.html The {{TeX}} Catalogue OnLine, Entry for aleph, Ctan Edition]([http://www.ring.gr.jp/pub/text/CTAN/help/Catalogue/entries/aleph.html Ring Server によるミラーリング])</ref> (lamed) など。 *[[Kile]], [[TeXShop]]<ref>[http://www.uoregon.edu/~koch/texshop/ TeXShop &mdash; Richard <span style="font-variant: small-caps">Koch</span>]</ref><ref>[http://mirror.ctan.org/help/Catalogue/entries/texshop.html The TeX Catalogue OnLine, Entry for TeXShop, Ctan Edition]([http://www.ring.gr.jp/pub/text/CTAN/help/Catalogue/entries/texshop.html Ring Server によるミラーリング])</ref>, EasyTeX<ref>[http://www.juen.ac.jp/math/nakagawa/texguide.html#easytex TeX 入門 #EasyTeX &mdash; 中川 仁]</ref>, [[WinShell]] などの[[統合開発環境|統合環境]]や、[[TeXmacs]]<ref>[http://www.texmacs.org/ Welcome to GNU TeXmacs (FSF GNU project)]</ref><ref>[http://mirror.ctan.org/help/Catalogue/entries/texmacs.html The TeX Catalogue OnLine, Entry for TeXmacs, Ctan Edition]([http://www.ring.gr.jp/pub/text/CTAN/help/Catalogue/entries/texmacs.html Ring Server によるミラーリング])</ref>, [[LyX]] などの [[グラフィカルユーザインターフェース|GUI]] [[フロントエンド]]。 *[[TeX Live|{{TeX}} Live]]<ref>[http://texlive.org/ {{TeX}} Live &mdash; {{TeX}} Users Group]</ref><ref>[http://mirror.ctan.org/help/Catalogue/entries/texlive.html The {{TeX}} Catalogue OnLine, Entry for texlive, Ctan Edition]([http://www.ring.gr.jp/pub/text/CTAN/help/Catalogue/entries/texlive.html Ring Server によるミラーリング])</ref>や [[teTeX|te{{TeX}}]]<ref>[http://tug.org/teTeX/ The teTeX Homepage]</ref><ref>[http://mirror.ctan.org/help/Catalogue/entries/tetex.html The {{TeX}} Catalogue OnLine, Entry for te{{TeX}}, Ctan Edition]([http://www.ring.gr.jp/pub/text/CTAN/help/Catalogue/entries/tetex.html Ring Server によるミラーリング])</ref>などの {{TeX}} 配布形態や、[[mimeTeX]]<ref>[http://www.forkosh.com/mimetex.html mimeTeX quickstart]</ref><ref>[http://mirror.ctan.org/help/Catalogue/entries/mimetex.html The TeX Catalogue OnLine, Entry for mimeTeX, Ctan Edition]([http://www.ring.gr.jp/pub/text/CTAN/help/Catalogue/entries/mimetex.html Ring Server によるミラーリング])</ref>などの {{TeX}} [[サブセット]]。 *[[Textext]]<ref>[http://www.iki.fi/pav/software/textext/ Textext &mdash; Pauli <span style="font-variant: small-caps">Virtanen</span>]</ref>、[[InkLaTeX]]<ref>[http://www.kono.cis.iwate-u.ac.jp/~arakit/inkscape/inklatex-ja.html Inkscape de LaTeX]</ref>などの [[Inkscape]] への {{TeX}} プラグイン。 *[[KETpic]] - [[Maxima]] 上、[[Scilab]] 上、[[Mathematica]] 上、および [[Maple]] 上で {{TeX}} 描画コードである [[tpic specials]] を生成するマクロパッケージ *[[MathType]] version 6.5 以降では、[[Microsoft Word]] 上に書かれた {{TeX}} の命令文を直接数式に変換できるようになった。現時点では [[Microsoft PowerPoint|PowerPoint]] 上での {{TeX}} の命令文による直接的な数式編集はできない。 == コミュニティ == {{節スタブ|date=Oct 2016}} [[画像:Logo TUG.svg|thumb|upright=0.4|{{TeX}} Users Group のロゴ]] 有名な {{TeX}} コミュニティの一つは {{TeX}} Users Group (TUG) であり、''{{仮リンク|TUGboat|en|TUGboat}}''<ref>[http://tug.org/TUGboat/ TUGboat - Communications of the TeX Users Group]</ref> や ''{{仮リンク|The PracTeX Journal|en|The PracTeX Journal}}''<ref>[http://tug.org/pracjourn/index.html The PracTeX Journal home page]</ref> (TPJ) を出版している。{{仮リンク|Deutschsprachige Anwendervereinigung TeX|en|Deutschsprachige Anwendervereinigung TeX}}<ref>[https://www.dante.de/ Dante e.V.]</ref> はドイツの大きなユーザーグループである。tex.stackexchange.com<ref>[http://tex.stackexchange.com/ tex.stackexchange.com]</ref> は {{TeX}} ユーザーのための質問・回答サイトである。 {{TeX}} ユーザの集いは、日本で2009年以降毎年開かれている {{TeX}} の研究集会であり、{{TeX}} や組版・出版など関する知見の共有や、{{TeX}} ユーザーの相互交流を目的としている<ref>[http://oku.edu.mie-u.ac.jp/texconf09/ {{TeX}} ユーザの集い2009]</ref><ref>[http://texconf15.tumblr.com/ {{TeX}} ユーザの集い2015]</ref>。ただし2013年は、TUG 2013 が東京で開催され、{{TeX}} ユーザの集いは開催されなかった<ref>[http://www.tug.org/tug2013/jp/ TUG 2013 - TeX Users Group]</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 補足 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == *{{Cite book|和書 |author=奥村晴彦|authorlink=奥村晴彦 |title={{LaTeX2e}} 美文書作成入門 |edition=改訂第7版 |publisher=[[技術評論社]] |year=2017|isbn=978-4774187051|ref=harv}} *{{Cite book|和書 |editor=大野義夫|editor-link=大野義夫 |title={{TeX}} 入門 |publisher=[[共立出版]] |year=1989 |isbn=978-4320024885 |ref=harv}} *{{Citation |first=Donald Ervin |last=Knuth |title=The {{TeX}}book |series=[[Computers and Typesetting]] |volume=A |place=Reading, [[Massachusetts|MA]] |publisher=Addison-Wesley |year=1984 |ISBN=0-201-13448-9}} == 関連項目 == {{wikibooks|TeX/LaTeX入門| {{TeX}} }} {{MediaWiki|Manual:Enable TeX|Enable {{TeX}}}} {{MediaWiki|Extension:WikiTeX|WikiTeX}} *[[Publishing TeX|Publishing {{TeX}}]] ({{pTeX}}) *[[LaTeX|{{LaTeX}}]] *[[pdfTeX|pdf{{TeX}}]] *[[LuaTeX|{{LuaTeX}}]] *[[XeTeX|{{XeTeX}}]] *[[ConTeXt|{{ConTeXt}}]] *[[MathJax]] *[[DVI (ファイルフォーマット)]] *[[ドナルド・クヌース]] == 外部リンク == {{Commonscat|2={{TeX}}}} *[https://www-cs-faculty.stanford.edu/~knuth/ Don Knuth's Home Page]{{en icon}} *[https://tug.org/ The TeX Users Group (TUG)]{{en icon}} *[https://www.ctan.org/ The Comprehensive {{TeX}} Archive Network (CTAN)]{{en icon}} *[https://texwiki.texjp.org {{TeX}} Wiki] - {{TeX}} に関する日本語[[ウィキ]]サイト {{TeX関連}} {{Free and open source typography}} {{タイポグラフィ用語}} {{マークアップ言語一覧}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:TeX}} [[Category:TeX|*]] [[Category:マークアップ言語]] [[Category:DTPソフト]] [[Category:コンピュータ言語]] [[Category:1978年のソフトウェア]] [[Category:ドナルド・クヌース]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/TeX
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暗号
暗号(あんごう)とは、セキュア通信の手法の種類で、第三者が通信文を見ても特別な知識なしでは読めないように変換する、というような手法をおおまかには指す。いわゆる「通信」(telecommunications)に限らず、記録媒体への保存などにも適用できる。 秘匿通信を行う上で最も単純な方法は「木を隠すなら森」という諺のごとく、通信文そのものの所在を隠してしまうことである。歴史上実際に行われたものとしては、通信文を丸めて飲み込んだり、ベルトの内側に書き普通の被服のように身につけたり、新聞の文字に印(文字横に穴を開ける等)をつけて文章を作る、頭を剃りあげて頭皮に通信文を刺青し、再び頭髪が生えそろうことで隠す、などもあったようである。「暗号らしい手法」としては「ステガノグラフィー」といい、「それとはわからないような形で」記録する、というものである。画像などに情報を埋め込む「電子透かし」にも同じ技術を利用するが、電子透かしではその画像の著作権情報などといった関係のある情報を埋め込むのが目的であるのに対し、ステガノグラフィーは全く無関係な情報を秘密のうちに紛れ込ませる、という点が異なる。またいわゆる縦読みなども一見して普通の文章の中に見えるためステガノグラフィーの一種と言えなくもない。 広義では以上のような方法も暗号に含まれるし暗号学が探求する対象であるが、狭義では、その見た目が「なんだかわからない」という、難読であると明確なものを指して特に暗号に分類する(なお、暗号化された通信文(暗号文)については理論上、他からの「それが暗号である」という情報が無ければ、ただのデタラメと全く区別が不可能であるのが理想である)。 狭義の暗号は、古典的には主要な分類に、以下の2つがある。 通信文内の、単語やフレーズといったある程度意味のある塊の単位で、あらかじめ取り決めてある記号と交換する。 通信文に対し、意味とは関係なく、文字毎の(最小の)単位で、あらかじめ取り決めてある置換や転置を掛ける。 「コード」は一般に、軍の運用に必要なものなど、ある程度の(あるいは膨大な)語彙について秘密の記号群を決めておくものであるが、「討ち入り」「開戦」などといった特定の重要な件のみについて、「○◇△といえば、~のこと」等と事前に取り決めておくことで秘匿することも行われた。個人間で行うものから組合やギルド等の特定のグループ内で行うものがある。事前の取り決めではなく、特定の人達だけが知る事項などを元に、意味は同じままで、言い方を変えることで秘匿することもある。秘匿したい特定の単語だけ置き換えることも、コードブックと呼ばれる辞書を作成して全ての単語を置き換えることもあり、歴史的な例としては、前者は「スコットランド女王メアリーの暗号」、後者は「ルイ14世の大暗号」や「ナポレオンの小暗号」などが知られている。 「サイファー」は、機械化以前は一般に作業手数が大きいといった欠点があったが、機械化以後はサイファーが主流の暗号である。機械化に次いで、暗号のコンピュータ化(あるいは、コンピュータの暗号化)の時代となったが、それらの暗号も、だいたいサイファーに分類するのが妥当であろう。 また以上のようなセキュア通信のための狭義の暗号に限らず、相手の身元を確認する認証や改竄の検出、貨幣の偽造防止技術、電子署名、認証、ハッシュ関数、電子マネーその他、情報セキュリティの多くの局面で、暗号はキーテクノロジとなっている。 なお、暗号化の逆の操作を表す語は「復号(英語: decryption)」であり、本来符号化に対するそれ(英語: decode)同様「~化」とはしないが、「復号化」という誤用はかなり広く定着している。 まず、古典的な暗号と現代的な暗号を分けるものとして、ケルクホフスの原理がある。現代的な暗号理論よりも前の時代には、暗号の「方式」と「鍵」の識別は明瞭ではなかったし、そのどちらも秘匿されねばならぬものであった。すなわち攻撃側の視点からは、方式がわかってしまえば、それによって、鍵を得ることも容易になってしまうのであった。現代の暗号は、秘密は鍵に集中しており、その方式はむしろ公知のものであったほうが、その強度なども広く研究されているために、むしろ安全である。 鍵を使わない方法は、一度敵に知られた方法は二度と使えない、暗号の信頼性を客観的に評価することができないなどの問題がある。例えば単純なシーザー暗号は、方式自体がバレないようにしなければ安全性が保てないほど脆弱であるし、ある程度の量の暗号文があれば何百年以上も前からある頻度分析という手法によって方式自体もバレてしまう。それに対し鍵を使う方法は、アルゴリズム自体を敵に知られても構わない方式を目標としており、一度考案した方式は鍵を変えることで何度でも使える、アルゴリズムを広く公開することで信頼性を十分に検討できる、などの多くの利点がある。 近代以降になると、このように「鍵さえ秘密にしていれば暗号化・復号の方法を公開しても安全が保てる」ことが暗号にとって望ましい性質であることが明確化された(ケルクホフスの原理)。 古典暗号の時代の「サイファー」の主要な2種類は、以下の二つである(暗号システムとしては、他にも多種多様なものが考案された)。 上の2つの分類は、現代暗号でもなんら変わるものではないが、現代的には次のような暗号の分類がある。このうち前者の共通鍵暗号は、分類としては古典暗号時代からなんら変わらぬ暗号の方式であって、「現代暗号の分類」とするのはむしろおかしいのだが、後者との対比としてしばしば挙げられるものである。後者の公開鍵暗号は、暗号をその時代の最新の数理で検討するようになった現代暗号ならではの暗号と言える。 近代以降、前述のように、秘密は鍵に集中すべきことから、暗号の問題は鍵の配送(共有)にあることが明確になった。暗号系を含む全体を通信システムとして検討したならば、そもそもそのような「鍵」をやりとりできるほどに安全な通信路があるならば、その通信路で本文も通信してしまえば良いからである。この問題には、公開鍵暗号方式の発明によって一応の決着が付いた。すなわち、公開鍵暗号であればその非対称なペアになっている鍵のうちの片方は秘密ではないため、配送の問題が生じないからである。ただし通常は計算量の理由から、公開鍵暗号を本文の暗号通信に直接使うことはせず、公開鍵暗号を利用した安全な鍵交換方式によって共通鍵を安全に交換し、その鍵によって共通鍵暗号通信をおこなう。 コードやサイファーのような記号による暗号ではなく、スクランブル(信号の切り混ぜ)といったアナログ技術による広義の暗号システムとしては、かつてアナログ電話の時代に盛んに研究されたものがある。秘話の記事を参照。 さらに、より「アナログ」な事例としては、少数民族の言語や方言などによる、相手側が仮に傍受しても瞭解が不可能な会話を利用したものがある。太平洋戦争での事例として、アメリカ側はナバホ語による通話を利用し(コードトーカー)、日本側は薩隅方言による通話を利用した。 具体的な暗号方式の一覧は、暗号理論を参照。 初期の古典暗号は、多くは紙と鉛筆のみで暗号化を行うが、多少の道具を用いるものもあった。暗号解読の進歩により単純な暗号では安全ではなくなると、複雑な処理を自動化するための機械が発明された。 暗号で用いられる用語。暗号理論も参照。
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暗号(あんごう)とは、セキュア通信の手法の種類で、第三者が通信文を見ても特別な知識なしでは読めないように変換する、というような手法をおおまかには指す。いわゆる「通信」(telecommunications)に限らず、記録媒体への保存などにも適用できる。
{{WikipediaPage|「'''秘匿'''」はこの項目に[[Wikipedia:リダイレクト|転送]]されています。ウィキペディアにおける編集履歴の秘匿機能については、[[Wikipedia:オーバーサイトの方針]]、[[Wikipedia:版指定削除]]をご覧ください。}} {{出典の明記|date=2020-12}} '''暗号'''(あんごう)とは、[[セキュア通信]]の手法の種類で、第三者が通信文を見ても特別な知識なしでは読めないように変換する、というような手法をおおまかには指す。いわゆる「通信」(telecommunications)に限らず、記録媒体への保存などにも適用できる。 == 概要 == 秘匿通信を行う上で最も単純な方法は「木を隠すなら森」という諺のごとく、通信文そのものの所在を隠してしまうことである。歴史上実際に行われたものとしては、通信文を丸めて飲み込んだり、ベルトの内側に書き普通の被服のように身につけたり、新聞の文字に印(文字横に穴を開ける等)をつけて文章を作る、頭を剃りあげて頭皮に通信文を[[刺青]]し、再び頭髪が生えそろうことで隠す、などもあったようである。「暗号らしい手法」としては「[[ステガノグラフィー]]」といい、「それとはわからないような形で」記録する、というものである。[[画像]]などに情報を埋め込む「[[電子透かし]]」にも同じ技術を利用するが、電子透かしではその画像の著作権情報などといった関係のある情報を埋め込むのが目的であるのに対し、ステガノグラフィーは全く無関係な情報を秘密のうちに紛れ込ませる、という点が異なる。またいわゆる[[縦読み]]なども一見して普通の文章の中に見えるためステガノグラフィーの一種と言えなくもない。 広義では以上のような方法も暗号に含まれるし暗号学が探求する対象であるが、狭義では、その見た目が「なんだかわからない」という、難読であると明確なものを指して特に暗号に分類する(なお、暗号化された通信文([[暗号文]])については理論上、他からの「それが暗号である」という情報が無ければ、ただのデタラメと全く区別が不可能であるのが理想である<ref group="注釈">前述のステガノグラフィーのような、一見すると別の意味がちゃんとあるような情報の中に秘密の情報を忍び込ませる、という方法は、情報理論からの結論として、情報全体に比してごくわずかな情報を埋込むことしかできない。</ref>)。 狭義の暗号は、古典的には主要な分類に、以下の2つがある。 *「コード」 {{Main|コード (暗号)}} 通信文内の、[[単語]]や[[フレーズ]]といったある程度意味のある塊の単位で、あらかじめ取り決めてある[[記号]]と交換する。 *「サイファー」 {{Main|:en:Cipher}} 通信文に対し、意味とは関係なく、文字毎の(最小の)単位で、あらかじめ取り決めてある置換や転置を掛ける。 「コード」は一般に、軍の運用に必要なものなど、ある程度の(あるいは膨大な<ref group="注釈">過去の例として、太平洋戦争のような戦争ともなれば膨大になった。</ref>)語彙について秘密の記号群を決めておくものであるが、「討ち入り」「開戦」などといった特定の重要な件のみについて、「○◇△といえば、~のこと」等と事前に取り決めておくことで秘匿することも行われた。個人間で行うものから[[組合]]や[[ギルド]]等の特定のグループ内で行うものがある。事前の取り決めではなく、特定の人達だけが知る事項などを元に、意味は同じままで、言い方を変えることで秘匿することもある。秘匿したい特定の単語だけ置き換えることも、コードブックと呼ばれる辞書を作成して全ての単語を置き換えることもあり、歴史的な例としては、前者は「スコットランド女王メアリーの暗号」、後者は「[[ルイ14世の大暗号]]」や「ナポレオンの小暗号」などが知られている。 「サイファー」は、機械化以前は一般に作業手数が大きいといった欠点があったが、機械化以後はサイファーが主流の暗号である。機械化に次いで、暗号のコンピュータ化(あるいは、コンピュータの暗号化)の時代となったが、それらの暗号も、だいたいサイファーに分類するのが妥当であろう。 また以上のようなセキュア通信のための狭義の暗号に限らず、相手の身元を確認する認証や[[改竄]]の検出、貨幣の偽造防止技術、[[電子署名]]、[[認証]]、[[ハッシュ関数]]、[[電子マネー]]その他、[[情報セキュリティ]]の多くの局面で、暗号はキーテクノロジとなっている。 なお、暗号化の逆の操作を表す語は「復号({{lang-en|decryption}})」であり、本来[[符号化]]に対するそれ({{lang-en|decode}})同様「~化」とはしないが、「復号化」という誤用はかなり広く定着している。 ==暗号学== {{リンクのみの節|date=2017年11月16日 (木) 03:56 (UTC)}} {{see|暗号理論}} {{seealso|Category:暗号技術}} ==歴史== {{リンクのみの節|date=2017年11月16日 (木) 03:56 (UTC)}} {{see|暗号史}} == 種類 == まず、古典的な暗号と現代的な暗号を分けるものとして、[[ケルクホフスの原理]]がある。現代的な暗号理論よりも前の時代には、暗号の「方式」と「鍵」の識別は明瞭ではなかったし、そのどちらも秘匿されねばならぬものであった。すなわち攻撃側の視点からは、方式がわかってしまえば、それによって、鍵を得ることも容易になってしまうのであった。現代の暗号は、秘密は鍵に集中しており、その方式はむしろ公知のものであったほうが、その強度なども広く研究されているために、むしろ安全である。 鍵を使わない方法は、一度敵に知られた方法は二度と使えない、暗号の信頼性を客観的に評価することができないなどの問題がある。例えば単純な[[シーザー暗号]]は、方式自体がバレないようにしなければ安全性が保てないほど脆弱であるし、ある程度の量の暗号文があれば何百年以上も前からある[[頻度分析 (暗号)|頻度分析]]という手法によって方式自体もバレてしまう。それに対し鍵を使う方法は、[[アルゴリズム]]自体を敵に知られても構わない方式を目標としており、一度考案した方式は鍵を変えることで何度でも使える、アルゴリズムを広く公開することで信頼性を十分に検討できる、などの多くの利点がある。 近代以降になると、このように「鍵さえ秘密にしていれば暗号化・復号の方法を公開しても安全が保てる」ことが暗号にとって望ましい性質であることが明確化された([[ケルクホフスの原理]])。 古典暗号の時代の「サイファー」の主要な2種類は、以下の二つである(暗号システムとしては、他にも多種多様なものが考案された)。 *[[換字式暗号]] - ある文字に別の文字を割り当てる。[[単一換字式暗号|単一換字]]、多表式換字などがある。 *[[転置式暗号]] - 文字の順序を並べ替える。 上の2つの分類は、現代暗号でもなんら変わるものではないが、現代的には次のような暗号の分類がある。このうち前者の共通鍵暗号は、分類としては古典暗号時代からなんら変わらぬ暗号の方式であって、「現代暗号の分類」とするのはむしろおかしいのだが、後者との対比としてしばしば挙げられるものである。後者の公開鍵暗号は、暗号をその時代の最新の数理で検討するようになった現代暗号ならではの暗号と言える。 *[[共通鍵暗号]] - 暗号化・復号で同じ鍵を使う。 *[[公開鍵暗号]] - 暗号化・復号で異なる鍵を使う。 近代以降、前述のように、秘密は鍵に集中すべきことから、暗号の問題は鍵の配送(共有)にあることが明確になった。暗号系を含む全体を通信[[システム]]として検討したならば、そもそもそのような「鍵」をやりとりできるほどに安全な通信路があるならば、その通信路で本文も通信してしまえば良いからである。この問題には、[[公開鍵暗号]]方式の発明によって一応の決着が付いた。すなわち、公開鍵暗号であればその非対称なペアになっている鍵のうちの片方は秘密ではないため、配送の問題が生じないからである。ただし通常は計算量の理由から、公開鍵暗号を本文の暗号通信に直接使うことはせず、公開鍵暗号を利用した安全な鍵交換方式によって共通鍵を安全に交換し、その鍵によって共通鍵暗号通信をおこなう。 コードやサイファーのような記号による暗号ではなく、スクランブル(信号の切り混ぜ)といったアナログ技術による広義の暗号システムとしては、かつてアナログ電話の時代に盛んに研究されたものがある。[[秘話]]の記事を参照。 さらに、より「アナログ」な事例としては、少数民族の言語や方言などによる、相手側が仮に傍受しても瞭解が不可能な会話を利用したものがある<ref>{{Cite web|和書|date=2019-06-05 |url= https://www.afpbb.com/articles/-/3228503?page=2|title=偽の戦車に官能的冒険、ノルマンディー上陸にまつわる知られざる話 |publisher=AFP |accessdate=2019-06-06}}</ref>。太平洋戦争での事例として、アメリカ側は[[ナバホ語]]による通話を利用し([[コードトーカー]])、日本側は[[薩隅方言]]による通話を利用した<ref group="注釈">明治期に、「方言札」などに象徴される苛烈な方言弾圧がもし旧薩摩藩領に行われていたら、不可能であっただろう。</ref>。 具体的な暗号方式の一覧は、[[暗号理論#暗号プリミティブ|暗号理論]]を参照。 === コードの例 === * [[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の大暗号(ロシニョールが作成): コードブックは「act=486、ion=102、…」のように音節単位で3桁の数に対応させる(600個程ある)。暗号文「486-102」を復号すると act-ion になる。19世紀末フランス軍の暗号解読者バズリが解読を発表した。 * [[日露戦争]]で使われた暗号文:「'''アテヨ''' '''イカヌ''' ミユトノケイホウニセツシ、'''ノレツ''' '''ヲハイ'''タダチニ'''ヨシス'''コレヲ'''ワケフ''' '''ウメル'''セントス、ホンジツテンキセイロウナレドモナミタカシ」。コードブックは「アテヨ=敵、イカヌ=艦隊、ノレツ=連合艦隊、…」のように秘匿したい単語をカナ3文字に対応(2文字目は単語の最初と同じ音にもなっている)させている。平文は「'''敵''' '''艦隊'''見ユトノ警報ニ接シ、'''連合艦隊''' '''は'''直チニ'''出動'''、コレヲ'''撃沈''' '''滅'''セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」となる。 * [[真珠湾攻撃]]で使われた暗号文:「ニイタカヤマノボレ1208」(=12/8に日米開戦、事前に決めておいたフレーズを合図とし、更に1文字ごとに五連数字に換えた)。なお、「ト」の連打(=全軍突撃せよ)、「トラ」の反復(=我、奇襲に成功せり)などもよく知られているが、これらは正確には電信([[モールス符号]])の聞き分け易い音を合図としたものである。日本海軍機が搭載していたのは無線電話機(音声通信)ではなく、無線電信機(モールス符号通信)であった(航空通信に無線電話が導入されるのは1950年代に入ってから)ため、交戦時に複雑な電文の送信・聴取は困難なことから、和文電信で聞き取りやすい符号の組み合わせとなった。 :「ト」は(・・―・・)、「ラ」は(・・・)で、 ::[ト][ト][ト]...=・・―・・ ・・―・・ ・・―・・...=全軍突撃せよ) ::[トラ][トラ][トラ]...=・・―・・ ・・・ ・・―・・ ・・・ ・・―・・ ・・・ ...=我、奇襲に成功せり) :を合図としたものである。 :ちなみに[[大日本帝国陸軍|陸軍]]の[[マレー作戦]]の暗号は「ヒノデハヤマガタ」である。 * 単語を暗号書(コードブック)で対応する数字に変え、さらに[[乱数表]]から一定の法則で抜き出した数字を加える二部制の暗号もある。復号には、暗号作成時に使用したものと同一の[[乱数表]]と暗号書が必要。太平洋戦争における[[大日本帝国海軍|日本海軍]]がこうした二部制の暗号を使用していた。 == 実装 == 初期の古典暗号は、多くは[[紙]]と[[鉛筆]]のみで暗号化を行うが、多少の道具を用いるものもあった。[[暗号解読]]の進歩により単純な暗号では安全ではなくなると、複雑な処理を自動化するための機械が発明された。 [[File:Skytala&EmptyStrip-Shaded.png|thumb|180px|right|スキュタレー]] [[File:UnionCipherDisk.nsa.jpg|thumb|right|180px|南北戦争時の暗号円盤]] [[File:Vigenère square.svg|thumb|right|150px|ヴィジュネルの表]] [[File:暗号機.JPG|thumb|150px|right|機械式暗号([[M-209]])]] ; 棒 : 紀元前5世紀、[[古代ギリシア]]で、特に[[スパルタ]]で[[スキュタレー]] ({{lang|el|σκυτάλη}}) と呼ばれる[[棒]]が暗号に使用された。同じ太さの棒を2本用意し、送信者と受信者がそれぞれ所持する。送信者は右図のように棒にテープを巻きつけて平文を横書きする。するとテープには平文の文字が飛び飛びに記されることになる。棒からテープを外してテープだけを受信者に送る。転置式暗号の一種である。暗号強度は決して高くないが、転置の際の書き誤り・読み誤りを回避できる手段である。 ; 円盤 : 15世紀、[[レオン・バッティスタ・アルベルティ|アルベルティ]]の考案した暗号円盤が最古のものとされる。大小2枚の[[円盤]]からなり、内側の円盤を回転させて平文・暗号文の対応を決める。位置を固定して暗号化・復号を行うとシーザー暗号となり、1文字ごとに位置をずらすと多表式暗号となる。[[南北戦争]]でも使用された。ローター式暗号は多段に接続した暗号円盤を機械化したものともいえる。 ; カード : 16世紀、[[ジェロラモ・カルダーノ]]が穴をあけた[[カード]]([[カルダングリル]]と呼ばれる)を使って作成する分置式暗号を考案している。 ; 換字表 : 多表式暗号を行う際のツールとして使用。トリテミスの換字表またはヴィジュネルの表として知られる。 ; ブック : コードの対応表(略号集、ノーメンクラタ)や[[乱数表]]などを記載するのに使った。鍵フレーズを指定するために聖書や辞典が使用されることもあった。MI5が捕まえたスパイが所持していたとされる乱数表は、指サイズの小型のもので多数の数値が印刷されている。 ; 輪 : 18世紀末、[[トーマス・ジェファーソン|ジェファーソン]]が考案し、後にバセリも再発明している。ホィール(ディスク)、ストリップ、ロッドなど様々な形状をした暗号器が考案されている。M-94(アメリカ陸海軍、1922年から1942年ごろ)、M-138A(アメリカ陸海軍・沿岸警備隊・国務省、1935年から1941年ないし1942年)、Reihenschieber(ドイツ連邦軍、1956年から1960年代)など実際に使用された。 ; 暗号機械 : 20世紀になると、[[エニグマ (暗号機)|エニグマ]](ドイツ)、[[パープル暗号|パープル]](日本)、[[M-209]]、M-325、SIGABA(アメリカ)、NEMA(スイス)、TypeX(イギリス)など機械式の暗号装置が開発され、特に[[第二次世界大戦]]中に各国で使用された。 ; コンピュータ : 「電子化された暗号機械」に分類されるようなものなどもあるが、歴史的にごく一時期のものであるためここでは略す。コンピュータ・プログラムは、何らかの情報処理機械のソフトウェア実装である、と見ることができる([[チャーチ=チューリングのテーゼ]])。すなわち、暗号のプログラムは暗号機械のソフトウェア実装であるとも言える。のどかな時代には、実際にエニグマ暗号機の方式をそのままコンピュータ・プログラムにしたようなものも使われていたりしたこともあったが(詳細は [[:en:Crypt (Unix)]] を参照)、1970年代以降は、現代的な暗号として前述したような公開鍵暗号である[[RSA暗号|RSA]]や、共通鍵暗号では[[Data Encryption Standard|DES]]などがある。攻撃側(暗号解読側)が最新鋭のコンピュータの計算力を利用できると仮定しても、計算量的に安全でなければならない、という考えかたが基本となった。 == 用語 == 暗号で用いられる用語。[[暗号理論#用語|暗号理論]]も参照。 ; 平文[ひらぶん] (plaintext) : 暗号化される前の文。 ; 暗号文 (ciphertext) : 平文を、独特の表記法によって第三者が読み解けないようにした通信文。 ; 鍵 (key) : 表記法のパラメータ。表記法によっては鍵はないこともある。鍵が異なると平文が同じでも暗号文が異なる。 ; 平文空間 : 平文全体の集合 ; 暗号文空間 : 暗号文全体の集合 ; 鍵空間 : 鍵全体の集合 ; セキュリティパラメータ (security parameter) : 暗号の安全性を表す尺度。鍵のサイズなどを指定する。 ; 暗号化 (encryption; encode, encipher) : 表記法に従って平文を暗号文に変換すること。 ; 復号 (decryption; decode, decipher) : 表記法に従って暗号文を平文に戻すこと。 ; 攻撃 (attack) : 暗号化に用いられた表記法の特定あるいは鍵を探索する行為。または鍵を用いずに暗号文を平文に戻すこと。解読ともいう。暗号の方式によって様々な攻撃法が考案されている。[[暗号の攻撃法]]も参照。 ; 暗号解読 (cryptanalysis) : 受信者以外の第三者が暗号文を通信文に戻そうとすること。 ; 共通鍵 (common key; symmetric key) : [[共通鍵暗号]]において、暗号化にも復号にも用いられる鍵。暗号化側と復号側が同じものを持っている必要があり、鍵を共有する過程で盗聴された場合に通信の秘密はまったく保てなくなる。秘密鍵ということもある。 ; 公開鍵 (public key) : [[公開鍵暗号]]において、暗号化に使用する鍵。暗号化鍵とも言う。復号側が持つ秘密鍵と対になった鍵が必要で、復号側はあらかじめ自分の公開鍵を暗号化側に通知しておく(公開する)ことから公開鍵と呼ばれる。 ; 秘密鍵 (private key) : 公開鍵暗号において、復号に使用する鍵。復号鍵とも言う。復号側だけがこのデータを持っている(秘密にする)ことから秘密鍵と呼ばれる。(秘密の共通鍵にたいして)私有鍵ということもある。公開鍵から秘密鍵を推測することが非常に困難(事実上不可能)である暗号法を選択する必要がある。 : なお、公開鍵暗号においては、公開鍵の代わりに秘密鍵を使って暗号化を施すと、それによって生成された暗号文は、対応する公開鍵によってのみ復号できる。すなわち、ある公開鍵によって暗号文が復号できたことは、当該公開鍵に対応する秘密鍵の持ち主によって暗号文が作成されたことの推定となる。これが[[電子署名]]の基本原理となっている。 ; 鍵ペア (key pair) : 秘密鍵と、対応する公開鍵とからなるペアの事。同時に生成される。 ; 鍵交換 (key exchange) : 共通鍵暗号において、公開鍵暗号方式などを用いて暗号化側と復号側が共通鍵を共有すること。大量のデータをすべて公開鍵暗号で送受信しようとすると計算量が膨大になることから、全文の送受信は比較的簡便な共通鍵暗号で行うこととし、そのための鍵をまず公開鍵暗号方式で共有する、という方法が広く採用されている。 : この際、鍵配布センター (KDC) などの信用できる第三者機関を利用する集中型と、各人が秘密の値と通信データを用いて共有の鍵を生成する分散型がある。'''鍵配送''' (key distribution) 、'''鍵共有''' (key agreement) ともいうが、集中型のことを鍵配送、分散型のことを鍵共有として両者を含めて鍵交換とする場合など、区別する書籍もある。 ; オラクル : 入力に対して出力が得られる関数のようなもの。オラクルを必要とするモデルで使用される。 ; [[アリスとボブ]] (Alice and Bob) : 暗号理論に登場するプレイヤーはAからアルファベット順に並ぶことが一般的であり、論文では通常Alice、Bobが使われる。これはRSA暗号が発表されたときのプレイヤー名にもとづく。C以降は様々だが、Catherine、Carol、Charlie、などが多い。 <!-- ***間違っているので削除しました。*** ***詳しくはノートを参照下さい。*** == 暗号と群 == 暗号において'''群をなす'''とは、暗号化関数<math>f_k(x)</math>があるとき、<math>f_{k_1}(f_{k_2}(x)) = f_{k_3}(x)</math>なる関係を満たす鍵<math>k_1, k_2, k_3</math>が存在することを言う。例えばシーザー暗号では、2文字ずらした後に3文字ずらしても、平文から5文字ずらしたものと同じであり、(複雑性に変化はないので)暗号強度が向上しない。'''群をなさない'''暗号は逆に、複数回暗号化すると暗号強度が向上する。近代的な暗号は全て群をなさない。数学的な論議は[[群論]]を参照。(スタブ) --> <!-- 下記は、暗号の実装例として記載するとしても、 精選が必要と考えられるためコメントアウトします --> <!-- ==== フリー暗号ソフトの例 ==== (しっかりしたアルゴリズムの使用をうたっているもの。使用は自己責任で) ===== 英語 ===== * [[PGP]]、[[GnuPG]]、[[S/MIME]]、[[Secure Socket Layer|SSL]]、[[Secure Shell|SSH]] ===== 日本語 ===== *PGP日本語版・・・PGP *アタッシェケース・・・AES (ver.2) , Blowfish (ver.1) *ED3.1・・・・・・AES、GOST、Twofish *ぷち暗1.20・・・Blowfish *GaoEncode2422・・CAST-128,Blowfish,TripleDES *BfCrypt・・・・Blowfish *Crypt It!・・・39種類(Twofish,RC6,MISTY1など選択。信頼性の低いものも含む)、暗号化モード選択、縮約選択 *Chaky・・・CAST-128(ECB モードを使用のため安全性には疑問あり。暗号ソフトとしての実用性は議論あり)--><!--(←左記に反論しました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E6%9A%97%E5%8F%B7#chaky ) / ノートで結論がでたら再度修正しましょう --> ==参考文献== {{see|暗号関係の書籍の一覧}}<!-- 下記のリストは暗号関係の書籍に移動中 --> <!-- *「トラ・トラ・トラ」、ゴードン・W・プランゲ、日本リーダーズダイジェスト社、1966年 (真珠湾の話)--><!--初版?1991年に再版が出ている模様--> <!-- *「情報戦に完敗した日本・・陸軍暗号神話の崩壊」、岩島久夫、原書房、1984年 --> <!-- *「暗号解読戦争」、吉田一彦、ビジネス社、2001年 --> <!-- *「暗号」、レミ・セイリエ、白水社クセジュ文庫、1953年 (30年以上前から書店にない)--> <!-- *「セキュリティ技術」、三好康之、ITEC 2002、2003年 (情報セキュリティアドミニストレータ試験対策書=暗号だけではない)--> <!-- *「ロゼッタ・ストーン解読」、レスリー・アドキンス他、原版2000、新潮社、日本語2002年 (シャンポリオンが解読するまでの苦労)--> <!-- *「鉄壁の暗号 究極の解読」、宝島社、2002年 (フリー暗号ソフトの紹介。ステガノグラフィーなどもある)--> <!-- *「暗号解読 ロゼッタストーンから量子暗号まで」、サイモン・シン著、新潮社、原版1999年、日本語版2001年、2600円 --> ==脚注== {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} ==関連項目== {{Wiktionary pipe|暗号}} * [[符牒|符丁(符牒)]] * [[コドン|遺伝暗号]] - 遺伝子の塩基配列とアミノ酸配列との変換ルール * [[クロノグラム]] - 数字をアルファベットに置き換えて、年号を表す表記法で石碑などに記される。 * [[暗号と情報セキュリティシンポジウム]] {{cryptography navbox}} {{normdaten}} {{DEFAULTSORT:あんこう}} [[Category:暗号|*]] [[Category:ミステリ]]
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坂本龍一
坂本 龍一 (さかもと りゅういち、Ryūichi Sakamoto、1952年〈昭和27年〉1月17日 - 2023年〈令和5年〉3月28日)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト、俳優、音楽プロデューサー。東京都出身。 音楽性は幅広く、クラシック音楽が根幹にあり、民俗音楽、ポピュラー音楽(特にテクノポップ)にも造詣が深かった。1987年には日本人で唯一アカデミー作曲賞を受賞しており、映画音楽でも世界的に評価されている。愛称は「教授」。晩年は環境や憲法に関する運動にも積極的に参加していた。インターネットなどの新技術にも興味を示し、ライブや作品に取り入れていた。 幼いころから母方叔父の持っているレコードを聴いて音楽への興味を募らせつつ成長した。田園風景の濃厚に残る世田谷区で小中学生時代を過ごし、当時学力上位校の一つであった東京都立新宿高等学校に進学する。新宿は当時の日本のサブカルチャーの中心地であり、映画と音楽を中心に様々な店に出入りしては文化的素養を吸収していった。東京芸術大学在学中にスタジオ・ミュージシャンとして活動を開始した。1970年代後半よりソロやKYLYNバンドのメンバーとして活動する一方、メンバーとして参加した音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」が国内外で商業的成功を収め、人気ミュージシャンとなった。同時に山下達郎や大貫妙子などの同世代の音楽家とも知り合い、共同作業を行った。 YMO時代にテクノポップやニュー・ウェイヴの分野で活動したことは広く知られているが、その後は一つのところに留まらず、現代音楽の手法を使った作品の発表、ロックとテクノの融合、ワールドミュージック、ヒップホップやR&Bなどのブラックミュージックを織り交ぜたポップス、オペラの作曲およびプロデュース、クラシックやボサノヴァのユニットを結成してのワールドツアー、晩年はアンビエントやエレクトロニカの作品を発表するなど、ジャンルを横断して多彩な作品を発表した。前衛的で先進的なイメージを残しながら、大衆に理解され得る親しみ易さを持った作品として仕上げる手腕に卓越したものを持っていた。 自身の音楽活動のほか、プロデューサーやアレンジャーとしても活動し、他のアーティストへの楽曲提供も数多く行っている。俳優として出演した大島渚の監督映画『戦場のメリークリスマス』で映画音楽も手掛け、日本人初の英国アカデミー賞 作曲賞を受賞した。1987年公開の『ラストエンペラー』では日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し、同曲でゴールデングローブ賞 作曲賞、1989年第31回グラミー賞最優秀オリジナル映画音楽アルバム賞など世界的な音楽賞を総なめした。1990年、映画『シェルタリング・スカイ』のサウンドトラックを担当しロサンゼルス映画批評家協会賞の作曲賞、1991年にゴールデングローブ賞 作曲賞を受賞した。以降、国内外の映画音楽を手掛け、映画音楽家としての地位を築いた。 1990年代前半は打ち込み系ポップスの作品を多数リリースし、1995年11月30日には『三菱電機 スーパーセレクション 坂本龍一 TOUR '95 D&L with Daizaburo Harada』というライブを開催し、日本初のインターネット配信も行った。インターネット配信自体は既に1994年11月にローリング・ストーンズが行っていたが、インターネットの商業利用化が1995年に完了した直後という時代に、世界でも数例しか行われていない中での極めて先進的な試みであった。同時に、原田大三郎によるステージ上での映像のリアルタイムコントロールも、後のVJの先駆けであった。 1990年代後半はアコースティック作品を中心に制作し、その中でも1999年に三共『リゲインEB錠』のCM曲であった『energy flow』が癒し系楽曲として絶大な人気を得て、同曲を収録した『ウラBTTB』がミリオンセラーを達成した。以降のスタジオ作品は2000年代を通して、アコースティック感のある脱構築的な作風に移行して行った(2009年の『Out of Noise』など)。同時に、スタジオ・アルバムのリリースは大きく減少した。 音楽家としての活動のほかに、いくつかの映画や映像作品には俳優としての出演歴がある。テレビCMにも多く出演しており、ときには、ダウンタウンなどとお笑い番組やバラエティ番組に出演することもあった。 近年は各メディアで環境問題や憲法をはじめとした諸問題に関する運動に積極的に参加・言及しており、2000年代半ばに話題になったPSE問題においても、坂本が中心人物として反対運動を行った。「エコ」や「ロハス」といったキーワードを口にすることが多く、マクロビオティックの実践者でもある。2008年6月5日の「世界環境デー」には、CD製造時の二酸化炭素排出への対策としてcommmonsレーベルから新たに発売する全てのCDをカーボンオフセット対応とすることも発表した(最新作まで継続中)。長年喫煙者であったが、針治療を通じて禁煙に成功した。一時期はベジタリアンでもあったが、これは「人としての闘争本能がなくなりそうだから」という理由で後に中止している。2008年の9月には作家村上龍との対談で、現代の「夢があるということは素晴らしい、だから君も夢を持て」という風潮に疑問を抱いている発言をしている。 無類の猫好きである。一人っ子だった坂本が生まれたときから15歳の時まで一緒に住んでいた猫と兄弟のように生活していたことが影響している。若い頃は自分の見た目に無頓着で、アルバム「千のナイフ」のジャケット写真を見た当時の音楽仲間が「あの汚い坂本が」と驚愕したほどだった。このような坂本がファッションセンスを得るに至ったのは、高橋幸宏の指導によるものである。 坂本は手塚治虫の漫画が好きだと公言しており、特にお気に入りの作品は『火の鳥』と『ブッダ』だという。手塚漫画の女性や動物は滑らかな曲線で描かれており、そこに音楽性と美しさを感じると度々語っている。坂本は手塚るみ子プロデュースの「手塚治虫 その愛した音楽」というCD(内容は手塚が漫画の執筆中に聴いていた音楽を収録したもの)の仕事もしている。手塚プロダクションの「さよならティラノ」というアニメの音楽も担当している。 「教授」「世界のサカモト」とあだ名される。左利き。血液型はB型。 1952年、東京都中野区に生まれた。父は河出書房の編集者で、三島由紀夫や野間宏、中上健次、高橋和巳などを担当した坂本一亀。母・敬子は実業家・下村彌一の娘にあたり、帽子デザイナーで銀座の宝石商に勤務。 通っていた幼稚園が「全員ピアノを習う」所であったため、3歳からピアノを習い始める。自由学園幼児生活団に準じた世田谷幼児生活団において作った「うさぎのうた」が最初の作曲。 6歳ごろまで住んでいた中野の家には、ピアノやレコードプレーヤーがなかった。近所に住む祖父の家には、当時まだ学生だった叔父のピアノがあり、その上にレコードプレイヤーがあった。ピアノによじ上ってレコードを聴いたのが、坂本の最初の音楽の記憶である。 10歳で東京芸術大学教授の松本民之助に師事し作曲を学び始める。なお、作曲を勉強し始めて最初に興味を持った作曲家はストラヴィンスキーであった。この頃は特にピアノが好きではなく、むしろ苦痛だったという。14歳の頃、ドビュッシーの音楽と出会い、そこから多大な影響を受けた。自分はドビュッシーの生まれ変わりに違いないと半分信じて、サインの練習まで始めた。人生で最も影響を受けた音楽家は、ドビュッシーとバッハである。 小学2年の時に、東京都世田谷区給田(千歳烏山)に転居。世田谷区立祖師谷小学校から世田谷区立千歳中学校を経て、1970年に東京都立新宿高等学校を卒業。同級生には塩崎恭久、馬場憲治、那須恵理子、野中直子がいる。千歳中学校ではバスケットボール部に所属した。新宿高校時代には読書が趣味で、常に学校図書館の貸出ランキング10位以内に入っていた。風月堂などにたむろするフーテンたちに影響を受け、ジャズを聞くようになり、自分でも演奏するようになった。ロックも好きであったが、フォークは大嫌いであった。学生運動にものめり込み、塩崎や馬場はこの時の闘争仲間でもある。 1970年東京芸術大学入学。大学在学中、民族音楽学研究の泰斗小泉文夫の講義を受け、その内容の深さに坂本はそれまで培ってきた音楽観の根底を揺さぶられるような大きな衝撃を受けたという。さまざまに変遷してきたと見られる坂本の作風であるが、そのベースには、小泉から学び得た民族音楽学の知識や思想が確かにあるようである。ただし小泉自身は作曲をしなかったので、坂本に作曲技法上の影響を与えたというわけではなかった。坂本は、大学在学中、一年ほど作曲家三善晃にも学んでいる(ただし一度直接指導を受けただけ、と坂本は発言している。しかも、三善から「理論的すぎる」の如き指摘を受けたとも)。さらには、渋谷で開かれていた高橋悠治の勉強会にも高校・大学を通して顔を出していた。坂本が電子音楽に出会ったのは大学学部在学中のことである。 学生時代には教職課程も履修しており、母校へ音楽教員になるための教育実習に行ったこともあったが、生来の気質から学校組織の一員として務めることには向いていないと早々に諦めている。 1974年東京芸術大学の音楽学部作曲科を卒業し、同大学院音楽研究科修士課程に進む。1977年修了。修士論文は「坂本龍一 Year Book 1971-1979」のDISC 2にも収録されている管弦楽作品「反復と旋」。 1975年、大学院在学中に新宿ゴールデン街で意気投合したという友部正人の『誰もぼくの絵を描けないだろう』にピアノで参加。スタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。翌1976年、竹田賢一と「学習団」を組織し、竹田のプロデュースの下、はじめてのアルバム『ディスアポイントメント-ハテルマ』(土取利行とのコラボレーション)を発表。以降、りりィのバックバンド(バイバイセッションバンド)に所属した後、当時のりりィのマネージャー(現:株式会社365代表)が細野晴臣のマネージャーに坂本を紹介、YMO結成の足がかりとなる。初期の山下達郎の楽曲(「2000トンの雨」「パレード」など)、大瀧詠一、山下達郎、伊藤銀次のアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』などにキーボードとして参加。大貫妙子のLP『SUNSHOWER』『MIGNONNE』『ROMANTIQUE』などにアレンジャー、プロデューサーとして参加。 1978年2月、細野晴臣のアルバム『はらいそ』に参加。細野の誘いにより、高橋幸宏とともに「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO) を結成、活動を開始する。10月、坂本初のソロアルバム『千のナイフ』をリリースし、ソロ・デビューも果たす。11月、YMO名義の『イエロー・マジック・オーケストラ』を発売、続く『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』で爆発的人気を博す。この年、風の旅団の前身となるテント劇団「曲馬館」の音楽にも参加した。翌1979年にはYMOと並行する形で渡辺香津美、矢野顕子、小原礼、村上秀一、本多俊之らとセッションユニットKYLYNや、ほぼ同じメンバーで、各パート二人ずつで演奏技術を競わせるというコンセプトのカクトウギセッションでの活動を行う。一部の楽曲で第二ピアノを演奏した高橋悠治のLP『新ウィーン楽派ピアノ音楽集成』が発表された(後に『新ウィーン楽派ピアノ作品集』としてCD化。参加楽曲シェーンベルク「四手のための六つの小品」は坂本のアルバム『フェイヴァリット・ヴィジョンズ』にも収録されている)。同年から1980年にかけて、YMOは2度にわたるワールドツアーを実施。 1979年12月、アレンジを手掛けたサーカスのシングル「アメリカン・フィーリング」で、日本レコード大賞編曲賞を受賞する。 YMOのライブを期待していた観客から野次られると「うるさいぞ、この野郎!」と怒鳴り返した等のエピソードもある。この頃、立花ハジメ、沢村満、鈴木さえ子らと「B-2UNITS」という名前のユニットを結成、ライブ活動を散発的に行っている。1982年には、RCサクセションの忌野清志郎と組んでシングル『い・け・な・いルージュマジック』をリリース。資生堂'82春のキャンペーンソングとしてヒットする。TVでは、どぎつい化粧をした男同士でキスをするなど、過激なパフォーマンスを展開した。この年、矢野顕子と結婚。 YMOとしての活動の傍ら、1981年よりNHK-FMにて「サウンドストリート」のパーソナリティを務める。担当していた火曜日ではアマチュアミュージシャンから送られるテープを番組内で放送する「デモテープ特集」が不定期に行われていた。パンクバンドTACO(タコ)のオムニバスにはな・い・し・ょのエンペラーマジックで参加。同曲をサウンドストリートで放送したが、放送禁止用語が含まれていたためにすぐにオンエア中止になった。メジャーシーンの活動と並行して、TACO以外にもアンダーグラウンドロックシーンとは交流があり、自主レーベルである、パス・レコードでフリクション、Phewのプロデュースを行っている。 1983年公開の映画『戦場のメリークリスマス』には、大島渚監督の依頼により、ヨノイ大尉役で出演し、デヴィッド・ボウイ、ビートたけしと共演。出演の条件として音楽を担当した。同作は第36回カンヌ国際映画祭に出品され、結果は無冠だったものの、坂本の音楽は高く評価され、英国アカデミー賞 作曲賞を日本人として初めて受賞した。同作品のサウンドトラックからシングルカットされたデヴィッド・シルヴィアンとのシングル「Forbidden Colours(禁じられた色彩)」は、全英チャート(Music Week)16位を記録した。同年、YMOは「散開」(解散)する。 1984年、矢野顕子らと「MIDIレコード」を設立し、同レコード内にレーベル「school」を立ち上げる。1986年には初のソロ・コンサート「メディア・バーン」を全国24カ所(28公演)で行う。ツアー終了後、YMO以来所属していた「ヨロシタ・ミュージック」から独立し個人事務所「トラフィコ」を設立。 翌1987年、映画『ラストエンペラー』公開。坂本は甘粕正彦満映理事長役で俳優として出演し、音楽をデイヴィッド・バーン、蘇聡とともに担当。これによりグラミー賞 映画・テレビサウンドトラック部門、ゴールデングローブ賞 作曲賞、アカデミー作曲賞等を日本人として初めて受賞し、以後、映画音楽作家としての地位を確立する。溥儀役のジョン・ローンとは、敵役同士という間柄の役作りのために、撮影中は一言も口を利かなかったという。 1989年、都民文化栄誉章を受章。海外戦略のためヴァージン・レコードに移籍するが、セールス的な成功を収めることはなかった。後にEMIのヴァージン・レコード買収により契約を主導したヴァージン・アメリカの社長の辞任に伴って契約を解消。 1990年4月からは、音楽の拠点をニューヨークに移す。別の女性と暮らし始め、男児をもうける。これが原因で、矢野顕子と翌年に別居したと報じられた。 1992年にはバルセロナオリンピック開会式のマスゲームの音楽を作曲(坂本のスケッチに基づく管弦楽編曲は作曲家の鈴木行一が担当)、自らも会場でオーケストラを指揮した。この依頼の当初「ナショナリズムを高揚させるスポーツイベントは嫌い」と一度は断ったが、プロデューサーPepo Solなど制作側から熱心なオファーがあり最終的には引き受けることになる。契約金は他の出演者とともに1ドルであった。このときの楽曲は後に「El Mar Mediterrani」として発表された。 1993年、YMO「再生」(再結成)。アルバム『テクノドン』を発表し、6月には東京ドームにて2日間のライブを行う。 1994年には契約地域を分割し、日本ではフォーライフ・レコードに移籍し、レーベル「güt(グート)」を設立。日本国内での活動を活発にした。日本以外の海外地域ではエレクトラと契約。個人レーベル「グート」の第一弾作品・アルバム『スウィート・リヴェンジ』を6月に発売する。 1995年、ダウンタウンの変名音楽ユニット「GEISHA GIRLS」に富家哲、テイ・トウワらと参加。以降、彼らとの親交を深め「ダウンタウンのごっつええ感じ」ではコント「アホアホマン」に出演、大便のシミを付けたパンツで登場するなどアホアホブラザー役でエキセントリックな一面を見せた。 1998年、エレクトラとの契約を解消し海外地域ではSONY CLASSICALと契約、日本ではワーナーミュージック・ジャパンに移籍。 1999年、製薬会社三共(現:第一三共ヘルスケア)リゲインのCMに用いられたピアノソロ曲「エナジー・フロー」を収録したマキシシングル「ウラBTTB」がミリオンセラーとなり、インストゥルメンタルとしては初のオリコンチャート1位を記録した。自身初となるオペラ『LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999』(以下、LIFE)を公演。この頃には矢野顕子との夫婦仲は実質的に破綻していたとされ、テレビ番組「おしゃれカンケイ」において愛人(ニューヨークで行動を共にしているマネージャー)とその女性との間にいる子供(次男)の存在を認め、長男(矢野の連れ子)と坂本美雨に「お父さんにはお母さん(矢野顕子)以外に好きな人がいる」と告げたというエピソードも披露している。「子供は4人」と語り、矢野顕子との結婚前に学生結婚していた女性との間にも子供(長女)がいることも明かしている。さらに同番組では、「外国人が持つ日本コンプレックスをくすぐる、嫌いなアーティスト」として喜多郎とCHAGE and ASKAを名前を伏せた形で挙げた。 2001年、TBS50周年特別企画番組「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」に出演。同番組の企画において、親交のある国内外のアーティスト達を起用し、地雷除去のためのチャリティーソング「ZERO LANDMINE」を作曲、リリースした。同年にはボサノヴァトリオ「Morelenbaum2/Sakamoto」を結成し、アルバム『Casa』を発表。このトリオとしての活動、および坂本がこれまで自身の音楽にボサノヴァを取り入れてきたことなどが評価され、翌2002年、日本とブラジルの友好に寄与したとして、ブラジル政府よりリオ・ブランコ国家勲章(英語版)「カヴァレイロ位」を授与される。 2003年には、この年4月にオープンした六本木ヒルズのテーマソング「the land song-music for Artelligent City」を発表。小林武史、桜井和寿らと非営利組織「ap bank」を設立。 2006年11月6日、エイベックスと新レーベル「commmons」を共同設立。この年、矢野顕子と離婚。 2007年3月10日-5月28日、高谷史郎と共に、オペラ「LIFE」をベースにしたインスタレーション作品「LIFE - fluid, invisible, inaudible ...」を山口情報芸術センターにて展示。3月10日にはオープニング・コンサートを行った。9月15日-11月4日、東京のNTTインターコミュニケーション・センターでも展示。9月15日には、浅田彰、中沢新一を交えてのアーティスト・トークに加え、オープニング・コンサートを行った。この年は細野晴臣と高橋幸宏との活動が活発になる。2月にキリンラガービールのCMにYMOとして出演。同時に「RYDEEN 79/07」をリリース。5月19日には「ヒューマン・オーディオ・スポンジ」(HAS)としてチャリティーライブを行う。さらに7月7日には「ライブ・アース」にYMOとして出演。8月22日には「HASYMO(ハシモ)」名義で新曲「RESCUE」をリリース。 2009年7月16日、芸術家として文化の多様性を豊かにしたことなどが評価され、フランス政府から芸術文化勲章「オフィシエ」を授与された。 2010年3月12日、芸術分野での優れた業績を評価され、文化庁より芸術選奨「大衆芸能部門」の文部科学大臣賞を授与された。 2012年、東日本大震災における原発事故の後の脱原発に向けたデモ活動に対してニューヨークから駆け付けて参加する中で、「たかが電気のために命を危険に晒してはいけない」と発言して物議を醸す。その後、自身も呼びかけ人を務める「『さようなら原発』一千万人署名市民の会」から「音楽のイベントができないか」という相談を受けたため、脱原発をテーマにしたロック・フェスティバルである「NO NUKES」を企画してシリーズ化し、2019年までほぼ毎年開催した。 2012年11月23日、アジア太平洋映画賞国際映画製作者連盟賞を受賞。 2013年2月8日、米カリフォルニア大バークレー校日本研究センターから「バークレー日本賞」を授与された。オリエンタリズムを感じさせる作風と初期の作品に見られた現代音楽の手法を用いた斬新さ、独特の風貌と知的な発言が固有の存在感を生み、多くのファンを獲得。これまでに映画やCMにも多数出演している。同年、「第70回ヴェネツィア国際映画祭」のコンペティションの審査員を務める。 2014年、札幌国際芸術祭のゲストディレクターに就任。 2014年7月10日、所属事務所エイベックス・ミュージック・クリエイティヴから中咽頭癌であること、療養に専念するためにコンサート活動などを中止する旨が発表された。かつてはインタビューなどで度々自身の健康状態や体力に自信を表しており、コンサート等公演スケジュールを自身の健康に起因する理由でキャンセルしたことがなかった。 2015年8月2日、映画『母と暮せば』(監督・山田洋次、主演・吉永小百合、2015年12月12日公開)の音楽で仕事復帰。本作で第70回毎日映画コンクール・音楽賞を受賞。 2016年、第25回モンブラン国際文化賞を受賞。 2017年11月4日、自身のドキュメンタリー映画、『Ryuichi Sakamoto: CODA』が公開される。スティーブン・ノムラ・シブル監督によるもので、第74回ヴェネツィア国際映画祭アウト・オブ・コンペティション部門正式出品作品になった。 2018年、1月27日自身のライヴの様子を収録した映画「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK: async」を公開。2月15日開催の「第68回ベルリン国際映画祭」で、コンペティション部門の審査員6名に選ばれる。 2021年1月21日、2020年6月にニューヨークにてがんの診断を受け、直腸がんおよび転移巣の手術を受けたことを公式サイトで発表した。手術は20時間にも及び、発表後も転移した肺の摘出手術など6度に渡る手術が行われた。音楽活動再開に向けて入院治療に専念しつつ、『新潮』2022年7月号より「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」の連載を開始した。 2022年3月26日、東京・サントリーホールで行われた東北復興支援プロジェクト『東北ユースオーケストラ演奏会2022』に登場。『東北ユースオーケストラ』は、東日本大震災を体験した小学生から大学生までの若者で構成され2016年から2019年までに公演を定期的に行っていたが、2020年以降はコロナ禍のためコンサートは中止になっていたため、坂本とともに3年ぶりの公演であり、最後の公の場での生演奏であった。坂本は新曲『いま時間が傾いて』を初演。坂本がピアノ演奏を行う中で吉永小百合による詩の朗読も行われた。 2022年6月、がんの「ステージ4」であり、両肺に転移したがん摘出手術を昨年10、12月に受けたことなどを明かした。同年12月11日に配信されたピアノのソロコンサートが、最後の公の場になった。同年9月中旬に事前収録したもので、体力面を考慮し1日数曲ずつ演奏し、数日かけてコンサートに仕立てたものであった。 2023年3月28日、東京都内の病院で死去した。71歳没。訃報は同年4月1日午前、共同通信の配信記事で明らかになった。また、4月2日夜、本人の公式Twitterおよび所属事務所によるリリースで公表された。所属事務所によれば「がんの治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした」としており、既に葬儀は近親者で執り行われている。所属事務所のコメントは、坂本が好んだ一節「Ars longa, vita brevis 芸術は長く、人生は短し」で締められた。公式Instagramアカウントでは、生没年月日と朽ちて壊れたピアノと暗闇が繰り返しフェードインする動画がトップに固定されて投稿された。 苦しい闘病の中でも、亡くなる2日前の3月26日には自身が代表・監督を務める「東北ユースオーケストラ」の演奏会をオンラインで視聴し、終演後に出演者に向けて「Superb! Bravissimo(拍手×5)素晴らしかった!! よかったです。みんなありがとう(拍手×3)お疲れ様でした♪」とのメッセージを送っていた。同年3月29日に配信された共同通信の書面インタビューでは「音楽制作も難しいほど気力・体力ともに減衰しています。残念ながら手紙を送る以上の発信や行動は難しい」と現状を明かしていたが、この記事が配信された時点で既に死去していた。 「世界のサカモト」と呼ばれた坂本の訃報は、イギリス・BBC、アメリカ・CNN、フランス・AFP通信、韓国・聯合ニュース、中国のネットメディアなどで速報で伝えられた。また、世界中の著名人のWebサイトやSNSアカウントで追悼文が公開された。 2023年4月2日、活動限界を迎える直前までコンピューターで制作し続けた「神山まるごと高等専門学校」の校歌が、未完成ながらも入学者や出席者に対して披露された。生前、坂本自身も未完成の作品の発表をためらっていたが「新入生を祝福するため」として了承していた。この校歌が生前最後の作曲となった。その後、坂本の生前の意思に基づき、網守将平が編曲を担当。同年8月10日に、完成した校歌「KAMIYAMA」が同校公式Webサイトで公開された。 2023年4月3日1時29分、たった2ヵ月の間にYMOで唯一の存命者となった細野晴臣は、高橋幸宏が亡くなった時に坂本龍一が行った追悼の方法と同じく、SNSで無地の灰色の画像を投稿して追悼した。 2023年4月14日、新宿ミラノ座の跡地に坂本龍一監修の109シネマズプレミアム新宿が開業した。館内BGMは3曲が坂本龍一作曲で、全シアターには坂本が認めた最高の音響設備のみを採用した「SAION -SR EDITION-」が導入され、一部シアターには坂本の希望で稀少な35mmフィルム映写機も導入されている。坂本にとって新宿は思い出深い地であり、1960年代後半の東京都立新宿高等学校在学中に好んで新宿中の映画館で上映作品の傾向を調べて映画を鑑賞するほどの映画マニアで、他にも「事前に調べた新宿のジャズ喫茶約30軒を1ヶ月かけて全部廻る」などして後の活動の基盤となる文化的素養を得ていたが、新宿の文化的発展を願い自身が監修した映画館に行くことは出来なかった。 同年5月17日、音楽(新曲2曲、既成曲5曲)を担当した日本映画『怪物』が第76回カンヌ国際映画祭で上映される。同作品は脚本賞とクィア・パルム賞を受賞した。 同年、第65回日本レコード大賞特別功労賞を受賞した。 坂本のピアノ曲集『Avec Piano』に寄せられた解説文の中で音楽評論家の秋山邦晴は「なかなかピアノも巧い」と評している。デビュー作『千のナイフ』では現代音楽家の高橋悠治との連弾を行っている。加藤登紀子が坂本のピアノの演奏技術に感嘆し、それを本人に伝えた際に坂本は「18歳の頃の僕はもっとすごかった」と答えたという。フランツ・リストの難曲ラ・カンパネラを藝大入学以前に、初見で弾きこなしたとも坂本本人は発言している。 音楽を担当した映画『ラストエンペラー』においてアカデミー作曲賞を受賞した際には、写真週刊誌フライデーにおいて「この賞を受賞したことよりもこれから仕事を選べるという点のみで今回の受賞は悦ばしい」と発言。活動の拠点をアメリカに移したのも「日本という小さなマーケットでCDを100万枚売るよりも、世界の10カ国からそれぞれ10万枚ずつCDを売るほうが作品のクオリティーを落とさないで済む」と雑誌『GOETHE』(幻冬舎)で述べている。 現代音楽への進出は、原田力男の推薦にもかかわらず成功しなかった。現代音楽界を狭い世界と捉え、その中で活動することを嫌ったとの本人コメントがある。社会的成功を確実にした後、神奈川県内のクラシック音楽専用のホールで個展を行い、芸大在学中に作曲した曲を中心に数作品が高橋アキ等によって演奏された。YMO散開後の1984年、『題名のない音楽会』(テレビ朝日)においてオーケストラ曲「反復と旋」が一部割愛ながらも世界初演される。この作品は芸大大学院の修士論文として提出された作品で、未発表のまま芸大に保管されていた。 学生時代にヤニス・クセナキスの作曲法を取り入れようとしたが、数学が苦手なために挫折した。太田出版から出された『坂本龍一・音楽史』に、その試行の膨大なメモが掲載されている。 坂本は国内のアンダーグラウンドシーンにも接近した。ニューヨーク帰りの東京のパンクバンドフリクションのファーストアルバムをプロデュース、関西の女性パンクボーカリストPhewのソロデビューシングルでのコラボレーション、山崎春美の音楽プロジェクトTACOへの参加などが挙げられる。しかし、TACOでの過激な楽曲提供はともかく、フリクションのアルバムはメンバー・ファン共に「ライブでの緊張感・硬質感が再現されていない」と不評を買い、Phewも「(坂本は)仕事は速いがセンスは悪い」と評判は芳しくない。 国外ではNO NEW YORKで一際存在感を放っていたアート・リンゼイとの親交が有名である。DNAの頃のアートと初めて出会ったときは一方的に敵意を向けられて満足に言葉を交わすことができなかったが、その後坂本が自身のソロアルバムへの参加をオファーした際に快諾し、以後現在まで坂本の活動に欠かせない人物となった。 J-WAVEで2004年に放送された番組『ゆく都市くる都市・新春放談』では、細野晴臣、高橋幸宏との対談で、リズム隊出身の両者に対し、坂本自身はリズムトラックの構成にコンプレックスがあると告白した。対して細野は「教授の作品を聴いて特にリズムが弱いと思ったことは無かった」と語り、少々意外な発言だったようである。 コンサートではほとんど年齢制限を設けたことがなく「0歳児でも入場可」をポリシーとしている。しかし2007年5月12日「坂本龍一プロデュース公演/ロハスクラシック・コンサート2007」の会場となったbunkamuraオーチャードホールでは、子供の泣き声が数か所から上がり、第二部開演前に坂本から「0歳児でもOKというのをポリシーにしていますが、純粋に音楽を楽しみに来ている方もおられるでしょうから、常識的なところで、例えばロビーへ行ってあやすなど臨機応変に対応をしてください」と照れながらのアナウンスがあった。 過去にアニメ監督の高畑勲監督から音楽を頼まれたことがあったが、作った音楽があまりにも暗すぎ、解雇されてしまった。 歌はうまくないと自認している。『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)に出演した際、「君に、胸キュン。」を歌ったら浜田雅功にツッコまれてしまったほどである。坂本自身がボーカルを執った楽曲は極めて少ないが『左うでの夢』『ビューティ』『SMOOCHY』のように、あえて坂本のボーカルを前面に押し出して製作されたアルバムもある。「歌はうまさじゃなく声色、ヘタでも自己表現としては音楽の中で最高のもの」という自身の発言がある。 幅広い音楽ジャンルを分析し、自身の作品に反映しているが、カントリー・ミュージックとハワイアンだけはなじめないと発言していたが、近年どちらも聴けるようになりハワイアンに関しては「現地に行った際に大好きになった」とのこと。 「今夜はブギー・バック」リリース当時「ハマった」と言ってミュージシャン小沢健二と対談もしている。ZERO-LANDMINE企画時には日本のビジュアル系と称されるアーティストたちとも共演したり、YMOチルドレンのLUNA SEAのSUGIZOのソロ・アルバムにピアノで参加したこともある。クラシックからダウンタウンのプロデュースに至るまで、いずれもジャンルの垣根を越え音楽を聴き、解析し、プロデュースすることのできる自身の才能について「自分は音楽の鉄人だと思う。(発表されている作品には)いろいろなスタイルの音楽がありますが、全部僕のものですから、安心して下さい」と発言している。 若い頃は古典芸能や工芸などの日本の古典的文化を「戦前のナショナリズムの象徴」として否定的に考えていたが、海外移住や年齢を重ねたこともあって、近年はそれらに対しての関心が強くなり、そうした日本の古典的文化を積極的に学ぶようになったという。 政治思想に関しての発言や、社会運動家としての活動も多い。新宿高校時代には学生運動に関わり、塩崎恭久と馬場憲治の3人でバリケード封鎖を決行した。大学時代には武満徹を批判するビラを配ったこともあった。これについて坂本は、当時の自分は生意気で、それに対し武満はエスタブリッシュされた作曲家であり、その日本的な情緒が目障りだったからと、武満の没後に語っている。また、鈴木邦男との対談では、「若い頃は日本の楽器とかが嫌でそれを使っていた武満さんに反抗心を抱いてしまった」とも語っている。批判された武満は、逆に坂本に「このビラ撒いたの君?」と語ったという。このことは、同じく鈴木邦男との対談では、30分くらい話し合ったと語り、のちに坂本が何人かでコンサートをやった後、偶然バーで武満と会った時には武満から「ビラのときの子ね。君、いい耳持ってるね。」と言われ、うれしかったという。武満はそのコンサートの観客の中の1人であり、その後は名前を覚えてもらったという。武満はその後、坂本が作曲した「戦場のメリークリスマス」を、高く評価している。さらに坂本によるとニューヨークでも会ったことがあり喫茶店で「いつか一緒に仕事しましょう」と約束したという。坂本は武満の没後、武満が晩年完成を目指していたオペラからインスパイアされた曲「Opus」を作曲する(アルバム『BTTB』所収)。さらには自作のオペラ『LIFE』を完成させるなど、武満のことを意識している。概して、若い頃は退廃的な考えを持っていたようだが、野口晴哉の著書『風邪の効用』やオペラ『LIFE』の製作のための取材等の影響で、健康的、生命的な考えへと変わっていった。作家や思想家など知識人との交流も深く、作品に影響が及ぶこともしばしばである(#関連項目・人物参照)。 東京藝術大学の1年生の頃の1970年11月25日、三島由紀夫が割腹自殺を遂げたことを知った坂本は、遺体が移された市谷近くの牛込警察署に押し掛けた。坂本によると「作家としての三島をとても尊敬していた。彼は右翼、僕は過激な左翼でしたが、右も左も過激になると似て来るところがあるのでしょうか。」という。 小室哲哉とは「クリエイティブな少数派に向けた作風」を追求する坂本と「メジャーでスターになるための方法論」を追求する小室、インターネットでのファンに対するアプローチの方針の違いからして、小室曰く「お互い中和しない関係」と称しつつも、「何をどうするかが絶対に違うけど、無いものねだりながらもお互いに無いものを求めている」「誤解されるのを承知で言えばホモセクシャルな感覚を持っていて会うと安心できる」と話している。反面小室は「芸術家であり、その方面では未だに何一つ彼との差は縮まっていない」と賛美と嫉妬を込めた発言をしていて、坂本もいち早くダウンタウンを音楽への道に引き入れる小室の発想力とバイタリティに「横取りしやがって...」と反発心を覚えていた。 1997年ごろから日本における音楽著作権の取り扱いについて、JASRACが独占して管理すること、および権利の信託が包括的にしか行えないことに対してこれを改めるようJASRACおよび文化庁に対して働きかけを行った。MAA(メディア・アーティスト・アソシエイション)設立。1999年制作のオペラ『LIFE』あたりから環境・平和問題に言及することも多くなり、地雷除去活動を支援するためのチャリティーソングとしてGLAY、Mr.Children、DREAMS COME TRUE、DJ KRUSHらを迎えて制作した『ZERO LANDMINE』やアメリカ同時多発テロ事件をきっかけとした論考集『非戦』を発表している。 2004年には音楽評論家高橋健太郎やピーター・バラカンらの呼び掛けに応じて共同声明「私たち音楽関係者は、著作権法改定による輸入CD規制に反対します」に名を連ね、国会で審議されていた音楽レコードの還流防止措置(レコード輸入権)に反対を表明した。 2006年2月には、PSE問題に絡み、松武秀樹、椎名和夫とともに2006年4月に本格的に施行される電気用品安全法(PSE法)に反対する署名を募集。経済産業省がマークなしの販売を条件付きながら認めるなど、一定の成果を得た。同年5月にはShing02、クリスチャン・フェネスらとともに青森県六ヶ所村の核再処理施設に反対し、この問題をアート作品の共有と拡散という手法を使って内外に周知するプロジェクトSTOP ROKKASHOをスタートし、河野太郎、保坂展人らの政治家、小室哲哉らのミュージシャンからも賛同を得ている。 2007年7月16日に起きた新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原子力発電所が被害を受けたことに応じて「おやすみなさい、柏崎刈羽原発」という運動を始めた。東日本大震災後も原発を批判する旨の意見を度々述べている。 2012年1月11日には、自身が代表を務める森林保全団体 more trees による被災地支援プロジェクト「LIFE311」と、サイバーエージェントのソーシャルゲームピグライフと連携する連動企画『LIFE311×ピグライフ』を期間限定(3月31日まで)で立ち上げた。なお、ピグライフに設置された特設エリアには坂本も登場している。 憲法9条の改正に強く反対しており、選択的夫婦別姓制度導入にも賛同する。 数多くのチャリティーコンサートを実施、無償での被災地の幼稚園・小・中・高校に対し、楽器関連の復興支援を行うための『こどもの音楽再生基金』、被災地支援参加型プロジェクト『kizunaworld.org』、先述の被災地支援プロジェクト『LIFE311』など、様々な側面から復興支援に尽力した。2012年5月1日、日本財団により、伊勢谷友介、EXILE、加藤登紀子、小林幸子、コロッケ、サンドウィッチマン、杉良太郎、伍代夏子、中村雅俊、はるな愛らと共に「被災地で活動した芸能人ベストサポート」に選出され、表彰されている。 2015年には、安倍晋三内閣総理大臣の進める集団自衛権や改憲について、デモにも参加するなど批判している。 2016年、沖縄における米軍属に対する「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」に向けて「沖縄だけに痛み、苦痛と侮辱を何十年もおしつけておくべきではない。もうたくさんだ。基地、米軍、武力が必要なら日本人の全てが等しく背負うべきだ」とのメッセージを寄せた。 自身の政治的な言動が批判されることについては「音楽家だけど、余計な口を出してしまうから。音楽家は音楽だけやっていろ、とインターネットで言われているらしいということも知っています。これは言わないと、というときだけ選んでいるつもりですけれど、発言するから偉いとも思ってません。でも音楽だけやればいいとも思わない。普通の人が口出すのが民主主義でしょ。職業に関係なく誰もが声を出せる社会じゃないとダメだと思うんです」といった考えを述べている。 2021年、小山田圭吾が、東京オリンピック・パラリンピック開会式音楽スタッフ就任に端を発する過去の雑誌インタビュー記事や、同記事をめぐる報道(詳細は小山田圭吾を参照)に謝罪の文を公式サイトに寄稿。坂本は「読みながら少し泣けてしまった。なかなかこれほど真摯な文章は書けるものじゃない。よほど自分の心の中を曇りなく隅々まで見ないと」と私見を述べ、「今後どんな音楽が生まれてくるのか、気長に待ってます」とつづった。 最晩年となった2023年3月上旬には明治神宮外苑地区の再開発の見直しを求める手紙を、小池百合子東京都知事、永岡桂子文部科学大臣、都倉俊一文化庁長官、吉住健一新宿区長、武井雅昭港区長の5名に送り、「100年かけて守り育ててきた樹々を犠牲にすべきではない」「樹々は差別なく万人に恩恵をもたらすが、開発は一部の既得権者と富裕層だけに恩恵をもたらす」などと訴えたが、認可を出した小池百合子東京都知事から「事業者の明治神宮にも手紙を送られた方がいいじゃないでしょうか」と一蹴されている。 若い頃について坂本は「YMOで大ブレイクして、30歳代半ばまではまさに人生の絶頂期で、遅刻やすっぽかしもしょっちゅうだった。運転手が気に入らないとすぐに殴ったり蹴ったりした。今思えばとんでもないことであり、私の理不尽な暴行に耐え切れず辞めていった運転手の人たちには申し訳ないと思っている。子供の頃、体格がよかったこともあって、力ずくで意思を通すことをあまりためらわない性格に育っていた。」などと述べている。 YMO結成当初の紙面上のインタビューで、同時期に活動を開始していたP-MODELに関して坂本が吐いた発言により、当時のP-MODELファンの間で「YMO不買運動」が起こるなどの因縁が生まれた。 糸井重里との対談で坂本は「自分の生活を露出させる人は、他人に対して無遠慮だ」と非難し、「ジャージをはいてる人が嫌い。ジャージはその人の生活を完全に感じさせるものだからそんな格好して、外に出てくるな」、「学生の時に、学生食堂で一人でご飯をきちんと食べてる男の人を見ると、すごく不愉快だった」などと述べている。 坂本家は福岡県三奈木村の坂の下(現・朝倉市)の出で、江戸時代に足軽として黒田家に仕えた。明治に入ると苦しい生活を強いられたため、坂本龍一の曽祖父・坂本兼吉は明治の中頃に甘木町に移住し、「料理坂本」を始めた。坂本龍一の祖父・坂本昇太郎は坂本兼吉の長男として生まれ、22歳でタカという女性と結婚、長男が坂本龍一の父・一亀である。坂本昇太郎は興行を取り仕切る父の影響もあり、芸事が好きで、芝居小屋「甘木劇場」の経営主をつとめ、後に福岡の生命保険会社に就職した。 母方の祖父下村彌一は長崎県諫早市の小さな農家に生まれ、苦学して第五高等学校と京都帝国大学に学んだ。第五高等学校では後に首相となった池田勇人が同級生におり、ともに京都帝国大学へ進学して、生涯の親友として交流した。大学卒業後は共保生命保険に就職、実業家として共保生命取締役、東亜国内航空会長などを歴任。母方の叔父(母の弟)下村由一(1931 - )は歴史学者で、千葉大学名誉教授。 東京芸術大学2年のときに2歳年上の女性と結婚し、長女を授かったが離婚する。歌手の坂本美雨はシンガーソングライターの矢野顕子との間に生まれた娘で、坂本にとっては次女。 1984年から1989年まで「本本堂」という個人出版社を持ち、自身の著書を中心に、独自の出版活動を行った。1984年に<週刊本>シリーズで刊行された『本本堂未刊行図書目録』(朝日出版社)も話題となった。その本で予告されたのは、浅田彰著/井上嗣也装幀『煉獄論あるいはゴダール・スペシャル』、南方熊楠著/井上嗣也装幀『男色と免疫疾患』、赤瀬川原平装幀『糸井重里児童文学全集』、武邑光裕編/細野晴臣装幀『往復書簡 ウィリアム・バロウズ-出口王仁三郎』、中沢新一構成/坂本龍一ピアノ/日比野克彦装幀『グルジェフ体操カセットブック』などの、50冊であった。 本本堂から、実際に刊行された書籍は以下の通り。 YMOについてはイエロー・マジック・オーケストラの項を参照。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "坂本 龍一 (さかもと りゅういち、Ryūichi Sakamoto、1952年〈昭和27年〉1月17日 - 2023年〈令和5年〉3月28日)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト、俳優、音楽プロデューサー。東京都出身。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "音楽性は幅広く、クラシック音楽が根幹にあり、民俗音楽、ポピュラー音楽(特にテクノポップ)にも造詣が深かった。1987年には日本人で唯一アカデミー作曲賞を受賞しており、映画音楽でも世界的に評価されている。愛称は「教授」。晩年は環境や憲法に関する運動にも積極的に参加していた。インターネットなどの新技術にも興味を示し、ライブや作品に取り入れていた。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "幼いころから母方叔父の持っているレコードを聴いて音楽への興味を募らせつつ成長した。田園風景の濃厚に残る世田谷区で小中学生時代を過ごし、当時学力上位校の一つであった東京都立新宿高等学校に進学する。新宿は当時の日本のサブカルチャーの中心地であり、映画と音楽を中心に様々な店に出入りしては文化的素養を吸収していった。東京芸術大学在学中にスタジオ・ミュージシャンとして活動を開始した。1970年代後半よりソロやKYLYNバンドのメンバーとして活動する一方、メンバーとして参加した音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」が国内外で商業的成功を収め、人気ミュージシャンとなった。同時に山下達郎や大貫妙子などの同世代の音楽家とも知り合い、共同作業を行った。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "YMO時代にテクノポップやニュー・ウェイヴの分野で活動したことは広く知られているが、その後は一つのところに留まらず、現代音楽の手法を使った作品の発表、ロックとテクノの融合、ワールドミュージック、ヒップホップやR&Bなどのブラックミュージックを織り交ぜたポップス、オペラの作曲およびプロデュース、クラシックやボサノヴァのユニットを結成してのワールドツアー、晩年はアンビエントやエレクトロニカの作品を発表するなど、ジャンルを横断して多彩な作品を発表した。前衛的で先進的なイメージを残しながら、大衆に理解され得る親しみ易さを持った作品として仕上げる手腕に卓越したものを持っていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "自身の音楽活動のほか、プロデューサーやアレンジャーとしても活動し、他のアーティストへの楽曲提供も数多く行っている。俳優として出演した大島渚の監督映画『戦場のメリークリスマス』で映画音楽も手掛け、日本人初の英国アカデミー賞 作曲賞を受賞した。1987年公開の『ラストエンペラー』では日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し、同曲でゴールデングローブ賞 作曲賞、1989年第31回グラミー賞最優秀オリジナル映画音楽アルバム賞など世界的な音楽賞を総なめした。1990年、映画『シェルタリング・スカイ』のサウンドトラックを担当しロサンゼルス映画批評家協会賞の作曲賞、1991年にゴールデングローブ賞 作曲賞を受賞した。以降、国内外の映画音楽を手掛け、映画音楽家としての地位を築いた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1990年代前半は打ち込み系ポップスの作品を多数リリースし、1995年11月30日には『三菱電機 スーパーセレクション 坂本龍一 TOUR '95 D&L with Daizaburo Harada』というライブを開催し、日本初のインターネット配信も行った。インターネット配信自体は既に1994年11月にローリング・ストーンズが行っていたが、インターネットの商業利用化が1995年に完了した直後という時代に、世界でも数例しか行われていない中での極めて先進的な試みであった。同時に、原田大三郎によるステージ上での映像のリアルタイムコントロールも、後のVJの先駆けであった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1990年代後半はアコースティック作品を中心に制作し、その中でも1999年に三共『リゲインEB錠』のCM曲であった『energy flow』が癒し系楽曲として絶大な人気を得て、同曲を収録した『ウラBTTB』がミリオンセラーを達成した。以降のスタジオ作品は2000年代を通して、アコースティック感のある脱構築的な作風に移行して行った(2009年の『Out of Noise』など)。同時に、スタジオ・アルバムのリリースは大きく減少した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "音楽家としての活動のほかに、いくつかの映画や映像作品には俳優としての出演歴がある。テレビCMにも多く出演しており、ときには、ダウンタウンなどとお笑い番組やバラエティ番組に出演することもあった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "近年は各メディアで環境問題や憲法をはじめとした諸問題に関する運動に積極的に参加・言及しており、2000年代半ばに話題になったPSE問題においても、坂本が中心人物として反対運動を行った。「エコ」や「ロハス」といったキーワードを口にすることが多く、マクロビオティックの実践者でもある。2008年6月5日の「世界環境デー」には、CD製造時の二酸化炭素排出への対策としてcommmonsレーベルから新たに発売する全てのCDをカーボンオフセット対応とすることも発表した(最新作まで継続中)。長年喫煙者であったが、針治療を通じて禁煙に成功した。一時期はベジタリアンでもあったが、これは「人としての闘争本能がなくなりそうだから」という理由で後に中止している。2008年の9月には作家村上龍との対談で、現代の「夢があるということは素晴らしい、だから君も夢を持て」という風潮に疑問を抱いている発言をしている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "無類の猫好きである。一人っ子だった坂本が生まれたときから15歳の時まで一緒に住んでいた猫と兄弟のように生活していたことが影響している。若い頃は自分の見た目に無頓着で、アルバム「千のナイフ」のジャケット写真を見た当時の音楽仲間が「あの汚い坂本が」と驚愕したほどだった。このような坂本がファッションセンスを得るに至ったのは、高橋幸宏の指導によるものである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "坂本は手塚治虫の漫画が好きだと公言しており、特にお気に入りの作品は『火の鳥』と『ブッダ』だという。手塚漫画の女性や動物は滑らかな曲線で描かれており、そこに音楽性と美しさを感じると度々語っている。坂本は手塚るみ子プロデュースの「手塚治虫 その愛した音楽」というCD(内容は手塚が漫画の執筆中に聴いていた音楽を収録したもの)の仕事もしている。手塚プロダクションの「さよならティラノ」というアニメの音楽も担当している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "「教授」「世界のサカモト」とあだ名される。左利き。血液型はB型。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1952年、東京都中野区に生まれた。父は河出書房の編集者で、三島由紀夫や野間宏、中上健次、高橋和巳などを担当した坂本一亀。母・敬子は実業家・下村彌一の娘にあたり、帽子デザイナーで銀座の宝石商に勤務。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "通っていた幼稚園が「全員ピアノを習う」所であったため、3歳からピアノを習い始める。自由学園幼児生活団に準じた世田谷幼児生活団において作った「うさぎのうた」が最初の作曲。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "6歳ごろまで住んでいた中野の家には、ピアノやレコードプレーヤーがなかった。近所に住む祖父の家には、当時まだ学生だった叔父のピアノがあり、その上にレコードプレイヤーがあった。ピアノによじ上ってレコードを聴いたのが、坂本の最初の音楽の記憶である。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "10歳で東京芸術大学教授の松本民之助に師事し作曲を学び始める。なお、作曲を勉強し始めて最初に興味を持った作曲家はストラヴィンスキーであった。この頃は特にピアノが好きではなく、むしろ苦痛だったという。14歳の頃、ドビュッシーの音楽と出会い、そこから多大な影響を受けた。自分はドビュッシーの生まれ変わりに違いないと半分信じて、サインの練習まで始めた。人生で最も影響を受けた音楽家は、ドビュッシーとバッハである。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "小学2年の時に、東京都世田谷区給田(千歳烏山)に転居。世田谷区立祖師谷小学校から世田谷区立千歳中学校を経て、1970年に東京都立新宿高等学校を卒業。同級生には塩崎恭久、馬場憲治、那須恵理子、野中直子がいる。千歳中学校ではバスケットボール部に所属した。新宿高校時代には読書が趣味で、常に学校図書館の貸出ランキング10位以内に入っていた。風月堂などにたむろするフーテンたちに影響を受け、ジャズを聞くようになり、自分でも演奏するようになった。ロックも好きであったが、フォークは大嫌いであった。学生運動にものめり込み、塩崎や馬場はこの時の闘争仲間でもある。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1970年東京芸術大学入学。大学在学中、民族音楽学研究の泰斗小泉文夫の講義を受け、その内容の深さに坂本はそれまで培ってきた音楽観の根底を揺さぶられるような大きな衝撃を受けたという。さまざまに変遷してきたと見られる坂本の作風であるが、そのベースには、小泉から学び得た民族音楽学の知識や思想が確かにあるようである。ただし小泉自身は作曲をしなかったので、坂本に作曲技法上の影響を与えたというわけではなかった。坂本は、大学在学中、一年ほど作曲家三善晃にも学んでいる(ただし一度直接指導を受けただけ、と坂本は発言している。しかも、三善から「理論的すぎる」の如き指摘を受けたとも)。さらには、渋谷で開かれていた高橋悠治の勉強会にも高校・大学を通して顔を出していた。坂本が電子音楽に出会ったのは大学学部在学中のことである。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "学生時代には教職課程も履修しており、母校へ音楽教員になるための教育実習に行ったこともあったが、生来の気質から学校組織の一員として務めることには向いていないと早々に諦めている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1974年東京芸術大学の音楽学部作曲科を卒業し、同大学院音楽研究科修士課程に進む。1977年修了。修士論文は「坂本龍一 Year Book 1971-1979」のDISC 2にも収録されている管弦楽作品「反復と旋」。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1975年、大学院在学中に新宿ゴールデン街で意気投合したという友部正人の『誰もぼくの絵を描けないだろう』にピアノで参加。スタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。翌1976年、竹田賢一と「学習団」を組織し、竹田のプロデュースの下、はじめてのアルバム『ディスアポイントメント-ハテルマ』(土取利行とのコラボレーション)を発表。以降、りりィのバックバンド(バイバイセッションバンド)に所属した後、当時のりりィのマネージャー(現:株式会社365代表)が細野晴臣のマネージャーに坂本を紹介、YMO結成の足がかりとなる。初期の山下達郎の楽曲(「2000トンの雨」「パレード」など)、大瀧詠一、山下達郎、伊藤銀次のアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』などにキーボードとして参加。大貫妙子のLP『SUNSHOWER』『MIGNONNE』『ROMANTIQUE』などにアレンジャー、プロデューサーとして参加。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1978年2月、細野晴臣のアルバム『はらいそ』に参加。細野の誘いにより、高橋幸宏とともに「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO) を結成、活動を開始する。10月、坂本初のソロアルバム『千のナイフ』をリリースし、ソロ・デビューも果たす。11月、YMO名義の『イエロー・マジック・オーケストラ』を発売、続く『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』で爆発的人気を博す。この年、風の旅団の前身となるテント劇団「曲馬館」の音楽にも参加した。翌1979年にはYMOと並行する形で渡辺香津美、矢野顕子、小原礼、村上秀一、本多俊之らとセッションユニットKYLYNや、ほぼ同じメンバーで、各パート二人ずつで演奏技術を競わせるというコンセプトのカクトウギセッションでの活動を行う。一部の楽曲で第二ピアノを演奏した高橋悠治のLP『新ウィーン楽派ピアノ音楽集成』が発表された(後に『新ウィーン楽派ピアノ作品集』としてCD化。参加楽曲シェーンベルク「四手のための六つの小品」は坂本のアルバム『フェイヴァリット・ヴィジョンズ』にも収録されている)。同年から1980年にかけて、YMOは2度にわたるワールドツアーを実施。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1979年12月、アレンジを手掛けたサーカスのシングル「アメリカン・フィーリング」で、日本レコード大賞編曲賞を受賞する。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "YMOのライブを期待していた観客から野次られると「うるさいぞ、この野郎!」と怒鳴り返した等のエピソードもある。この頃、立花ハジメ、沢村満、鈴木さえ子らと「B-2UNITS」という名前のユニットを結成、ライブ活動を散発的に行っている。1982年には、RCサクセションの忌野清志郎と組んでシングル『い・け・な・いルージュマジック』をリリース。資生堂'82春のキャンペーンソングとしてヒットする。TVでは、どぎつい化粧をした男同士でキスをするなど、過激なパフォーマンスを展開した。この年、矢野顕子と結婚。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "YMOとしての活動の傍ら、1981年よりNHK-FMにて「サウンドストリート」のパーソナリティを務める。担当していた火曜日ではアマチュアミュージシャンから送られるテープを番組内で放送する「デモテープ特集」が不定期に行われていた。パンクバンドTACO(タコ)のオムニバスにはな・い・し・ょのエンペラーマジックで参加。同曲をサウンドストリートで放送したが、放送禁止用語が含まれていたためにすぐにオンエア中止になった。メジャーシーンの活動と並行して、TACO以外にもアンダーグラウンドロックシーンとは交流があり、自主レーベルである、パス・レコードでフリクション、Phewのプロデュースを行っている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1983年公開の映画『戦場のメリークリスマス』には、大島渚監督の依頼により、ヨノイ大尉役で出演し、デヴィッド・ボウイ、ビートたけしと共演。出演の条件として音楽を担当した。同作は第36回カンヌ国際映画祭に出品され、結果は無冠だったものの、坂本の音楽は高く評価され、英国アカデミー賞 作曲賞を日本人として初めて受賞した。同作品のサウンドトラックからシングルカットされたデヴィッド・シルヴィアンとのシングル「Forbidden Colours(禁じられた色彩)」は、全英チャート(Music Week)16位を記録した。同年、YMOは「散開」(解散)する。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1984年、矢野顕子らと「MIDIレコード」を設立し、同レコード内にレーベル「school」を立ち上げる。1986年には初のソロ・コンサート「メディア・バーン」を全国24カ所(28公演)で行う。ツアー終了後、YMO以来所属していた「ヨロシタ・ミュージック」から独立し個人事務所「トラフィコ」を設立。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "翌1987年、映画『ラストエンペラー』公開。坂本は甘粕正彦満映理事長役で俳優として出演し、音楽をデイヴィッド・バーン、蘇聡とともに担当。これによりグラミー賞 映画・テレビサウンドトラック部門、ゴールデングローブ賞 作曲賞、アカデミー作曲賞等を日本人として初めて受賞し、以後、映画音楽作家としての地位を確立する。溥儀役のジョン・ローンとは、敵役同士という間柄の役作りのために、撮影中は一言も口を利かなかったという。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1989年、都民文化栄誉章を受章。海外戦略のためヴァージン・レコードに移籍するが、セールス的な成功を収めることはなかった。後にEMIのヴァージン・レコード買収により契約を主導したヴァージン・アメリカの社長の辞任に伴って契約を解消。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1990年4月からは、音楽の拠点をニューヨークに移す。別の女性と暮らし始め、男児をもうける。これが原因で、矢野顕子と翌年に別居したと報じられた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "1992年にはバルセロナオリンピック開会式のマスゲームの音楽を作曲(坂本のスケッチに基づく管弦楽編曲は作曲家の鈴木行一が担当)、自らも会場でオーケストラを指揮した。この依頼の当初「ナショナリズムを高揚させるスポーツイベントは嫌い」と一度は断ったが、プロデューサーPepo Solなど制作側から熱心なオファーがあり最終的には引き受けることになる。契約金は他の出演者とともに1ドルであった。このときの楽曲は後に「El Mar Mediterrani」として発表された。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1993年、YMO「再生」(再結成)。アルバム『テクノドン』を発表し、6月には東京ドームにて2日間のライブを行う。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1994年には契約地域を分割し、日本ではフォーライフ・レコードに移籍し、レーベル「güt(グート)」を設立。日本国内での活動を活発にした。日本以外の海外地域ではエレクトラと契約。個人レーベル「グート」の第一弾作品・アルバム『スウィート・リヴェンジ』を6月に発売する。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1995年、ダウンタウンの変名音楽ユニット「GEISHA GIRLS」に富家哲、テイ・トウワらと参加。以降、彼らとの親交を深め「ダウンタウンのごっつええ感じ」ではコント「アホアホマン」に出演、大便のシミを付けたパンツで登場するなどアホアホブラザー役でエキセントリックな一面を見せた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "1998年、エレクトラとの契約を解消し海外地域ではSONY CLASSICALと契約、日本ではワーナーミュージック・ジャパンに移籍。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "1999年、製薬会社三共(現:第一三共ヘルスケア)リゲインのCMに用いられたピアノソロ曲「エナジー・フロー」を収録したマキシシングル「ウラBTTB」がミリオンセラーとなり、インストゥルメンタルとしては初のオリコンチャート1位を記録した。自身初となるオペラ『LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999』(以下、LIFE)を公演。この頃には矢野顕子との夫婦仲は実質的に破綻していたとされ、テレビ番組「おしゃれカンケイ」において愛人(ニューヨークで行動を共にしているマネージャー)とその女性との間にいる子供(次男)の存在を認め、長男(矢野の連れ子)と坂本美雨に「お父さんにはお母さん(矢野顕子)以外に好きな人がいる」と告げたというエピソードも披露している。「子供は4人」と語り、矢野顕子との結婚前に学生結婚していた女性との間にも子供(長女)がいることも明かしている。さらに同番組では、「外国人が持つ日本コンプレックスをくすぐる、嫌いなアーティスト」として喜多郎とCHAGE and ASKAを名前を伏せた形で挙げた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "2001年、TBS50周年特別企画番組「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」に出演。同番組の企画において、親交のある国内外のアーティスト達を起用し、地雷除去のためのチャリティーソング「ZERO LANDMINE」を作曲、リリースした。同年にはボサノヴァトリオ「Morelenbaum2/Sakamoto」を結成し、アルバム『Casa』を発表。このトリオとしての活動、および坂本がこれまで自身の音楽にボサノヴァを取り入れてきたことなどが評価され、翌2002年、日本とブラジルの友好に寄与したとして、ブラジル政府よりリオ・ブランコ国家勲章(英語版)「カヴァレイロ位」を授与される。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "2003年には、この年4月にオープンした六本木ヒルズのテーマソング「the land song-music for Artelligent City」を発表。小林武史、桜井和寿らと非営利組織「ap bank」を設立。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2006年11月6日、エイベックスと新レーベル「commmons」を共同設立。この年、矢野顕子と離婚。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "2007年3月10日-5月28日、高谷史郎と共に、オペラ「LIFE」をベースにしたインスタレーション作品「LIFE - fluid, invisible, inaudible ...」を山口情報芸術センターにて展示。3月10日にはオープニング・コンサートを行った。9月15日-11月4日、東京のNTTインターコミュニケーション・センターでも展示。9月15日には、浅田彰、中沢新一を交えてのアーティスト・トークに加え、オープニング・コンサートを行った。この年は細野晴臣と高橋幸宏との活動が活発になる。2月にキリンラガービールのCMにYMOとして出演。同時に「RYDEEN 79/07」をリリース。5月19日には「ヒューマン・オーディオ・スポンジ」(HAS)としてチャリティーライブを行う。さらに7月7日には「ライブ・アース」にYMOとして出演。8月22日には「HASYMO(ハシモ)」名義で新曲「RESCUE」をリリース。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "2009年7月16日、芸術家として文化の多様性を豊かにしたことなどが評価され、フランス政府から芸術文化勲章「オフィシエ」を授与された。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "2010年3月12日、芸術分野での優れた業績を評価され、文化庁より芸術選奨「大衆芸能部門」の文部科学大臣賞を授与された。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2012年、東日本大震災における原発事故の後の脱原発に向けたデモ活動に対してニューヨークから駆け付けて参加する中で、「たかが電気のために命を危険に晒してはいけない」と発言して物議を醸す。その後、自身も呼びかけ人を務める「『さようなら原発』一千万人署名市民の会」から「音楽のイベントができないか」という相談を受けたため、脱原発をテーマにしたロック・フェスティバルである「NO NUKES」を企画してシリーズ化し、2019年までほぼ毎年開催した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "2012年11月23日、アジア太平洋映画賞国際映画製作者連盟賞を受賞。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "2013年2月8日、米カリフォルニア大バークレー校日本研究センターから「バークレー日本賞」を授与された。オリエンタリズムを感じさせる作風と初期の作品に見られた現代音楽の手法を用いた斬新さ、独特の風貌と知的な発言が固有の存在感を生み、多くのファンを獲得。これまでに映画やCMにも多数出演している。同年、「第70回ヴェネツィア国際映画祭」のコンペティションの審査員を務める。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "2014年、札幌国際芸術祭のゲストディレクターに就任。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "2014年7月10日、所属事務所エイベックス・ミュージック・クリエイティヴから中咽頭癌であること、療養に専念するためにコンサート活動などを中止する旨が発表された。かつてはインタビューなどで度々自身の健康状態や体力に自信を表しており、コンサート等公演スケジュールを自身の健康に起因する理由でキャンセルしたことがなかった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "2015年8月2日、映画『母と暮せば』(監督・山田洋次、主演・吉永小百合、2015年12月12日公開)の音楽で仕事復帰。本作で第70回毎日映画コンクール・音楽賞を受賞。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "2016年、第25回モンブラン国際文化賞を受賞。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "2017年11月4日、自身のドキュメンタリー映画、『Ryuichi Sakamoto: CODA』が公開される。スティーブン・ノムラ・シブル監督によるもので、第74回ヴェネツィア国際映画祭アウト・オブ・コンペティション部門正式出品作品になった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "2018年、1月27日自身のライヴの様子を収録した映画「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK: async」を公開。2月15日開催の「第68回ベルリン国際映画祭」で、コンペティション部門の審査員6名に選ばれる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2021年1月21日、2020年6月にニューヨークにてがんの診断を受け、直腸がんおよび転移巣の手術を受けたことを公式サイトで発表した。手術は20時間にも及び、発表後も転移した肺の摘出手術など6度に渡る手術が行われた。音楽活動再開に向けて入院治療に専念しつつ、『新潮』2022年7月号より「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」の連載を開始した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "2022年3月26日、東京・サントリーホールで行われた東北復興支援プロジェクト『東北ユースオーケストラ演奏会2022』に登場。『東北ユースオーケストラ』は、東日本大震災を体験した小学生から大学生までの若者で構成され2016年から2019年までに公演を定期的に行っていたが、2020年以降はコロナ禍のためコンサートは中止になっていたため、坂本とともに3年ぶりの公演であり、最後の公の場での生演奏であった。坂本は新曲『いま時間が傾いて』を初演。坂本がピアノ演奏を行う中で吉永小百合による詩の朗読も行われた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "2022年6月、がんの「ステージ4」であり、両肺に転移したがん摘出手術を昨年10、12月に受けたことなどを明かした。同年12月11日に配信されたピアノのソロコンサートが、最後の公の場になった。同年9月中旬に事前収録したもので、体力面を考慮し1日数曲ずつ演奏し、数日かけてコンサートに仕立てたものであった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "2023年3月28日、東京都内の病院で死去した。71歳没。訃報は同年4月1日午前、共同通信の配信記事で明らかになった。また、4月2日夜、本人の公式Twitterおよび所属事務所によるリリースで公表された。所属事務所によれば「がんの治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした」としており、既に葬儀は近親者で執り行われている。所属事務所のコメントは、坂本が好んだ一節「Ars longa, vita brevis 芸術は長く、人生は短し」で締められた。公式Instagramアカウントでは、生没年月日と朽ちて壊れたピアノと暗闇が繰り返しフェードインする動画がトップに固定されて投稿された。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "苦しい闘病の中でも、亡くなる2日前の3月26日には自身が代表・監督を務める「東北ユースオーケストラ」の演奏会をオンラインで視聴し、終演後に出演者に向けて「Superb! Bravissimo(拍手×5)素晴らしかった!! よかったです。みんなありがとう(拍手×3)お疲れ様でした♪」とのメッセージを送っていた。同年3月29日に配信された共同通信の書面インタビューでは「音楽制作も難しいほど気力・体力ともに減衰しています。残念ながら手紙を送る以上の発信や行動は難しい」と現状を明かしていたが、この記事が配信された時点で既に死去していた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "「世界のサカモト」と呼ばれた坂本の訃報は、イギリス・BBC、アメリカ・CNN、フランス・AFP通信、韓国・聯合ニュース、中国のネットメディアなどで速報で伝えられた。また、世界中の著名人のWebサイトやSNSアカウントで追悼文が公開された。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "2023年4月2日、活動限界を迎える直前までコンピューターで制作し続けた「神山まるごと高等専門学校」の校歌が、未完成ながらも入学者や出席者に対して披露された。生前、坂本自身も未完成の作品の発表をためらっていたが「新入生を祝福するため」として了承していた。この校歌が生前最後の作曲となった。その後、坂本の生前の意思に基づき、網守将平が編曲を担当。同年8月10日に、完成した校歌「KAMIYAMA」が同校公式Webサイトで公開された。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "2023年4月3日1時29分、たった2ヵ月の間にYMOで唯一の存命者となった細野晴臣は、高橋幸宏が亡くなった時に坂本龍一が行った追悼の方法と同じく、SNSで無地の灰色の画像を投稿して追悼した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "2023年4月14日、新宿ミラノ座の跡地に坂本龍一監修の109シネマズプレミアム新宿が開業した。館内BGMは3曲が坂本龍一作曲で、全シアターには坂本が認めた最高の音響設備のみを採用した「SAION -SR EDITION-」が導入され、一部シアターには坂本の希望で稀少な35mmフィルム映写機も導入されている。坂本にとって新宿は思い出深い地であり、1960年代後半の東京都立新宿高等学校在学中に好んで新宿中の映画館で上映作品の傾向を調べて映画を鑑賞するほどの映画マニアで、他にも「事前に調べた新宿のジャズ喫茶約30軒を1ヶ月かけて全部廻る」などして後の活動の基盤となる文化的素養を得ていたが、新宿の文化的発展を願い自身が監修した映画館に行くことは出来なかった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "同年5月17日、音楽(新曲2曲、既成曲5曲)を担当した日本映画『怪物』が第76回カンヌ国際映画祭で上映される。同作品は脚本賞とクィア・パルム賞を受賞した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "同年、第65回日本レコード大賞特別功労賞を受賞した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "坂本のピアノ曲集『Avec Piano』に寄せられた解説文の中で音楽評論家の秋山邦晴は「なかなかピアノも巧い」と評している。デビュー作『千のナイフ』では現代音楽家の高橋悠治との連弾を行っている。加藤登紀子が坂本のピアノの演奏技術に感嘆し、それを本人に伝えた際に坂本は「18歳の頃の僕はもっとすごかった」と答えたという。フランツ・リストの難曲ラ・カンパネラを藝大入学以前に、初見で弾きこなしたとも坂本本人は発言している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "音楽を担当した映画『ラストエンペラー』においてアカデミー作曲賞を受賞した際には、写真週刊誌フライデーにおいて「この賞を受賞したことよりもこれから仕事を選べるという点のみで今回の受賞は悦ばしい」と発言。活動の拠点をアメリカに移したのも「日本という小さなマーケットでCDを100万枚売るよりも、世界の10カ国からそれぞれ10万枚ずつCDを売るほうが作品のクオリティーを落とさないで済む」と雑誌『GOETHE』(幻冬舎)で述べている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "現代音楽への進出は、原田力男の推薦にもかかわらず成功しなかった。現代音楽界を狭い世界と捉え、その中で活動することを嫌ったとの本人コメントがある。社会的成功を確実にした後、神奈川県内のクラシック音楽専用のホールで個展を行い、芸大在学中に作曲した曲を中心に数作品が高橋アキ等によって演奏された。YMO散開後の1984年、『題名のない音楽会』(テレビ朝日)においてオーケストラ曲「反復と旋」が一部割愛ながらも世界初演される。この作品は芸大大学院の修士論文として提出された作品で、未発表のまま芸大に保管されていた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "学生時代にヤニス・クセナキスの作曲法を取り入れようとしたが、数学が苦手なために挫折した。太田出版から出された『坂本龍一・音楽史』に、その試行の膨大なメモが掲載されている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "坂本は国内のアンダーグラウンドシーンにも接近した。ニューヨーク帰りの東京のパンクバンドフリクションのファーストアルバムをプロデュース、関西の女性パンクボーカリストPhewのソロデビューシングルでのコラボレーション、山崎春美の音楽プロジェクトTACOへの参加などが挙げられる。しかし、TACOでの過激な楽曲提供はともかく、フリクションのアルバムはメンバー・ファン共に「ライブでの緊張感・硬質感が再現されていない」と不評を買い、Phewも「(坂本は)仕事は速いがセンスは悪い」と評判は芳しくない。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "国外ではNO NEW YORKで一際存在感を放っていたアート・リンゼイとの親交が有名である。DNAの頃のアートと初めて出会ったときは一方的に敵意を向けられて満足に言葉を交わすことができなかったが、その後坂本が自身のソロアルバムへの参加をオファーした際に快諾し、以後現在まで坂本の活動に欠かせない人物となった。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "J-WAVEで2004年に放送された番組『ゆく都市くる都市・新春放談』では、細野晴臣、高橋幸宏との対談で、リズム隊出身の両者に対し、坂本自身はリズムトラックの構成にコンプレックスがあると告白した。対して細野は「教授の作品を聴いて特にリズムが弱いと思ったことは無かった」と語り、少々意外な発言だったようである。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "コンサートではほとんど年齢制限を設けたことがなく「0歳児でも入場可」をポリシーとしている。しかし2007年5月12日「坂本龍一プロデュース公演/ロハスクラシック・コンサート2007」の会場となったbunkamuraオーチャードホールでは、子供の泣き声が数か所から上がり、第二部開演前に坂本から「0歳児でもOKというのをポリシーにしていますが、純粋に音楽を楽しみに来ている方もおられるでしょうから、常識的なところで、例えばロビーへ行ってあやすなど臨機応変に対応をしてください」と照れながらのアナウンスがあった。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "過去にアニメ監督の高畑勲監督から音楽を頼まれたことがあったが、作った音楽があまりにも暗すぎ、解雇されてしまった。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "歌はうまくないと自認している。『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)に出演した際、「君に、胸キュン。」を歌ったら浜田雅功にツッコまれてしまったほどである。坂本自身がボーカルを執った楽曲は極めて少ないが『左うでの夢』『ビューティ』『SMOOCHY』のように、あえて坂本のボーカルを前面に押し出して製作されたアルバムもある。「歌はうまさじゃなく声色、ヘタでも自己表現としては音楽の中で最高のもの」という自身の発言がある。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "幅広い音楽ジャンルを分析し、自身の作品に反映しているが、カントリー・ミュージックとハワイアンだけはなじめないと発言していたが、近年どちらも聴けるようになりハワイアンに関しては「現地に行った際に大好きになった」とのこと。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "「今夜はブギー・バック」リリース当時「ハマった」と言ってミュージシャン小沢健二と対談もしている。ZERO-LANDMINE企画時には日本のビジュアル系と称されるアーティストたちとも共演したり、YMOチルドレンのLUNA SEAのSUGIZOのソロ・アルバムにピアノで参加したこともある。クラシックからダウンタウンのプロデュースに至るまで、いずれもジャンルの垣根を越え音楽を聴き、解析し、プロデュースすることのできる自身の才能について「自分は音楽の鉄人だと思う。(発表されている作品には)いろいろなスタイルの音楽がありますが、全部僕のものですから、安心して下さい」と発言している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "若い頃は古典芸能や工芸などの日本の古典的文化を「戦前のナショナリズムの象徴」として否定的に考えていたが、海外移住や年齢を重ねたこともあって、近年はそれらに対しての関心が強くなり、そうした日本の古典的文化を積極的に学ぶようになったという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "政治思想に関しての発言や、社会運動家としての活動も多い。新宿高校時代には学生運動に関わり、塩崎恭久と馬場憲治の3人でバリケード封鎖を決行した。大学時代には武満徹を批判するビラを配ったこともあった。これについて坂本は、当時の自分は生意気で、それに対し武満はエスタブリッシュされた作曲家であり、その日本的な情緒が目障りだったからと、武満の没後に語っている。また、鈴木邦男との対談では、「若い頃は日本の楽器とかが嫌でそれを使っていた武満さんに反抗心を抱いてしまった」とも語っている。批判された武満は、逆に坂本に「このビラ撒いたの君?」と語ったという。このことは、同じく鈴木邦男との対談では、30分くらい話し合ったと語り、のちに坂本が何人かでコンサートをやった後、偶然バーで武満と会った時には武満から「ビラのときの子ね。君、いい耳持ってるね。」と言われ、うれしかったという。武満はそのコンサートの観客の中の1人であり、その後は名前を覚えてもらったという。武満はその後、坂本が作曲した「戦場のメリークリスマス」を、高く評価している。さらに坂本によるとニューヨークでも会ったことがあり喫茶店で「いつか一緒に仕事しましょう」と約束したという。坂本は武満の没後、武満が晩年完成を目指していたオペラからインスパイアされた曲「Opus」を作曲する(アルバム『BTTB』所収)。さらには自作のオペラ『LIFE』を完成させるなど、武満のことを意識している。概して、若い頃は退廃的な考えを持っていたようだが、野口晴哉の著書『風邪の効用』やオペラ『LIFE』の製作のための取材等の影響で、健康的、生命的な考えへと変わっていった。作家や思想家など知識人との交流も深く、作品に影響が及ぶこともしばしばである(#関連項目・人物参照)。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "東京藝術大学の1年生の頃の1970年11月25日、三島由紀夫が割腹自殺を遂げたことを知った坂本は、遺体が移された市谷近くの牛込警察署に押し掛けた。坂本によると「作家としての三島をとても尊敬していた。彼は右翼、僕は過激な左翼でしたが、右も左も過激になると似て来るところがあるのでしょうか。」という。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "小室哲哉とは「クリエイティブな少数派に向けた作風」を追求する坂本と「メジャーでスターになるための方法論」を追求する小室、インターネットでのファンに対するアプローチの方針の違いからして、小室曰く「お互い中和しない関係」と称しつつも、「何をどうするかが絶対に違うけど、無いものねだりながらもお互いに無いものを求めている」「誤解されるのを承知で言えばホモセクシャルな感覚を持っていて会うと安心できる」と話している。反面小室は「芸術家であり、その方面では未だに何一つ彼との差は縮まっていない」と賛美と嫉妬を込めた発言をしていて、坂本もいち早くダウンタウンを音楽への道に引き入れる小室の発想力とバイタリティに「横取りしやがって...」と反発心を覚えていた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "1997年ごろから日本における音楽著作権の取り扱いについて、JASRACが独占して管理すること、および権利の信託が包括的にしか行えないことに対してこれを改めるようJASRACおよび文化庁に対して働きかけを行った。MAA(メディア・アーティスト・アソシエイション)設立。1999年制作のオペラ『LIFE』あたりから環境・平和問題に言及することも多くなり、地雷除去活動を支援するためのチャリティーソングとしてGLAY、Mr.Children、DREAMS COME TRUE、DJ KRUSHらを迎えて制作した『ZERO LANDMINE』やアメリカ同時多発テロ事件をきっかけとした論考集『非戦』を発表している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "2004年には音楽評論家高橋健太郎やピーター・バラカンらの呼び掛けに応じて共同声明「私たち音楽関係者は、著作権法改定による輸入CD規制に反対します」に名を連ね、国会で審議されていた音楽レコードの還流防止措置(レコード輸入権)に反対を表明した。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "2006年2月には、PSE問題に絡み、松武秀樹、椎名和夫とともに2006年4月に本格的に施行される電気用品安全法(PSE法)に反対する署名を募集。経済産業省がマークなしの販売を条件付きながら認めるなど、一定の成果を得た。同年5月にはShing02、クリスチャン・フェネスらとともに青森県六ヶ所村の核再処理施設に反対し、この問題をアート作品の共有と拡散という手法を使って内外に周知するプロジェクトSTOP ROKKASHOをスタートし、河野太郎、保坂展人らの政治家、小室哲哉らのミュージシャンからも賛同を得ている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "2007年7月16日に起きた新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原子力発電所が被害を受けたことに応じて「おやすみなさい、柏崎刈羽原発」という運動を始めた。東日本大震災後も原発を批判する旨の意見を度々述べている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "2012年1月11日には、自身が代表を務める森林保全団体 more trees による被災地支援プロジェクト「LIFE311」と、サイバーエージェントのソーシャルゲームピグライフと連携する連動企画『LIFE311×ピグライフ』を期間限定(3月31日まで)で立ち上げた。なお、ピグライフに設置された特設エリアには坂本も登場している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "憲法9条の改正に強く反対しており、選択的夫婦別姓制度導入にも賛同する。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "数多くのチャリティーコンサートを実施、無償での被災地の幼稚園・小・中・高校に対し、楽器関連の復興支援を行うための『こどもの音楽再生基金』、被災地支援参加型プロジェクト『kizunaworld.org』、先述の被災地支援プロジェクト『LIFE311』など、様々な側面から復興支援に尽力した。2012年5月1日、日本財団により、伊勢谷友介、EXILE、加藤登紀子、小林幸子、コロッケ、サンドウィッチマン、杉良太郎、伍代夏子、中村雅俊、はるな愛らと共に「被災地で活動した芸能人ベストサポート」に選出され、表彰されている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "2015年には、安倍晋三内閣総理大臣の進める集団自衛権や改憲について、デモにも参加するなど批判している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "2016年、沖縄における米軍属に対する「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」に向けて「沖縄だけに痛み、苦痛と侮辱を何十年もおしつけておくべきではない。もうたくさんだ。基地、米軍、武力が必要なら日本人の全てが等しく背負うべきだ」とのメッセージを寄せた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "自身の政治的な言動が批判されることについては「音楽家だけど、余計な口を出してしまうから。音楽家は音楽だけやっていろ、とインターネットで言われているらしいということも知っています。これは言わないと、というときだけ選んでいるつもりですけれど、発言するから偉いとも思ってません。でも音楽だけやればいいとも思わない。普通の人が口出すのが民主主義でしょ。職業に関係なく誰もが声を出せる社会じゃないとダメだと思うんです」といった考えを述べている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "2021年、小山田圭吾が、東京オリンピック・パラリンピック開会式音楽スタッフ就任に端を発する過去の雑誌インタビュー記事や、同記事をめぐる報道(詳細は小山田圭吾を参照)に謝罪の文を公式サイトに寄稿。坂本は「読みながら少し泣けてしまった。なかなかこれほど真摯な文章は書けるものじゃない。よほど自分の心の中を曇りなく隅々まで見ないと」と私見を述べ、「今後どんな音楽が生まれてくるのか、気長に待ってます」とつづった。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "最晩年となった2023年3月上旬には明治神宮外苑地区の再開発の見直しを求める手紙を、小池百合子東京都知事、永岡桂子文部科学大臣、都倉俊一文化庁長官、吉住健一新宿区長、武井雅昭港区長の5名に送り、「100年かけて守り育ててきた樹々を犠牲にすべきではない」「樹々は差別なく万人に恩恵をもたらすが、開発は一部の既得権者と富裕層だけに恩恵をもたらす」などと訴えたが、認可を出した小池百合子東京都知事から「事業者の明治神宮にも手紙を送られた方がいいじゃないでしょうか」と一蹴されている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "若い頃について坂本は「YMOで大ブレイクして、30歳代半ばまではまさに人生の絶頂期で、遅刻やすっぽかしもしょっちゅうだった。運転手が気に入らないとすぐに殴ったり蹴ったりした。今思えばとんでもないことであり、私の理不尽な暴行に耐え切れず辞めていった運転手の人たちには申し訳ないと思っている。子供の頃、体格がよかったこともあって、力ずくで意思を通すことをあまりためらわない性格に育っていた。」などと述べている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "YMO結成当初の紙面上のインタビューで、同時期に活動を開始していたP-MODELに関して坂本が吐いた発言により、当時のP-MODELファンの間で「YMO不買運動」が起こるなどの因縁が生まれた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "糸井重里との対談で坂本は「自分の生活を露出させる人は、他人に対して無遠慮だ」と非難し、「ジャージをはいてる人が嫌い。ジャージはその人の生活を完全に感じさせるものだからそんな格好して、外に出てくるな」、「学生の時に、学生食堂で一人でご飯をきちんと食べてる男の人を見ると、すごく不愉快だった」などと述べている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "坂本家は福岡県三奈木村の坂の下(現・朝倉市)の出で、江戸時代に足軽として黒田家に仕えた。明治に入ると苦しい生活を強いられたため、坂本龍一の曽祖父・坂本兼吉は明治の中頃に甘木町に移住し、「料理坂本」を始めた。坂本龍一の祖父・坂本昇太郎は坂本兼吉の長男として生まれ、22歳でタカという女性と結婚、長男が坂本龍一の父・一亀である。坂本昇太郎は興行を取り仕切る父の影響もあり、芸事が好きで、芝居小屋「甘木劇場」の経営主をつとめ、後に福岡の生命保険会社に就職した。", "title": "家族・親族" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "母方の祖父下村彌一は長崎県諫早市の小さな農家に生まれ、苦学して第五高等学校と京都帝国大学に学んだ。第五高等学校では後に首相となった池田勇人が同級生におり、ともに京都帝国大学へ進学して、生涯の親友として交流した。大学卒業後は共保生命保険に就職、実業家として共保生命取締役、東亜国内航空会長などを歴任。母方の叔父(母の弟)下村由一(1931 - )は歴史学者で、千葉大学名誉教授。", "title": "家族・親族" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "東京芸術大学2年のときに2歳年上の女性と結婚し、長女を授かったが離婚する。歌手の坂本美雨はシンガーソングライターの矢野顕子との間に生まれた娘で、坂本にとっては次女。", "title": "家族・親族" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "1984年から1989年まで「本本堂」という個人出版社を持ち、自身の著書を中心に、独自の出版活動を行った。1984年に<週刊本>シリーズで刊行された『本本堂未刊行図書目録』(朝日出版社)も話題となった。その本で予告されたのは、浅田彰著/井上嗣也装幀『煉獄論あるいはゴダール・スペシャル』、南方熊楠著/井上嗣也装幀『男色と免疫疾患』、赤瀬川原平装幀『糸井重里児童文学全集』、武邑光裕編/細野晴臣装幀『往復書簡 ウィリアム・バロウズ-出口王仁三郎』、中沢新一構成/坂本龍一ピアノ/日比野克彦装幀『グルジェフ体操カセットブック』などの、50冊であった。", "title": "出版活動" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "本本堂から、実際に刊行された書籍は以下の通り。", "title": "出版活動" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "YMOについてはイエロー・マジック・オーケストラの項を参照。", "title": "ディスコグラフィ" } ]
坂本 龍一 は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト、俳優、音楽プロデューサー。東京都出身。 音楽性は幅広く、クラシック音楽が根幹にあり、民俗音楽、ポピュラー音楽(特にテクノポップ)にも造詣が深かった。1987年には日本人で唯一アカデミー作曲賞を受賞しており、映画音楽でも世界的に評価されている。愛称は「教授」。晩年は環境や憲法に関する運動にも積極的に参加していた。インターネットなどの新技術にも興味を示し、ライブや作品に取り入れていた。
{{独自研究|date=2022年6月}} {{Infobox Musician<!-- プロジェクト:音楽家を参照 --> |名前 = 坂本 龍一 |画像 = Ryuichi Sakamoto side.jpg |画像説明 = [[2013年]] |画像サイズ = 250 |画像補正 = |背景色 = maker |出生名 = 坂本 龍一<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/07/10/kiji/K20140710008536040.html |title=坂本龍一、咽頭がんで演奏活動休止 創作活動は病床で継続 |publisher=スポーツニッポン |date=2014-07-10 |accessdate=2017-03-14}}</ref> |別名 = <!-- 活動時に使用した別名義を記載。愛称や略称ではありません。 --> |出生 = {{生年月日|1952|1|17|}} |出身地 = {{JPN}}・[[東京都]][[中野区]] |死没 = {{死亡年月日と没年齢|1952|1|17|2023|3|28}}<br />{{JPN}}・[[東京都]] |学歴 = [[東京芸術大学]]大学院修士 |ジャンル = {{Hlist-comma|[[エレクトロニック]]<ref name="AM">{{AllMusic |first=Jason |last=Ankeny |title=Ryuichi Sakamoto Biography, Songs, & Albums |class=artist |id=ryuichi-sakamoto-mn0000587608/biography |accessdate=2022-02-15 }}</ref><ref name="okmusic">{{Cite web|和書|title=坂本龍一(サカモトリュウイチ)の情報まとめ |url=https://okmusic.jp/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E4%B8%80 |website=OKMusic |publisher=ジャパンミュージックネットワーク |accessdate=2022-02-15 }}</ref>|[[アヴァンギャルド#前衛音楽|前衛音楽]]<ref name="AM" />|[[クラシック音楽|クラシック]]<ref name="AM" />|[[ポップ・ロック]]<ref name="AM" />|[[実験音楽]]<ref name="AM" />|[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]<ref name="AM" />|[[シンセポップ]]<ref name="AM" />|[[環境音楽|アンビエント]]<ref name="AM" />|[[映画音楽]]<ref name="AM" />|[[ワールドミュージック|ワールド]]<ref name="okmusic" />|[[現代音楽]]<ref>{{Cite web|和書|title=坂本龍一 - プロフィール |url=https://artist.cdjournal.com/a/sakamoto-ryuichi/111109 |website=CDJournal |publisher=音楽出版社 |accessdate=2022-02-15 }}</ref>}} |職業 = {{Hlist-comma|[[作曲家]]|[[編曲家]]|[[ピアニスト]]|[[音楽プロデューサー]]}} |担当楽器 = {{Hlist-comma|[[キーボード (楽器)|キーボード]]|[[シンセサイザー]]|[[ピアノ]]|[[オルガン]]|[[ボーカル]]|[[ドラムセット|ドラム]]}} |活動期間 = [[1978年]] - [[2023年]] |レーベル = {{Plainlist| * [[日本コロムビア]] / Better Days(1978年 - 1979年) * [[アルファレコード]](1978年 - 1983年) * [[ミディ|MIDI]] / SCHOOL(1984年 - 1986年) * [[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]] / TERRAPIN(1987年) * [[ヴァージン・レコード]](1989年 - 1991年) * [[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]](1991年、1993年) * [[フォーライフ・レコード|FOR LIFE]] / güt(1994年 - 1997年) * [[タワーレコード]] / güt bounce(1996年 - 1997年) * [[ワーナーミュージック・ジャパン]](1998年 - 2006年) * [[commmons]](2007年 - 2023年) }} |事務所 = |共同作業者 = {{Plainlist| * [[りりィ|りりィ&バイバイセッションバンド]] * [[細野晴臣]] * [[高橋幸宏]] * [[イエロー・マジック・オーケストラ]](YMO) * [[矢野顕子]]( - 1993年まで) * [[忌野清志郎]] * [[デヴィッド・シルヴィアン]] }} |公式サイト = [http://www.sitesakamoto.com/ sitesakamoto.com] }} '''坂本 龍一''' (さかもと りゅういち、Ryūichi Sakamoto、[[1952年]]〈[[昭和]]27年〉[[1月17日]]<ref name="djmeikan">{{Cite book|和書|title=DJ名鑑 1987|publisher=[[三才ブックス]]|date=1987-02-15|pages=78 - 79|id={{NDLJP|12276264/40}}}}</ref> - [[2023年]]〈[[令和]]5年〉[[3月28日]]<ref>{{cite web |title=An Announcement|url=https://www.sitesakamoto.com/whatsnew |website=Ryuichi Sakamoto official site|access-date=2 April 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【坂本龍一】ご報告|url=https://avexnet.jp/news/detail.php?id=1013209|website=avex portal|access-date=2023-04-02 |language=ja}}</ref><ref name="kyodo202304011030"/>)は、[[日本]]の[[作曲家]]、[[編曲家]]、[[ピアニスト]]、[[俳優]]、[[音楽プロデューサー]]<ref>{{Cite web|和書|author=天辰保文 |title=音楽の可能性に挑戦し続ける先駆者・坂本龍一 |url=https://www.nippon.com/ja/features/c03701/ |website=nippon.com |publisher=公益財団法人ニッポンドットコム |date=2016-11-15 |accessdate=2022-02-15 }}</ref>。[[東京都]]出身<ref>{{Cite web|和書|title=全部出し!「ユザーンの川越コンピューター学園」 その10 (1/3) |url=https://ascii.jp/elem/000/000/730/730971/ |website=ASCII.jp |access-date=2022-07-01 |language=ja |last=ASCII}}</ref>。 音楽性は幅広く、[[クラシック音楽]]が根幹にあり、[[民族音楽学|民俗音楽]]、[[ポピュラー音楽]](特に[[テクノポップ]])にも造詣が深かった。[[1987年]]には[[日本人]]で唯一[[アカデミー作曲賞]]を受賞しており、[[映画音楽]]でも世界的に評価されている<ref>{{Cite web|和書|title=4月開業「109シネマズプレミアム新宿」の全シアターの音響を世界的音楽家・坂本龍一が監修 |url=https://weekend-cinema.com/40073/ |website=WEEKEND CINEMA |date=2022-11-16 |access-date=2023-05-15 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=日本人で初めてのアカデミー賞作曲賞受賞者 – 日本記録(公式) {{!}} 日本記録認定協会 |url=https://japaneserecords.org/japanese-records/6538/ |website=japaneserecords.org |access-date=2023-05-15}}</ref>。[[愛称]]は「'''教授'''」<ref>{{Cite web|和書|title=教授動静 第29回──坂本龍一、コロナ禍での年始年末 |url=https://www.gqjapan.jp/culture/article/20210115-sakamoto-dousei-29 |website=GQ JAPAN |date=2021-01-15 |access-date=2022-06-28 |language=ja-JP |first=Condé |last=Nast}}</ref>。晩年は環境や憲法に関する運動にも積極的に参加していた<ref>{{Cite web|和書|title=一般社団法人more trees |url=https://www.more-trees.org/ |website=一般社団法人more trees |access-date=2022-06-28 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=坂本龍一さん、国会前で演説 「日本にもまだ希望がある。本当によかった」(全文・動画) |url=https://www.huffingtonpost.jp/2015/08/30/sakamoto-ryuichi-speech_n_8061622.html |website=ハフポスト |date=2015-08-30 |access-date=2022-06-28 |language=ja}}</ref>。[[インターネット]]などの新技術にも興味を示し、ライブや作品に取り入れていた。 == 概要 == 幼いころから母方叔父の持っているレコードを聴いて音楽への興味を募らせつつ成長した。田園風景の濃厚に残る[[世田谷区]]で小中学生時代を過ごし<ref>{{Cite web|和書|title=【坂本図書 第6回】坂本龍一 人生を変えた、大島渚監督との出会い |url=http://www.fujingaho.jp/culture/interview-celebrity/a60060/ryuichisakamoto-sakamotolibrary-nagisaooshima-0921/ |website=Fujingaho |date=2018-09-21 |access-date=2023-05-15 |language=ja-JP}}</ref>、当時学力上位校の一つであった[[東京都立新宿高等学校]]に進学する<ref>{{Cite web|和書|title=【同窓生シリーズ】坂本龍一 |url=https://dev.ed2.jp/swas/index.php?id=s_pta&frame=20120301_sakamoto |website=dev.ed2.jp |access-date=2023-05-16}}</ref>。[[新宿]]は当時の日本のサブカルチャーの中心地であり、[[映画]]と[[音楽]]を中心に様々な店に出入りしては文化的素養を吸収していった<ref name=":2" /><ref name=":1" />。[[東京芸術大学]]在学中に[[スタジオ・ミュージシャン]]として活動を開始<ref name="djmeikan"/>した。[[1970年代]]後半よりソロや[[KYLYN (アルバム)|KYLYN]]バンドのメンバーとして活動する一方、メンバーとして参加した音楽グループ「[[イエロー・マジック・オーケストラ]](YMO)」が国内外で商業的成功を収め、人気ミュージシャンとなった。同時に[[山下達郎]]や[[大貫妙子]]などの同世代の音楽家とも知り合い、共同作業を行った。 YMO時代に[[テクノポップ]]や[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]の分野で活動したことは広く知られているが、その後は一つのところに留まらず、現代音楽の手法を使った作品の発表、[[ロック (音楽)|ロック]]と[[テクノポップ|テクノ]]の融合、[[ワールドミュージック]]、[[ヒップホップ]]や[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]などの[[ブラックミュージック]]を織り交ぜた[[ポピュラー音楽|ポップス]]、[[オペラ]]の作曲および[[プロデュース]]、[[クラシック音楽|クラシック]]や[[ボサノヴァ]]のユニットを結成してのワールドツアー、晩年は[[環境音楽|アンビエント]]や[[エレクトロニカ]]の作品を発表するなど、ジャンルを横断して多彩な作品を発表した。前衛的で先進的なイメージを残しながら、大衆に理解され得る親しみ易さを持った作品として仕上げる手腕に卓越したものを持っていた<ref>{{Cite web|和書|title=【新宿高校】華麗なる卒業生人脈!音楽家の坂本龍一、日銀元総裁の速水優、東電元社長の勝俣恒久と広瀬直己… |url=https://diamond.jp/articles/-/321205 |website=ダイヤモンド・オンライン |date=2023-04-18 |access-date=2023-05-16 |language=ja}}</ref>。 自身の音楽活動のほか、[[音楽プロデューサー|プロデューサー]]や[[編曲家|アレンジャー]]としても活動し、他のアーティストへの楽曲提供も数多く行っている。俳優として出演した[[大島渚]]の監督映画『[[戦場のメリークリスマス]]』で[[映画音楽]]も手掛け、日本人初の[[英国アカデミー賞 作曲賞]]を受賞した。1987年公開の『[[ラストエンペラー]]』<ref group="注">坂本が書いたピアノスケッチ譜に基づいて、オーケストレーションは<!--坂本本人を含む 要出典-->[[川崎絵都夫]]、[[上野耕路]]、[[野見祐二]]、[[渡辺蕗子]]らが分担した。</ref>では日本人初の[[アカデミー作曲賞]]を受賞し<ref group="注" name="movie">[[#外部リンク|外部リンクに映像]]</ref>、同曲で[[ゴールデングローブ賞 作曲賞]]、1989年第31回[[グラミー賞]]最優秀オリジナル映画音楽アルバム賞など世界的な音楽賞を総なめした。[[1990年]]、[[映画]]『[[シェルタリング・スカイ]]』の[[サウンドトラック]]を担当し[[ロサンゼルス映画批評家協会賞]]の作曲賞、[[1991年]]に[[ゴールデングローブ賞 作曲賞]]を受賞した。以降、国内外の映画音楽を手掛け、映画音楽家としての地位を築いた。 [[1990年代]]前半は打ち込み系ポップスの作品を多数リリースし、[[1995年]]11月30日には『三菱電機 スーパーセレクション 坂本龍一 TOUR '95 D&L with Daizaburo Harada』というライブを開催し、日本初の[[ネット配信|インターネット配信]]も行った。[[ネット配信|インターネット配信]]自体は既に[[1994年]]11月に[[ローリング・ストーンズ]]が行っていたが、[[インターネット]]の商業利用化が[[1995年]]に完了した直後という時代に、世界でも数例しか行われていない中での極めて先進的な試みであった。同時に、[[原田大三郎]]によるステージ上での映像のリアルタイムコントロールも、後の[[VJ]]の先駆けであった。 [[1990年代]]後半はアコースティック作品を中心に制作し、その中でも[[1999年]]に[[三共 (製薬会社)|三共]]『[[リゲイン]]EB錠』のCM曲であった『[[ウラBTTB|energy flow]]』が癒し系楽曲として絶大な人気を得て、同曲を収録した『[[ウラBTTB]]』が[[ミリオンセラー]]を達成した。以降のスタジオ作品は[[2000年代]]を通して、アコースティック感のある脱構築的な作風に移行して行った([[2009年]]の『[[アウト・オブ・ノイズ|Out of Noise]]』など)。同時に、スタジオ・アルバムのリリースは大きく減少した。 音楽家としての活動のほかに、いくつかの映画や映像作品には[[俳優]]としての出演歴がある。テレビCMにも多く出演しており、ときには、[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]などとお笑い番組やバラエティ番組に出演することもあった。 近年は各メディアで[[環境問題]]や[[憲法]]をはじめとした諸問題に関する運動に積極的に参加・言及しており、2000年代半ばに話題になった[[PSE問題]]においても、坂本が中心人物として反対運動を行った。「[[エコロジー|エコ]]」や「[[LOHAS|ロハス]]」といったキーワードを口にすることが多く、[[マクロビオティック]]の実践者でもある。[[2008年]]6月5日の「[[環境の日|世界環境デー]]」には、CD製造時の[[二酸化炭素]]排出への対策として[[commmons]]レーベルから新たに発売する全てのCDを[[カーボンオフセット]]対応とすることも発表した(最新作まで継続中)<ref>{{Cite web|和書|title=音楽からエコ!坂本龍一、全CDをカーボンオフセットに |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000040628 |website=BARKS |access-date=2023-05-14 |language=ja}}</ref>。長年[[喫煙]]者であったが、[[鍼|針治療]]を通じて[[禁煙]]に成功した<ref>[http://openers.jp/culture/sakamoto_uekara/009.html 第9回 「禁煙」について言いきる] Web Magazine OPENERS - 坂本龍一の「上から」言いきる.... 2008年7月28日</ref>。一時期は[[菜食主義|ベジタリアン]]でもあったが、これは「人としての闘争本能がなくなりそうだから」という理由で後に中止している。2008年の9月には作家[[村上龍]]との対談で、現代の「夢があるということは素晴らしい、だから君も夢を持て」という風潮に疑問を抱いている発言をしている。 無類の猫好きである。一人っ子だった坂本が生まれたときから15歳の時まで一緒に住んでいた猫と兄弟のように生活していたことが影響している<ref>2009年3月10日放送TBS「はなまるマーケット」での発言。</ref>。若い頃は自分の見た目に無頓着で、アルバム「千のナイフ」のジャケット写真を見た当時の音楽仲間が「あの汚い坂本が」と驚愕したほどだった。このような坂本がファッションセンスを得るに至ったのは、[[高橋幸宏]]の指導によるものである。 坂本は[[手塚治虫]]の[[漫画]]が好きだと公言しており、特にお気に入りの作品は『[[火の鳥 (漫画)|火の鳥]]』と『[[ブッダ (漫画)|ブッダ]]』だという。手塚漫画の女性や動物は滑らかな曲線で描かれており、そこに音楽性と美しさを感じると度々語っている<ref>[http://www.switch-pub.co.jp/happy-birthday-tezuka-osamu/ 【坂本龍一、杏などの豪華コメントをご紹介!】RADIO SWITCH特集「HAPPY BIRTHDAY 手塚治虫」]</ref>。坂本は[[手塚るみ子]]プロデュースの「手塚治虫 その愛した音楽」というCD(内容は手塚が漫画の執筆中に聴いていた音楽を収録したもの)の仕事もしている。[[手塚プロダクション]]の「さよならティラノ」というアニメの音楽も担当している。 「[[教授]]」「世界のサカモト」とあだ名される。 == 生涯 == === 生い立ち === [[1952年]]、[[東京都]][[中野区]]に生まれた。父は[[河出書房新社|河出書房]]の[[編集者]]で、[[三島由紀夫]]や[[野間宏]]、[[中上健次]]、[[高橋和巳]]などを担当した[[坂本一亀]]。母・敬子は実業家・[[下村彌一]]の娘にあたり、帽子デザイナーで[[銀座]]の宝石商に勤務。 通っていた幼稚園が「全員ピアノを習う」所であったため、3歳から[[ピアノ]]を習い始める。[[学校法人自由学園|自由学園]]幼児生活団に準じた[[世田谷幼児生活団]]<ref>2022年3月に閉団する。</ref>において作った「うさぎのうた」が最初の作曲。 6歳ごろまで住んでいた中野の家には、ピアノやレコードプレーヤーがなかった<ref name="gendai20230404">{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/108491?imp=0 |title=「過激な左翼だった」「三島由紀夫の遺体に会いたかった」坂本龍一さんが明かしていた「世界のサカモトの壮絶人生」 |access-date=2023-04-07 |publisher=週刊現代 |date=2023-04-04}}</ref>。近所に住む祖父の家には、当時まだ学生だった叔父のピアノがあり、その上にレコードプレイヤーがあった<ref name="gendai20230404" />。ピアノによじ上ってレコードを聴いたのが、坂本の最初の音楽の記憶である<ref name="gendai20230404" />。 10歳で[[東京芸術大学]]教授の[[松本民之助]]に師事し作曲を学び始める。なお、作曲を勉強し始めて最初に興味を持った作曲家は[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]であった。この頃は特にピアノが好きではなく、むしろ苦痛だったという。14歳の頃、[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]の音楽と出会い、そこから多大な影響を受けた。自分はドビュッシーの生まれ変わりに違いないと半分信じて、サインの練習まで始めた。人生で最も影響を受けた音楽家は、ドビュッシーと[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]である<ref>commmons: schola vol.4 Ravel</ref>。 <!-- [[1959年]]、 --><!-- 出典を確認できません -->小学2年の時に、東京都[[世田谷区]][[給田 (世田谷区)|給田]](千歳烏山)に転居<ref name="gendai20230404"/>。[[世田谷区立祖師谷小学校]]から[[世田谷区立千歳中学校]]を経て、[[1970年]]に[[東京都立新宿高等学校]]を卒業<ref>{{Cite web|和書|url=https://dev.ed2.jp/swas/index.php?id=s_pta&frame=20120301_sakamoto |title=坂本龍一氏インタビュー(同窓生シリーズ第77回 ウェブ版) |publisher=都立新宿高校PTA |date=2012-03-01 |accessdate=2023-04-08}}</ref>。同級生には[[塩崎恭久]]<ref group="注">塩崎は年齢では1学年上にあたるが、高校時代に1年間アメリカ留学を経験した上で本来より1学年下の学年に編入したため、結果的に坂本と同級生になった。</ref>、[[馬場憲治]]、[[那須恵理子]]、[[野中直子]]がいる。千歳中学校ではバスケットボール部に所属した。新宿高校時代には読書が趣味で、常に学校図書館の貸出ランキング10位以内に入っていた。[[風月堂 (東京都新宿区)|風月堂]]などにたむろする[[ヒッピー|フーテン]]たちに影響を受け、[[ジャズ]]を聞くようになり、自分でも演奏するようになった。[[ロック (音楽)|ロック]]も好きであったが、[[フォークソング|フォーク]]は大嫌いであった。[[学生運動]]にものめり込み、塩崎や馬場はこの時の闘争仲間でもある。 [[1970年]]東京芸術大学入学<ref group="注">坂本が[[東京都立新宿高等学校]]一年生の時、偶々坂本作曲の音楽を聴いた、高校の先輩の[[池辺晋一郎]]は、「この実力があれば(東京芸大に)十分受かるだろう」と太鼓判を押したというエピソードもある。なお、芸大受験に失敗した場合は、父の母校である[[日本大学]][[芸術学部]]に進むことを考えていたという。その理由は「当時の日大[[全学共闘会議|全共闘]]は一番ぶっちぎれていたから」。(「SELDOM - ILLEGAL - 時には、違法」、1989年、角川書店より)</ref>。大学在学中、[[音楽民族学|民族音楽学]]研究の泰斗[[小泉文夫]]の講義を受け、その内容の深さに坂本はそれまで培ってきた音楽観の根底を揺さぶられるような大きな衝撃を受けたという。さまざまに変遷してきたと見られる坂本の作風であるが、そのベースには、小泉から学び得た民族音楽学の知識や思想が確かにあるようである。ただし小泉自身は作曲をしなかったので、坂本に作曲技法上の影響を与えたというわけではなかった。坂本は、大学在学中、一年ほど作曲家[[三善晃]]にも学んでいる(ただし一度直接指導を受けただけ、と坂本は発言している。しかも、三善から「理論的すぎる」の如き指摘を受けたとも)。さらには、渋谷で開かれていた[[高橋悠治]]の勉強会にも高校・大学を通して顔を出していた。坂本が[[電子音楽]]に出会ったのは大学学部在学中のことである。 学生時代には教職課程も履修しており、母校へ音楽教員になるための教育実習に行ったこともあったが、生来の気質から学校組織の一員として務めることには向いていないと早々に諦めている<ref>{{Cite web|和書|url=https://bunshun.jp/articles/-/60754?page=4 |title=大学3年生で初めての結婚、美輪明宏の伴奏をするバイトで生活費を稼いだ日々…若き音楽家・坂本龍一を驚かせたのは“はっぴいえんどのベーシスト”だった |publisher=文春オンライン |date=2023/02/19 |accessdate=2023-04-06}}</ref>。 [[1974年]]東京芸術大学の[[音楽学]]部作曲科を卒業し、同[[大学院]]音楽研究科修士課程に進む。[[1976年|1977年]]修了。修士論文は「坂本龍一 Year Book 1971-1979」のDISC 2にも収録されている管弦楽作品「反復と旋」。 === デビュー === [[1975年]]、大学院在学中に[[新宿ゴールデン街]]で意気投合したという[[友部正人]]の『誰もぼくの絵を描けないだろう』に[[ピアノ]]で参加。[[スタジオ・ミュージシャン]]としてのキャリアをスタートさせる。翌[[1976年]]、[[竹田賢一]]と「学習団」を組織し、竹田のプロデュースの下、はじめてのアルバム『ディスアポイントメント-ハテルマ』([[土取利行]]との[[コラボレーション]])を発表。以降、[[りりィ]]の[[バックバンド]](バイバイセッションバンド)に所属した後、当時の[[りりィ]]の[[マネージャー]](現:[[株式会社365]]代表)が[[細野晴臣]]のマネージャーに坂本を紹介、YMO結成の足がかりとなる。初期の[[山下達郎]]の楽曲(「2000トンの雨」「パレード」など)、[[大瀧詠一]]、山下達郎、[[伊藤銀次]]のアルバム『[[NIAGARA TRIANGLE Vol.1]]』などにキーボードとして参加。[[大貫妙子]]のLP『[[SUNSHOWER]]』『[[ミニヨン (大貫妙子のアルバム)|MIGNONNE]]』『[[ROMANTIQUE (大貫妙子のアルバム)|ROMANTIQUE]]』などにアレンジャー、プロデューサーとして参加。 [[1978年]]2月、[[細野晴臣]]のアルバム『[[はらいそ]]』に参加。細野の誘いにより、[[高橋幸宏]]とともに「[[イエロー・マジック・オーケストラ]]」(YMO) を結成、活動を開始する。10月、坂本初のソロアルバム『[[千のナイフ]]』をリリースし、ソロ・デビューも果たす。11月、YMO名義の『[[イエロー・マジック・オーケストラ (アルバム)|イエロー・マジック・オーケストラ]]』を発売、続く『[[ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー]]』で爆発的人気を博す。この年、[[風の旅団]]の前身となるテント劇団「曲馬館」の音楽にも参加した。翌[[1979年]]にはYMOと並行する形で[[渡辺香津美]]、[[矢野顕子]]、[[小原礼]]、[[村上秀一]]、[[本多俊之]]らとセッションユニット[[KYLYN]]や、ほぼ同じメンバーで、各パート二人ずつで演奏技術を競わせるという[[概念|コンセプト]]のカクトウギセッションでの活動を行う。一部の楽曲で第二ピアノを演奏した[[高橋悠治]]のLP『[[新ウィーン楽派]]ピアノ音楽集成』が発表された(後に『新ウィーン楽派ピアノ作品集』としてCD化。参加楽曲[[アルノルト・シェーンベルク|シェーンベルク]]「四手のための六つの小品」は坂本のアルバム『フェイヴァリット・ヴィジョンズ』にも収録されている)。同年から[[1980年]]にかけて、YMOは2度にわたるワールドツアーを実施。 [[1979年]]12月、アレンジを手掛けた[[サーカス (コーラスグループ)|サーカス]]のシングル「[[アメリカン・フィーリング]]」で、[[日本レコード大賞]]編曲賞を受賞する<ref group="注">受賞のコメントで「売れようとか思ってやったわけではないので、自分のやったことが評価されただけ」と述べたという。</ref>。 YMOのライブを期待していた観客から野次られると「うるさいぞ、この野郎!」と怒鳴り返した等のエピソードもある。この頃、[[立花ハジメ]]、[[沢村満]]、[[鈴木さえ子]]らと「B-2UNITS」という名前のユニットを結成、ライブ活動を散発的に行っている。[[1982年]]には、[[RCサクセション]]の[[忌野清志郎]]と組んでシングル『[[い・け・な・いルージュマジック]]』をリリース。[[資生堂]]'82春のキャンペーンソングとしてヒットする。TVでは、どぎつい化粧をした男同士でキスをするなど、過激なパフォーマンスを展開した<ref group="注">『[[戦場のメリークリスマス]]』でも坂本と[[デヴィッド・ボウイ]]と抱擁しながらのキスシーンがある</ref>。この年、[[矢野顕子]]と結婚。 YMOとしての活動の傍ら、[[1981年]]より[[NHK-FM放送|NHK-FM]]にて「[[サウンドストリート]]」の[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]を務める。担当していた火曜日ではアマチュアミュージシャンから送られるテープを番組内で放送する「デモテープ特集」が不定期に行われていた<ref group="注">この番組にテープを送っていた[[リスナー]]で後にメジャーデビューしたのが、ジュラン、[[テイ・トウワ]]、[[槇原敬之]]らであり、[[ステッピン・イントゥ・エイジア]]でラップを担当した浅野智子もこの特集がきっかけで、同曲のレコーディングに参加することになった。ここで流された曲の一部が後に「DEMO TAPE-1」としてCD化されている。</ref>。パンクバンド[[山崎春美|TACO(タコ)]]のオムニバスには[[な・い・し・ょのエンペラーマジック]]で参加。同曲を[[サウンドストリート]]で放送したが、放送禁止用語が含まれていたためにすぐにオンエア中止になった。メジャーシーンの活動と並行して、TACO以外にもアンダーグラウンドロックシーンとは交流があり、自主レーベルである、[[パス・レコード]]で[[フリクション (バンド)|フリクション]]、[[Phew]]のプロデュースを行っている。 [[1983年]]公開の[[映画]]『[[戦場のメリークリスマス]]』には、[[大島渚]]監督の依頼により、ヨノイ[[大尉]]役で出演し、[[デヴィッド・ボウイ]]、[[ビートたけし]]と共演。出演の条件として音楽を担当した。同作は[[第36回カンヌ国際映画祭]]に出品され、結果は無冠だったものの、坂本の音楽は高く評価され、[[英国アカデミー賞 作曲賞]]を日本人として初めて受賞した。同作品の[[戦場のメリークリスマス (サウンドトラック)|サウンドトラック]]からシングルカットされた[[デヴィッド・シルヴィアン]]とのシングル「Forbidden Colours(禁じられた色彩)」は、全英チャート(Music Week)16位を記録した<ref name="fc"/>。同年、YMOは「散開」(解散)する。 === YMO解散後 === [[1984年]]、矢野顕子らと「[[ミディ|MIDIレコード]]」を設立し、同レコード内にレーベル「school」を立ち上げる。[[1986年]]には初のソロ・コンサート「メディア・バーン」を全国24カ所(28公演)で行う。ツアー終了後、YMO以来所属していた「ヨロシタ・ミュージック」から独立し個人事務所「トラフィコ」を設立。 翌1987年、映画『[[ラストエンペラー]]』公開。坂本は[[甘粕正彦]][[満洲映画協会|満映]]理事長役で俳優として出演し、音楽を[[デイヴィッド・バーン]]、[[蘇聡]]とともに担当。これにより[[グラミー賞 映画・テレビサウンドトラック部門]]、[[ゴールデングローブ賞 作曲賞]]、[[アカデミー作曲賞]]<ref group="注" name="movie"/>等を日本人として初めて受賞し、以後、[[映画音楽]]作家としての地位を確立する。[[愛新覚羅溥儀|溥儀]]役の[[ジョン・ローン]]とは、敵役同士という間柄の役作りのために、撮影中は一言も口を利かなかったという<ref>「[[夜のヒットスタジオ]]」より。</ref>。 [[1989年]]、都民文化栄誉章を受章。海外戦略のため[[ヴァージン・レコード]]に移籍するが、セールス的な成功を収めることはなかった。後にEMIの[[ヴァージン・レコード]]買収により契約を主導したヴァージン・アメリカの社長の辞任に伴って契約を解消。 [[1990年]]4月からは、音楽の拠点を[[ニューヨーク]]に移す。別の女性と暮らし始め、男児をもうける<ref>[http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/152520/2 坂本龍一&矢野顕子 大型カップルの別居・離婚 ]日刊ゲンダイ、2014年8月13日</ref>。これが原因で、矢野顕子と翌年に別居したと報じられた。 [[1992年]]には[[バルセロナオリンピック]]開会式の[[マスゲーム]]の音楽を作曲(坂本のスケッチに基づく管弦楽編曲は作曲家の[[鈴木行一]]が担当)、自らも会場でオーケストラを[[指揮 (音楽)|指揮]]した。この依頼の当初「ナショナリズムを高揚させるスポーツイベントは嫌い」と一度は断ったが、プロデューサーPepo Solなど制作側から熱心なオファーがあり最終的には引き受けることになる。契約金は他の出演者とともに1ドルであった<ref group="注">本人は「日本人が外国人に歌舞伎をお願いするようなものだ」と語っている。</ref>。このときの楽曲は<!--若干アレンジされ、-->後に「El Mar Mediterrani」として発表された<ref group="注">高橋幸宏によると「非常に嫌々やっていた」。</ref>。 [[1993年]]、YMO「再生」(再結成)。アルバム『[[テクノドン]]』を発表し、6月には[[東京ドーム]]にて2日間のライブを行う。 [[1994年]]には契約地域を分割し、日本では[[フォーライフ・レコード]]に移籍し、レーベル「güt(グート)」を設立。日本国内での活動を活発にした。日本以外の海外地域ではエレクトラと契約。個人レーベル「グート」の第一弾作品・アルバム『[[スウィート・リヴェンジ]]』を6月に発売する。 [[1995年]]、[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の変名音楽ユニット「[[GEISHA GIRLS]]」に[[富家哲]]、[[テイ・トウワ]]らと参加<ref>[https://www.discogs.com/ja/Geisha-Girls-The-Geisha-Girls-Show/release/338461 Geisha Girls – The Geisha Girls Show]</ref>。以降、彼らとの親交を深め「[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]」ではコント「[[ダウンタウンのごっつええ感じのコント#AHO AHO MAN|アホアホマン]]」に出演、大便のシミを付けたパンツで登場するなどアホアホブラザー役でエキセントリックな一面を見せた<ref>『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p52</ref>。 === ワーナーへの移籍 === [[1998年]]、エレクトラとの契約を解消し海外地域ではSONY CLASSICALと契約、日本では[[ワーナーミュージック・ジャパン]]に移籍。 [[1999年]]、製薬会社[[三共 (製薬会社)|三共]](現:[[第一三共ヘルスケア]])[[リゲイン]]の[[コマーシャルメッセージ|CM]]に用いられたピアノソロ曲「[[ウラBTTB|エナジー・フロー]]」を収録した[[シングル|マキシシングル]]「[[ウラBTTB]]」が[[ミリオンセラー]]となり、[[器楽曲|インストゥルメンタル]]としては初の[[オリコンチャート]]1位を記録した。自身初となる[[オペラ]]『[[LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999]]』(以下、LIFE)を公演。この頃には矢野顕子との夫婦仲は実質的に破綻していたとされ、テレビ番組「[[おしゃれカンケイ]]」において愛人(ニューヨークで行動を共にしているマネージャー)とその女性との間にいる子供(次男)の存在を認め、長男(矢野の連れ子)と坂本美雨に「お父さんにはお母さん(矢野顕子)以外に好きな人がいる」と告げたというエピソードも披露している。「子供は4人」と語り、矢野顕子との結婚前に学生結婚していた女性との間にも子供(長女)がいることも明かしている<ref group="注">4人のうち1人(長男)は矢野顕子が前夫である[[矢野誠 (ミュージシャン)|矢野誠]]との間にもうけた連れ子で、坂本と養子縁組はしていたものの血縁関係はない。なお、矢野との離婚後も養子関係を継続しているかは明らかでない。2015年7月に美雨が女児を出産した際には、この女児が坂本にとっての初孫と報じられている(矢野にとっての初孫は2014年秋に生まれた長男の子供)。</ref>。さらに同番組では、「外国人が持つ日本コンプレックスをくすぐる、嫌いなアーティスト」として[[喜多郎]]と[[CHAGE and ASKA]]を名前を伏せた形で挙げた<ref group="注">番組内では音声は伏せられたものの「K」と「C&A」と画面には表示し、さらに「K」について司会の古舘伊知郎は「ゲゲゲが付いたら」とヒントを挙げている。</ref>。 [[2001年]]、[[TBSホールディングス|TBS]]50周年特別企画番組「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」に出演。同番組の企画において、親交のある国内外のアーティスト達を起用し、地雷除去のためのチャリティーソング「ZERO LANDMINE」を作曲、リリースした。同年には[[ボサノヴァ]]トリオ「Morelenbaum2/Sakamoto」を結成し、アルバム『Casa』を発表。このトリオとしての活動、および坂本がこれまで自身の音楽にボサノヴァを取り入れてきたことなどが評価され、翌2002年、日本と[[ブラジル]]の友好に寄与したとして、ブラジル政府より{{仮リンク|リオ・ブランコ国家勲章|en|Order of Rio Branco}}「カヴァレイロ位」を授与される<ref>{{Cite web|和書|title=坂本龍一、ブラジルで国家勲章を受勲 - TOWER RECORDS ONLINE |url=https://tower.jp/article/news/2002/07/24/100000461 |website=tower.jp |access-date=2023-04-04}}</ref>。 [[2003年]]には、この年4月にオープンした[[六本木ヒルズ]]のテーマソング「the land song-music for Artelligent City」を発表<!--し、ネットで無料配信を行う-->。[[小林武史]]、[[桜井和寿]]らと非営利組織「ap bank」を設立。 [[2006年]][[11月6日]]、[[エイベックス]]と新レーベル「[[commmons]]」を共同設立。この年、矢野顕子と離婚。 [[2007年]][[3月10日]]-[[5月28日]]、高谷史郎と共に、オペラ「LIFE」をベースにした[[インスタレーション]]作品「LIFE - fluid, invisible, inaudible ...」を[[山口情報芸術センター]]にて展示。[[3月10日]]にはオープニング・コンサートを行った。[[9月15日]]-[[11月4日]]、東京の[[NTTインターコミュニケーション・センター]]でも展示。9月15日には、[[浅田彰]]、[[中沢新一]]を交えてのアーティスト・トークに加え、オープニング・コンサートを行った。この年は細野晴臣と高橋幸宏との活動が活発になる。2月に[[麒麟麦酒|キリン]]ラガービールのCMにYMOとして出演。同時に「[[RYDEEN 79/07]]」をリリース。[[5月19日]]には「[[ヒューマン・オーディオ・スポンジ]]」(HAS)としてチャリティーライブを行う。さらに[[7月7日]]には「[[ライブ・アース]]」にYMOとして出演。[[8月22日]]には「HASYMO(ハシモ)」名義で新曲「RESCUE」をリリース。 [[2009年]][[7月16日]]、芸術家として文化の多様性を豊かにしたことなどが評価され、[[フランス]]政府から[[芸術文化勲章]]「オフィシエ」を授与された。 [[2010年]][[3月12日]]、芸術分野での優れた業績を評価され、[[文化庁]]より[[芸術選奨]]「大衆芸能部門」の[[文部科学大臣賞]]を授与された。 [[2012年]]、[[東日本大震災]]における[[原子力事故|原発事故]]の後の[[原子力撤廃|脱原発]]に向けた[[デモ活動]]に対して[[ニューヨーク]]から駆け付けて参加する中で、「たかが電気のために命を危険に晒してはいけない」と発言して物議を醸す<ref>{{Cite web|和書|title=坂本龍一が反原発運動で「たかが電気」発言 ネットで「電気で儲けた人が言うか」と疑問の声 |url=https://www.j-cast.com/2012/07/17139629.html |website=J-CAST ニュース |date=2012-07-17 |access-date=2023-04-04 |language=ja}}</ref>。その後、自身も呼びかけ人を務める「『さようなら原発』一千万人署名市民の会」から「音楽のイベントができないか」という相談を受けたため、[[原子力撤廃|脱原発]]をテーマにした[[ロック・フェスティバル]]である「[[NO NUKES]]」を企画してシリーズ化し、[[2019年]]までほぼ毎年開催した<ref>{{Cite web|和書|title=脱原発を訴えるロック・フェス「NO NUKES 2012」開催発表。発起人・坂本龍一と、参加アーティスト代表・後藤正文が記者会見-rockinon.com|https://rockinon.com/news/detail/65722 |url=https://rockinon.com/news/detail/65722 |website=rockinon.com |access-date=2023-04-04 |language=ja}}</ref>。 [[2012年]][[11月23日]]、[[アジア太平洋映画賞]]国際映画製作者連盟賞を受賞。 [[2013年]][[2月8日]]、米カリフォルニア大バークレー校日本研究センターから「[[バークレー日本賞]]」を授与された<ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130210-1083420.html 坂本龍一さんに「日本賞」取り組み評価 日刊スポーツ]2013年2月10日閲覧</ref>。[[オリエンタリズム]]を感じさせる作風と初期の作品に見られた[[現代音楽]]の手法を用いた斬新さ、独特の風貌と知的な発言が固有の存在感を生み、多くのファンを獲得。これまでに映画やCMにも多数出演している。同年、「第70回[[ヴェネツィア国際映画祭]]」のコンペティションの審査員を務める。 [[2014年]]、[[札幌国際芸術祭]]のゲストディレクターに就任。 === 闘病 === [[2014年]][[7月10日]]、所属事務所[[エイベックス・ミュージック・クリエイティヴ]]から中[[咽頭癌]]であること、療養に専念するためにコンサート活動などを中止する旨が発表された<ref>[http://www.commmons.com/whatsnew/artists/sakamotoryuichi/201407101307.html 音楽家 坂本龍一に関するお知らせ]</ref>。かつてはインタビューなどで度々自身の健康状態や体力に自信を表しており、コンサート等公演スケジュールを自身の健康に起因する理由でキャンセルしたことがなかった。 [[2015年]][[8月2日]]、映画『[[母と暮せば]]』(監督・[[山田洋次]]、主演・[[吉永小百合]]、2015年[[12月12日]]公開)の音楽で仕事復帰<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1517038.html |title=坂本龍一、がん療養からの復帰作は山田洋次監督映画 |publisher=日刊スポーツ |date=2015-08-03 |accessdate=2015-08-03}}</ref>。本作で第70回[[毎日映画コンクール]]・音楽賞を受賞<ref>{{Cite news |url=https://mainichi.jp/articles/20160121/k00/00m/040/131000c |title=毎日映画コンクール 大賞に橋口監督の「恋人たち」 |publisher=[[毎日新聞]] |date=2016-01-21 |accessdate=2016-01-21}}</ref>。 [[2016年]]、第25回[[モンブラン国際文化賞]]を受賞<ref>{{Cite news |url=https://www.oricon.co.jp/news/2083366/full/ |title=坂本龍一、グラミー賞こだわらず「欲張る気持ちはない」 |newspaper=ORICON STYLE |date=2016-12-21 |accessdate=2016-12-22}}</ref>。 [[2017年]][[11月4日]]、自身のドキュメンタリー映画、『Ryuichi Sakamoto: CODA』が公開される。[[スティーブン・ノムラ・シブル]]監督によるもので、[[第74回ヴェネツィア国際映画祭]]アウト・オブ・コンペティション部門正式出品作品になった<ref>[http://ryuichisakamoto-coda.com/ Ryuichi Sakamoto CODA』公式サイト]</ref><ref>『Ryuichi Sakamoto: CODA』予告編(英語版) https://m.youtube.com/watch?v=VSsEsUQO4sQ</ref><ref>『Ryuichi Sakamoto: CODA』予告編(日本語版) https://m.youtube.com/watch?v=Goo_LRPrnk8</ref>。 [[2018年]]、[[1月27日]]自身のライヴの様子を収録した映画「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK: async」を公開。[[2月15日]]開催の「第68回[[ベルリン国際映画祭]]」で、コンペティション部門の審査員6名に選ばれる<ref>{{Cite news |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0098468 |title=坂本龍一、ベルリン映画祭で審査員!政治的ではなく芸術的な視点で |newspaper=[[シネマトゥデイ]] |date=2018-02-16 |accessdate=2018-02-17}}</ref>。 [[2021年]][[1月21日]]、[[2020年]]6月にニューヨークにてがんの診断を受け、直腸がんおよび転移巣の手術を受けたことを公式サイトで発表した<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/music/news/413278|title=坂本龍一が直腸がん、手術は成功し入院治療中「もう少しだけ音楽を作りたいと思っています」|newspaper=[[ナタリー (ニュースサイト)|音楽ナタリー]]|publisher=ナターシャ|date=2021-01-21|accessdate=2021-01-21}}</ref><ref name="bookban">ブックバン: [https://www.bookbang.jp/article/733536 坂本龍一「ステージ4」のガンとの闘病を語る](2022/6/7)</ref>。手術は20時間にも及び、発表後も[[転移 (医学)|転移]]した肺の摘出手術など6度に渡る手術が行われた<ref name="bookban" />。音楽活動再開に向けて入院治療に専念しつつ、『[[新潮]]』2022年7月号より「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」の連載を開始した<ref name="bookban" />。 [[2022年]][[3月26日]]、[[東京]]・[[サントリーホール]]で行われた東北復興支援プロジェクト『東北ユースオーケストラ演奏会2022』に登場。『東北ユースオーケストラ』は、[[東日本大震災]]を体験した小学生から大学生までの若者で構成され2016年から2019年までに公演を定期的に行っていたが、2020年以降は[[コロナ禍]]のためコンサートは中止になっていたため、坂本とともに3年ぶりの公演であり、最後の公の場での生演奏であった。坂本は新曲『いま時間が傾いて』を初演。坂本がピアノ演奏を行う中で[[吉永小百合]]による詩の朗読も行われた<ref name="ori">{{Cite web|和書|date=2022-03-26|url=https://www.oricon.co.jp/news/2229180/full/|title=がん療養中の坂本龍一、3年ぶりにイベント登場 吉永小百合と平和への祈り「争いがなくなるといいですね」|publisher=ORICON MUSIC|accessdate=2022-3-27}}</ref>。 2022年6月、がんの「ステージ4」であり、両肺に転移したがん摘出手術を昨年10、12月に受けたことなどを明かした<ref>{{Cite web|和書|title=坂本龍一、がんは「ステージ4」 昨年10、12月に摘出手術を受けていた 文芸誌で公表 - 音楽 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202206070000287.html |website=nikkansports.com |access-date=2022-06-27 |language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220607034256/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202206070000287.html|archivedate=2022-06-07}}</ref>。同年12月11日に配信されたピアノのソロコンサートが、最後の公の場になった。同年9月中旬に事前収録したもので、体力面を考慮し1日数曲ずつ演奏し、数日かけてコンサートに仕立てたものであった。 ===死去=== [[2023年]]3月28日、東京都内の病院で死去した。{{没年齢|1952|1|17|2023|3|28}}。訃報は同年4月1日午前、共同通信の配信記事で明らかになった<ref name="kyodo202304011030">{{Cite web|和書| author=瀬野木作、大倉たから | url=https://nordot.app/1013405450532716544 | title=亡くなった坂本龍一さん「音楽制作が難しい」体調の中で反対した神宮外苑再開発 「深呼吸し、スマホのカメラを向けることも多々あった」 | publisher=[[共同通信]] |website=[[47NEWS]] | date=2023-4-1 | accessdate=2023-7-3 }}</ref>。また、4月2日夜、本人の公式Twitterおよび所属事務所によるリリースで公表された<ref>{{Cite web|和書|title=https://twitter.com/ryuichisakamoto/status/1642507238467309568 |url=https://twitter.com/ryuichisakamoto/status/1642507238467309568 |website=Twitter |access-date=2023-04-02 |language=ja}}</ref>。所属事務所によれば「がんの治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした」としており、既に葬儀は近親者で執り行われている<ref>{{Cite web|和書|title=【坂本龍一】ご報告|url=https://avexnet.jp/news/detail.php?id=1013209|website=avex portal|access-date=2023-04-02 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=坂本龍一さん死去、71歳 「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く ラストエンペラーで日本人初快挙 - スポニチ Sponichi Annex 芸能 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/02/kiji/20230402s00041000763000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-02 |language=ja}}</ref>。所属事務所のコメントは、坂本が好んだ一節「[[アルスロンガ、ウィータブレウィス|Ars longa, vita brevis]] 芸術は長く、人生は短し」で締められた<ref name="Oricon20230402">{{Cite web|和書|title=坂本龍一さん死去、インスタ動画は「無音」で“朽ちたピアノ” 「January 17 1952 - March 28 2023」 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2273995/full/ |website=ORICON NEWS |date=2023-04-02 |accessdate=2023-04-08 |language=ja}}</ref>。公式[[Instagram]]アカウントでは、生没年月日と朽ちて壊れた[[ピアノ]]と暗闇が繰り返し[[フェード|フェードイン]]する動画がトップに固定されて投稿された<ref name="Oricon20230402"/><ref>{{Cite web|和書|title=Ryuichi Sakamoto |url=https://www.instagram.com/reel/CqiLVIbBI7P/ |website=Instagram |access-date=2023-04-02 |language=ja}}</ref>。 苦しい闘病の中でも、亡くなる2日前の3月26日には自身が代表・監督を務める「東北ユースオーケストラ」の演奏会をオンラインで視聴し、終演後に出演者に向けて「Superb! Bravissimo(拍手×5)素晴らしかった!! よかったです。みんなありがとう(拍手×3)お疲れ様でした♪」とのメッセージを送っていた<ref>{{Cite web|和書|title=坂本龍一さん、亡くなる2日前にも東北の若いオーケストラを応援…被災楽器の修復が縁 |url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20230404-OYT1T50089/ |website=読売新聞オンライン |date=2023-04-04 |access-date=2023-04-04 |language=ja}}</ref>。同年3月29日に配信された共同通信の書面インタビューでは「音楽制作も難しいほど気力・体力ともに減衰しています。残念ながら手紙を送る以上の発信や行動は難しい」と現状を明かしていたが、この記事が配信された時点で既に死去していた<ref>[https://www.47news.jp/9121177.html 「ビジョン持ち、政治家選ぶ」 小池知事に手紙の坂本龍一さん] - 47NEWS(共同通信)2023年3月29日</ref>。 「世界のサカモト」と呼ばれた坂本の訃報は、イギリス・BBC、アメリカ・CNN、フランス・AFP通信、韓国・聯合ニュース、中国のネットメディアなどで速報で伝えられた<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009071156_00000 音楽家 坂本龍一さん死去 71歳 YMOなどで世界的に活躍] - NHK NEWS WEB 2023年4月3日</ref>。また、世界中の著名人のWebサイトやSNSアカウントで追悼文が公開された。 [[2023年]]4月2日、活動限界を迎える直前まで[[コンピュータ|コンピューター]]で制作し続けた「[[神山まるごと高等専門学校]]」の校歌が、未完成ながらも入学者や出席者に対して披露された。生前、坂本自身も未完成の作品の発表をためらっていたが「新入生を祝福するため」として了承していた。この校歌が生前最後の作曲となった<ref>{{Cite web|和書|title=坂本龍一さん死去 生前最後の作曲は「神山まるごと高専」校歌|NHK 徳島県のニュース |url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/20230403/8020017158.html |website=NHK NEWS WEB |access-date=2023-04-04 |last=日本放送協会}}</ref><ref name=":0">{{Cite web|和書|title=坂本龍一さん最後の曲は「神山まるごと高専」校歌…UAさんが作詞 |url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20230404-OYT1T50198/ |website=読売新聞オンライン |date=2023-04-04 |access-date=2023-04-04 |language=ja}}</ref>。その後、坂本の生前の意思に基づき、[[網守将平]]が編曲を担当。同年8月10日に、完成した校歌「KAMIYAMA」が同校公式Webサイトで公開された<ref>{{Cite web|和書|url=https://kamiyama.ac.jp/news/20230810-01/ |title=学校便り : お知らせ 神山まるごと高専の校歌「KAMIYAMA」が完成 |publisher=神山まるごと高等専門学校 |date=2023-08-10|language=日本語 |accessdate=2023-09-17}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2023-08-12 |author=東孝司 |title=坂本龍一さん作曲の校歌が完成 「神山まるごと高専」でUAさん歌う |url=https://www.asahi.com/articles/ASR8C7JMWR8BPTLC01F.html |website=[[朝日新聞]]デジタル |publisher=[[朝日新聞社]] |accessdate=2023-09-17}}</ref>。 [[2023年]]4月3日1時29分、たった2ヵ月の間に[[イエロー・マジック・オーケストラ|YMO]]で唯一の存命者となった[[細野晴臣]]は、[[高橋幸宏]]が亡くなった時に坂本龍一が行った追悼の方法と同じく、[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]で無地の灰色の画像を投稿して追悼した<ref>{{Cite web|和書|title=Hosono Haruomi |url=https://www.instagram.com/p/Cqil9-tJ6If/ |website=Instagram |access-date=2023-04-02 |language=ja}}</ref>。 [[2023年]]4月14日、[[新宿TOKYU MILANO|新宿ミラノ座]]の跡地に坂本龍一監修の[[東急歌舞伎町タワー|109シネマズプレミアム新宿]]が開業した。館内BGMは3曲が坂本龍一作曲で、全シアターには坂本が認めた最高の音響設備のみを採用した「SAION -SR EDITION-」が導入され、一部シアターには坂本の希望で稀少な35mmフィルム映写機も導入されている<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=SOUND - 109シネマズプレミアム新宿 {{!}} 109CINEMAS |url=https://109cinemas.net/premiumshinjuku/sound.html |website=109cinemas.net |access-date=2023-05-14 |language=ja}}</ref>。坂本にとって新宿は思い出深い地であり、[[1960年代]]後半の[[東京都立新宿高等学校]]在学中に好んで[[新宿]]中の[[映画館]]で上映作品の傾向を調べて映画を鑑賞するほどの[[映画]]マニアで<ref name=":1" />、他にも「事前に調べた新宿のジャズ喫茶約30軒を1ヶ月かけて全部廻る」などして後の活動の基盤となる文化的素養を得ていた<ref name=":2">{{Cite web|和書|title=ぐるっと首都圏・母校をたずねる:東京都立新宿高校/1 音楽、映画…全てが糧に 音楽家・坂本龍一さん /東京 - 毎日新聞 |url=https://web.archive.org/web/20201219105942/https://mainichi.jp/articles/20160603/ddl/k13/100/012000c |website=web.archive.org |date=2020-12-19 |access-date=2023-05-15}}</ref>が、新宿の文化的発展を願い自身が監修した[[映画館]]に行くことは出来なかった。 同年5月17日、音楽(新曲2曲、既成曲5曲)を担当した日本映画『[[怪物 (2023年の映画)|怪物]]』が[[第76回カンヌ国際映画祭]]で上映される<ref name="IMDb-23736044">{{IMDb title|23736044|怪物}}</ref>。同作品は[[カンヌ国際映画祭 脚本賞|脚本賞]]と[[クィア・パルム|クィア・パルム賞]]を受賞した<ref name="eiga-com20230528">{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20230528/1/ |title=【第76回カンヌ国際映画祭】是枝裕和監督「怪物」に脚本賞 坂元裕二「たった一人の孤独な人のために書きました」 |publisher=[[映画.com]] |date=2023-05-28 |accessdate=2023-06-02}}</ref><ref name="eiga-com20230527">{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20230527/8/ |title=【第76回カンヌ国際映画祭】是枝裕和監督「怪物」にクィア・パルム賞 日本映画としては初 |publisher=映画.com |date=2023-05-27 |accessdate=2023-06-02}}</ref>。 同年、[[第65回日本レコード大賞]]特別功労賞を受賞した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2305410/full/|title=伊集院静さん、『日本レコード大賞』特別功労賞受賞 訃報を受け…記者会見で追加発表|website=ORICON NEWS|publisher=株式会社oricon ME|date=2023-12-06|accessdate=2023-12-06}}</ref>。 == 人物 == === 音楽活動 === [[ファイル:Jun Miyake and Ryuichi Sakamoto at Ibirapuera Park (2017) 36.jpg|サムネイル|250px|ピアノを演奏する坂本(2017年)]] 坂本のピアノ曲集『Avec Piano』に寄せられた解説文の中で音楽評論家の[[秋山邦晴]]は「なかなかピアノも巧い」と評している。デビュー作『[[千のナイフ]]』では現代音楽家の[[高橋悠治]]との連弾を行っている。[[加藤登紀子]]が坂本のピアノの演奏技術に感嘆し、それを本人に伝えた際に坂本は「18歳の頃の僕はもっとすごかった」と答えたという。[[フランツ・リスト]]の難曲[[ラ・カンパネッラ|ラ・カンパネラ]]を藝大入学以前に、初見で弾きこなしたとも坂本本人は発言している。 音楽を担当した映画『[[ラストエンペラー]]』において[[アカデミー作曲賞]]を受賞<ref group="注" name="movie"/>した際には、写真週刊誌フライデーにおいて「この賞を受賞したことよりもこれから仕事を選べるという点のみで今回の受賞は悦ばしい」と発言。活動の拠点をアメリカに移したのも「日本という小さなマーケットでCDを100万枚売るよりも、世界の10カ国からそれぞれ10万枚ずつCDを売るほうが作品のクオリティーを落とさないで済む」と雑誌『[[ゲーテ (雑誌)|GOETHE]]』([[幻冬舎]])で述べている。 [[現代音楽]]への進出は、[[原田力男]]の推薦にもかかわらず成功しなかった。現代音楽界を狭い世界と捉え、その中で活動することを嫌ったとの本人コメントがある。社会的成功を確実にした後、神奈川県内のクラシック音楽専用のホールで個展を行い、芸大在学中に作曲した曲を中心に数作品が高橋アキ等によって演奏された。YMO散開後の1984年、『[[題名のない音楽会]]』([[テレビ朝日]])においてオーケストラ曲「反復と旋」が一部割愛ながらも世界初演される。この作品は芸大大学院の修士論文として提出された作品で、未発表のまま芸大に保管されていた。 学生時代に[[ヤニス・クセナキス]]の作曲法を取り入れようとしたが、数学が苦手なために挫折した。[[太田出版]]から出された『坂本龍一・音楽史』に、その試行の膨大なメモが掲載されている。 坂本は国内のアンダーグラウンドシーンにも接近した。ニューヨーク帰りの東京のパンクバンド[[フリクション (バンド)|フリクション]]のファーストアルバムをプロデュース、関西の女性パンクボーカリスト[[Phew]]のソロデビューシングルでのコラボレーション、[[山崎春美]]の音楽プロジェクトTACOへの参加などが挙げられる。しかし、TACOでの過激な楽曲提供はともかく、フリクションのアルバムはメンバー・ファン共に「ライブでの緊張感・硬質感が再現されていない」と不評を買い、Phewも「(坂本は)仕事は速いがセンスは悪い」と評判は芳しくない。 国外ではNO NEW YORKで一際存在感を放っていた[[アート・リンゼイ]]との親交が有名である。DNAの頃のアートと初めて出会ったときは一方的に敵意を向けられて満足に言葉を交わすことができなかったが、その後坂本が自身のソロアルバムへの参加をオファーした際に快諾し、以後現在まで坂本の活動に欠かせない人物となった。 [[J-WAVE]]で2004年に放送された番組『ゆく都市くる都市・新春放談』では、細野晴臣、高橋幸宏との対談で、リズム隊出身の両者に対し、坂本自身はリズムトラックの構成に[[コンプレックス]]があると告白した。対して細野は「教授の作品を聴いて特にリズムが弱いと思ったことは無かった」と語り、少々意外な発言だったようである。<!--*社会主義的傾向を持つことが音楽家のステータスとみなされた1970年代末期、「ポピュラー音楽はポピュラー音楽でしか聴かれないイディオムと個性を持ち、なおかつ体制が生み出した現代音楽には反抗しなければならない」という考え方が力を持っていた。当時の坂本の思想的背景には、このような考え方もあったのではないかとされる。坂本がこの思想を自身のプロモーションに戦略的に利用したという明確な証拠はないが、MIDI音源黎明期の1980年代、結果的にこのような思想が坂本の活動への絶大な追い風となった。YMOのアルバムは一枚も持っていないなどと述べた[[高橋悠治]]が、当時[[グラスホッパーズ]]のピアノソロ編曲を残していることにも裏付けられる。しかし、1990年代以降[[ジョン・ゾーン]]らが[[現代音楽]]に接近する頃になると、こうした追い風は次第に止んだ。[[BTTB]]では[[高橋悠治]]や[[高橋アキ]]が愛奏した[[エリック・サティ]]の様式模倣すら公的に認め、[[オールナイトニッポン]]のテーマソングをリメイクするといった活動も、当時のリスナーからの支持は得られなかった。←要出典--> <!--*音楽性のタガが次第に外れていることは、本人も承知しているものの、目立った方向性の転換は2000年代にはまだ聞かれていない。これについて坂本を「クラシック音楽をマスターしきれずに、ポピュラー音楽に流れた」音楽家の限界と見るむきもある。ちなみに1950年代生まれのほとんど全てのジャンルの日本の作曲家において、坂本と同じように様式折衷に悩む者が多く見られる。←要出典--> コンサートではほとんど年齢制限を設けたことがなく「0歳児でも入場可」をポリシーとしている。しかし2007年[[5月12日]]「坂本龍一プロデュース公演/ロハスクラシック・コンサート2007」の会場となった[[bunkamuraオーチャードホール]]では、子供の泣き声が数か所から上がり、第二部開演前に坂本から「0歳児でもOKというのをポリシーにしていますが、純粋に音楽を楽しみに来ている方もおられるでしょうから、常識的なところで、例えばロビーへ行ってあやすなど臨機応変に対応をしてください」と照れながらのアナウンスがあった。 過去に[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]監督の[[高畑勲]]監督から音楽を頼まれたことがあったが、作った音楽があまりにも暗すぎ、解雇されてしまった<ref>[https://www.cinematoday.jp/news/N0100497 坂本龍一、高畑勲監督からオファー&解雇されていた!]</ref>。 歌はうまくないと自認している。『[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])に出演した際、「[[君に、胸キュン。]]」を歌ったら[[浜田雅功]]にツッコまれてしまったほどである。坂本自身がボーカルを執った楽曲は極めて少ないが『[[左うでの夢]]』『[[ビューティ]]』『[[スムーチー|SMOOCHY]]』のように、あえて坂本のボーカルを前面に押し出して製作されたアルバムもある。「歌はうまさじゃなく声色、ヘタでも自己表現としては音楽の中で最高のもの」という自身の発言がある。 幅広い音楽ジャンルを分析し、自身の作品に反映しているが、[[カントリー・ミュージック]]と[[ハワイの音楽|ハワイアン]]だけはなじめないと発言していた<ref>[[NHK-FM放送|NHK-FM]][[サウンドストリート]]での放送の発言より。</ref><ref>[[2011年]][[1月11日]]WebマガジンOPENERS連載「上から言い切る」より。</ref>が、近年どちらも聴けるようになりハワイアンに関しては「現地に行った際に大好きになった」とのこと。 「[[今夜はブギー・バック]]」リリース当時「ハマった」と言ってミュージシャン[[小沢健二]]と対談もしている<ref>1994年月刊カドカワ「世界の肌ざわり」</ref>。ZERO-LANDMINE企画時には日本のビジュアル系と称されるアーティストたちとも共演したり、YMOチルドレンの[[LUNA SEA]]の[[SUGIZO]]のソロ・アルバムにピアノで参加したこともある。クラシックから[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]のプロデュースに至るまで、いずれもジャンルの垣根を越え音楽を聴き、解析し、プロデュースすることのできる自身の才能について「自分は音楽の鉄人だと思う。(発表されている作品には)いろいろなスタイルの音楽がありますが、全部僕のものですから、安心して下さい」と発言している<ref>Sweet revenge Tour 1994(1995年)</ref>。 若い頃は古典芸能や工芸などの日本の古典的文化を「戦前のナショナリズムの象徴」として否定的に考えていたが、海外移住や年齢を重ねたこともあって、近年はそれらに対しての関心が強くなり、そうした日本の古典的文化を積極的に学ぶようになったという<ref>[https://www.tjapan.jp/ENTERTAINMENT/ryuichi-sakamoto?page=2 坂本龍一が語る、自身が今作りたい音楽について] T JAPAN:The New York Times Style Magazine</ref>。 === 思想・社会活動 === [[画像:Ryuichi Sakamoto 3.jpg|250px|thumb|坂本(2007年)]] [[政治哲学#概要|政治思想]]に関しての発言や、社会運動家としての活動も多い。新宿高校時代には学生運動に関わり、[[塩崎恭久]]と[[馬場憲治]]の3人でバリケード封鎖を決行した。大学時代には[[武満徹]]を批判するビラを配ったこともあった<ref name="mikiki">[https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/20368 坂本龍一、武満徹との50年を振り返る mikiki]</ref><ref name="nhk">「武満徹の残したものは」1996年、NHKで放映。</ref>。これについて坂本は、当時の自分は生意気で、それに対し武満はエスタブリッシュされた作曲家であり、その日本的な情緒が目障りだったからと、武満の没後に語っている<ref name="nhk"></ref>。また、[[鈴木邦男]]との対談<ref>「愛国者の憂鬱」 [[週刊金曜日|金曜日]]出版</ref>では、「若い頃は日本の楽器とかが嫌でそれを使っていた武満さんに反抗心を抱いてしまった」とも語っている。批判された武満は、逆に坂本に「このビラ撒いたの君?」と語ったという<ref name="mikiki"></ref><ref name="nhk"></ref>。このことは、同じく鈴木邦男との対談では、30分くらい話し合ったと語り、のちに坂本が何人かでコンサートをやった後、偶然バーで武満と会った時には武満から「ビラのときの子ね。君、いい耳持ってるね。」と言われ、うれしかったという<ref name="mikiki"></ref><ref name="nhk"></ref>。武満はそのコンサートの観客の中の1人であり、その後は名前を覚えてもらったという。武満はその後、坂本が作曲した「[[戦場のメリークリスマス (サウンドトラック)|戦場のメリークリスマス]]」を、高く評価している<ref>川崎弘二 著「武満徹の電子音楽」</ref>。さらに坂本によるとニューヨークでも会ったことがあり喫茶店で「いつか一緒に仕事しましょう」と約束したという<ref name="mikiki"></ref>。坂本は武満の没後、武満が晩年完成を目指していた[[オペラ]]からインスパイアされた曲「Opus」を作曲する(アルバム『[[BTTB]]』所収)。さらには自作のオペラ『LIFE』を完成させるなど、武満のことを意識している。概して、若い頃は退廃的な考えを持っていたようだが、[[野口晴哉]]の著書『風邪の効用』やオペラ『LIFE』の製作のための取材等の影響で、健康的、生命的な考えへと変わっていった。[[作家]]や[[思想家]]など[[知識人]]との交流も深く、作品に影響が及ぶこともしばしばである([[#関連項目・人物]]参照)。 東京藝術大学の1年生の頃の1970年11月25日、[[三島由紀夫]]が割腹自殺を遂げたことを知った坂本は、遺体が移された市谷近くの[[牛込警察署]]に押し掛けた<ref name="gendai20230404"/>。坂本によると「作家としての三島をとても尊敬していた。彼は右翼、僕は過激な[[左翼]]でしたが、右も左も過激になると似て来るところがあるのでしょうか。」という<ref name="gendai20230404"/>。 [[小室哲哉]]とは「クリエイティブな少数派に向けた作風」を追求する坂本と「メジャーでスターになるための方法論」を追求する小室、インターネットでのファンに対するアプローチの方針の違い<ref group="注">坂本はライブの生中継を目指し、小室は音源データの配信を意図していた</ref>からして、小室曰く「お互い中和しない関係」と称しつつも、「何をどうするかが絶対に違うけど、無いものねだりながらもお互いに無いものを求めている」「誤解されるのを承知で言えばホモセクシャルな感覚を持っていて会うと安心できる」と話している<ref name="bart95109">[[集英社]]刊「[[BART (雑誌)|Bart]]」1995年10月9日号「BEHIND the MASK 小室哲哉 坂本龍一 対談」pp.16-17より。</ref>。反面小室は「芸術家であり、その方面では未だに何一つ彼との差は縮まっていない」と賛美と嫉妬を込めた発言をしていて<ref>[https://smart-flash.jp/entame/31796/ 小室哲哉「ガチで嫉妬したのは坂本龍一と吉田拓郎の2人」]より。</ref>、坂本もいち早く[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]を音楽への道に引き入れる小室の発想力とバイタリティに「横取りしやがって…」と反発心を覚えていた<ref>株式会社スコラ刊「[[スコラ]]」1995年10月26日号p.169より。</ref>。 [[1997年]]ごろから日本における音楽[[著作権]]の取り扱いについて、[[日本音楽著作権協会|JASRAC]]が独占して管理すること、および権利の信託が包括的にしか行えないことに対してこれを改めるようJASRACおよび[[文化庁]]に対して働きかけを行った<ref>[http://www.kab.com/liberte/ A nous, la Liberte!]</ref>。MAA(メディア・アーティスト・アソシエイション)設立。1999年制作のオペラ『LIFE』あたりから[[環境]]・[[平和]]問題に言及することも多くなり、[[地雷]]除去活動を支援するための[[チャリティー]]ソングとして[[GLAY]]、[[Mr.Children]]、[[DREAMS COME TRUE]]、[[DJ KRUSH]]らを迎えて制作した『[[ZERO LANDMINE]]』<ref>[https://www.tbs.co.jp/zero/ TBS50周年特別企画 「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」]</ref>や[[アメリカ同時多発テロ事件]]をきっかけとした論考集『[[非戦論|非戦]]』を発表している。 [[2004年]]には音楽評論家[[高橋健太郎 (音楽評論家)|高橋健太郎]]や[[ピーター・バラカン]]らの呼び掛けに応じて共同声明「私たち音楽関係者は、[[著作権法]]改定による輸入CD規制に反対します」に名を連ね、[[国会 (日本)|国会]]で審議されていた[[音楽レコードの還流防止措置]](レコード輸入権)に反対を表明した<ref>[https://web.archive.org/web/20040509230014/http://diary.nttdata.co.jp/diary2004/05/20040509.html 先見日記 insight diaries]</ref>。 [[2006年]]2月には、[[PSE問題]]に絡み、[[松武秀樹]]、[[椎名和夫]]とともに2006年4月に本格的に施行される[[電気用品安全法]](PSE法)に反対する署名を募集<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jspa.gr.jp/pse/ |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2006-02-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060222032129/http://www.jspa.gr.jp/pse/ |archivedate=2006-02-22 |deadlinkdate=2017-09}}</ref>。[[経済産業省]]がマークなしの販売を条件付きながら認めるなど、一定の成果を得た。同年5月には[[Shing02]]、[[クリスチャン・フェネス]]らとともに[[青森県]][[六ヶ所村]]の核再処理施設に反対し、この問題をアート作品の共有と拡散という手法を使って内外に周知するプロジェクト[[STOP ROKKASHO]]をスタートし、[[河野太郎]]、[[保坂展人]]らの政治家、[[小室哲哉]]らのミュージシャンからも賛同を得ている<ref>[http://stop-rokkasho.org stop-rokkasho.org]</ref>。 [[2007年]]7月16日に起きた[[新潟県中越沖地震]]で[[柏崎刈羽原子力発電所]]が被害を受けたことに応じて「おやすみなさい、柏崎刈羽原発」という運動を始めた。[[東日本大震災]]後も原発を批判する旨の意見を度々述べている。 [[2012年]]1月11日には、自身が代表を務める森林保全団体 [[more trees]] による[[More trees#LIFE311|被災地支援プロジェクト「LIFE311」]]と、[[サイバーエージェント]]のソーシャルゲーム[[ピグライフ]]と連携する連動企画『LIFE311×ピグライフ』を期間限定([[3月31日]]まで)で立ち上げた<ref>[https://archive.is/oqQj 「LIFE311」とピグライフがコラボ 坂本龍一さんの環境団体被災地支援プロジェクト] - 産経新聞 2012/01/11 18:27<!-- http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/music/541614/ --></ref>。なお、ピグライフに設置された特設エリアには坂本も登場している。 [[画像:Ryuichi Sakamoto, Photographed by Ryota Nakanishi.JPG|thumb|IWJ主催シンポジウムで演説中の坂本龍一]] [[日本国憲法第9条|憲法9条]]の改正に強く反対しており、選択的[[夫婦別姓]]制度導入にも賛同する。 数多くのチャリティーコンサートを実施、無償での被災地の幼稚園・小・中・高校に対し、楽器関連の復興支援を行うための『こどもの音楽再生基金』、被災地支援参加型プロジェクト『kizunaworld.org』、先述の[[More trees#LIFE311|被災地支援プロジェクト『LIFE311』]]など、様々な側面から復興支援に尽力した<ref>[https://web.archive.org/web/20140222034821/http://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/best_support/award/ 日本財団>被災地で活動した芸能人ベストサポート>表彰者一覧]</ref>。2012年5月1日、[[日本財団]]により、[[伊勢谷友介]]、[[EXILE]]、[[加藤登紀子]]、[[小林幸子]]、[[コロッケ (タレント)|コロッケ]]、[[サンドウィッチマン (お笑いコンビ)|サンドウィッチマン]]、[[杉良太郎]]、[[伍代夏子]]、[[中村雅俊]]、[[はるな愛]]らと共に「被災地で活動した[[芸能人]]ベストサポート」に選出され、表彰されている<ref>[http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/3626 日本財団会長 笹川陽平ブログ>被災地で活動した芸能人ベストサポート]</ref>。 [[2015年]]には、[[安倍晋三]][[内閣総理大臣]]の進める集団自衛権や改憲について、デモにも参加するなど批判している<ref>[https://web.archive.org/web/20150831132348/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015083102000125.html 「坂本龍一さんら各界著名人も市民と連携」、東京新聞、2015年8月31日]</ref>。 [[2016年]]、沖縄における米軍属に対する「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」に向けて「沖縄だけに痛み、苦痛と侮辱を何十年もおしつけておくべきではない。もうたくさんだ。基地、米軍、武力が必要なら日本人の全てが等しく背負うべきだ」とのメッセージを寄せた<ref>[https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/5869 沖縄県民大会に坂本龍一さんらメッセージ きょう午後2時開催 暴行殺人事件に抗議、沖縄タイムス、2016年6月19日]</ref>。 自身の政治的な言動が批判されることについては「音楽家だけど、余計な口を出してしまうから。音楽家は音楽だけやっていろ、とインターネットで言われているらしいということも知っています。これは言わないと、というときだけ選んでいるつもりですけれど、発言するから偉いとも思ってません。でも音楽だけやればいいとも思わない。普通の人が口出すのが[[民主主義]]でしょ。職業に関係なく誰もが声を出せる社会じゃないとダメだと思うんです」といった考えを述べている<ref>[https://www.tjapan.jp/ENTERTAINMENT/ryuichi-sakamoto?page=3 坂本龍一が語る、自身が今作りたい音楽について] T JAPAN:The New York Times Style Magazine</ref>。 [[2021年]]、[[小山田圭吾]]が、東京オリンピック・パラリンピック開会式音楽スタッフ就任に端を発する過去の雑誌インタビュー記事や、同記事をめぐる報道(詳細は[[小山田圭吾#東京オリンピック・パラリンピック開会式音楽スタッフ就任に端を発する過去の雑誌インタビュー記事騒動|小山田圭吾]]を参照)<ref name="謝罪">{{Cite web|author=|date=|url=https://www.instagram.com/p/CT7M8iKBafW/?utm_medium=copy_link|title=Cornelius on instagram|publisher=Instagram|accessdate=2021-09-17}}</ref>に謝罪の文を公式サイトに寄稿。坂本は「読みながら少し泣けてしまった。なかなかこれほど真摯な文章は書けるものじゃない。よほど自分の心の中を曇りなく隅々まで見ないと」と私見を述べ、「今後どんな音楽が生まれてくるのか、気長に待ってます」とつづった<ref>{{Cite news|title=坂本龍一、小山田圭吾の謝罪文に「読みながら少し泣けてしまった」|newspaper=日刊スポーツ|date=2021-09-21|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202109210000185.html|accessdate=2021-10-21}}</ref>。 最晩年となった2023年3月上旬には明治神宮外苑地区の再開発の見直しを求める手紙を、[[小池百合子]]東京都知事、[[永岡桂子]]文部科学大臣、[[都倉俊一]]文化庁長官、[[吉住健一]]新宿区長、[[武井雅昭]]港区長の5名に送り、「100年かけて守り育ててきた樹々を犠牲にすべきではない」「樹々は差別なく万人に恩恵をもたらすが、開発は一部の既得権者と富裕層だけに恩恵をもたらす」などと訴えたが、認可を出した[[小池百合子]]東京都知事から「事業者の[[明治神宮]]にも手紙を送られた方がいいじゃないでしょうか」と一蹴されている<ref>[https://www.tokyo-np.co.jp/article/238684 坂本龍一さん「神宮外苑の再開発、見直すべき」と手紙で訴えたが…小池知事「事業者にも送ったら」] - 東京新聞 TOKYO Web 2023年3月18日</ref>。 === 人柄 === 若い頃について坂本は「YMOで大ブレイクして、30歳代半ばまではまさに人生の絶頂期で、遅刻やすっぽかしもしょっちゅうだった。運転手が気に入らないとすぐに殴ったり蹴ったりした。今思えばとんでもないことであり、私の理不尽な暴行に耐え切れず辞めていった運転手の人たちには申し訳ないと思っている。子供の頃、体格がよかったこともあって、力ずくで意思を通すことをあまりためらわない性格に育っていた。」などと述べている<ref name="jitsuwa20230406">{{Cite web|和書|url=https://weekly-jitsuwa.jp/archives/100050|title=坂本龍一さんが後悔していた“運転手暴行事件”と大貫妙子との若き日の関係 |website=[[週刊実話]]Web |date=2023-04-06 |accessdate=2023-04-29 }}</ref>。 YMO結成当初の紙面上のインタビューで、同時期に活動を開始していた[[P-MODEL]]に関して坂本が吐いた発言により、当時のP-MODELファンの間で「YMO不買運動」が起こるなどの因縁が生まれた<ref>{{Cite book |title=電子音楽 in Japan |url=https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA55613217 |publisher=アスペクト |date=2001 |language=ja |first=雄二 |last=田中}}</ref>。 [[糸井重里]]との対談で坂本は「自分の生活を露出させる人は、他人に対して無遠慮だ」と非難し、「[[ジャージー (衣類)|ジャージ]]をはいてる人が嫌い。ジャージはその人の生活を完全に感じさせるものだからそんな格好して、外に出てくるな」、「学生の時に、学生食堂で一人でご飯をきちんと食べてる男の人を見ると、すごく不愉快だった」などと述べている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.1101.com/kyoju/03.html|title=第3回 ジャージを履いてはならぬ |website=[[ほぼ日刊イトイ新聞]] |date=2006-11-16 |accessdate=2023-04-30 }}</ref>。 == 家族・親族 == 坂本家は福岡県[[三奈木村]]の坂の下(現・[[朝倉市]])の出で、[[江戸時代]]に[[足軽]]として[[三奈木黒田家|黒田家]]に仕えた<ref name="detazo">{{Cite web|和書|url=https://datazoo.jp/tv/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/1157003|title=ファミリーヒストリー 坂本龍一〜父との葛藤 福岡藩黒田家に仕えた先祖〜|work=TVでた蔵|publisher=ワイヤーアクション|date=2018-04-23|accessdate=2023-04-11}}</ref>。[[明治]]に入ると苦しい生活を強いられたため、坂本龍一の曽祖父・坂本兼吉は明治の中頃に[[甘木町]]に移住し、「料理坂本」を始めた<ref name="detazo"/>。坂本龍一の祖父・坂本昇太郎は坂本兼吉の長男として生まれ、22歳でタカという女性と結婚、長男が坂本龍一の父・一亀である<ref name="detazo"/>。坂本昇太郎は興行を取り仕切る父の影響もあり、芸事が好きで、芝居小屋「甘木劇場」の経営主をつとめ、後に福岡の生命保険会社に就職した<ref name="detazo"/>。 母方の祖父[[下村彌一]]は長崎県[[諫早市]]の小さな[[農家]]に生まれ、苦学して[[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]]と[[京都帝国大学]]に学んだ。第五高等学校では後に首相となった[[池田勇人]]が同級生におり、ともに京都帝国大学へ進学して、生涯の親友として交流した<ref group="注">この祖父は、池田首相の葬儀の際に友人代表として[[葬儀|弔辞]]を読んだという。坂本龍一著 『音楽は自由にする』 [[新潮社]]、2009年、23頁</ref>。大学卒業後は共保生命保険に就職、[[実業家]]として[[共保生命]]取締役、[[東亜国内航空]][[会長]]などを歴任。母方の叔父(母の弟)[[下村由一]](1931 - )は[[歴史学者]]で、[[千葉大学]][[名誉教授]]。 東京芸術大学2年のときに2歳年上の女性と結婚し、長女を授かったが離婚する<ref name="jitsuwa20230406"/>。[[歌手]]の[[坂本美雨]]はシンガーソングライターの[[矢野顕子]]との間に生まれた娘で、坂本にとっては次女<ref>{{Cite web|和書|title=矢野顕子&坂本美雨、11年ぶり母娘共演!「伊勢丹」タータン柄に向けた新曲!|シネマトゥデイ |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0057631 |website=シネマトゥデイ |access-date=2022-07-01 |language=ja}}</ref>。 == 出版活動 == 1984年から1989年まで「本本堂」という個人出版社を持ち、自身の著書を中心に、独自の出版活動を行った。1984年に<[[週刊本]]>シリーズで刊行された『本本堂未刊行図書目録』([[朝日出版社]])も話題となった。その本で予告されたのは、[[浅田彰]]著/[[井上嗣也]]装幀『煉獄論あるいは[[ジャン=リュック・ゴダール|ゴダール]]・スペシャル』、[[南方熊楠]]著/[[井上嗣也]]装幀『男色と免疫疾患』、[[赤瀬川原平]]装幀『[[糸井重里]]児童文学全集』、[[武邑光裕]]編/細野晴臣装幀『往復書簡 [[ウィリアム・S・バロウズ|ウィリアム・バロウズ]]-[[出口王仁三郎]]』、[[中沢新一]]構成/坂本龍一ピアノ/[[日比野克彦]]装幀『[[ゲオルギイ・グルジエフ|グルジェフ]]体操カセットブック』などの、50冊であった。 本本堂から、実際に刊行された書籍は以下の通り。 * 長電話 [[高橋悠治]]・坂本龍一 本本堂、1984年5月 * 水牛楽団 休業 [録音資料] 浅田彰+坂本龍一編 本本堂、1984年10月 * [[音楽図鑑]] 坂本龍一 本本堂、1985年6月 * 未来派2009 坂本龍一+[[細川周平]]監修 本本堂、1986年4月 * 写真集『[[ラストエンペラー]]』 坂本龍一編 本本堂、1988年4月 * キリコのコリクツ [[玖保キリコ]] 本本堂、1989年4月 == 「教授」という愛称 == * 一般に「[[教授]]」という愛称で広く親しまれている。命名者は[[高橋幸宏]]。 ** 高橋がテレビ番組で語ったところによると、坂本と高橋が初めて会った時、坂本が[[東京芸術大学]]の[[大学院生]]だと聞いた高橋が驚いて、「大学教授にでもなるの?」と尋ねたことがきっかけのようだ(ライブでたどたどしい口調で司会をする様子がいかにも芸大生風だったという説もある)。『イエロー・マジック・オーケストラ』([[アスペクト (企業)|アスペクト]])には坂本が大学院生であることを知った高橋が「じゃあ、プロフェッサーだから『教授』」と名付けたとある。イエロー・マジック・オーケストラ結成直後に『ニューミュージック・マガジン』(現『[[ミュージック・マガジン]]』、ミュージック・マガジン)から取材を受けた時にはすでに「教授」の愛称が使われている(同誌1978年10月号)。 * 「教授」と呼ばれる前は、当時の坂本の無頼派な風貌が野球漫画『[[あぶさん]]』の主人公である[[景浦安武]]に似ていることから「あぶ」と呼ばれていた。細野晴臣が漫画好きで、高校時代の友人である[[西岸良平]]が『[[ビッグコミックオリジナル]]』で連載していたため、同誌で連載していた『あぶさん』も読んでいたからだが、「ある日、(斎藤)ノヴさんが『どんなお酒が好き?』と聞かれ、教授は『[[アブサン]]』(=[[スイス]]が発祥のお酒)と答えました。それで『じゃあ、今日から君はアブサンね』となり、そう呼ばれていました。」([[土屋昌巳]])という説もある。 * 2014年より母校である東京芸術大学において、[[客員教授]]を務めた。 == ディスコグラフィ == {{main2|坂本龍一が提供、プロデュースした楽曲|坂本龍一提供楽曲一覧}} === シングル === {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] |- ! colspan="5" | [[アルファレコード]] |- ! 1st | 1980年7月21日 | '''[[WAR HEAD]]''' | [[レコード#EP盤|EP]] | ALR-901 |- ! 2nd | 1981年4月21日 | '''[[フロントライン (坂本龍一の曲)|フロントライン]]''' | EP | ALR-730 |- ! colspan="5" | [[ミディ|MIDI]] / SCHOOL |- ! rowspan="2"|3rd | rowspan="2"|1985年9月5日 | rowspan="2"|'''[[ステッピン・イントゥ・エイジア]]''' | EP | MIS-8 |- | EP<br />(ピクチャーレーベル) | MIPS-1 |- ! 4th | 1986年3月21日 | '''[[G.T.]]''' | EP | MIS-11 |- ! rowspan="3"|5th | rowspan="2"|1987年9月15日 | rowspan="2"|'''[[ビハインド・ザ・マスク (曲)#坂本龍一によるセルフカバー|ビハインド・ザ・マスク]]''' | [[レコード#12インチシングル盤|12インチシングル]] | MIS-507 |- | [[シングル|Maxi]] | MID-507 |- | 1991年8月21日 | '''[[ビハインド・ザ・マスク (曲)#坂本龍一によるセルフカバー|ビハインド・ザ・マスク+3]]''' | Maxi | MDC3-1071 |- ! colspan="5" | [[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]] / TERRAPIN |- ! rowspan="3"|6th | 1987年7月1日 | rowspan="3"|'''リスキー''' | EP | 07SH-1949 |- | 1987年10月21日 | 12インチシングル | 12AH-2251 |- | 1988年3月5日 | [[CDビデオ|CDV]] | 24VH-2009 |- ! colspan="5" | [[ヴァージン・レコード|Virgin]] |- ! 7th | 1989年7月5日 | '''[[アンドゥ#1|アンドゥ#1]]''' | Maxi | VJCP-15554 |- ! 8th | 1990年2月21日 | '''[[ユー・ドゥ・ミー]]''' | Maxi | VJCP-1404 |- ! 9th | 1990年12月5日 | '''[[ウィー・ラヴ・ユー]]''' | Maxi | VJCP-1417 |- ! 10th | 1991年10月21日 | '''サヨナラ''' | [[8センチCD|8cmCD]] | VJDP10170 |- ! colspan="5" | [[フォーライフ・レコード|FOR LIFE]] / güt |- ! 11th | 1996年8月21日 | '''[[08/21/1996]]''' | Maxi | FLCG-3022 |- ! colspan="5" | [[タワーレコード]] / güt bounce |- ! 12th | 1997年1月1日 | '''El Mar Mediterrani''' | Maxi | GTBC-0004 |- ! colspan="5" | [[ワーナーミュージック・ジャパン]] / WEA Japan |- ! rowspan="2"|13th | 1999年5月26日 | rowspan="2"|'''[[ウラBTTB]]''' | Maxi | WPC6-10022 |- | 1999年9月12日 | 12インチシングル | WPJ6-10022 |- !14th |2000年5月17日 |'''LOST CHILD''' |Maxi |WPC6-10085 |- ! colspan="5" | ワーナーミュージック・ジャパン |- ! 15th | 2004年1月21日 | '''[[アンダークールド]]''' | Maxi | WPCL-70013 |- ! colspan="5" | [[commmons]] |- ! 16th | 2008年3月19日 | '''[[koko]]''' | Maxi | RZCM-45844 |- ! 17th | 2009年4月15日 | '''nord'''<ref group="注">北海道地区限定リリース</ref> | Maxi | RZC1-46206 |- ! - | 2014年 | '''TIMELESS PASSION'''<ref group="注">パークハイアット東京開業20周年記念のCD BOOK</ref> | Maxi | |} ==== 海外限定シングル ==== # [[ライオット・イン・ラゴス|Riot In Lagos]](1980年) # Bamboo Houses / Bambo Music - David Sylvian & Ryuichi Sakamoto(1982年)-全英チャート30位<ref>[http://www.umdmusic.com/default.asp?Lang=English&Chart=A&ChDay=&ChMonth=&ChYear=&ChBand=sakamoto&ChSong=bamboo+houses] Music Week Bamboo Houses / Bambo Music - David Sylvian & Riuichi Sakamoto</ref> # Life In Japan(1983年) # Forbidden Colours - David Sylvian & Ryuichi Sakamoto(1983年)-全英チャート16位<ref name="fc">[http://www.umdmusic.com/default.asp?Lang=English&Chart=A&ChDay=&ChMonth=&ChYear=&ChBand=sakamoto&ChSong=Forbidden+Colours] Music Week Forbidden Colours - David Sylvian & Riuichi Sakamoto</ref> # Fild Work - Ryuich Sakamoto feat. Thomas Dolby (1985年) # Movin' on(1994年) # love & hate(1994年) # Anger/Grief(1998年) # prayer/salvation(1998年) ==== 配信限定シングル ==== # 海の道(2006年) # aubade(2009年3月7日) # Ieta(2022年1月19日) === アルバム === ==== スタジオ・アルバム ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] |- ! colspan="5" | [[日本コロムビア]] / Better Days |- ! rowspan="2"|1st | 1978年10月25日 | rowspan="2"|'''[[千のナイフ]]''' | [[レコード#LP盤|LP]] | YX-7586-ND |- | 1980年6月25日 | [[コンパクトカセット|CT]] | CTK-7004-ND |- ! colspan="5" | [[アルファレコード]] |- ! rowspan="2"|2nd | rowspan="2"|1980年9月21日 | rowspan="2"|'''[[B-2ユニット]]''' | LP | ALR-28003 |- | CT | ALC-28003 |- ! rowspan="2"|3rd | rowspan="2"|1981年10月5日 | rowspan="2"|'''[[左うでの夢]]''' | LP | ALR-28025 |- | CT | ALC-28024 |- ! colspan="5" | [[ミディ|MIDI]] / SCHOOL |- ! rowspan="5"|4th | rowspan="2"|1984年10月24日 | rowspan="3" |'''[[音楽図鑑]]''' | LP | MIL-1001 |- | CT | MIT-1001 |- | 1984年11月24日 | [[コンパクトディスク|CD]] | MID-1001 |- | 1993年9月21日 | '''[[音楽図鑑|音楽図鑑完璧盤]]''' | CD | MDCL-1243 |- |2015年3月25日 |'''[[音楽図鑑|音楽図鑑 -2015 Edition-]]''' | [[スーパー・ハイ・マテリアルCD|SHM-CD]]<br />(初回完全限定生産盤) | MDCL-5034 |- ! rowspan="3"|5th | rowspan="3"|1985年10月5日 | rowspan="3"|'''[[エスペラント (アルバム)|エスペラント]]''' | LP | MIL-1007 |- | CT | MIT-1007 |- | CD | 35MD-1007 |- ! rowspan="3"|6th | rowspan="3"|1986年4月21日 | rowspan="3"|'''[[未来派野郎]]''' | LP | MIL-1015 |- | CT | MIT-1015 |- | CD | 35MD-1015 |- ! colspan="5" | [[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]] / TERRAPIN |- ! rowspan="3"|7th | rowspan="3"|1987年7月1日 | rowspan="3"|'''[[ネオ・ジオ]]''' | LP | 28AH-2200 |- | CT | 28KH-2220 |- | CD | 32DH-700 |- ! colspan="5" | [[ヴァージン・レコード|Virgin]] |- ! rowspan="3"|8th | rowspan="3"|1989年11月21日 | rowspan="3"|'''[[ビューティ]]''' | CD | VJD-32235 |- | CT | VJT-28211 |- | LP | VJL-28203 |- ! 9th | 1991年10月21日 | '''[[ハートビート (坂本龍一のアルバム)|ハートビート]]''' | CD | VJCP-30093 |- ! colspan="5" | [[フォーライフ・レコード|FOR LIFE]] / güt |- ! rowspan="3"|10th | rowspan="2"|1994年6月17日 | rowspan="2"|'''[[スウィート・リヴェンジ]]''' | CD | FLCG-3001 |- | CD<br />(特別仕様完全限定盤) | FLCG-3002 |- | 1994年11月18日 | '''[[スウィート・リヴェンジ|スウィート・リヴェンジ '94年末スペシャル・エディション]]''' | CD<br />(特別仕様完全限定) | FLCG-3005 |- ! rowspan="2"|11th | rowspan="2"|1995年10月20日 | rowspan="2"|'''[[スムーチー]]''' | CD | FLCG-3014 |- | CD<br />(特別仕様完全限定盤) | FLCG-3015 |- ! 12th | 1997年7月2日 | '''[[DISCORD (坂本龍一のアルバム)|DISCORD]]''' | CD | FLCG-3028 |- ! colspan="5" | [[ワーナーミュージック・ジャパン]] / WEA Japan |- ! rowspan="4"|13th | 1998年11月26日 | rowspan="3"|'''[[BTTB]]''' | CD<br />(初回限定盤) | WPC6-8524 |- | 1999年2月24日 | CD<br />(通常盤) | WPC6-10010 |- | 1999年8月25日 | LP | WPJ6-10010/1 |- | 2018年9月26日 | '''[[BTTB|BTTB -20th Anniversary Edition-]]''' | CD | WPCL-12924 |- ! 14th | 2002年2月27日 | '''[[コミカ]]''' | CD | WPC6-10194 |- ! 15th | 2002年5月15日 | '''エレファンティズム''' | CD | WPC6-10211 |- ! colspan="5" | ワーナーミュージック・ジャパン |- ! rowspan="2"|16th | 2004年2月25日 | rowspan="2"|'''[[キャズム]]''' | CD | WPCL-10072 |- | 2004年3月24日 | LP | WQJL-10002 |- ! colspan="5" | [[commmons]] |- ! rowspan="3"|17th | rowspan="2"|2009年3月4日 | rowspan="3"|'''[[アウト・オブ・ノイズ]]''' | CD<br />(初回限定盤) | RZCM-46128 |- | CD<br />(通常盤) | RZCM-46129 |- | 2009年3月18日 | LP | RR12-88544/5 |- ! rowspan="2" |18th |2017年3月29日 | rowspan="2" |'''[[async]]''' |CD |RZCM-86314 |- |2017年5月17日 |LP |RZJM-86312/3 |- ! rowspan="2" |19th | rowspan="2" |2023年1月17日 | rowspan="2" |'''[[12 (坂本龍一のアルバム)|12]]''' |CD |RZCM-77657 |- |LP |RZJM-77655/6 |} ==== セルフカバー・アルバム ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] |- ! colspan="5" | [[ロンドンレコード]] |- |- 1st ! rowspan="2"|1st | rowspan="2"|1983年12月10日 | rowspan="2"|'''[[コーダ (坂本龍一のアルバム)|コーダ]]''' | [[レコード#LP盤|LP]] | L25N-1016 |- | [[コンパクトカセット|CT]] | M25M-1016 |- ! colspan="5" | [[フォーライフ・レコード|FOR LIFE]] / güt |- ! rowspan="2"|2nd | rowspan="2"|1996年5月17日 | rowspan="2"|'''[[1996 (アルバム)|1996]]''' | CD | FLCG-3020 |- | LP | FLJG-9009 |- ! colspan="5" | [[ワーナーミュージック・ジャパン]] |- ! 3rd | 2004年11月24日 | '''[[/04]]''' | [[コンパクトディスク|CD]] | WPCL-10136 |- ! 4th | 2005年9月28日 | '''[[/05]]''' | CD | WPCL-10222 |- ! colspan="5" | [[commmons]] |- ! 5th | 2012年10月17日 | '''THREE''' | CD | RZCM-59189 |- ! colspan="5" | [[デッカ・レコード|Decca]] |- ! - | 2013年 | '''Three - Deluxe Edition'''<ref group="注">海外盤のみのリリース。附属のDVDは日本ツアーの物販のEUツアーのブルーレイディスクと同内容。収録はドイツのHamburg(ハンブルク)とKarlsruhe(カールスルーエ)の2公演から。</ref> | CD+[[DVD]] | 481 036-4 |} ==== ミニ・アルバム ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] |- ! colspan="5" | [[ミディ|MIDI]] / SCHOOL |- ! rowspan="2"|1st | rowspan="2"|1986年 | rowspan="2"|'''オネアミスの翼〈イメージスケッチ〉''' | [[レコード#LP盤|LP]] | L25N-1016 |- | [[コンパクトディスク|CD]] | MID-1501 |- ! colspan="5" | [[タワーレコード]] / güt bounce |- ! 2nd | 1996年10月1日 | '''Music For Yoji Yamamoto Collection 1995''' | CD | GTBC-0001 |} ==== ライヴ・アルバム ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] |- ! colspan="5" | [[ミディ|MIDI]] / SCHOOL |- ! rowspan="2"|1st | rowspan="2"|1986年9月21日 | rowspan="2"|'''[[メディア・バーン・ライヴ]]''' | [[レコード#LP盤|LP]] | MIL-4001/2 |- | [[コンパクトディスク|CD]] | MID-4001 |- ! colspan="5" | [[ヴァージン・レコード|Virgin]] |- ! 2nd | 1988年12月16日 | '''[[プレイング・ジ・オーケストラ]]''' | CD | VJCP-36040/41 |- ! colspan="5" | [[フォーライフ・レコード|FOR LIFE]] / güt |- ! 3rd | 1995年1月20日 | '''“スウィート・リヴェンジ”ツアー1994''' | CD | FLCG-3008 |- ! colspan="5" | [[ワーナーミュージック・ジャパン]] / WEA Japan |- ! 4th | rowspan="2"|1999年10月27日 | '''[[RAW LIFE OSAKA]]''' | CD<br />(初回生産限定盤) | WPC6-10054/5 |- ! 5th | '''[[RAW LIFE TOKYO]]''' | CD<br />(初回生産限定盤) | WPC6-10056/7 |- ! colspan="5" | [[ソニー・クラシカル|Sony Classical]] |- ! - | 2000年2月8日 | '''Cinemage'''<ref group="注" name=US>[[アメリカ合衆国|アメリカ]]盤のみ</ref> | CD | SK-60780 |- ! colspan="5" | ワーナーミュージック・ジャパン / WEA Japan |- !‐ |2000年2月23日 |'''[[AUDIO LIFE]]''' |CD |WPC6-10073/4 |- ! 6th | 2001年3月22日 | '''In The Lobby At G.E.H. In London''' | CD | WPC6-10124 |- ! colspan="5" | [[commmons]] |- ! 7th | 2009年9月23日 | '''[[プレイング・ザ・ピアノ2009ジャパン]]''' | CD | RZCM-46381/2 |- ! 8th | 2011年12月14日 | '''playing the piano usa 2010 / korea 2011 - ustream viewers selection -''' | CD | RZCM-59041 |- ! 9th | 2013年1月30日 | '''[[The best of THREE live in Japan & Korea]]''' | [[音楽配信]] | |- !10th |2013年12月11日 |'''Playing the Orchestra 2013''' |CD |RZCM-59475 |- !11th |2015年3月24日 |'''Playing the Orchestra 2014''' |CD |RZCM-59835 |- ! 12th | 2021年12月12日 | '''Playing the Piano 12122020''' | CD | RZCM-77479 |} ==== ベスト・アルバム ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] |- ! colspan="5" | [[アルファレコード]] |- ! rowspan="2"|1st | 1982年 | rowspan="2"|'''決定版 坂本龍一 ベストセレクション''' | [[コンパクトカセット|CT]] | ALC-30002 |- | 1986年2月25日 | [[コンパクトディスク|CD]] | 32XA-52 |- ! colspan="5" | [[ミディ|MIDI]] / SCHOOL |- ! rowspan="2"|2nd | rowspan="2"|1989年9月22日 | rowspan="2"|'''[[グルッポ・ムジカーレ]]''' | CD | 32MD-1046 |- | CT | 30MT-1046 |- !- |1990年12月1日 |'''ryuichi sakamoto collection''' |CD |MDCZ-1123~30 |- ! rowspan="2" |- |1993年5月21日 | rowspan="2" |'''Ryuichi Sakamoto Collection''' |CD |MDCZ-1215~24 |- |1999年6月23日 |CD |MDCZ-1215 |- ! 3rd | 1993年6月21日 | '''[[グルッポ・ムジカーレII]]''' | CD | MDCL-1237 |- ! 4th | 1993年11月21日 | '''[[OPERA (アルバム)|OPERA]]''' | CD | MDCL-1261 |- ! 5th | 1993年11月21日 | '''WORKS OF R.SAKAMOTO/坂本龍一ベスト・セレクション'''<ref group="注">通販限定</ref> | CD | FDCL-30276 |- ! colspan="5" | MESA |- ! - | 1994年 | '''Soundbytes'''<ref group="注" name=US/> | CD | R2 79075 |- ! colspan="5" | [[ヴァージン・レコード|Virgin]] |- ! 6th | rowspan="2"|1995年6月28日 | '''[[ベスト・オブ・坂本龍一サウンドトラックス]]''' | CD | VJCP-3110 |- ! 7th | '''[[ベスト・オブ・坂本龍一ヴァージン・トラックス]]''' | CD | VJCP-3111 |- !8th |1998年3月28日 |'''The Greatest - Ryuichi Sakamoto''' |CD |VJCP-51051 |- ! colspan="5" | [[フォーライフ・レコード|FOR LIFE]] / güt |- ! 9th | 1998年4月22日 | '''[[ベリー・ベスト・オブ・グート]]''' | CD | FLCG-3035 |- ! 10th | 1999年8月21日 | '''COMPLETE INDEX OF GÜT''' | CD | FLCG-3042 |- ! colspan="5" | [[日本コロムビア]] |- ! 11th | 1999年9月18日 | '''坂本龍一の音楽〜Early Best Songs''' | CD | COCP-30628 |- ! colspan="5" | FOR LIFE / güt |- ! 12th | 2001年9月27日 | '''PURE BEST''' | CD | FLCF-3886 |- ! colspan="5" | ワーナーミュージック・ジャパン / WEA Japan |- ! 13th | rowspan="3"|2002年10月23日 | '''[[US (坂本龍一のアルバム)|US]]''' | CD | WPC6-10241/2 |- ! 14th | '''[[UF (坂本龍一のアルバム)|UF]]''' | CD | WPC6-10243 |- ! 15th | '''[[CM/TV]]''' | CD | WPC6-10244 |- ! colspan="5" | MIDI |- ! 16th | rowspan="2"|2002年11月20日 | '''ワークスI - CM''' | CD | MDCL-1437 |- ! 17th | '''ワークスII - TV/Inst''' | CD | MDCL-1438 |- ! colspan="5" | [[ソニー・クラシカル|Sony Classical]] |- ! - | 2003年11月11日 | '''moto.tronic'''<ref group="注" name=US/> | CD+[[DVD]] | SNYC93044 |- ! colspan="5" | [[日本コロムビア|コロムビアミュージックエンタテインメント]] / J-room |- ! 18th | 2004年9月22日 | '''Chronological Collection 1978-1981 [Columbia Years]''' | CD | COCB-53251/3 |- ! colspan="5" |FOR LIFE / güt |- !- |2012年11月28日 |'''Complete güt BOX''' |CD |FLCG-5001 |- ! colspan="5" |commmons |- !19th |2023年5月3日 |'''TRAVESIA RYUICHI SAKAMOTO CURATED BY INARRITU''' |CD |RZCM-77722 |} ==== リミックス・アルバム ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] |- ! colspan="5" | [[アルファレコード]] |- ! 1st | 1991年11月21日 | '''イン・ザ・ナインティーズ ザ・マーク・プラッティ・リミックス''' | [[コンパクトディスク|CD]] | ALCA-229 |- ! colspan="5" | [[ヴァージン・レコード|Virgin]] |- ! 2nd | 1992年1月21日 | '''ハートビート〜リミクシーズ''' | CD | VJCP-14037 |- ! colspan="5" | [[フォーライフ・レコード|FOR LIFE]] / güt |- ! 3rd | 1994年12月16日 | '''[[ハード・リヴェンジ]]''' | CD | FLCG-3006 |- ! 4th | 1996年3月21日 | '''[[スヌーティー]]''' | CD | FLCG-3006 |- ! 5th | 1999年2月24日 | '''DISCORD gütninja remixes''' | CD | FLCG-3041 |- ! colspan="5" | [[ワーナーミュージック・ジャパン]] / WEA Japan |- ! 6th | 1999年9月12日 | '''[[LIFE IN PROGRESS]]''' | CD | WPC6-10035/6 |- ! colspan="5" | ワーナーミュージック・ジャパン |- ! 7th | 2006年5月24日 | '''[[ブリコラージュ (アルバム)|ブリコラージュ]]''' | CD | WPCL-10315 |- ! colspan="5" | [[commmons]] |- ! 8th | 2017年12月13日 | '''ASYNC REMODELS''' | CD | RZCM-86410 |} ==== トリビュートアルバム ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] |- ! colspan="5" | グリーンエナジー |- ! 1st | 2005年5月10日 | '''music plans skmt tribute''' | [[コンパクトディスク|CD]] | GECA-1106 |- ! colspan="5" |'''[[commmons]]''' |- !2nd |2022年11月30日 |'''A TRIBUTE TO Ryuichi Sakamoto''' |CD |RZCM-77623 |} ==== コンピレーション・アルバム ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] |- ! colspan="5" | [[commmons]] |- ! 1st | 2015年1月17日 | '''Year Book 2005-2014''' | [[コンパクトディスク|CD]] | RZCM-59752/3 |- ! 2nd | 2016年1月17日 | '''Year Book 1971-1979''' | CD | RZCM-86035/7 |- ! 3rd | 2017年3月29日 | '''Year Book 1980-1984''' | CD | RZCM-86229 |- ! 4th | 2018年2月28日 | '''Year Book 1985-1989''' | CD | RZCM-86486/90 |} ==== 坂本龍一によるクラシック・アーティストのセレクション・アルバム ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] |- ! colspan="5" | Sony Classical |- ! 1st | 2008年12月24日 | [[グレン・グールド]] 坂本龍一セレクション (バッハ以外) A journey to the polar north | CD |SICC-1109 |- ! colspan="5" |Sony Classical |- !2nd |2009年12月02日 |グレン・グールド 坂本龍一セレクション (バッハ編) The Art of J.S. Bach |CD |SICC-1268 |- ! colspan="5" |Deutsche Grammophon |- ! |2018年12月05日 |ドイツ・グラモフォン ベスト・オブ・ベスト selected by 坂本龍一 |CD |UCCG-1824 |- ! colspan="5" |commmons |- ! |2018年12月19日 |坂本龍一 選 耳の記憶 前編 |CD |RZCM-86712 |- ! colspan="5" |commmons |- ! |2019年01月30日 |坂本龍一 選 耳の記憶 後編 |CD |RZCM-86715 |} === タイアップ一覧 === <!-- 『UF』『CM/TV』『ワークスI - CM』『ワークスII - TV/Inst』は割愛。 --> {| class="wikitable" style="font-size:small;" |- !楽曲 !タイアップ !収録作品 |- | リスキー | [[日産・セドリック#7代目 Y31型系(1987年 - 2014年)|NISSANセドリック]]・イメージソング | シングル「リスキー」 |- | アンドゥ#1 | [[サッポロビール|サッポロ]]・ドラフト・CF・イメージソング | シングル「[[アンドゥ#1]]」 |- | 1919 | [[三菱電機|MITSUBISHI]]携帯電話デジタル・ディーガ/カラー・ディスプレイモニターTV CF SONG | シングル「[[08/21/1996]]」 |- | El Mar Mediterrani | [[1992年バルセロナオリンピック|1992年バルセロナ・オリンピック]]開会式“地中海のテーマ” | シングル「El Mar Mediterrani」 |- | energy flow | [[三共 (製薬会社)|三共]]『[[リゲイン]]EB錠』CM曲 | rowspan="3"|シングル「[[ウラBTTB]]」 |- | put your hands up (piano version) | [[TBSテレビ|TBS]]系テレビ『[[筑紫哲也 NEWS23]]』テーマソング |- | 鉄道員 (piano version) | 映画『[[鉄道員 (小説)|鉄道員]]』主題歌 |- | Ngo | [[ニューバランス|new balance]] CMテーマ曲 | シングル「[[アンダークールド]]」 |- | koko | [[日本郵政|JP日本郵政グループ]] [[郵便事業|郵便事業株式会社]]『平成二十年用年賀キャンペーン』CMソング | rowspan="2"|シングル「koko」 |- | dancing in the sky | [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]55周年記念企画『[[ピエール=オーギュスト・ルノワール|ルノワール]]+ルノワール展』テーマソング |- | aubade | [[アサヒ飲料]]『[[三ツ矢サイダー]]』CMソング | 配信限定シングル「aubade」 |- | nord | [[ホクレン農業協同組合連合会|ホクレン]] CMソング | シングル「nord」 |- | Ieta | コンタクトレンズ「CREO」CMソング | 配信限定シングル「Ieta」 |} === 非売品レコード・CD・ファイル === # [[WAR HEAD|LEXINGTON QUEEN]](六本木「{{仮リンク|LEXINGTON QUEEN|en|Lexington Queen}}」、1980年) # い・け・な・い ルージュマジック(資生堂、1982年)※ B面は「インスツルメンタル(表記通り)」7インチシングル # LIFE IN JAPAN(日本生命、1983年)※ 12インチシングル(※ 後にVocal版が『音楽図鑑 完璧版』、ベストアルバム「CM/TV」と「Works」シリーズに収録。) # 空に会おうよ&プロローグ・大地の詩/フェスタ・エリカの夢(国際科学技術博覧会 住友館、1985年) #* 「空にあおうよ」はモモの歌入り。作詞は矢野顕子。7インチシングル(※ 後に「Works」シリーズに収録。) # COMPUTE, COMPUTE, COMPUTE(京セラ、1987年) # THE GARDEN(TOKIO KUMAGAI、1989年) # FLOATING ALONG(日産自動車) # YOU DO ME (NEC) ※ 音源は市販されたものと同じ。 # THE IMAGE MUSIC(鹿島建設) #コンピューターおばあちゃん ※ NHK「[[みんなのうた]]」のBGMで編曲のみ。 # The Fantasy of Light & Life(Expo '90電力館、1990年)プロデュースのみ。音楽は小久保隆が担当。 # The Heart of Asia(Cathay Pacific、1994年)※「CM/TV」に収録されているテイクはM5のreprise。M1は4:14 # snooty抜粋3曲入りプロモ(1996年)※ 短冊7cmシングル # COMPLETE INDEX OF GÜT抜粋5曲入りプロモ(1999年) # [[GEM (坂本龍一のアルバム)|GEM]](2002年)※ 非売品(2002年に発売されたベストアルバム「US」「UF」「CM/TV」の初回盤のみの特典として、応募券3枚を集め送るともらえた“坂本龍一お宝音源”を収録したCD) # WORLD CITIZEN - i won't be disappointed(music for J-WAVE、2003年)※ 坂本本人のナレーションと曲紹介から始まるショートヴァージョン。 # ASIENCE(花王、2004年)※ M2のstring quartet ver.は未発表 # +33(ルイ・ヴィトン)※ 後に「/04」に収録された。 # The Land Song(六本木ヒルズ)※後に無償配信された。 # 26-Windb theme rev nobell(2005年)※ nokia8801に添付されているCD-Rに音楽ファイルとして収録。 # wind, cypresses & absinthe(2012年)※「メトロポリタン美術館展」テーマ曲。図録に添付。 # Blu(2014年)※「洋服の青山」CM曲 # Whitescape #1&#2(2014年)※ 札幌国際芸術祭2014のホームページ用サウンド # XSOL CM TUNE(2014年)※ 2曲がXSOLのサイトからダウンロードできた。1曲のタイトルは「Urlicht」 # Music for Fashion Museum(2013年)※「ISETAN」リニューアル後の正面入り口のウェルカム曲 # 命の循環(2014年)※ NHK for SchoolのダンゴムシのBGM === テレビなどのサウンド・トラック === # アリスの叛乱(演劇、脚本・監督:[[高取英]]、1978年) # [[NHKニュースワイド]]初代テーマ曲(1980年 - 1983年) # [[YOU (テレビ番組)]]テーマ曲(NHK教育TVで1982年 - 1987年放送) # [[天外魔境 ZIRIA]](1989年)※ メインテーマを含む計3曲を提供 # ピーチ・ボーイ -[[桃太郎]]-(''Peach Boy - Momotaro -'', 1992年)※ 童話「桃太郎」の英語朗読([[シガニー・ウィーバー]])のバックに流れる音楽を担当 # ワイルド・パームス(''Wild Palms'', 1992年)※ アメリカのテレビドラマのサウンドトラック。 # [[ストーカー 逃げきれぬ愛]](1997年) # [[セガ]]・[[ドリームキャスト]]サウンドロゴ(1998年)※ 起動音 # L.O.L(''Lack of Love'', 2000年)※ [[ドリームキャスト]]のゲーム「Lack of Love」の音楽。坂本はゲーム自体のプロデュースも行っている。 # ロスト・チャイルド(Lost Child, [[2000年]]) # [[永遠の仔]](2000年)※ 2曲に使用 # 変革の世紀(''Henkaku No Seiki - Changing Century'', [[2002年]])※ NHKの同名番組のテーマ曲 # [[聖剣伝説4]](2006年)メインテーマ「Dawn of Mana」 # [[不毛地帯 (テレビドラマ 2009年)|不毛地帯]]([[2009年]])※ メインテーマ # [[大河ドラマ]]・[[八重の桜]]([[2013年]])※ オープニングの「メインテーマ」、「八重のテーマ」、「八重の桜 紀行」のみ。 # 朝日放送オープニングテーマ曲([[1990年]]。[[朝日放送テレビ]]は1990年 - [[1998年]]、[[朝日放送ラジオ]]は[[1992年]] - [[2014年]]の間使用) # [[きょうの猫村さん#テレビドラマ|きょうの猫村さん]]([[2020年]]、[[テレビ東京]])※ オープニングテーマ「猫村さんのうた」の作曲も担当(作詞:[[U-zhaan]]、歌:[[松重豊]]) # [[日本沈没|日本沈没2020]](Webアニメ、監督:[[湯浅政明]]、2020年、[[Netflix]])※ 主題歌「a life」の作曲を担当(作詞、歌:[[大貫妙子]]) # [[エクセプション]](Webアニメ、監督:サトウユーゾー、2022年、Netflix)<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/493397|title=安達寛高×天野喜孝のアニメ「エクセプション」に小林親弘ら、音楽は坂本龍一が担当|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-09-13|accessdate=2022-09-13}}</ref>)<!-- 2022-10-13 --> # [[NHKスペシャル]]「ウクライナ大統領府 軍事侵攻・緊迫の72時間」(2023年2月26日放送)※ 番組終了時の音楽担当 === 映画音楽 === * [[戦場のメリークリスマス]](''Merry Christmas Mr Lawrence'', 1983年)- [[英国アカデミー賞]]受賞 {{Main|メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス}} * [[子猫物語]](''Adventures of Chatran'', 1986年) * [[王立宇宙軍 オネアミスの翼|王立宇宙軍〜オネアミスの翼]](''Aile De Honneamise - Royal Space Force'', 1987年) * [[ラストエンペラー]](''The Last Emperor'', 1988年)- 米[[アカデミー賞]]<ref group="注" name="movie"/>、[[ロサンゼルス映画批評家協会賞|LA映画批評家賞]]、[[ゴールデングローブ賞]]、[[グラミー賞]]受賞。 {{Main|ラストエンペラー (サウンドトラック)}} * [[ブラック・レイン]](1989年)※ 1曲使用 * [[侍女の物語#映画|侍女の物語]](''The Handmaid's tale'', 1990年) * [[シェルタリング・スカイ]](''The Sheltering Sky'', 1991年)- ゴールデングローブ賞、LA映画批評家賞受賞 {{Main|シェルタリング・スカイ (サウンドトラック)}} * [[ハイヒール (映画)|ハイヒール]](''High Heels'', 1991年) * [[嵐が丘 (1992年の映画)|嵐が丘]](''The Wuthering Heights'', 1992年) * [[リトル・ブッダ]](''Little Buddha'', 1993年)- グラミー賞ノミネート {{Main|リトル・ブッダ (サウンドトラック)}} * [[ワイルド・サイド]](''Wild Side'', 1995年) * [[スネーク・アイズ (1998年の映画)|スネーク・アイズ]](''Snake Eyes'', 1998年) * [[愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像]](''Love is the Devil - Study for a portrait of Francis Bacon -'', 1999年) * [[鉄道員 (小説)|鉄道員(ぽっぽや)]](''Poppoya'', 1999年)主題歌のみ * [[御法度 (映画)|御法度]](''Gohatto'', 1999年) {{Main|御法度 (サウンドトラック)}} * [[アレクセイと泉]](''Alexei and the Spring'', 2002年) * [[ファム・ファタール (映画)|ファム・ファタール]](''Femme Fatale'', 2002年) {{Main|ファム・ファタール (サウンドトラック)}} * [[ジャック・デリダ#映画|デリダ]](''Derrida'', 2003年) * Life is Journey(2003年) * Rubios,Los(2003年) * [[アップルシード]](2004年)※ アルバム『[[キャズム]]』収録の「coro」が使用されている。 * [[トニー滝谷]](''TONY TAKITANI'', 2004年)※ サウンドトラックのリリースは2007年。 {{Main|トニー滝谷 (サウンドトラック)}} * [[:en:Original Child Bomb|Original Child Bomb]](2004年) * Peach One Day(2004年)※ アルバム『[[ハートビート (坂本龍一のアルバム)|ハートビート]]』収録の「nuages」が使用されている。 * Zarin(2005年) * [[星になった少年]](''Shining Boy & Little Randy'', 2005年) {{Main|星になった少年 (サウンドトラック)}} * [[バベル (映画)|バベル]](''Babel'', 2006年)※ オリジナル・アルバムより3曲使用されている。 * [[シルク (2007年の映画)|シルク]](''SILK'', 2008年) {{Main|シルク (サウンドトラック)}} * [[:en:Women Without Men (2009 film)|Women Without Men]](2008年)- [[ヴェネツィア国際映画祭]]銀獅子賞(監督賞)受賞。 * [[一命]](2011年) * [[新しい靴を買わなくちゃ]](2012年)※ [[コトリンゴ]]との共作。サントラ14曲中6曲収録。 * ショート・ムービー「アンジュール」(2012年)メイン・テーマ曲のバッハ/グノー:アヴェ・マリアを、グレン・グールドの演奏(1962年)・宮本笑里のヴァイオリン・坂本龍一のシンセサイザーでスーパーインポーズした録音。 * 戦場のメリークリスマス-30th Anniversary Edition-(2013年) ** 未発表ヴァージョンを多数収録してリマスタリングで2枚組[[SHM-CD]]仕様でリリース。リマスタリング・エンジニアは、[[オノセイゲン]]が担当。 * [[母と暮せば]](2015年) * [[レヴェナント: 蘇えりし者]](''The Revenant'', 2016年)<ref>{{Cite news |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2015/10/13/0008478464.shtml |title=坂本龍一 オスカー獲得監督と夢タッグ |newspaper=デイリースポーツ online |publisher=株式会社デイリースポーツ |date=2015-10-13 |accessdate=2015-10-13}}</ref> - ゴールデングローブ賞ノミネート<ref>{{Cite news |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0078746 |title=坂本龍一、ゴールデン・グローブ賞にノミネート!自身3度目の快挙 |newspaper=シネマトゥデイ |publisher=株式会社シネマトゥデイ |date=2015-12-10 |accessdate=2015-12-11}}</ref>。 * [[怒り (小説)#映画|怒り]](2016年)<ref>{{Cite news |url=https://natalie.mu/music/news/191043 |title=坂本龍一が映画「怒り」音楽を担当、主題曲には2CELLOSが参加 |newspaper=音楽ナタリー |date=2016-06-16 |accessdate=2016-06-16}}</ref> * [[日本と再生 光と風のギガワット作戦]](2017年) - エンディングテーマ * [[米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー]](2017年) - テーマ音楽 * [[星砂物語#映画|STAR SAND-星砂物語-]](2018年) - 主題曲 * [[天命の城]](南漢山城、2018年) * [[さよなら、ティラノ]](''My Tyrano: Together, Forever''、2018年<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sayonara-tyrano.jp/ |title=『さよなら、ティラノ』オフィシャルサイト |accessdate=2020-01-30}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://natalie.mu/comic/news/365147 |title=劇場アニメ「さよなら、ティラノ」が初夏公開!ティラノ役に三木眞一郎、音楽は坂本龍一 |newspaper=コミックナタリー |publisher=ナターシャ |date=2020-01-30 |accessdate=2020-01-30}}</ref>) * [[你的臉]] (Your Face)(2018年) * [[パラダイス・ネクスト]](2019年) - テーマ曲 * [[米軍が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯]](2019年) - テーマ音楽 * [[:en:Love After Love (2020 film)|Love After Love]](2020年) * [[MINAMATA-ミナマタ-]](2021年) * [[約束の宇宙]](''Proxima'', 2021年4月16日)<ref>{{Cite web|和書|date=2020-12-03|url=https://eiga.com/news/20201203/9/|title=エバ・グリーン主演、坂本龍一が音楽を手掛けた「約束の宇宙」21年4月公開 娘を持つ宇宙飛行士の物語|website=[[映画.com]]|publisher=株式会社エイガ・ドット・コム|accessdate=2020-12-06}}</ref> * [[ベケット (2021年の映画)|ベケット]](''Beckett'', 2021年) * [[アフター・ヤン]](''After Yang'', 2021年) * [[怪物 (2023年の映画)|怪物]](2023年) === バンド・ユニット・コラボ活動 === YMOについては[[イエロー・マジック・オーケストラ]]の項を参照。 * ディスアポイントメント・ハテルマ(''Disappointment - Hateruma'', [[土取利行]]+坂本龍一, [[1976年]]) * [[サマー・ナーヴス]](''SUMMER NERVES'', 坂本龍一&カクトウギ・セッション, [[1979年]]) ** [[山下達郎]]、[[大村憲司]]、[[吉田美奈子]]、[[小原礼]]などとのコラボレーション。 * [[い・け・な・いルージュマジック]]([[忌野清志郎]]+坂本龍一, 1982年)※ シングル * [[東京ジョー (アルバム)|東京ジョー]](''[[:en:Tokyo Joe (album)|Tokyo Joe]]'', 坂本龍一&[[渡辺香津美]], 1982年) * エンド・オブ・エイジア(''the End of Asia'', 坂本龍一+[[ダンスリールネサンス合奏団|ダンスリー]], 1982年) * アレンジメント(''THE ARRANGEMENT'', 坂本龍一&{{仮リンク|ロビン・スコット|en|Robin Scott (singer)}}), 1982年) * バンブー・ハウス/バンブー・ミュージック(''Bamboo Houses/Bamboo Music'', [[デヴィッド・シルヴィアン]]&リュウイチ・サカモト, 1982年)※ シングル * 禁じられた色彩(''[[:en:Forbidden Colours|Forbidden Colours]]'', リュウイチ・サカモト&[[デヴィッド・シルヴィアン]], 1983年)※ シングル * [[フィールドワーク (曲)|フィールドワーク]](''Field Work'', [[トーマス・ドルビー]]&坂本龍一, 1985年)※ シングル,12インチシングル * [[ZERO LANDMINE|ゼロ・ランドマイン]](''ZERO LANDMINE'', [[N.M.L.]], 2001年)※ シングル * カーザ(''CASA'', モレレンバウム{{sup|2}}/サカモト, 2001年) * ライヴ・イン・トーキョー・2001(''LIVE IN TOKYO 2001'', モレレンバウム{{sup|2}}/サカモト, 2001年) * ア・デイ・イン・ニューヨーク(''A DAY IN NEW YORK'', モレレンバウム{{sup|2}}/サカモト, 2003年) * ワールド・シチズン(''WORLD CITIZEN - i won't be disappointed'', 坂本龍一+[[デヴィッド・シルヴィアン]], 2003年)※ シングル * vrioon([[alva noto]]+Ryuichi Sakamoto, 2003年) * insen(alva noto+Ryuichi Sakamoto, 2005年) * Sala Santa Cecilia([[クリスチャン・フェネス|Christian Fennesz]]+Ryuichi Sakamoto, 2005年) * revep(alva noto+Ryuichi Sakamoto, 2006年) * cendre(fennesz+sakamoto(フェネスサカモト), 2007年[[3月28日]])※ [[クリスチャン・フェネス]]とのユニット * Ocean Fire(WILLITS+SAKAMOTO, 2007年[[10月17日]])※ クリストファー・ウィリッツとのユニット * Ancient Future(WILLITS+SAKAMOTO, 2012年[[7月31日]])※ クリストファー・ウィリッツとのユニット * [[UTAU (アルバム)|UTAU]]([[2010年]][[11月10日]]) - 大貫妙子&坂本龍一 ** 2枚組は坂本龍一のピアノのみの楽曲が収録。 * flumina(fennesz+sakamoto(フェネスサカモト), 2011年8月3日)※ クリスチャン・フェネスとのユニット * Disappearance (Ryuichi Sakamoto + [[:en:Taylor Deupree]], 2013年7月10日) * Snow, Silence, Partially Sunny(Sachiko M + Ryuichi Sakamoto, 2012年12月19日) ** 山口情報芸術センター(YCAM)のみの限定販売。 === その他アーティストとのコラボレーション === * 「誰も僕の絵を描けないだろう」([[友部正人]]、[[1975年]]) * 「物語のようにふるさとは遠い」([[富岡多恵子]]、[[1976年]]) * 「終曲/うらはら」([[Phew]]、[[1980年]])※ シングル * 「[[死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!]]」([[スネークマンショー]]、[[1981年]])※ [[エリック・サティ]]「[[ジムノペディ]]」の演奏を収録。 * 「愛はすべてを赦す」([[加藤登紀子]]、[[1982年]]) * 「な・い・し・ょのエンペラーマジック」(TACO、[[1983年]])※ 山崎春美が率いたユニットとのコラボレーションでアルバム『TACO』に収録 * 「ネイヂ・カンドリーナ (Neide Candolina)」、「うつくしいおまえ (Lindeza)」([[カエターノ・ヴェローゾ]]、[[1991年]])※ アルバム『[[シルクラドー]]』に収録。 * 「タイナイカイキII」(坂本龍一 / [[デヴィッド・シルヴィアン]]、 1992年)※ 海外盤タイトルは「heartbeat」 * 「ASIAN GAMES」([[山下洋輔]]、[[ビル・ラズウェル]]、[[1993年]]) * 「[[二人の果て]]」(坂本龍一 featuring [[今井美樹]]、1994年) * 「Sovereign」([[アート・リンゼイ]]、[[1995年]])※ アルバム『曖昧な存在』に収録 * 「VOLTEX OF LOVE」([[小室哲哉]]、1995年)※ アルバム『[[Avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP]]』に収録 * 「RETROFIT」([[佐藤理]]、1995年)※ アルバム『EQUAL』に収録 * 「RETROCOGNITION」(佐藤理、1995年)※ アルバム『EQUAL』に収録 * 「A Flower Is Not A Flower」([[KENNY WEN]]、1997年) * 「[[The Other Side of Love]]」(坂本龍一 featuring [[坂本美雨|Sister M]]、1997年) * 「[[砂の果実]]」(中谷美紀 with 坂本龍一、1997年) * 「[[桜のころ]]」([[甲本ヒロト]]、[[What's Love? (バンド)|What's Love?]]、[[ダンス☆マン|DANCE☆MAN]]とのコラボレーション、[[2002年]]) * 「I WANNA BE DOWN」([[m-flo]] loves 坂本龍一、[[2004年]])※ アルバム『[[ASTROMANTIC]]』に収録 * 「Asian Flower」([[トベタ・バジュン]] feat. 坂本龍一、[[2008年]])※ アルバム『青い蝶』に収録 * 「死んだ女の子」([[元ちとせ]]) * 「[[雪の降るまちを]]」([[手嶌葵]]) * 「風追い人」 (ACIDMAN) * 「A Word I Give」([[キース・ケニフ|Goldmund]]、[[2015年]])※アルバム『Sometimes』に収録 * 「Snooze」([[SUGA|Agust D]] feat. Ryuichi Sakamoto, Woosung of the Rose、2023年)※アルバム『D-DAY』に収録 === 映像作品 === * 電子の拓本 ALL STAR VIDEO(現代美術家・[[ナム・ジュン・パイク]]とのコラボレーション,1984年) * Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto (フランス公共放送[[フランス3|FR3]]制作のドキュメンタリー映画, 1985年) * TV WAR([[浅田彰]]、RADICAL TVとのコラボレーション, 1985年) * ADELIE PENGUINS (ビデオアーティスト・[[キット・フィッツジェラルド]]、[[ポール・ギャリン]]とのコラボレーション,1986年) * ESPERANTO (前衛舞踏家・モリサ・フェンレイとのコラボレーション。アルバムの「[[エスペラント (アルバム)|エスペラント]]」はこの作品のサウンドトラック。) * MEDIA BAHN LIVE(1986年) * NEOGEO LIVE in NEW YORK(1988年) * ビューティ・ツアー'90(1991年) * Sweet revenge Tour 1994(1995年) * D&Lライブ・アット武道館11・30・95 坂本龍一ツアー95D&L WITH 原田大三郎(映像作家・[[原田大三郎]]とのコラボレーション, 1996年) * [[Ryuichi Sakamoto Trio World Tour 1996]](1996年) * PLAYING THE ORCHESTRA 1997“f”(1998年) * MORELENBAUM2 / SAKAMOTO / 3 years(DVDのみの1万枚限定生産。プライベートフォトやビデオを日記風に閲覧できる作品, 2003年) * 坂本龍一・80年代の映像作品集(「電子の拓本 ALL STAR VIDEO」、「TV WAR」、「ADELIE PENGUINS」、「ESPERANTO」、「MEDIA BAHN LIVE」、「NEOGEO LIVE in NEW YORK」を収録した6枚組のDVD-BOX, 2004年) * PLAYING THE PIANO/05(2006年) * LIFE - fluid, invisible inaudible...([[ダムタイプ|高谷史郎]]とのコラボレーション, 2008年) * utp_ (Alva Notoとのコラボレーション, 2008年) * watch-ryuichi sakamoto playing the piano 2009 japan(2009年に行われた東京オペラシティ コンサートホールでのライヴ, 2010年) * UTAU LIVE IN TOKYO 2010 A PROJECT OF TAEKO ONUKI & RYUICHI SAKAMOTO(2010年末に開催された[[大貫妙子]]とのツアーの模様, 2011年) * playing the piano in seoul / korea 2011(2011年韓国からUstreamによる中継を編集したもの, 2012年) * async surround /坂本龍一 + 高谷史郎(2018年) {{節スタブ}} == 書籍 == === 単著 === *『アヴェクピアノ:戦場のメリークリスマス』思索社、1983年 **カセットブック。アルバム『[[メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス]]』の楽譜とピアノソロヴァージョンが収録されたカセットテープがセットとなったもの。後に2曲を加え『[[コーダ (坂本龍一のアルバム)|コーダ]]』が新版。 *『本本堂未刊行図書目録:書物の地平線』[[朝日出版社]]〈[[週刊本]]〉、1984年 *『Seldom-illegal:時には、違法』[[角川書店]]、1989年。[[角川文庫]]、1991年。 *『N/Y:坂本龍一写真集』[[田島一成]]写真、リトルモアブックス、1995年 *『Decode 20』[[インプレス]]、1997年 *『AFRICA NOTE』code、2000年 *『BRAZIL BOX』code、2001年 *『音楽は自由にする』[[新潮社]]、2009年。[[新潮文庫]]、2023年4月 ::「[[エンジン (雑誌)|ENGINE]]」2007年1月号から2009年まで連載。半生をまとめた[[自叙伝]] *『龍一語彙 二〇一一年-二〇一七年』角川書店、2017年11月。発言・発信録集 *『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』新潮社、2023年6月 ::「[[新潮]]」2022年7月号から2023年2月号まで連載。続編の遺著 === 共著 === *『音を視る、時を聴く 哲学講義』[[大森荘蔵]]共著(朝日出版社、1982年)。[[ちくま学芸文庫]]、2007年 * 「水牛楽団休業」([[浅田彰]]共編、1984年)。カセットブック * 「長電話」([[高橋悠治]]との共著、本本堂 1984年) * 「音楽図鑑」1985年 ** アルバム『[[音楽図鑑]]』と同時に発刊した書籍。 * 「EV.Café 超進化論」[[村上龍]]ほか([[講談社]]、1985年)。[[講談社文庫]]、1989年 ** 『[[IN★POCKET]]』に連載された対談集。 * 「音楽機械論」[[吉本隆明]]との共著(トレヴィル、1986年)。ちくま学芸文庫、2009年 ** 『[[月刊カドカワ]]』に連載されたエッセイ。 *『未来派2009 : La velocita.i rumori.il movimento.』[[細川周平]]共編 本本堂 1986年 * 「友よ、また逢おう」(村上龍共著、[[角川書店]]、1992年)。角川文庫、1993年 * 「ザ・ゲイシャ・ガールズ・ショウ 炎のおっさんアワー」(Ken&Shoとの共著、[[幻冬舎]]、1995年) * 「モニカ 音楽家の夢・小説家の物語」(村上龍共著、新潮社、1996年)。新潮文庫、1999年 * 「skmt」([[後藤繁雄]]共著、リトル・モア、1999年) * 「skmt2」(後藤繁雄共著、[[NTT出版]]、2006年)。新編合本・[[ちくま文庫]]、2015年 *「少年とアフリカ 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話」([[天童荒太]]との共著、[[文藝春秋]]、2001年)。[[文春文庫]]、2004年 *『[[ミヒャエル・エンデ|エンデ]]の警鐘 地域通貨の希望と銀行の未来』[[河邑厚徳]]共編著([[NHK出版]]、2002年) *「反定義 新たな想像力へ」([[辺見庸]]との共著、朝日新聞社、2002年)「[[小説トリッパー]]」編集部編。[[朝日文庫]]、2005年 *「Life : fluid,invisible,inaudible…」(高谷史郎共著、浅田彰監修、[[NTT出版]]、2007年) *「縄文聖地巡礼」([[中沢新一]]との共著、木楽舎、2010年/イースト・プレス、2023年12月) *:雑誌「ソトコト」に掲載された縄文文化に関する旅と対談をまとめた記事をさらに追記したもの。 *「LIFE-TEXT」(高谷史郎との共著、NTT出版、2010年) *:1999年に発表されたオペラ「[[LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999|ライフ]]」と2007年の「インスタレーション」をまとめたビジュアルブック。 *『いまだから読みたい本 3.11後の日本』坂本龍一+編纂チーム選 [[小学館]] 2011 *『クロニクルFukushima』 [[青土社]] 2011 ::[[大友良英]]代表、[[宇川直宏]],[[遠藤ミチロウ]],[[木村真三]],[[丹治博志]]・智恵子・宏大,[[森彰一郎]],[[和合亮一]]共著 *『脱原発社会を創る30人の提言』[[池澤夏樹]]・[[池上彰]]ほか共著 コモンズ 2011 *『地球を聴く 3・11後をめぐる対話』[[竹村真一]]共著 [[日本経済新聞出版社]] 2012 *『NO NUKES 2012 ぼくらの未来ガイドブック』編纂チーム共編 [[小学館]]スクウェア 2012 *『フクシマからはじめる日本の未来』大友良英,[[金子勝 (経済学者)|金子勝]],[[児玉龍彦]]共著 アスペクト 2012 *『村上龍と坂本龍一 21世紀のEV.Cafe』スペースシャワーブックス 2013 ::[[北野宏明]],浅田彰,[[伊藤穰一]],[[竹中直純]],[[赤尾健一]],[[塩崎恭久]] 述 *『愛国者の憂鬱』[[鈴木邦男]]、[[週刊金曜日|金曜日]] 2014。対談を書籍化。 *『坂本龍一×[[東京新聞]] 脱原発とメディアを考える』東京新聞編集局編 2014 *『音楽と生命』[[福岡伸一]]、[[集英社]] 2023年3月。遺著 *『坂本図書』伊藤総研構成、空里香監修、坂本図書、2023年9月 *『坂本龍一のメディア・パフォーマンス マス・メディアの中の芸術家像』 ::松井茂・川崎弘二編著、フィルムアート社 2023年9月。第2部にインタビュー === 監修・聞き書き等 === * 「[[未来派]]2009」(坂本龍一・[[細川周平]]共同監修、本本堂、1986年) * 「気分転換法77」(サワグチ・サイキック・センター著、坂本龍一監修、[[扶桑社]]、1987年) * 「写真集『[[ラストエンペラー]]』」(バジル・パオ他写真、本本堂、坂本龍一編、1988年) * 「坂本龍一・全仕事」(山下邦彦 編著、[[太田出版]]、1991年)。大著 * 「坂本龍一・音楽史」(山下邦彦 編著、太田出版、1993年)。大著 * 「テクノドン」([[後藤繁雄]] 編著、小学館、1993年)。主にYMOの全発言 * 「楕円とガイコツ」(山下邦彦、太田出版、2000年)。[[小室哲哉]]との関連 * 「非戦」(sustainability for peace 共同監修、幻冬舎、2002年) * 「伝説の編集者 [[坂本一亀]]とその時代」(田邊園子、[[作品社]]、2003年。河出文庫、2018年)。企画 * 「坂本龍一の音楽」(山下邦彦 編著、[[東京書籍]]、2008年7月)。坂本自身の提供資料による大著 * 「[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]] 総特集=坂本龍一」([[青土社]]、2009年4月臨時増刊号) * 「2003―飯野賢治対談集」(1999年、[[ソニーマガジン]]) {{ISBN2|4-7897-1359-8}} * 「耳鳴りに悩んだ音楽家がつくったCDブック」([[鈴木惣一朗]]、[[DU BOOKS]]、2018年)。インタビュー収録 * 「[[小津安二郎 大全]]」(松浦莞二・宮本明子編著、朝日新聞出版、2019年)。インタビュー収録 * 「[[Commmons|コモンズ]]:スコラ 音楽の学校 第18巻 ピアノへの旅」(アルテスパブリッシング、2021年) * 「坂本龍一 音楽の歴史」(吉村栄一、[[小学館]]、2023年2月) :長年の取材による音楽評伝(没する直前に刊、写真集・完全ディスコグラフィーを併せた3冊組・特装版も刊行) * 「別冊[[ele-king]] 「日本のサカモト」坂本龍一追悼号」([[Pヴァイン]]、2023年7月) * 「ユリイカ 総特集=坂本龍一 1952-2023」(青土社、2023年12月臨時増刊号)  === フォトグラファー === * 「エロコト」第1号(ソトコト2006年11月号増刊/責任編集:坂本龍一、アート・ディレクション:[[信藤三雄]]) *: THE NAKED LUNCH 裸のランチ(写真:坂本龍一、モデル:[[天海麗]]) * 「ラブコト」(編集長:坂本龍一、ゲストエディター:蝶々、ソトコト2008年8月号増刊) == 出演 == === 俳優としての出演作品 === ==== 映画 ==== * 「[[戦場のメリークリスマス]]」(1983年) * 「[[ラストエンペラー]]」(1987年)※ [[日曜洋画劇場]]版の日本語[[吹き替え]]も担当。 * 「[[ニューローズホテル (映画)|New Rose Hotel]]」(1998年) ==== CM ==== * [[新潮社]]「[[新潮文庫]]」([[1981年]]) * [[日本生命保険|日本生命]]「新・青春の保険『YOU』」([[1983年]]-[[1984年]]) * [[味の素AGF]]「AGFグランデージ」([[1984年]]) * [[セイコーホールディングス|セイコー]]「ALBA」([[1984年]]) * [[ダイエー]]「ダイエーのお正月・新春福々市」「龍一のバレンタイン」(1984年) * [[フジテレビ]] 「秋のフジテレビ しなやか思想」([[1985年]]、[[おニャン子クラブ]]と共演) * [[京セラ]]「サムライ」([[1987年]]) * [[協和発酵キリン]](旧:協和発酵)「[[サントネージュワイン]]」※ 現在は、[[アサヒビール]]から販売されている。 * [[日産自動車]]「[[日産・セドリック|セドリック]]」(Y31前期型)([[1987年]]6月-[[1989年]]6月) * [[サッポロビール]] **「サッポロドラフト」([[1989年]])<ref>{{Cite journal|和書|title=今月の広告批評 / 編集部|journal=[[広告批評]]|issue=116|publisher=マドラ出版|date=1989-04-01|pages=99|id={{NDLJP|1853082/52}}}}</ref> **「大人エレベーター」([[2018年]]) * [[日本電気|NEC]]「C-LIFEフェア」([[1990年]]) * [[東芝]]「BSアリーナ」([[1992年]])<ref>{{Cite journal|和書|journal=消費と生活 : consumer magazine|issue=189|publisher=消費と生活社|date=1993-01-01|pages=132|id={{NDLJP|1860587/67}}}}</ref> * [[マイカル]]「ビブレ」([[1992年]]) * [[カルピス|カルピス食品工業]]「ゆうゆう茶」([[1995年]]) * [[アリナミン製薬]]「[[アリナミン#主要製品|アリナミンA錠]]」([[1990年]]) * [[アウディ]]「[[アウディ・A6|A6]]」([[1995年]]) * [[三菱電機]]「携帯電話・ディーガ」「アプリコット」([[1996年]]) * [[NTTグループ|NTT]]「NTT電話機・ハウディ」 * 「[[バドワイザー]]」([[1998年]]) * [[三共 (製薬会社)|三共]](現:[[第一三共]])「[[リゲイン]]EB錠」([[1999年]])<ref>{{Cite journal|和書|title=今月の新作CM50連発! / 編集部|journal=[[広告批評]]|issue=226|publisher=マドラ出版|date=1999-04-01|pages=20|id={{NDLJP|1852945/12}}}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=こんなCMもありました|journal=[[広告批評]]|issue=233|publisher=マドラ出版|date=1999-12-01|pages=59|id={{NDLJP|1852952/31}}}}</ref> * [[トヨタ自動車]]「[[トヨタ・プリウス|プリウス]]」 * 「[[ニューバランス|NEW BALANCE]]」([[2004年]]) * [[サントリー]]「山崎」([[2002年]])、「ウイスキー統合」([[2010年]]) * [[麒麟麦酒]]「ラガービール」([[2007年]])※ YMOとして出演 * [[日本郵政|JP日本郵政グループ]]「年賀キャンペーン」([[2008年]]) * [[サムスン電子]] ** 「[[SoftBank 930SC]]」([[2008年]]) ** 「[[SoftBank 931SC]]」([[2009年]]) ** 「[[SC-01B|docomo PRO series SC-01B]]」([[2010年]]) * [[江崎グリコ]]「[[ポッキー]]」([[2010年]])※ YMOとして出演 * [[エクソル]] ** 「ストロングメッセージ篇」([[2012年]]) ** 「パワー・イノベーション篇」([[2013年]]) ** 「ソーラーコンサート篇」([[2014年|2014]]-[[2015年]]) * 日産自動車「[[日産・リーフ|リーフ]]」([[2012年]]2月-) * [[キリンビバレッジ]]「[[FIRE (コーヒー)|ファイア ブラック]]」(2016年)<ref>{{cite news|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000020.000017850.html|title=<新・KIRIN FIRE 誕生。>三浦知良さん 柳楽優弥さん 坂本龍一さんを新たにイメージキャラクターに起用し新CMを展開!|newspaper=PR TIMES|date=2016-10-04|accessdate=2016-10-11}}</ref> ==== ミュージック・ビデオ ==== * [[マドンナ (歌手)|マドンナ]]「[[レイン (マドンナの曲)|レイン]]」(1993年) === テレビ === * [[オレたちひょうきん族]](1983年頃、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - ビートたけしと明石家さんまが共演するタケちゃんマンのコントでゲスト出演していた * [[ダウンタウンのごっつええ感じ]](フジテレビ) - アホアホマンのゲスト・アホアホブラザー 役 * [[平成教育委員会]](フジテレビ) * [[たけし・さんまの有名人の集まる店]](フジテレビ)- ゲスト出演し、番組の最後はたけし演ずる[[鬼瓦権造]]と同じ扮装をして「ゴンゾーズ」を結成 * [[Ryu's Bar 気ままにいい夜|Ryu's Barスペシャル21]]([[毎日放送]]) - ゲスト * 笑い飯の臭い飯〜ザ・監獄漫才〜([[2005年]]6月、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) * [[サラリーマンNEO]] 2007年・年の瀬スペシャル([[2007年]][[12月30日]]、[[日本放送協会|NHK]]) - コント「私とNEO」にて本人役で出演 * [[爆笑問題のニッポンの教養]]([[2009年]][[9月1日]]、NHK) * [[スコラ 坂本龍一 音楽の学校]]([[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]]) - レギュラー出演 **シーズン1([[2010年]][[4月3日]] - [[6月19日]]) **白熱教室JAPAN(2010年[[10月24日]] - [[11月14日]] **シーズン2([[2011年]][[10月1日]] - [[12月17日]]) **シーズン3([[2013年]][[1月11日]] - [[3月15日]]) **シーズン4([[2014年]][[1月9日]] - [[3月27日]]) * 開局10周年記念番組 美しい地球の讃歌(2010年[[5月22日]]、[[BSテレビ東京|BSジャパン]]) * [[日曜美術館]]「アートと音楽 坂本龍一×[[日比野克彦]]」(2013年1月13日、NHK Eテレ)<ref>{{Cite web2 |url=https://www.nhk.jp/p/nichibi/ts/3PGYQN55NP/episode/te/GXKJP63253/ |title=選 アートと音楽 坂本龍一×日比野克彦 |date=2023-06-04 |publisher=NHK |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230528010718/https://www.nhk.jp/p/nichibi/ts/3PGYQN55NP/episode/te/GXKJP63253/ | df=ja |url-status=live |archivedate=2023-05-28 |accessdate=2023-05-28}}</ref> * [[SWITCHインタビュー 達人達]]「坂本龍一×[[福岡伸一]]」(2017年、NHK Eテレ)<ref>{{Cite web2 |url=https://www.nhk.jp/p/switch-int/ts/K7Y4X59JG7/episode/te/V2YKZ4WYV4/ |title=特別編「坂本龍一×福岡伸一」EP1 |date=2023-08-18 |publisher=NHK 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Sound Visart 不思議の国の龍一([[1986年]][[10月5日]] - [[1987年]][[9月27日]]、[[エフエム東京|TOKYO FM]]) - パーソナリティ<ref name="djmeikan"/> * [[プレミア3 (ラジオ番組)|TOSHIBA PREMIA 3]]([[1990年]]4月 - [[1992年]][[3月]]、TOKYO FM) - [[山下達郎]]・[[氷室京介]]と週替わりでパーソナリティを担当 * [[RADIO SAKAMOTO]](2003年1月5日 - 2023年3月5日、[[J-WAVE]])- 奇数月第1日曜 24:02 - 26:02、パーソナリティ * [https://web.archive.org/web/19981206125333/http://www.dabb.com/gut_online/ gut on-line](J-WAVE) === コンサート === * LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999<ref>[https://web.archive.org/web/20000823155754/http://www.asahi.com/opera/ asahi.com LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999]</ref> * [[Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ]]2002 === ドキュメンタリー映画 === * SUGA: Road to D-Day(2023年) - [[SUGA]]との対談シーンに出演<ref>[https://www.disneyplus.com/movies/suga-road-to-d-day/30f1LoYHW3wd SUGA: Road to D-Day(Disney+)]</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|音楽|[[画像:Xmms.png|45px|Portal:音楽]]}} {{ウィキプロジェクトリンク|音楽家|[[File:Band Silhouette 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ロードレース (自転車競技)
自転車競技におけるロードレース(英: road bicycle racing, 仏: cyclisme sur route, 伊: ciclismo su strada)は、主に舗装された道路を自転車で走り、ゴールの順番や所要時間を争う競技。走る距離は短いものでは数km程度(ステージレースのいわゆる「プロローグラン」)、長いレースでは1日で300km弱(ミラノ〜サンレモなど)にも及ぶ。どのレースでも個々の成績を争うため、基本的には個人競技であるが、上級カテゴリーのレースでは、複数人のメンバーが役割を分担して、チームが定めた目標達成のために走るため、ほとんどの場合、団体競技の様相を呈するのが特徴である。 ロードレースの最も単純な形態はワンデイレース(1日で終了するレース)で、「個人」が、「ゴールの順番を競う」というものであり、これはアマチュアレースや小規模なレースでよく見られる形態である。しかし、プロのレースや、アマチュアのレースの中でも大規模なものでは、ワンデーレースだけでなくステージレース(複数日行われるレース)も加わり、「チーム」が「メンバーの誰かを勝たせるために走る」ことが多い。 ジャージやヘルメットにはユニフォーム広告が入っているため、たとえ勝利につながらなくても、序盤から積極的に先頭を走るなど印象深い走りを見せた選手には「敢闘賞」が与えられる。また、メディアへの露出が多い有名なレースで見せ場を作ることは、チームにとってもスポンサーの宣伝になるため、タイトルに絡まない選手やチームであっても、時に有力な選手やチーム以上の走りを見せる場合がある。 大きなレースでは上記に挙げた敢闘賞だけでなく様々な賞が設定されているため全ての選手が優勝目指して走るのではなく、個人やチーム単位でいくつかの戦略目標を設定し、それに向かって各自が最善を尽くすことになる。 結果として、グランツールをはじめとする大きなステージレースでは個々の選手の思惑や意地、チーム単位での戦略が絡み合い、更に刻々と変わる気象条件や落車、選手の微妙なコンディションの差異などの偶発的要素もそれらの戦略目標に大きな影響を与える為、極めて複雑な頭脳戦の様相を呈する。 ロードレースに参加するチームにはサッカーのクラブチームにおける一部リーグや二部リーグのようなカテゴリーがあり、参加できるレース、出来ないレースがある。詳しくはUCIワールドツアー#チームのカテゴリーを参照のこと。 ロードレースの競技規則は国際自転車競技連合(UCI)によって決められている。 全選手が一斉にスタートし、ゴールの順番や所要時間を競う。通常行われるレース形式であり、「ロードレース」と言うとこの競技方法を指している場合もある。 TTT(Team Time Trial)。 一定時間毎にチームの全員が出走し、チームごとのゴールタイムを競う。チームのうち規定の順番(1チームの定員によって異なる)でゴールした選手のタイムがそのチームのタイムとなる。 ITT(Individual Time Trial)。 一定時間毎に選手が個別に出走し、ゴールタイムを競う。 レースにおける距離、ステージの構成やポイントの配分などは、レースの主催者が決定している。 ステージレースでは、一般的なマスドスタート以外にもタイムトライアルのステージが設定されることがある。上記の競技方法が用いられているが、グランツールにおいては下記の特色がある。 ステージレースでは「時に個人、時にチーム」で、「その日のゴールの着順」「最終的な所要時間など各種の総合成績」などいくつかの目的のために走ることになる。例えば最も有名なステージレースである3つのグランツールでは、勝利を争う主体は「個人」及び「集団(チーム)」であり、争われるのは「ステージごとの着順」と「最終的な走破時間」及び「最終的な獲得ポイント」であり、 といういくつもの賞をめぐる争いが展開される。 ワンデー、ステージ各レースをひとつのシリーズとしているもの。各レース成績優秀者にポイントを付与し、そのシリーズ全レースが終了後に付与されたポイント最上位の選手が優勝となる。 女子については、世界選手権、夏季オリンピック、年間シリーズ戦であるUCI女子ワールドツアー(英語版)、ジロ・ローザなどのステージレースが重要な大会である。 各チームにはエースとアシストという役割分担が存在する。 ロードレースでは走行中の空気抵抗による体力の消耗が非常に大きい。プロのレースにおける巡航速度は平均で40km/hであるが、これは風速11m/sの向かい風を浴びているに等しく、単独で走りきって勝利するのは困難である。そのため、必然的に集団を形成し、他の選手を風よけにして体力の消耗を減らすなど、選手間で協力することも多い。その際は、数人から十数人の選手が順番に先頭を交代しながら走り、他の選手の体力回復(心拍数やATP-CPエネルギーなど)を助けるという戦術が採られる。(スリップストリームも参照) 先頭交代は必ずしも同じチーム内で行われるとは限らない。例えば、大集団から抜け出した異なるチームの選手たちは逃げ切ってステージ優勝するため、あるいは各種ポイント賞争いを有利に運ぶために、ゴール直前までは交代で先頭を走るのが普通である。しかしこうした逃げ集団の中に個人総合優勝や新人賞に絡みそうな有力選手、またその選手と同じチームの選手が入っている場合、彼らは余計なタイム差がつかないように牽制するのが目的なので、先頭交代には参加せず体力を温存する。 また、逃げている集団を追いかけるために後続集団に残ってしまったチーム同士が協力して先頭交代をし、速度を上げて追い上げることもある。 ステージ優勝争いから総合成績争いまで、様々な思惑や戦略が絡むのが先頭交代である。 先頭交代で述べたように、ライバル同士であっても、当面の目的が一致した場合は「呉越同舟」状態で協力し合うのが、ロードレースの最大の特徴である。しかし、競技の序〜中盤にかけては、一致団結して走っていた選手たちも、終盤にさしかかるにつれ、各チームないし選手ごとの思惑の違いからさまざまな駆け引きが発生してくる(例えば、逃げ切り優勝を狙っている先頭集団なら、どこでアタックをかけて相手を出し抜くかで腹の探りあいが始まり、追撃する集団ではゴール前で競り合いになったときに有利な場所を確保するための位置取り合戦が起こるなど)。 このように、状況の変化に応じて生まれる選手同士の多様な駆け引きが、レースに強い緊張感を生み出し、それが魅力の一つとなっている。 競技時間が3〜7時間と非常に長時間にわたるため、水分や栄養を補給しないままだと脱水症状やエネルギー切れの状態になって競技が続行できなくなる危険が非常に高い。そのため選手たちはロードバイクのフレームにボトルホルダーを取り付けて水やスポーツドリンクなど各種飲料を入れたボトルを携帯したり、レーシングウェアの背中に付けられたポケットにパン、菓子、ゼリー飲料などの機能性食品、小型缶の炭酸飲料などを入れておいて、走りながら適宜補給する。競技中に固形物を摂取するというのは、トライアスロンのアイアンマンなどごく一部を除くほかの競技には見られない、ロードレースの大きな特徴である。 プロレースでは、こうした補給用の飲料や食料は選手自身が携帯するほかに、レースで併走するサポートカーやあるいは補給エリアにスタンバイしたチームスタッフから「サコッシュ」(sacoche:フランス語で肩掛けの鞄や袋を指す。英語圏では「ミュゼット」musetteと呼ばれる)と呼ばれる肩掛け型の袋に数種類を入れて随時供給され、レース中にはアシストの選手が大量のボトルを背中などに入れてチームメイトに配って回る姿がしばしば見られる。サコッシュを受け取った選手はサコッシュからウェアのポケットなどに補給食を移し、サコッシュは捨ててしまう。 なお、空になったボトルやサコッシュは道端に捨てられることが多いが、これは沿道で応援するファンへのプレゼントにもなっており、チーム側もこれを見越して、チームロゴやマークを入れた物を使用している(袋の作りや材質そのものは頑丈ではなく、縫製も非常にいい加減である)。 ただし周囲にファンのいない場所で捨てられたボトル等は単なるゴミになってしまうため、近年では環境保護の観点からボトル等の無制限な投げ捨てに対する批判も一部で高まりつつあり、フランスの地方レースなどでは空になったボトルや補給食の包装等をレース中に投げ捨てなかった選手に対し「エコロジー賞」を用意するケースが増えている。また近年ではコース中でゴミを捨てて良い区間が一部に限定されている場合もある。 食事以外にも、レースでは機材故障(タイヤのパンク、変速機の不調など)に伴う部品や自転車の交換が必要になる。プロレースでは各チームのサポートカーがそれらを供給するのが普通だが、何らかの事情によりサポートカーがすぐに駆けつけられない場合もあり、そのような状況ではレース主催者側が用意するニュートラルカーが必要な部品等を供給することもある。 ロードレースには何種類かの典型的な展開がある。本節ではステージレースで最も頻繁に見られる展開の各段階を解説する。 ロードレースには正々堂々と闘うための紳士協定として、選手間に暗黙の了解事項(不文律)が多数存在している。 ロードレース選手で特定の成績を上げた選手は、レース中それに応じたジャージを着なければならない。また、着用が義務となっている場合が多く、レースで着用をしなかった場合に罰金などのペナルティを課せられることがある。 ロードレースにおいては以下のようなジャージが代表的である。 ステージレースのリーダージャージには胸部にA4サイズの白い枠が設けられている場合がある。これは、ジャージ該当選手のチーム名・チームロゴを入れるためのものである。一つのステージが終了しジャージ該当選手が確定した後、白い枠の部分に昇華インクでチーム名・チームロゴを鏡像印刷したシートを乗せ、プレス機で熱転写を行うことでジャージにチーム名・チームロゴをプリントする(場合によってはステッカーで済ませる場合もある)。 自転車ロードレース選手一覧も参照のこと
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"女子については、世界選手権、夏季オリンピック、年間シリーズ戦であるUCI女子ワールドツアー(英語版)、ジロ・ローザなどのステージレースが重要な大会である。", "title": "レースの種類" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "各チームにはエースとアシストという役割分担が存在する。", "title": "競技の特徴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ロードレースでは走行中の空気抵抗による体力の消耗が非常に大きい。プロのレースにおける巡航速度は平均で40km/hであるが、これは風速11m/sの向かい風を浴びているに等しく、単独で走りきって勝利するのは困難である。そのため、必然的に集団を形成し、他の選手を風よけにして体力の消耗を減らすなど、選手間で協力することも多い。その際は、数人から十数人の選手が順番に先頭を交代しながら走り、他の選手の体力回復(心拍数やATP-CPエネルギーなど)を助けるという戦術が採られる。(スリップストリームも参照)", "title": "競技の特徴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "先頭交代は必ずしも同じチーム内で行われるとは限らない。例えば、大集団から抜け出した異なるチームの選手たちは逃げ切ってステージ優勝するため、あるいは各種ポイント賞争いを有利に運ぶために、ゴール直前までは交代で先頭を走るのが普通である。しかしこうした逃げ集団の中に個人総合優勝や新人賞に絡みそうな有力選手、またその選手と同じチームの選手が入っている場合、彼らは余計なタイム差がつかないように牽制するのが目的なので、先頭交代には参加せず体力を温存する。", "title": "競技の特徴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "また、逃げている集団を追いかけるために後続集団に残ってしまったチーム同士が協力して先頭交代をし、速度を上げて追い上げることもある。", "title": "競技の特徴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ステージ優勝争いから総合成績争いまで、様々な思惑や戦略が絡むのが先頭交代である。", "title": "競技の特徴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "先頭交代で述べたように、ライバル同士であっても、当面の目的が一致した場合は「呉越同舟」状態で協力し合うのが、ロードレースの最大の特徴である。しかし、競技の序〜中盤にかけては、一致団結して走っていた選手たちも、終盤にさしかかるにつれ、各チームないし選手ごとの思惑の違いからさまざまな駆け引きが発生してくる(例えば、逃げ切り優勝を狙っている先頭集団なら、どこでアタックをかけて相手を出し抜くかで腹の探りあいが始まり、追撃する集団ではゴール前で競り合いになったときに有利な場所を確保するための位置取り合戦が起こるなど)。", "title": "競技の特徴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "このように、状況の変化に応じて生まれる選手同士の多様な駆け引きが、レースに強い緊張感を生み出し、それが魅力の一つとなっている。", "title": "競技の特徴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "競技時間が3〜7時間と非常に長時間にわたるため、水分や栄養を補給しないままだと脱水症状やエネルギー切れの状態になって競技が続行できなくなる危険が非常に高い。そのため選手たちはロードバイクのフレームにボトルホルダーを取り付けて水やスポーツドリンクなど各種飲料を入れたボトルを携帯したり、レーシングウェアの背中に付けられたポケットにパン、菓子、ゼリー飲料などの機能性食品、小型缶の炭酸飲料などを入れておいて、走りながら適宜補給する。競技中に固形物を摂取するというのは、トライアスロンのアイアンマンなどごく一部を除くほかの競技には見られない、ロードレースの大きな特徴である。", "title": "競技の特徴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "プロレースでは、こうした補給用の飲料や食料は選手自身が携帯するほかに、レースで併走するサポートカーやあるいは補給エリアにスタンバイしたチームスタッフから「サコッシュ」(sacoche:フランス語で肩掛けの鞄や袋を指す。英語圏では「ミュゼット」musetteと呼ばれる)と呼ばれる肩掛け型の袋に数種類を入れて随時供給され、レース中にはアシストの選手が大量のボトルを背中などに入れてチームメイトに配って回る姿がしばしば見られる。サコッシュを受け取った選手はサコッシュからウェアのポケットなどに補給食を移し、サコッシュは捨ててしまう。", "title": "競技の特徴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "なお、空になったボトルやサコッシュは道端に捨てられることが多いが、これは沿道で応援するファンへのプレゼントにもなっており、チーム側もこれを見越して、チームロゴやマークを入れた物を使用している(袋の作りや材質そのものは頑丈ではなく、縫製も非常にいい加減である)。", "title": "競技の特徴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ただし周囲にファンのいない場所で捨てられたボトル等は単なるゴミになってしまうため、近年では環境保護の観点からボトル等の無制限な投げ捨てに対する批判も一部で高まりつつあり、フランスの地方レースなどでは空になったボトルや補給食の包装等をレース中に投げ捨てなかった選手に対し「エコロジー賞」を用意するケースが増えている。また近年ではコース中でゴミを捨てて良い区間が一部に限定されている場合もある。", "title": "競技の特徴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "食事以外にも、レースでは機材故障(タイヤのパンク、変速機の不調など)に伴う部品や自転車の交換が必要になる。プロレースでは各チームのサポートカーがそれらを供給するのが普通だが、何らかの事情によりサポートカーがすぐに駆けつけられない場合もあり、そのような状況ではレース主催者側が用意するニュートラルカーが必要な部品等を供給することもある。", "title": "競技の特徴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "ロードレースには何種類かの典型的な展開がある。本節ではステージレースで最も頻繁に見られる展開の各段階を解説する。", "title": "レースの展開" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "ロードレースには正々堂々と闘うための紳士協定として、選手間に暗黙の了解事項(不文律)が多数存在している。", "title": "暗黙の了解" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "ロードレース選手で特定の成績を上げた選手は、レース中それに応じたジャージを着なければならない。また、着用が義務となっている場合が多く、レースで着用をしなかった場合に罰金などのペナルティを課せられることがある。", "title": "ジャージ" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "ロードレースにおいては以下のようなジャージが代表的である。", "title": "ジャージ" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ステージレースのリーダージャージには胸部にA4サイズの白い枠が設けられている場合がある。これは、ジャージ該当選手のチーム名・チームロゴを入れるためのものである。一つのステージが終了しジャージ該当選手が確定した後、白い枠の部分に昇華インクでチーム名・チームロゴを鏡像印刷したシートを乗せ、プレス機で熱転写を行うことでジャージにチーム名・チームロゴをプリントする(場合によってはステッカーで済ませる場合もある)。", "title": "ジャージ" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "自転車ロードレース選手一覧も参照のこと", "title": "有名な選手" } ]
自転車競技におけるロードレースは、主に舗装された道路を自転車で走り、ゴールの順番や所要時間を争う競技。走る距離は短いものでは数km程度(ステージレースのいわゆる「プロローグラン」)、長いレースでは1日で300km弱(ミラノ〜サンレモなど)にも及ぶ。どのレースでも個々の成績を争うため、基本的には個人競技であるが、上級カテゴリーのレースでは、複数人のメンバーが役割を分担して、チームが定めた目標達成のために走るため、ほとんどの場合、団体競技の様相を呈するのが特徴である。
{{出典の明記|date=2014年10月}} [[File:Tour de France 2009 - Stage 14 - Front of the peloton.jpg|thumb|right|250px|[[ツール・ド・フランス2009]]の模様。]] [[File:オリンピック東京2020大会の自転車ロードレースで多摩ニュータウンを疾走する選手たち.jpg|thumb|right|300px|[[2020年東京オリンピックの自転車競技]]女子ロードレースで[[多摩ニュータウン]]を通過する選手たち。]] [[自転車競技]]における'''ロードレース'''({{Lang-en-short|road bicycle racing}}, {{Lang-fr-short|cyclisme sur route}}, {{Lang-it-short|ciclismo su strada}})は、主に[[舗装]]された道路を[[自転車]]で走り、ゴールの順番や所要時間を争う[[競技]]。走る距離は短いものでは数[[キロメートル|km]]程度([[#ステージレース|ステージレース]]のいわゆる「プロローグラン」)、長いレースでは1日で300km弱([[ミラノ〜サンレモ]]など)にも及ぶ。どのレースでも個々の成績を争うため、基本的には個人競技であるが、上級カテゴリーのレースでは、複数人のメンバーが役割を分担して、チームが定めた目標達成のために走るため、ほとんどの場合、団体競技の様相を呈するのが特徴である。 == 概要 == === 個人戦と集団戦 === ロードレースの最も単純な形態はワンデイレース(1日で終了するレース)で、「個人」が、「ゴールの順番を競う」というものであり、これは[[アマチュア]]レースや小規模なレースでよく見られる形態である。しかし、プロのレースや、アマチュアのレースの中でも大規模なものでは、ワンデーレースだけでなくステージレース(複数日行われるレース)も加わり、「チーム」が「メンバーの誰かを勝たせるために走る」ことが多い。 === 広告媒体としての走り === ジャージやヘルメットには[[ユニフォーム広告]]が入っているため、たとえ勝利につながらなくても、序盤から積極的に先頭を走るなど印象深い走りを見せた選手には「敢闘賞」が与えられる。また、メディアへの露出が多い有名なレースで見せ場を作ることは、チームにとっても[[スポンサー]]の宣伝になるため、タイトルに絡まない選手やチームであっても、時に有力な選手やチーム以上の走りを見せる場合がある。 === 頭脳戦 === 大きなレースでは上記に挙げた敢闘賞だけでなく様々な賞が設定されているため全ての選手が優勝目指して走るのではなく、個人やチーム単位でいくつかの戦略目標<ref group="注">例えばAは山岳賞を獲りにいく。そのためにチームメイトのBとCが中心となってサポートする。またDは普段はAのサポートを務めるが、別チームのエースでAのライバルと見られているEが抜け出した場合は、それについて行き、余計なポイントを与えないようにする、など。</ref>を設定し、それに向かって各自が最善を尽くすことになる。 結果として、グランツールをはじめとする大きなステージレースでは個々の選手の思惑や意地、チーム単位での戦略が絡み合い、更に刻々と変わる気象条件や落車、選手の微妙なコンディションの差異などの偶発的要素もそれらの戦略目標に大きな影響を与える為、極めて複雑な頭脳戦の様相を呈する。 === チームのカテゴリー === ロードレースに参加するチームには[[サッカー]]のクラブチームにおける一部リーグや二部リーグのようなカテゴリーがあり、参加できるレース、出来ないレースがある。詳しくは[[UCIワールドツアー#チームのカテゴリー]]を参照のこと。 == 競技方法 == ロードレースの競技規則は[[国際自転車競技連合]](UCI)によって決められている。 === マスドスタート(マスドレース) === 全選手が一斉にスタートし、ゴールの順番や所要時間を競う。通常行われるレース形式であり、「ロードレース」と言うとこの競技方法を指している場合もある。 === チームタイムトライアル(チームTT) === TTT('''T'''eam '''T'''ime '''T'''rial)。 一定時間毎にチームの全員が出走し、チームごとのゴールタイムを競う。チームのうち規定の順番(1チームの定員によって異なる)でゴールした選手のタイムがそのチームのタイムとなる。 === 個人タイムトライアル(個人TT) === ITT('''I'''ndividual '''T'''ime '''T'''rial)。 一定時間毎に選手が個別に出走し、ゴールタイムを競う。 == レースの種類 == レースにおける距離、ステージの構成や[[得点|ポイント]]の配分などは、レースの主催者が決定している。 === ワンデイレース === * 1日(厳密には単一のステージ)で勝負を決するレースで、基本的に「着順」のみを競う。UCIの略記では「1.xx」と表記され、「1.UWT」([[UCIワールドツアー]])、「1.Pro」([[UCIプロシリーズ]])、「1.1」「1.2」([[UCIコンチネンタルサーキット]])などに分類される。英語では"Single-day race"(シングルデイレース)とも呼ばれる。 * なかでも特に伝統のあるものは“'''[[クラシック (ロードレース)|クラシック]]'''”と呼ばれ、最狭義では5つの記念碑的なレースを総称した'''モニュメント'''(対象レース下記参照)のことを指すが、現在では概ね、[[UCIワールドツアー]]対象レースのことをクラシックと呼ぶ傾向にある。また、UCIプロシリーズにランクされるレースのことを、クラシックに次ぐ格付けのレースという意味合いから、'''セミクラシック'''と呼ぶことがある。なお、[[世界選手権自転車競技大会|世界選手権]]は、クラシックレースやステージレースなどの一般のレースを出場する[[UCIワールドツアー#チームのカテゴリー|UCIに登録された各チーム]]と違い、国別のナショナルチームで出場するため'''チャンピオンシップ'''(選手権大会)という位置づけであり、クラシック等の言い方はしない。 * 相対的に見て、ワンデイレースの中で一番栄誉あるレース(一番勝ちたいレース)は世界選手権と言われ、モニュメントを中心としたクラシックがそれに続き、各国で開催される国内選手権もクラシックと同格の存在と考える選手が少なくない<ref group="注">世界選手権優勝者は[[アルカンシエル]]を、各国選手権優勝者にはその国のナショナルカラーをあしらったジャージを各レース優勝後1年間、下記に挙げるチャンピオンシップレース以外のレースに着用して出場できるという特典があるため。</ref>。また欧州以外の地域では、各大陸選手権のステータスも相対的に高い<ref group="注">欧州以外の地域の国籍選手は、各大陸選手権で優勝しないと世界選手権に参加できないケースがあるため。</ref>。 * 一方、[[夏季オリンピック]]もチャンピオンシップのカテゴリーの中に含まれ、<!--{{要出典|date=~~~~~|男子ロードレース界においては、1年毎が勝負となるプロチーム契約選手にとって、4年に1回しか開催されないシステムそのものがそぐわないことや、開催時期が[[ツール・ド・フランス]]の直後かつ[[ブエルタ・ア・エスパーニャ]]の直前に来ることが多いため、選手の調整が難しいこともあり、過去においても五輪の成績はあまり重視されていない傾向にあったと考えられる。}}-->[[1996年]]の[[1996年アトランタオリンピックの自転車競技|アトランタオリンピック]]以降、プロ選手の出場が認められるようになったことから、ワンデイレースを得意とする選手の中には、世界選手権と違う意味合いで栄誉があると考えている選手も出てきている<ref group="注">アマチュア選手だけしか参加できなかった1992年の[[1992年バルセロナオリンピックの自転車競技|バルセロナオリンピック]]までは、傾向的に見て、『オリンピックの自転車ロードレース金メダリストは、プロになってから大成しない。』というジンクスがあった。</ref>。 * 閉鎖されたコース(最短800m、最長10km<ref>UCI Cycling Regulations 2.7.016</ref>)を周回して順位を競うレースは特に'''クリテリウム'''(Criterium)と呼ばれる。基本的にクリテリウムはUCIのカテゴリーにおいて「1.xx」の範疇には含まれず、「CRT」の表記で区別される。2012年よりUCIポイントではステージレース(カテゴリー2.2)と同等の扱いとされている<ref>[http://www.cyclingnews.com/news/uci-permits-criteriums-in-uci-2-2-stage-races/ UCI permits criteriums in UCI 2.2 stage races] - cyclingnews・2011年9月9日</ref>。 ==== 主なレース ==== ; 選手権大会(チャンピオンシップ) * [[File:Arc en ciel.svg|30px]] [[世界選手権自転車競技大会ロードレース|世界選手権]] * [[オリンピックの自転車競技・男子メダリスト一覧|夏季オリンピック]]、[[アジア競技大会]]、[[コモンウェルスゲームズ]]などの総合競技大会 * 各大陸選手権 * 各国[[国内選手権大会 (自転車競技)|国内選手権]] ; [[UCIワールドツアー]]対象レース : 太字は[[クラシック (ロードレース)#モニュメント|モニュメント]]と呼ばれるレース。 * {{Flagicon|AUS}} [[カデル・エヴァンス・グレートオーシャン・ロードレース]] *{{Flagicon|BEL}} [[オムロープ・ヘット・ニウスブラット]] * {{Flagicon|ITA}} [[ストラーデ・ビアンケ]] * {{Flagicon|ITA}} '''[[ミラノ〜サンレモ]]''' *{{Flagicon|BEL}} [[デ・パンネ3日間 (自転車レース)|デ・パンネ3日間]] *{{Flagicon|BEL}} [[E3ビンクバンク・クラシック]] *{{Flagicon|BEL}} [[ヘント〜ウェヴェルヘム]] *{{Flagicon|BEL}} [[ドワルス・ドール・フラーンデレン]] * {{Flagicon|BEL}} '''[[ロンド・ファン・フラーンデレン]]''' * {{Flagicon|FRA}} '''[[パリ〜ルーベ]]''' * {{Flagicon|NED}} [[アムステルゴールドレース]] * {{Flagicon|BEL}} [[フレッシュ・ワロンヌ]] * {{Flagicon|BEL}} '''[[リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ]]''' * {{Flagicon|GER}} [[エシュボルン=フランクフルト]] * {{Flagicon|ESP}} [[クラシカ・サン・セバスティアン]] *{{Flagicon|GBR}} [[プルデンシャル・ライド・ロンドン・サリー・クラシック]] * {{Flagicon|GER}} [[ユーロアイズ・サイクラシックス]] * {{Flagicon|FRA}} [[ブルターニュ・クラシック|ブルターニュクラシック・ウェストフランス]] * {{Flagicon|CAN}} [[グランプリ・シクリスト・ド・ケベック]] <ref name="rod1">[http://62.50.72.82/ucisite/uciiframe%5Cevents%5Chtml%5CUciIFrameCalendarROA_2010_MON_eng.htm 2009 - 2010 UCI Road Calendar: Men Elite, World]</ref> * {{Flagicon|CAN}} [[グランプリ・シクリスト・ド・モントリオール]] <ref name="rod1" /> * {{Flagicon|ITA}} '''[[ジロ・ディ・ロンバルディア]]''' ; UCIコンチネンタルサーキット 1.HC カテゴリ対象レース<ref>{{Cite web|url=http://www.uci.ch/road/calendar/#date=20150328&view=list&categ=0&country=0&classc=1.HC|title=Road Calendar|accessdate=2015-03-28|publisher=国際自転車競技連合}}</ref> *{{Flagicon|ESP}} [[クラシカ・デ・アルメリア]] *{{Flagicon|ITA}} [[トロフェオ・ライグエーリア]] *{{Flagicon|BEL}} [[クールネ〜ブリュッセル〜クールネ]] *{{Flagicon|ITA}} [[グラン・プレミオ・インドゥストリア・エ・アルティジャナート]] *{{Flagicon|NED}} [[ロンド・ファン・ドレンテ]] *{{Flagicon|BEL}} [[ノケル・クルス]] *{{Flagicon|BEL}} [[ブレーデネ・コクサイデ・クラシック]] *{{Flagicon|FRA}} [[グランプリ・ド・ドナン]] * {{Flagicon|BEL}} [[スヘルデプライス]] * {{Flagicon|BEL}} [[ブラバントス・パイル]] * {{Flagicon|SUI}} [[グロサー・プライス・デス・カントン・アールガウ|グランプリ・デュ・カントン・ダルゴヴィ]] * {{Flagicon|BEL}} [[パリ〜ブリュッセル|ブリュッセル・サイクリング・クラシック]] * {{Flagicon|FRA}} [[グランプリ・ド・フルミー]] * {{Flagicon|FRA}} [[グランプリ・アンパニ=ファン・ペテヘム|プリムス・クラシック・アンパニ=ファン・ペテヘム]] <ref group="注" name="rod2">2015年昇格。</ref> *{{Flagicon|GER}} [[スパルカッセン・ミュンスターラント・ジロ]] *{{Flagicon|FRA}} [[ユーロメトロポール・ツール]] *{{Flagicon|ITA}} [[ジロ・デッレミリア]] *{{Flagicon|ITA}} [[グラン・プレミオ・ブルーノ・ベゲッリ]] *{{Flagicon|ITA}} [[トレ・ヴァッリ・ヴァレジーネ]] * {{Flagicon|ITA}} [[ミラノ〜トリノ]] * {{Flagicon|ITA}} [[ジロ・デル・ピエモンテ]] * {{Flagicon|FRA}} [[パリ〜ツール]] * {{Flagicon|JPN}} [[ジャパンカップサイクルロードレース]] : なお、UCIコンチネンタルサーキット カテゴリー(1.1もしくは1.2)対象レースは多数存在するため割愛。 ; クリテリウムも多数存在するため、日本開催のもののみ取り上げる。 * {{Flagicon|JPN}} [[ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム]] ; 廃止等で行なわれなくなった主なレース * {{Flagicon|FRA}} [[ボルドー〜パリ]](1988年限りで廃止) * {{Flagicon|FRA}} [[グランプリ・デ・ナシオン]](2004年限りで廃止) * {{Flagicon|SUI}} [[チューリッヒ選手権]](2008年より、市民参加型レースに衣替え) * {{Flagicon|NED}} [[チームタイムトライアル・アイントホーフェン]](2007年限りで廃止) * {{Flagicon|JPN}} [[熊本国際ロード]](2010年を最後に開催なし) * {{Flagicon|ITA}} [[グラン・プレミオ・ノービリ・ルビネッテリエ|グラン・プレミオ・ノービリ・ルビネッテリエ - コッパ・パパ・カルロ - コッパ・チッタ・ディ・ストレーザ]](2015年限りで廃止) === ステージレース === *複数日(厳密には複数のステージ)にわたってレースを行い、各日ごとにゴールまでの「順番」を争うほか、「最終的な所要時間」「ゴールまたはコース途中の指定地点での通過順におけるポイント」「指定された山岳および峠での通過順におけるポイント」など複数の分野で総合成績を競う。UCIの略記では「2.xx」と表記され、「2.UWT」([[UCIワールドツアー]])、「2.Pro」([[UCIプロシリーズ]])、「2.1」「2.2」([[UCIコンチネンタルサーキット]])などに分類される。 *ステージレースの最高峰として位置づけられるレースは総称して'''[[グランツール]]'''(対象レースは下記参照)と呼ばれる。グランツールは15日以上23日以内、途中休養日を2日含むという規定があり、現在のグランツールはプロローグを含めた21ステージ+休養日2日の23日間程度で行われる例が多く、概ね3週間程度の期間に亘って開催される。この他、ステージレースとしては主流をなす、1週間前後で終了するものや、数日間程度のレースも含まれ、要は1日では勝負が決しないレースを総称して呼ばれる。 *過去のステージレースでは1日1レースとは限らず、'''ハーフステージ'''と呼ばれる形式で1日の中で2レースが行われることもあった。タイムトライアルステージがある時にこの形式を採用した<ref group="注">ツール・ド・フランスでも、1982年までは、一部のステージにおいて、ハーフステージの形式を取っていた。</ref>ことが多く、この場合は主に「第□ステージa」、「第□ステージb」(□は同一の数字)などと表記される。現在ではほとんど行われていない。 *複数の国で開催されるレースもある。ツール・ド・フランスも例外ではなく、途中で[[イタリア]]、[[スイス]]([[アルプス山脈]]を越えるため)、[[スペイン]]([[ピレネー山脈]]を越えるため)国内に入るステージが設けられることがある他、過去には[[イギリス]]、[[ベルギー]]、[[ドイツ]]等の国でレースが行われたこともある。[[2009年]]の[[ツール・ド・フランス2009|ツール・ド・フランス]]では、[[モナコ]]、[[アンドラ]]で行なわれるステージもある。また、下記に挙げる[[ビンクバンク・ツアー]](旧エネコ・ツアー)は、レース開催を通じて、開催国間の友好関係を深めるという意味合いも込められている。 ====様々なステージ==== ステージレースでは、一般的なマスドスタート以外にもタイムトライアルのステージが設定されることがある。上記の競技方法が用いられているが、グランツールにおいては下記の特色がある。 ;マスドスタート :最も一般的なステージ。 :場合によっては選手が一斉にスタートする地点(セレモニースタート)と競技開始地点(アクチュアルスタート)が異なる場合がある。この区間はパレードランと呼ばれ、審判車の先導の元ゆっくりと移動する。 ;個人タイムトライアル :他の競技者の直後を走るドラフティング走行は認められない。グランツールでは「プロローグ」と称して初日に数キロのごく短い個人タイムトライアルを行うこともある。マスドスタートの山岳ステージとともに、個人総合優勝の行方を大きく左右するステージとなる。 ;チームタイムトライアル :チーム単位でスタートし、レース中はチームが一団となって走り(ドラフティング走行は同一チームの競技者のみ可能)、チームのうち規定の順番(1チームの定員によって異なる。1チーム9人のグランツールでは5番目)でゴールした選手のタイムで競う。初日に行われた場合は最も短い走破タイムを出したチームのうち、最初にゴールラインを切った選手が翌日のリーダージャージを着用する。ステージレースにおける個人総合タイムは基本的に「チームのタイム」が与えられるが、途中で集団走行から遅れてしまった選手についてはその選手のゴールまでの走破タイムが与えられる。 ====ステージレースの表彰対象==== ステージレースでは「時に個人、時にチーム」で、「その日のゴールの着順」「最終的な所要時間など各種の総合成績」などいくつかの目的のために走ることになる。例えば最も有名なステージレースである3つの'''[[グランツール]]'''では、勝利を争う主体は「個人」及び「集団(チーム)」であり、争われるのは「ステージごとの着順」と「最終的な走破時間」及び「最終的な獲得ポイント」であり、 * 個人総合優勝(レース全体を通しての走破タイムで争われる) * ステージ優勝(ステージごとの着順で争われる) * チーム総合優勝(ステージごとに各チームの先着3人のタイムが積算されていき、そのタイムで争われる。同一チーム内の総合上位3人の合計タイムではない) * [[ポイント賞 (グランツール)|ポイント賞]](レース全体を通してのスプリントポイント獲得数で争われる) * [[山岳賞]](レース全体を通しての山岳ポイントの獲得数で争われる) * 新人賞(ヤングライダー賞とも。開催年に25歳以下の誕生日を迎える選手限定でレース全体を通しての走破タイムで争われる。ジロとツールのみで、こちらは逆に下記の複合賞がない) * 複合賞(コンビネーション賞とも。ブエルタのみで新人賞の代わりにある。個人総合順位、ポイント賞順位、山岳賞順位それぞれの順位合計が少ない人<ref group="注">たとえば総合4位、ポイント賞15位、山岳賞2位なら21ポイント。またポイント賞か山岳賞どちらかがノーポイントの場合コンビネーション賞を得る権利が無くなる。</ref>が獲得する) といういくつもの賞をめぐる争いが展開される。 ==== 主なステージレース ==== ; UCIワールドツアー対象レース : 太字は[[グランツール]] * {{Flagicon|AUS}} [[ツアー・ダウンアンダー|サントス・ツアー・ダウンアンダー]] * {{Flagicon|UAE}} [[UAEツアー]] * {{Flagicon|FRA}} [[パリ〜ニース]] * {{Flagicon|ITA}} [[ティレーノ〜アドリアティコ]] * {{Flagicon|ESP}} [[カタルーニャ一周]] * {{Flagicon|ESP}} [[バスク一周]] *{{Flagicon|TUR}} [[ツアー・オブ・ターキー]] * {{Flagicon|SUI}} [[ツール・ド・ロマンディ]] * {{Flagicon|USA}} [[ツアー・オブ・カリフォルニア]] * {{Flagicon|ITA}} '''[[ジロ・デ・イタリア]]''' * {{Flagicon|FRA}} [[クリテリウム・デュ・ドフィネ]] * {{Flagicon|SUI}} [[ツール・ド・スイス]] * {{Flagicon|FRA}} '''[[ツール・ド・フランス]]''' * {{Flagicon|POL}} [[ツール・ド・ポローニュ]] * {{Flagicon|Benelux}} [[ビンクバンク・ツアー]] * {{Flagicon|ESP}} '''[[ブエルタ・ア・エスパーニャ]]''' * {{Flagicon|CHN}} [[ツアー・オブ・広西]] ; UCIコンチネンタルサーキット 2.HC カテゴリ対象レース<ref>{{Cite web|url=http://www.uci.ch/road/calendar/#date=20150328&view=list&categ=0&country=0&classc=2.HC|title=Road Calendar|accessdate=2015-03-28|publisher=国際自転車競技連合}}</ref> * {{Flagicon|OMN}} [[ツアー・オブ・オマーン]] *{{Flagicon|POR}} [[ヴォルタ・アン・アルガルヴェ]] *{{Flagicon|ESP}} [[ブエルタ・ア・アンダルシア]] *{{Flagicon|MAS}} [[ツール・ド・ランカウイ]] *{{Flagicon|ITA}} [[ツアー・オブ・ジ・アルプス]] *{{Flagicon|ENG}} [[ツール・ド・ヨークシャー]] *{{Flagicon|FRA}} [[ダンケルク4日間レース]] *{{Flagicon|NOR}} [[ツアー・オブ・ノルウェー]] *{{Flagicon|LUX}} [[ツール・ド・ルクセンブルク|シュコダ=ツール・ド・ルクセンブルク]] *{{Flagicon|BEL}} [[ツール・ド・ベルギー]] *{{Flagicon|SLO}} [[ツアー・オブ・スロベニア]] *{{Flagicon|CHN}} [[ツアー・オブ・チンハイレイク]] *{{Flagicon|BEL}} [[ツール・ド・ワロニー]] *{{Flagicon|ESP}} [[ブエルタ・ア・ブルゴス]] *{{Flagicon|USA}} [[ツアー・オブ・ユタ]] *{{Flagicon|NOR}} [[アークティック・レース・オブ・ノルウェー]] *{{Flagicon|DEN}} [[ツアー・オブ・デンマーク]] *{{Flagicon|GER}} [[ドイツ・ツアー]] *{{Flagicon|GBR}} [[ツアー・オブ・ブリテン]] ; UCIコンチネンタルサーキット カテゴリー(2.1または2.2)対象レースは数多存在するため、日本開催レースのみ取り上げる。 * {{Flagicon|JPN}} [[ツール・ド・とちぎ]] (2.2) *{{Flagicon|JPN}} [[ツアー・オブ・ジャパン]](2.1、2012年までは2.2) *{{Flagicon|JPN}} [[ツール・ド・熊野]](2.2) * {{Flagicon|JPN}} [[ツール・ド・北海道]](2.2) ; 廃止等で行なわれなくなった主なレース * {{Flagicon|NED}} [[オランダ一周]](2004年限りで廃止、[[エネコ・ツアー]]に継承、2017年より[[ビンクバンク・ツアー]]に改称) * {{Flagicon|ESP}} [[セトマナ・カタラナ]](2005年限りで廃止) * [[ピースレース]](2006年を最後に開催なし) * {{Flagicon|GER}} [[ドイツ・ツアー]](2008年を最後に開催なし) * {{Flagicon|ESP}} [[エウスカル・ビシクレタ]](2008年を最後に開催なし) * {{Flagicon|USA}} [[ツール・ド・ジョージア]](2009年を最後に開催なし) * {{Flagicon|USA}} [[ツアー・オブ・ミズーリ]](2009年を最後に開催なし) * {{Flagicon|CHN}} [[ツアー・オブ・北京]](2015年のカレンダーから抹消) *{{Flagicon|USA}} [[USA・プロ・サイクリング・チャレンジ]] (2015年以降財政難のため開催なし) *{{Flagicon|GER}} [[バイエルン一周]] (2016年以降財政難のため開催なし) * {{Flagicon|QAT}} [[ツアー・オブ・カタール]](2017年以降財政難のため開催なし) === シリーズ === ワンデー、ステージ各レースをひとつのシリーズとしているもの。各レース成績優秀者にポイントを付与し、そのシリーズ全レースが終了後に付与されたポイント最上位の選手が優勝となる。 ==== 主なシリーズ ==== * [[UCIワールドツアー]] * [[UCIワールドカレンダー]] * [[UCIプロツアー]] * [[UCIコンチネンタルサーキット]] * [[UCI女子ロードワールドカップ]] * JBCF(実業団)Jプロツアー * JBCF(実業団)Jエリートツアー(E1クラスターのみ) === 女子レース === 女子については、世界選手権、夏季オリンピック、年間シリーズ戦である{{ill|UCI女子ワールドツアー|en|UCI Women's World Tour}}、[[ジロ・ローザ]]などのステージレースが重要な大会である。 == 機材 == ; [[自転車]] : 通常のレース又はステージにおいては、チームが契約したメーカーから供給された[[ロードバイク]]を使用するのが通例である。また、タイムトライアルの場合には[[タイムトライアルバイク]]が用いられる場合が多い。また、プロローグステージのような短距離のタイムトライアルでは[[トラックレーサー]]が用いられたこともある。[[フレーム素材 (自転車)|フレームの素材]]は、かつては[[クロムモリブデン鋼|クロモリ]]に代表される[[鋼]]が一般的だったが、現在は[[炭素繊維強化プラスチック|カーボン]]が主流となっているほか、[[アルミニウム]]や少数ではあるが[[チタン]]、[[マグネシウム]]などを使用したものもある。過度の機材軽量化([[エディ・メルクス]]がこれに拘った事で知られる)競争による安全性低下を防ぐために、[[国際自転車競技連合|UCI]]によって、合計重量が6.8kgを下回ってはならないと規定されている。 : {{Main|ロードバイク}} ; [[サイクルウェア]] : 自転車乗車に特化した専用ウェアである。上半身はジャージと呼ばれる半袖ないし長袖のニット上着であり、前傾姿勢でも背中が露出しないよう、背中側の裾が長めになっている。また背中には補給食などを入れるためのポケット(通常三つ)がついている。通常は被り着用であり、それがジャージと呼ばれる所以であるが、2000年代以降は前身頃をファスナーで全開できるタイプが一般化した。ただし名称はジャージのままでありカーディガンと呼ばれる事はない。下半身はレーサーパンツと呼ばれる股間部分にパッドが縫いこまれたスパンデックス生地の膝上パンツを着用する。長時間前傾姿勢でのペダリングによる背中側の下がりを防ぎ、また腰部のゴムバンドを排除しストレスを低減する目的から、特別な場合がない限りサスペンダー状に肩まで掛ける形状である。またタイムトライアルでは空気抵抗を減らすために、身体形状によく馴染み風圧ではためかない上下つなぎのスパンデックス生地によるワンピーススーツを着用するのが一般的だが、クリテリウムなどの短距離・短時間のロードレースでも着用するケースが見られる。 : この他、疲労緩和と滑り防止に掌にパッドを縫い付けたグローブがあるが、これは着用義務はない。気温や天候の変化に応じて審判団がアームウォーマー、レッグウォーマーやジャケットの着用を許可する場合がある。シューズカバーには、空気抵抗を低減する目的のスパンデックス生地のもの、防雨、防寒を目的とするものがある。 : なお、プロチームの場合、こうしたウェア類にはいずれもスポンサーやメーカーの名前やロゴが大きくプリントされており、選手はこれを身に付けることによって所属を明らかにすると共に、動く広告塔としての役割も果たしている。そのためゴール時にはジャージの前ファスナーをしっかりと閉める事が鉄則となっている。 ; [[ヘルメット]] : 頭部には事故時の衝撃緩和のために発泡スチロールにプラスチックや樹脂などの素材をかぶせたヘルメットを着用する。通常のヘルメットは通気性を確保するために、強度を失わない範囲で通風孔が開けてある。タイムトライアルで使うヘルメットは空気抵抗を減らすため、穴は開いておらず、前傾姿勢を取った時に背中と一線になる流線型をしている。 : なお、かつて(2003年頃まで)はヘルメット着用は任意であり、ゴールスプリント直前に被るだけのことも多かった。 ; シューズ : 力を効率良く[[ペダル (自転車)|ペダル]]に伝えるため、スキー競技の様な「[[ビンディングペダル|ビンディング]]」と呼ばれる機構を用いてシューズをペダルに固定する。競技用に特化しているため歩行は前提にしていない。そのためソールはカーボン製か硬いプラスチックで、裏には「クリート」と呼ばれる樹脂製あるいは金属製の止め具を固定するためのネジ穴が開いている。 : かつてはビンディングではなくトウクリップと呼ばれる部品で靴のつま先を固定し、更にトウストラップで靴をペダルに縛り付けていた。靴の底にはシュープレートと呼ばれる凹部を持った小さな板が2本のビスで装着されており、ペダル上面の凸部に噛み合わせて靴とペダルの位置関係を厳密にきめていた。 ; その他 : 視界の確保などを目的として競技用にデザインされた[[アイウェア]]を着用したり、プロチームでは監督と選手が、連絡を取る為に[[トランシーバー (無線機)|無線機]]を使用する。また最近はロードバイクの軽量化が著しく、多少のオプション機器をつけても、重量面で不利になることがなくなっているため、[[心拍計]]や現在自分が出している力を測定、表示する「パワーメーター」を装備することが多い(心拍計と一体型のものが多い)。[[ガーミン]]がスポンサーを務めるガーミン・チポートレ(現[[チーム・キャノンデール・ガーミン]])は2008年の[[ツール・ド・フランス]]で、心拍計やパワーメーターの他、[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]を利用して、画面上の地図に現在位置や標高などを表示する高機能デバイスを使用し、話題になった。2010年以降はこのようなオプションをフル装備しても最低重量を満たすことができず、バラストを積むことすらある。 == 競技の特徴 == === エースとアシスト === 各チームにはエースと[[アシスト (自転車競技)|アシスト]]という役割分担が存在する。 ; エース : エースはレースごとに設定され、最終的にレースでのステージ勝利や総合優勝などを獲得することが役割である。通常はチームで最も強い選手が務めるが、場合によっては、同等の力を持つ選手をもう一人エースに据えて状況に応じてどちらかが勝利を狙う「ダブルエース」体制になることもある<ref group="注">特にスプリンターと総合優勝争いの選手を同時に起用しているチームでは顕著。平地ではスプリンターのために他がアシストになり、総合勢は集団ゴールするだけで何も行わない。山岳ではスプリンターは序盤で総合勢をアシストし山岳に入るまでが仕事で残りはグルペットに入り一日を終えるが、総合勢は勝負を仕掛けタイムを稼いでいく。</ref>。 : なお、各チームは本拠地や所属選手によって重視するレースを決めており(自国や地元のレースは当然重視するほか、所属選手の脚質によっても狙うレースは異なってくる)、参加する全てのレースで勝利を目指すわけではない。そのため小さなレースやあまり重視しないレースでは、普段アシスト役の選手がエースを務めることがある。 ; アシスト : アシストはエースを勝たせるために風よけ、補給食や飲み物の運搬、他チームの牽制などを行う。エースがレース中に機材故障や落車などで集団から遅れた場合には、アシストが大挙して集団から下がり、チームTT状態で走る事によりエースを集団まで引き戻すこともある。アシストの存在はエースにとって不可欠であり、エースは基本的にアシストを伴って走っている。レースの展開の綾でエースが丸裸になってしまった場合、そのチームは非常に不利な状況に置かれることになるので、レースの最終局面を除きエースがアシスト抜きで走ることは少ない。 : [[#imanaka2005|今中大介2005]]によれば、エースが獲得した賞金はアシストも含めて均等に分配されることが多いとされる。 : またレース中にエースにアクシデントがあった際には、アシストの中の最有力選手がエース役を引き継ぐ場合もある。このような選手の中には、エースに近い、あるいは同等の力を持っている者もおり、アシストの仕事を最小限に免除されていることもある。このような選手は「セカンド・エース」と呼ばれる。 : 非公式だがイタリア人アシストは「従者」を意味する「グレゴリオ」と呼ばれることもある。 === 先頭交代 === ロードレースでは走行中の[[空気抵抗]]による体力の消耗が非常に大きい。プロのレースにおける巡航速度は平均で40[[キロメートル毎時|km/h]]であるが、これは風速11[[メートル毎秒|m/s]]の向かい風を浴びているに等しく、単独で走りきって勝利するのは困難である。そのため、必然的に集団を形成し、他の選手を風よけにして体力の消耗を減らすなど、選手間で協力することも多い。その際は、数人から十数人の選手が順番に先頭を交代しながら走り、他の選手の体力回復([[心拍数]]やATP-CPエネルギーなど)を助けるという戦術が採られる。([[スリップストリーム]]も参照) 先頭交代は必ずしも同じチーム内で行われるとは限らない。例えば、大集団から抜け出した異なるチームの選手たちは逃げ切ってステージ優勝するため、あるいは各種ポイント賞争いを有利に運ぶために、ゴール直前までは交代で先頭を走るのが普通である。しかしこうした逃げ集団の中に個人総合優勝や新人賞に絡みそうな有力選手、またその選手と同じチームの選手が入っている場合、彼らは余計なタイム差がつかないように牽制するのが目的なので、先頭交代には参加せず体力を温存する。 また、逃げている集団を追いかけるために後続集団に残ってしまったチーム同士が協力して先頭交代をし、速度を上げて追い上げることもある。 ステージ優勝争いから総合成績争いまで、様々な思惑や戦略が絡むのが先頭交代である。 === 選手同士の駆け引き === 先頭交代で述べたように、ライバル同士であっても、当面の目的が一致した場合は「[[wikt:呉越同舟|呉越同舟]]」状態で協力し合うのが、ロードレースの最大の特徴である。しかし、競技の序〜中盤にかけては、一致団結して走っていた選手たちも、終盤にさしかかるにつれ、各チームないし選手ごとの思惑の違いからさまざまな駆け引きが発生してくる(例えば、逃げ切り優勝を狙っている先頭集団なら、どこでアタックをかけて相手を出し抜くかで腹の探りあいが始まり、追撃する集団ではゴール前で競り合いになったときに有利な場所を確保するための位置取り合戦が起こるなど)。 このように、状況の変化に応じて生まれる選手同士の多様な駆け引きが、レースに強い緊張感を生み出し、それが魅力の一つとなっている。 === 補給 === 競技時間が3〜7時間と非常に長時間にわたるため、水分や栄養を補給しないままだと[[脱水 (医療)|脱水症状]]やエネルギー切れの状態になって競技が続行できなくなる危険が非常に高い<ref group="注">[[#fujii2008|ふじいのりあき 2008: 115]]の計算によると、ランス・アームストロングの巡航時の平均出力370ワットをエネルギー効率25%と仮定するならば、4時間の競技で基礎代謝を含め7490カロリーを消費するとされる。</ref>。そのため選手たちはロードバイクのフレームにボトルホルダーを取り付けて水や[[スポーツドリンク]]など各種飲料を入れたボトルを携帯したり、レーシングウェアの背中に付けられたポケットにパン、菓子、[[ゼリー飲料]]などの機能性食品、小型缶の[[炭酸飲料]]などを入れておいて、走りながら適宜補給する。競技中に固形物を摂取するというのは、[[トライアスロン]]のアイアンマンなどごく一部を除くほかの競技には見られない、ロードレースの大きな特徴である。 プロレースでは、こうした補給用の飲料や食料は選手自身が携帯するほかに、レースで併走するサポートカーやあるいは補給エリアにスタンバイしたチームスタッフから「サコッシュ」([[wikt:fr:sacoche|sacoche]]:フランス語で肩掛けの鞄や袋を指す。英語圏では「ミュゼット」[[:en:Glossary_of_cycling#musette|musette]]と呼ばれる)と呼ばれる肩掛け型の袋に数種類を入れて随時供給され、レース中にはアシストの選手が大量のボトルを背中などに入れてチームメイトに配って回る姿がしばしば見られる。サコッシュを受け取った選手はサコッシュからウェアのポケットなどに補給食を移し、サコッシュは捨ててしまう。 {{Main|補給食}} なお、空になったボトルやサコッシュは道端に捨てられることが多いが、これは沿道で応援するファンへのプレゼントにもなっており、チーム側もこれを見越して、チームロゴやマークを入れた物を使用している(袋の作りや材質そのものは頑丈ではなく、縫製も非常にいい加減である)。 ただし周囲にファンのいない場所で捨てられたボトル等は単なるゴミになってしまうため、近年では環境保護の観点からボトル等の無制限な投げ捨てに対する批判も一部で高まりつつあり、フランスの地方レースなどでは空になったボトルや補給食の包装等をレース中に投げ捨てなかった選手に対し「エコロジー賞」を用意するケースが増えている<ref>[http://www.jsports.co.jp/cycle/basic_term.html サイクルロードレース入門 用語集2010年度版] - J SPORTS{{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>。また近年ではコース中でゴミを捨てて良い区間が一部に限定されている場合もある。 食事以外にも、レースでは機材故障(タイヤのパンク、変速機の不調など)に伴う部品や自転車の交換が必要になる。プロレースでは各チームのサポートカーがそれらを供給するのが普通だが、何らかの事情によりサポートカーがすぐに駆けつけられない場合もあり、そのような状況ではレース主催者側が用意する[[ニュートラルカー]]が必要な部品等を供給することもある。 == レースの展開 == ロードレースには何種類かの典型的な展開がある。本節ではステージレースで最も頻繁に見られる展開の各段階を解説する<ref group="注">1日で勝負が決まるワンデーレース、特に路面状況と道幅の面で特徴を持つパリ〜ルーベやツール・デ・フランドルでは、ステージレースとは全く異なるレース展開となることが多い。</ref>。 ; スタート直後のアタック : マスドスタートのレースではスタート直後から何度もアタックがかかる。アタックは一人の選手が集団から飛び出して独走し、それに数名の選手が食い下がるという形が多い。アタックをかけるのは多くの場合、エース格の選手ではなく、アシスト役の選手である。しかし大半は集団に捕捉されて失敗し、再び別の選手がアタックする展開がしばらく繰り返される。特にレース自体が短く逃げが決まりにくいステージでは「0kmアタック」と言われるほどステージ開始直後にアタックがかかり続け、最序盤の平均速度が50km/hを越える場合もある。 ; 逃げ(先頭)集団と追走・メイン集団の形成 : スタート直後〜序盤にアタックが成功すると、数名〜十数名の逃げ集団が形成される。対するメイン集団は体力温存のためにペースを落とすため(場合によっては35km/hというプロ選手的にはゆっくりという状況まで落ちる)、この時点で逃げ集団とメイン集団の差はみるみる広がっていき、逃げ集団が独走しているように見える状態が中盤〜後半手前まで続く。しかし実際には、メイン集団は残り距離などから確実に追いつけるだけのタイム差を計算し、決してそれを超えることが無いようにスピードをコントロールしており、現在のレースではほとんどの場合、逃げ集団はレースの終わり頃に追撃集団に吸収されてしまう。 : そのため逃げる側もそれを前提として、逃げ切り優勝を狙うよりも[[メディア (媒体)|メディア]]への露出やスプリントポイント、山岳ポイント獲得が主な目標にしていることの方が多い。 : ただし長丁場のステージレースで逃げ集団に参加している選手たちの総合順位などが低い場合(逃げ切り勝ちとなっても総合優勝や山岳賞など各賞争いに無関係な場合)、体力温存のために、そのまま逃げを許してしまうこともある。 : また、山岳部では集団による空力のアドバンテージが薄れるため(ある程度の上りでは一流クライマーでも時速30km以下でしか走れないし、下りでは速度を上げすぎても危険なため、小集団と大集団の速度差が小さい)、厳しい山岳が続くステージでは総合優勝や山岳賞狙いの有力選手たちが乾坤一擲の大逃げに出ることもある。この場合は実力差による逃げ切り勝ちが発生する可能性も少なくない。 : なお、ステージレースで総合優勝争い・その日のステージ優勝争いの両方とも無縁の選手(山岳ステージにおけるスプリンターや、逃げに失敗したアシスト選手等)は、翌日以降のレースに向けた体力温存のために[[グルペット]]と呼ばれる集団を形成して後方に下がり、制限時間を越えない程度のスローペースでゴールに向かうことが多い。 ; メイン集団による逃げ集団の捕捉 : レースも後半に入ったゴール前の数km〜十数km地点でメイン集団はペースを一気に上げて、逃げ集団を捕まえにかかる。目安としては10km進むたびに1分ずつ差が詰まると計算して走っていく。しかし早い段階で逃げ集団を捕捉してしまうと、その直後のペースが落ちた隙をついて、メイン集団から第二、第三の逃げをしかけて優勝を狙おうとする選手がでてくるため、どの地点で逃げ集団を捕捉するのかも駆け引きの対象となる。 ; ゴール前の位置取り合戦 : 平坦ステージ、あるいはゴール手前が平坦・下り基調のステージの場合、エースにスプリンターを据えているチームはゴール直前での展開を有利にするために、ゴール前数km地点から集団の先頭付近で車列(トレイン)を形成して位置取り合戦をしつつ、追撃する。先頭集団が逃げ切ってしまうことが確実になった場合、あるいは山頂ゴールが設定されたステージでは位置取り合戦は発生しない。ここでの追撃は集団で走るとはいえ選手に負担が大きく、何人のアシストをどのような順番で使っていくかで、スプリンター系チーム内での駆け引きが渦巻く部分である。 ; ゴールスプリント : 平坦ステージ、あるいはゴール手前が平坦・下り基調のステージの場合、ゴール前3〜4km地点から集団は全力での巡航に入る。この状態で集団の速度は、トップレベルのカテゴリーのレースでは平地でさえ時速60km前後にも達する。ゴールまで1kmを切る辺りから発射台役のアシスト選手数名による全力走行(通常数百メートルしか保たない無酸素運動)が始まる。この状態は、数名の選手が縦に並んで走ることから俗に''トレイン''又は''“列車”''などと呼ばれる。 : エースを務める選手はその最後尾について、アシストたちを風よけとしつつ(選手の癖、およびワンデーレースによってはトレイン無しでゴールスプリントする場合もある)、ゴール数百m手前で飛び出してお互いに体をぶつけ合いながらゴールを目指す。この時の速度は時速70kmから80kmに達するため、レースの中でも最も危険な瞬間でもあり、ゴール直後の選手たちは通常の精神状態ではないと言われる(チームのスタッフが突き飛ばされたりすることもある)。 ; 逃げ切り : 逃げが決まった場合はゴール前数km地点から逃げていた集団内で駆け引きが始まり、多くの場合はある選手が飛び出した瞬間に他の選手が牽制しあってお見合い状態になって勝負が付く。そうでない場合は逃げていた集団の選手たちによるゴールスプリントになって決着する。山頂ゴールの場合は、次々に先頭集団から選手が脱落していって、最後に残った選手がそのまま(結果的に逃げ切りの形で)ゴールに入る。 == 暗黙の了解 == ロードレースには正々堂々と闘うための[[紳士協定]]として、選手間に暗黙の了解事項([[不文律]])が多数存在している。 ; 先頭交代への参加 : 集団の先頭から十数番手までは集団落車に巻き込まれる[[リスク]]が少なく、またアタックをかけたりアタックに反応したりということも可能である。こうした集団内の好位置に居る選手は先頭交代に加わるのがマナーである。自分だけ先頭交代に加わらないで体力を温存するという作戦(''「ツキイチ―着き位置」''と呼ばれる)は、ルール上禁止されてはいないものの、仮にそれで好結果を出したとしても実力とは認められない。 : また、ロードレースの最高レベルである[[UCIプロツアー]]に参加するようなチームに所属する選手は、エースや有力アシスト選手でないかぎり、現役中に一度も表彰台に上れない方が普通であり、大半の選手はアシストとしての役割を期待されて雇われているため、わざわざ自分の評価を落とすような勝ち方をするのは、選手にとってもメリットがない。 ; 逃げ集団内でポイントの強引な独り占めをしない : 逃げが決まった場合、必然的に中間のスプリントポイントや山岳ポイントを先頭で通過する選手が発生するが、殆どの場合は集団内で「誰がポイントを取るか」の合意が成立している。こうした合意を拒否してポイントを奪う姿勢は歓迎されず、逃げ集団の崩壊を引き起こす例もある<ref group="注">2008年のジロ・デ・イタリア第2ステージでは、2人の逃げ集団の片方の選手が強引にポイントを独り占めしてしまった為、もう片方の選手が先頭交替を拒否し、逃げは早い段階で崩壊した。</ref>。もちろん山岳、ポイント賞狙いの選手が2人以上逃げに入った場合には、その数名によるフェアな勝負で片方が勝ち続けるのは問題にはならない。 ; ステージレースで総合優勝や新人賞狙いの選手はステージ優勝を譲る : ステージレースにおいては、総合優勝及び新人賞争いに絡んでいる選手はゴールスプリント(ゴール直前での全力勝負)が発生した場合、これに加わらない。これは、同じ集団でゴールすれば同じタイムと見なされるため、ポイントではなく、タイムを競う総合成績と新人賞狙いの選手はトップの選手と同じ集団でゴールすればよく、最も落車の危険が大きいゴールスプリントを回避したほうが安全だからである。但しボーナスタイムを導入しているレースにおいて、山岳など小集団スプリントになった場合は、上位を狙うために総合狙いの選手もスプリントを行う事がある<ref group="注">ブエルタ・ア・エスパーニャ2009の第19ステージ、上位12人による2位狙いスプリントで総合リーダーだった[[アレハンドロ・バルベルデ]]が頭を取り、ボーナスタイム12秒を入手して他を突き放している。</ref>。 : また、総合優勝及び新人賞争いをしている選手が少人数の逃げに乗り、そのままゴールまで行けてしまったような状況でも、同じ逃げ集団にライバルが居ない限り、トップとタイム差無しでステージを終えられれば、賞争いで前進することが出来るため、ステージ優勝は逃げ集団の他の選手に譲ることも多い。 : これは、逃げ集団の他の選手としても、賞争いに手を貸す代わりにステージ優勝争いからは降りて貰うことを前提として走っていることが多いこと、総合優勝や新人賞を狙うような有力選手が、幸運にもステージ優勝を狙うチャンスに恵まれた選手たちを押しのけてまで勝とうとするのはマナーに反するという選手間の共通認識も関わっている。 : もちろん山頂ゴールなどで総合優勝及び新人賞争いの選手が他の選手を全て千切ってしまった場合や、先頭集団に総合優勝及び新人賞を争う選手たちしか残っていない場合には、この限りではない。また直近に優勝を譲ったことがある選手同士の場合は優勝を譲らないなど、ある種の貸し借り関係のようなものも影響する<ref group="注">過去には、[[ツール・ド・フランス2004|2004年のツール・ド・フランス]]において、第12ステージで[[ランス・アームストロング]]が[[イヴァン・バッソ]]に優勝を譲ったものの、翌日の第13ステージではアームストロングがバッソにスプリント勝負を仕掛けて自らステージ優勝した(ただし後年に[[ドーピング]]が発覚してステージ優勝は取消、詳しくは[[ランス・アームストロングのドーピング問題]]を参照)例などがある。</ref>。 : ただし総合優勝争いを演じている選手同士の場合など、ごく稀にこのような形でステージ優勝を譲られることによりプライドを傷つけられ、その後選手間の不仲に発展するケースもある<ref group="注">[[ツール・ド・フランス2000|2000年のツール・ド・フランス]]第12ステージで、ランス・アームストロングに優勝を譲られた[[マルコ・パンターニ]]が激怒した例などが有名。</ref>。 ; 「着き位置」をした選手のステージ優勝はあまり歓迎されない : その逃げが成功することで自チームの選手の優勝&各賞争いで不利になるなど、チームにとって好ましくない影響を及ぼすような逃げを失敗させようとする場合、そのチームの選手は逃げ集団に入っても、先頭交代に加わらないまま「着き位置」を保ち、そのままでは先頭交代している選手のみが疲労し不利になる状況を作ることで逃げを潰そうとするが、そのようなチーム戦略上の理由から逃げ集団の先頭交代に加わらなかった選手は最終的にステージ優勝争いから降りる例が時に見られる<ref group="注">2006年のジロ・デ・イタリア第19ステージで、チームCSCのエースであるイヴァン・バッソのために逃げ集団に着き位置していた[[イェンス・フォイクト]]が、最後まで逃げ続けた[[フアン・マヌエル・ガラテ]]にステージ優勝を譲った例などがある。</ref>。また、そのような選手がステージ優勝してしまった場合は他のチームから苦言を呈されることもあるが、チーム戦略上の明確な理由や必然性なく「着き位置」だった選手がステージ優勝した場合は、非難を受けることを覚悟せねばならない。 ; リーダージャージを抱えるチームが集団の先頭を積極的に引く : ステージレースではリーダージャージ(総合優勝争いで首位にいることを示すジャージ。「[[マイヨ・ジョーヌ]]」、「[[マリア・ローザ]]」、「[[マイヨ・ロホ]]」など)を着た選手を抱えるチームが集団の先頭を引くことが暗黙の了解となっている。大差の逃げ切りにより「リーダーの座を奪われない」ようペースをコントロールするのが大きな理由だが、「エースが集団の後方にいると、落車により集団が分断されるなどのアクシデントが起きた場合に大きなタイム差をつけられてしまう」ためにそのリスクを避けるという意味合いもある。それ以外に「逃げた選手を積極的に追撃」したり、逆に「逃げ集団をあまり早く吸収し過ぎないようペースを落とす」<ref group="注">ゴールまでの残り距離が遠い場合は、逆に新たな逃げ集団を発生させてしまうことが多いため。通常の平坦ステージでは「ゴールまで残り数kmのところで逃げ集団を吸収してゴールスプリントへの準備に移る」のが理想とされる。</ref>などの役割を果たすことも求められる。平坦ステージの場合には逃げを潰して「ゴールスプリントでステージ優勝を取りたい」有力スプリンターを擁したチームが終盤では役目を受け継ぐのが基本となる。このため、勝負どころの中盤〜後半のステージにたどり着く前にアシスト選手たちが消耗してしまうことを嫌い、敢えて序盤は総合優勝争いで首位に立たずにレースを進めることもある。 ; アクシデントにつけ込まない : ゴール直前の数kmを除き、メイン集団内にいる有力な選手がパンクで一旦停止したり、落車に巻き込まれた場合、その隙をついてアタックをかけたりして、一気にペースを上げることはマナー違反とされている<ref group="注">2009年のツール・ド・フランス第9ステージでは、残り3km地点で逃げ集団を猛追撃していたメイン集団内で[[チーム・サクソバンク]]のエース[[アンディ・シュレク]]にパンクのトラブルが発生し、これが原因でメイン集団が減速したため結果的に逃げが決まった。反対に2007年のツール・ド・フランス第5ステージでは、残り25km地点で[[アスタナ・チーム|アスタナ]]のエース[[アレクサンドル・ヴィノクロフ]]が落車したが、既に逃げ集団を吸収する態勢に入っていたメイン集団はヴィノクロフを待つことなく加速してしまった。このためヴィノクロフはこのステージだけで1分20秒も失ってしまい、落車のダメージもあって、その後マイヨ・ジョーヌ争いからは脱落していった(最終的にドーピング陽性で失格)。</ref>。 : ただし、逃げ集団は必ずしもこの限りでないため、こうしたトラブルが起きた場合は、メイン集団のスピードが落ちるため、逃げ切れるチャンスが生まれることになる。 ; 地元選手が挨拶するための逃げは容認する : グランツール等の大レースでは、レース途中に出身地・居住地の近辺を通過する選手が、沿道に応援に駆けつけた家族や友人等への挨拶のために集団から逃げることが少なくない。これは逃げることで家族らと立ち止まって会話するための時間を稼ぐのが目的であることから、集団はあえてその選手を追わず逃げを容認する。もちろん逃げる選手側は事前に集団にその旨を告げてから逃げる必要があり、挨拶の後は集団が追いついてくるまで待つことがマナーとされる。 ; グランツールの最終ステージは周回コースに入るまでのんびり走る : グランツールの最終ステージは、近年はツール・ド・フランスなら[[パリ]]・[[シャンゼリゼ通り (ツール・ド・フランス)|シャンゼリゼ通り]]、ブエルタ・ア・エスパーニャなら[[マドリー]]・[[シベーレス広場]]にゴールするのが通例となっており<ref group="注">ジロ・デ・イタリアでは[[ミラノ]]が最終ステージの通例とされてきたが、[[ジロ・デ・イタリア 2009|2009年]]にジロ100周年記念として[[ローマ]]で個人タイムトライアルが行われたのを皮切りに、「ミラノ固定」ではなくなりつつある。</ref>、選手たちはパリやマドリー近郊の街から数十kmを走り、最後に都心部の周回コースに突入することになる。そして各賞の優勝争いが僅差になっていない限りは、この周回コースに入るまでゆったりと走行する。これは、グランツール最終ステージが世界最高峰のステージレースを最後まで走り抜いた選手たちの凱旋走行と位置づけられているためである。そのためツール・ド・フランスでは、沿道の観客から[[シャンパン]]を振る舞われつつ、のんびりと走ってゆく選手たちの姿が見られる。ただし、ジロ・デ・イタリアやブエルタ・ア・エスパーニャでしばしば見られ、ツール・ド・フランスでも1989年実施された例のように、最終ステージが個人タイムトライアルとなっている場合は、もちろんこれはあてはまらない。 ; トイレタイム中にアタックをかけない : レース中に食事するのが自転車レースの大きな特徴であるが、当然入れる物を入れれば出さなければならず、ミドルペースで走る追走集団の人はチーム内でまとまって一旦停止し用を足す事がある。その際他チームがアタックをかけ引き離すのはマナー違反とされる。 == ジャージ == ロードレース選手で特定の成績を上げた選手は、レース中それに応じた[[ジャージ]]を着なければならない。また、着用が義務となっている場合が多く、レースで着用をしなかった場合に罰金などのペナルティを課せられることがある。 ロードレースにおいては以下のようなジャージが代表的である。 ; 個人総合時間リーダージャージ : ステージレースにおける総合首位(全ステージの走破タイムの合計が最も少ない)選手がそのステージレース開催期間中に着る。ツール・ド・フランスの「[[マイヨ・ジョーヌ]](黄色いジャージ)」、ジロ・デ・イタリアの「[[マリア・ローザ]](薄桃色のジャージ)」が有名。ブエルタ・ア・エスパーニャでは「[[マイヨ・ロホ]](赤色のジャージ)」がこれにあたる。レース開催期間中、個人総合時間ジャージは他のすべてのジャージに優先する。 ; ポイントリーダージャージ : ステージレースにおけるスプリントポイント最多獲得選手がそのステージレース開催期間中に着る。また、総合首位の場合は個人総合時間リーダージャージを優先して着用する。ツール・ド・フランスの「[[マイヨ・ヴェール]](緑色のジャージ)」が有名。 ; 山岳リーダージャージ : ステージレースにおける山岳ポイント最多獲得選手がそのステージレース開催期間中に着る。ツール・ド・フランスの「[[マイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュ]](白地に赤い水玉模様)」が有名。また、総合首位の場合は個人総合時間リーダージャージを優先して着用する。 ; 世界選手権ジャージ : [[世界選手権自転車競技大会]]ロードレース部門の優勝者が、次回世界選手権開催前日まで世界中のロードレースで着用することを許可される(正確には義務)。白地に5色の線(Arc an ciel—虹色)が入ったジャージは通称「[[マイヨ・アルカンシエル]]」と呼ばれ、このジャージを着ることは自転車競技者として最高の栄誉の一つとされる。また、一度アルカンシエルを獲得した選手は、翌年度以降も自身のジャージの袖や襟、車体の一部にアルカンシエルを模した柄を入れることが許される(これは義務ではない)。 : なお、世界選手権ロードレース部門は、「ロードレース(マスドレース)」と「個人タイムトライアル」の2競技があり、ロードレース競技での優勝者がタイムトライアル競技やタイムトライアルステージ(個人TTまたはチームTT)でアルカンシエルを着ることはできず、逆もまた然りである。また、ステージレースにおいて各賞で首位に立っている場合は、各リーダージャージを優先して着用しなければならない(一部例外もあり)。 ; ナショナルチャンピオンジャージ : ロードレース競技とタイムトライアル競技の[[国内選手権大会 (自転車競技)|国内選手権]]優勝者は、それぞれ次回大会の開催までこのジャージを世界中のロードレースで着用する。ナショナルチャンピオンジャージはそれぞれの国の国旗またはそれに準ずる[[ナショナルカラー|イメージカラー]]<ref group="注">例えば、フランス・ベルギー・オランダ・イタリア・スペインは国旗の色をそのままジャージにあしらっている。白地にストライプをあしらっているものでは、イギリス(赤・白・紺)、ドイツ(黒・赤・金)、オーストラリア(緑・黄・緑)が挙げられる。日本は日の丸、アメリカは星条旗を模したデザイン。ニュージーランドは黒地にシダである。ただしこれらのデザインは、所属チームやスポンサーの意向により変更される場合も多く、必ずしも固定されていない。</ref>をあしらった非常に目立つもので、これを着用して世界の檜舞台に立つことはロードレース選手にとって大変な名誉とされる。また各国のファンも、自国のナショナルチャンピオンには格別の声援を送る。ナショナルチャンピオンを獲得した選手はアルカンシエル同様、翌年度以降も自身のジャージの袖や襟に国旗またはそれに準ずるデザインを入れる権利を得る。 : 世界選手権ジャージと同様、ロードレース競技のチャンピオンジャージはタイムトライアル競技やタイムトライアルステージでは着用不可、逆の場合も同様。また、ステージレースにおいて各賞で首位に立っている場合は、各リーダージャージを優先する(一部例外もあり)ほか、世界選手権に優勝した場合は世界選手権ジャージが優先となる。 : 諸事情により国内選手権が開催されなかった年があった場合は、前年の優勝者が引き続き着用することになる(例:2006年のスペイン選手権は[[オペラシオン・プエルト]]の影響により、選手の[[ボイコット]]が発生して中止された)。 : 日本では[[全日本自転車競技選手権大会|全日本選手権]]ロード及びタイムトライアルの優勝者がこれを着る事になるが、全日本選手権でアシストを多く使えるJプロツアー、もしくはUCIコンチネンタル在籍選手が有利なため、海外から凱旋してくるUCIプロコンチネンタルやUCIプロツアー在籍の選手が勝つことが困難な状況であり(元チームメイトぐらいしか協力してくれる選手が居ない)、国内選手権をメインに走っているライダーが選手権を制覇した場合、海外の試合に出場することが希なため、海外の大会で目にする事は少ない。2006シーズンにロード&TTの両チャンピオンを取った[[別府史之]](当時ディスカバリーチャンネル在籍中)が、2007シーズン(2007年度全日本選手権開催前なので別府が保持したまま)の[[パリ〜ルーベ]]にて、ナショナルチャンピオンジャージを身につけ集団の先頭を引く姿が映し出された事がある。また別府は2011シーズンでもダブルタイトルを手にしたが、2012シーズンのジロ・デ・イタリアにて、所属している[[オリカ・グリーンエッジ]]が大会直前にスポンサーを獲得しジャージが替わったのにもかかわらず、ナショナルチャンピオンジャージの発注を忘れたが故に、ユニフォーム違反で罰金を受けるという珍トラブルが発生した。 ステージレースのリーダージャージには胸部に[[紙の寸法#A列|A4]]サイズの白い枠が設けられている場合がある。これは、ジャージ該当選手のチーム名・チームロゴを入れるためのものである。一つのステージが終了しジャージ該当選手が確定した後、白い枠の部分に[[昇華インク]]でチーム名・チームロゴを[[鏡像]]印刷したシートを乗せ、プレス機で熱転写を行うことでジャージにチーム名・チームロゴをプリントする(場合によってはステッカーで済ませる場合もある)。 == 日本におけるロードレース == ; 国際格式のレース : [[UCIアジアツアー]]対象としてワンデイロードレースの[[ジャパンカップサイクルロードレース]]、ステージレースの[[ツアー・オブ・ジャパン]]、[[ツール・ド・北海道]]、[[ツール・ド・おきなわ]]、[[ツール・ド・熊野]]があり、ジャパンカップサイクルロードレースがカテゴリー超級、ツアー・オブ・ジャパンがカテゴリー一級であり他はカテゴリー2級とされている。また、海外の招待選手を加えた個人レースの[[シマノ鈴鹿ロードレース|シマノ鈴鹿国際ロードレース]]、[[ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム]]が毎年行われている。 ; 全日本格式のレース : [[日本自転車競技連盟]]により[[国民体育大会自転車競技|国民体育大会]]及び[[全日本自転車競技選手権大会]]が個人レースとして、[[全日本自転車競技選手権大会|全日本選手権個人タイムトライアル・ロードレース]]が個人タイムトライアルとして毎年行われているほか、高校生と女子のみを対象としたステージレースとして[[全日本ステージ・レースinいわて]]がある。 ; 社会人自転車競技クラブを対象としたレース : [[全日本実業団自転車競技連盟]]により行われる[[JBCFロードシリーズ]]は、[[全日本実業団対抗サイクルロードレース大会|経済産業大臣旗ロードチャンピオンシップ]]を頂点とし、それに準ずる[[東日本ロードクラシック|東日本]]及び[[西日本ロードクラシック|西日本]]両ロードクラシックなど4大会のほか20大会以上が毎年行われており、その内の15大会前後は[[サイクルロードレースジャパンツアー|Jプロツアー]]、20大会以上は[[Jエリートツアー]]及び[[Jフェミニンツアー]]対象レースである。なお、大学自転車競技部もクラブ登録可能である。 ; 大学自転車競技部を対象としたレース : [[日本学生自転車競技連盟]]により、[[全日本大学対抗選手権自転車競技大会|文部科学大臣杯全日本大学対抗選手権自転車競技大会]]、全日本学生選手権格式の[[全日本学生選手権チームロードレース大会|チームロードレース]]、個人ロードレース、クリテリウムの各大会ほか、年間10戦程度の[[全日本学生ロードレース・カップ・シリーズ]]が行われている。なお、実業団登録された社会人クラブに所属する社会人も限定的に参加可能である。 ; 高等学校自転車競技部を対象としたレース : [[全国高等学校体育連盟]]により、[[全国高等学校総合体育大会自転車競技大会|全国高等学校総合体育大会]]及び[[全国高等学校選抜自転車競技大会]]が毎年行われている。 ; 各都道府県自転車競技連盟によるレース : 各都道府県個別に独自裁量の多様な形態のロードレースを主管している。 ; 競技者登録を必要としない市民レース : 日本自転車競技連盟による[[チャレンジサイクルロードレース大会]]、各都道府県自転車競技連盟による地元未登録カテゴリーレース、[[日本サイクルレーシングクラブ協会]]主催の年間シリーズ戦が代表的であり、他にも単独開催又は国際格式レース及び実業団レースとの併催など全国に多数存在し、中でも[[ヒルクライム]]と[[エンデューロ#自転車によるエンデューロ|エンデューロ]]は我が国の2大ホビーレースといえる。ヒルクライムは単独転倒や集団落車に伴う受傷、機材損傷の危険が低くフィニッシュ後の達成感が大きい事から参加希望者が多く、エンデューロは個人の負担が低く気の合う仲間達と楽しむ要素が大きい為人気が高い。 ; 2010年における競技者数 : 2010年現在、日本自転車競技連盟へは約5,500名が競技者として登録されているが、人口が日本比1/2のフランスでは約70,000名、1/11のベルギーでは約50,000名、日本同様に自転車競技がメジャーではない英国においても人口比1/2で約11,000名である。 == 競技者の特徴 == * [[クライマー (自転車競技)|クライマー]](グランパー) * [[スプリンター (自転車競技)|スプリンター]] * [[ルーラー]](スピードマン) * [[タイムトライアルスペシャリスト]](TTスペシャリスト、クロノマン) * [[オールラウンダー (自転車競技)|オールラウンダー]] * [[パンチャー (自転車競技)|パンチャー]] * [[クラシックスペシャリスト]] == 有名な選手 == ''[[自転車ロードレース選手一覧]]''も参照のこと === 男子 === {{Columns-list|2| * [[ファウスト・コッピ]]([[イタリア]]) * [[ジャック・アンクティル]]([[フランス]]) * [[エディ・メルクス]]([[ベルギー]]) * [[ベルナール・イノー]](フランス) * [[グレッグ・レモン]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]]) * [[ステファン・ロシュ]]([[アイルランド]]) * [[ミゲル・インドゥライン]]([[スペイン]]) * [[ランス・アームストロング]](アメリカ) * [[ローラン・フィニョン]](フランス) * [[マルコ・パンターニ]](イタリア) * [[ペドロ・デルガド]](スペイン) * [[アルベルト・コンタドール]](スペイン) * [[マリオ・チポリーニ]](イタリア) * [[イヴァン・バッソ]](イタリア) * [[ヤン・ウルリッヒ]]([[ドイツ]]) * [[エリック・ツァベル]](ドイツ) * [[トム・ボーネン]] (ベルギー) * [[ロビー・マキュアン]]([[オーストラリア]]) * [[ジルベルト・シモーニ]](イタリア) * [[市川雅敏]]([[日本]]) * [[今中大介]](日本) * [[大門宏]](日本) * [[阿部良之]](日本) * [[別府史之]](日本) * [[新城幸也]](日本) * [[三船雅彦]](日本) * [[土井雪広]](日本) * [[宮澤崇史]](日本) }} === 女子 === * [[沖美穂]](日本) == ロードレースを題材とした作品 == {{Seealso|Category:自転車を題材とした作品}} ; アニメ :* [[茄子 アンダルシアの夏]]([[ブエルタ・ア・エスパーニャ]]を描いたアニメ) :* [[茄子 スーツケースの渡り鳥]](上記の続編アニメ、[[宇都宮市|宇都宮]]開催の[[ジャパンカップサイクルロードレース]]が舞台) : ;小説 :* [[サクリファイス (小説)|サクリファイス]]、[[エデン (近藤史恵)|エデン]]、[[サヴァイヴ (小説)|サヴァイヴ]]、[[キアズマ (小説)|キアズマ]]([[近藤史恵]]の小説) : ; 漫画 :* [[Over Drive (漫画)|Over Drive]]([[安田剛士]]の漫画) :* [[弱虫ペダル]]([[渡辺航 (漫画家)|渡辺航]]の漫画) :* [[ツール!]]([[大谷アキラ]]の漫画) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2|2}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == {{Refbegin}} * {{Cite book |和書 |author=ふじいのりあき |year=2008 |title=ロードバイクの科学: そうだったのか!明解にして実用!:理屈がわかれば、ロードバイクはさらに面白い! |series=SJセレクトムック No.66 |publisher=スキージャーナル |ncid=BA85756326 |isbn=9784789961653 |ref=fujii2008}} * {{Cite book |和書 |author=今中大介 |year=2005 |title=今中大介のロードバイクバイブル : ひとりでも多くの人に自転車の魅力を知ってほしい |publisher=ロコモーションパブリッシング |ncid=BA72904690|isbn=4862120083|ref=imanaka2005}} {{Refend}} == 関連項目 == * [[ニュートラルカー]] * [[補給食]] * [[ハンガーノック]] * [[チームオーダー]] * [[マウンテンバイクレース]] * [[トラックレース]] * [[シクロクロス]] * [[J SPORTS cycle road race]] == 外部リンク == * [https://www.uci.org/ UCI(国際自転車競技連合)]{{en icon}} * [https://jcf.or.jp/ JCF(日本自転車競技連盟)] * [http://www.cyclingtime.com/ CYCLINGTIME.com] {{スポーツ一覧}} {{Sports-stub}} {{Bicycle-stub}} {{デフォルトソート:ろおとれえす}} [[Category:自転車ロードレース大会|*]] [[Category:自転車競技]] [[Category:オリンピック競技]]
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コンピュータグラフィックス
コンピュータグラフィックス(英: computer graphics、略称: CG)は、コンピュータを用いて画像を生成する科学技術、及びその技術によって生成される画像のことである。 表現手段としてのCGは、鮮やかな色彩、編集の容易さ、非現実的な映像などを提供することができる。映画、アニメ、テレビコマーシャル、イラストレーション、漫画などの画像・映像コンテンツ制作や、ゲーム、バーチャル・リアリティなどのインタラクティブコンテンツ制作に用いられる一般的な手段として定着している。実写による映像表現においても、CGを合成することによる効果(VFX)を加えることがある。 また医療、建築、プロダクトデザイン、可視化などの分野でもCGは要素技術として用いられている。 CGの作成プロセスは、主に3D CG(3次元コンピュータグラフィックス)と2D CG(2次元コンピュータグラフィックス)に大別される。 3Dにおいては、視点の変更の容易さ、滑らかなアニメーションなどを特徴とする。3DCGの制作プロセスは、形状データを定義・作成するモデリングと、形状データから最終的な画像を出力するレンダリングに大別され、レンダリング技術にはスキャンライン、レイ・トレーシング、ラジオシティなどがある。 英語圏でCGと言えば、3DCGを指し、2Dのイラストはドローイングと呼ばれ区別されている。一方、日本では2DCGも3DCGと同様にCGと呼ばれるため、区別するためにCGイラストなどといった用語が定着している。そのため英語圏において2DCGを指して「CG」「コンピュータグラフィックス」などと言うと訝しがられることもあり注意が必要である。 2D、3Dの区分は方法論としての区分(作成のプロセスによる区別)で、作品としてのCGは2D、3Dのどちらかで創られたと単純に大別はできず、3Dの手法で創られた画像を2Dの手法で加工したり、2Dで描いた絵の上に3Dで作った画像を合成するといったことは頻繁に行われている。 またCGはフォトリアリスティックとノンフォトリアリスティックに分かれる。前者は限りなく精密で写真と見紛うようなリアルなものを追求し、後者は逆に鉛筆や絵具で描いたような画像を作る。ノンフォトリアリスティックな画像生成は1998年頃からSIGGRAPH(シーグラフ)で流行りだした。一方、従来から研究されているフォトリアリスティックな画像生成では、近年は実写と上手に合成するイメージベースドレンダリング、レイ・トレーシング法を改良したフォトンマッピングなどがさらに研究が進められている。 立体的な表現であっても、ドローイングの編集ソフト(Corel PainterやAdobe Photoshop等)で制作した画像はドローイングとされるが、3DCGとして制作し出力された画像を上記ソフトウェア等で編集することもよく行われる。 ドローイング(drawing)は「単純にコンピュータを使って描く絵」で、主に「ペイント系」、「ドロー系」の二つに分類される。ペイント系ソフトはフリーハンド描画や写真修整に適した画素ベースのラスタ形式とも呼ばれ、ドロー系ソフトはロゴデザインや設計・製図などに適したベクタ形式とも呼ばれる。 アプリケーションの中で二つの表現形式が混在しているケースもあり、さらにペイント系アプリケーションは、伝統的な筆や画材をコンピューター上で再現したように手で描くペイントグラフィックと、従来暗室などで行っていたような写真の修整や合成を主とするフォトレタッチの二つに大別される。ドローイングで扱われる技術は、イラストレータや漫画家の効率化と表現の拡大に貢献している。 詳細は2次元コンピュータグラフィックスの記事を参照。 3DCGはコンピュータに物体の形状、カメラの向きと画角と位置、光源の強度と位置などの情報を入力して、コンピュータ自身にプログラムで画像を計算・生成させる手法を言う。人間が手で描く必要がなく、カメラの位置を少しずつ変えたり、物体の位置を変えたりするだけで、いったん作った情報から異なる画像を大量に作り出すことが出来るため動画制作に向いており、近年の映画のリアリティ向上に多大な貢献をしている。またゲームなどでは主人公に360度の視界を持たせることができるなど利点が多いため多用されている。3DCGの最終的な出力先であるディスプレイやスクリーンなどは二次元(2D)だが、3DCGは作成時に持っている情報が三次元(3D)である。 詳細は3次元コンピュータグラフィックスの記事を参照。 CAD(Computer-aided design)はコンピュータを用いて設計をすること。あるいはコンピュータによる設計支援ツールおよびそれらを統合したシステムのこと。建築物や工業デザインなどの分野でそれぞれに専門化したソフトウェアが使用される。二次元CADと三次元CADに大別されるが、設計図を作成する目的に特化しているので、設計の技術や知識を持っていることが使用の前提となる。レンダリング等のいわゆる3DCGとしての出力には別のソフトの支援を要する場合が多い。 ムービー(movie)とは動画のことである。Adobe社のプレミア、Corel社のビデオスタジオなどの動画を扱う専用ソフトで編集する。特殊効果には同じAdobe社のアフターエフェクトなどがよく使用される。 本格的にCGが映画に採用されたのは、1982年の『トロン』からだと言われているが、技術的・予算的な制約により、実際には大半のシーンではCGに似せた手描きのアニメーションや光学合成を使用していた。日本でも1980年代始めに大阪大学工学部大村皓一助教授(当時)の研究する並列処理コンピュータ「LINKS-1」を使ったメタボールによるモデリングを利用した『ゴルゴ13』などで比較的古くから活用されていた。『オレたちひょうきん族』のオープニングやアニメ・『タイムボカン』のタイムスリップのシーンなども有名である。1985年に開催された科学万博では各パビリオンで多くのCGが使用され、世界初の全天周立体映画『ザ・ユニバース』が上映された。1990年に開催された花の万博では液晶シャッター式のカラーの全天周立体映画『ザ・ユニバース2』が上映され、幕張では2000年代初頭には『エンカウンター』が上映された。 初期には制作コストが高かったために、CG風の斬新なイメージを求めて実写合成などを行ったものも多く存在した。例として1981年の『ニューヨーク1997』では、グライダーが夜間飛行をするシーンのモニタ映像は3DCG風ではあるが、実はリスフィルムによる撮影と光学合成を駆使した実写合成である。この手法はテレビコマーシャルなどでも多用された。黎明期ならではのできごとである。 映画におけるCGは1990年代前半に飛躍的な進歩を遂げた。まず、1991年の『ターミネーター2』におけるVFXで注目を集める。続いて1993年の『ジュラシック・パーク』では、CGが従来のストップモーション・アニメーションに全面的に取って代わった。そして、1995年の『トイ・ストーリー』はフル3DCGで作成された初の劇場用長編と銘打って公開された。2000年代に入ると、多かれ少なかれほとんどの映画で使われるようになる。現在では、時間とお金さえかければ作れないシーンはないとまで言われている。 かつてはSGIなどの高性能ワークステーションや専用のレンダリングサーバ、時としてスーパーコンピュータなどを用いてレンダリング処理を行っており、大変コストがかかるものであった。その後パソコンの高性能化に伴い、安価で高性能なパソコンを使って分散レンダリングを行う方法が主流となってきている。安価なパソコンをレンダリング専用にクラスター化したものをレンダーファームと呼び、大手プロダクションでは数百台規模のパソコンをクラスター化する例が多くなっている。普段はレンダリング以外の業務用に使われるパソコンを就業時間後にレンダーファームに組み込んでレンダリングに転用することで効率化を図っている例も有る(例えば「タイタニック」や「ジュラシック・パーク」など)。 レンダリングによりあらかじめ一枚一枚の画像を作り、それらを繋げて映像化したものをプリレンダリング映像という。現在の映画はすべてこの方法によるものであるが、ゲーム機ではリアルタイムのレンダリングによる映像の提供も進んでいる。 一枚ずつセルに絵具(アニメカラー)で彩色する工程を踏んでいたアニメーション制作にもコンピュータ彩色(閉じたエリアに色を流し込む)を導入することで効率化が図られているが、日本では1983年のNHKアニメーション「子鹿物語」が最初とされる。 特殊効果(VFX)にCGを使用することは一般的に行われており、以前は専用の機材を用いて主にCGは特撮、SF映画で使用されていたが、汎用で安価なPCの発達により、現在では一般の映画(または、映画並みの特殊効果が要求される連続ドラマ)でも多用されており、街全体を仮想的なセットとして作るような目的では、一見しただけではCGであることを意識させない作品も多い。 日本でパソコンCGが一般化する契機となったのは、1985年に発売されたNECのPC-9801VM(PC-9800シリーズ)あたりからで、640×400画素ながら4,096色中の16色をインデックスカラーで表示できるというスペックで、特にコンピュータゲームの表現力の向上に貢献した。 日本国内のパソコンはまだグラフィックデザインの分野で実用するには貧弱なものであったが、1987年に最初のカラー仕様のMacintosh II(640×480画素、ソフトウェアによるインデックスカラーでの256色同時表示)が登場してからは、次第にグラフィックデザインの分野でMacintoshが浸透していった。本格的な普及はその数年後、カラーイメージスキャナやカラープリンタなどの周辺機器が充実し始めた頃からである。Macintoshは早い時期からWYSIWYGの考え方を導入していた点も、グラフィックデザインにCGを導入するには重要な点であった。 1980年代は様々な企業がデザインへの応用を目的としたCGシステムを発表している。服飾メーカーのJUNは4D-BOX(512×512画素、16,777,216色中256色同時表示)を開発、今ではパソコン周辺機器メーカーとして知られるアイ・オー・データ機器も、ほぼ同様なスペックの西陣織デザインシステムを開発した。また日本ビクターではCGアニメーション専用システムを発売、ヤマハもYISシリーズがデザイナーから注目を浴びた。 アニメにおいては、1983年公開の映画『ゴルゴ13』や、1983年NHK総合テレビ放送の『子鹿物語 THE YEARLING』、1984年公開の映画『ドラえもん のび太の魔界大冒険』以降にCGが使用された。その後、1993年からNHK教育テレビの『天才てれびくん』内で放送されたバーチャル3部作において、アニメや実写と共にCGが使われている。アルファブレンディングなどを使った光線や爆発の表現を得意とする一方、手を抜くと容易に質感や量感の乏しいまるでプラモが飛び回っているような絵になってしまう。重厚感を出す部分は、CGを下地にしていても、未だ手作業に頼る部分が多い。 その他、ゲームにおいて、OPやイベント等にCGアニメが使われている。 1973年にワイアーフレーム表示の3D迷路を使ったMaze Warが、その翌年には宇宙を舞台にしたSpasimが登場している。アーケードにおいてExidyが1978年にSTAR FIREを、アタリが1980年にワイアーフレーム表示のバトルゾーン、1983年にI, RobotやSTAR WARS、セガが1982年に擬似3Dシューティングのズーム909や潜水艦ゲームのサブロック3Dを出している。Apple IIにおいて、Sirius Softwareが1981年に擬似3DシューティングのEPOCHやHADRONを出している。PC-6001において、アスキー出版が1982年にOLIONを出している。Atari 8ビット・コンピュータにおいて、1984年にBallblazer、1985年にRescue on Fractalus等の擬似3D処理を使ったソフトが登場している。ファミリーコンピュータにおいて、1987年に3D迷路を使ったデジタル・デビル物語 女神転生が出ている。1988年にはAtari 7800においてF-18 Hornet等のソフトが出ている。スーパーファミコンにおいては、1991年のパイロットウイングス等に使われたDSP-1による擬似3D処理や、1993年のスターフォックス等に使われた3DアクセラレータのスーパーFXチップが存在した。1992年アーケードゲームの基板においてセガが3D描画機能のあるMODEL1を開発、翌1993年に初の3D格闘ゲームバーチャファイターが登場する。その後、1994年にスーパー32X、セガサターン、プレイステーションが出て以降、3Dのゲームが増えることとなった。ファイナルファンタジーにおいては、1997年のFF7以降3Dに、ドラゴンクエストにおいてはDQ7以降3Dになっている。 CGを主軸に置いたゲームとしてはせがれいじり(1999年)や半熟英雄 対 3D(2003年)等が存在する。 水口哲也はクリエイターとしてのキャリア初期である1989年の段階からバーチャルリアリティ推しであったと伝わり、セガの採用面接でも「ゲームではなく未来のエンターテインメントというか、もっとすごいものを作りたい」とこれについて表現したという。 黎明期(1980年代)において、CGは主にアニメの一部やCM、ニュースのOP等に使われた。
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"text": "1973年にワイアーフレーム表示の3D迷路を使ったMaze Warが、その翌年には宇宙を舞台にしたSpasimが登場している。アーケードにおいてExidyが1978年にSTAR FIREを、アタリが1980年にワイアーフレーム表示のバトルゾーン、1983年にI, RobotやSTAR WARS、セガが1982年に擬似3Dシューティングのズーム909や潜水艦ゲームのサブロック3Dを出している。Apple IIにおいて、Sirius Softwareが1981年に擬似3DシューティングのEPOCHやHADRONを出している。PC-6001において、アスキー出版が1982年にOLIONを出している。Atari 8ビット・コンピュータにおいて、1984年にBallblazer、1985年にRescue on Fractalus等の擬似3D処理を使ったソフトが登場している。ファミリーコンピュータにおいて、1987年に3D迷路を使ったデジタル・デビル物語 女神転生が出ている。1988年にはAtari 7800においてF-18 Hornet等のソフトが出ている。スーパーファミコンにおいては、1991年のパイロットウイングス等に使われたDSP-1による擬似3D処理や、1993年のスターフォックス等に使われた3DアクセラレータのスーパーFXチップが存在した。1992年アーケードゲームの基板においてセガが3D描画機能のあるMODEL1を開発、翌1993年に初の3D格闘ゲームバーチャファイターが登場する。その後、1994年にスーパー32X、セガサターン、プレイステーションが出て以降、3Dのゲームが増えることとなった。ファイナルファンタジーにおいては、1997年のFF7以降3Dに、ドラゴンクエストにおいてはDQ7以降3Dになっている。", "title": "ゲームとCG" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "CGを主軸に置いたゲームとしてはせがれいじり(1999年)や半熟英雄 対 3D(2003年)等が存在する。", "title": "ゲームとCG" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": 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コンピュータグラフィックスは、コンピュータを用いて画像を生成する科学技術、及びその技術によって生成される画像のことである。 表現手段としてのCGは、鮮やかな色彩、編集の容易さ、非現実的な映像などを提供することができる。映画、アニメ、テレビコマーシャル、イラストレーション、漫画などの画像・映像コンテンツ制作や、ゲーム、バーチャル・リアリティなどのインタラクティブコンテンツ制作に用いられる一般的な手段として定着している。実写による映像表現においても、CGを合成することによる効果(VFX)を加えることがある。 また医療、建築、プロダクトデザイン、可視化などの分野でもCGは要素技術として用いられている。
{{出典の明記|date=2017年4月}} {{Redirect|CG}} [[File:Glasses 800 edit.png|thumb|300px|コンピュータグラフィックスで描写された画像]] '''コンピュータグラフィックス'''({{lang-en-short|computer graphics、略称: CG}})は、[[コンピュータ]]を用いて画像を生成する科学技術、及びその技術によって生成される画像のことである。 表現手段としてのCGは、鮮やかな色彩、編集の容易さ、非現実的な映像などを提供することができる。[[映画]]、[[アニメーション|アニメ]]、[[テレビコマーシャル]]、[[イラストレーション]]、[[漫画]]などの画像・映像コンテンツ制作や、[[ゲーム]]、[[バーチャル・リアリティ]]などのインタラクティブコンテンツ制作に用いられる一般的な手段として定着している。実写による映像表現においても、CGを合成することによる効果([[VFX]])を加えることがある。 また医療、建築、プロダクトデザイン、可視化などの分野でもCGは要素技術として用いられている。 == 作成プロセスによる分類 == CGの作成プロセスは、主に'''3D CG([[3次元コンピュータグラフィックス]])'''と'''2D CG([[2次元コンピュータグラフィックス]])'''に大別される。 3Dにおいては、[[視点]]の変更の容易さ、滑らかな[[アニメーション]]などを特徴とする。3DCGの制作プロセスは、形状データを定義・作成する[[モデリング]]と、形状データから最終的な画像を出力するレンダリングに大別され、レンダリング技術には[[3次元コンピュータグラフィックス#スキャンライン (Scanline rendering)|スキャンライン]]、[[レイ・トレーシング]]、[[ラジオシティ]]などがある。 英語圏でCGと言えば、3DCGを指し、2Dのイラストはドローイングと呼ばれ区別されている{{要出典|date=2020年4月}}。一方、日本では2DCGも3DCGと同様にCGと呼ばれるため、区別するためにCGイラストなどといった用語が定着している。そのため英語圏において2DCGを指して「CG」「コンピュータグラフィックス」などと言うと訝しがられることもあり注意が必要である。 2D、3Dの区分は方法論としての区分(作成のプロセスによる区別)で、作品としてのCGは2D、3Dのどちらかで創られたと単純に大別はできず、3Dの手法で創られた画像を2Dの手法で加工したり、2Dで描いた絵の上に3Dで作った画像を合成するといったことは頻繁に行われている。 == 写実性による分類 == またCGは'''フォトリアリスティック'''と'''ノンフォトリアリスティック'''に分かれる。前者は限りなく精密で[[写真]]と見紛うようなリアルなものを追求し、後者は逆に鉛筆や絵具で描いたような画像を作る。ノンフォトリアリスティックな画像生成は[[1998年]]頃から[[SIGGRAPH]](シーグラフ)で流行りだした。一方、従来から研究されているフォトリアリスティックな画像生成では、近年は実写と上手に合成するイメージベースドレンダリング、レイ・トレーシング法を改良した[[フォトンマッピング]]などがさらに研究が進められている。 立体的な表現であっても、ドローイングの編集ソフト([[Painter|Corel Painter]]や[[Adobe Photoshop]]等)で制作した画像はドローイングとされるが、3DCGとして制作し出力された画像を上記ソフトウェア等で編集することもよく行われる。 == CGの種類 == === ドローイング === '''ドローイング'''(drawing)は「単純にコンピュータを使って描く絵」で、主に「[[ペイントソフト|ペイント系]]」、「[[ドローソフト|ドロー系]]」の二つに分類される。ペイント系ソフトはフリーハンド描画や写真修整に適した画素ベースの[[ラスタ形式]]とも呼ばれ、ドロー系ソフトはロゴデザインや設計・製図などに適した[[ベクタ形式]]とも呼ばれる。 アプリケーションの中で二つの表現形式が混在しているケースもあり、さらにペイント系アプリケーションは、伝統的な筆や画材をコンピューター上で再現したように手で描く'''ペイントグラフィック'''と、従来暗室などで行っていたような写真の修整や合成を主とする'''フォトレタッチ'''の二つに大別される。ドローイングで扱われる技術は、イラストレータや漫画家の効率化と表現の拡大に貢献している。 <small>詳細は[[2次元コンピュータグラフィックス]]の記事を参照。</small> === 3DCG === '''3DCG'''はコンピュータに物体の形状、カメラの向きと画角と位置、光源の強度と位置などの情報を入力して、コンピュータ自身にプログラムで画像を計算・生成させる手法を言う。人間が手で描く必要がなく、カメラの位置を少しずつ変えたり、物体の位置を変えたりするだけで、いったん作った情報から異なる画像を大量に作り出すことが出来るため動画制作に向いており、近年の映画のリアリティ向上に多大な貢献をしている。またゲームなどでは主人公に360度の視界を持たせることができるなど利点が多いため多用されている。3DCGの最終的な出力先であるディスプレイやスクリーンなどは二次元(2D)だが、3DCGは作成時に持っている情報が三次元(3D)である。 <small>詳細は[[3次元コンピュータグラフィックス]]の記事を参照。</small> === CAD === '''CAD'''(Computer-aided design)はコンピュータを用いて設計をすること。あるいはコンピュータによる設計支援ツールおよびそれらを統合したシステムのこと。建築物や工業デザインなどの分野でそれぞれに専門化したソフトウェアが使用される。二次元[[CAD]]と三次元CADに大別されるが、設計図を作成する目的に特化しているので、設計の技術や知識を持っていることが使用の前提となる。レンダリング等のいわゆる3DCGとしての出力には別のソフトの支援を要する場合が多い。 === ムービー === ムービー(movie)とは動画のことである。Adobe社の[[Adobe Premiere|プレミア]]、Corel社の[[VideoStudio|ビデオスタジオ]]などの動画を扱う専用ソフトで編集する。特殊効果には同じAdobe社の[[Adobe After Effects|アフターエフェクト]]などがよく使用される。 == 映画とCG == 本格的にCGが映画に採用されたのは、[[1982年]]の『[[トロン (映画)|トロン]]』からだと言われている<ref name="filmsite">[https://www.filmsite.org/visualeffects5.html Visual and Special Effects Film Milestones<!-- Bot generated title -->]</ref>が、技術的・予算的な制約により、実際には大半のシーンではCGに似せた手描きのアニメーションや光学合成を使用していた。日本でも1980年代始めに大阪大学工学部[[大村皓一]]助教授(当時)の研究する[[並列処理]]コンピュータ「LINKS-1」を使った[[メタボール]]によるモデリングを利用した『[[ゴルゴ13]]』などで比較的古くから活用されていた。『[[オレたちひょうきん族]]』のオープニングやアニメ・『[[タイムボカン]]』のタイムスリップのシーン<ref group="注釈">『タイムボカン』では「[[スキャニメイト]]」という技術で作られたアナログCGが用いられた。</ref>なども有名である。[[1985年]]に開催された[[国際科学技術博覧会|科学万博]]では各パビリオンで多くのCGが使用され、世界初の全天周立体映画『ザ・ユニバース』が上映された。[[1990年]]に開催された[[国際花と緑の博覧会|花の万博]]では液晶シャッター式のカラーの全天周立体映画『ザ・ユニバース2』が上映され、幕張では2000年代初頭には『エンカウンター』が上映された。 初期には制作コストが高かったために、CG風の斬新なイメージを求めて実写合成などを行ったものも多く存在した。例として[[1981年]]の『[[ニューヨーク1997]]』では、グライダーが夜間飛行をするシーンのモニタ映像は3DCG風ではあるが、実はリスフィルムによる撮影と[[光学合成]]を駆使した実写合成である。この手法はテレビコマーシャルなどでも多用された。黎明期ならではのできごとである。 映画におけるCGは1990年代前半に飛躍的な進歩を遂げた。まず、[[1991年]]の『[[ターミネーター2]]』における[[VFX]]で注目を集める。続いて1993年の『[[ジュラシック・パーク (映画)|ジュラシック・パーク]]』では、CGが従来の[[ストップモーション・アニメーション]]に全面的に取って代わった。そして、1995年の『トイ・ストーリー』はフル3DCGで作成された初の劇場用長編と銘打って公開された。2000年代に入ると、多かれ少なかれほとんどの映画で使われるようになる。現在では、時間とお金さえかければ作れないシーンはないとまで言われている。 かつては[[Silicon Graphics|SGI]]などの高性能[[ワークステーション]]や専用のレンダリングサーバ、時としてスーパーコンピュータなどを用いてレンダリング処理を行っており、大変コストがかかるものであった。その後パソコンの高性能化に伴い、安価で高性能なパソコンを使って分散レンダリングを行う方法が主流となってきている。安価なパソコンをレンダリング専用に[[コンピュータ・クラスター|クラスター化]]したものを[[レンダーファーム]]と呼び、大手プロダクションでは数百台規模のパソコンをクラスター化する例が多くなっている。普段はレンダリング以外の業務用に使われるパソコンを就業時間後にレンダーファームに組み込んでレンダリングに転用することで効率化を図っている例も有る(例えば「[[タイタニック (映画)|タイタニック]]」や「[[ジュラシック・パーク]]」など)。 レンダリングによりあらかじめ一枚一枚の画像を作り、それらを繋げて映像化したものをプリレンダリング映像という。現在の映画はすべてこの方法によるものであるが、ゲーム機ではリアルタイムのレンダリングによる映像の提供も進んでいる。 一枚ずつセルに絵具(アニメカラー)で彩色する工程を踏んでいた[[アニメーション]]制作にもコンピュータ彩色(閉じたエリアに色を流し込む)を導入することで効率化が図られているが、日本では1983年のNHKアニメーション「[[子鹿物語 (アニメ)|子鹿物語]]」が最初とされる。 特殊効果(VFX)にCGを使用することは一般的に行われており、以前は専用の機材を用いて主にCGは特撮、SF映画で使用されていたが、汎用で安価なPCの発達により、現在では一般の映画(または、映画並みの特殊効果が要求される連続ドラマ)でも多用されており、街全体を仮想的なセットとして作るような目的では、一見しただけではCGであることを意識させない作品も多い。 == デザインとCG == 日本でパソコンCGが一般化する契機となったのは、1985年に発売されたNECのPC-9801VM([[PC-9800シリーズ]])あたりからで、640×400[[画素]]ながら4,096色中の16色を[[インデックスカラー]]で表示できるというスペックで、特に[[コンピュータゲーム]]の表現力の向上に貢献した。 日本国内のパソコンはまだ[[グラフィックデザイン]]の分野で実用するには貧弱なものであったが、1987年に最初のカラー仕様の[[Macintosh]] II(640×480画素、ソフトウェアによるインデックスカラーでの256色同時表示)が登場してからは、次第にグラフィックデザインの分野でMacintoshが浸透していった。本格的な普及はその数年後、カラーイメージスキャナやカラープリンタなどの周辺機器が充実し始めた頃からである。Macintoshは早い時期から[[WYSIWYG]]の考え方を導入していた点も、グラフィックデザインにCGを導入するには重要な点であった。 1980年代は様々な企業がデザインへの応用を目的としたCGシステムを発表している。服飾メーカーの[[JUN (ファッションブランド)|JUN]]は'''4D-BOX'''(512×512画素、16,777,216色中256色同時表示)を開発、今ではパソコン[[周辺機器]]メーカーとして知られる[[アイ・オー・データ機器]]も、ほぼ同様なスペックの[[西陣織]]デザインシステムを開発した。また[[日本ビクター]]ではCGアニメーション専用システムを発売、[[ヤマハ]]も[[YIS]]シリーズがデザイナーから注目を浴びた。 <!-- 歴史の項に相応しいでしょうか? [[パソコン通信]]では[[NAPLPS]]などの形式が使われていた。 --> == アニメとCG == アニメにおいては、1983年公開の映画『[[ゴルゴ13#劇場アニメ|ゴルゴ13]]』<ref>[https://www.toei-anim.co.jp/sp/ee_cgmovie/cganimelist/#theater EE.jp:日本のCGアニメリスト]</ref>や、1983年NHK総合テレビ放送の『[[子鹿物語 (アニメ)|子鹿物語 THE YEARLING]]』、1984年公開の映画『[[ドラえもん のび太の魔界大冒険]]』以降にCGが使用された。その後、1993年から[[NHK教育テレビ]]の『[[天才てれびくん]]』内で放送された[[バーチャル3部作]]において、アニメや実写と共にCGが使われている。アルファブレンディングなどを使った光線や爆発の表現を得意とする一方、手を抜くと容易に質感や量感の乏しいまるでプラモが飛び回っているような絵になってしまう。重厚感を出す部分は、CGを下地にしていても、未だ手作業に頼る部分が多い。 * 1996年 [[ハーメルンのバイオリン弾き]](EDシーン) * 1997年 [[ビーストウォーズ 超生命体トランスフォーマー]] * 1998年 [[ロスト・ユニバース]](宇宙パートの一部。LightWaveが使われた) * 1998年 [[serial experiments lain]] * 1998年 [[地獄先生ぬ〜べ〜 |地獄先生ぬ〜べ〜 史上最大の激戦! 絶鬼来襲]](覇鬼) * 1998年 [[真ゲッターロボ 世界最後の日]](OPタイトルシーン) * 1999年 [[ビーストウォーズメタルス 超生命体トランスフォーマー|ビーストウォーズメタルス]] その他、ゲームにおいて、OPやイベント等にCGアニメが使われている。 == ゲームとCG == [[1973年]]にワイアーフレーム表示の3D迷路を使った[[Maze War]]が、その翌年には宇宙を舞台にした[[Spasim]]が登場している。アーケードにおいてExidyが1978年にSTAR FIREを、アタリが1980年にワイアーフレーム表示のバトルゾーン、1983年にI, RobotやSTAR WARS、セガが1982年に擬似3Dシューティングのズーム909や潜水艦ゲームのサブロック3Dを出している。[[Apple II]]において、[[Sirius Software]]が1981年に擬似3DシューティングのEPOCHやHADRONを出している。[[PC-6001]]において、アスキー出版が1982年にOLIONを出している。[[Atari 8ビット・コンピュータ]]において、1984年にBallblazer、1985年にRescue on Fractalus等の擬似3D処理を使ったソフトが登場している。[[ファミリーコンピュータ]]において、1987年に3D迷路を使った[[デジタル・デビル物語 女神転生]]が出ている。1988年には[[Atari 7800]]においてF-18 Hornet等のソフトが出ている。[[スーパーファミコン]]においては、1991年の[[パイロットウイングス]]等に使われたDSP-1による擬似3D処理や、1993年の[[スターフォックス]]等に使われた3Dアクセラレータの[[スーパーFXチップ]]が存在した。1992年アーケードゲームの基板においてセガが3D描画機能のある[[MODEL1]]を開発、翌1993年に初の3D格闘ゲーム[[バーチャファイター]]が登場する。その後、1994年に[[スーパー32X]]、[[セガサターン]]、プレイステーションが出て以降、3Dのゲームが増えることとなった。ファイナルファンタジーにおいては、1997年の[[ファイナルファンタジーVII|FF7]]以降3Dに、ドラゴンクエストにおいては[[ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち|DQ7]]以降3Dになっている。 CGを主軸に置いたゲームとしては[[せがれいじり]](1999年)や[[半熟英雄#『半熟英雄 対 3D』に登場|半熟英雄 対 3D]](2003年)等が存在する。 [[水口哲也]]はクリエイターとしてのキャリア初期である1989年の段階からバーチャルリアリティ推しであったと伝わり、セガの採用面接でも「ゲームではなく未来のエンターテインメントというか、もっとすごいものを作りたい」とこれについて表現したという<ref>電ファミゲーマー編集部『ゲームの企画書②』p.193 (2019年、角川新書)</ref>。 == 国内CGプロダクション == 黎明期(1980年代)において、CGは主にアニメの一部やCM、ニュースのOP等に使われた。 * 1981年 [[エムケイ]]の関連会社として[[金子満|JCGL]]<ref>[https://www.toei-anim.co.jp/sp/ee_cgmovie/cghistory/ EE.jp:日本のCGヒストリー(CGプロダクションと国産3DCGハードウェア&ソフトウェア)]</ref>(その後ナムコ(後の[[バンダイナムコエンターテインメント]])に吸収)設立(1983年の[[子鹿物語 (アニメ)|子鹿物語]]や1984年の[[レンズマン#アニメ映画|SF新世紀レンズマン]]等) * 1982年 東洋現像所(後の[[IMAGICA Lab.]])が子会社としてトーヨーリンクスを設立(1983年のゴルゴ13等) * 1983年 西武セゾングループがSEDICを設立(西武デジタルコミュニケーションズ。1987年の[[TV's TV]]等。SPN(西武プロモーションネットワーク。後の[[I&S BBDO]])との関係が深かった) <!--[[アクメシステム]]、[[白組]]、[[アニメーション・スタッフルーム]](2011年4月CG部門閉鎖)、[[オムニバス・ジャパン]]--> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考資料 == * 「入門CGデザイン」([[CG-ARTS協会]]) == 関連項目 == * [[2次元コンピュータグラフィックス]] * [[3次元コンピュータグラフィックス]] * [[ワイヤーフレーム]] * [[シェーディング]] * [[フレームバッファ]] * [[トランスピュータ]] * [[数値演算プロセッサ]] * [[シミュレーション]](建築・景観・力学・工業デザイン) * [[ポリゴン]] * [[プリミティブ]] * [[レンダリング (コンピュータ)]] * [[トゥーンレンダリング]] * [[テープアウト]] * [[コンピュータアニメーション]] * [[ラジオシティ]] * [[POV-Ray]] * [[Computer Generated Imagery]](CGI) == 外部リンク == {{Commonscat|Computer_graphics}} * [https://cgvi.jp/ 情報処理学会 コンピュータグラフィックスとビジュアル情報学研究会] * [https://www.iieej.org/ 画像電子学会] {{Normdaten}} {{コンピュータ科学}} {{DEFAULTSORT:こんひゆたくらふいつくす}} [[Category:コンピュータグラフィックス|*こんひゆたくらふいつくす]] [[Category:芸術のジャンル]] [[Category:絵画のジャンル]] [[Category:美術の技法]] [[Category:絵画技術]] [[Category:建築計画]]
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統計学
統計学(とうけいがく、英: statistics)とは、統計に関する研究を行う学問である。経験的に得られたバラツキのあるデータから、応用数学の手法を用いて数値上の性質や規則性あるいは不規則性を見いだす。統計的手法は、実験計画、データの要約や解釈を行う上での根拠を提供するため、幅広い分野で応用されている。 物理学・経済学・社会学・心理学・言語学といった人文科学・社会科学・自然科学(基礎科学)から、工学・医学・薬学といった応用科学まで、実証分析を伴う科学の分野において必須の学問となっている。また、科学哲学における重要なトピックの一つでもある。 英語で統計または統計学を「statistics()」と言うが、語源はラテン語で「状態」を意味する「statisticum()」であり、この言葉がイタリア語で「国家」を意味するようになり、国家の人力、財力等といった国勢データを比較検討する学問を意味するようになった。 なお、統計学という語は、ドイツの政治学者ゴットフリート・アッヘンヴァルが1749年に『ヨーロッパ諸国国家学綱要』の中で、それまでドイツ語で「Staatenkunde」(「国情論」の意味)と呼ばれていた学問に「Statistik()」(統計学)の名をつけたことに始まる。 日本語の「統計」という語の起源は明確にはなっていないが、幕末から明治初年にかけての洋学者である柳川春三が初めて現在の意味でこの語を使用したと考えられており、明治2年(1869年)には彼の編纂した冊子においてこの語と用法が使用されたとの記述がある。その後、明治4年(1871年)には大蔵省に「統計司」(後に「統計寮」に改組)が置かれ、次第にこの語が広まっていった。 統計学は「記述統計学 (descriptive statistics) 」 と「推計統計学(inferential statistics、推測統計学とも) 」に分類できる。記述統計学はデータの特徴を記述する学問であり、推計統計学は標本から母集団を推計する学問である。 記述統計学は、データ1つがもつ特徴を記述・説明することに着目した分野である。例えば小学生99人の身長データがあったとする。データの値は個別の小学生のものであり、100人全体の特徴は値を個別に見ただけでは分からない。ここでデータの値を身長順に並べ、50番目の値を見れば「この小学生99人の"普通"の身長はだいたい110 cmである」と記述できる。50番目の値は中央値という。このように、データ全体の特徴を要約・記述することが記述統計学の大きな目的・方法論である。 推計統計学は、母集団からの標本化を前提とし、標本から母集団を推測する分野である。例えば世界の小学生の身長特性を知りたいとする。全世界の小学生の身長を計測し記述統計学によって中央値や平均値を記述すれば、目的である世界の小学生の身長特性は解明できる。しかしその計測は著しく困難(事実上不可能)である。そこで推計統計学では、まず小学生100人の身長データ(標本と呼ぶ)を集める。そして標本は全世界の小学生という母集団からランダムに選ばれたものだと考える。ランダムに選ばれた100人の身長中央値(標本の中央値)は必ずしも世界小学生身長中央値(母集団の中央値)と一致しないと考えられるが、"似た"数値にはなると期待される。すなわち標本から母集団の特性を推測することができる。この、標本から母集団を推測する方法論に関する分野が推計統計学である。 このように、記述統計学はデータ(推計統計学でいう標本)の説明・記述を行い、推計統計学は母集団(の記述)の推測をおこなう。両分野の違いは、記述統計学では目の前にあるデータがすべて(母集団という考え方はない)のに対し、推計統計学ではむしろ目の前のデータは(真なる)母集団から今回たまたま選ばれた標本だと考える点にある。一方で、推計統計学では標本の記述統計から母集団の統計量を推測するように、この2分野は非常に密接に絡んでおり全く別の分野と考えることは不適切である。 これらは、意思決定に応用されている。 統計学の源流は国家または社会全体における人口あるいは経済に関する調査にある。このことは、東西を問わず古代から行われている。 学問としては、17世紀にはイギリスでウィリアム・ペティの『政治算術』(1790年)などが著述され、その後の社会統計学に繋がる流れが始まった。彼の提唱した政治算術そのものは18世紀に衰退するものの、ペティは統計学の父とも呼ばれる。また同時期、ペティの友人であるジョン・グラント(英語: John Graunt)が『死亡表に関する自然的および政治的諸観察』(1662年)を表し、人口統計学の源流となった。この死亡統計の研究はエドモンド・ハレーなども行うようになった。これらの影響の基、18世紀にはドイツのヨハン・ペーター・ジュースミルヒが『神の秩序』(1741年)で人口動態にみられる規則性を明らかにしたが、これには文字通り「神の秩序」を数学的に記述する意図があった。 ドイツでは17世紀からヘルマン・コンリングなどによってヨーロッパ各国の国状の比較研究が盛んになり、1749年にゴットフリート・アッヘンヴァルがこれにドイツ語で「Statistik()」(「統計学」の意味)の名をつけている。 19世紀初頭になるとこれに関して政治算術的なデータの収集と分析が重視されて、「Statistik」の語は特に「統計学」の意味に用いられ、さらにイギリスやフランスなどでも用いられるようになった。この頃には、1748年のスウェーデンを皮切りに国勢調査も行われるようになり、1790年には下院の議員数算定のためにアメリカがこれに続き、イギリス、フランスなど西ヨーロッパ諸国においても1830年頃までには国勢調査が行われるようになった。 一方ブレーズ・パスカル、ピエール・ド・フェルマーに始まった確率論の研究がフランスを中心にして進み、19世紀初頭にはピエール=シモン・ラプラスによって一応の完成を見ていた。また、カール・フリードリヒ・ガウスによる誤差や正規分布についての研究も統計学発展の基礎となった。ラプラスも確率論の社会的な応用を考えたが、この考えを本格的に広めたのが「近代統計学の父」と呼ばれるアドルフ・ケトレーであった。彼は『人間について』(1835年)、『社会物理学』(1869年)などを著し、自由意志によってばらばらに動くように見える人間の行動も社会全体で平均すれば法則に従っている(「平均人」を中心に正規分布に従う)と考えた。ケトレーの仕事を契機として、19世紀半ば以降、社会統計学がドイツを中心に、特に経済学と密接な関係を持って発展する。代表的な人物にはアドルフ・ワグナー、エルンスト・エンゲル(エンゲル係数で有名)、ゲオルク・フォン・マイヤーがいる。またフローレンス・ナイチンゲールも、社会医学に統計学を応用した最初期の人物として知られる。統計学の業績について高く評価され1858年には王立統計学会初の女性会員となった。 同じく19世紀半ばにチャールズ・ダーウィンの進化論が発表され、彼の従弟に当たるフランシス・ゴルトンは数量的側面から生物進化の研究に着手した。これは当時「biometrics()」(生物測定学)と呼ばれ、多数の生物(ヒトも含めて)を対象として扱う統計学的側面を含んでいる。ゴルトンは回帰の発見で有名であるが、当初生物学的と思われたこの現象は一般の統計学的対象の解析でも重要であることが明らかとなる。ゴルトンの後継者となった数学者カール・ピアソンはこのような生物統計学をさらに数学的に発展させ(数理統計学)、19世紀終わりから20世紀にかけ記述統計学を大成する。 20世紀に入ると、ウィリアム・ゴセット、続いてロナルド・フィッシャーが農学の実験計画法研究をきっかけとして数々の統計学的仮説検定法を編み出し、記述統計学から推計統計学の時代に移る。ここでは母集団から抽出された標本を基に、確率論を利用して逆に母集団を推定するという考え方がとられる。続いてイェジ・ネイマン、エゴン・ピアソンらによって無作為抽出法の採用など現代の数理統計学の理論体系が構築され、これは社会科学、医学、工学、オペレーションズ・リサーチなどの様々な分野へ応用されることとなった。 こうして推計統計学は精緻な数学理論となった反面、応用には必ずしも適していないとの批判が常にあった。 これに呼応して、在来の客観確率を前提に置く統計学に対し、それまでごく少数によって提唱されていたにすぎなかった主観確率を中心に据えたベイズ統計学が1954年にレオナルド・サベージ(英語版)の『統計学の基礎』によって復活した。ベイズの定理に依拠する主観確率の考え方は母集団の前提を必要とせず不完全情報環境下での計算や原因の確率を語るなど、およそ在来統計学とは正反対の立場に立つため、その当時在来統計学派はベイズ統計学派のことを『ベイジアン』と名付けて激しく対立した。しかし主観確率には、新たに取得した情報によって確率を更新する機能が内包され、この点が大きな応用の道を開いた。今や統計学では世界的にベイズ統計学が主流となり、先端的応用分野ではもっぱらベイズ統計学が駆使されている。 計量経済学、統計物理学、バイオテクノロジー、疫学、機械学習、データマイニング、制御理論、インターネットなど、あらゆる分野でベイズ統計学は実学として活用されている。スパムメールフィルタや日本語入力の予測変換など身近な応用も数多い。20世紀末にはマルコフ連鎖モンテカルロ法など理論面で様々な革新的考案もなされ、旧来の統計学では不可能であったような各分野で多くの応用がなされるようになっている。これらベイズ統計学についての展開は、いずれも計算環境の進歩と不可分である。 確率論は、中等教育で「確率・統計」と一括りに呼ばれていたように、統計学と非常に深いかかわりがある。推計統計学ではデータ(標本)が母集団からランダムに取り出されるという前提に立っている。すなわち母集団を構成する要素はそれぞれ"出やすさ"をもっており、それに従ってランダムに取り出されるという立場である。"出やすさ"はまさしく(古典的な)確率であり、母集団はある確率分布に従っていると数学的に表現できる。標本に基づいた母集団確率分布のパラメータ推定(統計的推論)は推計統計学の花形であり、これらは確率論の用語や理論を用いて表現・研究されている。 x ∼ p t r u e ( x | θ ) {\displaystyle x\sim p_{true}(x|\theta )} : 標本 x は、パラメータ θ をもつ確率分布 ptrue に従う母集団からサンプリングされる。 機械学習では、機械(数理モデル)がデータを利用してその性能を向上させようとする。数理モデルとして確率分布を含むモデルを考えた場合、このモデルがデータを生成する過程は、まさしく推測統計学における母集団からのサンプリング(確率分布で表現された母集団モデルからデータという標本を取り出す過程)といえる。そしてこのモデルの学習とは、データからの正確な確率モデル推定 = 標本からの母集団パラメータ推定であり、すなわち統計的推論と同義である。このように統計学と機械学習には深い関係がある(詳しくは 機械学習 § 統計的機械学習) 一度信頼できる統計データが取れさえすれば統計学的分析は数学的に行えるが、信頼できる統計データの収集はとても難しい。統計学の源流は各国が人口その他を把握するために行った国勢調査に求められるが、古代・中世を通じほとんどの国家では中央権力の力が弱く、ローマ帝国で行われたセンサスや中国歴代王朝の人口調査等の例外はあるものの、特に大国においてこうした調査を行うことはほぼ不可能だった。 こうした調査が実行可能となるのは各国の中央政府の行政能力の向上した18世紀から19世紀初頭にかけてであり、この時期に初めて近代的な意味での統計学が成立することとなった。現代においても、たとえば行政能力の脆弱なブラックアフリカ諸国においては統計局の予算・人員の不足が深刻であり、統計データの不正確さが指摘されている。 また、統計を取る人の主義主張によって統計値が大きく異なることも多々あり、レーガン政権は当時アメリカにホームレスが30万人しかいないと主張したが、活動家たちはその10倍の300万人いると主張した。 例えば、質問の仕方一つで結果がガラリと変わってしまう。強姦に関するある調査で、女子大生に「男性からアルコールや薬物を飲まされて、望まない性交をしたことがありますか」と質問することで「女子大生の1/4が強姦されたことがある」という結論を出したが、批判者たちはこの調査で強姦体験者と認定された女子大生たちを集めて再調査したところ、その3/4がその体験を強姦だと考えていないことが分かった。 また、暗数の考慮にも主観がつきまとってしまう。暗数とは「統計に出ない値」のことで、例えば強姦のような犯罪はそれがタブーであるために警察に届けないことも多く、したがって統計に表れない。それには統計を正しく読み解くには暗数を考慮する必要があるが、統計値を多く見積もりたい人は意識的・無意識的に暗数を多く見積もってしまう可能性があり、逆に統計値を少なく見積もりたい人は暗数を少なく見積もってしまう可能性がある。 正しい統計データから正しい統計操作を行ってもなお騙すことが可能である。たとえば、ここ四十数年で少年犯罪は1/4になっているが、最近10年では微増している。この時、微増となっている最近10年分のデータだけを提示して、「近年少年犯罪は増加している」という主張をすれば、これは成立することになる。さらに、グラフの縦軸(=犯罪数の軸)をわざと縦長に描くことで犯罪数が急上昇しているかのように見せかけることも可能である。 統計学は「実学」に端を発しており、近代社会以降世界に普及した「市場経済社会」を牽引した原動力とも言える学問である。そのため、自然科学・社会科学・人文科学の各分野の垣根を越えて分化かつ拡大を続ける中、基礎において汎用性が高い学問の構造を有している。 社会生活の至る所で統計技術の適用が貢献できる場面がある以上、統計学とその適用方法を学習する上では社会の実態に即して頻繁に技法を適用してみることが重要であり、そのように出来るためには何よりまず統計処理を身近で制限無く実施できるような「統計処理環境」の備えが必要である。 PC・ソフトウェア・インターネット環境などのIT環境が急速に進化低廉化して普及したことで身近に統計処理環境を持ちうるようになり、なおかつ莫大な統計情報がインターネットを通じて公開されているため、研究・調査・学習の処理材料にも不自由しない。 実際21世紀に入って以降は、それまでの確率論と数理統計学を重点に置いたカリキュラムに加え、データを処理して求める答えに近づく「データ解析」のスキルが教育されるようになっている(データサイエンス論)。 元来コンピュータを使った数値計算に際してはまず、IEEE 754規格にあるように丸め誤差が暗黙のうちに生じることや、有効数字の概念の認識が重要で、子供のころ算数で学んだような計算結果にはならないことがあることを知っておかねばならない。さらに、統計計算では殊に重要な乱数についても、コンピュータ上で用いるのは疑似乱数であることや、良質な疑似乱数生成方式「メルセンヌ・ツイスタ」を計算ソフトウェアや開発用言語の全てが必ず備えているわけではないこと、暗号論的乱数はさらにまた別の乱数概念であること、なども実は大切な基礎知識である。 人が得意とするパターン認識の力を積極的に用いるため、統計データの「グラフ化」が古来常套手段として用いられているが、ITの支援を得ることで大量のデータを様々な形に、しかも瞬時にグラフ化(あるいは『可視化』)することが可能となった。そのためのグラフ作成ソフトも多数存在するが、その他の数値解析ソフトウェアや数式処理システム、そして殊に下記のような統計アプリケーションではグラフ化するための機能が充実している。 一方、近年オフィスソフト機能等で極端なグラフ装飾を施すことが横行している。この結果として、例えば3Dグラフなどを安易に用いると遠近感や区間面積などから表示すべき真の数量とは異なった認識を受け手に与える事がある。本来3Dグラフ表示は人の空間認識力を活かし得る優れた表現手法であるが、意味なく勢い付け等で用いるのは本来的な視覚化からは退行するばかりか、意図して受け手の誤認識を誘導する事も可能となる。「グラフは直感的に分かるから全て善である」と一般に認識されていることや、前出「統計の困難さ」にある内容をふまえると、統計の視覚化とその解釈に関するリテラシ教育は初等段階から特に注意を要する。 上記のように、用いる統計処理環境ごとに適用分野・目的・方法論・使用者との相性などは異なる。そういった統計処理環境固有の特性なども含めて、いかなる道具もそうであるように、数多く体験の機会を作るほかに理解の早道は無い。 広く普及した表計算ソフトウェアが統計処理・グラフ表現機能を持っているので、誰でも手軽に統計処理入門体験は出来る。しかしあくまでビジネスソフトであり、科学技術ソフトではないExcelの計算の信頼性については常に批判が絶えない(Excelに限らず普及している表計算ソフトウェアはどれも信頼に足る統計計算はできないとの報告もある)。 近年では研究・教育機関が公開するオープンソースなフリーソフトの中からきわめて優秀な計算ソフトウェアが育っており、プロプライエタリソフトの問題点顕在化により関心の高まった統計技術資産の持続可能性という観点からも、統計教育にあたってはこれらオープンソースソフトウェアの積極的な活用が推奨される。 統計の研究・教育に適した代表的なフリーソフトウェア 統計計算に関連するソフトウェアのカテゴリ 日本においては統計学がそれぞれの分野へ分化された形で組み込まれているため「統計学科」を置く大学がなかったが、2017年度に滋賀大学が日本で初めて統計学を研究の核とするデータサイエンス学部を新設。一橋大学がソーシャル・データサイエンス研究科・学部を2023年度に新設予定である。 国立の統計学研究・教育機関としては、1944年に設立された統計数理研究所があり、AIC、数量化理論、確率微分方程式などの顕著な成果を生み出し、統計学研究を牽引している。 平成21年(2009年)11月に公示された新学習指導要領において、中学・高校数学における統計単元の拡充がなされた。 中学校では、中学数学においては「統計」を扱う単元が新設された(従来は確率を扱う単元はあったが統計処理を扱う単元はなかった)。 高校では、それまで高校数学Bにおいて選択履修とされていた「統計の基礎的概念」(代表値・相関係数ほか)を扱う単元が数学Iに移され「データの分析」として必修化された。また、それまで数学Cにおいて理系生のみが履修していた「確率分布と統計的な推測」が数学Bに移されて、文系生でも履修可能になった。 これらの変更は2012年(平成24年)度入学生から適用されている。(詳細は、「 数学 (教科) 」を参照) 「データの分析」はデータの散らばりと相関について教え、その目的は「統計の基本的な考えを理解するとともに,それを用いてデータを整理・分析し傾向を把握できるようにする。」ことである。総務省統計局では「学校における統計教育の位置づけ」を解説し、指導者の支援にあたっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "統計学(とうけいがく、英: statistics)とは、統計に関する研究を行う学問である。経験的に得られたバラツキのあるデータから、応用数学の手法を用いて数値上の性質や規則性あるいは不規則性を見いだす。統計的手法は、実験計画、データの要約や解釈を行う上での根拠を提供するため、幅広い分野で応用されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "物理学・経済学・社会学・心理学・言語学といった人文科学・社会科学・自然科学(基礎科学)から、工学・医学・薬学といった応用科学まで、実証分析を伴う科学の分野において必須の学問となっている。また、科学哲学における重要なトピックの一つでもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "英語で統計または統計学を「statistics()」と言うが、語源はラテン語で「状態」を意味する「statisticum()」であり、この言葉がイタリア語で「国家」を意味するようになり、国家の人力、財力等といった国勢データを比較検討する学問を意味するようになった。", "title": "語源" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "なお、統計学という語は、ドイツの政治学者ゴットフリート・アッヘンヴァルが1749年に『ヨーロッパ諸国国家学綱要』の中で、それまでドイツ語で「Staatenkunde」(「国情論」の意味)と呼ばれていた学問に「Statistik()」(統計学)の名をつけたことに始まる。", "title": "語源" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": 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"推計統計学は、母集団からの標本化を前提とし、標本から母集団を推測する分野である。例えば世界の小学生の身長特性を知りたいとする。全世界の小学生の身長を計測し記述統計学によって中央値や平均値を記述すれば、目的である世界の小学生の身長特性は解明できる。しかしその計測は著しく困難(事実上不可能)である。そこで推計統計学では、まず小学生100人の身長データ(標本と呼ぶ)を集める。そして標本は全世界の小学生という母集団からランダムに選ばれたものだと考える。ランダムに選ばれた100人の身長中央値(標本の中央値)は必ずしも世界小学生身長中央値(母集団の中央値)と一致しないと考えられるが、\"似た\"数値にはなると期待される。すなわち標本から母集団の特性を推測することができる。この、標本から母集団を推測する方法論に関する分野が推計統計学である。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "このように、記述統計学はデータ(推計統計学でいう標本)の説明・記述を行い、推計統計学は母集団(の記述)の推測をおこなう。両分野の違いは、記述統計学では目の前にあるデータがすべて(母集団という考え方はない)のに対し、推計統計学ではむしろ目の前のデータは(真なる)母集団から今回たまたま選ばれた標本だと考える点にある。一方で、推計統計学では標本の記述統計から母集団の統計量を推測するように、この2分野は非常に密接に絡んでおり全く別の分野と考えることは不適切である。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "これらは、意思決定に応用されている。", "title": "統計的手法" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "統計学の源流は国家または社会全体における人口あるいは経済に関する調査にある。このことは、東西を問わず古代から行われている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "学問としては、17世紀にはイギリスでウィリアム・ペティの『政治算術』(1790年)などが著述され、その後の社会統計学に繋がる流れが始まった。彼の提唱した政治算術そのものは18世紀に衰退するものの、ペティは統計学の父とも呼ばれる。また同時期、ペティの友人であるジョン・グラント(英語: John Graunt)が『死亡表に関する自然的および政治的諸観察』(1662年)を表し、人口統計学の源流となった。この死亡統計の研究はエドモンド・ハレーなども行うようになった。これらの影響の基、18世紀にはドイツのヨハン・ペーター・ジュースミルヒが『神の秩序』(1741年)で人口動態にみられる規則性を明らかにしたが、これには文字通り「神の秩序」を数学的に記述する意図があった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ドイツでは17世紀からヘルマン・コンリングなどによってヨーロッパ各国の国状の比較研究が盛んになり、1749年にゴットフリート・アッヘンヴァルがこれにドイツ語で「Statistik()」(「統計学」の意味)の名をつけている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "19世紀初頭になるとこれに関して政治算術的なデータの収集と分析が重視されて、「Statistik」の語は特に「統計学」の意味に用いられ、さらにイギリスやフランスなどでも用いられるようになった。この頃には、1748年のスウェーデンを皮切りに国勢調査も行われるようになり、1790年には下院の議員数算定のためにアメリカがこれに続き、イギリス、フランスなど西ヨーロッパ諸国においても1830年頃までには国勢調査が行われるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "一方ブレーズ・パスカル、ピエール・ド・フェルマーに始まった確率論の研究がフランスを中心にして進み、19世紀初頭にはピエール=シモン・ラプラスによって一応の完成を見ていた。また、カール・フリードリヒ・ガウスによる誤差や正規分布についての研究も統計学発展の基礎となった。ラプラスも確率論の社会的な応用を考えたが、この考えを本格的に広めたのが「近代統計学の父」と呼ばれるアドルフ・ケトレーであった。彼は『人間について』(1835年)、『社会物理学』(1869年)などを著し、自由意志によってばらばらに動くように見える人間の行動も社会全体で平均すれば法則に従っている(「平均人」を中心に正規分布に従う)と考えた。ケトレーの仕事を契機として、19世紀半ば以降、社会統計学がドイツを中心に、特に経済学と密接な関係を持って発展する。代表的な人物にはアドルフ・ワグナー、エルンスト・エンゲル(エンゲル係数で有名)、ゲオルク・フォン・マイヤーがいる。またフローレンス・ナイチンゲールも、社会医学に統計学を応用した最初期の人物として知られる。統計学の業績について高く評価され1858年には王立統計学会初の女性会員となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "同じく19世紀半ばにチャールズ・ダーウィンの進化論が発表され、彼の従弟に当たるフランシス・ゴルトンは数量的側面から生物進化の研究に着手した。これは当時「biometrics()」(生物測定学)と呼ばれ、多数の生物(ヒトも含めて)を対象として扱う統計学的側面を含んでいる。ゴルトンは回帰の発見で有名であるが、当初生物学的と思われたこの現象は一般の統計学的対象の解析でも重要であることが明らかとなる。ゴルトンの後継者となった数学者カール・ピアソンはこのような生物統計学をさらに数学的に発展させ(数理統計学)、19世紀終わりから20世紀にかけ記述統計学を大成する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "20世紀に入ると、ウィリアム・ゴセット、続いてロナルド・フィッシャーが農学の実験計画法研究をきっかけとして数々の統計学的仮説検定法を編み出し、記述統計学から推計統計学の時代に移る。ここでは母集団から抽出された標本を基に、確率論を利用して逆に母集団を推定するという考え方がとられる。続いてイェジ・ネイマン、エゴン・ピアソンらによって無作為抽出法の採用など現代の数理統計学の理論体系が構築され、これは社会科学、医学、工学、オペレーションズ・リサーチなどの様々な分野へ応用されることとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "こうして推計統計学は精緻な数学理論となった反面、応用には必ずしも適していないとの批判が常にあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "これに呼応して、在来の客観確率を前提に置く統計学に対し、それまでごく少数によって提唱されていたにすぎなかった主観確率を中心に据えたベイズ統計学が1954年にレオナルド・サベージ(英語版)の『統計学の基礎』によって復活した。ベイズの定理に依拠する主観確率の考え方は母集団の前提を必要とせず不完全情報環境下での計算や原因の確率を語るなど、およそ在来統計学とは正反対の立場に立つため、その当時在来統計学派はベイズ統計学派のことを『ベイジアン』と名付けて激しく対立した。しかし主観確率には、新たに取得した情報によって確率を更新する機能が内包され、この点が大きな応用の道を開いた。今や統計学では世界的にベイズ統計学が主流となり、先端的応用分野ではもっぱらベイズ統計学が駆使されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "計量経済学、統計物理学、バイオテクノロジー、疫学、機械学習、データマイニング、制御理論、インターネットなど、あらゆる分野でベイズ統計学は実学として活用されている。スパムメールフィルタや日本語入力の予測変換など身近な応用も数多い。20世紀末にはマルコフ連鎖モンテカルロ法など理論面で様々な革新的考案もなされ、旧来の統計学では不可能であったような各分野で多くの応用がなされるようになっている。これらベイズ統計学についての展開は、いずれも計算環境の進歩と不可分である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "確率論は、中等教育で「確率・統計」と一括りに呼ばれていたように、統計学と非常に深いかかわりがある。推計統計学ではデータ(標本)が母集団からランダムに取り出されるという前提に立っている。すなわち母集団を構成する要素はそれぞれ\"出やすさ\"をもっており、それに従ってランダムに取り出されるという立場である。\"出やすさ\"はまさしく(古典的な)確率であり、母集団はある確率分布に従っていると数学的に表現できる。標本に基づいた母集団確率分布のパラメータ推定(統計的推論)は推計統計学の花形であり、これらは確率論の用語や理論を用いて表現・研究されている。", "title": "他分野との関係" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "x ∼ p t r u e ( x | θ ) {\\displaystyle x\\sim p_{true}(x|\\theta )} : 標本 x は、パラメータ θ をもつ確率分布 ptrue に従う母集団からサンプリングされる。", "title": "他分野との関係" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "機械学習では、機械(数理モデル)がデータを利用してその性能を向上させようとする。数理モデルとして確率分布を含むモデルを考えた場合、このモデルがデータを生成する過程は、まさしく推測統計学における母集団からのサンプリング(確率分布で表現された母集団モデルからデータという標本を取り出す過程)といえる。そしてこのモデルの学習とは、データからの正確な確率モデル推定 = 標本からの母集団パラメータ推定であり、すなわち統計的推論と同義である。このように統計学と機械学習には深い関係がある(詳しくは 機械学習 § 統計的機械学習)", "title": "他分野との関係" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "一度信頼できる統計データが取れさえすれば統計学的分析は数学的に行えるが、信頼できる統計データの収集はとても難しい。統計学の源流は各国が人口その他を把握するために行った国勢調査に求められるが、古代・中世を通じほとんどの国家では中央権力の力が弱く、ローマ帝国で行われたセンサスや中国歴代王朝の人口調査等の例外はあるものの、特に大国においてこうした調査を行うことはほぼ不可能だった。", "title": "統計の困難さ" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "こうした調査が実行可能となるのは各国の中央政府の行政能力の向上した18世紀から19世紀初頭にかけてであり、この時期に初めて近代的な意味での統計学が成立することとなった。現代においても、たとえば行政能力の脆弱なブラックアフリカ諸国においては統計局の予算・人員の不足が深刻であり、統計データの不正確さが指摘されている。", "title": "統計の困難さ" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "また、統計を取る人の主義主張によって統計値が大きく異なることも多々あり、レーガン政権は当時アメリカにホームレスが30万人しかいないと主張したが、活動家たちはその10倍の300万人いると主張した。", "title": "統計の困難さ" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "例えば、質問の仕方一つで結果がガラリと変わってしまう。強姦に関するある調査で、女子大生に「男性からアルコールや薬物を飲まされて、望まない性交をしたことがありますか」と質問することで「女子大生の1/4が強姦されたことがある」という結論を出したが、批判者たちはこの調査で強姦体験者と認定された女子大生たちを集めて再調査したところ、その3/4がその体験を強姦だと考えていないことが分かった。", "title": "統計の困難さ" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "また、暗数の考慮にも主観がつきまとってしまう。暗数とは「統計に出ない値」のことで、例えば強姦のような犯罪はそれがタブーであるために警察に届けないことも多く、したがって統計に表れない。それには統計を正しく読み解くには暗数を考慮する必要があるが、統計値を多く見積もりたい人は意識的・無意識的に暗数を多く見積もってしまう可能性があり、逆に統計値を少なく見積もりたい人は暗数を少なく見積もってしまう可能性がある。", "title": "統計の困難さ" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "正しい統計データから正しい統計操作を行ってもなお騙すことが可能である。たとえば、ここ四十数年で少年犯罪は1/4になっているが、最近10年では微増している。この時、微増となっている最近10年分のデータだけを提示して、「近年少年犯罪は増加している」という主張をすれば、これは成立することになる。さらに、グラフの縦軸(=犯罪数の軸)をわざと縦長に描くことで犯罪数が急上昇しているかのように見せかけることも可能である。", "title": "統計の困難さ" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "統計学は「実学」に端を発しており、近代社会以降世界に普及した「市場経済社会」を牽引した原動力とも言える学問である。そのため、自然科学・社会科学・人文科学の各分野の垣根を越えて分化かつ拡大を続ける中、基礎において汎用性が高い学問の構造を有している。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "社会生活の至る所で統計技術の適用が貢献できる場面がある以上、統計学とその適用方法を学習する上では社会の実態に即して頻繁に技法を適用してみることが重要であり、そのように出来るためには何よりまず統計処理を身近で制限無く実施できるような「統計処理環境」の備えが必要である。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "PC・ソフトウェア・インターネット環境などのIT環境が急速に進化低廉化して普及したことで身近に統計処理環境を持ちうるようになり、なおかつ莫大な統計情報がインターネットを通じて公開されているため、研究・調査・学習の処理材料にも不自由しない。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "実際21世紀に入って以降は、それまでの確率論と数理統計学を重点に置いたカリキュラムに加え、データを処理して求める答えに近づく「データ解析」のスキルが教育されるようになっている(データサイエンス論)。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "元来コンピュータを使った数値計算に際してはまず、IEEE 754規格にあるように丸め誤差が暗黙のうちに生じることや、有効数字の概念の認識が重要で、子供のころ算数で学んだような計算結果にはならないことがあることを知っておかねばならない。さらに、統計計算では殊に重要な乱数についても、コンピュータ上で用いるのは疑似乱数であることや、良質な疑似乱数生成方式「メルセンヌ・ツイスタ」を計算ソフトウェアや開発用言語の全てが必ず備えているわけではないこと、暗号論的乱数はさらにまた別の乱数概念であること、なども実は大切な基礎知識である。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "人が得意とするパターン認識の力を積極的に用いるため、統計データの「グラフ化」が古来常套手段として用いられているが、ITの支援を得ることで大量のデータを様々な形に、しかも瞬時にグラフ化(あるいは『可視化』)することが可能となった。そのためのグラフ作成ソフトも多数存在するが、その他の数値解析ソフトウェアや数式処理システム、そして殊に下記のような統計アプリケーションではグラフ化するための機能が充実している。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "一方、近年オフィスソフト機能等で極端なグラフ装飾を施すことが横行している。この結果として、例えば3Dグラフなどを安易に用いると遠近感や区間面積などから表示すべき真の数量とは異なった認識を受け手に与える事がある。本来3Dグラフ表示は人の空間認識力を活かし得る優れた表現手法であるが、意味なく勢い付け等で用いるのは本来的な視覚化からは退行するばかりか、意図して受け手の誤認識を誘導する事も可能となる。「グラフは直感的に分かるから全て善である」と一般に認識されていることや、前出「統計の困難さ」にある内容をふまえると、統計の視覚化とその解釈に関するリテラシ教育は初等段階から特に注意を要する。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "上記のように、用いる統計処理環境ごとに適用分野・目的・方法論・使用者との相性などは異なる。そういった統計処理環境固有の特性なども含めて、いかなる道具もそうであるように、数多く体験の機会を作るほかに理解の早道は無い。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "広く普及した表計算ソフトウェアが統計処理・グラフ表現機能を持っているので、誰でも手軽に統計処理入門体験は出来る。しかしあくまでビジネスソフトであり、科学技術ソフトではないExcelの計算の信頼性については常に批判が絶えない(Excelに限らず普及している表計算ソフトウェアはどれも信頼に足る統計計算はできないとの報告もある)。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "近年では研究・教育機関が公開するオープンソースなフリーソフトの中からきわめて優秀な計算ソフトウェアが育っており、プロプライエタリソフトの問題点顕在化により関心の高まった統計技術資産の持続可能性という観点からも、統計教育にあたってはこれらオープンソースソフトウェアの積極的な活用が推奨される。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "統計の研究・教育に適した代表的なフリーソフトウェア", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "統計計算に関連するソフトウェアのカテゴリ", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "日本においては統計学がそれぞれの分野へ分化された形で組み込まれているため「統計学科」を置く大学がなかったが、2017年度に滋賀大学が日本で初めて統計学を研究の核とするデータサイエンス学部を新設。一橋大学がソーシャル・データサイエンス研究科・学部を2023年度に新設予定である。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "国立の統計学研究・教育機関としては、1944年に設立された統計数理研究所があり、AIC、数量化理論、確率微分方程式などの顕著な成果を生み出し、統計学研究を牽引している。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "平成21年(2009年)11月に公示された新学習指導要領において、中学・高校数学における統計単元の拡充がなされた。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "中学校では、中学数学においては「統計」を扱う単元が新設された(従来は確率を扱う単元はあったが統計処理を扱う単元はなかった)。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "高校では、それまで高校数学Bにおいて選択履修とされていた「統計の基礎的概念」(代表値・相関係数ほか)を扱う単元が数学Iに移され「データの分析」として必修化された。また、それまで数学Cにおいて理系生のみが履修していた「確率分布と統計的な推測」が数学Bに移されて、文系生でも履修可能になった。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "これらの変更は2012年(平成24年)度入学生から適用されている。(詳細は、「 数学 (教科) 」を参照)", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "「データの分析」はデータの散らばりと相関について教え、その目的は「統計の基本的な考えを理解するとともに,それを用いてデータを整理・分析し傾向を把握できるようにする。」ことである。総務省統計局では「学校における統計教育の位置づけ」を解説し、指導者の支援にあたっている。", "title": "教育" } ]
統計学とは、統計に関する研究を行う学問である。経験的に得られたバラツキのあるデータから、応用数学の手法を用いて数値上の性質や規則性あるいは不規則性を見いだす。統計的手法は、実験計画、データの要約や解釈を行う上での根拠を提供するため、幅広い分野で応用されている。 物理学・経済学・社会学・心理学・言語学といった人文科学・社会科学・自然科学(基礎科学)から、工学・医学・薬学といった応用科学まで、実証分析を伴う科学の分野において必須の学問となっている。また、科学哲学における重要なトピックの一つでもある。
{{出典の明記|date=2021-03}} [[画像:Standard Normal Distribution.png|リンク=https://en.wikipedia.org/wiki/File:Standard_Normal_Distribution.png|thumb|[[正規分布]]は非常に一般的な[[確率密度関数|確率密度]]の一つであり、[[中心極限定理]]により有用となっている。]] [[画像:Iris Pairs Plot.png|リンク=https://en.wikipedia.org/wiki/File:Iris_Pairs_Plot.png|thumb|[[散布図]]は、さまざまな変数間で観測された関係を示すために記述統計で利用される。この散布図は{{Ill|Irisデータセット|en|Iris flower data set}}を使用している。]] '''統計学'''(とうけいがく、{{lang-en-short|[[wikt:statistics|statistics]]}})とは、[[統計]]に関する[[研究]]を行う[[学問]]である。経験的に得られたバラツキのある[[データ]]から、[[応用数学]]の手法を用いて数値上の性質や規則性あるいは不規則性を見いだす。統計的手法は、実験計画、データの要約や解釈を行う上での根拠を提供するため、幅広い分野で応用されている{{efn|[[グリコ (遊び)|グリコ遊び]]や[[ギャンブル]]等にも活用可能<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.news-postseven.com/archives/20130503_184692.html |title=「統計学が最強」の西内啓氏「パチンコには二度と行かない」 |publisher=[[NEWSポストセブン]] |date=2013-05-03 |accessdate=2017-12-23}}</ref>。}}。 [[物理学]]・[[経済学]]<ref>Wonnacott, T. H., & Wonnacott, R. J. (1990). Introductory statistics for business and economics (Vol. 4). New York: Wiley.</ref><ref>Newbold, P., Carlson, W. L., & Thorne, B. (2013). Statistics for business and economics. Boston, MA: Pearson.</ref>・[[社会学]]・[[心理学]]<ref>Aron, A., & Aron, E. N. (1999). Statistics for psychology. Prentice-Hall, Inc.</ref>・[[言語学]]といった[[人文科学]]・[[社会科学]]・[[自然科学]]([[基礎科学]])から、[[工学]]・[[医学]]<ref>Lang, T. A., Lang, T., & Secic, M. (2006). How to report statistics in medicine: annotated guidelines for authors, editors, and reviewers. ACP Press.</ref>・[[薬学]]といった[[応用科学]]まで、実証分析を伴う科学の分野において必須の学問となっている。また、[[科学哲学]]における重要なトピックの一つでもある。 == 語源 == {{main|統計学の歴史#語源}} 英語で統計または統計学を「{{読み仮名|{{lang|en|statistics}}|スタティスティクス}}」と言うが、語源はラテン語で「状態」を意味する「{{読み仮名|{{lang|la|statisticum}}|スタティスティークム}}」であり、この言葉がイタリア語で「国家」を意味するようになり、国家の人力、財力等といった[[国勢調査|国勢データ]]を比較検討する学問を意味するようになった{{要出典|date=2019年5月}}<ref group="注釈">ラテン語で「{{読み仮名|{{lang|la|statisticum (collegium)}}|スタティスティークム・コレーギウム}}」という表現があるが、この意味は「社会状態の科学」である{{要出典|date=2014年9月}}。</ref>。 なお、統計学という語は、ドイツの政治学者[[ゴットフリート・アッヘンヴァル]]が1749年に『ヨーロッパ諸国国家学綱要』の中で、それまでドイツ語で「Staatenkunde」(「国情論」の意味)と呼ばれていた{{sfn|竹内啓|2018|p=82}}学問に「{{読み仮名|{{lang|de|Statistik}}|シュタティシュティーク}}」(統計学)の名をつけたことに始まる{{sfn|竹内啓|2018|p=85}}。 日本語の「統計」という語の起源は明確にはなっていないが、[[幕末]]から[[明治]]初年にかけての洋学者である[[柳川春三]]が初めて現在の意味でこの語を使用したと考えられており、明治2年(1869年)には彼の編纂した冊子においてこの語と用法が使用されたとの記述がある。その後、明治4年(1871年)には[[大蔵省]]に「統計司」(後に「統計寮」に改組)が置かれ、次第にこの語が広まっていった<ref>[https://www.stat.go.jp/naruhodo/15_episode/episode/toukei.html#:~:text=%E3%80%8C%E7%B5%B1%E8%A8%88%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%AF%E3%80%81,%E3%82%92%E3%82%88%E3%81%8F%E8%A1%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 「統計」という言葉の起源](2022年10月22日閲覧)</ref>。 == 分類 == === 記述統計学と推計統計学 === {{main|Category:記述統計学|Category:推計統計学}} 統計学は「記述統計学 (descriptive statistics) 」 と「推計統計学(inferential statistics、推測統計学とも) 」に分類できる<ref name=":0">{{Wayback |url=http://www.ner.takushoku-u.ac.jp/masano/class_material/waseda/keiryo/4_descriptive_stat.html |title=Masahiko Asano (2018) 記述統計学. 拓殖大学 |date=20200130220820}}</ref>。記述統計学は'''データの特徴を記述'''する学問であり、推計統計学は'''標本から母集団を推計'''する学問である。 記述統計学は、データ1つがもつ特徴を記述・説明することに着目した分野である<ref name=":0" />。例えば小学生99人の身長データがあったとする。データの値は個別の小学生のものであり、100人全体の特徴は値を個別に見ただけでは分からない。ここでデータの値を身長順に並べ、50番目の値を見れば「この小学生99人の"普通"の身長はだいたい110 cmである」と記述できる。50番目の値は[[中央値]]という。このように、データ全体の特徴を要約・記述することが記述統計学の大きな目的・方法論である。 [[推計統計学]]は、[[母集団]]からの[[標本化]]を前提とし、標本から母集団を推測する分野である<ref name=":0" />。例えば世界の小学生の身長特性を知りたいとする。全世界の小学生の身長を計測し記述統計学によって中央値や平均値を記述すれば、目的である世界の小学生の身長特性は解明できる。しかしその計測は著しく困難(事実上不可能)である。そこで推計統計学では、まず小学生100人の身長データ(標本と呼ぶ)を集める。そして標本は全世界の小学生という母集団からランダムに選ばれたものだと考える。ランダムに選ばれた100人の身長中央値(標本の中央値)は必ずしも世界小学生身長中央値(母集団の中央値)と一致しないと考えられるが、"似た"数値にはなると期待される。すなわち標本から母集団の特性を推測することができる。この、標本から母集団を推測する方法論に関する分野が[[推計統計学]]である。 このように、記述統計学は'''データ'''(推計統計学でいう標本)の説明・'''記述'''を行い、推計統計学は'''母集団'''(の記述)の'''推測'''をおこなう。両分野の違いは、記述統計学では目の前にあるデータがすべて(母集団という考え方はない)のに対し、推計統計学ではむしろ目の前のデータは(真なる)母集団から今回たまたま選ばれた標本だと考える点にある。一方で、推計統計学では標本の記述統計から母集団の[[統計量]]を推測するように、この2分野は非常に密接に絡んでおり全く別の分野と考えることは不適切である。 == 統計的手法 == {{出典の明記|section=1|date=2011-11}} ; [[実験計画法|実験計画]] : データ収集の規模や対象、割付方法をコントロールし、より公正で評価可能なデータが収集できるよう検討すること。統計の世界には「ゴミのようなデータを使っていくら解析しても出てくる結果はゴミばかりだ」<ref>{{lang-en-short|Garbage in, garbage out.}}</ref>という格言がある{{sfn|モルテン・イェルウェン|2015|p=192}}。これはデータ収集の前にその方法を十分に検討する必要があることを強調したものである。 ;[[尺度水準]] : [[データ]](あるいは[[変数 (数学)|変数]]、[[測定]])の尺度はふつう次のような種類(水準)に分類される。尺度水準によって、統計に用いるべき要約統計量や[[統計検定法]]が異なる。 :*質的データ、カテゴリデータ :**[[名義尺度]]:単なる番号で順番の意味はない。電話番号、背番号など。 :**[[順序尺度]]:[[順序]]が意味を持つ番号。階級や階層など。 :*量的データ、数値データ :**[[間隔尺度]]:順序に加え間隔にも意味がある([[単位]]がある)が、ゼロには絶対的な意味はない。[[摂氏]]・[[華氏]][[温度]]、[[知能指数]]など。 :**[[比率尺度]]:ゼロを基準とする絶対的尺度で、間隔だけでなく比率にも意味がある。[[絶対温度]]、金額など。 これらは、意思決定に応用されている。 == 歴史 == {{main|統計学の歴史}} 統計学の源流は国家または社会全体における[[人口]]あるいは[[経済]]に関する調査にある{{sfn|竹内啓|2018|p=4}}。このことは、東西を問わず古代から行われている。 学問としては、[[17世紀]]には[[イギリス]]で[[ウィリアム・ペティ]]の『[[政治算術 (書物)|政治算術]]』(1790年)などが著述され、その後の[[社会統計学]]に繋がる流れが始まった。彼の提唱した[[政治算術]]そのものは18世紀に衰退するものの、ペティは統計学の父とも呼ばれる{{sfn|竹内啓|2018|pages=58-59}}。また同時期、ペティの友人である{{日本語版にない記事リンク|ジョン・グラント|en|John Graunt}}が『死亡表に関する自然的および政治的諸観察』(1662年)を表し、[[人口統計学]]の源流となった{{sfn|竹内啓|2018|p=72}}。この死亡統計の研究は[[エドモンド・ハレー]]なども行うようになった{{sfn|竹内啓|2018|pages=75-26}}。これらの影響の基、[[18世紀]]にはドイツの[[ヨハン・ペーター・ジュースミルヒ]]が『神の秩序』([[1741年]])で[[人口]]動態にみられる規則性を明らかにしたが、これには文字通り「神の秩序」を数学的に記述する意図があった{{sfn|竹内啓|2018|p=79}}。 [[ドイツ]]では[[17世紀]]からヘルマン・コンリングなどによって[[ヨーロッパ]]各国の国状の比較研究が盛んになり、1749年に[[ゴットフリート・アッヘンヴァル]]がこれにドイツ語で「{{読み仮名|{{lang|de|Statistik}}|シュタティシュティーク}}」(「統計学」の意味)の名をつけている{{sfn|竹内啓|2018|p=85}}。 19世紀初頭になるとこれに関して政治算術的なデータの収集と分析が重視されて、「{{lang|de|Statistik}}」の語は特に「統計学」の意味に用いられ、さらにイギリスやフランスなどでも用いられるようになった。この頃には、1748年の[[スウェーデン]]を皮切りに[[国勢調査]]も行われるようになり、1790年には[[アメリカ合衆国下院|下院]]の議員数算定のために[[アメリカ合衆国|アメリカ]]がこれに続き、イギリス、[[フランス]]など西ヨーロッパ諸国においても1830年頃までには国勢調査が行われるようになった{{sfn|竹内啓|2018|pages=166-167}}。 一方[[ブレーズ・パスカル]]、[[ピエール・ド・フェルマー]]に始まった確率論の研究がフランスを中心にして進み、19世紀初頭には[[ピエール=シモン・ラプラス]]によって一応の完成を見ていた{{sfn|竹内啓|2018|p=128}}。また、[[カール・フリードリヒ・ガウス]]による[[誤差]]や[[正規分布]]についての研究も統計学発展の基礎となった{{sfn|岩沢宏和|2014|p=164}}。ラプラスも確率論の社会的な応用を考えたが、この考えを本格的に広めたのが「近代統計学の父」と呼ばれる[[アドルフ・ケトレー]]であった。彼は『人間について』([[1835年]])、『社会物理学』([[1869年]])などを著し、自由意志によってばらばらに動くように見える人間の行動も社会全体で平均すれば法則に従っている(「平均人」を中心に正規分布に従う)と考えた{{sfn|竹内啓|2018|p=193}}。ケトレーの仕事を契機として、19世紀半ば以降、'''[[社会統計学]]'''がドイツを中心に、特に[[経済学]]と密接な関係を持って発展する。代表的な人物には[[アドルフ・ワーグナー (経済学者)|アドルフ・ワグナー]]{{sfn|竹内啓|2018|pages=211-212}}、[[エルンスト・エンゲル]]([[エンゲル係数]]で有名){{sfn|竹内啓|2018|pages=207-208}}、[[ゲオルク・フォン・マイヤー]]がいる{{sfn|竹内啓|2018|pages=215-216}}。また[[フローレンス・ナイチンゲール]]も、社会医学に統計学を応用した最初期の人物として知られる。統計学の業績について高く評価され1858年には王立統計学会初の女性会員となった<ref>「人間と社会を変えた9つの確率・統計学物語」p.162 松原望 SBクリエイティブ 2015年4月24日初版発行</ref>。 同じく19世紀半ばに[[チャールズ・ダーウィン]]の[[進化論]]が発表され、彼の従弟に当たる[[フランシス・ゴルトン]]は数量的側面から[[生物進化]]の研究に着手した。これは当時「{{読み仮名|{{lang|en|biometrics}}|バイオメトリクス}}」(生物測定学)と呼ばれ、多数の生物(ヒトも含めて)を対象として扱う統計学的側面を含んでいる<ref>「生体認証国家 グローバルな監視政治と南アフリカの近現代」p.32 キース・ブレッケンリッジ 堀内隆行訳 2017年8月24日第1刷 岩波書店</ref>。ゴルトンは[[平均への回帰|回帰]]の発見で有名である{{sfn|竹内啓|2018|pages=234-235}}が、当初生物学的と思われたこの現象は一般の統計学的対象の解析でも重要であることが明らかとなる。ゴルトンの後継者となった数学者[[カール・ピアソン]]はこのような生物統計学をさらに数学的に発展させ('''数理統計学''')、19世紀終わりから20世紀にかけ'''記述統計学'''を大成する{{sfn|竹内啓|2018|pages=238-239}}<ref group="注釈">現在では生物統計学「{{読み仮名|{{lang|en|biostatistics}}|バイオスタティスティクス}}」とも呼ばれる、この単語は現在では[[生体認証]]という別の意味で使われている。</ref>。 20世紀に入ると、[[ウィリアム・ゴセット]]{{sfn|岩沢宏和|2014|p=205}}、続いて[[ロナルド・フィッシャー]]が[[農学]]の[[実験計画法]]研究をきっかけとして数々の統計学的仮説検定法を編み出し、記述統計学から'''[[推計統計学]]'''の時代に移る{{sfn|竹内啓|2018|p=258}}。ここでは[[母集団]]から抽出された標本を基に、確率論を利用して逆に母集団を推定するという考え方がとられる。続いて[[イェジ・ネイマン]]、[[エゴン・ピアソン]]らによって[[無作為抽出]]法の採用など現代の数理統計学の理論体系が構築され{{sfn|竹内啓|2018|pages=291-292}}、これは[[社会科学]]、[[医学]]、[[工学]]、[[オペレーションズ・リサーチ]]などの様々な分野へ応用されることとなった。 こうして推計統計学は精緻な数学理論となった反面、応用には必ずしも適していないとの批判が常にあった。 これに呼応して、在来の[[客観確率]]を前提に置く統計学に対し、それまでごく少数によって提唱されていたにすぎなかった'''[[主観確率]]'''を中心に据えた'''[[ベイズ統計学]]'''が1954年に{{仮リンク|レオナルド・サベージ|en|Leonard Savage}}の『統計学の基礎』によって復活した{{sfn|竹内啓|2018|p=456}}。[[ベイズの定理]]に依拠する主観確率の考え方は[[母集団]]の前提を必要とせず不完全情報環境下での計算や原因の確率を語るなど、およそ在来統計学とは正反対の立場に立つため、その当時[[ベイジアン#歴史|在来統計学派はベイズ統計学派のことを『ベイジアン』と名付けて激しく対立]]した。しかし主観確率には、[[ベイズ推定|新たに取得した情報によって確率を更新する機能]]が内包され、この点が大きな応用の道を開いた。今や統計学では世界的にベイズ統計学が主流となり、先端的応用分野ではもっぱらベイズ統計学が駆使されている。 [[計量経済学]]、[[統計物理学]]<ref>Tolman, R. C. (1979). The principles of statistical mechanics. Courier Corporation.</ref><ref>Ruelle, D. (1999). Statistical mechanics: Rigorous results. World Scientific.</ref><ref>Thompson, C. J. (2015). Mathematical statistical mechanics. Princeton University Press.</ref>、[[バイオテクノロジー]]、[[疫学]]、[[機械学習]]、[[データマイニング]]、[[制御理論]]、[[インターネット]]など、あらゆる分野でベイズ統計学は実学として活用されている。[[スパム (メール)#フィルタリングソフトウェア|スパムメールフィルタ]]や[[日本語入力システム|日本語入力]]の[[入力予測|予測変換]]など身近な応用も数多い。20世紀末には[[マルコフ連鎖モンテカルロ法]]など理論面で様々な革新的考案もなされ、旧来の統計学では不可能であったような各分野で多くの応用がなされるようになっている。これらベイズ統計学についての展開は、いずれも計算環境の進歩と不可分である{{sfn|岩沢宏和|2014|pages=263-264}}。 == 他分野との関係 == === 確率論 === [[確率論]]は、[[中等教育]]で「確率・統計」と一括りに呼ばれていたように<ref>[https://erid.nier.go.jp/files/COFS/s53h/chap2-3.htm 第3節 数  学] < 高等学校学習指導要領(昭和57年4月施行)</ref><ref>詳しくは「[[確率・統計]]」も参照のこと。</ref>、統計学と非常に深いかかわりがある<ref name="ct">Chow, Y. S., & Teicher, H. (2003). Probability theory: independence, interchangeability, martingales. Springer Science & Business Media.</ref><ref name="feller">Feller, W. (2008). An introduction to probability theory and its applications (Vol. 2). John Wiley & Sons.</ref><ref name="durrett">Durrett, R. (2019). Probability: theory and examples (Vol. 49). Cambridge University Press.</ref><ref name="jaynes">Jaynes, E. T. (2003). Probability theory: The logic of science. Cambridge University Press.</ref><ref name="cz">Chung, K. L., & Zhong, K. (2001). A course in probability theory. Academic Press.</ref><ref>[[赤摂也]]. (2014). 確率論入門. 筑摩書房.</ref><ref>[[池田信行]], [[小倉幸雄]], [[高橋陽一郎 (数学者)|高橋陽一郎]], & [[眞鍋昭治郎]]共著. (2006). 確率論入門.</ref>。推計統計学ではデータ(標本)が母集団から'''ランダムに'''取り出されるという前提に立っている。すなわち母集団を構成する要素はそれぞれ"出やすさ"をもっており、それに従ってランダムに取り出されるという立場である。"出やすさ"はまさしく(古典的な)確率であり、母集団はある[[確率分布]]に従っていると数学的に表現できる。標本に基づいた母集団確率分布のパラメータ推定(統計的推論)は推計統計学の花形であり、これらは確率論の用語や理論を用いて表現・研究されている。 <math>x \sim p_{true}(x|\theta )</math>: 標本 x は、[[母数|パラメータ]] θ をもつ確率分布 p{{sub|true}} に従う母集団からサンプリングされる。 === 機械学習 === [[機械学習]]では、機械(数理モデル)がデータを利用してその性能を向上させようとする<ref>Alpaydin, E. (2020). Introduction to machine learning. MIT Press.</ref><ref>Marsland, S. (2015). Machine learning: an algorithmic perspective. CRC Press.</ref><ref>[[大関真之]]. (2016). 機械学習入門 ボルツマン機械学習から深層学習まで. 株式会社 オーム社.</ref>。数理モデルとして確率分布を含むモデルを考えた場合、このモデルがデータを生成する過程は、まさしく推測統計学における母集団からのサンプリング(確率分布で表現された母集団モデルからデータという標本を取り出す過程)といえる。そしてこのモデルの学習とは、データからの正確な確率モデル推定 = 標本からの母集団パラメータ推定であり、すなわち統計的推論と同義である。このように統計学と機械学習には深い関係がある<ref>Murphy, K. P. (2012). Machine learning: a probabilistic perspective. MIT Press.</ref>(詳しくは {{節リンク|機械学習|統計的機械学習}}) == 統計の困難さ == {{main|再現性の危機}} 一度信頼できる統計データが取れさえすれば統計学的分析は数学的に行えるが、信頼できる統計データの収集はとても難しい。統計学の源流は各国が人口その他を把握するために行った[[国勢調査]]に求められるが、古代・中世を通じほとんどの国家では中央権力の力が弱く、[[ローマ帝国]]で行われたセンサス{{sfn|竹内啓|2018|p=34}}や中国歴代王朝の人口調査{{sfn|竹内啓|2018|p=15}}等の例外はあるものの、特に大国においてこうした調査を行うことはほぼ不可能だった。 こうした調査が実行可能となるのは各国の中央政府の行政能力の向上した18世紀から19世紀初頭にかけてであり、この時期に初めて近代的な意味での統計学が成立することとなった{{sfn|竹内啓|2018|p=177}}。現代においても、たとえば行政能力の脆弱な[[ブラックアフリカ]]諸国においては統計局の予算・人員の不足が深刻であり、統計データの不正確さが指摘されている{{sfn|モルテン・イェルウェン|2015|pages=28-31}}。 また、統計を取る人の主義主張によって統計値が大きく異なることも多々あり、[[ロナルド・レーガン|レーガン]][[政権]]は当時アメリカに[[ホームレス]]が30万人しかいないと主張したが、活動家たちはその10倍の300万人いると主張した{{sfn|ジョエル・ベスト|2002}}。 例えば、質問の仕方一つで結果がガラリと変わってしまう。強姦に関するある調査で、女子大生に「男性から[[アルコール]]や[[薬物]]を飲まされて、望まない[[性交]]をしたことがありますか」と質問することで「女子大生の1/4が[[強姦]]されたことがある」という結論を出したが、批判者たちはこの調査で強姦体験者と認定された女子大生たちを集めて再調査したところ、その3/4がその体験を強姦だと考えていないことが分かった{{sfn|ジョエル・ベスト|2002}}。 また、[[暗数]]の考慮にも主観がつきまとってしまう。暗数とは「統計に出ない値」のことで、例えば強姦のような[[犯罪]]はそれがタブーであるために警察に届けないことも多く、したがって統計に表れない。それには統計を正しく読み解くには暗数を考慮する必要があるが、統計値を多く見積もりたい人は意識的・無意識的に暗数を多く見積もってしまう可能性があり、逆に統計値を少なく見積もりたい人は暗数を少なく見積もってしまう可能性がある。 正しい統計データから正しい統計操作を行ってもなお騙すことが可能である。たとえば、ここ四十数年で[[少年犯罪]]は1/4になっているが、最近10年では微増している。この時、微増となっている最近10年分のデータだけを提示して、「近年少年犯罪は増加している」という主張をすれば、これは成立することになる<ref>{{Cite book|和書 |author=パオロ・マッツァリーノ |title=[[反社会学講座]] |year=2004 |publisher=[[イースト・プレス]] |isbn=4-87257-460-5}}</ref>。さらに、グラフの縦軸(=犯罪数の軸)をわざと縦長に描くことで犯罪数が急上昇しているかのように見せかけることも可能である。 == 教育 == 統計学は「実学」に端を発しており、[[近代社会]]以降世界に普及した「[[市場経済|市場経済社会]]」を牽引した原動力とも言える学問である。そのため、[[自然科学]]・[[社会科学]]・[[人文科学]]の各分野の垣根を越えて分化かつ拡大を続ける中、基礎において汎用性が高い学問の構造を有している{{要出典|date=2019年5月}}。 [[社会生活]]の至る所で統計技術の適用が貢献できる場面がある以上、統計学とその適用方法を学習する上では社会の実態に即して頻繁に技法を適用してみることが重要であり、そのように出来るためには何よりまず統計処理を身近で制限無く実施できるような「統計処理環境」の備えが必要である。 [[パーソナルコンピュータ|PC]]・[[ソフトウェア]]・[[インターネット|インターネット環境]]などの[[情報技術|IT]]環境が急速に進化低廉化して普及したことで身近に統計処理環境を持ちうるようになり、なおかつ莫大な[[統計|統計情報]]がインターネットを通じて公開されているため、研究・調査・学習の処理材料にも不自由しない。 実際21世紀に入って以降は、それまでの確率論と数理統計学を重点に置いたカリキュラムに加え、データを処理して求める答えに近づく「データ解析」のスキルが教育されるようになっている([[データサイエンス]]論)。 元来コンピュータを使った[[数値計算]]に際してはまず、[[IEEE 754]]規格にあるように[[丸め]][[誤差]]が暗黙のうちに生じることや、[[有効数字]]の概念の認識が重要で、子供のころ算数で学んだような計算結果にはならないことがあることを知っておかねばならない。さらに、統計計算では殊に重要な[[乱数]]についても、コンピュータ上で用いるのは[[疑似乱数]]であることや、良質な疑似乱数生成方式「[[メルセンヌ・ツイスタ]]」を計算ソフトウェアや開発用言語の全てが必ず備えているわけではないこと、[[暗号論的擬似乱数生成器|暗号論的乱数]]はさらにまた別の乱数概念であること、なども実は大切な基礎知識である。 人が得意とするパターン認識の力を積極的に用いるため、統計データの「グラフ化」が古来常套手段として用いられているが、ITの支援を得ることで大量のデータを様々な形に、しかも瞬時に[[統計図表|グラフ]]化(あるいは『[[可視化]]』)することが可能となった。そのための[[グラフ作成ソフト]]も多数存在するが、その他の[[数値解析ソフトウェア]]や[[数式処理システム]]、そして殊に下記のような統計アプリケーションではグラフ化するための機能が充実している。 一方、近年オフィスソフト機能等で極端なグラフ装飾を施すことが横行している。この結果として、例えば3Dグラフなどを安易に用いると遠近感や区間面積などから表示すべき真の数量とは異なった認識を受け手に与える事がある。本来3Dグラフ表示は人の空間認識力を活かし得る優れた表現手法であるが、意味なく勢い付け等で用いるのは本来的な視覚化からは退行するばかりか、意図して受け手の誤認識を誘導する事も可能となる。「グラフは直感的に分かるから全て善である」と一般に認識されていることや、前出「[[#統計の困難さ|統計の困難さ]]」にある内容をふまえると、統計の視覚化とその解釈に関するリテラシ教育は初等段階から特に注意を要する。 上記のように、用いる統計処理環境ごとに適用分野・目的・方法論・使用者との相性などは異なる。そういった統計処理環境固有の特性なども含めて、いかなる道具もそうであるように、数多く体験の機会を作るほかに理解の早道は無い。 広く普及した[[表計算ソフトウェア]]が統計処理・グラフ表現機能を持っているので、誰でも手軽に統計処理入門体験は出来る。しかしあくまでビジネスソフトであり、科学技術ソフトではないExcelの計算の信頼性については常に批判が絶えない<ref>[http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/blog/node/2287 Excel使うな Okumura's Blog] 三重大学高等教育創造開発センター教授・教育情報システム部門長 [[奥村晴彦]]のブログ</ref><ref>{{Cite journal |editor-last=McCullough |editor-first=B. D. |date = 2008-06-15 |title = Special Section on Microsoft Excel 2007 |journal=Computational Statistics & Data Analysis |volume=52 |issue=10 |pages=4567-4878 |language=en |doi=10.1016/j.csda.2008.03.009 |ref=harv }}</ref><ref>[http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/Hanasi/excel/ Excel は,コンピュータ・ソフトウェアの三種の神器のようになっていますが,とんでもないこともあるというお話。] 群馬大学社会情報学部教授 [[青木繁伸]]のサイト</ref><ref>[http://www.shochian.com/exclfc.htm 間違いだらけのExcel関数ヘルプ「財務・統計関数編」市販解説本で孫引きしている点も警告]</ref>(Excelに限らず普及している表計算ソフトウェアはどれも信頼に足る統計計算はできないとの報告もある<ref>[http://www.jstatsoft.org/v34/i04 On the Numerical Accuracy of Spreadsheets : the Journal of Statistical Software Vol.34, Issue4, Apr2010]</ref>)。 近年では研究・教育機関が公開する[[オープンソース]]な[[フリーソフトウェア|フリーソフト]]の中からきわめて優秀な計算ソフトウェアが育っており、[[プロプライエタリ|プロプライエタリソフトの問題点顕在化]]により関心の高まった統計技術資産の持続可能性という観点からも、統計教育にあたってはこれら[[オープンソースソフトウェア]]の積極的な活用が推奨される。 統計の研究・教育に適した代表的なフリーソフトウェア {{div col|rules=yes}} * アプリケーション **[[R言語]] - [[GNU General Public License|{{lang|en|GNU GPL}}]]・[[フリーウェア]]の統計用[[数値解析ソフトウェア]]<ref>Ihaka, R., & Gentleman, R. (1996). R: a language for data analysis and graphics. Journal of computational and graphical statistics, 5(3), 299-314.</ref>。[[確率分布]]や統計モデルを簡潔に記述でき、無限大・[[非数]]・[[欠損値|欠損値定数]]を持つベクトル処理言語。[[アメリカ食品医薬品局]]公認。 **{{lang|en|[[GNU Octave]]}} - GNU GPL・フリーウェアの数値解析ソフトウェア。理工学分野での[[デファクトスタンダード]]とも言える[[MATLAB]]と互換の命令体系を持つベクトル処理言語<ref>Octaveの精義 - フリーの高機能数値計算ツールを使いこなす, [[松田七美男]](2011)</ref>。 **{{lang|en|[[Scilab]]}} - {{lang|en|Scilab License}}・フリーウェアの数値解析ソフトウェア<ref>Bunks, C., Chancelier, J. P., Delebecque, F., Goursat, M., Nikoukhah, R., & Steer, S. (2012). Engineering and scientific computing with Scilab. [[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer Science & Business Media]].</ref><ref>[[大野修一 (工学者)|大野修一]]. (2009). Scilab 入門: フリーソフトで始める数値シミュレーション. [[CQ出版]].</ref><ref>[[上坂吉則]]. (2010). Scilab プログラミング入門. 牧野書店.</ref><ref>Thanki, R. M., & Kothari, A. M. (2019). Digital image processing using SCILAB. Springer International Publishing.</ref>。{{lang|en|MATLAB}}類似の文法をもったベクトル処理言語。付属するソフトウェアScicosを用いてダイアグラム操作で視覚的にシステムフロー図を描いて[[システムダイナミクス]][[シミュレーション]]が可能。{{lang|fr|[[INRIA]]}}が開発。 **{{lang|en|Ox}}言語 - 行列計算のために作られたベクトル処理言語。フリーウェア。[[オックスフォード大学]]が開発。 **{{lang|en|[[Maxima]]}} - [[数式処理システム]]<ref>[[岩城秀樹]]:「Maximaで学ぶ経済・ファイナンス基礎数学」、[[共立出版]]、ISBN 978-4320110311(2012年12月8日)</ref>。[[マサチューセッツ工科大学|MIT]]の[[Macsyma]]直系のGNU GPL・フリーウェア版。 **{{lang|en|[[Risa/Asir]]}} - 数式処理システム<ref>Noro, M., & Takeshima, T. (1992, August). Risa/Asir-a computer algebra system. In Papers from the international symposium on Symbolic and algebraic computation (pp. 387-396).</ref><ref>Noro, M. (2003). A computer algebra system: Risa/Asir. In Algebra, Geometry and Software Systems (pp. 147-162). 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Packt Publishing Ltd.</ref>) {{div col end}} 統計計算に関連するソフトウェアのカテゴリ *[[グラフ作成ソフト]] *[[:Category:統計処理ツール|統計ソフトウェア]] *[[数値解析ソフトウェア]] *[[数式処理システム]] === 日本 === 日本においては統計学がそれぞれの分野へ分化された形で組み込まれているため「統計学科」を置く[[大学]]がなかったが、2017年度に[[滋賀大学]]が日本で初めて統計学を研究の核とする[[データサイエンス学部]]を新設。[[一橋大学]]がソーシャル・データサイエンス研究科・学部を2023年度に新設予定である。 国立の統計学研究・教育機関としては、1944年に設立された[[統計数理研究所]]があり、[[赤池情報量規準|AIC]]、[[数量化理論]]、[[確率微分方程式]]などの顕著な成果を生み出し、統計学研究を牽引している<ref group="注釈">現在は[[情報・システム研究機構]]を構成する一機関。</ref>。 平成21年(2009年)11月に公示された<ref>[https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2012/06/06/1282000_5.pdf 高等学校学習指導要領解説・数学編] - 文部科学省</ref>'''新学習指導要領'''において、中学・高校数学における統計[[単元]]の拡充がなされた。 中学校では、中学数学においては「統計」を扱う単元が新設された(従来は確率を扱う単元はあったが統計処理を扱う単元はなかった)。 高校では、それまで高校数学Bにおいて選択履修とされていた「統計の基礎的概念」(代表値・相関係数ほか)を扱う単元が数学Iに移され「データの分析」として必修化された。また、それまで数学Cにおいて理系生のみが履修していた「確率分布と統計的な推測」が数学Bに移されて、文系生でも履修可能になった。 これらの変更は2012年(平成24年)度入学生から適用されている。(詳細は、「 [[数学 (教科)]] 」を参照) 「データの分析」はデータの散らばりと相関について教え、その目的は「統計の基本的な考えを理解するとともに,それを用いてデータを整理・分析し傾向を把握できるようにする。」ことである。総務省統計局では「学校における統計教育の位置づけ」<ref>[https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10950032/www.stat.go.jp/teacher/c3index.htm 学校における統計教育の位置づけ|統計学習の指導のために(先生向け)]</ref><ref>[https://www.stat.go.jp/teacher/stat-education.html 学校における統計教育の位置づけ] < 統計学習の指導のために 先生向け < 統計局ホームページ</ref>を解説し、指導者の支援にあたっている。 == 統計学の用語 == {{div col|rules=yes}} * [[要約統計量]] ** [[平均]]、[[最頻値]](モード)、[[中央値]](メジアン)、[[分散 (確率論)|分散]]、[[標準偏差]]、[[共分散]]、[[相関係数]] * [[正規分布]] ** [[カール・フリードリヒ・ガウス]](誤差論) *** [[誤差]] ** [[標準得点]] *** [[偏差値]] * [[大数の法則]]、[[中心極限定理]] * [[統計量]] * [[確率変数]] * [[確率密度関数]] * [[推計統計学]] ** [[母集団]]、[[無作為抽出]]([[ランダム]]サンプリング) ** [[期待値]]、[[不偏分散]] ** [[有意]] ** [[尤度関数]] * [[多変量解析]] ** [[回帰分析]]、[[重回帰分析]] ** [[因子分析]] ** [[主成分分析]] ** [[判別分析]] ** [[共分散構造分析]] * [[傾向推定]] * [[数量化理論]] *[[ベイズ統計学]]: 推測統計学の一種<ref>[[渡部洋]]. (1999). ベイズ統計学入門. 福村出版.</ref><ref>[[中妻照雄]]. (2007). 入門ベイズ統計学.</ref><ref>[[豊田秀樹]]. (2015). 基礎からのベイズ統計学: ハミルトニアンモンテカルロ法による実践的入門. Asakura Shoten.</ref><ref>[[松原望]]. (2010). ベイズ統計学概説: フィッシャーからベイズへ. 培風館.</ref><ref>[[樋口知之]]. (2011). 予測にいかす統計モデリングの基本―ベイズ統計入門から応用まで. 講談社.</ref> {{div col end}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書 |author=R. A. フィッシャー |authorlink=ロナルド・フィッシャー |title=統計的方法と科学的推論 |year=1962 |editor=[[渋谷政昭]]、[[竹内啓]](訳) |ref=Fisher(1962)}} * {{Cite book|和書 |author=竹之内脩 |authorlink=竹之内脩 |title=ルベーグ積分 |year=1980 |publisher=培風館 |series=現代数学レクチャーズ |ref=竹之内}} * {{Cite book|和書 |author=蓑谷千凰彦 |authorlink=蓑谷千凰彦 |title=推定と検定のはなし |year=1988 |publisher=東京図書 |ref=蓑谷}} * {{Cite book|和書 |title=統計学入門 |editor=東京大学教養学部統計学教室(編) |publisher=東京大学出版会 |year=1991 |ref=入門(1991)}} * {{Cite book| 和書 |title=計測における誤差解析入門 |author=J. R. Taylor |editor=[[林茂雄]]、[[馬場凉]](訳) |year=2000 |publisher=東京化学同人 |ref=Taylor(2000)}} * {{Cite book|和書 |author=ジョエル・ベスト |authorlink=:en:Joel Best |translator=[[林大 (翻訳家)|林大]] |title=統計はこうしてウソをつく : だまされないための統計学入門 |year=2002 |publisher=[[白揚社]] |isbn=4-8269-0111-9 |ref=harv}} * Robert V.Hogg, Joseph W.McKean, Allen T.Craig:「数理統計学ハンドブック」,朝倉書店、ISBN 978-4-254-12163-6(2006年7月6日)。 * {{Cite book|和書 |author=岩沢宏和 |authorlink=岩沢宏和 |title=世界を変えた確率と統計のからくり134話 |publisher=SBクリエイティブ |date=2014-09-26 |ref=harv}} * {{Cite book|和書 |author=モルテン・イェルウェン |authorlink=:d:Q87323856 |translator=[[渡辺景子]] |title=統計はウソをつく アフリカ開発統計に隠された真実と現実 |publisher=青土社 |date=2015-08-10 |ref=harv}} * {{Cite book|和書 |author=竹内啓 |title=歴史と統計学 人・時代・思想 |publisher=日本経済新聞出版社 |date=2018-07-25 |ref=harv}} == 関連項目 == {{div col|rules=yes}} <!--* [[測度論]] --> * [[確率論]] * [[統計学の歴史]] * [[多層性]] * [[客観確率]]、[[主観確率]] * [[ベイズ確率]] * [[ベイズ統計学]] * [[情報理論]] * [[疑似乱数]] / [[モンテカルロ法]] * [[暗号理論]] * [[相関関係と因果関係]] * [[プラグマティズム]] * [[統計物理学]] / [[統計力学]] * [[オペレーションズ・リサーチ]] * [[計量経済学]] / [[数理ファイナンス]] / [[金融工学]] * [[生物統計学]] / [[疫学]] <!--* [[バイオテクノロジー]] --> * [[根拠に基づく医療]] * [[品質管理]] * [[経営工学]] * [[測定]] * [[データサイエンス]] * [[信号処理]] * [[制御理論]] * [[データマイニング]] * [[分類 (統計学)]] * [[機械学習]] * [[ビッグデータ]] * [[スーパーコンピュータ]] * [[シミュレーション]] * [[統計検定 (資格)]] {{div col end}} == 外部リンク == {{Wikibooks}} {{Commonscat}} {{wiktionary}} * [https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1266/ 2014年度開講 数学ー革新の歴史と伝統の力(学術俯瞰講義) - 第7回 統計学の歴史] - [[竹村彰通]] * [https://hdl.handle.net/10787/2234 統計科学とは何だろう - 『統計数理 創立50周年記念号(1) 』1994-06] - 統計数理研究所 [[赤池弘次]] * {{kotobank}} * [https://www.stat.go.jp/koukou/index.html なるほど統計学園高等部] - [[総務省統計局]] * [https://ds.k.kyoto-u.ac.jp/e-learning/ 京都大学 国際高等教育院 附属データ科学イノベーション教育研究センター 提供教材] * [https://www.jss.gr.jp/book/books/ 日本統計学会編『日本の統計学五十年』(1983年)] {{Statistics-stub}} {{統計学|state=uncollapsed}} {{authority control}} {{DEFAULTSORT:とうけいかく}} [[Category:統計学|*]] [[Category:応用数学]] [[Category:初等数学]] [[Category:衛生学|*とうけいかく]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:指標]]
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岡田あーみん
岡田 あーみん(おかだ あーみん、女性、1965年8月14日 - )は、日本の元漫画家。沖縄県生まれ。 高校在学中の1983年に「米須(よねす)あーみん」の名で投稿した『お父さんは心配症』が集英社の第162回りぼんNEW漫画スクールの準りぼん賞を受賞、『りぼん』5月号に掲載されデビュー。後に岡田に改名し、同作で連載を始めた。 『お父さんは心配症』『こいつら100%伝説』『ルナティック雑技団』とデビュー以来連載を続けた。1994年には『お父さんは心配症』がテレビ朝日系列にて朝日放送、国際放映製作でテレビドラマ化された。『ルナティック雑技団』連載終了後はシリーズの短編を発表。1997年以降は活動しておらず、消息についても公表されていない。 オンデマンド出版社「復刊ドットコム」には2000年の開設以来、岡田あーみん未単行本化作品の刊行を求むリクエストが多数寄せられており、2015年5月時点で得票数五千を越えトップになっていたが、集英社を通しても作者本人との面会すらできない状態で、交渉が不可能になっていた。2015年5月1日発売の『りぼん』において、りぼん創刊60周年記念企画の一環で未収録作品を収録した『ルナティック雑技団』の新装版全3巻が集英社より同年7月24日に発売されると発表になった。 主人公・佐々木光太郎は、高校生の娘を持つ中年のサラリーマン。妻に先立たれ、一人娘の典子が非行に走ってしまわないかと心配するあまり、常軌を逸した行動に出てしまう。典子は父の心配など必要のないよくできた娘。彼氏の北野くんも近年まれにみる好青年であり、清い交際を続けている。ところが父の心配症はますますエスカレートして、友人・知人を巻き込んだ異常な大騒動を繰りひろげる。 現在文庫版(全4巻)が発売されており、巻末に作家本人のコメントが収載されている。 時は戦国、策略や謀議に満ちた白鳥城ではスパイが潜入し、世継ぎの姫の命が狙われていた。白鳥姫子とその家臣団は姫が潜伏できる安全な場所を求め城下の忍術道場を訪ねたのだった。アクの強い弟子三人を抱える先生は、「忍者は、歴史の影として上様を守りぬく者だ」と教えるが、姫に一目ぼれした三人は歓心を買おうとしてそれぞれ私利私欲によった行動から大混乱をまねいてしまう。 忍者ものとなったのは担当編集者のアイディアであり、岡田の当初の構想では学園ものだった。 孤高の貴公子 天湖森夜は、特異なカリスマ性の持ち主ゆえに、孤独だった。そんな森夜のもとに、彼にあこがれる少女・星野夢実が家庭の事情でホームステイすることになったのだ。 夢実は、森夜に人間の友達が必要であることを感じながら、森夜に独占的な愛をそそぐ心配症の母 ゆり子や、森夜に片思いのお嬢様 成金薫子、森夜をライバル視する愛咲ルイ、そして、謎の男ミスターXとの出会いを経て、精神的に鍛えられていく。 後日談となる短編では、夢実と森夜の文通の顛末(てんまつ)や、薫子の片思いの行方等が描かれている。これらは長らく単行本化されていなかったが、2015年に刊行された新装版に収録された。
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岡田 あーみんは、日本の元漫画家。沖縄県生まれ。
{{存命人物の出典明記|date=2013年5月}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 岡田 あーみん | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{JPN}}・[[沖縄県]] | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1965|8|14}} | ジャンル = [[ギャグ漫画]]<br />[[少女漫画]] | 活動期間 = [[1983年]] - [[1997年]] | 代表作 = 『[[お父さんは心配症]]』<br />『[[ルナティック雑技団]]』<br />『[[こいつら100%伝説]]』 | 受賞 = | サイン = | 公式サイト = }} '''岡田 あーみん'''(おかだ あーみん、女性<ref>{{Cite book|和書|author=まんがseek|coauthors=日外アソシエーツ編集部|title=漫画家人名事典|edition=初版|date=2003-02-25|publisher=[[日外アソシエーツ]]|location=[[東京都]][[大田区]]|isbn=978-4816917608|page=p. 81}}</ref>、[[1965年]][[8月14日]]<ref name=nichigai>{{Cite book|和書|editor=日外アソシエーツ編集部|title=漫画家・アニメ作家人名事典|edition=初版|date=1997-04-21|publisher=日外アソシエーツ|isbn=978-4816914232|page=p. 83}}</ref> - )は、[[日本]]の元[[漫画家]]。[[沖縄県]]生まれ<ref name=nichigai />。 == 来歴 == 高校在学中の[[1983年]]に「米須(よねす)あーみん」の名で投稿した『[[お父さんは心配症]]』が[[集英社]]の第162回りぼんNEW漫画スクールの準りぼん賞を受賞、『[[りぼん]]』5月号に掲載されデビュー。後に岡田に改名し、同作で連載を始めた。 『お父さんは心配症』『こいつら100%伝説』『ルナティック雑技団』とデビュー以来連載を続けた。[[1994年]]には『お父さんは心配症』が[[テレビ朝日]]系列にて[[朝日放送テレビ|朝日放送]]、[[国際放映]]製作でテレビドラマ化された。『ルナティック雑技団』連載終了後はシリーズの短編を発表。[[1997年]]以降は活動しておらず、消息についても公表されていない。 オンデマンド出版社「[[復刊ドットコム]]」には2000年の開設以来、岡田あーみん未単行本化作品の刊行を求むリクエストが多数寄せられており、2015年5月時点で得票数五千を越えトップになっていたが<ref name="nlab20150501">[https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1505/01/news153.html 復刊リクエストぶっちぎり1位 岡田あーみん、幻のコミックス未収録作、新装版「ルナティック雑技団」に収録決定!](ねとらぼ、2015年5月1日)</ref>、集英社を通しても作者本人との面会すらできない状態<ref>{{Cite book|和書|editor佐田野渉|title=復刊ドットコム奮戦記|edition=初版|date=2005-08-10|publisher=[[築地書館]]|location=[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]|isbn=4-8067-1312-0|page=p. 162-163}}</ref>で、交渉が不可能になっていた。2015年5月1日発売の『りぼん』において、りぼん創刊60周年記念企画の一環で未収録作品を収録した『ルナティック雑技団』の新装版全3巻が集英社より同年7月24日に発売されると発表になった<ref name="nlab20150501"/>。 == 人物・エピソード == {{独自研究|section=1|date=2008年7月}} * 「あーみん」は、デビュー当時好きだった[[松任谷由実]]のニックネームである「ユーミン」にちなんだものである。 * りぼんにて書かれていたキャッチフレーズは「[[少女漫画]]界に咲く[[ドクダミ]]の花」<ref>{{Cite book|和書|author=能町みね子|authorlink=能町みね子|date=2011-02-10|title=くすぶれ!モテない系|publisher=[[文藝春秋]]([[文春文庫]])|edition=初版|pages=114-115|isbn=978-4-16-780123-6}}</ref>。 * 『[[ちびまる子ちゃん]]』の作者[[さくらももこ]]と、自身の漫画作品『お父さんは心配症』で[[コラボレーション|合作]]をしたことがある。コミックによるとこの合作のために二人で合宿をしたという。さくらは「あーみんは美人」と書いている<ref> [[りぼんマスコットコミックス]] (RMC)『お父さんは心配症』 4巻、『ちびまる子ちゃん』 2巻 に収載。</ref>。なお「ちびまる子ちゃん」の別の回でさくらは岡田の歩き方をネタにしたこともある。 * ファンのことを、作家の名前に借りて「あー民」と呼ぶことがある。自称他称ともに多用される。 * 『お父さんは心配症』の6巻の巻末の後書きマンガにて、本屋にて『お父さんは心配症』のコミックを探している高校生に遭遇したエピソードを描いているが、その時の高校生がのちに漫画家となる[[椎名高志]]だった<ref>{{Twitter status2|takashi_shiina|116597198027886592|4=椎名高志(@Takashi_Shiina)の2011年9月22日のツイート|accessdate=2018-11-18}}</ref>。 == 作品リスト == === お父さんは心配症 === {{main|お父さんは心配症}} * 連載:1983年5月号 - 1988年11月号 * 刊行:1985年11月20日 - 1989年7月19日(全6巻) * 同時収録作品 ** 番外編・シンデレラの怪談(RMC「お父さんは心配症」 (2) に収載) ** 番外編・H(ヘンタイ)の悲劇(RMC「お父さんは心配症」 (2) に収載) ** 番外編・お殿さまは心配症(RMC「お父さんは心配症」 (2) に収載) ** お父さんは心配症・小学生編(RMC「お父さんは心配症」 (3) に収載) ** 個人教授(RMC「お父さんは心配症」 (6) に収載) ** あーみんの好き放題劇場(RMC「お父さんは心配症」(6)に収載) 主人公・佐々木光太郎は、[[高校生]]の娘を持つ中年の[[サラリーマン]]。妻に先立たれ、一人娘の典子が[[非行]]に走ってしまわないかと心配するあまり、常軌を逸した行動に出てしまう。典子は父の心配など必要のないよくできた娘。彼氏の北野くんも近年まれにみる好青年であり、清い交際を続けている。ところが父の心配症はますますエスカレートして、友人・知人を巻き込んだ異常な大騒動を繰りひろげる。 現在文庫版(全4巻)が発売されており、巻末に作家本人のコメントが収載されている。 === こいつら100%伝説 === {{main|こいつら100%伝説}} * 連載:1989年5月号 - 1992年9月号 * 刊行:1990年7月18日 - 1992年12月13日(全3巻) 時は戦国、策略や謀議に満ちた白鳥城ではスパイが潜入し、世継ぎの姫の命が狙われていた。白鳥姫子とその家臣団は姫が潜伏できる安全な場所を求め城下の忍術道場を訪ねたのだった。アクの強い弟子三人を抱える先生は、「忍者は、歴史の影として上様を守りぬく者だ」と教えるが、姫に一目ぼれした三人は歓心を買おうとしてそれぞれ私利私欲によった行動から大混乱をまねいてしまう。 忍者ものとなったのは担当編集者のアイディアであり、岡田の当初の構想では学園ものだった。 === ルナティック雑技団 === {{main|ルナティック雑技団}} * 連載:1993年1月号 - 1996年りぼん初夏のびっくり大増刊号 * 刊行:1994年3月20日 - 1996年11月20日(全3巻) 孤高の貴公子 天湖森夜は、特異なカリスマ性の持ち主ゆえに、孤独だった。そんな森夜のもとに、彼にあこがれる少女・星野夢実が家庭の事情でホームステイすることになったのだ。 夢実は、森夜に人間の友達が必要であることを感じながら、森夜に独占的な愛をそそぐ心配症の母 ゆり子や、森夜に片思いのお嬢様 成金薫子、森夜を[[ライバル]]視する愛咲ルイ、そして、謎の男ミスターXとの出会いを経て、精神的に鍛えられていく。 後日談となる短編では、夢実と森夜の文通の顛末(てんまつ)や、薫子の片思いの行方等が描かれている。これらは長らく単行本化されていなかったが、2015年に刊行された新装版に収録された。 === 読み切り作品 === * ささやかな俺の愛 りぼん1983年12月号掲載 * 花のいたづら りぼんオリジナル1991年初夏の号掲載 * こいつら100%伝説(3D劇場) りぼん1991年9月号ふろく * あーみんの好き放題劇場 りぼん1994年4月 - 12月号掲載 * ルナティック雑技団番外編〜届け愛のエアメール〜 りぼんオリジナル1997年2月号掲載 * ルナティック雑技団番外編〜お嬢様のパーティー教室〜 りぼんティーンズ1997年5月増刊号掲載 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{デフォルトソート:おかた ああみん}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:大阪府立大学出身の人物]] [[Category:沖縄県出身の人物]] [[Category:1965年生]] [[Category:存命人物]]
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マービン・ミンスキー
マービン・ミンスキー(Marvin Lee Minsky, 1927年8月9日 - 2016年1月24日)は、アメリカ合衆国のコンピュータ科学者であり、認知科学者。専門は人工知能 (AI) であり、マサチューセッツ工科大学の人工知能研究所の創設者の1人。初期の人工知能研究を行い、AIや哲学に関する著書でも知られ、「人工知能の父」と呼ばれる。現在ダートマス会議として知られる、"The Dartmouth Summer Research Project on Artificial Intelligence (1956)" の発起人の一人。 マービン・リー・ミンスキーは、ニューヨーク市で父は医者で母はシオニズム運動家というユダヤ人家庭に生まれ、ブロンクス科学高等学校に進学した後、マサチューセッツ州アンドーバーのフィリップス・アカデミーに転校した。そして、1944年から1945年まで、アメリカ海軍で兵役に就いた。ハーバード大学で数学を学び、1950年に卒業した。その後、1954年にはプリンストン大学で数学の博士号を得た。1958年以降、マサチューセッツ工科大学に所属している。1959年、ジョン・マッカーシーと共にMITコンピュータ科学・人工知能研究所の前身となる研究所を創設。現在はMITのメディアアートおよび科学の Toshiba Professor であり、電気工学と計算機科学の教授。 アイザック・アシモフは、ミンスキーのことを「自分が出会った人物のなかで自分より聡明なたった2人のうちの1人」だとしている。ちなみに、もう1人はカール・セーガンだという。 ミンスキーの特筆すべき特許として、世界初のヘッドマウント型グラフィックディスプレイ(1963年)と共焦点顕微鏡(1961年、今日よく使われている共焦点レーザー顕微鏡の原点)がある。また、シーモア・パパートと共にLOGO言語を開発した。その他にも、1951年、ミンスキーは世界初のランダム結線型ニューラルネットワーク学習マシン SNARC を製作している。 シーモア・パパートとの共著『パーセプトロン』は、ニューラルネットワーク解析の基礎を築いた。人工知能の歴史の中でも大きな議論を呼んだ著書であり、単純パーセプトロンは線形分離不可能なパターンを識別できない事を示し、1960年代の第1次ニューラルネットワークブームを終わらせ、1970年代の「AIの冬」をもたらす原因のひとつにもなった。 彼は他にもいくつかのAIモデルを考案している。著書 "A framework for representing knowledge" ではプログラミングの新パラダイムを生み出した。また、『パーセプトロン』は今では実用書というよりも歴史的な著作だが、フレーム理論(英語版)は今も広く使われている。ミンスキーは映画『2001年宇宙の旅』にアドバイザーとして参加し、映画にも小説にも名前が出ている。 1970年代初期、MIT人工知能研究所でミンスキーとシーモア・パパートは、「心の社会; The Society of Mind」理論と呼ばれるものを開発し始めた。理論は、どうしていわゆる知能が知的でない部分の相互作用から生まれるかを説明することを試みる。ミンスキーは、おもちゃのブロックを積み上げるロボットアーム、ビデオカメラ、およびコンピュータを使うマシンを作成しようとした彼の作業からこの理論についての着想を得たと言う。1986年、ミンスキーは以前の著作のほとんどと違って、一般大衆向けに書かれたこの理論の包括的な本『心の社会』を出版した。 2006年11月に出版した The Emotion Machine は、人間の心の働きについての様々な理論を批判し、新たな理論を示唆し、しばしば単純なアイデアをより複雑なものに置換している。この本の草稿は彼のウェブページで無料で公開されている。 2016年1月24日、脳出血のため死去。88歳没。 受賞歴は次の通り。 ミンスキーはローブナー賞には批判的である。 ミンスキーはジャーゴンファイルの人工知能に関する公案にも登場する。 ミンスキーは3人の子をもうけた。そのうちマーガレット・ミンスキーはMITの哲学博士で、ハプティクスに関心を寄せている。孫は4人いる。
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マービン・ミンスキーは、アメリカ合衆国のコンピュータ科学者であり、認知科学者。専門は人工知能 (AI) であり、マサチューセッツ工科大学の人工知能研究所の創設者の1人。初期の人工知能研究を行い、AIや哲学に関する著書でも知られ、「人工知能の父」と呼ばれる。現在ダートマス会議として知られる、"The Dartmouth Summer Research Project on Artificial Intelligence (1956)" の発起人の一人。
{{Infobox Scientist | name = マービン・ミンスキー | image = Marvin Minsky at OLPCb.jpg | image_size = | caption = 2008年、[[OLPC]]オフィスにて | birth_date = {{Birth date|1927|8|9}} | native_name = {{lang|en|Marvin Lee Minsky}} | birth_place = {{USA}} [[ニューヨーク]] | death_date = {{死亡年月日と没年齢|1927|8|9|2016|1|24}} | death_place = | residence = | citizenship = | nationality = | ethnicity = | field = [[認知科学]] | work_institutions = [[マサチューセッツ工科大学|MIT]] | alma_mater = [[フィリップス・アカデミー]]<br/>[[ハーバード大学]]<br/>[[プリンストン大学]] | doctoral_advisor = [[アルバート・タッカー]] | doctoral_students = [[マヌエル・ブラム]]<br/>[[カール・ヒューイット]]<br />[[ジョエル・モーゼス]]<br />[[アイバン・サザランド]]<br />[[テリー・ウィノグラード]] | known_for = [[人工知能]] | prizes = [[チューリング賞]] (1969)<br />[[日本国際賞]] (1990)<br />[[ベンジャミン・フランクリン・メダル (フランクリン協会)|ベンジャミン・フランクリン・メダル]] (2001) | footnotes = }} '''マービン・ミンスキー'''({{lang|en|Marvin Lee Minsky}}, [[1927年]][[8月9日]] - [[2016年]][[1月24日]]<ref name="nikkeiDGXLASGM26H4Y_W6A120C1000000">{{Cite news |title=マービン・ミンスキー氏が死去 「人工知能の父」 |newspaper=日本経済新聞 |date=2016-01-26 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM26H4Y_W6A120C1000000/ |accessdate=2017-04-11}}</ref>)は、[[アメリカ合衆国]]の[[コンピュータ科学]]者であり、[[認知科学|認知科学者]]。専門は[[人工知能]] (AI) であり、[[マサチューセッツ工科大学]]の[[MIT人工知能研究所|人工知能研究所]]の創設者の1人。初期の[[人工知能]]研究を行い、AIや[[哲学]]に関する著書でも知られ、「人工知能の父」と呼ばれる。現在[[ダートマス会議]]として知られる、"The Dartmouth Summer Research Project on Artificial Intelligence (1956)" の発起人の一人。 == 経歴 == マービン・リー・ミンスキーは、[[ニューヨーク]]市で父は医者で母は[[シオニズム]]運動家<ref>Winston, Patrick Henry (2016). "Marvin L. Minsky (1927-2016)". Nature (Springer Nature) 530 (7590): 282–282. doi:10.1038/530282a. {{PMID|26887486}}.</ref>という[[ユダヤ人]]家庭に生まれ<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=LJQjKkphxjUC&pg=PA188&dq=marvin+minsky+jewish&hl=en&ei=QC_WTNf1EsK5jAeLg-24CQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q=marvin%20minsky%20jewish&f=false Science in the contemporary world: an encyclopedia]</ref>、[[ブロンクス科学高等学校]]に進学した後、[[マサチューセッツ州]][[アンドーバー (マサチューセッツ州)|アンドーバー]]の[[フィリップス・アカデミー]]に転校した。そして、1944年から1945年まで、[[アメリカ海軍]]で兵役に就いた。[[ハーバード大学]]で数学を学び、[[1950年]]に卒業した。その後、1954年には[[プリンストン大学]]で数学の博士号を得た<ref name="AIMag80th">{{Cite journal| last = Hillis | first = Danny | authorlink = | coauthors = John McCarthy; Tom M. Mitchell; Erik T. Mueller; Doug Riecken; Aaron Sloman; Patrick Henry Winston | title = In Honor of Marvin Minsky’s Contributions on his 80th Birthday | journal = AI Magazine | volume = 28 | issue = 4 | pages = 103–110 | publisher = Association for the Advancement of Artificial Intelligence | year = 2007 | url = http://www.aaai.org/ojs/index.php/aimagazine/article/view/2064/2058 | doi = | accessdate = 2010-11-24}}</ref>。1958年以降、[[マサチューセッツ工科大学]]に所属している。1959年、[[ジョン・マッカーシー]]と共に[[MITコンピュータ科学・人工知能研究所]]の前身となる研究所を創設<ref>{{Cite journal|author=Horgan, John |date=November 1993 |title= Profile: Marvin L. Minsky: The Mastermind of Artificial Intelligence|journal=[[サイエンティフィック・アメリカン|Scientific American]] |volume= 269|issue=5 |pages=14–15}}</ref>。現在は[[マサチューセッツ工科大学|MIT]]の[[メディアアート]]および科学の Toshiba Professor であり、[[電気工学]]と[[計算機科学]]の教授。 [[アイザック・アシモフ]]は、ミンスキーのことを「自分が出会った人物のなかで自分より聡明なたった2人のうちの1人」だとしている。ちなみに、もう1人は[[カール・セーガン]]だという<ref>{{Cite book| title=In Joy Still Felt: The Autobiography of Isaac Asimov, 1954-1978 | author=Isaac Asimov | page=217,302 | publisher=Doubleday/Avon | year=1980 | isbn= 0-380-53025-2}}</ref>。 [[ファイル:Confocal measurement of 1-euro-star 3d and euro.png|thumb|硬貨の一部を{{仮リンク|共焦点顕微鏡|en|confocal microscope|label=白色光共焦点顕微鏡}}で拡大したものを3次元表示した例]] ミンスキーの特筆すべき[[特許]]として、世界初のヘッドマウント型グラフィックディスプレイ(1963年)と{{仮リンク|共焦点顕微鏡|en|confocal microscope}}(1961年、今日よく使われている[[共焦点レーザー顕微鏡]]の原点)がある<ref>ミンスキーの顕微鏡についての特許は1957年に出願され、1961年に米国特許番号3,013,467号として発効している。[[MITメディアラボ]]が出版したミンスキーの伝記には「1956年、ハーバードのジュニア・フェローだったミンスキーは、共焦点スキャン顕微鏡を発明、製作し、かつてない解像度と画像品質を実現した」とある。</ref>。また、[[シーモア・パパート]]と共に[[LOGO]]言語を開発した。その他にも、[[1951年]]、ミンスキーは世界初のランダム結線型ニューラルネットワーク学習マシン [[:en:SNARC|SNARC]] を製作している。 [[シーモア・パパート]]との共著『[[パーセプトロン]]』は、[[ニューラルネットワーク]]解析の基礎を築いた。[[人工知能の歴史]]の中でも大きな議論を呼んだ著書であり、単純[[パーセプトロン]]は[[線形分離不可能]]なパターンを識別できない事を示し、1960年代の第1次[[ニューラルネットワーク]]ブームを終わらせ、1970年代の「AIの冬」をもたらす原因のひとつにもなった。 彼は他にもいくつかのAIモデルを考案している。著書 "A framework for representing knowledge" ではプログラミングの新パラダイムを生み出した。また、『パーセプトロン』は今では実用書というよりも歴史的な著作だが、{{仮リンク|フレーム (人工知能)|en|Frame (artificial intelligence)|label=フレーム理論}}は今も広く使われている。ミンスキーは映画『[[2001年宇宙の旅]]』にアドバイザーとして参加し<ref>詳しくはこちらのインタビューを参照 {{Cite web|和書|url=http://mitpress.mit.edu/e-books/Hal/chap2/two3.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2007年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071114231025/http://mitpress.mit.edu/e-books/Hal/chap2/two3.html |archivedate=2007年11月14日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>、映画にも小説にも名前が出ている。 {{Quote|たぶん誰もそのことを知らないだろう。それは重要ではなかった。1980年代、ミンスキーと{{仮リンク|I・J・グッド|en|I. J. Good|label=グッド}}は、ニューラルネットワークがいかにして任意の学習プログラムに従い自動的に生成され自己複製するかを示した。人工頭脳は人間の脳の発達と極めてよく似たプロセスで成長させることができた。どのような場合でも、精密な詳細を知ることはできないし、たとえ詳細がわかっても人間が理解できる複雑さの百万倍も複雑すぎるだろう。|Arthur C. Clarke|''2001: A Space Odyssey''<ref>Clarke, Arthur C.: "2001: A Space Odyssey"</ref>}} 1970年代初期、[[MIT人工知能研究所]]でミンスキーと[[シーモア・パパート]]は、「心の社会; [[:en:The Society of Mind|The Society of Mind]]」理論と呼ばれるものを開発し始めた。理論は、どうしていわゆる知能が知的でない部分の相互作用から生まれるかを説明することを試みる。ミンスキーは、おもちゃのブロックを積み上げるロボットアーム、ビデオカメラ、およびコンピュータを使うマシンを作成しようとした彼の作業からこの理論についての着想を得たと言う。1986年、ミンスキーは以前の著作のほとんどと違って、一般大衆向けに書かれたこの理論の包括的な本『心の社会』を出版した。 2006年11月に出版した ''[[:en:The Emotion Machine|The Emotion Machine]]'' は、人間の心の働きについての様々な理論を批判し、新たな理論を示唆し、しばしば単純なアイデアをより複雑なものに置換している。この本の草稿は彼のウェブページ<ref>[http://web.media.mit.edu/~minsky Marvin Minsky's Home Page]</ref>で無料で公開されている。 2016年1月24日、[[脳出血]]のため死去<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASJ1V74D0J1VULBJ01V.html マービン・ミンスキーさん死去 「人工知能の父」] [[朝日新聞]] 2016年1月27日閲覧</ref><ref name="nikkeiDGXLASGM26H4Y_W6A120C1000000" />。{{没年齢|1927|8|9|2016|1|24}}。 == 受賞歴と加入組織 == 受賞歴は次の通り。 * 1969年: [[チューリング賞]] * 1990年: [[日本国際賞]]<ref>{{Cite web|和書|title=ジャパンプライズ(Japan Prize/日本国際賞)|website=[[国際科学技術財団]]|url=https://www.japanprize.jp/laureates_by_year1990.html |accessdate=2022-10-05}}</ref> * 1991年: IJCAI Award for Research Excellence * 2000年: [[R・W・ウッド賞]] * 2001年: [[ベンジャミン・フランクリン・メダル (フランクリン協会)|ベンジャミン・フランクリン・メダル]]<ref name="franklinmedal">[http://www.fi.edu/winners/2001/minsky_marvin.faw?winner_id=3528 Marvin Minsky - The Franklin Institute Awards - Laureate Database] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110526130553/http://www.fi.edu/winners/2001/minsky_marvin.faw?winner_id=3528 |date=2011年5月26日 }}. Franklin Institute. Retrieved on March 25, 2008.</ref> * 2006年: [[コンピュータ歴史博物館]]フェロー * 2011年: [[IEEE]] Intelligent Systems の人工知能の殿堂入り<ref>{{Cite journal | doi = 10.1109/MIS.2011.64 | title = AI's Hall of Fame | url = http://www.computer.org/cms/Computer.org/ComputingNow/homepage/2011/0811/rW_IS_AIsHallofFame.pdf| journal = IEEE Intelligent Systems| publisher = [[IEEE Computer Society]]| volume = 26 | issue = 4 | pages = 5–15 | year = 2011 | pmid = | pmc = }}</ref><ref>{{Cite news|url= http://www.digitaljournal.com/pr/399442 |title=IEEE Computer Society Magazine Honors Artificial Intelligence Leaders |newspaper=DigitalJournal.com |date=2011-08-24 |accessdate=2011-09-18}} Press release source: ''PRWeb'' (Vocus).</ref> * 2014年:[[ダン・デイヴィッド賞]] :ミンスキーは以下の組織・団体に加入している。 * [[全米技術アカデミー]] * [[米国科学アカデミー]] * [[:en:Extropy Institute|Extropy Institute]] の諮問委員<ref>[http://www.extropy.org/directors.htm Extropy Institute Directors & Advisors]</ref> * [[アルコー延命財団]]の科学諮問委員会<ref>[http://www.alcor.org/AboutAlcor/meetsciadvboard.html Alcor: Scientific Advisory Board]</ref> * [[:en:kynamatrix Research Network|kynamatrix Research Network]]の理事<ref>[http://www.prweb.com/pdfdownload/1730994/pr.pdf Minsky joins kynamatrix board of directors]</ref> ミンスキーは[[ローブナー賞]]には批判的である<ref>[http://loebner.net/Prizef/minsky.html Minsky -thread.html]</ref><ref>[http://archive.salon.com/tech/feature/2003/02/26/loebner_part_one/index4.html Salon.com Technology | Artificial stupidity] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20060630001944/http://archive.salon.com/tech/feature/2003/02/26/loebner_part_one/index4.html |date=2006年6月30日 }}</ref>。 == 私生活 == [[ファイル:Minskytron-PDP-1-20070512.jpg|thumb|ミンスキートロンまたは "Three Position Display" ([[コンピュータ歴史博物館]]の[[PDP-1]]上で動作。2007年)]] ミンスキーは[[ジャーゴンファイル]]の人工知能に関する[[公案]]にも登場する。 {{Quotation| :[[ジェラルド・ジェイ・サスマン|サスマン]]がまだ若いころ[[PDP-6]]をハッキングしているとミンスキーがやってきた。 :「何をしてるんだい?」とミンスキー。 :「ランダム結線した[[ニューラルネット]]に[[三目並べ]]を教えているところです」とサスマンは応えた。 :「何故、ランダム結線なんだ?」 :「遊び方の先入観を持たせたくないんですよ」 :ミンスキーは目を閉じた。 :「何故目を閉じるんですか?」サスマンはミンスキー先生に訊いた。 :「部屋が空になるようにさ」 :このとき、サスマンはハッとひらめいた。 }} {{quote| 私が実際言ったのは、「ランダム結線するなら、それもまた遊び方に先入観を与えることになるだろう。しかし、君はそれらの先入観が何なのかを全くわかっていない」ということだ。|Marvin Minsky }} ミンスキーは3人の子をもうけた。そのうちマーガレット・ミンスキーはMITの哲学博士で、[[ハプティクス]]に関心を寄せている<ref>[http://xenia.media.mit.edu/~marg/ Margaret Minksy's website]</ref>。孫は4人いる。 == 著作 == * ''Neural Nets and the Brain Model Problem'', Dissertation, Princeton University, 1954. * ''Computation: Finite and Infinite Machines'', Prentice-Hall, 1967. ** 金山裕訳『計算機の数学的理論』近代科学社、1970年 * ''Semantic Information Processing'', MIT Press, 1968. * ''Perceptrons'', with Seymour Papert, MIT Press, 1969. ** S.パパート共著、斎藤正男訳『パーセプトロン:パターン認識理論への道』東京大学出版会、1971年 ** S.パパート共著、中野馨、阪口豊訳『パーセプトロン〔改訂版〕』パーソナルメディア、1993年 * ''Artificial Intelligence'', with Seymour Papert, Univ. of Oregon Press, 1972. * ''Robotics'', Doubleday, 1986. * ''The Society of Mind'', Simon and Schuster, 1987. ** 安西祐一郎訳『心の社会』産業図書、1990年 * ''The [[Alan Turing|Turing]] Option'', with [[Harry Harrison]], Warner Books, New York 1992, ISBN 0-446515655. * ''The Emotion Machine'', Simon & Schuster, New York 2006, ISBN 978-0-743276641. ** 竹林洋一訳『ミンスキー博士の脳の探検:常識・感情・自己とは』共立出版、2009年 * Cynthia Solomon、Xiao Xiao編、大島芳樹訳『創造する心:これからの教育に必要なこと』オライリージャパン、2020年 == 出典 == {{Reflist|2}} ==関連項目== * [[ジョン・マッカーシー]] * [[テリー・ウィノグラード]] * [[トランスヒューマニズム]] * [[ロシア宇宙主義]] * [[クロード・シャノン]] == 外部リンク == {{Commonscat|Marvin Minsky}} * {{MathGenealogy|id=6869 |title=Marvin Lee Minsky}} * [http://aigp.eecs.umich.edu/researcher/show/21 Marvin Lee Minsky] at the [https://web.archive.org/web/20120801221341/http://aigp.eecs.umich.edu/about AI Genealogy Project] * [http://web.media.mit.edu/~minsky/ Marvin Minsky's Home Page] * [http://purl.umn.edu/107503 Oral history interview with Marvin Minsky] at [[チャールズ・バベッジ研究所|Charles Babbage Institute]], [[ミネソタ大学ツインシティー校|University of Minnesota]], Minneapolis. * [http://purl.umn.edu/107717 Oral history interview with Terry Winograd] at Charles Babbage Institute, University of Minnesota, Minneapolis. * [http://mitpress.mit.edu/e-books/Hal/chap2/two1.html Scientist on the Set: An Interview with Marvin Minsky] 2001年宇宙の旅に関するインタビュー * [http://web.mit.edu/echemi/www/031126.html Marvin Minsky Playlist] Appearance on WMBR's ''[http://web.mit.edu/echemi/www/index.html Dinnertime Sampler]'' radio show November 26, 2003 * [http://www.edge.org/3rd_culture/minsky/ Consciousness Is A Big Suitcase: A talk with Marvin Minsky] * [http://necsi.edu/events/iccs/video/iccs2002wednesday/5-minskyclip.html ICCS 2002 での動画] New England Complex Systems Institute (NECSI) が主催する International Conference on Complex Systems でのミンスキーの講演の様子(QuickTime)。 * [https://web.archive.org/web/20060829135040/http://www.edge.org/video/dsl/EF02_minsky.html "The Emotion Universe": Video with Marvin Minsky] * [http://sentientdevelopments.blogspot.com/2007/07/when-dvorsky-met-minsky.html Marvin Minsky's thoughts on the Fermi Paradox at the Transvisions 2007 conference] * [http://www.ted.com/index.php/talks/marvin_minsky_on_health_and_the_human_mind.html "Health, population and the human mind"]: [[TED (カンファレンス)|TED]]カンファレンスでの講演 * [http://ocw.mit.edu/courses/electrical-engineering-and-computer-science/6-868j-the-society-of-mind-spring-2007/ "The Society of Mind" ] on MIT OpenCourseWare * [http://www.webofstories.com/people/marvin.minsky/1 Marvin Minsky] tells his life story (video) {{チューリング賞}} {{典拠管理}} {{DEFAULTSORT:みんすき まひん}} [[Category:アメリカ合衆国の計算機科学者]] [[Category:アメリカ合衆国の人工知能学者]] [[Category:意識の研究者と理論家]] [[Category:チューリング賞受賞者]]<!-- 1969年 --> [[Category:日本国際賞受賞者]]<!-- 1990年 --> [[Category:コンピュータパイオニア賞の受賞者]]<!-- 1995年 --> [[Category:ベンジャミン・フランクリン・メダル (フランクリン協会) 受賞者]]<!-- 2001年 --> [[Category:R・W・ウッド賞の受賞者]]<!-- 2001年 --> [[Category:BBVAファンデーション・フロンティアーズ・オブ・ナレッジ賞の受賞者]]<!-- 2013年 --> [[Category:ダン・デイヴィッド賞の受賞者]]<!-- 2014年 --> [[Category:アメリカ合衆国の無神論者]] [[Category:全米技術アカデミー会員]] [[Category:米国科学アカデミー会員]] [[Category:コンピュータ歴史博物館フェロー]] [[Category:アメリカ人工知能学会フェロー]] [[Category:第二次世界大戦期のアメリカ合衆国の軍人]] [[Category:マサチューセッツ工科大学の教員]] [[Category:MITコンピュータ科学・人工知能研究所の人物]] [[Category:人工知能の歴史]] [[Category:東欧ユダヤ系アメリカ人]] [[Category:ニューヨーク市出身の人物]] [[Category:ブロンクス科学高等学校出身の人物]] [[Category:ハーバード大学出身の人物]] [[Category:プリンストン大学出身の人物]] [[Category:1927年生]] [[Category:2016年没]]
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ボイジャー計画
ボイジャー計画(ボイジャーけいかく、英: Voyager program)は、アメリカ航空宇宙局 (NASA) による太陽系の外惑星および太陽系外の探査計画である。Voyagerは日本語で航海者と訳される。本計画は2機の無人惑星探査機ボイジャー(英: Voyager)を用いた探査計画であり、探査機は1977年に打ち上げられた。異星人に向けたメッセージとしてゴールデンレコードを搭載していることで有名である。惑星配置の関係により、木星・土星・天王星・海王星を連続的に探査することが可能であった機会を利用して打ち上げられている。1号・2号とも外惑星の鮮明な映像撮影に成功し、新衛星など多数の発見に貢献した。2機の搭載コンピューターのCPUは8.1 MHz、メモリは69.63 kB、重量721.9kg。動力は長期間の電力使用が可能な出力420Wの原子力電池が使われている。出力はほぼ同じであるが、2号の方がより容量の大きい電源を搭載している。当初の予定では打ち上げられる探査機の名称はマリナー11号・12号だった。 ボイジャー1号は1977年9月5日に打ち上げられ、木星と土星とその衛星を観測した。ボイジャー2号は1977年8月20日に打ち上げられ、1号が訪れた惑星に加えて天王星と海王星とその衛星を観測した。結果、各惑星で新しい衛星を発見したり、木星、天王星及び海王星に環があることが明らかとなった。また、トリトンにおける大気の発見のほか、イオの火山についても明らかとなった。 1号の方が2号よりも後に打ち上げられているが、これは本来同日に打ち上げる予定であった1号がシステム不良のため16日間延期されたためである。また、当初のグランドツアー計画ではボイジャー1号を2号より数年早い時期に打ち上げる構想が存在したという経緯もある。当時は冥王星の公転角が天王星や海王星よりも遅れた後方に位置していたため、木星や土星の公転が天王星や海王星に追い付く前の早い時期に1号を打ち上げることで天王星や海王星を通らずに冥王星へ向かう軌道が構想されていた。しかし最終的に軌道計画が見直されて1号も2号も同時期に打ち上げられることになった。1号は土星接近時に2号よりも減速方向へスイングバイする形になり、そのぶん速い初速度で打ち上げられた。 ボイジャー1号・2号がいずれもこの時期に打ち上げられたのには理由がある。1970年代後半から1980年代にかけて木星、土星、天王星、海王星、冥王星といった外惑星が同じような方向に並ぶため、スイングバイ航法を用いてより遠くまで到達するのに最適な時期だったのである(スイングバイ航法を用いなかった場合、ボイジャーが地球を出発した時の速度では木星あたりまでしか到達出来ない)。ちなみに、この機会を逃した場合、次に並ぶのは175年後まで待たねばならなかった。天王星・海王星へ向かう予定が無かった1号についても2号とは異なる軌道に投入されたことで土星接近後に冥王星に向かう可能性が残された。ただし最終的に冥王星探査はキャンセルされており、代わりにタイタンへの接近探査が行われた。しかしタイタンの大気は予想外に厚く、結果的にボイジャー1号では雲の下までは観測できなかった。タイタンの地表面の本格的な探査は後年のカッシーニ・ホイヘンスまで、冥王星の探査はニュー・ホライズンズまで、どちらもお預けとなった。 ボイジャーには「地球の音」(The sounds of Earth) というタイトルの金めっきされた銅板製レコードがついており、そこには地球上の様々な音や音楽(日本の音楽からは尺八による「鶴の巣篭もり」(奏者: 山口五郎)を収録)、55種類の言語による挨拶(日本語の「こんにちは。お元気ですか?」など)や様々な科学情報などを紹介する写真、イラストなどが収録されている。中にはザトウクジラの歌も収録されている。これは、ボイジャーが太陽系を離れて他の恒星系へと向かうので、その恒星系の惑星に住むと思われる地球外知的生命体によって発見され、解読されることを期待して、彼らへのメッセージとして積み込まれたものである。レコードに収録されている55種類の言語による挨拶や自然音、効果音、画像の一部が公開されている。 現在も1号・2号ともに稼働しており、ボイジャー1号は2020年6月現在で太陽から約224億km(約150 天文単位 (au))離れたところを太陽との相対速度・秒速約17.027kmで飛行中であり、地球から最も遠くにある人工物体となっている。 地球との通信のための電波は片道約17時間を要する。2010年12月、太陽風の速度がゼロになる領域に到達。2012年8月25日に太陽系(太陽圏)を出ていたことが1年後に発表された。 一方のボイジャー2号は2020年6月現在で太陽から約186億km(約124 au)離れたところを太陽との相対速度・秒速約15.497kmで飛行中であり、ボイジャー1号とパイオニア10号に次いで地球から遠いところを飛行している。こちらも2018年11月5日に太陽系(太陽圏)を出ていたことが1か月後に発表された。 2004年12月16日、ボイジャー1号は末端衝撃波面に到達した最初の惑星探査機となった。その後のボイジャー2号の観測によって末端衝撃波面が、南北対称ではなく歪んでいることがわかった。 原子力電池の出力低下にともない、少しずつ観測装置の電源を切っており、稼動を完全に停止するのは2025年頃の予定である。 ドイツのアマチュア無線家が、アマチュアとしては初めて2006年3月31日にボイジャー1号の電波受信に成功。NASAに受信周波数などを確認申請したところ「ボイジャー1号の電波で間違いない」と確認された。そのときのボイジャー1号の位置は98.7 auで147.6億kmと推測されている。
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ボイジャー計画は、アメリカ航空宇宙局 (NASA) による太陽系の外惑星および太陽系外の探査計画である。Voyagerは日本語で航海者と訳される。本計画は2機の無人惑星探査機ボイジャーを用いた探査計画であり、探査機は1977年に打ち上げられた。異星人に向けたメッセージとしてゴールデンレコードを搭載していることで有名である。惑星配置の関係により、木星・土星・天王星・海王星を連続的に探査することが可能であった機会を利用して打ち上げられている。1号・2号とも外惑星の鮮明な映像撮影に成功し、新衛星など多数の発見に貢献した。2機の搭載コンピューターのCPUは8.1 MHz、メモリは69.63 kB、重量721.9kg。動力は長期間の電力使用が可能な出力420Wの原子力電池が使われている。出力はほぼ同じであるが、2号の方がより容量の大きい電源を搭載している。当初の予定では打ち上げられる探査機の名称はマリナー11号・12号だった。
{{混同|ボイジャー計画 (火星)}} [[Image:Voyager spacecraft.jpg|right|thumb|ボイジャー2号(想像図)]] '''ボイジャー計画'''(ボイジャーけいかく、{{lang-en-short|Voyager program}})は、[[アメリカ航空宇宙局]] (NASA) による[[太陽系]]の[[外惑星]]および太陽系外の探査計画である。Voyagerは日本語で航海者と訳される。本計画は2機の無人[[宇宙探査機|惑星探査機]]ボイジャー({{lang-en-short|Voyager}})を用いた探査計画であり、探査機は[[1977年]]に打ち上げられた。異星人に向けたメッセージとして[[ボイジャーのゴールデンレコード|ゴールデンレコード]]を搭載していることで有名である。惑星配置の関係により、[[木星]]・[[土星]]・[[天王星]]・[[海王星]]を連続的に探査することが可能であった機会を利用して打ち上げられている。1号・2号とも外惑星の鮮明な映像撮影に成功し、新衛星など多数の発見に貢献した。2機の搭載コンピューターの[[CPU]]は8.1 MHz、[[メモリ]]は69.63 kB、重量721.9[[キログラム|kg]]。動力は長期間の電力使用が可能な出力420[[ワット (単位)|W]]の[[原子力電池]]が使われている。出力はほぼ同じであるが、2号の方がより容量の大きい電源を搭載している。当初の予定では打ち上げられる探査機の名称は[[マリナー計画|マリナー]]11号・12号だった。 == 探査 == [[Image:Outersolarsystem-probes-4407b.svg|thumb|right|400px|航跡と、2007年4月にパイオニアやボイジャー宇宙船の予想される位置]] '''[[ボイジャー1号]]'''は1977年[[9月5日]]に打ち上げられ、木星と土星とその[[衛星]]を観測した。'''[[ボイジャー2号]]'''は1977年[[8月20日]]に打ち上げられ、1号が訪れた[[惑星]]に加えて天王星と海王星とその衛星を観測した。結果、各惑星で新しい衛星を発見したり、木星、天王星及び海王星に[[環 (天体)|環]]があることが明らかとなった。また、[[トリトン (衛星)|トリトン]]における大気の発見のほか、[[イオ (衛星)|イオ]]の火山についても明らかとなった。 1号の方が2号よりも後に打ち上げられているが、これは本来同日に打ち上げる予定であった1号がシステム不良のため16日間延期されたためである。また、当初の[[グランドツアー計画]]ではボイジャー1号を2号より数年早い時期に打ち上げる構想が存在したという経緯もある。当時は[[冥王星]]の公転角が天王星や海王星よりも遅れた後方に位置していたため、木星や土星の公転が天王星や海王星に追い付く前の早い時期に1号を打ち上げることで天王星や海王星を通らずに冥王星へ向かう軌道が構想されていた。しかし最終的に軌道計画が見直されて1号も2号も同時期に打ち上げられることになった。1号は土星接近時に2号よりも減速方向へスイングバイする形になり、そのぶん速い初速度で打ち上げられた。 ボイジャー1号・2号がいずれもこの時期に打ち上げられたのには理由がある。1970年代後半から1980年代にかけて木星、土星、天王星、海王星、冥王星といった外惑星<ref group="注" >探査の意義には全く関係ないことだが、当時は冥王星も惑星として分類されていた。</ref>が同じような方向に並ぶため、[[スイングバイ|スイングバイ航法]]を用いてより遠くまで到達するのに最適な時期だったのである(スイングバイ航法を用いなかった場合、ボイジャーが地球を出発した時の速度では木星あたりまでしか到達出来ない)。ちなみに、この機会を逃した場合、次に並ぶのは175年後まで待たねばならなかった。天王星・海王星へ向かう予定が無かった1号についても2号とは異なる軌道に投入されたことで土星接近後に冥王星に向かう可能性が残された。ただし最終的に冥王星探査はキャンセルされており、代わりに[[タイタン (衛星)|タイタン]]への接近探査が行われた。しかしタイタンの大気は予想外に厚く、結果的にボイジャー1号では雲の下までは観測できなかった。タイタンの地表面の本格的な探査は後年の[[カッシーニ (探査機)|カッシーニ]]・[[ホイヘンス・プローブ|ホイヘンス]]まで、冥王星の探査は[[ニュー・ホライズンズ]]まで、どちらもお預けとなった<ref group="注" >ただしボイジャーが接近できた時期は[[冥王星の日食|衛星カロンによる食の時期]]だったのに対し、ニュー・ホライズンズの接近時に太陽は冥王星のやや北側から照らしていたため、冥王星の南極付近の可視光画像はいまだ得られていない。</ref>。 == レコード == [[Image:Voyager Golden Record.jpg|right|thumb|金メッキされたレコードのジャケット]] {{main|ボイジャーのゴールデンレコード}} ボイジャーには「'''地球の音'''」({{lang|en|The sounds of Earth}}) というタイトルの金[[めっき]]された銅板製[[レコード]]がついており、そこには[[地球]]上の様々な音や[[音楽]](日本の音楽からは[[尺八]]による「[[鶴の巣篭もり]]」(奏者: [[山口五郎]])を収録)、55種類の[[言語]]による挨拶([[日本語]]の「こんにちは。お元気ですか?」など)や様々な科学情報などを紹介する写真、イラストなどが収録されている。中には[[ザトウクジラ]]の歌も収録されている。これは、ボイジャーが[[太陽系]]を離れて他の[[恒星]]系へと向かうので、その恒星系の惑星に住むと思われる[[地球外生命体|地球外知的生命体]]によって発見され、解読されることを期待して、彼らへのメッセージとして積み込まれたものである。レコードに収録されている55種類の言語による挨拶や自然音、効果音、画像の一部が公開されている<ref>http://voyager.jpl.nasa.gov/</ref>。 == 現状 == [[image:72408main_ACD97-0036-1.jpg|right|thumb|ヘリオポーズと探査機の位置関係]] 現在も1号・2号ともに稼働しており、ボイジャー1号は[[2020年]]6月現在で[[太陽]]から約224億km(約150 天文単位 (au))離れたところを太陽との[[相対速度]]・[[秒速]]約17.027kmで飛行中であり、地球から最も遠くにある人工物体となっている。 地球との通信のための電波は片道約17時間を要する。[[2010年]]12月、太陽風の速度がゼロになる領域に到達。[[2012年]][[8月25日]]に太陽系(太陽圏)<ref name="solarsystem" group="注" />を出ていたことが1年後に発表された<ref>{{cite news | title = How Do We Know When Voyager Reaches Interstellar Space? | url = http://www.jpl.nasa.gov/news/news.php?release=2013-278 | publisher = NASA JPL | date = 2013-09-12 | accessdate = 2013-09-15}}</ref>。 一方のボイジャー2号は[[2020年]]6月現在で太陽から約186億km(約124 au)離れたところを太陽との相対速度・秒速約15.497kmで飛行中であり、ボイジャー1号と[[パイオニア10号]]に次いで地球から遠いところを飛行している。こちらも[[2018年]][[11月5日]]に太陽系(太陽圏)<ref name="solarsystem" group="注" />を出ていたことが1か月後に発表された<ref>[https://web.archive.org/web/20190504120155/https://this.kiji.is/445012311270179937 NASAの探査機が太陽系外に]</ref>。 [[2004年]][[12月16日]]、ボイジャー1号は[[ヘリオポーズ|末端衝撃波面]]に到達した最初の[[宇宙探査機|惑星探査機]]となった。その後のボイジャー2号の観測によって[[ヘリオポーズ|末端衝撃波面]]が、南北対称ではなく歪んでいることがわかった。 [[原子力電池]]の出力低下にともない、少しずつ観測装置の電源を切っており、稼動を完全に停止するのは[[2025年]]頃の予定である<ref>[http://voyager.jpl.nasa.gov/spacecraft/spacecraftlife.html Voyager - Spacecraft Lifetime]</ref>。 == 通過記録 == * ボイジャー1号 ** 打ち上げ [[1977年]][[9月5日]] ** 木星通過 [[1979年]][[3月5日]] ** 土星通過 [[1980年]][[11月12日]] ** 太陽系(太陽圏){{Refnest|name="solarsystem"|group="注"|これについては「太陽圏」を脱出、または「太陽系」を脱出という2種類の見解がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://sorae.info/030201/2018_12_11_voyager2.html|title=「ボイジャー2号」太陽圏の最外部を抜け星間空間に到達|publisher=sorae.jp|date=2018-12-11|accessdate=2018-12-12}}</ref>。また、前者の見解では、太陽系を完全に脱出するまでにはあと約3万年かかることになる。}}脱出 [[2012年]][[8月25日]] * ボイジャー2号 ** 打ち上げ 1977年8月20日 ** 木星通過 1979年7月9日 ** 土星通過 1981年8月25日 ** 天王星通過 1986年1月24日 ** 海王星通過 1989年8月25日 ** 太陽系(太陽圏)<ref name="solarsystem" group="注" />脱出 2018年11月5日 == その他 == [[ドイツ]]の[[アマチュア無線家]]が、アマチュアとしては初めて2006年3月31日にボイジャー1号の電波[[受信]]に成功。NASAに受信周波数などを確認申請したところ「ボイジャー1号の電波で間違いない」と確認された。そのときのボイジャー1号の位置は98.7 auで147.6億kmと推測されている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{reflist|2}} == 関連項目 == * [[ヴォイジャー大陸]] - [[冥王星]]の地形。本計画にちなんで命名された。 * [[スタートレック (映画)]] - 惑星探査機ボイジャーがヴィジャー(V'ger)となって地球へ帰還する。 * [[パイオニア10号]] ・ [[パイオニア11号]] - ボイジャーと同じく、[[地球外知的生命体]]に向けた金属板を搭載している。 * [[太陽系を離れる人工物の一覧]] == 外部リンク == {{commonscat|Voyager program}} * [http://voyager.jpl.nasa.gov/ Voyager web site (公式)] * [http://voyager.jpl.nasa.gov/spacecraft/spacecraftlife.html ボイジャー探査機の寿命] * [http://www.heavens-above.com/SolarEscape.aspx?lat=0&lng=0&loc=Unspecified&alt=0&tz=CET Spacecraft escaping the Solar System] - 探査機の現在位置と軌道図 * [http://voyager.jpl.nasa.gov/mission/weekly-reports/ ミッション状況] * {{Kotobank}} * {{Kotobank|ボイジャー}} {{ボイジャー計画}} {{フラッグシップ計画}} {{NASAの惑星探査計画}} {{NASA space program}} {{木星}}<!-- {{エウロパ (衛星)}} {{カリスト (衛星)}} {{ガニメデ (衛星)}} {{イオ (衛星)}}--> {{土星}} {{タイタン (衛星)}} {{天王星}} {{海王星}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ほいしや}} [[Category:木星探査機]] [[Category:土星探査機]] [[Category:天王星探査機]] [[Category:海王星探査機]] [[Category:ボイジャー計画|*]]
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棟方志功
棟方 志功(むなかた しこう、1903年(明治36年)9月5日 - 1975年(昭和50年)9月13日)は、日本の板画家。従三位。最晩年には約半年間、棟方志昂と改名した。 青森県青森市出身。川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意。1942年(昭和17年)以降、棟方は版画を「板画」と称し、一貫して木版の特性を生かした作品を作り続け、その偉業から板画家として世界的に知られる。墨書や「倭画」(やまとえ)と名付けた肉筆画も残している。 1903年(明治36年)、刀鍛冶職人である棟方幸吉とさだの十五人きょうだい(九男六女)の三男(第六子)として生まれる。豪雪地帯出身の影響で、囲炉裏の煤で眼を病み、以来極度の近視となる。1910年(明治43年)、長島尋常小学校(現在の青森市立長島小学校)に入学する。幼少期から家業を手伝うかたわら、善知鳥神社の祭りの灯篭の牡丹絵や凧の絵に惹かれ、自然美とは異なる、人工美としての絵画に目覚め、自然と絵心も育まれていった。 1915年(大正4年)10月、棟方は大日本帝国陸軍 第八師団の演習中に校舎の裏に不時着した複葉機に走り寄り、水田の川でつまづいて転ぶ。倒れた棟方は目の前に咲いていたオモダカの花の美しさに感動し、この美しさを表現することを決意する。1920年(大正9年)、棟方が十八歳のとき父親が隠居し鍛冶屋を廃業、棟方は青森地方裁判所弁護士控所の給仕となる。棟方は勤務中も暇を見て合浦公園へ写生に出かけたが、その能筆ぶりを認められて書記も務めるようになり、好きな絵を描く時間がなくなり裁判所を退職する。10月25日、母さだが死去する。 1921年(大正10年)秋に、棟方は親友の松木満史、古藤正雄、鷹山宇一らと「青光画社」という洋画のグループを作り、第一回展覧会がのちに東奥日報を経て青森県知事となる竹内俊吉に激賞される。自信をつけた棟方は画家になる意志を固め、青森市立中学校の美術教師であった小野忠明からゴーギャン、セザンヌ、ロートレック、マティス、ピカソなどの洋画家たちについて教えを受け、とくにゴッホの話に感動し、棟方は「日本のゴッホになる」ことを目標に掲げた。この頃、棟方はゴッホとは洋画家そのものを指す言葉だと考えていた。 1924年(大正13年)に上京する。大和町に家を借り、始めは中村不折の門を叩く。不折は外遊中で不在だったが、棟方は邸内の私設博物館にあったギリシャ彫刻の女の臥像に感動して帝展入選を誓った。果たして帝展や白日会展などに油彩画を出品するも落選が続いた。10月26日、父幸吉が死去する。1925年(大正15年)、麹町区紀尾井町の東京教材出版社に勤め、教科書の表紙や図版を描く。 1926年(昭和2年)、国画創作協会の展覧会で観た川上澄生の版画『初夏の風』(はつなつのかぜ)に感動し、棟方は版画家になることを心に決める。棟方は1927年(昭和2年)から平塚運一に師事して版画を習うかたわら、本の仕事や靴の修理、納豆売りをして糊口をしのぎ、1928年(昭和3年)第9回帝展で「雑園」(油彩)が初入選する。1930年(昭和5年)4月9日、赤城千哉子と結婚。文化学院で美術教師を務める。 1932年(昭和7年)、日本版画協会会員となり、ロサンゼルスオリンピックの芸術競技に出品する。1934年(昭和9年)、佐藤一英の詩「大和し美し」を読んで創作意欲を掻き立てられ、1936年(昭和11年)に国画展に出品した『大和し美し』(やまとしうるわし)が出世作となり、これを機に柳宗悦や河井寛次郎などの民藝運動関係者や、保田與重郎や蔵原伸二郎などの文学者たちとの知遇を得、棟方の芸術も彼らから多大な影響を受ける。1937年(昭和12年)に初めて裏彩色の技法を用いた『観音経板画巻』全三十七柵を制作。1941年(昭和16年)、大原總一郎邸にて倭画による襖絵『御群鯉図』(おんぐんりず)を描く。1942年(昭和17年)、随筆集『板散華』を刊行。棟方は同書のなかで、今後自身の版画作品を「板画」(ばんが)と呼ぶことを宣言する。蔵原伸二郎の詩『崑崙』を題材とした『繧𦅘頌・崑崙板画巻』(うんげんしょう・こんろんはんがかん)全十六柵を制作。唯一の油画集『棟方志功画集』(昭森社)を刊行。 1943年(昭和18年)に渋谷区に移転、自宅は大原孫三郎の命名により「雑華山房」(ざっけさんぼう)と名付けるが、1945年(昭和20年)5月25日に空襲のために雑華山房が全焼し、版木もすべて焼失した。棟方は戦時疎開のために富山県西礪波郡福光町(現南砺市)に移住し、1954年(昭和29年)までここに住んだ。棟方は同地の自然をこよなく愛し、河井寛次郎の仕事ぶりを讃えた『鍾渓頌』(しょうけいしょう)全二十四柵や、『龍膽の柵』(りんどうのさく)などの多くの作品を制作し、地元の僧侶や近隣に疎開していた書家の大澤雅休の知己を得て、本格的に墨書に取り組む。 1946年(昭和21年)、富山県福光町栄町に住居を構え、自宅の八畳間のアトリエを「鯉雨画斎(りうがさい)」と名付け、住居は谷崎潤一郎の命名により「愛染苑(あいぜんえん)」と呼んだ。栄町にあった住居は移築保存され、現在は「鯉雨画斎」として一般公開されている。1947年(昭和22年)秋、京都市左京区南禅寺下川原町にある谷崎の自宅「潺湲亭」(せんかんてい、現在の石村亭)の表札を彫る。1949年(昭和24年)には岡本かの子の詩『女人ぼさつ』を題材とした板画『女人観世音』(にょにんかんぜおん)全十二柵を制作。6月に日本民藝館にて肉筆・板画を含む百点余りに及ぶ『棟方志功特別展』を開催する。 1951年(昭和26年)、スイス、ルガーノで開催された第二回国際版画展で優秀賞を受賞。1952年(昭和27年)にはサロン・ド・メ(英語版)に招待出品し、同年秋にはニューヨークで初の個展を開催する。ベートーヴェンの交響曲第九番を題材とした板画『歓喜頌』(かんきしょう、六曲一双)、いろは歌に「ん」を加えた『いろは板画柵屏風』(六曲一双)を制作。河井寛次郎の紹介により東急グループの五島慶太と高橋禎二郎の知遇を得る。毎日新聞社により文化映画『板画の神様』が制作され、初めて棟方の創作風景や暮らしぶりが記録された。11月に明治天皇の生誕百年を記念して、著書『板響神』(祖国社)を刊行。1953年(昭和28年)、戦後富山県八尾町に疎開していた吉井勇が詠んだ短歌を題材とした『流離頌』(りゅうりしょう)全三十一柵を制作。1954年(昭和29年)には初めての日展出品作『御華狩頌・乾坤妙韻板画柵』(おんはなかりしょう・けんこんみょういんはんがさく)を制作。 1955年(昭和30年)、ブラジル、サンパウロ・ビエンナーレで版画部門の最高賞を受ける。1月16日、淡交社の企画により、「実験茶会」の亭主を務める。テーマは『ベートーベンの第九を主題とする草々の茶・イロハ茶会』であった。1956年(昭和31年)、ヴェネツィア・ビエンナーレに「湧然する女者達々」(ゆうぜんするにょしゃたちたち)全二柵などを出品し、日本人として版画部門で初となる国際版画大賞を受賞した。ふたたび淡交社の企画により、茶掛けとして『茶韻十二ヶ月板画柵』(ちゃいんじゅうにかげつはんがさく)全十二柵を制作。花札の十二か月を題材とした『柳緑花紅頌』(りゅうりょくかこうしょう)全十二柵を制作。文学方面では谷崎潤一郎の『歌々板画柵』(うたうたはんがさく)全二十四柵、『鍵板画柵』全五十九柵、江戸川乱歩の「犯罪幻想」(創元社)を題材とした、『幻想板画柵』全十一柵、草野心平の『山脈板画柵』全三柵などを制作し、『板画の道』(宝文館)、『板画の肌』(河出書房)などの自著も刊行した。1958年(昭和33年)1月にはみたび淡交社の企画で北大路魯山人、勅使河原蒼風、岡本太郎との座談会、『戌年談義』(いぬどしだんぎ)に参加し、江戸川乱歩の『緋薔薇頌』(ひばらしょう)を制作した。7月、筑摩書房から柳宗悦の監修による『棟方志功板画』を刊行。1935年から1958年までの作品から91点を選出した、英文解説つきの本格的な選集となった。 1959年(昭和34年)1月にはデイヴィッド・ロックフェラー夫人とジャパン・ソサエティーの招きにより渡米 、ベアテ・シロタ・ゴードンがコーディネートと通訳を務め、各大学で日本美術や板画についての講義をする。その後、8月から9月にかけてオランダ、フランス、スペイン、イタリア、スイスを周る。この時、ニューヨークではトーテムポールとピカソの『ゲルニカ』に感動し、バチカンではシスティーナ礼拝堂のフレスコ画『最後の審判』を鑑賞、フランスではオーヴェルにあるゴッホの墓を訪ねた。11月に帰国し、半年間中央公論社の雑誌『週刊公論』の表紙画を描く。1961年(昭和36年)、京都法輪寺より法橋位を受ける。9月に台東区東本願寺茶室「紫雪亭」の襖絵を描く。1962年(昭和37年)、富山県日石寺より法眼位を受ける。大原孫三郎の妻で歌人の大原寿恵子の歌集の挿画を制作。装幀は柚木沙弥郎が手がけた。1963年(昭和38年)1月にはチリにて板画展を開催し、4月には藍綬褒章を受章、この頃から東海道の取材旅行を始める。9月、還暦を機に、好きな物に囲まれた自画像『歓喜自板像 第九としてもの柵』(かんきじはんぞう だいくとしてものさく)を制作。大原總一郎の依頼により、12月に竣工する倉敷国際ホテルのための板画壁画『大世界の柵・坤 - 人類より神々へ』を制作。1964年(昭和39年)1月には宮中の歌会始に招かれ、10月に初の自伝『板極道』を出版した。1965年(昭和40年)には1月に紺綬重飾褒章を受章。2月にセントルイス、ワシントン大学の招きにより渡米し、4月まで日本の板画について講義を行ない、日本から携えてきた草野心平の詩集『富士山』(昭森社)を題材とした板画を制作した。棟方は滞米中にダートマス大学から名誉文学博士号を贈られ、6月の帰国後にはイタリア芸術院より名誉会員に推挙されている。1966年(昭和41年)、倭画『富士十題』を制作。劇団民藝公演『バラが問題だ(英語版)』(演出:菅原卓)のために同名の油画を描く。7月から平凡社『太陽』で連載が開始される「日本名匠伝」の題字を揮毫する。 1967年(昭和42年)、日本版画院より名誉会員に推挙される。10月にクリーブランドにて開催される「棟方志功板画屏風形体ワンマンショー」出演のために渡米し、板画のほかリトグラフも制作した。その後ブルックリン美術館、スミソニアン美術館で巡回展示され、翌年1月に帰国する。なお、棟方はこの時訪れたセントルイスで、知人のグッドマン夫妻宅の音楽会に招かれている。1968年(昭和43年)4月、劇団民藝公演のアーサー・ミラー作『ヴィシーでの出来事』の舞台美術を手がける。1969年(昭和44年)2月17日、青森市から初代名誉市民賞を授与される。10月に講談社から芸業四十周年記念出版『棟方志功板画大柵』が刊行され、朝日新聞社主催の『板芸業四十年記念棟方志功障壁画展』が開催される。保田與重郎の短歌を彫り上げた『炫火頌板画柵屏風』(かぎろいしょうはんがさくびょうぶ、全十二柵)を制作。 1970年(昭和45年)、日本各地を巡る『海道シリーズ』の制作開始。NHKにて本人出演のドキュメンタリー『板画まんだら 棟方志功の世界』(音楽:高橋竹山・宇野誠一郎、ナレーター:籠野博嗣)が放映され、8月には大阪万博・日本民芸館のための板画壁画『大世界の柵・乾 - 神々より人類へ』が完成した。11月には文化勲章を受章し、文化功労者に叙された。1971年(昭和46年)2月に沖縄へ旅行。5月に天皇・皇后が主催する赤坂御用地での園遊会に招待され、天皇・皇后・皇族から話しかけられる。陸奥新報の創刊二十五周年を記念して、この年の弘前ねぷた祭りのために『天の磐戸』(あまのいわと)、『天照大神』(あまてらすおおみかみ)の扇ねぷた絵を描く。1972年(昭和47年)、草野心平とともに、2月から3月にかけてインドへ取材旅行し、7月にカジュラーホーの神々を題材とした、幅七メートルに及ぶ『厖濃の柵』(ぼうのうのさく)を制作。10月にインド大使館の後援により、インド独立二十五周年記念展覧会『棟方志功芸業頌厖濃展』(げいごうしょう ぼうのうてん)を開催した。1973年(昭和48年)、河井寛次郎記念館の開館記念に看板の文字を揮毫。材料となる欅の木工は黒田辰秋が手がけた。7月には新横綱、輪島大士の化粧まわしを描き、8月には八甲田山系の連作倭画『八甲田連山図』を制作。12月31日、第24回NHK紅白歌合戦に審査員として出場する。 1974年(昭和49年)1月、平凡社『別冊太陽』のために、倭画『禰舞多運行連々絵巻』を描く。3月から8月にかけて、毎日映画社にて記録映画『彫る 棟方志功の世界』を撮影。5月には1972年から始めた松尾芭蕉の「おくのほそ道」紀行が完結。6月には『棟方志功油画展』(油彩)を開催した。7月には名前を志功から志昂に改名するが、半年ほどで元の名前に戻した。同じ頃、八戸市公会堂のための緞帳をデザインする。この夏に日本で制作した最後の板画作品となる『不盡の柵』(むじんのさく)を制作。8月5日、青森市の三内霊園に自身と千哉子夫人の生前墓を建立するため、墓碑の版下スケッチを描き、『静眠碑』(せいみんひ)と名付けた。これは崇敬していたゴッホの墓を模した夫婦連名の墓となっている。9月17日から10月15日まで、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載。10月18日に渡米し、約一か月間ダラス、セントルイス、ニューヨークなどで板画展を開催、グッドマン夫妻とも再会を果たした。棟方は各大学で「日本の禅と美」というテーマで講義を行ない、ニューヨークではリトグラフを制作したが、10月末に体調を崩してニューヨークで療養したあと12月2日に帰国し、東京慈恵会医科大学附属病院に入院する。 1975年(昭和50年)3月、大縣神社に絵馬を奉納する。4月26日に退院し、5月には安川電機製作所のカレンダーとして、富山県南砺市の瞞着川の河童を描いた1943年(昭和23年)作の板画『瞞着川板画巻』(だましがわはんがかん)全三十四柵より十三柵を選んで彩色を施すが、これが最後のまとまった仕事となった。同じ月に棟方は絶筆となった倭画『白木観音 四万六千日のための観音像』を描き、6月5日に瞞着川の彩色板画についての口述を残したあと、9月13日に肝臓がんのため東京の自宅で死去。72歳没。同日付けで従三位に叙された。戒名は華厳院慈航真𣴴志功居士。棟方の亡骸は生前の希望通り、青森市の三内霊園にある「静眠碑」に埋葬された。静眠碑の背後にある久栗坂石の石碑には、以下のように『不盡の柵』を刻んだブロンズ・レリーフの銘板が嵌め込まれている。 棟方がこの碑文について語った言葉が残っている。 驚いても オドロキきれない 喜んでも ヨロコビきれない 悲しんでも カナシミきれない 愛しても アイシきれない 棟方の命日はこの銘板にも刻まれている故人が愛した草花にちなみ、沢瀉忌(おもだかき)と呼ばれ、毎年参拝客が訪れている。 ※1968年1月9日から2月18日まで開催。『大世界の柵』、『二菩薩釈迦十大弟子』、『海山の柵』などが展示されている。
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人類より神々へ』を制作。1964年(昭和39年)1月には宮中の歌会始に招かれ、10月に初の自伝『板極道』を出版した。1965年(昭和40年)には1月に紺綬重飾褒章を受章。2月にセントルイス、ワシントン大学の招きにより渡米し、4月まで日本の板画について講義を行ない、日本から携えてきた草野心平の詩集『富士山』(昭森社)を題材とした板画を制作した。棟方は滞米中にダートマス大学から名誉文学博士号を贈られ、6月の帰国後にはイタリア芸術院より名誉会員に推挙されている。1966年(昭和41年)、倭画『富士十題』を制作。劇団民藝公演『バラが問題だ(英語版)』(演出:菅原卓)のために同名の油画を描く。7月から平凡社『太陽』で連載が開始される「日本名匠伝」の題字を揮毫する。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1967年(昭和42年)、日本版画院より名誉会員に推挙される。10月にクリーブランドにて開催される「棟方志功板画屏風形体ワンマンショー」出演のために渡米し、板画のほかリトグラフも制作した。その後ブルックリン美術館、スミソニアン美術館で巡回展示され、翌年1月に帰国する。なお、棟方はこの時訪れたセントルイスで、知人のグッドマン夫妻宅の音楽会に招かれている。1968年(昭和43年)4月、劇団民藝公演のアーサー・ミラー作『ヴィシーでの出来事』の舞台美術を手がける。1969年(昭和44年)2月17日、青森市から初代名誉市民賞を授与される。10月に講談社から芸業四十周年記念出版『棟方志功板画大柵』が刊行され、朝日新聞社主催の『板芸業四十年記念棟方志功障壁画展』が開催される。保田與重郎の短歌を彫り上げた『炫火頌板画柵屏風』(かぎろいしょうはんがさくびょうぶ、全十二柵)を制作。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1970年(昭和45年)、日本各地を巡る『海道シリーズ』の制作開始。NHKにて本人出演のドキュメンタリー『板画まんだら 棟方志功の世界』(音楽:高橋竹山・宇野誠一郎、ナレーター:籠野博嗣)が放映され、8月には大阪万博・日本民芸館のための板画壁画『大世界の柵・乾 - 神々より人類へ』が完成した。11月には文化勲章を受章し、文化功労者に叙された。1971年(昭和46年)2月に沖縄へ旅行。5月に天皇・皇后が主催する赤坂御用地での園遊会に招待され、天皇・皇后・皇族から話しかけられる。陸奥新報の創刊二十五周年を記念して、この年の弘前ねぷた祭りのために『天の磐戸』(あまのいわと)、『天照大神』(あまてらすおおみかみ)の扇ねぷた絵を描く。1972年(昭和47年)、草野心平とともに、2月から3月にかけてインドへ取材旅行し、7月にカジュラーホーの神々を題材とした、幅七メートルに及ぶ『厖濃の柵』(ぼうのうのさく)を制作。10月にインド大使館の後援により、インド独立二十五周年記念展覧会『棟方志功芸業頌厖濃展』(げいごうしょう ぼうのうてん)を開催した。1973年(昭和48年)、河井寛次郎記念館の開館記念に看板の文字を揮毫。材料となる欅の木工は黒田辰秋が手がけた。7月には新横綱、輪島大士の化粧まわしを描き、8月には八甲田山系の連作倭画『八甲田連山図』を制作。12月31日、第24回NHK紅白歌合戦に審査員として出場する。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1974年(昭和49年)1月、平凡社『別冊太陽』のために、倭画『禰舞多運行連々絵巻』を描く。3月から8月にかけて、毎日映画社にて記録映画『彫る 棟方志功の世界』を撮影。5月には1972年から始めた松尾芭蕉の「おくのほそ道」紀行が完結。6月には『棟方志功油画展』(油彩)を開催した。7月には名前を志功から志昂に改名するが、半年ほどで元の名前に戻した。同じ頃、八戸市公会堂のための緞帳をデザインする。この夏に日本で制作した最後の板画作品となる『不盡の柵』(むじんのさく)を制作。8月5日、青森市の三内霊園に自身と千哉子夫人の生前墓を建立するため、墓碑の版下スケッチを描き、『静眠碑』(せいみんひ)と名付けた。これは崇敬していたゴッホの墓を模した夫婦連名の墓となっている。9月17日から10月15日まで、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載。10月18日に渡米し、約一か月間ダラス、セントルイス、ニューヨークなどで板画展を開催、グッドマン夫妻とも再会を果たした。棟方は各大学で「日本の禅と美」というテーマで講義を行ない、ニューヨークではリトグラフを制作したが、10月末に体調を崩してニューヨークで療養したあと12月2日に帰国し、東京慈恵会医科大学附属病院に入院する。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1975年(昭和50年)3月、大縣神社に絵馬を奉納する。4月26日に退院し、5月には安川電機製作所のカレンダーとして、富山県南砺市の瞞着川の河童を描いた1943年(昭和23年)作の板画『瞞着川板画巻』(だましがわはんがかん)全三十四柵より十三柵を選んで彩色を施すが、これが最後のまとまった仕事となった。同じ月に棟方は絶筆となった倭画『白木観音 四万六千日のための観音像』を描き、6月5日に瞞着川の彩色板画についての口述を残したあと、9月13日に肝臓がんのため東京の自宅で死去。72歳没。同日付けで従三位に叙された。戒名は華厳院慈航真𣴴志功居士。棟方の亡骸は生前の希望通り、青森市の三内霊園にある「静眠碑」に埋葬された。静眠碑の背後にある久栗坂石の石碑には、以下のように『不盡の柵』を刻んだブロンズ・レリーフの銘板が嵌め込まれている。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "棟方がこの碑文について語った言葉が残っている。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "驚いても オドロキきれない 喜んでも ヨロコビきれない 悲しんでも カナシミきれない 愛しても アイシきれない", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "棟方の命日はこの銘板にも刻まれている故人が愛した草花にちなみ、沢瀉忌(おもだかき)と呼ばれ、毎年参拝客が訪れている。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "※1968年1月9日から2月18日まで開催。『大世界の柵』、『二菩薩釈迦十大弟子』、『海山の柵』などが展示されている。", "title": "作品" } ]
棟方 志功は、日本の板画家。従三位。最晩年には約半年間、棟方志昂と改名した。 青森県青森市出身。川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意。1942年(昭和17年)以降、棟方は版画を「板画」と称し、一貫して木版の特性を生かした作品を作り続け、その偉業から板画家として世界的に知られる。墨書や「倭画」(やまとえ)と名付けた肉筆画も残している。
{{特殊文字}} {{Infobox 芸術家 | 称号 = | 名前 = <ruby><rb>棟方</rb><rp>(</rp><rt>むなかた</rt><rp>)</rp></ruby> <ruby><rb>志功</rb><rp>(</rp><rt>しこう</rt><rp>)</rp></ruby> | イニシャル = | 画像 = Shikō Munakata.jpg | 画像サイズ = 180px | 画像テキスト = 棟方志功の肖像写真 | 画像説明文 = 1920年 - 1930年代 | 現地語名 = | 現地言語 = | 本名 = | 誕生日 = [[1903年]][[9月5日]] | 出生地 = {{JPN1947}}<br/>[[青森県]][[青森市]] | 死没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1903|9|05|1975|9|13}} | 死没地 = {{JPN1947}}<br/>[[東京都]][[世田谷区]][[上荻]] | 墓地 = 青森市三内霊園 | 墓地座標 = <!-- {{Coord|LAT|LONG|type:landmark|display=inline}} --> | 国籍 = {{JPN1947}} | 教育 = <!-- 芸術家が美術を修学した場所 --> | 出身校 = [[青森市立長島小学校|旧長島尋常小学校]] | 芸術分野 = 板画([[木版画]])<br/>倭画([[水彩|水彩画]])<br/>油画([[油彩|油彩画]])<br/>[[書道|墨書]] | 代表作 =『二菩薩釈迦十大弟子』<br/>『湧然する女者達々』<br/>『東海道棟方板画』<br/>『大世界の柵』<br/>『禰舞多運行連々絵巻』 | 流派 = [[創作版画]] | 運動・動向 = [[民藝運動]] | 配偶者 = 棟方千哉子 | 親 = 棟方幸吉<br/>棟方さだ | 子供 = 棟方巴里爾<br/>棟方令明<br/>宇賀田けよう<br/>小泉ちよゑ | 受賞 = {{awd|ヴェネツィア・ビエンナーレ国際版画大賞|1956|『湧然する女者達々』}}{{awd|毎日芸術賞|1969|『棟方志功板画大柵』『板芸業四十年記念棟方志功障壁画展』}}([[#受賞歴|受賞歴]]) | 会員選出組織 = 日本版画協会<br/>[[国画会]]<br/>イタリア芸術院 | patrons = [[柳宗悦]] | メモリアル = 鯉雨画斎<br/>[[勝烈庵]]<br/>([[#ゆかりの施設|ゆかりの施設]]) <!-- 以下の引数は英語版に存在しない日本語版のみの引数 --> | 民族 = <!-- 特記すべき芸術家の出身民族 --> | 活動期間 = 1924年 - 1975年 | 被影響芸術家 = [[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]<br/>[[川上澄生]]<br/>[[平塚運一]] | 与影響芸術家 = 恩田秋夫<br/>渥美大童<br/>井上勝江<br/>(弟子) <!-- 以上の引数は英語版に存在しない日本語版のみの引数 --> | ウェブサイト = <!-- {{URL|https://example.com/}} --> }} '''棟方 志功'''(むなかた しこう、[[1903年]]([[明治]]36年)[[9月5日]] - [[1975年]]([[昭和]]50年)[[9月13日]])は、[[日本]]の[[版画家|板画家]]。[[従三位]]。最晩年には約半年間、棟方志'''昂'''と改名した。 [[青森県]][[青森市]]出身。[[川上澄生]]の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意<ref>土方明司「川上澄生「初夏の風」 - 詩魂の画家十選1」『日経新聞』2015年2月16日付朝刊。</ref>。[[1942年]](昭和17年)以降、棟方は[[版画]]を「[[版画#木版画|板画]]」と称し、一貫して木版の特性を生かした作品を作り続け、その偉業から板画家として世界的に知られる<ref>[https://www3.nhk.or.jp/lnews/aomori/20230729/6080020135.html 棟方志功生誕120年の企画展始まる 青森市の県立美術館]</ref>。[[書道|墨書]]や「倭画」(やまとえ)と名付けた肉筆画も残している。 == 来歴 == [[1903年]](明治36年)、[[刀工|刀鍛冶職人]]である棟方幸吉とさだの十五人きょうだい(九男六女)の三男(第六子)として生まれる。[[豪雪]]地帯出身の影響で、[[囲炉裏]]の[[煤]]で[[眼]]を病み、以来極度の[[近視]]となる。[[1910年]](明治43年)、長島尋常小学校(現在の[[青森市立長島小学校]])に入学する。幼少期から家業を手伝うかたわら、[[善知鳥神社]]の祭りの灯篭の牡丹絵や凧の絵に惹かれ、自然美とは異なる、人工美としての絵画に目覚め、自然と絵心も育まれていった<ref>『板極道』(中公文庫)p.25</ref>。 [[1915年]](大正4年)10月、棟方は[[大日本帝国陸軍]] [[第8師団 (日本軍)|第八師団]]の演習中<ref>[https://www.city.aomori.aomori.jp/namiokaoyumi/im_n039.html ふるさとの写真を読む (8)] 青森市 《なみおか今・昔》2023年9月27日閲覧。</ref>に校舎の裏に不時着した[[複葉機]]に走り寄り、水田の川でつまづいて転ぶ。倒れた棟方は目の前に咲いていた[[オモダカ]]の花の美しさに感動し、この美しさを表現することを決意する<ref>[https://munakatashiko-museum.jp/biography/ 棟方志功略歴] 棟方志功記念館HP(2023年9月18日閲覧。)</ref>。[[1920年]](大正9年)、棟方が十八歳のとき父親が隠居し鍛冶屋を廃業、棟方は[[青森地方裁判所]]弁護士控所の[[給仕]]となる。棟方は勤務中も暇を見て[[合浦公園]]へ[[写生]]に出かけたが、その[[wikt:能筆|能筆]]ぶりを認められて書記も務めるようになり、好きな絵を描く時間がなくなり裁判所を退職する。[[10月25日]]、母さだが死去する<ref name="toubunken">[https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9584.html 東文研アーカイヴ 棟方志功]東京文化財研究所(2023年9月10日閲覧。)</ref>。 [[File:Van Gogh Vase with Six Sunflowers.jpg|thumb|right|200px|ゴッホ『[[ひまわり (絵画)|ひまわり]]』<small>(1888年)</small><br/><small>棟方は小野からこの絵画の原色刷絵葉書を贈られた</small><ref name="hangamandara">NHK特別番組『板画まんだら 棟方志功の世界』1970年放送</ref>。]] [[1921年]](大正10年)秋に、棟方は親友の松木満史、古藤正雄、鷹山宇一らと「青光画社」という洋画のグループを作り、第一回展覧会がのちに[[東奥日報]]を経て青森県知事となる[[竹内俊吉]]に激賞される。自信をつけた棟方は画家になる意志を固め、青森市立中学校の美術教師であった小野忠明から[[ポール・ゴーギャン|ゴーギャン]]、[[ポール・セザンヌ|セザンヌ]]、[[アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック|ロートレック]]、[[アンリ・マティス|マティス]]、[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]などの洋画家たちについて教えを受け、とくに[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]の話に感動し、棟方は「日本のゴッホになる」ことを目標に掲げた。この頃、棟方はゴッホとは[[洋画家]]そのものを指す言葉だと考えていた<ref>『板極道』(中公文庫)p.39</ref>。 [[1924年]]([[大正]]13年)に[[wikt:上京|上京]]する。[[大和町 (中野区)|大和町]]に家を借り<ref name="yamatochou">[https://www.youtube.com/watch?v=_mWaDoGIGbk 大和し美し 棟方志功と大和町]旧中野町公式チャンネル(Youtube)2015年10月1日公開</ref>、始めは[[中村不折]]の門を叩く。不折は[[外遊]]中で不在だったが、棟方は邸内の[[台東区立書道博物館|私設博物館]]にあったギリシャ彫刻の女の臥像に感動して帝展入選を誓った。果たして[[帝展]]や[[白日会|白日会展]]などに[[油彩画]]を出品するも落選が続いた。[[10月26日]]、父幸吉が死去する<ref name="toubunken"/>。[[1925年]](大正15年)、[[麹町区]]紀尾井町の東京教材出版社に勤め、教科書の表紙や図版を描く。 [[1926年]](昭和2年)、[[国画会|国画創作協会]]の展覧会で観た[[川上澄生]]の版画『初夏の風』(はつなつのかぜ)に感動し、棟方は版画家になることを心に決める。棟方は[[1927年]](昭和2年)から[[平塚運一]]に師事して版画を習うかたわら、本の仕事や<ref name="suginami">[https://m.youtube.com/watch?v=e4pkuO8hrdQ 講演『棟方志功の杉並時代とブックデザイン』]杉並区公式チャンネル (Youtube) 2021年12月15日公開。</ref>靴の修理、[[納豆]]売りをして糊口をしのぎ、[[1928年]](昭和3年)第9回帝展で「雑園」(油彩)が初入選する。[[1930年]](昭和5年)[[4月9日]]、赤城千哉子と結婚<ref name="toubunken"/>。[[文化学院]]で美術教師を務める。 [[1932年]](昭和7年)、日本版画協会会員となり、[[1932年ロサンゼルスオリンピック|ロサンゼルスオリンピック]]の[[芸術競技]]に出品する。[[1934年]](昭和9年)、[[佐藤一英]]の詩「大和し美し」を読んで創作意欲を掻き立てられ、[[1936年]](昭和11年)に国画展に出品した『大和し美し』(やまとしうるわし)が出世作となり、これを機に[[柳宗悦]]や[[河井寛次郎]]などの[[民藝運動]]関係者や、[[保田與重郎]]や[[蔵原伸二郎]]などの文学者たちとの知遇を得、棟方の芸術も彼らから多大な影響を受ける<ref name="yamatochou"/><ref name="suginami"/>。1937年(昭和12年)に初めて裏彩色の技法を用いた『[[法華経|観音経]]板画巻』全三十七柵を制作。[[1941年]](昭和16年)、[[大原総一郎|大原總一郎]]邸にて倭画による[[襖|襖絵]]『御群鯉図』(おんぐんりず)を描く。[[1942年]](昭和17年)、随筆集『板散華』を刊行。棟方は同書のなかで、今後自身の版画作品を「板画」(ばんが)と呼ぶことを宣言する。蔵原伸二郎の詩『崑崙』を題材とした『繧𦅘頌・崑崙板画巻』{{Refnest|group="注"|二番目の漢字は[[wikt:繝|繝]]の[[異体字]]。'''糸'''偏に'''間'''と書く([[Unicode]] U+26158)。}}([[wikt:繧繝|うんげん]]しょう・[[崑崙|こんろん]]はんがかん)全十六柵を制作。唯一の油画集『棟方志功画集』(昭森社)を刊行{{Refnest|group="注"|肖像写真は[[土門拳]]、序文は水谷良一。水谷は当時の内閣[[統計局]]労働課長で、民藝運動の支援者としても知られた。}}。 [[1943年]](昭和18年)に[[渋谷区]]に移転、自宅は[[大原孫三郎]]の命名により「雑華山房」(ざっけさんぼう)と名付ける<ref name="toubunken"/>が、[[1945年]](昭和20年)[[5月25日]]に[[空襲]]のために雑華山房が全焼し、版木もすべて焼失した。棟方は戦時[[疎開]]のために[[富山県]][[西礪波郡]][[福光町]](現[[南砺市]])に移住し、[[1954年]](昭和29年)までここに住んだ。棟方は同地の自然をこよなく愛し、河井寛次郎の仕事ぶりを讃えた<ref name="toubunken"/>『鍾渓頌』(しょうけいしょう)全二十四柵や、『龍膽の柵』([[リンドウ|りんどう]]のさく)などの多くの作品を制作し、地元の僧侶や近隣に疎開していた[[書家]]の[[大澤雅休]]の知己を得て、本格的に[[書道|墨書]]に取り組む<ref name="toubunken"/>。 [[1946年]](昭和21年)、富山県福光町栄町に住居を構え、自宅の八畳間のアトリエを[[南砺市立福光美術館#旧棟方志功住居 鯉雨画斎(りうがさい)|「鯉雨画斎(りうがさい)」]]と名付け、住居は[[谷崎潤一郎]]{{Refnest|group="注"|谷崎とは古物商でのちに料理屋の「十二段家」(じゅうにだんや)を引き継いだ西垣光温(にしがき みつはる)の紹介で知遇を得た。}}の命名により[[南砺市立福光美術館#棟方志功記念館 愛染苑(あいぜんえん)|「愛染苑(あいぜんえん)」]]と呼んだ。栄町にあった住居は移築保存され、現在は「鯉雨画斎」として一般公開されている。1947年(昭和22年)秋、[[京都市]][[左京区]][[南禅寺]]下川原町にある谷崎の自宅「潺湲亭」(せんかんてい、現在の石村亭)の[[表札]]を彫る{{Refnest|group="注"|これは縦約三十五センチ、横十センチほどの[[扁額]]で、文字に[[緑青]]を用いたものだったが、のちに盗難に遭う<ref name=tanizaki>初出「板画の道」(1957年5月、中央公論 文藝特集)『谷崎潤一郎対談集【文藝編】』中央公論新社、p.555.</ref>。}}。[[1949年]](昭和24年)には[[岡本かの子]]の詩『女人ぼさつ』<ref>岡本かの子著『観音経を語る』所収。</ref>を題材とした板画『女人観世音』(にょにんかんぜおん)全十二柵を制作<ref name="hangamandara"/>。6月に[[日本民藝館]]にて肉筆・板画を含む百点余りに及ぶ『棟方志功特別展』を開催する。 [[1951年]](昭和26年)、[[スイス]]、[[ルガーノ]]で開催された第二回国際版画展で優秀賞を受賞。[[1952年]](昭和27年)には{{仮リンク|サロン・ド・メ|en|Salon de Mai}}に招待出品し<ref name="suginami"/>、同年秋にはニューヨークで初の個展を開催する。[[ベートーヴェン]]の[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|交響曲第九番]]を題材とした板画『歓喜頌』(かんきしょう、六曲一双)、[[いろは歌]]に「ん」を加えた『いろは板画柵屏風』(六曲一双)を制作。河井寛次郎の紹介により[[東急グループ]]の[[五島慶太]]と高橋禎二郎{{Refnest|group="注"|高橋は当時の[[東急百貨店東横店|東横百貨店]]副社長。}}の知遇を得る<ref>『板極道』(中公文庫)p.147.</ref>。[[毎日新聞社]]により[[文化映画]]『板画の神様』が制作され、初めて棟方の創作風景や暮らしぶりが記録された。11月に[[明治天皇]]の生誕百年を記念して、著書『板響神』(祖国社)を刊行{{Refnest|group="注"|棟方志功の画文集。序文は保田與重郎、写真は[[濱谷浩]]と土門拳。}}。[[1953年]](昭和28年)、戦後富山県[[八尾町]]に疎開していた[[吉井勇]]が詠んだ[[短歌]]を題材とした『流離頌』(りゅうりしょう)全三十一柵を制作。[[1954年]](昭和29年)には初めての[[日展]]出品作『御華狩頌・乾坤妙韻板画柵』(おんはなかりしょう・けんこんみょういんはんがさく)を制作。 [[1955年]](昭和30年)、ブラジル、[[サンパウロ・ビエンナーレ]]で版画部門の最高賞を受ける。[[1月16日]]、[[淡交社]]の企画により、「実験茶会」{{Refnest|group="注"|[[wikt:斯界|斯界]]の人物に各々の自宅で[[茶道|茶会]]を開いてもらい、その模様を月刊誌「淡交」に連載発表する企画。会の趣向はすべて亭主に任され、茶道の伝統に捉われない意欲的な試みも披露されている。亭主は[[菊岡久利]]、棟方志功、[[岡本太郎]]、[[渋沢秀雄]]、[[坂東三津五郎 (8代目)|六代目坂東蓑助]]、町春草{{Refnest|group="注"|まち しゅんそう(1922-1995)書道家。飯島春敬(いいじま しゅんけい)に師事し、童謡や詩画とのコラボレーションなど、書道への新しい試みを行なった。門下に[[西垣内江春]]がいる。春草の著名な仕事には[[福岡県]][[飯塚市]]の銘菓『[[ひよ子]]』の筆文字ロゴや、小説家の[[松本清張]]が「[[週刊新潮]]」に連載した『[[けものみち (松本清張)|けものみち]]』の題字がある。}}、[[北大路魯山人]]の七名に加え、毎回オブザーバーとして淡交社の社員である臼井史朗が参加した。棟方と千哉子夫人の[[wikt:宗匠|茶名]]はそれぞれ宗航、宗知と号した<ref>『昭和30年おもしろ実験茶会』臼井史朗編 淡交社、1992年 pp.33-58.</ref><ref name="nihonmeishouden">『太陽』1967年10月号「日本名匠伝」pp.77-85.</ref>。}}の亭主を務める。テーマは『ベートーベンの[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|第九]]を主題とする草々の茶・イロハ茶会』であった{{Refnest|group="注"|当日の主客・連客は[[西村伊作]]、[[ワルワーラ・ブブノワ]]、[[檀一雄]]、[[草野心平]]、[[宮尾しげを]]、[[水沢澄夫]]夫妻、濱谷寸雪{{Refnest|group="注"|はまや すんせつ。写真家濱谷浩の夫人、濱谷朝(はまや あさ)のこと。[[著作家]]、[[wikt:茶人|茶人]]としても知られた。}}の八名。}}。[[1956年]](昭和31年)、[[ヴェネツィア・ビエンナーレ]]に「湧然する女者達々」(ゆうぜんするにょしゃたちたち)全二柵などを出品し、日本人として版画部門で初となる国際版画大賞を受賞した。ふたたび淡交社の企画により、[[掛軸|茶掛け]]として『茶韻十二ヶ月板画柵』(ちゃいんじゅうにかげつはんがさく)全十二柵を制作。[[花札]]の十二か月{{Refnest|group="注"|一月は松と鷹、二月は梅に鶯、三月は桜に[[wikt:雲霞|雲霞]]・かげろう、四月はリラとあやめ、五月は鯉と朝顔、六月は[[ツツジ|躑躅]]、七月は菩提樹と孔雀、八月は葦と蓮華、九月は萩と菊、十月は楓と兎、十一月は[[侘助]]と[[オシドリ|鴛鴦]]、十二月は雪と五輪塔{{Refnest|group="注"|五輪[[比翼塚]]を指す。}}<ref>『別冊太陽 棟方志功 日本のこころ7』平凡社、1974年 p.41.</ref>。}}を題材とした『柳緑花紅頌』(りゅうりょくかこうしょう)全十二柵を制作。文学方面では谷崎潤一郎の『歌々板画柵』(うたうたはんがさく)全二十四柵、『[[鍵 (谷崎潤一郎)|鍵]]板画柵』全五十九柵、[[江戸川乱歩]]の「犯罪幻想」(創元社){{Refnest|group="注"|江戸川乱歩が自選した十一篇の短篇小説に棟方が板画をつけたもの。収録作品は[[二銭銅貨]]/[[二廃人]]/[[D坂の殺人事件]]/[[心理試験]]/[[赤い部屋]]/[[屋根裏の散歩者]]/[[人間椅子 (江戸川乱歩)|人間椅子]]/[[鏡地獄]]/[[芋虫 (小説)|芋虫]]/[[押絵と旅する男]]/[[石榴 (小説)|石榴]]。}}を題材とした、『幻想板画柵』全十一柵、[[草野心平]]の『山脈板画柵』全三柵などを制作し、『板画の道』([[宝文館]])、『板画の肌』([[河出書房]])などの自著も刊行した。[[1958年]](昭和33年)1月にはみたび淡交社の企画で[[北大路魯山人]]、[[勅使河原蒼風]]、[[岡本太郎]]との[[wikt:座談会|座談会]]、『[[#その他|戌年談義]]』([[戌|いぬどし]]だんぎ)に参加し{{Refnest|group="注"|name="tankou"|現在、当該記事は[[二玄社]]刊『対談集 岡本太郎 発言!』や[[河出書房新社]]刊『文芸の本棚 魯山人・味・陶・書・花・人…業深く崇高な芸術家』所収。ほぼ同時期に谷崎潤一郎と行なった対談で、棟方は魯山人の[[扁額]]と[[篆刻]]を称揚している<ref name=tanizaki/>。}}、江戸川乱歩の『緋薔薇頌』(ひばらしょう)を制作した。7月、[[筑摩書房]]から柳宗悦の監修による『棟方志功板画』を刊行。1935年から1958年までの作品から91点を選出した、英文解説つきの本格的な選集となった。 [[1959年]](昭和34年)1月には[[デイヴィッド・ロックフェラー]]夫人と[[ジャパン・ソサエティー]]の招きにより渡米<ref name="picasso">[http://kousin242.sakura.ne.jp/wordpress013/日本美術/近代美術/棟方志功/ニューヨークとピカソ/ ニューヨークとピカソ]掛谷清子「美術情報2017-2020」</ref> 、[[ベアテ・シロタ・ゴードン]]が[[wikt:コーディネート|コーディネート]]と通訳を務め<ref>『別冊太陽 棟方志功 - 仏も鬼も人も花も愛おしい 日本のこころ310』平凡社、2023年 p.65.</ref>、各大学で日本美術や板画についての講義をする。その後、8月から9月にかけて[[オランダ]]、[[フランス]]、[[スペイン]]、[[イタリア]]、[[スイス]]を周る。この時、[[ニューヨーク]]では[[トーテムポール]]とピカソの『[[ゲルニカ (絵画)|ゲルニカ]]』に感動し、[[バチカン]]では[[システィーナ礼拝堂]]の[[フレスコ|フレスコ画]]『[[最後の審判 (ミケランジェロ)|最後の審判]]』を鑑賞、フランスでは[[オーヴェル=シュル=オワーズ|オーヴェル]]にある[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]の墓を訪ねた。11月に帰国し、半年間[[中央公論社]]の雑誌『週刊公論』の表紙画を描く。[[1961年]](昭和36年)、京都[[法輪寺 (京都市西京区)|法輪寺]]より法橋位{{Refnest|group="注"|name="soui"| ほっきょうい。僧侶に与えられる[[僧位|位階]]のひとつで、法橋上人位(ほっきょうしょうにんい)の略称。[[法眼|法眼位]](ほうげんい)の次に位置する。}}を受ける。9月に台東区[[東本願寺 (台東区)|東本願寺]]茶室「紫雪亭」の襖絵を描く<ref>[https://www.honganji.or.jp/docs/about/facility.shtml 各施設案内 -本山施設]東本願寺HP</ref>。[[1962年]](昭和37年)、富山県[[日石寺]]より[[法眼|法眼位]]を受ける。大原孫三郎の妻で[[歌人]]の[[大原寿恵子]]の歌集の挿画を制作。装幀は[[柚木沙弥郎]]が手がけた。[[1963年]](昭和38年)1月には[[チリ]]にて板画展を開催し、4月には[[藍綬褒章]]を受章、この頃から東海道の取材旅行を始める<ref>[[ニュース映画#日本のニュース映画|毎日ニュース]] [https://www.youtube.com/watch?v=V4kPS36c40k 『新版・東海道五十三次』](1963年5月劇場公開)Youtube</ref>。9月、還暦を機に、好きな物に囲まれた[[自画像]]『歓喜自板像 第九としてもの柵』(かんきじはんぞう だいくとしてものさく)を制作<ref name="picasso"/>。大原總一郎の依頼により、12月に竣工する[[倉敷国際ホテル]]のための板画壁画『大世界の柵・坤 - 人類より神々へ』を制作<ref name="kurashiki">{{Cite web|和書|url=https://www.kurashiki-kokusai-hotel.co.jp/history/|title=歴史-倉敷国際ホテルと棟方志功- 倉敷国際ホテル【公式】|accessdate=2018-06-21|website=www.kurashiki-kokusai-hotel.co.jp|language=ja}}</ref>。[[1964年]](昭和39年)1月には宮中の[[歌会始]]に招かれ、10月に初の自伝『板極道』を出版した。[[1965年]](昭和40年)には1月に紺綬重飾褒章を受章。2月に[[セントルイス]]、[[ワシントン大学]]の招きにより渡米し、4月まで日本の板画について講義を行ない、日本から携えてきた草野心平の詩集『富士山』(昭森社)を題材とした板画を制作した。棟方は滞米中に[[ダートマス大学]]から名誉文学博士号を贈られ、6月の帰国後にはイタリア芸術院より名誉会員に推挙されている。[[1966年]](昭和41年)、倭画『富士十題』を制作。[[劇団民藝]]公演『{{仮リンク|バラが問題だ|en|The Subject Was Roses}}』(演出:[[菅原卓]]){{Refnest|group="注"|アメリカ合衆国の戯曲家、フランク・D・ギルロイ ([[:en:Frank D. Gilroy|en]]) による作品。本国では1964年に上演されるや大きな成功を収め、彼はこの作品で[[ピューリッツァー賞 戯曲部門|ピューリッツァー賞]]と[[トニー賞]]を受賞した。}}のために同名の油画を描く。7月から[[平凡社]]『太陽』で連載が開始される「日本名匠伝」の題字を[[wikt:揮毫|揮毫]]する{{Refnest|group="注"|1966年7月から1967年10月まで連載された、[[草柳大蔵]]と土門拳の取材による斯界の著名人[[wikt:列伝|列伝]]。棟方自身も1967年9月に当該記事にて紹介された<ref name="nihonmeishouden"/>。}}。 [[File:Chunichi1967-03-11-1.jpg|thumb|right|alt=特集「三千年が生きている世界の都ローマ」監修野上素一、写真三木淳。|300px|平凡社『太陽』新聞広告 <small>(1967年3月11日)</small><br/><small>中央に見える「日本名匠伝」の筆文字は棟方による。</small>]] [[1967年]](昭和42年)、日本版画院より名誉会員に推挙される。10月に[[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]にて開催される「棟方志功板画屏風形体ワンマンショー」出演のために渡米し、板画のほか[[リトグラフ]]も制作した。その後[[ブルックリン美術館]]、スミソニアン美術館で巡回展示され、翌年1月に帰国する。なお、棟方はこの時訪れたセントルイスで、知人のグッドマン夫妻宅の音楽会に招かれている{{Refnest|group="注"|この音楽会で、棟方はベートーヴェンの[[弦楽四重奏曲]]を鑑賞した。いたく感動した棟方はこの時に坐った椅子をベートーベン・チェアーと呼んだ<ref>『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.24.</ref><ref name="beethoven chair">[http://blog.livedoor.jp/atusisugoi-19720/archives/55657465.html 棟方志功展 府中市美術館] 2023年9月18日閲覧。</ref>。}}。[[1968年]](昭和43年)4月、[[劇団民藝]]公演の[[アーサー・ミラー]]作『ヴィシーでの出来事』の舞台美術を手がける。[[1969年]](昭和44年)[[2月17日]]、[[青森市]]から初代[[名誉市民|名誉市民賞]]を授与される<ref>{{Cite web|和書|title=名誉市民|website=青森市|url=https://www.city.aomori.aomori.jp/somu/shiseijouhou/aomorishi-konnamati/meiyoshimin-shimineiyoshou/01.html|accessdate=2022-07-26}}</ref>。10月に[[講談社]]から芸業四十周年記念出版『棟方志功板画大柵』が刊行され、朝日新聞社主催の『板芸業四十年記念棟方志功障壁画展』が開催される。保田與重郎の短歌を彫り上げた『炫火頌板画柵屏風』(かぎろいしょうはんがさくびょうぶ、全十二柵){{Refnest|group="注"|name="kagiroishou"|棟方が1969年に制作した『炫火頌板画柵屏風』をきっかけとして、保田の短歌五十首を板画にする計画が立てられたが、棟方の死去により中絶、その後遺族や棟方志功板画館の尽力により三十二首分の板画がまとめられて刊行された。}}を制作。 [[1970年]](昭和45年)、日本各地を巡る『海道シリーズ』の制作開始。[[日本放送協会|NHK]]にて本人出演のドキュメンタリー『板画まんだら 棟方志功の世界』(音楽:[[高橋竹山]]・[[宇野誠一郎]]、ナレーター:籠野博嗣)が放映され、8月には[[日本万国博覧会|大阪万博]]・[[大阪日本民藝館|日本民芸館]]のための板画壁画『大世界の柵・乾 - 神々より人類へ』が完成した。11月には[[文化勲章]]を受章し、[[文化功労者]]に叙された。[[1971年]](昭和46年)2月に沖縄へ旅行。5月に天皇・皇后が主催する[[赤坂御用地]]での[[園遊会]]に招待され、天皇・皇后・皇族から話しかけられる。[[陸奥新報]]の創刊二十五周年を記念して、この年の[[弘前ねぷた|弘前ねぷた祭り]]のために『天の磐戸』([[天岩戸|あまのいわと]])、『天照大神』([[天照大神|あまてらすおおみかみ]])の扇ねぷた絵を描く<ref>『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.108.</ref>。[[1972年]](昭和47年)、草野心平とともに、2月から3月にかけて[[インド]]へ取材旅行し、7月に[[カジュラーホー]]の神々を題材とした、幅七メートルに及ぶ『厖濃の柵』(ぼうのうのさく)を制作。10月に[[駐日インド大使館|インド大使館]]の後援により、[[インド#インド国民軍と独立|インド独立]]二十五周年記念展覧会『棟方志功芸業頌厖濃展』(げいごうしょう ぼうのうてん)を開催した。[[1973年]](昭和48年)、河井寛次郎記念館の開館記念に看板の文字を揮毫。材料となる[[ケヤキ|欅]]の[[木工]]は[[黒田辰秋]]が手がけた<ref>[http://www.kanjiro.jp/ 河井寛次郎記念館HP]</ref><ref>『別冊太陽 棟方志功 - 仏も鬼も人も花も愛おしい 日本のこころ310』平凡社、2023年 p.47.</ref>。7月には新横綱、[[輪島大士]]の[[廻し#化粧廻し|化粧まわし]]を描き{{Refnest|group="注"|廻しには[[プラチナ]]と[[純金]]、[[墨]]で無限をあらわす'''[[∞]]'''が丸で囲われ、四隅に[[サンスクリット]]で東・西・南・北が書かれている。棟方によれば、この四文字は仏教の[[四天王]]と[[霊獣]]の[[四神]]を示しているという<ref>『別冊太陽 棟方志功 日本のこころ7』平凡社、1974年 pp.89.</ref>。棟方は[[若乃花幹士 (初代)#栃若時代|栃若時代]]からの相撲好きであり、贔屓は[[貴ノ花利彰|貴ノ花]]と輪島だった。とくに輪島との交流は篤く、輪島は棟方が入院したときに自分の四股名入りの浴衣地を贈り、葬儀の際には[[wikt:納棺|納棺]]を行なっている<ref>『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.83.</ref>。}}、8月には[[八甲田山]]系の連作倭画『八甲田連山図』を制作。[[12月31日]]、[[第24回NHK紅白歌合戦]]に審査員として出場する。 [[1974年]](昭和49年)1月、平凡社『別冊太陽』のために、倭画『禰舞多運行連々絵巻』{{Refnest|group="注"|name="nebuta1"|『称舞多運行連々繪巻』とも表記される肉筆画で、[[1973年]](昭和48年)のねぶたが終了した頃から構想を練り始め、翌年1月2日から三週間かけて描き上げられた<ref>『別冊太陽 棟方志功 日本のこころ7』平凡社、1974年 p.92.</ref>。これは二巻組の絵巻仕立てになっており、大きさは縦幅が34.3センチ、長さが二巻合わせて1,721センチである。[[絵巻物]]としては珍しく左から右へ描かれており、棟方による[[画賛|自賛]]や[[自画像]]、多数の[[落款]]を含む原色燦やかな作品となっている。}}を描く。3月から8月にかけて、[[毎日映画社]]にて記録映画『彫る 棟方志功の世界』を撮影。5月には1972年から始めた[[松尾芭蕉]]の「[[おくのほそ道]]」紀行が完結{{Refnest|group="注"|name="okunohosomichi"|もともとは[[安川電機|安川電機製作所]]のカレンダーとして企画されたが、棟方家と棟方板画館(鎌倉市)の厚意により棟方の歿後である1976年に出版された。}}。6月には『棟方志功油画展』(油彩)を開催した。7月には名前を志功から'''志昂'''に改名するが、半年ほどで元の名前に戻した{{Refnest|group="注"|1974年7月4日に改名し、同年12月12日に元の名前に戻している<ref name="nebuta2">8月2日はやっぱりねぶた!【解説】倭画《禰舞多運行連々絵巻》棟方志功記念館 2021年8月2日公開(Youtube)</ref>。}}。同じ頃、[[八戸市公会堂]]のための[[緞帳]]をデザインする{{Refnest|group="注"|この春に制作の依頼を受けた棟方が、7月7日に制作した板画『大観自在頌の柵』(たいかんじざいしょうのさく)をもとに[[龍村平藏|龍村美術織物]]が緞帳を製作し、翌年の5月1日に設置されたが、棟方は療養中で[[こけら落とし]]に立ち会えなかった<ref>『グッドバイ棟方志功』(講談社)pp.14-15.</ref><ref>[https://hachi-kokaido.com/photogallery/?page=2 八戸市公会堂 フォトギャラリー]</ref>。}}。この夏に日本で制作した最後の板画作品となる『不盡の柵』(むじんのさく)を制作<ref name="toubunken"/>。[[8月5日]]、青森市の三内霊園に自身と千哉子夫人の[[生前墓]]を建立するため、墓碑の版下スケッチを描き<ref>『グッドバイ棟方志功』(講談社)pp.48-52, 102-103.</ref>、『静眠碑』(せいみんひ)と名付けた。これは崇敬していた[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]の墓を模した夫婦連名の墓となっている{{Refnest|group="注"|墓石の大きさはゴッホの墓よりやや大きく、石材はゴッホのものと同じノルウェー産の[[ラルビカイト]]が使われている<ref>『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.132.</ref>。}}{{Refnest|group="注"|実際は静眠'''碑'''の'''碑'''の部分に[[玉部|王偏]]に'''卑'''とする漢字が使われているが、これは棟方が独自に考案したものである<ref name="seiminhi">({{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20150218032615/http://www.aomori-taxi.co.jp/archives/3082|title=棟方志功のお墓|publisher=青森タクシー|accessdate=2015-2-18}})</ref>。}}。9月17日から10月15日まで、[[日本経済新聞]]に「[[私の履歴書]]」を連載。10月18日に渡米し、約一か月間[[ダラス]]、セントルイス、ニューヨークなどで板画展を開催、グッドマン夫妻とも再会を果たした<ref>『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.69, p.98.</ref>。棟方は各大学で「日本の禅と美」というテーマで講義を行ない、ニューヨークではリトグラフを制作したが<ref>『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.29.</ref>、10月末に体調を崩してニューヨークで療養したあと12月2日に帰国し、[[東京慈恵会医科大学附属病院]]に入院する{{Refnest|group="注"|入院中の棟方はさかんに[[達磨]]の倭画を描いた。棟方はそのなかで翌年3月7日に描いた、『呵々大笑図』(かかおおわらいず)を臨終まで自らの[[wikt:枕頭|枕頭]]に掲げていた。草野心平によると、この達磨は棟方の自画像であり、棟方の生涯は火達磨が転げながら燃え尽きるような凄烈なものだったと書いている<ref>『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.7.</ref>。}}。 [[File:野慈姑 Sagittaria trifolia -高雄原生植物園 Kaohsiung Original Botanical Garden, Taiwan- (26111914217).jpg|thumb|right|200px|[[オモダカ]]の花]] [[1975年]](昭和50年)3月、[[大縣神社]]に[[絵馬]]を奉納する。[[4月26日]]に退院し、5月には[[安川電機|安川電機製作所]]の[[カレンダー]]として、富山県[[南砺市]]の瞞着川{{Refnest|group="注"|瞞着川(だましがわ)の名称は、この川の[[河童]]伝説を聞いた棟方が名付けたもので、現在川沿いには十三柵の作品パネルが設置された[[緑道]]がある<ref name="damashigawa">[https://www.tabi-nanto.jp/archives/657 旅々なんと 瞞着川]南砺市観光協会(2023年9月10日閲覧。)</ref>。}}の河童を描いた1943年(昭和23年)作の板画『瞞着川板画巻』(だましがわはんがかん)全三十四柵より十三柵を選んで彩色を施すが、これが最後のまとまった仕事となった<ref>『グッドバイ棟方志功』(講談社)pp.33-40..</ref><ref name="toubunken"/>。同じ月に棟方は絶筆となった倭画『白木観音 四万六千日のための観音像』を描き、6月5日に瞞着川の彩色板画についての[[wikt:口述|口述]]を残したあと、9月13日に[[肝臓がん]]のため<ref>[[服部敏良]]『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)28頁</ref>東京の自宅で死去。{{没年齢|1903|9|05|1975|9|13}}。同日付けで[[従三位]]に叙された。戒名は華厳院慈航真𣴴志功居士{{Refnest|group="注"|七番目の漢字は'''海'''の[[異体字]]で、'''毎'''の下に'''水'''と書く([[Unicode]] 23D34)。}}。棟方の亡骸は生前の希望通り、青森市の三内霊園にある「静眠碑」に埋葬された<ref name="seiminhi"/>。静眠碑の背後にある久栗坂石の石碑には、以下のように『不盡の柵』を刻んだ[[ブロンズ]]・[[レリーフ]]の[[銘板]]が嵌め込まれている。 {{quotation|{{縦書き|'''志功'''|height=4em}} {{縦書き|'''[[wikt:盡|盡]]シ得ス'''|height=7em}} {{縦書き|'''マシテ悲愛ヲ'''|height=7em}} {{縦書き|'''[[wikt:歡|歡]]喜モ'''|height=7em}} {{縦書き|'''驚異モ'''|height=7em}}}} 棟方がこの[[wikt:碑文|碑文]]について語った言葉が残っている。 {{quote|「得ズ……」ないところがいいですよね。<br /> 驚いても オドロキきれない<br /> 喜んでも ヨロコビきれない<br /> 悲しんでも カナシミきれない<br /> 愛しても アイシきれない<br /> 結局、無限なんですよ。未来永永ですよ。|1974年8月5日[[wikt:述|述]]<ref>『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.132.</ref>}} 棟方の命日はこの銘板にも刻まれている故人が愛した草花にちなみ、沢瀉忌(おもだかき)と呼ばれ、毎年参拝客が訪れている。 == 作風・人物 == <!-- トリビア的な雑多な内容は記載しないでください。 --> * 棟方は作品の題名に『〇〇〇の'''柵'''』(〇〇〇の'''さく''')と名付けた。棟方によると、'''柵'''とは[[四国八十八箇所]]の[[参拝|参拝者]]が持つ納札を指し、寺社に納めるお札のごとく願いを込めて制作した作品という意味だとしている<ref name="donchou"/><ref>[[町田市立国際版画美術館]] - [https://hanga-museum.jp/static/files/munakata_guideline2013.pdf 2013年度常設展『棟方志功と西洋民衆版画』]2023年9月3日閲覧</ref>。 * 棟方は強度の[[近視]]であり、左眼はいつ頃か本人にも分からないほどに自然と[[失明]]したという<ref name="hangamandara"/>{{Refnest|group="注"|公的な記録によると、1960年の秋にはほぼ失明したとしている<ref>『板画・奥の細道』講談社文庫、1976年 p.94.</ref>。}}。残る右眼も[[緑内障]]であったため、遠景をよく見るためには[[双眼鏡]]を必要とした<ref name="picasso"/>。映像作品で見られるところの棟方は、右眼の[[眼鏡]]が板木に触れるほどに顔を近づけて、[[軍艦マーチ]]を口ずさみながら版木を彫っているが、棟方志功の孫で棟方版画美術館(現在は閉館)元学芸員の石井頼子によれば、棟方が公の場で見せる天衣無縫で豪放磊落な姿は対外的なもので、自宅での棟方は物静かな読書家で、大変な努力家だったという。いざ実作にかかると仕事は早かったが、アトリエには他人を入れず、制作にあたっては冷静かつ入念な準備を重ねて細心の注意を払い、刀物での怪我には気を付けていたという<ref name="ishii">平成15年第8回文化学術講演会『[https://www.seiryo-u.ac.jp/u/research/gakkai/ronbunlib/j_ronsyu_pdf/no33/33_67-80_ishii.pdf 棟方志功の真実 - 祖父棟方志功を語る]』棟方版画美術館学芸員 石井頼子. 2023年9月3日閲覧</ref>。 * 彫りについて、棟方は版木を無駄に使わないことを第一条件とした。どれだけ画面が大きくても作者の素直な想いがこもっていなければ何にもならず、反対に[[マッチ|マッチラベル]]や[[名刺]]のような小さい作品でも大作と呼べるとした<ref>『棟方志功作品集 手のひらのなかの神羅万象』(東京美術)p.139.</ref>。後年の棟方は組作品や大画面の作品を数多く制作したが、生涯を通じて小品も多数制作している。とくに駆け出し時代には思うように版木が入手できなかったため、小さな板でも表現できる書籍の挿絵や表紙画を数多く制作している<ref name="suginami"/>。棟方は版木材に[[ホオノキ|朴の木]]や[[カツラ (植物)|桂の木]]を用い、[[彫刻刀]]はおもに小学生用のものを使ったが{{Refnest|group="注"|棟方によると、よく切れない刃物のほうが心のこもった作品ができるとし、刃が折れやすいため怪我もしにくいという<ref>初出「板画の道」(1957年5月、中央公論 文藝特集)『谷崎潤一郎対談集【文藝編】』中央公論新社、p.557.</ref>。}}、刃物商「研綱」(とぎつな)銘の刀も愛用し<ref>[https://www.frkw.com/index006.html 研綱銘] 刃物フルカワHP(2023年9月14日閲覧。)</ref>、必要に応じて[[鑿#木工用の鑿|叩きノミ]]を用いた。 * 摺りについて、棟方は始め黒一色で摺ったが、のちに[[柳宗悦]]の助言により、黒色で摺り上げた版画の裏面に彩色する「裏彩色」を用いるようになった<ref name="hangamandara"/>。[[墨]]は現代の十丁型の[[奈良]]墨を使い<ref>初出「板画の道」(1957年5月、中央公論 文藝特集)『谷崎潤一郎対談集【文藝編】』中央公論新社、p.561.</ref>、倭画や裏彩色には[[岩絵具]]や[[水彩]]用の[[顔料]]を用い、[[馬楝|バレン]]は[[虎屋]]の[[羊羹]]に使われている竹の皮で自作している。通常、版画家は最初にまとまった枚数を摺り、必要に応じて限定番号を入れるが、棟方はこうしたやり方を嫌い、必要な枚数のみを摺り、その都度摺った日付とサインを入れた。なお、棟方が作品にサインを入れ始めたのは1955年(昭和30年)前後であり、戦前のものにはサインが無い。作品の題名が変わることもしばしばある。 * 棟方が[[大和町 (中野区)|中野区大和町]]に住んでいたころ、借家の四枚の[[襖]]一面に[[タコ|蛸]]の群れの絵を描いたことで家主から抗議を受けた。それでも懲りずに絵が描きたくなった棟方は、人目に付きにくい場所として便所の壁に[[観音菩薩]]の絵を描いた<ref name="nihonmeishouden"/>。この絵は評判を呼んで、十五歳の子供から七十歳代の大人までが見物に訪れるようになった。見物人の一人であった詩人の[[小高根二郎]]は、家主の苦情封じのために[[東大寺]]から拝領した[[wikt:不浄|不浄]]除けの[[wikt:護符|護符]]を菩薩像の上に貼った<ref>『板極道』(中公文庫)pp.97-100.</ref>。 * [[第二次世界大戦]]中、[[富山県]]に[[疎開]]した折に触れた[[浄土真宗]]の影響で<ref name="yamatochou"/><ref name="suginami"/>、「阿弥陀如来像」「蓮如上人の柵」「御二河白道之柵」(おん[[二河白道|にがびゃくどう]]のさく)「我建超世願」(がごんちょうせがん)「必至無上道」(ひっしむじょうどう)などの仏教を題材とした作品が有名である。「いままでの自分が持っているル一ツの自力の世界、自分というものは自分の力で仕事をするというようなことから、いや、自分というものは小さいことだ。自分というものは、なんという無力なものか。何でもないほどの小さいものだという在り方、自分から物が生まれたほど小さいものはない。そういうようなことをこの真宗の教義から教わったような気がします」と語っている。 * 棟方は子供の頃から大の[[ねぶた]]愛好家であり、開催時期にはほぼ毎年帰省して祭りに参加した<ref name="nebuta2"/>。棟方はねぶたの色彩こそ純粋な自分の色彩であるとして<ref>『板極道』(中公文庫)p.26.</ref>、作品の題材にも採り上げ{{Refnest|group="注"|その縁で、ねぶた師の[[竹浪比呂央]]は[[2003年]]の[[青森ねぶた]]で棟方志功の生誕百周年を記念し、棟方の倭画『赫不動・青不動』(あかふどう・あおふどう)を題材とした大型ねぶたを制作し<ref>[http://www.nebuta.jp/archive/nebuta/2003ryouyuukai.html 「志功画伯に捧ぐ赫不動・青不動」]《日本の火祭り青森ねぶた》よりアーカイヴ(2023年9月8日閲覧。)</ref>、[[青森ねぶた#制作工程|書割]]で棟方志功の顔をイメージした、眼鏡をかけた金魚ねぶたも制作した<ref name="nebuta2"/>。}}、1974年(昭和49年)には[[青森ねぶた#ねぶたの運行|青森ねぶた運行]]の模様を描いた、全長十七メートルに及ぶ倭画『禰舞多運行連々絵巻』(ねぶたうんこうれんれんえまき){{Refnest|group="注"|name="nebuta1"}}を制作した。また、[[wikt:欣喜雀躍|欣喜雀躍]]する自身の姿を描き込んだ作品もあり、ねぶた祭りに跳人(はねと)として参加している映像や写真も現存する<ref>濱田益水『写真 棟方志功』講談社、1972年</ref><ref>『別冊太陽 棟方志功 日本のこころ7』平凡社、1974年 pp.95-100.</ref>。 [[File:Bundesarchiv Bild 183-41810-0004, Franz Konwitschny.jpg|thumb|right|200px|フランツ・コンヴィチュニー <small>(1956年)</small>]] * 棟方は[[クラシック音楽]]が大好きだった。二人の娘にはピアノを、長男にはヴァイオリンを習わせ、鎌倉の自宅には[[スタインウェイ・アンド・サンズ|スタインウェイ]]製のピアノを置いた<ref name="nihonmeishouden"/>。棟方は[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の音楽、なかでも[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|交響曲第九番]]を好み、[[蓄音機]]が手に入る前から[[レコード]]を買い揃えた。棟方は楽器の演奏はもちろん、生来の近視と不器用さのためにレコードをかけることができず、訪問客にレコードをかけてもらったり、演奏をしてもらうなどして一緒に音楽を愉しんだ。作品の題材にも採り上げており、1951年にはベートーヴェンの『[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|運命]]』を題材とした『運命讃頌』(うんめいさんしょう)全四柵{{Refnest|group="注"|「真昼の柵」、「夕宵の柵」、「深夜の柵」、「黎明の柵」からなり、画面には[[フリードリヒ・ニーチェ|ニーチェ]]の『[[ツァラトゥストラはこう語った|ツァラトゥストラ]]』からの文章が刻まれている。}}、1952年には同じくベートーヴェンの『第九』を題材とした『歓喜頌』を制作し、1955年に実験茶会の亭主を務めたときは『第九』のレコードをかけながら客をもてなした。1967年と1974年の訪米時は知人のスタンレー、アリス・グッドマン夫妻宅の音楽会に招待され、1974年には音楽会で座った椅子の素描を公開制作の教材とした。この時制作した板画『ベートーベン・チェアーの柵』は棟方の生涯最期の板画作品として知られ、棟方の歿後にグッドマン夫妻の親族から棟方志功記念館に寄贈されている<ref name="beethoven chair"/>。棟方が最も好んだ『第九』のレコードは[[フランツ・コンヴィチュニー]]指揮、[[ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団]]の演奏によるもので{{Refnest|group="注"|[[ドイツ・シャルプラッテン]]([[:de:Eterna (Plattenlabel)|Eterna]])1959年ステレオ録音。声楽家は[[インゲボルク・ヴェングロール]]([[ソプラノ]])、ウルズラ・ツォレンコップ([[:en:Ursula Zollenkopf|en]]、[[アルト]])、[[ハンス=ヨアヒム・ロッチュ]]([[テノール]])、[[テオ・アダム]]([[バリトン]])、ライプツィヒ放送合唱団 ([[:de:MDR-Rundfunkchor|de]])。}}、棟方は最晩年に自分が死んだときは白い花一輪を供えてベートーヴェンの『第九』を聴かせて欲しいという言葉を遺している。 == 作品 == === 「板画」の代表作 === [[File:Upali (Ubari), from the series “Two Bodhisattva and Ten Great Disciples of Sakyamuni”.jpg|thumb|right|200px|『十大弟子』より「[[阿那律]]」<br/><small>(1955年摺)</small>]] * 「二菩薩[[十大弟子|釈迦十大弟子]]」 - 全十二柵、[[1939年]](昭和14年)作、[[1948年]](昭和23年)改刻 : 棟方の代表作のひとつ。中央に十大弟子、六曲一双[[屏風]]にするために、右側に[[文殊菩薩|文殊]]、左側に[[普賢菩薩|普賢]]の二菩薩を追加して仕立てた作品。[[東京国立博物館]]に展示されていた[[興福寺]]の十大弟子、特に[[須菩提]]から着想を得て制作された。この時の棟方には十大弟子について深い知識は無く、完成後に資料を見てそれぞれ名付けたという。そのため、従来の図様とは無縁であり、印相なども正確ではない。しかし、仏に近づこうと苦悩・葛藤し、吠える者すらいる弟子たちの姿を、力強く生命力に溢れた表現となっており、彼らの人間性や精神性までも感じ取れる。棟方自身は「下絵も描かず、版木にぶっつけに一気呵成に約一週間で彫り上げた」(『板画の道』)と語っている。彫りに要した時間は短いが、構想を得てから約一年半の間に熟考した数百枚もの手慣らしが残されており、極めて入念な準備のもとに制作されたことが分かる<ref name="ishii"/>。 : 版木は両面を用いて六枚使っている。板面を無駄なく使い、板の縁ギリギリまで彫られた柵も複数ある。東京の自宅が[[空襲]]に遭い、菩薩の版木が焼失したが、五枚分は疎開する際[[ロッキングチェア]]を運ぶ添え木として使われたため難を逃れた。1948年(昭和23年)には菩薩像が彫り直され、姿も変わっている{{Refnest|group="注"|相違点として、普賢の顔は以前は少し下向きだったが、改刻後は右上を向いていることが挙げられる。また、改刻前は全体の輪郭線の太さや勢いは十大弟子と同様だが、改刻後は衣の模様が大まかになり、顔がやや女性的になるなど全体的に柔和な印象となる。}}。改刻前の作品は、[[棟方志功記念館]](六曲一双)、[[總持寺]](六曲一双)<ref>曹洞宗大本山總持寺特別展「禅と心のかたち―總持寺の至宝―」実行委員会企画・編集 『開祖[[瑩山紹瑾]]禅師七〇〇回 二祖[[峨山韶碩]]禅師六五〇回遠忌記念 禅と心のかたち―總持寺の至宝―』 [[日本放送協会|NHK]]プロモーション、2016年4月1日、pp.36-37。</ref>、[[富山県美術館]](六曲一双)<ref>『「富山県美術館開館記念展 Part1 生命と美の物語 LIFE —楽園をもとめて」作品展示リスト』富山県美術館発行</ref>、[[千葉市美術館]](二曲六隻)<ref>『千葉市美術館 所蔵作品 100選』 千葉市美術館編集・発行、2015年4月10日、pp.62-63。</ref>、[[大原美術館]](額装<ref>学研 G-ART PROJECT編集 『はじまり、美の饗宴 すばらしき大原美術館コレクション』 NHKプロモーション、2016年2月16日、pp.123-125、ISBN 978-4-05-406400-3。</ref>)などが、改刻後は棟方志功記念館(二組)、[[宮城県美術館]](十二面、1970年(昭和45年)摺<ref>萬鉄五郎記念美術館、[[平塚市美術館]] 制作・編発行 『《[[萬鉄五郎]]生誕一三〇年 棟方志功没後四〇年記念企画展覧会》 棟方志功萬鉄五郎に首ったけ』 2015年8月、pp.86-89,94。</ref>)、[[南砺市立福光美術館]](六曲一双)、[[栃木県立美術館]](六曲一双<ref>小勝禮子 鈴木さとみ 志田康宏編集 『「戦後70年:もうひとつの1940年代美術―戦争から、復興・再生へ 美術家たちは何を考え、何を描いたか」展』 栃木県立美術館、2015年、図24。</ref>)、[[東京国立近代美術館]](六曲一双、棟方自身が寄贈)、[[京都国立近代美術館]](十二面)<ref>[http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=152639 独立行政法人国立美術館・所蔵作品検索 釈迦十大弟子]</ref>、[[パラミタミュージアム]](六曲一双)<ref name="shaka">パラミタミュージアム編集・発行 『新収蔵記念 棟方志功展 ―京都山口邸の肉筆装飾画―』 2010年9月2日、図40.41。</ref>{{Refnest|group="注"|同美術館は、改刻前の二菩薩像も二曲一隻の形で所蔵している<ref name="shaka"/>。}}、[[柏市]]砂川コレクション(六曲一双)<ref>[http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/280400/p007368.html 棟方志功作品紹介 柏市役所]</ref>、[[小平市平櫛田中彫刻美術館]]{{Refnest|group="注"|[[平櫛田中]]旧蔵品で、平櫛の文化勲章受章を記念して棟方が贈ったもの<ref>[[井原市立田中美術館]]編集・発行 『棟方志功 ―平櫛田中を「先醒」と呼んだ板画家』 2016年9月16日、第92図。</ref>。}}、[[町田市立国際版画美術館]]、[[龍泉寺 (足利市)|龍泉寺]]([[足利市]])などが所蔵。 : なお、各図の配置は屏風によってまちまちで、棟方は最晩年まで十人の名前と並べ方を検討していた。一貫して同名・同位置なのは、[[目連|目犍連]]、[[須菩提]]、[[舎利弗]]の三人のみで、時期によって名前も位置も変化する。1967年(昭和42年)に棟方板画美術館所蔵作品の並びを「基本とする」と宣言するものの、実際にはその後何度も並び方を変えている。こうした事は以後の作品にもあり、完成に満足しない棟方の姿勢が窺える。 : 本作は1940年(昭和15年)第15回[[国画会]]展出品し翌年佐分賞、1955年(昭和30年)第3回[[サンパウロ・ビエンナーレ]]で版画部門最高賞、翌年のヴェネツィア・ビエンナーレでグランプリの国際版画大賞を受賞している。 * 「大和し美し」- 1936年(昭和11年)作、棟方の出世作となった[[佐藤一英]]の詩を元とした連作。全二十柵<ref name="yamatochou"/>。 * 「御鷹揚げの妃々達々」(おんたかあげのひひたちたち)- 1964年(昭和39年)作、[[弘前市民会館]]([[前川國男]]設計)大ホールの[[緞帳]]デザイン{{Refnest|group="注"|この緞帳は棟方の倭画『御鷹揚ゲノ妃々達』を原画として制作された。布地は[[西陣織|西陣爪掻本綴織]]製で、[[wikt:紡織|紡織]]は[[川島織物セルコン|川島織物]]が手がけた。大きさは縦幅八メートル、横幅十六メートルあり、二百七十二色の糸が使われている。緞帳は原画と色合いが異なっている部分があるが、棟方自身が緞帳の配色と色指定を行なっている<ref name="donchou">[https://www.city.hirosaki.aomori.jp/shiminkaikan/dontyou-kaisetu.html 弘前市HP「大ホール緞帳解説」]2023年9月7日閲覧。</ref>。}}。 * 「東海道棟方板画」- 1963年(昭和38年)から翌年にかけて制作された、初めての風景を題材とした連作。全六十五柵。 * 「大世界の柵」-1963年(昭和38年)、1969年(昭和44年)作。「乾」([[wikt:乾|けん]])「坤」([[wikt:坤|こん]])の二柵からなる大作で、世界最大級の木版画ともいわれる{{Refnest|group="注"|「坤」が1963年、「乾」が1969年に制作された。同じ版木の両面に彫られており<ref>『グッドバイ棟方志功』(講談社)pp.172-173.</ref>、大きさはそれぞれ縦幅が175.4センチ、横幅が1,284センチあり、二柵を合わせると全幅二十七メートルに及ぶ。}}<ref name="kurashiki"/>。 * 「板画・奥の細道」- 1972年(昭和47年)から二年がかりで制作された、[[松尾芭蕉]]の[[おくのほそ道]]をたどる連作{{Refnest|group="注"|name="okunohosomichi"}}。全二十六柵。 * 「炫火頌」(かぎろいしょう)- 棟方の歿後である[[1982年]](昭和57年)に刊行された[[保田與重郎]]との共作歌画集{{Refnest|group="注"|name="kagiroishou"}}。全三十三柵。 === ギャラリー === <gallery mode="packed" heights="150" caption= [[ブルックリン美術館]]での棟方志功展> File:Installation view of Woodcut Screens of Shiko Munakata, January 9 - February 18, 1968, Brooklyn Museum, NY 3.jpg File:Installation view of Woodcut Screens of Shiko Munakata, January 9 - February 18, 1968, Brooklyn Museum, NY 6.jpg File:Installation view of Woodcut Screens of Shiko Munakata, January 9 - February 18, 1968, Brooklyn Museum, NY 4.jpg </gallery> ※1968年1月9日から2月18日まで開催。『大世界の柵』、『二菩薩釈迦十大弟子』、『海山の柵』{{Refnest|group="注"|うみやまのさく、1958年作。『海の柵』と『山の柵』からなる八曲一双の板画屏風。「[[wikt:あめつち|乾坤]]なる父母上に捧げる」という副題がついている<ref>『別冊太陽 棟方志功 - 仏も鬼も人も花も愛おしい 日本のこころ310』平凡社、2023年 p.72.</ref>。}}などが展示されている。 === 著書 === * 『板散華』(はんさんげ) 山口書店、1942年/[[講談社文芸文庫]]、1996年 ISBN 4061963546(電子版あり) * 『棟方志功畫集』 昭森社、1942年 * 『板愛染』(ばんあいぜん) 臼井書房、1948年 * 『板響神』(ばんきょうしん)祖国社、1952年 * 『板歡喜』(ばんかんき) 龍星閣、1954年(限定百部) * 『板歎異』(ばんたんに) 龍星閣、1954年(限定千部) * 『板画の道』 [[宝文館]]、1956年 * 『板画の肌』 [[河出書房]]、1956年 * 『SHIKO MUNAKATA WOOD-BLOCK PRINTS 棟方志功板畫』 [[柳宗悦]]編、[[筑摩書房]]、1958年 * 『板極道』(ばんごくどう) [[中央公論新社|中央公論社]]、1964年、改訂版1972年/[[中公文庫]] 1976年、改版2019年 ISBN 4122067030 * 『東海道棟方板画』 [[朝日新聞社]]、1964年 * 『棟方志功板画大柵』(はんがだいさく) [[講談社]]、1969年(限定三千部) * 『Munakata Japanese Prints 国際版 棟方志功板画大柵』 講談社、1970年(限定三千部) * 『棟方志功藝業大韻』(げいごうだいいん) 講談社、1970年(限定三千部) * 『棟方志功』 [[本間正義 (美術評論家)|本間正義]]編、講談社 〈日本の名画49〉、1972年 * 『祢舞多運行連々繪巻』(ねぶたうんこうれんれんえまき) [[平凡社]]、1974年 ISBN 9784582261011(二巻組、限定二百五十二部) * 『棟方志功 別冊太陽 日本のこころ7』 平凡社、1974年 ASIN B018Y1F6KK * 『わだばゴッホになる』 [[日本経済新聞社]]、1975年/[[日本図書センター]]、1997年 ISBN 4820542524 * 『板画・奥の細道』 [[講談社文庫]]、1976年 ISBN 4061383027(電子版あり) * 『棟方志功板業集』(ばんごうしゅう) 朝日新聞社、1976年(限定二千五百部) * 『棟方志功』 海上雅臣編、[[保育社]]〈[[カラーブックス]]400〉、1977年 ISBN 4586504005 * 『棟方志功全集』全12巻、講談社、1977年-1979年 * 『棟方志功板画全柵』(はんがぜんさく) 講談社、1985年 * 『棟方志功』 [[新潮社]]〈新潮日本美術文庫44〉、1998年 ISBN 4106015641 * 『棟方志功 ヨロコビノウタ』 棟方板画美術館編、[[二玄社]]、2003年 ISBN 4544020816 * 『[[河井寛次郎]] 棟方志功』 [[新学社]]〈近代浪漫派文庫〉、2004年 ISBN 4786800864 * 『棟方志功作品集 富山福光疎開時代』 [[東方出版]]、2004年、同新版2010年 ISBN 4862491642 * 『棟方志功の絵手紙』 小池邦夫・石井頼子共編、二玄社、2006年 ISBN 4544023246 * 『孤高の画人 [[私の履歴書]] 画家Ⅱ』 [[熊谷守一]]・[[中川一政]]・[[東郷青児]]共著、[[日経BP|日経ビジネス人文庫]]、2007年 ISBN 4532193818 * 『もっと知りたい棟方志功 生涯と作品』石井頼子編、[[東京美術]] 〈アート・ビギナーズ・コレクション〉、2016年 ISBN 4808710609 * 『棟方志功作品集 手のひらのなかの神羅万象』 石井頼子編、東京美術、2022年 ISBN 4808712318 * 『[https://www.heibonsha.co.jp/book/b630121.html 棟方志功 仏も鬼も人も花も愛おしい] 別冊太陽 日本のこころ310』 平凡社、2023年 ISBN 4582923100 === その他 === * [[新美南吉]]『[[おぢいさんのランプ]]』、志功画、有光社、1942年/日本図書センター、2006年 * [[吉井勇]]歌集『流離抄板畫巻』(りゅうりしょうはんがかん)、志功画、龍星閣、1954年 * [[佐藤一英]]詩集『空海頌』(くうかいしょう)、志功画、えくらん社、1959年(限定五百部) * [[谷崎潤一郎]]『[[鍵 (谷崎潤一郎)|鍵]]』、志功画、中央公論社、1956年/中公文庫、1973年 ISBN 412200053X(電子版あり) * 谷崎潤一郎歌集『歌々板画巻』(うたうたはんがかん)、志功画、宝文館、1957年/中公文庫、2004年 ISBN 4122043832 * 谷崎潤一郎『[[瘋癲老人日記]]』 志功画、中央公論社、1962年/中公文庫、2001年 ISBN 4122072980(電子版あり) *『[[大原寿恵子]]歌集抄』 [[大原孫三郎]]編、志功画、[[私家版]](非売品)1962年(限定五百部) * [[草野心平]]『富士山』、志功画、岩崎美術社、1966年 ISBN 4753413578(限定千二百部) * 小林正一歌集『板華頌』(はんげしょう)、志功画、私家版(非売品)1971年 * 草野心平『詩畫集 天竺』、志功画、[[筑摩書房]]、1976年 ASIN B0CCSQHPFS(限定八百五十部) * [[保田與重郎]]『歌集 炫火頌』(かぎろいしょう)、志功画、講談社文庫、1982年 ISBN 4061383361(電子版あり) * [[記念切手]] 近代美術シリーズ第14集『弁財天妃の柵』(べんざいてんひのさく) 原画は1965年作。1982年11月24日発行 * [[北大路魯山人]]・[[勅使河原蒼風]]・棟方志功・[[岡本太郎]]『華々しき毒舌 戌年談義』 淡交 第12巻第116号、1958年{{Refnest|group="注"|name="tankou"}} * [[日本酒]]『遊天』- 棟方が愛飲した[[弘前市]]の[[地酒]]で、現行のラベルは棟方が描いたもの<ref>[https://www.hirosakimeijo.com/ 弘前銘醸株式会社HP]</ref>。 *[https://www.suginamiart.tokyo/webmuseum/ スギナミウェブミュージアム]「MUNAKATA SHIKO 2021 PROLOGUE」棟方志功初のオンライン展示、2020年12月-2021年9月30日 == 出演番組 == * [https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009010164_00000 女性手帳 創る 棟方志功 NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス] * [[日曜美術館]]「棟方志功 板の生命を活かす」(2023年10月8日、[[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]])<ref>{{Cite web2 |url=https://www.nhk.jp/p/nichibi/ts/3PGYQN55NP/episode/te/RQ1KWX9R29/ |title=棟方志功 板の生命を活かす |date=2023-10-08 |publisher=NHK |archiveurl=https://web.archive.org/web/20231007055304/https://www.nhk.jp/p/nichibi/ts/3PGYQN55NP/episode/te/RQ1KWX9R29/ |df=ja |url-status=live |archivedate=2023-10-07 |accessdate=2023-10-07}}</ref> == 伝記 == *濱田益水 『写真 棟方志功』講談社、1972年 *『グッドバイ棟方志功』講談社、1976年 *[[長部日出雄]] 『鬼が来た-棟方志功伝』(上・下) 文藝春秋、1979年/文春文庫、1984年/学陽書房〈人物文庫〉、1999年 *[[匠秀夫]]『棟方志功 讃』平凡社、1984年 *[[宇賀田達雄]] 『祈りの人 棟方志功』 筑摩書房、1999年 == 受賞歴 == * 1925年(大正14年)油彩『清水谷風景』白日会入選 * 1928年(昭和3年)油彩『雑園』第九回帝展入選 * 1929年(昭和4年)版画四点が[[春陽会]]入選 * 1931年(昭和6年)油彩『荘園』帝展入選、油彩『猫少女』白日賞 * 1932年(昭和7年)国画会奨励賞 * 1933年(昭和8年)東光会F氏賞、国際美術展推薦賞 * 1935年(昭和10年)板画『万朶譜』(ばんだふ)により国画会会友に推挙 * 1938年(昭和13年)板画『善知鳥』帝展特選 * 1940年(昭和15年)板画『二菩薩釈迦十大弟子』[[佐分眞|佐分賞]] * 1946年(昭和21年)板画『鍾渓頌板画巻』[[岡田三郎助|岡田賞]] * 1951年(昭和26年)板画『女人観世音』[[スイス]]、[[ルガーノ]]第二回国際版画展優秀賞 * 1955年(昭和30年)板画『二菩薩釈迦十大弟子』ブラジル、[[サンパウロ・ビエンナーレ]]版画部門最高賞 * 1956年(昭和31年)板画『湧然する女者達々』、『柳緑花紅頌』(りゅうりょくかこうしょう)などにより[[ヴェネツィア・ビエンナーレ]]国際版画大賞 * 1958年(昭和33年)板画『葦蓮の柵』(いれんのさく、柳緑花紅頌の一柵)が聖ジェームス教会(ニューヨーク)現代日本版画展グランプリ * 1959年(昭和34年)青森県第一回文化賞 * 1961年(昭和36年)京都[[法輪寺 (京都市西京区)|法輪寺]]より法橋位{{Refnest|group="注"|name="soui"}}を受ける。 * 1962年(昭和37年)富山県[[日石寺]]より[[法眼|法眼位]]を受ける。 * 1963年(昭和38年)[[藍綬褒章]]受章 * 1964年(昭和39年)[[歌会始]]に招待される。 * 1965年(昭和40年)[[朝日文化賞]]、紺綬重飾褒章、ダートマス大学名誉文学博士称号授受、イタリア芸術院名誉会員に推挙 * 1969年(昭和44年)青森市[[名誉市民]]第一号となる。 * 1970年(昭和45年)『棟方志功板画大柵』、『板芸業四十年記念棟方志功障壁画展』により[[毎日芸術賞]]、[[文化勲章]]受章、[[文化功労者]]となる。 * 1971年(昭和46年)[[園遊会]]に出席。[[東奥日報]] [[佐藤尚武]]郷土大賞 * 1974年(昭和49年)[[NHK放送文化賞]] == ゆかりの施設 == [[File:Fukumitsu, Nanto, Toyama Prefecture 939-1610, Japan - panoramio (1).jpg|thumb|right|250px|棟方志功住居 鯉雨画斎([[南砺市]])]] [[ファイル:Munakata Shiko Memorial Museum of Art.jpg|250px|thumb|棟方志功記念館(青森市)]] [[File:Katsuretsu-an, entrance.jpg|thumb|right|250px|[[勝烈庵]](横浜市)]] * [[青森県立美術館]](青森県青森市) - 棟方作品を常設展示。2023年度末の棟方志功記念館閉館後は同館の全収蔵品を受け入れることとなっている<ref>{{Cite web|和書| title =志功生誕120年で記念巡回展/青森県立美術館| publisher = 東奥日報| url = https://www.toonippo.co.jp/articles/-/1171008| accessdate = 2022-06-29}}</ref>。 * [[棟方志功記念館]](青森県青森市) -棟方が自費で建設した記念館。[[2012年]]に鎌倉市にあった棟方板画館(棟方板画美術館)を合併。新型コロナウイルスの影響による入館者数減少と施設の老朽化などにより、2023年度で閉館することが理事会と評議員会で承認された<ref>{{Cite web|和書| title =棟方志功記念館(青森)が来年度閉館| publisher = 東奥日報| url = https://www.toonippo.co.jp/articles/-/1144718| accessdate = 2022-06-19}}</ref>。 * [[浅虫温泉]] 椿館(青森県青森市) - 棟方が静養に良く利用していた。椿館にある作品のほとんどが直筆画であり、全集に載っていない作品も多数ある。椿館で使われている[[浴衣]]の柄は棟方が描いた鯉の絵がモチーフとなっている。 * [[やまとーあーとみゅーじあむ]]([[埼玉県]][[秩父市]][[羊山公園]]内) - 棟方作品を中心とした美術館。 * 新宿すずや([[東京都]][[新宿区]]) - 棟方が看板とメニューの表紙画を描いた飲食店。新宿本店があるSUZUYAビル五階の廊下では作品の展示も行われている。 * [[勝烈庵]]([[神奈川県]][[横浜市]][[中区 (横浜市)|中区]]) - 棟方作品が多数展示されているレストラン。[[暖簾]]の[[揮毫]]も棟方による。 * 棟方板画館(棟方板画美術館)(神奈川県[[鎌倉市]][[鎌倉山]]) - 親族が館長として管理・運営していたが、高齢化などを理由に2010年休館。 * [[南砺市立福光美術館]](富山県南砺市法林寺) ** 本館 - 棟方の作品を収蔵・常設展示 ** 分館 [[南砺市立福光美術館#棟方志功記念館 愛染苑(あいぜんえん)|棟方志功記念館「愛染苑(あいぜんえん)」]] - 棟方の最初の旧住居跡に建てられた記念館で、名称は[[谷崎潤一郎]]が棟方が福光に居を構えた家屋に付けた名前。疎開生活をしていた六年八か月の間に制作した作品を中心に展示。 ** 分館 [[南砺市立福光美術館#旧棟方志功住居 鯉雨画斎(りうがさい)|旧棟方志功住居「鯉雨画斎(りうがさい)」]] - 棟方の旧住居を移築保存した建物。屋内の板戸や[[厠]](便所)などに棟方が書いた絵が残る。名称は棟方がアトリエとしていた八畳間に付けていた名前。 * 瞞着川(だましがわ、南砺市法林寺)- 棟方が命名者となった川。石碑の揮毫も棟方による。川沿いの[[緑道]]にはこの川を描いた十三柵の板画パネルが設置されている<ref name="damashigawa"/>。 * [[湊川神社]]([[兵庫県]][[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]]) - 拝殿天井画「運命」(1956年)、壁画「御神社七媛図」(おんじんじゃななひめず)および「御双鷹巌図」(おんそうようがんず、1973年)、「御楠樹図」(おんくすのきず)。 * 棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)([[岡山県]][[津山市]]) - 棟方と詩人・[[柳井道弘]]との津山・美作地方における交流や足跡をテーマとした記念館。<ref>{{Cite web|和書|title=小さくても偉大な美術館(津山市東一宮 M&Y記念館) {{!}} 岡山県北の生活情報 アットタウンWEBマガジン|url=https://afw-at.com/page.php?id=385|website=|accessdate=2020-08-14|language=ja|publisher=}}</ref> * [[安部榮四郎記念館]]([[島根県]][[松江市]]) - [[安部榮四郎|安部]]と民藝運動を通じて親交のあった棟方志功、柳宗悦、河井寛次郎の作品を展示している。その縁から作品には必ず安部の手すき[[和紙]](出雲民芸紙)が使われるようになった。 == 家族 == * 長男は[[棟方巴里爾]](むなかた ぱりじ、元俳優、生前は[[劇団民藝]]に所属。妻は[[濱田庄司]]の娘。1998年没) * 次男は[[棟方令明]](むなかた よしあき、元棟方板画美術館長) * 長女は宇賀田けよう(夫の[[宇賀田達雄]]は元[[朝日新聞]]記者。娘は元・棟方志功板画美術館学芸員 棟方志功研究者 現南砺市福光美術館非常勤 石井頼子) * 次女は小泉ちよゑ(「[[絵手紙]]フォーラム遊彩」会長)。 == 棟方志功を演じた人物 == === テレビドラマ === *[[渥美清]]『おかしな夫婦』([[1971年]][[10月27日]] - [[1972年]][[3月30日]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])共演:[[十朱幸代]] *[[片岡鶴太郎]]『[[花王名人劇場]] 志功の青春記より 夢を彫る男』シリーズ([[1989年]]、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]) *[[劇団ひとり]]『[[土曜プレミアム]] [[我はゴッホになる! 〜愛を彫った男・棟方志功とその妻〜]]』([[2008年]][[10月25日]]、フジテレビ) === 舞台 === *[[コロッケ (タレント)|コロッケ]]『わだばゴッホになる・棟方志功物語』 <!--本人とは無関係--> == 関連項目 == *[[長谷川富三郎]] *[[田中忠三郎]] *[[十万石まんじゅう]] *[[福光町]] *[[料治熊太]] *[[五島慶太]] <!--無名だった棟方志功を見いだしたのが五島慶太だったということも記しておこう。<ref>{{Cite book|和書 |title=五島慶太伝 -東京都市大学グループの祖・五島慶太の立志伝- |date=2016年9月12日 |publisher=学校法人五島育英会 |page=13}}</ref>--> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == {{Commonscat|Shikō Munakata|棟方志功}} *[http://munakatashiko-museum.jp/ 棟方志功記念館] *[http://nanto-museum.com/ 富山県南砺市 - 南砺市立福光美術館] *[https://web.archive.org/web/20160213235404/http://www.m-uonuma.jp/m-artstation/ 棟方志功アートステーション] *[http://munakata-shikou.sakura.ne.jp/ 棟方志功のことば] *{{Wayback|url=http://www1.ocn.ne.jp/~kumingei/m13_youtube.html |title=棟方志功の装丁本について |date=20130622032236}} - [[熊本国際民藝館]]による動画集 *[https://aizuyaichi.or.jp/person/528/ 棟方志功 | 新潟市會津八一記念館] *{{NHK人物録|D0009072159_00000}} *{{NHK放送史|D0009043971_00000|放送記念祭特集 板画まんだら 棟方志功の芸術}} *[https://www.youtube.com/watch?v=lBqcQjdLO14 倭画『禰舞多運行連々絵巻』解説動画] - [[棟方志功記念館]] ([[Youtube]]) *[https://www.youtube.com/watch?v=LrKiHUTuEpM MUNAKATA Shiko exhibition at Aomori Museum of Art] - Department of International Education & Collaboration, [[:en:Hirosaki University|Hirosaki University]](Youtube 英訳付き) *[https://www.youtube.com/watch?v=TgPZy4QqIHk Living Arts of Japan] - [[桜映画社]]制作の日本美術紹介映画。[[濱田庄司]]、[[富本憲吉]]、[[森口華弘]]、[[松田権六]]、[[田辺竹雲斎#二代 田辺 竹雲斎|田辺竹雲斎 (二代目)]]、棟方志功、[[前田青邨]]が紹介されている。(Youtube 英語) {{NHK紅白歌合戦審査員}} {{毎日芸術賞}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:むなかた しこう}} [[Category:20世紀日本の版画家]] [[Category:20世紀日本の画家]] [[カテゴリ:昭和時代の画家]] [[Category:朝日賞受賞者]] [[Category:文化勲章受章者]] [[Category:文化功労者]] [[Category:隻眼の人物]] [[Category:肝癌で亡くなった人物]] [[Category:NHK紅白歌合戦審査員]] [[Category:私の履歴書の登場人物]] [[Category:青森県出身の人物]] [[Category:1903年生]] [[Category:1975年没]]
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仮面ライダー555
『仮面ライダー555』(かめんライダーファイズ、欧文表記:MASKED RIDER Φ's) は、2003年1月26日から2004年1月18日まで、テレビ朝日系列で毎週日曜8時から8時30分(JST)に全50話が放映された、東映制作の特撮テレビドラマ作品。仮面ライダーシリーズ初の地上デジタル放送でもある。 キャッチコピーは「疾走する本能」。 平成仮面ライダーシリーズの第4作。前作『仮面ライダー龍騎』とは異なり、劇中で「仮面ライダー」という名称は用いられていない。 従来描かれることの少なかった怪人側のドラマにも本格的にスポットが当てられ、怪人(オルフェノク)へと変わってしまった者たちの苦悩が描かれている点が、本作品の大きな特色である。怪人の人間ドラマを描くことは、「ヒーローが殺人者に見えてしまう」というデメリットから敬遠されていたといい、「仮面ライダーシリーズ」での作劇は初の試みであった。 『仮面ライダー龍騎』同様にライダーに変身する人間が善良とは言えない者だったり、本作品では逆に怪人・オルフェノクにも彼らなりに正しい心を持つ者がいたりと、単純な善悪二元論では割り切れない群像劇が織りなされた。従来のシリーズ同様に幼年層を意識しながらも、登場人物同士の様々な人間関係を前面に押し出した重くシリアスな物語が展開されている。劇中では「人間と怪人の共存」が作中のテーマとして取り上げられ、ライダーに変身する主人公・乾巧も中盤以降、人間に危害を加えない、あるいは改心する見込みのあるオルフェノクに対しては止めを刺さないというスタンスを採っている。様々な立場のオルフェノクと人間、それぞれの思惑が交錯する入り組んだストーリーは、シリーズ中でも特に複雑なものとなっている。また、作中でも登場人物たちが相互に変身している人物が不明確であるがゆえの誤解や、他者の謀略による行き違い、感情のすれ違いなどから衝突や殺し合いに発展するなど、「誰を信じ、誰を信じないか」という極めて難解なテーマも掲げている。 また、体の灰化、新しいベルトの実験でベルトを付けた人間の消滅、といった描写に見られるように、従来よりもホラー色の強い作品にもなっている。パイロット版監督の田﨑竜太は、子供番組として「死」を表現することもテーマとして掲げている。 外付けかつ自由に携帯可能な変身ベルトを用いて変身する設定が本格的に取り入れられた作品であり、その要素は後のシリーズでも受け継がれている。そのため、劇中に登場する各ライダーにも複数の変身者が存在し、時には敵であるオルフェノクがライダーに変身することもある。ただし、変身アイテムの他に契約を必要としていた『龍騎』のように、適合性を備えていない者は繰り返しの変身、あるいは変身自体ができないため、「条件が満たされていないと仮面ライダーの資格がない」という点で従来の要素もまだ活きている。本作品ではアイテムの争奪戦が物語の主軸の一つとなっており、脚本の井上敏樹は本作品を「主人公はベルト」「3本のベルト物語」と評している。また、「変身ベルト」と呼ばれていた従来のイメージを払拭させるため、シリーズでは初めて「ベルト」ではなく「ドライバー」という名称になった。 西暦2003年。九州で一人旅をしていた青年乾巧は、そこに居合わせた少女園田真理とともに、謎の怪人オルフェノクに襲われる。真理は持っていたベルトを装着して超戦士ファイズに変身しようとするが失敗し、無理やり巧にベルトを着け、彼をファイズに変身させることで窮地を脱した。どうやらオルフェノクたちは、そのベルトを狙って真理を襲ったらしい。その後2人はクリーニング屋の菊池啓太郎と出逢い、事情を知った彼の勧めにより東京にある彼の家で3人の共同生活を始めることになる。 一方、東京で暮らしていた青年木場勇治は、2年前の居眠り運転のトラックによる交通事故によって両親を失い、自らも2年間の昏睡状態を経て死亡したかに見えた。しかし、勇治は病院で謎の蘇生を遂げ、周囲を混乱させる。自らも混乱したまま帰宅する勇治だったが、自宅は既に他人のものとなっていた。叔父一家が自分が眠っている間に財産を根こそぎ利用していた事実を知り、恋人が自分を裏切り従兄弟と交際していることを知った勇治は、異形の怪物に変身し、従兄弟と恋人を手にかけてしまう。 醜悪な肉体変貌と犯した罪に絶望する彼の前にスマートレディという女性が現れ、事の真相を告げる。勇治は一度の死亡により、オルフェノクとして覚醒したのだった。スマートレディが属するオルフェノクの組織スマートブレイン社に囲い込まれた勇治は、同じようにオルフェノクとして覚醒した長田結花と海堂直也の2人と行動を共にするうちに、人類を敵視するスマートブレイン社の姿勢に反発し、人類とオルフェノクの融和を考えるようになる。 巧と勇治。2人の男の物語を中心に、ベルトを、ひいては人類の未来を巡って、オルフェノクと人類の戦いが幕を開けた。 本作品における敵。人間が一度死を迎えた後に知的生命体へと再度覚醒した人類の進化型。通常の人間として病死や事故死を経て自ら覚醒する場合と「使徒再生」(後述)により覚醒する場合の2通りの覚醒パターンがあるが、前者のパターンで覚醒したオルフェノクは「オリジナル」と呼ばれ、その数は希少ながら全体的に高い能力を持つ傾向にあり、いずれもオルフェノク因子を持った者のみが覚醒する。なお、オリジナルであることがはっきりわかるのは乾巧、木場勇治、長田結花の3名と、澤田亜希を除くラッキー・クローバーのメンバーのみである。また、実験段階ながら人為的な操作によって作り出されたオルフェノクも存在する。 通常外見は人間だった時と同一で、オルフェノク同士でも人間との区別がつかないが、自らの意志で細胞の配列を組み替えることで地球上の動植物一種の性質や外見と、それに見合った特殊能力を具えた異形な姿へ変化する(複数の形態を併せ持つ者もいる)。それは動植物のほかにその者が潜在的に抱いている「戦う姿」としてスポーツ選手や戦士などを彷彿とさせる意匠が具体化したものである。どの個体も体色は灰色が基調であるが、これは“死”や“滅亡”のイメージ(具体的には“死体”)を表している。変化する場合、瞳が灰色になり、顔にオルフェノクの顔のシルエットが浮かび上がる。オルフェノク状態で人間の言葉を発する際には、足元の影が青白い裸身の人間の上半身になる。力を物にしたオルフェノクは、人間態でもある程度はその力を発揮することが可能であり、並のオルフェノク相手ならば戯れ程度に薙ぎ倒す。また、オルフェノクになったからといって傷病などを負わなくなるわけではなく、風邪をひいたり体調を崩すこともあるなど、通常時においては人間とさほど変化はない。また、普通のオルフェノクは人間態の時は人間並の力しか出せないが、体自体は頑丈になっており、勇治は人間態で超高層ビルからの飛び降り自殺を図った際にも傷一つ負っていない。 全てのオルフェノクには、腹部に共通の紋章である「死と再生」を表すオルフェノクレストがある。これは3方向に伸びた矢印であり、3つの矢印がそれぞれ「命あれ」「形あれ」「姿あれ」と願う“心”を象徴していて、人間がオルフェノクへと進化する段階を表している。 オルフェノクは人間の中から半ば自然的に発生する存在であるため、種全体として組織化されているわけではない。オルフェノクとして覚醒した者が現れると、スマートブレイン社はいち早く接触を図って同種として受け入れ、オルフェノクに関する知識と援助を与える一方で、管理下に置こうとする。しかし、スマートブレイン社の情報収集能力や統制力には限界があり、オルフェノクに覚醒後もスマートブレイン社に従わない者、スマートブレイン社に知られないまま過ごす者も存在する。 オルフェノクの多くはその力に溺れて人間性を喪失し(三原曰く、本当に怖いのはオルフェノクの力じゃなく、力に驕れる人間の弱い心)、人間社会に紛れて生活しながらも密かに人間を襲い(仲間を増やすことにも繋がる)、人間との共存が不可能だと考えて自分たちだけの世界を作ることを目指す。勇治たちのように共存を望む者や、人間として生きようとする者もいるが、人間を殺めるのも由としないオルフェノクはスマートブレイン社から「裏切り者」と称され、刺客による抹殺の標的にされる。ただし、人間を襲う者はブラックリストには載っていないため、海堂を倒すために現れた琢磨は海堂を庇った結花を襲わなかった。 なお、彼らの存在意義は「いずれ地球の代表者として“何者か”と戦うために生まれてきた」「地球意志が、人からさらに次元の進んだ存在を造り、人と競わせることで精神の進化を促しているようでもある」「地球上の生物全てを背負ったオルフェノクという種そのものが、いずれ“ノアの方舟”になるのではないか」とされ、そういう意味では彼らの心自体は人と何ら変わらないという。 オルフェノクは最期の時、青白い炎を噴き出して灰になって死を迎える。強力なフォトンブラッドによる攻撃(ライダーの必殺技)を受けて倒された場合は、青い爆発と共に瞬時に灰と化す。また、寿命が近づくと時々体がわずかに灰化し、死期には一気に灰となって崩れる。 オルフェノクへの進化は極めて急激になされ、その急激な進化に多大な負担を強いられて肉体が急速に滅びて耐えきれないため、長寿の生命が保てず、個体差はあるものの、死に至る病と同様にいずれは肉体が灰となって崩れ去り、滅びの時が訪れる運命にある。オルフェノクの王の力に頼ることで、真の力と永遠の命を得られるが、その場合人間としての部分を消滅しなければならないため、元の人間の姿には戻れない。 オリジナルのオルフェノクが人間の内臓にオルフェノクエネルギーを注入して覚醒を促してオルフェノク化させる行為で、内臓の破壊方法はオルフェノクの特質ごとに差異がある。主に体の一部を使徒再生能力がある触手に変化させ、人間の口や鼻を通して内臓部分に到達させる。使徒再生の触手はガラスなども通り抜ける特殊な触手で、車などのガラス張りの乗り物の中にいる人間を、密閉された状態で殺害することが可能である。使徒再生を受けた人間がオルフェノクとして覚醒することはごく稀であり、多くの場合は一度再生するも肉体がエネルギーに適応できず、灰化して崩れ落ちてしまう。通常の人間にとっては実質、殺人と同義の行為である。 オルフェノクのスマートブレイン社社長直轄の非公式集団。村上曰く「オルフェノクの中でも上の上」の特殊能力を持つ上級オルフェノクの精鋭4人で構成され、スマートブレイン社から豪華な邸宅の提供や施設の自由な利用など、様々な特典が用意されている。メンバーの一人である琢磨は、ラッキー・クローバーは協力者であって部下ではないと村上に釘を刺しており、定数は名称通り4名を絶対としているが、村上の意向であっても既存のメンバーが了解しなければ入会することができないという不文律がある。初登場時メンバーは、琢磨逸郎(センチピードオルフェノク)、影山冴子(ロブスターオルフェノク)、ジェイ(クロコダイルオルフェノク)、北崎(ドラゴンオルフェノク)の4人。ジェイの死亡後は1つの空席を巡って複数のオルフェノクが候補となり、一度は澤田亜希(スパイダーオルフェノク)がジェイの後釜となるが、デルタギアを流星塾のメンバーに渡したことが原因で、村上の怒りを買って放逐される。その後、澤田によって殺害された真理の蘇生と引き換えに、オルフェノクの本性を現した乾巧が一時的に加わるが、ファイズギアを託した木場勇治に殺されるのを望んでの行為であり、それに失敗すると逃亡し脱落する。また終盤では冴子が、人知れず殺戮を繰り返していた長田結花を村上が推挙したことでラッキー・クローバー候補に推薦するべく勧誘したが、断られたため彼女を殺害している。 過去の特撮作品のメインキャラクターを演じた原田篤(『救急戦隊ゴーゴーファイブ』)や山崎潤(『仮面ライダーアギト』)がレギュラー出演した他、本作品が俳優デビューとなる綾野剛が物語のキーマンを務めた。また、前作『仮面ライダー龍騎』に出演した栗原瞳は、本作品でも引き続きレギュラー出演している。この他、『仮面ライダーゴースト』に声優としてレギュラー出演した悠木碧も、「八武崎碧」名義で幼少期の真理役を演じた。 各話オルフェノクおよびドラゴンオルフェノク担当の渡辺淳は、本作品でスーツアクターとしてデビューした。 脚本は井上敏樹が全エピソードを担当している。東映特撮で30分番組4クールの作品で全話脚本を行ったのは、上原正三(『宇宙刑事シャイダー』)、浦沢義雄(不思議コメディーシリーズの数作品)、小林靖子(『美少女戦士セーラームーン』)、そして井上の父である伊上勝(『仮面の忍者 赤影』)などがおり、親子2代で同じ記録を残したことになる。 この他、キャラクターデザインには前作より引き続きの参加となる篠原保が、音楽面ではゲームやアニメ作品を中心に劇伴を手がける松尾早人が起用された。松尾は東映作品としては現時点で唯一の登板となる。 またカメラ面では、平成仮面ライダーシリーズをメインで担っている倉田幸治は本作品が撮影技師としてのデビュー作となった。 仮面ライダーファンを公言しているISSA(DA PUMP)が主題歌の歌唱を担当した。 また、第18話では劇中で倉田恵子が「亜麻色の髪の乙女」を歌唱、また第44話では矢沢永吉歌唱の「哀しみの彼方へ」が店内BGMとして使用された。 本作品の企画は、シリーズの継続や石森プロが参加するかどうかなどが決まらずにスタートが難航し、例年より遅い2002年8月後半ごろに開始された。仮面ライダーシリーズ以外では『人造人間キカイダー』という案も存在したが、仮面ライダー人気が衰えを見せなかったことからシリーズの継続が決定された。本作品は『仮面ライダークウガ』から4作品目となるため、昭和シリーズ4番目の主人公である『仮面ライダーX』も意識したメカニックライダー路線となった。なお、本作品のタイトルの発想は平山亨による『仮面ライダーX』の番組タイトル案の一つ『仮面ライダーGO5号(ゴーゴーゴー)』から得られている。 仮面ライダーのデザインは、子供に描きやすいよう円など幾何学模様をモチーフとしており、また幾何学模様に類似したギリシア文字も取り入れられている。初期案では、前作の影響もありシャチとサメのダブルライダーという案も存在したが、メカニックライダーであることから生物をモチーフとする案は廃された。 シリーズ構成は、前作『仮面ライダー龍騎』がイベント性の高い作品であったため、その反動から本作品では物語性を重視しようと考えられた。怪人側のドラマを描くという方向性も、前作が13人の仮面ライダーが登場するために怪人の扱いが弱くなっていたことへの反省などから生まれたものである。 プロデューサーの白倉伸一郎は、『仮面ライダーアギト』のころから温めていたロードムービー展開を、序盤のみであるが実現させている。 携帯電話など電子機器をモチーフにした「ファイズドライバー」を始めとする変身ベルトの玩具は、100万本以上を売り上げる大ヒット商品となった。『仮面ライダーW』のダブルドライバーに抜かれるまで仮面ライダーシリーズの変身ベルトとしては最多売上を誇っていた。 前作『仮面ライダー龍騎』では可動フィギュア「R & M」の売り上げがメインキャラクター以外芳しくなく、ソフトビニール人形「ライダーヒーローシリーズ(RHシリーズ)」の方が好調であったため、本作品ではRHシリーズとサイズを合わせた「S-RHFシリーズ」が展開された。 各回にはタイトルは無く、ここで「放映題」としているものは新聞のテレビ番組欄やテレビ番組情報誌、テレビ朝日公式ページにて表記されたものである。またシナリオタイトルも、先行して特撮専門誌やホビー情報誌に「仮タイトル」として掲載されることが多いため併記した。脚本は全話井上敏樹のため省略。各話終了後には数本のフォトンブラッドが流れ四角形に形成される演出だった。 登場怪人のうち、長期間にわたって登場したオルフェノクやラッキー・クローバーの面々(クロコダイルオルフェノク、センチピードオルフェノク、ロブスターオルフェノク、スパイダーオルフェノク、ドラゴンオルフェノク)は省略。 いずれも発売元は東映ビデオ。 本作品にバイクなど車両を提供しているホンダが「仮面ライダー555 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"オルフェノクは人間の中から半ば自然的に発生する存在であるため、種全体として組織化されているわけではない。オルフェノクとして覚醒した者が現れると、スマートブレイン社はいち早く接触を図って同種として受け入れ、オルフェノクに関する知識と援助を与える一方で、管理下に置こうとする。しかし、スマートブレイン社の情報収集能力や統制力には限界があり、オルフェノクに覚醒後もスマートブレイン社に従わない者、スマートブレイン社に知られないまま過ごす者も存在する。", "title": "オルフェノク" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "オルフェノクの多くはその力に溺れて人間性を喪失し(三原曰く、本当に怖いのはオルフェノクの力じゃなく、力に驕れる人間の弱い心)、人間社会に紛れて生活しながらも密かに人間を襲い(仲間を増やすことにも繋がる)、人間との共存が不可能だと考えて自分たちだけの世界を作ることを目指す。勇治たちのように共存を望む者や、人間として生きようとする者もいるが、人間を殺めるのも由としないオルフェノクはスマートブレイン社から「裏切り者」と称され、刺客による抹殺の標的にされる。ただし、人間を襲う者はブラックリストには載っていないため、海堂を倒すために現れた琢磨は海堂を庇った結花を襲わなかった。", "title": "オルフェノク" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "なお、彼らの存在意義は「いずれ地球の代表者として“何者か”と戦うために生まれてきた」「地球意志が、人からさらに次元の進んだ存在を造り、人と競わせることで精神の進化を促しているようでもある」「地球上の生物全てを背負ったオルフェノクという種そのものが、いずれ“ノアの方舟”になるのではないか」とされ、そういう意味では彼らの心自体は人と何ら変わらないという。", "title": "オルフェノク" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "オルフェノクは最期の時、青白い炎を噴き出して灰になって死を迎える。強力なフォトンブラッドによる攻撃(ライダーの必殺技)を受けて倒された場合は、青い爆発と共に瞬時に灰と化す。また、寿命が近づくと時々体がわずかに灰化し、死期には一気に灰となって崩れる。", "title": "オルフェノク" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "オルフェノクへの進化は極めて急激になされ、その急激な進化に多大な負担を強いられて肉体が急速に滅びて耐えきれないため、長寿の生命が保てず、個体差はあるものの、死に至る病と同様にいずれは肉体が灰となって崩れ去り、滅びの時が訪れる運命にある。オルフェノクの王の力に頼ることで、真の力と永遠の命を得られるが、その場合人間としての部分を消滅しなければならないため、元の人間の姿には戻れない。", "title": "オルフェノク" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "オリジナルのオルフェノクが人間の内臓にオルフェノクエネルギーを注入して覚醒を促してオルフェノク化させる行為で、内臓の破壊方法はオルフェノクの特質ごとに差異がある。主に体の一部を使徒再生能力がある触手に変化させ、人間の口や鼻を通して内臓部分に到達させる。使徒再生の触手はガラスなども通り抜ける特殊な触手で、車などのガラス張りの乗り物の中にいる人間を、密閉された状態で殺害することが可能である。使徒再生を受けた人間がオルフェノクとして覚醒することはごく稀であり、多くの場合は一度再生するも肉体がエネルギーに適応できず、灰化して崩れ落ちてしまう。通常の人間にとっては実質、殺人と同義の行為である。", "title": "オルフェノク" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "オルフェノクのスマートブレイン社社長直轄の非公式集団。村上曰く「オルフェノクの中でも上の上」の特殊能力を持つ上級オルフェノクの精鋭4人で構成され、スマートブレイン社から豪華な邸宅の提供や施設の自由な利用など、様々な特典が用意されている。メンバーの一人である琢磨は、ラッキー・クローバーは協力者であって部下ではないと村上に釘を刺しており、定数は名称通り4名を絶対としているが、村上の意向であっても既存のメンバーが了解しなければ入会することができないという不文律がある。初登場時メンバーは、琢磨逸郎(センチピードオルフェノク)、影山冴子(ロブスターオルフェノク)、ジェイ(クロコダイルオルフェノク)、北崎(ドラゴンオルフェノク)の4人。ジェイの死亡後は1つの空席を巡って複数のオルフェノクが候補となり、一度は澤田亜希(スパイダーオルフェノク)がジェイの後釜となるが、デルタギアを流星塾のメンバーに渡したことが原因で、村上の怒りを買って放逐される。その後、澤田によって殺害された真理の蘇生と引き換えに、オルフェノクの本性を現した乾巧が一時的に加わるが、ファイズギアを託した木場勇治に殺されるのを望んでの行為であり、それに失敗すると逃亡し脱落する。また終盤では冴子が、人知れず殺戮を繰り返していた長田結花を村上が推挙したことでラッキー・クローバー候補に推薦するべく勧誘したが、断られたため彼女を殺害している。", "title": "オルフェノク" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "過去の特撮作品のメインキャラクターを演じた原田篤(『救急戦隊ゴーゴーファイブ』)や山崎潤(『仮面ライダーアギト』)がレギュラー出演した他、本作品が俳優デビューとなる綾野剛が物語のキーマンを務めた。また、前作『仮面ライダー龍騎』に出演した栗原瞳は、本作品でも引き続きレギュラー出演している。この他、『仮面ライダーゴースト』に声優としてレギュラー出演した悠木碧も、「八武崎碧」名義で幼少期の真理役を演じた。", "title": "キャスト" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "各話オルフェノクおよびドラゴンオルフェノク担当の渡辺淳は、本作品でスーツアクターとしてデビューした。", "title": "キャスト" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "脚本は井上敏樹が全エピソードを担当している。東映特撮で30分番組4クールの作品で全話脚本を行ったのは、上原正三(『宇宙刑事シャイダー』)、浦沢義雄(不思議コメディーシリーズの数作品)、小林靖子(『美少女戦士セーラームーン』)、そして井上の父である伊上勝(『仮面の忍者 赤影』)などがおり、親子2代で同じ記録を残したことになる。", "title": "スタッフ" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "この他、キャラクターデザインには前作より引き続きの参加となる篠原保が、音楽面ではゲームやアニメ作品を中心に劇伴を手がける松尾早人が起用された。松尾は東映作品としては現時点で唯一の登板となる。", "title": "スタッフ" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "またカメラ面では、平成仮面ライダーシリーズをメインで担っている倉田幸治は本作品が撮影技師としてのデビュー作となった。", "title": "スタッフ" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "仮面ライダーファンを公言しているISSA(DA PUMP)が主題歌の歌唱を担当した。", "title": "音楽" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "また、第18話では劇中で倉田恵子が「亜麻色の髪の乙女」を歌唱、また第44話では矢沢永吉歌唱の「哀しみの彼方へ」が店内BGMとして使用された。", "title": "音楽" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "本作品の企画は、シリーズの継続や石森プロが参加するかどうかなどが決まらずにスタートが難航し、例年より遅い2002年8月後半ごろに開始された。仮面ライダーシリーズ以外では『人造人間キカイダー』という案も存在したが、仮面ライダー人気が衰えを見せなかったことからシリーズの継続が決定された。本作品は『仮面ライダークウガ』から4作品目となるため、昭和シリーズ4番目の主人公である『仮面ライダーX』も意識したメカニックライダー路線となった。なお、本作品のタイトルの発想は平山亨による『仮面ライダーX』の番組タイトル案の一つ『仮面ライダーGO5号(ゴーゴーゴー)』から得られている。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "仮面ライダーのデザインは、子供に描きやすいよう円など幾何学模様をモチーフとしており、また幾何学模様に類似したギリシア文字も取り入れられている。初期案では、前作の影響もありシャチとサメのダブルライダーという案も存在したが、メカニックライダーであることから生物をモチーフとする案は廃された。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "シリーズ構成は、前作『仮面ライダー龍騎』がイベント性の高い作品であったため、その反動から本作品では物語性を重視しようと考えられた。怪人側のドラマを描くという方向性も、前作が13人の仮面ライダーが登場するために怪人の扱いが弱くなっていたことへの反省などから生まれたものである。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "プロデューサーの白倉伸一郎は、『仮面ライダーアギト』のころから温めていたロードムービー展開を、序盤のみであるが実現させている。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "携帯電話など電子機器をモチーフにした「ファイズドライバー」を始めとする変身ベルトの玩具は、100万本以上を売り上げる大ヒット商品となった。『仮面ライダーW』のダブルドライバーに抜かれるまで仮面ライダーシリーズの変身ベルトとしては最多売上を誇っていた。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "前作『仮面ライダー龍騎』では可動フィギュア「R & M」の売り上げがメインキャラクター以外芳しくなく、ソフトビニール人形「ライダーヒーローシリーズ(RHシリーズ)」の方が好調であったため、本作品ではRHシリーズとサイズを合わせた「S-RHFシリーズ」が展開された。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "各回にはタイトルは無く、ここで「放映題」としているものは新聞のテレビ番組欄やテレビ番組情報誌、テレビ朝日公式ページにて表記されたものである。またシナリオタイトルも、先行して特撮専門誌やホビー情報誌に「仮タイトル」として掲載されることが多いため併記した。脚本は全話井上敏樹のため省略。各話終了後には数本のフォトンブラッドが流れ四角形に形成される演出だった。", "title": "放送日程" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "登場怪人のうち、長期間にわたって登場したオルフェノクやラッキー・クローバーの面々(クロコダイルオルフェノク、センチピードオルフェノク、ロブスターオルフェノク、スパイダーオルフェノク、ドラゴンオルフェノク)は省略。", "title": "放送日程" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "いずれも発売元は東映ビデオ。", "title": "他媒体展開" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "本作品にバイクなど車両を提供しているホンダが「仮面ライダー555 Honda」チームを結成し、鈴鹿8時間耐久ロードレースへのエントリーを行った(チーム運営は「桜井ホンダ」が協力)。レースにおいては、他チームのトラブルに巻き込まれたが、結果は70チーム中、総合10位での完走を果たした。このレースには、参加ライダーがファイズとカイザをモデルとしてデザインされたヘルメットとスーツを着て出場していた。また、チーム監督である宮城光とファイズのスーツを着てレースに参戦した山口辰也は、翌年も「仮面ライダー剣 Honda」チームに再招集された。", "title": "他媒体展開" } ]
『仮面ライダー555』 は、2003年1月26日から2004年1月18日まで、テレビ朝日系列で毎週日曜8時から8時30分(JST)に全50話が放映された、東映制作の特撮テレビドラマ作品。仮面ライダーシリーズ初の地上デジタル放送でもある。 キャッチコピーは「疾走する本能」。
{{拡張半保護}} {{Pathnav|仮面ライダーシリーズ|frame=1}} {|style="float: right; text-align:center; border-collapse:collapse; border:2px solid black; white-space:nowrap;" |- |colspan="3" style="background-color:#90ff90; border:1px solid black; white-space:nowrap;"|'''[[仮面ライダーシリーズ|平成仮面ライダーシリーズ]]''' |- |style="border:1px solid black; white-space:nowrap; background-color:#90ff90;"|'''第3作''' |style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|[[仮面ライダー龍騎]] |style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|2002年2月<br />- 2003年1月 |- |style="border:1px solid black; white-space:nowrap; background-color:#90ff90;"|'''第4作''' |style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|'''仮面ライダー555''' |style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|2003年1月<br />- 2004年1月 |- |style="border:1px solid black; white-space:nowrap; background-color:#90ff90;"|'''第5作''' |style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|[[仮面ライダー剣]] |style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|2004年1月<br />- 2005年1月 |} {{基礎情報 テレビ番組 | 番組名 = 仮面ライダー555 | ジャンル = [[特撮]][[テレビドラマ]] | 原作 = [[石ノ森章太郎]] | 脚本 = [[井上敏樹]] | 監督 = [[田﨑竜太]] 他 | 出演者 = {{Plainlist| * [[半田健人]] * [[芳賀優里亜]] * [[溝呂木賢]] * [[泉政行]] * [[我謝レイラニ|加藤美佳]] * [[唐橋充]] * [[村上幸平]] * [[原田篤]] * [[栗原瞳]] * [[村井克行]] }} | 声の出演 = [[假野剛彦]] | ナレーター = 假野剛彦 | 音楽 = [[松尾早人]] | OPテーマ = 「[[Justiφ's]]」<br />歌:[[ISSA (歌手)|ISSA]] | 言語 = [[日本語]] | プロデュース = {{Plainlist| * 濱田千佳([[テレビ朝日]]) * [[白倉伸一郎]] * [[武部直美]] * [[宇都宮孝明]] }} | 製作 = {{Plainlist| * テレビ朝日{{efn|name="tv asahi"|2003年10月5日放送分(第36話)より「tv asahi」と表記。}} * [[東映]] * [[ADKホールディングス|ADK]] }} | 放送局 = [[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]] | 音声形式 = [[ステレオ放送]] | 放送国 = {{JPN}} | 放送期間 = [[2003年]][[1月26日]]<br />- [[2004年]][[1月18日]] | 放送時間 = 日曜 8:00 - 8:30 | 放送枠 = {{Plainlist| * [[テレビ朝日日曜朝8時枠の連続ドラマ]] * [[スーパーヒーロータイム]]第2枠{{efn|スーパーヒーロータイムのみは2003年9月28日放送分(第35話)から}} }} | 放送分 = 30 | 放送回数 = 全50 | 外部リンク = https://web.archive.org/web/20161024175439/http://www.tv-asahi.co.jp/555/ | 外部リンク名 = 仮面ライダー555 | 副次的外部リンク = https://web.archive.org/web/20040211072527/http://www.toei.co.jp/tv/555/column/allup/allup.asp | 副次的外部リンク名 = 仮面ライダー555(東映公式) | 特記事項 = 「[[仮面ライダーシリーズ|平成仮面ライダーシリーズ]]」 第4作 }} 『'''仮面ライダー555'''』(かめんライダーファイズ、欧文表記:''MASKED RIDER Φ's''){{efn|タイトル・ロゴには「仮面ライダー」「ファイズ」「555」「MASKED RIDER Φ'S」が併記されている。}} は、[[2003年]][[1月26日]]から[[2004年]][[1月18日]]まで、[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]で毎週日曜8時から8時30分([[日本標準時|JST]])に全50話が放映された、[[東映]]制作の[[特撮テレビ番組一覧|特撮テレビドラマ]]作品。仮面ライダーシリーズ初の地上デジタル放送でもある{{efn|12月7日放送分から。当時は東名阪エリアのみで放送開始したため、実際に地上デジタル放送で『555』が放送されたのはテレビ朝日・[[名古屋テレビ放送]]・[[朝日放送テレビ|ABCテレビ]]の3局のみ。なお、次作『仮面ライダー剣』まで[[スクイーズ]]撮影によりデジタル放送では本格的なHD放送ではなかったため、4:3画角の[[レターボックス]]の左右に黒のサイドパネルをつけた[[額縁放送]]の状態で放送していた。}}。 [[キャッチコピー]]は「'''疾走する本能'''」。 == 概要 == [[仮面ライダーシリーズ#平成仮面ライダーシリーズ|平成仮面ライダーシリーズ]]の第4作。前作『[[仮面ライダー龍騎]]』とは異なり、劇中で「仮面ライダー」という名称は用いられていない。 従来描かれることの少なかった怪人側のドラマにも本格的にスポットが当てられ、怪人(オルフェノク)へと変わってしまった者たちの苦悩が描かれている点が、本作品の大きな特色である。怪人の人間ドラマを描くことは、「ヒーローが殺人者に見えてしまう」というデメリットから敬遠されていたといい{{R|テレマガ}}、「仮面ライダーシリーズ」での作劇は初の試みであった{{efn|同じ東映制作の「[[スーパー戦隊シリーズ]]」や「[[メタルヒーローシリーズ]]」でも敵側に焦点を当てた作品は過去に存在する。}}。 『[[仮面ライダー龍騎]]』同様にライダーに変身する人間が善良とは言えない者だったり、本作品では逆に怪人・オルフェノクにも彼らなりに正しい心を持つ者がいたりと、単純な善悪二元論では割り切れない群像劇が織りなされた。従来のシリーズ同様に幼年層を意識しながらも、登場人物同士の様々な人間関係を前面に押し出した重くシリアスな物語が展開されている。劇中では「人間と怪人の共存」が作中のテーマとして取り上げられ、ライダーに変身する主人公・乾巧も中盤以降、人間に危害を加えない、あるいは改心する見込みのあるオルフェノクに対しては止めを刺さないというスタンスを採っている{{efn|「人間と怪人の共存」のテーマは『[[仮面ライダーカブト]]』および『[[仮面ライダーキバ]]』でも描かれた。}}。様々な立場のオルフェノクと人間、それぞれの思惑が交錯する入り組んだストーリーは、シリーズ中でも特に複雑なものとなっている。また、作中でも登場人物たちが相互に変身している人物が不明確であるがゆえの誤解や、他者の謀略による行き違い、感情のすれ違いなどから衝突や殺し合いに発展するなど、「誰を信じ、誰を信じないか」という極めて難解なテーマも掲げている。 また、体の灰化、新しいベルトの実験でベルトを付けた人間の消滅、といった描写に見られるように、従来よりもホラー色の強い作品にもなっている。[[パイロット版]]監督の[[田﨑竜太]]は、子供番組として「死」を表現することもテーマとして掲げている{{R|宇宙船106}}。 外付けかつ自由に携帯可能な変身ベルトを用いて変身する設定が本格的に取り入れられた作品であり、その要素は後のシリーズでも受け継がれている。そのため、劇中に登場する各ライダーにも複数の変身者が存在し、時には敵であるオルフェノクがライダーに変身することもある。ただし、変身アイテムの他に契約を必要としていた『龍騎』のように、適合性を備えていない者は繰り返しの変身、あるいは変身自体ができないため、「条件が満たされていないと仮面ライダーの資格がない」という点で従来の要素もまだ活きている。本作品ではアイテムの争奪戦が物語の主軸の一つとなっており、脚本の[[井上敏樹]]は本作品を「主人公はベルト」「3本のベルト物語」と評している。また、「変身ベルト」と呼ばれていた従来のイメージを払拭させるため、シリーズでは初めて「ベルト」ではなく「ドライバー」という名称になった{{R|マガジン202076}}。 == あらすじ == 西暦2003年。[[九州]]で一人旅をしていた青年'''乾巧'''は、そこに居合わせた少女'''園田真理'''とともに、謎の怪人'''オルフェノク'''に襲われる。真理は持っていたベルトを装着して超戦士'''ファイズ'''に変身しようとするが失敗し、無理やり巧にベルトを着け、彼をファイズに変身させることで窮地を脱した。どうやらオルフェノクたちは、そのベルトを狙って真理を襲ったらしい。その後2人は[[クリーニング屋]]の'''菊池啓太郎'''と出逢い、事情を知った彼の勧めにより東京にある彼の家で3人の共同生活を始めることになる。 一方、東京で暮らしていた青年'''木場勇治'''は、2年前の居眠り運転のトラックによる[[交通事故]]によって両親を失い、自らも2年間の[[昏睡]]状態を経て死亡したかに見えた。しかし、勇治は病院で謎の蘇生を遂げ、周囲を混乱させる。自らも混乱したまま帰宅する勇治だったが、自宅は既に他人のものとなっていた。叔父一家が自分が眠っている間に財産を根こそぎ利用していた事実を知り、恋人が自分を裏切り従兄弟と交際していることを知った勇治は、異形の怪物に変身し、従兄弟と恋人を手にかけてしまう。 醜悪な肉体変貌と犯した罪に絶望する彼の前に'''スマートレディ'''という女性が現れ、事の真相を告げる。勇治は一度の死亡により、オルフェノクとして覚醒したのだった。スマートレディが属するオルフェノクの組織'''スマートブレイン社'''に囲い込まれた勇治は、同じようにオルフェノクとして覚醒した'''長田結花'''と'''海堂直也'''の2人と行動を共にするうちに、人類を敵視するスマートブレイン社の姿勢に反発し、人類とオルフェノクの融和を考えるようになる。 巧と勇治。2人の男の物語を中心に、ベルトを、ひいては人類の未来を巡って、オルフェノクと人類の戦いが幕を開けた。 == 作品詳細 == {{see|仮面ライダー555の登場キャラクター|仮面ライダー555の登場仮面ライダー}} == オルフェノク == 本作品における敵。人間が一度死を迎えた後に知的生命体へと再度覚醒した人類の進化型{{Sfn|HF|2004|p=58}}。通常の人間として病死や事故死を経て自ら覚醒する場合と「使徒再生」(後述)により覚醒する場合の2通りの覚醒パターンがあるが、前者のパターンで覚醒したオルフェノクは「オリジナル」と呼ばれ、その数は希少ながら全体的に高い能力を持つ傾向にあり{{Sfn|HF|2004|pp=58、89}}、いずれもオルフェノク因子を持った者のみが覚醒する。なお、オリジナルであることがはっきりわかるのは乾巧、木場勇治、長田結花の3名と、澤田亜希を除くラッキー・クローバーのメンバーのみである。また、実験段階ながら人為的な操作によって作り出されたオルフェノクも存在する{{Sfn|HF|2004|p=89}}。 通常外見は人間だった時と同一で、オルフェノク同士でも人間との区別がつかないが、自らの意志で細胞の配列を組み替えることで地球上の動植物一種の性質や外見と、それに見合った特殊能力を具えた異形な姿へ変化する{{Sfn|HF|2004|pp=58、89}}(複数の形態を併せ持つ者もいる)。それは動植物のほかにその者が潜在的に抱いている「戦う姿」としてスポーツ選手や戦士などを彷彿とさせる意匠が具体化したものである<ref>「メガハウス ART WORKS MONSTERS 仮面ライダー555 センチピードオルフェノク」のパッケージ裏、クリチャーデザイナー篠原保のメッセージ。</ref>{{R|完全超悪38}}。どの個体も体色は灰色が基調であるが、これは“死”や“滅亡”のイメージ(具体的には“死体”)を表している{{R|555hokan}}。変化する場合、瞳が灰色になり、顔にオルフェノクの顔のシルエットが浮かび上がる{{Sfn|HF|2004|p=58}}。オルフェノク状態で人間の言葉を発する際には、足元の影が青白い裸身の人間の上半身になる{{Sfn|HF|2004|p=58}}。力を物にしたオルフェノクは、人間態でもある程度はその力を発揮することが可能であり{{efn|琢磨は詩集から浮かび上がった文字をまとった光弾を海堂にぶつけ、冴子は酒をかけることで人間態のオルフェノクを灰化させている。北崎は、力が強力すぎて制御できず、人間態でも北崎が触れただけで物や人を灰化させてしまう。}}、並のオルフェノク相手ならば戯れ程度に薙ぎ倒す。また、オルフェノクになったからといって傷病などを負わなくなるわけではなく、風邪をひいたり体調を崩すこともあるなど、通常時においては人間とさほど変化はない。また、普通のオルフェノクは人間態の時は人間並の力しか出せないが、体自体は頑丈になっており、勇治は人間態で超高層ビルからの飛び降り自殺を図った際にも傷一つ負っていない。 全てのオルフェノクには、腹部に共通の紋章である「死と再生」を表す'''オルフェノクレスト'''がある。これは3方向に伸びた矢印であり、3つの矢印がそれぞれ「命あれ」「形あれ」「姿あれ」と願う“心”を象徴していて、人間が'''オルフェノクへと進化する段階'''を表している{{R|555hokan}}。 オルフェノクは人間の中から半ば自然的に発生する存在であるため、種全体として組織化されているわけではない。オルフェノクとして覚醒した者が現れると、スマートブレイン社はいち早く接触を図って同種として受け入れ、オルフェノクに関する知識と援助を与える一方で、管理下に置こうとする。しかし、スマートブレイン社の情報収集能力や統制力には限界があり、オルフェノクに覚醒後もスマートブレイン社に従わない者、スマートブレイン社に知られないまま過ごす者も存在する。 オルフェノクの多くはその力に溺れて人間性を喪失し(三原曰く、本当に怖いのはオルフェノクの力じゃなく、力に驕れる人間の弱い心{{efn|最終話にて。}})、人間社会に紛れて生活しながらも密かに人間を襲い(仲間を増やすことにも繋がる)、人間との共存が不可能だと考えて自分たちだけの世界を作ることを目指す。勇治たちのように共存を望む者や、人間として生きようとする者もいるが、人間を殺めるのも由としないオルフェノクはスマートブレイン社から「裏切り者」と称され{{Sfn|HF|2004|p=89}}、刺客による抹殺の標的にされる。ただし、人間を襲う者はブラックリストには載っていないため、海堂を倒すために現れた琢磨は海堂を庇った結花を襲わなかった{{Sfn|HF|2004|p=93}}。 なお、彼らの存在意義は「いずれ地球の代表者として“何者か”と戦うために生まれてきた」「地球意志が、人からさらに次元の進んだ存在を造り、人と競わせることで精神の進化を促しているようでもある」「地球上の生物全てを背負ったオルフェノクという種そのものが、いずれ“[[ノアの方舟]]”になるのではないか」とされ、そういう意味では彼らの心自体は人と何ら変わらないという{{R|555hokan}}。 オルフェノクは最期の時、青白い炎を噴き出して灰になって死を迎える{{Sfn|HF|2004|p=58}}{{efn|デルタに倒された場合は赤い炎になる。}}。強力なフォトンブラッドによる攻撃(ライダーの必殺技)を受けて倒された場合は、青い爆発と共に瞬時に灰と化す。また、寿命が近づくと時々体がわずかに灰化し、死期には一気に灰となって崩れる。 オルフェノクへの進化は極めて急激になされ、その急激な進化に多大な負担を強いられて肉体が急速に滅びて耐えきれないため、長寿の生命が保てず、個体差はあるものの、死に至る病と同様にいずれは肉体が灰となって崩れ去り、滅びの時が訪れる運命にある{{Sfn|HF|2004|p=89}}。オルフェノクの王の力に頼ることで、真の力と永遠の命を得られるが、その場合人間としての部分を消滅しなければならないため、元の人間の姿には戻れない。 * 「オルフェノク」という名称は、[[ギリシア神話]]に登場する「[[オルペウス|オルフェ]]([[:en:Orpheus|Orpheus]])」と[[旧約聖書]]に登場する「[[エノク]]([[:en:Enoch|Enoch]])」をかけあわせた造語であるとされている{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2004|p=62}}。 ; 制作関連 : 顔に文様が浮かぶ表現には[[テクスチャマッピング]]が用いられており、3D化した顔の表面を文様のデータが皮膚の移動を追いかけるため、口の動きにも違和感なく対応している{{R|宇宙船106}}。パイロット版監督の田﨑は「技術の進歩によって表現可能になったアイデア」と評している{{R|宇宙船106}}。 : オルフェノクの影が喋るという案は、プロデューサーの白倉の「口をパクパクさせる以外の方法で怪人が喋る表現を考えて欲しい」という要望を受けて田﨑が考えだした{{R|宇宙船106}}。基本的には合成で表現されているが、第2話でのトンネルの中のシーンでは撮影時に映写している{{R|宇宙船106}}。 : デザインを担当した篠原によると、オルフェノクのコンセプトカラーが「白」であったのも「死と再生」をイメージしているため、オルフェノクレストも「死と再生」を象徴するものになったという{{Sfn|超辞典|2011|pp=124-125}}{{R|完全超悪142}}。 : 初期の段階では名前や配置、一度死んだ者がオルフェノクとして蘇ることは決まっていたが、外見は指定されておらず、半人半獣の[[ケンタウロス]]のようなものを表現しようと思っていたため、メインの3人のモチーフは分かりやすく馬、鳥、蛇となった{{R|完全超悪142}}。平成仮面ライダーシリーズの怪人は『クウガ』以来常に動物モチーフだったため、一度死んでいるということから動物の骨や死骸をモチーフにすることで新鮮な切り口となっている{{R|完全超悪142}}。その後、諸事情で骨の要素がなくなり、白一色の全身が通るようになった{{R|完全超悪142}}。「一度死んだ人間が覚醒し人類の進化形態として蘇る」という設定から、全身を死のイメージから灰色に染め、カラーリングもモノトーンで統一している{{R|完全超悪38}}。 === 使徒再生 === オリジナルのオルフェノク{{Sfn|怪人伝|2011|p=84}}が人間の内臓にオルフェノクエネルギーを注入して覚醒を促してオルフェノク化させる行為で{{Sfn|HF|2004|p=58}}、内臓の破壊方法はオルフェノクの特質ごとに差異がある{{Sfn|超全集 上|2003|p=36}}。主に体の一部を使徒再生能力がある触手に変化させ、人間の口や鼻を通して内臓部分に到達させる。使徒再生の触手はガラスなども通り抜ける特殊な触手で、車などのガラス張りの乗り物の中にいる人間を、密閉された状態で殺害することが可能である。使徒再生を受けた人間がオルフェノクとして覚醒することはごく稀であり、多くの場合は一度再生するも肉体がエネルギーに適応できず、灰化して崩れ落ちてしまう{{Sfn|超全集 上|2003|p=36}}。通常の人間にとっては実質、殺人と同義の行為である。 === ラッキー・クローバー === オルフェノクのスマートブレイン社社長直轄の非公式集団。村上曰く「オルフェノクの中でも上の上」の特殊能力を持つ上級オルフェノクの精鋭4人で構成され、スマートブレイン社から豪華な邸宅の提供や施設の自由な利用など、様々な特典が用意されている{{Sfn|HF|2004|p=44}}。メンバーの一人である琢磨は、ラッキー・クローバーは協力者であって部下ではないと村上に釘を刺しており、定数は名称通り4名を絶対としているが、村上の意向であっても既存のメンバーが了解しなければ入会することができないという不文律がある{{Sfn|HF|2004|p=94}}。初登場時メンバーは、琢磨逸郎(センチピードオルフェノク)、影山冴子(ロブスターオルフェノク)、ジェイ(クロコダイルオルフェノク)、北崎(ドラゴンオルフェノク)の4人。ジェイの死亡後は1つの空席を巡って複数のオルフェノクが候補となり、一度は澤田亜希(スパイダーオルフェノク)がジェイの後釜となるが、デルタギアを流星塾のメンバーに渡したことが原因で、村上の怒りを買って放逐される。その後、澤田によって殺害された真理の蘇生と引き換えに、オルフェノクの本性を現した乾巧が一時的に加わるが、ファイズギアを託した木場勇治に殺されるのを望んでの行為であり、それに失敗すると逃亡し脱落する。また終盤では冴子が、人知れず殺戮を繰り返していた長田結花を村上が推挙したことでラッキー・クローバー候補に推薦するべく勧誘したが、断られたため彼女を殺害している。 * 初期メンバー4人のモチーフ配置は『[[キカイダー01]]』に登場した[[キカイダー01#ハカイダー部隊|ハカイダー四人衆]]を倣っている{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2004|p=86}}{{R|完全超悪142}}。 == 設定 == ; 西洋洗濯舗 菊池 : 菊池啓太郎の実家である、東京都東中野周辺にある創業百年の老舗クリーニング店。別称「菊池クリーニング」{{Sfn|HF|2004|p=89}}。第49話で創業100周年を迎える{{Sfn|HF|2004|p=91}}。啓太郎の両親がアフリカにてクリーニング店開設に奔走していたため、しばらく休業状態だった。2階立ての一軒家で、初登場の第5話より啓太郎の帰省で営業を再開すると同時に、巧と真理が住み込みでアルバイトをするようになる。第14話からは雅人も同居する。 : 第26話での巧の話によると、世の中に奉仕するためクリーニング代を値下げしており、思い付きでバイトをも増やしたため、経営状態は赤字寸前なほど芳しくないらしいが、啓太郎は店を一時期手伝おうとしないことがあった巧らを見てやけを起こし、バイト募集を呼びかけたこともあり、沙耶もバイト店員として働くこととなった{{Sfn|HF|2004|p=89}}。また、短期間ではあるが、結花も働いている{{Sfn|HF|2004|p=91}}。 : 終盤では、アークオルフェノクを宿す照夫も他のオルフェノクから匿うために引き取る。 : ; スマートブレイン社 : 東京都内の超高層ビルを本社とする巨大複合企業(コングロマリット)で、「未来創造」を企業理念に掲げ、重工業や電子技術を中心に、食品から医療までと幅広い業種に事業展開を行っている「社会の公器」として表面上では活動している。劇中序盤ではたびたびイメージCMが流されるなど、社会的認知度が高い日本有数の大企業であるが、開発された製品は市場に流通していないなど、世間の人々にとってはその実態は謎に包まれた企業でもある{{Sfn|HF|2004|p=44}}。 : その実態は人類にとって代わろうとするオルフェノクによる世界制覇を目的とするオルフェノクたちの秘密結社である{{Sfn|HF|2004|p=44}}{{efn|雅人曰く「オルフェノクの巣窟」。}}。社員や幹部の多くがオルフェノクに覚醒した人間で占められており、ライダーズギアや関連するツール・マシンの開発、オルフェノクの記号や死者の蘇生オペレーションなど、関連企業は非常に高度な科学力や医学力を有している。 : 前述のとおり、新たにオルフェノクとして覚醒した者を察知すると、エージェントを派遣し接触を図って同種として受け入れ、オルフェノクに関する知識と援助を与える一方で、管理・支配下に置こうとする。しかし従おうとしない者には、容赦無く抹殺対象と見なす。 : 序盤では、社長の花形が3つのライダーズギアと共に失踪。これらの捜索を行う中、村上が新社長に就任。以降ライダーズギアの奪還・オルフェノクの裏切り者の抹殺・オルフェノクの王の捜索といった活動を激化させて行く。 : しかし、ファイズギアを所有する巧たちとの連戦で、多くのオルフェノクが倒されていき、ライダーズギアの奪還は一向に進行しなかった。 : 終盤ではオルフェノクの王の出現を確認したが、花形の復帰に伴った勇治の新社長就任で村上は退任に追い込まれた末に自らの命をオルフェノクの王に捧げて死亡。就任初期に勇治はオルフェノクの王の打倒を目指すが、後に滅びる運命にあるオルフェノクの未来のため、オルフェノクの王を迎え入れて種族を存続させ人類との最終決戦に臨もうとした。 : だが最終的に勇治も、人類とオルフェノクの共存の可能性を信じて戦死。相次いで要人が死亡し{{efn|花形も寿命で灰化していた。}}、企業維持が困難となったためか、最終回ラストシーンで本社ビル内の設備が撤去されるなど企業体としては解体・倒産を暗示させる描写がなされた{{Sfn|HF|2004|p=91}}。 : :; 開発ツール・医療技術 ::; ライダーズギア :::{{main|仮面ライダー555の登場仮面ライダー}} ::; SB-555 M スマートパッド ::: 専用のメモリーカードを挿入するとインプットされた情報を読み取ってモニターに文章が提示されるなど、機能満載のPDA{{Sfn|HF|2004|p=40}}。物語初期においてスマートレディや勇治が使用しており、冴子や村上も同型のものを使用している{{Sfn|HF|2004|p=91}}。 ::; 蘇生オペレーション ::: 亡骸に施すことで死者を蘇生させる手術。スマートブレイン社の陰謀で一度死んでしまった流星塾生は、これを受けて蘇生した。後に澤田の手で再び命を落とした真理は、巧の計らいで2度目のオペを受けて復活している。重傷を負った真理が一度運び込まれた緑ヶ丘病院の医師は真理の体が大きな事故に以前遭い、現代医学の領域を超えた特別な治療が施された痕跡がある普通ではないものと巧と雅人に説明している{{Sfn|HF|2004|p=94}}。 ::; オルフェノクの記号 ::: 人工的にオルフェノクを生み出す実験で、同窓会の日に惨死した流星塾生たちに埋め込まれた人為的に人間を人造オルフェノク化させるオルフェノク因子{{Sfn|HF|2004|p=89}}。DNAか既存のオルフェノクの細胞のようなものと思われるが、詳細は不明{{Sfn|HF|2004|p=89}}。澤田以外の塾生はオルフェノク化しなかったが、記号の力にある程度順応できた者は、ライダーズギアを使いこなすことが可能となった。 :; 関連企業・施設 ::; スマートブレイン・テクノロジー ::: ロボット工学・技術開発部門。ライダーズギアや電化製品を開発した。スマートブレイン・モータースと共同開発でバリアブルビークルを設計製作した。 ::; スマートブレイン・モータース ::: 自動車工業部門。オートバジンをはじめとするバリアブルビークルを開発した。 ::; スマートブレイン・インダストリアル ::: 工業意匠部門。スマートブレイン・モータースと共同でジェットスライガーを開発した。 ::; スマートブレイン・マテリアル ::: 化学部門。ライダーズギアを構成する人工の超合金'''ソル・メタニウム'''や、劇場版に登場したサイガギアとオーガギアに使用されている新素材の超硬金属'''ルナメタル'''を開発した。 ::; イーグルサット ::: ライダーズギアをサポートする地球の衛星軌道上を回る軍事人工衛星{{Sfn|HF|2004|p=91}}。本部のマザーコンピューターとリンクして、ライダーそのもののデータの収集・分析や、ライダーズギアを装着して変身成功した者に、電子分解したスーツや変身・修復・アップデートプログラムを転送・送信する{{Sfn|超全集 上|2003|p=73}}{{Sfn|HF|2004|p=85}}。 ::: 第39話ラストのファイズ ブラスターフォーム初登場シーンで、はじめて全体像が描写された。 ::; ホークアイ ::: ライダーズギアをサポートするスパイ衛星。ライダーズギアを装着して変身成功した者と通信し、情報面でサポートを行う。 ::; スマートブレイン研究所 ::: 第1話冒頭に登場した施設。完成した3本のベルトの実験を行っている最中に、ゴートオルフェノクの襲撃を受けた。 ::; 創才児童園 フレンズホーム ::: 第37話以降に登場する、スマートブレイン社が経営する調布の養護施設。真の目的は、村上がオルフェノクの王を見つけ出すために作られたものであり、人為的に事故や火災を起こして条件を満たした孤児を送り込んで監視するための策だった{{Sfn|HF|2004|p=89}}。照夫が引き取られ、啓太郎と海堂・結花の3人でバザーを開いたこともある。終盤では、三原と里奈が偶然短期アルバイト職員として働く{{Sfn|HF|2004|p=91}}。最終回でスマートブレイン社から離れ、フリーランスの児童養護施設として運営されていくことが暗示された。 ::; スマートブレイン社病院 ::: 第39話に登場したスマートブレイン社の医療施設の一つ。特殊医療室にて命を落とした真理に蘇生オペレーションを施した。 ::: 最終回では意識を失い搬送された巧を実験台にして、オルフェノクの滅びの仕組みを調べる実験を行った。 ::; Smart Brain Peculiar Medical Laboratory ::: 第48話に登場したスマートブレイン社の特別医療施設。ライオトルーパー部隊に倒された雅人はここに搬送され、花形と再会した。 ::; スマートブレインタワー建設予定地 ::: 最終回に登場したスマートブレイン社の大規模な建築物が建てられる予定の平地{{Sfn|HF|2004|p=91}}。ここの地下でオルフェノクの王の覚醒と、最後の戦いが行われた。 ::; スマートブレイン・スーパーアリーナ ::: 劇場版に登場した公開闘技場。ただし、裏切り者のオルフェノクや人間を処刑する公開処刑場となっている{{Sfn|HF|2004|p=92}}。真理の処刑や、ファイズとサイガ・オーガの決闘を見に来た1万人の観客はすべて人間態のオルフェノクである{{Sfn|HF|2004|p=92}}。大型モニターも設置されており、場外での戦闘も映し出される{{Sfn|HF|2004|p=92}}。 ::: 一部がエラスモテリウムオルフェノクの突進で損壊したため、村上は不満の声を上げている{{Sfn|HF|2004|p=92}}。 :; 他作品への登場 ::; 『[[仮面ライダーEVE-MASKED RIDER GAIA-]]』 ::: 漫画『[[仮面ライダー (漫画)|仮面ライダー]]』の続編となる小説作品。[[ショッカー]]が改造したガイボーグ(門脇純 / 後に仮面ライダーガイア)専用のマシン「クルセイダー」に、SMARTBRAINのロゴが描かれたパーツを使用している。 ::; 小説『[[S.I.C.]] HERO SAGA KAMEN RIDER WIZARD EDITION -魔法使いの弟子-』 ::: 『[[仮面ライダーウィザード]]』の小説作品。[[仮面ライダーオーズ/OOO#鴻上ファウンデーション|鴻上ファウンデーション]]とともに「日本三大何をやっているのかよく分からない会社」として名前が登場。 : ; 流星塾 : 花形が「九死に一生を得た子どもたちの中から覚醒する」といわれるオルフェノクの王を捜し出すために、真理や雅人たちを集めて創設した私塾(小学校)兼養護施設{{Sfn|HF|2004|p=43}}。1995年までは運営されていたものと思われる{{Sfn|HF|2004|p=94}}。 : 2002年11月16日に塾生たちは校庭で同窓会を開いたが、それは一定の年齢内にオルフェノクの王が出現する兆候がなかったため、彼らの遺体を被検体として利用して人工的にオルフェノクを作り出させようとするスマートブレイン社の陰謀であり、北崎とかつての塾生でスマートブレイン社の手先となった青沼によって殺害された塾生たちは、オルフェノクの記号を埋め込まれて蘇生オペレーションが施され、同時に蘇生後に脱走した雅人を除く全員の記憶が書き替えられ、事件は隠蔽されていた。この事件は花形や村上とは違うスマートブレイン社の一派閥が起こしたものだといわれている。 : 第3話で校舎は異空間を経由してスマートブレイン社本社近くの地下35メートルに埋没し{{Sfn|HF|2004|p=94}}、花形はそこに身を隠し、人類とオルフェノクの最終決戦のためにライオトルーパーのライダーズギアの開発を進めていた。また、地下35メートルに埋没した地下教室とスマートブレイン社本社は[[エレベーター]]で繋がっている。校舎が埋没した原因は明らかにされず、第49話で流星塾跡地にやってきた真理たちは、校舎が跡形もなく消失した光景に絶句している。 : ; オルフェノク研究機関 : 警視庁の南雅彦によって組織された対オルフェノクの科学研究組織{{Sfn|HF|2004|pp=89、94}}。数名の研究員と対オルフェノク機動隊である'''武装警官隊'''が所属している{{Sfn|HF|2004|p=94}}。 : 所有する最新の医療・科学設備を設置した郊外の人知れぬ洞窟内のオルフェノク研究所でオルフェノクの撲滅を企む南の方針により、捕獲したサンプルのオルフェノクから人間性を排除して怪物として始末するため、捕獲したクラブオルフェノクを利用した人権を顧みない人体実験が行われ、クラブオルフェノクは左半身の機械化を余儀なくされ、人間の姿に戻れなくなった。後に連行した結花をも実験材料として扱い、最終的にクレインオルフェノクへの変化が不能になるほどの負荷を与えている。 : 結花だけでなく、勇治をも狙って彼らと交戦し、さらに人間側の情報を得ようと画策したスマートブレイン社から公費とは別に運営資金とバットオルフェノクの派遣といった援助を受け、オルフェノクの宿命も突きとめるが、それを村上に報告したことがきっかけでラッキー・クローバーに追われる{{Sfn|HF|2004|p=89}}。だが、最後は結花を死に追いやった理由を作ったとして、勇治の奇襲により研究所は破壊され、南を含むスタッフ全員が惨殺されたため、壊滅した{{Sfn|HF|2004|p=89}}。 == キャスト == 過去の特撮作品のメインキャラクターを演じた原田篤(『[[救急戦隊ゴーゴーファイブ]]』)や山崎潤(『[[仮面ライダーアギト]]』)がレギュラー出演した他、本作品が俳優デビューとなる綾野剛が物語のキーマンを務めた。また、前作『[[仮面ライダー龍騎]]』に出演した栗原瞳は、本作品でも引き続きレギュラー出演している。この他、『[[仮面ライダーゴースト]]』に声優としてレギュラー出演した悠木碧も、「八武崎碧」名義で幼少期の真理役を演じた。 === レギュラー・準レギュラー === * 乾巧 - [[半田健人]] * 園田真理 - [[芳賀優里亜]] * 菊池啓太郎 - [[溝呂木賢]](3 - 50) * 木場勇治 - [[泉政行]](1 - 25,27,29 - 39,41 - 50) * スマートレディ - [[栗原瞳]](1 - 12,22 - 26,29,36,46,47,50) * 長田結花 - [[我謝レイラニ|加藤美佳]](3 - 25,27,29 - 34,38 - 44) * 海堂直也 - [[唐橋充]](5 - 16,18 - 27,29 - 34,36,37,39 - 50) * 草加雅人{{Efn|第13話のオープニングでの表記は「キャプテン」。}} - [[村上幸平]](13 - 17,21 - 48) * 三原修二 - [[原田篤]](33 - 36,38 - 50) * 花形 - [[中康次|中康治]](25,26,45 - 48) * 阿部里奈 - [[河西りえ]](12 - 14,26 - 28,33 - 36,38 - 42,45,46,48 - 50) * 徳本恭輔 - [[佐伯俊 (俳優)|佐伯俊]](12 - 14,26,27,35,36){{efn|name="friend"|第35話は「友情出演」併記。}} * 澤田 - [[綾野剛]](26 - 36,39,40) * 鈴木照夫 - [[渡辺彼野人]](32,34,37,40,41,44 - 50) * 添野錠二 - [[石田太郎]](2,4 - 6,8,10,16,18,19,37 - 42,47,50) * 沢村刑事 - [[岩川幸司]](2,4 - 6,8,10,16,37 - 45,47,50) * 南雅彦 - [[小川敦史]](41 - 45) * J - [[ケネス・ドゥリア|ケネス・ヅリア]](11 - 14,18,19) * 琢磨逸郎 - [[山崎潤]] (11 - 15,20 - 33,35 - 38,40,41,45 - 50) * 影山冴子 - [[和香]](11 - 15,19 - 29,31 - 38,40,41,44 - 50) * 北崎 - [[藤田玲]](28 - 33,38 - 41,45,47 - 49) * 村上峡児 - [[村井克行]](9 - 12,14,18 - 29,33 - 39,41,43,45 - 47) * 幼い真理 - [[悠木碧|八武崎碧]] * 幼い雅人 - 伊藤祐介 * 幼い澤田 - 柴崎憂 === 声の出演 === * アークオルフェノク - [[家中宏]](47,49,50) * ナレーション、ドライバー音声 - [[假野剛彦]] === ゲスト === * 千恵 - [[勝村美香]](1 - 3) * 木場一彰 - [[阿部進之介]](1,2) * 牧野大介 - [[小山裕達]](1) * 野間航平 - 杉内尚(1) * 井沢博司 - 木下政信(1) * 木場勇治の父{{efn|name="noname"|クレジットでは役名未表記。}} - [[加瀬慎一]](1) * 木場勇治の伯父{{efn|name="noname"}} - [[入川保則]](1) * 木場勇治の母{{efn|name="noname"}} - [[竹井みどり]](1) * コートの男 - 永沢巽(2) * 質屋{{efn|name="noname"}} - つじしんめい(2) * 水野和史 - [[大口兼悟]](3,10,21,25) * 板垣哲生 - [[深沢敦]](3,10,21,24,25) * 青木 - 田中仁浩(3) * 赤井 - [[山﨑勝之]](3,4) * 緑川 - [[佐藤幹雄]](3,4) * 長田道子 - [[大久保綾乃]](3,4) * 結花の父 - [[樋渡真司]](3,4) * 結花の母 - [[落合ひとみ]](3,4) * 長田道子の友人 - [[佐藤寛子 (タレント)|佐藤寛子]]、[[松坂紗良]](3,4) * マスター - [[吉満寛人|吉満涼太]](5) * 戸田英一 - [[影丸茂樹]](5) * 工場主 - [[永田耕一]](6) * 管理人 - 山田和男(6) * 黒田和彦 - [[山本一輝]](7,8) * おばさん - [[小柳友貴美]](7) * 島地貴子 - 中上ちか (7,8,18) * 眼鏡の男 - 八木正純(7,8) * 教授 - [[小倉一郎]](7,8) * 添野ひかる - [[三訳真奈美]](8,18,38,42,50) * 覆面の男 - 鈴木浩司(9,10) * 主婦 - 住吉理栄(9){{R|zukan1007}}、大葉ふゆ(18) * 社員 - 新井律男(9,18)、[[伊藤慎]](48) * 主人 - [[芝崎昇]](10){{R|zukan1012}} * 犬飼彰司 - 渡辺琢磨(11,12,35,36){{efn|name="friend"}} * 神道貴久 - [[近田慎太郎]](12) * 西田清高 - 河崎芳明(12,35,36){{efn|name="friend"}} * 上条晴子 - [[林裕子]](12,13) * 増田教諭 - [[山西道広]](12,13,35,36){{efn|name="friend"}} * 草加一郎 - 若林誠(13) * 事務員 - [[河野景子]](13) * 不良 - 井田延、加藤智巳、綱島渉(15){{R|zukan1018}} * 自転車の男 - 田口亮(16,17) * 森下義正 - [[松尾敏伸]](16,17) * 青年 - 新井誠明(17){{R|zukan1069}} * 倉田恵子 - [[新穂えりか]](18,19) * 倉田幸子 - [[長谷部香苗]](18,19) * ピエロ - 立川真也{{efn|{{要出典範囲|声は塩野勝美による吹き替え。|date=2019年6月}}}}(18,19) * 野間茂久 - [[皆川猿時]](20,21) * 大野木 - [[坂田鉄平]](20,21) * 中年の男 - [[吉原丈二]](20){{R|zukan1025}} * 体育会系の男 - [[保科光志]](20){{R|zukan1026}} * サラリーマン風の男 - [[河野達郎]](22) * 浩一 - [[田村圭生]](22,23) * 小林義雄 - [[内山眞人]](24,25) * 新井賢 - 本田博仁(26,27) * 河内勇樹 - [[檜尾健太]](26,27,35,36){{efn|name="friend"}} * 伊藤麻美 - 倉澤薫(26) * クラブの男 - 森嶋將士(26) * 木村沙耶 - [[斉藤麻衣]](26 - 28,35,36){{efn|name="friend"}} * ゴージャスな中年の男 - [[舘正貴]](31,32) * カップル - 矢代和央、河西雪絵(31){{R|zukan1035}} * 太田信吾 - [[川久保拓司]](33 - 36){{efn|name="friend"}} * 村上の部下 - 大塚幸太(33)、千葉誠樹(33 - 35) * 医師 - [[柴田林太郎]](33,34)、上田茂(46,50) * 女性職員 - [[尾上博美]](34,37){{R|zukan1040}} * 木下 - 和田大法(35,36) * 青沼 - 栗原一馬(35,36,39) * 若い男 - 高畑雄亮(36)、[[青戸昭憲]](37) * 養護施設の子供 - [[染谷将太]](37) * 眼鏡の男 - [[白井雅士]](37,38) * 研究員 - [[山本東]](41 - 43,45) * 鈴木照夫の影 - [[小林俊]](45,47) * サングラスの男 - [[大塚太心]](45) * 金髪の男 - [[金原泰成]](45,46) * 革ジャンの男 - [[成田浬]](46) * 役員 - [[加藤四朗]]、[[高尾一生|髙尾一生]](46){{R|zukan1056}} * 現場監督 - [[井上敏樹]](50・特別出演) === スーツアクター === 各話オルフェノクおよびドラゴンオルフェノク担当の渡辺淳は、本作品でスーツアクターとしてデビューした{{R|仮面俳優123}}。 * 仮面ライダーファイズ{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集上|宇宙船YB04|仮面俳優5|超解析34}}{{Sfn|JAE NAKED HERO|2010|p=141|loc=LIST OF WORKS 高岩成二}}}}{{efn|赤井が装着したものを除き、巧や木場、海堂が変身した場合もすべて担当している{{R|超解析34}}。}}、ウルフオルフェノク{{R|HV39}}、センチピードオルフェノク{{R|JAE0305}}{{Sfn|高岩成二|2021|p=74}}、仮面ライダーカイザ{{R|JAE0307}}{{Sfn|高岩成二|2021|p=220}}、シーキュカンバーオルフェノク{{R|JAE0307}} - [[高岩成二]] * 仮面ライダーファイズ(赤井){{R|超解析34}}、仮面ライダーカイザ{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集上|宇宙船YB04|東映サイト2004-01-18}}}}、ホースオルフェノク{{R|東映サイト2004-01-18}} - [[伊藤慎]] * 仮面ライダーデルタ{{Refnest|group="出典"|{{R|宇宙船YB04|東映サイト2004-01-18|超全集下|NAKED HERO|仮面俳優101}}}}、オートバジン{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集上|東映サイト2004-01-18|NAKED HERO|仮面俳優101}}}}、スコーピオンオルフェノク{{R|JAE0306}}、スティングバグオルフェノク{{R|JAE0308}} - [[押川善文]] * クロコダイルオルフェノク{{Sfn|JAE NAKED HERO|2010|p=35|loc=LIST OF WORKS 岡元次郎}}、アークオルフェノク{{R|東映サイト2004-01-18}}、アルマジロオルフェノク{{R|JAE0305}}、ソードフィッシュオルフェノク{{R|JAE0309}}、スタッグビートルオルフェノク{{R|JAE0309}} - [[岡元次郎]] * クレインオルフェノク{{R|NAKED HERO2}}、スパイダーオルフェノク{{R|NAKED HERO2}}、仮面ライダーファイズ(代役){{R|NAKED HERO}}、エキセタムオルフェノク{{R|JAE0304}}、フライングフィッシュオルフェノク{{R|JAE0305}}、トードスツールオルフェノク{{R|JAE0306}}、ドルフィンオルフェノク{{R|JAE0306}}、ワームオルフェノク{{R|JAE0306}}、センチピードオルフェノク{{R|JAE0307}} - [[永瀬尚希]] * オートバジン{{R|Yabe}}、クロコダイルオルフェノク{{R|Yabe}}、センチピードオルフェノク{{R|OK}} - [[矢部敬三]] * クレインオルフェノク{{R|JAE0305}}、ロブスターオルフェノク{{R|JAE0306}}、シーキュカンバーオルフェノク{{R|JAE0307}}、仮面ライダーカイザ{{R|JAE0307}}、ローズオルフェノク{{R|JAE0307}}、スパイダーオルフェノク{{R|JAE0308}}、フロッグオルフェノク{{R|JAE0308}}、スティングバグオルフェノク{{R|JAE0308}} - [[水谷健]] * ドラゴンオルフェノク{{R|仮面俳優123}}、ワームオルフェノク{{R|JAE0307}}、ラビットオルフェノク{{R|JAE0307}}、ローズオルフェノク{{R|JAE0307}}、ライノセラスビートルオルフェノク{{R|JAE0309}} - [[渡辺淳 (俳優)|渡辺淳]] * センチピードオルフェノク{{R|JAE0307}}、ワームオルフェノク{{R|JAE0307}}、スネークオルフェノク{{R|JAE0307}}、オートバジン{{R|JAE0308}} - 葉都英樹 == スタッフ == 脚本は井上敏樹が全エピソードを担当している。東映特撮で30分番組4[[クール (放送)|クール]]の作品で全話脚本を行ったのは、[[上原正三]](『[[宇宙刑事シャイダー]]』)、[[浦沢義雄]]([[不思議コメディーシリーズ]]の数作品)、[[小林靖子]](『[[美少女戦士セーラームーン (テレビドラマ)|美少女戦士セーラームーン]]』)、そして井上の父である[[伊上勝]](『[[仮面の忍者 赤影]]』)などがおり、親子2代で同じ記録を残したことになる。 この他、キャラクターデザインには前作より引き続きの参加となる篠原保が、音楽面ではゲームやアニメ作品を中心に劇伴を手がける松尾早人が起用された。松尾は東映作品としては現時点で唯一の登板となる。 またカメラ面では、平成[[仮面ライダーシリーズ]]をメインで担っている倉田幸治は本作品が撮影技師としてのデビュー作となった。 * 原作 - [[石ノ森章太郎]] * 連載 - [[テレビマガジン]]、[[てれびくん]]、[[幼稚園 (雑誌)|幼稚園]]、[[めばえ (雑誌)|めばえ]]、[[たのしい幼稚園 (雑誌)|たのしい幼稚園]]、[[おともだち]] * プロデュース - 濱田千佳(テレビ朝日)、[[白倉伸一郎]]、[[武部直美]]、[[宇都宮孝明]] * スーパーバイザー - 小野寺章([[石森プロ]]) * 脚本 - [[井上敏樹]] * 監督 - [[田﨑竜太]]、[[長石多可男]]、[[石田秀範]]、田村直己(テレビ朝日)、[[鈴村展弘]] * 音楽 - [[松尾早人]] * 特撮監督 - [[佛田洋]]([[特撮研究所]]) * 撮影 - [[松村文雄]]、[[いのくままさお]]、倉田幸治 * 美術 - [[大嶋修一]]、木村光之 * 編集 - 長田直樹 * アクション監督 - [[宮崎剛 (俳優)|宮崎剛]]([[ジャパンアクションエンタープライズ]]) * 助監督 - 鈴村展弘、田澤裕一、[[柴﨑貴行]]、[[山口恭平]]、[[杉原輝昭]]、佐古純一郎 ほか * キャラクターデザイン - [[早瀬マサト]] * クリーチャーデザイン - [[篠原保]] * VFX - (株)特撮研究所、[[モーターライズ]]、[[マリンポスト]]、[[日本映像クリエイティブ]] * 技術協力 - [[オーエイギャザリング]]、[[東映ラボ・テック]]、[[共立 (照明)|KYORITZ]] * 制作 - [[テレビ朝日]]{{efn|name="tv asahi"}}、[[東映]]、[[アサツー ディ・ケイ|ADK]] == 音楽 == 仮面ライダーファンを公言しているISSA([[DA PUMP]])が主題歌の歌唱を担当した。 ; 主題歌「[[Justiφ's]]」(第2 - 49話) : 作詞 - [[藤林聖子]] / 作曲 - [[佐藤和豊]] / 編曲 - [[中川幸太郎]] / 歌 - [[ISSA (歌手)|ISSA]] : サビの直前でその回のワンシーンがピックアップされている。 : 本曲が唯一使用されなかった第1話では、[[アバンタイトル]]にスタッフクレジットが表示された。また17話では挿入歌として、最終話ではエンディングとしてそれぞれ使われている。 : ; 挿入歌 : 放送フォーマットとしてのエンディングは存在しないが、EDテーマと呼ばれる楽曲は従来通り制作されている。これらの曲は、各話のクライマックスで挿入歌的に使われた。 :; 「Dead or alive」(第2 - 19話) :: 作詞 - 藤林聖子 / 作曲 - 吉田勝弥 / 編曲 - [[近藤昭雄]] / 歌 - [[石原慎一]] :; 「The people with no name」(第21 - 32話・第39話) :: 作詞 - 藤林聖子 / [[ラップ]]詞 - m.c.A・T / 作曲 - [[渡部チェル]] / 編曲 - [[RIDER CHIPS]] / 歌 - RIDER CHIPS Featuring [[m.c.A・T]] :: 詞が異なる「Rap #1 version」も存在する。シングルはオリジナルバージョンが限定盤、Rap #1 versionが通常盤として発売された。 :; 「EGO 〜eyes glazing over」(第33・37・38・41・45話) :: 作詞 - 藤林聖子 / 作曲・編曲 - 渡部チェル / 歌 - [[ROLL DAYS|ICHIDAI]] :; 「Justiφ's -Accel Mix-」(第40話) :: 作詞 - 藤林聖子 / 作曲 - 佐藤和豊 / 編曲 - [[三宅一徳]] / 歌 - ISSA :: 本来は劇場版の主題歌として用意されたもの。 : ; イメージソング・キャラクターソング : 本作品のキャラクターソングはシングルCDとミニ写真集がセットになった『仮面ライダー555 フォトブック1〜8』が、乾巧・園田真理・菊池啓太郎・草加雅人・木場勇治・長田結花・海堂直也・スマートレディからそれぞれ発売された{{efn|乾巧・草加雅人のみ演者によるボーカル楽曲ではない。}}。 : 以下は「夢のかけら〜Romantico」の演奏があったのみでいずれも作中未使用。 :; 「Double Standard」 :: 作詞 - 藤林聖子 / 作曲 - [[森重卓]] / 編曲 - [[Camino (バンド)|camino]] / 歌 - JUN :: 乾巧のイメージソング。 :; 「Hang on」 :: 作詞 - 藤林聖子 / 作曲 - 佐藤和豊 / 編曲 - [[籠島裕昌]] / 歌 - 菊池啓太郎(溝呂木賢) :: 菊池啓太郎のキャラクターソング。 :; 「I wish」 :: 作詞 - 藤林聖子 / 作曲・編曲 - 小倉健二 / 歌 - 園田真理(芳賀優里亜) :: 園田真理のキャラクターソング。 :; 「Red rock」 :: 作詞 - 藤林聖子 / 作曲 - 佐藤和豊 / 編曲 - 小倉健二 / 歌 - 竹原智明 :: 草加雅人のイメージソング。 :; 「cross a river」 :: 作詞 - 藤林聖子 / 作曲 - 佐藤和豊 / 編曲 - 籠島裕昌 / 歌 - 木場勇治(泉政行) :: 木場勇治のキャラクターソング。 :; 「pray for you」 :: 作詞 - 藤林聖子 / 作曲 - 隆勇人 / 編曲 - [[辻陽]] / 歌 - 長田結花(加藤美佳) :: 長田結花のキャラクターソング。 :; 「夢のかけら〜Romantico」 :: 作詞 - 藤林聖子・唐橋充 / 作曲 - 幸塚淑夫 / 編曲 - 亀山耕一郎 / 歌 - 海堂直也(唐橋充) :: 海堂直也のキャラクターソング。 :; 「My name is Smart Lady」 :: 作詞 - 藤林聖子 / 作曲 - 北村英志 / 編曲 - 吉田勝弥・北村英志 / 歌 - スマートレディ(栗原瞳) :: スマートレディのキャラクターソング。 :; 「太陽の影 月の夜」 :: 作詞 - 藤林聖子 / 作曲・編曲 - 佐藤和豊 / 歌 - 園田真理(芳賀優里亜)・長田結花(加藤美佳) :; 「existence〜KAIXA-nized dice」 :: 作詞 - 藤林聖子 / 作曲・編曲 - 佐藤和豊 / 歌 - [[谷本貴義]] :: カイザのイメージソング。 :; 「DELTA STRIP〜White Ring」 :: 作詞 - 藤林聖子 / 作曲・編曲 - 吉田勝弥 / 歌 - [[Ikuo]] :: デルタのイメージソング。 また、第18話では劇中で倉田恵子が「[[亜麻色の髪の乙女 (ヴィレッジ・シンガーズの曲)|亜麻色の髪の乙女]]」を歌唱{{Sfn|HF|2004|p=88}}、また第44話では[[矢沢永吉]]歌唱の「哀しみの彼方へ」が店内BGMとして使用された。 == 制作 == === 企画経緯 === 本作品の企画は、シリーズの継続や[[石森プロ]]が参加するかどうかなどが決まらずにスタートが難航し、例年より遅い2002年8月後半ごろに開始された{{R|テレマガ}}。仮面ライダーシリーズ以外では『[[人造人間キカイダー]]』という案も存在したが、仮面ライダー人気が衰えを見せなかったことからシリーズの継続が決定された{{efn|ネット上などでは、元々[[宇宙刑事シリーズ]]の企画であったものが変更されたという噂が流れたが、関係者はこれを否定している{{R|テレマガ}}。}}。本作品は『[[仮面ライダークウガ]]』から4作品目となるため、昭和シリーズ4番目の主人公である『[[仮面ライダーX]]』も意識した'''メカニックライダー'''路線となった{{R|テレマガ}}。なお、本作品のタイトルの発想は[[平山亨]]による『仮面ライダーX』の番組タイトル案の一つ『仮面ライダーGO5号(ゴーゴーゴー)』から得られている<ref>『仮面ライダー OFFICIAL DATA FILE』より{{full|date=2018年1月}}。</ref>。 仮面ライダーのデザインは、子供に描きやすいよう[[円 (数学)|円]]など[[幾何学模様]]をモチーフとしており、また幾何学模様に類似した[[ギリシア文字]]も取り入れられている{{R|テレマガ}}。初期案では、前作の影響もあり[[シャチ]]と[[サメ]]のダブルライダーという案も存在したが、メカニックライダーであることから生物をモチーフとする案は廃された{{R|テレマガ}}。 シリーズ構成は、前作『仮面ライダー龍騎』がイベント性の高い作品であったため、その反動から本作品では物語性を重視しようと考えられた{{R|テレマガ}}{{Sfn|超全集 上巻|2003|p=87}}。怪人側のドラマを描くという方向性も、前作が13人の仮面ライダーが登場するために怪人の扱いが弱くなっていたことへの反省などから生まれたものである{{R|テレマガ}}{{Sfn|超全集 上巻|2003|p=87}}。 プロデューサーの[[白倉伸一郎]]は、『[[仮面ライダーアギト]]』のころから温めていた[[ロードムービー]]展開を、序盤のみであるが実現させている{{R|テレマガ}}{{Sfn|超辞典|2011|pp=148,424}}。 === 玩具展開 === [[携帯電話]]など電子機器をモチーフにした「ファイズドライバー」を始めとする変身ベルトの玩具は、100万本以上を売り上げる大ヒット商品となった。『[[仮面ライダーW]]』のダブルドライバーに抜かれるまで{{efn|『W』の左翔太郎役である[[桐山漣]]が自身のブログにおいて、ダブルドライバーがファイズドライバー以上の売上を記録した旨を言及している<ref>{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/renn-kiriyama/entry-10555167477.html|title=もっと遠くへ|accessdate=2014-02-10 |date=2010-06-06 |work=桐山漣オフィシャルブログ「LIG BY RENN'S VISION」|publisher=CyberAgent}}</ref>}}仮面ライダーシリーズの変身ベルトとしては最多売上を誇っていた{{R|テレマガ}}。 前作『仮面ライダー龍騎』では可動フィギュア「R & M」の売り上げがメインキャラクター以外芳しくなく、ソフトビニール人形「[[ライダーヒーローシリーズ]](RHシリーズ)」の方が好調であったため、本作品ではRHシリーズとサイズを合わせた「'''S-RHFシリーズ'''」が展開された{{Sfn|宇宙船106|2003|pp=54-55|loc=「3D APPROACH インタビュー森安信一」}}。 == 放送日程 == 各回にはタイトルは無く、ここで「放映題」としているものは新聞のテレビ番組欄やテレビ番組情報誌、テレビ朝日公式ページにて表記されたものである。またシナリオタイトルも、先行して特撮専門誌やホビー情報誌に「仮タイトル」として掲載されることが多いため併記した。脚本は全話[[井上敏樹]]のため省略。各話終了後には数本のフォトンブラッドが流れ四角形に形成される演出だった。 登場怪人のうち、長期間にわたって登場したオルフェノクやラッキー・クローバーの面々(クロコダイルオルフェノク、センチピードオルフェノク、ロブスターオルフェノク、スパイダーオルフェノク、ドラゴンオルフェノク)は省略。 {| class="wikitable" style="text-align: center; font-size:smaller;" |- !放送日!!話数!!放映題!!シナリオ題!!登場オルフェノク!!監督 |- |2003年<br />1月26日||1||旅の始まり |align="left" rowspan="2" |旅の始まり |align="left"| * [[オニオコゼ|スティングフィッシュ]]オルフェノク(声:木下政信) |align="left" rowspan="2" |田﨑竜太 |- |2月2日||2||ベルトの力 |align="left"| * [[ゾウ|エレファント]]オルフェノク(声:永沢巽) |- |2月9日||3||王の眠り |align="left" rowspan="2" |俺の名前 |align="left"| * [[ウシ|オックス]]オルフェノク(声:田中仁浩) |align="left" rowspan="2" |長石多可男 |- |2月16日||4||おれの名前 |align="left"| * [[サボテン|カクタス]]オルフェノク(声:[[山﨑勝之]]) * [[カマキリ|マンティス]]オルフェノク(声:[[佐藤幹雄]]) |- |2月23日||5||オリジナル |align="left" rowspan="2" |3人と3人 |align="left"| * [[イカ|スクィッド]]オルフェノク(声:[[影丸茂樹]]) |align="left" rowspan="2" |石田秀範 |- |3月2日||6||3人×3人 ||- |- |3月9日||7||夢の力 |align="left" rowspan="2" |夢の守り人 |align="left" rowspan="2" | * [[フクロウ|オウル]]オルフェノク(声:[[小倉一郎]]) * [[コガネムシ|スカラベ]]オルフェノク(声:八木正純)(8話) |align="left" rowspan="2" |田﨑竜太 |- |3月16日||8||夢の守り人 |- |3月23日||9||社長登場 |align="left" rowspan="3" |上の中の下 |align="left" rowspan="2"| * [[カタツムリ|スネイル]]オルフェノク(声:鈴木浩司) |align="left" rowspan="3" |長石多可男 |- |3月30日||10||謎のライダー |- |4月6日||11||謎のベルト |rowspan="2" |- |- |4月13日||12||流星塾 |align="left" rowspan="2" |カイザの日 |align="left" rowspan="2" |石田秀範 |- |4月20日||13||敵か味方か |align="left"| * [[ツクシ|エキセタム]]オルフェノク |- |4月27日||14||巧の意地 |align="left" rowspan="2" |落ちた偶像 |rowspan="2" |- |align="left" rowspan="2" |田﨑竜太 |- |5月4日||15||落ちた偶像?φ's vs χ |- |5月11日||16||人間の心 |align="left" rowspan="2" |手の平の灰 |align="left" rowspan="2" | * [[トビウオ|フライングフィッシュ]]オルフェノク(声:田口亮) * [[アルマジロ]]オルフェノク(声:[[松尾敏伸]])(17話) |align="left" rowspan="2" |田村直己 |- |5月18日||17||巧、復活 |- |5月25日||18||九死に一生 |align="left" rowspan="2" |真っ白の波 |align="left" rowspan="2" | * [[毒キノコ|トードスツール]]オルフェノク(演:立川真也、声:[[塩野勝美]]) |align="left" rowspan="2" |長石多可男 |- |6月1日||19||純白の正義 |- |6月8日||20||美しき刺客 |align="left" rowspan="2" |加速する魂 |align="left" rowspan="2" | * [[サソリ|スコーピオン]]オルフェノク(声:[[坂田鉄平]]) * [[イルカ|ドルフィン]]オルフェノク(声:[[皆川猿時]])(21話) |align="left" rowspan="2" |石田秀範 |- |6月22日||21||加速する魂 |- |6月29日||22||雅人の告白 |align="left" rowspan="2" |三角の予感 |align="left" rowspan="2" | * [[ミミズ|ワーム]]オルフェノク(声:[[田村圭生]]) * [[ナマコ|シーキュカンバー]]オルフェノク(声:[[河野達郎]])(22話) |align="left" rowspan="2" |田村直己 |- |7月6日||23||偽りの友情 |- |7月13日||24||闇への扉 |align="left" rowspan="2" |闇の実験者 |align="left" rowspan="2" | * [[ウサギ|ラビット]]オルフェノク(声:[[内山眞人]]) |align="left" rowspan="2" |長石多可男 |- |7月20日||25||闇の実験室 |- |7月27日||26||デルタ登場 |align="left" rowspan="3" |デルタ出る |align="left"| * [[カエル|フロッグ]]オルフェノク(声:森嶋將士) |align="left" rowspan="3" |石田秀範 |- |8月3日||27||流星塾分裂 |rowspan="3"|- |- |8月10日{{efn|関西地区では8月17日に放送{{Sfn|HF|2004|p=95}}。}}||28||暗黒の四葉 |- |8月17日{{efn|関西地区では8月24日に放送{{Sfn|HF|2004|p=95}}。}}||29||超絶バイク |align="left" rowspan="2" |超絶バイク |align="left" rowspan="2" |田村直己 |- |8月24日{{efn|関西地区では8月27日に放送{{Sfn|HF|2004|p=95}}。}}||30||雅人の罠 |align="left"| * [[カメムシ|スティンクバグ]]オルフェノク(声:塩野勝美) |- |8月31日||31||折り紙の涙 |align="left" rowspan="2" |絡み合う糸 |align="left" rowspan="2" | * [[メカジキ|ソードフィッシュ]]オルフェノク(声:[[舘正貴]]) |align="left" rowspan="2" |鈴村展弘 |- |9月7日||32||絡み合う糸 |- |9月14日||33||真理、死す |align="left" rowspan="2" |真実の姿 |align="left" rowspan="3"| * [[カブトムシ|ライノセラスビートル]]オルフェノク(声:大塚幸太)(33話) * [[クワガタムシ|スタッグビートル]]オルフェノク(声: 千葉誠樹) |align="left" rowspan="2" |長石多可男 |- |9月21日||34||真実の姿 |- |9月28日||35||復活の謎 |align="left" rowspan="2" |再会と別離と |align="left" rowspan="2" |石田秀範 |- |10月5日||36||甦える記憶 |align="left"| * [[タコ|オクトパス]]オルフェノク(声:高畑雄亮) |- |10月12日||37||カイザの正義 |align="left" rowspan="2" |彷徨と咆哮 |align="left"| * [[ハト|ピジョン]]オルフェノク(声: [[青戸昭憲]]) |align="left" rowspan="2" |鈴村展弘 |- |10月19日||38||彷徨える魂 |align="left"| * [[フジツボ|バーナクル]]オルフェノク(声:[[白井雅士]]) |- |10月26日||39||ファイズ2 |align="left" rowspan="2" |赤ファイズ |align="left" rowspan="2" | * [[ナマケモノ|スロース]]オルフェノク(演:栗原一馬、声:塩野勝美)(39話) * [[オクラ]]オルフェノク(声:塩野勝美) |align="left" rowspan="2" |田村直己 |- |11月9日||40||人間の証 |- |11月16日||41||捕獲開始 |align="left" rowspan="2" |涙する少女 |align="left" rowspan="2" | * [[エリマキトカゲ|フリルドリザード]]オルフェノク(声:塩野勝美)(41話) * [[カニ|クラブ]]オルフェノク(声:[[松田悟志]]) |align="left" rowspan="2" |長石多可男 |- |11月23日||42||折れた翼 |- |11月30日||43||赤い風船 |align="left" rowspan="2" |最後のメール |align="left" rowspan="3" | * [[コウモリ|バット]]オルフェノク(声:[[大塚太心]]) |align="left" rowspan="2" |石田秀範 |- |12月7日||44||最後のメール |- |12月14日||45||王の目覚め |align="left" rowspan="2" |王の目覚め |align="left" rowspan="2" |田﨑竜太 |- |12月21日||46||新社長誕生 |align="left"| * [[サンゴ|コーラル]]オルフェノク(声:[[成田浬]]) |- |12月28日||47||王の出現 |align="left" rowspan="2" |雅人、散華 |align="left"| * [[バッタ|アーク]]オルフェノク |align="left" rowspan="2" |長石多可男 |- |2004年<br />1月4日||48||雅人、散華 ||- |- |1月11日||49||滅びゆく種 |align="left" rowspan="2" |夢 |align="left" rowspan="2" | * アークオルフェノク |align="left" rowspan="2" |田﨑竜太 |- |1月18日||50||俺の夢 |} == 放映ネット局 == {| class="wikitable" style="text-align:center;font-size:smaller;" |- !放送対象地域 !放送局 !系列 !備考 |- |[[広域放送|関東広域圏]] |[[テレビ朝日]] |rowspan="10"|[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]] |'''制作局''' |- |[[北海道]] |[[北海道テレビ放送|北海道テレビ]] | |- |[[青森県]] |[[青森朝日放送]] | |- |[[岩手県]] |[[岩手朝日テレビ]] | |- |[[宮城県]] |[[東日本放送]] | |- |[[秋田県]] |[[秋田朝日放送]] | |- |[[山形県]] |[[山形テレビ]] | |- |[[福島県]] |[[福島放送]] | |- |[[新潟県]] |[[新潟テレビ21]] | |- |[[長野県]] |[[長野朝日放送]] | |- |[[山梨県]] |[[テレビ山梨]] |[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]] | |- |[[静岡県]] |[[静岡朝日テレビ]] |rowspan="2"|テレビ朝日系列 | |- |[[石川県]] |[[北陸朝日放送]] | |- |[[福井県]] |[[福井放送]] |[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]<br />テレビ朝日系列 | |- |[[広域放送|中京広域圏]] |[[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ]] |rowspan="2"|テレビ朝日系列 | |- |[[広域放送|近畿広域圏]] |[[朝日放送テレビ|朝日放送]] | |- |[[島根県]]<br />[[鳥取県]] |[[山陰放送]] |TBS系列 | |- |[[広島県]] |[[広島ホームテレビ]] |rowspan="4"|テレビ朝日系列 | |- |[[山口県]] |[[山口朝日放送]] | |- |[[香川県]]<br />[[岡山県]] |[[瀬戸内海放送]] | |- |[[愛媛県]] |[[愛媛朝日テレビ]] | |- |[[高知県]] |[[テレビ高知]] |TBS系列 | |- |[[徳島県]] |[[四国放送]] |日本テレビ系列 | |- |[[福岡県]] |[[九州朝日放送]] |rowspan="4"|テレビ朝日系列 | |- |[[長崎県]] |[[長崎文化放送]] | |- |[[熊本県]] |[[熊本朝日放送]] | |- |[[大分県]] |[[大分朝日放送]] | |- |[[宮崎県]] |[[宮崎放送]] |TBS系列 | |- |[[鹿児島県]] |[[鹿児島放送]] |rowspan="2"|テレビ朝日系列 | |- |[[沖縄県]] |[[琉球朝日放送]] | |} == 他媒体展開 == === 映像ソフト化 === いずれも発売元は[[東映ビデオ]]。 * ビデオ([[VHS]]、セル・レンタル共通)は全13巻がリリースされている。 * 2003年10月21日 - 2004年9月21日にかけてセル[[DVD]]がリリースされた。レンタルは2003年10月10日より開始。全13巻で各巻4話(Vol.12とVol.13は3話)収録。12巻と13巻は同時発売。前作「龍騎」まではセルDVDとレンタルDVDのリリース時期に2か月ほどのズレがあったが、本作品以降はセルDVDもレンタルDVDと同年同月にリリースされるようになった。 * 2008年7月21日発売の「石ノ森章太郎 生誕70周年 DVD-BOX」、2009年10月21日発売の「仮面ライダーディケイドVOL. 5」の初回生産特典として、それぞれ本作品の第1話が収録されている。 * 2014年1月10日 - 5月9日にかけて、テレビシリーズのBlu-ray BOXが順次発売された。各巻6話(Vol.3、Vol.6、Vol.8、最終巻は5話)収録。各巻には封入特典としてブックレット(16p)、映像特典として「仮面ライダー555 10年目の同窓会」が収録される。またこれに加えて、BOX1には初回限定特典として全巻収納BOXが、BOX2には映像特典として『てれびくん』付録の『仮面ライダー555 ハイパーバトルビデオ』がそれぞれ付属する。 === 他テレビシリーズ === ; 『[[仮面ライダーディケイド]]』 : 別世界の仮面ライダーファイズとウルフオルフェノク、村上幸平が声を演じるカイザ、その他オルフェノクたちが登場。 ; 『[[仮面ライダーウィザード]]』 : 第52・53話に仮面ライダーファイズとオルフェノクが登場。 ; 『[[仮面ライダージオウ]]』 : 仮面ライダーファイズが2068年の世界に歴代平成仮面ライダーの銅像のひとつとして登場。 : EP05・06に仮面ライダーファイズに加え、変身前の乾巧と草加雅人が登場する<ref>{{Cite news|title=『仮面ライダージオウ』に『555』から乾巧と草加雅人が参戦決定!|newspaper=マイナビニュース|date=2018-08-28|url=https://news.mynavi.jp/article/20180830-686061/|accessdate=2018-08-28|}}</ref>。 === テレビスペシャル === ; 『[[仮面ライダーG]]』 : 『[[SMAP☆がんばりますっ!!#第1回『SmaSTATION!! Presents』|SmaSTATION!!Presents SMAPがんばりますっ!!]]』内で放送された作品。仮面ライダーファイズが登場。 === 映画 === ; 『[[劇場版 仮面ライダー555 パラダイス・ロスト]]』(2003年8月16日公開) : 本作品の単独作品。 ; 『[[劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー]]』(2009年8月8日公開) : 『仮面ライダーディケイド』の単独作品。仮面ライダーファイズとオルフェノクが登場。 ; 『[[仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010]]』(2009年12月12日公開) : 『[[仮面ライダーW]]』と『仮面ライダーディケイド』のクロスオーバー作品。仮面ライダーファイズとオルフェノクとライオトルーパーが登場。 ; 『[[オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー]]』(2011年4月1日公開) : 『[[仮面ライダーオーズ/OOO]]』と『[[仮面ライダー電王]]』をメインとしたクロスオーバー作品。仮面ライダーファイズと仮面ライダーカイザと仮面ライダーデルタとオルフェノクが登場。 ; スーパーヒーロー大戦シリーズ : いずれも[[仮面ライダーシリーズ]]と[[スーパー戦隊シリーズ]]のクロスオーバー作品。 :; 『[[仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦]]』(2012年4月21日公開) :: 仮面ライダーファイズに加えオルフェノクが登場。 :; 『[[平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊]]』(2014年3月29日公開) :: 乾巧 / 仮面ライダーファイズと草加雅人 / 仮面ライダーカイザとオルフェノク(アークオルフェノク、ホースオルフェノク、ロブスターオルフェノク)が登場。 :; 『[[スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号]]』(2015年3月21日公開) :: 乾巧 / 仮面ライダーファイズとオルフェノクが登場。 ; 『[[仮面ライダー×仮面ライダー 鎧武&ウィザード 天下分け目の戦国MOVIE大合戦]]』(2013年12月14日公開) : 『[[仮面ライダー鎧武/ガイム]]』と『仮面ライダーウィザード』のクロスオーバー作品。武神ファイズが登場。 ; 『[[劇場版 仮面ライダービルド Be The One]]』(2018年8月4日公開) : 『[[仮面ライダービルド]]』の単独作品。仮面ライダーファイズが登場。 ; 『[[平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER]]』(2018年12月22日公開) : 『仮面ライダージオウ』と『仮面ライダービルド』をメインとしたクロスオーバー作品。仮面ライダーファイズが登場。 ; 『[[劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer]]』(2019年7月26日公開) : 『仮面ライダージオウ』の単独作品。仮面ライダーファイズが登場。 ; 『[[仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション]]』(2019年[[12月21日]]公開) : 『仮面ライダージオウ』と『[[仮面ライダーゼロワン]]』をメインとしたクロスオーバー作品。仮面ライダーファイズが登場。 === Vシネクスト === ; 『仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド』 : 2024年2月2日劇場先行上映、同年5月29日DVD / Blu-ray発売予定。テレビシリーズから20年後を描いた[[Vシネクスト]]作品<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0136632|title=「仮面ライダー555」正統続編が製作決定!半田健人らキャスト再集結、最終話から20年後描く|work=シネマトゥデイ|date=2023-05-05|accessdate=2023-05-06}}</ref>。 === スピンオフドラマ === ; 『仮面ライダー555殺人事件』 : 2024年1月28日より東映特撮YouTube Official、東映特撮ファンクラブで配信予定のスピンオフドラマ<ref name="oricon2294589">{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2294589/full/|title=『仮面ライダー555殺人事件』制作決定 探偵は草加雅人で怪しくささやく?「乾巧って奴の仕業」|work=ORICON NEWS|publisher=oricon ME|date=2023-09-13|accessdate=2023-10-15}}</ref><ref name="oricon2298495">{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2298495/full/|title=『仮面ライダー555殺人事件』の追加キャストが解禁 全員が犯人の可能性も|work=ORICON NEWS|publisher=oricon ME|date=2023-10-15|accessdate=2023-10-15}}</ref>。 :; キャスト ::* 乾巧 - 半田健人 ::* 園田真理 - 芳賀優里亜 ::* 草加雅人 - 村上幸平 ::* 胡桃玲菜 - [[福田ルミカ]]{{R|oricon2298495}} ::* 菊池条太郎 - 浅川大治{{R|oricon2298495}} ::* ヒサオ - [[柳川るい]]{{R|oricon2298495}} ::* コウタ - [[土師野隆之介]]{{R|oricon2298495}} ::* ケイ - 松澤可苑{{R|oricon2298495}} :; スタッフ ::* 原作 - 石ノ森章太郎 ::* 脚本 - 井上敏樹{{R|oricon2294589}} ::* 監督 - 田﨑竜太{{R|oricon2294589}} {| class="wikitable" style="text-align: center; font-size:smaller;" !配信日!!配信回!!サブタイトル |- |style="text-align:right"|2024年{{0}}1月28日||1||問題編 |- |} === Webドラマ === ; 『[[スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号#dビデオスペシャル 仮面ライダー4号|dビデオスペシャル 仮面ライダー4号]]』 : 乾巧 / 仮面ライダーファイズと海堂直也 / スネークオルフェノクが登場。他に第3話に本作品第50話(最終回)の映像も一部使用されている。 ; 『[[仮面ライダーリバイス#The Mystery|仮面ライダーリバイス The Mystery(ザ・ミステリー)]]』 : 海堂直也 / スネークオルフェノクが登場。 ; 『[[仮面ライダーエグゼイド#その他Web配信スピンオフ|仮面ライダーアウトサイダーズ]]』 : 園田真理、仮面ライダーデルタ{{efn|芳賀演じるスマートクイーンによる変身<ref name="natalie495923">{{Cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/495923|title=ゲンムvsデルタ!「仮面ライダーアウトサイダーズ」序章の予告解禁|newspaper=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-10-02|accessdate=2022-10-16}}</ref>。}}、アークオルフェノクが登場{{R|natalie495923}}。 ; 『[[仮面ライダーガッチャード#仮面ライダーガッチャードVS仮面ライダーレジェンド|仮面ライダーガッチャードVS仮面ライダーレジェンド]]』 : 仮面ライダーカイザが登場。 === 仮面ライダー555 Hondaチーム === [[ファイル:Honda CBR954RR 2003.jpg|thumb|200px|2003年鈴鹿8時間耐久レースに出場した仮面ライダー555 HondaチームのCBR954RR]] 本作品にバイクなど車両を提供している[[本田技研工業|ホンダ]]が「仮面ライダー555 Honda」チームを結成し、[[鈴鹿8時間耐久ロードレース]]へのエントリーを行った(チーム運営は「桜井ホンダ」が協力)。レースにおいては、他チームのトラブルに巻き込まれたが、結果は70チーム中、総合10位での完走を果たした。このレースには、参加ライダーがファイズとカイザをモデルとしてデザインされたヘルメットとスーツを着て出場していた。また、チーム監督である宮城光とファイズのスーツを着てレースに参戦した山口辰也は、翌年も「[[仮面ライダー剣]] Honda」チームに再招集された。 * 監督 - 宮城光 * ファイズ - [[山口辰也]] * カイザ - [[高橋裕紀]] === 舞台 === ; 『[[MASKED RIDER LIVE&SHOW 〜十年祭〜]]』 : 仮面ライダーファイズと仮面ライダーカイザとライオトルーパーが登場。 === 小説 === ; 『仮面ライダー555 正伝 ―異形の花々―』 : 著 - 井上敏樹 : [[講談社]](マガジン・ノベルス・スペシャル)刊、2004年8月17日発売。{{ISBN2|978-4-06-330413-8}} : 本作品の脚本を担当した井上敏樹によるノベライズ。50話という長いスパンや玩具展開、子供への考慮などを廃した純粋な555の物語と井上はコメントしている。登場人物は必要最低限(巧、真理、啓太郎、勇治、結花、直也、雅人、沙耶)に絞られており、心情描写を中心に描かれている。また、スマートブレイン社やオルフェノクの王が存在しないなどの相違もある。 :; 『小説 仮面ライダーファイズ』 :: 著 - 井上敏樹 :: 講談社([[講談社キャラクター文庫]])刊、2013年1月30日発売。{{ISBN2|978-4-06-314854-1}} :: 『異形の花々』の再録(井上敏樹、村上幸平による後書き除く)に加え、新規に書き下ろした後日譚の『五年後』が追加されている。 ; 『555』 : 著 - [[桜庭一樹]] : [[角川書店]]刊、2003年8月25日発売。{{ISBN2|978-4-04-873489-9}} : 劇場版『仮面ライダー555 パラダイス・ロスト』の小説版。[[劇場版 仮面ライダー555 パラダイス・ロスト#他媒体展開]]を参照。 ; 『[[S.I.C.]] HERO SAGA』 : 著 - [[早瀬マサト]] :; 「MASKED RIDER 555 EDITION -ロスト・ワールド-」 :: 劇場版『仮面ライダー555 パラダイス・ロスト』のプロローグ。 :; 「MASKED RIDER AGITΩ EDITION -HEAVEN'S DOOR-」 :: 雑誌掲載時は『[[仮面ライダーアギト]]』と同じ世界であるかのような設定で描かれていたが、『S.I.C. HERO SAGA VOL.2』掲載版ではそれをうかがわせる設定が変更になっている。 === オリジナルビデオ・オリジナルDVD === ; 『仮面ライダー555 ハイパーバトルビデオ』 : 幼児向け雑誌『[[てれびくん]]』の応募者全員プレゼントVHSの短編。 : 後述のファイズサウンダーが登場することから全編コミカルなミュージカル仕立てとなっており{{R|超バトルDVD超全集28}}、ファイズ(巧)・カイザ(雅人)・デルタの特徴を歌った3つのオリジナル曲をBGMにした前半部の総集編、そして後半部はスマートブレイン社が企む謎の作戦「全日本ミュージカル化計画」を阻止するため戦うファイズの激闘(実は巧の夢)を、豪華な衣装を着た主要な登場人物の歌と踊りを交えて描く。『てれびくん』誌上で行われた「ファイズ新武器アイデアコンテスト」の最優秀賞であるオリジナルファイズギア「ファイズサウンダー」は同作品のみの登場となる{{R|超バトルDVD超全集28}}。デルタの歌ではデルタギアが持ち主を転々とする迷走ぶりを歌っている。 :; キャスト ::* 乾巧 - 半田健人 ::* 園田真理 - 芳賀優里亜 ::* 菊池啓太郎 - 溝呂木賢 ::* 木場勇治 - 泉政行 ::* 長田結花 - 加藤美佳 ::* 海堂直也 - 唐橋充 ::* スマートレディ - 栗原瞳 :; スーツアクター ::* 仮面ライダーファイズ{{Sfn|高岩成二|2021|p=220}} - 高岩成二 ::* 伊藤慎 ::* 水谷健 ::* 矢部敬三 ::* 渡辺淳 ::* 押川善文 ::* フロッグオルフェノク(ハイパーバトルビデオ)<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20131110031700/http://tvarc.toei.co.jp/tv/blade/index.asp?action=eps&num=12 |title=第12話紹介|publisher=仮面ライダー剣(ブレイド/東映公式)|accessdate=2011-05-02}}</ref> - 岡元次郎 :; スタッフ ::* 原作 - 石ノ森章太郎 ::* 作曲・編曲 - [[亀山耕一郎]](ジェニュイン) ::* 作詞 - 武部直美 ::* 振付 - 彩木映利 ::* アクション監督 - 宮崎剛 ::* プロデュース - 白倉伸一郎、武部直美、宇都宮孝明 ::* 制作協力 - 東映 ::* ビデオ制作 - 東映ビデオ ::* 監督 - 石田秀範 ::* 製作・発行 - 小学館 : ; 『[[仮面ライダーディケイド#オリジナルDVD|仮面ライダーディケイド 超アドベンチャーDVD 守れ!〈てれびくんの世界〉]]』 : 『[[仮面ライダーディケイド]]』のオリジナルDVD。仮面ライダーファイズが登場。<!--リンク先を見ればわかるため、詳細は書かないでください。--> ; 『[[仮面ライダージオウ NEXT TIME ゲイツ、マジェスティ]]』(2020年4月22日発売) : 『[[仮面ライダージオウ]]』の[[Vシネクスト]]作品。本作品より草加雅人 / 仮面ライダーカイザ<ref>{{Cite web|和書|title=仮面ライダーゲイツのスピンオフ 2号ライダーのレジェンド3人が復活|url=https://www.oricon.co.jp/news/2145471/full/|website=ORICON NEWS|accessdate=2019-09-29}}</ref>、仮面ライダーファイズ ブラスターフォーム、アークオルフェノクが登場。 === ゲーム === ; 『仮面ライダー555』 : [[バンダイ]]より2003年[[12月18日]]に[[PlayStation 2]]用の格闘アクションゲームとして発売。 : ライダー作品で初めてPlayStation 2で発売されたソフトである。グラフィックなどは[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]のソフトと比べて進化しているが、媒体はCD-ROMである。登場するキャラクターはテレビシリーズのレギュラーキャラクターのみで、ゲストオルフェノクや劇場版のみのキャラクターは登場しない。 : クリムゾンスマッシュなどの必殺技を発動させた瞬間、プレイヤー同士でボタンを連打し、攻撃側が連打数が多ければ必殺技が炸裂、被弾する側が多ければ防御に成功する、というシステムが導入されている。 === ネット配信 === ; CS放送 * [[東映チャンネル]]…[[2007年]]8月 - [[2008年]]2月(「石ノ森章太郎劇場」枠)、[[2009年]]12月 - [[2010年]]6月(「アンコールアワー」枠)、[[2019年]]1月- 6月(超解像版)、7月 - 12月 (超解像版) * [[テレ朝チャンネル#テレ朝チャンネル1|テレ朝チャンネル1]]…[[2011年]]4月 - [[2012年]]3月 * [[ファミリー劇場]]…[[2013年]] ; ネット配信 * 東映特撮 [[YouTube]] Official…[[2012年]][[1月23日]] - [[7月15日]]、[[2017年]][[1月6日]] - [[6月30日]]、[[2023年]][[2月25日]] - [[8月19日]] * 東映特撮[[ニコニコ動画|ニコニコおふぃしゃる]]…2019年[[4月21日]] - [[2020年]][[3月29日]] === コミカライズ === ; 『仮面ライダー555』 : 著:[[坂井孝行]]。 : 『[[小学館の学年別学習雑誌|小学一年生]]』2003年4月号 - 2004年3月号連載。 ; 『仮面ライダー913』 : 原作:石ノ森章太郎、脚本:井上敏樹、協力:村上幸平、作画:かのえゆうし<ref>{{Cite web|和書|title=『仮面ライダー913(カイザ)』特設サイト|url=http://maoh.dengeki.com/kaixa/|work=電撃マオウ|accessdate=2019-09-14}}</ref>。 : 『[[電撃マオウ]]』([[KADOKAWA]])2019年11月号から2022年3月号まで連載された草加雅人 / 仮面ライダーカイザを主人公とした漫画<ref>{{Cite news|title=「仮面ライダー913」草加雅人主役のマンガが開始!脚本は「555」の井上敏樹|newspaper=コミックナタリー|date=2019-09-13|url=https://natalie.mu/comic/news/347436|accessdate=2019-09-13}}</ref>。東映特撮ファンクラブでも配信。物語はテレビシリーズの[[パラレルワールド]]にあたる<ref name="仮面ライダー91320200227_p204">{{Cite book|和書|title=仮面ライダー913|date=2020-2-27|publisher=[[KADOKAWA]]|series=[[電撃コミックスNEXT]]|volume=第1巻|isbn=978-4-04-912999-1|pages=205-206}}</ref>。時代設定は発表時の現代であり、テレビシリーズの時代には存在しなかった[[スマートフォン]]なども登場する{{R|仮面ライダー91320200227_p204}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist |refs= <ref name="超全集上">{{Harvnb|超全集 上巻|2003|p=86}}</ref> <ref name="超全集下">{{Cite book|和書|date=2004年3月|title=仮面ライダ-555超全集|publisher=[[小学館]]|series=てれびくんデラックス愛蔵版|volume=下巻|page=87|isbn=4-09-101495-X}}</ref> <ref name="555hokan">{{Harvnb|補完ファイル|2003|pp=44|loc=インタビュー 篠原保&描きおろしオルフェノク像}}</ref> <ref name="NAKED HERO">{{Harvnb|JAE NAKED HERO|2010|p=123|loc=LIST OF WORKS 押川善文}}</ref> <ref name="NAKED HERO2">{{Harvnb|JAE NAKED HERO|2010|pp=36 - 51|loc= 永瀬尚希}}</ref> <ref name="仮面俳優5">{{Harvnb|仮面俳優列伝|2014|pp=5-22|loc=「第1章 Mr.平成ライダー&Mr.レッドの軌跡 01 高岩成二」(東映ヒーローMAX vol.27・28掲載)}}</ref> <ref name="仮面俳優101">{{Harvnb|仮面俳優列伝|2014|pp=101-111|loc=「第2章 昭和から平成へ仮面の下のイノベーション 09 [[押川善文]]」(東映ヒーローMAX vol.38掲載)}}</ref> <ref name="仮面俳優123">{{Harvnb|仮面俳優列伝|2014|pp=123-131|loc=「第3章 平成世代が立つ仮面闘争の最前線 11 [[渡辺淳 (俳優)|渡辺淳]](東映ヒーローMAX vol.36掲載)」}}</ref> <ref name="宇宙船106">{{Harvnb|宇宙船106|2003|pp=12-13|loc=「監督・田﨑竜太インタビュー」}}</ref> <ref name="宇宙船YB04">{{Cite journal|和書|date=2004-05-01|title=巻末とじこみ付録 宇宙船 YEAR BOOK 2004|journal=[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]|volume=Vol.112|issue=(2004年5月号)|page=137|publisher=[[朝日ソノラマ]]|id=雑誌コード:01843-05}}</ref> <ref name="テレマガ">{{Harvnb|テレビマガジン特別編集|2004|p=76|loc=ファイズ成立への道}}</ref> <ref name="HV39">{{Cite journal|和書|author=飯島玲子他|year=2011|month=3|title=連載「スーツアクター Close Up」高岩成二×福沢博文 対談|journal=ヒーローヴィジョン|issue=Vol.39|pages=89頁|publisher=[[東京ニュース通信社]]|ISBN=978-4-86336-133-1}}</ref> <ref name="超解析34">{{Harvnb|超解析|2016|p=34-43|loc=「SPECIAL INTERVIEW [[高岩成二]]「Mr.平成仮面ライダー、激闘の変遷を語る!」」}}</ref> <ref name="マガジン202076">{{Harvnb|マガジン2020|2020|pp=76-77|loc=「オモチャの現場から 語る! 暴く!? 変身ベルト」}}</ref> <ref name="完全超悪38">{{Harvnb|完全超悪|2020|pp=38-53|loc=「第1期 2000-2009 HEISEI KAMEN RIDER SERIES PHASE 1 仮面ライダー555」}}</ref> <ref 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<ref name="zukan1035">{{Cite web|和書|url=https://www.kamen-rider-official.com/zukan/character/1035|title=カップル|work=仮面ライダーWEB|publisher=東映|accessdate=2021-01-15}}</ref> <ref name="zukan1040">{{Cite web|和書|url=https://www.kamen-rider-official.com/zukan/character/1040|title=女性職員|work=仮面ライダーWEB|publisher=東映|accessdate=2021-01-15}}</ref> <ref name="zukan1056">{{Cite web|和書|url=https://www.kamen-rider-official.com/zukan/character/1056|title=役員たち|work=仮面ライダーWEB|publisher=東映|accessdate=2021-01-15}}</ref> <ref name = OK>{{Cite web|和書|publisher=面白ければオールOK!|date=2012-05-29|url=https://ameblo.jp/yabezo/entry-11263869194.html|title=今日も。|accessdate=2020-08-14}}</ref> }} === 出典(リンク) === {{Reflist|group="出典"|2}} == 参考文献 == * [[てれびくん]]デラックス愛蔵版([[小学館]]) ** {{Cite book|和書|date=2003-07-01|title=仮面ライダ-555[[超全集]]|publisher=小学館|series = てれびくんデラックス愛蔵版|volume = 上巻|isbn=4-09-101491-7|ref = {{SfnRef|超全集 上巻|2003}}}} ** {{Cite book|和書|date=2022-08|title=てれびくん超バトルDVD [[仮面ライダーリバイス]] 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レンネット
レンネット (Rennet) とは、母乳の消化のために数種の哺乳動物の胃で作られる酵素の混合物のことで、チーズの製造に用いられる。凝乳酵素とも呼ばれる。主な活性酵素はキモシン(chymosin、EC 3.4.23.4) である。 元来は、偶蹄目(ウシ、ヒツジ、ヤギ)の哺乳期間中の第4胃袋(ギアラとも呼ばれる)に存在する。この中でも、仔牛由来のものはカーフレンネットと呼ばれ、珍重されている。現在、通常はカビからとれるものや、遺伝子組換によって微生物から得られたものを多く利用する。 ウシ、ヤギなどの第4胃袋の消化液の抽出物が、標準レンネットと呼ばれる。若い仔牛の消化液には、キモシン88~94%とペプシン6~12%が含まれているといわれ、乳離れするとキモシン分泌量が急激に減少する。草を食べ始めるころになると、キモシンとペプシンの含有量が逆転し、ほぼペプシンのみとなる。この推移は他の偶蹄目でもみられ、やはり草を食む頃になるとペプシンが多くなってくる。このペプシンはタンパク質分解酵素であるため、成長した家畜の消化液を使っても凝集は起こらず、チーズを作ることは出来ない。 ヨーロッパでは長い間、チーズ作りの材料に偶蹄目由来のレンネット(ペプシンレンネット)が用いられてきた。消化液は反芻運動(嘔吐)では集められないため、家畜を屠殺して胃を取り出して消化液を集める必要がある。このため、安定供給が受けられず、大量の家畜が必要となるため酪農家の負担も大きかった。やがて、1960年代に原料の元となる家畜不足を原因として、代替物が多く用いられはじめることとなった。この際、ケカビ(Rhizomucor pusillus; シノニム: Mucor pusillus)が生成するレンネットが注目されることとなった。微生物レンネットと呼ばれるこれは全世界で用いられているが、伝統の維持などの観点からペプシンレンネットだけしか認めていない場合もある。 古代ギリシアの叙事詩『イーリアス』には植物性のレンネットに関するくだりがある。アリストテレスの『動物誌』にもイチジクの樹液を使った凝乳作用の説明がある。他にも、古代ギリシアやローマ時代の記録に酢、ベニバナの種、カルドン、アーティチョークの花、カワラマツバなどの植物をレンネットとして挙げている。これらの植物性レンネットは、ほとんど廃れてしまったが、今日でもイベリア半島やクレタ島の数種類のチーズに伝統が残っている。 レンネットを加える前段階で、まず乳を乳酸発酵させる。無殺菌の乳では環境微生物中の乳酸菌により乳酸発酵が起こるが、殺菌乳では多くの場合、人為的に乳酸菌を加える。乳酸発酵した乳は酸性になり、カルシウムイオンが増加する。 乳中でカゼインなどの蛋白質 は−の電気を帯びており、互いに反発しあって凝集することはない。特にκカゼインはカルシウムイオンに対して安定で、このためカゼインミセルはこのままでは沈殿しない。 ここでレンネットを加えると、プロテアーゼであるレンニンがκカゼインに作用してその結合を切断する。結果、κカゼインは浮遊力を失って不安定になり、カゼインミセルから分離する。そして−の電気が弱まったカゼインミセル同士がカルシウムイオンを介してくっつき、脂肪球と共に沈殿凝固する。これが乳の凝固の原理である。
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レンネット (Rennet) とは、母乳の消化のために数種の哺乳動物の胃で作られる酵素の混合物のことで、チーズの製造に用いられる。凝乳酵素とも呼ばれる。主な活性酵素はキモシン(chymosin、EC 3.4.23.4) である。
'''レンネット''' (Rennet) とは、[[母乳]]の消化のために数種の[[哺乳動物]]の胃で作られる[[酵素]]の混合物のことで、[[チーズ]]の製造に用いられる。'''凝乳酵素'''とも呼ばれる。主な活性酵素は'''[[キモシン]]'''(chymosin、{{EC number|3.4.23.4}}) である。 == 概要 == 元来は、[[偶蹄目]]([[ウシ]]、[[ヒツジ]]、[[ヤギ]])の[[哺乳]]期間中の第4胃袋([[ギアラ]]とも呼ばれる)に存在する。この中でも、仔牛由来のものは'''カーフレンネット'''と呼ばれ、珍重されている。現在、通常は[[カビ]]からとれるものや、遺伝子組換によって微生物から得られたものを多く利用する。 ウシ、ヤギなどの第4胃袋の消化液の抽出物が、'''標準レンネット'''と呼ばれる。若い仔牛の消化液には、キモシン88~94%と[[ペプシン]]6~12%が含まれているといわれ、乳離れするとキモシン分泌量が急激に減少する。草を食べ始めるころになると、キモシンとペプシンの含有量が逆転し、ほぼペプシンのみとなる。この推移は他の偶蹄目でもみられ、やはり草を食む頃になるとペプシンが多くなってくる。このペプシンは[[プロテアーゼ|タンパク質分解酵素]]であるため、成長した家畜の消化液を使っても[[凝集]]は起こらず、[[チーズ]]を作ることは出来ない。 === 歴史 === ヨーロッパでは長い間、[[チーズ]]作りの材料に偶蹄目由来のレンネット(ペプシンレンネット)が用いられてきた。消化液は[[反芻|反芻運動]](嘔吐)では集められないため、[[家畜]]を[[屠殺]]して胃を取り出して消化液を集める必要がある。このため、安定供給が受けられず、大量の家畜が必要となるため[[酪農|酪農家]]の負担も大きかった。やがて、1960年代に原料の元となる家畜不足を原因として、代替物が多く用いられはじめることとなった。この際、[[ケカビ]]({{Snamei||Rhizomucor pusillus}}; [[シノニム]]: {{Snamei|Mucor pusillus}}<ref>[http://www.speciesfungorum.org/Names/NamesRecord.asp?RecordID=247701 Species Fungorum - Names Record]. {{Accessdate|2019-06-19}}</ref>)が生成するレンネットが注目されることとなった。微生物レンネットと呼ばれるこれは全世界で用いられているが、伝統の維持などの観点からペプシンレンネットだけしか認めていない場合もある。 古代ギリシアの叙事詩『[[イーリアス]]』には植物性のレンネットに関するくだりがある。[[アリストテレス]]の『[[動物誌 (アリストテレス)|動物誌]]』にも[[イチジク]]の樹液を使った凝乳作用の説明がある。他にも、古代ギリシアやローマ時代の記録に[[酢]]、[[ベニバナ]]の種、[[カルドン]]、[[アーティチョーク]]の花、[[カワラマツバ]]などの植物をレンネットとして挙げている。これらの植物性レンネットは、ほとんど廃れてしまったが、今日でもイベリア半島やクレタ島の数種類のチーズに伝統が残っている。 === レンネットによる乳凝固の原理 === レンネットを加える前段階で、まず乳を[[乳酸発酵]]させる。無殺菌の乳では環境微生物中の[[乳酸菌]]により乳酸発酵が起こるが、殺菌乳では多くの場合、人為的に乳酸菌を加える。乳酸発酵した乳は[[酸性]]になり、[[カルシウム]]イオンが増加する。 乳中で[[カゼイン]]などの[[蛋白質]]<ref group="注">カゼイン[[ミセル]]という直径20~600μの分子を形成している。</ref> は−の電気を帯びており、互いに反発しあって凝集することはない。特にκカゼインはカルシウムイオンに対して安定で、このためカゼインミセルはこのままでは沈殿しない。 ここでレンネットを加えると、プロテアーゼであるレンニンがκカゼインに作用してその結合を切断する。結果、κカゼインは浮遊力を失って不安定になり、カゼインミセルから分離する。そして−の電気が弱まったカゼインミセル同士がカルシウムイオンを介してくっつき、脂肪球と共に沈殿凝固する。これが乳の凝固の原理である。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === <references /> == 参考文献 == * 『ミルク総合辞典』 編者:山内邦男、横山健吉 出版:朝倉書店 ISBN 4254430485 * 『菌類図鑑(上)』 著者:宇田川俊一 出版:講談社 ASIN B000J8R37G * {{Cite |和書 |author = アンドリュー・ドルビー |authorlink = :en:Andrew Dalby |translator = 久村典子 |title = チーズの歴史 |date = 2001 |edition = |publisher = ブルース・インターアクションズ |isbn = 9784860204266 |ref = harv }} == 関連項目 == * [[レンネットテスト]] * [[カード (食品)]] == 外部リンク == * {{Wayback |url=www.order-cheese.com/juku/j65.html |title=レンネットについて(チーズ塾)|date=20140329031704 }} {{動物の権利}} {{DEFAULTSORT:れんねつと}} [[Category:チーズ]] [[Category:酵素]] [[Category:ペプチダーゼ]]
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チューリングマシン
チューリングマシン (英: Turing machine) は、アラン・チューリングが「計算可能性」に関する議論のために提示した抽象機械である。 チューリングの「計算可能数について──決定問題への応用」(1936年)において提示された。同様なものを同年にエミール・ポスト (Emil Post) も独立に発表している。構想の理由、動機についてはポストの論文が明確だが、機械自体に関する記述はチューリングの論文が詳細である。次いで、同時代に提示された他の計算モデルも計算可能性の理論からは同等であることが確認され、チューリング=チャーチのテーゼはそれらを「計算可能」の定義とすることを提唱した。 ここでは非形式的(直感的)に述べる。理論的には形式的に述べる必要がある。 チューリングマシンには、いわゆるハードウェアに相当するものとして、 がある。 また、ソフトウェアに相当するものとして、以下がある。 この有限オートマトンの状態遷移規則は、その有限オートマトンの「現在の状態」(内部状態)と、ヘッドがテープの「現在の場所」から読み出した記号の組み合わせに応じて、次のような動作を実行する。 さらに、この有限オートマトンには(一般的な有限オートマトンの「受理状態」と同様な)「受理状態」がある。計算可能性理論的には、決定問題の2種類の答えに対応する、2種類の受理状態が必要である。 実際の計算機の基本的動作も、突き詰めて考えれば、このチューリング機械の原理に従っているといえる。実用上の電子計算機はチューリング機械よりも遥かに複雑であり、また有限の記憶領域しか持たないが、「計算機で原理上解ける問題」は「チューリング機械で解ける問題」と同じであるといわれている。このため計算理論では、アルゴリズムをチューリング機械上の手続きと同一視して議論することができる(チャーチ=チューリングのテーゼ)。 数学の形式体系はすべてこの仮想機械の動作に還元できるといわれている。この機械で決定できない命題も存在する。例えば与えられたチューリング機械が停止するかどうかをチューリング機械で決定することはできない(停止性問題)。これはゲーデルの不完全性定理の別の表現の形とみなすことができる。 この節では、チューリングマシンを形式的(formal)に記述する。 M が言語 L ⊆ Σ ∗ {\displaystyle L\subseteq {\mathit {\Sigma }}^{*}} を認識するとは、M が L の元のみをみな受理することをいう。そのようなチューリング機械 M が存在するとき、L は帰納可枚挙(recursively enumerable)あるいは計算可枚挙(computably enumerable)であるという。L と Σ ∗ ∖ L {\displaystyle {\mathit {\Sigma }}^{*}\setminus L} がともに帰納可枚挙であるとき、Lは帰納的(recursive)あるいは決定可能(decidable)であるという。 より精細に、自然数から自然数への写像 t に対し、M が L を時間計算量[ないし空間計算量]t で認識するとは、M が L を認識し、かつ各 x ∈ L {\displaystyle x\in L} に対する M {\displaystyle M} の実行時間[ないし記憶領域量]が t ( | x | ) {\displaystyle t(\left|x\right|)} 以下であることをいう。ここで | x | {\displaystyle \left|x\right|} は文字列 x の長さを表す。 次の各項目について上記の定義に変更を施しても、帰納可枚挙な言語は変わらず、また時間計算量や空間計算量に対する影響も小さい。このため、チューリング機械の定義の詳細は文献によって異なっている。 空間計算量を細かく調べるときには、書き換えできない入力専用テープを設けて、そこでの使用領域量を無視することがある。すなわち、遷移函数 δ {\displaystyle \delta } を Q × Γ 2 {\displaystyle Q\times {\mathit {\Gamma }}^{2}} から構文解析に失敗 (SVG(ブラウザのプラグインで MathML を有効にすることができます): サーバー「http://localhost:6011/ja.wikipedia.org/v1/」から無効な応答 ("Math extension cannot connect to Restbase."):): Q\times {\mathit \Gamma }\times \{{\mathrm {left}},{\mathrm {right}}\}^{2} への写像とし、状況の定義も適切に変更する。 言語を認識するだけでなく、 Σ ∗ {\displaystyle {\mathit {\Sigma }}^{*}} から Σ ∗ {\displaystyle {\mathit {\Sigma }}^{*}} への部分函数 f {\displaystyle f} を計算する機械を考えることもできる。すなわち機械 M {\displaystyle M} は、各 x ∈ d o m ( f ) {\displaystyle x\in \mathrm {dom} (f)} に対しては文字列 f ( x ) {\displaystyle f(x)} をテープに書いてから初めて受理状態へ移り、 x ∉ d o m ( f ) {\displaystyle x\notin \mathrm {dom} (f)} に対しては決して受理状態へ移らない。このような M {\displaystyle M} が存在するとき、 f {\displaystyle f} は部分帰納的あるいは計算可能(computable)であるという。 遷移関数 δ {\displaystyle \delta } において、現在の状態 q と着目位置にある記号 a の、ある組 (q, a) に対し、値(すなわちその時にすべき動作)が、高々一つならば、そのチューリングマシンは「決定的」(deterministic)である。これに対し、動作が複数の場合は「非決定的」(non-deterministic)であり、受理の意味も再定義して、非決定的チューリングマシンや乱択チューリングマシンが定義される。また、未来と過去を逆にしても決定的であるのが可逆チューリングマシンである。 質問状態を加える。 遷移規則をうまく構成することで、「いかなるチューリングマシンであろうとも、それを模倣することが可能なチューリングマシン(万能チューリングマシン)」が可能である。万能チューリングマシンは、与えられた、別のチューリングマシンを記述した記号列と、そのチューリングマシンへの入力記号列を読みこみ、それに従って動く。(エミュレータの原理)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "チューリングマシン (英: Turing machine) は、アラン・チューリングが「計算可能性」に関する議論のために提示した抽象機械である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "チューリングの「計算可能数について──決定問題への応用」(1936年)において提示された。同様なものを同年にエミール・ポスト (Emil Post) も独立に発表している。構想の理由、動機についてはポストの論文が明確だが、機械自体に関する記述はチューリングの論文が詳細である。次いで、同時代に提示された他の計算モデルも計算可能性の理論からは同等であることが確認され、チューリング=チャーチのテーゼはそれらを「計算可能」の定義とすることを提唱した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ここでは非形式的(直感的)に述べる。理論的には形式的に述べる必要がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "チューリングマシンには、いわゆるハードウェアに相当するものとして、", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "また、ソフトウェアに相当するものとして、以下がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "この有限オートマトンの状態遷移規則は、その有限オートマトンの「現在の状態」(内部状態)と、ヘッドがテープの「現在の場所」から読み出した記号の組み合わせに応じて、次のような動作を実行する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "さらに、この有限オートマトンには(一般的な有限オートマトンの「受理状態」と同様な)「受理状態」がある。計算可能性理論的には、決定問題の2種類の答えに対応する、2種類の受理状態が必要である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "実際の計算機の基本的動作も、突き詰めて考えれば、このチューリング機械の原理に従っているといえる。実用上の電子計算機はチューリング機械よりも遥かに複雑であり、また有限の記憶領域しか持たないが、「計算機で原理上解ける問題」は「チューリング機械で解ける問題」と同じであるといわれている。このため計算理論では、アルゴリズムをチューリング機械上の手続きと同一視して議論することができる(チャーチ=チューリングのテーゼ)。", "title": "現実の計算との関係" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "数学の形式体系はすべてこの仮想機械の動作に還元できるといわれている。この機械で決定できない命題も存在する。例えば与えられたチューリング機械が停止するかどうかをチューリング機械で決定することはできない(停止性問題)。これはゲーデルの不完全性定理の別の表現の形とみなすことができる。", "title": "現実の計算との関係" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "この節では、チューリングマシンを形式的(formal)に記述する。", "title": "形式的な定義" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "M が言語 L ⊆ Σ ∗ {\\displaystyle L\\subseteq {\\mathit {\\Sigma }}^{*}} を認識するとは、M が L の元のみをみな受理することをいう。そのようなチューリング機械 M が存在するとき、L は帰納可枚挙(recursively enumerable)あるいは計算可枚挙(computably enumerable)であるという。L と Σ ∗ ∖ L {\\displaystyle {\\mathit {\\Sigma }}^{*}\\setminus L} がともに帰納可枚挙であるとき、Lは帰納的(recursive)あるいは決定可能(decidable)であるという。", "title": "形式的な定義" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "より精細に、自然数から自然数への写像 t に対し、M が L を時間計算量[ないし空間計算量]t で認識するとは、M が L を認識し、かつ各 x ∈ L {\\displaystyle x\\in L} に対する M {\\displaystyle M} の実行時間[ないし記憶領域量]が t ( | x | ) {\\displaystyle t(\\left|x\\right|)} 以下であることをいう。ここで | x | {\\displaystyle \\left|x\\right|} は文字列 x の長さを表す。", "title": "形式的な定義" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "次の各項目について上記の定義に変更を施しても、帰納可枚挙な言語は変わらず、また時間計算量や空間計算量に対する影響も小さい。このため、チューリング機械の定義の詳細は文献によって異なっている。", "title": "変種" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "空間計算量を細かく調べるときには、書き換えできない入力専用テープを設けて、そこでの使用領域量を無視することがある。すなわち、遷移函数 δ {\\displaystyle \\delta } を Q × Γ 2 {\\displaystyle Q\\times {\\mathit {\\Gamma }}^{2}} から構文解析に失敗 (SVG(ブラウザのプラグインで MathML を有効にすることができます): サーバー「http://localhost:6011/ja.wikipedia.org/v1/」から無効な応答 (\"Math extension cannot connect to Restbase.\"):): Q\\times {\\mathit \\Gamma }\\times \\{{\\mathrm {left}},{\\mathrm {right}}\\}^{2} への写像とし、状況の定義も適切に変更する。", "title": "変種" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "言語を認識するだけでなく、 Σ ∗ {\\displaystyle {\\mathit {\\Sigma }}^{*}} から Σ ∗ {\\displaystyle {\\mathit {\\Sigma }}^{*}} への部分函数 f {\\displaystyle f} を計算する機械を考えることもできる。すなわち機械 M {\\displaystyle M} は、各 x ∈ d o m ( f ) {\\displaystyle x\\in \\mathrm {dom} (f)} に対しては文字列 f ( x ) {\\displaystyle f(x)} をテープに書いてから初めて受理状態へ移り、 x ∉ d o m ( f ) {\\displaystyle x\\notin \\mathrm {dom} (f)} に対しては決して受理状態へ移らない。このような M {\\displaystyle M} が存在するとき、 f {\\displaystyle f} は部分帰納的あるいは計算可能(computable)であるという。", "title": "変種" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "遷移関数 δ {\\displaystyle \\delta } において、現在の状態 q と着目位置にある記号 a の、ある組 (q, a) に対し、値(すなわちその時にすべき動作)が、高々一つならば、そのチューリングマシンは「決定的」(deterministic)である。これに対し、動作が複数の場合は「非決定的」(non-deterministic)であり、受理の意味も再定義して、非決定的チューリングマシンや乱択チューリングマシンが定義される。また、未来と過去を逆にしても決定的であるのが可逆チューリングマシンである。", "title": "変種" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "質問状態を加える。", "title": "変種" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "遷移規則をうまく構成することで、「いかなるチューリングマシンであろうとも、それを模倣することが可能なチューリングマシン(万能チューリングマシン)」が可能である。万能チューリングマシンは、与えられた、別のチューリングマシンを記述した記号列と、そのチューリングマシンへの入力記号列を読みこみ、それに従って動く。(エミュレータの原理)", "title": "万能チューリングマシン" } ]
チューリングマシン (英: Turing machine) は、アラン・チューリングが「計算可能性」に関する議論のために提示した抽象機械である。
{{出典の明記|date=2011年12月}} [[ファイル:Turingmachine.jpg|thumb|right|220px|チューリングマシン]] '''チューリングマシン '''({{lang-en-short|Turing machine}}) は、[[アラン・チューリング]]が「[[計算可能性理論|計算可能性]]」に関する議論のために提示した[[抽象機械]]である<ref>{{Cite Kotobank |word=チューリングマシン |encyclopedia=ASCII.jpデジタル用語辞典 |accessdate=2022-02-02}}</ref>。 == 歴史 == [[アラン・チューリング|チューリング]]の「計算可能数について──[[決定問題]]への応用」(1936年)において提示された<ref>{{Cite journal|last=Turing|first=A. M.|date=1937|title=On Computable Numbers, with an Application to the Entscheidungsproblem|url=http://doi.wiley.com/10.1112/plms/s2-42.1.230|journal=Proceedings of the London Mathematical Society|volume=s2-42|issue=1|pages=230–265|language=en|doi=10.1112/plms/s2-42.1.230}}</ref>。同様なものを同年に[[エミール・ポスト]] (Emil Post) も独立に発表している<ref>Emil Post (1936), "Finite Combinatory Processes—Formulation 1", ''Journal of Symbolic Logic'', 1, 103–105, 1936. Reprinted in ''The Undecidable'', pp. 289ff.</ref>。構想の理由、動機についてはポストの論文が明確だが、機械自体に関する記述はチューリングの論文が詳細である。次いで、同時代に提示された他の[[計算モデル]]も[[計算可能性理論|計算可能性の理論]]からは同等であることが確認され、[[チャーチ=チューリングのテーゼ|チューリング=チャーチのテーゼ]]はそれらを「計算可能」の定義とすることを提唱した。 == 概要 == ここでは非形式的(直感的)に述べる。理論的には形式的に述べる必要がある。 チューリングマシンには、いわゆるハードウェアに相当するものとして、 # その表面に記号を読み書きできるテープ。長さは無制限(必要になれば順番にいくらでも先にシークできる<ref group="注">一般的には両方向にいくらでもシークできるものとするが、理論的には片方には端があっても良いのでそのように制限することもある。</ref>)とする # テープに記号を読み書きするヘッド # ヘッドによる読み書きと、テープの左右へのシークを制御する機能を持つ、[[有限オートマトン]] がある。 また、ソフトウェアに相当するものとして、以下がある。 # テープに読み書きされる有限個の種類の記号 # 最初から(初期状態において)テープにあらかじめ書かれている記号列 #有限オートマトンの状態遷移規則群。詳細は次で述べる この有限オートマトンの状態遷移規則は、その有限オートマトンの「現在の状態」(内部状態)と、ヘッドがテープの「現在の場所」から読み出した記号の組み合わせに応じて、次のような動作を実行する。 * テープの「現在の場所」に新しい記号を書き込む(あるいは、現在の記号をそのままにしてもよい) * ヘッドを右か左に一つシークする(あるいは、移動しなくてもよい) * 有限オートマトンを次の状態に状態遷移させる(同じ状態に遷移してもよい) さらに、この有限オートマトンには(一般的な有限オートマトンの「受理状態」と同様な)「受理状態」がある。[[計算可能性理論]]的には、[[決定問題]]の2種類の答えに対応する、2種類の受理状態が必要である<ref group="注">あるいは単に停止する場合は、停止する前に、答えがどちらであるかを、テープ上の記号列として書き残してから停止する。</ref>。 == 現実の計算との関係 == 実際の計算機の基本的動作も、突き詰めて考えれば、このチューリング機械の原理に従っているといえる。実用上の電子計算機はチューリング機械よりも遥かに複雑であり、また有限の記憶領域しか持たないが、「計算機で原理上解ける問題」は「チューリング機械で解ける問題」と同じであるといわれている。このため計算理論では、[[アルゴリズム]]をチューリング機械上の手続きと同一視して議論することができる([[チャーチ=チューリングのテーゼ]])。 数学の[[形式体系]]はすべてこの仮想機械の動作に還元できるといわれている。この機械で決定できない命題も存在する。例えば与えられたチューリング機械が停止するかどうかをチューリング機械で決定することはできない([[停止性問題]])。これは[[ゲーデルの不完全性定理]]の別の表現の形とみなすことができる。 == 形式的な定義 == <!--「形式的」というのはこの分野の専門用語であり、少なくともこの節において専門用語的に正確でない「厳密」という表現を使うのは間違い-->この節では、チューリングマシンを形式的(formal)に記述する。 ; チューリングマシン : チューリングマシン {{mvar|M}} は次の7つ組で定義される: : <math display="block">M = \langle Q, \mathit\Gamma, b, \mathit\Sigma, \delta, q _{\mathrm{init}}, q _{\mathrm{acc}} \rangle\,.</math> ; 状態 : [[有限集合]] {{mvar|Q}} の[[元 (数学)|元]] {{math2|1=''q'' &isin; ''Q''}} を'''状態''' ({{en|state}}) という。 ; 字母・記号・文字列 : 状態集合 {{mvar|Q}} と[[共通部分 (数学)|交わら]]ない有限集合 {{mvar|Γ}} を'''[[アルファベット (計算機科学)|字母]]'''({{en|alphabet}})といい、字母の元 {{math2|1=''a'' &isin; ''Γ''}} を'''記号''' ({{en|symbol}}) という。重複を許した有限個の記号の列全体からなる集合を {{math|''Γ''{{sup|*}}}} と表し、その元 {{math2|1=''x'' &isin; ''Γ''{{sup|*}}}} を字母 {{mvar|Γ}} の'''文字列'''({{en|string}})または'''文'''({{en|statement}})という。 ; 空白記号 : 字母 {{mvar|Γ}} のある元を'''空白記号''' ({{en|blank}}) と定め、{{mvar|b}} で表す。 ; 入力字母・入力記号 : 字母から空白文字を除いた {{math2|1=''Γ'' &minus; {{mset|b}}}} の部分集合 {{mvar|Σ}} を'''入力字母'''({{en|input alphabet}})といい、入力字母の元を'''入力記号'''({{en|input symbol}})という。 ; 遷移函数 : [[写像]] {{math2|1=''δ'': ''Q'' &times; ''Γ'' → ''Q'' &times; ''Γ'' &times; {{mset|left, right}}}} を'''遷移函数'''という。{{math2|1=''δ''(''q'', ''a'') = (''q&prime;'', ''a&prime;'', ''m'')}} は、「現在の状態が {{mvar|q}} であり、着目位置の記号が {{mvar|a}} であれば、状態を {{mvar|q&prime;}} に移し、着目位置に記号 {{mvar|a&prime;}} を書き込んでから、着目位置を {{math2|1=''m'' &isin; {{mset|left, right}}}} 方向に1つずらす」と読む。 ; 初期状態 : 状態集合 {{mvar|Q}} のある元 {{math|1=''q''<sub>init</sub>}} を'''初期状態'''({{en|initial state}})と定める。 ; 受理状態 : 状態集合 {{mvar|Q}} のある元 {{math|1=''q''<sub>acc</sub>}} を'''受理状態'''({{en|accepting state}})と定める。 ; 状況 : <math display="inline">\mathit\Gamma \cup Q</math> 上の(片側)無限列のうち、状態集合 {{mvar|Q}} の元がちょうど1度現れ、また空白 {{mvar|b}} 以外の記号が有限回しか現れないものをチューリングマシン {{mvar|M}} の'''状況'''({{en|configuration}})という。遷移函数 {{mvar|δ}} は、状況から状況への写像を自然に定める。 ; 受理 : 「チューリングマシン {{mvar|M}} が入力文字列 <math display="inline">x \in \Sigma^*</math> を'''受理'''({{en|accept}})する」とは、チューリングマシン {{mvar|M}} が初期状態 {{math|''q''{{sub|init}}}} で入力文字列 {{mvar|x}} が与えられた状況 <math display="inline">q_\mathrm{init} x b b \cdots</math> に対し、遷移函数 {{mvar|δ}} を有限回作用させ受理状態 {{math|''q''{{sub|acc}}}} へ遷移した状況 <math display="inline">q _\mathrm{acc} b b \cdots</math> が得られることをいう。 ; 実行時間・記憶領域量 : チューリングマシン {{mvar|M}} が入力文字列 {{math2|1=''x'' &isin; ''Σ''<sup>*</sup>}} を受理するまで遷移函数を作用させる最小の回数をチューリングマシン {{mvar|M}} の入力文字列 {{mvar|x}} に対する'''実行時間'''とよぶ。その過程における状況中の q の最右位置を、M が x に対して使用する'''記憶領域量'''という。 M が言語 <math>L \subseteq \mathit\Sigma^*</math> を'''認識'''するとは、M が L の元のみをみな受理することをいう。そのようなチューリング機械 M が存在するとき、L は'''帰納可枚挙'''({{en|recursively enumerable}})あるいは'''計算可枚挙'''({{en|computably enumerable}})であるという。L と <math>\mathit\Sigma^* \setminus L</math> がともに帰納可枚挙であるとき、Lは'''帰納的'''({{en|recursive}})あるいは'''決定可能'''({{en|decidable}})であるという。 より精細に、自然数から自然数への写像 t に対し、M が L を'''時間計算量'''[ないし'''空間計算量''']t で認識するとは、M が L を認識し、かつ各 <math>x \in L</math> に対する <math>M</math> の実行時間[ないし記憶領域量]が <math>t (\left| x \right|)</math> 以下であることをいう。ここで <math>\left| x \right|</math> は文字列 x の長さを表す。 == 変種 == === 細かい相違 === 次の各項目について上記の定義に変更を施しても、帰納可枚挙な言語は変わらず、また時間計算量や空間計算量に対する影響も小さい。このため、チューリング機械の定義の詳細は文献によって異なっている。 * 字母<math>\mathit\Gamma</math>の大きさ(それが<math>\mathit\Sigma</math>を含む有限集合であるかぎり)。 * 遷移函数が着目位置を左右に必ず動かすか、同じ位置に留まる事を許すか。 * 文字列を受理するさい、テープ上の記号をすべて<math>b</math>にする必要があるか、受理状態へ移るだけでよいか。 * テープが両方向に無限であるか、片側に終端があるか。 * さらに、記憶領域が一次元のテープであるか、より複雑な形状をしているか。 * テープの本数。 空間計算量を細かく調べるときには、書き換えできない入力専用テープを設けて、そこでの使用領域量を無視することがある。すなわち、遷移函数<math>\delta</math>を<math>Q \times \mathit\Gamma ^2</math>から<math>Q \times \mathit\Gamma \times \{\mathrm{left}, \mathrm{right}\} ^2</math>への写像とし、状況の定義も適切に変更する。 === 変換機 === 言語を認識するだけでなく、<math>\mathit\Sigma ^*</math>から<math>\mathit\Sigma ^*</math>への部分函数<math>f</math>を'''計算'''する機械を考えることもできる。すなわち機械<math>M</math>は、各<math>x \in \mathrm{dom} (f)</math>に対しては文字列<math>f (x)</math>をテープに書いてから初めて受理状態へ移り、<math>x \notin \mathrm{dom} (f)</math>に対しては決して受理状態へ移らない。このような<math>M</math>が存在するとき、<math>f</math>は'''部分帰納的'''あるいは'''[[計算可能性理論|計算可能]]'''(computable)であるという。 === 決定的と非決定的 === 遷移関数<math>\delta</math>において、現在の状態 q と着目位置にある記号 a の、ある組 (q, a) に対し、値(すなわちその時にすべき動作)が、高々一つならば、そのチューリングマシンは「決定的」(deterministic)である。これに対し、動作が複数の場合は「非決定的」(non-deterministic)であり、受理の意味も再定義して、[[非決定性チューリングマシン|非決定的チューリングマシン]]や乱択チューリングマシンが定義される。また、未来と過去を逆にしても決定的であるのが[[可逆チューリングマシン]]である。 === 神託つき機械 === {{main|神託機械}} 質問状態を加える。 == 万能チューリングマシン == 遷移規則をうまく構成することで、「いかなるチューリングマシンであろうとも、それを模倣することが可能なチューリングマシン(万能チューリングマシン)」が可能である。万能チューリングマシンは、与えられた、別のチューリングマシンを記述した記号列と、そのチューリングマシンへの入力記号列を読みこみ、それに従って動く。([[エミュレータ (コンピュータ)|エミュレータ]]の原理) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} ==関連項目== {{commons|Category:Turing machines}} * [[チューリング完全]] * [[非決定性チューリングマシン]] * [[コルモゴロフ複雑性]] * [[ライフゲーム]] * [[停止性問題]] * [[可逆チューリングマシン]] * [[オートマトン]] == 外部リンク == 解説 * {{Spedia|Turing_machine|Turing machine}} {{SEP|turing-machine/|Turing Machines}} * {{MathWorld|urlname=TuringMachine|title=Turing Machine}} その他 * [http://wired.jp/wv/2007/10/26/%e3%80%8c%e3%82%a6%e3%83%ab%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%a0%e6%b0%8f%e3%81%ae%e3%83%81%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%83%9e%e3%82%b7%e3%83%b3%e3%80%8d%e3%82%9220%e6%ad%b3%e3%81%ae%e5%ad%a6/ 「ウルフラム氏のチューリングマシン」を20歳の学生が証明] {{Computer-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ちゆうりんくましん}} [[Category:チューリングマシン|*]] [[Category:抽象機械]] [[Category:理論計算機科学]] [[Category:計算モデル]] [[Category:形式手法]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:アラン・チューリング]] [[Category:数学のエポニム]]
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ロック (音楽)
音楽ジャンルとしてのロック、もしくはロック・ミュージック、ロック音楽(ロックおんがく、英語: Rock music)は、1950年代にアメリカ合衆国の黒人音楽であるロックンロールやブルース、カントリーミュージックを起源とし、1960年代以降、特にイギリスやアメリカ合衆国で、幅広く多様な様式へと展開した強いビートと電気的に増幅した大音量のサウンドを特色とする。 また、ロックミュージックは英国のモッズやスウィンギング・ロンドン、1960年代後半の米国のヒッピームーブメントやカウンターカルチャーなどの社会運動が高揚した時代と同時期に絶頂期を迎えた。1970年代後半のパンクは、ニューウェイヴへと発展した。 ロックンロールは、R&B、ブルースとカントリーなどを融合することで誕生した。その後ビートルズの登場により、ロックンロールは抽象的な要素を含むようになり「ロック」と呼ばれるようになっている。1950年代から1960年代初頭のラブ・ソング主体のポップスやロックンロールとは異なり、「ロック」の歌詞は、体制に対する反乱、政治・社会的問題、芸術、恋愛、セックス、哲学など、幅広いテーマを扱っていた。 音楽ジャーナリストのロバート・クリストガウは多くの場合、白人中流階級のミュージシャンが優勢なジャンルであるとも述べているが、実際にはビートルズ、ザ・フー、アニマルズなどイギリスのロッカーには、「白人労働者階級出身者」が多かった。アメリカのブルース・スプリングスティーンも、労働者の一部のアイコンとなっていった。 社会音楽学者サイモン・フリス(英語版)は、ロックは「どこかポップ以上のもの、どこかロックンロール以上のもの」であり、それは「ミュージシャンが、スキルやテクニックに重点をおき、それをロマンチックなアート表現のコンセプトと組み合わせたからだ」とした。またロックは、ブルース・ギタリストやエレクトリック・ギタリストの強い影響を受けて発展してきた。 ロックのサウンドは、伝統的にエレクトリックギターが中心となるが、現代的な形態のエレクトリックギターは1950年代にロックンロールの人気とともに登場したものであった。ロックにおけるエレクトリックギターのサウンドは、典型的な場合、同時期のジャズにいち早く導入されたエレクトリックベースと、ドラムとシンバルを組み合わせたドラムセットによるパーカッションによって支えられる。この3つの楽器によるトリオに加えて、他の楽器が追加されることも多く、特にピアノ、ハモンドオルガン、シンセサイザーといったキーボード類が加えられることがよくある。ロック音楽を演奏するミュージシャンのグループは、「ロックバンド」「ロックグループ」と呼ばれることが多く、典型的には2人から5人のメンバーから構成される。ロックバンドの古典的な形は、ボーカル、リードギター、リズムギター、ベース、ドラムス、また時にはキーボード、その他の楽器から、ひとつ以上の役割を引き受けるメンバー4人によって編成される。 ロックンロールという言葉は、1951年にDJのアラン・フリードによって、ダンス向きの黒人音楽を指す言葉として名付けられたとされる。1954年にはビル・ヘイリーとヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が発表され、さらに1956年にエルヴィス・プレスリーがロカビリーで成功を収めると、多くのアーティストがロックの演奏をはじめ、ロックは音楽の一大ジャンルとなった。ロックは時を置かずイギリスにも上陸したものの、一方アメリカでは商業化の進展とともに活力が失われていき、1950年代末から1960年代初頭にかけては一時失速した。フォークのプロテスト精神を継承し、ロック・ミュージックは政治行動や人種、性別、セックス、ドラッグに対する社会的態度とも結びついており、旧世代による体制や、消費主義に対する若者による反乱でもあった。 1960年代後半の時期は、ロックの「黄金時代 (golden age)」「ルネッサンス」、後にクラシック・ロック(classic rock)」とも呼ばれた。 1964年、ビートルズはロックンロールが誕生した国、アメリカへの上陸を果たし、全米チャートでヒットを連発することになった。ビートルズ以外にも、エリック・バードン率いるアニマルズやローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクス、ゾンビーズ、デイヴ・クラーク5といったイギリスのロック・バンドなどがこの時期にアメリカでヒットを出したことから、これはブリティッシュ・インヴェイジョン (British Invasion: イギリスの侵略)と呼ばれる。アメリカでもブリティッシュ・インヴェイジョンの影響を受けて、後にガレージロックと呼ばれるグループが次々と登場し、一部のバンドは成功を収めた。その中で特に人気を博したのは、カリフォルニア出身のビーチ・ボーイズであった。ニューヨークで結成されたヴェルヴェット・アンダーグラウンドは、商業的な成功を収めることはできなかったが、ルー・リードの実験的音楽性や文学的素養からアート・ロックと呼ばれ、ドアーズやザ・ストゥージズ、後のパンク・ロックやニュー・ウェイヴに影響を与えた。 また、時を同じくしてブリティッシュ・インヴェイジョンの影響を受けたフォーク・グループも次々と登場した。これらのグループの多くは元々はフォークを演奏していた若者たちによって結成されたものであり、彼らの音楽性もフォークからの影響を受けたものであったため、この動きはフォーク・ロックと呼ばれた。フォーク・ロックの代表的アーティストには、ボブ・ディラン、バーズ、タートルズ、ママス&パパス、ボー・ブラメルズ、グラスルーツ、バッファロー・スプリングフィールドなどがいた。1960年代末からは、サンタナなどのラテン・ロック、カントリーロックのニール・ヤングやイーグルスも登場した。 このころには、1967年にカリフォルニア州のモントレーでモントレー・ポップ・フェスティバルが開催されたのを皮切りに大規模なロック・フェスティバルが各地で開催されるようになり、なかでも1969年に行われたウッドストック・フェスティバルは40万人もの観客が集結した伝説的なイベントとして語り継がれている。 1960年代末にレッド・ツェッペリン、クリームなどが登場し、ブルースをよりロック的に演奏することに重点を置くようになった。エレクトリックギターのエフェクター類の発展や、大音量の出せるPA等も、これらの新しいサウンドを支えた。そしてビートルズ(曲「ヘルタースケルター」)、ジミ・ヘンドリクス、クリーム、キンクスなどをルーツしたハードロックが登場した。ディープ・パープル、レッド・ツェッペリンは1970年代前半に商業的成功を収めたハード・ロックとなった。グランド・ファンク・レイルロード、フリー、ブラック・サバス、マウンテン、ユーライア・ヒープらが後に続き、1970年代にはその影響を受けたクイーン、キッス、エアロスミスがデビューした。1970年代前半には、派手なメイクのT・レックス、デヴィッド・ボウイ、ロキシー・ミュージック、モット・ザ・フープルやアリス・クーパーらのグラム・ロックも人気を博した。 1960年代末には実験的サウンドへの志向が強まり、長尺の曲や、難解な歌詞、楽器の演奏技術を極限まで極める傾向も出てきた。この傾向はヨーロッパ、特にイギリスにおいて強かった。シンセサイザーやメロトロンなど最新の楽器を使用し、クラシックを背景に高度な技術を駆使したロックはプログレッシブ・ロックと呼ばれた。代表的なバンドにはピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾン、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、ジェネシス、ムーディー・ブルースなどがいた。 1970年代前半のプログレッシブ・ロックやハードロックが隆盛だったが、75年以降は産業ロックがチャートに目立つようになってきた。それに対して「ロックは死んだ」と宣言しストレートでシンプルなロックに回帰したのが、1970年代後半に生まれたパンク・ロックだった。 1973年デビューのニューヨーク・ドールズや、1970年代半ばに登場したパティ・スミス、ラモーンズ、ディクテイターズなどにより1975年ごろ誕生したといわれるパンク・ロック(いわゆるニューヨーク・パンク)は、ラモーンズのロンドン公演などを機にロンドンでも存在が知られるようになる。 1976年末にはダムドが活動をはじめ、翌年にはセックス・ピストルズが結成され、ジャム、ザ・クラッシュ、ストラングラーズらが続きロンドン・パンクが興隆、社会現象となった。当時のロンドン・パンクは、1960年代のシンプルなロックンロールの原点に戻った。パンクは、テクニックを気にしないアグレッシヴな演奏、右翼からの襲撃対象となる程、権力や体制に反抗的で過激なロックだった。パンクが短期間で終息した後は、スティッフ、2トーンらのインディー・レーベルによるニュー・ウェイヴが登場した。 ニュー・ヴェイヴの代表的ミュージシャン、バンドとして、エルヴィス・コステロ率いるジ・アトラクションズやポリス、トーキング・ヘッズ、ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、パブリック・イメージ・リミテッドなどがいる。 1980年代以降、メインストリームから外れ、パンク・ロックなどの影響を受けたオルタナティヴ・ロックが台頭した。代表的なバンドとして、ザ・ストーン・ローゼズ、プライマル・スクリーム、ザ・スミス、R.E.M.、ソニック・ユース、ピクシーズ、スマッシング・パンプキンズなどがいる。中でも、パンク・ロックとヘヴィメタルの要素を融合したグランジは、ニルヴァーナ、パール・ジャム、サウンドガーデンなどを生み、ロックの潮流を大きく変えた。 電子音楽やノイズミュージックとハードロックやヘヴィメタルを融合したインダストリアル・ロックも登場した。代表的なバンドとして、ミニストリーやナイン・インチ・ネイルズなどがいる。 また、ヒップホップの台頭を受け、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、コーンなど、ファンクやヘヴィメタルとヒップホップを融合させるバンドも現れた。 1990年代、ロンドンやマンチェスターを中心に、ブリティッシュ・インヴェイジョン、グラム・ロック、パンク・ロックといったイギリスのロック黄金期の影響を受けたブリットポップと呼ばれるバンドが多くデビューした。代表的なバンドとして、ブラー、オアシス、スウェード、パルプ、ザ・ヴァーヴなどがいる。また、フィードバック・ノイズやディストーションなどを複雑に用いたギターによるミニマルなリフの繰り返し、浮遊感のあるサウンドが特徴のシューゲイザーも登場する。代表的なバンドとして、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、ジーザス&メリーチェイン、ライドなどがいる。 1990年代以降、ギターをリフやパワーコードではなく音色や響きを重視して演奏するなど、ロックの枠組みにとらわれない新しいサウンドを目指すアーティストが出現する。代表的なミュージシャンとして、シカゴ出身のトータスやジム・オルークがいる。 テクノ・ミュージックの隆盛により、ロックとテクノを融合させたアーティストも多く生まれた。代表的なミュージシャンとして、マッシヴ・アタック、プロディジー、ケミカル・ブラザーズなどがいる。また、ブリットポップ出身のレディオヘッドがエレクトロニカの要素を強め、電子音楽とロックの境界はさらに縮まった。 2000年代以降は、音楽性の多様化でロックをカテゴライズするのが難しくなっていく。パンクやニューウェイヴの流れをくむガレージロックでは、ザ・ホワイト・ストライプス、ザ・ストロークス、ザ・リバティーンズ、アークティック・モンキーズなどがいる。ダンス・ミュージックとパンクを融合したダンス・パンクでは、LCDサウンドシステム、フランツ・フェルディナンド、!!!などがいる。プログレッシブ・ロックとヘヴィメタルを融合したプログレッシブ・メタルでは、トゥールやアイシスがいる。インストゥルメンタルを主軸に置くポストロックでは、モグワイやゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラーがいる。実験音楽やサイケデリック・ロックなどを融合したドリーム・ポップでは、シガー・ロスやアニマル・コレクティヴがいる。
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"ロックンロールという言葉は、1951年にDJのアラン・フリードによって、ダンス向きの黒人音楽を指す言葉として名付けられたとされる。1954年にはビル・ヘイリーとヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が発表され、さらに1956年にエルヴィス・プレスリーがロカビリーで成功を収めると、多くのアーティストがロックの演奏をはじめ、ロックは音楽の一大ジャンルとなった。ロックは時を置かずイギリスにも上陸したものの、一方アメリカでは商業化の進展とともに活力が失われていき、1950年代末から1960年代初頭にかけては一時失速した。フォークのプロテスト精神を継承し、ロック・ミュージックは政治行動や人種、性別、セックス、ドラッグに対する社会的態度とも結びついており、旧世代による体制や、消費主義に対する若者による反乱でもあった。", "title": "初期" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1960年代後半の時期は、ロックの「黄金時代 (golden age)」「ルネッサンス」、後にクラシック・ロック(classic rock)」とも呼ばれた。", "title": "ブリティッシュ・インヴェイジョンとフォーク・ロックほか" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1964年、ビートルズはロックンロールが誕生した国、アメリカへの上陸を果たし、全米チャートでヒットを連発することになった。ビートルズ以外にも、エリック・バードン率いるアニマルズやローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクス、ゾンビーズ、デイヴ・クラーク5といったイギリスのロック・バンドなどがこの時期にアメリカでヒットを出したことから、これはブリティッシュ・インヴェイジョン (British Invasion: イギリスの侵略)と呼ばれる。アメリカでもブリティッシュ・インヴェイジョンの影響を受けて、後にガレージロックと呼ばれるグループが次々と登場し、一部のバンドは成功を収めた。その中で特に人気を博したのは、カリフォルニア出身のビーチ・ボーイズであった。ニューヨークで結成されたヴェルヴェット・アンダーグラウンドは、商業的な成功を収めることはできなかったが、ルー・リードの実験的音楽性や文学的素養からアート・ロックと呼ばれ、ドアーズやザ・ストゥージズ、後のパンク・ロックやニュー・ウェイヴに影響を与えた。", "title": "ブリティッシュ・インヴェイジョンとフォーク・ロックほか" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "また、時を同じくしてブリティッシュ・インヴェイジョンの影響を受けたフォーク・グループも次々と登場した。これらのグループの多くは元々はフォークを演奏していた若者たちによって結成されたものであり、彼らの音楽性もフォークからの影響を受けたものであったため、この動きはフォーク・ロックと呼ばれた。フォーク・ロックの代表的アーティストには、ボブ・ディラン、バーズ、タートルズ、ママス&パパス、ボー・ブラメルズ、グラスルーツ、バッファロー・スプリングフィールドなどがいた。1960年代末からは、サンタナなどのラテン・ロック、カントリーロックのニール・ヤングやイーグルスも登場した。", "title": "ブリティッシュ・インヴェイジョンとフォーク・ロックほか" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "このころには、1967年にカリフォルニア州のモントレーでモントレー・ポップ・フェスティバルが開催されたのを皮切りに大規模なロック・フェスティバルが各地で開催されるようになり、なかでも1969年に行われたウッドストック・フェスティバルは40万人もの観客が集結した伝説的なイベントとして語り継がれている。", "title": "ブリティッシュ・インヴェイジョンとフォーク・ロックほか" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1960年代末にレッド・ツェッペリン、クリームなどが登場し、ブルースをよりロック的に演奏することに重点を置くようになった。エレクトリックギターのエフェクター類の発展や、大音量の出せるPA等も、これらの新しいサウンドを支えた。そしてビートルズ(曲「ヘルタースケルター」)、ジミ・ヘンドリクス、クリーム、キンクスなどをルーツしたハードロックが登場した。ディープ・パープル、レッド・ツェッペリンは1970年代前半に商業的成功を収めたハード・ロックとなった。グランド・ファンク・レイルロード、フリー、ブラック・サバス、マウンテン、ユーライア・ヒープらが後に続き、1970年代にはその影響を受けたクイーン、キッス、エアロスミスがデビューした。1970年代前半には、派手なメイクのT・レックス、デヴィッド・ボウイ、ロキシー・ミュージック、モット・ザ・フープルやアリス・クーパーらのグラム・ロックも人気を博した。", "title": "ハードロックとグラム・ロック" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1960年代末には実験的サウンドへの志向が強まり、長尺の曲や、難解な歌詞、楽器の演奏技術を極限まで極める傾向も出てきた。この傾向はヨーロッパ、特にイギリスにおいて強かった。シンセサイザーやメロトロンなど最新の楽器を使用し、クラシックを背景に高度な技術を駆使したロックはプログレッシブ・ロックと呼ばれた。代表的なバンドにはピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾン、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、ジェネシス、ムーディー・ブルースなどがいた。", "title": "プログレッシヴ・ロック" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1970年代前半のプログレッシブ・ロックやハードロックが隆盛だったが、75年以降は産業ロックがチャートに目立つようになってきた。それに対して「ロックは死んだ」と宣言しストレートでシンプルなロックに回帰したのが、1970年代後半に生まれたパンク・ロックだった。", "title": "パンク/ニューウェイヴ" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1973年デビューのニューヨーク・ドールズや、1970年代半ばに登場したパティ・スミス、ラモーンズ、ディクテイターズなどにより1975年ごろ誕生したといわれるパンク・ロック(いわゆるニューヨーク・パンク)は、ラモーンズのロンドン公演などを機にロンドンでも存在が知られるようになる。", "title": "パンク/ニューウェイヴ" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1976年末にはダムドが活動をはじめ、翌年にはセックス・ピストルズが結成され、ジャム、ザ・クラッシュ、ストラングラーズらが続きロンドン・パンクが興隆、社会現象となった。当時のロンドン・パンクは、1960年代のシンプルなロックンロールの原点に戻った。パンクは、テクニックを気にしないアグレッシヴな演奏、右翼からの襲撃対象となる程、権力や体制に反抗的で過激なロックだった。パンクが短期間で終息した後は、スティッフ、2トーンらのインディー・レーベルによるニュー・ウェイヴが登場した。 ニュー・ヴェイヴの代表的ミュージシャン、バンドとして、エルヴィス・コステロ率いるジ・アトラクションズやポリス、トーキング・ヘッズ、ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、パブリック・イメージ・リミテッドなどがいる。", "title": "パンク/ニューウェイヴ" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1980年代以降、メインストリームから外れ、パンク・ロックなどの影響を受けたオルタナティヴ・ロックが台頭した。代表的なバンドとして、ザ・ストーン・ローゼズ、プライマル・スクリーム、ザ・スミス、R.E.M.、ソニック・ユース、ピクシーズ、スマッシング・パンプキンズなどがいる。中でも、パンク・ロックとヘヴィメタルの要素を融合したグランジは、ニルヴァーナ、パール・ジャム、サウンドガーデンなどを生み、ロックの潮流を大きく変えた。", "title": "オルタナティブ・ロックとグランジ" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "電子音楽やノイズミュージックとハードロックやヘヴィメタルを融合したインダストリアル・ロックも登場した。代表的なバンドとして、ミニストリーやナイン・インチ・ネイルズなどがいる。", "title": "オルタナティブ・ロックとグランジ" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "また、ヒップホップの台頭を受け、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、コーンなど、ファンクやヘヴィメタルとヒップホップを融合させるバンドも現れた。", "title": "オルタナティブ・ロックとグランジ" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1990年代、ロンドンやマンチェスターを中心に、ブリティッシュ・インヴェイジョン、グラム・ロック、パンク・ロックといったイギリスのロック黄金期の影響を受けたブリットポップと呼ばれるバンドが多くデビューした。代表的なバンドとして、ブラー、オアシス、スウェード、パルプ、ザ・ヴァーヴなどがいる。また、フィードバック・ノイズやディストーションなどを複雑に用いたギターによるミニマルなリフの繰り返し、浮遊感のあるサウンドが特徴のシューゲイザーも登場する。代表的なバンドとして、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、ジーザス&メリーチェイン、ライドなどがいる。", "title": "ブリットポップ" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1990年代以降、ギターをリフやパワーコードではなく音色や響きを重視して演奏するなど、ロックの枠組みにとらわれない新しいサウンドを目指すアーティストが出現する。代表的なミュージシャンとして、シカゴ出身のトータスやジム・オルークがいる。", "title": "ポストロック" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "テクノ・ミュージックの隆盛により、ロックとテクノを融合させたアーティストも多く生まれた。代表的なミュージシャンとして、マッシヴ・アタック、プロディジー、ケミカル・ブラザーズなどがいる。また、ブリットポップ出身のレディオヘッドがエレクトロニカの要素を強め、電子音楽とロックの境界はさらに縮まった。", "title": "ポストロック" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "2000年代以降は、音楽性の多様化でロックをカテゴライズするのが難しくなっていく。パンクやニューウェイヴの流れをくむガレージロックでは、ザ・ホワイト・ストライプス、ザ・ストロークス、ザ・リバティーンズ、アークティック・モンキーズなどがいる。ダンス・ミュージックとパンクを融合したダンス・パンクでは、LCDサウンドシステム、フランツ・フェルディナンド、!!!などがいる。プログレッシブ・ロックとヘヴィメタルを融合したプログレッシブ・メタルでは、トゥールやアイシスがいる。インストゥルメンタルを主軸に置くポストロックでは、モグワイやゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラーがいる。実験音楽やサイケデリック・ロックなどを融合したドリーム・ポップでは、シガー・ロスやアニマル・コレクティヴがいる。", "title": "ポストロック" } ]
音楽ジャンルとしてのロック、もしくはロック・ミュージック、ロック音楽は、1950年代にアメリカ合衆国の黒人音楽であるロックンロールやブルース、カントリーミュージックを起源とし、1960年代以降、特にイギリスやアメリカ合衆国で、幅広く多様な様式へと展開した強いビートと電気的に増幅した大音量のサウンドを特色とする。 また、ロックミュージックは英国のモッズやスウィンギング・ロンドン、1960年代後半の米国のヒッピームーブメントやカウンターカルチャーなどの社会運動が高揚した時代と同時期に絶頂期を迎えた。1970年代後半のパンクは、ニューウェイヴへと発展した。
{{Infobox music genre | native_name = | etymology = | other_names = | image = | alt = | caption = | stylistic_origins = {{hlist-comma|[[ロックンロール]]|[[ロカビリー]]|[[ブルース]]|[[フォークソング]]|[[カントリー・ミュージック]]|[[R&B]]|[[ソウルミュージック]]|[[ジャズ]]}} | cultural_origins = [[1950年代]]、[[1960年代]]<br />{{USA}}<br />{{GBR}} | instruments = [[ボーカル]]、[[ギター]]、[[ベース (弦楽器)|ベース]]、[[ドラムセット]]、[[シンセサイザー]]、[[キーボード (楽器)|キーボード]] | derivatives = {{hlist-comma|[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]|[[ポスト・プログレッシブ]] <small>([[:en:Post-progressive|英語版]])</small>|}} | subgenres = * [[アシッド・ロック]] * [[オルタナティヴ・ロック]] * [[スタジアム・ロック]] * [[アート・ロック]] * [[ブリティッシュビート]] * [[クリスチャン・ロック]] * [[デス・ロック]] <small>([[:en:Death rock|英語版]])</small> * [[エクスペリメンタル・ロック]] * [[ガレージロック]] * [[グラムロック]] * [[ハードロック]] * [[ハートランド・ロック]] * [[ヘヴィメタル]] * [[インディー・ロック]] * [[ポストパンク]] * [[ポスト・ロック]] * [[パワー・ポップ]]<ref name="masterclass">{{cite web |title=Power Pop Guide: A Brief History of Power Pop |url=https://www.masterclass.com/articles/power-pop-guide#4-characteristics-of-power-pop |website=MasterClass |access-date=23 May 2022 |date=4 March 2022}}</ref> * [[プログレッシブ・ロック]] * [[サイケデリック・ロック]] * [[パンク・ロック]] * [[ルーツ・ロック]] * [[ソフトロック]] * [[ストーナーロック]] * [[サーフ・ミュージック]] * [[エモ]] * [[シューゲイザー]] | subgenrelist = List of rock genres | fusiongenres = * [[バロック・ポップ]] * [[ブルースロック]] * [[カントリーロック]] * [[ダンスロック]] * [[エレクトロニック・ロック]] * [[フォークロック]] * [[ファンク・ロック]] <small>([[:en:Funk rock|英語版]])</small> * [[インダストリアル・ロック]] * [[フュージョン (音楽)]] * [[ラテン・ロック]] * [[ノイズロック]] * [[ポップ・ロック]] * [[ラーガ・ロック]] * [[シンフォニック・ロック]] * [[レゲエ・ロック]] <small>([[:en:Reggae rock|英語版]])</small> * [[サンバ・ロック]] <small>([[:en:Samba rock|英語版]])</small> * [[スーフィー・ロック]] <small>([[:en:Sufi rock|英語版]])</small> * [[ノー・ウェーブ]] * [[ミクスチャー・ロック]] * [[ロカビリー]] * [[Lo-Fi]] | regional_scenes = * [[ウェストコースト・ロック]] * [[クラウトロック]] * [[サザン・ロック]] * [[日本のロック]] * [[ブリットポップ]] * [[ブリティッシュビート]] * [[ブリティッシュ・ロック]] * [[マッドチェスター]] * [[リバプールサウンド]] | local_scenes = * [[グランジ]]<ref name=azerrad1992>{{cite magazine|url=https://www.rollingstone.com/music/music-news/grunge-city-the-seattle-scene-250071/|title=Grunge City: The Seattle Scene|last1=Azerrad|first1=Michael|date=16 April 1992|magazine=Rolling Stone|access-date=2 November 2018}}</ref> * [[マッドチェスター]] * [[パルム・デザート・シーン]] <small>([[:en:Palm Desert Scene|英語版]])</small> | other_topics = * [[ビート (音楽)|ビート]] * [[ロックの殿堂]] * [[ポップ・ミュージック]] * [[ロックにおける電子楽器]] <small>([[:en:Electronics in rock music|英語版]])</small> * [[バンド (音楽)]] * [[ロック・オペラ]] * [[ロックの社会的影響]] <small>([[:en:Social effects of rock music|英語版]])</small> | footnotes = | current_year = yes }} [[音楽]]ジャンルとしての'''ロック'''、もしくは'''ロック・ミュージック'''、'''ロック音楽'''(ロックおんがく、{{lang-en|Rock music}})は、[[1950年代]]に[[アメリカ合衆国]]の[[黒人音楽]]である[[ロックンロール]]や[[ブルース]]、[[カントリーミュージック]]を起源とし、[[1960年代]]以降、特に[[イギリス]]やアメリカ合衆国で、幅広く多様な様式へと展開した<ref name="scaruffi">P. Scaruffi, ''A History of Rock Music: 1951–2000'' (iUniverse, 2003), ISBN 0-595-29565-7</ref><ref name="studwell">W. E. Studwell and D. F. Lonergan, ''The Classic Rock and Roll Reader: Rock Music from its Beginnings to the mid-1970s'' (Abingdon: Routledge, 1999), ISBN 0-7890-0151-9</ref><ref>{{allmusic|explore|genre/pop-rock-d20|Pop/Rock}}</ref>強い[[ビート (音楽)|ビート]]と電気的に増幅した大音量のサウンドを特色とする<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF-10080] - デジタル大辞泉</ref>。 また、ロックミュージックは英国の[[モッズ]]や[[:en:Swinging Sixties|スウィンギング・ロンドン]]、1960年代後半の米国の[[ヒッピー]]ムーブメントや[[カウンターカルチャー]]などの[[社会運動]]が高揚した時代と同時期に絶頂期を迎えた。1970年代後半の[[パンク・ロック|パンク]]は、[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニューウェイヴ]]へと発展した。 == 概要 == ロックンロールは、[[R&B]]、ブルースとカントリーなどを融合することで誕生した<ref>[https://www.digitalhistory.uh.edu/era.cfm?eraID=17&smtID=6 ロック デジタルヒストリー] 2022年2月5日閲覧</ref>。その後[[ビートルズ]]の登場により、ロックンロールは抽象的な要素を含むようになり「ロック」と呼ばれるようになっている。1950年代から1960年代初頭のラブ・ソング主体の[[ポップ・ミュージック|ポップス]]やロックンロールとは異なり、「ロック」の[[歌詞]]は、[[反体制|体制に対する反乱]]、[[政治問題|政治]]・[[社会問題|社会的問題]]、[[芸術]]、[[恋愛]]、[[性行為|セックス]]、[[哲学]]など、幅広いテーマを扱っていた。 音楽[[ジャーナリスト]]の[[ロバート・クリストガウ]]は多くの場合、[[白人]][[社会階級|中流階級]]のミュージシャンが優勢なジャンルであるとも述べているが、実際にはビートルズ、[[ザ・フー]]<ref group="注">「マイ・ジェネレーション」「サマータイム・ブルース」などが代表曲。</ref>、[[アニマルズ]]<ref group="注">「朝日のあたる家」「悲しき願い」などがヒット。[[反戦歌]]の「スカイ・パイロット」も発表した。</ref>などイギリスのロッカーには、「白人[[労働者階級]]出身者」が多かった。アメリカの[[ブルース・スプリングスティーン]]も、[[労働者]]の一部のアイコンとなっていった<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/artist/mn0000530745/biography |title=Bruce Springsteen |publisher=All Music |accessdate=2022-09-06}}</ref>。 社会音楽学者{{仮リンク|サイモン・フリス|en|Simon Frith}}は、ロックは「どこかポップ以上のもの、どこかロックンロール以上のもの」であり、それは「ミュージシャンが、スキルやテクニックに重点をおき、それをロマンチックなアート表現のコンセプトと組み合わせたからだ」とした。またロックは、ブルース・ギタリストやエレクトリック・ギタリストの強い影響を受けて発展してきた<ref>Michael Campbell & James Brody, [https://books.google.com/books?id=RK-JmVbv4OIC&pg=PA80 Rock and Roll: An Introduction], pp. 80–81</ref>。 == 詳細 == [[File:Rhcp-live-pinkpop05.jpg|thumb|right|250px|alt=A photograph of four members of The Red Hot Chili Peppers performing on a stage|[[レッド・ホット・チリ・ペッパーズ]](2006年撮影):リードボーカル、ギター、ベース、ドラムという4人編成ロックバンドの典型的構成である。]] ロックのサウンドは、伝統的に[[エレクトリックギター]]が中心となるが、現代的な形態のエレクトリックギターは1950年代に[[ロックンロール]]の人気とともに登場したものであった<ref>J. M. Curtis, ''Rock Eras: Interpretations of Music and Society, 1954-1984'' (Madison, WI: Popular Press, 1987), ISBN 0-87972-369-6, pp. 68-73.</ref>。ロックにおけるエレクトリックギターのサウンドは、典型的な場合、同時期の[[ジャズ]]にいち早く導入された[[エレクトリックベース]]<ref>R. C. Brewer, "Bass Guitar" in J. Shepherd, ed., ''Continuum Encyclopedia of Popular Music of the World: Volume II: Performance and Production'' (New York, NY: Continuum, 2003), ISBN 0-8264-6322-3, p. 56.</ref>と、ドラムと[[シンバル]]を組み合わせた[[ドラムセット]]による[[パーカッション]]によって支えられる<ref>R. Mattingly, "Drum Set", in J. Shepherd, ed., ''Continuum Encyclopedia of Popular Music of the World: Volume II: Performance and Production'' (New York, NY: Continuum, 2003), ISBN 0-8264-6322-3, p. 361.</ref>。この3つの楽器によるトリオに加えて、他の楽器が追加されることも多く、特に[[ピアノ]]、[[ハモンドオルガン]]、[[シンセサイザー]]といった[[キーボード (楽器)|キーボード]]類が加えられることがよくある<ref>P. Théberge, ''Any Sound you can Imagine: Making Music/Consuming Technology'' (Middletown, CT, Wesleyan University Press, 1997), ISBN 0-8195-6309-9, pp. 69-70.</ref>。ロック音楽を演奏するミュージシャンのグループは、「[[バンド (音楽)#ロックバンド|ロックバンド]]」「ロックグループ」と呼ばれることが多く、典型的には2人から5人のメンバーから構成される。ロックバンドの古典的な形は、[[ボーカル]]、[[リードギター]]、[[リズムギター]]、ベース、ドラムス、また時にはキーボード、その他の楽器から、ひとつ以上の役割を引き受けるメンバー4人によって編成される<ref>D. Laing, "Quartet", in J. Shepherd, ed., ''Continuum Encyclopedia of Popular Music of the World: Volume II: Performance and Production'' (New York, NY: Continuum, 2003), ISBN 0-8264-6322-3, p. 56.</ref>。 [[ファイル:Elvis_Presley_promoting_Jailhouse_Rock.jpg|right|220px|thumb|1956年に「[[ハートブレイク・ホテル]]」がヒット。その後も「[[ハウンド・ドッグ (曲)|ハウンド・ドッグ]]」「[[監獄ロック]]」などのヒットで、[[ロカビリー]]/[[ロックンロール]]のキングとも呼ばれた[[エルヴィス・プレスリー]]<ref>[https://artist.cdjournal.com/a/elvis-presley/105141 エルヴィス・プレスリー]CDJournal</ref>。]] == 初期 == ロックンロールという言葉は、1951年に[[ディスクジョッキー|DJ]]の[[アラン・フリード]]によって、ダンス向きの黒人音楽を指す言葉として名付けられたとされる<ref>「大衆音楽史」p100 森正人 中公新書 2008年8月25日発行</ref>。1954年には[[ビル・ヘイリー]]とヒズ・コメッツの「[[ロック・アラウンド・ザ・クロック]]」が発表され<ref>「大衆音楽史」p105 森正人 中公新書 2008年8月25日発行</ref>、さらに1956年に[[エルヴィス・プレスリー]]が[[ロカビリー]]で成功を収めると、多くのアーティストがロックの演奏をはじめ、ロックは音楽の一大ジャンルとなった<ref>「大衆音楽史」p110-111 森正人 中公新書 2008年8月25日発行</ref>。ロックは時を置かずイギリスにも上陸したものの<ref>「大衆音楽史」p115-116 森正人 中公新書 2008年8月25日発行</ref>、一方アメリカでは商業化の進展とともに活力が失われていき、1950年代末から1960年代初頭にかけては一時失速した<ref>「大衆音楽史」p123-125 森正人 中公新書 2008年8月25日発行</ref>。[[フォークソング|フォーク]]の[[プロテストソング|プロテスト]]精神を継承し、ロック・ミュージックは政治行動や人種、性別、セックス、ドラッグに対する社会的態度とも結びついており、旧世代による体制や、消費主義に対する若者による反乱でもあった。 == ブリティッシュ・インヴェイジョンとフォーク・ロックほか == [[ファイル:The Beatles in America.JPG|thumb|230px|1960年代を象徴するアイドルロックグループとなった[[ビートルズ]]<ref>[https://artist.cdjournal.com/a/the-beatles/125460 ザ・ビートルズ]CDJournal</ref>。]] [[1960年代]]後半の時期は、ロックの「黄金時代 (golden age)<ref name=scaruffi/>」「ルネッサンス」、後に[[クラシック・ロック]](classic rock)<ref name=studwell/>」とも呼ばれた。 [[1964年]]、[[ビートルズ]]はロックンロールが誕生した国、アメリカへの上陸を果たし、全米チャートでヒットを連発することになった。ビートルズ以外にも、[[エリック・バードン]]率いる[[アニマルズ]]や[[ローリング・ストーンズ]]、[[ザ・フー]]、[[キンクス]]、[[ゾンビーズ]]、デイヴ・クラーク5といったイギリスのロック・バンドなどがこの時期にアメリカでヒットを出したことから、これは'''[[ブリティッシュ・インヴェイジョン]]''' <ref>{{Cite web|title=The British Invasion: From the Beatles to the Stones, The Sixties Belonged to Britain|url=https://www.rollingstone.com/feature/the-british-invasion-from-the-beatles-to-the-stones-the-sixties-belonged-to-britain-244870/|website=Rolling Stone|date=1988-07-15|accessdate=2021-10-24|language=en-US|first=Parke|last=Puterbaugh}}</ref>(''British Invasion'': イギリスの侵略)と呼ばれる。アメリカでも[[ブリティッシュ・インヴェイジョン]]の影響を受けて、後に[[ガレージロック]]と呼ばれるグループが次々と登場し、一部のバンドは成功を収めた。その中で特に人気を博したのは、[[カリフォルニア]]出身の[[ビーチ・ボーイズ]]であった<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/artist/the-beach-boys-mn0000041874/biography |title=The Beach Boys |publisher=All Music |accessdate=2022-09-06}}</ref>。[[ニューヨーク]]で結成された[[ヴェルヴェット・アンダーグラウンド]]は、商業的な成功を収めることはできなかったが、[[ルー・リード]]の実験的音楽性や文学的素養から[[アート・ロック]]と呼ばれ、[[ドアーズ]]や[[ザ・ストゥージズ]]、後の[[パンク・ロック]]や[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]に影響を与えた<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/artist/mn0000840402/biography |title=The Velvet Underground |publisher=All Music |accessdate=2022-09-03}}</ref>。 また、時を同じくしてブリティッシュ・インヴェイジョンの影響を受けた[[フォークソング|フォーク]]・グループも次々と登場した。これらのグループの多くは元々はフォークを演奏していた若者たちによって結成されたものであり、彼らの音楽性もフォークからの影響を受けたものであったため、この動きは[[フォーク・ロック]]<ref>{{Cite web|title=Folk-Rock Music Genre Overview|url=https://www.allmusic.com/subgenre/folk-rock-ma0000002593|website=AllMusic|accessdate=2021-10-24|language=en}}</ref>と呼ばれた。フォーク・ロックの代表的アーティストには、[[ボブ・ディラン]]、[[バーズ (アメリカのバンド)|バーズ]]、[[タートルズ (アメリカのバンド)|タートルズ]]、[[ママス&パパス]]、ボー・ブラメルズ、[[グラス・ルーツ (バンド)|グラスルーツ]]、[[バッファロー・スプリングフィールド]]などがいた。1960年代末からは、[[サンタナ (バンド)|サンタナ]]などの[[ラテン・ロック]]<ref>{{cite web |url=https://books.google.com/books?id=9NCGDwAAQBAJ&pg=PT7 | title=The Spirituality of Carlos Santana |accessdate=09 March 2020}}</ref>、[[カントリーロック]]の[[ニール・ヤング]]や[[イーグルス]]も登場した<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/style/country-rock-ma0000002536 |title=Country-Rock |publisher=All Music |accessdate=2022-09-03}}</ref>。 このころには、1967年に[[カリフォルニア州]]の[[モントレー]]で[[モントレー・ポップ・フェスティバル]]が開催されたのを皮切りに大規模な[[ロック・フェスティバル]]が各地で開催されるようになり、なかでも1969年に行われた[[ウッドストック・フェスティバル]]は40万人もの観客が集結した伝説的なイベントとして語り継がれている<ref>「ロックフェスの社会学 個人化社会における祝祭をめぐって」p101-102 永井純一 ミネルヴァ書房 2016年10月30日初版第1刷発行</ref>。 == ハードロックとグラム・ロック == [[Image:LedZeppelinChicago75.jpg|thumb|right|[[ハードロック]]の有名バンドとして活動した[[レッド・ツェッペリン]]<ref>[https://artist.cdjournal.com/a/led-zeppelin/135935 レッド・ツェッペリン]CDJournal</ref>。]] [[1960年代]]末に[[レッド・ツェッペリン]]、[[クリーム (バンド)|クリーム]]などが登場し、ブルースをよりロック的に演奏することに重点を置くようになった。[[エレクトリックギター]]の[[エフェクター]]類の発展や、大音量の出せる[[Public Address|PA]]等も、これらの新しいサウンドを支えた。そしてビートルズ(曲「[[ヘルター・スケルター (ビートルズの曲)|ヘルタースケルター]]」)、[[ジミ・ヘンドリクス]]、クリーム、キンクスなどをルーツした[[ハードロック]]<ref>{{Cite web|title=Hard Rock Music Genre Overview|url=https://www.allmusic.com/subgenre/hard-rock-ma0000002636|website=AllMusic|accessdate=2021-10-24|language=en}}</ref>が登場した。[[ディープ・パープル]]、レッド・ツェッペリンは[[1970年代]]前半に商業的成功を収めたハード・ロックとなった。[[グランド・ファンク・レイルロード]]、[[フリー (バンド)|フリー]]、[[ブラック・サバス]]、[[マウンテン (バンド)|マウンテン]]、[[ユーライア・ヒープ]]らが後に続き、1970年代にはその影響を受けた[[クイーン (バンド)|クイーン]]、[[キッス]]、[[エアロスミス]]がデビューした。1970年代前半には、派手なメイクの[[T・レックス]]、[[デヴィッド・ボウイ]]、[[ロキシー・ミュージック]]、[[モット・ザ・フープル]]や[[アリス・クーパー]]らの[[グラム・ロック]]<ref group="注">Tレックスの「メタル・グゥルー」、デヴィッド・ボウイの「スター・マン」などがグラム・ロックの有名曲である。</ref>も人気を博した。 == プログレッシヴ・ロック == 1960年代末には実験的サウンドへの志向が強まり、長尺の曲や、難解な歌詞、楽器の演奏技術を極限まで極める傾向も出てきた。この傾向はヨーロッパ、特にイギリスにおいて強かった。[[シンセサイザー]]や[[メロトロン]]など最新の楽器を使用し、[[クラシック音楽|クラシック]]を背景に高度な技術を駆使したロックは[[プログレッシブ・ロック]]<ref>{{Cite web|title=Progressive Rock - Definition, Genres & Articles|url=http://www.progarchives.com/Progressive-rock.asp|website=Progarchives.com|accessdate=2021-10-24|language=en}}</ref>と呼ばれた。代表的なバンドには[[ピンク・フロイド]]、[[イエス (バンド)|イエス]]、[[キング・クリムゾン]]、[[エマーソン・レイク・アンド・パーマー]]、[[ジェネシス (バンド)|ジェネシス]]、[[ムーディー・ブルース]]などがいた。 == パンク/ニューウェイヴ == [[Image:Sex Pistols in Paradiso - Johnny Rotten & Steve Jones.jpg|right|thumb|200px|『[[勝手にしやがれ!!]]』を発表し[[ロンドン・パンク]]の中心的存在となった[[セックス・ピストルズ]]<ref>[https://artist.cdjournal.com/a/sex-pistols/116911 セックス・ピストルズ]CDJournal</ref>]] [[Image:Clash 21051980 12 800.jpg|left|thumb|200px|[[ザ・クラッシュ]]はパンクの代表的バンドの一組だった]] [[1970年代]]前半のプログレッシブ・ロックやハードロックが隆盛だったが、75年以降は[[産業ロック]]がチャートに目立つようになってきた。それに対して「ロックは死んだ」と宣言しストレートでシンプルなロックに回帰したのが、1970年代後半に生まれた[[パンク・ロック]]<ref>{{Cite web|title=Punk Music Genre Overview|url=https://www.allmusic.com/style/punk-ma0000002806|website=AllMusic|accessdate=2021-10-24|language=en}}</ref>だった。 1973年デビューの[[ニューヨーク・ドールズ]]や、1970年代半ばに登場した[[パティ・スミス]]、[[ラモーンズ]]、ディクテイターズなどにより1975年ごろ誕生したといわれるパンク・ロック<ref>「大衆音楽史」p146 森正人 中公新書 2008年8月25日発行</ref>(いわゆる[[ニューヨーク・パンク]])は、ラモーンズの[[ロンドン]]公演などを機にロンドンでも存在が知られるようになる。 1976年末には[[ダムド]]が活動をはじめ、翌年には[[セックス・ピストルズ]]<ref group="注">代表曲は「[[ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン (セックス・ピストルズの曲)|ゴッド・セイブ・ザ・クイーン]]」「[[アナーキー・イン・ザ・UK]]」など。</ref>が結成され、[[ジャム]]、[[ザ・クラッシュ]]、[[ストラングラーズ]]らが続きロンドン・パンクが興隆、社会現象となった。当時のロンドン・パンクは、[[1960年代]]のシンプルなロックンロールの原点に戻った。パンクは、テクニックを気にしないアグレッシヴな演奏、[[右翼]]からの襲撃対象となる程、権力や体制に反抗的で過激なロックだった。パンクが短期間で終息した後は、[[スティッフ・レコード|スティッフ]]、[[2トーン・レコード|2トーン]]らの[[インディーズ#映画・音楽産業におけるインディーズ|インディー・レーベル]]による[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]が登場した。 ニュー・ヴェイヴの代表的ミュージシャン、バンドとして、[[エルヴィス・コステロ]]率いるジ・アトラクションズや[[ポリス (バンド)|ポリス]]、[[トーキング・ヘッズ]]、[[ジョイ・ディヴィジョン]]、[[ニュー・オーダー]]、[[パブリック・イメージ・リミテッド]]などがいる<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/style/new-wave-ma0000002750 |title=New Wave |publisher=All Music |accessdate=2022-09-03}}</ref>。 == オルタナティブ・ロックとグランジ == [[Image:Nirvana around 1992.jpg|thumb|right|200px|怒りや絶望、混乱をダイレクトに表現した詞とサウンドで若者の支持を集め全米一位を獲得し、[[グランジ]]・ブームの牽引役を担った[[ニルヴァーナ (アメリカ合衆国のバンド)|ニルヴァーナ]]<ref>[https://artist.cdjournal.com/a/nirvana/122785 ニルヴァーナ]CDJournal</ref>。]] [[1980年代]]以降、メインストリームから外れ、パンク・ロックなどの影響を受けた[[オルタナティヴ・ロック]]が台頭した<ref>{{Cite web|url=https://books.google.co.jp/books?id=-IhmDwAAQBAJ&pg=PA6&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false |title=Indies, Phonies, and Alts |publisher=The History of Alternative Rock |accessdate=2022-09-03}}</ref>。代表的なバンドとして、[[ザ・ストーン・ローゼズ]]、[[プライマル・スクリーム]]、[[ザ・スミス]]、[[R.E.M.]]、[[ソニック・ユース]]、[[ピクシーズ]]、[[スマッシング・パンプキンズ]]などがいる。中でも、パンク・ロックと[[ヘヴィメタル]]の要素を融合した[[グランジ]]は、[[ニルヴァーナ (アメリカ合衆国のバンド)|ニルヴァーナ]]、[[パール・ジャム]]、[[サウンドガーデン]]などを生み、ロックの潮流を大きく変えた<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/style/grunge-ma0000002626 |title=Grunge |publisher=All Music |accessdate=2022-09-03}}</ref>。 [[電子音楽]]や[[ノイズミュージック]]とハードロックやヘヴィメタルを融合した[[インダストリアル・ロック]]も登場した。代表的なバンドとして、[[ミニストリー]]や[[ナイン・インチ・ネイルズ]]などがいる<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/style/industrial-ma0000002658 |title=Industrial |publisher=All Music |accessdate=2022-09-03}}</ref>。 また、[[ヒップホップ]]の台頭を受け、[[レッド・ホット・チリ・ペッパーズ]]、[[レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン]]、[[コーン (バンド)|コーン]]など、[[ファンク]]やヘヴィメタルとヒップホップを融合させるバンドも現れた<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/style/rap-metal-ma0000002817 |title=Rap-Metal |publisher=All Music |accessdate=2022-09-03}}</ref>。 == ブリットポップ == [[1990年代]]、[[ロンドン]]や[[マンチェスター]]を中心に、ブリティッシュ・インヴェイジョン、グラム・ロック、パンク・ロックといったイギリスのロック黄金期の影響を受けた[[ブリットポップ]]と呼ばれるバンドが多くデビューした<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/style/britpop-ma0000002480 |title=Britpop |publisher=All Music |accessdate=2022-09-03}}</ref>。代表的なバンドとして、[[ブラー]]、[[オアシス (バンド)|オアシス]]、[[スウェード]]、[[パルプ (バンド)|パルプ]]、[[ザ・ヴァーヴ]]などがいる。また、[[フィードバック・ノイズ]]や[[ディストーション (音響機器)|ディストーション]]などを複雑に用いたギターによる[[ミニマル・ミュージック|ミニマル]]な[[リフ]]の繰り返し、浮遊感のあるサウンドが特徴の[[シューゲイザー]]も登場する。代表的なバンドとして、[[マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン]]、[[ジーザス&メリーチェイン]]、[[ライド (バンド)|ライド]]などがいる<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/style/shoegaze-ma0000004454 |title=Shoegaze |publisher=All Music |accessdate=2022-09-03}}</ref>。 == ポストロック == 1990年代以降、ギターを[[リフ]]や[[パワーコード]]ではなく音色や響きを重視して演奏するなど、ロックの枠組みにとらわれない新しいサウンドを目指すアーティストが出現する。代表的なミュージシャンとして、[[シカゴ]]出身の[[トータス]]や[[ジム・オルーク (ミュージシャン)|ジム・オルーク]]がいる<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/style/post-rock-ma0000002790 |title=Post-Rock |publisher=All Music |accessdate=2022-09-03}}</ref>。 [[テクノ・ミュージック]]の隆盛により、ロックとテクノを融合させたアーティストも多く生まれた。代表的なミュージシャンとして、[[マッシヴ・アタック]]、[[プロディジー]]、[[ケミカル・ブラザーズ]]などがいる。また、ブリットポップ出身の[[レディオヘッド]]が[[エレクトロニカ]]の要素を強め、電子音楽とロックの境界はさらに縮まった<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/style/electronica-ma0000002574 |title=Electronica |publisher=All Music |accessdate=2022-09-03}}</ref>。 [[2000年代]]以降は、音楽性の多様化でロックをカテゴライズするのが難しくなっていく。パンクやニューウェイヴの流れをくむ[[ガレージロック]]では、[[ザ・ホワイト・ストライプス]]、[[ザ・ストロークス]]、[[ザ・リバティーンズ]]、[[アークティック・モンキーズ]]などがいる<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/style/garage-rock-revival-ma0000012343 |title=Garage Rock Revival |publisher=All Music |accessdate=2022-09-03}}</ref>。[[エレクトロニック・ダンス・ミュージック|ダンス・ミュージック]]とパンクを融合した[[ダンス・パンク]]では、[[LCDサウンドシステム]]、[[フランツ・フェルディナンド (バンド)|フランツ・フェルディナンド]]、[[!!!]]などがいる<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/style/alternative-dance-ma0000011883 |title=Alternative Dance |publisher=All Music |accessdate=2022-09-03}}</ref>。プログレッシブ・ロックとヘヴィメタルを融合した[[プログレッシブ・メタル]]では、[[トゥール (バンド)|トゥール]]や[[アイシス (バンド)|アイシス]]がいる<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/style/progressive-metal-ma0000002797 |title=Progressive Metal |publisher=All Music |accessdate=2022-09-03}}</ref>。[[インストゥルメンタル]]を主軸に置く[[ポストロック]]では、[[モグワイ]]や[[ゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラー]]がいる<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/style/experimental-rock-ma0000002583 |title=Experimental Rock |publisher=All Music |accessdate=2022-09-03}}</ref>。[[実験音楽]]や[[サイケデリック・ロック]]などを融合した[[ドリーム・ポップ]]では、[[シガー・ロス]]や[[アニマル・コレクティヴ]]がいる<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/style/dream-pop-ma0000012303 |title=Dream Pop |publisher=All Music |accessdate=2022-09-03}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|3}} == 関連項目 == * [[ロックミュージシャンの一覧]] * [[ロックンロール]] * [[ロックの殿堂]] * [[クラシック・ロック]] * [[日本のロック]] == 外部リンク == * {{Kotobank|ロック(ポピュラー音楽)}} {{ポップ・ミュージック}} {{ロック・ミュージック}} {{音楽}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ろつく}} [[Category:ロック|!]] [[Category:音楽のジャンル]] [[Category:ロックのジャンル]]
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やぶうち優
やぶうち 優(やぶうち ゆう、1969年12月1日 - )は、日本の女性漫画家、同人作家。兵庫県西宮市出身。北海道札幌市在住。 代表作に『水色時代』、『少女少年』、『ないしょのつぼみ』、『まほちゅー!』など。 1983年、13歳の時、『ちゃお』(小学館)9月号増刊に掲載の『ボインでごめん!』でデビュー。デビュー時のペンネームは薮内 優(やぶうち ゆう)。 1980年代は『ちゃお』とその派生誌で読切作品を執筆した。その後、『ちゃお』のレギュラー作家として連載作品を発表し、1990年代前半から中盤にかけては、後輩のあらいきよこ、清水真澄と共に『ちゃお』の看板作家として活躍した。 作風は自身の青春体験からの創作である。『水色時代を過ぎても』『ないしょのつぼみ』は自身の体験を取り入れている。 1996年に『水色時代』がテレビアニメ化された際、『小学六年生』にその派生作品を執筆したのを機に、小学館の学年別学習雑誌に活躍の場を広げることになり、以後、2012年まで『小学六年生』、『小学五年生』、『小学四年生』の各学年誌にて連載作品を執筆する。 2000年代前半は主に小学館の学年誌での連載作品と『ちゃお』の派生誌での読切作品の執筆を行っていた。またこの間、『プチコミック』にも1度だけ読み切りを執筆している。2005年の『ChuChu』創刊後は、小学館の学年誌での連載作品執筆の傍らで『ChuChu』のレギュラー作家として活躍した。 2009年、『ないしょのつぼみ』で第54回(平成20年度)小学館漫画賞児童向け部門を受賞。同年、『ChuChu』休刊を機に『ちゃお』のレギュラー作家として復帰することになり、2021年現在は『ちゃお』とその派生誌で活躍中。 2020年4月30日に発売された『ゲキカワ♥デビル』第9巻にて全作品の単行本部数が累計600万部を突破した。 思春期の少年少女の心情を、身体と心の成長や社会環境と絡ませながら執筆することを得意とし、10代の少女から20代~30代の男性を始めとする幅広い年代からファンを獲得している。その実績を買われ、小学館の学年誌で性教育を絡ませた漫画を執筆している。また、ファンタジーやSF、ギャグ等も描いており、創作内容は様々なジャンルに及ぶ。やぶうちの作品の一つ『ないしょのつぼみ』の単行本は特に男性層に売れている。初期に執筆した作品には、赤石路代、わかつきめぐみの影響が窺える。 基本的に少女漫画であるにかかわらず、少年漫画的なお色気シーンをよく取り入れている珍しい作風でもあるが、2016年から連載している『ゲキカワ♥デビル』では年齢が低い読者にも理解できるような作風に変えている。 表紙などのカラーイラストの製作は、『新水色時代』の執筆時から、CGを使用している。CGを使用し始めた時は「CGらしく見えないよう、手塗り感覚を大事にする」を念頭に置いて製作を行っていた。2019年現在、漫画製作はフルデジタルに移行している。 好きなものは鉄道と鳥で、後者の方は特に文鳥がお気に入り、とのこと。 現在2児の母。 同人作家としても活動歴があり、雑誌連載と育児の傍らで行っていた同人誌活動は多忙のため一次的に休止していたが、『ドーリィ♪カノン』執筆時から再開し、『ドーリィ♪カノン』の同人誌や片岡嗣実の自主アルバムのジャケットを描いている。同人誌にて執筆した作品のいくつかは単行本に収録されている。 やぶうち優の名前はペンネームで、「やぶうち」は中学校の時の同じ部活に入っていた同学年の人から、「優」は本名の「優子」からそれぞれ取ったという。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "やぶうち 優(やぶうち ゆう、1969年12月1日 - )は、日本の女性漫画家、同人作家。兵庫県西宮市出身。北海道札幌市在住。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "代表作に『水色時代』、『少女少年』、『ないしょのつぼみ』、『まほちゅー!』など。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1983年、13歳の時、『ちゃお』(小学館)9月号増刊に掲載の『ボインでごめん!』でデビュー。デビュー時のペンネームは薮内 優(やぶうち ゆう)。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1980年代は『ちゃお』とその派生誌で読切作品を執筆した。その後、『ちゃお』のレギュラー作家として連載作品を発表し、1990年代前半から中盤にかけては、後輩のあらいきよこ、清水真澄と共に『ちゃお』の看板作家として活躍した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "作風は自身の青春体験からの創作である。『水色時代を過ぎても』『ないしょのつぼみ』は自身の体験を取り入れている。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1996年に『水色時代』がテレビアニメ化された際、『小学六年生』にその派生作品を執筆したのを機に、小学館の学年別学習雑誌に活躍の場を広げることになり、以後、2012年まで『小学六年生』、『小学五年生』、『小学四年生』の各学年誌にて連載作品を執筆する。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2000年代前半は主に小学館の学年誌での連載作品と『ちゃお』の派生誌での読切作品の執筆を行っていた。またこの間、『プチコミック』にも1度だけ読み切りを執筆している。2005年の『ChuChu』創刊後は、小学館の学年誌での連載作品執筆の傍らで『ChuChu』のレギュラー作家として活躍した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2009年、『ないしょのつぼみ』で第54回(平成20年度)小学館漫画賞児童向け部門を受賞。同年、『ChuChu』休刊を機に『ちゃお』のレギュラー作家として復帰することになり、2021年現在は『ちゃお』とその派生誌で活躍中。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2020年4月30日に発売された『ゲキカワ♥デビル』第9巻にて全作品の単行本部数が累計600万部を突破した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "思春期の少年少女の心情を、身体と心の成長や社会環境と絡ませながら執筆することを得意とし、10代の少女から20代~30代の男性を始めとする幅広い年代からファンを獲得している。その実績を買われ、小学館の学年誌で性教育を絡ませた漫画を執筆している。また、ファンタジーやSF、ギャグ等も描いており、創作内容は様々なジャンルに及ぶ。やぶうちの作品の一つ『ないしょのつぼみ』の単行本は特に男性層に売れている。初期に執筆した作品には、赤石路代、わかつきめぐみの影響が窺える。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "基本的に少女漫画であるにかかわらず、少年漫画的なお色気シーンをよく取り入れている珍しい作風でもあるが、2016年から連載している『ゲキカワ♥デビル』では年齢が低い読者にも理解できるような作風に変えている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "表紙などのカラーイラストの製作は、『新水色時代』の執筆時から、CGを使用している。CGを使用し始めた時は「CGらしく見えないよう、手塗り感覚を大事にする」を念頭に置いて製作を行っていた。2019年現在、漫画製作はフルデジタルに移行している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "好きなものは鉄道と鳥で、後者の方は特に文鳥がお気に入り、とのこと。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "現在2児の母。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "同人作家としても活動歴があり、雑誌連載と育児の傍らで行っていた同人誌活動は多忙のため一次的に休止していたが、『ドーリィ♪カノン』執筆時から再開し、『ドーリィ♪カノン』の同人誌や片岡嗣実の自主アルバムのジャケットを描いている。同人誌にて執筆した作品のいくつかは単行本に収録されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "やぶうち優の名前はペンネームで、「やぶうち」は中学校の時の同じ部活に入っていた同学年の人から、「優」は本名の「優子」からそれぞれ取ったという。", "title": "概要" } ]
やぶうち 優は、日本の女性漫画家、同人作家。兵庫県西宮市出身。北海道札幌市在住。 代表作に『水色時代』、『少女少年』、『ないしょのつぼみ』、『まほちゅー!』など。
{{特殊文字}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = やぶうち 優 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{JPN}}・[[兵庫県]][[西宮市]]<ref name="qa">{{Cite web|和書|url=http://www.dab.hi-ho.ne.jp/yabuuchi/QandA_ss.htm|title=質問コーナー|author=やぶうち優|accessdate=2011-09-08}}</ref> | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1969|12|1}} | 没年 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1983年]] - | ジャンル = [[少女漫画]] | 代表作 = 『[[水色時代]]』<ref name=t2>[http://family.shogakukan.co.jp/kids/netkun/naitsubo/ 小学館ファミリーネット ネットくんプラス ないしょのつぼみ 紹介ページ]</ref><ref name=maho>ちゃおコミックス『まほちゅー!』第4巻 181頁</ref><br />『[[少女少年]]』<ref name=t2 /><br />『[[ないしょのつぼみ]]』<ref name=maho /><br />『[[まほちゅー!]]』<ref name=maho /> | 受賞 = 第54回[[小学館漫画賞]]児童向け部門<br />(『ないしょのつぼみ』) | 公式サイト = [http://www.dab.hi-ho.ne.jp/yabuuchi/ やぶうち優 公式サイト「Utopia」] }} '''やぶうち 優'''(やぶうち ゆう、[[1969年]][[12月1日]]<ref name="mangaseek">まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、{{ISBN2|4-8169-1760-8}}、393頁</ref> - )は、[[日本]]の[[女性]][[漫画家]]<ref name="mangaseek" />、同人作家。[[兵庫県]][[西宮市]]<ref name="qa" />出身。[[北海道]][[札幌市]]在住。 代表作に『[[水色時代]]』<ref name=t2 /><ref name=maho />、『[[少女少年]]』<ref name=t2 />、『[[ないしょのつぼみ]]』<ref name=maho />、『[[まほちゅー!]]』<ref name=maho />など。 == 来歴 == [[1983年]]<ref name=t2 />、13歳の時<ref name=maho />、『[[ちゃお]]』([[小学館]])9月号増刊に掲載の『ボインでごめん!』でデビュー。デビュー時のペンネームは'''薮内 優'''(やぶうち ゆう)。 [[1980年代]]は『ちゃお』とその派生誌で読切作品を執筆した。その後、『ちゃお』のレギュラー作家として連載作品を発表し、[[1990年代]]前半から中盤にかけては、後輩の[[あらいきよこ]]、[[清水真澄 (漫画家)|清水真澄]]と共に『ちゃお』の看板作家として活躍した。 作風は自身の青春体験からの創作である。『水色時代を過ぎても』『[[ないしょのつぼみ]]』は自身の体験を取り入れている。 [[1996年]]に『[[水色時代]]』が[[テレビアニメ]]化された際、『[[小学館の学年別学習雑誌|小学六年生]]』にその派生作品を執筆したのを機に、[[小学館の学年別学習雑誌]]に活躍の場を広げることになり、以後、[[2012年]]まで『小学六年生』、『小学五年生』、『小学四年生』の各学年誌にて連載作品を執筆する。 [[2000年代]]前半は主に小学館の学年誌での連載作品と『[[ちゃお]]』の派生誌での読切作品の執筆を行っていた。またこの間、『[[プチコミック]]』にも1度だけ読み切りを執筆している。[[2005年]]の『[[ChuChu]]』創刊後は、小学館の学年誌での連載作品執筆の傍らで『ChuChu』のレギュラー作家として活躍した。 [[2009年]]、『[[ないしょのつぼみ]]』で第54回([[平成]]20年度)[[小学館漫画賞]]児童向け部門を受賞。同年、『ChuChu』休刊を機に『ちゃお』のレギュラー作家として復帰することになり、[[2021年]]現在は『ちゃお』とその派生誌で活躍中。 2020年4月30日に発売された『[[ゲキカワ・デビル|ゲキカワ♥デビル]]』第9巻にて全作品の単行本部数が累計600万部を突破した<ref>{{Cite web|和書|date=不明|url=https://comics.shogakukan.co.jp/book?isbn=9784098710324|title=ゲキカワ デビル 9|やぶうち 優|【試し読みあり】 – 小学館コミック|accessdate=2020-09-08}}</ref>。 == 概要 == [[思春期]]の少年少女の心情を、身体と心の成長や社会環境と絡ませながら執筆することを得意とし、10代の少女から20代~30代の男性を始めとする幅広い年代からファンを獲得している<ref>[https://web.archive.org/web/20080429093916/http://mainichi.jp/photo/news/20080420mog00m200111000c.html インタビュー:「ないしょのつぼみ」原作者・やぶうち優さん 「あおらずリアルに伝えたい」] [[毎日新聞|毎日jp]] 2008年4月20日(2008年4月29日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref><ref>{{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20130217052318/http://adpocket.shogakukan.co.jp/notfound.html|date=2013年2月17日}}[http://adpocket.shogakukan.co.jp/ 小学館広告局 AD Pocket] </ref>。その実績を買われ、小学館の学年誌で[[性教育]]を絡ませた漫画を執筆している。また、[[ファンタジー]]や[[サイエンス・フィクション|SF]]、[[ギャグ]]等も描いており、創作内容は様々なジャンルに及ぶ。やぶうちの作品の一つ『[[ないしょのつぼみ]]』の単行本は特に男性層に売れている<ref>[http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/rxr_detail/?id=20070802-90002656-r25 性教育漫画『ないしょのつぼみ』その人気のヒミツとは]{{リンク切れ|date=2018年3月 |bot=InternetArchiveBot }} [[R25 (雑誌)|R25.jp]] [[2007年]][[8月2日]]</ref>。初期に執筆した作品には、[[赤石路代]]、[[わかつきめぐみ]]の影響が窺える。 基本的に少女漫画であるにかかわらず、[[少年漫画]]的な[[色気|お色気]]シーンをよく取り入れている珍しい作風でもあるが、2016年から連載している『ゲキカワ♥デビル』では年齢が低い読者にも理解できるような作風に変えている<ref>[https://twitter.com/Utopia_SM/status/816165399360192513 やぶうち優Twitter - 2017年1月3日(1)]</ref><ref>[https://twitter.com/Utopia_SM/status/816165652322865153 やぶうち優Twitter - 2017年1月3日(2)]</ref>。 表紙などのカラーイラストの製作は、『新水色時代』の執筆時から、[[2次元コンピュータグラフィックス|CG]]を使用している。CGを使用し始めた時は「CGらしく見えないよう、手塗り感覚を大事にする」を念頭に置いて製作を行っていた<ref name=utopia>公式サイト『Utopia』の「シツモン」→「やぶうち本人への質問」を参照のこと。</ref>。2019年現在、漫画製作はフルデジタルに移行している<ref>小学生のミカタ『公式ファンブック ちゃおのひみつ』小学館、2019年7月1日初版発行、{{ISBN2|978-4-09-227307-8}}、100頁</ref>。 好きなものは[[鉄道]]<ref name=utopia />と[[鳥類|鳥]]で、後者の方は特に[[ブンチョウ|文鳥]]がお気に入り、とのこと。 現在2児の母<ref>ちゅちゅコミックス『初恋指南』第1巻 182~184頁</ref>。 同人作家としても活動歴があり、雑誌連載と育児の傍らで行っていた[[同人誌]]活動は多忙のため一次的に休止していたが、『ドーリィ♪カノン』執筆時から再開し、『ドーリィ♪カノン』の同人誌や[[パーキッツ|片岡嗣実]]の自主アルバムのジャケットを描いている<ref>[https://twitter.com/Utopia_SM/status/819822783139966977 やぶうち優Twitter - 2017年1月13日]</ref>。同人誌にて執筆した作品のいくつかは単行本に収録されている。 やぶうち優の名前は[[ペンネーム]]で、「やぶうち」は中学校の時の同じ部活に入っていた同学年の人から、「優」は本名の「優子」からそれぞれ取ったという<ref name=utopia /><ref>ちゅちゅ[[2010年]][[1月]]号 194ページ</ref>。 == 作品リスト == === 連載作品とその派生作品 === ; 君にストレート (『ちゃお』、[[1990年]]) : 『ちゃお』1990年8月号 - 10月号に短期集中連載。全3話。むりやり勧誘されて野球部のマネージャーになった'''嵐山さがの'''と1年生エース・'''粟野直行'''の葛藤を描いた作品。やぶうちの初連載作品である。 ; [[水色時代]]シリーズ : 普通の女の子'''河合優子'''と仲間達の思春期模様を描いた作品群。[[1996年]]に『'''水色時代'''』がテレビ東京系にてテレビアニメ化された。『'''新〜'''』『'''〜-12歳の季節-'''』はテレビアニメの放送期間に合わせて連載された作品である。 :; 水色時代 (『ちゃおデラックス』・『ちゃお』、1990年 - [[1994年]]) :: 『ちゃおデラックス』に掲載された小学生編、『ちゃお』に連載された中学生編と2編に分かれている。 :; 新水色時代 (『ちゃお』、1996年 - [[1997年]]) :: 優子が実体験を元に書いた小説、という設定。登場人物はほぼ同じだが、シリーズ作の中で唯一、作品世界が異なる。 :; 水色時代 - 12歳の季節 - (『[[小学館の学年別学習雑誌|小学六年生]]』、1996年 - 1997年) :: 小学生編の続編に当たる。 :; 水色時代を過ぎても [十九歳の地図] (『[[プチコミック]]』、2002年10月号) :: 短大生になった優子の話。単行本では[[小学館文庫]]コミック版『水色時代』第4巻に収録。 ; [[KAREN (やぶうち優の漫画)|KAREN]] (『ちゃお』、1994年 - 1996年) : [[19世紀]]末の[[ロンドン]]と日本を舞台に、不思議な力をもった謎の少女'''カレン'''が2人の少年と共に母親と自分のルーツを探しにいくミステリアスなファンタジー。 ; まんが家しちゃお{{JIS2004フォント|♥}} (『ちゃお』、1994年 - 1995年) : [[ちゃお#ちゃおまんがスクール|ちゃおまんがスクール]]内で1ページ連載。まんが家を目指す小学生・'''やぶち やお'''が、元まんが家だった母・'''ゆう'''に教えを請いながらまんがの描き方を学んでいく内容。 ; おねがい!マルチくん (『ちゃおデラックス』、1995年 - 1996年) : 作者いわく「少女まんが版『[[ドラえもん]]』」。いまいち冴えない女の子'''小波奈夢子'''と、おもちゃ屋の息子で幼なじみの発明少年'''マルチ'''くん(本名'''丸地たすく''')の話。登場人物名の多くはゲームメーカーやコンピュータ用語に由来。 ; [[少女少年]]シリーズ(1997年 - 2004年) : 小学館の学年誌『小学六年生』・『小学五年生』にて連載。[[小学生]]の[[男の子]]が[[美少女]]に扮して芸能界で活躍する物語。本来は[[1997年]]度の『小学六年生』に連載された1作のみの予定だったが、シリーズ化され第7作まで続いた。 :; [[〜少女少年〜 GO!GO!ICHIGO]] (『ちゃおデラックス』、2004年 - [[2005年]]) :: 女の子の主人公と、普段から女装姿の男の子が繰り広げるドタバタラブコメ。シリーズ中この作品のみ、芸能界が一切関わってこない展開になっている。 ; [[おちゃらかほい!]] (『ちゃお』、1997年 - [[1998年]]) : 中学校に入学した'''早乙女茶織'''が、おしとやかで可憐な性格になりたいと思って入った茶道部の部員達は、なんと一癖も二癖も溢れる個性的な面々だった…。少年漫画顔負けの[[下ネタ]]がふんだんに盛り込まれたドタバタギャグ作品。 ; みどりのつばさ (『ちゃお』、1998年 - [[1999年]]) : ニュータウン造成によって、ニュータウンの住民と古くからの住民とが完全に冷え切った関係にある村が舞台の物語。ニュータウンに引越してきた'''鳥越翠'''は[[人力飛行機]]を作って大空を飛ぼうとしている村の大地主の息子'''森翼'''に惹かれるが…。 ; ぴゅあ{{JIS2004フォント|♥}}ぴゅあ (『ちゃお』、1999年) : 小学4年生の'''佐藤みるく'''と、みるくのいとこと名乗り小学校の先生になった天使のたまご'''るう'''(人間名は'''堀江るう''')が繰り広げるファンタジー。この作品から2010年まで約11年、『ちゃお』の連載陣から外れることになる。 ; [[EVE★少女のたまご★]] (『小学五年生』、[[2000年]] - [[2001年]]) : 少女型[[ロボット]]'''内藤イブ'''が人間から愛されるロボットになるために、小学校生活を繰り広げる成長と恋の物語。 ; [[ないしょのつぼみ]] ([[2004年]] - [[2012年]]) : 小学館の学年誌に掲載の少女向け性教育漫画。主に『[[小学館の学年別学習雑誌|小学五年生]]』にて2010年まで連載された後、『[[小学館の学年別学習雑誌|小学四年生]]』にて2010年から2012年まで連載された。2008年に[[OVA]]化された。 ; [[アニコン]] (『[[ChuChu]]』、2005年 - [[2006年]]) : 顔よし、容姿よし、性格よし、だけど[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]][[おたく]]な兄'''東雲理一'''(しののめ りいち)とそんなお兄ちゃんが大好きな義妹'''真綾'''(まあや、通称 '''まあち''')が繰り広げるオタクなラブコメ。 ; [[ひとひらの恋が降る]](『ChuChu』、2006年 - [[2008年]]) : 北海道の札幌に住む'''澄川晴流'''は、'''福住凪'''という彼氏がいるのに、'''平岸颯'''のことが気になってしまう。そんな時に、颯と「2人で見ると結ばれる」という噂のある「午前六時の[[ブルートレイン (日本)|ブルートレイン]]」を見てしまい…。 ; ちゆ&ガンマのまんが入門(『ChuChu』、[[2007年]] - [[2009年]]) : ちゅちゅまんがゼミナール内での1ページ連載。漫画家になりたいと思っていた'''ちゆ'''の所に、全身がカエルの姿をした謎の男'''ガンマ'''がガマ・ンガ星から現れ、漫画家になるべく学んで行く。単行本ではちゅちゅコミックス『初恋指南』第2巻に収録。 ; [[初恋指南]](『ChuChu』、2008年 - 2009年) : 少女漫画家を目指す女の子'''本田南央'''の漫画家と恋の道のりを描いた物語。 ; [[まほちゅー!]]シリーズ (『ちゃお』、[[2010年]] - 2012年) : 『ちゃお』では約11年ぶりの連載作品。ドジな女の子'''天王洲あいる'''は母から先祖代々に渡る衝撃的な秘密を告げられ、[[魔法]]学校の[[中学校|中学部]]へ編入することになったが…。 : [[2010年]][[4月]]号から[[2010年]][[11月]]号にかけて『'''まほちゅー!'''』、[[2011年]][[1月]]号から[[6月]]号にかけて『'''まほちゅー!+'''』、[[2011年]][[8月]]号から[[2012年]]1月号にかけて『'''まほちゅー!&'''』の題名で連載された。 ; らくらく入門!まんがのいろは (『[[ちゃお]]』、[[2011年]] - 2012年) : ちゃおまんがスクール内で1ページ連載。クラスのみんなに絵がうまいと言われている女の子'''いろは'''が「将来は漫画家かも」と甘い幻想を持ったところへやぶうち優先生が現れた。いろはは漫画の描き方を知るため、やぶうち先生の教えを学んで行く。単行本ではちゃおコミックス『ドーリィ♪カノン』第10巻に収録。 ;[[ドーリィ♪カノン]](『ちゃお』、[[2012年]] - 2016年) : '''宍戸心音'''は[[作詞]]と[[作曲]]が趣味で語尾に「でぇ〜す」とつける歌手志望のユニークな女の子。学園でモテまくりの男子'''奥田奏四'''がカラオケボックスで歌っているところを見かけ、奏四に[[女装]]させて自らが作詞作曲した歌を歌わせた。心音の男友達であるカラオケボックスのバイトが、その歌が入ったCDを勝手に[[動画共有サービス|動画サイト]]に投稿してしまい・・・。 : 『ちゃお』の表紙並びに目次では題名が『'''〜少女少年〜 ドーリィ♪カノン'''』となっている。 ;[[世界の果ての、真ん中で。]](『[[ちゃおデラックス]]』、2012年 - 2016年) : [[#2010年代|ちゃおデラックス2012年春待ち超大増刊号に掲載された同名の読切作品]]の連載版。 : 連載版では、とある中学校に[[転校]]してきた奥手で人に気持ちを伝えるのが苦手な性格の'''島松真帆'''の学校模様を描く。 ; [[ゲキカワ・デビル|ゲキカワ♥デビル]](『ちゃお』、[[2016年]] - [[2019年]]) : [[洒落|おしゃれ]]が大好きな中一の女の子'''藤美マイ'''はおしゃれに消極的な女の子を見ると激怒し、その子にあったおしゃれを教えていく。そのマイは'''カイ'''のことが好きで、やがては[[ファッションデザイナー]]を目指していくこととなる。 : 作中の所々にちゃおの読者に合わせたおしゃれ・美容のテクニックが描かれている。 ; [[そらいろメモリアル]] (『ちゃお』→『ちゃおデラックス』→『ちゃおコミ』、2020年 - ) : 小学6年生の進級を控えた神社に住む女の子'''余目蒼月'''とその親友の女の子'''有森紅葉'''の深い絆を描くファンタジー。 : 余目蒼月は有森紅葉と充実した日々を送っていたが、ある日、クラスに現れた少年の死神から「紅葉は1年後に死ぬ」と衝撃的な事を告げられる。 ; [[青のアイリス]] (『ちゃお』、[[2020年]] - [[2022年]]) : 困った人を見ると本能的に助けている中学生の女の子'''虹ヶ原愛理'''は「野獣の騎士」とあだ名と付けられ、女子からはイケメンとして人気がある。そんな愛理は実は人気[[バーチャルYouTuber|Vチューバー]]'''青野アイリス'''で・・・。 : 愛理=アイリスが[[バーチャル・リアリティ|仮想世界]]と現実で繰り広げる恋物語。 === 読切作品 === ==== 1980年代 ==== * 1983年 ** ボインでごめん!(『ちゃお』9月号増刊) ** UKIUKIナイスふぁいと(『ちゃお』12月号) * 1984年 ** みんなでやれば…!?(『ちゃおマイラブ』春の号) ** 十四歳の夏(『ちゃおマイラブ』秋の号) ** 2泊3日のラプソディ(『ちゃお』12月号ふろく) * 1985年 ** バニーガールしませんか?(『ちゃおマイラブ』春の号) ** 午前零時奇談(『ちゃお』8月号) ** 小春日和(『ちゃお』11月号) * 1986年 ** 軌道はずれの迷惑星(『ちゃおマイラブ』春の号) ** あぶの〜まるZone(『ちゃお』9月号) * 1987年 ** Windy Day Dream(『ちゃお』1月号) ** 五月雨前線(『ちゃおデラックス』初夏の増刊号) * 1988年 ** 純情powerのトップ!(『ちゃおデラックス』夏の増刊号) * 1989年 ** 12のソネット(『ちゃお』6月号) ** お嬢様にはかなわない(『ちゃお』11月号) ==== 1990年代 ==== * 1990年 ** Snow Fantasy -これから-(『ちゃおデラックス』新年増刊号) ** 卒業旅行☆星降る街で…(『ちゃお』3月号) ** お嬢様には手を出すな(『ちゃお』6月号) ** いけない天国(『ちゃおデラックス』夏の増刊号) * 1991年 ** マイクロ▽ろまんす(『ちゃおデラックス』夏休み大増刊号) * 1992年 ** 優ちゃんのハジさらしな日記(『マスコットちゃお』初秋増刊号) * 1993年 ** 袋小路の館(『ちゃおデラックス』夏休み増刊号) ** 美少女まんが家 ラブリー{{JIS2004フォント|♥}}トーン(『ちゃおデラックス』秋の増刊号) * 1994年 ** とんだ新記録(『ちゃおデラックス』初秋増刊号) * 1998年 ** ハーフビターなおくりもの(『ちゃお』2月号別冊ふろく) * 1999年 ** 少年少女(『CHUE'S net』春号) ** LOVE・LIKE・COMIC(『CHUE'S net』夏号) ==== 2000年代 ==== * 2001年 ** スプリング・ゲーム(『ちゃおデラックス』春の増刊号) * 2002年 ** ナキムシユキムシ(『ちゃおデラックス』冬の増刊号) ** チコのねがい(『ちゃおデラックス』春の増刊号) ** りば〜す⇔注意報(『ちゃおデラックス』初夏の増刊号) ** 虹のフーガ(『ちゃおデラックス』夏の増刊号) ** 私立ふしぎの幼稚園(『ちゃおデラックス』秋の増刊号) * 2003年 ** 君が舞い降りてきた(『ChuChu』春号) ** ひとりぼっちのコスモス(『ちゃおデラックス』秋の増刊号) * 2004年 ** サクラ{{JIS2004フォント|♥}}せんせ〜しょん(『ChuChu』春号) ** 瞬間(いま)が色あせないように(『ChuChu』2004年9月17日号) * 2005年 ** 妄想令嬢(『ChuChu』春の号) ** もいちど告っていいですか?(『ちゃおデラックス』初夏の増刊号) ** リンク〜きみのてのひら〜(『ChuChu』初夏号) ** わんデー・ハプニンぐ(『[[小学館スペシャル]]』夏休み増刊号『わんこコミックスペシャル』)(※・の箇所には犬の足跡が付く) ** ココロ*プリズム(『ChuChu』夏号) ** クレッシェンド(『ChuChu』秋号) ** シンクロ☆ナイト(『小学五年生』2006年2月号増刊『占いGirls』) ==== 2010年代 ==== * 2012年 ** 世界の果ての、真ん中で。(『ちゃおデラックス』春待ち超大増刊号) * 2015年 ** ラブレボリューション! 〜[[Rev. from DVL]]物語〜(『ちゃお』5月号) ==== 2020年代 ==== * 2023年 ** あわ雪の魔法(『[[ちゃお#ちゃおコミ|ちゃおコミ]]』2023年3月8日(前編)・2023年3月15日(後編)、『ちゃおデラックス』2024年1月号<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-11-20|journal =ちゃおデラックス|volume=2024年1月号|publisher = 小学館|asin = B0CMR4DRTW}}目次より。</ref>、『ちゃおプラス』2023年12月<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/553256|title=エンタメサイト・ちゃおプラス開設、東村アキコの新連載「まるさんかくしかく+」など|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-12-15|accessdate=2023-12-17}}</ref>) === 児童文学の挿絵 === * [[うらない屋コノミちゃん]](作 [[令丈ヒロ子]]) * 3姉妹ものがたり〜世界で一番大切なキミへ〜(作 [[武内昌美]]、カバーのみ) <!-- === 同人誌 === * ぷちづま * 銀色童話(2002年12月) * もう逢うことのない君に(2003年12月) ** 単行本『[[ないしょのつぼみ|ないしょのつぼみ-めばえ-]]』に収録。 * 別冊少女少年・創刊号(2004年8月)・2号(2004年12月)・3号(2005年8月) *[[少女少年0話]] ** 1990年に漫画同人誌・「MemoryMaker Vol.2」に掲載された、少女少年シリーズの原型。 --> == 関連書籍 == * やぶうち優ファンBOOK やぶうち優の♀(おんなのこ)♂(おとこのこ)なお話([[2006年]]3月) ** 「ちゃおコミックス スペシャル」として刊行。『ないしょのつぼみ』をメインに、『少女少年』シリーズなどの作品を'''性教育マンガ'''という区分で特集した本。『ないしょのつぼみ』第1期の番外編や『少女少年』の元になった「少女少年0話」、設定画などと、デビュー作「ボインでごめん!」を収録。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[ちゃおの漫画家一覧]] * [[兵庫県立芦屋高等学校]] == 外部リンク == * [http://www.dab.hi-ho.ne.jp/yabuuchi/ やぶうち優公式サイト「Utopia」] * [https://blog.goo.ne.jp/yabuuchi_utopia やぶうち優のハジさらしな日記] * {{Twitter|Utopia_SM}} * {{Mediaarts-db|C56805}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:やふうち ゆう}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:同人作家]] [[Category:兵庫県立芦屋高等学校出身の人物]] [[Category:日本の鉄道に関係する人物]] [[Category:兵庫県出身の人物]] [[Category:1969年生]] [[Category:存命人物]]
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メロトロン
メロトロン(Mellotron)は、1960年代に開発された、アナログ再生式(磁気テープを媒体とする)のサンプル音声再生楽器である。アメリカのハリー・チェンバリンが作成したチェンバリン(Chamberlin)を元に、イギリスのレスリー・フランク・ノーマンのブラッドレィ3兄弟が、設計と作成を行った。 ハリー・チェンバリンが開発した"Chamberlin Rhythmate"という、テープ音源を用いたリズム/伴奏用の機器が先祖である。これを応用したテープ音源のオルガンがメロトロンの前身となった。鍵盤楽器の演奏者により、弦楽器、管楽器などの音を奏でることを可能とした。また、伴奏パターンや効果音が録音されたテープも作られた。チェンバリンの会社では大量生産が難しく、製造を依頼する目的でイギリスに持ち込まれた。これを基に開発を行ったのが再生ヘッドの発注を受けたブラッドマチック社を経営するブラッドレィ兄弟であった。彼らは「ストリートリー・エレクトロニクス」を設立。開発した楽器を「メロトロン」と名付け、当初は家庭用として販売することとなった。 1962年に発売されたメロトロンは若干の改良を経て、ムーディー・ブルース、ビートルズ、キング・クリムゾンらが使用したことで1960年代後半に認知度を高めた。最初のモデル「Mk I/ II」は1本のテープにつき3トラック×6ステーション(頭出しの要領で各ステーションに停止したテープは、そこから音色を再生する)の18音色を収録。左手および右手用として35鍵の鍵盤が2セット並列に設けられ、左手用鍵盤には、伴奏パターンや効果音を収録したテープがセットされている。鍵盤を1セットにまとめた「M300」を経て、よりコンパクトかつシンプルなステージモデル「M400」が1970年に発表された。これに伴い、ロックやジャズの領域拡大も相まってメロトロンを録音やライヴで使用するアーティストは増えていった。 イギリスのミュージシャン・ユニオンは1967年、「メロトロンを使用することでヴァイオリンなどの演奏者を必要としなくなり、仕事を奪うものである」「音作りに協力したミュージシャンは、その音が他人に使われても全く収入にならない」という声明を出した。後者の訴えはBBCでも問題になり、メロトロニクス社は協力したミュージシャンに補償金を支払っている。また、原案者であるハリー・チェンバリンとブラッドレィ兄弟は特許および知的所有権で争っていたが、結果的に1966年、チェンバリンがブラッドレィ兄弟に権利を3万ドルで売り渡した。チェンバリンも自らの会社でテープ再生式の楽器を開発、販売した。普及した「M-1」はメロトロンよりコンパクトなボディと、よりハイファイなサウンドを持つ。 1970年代中盤にはポリフォニックシンセサイザーやストリングアンサンブルが普及したため、それより扱いにくいメロトロンのユーザーは次第に減少。経営が悪化したストリートリー・エレクトロニクスは1977年、メロトロンの商標権を売却。その後、メロトロンの名称が使えなくなったストリートリー・エレクトロニクスは「ノヴァトロン(Novatron)」の名称で楽器の開発・販売を続けるが、1980年代にはフェアライトCMIやシンクラヴィアなどの楽器がサンプリング機能を有し、音楽制作の現場で人気を博す。シェアを奪われたストリートリー・エレクトロニクスは1986年に倒産した。 現在はテープ式のメロトロンの製造・販売が再開している。現在メロトロンの商標を持っているメロトロン・アーカイヴス社は1999年以降モデル400シリーズの新型「MkVI」などを発売している。レスリー・ブラッドレィの息子らによって再建されたストリートリー・エレクトロニクスは2007年、M400と似た筐体の中にMkIIと同様のステーション構造をもつ新型メロトロン「M4000」を発表した。音源テープは、この2つの会社それぞれが新規で録音された物も含めて取り扱っている。 ロック・ミュージックでメロトロンが初めて使用された楽曲は、グラハム・ボンド・オーガニゼイションのシングル「Lease On Love / My Heart's In Little Places」(1965年)であるとされている。1960年代後半には、ビートルズ「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」(1967年2月)、ムーディー・ブルース「サテンの夜」(1967年10月)、ローリング・ストーンズ「2000光年のかなたに」(1967年12月)、キング・クリムゾン「クリムゾン・キングの宮殿」(1969年10月)、デヴィッド・ボウイ「スペイス・オディティ」(1969年12月)などで使用された。1970年代にはコンパクトなM400が発売されたこともあって、演奏者は一気に増えた。その例としてはイエス、ジェネシス、フォーカスといったプログレッシヴ・ロックのバンドやアーティストが多いが、他にもユーライア・ヒープや10ccなど枚挙にいとまがない。代表的な楽曲としてはイエス「燃える朝やけ」(1971年)、フォーカス「ル・クロシャール」(1971年)、ユーライア・ヒープ「カム・アウェイ・メリンダ」(1970年)などがあげられる。一方、メロトロンには音程が不正確かつ不安定である、大きなノイズが含まれるなどの欠点があり、短気なリック・ウェイクマンは腹を立て自宅の庭で焼き払ってしまい、それを後悔したと伝えられた。 ジャズのクロスオーヴァーの分野でも、ヤン・ハマー、リターン・トゥ・フォーエヴァーなどが使用した。BBCなどの放送局には全ての鍵盤に効果音を仕込んだ「FXコンソール」というものが導入された。生放送や収録などの際、リアルタイムで効果音を出すことができ、ラジオ番組やドクター・フーなどの制作に利用された。 音源となるテープ(茶色の曲線)は鍵盤(1)と再生ヘッド(5)の間にセットされている。鍵盤にはテープを再生ヘッドに押し付けるプレッシャーパッド(3)と、モーターで駆動されたキャプスタン(6)に押し付けるピンチローラー(4)が取り付けられており、それぞれネジ(2)で高さを調整可能。鍵盤を押し込むと、テープはキャプスタンとピンチローラーに挟まれて前進しつつ再生ヘッドに押し付けられて発音して、ストレージ・ビン(7)に格納される。鍵盤を離すとテープはキャプスタンの回転から開放され、テープ・リターンローラー(8)の端に取り付けられたスプリング(9)によりおよそ0.5秒で巻き戻される。鍵盤を押さえることで抵抗が増えてもモーターの回転数を維持・安定化させるため、モーターコントロールカードという基盤がモーターには接続されている。こうした構造から、以下のような独特の挙動がある。 メロトロンの代替機種が使用される場合もある。楽器としてのメロトロンは取り扱いにくい面を持つ為、シンセサイザー・サンプラーなどで代用音源・音色などがシミュレートされてきた。シンセサイザー内蔵音源ではメモリ節約および使い易さを狙ってループ処理されているものが多いが、不安定な音源をループ化するのは困難であった。現在はノンループのサンプルも広く出回っており、メロトロン専用機種を含むハードウェア、ソフトウェア、iOSアプリケーションなど、幅広い選択肢が存在している。
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メロトロン(Mellotron)は、1960年代に開発された、アナログ再生式(磁気テープを媒体とする)のサンプル音声再生楽器である。アメリカのハリー・チェンバリンが作成したチェンバリン(Chamberlin)を元に、イギリスのレスリー・フランク・ノーマンのブラッドレィ3兄弟が、設計と作成を行った。
{{出典の明記|date=2016年2月6日 (土) 05:32 (UTC)}} [[ファイル:Mellotron.jpg|right|thumb|250px|1999年発表のメロトロンMkVI]] '''メロトロン'''(Mellotron)は、[[1960年代]]に開発された、[[アナログ]]再生式([[磁気テープ]]を媒体とする)のサンプル音声再生楽器である。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ハリー・チェンバリン]]が作成した'''チェンバリン'''([[w:en:Chamberlin|Chamberlin]])を元に、[[イギリス]]のレスリー・フランク・ノーマンのブラッドレィ3[[兄弟]]が、設計と作成を行った。 == 概要 == ハリー・チェンバリンが開発した"Chamberlin Rhythmate"という、[[テープ]]音源を用いたリズム/伴奏用の機器が先祖である。これを応用したテープ音源のオルガンがメロトロンの前身となった。[[鍵盤楽器]]の[[演奏者]]により、[[弦楽器]]、[[管楽器]]などの音を奏でることを可能とした。また、[[伴奏]]パターンや[[効果音]]が録音されたテープも作られた。チェンバリンの会社では[[大量生産]]が難しく、製造を依頼する目的でイギリスに持ち込まれた。これを基に開発を行ったのが[[再生ヘッド]]の発注を受けたブラッドマチック社を経営するブラッドレィ兄弟であった。彼らは「ストリートリー・エレクトロニクス」を設立。開発した楽器を「メロトロン」と名付け、当初は家庭用として販売することとなった。 1962年に発売されたメロトロンは若干の改良を経て、[[ムーディー・ブルース]]、[[ビートルズ]]、[[キング・クリムゾン]]らが使用したことで1960年代後半に認知度を高めた。最初のモデル「'''Mk I/ II'''」は1本のテープにつき3トラック×6ステーション(頭出しの要領で各ステーションに停止したテープは、そこから音色を再生する)の18音色を収録。左手および右手用として35鍵の鍵盤が2セット並列に設けられ、左手用鍵盤には、伴奏パターンや効果音を収録したテープがセットされている。鍵盤を1セットにまとめた「M300」を経て、よりコンパクトかつシンプルなステージモデル「'''M400'''」が1970年に発表された。これに伴い、ロックやジャズの領域拡大も相まってメロトロンを録音や[[演奏会|ライヴ]]で使用するアーティストは増えていった。 [[イギリス]]のミュージシャン・ユニオンは1967年、「メロトロンを使用することでヴァイオリンなどの演奏者を必要としなくなり、仕事を奪うものである」「音作りに協力したミュージシャンは、その音が他人に使われても全く収入にならない」という声明を出した。後者の訴えはBBCでも問題になり、メロトロニクス社は協力したミュージシャンに補償金を支払っている。また、原案者であるハリー・チェンバリンとブラッドレィ兄弟は[[特許]]および[[知的所有権]]で争っていたが、結果的に[[1966年]]、チェンバリンがブラッドレィ兄弟に権利を3万ドルで売り渡した。チェンバリンも自らの会社で[[テープ再生式]]の楽器を開発、販売した。普及した「M-1」はメロトロンよりコンパクトなボディと、よりハイファイなサウンドを持つ。 [[1970年代]]中盤には[[ポリフォニックシンセサイザー]]や[[ストリングアンサンブル]]が普及したため、それより扱いにくいメロトロンのユーザーは次第に減少。経営が悪化した[[ストリートリー・エレクトロニクス]]は[[1977年]]、メロトロンの商標権を売却。その後、メロトロンの名称が使えなくなったストリートリー・エレクトロニクスは「[[ノヴァトロン]](Novatron)」の名称で楽器の開発・販売を続けるが、[[1980年代]]には[[フェアライトCMI]]や[[シンクラヴィア]]などの楽器が[[サンプリング]]機能を有し、音楽制作の現場で人気を博す。シェアを奪われたストリートリー・エレクトロニクスは1986年に倒産した。 '''現在はテープ式のメロトロンの製造・販売が再開している'''。現在メロトロンの商標を持っているメロトロン・アーカイヴス社は1999年以降モデル400シリーズの新型「'''MkVI'''」などを発売している。レスリー・ブラッドレィの息子らによって再建されたストリートリー・エレクトロニクスは[[2007年]]、M400と似た[[筐体]]の中にMkIIと同様の[[ステーション構造]]をもつ新型メロトロン「'''M4000'''」を発表した。音源テープは、この2つの会社それぞれが新規で録音された物も含めて取り扱っている。 == 演奏者 == [[ロック (音楽)|ロック・ミュージック]]でメロトロンが初めて使用された楽曲は、[[グレアム・ボンド|グレアム・ボンド・オーガニゼーション]]のシングル「Lease On Love / My Heart's In Little Places」<ref>{{Cite web |url=https://www.discogs.com/master/1696407-Graham-Bond-Organization-Lease-On-Love |title=Discogs |access-date=2023年8月27日}}</ref>([[1965年]])であるとされている。[[1960年代]]後半には、ビートルズ「[[ストロベリー・フィールズ・フォーエバー|ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー]]」([[1967年]]2月)、[[ムーディー・ブルース]]「サテンの夜」(1967年10月)、ローリング・ストーンズ「[[2000光年のかなたに]]」(1967年12月)、[[キング・クリムゾン]]「[[クリムゾン・キングの宮殿]]」(1969年10月)、[[デヴィッド・ボウイ]]「[[スペイス・オディティ (曲)|スペイス・オディティ]]」(1969年12月)などで使用された。[[1970年代]]にはコンパクトなM400が発売されたこともあって、演奏者は一気に増えた。その例としては[[イエス (バンド)|イエス]]、[[ジェネシス (バンド)|ジェネシス]]、[[フォーカス (バンド)|フォーカス]]といった[[プログレッシブ・ロック|プログレッシヴ・ロック]]のバンドやアーティストが多いが、他にも[[ユーライア・ヒープ]]<ref name="名前なし-1">http://www.planetmellotron.com/revu2.htm</ref>や[[10cc]]など枚挙にいとまがない。代表的な楽曲としてはイエス「[[こわれもの|燃える朝やけ]]」(1971年)、フォーカス「ル・クロシャール」<ref group="注釈">アルバム『[[ムーヴィング・ウェイヴス]]』(1971年)の「[[悪魔の呪文]]」の次に収録。</ref>(1971年)、ユーライア・ヒープ「カム・アウェイ・メリンダ」<ref name="名前なし-1" />(1970年)などがあげられる。一方、メロトロンには音程が不正確かつ不安定である、大きなノイズが含まれるなどの欠点があり、短気な[[リック・ウェイクマン]]<ref group="注釈">1970年代に加入した[[イエス (バンド)|イエス]]での活動で有名だが、1960年代のメロトロンの演奏者の一人であり、無名のセッション・ミュージシャンだった1969年に上記の「[[スペイス・オディティ (曲)|スペイス・オディティ]]」で演奏した。英国保守党の熱烈な支持者。</ref>は腹を立て{{Sfb|Samagaio|2002|p=v}}自宅の庭で焼き払ってしまい、それを後悔したと伝えられた。 ジャズの[[クロスオーバー (音楽)|クロスオーヴァー]]の分野でも、[[ヤン・ハマー]]、[[リターン・トゥ・フォーエヴァー]]などが使用した。[[英国放送協会|BBC]]などの放送局には全ての鍵盤に効果音を仕込んだ「FXコンソール」というものが導入された。生放送や収録などの際、リアルタイムで効果音を出すことができ、ラジオ番組や[[ドクター・フー]]などの制作に利用された。 == 詳細:発音機構 == [[ファイル:Mellotron diagram.svg|thumb|250px|メロトロン発音機構の模式図<br> (1)鍵盤、(2)ネジ、(3)プレッシャーパッド、 (4)ピンチローラー、(5)再生ヘッド、 (6)キャプスタン、(7)ストレージ・ビン、 (8)テープ・リターンローラー、 (9)スプリング]] 音源となるテープ(茶色の曲線)は鍵盤(1)と再生ヘッド(5)の間にセットされている。鍵盤にはテープを再生ヘッドに押し付けるプレッシャーパッド(3)と、モーターで駆動されたキャプスタン(6)に押し付けるピンチローラー(4)が取り付けられており、それぞれネジ(2)で高さを調整可能。鍵盤を押し込むと、テープはキャプスタンとピンチローラーに挟まれて前進しつつ再生ヘッドに押し付けられて発音して、ストレージ・ビン(7)に格納される。鍵盤を離すとテープはキャプスタンの回転から開放され、テープ・リターンローラー(8)の端に取り付けられたスプリング(9)によりおよそ0.5秒で巻き戻される。鍵盤を押さえることで抵抗が増えてもモーターの回転数を維持・安定化させるため、モーターコントロールカードという基盤がモーターには接続されている。こうした構造から、以下のような独特の挙動がある。 :'''a)'''各音程のテープは、再生できる範囲が8秒分で、音色や音程によって収録時間は6~8秒程度となっている。このような有限の長さのテープを用いた面倒な機構を採用したのは、ピアノなどの減衰音の再生を可能とするためである。 :'''b)'''調整次第だが、あまり速いパッセージを弾くと、テープの走行開始が間に合わずに音がきちんと発音されないことがある。 :'''c)'''同音連打を行うと、テープが途中から再生されるため、アタックのつかない音になる。ピアノやヴィブラフォンの音色で顕著。 :'''d)'''速く鍵盤を押し込むと、テープが再生ヘッドに叩き付けられて「プツッ」というノイズが出て、音の立ち上がりが強調される。 :'''e)'''プレッシャーパッドのせり出し具合や鍵盤を押さえつける強さで音量が多少変わる。これを利用してスローアタック風に演奏することもできる。 :'''f)'''モーターコントロールが不安定な機種(初期のM400など)では強く鍵盤を押さえつけると音程が下がり、回転数が回復して正しい音程にベンドアップする反応が起こることがある。この現象は4つ以上の鍵盤を同時に押すと起こりやすい。 == 機材の進歩 == *音色は枚挙に暇がないが、有名なものはビートルズの「[[ストロベリー・フィールズ・フォーエバー|ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー]]」で知られる"'''Flute'''"、[[ローリング・ストーンズ]]「[[2000光年のかなたに]]」や[[キング・クリムゾン]]「クリムゾン・キングの宮殿」などでフィーチャーされた"'''3 Violins'''"(Fluteと並び、代表的な音色。メロトロンMkII、M400、チェンバリンで共用している唯一の音源だが、再生される楽器によりニュアンスは大きく異なる)、[[リック・ウェイクマン]]や[[ジェネシス (バンド)|ジェネシス]]の[[トニー・バンクス (ミュージシャン)|トニー・バンクス]]が愛用した"'''8 Choir'''"(男女4人ずつの混声合唱。男女の声を分けた形でも提供された)や"'''Brass'''"などが挙げられる。メロトロンの為に録音された音は、それ自体も大きなノイズが含まれたり音程が正確でなかったりと不安定であったが、それが却って個性として評価されることになった。 *隣り合う2つの音色はM300以外の機種ではミックスして使うことも可能。MkI/ IIでは5ポジションの音色ボタン(A・A+B・B・B+C・Cの5つ。リズムトラック用の左手側鍵盤のボタンは3つで、ミックスポジション無し)があり、M400などでは音色切り替えレヴァーを中間位置で止めることで行う。なお、ミックスされた音色は音量が多少下がる。 *最も普及したM400に標準でセットされたテープはFlute/ 3 Violins/ 'Cello。このセットのまま使用する奏者も多かったが、好みの3音色を並べたテープセットも受注していた。例えばトニー・バンクスはM400導入後、コンサートではBrass/ 3Violins/ 8 Choirというセットを使用していた。なお、テープは全ての音程が一本のテープに収録され、音程ごとにパンチ穴で目安が付けられている。購入した後は自分か販売店でカットし、別途購入したテープフレームに取り付ける。また、楽音部分以外のメロトロンでは再生出来ない部分には弦楽器の弓を置いたり咳払いや談笑をしたりする音まで収録されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.geocities.jp/mellotronics/triviaz.html|title=Tokyo Mellotron Studioより。実際の音源を試聴可能。|accessdate=2018/03/27|publisher=}}</ref>。 *1970年に発表されたM-1以降のチェンバリン([[w:en:Chamberlin|Chamberlin]])各機種はテープの巻き戻しにもモーターを使用しており、テープは常にリール(tape return roller)に巻き取られている。そのため、テープ巻き戻しの確実化と筐体の小型化が実現された。このM-1はステレオヘッドを装備し、8音色を使用可能。その他、少数生産ではあったもののデュアルマニュアルのM-2、デュアル×2段鍵盤のM-4、音源部分と鍵盤部分が分離されたRemoteというバリエーションも展開された。チェンバリン全モデルの生産は1981年に終了した。生産台数は、M-1が300台程度で、メロトロンMk Iの原型になったM600/660 Musicmasterが200台と多くないが、レコーディングで使用された例は多い。 *テープ以外のメディアを用いたサンプル・プレイバック・キーボードには、光学式ディスクを用いる「'''オプティガン'''([[w:en:Optigan|OPTIGAN]])」という楽器が挙げられる。これは[[マテル]]社が児童向けに開発したものだが、チャイルトン社による発展型の「タレントメーカー」を経てプロ用の「'''オーケストロン'''([[w:en:Orchestron|Vako Orchestron]])」が生産されるに至った。音色は光学式ディスク1枚につき1つずつ、トラックごとに各音程がループの形で記録されている。現在でも光学式ディスクは少数生産されている。 *メロトロンの欠点を改良するために、デヴィッド・バイロという人物が[[8トラック]]テープを用いた「'''バイロトロン'''([[w:en:Birotron|Birotron]])」を1974年に設計。[[リック・ウェイクマン]]が出資したほか、数々の著名ミュージシャンが予約したことで話題になった。しかし開発は遅れ、結局1977年に17台が試作されたのみ。一般市場には出回らなかった。37の鍵盤に対して19本の8トラックカセットをセット(カセット1本あたり鍵盤2つ分の音源を持つ)し、4つのループされた音色を選択可能。シンセサイザー同様のエンベロープ・ジェネレーターで音の立ち上がりや減衰を調節できる。現存しているのは5台ほど、演奏可能なものは2台のみと言われている。 == メロトロン機種リスト == ; Mellotron MkI (1962 - 1963) : Chamberlin 660 Musicmasterを元にして作られた最初のモデル。左右に35ずつの鍵盤を持つ。6ステーション×3トラック。55台前後生産され、一部は出荷前にMkII仕様に改造された。 ; Mellotron MkII (1963 - 1967) : Mk Iの改良型。外観は同一だが、ステーション切り替え用チェーンの強化、ステーション切り替え中の鍵盤ロック機構追加、パワーアンプがソリッドステート化。また、リードとリズムの音色配列も変更された。1960年代末にイギリスの大物アーティストが頻繁に使うようになり、伝説的存在となっている。出荷前に改良されたものも含めて300台程度が生産された。 ; Mellotron M300 (1968 - 1970) : 52鍵の小型化モデル。左側18鍵は伴奏用(ピアノとオルガンの低音部も含まれ、リードと音色を一致させることで52鍵の音域を使用することも可能)。内蔵スピーカーは廃止された。6ステーション×2トラックで、音色は専用のものが用意された。トラック選択はロッカースイッチで、ミックスは不可。後期型はフロントパネルから音程調節が取り除かれる。生産数は50台程度で、量産型ではもっとも希少なモデル。 ; Mellotron M400 (1970 - 1986) : もっとも普及した白い塗装のステージモデル。プリアンプがソリッドステート化し、ステーション構造は廃止。代わりに35本のテープを取り外し可能なフレームに固定し、一度に交換出来るようになった。35鍵、3トラック。初期型はモーターの回転数を一定に保つモーターコントロールカード性能が低く、音程が不安定。ストリートリー・エレクトロニクスが部品を供給して作られた[[EMI]]製のモデルもあるが、これは鍵盤下部を斜めに切り取って膝が当たらないように改良されたフォルムを持ち、ハードウェアや塗装の仕様も異なる。また、後年Novatron名義で作られたものは黒い塗装が標準となった。合計で2000台以上生産されており、中古市場で見かけるほぼ唯一の機種である。 ; Mellotron MkV (1975 - 1980) : 2台のM400を左右に繋げたようなモデル。しかし、モーターとキャプスタンは左右の鍵盤で共有している。コントロールパネルは鍵盤前面に配置された。全30台程度が生産された。 ; Novatron T550 (1981) : M400の機構を小型化してフライトケースと一体化したモデル。わずか3台のみが作られた。大きさ自体はさほどコンパクトになったわけではないが、テープフレームを2セットとボリュームペダルを収納できるスペースを設けている。 ; Mellotron 4 Track (1981) : M400を4トラック仕様に改良したプロトタイプで、Mellotron USAが4台のみ生産。コントロール部はミキサーとなっており、再生ヘッドを移動させることなく任意の複数トラックをイコライジング及びミックス可能。筐体はアルミニウム合金製。 ; Mellotron MkVI (1999 -) : M400の改良型で、ドイツ製の高品質な鍵盤と真空管プリアンプを採用。低速スイッチを追加。これは基本的には音程が1オクターブ下がるように調整されているが、モーターコントロールカードのつまみを回すことで任意に設定可能。筐体を約5cm高くし、立って演奏しやすいように改良。モーターコントロールカードも新型でより安定性の高いものになった。Mellotron Archives製。 ; Mellotron MkVII (1999 -) : Mellotron Archives製、MkVIのデュアル・バージョンで、いわばMkVの現代版。コントロールパネルはトップカバー前面中央に配置される。 ; M4000 (2007 -) : 新生Streetly Electronics製。M400とよく似た筐体にステーション構造を内蔵。8ステーション×3トラック。「inching」という、テープの再生開始ポイントを変えられるメカニズム、正圧防塵装置搭載。新生Streetly Electronics製。こちらにもデュアル・バージョンの「M5000」が発表されているが、実際には生産されていない(その一方、M400の復刻モデル(モデル名なし)を受注生産)。 ; M4000D (2011 -) : Mellotron社がその著作権を有するMellotronとChamberlinのマスターテープのコレクションの一部を、非圧縮 24bit でサンプリングして製作したデジタル版メロトロンである。新品のMellotron MkVIでマスターテープを利用し、そのままループを組まずに7.5~9.0秒のデジタルオーディオで収録しており、実質的にはPCMシンセサイザーと言える。 メロトロンの代替機種が使用される場合もある。楽器としてのメロトロンは取り扱いにくい面を持つ為、シンセサイザー・サンプラーなどで代用音源・音色などがシミュレートされてきた。シンセサイザー内蔵音源では[[メモリ]]節約および使い易さを狙ってループ処理されているものが多いが、不安定な音源をループ化するのは困難であった。現在はノンループのサンプルも広く出回っており、メロトロン専用機種を含むハードウェア、ソフトウェア、[[iOS]]アプリケーションなど、幅広い選択肢が存在している。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist|2}} === 注釈 === {{Notelist|25em}} == 参考文献 == * {{cite book|title=The Mellotron Book|first=Frank|last=Samagaio|year=2002|publisher=ProMusic Press|id=ISBN 1931140146}} == 関連項目 == *[[サンプラー]] == 外部リンク == {{Commonscat}} *[http://tyomtnst.com/ Tokyo Mellotron Studio] *[http://www.mellotron.com/ Mellotron Archives]{{en icon}} - メロトロンMkVIを開発 *[http://mellotronics.com/ Streetly Electronics]{{en icon}} - M4000を開発 *[http://www.planetmellotron.com/ Planet Mellotron]{{en icon}} - 使用アーティストのリストなど {{エレクトロニック・ロック}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:めろとろん}} [[Category:電子楽器の製品]] [[Category:鍵盤楽器]]
2003-02-12T14:40:18Z
2023-11-25T17:17:01Z
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れいち
れいち(1959年6月9日 - )は、日本の音楽家、スタジオ・ミュージシャン。夫はミュージシャンの清水一登。 本名は清水玲子(しみずれいこ)、旧姓は佐伯(さえき)。 スタジオワーク・ツアーサポートなどで活動する。主はドラムを演奏するが歌、鍵盤楽器なども演奏することがある。2007年現在は夫の清水一登とAREPOSというユニットを結成している。AREPOSではボーカル担当の他、歌/踊り/ドラムを兼務。 れいちと近藤達郎によるユニット。 れいちと清水一登によるユニット。 新居昭乃・上野洋子・藤井珠緒・丸尾めぐみ・れいちから成る。2004年に脱退。 福原まり(P.Key.Vo.)・矢口博康(Sax.Clarinet)・中原信雄(B.Mandolin)・れいち(Ds.Vo.)・Dennis Gunn(Gt.Banjo.Vo.)・松本治(Tb.Euphaniam)から成る。 ゴンチチ、小泉今日子などのサポートに参加。CMソングや映画音楽などにも携わっている。
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れいちは、日本の音楽家、スタジオ・ミュージシャン。夫はミュージシャンの清水一登。 本名は清水玲子(しみずれいこ)、旧姓は佐伯(さえき)。 スタジオワーク・ツアーサポートなどで活動する。主はドラムを演奏するが歌、鍵盤楽器なども演奏することがある。2007年現在は夫の清水一登とAREPOSというユニットを結成している。AREPOSではボーカル担当の他、歌/踊り/ドラムを兼務。
'''れいち'''([[1959年]][[6月9日]]<ref name="cdj">[https://web.archive.org/web/19991114045201/http://www.yk.rim.or.jp/~ito-yo/arepos/index.html AREPOS旧公式サイト] (Webアーカイブ)</ref> - )は、[[日本]]の[[音楽家]]、[[スタジオ・ミュージシャン]]。夫はミュージシャンの[[清水一登]]。 本名は清水玲子(しみずれいこ)、旧姓は佐伯(さえき)。 スタジオワーク・ツアーサポートなどで活動する。主はドラムを演奏するが歌、鍵盤楽器なども演奏することがある。2007年現在は夫の[[清水一登]]と[[AREPOS]]というユニットを結成している。AREPOSではボーカル担当の他、歌/踊り/ドラムを兼務。 == 参加ユニット・ディスコグラフィ == === どくとる梅津DIVA === :[[梅津和時]](Sax.Vo.) :[[高田みどり]](Perc.Vo.) :[[橋本一子]](Key.Vo.) :れいち(Ds.Vo.)から成るバンド。 * DIVA (NECアベニュー) - 1988年9月、1992年6月21日 === UMITA-MINIMA(ウニタ・ミニマ) === れいちと[[近藤達郎]]によるユニット。 * 世界の縁 (Pin Label PIN01) - 1989年 ===Sunset Kids(サンセットキッズ)=== :伊藤ひとみ(Vo.) :大津真(Gt.Key.) :えとうなおこ(Key.Vo.) :[[斎藤ネコ]](Vl.Key.) :さいのをまさあき(B.Key.) :れいち(Ds.Vo.)から成る(佐藤靖夫(Gt.)が途中加入) * たいたん (ポリドール) - 1989年 * にゃあぷぅ (ポリドール) - 1991年 === AREPOS(アレポス)=== れいちと[[清水一登]]によるユニット。 * AREPOS - 1989年 * ここだけの話 - 1995年 * あおいフラスコ - 1999年 * other Colours - 2005年 * ヘンなダンス - 2015年 * AREPOS (再発売)- 2016年 === Marsh-Mallow(マーシュ・マーロウ) === {{main|Marsh-Mallow}} [[新居昭乃]]・[[上野洋子]]・藤井珠緒・丸尾めぐみ・れいちから成る。2004年に脱退。 * planet of love (Oneness Music) - 2000年、[[コンピレーション]]。#8「冬のモザイク」で参加。 * marsh mallow (WBC2000-03) - 2001年 === Fishermens Tit Tot === 福原まり(P.Key.Vo.)・[[矢口博康]](Sax.Clarinet)・[[中原信雄]](B.Mandolin)・れいち(Ds.Vo.)・Dennis Gunn(Gt.Banjo.Vo.)・[[松本治]](Tb.Euphaniam)から成る。 * The instant Fishermen (BARCA Label BAR-001) - 1998年 ===その他参加ユニット=== * はにわオールスターズ - [[仙波清彦]]率いるバンド。 * はにわちゃん - 仙波清彦率いるバンド。『みなと』という曲では、ボーイッシュなメインボーカルと掛け合いで、[[カヒミ・カリィ]]などのフレンチポップス風囁き声で女性役を演じている。 * おU - [[清水一登]]率いるバンド。1987-1995年活動。 * うずまきまずう(ウズマキズウ) - [[小川美潮]]率いるバンド。 * Aqua voce(アクア・ヴォーチェ) - [[伊藤真澄]]、上野洋子、れいち、丸尾めぐみから成るボーカルユニット。[[Marsh-Mallow]]の前身。 == その他の活動 == [[ゴンチチ]]、[[小泉今日子]]などのサポートに参加。CMソングや映画音楽などにも携わっている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ===出典=== {{Reflist}} ==外部リンク== *[http://www.gaspard.co.jp/ edition GASPARD] - AREPOSの所属事務所 {{Normdaten}} [[Category:日本のドラマー]] [[Category:存命人物]] [[Category:日本の女性歌手]] [[Category:1959年生]]
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遊佐未森
遊佐 未森(ゆさ みもり、1964年2月20日 - )は、日本の女性シンガーソングライター、作曲家、作詞家。宮城県仙台市出身。 「遊佐」は本名(東北地方南部や宮城県に多い苗字で山形県には遊佐町がある)、「未森」は本人と外間隆史が命名した芸名。 芸能事務所は、デビュー以来ヴァーゴミュージックに所属していたが、神奈川県横須賀市に「株式会社水音社」を設立した。遊佐と元ピチカート・ファイヴの鴨宮諒が所属する。 1964年に仙台市にて生まれる。遊佐の両親の話では、いつも歌っているような子であったという。 6歳のときにNHKの『ちびっこのどじまん』に出場、童謡「たきび」を披露した。7歳頃よりピアノを弾きながら作詞・作曲を始め「自然豊かな場所に住んでいた影響もあり、空や山をテーマにした曲が多かった」と自身で述べている。 子供の頃から音楽好きで、両親の計らいで仙台少年少女合唱隊に所属する。同合唱隊では福井文彦に師事しテレビ出演や演奏会を経験した。中学生で声楽を習い始め、常盤木学園高等学校音楽科へ進学する。同校では東北地方各地の学校を巡る演奏旅行を経験するなど音楽一色の生活であった。声楽家を目指していたが、様々な音楽に触れるうちにシンガーソングライターへの道を志すようになる。 高校卒業後、国立音楽大学音楽学部音楽教育学科へ進学し、リトミックを専攻する。同大学を卒業後、音楽事務所へデモテープを送ったところメジャーデビューが決まった。 1988年4月、アルバム『瞳水晶』でエピックソニーからメジャー・デビュー。プロデューサーは福岡智彦。作詞家として工藤順子を起用し、以降も遊佐の楽曲を多数手がけることとなった。また『瞳水晶』では成田忍がサウンドプロデュース、レコーディングエンジニアの飯尾芳史がミキシングを担当した。 同1988年10月には2枚目のアルバム『空耳の丘』を発売。このアルバムから外間隆史が中心となってプロデュースを行うようになる。前作同様に当初はあまり話題にならなかったが、アルバム収録曲「地図をください」が日清カップヌードルのCM曲に採用され一躍注目を浴びる。テレビCMは「シュワルツェネッガー、食べる。」としてアーノルド・シュワルツェネッガーが出演し、肩に乗用車を担いで現れ、青空の下でカップヌードルを食べるシュワルツェネッガーの映像と、BGMとして同曲が流された。CMに曲名や歌手名のクレジットはなかったが、話題を呼んで「CM曲を歌っているのは誰か」と問い合わせが相次ぎ、遊佐の知名度を一挙に押し上げた。同曲は1989年2月にシングルカットされ、3枚目のシングルとして発売された。 1990年にシングル『夏草の線路』のカップリング曲「真夜中のキリン」が「第一生命ディズニー」のCMに採用される。「夏草の線路」は4枚目のアルバム『HOPE』に収録されている。 初期には遊佐自身の作詞・作曲による楽曲は少なく、遊佐がメジャーデビュー前から関わりがあった元FILMSの外間隆史が共同作業者として楽曲制作に深く関わり、童話やファンタジーをモチーフとした独特の世界観を創り上げていた。外間のコンセプトにより、ジャケット写真やステージでは森ガール風の衣装や大きな帽子を身にまとい、ライブアクトでは人形のような振り付けを演じ、初期のアルバムには歌詞カードに外間による短編小説が掲載されるなど、サウンドのみならずビジュアル面も含めたトータルプロデュースを行っていた。また福岡智彦は太田裕美の夫であるが、初期のアルバムには太田から楽曲提供された曲もあった。 1991年には「靴跡の花」が田中芳樹原作のアニメ映画『アルスラーン戦記』の主題歌に採用され、オリコンチャート14位にランクインするなど遊佐としては最大のヒット曲となった。また「空」が『横山光輝 三国志』のエンディングテーマとして使われた。「靴跡の花」は5枚目のアルバム『モザイク』に収録されたが、このアルバムでは初のセルフプロデュースとなり、外間隆史がプロデュースから外れた。このアルバムと、1993年発表の6枚目のオリジナルアルバム『momoism』から遊佐自身の作詞・作曲による楽曲が増えていくが、この時点ではまだ外間隆史も楽曲提供を行っている。 1992年にシングル『東京の空の下』 を発表し、オッペン化粧品CM曲に採用される。またカップリング曲「いつも同じ瞳」 が仙台市のクリスロードイメージソングとなった。同年にはセルビデオ映画『東京BOOK』がオリコン第1位となった。 1994年3月発表のミニアルバム『水色』は、アイリッシュミュージックバンドのナイトノイズ (Nightnoise) との共作で、遊佐としては初の海外アーティストとの共演を果たした。このアルバムでは外間隆史が完全に制作から外れた。 また同1994年には、細野晴臣プロデュースのアンビエントユニット「LOVE,PEACE&TRANCE」に甲田益也子、小川美潮と共に参加するなど、それまでとは異なるアーティストとの共同活動の場を広げていった。 「花王メリット」のCM曲として、1995年のシングル「たしかな偶然」、1996年のシングル「生活のプリン」が2年連続で採用される。 1997年発表のエピック時代最後のシングル『ロカ』がスズキ・アルトのCMに採用される。同年に東芝EMIへ移籍し、24枚目のシングル『タペストリー』 を発表、カルビー「ア・ラ・ポテト」のCM曲に採用される。 1998年にデビュー10周年を迎えた。同年に12枚目のアルバム『ECHO』を発表。収録曲「レモンの木」が『ワイドABCDE〜す』(ABCテレビ)の3月エンディングテーマに採用された。 1999年2月発売の27枚目のシングル曲「ポプラ」 が、同年4月から山崎製パンのCMソングに採用される。2000年発表のシングル「空に咲く花」(通算28枚目)がフジテレビ系『世界ゴッタ煮偉人伝』エンディングテーマに採用される。 1999年から体調を崩し、1年間活動休止して海の近くへ引っ越す。活動復帰後の2000年11月8日に13枚目のアルバム『small is beautiful』をリリース。東京から引っ越していく女性の心境を歌った「サヨナラ東京」 が収録されている。 2002年、大正から昭和初期の曲をカバーした18枚目のアルバム『檸檬』を発表。遊佐としては初のカバーアルバムとなる。2003年には東京都国立市の依頼により、国立市立国立第八小学校の校歌を制作した。 2005年にヤマハミュージックコミュニケーションズへ移籍、同年12月7日に移籍後初のシングルとなる『クロ』を発売(通算32枚目)。同年12月から翌2006年1月までNHK『みんなのうた』で放送された。アニメーションはおーなり由子が担当。また同年に、さとう宗幸、稲垣潤一、中村雅俊、かの香織、山寺宏一、小川もこら、宮城県出身のアーティストと共に「みやぎびっきの会」を結成し、年1回ほど宮城県で合同コンサートを行っていた。 2008年にデビュー20周年を迎えた。これを記念してカバーアルバム第2弾『スヰート檸檬』を発表。前作『檸檬』と同様に懐メロをカバーした。また同年にはうどんや風一夜薬本舗のイメージモデルとなり、桂米團治襲名披露公演のパンフレットなどに和服姿の写真が掲載された。 2009年6月発売のアルバム『銀河手帖』収録曲「I'm here with you」が、NHK『みんなのうた』(同年6・7月の歌)で放送され、またNHK「地球エコ2009」のキャンペーン「SAVE THE FUTURE」でオンエアされた長編アニメーション『川の光』のメインテーマにもなる。 2012年1月、18枚目のアルバム『淡雪』を発表。同アルバム収録曲「いつでも夢を」には檀れいが参加した。2012年3月、NHKの東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」リレー歌唱に参加。また同年、第79回NHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲「希望のひかり」の作詞を担当。作曲は大熊崇子が担当した。 2018年にデビュー30周年を迎えた。これを記念して同年3月21日、ベストアルバム『PEACHTREE』をリリース。初回限定盤にはピアノ演奏を中心とした未発表音源6曲入り特典CDが付属する。 2021年6月23日に20枚目のアルバム『潮騒』をリリースした。初回盤にはアルバム制作後の映像を収めた遊佐初のBlu-ray Discが付属したものもある。 歌唱法の特徴とも言えるファルセットにおける独特の緩やかなビブラートと強弱のウェーブは、遊佐自ら「8の字唱法」と解説している。 好きなアーティストとしてケイト・ブッシュ、ジェーン・シベリー(en:Jane Siberry)、スプリット・エンズ(en:Split Enz)などを挙げている。 ライブ活動も積極的に行い、通常のホールコンサートのほか、ひなまつり企画ライブとして2001年からスタートした「cafe mimo〜桃節句茶会〜」は、小編成での自由自在な表現で、毎年ひなまつりの季節に開催している。 通常公演と、1回目から行っている女性専用コンサート「girl's only公演」も続けている。また2003年からは、毎回日替わりで個性的なゲストも出演することになる。過去の主なゲストは、高野寛、西村由紀江、中西俊博、coba、栗原正己(栗コーダーカルテット)、堂島孝平、ゴンザレス三上(GONTITI)、ウェイウェイ・ウー、かの香織、藤原道山、佐藤竹善、山口とも、サキタハヂメ、谷山浩子、土岐麻子、北原雅彦(東京スカパラダイスオーケストラ)、桂米團治、稲垣潤一、チェンミン、鈴木重子、斉藤由貴、檀れい、山寺宏一、小池光子(ビューティフルハミングバード)、鈴木広志、大口俊輔、木村仁哉、近藤研二、新居昭乃、渡辺シュンスケ(Schroeder-Headz)、杉林恭雄(QUJILA)、瀬木貴将、野宮真貴、弓木英梨乃(KIRINJI)、tico moonほか。 さらにピアノソロでの「bombonniere」や、秋冬に開催する「ソング・トラベル」など、音楽施設に場所を限らず美術館などでも弾き語りを披露している。
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only公演」も続けている。また2003年からは、毎回日替わりで個性的なゲストも出演することになる。過去の主なゲストは、高野寛、西村由紀江、中西俊博、coba、栗原正己(栗コーダーカルテット)、堂島孝平、ゴンザレス三上(GONTITI)、ウェイウェイ・ウー、かの香織、藤原道山、佐藤竹善、山口とも、サキタハヂメ、谷山浩子、土岐麻子、北原雅彦(東京スカパラダイスオーケストラ)、桂米團治、稲垣潤一、チェンミン、鈴木重子、斉藤由貴、檀れい、山寺宏一、小池光子(ビューティフルハミングバード)、鈴木広志、大口俊輔、木村仁哉、近藤研二、新居昭乃、渡辺シュンスケ(Schroeder-Headz)、杉林恭雄(QUJILA)、瀬木貴将、野宮真貴、弓木英梨乃(KIRINJI)、tico moonほか。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "さらにピアノソロでの「bombonniere」や、秋冬に開催する「ソング・トラベル」など、音楽施設に場所を限らず美術館などでも弾き語りを披露している。", "title": "人物" } ]
遊佐 未森は、日本の女性シンガーソングライター、作曲家、作詞家。宮城県仙台市出身。 「遊佐」は本名(東北地方南部や宮城県に多い苗字で山形県には遊佐町がある)、「未森」は本人と外間隆史が命名した芸名。 芸能事務所は、デビュー以来ヴァーゴミュージックに所属していたが、神奈川県横須賀市に「株式会社水音社」を設立した。遊佐と元ピチカート・ファイヴの鴨宮諒が所属する。
{{Infobox Musician<!--プロジェクト:音楽家を参照--> | 名前 = 遊佐 未森 | 画像 = | 画像説明 = | 画像サイズ = <!-- サイズが幅250ピクセルに満たない場合のみ記入 --> | 画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --> | 背景色 = singer | 出生名 = <!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 --> | 別名 = ユサ坊、みもりん、ミモちゃん | 出生 = {{Birth date and age|1964|2|20}}<!-- 個人のみ --> | 出身地 = {{JPN}}[[宮城県]][[仙台市]]<ref name="prof" /> | 死没 = <!-- 個人のみ --> | 学歴 = [[国立音楽大学]]音楽学部音楽教育学科卒業<!-- 個人のみ --> | ジャンル = [[J-POP]] | 職業 = [[シンガーソングライター]]<br/>[[作曲家]]、[[作詞家]] | 担当楽器 = [[ボーカル]]、[[ピアノ]]<!-- 個人のみ --> | 活動期間 = [[1987年]] - | レーベル = エピック・ソニー(現:[[エピックレコードジャパン]])<br />([[1988年]] - [[1997年]])<br />東芝EMI(現:[[EMIミュージック・ジャパン]])<br />([[1997年]] - [[2003年]])<br />[[ヤマハミュージックコミュニケーションズ]]<br />([[2005年]] - ) | 事務所 = [[ヴァーゴミュージック]]<br />([[1988年]] - [[2012年]])<br />水音社<br />([[2012年]] - ) | 共同作業者 = [[外間隆史]](デビュー - 1997年、2003年、2021年)<br />[[工藤順子]](デビュー - 1997年)<br />[[福岡智彦]](デビュー - ) | 公式サイト = https://www.mimoriyusa.net/ | 著名使用楽器 = }} '''遊佐 未森'''(ゆさ みもり、[[1964年]][[2月20日]] - )は、[[日本]]の[[シンガーソングライター|女性シンガーソングライター]]、[[作曲家]]、[[作詞家]]。[[宮城県]][[仙台市]]出身<ref name="prof">[https://www.mimoriyusa.net/profile/ PROFILE] 遊佐未森 公式サイト</ref>。 「遊佐」は本名<ref name=":1" />(東北地方南部や宮城県に多い[[苗字]]で[[山形県]]には[[遊佐町]]がある)、「未森」は本人と[[外間隆史]]が命名した[[芸名]]<ref name=":1">[https://reminder.top/795057386/ 和風テイストのケイト・ブッシュ? 遊佐未森との出会い] 福岡智彦、Re:minder、2021年4月5日閲覧。</ref>。 [[芸能事務所]]は、デビュー以来[[ヴァーゴミュージック]]に所属していたが<ref name=":1" />、[[神奈川県]][[横須賀市]]に「株式会社水音社」を設立した<ref name=":2">[https://www.musicman.co.jp/database/7306 (株) 水音社 【所属アーティスト】遊佐未森、鴨宮諒] 音楽業界総合情報サイト Musicman、エフ・ビー・コミュニケーションズ株式会社、2021年4月5日閲覧。</ref>。遊佐と元[[ピチカート・ファイヴ]]の[[鴨宮諒]]が所属する<ref name=":2" />。 == 来歴 == === 生い立ち === [[1964年]]に[[仙台市]]にて生まれる<ref name="mimo_interview_1" />。遊佐の両親の話では、いつも歌っているような子であったという<ref name="mimo_interview_1">{{Cite web|和書|url=https://www.cpra.jp/library/plaza_interview/vol044.html |title=25年のアーティスト活動を支えてくれた、皆さんに感謝しています - PLAZA INTERVIEW CPRA 公益社団法人日本芸能実演家団体協議会 実演家著作隣接権センター |accessdate=2020年6月15日 |author=実演家著作隣接権センター}}</ref>。 6歳のときに[[日本放送協会|NHK]]の『ちびっこのどじまん』に出場、[[童謡]]「[[たきび]]」を披露した<ref name="mimo_interview_2">{{Cite web|和書|url=https://www.kunitachi.ac.jp/introduction/kunion_cafe/interview/50on/ya/yusamimori.html |title=遊佐未森(シンガーソングライター)[国立音楽大学 - くにたちおんがくだいがく] |accessdate=2020年6月15日 |date=2004-04|author=国立音楽大学}}</ref>。7歳頃より[[ピアノ]]を弾きながら[[作詞]]・[[作曲]]を始め<ref name="mimo_interview_3" />「自然豊かな場所に住んでいた影響もあり、空や山をテーマにした曲が多かった」と自身で述べている<ref name="mimo_interview_3">{{Cite web|和書|url=http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hitosite/hs_hs_07090101.htm |title=(2)大切な瞬間 歌で再生 東北ひとサイト 地域 YOMIURI ONLINE(読売新聞) |accessdate=2013年12月30日 |author=読売新聞|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131230232016/http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hitosite/hs_hs_07090101.htm|archivedate=2013-12-30}}</ref>。 子供の頃から音楽好きで、両親の計らいで[[NHK仙台放送管弦楽団#NHK仙台の合唱部門|仙台少年少女合唱隊]]に所属する<ref name="mimo_interview_1"/>。同合唱隊では[[福井文彦]]に師事しテレビ出演や演奏会を経験した<ref name="mimo_interview_2"/>。中学生で[[声楽]]を習い始め、[[常盤木学園高等学校]][[音楽科]]へ進学する<ref name="mimo_1">{{Cite web|和書|url=http://www.tokiwagi.ed.jp/alumni/ |title=常盤木学園同窓会 常盤木学園高等学校 |accessdate=2013年12月30日 |author=常盤木学園高等学校|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131230235926/http://www.tokiwagi.ed.jp/alumni/|archivedate=2013-12-30}}</ref>。同校では[[東北地方]]各地の学校を巡る演奏旅行を経験するなど音楽一色の生活であった<ref name="mimo_interview_3"/>。[[声楽家]]を目指していたが、様々な音楽に触れるうちに[[シンガーソングライター]]への道を志すようになる<ref name="mimo_interview_3"/>。 高校卒業後、[[国立音楽大学]][[音楽学部]]音楽教育学科へ進学し、[[リトミック]]を専攻する<ref name="mimo_interview_2"/>。同大学を卒業後、[[芸能事務所|音楽事務所]]へ[[デモテープ]]を送ったところ[[メジャー・デビュー (音楽家)|メジャーデビュー]]が決まった<ref name="mimo_interview_3"/>。 === 1980年代 - 1990年代 === [[1988年]]4月、アルバム『[[瞳水晶 (アルバム)|瞳水晶]]』で[[エピックレコードジャパン|エピックソニー]]から[[メジャー・デビュー (音楽家)|メジャー・デビュー]]<ref name="mimo_interview_4">{{Cite web|和書|url=http://c.filesend.to/plans/career/body.php?od=131022.html&pc=1 |title=シンガーソングライター 遊佐未森の場合 仕事インタビュー【私の職務経歴書】 宅ふぁいる便 |accessdate=2013年12月30日 |author=エルネット|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131230232450/http://c.filesend.to/plans/career/body.php?od=131022.html&pc=1|archivedate=2013-12-30}}</ref>。[[音楽プロデューサー|プロデューサー]]は[[福岡智彦]]。[[作詞家]]として[[工藤順子]]を起用し、以降も遊佐の楽曲を多数手がけることとなった<ref>[https://reminder.top/367539415/ あきない、たいくつ、遊佐未森 — 作詞家を探しもとめて大分へ] 福岡智彦、Re:minder、2021年4月5日閲覧。</ref>。また『瞳水晶』では[[成田忍]]がサウンドプロデュース<ref name=":0">[https://reminder.top/317911065/ 遊佐未森ヒストリー:セカンドアルバム「空耳の丘」外間隆史時代の始まり] 福岡智彦、Re:minder、2021年4月5日閲覧。</ref>、[[レコーディングエンジニア]]の[[飯尾芳史]]が[[ミキシング]]を担当した<ref>[https://reminder.top/394517929/ 遊佐未森ヒストリー:「空耳の丘」レコーディング・エンジニア物語] 福岡智彦、Re:minder、2021年4月5日閲覧。</ref>。 同1988年10月には2枚目のアルバム『空耳の丘』を発売。このアルバムから外間隆史が中心となってプロデュースを行うようになる<ref name=":0" /><ref name=":0"/>。前作同様に当初はあまり話題にならなかったが、アルバム収録曲「地図をください」が[[日清食品|日清]][[カップヌードル]]の[[コマーシャルソング|CM曲]]に採用され一躍注目を浴びる<ref name="mimo_2">{{Cite web|和書|url=http://eplus.jp/sys/web/yusa/index.html |title=e+ 【遊佐未森クリスマスコンサート mimori yusa pianoel】 特集ページ |accessdate=2013年12月30日 |author=エンタテインメントプラス|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131231002501/http://eplus.jp/sys/web/yusa/index.html|archivedate=2013-12-31}}</ref>。テレビCMは「シュワルツェネッガー、食べる。」として[[アーノルド・シュワルツェネッガー]]が出演し、肩に[[乗用車]]を担いで現れ、青空の下でカップヌードルを食べるシュワルツェネッガーの映像と、[[BGM]]として同曲が流された。CMに曲名や歌手名のクレジットはなかったが、話題を呼んで「CM曲を歌っているのは誰か」と問い合わせが相次ぎ、遊佐の知名度を一挙に押し上げた。同曲は[[1989年]]2月に[[シングルカット]]され、3枚目のシングルとして発売された<ref>[https://reminder.top/184104098/ 遊佐未森ヒストリー:クリエイティブの世界でいちばん大切なこと] 福岡智彦、Re:minder、2021年4月5日閲覧。</ref>。 [[1990年]]にシングル『夏草の線路』の[[カップリング曲]]「真夜中のキリン」が「[[第一生命]]ディズニー」のCMに採用される<ref group="注">ジャケットには[[タイアップ]]の[[ロゴタイプ|ロゴ]]が表記されているものとないものが存在した。</ref>。「夏草の線路」は4枚目のアルバム『[[HOPE (アルバム)|HOPE]]』に収録されている。 初期には遊佐自身の作詞・作曲による楽曲は少なく、遊佐がメジャーデビュー前から関わりがあった元[[FILMS]]の[[外間隆史]]が共同作業者として楽曲制作に深く関わり、[[童話]]や[[ファンタジー]]をモチーフとした独特の世界観を創り上げていた<ref>[https://reminder.top/323363765/ 遊佐未森の世界が見えた… 外間隆史の天才に気づく] 福岡智彦、Re:minder、2021年4月5日閲覧。</ref>。外間のコンセプトにより、[[アルバムジャケット|ジャケット]]写真やステージでは[[森ガール]]風の衣装や大きな[[帽子]]を身にまとい、ライブアクトでは[[人形]]のような[[振り付け]]を演じ、初期のアルバムには歌詞カードに外間による[[短編小説]]が掲載されるなど、サウンドのみならずビジュアル面も含めたトータルプロデュースを行っていた。また福岡智彦は[[太田裕美]]の夫であるが、初期のアルバムには太田から楽曲提供された曲もあった。 {{See also|工藤順子#遊佐未森との出会い|福岡智彦|外間隆史}} [[1991年]]には「靴跡の花」が[[田中芳樹]]原作の[[アニメーション映画|アニメ映画]]『[[アルスラーン戦記]]』の主題歌に採用され、[[オリコンチャート]]14位にランクインするなど遊佐としては最大のヒット曲となった。また「空」が『[[横山光輝 三国志]]』のエンディングテーマとして使われた。「靴跡の花」は5枚目のアルバム『[[モザイク (遊佐未森のアルバム)|モザイク]]』に収録されたが、このアルバムでは初のセルフプロデュースとなり、外間隆史がプロデュースから外れた。このアルバムと、[[1993年]]発表の6枚目のオリジナルアルバム『[[momoism]]』から遊佐自身の作詞・作曲による楽曲が増えていくが、この時点ではまだ外間隆史も楽曲提供を行っている。 [[1992年]]にシングル『東京の空の下』<ref group="注">作詞:工藤順子、作曲:外間隆史。ベストアルバム『[[桃と耳]]』収録。</ref> を発表し、[[オッペン化粧品]]CM曲に採用される。またカップリング曲「いつも同じ瞳」<ref group="注">作詞:奥山六九(福岡智彦の筆名)、作曲:遊佐未森。ベストアルバム『[[Do-Re-Mimo the singles collection]]』収録。</ref> が仙台市の[[中央通り (仙台市)|クリスロード]]イメージソングとなった<ref name="mimo_3">{{Cite web|和書|url=http://www.sendai-astro.jp/square/blog/2010/10/post-73.html |title=仙台市天文台 宇宙のひろば 遊佐未森コンサート〜レポート&インタビュー〜 |accessdate=2013年12月30日 |author=仙台市天文台}}</ref>。同年にはセルビデオ映画『東京BOOK』がオリコン第1位となった。 [[1994年]]3月発表のミニアルバム『[[水色 (遊佐未森のアルバム)|水色]]』は、[[アイルランド音楽|アイリッシュミュージックバンド]]の[[ナイトノイズ]] (Nightnoise) との共作で、遊佐としては初の海外アーティストとの共演を果たした。このアルバムでは外間隆史が完全に制作から外れた。 また同1994年には、[[細野晴臣]]プロデュースの[[環境音楽|アンビエント]][[音楽ユニット|ユニット]]「[[LOVE,PEACE&TRANCE]]」に[[甲田益也子]]、[[小川美潮]]と共に参加するなど、それまでとは異なるアーティストとの共同活動の場を広げていった。 「花王メリット」のCM曲として、[[1995年]]のシングル「たしかな偶然」<ref name="注">オリジナルアルバム『[[アカシア (アルバム)|アカシア]]』に収録。</ref>、[[1996年]]のシングル「生活のプリン」が2年連続で採用される。 [[1997年]]発表のエピック時代最後のシングル『[[roka|ロカ]]』が[[スズキ・アルト]]のCMに採用される。同年に東芝EMIへ移籍し、24枚目のシングル『タペストリー』<ref group="注">アルバム『[[ECHO (遊佐未森のアルバム)|ECHO]]』 に収録。</ref> を発表、[[カルビー]]「ア・ラ・ポテト」のCM曲に採用される。 [[1998年]]にデビュー10周年を迎えた。同年に12枚目のアルバム『[[ECHO (遊佐未森のアルバム)|ECHO]]』を発表。収録曲「レモンの木」が『[[ワイドABCDE〜す]]』(ABCテレビ)の3月エンディングテーマに採用された。 [[1999年]]2月発売の27枚目のシングル曲「ポプラ」<ref group="注">オリジナルアルバム『[[庭 (遊佐未森のアルバム)|庭]]』に収録。</ref> が、同年4月から[[山崎製パン]]のCMソングに採用される。[[2000年]]発表のシングル「空に咲く花」<ref group="注">オリジナルアルバム『[[small is beautiful (遊佐未森のアルバム)|small is beautiful]]』に収録。</ref>(通算28枚目)が[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系『[[世界ゴッタ煮偉人伝]]』エンディングテーマに採用される。 1999年から体調を崩し、1年間活動休止して海の近くへ引っ越す<ref name="hmv" />。活動復帰後の[[2000年]]11月8日に13枚目のアルバム『[[small is beautiful (遊佐未森のアルバム)|small is beautiful]]』をリリース<ref name="hmv" />。東京から引っ越していく女性の心境を歌った「サヨナラ東京」<ref>{{歌ネット|id=97535|song=サヨナラ東京}}</ref> が収録されている<ref name="hmv">[https://www.hmv.co.jp/artist_%E9%81%8A%E4%BD%90%E6%9C%AA%E6%A3%AE_000000000012955/item_%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%95%E3%83%AB_392506 スモール・イズ・ビューティフル 遊佐未森 商品説明] [[HMV]]、2021年4月5日閲覧。</ref>。 === 2000年代以降 === [[2002年]]、[[大正]]から[[昭和]]初期の曲を[[カバー]]した18枚目のアルバム『檸檬』を発表。遊佐としては初のカバーアルバムとなる。[[2003年]]には[[東京都]][[国立市]]の依頼により、[[国立市立国立第八小学校]]の[[校歌]]を制作した<ref name="mimo_4">{{Cite web|和書|url=http://www.kunitachi.ed.jp/el08_intro_songfull |title=八小校歌フル |accessdate=2013年12月30日 |author=国立市立国立第八小学校}}</ref>。 [[2005年]]に[[ヤマハミュージックコミュニケーションズ]]へ移籍、同年12月7日に移籍後初のシングルとなる『クロ』を発売(通算32枚目)。同年12月から翌[[2006年]]1月まで[[日本放送協会|NHK]]『[[みんなのうた]]』で放送された。[[アニメーション]]は[[おーなり由子]]が担当。また同年に、[[さとう宗幸]]、[[稲垣潤一]]、[[中村雅俊]]、[[かの香織]]、[[山寺宏一]]、[[小川もこ]]ら、[[宮城県出身の人物一覧#芸能人|宮城県出身のアーティスト]]と共に「みやぎびっきの会」を結成し、年1回ほど宮城県で合同コンサートを行っていた<ref name="mimo_5">{{Cite web|和書|url=http://bikkifund.net/index1.html |title=びっきこども基金とは|みやぎびっきの会 びっきこども基金 |accessdate=2013年12月30日 |author=みやぎびっきの会}}</ref>。 [[2008年]]にデビュー20周年を迎えた。これを記念してカバーアルバム第2弾『[[スヰート檸檬]]』を発表。前作『檸檬』と同様に[[懐メロ]]をカバーした。また同年には[[うどんや風一夜薬本舗]]のイメージモデルとなり、[[桂米團治 (5代目)|桂米團治]][[襲名]]披露公演のパンフレットなどに[[和服]]姿の写真が掲載された。 [[2009年]]6月発売のアルバム『銀河手帖』収録曲「I'm here with you」が、NHK『みんなのうた』(同年6・7月の歌)で放送され、またNHK「地球エコ2009」のキャンペーン「SAVE THE FUTURE」でオンエアされた長編アニメーション『川の光』のメインテーマにもなる。 [[2012年]]1月、18枚目のアルバム『淡雪』を発表。同アルバム収録曲「[[いつでも夢を]]」には[[檀れい]]が参加した。2012年3月、NHKの[[東日本大震災]]復興支援ソング「[[花は咲く]]」リレー歌唱に参加<ref>[https://web.archive.org/web/20190401113319/https://www.nhk.or.jp/ashita/themesong/original.html 「花は咲く」オリジナルバージョン] あの日、そして明日へ~NHK東日本大震災プロジェクト~、2021年4月5日閲覧。</ref>。また同年、第79回[[NHK全国学校音楽コンクール]]小学校の部課題曲「希望のひかり」の作詞を担当<ref name="mimo_6">{{Cite web|和書|url=http://www.nhk.or.jp/ncon/music_program/2012kadaikyoku_e.html |title=Nコン2013|課題曲 |accessdate=2013年12月30日 |author=NHK}}</ref>。作曲は[[大熊崇子]]が担当した。 [[2018年]]にデビュー30周年を迎えた。これを記念して同年3月21日、ベストアルバム『[[PEACH TREE (遊佐未森のアルバム)|PEACHTREE]]』をリリース。初回限定盤にはピアノ演奏を中心とした未発表音源6曲入り特典CDが付属する<ref>[https://www.barks.jp/news/?id=1000150853 遊佐未森、デビュー30周年記念ベストアルバムの発売決定] [[BARKS]]、2018年1月15日、2021年4月5日閲覧。</ref>。 2021年6月23日に20枚目のアルバム『[[潮騒 (遊佐未森のアルバム)|潮騒]]』をリリースした。初回盤にはアルバム制作後の映像を収めた遊佐初の[[Blu-ray Disc]]が付属したものもある。 == 人物 == 歌唱法の特徴とも言える[[ファルセット]]における独特の緩やかな[[ビブラート]]と強弱のウェーブは、遊佐自ら「8の字唱法」と解説している<ref name="mimo_interview_1"/>。 好きなアーティストとして[[ケイト・ブッシュ]]、ジェーン・シベリー([[:en:Jane Siberry]])<ref>[https://reminder.top/386692105/ 遊佐未森ヒストリー:滞在期間中の嬉しい偶然、ジェイン・シベリーのロンドン公演] 福岡智彦、Re:minder、2021年4月5日閲覧。</ref>、スプリット・エンズ([[:en:Split Enz]])などを挙げている。 ライブ活動も積極的に行い、通常のホールコンサートのほか、[[ひなまつり]]企画ライブとして2001年からスタートした「cafe mimo〜桃節句茶会〜」は、小編成での自由自在な表現で、毎年ひなまつりの季節に開催している<ref name="mimo_interview_4"/>。 通常公演と、1回目から行っている女性専用コンサート「girl's only公演」も続けている。また2003年からは、毎回日替わりで個性的なゲストも出演することになる。過去の主なゲストは、[[高野寛]]、[[西村由紀江]]、[[中西俊博]]、[[coba]]、[[栗原正己]]([[栗コーダーカルテット]])、[[堂島孝平]]、[[ゴンザレス三上]]([[GONTITI]])、ウェイウェイ・ウー、[[かの香織]]、[[藤原道山]]、[[佐藤竹善]]、[[山口とも]]、[[サキタハヂメ]]、[[谷山浩子]]、[[土岐麻子]]、北原雅彦([[東京スカパラダイスオーケストラ]])、[[桂米團治]]、[[稲垣潤一]]、チェンミン、[[鈴木重子]]、[[斉藤由貴]]、[[檀れい]]、[[山寺宏一]]、小池光子([[ビューティフルハミングバード]])、鈴木広志、大口俊輔、木村仁哉、[[近藤研二]]、[[新居昭乃]]、渡辺シュンスケ([[Schroeder-Headz]])、[[杉林恭雄]](QUJILA)、[[瀬木貴将]]、[[野宮真貴]]、弓木英梨乃([[KIRINJI]])、tico moonほか。 さらにピアノソロでの「bombonniere」や、秋冬に開催する「ソング・トラベル」など、音楽施設に場所を限らず[[美術館]]などでも[[弾き語り]]を披露している<ref name="mimo_interview_4"/>。 == ディスコグラフィ == === シングル === {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- ! &nbsp; !! 発売日 !! タイトル !! 規格 !! [[規格品番]] !! 最高順位 |- | rowspan="2" | 1st | rowspan="2" | 1988年4月1日 ! rowspan="2" | 瞳水晶<ref group="注">アルバム『[[瞳水晶 (アルバム)|瞳水晶]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | 8cmCD | 10・8H-3020 | rowspan="2" | |- | EP | 07・5H-3020 |- | 2nd | 1988年9月30日 ! 窓を開けた時<ref group="注">アルバム『[[空耳の丘]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | rowspan="18" | 8cmCD | 10・8H-3051 | |- | 3rd | 1989年2月1日 ! 地図をください<ref group="注">アルバム『[[空耳の丘]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | 10・8H-3088 |41位 |- | 4th | 1989年5月21日 ! 0の丘∞の空<ref group="注">アルバム『[[ハルモニオデオン]]』に別バージョンを収録。カップリング曲「空耳の丘 (FULL SCALE VERSION) 」は『[[still life (遊佐未森のアルバム)|still life]]』に収録された。</ref> | 10・8H-3102 |38位 |- | 5th | 1989年9月1日 ! 暮れてゆく空は<ref group="注">アルバム『[[ハルモニオデオン]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | 10・8H-3139 | 33位 |- | 6th | 1989年11月22日 ! Silent Bells<ref group="注">オリジナルアルバム未収録曲。[[古賀森男]]と[[デュエット]]した[[クリスマスソング]]。イントロをカットしたリミックス版がベストアルバム『[[mimomemo the memorable songs of mimori yusa]]』に収録。カップリング曲は「[[ハルモニオデオン]]」の別バージョン(機械と言葉)。アルバム『[[HOPE (アルバム)|HOPE]]』の記事も参照。</ref> | ESDB-3042 |42位 |- | 7th | 1990年3月21日 ! 夏草の線路<ref group="注">アルバム『[[HOPE (アルバム)|HOPE]]』に収録。カップリング曲「真夜中のキリン」はベストアルバム『[[桃と耳]]』に収録。</ref> | ESDB-3078 | 24位 |- | 8th | 1990年8月22日 ! 野の花<ref group="注">アルバム『[[HOPE (アルバム)|HOPE]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | ESDB-3136 | 28位 |- | 9th | 1990年11月1日 ! 夢をみた<ref group="注">アルバム『[[HOPE (アルバム)|HOPE]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | ESDB-3164 | 57位 |- | 10th | 1991年2月21日 ! ONE<ref group="注">オリジナルアルバム未収録曲。リミックス版が『[[mimomemo the memorable songs of mimori yusa]]』、リマスター版が『[[Do-Re-Mimo the singles collection]]』に収録された。</ref> | ESDB-3184 | 22位 |- | 11th | 1991年7月18日 ! 靴跡の花 〜アルスラーン戦記より〜<ref group="注">アルバム『[[モザイク (遊佐未森のアルバム)|モザイク]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | ESDB-3225 | 18位 |- | 12th | 1991年10月10日 ! 空<ref group="注">アルバム『[[モザイク (遊佐未森のアルバム)|モザイク]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | ESDB-3253 | 82位 |- | 13th | 1992年5月21日 ! GRACE<ref group="注">オリジナルアルバム未収録曲。カップリング曲「GRACE2」は別バージョン。リマスター版が『[[Do-Re-Mimo the singles collection]]』に収録された。</ref> | ESDB-3300 | 37位 |- | 14th | 1992年10月21日 ! 東京の空の下<ref group="注">オリジナルアルバム未収録曲。『[[桃と耳]]』『[[Still life (遊佐未森のアルバム)|still life]]』に収録された。カップリング曲は2曲で、「優しい時間」は'''アルバム未収録曲'''。「いつも同じ瞳」はリマスター版が『[[Do-Re-Mimo the singles collection]]』に収録された。</ref> | ESDB-3337 | 45位 |- | 15th | 1993年4月21日 ! 一粒の予感<ref group="注">アルバム『[[momoism]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | ESDB-3375 | 52位 |- | 16th | 1994年3月7日 ! 緑の絵<ref group="注">アルバム『[[水色 (遊佐未森のアルバム)|水色]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | ESDB-3459 | 54位 |- | 17th | 1994年5月21日 ! 咲くといいな<ref group="注">アルバム『[[アルヒハレノヒ]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | ESDB-3488 | 83位 |- | 18th | 1994年7月21日 ! 恋かしら<ref group="注">アルバム『[[アルヒハレノヒ]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | ESDB-3507 | 75位 |- | 19th | 1995年5月21日 ! たしかな偶然<ref group="注">アルバム『[[アカシア (アルバム)|アカシア]]』に別バージョンを収録。カップリング曲は『Floria』ライブバージョン。詳細は『[[アカシア (アルバム)|アカシア]]』を参照。</ref> | ESDB-3579 | 88位 |- | 20th | 1995年10月1日 ! 野生のチューリップ<ref group="注">アルバム『[[アカシア (アルバム)|アカシア]]』に収録。カップリング曲「夏のてのひら」は同アルバム収録曲の別バージョン。詳細は『[[アカシア (アルバム)|アカシア]]』を参照。</ref> | CD | ESCB-1674 | 67位 |- | 21st | 1996年6月21日 ! 生活のプリン 〜Life Pudding〜<ref group="注">オリジナルアルバム未収録曲。リマスター版が『[[Do-Re-Mimo the singles collection]]』に収録された。カップリング曲「虹を見ること」は『[[アカシア (アルバム)|アカシア]]』収録曲の別バージョン。詳細は『[[アカシア (アルバム)|アカシア]]』を参照。</ref> | rowspan="6" | 8cmCD | ESDB-3688 | 66位 |- | 22nd | 1997年1月22日 ! ハモニカ海岸<ref group="注">アルバム『[[roka]]』に収録。カップリング曲は同アルバム収録曲「クローバー」の[[英語]]バージョン。</ref> | ESDB-3740 | 62位 |- | 23rd | 1997年6月21日 ! ロカ<ref group="注">アルバム『[[roka]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | ESDB-3773 | |- | 24th | 1997年10月16日 ! タペストリー<ref group="注">アルバム『[[ECHO (遊佐未森のアルバム)|ECHO]]』にリミックスバージョンを収録。</ref><!--※カップリング曲は?--> | TODT-5056 | 35位 |- | 25th | 1998年1月16日 ! レモンの木<ref group="注">アルバム『[[ECHO (遊佐未森のアルバム)|ECHO]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | TODT-5102 | 80位 |- | 26th | 1998年8月21日 ! ボーダーライン<ref group="注">アルバム『[[庭 (遊佐未森のアルバム)|庭]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | TODT-5187 | 55位 |- | 27th | 1999年2月10日 ! ポプラ<ref group="注">アルバム『[[庭 (遊佐未森のアルバム)|庭]]』にカップリング曲とも収録。</ref> | rowspan="4" | CD | TOCT-4136 | 69位 |- | 28th | 2000年7月12日 ! 空に咲く花 | TOCT-22086 | 58位 |- | 29th | 2000年10月12日 ! ココア | TOCT-22113 | 48位 |- | 30th | 2001年8月8日 ! I'll remember | TOCT-4316 | 70位 |- | 31st | 2003年7月30日 ! light song | CD+DVD | TOCT-4523 | 48位 |- | 32nd | 2005年12月7日 ! クロ | CD | YCCW-30005 | 88位 |- | rowspan="2" | 33rd | rowspan="2" | 2009年7月1日 ! rowspan="2" | I'm here with you | CD+DVD | YCCW-30021/B<small>(DVD付初回限定盤)</small> | rowspan="2" | 105位 |- | CD | YCCW-30022<small>(通常盤)</small> |- | 34th | 2012年8月28日 ! Theo | インターネット配信 | YCCI-10136 | |- | 35th | 2015年12月9日 ! カリヨン・ダンス | CD | YCCW-30047 | 145位 |} === アルバム === ==== オリジナルアルバム ==== {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- ! &nbsp; !! 発売日 !! タイトル !! 規格 !! 規格品番 !! 最高順位 |- | rowspan="5" | 1st | rowspan="3" | 1988年4月1日 ! rowspan="5" | [[瞳水晶 (アルバム)|瞳水晶]] | CD | 32・8H-5009<small>(廃盤)</small> | rowspan="5" | 87位 |- | LP | 28・3H-5009<small>(廃盤)</small> |- | CT | 28・6H-5009<small>(廃盤)</small> |- | 1991年9月21日 | rowspan="27" | CD | ESCB-1215<small>(廃盤)</small> |- | 2006年12月13日 | MHCL-884<small>(再発売:リマスタリング)</small> |- | rowspan="3" | 2nd | 1988年10月21日 ! rowspan="3" | [[空耳の丘]] | 35・8H-5046<small>(廃盤)</small> | rowspan="3" | 29位 |- | 1991年9月21日 | ESCB-1216 |- | 2021年9月22日 | MHCL-2900<small>(再発売:リマスタリング、ボーナストラック追加)</small> |- | rowspan="3" | 3rd | 1989年9月21日 ! rowspan="3" | [[ハルモニオデオン]] | 33・8H-5121<small>(廃盤)</small> | rowspan="3" | 5位 |- | 1989年10月8日 | ESCB-1006<small>(廃盤)</small> |- | 2006年12月13日 | MHCL-885<small>(再発売:リマスタリング)</small> |- | rowspan="2" | 4th | 1990年9月21日 ! rowspan="2" | [[HOPE (アルバム)|HOPE]] | ESCB-1093<small>(廃盤)</small> | rowspan="2" | 5位 |- | 2006年12月13日 | MHCL-886<small>(再発売:リマスタリング)</small> |- | rowspan="2" | 5th | 1991年9月21日 ! rowspan="2" | [[モザイク (遊佐未森のアルバム)|モザイク]] | ESCB-1235<small>(廃盤)</small> | rowspan="2" | 5位 |- | 2006年12月13日 | MHCL-887<small>(再発売)</small> |- | rowspan="2" | 6th | 1993年5月21日 ! rowspan="2" | [[momoism]] | ESCB-1398<small>(廃盤)</small> | rowspan="2" | 10位 |- | 2006年12月13日 | MHCL-888<small>(再発売)</small> |- | rowspan="2" | 7th | 1994年3月21日 ! rowspan="2" | [[水色 (遊佐未森のアルバム)|水色]] | ESCB-1428 | rowspan="2" | 9位 |- | 2010年7月14日 | MHCL-1770<small>(再発売:リマスタリング)</small> |- | rowspan="2" | 8th | 1994年9月21日 ! rowspan="2" | [[アルヒハレノヒ]] | ESCB-1522 | rowspan="2" | 13位 |- | 2010年7月14日 | MHCL-1771<small>(再発売:リマスタリング)</small> |- | rowspan="2" | 9th | 1996年1月21日 ! rowspan="2" | [[アカシア (アルバム)|アカシア]] | ESCB-1718 | rowspan="2" | 14位 |- | 2010年7月14日 | MHCL-1772<small>(再発売:リマスタリング)</small> |- | rowspan="2" | 10th | 1997年2月1日 ! rowspan="2" | [[roka]] | ESCB-1799 | rowspan="2" | 17位 |- | 2010年7月14日 | MHCL-1773<small>(再発売:リマスタリング)</small> |- | 11th | 1998年2月11日 ! [[ECHO (遊佐未森のアルバム)|ECHO]] | TOCT-10191 | 14位 |- | 12th | 1999年3月10日 ! [[庭 (遊佐未森のアルバム)|庭]] | TOCT-24104 | 27位 |- | 13th | 2000年11月8日 ! [[small is beautiful (遊佐未森のアルバム)|small is beautiful]] | TOCT-24458 | 29位 |- | 14th | 2001年10月31日 ! [[honoka (遊佐未森のアルバム)|honoka]] | TOCT-24642 | 39位 |- | 15th | 2003年8月20日 ! [[Bougainvillea (遊佐未森のアルバム)|Bougainvillea]] | TOCT-25093 |55位 |- | rowspan="2" | 16th | rowspan="2" | 2006年5月10日 ! rowspan="2" | [[休暇小屋]] | CD+DVD | YCCW-10022/B<small>(DVD付初回限定盤)</small> | rowspan="2" | 39位 |- | CD | YCCW-10023<small>(通常盤)</small> |- | rowspan="2" | 17th | rowspan="2" | 2009年6月3日 ! rowspan="2" | [[銀河手帖 (遊佐未森のアルバム)|銀河手帖]] | CD+DVD | YCCW-10098/B<small>(DVD付初回限定盤)</small> | rowspan="2" | 35位 |- | CD | YCCW-10099<small>(通常盤)</small> |- | 18th | 2012年1月18日 ! [[淡雪 (遊佐未森のアルバム)|淡雪]] |CD | YCCW-10167 | 40位 |- | 19th | 2016年10月5日 ! [[せせらぎ (遊佐未森のアルバム)|せせらぎ]] |CD | YCCW-10287 | 42位 |- | 20th | 2021年6月23日 ! [[潮騒 (遊佐未森のアルバム)|潮騒]] | CD+BD | YCCW-10389 | 25位 |} ==== ベスト・アルバム ==== {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- ! &nbsp; !! 発売日 !! タイトル !! 規格 !! 規格品番 !! 最高順位 |- | 1st | 1992年11月1日 ! [[桃と耳]] | rowspan="5" | CD | ESCB-1334 | 11位 |- | 2nd | 1998年3月1日 ! [[mimomemo the memorable songs of mimori yusa]] | ESCB-1865 | 53位 |- | 3rd | 2002年11月7日 ! [[TRAVELOGUE sweet and bitter collection]] | TOCT-24892 | 74位 |- | 4th | 2010年7月14日 ! [[Do-Re-Mimo the singles collection]] | MHCL-1768-9 | 92位 |- | 5th | 2013年9月11日 ! [[VIOLETTA THE BEST OF 25 YEARS]] | YCCW-10202-3 | 43位 |- | rowspan="2" | 6th | rowspan="2" | 2018年3月21日 ! rowspan="2" | PEACHTREE | CD+特典CD | YCCW-10331/B<small>(特典CD付初回限定生産盤)</small> | rowspan="2" | 43位 |- | CD | YCCW-10332<small>(通常盤)</small> |} ==== コンピレーション・アルバム ==== {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- ! &nbsp; !! 発売日 !! タイトル !! 規格 !! 規格品番 !! 最高順位 |- | 1st | 2001年11月21日 ! [[still life (遊佐未森のアルバム)|still life]] | CD | ESCL-2282 | |- | 2nd | 2003年9月10日 ! [[Bougainvillea Reflect]]<ref group="注">『ブーゲンビリアの残響』と題し、アルバム『[[Bougainvillea (遊佐未森のアルバム)|Bougainvillea]]』の収録曲から6曲を[[リミックス]]した、遊佐としては初となるリミックス・アルバム。beatica([[阿部尚徳]])がリミックスを担当。</ref> |CD/Win/Mac | TOCT-25156 | 113位 |} ==== ライブ・アルバム ==== {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- ! &nbsp; !! 発売日 !! タイトル !! 規格 !! 規格品番 !! 備考 |- | 1st | 2004年6月10日 ! [[BREATH at the show]] | CD | mmml-0001 | rowspan="2" | 遊佐未森公式サイト限定販売 |- | 2nd | 2009年11月30日 ! [[mimori yusa concert 2009 / 銀河手帖]] | rowspan="2" | CD+DVD | mmml-002 |- | 3rd | 2019年3月27日 ! [[PEACH LIFE (遊佐未森のアルバム)|PEACH LIFE]] | YCCW-10359/B | |} ==== カバー・アルバム ==== {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- ! &nbsp; !! 発売日 !! タイトル !! 規格 !! 規格品番 !! 最高順位 |- | 1st | 2002年7月10日 ! [[檸檬 (遊佐未森のアルバム)|檸檬]] | rowspan="2" | CD | TOCT-24813 | 44位 |- | 2nd | 2008年1月23日 ! [[スヰート檸檬]] | YCCW-10042 | 82位 |} === 映像作品 === {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- ! &nbsp; !! 発売日 !! タイトル !! 規格 !! 規格品番 |- | rowspan="9" | ミュージック・ビデオ | rowspan="2" | 1990年2月21日 ! rowspan="3" | Forest Notes -concert with trees- | VHS | ESVU-211 |- | LD | ESLU-281 |- | 2008年10月22日 | DVD | MHBL-107 |- | rowspan="2" | 1991年2月21日 ! rowspan="3" | picture HOPE -Holiday Of Planet Earth- | VHS | ESVU-304 |- | LD | ESLU-304 |- | 2008年10月22日 | DVD | MHBL-108 |- | rowspan="2" | 1992年5月21日 ! rowspan="3" | Rondo Piccolo -scenes from Language of Flowers- | VHS | ESVU-353 |- | LD | ESLU-353 |- | 2008年10月22日 | DVD | MHBL-109 |- | rowspan="6" | ライブ・ビデオ | rowspan="2" | 1995年2月22日 ! rowspan="3" | ALOHA MIMORITA LIVE SHOW at BUDOKAN Nov.10.1994 | VHS | ESVU-426 |- | LD | ESLU-426 |- | 2008年10月22日 | rowspan="4" | DVD | MHBL-111 |- | 2006年4月28日 ! mimori yusa piano solo bonbonniere | HMBH-1020 |- | 2007年11月7日 ! ササノハ オトノハ 〜七夕夢一夜〜 | YCBW-10012 |- | 2014年6月25日 ! mimo-real songs デビュー25周年記念コンサート“ミモリアル ソングス” | YCBW-10042 |- | rowspan="2" | ライブ/ミュージック・ビデオ | rowspan="2" | 2001年11月16日 ! rowspan="2" | clematis | VHS | TOVF-1376 |- | DVD | TOBF-5099 |- | rowspan="3" | 短編映画 | rowspan="2" | 1992年11月1日 ! rowspan="3" | 東京BOOK | VHS | ESVU-369 |- | LD | ESLU-369 |- | 2008年10月22日 | DVD | MHBL-110 |} === 参加作品 === {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- ! &nbsp; !! 発売日 !! タイトル !! 規格 !! 規格品番 !! 最高順位 |- | rowspan="2" | - | rowspan="2" | 2012年5月23日 ! rowspan="2" | [[花は咲く]] | CD+DVD | VTZL-43<small>(DVD付初回限定盤)</small> | rowspan="2" | 11位 |- | CD | VTCL-35132(通常盤) |} == 書籍 == === エッセイ === * 『ひなたVOX』[[音楽之友社]]、1991年1月、ISBN 978-4276237124 * 『ひなたVOX』[[角川書店]]、1993年4月、ISBN 978-4041875018 === ムック === * 『空耳見聞録-遊佐未森のいる風景』[[河出書房新社]]、1991年11月、ISBN 978-4309007335 * 『遊佐未森 モザイクな日々- 1988‐1992GB MEMORIES』[[ソニー・マガジンズ|CBS・ソニー出版]]、1992年4月、ISBN 978-4789707565 * 『遊佐未森』[[エクシード・プレス]]〈Exceed press pop culture series : Music〉、1999年10月、ISBN 978-4893697486 * 『mimorama』[[日興企画]]、2013年11月、ISBN 978-4888776684 === 写真集 === * 『Tanabata Mimori Yusa Live Photo Book 1988-2003』[[ヴァーゴミュージック]]、2003年 === 楽譜 === * 『遊佐未森 BISCUIT PIECES』[[リットーミュージック]]、1990年3月、ISBN 978-4845690480 * 『遊佐未森 PIANO&VOCAL ベストセレクション』[[東京音楽書院]]、1990年12月、ISBN 978-4811493688 * 『遊佐未森 best』東京音楽書院、1991年10月、ISBN 978-4811494791 * 『遊佐未森 Hope』リットーミュージック、1992年10月、ISBN 978-4845651498 * 『ピアノ弾き語り 遊佐未森 BEST COLLECTION』東京音楽書院、1993年6月、ISBN 978-4811497396 * 『遊佐未森/ベスト・ソングス : 最新曲を含む遊佐未森のベスト曲を楽しいピアノ弾き語りで』[[ドレミ楽譜出版社]]、1993年7月、ISBN 4810811794 * 『遊佐未森 モザイク』リットーミュージック、1993年3月、ISBN 978-4845651573 * 『POP 遊佐未森』ドレミ楽譜出版社〈PLAY ON THE PIANO〉、1998年12月、ISBN 978-4810811797 == タイアップ == {| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center;" |- ! 起用年!!楽曲!!タイアップ |- | 1988年 ! 水夢 | [[三越]]「贈るって、ハートワーク」CMソング |- | 1989年 ! 地図をください | [[日清食品]]「[[カップヌードル|日清カップヌードル]]」CMソング |- | 1990年 ! 真夜中のキリン | [[第一生命]]CMソング |- | rowspan="2" | 1991年 ! 靴跡の花 〜アルスラーン戦記より〜 | [[松竹|松竹系]][[アニメーション映画|アニメ]]映画『[[アルスラーン戦記]]』主題歌 |- ! 空 | [[TXNネットワーク|テレビ東京系]][[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]『[[横山光輝 三国志]]』エンディングテーマ |- | rowspan="3" | 1992年 ! GRACE | [[フジテレビ系]]『[[モーニングLIVE]]』エンディングテーマ |- ! 東京の空の下 | [[オッペン化粧品]]「セルデュア」CMソング |- ! いつも同じ瞳 | [[中央通り (仙台市)#クリスロード|クリスロード商店街]]テーマソング |- | 1993年 ! 窓を開けた時 | [[エフエム仙台]]『とび出せ高校生諸君!』主題歌 |- | 1994年 ! 風が走る道 | テレビ東京系『[[情報!ソースが決め手]]』エンディングテーマ |- | rowspan="2" | 1996年 ! 咲くといいな | [[箱根彫刻の森美術館]]CMソング |- ! 生活のプリン*Life Pudding* | [[花王]]「[[メリット (シャンプー)|花王メリット]]」CMソング |- | 1997年 ! ロカ | [[スズキ (企業)|スズキ]]「[[スズキ・アルト]]」CMソング |- | rowspan="2" | 1998年 ! ミラクル | [[ユニー]]「あ、これいいね」暮らし篇CMソング |- ! タペストリー | [[カルビー]]「ア・ラ・ポテト」CMソング |- | 1999年 ! ポプラ | [[山崎製パン]]「サンロイヤルブレッド」CMソング |- | 2000年 ! 空に咲く花 | フジテレビ系『[[世界ゴッタ煮偉人伝]]』エンディングテーマ |- | rowspan="2" | 2001年 ! leaf | [[エヌ・ティ・ティ・ドコモ九州|NTTドコモ九州・沖縄]]企業CM 蝶篇CMソング( - 2002年まで) |- ! たしかな偶然 | フジテレビ系『[[ストレイシープ (テレビアニメ)|ストレイシープ]]』オープニングテーマ |- | 2005年 ! クロ | [[日本放送協会|NHK]]『[[みんなのうた]]』2005年12月、2006年1月、2006年6月 - 7月放送曲 |- | rowspan="2" |2009年 ! rowspan="2" | I'm here with you | NHK『みんなのうた』2009年6月 - 7月放送曲 |- | NHKアニメ『[[川の光#アニメ|川の光]]』主題歌 |- | ! shine! | [[名鉄交通|名鉄タクシー]]CMソング |- | ! 瞳水晶 | [[ワコール]]「ウイング」CMソング |- | ! 川 | [[ヘキスト (化学メーカー)|ヘキストジャパン]]CMソング |- | ! 海のように青い | [[TBSテレビ|TBS]]系『ぐるっと6000キロ東アジア幸せ航路』主題歌 |- | ! 猫になったり | [[花王]]「[[メリット (シャンプー)|花王メリット]]」CMソング |- | ! ラララ | [[名鉄百貨店]] フレッシュオープンガーデニング篇CMソング |- | ! ココア | [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系『[[THE・サンデー]]』エンディングテーマ |- | ! ネクター | [[BS日本|BS日テレ]]系『幻想美術館』エンディングテーマ |- | ! コハク | [[NHKラジオ第1放送]]『わたしの戦後60年』挿入曲 |- | 2015年 ! カリヨン・ダンス | NHK『みんなのうた』2015年12月 - 2016年1月放送曲 |- | 2016年 ! 風の庭 | [[テレビ朝日]]『[[じゅん散歩]]』2016年12月 - 2017年1月放送曲 |- |2020年 !きみといっしょにいると |NHK『おかあさんといっしょ』2020年9月 - 2020年10月放送曲 |} == コンサート == <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">1987年 - 2005年</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- ! 公演日!!ツアー名!!会場 |- | 1987年11月 | デビューライブ | [[インクスティック#店舗|芝浦ファクトリー]] |- | rowspan="2" | 1988年 | 瞳水晶 TOUR | 東京、名古屋、大阪 |- | 空耳の丘 TOUR | 東京、名古屋、大阪 |- | rowspan="4" | 1989年 | 空耳の丘 TOUR | 東京、名古屋、大阪 |- | NEW ACOUSTIC FRAGRANCE TOUR | 仙台、東京、大阪、広島、福岡 |- | 0の丘∞の空 TOUR | 東京、名古屋、大阪 |- | ハルモニオデオン TOUR | 札幌、仙台、群馬、千葉、東京、静岡、名古屋、京都、大阪、広島、福岡 |- | rowspan="4" | 1990年 | 6 EPISODES | [[PARCO劇場|パルコ劇場]](東京) |- | Forest Notes TOUR | 新潟、群馬、栃木、千葉、東京、名古屋、大阪、福岡、熊本、鹿児島 |- | Concert HOPE | 東京、名古屋、大阪 |- | 星屑音楽会 | [[日比谷野外音楽堂]](東京) |- | 1991年 | Concert TOUR MOSAIC | 札幌、仙台、東京、静岡、名古屋、大阪、広島、福岡 |- | 1992年 | 夜にくるり TOUR | 仙台、東京、名古屋、大阪 |- | 1993年 | Momoism TOUR | 宮城、茨城、東京、名古屋、大阪 |- | rowspan="2" | 1994年 | 水色 with NIGHTNOISE TOUR | 札幌、盛岡、仙台、新潟、東京、静岡、名古屋、大阪、岡山、広島、福岡、熊本 |- | アローハ・ミモリータ TOUR | 仙台、[[日本武道館]](東京)、名古屋、大阪 |- | rowspan="3" | 1995年 | 第1回ソラミミ倶楽部ファンクラブの集い | [[中野サンプラザ]](東京) |- | 9月のクレオール | 東京、長野、大阪 |- | Future Forest TOUR | 東京、名古屋、大阪 |- | rowspan="2" | 1996年 | ACACIA TOUR | 仙台、東京、名古屋、大阪 |- | 東京プリン | [[日清パワーステーション]](東京) |- | rowspan="3" | 1997年 | roka TOUR | [[オーチャードホール]](東京) |- | [[大村憲司]]25周年記念ライブ | 東京、神戸 |- | LIVE MOVE'97 | 札幌、仙台、東京、横浜、金沢、名古屋、大阪、広島、福岡 |- | rowspan="3" | 1998年 | CONCERT TOUR ' 98 echo | 仙台、東京、金沢、名古屋、大阪 |- | CONCERT TOUR ' 98 P.S. | 日清パワーステーション(東京) |- | holy acoustic night TOUR | 東京、金沢、名古屋、京都、大阪 |- | rowspan="3" | 1999年 | アコースティック・ライブ | なかのZERO(東京) |- | CONCERT - niwa | 仙台、東京、金沢、名古屋、大阪 |- | 第2回ソラミミ倶楽部ファンクラブの集い | [[CLUB CITTA]](川崎) |- | 2000年 | small is beautiful TOUR | 東京、名古屋、大阪 |- | rowspan="2" | 2001年 | cafe mimo 桃節句茶会 | 南青山MANDALA(東京) |- | CONCERT TOUR 〜honoka〜 | 東京、名古屋、大阪 |- | 2002年 | cafemimo 桃節句茶会 vol.2 | 東京、大阪 |- | rowspan="4" | 2003年 | cafemimo 桃節句茶会 vol.3 | [[草月ホール]](東京) |- | 空耳茶房2003初夏(ファンクラブイベント) | 札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、福岡 |- | CONCERT TOUR ブーゲンビリア〜traces of the sun〜 | 東京、名古屋、大阪、福岡 |- | ブーゲンビリア〜永遠の休日〜 | [[CLUB QUATTRO|渋谷CLUB QUATTRO]](東京) |- | rowspan="3" | 2004年 | cafemimo 桃節句茶会 vol.4 | 草月ホール(東京) |- | ファンクラブ会員限定ライブ | TOKYO FM HALL(東京) |- | concert tour 2004 “autumn leaf ” | 東京、名古屋、大阪 |- | rowspan="2" | 2005年 | cafemimo 桃節句茶会 vol.5 | 草月ホール(東京)、TOPPAN HALL(東京) |- | piano solo tour “bonbonniere” | 札幌、仙台、新潟、東京、金沢、名古屋、大阪、広島、福岡 |} </div> </div> == メディア出演 == === ラジオ === {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- ! 番組名!!放送局!!期間 |- | 遊佐未森のひなたVOX | [[三重エフエム放送]] | 1988年4月3日 - 1989年3月 |- | 遊佐未森のひなたVOX | [[NHK-FM放送]] | 1992年2月17日 - 2月21日(全5回) |- | ミモリ・カンパニー〜風の停留所(プラッツ)〜 | [[全国FM放送協議会|JFN]]系列 | |- | レモンのはなし | [[エフエム石川]] | |- | ハーブガーデン | JFN系列 | |- | ホノカテラピー | [[横浜エフエム放送|FMヨコハマ]] | 2001年10月1日 - 2002年12月27日 |- | GINGA RADIO | [[エフエム京都]] | 2010年10月6日 - 2012年3月31日<ref>番組編成上は30日深夜の扱い</ref> |- | 遊佐未森の“銀河ラジオ” | [[エフエム仙台]] | 2016年10月3日 - 2017年4月24日 |} === テレビ === <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">[[日本放送協会|NHK]]<ref group="注">[[NHK BS1|BS1]]、[[NHK BSプレミアム|BSプレミアム]]を含む。</ref></div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center;" |- ! 番組名!!放送日!!備考 |- | rowspan="3" | [[ジャストポップアップ]] | 1989年1月12日 | |- | 1989年5月12日 | |- | 1990年2月2日 | |- | Chiristmas Rock&Pops | 1989年12月24日 | |- | 遊佐未森 アコースティックライブ | | |- | 全国うまいもの名鑑 <!--「旬」をビン詰めいちごジャム 茨城・下館市 --> | | |- | [[天才てれびくん]] | | |- | [[いないいないばあっ!]] | | |} </div> </div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center;" |- ! 番組名!!放送日!!備考 |- | [[爆風スランプのお店]] | 1989年12月16日 | |- | GATCHA! | 1991年2月15日 | |} </div> </div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">[[テレビ朝日]]</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center;" |- ! 番組名!!放送日!!備考 |- | rowspan="3" | [[VIDEO JAM]] | 1991年2月1日 | |- | 1992年5月9日 | |- | 1993年6月 | |} </div> </div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">[[TBSテレビ|TBS]]</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center;" |- ! 番組名!!放送日!!備考 |- | [[キラリ・熱熱CLUB]] | 1990年 | |- | ナリキーばんど講座 | 1991年2月6日 | |} </div> </div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">[[テレビ東京]]</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center;" |- ! 番組名!!放送日!!備考 |- | rowspan="2" | [[eZ (音楽番組)|eZ]] | 1988年12月22日 | |- | 1991年11月27日 | |- | Holiday of Planet Earth | 1990年 | |- | SOUND GIG | 1991年3月15日 | |- | [[eZ (音楽番組)|eZ a GO! GO!]] | 1992年10月30日 | |- | [[みゅーじん|音遊人]] | 2006年7月1日 | |} </div> </div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">[[フジテレビジョン|フジテレビ]]</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center;" |- ! 番組名!!放送日!!備考 |- | [[オールナイトフジ]] | 1989年 | |- | rowspan="3" | [[夜のヒットスタジオ#ヒットスタジオ(派生番組)|ヒットスタジオR&N]] | 1990年5月3日 | |- | 1990年9月1日 | |- | 1990年9月28日 | |- | rowspan="2" | ROCK SHOW | 1991年9月7日 | |- | 1992年 | |- | [[ストレイシープ (テレビアニメ)|ストレイシープ]] | | 声の出演:メリー役 |} </div> </div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">[[テレビ神奈川]]</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center;" |- ! 番組名!!放送日!!備考 |- | Pops Box | 1990年10月12日 | |- | [[ミュージックトマトJAPAN#別冊ミュージックトマトJAPAN|別冊ミュージックトマトJAPAN]] | | |} </div> </div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">[[千葉テレビ放送|千葉テレビ]]</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center;" |- ! 番組名!!放送日!!備考 |- | Music Chips! | 1991年2月21日 | |} </div> </div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">[[テレビ埼玉]]</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center;" |- ! 番組名!!放送日!!備考 |- | Sound Super City | | |- | GYAO | | |} </div> </div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">[[東海テレビ放送|東海テレビ]]</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center;" |- ! 番組名!!放送日!!備考 |- | [[音もダチだぜ!気分はセッション]] | 1990年9月22日 | |} </div> </div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">[[WOWOW]]</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center;" |- ! 番組名!!放送日!!備考 |- | Teen's license | 1991年9月5日 | |- | ネオアコースティックサウンド | 1992年3月9日 | |} </div> </div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">[[スカパー!プレミアムサービス|パーフェクTV!]]</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center;" |- ! 番組名!!放送日!!備考 |- | 千年ブナの記憶 | 1997年4月9日 | |} </div> </div> === CM === * [[カゴメ]] - CMナレーション * [[グリコ]]「カプリソーネ」 * [[アイレディース化粧品]] * [[日本デルモンテ]] [[トマトケチャップ]] * [[カルピス]]「AIR」 * [[宝徳稲荷大社]] * [[ミツカン]] - 「野菜を漬けよう 初夏篇」CMナレーション * [[明治乳業]] - 「旬のフルーツゼリー」CMナレーション * [[うどんや風一夜薬本舗]](2008年 - ) - イメージキャラクター == 楽曲提供 == {| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center;" |- ! 提供!!楽曲!!作詞!!作曲!!備考 |- | rowspan="2" | [[斉藤由貴]] ! [[何もかも変わるとしても#収録曲|遠出したいな]] | rowspan="2" | 斉藤由貴 | rowspan="10" | 遊佐未森 | |- ! [[何もかも変わるとしても#収録曲|Dearest]] | |- | [[吉田仁美]] ! シルバニアファミリー | 工藤順子 | |- | [[丹下桜]] ! マリン | 遊佐未森 | |- | [[松宮麻衣子]] ! 風の唄 | 工藤順子、松宮麻衣子 | |- | rowspan="8" |[[天才てれびくん|天才てれびくんシリーズ]]([[天才てれびくんシリーズの音楽コーナー#ミュージックてれびくん|ミュージックてれびくん]]) ! 君の声がする | rowspan="9" | 遊佐未森 | 歌・饗場詩野。遊佐本人がミュージック映像に出演もしている。 |- ! Angel Snow | 歌・[[中田あすみ]]。遊佐本人がミュージック映像に出演もしている。 |- ! あこがれ | 歌・[[村上東奈]]。Acoustic Versionのミュージック映像には、遊佐本人も出演している。 |- ! 水玉 | 歌・ホワイト・クローバー([[村田ちひろ]]、[[岩井七世]]) |- ! クレマチス | 歌・[[山川恵里佳]] コーラス・[[俵小百合]]、[[俵有希子]] |- ! 君のとなりで | 西村由紀江 | 歌・[[中村有沙]]、[[飯田里穂]] |- ! カラフル! | 鴨宮諒 | 歌・鎮西寿々歌 |- ! 風の自転車 | rowspan="5" | 遊佐未森 | 歌・浅賀玲音 |- | [[いないいないばあっ!]] ! 雪んこワルツ | 歌・斎藤りな |- | [[おかあさんといっしょ]] ! おうちにかえろう | おーなり由子 | |- | しゃべるねこ、しおちゃん ! クロ | rowspan="2" | 遊佐未森 | 2010年10月発売のDVD作品 |- | しゃべるねこ、しおちゃん「ともだち」 ! Theo | 2012年8月発売のDVD作品。書き下ろし曲。[[iTunes Store|iTunes Music Store]]などで配信 |} == 関連する人物 == * [[福岡知彦]] - [[音楽プロデューサー|プロデューサー]]、太田裕美の夫。 * [[外間隆史]] - 楽曲提供、初期の世界観を確立した共同作業者。 * [[工藤順子]] - [[作詞家]]、楽曲提供。 * [[成田忍]] - 楽曲提供、[[編曲家|アレンジ]]、サウンドプロデュースを担当。 * [[太田裕美]] - 楽曲提供、福岡智彦の妻。 * [[小川美潮]] * [[中原信雄]] * [[古賀森男]] * [[大村憲司]] * [[阿部尚徳]] - リミックスを担当、ライブにも出演。 * [[斉藤由貴]] - 遊佐が楽曲提供している。 * [[かの香織]] - 大学の同窓生で共同作業も行う。 * [[植田正治]] - アルバムジャケットの写真を撮影。 * [[檀れい]] * [[松井咲子]]([[AKB48]])- 遊佐のファンであることをブログで公言している<ref name="mimo_7">{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/sakikomatsui1210/entry3-11374243672.html#comment_module |title=きもちひとつに。|松井咲子オフィシャルブログ「さきっciao」Powered by Ameba |accessdate=2013年12月29日 |author=松井咲子、サムデイ}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"|2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == * [https://www.mimoriyusa.net/ 遊佐未森 mimori yusa] - 公式サイト * {{Twitter|mimori_yusa|遊佐未森/MimoriYusa}} * {{Facebook|株式会社-水音社-391795307614537|株式会社水音社}} * [https://www.yamahamusic.co.jp/s/ymc/artist/62 遊佐未森|ヤマハミュージックコミュニケーションズ] * [https://www.sonymusic.co.jp/artist/MimoriYusa/ 遊佐未森|SonyMusic] <!-- *[http://www.banbura.com/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E8%A6%8B%E8%81%9E%E9%8C%B2/%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%89%E4%BB%99%E5%8F%B0%E4%BA%BA/20090625/508/ ミュージシャン 遊佐 未森さん【われら仙台人】 ]([http://www.banbura.com/ 番ブラ.com] 2009年6月25日{{リンク切れ|date=2013年12月30日}})--> {{遊佐未森}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ゆさ みもり}} [[Category:日本の女性シンガーソングライター]] [[Category:日本の女性ポップ歌手]] [[Category:日本の女性作詞家]] [[Category:日本の女性作曲家]] [[Category:エピックレコードジャパンのアーティスト]] [[Category:EMIミュージック・ジャパンのアーティスト]] [[Category:ヤマハミュージックコミュニケーションズのアーティスト]] [[Category:国立音楽大学出身の人物]] [[Category:常盤木学園高等学校出身の人物]] [[Category:仙台市出身の人物]] [[Category:1964年生]] [[Category:存命人物]]
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仮面ライダー龍騎
『仮面ライダー龍騎』(かめんライダーりゅうき、欧文表記:MASKED RIDER RYUKI)は、2002年2月3日から2003年1月19日まで、テレビ朝日系列で毎週日曜8時から8時30分(JST)に全50話が放映された、東映制作の特撮テレビドラマ作品、および作中で主人公が変身するヒーローの名称である。 「平成仮面ライダーシリーズ」第3作である。キャッチコピーは「戦わなければ生き残れない!」。 本作品は、平成仮面ライダーシリーズとしては作中で初めて「仮面ライダー」の言葉を用いた。設定や世界観に重きを置いた前2作とは趣を変え、「13人の仮面ライダーが自らの望みを叶えるために最後の1人になるまで殺し合い続ける」という人間同士の競争、それに付随する人間関係の描写を重視した作品になっている。 ライダー同士の戦いという破天荒なシチュエーションを採用、さらにはカードゲームの要素を取り入れたバトル方法を取り入れている。放送開始後は、ライダーが自身の欲望のために他のライダーと殺し合うというストーリーや、悪役であっても正式に「仮面ライダー」を名乗るという設定が、「子供番組としては不適切である」という意見も新聞投稿などに見られた。 西暦2002年。人間が忽然と失踪する事件が連続発生していた。真相を追うネットニュース配信社OREジャーナルに所属する見習い記者の城戸真司は、失踪者の部屋を取材中、奇妙なカードデッキを発見。その力で仮面の戦士に変身した真司は、鏡の中の世界に迷い込み、自分と同じような仮面の戦士がモンスターと戦っている光景を目撃する。 現実世界への帰還を果たした真司は、もう1人の仮面の戦士である秋山蓮や、彼と行動をともにしている神崎優衣から、連続失踪事件はミラーワールドに住むミラーモンスターによる捕食であること、仮面の戦士はミラーモンスターの力を行使できる超人仮面ライダーであることを知らされた。真司は、蓮が変身する仮面ライダーナイトと同じようにミラーモンスターと契約したことで、正式な仮面ライダー龍騎となり、ミラーモンスターから人々を守るために戦っていく。 仮面ライダーは全部で13人いるが、それぞれの目的のために、最後の1人になるまで戦わなければならない宿命にあった。 真司と蓮は、優衣の説得もあって共闘しながら、ミラーモンスターと戦っていく。だが、同時にライダーバトルは混迷を極めていく。 劇場版初出のライダーは劇場版 仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL#本作品オリジナルの登場人物を参照。 ミラーワールドとは鏡の中に存在し、文字や絵が裏返しされている以外は現実世界とそっくりだが、モンスターやミラーワールドの住人(神崎士郎や鏡像の神崎優衣、鏡像の城戸真司など)以外の人間は存在しない別次元に存在する鏡の世界。その成り立ちには、神崎兄妹が深く関わっている。 現実世界の鏡像であるため、文字や絵などすべて裏返ししているが、仮面ライダーだけは正しい姿となる。 ミラーワールドには生身の人間など現実世界の物質は長時間存在することが出来ず、侵入すると拒否反応を起こし、一定時間を過ぎると水泡のようなものが体から湧き上がり、やがて消滅してしまう。逆にミラーワールドに棲息する者が現実世界に長時間存在することもできない。ミラーワールド内でのライダーの活動限界時間は9分55秒となる。 基本的に鏡から出入りするが、ガラス、水たまり、ヘルメットなど鏡面化しているものなら全て出入口として使うことが可能である(ただし、契約前のブランク体に限っては入り口に使った場所からしか出られない)。ミラーワールドに入った人間は二度と出ることはできないが、ライダーに変身することで出ることができる(テレビスペシャルでの真司など)。 カードデッキには一揃いのアドベントカードが入っている。契約モンスターの力を使うためには、カードデッキからアドベントカードを1枚引き抜き、専用のバイザーにセット(ベントイン)して発動させる必要がある。先述したコントラクトのカードもこの一枚であり、契約によってアドベントのカードに変化している。各々のライダーが持つアドベントカードの種類はあらかじめ決まっており、カードは他のライダーがベントインした場合でも、本来の所有者のライダーに効果が現れる。同じカードを二回以上使うことはできず、原則一回の変身中に一度しか使えない(同種のカードを複数枚所持していればその分だけ使える)。カードで召喚された装備は、そのライダーと契約しているモンスターの体の一部を模しているが、本体とは別の物である(例えば、龍騎がドラグクローを装備中にドラグレッダーの首が無くなるわけではない)。ただし、玩具ではモンスターの部位そのものが装備となっている。また、アドベントカードはカード所有者にとってその状況で使うにふさわしいカードがデッキの一番上に来るようになっている。 効果の強さは「AP」(防具は「GP」)という単位で設定されており、1 APが0.05 t(トン)に相当するものとして計算される。 『仮面ライダーアギト』の時期より話題だった、イケメンブーム路線を受け継ぐキャスティングがされている。また世間的に認知されている中堅俳優たち(津田寛治・神保悟志)や、ブレイクする直前の森下千里を起用、テレビスペシャルではベテランの黒田アーサーが仮面ライダーベルデ役で出演した。 本作品でライダーを演じる俳優には、過去に特撮番組への出演経験がある萩野崇(『超光戦士シャンゼリオン』)、高野八誠(『ウルトラマンガイア』)、高槻純(『ウルトラマンネオス』)、加藤夏希(『燃えろ!!ロボコン』)、和田圭市(『五星戦隊ダイレンジャー』)も加わっている。 仮面ライダーと契約するミラーモンスターは一部を除いてPLEXが基本的にデザインを担当し、各話怪人として登場するミラーモンスターや、ゲスト扱いの仮面ライダー、2体の擬似ライダーとその契約モンスターは篠原保が単独で担当している。過去に篠原は、『仮面ライダーBLACK RX』や『ウルトラマンVS仮面ライダー』で仮面ライダーの怪人を担当していたが、テレビシリーズでメインデザイナーを担当するのは本作品が初となる。 本作品から作品中で使われる楽曲の発売元が、これまでほとんどの仮面ライダーシリーズに関わってきた日本コロムビアからavex modeに交代したこともあり、主題歌「Alive A life」はテレビシリーズでは初の女性ボーカル・松本梨香を起用し、キャラクター名や作品名をタイトルや歌詞に織り込まない物となった。 音楽ディレクターは、『仮面ライダークウガ』『アギト』を担当した本地大輔がコロムビアから移籍する形で引き続き参加(後の『仮面ライダー響鬼』まで)。BGMは丸山和範と渡部チェルが担当。 劇場版BGMとテレビシリーズの主要BGMを収録したOST『劇場版 仮面ライダー龍騎 エピソードファイナル オリジナル・サウンドトラック+TVメインテーマ』が劇場版公開時期に発売され、それ以外の劇伴は楽曲と劇伴の大半を網羅した『Last Message 仮面ライダー龍騎 コンプリートCD-BOX』に収録の上で、番組終了後に発売された。この販売形式は後の『555』『剣』でも引き継がれ、番組終了後のCD-BOX発売は以降『響鬼』を除き『鎧武』まで恒例となった。 現在でこそ「平成仮面ライダーシリーズ」の第3作に位置づけられているが、当時はまだシリーズという意識はなく、『仮面ライダークウガ』や『仮面ライダーアギト』の2作で終了して仮面ライダー以外の作品を制作予定であった。このころに出された案として『仮面ライダー』の企画原型の一つである『クロスファイヤー』をモチーフとした騎士ヒーローの企画があり、これが本作品の原型となっている。しかし、仮面ライダーが大きな盛り上がりを見せていることを重視し、やはり仮面ライダーを制作しようという方向で話が決まった。 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を受けて、テレビ局側は『クウガ』や『アギト』のように複雑ではなく、善悪の別が明瞭なヒーローものを作って子供たちに本当の正義を教えようというコンセプトを企画側に要求した。しかし白倉伸一郎プロデューサーは局の意向を察した上で、意図的に曲解した応えを返した。「子供たちに本当の正義を教えたい」と言うからには、子供たちの信じている正義は偽物で番組制作者は本物を知っていると主張するに等しくなってしまうためである。 白倉は前作『アギト』でも複数の主役を配置することで「それぞれの立場の正義」を描こうとしたが、視聴者がはじめから結論づけている「仮面ライダーは正義」という意識を打ち壊すには至らなかった。そこで、本作品では視聴者が受容できないほど多くの仮面ライダーを投入し、既定の結論を覆そうとしたのである。 メインスポンサーであるバンダイからも『クウガ』や『アギト』とはガラリと変えたいという要望があり、デザインや設定なども従来の仮面ライダーシリーズとは大きく異なる斬新なアイディアが数多く取り入れられていった。 このように、従来の仮面ライダーシリーズにはありえない設定を盛り込んでいるため、外伝という意味を込めて作品名に『龍騎』と漢字が用いられた。 本作品では、過去のシリーズとは異なる独自の要素が多く見られる。 本作品の仮面ライダーのデザインは、従来のイメージからかけ離れたものであったため、発表当初は戸惑いの声をもって迎えられた。こうした反応に対し、白倉は「仮面ライダーの特徴的な外観を突き詰めていっても絶対にオリジナルにはかなわない。結局はセルフパロディになってしまう(要約)」、早瀬は「石ノ森(章太郎)が残したデザイン画の変遷を見ていると割と突飛なデザインも描いていて、そうした冒険心も引き継いでいかなければ」と述べている。 13ライダー共通のモチーフとして、西洋の騎士が基本になっている。マスクは鉄仮面をモチーフとし、スリットの入ったシルバーのバイザーが特徴である。ボディは前作までののっぺりとしたスーツとの差別化のため、スニーカーのデザインを取り込んでいる。一方で、従来のイメージが切り捨てられたわけではなく、仮面ライダー1号の特徴である複眼を龍騎、顎(クラッシャー)をナイト、触角をゾルダ、と主要3ライダーに分割・採用している。 ライダーが乗用するバイク(ライドシューター)はミラーワールドへの移動手段として使われ、一部契約モンスターがバイク形態になるという描写があるのみで、それまでの仮面ライダーシリーズで必須だった「スーパーバイクを乗りこなしてバイクに搭乗しつつバトルする」というシチュエーションは薄まっている。 一部のモンスターなどをCGで表現した点も特徴で、前年の『百獣戦隊ガオレンジャー』でのパワーアニマルの描写との差別化として人間との関係性が意識されている。クオリティはまだ試行錯誤的なものだったが、以後ライダー作品においてもCGでキャラクターを表現する傾向は続けられている。 各回のサブタイトルは作中では表記されず、以下に明記しているものは新聞のテレビ番組欄やテレビ番組情報誌、ならびにテレビ朝日公式ページにて表記されたものである。各話終了時の演出として、画面左側に最後のワンシーンがモノクロで表示され、右側に主に活躍したカードが表示される。 平成・令和ライダーシリーズとしては最も放送エリアが広く、佐賀県を除いたほぼ全国をカバーしていた。 本作品の斬新な設定は中高年の消費者層から強い反発を受けたものの、主要視聴者である男子児童向けの商品展開は成功を収めた。キャラクター商品売り上げは、前作を大きく上回る139億円を記録し、2009年度の『ディケイド』の売上に抜かれるまで、平成ライダーシリーズ史上最も高い実績を残していた。 本作品こそが、平成仮面ライダーシリーズの長期化を決定付けた作品といわれる。 白倉は十数年後のインタビューで「特撮番組自体が龍騎以前・以後に区分していいくらい、龍騎の存在が転機となった」と語っている。 以下、いずれも発売元は東映ビデオ。 以下、単独項目のある作品における詳細は当該項目を参照。
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『仮面ライダー龍騎』は、2002年2月3日から2003年1月19日まで、テレビ朝日系列で毎週日曜8時から8時30分(JST)に全50話が放映された、東映制作の特撮テレビドラマ作品、および作中で主人公が変身するヒーローの名称である。 「平成仮面ライダーシリーズ」第3作である。キャッチコピーは「戦わなければ生き残れない!」。
{{拡張半保護}} {{Pathnav|仮面ライダーシリーズ|frame=1}} {|style="float: right; text-align:center; border-collapse:collapse; border:2px solid black; white-space:nowrap;" |- | colspan="3" style="background:#90ff90; border:1px solid black; white-space:nowrap;"|'''[[仮面ライダーシリーズ|平成仮面ライダーシリーズ]]''' |- | style="border:1px solid black; white-space:nowrap; background:#90ff90;"|'''第2作''' |style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|[[仮面ライダーアギト]] |style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|2001年1月<br />- 2002年1月 |- | style="border:1px solid black; white-space:nowrap; background:#90ff90;"|'''第3作''' |style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|'''仮面ライダー龍騎''' |style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|2002年2月<br />- 2003年1月 |- | style="border:1px solid black; white-space:nowrap; background:#90ff90;"|'''第4作''' |style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|[[仮面ライダー555]] |style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|2003年1月<br />- 2004年1月 |} {{基礎情報 テレビ番組 | 番組名 = 仮面ライダー龍騎 | ジャンル = [[特撮]][[テレビドラマ]] | 原作 = [[石ノ森章太郎]] | 脚本 = {{Plainlist| * [[小林靖子]] * [[井上敏樹]] }} | 監督 = [[田﨑竜太]] 他 | 出演者 = {{Plainlist| * [[須賀貴匡]] * [[松田悟志]] * [[藤沢あやの|杉山彩乃]] * [[小田井涼平|涼平]] * [[弓削智久]] * [[菊地謙三郎]] * [[久遠さやか]] * [[栗原瞳]] * [[森下千里]] * [[萩野崇]] * [[角替和枝]] * [[津田寛治]] }} | 声の出演 = [[小山剛志]] | ナレーター = [[鈴木英一郎]] | 音楽 = {{Plainlist| * [[丸山和範]] * [[渡部チェル]] }} | OPテーマ = 「Alive A life」<br />歌:[[松本梨香]] | 言語 = [[日本語]] | プロデュース = {{Plainlist| * 圓井一夫(1 - 12) * 中曽根千治(13 - 50)([[テレビ朝日]]) * [[白倉伸一郎]] * [[武部直美]] }} | 製作 = {{Plainlist| * テレビ朝日 * [[東映]] * [[ADKホールディングス|ASATSU-DK]]{{efn|name="adk"|2002年11月10日放送分(第40話)より「ADK」と表記。}} }} | 放送局 = [[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]] | 音声形式 = [[ステレオ放送]] | 放送国 = {{JPN}} | 放送期間 = [[2002年]][[2月3日]]<br />- [[2003年]][[1月19日]] | 放送時間 = 日曜 8:00 - 8:30 | 放送枠 = [[テレビ朝日日曜朝8時枠の連続ドラマ]] | 放送分 = 30 | 放送回数 = 全50 | 特記事項 = 「[[仮面ライダーシリーズ|平成仮面ライダーシリーズ]]」第3作 }} 『'''仮面ライダー龍騎'''』(かめんライダーりゅうき、欧文表記:''MASKED RIDER RYUKI''){{efn|タイトル・ロゴには「仮面ライダー龍騎」と「MASKED RIDER RYUKI」が併記されている。}}は、[[2002年]][[2月3日]]から[[2003年]][[1月19日]]まで、[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]で毎週日曜8時から8時30分([[日本標準時|JST]])に全50話が放映された、[[東映]]制作の[[特撮テレビ番組一覧|特撮テレビドラマ]]作品、および作中で主人公が変身するヒーローの名称である。 「平成仮面ライダーシリーズ」第3作である。[[キャッチコピー]]は「'''戦わなければ生き残れない!'''」。 == 概要 == 本作品は、平成仮面ライダーシリーズとしては作中で初めて「仮面ライダー」の言葉を用いた。設定や世界観に重きを置いた前2作とは趣を変え、「'''13人の仮面ライダーが自らの望みを叶えるために最後の1人になるまで殺し合い続ける'''」という人間同士の競争、それに付随する人間関係の描写を重視した作品になっている。 ライダー同士の戦いという破天荒なシチュエーションを採用、さらにはカードゲームの要素を取り入れたバトル方法を取り入れている。放送開始後は、ライダーが自身の欲望のために他のライダーと殺し合うというストーリーや、悪役であっても正式に「仮面ライダー」を名乗るという設定が、「子供番組としては不適切である」という意見も新聞投稿などに見られた。 == あらすじ == 西暦2002年。人間が忽然と失踪する事件が連続発生していた。真相を追うネットニュース配信社'''OREジャーナル'''に所属する見習い記者の城戸真司は、失踪者の部屋を取材中、奇妙なカードデッキを発見。その力で仮面の戦士に変身した真司は、鏡の中の世界に迷い込み、自分と同じような仮面の戦士がモンスターと戦っている光景を目撃する。 現実世界への帰還を果たした真司は、もう1人の仮面の戦士である秋山蓮や、彼と行動をともにしている神崎優衣から、連続失踪事件は'''ミラーワールド'''に住む'''ミラーモンスター'''による捕食であること、仮面の戦士はミラーモンスターの力を行使できる超人'''仮面ライダー'''であることを知らされた。真司は、蓮が変身する'''仮面ライダーナイト'''と同じようにミラーモンスターと契約したことで、正式な'''仮面ライダー龍騎'''となり、ミラーモンスターから人々を守るために戦っていく。 仮面ライダーは全部で'''13人'''いるが、それぞれの目的のために、最後の1人になるまで戦わなければならない宿命にあった。 真司と蓮は、優衣の説得もあって共闘しながら、ミラーモンスターと戦っていく。だが、同時にライダーバトルは混迷を極めていく。 == 登場人物 == 劇場版初出のライダーは'''[[劇場版 仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL#本作品オリジナルの登場人物]]'''を参照。 <!--[[ノート:仮面ライダーシリーズ]]での提案に基づき、名前に主要な変身形態名以外併記しないでください。--> === 13人の仮面ライダー === ; {{読み仮名|城戸 真司|きど しんじ}} / [[仮面ライダー龍騎の登場仮面ライダー#仮面ライダー龍騎|仮面ライダー龍騎]] : 本作品の主人公で、モバイルニュース配信会社「OREジャーナル」の見習い編集員{{Sfn|HF|2003|p=58}}。年齢23歳{{Sfn|HF|2003|p=58}}。モンスターによる原因不明の失踪事件の調査中に訪れた'''榊原 耕一'''の自宅アパートで偶然カードデッキを拾ったことから、巻き込まれる形でミラーワールドやライダーの戦いを知り、モンスターから人々を守るために仮面ライダーとなった。変身時、「シャッ!」と気合いを入れる癖がある{{Sfn|HF|2003|p=83}}。バイクは[[ホンダ・ズーマー]]の赤。犬が苦手。 : 普通の感覚を持つ一般的な青年だが、単細胞かつ天然で若干不器用。しかし、強い[[正義|正義感]]と行動力の持ち主でもあり、何にでも首を突っ込まないと気が済まない性格{{efn|大久保からは「祭りの取材に行っていつの間にか神輿を担いじゃっているタイプ」と評された。}}で、彼を知る人物からは、尊敬と侮蔑の両方の意味を込めて「バカ」呼ばわりされている{{efn|プロデューサーの白倉は、前2作の主人公が完成されたキャラクターであったため、差別化としてより人間らしいキャラクターとすることを監督の田﨑に指示している{{R|宇宙船100田崎}}。}}。金回りはあまり良くなく、蓮をはじめとする他人から借金をすることもしばしばである。道を覚えるのがあまり得意ではない。また、お人好しゆえに善人を装って近づいてきた敵対するライダーに騙されてしまうことも度々ある。 : 当初はアパートに住んでいたが、数か月家賃を滞納したことで追い出され、一時職場である事務所に住み込んでいた。沙奈子に気に入られ、「仕事が休みの時は店を手伝う」という条件で、蓮とともに花鶏に居候することになる。料理を得意とし、特に[[餃子]]は料理の腕では一流である吾郎から[[レシピ]]を聞かれた。ただし、片付けが苦手でイビキもうるさい。 : ライダー同士が戦って殺し合う宿命を止めることを願っていたが、蓮の本心や手塚から明かされた事実から、ライダーたちに命を懸けてでも叶えたい願いがあると知って苦悩する。それでも人を守るために戦う決意を曲げようとせず、志を同じくする手塚や香川らと接触するなどして奔走した。クセのない性格ゆえ、多くの事情を抱えるライダーと一人の人間として対等に接し、受け入れようとすることができる稀有な存在だが、そのすべてを受け入れようとする姿勢は自らの心に迷いを生じさせる要因にもなっており、蓮にもその点を指摘された。 : 終盤で香川の遺した資料から戦いが無効になれば優衣が消滅してしまうことを知り、答えが出せないまま再び苦悩するが、すべてを知った大久保のアドバイスを受けて、ライダーバトル最後の日に自分の信じる戦いを止めたいという願いに辿り着く。しかし、現実世界に溢れ出たレイドラグーンから少女を庇って致命傷を負いながらも変身し、レイドラグーンを倒した後に蓮に看取られて死亡する。最後まで苦悩し続けたが、信じるものを貫き通そうとする強さは、蓮、北岡、手塚など多くのライダーに影響を与えた。 : 最終回のエピローグにおける新世界では金色の蟹の取材に行く途中、ライダーだった者たちと顔を合わせていった。 : 劇場版ではテレビシリーズ同様に戦いを止めようと奔走し、その渦中で出会った霧島美穂の心境に変化を与え、次第に彼女から好意を寄せられるようになる。11歳の時に優衣と出会っており、彼女との約束を破ったことがライダーバトルの遠因となってしまっていたことを知って苦悩。自身と瓜二つの存在であり、真司との融合を目論むリュウガの罠で一時は融合されるも分離し、激闘の末にリュウガを倒す。そして、蓮とともに、現実世界に現れたハイドラグーンの群れに突撃して物語は締め括られた。 : テレビスペシャルでは、ミラーワールドに引きずり込まれたところを榊原に救われ、瀕死状態でカードデッキを託されて二代目龍騎となる。榊原の意志を継ぎ、テレビシリーズ同様のライダー同士の戦いを止める目的を抱くが、そのために高見沢率いるライダー軍団から狙われる。オーディンによって龍騎のカードデッキを破壊されるが、ベルデから自分を庇って致命傷を負った蓮からナイトのカードデッキを授かり、2代目ナイトとなった。自身の正義と信念であるコアミラーを破壊して「戦いを止める」か、蓮の願いや意志を継いで蓮の分まで「戦いを続ける」か、二択の決断に苦悩する。 :: 「戦いを続ける」結末では、蓮と自分の見つけ出せなかった答えを見つけると同時に、蓮との友情に報いるために「戦い続ける」ことを選択し、ライダーたちに立ち向かって終了した。漫画版では、世界を荒廃させるほどの戦いの果てに最後の勝者となるも、戦いの目的はおろか自分が何者であったかすらも忘れてしまった。 :: 「戦いを止める」結末では、コアミラーを破壊し、一度は戦いを終結させて違和感を抱く平凡な日々を送っている際、鏡の中に映るライダーたちの姿と、カードデッキが手に握られていたことで戦いは続くと悟って絶叫した。漫画版では、龍騎のカードデッキは失っておらず、他のライダーたちに「人間はライダーの力に頼らずに自らの力で戦わなければならない」と諭し、コアミラー破壊によって完全に戦いを終結させている。 :* 小林の初期設定では名前は「北島亮」で、職業は警備会社のボディーガード要員であった{{Sfn|超辞典|2011|p=641}}。 : ; {{読み仮名|秋山 蓮|あきやま れん}} / [[仮面ライダー龍騎の登場仮面ライダー#仮面ライダーナイト|仮面ライダーナイト]] : 年齢24歳{{Sfn|HF|2003|p=58}}。士郎の実験によって恋人の恵里が意識不明となり、恵里を狙うダークウイングに彼女を襲わさせないために士郎からカードデッキを渡されてやむなく契約し{{efn|このことは劇中では明かされない。}}、恵里の意識を取り戻すために士郎が選ぶ最初のライダーとなった。ライダーやミラーワールドの情報を得るために優衣と行動をともにする中で真司と出会い、友情を育んでいった。沙奈子の帰国をきっかけに花鶏のウェイターとして雇われ、真司の見張り役として彼とともに住み込むことになる{{Sfn|HF|2003|p=58}}。バイクは[[本田技研工業|HONDA]]の[[ホンダ・シャドウ|シャドウスラッシャー400]]を乗用。 : 幼少期に両親と死別し、同じ境遇である恵里と惹かれ合い、彼女の誕生日に渡すはずだった三連リングをネックレスにして身に着けている。 : 頑固かつ好き嫌いが激しい性格で他者に媚びようとせず、挑発的で喧嘩っ早いために孤立しがちで、過去には路上で喧嘩を売ったり買っていた。普段は目的のために冷徹に振舞っているが、本心は強い正義感と思いやりの持ち主であるため、優衣をはじめとして心から信頼を寄せる者がいる。また、モンスターに襲われる人を助けるために戦うこともある。戦いを望まない真司とは最初は反目し、口の悪さで憎まれ口を聞いたり気障な言動を見せていた。生き方は不器用だが、手先は器用で仕事はそつなくこなすため、花鶏では重宝されている。 : 真司や優衣から「ケチ」と言われるほど金銭欲は強く、度々真司に借金の返済を要求したり、佐野が見せた大金に釘付けになったりしているが、大金を見せられて魂を売って買収されるような卑小な性格ではない。真司同様、犬が苦手。真司ほどではないにせよ、動揺すると表情にこそ出さないものの無意識のうちに行動にそれが現れてしまう。洞察力は鋭く、お人好しの真司と違って敵対するライダーが善人を装って接近してきても、すぐに相手の本性を見抜き、ことごとく騙される真司に苛立ちを覚えることもある。 : 恵里を救うという目的のため、迷いがないかのように戦うが、真司に感化されていくうちに非情に徹することができなくなり、苦悩することとなる。真司に影響を受けていることは北岡とともに認めており、他人のために龍騎やゾルダと共闘したり、非情な浅倉や東條に対しては怒りを露にするなど行動にも変化が表れていく。ライダーバトルの真実の意味を知りながらも、士郎の言葉に賭けて迷いながらも戦い続け、最後の日に真司の死を看取り、自らもライダーとして信じるもののために戦うことを決意する。最後に勝ち残ったライダーとしてオーディンと戦った末に致命傷を負うが、オーディンが消滅したことで勝者となった。新しい命を手に入れ、恵里を蘇生させることには成功したが、自らは恵里のベッドの傍らで穏やかな笑みを浮かべ、眠るように息を引き取った。 : 最終回のエピローグにおける新世界では、花鶏から出てきた直後に真司と顔を合わせ、立ち往生を繰り返すと、以前の世界で出会った時のようなやり取りをした{{efn|演じていた松田悟志は、監督の石田秀範より「蓮は覚えているつもりで演じてくれ」と指示されたという<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.mynavi.jp/article/20180625-655001/3|title=『仮面ライダー龍騎』今だから話せる最終回に込めた思い - 須賀貴匡と松田悟志のコンビふたたび|accessdate=2020-11-26|date=2016-06-25|publisher=マイナビニュース}}</ref>。}}。 : 劇場版では、士郎の真意を知りつつも戦いを続けようとした。リュウガの死後、真司と決着を着けることを約束し、ハイドラグーンの大群に真司とともに挑んだ。 : テレビスペシャルでは手塚と親友であり、彼とともに恵里を救うためにライダーとなった。一時はライダー軍団とともに龍騎を追い詰めるもとどめを刺せなかったことで標的にされてしまった。龍騎を庇ってベルデと相打ちとなったが、真司に自分の代わりに戦ってほしいと懇願し、ナイトのカードデッキを託して消滅した。 :* 小林の初期設定では、北島亮の妹である「美雪」がコウモリのモンスターに支配され、「仲田真澄」という名の男性に変わったものであった{{Sfn|超辞典|2011|p=641}}。 :* 結末については、第一稿では新しい命を受け取るのを拒絶するというヒーローっぽさが抜けていない流れであった{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=54}}。 : ; {{読み仮名|須藤 雅史|すどう まさし}} / [[仮面ライダー龍騎の登場仮面ライダー#仮面ライダーシザース|仮面ライダーシザース]] : 年齢28歳{{Sfn|超全集 上巻|2002|p=20}}。小竹署の刑事{{Sfn|HF|2003|p=60}}。一見すれば人当たりの良い真面目な刑事に見えるが、裏では刑事という地位を隠れ蓑として悪事{{efn|劇中では詳しく描写されていないが、褒められない仕事であることが当人の口から語られている。}}を働いていた。裏の仕事仲間の加賀友之と報酬アップを無心したことで揉めて殺害し、その死体を壁に塗り込んでいる際に士郎と出会い、カードデッキを受け取って仮面ライダーとなる{{Sfn|HF|2003|p=60}}。最初は自らの殺人の隠蔽のために行使していたライダーの力を、次第にライダー同志の戦いで頂点を極めることに目的を変質させ、それに誇りを見出すようになっていった。また、殺人の隠蔽も兼ねてボルキャンサーに一般人を捕食させていた結果、初登場の時点では既に龍騎やナイトと互角に戦えるまでパワーアップを果たしていた。こうした人としてのモラルや感情が欠如した態度には、真司に静かな怒りを顕わにさせた。 : 登場当初、加賀が店長を務めていたアンティークショップ「TIN'S COLLECTION」に身辺調査にやってきた令子を殺害しようとするも失敗に終わり、これがきっかけで完全犯罪の計画にも綻びが生まれてしまう。また、ボルキャンサーの捕食を龍騎やナイトに妨害されたことにより、素性を隠して真司から蓮と優衣の情報を聞き出して2人の暗殺や誘拐を目論むも、逆にライダーとしての正体を知られることとなり、怒りに燃える真司から戦いを挑まれかけるも蓮と交戦。戦いを優位に進めてナイトを後一歩まで追い詰めるが、互いのファイナルベントが激突した衝撃でカードデッキが砕け散ったことで契約が解消されたため、ボルキャンサーに捕食され、吸収されてしまう{{Sfn|超全集 上巻|2002|p=23}}。 : テレビスペシャルでは警視庁の刑事であり、最初は「浅倉を逮捕する」という刑事の使命感からライダーになるが、浅倉の逮捕後に次第にライダーの力に心を飲み込まれてしまう。真司に対しても力を貸すふりをして近づいたが、裏では高見沢率いる他のライダーたちと結託しており、本性を現して龍騎を追いつめるも乱入した王蛇に「ミラーワールドに刑事はいらない」として倒された。 : 漫画版での流れもテレビスペシャルと同様だが、浅倉が既に高見沢の傘下に加わっていて返り討ちに遭わなかったため、最後まで浅倉とも共闘するという形になる。詳しい描写は描かれていないが、戦いを続ける場合は最後は真司に他のライダーとともに倒されていることが示唆されている。戦いを止める場合の結末は言及されていない。 : テレビスペシャルも含めてわずか3回の登場ながらも、本作品の仮面ライダーが単なる正義の味方だけではないこと、それにライダーとモンスターの危険な契約関係や戦いに敗れたライダーの末路といった重要な要素や方向性を示すうえで重要なキャラクターである。 : ; {{読み仮名|北岡 秀一|きたおか しゅういち}} / [[仮面ライダー龍騎の登場仮面ライダー#仮面ライダーゾルダ|仮面ライダーゾルダ]] : 年齢30歳{{Sfn|HF|2003|p=59}}。不治の病に侵されており、永遠の命を手に入れるために仮面ライダーとなった。どんな不利な裁判でも逆転無罪にし、「クロをシロにしてしまう」ほどの実力を持っていて、「スーパー[[弁護士]]」を自称{{Sfn|HF|2003|p=59}}。だが、同時に多くの大手企業に法外なギャラを請求する悪徳弁護士でもあり、令子に言わせれば「彼に裁判の弁護を依頼するのは罪を認めたようなもの」である。 : 一見すると気さくで社交的だが、母親に甘やかされて育った影響から、かなりの[[ナルシシズム|ナルシスト]]で口が悪く、利己主義な性格。私生活では、[[ジャガー (自動車)|ジャガー]]や[[ポルシェ]]などの高級車を乗り回し、好きな食べ物は「贅沢なものなら何でも」で、元秘書のめぐみによると「濡れ手に粟」を好きな言葉とし、写真を撮る角度のベストは右斜め45度{{Sfn|HF|2003|p=59}}。エリート意識が強く、ダブルのスーツを着こなすスタイリッシュな振る舞いを好むが、人間の欲望を愛し、欲しいものは手に入れ、やりたいことは全部やる主義の持ち主で、社会正義やプライドなどよりも報酬を重視している。そのため、「仕事の腕は最高だが、人間は最低」と令子に言われている。ゆえに悪い噂も存在し、表舞台ではイメージアップを図りたがっている。一方で金次第でどうにでも動くわけではなく、佐野が買収のために大金を持ってきた際は表面上は喜んで引き受けるが、信用できないゆえに「契約書が必要」と金だけ受け取って協力を反故にしようとするなど、転んでもタダでは起きないしたたかさを見せたこともある。子供が苦手。 : その性格ゆえに少年時代から友人は皆無であだ名もないなど、よく知る人物からは手酷い評価を受けているが、重病人の高額な手術費用を秘かに立て替えたり、不治の病に侵された(まったくの誤解だったが)めぐみとの間にデートを取り付けたりと、自分と同じ境遇の者には情を見せる一面があるなど根っからの悪人というわけではなく、また秘書兼パートナーである吾郎との間には絶対的な信頼関係を築いている。 : 取材を通じて知り合った令子を度々デートに誘うものの、「同情で落としたくはないから」と自分の病気のことは知らせようとしなかった。また、令子にモーションをかけている最中に自分より脱走中の浅倉のほうに興味があると言われた時は、ショックのあまり寝込んで仕事を休んでしまうなど、打たれ弱い一面も見せる。また、令子が行方不明になったことで柄にもなく取り乱した真司から無茶苦茶な我儘を押し付けられた時には、変身する最中にドサクサに紛れて仕返しするなど、大人気ない一面も見せたことがある。 : 偶然知り合った真司と意気投合し、その縁で島田誘拐事件で誤認逮捕された真司の弁護を担当。その際に真司がライダーと知る。蓮同様、真司と関わるうちにその行動に感化されていくようになる。ライダーになる前の浅倉の弁護を担当していたが、さすがに無罪にはできなかったことで浅倉から逆恨みされている。浅倉がライダーとなって脱獄した後は、過去の因縁から付け狙われるようになり、決着を付けるために何度も行動を起こしたが、次第に彼を野放しにしてしまった原因が自分にもあると感じるようになった。 : 次第にライダー同士の戦いを空しく感じるようになっていき、戦闘で負傷して弱った浅倉や東條に追い撃ちをかけない、真司が優衣を救うために自分を戦いに誘った際には、あまりの変貌ぶりに困惑して「見てられない」とまで発言して拒むなど、理性的な面も見せるようになる。そして、病の進行で倒れたことをきっかけに士郎から脱落を告げられ、自らの運命を受け入れて戦いから身を引くことを決心する。ライダー引退記念に切望していた令子とのランチを取り付ける{{efn|令子はいつものように最初は断ろうとしていたが、事情を知った島田とめぐみが強引に承認するように迫ったため、止む無くOKした。}}が、もう一つの最後の望みとして浅倉との決着をつけることに執着する。しかし、どちらの願いも叶えることなく、事務所のソファで眠るように息絶え、カードデッキは吾郎に受け継がれた。 : 最終回のエピローグにおける新世界では病死しておらず、令子からの取材に対してスーパー弁護士と返答。 : 劇場版では、浅倉が美穂の姉を殺しているため、彼を死刑にしなかったことで美穂からも恨まれ罪の意識を感じていた。ライダーバトルでは王蛇から美穂を助けようとしたが、彼女から拒絶されてしまったことで戦いを空しく感じ、病気の進行もあって残りの人生を楽しく生きることを望んで自ら脱落した。劇中での明確な死亡描写こそなかったものの、戦わずして退場という点はテレビシリーズと同様であった。 : テレビスペシャルでは、高見沢率いるライダー軍団と結託して真司や蓮を追い詰める。テレビシリーズ同様、浅倉の弁護士であったが、再逮捕後は弁護を拒否し、彼が二度と変身できないように王蛇のカードデッキを手に入れていた{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=85}}。浅倉の脱走後もテレビシリーズでの関係同様、龍騎討伐の最中にも[[一騎討ち]]で戦い始めた。 :* 金には汚くて情には脆いという設定であるため、弁護士か医者という設定であったが、『アギト』で木野薫が医者の設定であったため、弁護士となった{{Sfn|語れ!平成|2013|p=31}}。 :; 他作品への登場 :; 『[[仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦]]』 ::: アクションゲーム「超スーパーヒーロー大戦」のキャラクターとして登場。最強のヒーローチーム「仮面戦隊ゴライダー」になるヒーローを選抜するためのトーナメント戦において、チームエグゼイドの緑枠に選ばれた。その時点では乗り気ではない様子を見せ、参戦にあたって契約書の締結を要求したが、戦闘では勝利を収めてチームの優勝に貢献し、ゴライダーに選ばれるとミドライダーに変身してショッカーと戦った。ショッカー首領三世との決戦ではゾルダの姿で他のヒーローたちと共に現実世界に現れ、「この戦いは契約書にはなかったよね?」と言いながら参戦したが、倒されてゲームの世界に戻っていった。 :::* 小田井涼平は「当時のままの北岡だと浮いてしまうので、『[[仮面ライダーエグゼイド|エグゼイド]]』の世界観の北岡として演じた」と語っている<ref>『仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦』パンフレットのインタビューより。</ref>。 : ; {{読み仮名|手塚 海之|てづか みゆき}} / [[仮面ライダー龍騎の登場仮面ライダー#仮面ライダーライア|仮面ライダーライア]] : 年齢24歳{{Sfn|HF|2003|p=60}}。数回指で弾いた3枚の銀貨によって人の運命を予測して占う占い師{{Sfn|HF|2003|p=60}}。「俺の占いは当たる」という口癖通り、占いの的中率はほぼ100パーセントで、その能力のみならず、観察力・洞察力・情報収集力にも優れている。しかし、「運命はむしろ変えるもの」という信条を持っており、望まれない運命でも相手にはハッキリ指摘して運命の変化を促す{{Sfn|HF|2003|p=60}}。ライアのカードデッキは、士郎に勧誘されながらも人と戦うことや契約を拒絶してガルドサンダーに食い殺された親友の'''斉藤 雄一'''から受け継いだもので、斉藤を救えなかった悔恨か彼の信じた正義を無駄にせず、変えられなかった運命を変えようと決意し、仮面ライダー同士の戦いを止めるためにライダーとなった。また、斉藤が士郎からカードデッキを渡される前に浅倉からの暴行で右腕が再起不能となったため、浅倉を憎んでいる。バイクは[[ホンダ・CB400スーパーフォア|HONDAのCB400SF]]を乗用する。 : 一見するとクールだが、自分を犠牲にしても他人のために献身的に動く気質の持ち主で、危険を顧みずにライダーの戦いの場に飛び込み、破滅への道を進む蓮に何度も忠告。 : 偶然出会った蓮の運命を見通し、その運命を変えようと忠告して回るうちに真司や優衣と出会い、志をともにする彼らの共感を得ることとなる。その後は一時期花鶏に居候し、真司の貴重な協力者として共闘し、その経緯からライダーの事情を知らない真司に彼らの抱える事情や願いについての情報を与え、戦いを止めるために奔走する。自らの願いとして戦いを止めることを選択しているため、真司とは異なり迷わず行動を起こす。また、優衣を占ったことから彼女の出自に疑問を抱き、彼女の生家を突き止めて優衣を導くとともに、独自の調査によって真実の一端に気付いていたようでもあり、「今はまだ詳しいことは言えない」や「優衣から目を離すな」と真司に話している。戦いを促すために士郎よりサバイブ-疾風-のカードを渡されるが、それを拒否して蓮にカードを託した。 : 自身の占いでガイの次に消えるライダーが龍騎と出たため、その運命を変えるべく、王蛇の放ったベノクラッシュから龍騎を庇って致命傷を負う。その戦闘離脱後、占いの本当の結果を真司に伝えて「俺の占いがやっと外れる」と心中で呟きつつ、真司と優衣に看取られながら息を引き取った。死の直前に、鏡の中の優衣が鏡の中の自分ではなく現実世界の自分を見ていることに気付いたため、前述の「目を離すな」という発言を残した。 : 最終回のエピローグにおける新世界では、東條とぶつかってしまった直後の真司に声をかけて「今日の運勢は最悪」と告げる(その占い通り、真司は今度は浅倉にスクーターを蹴倒されてしまった)。 : テレビスペシャルでは、蓮の親友にして恵里の元恋人で、彼女を助ける目的で蓮とともにライダーになったが、そのために他人を犠牲にすることに疑問を持ち始めていた{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=85}}。ミスパイダーやレスパイダーとの戦闘中、ベルデに倒された。漫画版では、「仮面ライダーという仮面を着け続けることで人間性が失われていき、ミラーモンスターは人間性を失った人間の成れの果てではないか?」と推測した。 :* 企画当初では、僧侶という設定であった{{R|cinema_233776}}。 :* テレビシリーズ放送終了後の[[2003年]]には、手塚が執筆したという設定で『仮面ライダー占い<ref>[[2003年]][[9月22日]]初版発行、{{ISBN2|4-391-12846-2}}</ref>』([[主婦と生活社]])が出版されている。 : ; {{読み仮名|芝浦 淳|しばうら じゅん}} / [[仮面ライダー龍騎の登場仮面ライダー#仮面ライダーガイ|仮面ライダーガイ]] : 年齢21歳{{Sfn|HF|2003|p=60}}。明林大学経済学部3年生。特に願いは決めておらず、ゲーム感覚で仮面ライダー同士の戦いに加わる{{Sfn|HF|2003|p=60}}。ネットゲームクラブの「マトリックス」に所属しており、人間心理を解析・応用し、ハマった人間が本当に殺し合いを始めてしまう殺人ネットゲームを開発した{{Sfn|HF|2003|p=60}}。 : 人の心を支配することに喜びを感じ、サークル仲間に勧めて戦い合うように扇動していた。大人しく気弱な青年を演じているが、本性は残忍・狡猾・ワガママで、見下した相手を小馬鹿にする自信家で人生をゲーム感覚で愉しんで野望を進めようとする{{Sfn|HF|2003|p=60}}。しかも、ライダー同士のバトルを否定する真司や迷いを持つ蓮と違って、相手の命を奪うことに対しても躊躇しないため、他のライダーとは違った強さを持つ。父親は大会社の社長で北岡の上得意でもあるため、一連の殺人ゲームの容疑で捕まるものの彼を使って釈放させるなど{{Sfn|HF|2003|p=60}}、警察相手にも動じない図太さがあるなど煮ても焼いても食えないタイプである。だが、士郎の提示したルールを死守して、ライダー同士の戦いのルールを守らない者も戦うように仕向けるために後押ししたり、ゲームの盛り上がりに欠けるなら敵対するライダーを仕方なく助太刀するなど、自分なりの美学とプライドは持っている様子も見せる。 : 真司からドラグレッダーのカードを奪ってカードを燃やすと脅したり、OREジャーナルを乗っ取って日本中を操る戦闘ゲームを作る拠点にしようと企むも失敗。脱獄してきたばかりの浅倉をバトルに参加するように唆し、その後は戦いを拒むライダーが多いことに業を煮やし、戦いを盛り上げようと優衣を誘拐することで6人のライダーによる大乱戦を演出する。しかし、近くにいたという理由で王蛇に盾にされ、ゾルダのエンドオブワールドの直撃を受けさせられたことに逆上して王蛇に襲い掛かるが、逆に返り討ちにされて爆死した。テレビシリーズでは唯一、爆死によって退場した。 : テレビスペシャルでは高見沢と徒党を組んでおり、彼を「さん」付けで呼ぶなど子分のような立場となっており、真司を「ケツの青いガキ」呼ばわりする{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=85}}。共謀して真司や蓮を襲って追い詰めていくが、ディスパイダーの吐いた糸に捕まって喰い殺された。劇中で変身状態で捕食され退場したのも唯一彼のみである。漫画版では捕食されずに生存していて、詳しい描写は不明だが、戦いを続ける場合は最後は真司によって他の仮面ライダーとともに倒されていることが示唆されている。 : ; {{読み仮名|浅倉 威|あさくら たけし}} / [[仮面ライダー龍騎の登場仮面ライダー#仮面ライダー王蛇|仮面ライダー王蛇]] : 年齢25歳{{Sfn|HF|2003|p=59}}。神奈川県三ツ浦市出身で、1977年4月10日生まれ{{Sfn|超全集 上巻|2002|p=36}}{{Sfn|HF|2003|p=59}}。関東[[拘置所]]に拘留されていた凶悪殺人犯で{{Sfn|HF|2003|p=59}}、ライダーバトルのペースが遅々として進まないことに業を煮やした士郎により、戦いのペースを上げるために選定された。変身直後に首を捻る癖がある{{efn|王蛇のスーツアクターを務めた[[岡元次郎]]の案によって取り入れられた{{R|仮面俳優47}}。}}。 : 自分の中に理由なく溢れてくる闘争心と憎悪に溺れ、誰かにずっと殴られて育ってきたことから、殴るか殴られるかしないと落ち着かない体質と{{Sfn|超全集 下巻|2003|p=24}}{{Sfn|HF|2003|p=59}}、銃を持つ刑事複数人さえも生身で殴り飛ばすほどの高い戦闘能力を備えるようになった。その気質によって、13歳のときに後述の弟を殺すために実家に放火して両親を殺害し、その後も「イライラした」という動機だけで常に標的を探して襲撃し、多くの人間を理由なく暴行や殺害に及ぶなど数多の悪事に手を染めていた{{Sfn|HF|2003|p=59}}。あまりの罪状の重さから、様々な汚い手を使った北岡でさえ無罪にはできず、懲役10年の刑にするのが限界であった{{Sfn|HF|2003|p=59}}。そのため、北岡に対しては拘留中から役立たずと罵って[[逆恨み]]の念を抱き、脱獄後も執拗に付け狙った。相手を逃がせば執念深くつけ狙う粘着質な側面は、時に北岡以外に向けられることもある。 : 暴力性だけでなく頭の回転の速さもまた異常であり、生き残っていた実弟の三原暁{{efn|名前は、萩野が『[[超光戦士シャンゼリオン]]』で演じた涼村暁に由来する{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2004|p=84}}。}}を捕食させた件を始め、目的のためならば平時や戦闘時を問わず、他人を騙して利用するなどといった傾向もみられる。これらの異常性から、蓮や北岡など多くの人物には「人間ではなくモンスター」とまで評された。しかし、一方でモンスターをおびき寄せるための囮としてモンスターに狙われていた少女を助け、利用しながらも結局殺さずに見逃したり、東條の居場所を北岡に尋ねたり、「真司が馬鹿だと思う奴は手を上げろ」という戯れに付き合うなど、いかなる時でも誰彼構わず敵視するわけではなく、その時点で浅倉自身にとって理由が無ければ冷静な対応に及ぶこともある。 : 脱獄囚ゆえに野宿をしており、服装も脱獄後にミリタリーショップで店員を殺害して強奪した蛇皮のジャケット{{efn|撮影で使用されたジャケットは、萩野の自前である{{Sfn|英雄伝|2010|p=70}}{{R|仮面俳優47}}。}}を一貫して着用。両親の殺害後は「食料が無いときには泥をも食ったことがある」と語るなど浮浪者のような生活をしてきたらしく、その名残からか野宿生活の最中には[[トカゲ]]を焼いたり、[[鶏卵#生食|生卵]]数個をコップに割って一気飲みしたり、[[ムール貝]]を殻ごと噛み砕く{{efn|この時の撮影で萩野は口の中を切ってしまい、血まみれになったという。}}など、常人の域を超えた悪食ぶりを見せる。他方途中で辞めているとはいえ、高校に通ったり定職に就いていたといったプロフィールも明らかにされており、自動車に乗車時はシートベルトを締める、カップ焼きそばを食べる際はお湯を捨てるなど、最低限の人間性が備わっている。また、士郎に対しては本人なりに恩義を感じているのか、食事を勧めることもあった。 : 望みを叶えることに興味はなく、戦いに喜びを見出して戦っており、士郎から願いを求められた際は戦いを続かせることを願おうと考えた。真司や蓮をはじめとする多くのライダーたちにも敵意を持っており、劇中ではガイ、ライア、インペラーと、テレビシリーズに登場したライダーの3分の1に当たる3人のライダーを倒し、士郎の思惑通りライダーバトルの構図を大きく変化させた。中でも前述の事情から、物語の最後までゾルダこと北岡を倒すことに執着し続け、最後の1日にその悲願を果たす。しかし、それが吾郎だったことを知ると{{efn|台本上では、気付いていないことになっていた{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=54}}。}}、因縁の宿敵を倒した歓喜から叩き落されて苛立ちが限界に達し、潜伏していた廃倉庫の屋外にて待ち構えていた警察[[機動隊]]に鉄パイプ一本を握りしめて単身で突進し、一斉射撃を受けて死亡した。 : 最終回のエピローグにおける新世界では、真司のスクーターを通行の邪魔として蹴倒してサイドミラーを折り、「イライラさせるな」と言って去っていった。 : 劇場版では美穂の姉を殺し、彼女の望みの一つが姉の仇を討つことであったため、美穂に狙われて交戦することとなる。リュウガにジェノサイダーを倒されてブランク体になったうえ、ファムにカードデッキを破壊されて変身が解け、その状態のまま狂気に満ちた笑い声とともに消滅したが、その間際にあってもなお、生身のままファムの首を絞めあげようと執念深さを見せた。 : テレビスペシャルでは、須藤と北岡によって関東拘置所の特別房送りにされ、フェイス・マスクと拘束衣で厳重に拘束・収監されていたが脱走{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=85}}{{efn|真司が面会に訪れた際に、彼のヘルメットからベノスネーカーを召喚して拘束衣を外し、北岡を襲わせて王蛇のカードデッキも奪還し、真司が偶然持っていたペットボトルを床に叩き付けた後に踏みつけて水を撒いて光の反射した水面で変身した。}}。シザースを倒した後は、ゾルダとともに龍騎やナイトと戦った。 :* 企画当初では死刑囚という設定だったが、番組上では語られなかった{{R|cinema_233776}}{{Sfn|語れ!平成|2013|p=31}}。脚本の小林は、脱獄することが望みであったため、唯一、願いが先に叶ったライダーであり、願いが先に叶ったらどうなるのかと思って書いたという{{Sfn|FC|2003|p=61}}。最終回の浅倉は、殺人を犯していない程度のワルという演出であったといい、「イライラさせるな」という台詞も今までよりも柔らかめに言ったという{{Sfn|FC|2003|p=15}}。 : ; {{読み仮名|東條 悟|とうじょう さとる}} / [[仮面ライダー龍騎の登場仮面ライダー#仮面ライダータイガ|仮面ライダータイガ]] : 年齢25歳{{Sfn|HF|2003|p=60}}。清明院大学の香川の研究室に属する大学院生{{Sfn|HF|2003|p=60}}。ミラーワールドを閉じ、「英雄」になるという理由でライダーになっており、仲村や香川と行動をともにする{{Sfn|HF|2003|p=60}}。 : カフカの『[[変身 (カフカ)#日本語訳|変身]]』の文庫本を愛読する柔順で物静かな青年である一方、人の死を悼む情緒を抱きながらも、小さな犠牲は英雄になるためには仕方ないという考え方に取り憑かれ{{Sfn|HF|2003|p=60}}、目的のためならどんなことでもする短絡的思考と、邪魔な人物はすべて排除しようという自己中心的思考をも併せ持っており、それに起因しての歪んだ理想と憎悪に取り憑かれていくようになるなど、その情緒不安定さから来る行動は時に奇行の域にまで達することすらある。この狂気的な性格は、真司に「(闘争心が行動原理である)浅倉のほうがまだわかりやすい」と評されるほど。士郎からもそういった性格を見込まれて選定されており、結果としてライダーバトルの渦中に身を置く中で、次第にライダー同士の戦いに勝ち残ることで自らが英雄になろうと考え、「英雄」という言葉の解釈で香川との間にも徐々に齟齬が生まれることとなる。バイクはCB400カスタムを乗用する。 : 後述の「英雄の覚悟」を、大切な人を倒せば強くなれるものであると曲解し、仲村と香川を相次いで殺害したのみならず、戦いに敗れた自分を介抱した佐野さえも「大切な人」と見なし手にかけようとする。だが、後述する佐野の死の真相を知らされ、大事な友人への裏切りが無意味だったことを悟る。その後も自暴自棄に近い形でライダー同士の戦いに身を置き続けるが、浅倉には文字通り心身ともに打ちのめされ、北岡からの「英雄になろうと思った時点で失格」という出任せの台詞に逆上するなど、これらの出来事が重なるうちに情緒不安定の度合いをより増していく。そんな中、ナイトやゾルダ、王蛇を罠にかけた後、次に為すべきことがわからないまま街を彷徨ううち、前を行く親子に突っ込んできた暴走トラックから咄嗟に父子を守り、身代わりとなってトラックに轢かれて死亡する。翌日の新聞の記事の片隅に小さな見出しで「親子を救った英雄」と記され、皮肉にも自身が望んだ形とはほど遠いものではあるものの願いが叶った。 : 最終回のエピローグにおける新世界では、自転車で移動中に真司が手押ししていたスクーターと衝突する。真司に平謝りして立ち去っていった。 : テレビスペシャルでは変身後の姿のみ登場。 :* 浅倉が昭和的な危ない人物として設定したため、それと対照的に現代的な危ない人物と設定された{{Sfn|語れ!平成|2013|p=34}}。語尾に「かも」をつけるのは口癖ではなく、他人に対しては断定口調で言えるものの、自分の感情に関してはうまく把握ができず確信が持てないため、仮定形になるからであるという{{Sfn|FC|2003|p=61}}。 : ; {{読み仮名|佐野 満|さの みつる}} / [[仮面ライダー龍騎の登場仮面ライダー#仮面ライダーインペラー|仮面ライダーインペラー]] : 年齢21歳{{Sfn|HF|2003|p=61}}。ウォーターフロントに本社を置く大企業「佐野商事」の御曹司だが、2年前に父親から勘当されていた{{Sfn|HF|2003|p=61}}。[[フリーター]]で高級車の多い地下駐車場の警備員の仕事で生計を立てている{{Sfn|HF|2003|p=61}}。口の達者なお調子者でお世辞が巧く、仕事中に高級車に乗った金持ちに媚を売って、チップをもらうこともしばしばである。自らの貧しい境遇を不満に思っているため、金も地位もある楽な生活をすることを願っている一方で、彼女には振られっぱなしでバイトも続いていないため、死にたいぐらいの毎日を送っていた。その最中に士郎からカードデッキを与えられ、いい暮らしを手に入れるためにライダーとなった。 : このような経緯や思考ゆえに、報酬を目当てに真司や香川に対して自分を売り込んでは、条件次第で離反や加担も平気で繰り返すなど、その力をビジネスとして金儲けに行使することしか考えておらず、立場も極めて流動的であるため、香川からは「なんの信念もなければ理想もない」と評されている。後に父親の急逝に伴い、その遺言で実家である佐野商事の跡目に指名されて新社長として迎え入れられ、さらに財産を引き継いだり、縁談まで持ち上がるなど、それまでとは一転して全ての夢がかない、幸福の絶頂を迎える。このように戦う理由を失いデッキを返却しようとしたものの、士郎とモンスターたちからはなおもライダーバトルの継続を迫られ、自分の人生と手にした幸福を手放すまいという焦りから、不調に終わるものの他のライダーたちに守ってもらおうと金で雇おうとし、自分の味方につけようと画策するようになる。 : しかし、怪我の手当てをするなど面倒を見ていた東條に前述の「“大切な人”を倒せば強くなれる」という理由からバトルの最中に重傷を負わされたうえ、王蛇の攻撃を受けて壁に衝突した衝撃でデッキを破壊されて現実世界に戻る術を失った末に粒子化して消滅{{efn|降りしきる雨の中、絶望しきった様子で鏡の破片の中の現実世界で待ち続けていた父の旧友の娘で婚約者である百合絵の名を叫び、「俺は…幸せになりたかっただけなのに……」と言い残している。}}{{efn|翌日の新聞では行方不明として公開捜査に踏み切ったと報道された{{Sfn|HF|2003|p=98}}。}}。自らが行った裏切りなどが産んだ、因果応報な最期ではあったものの、幸福を求める行動原理は極めて人間的であった。また、視聴者に改めてライダー同士の戦いの過酷さと、「勝ち残る前に願いが叶ったら?」に対する答えを示すキャラクターとなった。 : テレビスペシャルでは変身後の姿のみ登場。 : ; {{読み仮名|高見沢 逸郎|たかみざわ いつろう}} / [[仮面ライダー龍騎の登場仮面ライダー#仮面ライダーベルデ|仮面ライダーベルデ]] : 年齢38歳{{Sfn|HF|2003|p=61}}。テレビスペシャルにのみ登場。巨大企業の高見沢グループの総帥を務める実業家{{Sfn|HF|2003|p=61}}。すべてを手に入れたかに見えるが、その欲望は尽きることはなく、超人的な力を得るために仮面ライダーとなった。自分の手中にある高見沢グループでさえ「屁のようなもの」と吐き捨てている。 : その立場もあってイニシアチブを取るのがうまく、契約モンスターの特性を活かした戦術と生来のカリスマ性から、他のライダーからは一目置かれている。普段は紳士的で屋敷の使用人たちからは慕われるなど温厚な人格者のように見えるが、その本性は過激・尊大・傲慢・粗野で、他のライダーたちを利用して龍騎とライアの抹殺を謀るなど、目的のためには手段を選ばない野心家{{Sfn|HF|2003|p=61}}。また、ライダー同士の戦いを止めるために協力を仰ぎに来た真司に「人間はみんなライダー」と豪語している。現代社会をライダーバトルに譬えており、他人を戦って蹴落とすことが生きる道と説く{{Sfn|HF|2003|p=61}}。 : 最後はナイトに致命傷を負わせたが{{efn|龍騎を倒そうとしたが、ナイトが割って入った。}}、ナイトの飛翔斬を受けて爆死した。漫画版では映像版のような激情ぶりは見せず、クールな雰囲気で描かれていた。 : ; [[仮面ライダー龍騎の登場仮面ライダー#仮面ライダーオーディン|仮面ライダーオーディン]] : 最後に勝ち残ったライダーと戦って勝利することを主目的とする13人目のライダー。その目的が果たされるまでは、何度倒されようとも復活する。ガルドストームらと同様、時に優衣に迫る脅威を排除する役割も担う。当初はデッキを所有している士郎自身が変身しているかと思われたが、劇中では最後までその正体については描写されず、後に刊行されたムック本では、実体を持たない士郎が無作為に選んだ人間が変身していた、言わば士郎の代理人的な存在であると説明されている{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2004|p=41}}。 : サバイブ形態の龍騎やナイトさえも寄せ付けないなど、他のライダーを超えた戦闘能力を見せ付ける一方、士郎の心理状態に大きく影響されやすいという難点もあり、2人目や3人目はそれが原因で撃破もしくは消滅している。1人目もナイトとの交戦で圧倒的優位に立ちながらも土壇場の反撃で敗れるなど、必ずしも無敵の存在ではない。 : テレビスペシャルでは、ミラーワールドを守るために他のライダーたちと共闘し、龍騎のカードデッキを破壊。ミラーモンスター登場時には姿を消していた。 === 疑似ライダー === ; {{読み仮名|仲村 創|なかむら はじめ}} / [[仮面ライダー龍騎の登場仮面ライダー#オルタナティブ|オルタナティブ]] : 年齢27歳{{Sfn|HF|2003|p=61}}。清明院大学の江島均教授の江島研究室に所属していた大学院生{{Sfn|HF|2003|p=61}}。感情的で短気な性格の持ち主であり、香川研究室に所属した後も、主目的であるミラーワールドの脅威から人を守るよりも、後述の復讐心から来る激情に駆られることもあった。 : 神崎士郎の実験には参加していなかったため唯一難を逃れたが、それにより研究室の仲間を全員失う。序盤ではそのトラウマから大学で会った優衣に対して士郎の実験とは無関係な素振りを見せていたが、後に香川や東條と出会って真相を知り、士郎への復讐のためにオルタナティブとなり香川研究室に所属、優衣の命を狙う。その過程で優衣を守ろうとする真司と交戦に及ぶも、自分の信じる“英雄”の姿に相応しくないと判断した東條の逆恨みによる奇襲を受けて死亡した。 : ; {{読み仮名|香川 英行|かがわ ひでゆき}} / [[仮面ライダー龍騎の登場仮面ライダー#オルタナティブ・ゼロ|オルタナティブ・ゼロ]] : 年齢37歳{{Sfn|HF|2003|p=61}}。若くして清明院大学の教授の地位に就いた天才であり、一度目にした物は理解する前に全て覚える'''瞬間記憶能力'''の持ち主でもあるため、余計なものは見ないようにしている{{Sfn|HF|2003|p=61}}。滅多に感情を表さないが、内に秘めた強い正義感は東條が理想の英雄像を重ねるほどである。また「多くを助けるために一つを犠牲にできる勇気」という信条を掲げており、それを「英雄の覚悟」と説いて東條の信頼を得ていた他、妻の典子や息子の裕太が士郎によって危険に晒された際も、この信条の元に優衣の抹殺を優先させるという、苦渋の決断を下したこともある。 : 士郎が在学時に、彼の研究資料を偶然読んだことでミラーワールドの存在を知り、後にその記憶を基に研究を重ねた末、ミラーワールドと士郎の目的の全容を独力で解明した。その上で士郎の計画を間違いと断じており、ミラーワールドを閉じるべく自身の行いに賛同した仲村と東條を率いて優衣の抹殺を画策。士郎の残した研究資料とタイガのカードデッキを基に、疑似ライダーのオルタナティブを開発し、自らもオルタナティブ・ゼロとしてライダーバトルに身を投じることとなる。 : 戦いの中で、次第に暴走していく東條の偏った英雄観に警戒心を抱き、自身の家族と触れ合わせることで人間性を取り戻させようと試みるも、逆にそれが災いして彼の予期せぬ気まぐれを招き、あと一歩まで優衣を追い詰めたところをタイガの不意打ちにより死亡し、東條によって現実世界に抱き上げられながら{{efn|神保の方が高槻よりも重かったため、吹き替えとなっている{{Sfn|FC|2003|p=35}}。}}戻ってきた際に粒子化した後に消滅した。香川の遺した研究資料は、東條によって焼却されるも一部が真司の元に渡り、彼にミラーワールドや優衣の真実を知らしめることとなった。 === ライダーの関係者 === ; {{読み仮名|神崎 優衣|かんざき ゆい}} : 年齢19歳{{Sfn|HF|2003|p=63}}。[[1983年]][[1月19日]]生まれ。ライダー同士の戦いを止めるために、失踪した兄の士郎を探している少女。花鶏のウェイトレスを務めることもあるが、可愛い顔ではあるが愛想がない。劇中当初から蓮と行動を共にしているが、蓮に完全に同調しているわけではなく、彼の戦いも止めようとしていた。 : 基本的には、芯が強いしっかり者。しかし、行方不明になった令子や奈々子を探し出すべく令子のお見合い相手である蔵井の家を留守中に潜入した時には、捜査するために家の中をしっちゃかめっちゃかにしてなおかつ気にしないなど、ガサツでいい加減かつチャランポランな一面も見られた。 : その正体は、士郎同様ミラーワールドの存在。実は13年前に両親の虐待が元で一度衰弱死しており、ミラーワールドにおける彼女が遺体と融合したことで蘇生したが、20歳の誕生日(2003年1月19日{{efn|テレビシリーズ最終回放送日にあたる。}})までの期限付きの命だった。そのため、現実世界にいるように見えて本体は鏡の中におり、序盤の時点から時折不可解な現象を見せている。士郎は優衣に新しい命を与えるためにライダー同士の戦いを仕組んでいた。そして、生き残った最後のライダーをオーディンで倒すことで、新しい命を得る権利を奪い去るというのが本来の計画だった。 : 最後は20歳の誕生日を迎える2日前に現実世界から消滅し、ライダー同士の戦いが終わった後、士郎を説得し戦いを完全に終結させたことで、士郎とともに現実世界から完全に消滅して、ミラーワールドも崩壊したことで現実世界にもその影響が及ぶが、自らの願いによって新たな歴史を始めさせた。その後は、様々な絵が貼られた白い部屋{{efn|劇中では語られていないが、優衣が閉じ込められた旧神崎邸の地下室で、優衣と士郎、幼い優衣と士郎が一緒にいて、4人にとっての暖がこの明るい部屋というイメージであるという{{Sfn|FC|2003|p=39}}{{Sfn|FC|2003|p=59}}。}}で、子供のころの神崎兄妹とともに皆が幸せな絵を描いている姿が映されている。 : 劇場版では幼少期に真司に約束を破られたのがきっかけでミラーワールドの彼女と一体化した。20歳の誕生日、士郎からの新しい命を拒み自害した。 :* 脚本を担当した小林の初期設定では、刑事であった{{Sfn|超辞典|2011|p=641}}。 : ; {{読み仮名|神崎 士郎|かんざき しろう}} : 年齢25歳{{Sfn|HF|2003|p=63}}。[[1977年]][[9月29日]]生まれ。清明院大学の江島均教授の江島研究室に所属していた大学院生。優衣の兄。優衣と別れ、養子として引き取られた際の旧姓は{{読み仮名|高見|たかみ}}。人を仮面ライダーに変身させる技術を開発し、ライダー同士の戦いを仕組んだ張本人である。オーディンのカードデッキを所有しているが、ミラーワールドの存在となったことで実体がなく、自分では変身出来ない。1年前、アメリカのアクレイ大学で行われたカードデッキの開発実験中に死亡したことになっていることから幽霊のような存在ということも出来るが、現実世界に現れることは可能である。ライダーバトルが遅々として進まないことに業を煮やしており、戦いのペースを上げるべく浅倉をライダーとして選定したり、戦いを拒む手塚や真司にサバイブのカードを与えたりと、舞台裏で暗躍する。冷静沈着な性格だが、優衣のことに関しては見境がなくなる。その最たる行動として、兄の不可解な行動に怒った優衣に破かれてしまった彼女が描いた絵を元に戻すためだけにタイムベントを発動している。主にガルドサンダーなどの鳳凰型のモンスターを従えており、邪魔者や優衣に危害を加える者の抹殺などを行わせていた。 : その目的は、一度死亡した優衣に新しい命を与えることであり、失敗するとタイムベントを使い時間を巻戻し、戦いを繰り返していた。戦いを止めようとする優衣の説得を拒んだ上、彼女の消滅を目の当たりにしてもライダーバトルの続行を強要した。優衣の消滅後は残された時間が少ないことによる焦りを募らせ、さらには彼女が消滅前に残した言葉を受けて葛藤する。最後は優衣の説得を受け入れ、ライダーバトル自体をなかったことにし、彼も現実世界から完全に消滅した。ライダーバトルがなくなったことで歴史も修正され、真司たちはライダーバトルに関係する記憶を失った上で復活することとなった{{efn|その際、テレビシリーズより後の時間軸であるにもかかわらず、北岡が生存していたり、浅倉が一般人として普通に街を歩いていたりと人によっては、それまでと置かれた状況が若干違っている描写がある。}}。 : 劇場版では自害した優衣を見て狂態を露わにし、消滅するに至った。 : テレビスペシャルではストーリーテラーとしてのみの登場となる。 : ; {{読み仮名|大久保 大介|おおくぼ だいすけ}} : 年齢36歳{{Sfn|HF|2003|p=64}}。「OREジャーナル」の代表取締役兼編集長{{Sfn|HF|2003|p=64}}。真司の大学時代の先輩でもある。真のジャーナリズムを追求するため、大手新聞社を退社して会社を設立した{{Sfn|HF|2003|p=64}}。お調子者だが熱いジャーナリズムとタフな精神の持ち主。トラブルを多く引き起こす真司には手を焼いているが、彼の非凡な行動力と誠実さを誰よりも理解、信頼している、真司にとっては兄のような存在。 : ライダーバトルに気を取られ、仕事を疎かにする真司の行動に疑問を抱くが、真司への信頼から減給処分のみで追及は行わないことに決める。終盤で令子とともにミラーワールドや仮面ライダー、そして真司がライダーとして戦ってきたことを知り、その苦悩を受け止めた上で大久保が送ったアドバイスにより、真司は自分の信じるものを見つけ出した。 : ; {{読み仮名|桃井 令子|ももい れいこ}} : 年齢24歳{{Sfn|HF|2003|p=64}}。「OREジャーナル」の記者{{Sfn|HF|2003|p=64}}で、真司の先輩。疑惑解明のためならば、些細なことでも徹底的に追求する有能さと、危険な仕事でも逃げないジャーナリスト魂を併せ持ち、真司は彼女を目標としている。連続行方不明事件および浅倉関連記事の担当者でもあり、真司は令子がリスト化した行方不明事件の被害者の中から見つけた榊原の部屋を訪ねた{{Sfn|超全集 上巻|2002|p=77}}。強い責任感を持つ気丈な性格であり、取材で知り合った北岡にそこを気に入られ、積極的なアプローチを受けていた。 : 人間業では不可能な脱走を繰り返す浅倉を調査するうち、同じく周囲に人間の消滅が付きまとう神崎士郎の存在を突き止め、連続行方不明事件に士郎と鏡が関係しているという仮説にたどり着く。そして士郎の日米での母校と、浅倉護送の際に鏡の排除を徹底した北岡の身辺を中心に、独自の取材を行った結果、士郎がアメリカに遺した研究資料や彼の死亡診断書のコピーを入手、ミラーワールドや仮面ライダーについての真相を突き止めることに成功した。 : ; {{読み仮名|島田 奈々子|しまだ ななこ}} : 年齢23歳{{Sfn|超全集 上巻|2002|p=42}}。「OREジャーナル」のシステムエンジニアで、事務や広報を担当する{{Sfn|HF|2003|p=64}}。[[イグアナ]]のマリリンを社内の給湯室でペットとして飼っているなど、どこか風変わりな女性だが、コンピューターに関する知識は一流で、顧客データを盗んだ芝浦の言葉をきっかけに、彼が作り出したハッキング不可能なプログラムの破壊[[コンピュータウイルス|ウイルス]]を短時間で作ったこともある。愛用している[[iMac]]にはアマリリスという名前をつけている。プログラマーとしての腕は一流だが、言いたいことがすぐに口に出てしまう性格。途中から「OREジャーナル」のメンバーとなっためぐみとは、コンピュータの扱いなどから折り合いが悪いらしく、彼女が入社してからは毎日喧嘩している。 : 偶然から、北岡が不治の病に侵されていることを耳にして知っており、物語終盤において令子が北岡からデートに誘われた時には、真相は隠しつつ受けた方がいいと強硬に主張。同時に真司にもそれを話したことで、真司は北岡がライダーとして戦う理由に気付いた。 : マリリンの野外撮影をしていた際、その背景にあった壁面ガラスに偶然ギガゼールを写したことで、ミラーモンスターの存在を「OREジャーナル」メンバー全員に知らしめることとなり、偶然ながらも真実の解明に大きく貢献した。一方で、この写真を記事にも掲載したが、デマとしか受け取られなかったために苦情が相次ぎ、購読契約が大量に解約されてしまい差し押さえられたため、経営を傾けることになってしまう。この写真の一件で、めぐみとも意気投合したような関係となる。 : ; {{読み仮名|浅野 めぐみ|あさの めぐみ}} : 年齢25歳{{Sfn|HF|2003|p=64}}。北岡秀一の元秘書だが、その経緯は「本来はジャーナリスト志望だが、[[専門学校]]で間違って秘書科を受験したため、とりあえず」というものだった{{Sfn|HF|2003|p=64}}。吾郎と同等かそれ以上の腕前{{Sfn|HF|2003|p=64}}の[[拳法]]の達人ゆえボディーガードに最適と判断した北岡に雇われたが、あまりにも勘違いがひどい上そそっかしかったため解雇されていた。その後は移動ラーメン屋「みちのく」を経営していたが、北岡を婚約不履行{{Sfn|HF|2003|p=64}}{{efn|北岡を振り向かせるための出まかせ。}}で訴えたことで真司や令子、さらには吾郎や蓮まで巻き込み、モンスターにも狙われたが、その不器用さが幸いして、北岡がモンスターの方に同情するほどの事態が偶発し難を逃れた。その後大久保に気に入られて、「OREジャーナル」に入社した。さらにその後、真司が戦いを終えてビルの壁面ガラスから戻って来るのを偶然目撃、その秘密を探るべく真司をつけ回すが、結局「鏡を使ったマジックだろう」と勘違いして解釈、真司の正体は暴かれずに済んだ。 : 低血圧であり、緊張したり激しく動いたりすると(得意の拳法を使用した場合も例外なく)貧血を起こして倒れる体質で、それを現代医学では治らない病で余命僅かであると勘違いしていた。島田から借りたパソコンの'''ホワイトミルキー'''に'''ごさく'''という変なニックネームをつける{{Sfn|HF|2003|p=64}}。第41話で浅倉が真司を呼びに「OREジャーナル」に訪れた時は、拳法の達人ぶりを見せる描写は無く、大久保や島田同様うろたえて騒ぐばかりだった。 : ; {{読み仮名|神崎 沙奈子|かんざき さなこ}} : 年齢45歳{{Sfn|HF|2003|p=63}}。優衣と士郎の叔母で喫茶店「{{読み仮名|花鶏|あとり}}」のオーナー{{Sfn|HF|2003|p=63}}。秘境の探検旅行が趣味で、花鶏である程度売り上げが貯まるとそれを資金としてあらゆる国へ放浪する。劇中では[[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]から帰国し、次は[[アマゾン熱帯雨林|アマゾン]]への旅を目指し、アマゾン同好会というサークルによく参加している。心は広いが優衣曰く「かなりの変人」。「私の勘に間違いはないわ」が口癖で、かなり時間を置く場合があるもののほとんどが的中している。真司と蓮を気に入り、暇な時に店で働くという条件で下宿させている。が、ちっとも店の手伝いをしない彼らに切れて不貞腐れてしまったこともある。 : 士郎がアメリカで死亡したことは知っていたが、士郎が高見家に引き取られる際に口にした「優衣が20回目の誕生日に消える」という言葉を勘で信じていたために、優衣にはそれを伏せていた。そして、優衣が消滅したことを知らないまま誕生日会の準備をするが、士郎の言葉通り優衣がもう帰ってこないことを悟ったのか、悲壮感に駆られていた。 : 最終回エピローグの新世界では神崎兄妹の写真を店内に飾っていた。 : ; {{読み仮名|小川 恵里|おがわ えり}} : 年齢24歳{{Sfn|HF|2003|p=64}}。蓮の恋人で、清明院大学の江島均教授の江島研究室に所属していた大学院生{{Sfn|HF|2003|p=64}}。両親に関しては、既に亡くなっているらしく「[[メリーゴーラウンド]]で1周してくる間に両親がいなくなってしまう不安があった」ことからメリーゴーラウンドを嫌っている。神崎士郎の実験に参加した結果、意識不明の昏睡状態になって聖中央病院に入院。その後は、実験で現れたダークウイングに命を狙われるようになる。 : 蓮が最初のオーディンを撃破した後に一時的に意識を取り戻し、真司や優衣とも交流しつつ蓮と束の間の日々を過ごす。その後蓮を激励しながら再び意識不明になった。最終回でライダーバトルを制した蓮から与えられた新しい命で目を覚ました。そして蓮が渡すはずだったリングが、彼女の左手の中指にはめられていた。 : ; {{読み仮名|由良 吾郎|ゆら ごろう}} : 年齢25歳{{Sfn|HF|2003|p=64}}。北岡の秘書兼ボディーガード{{Sfn|HF|2003|p=64}}で、北岡にとってただ一人の友人と呼べる存在。北岡からは「ゴロちゃん」と呼ばれる。 : 漁師の父親の家庭に7人兄弟の5番目として生まれ、家業を継ぐのを嫌がり、父親と喧嘩をして家出し上京した。ある時、傷害事件に巻き込まれて北岡に弁護を担当してもらうが、その後北岡の不治の病が発覚する。自分の弁護が原因で検査が遅れて病状が進んだという負い目を持っており、以後は罪滅ぼしも兼ねて心底北岡に尽くしている{{Sfn|HF|2003|p=64}}。 : 中国拳法に似た我流の格闘技を用いて、数人の手練を相手にしても負けない戦闘能力を持つ。口数が多くないためかどことなく近寄りがたい雰囲気を漂わせているも、本来は誰に対しても優しい誠実な性格であり、浅倉以外のライダーには悪感情を持っておらず、特に真司とは妙に馬が合う。北岡とは違い、子供好きな様子である{{Sfn|HF|2003|p=65}}。一流シェフ顔負けの腕前である料理をはじめとして、何をやらせてもそつなくこなす{{efn|唯一口笛だけは苦手だったが、中盤から吹けるようになった。}}。北岡には全面的に信頼されており、仮面ライダーとして戦っていることも知らされている。 : 北岡の最期を看取り、彼が最期に望んだ浅倉との決着を果たすべく、自らカードデッキを受け継ぎゾルダとして浅倉に挑むが、ドゥームズデイを受けマグナギガを失って敗北する。最期は北岡を思いながら死亡した。 : 最終回エピローグにおける新世界では北岡同様に生存。 : ; {{読み仮名|榊原 耕一|さかきばら こういち}} / 仮面ライダー龍騎 : 年齢28歳{{Sfn|HF|2003|p=61}}。テレビシリーズでは第1話に名前のみ登場。ドラグレッダーに捕食され、世間的に行方不明になっている。モンスターの存在に精神を消耗させていたらしく、部屋にある反射物は片っ端から隠されていた。 : テレビスペシャルでは初代龍騎として戦っており、モンスターの脅威から人々を守るために戦いを止めさせる方法を探しだしミラーワールドを閉じようとしていた。孤立無援の激戦の余りに心身ともに限界に近付いており、目的のコアミラーまでたどり着いたもののモンスターとの戦いで致命傷を負ってしまう。モンスターによりミラーワールドに引きずり込まれた真司を脱出させるためにカードデッキと他のライダーたちの居場所を記したリストを手渡して絶命し、消滅した。 == 仮面ライダー == {{see|仮面ライダー龍騎の登場仮面ライダー}} == 設定 == === ミラーワールド関連 === ミラーワールドとは鏡の中に存在し、文字や絵が裏返しされている以外は現実世界とそっくりだが、モンスターやミラーワールドの住人(神崎士郎や鏡像の神崎優衣、鏡像の城戸真司など)以外の人間は存在しない別次元に存在する鏡の世界{{Sfn|超全集 上巻|2002|p=44}}。その成り立ちには、神崎兄妹が深く関わっている。 現実世界の鏡像であるため、文字や絵などすべて裏返ししているが、仮面ライダーだけは正しい姿となる。 ミラーワールドには生身の人間など現実世界の物質は長時間存在することが出来ず、侵入すると拒否反応を起こし、一定時間を過ぎると水泡のようなものが体から湧き上がり、やがて消滅してしまう。逆にミラーワールドに棲息する者が現実世界に長時間存在することもできない。ミラーワールド内でのライダーの活動限界時間は9分55秒となる。 基本的に鏡から出入りするが、ガラス、水たまり、ヘルメットなど鏡面化しているものなら全て出入口として使うことが可能である({{要出典|date=2021年8月|ただし、契約前のブランク体に限っては入り口に使った場所からしか出られない}})。ミラーワールドに入った人間は二度と出ることはできないが、ライダーに変身することで出ることができる(テレビスペシャルでの真司など)。 * 現実世界で存在するライダーのスーツのほかに、鏡像の中で正しい姿に映るように左右反転したスーツが作られたほか、スーツアクターも利き手とは逆の手で武器を持つなどの工夫がされた{{Sfn|超辞典|2011|p=99}}。 * 脚本を担当した小林の初期設定では、人間の感情エネルギーの吹き溜まりである「隙間世界」と呼ばれるものであった{{Sfn|超辞典|2011|p=641}}。 ; ミラーモンスターとその契約 : ミラーモンスターとは、ミラーワールドに棲息するモンスターであり、人間の生命、あるいは他のモンスターが死亡時に発生する生命エネルギーを摂取して生きている{{efn|ただし後者はライダーに倒された場合のみであり、野生のモンスターが自らの意志で他のモンスターを攻撃・捕食した描写は無い。}}。上記のように現実世界では活動時間に制限があるため、基本的に人間を捕食する瞬間しか出現しない。本能のままに行動し、一度標的を定めた人間は捕食するまで狙い続ける性質を持つ。 : ドラグレッダーやダークウイング、ベノスネーカーなどのようにモチーフとなった生物そのものの外見を持つ者もいれば、ギガゼールやボルキャンサーなどのように人型、またはそれに近い姿のモンスターもいる。共通する特徴としては派手な体色{{efn|デザイナーの篠原保は野生モンスターも玩具用にデザインされた契約モンスターと同種の存在であることを意識し、「なるべく人間体型のフォルムから離れること」「原色系の色使い」に注意したという<ref>『週刊 仮面ライダー オフィシャルデータファイル』54号、デアゴスティーニ・ジャパン、2009年4月14日、SERIES 12 SHEET 04。</ref>。}}やメカニカルな外見{{Sfn|宇宙船106|2003|p=122|loc=「106号巻末特別付録 宇宙船 YEAR BOOK 2003」}}<ref>『週刊 仮面ライダー オフィシャルデータファイル』39号、デアゴスティーニ・ジャパン、2008年12月23日、SERIES 12 SHEET 03。</ref>が挙げられ、中にはマグナギガのように近代的な武装(砲やミサイル)を内蔵している者がいるなど、他の生物とはかけ離れた存在である。 : 仮面ライダーは、野性のミラーモンスターとコントラクトのカードを通じて契約{{efn|ただし、カードを使いさえすればモンスターの意思にかかわらず強制的に契約は成立となるため、厳密には支配に近い。}}してモンスターの力をその身に宿し、後述するアドベントカードによって固有の能力を使用することができる。基本的に1人のライダーにつき1体のモンスターとの契約を結ぶが、コントラクトのカードを複数持つ王蛇に限っては最終的に3体のモンスターと契約している。またインペラーは契約しているギガゼールの特性により、多数のレイヨウ型モンスターを間接的に従えている。 : モンスターとの契約は、食料{{efn|主にモンスターの生命エネルギーだが、人間の生命でも問題は無い。}}を定期的に提供することが条件となっており、これに違反しない限りモンスターは契約者に逆らうことなく忠実に従う。契約モンスターは捕食を通じて自らの力を増し、それによってライダーも強化されるという共生関係にもある。契約モンスターが倒される、あるいは契約のカードを失うなどしてモンスターとの契約が解消されると、そのライダーはブランク体に戻される(カードデッキ自体が破壊された場合、加えて変身も解除される)。長期間に渡って食料を提供できない場合、あるいは戦いの放棄を表明した場合は契約違反と見なされ、自らの契約モンスターに襲われることとなる。ただし厳密な規定はないようで、人間を餌として提供しても拒否されたり、どの段階で契約違反と見なされるかがまちまちであったりと、モンスター側に裁量権があるような描写も見られる。 : 契約モンスターはあくまで契約によってライダーに隷従しているに過ぎず、他のミラーモンスターと同じく常に人間の捕食をも求めており、契約者であるライダーの命さえ狙っている。そのためライダーも自らの契約モンスターに気を許すことはなく、両者の関係は極めて殺伐としている。しかし契約の長期化によってモンスター側に忠誠心のようなものが芽生えることもあり、ドラグレッダーやダークウイングは契約者のために自発的に行動したほか、メタルゲラスとエビルダイバーは契約者であったガイとライアを倒した王蛇に復讐を仕掛けている<ref>{{Cite book |和書 |chapter=憎いけどニクめない? 30の悪組織 |date=2011-10-08 |editor= 芦谷富美子 |title=POPEYE特別編集 仮面ライダー the 40th コレクション |publisher=[[マガジンハウス]] |series = マガジンハウスムック |page=71 |isbn=978-4-8387-8688-6}}</ref>。 : なお、ミラーモンスターとの契約は厳密にはライダー本人ではなくカードデッキ(契約のカード)が主体であるため、テレビシリーズにおける手塚(ライア)や吾郎(ゾルダ)、テレビスペシャルにおける真司(龍騎・ナイト)は残されたデッキを引き継ぐことで仮面ライダーとなった{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=59}}。 : 上記の通りモンスターはミラーワールドでしか生きられないが、テレビシリーズ終盤および劇場版におけるミラーワールドの崩壊に伴い、変態を遂げる性質を持つことから高い環境適応能力を持つ複数タイプのヤゴ型モンスターであるシアゴーストが大繁殖を開始、タイムリミットに伴いトンボ型モンスターであるレイドラグーン、ハイドラグーンへと変態を遂げることで現実世界に適応できるようになり、結果、現実世界へのモンスターの大侵攻が開始された。 ::{{キャラスペック |名称=ガルドストーム |身長=250{{nbsp}}cm |体重=148{{nbsp}}kg |2名称=ガルドサンダー |2身長=248{{nbsp}}cm |2体重=145{{nbsp}}kg |2飛行速度=580{{nbsp}}km/h |3名称=ガルドミラージュ |3身長=245{{nbsp}}cm |3体重=143{{nbsp}}kg |3飛行速度=600{{nbsp}}km/h }} :; ガルドストーム :: ガルドサンダー、ガルドミラージュといった士郎に仕える鳳凰種モンスターの中で最も強力かつ多岐に渡り登場している個体。基本的に本能で行動するミラーモンスターでも明確な知性を持つ。[[ネイティブ・アメリカン]]の部族を思わせる羽根飾りを身に着けており、巨大な戦斧と頭部の羽根飾り状の手裏剣が武器で、口からは火炎弾を吐く。香川のようにライダーバトルの障害となる人物の抹殺、危機に瀕した優衣の護衛といった使命を帯びている。ガルドミラージュと共に香川勢を襲撃した1体がタイガに倒されており、最低でも2体以上が存在する。 :: 『[[オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー|レッツゴー仮面ライダー]]』ではショッカーの怪人連合として登場している。国連会議にも参加しており、幹部格に位置する立場の模様。 ::* スーツはガルドサンダーの改造{{R|完全超悪140}}。なお、ガルドサンダーは鳳凰をモチーフにゼブラスカルが改造されたものだが、この段階でオーディンやゴルトフェニックスの存在は知らなかったという{{R|完全超悪140}}。ガルドサンダーのバリエーションになることを避けるため、強烈な印象のモチーフである[[ハクトウワシ]]からの連想でネイティブアメリカンの羽根飾り風にしている{{R|完全超悪140}}。 === アドベントカード === カードデッキには一揃いのアドベントカードが入っている。契約モンスターの力を使うためには、カードデッキからアドベントカードを1枚引き抜き、専用のバイザーにセット(ベントイン)して発動させる必要がある。先述したコントラクトのカードもこの一枚であり、契約によってアドベントのカードに変化している。各々のライダーが持つアドベントカードの種類はあらかじめ決まっており、カードは他のライダーがベントインした場合でも、本来の所有者のライダーに効果が現れる。同じカードを二回以上使うことはできず、原則一回の変身中に一度しか使えない(同種のカードを複数枚所持していればその分だけ使える)。カードで召喚された装備は、そのライダーと契約しているモンスターの体の一部を模しているが、本体とは別の物である(例えば、龍騎がドラグクローを装備中にドラグレッダーの首が無くなるわけではない)。ただし、玩具ではモンスターの部位そのものが装備となっている。また、アドベントカードはカード所有者にとってその状況で使うにふさわしいカードがデッキの一番上に来るようになっている。 効果の強さは「AP」(防具は「GP」)という単位で設定されており、1{{nbsp}}APが0.05{{nbsp}}t(トン)に相当するものとして計算される。 {{main|仮面ライダー龍騎の登場仮面ライダー}} === その他 === ; 花鶏{{Sfn|HF|2003|p=63}} : 紅茶メインの住居一体型の喫茶店で、優衣と叔母の沙奈子の自宅でもある。コーヒーは置いていない。1階に店舗スペースと寝室、2階に居住区がある{{Sfn|HF|2003|p=63}}。第6話までオーナーの沙奈子が海外へ旅行にいっていたため休業していたが{{Sfn|HF|2003|p=63}}、第7話から営業を再開。第8話から真司と蓮も住み込みでアルバイトをするようになるが、手塚や東條も一時的に手伝いやバイトとして入ったこともある。 : 第29話では、真司と蓮がここの備品である鍋とカップを持ち出している。 : 終盤では、OREジャーナル事務所を差し押さえられた大久保が、パソコン一台を持ち込み、勝手に臨時事務所としていた時期もあった。 : 店内のカウンターには神崎兄妹の幼少時と現在双方の写真が飾ってあったが、最終回のラストシーンでは、幼少時の写真のみとなっていた。 : ; OREジャーナル : 真司が勤めるモバイルニュース配信会社{{Sfn|超全集 上巻|2002|p=42}}。住所は「[[東京都]][[千代田区]][[九段下]]2-1-25 MRビル3F」。「ORE」は「'''O'''pen '''R'''esource '''E'''volution」の略称{{Sfn|HF|2003|p=64}}。細かいことにも小回りが良く、お客さんのネタも大事にするをモットーに、真のジャーナリズムを追求するため大久保が立ち上げた。社長兼編集長の大久保や見習い記者の真司の他、敏腕記者の令子、エンジニアの島田が所属し、第30話ラストからめぐみも見習い記者として加入した。第15話で、人間ドックで入院した大久保の穴埋めで優衣がアルバイトをしたこともある。 : 物語の序盤からミラーモンスターが引き起こす、人々の行方不明事件やそれに関連する事象などを追い続けていたが、住居を失った真司の寝泊まりによる電気代やガス代の過剰徴収、購読者からのクレームや芝浦による会社乗っ取り、さらに賃料や税金未払いで事務所を差し押さえられるなど、零細企業であるゆえか、数々の災難に見舞われた。だが、花鶏の店員となった大久保が存続を腐心していたため、15年ローン、利息1.5パーセントで金を調達し、編集部を再開させることに成功する{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=24}}。 : 終盤ではミラーモンスターの存在を認知し、さらに仮面ライダー龍騎である真司の証言を得て、原因不明の失踪事件の真相と仮面ライダーたちの戦いの全貌を大久保自らがレポート文にまとめる。 :* ガラスブロックの壁面は撮影に使用された外観に合わせたものとなっている{{Sfn|超解析|2016|p=75|loc=「INTERVIEW [[田﨑竜太]][監督]」}}。 : ; 北岡秀一法律事務所 : 北岡の個人事務所で、オフィスを兼用している自宅でもある。住所は「東京都[[港区 (東京都)|港区]][[青山 (東京都港区)|青山]]8-21-9 パークハウスGoh 201」。数台の高級車が置かれているガレージや、[[ガーデニング]]された庭園まで有するかなりの豪邸。北岡だけでなく秘書の吾郎も同居している。北岡を逆恨みし付け狙う浅倉に、所内を荒らされたことも数回あった。 : 最終回において北岡はここで吾郎に看取られ、息を引き取った。 : ; 清明院大学 : 士郎をはじめ、本作品の登場人物が数人籍を置いていた大学。住所は「東京都港区三芝田4-2-5」。江島研究室での事故は、多くの職員がもみ消そうとしている。 :; 江島研究室 :: 江島均教授の研究室。キャンパス内の2号館研究棟401号室で活動し、士郎や恵里、仲村らが在籍していた。2001年の夏、仲村を除く研究室の面々は、401号室内に無数の鏡を配置して、ミラーワールドに関する何らかの実験を行った。実験は成功したとされるが、ミラーワールドから出現したダークウイングの攻撃で恵里たち3人の学生が犠牲となった。その直後、恵里を迎えに駆けつけた蓮は、倒れた恵里のために士郎からカードデッキを受け取り、仮面ライダーナイトとなった。 :: この事故の後、恵里は昏睡状態で入院。士郎と江島は失踪し、研究室は事実上壊滅した。この一件で仲村は士郎を憎むようになるが、実験の詳細は優衣のために行われたということ以外最後まで明らかにならなかった。 :; 香川研究室 :: 香川英行教授の研究室。東條と江島研究室から移籍した仲村が在籍する。無数の鏡が残っていた401号室で活動し、士郎の野望を食い止めて英雄になろうとしていた。第42話で香川と東條は、他者に知られすぎたという理由で401号室から退去している。 : ; 旧神崎邸 : 東京都[[文京区]]茗荷谷付近にある3階建ての屋敷。敷地内には広い庭がある。神崎兄妹の幼少時に火事があったが、屋敷そのものは全焼すること無く原形をとどめたこともあって、ライダーバトル開始後の士郎が潜伏している。屋敷内の全ての窓ガラスと大量の鏡は新聞紙で覆われており、鏡の中ではミラーモンスターの大群が蠢いている。士郎は鏡のうちの一つに、幼少時に優衣と描いた自分たち兄妹の絵を1枚隠していた。 : 幼いころ、両親に虐待を受けていた神崎兄妹は神崎邸の一室に隔離され、毎日自分たちやモンスターの絵を描き続けることに明け暮れていたが、優衣は7歳のときに衰弱死してしまう。両親に助けを求めるも無視され絶望する当時13歳の士郎の前に、ミラーワールドの鏡像の優衣が現実世界に抜け出し、現実世界の優衣の亡骸と融合。これにより、優衣は蘇生したが、鏡像の優衣が飛び出したことで屋敷内で大爆発が発生し、神崎兄妹の両親は死亡。火事になった屋敷から兄妹は救出されたが、2人は伯母の高見夫婦と叔母の沙奈子それぞれに引き取られ、離ればなれとなった。 == キャスト == 『[[仮面ライダーアギト]]』の時期より話題だった、イケメンブーム路線を受け継ぐキャスティングがされている。また世間的に認知されている中堅俳優たち(津田寛治・神保悟志)や、ブレイクする直前の森下千里を起用、テレビスペシャルではベテランの黒田アーサーが仮面ライダーベルデ役で出演した。 本作品でライダーを演じる俳優には、過去に特撮番組への出演経験がある萩野崇(『[[超光戦士シャンゼリオン]]』)、高野八誠(『[[ウルトラマンガイア]]』)、高槻純(『[[ウルトラマンネオス]]』)、加藤夏希(『[[燃えろ!!ロボコン]]』)、和田圭市(『[[五星戦隊ダイレンジャー]]』)も加わっている。 === レギュラー・準レギュラー === * 城戸真司{{efn|name="TVSP"|テレビスペシャルでは変身後も併記されている。}} - [[須賀貴匡]] * 秋山蓮{{efn|name="TVSP"}} - [[松田悟志]] * 神崎優衣 - [[藤沢あやの|杉山彩乃]] (1 - 29,31 - 50) * 神崎士郎 - [[菊地謙三郎]] (3,5,6,11,12,18 - 28,32 - 36,38 - 40,42 - 50) * 北岡秀一{{efn|name="TVSP"}} - [[小田井涼平|涼平]] (7 - 10,13,14,17 - 20,22 - 30,32 - 50) * 由良吾郎{{efn|最終話では吾郎が変身した仮面ライダーゾルダの声も担当{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=47}}。}} - [[弓削智久]] (7 - 10,13,14,17 - 20,22 - 27,29,30,32 - 37,39,41 - 50) * 浅倉威{{efn|name="TVSP"}} - [[萩野崇]] (17 - 28,31 - 36,38 - 50) * 須藤雅史{{efn|name="TVSP"}} - [[木村剛 (俳優)|木村剛]] (友情出演 / 5,6) * 手塚海之{{efn|name="TVSP"}} - [[高野八誠]] (13 - 23,50){{efn|name="friends"|テレビスペシャル・最終話では友情出演も併記されている。}} * 芝浦淳{{efn|name="TVSP"}} - [[一條俊]] (15 - 19){{efn|name="friends"}} * 東條悟 - [[高槻純]] (35 - 46,50){{efn|name="friends"}} * 佐野満 - [[日向崇]] (41 - 44) * 大久保大介 - [[津田寛治]] (1 - 5,7 - 16,18 - 26,28 - 33,35 - 38,40,41,44 - 50) * 桃井令子 - [[久遠さやか]] (1 - 16,18 - 42,44,47 - 50) * 島田奈々子 - [[栗原瞳]] (1 - 5,7 - 26,28 - 33,35,36,38 - 41,44 - 50) * 浅野めぐみ - [[森下千里]] (30 - 33,35,36,38,40,41,44 - 50) * 神崎沙奈子 - [[角替和枝]] (7 - 11,13 - 15,17 - 22,25,27,31 - 34,36 - 41,43 - 48,50) * 小川恵里 - [[つぶらまひる]] (11,12,16 - 18,26,27,33 - 38,50) * 仲村創 - [[水野純一]] (12,17,34 - 38) * 香川英行 - [[神保悟志]] (34 - 42) === 声の出演 === * 仮面ライダーオーディン、バイザー音声 - [[小山剛志]] * スラッシュバイザー音声 - 枝村みどり (37 - 42) * ナレーション - [[鈴木英一郎]] === 主なゲスト出演者 === * 飯田恵{{R|zukan1653}} - 萩原由紀 (1){{efn|name="noname"|クレジットでは役名未表記。}} * ビル清掃員 - [[押川善文]] (2){{efn|name="noname"}} * ショウコ - 西島来美 (3,4) * チサト - 小林朝美 (3,4) * 優衣(12年前) - 小関美穂 (3,22,45,48 - 50){{efn|第22話・第50話のクレジットでは'''幼い優衣'''と表記。}} * 士郎(12年前) - 平野勇樹 (3,22,45,48 - 50){{efn|第22話・第50話のクレジットでは'''幼い士郎'''と表記。}} * 中村教諭 - 清水一男 (3) * 管理人 - 広田正光 (3) * 令子に声をかけた女性{{R|zukan1661}} - 榎本由希 (5){{efn|name="noname"}} * 大森さん - [[樋浦勉]] (7,8) * 高岡商事の一味 - [[高岩成二]]、[[岡元次郎]]、[[岡田良治]] (7){{efn|name="noname"}} * 堀口ゆかり - [[碇由貴子]] (9,10) * 刑事 - 田邉年秋 (9,17){{efn|第9話のクレジットでは役名未表記。}} * 江島均 - [[牧村泉三郎]] (11,12) * 清明院大学・総務課から現れる男性 - [[松澤仁晶]] (11){{efn|name="noname"}} * 司書 - [[三野友華子]] (11,12) * 平野靖 - 荒木智弘 (15) * 石橋大介 - 久保拓哉 (15) * 滝孝一 - [[鈴木信二]] (15) * 峰警部{{R|zukan1674}} - [[須藤正裕|須藤雅宏]] (19){{efn|name="noname"}} * 幼い士郎 - [[砂川政人]] (21,22) * 幼い優衣 - 冨加津ゆき (21,22) * 斉藤雄一 - [[永山たかし]] (22,23) * 電話の声 - 斉藤創介 (22)、大竹直 (24)、雨宮京子 (34) * 浅倉暁 - [[有吉崇匡]] (25) * 大滝 - [[川原和久]] (26) * 医師{{R|zukan1679}} - 斉藤芳 (26,27,33,36 - 38){{efn|name="noname"}} * 原田拓也 - 伊藤拓也 (27) * 蔵井忍 - [[戸田昌宏]] (29) * 竹内真理 - [[川俣しのぶ]] (29) * 村木進 - [[河田義市]] (30) * 医師 - 中川彰 (30) * 浜崎実加 - [[鉢嶺杏奈]] (31,32) * 刑事 - [[坂田雅彦]] (31,36) * 看護婦 - [[日高ひとみ]] (31,32) * ポトラッツ - ジョージ・エシャート (32) * 医師 - 川島宏和 (32) * アナウンスの声 - 雨宮京子 (33) * 森本和義 - [[並樹史朗]] (39,40) * 香川典子 - [[星野光代]] (39 - 42) * 香川裕太 - [[田島健吾]] (39 - 42) * 看守 - [[平松広和]] (40){{efn|name="noname"}} * 百合絵 - [[たかはしゆい|高橋由衣]] (44) * 佐野と食事をしている男 - [[浦山迅]] (44){{efn|name="noname"}} * 野次馬 - [[永瀬尚希]] (46){{efn|name="noname"}} * ミライ{{R|zukan1695}} - [[志田未来]] (49){{efn|name="noname"}} * 榊原耕一 - [[和田圭市]](友情出演 / テレビスペシャル) * 仮面ライダーファムの声 - [[加藤夏希]](友情出演 / テレビスペシャル) * 仮面ライダーインペラーの声 - [[塩野勝美]](テレビスペシャル){{要出典|date=2021年5月}}{{efn|クレジットでは「?」と表記。}} * 高見沢逸郎 / 仮面ライダーベルデ - [[黒田アーサー]](テレビスペシャル) * バーニングフォームの声 - [[遊佐浩二]](ハイパーバトルビデオ) * 仮面ライダーアギトの声 - 高岩成二(ハイパーバトルビデオ) === スーツアクター === * 仮面ライダー龍騎{{Sfn|JAE NAKED HERO|2010|p=141|loc=LIST OF WORKS 高岩成二}}{{R|仮面俳優5}}、仮面ライダー龍騎(テレビスペシャル / 榊原変身体){{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=53}}{{R|Newtype}}、仮面ライダーナイト(トリックベント){{R|fc72|iwakami}}、仮面ライダーナイト(城戸真司 / テレビスペシャル){{Sfn|高岩成二|2021|p=220}}、仮面ライダーリュウガ(テレビスペシャル){{Sfn|高岩成二|2021|p=220}}、仮面ライダーアギト(ハイパーバトルビデオ){{Sfn|高岩成二|2021|p=220}} - 高岩成二{{efn|第2,49話ではエキストラとして出演している{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=53}}。}} * 仮面ライダーナイト{{R|Newtype}}、仮面ライダーナイトサバイブ(テレビスペシャル / 真司){{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=53}}、ゼブラスカル{{R|fc72}}、シールドボーダー{{R|fc72}} - [[伊藤慎]]{{efn|第49話ではエキストラとして出演している{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=53}}。}} * 仮面ライダーゾルダ{{R|NAKED HERO|仮面俳優101}}、仮面ライダーゾルダ(最終回 / 吾郎){{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=52}}、オルタナティブ{{R|NAKED HERO}}、オルタナティブ・ゼロ{{R|NAKED HERO}}、仮面ライダーナイト(トリックベント){{R|fc72}}、ボルキャンサー{{R|JAE0203}}、ディスパイダー{{R|超解析34}}、バズスティンガー・ブルーム{{R|JAE0210}}、ギガゼール{{R|JAE0211}}、レイドラグーン{{R|JAE0301}} - [[押川善文]]{{efn|オープニングにも顔出しで出演している{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=53}}。}} * 仮面ライダー王蛇{{R|NAKED HERO2|仮面俳優47}}、仮面ライダーオーディン{{R|NAKED HERO2|Newtype}}、仮面ライダーリュウガ(テレビスペシャル){{R|Newtype}}、仮面ライダーナイト(ベルデ擬態 / テレビスペシャル){{R|NAKED HERO2|fc72}}、デストワイルダー{{R|fc72}}、シアゴースト{{R|fc72}}、仮面ライダーナイト(トリックベント){{R|fc72}}、仮面ライダーインペラー(テレビスペシャル){{R|JAE0209}}、メタルゲラス{{R|JAE0212}} - 岡元次郎 * 仮面ライダーシザース{{R|Newtype}}、メガゼール{{R|fc72}}、仮面ライダー龍騎{{R|fc72}} - 岡田良治 * 仮面ライダーガイ{{R|Newtype}}、仮面ライダーナイト(トリックベント){{R|JAE0207}}、デッドリマー{{R|JAE0205}}、メタルゲラス{{R|JAE0206}}、ガルドサンダー{{R|JAE0207}}、ギガゼール(24話){{R|JAE0207}}、オメガゼール{{R|JAE0207}}、アビスラッシャー{{R|JAE0208}}、シアゴースト{{R|JAE0212}}、レイドラグーン{{R|JAE0212}} - [[水谷健]] * 仮面ライダーライア{{R|Yabe|Newtype}}、メタルゲラス{{R|Yabe|fc72}}、マグナギガ{{R|fc72}}、各種代役(龍騎、ナイト、王蛇、オーディン、リュウガ、シザース、インペラー){{R|fc72}}、仮面ライダーナイト(トリックベント){{R|iwakami}} - [[矢部敬三]] * 仮面ライダーベルデ(テレビスペシャル){{R|Newtype}}、仮面ライダーナイト(トリックベント){{R|JAE0204}}、ミラーモンスター{{R|chozenshu-ge79}}(ワイルドボーダー{{R|JAE0204}}、バクラーケン{{R|JAE0205}}、ウィスクラーケン{{R|JAE0205}}、ゲルニュート{{R|JAE0206}}、ソノラブーマ{{R|JAE0209}}、バズスティンガー・ワスプ{{R|JAE0209}}、ミスパイダー{{R|JAE0209}}、メタルゲラス{{R|JAE0210}}、ジェノサイダー{{R|JAE0210}}、デストワイルダー{{R|JAE0210}}、オメガゼール{{R|JAE0211}}、レイドラグーン{{R|JAE0301}}) - [[藤榮史哉]] * 仮面ライダータイガ{{Sfn|JAE NAKED HERO|2010|p=53|loc=LIST OF WORKS 永瀬尚希}}{{R|Newtype}}、仮面ライダー龍騎(代役){{R|NAKED HERO3}}、仮面ライダーナイト(トリックベント){{R|JAE0207}}、ミラーモンスター{{R|NAKED HERO3}}(オメガゼール{{R|JAE0207}}、ジェノサイダー{{R|JAE0207}}、シールドボーダー{{R|JAE0208}}、バズスティンガー・ビー{{R|JAE0209}}、レイドラグーン{{R|JAE0301}}) - [[永瀬尚希]] * 仮面ライダーインペラー{{R|chozenshu-ge79}} - [[白井雅士]] * 仮面ライダーファム(テレビスペシャル){{R|Newtype}}、レスパイダー{{R|JAE0209}} - [[橋本恵子]] * 仮面ライダー龍騎{{Sfn|アマゾンズ読本|2018|p=85}}、仮面ライダーナイト{{Sfn|アマゾンズ読本|2018|p=85}}、ブロバジェル{{R|iwakami}}、仮面ライダーナイト(トリックベント){{R|iwakami}} - [[岩上弘数]] * バズスティンガー・ホーネット{{R|JAE0209}}、ソロスパイダー{{R|JAE0209}}、レイドラグーン{{R|JAE0301}} - 大西修 * ボルキャンサー(テレビスペシャル){{R|JAE0209}}、デストワイルダー{{R|JAE0210}} - 葉都英樹 * ブロバジェル{{R|JAE0209}} - 山本貴浩 * バズスティンガー・フロスト{{R|JAE0210}}、サイコローグ{{R|JAE0211}}、デストワイルダー{{R|JAE0211}}、シアゴースト{{R|JAE0212}}、ガルドストーム{{R|JAE0301}}、ジェノサイダー{{R|JAE0301}} - 今吉渉 * ミラーモンスター{{R|chozenshu-ge79}}(マガゼール{{R|JAE0211}}、シアゴースト{{R|JAE0212}}、レイドラグーン{{R|JAE0212}}) - [[大林勝]] * ミラーモンスター{{R|21st4}}(シアゴースト{{R|JAE0212}}) - [[永徳 (俳優)|大岩永徳]] * シアゴースト、レイドラグーン - [[佐藤賢一 (俳優)|佐藤賢一]]{{R|JAE0212}} * シアゴースト{{R|JAE0212}} - [[渡辺淳 (俳優)|渡辺淳]] * モンスター軍団(43・44話){{R|JAE0212}} - 山本貴浩、大西修、水谷健、[[佐藤賢一 (俳優)|佐藤賢一]]、坂手透浩、大岩永徳、[[渡辺淳 (俳優)|渡辺淳]]、葉都英樹 * 仮面ライダーアギト バーニングフォーム(ハイパーバトルビデオ)<ref>{{Twitter status2|suzu_n_official|1371408282313658372|2021年3月15日|accessdate=2021-03-15}}</ref> - [[横山一敏]] == スタッフ == 仮面ライダーと契約するミラーモンスターは一部を除いてPLEXが基本的にデザインを担当し、各話怪人として登場するミラーモンスターや、ゲスト扱いの仮面ライダー、2体の擬似ライダーとその契約モンスターは篠原保が単独で担当している{{R|完全超悪26}}。過去に篠原は、『[[仮面ライダーBLACK RX]]』や『[[ウルトラマンVS仮面ライダー]]』で仮面ライダーの怪人を担当していたが、テレビシリーズでメインデザイナーを担当するのは本作品が初となる{{R|完全超悪26}}。 * 原作 - [[石ノ森章太郎]] * 連載 - [[テレビマガジン]]、[[てれびくん]]、[[幼稚園 (雑誌)|幼稚園]]、[[めばえ (雑誌)|めばえ]]、[[たのしい幼稚園 (雑誌)|たのしい幼稚園]]、[[おともだち]] * スーパーバイザー - 小野寺章([[石森プロ]]) * プロデュース - 圓井一夫(1 - 12)・中曽根千治(13 - 50)(テレビ朝日)、[[白倉伸一郎]]、[[武部直美]] * 脚本 - [[小林靖子]]、[[井上敏樹]] * 音楽 - [[丸山和範]]、[[渡部チェル]] * 撮影 - [[松村文雄]]、[[いのくままさお]] * 照明 - 斗沢秀、大寶学、明田光男、佐藤隆 * 美術 - [[大嶋修一]]、中森宗男 (1,2) * 編集 - 長田直樹 * キャラクターデザイン - [[早瀬マサト]](石森プロ)、[[プレックス|PLEX]] * クリーチャーデザイン - [[篠原保]] * 資料担当 - 飯田浩司 * 監督補 - 鈴村展弘(20 - 27) * 助監督 - 鈴村展弘、黒木浩介、近藤孔明、[[柴﨑貴行]]、斎藤滋嗣、岩崎晋一、山口多美子、島田明生、狩山俊輔、安原正恭、[[山口恭平]]、佐古純一郎 * 操演 - 高木友膳(ライズ) * 技術協力 - [[オーエイギャザリング]]、[[東映ラボ・テック]]、[[共立 (照明)|KYORITZ]] * 特撮監督 - [[佛田洋]] * アクション監督 - [[宮崎剛 (俳優)|宮崎剛]] * 監督 - [[田﨑竜太]]、[[石田秀範]]、[[長石多可男]]、佐藤健光、[[鈴村展弘]] * 制作 - [[テレビ朝日]]、[[東映]]、[[アサツー ディ・ケイ|ASATSU-DK]]{{efn|name="adk"}} == 音楽 == 本作品から作品中で使われる楽曲の発売元が、これまでほとんどの仮面ライダーシリーズに関わってきた[[日本コロムビア]]から[[avex mode]]に交代したこともあり、主題歌「Alive A life」はテレビシリーズでは初の女性ボーカル・松本梨香を起用し、キャラクター名や作品名をタイトルや歌詞に織り込まない物となった{{Sfn|ディケイド公式読本|2009|p=55}}。 音楽ディレクターは、『[[仮面ライダークウガ]]』『アギト』を担当した本地大輔がコロムビアから移籍する形で引き続き参加(後の『[[仮面ライダー響鬼]]』まで)。[[背景音楽|BGM]]は丸山和範と渡部チェルが担当。 劇場版BGMとテレビシリーズの主要BGMを収録したOST『劇場版 仮面ライダー龍騎 エピソードファイナル オリジナル・サウンドトラック+TVメインテーマ』が劇場版公開時期に発売され、それ以外の劇伴は楽曲と劇伴の大半を網羅した『Last Message 仮面ライダー龍騎 コンプリートCD-BOX』に収録の上で、番組終了後に発売された。この販売形式は後の『555』『剣』でも引き継がれ、番組終了後のCD-BOX発売は以降『響鬼』を除き『鎧武』まで恒例となった。 === 主題歌・挿入歌 === ; 主題歌「Alive A life」 : 作詞 - 海老根祐子 / 作曲 - 和田耕平 / 編曲 - 和田耕平、本田嘉津也 / 歌 - [[松本梨香]] : 最終話を除き、年間を通してオープニングテーマとして使用された。 : テレビスペシャルのオープニングは神崎士郎の語りから始まり、前述したテレゴングを呼びかける演出が入っている{{efn|映像ソフトでは神崎士郎の語りは新規の映像に差し替えられており、テレゴングの電話番号が掲載された部分は削除されている。東映ビデオより発売された『[[スーパー戦隊シリーズの他媒体展開#関連のメディアソフト|東映TV特撮主題歌大全集 VOL.4]]』にはこの映像ソフトに収録されたものが「13RIDERS」のオープニング映像として収録されている。}}。 : ; 挿入歌 : 放送フォーマットとしてエンディングは存在しないが、エンディングテーマと呼ばれる楽曲は従来通り制作されている。これらの曲は、各話のクライマックスで挿入歌的に使われた。 :; 「果てなき希望(いのち)」 :: 作詞 - [[青山紳一郎]] / 作曲 - [[辻陽]] / 編曲 - [[manzo|坂下正俊]] / 歌 - [[きただにひろし]] :: 1話‐33話。 :; 「果てしない炎の中へ」 :: 作詞 - [[寺田恵子]]、安藤芳彦 / 作曲 - [[野村義男]] / 編曲 - [[RIDER CHIPS]] / 歌 - RIDER CHIPS Featuring 寺田恵子 :: 18話。エンディングテーマとしては唯一「TVサイズ」と称する短縮版が制作されている{{efn|他の曲の短縮版はTVサイズと呼ばれていない。}}が、実際は1度きりの使用に終わった。 :: 通常盤に先駆けて、限定盤が[[セブン-イレブン]]で発売されていた。 :; 「Revolution」 :: 作詞 - 海老根祐子 / 作曲・編曲 - [[酒井ミキオ]] / 歌 - きただにひろし :: 34話‐48話、テレビスペシャル。 :; 「Lonely Soldier」 :: 作詞 - 海老根祐子 / 作曲 - 辻陽 / 編曲 - [[近藤昭雄]] / 歌 - 秋山蓮(松田悟志) :: 38話。秋山蓮のキャラクターソング。本来挿入歌として制作されたものだが、エンディングテーマと同じ形式で使われた。 :; 「INORI」 :: 作詞 - 海老根祐子 / 作曲・編曲 - 辻陽 / 歌 - 神崎優衣(杉山彩乃) :: 最終話のスタッフクレジットに使用された神崎優衣のキャラクターソング。 == 制作 == === 企画の経緯 === 現在でこそ「平成仮面ライダーシリーズ」の第3作に位置づけられているが、当時はまだシリーズという意識はなく、『[[仮面ライダークウガ]]』や『[[仮面ライダーアギト]]』の2作で終了して仮面ライダー以外の作品を制作予定であった{{R|テレマガ}}{{Sfn|ユリイカ|2012|p=13|loc=[[國分功一郎]]、[[白倉伸一郎]]「存在論的なヒーローのために」}}。このころに出された案として『[[仮面ライダー]]』の企画原型の一つである『クロスファイヤー』をモチーフとした[[騎士]]ヒーローの企画があり、これが本作品の原型となっている{{R|テレマガ}}。しかし、仮面ライダーが大きな盛り上がりを見せていることを重視し、やはり仮面ライダーを制作しようという方向で話が決まった{{R|テレマガ}}。 [[2001年]][[9月11日]]の[[アメリカ同時多発テロ事件]]を受けて、テレビ局側は『クウガ』や『アギト』のように複雑ではなく、善悪の別が明瞭なヒーローものを作って子供たちに本当の正義を教えようというコンセプトを企画側に要求した{{R|テレマガ}}{{Sfn|ユリイカ|2012|pp=11 - 12}}。しかし[[白倉伸一郎]]プロデューサーは局の意向を察した上で、意図的に曲解した応えを返した{{Sfn|ユリイカ|2012|p=11}}。「子供たちに本当の正義を教えたい」と言うからには、子供たちの信じている正義は偽物で番組制作者は本物を知っていると主張するに等しくなってしまうためである{{Sfn|FC|2003|p=51|loc=白倉伸一郎「二元論の崩壊」}}。 白倉は前作『アギト』でも複数の主役を配置することで「それぞれの立場の正義」を描こうとしたが、視聴者がはじめから結論づけている「仮面ライダーは正義」という意識を打ち壊すには至らなかった。そこで、本作品では視聴者が受容できないほど多くの仮面ライダーを投入し、既定の結論を覆そうとしたのである{{R|chozenshu-jo86}}。 メインスポンサーである[[バンダイ]]からも『クウガ』や『アギト』とはガラリと変えたいという要望があり、デザインや設定なども従来の仮面ライダーシリーズとは大きく異なる斬新なアイディアが数多く取り入れられていった{{R|テレマガ}}。 このように、従来の仮面ライダーシリーズにはありえない設定を盛り込んでいるため、外伝という意味を込めて作品名に『龍騎』と漢字が用いられた{{R|テレマガ|fc83}}。 === 特徴 === 本作品では、過去のシリーズとは異なる独自の要素が多く見られる。 ; 13人の仮面ライダー : 『アギト』での多人数ライダーの路線をさらに推し進めた{{efn|『アギト』の企画初期にも「10人ライダー」という案が存在し、これが本作品の基本コンセプトとして引き継がれたとされる<ref>{{Cite book|和書|date=2002|title=仮面ライダーアギト|publisher=[[講談社]]|series = [[テレビマガジン]]特別編集|page=76|chapter=アギト成立への道|isbn=4-06-178428-5 }}</ref>。}}。これは視聴者の固定観念を壊そうという試みの一端でもある([[#企画の経緯|企画の経緯]]節を参照)。当初は50人のライダーを登場させるという案もあった{{R|宇宙船100田崎}}{{Sfn|FC|2003|p=68|loc=[[田﨑竜太]]「監督、斯く語りき」}}{{efn|ただし、この案を出した白倉は、「13人ライダー」を通しやすくするための冗談だったとしている{{R|テレマガ}}。}}。 : 13という人数は、[[石ノ森章太郎]]の原作漫画版『仮面ライダー』の本郷猛対ショッカーライダーの回を彷彿とさせる。白倉は原作漫画版を意識していないと述べているが、石森プロの早瀬マサトは意識したと述べている{{R|テレマガ|fc83}}。 : 13人のライダーとはあくまで作品内のルールであり、当初からその全員を登場させる予定ではなかった。例えば、劇中では実際に仮面ライダー王蛇が仮面ライダーガイと仮面ライダーライアを倒しているが、初期案ではガイとライアは登場せずにはじめから王蛇が「既に2人を倒したライダー」として現れる構想だった{{R|chozenshu-ge78}}。 : オープニング映像でのカードを持つ顔を隠した人々が映る描写は、「誰でも仮面ライダーになる可能性がある」ということを示している{{Sfn|宇宙船100|2002|p=26|loc=「田崎監督に聞く これが仮面ライダー龍騎オープニングタイトルバックの秘密だ!」}}。 : ; 悪の仮面ライダー : 本作品の仮面ライダーは、それぞれの願いを叶えるために戦う者たちであり、従来のような「[[正義の味方]]」ではない。中にはライダーの力で犯罪行為を働く者もいる。悪人がライダーに変身する展開には反発があり{{R|chozenshu-jo86}}、特に脱獄犯という設定の仮面ライダー王蛇 = 浅倉威に関しては苦情が殺到した{{Sfn|FC|2003|p=15|loc=[[萩野崇]]「執着」}}。しかし、少女との特殊な関係を描いた第31・32話が放映されると、浅倉関連のクレームは一切来なくなったという{{Sfn|FC|2003|pp=84 - 85|loc=中曽根千治「社会現象としての『龍騎』」}}。 : 脚本を担当した[[小林靖子]]は、[[2012年]]のインタビューで「ライダーが犯罪者とか死んでしまうというのは今じゃできないし、『龍騎』当時だからできたことですね」と述懐{{Sfn|ユリイカ|2012|p=108|loc=[[小林靖子]]「生き生きとした“キャラクター”」}}。 : 監督の田﨑竜太は、「同族争い」という要素は『仮面ライダー』や『[[人造人間キカイダー]]』など石ノ森の作品世界に近い設定と述べている{{R|宇宙船100田崎}}。 : 悪人でも変身できる本作品の仮面ライダーには、肉体にも精神にもヒーローたるべき必然性はない。彼らは任意の契約によって変身者としての資格を得たのであり、そこには運命も精神的外傷も関係せず、自己決定の論理だけが存在する{{Sfn|宇野常寛|2011|p=266}}。仮面ライダーシリーズにおける変身の概念は、本作品で提示された「契約」を経て、次作『[[仮面ライダー555]]』の「ベルトさえ所持していれば誰でも変身できる」という表現に続いていくことになる{{Sfn|宇野常寛|2011|p=289}}。 : ; カードバトル : 本作品の仮面ライダーたちは、戦闘能力を発揮する際に「[[#アドベントカード|アドベントカード]]」と呼ばれるカードを使用する。この「人間とモンスターがカードを使って契約する」という設定は、前作における初期案である<ref>{{Harvnb|仮面ライダーアギトグラフィティ|2002|p=55|loc=STAFF INTERVIEW ACT 2 白倉伸一郎}}</ref>。 : 『アギト』の商品展開がその前年の『クウガ』を継承したものだったので、本作品では趣向を変えるために[[バンダイ]]と[[プレックス]]とで合宿を行った結果、『[[遊☆戯☆王]]』に代表されるカードバトルを活かそうという案が生まれた。カードは安価なので出版物やソーセージなど様々なものに付録して展開しやすく、それまでにない成果を上げることができた。商品のカードには穴が空いているために曲がってしまいやすかったが、100円のカードダスで補充が容易な点がある種の問題解決となった<ref>『[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]』Vol.104、朝日ソノラマ、2003年1月、p.68</ref>。 : 変身ベルトのような高額商品に、安価でコレクション性の高いカードのようなアイテムを加えて商品層に厚みを出す手法は大成功を収め、以後の平成仮面ライダーシリーズにおける多アイテム化路線に繋がった{{R|eureka615p75}}。 : 演出面では、カード使用を経ることでライダーの武器がファンタジックな物となり、過度に殺伐とすることを防ぐ効果があった{{R|fc83}}。 : ; 複数の結末 : 本作品には複数の結末が用意されている。例えば劇場版では、テレビシリーズが放送中であるにもかかわらず、最終話として構想されていた内容が先行公開された。予定調和の否定が本作品の当初からの狙いだからである{{R|chozenshu-ge78}}。 : テレビスペシャルは、テレビシリーズや劇場版とは設定が大きく異なり、「戦いを続ける」か「戦いを止める」かの2つの選択肢が提示され、[[テレゴング]]を使った電話やインターネット投票によってドラマの結末が変わるというマルチエンディング方式はテレビドラマでは史上初であった{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=87}}{{efn|両バージョンをテレビ局のモニタールームで流しながら、投票の結果によって切り替えるという方式であったという{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=49}}。}}{{efn|テレビスペシャル本放送時の投票結果は「戦いを続ける」になったが、映像ソフトには両方の結末が収録されている。また、[[2008年]][[3月29日]]に[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK-BS2]]で放送された『とことん!石ノ森章太郎』の中では、戦いを止める結末で放送された。}}。 : 結果として、劇場版やテレビスペシャルでの2パターン、そしてテレビシリーズと、4つの結末が存在することとなった。複数の展開が存在する設定上の理由は、死が確定している妹が救われる結末を求めて科学者の神崎士郎が何度も時間を巻き戻しては繰り返していたためと示唆されている{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=57}}{{Sfn|ユリイカ|2012|p=176|loc=村上裕一「死者の夢、鏡のある小部屋」}}{{R|超解析72}}}}。 : 並列構造の各作品をすべて同時に見ている視聴者は、先に提示された「別の結末」がテレビシリーズの今後の展開に予感として組み込まれるという複合的な視聴体験をすることになる。これは、選択肢によって分岐する展開がパラレルでありつつもどこかで響き合う、ゲームのプレイ体験に似ている{{Sfn|ユリイカ|2012|p=39|loc=切通理作「はじまりはいつも突然」}}。白倉は劇場版の公開に先立ち、テレビシリーズとの連動性から公開時期での鑑賞を推奨しており、後から観たのでは意味がないとしている{{Sfn|超全集 上巻|2002|p=87}}。 : テレビシリーズの脚本を担当した小林靖子は、劇場版に関しては全く触れておらず、同作品の台本も読まなくていいと白倉から言われていたため、全く気にしておらず、47 - 49話で士郎が繰り返していることをニュアンスとして出しただけであるという{{Sfn|FC|2003|p=60}}。 : ; 最終回前に死亡する主人公 : 主人公の城戸真司は、最終回前話の第49話でモンスターから少女を庇って致命傷を負い、敵の駆逐後に力尽きて息を引き取っている。こうした挑戦的な部分も「本作品は外伝」という意識があったため、制作側が抵抗を覚えることなく実行できた{{R|fc83}}。 : 真司の最期の独白に説得力を持たせるためには、人の死が痛々しく汚らわしいものであると表現することが必要だった。彼の最期に際しては明確に流血が描写され、寄りかかった車の白い色がそれをさらに際立たせている{{Sfn|FC|2003|p=69}}。 === 設定・造形 === 本作品の仮面ライダーのデザインは、従来のイメージからかけ離れたものであったため、発表当初は戸惑いの声をもって迎えられた{{R|fc82}}。こうした反応に対し、白倉は「仮面ライダーの特徴的な外観を突き詰めていっても絶対にオリジナルにはかなわない。結局はセルフパロディになってしまう(要約){{R|テレマガ|chozenshu-jo86}}」、早瀬は「石ノ森(章太郎)が残したデザイン画の変遷を見ていると割と突飛なデザインも描いていて、そうした冒険心も引き継いでいかなければ{{R|fc82}}」と述べている。 13ライダー共通のモチーフとして、西洋の[[騎士]]が基本になっている。マスクは鉄仮面をモチーフとし、スリットの入ったシルバーのバイザーが特徴である{{efn|初期企画案の騎士ヒーロー版『クロスファイヤー』の名残でもある{{R|テレマガ}}。}}。ボディは前作までののっぺりとしたスーツとの差別化のため、[[スニーカー]]のデザインを取り込んでいる{{R|fc83}}。一方で、従来のイメージが切り捨てられたわけではなく、仮面ライダー1号の特徴である複眼を龍騎、顎(クラッシャー)をナイト、触角をゾルダ、と主要3ライダーに分割・採用している{{Sfn|FC|2003|pp=78 - 79}}。 ライダーが乗用するバイク(ライドシューター)はミラーワールドへの移動手段として使われ、一部契約モンスターがバイク形態になるという描写があるのみで、それまでの仮面ライダーシリーズで必須だった「スーパーバイクを乗りこなしてバイクに搭乗しつつバトルする」というシチュエーションは薄まっている。 一部のモンスターなどを[[コンピュータグラフィックス|CG]]で表現した点も特徴で、前年の『[[百獣戦隊ガオレンジャー]]』でのパワーアニマルの描写との差別化として人間との関係性が意識されている{{R|宇宙船100田崎}}。クオリティはまだ試行錯誤的なものだったが、以後ライダー作品においてもCGでキャラクターを表現する傾向は続けられている。 == 放送日程 == 各回のサブタイトルは作中では表記されず、以下に明記しているものは新聞のテレビ番組欄やテレビ番組情報誌、ならびにテレビ朝日公式ページにて表記されたものである。各話終了時の演出として、画面左側に最後のワンシーンがモノクロで表示され、右側に主に活躍したカードが表示される。 {| class="wikitable" style="text-align: center; font-size:smaller;" |- !放送日!!放送回!!サブタイトル!!登場モンスター!!脚本!!監督 |- | align="right" |2002年{{0}}2月{{0}}3日 | style="text-align:center;" |1||誕生秘話 | align="left" | * ディスパイダー | rowspan="6" style="text-align:left;" |小林靖子 | rowspan="2" style="text-align:left;" |田﨑竜太 |- | align="right" |2月10日 | style="text-align:center;" |2||巨大クモ逆襲 | align="left" | * ディスパイダー・リボーン(声 - [[山野井仁]]) |- | align="right" |2月17日 | style="text-align:center;" |3||学校の怪談 | rowspan="2" style="text-align:left;" | * メガゼール(声 - [[菊池いづみ]]) * ギガゼール(紫)(声 - [[柴本浩行]]) * ギガゼール(緑)(声 - 柴本浩行) | rowspan="2" style="text-align:left;" |石田秀範 |- | align="right" |2月24日 | style="text-align:center;" |4||学校の怪談2 |- | align="right" |3月{{0}}3日 | style="text-align:center;" |5||骨董屋の怪人 | rowspan="2" style="text-align:left;" | * ボルキャンサー(声 - [[千田義正]]) * ゼブラスカル・アイアン(6話) | rowspan="2" style="text-align:left;" |長石多可男 |- | align="right" |3月10日 | style="text-align:center;" |6||謎のライダー |- | align="right" |3月17日 | style="text-align:center;" |7||新種誕生? | rowspan="2" style="text-align:left;" | * ゼブラスカル・アイアン(声 - 千田義正) * ゼブラスカル・ブロンズ(声 - 千田義正)(7話) | rowspan="4" style="text-align:left;" |井上敏樹 | rowspan="2" style="text-align:left;" |田﨑竜太 |- | align="right" |3月24日 | style="text-align:center;" |8|| 4人目ゾルダ |- | align="right" |3月31日 | style="text-align:center;" |9||真司が逮捕!? | rowspan="2" style="text-align:left;" | * ワイルドボーダー(声 - 千田義正) | rowspan="2" style="text-align:left;" |石田秀範 |- | align="right" |4月{{0}}7日 | style="text-align:center;" |10||ナイトの危機 |- | align="right" |4月14日 | style="text-align:center;" |11||謎の無人電車 | rowspan="2" style="text-align:left;" | * ゼノバイター(声 - [[塩野勝美]])(11話) * テラバイター(声 - [[高田由美]]) | rowspan="4" style="text-align:left;" |小林靖子 | rowspan="2" style="text-align:left;" |長石多可男 |- | align="right" |4月21日 | style="text-align:center;" |12||秋山蓮の恋人 |- | align="right" |4月28日 | style="text-align:center;" |13||その男ゾルダ | rowspan="2" style="text-align:left;" | * デッドリマー(声 - 塩野勝美) | rowspan="2" style="text-align:left;" |田﨑竜太 |- | align="right" |5月{{0}}5日 | style="text-align:center;" |14||復活の日 |- | align="right" |5月12日 | style="text-align:center;" |15||鉄仮面伝説 | rowspan="2" style="text-align:left;" | * バクラーケン(声 - 千田義正)(15話) * ウィスクラーケン(声 - 千田義正) | rowspan="2" style="text-align:left;" |井上敏樹 | rowspan="2" style="text-align:left;" |石田秀範 |- | align="right" |5月19日 | style="text-align:center;" |16||運命のカード |- | align="right" |5月26日 | style="text-align:center;" |17||嘆きのナイト | rowspan="2" style="text-align:left;" | * ゲルニュート(声 - 塩野勝美) | rowspan="7" style="text-align:left;" |小林靖子 | rowspan="3" style="text-align:left;" |長石多可男 |- | align="right" |6月{{0}}2日 | style="text-align:center;" |18||脱獄ライダー |- | align="right" |6月{{0}}9日 | style="text-align:center;" |19||ライダー集結 | rowspan="3" | - |- | align="right" |6月16日 | style="text-align:center;" |20||裏切りの蓮 | rowspan="2" style="text-align:left;" |佐藤健光 |- | align="right" |6月23日 | style="text-align:center;" |21||優衣の過去 |- | align="right" |6月30日 | style="text-align:center;" |22||ライアの復讐 | rowspan="2" style="text-align:left;" | * ガルドサンダー(声 - 塩野勝美) | rowspan="2" style="text-align:left;" |石田秀範 |- | align="right" |7月{{0}}7日 | style="text-align:center;" |23||変わる運命 |- | align="right" |7月14日 | style="text-align:center;" |24||王蛇の秘密 | rowspan="2" style="text-align:left;" | * ネガゼール(声 - 千田義正)(24話) * ギガゼール(紫)(声 - 千田義正)(24話) * オメガゼール(声 - 千田義正) | rowspan="2" style="text-align:left;" |井上敏樹 | rowspan="2" style="text-align:left;" |長石多可男 |- | align="right" |7月21日 | style="text-align:center;" |25||合体する王蛇 |- | align="right" |7月28日 | style="text-align:center;" |26||ゾルダの攻撃 | align="left" | * アビスハンマー(声 - 塩野勝美) | rowspan="3" style="text-align:left;" |小林靖子 | rowspan="2" style="text-align:left;" |佐藤健光 |- | align="right" |8月{{0}}4日 | style="text-align:center;" |27|| 13号ライダー | align="left" | * アビスラッシャー(声 - 塩野勝美) |- | align="right" |8月11日 | style="text-align:center;" |28||タイムベント || - | align="left" |鈴村展弘 |- | align="right" |8月18日 | style="text-align:center;" |29||見合い合戦 | rowspan="2" style="text-align:left;" | * ソノラブーマ(声 - 塩野勝美)(29話) * シールドボーダー(声 - 千田義正) | rowspan="2" style="text-align:left;" |井上敏樹 | rowspan="2" style="text-align:left;" |石田秀範 |- | align="right" |8月25日 | style="text-align:center;" |30||ゾルダの恋人 |- | align="right" |9月{{0}}1日 | style="text-align:center;" |31||少女と王蛇 | rowspan="2" style="text-align:left;" | * バズスティンガー・ホーネット(声 - 塩野勝美) * バズスティンガー・ワスプ(声 - 塩野勝美) * バズスティンガー・ビー(声 - 塩野勝美) * ガルドサンダー(32話) | rowspan="3" style="text-align:left;" |小林靖子 | rowspan="2" style="text-align:left;" |長石多可男 |- | align="right" |9月{{0}}8日 | style="text-align:center;" |32||秘密の取材 |- | align="right" |9月15日 | style="text-align:center;" |33||鏡のマジック | align="left" | * ブロバジェル(声 - 塩野勝美) | align="left" |佐藤健光 |- | align="right" |9月19日 | style="text-align:center;" |SP||仮面ライダー龍騎スペシャル 13RIDERS | align="left" | * ミスパイダー(複数)(声 - [[小田木美恵]]) * レスパイダー(複数)(声 - [[兵藤まこ]]) * ソロスパイダー(複数)(声 - 塩野勝美) * ディスパイダー(青){{efn|『宇宙船 YEAR BOOK 2003』では、名称を'''ディスパイダーII'''と記載している{{Sfn|宇宙船106|2003|p=122|loc=「106号巻末特別付録 宇宙船 YEAR BOOK 2003」}}。}} | align="left" |井上敏樹 | align="left" |田﨑竜太 |- | align="right" |9月22日 | style="text-align:center;" |34||友情のバトル || - | rowspan="7" style="text-align:left;" |小林靖子 | align="left" |佐藤健光 |- | align="right" |9月29日 | style="text-align:center;" |35||タイガ登場 | align="left" | * ガルドミラージュ(声 - 塩野勝美) * ガルドストーム(声 - 塩野勝美) | rowspan="2" style="text-align:left;" |石田秀範 |- | align="right" |10月{{0}}6日 | style="text-align:center;" |36||戦いは終わる || - |- | align="right" |10月13日 | style="text-align:center;" |37||眠りが覚めて | align="left" | * バズスティンガー・ブルーム(声 - 塩野勝美) * バズスティンガー・フロスト(声 - 塩野勝美) | rowspan="2" style="text-align:left;" |長石多可男 |- | align="right" |10月20日 | style="text-align:center;" |38||狙われた優衣 | align="left" | * モンスター軍団{{efn|ソノラブーマ、ゼノバイター、ウィスクラーケン}}(声 - 塩野勝美、柴本浩行) |- | align="right" |10月27日 | style="text-align:center;" |39||危険のサイン | rowspan="2" style="text-align:left;" | * オメガゼール(声 - 塩野勝美)(39話) * マガゼール(声 - 塩野勝美)(39話) * ガゼル軍団(声 - 塩野勝美) * ガルドストーム(声 - 塩野勝美)(40話) | rowspan="2" style="text-align:left;" |鈴村展弘 |- | align="right" |11月10日<br />{{efn|11月3日は「[[全日本大学駅伝対校選手権大会|第31回全日本大学駅伝]]」中継のため休止。}} | style="text-align:center;" |40||兄と妹の記憶 |- | align="right" |11月17日 | style="text-align:center;" |41||インペラー | rowspan="2" style="text-align:left;" | * シアゴースト(声 - [[宗矢樹頼]]、柴本浩行)(41話) * ガゼル軍団(声 - 塩野勝美) | rowspan="4" style="text-align:left;" |井上敏樹 | rowspan="2" style="text-align:left;" |田﨑竜太 |- | align="right" |11月24日 | style="text-align:center;" |42|| 401号室 |- | align="right" |12月{{0}}1日 | style="text-align:center;" |43||英雄は戦う | rowspan="2" style="text-align:left;" | * サイコローグ(43話) * モンスター軍団{{efn|ゼノバイター、ウィスクラーケン、アビスハンマー、アビスラッシャー、バズスティンガー・フロスト、バズスティンガー・ブルーム、ブロバジェル、ガルドミラージュ、ガルドストーム、シアゴースト、ミスパイダー、レスパイダー、ソロスパイダー}}(声 - 柴本浩行、[[佐藤まさよし]]、[[藤井剛]]) * ガゼル軍団(声 - 塩野勝美)(44話) | rowspan="2" style="text-align:left;" |石田秀範 |- | align="right" |12月{{0}}8日 | style="text-align:center;" |44||ガラスの幸福 |- | align="right" |12月15日 | style="text-align:center;" |45|| 20歳の誕生日 | rowspan="2" style="text-align:left;" | * シアゴースト(複数)(声 - 柴本浩行、宗矢樹頼) | rowspan="6" style="text-align:left;" |小林靖子 | rowspan="3" style="text-align:left;" |長石多可男 |- | align="right" |12月22日 | style="text-align:center;" |46||タイガは英雄 |- | align="right" |12月29日 | style="text-align:center;" |47||戦いの決断 | align="left" | * デストワイルダー * シアゴースト(複数) ** レイドラグーン(複数)(声-柴本浩行、宗矢樹頼) |- | align="right" |2003年{{0}}1月{{0}}5日 | style="text-align:center;" |48||最後の3日間 | rowspan="2" style="text-align:left;" | * ガルドストーム(声 - 塩野勝美)(48話) * レイドラグーン(複数) | rowspan="3" style="text-align:left;" |石田秀範 |- | align="right" |1月12日 | style="text-align:center;" |49||叶えたい願い |- | align="right" |1月19日 | style="text-align:center;" |50||新しい命 || - |} == 放映ネット局 == 平成・令和ライダーシリーズとしては最も放送エリアが広く、[[佐賀県]]を除いたほぼ全国をカバーしていた。 {| class="wikitable" style="text-align:center;font-size:smaller;" |- !放送対象地域 !放送局 !系列 !備考 |- |[[広域放送|関東広域圏]] |[[テレビ朝日]] |rowspan="10"|[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]] |'''制作局''' |- |[[北海道]] |[[北海道テレビ放送|北海道テレビ]] | |- |[[青森県]] |[[青森朝日放送]] | |- |[[岩手県]] |[[岩手朝日テレビ]] | |- |[[宮城県]] |[[東日本放送]] | |- |[[秋田県]] |[[秋田朝日放送]] | |- |[[山形県]] |[[山形テレビ]] | |- |[[福島県]] |[[福島放送]] | |- |[[新潟県]] |[[新潟テレビ21]] | |- |[[長野県]] |[[長野朝日放送]] | |- |[[山梨県]] |[[テレビ山梨]] |[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]] | |- |[[静岡県]] |[[静岡朝日テレビ]] |テレビ朝日系列 | |- |[[富山県]] |[[チューリップテレビ]] |TBS系列 |{{efn|2002年4月4日スタートから同年9月26日までは木曜 15:50 - 16:20、同年10月6日から2003年5月11日までは日曜 5:30 - 6:00にて放送<ref>『富山新聞』2002年4月4日付 - 2003年5月11日付各朝刊、テレビ欄。</ref>。なお、平成・令和ライダーシリーズの作品のうち、富山県にて放送されたのは本作品のみ。}} |- |[[石川県]] |[[北陸朝日放送]] |テレビ朝日系列 | |- |[[福井県]] |[[福井放送]] |[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]<br />テレビ朝日系列 | |- |[[広域放送|中京広域圏]] |[[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ]] |rowspan="2"|テレビ朝日系列 | |- |[[広域放送|近畿広域圏]] |[[朝日放送テレビ|朝日放送]] |{{Efn|現:朝日放送テレビ}} |- |[[島根県]]<br />[[鳥取県]] |[[山陰放送]] |TBS系列 | |- |[[広島県]] |[[広島ホームテレビ]] |rowspan="4"|テレビ朝日系列 | |- |[[山口県]] |[[山口朝日放送]] | |- |[[香川県]]<br />[[岡山県]] |[[瀬戸内海放送]] | |- |[[愛媛県]] |[[愛媛朝日テレビ]] | |- |[[高知県]] |[[テレビ高知]] |TBS系列 | |- |[[徳島県]] |[[四国放送]] |日本テレビ系列 | |- |[[福岡県]] |[[九州朝日放送]] |rowspan="4"|テレビ朝日系列 | |- |[[長崎県]] |[[長崎文化放送]] | |- |[[熊本県]] |[[熊本朝日放送]] | |- |[[大分県]] |[[大分朝日放送]] | |- |[[宮崎県]] |[[宮崎放送]] |TBS系列 | |- |[[鹿児島県]] |[[鹿児島放送]] |rowspan="2"|テレビ朝日系列 | |- |[[沖縄県]] |[[琉球朝日放送]] | |} == 評価 == 本作品の斬新な設定は中高年の消費者層から強い反発を受けたものの、主要視聴者である男子児童向けの商品展開は成功を収めた{{Sfn|宇野常寛|2011|p=267}}。キャラクター商品売り上げは、前作を大きく上回る139億円を記録し、2009年度の『ディケイド』の売上に抜かれるまで、平成ライダーシリーズ史上最も高い実績を残していた<ref>[http://r25.jp/b/honshi/a/ranking_review_details/id/110000007540#110000007540_2]{{リンク切れ|date=October 2017}}</ref>{{R|超解析72}}。 本作品こそが、平成仮面ライダーシリーズの長期化を決定付けた作品といわれる{{R|eureka615p75}}。 白倉は十数年後のインタビューで「特撮番組自体が龍騎以前・以後に区分していいくらい、龍騎の存在が転機となった」と語っている{{R|katarebook1}}。 == 映像ソフト化 == 以下、いずれも発売元は[[東映ビデオ]]。 * ビデオ([[VHS]]、セル・レンタル共通)は全12巻がリリースされている。 * [[2002年]][[12月6日]] - [[2003年]][[11月21日]]にかけてセル[[DVD]]が発売された。レンタルは2002年10月11日より開始。全12巻で各巻4話(Vol.11とVol.12は5話)収録。レンタル当時は、前作『アギト』のセルDVD発売が続いており、同作品と並行してのリリースとなった。 * [[2003年]][[7月21日]]にテレビスペシャル「13RIDERS」のVHS・DVDが発売された。 * [[2008年]][[7月21日]]発売の「石ノ森章太郎 生誕70周年 DVD-BOX」に第1話が収録されている。 * 2009年9月21日発売の「仮面ライダーディケイドVOL.3」の初回生産限定の映像特典として本作品の1話が収録。 * [[2014年]][[7月11日]]、[[9月12日]]、[[11月7日]]にテレビシリーズのBlu-ray BOXが順次発売。テレビシリーズの他、BOX2にはてれびくん応募者全員サービスDVD『仮面ライダー龍騎 ハイパーバトルビデオ 龍騎VS仮面ライダーアギト』を、BOX3にはテレビスペシャル「13RIDERS」および同作品の未公開エンディングを収録。封入特典はブックレット(16P)であり、BOX1のみ初回限定特典として全巻収納BOXが同梱された。 == 他媒体展開 == 以下、単独項目のある作品における詳細は当該項目を参照。 === 他テレビシリーズ === ; 『[[KAMEN RIDER DRAGON KNIGHT]]』 : アメリカで制作された本作品のローカライズ作品。後に日本でも放映されている。 ; 『[[仮面ライダーディケイド]]』 : 本作品の仮面ライダーと怪人とオルタナティブが登場。 ; 『[[仮面ライダーウィザード]]』 : 第52・53話に仮面ライダー龍騎とオルタナティブが登場。 ; 『[[仮面ライダージオウ]]』 : 仮面ライダー龍騎が2068年の世界に歴代平成仮面ライダーの銅像のひとつとして登場。 : EP21・22には城戸真司と大久保大介がオリジナルキャストで登場<ref>{{Cite news|title=「仮面ライダー龍騎」須賀貴匡&津田寛治が「ジオウ」出演、敵はアナザーリュウガ|newspaper=映画ナタリー|date=2019-01-20|url=https://natalie.mu/eiga/news/316554|accessdate=2019-01-20}}</ref>。 : EP29に仮面ライダーナイトが登場。 === 映画 === ; 『[[劇場版 仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL]]』(2002年8月17日公開) : 本作品の単独作品。 ; 『[[劇場版 超・仮面ライダー電王&ディケイド NEOジェネレーションズ 鬼ヶ島の戦艦]]』(2009年5月1日公開) : 『[[仮面ライダー電王]]』と『仮面ライダーディケイド』をメインとしたクロスオーバー作品。仮面ライダー王蛇と戦闘員として本作品の登場怪人であるゲルニュートが登場。 ; 『[[劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー]]』(2009年8月8日公開) : 『仮面ライダーディケイド』の単独作品。本作品の仮面ライダーと怪人が登場。 ; 『[[仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010]]』(2009年12月12日公開) : 『[[仮面ライダーW]]』と『仮面ライダーディケイド』をメインとしたクロスオーバー作品。 ; 『[[オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー]]』(2011年4月1日公開) : 『[[仮面ライダーオーズ/OOO]]』と『[[仮面ライダー電王]]』をメインとしたクロスオーバー作品。本作品の仮面ライダーと怪人が登場。 ; スーパーヒーロー大戦シリーズ : いずれも[[仮面ライダーシリーズ]]と[[スーパー戦隊シリーズ]]のクロスオーバー作品。 :; 『[[仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦]]』(2012年4月21日公開) :: 本作品の仮面ライダーと怪人が登場。 :; 『[[平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊]]』(2014年3月29日公開) :; 『[[スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号]]』(2015年3月21日公開) :; 『[[仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦]]』(2017年3月25日公開) :: 北岡秀一 / 仮面ライダーゾルダが登場。 ; 『[[仮面ライダー×仮面ライダー 鎧武&ウィザード 天下分け目の戦国MOVIE大合戦]]』(2013年12月14日公開) : 『[[仮面ライダー鎧武/ガイム]]』と『仮面ライダーウィザード』のクロスオーバー作品。武神龍騎が登場。 ; 『[[劇場版 仮面ライダービルド Be The One]]』(2018年8月4日公開) : 『[[仮面ライダービルド]]』の単独作品。 ; 『[[平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER]]』(2018年12月22日公開) : 『仮面ライダージオウ』と『仮面ライダービルド』をメインとしたクロスオーバー作品。須賀貴匡が声を演じる仮面ライダー龍騎が登場する<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/313376|title=ネタバレ注意!本日公開「平成ジェネレーションズ FOREVER」にあるサプライズが|work=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2018-12-22|accessdate=2018-12-22}}</ref>。 ; 『[[劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer]]』(2019年7月26日公開) : 『仮面ライダージオウ』の単独作品。 ; 『[[仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション]]』(2019年[[12月21日]]公開) : 『仮面ライダージオウ』と『[[仮面ライダーゼロワン]]』をメインとしたクロスオーバー作品。 ; 『[[仮面ライダー ビヨンド・ジェネレーションズ]]』(2021年12月17日公開) : 『[[仮面ライダーリバイス]]』と『[[仮面ライダーセイバー]]』をメインとしたクロスオーバー作品。仮面ライダーナイトと王蛇が登場<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2214932/full/|title=『仮面ライダービヨジェネ』にスーパー1、ZOらレジェンド登場 王蛇やエターナルなどダークライダーも|website=ORICON NEWS|publisher=oricon ME|date=2021-11-24|accessdate=2022-09-29}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0127340|title=仮面ライダーBLACK RX、ブレイド、バルキリー!レジェンドライダー冬映画で共演|website=シネマトゥデイ|date=2021-11-30|accessdate=2022-09-29}}</ref>。 ; 『[[仮面ライダーギーツ×リバイス MOVIEバトルロワイヤル]]』(2022年12月23日公開) : 『[[仮面ライダーギーツ]]』と『仮面ライダーリバイス』をメインとしたクロスオーバー作品。城戸真司 / 仮面ライダー龍騎&仮面ライダーリュウガ、秋山蓮 / 仮面ライダーナイト、浅倉威 / 仮面ライダー王蛇が登場<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/501050|title=「仮面ライダー龍騎」ギーツ×リバイスの冬映画に参戦、ポスターにナイトや王蛇の姿も|work=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-11-13|accessdate=2022-11-13}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://mantan-web.jp/article/20221210dog00m200042000c.html|title=仮面ライダーギーツ:冬映画に“龍騎”須賀貴匡、“ナイト”松田悟志、“王蛇”萩野崇が出演 レジェンドライダー集結|website=まんたんウェブ|publisher=MANTAN|date=2022-12-11|accessdate=2022-12-11}}</ref>。 === テレビスペシャル === ; 『仮面ライダー龍騎スペシャル 13RIDERS』 : 本作品のテレビスペシャル。2002年[[9月19日]]放送。 ; 『[[仮面ライダーG]]』 : 『[[SMAP☆がんばりますっ!!#第1弾『SmaSTATION!! Presents』|SmaSTATION!!Presents SMAPがんばりますっ!!]]』内で放送された作品。仮面ライダー龍騎が登場。 === Webドラマ === ; 『[[スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号#dビデオスペシャル 仮面ライダー4号|dビデオスペシャル 仮面ライダー4号]]』 : 上記の『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』のスピンオフ作品。仮面ライダー王蛇が登場。 ; 『[[仮面ライダーエグゼイド#その他Web配信スピンオフ|仮面ライダーブレイブ〜Surviveせよ!復活のビーストライダー・スクワッド!〜]]』 : 『[[仮面ライダーエグゼイド]]』のスピンオフ作品。浅倉威 / 仮面ライダー王蛇と仮面ライダータイガが登場。 ; 『[[仮面ライダージオウ#RIDER TIME 仮面ライダー龍騎|仮面ライダージオウ スピンオフ PART2『RIDER TIME 龍騎』]]』 : 『[[仮面ライダージオウ]]』のスピンオフ作品。城戸真司 / 仮面ライダー龍騎が主役として登場する。このほか、オリジナルキャストで裏真司 / 仮面ライダーリュウガ、秋山蓮 / 仮面ライダーナイト、手塚海之 / 仮面ライダーライア、芝浦淳 / 仮面ライダーガイ、浅倉威 / 仮面ライダー王蛇、由良吾郎 / 仮面ライダーゾルダ、仮面ライダーオーディンが登場。本作品オリジナルキャラクターが変身する仮面ライダーベルデ、仮面ライダーインペラー、仮面ライダーシザース、仮面ライダータイガも登場する。他に本作品の映像も一部使用されている。 ; 『[[仮面ライダーエグゼイド#その他Web配信スピンオフ|仮面ライダーアウトサイダーズ ep.1 鏡の世界(ミラーワールド)のお宝と王蛇の帰還]]』 : 『仮面ライダーエグゼイド』のスピンオフ作品。浅倉威 / 仮面ライダー王蛇と仮面ライダーオーディンが登場<ref name="cinemaN0132983">{{Cite news|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0132983|title=「仮面ライダーアウトサイダーズ」王蛇編、来年1月配信!予告編にオーディン&財団X登場|newspaper=シネマトゥデイ|date=2022-10-16|accessdate=2022-10-16}}</ref>。 === 舞台 === ; 『[[MASKED RIDER LIVE&SHOW 〜十年祭〜]]』 : 仮面ライダー龍騎と仮面ライダーゾルダが登場。<!--リンク先を見ればわかるため、詳細は書かないでください。--> === オリジナルビデオ・オリジナルDVD === ; 『仮面ライダー龍騎ハイパーバトルビデオ 龍騎vs仮面ライダーアギト』 : 幼児向け雑誌「[[てれびくん]]」の応募者全員プレゼントとして作られた短編作品。 : 仮面ライダー関係の資料を整理していた際にモンスターの気配を察知して変身した真司/龍騎が、ミラーワールドに似た「ミラクルワールド」でモンスター軍団に襲われる。そこへ「'''人間の自由と平和を守る仮面ライダー'''」である正義の味方としてナイト・ゾルダ・王蛇が応援に駆けつけるが、多数のミラーモンスターを従えたミラクルワールドの真の支配者である'''悪のアギト・バーニングフォーム'''(赤い目のアギト{{R|超バトルDVD超全集28}})が現れ苦戦する。そんな龍騎たちのもとに助っ人として現れたのは'''[[仮面ライダーアギト#仮面ライダーアギト|仮面ライダーアギト]]'''(グランドフォーム)だった。味方のアギトは悪のアギト・バーニングフォームを「ミラクルワールドが創り出した自身の幻」といい、正義の5人ライダーで共闘して悪のアギト・バーニングフォームと戦う、というストーリーが展開される。 : スケジュールの都合上、須賀・松田・涼平・萩野はモンスターの声も担当している。アギトの声について、バーニングフォームは[[遊佐浩二]]が、そして龍騎に味方するアギト・グランドフォームは、本放送当時のアギトと龍騎のスーツアクターを務めた[[高岩成二]]が担当している。また、テレビ本編では王蛇は悪の仮面ライダーであったが正義の味方として登場したことが話題となった{{R|超バトルDVD超全集28}}。 :* 当初はライアやシザースも登場する予定であったが、『13RIDERS』があったことから没となった{{Sfn|超全集 最終巻|2003|p=51}}。 :; スタッフ :* 原作 - 石ノ森章太郎 :* 音楽 - 丸山和範、渡部チェル :* アクション監督 - 宮崎剛 :* プロデュース - 白倉伸一郎、武部直美 :* 監督・脚本 - 鈴村展弘 :* 制作協力 - 東映 :* ビデオ制作 - 東映ビデオ :* 製作・発行 - 小学館 ; 『[[仮面ライダーディケイド#オリジナルDVD|仮面ライダーディケイド 超アドベンチャーDVD 守れ!〈てれびくんの世界〉]]』 : 『[[仮面ライダーディケイド]]』のオリジナルDVD。仮面ライダー龍騎が登場。<!--リンク先を見ればわかるため、詳細は書かないでください。--> === ゲーム === ; 『仮面ライダー龍騎』 : [[バンダイ]]より2002年に[[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]用の[[対戦型格闘ゲーム]]として発売。初回生産分には、特典として限定アドベントカードが1枚付属していた。 : 本作品より、仮面ライダーの格闘ゲームは制作会社が[[カゼ・ネット|KAZe]]から[[デジフロイド|dIGIFLOYD]]に変更となった。 : 13人のライダーが総出演しているが、インペラーのみ、声が異なっている(担当は倉森慶二)。サバイブ2体と龍騎ブランク体は登場するが、王蛇ブランク体とオルタナティブ2体は登場しない。またタイガとインペラーのファイナルベントは、テレビシリーズのものとは異なっている。 === 漫画 === ; 『仮面ライダー龍騎』 : 画:[[坂井孝行]] : 『[[小学館の学年別学習雑誌|小学一年生]]』2002年1月号掲載。 ; 『仮面ライダー龍騎 13RIDERS』 : 画:[[MEIMU]] : 『[[月刊少年エース]]』2002年11月号掲載。上記のテレビスペシャルの漫画化作品だが、「戦いを続ける」「戦いを止める」のどちらも結末が異なる。 : 『'''仮面ライダー龍騎 13RIDERS THE COMIC'''』として単行本化された。 ; 『[[駈斗戦士 仮面ライダーズ#漫画版|駈斗戦士 仮面ライダーズ 超変身ギャグ外伝!!]]』 : 食玩シリーズ『[[駈斗戦士 仮面ライダーズ]]』を原作にしたギャグ漫画作品。仮面ライダー龍騎が主人公という位置付けである。 === 小説 === ; 『[[S.I.C.]] HERO SAGA』 : [[早瀬マサト]]によるジオラマ小説。本作品を元にしたものは2作品が掲載されている。 :* 「MASKED RIDER RYUKI EDITION -アドベントカレンダー-」 :* 「MASKED RIDER RYUKI EDITION -IFの世界-」 ; 『小説 仮面ライダー龍騎』 : [[講談社キャラクター文庫]]、2013年8月30日発売。著:井上敏樹 {{ISBN2|978-4-06-314853-4}} : テレビシリーズをベースとして、劇場版からは「真司と美穂の交流」が作中のモチーフに採用されている。また名前こそ明かされないものの、真司が別の人物の後を継ぐ形でライダーバトルに巻き込まれる展開がテレビスペシャルに準じているなど、その内容には井上が脚本を手がけたすべての映像作品の展開や設定が盛り込まれている。真司が主人公であることには変わりはないが、蓮や浅倉らの主要なライダーの描写にも少なくないページが割かれている。 : 各キャラクターのバックボーン(生まれ育ちや家族構成、普段の生活)やライダーバトルの設定は映像作品から変更、もしくはアレンジされている。バックボーンが描かれるライダーは真司、蓮、美穂、浅倉、北岡の5人。この他の主な登場人物は優衣と吾郎、恵里、優衣の兄(名前は出てこない)。ライダーに変身しないこれらの人物も容姿や印象などが変更されている。ライダーバトルの中で登場するシザース、インペラー、ライア(登場順)は契約者の氏名や人物像が明確にされていないが、インペラーのみバトルに破れて消滅する際の断末魔など、テレビシリーズにおける佐野のそれを踏襲している。 === CS放送・ネット配信 === ; CS放送 * [[東映チャンネル]]…[[2006年]][[8月]] - [[2007年]][[1月]](「石ノ森章太郎劇場」枠)、[[2008年]][[12月]] - [[2009年]][[6月]](「アンコールアワー」枠)[[2017年]][[8月]] -([[1080i|フルHD]]解像版) * [[テレ朝チャンネル#テレ朝チャンネル1|テレ朝チャンネル1]]…[[2010年]] - [[2011年]] * [[ファミリー劇場]]…2011年 ; ネット配信 * 東映特撮 [[YouTube]] Official…[[2012年]][[11月26日]] - [[2013年]][[5月19日]]、[[2016年]][[7月15日]] - [[2017年]][[1月6日]]、[[2022年]][[8月20日]] - [[2023年]][[2月25日]] == 関連項目 == * 『[[警部補 矢部謙三]]2』 - 5話および8話で須賀貴匡演じる悠木真という刑事が登場する。警察手帳をデッキに見立てて龍騎の変身ポーズをとるなど、本作品に対するパロディが多く見られた。 * 『[[SMAP×SMAP]]』 - 本作品のパロディとしてコント 『[[SMAP×SMAPのコント・キャラクター|仮面レンアイダー]]』が行われた。[[木村拓哉]]が城戸・仮面ライダー龍騎→沢井・仮面レンアイダー恋騎(れんき)、[[香取慎吾]]が秋山・仮面ライダーナイト→北村・仮面レンアイダー愛斗(あいと)となっている。本作品同様アクションシーンはあるものの、その実態は「[[昼ドラマ|昼ドラ]]などによくある設定で、ホスト+[[イメージクラブ|イメクラ]]のような仮想体験を女性客に提供する」というもの。劇中で使われているBGMは本作品のものが一部使われており、変身の仕方、合成も本作品と酷似している。また、レンアイダーたちの待機場所が喫茶店というところは、本作品の「花鶏」が元ネタであることがうかがえる。そのマスターとして[[岡田眞澄]]が出演している。 * [[KAMEN RIDER DRAGON KNIGHT]] == 脚注 == === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2 |refs= <ref name="テレマガ">{{Harvnb|テレビマガジン特別編集|2004|pp=76 - 77|loc=龍騎成立への道}}</ref> <ref name="chozenshu-jo86">{{Harvnb|超全集 上巻|2002|p=86}}</ref> <ref name="宇宙船100田崎">{{Harvnb|宇宙船100|2002|p=25|loc=「INTERVIEW 田﨑竜太」}}</ref> <ref name="Newtype">{{Cite journal|和書|journal=ニュータイプ10月号増刊 Newtype THE LIVE Extra 仮面ライダー龍騎 THE SPECIAL|date=2002-10-01|publisher=[[角川書店]]|id=共通雑誌コード:T1107010100580|pages=109頁}}</ref> <ref name="fc72">{{Harvnb|FC|2003|pp=72-77|loc=「仮面の告白」}}</ref> <ref name="fc82">{{Harvnb|FC|2003|p=82}}</ref> <ref name="fc83">{{Harvnb|FC|2003|p=83|loc=デザイナーズ・バトルロワイヤル}}</ref> <ref name="chozenshu-ge78">{{Harvnb|超全集 下巻|2003|p=78}}</ref> <ref name="chozenshu-ge79">{{Harvnb|超全集 下巻|2003|p=79}}</ref> <ref name="NAKED HERO">{{Harvnb|JAE NAKED HERO|2010|p=123|loc=LIST OF WORKS 押川善文}}</ref> <ref name="NAKED HERO2">{{Harvnb|JAE NAKED HERO|2010|p=35|loc=LIST OF WORKS 岡元次郎}}</ref> <ref name="NAKED HERO3">{{Harvnb|JAE NAKED HERO|2010|pp=36 - 51|loc= 永瀬尚希}}</ref> <ref name="eureka615p75">{{Harvnb|ユリイカ|2012|p=75|loc=井上伸一郎「初期平成ライダー考」}}</ref> <ref name="仮面俳優5">{{Harvnb|仮面俳優列伝|2014|pp=5-22|loc=「第1章 Mr.平成ライダー&Mr.レッドの軌跡 01 高岩成二」(東映ヒーローMAX vol.27・28掲載)}}</ref> <ref name="仮面俳優47">{{Harvnb|仮面俳優列伝|2014|pp=47-60|loc=「第2章 昭和から平成へ仮面の下のイノベーション 04 [[岡元次郎]]」(東映ヒーローMAX vol.31掲載)}}</ref> <ref name="仮面俳優101">{{Harvnb|仮面俳優列伝|2014|pp=101-111|loc=「第2章 昭和から平成へ仮面の下のイノベーション 09 [[押川善文]]」(東映ヒーローMAX vol.38掲載)}}</ref> <ref name="超解析34">{{Harvnb|超解析|2016|p=34-43|loc=「SPECIAL INTERVIEW [[高岩成二]]「Mr.平成仮面ライダー、激闘の変遷を語る!」」}}</ref> <ref name="超解析72">{{Harvnb|超解析|2016|pp=72-73|loc=「『仮面ライダー龍騎』がシリーズにもたらした「なんでもアリ」の効能〜急速に拡大・膨張していく平成仮面ライダーワールド〜」}}</ref> <ref name="21st4">{{Cite book|和書|date=2017-04-25|title=スーパー戦隊 Official Mook 21世紀|volume=vol.4|volume-title=[[特捜戦隊デカレンジャー]]|publisher=[[講談社]]|series=講談社シリーズMOOK|page=32|chapter=スーパー戦隊制作の裏舞台 [[永徳 (俳優)|永徳]]|isbn=978-4-06-509515-7}}</ref> <ref name="完全超悪26">{{Harvnb|完全超悪|2020|pp=26-37|loc=「第1期 2000-2009 HEISEI KAMEN RIDER SERIES PHASE 1 仮面ライダー龍騎」}}</ref> <ref name="完全超悪140">{{Harvnb|完全超悪|2020|pp=140-142|loc=「DESIGNER INTERVIEW 篠原保[仮面ライダー龍騎/仮面ライダー555]」}}</ref> <ref name="超バトルDVD超全集28">{{Harvnb|超バトルDVD超全集|2022|p=28|loc=「HISTORY OF てれびくん応募者全員有料サービスビデオ」}}</ref> <ref name="katarebook1">『語れ!平成仮面ライダー』14頁より。</ref> <ref name="JAE0203">[https://web.archive.org/web/20040804020012/http://www.japanactionenterprise.com/appearance/02/02.03.html JAE出演者情報2002年3月のサイト](2004年8月4日時点のアーカイブ)</ref> <ref name="JAE0204">[https://web.archive.org/web/20051225120352/http://www.japanactionenterprise.com/appearance/02/02.04.html JAE出演者情報2002年4月のサイト](2005年12月25日時点のアーカイブ)</ref> <ref name="JAE0205">[https://web.archive.org/web/20061201182151/http://www.japanactionenterprise.com/appearance/02/02.05.html JAE出演者情報2002年5月のサイト](2006年12月01日時点のアーカイブ)</ref> <ref name="JAE0206">[https://web.archive.org/web/20061201181707/http://www.japanactionenterprise.com/appearance/02/02.06.html JAE出演者情報2002年6月のサイト](2006年12月01日時点のアーカイブ)</ref> <ref name="JAE0207">[https://web.archive.org/web/20061201182204/http://www.japanactionenterprise.com/appearance/02/02.07.html JAE出演者情報2002年7月のサイト](2006年12月01日時点のアーカイブ)</ref> <ref 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スタック
スタック(英: stack)は、コンピュータで用いられる基本的なデータ構造の1つで、データを後入れ先出し(LIFO: Last In First Out; FILO: First In Last Out)の構造で保持するものである。抽象データ型としてのそれを指すこともあれば、その具象を指すこともある。 特にその具象としては、割込みやサブルーチンを支援するために極めて有用であることから、1970年代以降に新しく設計された、ある規模以上のコンピュータは、スタックポインタによるコールスタックをメモリ上に持っていることが多い。 抽象データ型としてのスタックは、ノード(何らかのデータを持ち、別のノードを指し示すことができる構造)のコンテナ(データを集めて格納する抽象データ型の総称)であり、2つの基本操作プッシュ (push) とポップ (pop) を持つ。Pushは指定されたノードをスタックの先頭(トップ)に追加し、既存のノードはその下にそのまま置いておく。Popはスタックの現在のトップのノードを外してそれを返す。 よく使われる比喩として、食堂にあるバネが仕込まれた台に皿や盆を積み重ねておく様子がある。そのようなスタックでは利用者は一番上(トップ)の皿だけにアクセスすることができ、それ以外の皿は隠されている。新たに皿が追加される(Pushされる)と、その新しい皿がスタックのトップとなり、下にある皿を隠してしまう。皿をスタックから取る(Popする)と、それを使うことができ、二番目の皿がスタックのトップとなる。二つの重要な原則がこの比喩で示されている。第一は後入れ先出し (LIFO: Last In First Out) の原則である。第二はスタックの中身が隠されているという点である。トップの皿だけが見えているため、三番目の皿がどういうものかを見るには一番目と二番目の皿を取り除かなければならない。 多くのスタック実装では「Push」と「Pop」以外の操作をサポートしている。スタックの大きさ(長さ)、「現在のスタックのトップのノードを返すが、それをスタックから取り除かない」Peek操作、トップではなくn番目の参照・操作、入れ替え等も実装されることもある。連結リストではO(n)だが配列による実装ではO(1)、その逆、等色々な場合がある。 n 個の要素のスタックが必要とするメモリ容量はO (n )、つまりスタック長に比例する。個々の操作が一定時間O (1) で完了する実装は配列や連結リストを使っても簡単に実現できる。 実装の詳細については別に議論する。 FIFO (First In First Out、先入れ先出し) の原則を持つデータ構造または抽象データ型はキューである。スタックとキューの操作を組み合わせて提供するものは両端キュー (deque) と呼ぶ。例えば、探索アルゴリズムでスタックを使うかキューを使うかによって、深さ優先探索(スタック使用)か幅優先探索(キュー使用)になる。 ハードウェアによるスタックの実装法には、主に次の2つがある。 前者は、たとえば4004の「3段のスタック」がそのようなものである。後者は多くのコンピュータが持っている。以下これについて述べる。 典型的なスタックはコンピュータのメモリ上に固定の基点と可変のサイズを持つ領域である。初期状態ではスタックのサイズはゼロである。「スタックポインタ」(一般にハードウェアのレジスタが使われる)はスタック内で最も後で参照された位置を指している。スタック長がゼロのとき、スタックポインタはスタックの基点を指す。 あらゆるスタックで実施可能な2つの操作は以下の通りである。 スタック操作の基本原則には様々なバリエーションがある。スタックは初期状態ではメモリ上の固定の位置に配置される。データがスタックに追加されると、スタックポインタはデータ追加に伴うスタックの領域拡張に従って変更される。そのときのスタックの延びていく方向は特に規則は無く、実装によってアドレスの小さくなる方向だったり、大きくなる方向だったりする。 昔のコンピュータで、ヒープ領域をアドレスの小さいほうから大きいほうへ伸ばし、スタックを大きいほうから小さいほうへ伸ばす(そのようにすると、メモリが足りない場合はどちらを伸ばす余裕もなく、完全にメモリを使い切って計算続行不可能となる)という設計にした名残りから、アドレスの大きいほうから小さいほうへ伸びるものが多いが、PA-RISCは逆である。 例えば、あるスタックが1000番地から開始して、アドレスの小さい方向に延びていくとする。その場合、データは1000番地よりも小さい番地に格納され、スタックポインタはそれに伴って小さな番地を格納するようになる。そのスタックからデータをPopすると、スタックポインタに格納されているアドレスは大きくなる。 (初期状態の)スタックポインタはスタックの基点そのものではなく、その少し上か下(スタック成長方向に依存)の限界アドレスを指している場合もある。しかし、スタックポインタは基点を超えていくことはできない。換言すれば、スタックの基点が1000番地でスタックがアドレスの小さい方向(999番地、998番地など)に成長する場合、スタックポインタは決して1000番地を超えてはならない(1001番地や1002番地は不可)。Pop操作によってスタックポインタが基点を超えると「スタック・アンダーフロー」が発生する。逆にPush操作がスタックの最大許容範囲を超えてスタックポインタを操作することになるなら「スタック・オーバーフロー」が発生する。 スタックに強く依存している環境では、追加の操作を備えている場合がある。以下に例をあげる。 スタックは上に成長するようにイメージされることもあるし、左から右に成長するようにイメージされることもあり、トップという言い方ではなく右端と言ったりもする。このようなイメージはメモリ上のスタックの実際の構造とはあまり関係ない。right rotateと言ったとき、一番目の要素を三番目の位置に置き、二番目を一番目、三番目を二番目の位置に置く。これを二種類のイメージで表すと次のようになる。 スタックはコンピュータ内では通常、メモリセルのブロックで構成される。そのブロックの「底」は固定の位置にあり、スタックポインタが「トップ」のセルのアドレスを格納している。「底」とか「トップ」という用語はスタックがアドレスの大きくなる方向に成長するか、小さくなる方向に成長するかに関係なく使われる。 スタックへのアイテムの push により、そのアイテムのサイズのぶんだけスタックポインタがずらされ(増減はメモリ空間内のスタックの成長方向に依存する)、次のセルを指すようにして、新たなトップとなるアイテムをスタック領域にコピーする。詳細な実装に依存するが、push 操作を完了したときのスタックポインタの値はスタック上の次の未使用領域を指しているかもしれないし、現在のトップのアイテムを指しているかもしれない。スタックポインタが現在のトップのアイテムを指している場合、次回の push のときには最初にスタックポインタをずらさなければならない。逆にスタックポインタが次の未使用領域を指しているなら、次回の push のときには最後にスタックポインタをずらすことになる。 スタックの pop 操作は push の逆となる。Push とは逆の順番でスタックのトップのアイテムが取り出され、スタックポインタが更新される。 以上のようなスタックは、特にコールスタックに使われる。 多くのプロセッサはスタックポインタとして使用可能なレジスタを持っている。x86のようなプロセッサは専用のスタックポインタレジスタを持っている。他のPDP-11や68000ファミリなどは、アドレッシングモードによって任意のレジスタをソフトウェア的にスタックポインタとして使用できるようになっているが、普通は割込みやJSR命令が操作するR6レジスタやA7レジスタを使う。RISCの多くはそのように特別扱いされるようなレジスタを持たず、どのレジスタをスタックポインタとして使うかは通常ABIで決めており、ソフトウェアでスタック処理をおこなう。Intel 8087シリーズの数値演算コプロセッサはスタックアーキテクチャである。一部のマイクロコントローラ(例えばいくつかのPIC)は固定サイズのスタックを内蔵しており、その任意の位置に直接アクセスすることはできない。 以上のようなスタックポインタによるスタックではなく、直接ハードウェアで実現したスタックを持つコンピュータもある。 なお、以上のようなスタックがあるコンピュータをスタックマシンとするのは間違いである。詳細は後述のスタックマシンについての記述を参照すること。 この節では、抽象データ型としてのスタックのソフトウェアによる実装について述べる。 高水準言語では、スタックは配列や線形リストを使って効率的に実装可能である。LISPでは任意のリストに対して push や pop に相当する関数(consがpush、cdrがpopである)を使用可能なので、スタックを実装する必要は無い。 逆ポーランド記法を使用している電卓(Hewlett-Packardの関数電卓など)は、値を保持するためにスタック構造を使う。式は、前置記法、中置記法、後置記法のいずれかで表現される。ある記法から別の記法への変換にはスタックが必要となる。多くのコンパイラは低レベルな言語に翻訳する前の構文解析のためにスタックを使用する。多くのプログラミング言語は文脈自由言語であり、スタックベースの機械で構文解析することができる。ちなみに自然言語は文脈依存言語であり、スタックだけではその意味を解釈することはできない。 例えば、((1 + 2) * 4) + 3 という計算は、交換法則と括弧を優先するという前提で、次のように後置記法(逆ポーランド記法)に変換できる。 この式はスタックを使って左から右に以下のように評価できる。 具体的には以下のようになる。「スタック」は「操作」した後の状態を示している。 最終的な演算結果は 15 で、終了時にスタックのトップに置かれている。 探索問題を解くとき、総当り的か最適化されているかに関わらず、スタックを多大に必要とすることが多い。総当り探索の例としては、力まかせ探索やバックトラッキングがある。最適探索の例としては、分枝限定法 (branch and bound) やヒューリスティックによる解法がある。いずれのアルゴリズムでも、発見してはいるが探索していない探索ノードを覚えておくのにスタックが必要となる。スタックを使う以外の手法としては再帰を使う方法があるが、これはコンパイラが生成するコードが内部的に使用するスタックで代替しているだけである。スタックを使った探索は幅広く使われており、木構造の単純な幅優先探索や深さ優先探索から、クロスワードパズルを自動的に解くプログラムやコンピュータチェスゲームでも使われている。ある種の問題はキューなどの別のデータ構造を使って解くこともでき、探索順を変えたいときに有効である。 ほとんどのコンパイルされたプログラムは実行時(ランタイム)環境においてコールスタックを使用し、プロシージャ/関数呼び出しに関する情報を格納するのに使っている。そして、呼び出し時のコンテキスト切り替えや呼び出し元への復帰の際に使用して、呼び出しの入れ子を可能としている。そのとき、呼び出される側と呼び出し側の間には引数や返り値をスタックにどう格納するかという規則が存在する。スタックは関数呼び出しの入れ子や再帰呼び出しを実現するための重要な要素となっている。この種のスタックはコンパイラが内部的に使用するもので、プログラマがこれを直接操作することはほとんど無い。 コールスタック内に関数の呼び出し毎に作られるフレームをスタックフレームと言い、それをたどって(トレースして)得られる呼び出しの情報をスタックトレースと言う。 プログラミング言語によっては、プロシージャ内のローカルなデータをスタックに格納する。ローカルなデータの(スタック上の)領域はプロシージャに入ってきたときに割り当てられ、出て行くときに解放される。C言語はこのような手法で実装されている典型例である。データとプロシージャ呼び出しに同じスタックを使うことは重大なセキュリティ問題を引き起こす可能性があり、プログラマはそのようなバグを作りこんで深刻なセキュリティ問題を発生させないように気をつける必要がある。 たいていの場合、プロシージャ内のローカルなデータとプロシージャ呼び出しに関する情報は共通のスタックに格納されている。つまりプログラムは、プロシージャ呼び出しのリターンアドレスという極めて重要な情報を保持しているスタックに対して、データを出したり入れたりしているのである。データをスタック上の間違った領域に書き込んだり、大きすぎるデータをスタックに書き込んだりして、リターンアドレスが壊されると、プログラムが異常動作することになる(バッファオーバーラン攻撃)。 悪意ある者がこの種の実装を逆手にとって、入力データのサイズをチェックしていないプログラムに大きすぎるデータを入力したりする。そのようなプログラムはデータをスタック上に格納しようとしてリターンアドレスを壊してしまう。攻撃者は実験を繰り返し、リターンアドレスがスタック領域内(特に攻撃者の入力データが書き込まれた領域内)を指すようになる入力データのパターンを見つけ出し、許可されていない操作をするような命令列を入力データに含ませることでセキュリティを破る。こうした攻撃に対してプログラマはスタックの扱いに注意する必要がある。 いくつかのプログラミング言語はスタック指向である。スタック指向言語は、基本操作(二つの数の加算、一文字表示など)でスタックから引数を取ってくるようになっていて、結果をスタックに返すようになっている言語である。 たいていは複数のスタックを使うよう設計されており、典型的なForthは、引数受け渡しのためのスタックとサブルーチンのリターンアドレスのためのスタックを持つ。PostScriptはリターンスタックとオペランドスタックを持ち、グラフィックス状態スタックと辞書スタックも持っている。日本語プログラミング言語のMindもForthベースである。 機械語命令の体系がスタック指向プログラミング言語に類似している、すなわち、命令のオペランドがスタックであるマシンをスタックマシンと言う。最も有名なものとしてバロース B5000がある(B5000は、高水準言語(ALGOL)のサポートを目的として、前述のコールスタックもアーキテクチャでサポートしているが、コールスタックをアーキテクチャでサポートしている、という意味では「スタックマシン」の語は使わない)。 またx86等でも、スタックポインタ間接参照によってスタックマシンのように使うことはできるが、普通あまりスタックマシンとはしない。 多くの仮想機械もスタックマシンであり、例えばp-コードマシンやJava仮想マシンなどがある。x87の命令もスタックマシン的である。 これに対し、オペランドがレジスタのマシンをレジスタマシンと言う。多くの実機がレジスタマシンであるため実機に対してこの語が使われることは少ない。仮想機械ではLua 5の仮想機械がレジスタマシンである。 スタックを使った式評価方法を最初に提案したのはドイツの初期のコンピュータ科学者フリードリッヒ・L・バウアーであり、その業績により1988年、IEEE Computer Societyからコンピュータパイオニア賞を受賞した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "スタック(英: stack)は、コンピュータで用いられる基本的なデータ構造の1つで、データを後入れ先出し(LIFO: Last In First Out; FILO: First In Last Out)の構造で保持するものである。抽象データ型としてのそれを指すこともあれば、その具象を指すこともある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "特にその具象としては、割込みやサブルーチンを支援するために極めて有用であることから、1970年代以降に新しく設計された、ある規模以上のコンピュータは、スタックポインタによるコールスタックをメモリ上に持っていることが多い。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "抽象データ型としてのスタックは、ノード(何らかのデータを持ち、別のノードを指し示すことができる構造)のコンテナ(データを集めて格納する抽象データ型の総称)であり、2つの基本操作プッシュ (push) とポップ (pop) を持つ。Pushは指定されたノードをスタックの先頭(トップ)に追加し、既存のノードはその下にそのまま置いておく。Popはスタックの現在のトップのノードを外してそれを返す。", "title": "抽象データ型" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "よく使われる比喩として、食堂にあるバネが仕込まれた台に皿や盆を積み重ねておく様子がある。そのようなスタックでは利用者は一番上(トップ)の皿だけにアクセスすることができ、それ以外の皿は隠されている。新たに皿が追加される(Pushされる)と、その新しい皿がスタックのトップとなり、下にある皿を隠してしまう。皿をスタックから取る(Popする)と、それを使うことができ、二番目の皿がスタックのトップとなる。二つの重要な原則がこの比喩で示されている。第一は後入れ先出し (LIFO: Last In First Out) 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"前者は、たとえば4004の「3段のスタック」がそのようなものである。後者は多くのコンピュータが持っている。以下これについて述べる。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "典型的なスタックはコンピュータのメモリ上に固定の基点と可変のサイズを持つ領域である。初期状態ではスタックのサイズはゼロである。「スタックポインタ」(一般にハードウェアのレジスタが使われる)はスタック内で最も後で参照された位置を指している。スタック長がゼロのとき、スタックポインタはスタックの基点を指す。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "あらゆるスタックで実施可能な2つの操作は以下の通りである。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "スタック操作の基本原則には様々なバリエーションがある。スタックは初期状態ではメモリ上の固定の位置に配置される。データがスタックに追加されると、スタックポインタはデータ追加に伴うスタックの領域拡張に従って変更される。そのときのスタックの延びていく方向は特に規則は無く、実装によってアドレスの小さくなる方向だったり、大きくなる方向だったりする。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "昔のコンピュータで、ヒープ領域をアドレスの小さいほうから大きいほうへ伸ばし、スタックを大きいほうから小さいほうへ伸ばす(そのようにすると、メモリが足りない場合はどちらを伸ばす余裕もなく、完全にメモリを使い切って計算続行不可能となる)という設計にした名残りから、アドレスの大きいほうから小さいほうへ伸びるものが多いが、PA-RISCは逆である。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "例えば、あるスタックが1000番地から開始して、アドレスの小さい方向に延びていくとする。その場合、データは1000番地よりも小さい番地に格納され、スタックポインタはそれに伴って小さな番地を格納するようになる。そのスタックからデータをPopすると、スタックポインタに格納されているアドレスは大きくなる。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "(初期状態の)スタックポインタはスタックの基点そのものではなく、その少し上か下(スタック成長方向に依存)の限界アドレスを指している場合もある。しかし、スタックポインタは基点を超えていくことはできない。換言すれば、スタックの基点が1000番地でスタックがアドレスの小さい方向(999番地、998番地など)に成長する場合、スタックポインタは決して1000番地を超えてはならない(1001番地や1002番地は不可)。Pop操作によってスタックポインタが基点を超えると「スタック・アンダーフロー」が発生する。逆にPush操作がスタックの最大許容範囲を超えてスタックポインタを操作することになるなら「スタック・オーバーフロー」が発生する。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "スタックに強く依存している環境では、追加の操作を備えている場合がある。以下に例をあげる。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "スタックは上に成長するようにイメージされることもあるし、左から右に成長するようにイメージされることもあり、トップという言い方ではなく右端と言ったりもする。このようなイメージはメモリ上のスタックの実際の構造とはあまり関係ない。right rotateと言ったとき、一番目の要素を三番目の位置に置き、二番目を一番目、三番目を二番目の位置に置く。これを二種類のイメージで表すと次のようになる。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "スタックはコンピュータ内では通常、メモリセルのブロックで構成される。そのブロックの「底」は固定の位置にあり、スタックポインタが「トップ」のセルのアドレスを格納している。「底」とか「トップ」という用語はスタックがアドレスの大きくなる方向に成長するか、小さくなる方向に成長するかに関係なく使われる。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "スタックへのアイテムの push により、そのアイテムのサイズのぶんだけスタックポインタがずらされ(増減はメモリ空間内のスタックの成長方向に依存する)、次のセルを指すようにして、新たなトップとなるアイテムをスタック領域にコピーする。詳細な実装に依存するが、push 操作を完了したときのスタックポインタの値はスタック上の次の未使用領域を指しているかもしれないし、現在のトップのアイテムを指しているかもしれない。スタックポインタが現在のトップのアイテムを指している場合、次回の push のときには最初にスタックポインタをずらさなければならない。逆にスタックポインタが次の未使用領域を指しているなら、次回の push のときには最後にスタックポインタをずらすことになる。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "スタックの pop 操作は push の逆となる。Push とは逆の順番でスタックのトップのアイテムが取り出され、スタックポインタが更新される。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "以上のようなスタックは、特にコールスタックに使われる。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "多くのプロセッサはスタックポインタとして使用可能なレジスタを持っている。x86のようなプロセッサは専用のスタックポインタレジスタを持っている。他のPDP-11や68000ファミリなどは、アドレッシングモードによって任意のレジスタをソフトウェア的にスタックポインタとして使用できるようになっているが、普通は割込みやJSR命令が操作するR6レジスタやA7レジスタを使う。RISCの多くはそのように特別扱いされるようなレジスタを持たず、どのレジスタをスタックポインタとして使うかは通常ABIで決めており、ソフトウェアでスタック処理をおこなう。Intel 8087シリーズの数値演算コプロセッサはスタックアーキテクチャである。一部のマイクロコントローラ(例えばいくつかのPIC)は固定サイズのスタックを内蔵しており、その任意の位置に直接アクセスすることはできない。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "以上のようなスタックポインタによるスタックではなく、直接ハードウェアで実現したスタックを持つコンピュータもある。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "なお、以上のようなスタックがあるコンピュータをスタックマシンとするのは間違いである。詳細は後述のスタックマシンについての記述を参照すること。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "この節では、抽象データ型としてのスタックのソフトウェアによる実装について述べる。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "高水準言語では、スタックは配列や線形リストを使って効率的に実装可能である。LISPでは任意のリストに対して push や pop に相当する関数(consがpush、cdrがpopである)を使用可能なので、スタックを実装する必要は無い。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "逆ポーランド記法を使用している電卓(Hewlett-Packardの関数電卓など)は、値を保持するためにスタック構造を使う。式は、前置記法、中置記法、後置記法のいずれかで表現される。ある記法から別の記法への変換にはスタックが必要となる。多くのコンパイラは低レベルな言語に翻訳する前の構文解析のためにスタックを使用する。多くのプログラミング言語は文脈自由言語であり、スタックベースの機械で構文解析することができる。ちなみに自然言語は文脈依存言語であり、スタックだけではその意味を解釈することはできない。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "例えば、((1 + 2) * 4) + 3 という計算は、交換法則と括弧を優先するという前提で、次のように後置記法(逆ポーランド記法)に変換できる。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "この式はスタックを使って左から右に以下のように評価できる。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "具体的には以下のようになる。「スタック」は「操作」した後の状態を示している。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "最終的な演算結果は 15 で、終了時にスタックのトップに置かれている。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "探索問題を解くとき、総当り的か最適化されているかに関わらず、スタックを多大に必要とすることが多い。総当り探索の例としては、力まかせ探索やバックトラッキングがある。最適探索の例としては、分枝限定法 (branch and bound) やヒューリスティックによる解法がある。いずれのアルゴリズムでも、発見してはいるが探索していない探索ノードを覚えておくのにスタックが必要となる。スタックを使う以外の手法としては再帰を使う方法があるが、これはコンパイラが生成するコードが内部的に使用するスタックで代替しているだけである。スタックを使った探索は幅広く使われており、木構造の単純な幅優先探索や深さ優先探索から、クロスワードパズルを自動的に解くプログラムやコンピュータチェスゲームでも使われている。ある種の問題はキューなどの別のデータ構造を使って解くこともでき、探索順を変えたいときに有効である。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "ほとんどのコンパイルされたプログラムは実行時(ランタイム)環境においてコールスタックを使用し、プロシージャ/関数呼び出しに関する情報を格納するのに使っている。そして、呼び出し時のコンテキスト切り替えや呼び出し元への復帰の際に使用して、呼び出しの入れ子を可能としている。そのとき、呼び出される側と呼び出し側の間には引数や返り値をスタックにどう格納するかという規則が存在する。スタックは関数呼び出しの入れ子や再帰呼び出しを実現するための重要な要素となっている。この種のスタックはコンパイラが内部的に使用するもので、プログラマがこれを直接操作することはほとんど無い。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "コールスタック内に関数の呼び出し毎に作られるフレームをスタックフレームと言い、それをたどって(トレースして)得られる呼び出しの情報をスタックトレースと言う。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "プログラミング言語によっては、プロシージャ内のローカルなデータをスタックに格納する。ローカルなデータの(スタック上の)領域はプロシージャに入ってきたときに割り当てられ、出て行くときに解放される。C言語はこのような手法で実装されている典型例である。データとプロシージャ呼び出しに同じスタックを使うことは重大なセキュリティ問題を引き起こす可能性があり、プログラマはそのようなバグを作りこんで深刻なセキュリティ問題を発生させないように気をつける必要がある。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "たいていの場合、プロシージャ内のローカルなデータとプロシージャ呼び出しに関する情報は共通のスタックに格納されている。つまりプログラムは、プロシージャ呼び出しのリターンアドレスという極めて重要な情報を保持しているスタックに対して、データを出したり入れたりしているのである。データをスタック上の間違った領域に書き込んだり、大きすぎるデータをスタックに書き込んだりして、リターンアドレスが壊されると、プログラムが異常動作することになる(バッファオーバーラン攻撃)。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "悪意ある者がこの種の実装を逆手にとって、入力データのサイズをチェックしていないプログラムに大きすぎるデータを入力したりする。そのようなプログラムはデータをスタック上に格納しようとしてリターンアドレスを壊してしまう。攻撃者は実験を繰り返し、リターンアドレスがスタック領域内(特に攻撃者の入力データが書き込まれた領域内)を指すようになる入力データのパターンを見つけ出し、許可されていない操作をするような命令列を入力データに含ませることでセキュリティを破る。こうした攻撃に対してプログラマはスタックの扱いに注意する必要がある。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "いくつかのプログラミング言語はスタック指向である。スタック指向言語は、基本操作(二つの数の加算、一文字表示など)でスタックから引数を取ってくるようになっていて、結果をスタックに返すようになっている言語である。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "たいていは複数のスタックを使うよう設計されており、典型的なForthは、引数受け渡しのためのスタックとサブルーチンのリターンアドレスのためのスタックを持つ。PostScriptはリターンスタックとオペランドスタックを持ち、グラフィックス状態スタックと辞書スタックも持っている。日本語プログラミング言語のMindもForthベースである。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "機械語命令の体系がスタック指向プログラミング言語に類似している、すなわち、命令のオペランドがスタックであるマシンをスタックマシンと言う。最も有名なものとしてバロース B5000がある(B5000は、高水準言語(ALGOL)のサポートを目的として、前述のコールスタックもアーキテクチャでサポートしているが、コールスタックをアーキテクチャでサポートしている、という意味では「スタックマシン」の語は使わない)。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "またx86等でも、スタックポインタ間接参照によってスタックマシンのように使うことはできるが、普通あまりスタックマシンとはしない。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "多くの仮想機械もスタックマシンであり、例えばp-コードマシンやJava仮想マシンなどがある。x87の命令もスタックマシン的である。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "これに対し、オペランドがレジスタのマシンをレジスタマシンと言う。多くの実機がレジスタマシンであるため実機に対してこの語が使われることは少ない。仮想機械ではLua 5の仮想機械がレジスタマシンである。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "スタックを使った式評価方法を最初に提案したのはドイツの初期のコンピュータ科学者フリードリッヒ・L・バウアーであり、その業績により1988年、IEEE Computer Societyからコンピュータパイオニア賞を受賞した。", "title": "歴史" } ]
スタックは、コンピュータで用いられる基本的なデータ構造の1つで、データを後入れ先出しの構造で保持するものである。抽象データ型としてのそれを指すこともあれば、その具象を指すこともある。 特にその具象としては、割込みやサブルーチンを支援するために極めて有用であることから、1970年代以降に新しく設計された、ある規模以上のコンピュータは、スタックポインタによるコールスタックをメモリ上に持っていることが多い。
{{出典の明記|date=2015年10月1日 (木) 08:10 (UTC)}} {{Otheruses}} [[Image:Lifo stack.svg|thumb|350px|right|''push''(プッシュ) および''pop''(ポップ) のスタックの単純な表現]] [[Image:Stack-sv.svg|thumb|200px|right|スタックの単純な表現]] '''スタック'''({{Lang-en-short|stack}})は、[[コンピュータ]]で用いられる基本的な[[データ構造]]の1つで、[[データ]]を[[後入先出法|後入れ先出し]]('''LIFO''': Last In First Out; '''FILO''': First In Last Out)の構造で保持するものである。[[抽象データ型]]としてのそれを指すこともあれば、その具象を指すこともある。 特にその具象としては、[[割り込み (コンピュータ)|割込み]]や[[サブルーチン]]を支援するために極めて有用であることから、1970年代以降に新しく設計された、ある規模以上のコンピュータは、[[レジスタ (コンピュータ)#スタックポインタ|スタックポインタ]]による[[コールスタック]]を[[主記憶装置|メモリ]]上に持っていることが多い。 == 抽象データ型 == [[抽象データ型]]としてのスタックは、ノード(何らかのデータを持ち、別のノードを指し示すことができる構造)のコンテナ(データを集めて格納する抽象データ型の総称)であり、2つの基本操作'''プッシュ''' ('''push''') と'''ポップ''' ('''pop''') を持つ。Pushは指定されたノードをスタックの先頭(トップ)に追加し、既存のノードはその下にそのまま置いておく。Popはスタックの現在のトップのノードを外してそれを返す。 よく使われる比喩として、食堂にあるバネが仕込まれた台に皿や盆を積み重ねておく様子がある。そのようなスタックでは利用者は一番上(トップ)の皿だけにアクセスすることができ、それ以外の皿は隠されている。新たに皿が追加される(Pushされる)と、その新しい皿がスタックのトップとなり、下にある皿を隠してしまう。皿をスタックから取る(Popする)と、それを使うことができ、二番目の皿がスタックのトップとなる。二つの重要な原則がこの比喩で示されている。第一は後入れ先出し ('''LIFO''': Last In First Out) の原則である。第二はスタックの中身が隠されているという点である。トップの皿だけが見えているため、三番目の皿がどういうものかを見るには一番目と二番目の皿を取り除かなければならない。 === 他の操作 === 多くのスタック実装では「Push」と「Pop」以外の操作をサポートしている。スタックの大きさ(長さ)、「現在のスタックのトップのノードを返すが、それをスタックから取り除かない」Peek操作、トップではなくn番目の参照・操作、入れ替え等も実装されることもある。[[連結リスト]]では[[オーダー記法|O]](n)だが[[配列]]による実装ではO(1)、その逆、等色々な場合がある。 === 実装 === ''n'' 個の要素のスタックが必要とするメモリ容量は''[[ランダウの記号|O]]'' (''n'' )、つまりスタック長に比例する。個々の操作が一定時間''O'' (1) で完了する実装は[[配列]]や[[連結リスト]]を使っても簡単に実現できる。 実装の詳細については別に議論する。 === 関連するデータ構造 === [[FIFO]] (First In First Out、先入れ先出し) の原則を持つデータ構造または抽象データ型は[[キュー (コンピュータ)|キュー]]である。スタックとキューの操作を組み合わせて提供するものは[[両端キュー]] (deque) と呼ぶ。例えば、[[探索|探索アルゴリズム]]でスタックを使うかキューを使うかによって、[[深さ優先探索]](スタック使用)か[[幅優先探索]](キュー使用)になる。 == ハードウェア == ハードウェアによるスタックの実装法には、主に次の2つがある。 * [[シフトレジスタ]]等により、ハードウェア的に直接、プッシュ・ポップできるようにしたもの * [[主記憶装置|メモリ]]上の領域と、[[レジスタ (コンピュータ)#スタックポインタ|スタックポインタ]]によるもの 前者は、たとえば[[Intel 4004|4004]]の「3段のスタック」がそのようなものである。後者は多くのコンピュータが持っている。以下これについて述べる。 === 典型的なスタック === 典型的なスタックはコンピュータのメモリ上に固定の基点と可変のサイズを持つ領域である。初期状態ではスタックのサイズはゼロである。「スタックポインタ」(一般にハードウェアのレジスタが使われる)はスタック内で最も後で参照された位置を指している。スタック長がゼロのとき、スタックポインタはスタックの基点を指す。 あらゆるスタックで実施可能な2つの操作は以下の通りである。 ;Push操作:格納したいデータのサイズのぶんだけスタックポインタをずらし、ずらした後のスタックポインタが指している場所にデータを格納する。 ;Pop操作:スタックポインタが指している現在位置にあるデータを取り出し、スタックポインタをそのデータのサイズのぶんだけ(Pushとは逆方向に)ずらす。 スタック操作の基本原則には様々なバリエーションがある。スタックは初期状態ではメモリ上の固定の位置に配置される。データがスタックに追加されると、スタックポインタはデータ追加に伴うスタックの領域拡張に従って変更される。そのときのスタックの延びていく方向は特に規則は無く、実装によってアドレスの小さくなる方向だったり、大きくなる方向だったりする。 昔のコンピュータで、[[ヒープ領域]]をアドレスの小さいほうから大きいほうへ伸ばし、スタックを大きいほうから小さいほうへ伸ばす(そのようにすると、メモリが足りない場合はどちらを伸ばす余裕もなく、完全にメモリを使い切って計算続行不可能となる)という設計にした名残りから、アドレスの大きいほうから小さいほうへ伸びるものが多いが、[[PA-RISC]]は逆である。 例えば、あるスタックが1000番地から開始して、アドレスの小さい方向に延びていくとする。その場合、データは1000番地よりも小さい番地に格納され、スタックポインタはそれに伴って小さな番地を格納するようになる。そのスタックからデータをPopすると、スタックポインタに格納されているアドレスは大きくなる。 (初期状態の)スタックポインタはスタックの基点そのものではなく、その少し上か下(スタック成長方向に依存)の限界アドレスを指している場合もある。しかし、スタックポインタは基点を超えていくことはできない。換言すれば、スタックの基点が1000番地でスタックがアドレスの小さい方向(999番地、998番地など)に成長する場合、スタックポインタは決して1000番地を超えてはならない(1001番地や1002番地は不可)。Pop操作によってスタックポインタが基点を超えると「スタック・アンダーフロー」が発生する。逆にPush操作がスタックの最大許容範囲を超えてスタックポインタを操作することになるなら「スタック・オーバーフロー」が発生する。 スタックに強く依存している環境では、追加の操作を備えている場合がある。以下に例をあげる。 ;Dup(licate):トップのアイテムを pop して2回 push する。これによって元のスタックトップのアイテムが2個スタックトップに存在することになる。 ;Peek:トップのアイテムを pop するが、スタックポインタを変更せず、スタックのサイズも変化しない(つまり、アイテムはスタック上に残存する)。''Top'' 操作と呼ぶことも多い。 ;Swap または Exchange:スタックトップの2つのアイテム(つまり一番目と二番目)を入れ替える。 ;Rotate:トップの ''n'' 個のアイテムを回転するように入れ替える。例えば、''n'' = 3 で、スタックに 1、2、3 が順に置かれているとき、この順番を 2、3、1 のように変化させる。この操作はバリエーションが多く、一般には ''left rotate''(左回転)と''right rotate''(右回転)と呼ばれる操作を備えることが多い。 スタックは上に成長するようにイメージされることもあるし、左から右に成長するようにイメージされることもあり、トップという言い方ではなく右端と言ったりもする。このようなイメージはメモリ上のスタックの実際の構造とはあまり関係ない。''right rotate''と言ったとき、一番目の要素を三番目の位置に置き、二番目を一番目、三番目を二番目の位置に置く。これを二種類のイメージで表すと次のようになる。 apple banana banana ===right rotate==> cucumber cucumber apple cucumber apple banana ===left rotate==> cucumber apple banana スタックはコンピュータ内では通常、メモリセルのブロックで構成される。そのブロックの「底」は固定の位置にあり、スタックポインタが「トップ」のセルのアドレスを格納している。「底」とか「トップ」という用語はスタックがアドレスの大きくなる方向に成長するか、小さくなる方向に成長するかに関係なく使われる。 スタックへのアイテムの push により、そのアイテムのサイズのぶんだけスタックポインタがずらされ(増減はメモリ空間内のスタックの成長方向に依存する)、次のセルを指すようにして、新たなトップとなるアイテムをスタック領域にコピーする。詳細な実装に依存するが、push 操作を完了したときのスタックポインタの値はスタック上の次の未使用領域を指しているかもしれないし、現在のトップのアイテムを指しているかもしれない。スタックポインタが現在のトップのアイテムを指している場合、次回の push のときには最初にスタックポインタをずらさなければならない。逆にスタックポインタが次の未使用領域を指しているなら、次回の push のときには最後にスタックポインタをずらすことになる。 スタックの pop 操作は push の逆となる。Push とは逆の順番でスタックのトップのアイテムが取り出され、スタックポインタが更新される。 ==== コールスタック ==== {{Main|コールスタック}} 以上のようなスタックは、特に[[コールスタック]]に使われる。 ==== 具体例 ==== 多くの[[プロセッサ]]はスタックポインタとして使用可能なレジスタを持っている。[[x86]]のようなプロセッサは専用のスタックポインタレジスタを持っている。他の[[PDP-11]]や[[MC68000|68000ファミリ]]などは、[[アドレッシングモード]]によって任意のレジスタをソフトウェア的にスタックポインタとして使用できるようになっているが、普通は割込みやJSR命令が操作するR6レジスタやA7レジスタを使う。RISCの多くはそのように特別扱いされるようなレジスタを持たず、どのレジスタをスタックポインタとして使うかは通常[[アプリケーションバイナリインタフェース|ABI]]で決めており、ソフトウェアでスタック処理をおこなう。[[Intel 8087]]シリーズの数値演算コプロセッサはスタックアーキテクチャである。一部の[[マイクロコントローラ]](例えばいくつかの[[PIC (コントローラ)|PIC]])は固定サイズのスタックを内蔵しており、その任意の位置に直接アクセスすることはできない。 以上のようなスタックポインタによるスタックではなく、直接ハードウェアで実現したスタックを持つコンピュータもある。 * Computer Cowboys MuP21 * Harris RTX line * Novix NC4016 なお、以上のようなスタックがあるコンピュータを[[スタックマシン]]とするのは間違いである。詳細は後述のスタックマシンについての記述を参照すること。 == ソフトウェア == この節では、[[抽象データ型]]としてのスタックのソフトウェアによる実装について述べる。 [[高水準言語]]では、スタックは[[配列]]や[[線形リスト]]を使って効率的に実装可能である。[[LISP]]では任意のリストに対して '''push''' や '''pop''' に相当する関数(consがpush、cdrがpopである)を使用可能なので、スタックを実装する必要は無い。 == 応用例 == === 式評価と構文解析 === [[逆ポーランド記法]]を使用している電卓([[ヒューレット・パッカード|Hewlett-Packard]]の[[関数電卓]]など)は、値を保持するためにスタック構造を使う。式は、[[前置記法]]、[[中置記法]]、[[後置記法]]のいずれかで表現される。ある記法から別の記法への変換にはスタックが必要となる。多くのコンパイラは低レベルな言語に翻訳する前の構文解析のためにスタックを使用する。多くのプログラミング言語は[[文脈自由言語]]であり、スタックベースの機械で構文解析することができる。ちなみに自然言語は[[文脈依存言語]]であり、スタックだけではその意味を解釈することはできない。 例えば、((1 + 2) * 4) + 3 という計算は、[[交換法則]]と括弧を優先するという前提で、次のように後置記法(逆ポーランド記法)に変換できる。 1 2 + 4 * 3 + この式はスタックを使って左から右に以下のように評価できる。 * オペランド(演算数)に遭遇したら push する。 * 演算子に遭遇したら、スタックから2つのオペランドを pop して演算を行い、 * その解を push する。 具体的には以下のようになる。「スタック」は「操作」した後の状態を示している。 {| !入力 !操作 !スタック |- |1 |オペランドをPush |1 |- |2 |オペランドをPush |1, 2 |- |<nowiki>+</nowiki> |加算 |3 |- |4 |オペランドをPush |3, 4 |- |* |乗算 | 12 |- |3 |オペランドをPush |12, 3 |- |<nowiki>+</nowiki> |加算 |15 |} 最終的な演算結果は 15 で、終了時にスタックのトップに置かれている。 === 探索問題の解法 === 探索問題を解くとき、総当り的か最適化されているかに関わらず、スタックを多大に必要とすることが多い。総当り探索の例としては、[[力まかせ探索]]や[[バックトラッキング]]がある。最適探索の例としては、[[分枝限定法]] (branch and bound) や[[ヒューリスティック]]による解法がある。いずれの[[アルゴリズム]]でも、発見してはいるが探索していない探索ノードを覚えておくのにスタックが必要となる。スタックを使う以外の手法としては再帰を使う方法があるが、これはコンパイラが生成するコードが内部的に使用するスタックで代替しているだけである。スタックを使った探索は幅広く使われており、[[木構造 (データ構造)|木構造]]の単純な幅優先探索や深さ優先探索から、[[クロスワードパズル]]を自動的に解くプログラムや[[コンピュータチェス]]ゲームでも使われている。ある種の問題は[[キュー (コンピュータ)|キュー]]などの別のデータ構造を使って解くこともでき、探索順を変えたいときに有効である。 === プログラミング言語処理系の実装 === {{Main|コールスタック}} ほとんどのコンパイルされたプログラムは実行時(ランタイム)環境において[[コールスタック]]を使用し、プロシージャ/関数呼び出しに関する情報を格納するのに使っている。そして、呼び出し時のコンテキスト切り替えや呼び出し元への復帰の際に使用して、呼び出しの[[ネスティング|入れ子]]を可能としている。そのとき、呼び出される側と呼び出し側の間には引数や返り値をスタックにどう格納するかという規則が存在する。スタックは関数呼び出しの入れ子や[[再帰呼び出し]]を実現するための重要な要素となっている。この種のスタックはコンパイラが内部的に使用するもので、プログラマがこれを直接操作することはほとんど無い。 コールスタック内に関数の呼び出し毎に作られるフレームをスタックフレームと言い、それをたどって(トレースして)得られる呼び出しの情報を'''[[スタックトレース]]'''と言う。 プログラミング言語によっては、プロシージャ内のローカルなデータをスタックに格納する。ローカルなデータの(スタック上の)領域はプロシージャに入ってきたときに割り当てられ、出て行くときに解放される。[[C言語]]はこのような手法で実装されている典型例である。データとプロシージャ呼び出しに同じスタックを使うことは重大なセキュリティ問題を引き起こす可能性があり、プログラマはそのようなバグを作りこんで深刻なセキュリティ問題を発生させないように気をつける必要がある。 ==== セキュリティ ==== {{Main|バッファオーバーラン}} たいていの場合、プロシージャ内のローカルなデータとプロシージャ呼び出しに関する情報は共通のスタックに格納されている。つまりプログラムは、プロシージャ呼び出しのリターンアドレスという極めて重要な情報を保持しているスタックに対して、データを出したり入れたりしているのである。データをスタック上の間違った領域に書き込んだり、大きすぎるデータをスタックに書き込んだりして、リターンアドレスが壊されると、プログラムが異常動作することになる([[バッファオーバーラン]]攻撃)。 悪意ある者がこの種の実装を逆手にとって、入力データのサイズをチェックしていないプログラムに大きすぎるデータを入力したりする。そのようなプログラムはデータをスタック上に格納しようとしてリターンアドレスを壊してしまう。攻撃者は実験を繰り返し、リターンアドレスがスタック領域内(特に攻撃者の入力データが書き込まれた領域内)を指すようになる入力データのパターンを見つけ出し、許可されていない操作をするような命令列を入力データに含ませることでセキュリティを破る。こうした攻撃に対してプログラマはスタックの扱いに注意する必要がある。 === スタック指向プログラミング言語 === いくつかの[[プログラミング言語]]はスタック指向である。スタック指向言語は、基本操作(二つの数の加算、一文字表示など)でスタックから引数を取ってくるようになっていて、結果をスタックに返すようになっている言語である。 たいていは複数のスタックを使うよう設計されており、典型的な[[Forth]]は、引数受け渡しのためのスタックとサブルーチンのリターンアドレスのためのスタックを持つ。[[PostScript]]はリターンスタックとオペランドスタックを持ち、グラフィックス状態スタックと辞書スタックも持っている。[[日本語プログラミング言語]]の[[Mind (プログラミング言語)|Mind]]もForthベースである。 === スタックマシン === {{Main|スタックマシン}} [[機械語]][[命令 (コンピュータ)|命令]]の体系がスタック指向プログラミング言語に類似している、すなわち、命令の'''オペランド'''がスタックであるマシンを[[スタックマシン]]と言う。最も有名なものとして[[バロース B5000]]がある(B5000は、高水準言語([[ALGOL]])のサポートを目的として、前述のコールスタックもアーキテクチャでサポートしているが、コールスタックをアーキテクチャでサポートしている、という意味では「スタックマシン」の語は使わない)。 また[[x86]]等でも、スタックポインタ間接参照によってスタックマシンのように使うことはできるが、普通あまりスタックマシンとはしない。 多くの[[仮想機械#プロセス仮想機械|仮想機械]]もスタックマシンであり、例えば[[p-コードマシン]]や[[Java仮想マシン]]などがある。[[x87]]の命令もスタックマシン的である。 これに対し、オペランドがレジスタのマシンを[[レジスタマシン]]と言う。多くの実機がレジスタマシンであるため実機に対してこの語が使われることは少ない。仮想機械では[[Lua]] 5の仮想機械がレジスタマシンである。 == 歴史 == スタックを使った式評価方法を最初に提案したのはドイツの初期のコンピュータ科学者[[フリードリッヒ・L・バウアー]]であり、その業績により[[1988年]]、[[IEEE Computer Society]]から[[コンピュータパイオニア賞]]を受賞した。 ==関連項目== *[[キュー (コンピュータ)]] *[[LIFO]] {{データ構造}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:すたつく}} [[Category:データ構造]] [[Category:抽象データ型]]
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弘前市
弘前市(ひろさきし)は、青森県西部にある市である。日本で最初に市制を施行した都市の一つ。弘前藩の城下町として発展し、現在も津軽地方の中心都市として、周辺自治体に広がる人口約30万人(2010年)の弘前都市圏を形成している。青森県唯一の国立大学である弘前大学が設置されている。 人口では青森市、八戸市に次ぐ県内3番目の都市。江戸時代は城下町として栄えた。明治になると陸軍第八師団が駐屯する軍都および旧制弘前高校が所在する学都としての性格を帯びるようになった。第二次世界大戦後、第八師団は解散。陸上自衛隊弘前駐屯地は所在するものの軍都としての機能は大きく減じた。一方、新制大学として弘前大学が開設され、私立大学も複数所在し(弘前学院大学など)、現在も学園都市としての性格を保ち続けている。また、計量特定市に指定されている。 金木町出身の太宰治は、弘前市に3年間を過ごしたが、弘前は義太夫が盛んな街ではあるが、「芸者たちから、兄さんうまいわね、と言はれたいばかりの端唄の稽古、または、自分の粋人振りを政策やら商策やらの武器として用ゐてゐる抜け目のない人さへあるらしく、つまらない芸事に何といふ事もなく馬鹿な大汗をかいて勉強致してゐるこの様な可憐な旦那は、弘前市の方に多く見かけられるやうに思はれる。(中略)弘前の人には、そのやうな、ほんものの馬鹿意地があつて、負けても負けても強者にお辞儀をする事を知らず、自矜の孤高を固守して世のもの笑ひになるといふ傾向があるやうだ」と弘前の人の性質を書き記している。 弘前市は、りんごの生産量が全国一で約25%を占め、りんごにこだわる街づくりを目指している。「りんご色のまちHIROSAKI」をキャッチフレーズとしているほか、アップルパイの名物化をめざしてコンテストの開催や名店マップ作成などに取り組んでいる。また、弘前公園で開催される弘前さくらまつりや弘前城も全国的に知られており、「お城とさくらとりんごのまち」のフレーズは古くから使われている(市の木として「りんご」、市の花として「さくら」を選定している)。 8月には、国の重要無形民俗文化財に指定されている「弘前ねぷたまつり」が開催される。例年100万人以上の人出があり、弘前市を代表する夏祭りとなっている。 青森県の中では夏の最高気温が高く、時には猛暑日を記録する事もあるが、朝晩は青森市などの沿岸部より涼しく熱帯夜は1999年7月31日から2023年8月9日までの約24年間、一度も記録しなかった。 最高気温極値:39.3°C(2023年8月10日) 最低気温極値:-16.2°C (1978年2月17日) 最深積雪記録:153 cm(2013年2月25日) 日降水量:243mm(1977年8月5日) 猛暑日最多日数:4日(1989年) 真夏日最多日数:41日(1994年) 冬日最多日数:138日(1984年) 津軽氏が治める弘前藩の城下町として栄えた。 2018年(平成30年)4月8日 最終投票率:53.40% 2014年(平成26年)4月13日 最終投票率:38.35% 2010年(平成22年)4月11日 最終投票率:58.06% 2012年9月21日、市議会9月定例会の最終日において、定数を34から28とする条例案が可決され、2015年の市議選から適用された。 2019年5月1日現在。 ※ マルエス主婦の店は閉店後、弘前市内の一部店舗がユニバース(Uマート)に引き継がれた。 銀行 政策金融機関 協同組織金融機関 証券会社 市内では日本郵便が郵便事業を行っている。以下は日本郵便の市内における拠点一覧。 弘前市の中心市街地は、藩政時代に築かれた城下町の町割りを原型に発展した。 1894年(明治27年)、奥羽本線の停車駅として弘前駅が開業すると、城下町から弘前駅に向かって市街地が拡大し、1898年(明治31年)の陸軍第八師団の軍施設が設置・整備されたことで、市街地は南へ拡大した。 2015年(平成27年)の時点で、弘前市内は土手町を中心とした半径2.5kmの範囲 にまとまりのある市街地が形成されている。 中でも藩政時代から商業が栄え、明治時代に商店街化した土手町周辺と、官設鉄道の弘前駅が開業したことで開発が始まり、戦後は再開発を繰り返しながら商業地化した弘前駅前地区(表町、駅前町、駅前、大町など)という2つのエリアを中心に、百貨店や駅ビルなどの商業施設や飲食店が集中している。 また、弘前公園周辺(特に上白銀町と下白銀町)は、弘前市役所や青森地方検察庁弘前支部、青森地方裁判所弘前支部などの施設が存在する官公庁街を形成しており、駅前と土手町、官公庁街という3つのエリアを結ぶように100円バス(土手町循環100円バス)が運行されている。 土手町とその周辺は、藩政時代から参勤交代時の羽州街道に通じる道として町家が形成され、明治時代になると商店街化された。 藩政時代には、本町が弘前城下の中心街的地位にあったが、1907年(明治40年)頃には陸軍第8師団の設置による人口増加、購買力の変化等の影響で、中心商店街的地位が土手町に移っている。 大正時代には、東北地方初のデパート「かくは宮川」が土手町に開店するなど、近代的な都市文化が花開いた。 1950年代には弘前電気鉄道大鰐線が開業。この路線の始発・終着駅である中央弘前駅が、土手町からほど近い吉野町に開業すると、中央駅周辺の鍛冶町は歓楽街として発展した。 さらに、1960年代以降は「カネ長武田百貨店」、五所川原市から進出した「中三百貨店」などの百貨店が土手町に店を構えるようになり、土手町とその周辺は弘前市内でも有数の商業集積地域となった結果、現在に至るまで弘前市内の中心市街地に位置付けられている。 JR弘前駅を中心とする弘前駅前は、明治時代に官設鉄道の駅である弘前駅が開業したことで開発が始まった。その後、陸軍第8師団司令部設置による軍施設が整備されたことにより、市街地が南部に拡大した。 戦後は、駅前に小売店舗中心の商店街が形成されたが、1979年(昭和54年)、闇市時代以来の街並みが残る駅前地区に対して市民からの批判が高まった ことで、駅前地区の土地区画整理事業が始まった。事業がきっかけで小売店は姿を消し、代わりに大規模なホテルや、イトーヨーカドー弘前店などの商業施設が建ち並ぶようになった。 1980年代から1990年代にかけて、駅前地区には駅ビルやショッパーズ弘前(現:ヒロロ)などの商業施設が開業し、現在の駅前地区は弘前市内の交通・物販・飲食などの複合的中心地として機能している。 2006年(平成18年)2月27日、弘前市と合併した旧岩木町は、青森県道3号弘前岳鰺ケ沢線に沿うように市街地が形成され、賀田地区周辺と、岩木川沿いの東部市街地という2つの市街地を有している。 平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、3.30%減の177,411人であり、増減率は県下40市町村中5位。 ※以下は廃校。 弘前バスターミナルが中心となる。国土交通省東北運輸局の「東北運輸局管内の高速バス輸送実績」より2005年(平成17年)度の利用客数を付記 市内の路線バスは全て弘南バスが運行。 ほか ※ 「重要文化財」は文化財保護法の規定に基づき国(日本国文部大臣)が指定した重要文化財を指す。 (年代順)
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"paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1980年代から1990年代にかけて、駅前地区には駅ビルやショッパーズ弘前(現:ヒロロ)などの商業施設が開業し、現在の駅前地区は弘前市内の交通・物販・飲食などの複合的中心地として機能している。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2006年(平成18年)2月27日、弘前市と合併した旧岩木町は、青森県道3号弘前岳鰺ケ沢線に沿うように市街地が形成され、賀田地区周辺と、岩木川沿いの東部市街地という2つの市街地を有している。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、3.30%減の177,411人であり、増減率は県下40市町村中5位。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "※以下は廃校。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "弘前バスターミナルが中心となる。国土交通省東北運輸局の「東北運輸局管内の高速バス輸送実績」より2005年(平成17年)度の利用客数を付記", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "市内の路線バスは全て弘南バスが運行。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ほか", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "※ 「重要文化財」は文化財保護法の規定に基づき国(日本国文部大臣)が指定した重要文化財を指す。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "(年代順)", "title": "観光" } ]
弘前市(ひろさきし)は、青森県西部にある市である。日本で最初に市制を施行した都市の一つ。弘前藩の城下町として発展し、現在も津軽地方の中心都市として、周辺自治体に広がる人口約30万人(2010年)の弘前都市圏を形成している。青森県唯一の国立大学である弘前大学が設置されている。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{出典の明記|date=2023年2月}} {{日本の市 | 画像 = Hirosaki Montage.jpg | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto; border-collapse: collapse"> <tr><td colspan="2">[[弘前城]]と桜</tr> <tr><td>[[岩木山]]と[[リンゴ]]園<td style="vertical-align:middle;">[[弘前ねぷた]]</tr> <tr><td>[[最勝院]]<td>[[旧第五十九銀行本店本館]]</tr> </table> | 市旗 = [[ファイル:Flag of Hirosaki, Aomori.svg|border|100px]] | 市旗の説明 = 弘前[[市町村旗|市旗]]<div style="font-size:smaller">[[2006年]][[11月15日]]制定 | 市章 = [[ファイル:Emblem of Hirosaki, Aomori.svg|center|80px]] | 市章の説明 = 弘前[[市町村章|市章]]<div style="font-size:smaller">[[2006年]][[11月15日]]制定 | 自治体名 = 弘前市 | 都道府県 = 青森県 | コード = 02202-1 | 隣接自治体 = [[つがる市]]、[[平川市]]、[[南津軽郡]][[大鰐町]]、[[藤崎町]]、[[田舎館村]]、[[北津軽郡]][[板柳町]]、[[鶴田町]]、[[西津軽郡]][[鰺ヶ沢町]]、[[中津軽郡]][[西目屋村]]<br />[[秋田県]][[大館市]] | 木 = [[リンゴ|りんご]](2006年11月15日制定) | 花 = [[サクラ|さくら]](2006年11月15日制定) | シンボル名 = | 鳥など = | 郵便番号 = 036-8551 | 所在地 = 弘前市大字上白銀町1-1<br />{{Coord|format=dms|type:adm3rd_region:JP-02|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Hirosaki City Hall 20160423.jpg|250px|center]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = {{基礎自治体位置図|02|202|image=Hirosaki in Aomori Prefecture Ja.svg|村の色分け=yes}}{{Maplink2|zoom=9|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=250|frame-height=220|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|frame-latitude=40.6|frame-longitude=140.46}} | 特記事項 = }} '''弘前市'''(ひろさきし)は、[[青森県]]西部にある[[市]]である。[[日本]]で最初に[[市制]]を施行した[[都市]]の一つ。[[弘前藩]]の[[城下町]]として発展し、現在も[[津軽地方]]の中心都市として、周辺[[地方公共団体|自治体]]に広がる人口約30万人(2010年)の[[弘前都市圏]]を形成している。青森県唯一の[[国立大学]]である[[弘前大学]]が設置されている。 == 概要 == 人口では[[青森市]]、[[八戸市]]に次ぐ県内3番目の都市。[[江戸時代]]は城下町として栄えた。明治になると[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[第8師団 (日本軍)|第八師団]]が駐屯する[[軍都]]および[[弘前高等学校 (旧制)|旧制弘前高校]]が所在する[[学都]]としての性格を帯びるようになった。[[第二次世界大戦]]後、第八師団は解散。[[陸上自衛隊]][[弘前駐屯地]]は所在するものの軍都としての機能は大きく減じた。一方、[[新制大学]]として[[弘前大学]]が開設され、[[私立大学]]も複数所在し([[弘前学院大学]]など)、現在も[[学園都市]]としての性格を保ち続けている。また、[[計量特定市]]に指定されている。 {{疑問点範囲|<!--[[弘前城]]はかつての[[津軽藩]]の歴史の中心で、津軽藩祖[[津軽為信|大浦為信(津軽為信)]]が、[[関ヶ原の戦い]]に於いて徳川方に加勢し、[[1603年]]([[慶長]]8年)、[[徳川家康]][[将軍宣下]]と共に、徳川幕下の4万7千石の一侯伯となり、ただちに弘前高岡に城池の区劃をはじめて、2代藩主[[津軽信牧]]の時に到り、やうやく完成を見たのが、この城であった。以降、代々の藩主この弘前城に拠り、4代信政の時、一族の信英を黒石に分家させて、弘前、黒石の二藩にわかれて津軽を支配し、元禄7名君の中の巨擘とまでうたはれた信政の善政は大いに津軽の面目をあらたにしたが、7代信寧の宝暦ならびに[[天明の大飢饉]]は津軽一円を凄惨な地獄と化せしめ、藩の財政もまた窮乏の極度に達し、前途暗澹たるうちにも、8代信明、9代寧親は懸命に藩勢の回復をはかり、11代順承の時代に到つてようやく危機を脱し、続いて12代承昭の時代に、藩籍を奉還し、ここに現在の青森県が誕生したという経緯が、弘前城の歴史であると共にまた、津軽の歴史の大略である。-->[[金木町]]出身の[[太宰治]]は、弘前市に3年間を過ごしたが、弘前は[[義太夫]]が盛んな街ではあるが、「[[芸者]]たちから、兄さんうまいわね、と言はれたいばかりの[[端唄]]の[[稽古]]、または、自分の[[粋人]]振りを[[政策]]やら商策やらの武器として用ゐてゐる抜け目のない人さへあるらしく、つまらない芸事に何といふ事もなく馬鹿な大汗をかいて勉強致してゐるこの様な可憐な旦那は、弘前市の方に多く見かけられるやうに思はれる。(中略)弘前の人には、そのやうな、ほんものの馬鹿意地があつて、負けても負けても強者にお辞儀をする事を知らず、自矜の孤高を固守して世のもの笑ひになるといふ傾向があるやうだ」と弘前の人の性質を書き記している<ref name="tsugaru">太宰治『津軽』[[新潮文庫]]版 昭和52年2月15日43刷</ref>|date=2022年12月}}。 弘前市は、[[リンゴ|りんご]]の生産量が全国一で約25%を占め<ref name="日経20210612">【ご当地 食の旅】アップルパイ(青森県弘前)*地元の甘党女性が太鼓判『[[日本経済新聞]]』朝刊土曜別刷り「日経+1」9面</ref>、りんごにこだわる街づくりを目指している。「'''りんご色のまちHIROSAKI'''」を[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]としているほか、[[アップルパイ]]の名物化をめざしてコンテストの開催や名店マップ作成などに取り組んでいる<ref name="日経20210612"/>。また、[[弘前公園]]で開催される[[弘前さくらまつり]]や[[弘前城]]も全国的に知られており、「'''お城とさくらとりんごのまち'''」のフレーズは古くから使われている(市の木として「りんご」、市の花として「さくら」を選定している)。 8月には、国の[[重要無形民俗文化財]]に指定されている「[[弘前ねぷたまつり]]」が開催される<ref group="注">ただし、2020年と2021年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止された。</ref>。例年100万人以上の人出があり、弘前市を代表する夏祭りとなっている。 == 地理 == [[ファイル:Hirosaki city center area Aerial photograph.2016.jpg|thumb|340px|弘前市中心市街地周辺の空中写真。2016年撮影の6枚を合成作成。<br />{{国土航空写真}}。]] * 山:[[岩木山]]、[[久渡寺山]]、[[棺森]]、[[尾開山]]、[[堂ケ平山]]、[[森山 (青森県)|森山]]、[[高館山 (青森県)|高館山]]、[[高長根山]]、[[荒神山 (青森県)|荒神山]] * 川:[[岩木川]]、[[平川 (青森県)|平川]]、[[土淵川]] ===気候=== {{Weather box |location = 弘前(1991年-2020年) |metric first = yes |single line = yes |Jan high C = 1.7 |Feb high C = 2.5 |Mar high C = 6.7 |Apr high C = 14.3 |May high C = 20.3 |Jun high C = 23.9 |Jul high C = 27.4 |Aug high C = 28.8 |Sep high C = 24.9 |Oct high C = 18.4 |Nov high C = 11.3 |Dec high C = 4.4 |year high C = 15.4 |Jan mean C = -1.5 |Feb mean C = -1.0 |Mar mean C = 2.3 |Apr mean C = 8.6 |May mean C = 14.3 |Jun mean C = 18.3 |Jul mean C = 22.3 |Aug mean C = 23.5 |Sep mean C = 19.4 |Oct mean C = 12.9 |Nov mean C = 6.5 |Dec mean C = 0.8 |year mean C = 10.6 |Jan low C = -4.6 |Feb low C = -4.6 |Mar low C = -1.8 |Apr low C = 3.2 |May low C = 8.9 |Jun low C = 13.7 |Jul low C = 18.2 |Aug low C = 19.3 |Sep low C = 14.9 |Oct low C = 8.2 |Nov low C = 2.2 |Dec low C = -2.4 |year low C = 6.3 |Jan snow cm = 221 |Feb snow cm = 185 |Mar snow cm = 116 |Apr snow cm = 6 |May snow cm = 0 |Jun snow cm = 0 |Jul snow cm = 0 |Aug snow cm = 0 |Sep snow cm = 0 |Oct snow cm = 0 |Nov snow cm = 17 |Dec snow cm = 147 |year snow cm = 679 |Jan sun = 44.3 |Feb sun = 65.7 |Mar sun = 119.5 |Apr sun = 182.9 |May sun = 204.4 |Jun sun = 182.3 |Jul sun = 159.3 |Aug sun = 184.5 |Sep sun = 158.3 |Oct sun = 140.8 |Nov sun = 90.0 |Dec sun = 52.9 |year sun = 1585.1 |source 1 = [[気象庁]]<ref>{{Cite web|和書 | url = https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_amd_ym.php?prec_no=31&block_no=0166&year=&month=&day=&view= | title = 弘前 1991-2020年 | accessdate = 2023-08-10 | publisher = 気象庁 }}</ref> |date=March 2023 |Dec precipitation mm=130.1|Nov precipitation mm=113.7|Oct precipitation mm=107.7|Sep precipitation mm=136.3|Aug precipitation mm=140.7|Jul precipitation mm=115.3|Jun precipitation mm=71.9|May precipitation mm=66.3|Apr precipitation mm=65.8|Mar precipitation mm=82.3|Feb precipitation mm=99.9|Jan precipitation mm=125.5|Dec precipitation days=20.1|Nov precipitation days=16.2|Oct precipitation days=12.9|Sep precipitation days=10.7|Aug precipitation days=10.4|Jul precipitation days=9.5|Jun precipitation days=8.3|May precipitation days=9.3|Apr precipitation days=11.2|Mar precipitation days=15.2|Feb precipitation days=18.0|Jan precipitation days=20.3|year precipitation mm=1255.3|year precipitation days=161.8|unit precipitation days=1.0mm|Dec record high C=18.0|Nov record high C=24.2|Oct record high C=28.6|Sep record high C=36.7|Aug record high C=39.3|Jul record high C=36.4|Jun record high C=33.7|May record high C=33.3|Apr record high C=28.0|Mar record high C=23.8|Feb record high C=17.2|Jan record high C=12.5|Dec record low C=-11.6|Nov record low C=-6.8|Oct record low C=-0.4|Sep record low C=6.0|Aug record low C=11.0|Jul record low C=6.8|Jun record low C=4.2|May record low C=-1.1|Apr record low C=-5.9|Mar record low C=-10.4|Feb record low C=-16.2|Jan record low C=-13.5|year record high C=39.3|year record low C=-16.2}} 青森県の中では夏の最高気温が高く、時には[[猛暑日]]を記録する事もあるが、朝晩は青森市などの沿岸部より涼しく[[熱帯夜]]は1999年7月31日から2023年8月9日までの約24年間、一度も記録しなかった。 最高気温極値:39.3[[セルシウス度|℃]](2023年8月10日) 最低気温極値:-16.2℃ (1978年2月17日) 最深積雪記録:153&nbsp;cm(2013年2月25日) 日降水量:243mm(1977年8月5日) 猛暑日最多日数:4日(1989年) 真夏日最多日数:41日(1994年) [[冬日]]最多日数:138日(1984年) === 隣接している自治体 === * 青森県 ** [[つがる市]] ** [[平川市]] ** [[中津軽郡]]:[[西目屋村]] ** [[南津軽郡]]:[[大鰐町]]・[[藤崎町]]・[[田舎館村]] ** [[北津軽郡]]:[[板柳町]]・[[鶴田町]] ** [[西津軽郡]]:[[鰺ヶ沢町]] * [[秋田県]] ** [[大館市]] == 歴史 == === 江戸時代まで === [[津軽氏]]が治める[[弘前藩]]の[[城下町]]として栄えた。 * [[1603年]]([[慶長]]{{0}}8年) - 堀越城主[[津軽為信]]が鷹岡(高岡、現・弘前)に築城を計画。 * [[1609年]](慶長14年) - 為信の死去により、2代藩主[[津軽信枚]]が築城計画を継ぐ。為信の[[菩提寺]][[革秀寺]]を建立する。 * [[1610年]](慶長15年) - 鷹岡城の築城工事が開始される。 * [[1611年]](慶長16年) - 鷹岡城完成。寺社・家臣団・商人が移住する。 * [[1627年]]([[寛永]]{{0}}4年) - [[落雷]]により、鷹岡城の[[天守]]が炎上し内部の[[火薬]]に引火して大[[爆発]]、5層6階の天守、[[本丸御殿]]、諸[[櫓 (城郭)|櫓]]を焼失する。 * [[1628年]](寛永{{0}}5年) - 鷹岡を、信枚の帰依する[[天海]]大僧正が名付けた弘前と改称する。 * [[1650年]]([[慶安]]{{0}}3年) - 寺町の寺院を南溜池の南側に移す(前年5月の寺町大火による)。 * [[1661年]]([[寛文]]元年) - 4代藩主[[津軽信政]]が[[山鹿素行]]に入門。6月3日、初めて入国し、藩日記の記録始まる。 * [[1682年]]([[天和 (日本)|天和]]{{0}}2年) - 樋ノ口川(現・弘前城跡西濠)を溜め切り、駒越川([[岩木川]])一筋とする。 * [[1710年]]([[宝永]]{{0}}7年) - 信政没す。遺命により[[岩木山]]麓に埋葬し、社殿を建て高照霊社([[明治]]初年高照から[[高岡 (弘前市)|高岡]]と改称)とする。 * [[1808年]]([[文化 (元号)|文化]]{{0}}5年) - 10万[[石 (単位)|石]]に昇格する。 * [[1809年]](文化{{0}}6年) - [[支藩]]の[[弘前藩#黒石藩|黒石藩]]が成立。 * [[1811年]](文化{{0}}8年) - 御三階櫓(天守代用)完成する。 === 明治から第二次世界大戦まで === * [[1871年]]([[明治]]{{0}}4年)[[7月14日 (旧暦)|7月14日]] - [[廃藩置県]]により弘前県設置。 * [[1871年]](明治{{0}}4年)[[9月 (旧暦)|9月]] - 弘前県が青森県となり現在の規模になる。県庁が[[青森市]]に移転。 * [[1872年]](明治{{0}}5年)[[11月27日 (旧暦)|11月27日]] - 私立[[東奥義塾高等学校|東奥義塾]]設立。 * [[1873年]](明治{{0}}6年)[[10月1日]] - 朝陽小学校完成。 * [[1877年]](明治10年)[[8月]] - 西洋りんごが本県において初成り。 * [[1878年]](明治11年)[[3月]] - [[第五十九国立銀行]]開設(県内最初の銀行)。 * 1878年(明治11年)[[10月30日]] - 青森県での[[郡区町村編制法]]施行により、[[津軽郡 (陸奥国)|津軽郡]]のうち弘前城下ほか1町111村の区域に行政区画としての[[中津軽郡]]が発足し、郡役所が弘前城下に設置される。 * [[1883年]](明治16年)8月 - 弘前農具会社設立。 * [[1889年]](明治22年)[[4月1日]] - 全国30市とともに[[市制]]施行(県内初)し、弘前城下の大部分([[紙漉町]]を除く<ref group="注">この時点では紙漉町のほか、本町、在府町、相良町、元大工町、元長町、塩分町、上白銀町、森町、覚仙町、茂森町、西茂森町、茂森新町、古堀町、古堀新割町、新寺町、新寺町新割町、北新寺町、土手町、品川町、山道町、住吉町、新品川町、鍛冶町、新鍛冶町、北川端町、桶屋町、銅屋町、南川端町、松森町、楮町、新楮町、富田町、富田新町、和徳町、北横町、茶畑町、茶畑新割町、代官町、植田町、緑町、萱町、南瓦ヶ町、上瓦ヶ町、中瓦ヶ町、北瓦ヶ町、南柳町、坂本町、西川岸町、田代町、山下町、北柳町、南横町、徳田町、徒町、徒町川端町、親方町、一番町、百石町、百石町小路、東長町、元寺町、元寺町小路、上鞘師町、下鞘師町、鉄砲町、下白銀町、笹森町、長坂町、蔵主町、大浦町、田茂木町、田町、祢宜町、若党町、小人町、春日町、亀甲町、馬喰町、鷹匠町、馬屋町、西大工町、新町、駒越町、平岡町、五十石町、袋町、紺屋町、浜ノ町が存在。</ref>)の区域をもって'''弘前市'''が発足。市制施行時の人口は3万1375人・世帯数は6240世帯<ref>『広報ひろさき』平成元年4月1日号(第617号)6頁「百年の歩み」</ref>。 * [[1894年]](明治27年)[[12月1日]] - [[奥羽本線]][[弘前駅]] - [[青森駅]]間開通。 * [[1895年]](明治28年)[[5月21日]] - [[弘前公園]]が市民に一般開放される。 * [[1898年]](明治31年)[[10月]] - [[東北地方]]北半を管区とする[[第8師団 (日本軍)|第8師団]]が設置される。 * [[1900年]](明治33年) - 市章を[[卍]]に制定。 * [[1901年]](明治34年) - 市立弘前病院設置。 * [[1906年]](明治39年)[[3月22日]] - [[旧弘前市立図書館|弘前市立図書館]]([[堀江佐吉]]らによる洋風建築)竣工<ref>『新編 弘前市史 資料編4』(弘前市・1997年8月31日発行)870~871頁「第2章 明治後期の弘前・第7節 教育の発展と充実・四 社会教育・五一四<!---漢数字の「514」---> 弘前図書館の開館式」より。</ref>。 * 1906年(明治39年)[[5月10日]] - 弘前市立図書館開館<ref>『新編 弘前市史 資料編4』(弘前市・1997年8月31日発行)870~871頁「第2章 明治後期の弘前・第7節 教育の発展と充実・四 社会教育・五一三<!---漢数字の「513」---> 弘前図書館の設置」より。</ref>。 * [[1909年]](明治42年)[[6月1日]] - 市内に[[電話]]開通。 * [[1910年]](明治43年)4月1日 - 県立工業学校(現・[[青森県立弘前工業高等学校|弘前工業高校]])開校。 * [[1918年]]([[大正]]{{0}}7年)[[5月7日]] - 第一回観桜会([[弘前さくらまつり|さくらまつり]])開催。 * [[1921年]](大正10年)[[4月16日]] - [[弘前高等学校 (旧制)|官立弘前高等学校]]開校 * [[1923年]](大正12年)[[7月1日]] - [[青森県産業技術センター|県立工業試験場]]開設 * [[1927年]]([[昭和]]{{0}}2年)[[9月7日]] - [[弘南鉄道]]弘前駅 - [[尾上駅]]間開通<ref>出典:『尾上町史 通史編』(尾上町・1992年3月31日発行)1169~1170頁「第一二<!---漢数字の「12」--->章 通信・交通・第二節 弘南鉄道の歩み・二<!---漢数字の「2」---> 待望の鉄道開通」</ref>。 *[[1928年]](昭和3年)[[4月1日]] - [[清水村(青森県)|清水村]]大字[[紙漉町]]、並びに大字富田の一部(字吉田野、高田野、名屋場、富野、大野、寒ノ沢の全部及び字清水野、富山、桔梗野、桔梗流、童子森、寺田の一部)を編入。(大字富田の残部は後年[[清水富田]]と呼ばれる。) * [[1935年]](昭和10年)[[8月22日]] - 集中豪雨のため市内で浸水家屋多数。馬屋町、田茂木町は全町床上、床下浸水<ref>記録破りの豪雨で県下全般水浸し『東奥日報』(昭和10年8月24日).『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p16-17 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 * [[1936年]](昭和11年)[[1月1日]] - 弘前駅を含む[[和徳村]][[大字]]和徳の全部、大字高崎字岩井の一部、大字堅田字富田の一部を編入。 * [[1938年]](昭和13年)[[2月21日]] - [[NHK弘前支局|NHK弘前放送局]]開局。 === 第二次世界大戦後 === {{日本の市 (廃止) | 廃止日 = 2006年2月27日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = '''弘前市'''(旧)、[[中津軽郡]][[岩木町]]、[[相馬村 (青森県)|相馬村]] → 弘前市(新) | 現在の自治体 = 弘前市(新) | よみがな = ひろさきし | 自治体名 = 弘前市 | 画像 = | 市旗 = [[ファイル:Flag of Hirosaki, Aomori.svg|border|100px|弘前市旗]] | 市旗の説明 = 弘前[[市町村旗|市旗]]<br />[[1939年]][[6月]]制定 | 市章 = [[ファイル:Emblem of Hirosaki, Aomori.svg|center|75px|弘前市章]] | 市章の説明 = 弘前[[市町村章|市章]]<br />[[1900年]][[6月14日]]制定 | 都道府県 = 青森県 | 支庁 = | コード = | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = | 人口の出典 = [[推計人口]] | 人口の時点 = | 隣接自治体 = [[つがる市]]、[[平川市]]、[[南津軽郡]][[大鰐町]]、[[藤崎町]]、[[田舎館村]]、[[北津軽郡]][[板柳町]]、[[鶴田町]]、[[西津軽郡]][[鰺ヶ沢町]]、中津軽郡[[西目屋村]]、岩木町、相馬村<br />[[秋田県]][[大館市]] | 木 = りんご(1993年4月1日制定) | 花 = さくら(1993年4月1日制定) | シンボル名 = | 鳥など = | 郵便番号 = 036-8551 | 所在地 = 弘前市大字上白銀町1-1 | 外部リンク = | InternetArchive = | 緯度度 = | 緯度分 = | 緯度秒 = | 経度度 = | 経度分 = | 経度秒 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} * [[1949年]](昭和24年) **[[4月10日]] - 津軽病院で火災。死者10人<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=72 |isbn=9784816922749}}</ref>。 **[[5月31日]] - [[弘前大学]]設置。 * [[1955年]](昭和30年)[[3月1日]] - [[中津軽郡]][[清水村 (青森県)|清水村]]、[[和徳村]]、[[豊田村 (青森県)|豊田村]]、[[堀越村 (青森県)|堀越村]]、[[千年村 (青森県)|千年村]]、[[藤代村 (青森県)|藤代村]]、[[新和村 (青森県)|新和村]]、[[船沢村]]、[[高杉村]]、[[裾野村]]、[[東目屋村]]を編入。東目屋地区が[[飛地]]となる。 * [[1956年]](昭和31年)[[8月31日]] - [[岩木町|岩木村]]大字駒越の一部(河東地区と呼ばれた、字宮本、川原田、南袋)を編入。 * [[1957年]](昭和32年)[[1月15日]] - 「[[弘前市民の歌]]」発表(制定主体は「藩祖為信公350年祭協賛会」で公式な[[市町村歌|市民歌]]とはされていないが、新設合併後も引き続き「市の推奨歌」として扱われている)。 * 1957年(昭和32年)[[9月1日]] - [[南津軽郡]][[石川町 (青森県)|石川町]]を編入。 * [[1960年]](昭和35年)[[12月1日]] - 弘前市立図書館が下白銀町1-6に移転。これまでの図書館施設は、[[旧弘前市立図書館]]として保存。 * [[1961年]](昭和36年) - 観桜会を'''さくらまつり'''に改称。 * [[1962年]](昭和37年) - [[弘前市民会館]]完成。 * [[1964年]](昭和39年) - 第一回[[弘前城菊と紅葉まつり|菊ともみじまつり]]開催。 **[[3月15日]] - 旧石川町の一部(大字森山の全部、大字小金崎字桜ノ木の一部、大字八幡館の字角田、泉田、川原の一部を除くほぼ全域、大字鯖石字一本柳、浅瀬渕、広田)を[[南津軽郡]][[大鰐町]]に編入。(面積5.1㎡、世帯数290余戸、人口1418人) * [[1977年]](昭和52年) - 第一回[[弘前城雪燈籠まつり]]開催。 * [[1979年]](昭和54年) - [[弘前南部広域農道]](アップルロード)、市内の[[東北自動車道]]開通。 * [[1988年]](昭和63年) - 砂沢遺跡で[[東日本]]最古([[弥生時代]]前期)の[[水田]]跡が発見。 * [[1989年]]([[平成]]元年)[[4月1日]] - 市制施行100周年を迎える。 * [[1990年]](平成{{0}}2年) - 市制施行100周年の記念事業として追手門広場などが整備される。 * 1990年(平成{{0}}2年)[[7月1日]] - 追手門広場と弘前市立図書館の新施設が完成、共用開始<ref>『広報ひろさき』平成2年6月15日号(第646号)「7月1日でっかくオープン」より。</ref>。 * [[2006年]](平成18年)[[2月27日]] - 旧弘前市、中津軽郡[[岩木町]]、[[相馬村 (青森県)|相馬村]]が新設合併し、新制による'''弘前市'''が発足。 * [[2006年]](平成18年)[[11月15日]] - 新弘前市の市章「卍」、市の花「さくら」、市の木「りんご」を制定。 * [[2011年]](平成23年) - 弘前城落成から400年を迎え、年間を通して'''弘前城築城400年祭'''を開催。 == 行政 == === 市長 === * [[櫻田宏]](2018年4月16日就任、1期目) {| class="wikitable" style="text-align:center;font-size:smaller" |+ 歴代市長<ref>[https://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyo/rekishi/shuchou/index.html 弘前市ホームページ 歴代の首長](2015年2月19日閲覧)。歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻(歴代知事編纂会、1983年)</ref> ! 代 !! 氏名 !! 就任日 !! 退任日 !! 備考 |- ! colspan="5" | 官選旧弘前市長 |- | 1 || [[菊池九郎]] || 1889年(明治22年)5月|| 1890年(明治23年)6月|| |- | 2 || [[長尾義連]] || 1890年(明治23年)6月|| 1891年(明治24年)4月|| |- | 3 || [[赤石行三]] || 1891年(明治24年)4月|| 1896年(明治29年)9月|| |- | 4 - 5 || 長尾義連 || 1896年(明治29年)11月7日|| 1905年(明治38年)4月|| |- | 6 || [[小山内鉄弥]] || 1905年(明治38年)4月28日|| 1911年(明治44年)4月|| |- | 7 ||菊池九郎|| 1911年(明治44年)4月28日|| 1913年(大正2年)8月|| |- | 8 ||[[伊東重]]|| 1913年(大正2年)10月|| 1914年(大正3年)2月|| |- | 9 ||長尾義連|| 1914年(大正3年)3月20日|| 1918年(大正7年)3月|| |- | 10 - 11 ||[[石郷岡文吉]]|| 1918年(大正7年)6月3日|| 1926年(大正15年)6月|| |- | 12 || [[松下賢之進]] || 1926年(大正15年)6月11日 || 1930年(昭和5年)6月|| |- | 13 || [[宮館貞一]] || 1930年(昭和5年)7月11日 || 1933年(昭和8年)7月|| |- | 14 || [[成田徳之進]] || 1933年(昭和8年)9月5日 || 1934年(昭和9年)6月18日|| |- | 15 || 石郷岡文吉 || 1934年(昭和9年)6月18日 || 1938年(昭和13年)3月30日|| |- | 16 || [[乳井英夫]] || 1938年(昭和13年)3月30日 || 1942年(昭和17年)3月|| |- | 17 || [[葛原運次郎]] || 1942年(昭和17年)7月4日 || 1945年(昭和20年)12月27日||死去 |- | 18 || [[岩淵勉]] || 1946年(昭和21年)2月 || 1947年(昭和22年)4月|| |- ! colspan="5" | 公選旧弘前市長 |- | 19 ||岩淵勉|| 1947年(昭和22年)4月 || 1951年(昭和26年)4月|| |- | 20 ||[[櫻田清芽]]|| 1951年(昭和26年)4月27日 || 1955年(昭和30年)4月|| |- | 21 ||岩淵勉|| 1955年(昭和30年)4月30日 || 1956年(昭和31年)1月14日||死去 |- | 22 - 26 ||[[藤森睿]]|| 1956年(昭和31年)2月18日 || 1976年(昭和51年)2月|| |- | 27 - 30 || [[福士文知]] || 1976年(昭和51年)2月 || 1992年(平成4年)2月|| |- | 31 - 34 || [[金沢隆]] || 1992年(平成4年)2月||2006年(平成18年)4月|| |- ! colspan="5" | 弘前市長 |- | 1 ||[[相馬錩一]] || 2006年(平成18年)4月16日 ||2010年(平成22年)4月15日|| |- | 2 - 3 || [[葛西憲之]] || 2010年(平成22年)4月16日||2018年(平成30年)4月15日|| |- | 4 || [[櫻田宏]] || 2018年(平成30年)4月16日||現職|| |} ==== 市長選挙 ==== {{JIS2004|対象=節|説明=相馬錩一の3文字目}} [[2018年]]([[平成]]30年)[[4月8日]] 最終投票率:'''53.40%''' {| class="wikitable" |- !候補者名!!当!!政党!!推薦!!得票 |- |櫻田宏||当選||無所属||||44,603 |- |葛西憲之||||無所属||||28,739 |- |畑山聡||||無所属||||4,537 |} [[2014年]](平成26年)[[4月13日]] 最終投票率:'''38.35%''' {| class="wikitable" |- !候補者名!!当!!政党!!推薦!!得票 |- |葛西憲之|||当選||無所属||||45,315 |- |千葉浩規||||[[日本共産党]]||||10,165 |} [[2010年]](平成22年)[[4月11日]] 最終投票率:'''58.06%''' {| class="wikitable" |- !候補者名!!当!!政党!!推薦!!得票 |- |葛西憲之||当選||無所属||||51,699 |- |相馬錩一||||無所属||||34,314 |} === 庁舎 === [[File:Hirosaki City Hall Iwaki Government Building 1.jpg|thumb|岩木庁舎]] * [[弘前市役所]] ** 岩木庁舎(旧・岩木町役場) ** 相馬庁舎(旧・相馬村役場) === 出張所・分室 === * 東目屋出張所 * 船沢出張所 * 高杉出張所 * 裾野出張所 * 新和出張所 * 石川出張所 * 市民課駅前分室 * 市民課城東分室 === 広報 === * 広報誌 ** 広報ひろさき<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/jouhou/koho/kouhou/index.html 広報ひろさき] - 弘前市</ref> ** 農業ひろさき<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/sangyo/nogyo/nougyou_hirosaki/index.html 農業ひろさき] - 弘前市</ref> ** 市議会だより<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gikai/gikaidayori.html 市議会だより] - 弘前市議会</ref> * 広報番組 ** えがお弘前“ビタミンHi”(RAB([[青森放送]])、ATV([[青森テレビ]])、ABA([[青森朝日放送]])の持ち回り制作で2ヶ月に1回放送)<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/jouhou/koho/tv.html テレビ広報] - 弘前市</ref> ** 市政みみより情報([[エフエムアップルウェーブ|FM APPLE WAVE]]、月 - 金 7:30 - 7:35、17:15 - 17:20) ** 行政なんでも情報(FM APPLE WAVE、月 - 金 11:30 - 11:40) == 立法 == === [[弘前市議会]] === {{JIS2004|対象=節|説明=尾﨑寿一の2文字目}}{{特殊文字|対象=節|説明=○谷友視の1文字目は高の異体字(はしごだか)}} * 定数:28名<ref name="定数">{{Cite news|url= https://www.toonippo.co.jp/shasetsu/sha2012/sha20121005.html |title= 本当に議論尽くしたのか/弘前市議定数「6減」 |newspaper= Web東奥 |date= 2012-10-05 |accessdate= 2020-04-25 |archiveurl= https://archive.fo/PXQft |archivedate= 2014-04-03 }}</ref> * 任期:2019年([[令和]]元年)5月1日 - 2023年(令和5年)4月30日 * 議長:清野一榮(木揚公明、7期) * 副議長:小田桐慶二(木揚公明、4期) {| class="wikitable" !会派名!!議席数!!議員名(◎は代表) |- | 創和会 || align="right" | 7 || ◎尾﨑寿一、蒔苗博英、野村 太郎、木村隆洋、石山敬、蛯名正樹、福士文敏 |- |木場公明 | align="right" | 6 ||◎鶴ケ谷慶市、下山文雄、清野一榮、工藤光志、小田桐慶二、外崎勝康 |- | 弘新会 || align="right" | 4 || ◎一戸兼一、宮本隆志、田中元、三上秋雄 |- | [[日本共産党]] || align="right" | 3 || ◎越明男、石田久、小西勇一 |- |滄洸会|| align="right" | 3 ||◎松橋武史、佐藤哲、齋藤豪 |- |さくら未来|| align="right" | 2 ||◎今泉昌一、竹内博之 |- | rowspan="3" |無所属|| rowspan="3" align="right" | 3 ||石岡千鶴子 |- |坂本崇 |- |成田大介 |} 2012年9月21日、市議会9月定例会の最終日において、定数を34から'''28'''とする条例案が可決され、2015年の市議選から適用された<ref name="定数" />。 === 青森県議会(弘前市選挙区) === {{JIS2004|対象=節|説明=相馬錩一の3文字目}} * [[青森県議会]]構成市町村:弘前市、[[西目屋村]] * 定数:6名 * 任期:2019年(令和元年)4月30日 - 2023年(令和5年)4月29日 {| class="wikitable" |- !氏名!!会派名!!当選回数 |- | 岡元行人 || [[自由民主党 (日本)|自由民主党]] || align="center" | 5 |- | 川村悟 || 青和会 || align="center" | 4 |- | 安藤晴美 || [[日本共産党]] || align="center" | 4 |- | 齊藤爾 || rowspan="2" | 自由民主党 || align="center" | 3 |- | 谷川政人 || align="center" | 2 |- | 鶴賀谷貴 || 民主連合 || align="center" | 1 |} 2019年5月1日現在。 === 衆議院 === * 選挙区:[[青森県第3区]](弘前市、[[五所川原市]]、 [[黒石市]]、[[つがる市]]、[[平川市]]、[[南津軽郡]]、[[北津軽郡]]、[[西津軽郡]]、[[中津軽郡]]) * 任期 : 2021年(令和3年)10月31日 - 2025年(令和7年)10月30日(「[[第49回衆議院議員総選挙]]」参照) {| class="wikitable" |- !議員名!!党派名!!当選回数!!備考 |- | [[木村次郎]] || 自由民主党 || align="center" | 2 || 選挙区 |} == 経済 == === 商業 === * [[駅前 (弘前市)|駅前]]・[[大町 (弘前市)|大町]] ** [[アプリーズ]]([[駅ビル]]) ** [[イトーヨーカドー弘前店]] ** [[ヒロロ (商業施設)|ヒロロ]] HIRORO(駅前再開発ビル)- 1994〜2005年は[[ダイエー]]、2009年10月まではジョッパルとして営業していた。再建し、2013年7月27日にオープン。 * [[土手町 (弘前市)|土手町]] **[[中三]]弘前店 *** [[ジュンク堂書店]]弘前中三店 *** [[丸善|MARUZEN]]弘前中三店 ** 弘前中央食品市場(2022年3月31日閉店<ref>{{Cite web|和書|title = 「大学いも」名物の弘前中央食品市場が閉店へ|url = https://www.toonippo.co.jp/articles/-/905798 |work = |publisher = 東奥日報|accessdate = 2022-03-04}}</ref>) **[[ルネスアリー]] * [[城東 (弘前市)|城東]] ** [[さくら野百貨店#弘前店|さくら野百貨店弘前店]] ** [[伊徳|いとく]]アルカディア店 ** [[早稲田 (弘前市)|城東タウンプラザ]] ** コジマNEW弘前店 ** [[ケーズホールディングス|ケーズデンキ]]弘前本店 ** [[TSUTAYA]]弘前店 ** Power Depot弘前店 ** [[ニトリ]]弘前店 * その他の地区・複数店舗 **[[佐藤長 (スーパーマーケット)|佐藤長]] ***さとちょう [[松森町]]店 ***さとちょう [[小比内]]店 ***さとちょう [[大原 (弘前市)|大原]]店 ***さとちょう [[相馬 (弘前市)|相馬]]店 ***さとちょう [[高杉 (弘前市)|高杉]]店 ***さとちょう [[浜の町西|浜の町]]店 ***さとちょう [[城東 (弘前市)|城東]]店 ***さとちょう [[岩木町|岩木]]店 ***さとちょう [[ヒロロ (商業施設)|ヒロロ]]店 ***さとちょう [[新町 (弘前市)|下町]]店 ***スーパーさとちょう [[樹木 (弘前市)|樹木]]店<br />([[ヱスヱス商事]]) **[[魚三水産]] ** [[生活協同組合コープあおもり|コープあおもり]] ** [[ユニバース (スーパーマーケット)|ユニバース]] *** ユニバース弘前堅田店 *** ユニバース弘前城東店 *** ユニバース弘前南大町店 *** ユニバース弘前松原店 *** Uマート桔梗野店 ** [[紅屋商事]] *** ベニーマート松原店 *** カブセンター ** [[神戸物産|業務スーパー]] ** [[泉野 (弘前市)#イオンタウン安原|イオンタウン安原]]ショッピングセンター ** [[イオンタウン]]弘前樋の口 *** [[DCMサンワ|ザ・サンワ]] *** [[イオン東北|マックスバリュ]] ** [[ヤマダデンキ]] ** [[サンデー (ホームセンター)|サンデー]] ** [[DCMホーマック]] ※ [[マルエス主婦の店]]は閉店後、弘前市内の一部店舗がユニバース(Uマート)に引き継がれた。 === メディア === * [[陸奥新報|陸奥新報社]] * [[東奥日報|東奥日報社]]弘前支社 * [[エフエムアップルウェーブ]](FM APPLE WAVE [[コミュニティ放送|コミュニティFM局]]) * [[NHK青森放送局]][[NHK弘前支局|弘前支局]] * [[青森放送]]弘前支社 * [[青森テレビ]]弘前支社 * [[青森朝日放送]]弘前支社 * [[エフエム青森]]弘前支局 * [[弘前経済新聞]] === 金融機関 === '''[[銀行]]''' * [[みちのく銀行]](弘前営業部は弘前相互銀行の旧本店である) * [[青森銀行]] * [[秋田銀行]]弘前支店 '''[[政策金融機関]]''' * [[日本政策金融公庫]]弘前支店(弘前支店は、国民生活部門のみ) '''[[協同組織金融機関]]''' * [[東奥信用金庫]](本店所在地) * [[青い森信用金庫]]弘前支店をはじめ、市内に数カ所の拠点を置いている * [[青森県信用組合]]弘前支店 * [[東北労働金庫]]弘前支店 * [[JAバンク]]の各拠点 '''[[証券会社]]''' * [[SMBC日興証券]]弘前支店 === 生活協同組合 === * [[全国労働者共済生活協同組合連合会|全労済]]弘前支所 === 農業 === * [[リンゴ|りんご]] - 弘前市の「木」。市役所にりんご農産課のように、りんごの名前のつく部署がある。 * [[米]] ==== 農業協同組合 ==== * [[つがる弘前農業協同組合]](JAつがる弘前) * [[津軽みらい農業協同組合]](JA津軽みらい) * [[相馬村農業協同組合]](JA相馬村) === フリーペーパー === * VIVA弘前(2014年廃刊) == 郵便 == 市内では日本郵便が郵便事業を行っている。以下は日本郵便の市内における拠点一覧。 === 直営郵便局 === {{Col| * [[弘前郵便局]]〔[[集配局]]〕(84002) * 裾野郵便局〔集配局〕(84062) * [[相馬郵便局 (青森県)|相馬郵便局]]〔集配局〕(84080) * 岩木郵便局〔集配局〕(84083) * 弘前本町郵便局(84041) * 弘前富田郵便局(84058) * 国吉郵便局(84065) * 弘前笹森町郵便局(84076) * 高杉郵便局(84088) * 弘前鷹匠町郵便局(84089) * 弘前大清水郵便局(84091) * 百沢郵便局(84092) * 弘前浜ノ町郵便局(84099) * 弘前茂森町郵便局(84104) * 石川郵便局(84113) * 弘前駅前郵便局(84141) * 新和郵便局(84175) | * 鬼沢郵便局(84176) * 弘前境関郵便局(84189) * 船沢郵便局(84193) * 弘前亀甲町郵便局(84208) * 弘前小沢郵便局(84214) * 弘前品川町郵便局(84219) * 弘前紙漉町郵便局(84223) * 弘前三世寺郵便局(84233) * 弘前桔梗野町郵便局(84236) * 弘前松原郵便局(84245) * 弘前堅田郵便局(84248) * 悪戸郵便局(84252) * 弘前松ヶ枝郵便局(84256) * 弘前城西郵便局(84258) * 弘前城南郵便局(84270) * 弘前末広郵便局(84285) * 弘前城東郵便局(84291) }} {{clear}} === 簡易郵便局 === * 鳥井野[[簡易郵便局]](84702) * 嶽簡易郵便局(84718) * 向駒越簡易郵便局(84737) * 十腰内簡易郵便局(84757) * 一丁木簡易郵便局(84762) * 小友簡易郵便局(84775) * [[大沢簡易郵便局]](84785) * 乳井簡易郵便局(84789) == 姉妹都市・提携都市 == === 国内 === * [[斜里町]]([[北海道 (地方公共団体)|北海道]][[斜里郡]])([[2006年]](平成18年)[[11月15日]]) *: 1807年(文化4年)の弘前藩士による北方警備が縁で友好都市提携。背景は「[[津軽藩士殉難事件]]」参照。 * [[太田市]]([[群馬県]])([[2006年]](平成18年)[[11月15日]]) *: 1600年(慶長5年)の[[関ヶ原の戦い]]の功績により、太田市尾島地域(旧[[新田郡]][[尾島町]])が弘前藩の領地になったことが縁で友好都市提携。 == 地域 == === 中心市街地 === [[ファイル:Dotemachi Street (Hirosaki, Japan).jpg|thumb|right|250px|明治時代からの市街地 [[土手町 (弘前市)|土手町]]]] [[ファイル:Ekimae-cho (Hirosaki, Japan).jpg|thumb|right|250px|戦後以降の市街地 駅前地区(写真は[[駅前町 (弘前市)|駅前町]])]] 弘前市の中心市街地は、藩政時代に築かれた城下町の町割りを原型に発展した。 [[1894年]](明治27年)、[[奥羽本線]]の停車駅として[[弘前駅]]が開業すると、城下町から弘前駅に向かって市街地が拡大し、[[1898年]](明治31年)の[[第8師団 (日本軍)|陸軍第八師団]]の軍施設が設置・整備されたことで、市街地は南へ拡大した<ref name="keikaku" />。 [[2015年]](平成27年)の時点で、弘前市内は土手町を中心とした半径2.5kmの範囲<ref name="keikaku">[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/jouhou/keikaku/files/2015_2-1.pdf 弘前市中心市街地活性化基本計画: 第2章中心市街地の現状1] - 弘前市(平成27年3月)</ref> にまとまりのある市街地が形成されている。 中でも藩政時代から商業が栄え、[[明治時代]]に[[商店街]]化した'''[[土手町 (弘前市)|土手町]]'''周辺と、[[官設鉄道]]の弘前駅が開業したことで開発が始まり、戦後は再開発を繰り返しながら商業地化した'''[[弘前駅]]前地区'''([[表町 (弘前市)|表町]]、[[駅前町 (弘前市)|駅前町]]、[[駅前 (弘前市)|駅前]]、[[大町 (弘前市)|大町]]など)という2つのエリアを中心に、[[百貨店]]や[[駅ビル]]などの商業施設や飲食店が集中している。 また、[[弘前公園]]周辺(特に[[上白銀町]]と[[下白銀町]])は、[[弘前市役所]]や[[青森地方検察庁]]弘前支部、[[青森地方裁判所]]弘前支部などの施設が存在する官公庁街を形成しており、駅前と土手町、官公庁街という3つのエリアを結ぶように'''[[100円バス]]'''([[弘南バス弘前営業所|土手町循環100円バス]])が運行されている<ref>[http://www.konanbus.com/coin.html 100円バス] - 弘南バス株式会社</ref>。 ==== 土手町 ==== [[ファイル:Hirosaki city center area Aerial photograph.1975.jpg|thumb|250px|弘前市中心市街地周辺の空中写真。1975年撮影の8枚を合成作成。<br />{{国土航空写真}}。]] 土手町とその周辺は、藩政時代から[[参勤交代]]時の[[羽州街道]]に通じる道として[[町屋 (商家)|町家]]が形成され、明治時代になると商店街化された。 藩政時代には、[[本町 (弘前市)|本町]]が弘前城下の中心街的地位にあったが、[[1907年]](明治40年)頃には陸軍第8師団の設置による人口増加、購買力の変化等の影響で、中心商店街的地位が土手町に移っている。 [[大正時代]]には、[[東北地方]]初のデパート<ref>{{Cite news|url= https://hirosaki.keizai.biz/headline/116/ |title= 弘前市内に歴史を伝える電柱看板設置-「東北初のデパート」情報も |newspaper= [[みんなの経済新聞ネットワーク|弘前経済新聞]] |date= 2014-09-04 |accessdate= 2020-04-25 }}</ref>「[[かくは宮川]]」が土手町に開店するなど、近代的な都市文化が花開いた。 [[1950年代]]には[[弘前電気鉄道]][[弘南鉄道大鰐線|大鰐線]]が開業。この路線の始発・[[終着駅]]である[[中央弘前駅]]が、土手町からほど近い[[吉野町 (弘前市)|吉野町]]に開業すると、中央駅周辺の[[鍛冶町 (弘前市)|鍛冶町]]は[[歓楽街]]として発展した。 さらに、[[1960年代]]以降は「[[カネ長武田百貨店]]」、[[五所川原市]]から進出した「[[中三]]百貨店」などの百貨店が土手町に店を構えるようになり、土手町とその周辺は弘前市内でも有数の商業集積地域となった結果、現在に至るまで弘前市内の中心市街地に位置付けられている。 ==== 弘前駅前 ==== [[ファイル:Hirosaki station - panoramio.jpg|thumb|right|250px|[[弘前駅|JR弘前駅]]中央口前の様子]] JR弘前駅を中心とする弘前駅前は、明治時代に官設鉄道の駅である弘前駅が開業したことで開発が始まった。その後、陸軍第8師団司令部設置による軍施設が整備されたことにより、市街地が南部に拡大した<ref name="keikaku" />。 戦後は、駅前に小売店舗中心の商店街が形成されたが、[[1979年]](昭和54年)、[[闇市]]時代以来の街並みが残る駅前地区に対して市民からの批判が高まった<ref>{{Cite news|url= http://www.mutusinpou.co.jp/%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E3%81%AE%E8%A1%97%E3%81%A8%E9%A2%A8%E6%99%AF/2015/05/36229.html |title= 変貌し続ける弘前駅前 |author= 中園裕 |newspaper= 陸奥新報 |date= 2015-05-04 |accessdate= 2020-04-25 }}</ref> ことで、駅前地区の土地区画整理事業が始まった。事業がきっかけで小売店は姿を消し、代わりに大規模なホテルや、[[イトーヨーカドー弘前店]]などの商業施設が建ち並ぶようになった。 1980年代から1990年代にかけて、駅前地区には[[アプリーズ|駅ビル]]や[[ヒロロ (商業施設)|ショッパーズ弘前(現:ヒロロ)]]などの商業施設が開業し、現在の駅前地区は弘前市内の交通・物販・飲食などの複合的中心地として機能している。 ==== 旧岩木町 ==== [[2006年]](平成18年)[[2月27日]]、弘前市と合併した旧[[岩木町]]は、[[青森県道3号弘前岳鰺ケ沢線]]に沿うように市街地が形成され、[[賀田 (弘前市)|賀田]]地区周辺と、[[岩木川]]沿いの東部市街地という2つの市街地を有している<ref>[http://www.pref.aomori.lg.jp/kotsu/build/H24.1_hirosakikouiki.pdf 弘前広域都市計画区域の整備、開発及び保全の方針(弘前広域都市計画区域マスタープラン) - 青森県(平成24年1月)]</ref>。 === 人口 === 平成27年[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]より前回調査からの人口増減をみると、3.30%減の177,411人であり、増減率は県下40市町村中5位。{{人口統計|code=02202|name=弘前市|image=Population distribution of Hirosaki, Aomori, Japan.svg}} === 健康 === * 弘前総合保健センター * 岩木保健福祉センター * [[国立病院機構弘前病院]] * [[弘前市立病院]] * [[弘前大学医学部附属病院]] === 警察 === * [[弘前警察署]] ** 弘前駅前[[交番]] ** 中央交番 ** 城東交番 ** 桝形交番 ** 桜ケ丘[[駐在所]] ** 石川駐在所 ** 南駐在所 ** 城西駐在所 ** 宮園駐在所 ** 船沢駐在所 ** 藤代駐在所 ** 高杉駐在所 ** 新和駐在所 ** 裾野駐在所 ** 岩木駐在所 ** 相馬駐在所 ** [[弘前自動車運転免許試験場]] === 消防 === * [[弘前地区消防事務組合]] ** 弘前消防署 ** 東消防署 === 教育 === ==== 大学 ==== * [[国立大学]] ** [[弘前大学]] * [[私立大学]] ** [[弘前学院大学]] ** [[弘前医療福祉大学]] ** [[柴田学園大学]] ==== 短期大学 ==== * [[私立短期大学]] ** [[弘前厚生学院]] ** [[柴田学園大学短期大学部]] ** [[弘前医療福祉大学短期大学部]] ==== 専修学校 ==== * [[私立学校|私立]][[専修学校]] ** 青森県ヘアアーチスト専門学校 ** サンモードスクールオブデザイン ** S.K.K.情報ビジネス専門学校 ==== 高等学校 ==== * [[公立学校|公立(県立)]][[高等学校]] ** [[青森県立弘前高等学校|弘前高等学校]] ** [[青森県立弘前中央高等学校|弘前中央高等学校]] ** [[青森県立弘前南高等学校|弘前南高等学校]] ** [[青森県立弘前実業高等学校|弘前実業高等学校]] ** [[青森県立弘前工業高等学校|弘前工業高等学校]] * 私立[[高等学校]] ** [[東奥義塾高等学校]] ** [[弘前学院聖愛中学高等学校|弘前学院聖愛高等学校]] ** [[柴田学園大学附属柴田学園高等学校]] ** [[弘前東高等学校]] ==== 中学校 ==== * [[国立学校|国立]][[中学校]] ** [[弘前大学教育学部附属中学校]] - [[学園町 (弘前市)|学園町]] {| width="90%" |- valign="top" |- width="50%" | * 公立(市立)中学校 ** [[弘前市立第一中学校|第一中学校]] - [[和徳町]] ** [[弘前市立第二中学校|第二中学校]] - [[平岡町 (弘前市)|平岡町]] ** [[弘前市立第三中学校|第三中学校]] - [[豊原 (弘前市)|豊原]]一丁目 ** [[弘前市立第四中学校|第四中学校]] - [[樹木 (弘前市)|樹木]]五丁目 ** [[弘前市立第五中学校|第五中学校]] - [[川先]]二丁目 ** [[弘前市立東目屋中学校|東目屋中学校]] - [[桜庭 (弘前市)|桜庭]][[小字|字]]清水流 ** [[弘前市立東中学校|東中学校]] - [[末広 (弘前市)|末広]]三丁目 ** [[弘前市立南中学校|南中学校]] - [[原ヶ平]]字山中 | ** [[弘前市立裾野中学校|裾野中学校]] - [[十面沢]]字湯ヶ森 ** [[弘前市立新和中学校|新和中学校]] - [[種市 (弘前市)|種市]]字小島 ** [[弘前市立北辰中学校|北辰中学校]] - [[高杉 (弘前市)|高杉]]字五反田 ** [[弘前市立船沢中学校|船沢中学校]] - [[富栄 (弘前市)|富栄]]字浅井名 ** [[弘前市立石川中学校|石川中学校]] - [[石川 (弘前市)|石川]]字庄司川添 ** [[弘前市立津軽中学校|津軽中学校]] - [[五代 (弘前市)|五代]]早稲田 ** [[弘前市立相馬中学校|相馬中学校]] - [[紙漉沢]]字山越 |} * 私立中学校 ** [[弘前学院聖愛中学高等学校|聖愛中学校]] - [[原ヶ平]]字山元 ==== 小・中併設校 ==== * [[弘前市立常盤野小中学校|常盤野小中学校]] - [[常盤野]]湯の沢 ==== 小学校 ==== * 国立[[小学校]] ** [[弘前大学教育学部附属小学校]] - 学園町 {| width="90%" |- valign="top" |- width="50%" | * 公立(市立)小学校 ** [[弘前市立朝陽小学校|朝陽小学校]] - 在府町 ** [[弘前市立和徳小学校|和徳小学校]] - 代官町 ** [[弘前市立時敏小学校|時敏小学校]] - 宮園一丁目 ** [[弘前市立自得小学校|自得小学校]] - 鬼沢字菖蒲沢 ** [[弘前市立青柳小学校|青柳小学校]] - 悪戸字村元 ** [[弘前市立豊田小学校|豊田小学校]] - 豊田一丁目 ** [[弘前市立千年小学校|千年小学校]] - 小栗山字川合 ** [[弘前市立小沢小学校|小沢小学校]] - 大開二丁目 ** [[弘前市立福村小学校|福村小学校]] - 福村字林元 ** [[弘前市立石川小学校|石川小学校]] - 石川字庄司川添 ** [[弘前市立城西小学校|城西小学校]] - 新町 ** [[弘前市立堀越小学校|堀越小学校]] - 門外一丁目 ** [[弘前市立船沢小学校|船沢小学校]] - 細越字早稲田 ** [[弘前市立致遠小学校|致遠小学校]] - 浜の町北一丁目 | ** [[弘前市立三省小学校|三省小学校]] - 中崎字野脇 ** [[弘前市立新和小学校|新和小学校]] - 青女子字桜苅 ** [[弘前市立東目屋小学校|東目屋小学校]] - 桜庭字清水流 ** [[弘前市立桔梗野小学校|桔梗野小学校]] - 桔梗野二丁目 ** [[弘前市立第三大成小学校|第三大成小学校]] - 富田町 ** [[弘前市立城東小学校|城東小学校]] - 大久保字西田 ** [[弘前市立大和沢小学校|大和沢小学校]] - [[狼森 (弘前市)|狼森]]字天王 ** [[弘前市立高杉小学校|高杉小学校]] - 高杉字神原 ** [[弘前市立文京小学校|文京小学校]] - 中野一丁目 ** [[弘前市立西小学校|西小学校]] - 茜町三丁目 ** [[弘前市立松原小学校|松原小学校]] - 松原東二丁目 ** [[弘前市立東小学校|東小学校]] - 城東中央五丁目 ** [[弘前市立北小学校|北小学校]] - 青山三丁目 ** [[弘前市立大成小学校|大成小学校]] - 御幸町 ** [[弘前市立岩木小学校|岩木小学校]] - 五代字前田 ** [[弘前市立相馬小学校|相馬小学校]] - 黒滝字二ノ松本 ** [[弘前市立裾野小学校|裾野小学校]] - 十面沢字轡 |} ※以下は廃校。 ** [[弘前市立草薙小学校|草薙小学校]] - 大森字宇田浦(2016年に裾野小学校を統合新設) ** [[弘前市立修斉小学校|修斉小学校]] - 十面沢字赤坂(同上) ** [[弘前市立弥生小学校|弥生小学校]] - 弥生字弥生平(2014年に船沢小学校へ統合) ** [[弘前市立百沢小学校|百沢小学校]] - 百沢字寺沢(2018年に岩木小学校へ統合) ** [[弘前市立小友小学校|小友小学校]] - 小友字宇田野(2021年に新和小学校へ統合) ** [[弘前市立三和小学校|三和小学校]] - 三和字川合(同上) ==== 特別支援学校 ==== * 国立[[特別支援学校]](国立大学法人) ** [[弘前大学教育学部附属特別支援学校]] - [[富野町 (弘前市)|富野町]] * 公立(県立)特別支援学校 ** [[青森県立弘前聾学校]] - 原ヶ平 ** [[青森県立弘前第一養護学校]] - [[中別所]]字平山 ** [[青森県立弘前第二養護学校]] - 中別所字向野 ==== 幼稚園 ==== * 国立[[幼稚園]] ** [[弘前大学教育学部附属幼稚園]] * 法人立・私立:10園 ==== 学校教育以外の施設 ==== ===== 保育所 ===== * 公立(市立)[[保育園]] ** 弘前保育所 ** 十腰内保育所 (閉鎖・閉園) ** 弥生保育所 ** 笹舘保育所 ** 常盤野保育所 ** 百沢保育所 ** 相馬保育所 * 法人立・私立:69施設 ===== 図書館 ===== * [[弘前市立図書館]] ** 弘前市立弘前図書館〔追手門広場内、下白銀町〕<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/tosho/index.html 弘前市立図書館] - 弘前市</ref> ** 弘前市立岩木図書館〔賀田〕 ** 弘前市立相馬ライブラリ〔五所〕 ** こども[[絵本]]の森〔駅前町〕 ===== 職業訓練施設 ===== * 弘前調理共同高等職業訓練校 * 弘前職業能力開発校 * 弘前和裁高等職業訓練校 === 施設 === ==== 文化施設 ==== ===== 博物館・資料館 ===== [[ファイル:Hirosaki Municipal Museum.JPG|thumb|200px|弘前市立博物館]] * [[弘前市立博物館]]〔弘前公園内、下白銀町〕[[登録博物館]] * 弘前城情報館〔弘前公園天守閣内、下白銀町〕<ref>[http://www.hirosakipark.or.jp/johokan/index.html 弘前城情報館] - 一般財団法人弘前市みどりの協会</ref> * 弘前市立郷土文学館〔追手門広場内、下白銀町〕<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/bungakukan/index.html 弘前市立郷土文学館] - 弘前市</ref> * 弘前大学資料館〔弘前大学内、文京町〕<ref>[http://shiryokan.hirosaki-u.ac.jp/ 弘前大学資料館] - 弘前大学</ref> * 百石町展示館<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/tenjikan/index.html 百石町展示館] - 弘前市</ref> * 藤田記念庭園考古館〔上白銀町〕<ref>[http://www.hirosakipark.or.jp/hujita/kouko.html 藤田記念庭園 > 匠館(考古館)] - 一般財団法人弘前市みどりの協会</ref> * 旧藤田家住宅(太宰治まなびの家)〔御幸町〕 * [[旧第五十九銀行本店本館|青森銀行記念館]]〔元長町〕 * 高照神社宝物殿〔高岡字神馬野〕 * [[鳴海要]]記念陶房館〔賀田字大浦〕<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/tobokan/index.html 鳴海要記念陶房館] - 弘前市</ref> * 高岡の森弘前藩歴史館〔高岡字獅子沢〕<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/takaoka-rekishikan/ 高岡の森弘­前藩歴史館­] - 弘前市</ref> ===== ホール ===== * [[弘前市民会館]](1,343席) * 弘前文化センター(552席)<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/hirosakibunka/ 弘前文化センター] - 弘前市</ref> * 岩木文化センター「あそべーる」(584席)<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/iwakibunka/index.html 岩木文化センター あそべーる] - 弘前市</ref> * 市民文化交流館ホール(300席)<ref>[https://www.hirorosquare.jp/erea3_1.html 市民文化交流館ホール] - 弘前駅前公共施設 ヒロロスクエア</ref> ===== 学習施設等 ===== * 弘前市総合学習センター<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gakushu/index.html 弘前市総合学習センター] - 弘前市</ref> * 弘前市まちなか情報センター<ref>[https://www.ring-o.jp/web/machinaka/index.html 弘前市まちなか情報センター]</ref> * 弘前市民参画センター<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/sankaku/index.html 弘前市民参画センター] - 弘前市</ref> * 駅前記念会館<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/shisetsu/kukakuseiri-kaikan-1.html 駅前記念会館] - 弘前市</ref> ==== 体育施設 ==== * 弘前市民体育館(五十石町) * [[弘前市運動公園]](豊田) ** [[青森県武道館]] ** [[弘前市運動公園野球場]](はるか夢球場) ** 弘前市運動公園陸上競技場 ** 克雪トレーニングセンター * 河西体育センター(石渡〕 * 笹森記念体育館(下白銀町) * 弘前市[[ブルーシー・アンド・グリーンランド財団|B&G]]海洋センター(八幡町)<ref>[https://www.bgf.or.jp/center/detail.php?ccd=0005 弘前市B&G海洋センター] - 公益財団法人ブルーシー・アンド・グリーンランド財団</ref> * 弘前市岩木B&G海洋センター(兼平猿沢)<ref>[https://www.bgf.or.jp/center/detail.php?ccd=0421 弘前市岩木B&G海洋センター] - 公益財団法人ブルーシー・アンド・グリーンランド財団</ref> * 新和地区体育文化交流センター * 裾野地区体育文化交流センター * 清水交流センター * 宮川交流センター * 金属町体育センター([[金属町 (弘前市)|金属町]]) * 南冨田町体育センター(南富田町) * 岩木青少年スポーツセンター * 岩木川市民ゴルフ場 * サンライフ弘前 * すぱーく弘前(石渡) * 城北ファミリープール(八幡町) * 第2市民プール(中野) * 第3市民プール(八幡町) * 温水プール石川(小金崎字村元) * 岩木山総合公園(百沢字裾野) * 相馬ふれあい館 ==== 公民館 ==== * 中央公民館 * 中央公民館岩木館 * 中央公民館相馬館 * 東目屋公民館 * 和徳公民館 * 東部公民館 * 清水公民館 * 石川公民館 * 堀越公民館 * 千年公民館 * 船沢公民館 * 高杉公民館 * 裾野公民館 * 新和公民館 * 藤代公民館 == 交通 == === 鉄道路線 === * 中心となる駅:[[弘前駅]] * 隣接市町村への連絡 ** [[東日本旅客鉄道]](JR東日本):[[奥羽本線]] ** [[弘南鉄道]]:[[弘南鉄道弘南線|弘南線]]、[[弘南鉄道大鰐線|大鰐線]] * 県庁所在地への連絡:JR奥羽本線 * 広範囲な連絡:JR奥羽本線 ** [[特別急行列車|特急]] [[つがる (列車)|つがる]]([[秋田駅|秋田]]⇔[[青森駅|青森]])…[[新青森駅]]において[[東北新幹線]][[はやぶさ (新幹線)|「はやぶさ」]]に接続 * 駅 ** JR奥羽本線:[[石川駅 (JR東日本)|石川駅]] - 弘前駅 - [[撫牛子駅]] ** 弘南鉄道大鰐線:[[中央弘前駅]] - [[弘高下駅]] - [[弘前学院大前駅]] - [[聖愛中高前駅]] - [[千年駅]] - [[小栗山駅]] - [[松木平駅]] - [[津軽大沢駅]] - [[義塾高校前駅]] - [[石川駅 (弘南鉄道)|石川駅]] - [[石川プール前駅]] ** 弘南鉄道弘南線:弘前駅 - [[弘前東高前駅]] - [[運動公園前駅]] - [[新里駅 (青森県)|新里駅]] * 過去に存在した駅 ** JR奥羽本線:和徳駅・大清水駅・門外駅(3駅とも[[1940年]](昭和15年)11月1日廃止) ** 弘南鉄道弘南線:小比内駅([[1943年]](昭和18年)2月25日廃止) === 高速バス === [[弘前バスターミナル]]が中心となる。国土交通省東北運輸局の「東北運輸局管内の高速バス輸送実績」より[[2005年]](平成17年)度の利用客数を付記 * 昼行便 ** [[ヨーデル号]]<span style="font-size:small">(弘南バス・[[ジェイアールバス東北]]・[[岩手県北自動車|岩手県北バス]]・[[岩手県交通]])</span> 17.6万人 *** 五所川原・弘前・[[大鰐バスストップ|東北大鰐]] - [[盛岡駅|盛岡]]([[東北新幹線]]への接続線) ** [[キャッスル号]]<span style="font-size:small">(弘南バス・[[宮城交通]]・ジェイアールバス東北)</span> 10.4万人 *** 弘前 - [[仙台駅|仙台]] ** [[スカイ号]]<span style="font-size:small">(弘南バス)</span> 1.1万人 *** 青森・弘前 - [[上野駅|上野]] * 夜行便 ** [[ノクターン号]]<span style="font-size:small">([[弘南バス]]・[[京浜急行バス]])</span> 合計8.4万人 *** [[五所川原駅|五所川原]]・弘前 - 東京([[浜松町バスターミナル|浜松町]]・[[品川バスターミナル|品川]])<span style="font-size:small">3.0万人</span> *** 弘前 - 東京(浜松町・品川)<span style="font-size:small">3.6万人</span> *** 弘前 - 東京(浜松町)・[[横浜駅|横浜]] <span style="font-size:small">1.7万人</span> ** [[スカイ号|パンダ号]]上野線<span style="font-size:small">(弘南バス)</span> 1.0万人 *** 青森・弘前 - 上野 ** パンダ号新宿線<span style="font-size:small">(弘南バス)</span> *** 五所川原・弘前 - [[バスタ新宿]] * 過去に存在した路線 ** [[南軽号]]<span style="font-size:small">([[南部バス]])</span> 0.9万人 *** 弘前 - [[八戸ラピア|八戸]]([[2010年]](平成22年)6月27日をもって路線廃止) === 路線バス === 市内の路線バスは全て弘南バスが運行。 ==== 一般路線 ==== <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> * 弘前 - 青森空港線 * 弘前 - 浪岡線 * 弘前 - 五所川原線 * 弘前 - 黒石線(日沼経由) * 弘前 - 黒石線(豊蒔・高田経由) * 弘前 - 大鰐・碇ヶ関線 * 弘前駅 - 貝沢・十腰内・鰺ヶ沢線(高杉・鬼沢経由) * 弘前駅 - 貝沢線(糠坪・楢の木経由) * 弘前駅 - 板柳線(三世寺経由) * 弘前駅 - 石渡線(浜の町経由) * 弘前駅 - 岩賀線(城北経由) * 弘前駅 - 宮園団地線(警察署経由) * 弘前バスターミナル - 神田線(社会福祉センター経由) * 弘前駅 - 西目屋村役場線 * 弘前駅 - アクアグリーンビレッジANMON・津軽峠線 *暗門白神号、夏季運行 * 弘前駅 - 相馬庁舎線 * 弘前駅 - 枯木平線(高岡経由) * 岳温泉 - 津軽岩木スカイライン線 *夏季運行 * 弘前駅 - 弥生線(賀田経由) </div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> * 弘前駅 - 葛原線(賀田経由) * 弘前駅 - 岩木庁舎線 * 弘前駅 - 藤代営業所線(城西大橋経由) * 弘前駅 - 藤代営業所線(工業高校経由) * 弘前駅 - 久渡寺線(四中校経由) * 弘前駅 - 桜ヶ丘線(桔梗野・金属団地経由) * 弘前駅 - 桜ヶ丘線(桝型・金属団地経由) * 弘前駅 - 小栗山線(富田大通り経由) * 弘前駅 - 狼森線(富田大通り経由) * 弘前駅 - 学園町線(富田大通り経由) * 弘前駅 - 安原団地線(富田大通り経由) * 弘前駅 - 座頭石線(松森町・安原団地経由) * 弘前駅 - 自衛隊線(富田大通り・安原団地経由) * 弘前駅 - 自衛隊線(門外・安原団地経由) * 弘前駅 - 弘前営業所線(清原・安原団地経由) * 弘前駅城東口 - 安原線(アルカディア経由) * 藤代営業所 - 小栗山線(工業高校・松森町経由) * 藤代営業所 - 安原団地線(浜の町・富田大通り経由) </div>{{clear|left}} ==== ミニバス路線 ==== * 弘前バスターミナル - 桜ヶ丘線(市役所・緑ヶ丘経由) * 弘前バスターミナル - 桜ヶ丘線(城南経由) * さくら野弘前店 - 桜ヶ丘線(弘前バスターミナル・城南経由) * 弘前バスターミナル - 土堂線(栄町・浜の町団地経由) * 弘前バスターミナル - さくら団地線 ==== 100円バス路線 ==== * 土手町循環100円バス * 城東環状100円バス(大町回り) * 城東環状100円バス(和徳回り) * 弘前駅城東口環状100円バス * ためのぶ号 弘前駅 - りんご公園線(津軽藩ねぷた村経由) *夏季運行、一部区間は200円 === 道路 === * [[高速道路]] ** {{Ja Exp Route Sign|E4}} [[東北自動車道]] *** 最寄のインターチェンジは[[大鰐弘前インターチェンジ|大鰐弘前IC]](弘前市・大鰐町、[[大館市|大館]]/盛岡方面)、[[黒石インターチェンジ|黒石IC]](黒石市、青森市方面)。 * [[一般国道]] ** [[国道7号]] ** [[国道102号]] * [[都道府県道|県道]] ** [[主要地方道]] *** [[青森県道3号弘前岳鰺ケ沢線]] *** [[青森県道28号岩崎西目屋弘前線]] *** [[青森県道30号岩木山環状線]] *** [[青森県道31号弘前鯵ケ沢線]] *** [[青森県道35号五所川原岩木線]] *** [[青森県道37号弘前柏線]] ** 一般県道 *** [[青森県道109号弘前平賀線]] *** [[青森県道112号八幡宮線]] *** [[青森県道125号小友板柳停車場線]] *** [[青森県道126号久渡寺新寺町線]] *** [[青森県道127号石川土手町線]] *** [[青森県道128号松木平撫牛子停車場線]] *** [[青森県道129号関ケ平五代線]] *** [[青森県道130号桔梗野富田線]] *** [[青森県道131号前坂藤崎線]] *** [[青森県道132号十腰内陸奥森田停車場線]] *** [[青森県道144号平賀門外線]] *** [[青森県道204号相馬常盤野線]] *** [[青森県道260号石川百田線]](旧国道7号) *** [[青森県道268号弘前田舎館黒石線]](旧国道102号) * 広域農道 ** [[津軽中部広域農道]] (やまなみロード) ** [[弘前南部広域農道]](アップルロード:正式な路線名は「弘前市道百沢三本柳線」「弘前市道小栗山山下湯口線」「弘前市道下湯口9号線」「弘前市道湯口東線」「弘前市道兼平三本柳線」の5路線) ほか == 観光 == {{Vertical_images_list | 1=Hirosaki-castle at night Aomori JAPAN.jpg | 2=夜桜ライトアップ(弘前公園) | 3=Hirosaki Municipal Museum of tourism.JPG | 4=弘前市立観光館(追手門広場) | 5=Old Hirosaki city library Aomori,JAPAN.jpg | 6=旧弘前市図書館(追手門広場) | 7=Miniature building in OTTEMON plaza Aomori,JAPAN.jpg | 8=ミニチュア建造物群(追手門広場) }} * サイクルネットHIROSAKI(観光用有料貸自転車)<ref>[https://www.hirosaki-kanko.or.jp/web/edit.html?id=access04 サイクルネット] - 公益社団法人 弘前観光コンベンション協会</ref> ※ 「重要文化財」は[[文化財保護法]]の規定に基づき国(日本国文部大臣)が指定した重要文化財を指す。 === 旧跡・公園・レジャー === * 板石塔婆([[中別所]]字葛野)重要美術品<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/kuni/kuni26.html 板石塔婆] - 弘前市</ref>、1288年(鎌倉時代後期)建立。 * [[弘前城]]([[弘前公園]])([[下白銀町]])(重要文化財:天守など9棟 <ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/kuni/kuni9.html 弘前城天守] - 弘前市</ref>) * 追手門広場 ** 弘前市立観光館・山車展示館 ** ミニチュア建造物群<ref>[http://www.hirosaki-kanko.or.jp/web/details.html?id=API00100002222 ミニチュア建造物] - 弘前観光コンベンション協会</ref> *[[堀越城]](国の[[史跡]]) * [[津軽藩ねぷた村]] * 餓死供養名号塔、餓死供養題目塔 ([[東和徳町]]、専修寺)市指定有形文化財、それぞれ、[[天保の大飢饉]]、[[元禄の飢饉]]の餓死者の供養塔。 * [[瑞楽園]]([[宮舘]]字宮舘沢)名勝<ref>[http://zuirakuen.com/ 瑞楽園 公式サイト]</ref> * [[揚亀園]]([[亀甲町 (弘前市)|亀甲町]])登録記念物<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/shi/shi6.html 揚亀園揚亀庵] - 弘前市</ref>、大石武学流の作風を伝える近代庭園。 * 旧菊池氏庭園(弘前明の星幼稚園庭園)([[紺屋町 (弘前市)|紺屋町]])登録記念物<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/kuni/kuni-kinen1.html 旧菊池氏庭園(弘前明の星幼稚園庭園)] - 弘前市</ref>、大石武学流の作風を伝える近代庭園。 * 成田家庭園 ([[樹木 (弘前市)|樹木]])県[[名勝]]<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/ken/ken46.html 成田家庭園] - 弘前市</ref> * 貞昌寺庭園 ([[新寺町 (弘前市)|新寺町]])県名勝<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/ken/ken47.html 貞昌寺庭園] - 弘前市</ref> * [[藤田記念庭園]] * [[嶽温泉]] * [[百沢温泉]] * [[湯段温泉]] * [[小栗山 (弘前市)|小栗山]]温泉 * [[津軽岩木スカイライン]] * [[アソベの森 いわき荘]] * 星と森のロマントピアそうま<ref>[https://www.romantopia.net/ 【公式】星と森のロマントピア]</ref> * 弘前城植物園<ref>[http://www.hirosakipark.or.jp/plant/ 弘前城植物園] - 一般財団法人弘前市みどりの協会</ref> * [[弥生いこいの広場]]<ref>[http://www.hirosakipark.or.jp/yayoi/index.html 弥生いこいの広場] - 一般財団法人弘前市みどりの協会</ref> * 弘前市りんご公園<ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/ringopark/ りんご公園] - 弘前市</ref> * 交通広場(城北公園) * こどもの森<ref>[http://www.hirosakipark.or.jp/child/ こどもの森] - 一般財団法人弘前市みどりの協会</ref> * 市民の森 * 高長根レクリエーションの森(平成29年度をもって営業終了)<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.hirosakipark.or.jp/takanagane/index.html |title= 高長根レクリエーションの森 |publisher= 一般財団法人弘前市みどりの協会 |accessdate= 2020-04-25 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20180718164653/http://www.hirosakipark.or.jp:80/takanagane/index.html |archivedate= 2018-07-18 }}</ref> * [[小栗山 (弘前市)|小栗山]]農村交流公園 * 蓬莱広場 * [[高岡の森弘前藩歴史館]] === 社寺 === * [[最勝院]]([[銅屋町]])(重要文化財:[[五重塔]]<ref>[http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_1.html 最勝院五重塔] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * [[弘前八幡宮]]([[八幡町 (弘前市)|八幡町]])(重要文化財:本殿、唐門<ref>[http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_5.html 弘前八幡宮本殿、唐門] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * [[弘前東照宮]]([[笹森町]])(重要文化財:本殿<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_13.html 東照宮本殿] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * [[弘前天満宮]]([[西茂森]]) * 熊野奥照神社([[田町 (弘前市)|田町]])(重要文化財:本殿<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_14.html 熊野奥照神社本殿] - 青森県庁ウェブサイト</ref>)(県重宝:蕨手刀<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kouko_03.html 蕨手刀] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * [[高照神社]]([[高岡 (弘前市)|高岡]])(重要文化財:本殿等<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_30.html 高照神社本殿、中門、西軒廊、東軒廊、拝殿及び弊殿 随神門、津軽信政公墓、廟所拝殿、廟所門] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、太刀銘友成作<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kougei_04.html 太刀 銘友成作] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、太刀銘真守<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kougei_05.html 太刀 銘真守] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * [[岩木山神社]]([[百沢]]字寺沢)(重要文化財:楼門<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_2.html 岩木山神社楼門] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、拝殿<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_3.html 岩木山神社拝殿] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、本殿、奥門、瑞垣、中門<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_4.html 岩木山神社本殿、奥門、瑞垣、中門] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * [[禅林街]](西茂森) * 誓願寺([[新町 (弘前市)|新町]])(重要文化財:山門<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_8.html 誓願寺山門] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * 長勝寺(西茂森)(重要文化財:三門<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_6.html 長勝寺三門] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、津軽家霊屋<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_23.html 津軽家霊屋 環月臺、碧巌臺、明鏡臺、白雲臺、凌雲臺] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、御影堂<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_24.html 長勝寺御影堂] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、本堂、[[庫裏]]<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_26.html 長勝寺本堂、庫裏] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、銅鐘<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kougei_06.html 銅鐘] - 青森県庁ウェブサイト</ref>)(県重宝:三尊仏およびその厨子堂<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kenzoubutu_02.html 三尊仏及びその厨子堂] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、[[薬師如来]]三門本尊<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_tyoukoku_05.html 薬師如来三門本尊] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、津軽為信木像<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_tyoukoku_06.html 津軽為信木像] - 青森県庁ウェブサイト</ref>)(市指定有形文化財:黒門) * 革秀寺([[藤代 (弘前市)|藤代]])(重要文化財:津軽為信霊屋<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_12.html 津軽為信霊屋] - 青森県庁ウェブサイト</ref> 、本堂<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_27.html 革秀寺本堂] - 青森県庁ウェブサイト</ref>)(市指定有形文化財:木造豊太閤座像) * [[栄螺堂|栄螺(さざえ)堂]] ([[西茂森]])(市指定有形文化財。1839年(天保10年)頃、[[豪商]]が寄進。) * 隣松寺(西茂森)(県重宝:久祥院殿位牌堂<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kenzoubutu_01.html 久祥院殿位牌堂] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * 熊野宮([[茜町 (弘前市)|茜町]])(県重宝:本殿<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kenzoubutu_16.html 熊野宮本殿] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * 巌鬼山神社([[十腰内]]字猿沢)(県重宝:本殿<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kenzoubutu_18.html 巌鬼山神社本殿] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、[[鰐口]] 慶長九年奉納銘<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kougei_12.html 鰐口 慶長九年奉納銘] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * 袋宮寺 ([[新寺町 (弘前市)|新寺町]])(県重宝:本堂<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kenzoubutu_24.html 袋宮寺本堂] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、十一面観世音立像<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_tyoukoku_09.html 十一面観世音立像] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * 円明寺(新寺町)(県重宝:本堂<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kenzoubutu_25.html 円明寺本堂] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * 報恩寺(新寺町)(県重宝:本堂<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kenzoubutu_26.html 報恩寺本堂] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * 本行寺(新寺町)(県重宝:護国堂<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kenzoubutu_28.html 本行寺護国堂] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * 西光寺(新寺町)(県重宝:木彫[[阿弥陀如来]]立像<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_tyoukoku_01.html 木彫阿弥陀如来立像] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * 西福寺(新寺町)(県重宝:[[円空]]作十一面観音像<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_tyoukoku_14.html 十一面観音像] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、円空作[[地蔵菩薩]]像<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_tyoukoku_15.html 地蔵像] - 青森県庁ウェブサイト</ref>) * 貞昌寺([新寺町)(市指定有形文化財:木造釈迦涅槃造) * 大仏院([[石川 (弘前市)|石川]]字大仏)(市指定有形文化財:木造十一面観音坐像) * 乳井神社([[乳井]]字外ノ沢)(市指定有形文化財:社殿(旧毘沙門堂)- 1655年建立、五輪搭 - [[鎌倉時代]]) === 伝統建築 === * [[重要伝統的建造物群保存地区]] - [[仲町 (弘前市)|弘前市仲町伝統的建造物群保存地区]]<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/denken_01.html 弘前市仲町伝統的建造物群保存地区] - 青森県庁ウェブサイト</ref> ** 旧弘前藩諸士住宅(旧笹森家住宅):国の重要文化財<ref name=":3">{{Cite web|和書|url=https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/00004838 |title=旧弘前藩諸士住宅 / 国宝・重要文化財(建造物) |access-date=2022-07-08 |publisher=国指定文化財等データベース / 文化庁}}</ref> - 18世紀前半 武家住宅 ** 旧伊東家住宅([[若党町]]):県重宝<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kenzoubutu_37.html 旧伊東家住宅] - 青森県庁ウェブサイト</ref> - 江戸初頭 藩医住宅 ** 旧岩田家住宅(若党町):県重宝<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kenzoubutu_9.html 旧岩田家住宅] - 青森県庁ウェブサイト</ref> - 江戸後期 武家住宅 ** 旧梅田家住宅(若党町):江戸末期武家住宅 * [[石場家住宅]]([[亀甲町 (弘前市)|亀甲町]])重要文化財<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_16.html 石場家住宅] - 青森県庁ウェブサイト</ref> 江戸後期 商家<!-- 石場家住宅は、伝重建地区外である --> * 旧石戸谷家住宅 ([[川合 (弘前市)|川合]]岡本)市指定有形文化財、江戸末期の豪農の住宅。 * 揚亀庵([[亀甲町 (弘前市)|亀甲町]])市指定有形文化財 茶室(津軽藩ねぷた村内) === 洋風建築 === (年代順) * 旧「角三」呉服店店舗(現・弘前市([[百石町 (弘前市)|百石町]]展示館])(百石町)[[1883年]](明治16年)。 * 旧青森県尋常中学校本館(現鏡ヶ丘記念館)(新寺町)県重宝<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kenzoubutu_21.html 旧青森県尋常中学校本館] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、[[1894年]](明治27年)。 * [[旧東奥義塾外人教師館]] (追手門広場内、[[下白銀町]])県重宝<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kenzoubutu_14.html 旧東奥義塾外人教師館] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、[[1903年]](明治36年)。 * [[旧第五十九銀行本店本館]](現・[[青森銀行]]記念館)(元長町)重要文化財<ref>[http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_15.html 旧第五十九銀行本店本館] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、[[1904年]](明治37年)。[[堀江佐吉]]設計。 * [[日本基督教団弘前教会教会堂]] ([[元寺町 (弘前市)|元寺町]])県重宝<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kenzoubutu_22.html 日本基督教団弘前教会教会堂] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、設計は[[櫻庭駒五郎]]、施工は[[堀江佐吉]]の子、斎藤伊三郎。[[1906年]](明治39年)。 * [[旧弘前市立図書館]] (追手門広場内、[[下白銀町]])県重宝<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kenzoubutu_15.html 旧弘前市立図書館] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、[[1906年]](明治39年)。[[堀江佐吉]]ほか。 * [[弘前学院外人宣教師館]] ([[稔町 (弘前市)|稔町]])重要文化財<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_21.html 弘前学院外人宣教師館] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、[[1906年]](明治39年)。設計・施工は[[櫻庭駒五郎]] * [[旧弘前偕行社]](現・弘前女子厚生学院)([[御幸町 (弘前市)|御幸町]])重要文化財<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_28.html 旧弘前偕行社] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、[[1907年]](明治40年)。[[堀江佐吉]]設計。 * [[カトリック弘前教会]]教会堂 (百石町)[[1910年]](明治43年)。オージェ神父の設計、施工は横山常吉([[堀江佐吉]]の弟)。 * 旧[[第8師団 (日本軍)|第八師団]]長官舎(現・弘前市長公舎)([[上白銀町]])登録有形文化財<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/torokuyukei_16.html 旧第八師団長官舎(弘前市長公舎)] - 青森県庁ウェブサイト</ref>。[[1917年]](大正6年)竣工。 * [[日本聖公会弘前昇天教会教会堂]] ([[山道町 (弘前市)|山道町]])県重宝<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/juho_kenzoubutu_17.html 日本聖公会弘前昇天教会教会堂] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、[[1920年]](大正9年)。設計はジェームズ・M・ガーディナー。施工は林緑。 * [[藤田記念庭園|旧藤田家別邸]](藤田記念庭園洋館)([[上白銀町]])登録有形文化財:洋館<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/torokuyukei_17.html 旧藤田家別邸洋館] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、[[1921年]](大正10年)。 * [[弘前高等学校 (旧制)|旧制弘前高等学校]]外国人教師館 ([[文京町 (弘前市)|文京町]])登録有形文化財<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/torokuyukei_28.html 旧制弘前高等学校外国人教師館] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、[[1925年]](大正14年)。 * 旧弘前[[無尽]]社屋(三上ビル)([[元寺町 (弘前市)|元寺町]])登録有形文化財<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/torokuyukei_21.html 旧弘前無尽社屋(三上ビル)] - 青森県庁ウェブサイト</ref>。[[1927年]](昭和2年)、[[アールデコ]]調。 === 近代建築([[前川國男]]設計) === * 木村産業研究所([[在府町]])登録有形文化財<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/torokuyukei_27.html 木村産業研究所] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、[[1932年]](昭和7年)。 * 弘前中央高校講堂 ([[蔵主町]])[[1954年]](昭和29年)。 * 弘前市役所庁舎 (上白銀町)[[1958年]](昭和33年)。 * 弘前市民会館 ([[弘前公園]]内、[[下白銀町]])[[1964年]](昭和39年)。 * 弘前市立病院 ([[大町 (弘前市)|大町]])[[1971年]](昭和46年)。 * 弘前市立博物館 (弘前公園内、下白銀町)[[1976年]](昭和51年)。 * 弘前市緑の相談所 (弘前公園内、下白銀町)[[1980年]](昭和55年)。 * 弘前市斎場 ([[常盤坂]])[[1983年]](昭和58年)。 === 古木・並木 === * 大杉([[十腰内]]字猿沢、巌鬼山神社)県天然記念物<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/kentennen_04.html 大杉] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、推定樹齢1,000年。[[岩木山神社]]の[[縁起]]によれば、同神社は、[[寛治]]5年([[1091年]])にここから移ったもの。 * 燈明杉([[大沢 (弘前市)|大沢]]字堂ヶ平)県天然記念物<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/kentennen_24.html 燈明杉] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、推定樹齢700年。この地は修験道ゆかりの地で、歴史は800年以上さかのぼると伝えられている。 * 向外瀬のモクゲンジ(センダンバノボダイジュ)([[向外瀬]])県天然記念物<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/kentennen_28.html 向外瀬のモクゲンジ(センダンバノボダイジュ)] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、弘前藩の御薬園の証拠と考えられている。 * 天満宮のシダレザクラ([[西茂森]]、天満宮)県天然記念物<ref>[http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/kentennen_29.html 天満宮のシダレザクラ] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、樹齢は少なくとも500年以上で、シダレザクラとしては県内最古級。 * 鬼沢の[[カシワ]](鬼沢字猿沢、鬼神社)県天然記念物<ref>[http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/kentennen_30.html 鬼沢のカシワ(鬼神腰掛柏)] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、[[大山祇神社]]の[[神体]]。 * 正徳5年のカスミザクラ(弘前公園内、下白銀町) * 日本最古のソメイヨシノ(弘前公園内、下白銀町) * 日本最大幹周のソメイヨシノ(弘前公園内、下白銀町) * 百沢街道および高岡街道の松並木 (百沢・高岡ほか)県天然記念物<ref>[https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/kentennen_31.html 百沢街道および高岡街道の松並木] - 青森県庁ウェブサイト</ref>、百沢寺(現・岩木山神社)への参詣道および高岡霊社(現・高照神社)への参拝道として発達。 === 道の駅・産地直売所 === * [[道の駅ひろさき|道の駅ひろさき サンフェスタいしかわ]] * JAつがる弘前グリーンハウス かあさんの店 * JAつがる弘前 ひろさき新鮮組([[津軽藩ねぷた村]]内) * JAつがる弘前直売所アグリマーケット 四季彩館 * JA相馬村特産物直売センター「林檎の森」<ref>[https://life.ja-group.jp/farm/market/detail?id=1121 特産物直売所「林檎の森」] - JAグループ</ref> * JA津軽みらい りんご直売所 林檎屋(津軽藩ねぷた村内) * ANEKKO総合交流拠点施設直売所 野市里 * 弘前西地区直売所 わいわい広場 === 祭事 === ==== 弘前四大まつり ==== * [[弘前さくらまつり]](4月下旬 - 5月上旬) - さくらは旧市の「木」でもある。 * [[弘前ねぷた|弘前ねぷたまつり]](8月1日 - 7日):重要無形民俗文化財・[[日本の音風景100選]] * [[弘前城菊と紅葉まつり]](10月中旬 - 11月上旬) * [[弘前城雪燈籠まつり]](2月中旬) ==== その他のまつり・イベント ==== * 鬼沢のハダカ参り(2月初旬) - 鬼神社 市無形民俗文化財 * [[弘前ねぷた|じょっぱれ弘前春ねぷた]](4月下旬・5月上旬、2008年までさくらまつり期間中の2日間に運行されていたが近年は休止されている) - 土手町通り * [[津軽三味線]]全国大会(5月上旬) - 弘前市民会館 * 津軽五大[[民謡]]大会(5月5日) - 弘前市民会館 * 岩木全国[[凧]]揚げ大会(5月上旬) - 岩木B&G海洋センター * 津軽路ロマン国際ツーデーマーチ(5月上旬 - 中旬) * 全日本リンゴ追分コンクール(5月中旬) * 宵宮(6月上旬 - 9月) * ひろさき市民花火の集い(6月中旬) - 岩木川[[河川敷]]・運動公園 * [http://www.hcci.or.jp/txt/yosakoi/ よさこい津軽](6月下旬) - 土手町通り * 星まつりinそうま(7月中旬) - 星と森のロマントピアそうま * ([[百石町 (弘前市)|百石町]]納涼夜店まつり(7月下旬) - 百石町通り * [[ファッション甲子園]]・全国高等学校ファッションデザイン選手権大会(8月中) * 駅前さまーふぇすた(8月中 - 下旬) - 駅前通り * お山参詣(9月初旬、旧暦8月1日) - 重要無形民俗文化財 * カルチュアロード(9月上旬) - 土手町通り * ひろさきりんご収穫祭(9月下旬) - りんご公園 * 津軽の食と産業まつり(10月中旬) - 克雪トレーニングセンター * ひろさきりんごハロウィン(10月下旬) - 駅前 * 弘前エレクトリカルファンタジー(12月1日 - 2月末) - 市役所・追手門広場 - 土手町 - 弘前駅前周辺(イルミネーションと洋館[[ライトアップ]]) * ろうそくまつり(旧暦1月15日) - 沢田地区 === 名産・銘菓 === * [[リンゴ#品種|弘前りんご]] * 飛馬りんご * [[シードル]](リンゴ酒) * 嶽きみ(嶽地区名産の[[トウモロコシ]]) * [[弘前在来トウガラシ]]商品名は「清水森ナンバ」(唐辛子) * [[鎌田屋商店|つがる漬]] * [[竹流し]] * [[うんぺい]] * [[バナナ最中]] * [[縄かりんとう]] * [[黄金焼]](こがねやき:「おやき」「がめこ餅」と呼ばれることもある) * [[卍最中]] * [[ラグノオささき#主な商品|いのち]] === 伝統料理 === * [[けの汁]] * [[じゃっぱ汁]] * [[棒タラとフキの煮つけ]] * [[竹の子と身欠きニシンの炒め物]] * [[イカと大根の煮つけ]] * [[竹の子の田楽]] * [[貝焼き味噌]] * [[大根の葉巻き]] * [[しそ巻き]]梅・杏 * [[タラの子和え]] * [[沢藻だしの塩辛]] * [[身欠きニシンの飯ずし]] * [[マタギ飯]] === 伝統工芸品 === * 青森県指定伝統工芸品のうち弘前市内で指定されている物([[2012年]][[6月27日]]時点<ref>[http://www.pref.aomori.lg.jp/sangyo/kensan/DENTO.html 青森県地域産業課・青森県の伝統工芸品]</ref>) ** [[津軽漆器|津軽塗]] ** [[津軽焼]] ** [[津軽竹籠]] ** [[津軽凧]] ** [[津軽打刃物]] ** [[津軽桐下駄]] ** [[津軽裂織]] ** [[津軽焼|下川原焼土人形]]([[はと笛]]) ** [[あけび蔓細工]] ** [[弘前こけし]]・[[木地玩具]] ** [[こぎん刺し]] ** [[太鼓]] * その他 ** [[ブナコ]] ** [[あけびづる細工]] ** [[金魚ねぷた]] === 名水 === * 御膳水([[吉野町 (弘前市)|吉野町]])明治天皇の弘前巡幸の際、料理や茶に使われ、御膳水と言われる。 * [[富田の清水|富田の清水(しつこ)]]([[吉野町 (弘前市)|吉野町]])[[名水百選]] * 御茶水([[石川 (弘前市)|石川]]字西ノ沢2-114) 弘前と大鰐の境界にある尾開山の中腹にある。[[明治天皇]]がお茶を飲んだ。 * 清水観音水 ([[桜庭 (弘前市)|桜庭]]字外山948)清水観音と呼ばれていたが、[[神仏分離]]で多賀神社となった。 * 堂ヶ平桂清水(どうがたいかつらしみず)(大沢堂ヶ平)修験の地。 * 御神水([[百沢]])岩木山神社の楼門の手前左奥にある。 * 小杉沢の湧水(百沢東岩木山) * 羽黒神社霊泉([[宮地]]字宮本350)目の病が治ると言われる。 == スポーツ == * [[弘前アレッズ]]:野球 * [[ブランデュー弘前FC]]:サッカー * [[スポネット弘前]]:スポーツ総合 * [[弘前城リレーマラソン]] * [http://www.applemarathon.jp/cms/top/ 弘前・白神アップルマラソン] == 弘前を舞台にした作品 == * [[テレビドラマ]] ** [[いのち (NHK大河ドラマ)|いのち]] (1986年) ** [[津軽海峡ミステリー航路|津軽海峡ミステリー航路3 弘前 - 函館殺人海道]] (2004年) ** [[私の青空|私の青空2002]] (2002年) * [[映画]] ** [[リンゴ園の少女]] (1952年) ** [[青い山脈 (映画)|青い山脈]] ** [[男はつらいよ 奮闘篇]] (1971年) ** [[八甲田山 (映画)|八甲田山]] (1977年) ** [[刑事物語|刑事物語2 りんごの詩]] (1983年) ** [[夢の祭り]] (1989年) ** [[満月 MR.MOONLIGHT]] (1991年) ** [[津軽百年食堂]] (2011年) ** [[星守る犬]] (2011年) ** りんごのうかの少女 (2012年) ** [[奇跡のリンゴ]] (2013年) * [[歌謡曲]] ** [[エレクトリックおばあちゃん]] - [[ザ・スパイダース]](1970年) ** あゝ弘前城 - [[春日八郎]](1974年) ** [[城下町の女|弘前の女]] - [[三橋美智也]](1976年) ** 弘前城桜吹雪 - [[佐藤通弘]](2004年) ** ねぷた〜祭魂〜 - 木田俊之(2006年) ** 夜桜しぐれ - [[川野夏美]](2008年) ** 風の津軽 - [[松村和子]](2008年) ** 弘前みれん - 石沢正治(2009年) ** 弘前慕情 - 西川ひとみ(2013年) ** 津軽さくら物語 - [[川中美幸]](2017年) ** 百年桜 - [[吉幾三]](2020年) * [[小説]] ** あん火 - [[佐藤紅緑]] ** 父の葬式 - [[葛西善蔵]] ** やり・へら・にっこ - [[安岡章太郎]] ** 空と山の間 - [[田澤拓也]] ** 津軽太平記 - [[獏不次男]] ** 私の胸には蝮が宿り - [[長坂秀佳]] ** [[津軽 (小説)|津軽]] - [[太宰治]] ** 青い山脈 - [[石坂洋次郎]] ** わが日わが夢 - 石坂洋次郎 ** [[津軽百年食堂]] - [[森沢明夫]] ** [[魔弾の射手 (小説)|魔弾の射手]] - [[高木彬光]] * [[漫画]] ** [[ふらいんぐうぃっち]] - [[石塚千尋]] ** 幼なじみになじみたい - [[新挑限]] ** [[じいさんばあさん若返る]] - 新挑限 *[[地域おこし]] **『[[超城合体タメノブーンV]]』(2016年)-弘前市が企画した市民参加型プロジェクトで誕生した[[巨大ロボット]]キャラクター<ref>[https://kankou-redesign.jp/pov/1372/ 弘前城合体ロボ「超城合体タメノブーンV」登場] 株式会社ジェイクリエイト『観光Re:デザイン』</ref><ref>[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/tamenoboon5/ 超城合体タメノブーンV]弘前市公式サイト</ref>。 == 出身有名人 == === 文化人 === * [[赤羽尭]] - [[作家]] * [[阿保順子]] - 看護学者 * [[石坂洋次郎]] - 作家 * [[石塚千尋]] - [[漫画家]] * [[一戸謙三]] - [[詩人]] * [[薄田斬雲]] - [[小説家]]、ジャーナリスト * [[長部日出雄]] - 作家 * [[川口淳一郎]] - [[宇宙工学者]] * [[鎌田慧]] - [[ジャーナリスト]]、ノンフィクション作家 * [[梶浦桂司]] - [[商法学者]]、[[札幌大学]]元教授 * [[菊岡久利]] - 詩人 * [[菊池俊輔]] - [[作曲家]]・作曲家になる前は、弘前市の臨時職員を務めた事もある<!---2021年5月1日放送・RABラジオ「土曜はDON」より。--->。 * [[木村繁 (作曲家)|木村繁]] - 作曲家、元[[青森中央短期大学]]学長 * [[工藤甲人]] - [[日本画家]]([[名誉市民]]) * [[黒木あるじ]] - 怪談作家 * [[今官一]] - 作家 * [[今純三]] - 洋画家 * [[今和次郎]] - 民俗学研究者 * [[佐藤紅緑]] - 作家、[[俳人]] * [[佐野ぬい]] - [[画家]] * [[佐藤真]] - [[映画監督]] * [[澤田サンダー]] - 脚本家、原作者 * [[沢田ひろふみ]] - 漫画家 * [[鈴木キサブロー]] - 作曲家 * [[高木恭造]] - 詩人 * [[たむらまさき]] - [[撮影監督]] * [[寺山修司]] - [[劇作家]] * [[奈良岡正夫]] - [[洋画家]](名誉市民) * [[奈良美智]] - [[美術家]] * [[成田達輝]] - [[ヴァイオリニスト]]。両親の故郷の弘前市で生まれ、山形県・北海道・群馬県で育つ * [[鳴海要]] - [[陶芸家]] * [[根深誠]] - [[ルポライター]] *[[野崎孝]] - [[翻訳家]](20世紀最大の名著、[[J・D・サリンジャー]]の[[ライ麦畑でつかまえて]]を翻訳したことで知られる。) * [[福士幸次郎]] - 詩人 * [[馬淵テフ子]] - 海外飛行を実現した日本初の女性[[パイロット (航空)|パイロット]]、[[円盤投げ]]選手 * [[三浦徳子]] - [[作詞家]] * [[三浦雅士]] - [[編集者]]、文芸評論家 * [[三浦哲郎]] - [[作家]] * [[米塚尚史]] - 特殊造形アーティスト *[[長谷川演]] - 建築・インテリアデザイナー === 芸能・マスコミ === * [[ASAKI]] - [[ギタリスト]]、ミュージシャン(AGE of PUNK、[[BUG (バンド)|BUG]]、vez、[[GUNIW TOOLS]]、ROLL-B DINOSAUR * [[椛島光]] - 女優 * [[亜蘭知子]] - [[シンガーソングライター]]、[[作詞家]]、[[エッセイスト]] * [[新井浩文]] - [[タレント]] * [[井沢八郎]] - [[歌手]] * [[一戸愛子]] - 元[[グラビアアイドル]] * [[一戸友里]] - [[タレント]] * [[伊藤高史]] - 俳優 * [[伊奈かっぺい]] - タレント * [[今井文也]] - 声優 * Mark.N - [[ボーカリスト]]、[[ギタリスト]]、ミュージシャン(ブレインコミックス) * [[オノチン]] - [[ギタリスト]]、ミュージシャン([[オナニーマシーン]]) * [[金子ひろこ]] - タレント(『[[恋のから騒ぎ]]』元メンバー) * [[副島萌生]] - [[アナウンサー]] ([[日本放送協会|NHK]]) * [[鎌田紗綾]] - アナウンサー([[富山テレビ放送|富山テレビ]]) * KIM - ミュージシャン([[Hi-Fi CAMP]]) * くどうべん - [[シャンソン]]歌手 * [[鹿内美沙]] - アナウンサー([[中京テレビ放送|中京テレビ]]) * [[神敏将]] - 俳優、歌手 * [[鈴木正幸]] - タレント * [[虎谷温子]] - アナウンサー([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]) * [[綱川和夫]] - アナウンサー([[青森放送]]) * [[山内千代子 (アナウンサー)|山内千代子]] - アナウンサー(青森放送) * [[西尾夕紀]] - [[演歌歌手]]、タレント * [[和嶋慎治]] - [[ギタリスト]]、ミュージシャン([[人間椅子 (バンド)|人間椅子]]) * [[鈴木研一]] - [[ベーシスト]]、ミュージシャン(人間椅子) * [[花田凌南]] - アナウンサー([[岩手めんこいテレビ]]) * [[HISASHI]] - [[ギタリスト]]、ミュージシャン([[GLAY]]) * [[ビートまりお]] - 同人音楽グループ([[COOL&CREATE]]) * [[福士秀樹]] - ナレーター、声優 * [[松山牧子]] - アナウンサー([[NHK青森放送局]]) *[[森大河]] - 俳優 * [[りんご娘]] - [[アイドル]]グループ * [[アルプスおとめ]] - アイドルグループ * [[ライスボール (アイドル)|ライスボール]] - アイドルグループ * [[Local Sound Style]] - バンド * [[三津谷亮]] - 俳優 * [[立石勝規]] - 新聞記者、ドキュメンタリー[[作家]] * こさぶろう([[キューティーブロンズ]])、[[お笑い芸人]] * じろう([[シソンヌ (お笑いコンビ)|シソンヌ]])、お笑い芸人、俳優、[[脚本家]] *サイトウナオキ([[ゾフィー (お笑いコンビ)|ゾフィー]])、お笑い芸人 * [[相馬千恵子]] - [[俳優#性別での分類|女優]] * 奈良未遥 - [[アイドル]]([[NGT48]]) * 對馬優菜子 ‐ アイドル(NGT48) * SUSURU - ラーメンレビュー[[YouTuber]] ([[SUSURU TV.]]) === スポーツ選手 === * [[若乃花幹士 (初代)|初代若乃花幹士]] - 元[[力士]](名誉市民) * [[貴ノ花利彰]] - 元力士 * [[外ヶ濱弥太郎]] - 元力士 * [[大瀬川半五郎]] - 元力士 * [[若の里忍]] - 元力士 * [[岩木山竜太]] - 元力士 * [[若三藤成豊]] - 元力士 * [[寶智山幸観]] - 元力士 * [[四季の花範雄]] - 元力士(出生は[[北海道]][[稚内市]]) * [[渋谷誠司]] - 元[[プロ野球選手]]([[東京ヤクルトスワローズ|アトムズ]]投手) * [[葛西稔]] - 元プロ野球選手([[阪神タイガース]]投手) * [[外崎修汰]] - プロ野球選手([[埼玉西武ライオンズ]]内野手) * [[齋藤誠哉]] - 元プロ野球選手([[福岡ソフトバンクホークス]]投手) * [[藤田航生]] - 元プロ野球選手([[埼玉西武ライオンズ]]投手) * [[赤石光生]] - [[レスリング]]選手 * [[船木誠勝]] - [[プロレスラー]] * [[斎藤春香]] - [[ソフトボール]]選手 * [[成田諒介]] - [[サッカー]]選手([[ヴァンラーレ八戸]]) * [[前田光世]] - [[柔道家]] * [[木村公宣]] - [[アルペンスキー]]選手 * [[三浦数馬]] - [[プロボクサー]]、第33代日本[[スーパーバンタム級]]チャンピオン * 田沢広也 - [[プロボウラー]] * 中村智 - プロボウラー * 奈良国雄 - プロボウラー * [[工藤篤]] - 騎手([[ばんえい競馬]]) === その他 === * [[高杉年雄]] - [[医師]]、[[生活習慣病]]研究の権威 * [[中村良三 (海軍軍人)|中村良三]] - [[大日本帝国海軍]][[海軍大将|大将]] * [[本多庸一]] - [[伝道者|宗教家]]、[[教育者]]、[[牧師]]、[[教会監督]] * [[中田重治]] - 宗教家、牧師、教会監督 * [[福井資明]] - [[将棋棋士]] * [[工藤紀夫]] - [[囲碁棋士]] * [[行方尚史]] - 将棋棋士 * [[阿部光瑠]] - 将棋棋士 * [[彌冨啓之助]] - 元[[人事院]]総裁 * [[藤田謙一]] - [[実業家]]、[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員 * [[木村秋則]] - 無農薬農法開発者、りんご農家 * [[宮本甚兵衛]] - [[貴族院 (日本)#勅任議員|貴族院多額納税者議員]] * [[松木彦右衛門]] - 貴族院多額納税者議員 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} <!-- == 参考文献 == --> <!-- 実際に参考にした文献一覧(本文中の追加した情報の後に脚注を導入し文献参照ページを示して、実際に参考にした出典〈書籍、論文、資料やウェブページなど〉のみを列挙して下さい。さらにこの項目を理解するのに役立つ関連した文献は、「関連文献」などとセクション名を分けて区別して下さい。) --> == 関連文献 == <!-- 実際には参考にしていないが、さらにこの項目を理解するのに役立つ関連した文献(書籍、論文、資料、ウェブページなど)一覧(実際に参考にしているのではないので過多にならないように、多すぎたら除去。宣伝はご遠慮下さい、宣伝は除去。実際に参考にした文献は脚注を導入し「参考文献」節へ追加して下さい。) --> * 津軽ひろさき検定実行委員会編『津軽ひろさき検定公式ガイドブック』社団法人[[弘前観光コンベンション協会]]、[[2008年]]1月。 == 外部リンク == {{Sisterlinks |wikt=no |q=no |commons=Hirosaki, Aomori |commonscat=Hirosaki, Aomori |v= |voy=Hirosaki }} * 行政 ** {{Official website|www.city.hirosaki.aomori.jp|name=弘前市役所|mobile=www.city.hirosaki.aomori.jp/mobile/}} ** {{Facebook|hirosakicity}} ** {{Twitter|Hirosaki_City|青森県弘前市}} * [https://www.hirosaki-kanko.or.jp/ 弘前観光コンベンション協会] * [https://www.ring-o.jp/web/index.html Ring-O 弘前市総合情報サイト] * [[特別:CategoryTree/弘前市|弘前市カテゴリのカテゴリツリー]] * {{prefix}} * {{intitle}} {{青森県の自治体}} {{弘前市の大字}} {{日本で最も美しい村連合}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ひろさきし}} [[Category:青森県の市町村]] [[Category:弘前市|*]] [[Category:城下町]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:2006年設置の日本の市町村]]
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Perceptual User Interface
perceptual user interface(パーセプチュアル ユーザ インタフェース、PUI)は 、次世代のユーザインタフェースの一つ。 コンピュータディスプレイやポインティングデバイスを使うグラフィカルユーザインタフェースよりも自然なユーザインタフェースとして期待されている。 使用者からの入力には、身振り手振りや音声といった、人間同士のコミュニケーションに用いられる意思伝達手段を用いる。 一方使用者への出力は、映像や音声といった、人間の各種感覚への情報によって行われる。
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perceptual user interfaceは 、次世代のユーザインタフェースの一つ。 コンピュータディスプレイやポインティングデバイスを使うグラフィカルユーザインタフェースよりも自然なユーザインタフェースとして期待されている。 使用者からの入力には、身振り手振りや音声といった、人間同士のコミュニケーションに用いられる意思伝達手段を用いる。 一方使用者への出力は、映像や音声といった、人間の各種感覚への情報によって行われる。
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羽海野チカ
羽海野 チカ(うみの チカ、8月30日生)は、日本の漫画家、同人作家。東京都足立区出身。東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。女性。 小学生の頃からキャラクターデザイナーや漫画家になる夢を抱いており、工芸高校在学時、「ぶ〜け」に一度だけ投稿作品が掲載。卒業後に株式会社サンリオへ就職、勤務外に同人誌活動をはじめる。 3年後に同社を退職、フリーで、イラストやグッズのカットを手掛ける。 漫画家への夢をあきらめず、同人誌活動は継続し、コミックマーケット参加時代には同人誌を発行。サークルを1人で回し、見かねた読者が度々手伝うこともあった。 ペンネームは自身の読み切り作品、「海の近くの遊園地」からとったものである。 宝島社『CUTiE Comic』へのカット絵の仕事を依頼された際、ネームを見せたことから『ハチミツとクローバー』でデビュー、初連載となった。しかし『CUTiE Comic』休刊が決定したことで、連載は終了。 それでもこの作品を描き続けたいと、自ら出版社へ持ち込み、『YOUNG YOU』で再連載が決定。(後に『コーラス』へ移籍。) 『ハチミツとクローバー』は2005年にアニメ化、2006年に実写映画化、2008年にはTVドラマ化されてヒットし、自身の代表作となる。同作で2003年に第27回講談社漫画賞少女部門を受賞。 2007年『3月のライオン』を連載開始。2010年、第1回ブクログ大賞マンガ部門、2011年にはマンガ大賞と第35回講談社漫画賞一般部門、2014年に第18回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。2021年に第24回メディア芸術祭賞 マンガ部門大賞を受賞。 2013年に手術・療養のため入院し、一時休載した。 以下キャラクター原案:羽海野チカ
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羽海野 チカは、日本の漫画家、同人作家。東京都足立区出身。東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。女性。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 羽海野 チカ | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 生地 = {{JPN}}・[[東京都]][[足立区]]<ref name="Profile" /> | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = | 生月 = 8 | 生日 = 30 | 没年 = | 職業 = [[漫画家]] | ジャンル = 少女・青年漫画 | 活動期間 = 1995年 - | 代表作 = 『[[ハチミツとクローバー]]』<br />『[[3月のライオン]]』 | 受賞 = 第27回[[講談社漫画賞]]少女部門(2003年)<br />[[このマンガがすごい!]]オンナ編第1位(2006年、2007年)<br />第1回[[ブクログ]]大賞マンガ部門大賞(2010年)<br />第35回講談社漫画賞一般部門(2011年)<br />第18回手塚治虫文化賞マンガ大賞(2014年) | 公式サイト = [http://www13.plala.or.jp/umino/ 羽海野チカ_umino*chika] }} '''羽海野 チカ'''(うみの チカ、[[8月30日]]生<ref name="Profile">[https://natalie.mu/comic/artist/1800 コミックナタリー羽海野チカ](2011年7月29日閲覧)</ref>)は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[同人作家]]。[[東京都]][[足立区]]出身<ref name="Profile" />。[[東京都立工芸高等学校]]<ref>[https://manabi.benesse.ne.jp/plus/univ/univ005/ 「<著名人の出身大>マンガ家になるには美大に行ったほうがいい?」]ベネッセ マナビジョン 2018年3月15日閲覧</ref>デザイン科<ref>[[吉田豪]] [https://web.archive.org/web/20170325093547/http://frau.tokyo/_ct/17052752 漫画家・羽海野チカの原点「高校生&会社員時代の思い出」] [[FRaU]] (2017年4月) 2019年3月15日閲覧。</ref>卒業。[[女性]]。 == 略歴 == 小学生の頃から[[キャラクターデザイナー]]や漫画家になる夢を抱いており<ref name="Profile1">[https://web.archive.org/web/*/http://www.s-woman.net/umino/1.shtml 『ハチミツとクローバー』スペシャルインタビュー 羽海野チカ](2011年12月5日閲覧)</ref>、工芸高校在学時、「[[ぶ〜け]]」に一度だけ投稿作品が掲載。<ref name="萩尾対談">『マンガのあなた、SFのわたし 萩尾望都対談集1970年代編』所収「萩尾望都×羽海野チカ」河出書房新社 2012年</ref>卒業後に株式会社[[サンリオ]]へ就職<ref name="Profile2">2003年 フリーマガジン「Sai+」no.6 「ハチミツとクローバー」マンガ家 羽海野チカ・インタビューより(2011年12月5日閲覧)</ref>、勤務外に同人誌活動をはじめる<ref name="萩尾対談" />。 3年後に同社を退職、フリー<ref name="Profile2" />で、イラストやグッズのカットを手掛ける。 漫画家への夢をあきらめず、同人誌活動は継続し<ref name="萩尾対談" />、[[コミックマーケット]]参加時代には同人誌を発行。サークルを1人で回し、見かねた読者が度々手伝うこともあった。 [[ペンネーム]]は自身の[[読み切り]]作品、「海の近くの遊園地」からとったものである<ref name="Profile1" />。 宝島社『[[CUTiE Comic]]』へのカット絵の仕事を依頼された際、[[ネーム (漫画)|ネーム]]を見せたことから『[[ハチミツとクローバー]]』でデビュー、初連載となった<ref name="Profile2" />。しかし『CUTiE Comic』休刊が決定したことで、連載は終了。 それでもこの作品を描き続けたいと、自ら出版社へ持ち込み、『[[ヤングユー|YOUNG YOU]]』で再連載が決定<ref>BSマンガ夜話「ハチミツとクローバー」2008年6月20日 いしかわじゅん発言。『3月のライオン』第10巻にて、作者のあとがきに掲載。</ref>。(後に『[[Cocohana|コーラス]]』へ移籍。) 『ハチミツとクローバー』は[[2005年]]に[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]化、[[2006年]]に実写[[映画]]化、[[2008年]]にはTV[[テレビドラマ|ドラマ]]化されてヒットし、自身の代表作となる。同作で[[2003年]]に第27回[[講談社漫画賞]]少女部門を受賞。 [[2007年]]『[[3月のライオン]]』を連載開始。[[2010年]]、第1回[[ブクログ]]大賞マンガ部門、[[2011年]]にはマンガ大賞と第35回講談社漫画賞一般部門、[[2014年]]に第18回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。2021年に第24回メディア芸術祭賞 マンガ部門大賞を受賞<ref>{{Cite web|和書|title=「3月のライオン」に大賞 文化庁メディア芸術祭賞|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG12A6P0S1A310C2000000/|website=日本経済新聞|date=2021-03-12|accessdate=2021-03-12|language=ja}}</ref>。 [[2013年]]に手術・療養のため入院し、一時休載した<ref>[https://news.mynavi.jp/article/20130928-a086/ 羽海野チカが入院と手術のため『3月のライオン』休載へ、連載再開は年内に] マイナビニュース (2013年9月28日) 2019年3月4日閲覧</ref>。 == 人物 == * *敬愛する漫画家は「[[くらもちふさこ]]」「[[萩尾望都]]」<ref>[https://ameblo.jp/chica-umino/entry-10170465474.html 公式ブログ「海の近くの遊園地」2008年11月28日エントリ「2007/3/26 まんがキッチン☆」(2013年3月17日確認)]</ref>。萩尾望都の作品から技法を学びとり独習した。『ハチミツとクローバー』はぐちゃんは、萩尾望都『[[ポーの一族]]』シリーズ短編第2作『[[ポーの村]]』に登場したメリーベルをイメージして、おでこを出した長い巻き毛の少女にしたという<ref name="萩尾対談" />。 * 『[[イノセンス]]を待ちながら』では『[[機動警察パトレイバー 2 the Movie]]』や『[[GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊]]』など[[押井守]]アニメへの思い入れを描き、後に押井守の弟子である[[神山健治]]のオリジナルアニメ『[[東のエデン]]』『[[Xi AVANT]]』キャラクター(原案)を手がけた。 * デビュー第2作目の『3月のライオン』は編集者の、次回作は[[将棋]]か[[ボクシング]]漫画をとの提案がきっかけ。羽海野本人は将棋は全く知らないため、対局シーンは監修者の協力を得て描かれている。『ハチミツとクローバー』後、一発屋との風評に手堅い作品をと、前作7巻目から準備を始めた。物語の舞台は実在の場所に設定することを決め、萩尾望都『海のアリア』に倣い、当初は[[鎌倉]]を検討したが取材のしやすさ、橋が多くあり、川で画面が広くなり絵になる場所という理由により、都内の[[月島]]に変更<ref name="萩尾対談" />。 * 2010年12月8日に公式ブログで、「東京都青少年健全育成条例改正案」の表現への規制に、反対を表明している<ref>[https://ameblo.jp/chica-umino/entry-10730298673.html 公式ブログ「海の近くの遊園地」2010年12月8日エントリ「東京都青少年健全育成条例改正案」について]</ref>。 * 『ハチミツとクローバー』のあとがきにもあるように、『[[ハリー・ポッターシリーズ|ハリー・ポッター]]』と[[宮崎駿|宮崎アニメ]]が好きで、自らを[[オタク]]と称する。 * 2007年、[[スコティッシュフォールド]]をペットショップにて購入し「ブン」と名付け、3月のライオン2巻以降著者近影に使用。この「ブン」とは2019年11月に死別している。ブンとの出会いとお迎え、ブンとマフィア梶田の対立と和解、その晩年が、「GOHOマフィア!梶田くん」にてマフィア梶田の証言を交えながら描かれている。「GOHOマフィア!梶田くん」にはクマのようなキャラクターで登場している他、1巻の表紙とおまけ漫画寄稿・先のブンの一生と、本作には深く関わっている。 * 2020年4月、かつて愛読していたブログの管理人である[[忽那賢志]]感染症医との[[ツイッター]]上での「再会」を期に、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症]]啓発ポスターを作成した<ref>{{Cite web|和書|title=「20年前に読んでいたブログの管理人が感染症専門医になっていて心配」 漫画家・羽海野チカさんのツイートから奇跡の再会 → コラボイラストも実現する流れに(要約)|url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2004/20/news129.html|website=ねとらぼ|date=2020-04-20|accessdate=2020-04-29|language=ja}}</ref>。 * イラストはアナログで描いていたが、2021年にゲーム『[[Fate/Grand Order]]』にイラストを寄稿するのに合わせ、デジタル作画環境を用意している。 == 作品リスト == === 連載作品 === ; [[ハチミツとクローバー]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/101545/|title=ハチミツとクローバー :作品情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-06-16}}</ref> : 詳細については同項目を参照。 : 同作品の[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]では本人のイメージ・キャラクターである、“ウミノクマ”が時々出現していた(声優はない)。 : 第27回[[講談社漫画賞]]少女部門受賞作。 ; [[3月のライオン]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/104759/|title=3月のライオン|publisher=アニメハック|accessdate=2020-07-30}}</ref> : 詳細については同項目を参照。 : 白泉社『[[ヤングアニマル]]』2007年14号(7月13日発売)不定期連載中。 第1回[[ブクログ]]大賞マンガ部門、[[マンガ大賞]]2011大賞、第35回講談社漫画賞一般部門受賞作品、[[2014年]]第18回手塚治虫文化賞マンガ大賞。 === 読み切り作品 === ; 冬のキリン : 『スピカ〜羽海野チカ初期短編集〜』に収録。 : [[マガジン・マガジン]]『小説JUNE』118号、2000年4月掲載。 ; 夕陽キャンディー : 全6ページの作品で、『スピカ〜羽海野チカ初期短編集〜』に収録。 : JUNK!BOY([[ビブロス]])2000年夏号掲載。 ; ミドリの仔犬 : 『スピカ〜羽海野チカ初期短編集〜』に収録。 : [[ソニーマガジンズ]] Be Street Vol.2 2000年8月29日掲載。 ; 空の小鳥 : 『ハチミツとクローバー』10巻に収録された。『[[YOUNG YOU]]』(現在は休刊)2001年8月号掲載。 ; はなのゆりかご : 「ミドリの仔犬」のその後の続編。『スピカ〜羽海野チカ初期短編集〜』に収録。 : [[幻冬舎コミックス]] Be Street Vol.7 2001年12月24日掲載。 ; スピカ : 『スピカ〜羽海野チカ初期短編集〜』に収録。 : [[月刊フラワーズ|flowers]]([[小学館]])2002年10月号掲載の28ページ作品。 ; タイトル不明 : [[装苑]]([[文化出版局]])2002年10月号掲載の4コマ作品。 ; [[星のオペラ]] : 『ハチミツとクローバー』10巻に収録。COMIC CUE Vol.300!(2003年)掲載。 ; イノセンスを待ちながら :[[スタジオジブリ]]小冊子 熱風 2004年2月掲載([[太田出版]]・コンティニュースペシャル)。 === 挿絵・イラスト === * 冒険者たち GLASS HEART([[若木未生]]) * LOVE WAY GLASS HEART(同) * 熱の城 GLASS HEART(同) * まんがキッチン([[福田里香]]) * [[連れてって 連れてって]]([[DREAMS COME TRUE]]) * さざなみLP([[スピッツ (バンド)|Spitz]]) * ワルツ([[スネオヘアー]]) * [[ドラマチック (YUKIの曲)|ドラマチック]]([[YUKI (歌手)|YUKI]]) * 松本隆WORKSコンピレーション「風街少年」「風街少女」([[松本隆]]) * 神菜、頭をよくしてあげよう([[大槻ケンヂ]]) * [[扉を開けて (小説)|扉を開けて]]([[新井素子]]) * 妄想炸裂([[三浦しをん]]) * [[夜は短し歩けよ乙女]]([[森見登美彦]])解説 * [[ふしぎの国のアリス]]([[ルイス・キャロル]])- 2006年ナツイチスペシャルカバー版 * MORI LOG ACADMEY([[森博嗣]]) * No.7([[神山健治]])ドラマCD * 新訳 [[赤毛のアン]]シリーズ([[ルーシー・モード・モンゴメリ]])集英社みらい文庫 おのともえ絵共作 *# 赤毛のアン 2011年 *# アンの青春 2012年 *# アンの愛情 2013年 * 広告特集「嵐とマンガ」にて[[櫻井翔]]の肖像イラスト - 2011年2月3日 [[朝日新聞]]朝刊 * [[集英社みらい文庫]]イメージキャラクター * [[マコちゃんのリップクリーム]] 第7巻表紙 ** 羽海野が「[[杉田智和のアニゲラ!ディドゥーーン]]」に出演した際、この作品が好きだと発言し、それが作者の[[尾玉なみえ]]の耳に入り実現した企画<ref>[[月刊少年シリウス]] 2012年5月号「なみえの懺悔」より</ref>。『ハチミツとクローバー』第6巻の表紙のセルフパロディである。 * GOHOマフィア!梶田くん([[大川ぶくぶ]])第1巻表紙 *[[Fate/Grand Order]](2021年、[[TYPE-MOON]]) - 「オベロン」キャラクターデザイン === アニメーション === * ハチミツとクローバー * ハチミツとクローバーII * [[〈物語〉シリーズ セカンドシーズン|囮物語]](第4話エンドカード) * 3月のライオン(第22話(最終回)エンディング原画) 以下キャラクター原案:羽海野チカ * [[東のエデン]](2009年4月開始、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]「[[ノイタミナ]]」枠) * 東のエデン 総集編 Air Communication * 東のエデン 劇場版I The King of Eden * 東のエデン 劇場版II Paradise Lost * [[Xi AVANT]] (2011年) == 書籍 == === 漫画 === * ハチミツとクローバー(宝島社版/全1巻) * ハチミツとクローバー(全10巻) * ハチミツとクローバー Vol.0 オフィシャル・ファンブック * 3月のライオン(既刊17巻、連載中) * 3月のライオン おさらい読本 初級編 * スピカ 〜羽海野チカ初期短編集〜 === 対談 === * 雑誌「オトメコンティニュー」 Vol.4「[[木皿泉]]×羽海野チカ2万字対談」<ref>[http://www.ohtabooks.com/otome/backnumber/vol04/2011/01/07172302.html 「オトメコンティニュー」HP Vol.4紹介]</ref>2011年 [[太田出版]] * マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都・対談集 1970年代編「特別対談 羽海野チカ」2012年 [[河出書房新社]] * MOE (モエ) 2015年 01月号 1万字ロングインタビュー 羽海野チカをつくったもの ―絵本と雑貨と手づくりと― http://www.moe-web.jp/moe/20151.html [[白泉社]] === 関連書籍 === * ハチミツとクローバー イラストレーションズ * ハチミツとクローバー 手づくり絵本BOX * [[spoon.]]([[角川書店]]) 〜『ハチミツとクローバー』のすべて〜 2005年4月号 * コンティニュースペシャル(太田出版、2005年6月号) * spoon. (角川書店)〜ハロー&グッバイ!ハチミツとクローバー〜 2006年8月号 * 別冊spoon 〜ハチミツとクローバー特集〜 2009年3月号 * Otome continue Vol.4 2011年 (太田出版) * [[よしながふみ]]対談集 あのひととここだけのおしゃべり == CD・DVD == * ハチミツとクローバー(全9巻) * ハチミツとクローバーII(全4巻) * ハチミツとクローバー オリジナルサウンドトラック * ハチミツとクローバー COMPLETE BEST * 東のエデン Vol.1〜5 * 東のエデン 劇場版I The King of Eden * 東のエデン 劇場版II Paradise Lost == 交友 == * 2005年に『[[QuickJapan|QJ]]』と『[[CONTINUE (雑誌)|CONTINUE]] SPECIAL』(いずれも[[太田出版]])で[[吉田豪]]のインタビューを受けて、吉田が過去のトラウマとなっていたことを笑い飛ばしたことで、「生きるのがだいぶ楽になりました」と語っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20170417041142/https://cakes.mu/posts/15950|title=羽海野チカ☆超ロングインタビュー 『ハチミツとクローバー』から『3月のライオン』へ|work=cakes|date=2017-04-17|accessdate=2018-03-15}}</ref>。このインタビューと自らの作品のアニメ化によって交友関係が広がったという。 * 『[[デトロイト・メタル・シティ]]』や『[[ササメケ]]』、『[[リストランテ・パラディーゾ]]』、『[[監督不行届]]』など多数の他作家の作品の帯にイラストやコメントを寄せている。逆に『ハチミツとクローバー』の公式ファンブックからは[[高橋しん]]など親交が深い多数の作家からトリビュートされている事が分かる。 * [[三浦建太郎]]とは互いに親交があり、互いの作品にイラストや口絵を寄せている。また、『三月のライオン』の土橋健司は三浦がモデルの一人であり、三浦は同作を「ヤングアニマルで最も男らしい漫画」と評した。 * [[島本和彦]]の漫画『[[吼えろペン|新・吼えろペン]]』第29話に、羽海野チカをもじった「'''陸野地下'''」(りくのちか)という漫画家が登場する。またその回が収録されている第8巻の帯に羽海野が応援コメントを寄せており、「『[[吼えろペン|燃えよペン]]』から大好きでした」とそれ以前から島本のファンだった事を明かしている。 * [[戸田泰成]]の漫画『[[スクライド (漫画)|スクライド]]』の読み切り漫画「スクライド・ビギンズ」に、「チカ」を「千力」と読んだ'''羽海野チカ'''(うみの“せんりき”)というキャラクターが登場している。ちなみに漫画『スクライド』の脚本を担当した[[黒田洋介]]は、アニメ『ハチミツとクローバー』の脚本も担当している。 * マンガ大賞2014を受賞した[[森薫]]は羽海野チカからの祝辞に感謝した上で「同じ高校の先輩」と発言し、会場内を驚かせた<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/113102|title=「乙嫁」森薫が80歳まで現役宣言、マンガ大賞2014授賞式|work=コミックナタリー|date=2014-03-27|accessdate=2020-11-15}}</ref>。 == アシスタント == ; 鳥野しの : 羽海野には「はれちゃん」と呼ばれている。単行本のあとがき漫画では耳の長いネコのキャラクターとしてよく登場している。 : 『[[フィールヤング]]』にて「[[オハナホロホロ]]」を連載。 ; 塾長 : 苗字に“魁”という一文字が入っていたばかりに塾長という連想から命名された。ハチミツとクローバー2巻あとがき漫画でたれ耳キャラクターとして登場している。 ; ベッチー ; チヨ ; ワキタ ; エミリー ; まっちゅん ; オノ ; おーちゃん ; R([[黒澤R]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[神山健治]] == 外部リンク == * {{Twitter|CHICAUMINO}} * {{Instagram|chicaumino}} * {{Ameba ブログ|chica-umino|海の近くの遊園地}} * [http://www13.plala.or.jp/umino/ 羽海野チカ_umino*chika] - 本人サイト * {{Official website|http://3lion.younganimal.com/|name=『3月のライオン』羽海野チカ}} * [https://miraibunko.jp/ 集英社みらい文庫] * [https://www.1101.com/umino_chika/index.html ほぼ日刊イトイ新聞 恋、みたいなもの。] * [https://www.1101.com/umino_chika_2012/index.html ほぼ日刊イトイ新聞 ウミコせんせいにきく 書き文字&マーク入門] {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:うみの ちか}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:同人作家]] [[Category:東京都立工芸高等学校出身の人物]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:生年未記載]] [[Category:存命人物]]
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明智抄
明智 抄(あけち しょう、1960年2月8日 - 2020年8月4日)は、日本の女性漫画家、小説家。 広島県出身。1980年、『花とゆめ』(白泉社)に掲載の「あざやか緑の物語」で漫画家としてデビュー。主に『別冊花とゆめ』(白泉社)『コミックアイズ』(ホーム社、集英社)などで活躍。1998年には、大原まり子らとの共著によるアンソロジー『ハンサムウーマン』(ビレッジセンター出版局)に書き下ろした「松茸狩りでオトナになる」で小説家としてもデビューした。 『始末人』シリーズ、『死神の惑星』とそれに繋がる一連の作品群、等。
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明智 抄は、日本の女性漫画家、小説家。
'''明智 抄'''(あけち しょう、[[1960年]][[2月8日]]<ref name="mangaseek">まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、ISBN 4-8169-1760-8、13頁</ref> - [[2020年]][[8月4日]])は、日本の女性<ref name="mangaseek" />[[漫画家]]、[[小説家]]。 == 来歴 == [[広島県]]出身<ref name="mangaseek" />。1980年、『[[花とゆめ]]』([[白泉社]])に掲載の「あざやか緑の物語」で漫画家としてデビュー<ref name="mangaseek" />。主に『[[別冊花とゆめ]]』(白泉社)『[[コミックアイズ]]』([[ホーム社]]、[[集英社]])などで活躍。1998年には、[[大原まり子]]らとの共著による[[アンソロジー]]『ハンサムウーマン』([[ビレッジセンター]]出版局)に書き下ろした「松茸狩りでオトナになる」で小説家としてもデビューした。 == 代表作 == 『始末人』シリーズ、『[[死神の惑星]]』とそれに繋がる一連の作品群、等。 == 略歴 == * 1980年 - 「あざやか緑の物語」により漫画家としてデビュー。 * 1998年 - 「松茸狩りでオトナになる」により小説家としてデビュー。 * 2000年 - 数学者で[[広島大学]]大学院教授の [[松本眞 (数学者)|松本眞]]と結婚<ref>出典:[http://www.math.sci.hiroshima-u.ac.jp/~m-mat/AKECHI/index.html 「明智抄補完委員会 1999年5月18日立ち上げ」] [http://www.math.sci.hiroshima-u.ac.jp/~m-mat/ 松本眞] 2006年3月4日 16:05 (UTC)。</ref>。 * 2002年 - 『死神の惑星』が第33回[[星雲賞]][[星雲賞#コミック部門|コミック部門]]候補作となる<ref>[https://prizesworld.com/prizes/name/%E6%98%8E%E6%99%BA%E6%8A%84 明智抄|文学賞の世界]. 2021年9月29日閲覧</ref>。 * 2020年 - 8月2日に納屋で心肺停止状態で倒れてたところを発見され、救急搬送された。8月4日に入院先で逝去。{{没年齢|1960|2|8|2020|8|4}}。葬儀は、8月5日に家族のみにて執り行われた<ref>出典:「[https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6960&id=94656849 公認ファンクラブ代表による訃報]」mixi 2020年08月09日 02:25 (JST)</ref>。9月18日、白泉社の公式サイトで死去していたことを明らかにした<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/information/58570/|title=訃報 明智抄先生が逝去されました|publisher=株式会社白泉社|date=2020-09-18|accessdate=2020-09-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/09/18/kiji/20200809s00041000253000c.html|title=漫画家の明智抄さん8月に死去 「始末人」シリーズや「サンプル・キティ」など 白泉社が発表|publisher=Sponichi Annex|date=2020-09-18|accessdate=2020-09-18}}</ref>。 == 著書リスト == === 漫画著書 === * 始末人シリーズ(白泉社[[花とゆめコミックス]]) # 明郎健全始末人 1986年 ISBN 9784592117797 # 鳥類悲願始末人 1987年 ISBN 9784592115809 # 白花繚乱始末人 1988年 ISBN 9784592115892 # 暗中捜索始末人 1989年 ISBN 9784592118787 # 勧善掌握始末人 1991年 ISBN 9784592125594 * 女の十字架 (花とゆめコミックス) 1990年 ISBN 9784592125075 * 図説オカルト恋愛辞典 (花とゆめコミックス) 1993年 ISBN 9784592126386 * 同世界観に連なるSF連作 :* サンプル・キティ(花とゆめコミックス) :# 1994年 ISBN 9784592122746 :# 1995年 ISBN 9784592122753 :# 1995年 ISBN 9784592122760 :# 1996年 ISBN 9784592122777 :* 砂漠に吹く風 :** 砂漠に吹く風(花とゆめコミックス) 1996年 ISBN 9784592113355 :** 砂漠に吹く風([[エンターブレイン]]BEAM COMIX) - 上記に単行本未収録作品及び描き下ろしを加えた完全版 :*# 2003年 ISBN 9784757713505 :*# 2003年 ISBN 9784757713512 :* 死神の惑星([[ホーム社]]アイズコミックス/[[集英社]]) - 未完 :# 1998年 ISBN 9784834261035 :# 2000年 ISBN 9784834261325 :# 2001年 ISBN 9784834261547 * 毎日のセレモニー (白泉社レディースコミックス) 1994年 ISBN 9784592150114 * キャプテン・コズミック ([[徳間書店]][[アニメージュ]]コミックス) 1994年 ISBN 9784197700226 * パンドラ (朝日ソノラマ [[ハロウィン]]少女コミック館) 1995年 ISBN 9784257985587 * 野ばらの国 ([[ぶんか社]]コミックス ホラーMシリーズ) 1999年 ISBN 9784821197811 * 一町八反日記(ぶんか社コミックス ホラーMシリーズ) 2016年 - 電子書籍のみ ; 文庫 * 始末人シリーズ([[朝日ソノラマ]]ソノラマコミック文庫) # 明朗健全始末人 2005年 ISBN 9784257722861 # 鳥類悲願始末人 2005年 ISBN 9784257722908 # 白花繚乱始末人 2005年 ISBN 9784257722953 # 暗中捜索始末人 2005年 ISBN 9784257723004 # 勧善掌悪始末人 2005年 ISBN 9784257723066 - 単行本未収録作品を含む * サンプル・キティ(ソノラマコミック文庫) # 2005年 ISBN 9784257723219 # 2005年 ISBN 9784257723257 # 2006年 ISBN 9784257723257 # 2006年 ISBN 9784257723370 * 少女忍法帖 (ぶんか社ホラーMコミック文庫) 2006年 ISBN 9784821182565 * 砂漠に吹く風(ソノラマコミック文庫) # 2006年 ISBN 9784257723448 # 2006年 ISBN 9784257723462 * 死神の惑星(ソノラマコミック文庫) # 2006年 ISBN 9784257723530 # 2006年 ISBN 9784257723608 # 2006年 ISBN 9784257723660 * 「筒井漫画瀆本ふたたび」に所収「幸福ですか?」(原作:[[筒井康隆]]、[[実業之日本社]]、{{ISBN2|978-4408612720}}) 2010年 * 明智抄名作選([[復刊ドットコム]]) # 毎日のセレモニー 2013年 {{ISBN2|978-4835450223}} - 単行本未収録作品を含む # パンドラ 完全版(前編) 2014年 {{ISBN2|978-4835450230}} # パンドラ 完全版(後編) 2014年 {{ISBN2|978-4835450247}} - 書下ろし最終話を含む ; 自費出版 * 明智抄単行本未収録作品集(明智抄公認ファンクラブ明智事務所) # 2000年 砂漠に吹く風 # 2001年 純情火炎始末人他4本 # 2001年 順風満願始末人他4本 # 2002年 よろしかったらスキャンダル # 2002年 鍋島専科他3本 === 小説作品 === * 「ハンサムウーマン」に所収「松茸狩りでオトナになる」([[ビレッジセンター]]出版局) 1998年 - ISBN 9784894361140 * 「カサブランカ革命 百合小説の誘惑」に所収「完璧な十一月」([[イースト・プレス]]) 1998年 - ISBN 9784872571530 * 「彗星パニック SFバカ本」に所収「笑う『私』、壊れる私」([[廣済堂出版]]) 2000年 - ISBN 9784331607992 * 「蜜の眠り」に所収「ハンサムウーマン」(廣済堂出版アテール文庫) 2000年 - ISBN 9784331608166 / ([[光文社文庫]]) 2001年 - ISBN 9784334732233 == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * [https://web.archive.org/web/20010606142402/http://www.linkclub.or.jp/~layla/index.html 諸国物産取扱永代屋 仮想電脳店] {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あけち しよう}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:SF漫画家]] [[Category:日本の女性小説家]] [[Category:20世紀日本の小説家]] [[Category:21世紀日本の小説家]] [[Category:広島県出身の人物]] [[Category:1960年生]] [[Category:2020年没]]
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チューバ
チューバあるいはテューバは、大型の低音金管楽器である。金管楽器の中では最も大きく、最も低い音域を担う。 唇の振動によって生じた音を管体で共鳴させ朝顔(ベル)から放出するという基本構造は他の金管楽器と同様であるが、フレンチ・ホルン以上の全長を持つ管は長円状に幾重にも巻かれ、大型の朝顔は上部に開く。金属(主に真鍮)製の管は、迂回管や抜差し部分を除き、朝顔に向かって緩やかに広がる「円錐管」となっており、唄口を接続する「マウスパイプ」と呼ばれる部分は楽器の中程の高さに取り付けられる。 音程を変えるための弁(バルブ)を持つが、これにはピストン式とロータリー式とがあり、その数は3つから7つまでと様々である。 ピストン式の楽器には、楽器を構えた時に、弁が直立した(upright)状態になる「アップライト型」(通称「縦バス」)と、弁が横倒しになり楽器の前面で操作を行う「フロント・アクション」(front-action)とがある。 ロータリー式の弁を備えた楽器は全て前面操作となり、また、基本構造は前面操作のピストン式であっても1つないしは2つの追加のロータリー式の弁を備えるものもある。迂回管部やマウスピース直後の下向きにU字状になった部分には結露水がたまりやすいため、水抜き用のバルブ機構や抜差し管を使い排出を行う。 チューバ(tuba)の名称は、元々はラテン語で「管」の意味であり(英語のチューブと同源)、ローマ時代に用いられていた楽器の名称である。旧約聖書にも表れるこの呼称はいわゆる「ラッパ」を指すもので、管楽器の名称としてしばしば使われていたため、19世紀に入って登場した低音金管楽器の名称としても使われるようになった。 チューバ以前の低音金管楽器として、古くはセルパンと呼ばれる木製の有孔の楽器が使われており、後にこの流れを汲んだバソン・リュス(ロシアン・バスーン)、セルパンフォルヴィール (Serpent Forveille)といったバスホルンまたはアップライト・セルパンと呼ばれる木製のキー式の楽器が生み出されている。 18世紀半ばにイギリスから始まった産業革命により、金属の加工技術が飛躍的に進歩すると、軍隊楽器を中心に木製の管楽器を金属で製作する試みがなされ、ビューグルが誕生した。1813年にはドイツでヴァルヴ機構が開発され、ホルンやトランペットなどで音高を変える仕組みとしてヴァルヴが採り入れられ始めた。こうした動きはやがて低音金管楽器にも波及し、1817年にフランスで開発されたキー式の低音金楽器オフィクレイドがドイツに導入されると、すでにヴァルヴ式の楽器に慣れていたドイツの演奏者のためにヴァルヴ機構を備えた低音金管楽器が開発された。その代表的なものが1829年にウィーンの楽器製作者ヨゼフ・リードル(1788年頃 - 1837年)によって発表された「ボンバルドン」である。「ボンバルドン」は両手で操作するオフィクレイドと異なり片手の3本ヴァルヴで操作可能で複雑な運指を必要としなかった。これは管を「C」から「F」に延長することで達成されていたが、使用音域はオフィクレイドと変わらなかった。ボンバルドンはウィーンの軍楽隊とウィーン宮廷劇場の管弦楽団(ウィーンフィルの前身)に採用され、1970年代まで用いられた。 この「ボンバルドン」型の楽器に、右手用の3本のヴァルヴに左手で操作する2つのヴァルヴを追加してF管の最低音を使用できるようにしたのが、ベルリンのプロイセン軍楽隊長ヴィルヘルム・ヴィープレヒト(Wilhelm Wieprecht, 1802年 - 1872年)とベルリンの楽器製造職人ヨハン・ゴットフリート・モーリッツ(Johann Gottfried Moritz)によるベルリン式のピストン・ヴァルヴを採用した最初の実用的なチューバである「F管バステューバ」だとされ、この楽器は1835年に特許が取得されている。 モーリッツの開発したチューバは軍楽隊用の楽器であったため、登場してしばらくはプロイセンの国外に普及しなかったが、リヒャルト・ワーグナーがチューバの低音を好んで『ニュルンベルクのマイスタージンガー』などでF管バスチューバを活躍させたことにより、プロイセン国内ではオーケストラに取り入れられるようになった。1871年にプロイセンがドイツ統一を達成すると、1875年にはウィーンの管弦楽団がチューバを正式採用し、翌1876年のバイロイト音楽祭で『マイスタージンガー』が演奏された。イギリスはオフィクレイドを19世紀末まで使用していたが、ワーグナーのオペラの普及とともに徐々に姿を消し、20世紀に入る頃にはほとんど見られなくなった。また、19世紀の半ば頃には、他に「シュドロフォン(英語版)」などと呼ばれる低音金管楽器もまた存在したが、やがてこれらの呼称は廃れ、「チューバ」の呼称が一般的になっていった。。 19世紀中頃には、「f」や「d」字型など、チューバの形状は様々であったが、アドルフ・サックスによって一連のサクソルンがまとめられて以降、この楽器群に見られる長円型へと次第に収束していった。今日では、低音域での豊かな音量を求め、全般的に大型化の傾向が見られる。 チューバはその音域によってテナー、バス、コントラバスの3種類に分類される。 さらに、チューバはピストン式やロータリー式にまで分かれる。 テナー・チューバ(tenor tuba)は、比較的小型のチューバであり、しばしばユーフォニアム(euphonium)とも呼ばれ、変ロ調(B♭管)やハ調(C管)の楽器が知られている。稀ではあるが、この呼称はワーグナー・チューバを指すものとして使われることがある。 今日「テナー・チューバ」(あるいは「ユーフォニアム」)と呼ばれている楽器は、吹奏楽やブラス・バンド、独奏などで用いられる他、後期ロマン派以降の比較的大きな編成による交響曲や管弦楽曲でも稀に使用の機会がある。一般に「テナー・チューバ」の呼称は管弦楽で用いられ、「ユーフォニアム」は吹奏楽など管弦楽以外の分野全般で用いられる。日本ではバルブの形態により、ロータリー式の楽器を「テナー・チューバ」、ピストン式の楽器を「ユーフォニアム」として呼び慣わしている(これらの呼称についてはユーフォニアムを参照)。B♭管の場合、オーケストラにおいては、通常トロンボーン奏者が持ち替えて演奏する。 このテナー・チューバに含まれる楽器としては、「フレンチ・チューバ」(あるいは「サクソルン・バス」)と呼ばれるものも存在する。 一般には単に「チューバ」と呼ばれる楽器は変ロ調、ハ調、変ホ調、ヘ調の調性を持つものが知られている。これらはそれぞれ、しばしば「B♭管(ドイツ式表記ではB管)」「C管」「E♭管(ドイツ式表記ではEs管)」、「F管」の様に表記され、この中でB♭管が最も管が長く、C、E♭、Fの順に短くなる。これらのチューバは管弦楽や吹奏楽における大編成の合奏から独奏に至るまで、幅広い用途に用いられる。吹奏楽やブラス・バンド、特に後者においては、習慣的にチューバを単に「バス」と呼ぶ場合があるが、これはしばしばアップライト型の楽器に限定される。また、「チューバ」と「バス」を明確に区別する者も奏者を中心に存在する。 チューバのうち、変ホ調とヘ調の楽器を「バス・チューバ」、変ロ調とハ調の楽器を「コントラバス・チューバ」として区別する場合がある。作曲家によっては楽譜上で区別し、使用する楽器を指定している。コントラバス・チューバは、同じ調性のテナー・チューバよりも基音が1オクターブ低く、テナー・チューバと区別して「BB♭管」「CC管」とも表記される。 「ウィンナ・チューバ」と呼ばれる楽器はF管のバス・チューバの一種である。左手で3個、右手で3個、計6個のロータリー・バルブを操作する。管厚が薄く、ウィンナ・ホルン同様に倍音を多く含み、他の金管楽器とよく融け合う響きを出す。特にドイツ式トロンボーンとの親和性が高い。 ウィンナ・チューバは、この楽器の響きに魅せられたワーグナー、ブルックナー、マーラー、リヒャルト・シュトラウスなどにより後期ロマン派の重要作品に用いられていく。オーケストラのチューバとの意味合いを込めて「コンサート・チューバ」の呼称も得た。オフィクレイドが長く使用されたイギリスにも遅れて普及し、エルガーはバス・チューバとしてこのウィンナ・チューバF管を想定していた(ベッソンなどのコンペンセイティングE♭管は「ミリタリー・チューバ」に分類され、オーケストラの楽器と見なされていなかった)。 ベルリン生まれのシステムであるが、ウィーンで育てられ広く普及し、近年までウィーンで使われ続けたことによってウィンナ・チューバと呼ばれている。新しいウィンナ・チューバをゲルハルト・ゼックマイスター (Gerhard Zechmeister) が、ムジカ (Musica) 社の協力で開発している。ムジカ型はいくつかのバリエーションを持つ(画像1、画像2)。 ゼックマイスター著のウィンナ・チューバ教則本“Concerttuba”(ドブリンガー社(Musikhaus Doblinger))には、次のようにウィンナ・チューバの特質が記されている。「その巧妙なフィンガリングとバルブ・システム(6番目のバルブの回転がFチューバをCチューバに変える)を持ったウィンナ・コンサート・チューバは、いわばバス・チューバおよびコントラバス・チューバの組み合わせなのである(響きの統一をもたらしながら!)」。ゼックマイスターは、ウィンナ・チューバと同じロータリー・システムを持つF管コントラバス・トロンボーンも開発している。 ウィンナ・ホルン制作で知られるオーストリアのアンドレアス・ユングヴィルト (AndreasS Jungwirth) は新しいウィンナ・チューバ制作に取り組み、独自のよりダイレクトな響きを復活させることに成功した(画像1、画像2、画像3、画像4)。 一般的に「フレンチ・チューバ」と呼ばれる楽器(フランスでは「C管のチューバ」または「6本ヴァルヴのサクソルン」と呼ばれる)は、ハ調(C管)または変ロ調(B♭管)のテナー・チューバで、1871年の普仏戦争の敗北以降、ワーグナーのオペラの上演が行われるようになったフランスで、1860年代以降オフィクレイドに代わって使われていたサクソルン・バス(サクソルン・コントラバスより小型で1オクターヴ高い)の低音域を拡張すべく開発された。従来の右手用の3本のピストンヴァルヴに加え、左手用の3本のヴァルヴを加えることで、弦楽器でいえばチェロからコントラバスまでの広い音域を出すことが可能になった。フランスでは、1970年頃まで、バス・チューバと共に、あるいは単独で用いられていた。フランスの作曲家、サン・サーンス、ドビュッシー、ラヴェル、プーランクや、フランスで作曲をしていたストラヴィンスキーの作品における「チューバ」は、この楽器を想定していたと考えられる。またフレンチ・チューバの登場時は、単に「サクソルン」と呼ばれていたため、使用楽器の解釈が分かれる原因ともなっている。 パレードやマーチングといった立奏を前提として考案された大型のビューグルで、通常のチューバを横にした形状をしており、肩の上に乗せベルを前方に向けて演奏する。マウスパイプの交換により通常のチューバとして座っての演奏を可能にしたものもあり、この様式はしばしば「コンバーチブル」(convertible)と呼ばれる。 ヘリコン(英語版)と、それを改良したスーザフォンは、チューバの変種として捉えることもできるが、その用途はいわゆるチューバとは全く異なり、行進やマーチングなど立奏に特化した楽器である(マーチングチューバともいう)。ヘリコンには幾つかの調性の楽器が知られ、また、バルブの形態も様々であるが、スーザフォンは変ロ調でピストン式の3本バルブのほぼ一種だけが知られている。変ロ調のスーザフォンは同じ調性のコントラバス・チューバと同じ管長を持ち、音域もほぼ同じである。今日の管弦楽では、こうしたヘリコンやスーザフォンを使用することは無く、吹奏楽でも稀なこととなったが、20世紀初めから第二次世界大戦の終わり頃までのアメリカではいわゆる(座奏用の)チューバの代わりにスーザフォンが広く用いられた。従来は真鍮製であったが、1960年代以降、より軽い繊維強化プラスチック(FRP)などの材質を用いたスーザフォンが多く使用されるようになった。 チューバには様々な調性の楽器があるが、ほとんどの場合、特に管弦楽では伝統的に、移調楽器としては扱われず実音で記譜される。しかし、吹奏楽や金管合奏において「バス」などとして使用される際には、移調楽器として扱われる場合もある。
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"チューバはその音域によってテナー、バス、コントラバスの3種類に分類される。", "title": "チューバの分類" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "さらに、チューバはピストン式やロータリー式にまで分かれる。", "title": "チューバの分類" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "テナー・チューバ(tenor tuba)は、比較的小型のチューバであり、しばしばユーフォニアム(euphonium)とも呼ばれ、変ロ調(B♭管)やハ調(C管)の楽器が知られている。稀ではあるが、この呼称はワーグナー・チューバを指すものとして使われることがある。", "title": "チューバの分類" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "今日「テナー・チューバ」(あるいは「ユーフォニアム」)と呼ばれている楽器は、吹奏楽やブラス・バンド、独奏などで用いられる他、後期ロマン派以降の比較的大きな編成による交響曲や管弦楽曲でも稀に使用の機会がある。一般に「テナー・チューバ」の呼称は管弦楽で用いられ、「ユーフォニアム」は吹奏楽など管弦楽以外の分野全般で用いられる。日本ではバルブの形態により、ロータリー式の楽器を「テナー・チューバ」、ピストン式の楽器を「ユーフォニアム」として呼び慣わしている(これらの呼称についてはユーフォニアムを参照)。B♭管の場合、オーケストラにおいては、通常トロンボーン奏者が持ち替えて演奏する。", "title": "チューバの分類" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "このテナー・チューバに含まれる楽器としては、「フレンチ・チューバ」(あるいは「サクソルン・バス」)と呼ばれるものも存在する。", "title": "チューバの分類" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "一般には単に「チューバ」と呼ばれる楽器は変ロ調、ハ調、変ホ調、ヘ調の調性を持つものが知られている。これらはそれぞれ、しばしば「B♭管(ドイツ式表記ではB管)」「C管」「E♭管(ドイツ式表記ではEs管)」、「F管」の様に表記され、この中でB♭管が最も管が長く、C、E♭、Fの順に短くなる。これらのチューバは管弦楽や吹奏楽における大編成の合奏から独奏に至るまで、幅広い用途に用いられる。吹奏楽やブラス・バンド、特に後者においては、習慣的にチューバを単に「バス」と呼ぶ場合があるが、これはしばしばアップライト型の楽器に限定される。また、「チューバ」と「バス」を明確に区別する者も奏者を中心に存在する。", "title": "チューバの分類" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "チューバのうち、変ホ調とヘ調の楽器を「バス・チューバ」、変ロ調とハ調の楽器を「コントラバス・チューバ」として区別する場合がある。作曲家によっては楽譜上で区別し、使用する楽器を指定している。コントラバス・チューバは、同じ調性のテナー・チューバよりも基音が1オクターブ低く、テナー・チューバと区別して「BB♭管」「CC管」とも表記される。", "title": "チューバの分類" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "「ウィンナ・チューバ」と呼ばれる楽器はF管のバス・チューバの一種である。左手で3個、右手で3個、計6個のロータリー・バルブを操作する。管厚が薄く、ウィンナ・ホルン同様に倍音を多く含み、他の金管楽器とよく融け合う響きを出す。特にドイツ式トロンボーンとの親和性が高い。", "title": "チューバの分類" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ウィンナ・チューバは、この楽器の響きに魅せられたワーグナー、ブルックナー、マーラー、リヒャルト・シュトラウスなどにより後期ロマン派の重要作品に用いられていく。オーケストラのチューバとの意味合いを込めて「コンサート・チューバ」の呼称も得た。オフィクレイドが長く使用されたイギリスにも遅れて普及し、エルガーはバス・チューバとしてこのウィンナ・チューバF管を想定していた(ベッソンなどのコンペンセイティングE♭管は「ミリタリー・チューバ」に分類され、オーケストラの楽器と見なされていなかった)。", "title": "チューバの分類" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ベルリン生まれのシステムであるが、ウィーンで育てられ広く普及し、近年までウィーンで使われ続けたことによってウィンナ・チューバと呼ばれている。新しいウィンナ・チューバをゲルハルト・ゼックマイスター (Gerhard Zechmeister) が、ムジカ (Musica) 社の協力で開発している。ムジカ型はいくつかのバリエーションを持つ(画像1、画像2)。", "title": "チューバの分類" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ゼックマイスター著のウィンナ・チューバ教則本“Concerttuba”(ドブリンガー社(Musikhaus Doblinger))には、次のようにウィンナ・チューバの特質が記されている。「その巧妙なフィンガリングとバルブ・システム(6番目のバルブの回転がFチューバをCチューバに変える)を持ったウィンナ・コンサート・チューバは、いわばバス・チューバおよびコントラバス・チューバの組み合わせなのである(響きの統一をもたらしながら!)」。ゼックマイスターは、ウィンナ・チューバと同じロータリー・システムを持つF管コントラバス・トロンボーンも開発している。", "title": "チューバの分類" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ウィンナ・ホルン制作で知られるオーストリアのアンドレアス・ユングヴィルト (AndreasS Jungwirth) は新しいウィンナ・チューバ制作に取り組み、独自のよりダイレクトな響きを復活させることに成功した(画像1、画像2、画像3、画像4)。", "title": "チューバの分類" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "一般的に「フレンチ・チューバ」と呼ばれる楽器(フランスでは「C管のチューバ」または「6本ヴァルヴのサクソルン」と呼ばれる)は、ハ調(C管)または変ロ調(B♭管)のテナー・チューバで、1871年の普仏戦争の敗北以降、ワーグナーのオペラの上演が行われるようになったフランスで、1860年代以降オフィクレイドに代わって使われていたサクソルン・バス(サクソルン・コントラバスより小型で1オクターヴ高い)の低音域を拡張すべく開発された。従来の右手用の3本のピストンヴァルヴに加え、左手用の3本のヴァルヴを加えることで、弦楽器でいえばチェロからコントラバスまでの広い音域を出すことが可能になった。フランスでは、1970年頃まで、バス・チューバと共に、あるいは単独で用いられていた。フランスの作曲家、サン・サーンス、ドビュッシー、ラヴェル、プーランクや、フランスで作曲をしていたストラヴィンスキーの作品における「チューバ」は、この楽器を想定していたと考えられる。またフレンチ・チューバの登場時は、単に「サクソルン」と呼ばれていたため、使用楽器の解釈が分かれる原因ともなっている。", "title": "チューバの分類" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "パレードやマーチングといった立奏を前提として考案された大型のビューグルで、通常のチューバを横にした形状をしており、肩の上に乗せベルを前方に向けて演奏する。マウスパイプの交換により通常のチューバとして座っての演奏を可能にしたものもあり、この様式はしばしば「コンバーチブル」(convertible)と呼ばれる。", "title": "チューバの分類" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ヘリコン(英語版)と、それを改良したスーザフォンは、チューバの変種として捉えることもできるが、その用途はいわゆるチューバとは全く異なり、行進やマーチングなど立奏に特化した楽器である(マーチングチューバともいう)。ヘリコンには幾つかの調性の楽器が知られ、また、バルブの形態も様々であるが、スーザフォンは変ロ調でピストン式の3本バルブのほぼ一種だけが知られている。変ロ調のスーザフォンは同じ調性のコントラバス・チューバと同じ管長を持ち、音域もほぼ同じである。今日の管弦楽では、こうしたヘリコンやスーザフォンを使用することは無く、吹奏楽でも稀なこととなったが、20世紀初めから第二次世界大戦の終わり頃までのアメリカではいわゆる(座奏用の)チューバの代わりにスーザフォンが広く用いられた。従来は真鍮製であったが、1960年代以降、より軽い繊維強化プラスチック(FRP)などの材質を用いたスーザフォンが多く使用されるようになった。", "title": "ヘリコンとスーザフォン" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "チューバには様々な調性の楽器があるが、ほとんどの場合、特に管弦楽では伝統的に、移調楽器としては扱われず実音で記譜される。しかし、吹奏楽や金管合奏において「バス」などとして使用される際には、移調楽器として扱われる場合もある。", "title": "記譜" } ]
チューバあるいはテューバは、大型の低音金管楽器である。金管楽器の中では最も大きく、最も低い音域を担う。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Infobox 楽器 |楽器名 = チューバ |その他の名称 = テューバ |英語名 = tuba |イタリア語名 = tuba |ドイツ語名 = Tuba |フランス語名 = tuba |画像 = File:Tuba 25J Conn BBb.jpg |画像サイズ = 200px |画像の説明 = チューバ |音域 = 実音記譜[[画像:Range tuba.png|150px|center]] |分類 = [[金管楽器]] }} '''チューバ'''あるいは'''テューバ'''は、大型の低音[[金管楽器]]である。金管楽器の中では最も大きく、最も低い音域を担う。 == 構造 == 唇の振動によって生じた音を管体で共鳴させ朝顔(ベル)から放出するという基本構造は他の[[金管楽器]]と同様であるが、[[ホルン|フレンチ・ホルン]]以上の全長を持つ管は長円状に幾重にも巻かれ、大型の朝顔は上部に開く。金属(主に[[真鍮]])製の管は、迂回管や抜差し部分を除き、朝顔に向かって緩やかに広がる「円錐管」となっており、[[マウスピース (楽器)|唄口]]を接続する「マウスパイプ」と呼ばれる部分は楽器の中程の高さに取り付けられる。 音程を変えるための弁(バルブ)を持つが、これにはピストン式とロータリー式とがあり、その数は3つから7つまでと様々である。 ピストン式の楽器には、楽器を構えた時に、弁が直立した(upright)状態になる「アップライト型」(通称「縦バス」)と、弁が横倒しになり楽器の前面で操作を行う「フロント・アクション」(front-action)とがある。 ロータリー式の弁を備えた楽器は全て前面操作となり、また、基本構造は前面操作のピストン式であっても1つないしは2つの追加のロータリー式の弁を備えるものもある。迂回管部やマウスピース直後の下向きにU字状になった部分には結露水がたまりやすいため、水抜き用のバルブ機構や抜差し管を使い排出を行う。 == 歴史 == チューバ(tuba)の名称は、元々は[[ラテン語]]で「管」の意味であり(英語の[[チューブ]]と同源)、[[古代ローマ|ローマ時代]]に用いられていた楽器の名称である。[[旧約聖書]]にも表れるこの呼称はいわゆる「[[ラッパ]]」を指すもので、管楽器の名称としてしばしば使われていたため、19世紀に入って登場した低音金管楽器の名称としても使われるようになった。 チューバ以前の低音金管楽器として、古くは[[セルパン]]と呼ばれる木製の有孔の楽器が使われており、後にこの流れを汲んだ[[セルパン|バソン・リュス]](ロシアン・バスーン)、セルパンフォルヴィール ([[commons:Category:Serpent Forveille|Serpent Forveille]])といったバスホルンまたはアップライト・セルパンと呼ばれる木製のキー式の楽器が生み出されている。 18世紀半ばにイギリスから始まった[[産業革命]]により、金属の加工技術が飛躍的に進歩すると、軍隊楽器を中心に木製の管楽器を金属で製作する試みがなされ、[[ビューグル]]が誕生した。1813年にはドイツで[[バルブ|ヴァルヴ機構]]が開発され、ホルンやトランペットなどで音高を変える仕組みとしてヴァルヴが採り入れられ始めた。こうした動きはやがて低音金管楽器にも波及し、1817年にフランスで開発されたキー式の低音金楽器[[オフィクレイド]]がドイツに導入されると、すでにヴァルヴ式の楽器に慣れていたドイツの演奏者のためにヴァルヴ機構を備えた低音金管楽器が開発された。その代表的なものが1829年にウィーンの楽器製作者ヨゼフ・リードル(1788年頃 - 1837年)によって発表された「[[ボンバルドン]]」である。「ボンバルドン」は両手で操作するオフィクレイドと異なり片手の3本ヴァルヴで操作可能で複雑な運指を必要としなかった。これは管を「C」から「F」に延長することで達成されていたが、使用音域はオフィクレイドと変わらなかった。ボンバルドンはウィーンの軍楽隊とウィーン宮廷劇場の管弦楽団(ウィーンフィルの前身)に採用され、1970年代まで用いられた。 この「ボンバルドン」型の楽器に、右手用の3本のヴァルヴに左手で操作する2つのヴァルヴを追加してF管の最低音を使用できるようにしたのが、[[ベルリン]]の[[プロイセン王国|プロイセン]]軍楽隊長ヴィルヘルム・ヴィープレヒト([[:de:Wilhelm Wieprecht|Wilhelm Wieprecht]], 1802年 - 1872年)とベルリンの楽器製造職人ヨハン・ゴットフリート・モーリッツ([[:de:Johann Gottfried Moritz|Johann Gottfried Moritz]])によるベルリン式のピストン・ヴァルヴを採用した最初の実用的なチューバである「F管バステューバ」だとされ、この楽器は[[1835年]]に特許が取得されている<ref>『ピリオド楽器から迫るオーケストラ読本』p65-67</ref>。 モーリッツの開発したチューバは軍楽隊用の楽器であったため、登場してしばらくはプロイセンの国外に普及しなかったが、[[リヒャルト・ワーグナー]]がチューバの低音を好んで『[[ニュルンベルクのマイスタージンガー]]』などでF管バスチューバを活躍させたことにより、プロイセン国内ではオーケストラに取り入れられるようになった。1871年にプロイセンがドイツ統一を達成すると、1875年にはウィーンの管弦楽団がチューバを正式採用し、翌1876年の[[バイロイト音楽祭]]で『マイスタージンガー』が演奏された。イギリスはオフィクレイドを19世紀末まで使用していたが、ワーグナーのオペラの普及とともに徐々に姿を消し、[[20世紀]]に入る頃にはほとんど見られなくなった。また、19世紀の半ば頃には、他に「{{仮リンク|シュドロフォン|en|Sudrophone}}」などと呼ばれる低音金管楽器もまた存在したが、やがてこれらの呼称は廃れ、「チューバ」の呼称が一般的になっていった。<ref>『ピリオド楽器から迫るオーケストラ読本』p66-68</ref>。 19世紀中頃には、「f」や「d」字型など、チューバの形状は様々であったが、[[アドルフ・サックス]]によって一連の[[サクソルン]]がまとめられて以降、この楽器群に見られる長円型へと次第に収束していった。今日では、低音域での豊かな音量を求め、全般的に大型化の傾向が見られる。 <!--※Tubaは4オクターブの音域が出ます--> == チューバの分類 == === 音域による分類 === チューバはその音域によってテナー、バス、コントラバスの3種類に分類される。 さらに、チューバはピストン式やロータリー式にまで分かれる。 ==== テナー・チューバ ==== テナー・チューバ(tenor tuba)は、比較的小型のチューバであり、しばしば[[ユーフォニアム]](euphonium)とも呼ばれ、変ロ調(B♭管)やハ調(C管)の楽器が知られている。稀ではあるが、この呼称は[[ワグナーチューバ|ワーグナー・チューバ]]を指すものとして使われることがある。 今日「テナー・チューバ」(あるいは「ユーフォニアム」)と呼ばれている楽器は、[[吹奏楽]]や[[英国式ブラスバンド|ブラス・バンド]]、独奏などで用いられる他、[[ロマン派音楽|後期ロマン派]]以降の比較的大きな編成による[[交響曲]]や管弦楽曲でも稀に使用の機会がある。一般に「テナー・チューバ」の呼称は管弦楽で用いられ、「ユーフォニアム」は[[吹奏楽]]など管弦楽以外の分野全般で用いられる。日本ではバルブの形態により、ロータリー式の楽器を「テナー・チューバ」、ピストン式の楽器を「ユーフォニアム」として呼び慣わしている(これらの呼称については'''[[ユーフォニアム]]'''を参照)。B♭管の場合、オーケストラにおいては、通常トロンボーン奏者が[[持ち替え]]て演奏する。 このテナー・チューバに含まれる楽器としては、「[[チューバ#フレンチ・チューバ|フレンチ・チューバ]]」(あるいは「サクソルン・バス」)と呼ばれるものも存在する。 ==== バス・チューバとコントラバス・チューバ ==== [[Image:Tuba.JPG|thumb|ロータリー式の弁を持つチューバ]] 一般には単に「チューバ」と呼ばれる楽器は変ロ調、ハ調、変ホ調、ヘ調の調性を持つものが知られている。これらはそれぞれ、しばしば「B♭管(ドイツ式表記ではB管)」「C管」「E♭管(ドイツ式表記ではEs管)」、「F管」の様に表記され、この中でB♭管が最も管が長く、C、E♭、Fの順に短くなる。これらのチューバは管弦楽や吹奏楽における大編成の合奏から独奏に至るまで、幅広い用途に用いられる。[[吹奏楽]]や[[英国式ブラスバンド|ブラス・バンド]]、特に後者においては、習慣的にチューバを単に「バス」と呼ぶ場合があるが、これはしばしばアップライト型の楽器に限定される。また、「チューバ」と「バス」を明確に区別する者も奏者を中心に存在する。 チューバのうち、変ホ調とヘ調の楽器を「バス・チューバ」、変ロ調とハ調の楽器を「コントラバス・チューバ」として区別する場合がある。作曲家によっては楽譜上で区別し、使用する楽器を指定している。コントラバス・チューバは、同じ調性のテナー・チューバよりも基音が1[[オクターブ]]低く、テナー・チューバと区別して「BB♭管」「CC管」とも表記される。 === ウィンナ・チューバ === [[File:JUNGWIRTH WIENER TUBA.JPG|thumb|JUNGWIRTH WIENER TUBA]] [[File:CERVENY WIENER TUBA (Musica Model).jpg|thumb|CERVENY WIENER TUBA (Musica Model)]] 「ウィンナ・チューバ」と呼ばれる楽器はF管のバス・チューバの一種である。左手で3個、右手で3個、計6個のロータリー・バルブを操作する。管厚が薄く、[[ホルン#ウィンナ・ホルン|ウィンナ・ホルン]]同様に倍音を多く含み、他の金管楽器とよく融け合う響きを出す。特にドイツ式[[トロンボーン]]との親和性が高い。 ウィンナ・チューバは、この楽器の響きに魅せられた[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]、[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]、[[リヒャルト・シュトラウス]]などにより[[ロマン派音楽|後期ロマン派]]の重要作品に用いられていく。[[オーケストラ]]のチューバとの意味合いを込めて「コンサート・チューバ」の呼称も得た。[[オフィクレイド]]が長く使用された[[イギリス]]にも遅れて普及し、[[エドワード・エルガー|エルガー]]はバス・チューバとしてこのウィンナ・チューバF管を想定していた([[ベッソン (企業)|ベッソン]]などのコンペンセイティングE♭管は「ミリタリー・チューバ」に分類され、オーケストラの楽器と見なされていなかった)。 [[ベルリン]]生まれのシステムであるが、ウィーンで育てられ広く普及し、近年までウィーンで使われ続けたことによってウィンナ・チューバと呼ばれている。新しいウィンナ・チューバをゲルハルト・ゼックマイスター (Gerhard Zechmeister[http://www.gratis-webserver.de/brass/4.html]) が、ムジカ (Musica) 社の協力で開発している。ムジカ型はいくつかのバリエーションを持つ([[:ファイル:WIENER TUBA KAWAI KFB-750L(made by Musica).jpg|画像1]]、[[:ファイル:WIENER TUBA (made by Musica).JPG|画像2]])。 ゼックマイスター著のウィンナ・チューバ教則本“''Concerttuba''”(ドブリンガー社(Musikhaus Doblinger)[http://www.doblinger-musikverlag.at/])には、次のようにウィンナ・チューバの特質が記されている。「その巧妙なフィンガリングとバルブ・システム(6番目のバルブの回転がFチューバをCチューバに変える)を持ったウィンナ・コンサート・チューバは、いわばバス・チューバおよびコントラバス・チューバの組み合わせなのである(響きの統一をもたらしながら!)」。ゼックマイスターは、ウィンナ・チューバと同じロータリー・システムを持つF管[[コントラバス・トロンボーン]]も開発している。 ウィンナ・ホルン制作で知られるオーストリアのアンドレアス・ユングヴィルト (AndreasS Jungwirth) は新しいウィンナ・チューバ制作に取り組み、独自のよりダイレクトな響きを復活させることに成功した([[:File:JUNGWIRTH WIENER TUBA 2.JPG|画像1]]、[[:File:JUNGWIRTH_WIENER_TUBA_3.JPG|画像2]]、[[:File:JUNGWIRTH_WIENER_TUBA_4.JPG|画像3]]、[[:File:JUNGWIRTH_WIENER_TUBA_5.JPG|画像4]])。 ; ウィンナ・チューバの構造 : ウィンナ・チューバは、左3ロータリー+右3ロータリーの6バルブを持ち、基音Fから第2[[倍音]]Fの間をトリガー操作なしにクロマティック([[半音階]])で演奏できる。「FチューバとCチューバを合わせたダブル・チューバの機能を持つ楽器」ともいえる。 : ウィンナ・チューバの原型であるヴィープレヒトとモーリッツによる最初のFバス・チューバ(クロマティック・チューバ=[[#歴史]]参照 1835年)は5つのベルリン式のピストン・バルブだったが、1875年にレオポルト・ウールマンによりウィーンにてロータリー・バルブに改良された。同時に吹込管が円筒型から[[円錐]]形に変更された。 : 19世紀末、ウィーンのダニエル・フックスが第2倍音のG♭(ペダルFの半音上)を出せるようにするため、6個目のバルブ(現機構の第3バルブ、F調を全音下げるより短く、イントネーション補正にも役立つ)を加え、現在にいたる6ロータリー・バルブのウィンナ・チューバの構造が整った。 : 左手の人差指で①、中指で②、薬指で③ 右手の人差指で④、中指で⑤、薬指で⑥ というようにバルブ操作する。 : ①は、F調を全音(長2度)下げる ②は、F調を半音(短2度)下げる ③は、F調を全音(長2度よりやや狭い)下げる(「G調(①+②+④+⑤+⑥を押さえた状態)を半音下げる」ともいえる) ④は、C調を全音(長2度)下げる ⑤は、C調を半音(短2度)下げる ⑥は、F調を2全音半(完全4度)下げる(FチューバをCチューバに変える)。 : バルブは吹込管側から①②③④⑤⑥と配置されている。左手ブロック①②③と右手ブロック④⑤⑥の間には、クランク状のパイプが入り連結されている。このクランク状のパイプをなくして6つのバルブを1直線に配置すると音程バランスが崩れる。 : F調から1全音半(短3度)下げるバルブをウィンナ・チューバは持たない。それでも問題は生じない。他の金管([[サクソルン]]属、[[コルネット]]や[[トランペット]]など)の2+3(2全音下げる)の指使いをウィンナ・チューバにおいては④+⑤で演奏できる。 : ウィンナ・チューバの④はあくまでも「C調を全音下げる」バルブであって、「F調から1全音半下げる」バルブではない。しかし、これを取り違えた情報が広まっている。「ウィンナ・チューバ“運指難解説”」「ウィンナ・チューバ“音程不良説”」を、ウィンナ・チューバに取り組んだ奏者が唱える場合、この間違った情報に基づいてウィンナ・チューバに取り組んだ奏者がほとんどである。 : ウィンナ・チューバの音程は、理論的にも実際に使用してもとても優れている。それは、下記の3つの点から検証できる。 :# [[平均律]]への対応 :# [[純正律]]への対応や[[微分音]]への対応 :# 楽器・マウスピースの個体差による誤差の補正 : バス・チューバとして基音から第2倍音の1[[オクターブ]]間への対応力は非常に重要であるが、ウィンナ・チューバは1オクターブ間で64の指使い(全て長さの異なる)を持ちとても対応力が高い。1.2.3.への対応をするうえでウィンナ・チューバは管の抜き差しを一切必要としない。 : ウィンナ・[[ホルン]]と同様に不要な響きを抑えるためにウィンナ・チューバにもベル・クランツが採用される場合が多い。 === フレンチ・チューバ === [[Image:Frenchtuba.jpg|thumb|right|フレンチ・チューバ]] 一般的に「フレンチ・チューバ」と呼ばれる楽器(フランスでは「C管のチューバ」または「6本ヴァルヴのサクソルン」と呼ばれる)は、ハ調(C管)または変ロ調(B♭管)のテナー・チューバで、1871年の[[普仏戦争]]の敗北以降、ワーグナーのオペラの上演が行われるようになった[[フランス]]で、1860年代以降オフィクレイドに代わって使われていた[[サクソルン|サクソルン・バス]](サクソルン・コントラバスより小型で1オクターヴ高い)の低音域を拡張すべく開発された。従来の右手用の3本のピストンヴァルヴに加え、左手用の3本のヴァルヴを加えることで、弦楽器でいえばチェロからコントラバスまでの広い音域を出すことが可能になった。フランスでは、1970年頃まで、バス・チューバと共に、あるいは単独で用いられていた。フランスの作曲家、[[カミーユ・サン=サーンス|サン・サーンス]]、[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]、[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]、[[フランシス・プーランク|プーランク]]や、フランスで作曲をしていた[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]の作品における「チューバ」は、この楽器を想定していたと考えられる。またフレンチ・チューバの登場時は、単に「サクソルン」と呼ばれていたため、使用楽器の解釈が分かれる原因ともなっている<ref>『楽器博士佐伯茂樹がガイドするオーケストラ楽器の仕組みとルーツ』p46-49</ref>。 === マーチング・チューバ === パレードや[[マーチングバンド|マーチング]]といった立奏を前提として考案された大型の[[ビューグル]]で、通常のチューバを横にした形状をしており、肩の上に乗せベルを前方に向けて演奏する。マウスパイプの交換により通常のチューバとして座っての演奏を可能にしたものもあり、この様式はしばしば「コンバーチブル」(convertible)と呼ばれる。 == ヘリコンとスーザフォン == {{仮リンク|ヘリコン (楽器)|label=ヘリコン|en|Helicon (instrument)}}と、それを改良した[[スーザフォン]]は、チューバの変種として捉えることもできるが、その用途はいわゆるチューバとは全く異なり、行進や[[マーチングバンド|マーチング]]など立奏に特化した楽器である(マーチングチューバともいう)。ヘリコンには幾つかの調性の楽器が知られ、また、バルブの形態も様々であるが、スーザフォンは変ロ調でピストン式の3本バルブのほぼ一種だけが知られている。変ロ調のスーザフォンは同じ調性のコントラバス・チューバと同じ管長を持ち、音域もほぼ同じである。今日の管弦楽では、こうしたヘリコンやスーザフォンを使用することは無く、吹奏楽でも稀なこととなったが、[[20世紀]]初めから[[第二次世界大戦]]の終わり頃までの[[アメリカ合衆国|アメリカ]]ではいわゆる(座奏用の)チューバの代わりにスーザフォンが広く用いられた。従来は[[真鍮]]製であったが、1960年代以降、より軽い[[繊維強化プラスチック]](FRP)などの材質を用いたスーザフォンが多く使用されるようになった。 == ワグナー・チューバ == {{see|ワグナーチューバ}} == 記譜 == チューバには様々な調性の楽器があるが、ほとんどの場合、特に管弦楽では伝統的に、[[移調楽器]]としては扱われず実音で記譜される。しかし、吹奏楽や金管合奏において「バス」などとして使用される際には、移調楽器として扱われる場合もある。 == 楽曲 == === 協奏曲 === {{See also|チューバ協奏曲}} * [[レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ|ヴォーン・ウィリアムズ]] : [[チューバ協奏曲 (ヴォーン・ウィリアムズ)|チューバ協奏曲]] == 著名なチューバ奏者 == {{See also|[[クラシック音楽の演奏家一覧#チューバ(テューバ)奏者]]}} * [[アーノルド・ジェイコブス]] ([[シカゴ交響楽団]]) * [[ジーン・ポコーニ]] ([[シカゴ交響楽団]]首席) * [[稲川榮一]] * [[池田幸広]] ([[NHK交響楽団]]) * 佐藤和彦 ([[新日本フィルハーモニー交響楽団]]) * [[レオポルト・コーラー]] * [[杉山康人]] ([[クリーヴランド管弦楽団]]首席) * [[関島岳郎]] * [[次田心平]] ([[読売日本交響楽団]]) * [[チャールズ・デーレンバック]]([[カナディアン・ブラス]]) * [[ジョン・フレッチャー (チューバ奏者)|ジョン・フレッチャー]]([[ロンドン交響楽団]]、[[フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル]]) * {{仮リンク|セルジオ・カロリーノ|pt|Sérgio Carolino}} (ポルト国立交響楽団首席) * [[ヨーゼフ・フンメル]] * [[ロジャー・ボボ]] * {{仮リンク|ローランド・セントパリ|hu|Szentpáli Roland}} * [[ワルター・ヒルガース]] ([[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]他) * [[高岡大祐]] == 主な楽器メーカー == * [[ヤマハ]] (Yamaha) * [[ベッソン (企業)|ベッソン]] (Besson) * [[:en:Nirschl|BMシンフォニック]] (Böhm & Meinl Symphonic) * [[ウィルソン (楽器メーカー)|ウィルソン]] (Willson) * [[ルドルフ・マインル]] (Rudolf Meinl) * [[B&S]] * [[ヒルスブルナー]] (Hirsbrunner) * [[マイネル・ウエストン]] (Meinl Weston) * [[:en:Jupiter Band Instruments|ジュピター]] (Jupiter) * [[ミラフォン]] (Miraphone) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * 『Ontomo mook 楽器博士佐伯茂樹がガイドするオーケストラ楽器の仕組みとルーツ』[[佐伯茂樹]]:著「音楽の友」編([[音楽之友社]]、2018年) * 『Ontomo mook ピリオド楽器から迫るオーケストラ読本』佐伯茂樹:著「音楽の友」編(音楽之友社、2017年) == 関連項目 == {{Commonscat|Tubas (instrument)}} * [[バズィング]] * [[アンブシュア]] {{オーケストラの楽器}} {{Musical-instrument-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ちゆうは}} [[Category:金管楽器]] 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地震
地震(じしん、英: earthquake)は、以下の2つの意味で用いられる。 地震を専門とした学問を地震学という。地震学は地球物理学の一分野である。 地下の岩盤には様々な要因により力(ちから)がかかっており、急激な変形によってかかっている力を解消する現象が地震である。地球の内部で起こる地質現象(地質活動)の一種。地震に対して、地殻が非常にゆっくりとずれ動く現象を地殻変動と呼ぶ。 地震によって変形した岩石の断面を断層といい、地下数 kmから数十 kmの深さにあって地表までは達しないことが多いが、大きな地震の時にはその末端が地表にも現れて地表地震断層となる場合がある。一度断層となった面は強度が低下するため繰り返し地震を引き起こすと考えられている。特にカリフォルニアにあるサンアンドレアス断層は1,000 km以上に及ぶ長大なもので繰り返し地震を起こしており、日本の地震学者に地震と断層の結びつきを知らせたことで有名で、日本では兵庫県南部地震の野島断層、濃尾地震の根尾谷断層、北伊豆地震の丹那断層などが有名である。 地震によって生じる振動は高速の地震波となって地中を伝わり、人間が生活している地表でも地震動として感じられる。 地震波は波の一種であり、地中を伝わる波(実体波)と地表を伝わる波(表面波)に大別される。実体波はさらに、速度が速いP波(たて波、疎密波)と、速度が遅いS波(横波、ねじれ波)に分けられる。 地震のはじめに感じられることが多い細かい震動(初期微動)はP波、地震の激しい震動(主要動)は主にS波による。P波とS波は伝わる速度が違うので、P波とS波の到達時間の差である初期微動の時間が震央と観測地点との間の距離に比例する。初期微動が長いほど震源は遠い。初期微動が長くかつ主要動が大きい場合は、震源が遠いにもかかわらず振幅が大きいので、大地震の可能性が考えられる。また、P波はS波よりも速いので、P波を検知したときに警報を出せば被害が軽減できることから、緊急地震速報や緊急停止システムで応用されている。 地下で断層が動いた時、最初に動いた地点を震源と呼び、地上における震源の真上の地点を震央と呼ぶ。テレビや新聞などで一般的に使用される震源は震央の位置を示している。震源が動いた後もまわりに面状にずれが生じ、震源域と呼ばれるずれた部分全体が地震波を発する。 地震波の速度はほぼ一定であり上記のように異種の波がある性質を利用して、地震計で地震波を観測することにより、1地点以上の観測で観測地点から震央までの距離、2地点以上の観測で震央の位置、3地点以上の観測で震源の深さを求めることができる。この算出式は大森房吉が1899年に発表したので、「(震源の)大森公式」と呼ばれている。このほかに地震を含めた地下の諸現象の解明や、核実験の監視などに有用であることから世界的に地震観測網が整備されている。日本は地震災害が多いことから地震計や震度計が数千か所の規模で高密度に設置され、気象庁による迅速な地震情報発表や緊急地震速報などに活用されている。 なお、一つの地震の地震波にはいろいろな周期(周波数)の成分が含まれており、その違いによって被害が異なるほか、近隣の地域でも表層地盤の構造や建物の大きさ・形状によって揺れ方が大きく異なることが知られている(詳細は後述参照)。 また地震は、震源の深さによって、浅発地震、稍(やや)深発地震、深発地震の3つに分類される。前者の境界は60 kmまたは70 kmとされる場合が多く、後者の境界は200 kmまたは300 kmとされる場合が多いが、統一した定義はない。震源が深い地震は同じ規模の浅い地震に比べて地表での揺れは小さい。ただし、地下構造の影響により震央から離れた地点で大きく揺れる異常震域が現れることがある。 このほかに地震を特徴付けるものとして、発震機構とよばれる断層の動き方(後述)や地震の大きさなどがある。 地震の大きさを表現する指標は主に2系統あり、それぞれいくつかの種類がある。Mは指数関数、震度は非線形関数であり、数字の大きさと実際の物理量は比例関係ではない(詳細は後述参照)。 比較的大きな地震は、地震活動に時間的・空間的なまとまりがあり、その中で最も規模が大きな地震を本震と呼ぶ。ただし、本震の区別が容易でない地震もあり、断層のずれの程度や前後に起こる地震の経過、断層の過去の活動などを考慮して判断される。本震に対して、その前に起こるものを前震、その後に起こるものを余震という。 被害をもたらすような大地震ではほぼ例外なく余震が発生し、余震により被害が拡大する例も多い。大きな地震であるほど、本震の後に起こる余震の回数・規模が大きくなるが、「(余震の)改良大森公式」に従って次第に減少する。この公式から余震の発生確率を予測したり、活動度の低下から大きな余震の発生を予測する研究も行われている。余震の発生する範囲は震源域とほぼ重なる。なお、大地震の地殻変動の影響で震源域の外で地震活動が活発になる場合があり、これを誘発地震という。 本震と呼べるようなひとまわり規模の大きな地震がなく、同規模の地震が多発するものを群発地震という。また1990年代以降普及した呼称だが、同じ断層で数十年から数万年以上の間隔で繰り返し発生するものを固有地震(相似地震)といい、大地震と呼ばれるような複数の固有地震が同時または短い間隔で発生(主に隣接するセグメントを破壊)するものを連動型地震という。 また、地震のメカニズム解明の過程でプレートのテクトニクス(動き)との対応関係から地震は4種類に大別されており、それぞれ発生地域、揺れの大きさや被害の傾向が異なる(詳細は後述参照)。 大きな地震はしばしば建造物を破壊して家財を散乱させ、火災、土砂災害などを引き起こし、人的被害をもたらす、典型的な自然災害の1つである。地震予知の研究も行われているが、天気予報のような科学的な予報・予知が確立されておらず、前触れもなく突然やってくる。そのため、建造物や地盤の強度を調べて補強する、震災時の生活物資を備蓄する、避難計画を立てるなど、災害に備える「防災」や災害を軽減する「減災」の考え方から対策をとり、「いつ来てもいいように」備えるのが一般的である。 また、海域で発生する大規模な地震は津波を発生させ、震源から遠く揺れを感じなかったところにも災害をもたらすことがある。そのため、学術的な研究などの目的に加えて、津波の発生を速報する目的で、各国の行政機関や大学等によって地震の発生状況が日々監視されている。1960年チリ地震以降、初めて太平洋全域の津波警報システムが整備され、2004年のスマトラ島沖地震以降はその態勢も大きく強化され、インド洋でも整備されている。 地球の表層はプレートと呼ばれる硬い板のような岩盤でできており、そのプレートは移動し、プレート同士で押し合いを続けている。そのため、プレート内部やプレート間の境界部には、力が加わり歪みが蓄積している。これら岩盤内では、岩盤の密度が低くもろい、温度(粘性)が高い、大きな摩擦力が掛かっているなどの理由で歪みが溜まりやすい部分がある。ここで応力(ストレス)が局所的に高まり、岩体(岩盤)の剪断破壊強度を超えて、断層が生じ、あるいは既存の断層が動くことが地震であると考えられている。 断層はいわば過去の地震で生じた古傷であり、地殻に対する応力が集中しやすいことから、断層では繰り返し同じような周期(再来間隔)で地震が発生する。断層の大きさは数百 mから数千 kmまであり、またその断層の再来間隔も数年から数十万年とさまざまである。断層の中でも、数億年から数百万年前まで動いていて現在は動いていないような断層があり、そのようなものは古断層といって地震を起こさない。一方、現在も動いている断層を活断層という。日本だけでも約2,000の活断層がある。ただし、活動の有無を判別するのが難しい断層や大規模探査を行わなければ発見できない断層もあって、古断層といわれていた断層や知られていなかった断層が動いて地震を起こした例もあるため、防災上注意しなければならない。 岩盤内で蓄積される応力は、押し合う力だけではなく、引っ張り合う力や、すれ違う力など様々な向きのものが存在し、それによって断層のずれる方向が変わる。押し合う応力は断層面の上側が盛り上がる逆断層、引っ張り合う応力は断層面の下側が盛り上がる正断層、すれ違う応力はほぼ垂直な断層面の両側が互い違いに動く横ずれ断層を形成する。多くの断層は、正断層型・逆断層型のずれ方と、横ずれ断層型のずれ方のどちらかがメインとなり、もう一方のずれ方も多少合わさった形となる。 よくテレビ番組でプレート境界が瞬間的にずれて跳ね上がり、その動き自体が地震の揺れ(地震動、地震波)と同一であるかのような説明があるが、短周期の揺れは、ずれるときの摩擦の振動であり、断層型地震等の最終的な揺れの主因は、地上での岩石の破壊実験で生じる振動からも、摩擦面で起きる破壊とされている。震源域が広くずれが生じている時間が長ければ、それだけ長く揺れ続ける。津波は、海底のずれの動きそのものが海水に伝わって起きる。 地震の始まりは、岩盤内部の一点から破壊が始まり、急激に岩盤がずれて歪みを解放し始めることである。破壊が始まった一点が震源であり、破壊されてずれた部分が断層となる。このずれた部分は、地震波を解析する段階では便宜的に平面(断層面または破壊面と呼ぶ)と仮定し、断層面の向き(走向)や断層面の鉛直方向に対する角度(傾斜)、震源の位置、地震の規模などを推定する。震源断層が曲がったり複数あったりする場合は、後の解析や余震の解析により推定される。 震源で始まった岩盤の破壊範囲は、多くの場合秒速2 - 3kmで拡大し、破壊された岩盤は、速いときで秒速数 mでずれを拡大させていく。 以下は実際の例である。 このようにして破壊が終結すると、一つの地震が終わることになる。この断層面の広さとずれの大きさは、地震の規模と関連している。多くの場合、断層面が広く、ずれが大きくなれば大地震となり、逆に小さな地震では破壊は小規模である。こうして一つの地震が終結しても、大地震の場合は断層面にはまだ破壊されずに残っていて、歪みをため込んでいる部分がある。それらの岩盤も、余震によって次第に破壊が進む。本震の前に発生することがある前震は、本震を誘発するものだという説、本震に先駆けて起こる小規模な破壊だという説などがあるが、はっきりと解明されていない。 本震の後に余震が多数発生する「本震 - 余震型」や、それに加えて前震も発生する「前震 - 本震 - 余震型」の場合は、応力が一気に増加することで発生すると考えられている。一方で群発地震の場合は、応力が比較的緩やかなスピードで増加することで地震が多数発生すると考えられている。 地震発生までのメカニズムは徐々に明らかになっているが、地盤や岩盤に溜まった応力の解放を促している引き金が何であるかはほとんどが謎のままになっていて、はっきりとした特定はなされておらず、様々な説が展開されている。この引き金に関しては、相関性の比較により統計学的に相関を見出すことは可能であるが、それが因果関係であるかを同定するのは地震学的な研究に頼るもので、分野が少し異なる。 一般的に、地震の規模を表す指標としては、エネルギー量を示すマグニチュードを用い、「M」と表記する。マグニチュードには算定方法によっていくつかの種類があり、地震学では各種のマグニチュードを区別するために「M」に続けて区別の記号を付ける。地震学ではモーメントマグニチュード (Mw) が広く使われる。日本では気象庁マグニチュード (Mj) が広く使われる。 他にもそれぞれの観測機関によって使用されるマグニチュードのタイプが異なる場合もあるが、その値は差異ができるだけ小さくなるように定められている。これらは最初にマグニチュードを定義したチャールズ・リヒターのものの改良版であり、基本的に地震動の最大振幅の常用対数を基礎とする。モーメントマグニチュードを除き、いずれのタイプも8.5程度以上の巨大地震や超巨大地震ではその値が頭打ちになる傾向を持つ。 この弱点を改善するために、地震学では地震モーメントから算出されるモーメントマグニチュード (Mw) が地震の規模を表す指標として用いられることが多く、これを単に「M」と表記することも多い(アメリカ地質調査所 (USGS) など)。 日本では、気象庁が独自の定義による気象庁マグニチュード (Mj) を発表しており、日本ではこれを単に「M」と表記することも多い。これに対し、多くの国では表面波マグニチュード (Ms) や実体波マグニチュード (Mb) のことを、単にマグニチュードと呼ぶことが多い。Mが1大きくなるとエネルギーは約31.6倍、2大きくなるとちょうど1,000倍となる。 人類の観測史上最も大きな地震、つまりマグニチュード (Mw) が最も大きかったのは、1960年のチリ地震(Mw9.5, Ms8.5)である。 ある地震のマグニチュードであっても、機関によって異なったり、複数の値を発表する場合がある。例えば東北地方太平洋沖地震のマグニチュードは9.0とされているが、これはモーメント・マグニチュードであり、従来の気象庁マグニチュードでは8.4である。なお発生直後から数度訂正されていて、気象庁マグニチュードで7.9と速報したが、後に8.4と修正し、さらにモーメントマグニチュードで8.8と発表し、最終的に9.0とした。アメリカ地質調査所 (USGS) は独自にモーメントマグニチュード9.0と発表している。 地震動の大きさを表す数値として、速度や加速度、変位などがある。建築物や土木構造物の設計の分野では、応答スペクトルやSI値という指標も、地震動の大きさを表す方法として広く用いられている。一般的には、人体感覚、周囲の物体、建造物の被害の大きさなどを考慮して、地震動の大きさを客観的に段階付けた震度という指標が用いられる。 震度については、日本では気象庁震度階級(通称「震度」)、アメリカ合衆国では改正メルカリ震度階級、ヨーロッパではヨーロッパ震度階級 (EMS)、CIS諸国やイスラエル、インドなどではMSK震度階級が現在使用されているほか、ほかにもいくつかの指標がある。 地震の規模が大きいほど震度は大きくなる傾向にあるが、震源域からの距離や断層のずれの方向、断層の破壊伝播速度、地盤の構造や性質、地震波の特性などによって地上の揺れは大きく異なる。水や空気が多く含まれ土壌粒子の固結が弱い柔らかい地層ほど、また新しい地層であるほど揺れが増幅され、一般的には軟弱地盤と呼ばれるような平野部や河川沿いや埋め立て地が揺れやすい傾向にあるが、地盤改良や基礎方式によって揺れを低減することが可能である。 例えば東北地方太平洋沖地震は震度7とされているが、震度7は最大震度であって、公式に観測されたのは宮城県栗原市だけであり、例えば島嶼部を除く東京都では震度5強(千代田区大手町など18地点) - 震度3(奥多摩町など3地点)であった。「各市町村の震度」「各地域の震度」はその市町村・地域内に設置されている複数の観測点のうち最も揺れが大きかった値である。また、震度はその地域を代表する地点に設置された震度計が示す目安値であり、実際の土地に当てはめれば地盤の状態によって近傍の観測点に比べ最大1程度の差が生じるので、必ずしも被害状況と地点震度が一致しない場合がある。 地震の揺れの速度を表す単位として、カイン(kine, センチメートル毎秒)がある。 また、地震の揺れによる加速度を表す単位として、ガル(gal, センチメートル毎秒毎秒)がある。1秒間に1カインの加速度が1ガルである。重力加速度を超えることもありどんな重いものでも、固定していなければ床に対して動く。 プレートテクトニクスの観点から地震を分類することができ、大きく分けて2通りの分け方がある。1つは断層で起こるもの(構造地震)とそうでないものに分けるやり方で、もう1つは複数のプレートの間で起こるもの(プレート間地震あるいはプレート境界地震, Interplate earthquake)とプレート内部で起こるもの(プレート内地震, Intraplate earthquake)に分けるやり方である。後者はよく使われており、さらに細かい分類もされている。 以下に分類と主な日本語呼称を挙げる。 上の分類とは別に、火山体周辺で起こるもの(火山性地震)を特別に分ける場合がある。マグマや火山ガスの移動が地震を起こすほか、周囲よりも地殻が破砕されて弱いために応力が集中して地震が起こるなど、いくつかのメカニズムが知られている。 また、人工的な発破の振動などにより発生する人工地震も存在する。これに対して、自然に発生する地震を自然地震と呼ぶことがある。なお、ダムなど人工的な要因により引き起こされる自然地震もあり、誘発地震と呼ぶ場合がある(#その他参照)。 防災上の観点では、これらとは別に直下型地震(内陸地震)という分類を用いることがある。居住地域の直下で起こる浅発地震を指し、地域によってはプレート内地震だけではなくプレート間地震も起こる。南関東直下地震などの、都市で発生する直下型地震はリスクが大きいことから重要視されている。 また、地震動が小さい割に大きな津波が起こる地震を津波地震といい、顕著な例として1896年の明治三陸地震がある。。 地震に関連するものとして、振動を起こさないスリップあるいは滑りと呼ばれる現象がある。全く振動を伴わないものもあれば、付随して弱い低周波の振動を伴う低周波地震や、低周波微動などがあることが知られている。 2つのプレートが接する場所では、異なる運動をしているプレート同士の境界にひずみが蓄積し、地震が起こる。このようなタイプの地震をプレート間地震、プレート境界地震あるいはプレート境界型地震と呼ぶ。 プレート同士の境界は、収束型(海溝と衝突型境界に細分される)、発散型、すれ違い型(トランスフォーム断層)の3種類に分けられる。発散型やすれ違い型は、地震が起こる範囲がプレート境界の周辺だけに限られ、震源の深さもあまり深くない。一方、収束型のうち海溝はしばしば規模の大きな地震を発生させ、衝突型は地震が起こる範囲が広く震源が深いことも多い。 海洋プレートが沈み込んでいる大陸プレートの端の部分では、海溝から数百 km離れた部分まで含む広い範囲に海洋プレートの押す力が及ぶ。その力はプレートの内部や表層部にも現れるため、プレートの表層部ではあちこちでひび割れができる。このひび割れが断層である。 周囲から押されている断層では、押された力を上下に逃がす形で山が高く、谷が深くなるように岩盤が動く(逆断層)。また、大陸プレートの一部分では、火山活動によってマグマがプレート内を上昇し、プレートを押し広げているような部分がある。また、周囲から引っ張られている断層でも、引っ張られた力を上下に逃がす形で山が高く、谷が深くなるように岩盤が動く(正断層)。また、押される断層・引っ張られる断層であっても、場所によっては断層が水平にずれ、岩盤が上下に動かないこともある(横ずれ断層)。 このようなタイプの地震を内陸地殻内地震あるいは大陸プレート内地震と呼ぶ。伊豆半島や伊豆諸島、ニュージーランドなどは海洋プレートの上に位置しているが、これらの場所で起こるプレート内地震もこのタイプの地震として扱われる。このタイプの地震では地表に断層が出現しやすいため、断層型地震、活断層型地震などとも呼ぶが、プレート間・大陸プレート内・海洋プレート内地震は全て断層運動によって発生することに注意する必要がある。内陸の断層は都市の直下や周辺にあることも少なくなく、直下型地震とも呼ぶが、関東地震のように陸地の直下を震源とする海溝型地震もあるため、それと区別する意味で「陸域の浅い場所を震源とする地震」のような言い方もされる。 地震の規模は活断層の大きさによるが、多くの断層はM6 - 7、大きいものではM8に達する。海溝型地震と同じように、長い断層はいくつかの領域に分かれ、別々に活動する。同一の活断層での大きな地震の発生は、数百年から数十万年に1回の頻度とされている。都市の直下で発生すると甚大な被害をもたらすことがあるが、大きな揺れに見舞われる範囲は海溝型地震と比べると狭い領域に限られる。初期微動を検知するという原理上、緊急地震速報が間に合わないこともある。 1976年7月の唐山地震(M7.8、死者24万人・20世紀最大)、1995年1月の兵庫県南部地震(M7.3、最大震度7、死者約6,000人)や2000年10月の鳥取県西部地震(M7.3、最大震度6強)、2004年10月の新潟県中越地震(M6.8、最大震度7)や2007年3月の能登半島地震(M6.9、最大震度6強)、新しいものでは2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震(M7.2、最大震度6強)や2010年1月のハイチ地震(Mw7.0、死者32万人)などが該当する。2012年11月に福島県沖で相次いで発生したM5クラスの地震もこれに該当する。 アメリカ西海岸、ニュージーランド、日本、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、アフガニスタン、イラン、トルコ、ギリシャ、イタリア、スイスなどに活断層が密集しており、大きな断層型地震が頻発する。 このタイプの地震はしばしば甚大な被害をもたらすため、将来の地震発生予測を目的に、1980年以後日本全土の活断層が調査され、危険な断層を順次評価している。兵庫県南部地震の前に公表された活断層の地図には他の大断層類と同時に「危ない断層」として有馬・高槻・六甲断層帯が危険と表示されていた。この調査は以後も継続して続けられている。 一方、ヨーロッパ中部・北部、アメリカ中部、オーストラリアなどには、過去の造山運動に伴ってできた断層があるが、その中には現在も動いている活断層がある。このような断層は、時々動いて最大でM4 - 5程度の地震を起こし、稀に被害が出ることもある。また、そのような地域でもニューマドリッド断層帯のように活断層が存在し、頻繁に活動している場合がある。 沈み込みの運動をしている海洋プレートでも地震が発生する。このようなタイプの地震を海洋プレート内地震あるいはプレート内地震と呼ぶ。単にプレート内地震と呼ぶときはほとんどの場合このタイプを指し、大陸プレート内地震は含まれない。プレート間地震と合わせて海溝型地震と呼ぶこともある。海洋プレートにおける地震は大きく以下の2種類に分けられる。「沈み込んだ海洋プレート」では震源が深くなる傾向にあり、「これから沈み込む海洋プレート」では浅くなることが多い。 海溝の周辺の火山弧、ホットスポット、海嶺、ホットプリュームの噴出地域では、マグマの移動や熱せられた水蒸気の圧力、火山活動に伴う地面の隆起や沈降が原因となって地震が発生する。これらの地震を火山性地震という。火山性地震は断層の動きだけでは説明できない部分があるので、上記の3分類とは分けて考えることが多い。地震動も上記の地震とは異なる場合がある。 火山性地震は地震動の性質から2つのタイプに分けられる。P波とS波が明瞭で、一般的な断層破壊による地震と大差がないA型地震、および紡錘型の波形を持つB型地震である。B型地震はさらに周期の違いによってBL型地震とBH型地震に分けられる。広義では火山性微動も地震に含む。また、火道の圧縮やマグマの爆発・爆縮によって、一般的な断層破壊では見られない特殊な発震機構(メカニズム)を持つ地震も起こりうる。 主に人為的な原因や人工物の影響で引き起こされる地震。なお、人為的によらない外部的な要因としては、様々な自然現象などが地震の引き金になっている可能性も指摘されている(詳細は後節の「#地震発生のきっかけ」を参照)。 地震とは異なり、断層のずれを伴わずに地表に揺れを引き起こす発震現象。 日本(大和民族)では古来より「地中深くに大ナマズが存在し、その大ナマズが暴れることにより大地震が起きる」という俗説が信じられていた。現代においてもよく知られた俗説だが、ナマズが地震を予知できる根拠は見つかっていない。江戸時代には安政の大地震を期に鯰絵と呼ばれる錦絵が流行するなど、日本人にとって地震とナマズが身近な関係にあったことがうかがえる。また、鹿島神宮にはこの大ナマズを抑えるという要石があり、地震の守り神として信仰されている。地震避けの呪歌に、万葉集の歌を使った「ゆるぐともよもや抜けじの要石鹿島の神のあらむ限りは」(要石は動きはしても、まさか抜けることはないだろう、武甕槌神がいる限りは)というものがある。 北海道のアイヌには、「地下には巨大なアメマスが住んでいる。これが暴れて地震が起きる」という、日本(大和民族)とよく似た伝承があった。そこで地震が発生すれば、地震鎮めの呪いとして囲炉裏の灰に小刀や火箸を刺し、アメマスを押さえつけるまねごとをした。鵡川町から平取地方では、地震が発生した際に「イッケアトウエ、エイタカシュ、アエオマ(おとなしくしないと腰を突き刺すぞ)」などの呪文の文言を叫び舞う儀式の記録が保存されている。 台湾では、地中深くに地牛という大きな牛が存在し、その地牛が寝返りをうつと地震を起こすという伝説がある。 中国では古来から、陰陽説の考え方を背景にして、地震とは陰の性質を持った大地から陽の性質を持った大気が出てくるときに起こるものという説明があった。また福建省では、地震を起こすのはネズミであると言う神話上の伝承が存在する。 北欧神話においては地底に幽閉されたロキが、頭上から降り注ぐ蛇の毒液を浴びたときに震えて地震が起きるとされている(詳細はロキを参照のこと)。ギリシア神話ではポセイドンが地震の神とされた。 フィンランドの先住民族は、地震が起こるのは大地の下で、大地を支える死の国の老人の手が震えるからとされている。 北アメリカでは、クジラが地震や津波を起こすとされ、海に棲むウンセギラという巨大な雌水蛇が大津波をおこす。 メキシコ、マヤ民族のツォツィル語系インディオでは、大地の4本または8本の支柱が揺れ動くと地震がおこるとされている。 古代エジプトでは、大地の神ゲブの笑い、またはヌトと離れた悲しみが地震をおこすという。 仏教では、地震は傲慢と不平が原因で起こされる自然災害であり、自然災害が起きるのを防ぐには戒・定・慧を勤修し、三毒を息滅することが必要だと教えている。 古代ギリシアでは、自然哲学者アナクシメネスが土が大地の窪みにずり落ちることが原因だと考えた。アナクサゴラスは地下で激しく水が流れ落ちることを原因と考えた。その後、アリストテレスは四元素説を基に、地震は地中から蒸気のようなプネウマ(気、空気)が噴出することで起こると説明した。これらを受けて、セネカは地下での蒸気の噴出によって空洞ができ、そこの地面が陥没するときに地震が起こるという説を立てた。時は変わって、アラビアではイブン・スィーナーが、地面が隆起することが原因だとする考えを示した。 18世紀には、リスボン地震をきっかけにジョン・ミッチェルが地震の研究を行い、火山の影響で地中の水蒸気が変化を起こすことが原因という説を発表した。 19世紀末には、お雇い外国人として日本にいたジョン・ミルンやジェームス・アルフレッド・ユーイングが地震を体験したことがきっかけとなり、日本地震学会が設立され、地震計の開発や地震の研究が進み始めた。地震の波形から震源を推定する方法が発見されたり、アンドリア・モホロビチッチがモホロビチッチ不連続面を発見して地球の内部構造の解明の足がかりとなったりした。ミルンは、イギリスで地震の研究を進めて同国に近代地震学が確立された。現在イギリスには世界中の地震の観測情報を集積している国際地震センター (ISC) が設置されている。 また20世紀に入って、リチャード・ディクソン・オールダムが地球の核(コア)を発見、ベノー・グーテンベルグがグーテンベルク不連続面を発見するなどし、地球物理学が次第に進展するとともに、アルフレート・ヴェーゲナーの大陸移動説から発展したマントル対流説や海洋底拡大説がプレートテクトニクスにまとめられ、地震の原因として断層地震説と弾性反発説が定着した。ただ、断層地震説と弾性反発説によって一度否定された岩漿貫入などは、2説を補完する説として考える学者もいる。 地表では、P波による揺れが始まってからS波が到達するまでは、初期微動と呼ばれる比較的小さい揺れに見舞われる。その後、S波が到達した後は主要動と呼ばれる比較的大きい揺れとなる。震源から数十 km以上と離れている場合にはこのような揺れの変化が感じられるが、震源が近い場合はP波とS波がほぼ同時に到達するため分からない。また震源から近い場所では、P波が到達する前後にレイリー波も到達し、同じく揺れを引き起こす。S波は液体中を伝播しないため、海上の船などでは、P波のみによって発生する海震と呼ばれる揺れに見舞われる。 被害を引き起こすような揺れのもとは主にS波だが、レイリー波、ラブ波、P波も振幅や周期によっては被害を引き起こすような揺れとなる。 また、揺れの大きさは震源からの距離に比例すると思われがちであるが、厳密には「震源域からの距離」に比例する。一方で、地盤の特性により思わぬところで揺れが大きくなる場合がある。例えば、阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震では、震度7の被害地域が「震災の帯」と呼ばれる帯状に生じた。これは震源域である断層直上であることが原因の1つだったほか、地盤の柔らかい大阪平野が阪神間に帯状に伸びていたこと、六甲山地と大阪平野の境界部で地震波の干渉や増幅が発生したことが原因とされていて、「震災の帯」は震源から約30 km離れた地域まで延びている。 地震波 / 地震動の周期は、被害を受ける構造物と一定の関係性がある。構造物にはそれぞれ、固有振動周期の地震波に共振しやすい、周波数が違うと曲げ・ねじれ・伸縮などの変形の「型」も変わるといった、地震動を受けた際の振動特性があり、地震工学や建築工学においては重要視される。構造計算においては、さまざまな固有振動周期や減衰定数をもつ構造物の応答スペクトルを解析して、地震動に対する構造物の特性をみる。 例えば、日本家屋のような木造住宅は周期1秒前後の短周期地震動が固有振動周期にあたるため、周期1秒前後の地震動によって共振が発生し非常に強く建物が揺さぶられ、壊れやすく被害が拡大しやすい。この周期の地震波はキラーパルスと呼ばれており、兵庫県南部地震の波形がそうであった。一方、高層建築物は周期5秒以上の長周期地震動が固有振動であり、地震波が堆積盆地を伝わる過程で増幅しやすい長周期地震動によって、平野部の高層建築物の高層階では大きな被害が発生する。一般的に規模の大きな地震ほど周期が長い地震動の大きさ(振幅)も増す傾向にあり、周期が長いほど低減衰のため遠くまで到達して被害をもたらす。このほかに、M9を超えるような巨大地震の際に観測される、超長周期地震動または地球の自由振動と呼ばれる周期数百秒以上の地震動がある。この超長周期地震動の中には地球の固有振動周期に当たる地震動もあり、地球全体が非常に長い周期で揺れることもある。 なお、地震波 / 地震動の周期は地震の規模や震源距離に関係が深い。大地震と称されるM7程度までは短周期が卓越し、それ以上になると規模が大きいほど長周期が卓越する傾向にあり、海溝型の巨大地震では長周期地震動が大きくなると考えられている。また、周期が長いほど減衰しにくいため、震源から遠いほどゆっくりとした揺れを感じやすい傾向にある。規模の大きな地震では、短周期の振幅が規模と比例しないため、長周期の波形から(モーメント)マグニチュードを算出する。 地下の構造、特に地面に近い表層地盤の構造(表層地盤増幅率)や地下のプレートの構造によって、地震動全般に対する揺れやすさ、揺れやすい周期、あるいは地震波の伝わり方が異なる。そのため地震の際、震度が震央からの距離に完全に相関して、きれいに同心円状に分布することはほぼない。稀に震央と異なる地域で揺れが最も大きくなることがあり、異常震域と呼ばれる。一般的に、地表の含水率や間隙率が高い泥質地盤が最も揺れやすく、礫が多くなり岩盤に近くなるほど揺れにくくなる。また、完新世(1万年前以降)に堆積した沖積層など新しい層に厚く覆われていると揺れやすく、洪積層(更新世、258万年 - 1万年前)やそれ以前(新第三紀かそれ以前)の層に覆われていると揺れにくい傾向にあるが、一概には言えず、厳密には地盤調査によるN値や基盤岩深度などから推定する。また表層が砂質地盤で地下水位が高い場合は揺れに伴って液状化現象や側方流動が起こる。 また、多くの地震計は周期0.2 - 0.3秒前後の地震動を感知しやすいため、周期0.2 - 0.3秒で大きく周期1秒で小さい地震では震度に比べて被害が軽かったり、逆に、周期0.2 - 0.3秒で小さく周期1秒で大きい地震では震度に比べて被害が甚大だったりといったことが起こる。ただし、これには地震計の設置場所と地下構造の問題もあるとされる。 主な地震の震源を地図にして地球の表面を概観すると、プレートテクトニクス理論における「環太平洋造山帯」や「アルプス・ヒマラヤ造山帯」の周辺は地震が特に多い地域があることが分かる。前述の2つの造山帯も含めた新期造山帯で最も地震が多く世界の地震活動の大部分を占める。このほか、ヨーロッパ西部やアジア北部などの古期造山帯でも比較的多く地震が発生する。 これらの地域は造山帯または地震帯(火山に着目した場合火山帯とも呼ぶ)と呼ばれ、地殻や地面の活動(移動)が活発で、地震も活発である。しかし、この地図はあくまで一定期間に発生した地震を集計したものであり、「地震の起こりやすさ」を表したものだが、この地図で地震が少ない国・地域(カナダ、ロシア、ブラジル、アフリカ大陸など)でも絶対に地震が発生しない、とはいいきれず、どの陸地でも地震は発生しうる。 ただし、地震の多い地域と、地震による被害が大きい地域は異なる。地盤の揺れやすさ、人口密度の大小、建造物の強度、社会情勢などによって被害や救助復旧の様子が異なるためである。一方、同じ地域においても、地震が発生する時間や時期などによっても被害は異なり、例えば調理を行う食事時間前や暖房を多く使う時間帯においては火災の多発、大都市では平日昼間における帰宅困難者の発生などが挙げられる。また、地震の規模が大きくなるほど断層の長さが長くなり、被害地域が広くなる傾向にある。津波が発生した場合は、揺れが小さい沿岸部や揺れが全くなかった遠隔地に津波が押し寄せ被害をもたらす。ハワイ諸島などは太平洋の中心にあって周囲に島が少ないため、環太平洋各地の遠隔地津波を受けやすいことで知られる。 地球上で1年間に現行のネットワークで現行の機器で観測される地震回数は約50万回と推定されており、その内10万回が有感地震である。1年間にM5以上の地震が平均約1,500回、M2以上の地震が平均145万回発生している。数の上では、世界で発生する地震の1割程度が日本付近で発生しているといわれ、また1996年から2005年の期間では世界で発生したM6以上の地震の2割が日本で発生しているとの統計があり、客観的に見ても日本は地震の多い国と考えられる。 地震の発生の頻度が過去と比べて増加したかどうかということは、局地的に見ることはできても、全世界的に見ることは現状では難しい。地震の発生数のデータは、地震計の精度の向上や観測点のネットワークの状況などに左右される。世界的に見ても目が細かい日本の高感度地震観測網でも1990年代後半以降のデータであり、世界を見ても微小地震・極微小地震を捉えられるような観測網は少なく、海底となればその傾向は顕著である。 防災上、地震を引き起こす可能性の高い活断層の存在は注目される。日本では主要な数百の活断層の位置と再来間隔や規模などが調査・発表されている。活断層と同様に活褶曲も地震を発生させうるほか、活断層が無い地域に新たに断層が発生する可能性も否定できない。そのため、活断層の調査を中心とした地震防災に対する批判も存在している。 地球上の活断層(地溝・海溝・海盆などを含む)のうち、主なものを挙げる。これらは周期的に大地震を発生させると考えられている。このほか、地震活動が活発で多くの活断層を擁する歪集中帯と呼ばれる地域がある。 地層や地磁気反転等の観測から、数百年を超えるような長期的な視点ではプレートや地表の動きは平均されて一定になるというのが地質学の定説であり、それぞれのプレートの境界や断層で起こる地震は、一定の速度で蓄積される歪みが一定の周期で解放されて起こると説明できる。実際に観測や歴史地震でも、プレート境界型地震である南海地震、東南海地震、東海地震、宮城県沖地震などでは周期性が確認されているほか、内陸プレート内地震である北アナトリア断層の諸地震などでも確認されている。周期性のある地震を地震学では固有地震(相似地震)といい、現在のところマグニチュード4程度以上、再来周期数年以上の地震で発見されている。 M7.0 - 8.0くらいの海溝型地震においては50 - 300年程度、後述の連動型地震においては500年程度。チリ地震やスマトラ島沖地震はこうしたタイプの地震であったと認識されている。、地表付近の断層においては数百年 - 数十万年と、地震の周期はそれぞれ異なる。 1990年代後半日本で整備された高精度の地震観測から、プレート境界や断層の面内で地震の起こりやすさが異なることが発見され、それを説明する説として「アスペリティモデル」が提唱された。プレート境界や断層の面内には形状・硬さ・含水率・温度等の性質の差により、主に以下の3種類が存在するという考え方である。 この3番目の部分をアスペリティといい、プレート境界や断層の面内には大きさやお互いの間隔がさまざまなアスペリティが存在していることが観測により推定されている。アスペリティモデルでは、M7.0 - 8.0くらいの(単独型)海溝型地震は1つの大きなアスペリティまたは小さなものが少数同時に破壊して発生するもの、連動型地震は複数の大きなアスペリティが同時に破壊して発生するものと解釈されている。 1つのアスペリティで地震が起こるとそこの歪みが解放され周囲のアスペリティに負荷がかかることから、1つの固有地震の発生間隔が毎回少しずつずれるのはそうした周囲のアスペリティからの負荷の変化によるものと考えられている。この負荷を定量的に推定する方法としてプレート運動速度の観測と地殻表面の測量により求められるプレート間カップリングがあり、これにより求められた負荷を「本来滑るべきだがまだ滑っていない量」と考え「すべり欠損」という。ただ、負荷の大きさはすべり欠損だけではなく、プレート境界や断層の面内によって値が異なる「破壊強度」を考慮する必要がある。あるアスペリティですべり欠損が破壊強度を超えた時に地震が発生する。 地震発生間隔のずれは、現在の長期的地震予知における大きな課題の1つとなっている。これに対処する方法としてアスペリティの推定や、発生間隔のずれを求めるためのすべり欠損の推定を行う研究者がいるが、精密地震観測が必要で、精度を高めるためには断層近傍で観測を行う必要があり、海溝型地震では海溝軸付近の海底に地震計を設置する必要があることから費用や労力が大きいという問題がある。 一方、一連の周期の中で生じる現象で実際に観測された例がある、本震発生前の前駆的地震活動(前震など)、静穏化(空白域の形成)などから地震予知を行おうとしている研究者もいる。また、海溝型地震の前の歪の蓄積は内陸の地震活動に影響を与えるため西日本(西南日本)が南海地震や東南海地]の前段階の地震活動期に入っているとの学説もあるが、判断するための資料が少ないといった反論もある。 日本では、主な海溝型地震や断層において調査された活動履歴から、主に繰り返し間隔と前回からの経過時間の推定によって、現在の活動確率を論じる「長期的地震予知」が行われている。しかし、このような長期的な予知を目安にした地震研究に対して、被害軽減への効果を疑問視し防災・減災により地震に強い社会を構築することの重要性を説く専門家もいる。 大規模な地震が発生した場合、その災害を震災(しんさい)と呼ぶ。特に激甚な震災は大震災と呼んで、地震とは別に固有の名称が付けられることがある。例えば関東大震災、阪神・淡路大震災、東日本大震災などである。しかし、「関東大震災」の命名者ははっきりしておらず、「阪神・淡路大震災」「東日本大震災」は報道機関が使用し始めたものを元に閣議で決められたもので、「震災名」を付ける制度は作られていない(地震名は気象庁が命名する)。新潟県中越地震では、新潟県が独自に「新潟県中越大震災」という呼称をつけている。 長期的に見て、地震による被害は縮小する傾向にある。これは、耐震基準の改正や、地震に強い社会基盤の形成、さらに地震に関する知識や防災意識の浸透によるものが大きい。日本でも地震の被害は1948年に発生した福井地震の頃まで、人口の増加と産業の発展に比例して増加した部分もあったが、その後は住宅の耐震性・耐火性の向上とともに揺れに起因する被害は減少してきている。世界的にも、地震被害の多い地域では耐震化や防災体制の構築により被害が減少している地域もあるが、途上国を中心にいまだに有効な対策がとられていない地域も多く存在する。 地震は自然現象であり、人類の力では押しとどめることはできないが、事前に耐震基準の厳格化などで備えておけば被害を小さくすることは可能であるため、地震による災害を一種の「人災」とする考え方もある。この「努力と事前対策により、想定される被害を可能な限り減らす」、「減災」の考え方を広めようという運動が2008年頃から行なわれている。 大規模な地震が発生したときには、自分たちのできる範囲で避難・救助・救援を行うことが救命率向上につながる。その際には、組織化されノウハウを蓄積している消防団や自治会などのコミュニティが大きな担い手となる。これは、公設の機関である消防・警察・軍隊(日本ならば海上保安庁・自衛隊)なども救助・救援を行うがその能力は限られ、一刻を争う避難誘導や救急の人員が不足するためである。地震災害の規模が大きければ大きい程、救助・救援が到達するのが遅くなる傾向にある。また通信が途絶したり夜間であったりといった、救助・救援を必要とする場所の把握が困難になる事態が発生することもあり、捜索に時間がかかる場合もある。 このような大震災が発生した場合は、国内の被災していない地域や国外より救援が来る場合もある。常備軍を有する国家ならそれが投入され、不足があれば予備役が召集動員され、併せて(水上)警察・消防・救急組織なども投入されるがこれ等は軍と異なり余剰能力が限られているのが常である。国連機関であるUNICEFやWFP、国際NGOである国境なき医師団、国家単位では各国の赤十字や日本における国際緊急援助隊などの救助隊・救援隊が、人的・物的・資金面での人道支援を行う。20世紀後半からは先進国を中心に災害ボランティアによる救助・救援活動が目立ってきている。救助活動や安否確認、医療のほか、避難生活の支援、復旧活動などに、物資や金銭を送ったり、実際に出向いたりといった形で支援が行われる。日本では、「ボランティア元年」と呼ばれた阪神・淡路大震災の際に社会的運動として広がりを見せた後、新潟県中越地震、東日本大震災などで活発化した。ボランティアの受け入れ態勢不備やトラブルなどが発生したこともあるが、次第に改善されてきている。ヘリコプターが普及しマスコミが地震取材報道に使用するようになって、インパクトのある中継録画はボランティアの喚起には有用だが、倒壊建物の下敷きになった生存者の救難を求める音を、取材ヘリコプターの騒音で妨害する事が度々指摘されている。 地震災害の際の特徴として、余震により救助・救援が妨げられることが挙げられる。また、建物の中に人が閉じ込められることが多い地震被災地において、災害救助犬も多く活動している。 救助以外の行政の役割として、避難所や仮設住宅の確保、物資の提供や仕分け、情報の提供などが挙げられる。また、復興に際しては住宅再建の補助金提供などの役割を担う。 大震災に伴う地すべりや津波による浸水などによって集落単位で壊滅的な被害が発生した場合、その地域を居住に適さない危険な地域として規制し、残った住民の集団移転を行う場合がある。1970年アンカシュ地震のユンガイ、1896年明治三陸地震・1933年昭和三陸地震の際の岩手・宮城沿岸の一部集落などが例であるが、生活との折り合いや費用の問題等で紛糾する場合がある。また、都市型震災の後に多くみられるが、大震災の原因が住居環境によるものであった場合、区画整理などの大型事業によって地震に強い防災まちづくりを実施することがある。 被害の拡大を防ぐために、地震や津波の情報を迅速に伝達することも重要とされる。日本では、国内4,000地点以上に網羅された観測網により微小地震や震度を自動収集していて、気象庁が発生後数分以内での速報を行い、NHKと民間放送事業者がテレビ・ラジオで国民に広く伝えている。観測された震度の大きさによって報道体制を変えており、受け取る側でも、警察・消防・内閣などの公的機関が震度の大きさによって対応を決める。なお、NHKを中心とした一部のテレビ・ラジオでは津波警報発表時に受信機を強制起動する緊急警報放送を行っているが、普及率は低い。 それ以外にも、同報系市町村防災行政無線により屋外スピーカーで津波情報や地震に対する警戒を広域に呼びかける手法も、屋外にいる者に発する主要な警告手段として広く用いられる。特に早急な避難が必要な津波の場合には、消防・消防団・警察などが地域を巡回しながら緊急車両のサイレンや拡声器などで避難を呼びかける。また、感震計により強い揺れを観測した際に自動的に警告を発する手法もある。 なお、観測網が整備されている場合に可能な地震の揺れが到達する前の対策(地震警報システム)として、日本では鉄道でのユレダス、テレビ・携帯電話・専用受信機などでの緊急地震速報が運用されている。これと似たシステムが、アメリカ・カリフォルニア州南部やメキシコ・メキシコシティ周辺部でも運用されている。また、常時インターネット環境にある場合に効果が高いP2P地震情報などもある。 大地震直後の電話などの通信の混雑への対策として災害用伝言ダイヤルの設置などが行われている。携帯電話等においても災害用伝言板サービス等の同様のウェブ上サービスがある。自治体や民間が協力して臨時災害放送局を設置し、被災者への情報提供が行われた例もある。また1990年代から普及したメール、掲示板、2010年代に普及したリアルタイム・ウェブ(SNSやブログ・ミニブログなどの、誰もが即時発信即時共有できる情報)は生活情報や被災情報のやり取りに活用されていて、情報伝達の高速化をもたらした。しかし、震災後には情報が錯綜したりデマ・流言が発生しやすく、一定の社会的信頼を有する報道機関に比べると口承・インターネットの信頼性は低いため、災害時においては各人が情報の真偽を見分けるメディア・リテラシーの必要性が高まる。 東日本大震災の教訓から、津波避難の一助としてスマートフォン・カーナビゲーション・デジタルサイネージなどに避難経路を表示し、オフライン利用を目指す取り組みもある。 地震被害を防ぐ最も重要な対策の1つが、建造物の耐震性を高めることである。各国は建築関連法規により建築物の耐震性を規定しているが、地震経験の多寡によりその厳しさは異なる。日本では建築基準法とその関連法令による耐震基準がこれに該当する。大地震の被害を考慮するなどして強化改定されてきた経緯があり、1981年(昭和56年)6月施行の「新耐震基準」が現行であって、想定される地震動に対し概ね妥当な強度を保持できると考えられている。新築建造物は現行基準を満たして建設しなければならない。ただし既存の建物は、建てた時に適法でも後の法改正により既存不適格となったものがあり、これは一部を除いて耐震補強を行うのは任意である。また、消防法や都市計画法にも地震防災に関係する規定が含まれる。 また、原子力発電所など揺れによる災害の危険性が高い建造物については、建設の前の環境アセスメントの段階で、地盤の強度や周囲の断層の位置・活動度などを調査し、なるべくリスクの低い場所に立地するような対策が取られている。これについては、調査が十分に行われない可能性、未知の断層や新たな断層が発生する可能性があるほか、日本では東日本大震災による福島原発事故後に津波に対する耐性が問題となって休止・再稼働停止する原発が相次いでいる。 企業では、リスクマネジメントや事業継続マネジメント (BCM) などを通じた業務継続のための対策や経済的影響への対策も必要となる。保険業界や企業を中心に、被害リスクを予め算定する地震PMLという手法も普及している。 市民が行う対策としては、防災訓練や防災用品(非常食や非常袋など)の準備などが代表的なものとして挙げられる。また、過去の災害の例を学んだり体験談を聴いたりすることも有用であるとされ、教育や地域において講演会として行われたり、書籍となったり、インターネット上で公開されたりしている。地震への防災や備えの目安として、避難場所や経路を記した防災地図、地盤の揺れやすさや地震動に見舞われる確率の地図なども自治体により作成されており、活用が可能である。地震被害からの復旧のために地震保険も用意されている。 江戸時代には地震の間と呼ばれる耐震構造が施された物もあり、彦根城の楽々園などに現存する。 危険性の高い製品を作っている企業は、製品マニュアルに地震時の対策が記載されているので地震の前に読んでおき、従う必要がある。一例だと星野楽器の製品に添付されている『安全にお使いいただくために』には地震時にはドラムセットから離れることを記載している。 有史以来、世界各地で無数の地震が発生している。その中で、多くの被害を出した地震も多数発生している。日本では、1960年以降に気象庁が正式に命名した地震が、現在約30個あるほか、それ以前にも多数の被害地震が発生している。また世界では、1980年から1999年までの20年間で、1年当たり平均約7,400人(うち日本は280人)が地震により亡くなっている。 日本およびその周辺の地震、震災など古地震として多く取り上げられる地震として、1923年の関東地震(関東大震災)がある。この地震では、日本の歴史上最多となる10万人以上の死者を出し、首都東京を含む広い範囲に被害を与え、火災の被害も大きかった。 1964年の新潟地震は日本では最大級の石油コンビナート災害をもたらし鎮火に10日以上かかり、水では消火できない危険物火災への消防・防災をより強化することとなり、また地震保険がこの地震を機に2年後誕生した。 1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)は都市部を襲った地震の典型例であり、その後の建築基準法の見直しや防災意識の変化などに大きな影響を与えた。 2004年の新潟県中越地震では震災後の避難生活に関する問題が大きく取り上げられるようになった。 2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)は津波によって東日本の太平洋側の広い範囲に被害を与え、原発事故等の新たな問題も発生した。 また世界的には、津波により多くの死者を出した2004年のスマトラ島沖地震などがある。 人類史上、死者が最も多かった地震は、1556年1月23日に中国 陝西省で発生した華県地震で、約83万人が死亡した。これは2番目に多い唐山地震の公式統計による死者数の3倍以上である。また、人類史上、最も規模が大きかった地震は、1960年5月22日にチリ西岸で発生したチリ地震で、マグニチュードはモーメントマグニチュード (Mw) で9.5だった。 地震波 / 地震動を観測する地震計には、観測対象とする揺れの周期、感度(振幅)などにあわせてさまざまな種類のものがあり、担当機関でもいくつかの種類の地震計を使い分けている。日本では気象庁や防災科学技術研究所が地震計を多数設置していて観測網を作っている。これらは震度を算出したり、震源の位置や規模を推定することに利用されている。また、2007年10月1日から 一部の離島を除いた国内ほぼ全域すべての住民を対象とした緊急地震速報の運用を開始した。 予測震度5弱以上のときに発表されテレビ放送や携帯端末などで「(震度4以上の)強い揺れとなる地域」を伝える一般向けのものと 、発表基準が低く誤報の可能性が高いものの「各地の震度や揺れの到達時間」などが分かる「高度利用者向け」(地震動予報)の2種類がある。 地震の発生を事前に予知することで、被害を軽減する試みは、古くから行われてきた。数十年から数百年単位での長期的な発生予測は、従来の地震学の知識をもとにして行われている。一方、数ヶ月から数時間単位で地震を予知する短期予測は、一般的に困難とされている。 地震観測網の発達により、地震の発生頻度が統計的に分析できるようになった結果、地震の発生頻度と地震の規模はほとんどの場合、グーテンベルグ・リヒター則に従うことが判明している。そのため、統計データから算出される小規模な地震の発生頻度を基に、より大規模な地震の発生確率を計算することができ、行政による防災計画などに活用されている。しかし、大規模な地震ほど発生確率が低くなるため、長期的な発生確率を示すことしかできず、いつ発生するかを示す(予知する)ことはできない。また、地震がグーテンベルグ・リヒター則に従うということは、地震の規模がランダムに決まることを意味し、そのことは、地震の予知が不可能であることを示唆している。 短期予測に関しては、多種多様な手法が試みられている。有名なものでは、ギリシャのVAN法、前震の検知(中国の海城地震で成功した)などがあるが、常に利用できる手法ではない。また、東海地震発生直前に発生すると予想されているプレスリップ(前兆すべり)を検出する方法もある。一方で、現時点では科学的根拠に乏しい宏観異常現象による地震予知も試みられている。 また、仮に地震予知の手法が確立された場合、それを誰がどのように行い、いつどのように発表するかということも、現状では東海地震における地震防災対策強化地域など限られた地震・地域においてしか定まっておらず、混乱が発生する事態も考えられる。 地球以外の天体においても、地球の地震に相当する、地殻の振動現象が発見されている。 月で発生する地震は月震と呼ばれ、1969年から1977年までの通算8年余りの間観測が行われた。 2019年にはアメリカ航空宇宙局 (NASA) の火星探査機・インサイトが、火星で発生する地震(「火震(marsquakes)」)を初めて観測した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "地震(じしん、英: earthquake)は、以下の2つの意味で用いられる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "地震を専門とした学問を地震学という。地震学は地球物理学の一分野である。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "地下の岩盤には様々な要因により力(ちから)がかかっており、急激な変形によってかかっている力を解消する現象が地震である。地球の内部で起こる地質現象(地質活動)の一種。地震に対して、地殻が非常にゆっくりとずれ動く現象を地殻変動と呼ぶ。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "地震によって変形した岩石の断面を断層といい、地下数 kmから数十 kmの深さにあって地表までは達しないことが多いが、大きな地震の時にはその末端が地表にも現れて地表地震断層となる場合がある。一度断層となった面は強度が低下するため繰り返し地震を引き起こすと考えられている。特にカリフォルニアにあるサンアンドレアス断層は1,000 km以上に及ぶ長大なもので繰り返し地震を起こしており、日本の地震学者に地震と断層の結びつきを知らせたことで有名で、日本では兵庫県南部地震の野島断層、濃尾地震の根尾谷断層、北伊豆地震の丹那断層などが有名である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "地震によって生じる振動は高速の地震波となって地中を伝わり、人間が生活している地表でも地震動として感じられる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "地震波は波の一種であり、地中を伝わる波(実体波)と地表を伝わる波(表面波)に大別される。実体波はさらに、速度が速いP波(たて波、疎密波)と、速度が遅いS波(横波、ねじれ波)に分けられる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "地震のはじめに感じられることが多い細かい震動(初期微動)はP波、地震の激しい震動(主要動)は主にS波による。P波とS波は伝わる速度が違うので、P波とS波の到達時間の差である初期微動の時間が震央と観測地点との間の距離に比例する。初期微動が長いほど震源は遠い。初期微動が長くかつ主要動が大きい場合は、震源が遠いにもかかわらず振幅が大きいので、大地震の可能性が考えられる。また、P波はS波よりも速いので、P波を検知したときに警報を出せば被害が軽減できることから、緊急地震速報や緊急停止システムで応用されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "地下で断層が動いた時、最初に動いた地点を震源と呼び、地上における震源の真上の地点を震央と呼ぶ。テレビや新聞などで一般的に使用される震源は震央の位置を示している。震源が動いた後もまわりに面状にずれが生じ、震源域と呼ばれるずれた部分全体が地震波を発する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "地震波の速度はほぼ一定であり上記のように異種の波がある性質を利用して、地震計で地震波を観測することにより、1地点以上の観測で観測地点から震央までの距離、2地点以上の観測で震央の位置、3地点以上の観測で震源の深さを求めることができる。この算出式は大森房吉が1899年に発表したので、「(震源の)大森公式」と呼ばれている。このほかに地震を含めた地下の諸現象の解明や、核実験の監視などに有用であることから世界的に地震観測網が整備されている。日本は地震災害が多いことから地震計や震度計が数千か所の規模で高密度に設置され、気象庁による迅速な地震情報発表や緊急地震速報などに活用されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "なお、一つの地震の地震波にはいろいろな周期(周波数)の成分が含まれており、その違いによって被害が異なるほか、近隣の地域でも表層地盤の構造や建物の大きさ・形状によって揺れ方が大きく異なることが知られている(詳細は後述参照)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "また地震は、震源の深さによって、浅発地震、稍(やや)深発地震、深発地震の3つに分類される。前者の境界は60 kmまたは70 kmとされる場合が多く、後者の境界は200 kmまたは300 kmとされる場合が多いが、統一した定義はない。震源が深い地震は同じ規模の浅い地震に比べて地表での揺れは小さい。ただし、地下構造の影響により震央から離れた地点で大きく揺れる異常震域が現れることがある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "このほかに地震を特徴付けるものとして、発震機構とよばれる断層の動き方(後述)や地震の大きさなどがある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "地震の大きさを表現する指標は主に2系統あり、それぞれいくつかの種類がある。Mは指数関数、震度は非線形関数であり、数字の大きさと実際の物理量は比例関係ではない(詳細は後述参照)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "比較的大きな地震は、地震活動に時間的・空間的なまとまりがあり、その中で最も規模が大きな地震を本震と呼ぶ。ただし、本震の区別が容易でない地震もあり、断層のずれの程度や前後に起こる地震の経過、断層の過去の活動などを考慮して判断される。本震に対して、その前に起こるものを前震、その後に起こるものを余震という。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "被害をもたらすような大地震ではほぼ例外なく余震が発生し、余震により被害が拡大する例も多い。大きな地震であるほど、本震の後に起こる余震の回数・規模が大きくなるが、「(余震の)改良大森公式」に従って次第に減少する。この公式から余震の発生確率を予測したり、活動度の低下から大きな余震の発生を予測する研究も行われている。余震の発生する範囲は震源域とほぼ重なる。なお、大地震の地殻変動の影響で震源域の外で地震活動が活発になる場合があり、これを誘発地震という。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "本震と呼べるようなひとまわり規模の大きな地震がなく、同規模の地震が多発するものを群発地震という。また1990年代以降普及した呼称だが、同じ断層で数十年から数万年以上の間隔で繰り返し発生するものを固有地震(相似地震)といい、大地震と呼ばれるような複数の固有地震が同時または短い間隔で発生(主に隣接するセグメントを破壊)するものを連動型地震という。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "また、地震のメカニズム解明の過程でプレートのテクトニクス(動き)との対応関係から地震は4種類に大別されており、それぞれ発生地域、揺れの大きさや被害の傾向が異なる(詳細は後述参照)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "大きな地震はしばしば建造物を破壊して家財を散乱させ、火災、土砂災害などを引き起こし、人的被害をもたらす、典型的な自然災害の1つである。地震予知の研究も行われているが、天気予報のような科学的な予報・予知が確立されておらず、前触れもなく突然やってくる。そのため、建造物や地盤の強度を調べて補強する、震災時の生活物資を備蓄する、避難計画を立てるなど、災害に備える「防災」や災害を軽減する「減災」の考え方から対策をとり、「いつ来てもいいように」備えるのが一般的である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "また、海域で発生する大規模な地震は津波を発生させ、震源から遠く揺れを感じなかったところにも災害をもたらすことがある。そのため、学術的な研究などの目的に加えて、津波の発生を速報する目的で、各国の行政機関や大学等によって地震の発生状況が日々監視されている。1960年チリ地震以降、初めて太平洋全域の津波警報システムが整備され、2004年のスマトラ島沖地震以降はその態勢も大きく強化され、インド洋でも整備されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "地球の表層はプレートと呼ばれる硬い板のような岩盤でできており、そのプレートは移動し、プレート同士で押し合いを続けている。そのため、プレート内部やプレート間の境界部には、力が加わり歪みが蓄積している。これら岩盤内では、岩盤の密度が低くもろい、温度(粘性)が高い、大きな摩擦力が掛かっているなどの理由で歪みが溜まりやすい部分がある。ここで応力(ストレス)が局所的に高まり、岩体(岩盤)の剪断破壊強度を超えて、断層が生じ、あるいは既存の断層が動くことが地震であると考えられている。", "title": "メカニズム" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "断層はいわば過去の地震で生じた古傷であり、地殻に対する応力が集中しやすいことから、断層では繰り返し同じような周期(再来間隔)で地震が発生する。断層の大きさは数百 mから数千 kmまであり、またその断層の再来間隔も数年から数十万年とさまざまである。断層の中でも、数億年から数百万年前まで動いていて現在は動いていないような断層があり、そのようなものは古断層といって地震を起こさない。一方、現在も動いている断層を活断層という。日本だけでも約2,000の活断層がある。ただし、活動の有無を判別するのが難しい断層や大規模探査を行わなければ発見できない断層もあって、古断層といわれていた断層や知られていなかった断層が動いて地震を起こした例もあるため、防災上注意しなければならない。", "title": "メカニズム" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "岩盤内で蓄積される応力は、押し合う力だけではなく、引っ張り合う力や、すれ違う力など様々な向きのものが存在し、それによって断層のずれる方向が変わる。押し合う応力は断層面の上側が盛り上がる逆断層、引っ張り合う応力は断層面の下側が盛り上がる正断層、すれ違う応力はほぼ垂直な断層面の両側が互い違いに動く横ずれ断層を形成する。多くの断層は、正断層型・逆断層型のずれ方と、横ずれ断層型のずれ方のどちらかがメインとなり、もう一方のずれ方も多少合わさった形となる。", "title": "メカニズム" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "よくテレビ番組でプレート境界が瞬間的にずれて跳ね上がり、その動き自体が地震の揺れ(地震動、地震波)と同一であるかのような説明があるが、短周期の揺れは、ずれるときの摩擦の振動であり、断層型地震等の最終的な揺れの主因は、地上での岩石の破壊実験で生じる振動からも、摩擦面で起きる破壊とされている。震源域が広くずれが生じている時間が長ければ、それだけ長く揺れ続ける。津波は、海底のずれの動きそのものが海水に伝わって起きる。", "title": "メカニズム" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "地震の始まりは、岩盤内部の一点から破壊が始まり、急激に岩盤がずれて歪みを解放し始めることである。破壊が始まった一点が震源であり、破壊されてずれた部分が断層となる。このずれた部分は、地震波を解析する段階では便宜的に平面(断層面または破壊面と呼ぶ)と仮定し、断層面の向き(走向)や断層面の鉛直方向に対する角度(傾斜)、震源の位置、地震の規模などを推定する。震源断層が曲がったり複数あったりする場合は、後の解析や余震の解析により推定される。", "title": "メカニズム" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "震源で始まった岩盤の破壊範囲は、多くの場合秒速2 - 3kmで拡大し、破壊された岩盤は、速いときで秒速数 mでずれを拡大させていく。", "title": "メカニズム" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "以下は実際の例である。", "title": "メカニズム" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "このようにして破壊が終結すると、一つの地震が終わることになる。この断層面の広さとずれの大きさは、地震の規模と関連している。多くの場合、断層面が広く、ずれが大きくなれば大地震となり、逆に小さな地震では破壊は小規模である。こうして一つの地震が終結しても、大地震の場合は断層面にはまだ破壊されずに残っていて、歪みをため込んでいる部分がある。それらの岩盤も、余震によって次第に破壊が進む。本震の前に発生することがある前震は、本震を誘発するものだという説、本震に先駆けて起こる小規模な破壊だという説などがあるが、はっきりと解明されていない。", "title": "メカニズム" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "本震の後に余震が多数発生する「本震 - 余震型」や、それに加えて前震も発生する「前震 - 本震 - 余震型」の場合は、応力が一気に増加することで発生すると考えられている。一方で群発地震の場合は、応力が比較的緩やかなスピードで増加することで地震が多数発生すると考えられている。", "title": "メカニズム" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "地震発生までのメカニズムは徐々に明らかになっているが、地盤や岩盤に溜まった応力の解放を促している引き金が何であるかはほとんどが謎のままになっていて、はっきりとした特定はなされておらず、様々な説が展開されている。この引き金に関しては、相関性の比較により統計学的に相関を見出すことは可能であるが、それが因果関係であるかを同定するのは地震学的な研究に頼るもので、分野が少し異なる。", "title": "メカニズム" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "一般的に、地震の規模を表す指標としては、エネルギー量を示すマグニチュードを用い、「M」と表記する。マグニチュードには算定方法によっていくつかの種類があり、地震学では各種のマグニチュードを区別するために「M」に続けて区別の記号を付ける。地震学ではモーメントマグニチュード (Mw) が広く使われる。日本では気象庁マグニチュード (Mj) が広く使われる。", "title": "地震の規模と揺れの指標" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "他にもそれぞれの観測機関によって使用されるマグニチュードのタイプが異なる場合もあるが、その値は差異ができるだけ小さくなるように定められている。これらは最初にマグニチュードを定義したチャールズ・リヒターのものの改良版であり、基本的に地震動の最大振幅の常用対数を基礎とする。モーメントマグニチュードを除き、いずれのタイプも8.5程度以上の巨大地震や超巨大地震ではその値が頭打ちになる傾向を持つ。", "title": "地震の規模と揺れの指標" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "この弱点を改善するために、地震学では地震モーメントから算出されるモーメントマグニチュード (Mw) が地震の規模を表す指標として用いられることが多く、これを単に「M」と表記することも多い(アメリカ地質調査所 (USGS) など)。", "title": "地震の規模と揺れの指標" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "日本では、気象庁が独自の定義による気象庁マグニチュード (Mj) を発表しており、日本ではこれを単に「M」と表記することも多い。これに対し、多くの国では表面波マグニチュード (Ms) や実体波マグニチュード (Mb) のことを、単にマグニチュードと呼ぶことが多い。Mが1大きくなるとエネルギーは約31.6倍、2大きくなるとちょうど1,000倍となる。", "title": "地震の規模と揺れの指標" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "人類の観測史上最も大きな地震、つまりマグニチュード (Mw) が最も大きかったのは、1960年のチリ地震(Mw9.5, Ms8.5)である。", "title": "地震の規模と揺れの指標" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "ある地震のマグニチュードであっても、機関によって異なったり、複数の値を発表する場合がある。例えば東北地方太平洋沖地震のマグニチュードは9.0とされているが、これはモーメント・マグニチュードであり、従来の気象庁マグニチュードでは8.4である。なお発生直後から数度訂正されていて、気象庁マグニチュードで7.9と速報したが、後に8.4と修正し、さらにモーメントマグニチュードで8.8と発表し、最終的に9.0とした。アメリカ地質調査所 (USGS) は独自にモーメントマグニチュード9.0と発表している。", "title": "地震の規模と揺れの指標" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "地震動の大きさを表す数値として、速度や加速度、変位などがある。建築物や土木構造物の設計の分野では、応答スペクトルやSI値という指標も、地震動の大きさを表す方法として広く用いられている。一般的には、人体感覚、周囲の物体、建造物の被害の大きさなどを考慮して、地震動の大きさを客観的に段階付けた震度という指標が用いられる。", "title": "地震の規模と揺れの指標" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "震度については、日本では気象庁震度階級(通称「震度」)、アメリカ合衆国では改正メルカリ震度階級、ヨーロッパではヨーロッパ震度階級 (EMS)、CIS諸国やイスラエル、インドなどではMSK震度階級が現在使用されているほか、ほかにもいくつかの指標がある。", "title": "地震の規模と揺れの指標" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "地震の規模が大きいほど震度は大きくなる傾向にあるが、震源域からの距離や断層のずれの方向、断層の破壊伝播速度、地盤の構造や性質、地震波の特性などによって地上の揺れは大きく異なる。水や空気が多く含まれ土壌粒子の固結が弱い柔らかい地層ほど、また新しい地層であるほど揺れが増幅され、一般的には軟弱地盤と呼ばれるような平野部や河川沿いや埋め立て地が揺れやすい傾向にあるが、地盤改良や基礎方式によって揺れを低減することが可能である。", "title": "地震の規模と揺れの指標" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "例えば東北地方太平洋沖地震は震度7とされているが、震度7は最大震度であって、公式に観測されたのは宮城県栗原市だけであり、例えば島嶼部を除く東京都では震度5強(千代田区大手町など18地点) - 震度3(奥多摩町など3地点)であった。「各市町村の震度」「各地域の震度」はその市町村・地域内に設置されている複数の観測点のうち最も揺れが大きかった値である。また、震度はその地域を代表する地点に設置された震度計が示す目安値であり、実際の土地に当てはめれば地盤の状態によって近傍の観測点に比べ最大1程度の差が生じるので、必ずしも被害状況と地点震度が一致しない場合がある。", "title": "地震の規模と揺れの指標" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "地震の揺れの速度を表す単位として、カイン(kine, センチメートル毎秒)がある。", "title": "地震の規模と揺れの指標" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "また、地震の揺れによる加速度を表す単位として、ガル(gal, センチメートル毎秒毎秒)がある。1秒間に1カインの加速度が1ガルである。重力加速度を超えることもありどんな重いものでも、固定していなければ床に対して動く。", "title": "地震の規模と揺れの指標" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "プレートテクトニクスの観点から地震を分類することができ、大きく分けて2通りの分け方がある。1つは断層で起こるもの(構造地震)とそうでないものに分けるやり方で、もう1つは複数のプレートの間で起こるもの(プレート間地震あるいはプレート境界地震, Interplate earthquake)とプレート内部で起こるもの(プレート内地震, Intraplate earthquake)に分けるやり方である。後者はよく使われており、さらに細かい分類もされている。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "以下に分類と主な日本語呼称を挙げる。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "上の分類とは別に、火山体周辺で起こるもの(火山性地震)を特別に分ける場合がある。マグマや火山ガスの移動が地震を起こすほか、周囲よりも地殻が破砕されて弱いために応力が集中して地震が起こるなど、いくつかのメカニズムが知られている。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "また、人工的な発破の振動などにより発生する人工地震も存在する。これに対して、自然に発生する地震を自然地震と呼ぶことがある。なお、ダムなど人工的な要因により引き起こされる自然地震もあり、誘発地震と呼ぶ場合がある(#その他参照)。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "防災上の観点では、これらとは別に直下型地震(内陸地震)という分類を用いることがある。居住地域の直下で起こる浅発地震を指し、地域によってはプレート内地震だけではなくプレート間地震も起こる。南関東直下地震などの、都市で発生する直下型地震はリスクが大きいことから重要視されている。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "また、地震動が小さい割に大きな津波が起こる地震を津波地震といい、顕著な例として1896年の明治三陸地震がある。。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "地震に関連するものとして、振動を起こさないスリップあるいは滑りと呼ばれる現象がある。全く振動を伴わないものもあれば、付随して弱い低周波の振動を伴う低周波地震や、低周波微動などがあることが知られている。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "2つのプレートが接する場所では、異なる運動をしているプレート同士の境界にひずみが蓄積し、地震が起こる。このようなタイプの地震をプレート間地震、プレート境界地震あるいはプレート境界型地震と呼ぶ。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "プレート同士の境界は、収束型(海溝と衝突型境界に細分される)、発散型、すれ違い型(トランスフォーム断層)の3種類に分けられる。発散型やすれ違い型は、地震が起こる範囲がプレート境界の周辺だけに限られ、震源の深さもあまり深くない。一方、収束型のうち海溝はしばしば規模の大きな地震を発生させ、衝突型は地震が起こる範囲が広く震源が深いことも多い。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "海洋プレートが沈み込んでいる大陸プレートの端の部分では、海溝から数百 km離れた部分まで含む広い範囲に海洋プレートの押す力が及ぶ。その力はプレートの内部や表層部にも現れるため、プレートの表層部ではあちこちでひび割れができる。このひび割れが断層である。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "周囲から押されている断層では、押された力を上下に逃がす形で山が高く、谷が深くなるように岩盤が動く(逆断層)。また、大陸プレートの一部分では、火山活動によってマグマがプレート内を上昇し、プレートを押し広げているような部分がある。また、周囲から引っ張られている断層でも、引っ張られた力を上下に逃がす形で山が高く、谷が深くなるように岩盤が動く(正断層)。また、押される断層・引っ張られる断層であっても、場所によっては断層が水平にずれ、岩盤が上下に動かないこともある(横ずれ断層)。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "このようなタイプの地震を内陸地殻内地震あるいは大陸プレート内地震と呼ぶ。伊豆半島や伊豆諸島、ニュージーランドなどは海洋プレートの上に位置しているが、これらの場所で起こるプレート内地震もこのタイプの地震として扱われる。このタイプの地震では地表に断層が出現しやすいため、断層型地震、活断層型地震などとも呼ぶが、プレート間・大陸プレート内・海洋プレート内地震は全て断層運動によって発生することに注意する必要がある。内陸の断層は都市の直下や周辺にあることも少なくなく、直下型地震とも呼ぶが、関東地震のように陸地の直下を震源とする海溝型地震もあるため、それと区別する意味で「陸域の浅い場所を震源とする地震」のような言い方もされる。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "地震の規模は活断層の大きさによるが、多くの断層はM6 - 7、大きいものではM8に達する。海溝型地震と同じように、長い断層はいくつかの領域に分かれ、別々に活動する。同一の活断層での大きな地震の発生は、数百年から数十万年に1回の頻度とされている。都市の直下で発生すると甚大な被害をもたらすことがあるが、大きな揺れに見舞われる範囲は海溝型地震と比べると狭い領域に限られる。初期微動を検知するという原理上、緊急地震速報が間に合わないこともある。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "1976年7月の唐山地震(M7.8、死者24万人・20世紀最大)、1995年1月の兵庫県南部地震(M7.3、最大震度7、死者約6,000人)や2000年10月の鳥取県西部地震(M7.3、最大震度6強)、2004年10月の新潟県中越地震(M6.8、最大震度7)や2007年3月の能登半島地震(M6.9、最大震度6強)、新しいものでは2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震(M7.2、最大震度6強)や2010年1月のハイチ地震(Mw7.0、死者32万人)などが該当する。2012年11月に福島県沖で相次いで発生したM5クラスの地震もこれに該当する。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "アメリカ西海岸、ニュージーランド、日本、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、アフガニスタン、イラン、トルコ、ギリシャ、イタリア、スイスなどに活断層が密集しており、大きな断層型地震が頻発する。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "このタイプの地震はしばしば甚大な被害をもたらすため、将来の地震発生予測を目的に、1980年以後日本全土の活断層が調査され、危険な断層を順次評価している。兵庫県南部地震の前に公表された活断層の地図には他の大断層類と同時に「危ない断層」として有馬・高槻・六甲断層帯が危険と表示されていた。この調査は以後も継続して続けられている。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "一方、ヨーロッパ中部・北部、アメリカ中部、オーストラリアなどには、過去の造山運動に伴ってできた断層があるが、その中には現在も動いている活断層がある。このような断層は、時々動いて最大でM4 - 5程度の地震を起こし、稀に被害が出ることもある。また、そのような地域でもニューマドリッド断層帯のように活断層が存在し、頻繁に活動している場合がある。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "沈み込みの運動をしている海洋プレートでも地震が発生する。このようなタイプの地震を海洋プレート内地震あるいはプレート内地震と呼ぶ。単にプレート内地震と呼ぶときはほとんどの場合このタイプを指し、大陸プレート内地震は含まれない。プレート間地震と合わせて海溝型地震と呼ぶこともある。海洋プレートにおける地震は大きく以下の2種類に分けられる。「沈み込んだ海洋プレート」では震源が深くなる傾向にあり、「これから沈み込む海洋プレート」では浅くなることが多い。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "海溝の周辺の火山弧、ホットスポット、海嶺、ホットプリュームの噴出地域では、マグマの移動や熱せられた水蒸気の圧力、火山活動に伴う地面の隆起や沈降が原因となって地震が発生する。これらの地震を火山性地震という。火山性地震は断層の動きだけでは説明できない部分があるので、上記の3分類とは分けて考えることが多い。地震動も上記の地震とは異なる場合がある。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "火山性地震は地震動の性質から2つのタイプに分けられる。P波とS波が明瞭で、一般的な断層破壊による地震と大差がないA型地震、および紡錘型の波形を持つB型地震である。B型地震はさらに周期の違いによってBL型地震とBH型地震に分けられる。広義では火山性微動も地震に含む。また、火道の圧縮やマグマの爆発・爆縮によって、一般的な断層破壊では見られない特殊な発震機構(メカニズム)を持つ地震も起こりうる。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "主に人為的な原因や人工物の影響で引き起こされる地震。なお、人為的によらない外部的な要因としては、様々な自然現象などが地震の引き金になっている可能性も指摘されている(詳細は後節の「#地震発生のきっかけ」を参照)。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "地震とは異なり、断層のずれを伴わずに地表に揺れを引き起こす発震現象。", "title": "地震の原因と種類" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "日本(大和民族)では古来より「地中深くに大ナマズが存在し、その大ナマズが暴れることにより大地震が起きる」という俗説が信じられていた。現代においてもよく知られた俗説だが、ナマズが地震を予知できる根拠は見つかっていない。江戸時代には安政の大地震を期に鯰絵と呼ばれる錦絵が流行するなど、日本人にとって地震とナマズが身近な関係にあったことがうかがえる。また、鹿島神宮にはこの大ナマズを抑えるという要石があり、地震の守り神として信仰されている。地震避けの呪歌に、万葉集の歌を使った「ゆるぐともよもや抜けじの要石鹿島の神のあらむ限りは」(要石は動きはしても、まさか抜けることはないだろう、武甕槌神がいる限りは)というものがある。", "title": "地震の原因論とメカニズム論の展開" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "北海道のアイヌには、「地下には巨大なアメマスが住んでいる。これが暴れて地震が起きる」という、日本(大和民族)とよく似た伝承があった。そこで地震が発生すれば、地震鎮めの呪いとして囲炉裏の灰に小刀や火箸を刺し、アメマスを押さえつけるまねごとをした。鵡川町から平取地方では、地震が発生した際に「イッケアトウエ、エイタカシュ、アエオマ(おとなしくしないと腰を突き刺すぞ)」などの呪文の文言を叫び舞う儀式の記録が保存されている。", "title": "地震の原因論とメカニズム論の展開" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "台湾では、地中深くに地牛という大きな牛が存在し、その地牛が寝返りをうつと地震を起こすという伝説がある。", "title": "地震の原因論とメカニズム論の展開" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "中国では古来から、陰陽説の考え方を背景にして、地震とは陰の性質を持った大地から陽の性質を持った大気が出てくるときに起こるものという説明があった。また福建省では、地震を起こすのはネズミであると言う神話上の伝承が存在する。", "title": "地震の原因論とメカニズム論の展開" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "北欧神話においては地底に幽閉されたロキが、頭上から降り注ぐ蛇の毒液を浴びたときに震えて地震が起きるとされている(詳細はロキを参照のこと)。ギリシア神話ではポセイドンが地震の神とされた。", "title": "地震の原因論とメカニズム論の展開" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "フィンランドの先住民族は、地震が起こるのは大地の下で、大地を支える死の国の老人の手が震えるからとされている。", "title": "地震の原因論とメカニズム論の展開" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "北アメリカでは、クジラが地震や津波を起こすとされ、海に棲むウンセギラという巨大な雌水蛇が大津波をおこす。", "title": "地震の原因論とメカニズム論の展開" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "メキシコ、マヤ民族のツォツィル語系インディオでは、大地の4本または8本の支柱が揺れ動くと地震がおこるとされている。", "title": "地震の原因論とメカニズム論の展開" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "古代エジプトでは、大地の神ゲブの笑い、またはヌトと離れた悲しみが地震をおこすという。", "title": "地震の原因論とメカニズム論の展開" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "仏教では、地震は傲慢と不平が原因で起こされる自然災害であり、自然災害が起きるのを防ぐには戒・定・慧を勤修し、三毒を息滅することが必要だと教えている。", "title": "地震の原因論とメカニズム論の展開" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "古代ギリシアでは、自然哲学者アナクシメネスが土が大地の窪みにずり落ちることが原因だと考えた。アナクサゴラスは地下で激しく水が流れ落ちることを原因と考えた。その後、アリストテレスは四元素説を基に、地震は地中から蒸気のようなプネウマ(気、空気)が噴出することで起こると説明した。これらを受けて、セネカは地下での蒸気の噴出によって空洞ができ、そこの地面が陥没するときに地震が起こるという説を立てた。時は変わって、アラビアではイブン・スィーナーが、地面が隆起することが原因だとする考えを示した。", "title": "地震の原因論とメカニズム論の展開" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "18世紀には、リスボン地震をきっかけにジョン・ミッチェルが地震の研究を行い、火山の影響で地中の水蒸気が変化を起こすことが原因という説を発表した。", "title": "地震の原因論とメカニズム論の展開" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "19世紀末には、お雇い外国人として日本にいたジョン・ミルンやジェームス・アルフレッド・ユーイングが地震を体験したことがきっかけとなり、日本地震学会が設立され、地震計の開発や地震の研究が進み始めた。地震の波形から震源を推定する方法が発見されたり、アンドリア・モホロビチッチがモホロビチッチ不連続面を発見して地球の内部構造の解明の足がかりとなったりした。ミルンは、イギリスで地震の研究を進めて同国に近代地震学が確立された。現在イギリスには世界中の地震の観測情報を集積している国際地震センター (ISC) が設置されている。", "title": "地震の原因論とメカニズム論の展開" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "また20世紀に入って、リチャード・ディクソン・オールダムが地球の核(コア)を発見、ベノー・グーテンベルグがグーテンベルク不連続面を発見するなどし、地球物理学が次第に進展するとともに、アルフレート・ヴェーゲナーの大陸移動説から発展したマントル対流説や海洋底拡大説がプレートテクトニクスにまとめられ、地震の原因として断層地震説と弾性反発説が定着した。ただ、断層地震説と弾性反発説によって一度否定された岩漿貫入などは、2説を補完する説として考える学者もいる。", "title": "地震の原因論とメカニズム論の展開" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "地表では、P波による揺れが始まってからS波が到達するまでは、初期微動と呼ばれる比較的小さい揺れに見舞われる。その後、S波が到達した後は主要動と呼ばれる比較的大きい揺れとなる。震源から数十 km以上と離れている場合にはこのような揺れの変化が感じられるが、震源が近い場合はP波とS波がほぼ同時に到達するため分からない。また震源から近い場所では、P波が到達する前後にレイリー波も到達し、同じく揺れを引き起こす。S波は液体中を伝播しないため、海上の船などでは、P波のみによって発生する海震と呼ばれる揺れに見舞われる。", "title": "地震動・地震波と揺れ" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "被害を引き起こすような揺れのもとは主にS波だが、レイリー波、ラブ波、P波も振幅や周期によっては被害を引き起こすような揺れとなる。", "title": "地震動・地震波と揺れ" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "また、揺れの大きさは震源からの距離に比例すると思われがちであるが、厳密には「震源域からの距離」に比例する。一方で、地盤の特性により思わぬところで揺れが大きくなる場合がある。例えば、阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震では、震度7の被害地域が「震災の帯」と呼ばれる帯状に生じた。これは震源域である断層直上であることが原因の1つだったほか、地盤の柔らかい大阪平野が阪神間に帯状に伸びていたこと、六甲山地と大阪平野の境界部で地震波の干渉や増幅が発生したことが原因とされていて、「震災の帯」は震源から約30 km離れた地域まで延びている。", "title": "地震動・地震波と揺れ" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "地震波 / 地震動の周期は、被害を受ける構造物と一定の関係性がある。構造物にはそれぞれ、固有振動周期の地震波に共振しやすい、周波数が違うと曲げ・ねじれ・伸縮などの変形の「型」も変わるといった、地震動を受けた際の振動特性があり、地震工学や建築工学においては重要視される。構造計算においては、さまざまな固有振動周期や減衰定数をもつ構造物の応答スペクトルを解析して、地震動に対する構造物の特性をみる。", "title": "地震動・地震波と揺れ" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "例えば、日本家屋のような木造住宅は周期1秒前後の短周期地震動が固有振動周期にあたるため、周期1秒前後の地震動によって共振が発生し非常に強く建物が揺さぶられ、壊れやすく被害が拡大しやすい。この周期の地震波はキラーパルスと呼ばれており、兵庫県南部地震の波形がそうであった。一方、高層建築物は周期5秒以上の長周期地震動が固有振動であり、地震波が堆積盆地を伝わる過程で増幅しやすい長周期地震動によって、平野部の高層建築物の高層階では大きな被害が発生する。一般的に規模の大きな地震ほど周期が長い地震動の大きさ(振幅)も増す傾向にあり、周期が長いほど低減衰のため遠くまで到達して被害をもたらす。このほかに、M9を超えるような巨大地震の際に観測される、超長周期地震動または地球の自由振動と呼ばれる周期数百秒以上の地震動がある。この超長周期地震動の中には地球の固有振動周期に当たる地震動もあり、地球全体が非常に長い周期で揺れることもある。", "title": "地震動・地震波と揺れ" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "なお、地震波 / 地震動の周期は地震の規模や震源距離に関係が深い。大地震と称されるM7程度までは短周期が卓越し、それ以上になると規模が大きいほど長周期が卓越する傾向にあり、海溝型の巨大地震では長周期地震動が大きくなると考えられている。また、周期が長いほど減衰しにくいため、震源から遠いほどゆっくりとした揺れを感じやすい傾向にある。規模の大きな地震では、短周期の振幅が規模と比例しないため、長周期の波形から(モーメント)マグニチュードを算出する。", "title": "地震動・地震波と揺れ" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "地下の構造、特に地面に近い表層地盤の構造(表層地盤増幅率)や地下のプレートの構造によって、地震動全般に対する揺れやすさ、揺れやすい周期、あるいは地震波の伝わり方が異なる。そのため地震の際、震度が震央からの距離に完全に相関して、きれいに同心円状に分布することはほぼない。稀に震央と異なる地域で揺れが最も大きくなることがあり、異常震域と呼ばれる。一般的に、地表の含水率や間隙率が高い泥質地盤が最も揺れやすく、礫が多くなり岩盤に近くなるほど揺れにくくなる。また、完新世(1万年前以降)に堆積した沖積層など新しい層に厚く覆われていると揺れやすく、洪積層(更新世、258万年 - 1万年前)やそれ以前(新第三紀かそれ以前)の層に覆われていると揺れにくい傾向にあるが、一概には言えず、厳密には地盤調査によるN値や基盤岩深度などから推定する。また表層が砂質地盤で地下水位が高い場合は揺れに伴って液状化現象や側方流動が起こる。", "title": "地震動・地震波と揺れ" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "また、多くの地震計は周期0.2 - 0.3秒前後の地震動を感知しやすいため、周期0.2 - 0.3秒で大きく周期1秒で小さい地震では震度に比べて被害が軽かったり、逆に、周期0.2 - 0.3秒で小さく周期1秒で大きい地震では震度に比べて被害が甚大だったりといったことが起こる。ただし、これには地震計の設置場所と地下構造の問題もあるとされる。", "title": "地震動・地震波と揺れ" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "主な地震の震源を地図にして地球の表面を概観すると、プレートテクトニクス理論における「環太平洋造山帯」や「アルプス・ヒマラヤ造山帯」の周辺は地震が特に多い地域があることが分かる。前述の2つの造山帯も含めた新期造山帯で最も地震が多く世界の地震活動の大部分を占める。このほか、ヨーロッパ西部やアジア北部などの古期造山帯でも比較的多く地震が発生する。", "title": "主な地震帯と地震の頻度" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "これらの地域は造山帯または地震帯(火山に着目した場合火山帯とも呼ぶ)と呼ばれ、地殻や地面の活動(移動)が活発で、地震も活発である。しかし、この地図はあくまで一定期間に発生した地震を集計したものであり、「地震の起こりやすさ」を表したものだが、この地図で地震が少ない国・地域(カナダ、ロシア、ブラジル、アフリカ大陸など)でも絶対に地震が発生しない、とはいいきれず、どの陸地でも地震は発生しうる。", "title": "主な地震帯と地震の頻度" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "ただし、地震の多い地域と、地震による被害が大きい地域は異なる。地盤の揺れやすさ、人口密度の大小、建造物の強度、社会情勢などによって被害や救助復旧の様子が異なるためである。一方、同じ地域においても、地震が発生する時間や時期などによっても被害は異なり、例えば調理を行う食事時間前や暖房を多く使う時間帯においては火災の多発、大都市では平日昼間における帰宅困難者の発生などが挙げられる。また、地震の規模が大きくなるほど断層の長さが長くなり、被害地域が広くなる傾向にある。津波が発生した場合は、揺れが小さい沿岸部や揺れが全くなかった遠隔地に津波が押し寄せ被害をもたらす。ハワイ諸島などは太平洋の中心にあって周囲に島が少ないため、環太平洋各地の遠隔地津波を受けやすいことで知られる。", "title": "主な地震帯と地震の頻度" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "地球上で1年間に現行のネットワークで現行の機器で観測される地震回数は約50万回と推定されており、その内10万回が有感地震である。1年間にM5以上の地震が平均約1,500回、M2以上の地震が平均145万回発生している。数の上では、世界で発生する地震の1割程度が日本付近で発生しているといわれ、また1996年から2005年の期間では世界で発生したM6以上の地震の2割が日本で発生しているとの統計があり、客観的に見ても日本は地震の多い国と考えられる。", "title": "主な地震帯と地震の頻度" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "地震の発生の頻度が過去と比べて増加したかどうかということは、局地的に見ることはできても、全世界的に見ることは現状では難しい。地震の発生数のデータは、地震計の精度の向上や観測点のネットワークの状況などに左右される。世界的に見ても目が細かい日本の高感度地震観測網でも1990年代後半以降のデータであり、世界を見ても微小地震・極微小地震を捉えられるような観測網は少なく、海底となればその傾向は顕著である。", "title": "主な地震帯と地震の頻度" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "防災上、地震を引き起こす可能性の高い活断層の存在は注目される。日本では主要な数百の活断層の位置と再来間隔や規模などが調査・発表されている。活断層と同様に活褶曲も地震を発生させうるほか、活断層が無い地域に新たに断層が発生する可能性も否定できない。そのため、活断層の調査を中心とした地震防災に対する批判も存在している。", "title": "主な地震帯と地震の頻度" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "地球上の活断層(地溝・海溝・海盆などを含む)のうち、主なものを挙げる。これらは周期的に大地震を発生させると考えられている。このほか、地震活動が活発で多くの活断層を擁する歪集中帯と呼ばれる地域がある。", "title": "主な地震帯と地震の頻度" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "地層や地磁気反転等の観測から、数百年を超えるような長期的な視点ではプレートや地表の動きは平均されて一定になるというのが地質学の定説であり、それぞれのプレートの境界や断層で起こる地震は、一定の速度で蓄積される歪みが一定の周期で解放されて起こると説明できる。実際に観測や歴史地震でも、プレート境界型地震である南海地震、東南海地震、東海地震、宮城県沖地震などでは周期性が確認されているほか、内陸プレート内地震である北アナトリア断層の諸地震などでも確認されている。周期性のある地震を地震学では固有地震(相似地震)といい、現在のところマグニチュード4程度以上、再来周期数年以上の地震で発見されている。", "title": "主な地震帯と地震の頻度" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "M7.0 - 8.0くらいの海溝型地震においては50 - 300年程度、後述の連動型地震においては500年程度。チリ地震やスマトラ島沖地震はこうしたタイプの地震であったと認識されている。、地表付近の断層においては数百年 - 数十万年と、地震の周期はそれぞれ異なる。", "title": "主な地震帯と地震の頻度" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "1990年代後半日本で整備された高精度の地震観測から、プレート境界や断層の面内で地震の起こりやすさが異なることが発見され、それを説明する説として「アスペリティモデル」が提唱された。プレート境界や断層の面内には形状・硬さ・含水率・温度等の性質の差により、主に以下の3種類が存在するという考え方である。", "title": "主な地震帯と地震の頻度" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "この3番目の部分をアスペリティといい、プレート境界や断層の面内には大きさやお互いの間隔がさまざまなアスペリティが存在していることが観測により推定されている。アスペリティモデルでは、M7.0 - 8.0くらいの(単独型)海溝型地震は1つの大きなアスペリティまたは小さなものが少数同時に破壊して発生するもの、連動型地震は複数の大きなアスペリティが同時に破壊して発生するものと解釈されている。", "title": "主な地震帯と地震の頻度" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "1つのアスペリティで地震が起こるとそこの歪みが解放され周囲のアスペリティに負荷がかかることから、1つの固有地震の発生間隔が毎回少しずつずれるのはそうした周囲のアスペリティからの負荷の変化によるものと考えられている。この負荷を定量的に推定する方法としてプレート運動速度の観測と地殻表面の測量により求められるプレート間カップリングがあり、これにより求められた負荷を「本来滑るべきだがまだ滑っていない量」と考え「すべり欠損」という。ただ、負荷の大きさはすべり欠損だけではなく、プレート境界や断層の面内によって値が異なる「破壊強度」を考慮する必要がある。あるアスペリティですべり欠損が破壊強度を超えた時に地震が発生する。", "title": "主な地震帯と地震の頻度" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "地震発生間隔のずれは、現在の長期的地震予知における大きな課題の1つとなっている。これに対処する方法としてアスペリティの推定や、発生間隔のずれを求めるためのすべり欠損の推定を行う研究者がいるが、精密地震観測が必要で、精度を高めるためには断層近傍で観測を行う必要があり、海溝型地震では海溝軸付近の海底に地震計を設置する必要があることから費用や労力が大きいという問題がある。", "title": "主な地震帯と地震の頻度" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "一方、一連の周期の中で生じる現象で実際に観測された例がある、本震発生前の前駆的地震活動(前震など)、静穏化(空白域の形成)などから地震予知を行おうとしている研究者もいる。また、海溝型地震の前の歪の蓄積は内陸の地震活動に影響を与えるため西日本(西南日本)が南海地震や東南海地]の前段階の地震活動期に入っているとの学説もあるが、判断するための資料が少ないといった反論もある。", "title": "主な地震帯と地震の頻度" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "日本では、主な海溝型地震や断層において調査された活動履歴から、主に繰り返し間隔と前回からの経過時間の推定によって、現在の活動確率を論じる「長期的地震予知」が行われている。しかし、このような長期的な予知を目安にした地震研究に対して、被害軽減への効果を疑問視し防災・減災により地震に強い社会を構築することの重要性を説く専門家もいる。", "title": "主な地震帯と地震の頻度" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "大規模な地震が発生した場合、その災害を震災(しんさい)と呼ぶ。特に激甚な震災は大震災と呼んで、地震とは別に固有の名称が付けられることがある。例えば関東大震災、阪神・淡路大震災、東日本大震災などである。しかし、「関東大震災」の命名者ははっきりしておらず、「阪神・淡路大震災」「東日本大震災」は報道機関が使用し始めたものを元に閣議で決められたもので、「震災名」を付ける制度は作られていない(地震名は気象庁が命名する)。新潟県中越地震では、新潟県が独自に「新潟県中越大震災」という呼称をつけている。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "長期的に見て、地震による被害は縮小する傾向にある。これは、耐震基準の改正や、地震に強い社会基盤の形成、さらに地震に関する知識や防災意識の浸透によるものが大きい。日本でも地震の被害は1948年に発生した福井地震の頃まで、人口の増加と産業の発展に比例して増加した部分もあったが、その後は住宅の耐震性・耐火性の向上とともに揺れに起因する被害は減少してきている。世界的にも、地震被害の多い地域では耐震化や防災体制の構築により被害が減少している地域もあるが、途上国を中心にいまだに有効な対策がとられていない地域も多く存在する。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "地震は自然現象であり、人類の力では押しとどめることはできないが、事前に耐震基準の厳格化などで備えておけば被害を小さくすることは可能であるため、地震による災害を一種の「人災」とする考え方もある。この「努力と事前対策により、想定される被害を可能な限り減らす」、「減災」の考え方を広めようという運動が2008年頃から行なわれている。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "大規模な地震が発生したときには、自分たちのできる範囲で避難・救助・救援を行うことが救命率向上につながる。その際には、組織化されノウハウを蓄積している消防団や自治会などのコミュニティが大きな担い手となる。これは、公設の機関である消防・警察・軍隊(日本ならば海上保安庁・自衛隊)なども救助・救援を行うがその能力は限られ、一刻を争う避難誘導や救急の人員が不足するためである。地震災害の規模が大きければ大きい程、救助・救援が到達するのが遅くなる傾向にある。また通信が途絶したり夜間であったりといった、救助・救援を必要とする場所の把握が困難になる事態が発生することもあり、捜索に時間がかかる場合もある。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "このような大震災が発生した場合は、国内の被災していない地域や国外より救援が来る場合もある。常備軍を有する国家ならそれが投入され、不足があれば予備役が召集動員され、併せて(水上)警察・消防・救急組織なども投入されるがこれ等は軍と異なり余剰能力が限られているのが常である。国連機関であるUNICEFやWFP、国際NGOである国境なき医師団、国家単位では各国の赤十字や日本における国際緊急援助隊などの救助隊・救援隊が、人的・物的・資金面での人道支援を行う。20世紀後半からは先進国を中心に災害ボランティアによる救助・救援活動が目立ってきている。救助活動や安否確認、医療のほか、避難生活の支援、復旧活動などに、物資や金銭を送ったり、実際に出向いたりといった形で支援が行われる。日本では、「ボランティア元年」と呼ばれた阪神・淡路大震災の際に社会的運動として広がりを見せた後、新潟県中越地震、東日本大震災などで活発化した。ボランティアの受け入れ態勢不備やトラブルなどが発生したこともあるが、次第に改善されてきている。ヘリコプターが普及しマスコミが地震取材報道に使用するようになって、インパクトのある中継録画はボランティアの喚起には有用だが、倒壊建物の下敷きになった生存者の救難を求める音を、取材ヘリコプターの騒音で妨害する事が度々指摘されている。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "地震災害の際の特徴として、余震により救助・救援が妨げられることが挙げられる。また、建物の中に人が閉じ込められることが多い地震被災地において、災害救助犬も多く活動している。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "救助以外の行政の役割として、避難所や仮設住宅の確保、物資の提供や仕分け、情報の提供などが挙げられる。また、復興に際しては住宅再建の補助金提供などの役割を担う。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "大震災に伴う地すべりや津波による浸水などによって集落単位で壊滅的な被害が発生した場合、その地域を居住に適さない危険な地域として規制し、残った住民の集団移転を行う場合がある。1970年アンカシュ地震のユンガイ、1896年明治三陸地震・1933年昭和三陸地震の際の岩手・宮城沿岸の一部集落などが例であるが、生活との折り合いや費用の問題等で紛糾する場合がある。また、都市型震災の後に多くみられるが、大震災の原因が住居環境によるものであった場合、区画整理などの大型事業によって地震に強い防災まちづくりを実施することがある。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "被害の拡大を防ぐために、地震や津波の情報を迅速に伝達することも重要とされる。日本では、国内4,000地点以上に網羅された観測網により微小地震や震度を自動収集していて、気象庁が発生後数分以内での速報を行い、NHKと民間放送事業者がテレビ・ラジオで国民に広く伝えている。観測された震度の大きさによって報道体制を変えており、受け取る側でも、警察・消防・内閣などの公的機関が震度の大きさによって対応を決める。なお、NHKを中心とした一部のテレビ・ラジオでは津波警報発表時に受信機を強制起動する緊急警報放送を行っているが、普及率は低い。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "それ以外にも、同報系市町村防災行政無線により屋外スピーカーで津波情報や地震に対する警戒を広域に呼びかける手法も、屋外にいる者に発する主要な警告手段として広く用いられる。特に早急な避難が必要な津波の場合には、消防・消防団・警察などが地域を巡回しながら緊急車両のサイレンや拡声器などで避難を呼びかける。また、感震計により強い揺れを観測した際に自動的に警告を発する手法もある。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "なお、観測網が整備されている場合に可能な地震の揺れが到達する前の対策(地震警報システム)として、日本では鉄道でのユレダス、テレビ・携帯電話・専用受信機などでの緊急地震速報が運用されている。これと似たシステムが、アメリカ・カリフォルニア州南部やメキシコ・メキシコシティ周辺部でも運用されている。また、常時インターネット環境にある場合に効果が高いP2P地震情報などもある。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "大地震直後の電話などの通信の混雑への対策として災害用伝言ダイヤルの設置などが行われている。携帯電話等においても災害用伝言板サービス等の同様のウェブ上サービスがある。自治体や民間が協力して臨時災害放送局を設置し、被災者への情報提供が行われた例もある。また1990年代から普及したメール、掲示板、2010年代に普及したリアルタイム・ウェブ(SNSやブログ・ミニブログなどの、誰もが即時発信即時共有できる情報)は生活情報や被災情報のやり取りに活用されていて、情報伝達の高速化をもたらした。しかし、震災後には情報が錯綜したりデマ・流言が発生しやすく、一定の社会的信頼を有する報道機関に比べると口承・インターネットの信頼性は低いため、災害時においては各人が情報の真偽を見分けるメディア・リテラシーの必要性が高まる。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "東日本大震災の教訓から、津波避難の一助としてスマートフォン・カーナビゲーション・デジタルサイネージなどに避難経路を表示し、オフライン利用を目指す取り組みもある。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "地震被害を防ぐ最も重要な対策の1つが、建造物の耐震性を高めることである。各国は建築関連法規により建築物の耐震性を規定しているが、地震経験の多寡によりその厳しさは異なる。日本では建築基準法とその関連法令による耐震基準がこれに該当する。大地震の被害を考慮するなどして強化改定されてきた経緯があり、1981年(昭和56年)6月施行の「新耐震基準」が現行であって、想定される地震動に対し概ね妥当な強度を保持できると考えられている。新築建造物は現行基準を満たして建設しなければならない。ただし既存の建物は、建てた時に適法でも後の法改正により既存不適格となったものがあり、これは一部を除いて耐震補強を行うのは任意である。また、消防法や都市計画法にも地震防災に関係する規定が含まれる。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "また、原子力発電所など揺れによる災害の危険性が高い建造物については、建設の前の環境アセスメントの段階で、地盤の強度や周囲の断層の位置・活動度などを調査し、なるべくリスクの低い場所に立地するような対策が取られている。これについては、調査が十分に行われない可能性、未知の断層や新たな断層が発生する可能性があるほか、日本では東日本大震災による福島原発事故後に津波に対する耐性が問題となって休止・再稼働停止する原発が相次いでいる。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "企業では、リスクマネジメントや事業継続マネジメント (BCM) などを通じた業務継続のための対策や経済的影響への対策も必要となる。保険業界や企業を中心に、被害リスクを予め算定する地震PMLという手法も普及している。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "市民が行う対策としては、防災訓練や防災用品(非常食や非常袋など)の準備などが代表的なものとして挙げられる。また、過去の災害の例を学んだり体験談を聴いたりすることも有用であるとされ、教育や地域において講演会として行われたり、書籍となったり、インターネット上で公開されたりしている。地震への防災や備えの目安として、避難場所や経路を記した防災地図、地盤の揺れやすさや地震動に見舞われる確率の地図なども自治体により作成されており、活用が可能である。地震被害からの復旧のために地震保険も用意されている。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "江戸時代には地震の間と呼ばれる耐震構造が施された物もあり、彦根城の楽々園などに現存する。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "危険性の高い製品を作っている企業は、製品マニュアルに地震時の対策が記載されているので地震の前に読んでおき、従う必要がある。一例だと星野楽器の製品に添付されている『安全にお使いいただくために』には地震時にはドラムセットから離れることを記載している。", "title": "地震による被害と対策" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "有史以来、世界各地で無数の地震が発生している。その中で、多くの被害を出した地震も多数発生している。日本では、1960年以降に気象庁が正式に命名した地震が、現在約30個あるほか、それ以前にも多数の被害地震が発生している。また世界では、1980年から1999年までの20年間で、1年当たり平均約7,400人(うち日本は280人)が地震により亡くなっている。", "title": "過去に発生した地震" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "日本およびその周辺の地震、震災など古地震として多く取り上げられる地震として、1923年の関東地震(関東大震災)がある。この地震では、日本の歴史上最多となる10万人以上の死者を出し、首都東京を含む広い範囲に被害を与え、火災の被害も大きかった。", "title": "過去に発生した地震" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "1964年の新潟地震は日本では最大級の石油コンビナート災害をもたらし鎮火に10日以上かかり、水では消火できない危険物火災への消防・防災をより強化することとなり、また地震保険がこの地震を機に2年後誕生した。", "title": "過去に発生した地震" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)は都市部を襲った地震の典型例であり、その後の建築基準法の見直しや防災意識の変化などに大きな影響を与えた。", "title": "過去に発生した地震" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "2004年の新潟県中越地震では震災後の避難生活に関する問題が大きく取り上げられるようになった。", "title": "過去に発生した地震" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)は津波によって東日本の太平洋側の広い範囲に被害を与え、原発事故等の新たな問題も発生した。", "title": "過去に発生した地震" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "また世界的には、津波により多くの死者を出した2004年のスマトラ島沖地震などがある。", "title": "過去に発生した地震" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "人類史上、死者が最も多かった地震は、1556年1月23日に中国 陝西省で発生した華県地震で、約83万人が死亡した。これは2番目に多い唐山地震の公式統計による死者数の3倍以上である。また、人類史上、最も規模が大きかった地震は、1960年5月22日にチリ西岸で発生したチリ地震で、マグニチュードはモーメントマグニチュード (Mw) で9.5だった。", "title": "過去に発生した地震" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "地震波 / 地震動を観測する地震計には、観測対象とする揺れの周期、感度(振幅)などにあわせてさまざまな種類のものがあり、担当機関でもいくつかの種類の地震計を使い分けている。日本では気象庁や防災科学技術研究所が地震計を多数設置していて観測網を作っている。これらは震度を算出したり、震源の位置や規模を推定することに利用されている。また、2007年10月1日から 一部の離島を除いた国内ほぼ全域すべての住民を対象とした緊急地震速報の運用を開始した。 予測震度5弱以上のときに発表されテレビ放送や携帯端末などで「(震度4以上の)強い揺れとなる地域」を伝える一般向けのものと 、発表基準が低く誤報の可能性が高いものの「各地の震度や揺れの到達時間」などが分かる「高度利用者向け」(地震動予報)の2種類がある。", "title": "観測" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "地震の発生を事前に予知することで、被害を軽減する試みは、古くから行われてきた。数十年から数百年単位での長期的な発生予測は、従来の地震学の知識をもとにして行われている。一方、数ヶ月から数時間単位で地震を予知する短期予測は、一般的に困難とされている。", "title": "地震予知" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "地震観測網の発達により、地震の発生頻度が統計的に分析できるようになった結果、地震の発生頻度と地震の規模はほとんどの場合、グーテンベルグ・リヒター則に従うことが判明している。そのため、統計データから算出される小規模な地震の発生頻度を基に、より大規模な地震の発生確率を計算することができ、行政による防災計画などに活用されている。しかし、大規模な地震ほど発生確率が低くなるため、長期的な発生確率を示すことしかできず、いつ発生するかを示す(予知する)ことはできない。また、地震がグーテンベルグ・リヒター則に従うということは、地震の規模がランダムに決まることを意味し、そのことは、地震の予知が不可能であることを示唆している。", "title": "地震予知" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "短期予測に関しては、多種多様な手法が試みられている。有名なものでは、ギリシャのVAN法、前震の検知(中国の海城地震で成功した)などがあるが、常に利用できる手法ではない。また、東海地震発生直前に発生すると予想されているプレスリップ(前兆すべり)を検出する方法もある。一方で、現時点では科学的根拠に乏しい宏観異常現象による地震予知も試みられている。", "title": "地震予知" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "また、仮に地震予知の手法が確立された場合、それを誰がどのように行い、いつどのように発表するかということも、現状では東海地震における地震防災対策強化地域など限られた地震・地域においてしか定まっておらず、混乱が発生する事態も考えられる。", "title": "地震予知" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "地球以外の天体においても、地球の地震に相当する、地殻の振動現象が発見されている。", "title": "地球以外での「地震」" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "月で発生する地震は月震と呼ばれ、1969年から1977年までの通算8年余りの間観測が行われた。", "title": "地球以外での「地震」" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "2019年にはアメリカ航空宇宙局 (NASA) の火星探査機・インサイトが、火星で発生する地震(「火震(marsquakes)」)を初めて観測した。", "title": "地球以外での「地震」" } ]
地震は、以下の2つの意味で用いられる。 地震学における定義: 地球表面を構成している岩盤(地殻)の内部で、固く密着している岩石同士が、断層と呼ばれる破壊面を境目にして、急激にずれ動くこと。これによって大きな地面の振動が生じ、これを「地震動(じしんどう)」という。 大地のゆれ: 地震動のことで一般的にはこちらも「地震」と呼ばれる。「地震(なゐふる)」という語句は『日本書紀』にも見え、その他古文書の記録にも登場するが、これらは今日の地震学における地震動のことであり、また「大地震」「小地震」などと共に震度の程度を表すものでもあった。 地震を専門とした学問を地震学という。地震学は地球物理学の一分野である。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Otheruses||クルアーンのスーラ|地震 (クルアーン)}} {{ウィキポータルリンク|災害}} '''地震'''(じしん、{{lang-en-short|''earthquake''}})は、以下の2つの意味で用いられる<ref name="SSJ (2007)">[[#SSJ (2007)|日本地震学会地震予知検討委員会(2007)]]</ref>。 # [[地震学]]における定義: [[地球]]表面を構成している岩盤([[地殻]])の内部で、固く密着している岩石同士が、'''[[断層]]'''と呼ばれる破壊面を境目にして、急激にずれ動くこと。これによって大きな地面の[[振動]]が生じ、これを「'''[[地震動]]'''(じしんどう)」という<ref name="Utsu2001-1">[[#Utsu (2001)|宇津『地震学』1頁]]</ref>。 # 大地のゆれ: 地震動のことで一般的にはこちらも「地震」と呼ばれる<ref name="Utsu2001-1" />。「地震([[なゐふる]])」という語句は『[[日本書紀]]』にも見え、その他[[古文書]]の記録にも登場するが、これらは今日の地震学における地震動のことであり、また「大地震」「小地震」などと共に[[震度]]の程度を表すものでもあった<ref>{{PDFlink|[http://www.histeq.jp/kaishi_18/01-Usami.pdf 宇佐美龍夫 (2002)]}} 宇佐美龍夫 「歴史史料の「日記」の地震記事と震度について」『歴史地震』 第18号、1-14、2002年</ref>。 地震を専門とした[[学問]]を'''[[地震学]]'''という。地震学は[[地球物理学]]の一分野である。 == 概要 == [[ファイル:Nojima fault side view.jpg|thumb|200px|[[兵庫県南部地震]]([[阪神・淡路大震災]])によって発生した[[野島断層]]。地震の[[震源]]となった[[断層]]のずれが波及して「地表地震断層」として現れたものである。激しい揺れを起こした断層本体(震源断層、起震断層)とは別のものであり、また地下に存在する断層のほとんどは、地表から観察できないので、防災上注意しなければならない。]] [[ファイル:Pwave.png|thumb|200px|地震計で観測された地震動のグラフ。]] 地下の岩盤には様々な要因により[[力 (物理学)|力]](ちから)がかかっており、急激な変形によってかかっている力を解消する現象が地震である。[[地球]]の内部で起こる[[地質]]現象(地質活動)の一種。地震に対して、地殻が非常にゆっくりとずれ動く現象を[[地殻変動]]と呼ぶ。 地震によって変形した[[岩石]]の断面を'''[[断層]]'''といい、地下数 kmから数十 kmの深さにあって地表までは達しないことが多いが、大きな地震の時にはその末端が地表にも現れて'''地表地震断層'''となる場合がある。一度断層となった面は強度が低下するため繰り返し地震を引き起こすと考えられている。特に[[カリフォルニア]]にある[[サンアンドレアス断層]]は1,000 km以上に及ぶ長大なもので繰り返し地震を起こしており、日本の[[地震学]]者に地震と断層の結びつきを知らせたことで有名で、日本では[[兵庫県南部地震]]の[[野島断層]]、[[濃尾地震]]の[[根尾谷断層]]、[[北伊豆地震]]の[[丹那断層]]などが有名である。 地震によって生じる[[振動]]は高速の'''[[地震波]]'''となって地中を伝わり、人間が生活している地表でも[[地震動]]として感じられる。 地震波は[[波]]の一種であり、地中を伝わる波(実体波)と地表を伝わる波([[表面波]])に大別される。実体波はさらに、速度が速い[[地震波#P波 (P-wave)|P波]](たて波、疎密波)と、速度が遅い[[地震波#S波_(S-wave)|S波]](横波、ねじれ波)に分けられる<ref group="注">表面波も[[レイリー波]]と[[ラブ波]]に分けられる。</ref>。 地震のはじめに感じられることが多い細かい震動([[初期微動]])はP波、地震の激しい震動(主要動)は主にS波による。P波とS波は伝わる速度が違うので、P波とS波の到達時間の差である初期微動の時間<ref group="注">[[初期微動]]継続時間という。</ref>が[[震央]]と観測地点との間の距離に比例する。初期微動が長いほど震源は遠い。初期微動が長くかつ主要動が大きい場合は、震源が遠いにもかかわらず[[振幅]]が大きいので、大地震の可能性が考えられる。また、P波はS波よりも速いので、P波を検知したときに[[警報]]を出せば被害が軽減できることから、[[緊急地震速報]]や緊急停止システム<ref group="注">鉄道、[[新幹線]]・[[エレベーター]]の緊急停止(P波管制運転)などで使用されているシステム。</ref>で応用されている。 地下で断層が動いた時、最初に動いた地点を'''[[震源]]'''と呼び、地上における震源の真上の地点を[[震央]]と呼ぶ。テレビや新聞などで一般的に使用される震源は震央の位置を示している。震源が動いた後もまわりに面状にずれが生じ、[[震源域]]と呼ばれるずれた部分全体が地震波を発する。 地震波の速度はほぼ一定であり上記のように異種の波がある性質を利用して<ref group="注">地震波の速度は地殻の[[密度]](深さ)により異なるため、実際には観測に基づき地震波速度を予めまとめた「走時表」を用いて算出する。</ref>、'''[[地震計]]'''で地震波を観測することにより、1地点以上の観測で観測地点から震央までの距離<ref group="注">地震計は東西方向、南北方向、上下方向の3種類の地震動の大きさをはかるので、大体の方向(16方位程度)がわかる。</ref>、2地点以上の観測で震央の位置、3地点以上の観測で震源の深さを求めることができる。この算出式は[[大森房吉]]が1899年に発表したので、「(震源の)[[大森公式]]」と呼ばれている。このほかに地震を含めた地下の諸現象の解明や、[[核実験]]の監視などに有用であることから世界的に地震観測網が整備されている。日本は地震災害が多いことから地震計や[[震度計]]が数千か所の規模で高密度に設置され、[[気象庁]]による迅速な[[地震情報]]発表や緊急地震速報などに活用されている。 なお、一つの地震の地震波にはいろいろな[[周期]]([[周波数]])の成分が含まれており、その違いによって被害が異なるほか、近隣の地域でも[[地層|表層地盤]]の構造や[[建築物|建物]]の大きさ・形状によって揺れ方が大きく異なることが知られている(詳細は[[#地震動・地震波と揺れ|後述]]参照)。 また地震は、震源の深さによって、浅発地震、稍(やや)深発地震、[[深発地震]]の3つに分類される。前者の境界は60 kmまたは70 kmとされる場合が多く、後者の境界は200 kmまたは300 kmとされる場合が多いが、統一した定義はない。震源が深い地震は同じ規模の浅い地震に比べて地表での揺れは小さい。ただし、地下構造の影響により震央から離れた地点で大きく揺れる[[異常震域]]が現れることがある。 このほかに地震を特徴付けるものとして、[[発震機構]]とよばれる断層の動き方([[#メカニズム|後述]])や地震の大きさなどがある。 === 地震の大きさ === 地震の大きさを表現する指標は主に2系統あり、それぞれいくつかの種類がある。Mは[[指数関数]]、震度は[[非線形]]関数であり、数字の大きさと実際の物理量は[[比例]]関係ではない<ref group="注">例えば、Mが1大きくなると、それが表現するエネルギー量は約32倍となる。気象庁震度階級は同一振幅・周波数が数秒間継続した理想波形の場合6galで計測値2.50、60galで4.50であるが、実際の地震波は複雑なので対応関係は表現できない。</ref>(詳細は[[#地震の規模と揺れの指標|後述]]参照)。 *'''[[マグニチュード]]''' (M) <ref group="注">英語圏では普通リヒター・スケール(Richter scale、発音はリクター・スケール)という。</ref>は地震の規模すなわち断層の大きさ、あるいは地震の際に放出される[[エネルギー]]の量を表す指標である。 *'''[[震度|震度階級]]'''(震度)は地表の各地点での揺れの大きさを表す指標である。単に「ある地震の震度」という場合には、その地震における全観測地点の最大震度をいう。 === 地震活動 === 比較的大きな地震は、地震活動に時間的・空間的なまとまりがあり、その中で最も規模が大きな地震を'''[[本震]]'''と呼ぶ。ただし、本震の区別が容易でない地震もあり、断層のずれの程度や前後に起こる地震の経過、断層の過去の活動などを考慮して判断される。本震に対して、その前に起こるものを'''[[前震]]'''、その後に起こるものを'''[[余震]]'''という。 被害をもたらすような大地震ではほぼ例外なく余震が発生し、余震により被害が拡大する例も多い。大きな地震であるほど、本震の後に起こる余震の回数・規模が大きくなるが、「[[余震#余震の回数と規模|(余震の)改良大森公式]]」に従って次第に減少する。この公式から余震の発生確率を予測したり、活動度の低下から大きな余震の発生を予測する研究も行われている。余震の発生する範囲は震源域とほぼ重なる。なお、大地震の地殻変動の影響で震源域の外で地震活動が活発になる場合があり、これを[[誘発地震]]という<ref>石橋克彦, 「{{PDFlink|[http://www.ikata-tomeru.jp/wp-content/uploads/2016/09/甲A第574号証.pdf 2016年熊本地震は異例ではない : 大局的に活動の意味を考える]}}」『科学』 86巻 6号, p.532-540, 2016-06, 岩波書店, {{naid|40020863485}}</ref>。 本震と呼べるようなひとまわり規模の大きな地震がなく、同規模の地震が多発するものを[[群発地震]]という。また1990年代以降普及した呼称だが、同じ断層で数十年から数万年以上の間隔で繰り返し発生するものを[[固有地震]](相似地震)といい、大地震と呼ばれるような複数の固有地震が同時または短い間隔で発生(主に隣接する[[セグメント]]を破壊)するものを[[連動型地震]]という。 また、地震のメカニズム解明の過程で[[プレート]]の[[テクトニクス]](動き)との対応関係から地震は4種類に大別されており、それぞれ発生地域、揺れの大きさや被害の傾向が異なる(詳細は[[#地震の原因と種類|後述]]参照)。 === 地震による災害 === 大きな地震はしばしば[[建造物]]を破壊して[[家財]]を散乱させ、[[火災]]、[[土砂災害]]などを引き起こし、人的被害をもたらす、典型的な自然[[災害]]の1つである。'''[[地震予知]]'''の研究も行われているが、[[天気予報]]のような科学的な予報・予知が確立されておらず、前触れもなく突然やってくる。そのため、建造物や地盤の[[耐震基準|強度]]を調べて補強する、震災時の生活物資を[[備蓄]]する、避難計画を立てるなど、災害に備える「[[防災]]」や災害を軽減する「[[減災]]」の考え方から対策をとり、「いつ来てもいいように」備えるのが一般的である。 また、海域で発生する大規模な地震は'''[[津波]]'''を発生させ、震源から遠く揺れを感じなかったところにも災害をもたらすことがある。そのため、学術的な研究などの目的に加えて、津波の発生を速報する目的で、各国の行政機関や大学等によって地震の発生状況が日々監視されている。1960年[[1960年チリ地震|チリ地震]]以降、初めて[[太平洋]]全域の[[津波警報]]システムが整備され、2004年の[[スマトラ島沖地震 (2004年)|スマトラ島沖地震]]以降はその態勢も大きく強化され、[[インド洋]]でも整備されている。 == メカニズム == {{節スタブ|date=2016年3月}} [[ファイル:SketchFaultRupture.png|thumb|200px|地震の発生途中における断層面と地震のメカニズムの模式図。<br />2: 震央<br />3: 断層面の走向<br />4: 断層面の傾斜<br />5: 震源<br />6: 断層面のある平面<br />7: 破壊されている断層面<br />10: すでに破壊された断層面<br />8 + 11: 断層面 または 震源域(断層の最大破壊域)]] [[File:Types of Faults.svg|thumb|200px|3種類の断層。A:逆断層、B:正断層、C:横ずれ断層。]] [[ファイル:Plan nodal.png|thumb|200px|地震のメカニズム解([[発震機構]]解)の図。地震計の観測結果を基に図に表し、断層の位置や動いた方向を解析する。]] {{Main2|地球の内部構造|地球#構造|プレートの移動に関する説明|プレートテクトニクス|地震の発生、断層破壊の詳細|地震発生物理学}} 地球の表層は[[プレート]]と呼ばれる硬い板のような岩盤でできており、そのプレートは移動し、プレート同士で押し合いを続けている。そのため、プレート内部やプレート間の境界部には、[[力 (物理学)|力]]が加わり[[ひずみ|歪み]]が蓄積している。これら岩盤内では、岩盤の[[密度]]が低くもろい、[[温度]]([[粘性]])が高い、大きな摩擦力が掛かっているなどの理由で歪みが溜まりやすい部分がある。ここで'''[[応力]]'''(ストレス)が局所的に高まり、[[岩体]](岩盤)の[[せん断|剪断破壊強度]]を超えて、断層が生じ、あるいは既存の断層が動くことが地震であると考えられている。 断層はいわば過去の地震で生じた古傷であり、地殻に対する応力が集中しやすいことから、断層では繰り返し同じような周期(再来間隔)で地震が発生する。断層の大きさは数百 mから数千 kmまであり、またその断層の再来間隔も数年から数十万年とさまざまである。断層の中でも、数億年から数百万年前まで動いていて現在は動いていないような断層があり、そのようなものは古断層といって地震を起こさない。一方、現在も動いている断層を'''活断層'''という{{refnest|group="注"|活断層の統一された定義はない。古典的には、(旧来区分における)[[第四紀]]開始以降に活動したと推定される断層を活断層という。なお、2009年より第四紀の区分が変更されたので、現在の区分では「[[更新世]]中期の開始以降」にあたる。断層の活動性を考える上では、より重要度の高い「約10万年前にあたる更新世後期の開始以降」に限定する場合がある。<ref>「[http://www.geosociety.jp/faq/content0203.html 地球史Q&A]」 日本地質学会。</ref>}}。日本だけでも約2,000の活断層がある<ref>[http://www.hinet.bosai.go.jp/about_earthquake/sec6.2.html 地震の基礎知識とその観測 6.2 活断層] 防災科学技術研究所</ref>。ただし、活動の有無を判別するのが難しい断層や大規模探査を行わなければ発見できない断層もあって、古断層といわれていた断層や知られていなかった断層が動いて地震を起こした例もあるため、防災上注意しなければならない<ref group="注">2000年[[鳥取県西部地震]]、2005年[[福岡県西方沖地震]]、2007年[[能登半島地震]]などは知られていなかった活断層で発生した。</ref>。 岩盤内で蓄積される応力は、押し合う力だけではなく、引っ張り合う力や、すれ違う力など様々な向きのものが存在し、それによって断層のずれる方向が変わる。押し合う応力は断層面の上側が盛り上がる'''''[[逆断層]]'''''、引っ張り合う応力は断層面の下側が盛り上がる'''''[[正断層]]'''''、すれ違う応力はほぼ垂直な断層面の両側が互い違いに動く'''''[[横ずれ断層]]'''''を形成する。多くの断層は、正断層型・逆断層型のずれ方と、横ずれ断層型のずれ方のどちらかがメインとなり、もう一方のずれ方も多少合わさった形となる。 よくテレビ番組でプレート境界が瞬間的にずれて跳ね上がり、その動き自体が地震の揺れ(地震動、地震波)と同一であるかのような説明があるが、短周期の揺れは、ずれるときの[[摩擦]]の振動であり、断層型地震等の最終的な揺れの主因は、地上での岩石の破壊実験で生じる振動からも、摩擦面で起きる[[破壊]]とされている。震源域が広くずれが生じている時間が長ければ、それだけ長く揺れ続ける。[[津波]]は、海底のずれの動きそのものが海水に伝わって起きる。 地震の始まりは、岩盤内部の一点から破壊が始まり、急激に岩盤がずれて歪みを解放し始めることである。破壊が始まった一点が[[震源]]であり、破壊されてずれた部分が断層となる。このずれた部分は、地震波を解析する段階では便宜的に[[平面]](断層面または破壊面と呼ぶ)と仮定し、断層面の向き(走向)や断層面の[[鉛直]]方向に対する角度(傾斜)、震源の位置、地震の規模などを推定する。震源断層が曲がったり複数あったりする場合は、後の解析や余震の解析により推定される。 震源で始まった岩盤の破壊範囲は、多くの場合秒速2 - 3kmで拡大し、破壊された岩盤は、速いときで秒速数 mでずれを拡大させていく<ref>{{Cite book|和書|author=山中浩明|title=地震の揺れを科学するーみえてきた強振動の姿|date=7月27日|year=|accessdate=|publisher=東京大学出版会|author2=武村雅之|author3=岩田知孝|author4=香川敬生|author5=佐藤俊明|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hinet.bosai.go.jp/about_earthquake/sec2.1.html |title=2.1段層運動 - Hi-net 防災科研 |access-date=2022年9月2日}}</ref>。 以下は実際の例である。 * 1923年の[[関東地震]]では、[[神奈川県]]小田原直下付近から破壊が始まり、破壊は放射状に伝播して40 - 50秒で房総半島の端にまで至り、長さ130 km、幅70 kmの断層面を形成し、[[小田原市]] - [[秦野市]]の地下と[[三浦半島]]の地下で特に大きなずれを生じ、約8秒で7 - 8 mずれた<ref>{{PDFlink|[http://www.zisin.jp/pdf/nf-vol3.pdf 『なゐふる第3号』p. 4「関東大地震(大正12年9月1日)」}}]日本地震学会</ref>。 * 1995年の[[兵庫県南部地震]]では、[[明石海峡]]の地下17 kmで始まった破壊は、北東の[[神戸市]]の地下から、南西の[[淡路島]]中部にまで拡大し、約13秒で長さ40 km幅10 kmの断層面を形成した。 このようにして破壊が終結すると、一つの地震が終わることになる。この断層面の広さとずれの大きさは、地震の規模と関連している。多くの場合、断層面が広く、ずれが大きくなれば大地震となり、逆に小さな地震では破壊は小規模である。こうして一つの地震が終結しても、大地震の場合は断層面にはまだ破壊されずに残っていて、歪みをため込んでいる部分がある。それらの岩盤も、余震によって次第に破壊が進む。本震の前に発生することがある前震は、本震を誘発するものだという説、本震に先駆けて起こる小規模な破壊だという説などがあるが、はっきりと解明されていない。 本震の後に余震が多数発生する「本震 - 余震型」や、それに加えて前震も発生する「前震 - 本震 - 余震型」の場合は、応力が一気に増加することで発生すると考えられている。一方で群発地震の場合は、応力が比較的緩やかなスピードで増加することで地震が多数発生すると考えられている<ref>[https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2002/pr20020905/pr20020905.html 群発地震発生のメカニズムを解明] 産業技術総合研究所、2002年9月5日</ref>。 === 地震発生のきっかけ === 地震発生までのメカニズムは徐々に明らかになっているが、地盤や岩盤に溜まった応力の解放を促している'''引き金'''が何であるかはほとんどが謎のままになっていて、はっきりとした特定はなされておらず、様々な説が展開されている。この引き金に関しては、[[相関]]性の比較により[[統計学]]的に相関を見出すことは可能であるが、それが[[因果性|因果関係]]であるかを同定するのは地震学的な研究に頼るもので、分野が少し異なる。 ; 水分の流入 : [[兵庫県南部地震]]が[[フィリピン海プレート]]から生じた水によって誘発されたという説がある<ref>[http://www.anago.co.jp/president/great_hanshin/cause/cause.htm 「フィリピン海プレートの水分が阪神淡路大震災を誘発か?」]1999年3月9日付神戸新聞</ref>。また[[東北大学]]によれば、[[新潟中越沖地震]]<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe7600/news/20070807it01.htm 中越沖地震、直下のマグマが原因か] 2007年8月7日付読売新聞{{リンク切れ|date=2013年8月}}</ref>や[[岩手・宮城内陸地震]]など複数の地震は断層直下のマグマが冷えたことで発生した水分が潤滑油の役割を果たし引き起こされたという<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20091024-OYT1T00028.htm 岩手・宮城地震、水が断層滑らす?…東北大分析]2009年10月24日付読売新聞{{リンク切れ|date=2013年8月}}</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20100117-OYT8T00100.htm 岩手・宮城内陸地震 断層に入った水原因か]2010年1月17日付読売新聞{{リンク切れ|date=2013年8月}}</ref>。この他、7つの火山島からなる[[アゾレス諸島]]では雨が降ると2日後に小さな地震が起こったり<ref name="shima">[http://shima3.fc2web.com/sekou9701damzisin.htm 島村英紀「人間が起こした地震」]</ref>、鉱山の水没域では雨水が流れ込むことで地震を誘発したりする例もある<ref>[https://www.ritsumei.ac.jp/se/~ogasawar/Research/Ikuno_rain_J.pdf 立命館大学「水没した1km深鉱山で地下水変化に誘発された地震」]</ref>。 :[[海洋プレート]]が沈み込んだ[[スラブ (プレート)|スラブ]]では、[[カンラン石]]が高圧力環境で熱水と反応し脆い滑石を含んだ[[蛇紋岩]]化する<ref>{{Cite journal|和書|url=https://doi.org/10.5026/jgeography.117.253 |title=海洋下部地殻および上部マントルの変質作用と変質鉱物 |author=野坂俊夫 |date=2008 |journal=地学雑誌 |volume=117 |issue=1 |pages=253-267 |doi=10.5026/jgeography.117.253 |publisher=東京地学協会}}</ref>。滑石への変化と圧力勾配の変化が地震発生の原因となるという発表もある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hiroshima-u.ac.jp/sci/news/48652 |title=【研究成果】水を含んだマントル岩石が,地震発生の原因となる可能性を発見 |access-date=2022-05-26 |website=理学部 | 広島大学 |publisher=広島大学 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.nature.com/articles/s41598-018-35290-x |title=Physical mechanisms of oceanic mantle earthquakes: Comparison of natural and experimental events |access-date=2022-05-26 |last=Kita |first=Saeko |date=2018-11-19 |website=Scientific Reports |publisher=[[ネイチャー]] |pages=17049 |language=en |doi=10.1038/s41598-018-35290-x}}</ref><ref>{{cite journal|doi=10.1029/2006GL026194|title=Olivine hydration in the deep upper mantle: Effects of temperature and silica activity|year=2006|last1=Smyth|first1=J. R.|last2=Frost|first2=D. J.|last3=Nestola|first3=F.|last4=Holl|first4=C. M.|last5=Bromiley|first5=G.|journal=Geophysical Research Letters|volume=33|issue=15|pages=L15301|bibcode=2006GeoRL..3315301S|url=http://ruby.colorado.edu/~smyth/Research/Papers/Hydrolivine.pdf|url-status=dead|archive-url=https://web.archive.org/web/20170809105549/http://ruby.colorado.edu/%7Esmyth/Research/Papers/Hydrolivine.pdf|archive-date=2017-08-09|citeseerx=10.1.1.573.4309|access-date=2017-10-26}}</ref>。 ; 潮汐力 {{seealso|潮汐#地震との関係}} : [[太陽]]や[[月]]との[[潮汐]]が発生の引き金になるとの見方もある。特に、[[満月]]と[[新月]]時に強まった潮汐力が地震を誘発する可能性が指摘されており<ref>[http://www.sciencemag.org/cgi/content/abstract/1103961v1 Earth Tides Can Trigger Shallow Thrust Fault Earthquakes]</ref><ref>[http://plaza.harmonix.ne.jp/~frisky/sub/eq.html 地震と潮汐力の関係]</ref>、[[スマトラ島]]沖では[[スマトラ島沖地震 (2004年)|2004年の地震]]の8年前から潮汐力が強まった時間帯に地震が集中していたことも判明している。また、[[東北地方太平洋沖地震]]の誘発地震とみられる一連の[[長野県北部地震 (2011年)|長野県北部(栄村)地震]]では、約50 %という高い相関で潮汐による影響が確認されており<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120319/dst12031914170008-n1.htm 長野県栄村で地震で多発、「潮汐」引き金 地殻変動と重なる 産総研分析](MSN産経ニュース/産経新聞 2012年3月19日){{リンク切れ|date=2021年2月}}</ref>、さらに東北地方太平洋沖地震の震源域においても断層が動く方向にかかる潮汐力の強さと地震発生数(Mw5以上)の相関関係が2000年頃を境に見られ始め、本震(2011年)の数年前より顕著となったが、本震発生後には再びこの関係性が見られなくなっている<ref>{{PDFlink|[http://zisin.jah.jp/pdf/nf-vol91.pdf PDF版なゐふる91号(2012年10月)]}} 日本地震学会</ref>。[[防災科学技術研究所]]では、[[ひずみ#地震におけるひずみ|歪み]]が溜まっている地域に関して潮汐力が地震の引き金になっている可能性が高いとしている<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100129-OYT1T00611.htm 地震、月や太陽の引力が「最後の一押し」科学 YOMIURI ONLINE(読売新聞)] 2010.01.29{{リンク切れ|date=2013年8月}}</ref>。この他、[[東京大学]]の地震科学研究グループらのは1万件以上の地震データから、潮汐力の強い時期に[[巨大地震]]の発生確率が上昇するという研究結果を英[[科学雑誌|科学誌]]「[[ネイチャー ジオサイエンス]]」(2016年9月12日付電子版)に発表し、小さな岩石の破壊が潮汐力によって大規模な破壊へと発展していく可能性を示唆した<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/3100702?act=all 巨大地震、大潮の時期に発生確率上昇か 東大研究](AFPBB News 2016年9月13日)</ref><ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG12HDQ_T10C16A9000000/ 月の引力、大地震と関係か 東大チーム](日本経済新聞 2016年9月13日)</ref>。 ; 地震([[誘発地震]]) : 大地震においては、遠地に地震波が到達し揺れている最中に地震が誘発されることがある。[[表面波]]の到達時に見られることが多く、これは動的な[[応力]]変化が原因とされている<ref>[http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1107180022/ 東日本大震災:本震直後に箱根で誘発地震4回、揺れ増幅し強羅は震度6弱、温地研が地震波解析/神奈川]</ref><ref name="MIS036-P100">{{PDFlink|[http://www2.jpgu.org/meeting/2011/yokou/MIS036-P100.pdf 東北地方太平洋沖地震により誘発された箱根火山の地震活動]}} 行竹洋平、本多亮、原田昌武、明田川保、伊東博、吉田明夫、神奈川県温泉地学研究所, 日本地球惑星科学連合 2011年度連合大会 [http://www.jpgu.org/meeting_2011/session/session_html/MIS36_P.html ポスター] MIS036-P100, 2011年5月26日。</ref><ref>[http://www.rcep.dpri.kyoto-u.ac.jp/~miyazawa/research_Tohoku.html 東北地方太平洋沖地震に関連する研究] 宮澤理稔, 京都大学防災研究所</ref>。また、遠く離れた場所で発生した地震の[[地殻変動]]が動的な応力変化を生じ、時間をおいてからも別の地震を誘発するという研究報告がある<ref>[http://www.nature.com/nature/journal/v451/n7174/full/nature06440.html Effects of acoustic waves on stick-slip in granular media and implications for earthquakes] Paul A. Johnson, Heather Savage, Matt Knuth, Joan Gomberg, Chris Marone, “Nature” 451, 57-60 2008年1月3日. {{doi|10.1038/nature06440}}([http://www.natureasia.com/japan/nature/updates/index.php?i=63895 日本語訳])(閲覧には登録が必要)</ref>。 == 地震の規模と揺れの指標 == === マグニチュード === {{Main|マグニチュード}} 一般的に、地震の規模を表す指標としては、[[エネルギー]]量を示す[[マグニチュード]]を用い、「M」と表記する。マグニチュードには算定方法によっていくつかの種類があり、地震学では各種のマグニチュードを区別するために「M」に続けて区別の記号を付ける。地震学では[[モーメント・マグニチュード|モーメントマグニチュード]] (Mw) が広く使われる。日本では[[気象庁マグニチュード]] (Mj) が広く使われる。 他にもそれぞれの観測機関によって使用されるマグニチュードのタイプが異なる場合もあるが、その値は差異ができるだけ小さくなるように定められている。これらは最初にマグニチュードを定義した[[チャールズ・リヒター]]のものの改良版であり、基本的に地震動の最大振幅の[[常用対数]]を基礎とする。モーメントマグニチュードを除き、いずれのタイプも8.5程度以上の[[巨大地震]]や[[超巨大地震]]ではその値が頭打ちになる傾向を持つ<ref name="Utsu2001-137">[[#Utsu (2001)|宇津『地震学』137頁]]</ref>。 この弱点を改善するために、地震学では[[地震モーメント]]から算出される[[モーメント・マグニチュード|モーメントマグニチュード]] (Mw) が地震の規模を表す指標として用いられることが多く、これを単に「M」と表記することも多い([[アメリカ地質調査所]] (USGS) など)。 日本では、気象庁が独自の定義による[[マグニチュード#2003年9月25日以降|気象庁マグニチュード]] (Mj) を発表しており、日本ではこれを単に「M」と表記することも多い。これに対し、多くの国では[[表面波マグニチュード]] (Ms) や[[マグニチュード#実体波マグニチュード Mb|実体波マグニチュード]] (Mb) のことを、単にマグニチュードと呼ぶことが多い。Mが1大きくなるとエネルギーは約31.6倍、2大きくなるとちょうど1,000倍となる。 人類の観測史上最も大きな地震、つまりマグニチュード (Mw) が最も大きかったのは、1960年の[[チリ地震 (1960年)|チリ地震]](Mw9.5, Ms8.5)である。 ある地震のマグニチュードであっても、機関によって異なったり、複数の値を発表する場合がある。例えば[[東北地方太平洋沖地震]]のマグニチュードは9.0とされているが、これはモーメント・マグニチュードであり、従来の気象庁マグニチュードでは8.4である。なお発生直後から数度訂正されていて、気象庁マグニチュードで7.9と速報したが、後に8.4と修正し、さらにモーメントマグニチュードで8.8と発表し、最終的に9.0とした。[[アメリカ地質調査所]] (USGS) は独自にモーメントマグニチュード9.0と発表している<ref>[http://www.usgs.gov/newsroom/article.asp?ID=2727 USGS Updates Magnitude of Japan’s 2011 Tohoku Earthquake to 9.0] USGS</ref>。 === 震度 === {{Main|震度}} 地震動の大きさを表す数値として、[[速度]]や[[加速度]]、[[変位]]などがある。[[建築物]]や[[土木]]構造物の[[耐震#耐震設計|設計]]の分野では、[[応答スペクトル]]や[[SI値]]という指標も、地震動の大きさを表す方法として広く用いられている。一般的には、人体感覚、周囲の物体、建造物の被害の大きさなどを考慮して、地震動の大きさを客観的に段階付けた[[震度]]という指標が用いられる<ref name="Utsu2001-121">[[#Utsu (2001)|宇津『地震学』121頁]]</ref>。 震度については、日本では[[気象庁震度階級]](通称「震度」)、[[アメリカ合衆国]]では[[メルカリ震度階級|改正メルカリ震度階級]]、[[ヨーロッパ]]では[[ヨーロッパ震度階級]] (EMS)、[[独立国家共同体|CIS]]諸国や[[イスラエル]]、[[インド]]などでは[[MSK震度階級]]が現在使用されているほか、ほかにもいくつかの指標がある。 地震の規模が大きいほど震度は大きくなる傾向にあるが、震源域からの距離や断層のずれの方向、断層の破壊伝播速度、地盤の構造や性質、地震波の特性などによって地上の揺れは大きく異なる。水や空気が多く含まれ土壌粒子の固結が弱い柔らかい地層ほど、また新しい地層であるほど揺れが増幅され、一般的には[[軟弱地盤]]と呼ばれるような平野部や河川沿いや埋め立て地が揺れやすい傾向にあるが、[[地盤改良]]や基礎方式によって揺れを低減することが可能である。 例えば[[東北地方太平洋沖地震]]は震度7とされているが、震度7は最大震度であって、公式に観測されたのは宮城県[[栗原市]]だけであり、例えば島嶼部を除く東京都では震度5強([[千代田区]]大手町など18地点) - 震度3([[奥多摩町]]など3地点)であった。「各市町村の震度」「各地域の震度」はその市町村・地域内に設置されている複数の観測点のうち最も揺れが大きかった値である。また、震度はその地域を代表する地点に設置された震度計が示す目安値であり、実際の土地に当てはめれば地盤の状態によって近傍の観測点に比べ最大1程度の差が生じるので、必ずしも被害状況と地点震度が一致しない場合がある。 === 物理量 === 地震の揺れの[[速度]]を表す単位として、カイン(kine, [[メートル毎秒#センチメートル毎秒|センチメートル毎秒]])がある。 また、地震の揺れによる[[加速度]]を表す単位として、[[ガル]](gal, [[センチメートル毎秒毎秒]])がある。1秒間に1カインの加速度が1ガルである。[[重力加速度]]を超えることもありどんな重いものでも、固定していなければ床に対して動く。 == 地震の原因と種類 == [[ファイル:Types of earthquakes ja.png|thumb|400px|4種類の地震の発生場所。茶色系統が大陸系、紫色系統が海洋系で、いずれも薄い色の方がプレート、濃い色の方が地殻。]] {{See also|プレートテクトニクス}} [[プレートテクトニクス]]の観点から地震を分類することができ、大きく分けて2通りの分け方がある。1つは断層で起こるもの(構造地震)とそうでないものに分けるやり方で、もう1つは複数のプレートの間で起こるもの('''プレート間地震'''あるいは'''プレート境界地震''', ''Inter''plate earthquake)とプレート内部で起こるもの('''プレート内地震''', ''Intra''plate earthquake)に分けるやり方である。後者はよく使われており、さらに細かい分類もされている<ref name="neg99-119etc">『[[#neg99|新版 地学事典]]』、菊池正幸「海溝型地震」119頁、杉憲子「海嶺型地震」216頁、下鶴大輔・山科健一郎「火山性地震」231-232頁、石川有三「直下型地震」842頁、三東哲夫「トランスフォーム型地震」930頁、石川有三「プレート境界地震」1160-1161頁、菊池正幸「プレート内地震」1161頁</ref><ref>『[[#utsu01|地震の事典]]』第2版、13頁</ref>。 以下に分類と主な日本語呼称を挙げる。 * 複数のプレートの間で起こるもの(プレート間地震、プレート境界地震)<ref name="neg99-119etc" /> ** 収束型境界(メガスラスト)で起こるもの *** 海溝などの沈み込み帯で起こるもの('''海溝型地震'''、海溝沿いのプレート間地震)<ref group="注">「海溝型地震」は海溝付近のプレート内部の地震を含める場合があるため、狭義に「海溝沿いのプレート間地震」と呼ぶ場合もある。</ref><ref name="neg99-119etc" /> *** 衝突型境界で起こるもの ** 発散型境界で起こるもの *** 海嶺で起こるもの(海嶺型地震)<ref name="neg99-119etc" /> ** トランスフォーム断層で起こるもの(トランスフォーム型地震)<ref name="neg99-119etc" /> * プレート内部で起こるもの(プレート内地震) ** 大陸プレート内部で起こるもの('''大陸プレート内地震'''、内陸地殻内地震、陸域の浅い地震<ref name="jishinjac09-2-19">『[[#jishinjac09|日本の地震活動]]』第2版、§2 19頁</ref>、内陸型地震<ref name="neg99-119etc" /><ref>『[[#okada07|自然災害の事典]]』24-31頁</ref>、断層型地震、直下型地震) ** 海洋プレート内部で起こるもの('''海洋プレート内地震''') *** プレートの下に沈み込む手前の海洋プレートで起こるもの(沈み込む海洋プレート内地震<ref name="jishinjac09-2-19" />、'''アウターライズ地震''') *** プレートの下に沈み込んだ後の海洋プレートで起こるもの(沈み込んだ海洋プレート内地震<ref name="jishinjac09-2-19" />、'''スラブ内地震'''<ref name="nied00-2-1-3">『[[#nied00|強震動の基礎 ウェブテキスト2000版]]』§2.1.3</ref>) 上の分類とは別に、火山体周辺で起こるもの('''[[火山性地震]]''')を特別に分ける場合がある。[[マグマ]]や[[火山ガス]]の移動が地震を起こすほか、周囲よりも地殻が破砕されて弱いために応力が集中して地震が起こるなど、いくつかのメカニズムが知られている<ref name="neg99-119etc" />。 また、人工的な発破の振動などにより発生する'''[[人工地震]]'''も存在する。これに対して、自然に発生する地震を'''自然地震'''と呼ぶことがある。なお、[[ダム]]など人工的な要因により引き起こされる自然地震もあり、[[誘発地震]]と呼ぶ場合がある([[#その他]]参照)。 防災上の観点では、これらとは別に'''直下型地震'''(内陸地震)という分類を用いることがある。居住地域の直下で起こる浅発地震を指し、地域によってはプレート内地震だけではなくプレート間地震も起こる。[[南関東直下地震]]などの、都市で発生する直下型地震はリスクが大きいことから重要視されている<ref name="neg99-119etc" /><ref name="nied00-2-1-3" />。 また、[[地震動]]が小さい割に大きな[[津波]]が起こる地震を'''[[津波地震]]'''といい、顕著な例として1896年の[[明治三陸地震]]がある{{refnest|group="注"|この地震は津波規模から推定される[[モーメント・マグニチュード|モーメント・マグニチュード (Mw)]] 8.2で三陸沿岸に遡上高30m超の多津波をもたらしたが、最大震度は2 - 3だった。そのため地震の規模は長らく[[表面波マグニチュード|表面波マグニチュード (Ms)]] 7.6とされており、研究の進展により[[21世紀]]になって前記の値に見直された<ref>[https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/higai/higai-1995.html 過去の地震・津波被害] 気象庁</ref>。}}。<ref>『[[#jishinjac09|日本の地震活動]]』第2版、§2 21頁</ref>。 地震に関連するものとして、振動を起こさない[[スロースリップ|スリップあるいは滑り]]と呼ばれる現象がある。全く振動を伴わないものもあれば、付随して弱い低周波の振動を伴う低周波地震や、低周波微動などがあることが知られている。 === プレート間地震 === [[File:プレート境界型地震の発生のメカニズム.png|thumb|280px|プレート境界型地震の発生のメカニズム]] 2つのプレートが接する場所では、異なる運動をしているプレート同士の境界にひずみが蓄積し、地震が起こる。このようなタイプの地震を'''プレート間地震'''、'''プレート境界地震'''あるいはプレート境界型地震と呼ぶ<ref name="neg99-119etc" />。 プレート同士の境界は、収束型(海溝と衝突型境界に細分される)、発散型、すれ違い型(トランスフォーム断層)の3種類に分けられる。発散型やすれ違い型は、地震が起こる範囲がプレート境界の周辺だけに限られ、震源の深さもあまり深くない。一方、収束型のうち海溝はしばしば規模の大きな地震を発生させ、衝突型は地震が起こる範囲が広く震源が深いことも多い。 ; 海溝型地震 : 英名は[[:en:Megathrust earthquake|Megathrust earthquake]]がこの海溝型地震に近いニュアンスで使われている。[[海洋プレート]]が[[大陸プレート]]の下に沈み込んでいる[[海溝]]や[[トラフ (地形)|トラフ]]などの[[沈み込み帯]]では、両者の境界が歪みを受けて地震が起こる<ref name="neg99-119etc" />。これを海溝型地震と呼ぶが、「海溝型地震」は海溝付近のプレート内部の地震を含める場合があるため、狭義に「海溝沿いのプレート間地震」と呼ぶ場合もある。[[ばね]]のように弾性力を蓄えた大陸プレートが跳ね返るというように解説されることがあるが、プレートが引き剥がされるわけではなく、他の地震と同様に2つの地殻面がずれる形で跳ね返る。1923年の[[関東地震|大正関東地震]]や想定される[[南関東直下地震]]のように、海溝から離れた深いところにまで震源域は広がっている。 : 陸側のプレートが海側のプレートに[[衝上断層|衝上]]する低角逆断層型となるのが典型的<ref name="neg99-119etc" />。上から見ると、海溝の最深部をつないだ線である海溝軸よりも大陸プレート寄りの部分が震源域となる。1つの細長い海溝の中では、いくつかの領域に分かれて別々に大地震が発生する。地震の規模はM7 - 8と大きくなることがままあり、稀に複数の領域が同時に動いて後述のようにM9を超える[[超巨大地震]]となるケースもある。1つの領域では、およそ数十から数百年ほどの周期で大地震が繰り返し発生する。規模が大きい海溝型地震が[[海洋]]の下で発生した場合、[[津波]]が発生することがある。震源域が広く規模が大きいため、被害が広範囲にわたることがある。 : 発生しやすい場所は、[[チリ]]、[[ペルー]]、[[メキシコ]]、アメリカの[[アラスカ]]、[[アリューシャン列島]]や[[千島列島]]、日本、[[フィリピン]]、[[インドネシア]]、[[パプアニューギニア]]、[[ソロモン諸島]]、[[フィジー]]、[[トンガ]]、[[ニュージーランド]]などの沖合いや海岸付近である。いずれも沿岸に海溝があり、大きな海溝型地震が発生する。 : 2004年に[[ジャワ海溝]]で発生した[[スマトラ島沖地震 (2004年)|スマトラ島沖地震]]も海溝型地震である。また日本近海では、[[十勝地方]]の沖合で繰り返し発生している[[十勝沖地震]](2003年9月の地震はMw8.3、最大震度6弱)や同じく[[根室半島]]沖で繰り返し発生している[[根室半島沖地震]]など[[千島海溝]]における地震、2011年3月に[[三陸沖]]の[[日本海溝]]で発生した[[東北地方太平洋沖地震]](Mw9.0、最大震度7)に加え、同海溝付近で繰り返し発生している[[三陸沖地震]]、近い将来にその発生が指摘され以前より[[地震観測網]]による監視体制が敷かれる[[駿河トラフ]]における[[東海地震]]や[[南海トラフ]]における[[東南海地震|東南海]]・[[南海地震]]、それらの地震(震源域)が連動することで超巨大地震となる可能性も想定されている[[南海トラフ巨大地震]]などが海溝型地震の例として挙げられる。さらに[[関東大震災]]の原因となった前述の関東地震(M7.9)も[[相模トラフ]]のプレート境界がずれ動いたことによって発生した地震(「[[相模トラフ巨大地震]]」も参照)であり、海溝型地震に含まれる。 : 前述のスマトラ島沖地震や東北地方太平洋沖地震、過去に幾度も発生した南海トラフの巨大地震では、複数震源領域で短時間のうちに断層(プレート境界面)の破壊が起きる'''[[連動型地震]]'''となったため、広範囲における大規模な地震に発展している。また、大きな海溝型地震の後にはその震源域から離れた場所で内陸地殻内地震や海洋プレート内地震、または他の海溝型地震を誘発することがある('''[[誘発地震]]''')。 : さらに、プレート境界のうち海溝寄りの浅い領域ではしばしば[[津波地震]]が発生する。東北地方太平洋沖地震では深い領域と浅い領域が連動して破壊されたため、強い揺れと大きな津波が同時発生したとされている<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110911/dst11091109050001-n1.htm 東日本大震災6カ月 巨大地震の謎は解明できたのか](産経新聞/MSN産経ニュース 2011年9月11日)</ref>。 : 海溝型地震に伴うプレート境界面のずれが表面にまで達した[[海底断層]]が生じ、主断層の他に平行して複数の[[分岐断層]]がみられることがある。東北地方太平洋沖地震では海底活断層やプレート境界面に沈み込んでいる[[海山]]が地震の発生に関係した可能性が指摘されているが<ref>[http://www.saga-s.co.jp/news/global/corenews.0.2051558.article.html 海底活断層が起こした可能性も 東日本大震災](佐賀新聞 2011年09月23日) {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110924080435/http://www.saga-s.co.jp/news/global/corenews.0.2051558.article.html |date=2011年9月24日 }}</ref><ref>[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/531018/ 壊れた「留め金」…海底の山の破壊が大震災誘発か](産経新聞 2011年10月8日){{リンク切れ|date=2013年8月}}</ref><ref>[http://www2.jpgu.org/meeting/2011/yokou/MIS036-P189.pdf 日本海溝沿いの活断層と地震に関する予察的考察] 中田高, 後藤秀昭, 渡辺満久, [[鈴木康弘 (地質学者)|鈴木康弘]], 西澤あずさ, 泉紀明, 伊藤弘志, 日本地球惑星科学連合 2011年度連合大会 ポスター MIS036-P189, 2011年5月27日</ref>、研究途上である。 ; 衝突型境界で起こる地震 : 衝突型境界では、プレート同士が激しく衝突し合い、境界部分では強い圧縮の力が働いて地震が発生する。強い力によってプレートが砕け、その破片同士がずれたり、付加体がずれたりして地震が起こる。 : 大陸プレート同士が押し合い衝突している[[ヒマラヤ山脈]]・[[パミール高原]]・[[チベット高原]]や[[日本海]]東縁部などが主な発生地である。 : 1999年9月の台湾[[921大地震|集集地震]] (Mw7.6) などがある。日本付近での例は、[[日本海東縁変動帯]]域を震源とする地震で、1983年5月の[[日本海中部地震]](M7.7、最大震度5)、1993年7月の[[北海道南西沖地震]](M7.8、最大震度6)など。 ; 発散型境界で起こる地震 : 発散型境界でも地震が起こる。大洋を縦断する中央[[海嶺]]の中軸谷の下で発生するものは'''海嶺型地震'''と呼ばれる。震源の深さは概ね12 kmより浅く、地震の規模はM6を超えることがほとんどない。発震機構を見ると張力軸が水平かつ海溝に直角で、正断層型のものが典型的<ref name="neg99-119etc" />。 : [[東太平洋海嶺]]、[[オーストラリア南極海嶺]]、[[中央インド洋海嶺]]、[[南西インド洋海嶺]]、[[大西洋中央海嶺]]など各地の海嶺で地震が発生する。[[アイスランド]]やアフリカの[[大地溝帯]]では、陸上にある海嶺([[地溝]])の影響で正断層型の地震が発生する。 ; すれ違い型境界(トランスフォーム断層)で起こる地震 : トランスフォーム断層では、プレートのすれ違いによって地震が起こる。多くは海嶺周辺の海底で起こるが、陸地で起こるものもある<ref name="neg99-119etc" />。 : 主な発生地には、アメリカ西海岸の[[サンアンドレアス断層]]、ニュージーランドの[[アルパイン断層]]<ref name="neg99-119etc" />、トルコの[[北アナトリア断層]]などがある。 : 発生例としては、1906年4月の[[サンフランシスコ地震]] (M7.8) などが挙げられる。 === 内陸地殻内地震 === {{main|断層}} 海洋プレートが沈み込んでいる大陸プレートの端の部分では、海溝から数百 km離れた部分まで含む広い範囲に海洋プレートの押す力が及ぶ。その力はプレートの内部や表層部にも現れるため、プレートの表層部ではあちこちでひび割れができる。このひび割れが断層である。 周囲から押されている断層では、押された力を上下に逃がす形で山が高く、谷が深くなるように岩盤が動く(逆断層)。また、大陸プレートの一部分では、火山活動によってマグマがプレート内を上昇し、プレートを押し広げているような部分がある。また、周囲から引っ張られている断層でも、引っ張られた力を上下に逃がす形で山が高く、谷が深くなるように岩盤が動く(正断層)。また、押される断層・引っ張られる断層であっても、場所によっては断層が水平にずれ、岩盤が上下に動かないこともある(横ずれ断層)。 このようなタイプの地震を'''内陸地殻内地震'''あるいは'''大陸プレート内地震'''と呼ぶ。[[伊豆半島]]や[[伊豆諸島]]、[[ニュージーランド]]などは海洋プレートの上に位置しているが、これらの場所で起こるプレート内地震もこのタイプの地震として扱われる。このタイプの地震では地表に断層が出現しやすいため、'''断層型地震'''、'''活断層型地震'''などとも呼ぶが、プレート間・大陸プレート内・海洋プレート内地震は全て断層運動によって発生することに注意する必要がある。内陸の断層は都市の直下や周辺にあることも少なくなく、'''直下型地震'''とも呼ぶが、関東地震のように陸地の直下を震源とする海溝型地震もあるため、それと区別する意味で「陸域の浅い場所を震源とする地震」のような言い方もされる。 地震の規模は活断層の大きさによるが、多くの断層はM6 - 7、大きいものではM8に達する。海溝型地震と同じように、長い断層はいくつかの領域に分かれ、別々に活動する。同一の活断層での大きな地震の発生は、数百年から数十万年に1回の頻度とされている。都市の直下で発生すると甚大な被害をもたらすことがあるが、大きな揺れに見舞われる範囲は海溝型地震と比べると狭い領域に限られる。初期微動を検知するという原理上、[[緊急地震速報]]が間に合わないこともある。 1976年7月の[[唐山地震]](M7.8、死者24万人・20世紀最大)、1995年1月の[[兵庫県南部地震]](M7.3、最大震度7、死者約6,000人)や2000年10月の[[鳥取県西部地震]](M7.3、最大震度6強)、2004年10月の[[新潟県中越地震]](M6.8、最大震度7)や2007年3月の[[能登半島地震]](M6.9、最大震度6強)、新しいものでは2008年6月14日に発生した[[岩手・宮城内陸地震]](M7.2、最大震度6強)や2010年1月の[[ハイチ地震 (2010年)|ハイチ地震]](Mw7.0、死者32万人)などが該当する。2012年11月に福島県沖で相次いで発生したM5クラスの地震もこれに該当する。<ref>{{PDFlink|[https://www.jma.go.jp/jma/press/1212/10a/1211tohoku.pdf 東北地方の主な地震活動(2012年11月)]}}</ref> アメリカ西海岸、ニュージーランド、日本、[[中国]]、[[台湾]]、フィリピン、インドネシア、アフガニスタン、イラン、トルコ、ギリシャ、イタリア、スイスなどに活断層が密集しており、大きな断層型地震が頻発する。 このタイプの地震はしばしば甚大な被害をもたらすため、将来の地震発生予測を目的に、1980年以後日本全土の活断層が調査され、危険な断層を順次評価している。兵庫県南部地震の前に公表された活断層の地図には他の大断層類と同時に「危ない断層」として有馬・高槻・六甲断層帯が危険と表示されていた。この調査は以後も継続して続けられている。 一方、ヨーロッパ中部・北部、アメリカ中部、オーストラリアなどには、過去の[[造山運動]]に伴ってできた断層があるが、その中には現在も動いている活断層がある。このような断層は、時々動いて最大でM4 - 5程度の地震を起こし、稀に被害が出ることもある。また、そのような地域でも[[ニューマドリッド断層帯]]のように活断層が存在し、頻繁に活動している場合がある。 === 海洋プレート内地震 === 沈み込みの運動をしている海洋プレートでも地震が発生する。このようなタイプの地震を'''海洋プレート内地震'''あるいは'''プレート内地震'''と呼ぶ。単にプレート内地震と呼ぶときはほとんどの場合このタイプを指し、大陸プレート内地震は含まれない。プレート間地震と合わせて海溝型地震と呼ぶこともある<ref>[https://www.j-shis.bosai.go.jp/subduction-zone-eq-and-active-flts-eq 海溝型地震と活断層型地震] - 防災科学技術研究所</ref>。海洋プレートにおける地震は大きく以下の2種類に分けられる。「沈み込んだ海洋プレート」では震源が深くなる傾向にあり、「これから沈み込む海洋プレート」では浅くなることが多い。 ; 沈み込んだ海洋プレート内<small>(スラブ内)</small>で起こる地震 : 海溝を経て大陸プレートの下にもぐりこんだ海洋プレートは、[[マントル]]の中を沈み込んでいる途中で割れたり、地下深部で[[スタグナントスラブ]]となって大きく反り返って割れたりして、地震を発生させることがある。海洋プレートが沈み込んだ部分である[[スラブ (プレート)|スラブ]](板=プレート)の中で発生するので、'''スラブ内地震'''と呼ばれる。また、震源が深いことから'''[[深発地震]]'''とも呼ばれる。 : 一般に[[震源]]が深く、したがって震源と[[震央]]の距離は長い場合が多いにもかかわらず、規模が大きなものは被害としては侮れない。また深い分、広範囲で最大震度に近い揺れに見舞われることにもなる。地震波の伝わりやすさは、プレートの位置関係やマントルの深さなどでそれぞれ異なるため、震源から離れた場所で揺れが大きくなる[[異常震域]]が発生しやすいのも特徴である。 : 20世紀末以降の例では、1987年12月の[[千葉県東方沖地震 (1987年)|千葉県東方沖地震]](M6.7、深さ50 km、最大震度5)、1992年2月の浦賀水道の地震(M5.7、深さ92 km、最大震度5)、1993年1月の[[釧路沖地震]](M7.5、深さ101 km、最大震度6)や2003年5月の[[宮城県沖地震 (2003年)|宮城県沖の地震]](M7.1、深さ72 km、最大震度6弱)のような被害事例が見られる。 : この他、2011年に発生した[[東北地方太平洋沖地震|東北太平洋沖地震]]の余震でもこのタイプの地震が発生している他、2001年3月の[[芸予地震]]、2015年5月30日小笠原諸島西方沖地682 kmで起きたM8.1の地震<ref>[https://www.jma.go.jp/jma/press/1505/31d/201505311600.html 気象庁|報道発表資料]</ref>もこのタイプである。 ; これから沈み込む海洋プレート内<small>(アウターライズ)</small>で起こる地震 : 海洋プレートが陸地側に潜り込んだ歪みを解消するため陸地側プレートが反発した時に、プレート境界型地震が起こる。歪みはこれから沈み込む海洋プレート側(海溝よりも更に沖側)にもたまっており、海底が隆起している場合がある(アウターライズ・海溝上縁隆起帯)。この歪みはプレート境界型地震の発生によって解消されるとは限らず、プレート境界型地震の前後などに、解消されなかった歪みによってずれや割れが生じ、地震を発生させることがある。アウターライズ(海溝上縁隆起帯)で発生するため、主に'''アウターライズ地震'''と呼称される(なお、こちらもスラブ内地震とする場合がある)。 : 一般に反り返った先のもっとも高い(浅い)場所が[[張力]]を受けて破壊される正断層型の地震が多い。これとは逆に震源が深い場合は[[圧力]]が働き逆断層型となる。遠方の海域で発生するため、陸地において地震の揺れそのものによる被害は少ないことがほとんどであるが、M8を超える地震がしばしば発生し、押し波から始まる津波<ref>松澤暢、「[https://doi.org/10.14863/geosocabst.2013.0_005 2011年東北地方太平洋沖地震後の地殻活動について]」 日本地質学会 第120年学術大会(2013仙台)セッションID:S1-O-5, {{doi|10.14863/geosocabst.2013.0_005}}</ref>により海溝型地震に匹敵する津波災害を引き起こすことがある。このため、[[津波地震]]と同様に地震発生直後の避難が遅れて被害が拡大する恐れがある。また、大きなプレート境界型地震の後に発生する場合もあることから警戒を要するものである。 : 1933年の[[昭和三陸地震]](M8.1、1896年・M8.2の[[明治三陸地震]]の37年後)、[[千島列島沖地震 (2007年)|2007年千島列島沖地震]](M8.2、M7.9の[[千島列島沖地震 (2006年)|2006年千島列島沖地震]]の2か月後)、[[スマトラ島沖地震 (2012年4月)|2012年のスマトラ島沖地震]](M8.6、M9.1の[[スマトラ島沖地震 (2004年)|2004年のスマトラ島沖地震]]の8年後)などの例がある<ref>「大震災2年 戻らぬ沈下地盤 M7級警戒必要」読売新聞2013年3月10日15面</ref>。この他、2011年に発生した[[東北地方太平洋沖地震]]の余震でもこのタイプの地震が発生している。 === 火山性地震 === {{see|火山性地震}} 海溝の周辺の[[火山弧]]、[[ホットスポット (地学)|ホットスポット]]、[[海嶺]]、[[ホットプリューム]]の噴出地域では、マグマの移動や熱せられた水蒸気の圧力、火山活動に伴う地面の隆起や沈降が原因となって地震が発生する。これらの地震を'''[[火山性地震]]'''という。火山性地震は断層の動きだけでは説明できない部分があるので、上記の3分類とは分けて考えることが多い。地震動も上記の地震とは異なる場合がある。 火山性地震は地震動の性質から2つのタイプに分けられる。P波とS波が明瞭で、一般的な断層破壊による地震と大差がないA型地震、および紡錘型の波形を持つB型地震である。B型地震はさらに周期の違いによってBL型地震とBH型地震に分けられる。広義では火山性微動も地震に含む。また、火道の圧縮やマグマの爆発・爆縮によって、一般的な断層破壊では見られない特殊な発震機構(メカニズム)を持つ地震も起こりうる。 === その他 === ==== 人為的・外部的要因による誘発地震 ==== 主に人為的な原因や人工物の影響で引き起こされる地震。なお、人為的によらない外部的な要因としては、様々な[[自然現象]]などが地震の引き金になっている可能性も指摘されている(詳細は後節の「[[#地震発生のきっかけ]]」を参照)。 ; 大質量の移動による誘発 : [[超高層建築物]]・[[ダム]]の建設、地面の掘削・造成、石炭・石油や天然ガスなどの[[採掘]]が地下構造を変え、地震を誘発することがある。また、ダムの貯水でも地下の岩盤における[[間隙水圧]]・[[応力]]が変化して地震を誘発することがある<ref>石川有三、尾池和夫、「[https://doi.org/10.4294/zisin1948.35.2_171 中国のダム誘発地震について]」 地震 第2輯 1982年 35巻 2号 p.171-181, {{doi|10.4294/zisin1948.35.2_171}}</ref>。 : 例えば1940年には、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[フーバーダム]]付近でM5の地震が発生した。また、インド・[[マハラシュトラ州]]西部の[[コイナダム]]付近では、1962年の貯水開始後から[[地鳴り]]と小さな地震が発生し、1967年12月10日にはM6.3の地震が起こり180人が死亡、およそ2,000人が負傷した。同時期にはダムは最高水位に達しており、貯まった水の[[水圧]]によって誘発されたものだとされている<ref>[http://homepage2.nifty.com/kasida/environment/yuuhatu-jisin.htm ダムが地震を起こす] 週刊プレイボーイ2003年7月8日号{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。 ; 電流による誘発 : 地中に電流を流すことで地震が誘発されると言う実験結果がある。[[ソビエト連邦]]が[[キルギス]]の[[天山山脈]]で、2.8 kAの電流を百回以上地下に流し込む実験を行ったところ、約2日後から地震が増え、数日のうちに収まるという現象が起こった<ref>[http://www.geocities.jp/semsweb/Uyeda_070309.html 上田誠也「地震予知研究の歴史と現状」 学士会会報 2007-IV No. 865]</ref>。 ; 流体注入による誘発 : 水分やガスといった流体が地中に注入されることで地震が誘発されることがある。なお、自然界でも同様の現象が発生している([[地震#地震発生のきっかけ|後述]])。 : [[ロッキー山脈]]のアメリカ軍の兵器工場で、1962年3月から深さ3670メートルの地下に廃水を廃棄し始めたところ、1882年以来80年間も地震が全くなかった場所に地震が発生し始めた([[デンバー地震]])。注入量や圧力に比例するように地震の数が増減した<ref name="小出">{{citation|和書 |last=小出 |first=仁 |title=ハイドロフラクチュアリングとマグマフラクチュアリング |magazine=地質ニュース |date=1978年10月 |issue=290 |url=http://www.gsj.jp/publications/pub/chishitsunews/news1978-10.html }}</ref>。また、2007年12月に[[スイス]]の[[バーゼル]]で[[地熱発電]]に利用する蒸気を発生させるために地下5,000メートルの[[花崗岩]]層に熱水を注入したところ、最大M3.4の地震が2度発生した。この地域では以前から有感地震が発生していた<ref>[http://www.excite.co.jp/News/odd/00081168364152.html 地震続発で地熱発電計画にストップ バーゼル]</ref>。同様に、鉱山内のガス流体による地震の誘発作用も示唆されている<ref>[http://china.jst.go.jp/D/W0942A/08A0704201.html 「鉱山地震活動、ガス爆発およびこれらと震源物理研究との関係の重要性」]</ref>。また、[[シェールガス]]採掘のために地中に注入された水が引き金となったことが報告されている<ref>[http://science.slashdot.org/story/11/11/03/1437255/minor-quakes-in-the-uk-likely-caused-by-fracking Minor Quakes In the UK Likely Caused By Fracking]記事:2011年11月03日 閲覧:2011年11月08日</ref>。 ==== 地震以外の発震現象 ==== 地震とは異なり、断層のずれを伴わずに地表に揺れを引き起こす発震現象。 ; 氷震 : [[氷河]]の運動によって、自然地震に似た発震現象([[氷震]])が発生している<ref>[http://www.nikkei-science.com/topics/bn0901_1.html NEWS SCAN 2009年1月号:日経サイエンス「氷河の健康状態を診断する新手法」]</ref>。 ; 人工震源 : {{Main|人工地震}} : 主に軍事的な目的による[[爆弾]]の[[爆発]]、土木[[工事]]や地質調査([[物理探査#弾性波探査|地震探査]])による[[火薬|爆薬]]の[[発破]]などがある。これらは地震波を発生させるが、「P波に比べてS波が小さい」、「表面波が卓越する」、「すべての観測点でP波が押し波で始まる」などの特徴があり、自然地震との判別は可能である。[[核爆発]]によるものは代表的な人工震源のひとつであり、地震波を放出する性質を利用して精密地震計による[[核実験]]の監視が行われている<ref>[http://www.jma-net.go.jp/matsushiro/publication/gijyutsu/gijyutsu24-koyama.html 松代地震観測所での地下核実験の観測能力について] 気象庁地震観測所技術報告 第9号 37〜45頁 昭和63年3月</ref>。 <!--; 純粋に人力のみで起こる震動 : 数万人の群衆が、タイミングを合わせて飛び跳ねる、いわゆる “タテノリ” でも起きる事が確認されている。1997年、[[東京ドーム]]で[[X JAPAN]]のコンサート「THE LAST LIVE」が行なわれた際、定番になっている「Xジャンプ」で5万人が飛び跳ねた結果、所在地の{{要出典範囲|文京区では震度3相当の揺れが感じられた|date=2017年9月}}という。--><!--気象庁震度データベース検索で1997年の文京区で震度1以上の地震を検索したところ、1件もヒットがありませんでした。もし非公式の震度計に関する情報などがあれば追記お願い致します。(2017-09)--> ; 天体の落着 : 恐竜絶滅の要因と目され、現在地球で三番目の規模の小惑星衝突跡として知られる、[[チクシュルーブ・クレーター]]を生み出した[[チクシュルーブ衝突体]]の落着により起こった地震の規模は、マグニチュード11以上と推定されている。 == 地震の原因論とメカニズム論の展開 == === 神話など === 日本([[大和民族]])では古来より「地中深くに[[大鯰|大ナマズ]]が存在し、その大ナマズが暴れることにより大地震が起きる」という俗説が信じられていた。現代においてもよく知られた俗説だが、ナマズが地震を予知できる根拠は見つかっていない。江戸時代には[[安政の大地震]]を期に[[鯰絵]]と呼ばれる[[錦絵]]が流行するなど、日本人にとって地震とナマズが身近な関係にあったことがうかがえる。また、[[鹿島神宮]]にはこの大ナマズを抑えるという[[要石]]があり、地震の守り神として信仰されている。地震避けの呪歌に、[[万葉集]]の歌を使った「ゆるぐともよもや抜けじの要石鹿島の神のあらむ限りは」(要石は動きはしても、まさか抜けることはないだろう、[[武甕槌神]]がいる限りは)というものがある。 [[北海道]]の[[アイヌ]]には、「地下には巨大な[[アメマス]]が住んでいる。これが暴れて地震が起きる」という、日本(大和民族)とよく似た伝承があった。そこで地震が発生すれば、地震鎮めの呪いとして[[囲炉裏]]の灰に小刀や火箸を刺し、アメマスを押さえつけるまねごとをした。[[鵡川町]]から[[平取町|平取]]地方では、地震が発生した際に「イッケアトウエ、エイタカシュ、アエオマ(おとなしくしないと腰を突き刺すぞ)」などの呪文の文言を叫び舞う儀式の記録が保存されている<ref>「北海道における地震に関するアイヌの口碑伝説と歴史記録」新里・重野・高清水(歴史地震第21号2006年)[http://www.histeq.jp/kaishi_21/P121-136.pdf]PDF-P.10</ref>。 台湾では、地中深くに地牛という大きな牛が存在し、その地牛が寝返りをうつと地震を起こすという伝説がある。 中国では古来から、[[陰陽説]]の考え方を背景にして、地震とは陰の性質を持った大地から陽の性質を持った大気が出てくるときに起こるものという説明があった。また[[福建省]]では、地震を起こすのは[[ネズミ]]であると言う神話上の伝承が存在する。 [[北欧神話]]においては地底に幽閉された[[ロキ]]が、頭上から降り注ぐ蛇の毒液を浴びたときに震えて地震が起きるとされている(詳細はロキを参照のこと)。[[ギリシア神話]]では[[ポセイドン]]が地震の神とされた。 フィンランドの先住民族は、地震が起こるのは大地の下で、大地を支える死の国の老人の手が震えるからとされている。 北アメリカでは、クジラが地震や津波を起こすとされ、海に棲むウンセギラという巨大な雌水蛇が大津波をおこす。 メキシコ、マヤ民族のツォツィル語系インディオでは、大地の4本または8本の支柱が揺れ動くと地震がおこるとされている。 古代エジプトでは、大地の神ゲブの笑い、またはヌトと離れた悲しみが地震をおこすという<ref>[http://www.jiten.info/dic/world/jishin.html 地震 earthquake 世界の神話・民話 :幻想世界神話辞典]</ref>。 仏教では、地震は傲慢と不平が原因で起こされる自然災害であり、自然災害が起きるのを防ぐには[[戒]]・[[定]]・[[慧]]を勤修し、三毒を息滅することが必要だと教えている。 === 科学的探究 === [[古代ギリシア]]では、自然哲学者[[アナクシメネス]]が[[土壌|土]]が大地の窪みにずり落ちることが原因だと考えた。[[アナクサゴラス]]は地下で激しく[[水]]が流れ落ちることを原因と考えた。その後、[[アリストテレス]]は[[四元素説]]を基に、地震は地中から蒸気のような[[プネウマ]](気、空気)が噴出することで起こると説明した。これらを受けて、[[セネカ]]は地下での蒸気の噴出によって空洞ができ、そこの地面が陥没するときに地震が起こるという説を立てた。時は変わって、[[アラビア]]では[[イブン・スィーナー]]が、地面が隆起することが原因だとする考えを示した。 18世紀には、[[リスボン地震 (1755年)|リスボン地震]]をきっかけに[[ジョン・ミッチェル (天文学者)|ジョン・ミッチェル]]が地震の研究を行い、火山の影響で地中の水蒸気が変化を起こすことが原因という説を発表した。 19世紀末には、[[お雇い外国人]]として日本にいた[[ジョン・ミルン]]や[[ジェームス・アルフレッド・ユーイング]]が地震を体験したことがきっかけとなり、[[日本地震学会]]が設立され、[[地震計]]の開発や地震の研究が進み始めた。地震の波形から震源を推定する方法が発見されたり、[[アンドリア・モホロビチッチ]]が[[モホロビチッチ不連続面]]を発見して地球の内部構造の解明の足がかりとなったりした。ミルンは、イギリスで地震の研究を進めて同国に近代地震学が確立された。現在イギリスには世界中の地震の観測情報を集積している[[国際地震センター]] (ISC) が設置されている。 また20世紀に入って、[[リチャード・ディクソン・オールダム]]が地球の[[核 (天体)|核]](コア)を発見、[[ベノー・グーテンベルグ]]が[[グーテンベルク不連続面]]を発見するなどし、[[地球物理学]]が次第に進展するとともに、[[アルフレート・ヴェーゲナー]]の[[大陸移動説]]から発展した[[マントル対流説]]や[[海洋底拡大説]]が[[プレートテクトニクス]]にまとめられ、地震の原因として[[断層地震説]]と[[弾性反発説]]が定着した。ただ、断層地震説と弾性反発説によって一度否定された[[岩漿貫入]]などは、2説を補完する説として考える学者もいる。 == 地震動・地震波と揺れ == [[ファイル:Sisma three components.jpg|thumb|200px|地震の波形。■ (上段):東西動成分、{{color|blue|■}} (中段):南北動成分、{{color|red|■}} (下段):上下動成分。]] [[ファイル:Ondes P et S 2d 30.gif|thumb|200px|P波とS波の伝わり方を示したアニメーション]] 地表では、P波による揺れが始まってからS波が到達するまでは、[[初期微動]]と呼ばれる比較的小さい揺れに見舞われる。その後、S波が到達した後は[[主要動]]と呼ばれる比較的大きい揺れとなる。震源から数十 km以上と離れている場合にはこのような揺れの変化が感じられるが、震源が近い場合はP波とS波がほぼ同時に到達するため分からない。また震源から近い場所では、P波が到達する前後にレイリー波も到達し、同じく揺れを引き起こす。S波は液体中を伝播しないため、海上の[[船]]などでは、P波のみによって発生する'''[[海震]]'''と呼ばれる揺れに見舞われる。 被害を引き起こすような揺れのもとは主にS波だが、レイリー波、ラブ波、P波も振幅や周期によっては被害を引き起こすような揺れとなる。 また、揺れの大きさは震源からの距離に比例すると思われがちであるが、厳密には「震源域からの距離」に比例する{{要出典|date=2016年3月|title=反比例(逆数に比例)では? それでも不正確}}。一方で、地盤の特性により思わぬところで揺れが大きくなる場合がある。例えば、[[阪神・淡路大震災]]を引き起こした[[兵庫県南部地震]]では、震度7の被害地域が「震災の帯」と呼ばれる帯状に生じた。これは震源域である断層直上であることが原因の1つだったほか、地盤の柔らかい[[大阪平野]]が[[阪神間]]に帯状に伸びていたこと、[[六甲山地]]と[[大阪平野]]の境界部で地震波の干渉や増幅が発生したことが原因とされていて、「震災の帯」は震源から約30 km離れた地域まで延びている<ref>[http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/koho/hanshin-awaji/kouketsu.htm 強震動 - 地震災害の軽減のための基礎的な情報] 纐纈一起、2005.</ref>。 地震波 / 地震動の周期は、被害を受ける構造物と一定の関係性がある。構造物にはそれぞれ、[[固有振動]]周期の地震波に[[共振]]しやすい、周波数が違うと曲げ・ねじれ・伸縮などの変形の「型」も変わるといった、地震動を受けた際の振動特性があり、[[地震工学]]や[[建築工学]]においては重要視される。[[構造計算]]においては、さまざまな固有振動周期や減衰定数をもつ構造物の[[応答スペクトル]]を解析して、地震動に対する構造物の特性をみる。 例えば、[[日本家屋]]のような[[木造住宅]]は周期1秒前後の[[短周期地震動]]が[[固有振動]]周期にあたるため、周期1秒前後の地震動によって[[共振]]が発生し非常に強く建物が揺さぶられ、壊れやすく被害が拡大しやすい。この周期の地震波は[[キラーパルス]]と呼ばれており、兵庫県南部地震の波形がそうであった<ref group="注">[[新潟県中越地震]]、[[東日本大震災]]([[東北地方太平洋沖地震]])で地震被害が比較的少なかったのは、キラーパルスが少なかったからである。</ref>。一方、[[高層建築物]]は周期5秒以上の[[長周期地震動]]が固有振動であり、地震波が堆積盆地<ref group="注">盆地状の地形に厚い堆積層がある地域を指す地質学用語で、[[関東平野]]や[[大阪平野]]などの通常は「平野」と呼称される地域も該当する。</ref>を伝わる過程で増幅しやすい長周期地震動によって、平野部の高層建築物の高層階では大きな被害が発生する。一般的に規模の大きな地震ほど周期が長い地震動の大きさ(振幅)も増す傾向にあり、周期が長いほど低減衰のため遠くまで到達して被害をもたらす。このほかに、M9を超えるような巨大地震の際に観測される、[[超長周期地震動]]または地球の[[自由振動]]と呼ばれる周期数百秒以上の地震動がある。この超長周期地震動の中には[[地球]]の固有振動周期に当たる地震動もあり、地球全体が非常に長い周期で揺れることもある。 なお、地震波 / 地震動の周期は地震の規模や震源距離に関係が深い。大地震と称されるM7程度までは短周期が卓越し、それ以上になると規模が大きいほど長周期が卓越する傾向にあり、海溝型の巨大地震では長周期地震動が大きくなると考えられている。また、周期が長いほど減衰しにくいため、震源から遠いほどゆっくりとした揺れを感じやすい傾向にある。規模の大きな地震では、短周期の振幅が規模と比例しないため、長周期の波形から(モーメント)マグニチュードを算出する。 地下の構造、特に地面に近い表層地盤の構造([[表層地盤増幅率]])や地下のプレートの構造によって、地震動全般に対する揺れやすさ、揺れやすい周期、あるいは地震波の伝わり方が異なる。そのため地震の際、震度が震央からの距離に完全に相関して、きれいに同心円状に分布することはほぼない。稀に震央と異なる地域で揺れが最も大きくなることがあり、[[異常震域]]と呼ばれる。一般的に、地表の[[含水率]]や[[間隙率]]が高い[[泥]]質地盤が最も揺れやすく、礫が多くなり岩盤に近くなるほど揺れにくくなる。また、[[完新世]](1万年前以降)に堆積した[[沖積層]]など新しい層に厚く覆われていると揺れやすく、[[洪積層]]([[更新世]]、258万年 - 1万年前)やそれ以前([[新第三紀]]かそれ以前)の層に覆われていると揺れにくい傾向にあるが、一概には言えず、厳密には[[地盤調査]]による[[N値 (ボーリング調査)|N値]]や[[基盤岩]]深度などから推定する。また表層が砂質地盤で[[地下水]]位が高い場合は揺れに伴って[[液状化現象]]や[[側方流動]]が起こる。 また、多くの地震計は周期0.2 - 0.3秒前後の地震動を感知しやすいため、周期0.2 - 0.3秒で大きく周期1秒で小さい地震では震度に比べて被害が軽かったり、逆に、周期0.2 - 0.3秒で小さく周期1秒で大きい地震では震度に比べて被害が甚大だったりといったことが起こる。ただし、これには地震計の設置場所と地下構造の問題もあるとされる[http://www.kz.tsukuba.ac.jp/~sakai/myg.htm]。 == 主な地震帯と地震の頻度 == [[ファイル:Quake epicenters 1963-98.png|thumb|300px|1963年から1998年に発生した、35万回以上におよぶ地震の分布図。地震の震央の分布にはっきりしたパターンがある。]] {{See also|地震危険度}} 主な地震の震源を地図にして地球の表面を概観すると、プレートテクトニクス理論における「[[環太平洋造山帯]]」や「[[アルプス・ヒマラヤ造山帯]]」の周辺は地震が特に多い地域があることが分かる。前述の2つの造山帯も含めた[[新期造山帯]]で最も地震が多く世界の地震活動の大部分を占める。このほか、ヨーロッパ西部やアジア北部などの[[古期造山帯]]でも比較的多く地震が発生する。 これらの地域は造山帯または地震帯(火山に着目した場合火山帯とも呼ぶ)と呼ばれ、地殻や地面の活動(移動)が活発で、地震も活発である。しかし、この地図はあくまで一定期間に発生した地震を集計したものであり、「地震の起こりやすさ」を表したものだが、この地図で地震が少ない国・地域(カナダ、ロシア、ブラジル、[[アフリカ大陸]]など)でも絶対に地震が発生しない、とはいいきれず、どの陸地でも地震は発生しうる。 ただし、地震の多い地域と、地震による被害が大きい地域は異なる。地盤の揺れやすさ、[[人口密度]]の大小、建造物の強度、社会情勢などによって被害や救助復旧の様子が異なるためである。一方、同じ地域においても、地震が発生する時間や時期などによっても被害は異なり、例えば調理を行う食事時間前や暖房を多く使う時間帯においては[[火災]]の多発、大都市では平日昼間における[[帰宅困難者]]の発生などが挙げられる。また、地震の規模が大きくなるほど断層の長さが長くなり、被害地域が広くなる傾向にある。津波が発生した場合は、揺れが小さい沿岸部や揺れが全くなかった遠隔地に津波が押し寄せ被害をもたらす。[[ハワイ諸島]]などは太平洋の中心にあって周囲に島が少ないため、環太平洋各地の[[津波#遠隔地津波|遠隔地津波]]を受けやすいことで知られる。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |+ 地震のマグニチュードと頻度(明記なき場合は回/年) |- !Ms<ref>以上、次のMまで</ref> !名称 !style="width:40em"|震源が浅い場合に想定される被害<ref name=bosai>防災科学技術研究所 [http://www.hinet.bosai.go.jp/about_earthquake/sec1.2.html 「1.2 マグニチュード」] 閲覧2017-10/14</ref> !日本周辺<br><small>防災研</small><ref name=bosai/> !地球<br><small>USGS</small><ref>国土交通省・気象庁 [https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq7.html 「表1 世界の地震回数(1年間の平均:USGS(アメリカ地質調査所)による)」] 閲覧2017-10/14。1990年以降のデータより。</ref> !地球<br><small>USGS</small><ref>USGS [https://earthquake.usgs.gov/learn/topics/measure.php Measuring the Size of an Earthquake / magnitude] 閲覧2017-10/14。直近の47年間の観測データからの計算値であり、どの期間をとるかで結果は大きく振れると注意書きを入れている。</ref> |- |9+ |rowspan="3" |巨<br>大<br>地<br>震 |数百 - 1,000 kmの範囲で大きな地殻変動を生じ、広域で大災害・大津波 |style="white-space:nowrap" |数百年に1度 |rowspan="3" |1<ref>1900年以降のデータより</ref> |rowspan="2" |0.3 |- |8.5 |rowspan="2" |内陸では広域大災害、海底であれば大津波 |rowspan="2" |10年に1度 |- |8.0 |1.1 |- |7.5 |rowspan="2" |大<br>地<br>震 |rowspan="2" |内陸では大災害、海底であれば津波 |rowspan="2" |1-2 |rowspan="2" |17<ref name=usgs1990>1990年以降のデータより</ref> |3.1 |- |7.0 |15 |- |6.5 |rowspan="3" |中<br>地<br>震 |rowspan="2" |震央付近で小被害、M7に近くなると大被害 |rowspan="2" |10-15 |rowspan="2" |134<ref name=usgs1990/> |56 |- |6.0 |210 |- |5 |被害が出ることは少ない。 |120 |1,319<ref name=usgs1990/> | |- |4 |rowspan="2" |小<br>地<br>震 |震央付近で有感、震源がごく浅いと軽い被害 |約1,000<ref>原典では1日数回</ref> |<small>13,000</small><ref name=usgsest>推定値</ref> | |- |3 |震央付近で有感となることがある |約1万<ref>原典では1日数十回</ref> |13万<ref name=usgsest/> | |- |2 |rowspan="2" |<small>微小<br>地震</small> |極まれに有感 |<small>毎時10回</small><ref>年換算は8万7600回</ref> | | |- |1 | |<small>毎分1 - 2回</small> | | |- |0 |rowspan="2" |<small>極<br>微小<br>地震</small> | | | | |- | -1 | | | | |- |} [[ファイル:Sanfranciscoearthquake1906.jpg|thumb|200px|[[サンフランシスコ地震|1906年サンフランシスコ地震]]後の町の様子。建物が崩れ、煙が上がっている。]] [[ファイル:US_Navy_050102-N-9593M-040_A_village_near_the_coast_of_Sumatra_lays_in_ruin_after_the_Tsunami_that_struck_South_East_Asia.jpg|thumb|200px|[[スマトラ島沖地震]]による津波に襲われたスマトラ島の町の様子。水や流木が町のほとんどを覆っている。]] 地球上で1年間に現行のネットワークで現行の機器で観測される地震回数は約50万回と推定されており、その内10万回が有感地震である<ref name="usgsfacts">{{cite web|url=https://earthquake.usgs.gov/learn/facts.php|title=Earthquake Facts|publisher=[[United States Geological Survey]]|accessdate=2010-04-25}}</ref><ref name="wp100414">{{Cite news | first=Margaret Webb | last=Pressler | title=More earthquakes than usual? Not really. | url=| work=KidsPost | publisher= Washington Post| location=Washington Post | pages= C10 | date=14 April 2010 | id= | accessdate=}}</ref><!----url does not contain box statistics that print edition does and is included for info only---->。1年間にM5以上の地震が平均約1,500回、M2以上の地震が平均145万回発生している。数の上では、世界で発生する地震の1割程度が日本付近で発生しているといわれ、また1996年から2005年の期間では世界で発生したM6以上の地震の2割が日本で発生しているとの統計があり[http://www.bousai.go.jp/hakusho/h18/BOUSAI_2006/html/zu/img/zu1_1_01.jpg]、客観的に見ても日本は地震の多い国と考えられる。 地震の発生の頻度が過去と比べて増加したかどうかということは、局地的に見ることはできても、全世界的に見ることは現状では難しい。地震の発生数のデータは、地震計の精度の向上や観測点のネットワークの状況などに左右される。世界的に見ても目が細かい日本の[[高感度地震観測網]]でも1990年代後半以降のデータであり、世界を見ても微小地震・極微小地震を捉えられるような観測網は少なく、海底となればその傾向は顕著である。 === 主な活断層・海溝・海盆 === 防災上、地震を引き起こす可能性の高い活断層の存在は注目される。日本では主要な数百の活断層の位置と再来間隔や規模などが調査・発表されている。活断層と同様に[[活褶曲]]も地震を発生させうるほか、活断層が無い地域に新たに断層が発生する可能性も否定できない。そのため、活断層の調査を中心とした地震防災に対する批判も存在している。 地球上の活断層([[地溝]]・[[海溝]]・[[海盆]]などを含む)のうち、主なものを挙げる。これらは周期的に大地震を発生させると考えられている。このほか、地震活動が活発で多くの活断層を擁する[[歪集中帯]]と呼ばれる地域がある。 ; 断層 :* [[糸魚川静岡構造線]](日本、[[本州]]中部 <small>※場所により活動度に差がある</small>) :* [[中央構造線]](日本西部 <small>※場所により活動度に差がある</small>)- 1596年[[慶長伊予地震]] :* [[根尾谷断層]](日本、[[岐阜県]]西部)- 1891年[[濃尾地震]] :* [[信濃川断層帯]](日本、[[長野県]]北部)- 1847年[[善光寺地震]] :* [[富士川河口断層帯]](日本、[[静岡県]]中部) :* [[野島断層]](日本、[[兵庫県]]南部) - 1995年[[兵庫県南部地震]] :* [[アルパイン断層]]([[南島 (ニュージーランド)|ニュージーランド南島]]) :* {{仮リンク|カラヴェラス断層|en|Calaveras Fault}}(アメリカ、[[サンフランシスコ・ベイエリア]]) :* {{仮リンク|ヘイワード断層帯|en|Hayward Fault Zone}}(アメリカ、[[サンフランシスコ湾]]東岸) :* [[サンアンドレアス断層]](アメリカ、[[カリフォルニア州]])- 1906年[[サンフランシスコ地震]] :* [[ニューマドリッド断層帯]](アメリカ中部 ※古期造山帯) :* {{仮リンク|グレートグレン断層|en|Great Glen Fault}}(グレートブリテン島、[[スコットランド]] ※古期造山帯) :* [[北アナトリア断層|アナトリア断層帯]]([[トルコ]]北部)- [[イズミット地震 (1719年)|1719年]]・[[イズミット地震 (1999年)|1999年イズミット地震]] :* [[スマトラ断層]](インドネシア、[[スマトラ島]]) ; 海溝・海盆・沈み込み帯 : {{Main|[[海溝#主な海溝]]、[[海盆]]、[[トラフ (地形)|トラフ(地形)]]、[[背弧海盆]]}} :* [[チリ海溝]]([[チリ]]西岸)- 1960年・2010年[[チリ地震]] :* [[ペルー海溝]]([[ペルー]]沿岸)- 2001年・2007年[[ペルー地震]] :* [[中央アメリカ海溝]] (中央アメリカ西岸)- 1985年[[メキシコ地震 (1985年)|メキシコ地震]] :* [[カスケード沈み込み帯]]([[北アメリカ]]西海岸沖)- 1700年[[カスケード地震]]<ref>[https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2003/pr20031121/pr20031121.html 北米西海岸で西暦1700年に発生した巨大地震の規模を日本の古文書から推定]([[産総研]])</ref> :* [[アリューシャン海溝]] - 1946年・1957年・1965年[[アリューシャン地震]]、1964年[[アラスカ地震]] :* [[千島海溝]]([[北海道]]南東沖・[[千島列島]]南岸)- 1952年・2003年[[十勝沖地震]]、1894年・1973年[[根室半島沖地震]]、2006年・2007年[[千島列島沖地震]] :* [[日本海溝]]([[東北]]・[[関東]]太平洋沖)- 1896年・1933年[[三陸沖地震]]、1936年・1978年[[宮城県沖地震]]、2011年[[東北地方太平洋沖地震]] :* [[相模トラフ]]([[相模湾]]沖)- 1703年・1923年[[関東地震]] :* [[駿河トラフ]]([[駿河湾]]沖)- 1854年[[安政東海地震|東海地震]] :* [[南海トラフ]]([[紀伊半島]]・[[四国]]沖)- 1854年・1946年[[南海地震]]、1854年・1944年[[東南海地震]] :* [[スンダ海溝]]([[ミャンマー]]沖 - スマトラ島南岸)- 2004年・2005年・2007年・2010年[[スマトラ島沖地震]] :* [[ジャワ海溝]]([[ジャワ島]]南岸)-[2006年[[ジャワ島南西沖地震|ジャワ島沖地震]] :* [[ケルマデック海溝]]([[ケルマデック諸島]]東岸) === 地震の周期性 === 地層や地磁気反転等の観測から、数百年を超えるような長期的な視点では[[プレート]]や地表の動きは平均されて一定になるというのが地質学の定説であり、それぞれのプレートの境界や[[断層]]で起こる地震は、一定の速度で蓄積される歪みが一定の周期で解放されて起こると説明できる。実際に観測や[[歴史地震]]でも、プレート境界型地震である南海地震、東南海地震、東海地震、宮城県沖地震などでは周期性が確認されているほか、内陸プレート内地震である[[北アナトリア断層]]の諸地震などでも確認されている。周期性のある地震を地震学では[[固有地震]](相似地震)といい、現在のところマグニチュード4程度以上、再来周期数年以上の地震で発見されている。 M7.0 - 8.0くらいの海溝型地震においては50 - 300年程度、後述の[[連動型地震]]においては500年程度{{refnest|group="注"|たとえばM8級の[[東海地震]]や[[南海地震]]は100年 - 150年周期で発生するとされるが、500年以上の長い周期でM8.5 - 9.0の[[東海・東南海・南海連動型地震|連動型超巨大地震]]の発生が予想されている<ref>[http://www.agu.org/cgi-bin/SFgate/SFgate?application=fm06&descriptor=/data/epubs/wais/indexes/fm06/fm06|787|5637|The%20Assumed%20Aseismic%20Subduction%20and%20the%20Necessity%20of%20Ocean-Bottom%20Crustal%20Deformation%20Measurements%20at%20the%20Ryukyus,%20Japan|HTML|localhost:0|/data/epubs/wais/indexes/fm06/fm06|38686128%2038691765%20/data2/epubs/wais/data/fm06/fm06.txt The Assumed Aseismic Subduction and the Necessity of Ocean-Bottom Crustal Deformation Measurements at the Ryukyus, Japan] M Nakamura, M Ando, T Matsumoto, M Furukawa, K Tadokoro, M Furumoto, AGU, 2006</ref>。}}。[[チリ地震]]や[[スマトラ島沖地震]]はこうしたタイプの地震であったと認識されている。{{Refnest|group="注"|纐纈一起 (2011) は、断層のずれとひずみ量の計算から、東北太平洋沖の連動型巨大地震の周期を400 - 600年(中心を438年)とした{{要出典|date=2011年10月}}<!--Refnest内では、<ref></ref>で出典表記が可能です。-->。}}、地表付近の断層においては数百年 - 数十万年と、地震の周期はそれぞれ異なる。 1990年代後半日本で整備された高精度の地震観測から、プレート境界や断層の面内で地震の起こりやすさが異なることが発見され、それを説明する説として「[[アスペリティ]]モデル」が提唱された。プレート境界や断層の面内には形状・硬さ・含水率・温度等の性質の差により、主に以下の3種類が存在するという考え方である。 * 常に滑っていて小さな地震を起こし続けている部分 * 常に滑っているが体に感じない滑りのみを起こし続けている部分 * 普段は固着してひずみを蓄積しているが限界に達すると大きな地震を起こす部分 この3番目の部分をアスペリティといい、プレート境界や断層の面内には大きさやお互いの間隔がさまざまなアスペリティが存在していることが観測により推定<ref group="注">アスペリティは、微小地震の観測や立体的な地震波速度構造(アスペリティは周囲よりも地震波速度が高い)等により推定できるとされている。</ref>されている。アスペリティモデルでは、M7.0 - 8.0くらいの(単独型)海溝型地震は1つの大きなアスペリティまたは小さなものが少数同時に破壊して発生するもの、連動型地震は複数の大きなアスペリティが同時に破壊して発生するものと解釈されている。 1つのアスペリティで地震が起こるとそこの歪みが解放され周囲のアスペリティに負荷がかかることから、1つの固有地震の発生間隔が毎回少しずつずれるのはそうした周囲のアスペリティからの負荷の変化によるものと考えられている。この負荷を定量的に推定する方法としてプレート運動速度の観測と地殻表面の測量により求められる[[プレート間カップリング]]があり、これにより求められた負荷を「本来滑るべきだがまだ滑っていない量」と考え「すべり欠損<ref group="注">すべり欠損は通常の断層運動方向とは逆であることが多いため「バックスリップ」という場合もある。</ref>」という。ただ、負荷の大きさはすべり欠損だけではなく、プレート境界や断層の面内によって値が異なる「破壊強度」を考慮する必要がある。あるアスペリティですべり欠損が破壊強度を超えた時に地震が発生する。 地震発生間隔のずれは、現在の長期的地震予知における大きな課題の1つとなっている。これに対処する方法としてアスペリティの推定や、発生間隔のずれを求めるためのすべり欠損の推定を行う研究者がいるが、精密地震観測が必要で、精度を高めるためには断層近傍で観測を行う必要があり、海溝型地震では海溝軸付近の海底に地震計を設置する必要があることから費用や労力が大きいという問題がある。 一方、一連の周期の中で生じる現象で実際に観測された例がある、本震発生前の[[前駆的地震活動]]([[前震]]など)、静穏化([[地震空白域|空白域]]の形成)などから地震予知を行おうとしている研究者もいる。また、海溝型地震の前の歪の蓄積は内陸の地震活動に影響を与えるため[[西日本]]([[西南日本]])が南海地震や東南海地]の前段階の[[西日本地震活動期説|地震活動期]]に入っているとの学説もあるが、判断するための資料が少ないといった反論もある。 日本では、主な海溝型地震や断層において調査された活動履歴から、主に繰り返し間隔と前回からの経過時間の推定によって、現在の活動確率を論じる「長期的[[地震予知]]」が行われている。しかし、このような長期的な予知を目安にした地震研究に対して、被害軽減への効果を疑問視し[[防災]]・[[減災]]により地震に強い社会を構築することの重要性を説く専門家もいる<ref>[http://sankei.jp.msn.com/science/news/120308/scn12030822590004-n1.htm 【地震学はどう変わったか (3-3)】予知困難 等身大の説明大切] msn産経ニュース、2012年3月8日。</ref><ref>[http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/eqvolc/201103_tohoku/ 2011年3月 東北地方太平洋沖地震] {{webarchive|url=https://webcitation.org/5y2aNqnv8?url=http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/eqvolc/201103_tohoku/ |date=2011年4月18日 }} 東京大学地震研究所広報アウトリーチ室、2012年1月24日の版。</ref><ref>[http://www.natureasia.com/japan/nature/specials/earthquake/nature_comment_051211-2.php 地震学、再建への道:想定外の事態に備える] 金森博雄(翻訳:三枝小夜子), Nature, 473, pp.146-148, 2011年5月12日(翻訳版Natureダイジェスト2011年7月号)。</ref>。 == 地震による被害と対策 == [[ファイル:Kitchen after earthquake, Inangahua 1968.jpg|thumb|200px|地震により激しく揺さぶられ散乱した食器類。1968年ニュージーランドにて]] [[ファイル:Hanshin-Awaji_earthquake_1995_346.jpg|thumb|200px|阪神・淡路大震災時の消火活動]] [[ファイル:Marina Post-Tsunami Slum Chennai 1.jpg|thumb|200px|[[スマトラ島沖地震]]の津波により家を失った人たちのスラム街。2005年インド・チェンナイにて]] [[ファイル:Chuetsu earthquake-Yamabe Bridge.jpg|thumb|200px|[[新潟県中越地震]]で被害を受けた道路と橋([[小千谷市]]の[[国道117号]]にかかる[[山辺橋]])。地震後に撮影。]] [[ファイル:Chuetsu earthquake-Yamabe Bridge 1 year later.jpg|thumb|200px|新潟県中越地震で被害を受けた道路と橋。復旧後に撮影。]] {{main2|日本の地震対策については「[[日本における地震対策と体制]]」を}} === 震災 === {{main|震災}} 大規模な地震が発生した場合、その[[災害]]を'''[[震災]]'''(しんさい)と呼ぶ。特に激甚な震災は'''[[大震災]]'''と呼んで、地震とは別に固有の名称が付けられることがある。例えば[[関東大震災]]、[[阪神・淡路大震災]]、[[東日本大震災]]などである。しかし、「関東大震災」の命名者ははっきりしておらず、「阪神・淡路大震災」「東日本大震災」は報道機関が使用し始めたものを元に[[閣議 (日本)|閣議]]で決められたもので、「震災名」を付ける制度は作られていない(地震名は気象庁が命名する)。[[新潟県中越地震]]では、新潟県が独自に「新潟県中越大震災」という呼称をつけている。 === 地震による主な被害 === ; 人的被害 : 建物・家具の倒壊等による[[怪我]]および[[生命]]の危険。 : 被災、家族・親戚や友人の死去、避難生活、生活の変化などによる、[[ノイローゼ]]や[[急性ストレス障害]]・[[心的外傷後ストレス障害]] (PTSD)、[[うつ病]]などの心理的被害、避難生活に伴う基礎疾患の悪化や[[静脈血栓塞栓症]]の発症。震災が社会的にクローズアップされると、直接被災していなくても災害特有の障害に陥る場合がある。([[災害心理学]]も参照) ; 建造物への被害 : 揺れによりまず[[柱]]・[[梁 (建築)|梁]]・[[壁]]・[[基礎]]などにひび割れが生じ、地震耐力(耐震強度)が低下すると自重とさらなる揺れによって損壊、倒壊・崩壊に至る。致命的な被害がない場合でも、強度が低下して地震や荷重に弱くなる。 : 地震により[[窓]][[ガラス]]や[[扉]]といった建具、[[ブロック塀]]、壁面のタイルなどが破損・変形・落下・飛散することもある。 : 屋内ではテレビや冷蔵庫といった[[電気製品]]、書棚などの[[家具]]や[[食器]]類、置物などが転倒・落下・飛散することがある。 : [[高層建築物|高層ビル]]では長周期地震動による大きな揺れを生じることがある。[[エレベータ]]では地震感知器以外の安全装置が地震動により誤作動し閉じ込められる場合があり、大規模地震により大量の閉じ込めが発生して救援が遅れることが懸念されている。 : 学校の校舎や体育館などが被災し、または[[収容避難場所|避難所]]として利用されることで数日間授業を行えず、休校を余儀なくされる。 : 体育館やプール、展示場などの大規模施設では[[天井]]や[[屋根]]が破損・落下することがある。 : 医療機関や市町村役場などの被災により[[医療]]・[[公共]]・[[行政]]サービスの機能が停止ないし低下する。 : また、耐震性が低い古い住宅には[[アスベスト]]が使われている場合があり、倒壊した際に飛散したアスベストを人が吸うことになる ため、長期的に見ると[[アスベスト問題]]の発生も予想される。 ; 火災の発生 : 電気設備・都市ガス設備などの破損で火災が発生することがある。停電復旧時の通電火災、強風を伴った場合の[[火災旋風]]が発生する場合もある。 ; 地盤・斜面への被害 : 地震動によって、落石、[[地割れ]]や地盤の緩みが起こるほか、傾斜地や傾斜した地層、崖などではずれや凹凸が生じる。斜面では[[がけ崩れ]]、[[地滑り]]が発生する。地震の規模が大きい場合には[[山体崩壊]]を伴う。沖積地の砂質地盤では[[液状化現象]]や[[側方流動]]が発生することがある。河川ではがけ崩れや地滑りにより[[河道閉塞]](せき止め湖・天然ダム)が生じ、時間をおいて[[土石流]]を発生させる。寒冷地では[[雪崩]]も発生する。また、大地震後しばらくは地盤の緩みによって降雨等による土砂災害が発生しやすくなる。 ; 津波の被害 : 家屋や建造物の流失、人的被害、滞留した水やゴミによる衛生環境の悪化、漁場や[[港湾]]への被害、田畑や防風林への[[塩害]]など。 ; ライフラインへの影響 : (水道)取水設備・浄水設備・水道管の破損により断水が生じることがある。ビルでは停電による送水ポンプ停止で断水となる場合もある。 : (電気)[[発電所]]・[[変電所]]の停止、鉄塔の倒壊、[[電線路|送電線]]の切断などにより停電が生じることがある。 : (ガス)都市ガスの場合、マイコンメーターの作動により地域単位で供給が遮断されることがある。また、ガス管の破損により供給が停止することがある。 : (交通)安全確認のため鉄道では運転見合わせ、高速道路などの道路では速度規制・通行規制などが行われる。地震により鉄道施設・道路施設そのものが故障・寸断されている場合には復旧に時間がかかる。都市部では[[公共交通機関]]の麻痺による大量の[[帰宅困難者]]が発生することがある。また、山間部・離島や沿岸部で土砂災害や津波によって陸上交通や港湾・飛行場が被害を受け、集落が孤立することがある。 : (通信)通信施設・[[基地局]]、[[通信線路|電話線・通信系統]]そのものの損傷に加え、あるいは安否確認・問い合わせによる通信の殺到で回線の[[輻輳|パンク]]が発生し、通信に重大な支障を生じる。情報源が乏しくなったり情報の錯綜・混乱を生じることがあり、災害に関する情報や生活に必要な情報が入手しづらくなったり、デマや流言が広まりやすくなる。また他方では、地震による被害の過大報道・誤報や誤った認識などによる[[風評被害]]が発生する場合もある。 ; 物資の不足や生活環境への被害 : [[食糧]]・[[飲料水|水]]や生活物資の不足と摂取栄養の偏り。家屋被害による居住場所不足、トイレ不足。 : 物資不足による価格高騰、[[闇市|ヤミ市]]の出現。 ; その他の経済的損失 : 農地への被害。商品や工場への被害。[[寡占]]商品が被害を受けた場合の経済全体への影響。 ; 文化的被害 : [[文化財]]や[[天然記念物]]、[[景観]]などへの被害。文献や[[史料]]の損傷、紛失。 ; 衛生状態の悪化 : 水やごみによる[[衛生]]環境の悪化、[[感染症]]の流行。 ; 治安の悪化、犯罪の増加、災害時犯罪の発生 : スーパーマーケットや[[デパート]]などの店舗で食料品や生活物資などが[[窃盗]]・[[略奪]]される。支援物資の奪い合い、[[暴動]]などが発生し、[[治安]]が悪化(多くの国では近年も震災後の暴動・略奪などがしばしば発生しているが、日本では[[関東大震災]]以来、90年近くにわたって自然災害後の極度の治安悪化は起こっていない)。 : 震災を利用した[[詐欺]]の発生([[義援金]]の募集を名目とした[[特殊詐欺]]・[[募金詐欺]]など)。 : 被災した家屋や金融機関からの窃盗などの[[犯罪]]。 : [[刑務所]]や[[拘置所]]が崩壊すると[[受刑者]](収容者)が脱走し、一層治安の悪化が進行する([[ハイチ地震 (2010年)]] や[[チリ地震 (2010年)]] など)。 長期的に見て、地震による被害は縮小する傾向にある。これは、[[耐震基準]]の改正や、地震に強い社会基盤の形成、さらに地震に関する知識や防災意識の浸透によるものが大きい。日本でも地震の被害は1948年に発生した[[福井地震]]の頃まで、人口の増加と産業の発展に比例して増加した部分もあったが、その後は住宅の耐震性・耐火性の向上とともに揺れに起因する被害は減少してきている。世界的にも、地震被害の多い地域では耐震化や防災体制の構築により被害が減少している地域もあるが、途上国を中心にいまだに有効な対策がとられていない地域も多く存在する。 地震は自然現象であり、人類の力では押しとどめることはできないが、事前に耐震基準の厳格化などで備えておけば被害を小さくすることは可能であるため、地震による災害を一種の「[[人災]]」とする考え方もある。この「努力と事前対策により、想定される被害を可能な限り減らす」、「'''減災'''」の考え方を広めようという運動が2008年頃から行なわれている。 {{See also|減災}} === 救助と救援・復興 === 大規模な地震が発生したときには、自分たちのできる範囲で避難・[[救助]]・救援を行うことが救命率向上につながる。その際には、組織化されノウハウを蓄積している[[消防団]]や[[町内会|自治会]]などの[[地域コミュニティ|コミュニティ]]が大きな担い手となる。これは、公設の機関である[[消防]]・[[警察]]・[[軍隊]](日本ならば[[海上保安庁]]・[[自衛隊]])なども救助・救援を行うがその能力は限られ、一刻を争う避難誘導や[[救急医療|救急]]の人員が不足するためである。地震災害の規模が大きければ大きい程、救助・救援が到達するのが遅くなる傾向にある。また通信が途絶したり夜間であったりといった、救助・救援を必要とする場所の把握が困難になる事態が発生することもあり、捜索に時間がかかる場合もある。 このような大震災が発生した場合は、国内の被災していない地域や国外より救援が来る場合もある。常備軍を有する国家ならそれが投入され<ref name=jscejipm.74.I_141>{{Cite journal|和書|author=曽篠恭裕, 宮田昭, 柿本竜治 |title=大規模災害における国際医療救援資機材輸送の実態分析 |url=https://doi.org/10.2208/jscejipm.74.I_141 |journal=土木学会論文集D3(土木計画学) |publisher=土木学会 |year=2018 |volume=74 |issue=5 |pages=I_141-I_154 |naid=130007555537 |doi=10.2208/jscejipm.74.I_141}}</ref>、不足があれば予備役が召集動員され、併せて(水上)警察・消防・救急組織なども投入される<ref name=jscejipm.74.I_141 />がこれ等は軍と異なり余剰能力が限られているのが常である。国連機関である[[国際連合児童基金|UNICEF]]や[[国際連合世界食糧計画|WFP]]、国際NGOである[[国境なき医師団]]、国家単位では各国の[[赤十字社|赤十字]]や日本における[[国際緊急援助隊]]などの救助隊・救援隊が、人的・物的・資金面での[[人道支援]]を行う。20世紀後半からは先進国を中心に[[災害ボランティア]]による救助・救援活動が目立ってきている。救助活動や安否確認、医療のほか、避難生活の支援、復旧活動などに、物資や金銭を送ったり、実際に出向いたりといった形で支援が行われる。日本では、「[[ボランティア元年]]」と呼ばれた[[阪神・淡路大震災]]の際に社会的運動として広がりを見せた後、[[新潟県中越地震]]、[[東日本大震災]]などで活発化した。ボランティアの受け入れ態勢不備やトラブルなどが発生したこともあるが、次第に改善されてきている。[[ヘリコプター]]が普及しマスコミが地震取材報道に使用するようになって、インパクトのある中継録画はボランティアの喚起には有用だが、倒壊建物の下敷きになった生存者の救難を求める音を、取材ヘリコプターの騒音で妨害する事が度々指摘されている。 地震災害の際の特徴として、余震により救助・救援が妨げられることが挙げられる。また、建物の中に人が閉じ込められることが多い地震被災地において、[[災害救助犬]]も多く活動している。 救助以外の行政の役割として、[[避難所]]や[[仮設住宅]]の確保、物資の提供や仕分け、情報の提供などが挙げられる。また、復興に際しては住宅再建の[[補助金]]提供などの役割を担う。 大震災に伴う地すべりや津波による浸水などによって集落単位で壊滅的な被害が発生した場合、その地域を居住に適さない危険な地域として規制し、残った住民の集団移転を行う場合がある。1970年[[アンカシュ地震]]の[[ユンガイ]]、1896年明治三陸地震・1933年昭和三陸地震の際の岩手・宮城沿岸の一部集落などが例であるが、生活との折り合いや費用の問題等で紛糾する場合がある。また、都市型震災の後に多くみられるが、大震災の原因が住居環境によるものであった場合、[[土地区画整理事業|区画整理]]などの大型事業によって地震に強い[[防災まちづくり]]を実施することがある。 === 地震発生後の対策 === 被害の拡大を防ぐために、地震や津波の情報を迅速に伝達することも重要とされる。日本では、国内4,000地点以上に網羅された観測網により微小地震や震度を自動収集していて、気象庁が発生後数分以内での速報を行い、NHKと民間放送事業者がテレビ・ラジオで国民に広く伝えている。観測された震度の大きさによって報道体制を変えており、受け取る側でも、警察・消防・内閣などの公的機関が震度の大きさによって対応を決める。なお、NHKを中心とした一部のテレビ・ラジオでは津波警報発表時に受信機を強制起動する[[緊急警報放送]]を行っているが、普及率は低い。 それ以外にも、同報系[[市町村防災行政無線]]により屋外[[スピーカー]]で津波情報や地震に対する警戒を広域に呼びかける手法も、屋外にいる者に発する主要な警告手段として広く用いられる。特に早急な避難が必要な津波の場合には、消防・消防団・警察などが地域を巡回しながら緊急車両のサイレンや拡声器などで避難を呼びかける。また、[[感震計]]により強い揺れを観測した際に自動的に警告を発する手法もある。 なお、観測網が整備されている場合に可能な地震の揺れが到達する前の対策([[地震警報システム]])として、日本では[[鉄道]]での[[ユレダス]]、テレビ・携帯電話・専用受信機などでの[[緊急地震速報]]が運用されている。これと似たシステムが、アメリカ・カリフォルニア州南部やメキシコ・メキシコシティ周辺部でも運用されている。また、常時インターネット環境にある場合に効果が高い[[P2P地震情報]]などもある。 大地震直後の[[電話]]などの[[輻輳|通信の混雑]]への対策として[[災害用伝言ダイヤル]]の設置などが行われている。[[携帯電話]]等においても[[災害用伝言板サービス]]等の同様の[[World Wide Web|ウェブ]]上サービスがある。自治体や民間が協力して[[臨時災害放送局]]を設置し、被災者への情報提供が行われた例もある。また1990年代から普及した[[電子メール|メール]]、[[電子掲示板|掲示板]]、2010年代に普及した[[リアルタイム・ウェブ]]([[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]や[[ブログ]]・[[ミニブログ]]などの、誰もが即時発信即時共有できる情報)は生活情報や被災情報のやり取りに活用されていて、情報伝達の高速化をもたらした。しかし、震災後には情報が錯綜したり[[噂|デマ・流言]]が発生しやすく、一定の社会的信頼を有する[[報道機関]]に比べると[[口承]]・[[インターネット]]の信頼性は低いため、災害時においては各人が情報の真偽を見分ける[[メディア・リテラシー]]の必要性が高まる。 東日本大震災の教訓から、津波避難の一助として[[スマートフォン]]・[[カーナビゲーション]]・[[デジタルサイネージ]]などに避難経路を表示し、[[オフライン]]利用を目指す取り組みもある<ref name="tsunami_navi_1">{{Cite web|和書|url=http://actionjapan.jp/article/2012/04/17/862.html |title=東京工科大など、災害時用のナビシステムを開発 …危険な方向を表示 Action Japan! - アクションジャパン|復興支援サイト - |accessdate=2013-09-18 |author=イード}}</ref>。 === 地震発生前の対策 === [[ファイル:Kashiwa dai7 elementary school 001.jpg|thumb|right|200px|[[筋交い|筋交い(ブレース)]]による耐震補強を行った小学校の校舎。学校など[[公共]]性の高い建築物では、法規や社会的要求により高い耐震性が求められる。]] {{seealso|土木工学|Category:建築構造}} 地震被害を防ぐ最も重要な対策の1つが、建造物の'''[[耐震]]性'''を高めることである。各国は建築関連法規により建築物の耐震性を規定しているが、地震経験の多寡によりその厳しさは異なる。日本では[[建築基準法]]とその関連法令による'''[[耐震基準]]'''がこれに該当する。大地震の被害を考慮するなどして強化改定されてきた経緯があり、1981年(昭和56年)6月施行の「新耐震基準」が現行であって、想定される地震動に対し概ね妥当な強度を保持できると考えられている。新築建造物は現行基準を満たして建設しなければならない。ただし既存の建物は、建てた時に適法でも後の法改正により[[既存不適格]]となったものがあり、これは一部を除いて[[耐震補強]]を行うのは任意である。また、[[消防法]]や[[都市計画法]]にも地震防災に関係する規定が含まれる。 また、[[原子力発電所]]など揺れによる災害の危険性が高い建造物については、建設の前の[[環境アセスメント]]の段階で、地盤の強度や周囲の断層の位置・活動度などを調査し、なるべくリスクの低い場所に立地するような対策が取られている。これについては、調査が十分に行われない可能性、未知の断層や新たな断層が発生する可能性があるほか、日本では[[東日本大震災]]による[[福島第一原子力発電所事故|福島原発事故]]後に津波に対する耐性が問題となって休止・再稼働停止する原発が相次いでいる。 企業では、[[リスクマネジメント]]や[[事業継続マネジメント]] (BCM) などを通じた業務継続のための対策や経済的影響への対策も必要となる。保険業界や企業を中心に、被害リスクを予め算定する[[地震PML]]という手法も普及している。 市民が行う対策としては、[[防災訓練]]や[[防災用品一覧|防災用品]]([[非常食]]や[[非常袋]]など)の準備などが代表的なものとして挙げられる。また、過去の災害の例を学んだり体験談を聴いたりすることも有用であるとされ、教育や地域において講演会として行われたり、[[本|書籍]]となったり、インターネット上で公開されたりしている。地震への防災や備えの目安として、避難場所や経路を記した防災地図、地盤の揺れやすさや地震動に見舞われる確率の地図なども自治体により作成されており、活用が可能である。地震被害からの復旧のために[[地震保険]]も用意されている。 江戸時代には地震の間と呼ばれる耐震構造が施された物もあり、[[彦根城]]の楽々園などに現存する。 危険性の高い製品を作っている企業は、製品マニュアルに地震時の対策が記載されているので地震の前に読んでおき、従う必要がある。一例だと[[星野楽器]]の製品に添付されている『安全にお使いいただくために』には地震時には[[ドラムセット]]から離れることを記載している<ref>星野楽器の安全にお使いいただくために</ref>。 == 過去に発生した地震 == [[File:BetShe'an - broken columns in a Roman temple.jpg|thumb|right|200px|749年の地震により倒壊した古代都市[[ベト・シェアン]]の石柱([[イスラエル]])]] {{Main2|過去に発生した世界中の地震の詳細なリスト、規模や被害による順位|地震の年表}} 有史以来、世界各地で無数の地震が発生している。その中で、多くの被害を出した地震も多数発生している。日本では、1960年以降に[[気象庁が命名した自然現象の一覧#地震|気象庁が正式に命名した地震]]が、現在約30個あるほか、それ以前にも多数の被害地震が発生している。また世界では、1980年から1999年までの20年間で、1年当たり平均約7,400人(うち日本は280人)が地震により亡くなっている<ref>[http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/4380.html 図録▽世界各国の地震災害(地震回数・死者数)]{{要高次出典|date=2017年11月}}<!-- 個人運営ページのためデータの信頼性に欠けます --></ref>。 日本およびその周辺の地震、震災など[[古地震]]として多く取り上げられる地震として、1923年の関東地震([[関東大震災]])がある。この地震では、日本の歴史上最多となる10万人以上の死者を出し、首都[[東京]]を含む広い範囲に被害を与え、[[火災]]の被害も大きかった。 1964年の[[新潟地震]]は日本では最大級の石油[[コンビナート]]災害をもたらし鎮火に10日以上かかり、水では消火できない危険物火災への消防・防災をより強化することとなり、また[[地震保険]]がこの地震を機に2年後誕生した。 1995年の[[兵庫県南部地震]]([[阪神・淡路大震災]])は都市部を襲った地震の典型例であり、その後の[[建築基準法]]の見直しや防災意識の変化などに大きな影響を与えた。 2004年の[[新潟県中越地震]]では震災後の避難生活に関する問題が大きく取り上げられるようになった。 2011年の[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])は津波によって東日本の太平洋側の広い範囲に被害を与え、[[福島第一原子力発電所事故|原発事故]]等の新たな問題も発生した。 また世界的には、津波により多くの死者を出した2004年の[[スマトラ島沖地震 (2004年)|スマトラ島沖地震]]などがある。 人類史上、死者が最も多かった地震は、1556年1月23日に[[中華人民共和国|中国]] [[陝西省]]で発生した[[華県地震]]で、約83万人が死亡した。これは2番目に多い[[唐山地震]]の公式統計による死者数の3倍以上である。また、人類史上、最も規模が大きかった地震は、1960年5月22日に[[チリ]]西岸で発生した[[チリ地震 (1960年)|チリ地震]]で、マグニチュードは[[モーメントマグニチュード]] (Mw) で9.5だった。 == 観測 == {{節スタブ|date=2016年3月}} 地震波 / 地震動を観測する[[地震計]]には、観測対象とする揺れの周期、感度(振幅)などにあわせてさまざまな種類のものがあり、担当機関でもいくつかの種類の地震計を使い分けている。日本では[[気象庁]]や[[防災科学技術研究所]]<ref group="注">防災科研は主に、短周期成分が多い小地震に適した高感度地震計、長周期成分が多い大地震に適した強震計、幅広い周期に適応した広帯域地震計の3種類の観測網を有する。</ref>が地震計を多数設置していて観測網を作っている。これらは震度を算出したり、震源の位置や規模を推定することに利用されている。また、2007年10月1日から 一部の離島を除いた国内ほぼ全域すべての住民を対象とした[[緊急地震速報]]の運用を開始した。 予測[[気象庁震度階級|震度]]5弱以上のときに発表されテレビ放送や携帯端末などで「(震度4以上の)強い揺れとなる地域」を伝える一般向けのものと 、発表基準が低く誤報の可能性が高いものの「各地の震度や揺れの到達時間」などが分かる「高度利用者向け」('''地震動予報''')の2種類がある。 == 地震予知 == {{main|地震予知}} 地震の発生を事前に予知することで、被害を軽減する試みは、古くから行われてきた。数十年から数百年単位での長期的な発生予測は、従来の地震学の知識をもとにして行われている。一方、数ヶ月から数時間単位で地震を予知する短期予測は、一般的に困難とされている。 === 長期予測 === 地震観測網の発達により、地震の発生頻度が統計的に分析できるようになった結果、地震の発生頻度と地震の規模はほとんどの場合、[[グーテンベルグ・リヒター則]]に従うことが判明している<ref>{{Cite book|title=Jishingaku|url=https://www.worldcat.org/oclc/675380007|publisher=共立出版|date=2001|isbn=4-320-04637-4|oclc=675380007|others=Tokuji Utsu, 徳治 宇津}}</ref>。そのため、統計データから算出される小規模な地震の発生頻度を基に、より大規模な地震の発生確率を計算することができ、行政による防災計画などに活用されている。しかし、大規模な地震ほど発生確率が低くなるため、長期的な発生確率を示すことしかできず、いつ発生するかを示す(予知する)ことはできない。また、地震が[[グーテンベルグ・リヒター則]]に従うということは、地震の規模が[[ランダム]]に決まることを意味し、そのことは、地震の予知が不可能であることを示唆している。 === 短期予測(予知) === 短期予測に関しては、多種多様な手法が試みられている。有名なものでは、ギリシャの[[VAN法]]、前震の検知([[中華人民共和国|中国]]の[[海城地震]]で成功した)などがあるが、常に利用できる手法ではない。また、東海地震発生直前に発生すると予想されている[[プレスリップ]](前兆すべり)を検出する方法もある。一方で、現時点では科学的根拠に乏しい[[宏観異常現象]]による地震予知も試みられている。 また、仮に地震予知の手法が確立された場合、それを誰がどのように行い、いつどのように発表するかということも、現状では[[東海地震]]における[[地震防災対策強化地域]]など限られた地震・地域においてしか定まっておらず、混乱が発生する事態も考えられる。 == 地球以外での「地震」 == 地球以外の天体においても、地球の地震に相当する、地殻の振動現象が発見されている。 月で発生する地震は[[月震]]と呼ばれ、1969年から1977年までの通算8年余りの間観測が行われた。 2019年には[[アメリカ航空宇宙局]] (NASA) の[[火星探査機]]・[[インサイト (探査機)|インサイト]]が、火星で発生する地震(「火震(marsquakes)」<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/3270217?cx_part=topstory 火星の「地震」を観測、謎解明に前進 NASA探査機]、AFPBB News、2020年2月26日。</ref>)を初めて観測した<ref>[https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/042600256/ 火星の地震を初観測、なぜ起こる?何がわかる?M2〜2.5で揺れは10分継続、火星探査機インサイトの最初の成果]、ナショナルジオグラフィック日本版サイト、2019年4月26日。</ref>。 == その他 == * [[132年]]に、[[後漢]]の[[張衡 (科学者)|張衡]]が世界最初の[[感震計]]である「[[候風地動儀]]」を発明したとされる。口に玉をくわえた八匹の竜が八方向を向いており、[[中国]]のどこかで地震が起きると、その方向の竜が玉を落とす仕掛けになっていたという。 * 地震に関する日本最古の記録として、[[416年]]([[允恭天皇|允恭]]5年)と[[599年]]([[推古天皇|推古]]7年)に発生した地震のことが[[日本書紀]]に記されている。 * 古代の日本では「'''なゐふる'''」という言葉が使われていたことが[[古事記]]や日本書紀で確認できる。1903年以前に生まれた者を対象にした[[国立国語研究所]]作成の「日本言語地図」では「ない」「なえ」などの呼び名が[[岩手県|岩手]]と[[九州]]・[[沖縄]]に分布していたことが確認されている([[方言周圏論]])。 * [[菅原道真]]は870年([[貞観 (日本)|貞観]]12年)に[[対策|方略試]]という当時最高峰の[[国家試験]]を受けたが、そのうちの一問が「地震ヲ弁ズ」(「地震について述べよ」の意か)というものであった。道真は「彼漢の張衡が之機巧」と候風地動儀を引用して回答している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.disaster.archi.tohoku.ac.jp/event/taisin11/shibata-11th.pdf|title=1)菅原道真と地震|accessdate=2014-9-14|author=柴田明徳|year=2007|format=PDF|work=歴史の中の地震、2.歴史の中の大地震|publisher=東北大学災害科学国際研究所}}</ref>。 * [[江戸時代]]後期に[[佐久間象山]]が[[日本]]で初となる地震を予知をする機器「地震予知器」を開発した。[[安政江戸地震]]を機に、大地震の予兆について人々から聞いた話を元に作られた道具で、磁石の先端に火薬が付けられ、その火薬が落ちると大地震が来ると言われている。実際に機能したかは疑問視されている<ref>[https://www.jp.tdk.com/techmag/ninja/daa00702.htm 第78回「地震と磁石」の巻|じしゃく忍法帳|TDK Techno Magazine] - 2020年5月20日閲覧。</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2|2}} === 出典 === {{Reflist|25em}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書 | editor=国立天文台|editor-link=国立天文台 | year = 2007 | title = [[理科年表]] 平成20年 | publisher = [[丸善雄松堂|丸善]] | id = ISBN 978-4-621-07902-7 }} - 過去の地震のデータ * {{Cite book|和書 | editor=震災予防調査会|editor-link=震災予防調査会 | year = 1904 | title = 大日本地震史料 | publisher = 丸善 }} - 日本における幕末までの地震史料の集大成。416年から1865年までの約2,000の地震を集めている。後に『付録大日本地震資料目録』も刊行された。 * {{Cite book|和書 | author= 宇佐美龍夫|authorlink=宇佐美龍夫 | year = 1996 | title = 新編日本被害地震総覧 : 416-1995 | edition = 増補改訂版 | publisher = [[東京大学出版会]] | id = ISBN 4-13-060712-X }} * {{Cite book|和書 | author= 宇津徳治|authorlink=宇津徳治 | year = 2001 | title = 地震学 | edition = 第3版 | publisher = [[共立出版]] | id = ISBN 978-4-320-04637-5 |ref=Utsu (2001) }} <!-- * {{Cite book|和書 | author= 宇佐美龍夫|authorlink=宇佐美龍夫 | year = 2003 | title = 日本被害地震総覧 : 「416」-2001 | edition = 最新版 | publisher = [[東京大学出版会]] | id = ISBN 4-13-060742-1 }} --> * {{Cite book|和書 | author = 震災予防協会 - 理事長 那須信司編 | year = 1977 | title = 大地震の前兆に関する資料 —[[今村明恒]]博士遺稿— | publisher = [[古今書院]] | id = }} - 地震周期説を唱え、関東大震災と昭和21年南海大地震を明確に予言した[[今村明恒]][[東京帝国大学]]地震学教室教授の遺稿。東海地震などの連動についても明確に論考している古典。地震と火山の関係についても論考している。 * {{Cite book|和書 | editor=日本地震学会地震予知検討委員会|editor-link=日本地震学会 | year = 2007 | title = 地震予知の科学 | publisher = 東京大学出版会 | id = ISBN 978-4-13-063706-0 |ref=SSJ (2007) }} * {{Cite book|和書 | editor=金森博雄|editor-link=金森博雄 | year = 2007 | title = 地震の物理(岩波地球科学選書) | publisher = [[岩波書店]] | id = ISBN 978-4000078320 |ref=Kanamori(1991) }} * {{Cite web |url=http://www.seismo.ethz.ch/gshap/ict/india.html |title=A Probabilistic Seismic Hazard Map of India and Adjoining Regions |author=S C Bhatia, M Ravi Kumar and H K Gupta |publisher=Global Seismic Hazard Assessment Program |accessdate=2006-08-14 }} * {{Cite web|和書 |author=[[鈴木善次]] |url=http://www.shinko-keirin.co.jp/kori/science/ayumi/ayumi20.html |title=第20回 地震とは何か |work=科学の歩みところどころ |publisher=[[新興出版社啓林館]] |accessdate=2008-05-02 }} * {{Anchors|neg99}}地学団体研究会新版地学事典編集委員会 編『新版 地学事典』、平凡社、1999年 ISBN 4582115063 * {{Anchors|okada07}}岡田義光 編『自然災害の事典』、朝倉書店、2007年 ISBN 9784254160444 * {{Anchors|utsu01}}宇津徳治ほか 編『地震の事典』第2版、朝倉書店、2001年 ISBN 4254160399 * {{Anchors|nied01}}岡田義光『[http://www.hinet.bosai.go.jp/about_earthquake/1stpage.htm 地震の基礎知識とその観測]』防災科学技術研究所、2001年6月(2013年5月最終改訂) * {{Anchors|nied00}}木下繁夫・大竹政和 監修『[http://www.kyoshin.bosai.go.jp/kyoshin/gk/publication/ 強震動の基礎 ウェブテキスト2000版]』防災科学技術研究所 * {{Anchors|jishinqa08}}地震調査研究推進本部『[https://www.jishin.go.jp/main/pamphlet/wakaru_qa/ 地震が分かる!Q&A]』、2008年12月 * {{Anchors|jishinjac09}}地震調査研究推進本部『[https://www.jishin.go.jp/resource/seismicity_japan/ 日本の地震活動]』第2版、2009年3月 == 関連項目 == * 場所による違い:[[海震]]、[[月震]]、[[日震]] * [[人工地震]]: [[核実験]] * [[活断層]] * [[地震酔い]] * [[構造計算書偽造問題]] ;[[防災]]・[[減災]]・研究 * [[耐震]] - [[免震]] * [[緊急地震速報]] * [[E-ディフェンス]] - 世界最大の震動破壊実験施設 * [[地震の年表]]([[地震の年表 (日本)]]) * [[防災の日]] * [[防災訓練]]、[[避難訓練]] * [[宏観異常現象]] ;関連組織 * [[海洋研究開発機構]] * [[日本地震学会]] * [[日本自然災害学会]] == 外部リンク == {{外部リンクの注意}} {{sisterlinks|commons=Earthquake|commonscat=Earthquakes}} '''日本語''' * [https://www.jma.go.jp/jma/ 気象庁] ** [https://www.jma.go.jp/bosai/map.html#contents=earthquake_map 気象庁 防災気象情報 地震情報] - 地震・津波に関する速報 ** [https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/ 気象庁 気象統計情報 地震の活動状況] - 地震・津波に関する統計資料 ** [https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/jishin/about_eq.html 気象庁 地震発生のしくみ] - 地震や津波の仕組み、気象庁の地震情報の解説 * [https://www.jishin.go.jp/ 地震調査研究推進本部] - 地震活動の政府側評価、地震危険度地図 * [https://www.gsi.go.jp/ 国土地理院] ** [https://www.gsi.go.jp/kohokocho/kakosai202001.html#jisin1 地震に関する国土地理院の対応] ** [https://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/ 地震予知連絡会] - 地震活動の学会側評価 * [https://www.j-shis.bosai.go.jp/ 防災科学技術研究所 地震ハザードステーション(J-SHIS)] - 地震危険度地図 * [http://www.seis.bosai.go.jp/ 防災科学技術研究所 防災地震Web] - 地震観測網 <!-- * [http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/ 産業技術総合研究所 活断層・地震研究センター]{{リンク切れ|date=2020年5月}} --> * [https://unit.aist.go.jp/ievg/ 産業技術総合研究所 活断層・火山研究部門] * [https://gbank.gsj.jp/activefault/ 産業技術総合研究所 活断層データベース] - 日本の主な活断層のデータ * [https://www.zisin.jp/ 日本地震学会] * [http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/index-j.html 東京大学地震研究所] ** [https://wwweic.eri.u-tokyo.ac.jp/index-ja.html 東京大学地震研究所 地震火山情報センター] ** [http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/ 東京大学地震研究所 広報アウトリーチ室] * [http://www.adep.or.jp/ 地震予知総合研究振興会] * [http://weathernews.jp/quake/ ウェザーニュース 直近7日間の地震情報] * [https://iisee.kenken.go.jp/utsu/ 国際地震工学センター 世界の被害地震の表(古代から2010年まで)] - 宇津カタログ * [https://www.bousai.go.jp/ 内閣府 防災情報のページ] * [https://www.bousai.go.jp/kaigirep/chuobou/ 中央防災会議] * {{Kotobank}} '''英語''' * [https://earthquake.usgs.gov/ アメリカ地質調査所 (USGS) 地震] ** [https://earthquake.usgs.gov/earthquakes/map/#%7B%22autoUpdate%22%3A%5B%22autoUpdate%22%5D%2C%22basemap%22%3A%22grayscale%22%2C%22feed%22%3A%2230day_sig%22%2C%22listFormat%22%3A%22default%22%2C%22mapposition%22%3A%5B%5B-77.69287033641926%2C-286.17187499999994%5D%2C%5B83.15311098437887%2C-59.765625%5D%5D%2C%22overlays%22%3A%5B%22plates%22%5D%2C%22restrictListToMap%22%3A%5B%22restrictListToMap%22%5D%2C%22search%22%3Anull%2C%22sort%22%3A%22newest%22%2C%22timezone%22%3A%22utc%22%2C%22viewModes%22%3A%5B%22map%22%2C%22list%22%2C%22settings%22%5D%2C%22event%22%3Anull%7D USGS Latest Earthquakes in the World] - 過去7日間の世界の地震 *** [https://earthquake.usgs.gov/earthquakes/map/#%7B%22autoUpdate%22%3A%5B%22autoUpdate%22%5D%2C%22basemap%22%3A%22grayscale%22%2C%22feed%22%3A%2230day_sig%22%2C%22listFormat%22%3A%22default%22%2C%22mapposition%22%3A%5B%5B-89.26093436848704%2C-399.37499999999994%5D%2C%5B89.26093436848706%2C278.43749999999994%5D%5D%2C%22overlays%22%3A%5B%22plates%22%5D%2C%22restrictListToMap%22%3A%5B%22restrictListToMap%22%5D%2C%22search%22%3Anull%2C%22sort%22%3A%22newest%22%2C%22timezone%22%3A%22utc%22%2C%22viewModes%22%3A%5B%22map%22%2C%22settings%22%5D%2C%22event%22%3A%22us70005lfd%22%7D Latest Earthquakes M5.0+ in the World] - M5.0以上の地震 ** [https://web.archive.org/web/20070428200232/http://earthquake.usgs.gov/regional/world/historical.php USGS Historical Worldwide Earthquakes] - 世界の過去の主要な地震の表 *** [https://web.archive.org/web/20110408211609/http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/world/historical_mag_big.php Sorted by Magnitude, Magnitude 6.0 and Greater] - M6.0以上の地震 * [https://www.iris.edu/hq/ 地震学研究機関連合 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キュー
キュー
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キュー
{{WikipediaPage||プロジェクト:カテゴリ関連/キュー}} '''キュー'''<!--以下はABC順--> {{wikt|en:cue|en:Kew|Q|que|queue}} == cue == * 出来事の始まりや取るべき行動を喚起する合図、信号。英語で「手がかり」「合図」を意味する(元はラテン語のquando(何時?)のq)。 ** 演者、演奏者など実行者に対して合図を出すこと。キューを出す。テレビなどの撮影現場での指示、音楽の指揮者が演奏者への指示などに使われる。テレビスタジオではこのキューと間違えられるので、開始のカウントダウンは「10秒前です!」と2秒間かけて声掛けし、以後「8、7、6……」と続け、3秒前からはマイクがオンラインになるので手の合図だけに変える。 ** [[楽譜]]で、[[音符|休符]]の後の[[演奏]]の開始のきっかけがわかるようにするために楽譜上に書かれた小[[音符]]のこと。また、[[合奏]]で[[声部|パート]]に欠けのあるときに代わりに演奏するため書かれた、小音符のこと。 * [[CUE!]] - [[リベル・エンタテインメント]]が2019年10月25日に提供を開始したスマートフォン向け声優育成ゲーム及びその派生作品。 * [[キュー (ビリヤード)]] - [[ビリヤード]]で手玉を撞く棒。正式名称は「キュー・スティック」 * [[CREATIVE OFFICE CUE]](株式会社クリエイティブオフィスキュー) - 日本の芸能事務所。 * [[キュー (YMOの曲)]] - [[日本]]の[[音楽グループ]]である[[イエロー・マジック・オーケストラ]]の4枚目のシングル。 * [[CUEZERO]]の旧名。 * [[CUE (9nineのアルバム)]] - [[9nine]]の4thアルバム。 * [[CUE (高野寛のアルバム)]] - [[高野寛]]のアルバム。 * [[キュー (雑誌)]] - 1932年から1980年までニューヨークで刊行されていた週刊誌。 * [[CUE (ロボット)]] - [[トヨタ自動車]]が開発したAIバスケットボールロボット。([https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/27434869.html AIバスケットボールロボットCUE(キュー)開発記]) * [[COMIC CUE]] - 日本の漫画雑誌。 == kew == * [[キュー (ロンドン)]] - [[ロンドン]]の地区。[[キューガーデン]]の所在地。 * [[キュー (ビクトリア州)]] - [[オーストラリア]] [[ビクトリア州]][[メルボルン]]近郊の地名 * [[キュー (ニューサウスウェールズ州)]] - オーストラリア [[ニューサウスウェールズ州]] [[ポートマッコーリー・ヘイスティングス・シャー]]の町。 == Q == * [[Q]] - [[ラテン文字]]。 {{Main2|その他の用法|Q (曖昧さ回避)}} == Que == * [[CLUB Que]] - [[下北沢]]の[[ライブハウス]]。 == queue == * 何かを待つために人々が一筋の集団を作った状態。→[[列]]、[[行列 (曖昧さ回避)]] * (計算工学)'''待ち行列'''。上記の概念の転用で、データやジョブが並んでいる状態で、先に入ったものが先に出るしくみのもののこと。→ [[キュー (コンピュータ)]]、[[待ち行列理論]] {{Aimai}} {{デフォルトソート:きゆう}} [[Category:同名の作品]] [[Category:同名の地名]]
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Forth
Forth(フォース)は、スタック指向のプログラミング言語およびそのプログラミング環境である。Forth はしばしば、かつての習慣に従ってすべて大文字で綴られることもあるが、頭字語ではない。 Forth はスタック指向であり、逆ポーランド記法(RPN)と同様の後置記法による記述が一番の特徴である。その他の特徴としては、手続き型・命令型であり、言語としては全ての値は型としての区別なく扱われること(型システムが無いこと)、制御構造などもプログラム可能であること(リフレクション)といったものがある。 典型的な Forth の実装には、LISP におけるRead–eval–print loop(REPL)に対応する、入力されたワードを即座に実行する対話型のインタプリタモードと(これは、正規のオペレーティングシステムがないシステム向けのシェルにも適している)、後の実行のために一連のワードをコンパイルするモードのふたつのモードがある。後者にはコロン(:)というワードにより遷移しセミコロン(;)というワードで脱する。 初期の実装や移植性を目的とした実装にはスレッデッドコードを生成するものもあるが、近年の実装では他の言語のコンパイラのように最適化された目的コードを生成するものもある。 他の言語のシステムほどは人気はないが、商用においても Forth はいくつもの言語のベンダを引き止めるだけの十分なサポートを持っている。Forth は現在 Open Firmware のようなブートローダや宇宙開発、組込みシステム、ロボット制御などに使われている。GNUプロジェクトによる実装であるGforthは活発にメンテナンスされている。 Forth の環境はコンパイラと対話形式のシェルが一体化している。実行時環境ともなる仮想マシンの中で、ユーザは「ワード」(words) と呼ばれるサブルーチンを対話的に定義し実行する。ソースコードとしてテスト、再定義、デバッグされることができるワードは、プログラム全体を再コンパイルしたり再起動することなく組み込まれる。変数、基本的な演算子など、すべての構文要素はプロシージャのように見える。たとえ特定のワードが最適化されても、サブルーチンの呼び出しを必要とするといけないので、これもまた依然としてサブルーチンとして有効である。言い換えれば、シェルは対話的に入力されたコマンドをそれが実行される前にマシンコードにコンパイルする(この振る舞いは一般的だが、必須ではない)。どのように結果のプログラムが格納されるかはForth 環境によってさまざまだが、理想的には手動でそのコードが再入力されたときとプログラムの実行は同じ影響を持つ。コンパイルされる関数はプログラムオブジェクトの特殊なクラスで対話的コマンドは厳密にインタープレットされる、C言語とUnixシェルの組み合わせとは対照的である。ほとんどのForth のユニークな性質はこの原理の結果である。対話性、スクリプティング、コンパイレーションがあることにより、Forth は BBC Micro や Apple II シリーズのようなリソースが限られたコンピュータでよく使われ、ファームウェアや小さなマイクロコントローラなどのアプリケーションで生き残っている。Cコンパイラがよりコンパクトで効率的なコードを生成しようとしている今まさにそのときでも、Forth の対話性における優位は保たれているのである。 再帰的なサブルーチンを持つすべてのプログラミング環境は制御フローのためにスタック (stack) を実装している。この構造は典型的にはローカル変数やサブルーチンの引数も格納する(C言語のようなシステムにおける call-by-value)。Forth にはしばしばローカル変数がないこともあるが、call-by-value でもない。代わりに、中間的な値は第二のスタックにおいて保持される。ワードはスタックの最も上にある値を直接操作する。それゆえ、これは「パラメータ」または「データ」スタックと呼ばれたりもするが、ほとんどの場合は単に「スタック」である。それから、関数呼び出しスタックは「リンケージ」(lincage) もしくは「リターン」(return) スタックと呼ばれ、rstack とも略される。カーネルから提供された特殊な rstack 操作関数はそれがワード内で一時的なストレージとして使われることを可能にするが、その一方でこれは引数や操作データを渡すことに使うことはできない。Forthはスタックの概念をうまく利用しており、演算は逆ポーランド記法により記述される。このため構文解析が極めて単純となり、プログラムおよび処理系が小さくて済む。これは、機器組み込み用プログラムでは有利な特徴である。 また、ルーチンは「ワード」単位で記述され、コンパイルされる。これらの「ワード」を集積して「ディクショナリ」を形成する。一般的なFORTH処理系におけるプログラミングは、インタプリタ上でのワード作成の積み重ねであり、対話的に行える。開発中でも部分的な処理を動かしてのテストがやりやすく、それらを適宜組み合わせてのテストも容易である。 ほとんどのワードはスタック上でのその効果の観点から定義される。典型的には、引数はワードが実行される前にスタックの一番上に置かれる。実行後は引数は消去され、何らかの返り値で置き換えられている。数学的な操作をするためには、これを逆ポーランド記法のルールに従う。スタックの使用法を図解した以下の例を参照すること。 Forth は単純だが拡張性のある言語である。そのモジュール性と拡張性はCADシステムのような高度なプログラミングをも可能にする。しかしながら、拡張性は未熟なプログラマがわかりにくいコードを書くのも促すため、このことは Forth に「記述専用言語」との評判ももたらしている。大規模で複雑なプロジェクトでも成功裏に使われてきていて、有能でよく訓練されたプロフェッショナルによって開発されたアプリケーションが、何十年にもわたって発展していくハードウェアプラットフォーム上でも容易に保守されることを証明している。Forth は天文学分野や宇宙開発分野という得意分野も持っている。 その移植性、効率的なメモリ使用、短い開発期間および高速な実行スピードのため、Forth は今日でもいまだ多くの組み込みシステム(小さなコンピュータ化されたデバイス)で使われている。これは近代的なRISCプロセッサ上で効率的に実装されてきており、マシン語としてのForthの利用も生み出されてきている。他の Forth の用途としてはApple、IBM、サン・マイクロシステムズ、OLPC XO-1に使われるOpen Firmware ブートロムが含まれる。また、FreeBSDオペレーティングシステムのFICL-based first stage boot controllerもある。 Forth はチャールズ・ムーアの1958年から絶え間なく開発されていた個人的なプログラミングシステムから考案された。1968年、家具と絨毯を扱う企業に雇われた際、このソフトウェアをミニコン上でFORTRANを使って書き直したものがForthの原型である、という。Forth が他のプログラマに最初に公開されたのは1970年代で、アメリカ国立電波天文台(NRAO)にいたアメリカの Elizabeth Rather(英語版) によって始められたものである。1971年にNRAOの制御用ソフト作成において、ムーアはForthを完成させた。このNRAOにいた彼らの仕事のあと、チャールズ・ムーアとElizabeth Ratherは FORTH, Inc. を1973年に設立し、その後の 10 年でさらに磨きをかけるとともにいくつものプラットフォームに Forth システムを移植した。 1968年の"[t]he file holding the interpreter was labeled FOURTH, for 4th (next) generation software — but the IBM 1130 operating system restricted file names to 5 characters."において Forth は命名された。ムーアは compile-link-go 第三世代プログラミング言語の後継、または「第四世代」ハードウェアのためのソフトウェアとして Forth を見ており、用語として使われるようになっていた第四世代プログラミング言語 (4GL) ではなかった。ムーアは、アセンブラ・FORTRAN・BASICに続く4番目の言語という意味で、このソフトウェアに「fourth」と名付けるつもりだったが、このミニコンで取り扱えるファイル名は最大5文字であったため「FORTH」という名になったという。 チャールズ・ムーアはたびたび仕事を渡り歩いていたため、初期の言語開発の困難は異なるコンピュータアーキテクチャへの移植の容易さであった。Forth システムはしばしば新しいハードウェアを育てるために使われていた。たとえば、Forthは1978年の新しい Intel 8086 チップ上の最初の常駐ソフトウェアで、MacFORTHは1984年の最初のAppleMacintoshの最初の常駐開発システムであった。 Forth, Inc の microFORTH は1976年に始まったIntel 8080, Motorola 6800, Zilog Z80 マイクロプロセッサ向けに開発された。MicroFORTH は 後に 1978年の 6502 のような他のアーキテクチャ向けの Forth システムを生成するのにホビーストたちにも使われた。広い普及は最終的に言語の標準化を誘導することとなった。共通の慣習は事実上の標準である FORTH-79 および FORTH-83 にそれぞれ1979年、1983年に成文化された。これらの標準は1994年に ANSIによって統合され、通常これは ANS Forth(ANSI INCITS 215-1994 (R2001)、ISO/IEC 15145:1997(E)のベースとなった)と呼ぶ。 Forth は1980年代にはとてもよく使われるようになったが、これは小さくかつ移植性が高いとして当時の小さなマイクロコンピュータにとてもよく適していたからである。すくなくともひとつのホームコンピュータ、英国のJupiter ACEは そのROM常駐オペレーティングシステムに Forth を持っていた。キヤノン・キャットもまた そのシステムプログラミングのために Forth を使っていた。さらに Rockwell も常駐 Forth カーネルを持つ R65F11 と R65F12 のシングルチップマイクロコンピュータを製造していた。 Forthの後置記法は、データスタック(オペランドスタック、以下単にスタックと呼ぶ)を意識的に操作しなければならないというForthの特徴と密接に結びついている。すなわち、オペランドはそのままスタックに積まれ、後から現れる演算子などはスタックからそれを取り出して演算し、結果をスタックに積む、といったように動作する。多くの言語と違い、バッカス・ナウア記法で構文が定義されているわけでもなく、伝統的にはコンパイラは、スレッデッドコードと呼ばれるシンプルな構造の目的コードを直接生成するだけである。また、文法の修正のような、多くの言語では実装の内部に手を入れる変更が必要なことが、Forthではそのようなワードを定義することで可能である(これは、Lispのマクロに少し似ている)。なお、データスタックの他にリターンスタックがあり、そちらはワードの呼出しの後で手続きを再開するアドレス等が積まれるスタックである(CPUのいわゆるスタックに似ている)。 たとえば、25 * 10 + 50 は、次のように入力して計算する(「⏎」は、改行の入力。「ok」はForth処理系が結果の出力の後に付けるプロンプト)。 まず最初に数値 25 と 10 がこの順でスタックに積まれる。 ワード * がスタックの一番上にあるふたつの数を乗算し、その積に置き換える。 それから数値 50 をスタックに積む。 ワード + がこれに先ほどの積を加算する。最後に、. コマンドがスタックのトップを取り出して、それを、ユーザの端末に結果として出力する。 これは、スタックに4を積み、さらに5を積み、スタック上の2つの値を取り出して加算、その結果をスタックに戻し、スタックの値を表示する操作を示している。 上記のように入力してエンター(⏎:リターン)を打鍵すると、画面上には下記のように結果が表示される。 Forth の構造化機能でさえもスタックベースである。たとえば、 このコードは 次のコマンドを使うことによって FLOOR5 が呼ばれる新しいワード(繰り返すが、「ワード」という単語はサブルーチンとして使われている)を定義する。DUPはスタックの数値を複製する。6がスタックの一番上に 6 を配置する。ワード < はスタックの一番上の二つの数(6 と DUP で複製された入力の値)を比較し、真偽値で置き換える。IFは真偽値をとり、その直後のコマンドを実行するか、ELSEまでスキップするかを選択する。DROPはスタックの上の値を放棄する。そして、THENは条件分岐の終端である。括弧に囲まれたテキストは、このワードが期待するスタックの数と値を返すかどうかを説明するコメントである。ワード FLOOR5 はC言語で書かれた次の関数に相当する。 この関数はより簡潔につぎのように書かれる。 このワードは次のように実行できる。 最初にインタプリタは数値 1(もしくは 8)をスタックにプッシュし、それからこの数値を再びポップし結果をプッシュする FLOOR5 を呼び出す。最後に、「.」の呼び出しは値をポップし、ユーザの端末にそれを表示する。 Forth の構文解析は明確な文法がないので単純である。インタプリタはユーザ入力デバイスから入力された行を読み、それから区切り文字としての空白を使って単語に構文解析される。他の空白文字を認識するシステムもある。インタプリタがワードを見つけると、ディクショナリ (dictionary) からそのワードの検索を試みる。もしそのワードが見つかれば、インタプリタはワードに関連付けられたコードを実行し、それから入力システムの残りを構文解析するために復帰する。もしワードを発見することができないなら、ワードを数だと仮定して数値への変換を試み、それをスタックにプッシュする。これが成功すれば、インタプリタは入力システムからの構文解析を継続する。辞書の参照と数値への変換の両方が失敗した場合、インタプリタはそのワードが認識できないというエラーメッセージに続けてそのワードを表示し、入力ストリームをフラッシュし、ユーザからの新しい入力を待機する。 新規ワードの定義は、ワード:(コロン)から始まり、;(セミコロン)で終了する。たとえば、 のコードはワード X をコンパイルし、辞書にこの名前が発見できるようにする。コンパイルと言っても、文頭にコロン、その後にワードの名称を置き、そこから一連の式を並べておいて、文末にセミコロンを付加するだけでよい。10 X をコンソールに入力して実行すると、11 10 が表示されるようになるだろう。 例えば、前述の式をfooという語(ワード)としてコンパイルするには、以下の通り記述する。記述法はコロン記号で始まりセミコロン記号で終わるので、「コロン定義」と呼ばれる。 コンパイルすることにより、FORTHの辞書(ディクショナリ)に、この語(ワード)が登録されることになる(この場合はfooが登録される)。 実のところ、FORTHでは「+」や「.」などの演算子や出力機能などの全てがワードである。こういった組み込み済みのワードと、ユーザが後からコロン定義(コンパイラ)で追加したワードと、2つの間に本質的な差異はない。コンパイルしたワードはただちに環境に組み込まれ、インタプリタより単独で実行できるようになる。つまり、そのFORTH処理系を拡張するのである。このような点より、FORTHは自己拡張性が高いと云われる。 プログラムの開発においては、処理毎に区切ってワードとして順次構築していくので、注意深く進めていけば自然ときれいに構造化されることになる。ワードは単独で実行できるため、部分に分けてのデバッグも容易である。また、それらのワードを使ってテスト用の処理(ワード)を気軽に作成して実行・テストできる。 多くの Forth システムは実行可能なワードを生成する特殊化されたアセンブリ言語を含む。このアセンブラはコンパイラの特殊な方言である。Forth アセンブラはしばしば命令の前に引数がくる逆ポーランド記法を使う。Forth アセンブラの普通の設計では命令をスタック上に構築し、それからこれを最後の段階でメモリにコピーする。Forth システムでは、番号(0..n, 実際のオペレーションコードとして使われる)付けされるかその目的に応じて名づけられた、製作者によって使われる名前でレジスタは参照されることもある。たとえば、スタックポインタとして使われるレジスタは「S」など。 古典的な Forth システムでは伝統的にオペレーティングシステムもファイルシステムも使われない。コードはファイルに格納される代わりに、ソースコードは物理的なディスクアドレスに書かれたディスクブロックに格納される。ワード BLOCK はディスクスペースの1キロバイトサイズのブロックの数値からデータを格納しているバッファのアドレスへの変換に割り当てられ、Forth システムによって自動的に管理される。固定されたディスクブロック範囲にファイルが配置されるときには、システムのディスクアクセスが使われる実装もある。たいていはこれらはディスクブロックごとのレコードの整数をつかって、固定長バイナリレコードして実装される。高速な検索はキーデータ上のハッシュアクセスによって実現される。 ふつうは cooperative なラウンドロビンスケジューリングであるマルチタスクは、通常利用可能である(ただし、マルチタスキング・ワードとサポートは ANSI Forth 規格ではカバーされていない)。ワード PAUSE は、次のタスクの配置や実行コンテキストのリストアための 現在のタスクの実行コンテキストの保存に使われる。どちらのタスクも自分自身のスタックやいくつかのコントロール変数のコピー、スクラッチエリアを持っている。タスクのスワップは単純で、効率的である。その結果、Forth マルチタスクは Intel 8051, Atmel AVR, and TI MSP430のような非常に単純なマイクロコントローラでさえ有効である。 その一方で、Microsoft WindowsやLinux、Unixのようなホストオペレーティングシステムのもとで実行され、ソースやデータのファイルのためにホストオペレーティングシステムのファイルシステムを利用する Forth システムもある。ANSI Forth 規格では I/O のために使われたワードについて書かれている。他の標準的でない機能はホスト OS やウィンドウシステムへのシステムコールを発行するためのメカニズムも含み、多くはオペレーティングシステムから提供されるスケジューリングを採用する拡張を提供する。典型的には、タスク作成、一時停止、解体、および優先順位の変更のために、スタンドアロンのForthの PAUSEワードとは大きくて異なったワードのセットを持っている。 すべてのソースコードとともに十分な機能を有する Forth システムは自身をコンパイルすることができ、Forth プログラマはこのようなテクニックを普通メタ・コンピレーション (meta-compilation) と呼ぶ(ただし、この用語は普通の定義であるメタコンピレーションとは厳密には一致しない)。通常の方法はコンパイルされたビットをメモリに配置する一握りのワードの再定義である。コンパイラのワードはメモリ内のバッファエリアにリダイレクトされることができるフェッチとストアの、特別に命名されたバージョンを使う。このバッファエリアはコードバッファというより異なるアドレスから始まるメモリ領域へのシミュレートやアクセスをする。このコンパイラは対象のコンピュータのメモリとホストの(コンパイルする)コンピュータのメモリの両方にアクセスするワードを定義する。 フェッチやストア操作がコード空間に再定義されたあと、コンパイラやアセンブラなどはフェッチやストアの新たな定義を使って再コンパイルされる。これはコンパイラとインタプリタのすべてのコードの効果的な再利用である。それから、Forth システムのコードはコンパイルされるが、このバージョンはバッファに格納される。このメモリ内のバッファはディスクに書きこまれ、これをテストのために一時的にメモリにロードする方法が提供される。新たなバージョンがきちんと機能するようなら、これは以前のバージョンに上書きされる。 異なる環境のためのバリエーションが多数存在する。組み込みシステム向けには、代わりに他のコンピュータのためにコードが書かれることになるが、このテクニックはクロスコンピレーションとして知られ、シリアルポートや単独の TTL ビット越しでさえ、その上オリジナルのコンパイルするコンピュータのワード名やディクショナリの他の実行されない部分も維持する。このようなForthコンパイラのための最小の定義は バイト単位のフェッチやストアをするワードと、実行される Forth ワード を命令するワードである。しばしばもっとも多くの時間のかかるリモートのポートへの書き込みの部分は、フェッチやストア、実行を実装するための初期化プログラムの構築であるが、多くの現代的なマイクロプロセッサ(Motorola CPU32など)は、このタスクを排除する統合されたデバッグ機能を持っている。 Forthの基本的なデータ構造は、「ワード」を実行可能なコードや名前のつけられたデータ構造を対応させる「ディクショナリ」である。このディクショナリは、門番(通常は NULL ポインタ)が発見されるまで最も新しく定義されたワードから最も古いワードまで進むリンクを用いた連結リストのツリーとして、メモリに展開される。コンテキストスイッチは異なる葉で開始するためにリスト検索を引き起こす。首位のメインの幹への枝のマージは最終的にルートの門番へ戻ってくるので、連結リスト検索は継続する。そこはさまざまなディクショナリになることができる。メタコンピレーションのような稀なケースでは、ディクショナリは隔離されスタンドアロンである。この効果は名前空間のネストのそれに似ていて、コンテキストに依存するキーワードのオーバーロードが可能である。 定義されたワードは一般的にヘッドとボディからなり、ヘッドは名前フィールド (NF) とリンクフィールド (LF) からなり、ボディはコードフィールド (CF) とパラメータフィールド (PF) からなる。 ディクショナリのエントリのヘッドとボディは、隣接していないかもしれないので別々に扱われる。たとえば、Forth プログラムが新しいプラットフォームのために再コンパイルされたとき、ヘッドはコンパイルするコンピュータに残るかもしれないが、ボディは新しいプラットフォームに行ってしまっている。組み込みシステムのようないくつかの環境によっては、ヘッドは不必要にメモリを占有する。しかしながら、もしターゲット自身が対話的なForthをサポートすることを期待されるなら、クロスコンパイラによってはヘッドをターゲット内に配置するかもしれない。 ディクショナリの厳密なフォーマットは規定されず、実装に依存する。しかしながら、いくつかのコンポーネントはほとんどいつも提示しており、しかし、厳密なサイズと順序は変わるかもしれない。記述された構造、ディクショナリエントリはこのように見えるかもしれない。 この名前フィールドはワードの名前の長さ(典型的には32バイト)を与えるプリフィックスで開始し、何ビットかはフラグ用である。それからワードの名前の文字表現がプリフィックスのあとに続く。特定のForth実装に依存するが、アラインメントのためひとつ以上の NUL ('\0') バイトがあるかもしれない。 リンクフィールドは以前に定義されたワードへのポインタを含む。このポインタは次に古い隣接するワードへの、相対的な変位かもしれないし、絶対的なアドレスかもしれない。 このコードフィールドポインタは コードを実行するワードのアドレスか、パラメータフィールド内のデータか、プロセッサ直接実行するであろうマシンコードの開始のいずれかになるだろう。ワードを定義するコロンでは、コードフィールドポインタはリターンスタック上の現在の Forth 命令ポインタ (instruction pointer, IP) を保存し、ワードを実行継続するための新たなアドレスを用いてIP をロードするワードを指し示す。これはプロセッサの call/return 命令が行っているのと同様である。 コンパイラ自身はモノリシックなプログラムではない。これは システムから可視な Forth ワードとプログラマから利用可能なものとからなっている。このことはプログラマが特殊な目的のためにコンパイラのワードを変更することを可能にする。 名前フィールド内の「コンパイル時」フラグは、「コンパイル時」の振る舞いのワードのセットである。ほとんどの単純なワードは、それがコマンドライン上で入力されたかコードに埋め込まれたかにかかわらず、同じコードが実行される。そのようにコンパイルされるとき、コンパイラはコードかワードへのスレッデッドポインタを単に配置する。 コンパイル時ワードの古典的な例は IF and WHILE といった制御構造である。Forth のすべての制御構造とほとんどすべてのコンパイラはコンパイル時ワードとして実装される。すべての Forth 制御フローワードは、プリミティブなワードBRANCHや?BRANCH(もしfalseなら分岐する)の各種の組み合わせをコンパイルするために、コンパイルの間に実行される。コンパイルの間、データスタックは制御構造のバランシング、ネスティング、ブランチアドレスのバックパッチングをサポートするのに使われる。コード断片 は定義の内側では典型的には次のような一連にコンパイルされる。 BRANCHのあとの数のは相対的なジャンプアドレスを表している。LITは「リテラル」数値をデータスタックにプッシュするためのプリミティブなワードである。 ワード :(コロン)は名前を引数として構文解析し、辞書にヘッダを作り(記述法はコロン記号で始まりセミコロン記号で終わるので、コロン定義, colon definition)、コンパイル状態に突入する。コンパイラは後続のワードをコンパイルしていく。このときワードが後述する即時ワードである場合は実行し、そうでない場合は実行時に呼び出されるようにコンパイルする。 ワード;(セミコロン)は現在の定義を終了し、実行状態へと復帰する。 システムの状態はワード [(左大括弧)及び ](右大括弧)を用いて手動で変更させることができ、それぞれ実行状態とコンパイル状態に突入する。ANS Forthでは、現在のインタプリタの状態はフラグ STATEから読み取ることができ、コンピレーションステート状態 true、そうでなければ false の値がこいる。をこのインタプリタの現在の状態による振る舞いコンパイル時ステートスマートワード (state-smart words) の実装を可能にする。 ワードIMMEDIATEは、直近のコロン定義を、即時ワードにする。即時ワードは通常はコンパイル後ではなくコンピレーションの間に実行されるが、どちらのステートにおいてもプログラマにオーバーライドされることができる。; は即時ワードの一例である。ANS Forth では、ワードがイミディエイトとしてマークされていても、ワード POSTPONE は名前を引つけられたワードのコンピを強制的にコンパイルする。 ANS Forth では、ワード :NONAME を用いて、次の;(セミコロン)までの後続のワードをコンパイルし、実行トークン (execution token) をデータスタック上に残す、無名のワードが定義できる。 ワード EXECUTE はデータスタックから実行トークンを取り出し、関連づけられたセマンティクスを実行することができる。またワード COMPILE,(COMPILE コンマ)は、データスタックから実行トークンを取り出し、コンパイルする。 ワード ' (tick) は、ワード名を引数としてとりデータスタック上のワードに関連づけられた実行トークンを返す。 ワード : (colon)、POSTPONE、' (tick)と :NONAME は、データスタックの代わりにユーザからの入力からそれらの引数をとる構文解析ワード (parsing words) の例である。別の例では、コロン定義において、次の右括弧を含む後続のワードを読み込んで無視し、コメントを配置するのに使われる ((左括弧)がある。同様に、ワード \(バックスラッシュ)は現在の行の終端まで続くコメントのために使われる。 ほとんどの Forth システムにおいて、コード定義のボディはマシン語といくつかの形式のスレッデッドコードからなる。非公式の FIG 規格 (Forth Interest Group) に従っているオリジナルの Forth は、TIL (Threaded Interpretive Language) である。これは 間接スレッディング(indirect-threading)とも呼ばれ、直接スレッディング(direct-threading) と サブルーチン・スレッディング(subroutine-threading) も現在はよく使われるようになってきた。最初期のモダンな Forth はサブルーチン・スレッディングを使っており、マクロとしてシンプルなワードを挿入し、より小さく速いコードを生成するために のぞき穴的最適化 や他の最適化戦略を実行した。 ワードが変数や他のデータオブジェクトであるとき、CPはそれを作成した定義ワードに関連付けられたランタイムコードを指している。定義ワードは特徴的な"defining behavior"(ディクショナリエントリの作成に加え、もしかしたらアロケートとデータ領域の初期化をする)を持っており、この定義しているワードによって構築されたワードのクラスのインスタンスの振る舞いの定義もする。たとえは、 Forth は、カスタム定義の振る舞いとインスタンスの振る舞いを指定する、新しいアプリケーション特有の定義ワードをプログラマが定義できる機能もまた提供する。円形バッファ、I/Oポート上で命名されたビット、自動的にインデックス化された配列などの例がある。 これらに定義されたデータオブジェクトと同様のワードはスコープにおいてグローバルである。他の言語でローカル変数から提供された関数は、Forth ではデータスタックから提供される(しかし、Forth も真のローカル変数は持っている)。Forth のプログラミングスタイルは他の言語に比べ、ごく少数の名付けられたデータオブジェクトを使う。典型的にはこのようなデータオブジェクトは、たくさんのワードやタスク(マルチタスクの実装においては)によって使われるデータを格納するのに使われる。 Forth は型システムを持たない。したがって値の操作は全てプログラマの責任で行われる。 Forth で書かれたワードは実行可能な形式にコンパイルされる。古典的実装は、順に実行されるワードのアドレスのリストをコンパイルする。多くの現代的なシステムは実際のマシンコードを生成する(いくつかの外部ワードの呼び出しと、適当な場所に展開された他者のためのコードを含む)。最適化コンパイラをもつシステムもある。一般的な場合、Forth プログラムは実行可能形式としてロードされたとき実行されるコマンド (e.g., RUN) を含めた、Forthプログラムのコンパイル済みコードのメモリイメージとして保存されている。 開発中、プログラマは小さなコード片を開発したときに実行およびテストするためにインタプリタを使う。そのため、ほとんどの Forth プログラマは緩やかなトップダウン設計と、単体テストと統合の繰り返しによるボトムアップ開発を支持している。 トップダウン設計では、普通まずプログラムを「語彙」へのプログラムを分割し、それらを最終的に必要なプログラムを書くための、高レベルなツールセットとして利用する。よく設計された Forth プログラムは自然言語のように読むことができ、単一の目的を達成するために用いられるだけでなく、関連する問題を解くプログラムを書くのに利用することができる。 For an explanation of the tradition of programming "Hello World", see Hello world. 実装の一つとしては、 ワード CR (Carriage Return) は後続の出力を新しい行の上に表示するようにする。構文解析ワード ." (dot-quote) はダブルクオートで区切られた文字列を読み、構文解析された文字列が実行時に表示されるように現在の定義にコードを追加する。文字列 Hello, world! からこの空白文字で区切っているワード ." は、文字列には含まれていない。これは構文解析器が ." を Forth ワードとして認識するために必要である。 標準的な Forth システムはインタプリタでもあり、同じ出力は次のコード片を Forth コンソールに入力することで得ることができる。 .( (dot-paren) は括弧で囲まれた文字列を構文解析し、これを表示するイミディエイトワードである。."と同様に、Hello, world! から空白文字で区切られた.( は文字列の一部ではない。 ワード CR は表示する文字列の前にくる。慣例的に、Forth インタプリタは新規行に出力を開始しない。また、慣例により、インタプリタは直前の行の終端、okプロンプトの後で入力を待つ。他のプログラミング言語で時々そうであるような、Forth の CR にはバッファをフラッシュする暗黙の動作はない。 ここに 実行されると単一の文字 Q を発行するワード EMIT-Q の定義がある。 この定義は Q のASCII値 (81) を直接を使うことで書かれている。括弧の間の文字列はコメントで、コンパイラに無視される。ワード EMIT はデータスタックから値をとり、対応する文字を表示する。 次の EMIT-Q の再定義は、ワード[(左大括弧)、](右大括弧), CHAR、LITERAL をインタプリタステートを一時的に切り替えるために使っており、文字 Q のAscii値を計算し、コンピレーションステートを返し、計算した値を現在のコロン定義に追加する。 構文解析ワード CHAR は空白で区切られたワードをパラメータとしてとり、データスタック上のその最初の文字の値を置く。ワード [CHAR] は CHAR のイミディエイトバージョンである。[CHAR]を使って、EMIT-Q の定義例は次のように書くことができる。 この定義はコメントを書くために \(バックスラッシュ)を使っている。 CHAR と [CHAR]の両方は ANS Forth では事前に定義される。IMMEDIATE と POSTPONE と使って、[CHAR] はこのように定義することができる。 1987年、Ron Rivest は RC4 暗号システムを RSA Data Security, Inc. のために開発した。このコードは非常に単純で、説明を読めば大抵のプログラマは書くことができる。 それぞれすべて値の異なった 256 バイトの配列がある(訳注:これが暗号ストリームの状態であり、鍵で適当に初期化する)。 この配列が使われるときはいつも、2つのバイトが交換されることによって変更される。 この交換はカウンタ i および j によって制御され、どちらも最初は 0 である。 新しい i を取得するには 1 を加算する。 新しい j を取得するには、新しい i の位置にある配列のバイトを加算する。 i と j の位置にある配列の値を交換する。 このコード(訳注:後のXORに使う値)は i と j の位置にある配列のバイトの和の位置にある配列のバイトである。 平文を暗号化したり暗号文を復号するためには、このバイトを XOR される。 配列は最初の設定によって 0 から 255 にかけて初期化される(訳注:手順の途中に書いてあるが、これは最初に行う)。 それから i と j を使う、i の位置にある配列のバイトを j に加算による新しい j とキーのバイトの取得、i と j のバイトの交換と手順は進んでいく。 最後に、i と j は 0 にセットされる。 すべての加算は 256 を法とするモジュラ演算である。 以下の標準の Forth バージョンはコアのワードのみを使っている。 これはこのコードを検証する多くのテストのひとつである。 Forth 仮想マシンは実装が単純で規格のリファレンス実装を持たないため、大量の言語実装が存在する。標準的な各種デスクトップコンピュータシステム (POSIX, Microsoft Windows, macOS) をサポートしていることに加え、これらの多くの Forth システムは各種の組み込みシステムもまた対象としている。1994年の ANS Forth 規格に準拠するさらに有名ないくつかのシステムが列挙する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Forth(フォース)は、スタック指向のプログラミング言語およびそのプログラミング環境である。Forth はしばしば、かつての習慣に従ってすべて大文字で綴られることもあるが、頭字語ではない。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "Forth はスタック指向であり、逆ポーランド記法(RPN)と同様の後置記法による記述が一番の特徴である。その他の特徴としては、手続き型・命令型であり、言語としては全ての値は型としての区別なく扱われること(型システムが無いこと)、制御構造などもプログラム可能であること(リフレクション)といったものがある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "典型的な Forth の実装には、LISP におけるRead–eval–print loop(REPL)に対応する、入力されたワードを即座に実行する対話型のインタプリタモードと(これは、正規のオペレーティングシステムがないシステム向けのシェルにも適している)、後の実行のために一連のワードをコンパイルするモードのふたつのモードがある。後者にはコロン(:)というワードにより遷移しセミコロン(;)というワードで脱する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "初期の実装や移植性を目的とした実装にはスレッデッドコードを生成するものもあるが、近年の実装では他の言語のコンパイラのように最適化された目的コードを生成するものもある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "他の言語のシステムほどは人気はないが、商用においても Forth はいくつもの言語のベンダを引き止めるだけの十分なサポートを持っている。Forth は現在 Open Firmware のようなブートローダや宇宙開発、組込みシステム、ロボット制御などに使われている。GNUプロジェクトによる実装であるGforthは活発にメンテナンスされている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "Forth の環境はコンパイラと対話形式のシェルが一体化している。実行時環境ともなる仮想マシンの中で、ユーザは「ワード」(words) と呼ばれるサブルーチンを対話的に定義し実行する。ソースコードとしてテスト、再定義、デバッグされることができるワードは、プログラム全体を再コンパイルしたり再起動することなく組み込まれる。変数、基本的な演算子など、すべての構文要素はプロシージャのように見える。たとえ特定のワードが最適化されても、サブルーチンの呼び出しを必要とするといけないので、これもまた依然としてサブルーチンとして有効である。言い換えれば、シェルは対話的に入力されたコマンドをそれが実行される前にマシンコードにコンパイルする(この振る舞いは一般的だが、必須ではない)。どのように結果のプログラムが格納されるかはForth 環境によってさまざまだが、理想的には手動でそのコードが再入力されたときとプログラムの実行は同じ影響を持つ。コンパイルされる関数はプログラムオブジェクトの特殊なクラスで対話的コマンドは厳密にインタープレットされる、C言語とUnixシェルの組み合わせとは対照的である。ほとんどのForth のユニークな性質はこの原理の結果である。対話性、スクリプティング、コンパイレーションがあることにより、Forth は BBC Micro や Apple II シリーズのようなリソースが限られたコンピュータでよく使われ、ファームウェアや小さなマイクロコントローラなどのアプリケーションで生き残っている。Cコンパイラがよりコンパクトで効率的なコードを生成しようとしている今まさにそのときでも、Forth の対話性における優位は保たれているのである。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "再帰的なサブルーチンを持つすべてのプログラミング環境は制御フローのためにスタック (stack) を実装している。この構造は典型的にはローカル変数やサブルーチンの引数も格納する(C言語のようなシステムにおける call-by-value)。Forth にはしばしばローカル変数がないこともあるが、call-by-value でもない。代わりに、中間的な値は第二のスタックにおいて保持される。ワードはスタックの最も上にある値を直接操作する。それゆえ、これは「パラメータ」または「データ」スタックと呼ばれたりもするが、ほとんどの場合は単に「スタック」である。それから、関数呼び出しスタックは「リンケージ」(lincage) もしくは「リターン」(return) スタックと呼ばれ、rstack とも略される。カーネルから提供された特殊な rstack 操作関数はそれがワード内で一時的なストレージとして使われることを可能にするが、その一方でこれは引数や操作データを渡すことに使うことはできない。Forthはスタックの概念をうまく利用しており、演算は逆ポーランド記法により記述される。このため構文解析が極めて単純となり、プログラムおよび処理系が小さくて済む。これは、機器組み込み用プログラムでは有利な特徴である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "また、ルーチンは「ワード」単位で記述され、コンパイルされる。これらの「ワード」を集積して「ディクショナリ」を形成する。一般的なFORTH処理系におけるプログラミングは、インタプリタ上でのワード作成の積み重ねであり、対話的に行える。開発中でも部分的な処理を動かしてのテストがやりやすく、それらを適宜組み合わせてのテストも容易である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ほとんどのワードはスタック上でのその効果の観点から定義される。典型的には、引数はワードが実行される前にスタックの一番上に置かれる。実行後は引数は消去され、何らかの返り値で置き換えられている。数学的な操作をするためには、これを逆ポーランド記法のルールに従う。スタックの使用法を図解した以下の例を参照すること。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "Forth は単純だが拡張性のある言語である。そのモジュール性と拡張性はCADシステムのような高度なプログラミングをも可能にする。しかしながら、拡張性は未熟なプログラマがわかりにくいコードを書くのも促すため、このことは Forth に「記述専用言語」との評判ももたらしている。大規模で複雑なプロジェクトでも成功裏に使われてきていて、有能でよく訓練されたプロフェッショナルによって開発されたアプリケーションが、何十年にもわたって発展していくハードウェアプラットフォーム上でも容易に保守されることを証明している。Forth は天文学分野や宇宙開発分野という得意分野も持っている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "その移植性、効率的なメモリ使用、短い開発期間および高速な実行スピードのため、Forth は今日でもいまだ多くの組み込みシステム(小さなコンピュータ化されたデバイス)で使われている。これは近代的なRISCプロセッサ上で効率的に実装されてきており、マシン語としてのForthの利用も生み出されてきている。他の Forth の用途としてはApple、IBM、サン・マイクロシステムズ、OLPC XO-1に使われるOpen Firmware ブートロムが含まれる。また、FreeBSDオペレーティングシステムのFICL-based first stage boot controllerもある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "Forth はチャールズ・ムーアの1958年から絶え間なく開発されていた個人的なプログラミングシステムから考案された。1968年、家具と絨毯を扱う企業に雇われた際、このソフトウェアをミニコン上でFORTRANを使って書き直したものがForthの原型である、という。Forth が他のプログラマに最初に公開されたのは1970年代で、アメリカ国立電波天文台(NRAO)にいたアメリカの Elizabeth Rather(英語版) によって始められたものである。1971年にNRAOの制御用ソフト作成において、ムーアはForthを完成させた。このNRAOにいた彼らの仕事のあと、チャールズ・ムーアとElizabeth Ratherは FORTH, Inc. を1973年に設立し、その後の 10 年でさらに磨きをかけるとともにいくつものプラットフォームに Forth システムを移植した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1968年の\"[t]he file holding the interpreter was labeled FOURTH, for 4th (next) generation software — but the IBM 1130 operating system restricted file names to 5 characters.\"において Forth は命名された。ムーアは compile-link-go 第三世代プログラミング言語の後継、または「第四世代」ハードウェアのためのソフトウェアとして Forth を見ており、用語として使われるようになっていた第四世代プログラミング言語 (4GL) ではなかった。ムーアは、アセンブラ・FORTRAN・BASICに続く4番目の言語という意味で、このソフトウェアに「fourth」と名付けるつもりだったが、このミニコンで取り扱えるファイル名は最大5文字であったため「FORTH」という名になったという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "チャールズ・ムーアはたびたび仕事を渡り歩いていたため、初期の言語開発の困難は異なるコンピュータアーキテクチャへの移植の容易さであった。Forth システムはしばしば新しいハードウェアを育てるために使われていた。たとえば、Forthは1978年の新しい Intel 8086 チップ上の最初の常駐ソフトウェアで、MacFORTHは1984年の最初のAppleMacintoshの最初の常駐開発システムであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "Forth, Inc の microFORTH は1976年に始まったIntel 8080, Motorola 6800, Zilog Z80 マイクロプロセッサ向けに開発された。MicroFORTH は 後に 1978年の 6502 のような他のアーキテクチャ向けの Forth システムを生成するのにホビーストたちにも使われた。広い普及は最終的に言語の標準化を誘導することとなった。共通の慣習は事実上の標準である FORTH-79 および FORTH-83 にそれぞれ1979年、1983年に成文化された。これらの標準は1994年に ANSIによって統合され、通常これは ANS Forth(ANSI INCITS 215-1994 (R2001)、ISO/IEC 15145:1997(E)のベースとなった)と呼ぶ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "Forth は1980年代にはとてもよく使われるようになったが、これは小さくかつ移植性が高いとして当時の小さなマイクロコンピュータにとてもよく適していたからである。すくなくともひとつのホームコンピュータ、英国のJupiter ACEは そのROM常駐オペレーティングシステムに Forth を持っていた。キヤノン・キャットもまた そのシステムプログラミングのために Forth を使っていた。さらに Rockwell も常駐 Forth カーネルを持つ R65F11 と R65F12 のシングルチップマイクロコンピュータを製造していた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "Forthの後置記法は、データスタック(オペランドスタック、以下単にスタックと呼ぶ)を意識的に操作しなければならないというForthの特徴と密接に結びついている。すなわち、オペランドはそのままスタックに積まれ、後から現れる演算子などはスタックからそれを取り出して演算し、結果をスタックに積む、といったように動作する。多くの言語と違い、バッカス・ナウア記法で構文が定義されているわけでもなく、伝統的にはコンパイラは、スレッデッドコードと呼ばれるシンプルな構造の目的コードを直接生成するだけである。また、文法の修正のような、多くの言語では実装の内部に手を入れる変更が必要なことが、Forthではそのようなワードを定義することで可能である(これは、Lispのマクロに少し似ている)。なお、データスタックの他にリターンスタックがあり、そちらはワードの呼出しの後で手続きを再開するアドレス等が積まれるスタックである(CPUのいわゆるスタックに似ている)。", "title": "プログラマの観点" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "たとえば、25 * 10 + 50 は、次のように入力して計算する(「⏎」は、改行の入力。「ok」はForth処理系が結果の出力の後に付けるプロンプト)。", "title": "プログラマの観点" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "まず最初に数値 25 と 10 がこの順でスタックに積まれる。", "title": "プログラマの観点" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ワード * がスタックの一番上にあるふたつの数を乗算し、その積に置き換える。", "title": "プログラマの観点" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "それから数値 50 をスタックに積む。", "title": "プログラマの観点" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ワード + がこれに先ほどの積を加算する。最後に、. コマンドがスタックのトップを取り出して、それを、ユーザの端末に結果として出力する。", "title": "プログラマの観点" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "これは、スタックに4を積み、さらに5を積み、スタック上の2つの値を取り出して加算、その結果をスタックに戻し、スタックの値を表示する操作を示している。", "title": "プログラマの観点" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "上記のように入力してエンター(⏎:リターン)を打鍵すると、画面上には下記のように結果が表示される。", "title": "プログラマの観点" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "Forth の構造化機能でさえもスタックベースである。たとえば、", "title": "プログラマの観点" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "このコードは 次のコマンドを使うことによって FLOOR5 が呼ばれる新しいワード(繰り返すが、「ワード」という単語はサブルーチンとして使われている)を定義する。DUPはスタックの数値を複製する。6がスタックの一番上に 6 を配置する。ワード < はスタックの一番上の二つの数(6 と DUP で複製された入力の値)を比較し、真偽値で置き換える。IFは真偽値をとり、その直後のコマンドを実行するか、ELSEまでスキップするかを選択する。DROPはスタックの上の値を放棄する。そして、THENは条件分岐の終端である。括弧に囲まれたテキストは、このワードが期待するスタックの数と値を返すかどうかを説明するコメントである。ワード FLOOR5 はC言語で書かれた次の関数に相当する。", "title": "プログラマの観点" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "この関数はより簡潔につぎのように書かれる。", "title": "プログラマの観点" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "このワードは次のように実行できる。", "title": "プログラマの観点" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "最初にインタプリタは数値 1(もしくは 8)をスタックにプッシュし、それからこの数値を再びポップし結果をプッシュする FLOOR5 を呼び出す。最後に、「.」の呼び出しは値をポップし、ユーザの端末にそれを表示する。", "title": "プログラマの観点" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "Forth の構文解析は明確な文法がないので単純である。インタプリタはユーザ入力デバイスから入力された行を読み、それから区切り文字としての空白を使って単語に構文解析される。他の空白文字を認識するシステムもある。インタプリタがワードを見つけると、ディクショナリ (dictionary) からそのワードの検索を試みる。もしそのワードが見つかれば、インタプリタはワードに関連付けられたコードを実行し、それから入力システムの残りを構文解析するために復帰する。もしワードを発見することができないなら、ワードを数だと仮定して数値への変換を試み、それをスタックにプッシュする。これが成功すれば、インタプリタは入力システムからの構文解析を継続する。辞書の参照と数値への変換の両方が失敗した場合、インタプリタはそのワードが認識できないというエラーメッセージに続けてそのワードを表示し、入力ストリームをフラッシュし、ユーザからの新しい入力を待機する。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "新規ワードの定義は、ワード:(コロン)から始まり、;(セミコロン)で終了する。たとえば、", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "のコードはワード X をコンパイルし、辞書にこの名前が発見できるようにする。コンパイルと言っても、文頭にコロン、その後にワードの名称を置き、そこから一連の式を並べておいて、文末にセミコロンを付加するだけでよい。10 X をコンソールに入力して実行すると、11 10 が表示されるようになるだろう。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "例えば、前述の式をfooという語(ワード)としてコンパイルするには、以下の通り記述する。記述法はコロン記号で始まりセミコロン記号で終わるので、「コロン定義」と呼ばれる。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "コンパイルすることにより、FORTHの辞書(ディクショナリ)に、この語(ワード)が登録されることになる(この場合はfooが登録される)。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "実のところ、FORTHでは「+」や「.」などの演算子や出力機能などの全てがワードである。こういった組み込み済みのワードと、ユーザが後からコロン定義(コンパイラ)で追加したワードと、2つの間に本質的な差異はない。コンパイルしたワードはただちに環境に組み込まれ、インタプリタより単独で実行できるようになる。つまり、そのFORTH処理系を拡張するのである。このような点より、FORTHは自己拡張性が高いと云われる。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "プログラムの開発においては、処理毎に区切ってワードとして順次構築していくので、注意深く進めていけば自然ときれいに構造化されることになる。ワードは単独で実行できるため、部分に分けてのデバッグも容易である。また、それらのワードを使ってテスト用の処理(ワード)を気軽に作成して実行・テストできる。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "多くの Forth システムは実行可能なワードを生成する特殊化されたアセンブリ言語を含む。このアセンブラはコンパイラの特殊な方言である。Forth アセンブラはしばしば命令の前に引数がくる逆ポーランド記法を使う。Forth アセンブラの普通の設計では命令をスタック上に構築し、それからこれを最後の段階でメモリにコピーする。Forth システムでは、番号(0..n, 実際のオペレーションコードとして使われる)付けされるかその目的に応じて名づけられた、製作者によって使われる名前でレジスタは参照されることもある。たとえば、スタックポインタとして使われるレジスタは「S」など。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "古典的な Forth システムでは伝統的にオペレーティングシステムもファイルシステムも使われない。コードはファイルに格納される代わりに、ソースコードは物理的なディスクアドレスに書かれたディスクブロックに格納される。ワード BLOCK はディスクスペースの1キロバイトサイズのブロックの数値からデータを格納しているバッファのアドレスへの変換に割り当てられ、Forth システムによって自動的に管理される。固定されたディスクブロック範囲にファイルが配置されるときには、システムのディスクアクセスが使われる実装もある。たいていはこれらはディスクブロックごとのレコードの整数をつかって、固定長バイナリレコードして実装される。高速な検索はキーデータ上のハッシュアクセスによって実現される。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ふつうは cooperative なラウンドロビンスケジューリングであるマルチタスクは、通常利用可能である(ただし、マルチタスキング・ワードとサポートは ANSI Forth 規格ではカバーされていない)。ワード PAUSE は、次のタスクの配置や実行コンテキストのリストアための 現在のタスクの実行コンテキストの保存に使われる。どちらのタスクも自分自身のスタックやいくつかのコントロール変数のコピー、スクラッチエリアを持っている。タスクのスワップは単純で、効率的である。その結果、Forth マルチタスクは Intel 8051, Atmel AVR, and TI MSP430のような非常に単純なマイクロコントローラでさえ有効である。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "その一方で、Microsoft WindowsやLinux、Unixのようなホストオペレーティングシステムのもとで実行され、ソースやデータのファイルのためにホストオペレーティングシステムのファイルシステムを利用する Forth システムもある。ANSI Forth 規格では I/O のために使われたワードについて書かれている。他の標準的でない機能はホスト OS やウィンドウシステムへのシステムコールを発行するためのメカニズムも含み、多くはオペレーティングシステムから提供されるスケジューリングを採用する拡張を提供する。典型的には、タスク作成、一時停止、解体、および優先順位の変更のために、スタンドアロンのForthの PAUSEワードとは大きくて異なったワードのセットを持っている。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "すべてのソースコードとともに十分な機能を有する Forth システムは自身をコンパイルすることができ、Forth プログラマはこのようなテクニックを普通メタ・コンピレーション (meta-compilation) と呼ぶ(ただし、この用語は普通の定義であるメタコンピレーションとは厳密には一致しない)。通常の方法はコンパイルされたビットをメモリに配置する一握りのワードの再定義である。コンパイラのワードはメモリ内のバッファエリアにリダイレクトされることができるフェッチとストアの、特別に命名されたバージョンを使う。このバッファエリアはコードバッファというより異なるアドレスから始まるメモリ領域へのシミュレートやアクセスをする。このコンパイラは対象のコンピュータのメモリとホストの(コンパイルする)コンピュータのメモリの両方にアクセスするワードを定義する。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "フェッチやストア操作がコード空間に再定義されたあと、コンパイラやアセンブラなどはフェッチやストアの新たな定義を使って再コンパイルされる。これはコンパイラとインタプリタのすべてのコードの効果的な再利用である。それから、Forth システムのコードはコンパイルされるが、このバージョンはバッファに格納される。このメモリ内のバッファはディスクに書きこまれ、これをテストのために一時的にメモリにロードする方法が提供される。新たなバージョンがきちんと機能するようなら、これは以前のバージョンに上書きされる。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "異なる環境のためのバリエーションが多数存在する。組み込みシステム向けには、代わりに他のコンピュータのためにコードが書かれることになるが、このテクニックはクロスコンピレーションとして知られ、シリアルポートや単独の TTL ビット越しでさえ、その上オリジナルのコンパイルするコンピュータのワード名やディクショナリの他の実行されない部分も維持する。このようなForthコンパイラのための最小の定義は バイト単位のフェッチやストアをするワードと、実行される Forth ワード を命令するワードである。しばしばもっとも多くの時間のかかるリモートのポートへの書き込みの部分は、フェッチやストア、実行を実装するための初期化プログラムの構築であるが、多くの現代的なマイクロプロセッサ(Motorola CPU32など)は、このタスクを排除する統合されたデバッグ機能を持っている。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "Forthの基本的なデータ構造は、「ワード」を実行可能なコードや名前のつけられたデータ構造を対応させる「ディクショナリ」である。このディクショナリは、門番(通常は NULL ポインタ)が発見されるまで最も新しく定義されたワードから最も古いワードまで進むリンクを用いた連結リストのツリーとして、メモリに展開される。コンテキストスイッチは異なる葉で開始するためにリスト検索を引き起こす。首位のメインの幹への枝のマージは最終的にルートの門番へ戻ってくるので、連結リスト検索は継続する。そこはさまざまなディクショナリになることができる。メタコンピレーションのような稀なケースでは、ディクショナリは隔離されスタンドアロンである。この効果は名前空間のネストのそれに似ていて、コンテキストに依存するキーワードのオーバーロードが可能である。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "定義されたワードは一般的にヘッドとボディからなり、ヘッドは名前フィールド (NF) とリンクフィールド (LF) からなり、ボディはコードフィールド (CF) とパラメータフィールド (PF) からなる。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "ディクショナリのエントリのヘッドとボディは、隣接していないかもしれないので別々に扱われる。たとえば、Forth プログラムが新しいプラットフォームのために再コンパイルされたとき、ヘッドはコンパイルするコンピュータに残るかもしれないが、ボディは新しいプラットフォームに行ってしまっている。組み込みシステムのようないくつかの環境によっては、ヘッドは不必要にメモリを占有する。しかしながら、もしターゲット自身が対話的なForthをサポートすることを期待されるなら、クロスコンパイラによってはヘッドをターゲット内に配置するかもしれない。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "ディクショナリの厳密なフォーマットは規定されず、実装に依存する。しかしながら、いくつかのコンポーネントはほとんどいつも提示しており、しかし、厳密なサイズと順序は変わるかもしれない。記述された構造、ディクショナリエントリはこのように見えるかもしれない。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "この名前フィールドはワードの名前の長さ(典型的には32バイト)を与えるプリフィックスで開始し、何ビットかはフラグ用である。それからワードの名前の文字表現がプリフィックスのあとに続く。特定のForth実装に依存するが、アラインメントのためひとつ以上の NUL ('\\0') バイトがあるかもしれない。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "リンクフィールドは以前に定義されたワードへのポインタを含む。このポインタは次に古い隣接するワードへの、相対的な変位かもしれないし、絶対的なアドレスかもしれない。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "このコードフィールドポインタは コードを実行するワードのアドレスか、パラメータフィールド内のデータか、プロセッサ直接実行するであろうマシンコードの開始のいずれかになるだろう。ワードを定義するコロンでは、コードフィールドポインタはリターンスタック上の現在の Forth 命令ポインタ (instruction pointer, IP) を保存し、ワードを実行継続するための新たなアドレスを用いてIP をロードするワードを指し示す。これはプロセッサの call/return 命令が行っているのと同様である。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "コンパイラ自身はモノリシックなプログラムではない。これは システムから可視な Forth ワードとプログラマから利用可能なものとからなっている。このことはプログラマが特殊な目的のためにコンパイラのワードを変更することを可能にする。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "名前フィールド内の「コンパイル時」フラグは、「コンパイル時」の振る舞いのワードのセットである。ほとんどの単純なワードは、それがコマンドライン上で入力されたかコードに埋め込まれたかにかかわらず、同じコードが実行される。そのようにコンパイルされるとき、コンパイラはコードかワードへのスレッデッドポインタを単に配置する。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "コンパイル時ワードの古典的な例は IF and WHILE といった制御構造である。Forth のすべての制御構造とほとんどすべてのコンパイラはコンパイル時ワードとして実装される。すべての Forth 制御フローワードは、プリミティブなワードBRANCHや?BRANCH(もしfalseなら分岐する)の各種の組み合わせをコンパイルするために、コンパイルの間に実行される。コンパイルの間、データスタックは制御構造のバランシング、ネスティング、ブランチアドレスのバックパッチングをサポートするのに使われる。コード断片", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "は定義の内側では典型的には次のような一連にコンパイルされる。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "BRANCHのあとの数のは相対的なジャンプアドレスを表している。LITは「リテラル」数値をデータスタックにプッシュするためのプリミティブなワードである。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "ワード :(コロン)は名前を引数として構文解析し、辞書にヘッダを作り(記述法はコロン記号で始まりセミコロン記号で終わるので、コロン定義, colon definition)、コンパイル状態に突入する。コンパイラは後続のワードをコンパイルしていく。このときワードが後述する即時ワードである場合は実行し、そうでない場合は実行時に呼び出されるようにコンパイルする。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "ワード;(セミコロン)は現在の定義を終了し、実行状態へと復帰する。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "システムの状態はワード [(左大括弧)及び ](右大括弧)を用いて手動で変更させることができ、それぞれ実行状態とコンパイル状態に突入する。ANS Forthでは、現在のインタプリタの状態はフラグ STATEから読み取ることができ、コンピレーションステート状態 true、そうでなければ false の値がこいる。をこのインタプリタの現在の状態による振る舞いコンパイル時ステートスマートワード (state-smart words) の実装を可能にする。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ワードIMMEDIATEは、直近のコロン定義を、即時ワードにする。即時ワードは通常はコンパイル後ではなくコンピレーションの間に実行されるが、どちらのステートにおいてもプログラマにオーバーライドされることができる。; は即時ワードの一例である。ANS Forth では、ワードがイミディエイトとしてマークされていても、ワード POSTPONE は名前を引つけられたワードのコンピを強制的にコンパイルする。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "ANS Forth では、ワード :NONAME を用いて、次の;(セミコロン)までの後続のワードをコンパイルし、実行トークン (execution token) をデータスタック上に残す、無名のワードが定義できる。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ワード EXECUTE はデータスタックから実行トークンを取り出し、関連づけられたセマンティクスを実行することができる。またワード COMPILE,(COMPILE コンマ)は、データスタックから実行トークンを取り出し、コンパイルする。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "ワード ' (tick) は、ワード名を引数としてとりデータスタック上のワードに関連づけられた実行トークンを返す。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "ワード : (colon)、POSTPONE、' (tick)と :NONAME は、データスタックの代わりにユーザからの入力からそれらの引数をとる構文解析ワード (parsing words) の例である。別の例では、コロン定義において、次の右括弧を含む後続のワードを読み込んで無視し、コメントを配置するのに使われる ((左括弧)がある。同様に、ワード \\(バックスラッシュ)は現在の行の終端まで続くコメントのために使われる。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ほとんどの Forth システムにおいて、コード定義のボディはマシン語といくつかの形式のスレッデッドコードからなる。非公式の FIG 規格 (Forth Interest Group) に従っているオリジナルの Forth は、TIL (Threaded Interpretive Language) である。これは 間接スレッディング(indirect-threading)とも呼ばれ、直接スレッディング(direct-threading) と サブルーチン・スレッディング(subroutine-threading) も現在はよく使われるようになってきた。最初期のモダンな Forth はサブルーチン・スレッディングを使っており、マクロとしてシンプルなワードを挿入し、より小さく速いコードを生成するために のぞき穴的最適化 や他の最適化戦略を実行した。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "ワードが変数や他のデータオブジェクトであるとき、CPはそれを作成した定義ワードに関連付けられたランタイムコードを指している。定義ワードは特徴的な\"defining behavior\"(ディクショナリエントリの作成に加え、もしかしたらアロケートとデータ領域の初期化をする)を持っており、この定義しているワードによって構築されたワードのクラスのインスタンスの振る舞いの定義もする。たとえは、", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "Forth は、カスタム定義の振る舞いとインスタンスの振る舞いを指定する、新しいアプリケーション特有の定義ワードをプログラマが定義できる機能もまた提供する。円形バッファ、I/Oポート上で命名されたビット、自動的にインデックス化された配列などの例がある。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "これらに定義されたデータオブジェクトと同様のワードはスコープにおいてグローバルである。他の言語でローカル変数から提供された関数は、Forth ではデータスタックから提供される(しかし、Forth も真のローカル変数は持っている)。Forth のプログラミングスタイルは他の言語に比べ、ごく少数の名付けられたデータオブジェクトを使う。典型的にはこのようなデータオブジェクトは、たくさんのワードやタスク(マルチタスクの実装においては)によって使われるデータを格納するのに使われる。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "Forth は型システムを持たない。したがって値の操作は全てプログラマの責任で行われる。", "title": "言語の構造" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "Forth で書かれたワードは実行可能な形式にコンパイルされる。古典的実装は、順に実行されるワードのアドレスのリストをコンパイルする。多くの現代的なシステムは実際のマシンコードを生成する(いくつかの外部ワードの呼び出しと、適当な場所に展開された他者のためのコードを含む)。最適化コンパイラをもつシステムもある。一般的な場合、Forth プログラムは実行可能形式としてロードされたとき実行されるコマンド (e.g., RUN) を含めた、Forthプログラムのコンパイル済みコードのメモリイメージとして保存されている。", "title": "プログラミング" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "開発中、プログラマは小さなコード片を開発したときに実行およびテストするためにインタプリタを使う。そのため、ほとんどの Forth プログラマは緩やかなトップダウン設計と、単体テストと統合の繰り返しによるボトムアップ開発を支持している。", "title": "プログラミング" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "トップダウン設計では、普通まずプログラムを「語彙」へのプログラムを分割し、それらを最終的に必要なプログラムを書くための、高レベルなツールセットとして利用する。よく設計された Forth プログラムは自然言語のように読むことができ、単一の目的を達成するために用いられるだけでなく、関連する問題を解くプログラムを書くのに利用することができる。", "title": "プログラミング" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "For an explanation of the tradition of programming \"Hello World\", see Hello world.", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "実装の一つとしては、", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "ワード CR (Carriage Return) は後続の出力を新しい行の上に表示するようにする。構文解析ワード .\" (dot-quote) はダブルクオートで区切られた文字列を読み、構文解析された文字列が実行時に表示されるように現在の定義にコードを追加する。文字列 Hello, world! からこの空白文字で区切っているワード .\" は、文字列には含まれていない。これは構文解析器が .\" を Forth ワードとして認識するために必要である。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "標準的な Forth システムはインタプリタでもあり、同じ出力は次のコード片を Forth コンソールに入力することで得ることができる。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": ".( (dot-paren) は括弧で囲まれた文字列を構文解析し、これを表示するイミディエイトワードである。.\"と同様に、Hello, world! から空白文字で区切られた.( は文字列の一部ではない。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "ワード CR は表示する文字列の前にくる。慣例的に、Forth インタプリタは新規行に出力を開始しない。また、慣例により、インタプリタは直前の行の終端、okプロンプトの後で入力を待つ。他のプログラミング言語で時々そうであるような、Forth の CR にはバッファをフラッシュする暗黙の動作はない。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "ここに 実行されると単一の文字 Q を発行するワード EMIT-Q の定義がある。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "この定義は Q のASCII値 (81) を直接を使うことで書かれている。括弧の間の文字列はコメントで、コンパイラに無視される。ワード EMIT はデータスタックから値をとり、対応する文字を表示する。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "次の EMIT-Q の再定義は、ワード[(左大括弧)、](右大括弧), CHAR、LITERAL をインタプリタステートを一時的に切り替えるために使っており、文字 Q のAscii値を計算し、コンピレーションステートを返し、計算した値を現在のコロン定義に追加する。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "構文解析ワード CHAR は空白で区切られたワードをパラメータとしてとり、データスタック上のその最初の文字の値を置く。ワード [CHAR] は CHAR のイミディエイトバージョンである。[CHAR]を使って、EMIT-Q の定義例は次のように書くことができる。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "この定義はコメントを書くために \\(バックスラッシュ)を使っている。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "CHAR と [CHAR]の両方は ANS Forth では事前に定義される。IMMEDIATE と POSTPONE と使って、[CHAR] はこのように定義することができる。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "1987年、Ron Rivest は RC4 暗号システムを RSA Data Security, Inc. のために開発した。このコードは非常に単純で、説明を読めば大抵のプログラマは書くことができる。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "それぞれすべて値の異なった 256 バイトの配列がある(訳注:これが暗号ストリームの状態であり、鍵で適当に初期化する)。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "この配列が使われるときはいつも、2つのバイトが交換されることによって変更される。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "この交換はカウンタ i および j によって制御され、どちらも最初は 0 である。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "新しい i を取得するには 1 を加算する。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "新しい j を取得するには、新しい i の位置にある配列のバイトを加算する。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "i と j の位置にある配列の値を交換する。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "このコード(訳注:後のXORに使う値)は i と j の位置にある配列のバイトの和の位置にある配列のバイトである。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "平文を暗号化したり暗号文を復号するためには、このバイトを XOR される。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "配列は最初の設定によって 0 から 255 にかけて初期化される(訳注:手順の途中に書いてあるが、これは最初に行う)。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "それから i と j を使う、i の位置にある配列のバイトを j に加算による新しい j とキーのバイトの取得、i と j のバイトの交換と手順は進んでいく。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "最後に、i と j は 0 にセットされる。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "すべての加算は 256 を法とするモジュラ演算である。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "以下の標準の Forth バージョンはコアのワードのみを使っている。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "これはこのコードを検証する多くのテストのひとつである。", "title": "コード例" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "Forth 仮想マシンは実装が単純で規格のリファレンス実装を持たないため、大量の言語実装が存在する。標準的な各種デスクトップコンピュータシステム (POSIX, Microsoft Windows, macOS) をサポートしていることに加え、これらの多くの Forth システムは各種の組み込みシステムもまた対象としている。1994年の ANS Forth 規格に準拠するさらに有名ないくつかのシステムが列挙する。", "title": "実装" } ]
Forth(フォース)は、スタック指向のプログラミング言語およびそのプログラミング環境である。Forth はしばしば、かつての習慣に従ってすべて大文字で綴られることもあるが、頭字語ではない。
{{Infobox プログラミング言語 | 名前 = Forth | パラダイム = {{仮リンク|スタック指向プログラミング言語|label=スタック指向|en|Stack-oriented programming language}}、[[手続き型プログラミング|手続き型]] | 登場時期 = [[1970年代]] | 設計者 = [[チャールズ・ムーア]] | 型付け = なし | 処理系 = SwiftForth, [[Gforth]], VFX Forth | 影響を受けた言語 = [[バロース B5000|バロースの大型システム]]、[[LISP]], [[APL]] | 影響を与えた言語 = [[Mind (プログラミング言語)|Mind]]、[[Factor]]、[[Joy (プログラミング言語)|Joy]]、[[Cat (プログラミング言語)|Cat]]、[[RPL (プログラミング言語)|RPL]]、[[Mops]] }} '''Forth'''(フォース)は、[[スタック]]指向の[[プログラミング言語]]およびそのプログラミング環境である。Forth はしばしば、かつての習慣に従ってすべて[[大文字]]で綴られることもあるが、[[頭字語]]ではない。 == 概要 == Forth は[[スタック#スタック指向プログラミング言語|スタック指向]]であり、[[逆ポーランド記法]](RPN)と同様の後置記法による記述が一番の特徴である。その他の特徴としては、[[手続き型プログラミング|手続き型]]・[[命令型プログラミング|命令型]]であり、言語としては全ての値は型としての区別なく扱われること([[型システム]]が無いこと)、制御構造などもプログラム可能であること([[リフレクション (情報工学)|リフレクション]])といったものがある。 典型的な Forth の実装には、[[LISP]] における[[REPL|Read–eval–print loop]](REPL)に対応する、入力されたワードを即座に実行する対話型の[[インタプリタ|インタプリタモード]]と(これは、正規の[[オペレーティングシステム]]がないシステム向けの[[シェル]]にも適している)、後の実行のために一連のワードを[[コンパイル]]するモードのふたつのモードがある。後者にはコロン(:)というワードにより遷移しセミコロン(;)というワードで脱する。 初期の実装や移植性を目的とした実装には[[スレッデッドコード]]を生成するものもあるが、近年の実装では他の言語のコンパイラのように[[最適化 (情報工学)|最適化]]された目的コードを生成するものもある。 他の言語のシステムほどは人気はないが、商用においても Forth はいくつもの言語のベンダを引き止めるだけの十分なサポートを持っている。Forth は現在 [[Open Firmware]] のような[[ブートローダ]]や[[宇宙開発]]<ref>[http://forth.gsfc.nasa.gov/ NASA applications of Forth]{{リンク切れ|date=2019年9月}}</ref>、組込みシステム、[[ロボット]]制御などに使われている。[[GNUプロジェクト]]による実装である[[Gforth]]は活発にメンテナンスされている。 == 特徴 == Forth の環境はコンパイラと対話形式のシェルが一体化している。実行時環境ともなる[[仮想マシン]]の中で、ユーザは「ワード」(words) と呼ばれる[[サブルーチン]]を対話的に定義し実行する。ソースコードとしてテスト、再定義、デバッグされることができるワードは、プログラム全体を再コンパイルしたり再起動することなく組み込まれる。変数、基本的な演算子など、すべての構文要素はプロシージャのように見える。たとえ特定のワードが最適化されても、サブルーチンの呼び出しを必要とするといけないので、これもまた依然としてサブルーチンとして有効である。言い換えれば、シェルは対話的に入力されたコマンドをそれが実行される前にマシンコードにコンパイルする(この振る舞いは一般的だが、必須ではない)。どのように結果のプログラムが格納されるかはForth 環境によってさまざまだが、理想的には手動でそのコードが再入力されたときとプログラムの実行は同じ影響を持つ。コンパイルされる関数はプログラムオブジェクトの特殊なクラスで対話的コマンドは厳密にインタープレットされる、[[C言語]]と[[Unixシェル]]の組み合わせとは対照的である。ほとんどのForth のユニークな性質はこの原理の結果である。対話性、スクリプティング、コンパイレーションがあることにより、Forth は [[BBC Micro]] や [[Apple II]] シリーズのようなリソースが限られたコンピュータでよく使われ、[[ファームウェア]]や小さな[[マイクロコントローラ]]などのアプリケーションで生き残っている。Cコンパイラがよりコンパクトで効率的なコードを生成しようとしている今まさにそのときでも、Forth の対話性における優位は保たれているのである。 === スタック === [[再帰]]的な[[サブルーチン]]を持つすべてのプログラミング環境は[[制御フロー]]のために[[スタック]] (stack) を実装している。この構造は典型的には[[ローカル変数]]やサブルーチンの[[引数]]も格納する(C言語のようなシステムにおける call-by-value)。Forth にはしばしばローカル変数がないこともあるが、call-by-value でもない。代わりに、中間的な値は第二のスタックにおいて保持される。ワードはスタックの最も上にある値を直接操作する。それゆえ、これは「パラメータ」または「データ」スタックと呼ばれたりもするが、ほとんどの場合は単に「スタック」である。それから、関数呼び出しスタックは「リンケージ」(lincage) もしくは「リターン」(return) スタックと呼ばれ、''rstack'' とも略される。カーネルから提供された特殊な rstack 操作関数はそれがワード内で一時的なストレージとして使われることを可能にするが、その一方でこれは引数や操作データを渡すことに使うことはできない。Forthはスタックの概念をうまく利用しており、演算は[[逆ポーランド記法]]により記述される。このため[[構文解析]]が極めて単純となり、プログラムおよび処理系が小さくて済む。これは、機器組み込み用プログラムでは有利な特徴である。 また、ルーチンは「ワード」単位で記述され、[[コンパイラ|コンパイル]]される。これらの「ワード」を集積して「ディクショナリ」を形成する。一般的なFORTH処理系におけるプログラミングは、[[インタプリタ]]上でのワード作成の積み重ねであり、対話的に行える。開発中でも部分的な処理を動かしてのテストがやりやすく、それらを適宜組み合わせてのテストも容易である。 ほとんどのワードはスタック上でのその効果の観点から定義される。典型的には、引数はワードが実行される前にスタックの一番上に置かれる。実行後は引数は消去され、何らかの返り値で置き換えられている。数学的な操作をするためには、これを[[逆ポーランド記法]]のルールに従う。スタックの使用法を図解した以下の例を参照すること。 === 保守 === Forth は単純だが拡張性のある言語である。そのモジュール性と拡張性は[[CAD]]システムのような高度なプログラミングをも可能にする。しかしながら、拡張性は未熟なプログラマがわかりにくいコードを書くのも促すため、このことは Forth に「記述専用言語」との評判ももたらしている。大規模で複雑なプロジェクトでも成功裏に使われてきていて、有能でよく訓練されたプロフェッショナルによって開発されたアプリケーションが、何十年にもわたって発展していくハードウェアプラットフォーム上でも容易に保守されることを証明している<ref>{{cite web | last = | first = | authorlink = | coauthors = | date = | year = | month = | url = http://www.forth.org/successes.html | title = Forth Success Stories | work = | pages = | publisher = | language = | accessdate = 2006-06-09}}</ref>。Forth は天文学分野や宇宙開発分野という得意分野も持っている<ref>{{cite web | last = | first = | authorlink = | coauthors = | date = | year = | month = | url = http://forth.gsfc.nasa.gov/ | title = Space Related Applications of Forth | format = | work = | pages = | publisher = | language = | accessdate = 2007-09-04}}{{リンク切れ|date=2019年9月}}</ref>。 その移植性、効率的なメモリ使用、短い開発期間および高速な実行スピードのため、Forth は今日でもいまだ多くの[[組み込みシステム]](小さなコンピュータ化されたデバイス)で使われている。これは近代的な[[RISC|RISCプロセッサ]]上で効率的に実装されてきており、[[スタックマシン|マシン語としてのForthの利用]]も生み出されてきている<ref>{{cite web | last = | first = | authorlink = | coauthors = | date = | year = | month = | url = http://www.ultratechnology.com/ | title = Forth Chips Page | format = | work = | pages = 54 | publisher = | accessdate = 2006-06-09 }}</ref>。他の Forth の用途としては[[Apple]]、[[IBM]]、[[サン・マイクロシステムズ]]、[[OLPC XO-1]]に使われる[[Open Firmware]] [[ブート|ブートロム]]が含まれる。また、[[FreeBSD]]オペレーティングシステムの[http://ficl.sourceforge.net/ FICL]-based [[BTX (boot loader)|first stage boot controller]]もある。 == 歴史 == Forth は[[チャールズ・ムーア]]の[[1958年]]から絶え間なく開発されていた個人的なプログラミングシステムから考案された<ref name="evolution">{{cite web | url=http://www.forth.com/resources/evolution/index.html | title=The Evolution of Forth | coauthors=C. H. Moore, E. D. Rather, and D. R. Colburn | publisher=ACM SIGPLAN History of Programming Languages Conference | date=1993-04 | work=ACM SIGPLAN Notices, Volume 28, No. 3. March, 1993|accessdate=2010-03-19}}</ref>。1968年、家具と絨毯を扱う企業に雇われた際、このソフトウェアを[[ミニコンピュータ|ミニコン]]上で[[FORTRAN]]を使って書き直したものがForthの原型である、という。Forth が他のプログラマに最初に公開されたのは[[1970年]]代で、[[アメリカ国立電波天文台]](NRAO)にいたアメリカの {{仮リンク|Elizabeth Rather|en|Elizabeth Rather}} によって始められたものである<ref name="evolution" />。[[1971年]]にNRAOの制御用ソフト作成において、ムーアはForthを完成させた。このNRAOにいた彼らの仕事のあと、チャールズ・ムーアとElizabeth Ratherは FORTH, Inc. を[[1973年]]に設立し、その後の 10 年でさらに磨きをかけるとともにいくつものプラットフォームに Forth システムを移植した。 [[1968年]]の"[t]he file holding the interpreter was labeled FOURTH, for 4th (next) generation software — but the [[IBM 1130]] operating system restricted file names to 5 characters."<ref>{{ cite web | last = Moore | first = Charles H | year = 1991 | url = http://www.colorforth.com/HOPL.html | title = Forth - The Early Years | accessdate = 2006-06-03 }}{{リンク切れ|date=2019年9月}}</ref>において Forth は命名された。ムーアは compile-link-go 第三世代言語の後継、または「第四世代」ハードウェアのためのソフトウェアとして Forth を見ており、用語として使われるようになっていた[[第四世代言語]] (4GL) ではなかった。ムーアは、[[アセンブリ言語|アセンブラ]]・FORTRAN・[[BASIC]]に続く4番目の言語という意味で、このソフトウェアに「fourth」と名付けるつもりだったが、このミニコンで取り扱えるファイル名は最大5文字であったため「FORTH」という名になったという。 チャールズ・ムーアはたびたび仕事を渡り歩いていたため、初期の言語開発の困難は異なる[[コンピュータアーキテクチャ]]への移植の容易さであった。Forth システムはしばしば新しい[[ハードウェア]]を育てるために使われていた。たとえば、Forthは[[1978年]]の新しい [[Intel 8086]] チップ上の最初の常駐ソフトウェアで、MacFORTHは[[1984年]]の最初の[[Apple]][[Macintosh]]の最初の常駐開発システムであった<ref name="evolution" />。 Forth, Inc の microFORTH は[[1976年]]に始まった[[Intel 8080]], [[MC6800|Motorola 6800]], Zilog [[Z80]] [[マイクロプロセッサ]]向けに開発された。MicroFORTH は 後に [[1978年]]の [[MOS Technology 6502|6502]] のような他のアーキテクチャ向けの Forth システムを生成するのにホビーストたちにも使われた。広い普及は最終的に言語の標準化を誘導することとなった。共通の慣習は[[事実上の標準]]である FORTH-79<ref>{{cite web | url=https://mywebspace.wisc.edu/lnmaurer/web/forth/Forth-79.pdf |format=PDF| title=The Forth-79 Standard|accessdate=2010-03-19}}{{リンク切れ|date=2019年9月}}</ref> および FORTH-83<ref>{{cite web | url=http://forth.sourceforge.net/standard/fst83/ | title=The Forth-83 Standard|accessdate=2010-03-19}}</ref> にそれぞれ[[1979年]]、[[1983年]]に成文化された。これらの標準は[[1994年]]に [[ANSI]]によって統合され、通常これは '''ANS Forth'''<ref>{{ cite web | publisher = ANSI technical committee X3J14 | date = 24 March 1994 | url = http://www.taygeta.com/forth/dpans.html | title = Programming Languages: Forth | accessdate = 2006-06-03 }}</ref>(ANSI INCITS 215-1994 (R2001)、ISO/IEC 15145:1997(E)のベースとなった)と呼ぶ。 Forth は[[1980年]]代にはとてもよく使われるようになったが<ref>{{Citation | Surname= | Given= | Authorlink= | title=The Forth Language | journal=BYTE Magazine |volume=5 |issue=8 | date=1980 | Page= }}</ref>、これは小さくかつ移植性が高いとして当時の小さなマイクロコンピュータにとてもよく適していたからである。すくなくともひとつのホームコンピュータ、[[英国]]の[[Jupiter Ace|Jupiter ACE]]は その[[Read only memory|ROM]]常駐オペレーティングシステムに Forth を持っていた。[[キヤノン・キャット]]もまた そのシステムプログラミングのために Forth を使っていた。さらに Rockwell も常駐 Forth カーネルを持つ R65F11 と R65F12 のシングルチップマイクロコンピュータを製造していた。 === 標準規格 === *Forth-77 Standard *Forth-78 Standard *Forth-79 Standard *Forth-83 Standard *Forth-94 Standard *ISO/IEC 15145:1997(E) - Information technology - Programming languages - Forth (First edition: 1997-04-15) == プログラマの観点 == {{seealso|[[逆ポーランド記法]]}} Forthの後置記法は、データスタック(オペランドスタック、以下単にスタックと呼ぶ)を意識的に操作しなければならないというForthの特徴と密接に結びついている。すなわち、オペランドはそのままスタックに積まれ、後から現れる演算子などはスタックからそれを取り出して演算し、結果をスタックに積む、といったように動作する。多くの言語と違い、[[バッカス・ナウア記法]]で構文が定義されているわけでもなく、伝統的にはコンパイラは、スレッデッドコードと呼ばれるシンプルな構造の目的コードを直接生成するだけである。また、文法の修正のような、多くの言語では実装の内部に手を入れる変更が必要なことが、Forthではそのようなワードを定義することで可能である(これは、Lispのマクロに少し似ている)。なお、データスタックの他にリターンスタックがあり、そちらはワードの呼出しの後で手続きを再開するアドレス等が積まれるスタックである(CPUのいわゆるスタックに似ている)。 たとえば、<code>25 * 10 + 50</code> は、次のように入力して計算する(「<kbd>⏎</kbd>」は、改行の入力。「ok」はForth処理系が結果の出力の後に付けるプロンプト)。 <syntaxhighlight lang="forth"> 25 10 * 50 + . ⏎ 300 ok </syntaxhighlight> [[Image:Stack1.svg|150px|left]] まず最初に数値 25 と 10 がこの順でスタックに積まれる。{{clr}} [[Image:Forthstack1 5.png|150px|left]] ワード <code>*</code> がスタックの一番上にあるふたつの数を乗算し、その積に置き換える。{{clr}} [[Image:Forthstack2.PNG|150px|left]] それから数値 50 をスタックに積む。{{clr}} [[Image:Forthstack3.PNG|150px|left]] ワード <code>+</code> がこれに先ほどの積を加算する。最後に、<code>.</code> コマンドがスタックのトップを取り出して、それを、ユーザの端末に結果として出力する{{sfn|Brodie|1987|p=20}}。{{clr}} <syntaxhighlight lang="forth"> 4 5 + . </syntaxhighlight> これは、スタックに4を積み、さらに5を積み、スタック上の2つの値を取り出して加算、その結果をスタックに戻し、スタックの値を表示する操作を示している。 上記のように入力してエンター(⏎:リターン)を打鍵すると、画面上には下記のように結果が表示される。 <syntaxhighlight lang="forth"> 4 5 + . ⏎ 9 ok </syntaxhighlight> Forth の構造化機能でさえもスタックベースである。たとえば、 <syntaxhighlight lang="forth"> : FLOOR5 (n -- n') DUP 6 < IF DROP 5 ELSE 1 - THEN ; </syntaxhighlight> このコードは 次のコマンドを使うことによって <code>FLOOR5</code> が呼ばれる新しいワード(繰り返すが、「ワード」という単語はサブルーチンとして使われている)を定義する。<code>DUP</code>はスタックの数値を複製する。<code>6</code>がスタックの一番上に 6 を配置する。ワード <code>&lt;</code> はスタックの一番上の二つの数(6 と <code>DUP</code> で複製された入力の値)を比較し、[[真偽値]]で置き換える。<code>IF</code>は真偽値をとり、その直後のコマンドを実行するか、<code>ELSE</code>までスキップするかを選択する。<code>DROP</code>はスタックの上の値を放棄する。そして、<code>THEN</code>は条件分岐の終端である。括弧に囲まれたテキストは、このワードが期待するスタックの数と値を返すかどうかを説明するコメントである。ワード <code>FLOOR5</code> は[[C言語]]で書かれた次の関数に相当する。 <syntaxhighlight lang="c"> int floor5(int v) { return v < 6 ? 5 : v - 1; } </syntaxhighlight> この関数はより簡潔につぎのように書かれる。 <syntaxhighlight lang="forth"> : FLOOR5 (n -- n') 1- 5 MAX ; </syntaxhighlight> このワードは次のように実行できる。 <syntaxhighlight lang="forth"> 1 FLOOR5 . ⏎ 5 ok 8 FLOOR5 . ⏎ 7 ok </syntaxhighlight> 最初に[[インタプリタ]]は数値 1(もしくは 8)をスタックにプッシュし、それからこの数値を再びポップし結果をプッシュする FLOOR5 を呼び出す。最後に、「.」の呼び出しは値をポップし、ユーザの[[端末]]にそれを表示する。 == 機能 == Forth の[[構文解析]]は明確な文法がないので単純である。[[インタプリタ]]はユーザ入力デバイスから入力された行を読み、それから[[区切り文字]]としての空白を使って単語に構文解析される。他の[[空白文字]]を認識するシステムもある。インタプリタがワードを見つけると、'''ディクショナリ''' (dictionary) からそのワードの検索を試みる。もしそのワードが見つかれば、インタプリタはワードに関連付けられたコードを実行し、それから入力システムの残りを構文解析するために復帰する。もしワードを発見することができないなら、ワードを[[数]]だと仮定して数値への変換を試み、それをスタックにプッシュする。これが成功すれば、インタプリタは入力システムからの構文解析を継続する。辞書の参照と数値への変換の両方が失敗した場合、インタプリタはそのワードが認識できないという[[エラー]]メッセージに続けてそのワードを表示し、入力ストリームをフラッシュし、ユーザからの新しい入力を待機する{{sfn|Brodie|1987|p=14}}。 新規ワードの定義は、ワード<code>:</code>(コロン)から始まり、<code>;</code>(セミコロン)で終了する。たとえば、 : X DUP 1+ . . ; のコードはワード <code>X</code> をコンパイルし、辞書にこの名前が発見できるようにする。コンパイルと言っても、文頭にコロン、その後にワードの名称を置き、そこから一連の式を並べておいて、文末にセミコロンを付加するだけでよい。<code>10 X</code> を[[コンソール]]に入力して実行すると、<code>11 10</code> が表示されるようになるだろう{{sfn|Brodie|1987|p=16}}。 例えば、前述の式をfooという語(ワード)としてコンパイルするには、以下の通り記述する。記述法はコロン記号で始まりセミコロン記号で終わるので、「コロン定義」と呼ばれる。 <pre> : foo 4 5 + . ; </pre> コンパイルすることにより、FORTHの辞書(ディクショナリ)に、この語(ワード)が登録されることになる(この場合はfooが登録される)。 実のところ、FORTHでは「+」や「.」などの演算子や出力機能などの全てがワードである。こういった組み込み済みのワードと、ユーザが後からコロン定義(コンパイラ)で追加したワードと、2つの間に本質的な差異はない。コンパイルしたワードはただちに環境に組み込まれ、インタプリタより単独で実行できるようになる。つまり、そのFORTH処理系を拡張するのである。このような点より、FORTHは自己拡張性が高いと云われる。 プログラムの開発においては、処理毎に区切ってワードとして順次構築していくので、注意深く進めていけば自然ときれいに構造化されることになる。ワードは単独で実行できるため、部分に分けてのデバッグも容易である。また、それらのワードを使ってテスト用の処理(ワード)を気軽に作成して実行・テストできる。 多くの Forth システムは実行可能なワードを生成する特殊化された[[アセンブリ言語]]を含む。この[[アセンブラ]]はコンパイラの特殊な方言である。Forth アセンブラはしばしば命令の前に[[引数]]がくる逆ポーランド記法を使う。Forth アセンブラの普通の設計では命令をスタック上に構築し、それからこれを最後の段階でメモリにコピーする。Forth システムでは、番号(0..n, 実際のオペレーションコードとして使われる)付けされるかその目的に応じて名づけられた、製作者によって使われる名前でレジスタは参照されることもある。たとえば、スタックポインタとして使われるレジスタは「S」など<ref>{{ cite web | last = Rodriguez | first = Brad | url = http://www.zetetics.com/bj/papers/6809asm.txt | title = B.Y.O.ASSEMBLER | accessdate = 2006-06-19 }}{{リンク切れ|date=2019年9月}}</ref>。 === オペレーティングシステムとファイル、マルチタスク === 古典的な Forth システムでは伝統的に[[オペレーティングシステム]]も[[ファイルシステム]]も使われない。コードは[[ファイル (コンピュータ)|ファイル]]に格納される代わりに、[[ソースコード]]は物理的なディスクアドレスに書かれたディスクブロックに格納される。ワード <code>BLOCK</code> はディスクスペースの1キロバイトサイズのブロックの数値からデータを格納しているバッファのアドレスへの変換に割り当てられ、Forth システムによって自動的に管理される。固定されたディスクブロック範囲にファイルが配置されるときには、システムのディスクアクセスが使われる実装もある。たいていはこれらはディスクブロックごとのレコードの整数をつかって、固定長バイナリレコードして実装される。高速な検索はキーデータ上の[[ハッシュ]]アクセスによって実現される。 ふつうは cooperative なラウンドロビンスケジューリングであるマルチタスクは、通常利用可能である(ただし、マルチタスキング・ワードとサポートは ANSI Forth 規格ではカバーされていない)。ワード <code>PAUSE</code> は、次のタスクの配置や実行コンテキストのリストアための 現在のタスクの実行コンテキストの保存に使われる。どちらのタスクも自分自身のスタックやいくつかのコントロール変数のコピー、スクラッチエリアを持っている。タスクのスワップは単純で、効率的である。その結果、Forth マルチタスクは [[Intel 8051]], [[Atmel AVR]], and [[TI MSP430]]のような非常に単純なマイクロコントローラでさえ有効である<ref>{{ cite web | last = Rodriguez | first = Brad | url = http://www.zetetics.com/bj/papers/8051task.pdf | title = MULTITASKING 8051 CAMELFORTH | format = PDF | accessdate = 2006-06-19 }}{{リンク切れ|date=2019年9月}}</ref>。 その一方で、[[Microsoft Windows]]や[[Linux]]、[[Unix]]のようなホストオペレーティングシステムのもとで実行され、ソースやデータのファイルのためにホストオペレーティングシステムのファイルシステムを利用する Forth システムもある。ANSI Forth 規格では I/O のために使われたワードについて書かれている。他の標準的でない機能はホスト OS や[[ウィンドウシステム]]へのシステムコールを発行するためのメカニズムも含み、多くはオペレーティングシステムから提供されるスケジューリングを採用する拡張を提供する。典型的には、タスク作成、一時停止、解体、および優先順位の変更のために、スタンドアロンのForthの <code>PAUSE</code>ワードとは大きくて異なったワードのセットを持っている。 === セルフコンパイルとクロスコンパイル === すべてのソースコードとともに十分な機能を有する Forth システムは自身をコンパイルすることができ、Forth プログラマはこのようなテクニックを普通メタ・コンピレーション (meta-compilation) と呼ぶ(ただし、この用語は普通の定義であるメタコンピレーションとは厳密には一致しない)。通常の方法はコンパイルされたビットをメモリに配置する一握りのワードの再定義である。コンパイラのワードはメモリ内のバッファエリアにリダイレクトされることができるフェッチとストアの、特別に命名されたバージョンを使う。このバッファエリアはコードバッファというより異なるアドレスから始まるメモリ領域へのシミュレートやアクセスをする。このコンパイラは対象のコンピュータのメモリとホストの(コンパイルする)コンピュータのメモリの両方にアクセスするワードを定義する<ref>{{ cite web | last = Rodriguez | first = Brad | year = 1995 | month = July | url = http://www.zetetics.com/bj/papers/moving8.htm | title = MOVING FORTH | accessdate = 2006-06-19 }}{{リンク切れ|date=2019年9月}}</ref>。 フェッチやストア操作がコード空間に再定義されたあと、コンパイラやアセンブラなどはフェッチやストアの新たな定義を使って再コンパイルされる。これはコンパイラとインタプリタのすべてのコードの効果的な再利用である。それから、Forth システムのコードはコンパイルされるが、このバージョンはバッファに格納される。このメモリ内のバッファはディスクに書きこまれ、これをテストのために一時的にメモリにロードする方法が提供される。新たなバージョンがきちんと機能するようなら、これは以前のバージョンに上書きされる。 異なる環境のためのバリエーションが多数存在する。組み込みシステム向けには、代わりに他のコンピュータのためにコードが書かれることになるが、このテクニックはクロスコンピレーションとして知られ、[[シリアルポート]]や単独の [[Transistor-transistor logic|TTL]] ビット越しでさえ、その上オリジナルのコンパイルするコンピュータのワード名やディクショナリの他の実行されない部分も維持する。このようなForthコンパイラのための最小の定義は バイト単位のフェッチやストアをするワードと、実行される Forth ワード を命令するワードである。しばしばもっとも多くの時間のかかるリモートのポートへの書き込みの部分は、フェッチやストア、実行を実装するための初期化プログラムの構築であるが、多くの現代的なマイクロプロセッサ([[Motorola CPU32]]など)は、このタスクを排除する統合されたデバッグ機能を持っている<ref>{{ cite web | last = Shoebridge | first = Peter | date = 1998-12-21 | url = http://www.zeecube.com/archive/bdm/index.htm | title = Motorola Background Debugging Mode Driver for Windows NT | accessdate = 2006-06-19 }}{{リンク切れ|date=2019年9月}}</ref>。 == 言語の構造 == Forthの基本的なデータ構造は、「ワード」を実行可能なコードや名前のつけられたデータ構造を対応させる「ディクショナリ」である。このディクショナリは、門番(通常は NULL ポインタ)が発見されるまで最も新しく定義されたワードから最も古いワードまで進むリンクを用いた[[連結リスト]]のツリーとして、メモリに展開される。コンテキストスイッチは異なる葉で開始するためにリスト検索を引き起こす。首位のメインの幹への枝のマージは最終的にルートの門番へ戻ってくるので、連結リスト検索は継続する<!-- ←ここ訳がすごく怪しい A linked list search continues as the branch merges into the main trunk leading eventually back to the sentinel, the root. -->。そこはさまざまなディクショナリになることができる。メタコンピレーションのような稀なケースでは、ディクショナリは隔離されスタンドアロンである。この効果は名前空間のネストのそれに似ていて、コンテキストに依存するキーワードのオーバーロードが可能である。 定義されたワードは一般的に'''ヘッド'''と'''ボディ'''からなり、ヘッドは'''名前フィールド''' (NF) と'''リンクフィールド''' (LF) からなり、ボディは'''コードフィールド''' (CF) と'''パラメータフィールド''' (PF) からなる。 ディクショナリのエントリのヘッドとボディは、隣接していないかもしれないので別々に扱われる。たとえば、Forth プログラムが新しいプラットフォームのために再コンパイルされたとき、ヘッドはコンパイルするコンピュータに残るかもしれないが、ボディは新しいプラットフォームに行ってしまっている。組み込みシステムのようないくつかの環境によっては、ヘッドは不必要にメモリを占有する。しかしながら、もしターゲット自身が対話的なForthをサポートすることを期待されるなら、クロスコンパイラによってはヘッドをターゲット内に配置するかもしれない<ref>{{cite web | last = Martin | first = Harold M. | authorlink = | coauthors = | date = | year = 1991 | month = March | url = http://portal.acm.org/citation.cfm?id=122089.122091&coll=portal&dl=ACM&idx=J696&part=periodical&WantType=periodical&title=ACM%20SIGFORTH%20Newsletter | title = Developing a tethered Forth model | format = | work = | pages = | publisher = ACM Press | accessdate = 2006-06-19 }}</ref>。 === ディクショナリのエントリ === ディクショナリの厳密なフォーマットは規定されず、実装に依存する。しかしながら、いくつかのコンポーネントはほとんどいつも提示しており、しかし、厳密なサイズと順序は変わるかもしれない。記述された構造、ディクショナリエントリはこのように見えるかもしれない{{sfn|Brodie|1987|pp=200&ndash;202}}。 structure byte: flag {{Backslash}} 3bit flags + length of word's name char-array: name {{Backslash}} name's runtime length isn't known at compile time address: previous {{Backslash}} link field, backward ptr to previous word address: codeword {{Backslash}} ptr to the code to execute this word any-array: parameterfield {{Backslash}} unknown length of data, words, or opcodes end-structure forthword この名前フィールドはワードの名前の長さ(典型的には32バイト)を与えるプリフィックスで開始し、何ビットかはフラグ用である。それからワードの名前の文字表現がプリフィックスのあとに続く。特定のForth実装に依存するが、アラインメントのためひとつ以上の NUL ('{{Backslash}}0') バイトがあるかもしれない。 リンクフィールドは以前に定義されたワードへのポインタを含む。このポインタは次に古い隣接するワードへの、相対的な変位かもしれないし、絶対的なアドレスかもしれない。 このコードフィールドポインタは コードを実行するワードのアドレスか、パラメータフィールド内のデータか、プロセッサ直接実行するであろうマシンコードの開始のいずれかになるだろう。ワードを定義するコロンでは、コードフィールドポインタはリターンスタック上の現在の Forth 命令ポインタ (instruction pointer, IP) を保存し、ワードを実行継続するための新たなアドレスを用いてIP をロードするワードを指し示す。これはプロセッサの call/return 命令が行っているのと同様である。 === コンパイラの構造 === コンパイラ自身はモノリシックなプログラムではない。これは システムから可視な Forth ワードとプログラマから利用可能なものとからなっている。このことはプログラマが特殊な目的のためにコンパイラのワードを変更することを可能にする。 名前フィールド内の「コンパイル時」フラグは、「コンパイル時」の振る舞いのワードのセットである。ほとんどの単純なワードは、それがコマンドライン上で入力されたかコードに埋め込まれたかにかかわらず、同じコードが実行される。そのようにコンパイルされるとき、コンパイラはコードかワードへのスレッデッドポインタを単に配置する{{sfn|Brodie|1987|p=16}}。 コンパイル時ワードの古典的な例は <code>IF</code> and <code>WHILE</code> といった制御構造である。Forth のすべての制御構造とほとんどすべてのコンパイラはコンパイル時ワードとして実装される。すべての Forth 制御フローワードは、プリミティブなワード<code>BRANCH</code>や<code>?BRANCH</code>(もしfalseなら分岐する)の各種の組み合わせをコンパイルするために、コンパイルの間に実行される。コンパイルの間、データスタックは制御構造のバランシング、ネスティング、ブランチアドレスのバックパッチングをサポートするのに使われる。コード断片 ... DUP 6 < IF DROP 5 ELSE 1 - THEN ... は定義の内側では典型的には次のような一連にコンパイルされる。 ... DUP LIT 6 < ?BRANCH 5 DROP LIT 5 BRANCH 3 LIT 1 - ... <code>BRANCH</code>のあとの数のは相対的なジャンプアドレスを表している。<code>LIT</code>は「リテラル」数値をデータスタックにプッシュするためのプリミティブなワードである。 ==== コンパイル時と実行時 ==== ワード <code>:</code>(コロン)は名前を引数として構文解析し、辞書にヘッダを作り(記述法はコロン記号で始まりセミコロン記号で終わるので、'''コロン定義''', colon definition)、コンパイル状態に突入する。コンパイラは後続のワードをコンパイルしていく。このときワードが後述する即時ワードである場合は実行し、そうでない場合は実行時に呼び出されるようにコンパイルする。 ワード<code>;</code>(セミコロン)は現在の定義を終了し、実行状態へと復帰する。 システムの状態はワード <code><nowiki>[</nowiki></code>(左大括弧)及び <code><nowiki>]</nowiki></code>(右大括弧)を用いて手動で変更させることができ、それぞれ実行状態とコンパイル状態に突入する。ANS <!-- ミススペルじゃないよ --> Forthでは、現在のインタプリタの状態は[[フラグ (コンピュータ)|フラグ]] <code>STATE</code>から読み取ることができ、コンピレーションステート状態 true、そうでなければ false の値がこいる。をこのインタプリタの現在の状態による振る舞いコンパイル時'''ステートスマートワード''' (state-smart words) の実装を可能にする。 ==== イミディエイトワード ==== ワード<code>IMMEDIATE</code>は、直近のコロン定義を、即時ワードにする。即時ワードは通常はコンパイル後ではなくコンピレーションの間に実行されるが、どちらのステートにおいてもプログラマにオーバーライドされることができる。<code>;</code> は即時ワードの一例である。ANS Forth では、ワードがイミディエイトとしてマークされていても、ワード <code>POSTPONE</code> は名前を引つけられたワードのコンピを強制的にコンパイルする。 ==== 無名ワードと実行トークン ==== ANS Forth では、ワード <code>:NONAME</code> を用いて、次の<code>;</code>(セミコロン)までの後続のワードをコンパイルし、'''実行トークン''' (execution token) をデータスタック上に残す、無名のワードが定義できる。 ワード <code>EXECUTE</code> はデータスタックから実行トークンを取り出し、関連づけられたセマンティクスを実行することができる。またワード <code>COMPILE,</code>(COMPILE コンマ)は、データスタックから実行トークンを取り出し、コンパイルする。 ワード <code><nowiki>'</nowiki></code> (tick) は、ワード名を引数としてとりデータスタック上のワードに関連づけられた実行トークンを返す。 ==== ワードの構文解析とコメント ==== ワード <code>:</code> (colon)、<code>POSTPONE</code>、<code><nowiki>'</nowiki></code> (tick)と <code>:NONAME</code> は、データスタックの代わりにユーザからの入力からそれらの引数をとる'''構文解析ワード''' (parsing words) の例である。別の例では、コロン定義において、次の右括弧を含む後続のワードを読み込んで無視し、コメントを配置するのに使われる <code>(</code>(左括弧)がある。同様に、ワード <code>{{Backslash}}</code>(バックスラッシュ)は現在の行の終端まで続くコメントのために使われる。 <!-- TO DO: PARSE と FIND の説明する --> === コードの構造 === ほとんどの Forth システムにおいて、コード定義のボディはマシン語といくつかの形式の[[スレッデッドコード]]<ref>[[マルチスレッド・プログラミング]]とは異なる</ref>からなる。非公式の FIG 規格 (Forth Interest Group) に従っているオリジナルの Forth は、TIL (Threaded Interpretive Language) である。これは [[スレッデッドコード#間接スレッディング|間接スレッディング]](indirect-threading)とも呼ばれ、[[スレッデッドコード#直接スレッディング|直接スレッディング]](direct-threading) と [[スレッデッドコード#サブルーチン・スレッディング|サブルーチン・スレッディング]](subroutine-threading) も現在はよく使われるようになってきた。最初期のモダンな Forth はサブルーチン・スレッディングを使っており、マクロとしてシンプルなワードを挿入し、より小さく速いコードを生成するために [[のぞき穴的最適化]] や他の最適化戦略を実行した<ref>{{cite web | last = Ertl | first = M. Anton | authorlink = | coauthors = Gregg, David | date = | year = | month = | url = http://dec.bournemouth.ac.uk/forth/euro/ef03/ertl-gregg03.pdf | title = Implementation Issues for Superinstructions in Gforth | format = PDF | work = | pages = | publisher = | accessdate = 2006-06-19 }}{{リンク切れ|date=2019年9月}}</ref>。 === データオブジェクト === ワードが変数や他のデータオブジェクトであるとき、CPはそれを作成した定義ワードに関連付けられたランタイムコードを指している。定義ワードは特徴的な"defining behavior"(ディクショナリエントリの作成に加え、もしかしたらアロケートとデータ領域の初期化をする)を持っており、この定義しているワードによって構築されたワードのクラスのインスタンスの振る舞いの定義もする。たとえは、 ;<code>VARIABLE</code> :初期化されていないものを命名する、one-cell memory location。<code>VARIABLE</code> のインスタンスの振る舞いはそのスタック上のアドレスを返す。 ;<code>CONSTANT</code> :値を命名する(<code>CONSTANT</code>の引数として指定する)。インスタンスの振る舞いは値を返す。 ;<code>CREATE</code> :位置を命名する。空間がこの場所に確保されるか、さもなくばこれは文字列か他の初期化された値を格納するためにそれがセットされることができる。インスタンスの振る舞いは、この空間の開始のアドレスを返す。 Forth は、カスタム定義の振る舞いとインスタンスの振る舞いを指定する、新しいアプリケーション特有の定義ワードをプログラマが定義できる機能もまた提供する。円形バッファ、I/Oポート上で命名されたビット、自動的にインデックス化された配列などの例がある。 これらに定義されたデータオブジェクトと同様のワードはスコープにおいてグローバルである。他の言語でローカル変数から提供された関数は、Forth ではデータスタックから提供される(しかし、Forth も真のローカル変数は持っている)。Forth のプログラミングスタイルは他の言語に比べ、ごく少数の名付けられたデータオブジェクトを使う。典型的にはこのようなデータオブジェクトは、たくさんのワードやタスク(マルチタスクの実装においては)によって使われるデータを格納するのに使われる<ref>{{cite book | last = Brodie | first = Leo | authorlink = | editor = | others = | title = Starting Forth | url = | format = paperback | accessdate = | edition = 2nd | date = | year = 1987 | month = | publisher = Prentice-Hall | location = | language = | isbn = 0-13-843079-9 | doi = | pages = 241 | chapter = Under The Hood | chapterurl = | quote = To summarize, there are three kinds of variables: System variables contain values used by the entire Forth system. User variables contain values that are unique for each task, even though the definitions can be used by all tasks in the system. Regular variables can be accessible either system-wide or within a single task only, depending upon whether they are defined within <code>OPERATOR</code> or within a private task. }}</ref>。 Forth は型システムを持たない。したがって値の操作は全てプログラマの責任で行われる。 == プログラミング == Forth で書かれたワードは実行可能な形式にコンパイルされる。古典的実装は、順に実行されるワードのアドレスのリストをコンパイルする。多くの現代的なシステムは実際のマシンコードを生成する(いくつかの外部ワードの呼び出しと、適当な場所に展開された他者のためのコードを含む)。最適化コンパイラをもつシステムもある。一般的な場合、Forth プログラムは実行可能形式としてロードされたとき実行されるコマンド (e.g., RUN) を含めた、Forthプログラムのコンパイル済みコードのメモリイメージとして保存されている。 開発中、プログラマは小さなコード片を開発したときに実行およびテストするためにインタプリタを使う。そのため、ほとんどの Forth プログラマは緩やかなトップダウン設計と、単体テストと統合の繰り返しによるボトムアップ開発を支持している<ref>{{cite book | last = Brodie | first = Leo | authorlink = | editor = | others = | title = Thinking Forth | url = | format = paperback | accessdate = | edition = | date = | year = 1984 | month = | publisher = Prentice-Hall | location = | language = | isbn = 0-13-917568-7 | doi = | pages = | chapter = | chapterurl = | quote = }}</ref>。 トップダウン設計では、普通まずプログラムを「語彙」へのプログラムを分割し、それらを最終的に必要なプログラムを書くための、高レベルなツールセットとして利用する。よく設計された Forth プログラムは自然言語のように読むことができ、単一の目的を達成するために用いられるだけでなく、関連する問題を解くプログラムを書くのに利用することができる<ref>The classic [http://www.forth.com/embedded/swiftx-embedded-systems-7.html washing machine example] describes the process of creating a vocabulary to naturally represent the problem domain in a readable way.</ref>。 == コード例 == === Hello world === ''For an explanation of the tradition of programming "Hello World", see [[Hello world]].'' 実装の一つとしては、 : HELLO ( -- ) CR ." Hello, world!" ; HELLO <cr> HELLO ワード <code>CR</code> (Carriage Return) は後続の出力を新しい行の上に表示するようにする。構文解析ワード <code>."</code> (dot-quote) はダブルクオートで区切られた文字列を読み、構文解析された文字列が実行時に表示されるように現在の定義にコードを追加する。文字列 <code>Hello, world!</code> からこの空白文字で区切っているワード <code>."</code> は、文字列には含まれていない。これは構文解析器が <code>."</code> を Forth ワードとして認識するために必要である。 標準的な Forth システムはインタプリタでもあり、同じ出力は次のコード片を Forth コンソールに入力することで得ることができる。 CR .( Hello, world!) <code>.(</code> (dot-paren) は括弧で囲まれた文字列を構文解析し、これを表示するイミディエイトワードである。<code>."</code>と同様に、<code>Hello, world!</code> から空白文字で区切られた<code>.(</code> は文字列の一部ではない。 ワード <code>CR</code> は表示する文字列の前にくる。慣例的に、Forth インタプリタは新規行に出力を開始しない。また、慣例により、インタプリタは直前の行の終端、<code>ok</code>プロンプトの後で入力を待つ。他のプログラミング言語で時々そうであるような、Forth の <code>CR</code> にはバッファをフラッシュする暗黙の動作はない。 ===コンピレーションステートとインタープリテーションステートの混用=== ここに 実行されると単一の文字 <code>Q</code> を発行するワード <code>EMIT-Q</code> の定義がある。 : EMIT-Q 81 (the ASCII value for the character 'Q') EMIT ; この定義は <code>Q</code> のASCII値 (81) を直接を使うことで書かれている。括弧の間の文字列はコメントで、コンパイラに無視される。ワード <code>EMIT</code> はデータスタックから値をとり、対応する文字を表示する。 次の <code>EMIT-Q</code> の再定義は、ワード<code><nowiki>[</nowiki></code>(左大括弧)、<code><nowiki>]</nowiki></code>(右大括弧), <code>CHAR</code>、<code>LITERAL</code> をインタプリタステートを一時的に切り替えるために使っており、文字 <code>Q</code> のAscii値を計算し、コンピレーションステートを返し、計算した値を現在のコロン定義に追加する。 : EMIT-Q [ CHAR Q ] LITERAL EMIT ; 構文解析ワード <code>CHAR</code> は空白で区切られたワードをパラメータとしてとり、データスタック上のその最初の文字の値を置く。ワード <code><nowiki>[CHAR]</nowiki></code> は <code>CHAR</code> のイミディエイトバージョンである。<code><nowiki>[CHAR]</nowiki></code>を使って、<code>EMIT-Q</code> の定義例は次のように書くことができる。 : EMIT-Q [CHAR] Q EMIT ; {{Backslash}} Emit the single character 'Q' この定義はコメントを書くために <code>{{Backslash}}</code>(バックスラッシュ)を使っている。 <code>CHAR</code> と <code><nowiki>[CHAR]</nowiki></code>の両方は ANS Forth では事前に定義される。<code>IMMEDIATE</code> と <code>POSTPONE</code> と使って、<code><nowiki>[CHAR]</nowiki></code> はこのように定義することができる。 : [CHAR] CHAR POSTPONE LITERAL ; IMMEDIATE === 完全な RC4 暗号プログラム === [[1987年]]、Ron Rivest は [[RC4]] [[暗号]]システムを [[RSA Data Security, Inc.]] のために開発した。このコードは非常に単純で、説明を読めば大抵のプログラマは書くことができる。 それぞれすべて値の異なった 256 バイトの配列がある(訳注:これが暗号ストリームの状態であり、鍵で適当に初期化する)。 この配列が使われるときはいつも、2つのバイトが交換されることによって変更される。 この交換はカウンタ ''i'' および ''j'' によって制御され、どちらも最初は 0 である。 新しい ''i'' を取得するには 1 を加算する。 新しい ''j'' を取得するには、新しい ''i'' の位置にある配列のバイトを加算する。 ''i'' と ''j'' の位置にある配列の値を交換する。 このコード(訳注:後のXORに使う値)は ''i'' と ''j'' の位置にある配列のバイトの和の位置にある配列のバイトである。 平文を暗号化したり暗号文を復号するためには、このバイトを XOR される。 配列は最初の設定によって 0 から 255 にかけて初期化される(訳注:手順の途中に書いてあるが、これは最初に行う)。 それから ''i'' と ''j'' を使う、''i'' の位置にある配列のバイトを ''j'' に加算による新しい ''j'' とキーのバイトの取得、''i'' と ''j'' のバイトの交換と手順は進んでいく。 最後に、''i'' と ''j'' は 0 にセットされる。 すべての加算は 256 を法とするモジュラ演算である。 :さらなる情報は、http://ciphersaber.gurus.com を参照すること。 以下の標準の Forth バージョンはコアのワードのみを使っている。 0 VALUE ii 0 VALUE jj CREATE S[] 256 CHARS ALLOT : ARCFOUR (c -- x) ii 1+ DUP TO ii 255 AND ( -- i) S[] + DUP C@ ( -- 'S[i] S[i]) DUP jj + 255 AND DUP TO jj ( -- 'S[i] S[i] j) S[] + DUP C@ >R ( -- 'S[i] S[i] 'S[j]) OVER SWAP C! ( -- 'S[i] S[i]) R@ ROT C! ( -- S[i]) R> + ( -- S[i]+S[j]) 255 AND S[] + C@ ( -- c x) XOR ; : ARCFOUR-INIT (key len -- ) 256 MIN LOCALS| len key | 256 0 DO I S[] I + C! LOOP 0 TO jj 256 0 DO (key len -- ) key I len MOD + C@ S[] I + C@ + jj + 255 AND TO jj S[] I + DUP C@ SWAP (c1 addr1) S[] jj + DUP C@ (c1 addr1 addr2 c2) ROT C! C! LOOP 0 TO ii 0 TO jj ; これはこのコードを検証する多くのテストのひとつである。 CREATE KEY: 64 CHARS ALLOT : !KEY (c1 c2 ... cn n—store the specified key of length n) DUP 63 U> ABORT" key too long (<64)" DUP KEY: C! KEY: + KEY: 1+ SWAP ?DO I C! -1 +LOOP ; HEX 61 8A 63 D2 FB 5 !KEY KEY: COUNT ARCFOUR-INIT CR DC ARCFOUR 2 .R SPACE EE ARCFOUR 2 .R SPACE 4C ARCFOUR 2 .R SPACE F9 ARCFOUR 2 .R SPACE 2C ARCFOUR 2 .R CR .(Should be: F1 38 29 C9 DE) == 実装 == Forth 仮想マシンは実装が単純で規格のリファレンス実装を持たないため、大量の言語実装が存在する。標準的な各種デスクトップコンピュータシステム ([[POSIX]], [[Microsoft Windows]], [[macOS]]) をサポートしていることに加え、これらの多くの Forth システムは各種の組み込みシステムもまた対象としている。[[1994年]]の ANS Forth 規格に準拠するさらに有名ないくつかのシステムが列挙する。 * [[Gforth]] - GNUプロジェクトによる移植性の高い ANS Forth 実装 * [http://www.forth.com/ Forth Inc.] - Forth の開発者たちによって設立され、[[デスクトップパソコン|デスクトップ]]向け (SwiftForth) と組み込み向け (SwiftX) ANS Forth ソリューションを販売している * [http://www.mpeforth.com/ MPE Ltd.] - 高度に最適化されたデスクトップ (VFX) と 組み込み ANS Forth コンパイラ * [[Open Firmware]] - ANS Forth に準拠した[[ブートローダ]]と [[ファームウェア]] の規格 * [http://www.forth.org/compilers.html Freely available implementations] * [http://www.forth.org/commercial.html Commercial implementations] * プラットフォームごとにまとめられたより最新の一覧は [http://wiki.forthfreak.net/index.cgi?ForthSystems Forth systems] == Forthベースの言語等 == *Forthをベースにしてワードを日本語で記述可能にした言語として[[Mind (プログラミング言語)|Mind]]がある *Forthをベースに、[[オブジェクト指向]]に改良した[[Mac OS]]向けの開発システム[[Mops]]。[[オブジェクト指向]]と[[マルチスレッド]]対応のPalo Alto Shipping Co.製のMach1(まっはわん)がある。 *[[Open Firmware]]のシェル言語はForthベースである。SunのOpenBoot PROM(OBP)やCHRPベースのPower Macintoshの起動用[[ファームウェア]]はOpen Firmwareの実装である。 *Forthを元にしたコマンド言語である[[Ficl]]は[[FreeBSD]]のブートローダの実装に使われている。 *1985年ごろ、服飾メーカーとして知られる[[JUN (ファッションブランド)|JUN]](株式会社ジュン)が開発したコンピュータグラフィックシステム[[4D-Box]]のオペレーション言語[[0DL]]はForthであった。{{要出典|date=2013年6月}} == 似た言語等 == *[[PostScript]]は、作者によれば影響されたものではないとしているが、Forthと同じく後置記法でスタック指向であり、類似性が指摘されることがある。 *[[TeleScript]] [[General Magic]]社が開発・提供していた次世代エージェント指向の通信用プログラム言語。Forthアーキテクチャで実装されていた。{{要出典|date=2013年6月}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 参考文献 == {{refbegin}} *{{cite book |ref = harv| last = Brodie | first = Leo | title = Starting Forth | format = paperback | edition = Second | year = 1987 | publisher = Prentice-Hall | isbn = 0-13-843079-9 }} *{{cite book | last=Brodie | editor=Marcel Hendrix | first=Leo | title=Starting Forth | url=http://www.forth.com/starting-forth/index.html | format=Online book | edition=Web edition | date=2007| publisher=FORTH, Inc. | pages= | chapter= | location= | others=Marlin Ouverson | origdate= | origyear= | accessdate= 2007-09-29 | id= | chapterurl= }} *{{cite book | last=Brodie | editor=Bernd Paysan | first=Leo | title=Thinking Forth | url=http://thinking-forth.sourceforge.net | format=PDF Online book | edition= | date=2004 | publisher= | pages= | chapter= | location= | others= | origdate= | origyear= | accessdate=2008-09-15 | chapterurl= | isbn=0-9764587-0-5 }} *{{cite book | last=Conklin | editor= | first=Edward K. | title=Forth Programmer's Handbook | url=http://www.forth.com/forth/forth-books.html | format=paperback | edition=3rd | date=2007-09-08 | publisher=BookSurge Publishing | pages=274 | chapter= | location= | coauthors=Elizabeth D. Rather et al. | others= | origdate= | origyear= | accessdate= | chapterurl= | isbn=1-4196-7549-4}} *{{cite book | last=Rather | editor= | first=Elizabeth D. | title=Forth Application Techniques | url=http://www.forth.com/forth/forth-books.html | format=spiral bound | edition= | date= | publisher=Forth Inc. | pages=158 | chapter= | location= | others= | origdate= | origyear= | accessdate= | chapterurl= | isbn=0-9662156-1-3 }} *{{cite book | last=Pelc | editor= | first=Stephen F. | title=Programming Forth | url=http://www.mpeforth.com/books.htm | format=spiral bound | edition= | date= | publisher=MicroProcessor Engineering Ltd | pages=188 | chapter= | location= | others= | origdate= | origyear=2005 | accessdate= | chapterurl= }} *{{cite book | last=Kelly | editor= | first=Mahlon G. | title=FORTH: A Text and Reference | url= | format= | edition= | date= | publisher=Prentice-Hall | pages= | chapter= | location= | coauthors=Nicholas Spies | others= | origdate= | origyear= | accessdate= | chapterurl= | isbn=0-13-326331-2 }} *{{cite book | last=Koopman, Jr | editor= | first=Philip J. | title=Stack Computers: The New Wave | url=http://www.ece.cmu.edu/~koopman/stack_computers/index.html | format=hardcover | edition= | date=1989 | publisher=Ellis Horwood Limited | pages= | chapter= | location= | coauthors= | others= | origdate= | origyear= | accessdate= | chapterurl= | isbn=0-7458-0418-7 }} * {{cite book | last = Pountain | first = Dick | title = Object-oriented Forth: Implementation of Data Structures | format = paperback | year = 1987 | publisher = Harcourt Brace Jovanovich | isbn = 0-12-563570-2 }} * {{cite book | last = Payne | first = William | title = Embedded Controller Forth for the 8051 Family | date = 19 December 1990 | publisher = Elsevier | pages = 528 | isbn = 978-0125475709 }} {{refend}} == 関連項目 == * [[スタックマシン]] * [[colorForth]] * [[pforth]] * [[Factor]] * [[Joy (プログラミング言語)]] * [[STOIC]] * [[Open Firmware]] == 外部リンク == * [http://www.forth.org/ Forth Interest Group (FIG)] * [http://www.complang.tuwien.ac.at/forth/gforth/ Gforth]([[GNU]]によるフリーのForth処理系) * [news://comp.lang.forth comp.lang.forth]{{リンク切れ|date=2019年9月}} - 活発な Forth の議論のある[[Usenet]]ニュースグループ * [http://www.ultratechnology.com/ Forth Chips Page] — ハードウェアにおける Forth * [http://galileo.phys.virginia.edu/classes/551.jvn.fall01/primer.htm A Beginner's Guide to Forth] by J.V. Noble * [http://forthlinks.com Forth Links]{{リンク切れ|date=2019年9月}} * [http://www.taygeta.com/forth.html Various Forth variants and ANSI docs] * [http://www.forth.com/starting-forth/ Starting FORTH] Leo Brodie により 1981年に出版された FORTH 入門書のオンラインバージョン * [http://thinking-forth.sourceforge.net/ Thinking Forth Project] 1984年に Leo Brodie により出版された独創的な書籍 Thinking Forth の21世紀版(2004年)など *[https://thinking-forth-ja.readthedocs.io/ja/latest/index.html レオ・ブロディー(Leo Brodie) 著「Forth思考 ―問題解決のための言語と哲学―(原文2004年版)」] * [http://www.techworld.com.au/article/250530/-z_programming_languages_forth Computerworld Interview with Charles H. Moore on Forth] * [http://retrobits.libsyn.com/index.php?post_id=456803 FORTH Retro Podcast] in two parts ([http://retrobits.libsyn.com/index.php?post_id=456803 part I], [http://retrobits.libsyn.com/index.php?post_id=482023 part II]) * {{Curlie|Computers/Programming/Languages/Forth|Forth}} {{プログラミング言語一覧}} [[Category:プログラミング言語]] [[Category:仮想機械]] {{authority control}}
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スーザフォン
スーザフォン(英: sousaphone)は、アメリカの作曲家ジョン・フィリップ・スーザによって考案された、大型のバルブ式低音金管楽器である。スーザホン、スーザホーン、スーザフォーンとも。 アメリカの作曲家ジョン・フィリップ・スーザが、1893年にジェームズ・ウェールズ・ペッパーにリクエストして造られた。 立奏を前提として設計されており、演奏者を中心として管は大きく円形に巻かれ、大きく開いた朝顔(ベル)は演奏者の後方から立ち上がりほぼ前方または上方を向く。袈裟懸け状に一方の肩に乗せて、チューバ奏者によって演奏される。 殆どのスーザフォンは、変ロ(B♭)調でピストン式の3本のバルブを備えるが、ごく稀には変ホ(E♭)調やハ(C)調のもの、そして、4バルブのスーザフォンも見られる。 ヘリコン(英語版)と呼ばれる、米海兵隊バンドなどで使われていたチューバ/低音サクソルンから改良されたもので、ヘリコンの朝顔が小さく上向きで固定されているのに対して、スーザフォンでは大きく前方ないしは上方に開き、向きを変える事ができる。この朝顔部は収納及び運搬の便宜のために取り外すことも可能な構造となっている。また、ヘリコンにはロータリー・バルブのものも存在していたが、スーザフォンでこれを採用する事はまず無い。 演奏者の体力負担を軽減するため、1960年代以降、重量のかさむ真鍮に代えてより安価かつ軽量な繊維強化プラスチック(FRP)で楽器本体を製作する事が多くなった。また朝顔部にはABS樹脂を用いる事も多い。樹脂製の管体は真鍮製のものに比べ音色で劣るが、スーザフォンが求められる状況においては受容可能な範囲内にある。 スーザフォンはパレードやマーチングといった行進のほか、デキシーランド・ジャズなどで好んで用いられる。動きのある野外演奏を大前提として考案された楽器なので、立奏用のチューバと比べ楽器の保持が容易で長時間の演奏に適し、トランペットやクラリネットなどの小型の楽器とともに俊敏な動作もできる。 スーザフォンの大きく前を向いて開いた朝顔に、団体の名称や絵などを描き入れた薄い布を強く張って使うこともよくある。隊列の後方から放たれる重低音とともに、巨大な姿による圧倒的な存在感を観衆に示す。
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スーザフォンは、アメリカの作曲家ジョン・フィリップ・スーザによって考案された、大型のバルブ式低音金管楽器である。スーザホン、スーザホーン、スーザフォーンとも。
{{複数の問題|出典の明記 = 2014年7月|独自研究 = 2014年7月}} [[File:Instrumento de viento de Herminio Brau, Cabo Rojo.jpg|thumb|スーザフォン]] '''スーザフォン'''({{Lang-en-short|sousaphone}})は、アメリカの作曲家[[ジョン・フィリップ・スーザ]]によって考案された、大型の[[バルブ]]式低音[[金管楽器]]である。'''スーザホン'''、'''スーザホーン'''、'''スーザフォーン'''とも。 ==歴史== アメリカの作曲家ジョン・フィリップ・スーザが、1893年に[[J・W・ペッパー&サン|ジェームズ・ウェールズ・ペッパー]]にリクエストして造られた。 ==特徴== 立奏を前提として設計されており、演奏者を中心として管は大きく円形に巻かれ、大きく開いた朝顔(ベル)は演奏者の後方から立ち上がりほぼ前方または上方を向く。袈裟懸け状に一方の肩に乗せて、[[チューバ]]奏者によって演奏される。 殆どのスーザフォンは、変ロ({{Lang|en|B♭}})調で[[ピストンバルブ|ピストン]]式の3本のバルブを備えるが、ごく稀には変ホ({{Lang|en|E♭}})調やハ({{Lang|en|C}})調のもの、そして、4バルブのスーザフォンも見られる。 {{仮リンク|ヘリコン (楽器)|label=ヘリコン|en|Helicon (instrument)}}と呼ばれる、米海兵隊バンドなどで使われていたチューバ/低音[[サクソルン]]から改良されたもので、ヘリコンの朝顔が小さく上向きで固定されているのに対して、スーザフォンでは大きく前方ないしは上方に開き、向きを変える事ができる。この朝顔部は収納及び運搬の便宜のために取り外すことも可能な構造となっている。また、ヘリコンには[[ロータリーバルブ|ロータリー・バルブ]]のものも存在していたが、スーザフォンでこれを採用する事はまず無い。 演奏者の体力負担を軽減するため、1960年代以降、重量のかさむ[[真鍮]]に代えてより安価かつ軽量な[[繊維強化プラスチック]](FRP)で楽器本体を製作する事が多くなった。また朝顔部には[[ABS樹脂]]を用いる事も多い。樹脂製の管体は真鍮製のものに比べ音色で劣るが、スーザフォンが求められる状況においては受容可能な範囲内にある。 ==演奏== スーザフォンは[[パレード]]や[[マーチングバンド|マーチング]]といった行進のほか、[[デキシーランド・ジャズ]]などで好んで用いられる。動きのある野外演奏を大前提として考案された楽器なので、立奏用のチューバと比べ楽器の保持が容易で長時間の演奏に適し、[[トランペット]]や[[クラリネット]]などの小型の楽器とともに俊敏な動作もできる。 スーザフォンの大きく前を向いて開いた朝顔に、団体の名称や絵などを描き入れた薄い布を強く張って使うこともよくある。隊列の後方から放たれる重低音とともに、巨大な姿による圧倒的な存在感を観衆に示す。 <gallery> File:MG05MBSousa.jpg|飾りのつけられたスーザフォン File:Virginia Pep Band tubas.jpg|朝顔に模様が描かれたスーザフォン File:Sousaphones_Show_and_Marchingband_Euroband.jpg|樹脂製のスーザフォン </gallery> == 関連項目 == {{Commons&cat|Sousaphone|Sousaphones}} * [[チューバ]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:すうさふおん}} [[Category:金管楽器]] [[Category:チューバ]] [[Category:エポニム]]
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アーバンネットワーク
アーバンネットワーク(英語: Urban Network)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)が1989年3月11日より使用を開始した、大阪駅を中心とした京阪神都市近郊区間(関西エリア)を指す愛称であった。「アーバンネットワーク」の定義と、旅客営業規則に規定される大都市近郊区間としての「大阪近郊区間」(新幹線を除く)や、JRが便宜的に呼称する「近畿エリア」とは完全には一致していなかった。 2006年10月21日のダイヤ改正以降、車内および駅の路線図と車内停車駅案内図が「アーバンネットワーク」の表記から「路線図」に変更されるなど、2000年代後半以降はアーバンネットワークという名称を使わず、「近畿圏」や「京阪神エリア」と表現されることが多い。また、JR西日本が発行する冊子からも2013年度以降アーバンネットワークの名称は使われていない。比較的、後年まで使用されていた月例社長会見における営業・輸送概況についても、2020年4月から「アーバンネットワーク」を「近畿圏」に改めている。ただし2021年現在も、鉄道趣味雑誌などでは使用されていることがある。 JR西日本では公式に「アーバンネットワーク」の名称を使用しなくなったものの、本記事では過去に使用されていた範囲について、使用終了後の動きも含めて記述する。また路線名は、特に正式名称で記述する必要がある場合を除いて、路線愛称名がある場合はそれを使用する。 JR西日本は関東地方に広大な通勤路線を持つ東日本旅客鉄道(JR東日本)や、東海道新幹線を持つ東海旅客鉄道(JR東海)には及ばないものの、安定した収益力を持つ。日本国有鉄道(国鉄)からの経営移管時には、山陽新幹線および大阪近郊の沿線の発展が著しい路線に経営資源を集中し、経営基盤を強化する方針が立てられた。また、「私鉄王国」と称される関西圏において、利用距離が長くなるほどJR利用の可能性が高くなるその特性や、東海道・山陽新幹線のフィーダーとしての役割とアドバンテージを一層強化するため、直通運転の拡大や、新快速を中心とした新型車両の導入・速度向上による所要時間の短縮を積極的に進めていくこととなった。 1988年3月13日のダイヤ改正を機に、分かりやすさと親しみを感じてもらえるよう、8線区9区間に地域ごとの利用実態に合わせた愛称を制定した。1989年3月11日には京阪神都市近郊区間に「アーバンネットワーク」の愛称が与えられた。当初は、姫路駅以西や草津線・湖西線・和歌山線など一部線区は含まれていなかった。1990年3月10日には、不慣れな利用者にも分かりやすくするため、10線区に線区別(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線は同色)のラインカラーを導入した。大阪駅を中心点に他線区への直通列車が多く、2015年3月14日から路線記号の導入にあわせた、ラインカラーの拡充・変更(例:加古川線・姫新線のカラーを正式採用、山陰本線のラインカラー導入区間を城崎温泉駅まで延長、学研都市線のラインカラーを黄緑からJR東西線と同じ桜桃色に変更など)も行われている。 各種路線図や駅の案内、アーバンネットワーク内の駅名標や、JR化後に登場した電車の種別幕には基本的にラインカラーと路線記号が使われている。国鉄型車両については一時期ラインカラーに準じた塗装変更も検討されたが見送られている。 主な報道機関(マスコミ)においては、朝日新聞および神戸新聞で路線愛称名が使用されている。朝日新聞は、愛称名の定着を踏まえ、2003年2月1日付けの紙面から愛称表記を原則としている。2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故の際も多くの報道機関が「福知山線」を用いた中、この2社は「JR宝塚線」を用いた。 1989年3月より営業運転を開始した221系は、大きな窓や明るい車内、快適な座席(3ドア転換クロスシート)などが利用者から好評で、後継の223系とともにアーバンネットワークの象徴的な車両となった。また、4扉通勤型電車の207系をJR東西線開業準備用として学研都市線に投入し、その後JR京都・神戸線やJR宝塚線にも運転範囲を拡大、後継車である321系も同様に投入されている。さらに223系の後継として、安全性・利便性をより重視した225系が製造され、2010年12月1日より営業運転を開始した。近年、アーバンネットワーク向け車両の発注は地元の川崎重工業と近畿車輛に集中しており、日立製作所への発注は減少している。 2012年からはJR発足前後の車両のリニューアル工事が始まり、205系、221系、207系、223系の更新車両においてはバリアフリー対応の工事が施されている。また前述の通勤型4扉車にも大型のつり革が導入された。 一方国鉄時代に天王寺鉄道管理局管内だった路線(その大部分が私鉄買収路線)を中心に当時から使われている車両も比較的多く、現在も国鉄型車両は大和路線・奈良線では201系・205系が使用されている。これらには接客設備を中心にリニューアルされた車両も含まれているが、車齢も高く騒音が大きい機器類や、乗り心地の比較的劣る台車を引き続き使用している。2016年に入ってから阪和線に103系・205系の置き換え用として225系5100番台が、大阪環状線に103系・201系の置き換え用として323系が新製配置された。2019年から万葉まほろば線・和歌山線(と直通運転を行うきのくに線の一部)に105系・113系・117系の置き換え用として227系1000番台が新製配置された。2020〜2023年度にかけて、225系の追加投入による221系の転用により、201系の運用を終了する予定である。 大阪環状線 - 関西本線間の快速電車や、新快速の湖西線乗り入れ等、国鉄時代から実施されていた直通運転を、JR化後はそのネットワークを活用して一層拡大することとなり、特急列車の直通運転が開始された。1988年のなら・シルクロード博覧会を機に梅田貨物線の旅客使用を開始し、翌1989年7月22日の関西本線と阪和線を結ぶ連絡線の開通に伴って、紀勢本線の特急「くろしお」や一部の阪和線(きのくに線)快速が新大阪駅まで乗り入れを開始した。1994年6月には関西空港線の開業に合わせて京都駅 - 関西空港駅間に関空特急「はるか」の運転を開始した。 1980年代からの沿線の開発に伴う人口増加や郊外化、「のぞみ」の充実など新幹線の輸送改善を追い風に、アーバンネットワーク区間の利用客は年々増加し、ダイヤ改正のたびに利便性向上の施策がとられるようになった。1991年9月には北陸本線の田村駅 - 長浜駅間が直流化されて新快速が長浜駅まで運転されるようになった。1995年の阪神・淡路大震災では、いち早くJR神戸線が全線復旧し、利用客の増加に拍車をかけた。また、各線で新駅の設置や複線化等の輸送力増強工事が進められた。 運転系統の充実・既存線相互の直通運転に加え、1997年3月8日にはJR東西線が開業、2008年3月15日にはおおさか東線の南部分が開業し、大和路線からの直通列車も登場した。このおおさか東線は北部区間が2019年3月16日に開業、さらに大阪駅地下ホーム北梅田駅(仮称)への乗り入れの実施もあり、上記私鉄各線と相互に利用が可能なエリアの拡大を含めた利便性の向上とネットワークの拡大は今後も続く予定である。 所要時間短縮を意識しすぎた余裕の少ない運行ダイヤは、わずかの事象で大きなダイヤの乱れにつながることとなった。また、直通運転の拡大はダイヤの乱れの影響を広範囲に及ぼすこととなった。2002年11月6日、塚本駅 - 尼崎駅間で鉄道人身障害事故(消防隊員の死傷事故)が発生した際、安全の確認より列車運行を優先させたとして批判があった。さらに2005年4月25日の福知山線列車脱線事故では、余裕のないダイヤが乗務員に過度のプレッシャーをかけているのではないかと大きく批判を浴びることになったため、その後のダイヤ改正で余裕時間や駅停車時間が見直され、所要時間が増加している。特に翌2006年3月18日のダイヤ改正では新快速の所要時間が運転開始以来初めて延びることとなった。 天王寺駅構内の阪和短絡線の複線化(2008年3月15日完成)などダイヤの安定性を高める施策や、保安装置の拡充などが今後も引き続いて進められることになっている。 列車指令所による列車制御の一元化に合わせて、旅客案内の拡充なども進めている。 アーバンネットワーク内の各路線では、1997年3月8日のダイヤ改正以降、駅の発車標・列車の行先表示や放送などで方面と行先を併記した「○○方面△△」(「姫路方面網干」「宝塚方面新三田」など)と案内される。これは新幹線からの乗り継ぎ客など、地名に馴染みのない利用客に配慮したもので、JR東海との共同使用駅となっている米原駅でも、同社の東海道本線(米原駅以東)で運転される列車のうち名古屋駅以東へ運転される列車に対して「名古屋方面○○」と案内している。また、京都駅以東の敦賀方面や東西線を介する直通運転など経路が複数存在する場合は、経由路線を明記した「XX線経由◇◇」(「湖西線経由敦賀」「東西線経由宝塚」など)といった表記も用いられている(JR東西線関連以外の本格実施は1999年5月10日以降)。また、各駅から京都・大阪・神戸など主要駅への先着列車の表示や放送を行っている。 2015年3月のダイヤ改正から路線記号を導入。吹田総合車両所(日根野支所・奈良支所)の所属車両を皮切りに、2017年までに路線記号対応の種別幕に交換され、他路線へ直通運転する列車の場合、直通運転先の路線記号およびラインカラーを掲出するようになった。 発車標は発光ダイオード(LED)式を標準とし、一部プラズマディスプレイ式が採用され、ほとんどの駅に設置されている。 発車標には一部の駅と特急・急行列車を除き、乗車位置が表示される。ホームには目安となる印(△、↑、○、◇など)と数字が書かれている(例:「△ 1 △」)。扉数や編成数などで乗車位置が変わるので、乗客はこれに表示された位置に並ぶ方式となっている(表示形式の例:「△1〜12」「白○1〜7」)。列車が接近すると、到着・通過を知らせる接近表示が点滅するものもある。なお、運行管理システム導入線区や自動進路制御装置 (SRC) 区間など一部の駅では、列車に遅延が発生した場合には遅延時間(「遅れ約○分」「Delay ○ minutes behind」、2時間以上の遅れの場合は「遅れ120分以上」「Delay 120 minutes over」)が表示される。大幅なダイヤ乱れ時には次の列車が到着するまでの時間が表示(「到着まで約○分」「○ min. until arrival」)されることもある。 阪和線(羽衣線区間を除く)/琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線・赤穂線(相生駅 - 播州赤穂駅間)/大阪環状線・JRゆめ咲線・大和路線・おおさか東線/学研都市線・JR東西線・JR宝塚線(尼崎駅 - 新三田駅間)/湖西線(山科駅‐近江今津駅間)ではアーバンネットワーク運行管理システムと連動した表示となっている。また、次に到着する列車の現在位置表示も行われている。 2003年から一部の駅の改札口・コンコース付近にプラズマディスプレイを設置していたが、2008年4月1日から「異常時情報提供システム」に移行している。普段は自社の宣伝や運行情報などを表示しているが、異常時には近畿総合指令所が運転見合わせ区間や振替輸送区間などの情報を一括入力して路線図形式による案内を行っている。情報を提供する区間はアーバンネットワークの路線区と東海道・山陽新幹線・九州新幹線である 。2016年9月8日からは、表示路線が拡大され、路線記号・ラインカラーに対応したものに更新されている。 221系・207系・223系および205系体質改善車にはLED式の旅客案内装置を、321系・225系には19インチの液晶ディスプレイ (LCD) タイプの案内装置を、323系には17インチのワイドLCDを、223系1000・2000番台改造車には20.7インチのワイドLCDをそれぞれ設置しており、号車表示(207系未更新車を除く)・行先・停車駅・次駅案内や自社PRなどを行っている。また、321系・225系・323系および223系1000・2000番台改造車ではLCDで広告・生活情報・ニュース・天気予報(WESTビジョン)と文字による運行情報を表示している。ダイヤ乱れによる運用変更や表示不具合などの場合は種別・行先のみを表示するか、JR西日本のロゴが表示される。 なお、JR京都・神戸線で運用される223系330両について、2021年度までにLCD式案内装置への交換が進められた。 駅の利便性向上にも重点が置かれており、1997年のJR東西線開業を機に京阪神エリア全駅で自動改札機および磁気券の本格導入を開始した。1999年にはJスルーカード(ストアードフェアシステム)を導入、2003年からはICカード「ICOCA」を導入している。さらに2006年から「PiTaPa」との相互利用を開始するなど他社ICカードとの相互利用も行い、利便性向上を進めている。なおICOCAの普及に伴い、Jスルーカードは2009年3月1日をもって自動改札機および自動精算機での利用を終了し、自動券売機での支払いにのみ使用可能となった。アーバンネットワークとICOCAの利用可能駅は完全に一致しておらず、一部の駅(関西本線柘植駅 - 加茂駅、和歌山線五条駅 - 和歌山駅、紀勢本線海南駅以南の特急停車駅を除く全駅、山陽本線相生駅 - 上郡駅など)では利用できない。また、大阪近郊区間とも完全に一致していない。2018年10月からは、「昼間特割きっぷ」に代わるサービスとして、利用回数や時間帯に応じて運賃割引が受けられる「ICOCAポイントサービス」が開始された。 なお、ICOCAについてはアーバンネットワーク外・近畿エリア外でも順次導入されている。 主に痴漢などの車内での迷惑行為を防止するために、2002年から関西で初めて女性専用車を導入している。指定の車両および乗車位置に黄緑色を用いた案内ステッカーが、ドア窓に小型の鏡ステッカー(ガラス貼付面は青色)が貼付されていたが、2011年春から案内ステッカーが大型化され、ピンク色が用いられるようになった。当初は4扉車のみに導入されていたが、2016年以降は3扉車にも女性専用車が設定されるようになった。なお、ダイヤ乱れ等の理由で、女性専用車の設定が解除される場合がある。 2002年7月1日より、大阪環状線の平日の始発から9時までの周回列車および、学研都市線の平日の始発から9時までに京橋駅に到着する下り列車の最後部車両を女性専用車として試験的に導入し、同年10月1日から本格的に導入した。その後、同年12月2日からはJR京都線・JR神戸線・JR宝塚線などにも拡大して、平日の17時から21時までの時間帯についても女性専用車の設定を行い、2004年10月18日からは大和路線・和歌山線・阪和線にも導入した。さらに2011年4月18日からは、JRゆめ咲線にも女性専用車を導入するとともに、平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで女性専用車が設定されるようになった。 旅客の転落防止のため、一部の駅にホーム柵として通過線ホーム柵・可動式ホーム柵・昇降式ホーム柵が設置されている。 通過線ホーム柵は、JR京都線・JR神戸線・阪和線の一部の駅ホームにおいて、通常は列車が停車しないのりばに設置されている。異常時など臨時停車を行う際には、駅係員の操作により手動でホーム柵を開閉できる。 可動式ホーム柵は、全列車4扉車で運転されるJR東西線の北新地駅・大阪天満宮駅での設置を皮切りに、JR京都線や大阪環状線など停車する車両の扉数が統一されているホームへの設置が進められている。また、扉の数や位置の異なる様々な車両に対応できるホーム柵として、2013年12月5日から2014年3月まで桜島駅において昇降式ホーム柵が試行された。これは、ロープが支柱に固定されて支柱そのものが昇降する仕組みで、2014年12月13日から六甲道駅で試験が行われた。このホーム柵は高槻駅の新設ホームに設置され、2016年3月26日のダイヤ改正から使用を開始した。 夜間での客扱い中に、最後尾の車掌から最前部付近の乗降が確認しづらい状況を解消するため、一部の駅において、夜間視認性向上装置 (TC-PAC) が設置されている。乗降客が装置からの光源を遮ることにより、車掌に旅客の存在が分かる仕組みとなっている。 アーバンネットワークの高密度線区を対象に、従来より高度な信号保安方式であるATS-P型の整備を進めている。なお、導入はすべての信号機にATS-P形の地上子を設ける全線P方式と、場内信号機・出発信号機および一部の閉塞信号機のみATS-P形の地上子を設けることで簡素化した拠点P方式の2つがある。アーバンネットワークでは、和歌山線・万葉まほろば線・赤穂線・北陸本線・和田岬線・関西本線・紀勢本線以外の線区にATS-P型が整備されている。 利便性の向上および複数路線を利用可能とすることによる鉄道の利用機会創出のため、新駅の設置を進めている。以下、2004年以降のアーバンネットワークでの新駅開業状況を記す。 学研都市線京橋駅からJR宝塚線尼崎駅までの12.5kmを結ぶJR東西線が1997年3月8日に開通し、同線を介して関西文化学術研究都市のある京阪奈丘陵と三ノ宮・神戸方面や神戸三田国際公園都市がある北摂・北神地域の直通運転が開始された。 梅田貨物駅周辺の大阪駅北地区は「都心に残された最後の一等地」として大規模な再開発が進んでおり、これに合わせて大阪駅の改良工事が進められた。工事は、橋上駅舎とホームを覆うドームの新設、コンコースとホームの改良などによるバリアフリー施設の整備、新北ビル(メインテナントは三越伊勢丹)の建設、アクティ大阪の増床などで、2011年5月4日に「大阪ステーションシティ」としてグランドオープンした(大阪2011年問題も参照)。また2012年10月には桜橋口の駅ナカ施設のリニューアル(エキマルシェ大阪)が完成している。 新大阪駅ではおおさか東線整備事業に伴って改良工事が行われており、在来線改札口・コンコースの改良などが行われている。2014年3月にはコンコース内に大規模な駅ナカ施設(エキマルシェ新大阪)が一部完成した。 天王寺駅では関西国際空港開港前後を境に改良工事が進み、阪和短絡線の新設(後述)と大和路線ホームの拡張、天王寺ミオの建設やステーションプラザてんのうじ(現在の天王寺ミオプラザ館)の改装・増床、駅ナカの充実などの工事が行われた。2010年以降も、あべのハルカスなど駅周辺の再開発事業と連携する形で中央口を中心に改良工事を行い、2012年11月にはコンコース内にコンビニとスイーツ販売との複合店舗(アントレマルシェ天王寺)が開業。天王寺ミオプラザ館の再改装工事も2013年3月に終了し、同月リニューアルオープンした。2017年以降は東口の橋上通路の耐震リニューアル工事も行われている。 京都駅でも駅ビルの完成に合わせて1997年までに大規模な改良工事を行い、嵯峨野線・関空特急「はるか」、奈良線用のホーム増設、近鉄京都駅との改札分離、駅舎橋上化に伴う自由通路の新設などを行った。1997年以降もさらなる改良工事が行われ、2007年には駅西側にビックカメラ京都店を開業させている。また2008年2月には自由通路の西側に「スバコ・ジェイアール京都伊勢丹」が開業し、大規模な駅ナカが完成した。 そのほかの駅でも、駅ナカの充実など駅自体の集客能力の向上を進めている。 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン (USJ) を核とした土地区画整理事業により安治川口駅 - 桜島駅間の線路移設工事を2001年3月に完了し、同時にユニバーサルシティ駅を開業させるとともに、公募により「JRゆめ咲線」の愛称が付けられた。また、USJにちなんだ4種類のラッピング列車の運行を開始し、一部を除き線内折り返しのみの運転から大阪環状線への直通運転を大幅に増発するなどUSJアクセスとしての輸送改善を行った。 沿線人口の増加や、JR東海の「そうだ 京都、行こう。」キャンペーン、1997年の4代目京都駅ビル開業の効果による利用増加が著しく、大規模な輸送改善が行われた。2001年3月に京都駅 - JR藤森駅間、宇治駅 - 新田駅の複線化およびJR小倉駅の開業、駅・分岐器・信号設備改良などの工事が完成、列車の速達化や増発、ラッシュ時の快速設定が実現した。これらの一連の輸送改善の資金は京都府の負担のウェイトが高い。 なお、残る単線区間のうち、JR藤森駅 - 宇治駅間 (9.9km)、新田駅 - 城陽駅間 (2.1km)、山城多賀駅 - 玉水駅間 (2.0km) の3区間、合計約14kmが2023年春に複線化される予定で、複線化率は23.6%から64.0%に向上する。 一方環境省が2015年(平成27年)に国土交通大臣に提出した、奈良線の複線化事業に係る環境影響評価における、沿線環境対策についての指摘項目では、「適切な環境保全措置を講じ、転動音、車両機器音及び構造物音の低減を図ること」として、ロングレール化や鉄橋におけるコンクリート床版化の極力導入と並び、「103系からの代替による低騒音型機器搭載車両の導入推進」が求められており、阪和線で運用を終えた205系が転属し、2018年3月17日のダイヤ改正から営業運転を開始した。 関西文化学術研究都市へのアクセス改善のため高速化と各種改良工事が行われた。松井山手駅 - 京田辺駅間の高速化工事では、大住駅・京田辺駅の構内改良、JR三山木駅付近の線路移設および高架化が行われ、列車の増発と京田辺駅までの7両編成での運行が可能になった。 さらに京田辺駅 - 木津駅間の輸送改善工事で、同志社前駅 - 木津駅間でホーム延伸工事が行われ、2010年3月13日以降、全線で7両編成での運行となり、京田辺駅での増解結作業を解消している。 奈良線同様に利用が急増し、1996年に二条駅 - 花園駅間の高架化、2000年に二条駅 - 花園駅間を複線化するなど、線路移設や部分的な複線化によって輸送改善を行ってきたが、2003年からはさらなる輸送力増強のため、京都駅 - 園部駅間の全線複線化工事および嵯峨嵐山駅・亀岡駅の改良工事と、周辺道路の混雑解消と安全確保のため花園駅 - 嵯峨嵐山駅間の高架化工事が行われた。 2008年12月14日のダイヤ改正をもって馬堀駅 - 亀岡駅間が複線化されて以来、工事の進捗に合わせて部分的に複線化されていたが、2010年3月13日のダイヤ改正時点をもって、京都駅構内の一部を除く全線が複線化された。また、国鉄型の113系・115系が運用を離脱し、JR発足後に製造された221系・223系に置き換えられた。 おおさか東線は、大阪外環状鉄道を事業主体とし、JR京都線新大阪駅 - 大和路線久宝寺駅間約20.3kmを、城東貨物線を活用して旅客化する事業で、2008年3月15日に大和路線久宝寺駅 - 学研都市線放出駅間 (9.2km) が部分開業し、途中に5駅が新設された。これにより、奈良駅 - 尼崎駅間におおさか東線・JR東西線経由の直通快速の運転を開始した。その後、JR長瀬駅 - 新加美駅間に新駅を設置することが決定し、衣摺加美北駅として2018年3月17日に開業した。 当初新大阪駅 - 放出駅間(11.0km)は2012年春開業の予定であったが、新大阪駅から梅田貨物線を経由し、再開発が進められている梅田北ヤード地区に設けられる地下新駅(仮称は北梅田駅だった)に乗り入れる計画に変更された影響で開業時期に遅れが生じた。同区間は2019年3月16日に開業し、途中に4駅が新設され、先述の直通快速は新大阪駅発着となった。新大阪駅 - 大阪駅間は2023年3月18日に開業し、開業にあわせて大阪駅改札内に地下連絡通路を整備し、北梅田駅を大阪駅として扱うことになった。 天王寺駅構内の関西本線と阪和線を結ぶ短絡線は1989年7月の完成以来、単線運転を行っていたが、関西本線との平面交差の解消と大阪環状線 - 阪和線間の直通列車増発を目的に複線化工事が行われ、2008年3月15日のダイヤ改正より使用を開始した。阪和線・関西空港線・きのくに線方面への直通列車は天王寺駅16番のりばから15番のりば発着に変更、あわせて新今宮駅でも配線の変更が行われ、大阪環状線方面への直通列車を一部4番のりば発着としている。 踏切の廃止による交通渋滞の解消や、鉄道線路による市街地分断の弊害をなくすため、連続立体交差事業および限度額立体交差事業が沿線自治体とともに進められている。以下にその供用開始時期を記す。 1994年9月4日に湊町駅から改称したJR難波駅を皮切りに、新駅開業・駅名変更の際に、他社線の同名の駅との混同を避ける場合に正式駅名に「JR」を冠した駅が登場するようになった。それまでは、同名駅が存在しても「JR」を付けていなかった。2022年現在、「JR」を冠する駅は11駅存在し、そのうちの5駅がおおさか東線に集中している。なお、JRグループ全体において、JR西日本のアーバンネットワーク外に「JR」を冠した駅は一切存在しない。 運転本数の高密度化により、各駅で行っていた進路制御を大阪総合指令所にて一元管理し、列車の進路を自動制御する運行管理機能と、旅客に対して運転状況を自動的に案内する機能をもつ。関西空港線開業を控えた阪和線が1993年7月1日に導入したのを皮切りに、アーバンネットワークの一部線区で導入している。導入線区は以下の通り。 2008年2月からJR東日本との提携で相互に遅延などの運行情報の共有を開始するとともに、JR東日本管内で実施されている「運行情報メールサービス」の利用が可能になった。なおJR西日本の公式サイト「JRおでかけネット」ではより詳細な情報のほか、振替輸送の情報もあわせて掲載される。 2013年3月1日より運行情報のエリアが細分化され、京阪神・和歌山(和歌山支社管内)・北近畿(福知山支社管内)・特急列車の別に掲載されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "アーバンネットワーク(英語: Urban Network)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)が1989年3月11日より使用を開始した、大阪駅を中心とした京阪神都市近郊区間(関西エリア)を指す愛称であった。「アーバンネットワーク」の定義と、旅客営業規則に規定される大都市近郊区間としての「大阪近郊区間」(新幹線を除く)や、JRが便宜的に呼称する「近畿エリア」とは完全には一致していなかった。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2006年10月21日のダイヤ改正以降、車内および駅の路線図と車内停車駅案内図が「アーバンネットワーク」の表記から「路線図」に変更されるなど、2000年代後半以降はアーバンネットワークという名称を使わず、「近畿圏」や「京阪神エリア」と表現されることが多い。また、JR西日本が発行する冊子からも2013年度以降アーバンネットワークの名称は使われていない。比較的、後年まで使用されていた月例社長会見における営業・輸送概況についても、2020年4月から「アーバンネットワーク」を「近畿圏」に改めている。ただし2021年現在も、鉄道趣味雑誌などでは使用されていることがある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "JR西日本では公式に「アーバンネットワーク」の名称を使用しなくなったものの、本記事では過去に使用されていた範囲について、使用終了後の動きも含めて記述する。また路線名は、特に正式名称で記述する必要がある場合を除いて、路線愛称名がある場合はそれを使用する。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "JR西日本は関東地方に広大な通勤路線を持つ東日本旅客鉄道(JR東日本)や、東海道新幹線を持つ東海旅客鉄道(JR東海)には及ばないものの、安定した収益力を持つ。日本国有鉄道(国鉄)からの経営移管時には、山陽新幹線および大阪近郊の沿線の発展が著しい路線に経営資源を集中し、経営基盤を強化する方針が立てられた。また、「私鉄王国」と称される関西圏において、利用距離が長くなるほどJR利用の可能性が高くなるその特性や、東海道・山陽新幹線のフィーダーとしての役割とアドバンテージを一層強化するため、直通運転の拡大や、新快速を中心とした新型車両の導入・速度向上による所要時間の短縮を積極的に進めていくこととなった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1988年3月13日のダイヤ改正を機に、分かりやすさと親しみを感じてもらえるよう、8線区9区間に地域ごとの利用実態に合わせた愛称を制定した。1989年3月11日には京阪神都市近郊区間に「アーバンネットワーク」の愛称が与えられた。当初は、姫路駅以西や草津線・湖西線・和歌山線など一部線区は含まれていなかった。1990年3月10日には、不慣れな利用者にも分かりやすくするため、10線区に線区別(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線は同色)のラインカラーを導入した。大阪駅を中心点に他線区への直通列車が多く、2015年3月14日から路線記号の導入にあわせた、ラインカラーの拡充・変更(例:加古川線・姫新線のカラーを正式採用、山陰本線のラインカラー導入区間を城崎温泉駅まで延長、学研都市線のラインカラーを黄緑からJR東西線と同じ桜桃色に変更など)も行われている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "各種路線図や駅の案内、アーバンネットワーク内の駅名標や、JR化後に登場した電車の種別幕には基本的にラインカラーと路線記号が使われている。国鉄型車両については一時期ラインカラーに準じた塗装変更も検討されたが見送られている。", "title": "路線" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "主な報道機関(マスコミ)においては、朝日新聞および神戸新聞で路線愛称名が使用されている。朝日新聞は、愛称名の定着を踏まえ、2003年2月1日付けの紙面から愛称表記を原則としている。2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故の際も多くの報道機関が「福知山線」を用いた中、この2社は「JR宝塚線」を用いた。", "title": "路線" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1989年3月より営業運転を開始した221系は、大きな窓や明るい車内、快適な座席(3ドア転換クロスシート)などが利用者から好評で、後継の223系とともにアーバンネットワークの象徴的な車両となった。また、4扉通勤型電車の207系をJR東西線開業準備用として学研都市線に投入し、その後JR京都・神戸線やJR宝塚線にも運転範囲を拡大、後継車である321系も同様に投入されている。さらに223系の後継として、安全性・利便性をより重視した225系が製造され、2010年12月1日より営業運転を開始した。近年、アーバンネットワーク向け車両の発注は地元の川崎重工業と近畿車輛に集中しており、日立製作所への発注は減少している。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2012年からはJR発足前後の車両のリニューアル工事が始まり、205系、221系、207系、223系の更新車両においてはバリアフリー対応の工事が施されている。また前述の通勤型4扉車にも大型のつり革が導入された。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "一方国鉄時代に天王寺鉄道管理局管内だった路線(その大部分が私鉄買収路線)を中心に当時から使われている車両も比較的多く、現在も国鉄型車両は大和路線・奈良線では201系・205系が使用されている。これらには接客設備を中心にリニューアルされた車両も含まれているが、車齢も高く騒音が大きい機器類や、乗り心地の比較的劣る台車を引き続き使用している。2016年に入ってから阪和線に103系・205系の置き換え用として225系5100番台が、大阪環状線に103系・201系の置き換え用として323系が新製配置された。2019年から万葉まほろば線・和歌山線(と直通運転を行うきのくに線の一部)に105系・113系・117系の置き換え用として227系1000番台が新製配置された。2020〜2023年度にかけて、225系の追加投入による221系の転用により、201系の運用を終了する予定である。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "大阪環状線 - 関西本線間の快速電車や、新快速の湖西線乗り入れ等、国鉄時代から実施されていた直通運転を、JR化後はそのネットワークを活用して一層拡大することとなり、特急列車の直通運転が開始された。1988年のなら・シルクロード博覧会を機に梅田貨物線の旅客使用を開始し、翌1989年7月22日の関西本線と阪和線を結ぶ連絡線の開通に伴って、紀勢本線の特急「くろしお」や一部の阪和線(きのくに線)快速が新大阪駅まで乗り入れを開始した。1994年6月には関西空港線の開業に合わせて京都駅 - 関西空港駅間に関空特急「はるか」の運転を開始した。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1980年代からの沿線の開発に伴う人口増加や郊外化、「のぞみ」の充実など新幹線の輸送改善を追い風に、アーバンネットワーク区間の利用客は年々増加し、ダイヤ改正のたびに利便性向上の施策がとられるようになった。1991年9月には北陸本線の田村駅 - 長浜駅間が直流化されて新快速が長浜駅まで運転されるようになった。1995年の阪神・淡路大震災では、いち早くJR神戸線が全線復旧し、利用客の増加に拍車をかけた。また、各線で新駅の設置や複線化等の輸送力増強工事が進められた。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "運転系統の充実・既存線相互の直通運転に加え、1997年3月8日にはJR東西線が開業、2008年3月15日にはおおさか東線の南部分が開業し、大和路線からの直通列車も登場した。このおおさか東線は北部区間が2019年3月16日に開業、さらに大阪駅地下ホーム北梅田駅(仮称)への乗り入れの実施もあり、上記私鉄各線と相互に利用が可能なエリアの拡大を含めた利便性の向上とネットワークの拡大は今後も続く予定である。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "所要時間短縮を意識しすぎた余裕の少ない運行ダイヤは、わずかの事象で大きなダイヤの乱れにつながることとなった。また、直通運転の拡大はダイヤの乱れの影響を広範囲に及ぼすこととなった。2002年11月6日、塚本駅 - 尼崎駅間で鉄道人身障害事故(消防隊員の死傷事故)が発生した際、安全の確認より列車運行を優先させたとして批判があった。さらに2005年4月25日の福知山線列車脱線事故では、余裕のないダイヤが乗務員に過度のプレッシャーをかけているのではないかと大きく批判を浴びることになったため、その後のダイヤ改正で余裕時間や駅停車時間が見直され、所要時間が増加している。特に翌2006年3月18日のダイヤ改正では新快速の所要時間が運転開始以来初めて延びることとなった。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "天王寺駅構内の阪和短絡線の複線化(2008年3月15日完成)などダイヤの安定性を高める施策や、保安装置の拡充などが今後も引き続いて進められることになっている。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "列車指令所による列車制御の一元化に合わせて、旅客案内の拡充なども進めている。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "アーバンネットワーク内の各路線では、1997年3月8日のダイヤ改正以降、駅の発車標・列車の行先表示や放送などで方面と行先を併記した「○○方面△△」(「姫路方面網干」「宝塚方面新三田」など)と案内される。これは新幹線からの乗り継ぎ客など、地名に馴染みのない利用客に配慮したもので、JR東海との共同使用駅となっている米原駅でも、同社の東海道本線(米原駅以東)で運転される列車のうち名古屋駅以東へ運転される列車に対して「名古屋方面○○」と案内している。また、京都駅以東の敦賀方面や東西線を介する直通運転など経路が複数存在する場合は、経由路線を明記した「XX線経由◇◇」(「湖西線経由敦賀」「東西線経由宝塚」など)といった表記も用いられている(JR東西線関連以外の本格実施は1999年5月10日以降)。また、各駅から京都・大阪・神戸など主要駅への先着列車の表示や放送を行っている。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "2015年3月のダイヤ改正から路線記号を導入。吹田総合車両所(日根野支所・奈良支所)の所属車両を皮切りに、2017年までに路線記号対応の種別幕に交換され、他路線へ直通運転する列車の場合、直通運転先の路線記号およびラインカラーを掲出するようになった。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "発車標は発光ダイオード(LED)式を標準とし、一部プラズマディスプレイ式が採用され、ほとんどの駅に設置されている。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "発車標には一部の駅と特急・急行列車を除き、乗車位置が表示される。ホームには目安となる印(△、↑、○、◇など)と数字が書かれている(例:「△ 1 △」)。扉数や編成数などで乗車位置が変わるので、乗客はこれに表示された位置に並ぶ方式となっている(表示形式の例:「△1〜12」「白○1〜7」)。列車が接近すると、到着・通過を知らせる接近表示が点滅するものもある。なお、運行管理システム導入線区や自動進路制御装置 (SRC) 区間など一部の駅では、列車に遅延が発生した場合には遅延時間(「遅れ約○分」「Delay ○ minutes behind」、2時間以上の遅れの場合は「遅れ120分以上」「Delay 120 minutes over」)が表示される。大幅なダイヤ乱れ時には次の列車が到着するまでの時間が表示(「到着まで約○分」「○ min. until arrival」)されることもある。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "阪和線(羽衣線区間を除く)/琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線・赤穂線(相生駅 - 播州赤穂駅間)/大阪環状線・JRゆめ咲線・大和路線・おおさか東線/学研都市線・JR東西線・JR宝塚線(尼崎駅 - 新三田駅間)/湖西線(山科駅‐近江今津駅間)ではアーバンネットワーク運行管理システムと連動した表示となっている。また、次に到着する列車の現在位置表示も行われている。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2003年から一部の駅の改札口・コンコース付近にプラズマディスプレイを設置していたが、2008年4月1日から「異常時情報提供システム」に移行している。普段は自社の宣伝や運行情報などを表示しているが、異常時には近畿総合指令所が運転見合わせ区間や振替輸送区間などの情報を一括入力して路線図形式による案内を行っている。情報を提供する区間はアーバンネットワークの路線区と東海道・山陽新幹線・九州新幹線である 。2016年9月8日からは、表示路線が拡大され、路線記号・ラインカラーに対応したものに更新されている。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "221系・207系・223系および205系体質改善車にはLED式の旅客案内装置を、321系・225系には19インチの液晶ディスプレイ (LCD) タイプの案内装置を、323系には17インチのワイドLCDを、223系1000・2000番台改造車には20.7インチのワイドLCDをそれぞれ設置しており、号車表示(207系未更新車を除く)・行先・停車駅・次駅案内や自社PRなどを行っている。また、321系・225系・323系および223系1000・2000番台改造車ではLCDで広告・生活情報・ニュース・天気予報(WESTビジョン)と文字による運行情報を表示している。ダイヤ乱れによる運用変更や表示不具合などの場合は種別・行先のみを表示するか、JR西日本のロゴが表示される。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "なお、JR京都・神戸線で運用される223系330両について、2021年度までにLCD式案内装置への交換が進められた。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "駅の利便性向上にも重点が置かれており、1997年のJR東西線開業を機に京阪神エリア全駅で自動改札機および磁気券の本格導入を開始した。1999年にはJスルーカード(ストアードフェアシステム)を導入、2003年からはICカード「ICOCA」を導入している。さらに2006年から「PiTaPa」との相互利用を開始するなど他社ICカードとの相互利用も行い、利便性向上を進めている。なおICOCAの普及に伴い、Jスルーカードは2009年3月1日をもって自動改札機および自動精算機での利用を終了し、自動券売機での支払いにのみ使用可能となった。アーバンネットワークとICOCAの利用可能駅は完全に一致しておらず、一部の駅(関西本線柘植駅 - 加茂駅、和歌山線五条駅 - 和歌山駅、紀勢本線海南駅以南の特急停車駅を除く全駅、山陽本線相生駅 - 上郡駅など)では利用できない。また、大阪近郊区間とも完全に一致していない。2018年10月からは、「昼間特割きっぷ」に代わるサービスとして、利用回数や時間帯に応じて運賃割引が受けられる「ICOCAポイントサービス」が開始された。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "なお、ICOCAについてはアーバンネットワーク外・近畿エリア外でも順次導入されている。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "主に痴漢などの車内での迷惑行為を防止するために、2002年から関西で初めて女性専用車を導入している。指定の車両および乗車位置に黄緑色を用いた案内ステッカーが、ドア窓に小型の鏡ステッカー(ガラス貼付面は青色)が貼付されていたが、2011年春から案内ステッカーが大型化され、ピンク色が用いられるようになった。当初は4扉車のみに導入されていたが、2016年以降は3扉車にも女性専用車が設定されるようになった。なお、ダイヤ乱れ等の理由で、女性専用車の設定が解除される場合がある。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2002年7月1日より、大阪環状線の平日の始発から9時までの周回列車および、学研都市線の平日の始発から9時までに京橋駅に到着する下り列車の最後部車両を女性専用車として試験的に導入し、同年10月1日から本格的に導入した。その後、同年12月2日からはJR京都線・JR神戸線・JR宝塚線などにも拡大して、平日の17時から21時までの時間帯についても女性専用車の設定を行い、2004年10月18日からは大和路線・和歌山線・阪和線にも導入した。さらに2011年4月18日からは、JRゆめ咲線にも女性専用車を導入するとともに、平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで女性専用車が設定されるようになった。", "title": "サービス" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "旅客の転落防止のため、一部の駅にホーム柵として通過線ホーム柵・可動式ホーム柵・昇降式ホーム柵が設置されている。", "title": "安全対策" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "通過線ホーム柵は、JR京都線・JR神戸線・阪和線の一部の駅ホームにおいて、通常は列車が停車しないのりばに設置されている。異常時など臨時停車を行う際には、駅係員の操作により手動でホーム柵を開閉できる。", "title": "安全対策" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "可動式ホーム柵は、全列車4扉車で運転されるJR東西線の北新地駅・大阪天満宮駅での設置を皮切りに、JR京都線や大阪環状線など停車する車両の扉数が統一されているホームへの設置が進められている。また、扉の数や位置の異なる様々な車両に対応できるホーム柵として、2013年12月5日から2014年3月まで桜島駅において昇降式ホーム柵が試行された。これは、ロープが支柱に固定されて支柱そのものが昇降する仕組みで、2014年12月13日から六甲道駅で試験が行われた。このホーム柵は高槻駅の新設ホームに設置され、2016年3月26日のダイヤ改正から使用を開始した。", "title": "安全対策" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "夜間での客扱い中に、最後尾の車掌から最前部付近の乗降が確認しづらい状況を解消するため、一部の駅において、夜間視認性向上装置 (TC-PAC) が設置されている。乗降客が装置からの光源を遮ることにより、車掌に旅客の存在が分かる仕組みとなっている。", "title": "安全対策" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "アーバンネットワークの高密度線区を対象に、従来より高度な信号保安方式であるATS-P型の整備を進めている。なお、導入はすべての信号機にATS-P形の地上子を設ける全線P方式と、場内信号機・出発信号機および一部の閉塞信号機のみATS-P形の地上子を設けることで簡素化した拠点P方式の2つがある。アーバンネットワークでは、和歌山線・万葉まほろば線・赤穂線・北陸本線・和田岬線・関西本線・紀勢本線以外の線区にATS-P型が整備されている。", "title": "安全対策" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "利便性の向上および複数路線を利用可能とすることによる鉄道の利用機会創出のため、新駅の設置を進めている。以下、2004年以降のアーバンネットワークでの新駅開業状況を記す。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "学研都市線京橋駅からJR宝塚線尼崎駅までの12.5kmを結ぶJR東西線が1997年3月8日に開通し、同線を介して関西文化学術研究都市のある京阪奈丘陵と三ノ宮・神戸方面や神戸三田国際公園都市がある北摂・北神地域の直通運転が開始された。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "梅田貨物駅周辺の大阪駅北地区は「都心に残された最後の一等地」として大規模な再開発が進んでおり、これに合わせて大阪駅の改良工事が進められた。工事は、橋上駅舎とホームを覆うドームの新設、コンコースとホームの改良などによるバリアフリー施設の整備、新北ビル(メインテナントは三越伊勢丹)の建設、アクティ大阪の増床などで、2011年5月4日に「大阪ステーションシティ」としてグランドオープンした(大阪2011年問題も参照)。また2012年10月には桜橋口の駅ナカ施設のリニューアル(エキマルシェ大阪)が完成している。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "新大阪駅ではおおさか東線整備事業に伴って改良工事が行われており、在来線改札口・コンコースの改良などが行われている。2014年3月にはコンコース内に大規模な駅ナカ施設(エキマルシェ新大阪)が一部完成した。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "天王寺駅では関西国際空港開港前後を境に改良工事が進み、阪和短絡線の新設(後述)と大和路線ホームの拡張、天王寺ミオの建設やステーションプラザてんのうじ(現在の天王寺ミオプラザ館)の改装・増床、駅ナカの充実などの工事が行われた。2010年以降も、あべのハルカスなど駅周辺の再開発事業と連携する形で中央口を中心に改良工事を行い、2012年11月にはコンコース内にコンビニとスイーツ販売との複合店舗(アントレマルシェ天王寺)が開業。天王寺ミオプラザ館の再改装工事も2013年3月に終了し、同月リニューアルオープンした。2017年以降は東口の橋上通路の耐震リニューアル工事も行われている。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "京都駅でも駅ビルの完成に合わせて1997年までに大規模な改良工事を行い、嵯峨野線・関空特急「はるか」、奈良線用のホーム増設、近鉄京都駅との改札分離、駅舎橋上化に伴う自由通路の新設などを行った。1997年以降もさらなる改良工事が行われ、2007年には駅西側にビックカメラ京都店を開業させている。また2008年2月には自由通路の西側に「スバコ・ジェイアール京都伊勢丹」が開業し、大規模な駅ナカが完成した。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "そのほかの駅でも、駅ナカの充実など駅自体の集客能力の向上を進めている。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "ユニバーサル・スタジオ・ジャパン (USJ) を核とした土地区画整理事業により安治川口駅 - 桜島駅間の線路移設工事を2001年3月に完了し、同時にユニバーサルシティ駅を開業させるとともに、公募により「JRゆめ咲線」の愛称が付けられた。また、USJにちなんだ4種類のラッピング列車の運行を開始し、一部を除き線内折り返しのみの運転から大阪環状線への直通運転を大幅に増発するなどUSJアクセスとしての輸送改善を行った。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "沿線人口の増加や、JR東海の「そうだ 京都、行こう。」キャンペーン、1997年の4代目京都駅ビル開業の効果による利用増加が著しく、大規模な輸送改善が行われた。2001年3月に京都駅 - JR藤森駅間、宇治駅 - 新田駅の複線化およびJR小倉駅の開業、駅・分岐器・信号設備改良などの工事が完成、列車の速達化や増発、ラッシュ時の快速設定が実現した。これらの一連の輸送改善の資金は京都府の負担のウェイトが高い。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "なお、残る単線区間のうち、JR藤森駅 - 宇治駅間 (9.9km)、新田駅 - 城陽駅間 (2.1km)、山城多賀駅 - 玉水駅間 (2.0km) の3区間、合計約14kmが2023年春に複線化される予定で、複線化率は23.6%から64.0%に向上する。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "一方環境省が2015年(平成27年)に国土交通大臣に提出した、奈良線の複線化事業に係る環境影響評価における、沿線環境対策についての指摘項目では、「適切な環境保全措置を講じ、転動音、車両機器音及び構造物音の低減を図ること」として、ロングレール化や鉄橋におけるコンクリート床版化の極力導入と並び、「103系からの代替による低騒音型機器搭載車両の導入推進」が求められており、阪和線で運用を終えた205系が転属し、2018年3月17日のダイヤ改正から営業運転を開始した。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "関西文化学術研究都市へのアクセス改善のため高速化と各種改良工事が行われた。松井山手駅 - 京田辺駅間の高速化工事では、大住駅・京田辺駅の構内改良、JR三山木駅付近の線路移設および高架化が行われ、列車の増発と京田辺駅までの7両編成での運行が可能になった。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "さらに京田辺駅 - 木津駅間の輸送改善工事で、同志社前駅 - 木津駅間でホーム延伸工事が行われ、2010年3月13日以降、全線で7両編成での運行となり、京田辺駅での増解結作業を解消している。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "奈良線同様に利用が急増し、1996年に二条駅 - 花園駅間の高架化、2000年に二条駅 - 花園駅間を複線化するなど、線路移設や部分的な複線化によって輸送改善を行ってきたが、2003年からはさらなる輸送力増強のため、京都駅 - 園部駅間の全線複線化工事および嵯峨嵐山駅・亀岡駅の改良工事と、周辺道路の混雑解消と安全確保のため花園駅 - 嵯峨嵐山駅間の高架化工事が行われた。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "2008年12月14日のダイヤ改正をもって馬堀駅 - 亀岡駅間が複線化されて以来、工事の進捗に合わせて部分的に複線化されていたが、2010年3月13日のダイヤ改正時点をもって、京都駅構内の一部を除く全線が複線化された。また、国鉄型の113系・115系が運用を離脱し、JR発足後に製造された221系・223系に置き換えられた。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "おおさか東線は、大阪外環状鉄道を事業主体とし、JR京都線新大阪駅 - 大和路線久宝寺駅間約20.3kmを、城東貨物線を活用して旅客化する事業で、2008年3月15日に大和路線久宝寺駅 - 学研都市線放出駅間 (9.2km) が部分開業し、途中に5駅が新設された。これにより、奈良駅 - 尼崎駅間におおさか東線・JR東西線経由の直通快速の運転を開始した。その後、JR長瀬駅 - 新加美駅間に新駅を設置することが決定し、衣摺加美北駅として2018年3月17日に開業した。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "当初新大阪駅 - 放出駅間(11.0km)は2012年春開業の予定であったが、新大阪駅から梅田貨物線を経由し、再開発が進められている梅田北ヤード地区に設けられる地下新駅(仮称は北梅田駅だった)に乗り入れる計画に変更された影響で開業時期に遅れが生じた。同区間は2019年3月16日に開業し、途中に4駅が新設され、先述の直通快速は新大阪駅発着となった。新大阪駅 - 大阪駅間は2023年3月18日に開業し、開業にあわせて大阪駅改札内に地下連絡通路を整備し、北梅田駅を大阪駅として扱うことになった。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "天王寺駅構内の関西本線と阪和線を結ぶ短絡線は1989年7月の完成以来、単線運転を行っていたが、関西本線との平面交差の解消と大阪環状線 - 阪和線間の直通列車増発を目的に複線化工事が行われ、2008年3月15日のダイヤ改正より使用を開始した。阪和線・関西空港線・きのくに線方面への直通列車は天王寺駅16番のりばから15番のりば発着に変更、あわせて新今宮駅でも配線の変更が行われ、大阪環状線方面への直通列車を一部4番のりば発着としている。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "踏切の廃止による交通渋滞の解消や、鉄道線路による市街地分断の弊害をなくすため、連続立体交差事業および限度額立体交差事業が沿線自治体とともに進められている。以下にその供用開始時期を記す。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "1994年9月4日に湊町駅から改称したJR難波駅を皮切りに、新駅開業・駅名変更の際に、他社線の同名の駅との混同を避ける場合に正式駅名に「JR」を冠した駅が登場するようになった。それまでは、同名駅が存在しても「JR」を付けていなかった。2022年現在、「JR」を冠する駅は11駅存在し、そのうちの5駅がおおさか東線に集中している。なお、JRグループ全体において、JR西日本のアーバンネットワーク外に「JR」を冠した駅は一切存在しない。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "運転本数の高密度化により、各駅で行っていた進路制御を大阪総合指令所にて一元管理し、列車の進路を自動制御する運行管理機能と、旅客に対して運転状況を自動的に案内する機能をもつ。関西空港線開業を控えた阪和線が1993年7月1日に導入したのを皮切りに、アーバンネットワークの一部線区で導入している。導入線区は以下の通り。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "2008年2月からJR東日本との提携で相互に遅延などの運行情報の共有を開始するとともに、JR東日本管内で実施されている「運行情報メールサービス」の利用が可能になった。なおJR西日本の公式サイト「JRおでかけネット」ではより詳細な情報のほか、振替輸送の情報もあわせて掲載される。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "2013年3月1日より運行情報のエリアが細分化され、京阪神・和歌山(和歌山支社管内)・北近畿(福知山支社管内)・特急列車の別に掲載されている。", "title": "その他" } ]
アーバンネットワークは、西日本旅客鉄道(JR西日本)が1989年3月11日より使用を開始した、大阪駅を中心とした京阪神都市近郊区間(関西エリア)を指す愛称であった。「アーバンネットワーク」の定義と、旅客営業規則に規定される大都市近郊区間としての「大阪近郊区間」(新幹線を除く)や、JRが便宜的に呼称する「近畿エリア」とは完全には一致していなかった。 2006年10月21日のダイヤ改正以降、車内および駅の路線図と車内停車駅案内図が「アーバンネットワーク」の表記から「路線図」に変更されるなど、2000年代後半以降はアーバンネットワークという名称を使わず、「近畿圏」や「京阪神エリア」と表現されることが多い。また、JR西日本が発行する冊子からも2013年度以降アーバンネットワークの名称は使われていない。比較的、後年まで使用されていた月例社長会見における営業・輸送概況についても、2020年4月から「アーバンネットワーク」を「近畿圏」に改めている。ただし2021年現在も、鉄道趣味雑誌などでは使用されていることがある。 JR西日本では公式に「アーバンネットワーク」の名称を使用しなくなったものの、本記事では過去に使用されていた範囲について、使用終了後の動きも含めて記述する。また路線名は、特に正式名称で記述する必要がある場合を除いて、路線愛称名がある場合はそれを使用する。
[[File:JR-West Urban Network Map.jpg|thumb|250px|アーバンネットワーク]] '''アーバンネットワーク'''({{Lang-en|Urban Network}})は、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)が[[1989年]][[3月11日]]より使用を開始した、[[大阪駅]]を中心とした[[京阪神]]都市近郊区間([[関西]]エリア)を指す[[愛称]]<ref name="jrw_1997">[[交通新聞社]](編集)『新世紀へ走る JR西日本10年の歩み』西日本旅客鉄道、1997年、p.184。</ref><ref name="jtb_2014">[[寺本光照]]『国鉄・JR関西圏近郊電車発達史 大阪駅140年の歴史とアーバンネットワークの成立ち』[[JTBパブリッシング]]、2014年、p.115。4-533-09794-2。</ref>であった。「アーバンネットワーク」の定義と、[[旅客営業規則]]に規定される[[大都市近郊区間 (JR)|大都市近郊区間]]としての「[[大都市近郊区間 (JR)#大阪近郊区間|大阪近郊区間]]」(新幹線を除く)や、JRが便宜的に呼称する「近畿エリア<ref name="areamap">{{PDFlink|[http://www.jr-odekake.net/eki/pdf/ubn.pdf JR線 近畿エリア路線図]}} - 西日本旅客鉄道</ref><ref name="jrw_20140806">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/08/page_5993.html 近畿エリア・広島エリアに「路線記号」を導入します] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2014年8月6日</ref>」とは完全には一致していなかった。 [[2006年]][[10月21日]]のダイヤ改正以降、車内および駅の路線図と車内停車駅案内図が「アーバンネットワーク」の表記から「路線図」に変更される<ref>{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20061016021517/http://www.jr-odekake.net/eki/pdf/ubn.pdf アーバンネットワーク路線図(2005年3月1日改正)]}}([[インターネットアーカイブ]])- 西日本旅客鉄道 {{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20070102161556/http://www.jr-odekake.net/eki/pdf/ubn.pdf 京阪神エリアの路線図(2006年10月21日現在)]}}(インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道</ref>など、[[2000年代]]後半以降はアーバンネットワークという名称を使わず、「[[近畿地方|近畿圏]]」や「京阪神エリア」と表現されることが多い。また、JR西日本が発行する冊子からも2013年度以降アーバンネットワークの名称は使われていない<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/company/ir/library/fact/pdf/2012/fact07.pdf ファクトシート(2012年版)- アーバンネットワーク]}} - 西日本旅客鉄道</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/company/ir/library/fact/pdf/2013/fact09.pdf ファクトシート(2013年版)- 近畿圏(京阪神エリア在来線)]}} - 西日本旅客鉄道</ref>。比較的、後年まで使用されていた月例社長会見における営業・輸送概況についても、[[2020年]]4月から「アーバンネットワーク」を「近畿圏」に改めている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2020/03/page_15859.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200529143437/https://www.westjr.co.jp/press/article/2020/03/page_15859.html|archivedate=2020-05-29|date=2020-03-17|accessdate=2023-04-16|title=2020年3月 定例社長会見|publisher=西日本旅客鉄道}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2020/04/page_15994.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230416020556/https://www.westjr.co.jp/press/article/2020/04/page_15994.html|archivedate=2023-04-16|date=2020-04-10|accessdate=2023-04-16|title=2020年4月 定例社長会見|publisher=西日本旅客鉄道}}</ref>。ただし[[2021年]]現在も、[[鉄道雑誌の一覧#鉄道趣味雑誌|鉄道趣味雑誌]]などでは使用されていることがある<ref>例:{{Cite web|和書|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210810011801/http://www.rjnet.jp/journal_top.html|url=http://www.rjnet.jp/journal_top.html|archivedate=2021-08-10|date=2021-07-19|accessdate=2021-08-10|title=鉄道ジャーナル最新号 2021年9月号(通巻659)|publisher=[[鉄道ジャーナル|鉄道ジャーナル社]]}}</ref>。 JR西日本では公式に「アーバンネットワーク」の名称を使用しなくなったものの、本記事では過去に使用されていた範囲について、使用終了後の動きも含めて記述する。また路線名は、特に正式名称で記述する必要がある場合を除いて、路線愛称名がある場合はそれを使用する。<!-- 山陽本線・JR神戸線との区別するための整合 --> == 概要 == [[ファイル:JRW Station Stop map-01.jpg|thumb|250px|221系体質改善車の[[車内案内表示装置]]と停車駅図]] JR西日本は[[関東地方]]に広大な通勤路線を持つ[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)や、[[東海道新幹線]]を持つ[[東海旅客鉄道]](JR東海)には及ばないものの、安定した収益力を持つ。[[日本国有鉄道]](国鉄)からの経営移管時には、[[山陽新幹線]]および[[大阪]]近郊の沿線の発展が著しい路線に経営資源を集中し、経営基盤を強化する方針が立てられた。また、「[[私鉄]]王国」と称される[[関西]]圏において、利用距離が長くなるほどJR利用の可能性が高くなるその特性や、[[東海道・山陽新幹線]]のフィーダーとしての役割とアドバンテージを一層強化するため、直通運転の拡大や、[[新快速]]を中心とした新型車両の導入・速度向上による所要時間の短縮を積極的に進めていくこととなった。 [[1988年]][[3月13日]]のダイヤ改正を機に、分かりやすさと親しみを感じてもらえるよう、8線区9区間に地域ごとの利用実態に合わせた愛称を制定した。1989年3月11日には[[京阪神]]都市近郊区間に「アーバンネットワーク」の愛称が与えられた<ref name="jrw_1997" /><ref name="jtb_2014" />。当初は、[[姫路駅]]以西や[[草津線]]・[[湖西線]]・[[和歌山線]]など一部線区は含まれていなかった<ref>[[交通新聞社]](編集)『新世紀へ走る JR西日本10年の歩み』西日本旅客鉄道、1997年、エリア図。</ref>。[[1990年]]3月10日には、不慣れな利用者にも分かりやすくするため、10線区<ref>[http://www.westjr.co.jp/company/info/history/#y1990 企業情報 沿革 1990年から1999年まで] - 西日本旅客鉄道</ref><!--(大阪環状線、琵琶湖線、JR京都線、JR神戸線、JR宝塚線、学研都市線、大和路線、奈良線、嵯峨野線、阪和線。他は当時未開業・未制定)-->に線区別([[琵琶湖線]]・[[JR京都線]]・[[JR神戸線]]は同色)の[[日本の鉄道ラインカラー一覧|ラインカラー]]を導入した。[[大阪駅]]を中心点に他線区への直通列車が多く、[[2015年]]3月14日から[[路線記号]]の導入にあわせた、ラインカラーの拡充・変更(例:[[加古川線]]・[[姫新線]]のカラーを正式採用、[[山陰本線]]のラインカラー導入区間を[[城崎温泉駅]]まで延長、[[片町線|学研都市線]]のラインカラーを黄緑から[[JR東西線]]と同じ桜桃色に変更など)も行われている<ref name="jrw_20140806" /><ref>[http://railf.jp/news/2015/03/16/153000.html JR西日本で路線記号の本格使用が始まる] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース、2014年3月15日。</ref>。 == 路線 == [[ファイル:Signboard with Line Symbol at Osaka Station.jpg|thumb|250px|路線記号が付された駅の案内標(大阪駅中央口改札内コンコース)]] 各種路線図や駅の案内、アーバンネットワーク内の[[駅名標]]や、JR化後に登場した電車の種別幕には基本的にラインカラーと路線記号が使われている。国鉄型車両については一時期ラインカラーに準じた塗装変更も検討されたが見送られている<ref>「[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]」2015年4月号「JR通勤電車最新事情」より</ref>。 主な報道機関(マスコミ)においては、[[朝日新聞]]および[[神戸新聞]]で路線愛称名が使用されている。朝日新聞は、愛称名の定着を踏まえ、2003年2月1日付けの紙面から愛称表記を原則としている<ref>「JR西の路線、愛称開始15年」朝日新聞、2003年1月29日</ref>。2005年4月25日に発生した[[JR福知山線脱線事故]]の際も多くの報道機関が「福知山線」を用いた中、この2社は「JR宝塚線」を用いた。 <!--この表では愛称を先に表示しています--> {{Clear}} {| class="wikitable" |+ アーバンネットワーク |- !色 !路線記号 !駅ナンバー !路線愛称 !正式路線名 !区間 |- |rowspan="7" style="background:#0072ba;"|&nbsp; !rowspan="7"|[[ファイル:JRW kinki-A.svg|20px|A]] !JR-A09 - JR-A12 |rowspan="2" |[[琵琶湖線]] |[[北陸本線]] |[[米原駅]] - [[長浜駅]] |- !JR-A12 - JR-A31 |[[東海道本線]] |米原駅 - [[京都駅]] |- !JR-A31 - JR-A47 |[[JR京都線]] |東海道本線 |京都駅 - [[大阪駅]] |- !JR-A47 - JR-A61 |rowspan="2" |[[JR神戸線]] |東海道本線 |大阪駅 - [[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]] |- !JR-A61 - JR-A85 |[[山陽本線]] |神戸駅 - [[姫路駅]] |- |style="text-align:center"|- |style="text-align:center"|- |山陽本線 |姫路駅 - [[上郡駅]] |- |style="text-align:center"|- |style="text-align:center"|- |[[赤穂線]] |[[相生駅 (兵庫県)|相生駅]] - [[播州赤穂駅]] |- |style="background:#00ACD1;"|&nbsp; ![[ファイル:JRW kinki-B.svg|20px|B]] !JR-B11 - JR-B30<br />(JR-B08 - JR-B31) |style="text-align:center"|- |[[湖西線]] |[[山科駅]] - [[永原駅]]<br />{{Small2|運転系統上は、京都駅 - 山科駅間および、永原駅 - [[敦賀駅]]も含んだ京都駅 - 敦賀駅間<ref name="areamap" />}} |- |style="background:#5A9934;"|&nbsp; ![[ファイル:JRW kinki-C.svg|20px|C]] |style="text-align:center"|- |style="text-align:center"|- |[[草津線]] |[[柘植駅]] - [[草津駅 (滋賀県)|草津駅]] |- |style="background:#AA731C"|&nbsp; ![[ファイル:JRW kinki-D.svg|20px|D]] !JR-D01 - JR-D19<br />(- JR-D21) |style="text-align:center"|- |[[奈良線]] |木津駅 - 京都駅<br />{{Small2|運転系統上は、奈良駅 - 木津駅間も含んだ奈良駅 - 京都駅間<ref name="areamap" />}} |- |style="background:#878DDC;"|&nbsp; ![[ファイル:JRW kinki-E.svg|20px|E]] !JR-E01 - JR-E16 |[[嵯峨野線]] |[[山陰本線]] |京都駅 - [[園部駅]] |- |style="background:#347293;"|&nbsp; ![[ファイル:JRW kinki-F.svg|20px|F]] !JR-F02 - JR-F15 |[[おおさか東線]]<sup>※1</sup> |おおさか東線 |[[新大阪駅]] - [[久宝寺駅]] |- |style="background:#ffcc00;"|&nbsp; ![[ファイル:JRW kinki-G.svg|20px|G]] !(JR-G47 -)<br />JR-G49 - JR-G69 |JR宝塚線 |[[福知山線]] |[[尼崎駅 (JR西日本)|尼崎駅]] - [[篠山口駅]]<br />{{Small2|運転系統上は、大阪駅 - 尼崎駅間も含んだ大阪駅 - 篠山口駅間<ref name="areamap" />}} |- |rowspan="2" style="background:#ff1493;"|&nbsp; !rowspan="2"|[[ファイル:JRW kinki-H.svg|20px|H]] !JR-H41 - JR-H49 |[[JR東西線]]<sup>※1</sup> |JR東西線 |[[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]] - 尼崎駅 |- !JR-H18 - JR-H41 |学研都市線 |[[片町線]] |[[木津駅 (京都府)|木津駅]] - 京橋駅 |- |style="background:#e80000;"|&nbsp; ![[ファイル:JRW kinki-O.svg|20px|O]] !JR-O01 - JR-O11 - JR-O19 - JR-O01 |[[大阪環状線]]<sup>※1</sup> |大阪環状線 |[[天王寺駅]] - 大阪駅 - 天王寺駅 |- |style="background:#0A318E;"|&nbsp; ![[ファイル:JRW kinki-P.svg|20px|P]] !JR-P14 - JR-P17 |JRゆめ咲線 |[[桜島線]] |[[西九条駅]] - [[桜島駅]] |- |style="background:#00B17B"|&nbsp; ![[ファイル:JRW kinki-Q.svg|20px|Q]] !JR-Q17 - JR-Q39 |[[大和路線]] |[[関西本線]] |[[加茂駅 (京都府)|加茂駅]] - [[JR難波駅]] |- |style="background:#FF8E1F;"|&nbsp; ![[ファイル:JRW kinki-R.svg|20px|R]] !JR-R20 - JR-R54 |[[阪和線]]<sup>※1</sup> |阪和線 |天王寺駅 - [[和歌山駅]] |- |style="background:#0072ba;"|&nbsp; <!--[[ノート:関西空港線]]参照--> ![[ファイル:JRW kinki-S.svg|20px|S]] !JR-S45 - JR-S47 |style="text-align:center"|- |[[関西空港線]] |[[日根野駅]] - [[関西空港駅]] |- |style="background:#F79FBA;"|&nbsp; ![[ファイル:JRW kinki-T.svg|20px|T]] |style="text-align:center"|- |style="text-align:center"|- |[[和歌山線]] |[[王寺駅]] - 和歌山駅 |- |style="background:#B31C31;"|&nbsp; ![[ファイル:JRW kinki-U.svg|20px|U]] |style="text-align:center"|- |万葉まほろば線 |[[桜井線]] |[[奈良駅]] - [[高田駅 (奈良県)|高田駅]] |- |style="background:#5726B7"|&nbsp; ![[ファイル:JRW kinki-V.svg|20px|V]] |style="text-align:center"|- |style="text-align:center"|- |関西本線 |柘植駅 - 加茂駅 |- |style="text-align:center"|- |style="text-align:center"|- |style="text-align:center"|- |style="text-align:center"|- |[[紀勢本線]] |和歌山駅 - [[和歌山市駅]] |- |style="text-align:center"|- |style="text-align:center"|- |style="text-align:center"|- |[[和田岬線]]<sup>※2</sup> |山陽本線(支線) |[[兵庫駅]] - [[和田岬駅]] |- |style="text-align:center"|- |style="text-align:center"|- |style="text-align:center"|- |羽衣線<sup>※2</sup> |[[阪和線#羽衣線|阪和線(支線)]] |[[鳳駅]] - [[東羽衣駅]] |} * - は設定なし。 * <sup>※2</sup>は通称。<sup>※1</sup>は愛称と正式路線名が同じ線区、そのほかの線区は愛称設定線区<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2014_07.pdf データで見るJR西日本 2014 - 営業線区]}} - 西日本旅客鉄道</ref>。 * [[駅ナンバリング|駅ナンバー]]は2018年3月より導入<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2016/07/page_8973.html 近畿エリアの12路線 のべ300駅に「駅ナンバー」を導入します!] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2016年7月20日</ref>。 == サービス == === 車両 === <gallery> ファイル:Series-321-D17 (2021-11-25).jpg|321系(京阪神緩行線・JR宝塚線・JR東西線・学研都市線系統) ファイル:JR-Series225-0 U3.jpg|225系(京阪神快速用0番台) ファイル:323系電車(大阪城公園駅).jpg|323系(大阪環状線・JRゆめ咲線) ファイル:227-1000 in Wakayama Car Maintenance Center.jpg|227系1000番台(和歌山線・万葉まほろば線・きのくに線) </gallery> 1989年3月より営業運転を開始した[[JR西日本221系電車|221系]]は、大きな窓や明るい車内、快適な座席(3ドア転換クロスシート)などが利用者から好評で、後継の[[JR西日本223系電車|223系]]とともにアーバンネットワークの象徴的な車両となった。また、4扉通勤型電車の207系を[[JR東西線]]開業準備用として学研都市線に投入し、その後[[JR京都線|JR京都]]・[[JR神戸線|神戸線]]や[[福知山線|JR宝塚線]]にも運転範囲を拡大、後継車である321系も同様に投入されている。さらに223系の後継として、安全性・利便性をより重視した[[JR西日本225系電車|225系]]が製造され<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174822_799.html 新型近郊形電車「225系」の概要について] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年5月18日</ref>、2010年12月1日より営業運転を開始した<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174976_799.html 12月1日から営業運転開始!新型近郊電車225系の展示会の開催について] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年9月15日</ref>。近年、アーバンネットワーク向け車両の発注は地元の[[川崎重工業車両カンパニー|川崎重工業]]と[[近畿車輛]]<ref group="*">[[近鉄グループ]]だが、2012年以降はJR西日本も出資している。</ref>に集中しており、[[日立製作所]]への発注は減少している<ref group="*">2000年代半ばに笠戸事業所の生産ラインをアルミ車体用に特化した関係で、JR西日本においてステンレス車体を採用している通勤・近郊型電車の生産ができなくなったことが一因である。</ref>。 2012年からはJR発足前後の車両のリニューアル工事が始まり、205系、221系、207系、223系の更新車両においてはバリアフリー対応の工事が施されている。また前述の通勤型4扉車にも大型のつり革が導入された。 一方国鉄時代に天王寺鉄道管理局管内だった路線(その大部分が私鉄買収路線)を中心に当時から使われている車両も比較的多く、現在も国鉄型車両は大和路線・奈良線では[[国鉄201系電車|201系]]・[[国鉄205系電車|205系]]が使用されている。これらには接客設備を中心にリニューアルされた車両も含まれているが、車齢も高く騒音が大きい機器類や、乗り心地の比較的劣る台車を引き続き使用している。2016年に入ってから阪和線に103系・205系の置き換え用として225系5100番台が、大阪環状線に103系・201系の置き換え用として[[JR西日本323系電車|323系]]が新製配置された。2019年から万葉まほろば線・和歌山線(と直通運転を行うきのくに線の一部)に[[国鉄105系電車|105系]]・113系・117系の置き換え用として[[JR西日本227系電車|227系1000番台]]が新製配置された<ref>{{Cite press release |和書 |title=和歌山線・桜井線への新型車両導入と車載型IC改札機を使用したICOCAエリア拡大について |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2018年3月7日 |url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2018/03/page_12012.html |accessdate=2018-03-07}}</ref>。2020〜2023年度にかけて、225系の追加投入による221系の転用により、201系の運用を終了する予定である。 === 運転系統の充実と直通運転の拡大 === {|class=wikitable rules=all style="font-size:90%" |- !線区 !! 並行他社線 !! JR西日本の施策 |- !JR京都線・JR神戸線 |[[阪急京都本線|阪急京都線]]・[[阪急神戸本線|神戸線]]<br />[[阪神本線]]<br />[[京阪本線]]<br />[[山陽電気鉄道本線|山陽電鉄本線]] |新型車両の投入、新快速・快速の車両増結、速度向上、新駅開業、[[新快速]]の終日運転、高槻駅・芦屋駅への新快速停車。新快速の座席指定サービスの導入。 |- !学研都市線 |京阪本線・[[京阪交野線|交野線]]<br />[[近鉄京都線]]・[[近鉄奈良線|奈良線]] |新型車両の投入、JR東西線・おおさか東線の開業、JR神戸線・JR宝塚線・おおさか東線の直通運転、区間快速の運転開始。 |- !奈良線 |近鉄京都線<br />京阪本線・[[京阪宇治線|宇治線]] |快速系統を中心に221系投入、区間快速・[[奈良線#みやこ路快速|みやこ路快速]]の新設、速度向上、部分複線化、増発、新駅開業。 |- !大和路線<br />おおさか東線 |近鉄奈良線・[[近鉄大阪線|大阪線]] |大阪環状線への直通運転拡大、和歌山線への直通列車の増発、<br />久宝寺駅の改良と緩急接続の開始、[[おおさか東線#直通快速|直通快速]]の運転。 |- !JR宝塚線 |[[阪急宝塚本線|阪急宝塚線]]・[[阪急伊丹線|伊丹線]]・[[阪急今津線|今津線]]<br />[[神戸電鉄有馬線]]・[[神戸電鉄三田線|三田線]] |新型車両投入、区間快速・[[福知山線#丹波路快速・快速・区間快速|丹波路快速]]の新設、<br />大阪駅発着の快速列車の増発、尼崎駅での接続の改善、JR京都線・JR東西線への直通運転と増発。 |- !阪和線<br />関西空港線 |[[南海本線]]・[[南海空港線|空港線]] |新型車両の投入<br />関空快速・紀州路快速の新設・増発、大阪環状線の直通運転<br />特急列車の利便性の向上(停車駅の追加、時間帯の拡大)。 |} <gallery caption="他社線も含めて記載した鉄道路線図"> ファイル:LineMap OsakaKobe.png|JR神戸線 ファイル:LineMap OsakaKyoto.png|JR京都線 ファイル:Kyoto-Nara Railway Line Map.jpg|奈良線 ファイル:LineMap OsakaNara.png|大和路線 ファイル:LineMap OsakaTakarazuka.png|JR宝塚線 ファイル:LineMap OsakaWakayama.png|阪和線 </gallery> [[ファイル:JRW serie281 Umeda-freight.JPG|thumb|150px|梅田貨物線を経由して京都駅まで直通運転する「はるか」]] 大阪環状線 - 関西本線間の快速電車や、新快速の湖西線乗り入れ等、国鉄時代から実施されていた直通運転を、JR化後はそのネットワークを活用して一層拡大することとなり、特急列車の直通運転が開始された。[[1988年]]の[[なら・シルクロード博覧会]]を機に[[梅田貨物線]]の旅客使用を開始し、翌[[1989年]][[7月22日]]の関西本線と阪和線を結ぶ連絡線の開通に伴って、紀勢本線の[[特別急行列車|特急]]「[[くろしお (列車)|くろしお]]」や一部の阪和線(きのくに線)快速が新大阪駅まで乗り入れを開始した。[[1994年]][[6月]]には関西空港線の開業に合わせて京都駅 - 関西空港駅間に[[はるか (列車)|関空特急「はるか」]]の運転を開始した。 [[1980年代]]からの沿線の開発に伴う人口増加や郊外化、「[[のぞみ (列車)|のぞみ]]」の充実など新幹線の輸送改善を追い風に、アーバンネットワーク区間の利用客は年々増加し、ダイヤ改正のたびに利便性向上の施策がとられるようになった。[[1991年]][[9月]]には[[北陸本線]]の田村駅 - 長浜駅間が[[直流電化|直流]]化されて新快速が長浜駅まで運転されるようになった。[[1995年]]の[[阪神・淡路大震災]]では、いち早くJR神戸線が全線復旧し、利用客の増加に拍車をかけた。また、各線で新駅の設置や複線化等の輸送力増強工事が進められた。 運転系統の充実・既存線相互の直通運転に加え、[[1997年]]3月8日にはJR東西線が開業、[[2008年]]3月15日にはおおさか東線の南部分が開業し、大和路線からの直通列車も登場した。このおおさか東線は北部区間が[[2019年]]3月16日に開業、さらに大阪駅地下ホーム[[北梅田駅]](仮称)への乗り入れの実施もあり、上記私鉄各線と相互に利用が可能なエリアの拡大を含めた利便性の向上とネットワークの拡大は今後も続く予定である。 所要時間短縮を意識しすぎた余裕の少ない運行ダイヤは、わずかの事象で大きなダイヤの乱れにつながることとなった。また、直通運転の拡大はダイヤの乱れの影響を広範囲に及ぼすこととなった。[[2002年]][[11月6日]]、塚本駅 - 尼崎駅間で[[鉄道人身障害事故]]([[日本の鉄道事故 (2000年以降)#東海道線救急隊員死傷事故|消防隊員の死傷事故]])が発生した際、安全の確認より列車運行を優先させたとして批判があった。さらに[[2005年]][[4月25日]]の福知山線列車脱線事故では、余裕のないダイヤが乗務員に過度のプレッシャーをかけているのではないかと大きく批判を浴びることになったため、その後のダイヤ改正で余裕時間や駅停車時間が見直され、所要時間が増加している。特に翌[[2006年]][[3月18日]]のダイヤ改正では新快速の所要時間が運転開始以来初めて延びることとなった。 天王寺駅構内の阪和短絡線の複線化(2008年3月15日完成)などダイヤの安定性を高める施策や、保安装置の拡充などが今後も引き続いて進められることになっている。 === 旅客案内 === [[ファイル:JRW destination infomation shower-002.JPG|thumb|150px|主要駅仕様の発車標(大阪駅)]] [[ファイル:JRW destination infomation shower-001.JPG|thumb|150px|在線表示(大阪駅)]] 列車指令所による列車制御の一元化に合わせて、旅客案内の拡充なども進めている。 アーバンネットワーク内の各路線では、[[1997年]][[3月8日]]のダイヤ改正以降、駅の[[発車標]]・列車の行先表示や放送などで方面と行先を併記した「○○方面△△」(「姫路方面網干」「宝塚方面新三田」など)と案内される。これは新幹線からの乗り継ぎ客など、地名に馴染みのない利用客に配慮したもので、JR東海との[[共同使用駅]]となっている米原駅でも、同社の東海道本線(米原駅以東)で運転される列車のうち[[名古屋駅]]以東へ運転される列車に対して「名古屋方面○○」と案内している。また、京都駅以東の敦賀方面や東西線を介する直通運転など経路が複数存在する場合は、経由路線を明記した「XX線経由◇◇」(「湖西線経由敦賀」「東西線経由宝塚」など)といった表記も用いられている(JR東西線関連以外の本格実施は[[1999年]][[5月10日]]以降)<ref group="*">車両の表示は、3色LED表示器を装備した車両は行先の左側に2段で表示されるが、フルカラーLED表示器を装備した車両は行先の下にローマ字表記と切り替わる形で表示される。また、フルカラーLEDの場合、経由表記の文字は経由する路線のラインカラーで表示される。</ref>。また、各駅から京都・大阪・神戸など主要駅への先着列車の表示や放送を行っている。 2015年3月のダイヤ改正から路線記号を導入。[[吹田総合車両所]](日根野支所・奈良支所)の所属車両を皮切りに、2017年までに路線記号対応の種別幕に交換され、他路線へ直通運転する列車の場合、直通運転先の路線記号およびラインカラーを掲出するようになった。 ==== 発車標 ==== 発車標は[[発光ダイオード|発光ダイオード(LED)]]式を標準とし、一部[[プラズマディスプレイ]]式が採用され、ほとんどの駅に設置されている。 発車標には一部の駅と[[特別急行列車|特急]]・急行列車を除き、乗車位置が表示される<ref group="*">発車するホームが異なる場合は、乗車位置表示に「<span style="background-color:#ffffff; color:#000000; border:1px solid #000000; text-align:center;">&#x2009;○番のりば&#x2009;</span>」あるいは「<span style="background-color:#ffffff; color:#000000; border:1px solid #000000; text-align:center;">&#x2009;のりば○&#x2009;</span>」<!-- 熊取駅などでの表示例 -->などと表示されることがある。なお、[[尼崎駅 (JR西日本)|尼崎駅]]では発車標導入当初、ほかののりばから発車する列車の乗車位置表示欄に「<span style="background-color:#ffffff; color:#000000; border:1px solid #000000; text-align:center;">&#x2009;のりかえ&#x2009;</span>」と表示し、のりば番号は表示部右側に数字のみ表示する形式をとっていた。その名残で、同駅では2014年に更新された発車標においても「'''<span style="background-color:#ffffff; color:#000000; border:1px solid #000000; text-align:center;">&#x2009;のりかえ&#x2009;</span>表示の列車は他のホームへおまわりください'''」と、現状と異なる注意書きがされている。</ref>。ホームには目安となる印(△、↑、○、◇など)と数字が書かれている(例:「△ 1 △」)。扉数や編成数などで乗車位置が変わるので、乗客はこれに表示された位置に並ぶ方式となっている(表示形式の例:「△1〜12」「白○1〜7」)。列車が接近すると、到着・通過を知らせる接近表示が点滅するものもある。なお、運行管理システム導入線区や[[自動進路制御装置]] (SRC) 区間など一部の駅では、列車に遅延が発生した場合には遅延時間(「遅れ約○分」「Delay ○ minutes behind」、2時間以上の遅れの場合は「遅れ120分以上」「Delay 120 minutes over」)が表示される。大幅なダイヤ乱れ時には次の列車が到着するまでの時間が表示(「到着まで約○分」「○ min. until arrival」)されることもある。 阪和線(羽衣線区間を除く)/琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線・赤穂線(相生駅 - 播州赤穂駅間)/大阪環状線・JRゆめ咲線・大和路線・おおさか東線/学研都市線・JR東西線・JR宝塚線(尼崎駅 - 新三田駅間)/湖西線(山科駅‐近江今津駅間)では[[運行管理システム (JR西日本)|アーバンネットワーク運行管理システム]]と連動した表示となっている。また、次に到着する列車の現在位置表示も行われている。 ==== 異常時情報提供ディスプレイ ==== [[ファイル:JRW Infomation Display.JPG|thumb|150px|異常時情報提供ディスプレイ]] 2003年から一部の駅の改札口・[[コンコース]]付近にプラズマディスプレイを設置していたが、2008年4月1日から「異常時情報提供システム」に移行している。普段は自社の宣伝や運行情報などを表示しているが、異常時には[[近畿総合指令所]]が運転見合わせ区間や振替輸送区間などの情報を一括入力して路線図形式による案内を行っている。情報を提供する区間はアーバンネットワークの路線区と[[東海道・山陽新幹線]]・[[九州新幹線]]である<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/02/page_5249.html 山陽新幹線および近畿エリアの駅においてお客様への運行情報提供を充実します] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2014年2月27日</ref> 。2016年9月8日からは、表示路線が拡大され、路線記号・ラインカラーに対応したものに更新されている。{{-}} ==== 車内案内表示装置 ==== 221系・207系・223系および205系体質改善車にはLED式の旅客案内装置を、321系・225系には19インチの[[液晶ディスプレイ]] (LCD) タイプの案内装置を、323系には17インチのワイドLCDを、223系1000・2000番台改造車には20.7インチのワイドLCDをそれぞれ設置しており、号車表示(207系未更新車を除く)・行先・停車駅・次駅案内や自社PRなどを行っている。また、321系・225系・323系および223系1000・2000番台改造車ではLCDで広告・生活情報・ニュース・天気予報([[WESTビジョン]])と文字による運行情報を表示している<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174612_799.html 京阪神近郊エリアを運転する電車内での運行情報提供開始について] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年12月16日</ref>。ダイヤ乱れによる運用変更や表示不具合などの場合は種別・行先のみを表示するか、JR西日本のロゴが表示される<ref group="*">321系の場合、以前はアーバンネットワーク全体の路線図が表示されていた。</ref>。 なお、JR京都・神戸線で運用される223系330両について、2021年度までにLCD式案内装置への交換が進められた<ref>[https://www.westjr.co.jp/press/article/2020/02/page_15648.html 2020年2月 定例社長会見] - JR西日本公式プレスリリース</ref>。 <gallery> ファイル:JRW series321-Display.jpg|321系の液晶モニタ ファイル:LCD over passenger doors on JR West Mc322-1.jpg|323系の液晶モニタ ファイル:JRW Series 223 set V13 interior display 01.jpg|223系2000番台の液晶モニタ(旅客案内用) ファイル:JRW Series 223 set V13 interior display 02.jpg|223系2000番台の液晶モニタ(広告・運行表示用) </gallery> {{-}} === 自動改札機・Jスルーカード・ICOCAの導入 === 駅の利便性向上にも重点が置かれており、1997年のJR東西線開業を機に京阪神エリア全駅で[[自動改札機]]および[[磁気]]券の本格導入を開始した。1999年には[[Jスルーカード]]([[乗車カード#ストアードフェアカード|ストアードフェアシステム]])を導入、2003年からは[[ICカード]]「[[ICOCA]]」を導入している。さらに2006年から「[[PiTaPa]]」との相互利用を開始するなど他社ICカードとの相互利用も行い、利便性向上を進めている。なおICOCAの普及に伴い、Jスルーカードは2009年3月1日をもって自動改札機および自動精算機での利用を終了し、自動券売機での支払いにのみ使用可能となった。アーバンネットワークとICOCAの利用可能駅は完全に一致しておらず、一部の駅(関西本線柘植駅 - 加茂駅、和歌山線五条駅 - 和歌山駅、紀勢本線海南駅以南の特急停車駅を除く全駅、山陽本線相生駅 - 上郡駅など)では利用できない。また、[[大都市近郊区間 (JR)|大阪近郊区間]]とも完全に一致していない。2018年10月からは、「[[昼間特割きっぷ]]」に代わるサービスとして、利用回数や時間帯に応じて運賃割引が受けられる「ICOCAポイントサービス」が開始された。 なお、ICOCAについてはアーバンネットワーク外・近畿エリア外でも順次導入されている。<!--アーバンネットワーク独自の施策ではないため明記。--> === 女性専用車の導入 === [[ファイル:Broading point for womanonly.jpg|thumb|150px|女性専用車と乗車位置]] 主に[[痴漢]]などの車内での迷惑行為を防止するために、2002年から関西で初めて[[日本の女性専用車両|女性専用車]]を導入している。指定の車両および乗車位置に黄緑色を用いた案内ステッカーが、ドア窓に小型の鏡ステッカー(ガラス貼付面は青色)が貼付されていたが、2011年春から案内ステッカーが大型化され、ピンク色が用いられるようになった。当初は4扉車のみに導入されていたが、2016年以降は3扉車にも女性専用車が設定されるようになった<ref>[http://railf.jp/news/2016/04/06/120000.html 225系5100番台の6両固定編成が登場] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp 鉄道ニュース 2016年4月6日</ref><ref>『鉄道ピクトリアル』2016年9月号 p.106 </ref><ref>[https://trafficnews.jp/post/62529/4 「専用車両」登場で大阪環状線どう変わる? 新型323系電車の魅力とは] 乗りものニュース 2016年12月31日 </ref>。なお、ダイヤ乱れ等の理由で、女性専用車の設定が解除される場合がある。 ; 導入時期 2002年7月1日より、大阪環状線の平日の始発から9時までの周回列車および、学研都市線の平日の始発から9時までに京橋駅に到着する下り列車の最後部車両を女性専用車として試験的に導入し<ref>[http://replay.waybackmachine.org/20020808071511/http://www.westjr.co.jp/news/k020515.html 2002年5月定例会見](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2002年5月15日</ref>、同年10月1日から本格的に導入した。その後、同年12月2日からはJR京都線・JR神戸線・JR宝塚線などにも拡大して、平日の17時から21時までの時間帯についても女性専用車の設定を行い<ref>[http://replay.waybackmachine.org/20021203004309/http://www.westjr.co.jp/news/021017a.html 〜より快適な車内環境をめざして〜「女性専用車」を拡大します](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2002年10月7日</ref>、2004年10月18日からは大和路線・和歌山線・阪和線にも導入した<ref>[http://replay.waybackmachine.org/20041022202346/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/040721a.html 阪和線、大和路線に「女性専用車」を拡大します](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2004年7月21日</ref>。さらに2011年4月18日からは、JRゆめ咲線にも女性専用車を導入するとともに、平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで女性専用車が設定されるようになった<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175252_799.html 女性専用車の全日化・終日化について] ・ [http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175270_799.html 車両保守部品の不足に伴う列車運転計画の見直しについて] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年3月4日・2011年4月6日</ref>。 {|class="wikitable" rules="all" style="text-align:font-size:90%" |+女性専用車の連結位置 |- !線区 !! 有効区間 !! 種別 !! 連結位置 |- !大阪環状線<br />JRゆめ咲線 |全区間 |普通 |323系8両編成の'''4号車''' |- !学研都市線<br />JR東西線 |全区間 |普通・区間快速・快速 | rowspan="3"|207系・321系7両編成の'''5号車''' <br />(木津・野洲寄りから3両目) |- !琵琶湖線<br />JR京都線<br />JR神戸線 |野洲駅 - 加古川駅間 |普通<br /> <small>(京都駅・高槻駅 - 明石駅間で快速運転を行う列車を除く)</small> |- !JR宝塚線 |全区間 |普通・快速 |- !阪和線 |羽衣線を除く全区間 |普通・区間快速 |225系6両編成の'''3号車''' |- !大和路線 |奈良駅 - JR難波駅間 |rowspan="2"|普通・快速 |rowspan="2"|201系・221系6両編成の'''3号車''' |- !和歌山線 |王寺駅 - 高田駅間 |- !おおさか東線 |全区間 |普通 |221系6両編成の'''3号車''' |- |} == 安全対策 == === ホーム柵の設置 === 旅客の転落防止のため、一部の駅に[[ホームドア|ホーム柵]]として通過線ホーム柵・可動式ホーム柵・昇降式ホーム柵が設置されている<ref name="safety">[https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2019_05.pdf データで見るJR西日本2019:安全] - 西日本旅客鉄道</ref>。 通過線ホーム柵は、JR京都線・JR神戸線・阪和線の一部の駅ホームにおいて、通常は列車が停車しないのりばに設置されている。異常時など臨時停車を行う際には、駅係員の操作により手動でホーム柵を開閉できる。 可動式ホーム柵は、全列車4扉車で運転されるJR東西線の[[北新地駅]]・[[大阪天満宮駅]]<ref>[https://web.archive.org/web/20110514223705/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175201_799.html 2011年2月定例社長会見](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年2月18日</ref><ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2012/03/page_1552.html 大阪天満宮駅の可動式ホーム柵使用開始について] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2012年3月5日</ref>での設置を皮切りに、JR京都線や大阪環状線など停車する車両の扉数が統一されているホームへの設置が進められている。また、扉の数や位置の異なる様々な車両に対応できるホーム柵として、2013年12月5日から2014年3月まで桜島駅において昇降式ホーム柵が試行された<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2013/09/page_4431.html 2013年9月定例社長会見] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2013年9月11日</ref><ref>{{YouTube|DNDj4ncTZ-Y|【<公式>JR西日本】昇降式ホーム柵}}</ref>。これは、ロープが支柱に固定されて支柱そのものが昇降する仕組みで、2014年12月13日から六甲道駅で試験が行われた。このホーム柵は[[高槻駅]]の新設ホームに設置され、2016年3月26日のダイヤ改正から使用を開始した<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/03/page_5323.html 2014年3月定例社長会見] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2014年3月12日</ref><ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2015/03/page_6964.html 六甲道駅「昇降式ホーム柵」を継続設置します 「昇降式ホーム柵」を高槻駅に設置します] - JR西日本プレスリリース</ref><ref>{{Cite news |title=JR西日本 京橋、高槻駅でホーム柵使用開始 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2016-03-14 }}</ref><ref>{{Cite press release |和書 |title=京橋駅で可動式ホーム柵を使用開始します。/高槻駅で昇降式ホーム柵を使用開始します。/新神戸駅で新しい可動式ホーム柵を試行開始します。|publisher=西日本旅客鉄道 |date=2016-03-04 |url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2016/03/page_8417.html |accessdate=2016-03-25 |archiveurl=https://megalodon.jp/2016-0325-2213-27/https://www.westjr.co.jp:443/press/article/2016/03/page_8417.html |archivedate=2016-03-25 }}</ref>。 <gallery> ファイル:JRwest formfence.jpg|通過線ホーム柵 ファイル:JRW plathome-door.jpg|可動式ホーム柵 ファイル:Boarding Gate at Rokkomichi Station Track 3.jpg|昇降式ホーム柵(左が閉扉状態、右が開扉状態) </gallery> === 夜間視認性向上装置の設置 === [[ファイル:TC-PAC_on_JRW_Hirano_station_1849.jpg|thumb|150px|right|夜間視認性向上装置(通常型)]] 夜間での客扱い中に、最後尾の車掌から最前部付近の乗降が確認しづらい状況を解消するため、一部の駅において、[[夜間視認性向上装置]] (TC-PAC) が設置されている。乗降客が装置からの光源を遮ることにより、車掌に旅客の存在が分かる仕組みとなっている。 === ATS-Pの整備 === アーバンネットワークの高密度線区を対象に、従来より高度な信号保安方式である[[自動列車停止装置#国鉄・JR(一部私鉄)のATS|ATS-P型]]の整備を進めている。なお、導入はすべての信号機にATS-P形の地上子を設ける'''全線P方式'''と、場内信号機・出発信号機および一部の閉塞信号機のみATS-P形の地上子を設けることで簡素化した'''拠点P方式'''の2つがある。アーバンネットワークでは、和歌山線・万葉まほろば線・赤穂線・北陸本線・和田岬線・関西本線・紀勢本線以外の線区にATS-P型が整備されている<ref name="safety" />。 == プロジェクト == === 新駅の設置 === [[ファイル:070531 sakurashukugawa.jpg|thumb|150px|さくら夙川駅]] [[ファイル:JR西日本ひめじ別所駅.JPG|thumb|150px|ひめじ別所駅]] 利便性の向上および複数路線を利用可能とすることによる鉄道の利用機会創出のため、新駅の設置を進めている。以下、2004年以降のアーバンネットワークでの新駅開業状況を記す<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2014_11.pdf データで見るJR西日本 2014 - 駅]}} - 西日本旅客鉄道</ref>。 * [[2004年]][[3月13日]] : 和歌山線 [[JR五位堂駅]] * [[2005年]][[3月1日]] : JR神戸線 [[ひめじ別所駅]] * [[2007年]][[3月18日]] : JR神戸線 [[さくら夙川駅]] * [[2008年]][[3月15日]] : JR京都線 [[島本駅]]、JR神戸線 [[須磨海浜公園駅]]、山陽本線 [[はりま勝原駅]] * 2008年[[10月18日]] : JR京都線 [[桂川駅 (京都府)|桂川駅]] * [[2016年]][[3月26日]] : JR神戸線 [[摩耶駅]]、[[東姫路駅]] * [[2018年]][[3月17日]] : JR京都線 [[JR総持寺駅]]、おおさか東線 [[衣摺加美北駅]] * [[2019年]][[3月16日]] : 嵯峨野線 [[梅小路京都西駅]]<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2015/02/page_6764.html 嵯峨野線都〜丹波口駅間 新駅設置に関する京都市との合意について] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2015年2月2日</ref> === JR東西線の開業 === 学研都市線京橋駅からJR宝塚線尼崎駅までの12.5kmを結ぶJR東西線が[[1997年]][[3月8日]]に開通し、同線を介して[[関西文化学術研究都市]]のある京阪奈丘陵と三ノ宮・神戸方面や[[神戸三田国際公園都市]]がある[[北摂]]・[[北神]]地域の直通運転が開始された。 === 主要ターミナル駅の改良と駅周辺の再開発 === [[ファイル:JRW osaka-station 201104.jpg|thumb|150px|グランドオープン目前の大阪駅(2011年4月)]] [[梅田信号場|梅田貨物駅]]周辺の[[大阪駅北地区]]は「都心に残された最後の一等地」として大規模な再開発が進んでおり、これに合わせて大阪駅の改良工事が進められた。工事は、橋上駅舎とホームを覆うドームの新設、コンコースとホームの改良などによるバリアフリー施設の整備、新北ビル(メインテナントは[[三越伊勢丹]])の建設、アクティ大阪の増床などで、2011年5月4日に「[[大阪ステーションシティ]]」としてグランドオープンした([[大阪2011年問題]]も参照)。また2012年10月には桜橋口の駅ナカ施設のリニューアル(エキマルシェ大阪)が完成している<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2012/10/page_2783.html 平成24年10月31日開業の 「エキマルシェ大阪」 開業初日の売り上げは3千万円、来場者数7万人に!] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2014年10月31日</ref>。 新大阪駅ではおおさか東線整備事業に伴って改良工事が行われており、在来線改札口・コンコースの改良などが行われている<ref name="2014project">{{Cite web|和書|title=データで見るJR西日本 2014 - 施工中および今後のプロジェクト|publisher=JR西日本|url=http://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2014_21.pdf|format=PDF|accessdate=2015-03-18|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150429054255/http://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2014_21.pdf|archivedate=2015-04-29|deadlinkdate=2018-06-07}}</ref>。2014年3月にはコンコース内に大規模な駅ナカ施設(エキマルシェ新大阪)が一部完成した<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/12/page_6531.html 『エキマルシェ新大阪』来年3月4日に第1期オープン!] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2014年12月9日</ref>。 天王寺駅では[[関西国際空港]]開港前後を境に改良工事が進み、阪和短絡線の新設(後述)と大和路線ホームの拡張、[[天王寺ミオ]]の建設やステーションプラザてんのうじ(現在の[[天王寺ミオプラザ館]])の改装・増床、[[駅ナカ]]の充実などの工事が行われた。2010年以降も、[[あべのハルカス]]など駅周辺の再開発事業と連携する形で中央口を中心に改良工事を行い、2012年11月にはコンコース内にコンビニとスイーツ販売との複合店舗(アントレマルシェ天王寺)が開業<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2012/11/page_2785.html JR天王寺駅にコンビニとお土産の複合型店舗「アントレマルシェ」オープン!] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2012年11月1日</ref>。天王寺ミオプラザ館の再改装工事も2013年3月に終了し、同月リニューアルオープンした。2017年以降は東口の橋上通路の耐震リニューアル工事も行われている。 京都駅でも駅ビルの完成に合わせて[[1997年]]までに大規模な改良工事を行い、嵯峨野線・関空特急「はるか」、奈良線用のホーム増設、近鉄京都駅との改札分離、駅舎橋上化に伴う自由通路の新設などを行った。1997年以降もさらなる改良工事が行われ、2007年には駅西側に[[ビックカメラ]]京都店を開業させている。また2008年2月には自由通路の西側に「スバコ・[[ジェイアール京都伊勢丹]]」が開業し、大規模な[[駅ナカ]]が完成した。 そのほかの駅でも、駅ナカの充実など駅自体の集客能力の向上を進めている。 === 輸送改善 === ==== 桜島線(JRゆめ咲線) ==== {{Main|桜島線#輸送改善}} [[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]] (USJ) を核とした[[土地区画整理事業一覧|土地区画整理事業]]により安治川口駅 - 桜島駅間の線路移設工事を[[2001年]][[3月]]に完了し、同時に[[ユニバーサルシティ駅]]を開業させるとともに、公募により「JRゆめ咲線」の愛称が付けられた。また、USJにちなんだ4種類のラッピング列車の運行を開始し、一部を除き線内折り返しのみの運転から大阪環状線への直通運転を大幅に増発するなどUSJアクセスとしての輸送改善を行った。 ==== 奈良線 ==== {{Main|奈良線#輸送改善}} 沿線人口の増加や、JR東海の「[[そうだ 京都、行こう。]]」キャンペーン、1997年の4代目京都駅ビル開業の効果による利用増加が著しく、大規模な輸送改善が行われた。2001年3月に京都駅 - [[JR藤森駅]]間、[[宇治駅 (JR西日本)|宇治駅]] - [[新田駅 (京都府)|新田駅]]の複線化および[[JR小倉駅]]の開業、駅・分岐器・信号設備改良などの工事が完成、列車の速達化や増発、ラッシュ時の快速設定が実現した。これらの一連の輸送改善の資金は京都府の負担のウェイトが高い。 また、残る単線区間のうち、JR藤森駅 - 宇治駅間 (9.9km)、新田駅 - 城陽駅間 (2.1km)、山城多賀駅 - 玉水駅間 (2.0km) の3区間、合計約14kmが2023年春に複線化され、複線化率は23.6%から64.0%に向上した<ref name="2014project" />。 一方[[環境省]]が2015年(平成27年)に[[国土交通大臣]]に提出した、奈良線の複線化事業に係る環境影響評価<ref>環境省「奈良線第2期複線化事業(JR藤森~宇治・新田~城陽・山城多賀~玉水間複線化)に係る環境影響評価書に対する環境大臣意見の提出について(お知らせ)」(2015年12月18日)[https://www.env.go.jp/press/101807.html]</ref>における、沿線環境対策についての指摘項目では、「適切な環境保全措置を講じ、転動音、車両機器音及び構造物音の低減を図ること」として、[[ロングレール]]化や鉄橋におけるコンクリート床版化の極力導入と並び、「[[国鉄103系電車|103系]]からの代替による低騒音型機器搭載車両の導入推進」が求められており、阪和線で運用を終えた[[国鉄205系電車|205系]]が転属し、2018年3月17日のダイヤ改正から営業運転を開始した。 ==== 片町線(学研都市線) ==== {{Main|片町線#輸送改善}} [[関西文化学術研究都市]]へのアクセス改善のため高速化と各種改良工事が行われた。[[松井山手駅]] - [[京田辺駅]]間の高速化工事では、[[大住駅]]・京田辺駅の構内改良、JR三山木駅付近の線路移設および高架化が行われ、列車の増発と京田辺駅までの7両編成での運行が可能になった。 さらに京田辺駅 - 木津駅間の輸送改善工事で、[[同志社前駅]] - 木津駅間でホーム延伸工事が行われ、[[2010年]][[3月13日]]以降、全線で7両編成での運行となり、京田辺駅での[[増解結]]作業を解消している。 ====山陰本線(嵯峨野線)==== {{Main|嵯峨野線#輸送改善}} 奈良線同様に利用が急増し、1996年に二条駅 - 花園駅間の高架化、2000年に二条駅 - 花園駅間を複線化するなど、線路移設や部分的な複線化によって輸送改善を行ってきたが、2003年からはさらなる輸送力増強のため、京都駅 - 園部駅間の全線複線化工事および嵯峨嵐山駅・亀岡駅の改良工事と、周辺道路の混雑解消と安全確保のため花園駅 - 嵯峨嵐山駅間の高架化工事が行われた。 [[2008年]][[12月14日]]のダイヤ改正をもって馬堀駅 - 亀岡駅間が複線化されて以来、工事の進捗に合わせて部分的に複線化されていたが、2010年3月13日のダイヤ改正時点をもって、京都駅構内の一部を除く全線が複線化された。また、国鉄型の113系・115系が運用を離脱し、JR発足後に製造された221系・223系に置き換えられた。 === おおさか東線整備事業 === {{Main|おおさか東線#建設の経緯}} おおさか東線は、[[大阪外環状鉄道]]を事業主体とし、JR京都線[[新大阪駅]] - 大和路線[[久宝寺駅]]間約20.3kmを、[[おおさか東線#城東貨物線|城東貨物線]]を活用して旅客化する事業で、[[2008年]]3月15日に大和路線久宝寺駅 - 学研都市線[[放出駅]]間 (9.2km) が部分開業し、途中に5駅が新設された。これにより、奈良駅 - 尼崎駅間におおさか東線・[[JR東西線]]経由の[[おおさか東線#運行形態|直通快速]]の運転を開始した。その後、[[JR長瀬駅]] - [[新加美駅]]間に新駅を設置することが決定し、[[衣摺加美北駅]]として[[2018年]]3月17日に開業した。 当初新大阪駅 - 放出駅間(11.0km)は2012年春開業の予定であったが、新大阪駅から[[梅田貨物線]]を経由し、再開発が進められている[[大阪駅北地区|梅田北ヤード]]地区に設けられる地下新駅(仮称は[[北梅田駅]]だった)に乗り入れる計画に変更された影響で開業時期に遅れが生じた。同区間は[[2019年]]3月16日に開業し、途中に4駅が新設され、先述の直通快速は新大阪駅発着となった。新大阪駅 - 大阪駅間は[[2023年]]3月18日に開業し<ref>[http://www.city.osaka.lg.jp/toshikeikaku/page/0000375994.html うめきた2期区域新駅設置事業] - 大阪市都市計画局、2019年3月17日閲覧。</ref>、開業にあわせて大阪駅改札内に地下連絡通路を整備し、北梅田駅を大阪駅として扱うことになった<ref>{{Cite web|和書|title=うめきた新駅名称「大阪駅」に JR西、地下に連絡通路|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57215630V20C20A3AC8000/|website=日本経済新聞|date=2020-03-25|accessdate=2020-03-25|language=ja}}</ref>。 {{-}} === 天王寺駅阪和短絡線複線化 === [[ファイル:Hanna_renraku-sen_Fukusen_DSC04159.jpg|thumb|150px|阪和短絡線]] 天王寺駅構内の関西本線と阪和線を結ぶ短絡線は[[1989年]][[7月]]の完成以来、単線運転を行っていたが、関西本線との平面交差の解消と大阪環状線 - 阪和線間の直通列車増発を目的に[[複線]]化工事が行われ、2008年3月15日のダイヤ改正より使用を開始した。阪和線・関西空港線・きのくに線方面への直通列車は天王寺駅16番のりばから15番のりば発着に変更、あわせて[[新今宮駅]]でも配線の変更が行われ、大阪環状線方面への直通列車を一部4番のりば発着としている。{{-}} === 立体交差事業 === [[ファイル:JRW nagai.jpg|thumb|150px|高架化された長居付近]] 踏切の廃止による交通渋滞の解消や、鉄道線路による市街地分断の弊害をなくすため、[[連続立体交差事業]]および限度額立体交差事業が沿線自治体とともに進められている。以下にその供用開始時期を記す<!--供用開始イコール事業完了ではないため。-->。 ; 連続立体交差事業 : [[1989年]][[3月]] : 学研都市線 [[住道駅]]および駅付近 : [[1996年]]3月 : 大和路線 [[今宮駅]] - JR難波駅間 : [[2004年]]12月 : JR神戸線 [[加古川駅]]および駅付近 : [[2006年]][[5月]] : 阪和線 [[美章園駅]] - [[杉本町駅]]間 : [[2008年]][[12月]] : JR神戸線・姫新線・播但線 姫路駅および駅付近 : [[2010年]]3月 : 大和路線・万葉まほろば線 奈良駅および駅付近、嵯峨野線 花園駅 - 嵯峨嵐山駅間 ; 限度額立体交差事業 : [[2017年]][[10月]]:阪和線 [[東岸和田駅]]および駅付近 <!-- ←東岸和田駅付近は限度額立体交差事業で実施しているのであって、連続立体交差事業で実施はしていません。「 https://www.city.kishiwada.osaka.jp/soshiki/3/karinobori.html 」に記載。大阪府の連続立体交差事業実施一覧「 https://www.pref.osaka.lg.jp/toshikotsu/renritsujigyouchu/ 」にも記載なし。 --> == その他 == === 「JR」を冠した駅 === 1994年9月4日に湊町駅から改称したJR難波駅を皮切りに、新駅開業・駅名変更の際に、他社線の同名の駅との混同を避ける場合に正式駅名に「JR」を冠した駅が登場するようになった。それまでは、同名駅が存在しても「JR」を付けていなかった<ref group="*">[[小野駅 (滋賀県)|小野]]・[[太秦駅|太秦]]・[[六地蔵駅|六地蔵]]の各駅。ただし、小野駅は既存の駅が[[小野駅 (兵庫県)|兵庫県]]など離れたところにあり、太秦駅は先に名乗っていた[[京福電気鉄道]][[嵐山本線]]の駅が[[2007年]]に[[太秦広隆寺駅]]と改称している。</ref><ref>{{Cite journal |和書|title=JR西日本アーバンネットワーク輸送改善の経過|author=簑輪博司 |journal=[[鉄道ピクトリアル]] |issue=662 |publisher=[[電気車研究会]] |date=1998-12-01 |pages=19 |}}</ref>。2022年現在、「JR」を冠する駅は11駅存在し、そのうちの5駅がおおさか東線に集中している。なお、[[JR]]グループ全体において、JR西日本のアーバンネットワーク外に「JR」を冠した駅は一切存在しない<ref group="*">JR以外では、[[伊予鉄道]][[伊予鉄道大手町線|大手町線]](松山市内線)の[[松山駅_(愛媛県)#伊予鉄道_2|JR松山駅前停留場]]が存在する。</ref>。 {| class="wikitable" |+ !駅名 !路線 !開業・改称日 !他社線の同名の駅 !備考 |- |[[JR難波駅]] |関西本線(大和路線) |1994年9月4日(湊町駅から改称) |Osaka Metro 御堂筋線・四つ橋線・千日前線 [[難波駅 (Osaka Metro)|難波駅]] 南海本線・高野線 [[難波駅 (南海)|難波駅]] 近鉄難波線・阪神なんば線 [[大阪難波駅]] |1996年3月22日に地下化開業 |- |[[JR三山木駅]] |片町線(学研都市線) |1997年3月8日(上田辺駅から改称) |近鉄京都線 [[三山木駅]] |2002年3月16日に高架化開業 |- |[[JR藤森駅]] |奈良線 |1997年3月8日 |京阪本線 [[藤森駅]] | |- |[[JR小倉駅]] |奈良線 |2001年3月3日 |近鉄京都線 [[小倉駅 (京都府)|小倉駅]] | |- |[[JR五位堂駅]] |和歌山線 |2004年3月13日 |近鉄大阪線 [[五位堂駅]] |五位堂信号場より駅に昇格 |- |[[JR河内永和駅]] |おおさか東線 |2008年3月15日 |近鉄奈良線 [[河内永和駅]] | |- |[[JR俊徳道駅]] |おおさか東線 |2008年3月15日 |近鉄大阪線 [[俊徳道駅]] | |- |[[JR長瀬駅]] |おおさか東線 |2008年3月15日 |近鉄大阪線 [[長瀬駅]] | |- |[[JR総持寺駅]] |東海道本線(JR京都線) |2018年3月17日 |阪急京都本線 [[総持寺駅]] | |- |[[JR淡路駅]] |おおさか東線 |2019年3月16日 |阪急京都本線・千里線 [[淡路駅]] | |- |[[JR野江駅]] |おおさか東線 |2019年3月16日 |京阪本線 [[野江駅]] | |} === 運行管理システムの導入 === {{Main|運行管理システム (JR西日本)}} 運転本数の高密度化により、各駅で行っていた進路制御を大阪総合指令所にて一元管理し、列車の進路を自動制御する運行管理機能と、旅客に対して運転状況を自動的に案内する機能をもつ。関西空港線開業を控えた阪和線が1993年7月1日に導入したのを皮切りに、アーバンネットワークの一部線区で導入している。導入線区は以下の通り<ref name="safety" />。 * 阪和線 : 羽衣線を除く全線 * 関西空港線 : 関西空港駅構内のみ * 北陸本線・琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線・山陽本線 : 近江塩津駅 - 上郡駅間 * 赤穂線 : 相生駅 - [[西浜駅]](貨物)間<!--<ref name="westjr20060920" />--> * おおさか東線 : [[放出駅]](構内を除く) - 久宝寺駅間 * 大阪環状線・JRゆめ咲線 : 全線 * 大和路線 : JR難波駅 - 加茂駅間 * [[福知山線]](JR宝塚線) : [[尼崎駅 (JR西日本)|尼崎駅]](構内を除く) - [[新三田駅]]間 * [[JR東西線]] : 尼崎駅構内を除く全線 * [[片町線]](学研都市線) : 支線および木津駅構内を除く全線 === 列車運行情報 === 2008年2月からJR東日本との提携で相互に遅延などの運行情報の共有を開始するとともに、JR東日本管内で実施されている「運行情報メールサービス」の利用が可能になった。なおJR西日本の公式サイト「JRおでかけネット」ではより詳細な情報のほか、[[振替輸送]]の情報もあわせて掲載される。 2013年3月1日より運行情報のエリアが細分化され、京阪神・和歌山([[西日本旅客鉄道和歌山支社|和歌山支社]]管内)・北近畿([[西日本旅客鉄道福知山支社|福知山支社]]管内)・特急列車の別に掲載されている。 == 乗車券など == * [[ICOCA]](のち、他地域にも拡大。供用状況は当該項目を参照) * [[昼間特割きっぷ|昼特きっぷ]](2018年9月で発売終了) * [[Jスルーカード]](すでに発売を終了し、自動券売機で乗車券に引き換えることにより使用できる) * [[関西1デイパス|関西1デイ納涼パス・秋の関西1デイパス・冬の関西1デイパス・春の関西1デイパス]] * 関西おでかけパス(すでに発売を終了し、一部私鉄も利用可能な関西1デイパスに移行) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="*"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [http://www.westjr.co.jp/company/issue/data/ データで見るJR西日本] - 西日本旅客鉄道 == 関連項目 == * [[電車特定区間]] * [[大都市近郊区間 (JR)]] * [[特定都区市内]] * [[国電]]・[[E電]] * [[京阪神快速]] * [[京阪神緩行線]] * [[電車線・列車線]] * [[広島シティネットワーク]] == 外部リンク == * [https://www.train-guide.westjr.co.jp/area_kinki.html 路線選択(近畿エリア):JR西日本 列車走行位置] * {{PDFlink|[http://www.jr-odekake.net/eki/pdf/ubn.pdf 路線図]}} - 西日本旅客鉄道 {{アーバンネットワーク}} {{DEFAULTSORT:ああはんねつとわあく}} [[Category:近畿地方|ああはん]] [[Category:西日本旅客鉄道の鉄道路線|*]] [[Category:鉄道のサービス]] [[Category:近畿地方の鉄道路線|*]]
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東北地方
東北地方(とうほくちほう)は、日本の地域のひとつであり、本州東北部に位置する。「奥羽地方(おううちほう)」ともいう。最大都市は仙台市である。 その範囲に現行法上の明確な定義はないものの、一般には青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県を指す。これら6県は、本州の約3割の面積を占める。東北地方は東日本に位置するが、気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本とされる。 プレート理論では、東北地方は北海道とともに北アメリカプレート上に存在し、東側から太平洋プレートが日本海溝で潜り込んでいる。そのため、海溝型を中心に地震が多く、ときには東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)のようにマグニチュード9を超える大規模な地震が起こることもある。東北地方の中央には、日本海溝と平行に南北に那須火山帯が走っている。この火山帯の上には、下北半島の恐山山地、および、南北に長く奥羽山脈が連なっており、北から恐山、八甲田山・八幡平・岩手山・栗駒山・蔵王連峰・吾妻連峰・安達太良山・那須岳などの火山が多くある。那須火山帯(奥羽山脈)の上には十和田湖・田沢湖・鬼首カルデラ・蔵王の御釜周辺などのカルデラ地形が見られ、火山の恩恵である温泉も多い。なお、猪苗代湖は断層湖である。 日本海側には、ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界が南北に走っているため、那須火山帯と平行に鳥海火山帯が南北に走っている。この火山帯の上には、白神山地・出羽山地(太平山地・朝日山地・飯豊山地)・越後山脈が連なっており、岩木山・鳥海山・月山などの美しい稜線を持った火山が見られる。山地が海に接する部分では、海岸沿いに温泉が湧いており、海を眺めながら入浴することができる。 太平洋側には北上山地と阿武隈高地がある。これらは、隆起地形が侵食され、現在は老年期地形となった、なだらかで低い山地である。残丘として標高1917mの早池峰山があるが、基本的になだらかな山地で、奥羽山脈より日本海側と比べると積雪も少ないためスキー場が少なく、火山帯ではないため温泉も少ない。ただし昔、海底にあって隆起した証拠である鍾乳洞などの石灰岩地形が多く見られる。北上山地が海にせり出しているリアス式海岸の三陸海岸では、石灰岩が波に洗われてつくりだされた複雑な海岸線や真っ白な砂浜が見られ、親潮のコバルトブルーの海とコントラストを作り出している。阿武隈高地と太平洋の間は離水海岸となっており、リアス式海岸の間の海が埋め立てられたような小規模な沖積平野が小高い山地と交互に存在しながら延々と続く。 これら3連の南北に連なる山脈・山地の間には、北上川、阿武隈川、雄物川、最上川などの河川が流れ、多くの盆地や平野を作り出している。 気候は、小地形による修飾があるが、大きく日本海沿岸、那須火山帯山麓と西側(盆地)、那須火山帯山麓を除く東側(盆地)、太平洋沿岸 の4つのグループに分かれており、それぞれ異なった傾向を持っている。また、それぞれのグループごとに、北と南で微妙な違いもある。宮城県・福島県の太平洋沿岸を除いて全域が豪雪地帯で、一部特別豪雪地帯もある。 日本海沿岸と那須火山帯山麓と西側(盆地)の「日本海側グループ」は、日本海側気候となっており、夏季はフェーン現象により、晴天が多く、非常な高温になることがある(山形市で40.8度を記録)。しかし、昼間の高温の割りに夜間は気温が下がって過ごし易い。冬季は、日照時間が少なく、豪雪地帯となっているところが多いが、特に奥羽山脈西側の盆地の降雪量が多い。 太平洋側の那須火山帯山麓を除く東側(盆地)は、太平洋側気候と内陸性気候を併せ持つ。夏季は、フェーン現象により高温となる日と、太平洋沿岸地域のような曇天で気温が低い日との両方がある。冬季も、寒気団や北風・西風などの諸要因が強いと日本海側のように雪が降る場合がある一方、太平洋沿岸地域のように、晴天になる日も多い。 太平洋沿岸は、太平洋側気候と海洋性気候を併せ持つ。夏季は、北部・中部は通常曇天で気温が上がらず、数年毎にやませの流入により、低温で悪天候の冷夏となる年がある。南部(福島県浜通り)の夏季は、太平洋高気圧の影響下に入り易く、高温で晴天の日が多い。中部・南部は、冬季の積雪量は少なく、晴れて空気は乾燥する。 主な都市の冬 (平年値) 日本海沿岸、那須火山帯山麓と西側、那須火山帯山麓を除く東側、太平洋沿岸 の4グループに色分けしてある。 主な都市の夏 (8月 の平年値) 日本海沿岸、那須火山帯山麓と西側、那須火山帯山麓を除く東側、太平洋沿岸 の4グループに色分けしてある。 古代の東北地方において、(1)多賀城が設置されて早くから畿内に本拠地を置く政権の勢力が及んだ南東北、畿内政権の影響力が弱く、俘囚や奥州藤原氏の本拠となっていた北東北、といった古代からの南北区分と;(2)陸奥国の「内陸国」「政治勢力の地盤」、出羽国の「沿岸国」「経済勢力の地盤」の境界であった奥羽山脈による東西区分が、意味を変えながらも現代の東北地方内の区分と似た状況になっている。 ただし、文化的には戦国時代の大名の支配圏や、江戸時代の藩による区分の方が影響を残しており、また、新幹線・高速道路・空港から遠い三陸沿岸や下北半島も、少なくとも意識の上では他の都市圏から独立した独自の地域圏を形成している。 東北地方は「太平洋側」と「日本海側」の2つに区分されることがある。両者の境界は、那須火山帯上にある恐山〜奥羽山脈の線、または中央分水嶺による竜飛岬(津軽半島)〜奥羽山脈とする線などがある。 この分類は、気候 による区分でよく用いられ、日本海側は脊梁山脈である奥羽山脈の西側にあるため、特に日本海側盆地(国道121号・国道13号・国道105号沿線)は冬の降雪量が多く、日本海沿岸(国道7号沿線)は風が強い地域である。一方、太平洋側は奥羽山脈の東側にあり、太平洋側盆地(国道4号沿線)は内陸性気候であるが降雪量は奥羽山脈西側ほど多くなく、太平洋沿岸(国道6号・国道45号沿線)は冬でも晴れが多くて雪がめったに降らない。夏の気候では、日本海沿岸はフェーン現象のために晴天で気温が上昇し易いが、太平洋沿岸はやませの影響で気温が低い年がある。 また、海流の面で、太平洋側は親潮と黒潮、日本海側は対馬海流(とリマン海流)の影響を受けるため、海運 の面でも「太平洋側」と「日本海側」に区分する。前近代においては、太平洋岸は波が荒く、航海が危険であるため、日本海側と比較して海運は活発ではなかった。現在は、動力を積んだ大型船の時代であり、また、太平洋ベルトに近い利点から、太平洋側の海運が活発である。 陸奥国の国府が仙台平野の多賀城に置かれ、出羽国の国府が庄内平野の酒田に置かれた事で解るように、陸奥は「内陸国」の、出羽は「沿岸国」の傾向が見られる。 陸奥国(盆地、太平洋沿岸)は、沿岸平野がいわき市周辺(特徴的海岸:四倉)、相馬市周辺(特徴的海岸:松川浦)、仙台平野(特徴的海岸:松島)、八戸市周辺(特徴的海岸:蕪島)と乏しく、波も荒く海流も強いため、陸上交通による関東地方との関わりが深い「内陸国」であった(→みちのく)。 一方、出羽国(日本海沿岸)は、沿岸に庄内平野、秋田平野、能代平野、津軽平野と、内陸部につながる沿岸平野がほぼ均等な間隔で存在し、北前船に代表されるように、古代から明治時代まで、海運による近畿地方との関わりが深い「沿岸国」であった(→越後国の先にある地域)。 江戸時代には、おおむね日本海沿岸の地域は銀遣い、太平洋沿岸の地域は金遣いであり、その境界線はおおよそ下北半島の東岸であった。 戊辰戦争終結の直後、明治元年旧暦12月7日(1869年1月19日)に、陸奥国は分割され、陸奥国 (1869-)・陸中国・陸前国・岩代国・磐城国が設置され、同じく出羽国も羽前国・羽後国に分割された。羽前と羽後の総称として「両羽」、陸奥・陸中・陸前の総称として「三陸」という地域名が使われることもある。 東北地方は、主要都市の間に東北新幹線・山形新幹線・秋田新幹線が通っている。また、東北地方内陸を南北に貫く東北自動車道の他、太平洋側と日本海側を結ぶ高速道路がいくつも整備され、運行本数が少なく割高な在来線よりも、安価で速く便利に移動できる高速バスが、各都市間で運行されるようになった。すると、それまで空路で東京とつながってバラバラだった主要都市間の関係が、新幹線によるつながりや高速道路(高速バス)によるつながりによって再編成されることになった。 北東北三県は、各県知事の政治主導で「三県連合」の枠組みがつくられたが、元々各県都間の地理的距離があり、うち青森市や秋田市の場合、陸路では東京からの所要時間が長いため、新幹線が開通しても空路から陸路への旅客シフトが劇的には起きなかった。その結果、新幹線の結節点である盛岡市を中心とした相互交流や、高速バスの低廉化・高頻度化などはあまり発生しなかった。 一方、南東北三県においては、各県の県庁所在地や中心都市が元々近接していたこともあり、仙台市との経済的結び付きが強い地域が「仙台経済圏」を形成している。南東北三県都(仙台市・山形市・福島市)がある中枢部は、南東北中枢広域都市圏という名称の協議会を結成して、人口334万人を抱える大都市圏行政を行っている他、「三県都連合」が経済後追いの形で形成されている。 青森や下北半島などの地方では、青函トンネルや津軽海峡フェリー、青函フェリーを通じて函館など北海道道南地方との繋がりが深い。青森と函館との間では「青函都市圏」構想が練られている。 福島県中通りは、栃木県と隣接しており、自家用車による交流は盛んだが、鉄道を介した繋がりは浅い(→東北新幹線#概要、山形新幹線#需要、秋田新幹線#需要)。ただし、那須温泉郷や日光などの観光地への観光需要は大きく、東北地方と栃木県のタウン情報誌TJN加盟全9誌では、毎号見開き2頁の共通誌面を作っている。 この地方の名称は、歴史的に変遷している。まず、古代には、畿内から始まる海道(後の東海道)と山道(後の東山道)の各々の道の奥にあることから「みちのおく」「みちのく」とされ、当地方南部(南東北)に「道奥国」(みちのおくのくに)が設置された。後に陸奥国と出羽国が設置されると、両者から1字ずつ取った「奥羽」「奥羽両国」「奥羽州」と呼ばれた。また、両者を一括して実効支配を敷いた奥州藤原氏や奥州探題などの例から、単に「奥州」ともといわれた。 「東北」と称する文献例は、主に江戸時代・天保期以降の幕末になってから散見されるようになり、この場合、「東北国」と称する例もある。地方名としての「東北」の称が公的な史料で初見されるのは、慶応4年(1868年)に佐竹義堯(秋田藩主)に下賜された内勅とされる。ただし、この場合の「東北」は五畿七道の内の「東北3道」(東海道・東山道・北陸道)、すなわち、天皇の在所である畿内からみて東あるいは北東側にある全ての地域を指しており、西南4道(山陰道・山陽道・南海道・西海道)と対比される。または、東国と北陸の合成語とも考えられる。なお、奥羽および現在の東北地方は「東山道の北部」に位置している。 明治元年12月7日(西暦1869年1月19日)、奥羽越列藩同盟諸藩に対する戊辰戦争の戦後処理の一環として、陸奥国が5分割(磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥)、出羽国が2分割(羽前・羽後)されると、「陸羽」または「三陸両羽」との呼称が生まれた。この場合、現在の福島県全域と宮城県南端に相当する磐城・岩代の2国を除いた、残りの「陸」と「羽」が付く5国の地域を指し、「奥羽」とは指し示す領域が異なっているが、分割前の「陸奥国」と「出羽国」と見ることもできるため、混同されて使用される例も見られる。明治前半に奥羽両国は、明治元年成立の旧国の数から「奥羽7州」「東北7州」、あるいは、新設の県の数から「東北6県」とも言われるようになる。 廃藩置県が実施されて全国が政府直轄となると、当地方から北海道が切り離され、仙台県宮城郡仙台(後の宮城県仙台市)に国家の出先機関などが置かれていった。これらの管轄範囲が公的には「奥羽」と呼ばれる一方、在野の民権派は「奥羽」「奥羽越」あるいは「奥羽および北海道」の範囲を指す美称として「東北」を(「西南」と対比して)用いるようになった。明治の後半になると民間でも「奥羽」の範囲を「東北」と呼ぶのが通例となり、公的にも「東北」が用いられるようになった。 この結果、「東北」は日本の地域の中で唯一、民間由来の地方名として定着し、明治以降144年以上に亘って、東北地方の主要企業・国家の出先機関・大学などの名称に多く用いられてきた。そのため、現在は「奥羽」よりも「東北」の方が当地方の呼称として一般的である。 既存の6県以外に、新潟県を東北地方に編入する場合がある。この場合は「東北7県」「奥羽越」と呼ばれるが、交通、電力、歴史における同一性に起因する。 律令時代には陸奥国が「蝦夷vsヤマト王権」の前線であったが、現在の下越地方(1873年以前の新潟県)も渟足柵や磐舟柵が建てられて「蝦夷vsヤマト王権」の前線になった地域であり、下越地方の城柵が庄内地方に北上する経過をたどっている(出羽柵、鼠ヶ関)。 明治維新期の戊辰戦争でも「奥羽越列藩同盟」が結成され、米山以東の新潟県(下越地方と中越地方)は列藩同盟に加わり明治政府軍と交戦した地域である(北越戦争)。 他にも、交通や電力に関する分野では、新潟県を東北6県と一緒に扱う場合がある。これは、明治時代から始まった水力発電や、交通体系で山形県庄内地方や福島県会津地方と密接である点が大きい。 新潟県の面積は広大で既に水力発電所が複数あり、当時の国鉄にも電力供給を行っていたくらい発電が実施されたとされる。中でも下越地方と会津地方は阿賀野川(只見川)の流域で、阿賀野川は電源開発の最重要地域の一つであった。このため、新潟県を加えた7県を供給範囲とする電力会社として、第二次大戦中の1942年(昭和17年)には配電統制令により東北配電株式会社が設立された。1950年(昭和25年)には電気事業再編成令により東北電力が設立された。1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約発効後になると、7県を対象範囲とする地域開発の法律が作られた。 この事からも、旧柏崎県(上越地方と中越地方)と1873年以前の新潟県(下越地方)で電力供給の思惑が異なり、旧柏崎県では自力で賄える範囲であったが、当時から電力の消費地として既に下越地方の新潟市では電力供給が乏しくなることとなった。また旧柏崎県からの送電網構築により下越地方から山形県庄内地方までも電力のカバーができることも大きく影響しているとされる。 交通面でも、会津地方と庄内地方を往来するには、下越地方を通らねばならない。このため、国鉄時代の新潟鉄道管理局(分割民営化後もJR東日本新潟支社がそのまま継承)のエリアは、新潟県、庄内地方、喜多方以西の会津地方が一緒になっている。なお、新潟市と東北諸地域を結ぶ陸路では、1914年に磐越西線、1924年に羽越本線、1997年に磐越自動車道が全通したが、(南)長岡・直江津方面と(東)郡山方面が鉄道・高速道路共に充実している反面、(北)酒田方面は羽越本線のみで日本海東北自動車道の新潟⇔酒田は2023年現在も未だ開通していない。 「東北6県」「東北7県」以外の例としては、1888年に行われた「東北」対象の自由民権運動集会には新潟県、長野県、富山県、石川県、福井県が参加していた。 1960年代から始まる全国総合開発計画と国土形成計画でも、これらの法律に則って「東北7県」の範囲を「東北」の対象としている(2007年4月1日から施行された国土形成計画法施行令以降は「東北圏」と称す)。また、北海道と「東北7県」で、北海道東北地方知事会議が開催されている。 経済においては、これら法律の「東北7県」の枠組みにしたがって東北経済連合会が構成され、関連する産・学・官連携シンクタンク(現在の名称は「東北開発研究センター」)、研究開発機構(東北インテリジェント・コスモス構想など)、地域ベンチャーキャピタルや地域投資ファンド、観光事業などでも新潟県が含まれている。 東北経済連合会は、東京都より北に本社を置く企業で最大である東北電力が事実上主導権をとる団体となっている。その経済力を背景に、同社提供のブロックネットのローカル番組が複数制作されて「東北7県」(番組内では「東北6県と新潟県」という)に放送されたり、同社が関係して「東北7県」の地方紙で連携企画が掲載されたりしている(→河北新報#紙面参照)。 以上のように、電力関連では「東北7県」を一括りとする例が見られるが、電力関連以外では東北6県の方が一般的であり、東京や仙台に立地する機関が新潟県も含めて「東北7県」とする例は少ない。東北史研究者の河西英通はその理由として、東北地方が凶作に見舞われたのとは対照的に、新潟は大陸航路の拠点として開発が進んだことが原因と見ている。又、東北地方の県庁所在地には内陸が多く、東京や仙台は太平洋沿岸であるため、秋田市や新潟市など日本海沿岸は劣後しがちな点も大きい。 新潟県は面積が広大であり、明治初期において日本で最も人口の多い道府県であり(→都道府県の人口一覧)、1940年の統計で新潟県1県の工業生産額が南東北3県合計とほぼ同じであるなど、他の県との経済的落差も異なる。そのため、新潟県を東北地方に含める場合には、「東北地方」との呼称を用いずに、「東北7県」「東北6県と新潟県」「東北地方と新潟県」「東北圏」などと言って区別する例が多い(→新潟県#地理)。 畿内政権の律令制・中央集権体制下では、出羽国は越国(北陸道)の先にある沿岸国(船で到達できて畿内に近い)、陸奥国は東山道を徒歩で行くために、「道奥=みちのおく(みちのく)」すなわち内陸国と見なされていた。そのため、現在のような測量された地図がなかった時代には、出羽は日本海沿岸の政治勢力の版図、陸奥は本州奥地の政治勢力の版図とされ、その境界は在地の政治勢力の盛衰にしたがって変化し、必ずしも奥羽山脈できれいに東西に分かれていたわけではない。蝦夷(俘囚)勢力が後退した鎌倉時代以降は、政権のある鎌倉からは陸奥国の方が近くなり、また、鎌倉と出羽国とは船での繋がりをもてなかったために出羽の沿岸国としての意味合いが薄れ、奥羽両国を一括して「奥州」とするようになった。 奥州(東北地方)は、近畿地方の諸政権(平氏政権、室町幕府、豊臣政権)が支配した時代には、政権所在地からは遠いため、半独立的な政治勢力が生まれていた。しかし、関東地方の諸政権(鎌倉幕府、江戸幕府、明治政府)には近いため、政権への従属的傾向が強くなる。明治以降は、北海道や東京への移住で知識層である武士階級を大量に失い、野蒜築港が台風のために2年で閉港となったため、開港場が近くにない唯一の地方となって資本主義経済に乗り遅れた。また、地租改正が行われた明治初期までは、他の地方に比べて貨幣経済の浸透が遅れており、国内市場としての重要度も低かった。 現在は人口も増え、高速道路の整備も進んだため、東北地方内における陸上交通の再編と経済圏の形成が進んでいる。一方で、人口の仙台都市圏への集中、その他の地域の過疎化も進んでいる。 旧石器時代は氷期の影響を受け、現在よりも寒冷であった。そのため、当時の海岸線は現在よりも沖合いにあり、現在は海底に沈んでいるため、海岸線での生活についてはほとんどわかっていない。内陸の生活については、東北地方でも富沢遺跡や金取遺跡などでわかるが、他のいくつかの前期旧石器時代の遺跡が旧石器捏造事件によって研究が振り出しに戻ってしまったため、現在検証作業中である。 縄文時代には気候が温暖化して、東北地方も縄文中期には現在より暖かかったと考えられている。当時の採集・狩猟・漁労を中心とした生活では、西日本よりも東日本の方が生活に適しており、東北地方は関東地方や中央高地とともに縄文時代の遺跡が高密度に分布する地域として知られる。最も人口密度が低かった近畿地方・中国地方・四国地方と比べて、人口密度が最も高かった関東は30倍以上、東北も5倍〜10倍程度の人が住んでいたと見られている。そのため、1440年も続いた巨大集落である三内丸山遺跡などが存在し、栗栽培など原始的な縄文農耕も始まり、関東や中央高地などと共に縄文文化の中心を担った。 縄文文化は縄文後期の寒冷化により衰退し、縄文末期には大陸から水田稲作が伝来し、北部九州や畿内など西日本を中心に弥生文化が発達する。東北においても比較的早い時期に弥生文化が伝播しており、水田稲作は弥生前期に伝来したと考えられているが、一般的には紀元前後と見られる弥生中期後半前後まで水稲農耕は完全に受容されたとはいえず、北部においては続縄文文化であったとする見方もある。また、南部においても稲作の放棄と続縄文文化の南下が見られる。 古墳時代には畿内から古墳文化が到達し、東北地方でも古墳が造られた。古墳が集中している地域は仙台平野や会津地方・山形県内陸部などの東北地方南部となっている。また、奈良盆地に起源があるとみられる前方後円墳も造られ、ヤマト王権との交流がすでに始まっていたと考えられている。東北地方最大の前方後円墳は、宮城県名取市にある雷神山古墳である。宮城県北部・秋田県以北(山形県庄内地方が含まれるとする説もある)では末期古墳が分布する。なお、東北北部の青森県域では続縄文文化が持続し、古墳は小規模な終末期古墳に限られている。 古代に入ると、ヤマト王権と奥羽越地域(東北地方と新潟県)の諸勢力との関係は、古墳時代までの緩い地域連合のレベルから、徐々に中央集権的な都と地方という関係に移行していく。 畿内政権側から見た古代の東北地方と、現新潟県の米山峠以東(中越地方・下越地方・佐渡島)は「未征服地」であり、畿内政権に服従しない異民族「蝦夷(えみし)」が住んでいるとされた(蝦夷の住んでいた範囲には諸説ある)。以降、古代から中世にかけて、畿内政権側の征服戦争と、東北地方(特に奥六郡)の独立や半独立の動きの中で、征夷軍と蝦夷軍が衝突し、東北地方の歴史は作られていった。 7世紀中期〜後期に、天皇を中心とした強力な官僚制が志向されるようになると、それまでの地方豪族が国造として独自に支配していた地方分権体制から、中央集権体制へと国家体制が大きく変化した。 この流れの中で、7世紀半ばに、太平洋側の現在の福島県から宮城県中部辺りまでと、山形県の南部(置賜郡)と中部(最上郡)が畿内政権側に服従し、常陸国から分離される形で道奥国(みちのく。後に陸奥国)が設置された。 この地域は、古墳時代に前方後円墳が幾つも造られた地域である(7世紀の内に、宮城県内は平定された)。 日本海側では、すでに新潟県上越地方(頸城郡)まで征服したヤマト王権と越国(こしのくに)の連合軍が、「柵(き)」と呼ばれる前線基地を築きながら北進する。 まず、大化3年(647年)に渟足柵(現在の新潟市中心部)、 さらに大化4年(648年)に磐舟柵(現在の岩船郡、村上辺り)を設置し、日本海沿岸を次々と越国に組み入れていった。 斉明天皇4年(658年)になると、越国守であった阿倍比羅夫が、180艘の軍船を率いてさらに日本海沿岸を北上し、「鰐田(あぎた)の浦」(現在の秋田市周辺?)から津軽地方へと到った(日本書紀)。これが蝦夷征討なのか武装交易船団なのかは定説がない。少なくともこの阿倍水軍は斉明天皇4年(658年) - 斉明天皇6年(660年)の間に3度来航し、交易をして帰っている。 その後、畿内政権と同盟関係にあった百済が新羅の侵攻を受けたため、阿倍水軍もその戦列に加わり東北日本海側への遠征は中断された。 律令制整備が進み、中央集権国家として確立してくると、さらに地方の支配体制の整備も進んだ。朝廷軍は、北進して庄内地方に達し、現在の酒田の最上川河口部辺りに出羽柵を設置。 越国(こしのくに)が越前国・越中国・越後国の3ヶ国に分割されると、和銅元年9月28日(708年11月14日)、庄内地方に出羽郡が設置され、越後国に組み入れられた。この出羽郡は、和銅5年9月23日(712年10月27日)に越後国から分立して出羽国になり、後に陸奥国から置賜郡と最上郡を譲られて、沿岸国だった出羽国は内陸部を得る(国府は現在の酒田市の北東部にある城輪柵遺跡に設置されたと考えられている)。 養老4年(720年)に発生した蝦夷の反乱(征夷将軍・多治比縣守により鎮圧)後、養老8年/神亀元年(724年)東北太平洋側に多賀城が築かれ、南東北は朝廷側の支配体制に完全に組み込まれた。 さらに北進した朝廷軍は、天平5年(733年)に出羽柵を秋田高清水岡(現在の秋田城跡)に移した。ただし、現在の秋田県の領域では、沿岸部のみが支配下に入っただけで、内陸部はやや緩い支配だった。 737年(天平9年)大野東人により多賀城から出羽柵への連絡通路が開削された。 北東北では、北上山地で太平洋と隔絶され、多賀城からも離れている現在の岩手県内の北上川流域(=奥六郡、日高見国)、および、秋田県の横手盆地などが蝦夷の勢力域として残り、その後の朝廷(多賀城)との抗争に続いていく。 宝亀11年(780年)の光仁天皇の時に伊治呰麻呂が反乱を起こし、多賀城を奪った。 平安時代の桓武天皇は、3回に渡る蝦夷平定を行い、坂上田村麻呂が征夷大将軍となって、蝦夷軍のアテルイと戦って勝利し、奥六郡に胆沢城を築いた。敗れた蝦夷軍は朝廷への服従を誓って俘囚となり、一部は日本各地に集団で強制移住させられた。 朝廷の支配が確立すると、関東地方や北陸地方から多数の入植者(柵戸)が入り、東北地方の内地化が進んだ。俘囚の中から安倍氏が勢力を伸ばして、奥六郡を本拠地に糠部(現在の青森県東部)から亘理・伊具(現在の宮城県南部)にいたる広大な地域に影響力を持ったが、源頼義と対立し滅ぼされた(前九年の役)。その後清原氏が勢力を張ったがこれも源義家に滅ぼされた(後三年の役)。この両役を通じて、それまで陸奥国(東の奥)と出羽国(北の端)と認識されていた両地域を一まとめする認識が生じたとする見解がある。日本六十余州と呼ばれたうち、東北の広大な領域に僅か2カ国しか設置されていないという不均衡な状態は実に明治維新期までの長きに及ぶが、これは政権が武家に移行して分国制度が完全に形骸化したためでもあり、東北の人口密度や生産力がずっと低かったわけではない。太閤検地では既に陸奥国は他国平均の6倍以上、出羽国も2倍程度の石高となっている。 平安時代末期から中世初期には、北上川流域(奥六郡)を中心として奥州藤原氏が栄え、平泉が平安京に次ぐ日本第二の都市になるまで発展する。奥州藤原氏は陸奥・出羽両国の院領や摂関家荘園の租税を徴することで財力を蓄えたとみられる。しかし、源義経を匿ったかどで鎌倉政権側より軍事攻撃を受け、源頼朝によって滅ぼされた。 その後坂東出身を中心とする武士団が多く配置されるとともに、北条氏の所領が広く設定されたが、一部には津軽地方の安東氏のように在地領主と見られる豪族も勢力を維持した。安東氏は北条得宗家から蝦夷代官に任命され、北東北から北海道を支配したといわれている。安東氏の本拠地十三湊は交易で栄え、日本有数の都市となった。しかし、室町時代には安東氏は南部氏との抗争により津軽を追われ秋田地方に移り、十三湊の繁栄は失われてしまう。さらに、鎌倉時代の末頃からエゾの蜂起や安東氏内部での抗争が激化するなど、東北地方では不安定な情勢が続いた(安藤氏の乱)。 鎌倉幕府滅亡後の後醍醐天皇の建武の新政では、奥州平定のために北畠顕家が多賀城へと派遣され、陸奥将軍府が置かれた。南北朝時代に入ると南朝の北畠顕家・北畠顕信と北朝の石塔氏・吉良氏・畠山氏・斯波氏が激しく争い、最終的に北朝の斯波家兼が奥州管領として勝利した。 その後斯波氏が奥羽両国に勢力を扶植するが次第に衰退したため、関東を統治した鎌倉府に統合された。 鎌倉府は統治能力の強化のため奥州南部に篠川公方・稲村公方を配置するが、室町幕府と鎌倉府の対立の中で、斯波氏(大崎氏・最上氏)は室町幕府から奥州探題や羽州探題に補任される。さらに有力国人は鎌倉府と対立するため、室町幕府直属の京都扶持衆となる例も多く見られた。 戦国時代には、山形の最上氏・伊達の伊達氏・秋田の秋田氏・三戸の南部氏・会津若松の蘆名氏などが割拠した。 関ヶ原の戦いの後、常陸国水戸の佐竹氏が安東氏の後裔の秋田氏と入れ替わりに秋田に転封された。 特に伊達政宗は戦国末期に急速に勢力を拡大し、奥羽六十余郡の半分を影響下に置いた。 なお、出羽国の内陸部(奥羽山脈の西側に連なるいくつもの盆地群)は盆地を中心とする領域支配を確立し、東北地方の戦国時代の主役を担った。それは、職業歩兵(軍人)である足軽が兵農分離されていなかった戦国初期においては、組織できる兵力に限界があり、盆地程度の広さが領国支配に適していたためで、出羽国内陸部の盆地の諸勢力は、陸奥国領域にも積極的に攻勢に出た。 近世、江戸時代の有力な大名としては、上越市から会津若松、さらに米沢に移った上杉氏、保科正之を家祖とする会津松平氏、米沢から仙台へ移った伊達氏、水戸から秋田へ移った佐竹氏、盛岡の南部氏などがある(山形の最上氏はお家騒動で後に改易され、近江で五千石の旗本となる)。 江戸時代後期には地球的な気象変動などにより飢饉が頻発するようになり、天明の大飢饉に至っては10万人以上の餓死者、疫病者が出るだけでなく、住民の多くが無宿者となり江戸へ流入する事態となった。そのような中、藩財政の再建を行って飢饉に抗した米沢藩主上杉鷹山などの例は有ったものの、気象予報の難しさなどに阻まれて全体に状況は好転せず。天保の大飢饉でも東北地方は多くの死者を出した。 江戸幕府が大政奉還を行って後、幕末の慶応4年/明治元年(1868年)には北陸地方東部の北越戦争から続く会津戦争など戊辰戦争の舞台となり、東北や北陸東部の諸藩は奥羽越列藩同盟と呼ばれる軍事同盟を結んで新政府軍より身を守ろうとした。しかし戦いに敗れてしまったため、同盟参加の藩はいずれも所領を大幅に減らされる処罰を受け、経済は壊滅同然にまで追い詰められた。そうした状況の中、俸禄の支払いが困難となった家臣団(武士階級、知識階級)などを北海道へ移住させ、札幌などの諸都市を開拓して北海道の歴史に名を遺す例が相次いだ。新政府側につき、奥羽越列藩同盟を離脱した秋田藩・弘前藩などもまた、戊辰戦争で多くの犠牲を払い莫大な出費をしたため困窮は避けられず、同様に北海道に多くの移住者を出した。一方で庄内藩は最後まで幕府側として戦ったものの、西郷隆盛の意向もあり比較的軽い処分で済んでおり、米沢藩もまた維新後に積極的に新政府に協力することで軽い処分となった。 明治元年12月7日(1869年1月19日)、戊辰戦争に敗けた奥羽越列藩同盟諸藩に対する処分が行われた。同日、陸奥国は、磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥国に、出羽国は、羽前国・羽後国に分割された(この分割によりできた「陸前・陸中・陸奥」は「三陸」とも呼ばれ、リアス式海岸の「三陸海岸」や、世界三大漁場のひとつ「三陸沖」などの語に用いられている)。明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県などを経て、現在の東北6県が作られた。 この時期、戊辰戦争の勝利によって明治政府はその権力基盤を確立し、幕藩体制に則った伝統的な社会秩序はその権威を完全に失った。また西南諸藩に比べもともと経済基盤が弱かったこともあり、秩禄処分によって経済的な困窮へと追い込まれた各地の領主と家臣の間で、窮余の策として「北海道移住」と「帰農」が広く行われた。また東北地方では専売制度により収入増を図る藩が多かったため、土地の産物がそのまま税として支払いを求められる例が多く、農民などの庶民が産物を現金化できるシステムとしての市場は存在しないに等しかった。しかし明治維新の後は、市場の存在する他の地方と同様に税を現金で払うよう政府から命ぜられたため、産物の現金化に不慣れな人々が相次いで破産するなど、地域全体が大規模な経済的混乱に陥った。 明治時代に入り、富国強兵・殖産興業が日本各地で本格化した時代を迎えても、郡山盆地における安積疏水、宮城県の野蒜築港、東北帝国大学設置、岩手県の釜石製鉄所などの例外を除き、東北地方では政府による大規模な投資や開発は見られなかった。 野蒜築港が台風によって破壊された後も修復や代わりの港の建設はされず、鉄道のうち最初に敷設された東北本線は官営による国家計画としては行われなかった。 大蔵卿・松方正義による松方デフレは、農産物の価格下落をもたらし、全国的に小作農の比率を上昇(小作農率の全国平均38%→47%)させた。その影響によって、全国的には富裕層による地主所有の寡占化が進み、また産業化(生糸産業・造船業など)が進んでいた関東の都市部などは経済が好調となった一方、常磐炭田周辺などを除き工業化の遅れていた東北地方は更なる経済的ダメージを蒙ることとなった。 そのため多くの者が女工や各種労働者として都市部などへと働きに出ざるを得なかった。 さらに、日清・日露戦争後に顕著となった日本の対外進出指向は、日本内地の開発の軽視につながり、地方の近代化を遅らせる結果を招いた。 特に1910年(明治43年)の韓国併合後は、朝鮮半島から廉価な米が流入したために米価の低下を招き、東北地方にとっては大きな痛手となった。 昭和になってからは、農家の次男・三男などを中心に旧満州国などへの移民が活発化した。 1930年(昭和5年)には昭和東北大凶作が発生し、身売りや欠食児童が続出、二・二六事件を起こす要因の一つとなった。 第二次世界大戦後は農地改革により、従来の封建的な地主小作関係は過去のものとなった。工業化も進み始め、品種改良により寒冷地に強い農作物も開発され、その生活水準は顕著な向上を見せたが、一方では再投資の進む太平洋ベルト地域の著しい発展に取り残され、経済力の弱さがより目立つ形ともなった。高度経済成長時代に入ってもそれは変わることなく、インフラ整備の遅れ、東京方面への出稼ぎや集団就職などによる人材流出、それに伴う深刻な過疎化、東北内でも仙台一極集中といった新たな問題が認識されるようになった。 2011年には東日本大震災が発生し、岩手、宮城、福島を中心に甚大な被害を受けた。 東北地方の方言、いわゆる東北弁は、方言学では東日本方言に区分されている。太平洋側では関東方言(特に東関東方言)との共通点が多くみられるほか、日本海側では近世の北前船の交易による関西方言の影響もみられる。アクセントは、太平洋側南部(宮城県南部・山形県内陸と福島県)の無アクセント、南部日本海側から北部の大半にかけて分布する北奥羽式アクセント(外輪東京式アクセントの亜種)、三陸海岸北部の外輪東京式アクセントに大きく分かれる。 かつては聞き取りにくい・理解しにくい方言の代表として鹿児島弁とともに挙げられることが多く、他の地方と比べて開発が遅れていたこともあり暗いイメージや否定的な印象を持たれることもあったが、現代においては、温かい人情や素朴さの象徴とする肯定的な見方も生まれた。しかし、方言話者自身にとっては「勝手なイメージ付け」に過ぎない点で従来の否定的な評価と何ら変わらず、必ずしも好意的に受け取られるとは限らない。現代では東北地方でも若い世代では共通語化が進んでいる一方、従来の古いイメージに最初から囚われない人も増えてきている。 なお、「一般的に東北弁と思われている特徴」としては、 などがある。しかし、これらの特徴が当てはまる方言と当てはまらない方言がそれぞれ存在する。 東北地方以外で東北方言を聞ける場所の代表として、かつては上野駅(厳密にはJR東日本=旧国鉄の上野駅。特に長距離列車が多く発着した地上ホーム)がよくいわれた。実際に石川啄木の短歌や、高度成長期の望郷ものの流行歌にも登場していたが、東北新幹線の東京駅への乗り入れ(1991年)などによって上野駅と東北地方との結びつきは劇的に弱まり、すでに過去のイメージとなりつつある。 東北地方全体としての人口動向を見てみると、戦後は自然増(第一次ベビーブーム)を中心に人口増の時代となり、1960年には東北地方全体で約970万人に達した。1960年代の高度経済成長時代には、「金の卵」の名の下に、主に京浜方面に集団就職したり出稼ぎに出たりするようになり、民族移動にも似た人口減(社会減)の時代に入る。この流れは1970年初頭まで続き、第二次ベビーブームによる大幅な自然増があったにも関わらず、1970年には924万人にまで人口が減った。その後、ニクソンショックとオイルショックによって低成長時代に入った東京への流出が減少し、東北地方は再び人口増の時代に入る。ベビーブーム終了後は、900万人を越える市場性と第三次産業への産業転換により地方中核都市の社会増が起き、日本全体の長寿化(死亡率低下)も手伝って堅調に人口は増え続けた。バブル景気期には、一時、東京圏から転入超過ともなり、20世紀末に約985万人に達した。21世紀に入り、東北地方全体の景気低迷と、高度情報化や金融の東京一極集中のために、人口は再び社会減による減少に転じている。今後は、長寿化の限界と団塊の世代の高齢化による死亡率の増加、及び少子化の影響で自然減になり、人口は引き続き減少していくと見られている。 ※2020年国勢調査確定値 明治時代(19世紀末)の東北地方の人口 (順位は全国順位) ※1888年(明治21年) 19世紀末は、産業の中心が農業であったため、稲作に適した南東北の方の人口が多く、また、同緯度では、夏季の高温(フェーン現象)で収量が安定している日本海側(山形県、秋田県)が、やませの影響で収量が不安定な太平洋側(宮城県、岩手県)よりも県別人口で上回っている。この時期はまだ都市化が進展していなかったため、江戸時代の経済の名残りで、城下町と港町が都市としての地位にあった。 現在は、都市化が進んでおり(東北地方全体の都市部の人口75%)、県別の人口順位もDID面積順位(→東北地方#地理)とほぼ一致する。 なお東日本大震災以降、福島第一原子力発電所事故の影響で一時的に郡山市やいわき市の人口が1000人規模で減少した一方、内陸部の被害がほとんど無かった仙台市や被害が皆無だった盛岡市では津波被災地域からの転入で人口が1000人規模で増加していた。 年齢5歳階級別人口 2004年10月1日現在推計人口 総計 [単位 千人] 年齢5歳階級別人口 2004年10月1日現在推計人口 男女別 [単位 千人] 東北地方は、白河の関から本州最北端の大間崎まで道なりに630km以上あり、東京から姫路間の道のりより距離がある。そのため、東北地方の陸上交通路は、東京までの到達時間短縮が第一に重視され、街道、鉄道、道路の整備は、まず南北を結ぶ交通路が整備された。また、太平洋側の交通の整備が先に進み、日本海側については概してその後に整備された(以下は主要駅間の路線距離の5km毎概数。東北地方の諸都市の間隔に近い太平洋ベルトの都市を示す)。 現在、南北陸上交通においては、主に東北新幹線・東北自動車道により関東地方と連結され、旅客では新幹線が優位に立っている。東京への到達時間短縮のために高速交通機関が発達したが、一方で東北地方内の旅客移動も活性化させ、特に太平洋側は、距離に関わらず南北間の都市間交流が盛んとなっている。また、本州・北のターミナルである青森県は、津軽海峡を挟んだ北海道との間に青函トンネルが開通し、諸都市間の関係が深まっている。以前は青森・函館間に青函連絡船が運航されていたが、トンネル開通でフェリー航路が設定され、東北道・八戸道と連動したトラック流通に対応している。なお、近年、南東北と東京との間に都市間ツアーバスが格安で参入し、高速バスと熾烈な旅客獲得競争を繰り広げている。 他方、東西の交通については、山脈・山地などに阻まれながらも明治時代から鉄道や国道が整備されてきたが、高速交通への対応は遅れた。東西高速交通は、「幹」である東北新幹線や東北自動車道と接続する「枝」のように整備され、20世紀末に秋田新幹線や連絡線の高速道路が整備された。この結果、郡山と会津若松、仙台と山形、盛岡と秋田となどとの間で、自然障壁を越えた地域圏や経済圏の形成が進んでいる。 東西交通の高速化により、現在の東北地方は、交通インフラの利便性の違いにより2つの地域に分類される。東京との交通上の関係で見ると、太平洋側から奥羽山脈西側に隣接する盆地群までがいわば「新幹線派地域」、それ以外の日本海沿岸地域が「航空機派地域」に分けることができる。両者の東西の境界はほぼ出羽山地である。 「新幹線派地域」にある仙台空港(仙台都市圏内の名取市・岩沼市)は、多数の国内線や国際線が就航していて、国際線に至っては利用者の半分以上が宮城県居住者以外となっており、「新幹線派地域」の拠点空港となっている。日本海沿岸地域(津軽平野・秋田平野・庄内平野)は、東北新幹線に接続するまでに時間がかかるため、東京とは空路需要が多く、「航空機派地域」となっている。 現在、東北地方の各空港同士を結ぶ路線は存在しないが、かつて仙台空港からは直線距離が300km程度まででも東北地方内を含めて4路線が定期路線として就航していた。 1982年の東北新幹線開通(大宮駅〜盛岡駅)によって羽田便が同1982年に廃止され、三沢便も廃止に至った。新潟便は、磐越自動車道が次々整備される中、1992年に廃止された。青森便は、新幹線の利便性が得られない地域であったために設定されたが、JRとの運賃値下げ競争に負けて廃止された。 その他にも新幹線の開通で空港の旅客数が顕著に減少する例が多い。参考として、空港に近い主要都市からの平成28年3月26日ダイヤ改正時点での最速所要時間を併記する。 江戸時代には、北前船によって日本海側の港町が、東回り航路によって太平洋側の港町が栄えた。また、大小さまざまな漁港があり、遠洋漁業が盛んだった時代には大いに賑わった。現在は、地場の魚(沿岸漁業・沖合漁業)の特産化や高級化で活気がある漁港が数多く存在する。工業港・貿易港としては、仙台・小名浜・石巻・八戸・秋田が、旅客港として青森・八戸・仙台が重要な港湾となっている。 東京へは主に東北新幹線が主力となって輸送している。1887年に東北本線黒磯 - 郡山 - 仙台間が開業、その後1890年に仙台 - 一ノ関 - 盛岡間、1891年には盛岡 - 青森間が開業し「幹」である東北本線が開通した。1982年に東北新幹線大宮 - 盛岡が開業し、また1997年には盛岡 - 秋田を新幹線直通列車が結ぶ秋田新幹線、1992年には福島 - 山形を新幹線直通列車が結ぶ山形新幹線が開業(山形新幹線は1999年に新庄まで延伸)し、県庁所在地対東京は1本の新幹線によって結ばれた。 その一方、酒田・鶴岡対東京は上越新幹線と特急いなほが優位(他にも新庄経由ルートも存在する)、いわき対東京は特急ひたちなど、「幹」である東北新幹線を利用しない最短ルートも存在する。これらの地域は「枝」である東西連絡路線が後発であったことが影響している。なお2002年12月1日に東北新幹線の盛岡 - 八戸間開業以降東北地方のすべての県に新幹線の列車が乗り入れるようになった。 東北地方は、医師の数が人口比で全国水準より低い上、無医地区も広いため、高速道路や国道体系と医療体制との関係が深い。高速道路・国道は、都市部にある高度医療を行う病院や救急救命センターへの搬送路として機能し、救急車緊急退出路も整備されている。また、都市部に偏る常勤医を郡部へ非常勤医として送る供給路としても利用されている。 東北6県の県内総生産比率(名目、2013年度) 東北6県の県内総生産比率(実質、2013年度)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "東北地方(とうほくちほう)は、日本の地域のひとつであり、本州東北部に位置する。「奥羽地方(おううちほう)」ともいう。最大都市は仙台市である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "その範囲に現行法上の明確な定義はないものの、一般には青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県を指す。これら6県は、本州の約3割の面積を占める。東北地方は東日本に位置するが、気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本とされる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "プレート理論では、東北地方は北海道とともに北アメリカプレート上に存在し、東側から太平洋プレートが日本海溝で潜り込んでいる。そのため、海溝型を中心に地震が多く、ときには東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)のようにマグニチュード9を超える大規模な地震が起こることもある。東北地方の中央には、日本海溝と平行に南北に那須火山帯が走っている。この火山帯の上には、下北半島の恐山山地、および、南北に長く奥羽山脈が連なっており、北から恐山、八甲田山・八幡平・岩手山・栗駒山・蔵王連峰・吾妻連峰・安達太良山・那須岳などの火山が多くある。那須火山帯(奥羽山脈)の上には十和田湖・田沢湖・鬼首カルデラ・蔵王の御釜周辺などのカルデラ地形が見られ、火山の恩恵である温泉も多い。なお、猪苗代湖は断層湖である。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "日本海側には、ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界が南北に走っているため、那須火山帯と平行に鳥海火山帯が南北に走っている。この火山帯の上には、白神山地・出羽山地(太平山地・朝日山地・飯豊山地)・越後山脈が連なっており、岩木山・鳥海山・月山などの美しい稜線を持った火山が見られる。山地が海に接する部分では、海岸沿いに温泉が湧いており、海を眺めながら入浴することができる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "太平洋側には北上山地と阿武隈高地がある。これらは、隆起地形が侵食され、現在は老年期地形となった、なだらかで低い山地である。残丘として標高1917mの早池峰山があるが、基本的になだらかな山地で、奥羽山脈より日本海側と比べると積雪も少ないためスキー場が少なく、火山帯ではないため温泉も少ない。ただし昔、海底にあって隆起した証拠である鍾乳洞などの石灰岩地形が多く見られる。北上山地が海にせり出しているリアス式海岸の三陸海岸では、石灰岩が波に洗われてつくりだされた複雑な海岸線や真っ白な砂浜が見られ、親潮のコバルトブルーの海とコントラストを作り出している。阿武隈高地と太平洋の間は離水海岸となっており、リアス式海岸の間の海が埋め立てられたような小規模な沖積平野が小高い山地と交互に存在しながら延々と続く。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "これら3連の南北に連なる山脈・山地の間には、北上川、阿武隈川、雄物川、最上川などの河川が流れ、多くの盆地や平野を作り出している。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "気候は、小地形による修飾があるが、大きく日本海沿岸、那須火山帯山麓と西側(盆地)、那須火山帯山麓を除く東側(盆地)、太平洋沿岸 の4つのグループに分かれており、それぞれ異なった傾向を持っている。また、それぞれのグループごとに、北と南で微妙な違いもある。宮城県・福島県の太平洋沿岸を除いて全域が豪雪地帯で、一部特別豪雪地帯もある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "日本海沿岸と那須火山帯山麓と西側(盆地)の「日本海側グループ」は、日本海側気候となっており、夏季はフェーン現象により、晴天が多く、非常な高温になることがある(山形市で40.8度を記録)。しかし、昼間の高温の割りに夜間は気温が下がって過ごし易い。冬季は、日照時間が少なく、豪雪地帯となっているところが多いが、特に奥羽山脈西側の盆地の降雪量が多い。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "太平洋側の那須火山帯山麓を除く東側(盆地)は、太平洋側気候と内陸性気候を併せ持つ。夏季は、フェーン現象により高温となる日と、太平洋沿岸地域のような曇天で気温が低い日との両方がある。冬季も、寒気団や北風・西風などの諸要因が強いと日本海側のように雪が降る場合がある一方、太平洋沿岸地域のように、晴天になる日も多い。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "太平洋沿岸は、太平洋側気候と海洋性気候を併せ持つ。夏季は、北部・中部は通常曇天で気温が上がらず、数年毎にやませの流入により、低温で悪天候の冷夏となる年がある。南部(福島県浜通り)の夏季は、太平洋高気圧の影響下に入り易く、高温で晴天の日が多い。中部・南部は、冬季の積雪量は少なく、晴れて空気は乾燥する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "主な都市の冬 (平年値)", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "日本海沿岸、那須火山帯山麓と西側、那須火山帯山麓を除く東側、太平洋沿岸 の4グループに色分けしてある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "主な都市の夏 (8月 の平年値)", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "日本海沿岸、那須火山帯山麓と西側、那須火山帯山麓を除く東側、太平洋沿岸 の4グループに色分けしてある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "古代の東北地方において、(1)多賀城が設置されて早くから畿内に本拠地を置く政権の勢力が及んだ南東北、畿内政権の影響力が弱く、俘囚や奥州藤原氏の本拠となっていた北東北、といった古代からの南北区分と;(2)陸奥国の「内陸国」「政治勢力の地盤」、出羽国の「沿岸国」「経済勢力の地盤」の境界であった奥羽山脈による東西区分が、意味を変えながらも現代の東北地方内の区分と似た状況になっている。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ただし、文化的には戦国時代の大名の支配圏や、江戸時代の藩による区分の方が影響を残しており、また、新幹線・高速道路・空港から遠い三陸沿岸や下北半島も、少なくとも意識の上では他の都市圏から独立した独自の地域圏を形成している。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "東北地方は「太平洋側」と「日本海側」の2つに区分されることがある。両者の境界は、那須火山帯上にある恐山〜奥羽山脈の線、または中央分水嶺による竜飛岬(津軽半島)〜奥羽山脈とする線などがある。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "この分類は、気候 による区分でよく用いられ、日本海側は脊梁山脈である奥羽山脈の西側にあるため、特に日本海側盆地(国道121号・国道13号・国道105号沿線)は冬の降雪量が多く、日本海沿岸(国道7号沿線)は風が強い地域である。一方、太平洋側は奥羽山脈の東側にあり、太平洋側盆地(国道4号沿線)は内陸性気候であるが降雪量は奥羽山脈西側ほど多くなく、太平洋沿岸(国道6号・国道45号沿線)は冬でも晴れが多くて雪がめったに降らない。夏の気候では、日本海沿岸はフェーン現象のために晴天で気温が上昇し易いが、太平洋沿岸はやませの影響で気温が低い年がある。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "また、海流の面で、太平洋側は親潮と黒潮、日本海側は対馬海流(とリマン海流)の影響を受けるため、海運 の面でも「太平洋側」と「日本海側」に区分する。前近代においては、太平洋岸は波が荒く、航海が危険であるため、日本海側と比較して海運は活発ではなかった。現在は、動力を積んだ大型船の時代であり、また、太平洋ベルトに近い利点から、太平洋側の海運が活発である。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "陸奥国の国府が仙台平野の多賀城に置かれ、出羽国の国府が庄内平野の酒田に置かれた事で解るように、陸奥は「内陸国」の、出羽は「沿岸国」の傾向が見られる。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "陸奥国(盆地、太平洋沿岸)は、沿岸平野がいわき市周辺(特徴的海岸:四倉)、相馬市周辺(特徴的海岸:松川浦)、仙台平野(特徴的海岸:松島)、八戸市周辺(特徴的海岸:蕪島)と乏しく、波も荒く海流も強いため、陸上交通による関東地方との関わりが深い「内陸国」であった(→みちのく)。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "一方、出羽国(日本海沿岸)は、沿岸に庄内平野、秋田平野、能代平野、津軽平野と、内陸部につながる沿岸平野がほぼ均等な間隔で存在し、北前船に代表されるように、古代から明治時代まで、海運による近畿地方との関わりが深い「沿岸国」であった(→越後国の先にある地域)。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "江戸時代には、おおむね日本海沿岸の地域は銀遣い、太平洋沿岸の地域は金遣いであり、その境界線はおおよそ下北半島の東岸であった。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "戊辰戦争終結の直後、明治元年旧暦12月7日(1869年1月19日)に、陸奥国は分割され、陸奥国 (1869-)・陸中国・陸前国・岩代国・磐城国が設置され、同じく出羽国も羽前国・羽後国に分割された。羽前と羽後の総称として「両羽」、陸奥・陸中・陸前の総称として「三陸」という地域名が使われることもある。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "東北地方は、主要都市の間に東北新幹線・山形新幹線・秋田新幹線が通っている。また、東北地方内陸を南北に貫く東北自動車道の他、太平洋側と日本海側を結ぶ高速道路がいくつも整備され、運行本数が少なく割高な在来線よりも、安価で速く便利に移動できる高速バスが、各都市間で運行されるようになった。すると、それまで空路で東京とつながってバラバラだった主要都市間の関係が、新幹線によるつながりや高速道路(高速バス)によるつながりによって再編成されることになった。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "北東北三県は、各県知事の政治主導で「三県連合」の枠組みがつくられたが、元々各県都間の地理的距離があり、うち青森市や秋田市の場合、陸路では東京からの所要時間が長いため、新幹線が開通しても空路から陸路への旅客シフトが劇的には起きなかった。その結果、新幹線の結節点である盛岡市を中心とした相互交流や、高速バスの低廉化・高頻度化などはあまり発生しなかった。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "一方、南東北三県においては、各県の県庁所在地や中心都市が元々近接していたこともあり、仙台市との経済的結び付きが強い地域が「仙台経済圏」を形成している。南東北三県都(仙台市・山形市・福島市)がある中枢部は、南東北中枢広域都市圏という名称の協議会を結成して、人口334万人を抱える大都市圏行政を行っている他、「三県都連合」が経済後追いの形で形成されている。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "青森や下北半島などの地方では、青函トンネルや津軽海峡フェリー、青函フェリーを通じて函館など北海道道南地方との繋がりが深い。青森と函館との間では「青函都市圏」構想が練られている。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "福島県中通りは、栃木県と隣接しており、自家用車による交流は盛んだが、鉄道を介した繋がりは浅い(→東北新幹線#概要、山形新幹線#需要、秋田新幹線#需要)。ただし、那須温泉郷や日光などの観光地への観光需要は大きく、東北地方と栃木県のタウン情報誌TJN加盟全9誌では、毎号見開き2頁の共通誌面を作っている。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "この地方の名称は、歴史的に変遷している。まず、古代には、畿内から始まる海道(後の東海道)と山道(後の東山道)の各々の道の奥にあることから「みちのおく」「みちのく」とされ、当地方南部(南東北)に「道奥国」(みちのおくのくに)が設置された。後に陸奥国と出羽国が設置されると、両者から1字ずつ取った「奥羽」「奥羽両国」「奥羽州」と呼ばれた。また、両者を一括して実効支配を敷いた奥州藤原氏や奥州探題などの例から、単に「奥州」ともといわれた。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "「東北」と称する文献例は、主に江戸時代・天保期以降の幕末になってから散見されるようになり、この場合、「東北国」と称する例もある。地方名としての「東北」の称が公的な史料で初見されるのは、慶応4年(1868年)に佐竹義堯(秋田藩主)に下賜された内勅とされる。ただし、この場合の「東北」は五畿七道の内の「東北3道」(東海道・東山道・北陸道)、すなわち、天皇の在所である畿内からみて東あるいは北東側にある全ての地域を指しており、西南4道(山陰道・山陽道・南海道・西海道)と対比される。または、東国と北陸の合成語とも考えられる。なお、奥羽および現在の東北地方は「東山道の北部」に位置している。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "明治元年12月7日(西暦1869年1月19日)、奥羽越列藩同盟諸藩に対する戊辰戦争の戦後処理の一環として、陸奥国が5分割(磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥)、出羽国が2分割(羽前・羽後)されると、「陸羽」または「三陸両羽」との呼称が生まれた。この場合、現在の福島県全域と宮城県南端に相当する磐城・岩代の2国を除いた、残りの「陸」と「羽」が付く5国の地域を指し、「奥羽」とは指し示す領域が異なっているが、分割前の「陸奥国」と「出羽国」と見ることもできるため、混同されて使用される例も見られる。明治前半に奥羽両国は、明治元年成立の旧国の数から「奥羽7州」「東北7州」、あるいは、新設の県の数から「東北6県」とも言われるようになる。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "廃藩置県が実施されて全国が政府直轄となると、当地方から北海道が切り離され、仙台県宮城郡仙台(後の宮城県仙台市)に国家の出先機関などが置かれていった。これらの管轄範囲が公的には「奥羽」と呼ばれる一方、在野の民権派は「奥羽」「奥羽越」あるいは「奥羽および北海道」の範囲を指す美称として「東北」を(「西南」と対比して)用いるようになった。明治の後半になると民間でも「奥羽」の範囲を「東北」と呼ぶのが通例となり、公的にも「東北」が用いられるようになった。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "この結果、「東北」は日本の地域の中で唯一、民間由来の地方名として定着し、明治以降144年以上に亘って、東北地方の主要企業・国家の出先機関・大学などの名称に多く用いられてきた。そのため、現在は「奥羽」よりも「東北」の方が当地方の呼称として一般的である。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "既存の6県以外に、新潟県を東北地方に編入する場合がある。この場合は「東北7県」「奥羽越」と呼ばれるが、交通、電力、歴史における同一性に起因する。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "律令時代には陸奥国が「蝦夷vsヤマト王権」の前線であったが、現在の下越地方(1873年以前の新潟県)も渟足柵や磐舟柵が建てられて「蝦夷vsヤマト王権」の前線になった地域であり、下越地方の城柵が庄内地方に北上する経過をたどっている(出羽柵、鼠ヶ関)。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "明治維新期の戊辰戦争でも「奥羽越列藩同盟」が結成され、米山以東の新潟県(下越地方と中越地方)は列藩同盟に加わり明治政府軍と交戦した地域である(北越戦争)。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "他にも、交通や電力に関する分野では、新潟県を東北6県と一緒に扱う場合がある。これは、明治時代から始まった水力発電や、交通体系で山形県庄内地方や福島県会津地方と密接である点が大きい。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "新潟県の面積は広大で既に水力発電所が複数あり、当時の国鉄にも電力供給を行っていたくらい発電が実施されたとされる。中でも下越地方と会津地方は阿賀野川(只見川)の流域で、阿賀野川は電源開発の最重要地域の一つであった。このため、新潟県を加えた7県を供給範囲とする電力会社として、第二次大戦中の1942年(昭和17年)には配電統制令により東北配電株式会社が設立された。1950年(昭和25年)には電気事業再編成令により東北電力が設立された。1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約発効後になると、7県を対象範囲とする地域開発の法律が作られた。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "この事からも、旧柏崎県(上越地方と中越地方)と1873年以前の新潟県(下越地方)で電力供給の思惑が異なり、旧柏崎県では自力で賄える範囲であったが、当時から電力の消費地として既に下越地方の新潟市では電力供給が乏しくなることとなった。また旧柏崎県からの送電網構築により下越地方から山形県庄内地方までも電力のカバーができることも大きく影響しているとされる。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "交通面でも、会津地方と庄内地方を往来するには、下越地方を通らねばならない。このため、国鉄時代の新潟鉄道管理局(分割民営化後もJR東日本新潟支社がそのまま継承)のエリアは、新潟県、庄内地方、喜多方以西の会津地方が一緒になっている。なお、新潟市と東北諸地域を結ぶ陸路では、1914年に磐越西線、1924年に羽越本線、1997年に磐越自動車道が全通したが、(南)長岡・直江津方面と(東)郡山方面が鉄道・高速道路共に充実している反面、(北)酒田方面は羽越本線のみで日本海東北自動車道の新潟⇔酒田は2023年現在も未だ開通していない。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "「東北6県」「東北7県」以外の例としては、1888年に行われた「東北」対象の自由民権運動集会には新潟県、長野県、富山県、石川県、福井県が参加していた。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "1960年代から始まる全国総合開発計画と国土形成計画でも、これらの法律に則って「東北7県」の範囲を「東北」の対象としている(2007年4月1日から施行された国土形成計画法施行令以降は「東北圏」と称す)。また、北海道と「東北7県」で、北海道東北地方知事会議が開催されている。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "経済においては、これら法律の「東北7県」の枠組みにしたがって東北経済連合会が構成され、関連する産・学・官連携シンクタンク(現在の名称は「東北開発研究センター」)、研究開発機構(東北インテリジェント・コスモス構想など)、地域ベンチャーキャピタルや地域投資ファンド、観光事業などでも新潟県が含まれている。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "東北経済連合会は、東京都より北に本社を置く企業で最大である東北電力が事実上主導権をとる団体となっている。その経済力を背景に、同社提供のブロックネットのローカル番組が複数制作されて「東北7県」(番組内では「東北6県と新潟県」という)に放送されたり、同社が関係して「東北7県」の地方紙で連携企画が掲載されたりしている(→河北新報#紙面参照)。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "以上のように、電力関連では「東北7県」を一括りとする例が見られるが、電力関連以外では東北6県の方が一般的であり、東京や仙台に立地する機関が新潟県も含めて「東北7県」とする例は少ない。東北史研究者の河西英通はその理由として、東北地方が凶作に見舞われたのとは対照的に、新潟は大陸航路の拠点として開発が進んだことが原因と見ている。又、東北地方の県庁所在地には内陸が多く、東京や仙台は太平洋沿岸であるため、秋田市や新潟市など日本海沿岸は劣後しがちな点も大きい。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "新潟県は面積が広大であり、明治初期において日本で最も人口の多い道府県であり(→都道府県の人口一覧)、1940年の統計で新潟県1県の工業生産額が南東北3県合計とほぼ同じであるなど、他の県との経済的落差も異なる。そのため、新潟県を東北地方に含める場合には、「東北地方」との呼称を用いずに、「東北7県」「東北6県と新潟県」「東北地方と新潟県」「東北圏」などと言って区別する例が多い(→新潟県#地理)。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "畿内政権の律令制・中央集権体制下では、出羽国は越国(北陸道)の先にある沿岸国(船で到達できて畿内に近い)、陸奥国は東山道を徒歩で行くために、「道奥=みちのおく(みちのく)」すなわち内陸国と見なされていた。そのため、現在のような測量された地図がなかった時代には、出羽は日本海沿岸の政治勢力の版図、陸奥は本州奥地の政治勢力の版図とされ、その境界は在地の政治勢力の盛衰にしたがって変化し、必ずしも奥羽山脈できれいに東西に分かれていたわけではない。蝦夷(俘囚)勢力が後退した鎌倉時代以降は、政権のある鎌倉からは陸奥国の方が近くなり、また、鎌倉と出羽国とは船での繋がりをもてなかったために出羽の沿岸国としての意味合いが薄れ、奥羽両国を一括して「奥州」とするようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "奥州(東北地方)は、近畿地方の諸政権(平氏政権、室町幕府、豊臣政権)が支配した時代には、政権所在地からは遠いため、半独立的な政治勢力が生まれていた。しかし、関東地方の諸政権(鎌倉幕府、江戸幕府、明治政府)には近いため、政権への従属的傾向が強くなる。明治以降は、北海道や東京への移住で知識層である武士階級を大量に失い、野蒜築港が台風のために2年で閉港となったため、開港場が近くにない唯一の地方となって資本主義経済に乗り遅れた。また、地租改正が行われた明治初期までは、他の地方に比べて貨幣経済の浸透が遅れており、国内市場としての重要度も低かった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "現在は人口も増え、高速道路の整備も進んだため、東北地方内における陸上交通の再編と経済圏の形成が進んでいる。一方で、人口の仙台都市圏への集中、その他の地域の過疎化も進んでいる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "旧石器時代は氷期の影響を受け、現在よりも寒冷であった。そのため、当時の海岸線は現在よりも沖合いにあり、現在は海底に沈んでいるため、海岸線での生活についてはほとんどわかっていない。内陸の生活については、東北地方でも富沢遺跡や金取遺跡などでわかるが、他のいくつかの前期旧石器時代の遺跡が旧石器捏造事件によって研究が振り出しに戻ってしまったため、現在検証作業中である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "縄文時代には気候が温暖化して、東北地方も縄文中期には現在より暖かかったと考えられている。当時の採集・狩猟・漁労を中心とした生活では、西日本よりも東日本の方が生活に適しており、東北地方は関東地方や中央高地とともに縄文時代の遺跡が高密度に分布する地域として知られる。最も人口密度が低かった近畿地方・中国地方・四国地方と比べて、人口密度が最も高かった関東は30倍以上、東北も5倍〜10倍程度の人が住んでいたと見られている。そのため、1440年も続いた巨大集落である三内丸山遺跡などが存在し、栗栽培など原始的な縄文農耕も始まり、関東や中央高地などと共に縄文文化の中心を担った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "縄文文化は縄文後期の寒冷化により衰退し、縄文末期には大陸から水田稲作が伝来し、北部九州や畿内など西日本を中心に弥生文化が発達する。東北においても比較的早い時期に弥生文化が伝播しており、水田稲作は弥生前期に伝来したと考えられているが、一般的には紀元前後と見られる弥生中期後半前後まで水稲農耕は完全に受容されたとはいえず、北部においては続縄文文化であったとする見方もある。また、南部においても稲作の放棄と続縄文文化の南下が見られる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "古墳時代には畿内から古墳文化が到達し、東北地方でも古墳が造られた。古墳が集中している地域は仙台平野や会津地方・山形県内陸部などの東北地方南部となっている。また、奈良盆地に起源があるとみられる前方後円墳も造られ、ヤマト王権との交流がすでに始まっていたと考えられている。東北地方最大の前方後円墳は、宮城県名取市にある雷神山古墳である。宮城県北部・秋田県以北(山形県庄内地方が含まれるとする説もある)では末期古墳が分布する。なお、東北北部の青森県域では続縄文文化が持続し、古墳は小規模な終末期古墳に限られている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "古代に入ると、ヤマト王権と奥羽越地域(東北地方と新潟県)の諸勢力との関係は、古墳時代までの緩い地域連合のレベルから、徐々に中央集権的な都と地方という関係に移行していく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "畿内政権側から見た古代の東北地方と、現新潟県の米山峠以東(中越地方・下越地方・佐渡島)は「未征服地」であり、畿内政権に服従しない異民族「蝦夷(えみし)」が住んでいるとされた(蝦夷の住んでいた範囲には諸説ある)。以降、古代から中世にかけて、畿内政権側の征服戦争と、東北地方(特に奥六郡)の独立や半独立の動きの中で、征夷軍と蝦夷軍が衝突し、東北地方の歴史は作られていった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "7世紀中期〜後期に、天皇を中心とした強力な官僚制が志向されるようになると、それまでの地方豪族が国造として独自に支配していた地方分権体制から、中央集権体制へと国家体制が大きく変化した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "この流れの中で、7世紀半ばに、太平洋側の現在の福島県から宮城県中部辺りまでと、山形県の南部(置賜郡)と中部(最上郡)が畿内政権側に服従し、常陸国から分離される形で道奥国(みちのく。後に陸奥国)が設置された。 この地域は、古墳時代に前方後円墳が幾つも造られた地域である(7世紀の内に、宮城県内は平定された)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "日本海側では、すでに新潟県上越地方(頸城郡)まで征服したヤマト王権と越国(こしのくに)の連合軍が、「柵(き)」と呼ばれる前線基地を築きながら北進する。 まず、大化3年(647年)に渟足柵(現在の新潟市中心部)、 さらに大化4年(648年)に磐舟柵(現在の岩船郡、村上辺り)を設置し、日本海沿岸を次々と越国に組み入れていった。 斉明天皇4年(658年)になると、越国守であった阿倍比羅夫が、180艘の軍船を率いてさらに日本海沿岸を北上し、「鰐田(あぎた)の浦」(現在の秋田市周辺?)から津軽地方へと到った(日本書紀)。これが蝦夷征討なのか武装交易船団なのかは定説がない。少なくともこの阿倍水軍は斉明天皇4年(658年) - 斉明天皇6年(660年)の間に3度来航し、交易をして帰っている。 その後、畿内政権と同盟関係にあった百済が新羅の侵攻を受けたため、阿倍水軍もその戦列に加わり東北日本海側への遠征は中断された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "律令制整備が進み、中央集権国家として確立してくると、さらに地方の支配体制の整備も進んだ。朝廷軍は、北進して庄内地方に達し、現在の酒田の最上川河口部辺りに出羽柵を設置。 越国(こしのくに)が越前国・越中国・越後国の3ヶ国に分割されると、和銅元年9月28日(708年11月14日)、庄内地方に出羽郡が設置され、越後国に組み入れられた。この出羽郡は、和銅5年9月23日(712年10月27日)に越後国から分立して出羽国になり、後に陸奥国から置賜郡と最上郡を譲られて、沿岸国だった出羽国は内陸部を得る(国府は現在の酒田市の北東部にある城輪柵遺跡に設置されたと考えられている)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "養老4年(720年)に発生した蝦夷の反乱(征夷将軍・多治比縣守により鎮圧)後、養老8年/神亀元年(724年)東北太平洋側に多賀城が築かれ、南東北は朝廷側の支配体制に完全に組み込まれた。 さらに北進した朝廷軍は、天平5年(733年)に出羽柵を秋田高清水岡(現在の秋田城跡)に移した。ただし、現在の秋田県の領域では、沿岸部のみが支配下に入っただけで、内陸部はやや緩い支配だった。 737年(天平9年)大野東人により多賀城から出羽柵への連絡通路が開削された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "北東北では、北上山地で太平洋と隔絶され、多賀城からも離れている現在の岩手県内の北上川流域(=奥六郡、日高見国)、および、秋田県の横手盆地などが蝦夷の勢力域として残り、その後の朝廷(多賀城)との抗争に続いていく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "宝亀11年(780年)の光仁天皇の時に伊治呰麻呂が反乱を起こし、多賀城を奪った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "平安時代の桓武天皇は、3回に渡る蝦夷平定を行い、坂上田村麻呂が征夷大将軍となって、蝦夷軍のアテルイと戦って勝利し、奥六郡に胆沢城を築いた。敗れた蝦夷軍は朝廷への服従を誓って俘囚となり、一部は日本各地に集団で強制移住させられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "朝廷の支配が確立すると、関東地方や北陸地方から多数の入植者(柵戸)が入り、東北地方の内地化が進んだ。俘囚の中から安倍氏が勢力を伸ばして、奥六郡を本拠地に糠部(現在の青森県東部)から亘理・伊具(現在の宮城県南部)にいたる広大な地域に影響力を持ったが、源頼義と対立し滅ぼされた(前九年の役)。その後清原氏が勢力を張ったがこれも源義家に滅ぼされた(後三年の役)。この両役を通じて、それまで陸奥国(東の奥)と出羽国(北の端)と認識されていた両地域を一まとめする認識が生じたとする見解がある。日本六十余州と呼ばれたうち、東北の広大な領域に僅か2カ国しか設置されていないという不均衡な状態は実に明治維新期までの長きに及ぶが、これは政権が武家に移行して分国制度が完全に形骸化したためでもあり、東北の人口密度や生産力がずっと低かったわけではない。太閤検地では既に陸奥国は他国平均の6倍以上、出羽国も2倍程度の石高となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "平安時代末期から中世初期には、北上川流域(奥六郡)を中心として奥州藤原氏が栄え、平泉が平安京に次ぐ日本第二の都市になるまで発展する。奥州藤原氏は陸奥・出羽両国の院領や摂関家荘園の租税を徴することで財力を蓄えたとみられる。しかし、源義経を匿ったかどで鎌倉政権側より軍事攻撃を受け、源頼朝によって滅ぼされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "その後坂東出身を中心とする武士団が多く配置されるとともに、北条氏の所領が広く設定されたが、一部には津軽地方の安東氏のように在地領主と見られる豪族も勢力を維持した。安東氏は北条得宗家から蝦夷代官に任命され、北東北から北海道を支配したといわれている。安東氏の本拠地十三湊は交易で栄え、日本有数の都市となった。しかし、室町時代には安東氏は南部氏との抗争により津軽を追われ秋田地方に移り、十三湊の繁栄は失われてしまう。さらに、鎌倉時代の末頃からエゾの蜂起や安東氏内部での抗争が激化するなど、東北地方では不安定な情勢が続いた(安藤氏の乱)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "鎌倉幕府滅亡後の後醍醐天皇の建武の新政では、奥州平定のために北畠顕家が多賀城へと派遣され、陸奥将軍府が置かれた。南北朝時代に入ると南朝の北畠顕家・北畠顕信と北朝の石塔氏・吉良氏・畠山氏・斯波氏が激しく争い、最終的に北朝の斯波家兼が奥州管領として勝利した。 その後斯波氏が奥羽両国に勢力を扶植するが次第に衰退したため、関東を統治した鎌倉府に統合された。 鎌倉府は統治能力の強化のため奥州南部に篠川公方・稲村公方を配置するが、室町幕府と鎌倉府の対立の中で、斯波氏(大崎氏・最上氏)は室町幕府から奥州探題や羽州探題に補任される。さらに有力国人は鎌倉府と対立するため、室町幕府直属の京都扶持衆となる例も多く見られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "戦国時代には、山形の最上氏・伊達の伊達氏・秋田の秋田氏・三戸の南部氏・会津若松の蘆名氏などが割拠した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "関ヶ原の戦いの後、常陸国水戸の佐竹氏が安東氏の後裔の秋田氏と入れ替わりに秋田に転封された。 特に伊達政宗は戦国末期に急速に勢力を拡大し、奥羽六十余郡の半分を影響下に置いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "なお、出羽国の内陸部(奥羽山脈の西側に連なるいくつもの盆地群)は盆地を中心とする領域支配を確立し、東北地方の戦国時代の主役を担った。それは、職業歩兵(軍人)である足軽が兵農分離されていなかった戦国初期においては、組織できる兵力に限界があり、盆地程度の広さが領国支配に適していたためで、出羽国内陸部の盆地の諸勢力は、陸奥国領域にも積極的に攻勢に出た。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "近世、江戸時代の有力な大名としては、上越市から会津若松、さらに米沢に移った上杉氏、保科正之を家祖とする会津松平氏、米沢から仙台へ移った伊達氏、水戸から秋田へ移った佐竹氏、盛岡の南部氏などがある(山形の最上氏はお家騒動で後に改易され、近江で五千石の旗本となる)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "江戸時代後期には地球的な気象変動などにより飢饉が頻発するようになり、天明の大飢饉に至っては10万人以上の餓死者、疫病者が出るだけでなく、住民の多くが無宿者となり江戸へ流入する事態となった。そのような中、藩財政の再建を行って飢饉に抗した米沢藩主上杉鷹山などの例は有ったものの、気象予報の難しさなどに阻まれて全体に状況は好転せず。天保の大飢饉でも東北地方は多くの死者を出した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "江戸幕府が大政奉還を行って後、幕末の慶応4年/明治元年(1868年)には北陸地方東部の北越戦争から続く会津戦争など戊辰戦争の舞台となり、東北や北陸東部の諸藩は奥羽越列藩同盟と呼ばれる軍事同盟を結んで新政府軍より身を守ろうとした。しかし戦いに敗れてしまったため、同盟参加の藩はいずれも所領を大幅に減らされる処罰を受け、経済は壊滅同然にまで追い詰められた。そうした状況の中、俸禄の支払いが困難となった家臣団(武士階級、知識階級)などを北海道へ移住させ、札幌などの諸都市を開拓して北海道の歴史に名を遺す例が相次いだ。新政府側につき、奥羽越列藩同盟を離脱した秋田藩・弘前藩などもまた、戊辰戦争で多くの犠牲を払い莫大な出費をしたため困窮は避けられず、同様に北海道に多くの移住者を出した。一方で庄内藩は最後まで幕府側として戦ったものの、西郷隆盛の意向もあり比較的軽い処分で済んでおり、米沢藩もまた維新後に積極的に新政府に協力することで軽い処分となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "明治元年12月7日(1869年1月19日)、戊辰戦争に敗けた奥羽越列藩同盟諸藩に対する処分が行われた。同日、陸奥国は、磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥国に、出羽国は、羽前国・羽後国に分割された(この分割によりできた「陸前・陸中・陸奥」は「三陸」とも呼ばれ、リアス式海岸の「三陸海岸」や、世界三大漁場のひとつ「三陸沖」などの語に用いられている)。明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県などを経て、現在の東北6県が作られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "この時期、戊辰戦争の勝利によって明治政府はその権力基盤を確立し、幕藩体制に則った伝統的な社会秩序はその権威を完全に失った。また西南諸藩に比べもともと経済基盤が弱かったこともあり、秩禄処分によって経済的な困窮へと追い込まれた各地の領主と家臣の間で、窮余の策として「北海道移住」と「帰農」が広く行われた。また東北地方では専売制度により収入増を図る藩が多かったため、土地の産物がそのまま税として支払いを求められる例が多く、農民などの庶民が産物を現金化できるシステムとしての市場は存在しないに等しかった。しかし明治維新の後は、市場の存在する他の地方と同様に税を現金で払うよう政府から命ぜられたため、産物の現金化に不慣れな人々が相次いで破産するなど、地域全体が大規模な経済的混乱に陥った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "明治時代に入り、富国強兵・殖産興業が日本各地で本格化した時代を迎えても、郡山盆地における安積疏水、宮城県の野蒜築港、東北帝国大学設置、岩手県の釜石製鉄所などの例外を除き、東北地方では政府による大規模な投資や開発は見られなかった。 野蒜築港が台風によって破壊された後も修復や代わりの港の建設はされず、鉄道のうち最初に敷設された東北本線は官営による国家計画としては行われなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "大蔵卿・松方正義による松方デフレは、農産物の価格下落をもたらし、全国的に小作農の比率を上昇(小作農率の全国平均38%→47%)させた。その影響によって、全国的には富裕層による地主所有の寡占化が進み、また産業化(生糸産業・造船業など)が進んでいた関東の都市部などは経済が好調となった一方、常磐炭田周辺などを除き工業化の遅れていた東北地方は更なる経済的ダメージを蒙ることとなった。 そのため多くの者が女工や各種労働者として都市部などへと働きに出ざるを得なかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "さらに、日清・日露戦争後に顕著となった日本の対外進出指向は、日本内地の開発の軽視につながり、地方の近代化を遅らせる結果を招いた。 特に1910年(明治43年)の韓国併合後は、朝鮮半島から廉価な米が流入したために米価の低下を招き、東北地方にとっては大きな痛手となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "昭和になってからは、農家の次男・三男などを中心に旧満州国などへの移民が活発化した。 1930年(昭和5年)には昭和東北大凶作が発生し、身売りや欠食児童が続出、二・二六事件を起こす要因の一つとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦後は農地改革により、従来の封建的な地主小作関係は過去のものとなった。工業化も進み始め、品種改良により寒冷地に強い農作物も開発され、その生活水準は顕著な向上を見せたが、一方では再投資の進む太平洋ベルト地域の著しい発展に取り残され、経済力の弱さがより目立つ形ともなった。高度経済成長時代に入ってもそれは変わることなく、インフラ整備の遅れ、東京方面への出稼ぎや集団就職などによる人材流出、それに伴う深刻な過疎化、東北内でも仙台一極集中といった新たな問題が認識されるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "2011年には東日本大震災が発生し、岩手、宮城、福島を中心に甚大な被害を受けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "東北地方の方言、いわゆる東北弁は、方言学では東日本方言に区分されている。太平洋側では関東方言(特に東関東方言)との共通点が多くみられるほか、日本海側では近世の北前船の交易による関西方言の影響もみられる。アクセントは、太平洋側南部(宮城県南部・山形県内陸と福島県)の無アクセント、南部日本海側から北部の大半にかけて分布する北奥羽式アクセント(外輪東京式アクセントの亜種)、三陸海岸北部の外輪東京式アクセントに大きく分かれる。", "title": "方言" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "かつては聞き取りにくい・理解しにくい方言の代表として鹿児島弁とともに挙げられることが多く、他の地方と比べて開発が遅れていたこともあり暗いイメージや否定的な印象を持たれることもあったが、現代においては、温かい人情や素朴さの象徴とする肯定的な見方も生まれた。しかし、方言話者自身にとっては「勝手なイメージ付け」に過ぎない点で従来の否定的な評価と何ら変わらず、必ずしも好意的に受け取られるとは限らない。現代では東北地方でも若い世代では共通語化が進んでいる一方、従来の古いイメージに最初から囚われない人も増えてきている。", "title": "方言" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "なお、「一般的に東北弁と思われている特徴」としては、", "title": "方言" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "などがある。しかし、これらの特徴が当てはまる方言と当てはまらない方言がそれぞれ存在する。", "title": "方言" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "東北地方以外で東北方言を聞ける場所の代表として、かつては上野駅(厳密にはJR東日本=旧国鉄の上野駅。特に長距離列車が多く発着した地上ホーム)がよくいわれた。実際に石川啄木の短歌や、高度成長期の望郷ものの流行歌にも登場していたが、東北新幹線の東京駅への乗り入れ(1991年)などによって上野駅と東北地方との結びつきは劇的に弱まり、すでに過去のイメージとなりつつある。", "title": "方言" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "東北地方全体としての人口動向を見てみると、戦後は自然増(第一次ベビーブーム)を中心に人口増の時代となり、1960年には東北地方全体で約970万人に達した。1960年代の高度経済成長時代には、「金の卵」の名の下に、主に京浜方面に集団就職したり出稼ぎに出たりするようになり、民族移動にも似た人口減(社会減)の時代に入る。この流れは1970年初頭まで続き、第二次ベビーブームによる大幅な自然増があったにも関わらず、1970年には924万人にまで人口が減った。その後、ニクソンショックとオイルショックによって低成長時代に入った東京への流出が減少し、東北地方は再び人口増の時代に入る。ベビーブーム終了後は、900万人を越える市場性と第三次産業への産業転換により地方中核都市の社会増が起き、日本全体の長寿化(死亡率低下)も手伝って堅調に人口は増え続けた。バブル景気期には、一時、東京圏から転入超過ともなり、20世紀末に約985万人に達した。21世紀に入り、東北地方全体の景気低迷と、高度情報化や金融の東京一極集中のために、人口は再び社会減による減少に転じている。今後は、長寿化の限界と団塊の世代の高齢化による死亡率の増加、及び少子化の影響で自然減になり、人口は引き続き減少していくと見られている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "※2020年国勢調査確定値", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "明治時代(19世紀末)の東北地方の人口 (順位は全国順位)", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "※1888年(明治21年)", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "19世紀末は、産業の中心が農業であったため、稲作に適した南東北の方の人口が多く、また、同緯度では、夏季の高温(フェーン現象)で収量が安定している日本海側(山形県、秋田県)が、やませの影響で収量が不安定な太平洋側(宮城県、岩手県)よりも県別人口で上回っている。この時期はまだ都市化が進展していなかったため、江戸時代の経済の名残りで、城下町と港町が都市としての地位にあった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "現在は、都市化が進んでおり(東北地方全体の都市部の人口75%)、県別の人口順位もDID面積順位(→東北地方#地理)とほぼ一致する。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "なお東日本大震災以降、福島第一原子力発電所事故の影響で一時的に郡山市やいわき市の人口が1000人規模で減少した一方、内陸部の被害がほとんど無かった仙台市や被害が皆無だった盛岡市では津波被災地域からの転入で人口が1000人規模で増加していた。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "年齢5歳階級別人口 2004年10月1日現在推計人口 総計 [単位 千人]", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "年齢5歳階級別人口 2004年10月1日現在推計人口 男女別 [単位 千人]", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "東北地方は、白河の関から本州最北端の大間崎まで道なりに630km以上あり、東京から姫路間の道のりより距離がある。そのため、東北地方の陸上交通路は、東京までの到達時間短縮が第一に重視され、街道、鉄道、道路の整備は、まず南北を結ぶ交通路が整備された。また、太平洋側の交通の整備が先に進み、日本海側については概してその後に整備された(以下は主要駅間の路線距離の5km毎概数。東北地方の諸都市の間隔に近い太平洋ベルトの都市を示す)。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "現在、南北陸上交通においては、主に東北新幹線・東北自動車道により関東地方と連結され、旅客では新幹線が優位に立っている。東京への到達時間短縮のために高速交通機関が発達したが、一方で東北地方内の旅客移動も活性化させ、特に太平洋側は、距離に関わらず南北間の都市間交流が盛んとなっている。また、本州・北のターミナルである青森県は、津軽海峡を挟んだ北海道との間に青函トンネルが開通し、諸都市間の関係が深まっている。以前は青森・函館間に青函連絡船が運航されていたが、トンネル開通でフェリー航路が設定され、東北道・八戸道と連動したトラック流通に対応している。なお、近年、南東北と東京との間に都市間ツアーバスが格安で参入し、高速バスと熾烈な旅客獲得競争を繰り広げている。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "他方、東西の交通については、山脈・山地などに阻まれながらも明治時代から鉄道や国道が整備されてきたが、高速交通への対応は遅れた。東西高速交通は、「幹」である東北新幹線や東北自動車道と接続する「枝」のように整備され、20世紀末に秋田新幹線や連絡線の高速道路が整備された。この結果、郡山と会津若松、仙台と山形、盛岡と秋田となどとの間で、自然障壁を越えた地域圏や経済圏の形成が進んでいる。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "東西交通の高速化により、現在の東北地方は、交通インフラの利便性の違いにより2つの地域に分類される。東京との交通上の関係で見ると、太平洋側から奥羽山脈西側に隣接する盆地群までがいわば「新幹線派地域」、それ以外の日本海沿岸地域が「航空機派地域」に分けることができる。両者の東西の境界はほぼ出羽山地である。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "「新幹線派地域」にある仙台空港(仙台都市圏内の名取市・岩沼市)は、多数の国内線や国際線が就航していて、国際線に至っては利用者の半分以上が宮城県居住者以外となっており、「新幹線派地域」の拠点空港となっている。日本海沿岸地域(津軽平野・秋田平野・庄内平野)は、東北新幹線に接続するまでに時間がかかるため、東京とは空路需要が多く、「航空機派地域」となっている。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "現在、東北地方の各空港同士を結ぶ路線は存在しないが、かつて仙台空港からは直線距離が300km程度まででも東北地方内を含めて4路線が定期路線として就航していた。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "1982年の東北新幹線開通(大宮駅〜盛岡駅)によって羽田便が同1982年に廃止され、三沢便も廃止に至った。新潟便は、磐越自動車道が次々整備される中、1992年に廃止された。青森便は、新幹線の利便性が得られない地域であったために設定されたが、JRとの運賃値下げ競争に負けて廃止された。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "その他にも新幹線の開通で空港の旅客数が顕著に減少する例が多い。参考として、空港に近い主要都市からの平成28年3月26日ダイヤ改正時点での最速所要時間を併記する。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "江戸時代には、北前船によって日本海側の港町が、東回り航路によって太平洋側の港町が栄えた。また、大小さまざまな漁港があり、遠洋漁業が盛んだった時代には大いに賑わった。現在は、地場の魚(沿岸漁業・沖合漁業)の特産化や高級化で活気がある漁港が数多く存在する。工業港・貿易港としては、仙台・小名浜・石巻・八戸・秋田が、旅客港として青森・八戸・仙台が重要な港湾となっている。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "東京へは主に東北新幹線が主力となって輸送している。1887年に東北本線黒磯 - 郡山 - 仙台間が開業、その後1890年に仙台 - 一ノ関 - 盛岡間、1891年には盛岡 - 青森間が開業し「幹」である東北本線が開通した。1982年に東北新幹線大宮 - 盛岡が開業し、また1997年には盛岡 - 秋田を新幹線直通列車が結ぶ秋田新幹線、1992年には福島 - 山形を新幹線直通列車が結ぶ山形新幹線が開業(山形新幹線は1999年に新庄まで延伸)し、県庁所在地対東京は1本の新幹線によって結ばれた。 その一方、酒田・鶴岡対東京は上越新幹線と特急いなほが優位(他にも新庄経由ルートも存在する)、いわき対東京は特急ひたちなど、「幹」である東北新幹線を利用しない最短ルートも存在する。これらの地域は「枝」である東西連絡路線が後発であったことが影響している。なお2002年12月1日に東北新幹線の盛岡 - 八戸間開業以降東北地方のすべての県に新幹線の列車が乗り入れるようになった。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "東北地方は、医師の数が人口比で全国水準より低い上、無医地区も広いため、高速道路や国道体系と医療体制との関係が深い。高速道路・国道は、都市部にある高度医療を行う病院や救急救命センターへの搬送路として機能し、救急車緊急退出路も整備されている。また、都市部に偏る常勤医を郡部へ非常勤医として送る供給路としても利用されている。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "東北6県の県内総生産比率(名目、2013年度)", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "東北6県の県内総生産比率(実質、2013年度)", "title": "経済" } ]
東北地方(とうほくちほう)は、日本の地域のひとつであり、本州東北部に位置する。「奥羽地方(おううちほう)」ともいう。最大都市は仙台市である。 その範囲に現行法上の明確な定義はないものの、一般には青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県を指す。これら6県は、本州の約3割の面積を占める。東北地方は東日本に位置するが、気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本とされる。
{{redirectlist|東北|方角|北東|その他の東北|東北 (曖昧さ回避)|その他の東北地方|東北地方 (曖昧さ回避)}} {{Infobox |bodyclass = bordered |abovestyle = background-color:green; text-align:center; |above = {{Color|white|'''東北地方'''のデータ}} |headerstyle = background-color: greenyellow |header1 = 6県の合計 |label2 = 国 |data2 = {{JPN}} |label3 = 面積 |data3 = '''66,951.97''' [[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]<br />(2013年10月1日)<ref>[https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO-title.htm 全国都道府県市区町村別面積調]([[国土交通省]][[国土地理院]])</ref> |label4 = [[推計人口]] |data4 = '''{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/青森県|青森県}} + {{自治体人口/岩手県|岩手県}} + {{自治体人口/宮城県|宮城県}} + {{自治体人口/秋田県|秋田県}} + {{自治体人口/山形県|山形県}} + {{自治体人口/福島県|福島県}} }}}}'''人<br />(直近の統計<ref name="Pop" group="注釈">統計日は、青森県が{{自治体人口/青森県|date}}、岩手県が{{自治体人口/岩手県|date}}、宮城県が{{自治体人口/宮城県|date}}、秋田県が{{自治体人口/秋田県|date}}、山形県が{{自治体人口/山形県|date}}、福島県が{{自治体人口/福島県|date}}。</ref>) |label5 = 人口密度 |data5 = '''{{formatnum:{{#expr:({{自治体人口/青森県|青森県}} + {{自治体人口/岩手県|岩手県}} + {{自治体人口/宮城県|宮城県}} + {{自治体人口/秋田県|秋田県}} + {{自治体人口/山形県|山形県}} + {{自治体人口/福島県|福島県}}) / 66951.97 round 1}}}}'''人/km<sup>2</sup><br />(直近の統計<ref name="Pop" group="注釈"/>) |label6 = 人口密度 |header6 = 位置 |data7 = [[ファイル:Japan Tohoku Region large.png|center|200px|東北地方の位置]] |data8 = [[ファイル:Tohoku Region Japan 2003.png|center|200px|東北地方の衛星画像]] }} '''東北地方'''(とうほくちほう)は、[[日本の地域]]のひとつであり、[[本州]]東北部に位置する。「[[奥羽|奥羽地方]](おううちほう)」ともいう<ref>[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/27424/m0u/%E3%81%8A%E3%81%86%E3%81%86/ おううちほう【奥羽地方】の意味 - 国語辞書 - goo辞書]</ref><ref group="注釈">明治維新以後、九州を「西南」(西南地方)、奥羽を「東北」(東北地方)と改めた。</ref>。最大[[都市]]は[[仙台市]]である。 その範囲に現行法上の明確な定義はないものの<ref group="注釈">「そもそも『〜地方』といわれる範囲に、法律上の明確な定義はない(総務省)」 首都圏と関東地方・山梨県を含むか含まないか 『日本経済新聞』 平成24年6月16日S3面</ref>、一般には[[青森県]]、[[岩手県]]、[[宮城県]]、[[秋田県]]、[[山形県]]、[[福島県]]の6県を指す<ref name="daihyakka">{{Citation|和書|title=日本地名大百科|publisher=小学館|year=1996|pages=776-777|isbn=4-09-523101-7}}</ref>。これら6県は、本州の約3割の[[面積]]を占める<ref>[http://renzan.org/columnist/takahashi/umikaratohoku3.html 海から見た東北地方の過去と未来 (3) 〜東北の未来] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20140426234159/http://renzan.org/columnist/takahashi/umikaratohoku3.html |date=2014年4月26日 }}</ref>。東北地方は[[東日本]]に位置するが、[[気象]]や[[歴史地理学]]などでは[[北海道]]と一緒に[[北日本]]とされる<ref>[http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/kisetsu_riyou/image/kubun1.gif 地域区分(北日本、東日本、西日本、沖縄・奄美)] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130124155718/http://www.jma.go.jp/jma//kishou/know/kisetsu_riyou/image/kubun1.gif |date=2013年1月24日 }}([[気象庁]]){{出典無効|date=2022年4月|title=東北6県が「北日本」に含まれる図であることはわかるが、「気象や歴史地理学など」と紐付いていない(また、少なくとも気象庁のサイトは歴史地理学における事例の出典にはできないため別途出典が必要)}}</ref>。 == 地理 == [[File:Tohoku-Region-Northern-Japan-ISS-Space.png|thumb|300px|国際宇宙ステーションから見た北日本と東北地方(2015年10月17日)]] * [[人口]]は約862万人(2020年10月1日-[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]) * [[面積]]は66,889&nbsp;km<sup>2</sup><ref>[https://wwwtb.mlit.go.jp/tohoku/chikoushin/ks-chikoushin07-01-05-01.pdf 東北地方の面積・人口・地形]</ref> * [[人口密度]]は1km<sup>2</sup>あたり約144人(2005年10月1日-国勢調査) * 東北六県の県民総生産の合計は33兆3007億円(2007年度-[[県民経済計算]]) {| class="wikitable" style="clear: left; float: left;" |- ! style="background:#f0f0f0;"|県名 ! style="background:#f0f0f0;"|総面積(S) |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|[[岩手県]] | style="text-align: right;"|15,279&nbsp;km<sup>2</sup> |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|[[福島県]] | style="text-align: right;"|13,783&nbsp;km<sup>2</sup> |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|[[秋田県]] | style="text-align: right;"|11,612&nbsp;km<sup>2</sup> |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|[[青森県]] | style="text-align: right;"|9,607&nbsp;km<sup>2</sup> |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|[[山形県]] | style="text-align: right;"|9,323&nbsp;km<sup>2</sup> |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|[[宮城県]] | style="text-align: right;"|7,285&nbsp;km<sup>2</sup> |- | style="text-align: center;"|合計 | style="text-align: right;"|66,889&nbsp;km<sup>2</sup> |} {| class="wikitable" style="float: left;" |- ! style="background:#f0f0f0;"|県名 ! style="background:#f0f0f0;"|可住面積(P) ! style="background:#f0f0f0;"|P/S |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|福島県 | style="text-align: right;"|4,218&nbsp;km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|30.6% |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|岩手県 | style="text-align: right;"|3,710&nbsp;km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|{{Color|blue|24.3%}} |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|青森県 | style="text-align: right;"|3,204&nbsp;km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|33.4% |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|秋田県 | style="text-align: right;"|3,155&nbsp;km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|27.2% |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|宮城県 | style="text-align: right;"|3,130&nbsp;km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|{{Color|red|43.0%}} |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|山形県 | style="text-align: right;"|2,850&nbsp;km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|30.6% |- | style="text-align: center;"|合計 | style="text-align: right;"|20,267&nbsp;km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|30.3% |} {{clear|left}} {| class="wikitable" style="float: left;" |- ! style="background:#f0f0f0;"|県名 ! style="background:#f0f0f0;"|[[人口集中地区|DID]]面積 ! style="background:#f0f0f0;"|DID/P ! style="background:#f0f0f0;"|DID/S |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|宮城県 | style="text-align: right;"|231&nbsp;km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|7.4% | style="text-align: right;"|3.2% |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|福島県 | style="text-align: right;"|176&nbsp;km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|4.2% | style="text-align: right;"|1.3% |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|青森県 | style="text-align: right;"|156&nbsp;km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|4.9% | style="text-align: right;"|1.6% |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|山形県 | style="text-align: right;"|113&nbsp;km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|4.0% | style="text-align: right;"|1.2% |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|秋田県 | style="text-align: right;"|87&nbsp;km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|2.8% | style="text-align: right;"|0.7% |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|岩手県 | style="text-align: right;"|86&nbsp;km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|2.3% | style="text-align: right;"|0.6% |- | style="text-align: center;"|合計 | style="text-align: right;"|849&nbsp;km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|4.2% | style="text-align: right;"|1.3% |} {{clear|left}} {| class="wikitable" style="float: left;" |- ! style="background:#f0f0f0;"|県名 ! style="background:#f0f0f0;"|人口密度(人/S) ! style="background:#f0f0f0;"|可住地人口密度(人/P) |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|宮城県 | style="text-align: right;"|325.6人/km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|757.7人/km<sup>2</sup> |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|福島県 | style="text-align: right;"|153.3人/km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|500.8人/km<sup>2</sup> |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|青森県 | style="text-align: right;"|152.0人/km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|455.6人/km<sup>2</sup> |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|山形県 | style="text-align: right;"|131.9人/km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|431.5人/km<sup>2</sup> |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|秋田県 | style="text-align: right;"|100.5人/km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|370.0人/km<sup>2</sup> |- | style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|岩手県 | style="text-align: right;"|91.7人/km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|377.8人/km<sup>2</sup> |- | style="text-align: center;"|東北6県 | style="text-align: right;"|145.7人/km<sup>2</sup> | style="text-align: right;"|480.7人/km<sup>2</sup> |} {{clear|left}} * 国土交通省東北運輸局による統計。「P/S」は総面積(S)に対する可住面積(P)の割合。「DID」は[[人口集中地区]]のこと。「DID/P」は可住面積(P)に対するDIDの割合。「DID/S」は総面積(S)に対するDIDの割合。 === 地形 === [[ファイル:Geofeatures map of Tohoku Japan ja.svg|thumb|220px|東北地方の主要地形]] [[プレートテクトニクス|プレート理論]]では、東北地方は[[北海道]]とともに[[北アメリカプレート]]上に存在し、東側から[[太平洋プレート]]が[[日本海溝]]で潜り込んでいる。そのため、[[海溝型地震|海溝型]]を中心に[[地震]]が多く、ときには[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])のようにマグニチュード9を超える大規模な地震が起こることもある。東北地方の中央には、日本海溝と平行に南北に[[那須火山帯]]が走っている。この火山帯の上には、[[下北半島]]の[[恐山山地]]、および、南北に長く[[奥羽山脈]]が連なっており、北から[[恐山]]、[[八甲田山]]・[[八幡平]]・[[岩手山]]・[[栗駒山]]・[[蔵王連峰]]・[[吾妻連峰]]・[[安達太良山]]・[[那須岳]]などの[[火山]]が多くある。那須火山帯(奥羽山脈)の上には[[十和田湖]]・[[田沢湖]]・[[鬼首カルデラ]]・蔵王の[[御釜 (蔵王連峰)|御釜]]周辺などの[[カルデラ]]地形が見られ、火山の恩恵である[[温泉]]も多い。なお、[[猪苗代湖]]は[[湖沼#地殻変動|断層湖]]である。 日本海側には、[[ユーラシアプレート]]と北アメリカプレートの境界が南北に走っているため、那須火山帯と平行に[[鳥海火山帯]]が南北に走っている。この火山帯の上には、[[白神山地]]・[[出羽山地]]<span style="font-zize:small;">(太平山地・朝日山地・飯豊山地)</span>・[[越後山脈]]が連なっており、[[岩木山]]・[[鳥海山]]・[[月山]]などの美しい稜線を持った火山が見られる。山地が海に接する部分では、海岸沿いに温泉が湧いており、海を眺めながら入浴することができる。 太平洋側には[[北上山地]]と[[阿武隈高地]]がある。これらは、[[隆起]]地形が侵食され、現在は[[老年期地形]]となった、なだらかで低い山地である。[[残丘]]として標高1917mの[[早池峰山]]があるが、基本的になだらかな山地で、奥羽山脈より日本海側と比べると積雪も少ないため[[スキー場]]が少なく、火山帯ではないため温泉も少ない。ただし昔、海底にあって隆起した証拠である[[鍾乳洞]]などの[[石灰岩]]地形が多く見られる。北上山地が海にせり出している[[リアス式海岸]]の[[三陸海岸]]では、石灰岩が波に洗われてつくりだされた複雑な海岸線や真っ白な砂浜が見られ、[[親潮]]のコバルトブルーの海とコントラストを作り出している。阿武隈高地と太平洋の間は[[離水|離水海岸]]となっており、リアス式海岸の間の海が埋め立てられたような小規模な[[沖積平野]]が小高い山地と交互に存在しながら延々と続く。 これら3連の南北に連なる[[山脈]]・山地の間には、[[北上川]]、[[阿武隈川]]、[[雄物川]]、[[最上川]]などの河川が流れ、多くの[[盆地]]や[[平野]]を作り出している。 === 気候 === 気候は、小地形による修飾があるが、大きく'''日本海沿岸'''、'''那須火山帯山麓と西側'''(盆地)、'''那須火山帯山麓を除く東側'''(盆地)、'''太平洋沿岸''' の4つのグループに分かれており、それぞれ異なった傾向を持っている。また、それぞれのグループごとに、北と南で微妙な違いもある。宮城県・福島県の太平洋沿岸を除いて全域が[[豪雪地帯]]で、一部特別豪雪地帯もある。 '''日本海沿岸'''と'''那須火山帯山麓と西側'''(盆地)の「日本海側グループ」は、[[日本海側気候]]となっており、夏季は[[フェーン現象]]により、晴天が多く、非常な高温になることがある(山形市で40.8度を記録)。しかし、昼間の高温の割りに夜間は気温が下がって過ごし易い。冬季は、日照時間が少なく、豪雪地帯となっているところが多いが、特に奥羽山脈西側の盆地の降雪量が多い。 太平洋側の'''那須火山帯山麓を除く東側'''(盆地)は、[[太平洋側気候]]と[[内陸性気候]]を併せ持つ。夏季は、フェーン現象により高温となる日と、太平洋沿岸地域のような曇天で気温が低い日との両方がある。冬季も、寒気団や北風・西風などの諸要因が強いと日本海側のように雪が降る場合がある一方、太平洋沿岸地域のように、晴天になる日も多い。 '''太平洋沿岸'''は、太平洋側気候と[[海洋性気候]]を併せ持つ。夏季は、北部・中部は通常曇天で気温が上がらず、数年毎に[[やませ]]の流入により、低温で悪天候の冷夏となる年がある。南部(福島県[[浜通り]])の夏季は、太平洋高気圧の影響下に入り易く、高温で晴天の日が多い。中部・南部は、冬季の積雪量は少なく、晴れて空気は乾燥する。 '''主な都市の冬 (平年値)''' {| class="wikitable" |- | rowspan="2" style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|都市|| rowspan="2" style="text-align:center; background:#f0f0f0;"| || rowspan="2" style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|降雪量累計|| rowspan="2" style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|最深積雪|| colspan="6"|1月(平年値) |- ||日照時間|||降水日数|||日隔差|||平均気温|||最高気温|||最低気温 |- style="background:#c9f;" | style="text-align: center;"|[[札幌市|札幌]]|| ||style="text-align: right;" | 630&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 101&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 97.2 時間||style="text-align: right;" | 17.9 日||style="text-align: right;" | 6.8℃||style="text-align: right;" |-4.1℃||style="text-align: right;" |-0.9℃||style="text-align: right;" |-7.7℃ |- style="background:#cff;" | style="text-align: center;"|[[深浦町|深浦]]|| ||style="text-align: right;" |385&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 44&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 31.3 時間||style="text-align: right;" | 18.1 日||style="text-align: right;" | 4.7℃||style="text-align: right;" |-0.4℃||style="text-align: right;" |2.0℃||style="text-align: right;" |-2.7℃ |- style="background:#cff;" | style="text-align: center;"|[[秋田市|秋田]]|| ||style="text-align: right;" |409&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 41&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 44.6 時間||style="text-align: right;" | 20.6 日||style="text-align: right;" | 5.4℃||style="text-align: right;" |0.0℃||style="text-align: right;" |2.7℃||style="text-align: right;" |-2.7℃ |- style="background:#cff;" | style="text-align: center;"|[[酒田市|酒田]]|| ||style="text-align: right;" |375&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 37&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 39.9 時間||style="text-align: right;" | 22.7 日||style="text-align: right;" | 5.4℃||style="text-align: right;" |1.5℃||style="text-align: right;" |4.1℃||style="text-align: right;" |-1.3℃ |- | style="text-align: center;"|[[青森市|青森]]|| ||style="text-align: right;" |774&nbsp;cm||style="text-align: right;" |114&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 56.7 時間||style="text-align: right;" | 22.1 日||style="text-align: right;" | 5.8℃||style="text-align: right;" |-1.4℃||style="text-align: right;" |1.5℃||style="text-align: right;" |-4.3℃ |- | style="text-align: center;"|[[新庄市|新庄]]|| ||style="text-align: right;" |878&nbsp;cm||style="text-align: right;" |126&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 43.1 時間||style="text-align: right;" | 23.8 日||style="text-align: right;" | 5.8℃||style="text-align: right;" |-1.2℃||style="text-align: right;" |1.4℃||style="text-align: right;" |-4.4℃ |- | style="text-align: center;"|[[山形市|山形]]|| ||style="text-align: right;" |491&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 50&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 89.6 時間||style="text-align: right;" | 15.2 日||style="text-align: right;" | 6.6℃||style="text-align: right;" |-0.5℃||style="text-align: right;" |3.0℃||style="text-align: right;" |-3.6℃ |- | style="text-align: center;"|[[会津若松市|若松]]|| ||style="text-align: right;" | 537&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 58&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 80.9 時間||style="text-align: right;" | 14.8 日||style="text-align: right;" | 6.4℃||style="text-align: right;" |-0.7℃||style="text-align: right;" |2.6℃||style="text-align: right;" |-3.8℃ |- style="background:#9cf;" | style="text-align: center;"|[[むつ市|むつ]]|| ||style="text-align: right;" |564&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 70&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 77.0 時間||style="text-align: right;" | 17.7 日||style="text-align: right;" | 6.8℃||style="text-align: right;" |-1.6℃||style="text-align: right;" |1.4℃||style="text-align: right;" |-5.4℃ |- style="background:#9cf;" | style="text-align: center;"|[[盛岡市|盛岡]]|| ||style="text-align: right;" |351&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 36&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 124.0 時間||style="text-align: right;" | 9.7 日||style="text-align: right;" | 7.6℃||style="text-align: right;" |-2.1℃||style="text-align: right;" |1.7℃||style="text-align: right;" |-5.9℃ |- style="background:#9cf;" | style="text-align: center;"|[[福島市|福島]]|| ||style="text-align: right;" | 235&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 26&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 136.6 時間||style="text-align: right;" | 7.9 日||style="text-align: right;" | 7.5℃||style="text-align: right;" |1.4℃||style="text-align: right;" |5.4℃||style="text-align: right;" |-2.1℃ |- style="background:#9cf;" | style="text-align: center;"|[[白河市|白河]]|| ||style="text-align: right;" | 173&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 21&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 160.9 時間||style="text-align: right;" | 4.8 日||style="text-align: right;" | 8.6℃||style="text-align: right;" |0.2℃||style="text-align: right;" |4.6℃||style="text-align: right;" |-4.0℃ |- style="background:#ffc;" | style="text-align: center;"|[[八戸市|八戸]]|| ||style="text-align: right;" |318&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 33&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 134.5 時間||style="text-align: right;" | 6.9 日||style="text-align: right;" | 7.0℃||style="text-align: right;" |-1.2℃||style="text-align: right;" |2.5℃||style="text-align: right;" |-4.5℃ |- style="background:#ffc;" | style="text-align: center;"|[[宮古市|宮古]]|| ||style="text-align: right;" | 186&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 32&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 163.6 時間||style="text-align: right;" | 4.6 日||style="text-align: right;" | 8.8℃||style="text-align: right;" |0.2℃||style="text-align: right;" |4.8℃||style="text-align: right;" |-4.0℃ |- style="background:#ffc;" | style="text-align: center;"|[[大船渡市|大船渡]]|| ||style="text-align: right;" | 77&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 13&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 148.6 時間||style="text-align: right;" | 5.2 日||style="text-align: right;" | 7.3℃||style="text-align: right;" |0.7℃||style="text-align: right;" |4.4℃||style="text-align: right;" |-2.9℃ |- style="background:#ffc;" | style="text-align: center;"|[[石巻市|石巻]]|| ||style="text-align: right;" | 56&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 17&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 167.6 時間||style="text-align: right;" | 4.3 日||style="text-align: right;" | 7.2℃||style="text-align: right;" |0.5℃||style="text-align: right;" |4.4℃||style="text-align: right;" |-2.8℃ |- style="background:#ffc;" | style="text-align: center;"|[[仙台市|仙台]]|| ||style="text-align: right;" | 90&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 17&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 151.3 時間||style="text-align: right;" | 5.5 日||style="text-align: right;" | 7.2℃||style="text-align: right;" |1.5℃||style="text-align: right;" |5.2℃||style="text-align: right;" |-2.0℃ |- style="background:#ffc;" | style="text-align: center;"|[[いわき市|小名浜]]|| ||style="text-align: right;" | 14&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 6&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 189.6 時間||style="text-align: right;" | 4.1 日||style="text-align: right;" | 9.1℃||style="text-align: right;" |3.6℃||style="text-align: right;" |8.2℃||style="text-align: right;" |-0.9℃ |- style="background:#fc3;" | style="text-align: center;"|[[東京都|東京]]|| ||style="text-align: right;" | 13&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 7&nbsp;cm||style="text-align: right;" | 180.5 時間||style="text-align: right;" | 4.6 日||style="text-align: right;" | 7.8℃||style="text-align: right;" |5.8℃||style="text-align: right;" |9.8℃||style="text-align: right;" |2.1℃ |} ''日本海沿岸''、''那須火山帯山麓と西側''、''那須火山帯山麓を除く東側''、''太平洋沿岸'' の4グループに色分けしてある。 : ※'''降雪量累計''':[https://web.archive.org/web/20070124222156/http://www.data.kishou.go.jp/etrn/index.html 気象庁の統計データ] でいう「降雪の深さ合計」のこと。日ごとの降雪量を、シーズン全体で合計した量(平年値) : ※'''最深積雪''':一度に降る最も多い積雪量(平年値) : ※'''降水日数''':1mm以上の降水が観測される日数(平年値) : ※'''日隔差''':1月の平均最高気温と平均最低気温の差。1日の寒暖の差(平年値) '''主な都市の夏 (''8月'' の平年値)''' {| class="wikitable" |- style="text-align:center; background:#f0f0f0;" ||都市|| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"| || style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|平均気温|| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|最高気温|| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|最低気温|| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|日隔差|| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|日照時間|| style="text-align:center; background:#f0f0f0;"|降水量 |- style="background:#c9f;" | style="text-align: center;"|[[札幌市|札幌]]|| ||style="text-align: right;" | 22.0 ℃||style="text-align: right;" | 26.1 ℃||style="text-align: right;" | 18.5 ℃||style="text-align: right;" | 7.6 ℃||style="text-align: right;" | 173.5 時間||style="text-align: right;" |137.3&nbsp;mm |- style="background:#cff;" | style="text-align: center;"|[[深浦町|深浦]]|| ||style="text-align: right;" | 23.1 ℃||style="text-align: right;" | 26.8 ℃||style="text-align: right;" | 19.9 ℃||style="text-align: right;" | 6.9 ℃||style="text-align: right;" | 185.9 時間||style="text-align: right;" |157.4&nbsp;mm |- style="background:#cff;" | style="text-align: center;"|[[秋田市|秋田]]|| ||style="text-align: right;" | 24.5 ℃||style="text-align: right;" | 28.8 ℃||style="text-align: right;" | 20.9 ℃||style="text-align: right;" | 7.9 ℃||style="text-align: right;" | 200.4 時間||style="text-align: right;" |181.9&nbsp;mm |- style="background:#cff;" | style="text-align: center;"|[[酒田市|酒田]]|| ||style="text-align: right;" | 24.9 ℃||style="text-align: right;" | 29.1 ℃||style="text-align: right;" | 21.0 ℃||style="text-align: right;" | 8.1 ℃||style="text-align: right;" | 211.6 時間||style="text-align: right;" |175.8&nbsp;mm |- | style="text-align: center;"|[[青森市|青森]]|| ||style="text-align: right;" | 23.0 ℃||style="text-align: right;" | 27.6 ℃||style="text-align: right;" | 19.3 ℃||style="text-align: right;" | 8.3 ℃||style="text-align: right;" | 190.8 時間||style="text-align: right;" |129.3&nbsp;mm |- | style="text-align: center;"|[[新庄市|新庄]]|| ||style="text-align: right;" | 23.9 ℃||style="text-align: right;" | 28.9 ℃||style="text-align: right;" | 19.8 ℃||style="text-align: right;" | 9.1 ℃||style="text-align: right;" | 177.5 時間||style="text-align: right;" |174.5&nbsp;mm |- | style="text-align: center;"|[[山形市|山形]]|| ||style="text-align: right;" | 24.6 ℃||style="text-align: right;" | 30.2 ℃||style="text-align: right;" | 20.3 ℃||style="text-align: right;" | 9.9 ℃||style="text-align: right;" | 184.7 時間||style="text-align: right;" |148.8&nbsp;mm |- | style="text-align: center;"|[[会津若松市|若松]]|| ||style="text-align: right;" | 24.8 ℃||style="text-align: right;" | 30.4 ℃||style="text-align: right;" | 20.3 ℃||style="text-align: right;" | 10.1 ℃||style="text-align: right;" | 199.5 時間||style="text-align: right;" |131.0&nbsp;mm |- style="background:#9cf;" | style="text-align: center;"|[[むつ市|むつ]]|| ||style="text-align: right;" | 21.7 ℃||style="text-align: right;" | 25.7 ℃||style="text-align: right;" | 18.2 ℃||style="text-align: right;" | 7.5 ℃||style="text-align: right;" | 152.8 時間||style="text-align: right;" |140.4&nbsp;mm |- style="background:#9cf;" | style="text-align: center;"|[[盛岡市|盛岡]]|| ||style="text-align: right;" | 23.2 ℃||style="text-align: right;" | 28.1 ℃||style="text-align: right;" | 19.2 ℃||style="text-align: right;" | 8.9 ℃||style="text-align: right;" | 158.8 時間||style="text-align: right;" |177.8&nbsp;mm |- style="background:#9cf;" | style="text-align: center;"|[[福島市|福島]]|| ||style="text-align: right;" | 25.2 ℃||style="text-align: right;" | 30.2 ℃||style="text-align: right;" | 21.5 ℃||style="text-align: right;" | 8.7 ℃||style="text-align: right;" | 159.7 時間||style="text-align: right;" |144.3&nbsp;mm |- style="background:#9cf;" | style="text-align: center;"|[[白河市|白河]]|| ||style="text-align: right;" | 23.3 ℃||style="text-align: right;" | 28.1 ℃||style="text-align: right;" | 19.7 ℃||style="text-align: right;" | 8.4 ℃||style="text-align: right;" | 154.0 時間||style="text-align: right;" |228.2&nbsp;mm |- style="background:#ffc;" | style="text-align: center;"|[[八戸市|八戸]]|| ||style="text-align: right;" | 22.3 ℃||style="text-align: right;" | 26.5 ℃||style="text-align: right;" | 19.1 ℃||style="text-align: right;" | 7.4 ℃||style="text-align: right;" | 173.3 時間||style="text-align: right;" |139.8&nbsp;mm |- style="background:#ffc;" | style="text-align: center;"|[[宮古市|宮古]]|| ||style="text-align: right;" | 22.2 ℃||style="text-align: right;" | 26.4 ℃||style="text-align: right;" | 19.1 ℃||style="text-align: right;" | 7.3 ℃||style="text-align: right;" | 165.2 時間||style="text-align: right;" |180.8&nbsp;mm |- style="background:#ffc;" | style="text-align: center;"|[[大船渡市|大船渡]]|| ||style="text-align: right;" | 23.0 ℃||style="text-align: right;" | 26.9 ℃||style="text-align: right;" | 19.8 ℃||style="text-align: right;" | 7.1 ℃||style="text-align: right;" | 161.5 時間||style="text-align: right;" |198.6&nbsp;mm |- style="background:#ffc;" | style="text-align: center;"|[[石巻市|石巻]]|| ||style="text-align: right;" | 23.5 ℃||style="text-align: right;" | 26.9 ℃||style="text-align: right;" | 20.8 ℃||style="text-align: right;" | 6.1 ℃||style="text-align: right;" | 178.1 時間||style="text-align: right;" |127.0&nbsp;mm |- style="background:#ffc;" | style="text-align: center;"|[[仙台市|仙台]]|| ||style="text-align: right;" | 24.1 ℃||style="text-align: right;" | 27.9 ℃||style="text-align: right;" | 21.2 ℃||style="text-align: right;" | 6.7 ℃||style="text-align: right;" | 155.4 時間||style="text-align: right;" |174.2&nbsp;mm |- style="background:#ffc;" | style="text-align: center;"|[[いわき市|小名浜]]|| ||style="text-align: right;" | 23.9 ℃||style="text-align: right;" | 27.3 ℃||style="text-align: right;" | 18.5 ℃||style="text-align: right;" | 8.8 ℃||style="text-align: right;" | 193.9 時間||style="text-align: right;" |141.7&nbsp;mm |- style="background:#fc3;" | style="text-align: center;"|[[東京都|東京]]|| ||style="text-align: right;" | 27.1 ℃||style="text-align: right;" | 30.8 ℃||style="text-align: right;" | 24.2 ℃||style="text-align: right;" | 6.6 ℃||style="text-align: right;" | 177.5 時間||style="text-align: right;" |155.1&nbsp;mm |} {{clear}} ''日本海沿岸''、''那須火山帯山麓と西側''、''那須火山帯山麓を除く東側''、''太平洋沿岸'' の4グループに色分けしてある。 : ※'''日隔差''':8月の平均最高気温と平均最低気温の差。1日の暑涼の差(平年値) == 地域 == {{出典の明記|section=1|date=2011年10月10日 (月) 14:00 (UTC)}} === 東北地方内の区分 === 古代の東北地方において、(1)[[多賀城]]が設置されて早くから[[畿内]]に本拠地を置く政権の勢力が及んだ南東北、畿内政権の影響力が弱く、[[俘囚]]や[[奥州藤原氏]]の本拠となっていた北東北、といった古代からの南北区分と;(2)陸奥国の「内陸国」「政治勢力の地盤」、出羽国の「沿岸国」「経済勢力の地盤」の境界であった[[奥羽山脈]]による東西区分が、意味を変えながらも現代の東北地方内の区分と似た状況になっている。 ただし、[[文化]]的には[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の大名の支配圏や、[[江戸時代]]の[[藩]]による区分の方が影響を残しており、また、新幹線・高速道路・空港から遠い[[三陸海岸|三陸]]沿岸や[[下北半島]]も、少なくとも意識の上では他の都市圏から独立した独自の地域圏を形成している。 ==== 太平洋側と日本海側 ==== 東北地方は「'''[[太平洋]]側'''」と「'''[[日本海]]側'''」の2つに区分されることがある。両者の境界は、[[那須火山帯]]上にある[[恐山]]〜[[奥羽山脈]]の線、または中央[[分水嶺]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jac.or.jp/info/100/bunsuirei/|title=中央分水嶺踏査|publisher=[[日本山岳会]]|date=2006|accessdate=2020-02-18}}</ref>による[[竜飛岬]]([[津軽半島]])〜奥羽山脈とする線などがある。 この分類は、''[[気候]]'' による区分でよく用いられ、[[日本海側]]は脊梁山脈である奥羽山脈の西側にあるため、特に'''日本海側盆地'''([[国道121号]]・[[国道13号]]・[[国道105号]]沿線)は冬の降雪量が多く、'''日本海沿岸'''([[国道7号]]沿線)は風が強い地域である。一方、太平洋側は奥羽山脈の東側にあり、'''太平洋側盆地'''([[国道4号]]沿線)は[[内陸性気候]]であるが降雪量は奥羽山脈西側ほど多くなく、'''太平洋沿岸'''([[国道6号]]・[[国道45号]]沿線)は冬でも晴れが多くて雪がめったに降らない。夏の気候では、日本海沿岸は[[フェーン現象]]のために晴天で気温が上昇し易いが、太平洋沿岸はやませの影響で気温が低い年がある。 また、[[海流]]の面で、太平洋側は[[親潮]]と[[黒潮]]、日本海側は[[対馬海流]](と[[リマン海流]])の影響を受けるため、''[[海運]]'' の面でも「太平洋側」と「日本海側」に区分する。前近代においては、太平洋岸は波が荒く、航海が危険であるため、日本海側と比較して海運は活発ではなかった。現在は、動力を積んだ大型船の時代であり、また、[[太平洋ベルト]]に近い利点から、太平洋側の海運が活発である。 ==== 陸奥国と出羽国 ==== * ''「内陸国」と「沿岸国」'' [[陸奥国]]の[[国府]]が[[仙台平野]]の[[多賀城]]に置かれ、[[出羽国]]の国府が[[庄内平野]]の[[酒田市|酒田]]に置かれた事で解るように、陸奥は「内陸国」の、出羽は「沿岸国」の傾向が見られる。 陸奥国(盆地、[[太平洋]]沿岸)は、沿岸平野が[[いわき市]]周辺(特徴的海岸:[[四倉町|四倉]])、[[相馬市]]周辺(特徴的海岸:[[松川浦]])、[[仙台平野]](特徴的海岸:[[松島]])、[[八戸市]]周辺(特徴的海岸:[[蕪島]])と乏しく、波も荒く[[海流]]も強いため、陸上交通による[[関東地方]]との関わりが深い「内陸国」であった(→[[みちのく]])。 一方、出羽国(日本海沿岸)は、沿岸に[[庄内平野]]、[[秋田平野]]、[[能代平野]]、[[津軽平野]]と、内陸部につながる沿岸平野がほぼ均等な間隔で存在し、[[北前船]]に代表されるように、古代から明治時代まで、海運による[[近畿地方]]との関わりが深い「沿岸国」であった(→[[越後国]]の先にある地域)。 江戸時代には、おおむね日本海沿岸の地域は銀遣い、太平洋沿岸の地域は金遣いであり、その境界線はおおよそ下北半島の東岸であった。<!--青森県野辺地や海峡沿いは銀遣い、八戸は金遣いであった。--> * ''分割'' [[戊辰戦争]]終結の直後、明治元年[[12月7日 (旧暦)|旧暦12月7日]]([[1869年]][[1月19日]])に、陸奥国は分割され、[[陸奥国 (1869-)]]・[[陸中国]]・[[陸前国]]・[[岩代国]]・[[磐城国]]が設置され、同じく出羽国も[[羽前国]]・[[羽後国]]に分割された。羽前と羽後の総称として「両羽」、陸奥・陸中・陸前の総称として「[[三陸]]」という地域名が使われることもある。 ==== 北東北と南東北 ==== {{独自研究|section=1|date=2011年10月}} 東北地方は、主要都市の間に[[東北新幹線]]・[[山形新幹線]]・[[秋田新幹線]]が通っている。また、東北地方内陸を南北に貫く[[東北自動車道]]の他、太平洋側と日本海側を結ぶ[[高速道路]]がいくつも整備され、運行本数が少なく割高な在来線よりも、安価で速く便利に移動できる[[高速バス]]が、各都市間で運行されるようになった。すると、それまで空路で東京とつながってバラバラだった主要都市間の関係が、新幹線によるつながりや高速道路(高速バス)によるつながりによって再編成されることになった。 北東北三県は、各県知事の政治主導で「三県連合」の枠組みがつくられたが、元々各県都間の地理的距離があり、うち青森市や秋田市の場合、陸路では[[東京都|東京]]からの所要時間が長いため、新幹線が開通しても空路から陸路への旅客シフトが劇的には起きなかった。その結果、新幹線の結節点である[[盛岡市]]を中心とした相互交流や、高速バスの低廉化・高頻度化などはあまり発生しなかった。 一方、南東北三県においては、各県の[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]や中心都市が元々近接していたこともあり、仙台市との経済的結び付きが強い地域が「仙台経済圏」を形成している。南東北三県都(仙台市・[[山形市]]・[[福島市]])がある中枢部は、'''南東北中枢広域都市圏'''という名称の協議会を結成して、人口334万人を抱える大都市圏行政を行っている他、「三県都連合」が経済後追いの形で形成されている。 === 周辺地方との関係 === [[青森市|青森]]や下北半島などの地方では、[[青函トンネル]]や[[津軽海峡フェリー]]、[[青函フェリー]]を通じて[[函館市|函館]]など北海道[[道南]]地方との繋がりが深い。青森と函館との間では「青函都市圏」構想が練られている。 福島県[[中通り]]は、栃木県と隣接しており、自家用車による交流は盛んだが、鉄道を介した繋がりは浅い(→[[東北新幹線#概要]]、[[山形新幹線#需要]]、[[秋田新幹線#需要]])。ただし、那須温泉郷や[[日光市|日光]]などの観光地への観光需要は大きく、東北地方と栃木県の[[タウン情報誌]]TJN加盟全9誌では、毎号見開き2頁の共通誌面を作っている。 === 定義域と名称 === この地方の名称は、歴史的に変遷している。まず、[[古代]]には、[[畿内]]から始まる[[海道]](後の[[東海道]])と山道(後の[[東山道]])の各々の[[五畿七道|道]]の奥にあることから「みちのおく」「'''[[みちのく]]'''」とされ、当地方南部([[南東北]])に「道奥国」(みちのおくのくに)が設置された。後に[[陸奥国|陸'''奥'''国]]と[[出羽国|出'''羽'''国]]が設置されると、両者から1字ずつ取った「'''[[奥羽]]'''」「奥羽両国」「奥羽州」と呼ばれた。また、両者を一括して実効支配を敷いた[[奥州藤原氏]]や[[奥州探題]]などの例から、単に「'''[[奥州]]'''」ともといわれた。 「'''東北'''」と称する文献例は、主に江戸時代・[[天保]]期以降の[[幕末]]になってから散見されるようになり、この場合、「東北国」と称する例もある。地方名としての「東北」の称が公的な史料で初見されるのは、[[慶応4年]]([[1868年]]<!-- 正月 --><!-- 慶応3年? -->)に[[佐竹義堯]]([[秋田藩]]主)に下賜された[[内勅]]とされる。ただし、この場合の「東北」は[[五畿七道]]の内の「東北3[[道 (行政区画)|道]]」(東海道・東山道・[[北陸道]])、すなわち、[[天皇]]の在所である[[畿内]]からみて東あるいは[[北東]]側にある全ての地域を指しており、西南4道([[山陰道]]・[[山陽道]]・[[南海道]]・[[西海道]])と対比される<ref name=naming>米地文夫, 今泉芳邦, 藤原隆男、「[http://id.nii.ac.jp/1399/00011519/ 新聞・雑誌名「東北」にみる明治期の東北地域観]」『岩手大学教育学部研究年報』 1998年2月 第57巻 第2号 p.55-72, 岩手大学教育学部</ref>。または、[[東国]]と[[北陸地方 (広義)|北陸]]の合成語とも考えられる。なお、奥羽および現在の東北地方は「'''東'''山道の'''北'''部」に位置している。 [[明治元年]][[12月7日 (旧暦)|12月7日]](西暦[[1869年]][[1月19日]])、[[奥羽越列藩同盟]]諸藩に対する[[戊辰戦争#戦後処理|戊辰戦争の戦後処理]]の一環として、陸奥国が5分割([[磐城国|磐城]]・[[岩代国|岩代]]・[[陸前国|'''陸'''前]]・[[陸中国|'''陸'''中]]・[[陸奥国 (1869-)|'''陸'''奥]])、出羽国が2分割([[羽前国|'''羽'''前]]・[[羽後国|'''羽'''後]])されると、「'''[[陸羽 (曖昧さ回避)|陸羽]]'''」または「[[三陸両羽]]」との呼称が生まれた。この場合、現在の福島県全域と宮城県南端に相当する磐城・岩代の2国を除いた、残りの「陸」と「羽」が付く5国の地域を指し、「奥羽」とは指し示す領域が異なっているが、分割前の「'''陸'''奥国」と「出'''羽'''国」と見ることもできるため、混同されて使用される例も見られる。明治前半に奥羽両国は、明治元年成立の旧国の数から「奥羽7州」「東北7州」、あるいは、新設の[[都道府県|県]]の数から「'''東北6県'''」とも言われるようになる。 [[廃藩置県]]が実施されて全国が政府直轄となると、[[北海道の分領支配|当地方から北海道が切り離され]]、[[仙台県]][[宮城郡]][[仙台市|仙台]](後の[[宮城県]]仙台市)に国家の出先機関などが置かれていった。これらの管轄範囲が公的には「奥羽」と呼ばれる一方、在野の[[自由民権運動|民権派]]は「奥羽」「奥羽越」あるいは「奥羽および[[北海道 (令制)|北海道]]」の範囲を指す[[美称]]として「東北」を(「[[薩長土肥|西南]]」と対比して)用いるようになった<ref name=naming/>。明治の後半になると民間でも「奥羽」の範囲を「東北」と呼ぶのが通例となり、公的にも「東北」が用いられるようになった<ref name=naming/>。 この結果、「東北」は[[日本の地域]]の中で唯一、民間由来の地方名として定着し<ref name=naming/>、明治以降144年<!--12回り、つまり十二進数で100年-->以上に亘って、東北地方の主要企業・国家の出先機関・大学などの名称に多く用いられてきた。そのため、現在は「奥羽」よりも「東北」の方が当地方の呼称として一般的である。 === 東北7県 === 既存の6県以外に、[[新潟県]]を東北地方に編入する場合がある。この場合は「'''東北7県'''」「'''奥羽越'''」と呼ばれるが、交通、電力、歴史における同一性に起因する。 [[律令]]時代には[[陸奥国]]が「蝦夷vsヤマト王権」の前線であったが、現在の[[下越地方]](1873年以前の新潟県)も[[渟足柵]]や[[磐舟柵]]が建てられて「蝦夷vsヤマト王権」の前線になった地域であり、下越地方の城柵が[[庄内地方]]に北上する経過をたどっている([[出羽柵]]、[[鼠ヶ関]])。 [[明治維新]]期の[[戊辰戦争]]でも「[[奥羽越列藩同盟]]」が結成され、[[米山]]以東の新潟県([[下越地方]]と[[中越地方]])は列藩同盟に加わり明治政府軍と交戦した地域である([[北越戦争]])。 他にも、交通や電力に関する分野では、[[新潟県]]を東北6県と一緒に扱う場合がある。これは、明治時代から始まった[[水力発電]]や、交通体系で山形県庄内地方や福島県[[会津]]地方と密接である点が大きい。 新潟県の面積は広大で既に水力発電所が複数あり、当時の国鉄にも電力供給を行っていたくらい発電が実施されたとされる。中でも下越地方と会津地方は[[阿賀野川]]([[只見川]])の流域で、阿賀野川は電源開発の最重要地域の一つであった。このため、新潟県を加えた7県を供給範囲とする電力会社として、第二次大戦中の[[1942年]](昭和17年)には[[配電統制令]]により[[東北配電|東北配電株式会社]]が設立された。[[1950年]](昭和25年)には[[電気事業再編成令]]により[[東北電力]]が設立された。[[1952年]](昭和27年)の[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]]発効後になると、7県を対象範囲とする地域開発の法律が作られた。 この事からも、旧[[柏崎県]]([[上越地方]]と中越地方)と1873年以前の新潟県(下越地方)で電力供給の思惑が異なり、旧柏崎県では自力で賄える範囲であったが、当時から電力の消費地として既に下越地方の新潟市では電力供給が乏しくなることとなった。また旧柏崎県からの送電網構築により下越地方から山形県庄内地方までも電力のカバーができることも大きく影響しているとされる。 交通面でも、会津地方と庄内地方を往来するには、下越地方を通らねばならない。このため、国鉄時代の新潟鉄道管理局(分割民営化後も[[東日本旅客鉄道新潟支社|JR東日本新潟支社]]がそのまま継承)のエリアは、新潟県、庄内地方、喜多方以西の会津地方が一緒になっている。なお、新潟市と東北諸地域を結ぶ陸路では、1914年に[[磐越西線]]、1924年に[[羽越本線]]、1997年に[[磐越自動車道]]が全通したが、(南)長岡・直江津方面と(東)郡山方面が鉄道・高速道路共に充実している反面、(北)酒田方面は羽越本線のみで[[日本海東北自動車道]]の新潟⇔酒田は2023年現在も未だ開通していない。 「東北6県」「東北7県」以外の例としては、[[1888年]]に行われた「東北」対象の[[自由民権運動]]集会には[[新潟県]]、[[長野県]]、[[富山県]]、[[石川県]]、[[福井県]]が参加していた<ref name="hatena">朝日新聞新潟支局 『新潟の? 』 p.42-43</ref>。 ; 新潟県と東北6県を対象範囲とする[[法律]](戦後) # [[北海道東北開発公庫法]](1956年 - 1999年)<br /> {{Smaller|[[中央省庁再編]]にあわせ、[[北海道東北開発公庫]]は解散し、[[日本政策投資銀行]]へ継承。}} # [[東北開発株式会社法]](1957年 - 1986年)<br /> {{Smaller|1986年に[[東北開発株式会社]]([[特殊会社]])は民営化。その後、[[三菱マテリアル]]と合併。}} # [[東北開発促進法]](1957年 - 2005年)<br /> {{Smaller|[[国土総合開発法]]の改正に伴い、他の地方開発促進法とともに廃止。}} # [[地方行政連絡会議法]](1965年 -) : ※1〜3をまとめて「東北三法」ということがある。 [[1960年代]]から始まる[[全国総合開発計画]]と[[国土形成計画]]でも、これらの法律に則って「東北7県」の範囲を「東北」の対象としている(2007年4月1日から施行された国土形成計画法施行令<ref>{{Egov law|418CO0000000230|国土形成計画法施行令}}</ref>以降は「東北圏」と称す)。また、北海道と「東北7県」で、[[北海道東北地方知事会議]]が開催されている。 経済においては、これら法律の「東北7県」の枠組みにしたがって[[東北経済連合会]]が構成され、関連する産・学・官連携[[シンクタンク]](現在の名称は「東北開発研究センター」)、研究開発機構(東北インテリジェント・コスモス構想など)、地域[[ベンチャーキャピタル]]や地域[[投資ファンド]]、観光事業<ref>[http://travel.japan-tohoku.com/ Tohoku International Tourism Promotion]</ref>などでも新潟県が含まれている。 東北経済連合会は、東京都より北に本社を置く企業で最大である東北電力が事実上主導権をとる団体となっている<ref>新潟は北関東?北陸?東北? 道州制、参院選後に議論復活か([[朝日新聞]]朝刊 2010年6月2日付 26頁)</ref>。その経済力を背景に、同社提供の[[ブロックネット]]の[[ローカル番組]]が複数制作されて「東北7県」(番組内では「東北6県と新潟県」という)に放送されたり、同社が関係して「東北7県」の[[地方紙]]で連携企画が掲載されたりしている(→[[河北新報#紙面]]参照)。 以上のように、電力関連では「東北7県」を一括りとする例が見られるが、電力関連以外では東北6県の方が一般的であり、東京や仙台に立地する機関が新潟県も含めて「東北7県」とする例は少ない。東北史研究者の[[河西英通]]はその理由として、東北地方が[[凶作]]に見舞われたのとは対照的に、新潟は大陸航路の拠点として開発が進んだことが原因と見ている<ref name="hatena" />。又、東北地方の県庁所在地には内陸が多く、東京や仙台は太平洋沿岸であるため、秋田市や新潟市など日本海沿岸は劣後しがちな点も大きい。 新潟県は面積が広大であり、明治初期において日本で最も人口の多い[[都道府県|道府県]]であり(→[[都道府県の人口一覧]])、1940年の統計で新潟県1県の工業生産額が[[南東北]]3県合計とほぼ同じであるなど、他の県との経済的落差も異なる。そのため、新潟県を東北地方に含める場合には、「東北地方」との呼称を用いずに、「東北7県」「東北6県と新潟県」「東北地方と新潟県」「東北圏」などと言って区別する例が多い(→[[新潟県#地理]])。 == 歴史 == {{main2|東北地方を経済の視点から見た歴史は「[[東北地方の経済史]]」を}} [[畿内]]政権の[[律令制]]・[[中央集権]]体制下では、出羽国は[[越国]](北陸道)の先にある沿岸国(船で到達できて畿内に近い)、陸奥国は[[東山道]]を徒歩で行くために、「道奥=みちのおく(''[[みちのく]]'')」すなわち内陸国と見なされていた。そのため、現在のような[[測量]]された地図がなかった時代には、出羽は日本海沿岸の政治勢力の版図、陸奥は本州奥地の政治勢力の版図とされ、その境界は在地の政治勢力の盛衰にしたがって変化し、必ずしも[[奥羽山脈]]できれいに東西に分かれていたわけではない。[[蝦夷]]([[俘囚]])勢力が後退した[[鎌倉時代]]以降は、政権のある[[鎌倉]]からは陸奥国の方が近くなり、また、鎌倉と出羽国とは船での繋がりをもてなかったために出羽の沿岸国としての意味合いが薄れ、奥羽両国を一括して「奥州」とするようになった。 奥州(東北地方)は、[[近畿地方]]の諸政権([[平氏政権]]、[[室町幕府]]、[[豊臣政権]])が支配した時代には、政権所在地からは遠いため、半独立的な政治勢力が生まれていた。しかし、関東地方の諸政権([[鎌倉幕府]]、[[江戸幕府]]、[[明治政府]])には近いため、政権への従属的傾向が強くなる。明治以降は、北海道や東京への移住で知識層である武士階級を大量に失い、[[野蒜築港]]が[[台風]]のために2年で閉港となったため、開港場が近くにない唯一の地方となって[[資本主義]]経済に乗り遅れた。また、[[地租改正]]が行われた明治初期までは、他の地方に比べて貨幣経済の浸透が遅れており、国内市場としての重要度も低かった。 現在は人口も増え、高速道路の整備も進んだため、東北地方内における陸上交通の再編と経済圏の形成が進んでいる。一方で、人口の[[仙台都市圏]]への集中、その他の地域の過疎化も進んでいる。 ===先史=== [[File:140913 Sannai-Maruyama site Aomori Japan01bs6bs6.jpg|thumb|200px|[[三内丸山遺跡]]<br>([[青森県]][[青森市]])]] ====旧石器時代==== [[日本の旧石器時代|旧石器時代]]は[[氷期]]の影響を受け、現在よりも寒冷であった。そのため、当時の海岸線は現在よりも沖合いにあり、現在は海底に沈んでいるため、海岸線での生活についてはほとんどわかっていない。内陸の生活については、東北地方でも[[富沢遺跡]]や[[金取遺跡]]などでわかるが、他のいくつかの前期旧石器時代の遺跡が[[旧石器捏造事件]]によって研究が振り出しに戻ってしまったため、現在検証作業中である。 ====縄文時代==== [[縄文時代]]には気候が温暖化して、東北地方も縄文中期には現在より暖かかったと考えられている。当時の採集・狩猟・漁労を中心とした生活では、[[西日本]]よりも[[東日本]]の方が生活に適しており、東北地方は[[関東地方]]や[[中央高地]]とともに縄文時代の遺跡が高密度に分布する地域として知られる。最も人口密度が低かった[[近畿地方]]・[[中国地方]]・[[四国]]地方と比べて、人口密度が最も高かった関東は30倍以上、東北も5倍〜10倍程度の人が住んでいたと見られている。そのため、1440年も続いた巨大集落である[[三内丸山遺跡]]などが存在し、栗栽培など原始的な[[縄文農耕]]も始まり、関東や中央高地などと共に縄文文化の中心を担った。 縄文文化は縄文後期の寒冷化により衰退し、縄文末期には大陸から[[水田]][[稲作]]が伝来し、北部九州や畿内など西日本を中心に弥生文化が発達する。東北においても比較的早い時期に弥生文化が伝播しており、水田稲作は弥生前期に伝来したと考えられているが、一般的には紀元前後と見られる弥生中期後半前後まで水稲農耕は完全に受容されたとはいえず、北部においては[[続縄文時代|続縄文文化]]であったとする見方もある<ref group="注釈">弥生中期、北端の青森県の[[垂柳遺跡]]・[[砂沢遺跡]]でも水稲耕作が行われていた形跡は見られるが、その後の気候の寒冷化により、稲作は長い中断を余儀なくされたとみられる。</ref>。また、南部においても稲作の放棄と続縄文文化の南下が見られる。 ====古墳時代==== [[古墳時代]]には[[畿内]]から古墳文化が到達し、東北地方でも[[古墳]]が造られた。古墳が集中している地域は[[仙台平野]]や[[会津]]地方・[[山形県]]内陸部などの東北地方南部となっている。また、[[奈良盆地]]に起源があるとみられる[[前方後円墳]]も造られ、[[ヤマト王権]]との交流がすでに始まっていたと考えられている。東北地方最大の前方後円墳は、宮城県[[名取市]]にある[[雷神山古墳]]である。宮城県北部・秋田県以北(山形県庄内地方が含まれるとする説もある)では[[末期古墳]]が分布する<ref group="注釈">ただし、岩手県の[[角塚古墳]]は他の前方後円墳から孤立して存在する。</ref>。なお、東北北部の青森県域では続縄文文化が持続し、古墳は小規模な[[終末期古墳]]に限られている。 === 古代 === ====大和時代==== [[古代]]に入ると、[[ヤマト王権]]と奥羽越地域(東北地方と新潟県)の諸勢力との関係は、古墳時代までの緩い地域連合のレベルから、徐々に中央集権的な都と地方という関係に移行していく。 [[畿内]]政権側から見た古代の東北地方と、現新潟県の[[米山|米山峠]]以東([[中越地方]]・[[下越地方]]・[[佐渡島]])は「未征服地」であり、畿内政権に服従しない異民族「[[蝦夷]](えみし)」が住んでいるとされた(蝦夷の住んでいた範囲には諸説ある)。以降、古代から中世にかけて、畿内政権側の征服戦争と、東北地方(特に[[奥六郡]])の独立や半独立の動きの中で、征夷軍と蝦夷軍が衝突し、東北地方の歴史は作られていった。 ====飛鳥時代==== [[File:Tagajo-ato seiden.JPG|thumb|200px|left|[[多賀城]]<br>([[宮城県]][[多賀城市]])]] [[7世紀]]中期〜後期に、[[天皇]]を中心とした強力な官僚制が志向されるようになると、それまでの地方豪族が[[国造]]として独自に支配していた地方分権体制から、中央集権体制へと国家体制が大きく変化した。 この流れの中で、7世紀半ばに、太平洋側の現在の福島県から宮城県中部辺りまでと、山形県の南部([[置賜郡]])と中部([[最上郡]])が畿内政権側に服従し、[[常陸国]]から分離される形で道奥国(みちのく。後に[[陸奥国]])が設置された。 この地域は、古墳時代に前方後円墳が幾つも造られた地域である(7世紀の内に、宮城県内は平定された)。 日本海側では、すでに新潟県[[上越地方]]([[頸城郡]])まで征服した[[ヤマト王権]]と[[越国]](こしのくに)の連合軍が、「[[柵]](き)」と呼ばれる前線基地を築きながら北進する。 まず、[[大化]]3年([[647年]])に[[渟足柵]](現在の[[新潟市]]中心部)、 さらに大化4年([[648年]])に[[磐舟柵]](現在の[[岩船郡]]、[[村上市|村上]]辺り)を設置し、日本海沿岸を次々と[[越国]]に組み入れていった。 [[斉明天皇]]4年([[658年]])になると、越国守であった[[阿倍比羅夫]]が、180艘の軍船を率いてさらに日本海沿岸を北上し、「[[土崎港|鰐田(あぎた)の浦]]」(現在の秋田市周辺?)から[[津軽地方]]へと到った([[日本書紀]])。これが蝦夷征討なのか武装交易船団なのかは定説がない。少なくともこの阿倍水軍は斉明天皇4年(658年) - 斉明天皇6年([[660年]])の間に3度来航し、交易をして帰っている。 その後、畿内政権と同盟関係にあった[[百済]]が[[新羅]]の侵攻を受けたため、阿倍水軍もその戦列に加わり東北日本海側への遠征は中断された。 [[律令制]]整備が進み、中央集権国家として確立してくると、さらに地方の支配体制の整備も進んだ。朝廷軍は、北進して[[庄内地方]]に達し、現在の酒田の[[最上川]]河口部辺りに[[出羽柵]]を設置。 越国(こしのくに)が[[越前国]]・[[越中国]]・[[越後国]]の3ヶ国に分割されると、[[和銅]]元年[[9月28日 (旧暦)|9月28日]]([[708年]]11月14日)、[[庄内地方]]に[[出羽郡]]が設置され、越後国に組み入れられた。この出羽郡は、和銅5年9月23日([[712年]]10月27日)に越後国から分立して出羽国になり、後に陸奥国から[[置賜郡]]と[[最上郡]]を譲られて、沿岸国だった出羽国は内陸部を得る([[国府]]は現在の酒田市の北東部にある[[城輪柵]]遺跡に設置されたと考えられている)。 ====奈良時代==== [[File:Akita Castle East Gate1.jpg|thumb|200px|[[秋田城]]<br>([[秋田県]][[秋田市]])]] [[養老]]4年([[720年]])に発生した蝦夷の反乱(征夷将軍・[[多治比縣守]]により鎮圧)後、養老8年/[[神亀]]元年([[724年]])東北太平洋側に[[多賀城]]が築かれ、[[南東北]]は朝廷側の支配体制に完全に組み込まれた。 さらに北進した朝廷軍は、[[天平]]5年([[733年]])に出羽柵を[[寺内 (秋田市)|秋田高清水岡]](現在の[[秋田城]]跡)に移した。ただし、現在の秋田県の領域では、沿岸部のみが支配下に入っただけで、内陸部はやや緩い支配だった。 [[737年]](天平9年)[[大野東人]]により多賀城から出羽柵への連絡通路が開削された。 [[北東北]]では、[[北上山地]]で太平洋と隔絶され、[[多賀城]]からも離れている現在の[[岩手県]]内の[[北上川]]流域(=[[奥六郡]]、[[日高見国]])、および、秋田県の[[横手盆地]]などが[[蝦夷]]の勢力域として残り、その後の朝廷([[多賀城]])との抗争に続いていく。 [[宝亀]]11年([[780年]])の[[光仁天皇]]の時に[[伊治呰麻呂]]が反乱を起こし、多賀城を奪った。 ====平安時代==== [[File:Isawa Castle-2.JPG|thumb|200px|left|[[胆沢城]]<br>([[岩手県]][[奥州市]])]] [[平安時代]]の[[桓武天皇]]は、3回に渡る蝦夷平定を行い、[[坂上田村麻呂]]が[[征夷大将軍]]となって、蝦夷軍の[[アテルイ]]と戦って勝利し、奥六郡に[[胆沢城]]を築いた。敗れた蝦夷軍は朝廷への服従を誓って俘囚となり、一部は日本各地に集団で強制移住させられた。 朝廷の支配が確立すると、関東地方や北陸地方から多数の入植者(柵戸)が入り、東北地方の内地化が進んだ。俘囚の中から[[安倍氏 (奥州)|安倍氏]]が勢力を伸ばして、[[奥六郡]]を本拠地に糠部(現在の青森県東部)から亘理・伊具(現在の宮城県南部)にいたる広大な地域に影響力を持った{{Sfn|伊藤|山口|2002|pp=28-29}}が、[[源頼義]]と対立し滅ぼされた([[前九年の役]])。その後[[出羽清原氏|清原氏]]が勢力を張ったがこれも[[源義家]]に滅ぼされた([[後三年の役]])。この両役を通じて、それまで陸奥国(東の奥)と出羽国(北の端)と認識されていた両地域を一まとめする認識が生じたとする見解がある<ref>米地文夫, 細井計, 藤原隆男 ほか、「[http://id.nii.ac.jp/1399/00011015/ 社会科教育と地域・地名 - 「奥羽」と「東北」の歴史的変遷を例に -]」『岩手大学教育学部附属教育実践研究指導センター研究紀要』 1995年 5巻 p.63-80, {{ncid|AN10359408}}, 岩手大学教育学部附属教育実践研究指導センター</ref>。日本六十余州と呼ばれたうち、東北の広大な領域に僅か2カ国しか設置されていないという不均衡な状態は実に明治維新期までの長きに及ぶが、これは政権が武家に移行して分国制度が完全に形骸化したためでもあり、東北の人口密度や生産力がずっと低かったわけではない。太閤検地では既に陸奥国は他国平均の6倍以上、出羽国も2倍程度の石高となっている。 ===中世=== [[File:Konjikido-Ooido.jpg|thumb|200px|[[中尊寺金色堂]]<br>([[岩手県]][[西磐井郡]][[平泉町]])]] ====平安時代末期==== 平安時代末期から[[中世]]初期には、北上川流域(奥六郡)を中心として[[奥州藤原氏]]が栄え、[[平泉]]が[[平安京]]に次ぐ日本第二の都市になるまで発展する。奥州藤原氏は陸奥・出羽両国の院領や摂関家荘園の租税を徴することで財力を蓄えたとみられる{{Sfn|伊藤|山口|2002|p=34}}。<!--この時、奥州藤原氏は、平安京の畿内政権側から半独立が保障されていた。-->しかし、[[源義経]]を匿ったかどで[[鎌倉]]政権側より軍事攻撃を受け、[[源頼朝]]によって滅ぼされた。 ====鎌倉時代==== その後[[関東|坂東]]出身を中心とする[[武士団]]が多く配置されるとともに、[[北条氏]]の所領が広く設定されたが、一部には[[津軽地方]]の[[安東氏]]のように在地領主と見られる豪族も勢力を維持した。安東氏は[[得宗|北条得宗家]]から[[蝦夷管領|蝦夷代官]]に任命され、北東北から北海道を支配したといわれている。安東氏の本拠地[[十三湊]]は交易で栄え、日本有数の都市となった。しかし、[[室町時代]]には安東氏は[[南部氏]]との抗争により津軽を追われ秋田地方に移り、十三湊の繁栄は失われてしまう。さらに、鎌倉時代の末頃からエゾの蜂起や安東氏内部での抗争が激化するなど、東北地方では不安定な情勢が続いた([[安藤氏の乱]])<ref group="注釈">主として[[鎌倉時代]]から[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]にかけての津軽時代には「安藤氏」、[[室町時代]]中期以降の秋田時代には「安東氏」とされている例が多い。</ref>。 ====室町時代==== ;南北朝時代 [[鎌倉幕府]]滅亡後の[[後醍醐天皇]]の[[建武の新政]]では、奥州平定のために[[北畠顕家]]が多賀城へと派遣され、陸奥将軍府が置かれた。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]に入ると南朝の北畠顕家・[[北畠顕信]]と北朝の[[石塔氏]]・[[吉良氏]]・[[畠山氏]]・[[斯波氏]]が激しく争い、最終的に北朝の[[斯波家兼]]が奥州管領として勝利した。 その後斯波氏が奥羽両国に勢力を扶植するが次第に衰退したため、関東を統治した[[鎌倉府]]に統合された。 鎌倉府は統治能力の強化のため奥州南部に[[足利満直|篠川公方]]・[[足利満貞|稲村公方]]を配置するが、[[室町幕府]]と鎌倉府の対立の中で、斯波氏([[大崎氏]]・[[最上氏]])は室町幕府から[[奥州探題]]や[[羽州探題]]に補任される。さらに有力国人は鎌倉府と対立するため、室町幕府直属の[[京都扶持衆]]となる例も多く見られた。 ====戦国時代==== [[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には、[[山形市|山形]]の[[最上氏]]・[[伊達市 (福島県)|伊達]]の[[伊達氏]]・[[秋田市|秋田]]の[[秋田氏]]・[[三戸町|三戸]]の[[南部氏]]・[[会津若松市|会津若松]]の[[蘆名氏]]などが割拠した。 ===近世=== [[File:Sendai castle01s3872.jpg|thumb|200px|left|[[仙台城]]<br>([[宮城県]][[仙台市]][[青葉区 (仙台市)|青葉区]])]] [[File:Sankyo Warehouse in Sakata, Yamagata, 16 June 2013, 02.jpg|thumb|200px|[[山居倉庫]]<br>([[山形県]][[酒田市]])]] ====安土桃山時代==== [[関ヶ原の戦い]]の後、常陸国水戸の[[佐竹氏]]が安東氏の後裔の秋田氏と入れ替わりに秋田に転封された。 特に[[伊達政宗]]は戦国末期に急速に勢力を拡大し、奥羽六十余郡の半分を影響下に置いた。 なお、出羽国の内陸部(奥羽山脈の西側に連なるいくつもの盆地群)は盆地を中心とする領域支配を確立し、東北地方の戦国時代の主役を担った。それは、職業歩兵([[軍人]])である[[足軽]]が[[兵農分離]]されていなかった戦国初期においては、組織できる兵力に限界があり、盆地程度の広さが領国支配に適していたためで、出羽国内陸部の盆地の諸勢力は、陸奥国領域にも積極的に攻勢に出た。 ====江戸時代==== [[File:1 Ōtemachi, Aizuwakamatsu-shi, Fukushima-ken 965-0873, Japan - panoramio (8).jpg|thumb|200px|[[若松城]]<br>([[福島県]][[会津若松市]])]] [[近世]]、[[江戸時代]]の有力な大名としては、上越市から会津若松、さらに米沢に移った[[上杉氏]]、保科正之を家祖とする[[会津松平家|会津松平氏]]、米沢から[[仙台市|仙台]]へ移った[[伊達氏]]、水戸から秋田へ移った[[佐竹氏]]、[[盛岡市|盛岡]]の[[南部氏]]などがある(山形の最上氏はお家騒動で後に改易され、近江で五千石の旗本となる)。 [[江戸時代]]後期には地球的な気象変動などにより飢饉が頻発するようになり、[[天明の大飢饉]]に至っては10万人以上の餓死者、疫病者が出るだけでなく、住民の多くが[[無宿|無宿者]]となり江戸へ流入する事態となった。そのような中、藩財政の再建を行って飢饉に抗した[[米沢藩]]主[[上杉治憲|上杉鷹山]]などの例は有ったものの、[[天気予報|気象予報]]の難しさなどに阻まれて全体に状況は好転せず。[[天保の大飢饉]]でも東北地方は多くの死者を出した。 江戸幕府が[[大政奉還]]を行って後、幕末の[[慶応]]4年/[[明治]]元年([[1868年]])には[[北陸地方]]東部の[[北越戦争]]から続く[[会津戦争]]など[[戊辰戦争]]の舞台となり、東北や北陸東部の諸藩は[[奥羽越列藩同盟]]と呼ばれる軍事同盟を結んで新政府軍より身を守ろうとした。しかし戦いに敗れてしまったため、同盟参加の藩はいずれも所領を大幅に減らされる処罰を受け、経済は壊滅同然にまで追い詰められた。そうした状況の中、[[禄|俸禄]]の支払いが困難となった家臣団(武士階級、知識階級)などを[[北海道]]へ移住させ、[[札幌市|札幌]]などの諸都市を開拓して北海道の歴史に名を遺す例が相次いだ。新政府側につき、奥羽越列藩同盟を離脱した[[久保田藩|秋田藩]]・[[弘前藩]]などもまた、戊辰戦争で多くの犠牲を払い莫大な出費をしたため困窮は避けられず、同様に北海道に多くの移住者を出した。一方で[[庄内藩]]は最後まで幕府側として戦ったものの、[[西郷隆盛]]の意向もあり比較的軽い処分で済んでおり<ref group="注釈">ただし30万両を新政府に献金した。</ref>、米沢藩もまた維新後に積極的に新政府に協力することで軽い処分となった{{Efn|廃藩後藩主茂憲は家財を処分し、士族一人当たり10両および籾3俵、さらに銀行結成のため14万両を給与し東京へ移住した。士族はそれらを元に自活の道を歩んだ{{Sfn|小野|2006|p=194}}。}}。 === 近代 === [[File:安積疏水事務所 正面.jpg|thumb|200px|left|[[安積疏水]]<br>([[福島県]][[郡山市]])]] ====明治時代==== 明治元年[[12月7日 (旧暦)|12月7日]]([[1869年]][[1月19日]])、[[戊辰戦争]]に敗けた[[奥羽越列藩同盟]]諸藩に対する処分が行われた。同日、陸奥国は、[[磐城国|磐城]]・[[岩代国|岩代]]・[[陸前国|陸前]]・[[陸中国|陸中]]・[[陸奥国 (1869-)|陸奥国]]に、出羽国は、羽前国・羽後国に分割された(この分割によりできた「陸前・陸中・陸奥」は「三陸」とも呼ばれ、[[リアス式海岸]]の「三陸海岸」や、世界三大漁場のひとつ「[[三陸沖]]」などの語に用いられている)。明治4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]](1871年8月29日)の[[廃藩置県]]などを経て、現在の東北6県が作られた。 この時期、戊辰戦争の勝利によって明治政府はその権力基盤を確立し、幕藩体制に則った伝統的な[[社会秩序]]はその権威を完全に失った。また西南諸藩に比べもともと経済基盤が弱かったこともあり、[[秩禄処分]]によって経済的な困窮へと追い込まれた各地の領主と家臣の間で、窮余の策として「北海道移住」と「帰農」が広く行われた。また東北地方では[[専売制|専売制度]]により収入増を図る藩が多かったため、土地の産物がそのまま税として支払いを求められる例が多く、農民などの庶民が産物を現金化できるシステムとしての市場は存在しないに等しかった。しかし明治維新の後は、市場の存在する他の地方と同様に税を現金で払うよう政府から命ぜられたため、産物の現金化に不慣れな人々が相次いで破産するなど、地域全体が大規模な経済的混乱に陥った。<!--例えば現在でも「奥羽越列藩同盟」の旧勢力圏である東北6県(官軍側となった旧秋田藩領域なども含む)と新潟県の「大学進学率」や「高学歴住民の割合」に見られる通り、当時の悪影響は現在までも尾を引いているなどともといわれている<ref>[https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/286922/www.stat.go.jp/data/chiri/map/c_koku/pdf/map19.pdf 平成12年国勢調査 都道府県別 市区町村別 短大・大学卒業者の割合]</ref>。--> [[File:Kamaishi , Iwate - panoramio (1).jpg|thumb|200px|[[日本製鉄釜石製鉄所|釜石製鉄所]]<br>([[岩手県]][[釜石市]])]] 明治時代に入り、[[富国強兵]]・[[殖産興業]]が日本各地で本格化した時代を迎えても、[[郡山盆地]]における[[安積疏水]]、宮城県の[[仙台港#沿革|野蒜築港]]、[[東北帝国大学]]設置、岩手県の[[新日鐵住金釜石製鐵所|釜石製鉄所]]などの例外を除き、東北地方では政府による大規模な投資や開発は見られなかった。 野蒜築港が台風によって破壊された後も修復や代わりの港の建設はされず、鉄道のうち最初に敷設された[[東北本線]]は官営による国家計画としては行われなかった<ref group="注釈">実態としては半官半民会社だった[[日本鉄道]]による建設。ただし、[[奥羽本線]]は当初より官設鉄道である。</ref>。 大蔵卿・[[松方正義]]による[[松方デフレ]]は、農産物の価格下落をもたらし、全国的に[[小作農]]の比率を上昇(小作農率の全国平均38%→47%)させた。その影響によって、全国的には富裕層による[[地主]]所有の寡占化が進み、また産業化([[生糸]]産業・[[造船]]業など)が進んでいた関東の都市部などは経済が好調となった一方、[[常磐炭田]]周辺などを除き工業化の遅れていた東北地方は更なる経済的ダメージを蒙ることとなった。 そのため多くの者が女工や各種[[労働者]]として都市部などへと働きに出ざるを得なかった。 さらに、日清・日露戦争後に顕著となった日本の対外進出指向は、日本内地の開発の軽視につながり、地方の近代化を遅らせる結果を招いた。 特に1910年(明治43年)の韓国併合後は、朝鮮半島から廉価な米が流入したために米価の低下を招き、東北地方にとっては大きな痛手となった。 ====昭和時代==== 昭和になってからは、農家の次男・三男などを中心に旧[[満州国]]などへの移民が活発化した。 [[1930年]](昭和5年)には[[昭和東北大凶作]]が発生し、身売りや欠食児童が続出、[[二・二六事件]]を起こす要因の一つとなった。 ===現代=== ====戦後==== [[第二次世界大戦]]後は[[農地改革]]により、従来の封建的な地主小作関係は過去のものとなった。工業化も進み始め、[[品種改良]]により寒冷地に強い農作物も開発され、その生活水準は顕著な向上を見せたが、一方では再投資の進む[[太平洋ベルト]]地域の著しい発展に取り残され、経済力の弱さがより目立つ形ともなった。[[高度経済成長]]時代に入ってもそれは変わることなく、[[インフラストラクチャー|インフラ]]整備の遅れ、[[東京都|東京]]方面への[[出稼ぎ]]や[[集団就職]]などによる人材流出、それに伴う深刻な[[過疎|過疎化]]、東北内でも仙台一極集中といった新たな問題が認識されるようになった。 2011年には[[東日本大震災]]が発生し、岩手、宮城、福島を中心に甚大な被害を受けた。 == 方言 == {{出典の明記|section=1|date=2011年9月}} {{Main|東北方言}} 東北地方の方言、いわゆる[[東北弁]]は、[[方言学]]では[[東日本方言]]に区分されている。太平洋側では[[関東方言]](特に[[東関東方言]])との共通点が多くみられるほか、日本海側では近世の[[北前船]]の交易による[[近畿方言|関西方言]]の影響もみられる。[[アクセント]]は、太平洋側南部(宮城県南部・山形県内陸と福島県)の[[無アクセント]]、南部日本海側から北部の大半にかけて分布する北奥羽式アクセント(外輪[[東京式アクセント]]の亜種)、[[三陸海岸]]北部の外輪東京式アクセントに大きく分かれる<ref>{{Citation|和書|title=[[新明解日本語アクセント辞典]]|publisher=三省堂|year=2001}}</ref>。 かつては聞き取りにくい・理解しにくい方言の代表として[[薩隅方言|鹿児島弁]]とともに挙げられることが多く、他の地方と比べて開発が遅れていたこともあり暗いイメージや否定的な印象を持たれることもあったが、現代においては、温かい人情や素朴さの象徴とする肯定的な見方も生まれた。しかし、方言話者自身にとっては「勝手なイメージ付け」に過ぎない点で従来の否定的な評価と何ら変わらず、必ずしも好意的に受け取られるとは限らない。現代では東北地方でも若い世代では共通語化が進んでいる一方、従来の古いイメージに最初から囚われない人も増えてきている。 なお、「一般的に東北弁と思われている特徴」としては、 * シとス、ジとズの混同([[中舌母音]]、いわゆる[[ズーズー弁]]) * イとエの混同 * 「んだ(=そうだ)」「だべ(=だろう)」などの語尾(後者は関東方言の特徴でもある) * 「べこ(=牛)」「めんこい(=可愛い)」などの語彙 などがある。しかし、これらの特徴が当てはまる方言と当てはまらない方言がそれぞれ存在する。 東北地方以外で東北方言を聞ける場所の代表として、かつては[[上野駅]](厳密にはJR東日本=旧国鉄の上野駅。特に長距離列車が多く発着した地上ホーム)がよくいわれた。実際に石川啄木の短歌や、高度成長期の望郷ものの流行歌にも登場していたが、[[東北新幹線]]の東京駅への乗り入れ(1991年)などによって上野駅と東北地方との結びつきは劇的に弱まり、すでに過去のイメージとなりつつある。 == 人口 == [[ファイル:Changes in population Tohoku Japan.png|thumb|right|300px|東北地方の人口の推移([[国勢調査 (日本)|国勢調査]])]]東北地方全体としての人口動向を見てみると、戦後は自然増(第一次[[ベビーブーム]])を中心に人口増の時代となり、1960年には東北地方全体で約970万人に達した。1960年代の[[高度経済成長]]時代には、「[[金の卵 (労働者)|金の卵]]」の名の下に、主に[[京浜]]方面に[[集団就職]]したり[[出稼ぎ]]に出たりするようになり、[[民族移動]]にも似た人口減(社会減)の時代に入る。この流れは1970年初頭まで続き、第二次[[ベビーブーム]]による大幅な自然増があったにも関わらず、1970年には924万人にまで人口が減った。その後、[[ニクソンショック]]と[[オイルショック]]によって[[低成長]]時代に入った[[東京]]への流出が減少し、東北地方は再び人口増の時代に入る。ベビーブーム終了後は、900万人を越える市場性と[[第三次産業]]への産業転換により地方中核都市の社会増が起き、日本全体の[[長寿化]](死亡率低下)も手伝って堅調に人口は増え続けた。[[バブル景気]]期には、一時、東京圏から転入超過<ref>[http://www.tht.mlit.go.jp/zudemiru/03.zu.pdf 転出入者数の推移](国土交通省東北運輸局)</ref>ともなり、20世紀末に約985万人に達した。21世紀に入り、東北地方全体の景気低迷と、高度情報化や[[金融]]の[[東京一極集中]]のために、人口は再び社会減による減少に転じている。今後は、長寿化の限界と[[団塊の世代]]の高齢化による死亡率の増加、及び[[少子化]]の影響で自然減になり、人口は引き続き減少していくと見られている<ref>[http://www.tht.mlit.go.jp/chikoushin/ks-chikoushin07-01-05-01.pdf 東北地方の面積・人口・地形](国土交通省[[東北運輸局]]) </ref>。 : ※ : 以下の統計の順位は全国順位、人口の単位は「人」 === 主要都市圏 === ; 東北地方の主な[[都市圏]] * 2015年[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]をもとにした[[都市雇用圏]](10%通勤圏)による * 都市圏名・人口は2015年当時のもの <div style="clear: left; float: left;"> {| class="wikitable" style="clear: left; float: left;" |- ! style="background:#f6f;"|順位 ! style="background:#f6f;"|都市雇用圏 ! style="background:#f6f;"|人口 |- style="background:#cff;" | style="text-align:center; background:#fcf;"|8 | style="text-align: center;"|[[仙台都市圏]] | style="text-align: right;"|1,612,499 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|39 | style="text-align: center;"|[[郡山都市圏]] | style="text-align: right;"|554,662 |- style="background:#cff;" | style="text-align:center; background:#fcf;"|40 | style="text-align: center;"|[[山形都市圏]] | style="text-align: right;"|534,571 |- style="background:#cff;" | style="text-align:center; background:#fcf;"|46 | style="text-align: center;"|[[盛岡都市圏]] | style="text-align: right;"|470,414 |- style="background:#cff;" | style="text-align:center; background:#fcf;"|47 | style="text-align: center;"|[[福島都市圏]] | style="text-align: right;"|451,044 |- style="background:#cff;" | style="text-align:center; background:#fcf;"|51 | style="text-align: center;"|[[秋田都市圏]] | style="text-align: right;"|397,801 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|55 | style="text-align: center;"|[[いわき都市圏]] | style="text-align: right;"|350,237 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|60 | style="text-align: center;"|[[八戸都市圏]] | style="text-align: right;"|324,451 |- style="background:#cff;" | style="text-align:center; background:#fcf;"|63 | style="text-align: center;"|[[青森都市圏]] | style="text-align: right;"|310,640 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|65 | style="text-align: center;"|[[弘前都市圏]] | style="text-align: right;"|291,789 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|81 | style="text-align: center;"|[[会津若松都市圏]] | style="text-align: right;"|223,807 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|88 | style="text-align: center;"|[[大崎都市圏]] | style="text-align: right;"|205,925 |} </div> <div style="float: left;"> {| class="wikitable" style="clear: left; float: left;" |- ! style="background:#f6f;"|順位 ! style="background:#f6f;"|都市雇用圏 ! style="background:#f6f;"|人口 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|93 | style="text-align: center;"|[[石巻都市圏]] | style="text-align: right;"|193,051 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|94 | style="text-align: center;"|[[北上都市圏]] | style="text-align: right;"|191,213 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|- | style="text-align: center;"|[[横手都市圏]] | style="text-align: right;"|156,739 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|- | style="text-align: center;"|[[米沢都市圏]] | style="text-align: right;"|157,871 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|- | style="text-align: center;"|[[白河都市圏]] | style="text-align: right;"|147,080 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|- | style="text-align: center;"|[[酒田都市圏]] | style="text-align: right;"|142,117 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|- | style="text-align: center;"|[[鶴岡都市圏]] | style="text-align: right;"|137,380 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|- | style="text-align: center;"|[[奥州都市圏]] | style="text-align: right;"|135,317 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|- | style="text-align: center;"|[[大仙都市圏]] | style="text-align: right;"|130,585 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|- | style="text-align: center;"|[[一関都市圏]] | style="text-align: right;"|129,451 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|- | style="text-align: center;"|[[五所川原都市圏]] | style="text-align: right;"|113,076 |- | style="text-align:center; background:#fcf;"|- | style="text-align: center;"|[[由利本荘都市圏]] | style="text-align: right;"|105,251 |} </div> {{clearleft}} : 「{{Color|#cff|■}}」:[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]を中心とする都市圏 ===県別人口=== <div style="clear: left; float: left;"> {| class="wikitable" |- ! style="background:#a4aaf9;"| 全国順位 ! style="background:#a4aaf9;"| 県名 ! style="background:#a4aaf9;"| 人口 |- | style="text-align:center; background:#d6deff;"|14 | style="text-align: center;"|宮城県 | style="text-align: right;"|2,301,996 |- | style="text-align:center; background:#d6deff;"|21 | style="text-align: center;"|福島県 | style="text-align: right;"|1,833,152 |- | style="text-align:center; background:#d6deff;"|31 | style="text-align: center;"|青森県 | style="text-align: right;"|1,237,984 |- | style="text-align:center; background:#d6deff;"|32 | style="text-align: center;"|岩手県 | style="text-align: right;"|1,210,534 |- | style="text-align:center; background:#d6deff;"|36 | style="text-align: center;"|山形県 | style="text-align: right;"|1,068,027 |- | style="text-align:center; background:#d6deff;"|38 | style="text-align: center;"|秋田県 | style="text-align: right;"|959,502 |- | colspan=2 style="text-align: center;"|東北地方 | style="text-align: right;"|8,611,195 |- | colspan=2 style="text-align: center;"|日本 | style="text-align: right;"|126,146,099 |} </div> {{clearleft}} ※2020年[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]確定値<!--人口順、10万人以上の都市および県庁所在地--> ===主要都市=== ;主要都市人口 <div style="float: left;"> {|class="wikitable sortable" style="font-size:90%;" |- !順<br/>位<br/>!!都道<br/>府県<br/>!!市!!法定人口<br/>(人)!!推計人口<br/>(人)!!増減率<br/>(%)!!種別<br/>!!推計人口の<br/>統計年月日 {{citypop|11|宮城県|仙台市|1096704|政令指定都市}} {{citypop|62|福島県|いわき市|332931|中核市}} {{citypop|65|福島県|郡山市|327692|中核市}} {{citypop|69|秋田県|秋田市|307672|中核市}} {{citypop|73|岩手県|盛岡市|289731|中核市}} {{citypop|75|福島県|福島市|282693|中核市}} {{citypop|76|青森県|青森市|275192|中核市}} {{citypop|90|山形県|山形市|247590|中核市}} {{citypop|104|青森県|八戸市|223415|中核市}} {{citypop|139|青森県|弘前市|168466}} {{citypop|177|宮城県|石巻市|140151}} {{citypop|196|宮城県|大崎市|127330}} {{citypop|203|山形県|鶴岡市|122347}} {{citypop|211|福島県|会津若松市|117376}} {{citypop|230|岩手県|奥州市|112937}} {{citypop|232|岩手県|一関市|111932}} {{citypop|259|山形県|酒田市|100273}} {{citypop|280|岩手県|花巻市|93193}} {{citypop|283|岩手県|北上市|93045}} {{citypop|300|秋田県|横手市|85555}} |} </div> {{clearleft}} ;東北地方6県の主要都市を掲載する。 {| class="infobox" style="text-align:center; width:100%; margin-right:10px; font-size:100%" ! colspan="10" style="background:#e9e9e9; padding:0.3em; line-height:1.2em;"| '''東北地方の主要都市''' |- !rowspan=30| [[File:SendaiCity Skylines from Mukaiyama2018.jpg|150px]]<br /><small>[[仙台市]]</small><br />[[File:View of Iwaki station in Iwaki city - panoramio 78.jpg|150px]]<br /><small>[[いわき市]]</small><br /> ! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"| <small>#</small> ! style="text-align:left; background:#f5f5f5;"| 都市名 ! style="text-align:left; background:#f5f5f5;"| 県名 ! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"| 人口 ! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"| <small>#</small> ! style="text-align:left; background:#f5f5f5;"| 都市名 ! style="text-align:left; background:#f5f5f5;"| 県名 ! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"| 人口 !rowspan=21| [[File:郡山市中心市街地.JPG|150px]]<br /><small>[[郡山市]]</small><br />[[File:View from Kubota Castle 20170330.jpg|150px]]<br /><small>[[秋田市]]</small><br /> |- | style="background:#f0f0f0"| 1 ||align=left | '''[[仙台市]]''' || {{Flagicon|宮城県}}[[宮城県]] || {{自治体人口/宮城県|仙台市}}人 || 11 ||align=left | '''[[石巻市]]''' || {{Flagicon|宮城県}}[[宮城県]] || {{自治体人口/宮城県|石巻市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 2 ||align=left | '''[[いわき市]]''' || {{Flagicon|福島県}}[[福島県]] || {{自治体人口/福島県|いわき市}}人 || 12 ||align=left | '''[[大崎市]]''' || {{Flagicon|宮城県}}[[宮城県]] || {{自治体人口/宮城県|大崎市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 3 ||align=left | '''[[郡山市]]''' || {{Flagicon|福島県}}[[福島県]] || {{自治体人口/福島県|郡山市}}人 || 13 ||align=left | '''[[鶴岡市]]''' || {{Flagicon|山形県}}[[山形県]] || {{自治体人口/山形県|鶴岡市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 4 ||align=left | '''[[秋田市]]''' || {{Flagicon|秋田県}}[[秋田県]] || {{自治体人口/秋田県|秋田市}}人 || 14 ||align=left | '''[[会津若松市]]''' || {{Flagicon|福島県}}[[福島県]] || {{自治体人口/福島県|会津若松市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 5 ||align=left | '''[[盛岡市]]''' || {{Flagicon|岩手県}}[[岩手県]] || {{自治体人口/岩手県|盛岡市}}人 || 15 ||align=left | '''[[奥州市]]''' || {{Flagicon|岩手県}}[[岩手県]] || {{自治体人口/岩手県|奥州市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 6 ||align=left | '''[[福島市]]''' || {{Flagicon|福島県}}[[福島県]] || {{自治体人口/福島県|福島市}}人 || 16 ||align=left | '''[[一関市]]''' || {{Flagicon|岩手県}}[[岩手県]] || {{自治体人口/岩手県|一関市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 7 ||align=left | '''[[青森市]]''' || {{Flagicon|青森県}}[[青森県]] || {{自治体人口/青森県|青森市}}人 || 17 ||align=left | '''[[酒田市]]''' || {{Flagicon|山形県}}[[山形県]] || {{自治体人口/山形県|酒田市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 8 ||align=left | '''[[山形市]]''' || {{Flagicon|山形県}}[[山形県]] || {{自治体人口/山形県|山形市}}人 || 18 ||align=left | '''[[北上市]]''' || {{Flagicon|岩手県}}[[岩手県]] || {{自治体人口/岩手県|北上市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 9 ||align=left | '''[[八戸市]]''' || {{Flagicon|青森県}}[[青森県]] || {{自治体人口/青森県|八戸市}}人 || 19 ||align=left | '''[[花巻市]]''' || {{Flagicon|岩手県}}[[岩手県]] || {{自治体人口/岩手県|花巻市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 10 ||align=left | '''[[弘前市]]''' || {{Flagicon|青森県}}[[青森県]] || {{自治体人口/青森県|弘前市}}人 || 20 ||align=left | '''[[横手市]]''' || {{Flagicon|秋田県}}[[秋田県]] || {{自治体人口/秋田県|横手市}}人 |} {{Clear}} '''[[明治|明治時代]](19世紀末)の東北地方の人口''' (順位は全国順位) <div style="float: left;"> {| class="wikitable" |- ! style="background:gold;"| 順位 ! style="background:gold;"| 県名 ! style="background:gold;"| 人口 |- | style="text-align:center; background:#ff9;"|17 | style="text-align: center;"|福島県 | style="text-align: right;"|913,800 |- | style="text-align:center; background:#ff9;"|27 | style="text-align: center;"|山形県 | style="text-align: right;"|742,600 |- | style="text-align:center; background:#ff9;"|28 | style="text-align: center;"|宮城県 | style="text-align: right;"|735,100 |- | style="text-align:center; background:#ff9;"|31 | style="text-align: center;"|秋田県 | style="text-align: right;"|684,300 |- | style="text-align:center; background:#ff9;"|36 | style="text-align: center;"|岩手県 | style="text-align: right;"|655,400 |- | style="text-align:center; background:#ff9;"|41 | style="text-align: center;"|青森県 | style="text-align: right;"|527,600 |- | colspan="2" style="text-align: center;"|東北地方 | style="text-align: right;"|4,258,800 |- | colspan="2" style="text-align: center;"|日本 | style="text-align: right;"|39,626,600 |} ※1888年(明治21年)<ref>{{XLSlink|[https://www.hrr.mlit.go.jp/library/hokuriku2003/s1/1-06/01jinkou/03meiji/03meiji.xls 明治期と現在の都道府県別人口一覧]}}(国土交通省[[北陸地方整備局]])</ref> </div> <div style="float: left;"> {| class="wikitable" |- ! style="background:gold;"| 順位 ! style="background:gold;"| 市町村名 ! style="background:gold;"| 人口 ! style="background:gold;"| 順位 ! style="background:gold;"| 市町村名 ! style="background:gold;"| 人口 |- style="background:#ffc;" | style="text-align:center; background:#ff9;"|8 | style="text-align: center;"|[[仙台市]] | style="text-align: right;"|90,231 | style="text-align:center; background:#ff9;"|54 | style="text-align: center;"|[[会津若松市|若松町]] | style="text-align: right;"|21,584 |- | style="text-align:center; background:#ff9;"|26 | style="text-align:center; background:#ffc;"|[[盛岡市]] | style="text-align:right; background:#ffc;"|31,153 | style="text-align:center; background:#ff9;"|56 | style="text-align: center;"|[[酒田市|酒田町]] | style="text-align: right;"|20,918 |- style="background:#ffc;" | style="text-align:center; background:#ff9;"|29 | style="text-align: center;"|[[弘前市]] | style="text-align: right;"|30,487 | style="text-align:center; background:#ff9;"|60 | style="text-align: center;"|[[鶴岡市|鶴岡町]] | style="text-align: right;"|19,562 |- | style="text-align:center; background:#ff9;"|32 | style="text-align:center; background:#ffc;"|[[米沢市]] | style="text-align:right; background:#ffc;"|29,591 | style="text-align:center; background:#ff9;"|62 | style="text-align: center;"|[[青森市|青森町]] | style="text-align: right;"|19,484 |- | style="text-align:center; background:#ff9;"|33 | style="text-align:center; background:#ffc;"|[[秋田市]] | style="text-align:right; background:#ffc;"|29,568 | style="text-align:center; background:#ff9;"|78 | style="text-align: center;"|[[石巻市|石巻町]] | style="text-align: right;"|16,974 |- style="background:#ffc;" | style="text-align:center; background:#ff9;"|35 | style="text-align: center;"|[[山形市]] | style="text-align: right;"|29,019 | style="text-align:center; background:#ff9;"|81 | style="text-align: center;"|[[福島市|福島町]] | style="text-align: right;"|16,629 |} ※1889年(明治22年)[[市制]]施行年 『明治大正国勢総覧』<br />※「{{Color|#ffc|■}}」:元[[城下町]]。色なし:[[日本の港町|港町]]</div> {{clearleft}} 19世紀末は、産業の中心が[[農業]]であったため、[[稲作]]に適した南東北の方の人口が多く、また、同緯度では、夏季の高温([[フェーン現象]])で収量が安定している日本海側(山形県、秋田県)が、やませの影響で収量が不安定な太平洋側(宮城県、岩手県)よりも県別人口で上回っている。この時期はまだ[[都市化]]が進展していなかったため、江戸時代の経済の名残りで、[[城下町]]と[[港町]]が都市としての地位にあった。 現在は、都市化が進んでおり(東北地方全体の都市部の人口75%)、県別の人口順位も[[人口集中地区|DID]]面積順位(→[[東北地方#地理]])とほぼ一致する。 なお東日本大震災以降、[[福島第一原子力発電所事故]]の影響で一時的に郡山市やいわき市の人口が1000人規模で減少した一方、内陸部の被害がほとんど無かった仙台市や被害が皆無だった盛岡市では津波被災地域からの転入で人口が1000人規模で増加していた。 === 年齢構成 === {{東北地方/5歳階級別人口}} == 交通 == 東北地方は、[[白河の関]]から[[本州]]最北端の[[大間崎]]まで道なりに630km以上あり、東京から姫路間の道のりより距離がある。そのため、東北地方の陸上交通路は、東京までの到達時間短縮が第一に重視され、街道、鉄道、道路の整備は、まず南北を結ぶ交通路が整備された。また、太平洋側の交通の整備が先に進み、日本海側については概してその後に整備された(以下は主要駅間の路線距離の5km毎概数。東北地方の諸都市の間隔に近い[[太平洋ベルト]]の都市を示す)。 * [[東京駅|東京]]&lt;255&nbsp;km&gt;[[浜松駅|浜松]]&lt;110&nbsp;km&gt;[[名古屋駅|名古屋]]&lt;190&nbsp;km&gt;[[大阪駅|大阪]]&lt;185&nbsp;km&gt;[[岡山駅|岡山]] * [[東京駅|東京]]&lt;225&nbsp;km&gt;[[郡山駅 (福島県)|郡山]]&lt;125&nbsp;km&gt;[[仙台駅|仙台]]&lt;185&nbsp;km&gt;[[盛岡駅|盛岡]]&lt;195&nbsp;km&gt;[[青森駅|青森]] * [[大阪駅|大阪]]&lt;240&nbsp;km&gt;[[福山駅|福山]]&lt;105&nbsp;km&gt;[[広島駅|広島]]&lt;195&nbsp;km&gt;[[新下関駅|下関]]&lt;205&nbsp;km&gt;[[熊本駅|熊本]] 現在、南北陸上交通においては、主に[[東北新幹線]]・[[東北自動車道]]により関東地方と連結され、旅客では新幹線が優位に立っている。東京への到達時間短縮のために高速交通機関が発達したが、一方で東北地方内の旅客移動も活性化させ、特に太平洋側は、距離に関わらず南北間の都市間交流が盛んとなっている。また、本州・北の[[ターミナル]]である青森県は、[[津軽海峡]]を挟んだ北海道との間に[[青函トンネル]]が開通し、諸都市間の関係が深まっている。以前は青森・函館間に[[青函連絡船]]が運航されていたが、トンネル開通で[[フェリー]]航路が設定され、東北道・八戸道と連動した[[貨物自動車|トラック]]流通に対応している。なお、近年、南東北と東京との間に都市間[[ツアーバス]]が格安で参入し、[[高速バス]]と熾烈な旅客獲得競争を繰り広げている。 他方、東西の交通については、山脈・山地などに阻まれながらも明治時代から鉄道や国道が整備されてきたが、高速交通への対応は遅れた。東西高速交通は、「[[幹]]」である東北新幹線や東北自動車道と接続する「[[枝]]」のように整備され、20世紀末に[[秋田新幹線]]や連絡線の高速道路が整備された。この結果、郡山と会津若松、仙台と山形、盛岡と秋田となどとの間で、自然障壁を越えた地域圏や経済圏の形成が進んでいる。 東西交通の高速化により、現在の東北地方は、交通インフラの利便性の違いにより2つの地域に分類される。東京との交通上の関係で見ると、太平洋側から奥羽山脈西側に隣接する盆地群までがいわば「新幹線派地域」、それ以外の日本海沿岸地域が「航空機派地域」に分けることができる。両者の東西の境界はほぼ[[出羽山地]]である。 「新幹線派地域」にある[[仙台空港]]([[仙台都市圏]]内の[[名取市]]・[[岩沼市]])は、多数の国内線や国際線が就航していて、国際線に至っては利用者の半分以上が宮城県居住者以外となっており、「新幹線派地域」の拠点空港となっている。日本海沿岸地域([[津軽平野]]・[[秋田平野]]・[[庄内平野]])は、東北新幹線に接続するまでに時間がかかるため、東京とは空路需要が多く、「航空機派地域」となっている。 === 空港 === 現在、東北地方の各空港同士を結ぶ路線は存在しないが、かつて仙台空港からは直線距離が300km程度まででも東北地方内を含めて4路線が定期路線として就航していた。 * 仙台空港〜[[東京国際空港|羽田空港]](直線距離:約305km) : (参考)新幹線…[[東京駅]]〜'''[[仙台駅]]''':351.8km(東京駅〜'''[[名古屋駅]]''':366.0km) * 仙台空港〜[[青森空港]](直線距離:約290km) * 仙台空港〜[[三沢飛行場]](直線距離:約288km) * 仙台空港〜[[新潟空港]](直線距離:約160km) : (参考)高速道…[[仙台宮城インターチェンジ|仙台宮城IC]]〜[[新潟中央インターチェンジ|新潟中央IC]]:253.5km 1982年の[[東北新幹線]]開通([[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]]〜盛岡駅)によって羽田便が同1982年に廃止され、三沢便も廃止に至った。新潟便は、[[磐越自動車道]]が次々整備される中、1992年に廃止された。青森便は、新幹線の利便性が得られない地域であったために設定されたが、JRとの運賃値下げ競争に負けて廃止された。 その他にも新幹線の開通で空港の旅客数が顕著に減少する例が多い。参考として、空港に近い主要都市からの平成28年3月26日ダイヤ改正時点での最速所要時間を併記する。 *岩手県(花巻空港)盛岡駅 - 東京駅間の新幹線での最速所要時間は2時間10分。 ** [[花巻空港]]〜羽田空港間に航空路が設定されていたが、東北新幹線が盛岡駅まで開通したため、最大の利用客居住地の盛岡市から離れた花巻空港は、トータルで東京都心までの到達時間での優位性がなくなり、かつ、東北新幹線の方が運行頻度が高かったことから採算割れして羽田便は廃止となった。 * 山形県(山形空港)山形駅 - 東京駅間の新幹線での最速所要時間は2時間27分。 ** [[山形空港]]では、羽田便を中心に1991年に70万人以上の年間利用客があり、ピークとなったが、1992年の[[山形新幹線]]開業で減少傾向に転じ、最盛期の3分の1以下の20万人となった。山形新幹線が[[ミニ新幹線]]であり、[[福島駅 (福島県)|福島駅]]で列車接続をするため、所要時間短縮効果がフル規格新幹線と比べて大きくないことから、自治体の支援で羽田便が1日1便で運行している。 *秋田県(秋田空港)秋田駅 - 東京駅間の新幹線での最速所要時間は3時間39分。 ** [[秋田空港]]では、1996年に約150万人の年間利用客があったが、1997年に[[秋田新幹線]]開業、1998年に[[大館能代空港]]開港により利用客が減少した。しかし、秋田新幹線が[[ミニ新幹線]]であることにより東京までの所要時間がそれほど短縮しなかったため、空路から新幹線への旅客の移動はあまり進まず、130万人程度で横ばいとなっている。 *青森県南部地方(三沢空港)八戸駅 - 東京駅間の新幹線での最速所要時間は2時間42分。 ** [[三沢飛行場]]では、全体の年間利用客数が2001年に58.3万人に達したが、2002年12月1日に東北新幹線が[[八戸駅]]まで延伸されたため、主に羽田線の旅客が減少し、2004年度には33.4万人まで旅客数を減らしている。 *青森県津軽地方(青森空港)新青森駅 - 東京駅間の新幹線での最速所要時間は2時間59分。 ** [[青森空港]]も1998年〜2002年は150万人以上の年間利用客がいたが、東北新幹線の八戸延伸以降減少し続けている。 * ひとつの空港から東北地方内の全ての空港に就航している路線はない。(例として、羽田からでは福島・仙台・花巻線がなく、伊丹からでは庄内・大館能代線がない。) ; 2019年度旅客数 {| class="wikitable" |- style="background:#a4aaf9;" | rowspan="2" style="text-align:center; background:#fc9;"|'''[[空港]]''' | rowspan="2" style="text-align:center; background:#f96;"|'''旅客合計''' |colspan="2" style="text-align: center;" |'''国内線''' | colspan="2" style="text-align:center; background:#ccf;"|'''国際線''' |- | style="text-align:center; background:#ccc;"|旅客数 |style="text-align: center;" |定期便 | style="text-align:center; background:#ccc;"|旅客数 |style="text-align: center;" |定期便 |- | style="text-align:center; background:#fff;"|[[仙台空港|仙台]]★ | style="text-align:right; background:#ffc;"|371<sup>万</sup>8043人 |style="text-align: right;"|333<sup>万</sup>9048人 |[[新千歳空港|新千歳]]・'''[[成田国際空港|成田]]・[[中部国際空港|中部]]'''・[[小松飛行場|小松]]・'''[[大阪国際空港|大阪]]'''・'''[[関西国際空港|関西]]'''・[[神戸空港|神戸]]・[[広島空港|広島]]・[[出雲空港|出雲]]・[[福岡空港|福岡]]・[[那覇空港|那覇]] |style="text-align: right;"|37<sup>万</sup>8995人 |[[仁川国際空港|ソウル]]・[[台湾桃園国際空港|台北/桃園]]・[[上海浦東国際空港|上海/浦東]]・[[大連周水子国際空港|大連]]・[[北京首都国際空港|北京/首都]]・[[スワンナプーム空港|バンコク]] |- | style="text-align:center; background:#fff;"|[[秋田空港|秋田]] | style="text-align:right; background:#ffc;"|135<sup>万</sup>9638人 |style="text-align: right;"|134<sup>万</sup>7797人 |新千歳・'''[[東京国際空港|東京]]・中部・大阪''' |style="text-align: right;"|5041人 |台北/桃園(定期チャーター) |- | style="text-align:center; background:#fff;"|[[青森空港|青森]] | style="text-align:right; background:#ffc;"|124<sup>万</sup>6453人 |style="text-align: right;"|117<sup>万</sup>8205人 |新千歳・'''東京・[[名古屋飛行場|名古屋]]・大阪''' |style="text-align: right;"|6<sup>万</sup>8248人 |ソウル・[[天津浜海国際空港|天津]]・台北/桃園 |- | style="text-align:center; background:#fff;" |[[花巻空港|花巻]]★ | style="text-align:right; background:#ffc;" |48<sup>万</sup>5002人 | style="text-align: right;" |43<sup>万</sup>8405人 |新千歳・'''名古屋・大阪'''・福岡 | style="text-align: right;" |4<sup>万</sup>1185人 |台北/桃園・上海/浦東 |- | style="text-align:center; background:#fff;" |[[庄内空港|庄内]] | style="text-align:right; background:#ffc;" |44<sup>万</sup>2556人 | style="text-align: right;" |43<sup>万</sup>7072人 |'''東京''' | style="text-align: right;" |5494人 | |- | style="text-align:center; background:#fff;" |[[山形空港|山形]] | style="text-align:right; background:#ffc;" |36<sup>万</sup>6678人 | style="text-align: right;" |33<sup>万</sup>8653人 |'''東京・大阪・名古屋・'''新千歳 | style="text-align: right;" |2<sup>万</sup>8025人 | |- | style="text-align:center; background:#fff;" |[[三沢飛行場|三沢]] | style="text-align:right; background:#ffc;" |30<sup>万</sup>9527人 | style="text-align: right;" |30<sup>万</sup>9527人 |'''東京・大阪'''・[[札幌飛行場|札幌/丘珠]] | style="text-align: right;" |0人 | |- | style="text-align:center; background:#fff;" |[[福島空港|福島]]★ | style="text-align:right; background:#ffc;" |25<sup>万</sup>9721人 | style="text-align: right;" |23<sup>万</sup>9054人 |新千歳・'''大阪''' | style="text-align: right;" |2<sup>万</sup>0667人 | |- | style="text-align:center; background:#fff;" |[[大館能代空港|大館能代]] | style="text-align:right; background:#ffc;" |15<sup>万</sup>9214人 | style="text-align: right;" |15<sup>万</sup>9214人 |'''東京''' | style="text-align: right;" |0人 | |- style="background:#ffc;" |style="text-align: center;" |合計 | style="text-align:right; "|804<sup>万</sup>8170人 |style="text-align: right;"|750<sup>万</sup>7864人 | |style="text-align: right;"|54<sup>万</sup>0306人 | |} * [[チャーター便]]の旅客数含む * [[三大都市圏]]への便は'''太字''' * 東京便(羽田便)がない空港には★ ; 2005年貨物 * [[仙台空港]] 18,360[[トン|t]](国内 15,524t、国際 2,836t) * [[青森空港]] 4,981t(国内 4,952t、国際 29t) * [[秋田空港]] 4,094t(国内 4,054t、国際 40t) * [[庄内空港]] 1,203t(国内 1,203t) * [[花巻空港]] 1,176t(国内 1,176t) * [[福島空港]] 964t(国内 886t、国際 78t) * [[三沢空港]] 872t(国内 872t) * [[山形空港]] 163t(国内 163t) * [[大館能代空港]] 152t(国内 152t) === 港湾 === 江戸時代には、[[北前船]]によって日本海側の港町が、東回り航路によって太平洋側の港町が栄えた。また、大小さまざまな漁港があり、[[遠洋漁業]]が盛んだった時代には大いに賑わった。現在は、地場の魚([[沿岸漁業]]・沖合漁業)の特産化や高級化で活気がある漁港が数多く存在する。工業港・貿易港としては、仙台・小名浜・石巻・八戸・秋田が、旅客港として青森・八戸・仙台が重要な港湾となっている。 {{Col-begin}} {{Col-break}} * [[青森港]] * [[むつ小川原港]] * [[八戸港]] * [[久慈港]] * [[宮古港]] {{Col-break}} * [[釜石港]] * [[大船渡港]] * [[能代港]] * [[船川港]] * [[秋田港]] {{Col-break}} * [[石巻港]] * [[仙台塩釜港]] * [[酒田港]] * [[相馬港]] * [[小名浜港]] {{Col-end}} === 鉄道 === [[東京]]へは主に[[東北新幹線]]が主力となって輸送している。[[1887年]]に東北本線黒磯 - 郡山 - 仙台間が開業、その後[[1890年]]に仙台 - 一ノ関 - 盛岡間、[[1891年]]には盛岡 - 青森間が開業し「幹」である[[東北本線]]が開通した。[[1982年]]に東北新幹線[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]] - [[盛岡駅|盛岡]]が開業し、また[[1997年]]には[[盛岡駅|盛岡]] - [[秋田駅|秋田]]を新幹線直通列車が結ぶ秋田新幹線、[[1992年]]には[[福島駅 (福島県)|福島]] - [[山形駅|山形]]を新幹線直通列車が結ぶ山形新幹線が開業(山形新幹線は[[1999年]]に[[新庄駅|新庄]]まで延伸)し、県庁所在地対東京は1本の新幹線によって結ばれた。 その一方、[[酒田駅|酒田]]・[[鶴岡駅|鶴岡]]対東京は[[上越新幹線]]と特急[[いなほ (列車)|いなほ]]が優位(他にも新庄経由ルートも存在する)、[[いわき駅|いわき]]対東京は特急[[ひたち (列車)|ひたち]]など、「幹」である東北新幹線を利用しない最短ルートも存在する。これらの地域は「枝」である東西連絡路線が後発であったことが影響している。なお[[2002年]][[12月1日]]に東北新幹線の盛岡 - [[八戸駅|八戸]]間開業以降東北地方のすべての県に新幹線の列車が乗り入れるようになった。 ; [[東日本旅客鉄道]] (平均 48.4万人/日。2004年度) {{Col-begin}} {{Col-break}} * [[東北新幹線]] * [[山形新幹線]] * [[秋田新幹線]] * [[東北本線]] * [[羽越本線]] * [[常磐線]] * [[奥羽本線]] {{Col-break}} * [[仙山線]] * [[仙石線]] * [[磐越西線]] * [[磐越東線]] * [[陸羽東線]] * [[陸羽西線]] * [[気仙沼線]] * [[石巻線]] {{Col-break}} * [[大船渡線]] * [[只見線]] * [[水郡線]] * [[津軽線]] * [[大湊線]] * [[八戸線]] * [[北上線]] * [[釜石線]] {{Col-break}} * [[田沢湖線]] * [[山田線]] * [[岩泉線]](2014年4月1日廃止) * [[花輪線]] * [[五能線]] * [[米坂線]] * [[左沢線]] * [[男鹿線]] {{Col-end}} ; [[北海道旅客鉄道]] *[[北海道新幹線]] *[[海峡線]] ; [[私鉄]]、[[第三セクター鉄道]](平均 5.1万人/日。2004年度) {{col| * [[十和田観光電鉄線]](2012年3月末廃止) * [[弘南鉄道弘南線]] * [[弘南鉄道大鰐線]] * [[津軽鉄道線]] * [[阿武隈急行線]] * [[仙台空港鉄道仙台空港線]] * [[福島交通飯坂線]] | * [[山形鉄道フラワー長井線]] * [[会津鉄道会津線]] * [[野岩鉄道会津鬼怒川線]] * [[三陸鉄道リアス線]] * [[由利高原鉄道鳥海山ろく線]] * [[秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線]] * [[青い森鉄道線]] * [[IGRいわて銀河鉄道線]] }} ; [[仙台市交通局]] (平均 15.0万人/日。2004年度) * [[仙台市地下鉄南北線]] * [[仙台市地下鉄東西線]] === 道路 === 東北地方は、[[医師]]の数が人口比で全国水準より低い上、無医地区も広いため、高速道路や国道体系と[[医療]]体制との関係が深い。高速道路・国道は、都市部にある高度医療を行う病院や[[救急救命]]センターへの搬送路として機能し、[[救急車緊急退出路]]も整備されている。また、都市部に偏る常勤医を郡部へ非常勤医として送る供給路としても利用されている。 * [https://www.thr.mlit.go.jp/road/ir/trfc/heikin.html 路線別の平均交通量(国土交通省、1999年)] ==== 主な道路 ==== {{see also|ここでは主要路線のみを掲載する。その他、「[[東北地方の道路一覧]]」}} ===== 高速道路 ===== {{col| * [[東北自動車道]] * [[日本海東北自動車道]] * [[常磐自動車道]] * [[三陸沿岸道路]] * [[東北中央自動車道]] * [[磐越自動車道]] | * [[山形自動車道]] * [[秋田自動車道]] * [[釜石自動車道]] * [[八戸自動車道]] * [[青森自動車道]] }} ===== 一般国道 ===== {{Col-begin}}<!-- 二桁国道以上記載 --> {{Col-break}} * [[国道4号]] * [[国道6号]] * [[国道7号]] {{Col-break}} * [[国道13号]] * [[国道45号]] * [[国道46号]] {{Col-break}} * [[国道47号]] * [[国道48号]] * [[国道49号]] {{Col-end}} == メディア == * 東北地方全域を対象とする[[メディア (媒体)|メディア]]は、[[ブロック紙]]の[[河北新報]]のみである。 * [[TXNネットワーク|テレビ東京系列]]のテレビ局が'''[[放送対象地域]]'''として存在しない地域である([[四国]]にはテレビ東京系の'''本社'''はないものの、[[岡山市]]に本社を置く[[テレビせとうち]]が香川県も[[TBS系列]]や[[フジテレビ系列]]と同様に放送対象地域としている)。ただし、青森県の[[津軽海峡]]沿岸部や青森市などでは遠距離受信やケーブルテレビを通して[[テレビ北海道]]が、福島県の南部([[いわき市]]の沿岸部など)では[[テレビ東京]]がそれぞれ受信可能な地域もある。なお、[[テレビ東京#ネットワーク拡大構想|テレビ東京のネットワーク拡大構想]]により 2011年以降に宮城県に系列新局を開局する計画があるが未だ白紙状態である。 * [[全国独立放送協議会|独立局]]は一県も存在しないが福島県で白河市周辺では[[とちぎテレビ]]が、いわき市の一部では[[千葉テレビ放送|チバテレビ]]がそれぞれ受信可能な地域がある。 * [[テレビ朝日系列]]のテレビ局で北東北では社名に「朝日」を用いている。 * 東北6県や東北7県の枠組みで、テレビ・ラジオの[[ブロックネット]][[ローカル番組]]が存在する。→[[ブロックネット]] * テレビの[[夕方ワイド番組]]([[日本テレビ系列]])では、番組内で隣県2局同士をお互い中継し合い、情報交換するレギュラーコーナーが存在する。北東北3県と南東北3県の2つの枠組みがあるが、テレビ岩手は両方の枠組みに入っている。 ** 北東北3県(正三角形2局ごと) *** [[青森市|青森]]・RAB[[青森放送]]「[[@なまてれ]]」 *** [[盛岡市|盛岡]]・TVI[[テレビ岩手]]「[[5きげんテレビ]]」 *** [[秋田市|秋田]]・ABS[[秋田放送]]「[[ゆうドキっ!]]」 ** 南東北3県と岩手県(MTを中心に放射状2局ごと) *** 盛岡・TVIテレビ岩手「5きげんテレビ」 *** [[仙台市|仙台]]・MMT[[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]]「[[OH!バンデス]]」 *** [[山形市|山形]]・YBC[[山形放送]]「[[ピヨ卵ワイド430]]」 *** [[郡山市|郡山]]・FCT[[福島中央テレビ]]「[[ゴジてれChu!]]」 * 東北地方全域で有名な[[ローカルタレント]]が数人おり、ブロックネットに出演している。その他のローカルタレントは基本的に県単位での活動が多いが、東北各地から仙台に集まる傾向がややあるため、仙台のローカルタレントが隣県の番組にもレギュラー出演する例が見られる。 * 日本海沿岸の自治体には、有名な[[ローカルアイドル]]や[[ローカルヒーロー]]がそれぞれおり、東北地方全域で知られている。 == 経済 == {{legend-line|black solid 4px|東北6県 合計}} {{legend-line|green solid 4px|{{flagicon|宮城県}} 宮城県}} {{legend-line|orange solid 4px|{{flagicon|福島県}} 福島県}} {{legend-line|blue solid 4px|{{flagicon|岩手県}} 岩手県}} {{legend-line|yellowgreen solid 4px|{{flagicon|青森県}} 青森県}} {{legend-line|skyblue solid 4px|{{flagicon|山形県}} 山形県}} {{legend-line|red solid 4px|{{flagicon|秋田県}} 秋田県}} {{Col| ;県内総生産(名目)(単位:十億円)<ref name="ESRI">[https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kenmin/files/files_kenmin.html 統計表(県民経済計算)](内閣府)</ref> {{Line chart | color_background = white | color_series_1 = black | thickness_series1 = 1.5 | width = 350 | height = 300 | padding_left = 50 | padding_right = 10 | padding_top = 5 | padding_bottom = 15 | number_of_series = 1 | number_of_x-values = 15 |label_x1=2001|label_x2=|label_x3=2003|label_x4=|label_x5=2005|label_x6=|label_x7=2007|label_x8=|label_x9=2009|label_x10=|label_x11=2011|label_x12=|label_x13=2013|label_x14=|label_x15=2015| | y_max = 35000 | y_min = 29000 | scale = yes | interval_primary_scale = 500 | interval_secondary_scale = 100 |points=yes |S01V01=34104.826|S01V02=33419.589|S01V03=32926.509|S01V04=33146.627|S01V05=32695.832|S01V06=33446.084|S01V07=33121.423|S01V08=31257.667|S01V09=30306.699|S01V10=30355.533|S01V11=29677.641|S01V12=31194.659|S01V13=32226.672|S01V14=|S01V15= }} |;県内総生産(実質:連鎖方式)(単位:十億円)<ref name="ESRI"/> {{Line chart | color_background = white | color_series_1 = black | thickness_series1 = 1.5 | width = 350 | height = 300 | padding_left = 50 | padding_right = 10 | padding_top = 5 | padding_bottom = 15 | number_of_series = 1 | number_of_x-values = 15 |label_x1=2001|label_x2=|label_x3=2003|label_x4=|label_x5=2005|label_x6=|label_x7=2007|label_x8=|label_x9=2009|label_x10=|label_x11=2011|label_x12=|label_x13=2013|label_x14=|label_x15=2015| | y_max = 35000 | y_min = 29000 | scale = yes | interval_primary_scale = 500 | interval_secondary_scale = 100 |points=yes |S01V01=31667.335|S01V02=31713.620|S01V03=31766.455|S01V04=32524.317|S01V05=32659.204|S01V06=33954.318|S01V07=34073.529|S01V08=32662.447|S01V09=31654.047|S01V10=32332.556|S01V11=32092.719|S01V12=33792.479|S01V13=34956.883|S01V14=|S01V15= }} }} {{Col| {{Line chart | color_background = white | color_series_1 = yellowgreen | thickness_series1 = 1.5 | color_series_2 = blue | thickness_series2 = 1.5 | color_series_3 = green | thickness_series3 = 1.5 | color_series_4 = red | thickness_series4 = 1.5 | color_series_5 = skyblue | thickness_series5 = 1.5 | color_series_6 = orange | thickness_series6 = 1.5 | width = 350 | height = 450 | padding_left = 50 | padding_right = 10 | padding_top = 5 | padding_bottom = 15 | number_of_series = 6 | number_of_x-values = 15 |label_x1=2001|label_x2=|label_x3=2003|label_x4=|label_x5=2005|label_x6=|label_x7=2007|label_x8=|label_x9=2009|label_x10=|label_x11=2011|label_x12=|label_x13=2013|label_x14=|label_x15=2015| | y_max = 9500 | y_min = 3000 | scale = yes | interval_primary_scale = 500 | interval_secondary_scale = 100 |points=yes |S01V01=4667.651|S01V02=4573.382|S01V03=4521.908|S01V04=4510.233|S01V05=4378.754|S01V06=4735.728|S01V07=4693.067|S01V08=4463.586|S01V09=4416.983|S01V10=4428.136|S01V11=4418.589|S01V12=4464.787|S01V13=4411.514|S01V14=|S01V15= |S02V01=4706.648|S02V02=4658.304|S02V03=4609.872|S02V04=4606.626|S02V05=4495.786|S02V06=4540.887|S02V07=4479.163|S02V08=4246.456|S02V09=4149.103|S02V10=4102.923|S02V11=4157.583|S02V12=4365.576|S02V13=4516.178|S02V14=|S02V15=| |S03V01=8783.978|S03V02=8557.139|S03V03=8504.827|S03V04=8466.367|S03V05=8427.696|S03V06=8483.317|S03V07=8274.187|S03V08=7905.533|S03V09=7763.775|S03V10=7831.146|S03V11=7694.148|S03V12=8519.962|S03V13=8816.646|S03V14=|S03V15=| |S04V01=3940.145|S04V02=3871.470|S04V03=3824.882|S04V04=3757.778|S04V05=3692.413|S04V06=3774.798|S04V07=3692.330|S04V08=3482.247|S04V09=3419.803|S04V10=3433.532|S04V11=3485.628|S04V12=3470.756|S04V13=3477.343|S04V14=|S04V15=| |S05V01=4044.580|S05V02=3986.982|S0503=3923.321|S05V04=3961.783|S05V05=3906.669|S05V06=3990.670|S05V07=4097.274|S05V08=3750.471|S05V09=3516.006|S05V10=3619.949|S05V11=3640.748|S05V12=3662.852|S05V13=3830.374|S05V14=|S05V15=| |S06V01=7961.824|S06V02=7772.312|S0603=7541.699|S06V04=7843.840|S06V05=7794.514|S06V06=7920.684|S06V07=7885.402|S06V08=7409.374|S06V09=7041.029|S06V10=6939.847|S06V11=6280.945|S06V12=6710.726|S06V13=7174.617|S06V14=|S06V15=| }} |{{Line chart | color_background = white | color_series_1 = yellowgreen | thickness_series1 = 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{{Citation|和書|editor1-last=伊藤|editor1-first=清郎|editor2-last=山口|editor2-first=博之|title=中世出羽の領主と城館|series=奥羽史研究叢書|publisher=高志書院|year=2002}} * {{Citation|和書|last=小野|first=榮|series=シリーズ藩物語|title=米沢藩|publisher=現代書館|year=2006}} == 関連項目 == {{See also|Category:東北地方}} {{Sisterlinks |commons=Category:Tōhoku region |q=no |v=no |voy=Tohoku }} {{osm box|r|1835900}} * [[北東北]] * [[東北弁]] * [[南東北]] * [[日本の地理]] * [[北日本]] * [[東北地方太平洋沖地震]] ** [[東日本大震災]] ** [[福島第一原子力発電所事故]] {{日本の地域}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:とうほくちほう}} [[Category:東北地方|*]] [[Category:日本の地域ブロック]]
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コントラバス
コントラバス (英語: contrabass/double bass [ダブルべース]) は、オーケストラなどで最低声部を受け持つ弦楽器。クラシック音楽では主に弓を使って演奏するが、ポピュラー音楽では一般的に指を使って演奏する(ピッツィカート奏法)。 略号は「Cb」。4本または5本の弦を持つ大型の弦楽器である。短縮して単にバス、もしくはベース (Bass) と呼ぶこともある。コントラバス、ダブルベース、アップライトベース、アコースティックベース、ウッドベース、弦バス(和製英語)などの呼び方が存在する。ウッドベースは、音楽用語としての使用頻度が高い。また、フォーク・ミュージックやブルーグラス、カントリーなどではベース・フィドル、ベース・バイオリンなどの呼び方をされる場合もあった。 コントラバスとは別に、電気楽器としてエレクトリックベース、電子楽器としてシンセベース(キーボードベース)、アコースティック楽器としてアコースティック・ベースも存在する。また、エレクトリック・アップライト・ベースもある。ダブル・ベース・ドラムという楽器の用語があるが、こちらは通常のベースドラム(バスドラム)を2台使っているという意味でダブルであり、本項の意味とは異なる。 類似する低音弦楽器であるチェロがヴァイオリン属の楽器であるのに対して、コントラバスに見られる、なで肩の形状、平らな裏板、4度調弦、弓の持ち方(ジャーマン式)といった特徴はヴィオラ・ダ・ガンバ属に由来する。現代のコントラバスはヴァイオリン属とヴィオラ・ダ・ガンバ属の中間に位置する楽器となっており、どちらに分類するかは分類者の考え方によって異なる(ヴィオローネを参照)。 共鳴胴は瓢箪型で棹が付いている。形によって「ガンバ型」「バイオリン型」「ブゼット型」などのバリエーションがある。中央のくびれは古い擦弦楽器において弓を使うのに邪魔にならないような形状にした名残で、ヴァイオリン属にもヴィオラ・ダ・ガンバ属にも共通するものである。 ヴァイオリン同様表板と裏板は独立しており、表板は湾曲している。ただし、湾曲した裏板を持つラウンドバック、平面の裏板を持つフラットバックと呼ばれる2つの構造が存在する。フラットバック裏板内側面には、ラウンドバックには無い力木(ブレイス)が接着されている。ヴァイオリンやヴィオラ、チェロと違いなで肩であるが、これはヴィオラ・ダ・ガンバ属のなごりであり、これによってハイポジションでの演奏が容易になっている。駒は弓で特定の弦をこするのに適すよう、弦の当たる位置が湾曲しているが、形の比率は他のヴァイオリン属に比べて背が高い。尾部にはエンドピンを備えており、これを床に刺して演奏する。 ヴァイオリンの構造と同じく、駒の高音弦側の脚が接触している位置で、表板の裏側に接して魂柱(こんちゅう)と呼ばれる柱が立っており、表板と裏板に接している。駒の低音弦側の脚が接触している位置で、表板の裏側に接してバス・バーと呼ばれる力木(ブレイス)が接着されている。弦の振動は魂柱を支点とし、てこの原理により振動が増幅され、主にバス・バーによって表板全体を振動させる。またその一部の振動は魂柱を通して裏板に伝わり、共鳴胴全体が振動するのである。棹から駒を経て楽器の尾部の緒留めまで弦が張られ、弦を押さえるための指板が張られている。 全長は約170 - 200cm程度、弦の実効長も約95 - 120cm程度と、それぞれ全体の約2割ものばらつきがあり、この割合は他の純粋なヴァイオリン属の楽器より遥かに大きい。また、共鳴胴の容積により、3/4、1/2などの小さいサイズの楽器が、体の小さい女性や子供たち用に生産されている。また国によっても基準の大きさが異なり、ヨーロッパにおける3/4サイズが、日本における4/4(フルサイズ)に該当する。 ヴァイオリンの弓と同様、逆に湾曲し馬の尾の毛が張られる。毛留め(フロッグ)の箱の大きさと棹の長さによって、ジャーマン・ボウ(同系統のヴィオラ・ダ・ガンバ属での使用弓)フレンチ・ボウ(ヴァイオリン属での使用弓)との2種に大別される。毛には松脂を塗り、これで摩擦係数を高めて弦をこする。使われる松脂は他の弦楽器のものに比べて粘性の高いものを用いる奏者が多いが、音質や演奏性の好みで他の弦楽器のものを使う奏者もいる。 また、その他の弦楽器にはほとんど用いられない黒い毛が使われることもある。 コントラバスは、その太く低い音が特徴的である。 現在の一般的な調弦は、4弦の場合、高い方から中央ハの1オクターブと完全4度下のト(G、ソ)、以下完全4度ごとにニ(D、レ)、イ(A、ラ)、ホ(E、ミ)であり、それぞれ、第1弦=G線、第2弦=D線、第3弦=A線、第4弦=E線と呼ばれる。5弦の場合はさらに低い弦として第5弦を備えており、レスピーギなどの場合はロ(H、シ)またはベートーヴェンの場合はハ(C、ド)に調弦する。楽器の構造が完成するのが比較的遅かったこともあり、19世紀初期までは3弦(高い方からG、D、Aの四度調弦やA、D、Gの五度調弦もあった)の楽器など、弦の数や調弦がさまざまな楽器が混在していたが、現在では上記の調弦による4弦または5弦の楽器にほぼ統一されている。 なお、独奏の場合には、これよりも長2度高く調弦することがある。コントラバスのパガニーニとも呼ばれているイタリアのバス奏者、ボッテジーニが考案したこの調弦法を「ソロチューニング」と呼び、輝かしく、よく通る独奏向きな音質に変わる。やや細く作られた弦(通称「ソロ弦」)を使用することも多い。 一般に調弦はD線もしくはA線から初め、フラジオレット(ハーモニクス)を用いて、隣同士の弦を合わせる。 4弦のコントラバスには一番低い弦の音をEから下にCまでの各音に切り替えられるようにする装置(C装置)を取り付けたものもある。その場合、チェロの最低音より1オクターブ低い音まで出すことができる。 チェロと同様、主としてヘ音記号を使って書かれるが、書かれた音より1オクターブ低い音が出る(1オクターブ高く書かれる)。これにより、チェロと同じ楽譜を使えば合奏時に低音に1オクターブの重なりを得ることができる。通常の4弦コントラバスの最低音はホ(E、ミ)であるが、これにC装置を取り付けたり5弦コントラバスを用いたりしてより低い音を出せるようにするのは、チェロの最低音の1オクターブ下の音を得るために他ならない。 独奏曲の楽譜には実音で表記されているものもある。また、ソロチューニングの時は同じ記譜で同じ演奏法となるように、短7度低い音の出る移調楽器として書かれる。高音部はテノール記号またはヴァイオリン記号を用いる。コントラバスの独奏曲の作品には、このソロチューニングで書かれているものが多い。 なお、フラジオレットに関しては過去よりさまざまな記譜法があるので注意を要する。 例: など。 立って演奏する場合、立てた楽器の横に左半身を添わせて左足や腰の左側で楽器を支えることが多い。各弦の低音の演奏には、左手の指をポジション(後述)に置き、親指を中指にほぼ対向させて、棹を挟む。高音部では親指も弦を押さえるのに使うため弦の上に置き、左半身で楽器を抱え込むようにする。 交響曲など、長い曲を弾く時には椅子を使うことも多い。椅子は座っても立ったときと姿勢があまり変わらないような高いもの(専用として設計されているものが市販されている)を使い、立って演奏するときより楽器をいくぶん寝かせて構える奏者も多い。 弦を弓で奏する「アルコ奏法」、指で弾く「ピッツィカート奏法」の2種類が一般的な奏法として用いられている。また、惑星 (組曲)などで用いられる、弓の木の部分を使って弾くコル・レーニョという奏法もある。 右手で弓を使って演奏する。コントラバスの歴史的背景により、弓は「ジャーマン・ボウ」と「フレンチ・ボウ」の2種類が存在する。 ジャーマン・ボウは、同属であるヴィオラ・ダ・ガンバ属で使われる弓(現在でもバロック・ボウとして購入出来る)の形を残している弓である。弓の持ち方はヴィオラ・ダ・ガンバ属特有であり、毛箱を下から包み込むようにして持つ。 フレンチ・ボウは、現代のヴァイオリンやヴィオラ、チェロの弓と同じ構造の弓である。弓の持ち方はチェロの場合と似ている。ジョバンニ・ボッテジーニが考案したとされる。 従来、日本国内ではジャーマン・ボウでの教育が一般的であった。この原因として、鎖国中のオランダとの関係や戦時中のドイツとの同盟など、音楽を含めた西洋文化との関係性においてゲルマン系の影響が強かったことが考えられる。しかし、1990年代以降はフランス式の有用性を選択する人間も増え、現在では演奏者および指導者を探す点でも差異は殆ど存在しない。また、根本的に別種の歴史と有用性を持つ奏法のため、どちらもアップライト構造の楽器だがコントラバスではジャーマン、チェロではフレンチと使い分ける奏者も多く存在する。 弓の使い方を運弓という。 弓は右手で持ち、弦を弦の張ってある方向に対して垂直方向にこするのが基本である。楽器を構えたとき、弦はほぼ鉛直方向に張ってあるので弓は水平方向に、すなわち奏者から見て左右に動かすことになるが、他のヴァイオリン属楽器と同様、右に引くのを下げ弓(ダウン・ボウ:記号)、左に押すのを上げ弓(アップ・ボウ:記号)と呼ぶ。てこの原理により、弓の元(手に近い方)で弾く方が力をかけやすいため、ダウン・ボウの方が大きな音が出しやすく、強拍に向いている。また、アップ・ボウは弱拍やクレッシェンドに向いている。 弓を当てる位置は、基本的には指板の下端と駒の間である。指板寄りでは柔らかい音が、駒寄りでは固くて大きい音が出るので場合によって使い分ける。 弦を指ではじく奏法(ピッツィカート)である。ポピュラー音楽ではこちらが一般的である。また、ジャズ、ロカビリー、カントリー、ブルーグラス、ジャグバンドミュージックではスラップ奏法(クラシックにおけるバルトーク・ピッツィカートに近い)と呼ばれる特殊なピッツィカートも使われる。 左手の指の使い方を運指という。 弦は弓で弾くだけでは調弦したときの音(開放弦)しか出ない。左手の指で弦を指板に押しつけることによって弦長を短くし、より高い音を出すことができる。 指は、人差し指を1、中指を2、薬指を3、小指を4という。親指は高音部にのみ使われる。記号はである。 ヴァイオリンでは1と4の間隔は7 - 8半音に達するが、コントラバスでは2半音にしかならない。開放弦の半音上に1を置くと、2がその半音上、4がさらに半音上(1の2半音上)にあたる。このような手の位置をポジションという。 各弦の音とポジションの関係は次の通りである。0は開放弦である。 五十音順に並んでいる。
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コントラバス は、オーケストラなどで最低声部を受け持つ弦楽器。クラシック音楽では主に弓を使って演奏するが、ポピュラー音楽では一般的に指を使って演奏する(ピッツィカート奏法)。 略号は「Cb」。4本または5本の弦を持つ大型の弦楽器である。短縮して単にバス、もしくはベース (Bass) と呼ぶこともある。コントラバス、ダブルベース、アップライトベース、アコースティックベース、ウッドベース、弦バス(和製英語)などの呼び方が存在する。ウッドベースは、音楽用語としての使用頻度が高い。また、フォーク・ミュージックやブルーグラス、カントリーなどではベース・フィドル、ベース・バイオリンなどの呼び方をされる場合もあった。
{{Infobox 楽器 | 楽器名 = コントラバス | その他の名称 = | 英語名 = contrabass, doublebass,<br />stringbass | ドイツ語名 = Kontrabass (Kontrabaß),<br />Bassgeige (Baßgeige) | フランス語名 = contrebasse | イタリア語名 = contrabbasso | 中国語名 = 低音提琴, 低音大提琴 | 画像 = 画像:AGK bass1 full.jpg | 画像サイズ = 160px | 分類 = [[弦楽器]] - [[ヴァイオリン属]] | 音域 = 各弦の調弦。<br />実音は1オクターブ低い[[画像:contrabasso001.png|center]] | 関連楽器 = * [[ヴァイオリン属]] * [[ヴィオラ・ダ・ガンバ属]] ** [[ヴィオローネ]]等 | 演奏者 = | 関連項目 = |}} '''コントラバス''' (英語: contrabass/double bass [ダブルべース]) は、[[オーケストラ]]などで最低[[声部]]を受け持つ[[弦楽器]]<ref>「[https://kotobank.jp/word/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%90%E3%82%B9-67481#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88 コントラバス]」『[[世界大百科事典]]』第2版、[[平凡社]]、[[コトバンク]]。2022年9月18日閲覧。</ref>。[[クラシック音楽]]では主に[[弓 (楽器)|弓]]を使って演奏するが、ポピュラー音楽では一般的に指を使って演奏する([[ピッツィカート|ピッツィカート奏法]])<ref>前川陽郁「[https://kotobank.jp/word/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%90%E3%82%B9-67481#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 コントラバス]」『[[日本大百科全書]](ニッポニカ)』[[小学館]]、コトバンク。2022年9月18日閲覧。</ref>。 略号は「Cb」。4本または5本の弦を持つ大型の弦楽器である。短縮して単にバス、もしくはベース (Bass) と呼ぶこともある。'''コントラバス'''、'''ダブルベース'''、'''アップライトベース'''<ref>http://www.g200kg.com/jp/docs/dic/acousticbass.html</ref>、'''アコースティックベース'''、'''ウッドベース'''、'''弦バス'''([[和製英語]])などの呼び方が存在する。ウッドベースは、音楽用語としての使用頻度が高い。また、フォーク・ミュージックやブルーグラス、カントリーなどではベース・フィドル、ベース・バイオリンなどの呼び方をされる場合もあった<ref>{{Cite web |url=https://www.thefreedictionary.com/bull+fiddle |title=bull fiddle | access-date=07 September 2021}}</ref>。 == 関連用語 == コントラバスとは別に、電気楽器として[[エレクトリックベース]]、電子楽器として[[シンセベース]](キーボードベース)、アコースティック楽器として[[アコースティック・ベース]]も存在する。また、[[エレクトリック・アップライト・ベース]]もある。[[ダブル・ベース・ドラム]]という楽器の用語があるが、こちらは通常のベースドラム(バスドラム)を2台使っているという意味でダブルであり、本項の意味とは異なる。 <!--<div style="float:right;padding:10px;font-size:small;font-style:oblique;text-align:center;">[[画像:Kontrabas.jpg]]</div>--> == 歴史 == 類似する低音弦楽器である[[チェロ]]が[[ヴァイオリン属]]の楽器であるのに対して、コントラバスに見られる、なで肩の形状、平らな裏板、4度調弦、弓の持ち方(ジャーマン式)といった特徴は[[ヴィオラ・ダ・ガンバ属]]に由来する。現代のコントラバスはヴァイオリン属とヴィオラ・ダ・ガンバ属の中間に位置する楽器となっており、どちらに分類するかは分類者の考え方によって異なる([[ヴィオローネ]]を参照)。 == 構造 == === 楽器 === {{Vertical_images_list | 幅 = 140px | 画像1 = Bassdiagram.jpg | 説明1 = バイオリン型のコントラバス | 画像2 = busettosolano.jpg | 説明2 = ブゼット型のコントラバス }} 共鳴胴は[[瓢箪]]型で棹が付いている。形によって「ガンバ型」「バイオリン型」「ブゼット型」などのバリエーションがある。中央のくびれは古い擦弦楽器において弓を使うのに邪魔にならないような形状にした名残で、ヴァイオリン属にもヴィオラ・ダ・ガンバ属にも共通するものである。 ヴァイオリン同様表板と裏板は独立しており、表板は湾曲している。ただし、湾曲した裏板を持つラウンドバック、平面の裏板を持つフラットバックと呼ばれる2つの構造が存在する。フラットバック裏板内側面には、ラウンドバックには無い力木(ブレイス)が接着されている。ヴァイオリンや[[ヴィオラ]]、[[チェロ]]と違いなで肩であるが、これはヴィオラ・ダ・ガンバ属のなごりであり、これによってハイポジションでの演奏が容易になっている。[[駒 (弦楽器)|駒]]は弓で特定の弦をこするのに適すよう、弦の当たる位置が湾曲しているが、形の比率は他のヴァイオリン属に比べて背が高い。尾部には[[エンドピン]]を備えており、これを床に刺して演奏する。 ヴァイオリンの構造と同じく、駒の高音弦側の脚が接触している位置で、表板の裏側に接して[[魂柱]](こんちゅう)と呼ばれる柱が立っており、表板と裏板に接している。駒の低音弦側の脚が接触している位置で、表板の裏側に接してバス・バーと呼ばれる力木(ブレイス)が接着されている。弦の振動は魂柱を支点とし、てこの原理により振動が増幅され、主にバス・バーによって表板全体を振動させる。またその一部の振動は魂柱を通して裏板に伝わり、共鳴胴全体が振動するのである。棹から駒を経て楽器の尾部の緒留めまで弦が張られ、弦を押さえるための指板が張られている。 全長は約170 - 200cm程度、弦の実効長も約95 - 120cm程度と、それぞれ全体の約2割ものばらつきがあり、この割合は他の純粋なヴァイオリン属の楽器より遥かに大きい。また、共鳴胴の容積により、3/4、1/2などの小さいサイズの楽器が、体の小さい女性や子供たち用に生産されている。また国によっても基準の大きさが異なり、ヨーロッパにおける3/4サイズが、日本における4/4(フルサイズ)に該当する。 === 弓 === ヴァイオリンの弓と同様、逆に湾曲し馬の尾の毛が張られる。毛留め(フロッグ)の箱の大きさと棹の長さによって、ジャーマン・ボウ(同系統のヴィオラ・ダ・ガンバ属での使用弓)フレンチ・ボウ(ヴァイオリン属での使用弓)との2種に大別される。毛には松脂を塗り、これで摩擦係数を高めて弦をこする。使われる松脂は他の弦楽器のものに比べて粘性の高いものを用いる奏者が多いが、音質や演奏性の好みで他の弦楽器のものを使う奏者もいる。 また、その他の弦楽器にはほとんど用いられない黒い毛が使われることもある。 == コントラバスの音 == {{Vertical_images_list | 幅 = 240px | 画像1 = contrabasso001.png | 説明1 = 譜例: 調弦<br/>実際の音は1オクターブ([[ソロチューニング]]では[[短七度|短7度]])低い。(後述) | 画像2 = Double bass C extension.jpg | 説明2 = C装置の例 }} コントラバスは、その太く低い音が特徴的である。 現在の一般的な[[調弦]]は、4弦の場合、高い方から[[中央ハ]]の[[オクターブ|1オクターブ]]と[[完全四度|完全4度]]<!--、すなわち完全11度-->下のト(G、ソ)、以下[[完全四度|完全4度]]ごとにニ(D、レ)、イ(A、ラ)、ホ(E、ミ)であり、それぞれ、第1弦=G線、第2弦=D線、第3弦=A線、第4弦=E線と呼ばれる。5弦の場合はさらに低い弦として第5弦を備えており、[[オットリーノ・レスピーギ|レスピーギ]]などの場合はロ(H、シ)または[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の場合はハ(C、ド)に調弦する。楽器の構造が完成するのが比較的遅かったこともあり、19世紀初期までは3弦(高い方からG、D、Aの四度調弦やA、D、Gの五度調弦もあった)の楽器など、弦の数や調弦がさまざまな楽器が混在していたが、現在では上記の調弦による4弦または5弦の楽器にほぼ統一されている。 なお、独奏の場合には、これよりも長2度高く調弦することがある。コントラバスのパガニーニとも呼ばれているイタリアのバス奏者、ボッテジーニが考案したこの調弦法を「[[ソロチューニング]]」と呼び、輝かしく、よく通る独奏向きな音質に変わる。やや細く作られた弦(通称「ソロ弦」)を使用することも多い。 一般に調弦はD線もしくはA線から初め、[[フラジオレット]](ハーモニクス)を用いて、隣同士の弦を合わせる。 4弦のコントラバスには一番低い弦の音をEから下にCまでの各音に切り替えられるようにする装置(C装置)<ref>{{Cite web|和書|title=C-マシン |url=http://www.yamamoto-bass.com/goods/c/C.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20010107175600/http://www.yamamoto-bass.com/goods/c/C.html |archiveservice=Internet Archive |archivedate=2001-1-7 |deadlinkdate=2017-9-9 }}</ref>を取り付けたものもある。その場合、チェロの最低音より1[[オクターブ]]低い音まで出すことができる。 == 記譜 == チェロと同様、主として[[音部記号|ヘ音記号]]を使って書かれるが、書かれた音より1[[オクターブ]]低い音が出る(1オクターブ高く書かれる)。これにより、チェロと同じ楽譜を使えば合奏時に低音に1オクターブの重なりを得ることができる。通常の4弦コントラバスの最低音はホ(E、ミ)であるが、これにC装置を取り付けたり5弦コントラバスを用いたりしてより低い音を出せるようにするのは、チェロの最低音の1オクターブ下の音を得るために他ならない。 独奏曲の楽譜には実音で表記されているものもある。また、ソロチューニングの時は同じ記譜で同じ演奏法となるように、[[音程|短7度]]低い音の出る移調楽器として書かれる。高音部はテノール記号またはヴァイオリン記号を用いる。コントラバスの独奏曲の作品には、このソロチューニングで書かれているものが多い。 なお、[[フラジオレット]]に関しては過去よりさまざまな記譜法があるので注意を要する。 例: * 通常の音符の上に、フラジオレットであることを示す記号(「○」など)を書く。 *:この場合、通常の音符と同じ移調がなされているものと見なすことがほとんど。 * 菱形の音符で、実音として書く。 * 同じく菱形の音符で、通常の音符と同じ移調をして書く。 * そのフラジオレットを出すために押さえる弦と場所だけを指示しておく。 *:例えば、D線上で開放弦の短3度上のF付近に、開放弦より2オクターブと完全5度上のAが出せる場所がある。このAを演奏させたい場合は、使う弦としてDを通常の音符で、触るべき場所(に最も近い音であるF)を菱形の音符で、同じ譜尾にまとめて和音のように書く。 *:この記譜法の場合、調号によっても触る場所が変わってくることがままあるため特に注意が必要である。例えば、上述の箇所は調の都合であらかじめシャープがついていることも多く、その場合はFシャープ付近を触ることになる。実音は上述のAより短3度低いFシャープ。 *:この記譜法は[[モーリス・ラヴェル]]などの曲に散見される。 など。 == 演奏方法 == === 楽器の構え方 === ==== 立奏 ==== 立って演奏する場合、立てた楽器の横に左半身を添わせて左足や腰の左側で楽器を支えることが多い。各弦の低音の演奏には、左手の指をポジション(後述)に置き、親指を中指にほぼ対向させて、棹を挟む。高音部では親指も弦を押さえるのに使うため弦の上に置き、左半身で楽器を抱え込むようにする。 ==== 座奏 ==== 交響曲など、長い曲を弾く時には椅子を使うことも多い。椅子は座っても立ったときと姿勢があまり変わらないような高いもの(専用として設計されているものが市販されている)を使い、立って演奏するときより楽器をいくぶん寝かせて構える奏者も多い。 === 奏法 === ==== 右手 ==== 弦を弓で奏する「アルコ奏法」、指で弾く「ピッツィカート奏法」の2種類が一般的な奏法として用いられている。また、[[惑星 (組曲)]]などで用いられる、弓の木の部分を使って弾く[[コル・レーニョ]]という奏法もある。 ===== アルコ奏法(arco) ===== 右手で弓を使って演奏する。コントラバスの歴史的背景により、弓は「ジャーマン・ボウ」と「フレンチ・ボウ」の2種類が存在する。 ジャーマン・ボウは、同属であるヴィオラ・ダ・ガンバ属で使われる弓(現在でもバロック・ボウとして購入出来る)の形を残している弓である。弓の持ち方はヴィオラ・ダ・ガンバ属特有であり、毛箱を下から包み込むようにして持つ。 フレンチ・ボウは、現代のヴァイオリンやヴィオラ、チェロの弓と同じ構造の弓である。弓の持ち方はチェロの場合と似ている。[[ジョヴァンニ・ボッテジーニ|ジョバンニ・ボッテジーニ]]が考案したとされる。 [[画像:Contrabasso_German001.JPG|thumb|left|ジャーマン・ボウ]] {{clear}} 従来、日本国内ではジャーマン・ボウでの教育が一般的であった。この原因として、[[出島|鎖国中のオランダとの関係]]や[[日独関係|戦時中のドイツとの同盟]]など、音楽を含めた西洋文化との関係性において[[ドイツ語#日本におけるドイツ語の影響|ゲルマン系の影響が強かった]]ことが考えられる。しかし、1990年代以降はフランス式の有用性を選択する人間も増え、現在では演奏者および指導者を探す点でも差異は殆ど存在しない。また、根本的に別種の歴史と有用性を持つ奏法のため、どちらも[[アップライト]]構造の楽器だがコントラバスではジャーマン、チェロではフレンチと使い分ける奏者も多く存在する。 ====== 運弓 ====== 弓の使い方を運弓という。 弓は右手で持ち、弦を弦の張ってある方向に対して垂直方向にこするのが基本である。楽器を構えたとき、弦はほぼ鉛直方向に張ってあるので弓は水平方向に、すなわち奏者から見て左右に動かすことになるが、他のヴァイオリン属楽器と同様、右に引くのを下げ弓(ダウン・ボウ:記号[[画像:Downbow001.png]])、左に押すのを上げ弓(アップ・ボウ:記号[[画像:Upbow001.png]])と呼ぶ。てこの原理により、弓の元(手に近い方)で弾く方が力をかけやすいため、ダウン・ボウの方が大きな音が出しやすく、強拍に向いている。また、アップ・ボウは弱拍や[[クレッシェンド]]に向いている。 弓を当てる位置は、基本的には指板の下端と駒の間である。指板寄りでは柔らかい音が、駒寄りでは固くて大きい音が出るので場合によって使い分ける。 ===== ピッツィカート奏法(pizzicato, pizz.) ===== 弦を指ではじく奏法([[ピッツィカート]])である。ポピュラー音楽ではこちらが一般的である。また、ジャズ、ロカビリー、カントリー、ブルーグラス、[[ジャグ・バンド|ジャグバンドミュージック]]では[[スラップ奏法]]([[クラシック音楽|クラシック]]における[[バルトーク・ピッツィカート]]に近い)と呼ばれる特殊なピッツィカートも使われる。 ==== 左手 ==== ===== 運指 ===== 左手の指の使い方を[[運指]]という。 弦は弓で弾くだけでは調弦したときの音([[開放弦]])しか出ない。左手の指で弦を指板に押しつけることによって弦長を短くし、より高い音を出すことができる。 指は、人差し指を'''1'''、中指を'''2'''、薬指を'''3'''、小指を'''4'''という。親指は高音部にのみ使われる。記号は[[画像:親指で押さえる001.png|oの上部に垂直線が刺さった形]]である。 ヴァイオリンでは'''1'''と'''4'''の間隔は7 - 8[[半音]]に達するが、コントラバスでは2半音にしかならない。開放弦の半音上に'''1'''を置くと、'''2'''がその半音上、'''4'''がさらに半音上('''1'''の2半音上)にあたる。このような手の位置をポジションという。 各弦の音とポジションの関係は次の通りである。0は開放弦である。 {| class="wikitable" style="margin: 0 auto" |- style="text-align:center;" ! I弦 || G || G# || A || Bb || B || C || C# || D || D# || E || F || F# || G || G# || A || Bb || B || C || C# || D |- style="text-align:center;" ! II弦 || D || D# || E || F || F# || G || G# || A || Bb || B || C || C# || D || D# || E || F || F# || G || G# || A |- style="text-align:center;" ! III弦 || A || Bb || B || C || C# || D || D# || E || F || F# || G || G# || A || Bb || B || C || C# || D || D# || E |- style="text-align:center;" ! IV弦 || E || F || F# || G || G# || A || Bb || B || C || C# || D || D# || E || F || F# || G || G# || A || Bb || B |- style="text-align:center;" | rowspan="14" | <br/> | 0 || 1 || 2 || 4 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> |- style="text-align:center;" | 0 || <br/> || 1 || 2 || 4 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> |- style="text-align:center;" | 0 || <br/> || <br/> || 1 || 2 || 4 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> |- style="text-align:center;" | 0 || <br/> || <br/> || <br/> || 1 || 2 || 4 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> |- style="text-align:center;" | 0 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || 1 || 2 || 4 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> |- style="text-align:center;" | 0 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || 1 || 2 || 4 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> |- style="text-align:center;" | 0 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || 1 || 2 || 4 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> |- style="text-align:center;" | 0 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || 1 || 2 || 4 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> |- style="text-align:center;" | 0 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || 1 || 2 || 4 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> |- style="text-align:center;" | 0 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || 1 || 2 || 3 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> |- style="text-align:center;" | 0 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || 1 || 2 || 3 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> |- style="text-align:center;" | 0 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || 1 || 2 || 3 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> |- style="text-align:center;" | 0 || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || <br/> || [[画像:親指で押さえる001.png|親指]] | colspan="2" | 1 | colspan="2" | 2 | colspan="3" | 3 |- style="text-align:center;" | colspan="20" | ''(以下略)'' |} == 教則本 == * [[フランツ・シマンドル|シマンドル]]、『新コントラバス教本』 第1巻/第2巻、カール・フィッシャー社 * シマンドル、『30の練習曲』 、カール・フィッシャー社 * [[ルートヴィヒ・シュトライヒャー]]、『コントラバス奏法』(上・下) 長谷川悟 訳、[[音楽之友社]] ISBN 4-27647-781-6 / ISBN 4-27647-782-4 == 主なコントラバス奏者 == 五十音順に並んでいる。 === クラシック音楽 === {{Main|クラシック音楽の演奏家一覧#コントラバス奏者}} ==== 世界 ==== * [[ギャヴィン・ブライアーズ]]<ref group="注">前衛音楽も発表するベーシスト。</ref> * [[ゲーリー・カー]] * [[セルゲイ・クーセヴィツキー]] * [[ルートヴィヒ・シュトライヒャー]] * [[ヨハン・マティアス・シュペルガー]] * [[ドメニコ・ドラゴネッティ]] * [[ジョヴァンニ・ボッテジーニ]] * [[ジュリアス・レヴァイン]] * [[ジェイ・レオンハート]] ==== 日本 ==== * [[池松宏]] * [[稲木良光]] * [[河原泰則]] * [[北崎千代佳]] * [[黒木岩寿]] * [[永島義男]] * [[松野茂]] * [[蓑輪裕之]] * [[森武大和]] * [[山本修 (コントラバス奏者)|山本修]] === ポピュラー音楽 === ==== 世界 ==== * [[ロン・カーター]]<ref group="注">クラシックのオーケストラに入団を希望したが、黒人であるという理由で拒否された。</ref> * [[レイ・ブラウン]]<ref>{{Cite web|url=http://news.npr.org/programs/jazzprofiles/archive/brown_ray.html|title=Ray Brown Jazz Profile |publisher=NPR| access-date=07 September 2021}}</ref> * [[カーリー・ラッセル]] == その他のベース楽器奏者 == * [[ブーツィ・コリンズ]] * [[ラリー・グレアム]] {{See|ベーシスト}} == 主なコントラバス楽曲 == {{See also|コントラバス協奏曲}} * [[ヨハン・バプティスト・ヴァンハル]] - コントラバス協奏曲ニ長調 * [[カール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフ]] - コントラバスと管弦楽の協奏曲 ホ長調 * カール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフ - ヴィオラ・コントラバスと管弦楽の協奏曲 ニ長調 * [[セルゲイ・クーセヴィツキー]] - コントラバス協奏曲嬰ヘ短調 op.3 * [[パウル・ヒンデミット|ヒンデミット]] - コントラバス・ソナタ * [[ニコス・スカルコッタス]] - コントラバス協奏曲 * [[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]] - 「[[動物の謝肉祭]]」より「象」 * [[アストル・ピアソラ]] - 「キテョ」 * [[ジョヴァンニ・ボッテジーニ]] - コントラバス協奏曲ロ短調、エレジー * [[アルフレッド・デザンクロ]] - コントラバスとピアノのための「アリアとロンド」 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|Double basses}} {{Wiktionary|コントラバス}} * [[ベース (弦楽器)]] * [[エレクトリックベース]] * [[エレクトリック・アップライト・ベース]] * [[シンセベース]] * [[ヴァイオリン属]] * [[ヴィオラ・ダ・ガンバ属]] * [[コントラバス協奏曲]] * [[オクトバス]] {{オーケストラの楽器}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT: こんとらはす}} [[Category:弦楽器]] [[Category:コントラバス|*]]
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ロックンロール
ロックンロール(Rock and Roll, Rock ’n’ Roll)は、1950年代半ばに現れたアメリカの大衆音楽スタイルの呼称である。語源については、古くからアメリカ英語の黒人スラングで「揺れて転がる」すなわち「性交」及び「交合」の意味もあり、1950年代はじめには「バカ騒ぎ」や「ダンス」という意味もあった。これを一般的に広め定着させたのは、DJのアラン・フリードであった。 1960年代半ば以降には「ロック」という呼び方が一般化し、「ロックンロール」と呼ぶことは少なくなった。一方で、「ロックンロール」と「ロック」は別の物として使われることがある。1960年代半ばには、ロックンロールが進化して抽象的、芸術的なものも生まれ、新たなサウンドが登場し、それらの総称として「ロック」という言葉が使われるようになった。 ロックンロールは、アメリカの白人のカントリー・ミュージックと黒人のブルース、黒人霊歌を結合したものとも、リズム・アンド・ブルースを白人化したものとも言われている。ロックンロール第1号がどの曲かということは、しばしば議論の対象となってきた。一般的にはビル・ヘイリーとヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(1954年)やエルヴィス・プレスリーの「ザッツ・オールライト」などが有力候補だが、ジャッキー・ブレンストン&ヒズ・デルタ・キャッツの「ロケット88」(1951年)が最初の曲だとする意見も存在する。 ロックンロールの楽器編成は、エレクトリックギター、サックス、エレクトリックベース、ドラムスという構成が代表的である。ジェリー・リー・ルイスらのようにピアノを主体にする例、プレスリーやエディ・コクランがときおり見せたようなエレクトリックギターの代わりにアコースティック・ギターを使う例、ロカビリーの一部のように、エレクトリックベースの代わりにアコースティック・ベース(ウッド・ベース、アップライト・ベース)を使う例など多彩である。 尚、主に白人ミュージシャンによるロックンロールの中で、特にカントリー・アンド・ウェスタンの要素が強くビートを強調したものをロカビリーと呼ぶ。 ロックンロールは、元々はリトル・リチャード、チャック・ベリー、ファッツ・ドミノらと、エルヴィス・プレスリー、ビル・ヘイリーらのロカビリーなどの音楽を指した。ロックンロールがいつ頃から始まったかについては諸説がある。一説として「ロックンロール」という語は1951年前後にディスクジョッキーのアラン・フリードが「マイ・ベイビー・ロックス・ミー・ウィズ・ワン・ステディ・ロール」(トリクシー・スミス)という曲の歌詞から思いつき、「ムーンドッグロックンロール・パーティ」というラジオ番組をはじめた、というものもある。 エルヴィス・プレスリーなど、カントリーをルーツに持つ南部・中西部の白人が中心だったロカビリーは白人労働者のファンが多く、チャック・ベリーに代表されるロックンロールのファンにはティーンエイジャーが多かった。 その後、白人であるビル・ヘイリー、エルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイスらの成功によってロックンロールは「白人の音楽」と見られるようになった。腰を振り、挑発的にパフォーマンスするエルヴィスの登場は保守的な50年代には衝撃的であり、ジョン・レノンは「エルヴィス以前には何もなかった」と証言している。 初期のロックンロールの楽曲はオーティス・ブラックウェルらのプロの作曲家か、ブルース、カントリー、R&Bのカヴァー、シンガー自身による自作自演などだった。 音楽出版社の多くは、ブロードウェイのブリル・ビルディングという建物に入居していた為、その“ブリル・ビルディング・サウンド”と呼ばれることもあった。ブリル・ビルディング・サウンドはポップスの歌手・作曲家分業システムであり、ロックンロールの歴史で重要なチームは、「ハウンドドッグ」「カンサスシティ」「ヤケティ・ヤック」「ラヴ・ポーションNO.9」を作曲したジェリー・リーバーとマイク・ストーラーぐらいだった。 一般的には、1950年代半ばに発表された、ビル・ヘイリーの『ロック・アラウンド・ザ・クロック』、エルヴィス・プレスリーの『ハートブレイク・ホテル』などが、ロックンロールの初期の例として挙げられることが多い。 通常、白人のロカビリーに、黒人のロックンロールを加えたジャンル全体をロックンロールとしており、チャック・ベリーの『ロール・オーヴァー・ベートーヴェン』や『ジョニー・B.グッド』などが含まれる。 1950年代末から早くも、黒人音楽をルーツに持つロックンロールがラジオ、テレビで演奏される事を嫌悪した白人の日曜説教師や保守派政治家の講演会、新興宗教的キリスト教のビル・グレアムによるロックンロール批判が巻き起こった。同時にエルヴィス・プレスリーとトム・パーカー大佐の関係に見られるような「ロックンロールの商業化」とあわせ、主要ミュージシャンが徴兵・事故死・服役などで次々とシーンを去ったことから、ロックンロールは次第にその勢いを失っていった。以下はこの時期に起きた出来事である。 ペイオラ・スキャンダルで大物DJが大量にマイクの前から消える中、駆出しのDJとして関与していたディック・クラークらは当局やレコード会社との取引によって追放を免れ、これを機に大人からも容認される比較的健全な曲を掛ける方向に転向した。日本でロックンロールと勘違いされることが多いポール・アンカ、ニール・セダカ、デル・シャノンや、ジーン・ピットニー、ボビー・ヴィーらも含め、毒気の少ない歌手の音楽、白人・黒人のガール・グループ等、毒気が抜かれた音楽が紹介され、ブリティッシュ・インヴェイジョンまで、一時的な停滞があったとする見方もある。 一方イギリスでは、これらのロックンロールやブルース、R&Bに影響を受けたミュージシャンが登場し始め、ロックンロール/ロックの主要な舞台はイギリスに移り、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクス、アニマルズなどに受け継がれていくこととなる。
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ロックンロールは、1950年代半ばに現れたアメリカの大衆音楽スタイルの呼称である。語源については、古くからアメリカ英語の黒人スラングで「揺れて転がる」すなわち「性交」及び「交合」の意味もあり、1950年代はじめには「バカ騒ぎ」や「ダンス」という意味もあった。これを一般的に広め定着させたのは、DJのアラン・フリードであった。 1960年代半ば以降には「ロック」という呼び方が一般化し、「ロックンロール」と呼ぶことは少なくなった。一方で、「ロックンロール」と「ロック」は別の物として使われることがある。1960年代半ばには、ロックンロールが進化して抽象的、芸術的なものも生まれ、新たなサウンドが登場し、それらの総称として「ロック」という言葉が使われるようになった。
{{Otheruses}} {{Infobox music genre |name=ロックンロール |bgcolor=crimson |color=white |stylistic_origins= [[R&B]]、[[ブルース]]、[[カントリー・ミュージック]] |cultural_origins= 1950年代半ば<br />{{USA}} |instruments= [[エレクトリック・ギター]]、ウッドベース、[[ベース (弦楽器)|ベース]]、[[ドラムセット|ドラム]]、キーボード、[[ピアノ]]など |popularity= 1950年代後半~1960年代前半 |regional_scenes= |fusiongenres= ロック |other_topics= 本文参照 }} '''ロックンロール'''({{en|Rock and Roll}}, {{en|Rock ’n’ Roll}})は、[[1950年代]]半ばに現れた[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の大衆音楽スタイルの呼称である。[[語源]]については、古くから[[アメリカ英語]]の黒人[[スラング]]で「揺れて転がる」すなわち「[[性交]]」及び「交合」の意味もあり<ref>Jeffrey Peter Hart''"When the Going Was Good: American Life in the Fifties"''p.130, Crown Publishers, Incorporated, 1982.</ref><ref>Francesco Bonami, Raf Simons, Maria Luisa Frisa ''"The fourth sex: adolescent extremes"''p.434, Charta, 2003.</ref><ref>『キャロル・キング自伝』p.61</ref>、1950年代はじめには「バカ騒ぎ」や「ダンス」という意味もあった<ref>北中,1985,p.13.</ref>。これを一般的に広め定着させたのは、[[ディスクジョッキー|DJ]]の[[アラン・フリード]]であった<ref>北中,1985,p.47f.</ref>。 [[1960年代]]半ば以降には「[[ロック (音楽)|ロック]]」という呼び方が一般化し、「ロックンロール」と呼ぶことは少なくなった<ref name="K113-115">北中,1985,pp.113-115.</ref>。一方で、「ロックンロール」と「ロック」は別の物として使われることがある。1960年代半ばには、ロックンロールが進化して抽象的、芸術的なものも生まれ、新たなサウンドが登場し、それらの総称として「ロック」という言葉が使われるようになった<ref name="K113-115" />。 == 概要 == ロックンロールは、アメリカの[[白人]]の[[カントリー・ミュージック]]と黒人の[[ブルース]]、[[黒人霊歌]]を結合したものとも、[[リズム・アンド・ブルース]]を白人化したものとも言われている<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB-153061] - コトバンク(百科事典マイペディア)</ref>。ロックンロール第1号がどの曲かということは、しばしば議論の対象となってきた。一般的には[[ビル・ヘイリー|ビル・ヘイリーとヒズ・コメッツ]]の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(1954年)や[[エルヴィス・プレスリー]]の「ザッツ・オールライト」などが有力候補だが、[[ジャッキー・ブレンストン|ジャッキー・ブレンストン&ヒズ・デルタ・キャッツ]]の「ロケット88」(1951年)が最初の曲だとする意見も存在する。 ロックンロールの楽器編成は、[[エレクトリックギター]]、[[サクソフォーン|サックス]]、[[エレクトリックベース]]、[[ドラムセット|ドラムス]]という構成が代表的である。[[ジェリー・リー・ルイス]]らのように[[ピアノ]]を主体にする例<ref name=Evans2002>S. Evans, "The development of the Blues" in A. F. Moore, ed., ''[[Cambridge Companions to Music|The Cambridge companion to blues and gospel music]]'' (Cambridge: Cambridge University Press, 2002), pp. 40–42.</ref>、プレスリーや[[エディ・コクラン]]がときおり見せたようなエレクトリックギターの代わりに[[アコースティック・ギター]]を使う例<ref>http://www.gretschguitars.com/features/eddie-cochran</ref>、ロカビリーの一部のように、エレクトリックベースの代わりに[[アコースティック・ベース]](ウッド・ベース、アップライト・ベース)を使う例など多彩である。 尚、主に白人ミュージシャンによるロックンロールの中で、特にカントリー・アンド・ウェスタンの要素が強くビートを強調したものを[[ロカビリー]]と呼ぶ<ref>{{cite web|url=http://www.shsu.edu/~lis_fwh/book/classic_rock_n_roll/Rockabilly2.htm|title=ROCKABILLY Definition|website=Shsu.edu|accessdate=19 June 2018}}</ref><ref name="britannica.com">{{cite web|author=Craig Morrison |url=http://www.britannica.com/EBchecked/topic/506220/rockabilly |title=rockabilly (music) - Encyclopædia Britannica |publisher=Britannica.com |date=2013-11-21 |accessdate=2018-06-19}}</ref>。 == 詳細・起源 == {{main|ロックンロールの起源}} ロックンロールは、元々は[[リトル・リチャード]]、[[チャック・ベリー]]、<!--英語版にも、北中1985にも登場しないので、一旦コメントアウト:[[オーティス・ブラックウェル]]、-->[[ファッツ・ドミノ]]らと、エルヴィス・プレスリー、ビル・ヘイリーらのロカビリーなどの音楽を指した。ロックンロールがいつ頃から始まったかについては諸説がある。一説として「ロックンロール」という語は1951年前後にディスクジョッキーのアラン・フリードが「マイ・ベイビー・ロックス・ミー・ウィズ・ワン・ステディ・ロール」([[トリクシー・スミス]])という曲の歌詞から思いつき、「ムーンドッグロックンロール・パーティ」というラジオ番組をはじめた、というものもある<ref>『ロックの歴史』、中山康樹、講談社、2014年6月(P5)。</ref><ref group="注釈">ただしここでの「ロックンロール」は「ロック」の起源となるような音楽ではない。</ref>。 エルヴィス・プレスリーなど、カントリーをルーツに持つ南部・中西部の白人が中心だったロカビリーは白人労働者のファンが多く、チャック・ベリーに代表されるロックンロールのファンにはティーンエイジャーが多かった<ref>http://www.plosin.com/beatbegins/projects/gallant-gardner.html</ref>。 その後、白人である[[ビル・ヘイリー]]、[[エルヴィス・プレスリー]]、[[ジェリー・リー・ルイス]]らの成功によってロックンロールは「白人の音楽」と見られるようになった。腰を振り、挑発的にパフォーマンスするエルヴィスの登場は[[保守的]]な50年代には衝撃的であり、[[ジョン・レノン]]は「エルヴィス以前には何もなかった」と証言している。 初期のロックンロールの楽曲はオーティス・ブラックウェルらのプロの作曲家か、[[ブルース]]、[[カントリー・ミュージック|カントリー]]、[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]のカヴァー、シンガー自身による[[自作自演]]などだった。 音楽出版社の多くは、[[ブロードウェイ]]のブリル・ビルディングという建物に入居していた為、その“ブリル・ビルディング・サウンド”と呼ばれることもあった。ブリル・ビルディング・サウンドはポップスの歌手・作曲家分業システムであり、ロックンロールの歴史で重要なチームは、「ハウンドドッグ」「カンサスシティ」「ヤケティ・ヤック」「ラヴ・ポーションNO.9」を作曲した[[ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー]]ぐらいだった<ref>http://www.goodreads.com/book/show/6022920-hound-dog</ref>。 一般的には、[[1950年代]]半ばに発表された、[[ビル・ヘイリー]]の『[[ロック・アラウンド・ザ・クロック]]』、エルヴィス・プレスリーの『[[ハートブレイク・ホテル]]』などが、ロックンロールの初期の例として挙げられることが多い<ref>北中,1985,pp.9-32.</ref>。 通常、白人のロカビリーに、黒人のロックンロールを加えたジャンル全体をロックンロールとしており、[[チャック・ベリー]]の『[[ロール・オーバー・ベートーヴェン|ロール・オーヴァー・ベートーヴェン]]』や『[[ジョニー・B.グッド]]』などが含まれる<ref group="注釈">チャック・ベリーの曲には他にも「[[スウィート・リトル・シックスティーン]]」などがある。</ref>。 == ロックンロールからロックへ == 1950年代末から早くも、[[黒人音楽]]をルーツに持つロックンロールがラジオ、テレビで演奏される事を嫌悪した白人の日曜説教師や保守派政治家の講演会、新興宗教的キリスト教のビル・グレアムによるロックンロール批判が巻き起こった<ref>http://www.hup.harvard.edu/catalog.php?isbn=9780674980846</ref>。同時にエルヴィス・プレスリーと[[トム・パーカー (マネージャー)|トム・パーカー大佐]]の関係に見られるような「ロックンロールの商業化」とあわせ、主要ミュージシャンが徴兵・事故死・服役などで次々とシーンを去ったことから、ロックンロールは次第にその勢いを失っていった。以下はこの時期に起きた出来事である。 *'''1957年末''' - [[オーストラリア]]での公演に向かっていた[[リトル・リチャード]]は、移動中の太平洋上で、乗っていた飛行機のエンジンが火を噴くのを窓から目撃し、願いがかなったら神職につくと、搭乗機の無事を祈った。無事シドニーに到着したリチャードは突如引退し、神学校に入学して[[牧師]]となった<ref name="K64">北中,1985,p.64.</ref>(後に復帰)。 *'''1958年3月''' - [[エルヴィス・プレスリー]]が陸軍に入隊する<ref name="K62">北中,1985,p.62.</ref>(1960年3月満期除隊)。 *'''1958年5月''' - イギリスツアーを予定していた[[ジェリー・リー・ルイス]]の妻が13歳だった事が現地で問題化してツアーはキャンセル、当時の米国では合法であったものの、問題を掘り起こすうちに前妻との離婚が未成立だった事が発覚し重婚罪として本国でも問題化、一時追放<ref name="K62" />(後に復帰)。 *'''1958年末''' - それまで合法的な慣例とされていた「宣伝料を支払って放送してもらう」[[ペイオラ]]が、突如不道徳・反倫理的として糾弾され翌年には非合法化、遡及的に[[アラン・フリード]]ら人気DJが追放された。 *'''1959年2月''' - [[バディ・ホリー]]、[[リッチー・ヴァレンス]]、ビッグ・ボッパーが飛行機墜落事故で死亡([[音楽が死んだ日]])<ref>北中,1985,p.62f.</ref>。 *'''1959年12月''' - 14歳の少女を不法に州境を越えて連れ回した疑いで[[チャック・ベリー]]が逮捕される([[1962年]]から2年間服役)<ref name="K64">北中,1985,p.64.</ref>。 *'''1960年4月''' - イギリスツアー中だった[[エディ・コクラン]]が移動中の自動車事故で死亡、同乗の[[ジーン・ヴィンセント]]も重傷を負い後遺症が残る<ref name="K64" />。 [[ペイオラ・スキャンダル]]で大物DJが大量にマイクの前から消える中、駆出しのDJとして関与していた[[ディック・クラーク]]らは当局やレコード会社との取引によって追放を免れ、これを機に大人からも容認される比較的健全な曲を掛ける方向に転向した<ref>北中,1985,p.64f.</ref>。日本でロックンロールと勘違いされることが多い[[ポール・アンカ]]、[[ニール・セダカ]]、[[デル・シャノン]]や、[[ジーン・ピットニー]]、[[ボビー・ヴィー]]らも含め、毒気の少ない歌手の音楽、白人・黒人のガール・グループ等、毒気が抜かれた音楽が紹介され、[[ブリティッシュ・インヴェイジョン]]まで、一時的な停滞があったとする見方もある。 一方[[イギリス]]では、これらのロックンロールや[[ブルース]]、[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]に影響を受けたミュージシャンが登場し始め<ref name=Harry>[http://www.triumphpc.com/mersey-beat/about/founders-story2.shtml Mersey Beat – the founders' story].</ref><ref name=Allmusic700>V. Bogdanov, C. Woodstra, S. T. Erlewine, eds, ''All Music Guide to the Blues: The Definitive Guide to the Blues'' (Backbeat, 3rd edn., 2003), p. 700.</ref>、ロックンロール/ロックの主要な舞台はイギリスに移り、[[ビートルズ]]、[[ローリング・ストーンズ]]、[[ザ・フー]]、[[キンクス]]、[[アニマルズ]]などに受け継がれていくこととなる<ref name=AllMusicBI>{{Allmusic|class=explore|id=style/d379|label=British Invasion|accessdate=June 19, 2018}}</ref><ref name=Britannica>{{cite web|author=Ira A. Robbins |url=http://www.britannica.com/EBchecked/topic/80244/British-Invasion |title=British Invasion (music)|publisher=Britannica.com |date=February 7, 1964 |accessdate=June 19, 2018}}</ref><ref> {{cite encyclopedia | last = Unterberger | first = Richie | authorlink = Richie Unterberger | editor-last = Erlewine | editor-first = Michael | editor-link = Michael Erlewine | encyclopedia = [[All Music Guide to the Blues: The Definitive Guide to the Blues|All Music Guide to the Blues]] | section = Blues rock | year = 1996 | location = San Francisco | publisher = [[Miller Freeman, Inc.|Miller Freeman Books]] | isbn = 0-87930-424-3 | page = 378 }}</ref>。 == 主なアーティスト == * [[チャック・ベリー]] * [[リトル・リチャード]] * [[エルヴィス・プレスリー]] * [[ジェリー・リー・ルイス]] * [[ビル・ヘイリー]] * [[ロイ・オービソン]] * [[ボ・ディドリー]] * [[ファッツ・ドミノ]] * [[バディ・ホリー]] * [[ジーン・ヴィンセント]] * [[エディ・コクラン]] * [[カール・パーキンス]] * [[ボビー・ヴィー]] * [[オーティス・ブラックウェル]] * [[リッチー・バレンス]] * [[フランキー・フォード]] * [[ソニー・バージェス]] * [[ダニー&ザ・ジュニアーズ]] * [[ジョーイ・ディー&ザ・スターライターズ]] * [[フレディ・キャノン]] ==脚注/出典== {{脚注ヘルプ}} ===注釈=== {{Reflist|group="注釈"}} ===出典=== {{Reflist}} ==参考文献== * [[北中正和]]『ロック』、[[講談社現代新書]]、1985年 ISBN 4-06-145776-4 == 関連項目 == * [[ロックンロールの起源]] * [[オールディーズ]] * [[音楽が死んだ日]] - 1959年2月3日、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、J.P."ビッグ・ボッパー" リチャードソンの三人のロックンローラーが死んだ航空機事故の日を指す。 {{音楽}} {{カントリー・ミュージック}} {{ロック・ミュージック}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ろつくんろおる}} [[Category:ポピュラー音楽]] [[Category:音楽のムーブメント]] [[Category:音楽のジャンル]] [[Category:ロックのジャンル]] [[Category:ダンス・ミュージック]]
2003-02-12T15:29:08Z
2023-11-27T07:42:07Z
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あさりよしとお
あさり よしとお(本名:浅利 義遠、1962年11月20日 - )は、日本の漫画家。北海道空知郡上砂川町出身。代表作に『宇宙家族カールビンソン』、『ワッハマン』、『まんがサイエンス』など。 柔らかく太い温かみのある描線で、毒のある笑いとSFを基本とした世界を描く。美少女や、シンプルだが味わい深いメカを描くことを得意とする。おたくブーム時期にデビューし、人気を集めた。その後作風の幅を広げていく。現在は青い鳥文庫fシリーズの挿し絵も手掛けている。 アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の制作には、第三使徒サキエル等のデザインで参加しており、漫画以外の分野でも高いデザインセンスを発揮している。 北海道空知郡上砂川町生まれ。少年時代の多くを美唄市で過ごし、小学四年生までは円形校舎で有名な美唄市立沼東小学校に通っていた。本格的に漫画を描き始めたのは高校入学後。北海道滝川高等学校卒業後、東京国税局大蔵事務官を経て漫画家となる。 1981年、浅利義遠名義の「木星ピケットライン」(『週刊少年サンデー』)でデビュー。その後『レモンピープル』(あまとりあ社)、『宇宙船』(ホビージャパン)等の各誌に数篇の短編を発表したのち、1984年『プチアップルパイ』(徳間書店)で「元祖宇宙家族カールビンソン」、翌年に『月刊少年キャプテン』(徳間書店)で「宇宙家族カールビンソン」の連載を開始した。 スキンヘッドに髭という風貌をしている。 宇宙作家クラブの会員で、無類のロケット好き。作家の笹本祐一らと共に『宇宙へのパスポート ロケット打ち上げ取材日記1999-2001』に参加している。ロフトプラスワンのイベント「ロケットまつり」にも出演。 自作「なつのロケット」を元にした名前「なつのロケット団」で、超小型衛星打ち上げ用の小型液体燃料ロケットを開発(のちに「SNS株式会社」に)。『宇宙へ行きたくて液体燃料ロケットをDIYしてみた~実録なつのロケット団』で、第45回星雲賞(ノンフィクション部門)、2014年度科学ジャーナリスト賞を受賞した。 映画やアニメ、ファミコンソフトの評論家としても活躍。小説の挿絵に藤井青銅の『死人にシナチク』や、富永浩史『俺の足には鰓がある』がある。 『新世紀エヴァンゲリオン』では制作側として関わるほか、SF雑誌編集者にしてトレッキーでもある岸川靖と組んで「EVANGELION補完委員会」なるものを立ち上げ、パロディー4コマ漫画集を上梓するといった1ファン的な付き合いもしていた。ただし、本人はエヴァンゲリオンのラストに対し、「作品ではない」と批判的な意見を述べている。 1988年2月号から『アニメージュ』(徳間書店)誌上のOVAクロスレビューの審査に参加、1950 - 1960年代の映画黄金期の名作を基準とし、辛口なコメントを披露している。 短編集は5冊が刊行されている。『中空知防衛軍』にも短編3作品があるので、併せて記載する。
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あさり よしとおは、日本の漫画家。北海道空知郡上砂川町出身。代表作に『宇宙家族カールビンソン』、『ワッハマン』、『まんがサイエンス』など。 柔らかく太い温かみのある描線で、毒のある笑いとSFを基本とした世界を描く。美少女や、シンプルだが味わい深いメカを描くことを得意とする。おたくブーム時期にデビューし、人気を集めた。その後作風の幅を広げていく。現在は青い鳥文庫fシリーズの挿し絵も手掛けている。 アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の制作には、第三使徒サキエル等のデザインで参加しており、漫画以外の分野でも高いデザインセンスを発揮している。
{{別人|浅利義遠|x1=武将の}} {{存命人物の出典明記|date=2012年1月}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = あさり よしとお | 画像 = <!-- 画像ファイル名 --> | 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px --> | 脚注 = <!-- 画像の説明文 --> | 本名 = 浅利 義遠 | 生年 = {{生年月日と年齢|1962|11|20}} | 生地 = {{JPN}}・[[北海道]][[空知郡]][[上砂川町]] | 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|1962|11|20|YYYY|YY|YY}} --> | 没地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 --> | 国籍 = {{JPN}} | 職業 = [[漫画家]] | 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 --> | 活動期間 = [[1981年]] - | ジャンル = [[青年漫画]]<br />[[SF漫画]]<br />[[学習漫画]] | 代表作 = 『[[宇宙家族カールビンソン]]』<br />『[[ワッハマン]]』<br />『[[まんがサイエンス]]』など | 受賞 = <!-- 出版社の賞など --> | サイン = <!-- 画像ファイル名 --> | 公式サイト = <!-- {{Official website|https://www.example.org}}や[https://www.example.org/ 公式ページ名] など --> }} '''あさり よしとお'''(本名:浅利 義遠<ref name="mangaseek">まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、ISBN 4-8169-1760-8、15頁</ref>、[[1962年]][[11月20日]]<ref name="mangaseek" /> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[北海道]][[空知郡]][[上砂川町]]出身<ref name="mangaseek" />。代表作に『[[宇宙家族カールビンソン]]』、『[[ワッハマン]]』、『[[まんがサイエンス]]』など。 柔らかく太い温かみのある描線で、毒のある笑いと[[サイエンス・フィクション|SF]]を基本とした世界を描く。美少女や、シンプルだが味わい深いメカを描くことを得意とする。[[おたく]]ブーム時期にデビューし、人気を集めた。その後作風の幅を広げていく。現在は[[青い鳥文庫]]fシリーズの挿し絵も手掛けている。 アニメ『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』の制作には、第三[[使徒 (新世紀エヴァンゲリオン)|使徒]]サキエル等のデザインで参加しており、漫画以外の分野でも高いデザインセンスを発揮している。 == プロフィール == [[北海道]][[空知郡]][[上砂川町]]生まれ<ref name="mangaseek" />。少年時代の多くを[[美唄市]]で過ごし、小学四年生までは円形校舎で有名な[[美唄市立沼東小学校]]に通っていた<ref>[https://twitter.com/hologon15/status/1381011689961742338 2021年4月12日のツイート]</ref>。本格的に漫画を描き始めたのは高校入学後。[[北海道滝川高等学校]]卒業後、[[東京国税局]]大蔵事務官を経て漫画家となる<ref name="mangaseek" />。 [[1981年]]、'''浅利義遠'''名義の「[[木星ピケットライン]]」(『[[週刊少年サンデー]]』)でデビュー<ref name="mangaseek" />。その後『[[レモンピープル]]』([[久保書店|あまとりあ社]])、『[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]』([[ホビージャパン]])等の各誌に数篇の短編を発表したのち、[[1984年]]『[[プチアップルパイ]]』([[徳間書店]])で「元祖宇宙家族カールビンソン」、翌年に『[[月刊少年キャプテン]]』(徳間書店)で「[[宇宙家族カールビンソン]]」の連載を開始した。 スキンヘッドに髭という風貌をしている。 [[宇宙作家クラブ]]の会員で、無類のロケット好き。作家の[[笹本祐一]]らと共に『[[宇宙へのパスポート]] ロケット打ち上げ取材日記1999-2001』<ref>{{マンガ図書館Z作品|45381|宇宙へのパスポート}}(外部リンク)</ref>に参加している。[[新宿ロフトプラスワン|ロフトプラスワン]]のイベント「ロケットまつり」にも出演。 自作「なつのロケット」を元にした名前「なつのロケット団」で、超小型衛星打ち上げ用の小型液体燃料ロケットを開発(のちに「[[インターステラテクノロジズ|SNS株式会社]]」に)。『宇宙へ行きたくて液体燃料ロケットをDIYしてみた~実録なつのロケット団』で、第45回[[星雲賞]](ノンフィクション部門)、2014年度[[科学ジャーナリスト賞]]を受賞した。 [[映画]]や[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]、[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]ソフトの評論家としても活躍。小説の挿絵に[[藤井青銅]]の『死人にシナチク』や、[[富永浩史]]『俺の足には鰓がある』がある。 『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』では制作側として関わるほか、SF雑誌編集者にして[[トレッキー]]でもある[[岸川靖]]と組んで「EVANGELION補完委員会」なるものを立ち上げ、パロディー4コマ漫画集を上梓するといった1ファン的な付き合いもしていた。ただし、本人はエヴァンゲリオンのラストに対し、「作品ではない」と批判的な意見を述べている<ref>『アニメージュ』、1996年6月号</ref>。 [[1988年]]2月号から『[[アニメージュ]]』(徳間書店)誌上の[[OVA]]クロスレビューの審査に参加、[[1950年代|1950]] - [[1960年代]]の映画黄金期の名作を基準とし、辛口なコメントを披露している。 == 作品リスト == === 長編・連載 === ==== 連載中 ==== * [[まんがサイエンス]](『[[大人の科学#大人の科学マガジン|大人の科学マガジン]]』、[[学研ホールディングス|学研教育出版]]) * [[なつのロケット|進め!なつのロケット団]](『[[楽園 Le Paradis]]』Web増刊<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/34985|title=「楽園」Web増刊にあさりよしとお「なつのロケット」新作も|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2010-07-20|accessdate=2021-11-30}}</ref>、[[白泉社]]) * 超音速の魔女(『楽園』、白泉社) ==== 連載終了 ==== * [[それ行け宇宙パトロール]](『[[S-Fマガジン]]』、[[早川書房]]、1ページ漫画の連作) * [[宇宙家族カールビンソン]](未完) * [[オーパーツ]] OMAN * [[少女探偵 金田はじめの事件簿]](『[[ウルトラジャンプ]]』、[[集英社]]) * 重箱の隅 * 迷走学園(未完) * [[ただいま寄生中]] * [[中空知防衛軍]] * [[地球防衛少女イコちゃん]] * [[HAL (あさりよしとおの漫画)|HAL]](『[[コミックガム]]』、[[ワニブックス]]) * [[なつのロケット]](『[[ヤングアニマル]]』、白泉社) * 細腕三畳紀 * [[ラジヲマン]] * やぶからぼう * [[ワッハマン]] * まんが [[くわがたツマミ]](原案:[[ラレコ]]、『[[月刊コミックラッシュ]]』、[[ジャイブ]]) * [[荒野の蒸気娘]](『コミックガム』、ワニブックス) * [[るくるく]](『[[月刊アフタヌーン]]』、[[講談社]]) * [[アステロイド・マイナーズ]](『[[月刊COMICリュウ]]』、[[徳間書店]]) * 小惑星に挑む(『[[楽園 Le Paradis]]』、白泉社) * [[樋口真嗣]]の暮らしの手帖(イラスト、『[[週刊アスキー]]』、[[アスキー・メディアワークス]]) * 蒼の六郷(『楽園 Le Paradis』、白泉社) * 生殖の碑(『楽園 Le Paradis』、白泉社)<ref>[https://honto.jp/netstore/pd-book_30194798.html あさりよしとおが生殖に興味津々の学生描く新連載]</ref> * 戦国機甲伝 クニトリ(『[[コミック乱ツインズ 戦国武将列伝]]』・『[[コミック乱]]増刊 [[鬼平犯科帳]] 総集編』、[[リイド社]]) === 短編 === 短編集は5冊が刊行されている。『[[中空知防衛軍]]』にも短編3作品があるので、併せて記載する。 ==== 『怪獣使いと少年たち』 ==== * 木星ピケットライン(1981年) *: 作者が受験を控えた高校3年生時のデビュー作で、『[[2001年宇宙の旅]]』をモチーフとしたパロディー作品。 *: 月ほどもある巨大隕石が地球に1年後衝突する。緊急事態を解決するため4名の決死隊が、隕石破壊用水爆を積んだ宇宙船「ホネバカリー」で飛び立った。しかし、問題の隕石は直径は月程度でも、質量が木星の12倍もある化け物のような星だった……。任務の重大さに押し潰されそうな陰気な男「ボーマン船長」、全てをギャグで押し通すおちゃらけ隊員「ヤマモト」を始めとするクルー達は、地球を救うことができるのか? *: 2000年以前に出た3冊の短編集全てに収録されている。 * 試験に出る北海道(1985年) *: 北海道を一人旅する少女の試練。 * 用心棒(1985年) * 突撃ヒューマン 発情編(1985年) *: 挿入行為を[[特撮|特撮番組]]の合体シーンなどでパロディーにしたもの。登場人物は皆少女。元ネタは『[[サンダーバード (テレビ番組)|サンダーバード]]』、『[[謎の円盤UFO]]』、『[[キャプテンウルトラ]]』、『[[ウルトラセブン]]』等、[[1960年代]]にテレビ放映されたもの。 * 突撃ヒューマン 発情編2 同じネタが使えるのは2度までだ!!(1985年) ==== 『あさりよしとお短編集』(1989年版) ==== * 白頭巾(1985年) *: 5ページのカラー漫画。白頭巾ちゃんはおばあちゃんの家へ向かう道中で血みどろになり、「[[赤ずきん|赤頭巾]]」になってしまう。 * [[それ行け宇宙パトロール]](1987年) *: 名作[[サイエンス・フィクション|SF]][[小説]]の『[[冷たい方程式]]』のパロディ。原作では密航した少女は18歳だが、ここでは幼女に描かれている。 * 魔黒州城 前編(1984年) * 木星ピケットライン(1981年) * ムーンチャイルド(1986年) *: ロールプレイゲームのパロディ。作者得意の幼女描写、ブラックジョークが発揮されている。 * 砂漠の魔王(1984年) * 宇宙刑事バスター(1987年) *: エイリアンからヒントを得た話。その後『[[ただいま寄生中]]』に、イメージが継承されている。 * たたかう自衛官(1986年) * アンドロイドは電機クラゲの夢を見るか(1987年) * ゾンビの七人(1986年) *: 第3次世界大戦から10年、生物兵器の影響か、死人が[[ゾンビ]]として活動し人間を喰らう世界、ゾンビハンター達はゾンビ狩りで収入を得ていた。しかし仕事を終えたハンターの元に、復讐を目論むゾンビ達の手が迫っていた。 * 魔黒州城 後編(1984年) * ゾンビの用心棒(1986年) *: 食料が尽き、赤字に悩むゾンビハンターの元に依頼人が現れる。彼の依頼は、ゾンビの村を守って欲しいと言うものだった。 * 地上最大の恩返し(1983年) * ためにならないプラモ製作基礎講座(1986年) *: プラモデル制作に関する1ページ漫画。 ==== 『あさりよしとお短編集』(1994年版) ==== * 宇宙刑事バスター(1987年) * 宇宙刑事バスター2(1991年) *: 1989年版にも収録されている『宇宙刑事バスター』の続編。 *: バスターの宿主である道々橋絵奈を主人公とし、ラストも更なる展開を匂わせているが続きは存在しない。 *: 解説コーナーに、作者の「もっと描きたい。ホントはこれからスゴクなるのに…」と言うメッセージがある。 * 地上最大の恩返し(1983年) * 魔黒州城 前編(1984年) * 魔黒州城 後編(1984年) * 砂漠の魔王(1984年) * ゾンビの七人(1986年) * ゾンビの用心棒(1986年) * 蠢くもの(1984年) *: 作者の得意とするゴキブリ、クモなど虫の描写がある。 * ムーンチャイルド(1986年) * たたかう自衛官(1986年) * 逆襲の赤ずきん(1986年) *: 拷問のプロフェッショナルに成長した赤ずきんが、狼への復讐を始める。 * それ行け宇宙パトロール(1987年) * 木星ピケットライン(1981年) ==== 『あさりよしとお短編集 毒入り 〈カプセル編〉』 ==== * メッチェンファウスト * 世界冥作劇場 *: 『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』([[青林堂]])に掲載された全4話の短編。『[[フランダースの犬]]』『[[狼と七匹の子山羊]]』『[[ちびくろサンボ]]』『[[赤毛のアン]]』を題材にした、ブラックなギャグ漫画。 * プロジェクトT *: 『[[頭文字D]]』の[[パロディ]]を交えた峠レース漫画だが、主役になるのは戦車。 * それゆけ内田くん *: 作者の『迷走学園』に登場する、人体模型のような人物、内田くんを用いた外伝漫画。 ==== 『あさりよしとお短編集 毒入り 〈錠剤編〉』 ==== * よりぬきヤードさん *: 作者が発表した同人誌『ヤード』から4ページ分をカラーで掲載。但し紙面レイアウトの都合などから、コマ割りの違いや、出典の『ヤード』とはオチが異なる点がある。 * 重箱の隅 *: ゲーム業界、アニメ業界の裏側を作者自身とキャラクターの漫談形式で暴露した作品。 * 橋の下の超人 * Let's go! うなぎちゃん *: 作者のオリジナルキャラクター“げしょ”のような女子学生、築地野うなぎを主人公に、『[[美少女戦士セーラームーン|セーラームーン]]』をパロディ化した一話完結ギャグ。『Let's go! うなぎちゃん』『Let's go! うなぎちゃんR』『Let's go! うなぎちゃんR鵺編』の3話がある。 * 宮本武蔵 *: [[宮本武蔵]]を主人公にした[[麻雀漫画]]。[[麻雀の不正行為|通し]]を担当するキャラクター“お通”など、作者の特徴であるダジャレセンスが発揮された短編。 * Mahjong&Dragons *: 麻雀ゲームとファンタジーRPGの体裁を掛け合わせた短編ギャグ。 ==== 『中空知防衛軍』 ==== {{main|中空知防衛軍}} * がんまサイエンス *: 科学者の竹内先生が嘘科学知識を教える、『まんがサイエンス』のセルフパロディ。あるふぁ・べーた・がんまの3話からなる。 * 巨大ロボ北海道に現わる * 復活! 無節操超超巨大戦闘兵器 === 同人誌 === * ヤード/ヤード2 *: 最初期の個人誌。ブラックなショートショート集。 *: ヤード2には「突撃ヒューマン 発動編」のタイトルであとがき漫画が収録されている。 * [[学習漫画]] 保健4 女体のひみつ - ミームいろいろ夢の旅 [[生殖]]その1 *: 作者の本分でもある科学漫画風の描写を用いた成人向け漫画。 * Let's Go! うなぎちゃん *: 『宇宙家族カールビンソン』に登場する作者の創作生物「げしょ」のような顔の女子中学生、築地野うなぎが騒動を起こすギャグ漫画。 *: 続編にうなぎちゃんR、うなぎちゃんR鵺編がある。 * ヴィスタフカ別冊 エロい絵 *: 『宇宙家族カールビンソン』、『まんがサイエンス』など作者自身の代表作のキャラを扱った、セルフパロディの成人向けイラスト集。 * モ子ちゃんの悩殺ガイドブック! * ひみつのお助け人 マジカルCANCER(1986年・スタジオ★アオーク『XSEED創刊準備号』掲載) *: 同時に掲載された設定資料(文:[[来留間慎一]]、代筆:[[ふじたゆきひさ]])によると、変身は表衣(ひょうい)であり、皮下のガン細胞が外へ出現し、装甲と化す……という、『宇宙刑事バスター』の原型とも言えるもの。これには『カールビンソン』のコロナとおとうさんの初期デザイン(おとうさんの変形した姿は似ているが、顔のデザインが違い、また脚がある)も掲載されている。 * 本なんて出るわけないじゃん *: [[ダミーサークル]]のイメージを逆手に取り“ダミーサークル”という直球なサークル名で主催し、多数の執筆者と合作したネタ本。頒布時のお遊びも含め、同人界では30年経つ現在に至っても語り継がれる有名な逸話となっている{{要出典|date=2020年7月}}。 === ゲーム === * ファリア(キャラクターデザイナー) * [[奇々怪界-謎の黒マント-]](パッケージイラストなど) * [[極上パロディウス 〜過去の栄光を求めて〜]](パッケージ・イメージイラストなど) * [[実況おしゃべりパロディウス]](パッケージ・イメージイラストなど) * [[奇々怪界 黒マントの謎]](パッケージイラストなど) === 作画・その他 === * 特撮雑誌『[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]』1983年秋号(Vol.16)にて特撮についてのイラストコラムを描く。 * 『[[死人にシナチク]]』シリーズ(表紙・巻頭漫画・挿絵) * 『俺の足には鰓がある』(表紙・挿絵) * ポンコツタイムマシン騒動記(表紙・挿絵) * [[大合作]]・大合作2(スーパーバイザー) * ヴィスタフカ(CD-ROM画集) * ヴァイスの空(原作) * 恐るべき旅路 -火星探査機「のぞみ」のたどった12年-(カバー写真) * ハイウェイ惑星 惑星調査艇ヒノシオ号の冒険(表紙・挿絵) * [[MONDO TV|MONDO21]] 平成極楽オタク談義(アポロ計画・家庭用ビデオの回に本人が出演) * 宇宙へ行きたくて液体燃料ロケットをDIYしてみた 実録なつのロケット団(エッセイ本) * [[ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序]](2007年)(デザインワークス) * [[ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破]](2009年)(デザインワークス) == アシスタント出身者 == * [[藤田和日郎]]<ref>「第3幕 舞台の裏側 藤田和日郎ロングインタビュー からくりサーカスのからくり」『からくりサーカス公式ガイドブック からくりサーカスのすべて』小学館〈少年サンデーコミックス〉2004年7月16日初版第一刷発行 ISBN 978-4-09-127771-8、252頁</ref> * [[ひねもすのたり]]<ref name="page">[https://web.archive.org/web/20080325232610/http://red.sakura.ne.jp/~hinemosu/profile.html プロフィール]※Web Archive</ref> == 関連項目 == * [[Cosmic Baton Girl コメットさん☆]] * [[新世紀エヴァンゲリオン]] * [[北海道]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Twitter|hologon15|浅利与一義遠}}(2009年8月29日 07:30:07 - )'''※ [[協定世界時|UTC]]表記。''' * [http://www2s.biglobe.ne.jp/~taka-/ 宇宙家族カールビンソンのホームページ] - 『宇宙家族カールビンソン』のファンページ。(1997年10月19日 - 2011年5月8日) {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あさり よしとお}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:SF漫画家]] [[Category:北海道滝川高等学校出身の人物]] [[Category:北海道出身の人物]] [[Category:1962年生]] [[Category:存命人物]]
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Perl
■カテゴリ / ■テンプレート Perl(パール)とは、ラリー・ウォールによって開発されたプログラミング言語である。実用性と多様性を重視しており、C言語やsed、awk、シェルスクリプトなど他のプログラミング言語の優れた機能を取り入れている。ウェブ・アプリケーション、システム管理、テキスト処理など、さまざまなプログラムの開発に広く利用されている。 言語処理系としてのperlはフリーソフトウェアである。Artistic LicenseおよびGPLのもとで配布されており、誰でもどちらかのライセンスを選択して利用することができる。UNIX、Windows、macOSやLinuxのようなUNIX互換OSなど多くのプラットフォーム上で動作する。 Perlプログラムには、モジュールによって機能を付加することができる。たとえば、他のプログラムやネットワークとの通信、各種ファイル形式の取り扱い、数学的な計算など、数多くのモジュールが存在する。PerlにはCPANというモジュールを体系的に管理するインターネット上のシステムがある。インターネットに接続していれば、CPANにアクセスして、モジュールをインストールすることが可能である。 Perlには標準で利用できるモジュールが数多く存在する。一部を以下に挙げる。 ラリー・ウォールは敬虔なクリスチャンであったため、Perlは当初、新約聖書のマタイによる福音書13章46節の「高価な真珠」にちなんで、真珠を意味する「pearl」と名付けられた。ラリーは肯定的な意味を持つ短い名前を選びたいと考えていて、彼によれば3文字および4文字の単語を辞書から探したが良いのが見つからなかったということである。また、彼は妻のグロリアにちなんで名前を付けることも考えたが、家族の会話でまぎらわしいために却下となった。 Perlの正式なリリースの前に、ラリーはすでに「PEARL」という名前のプログラミング言語が存在することに気づき、綴りを変更して「Perl」とした。このようにPerlという名前は何らかの略語ではないが、あとからいくつかのバクロニムが考えられている。開発者ラリー自身によると、「practical extraction and report language」(実用的なデータ取得レポート作成言語)という意味を持ち、同時に 「pathologically eclectic rubbish lister」(病的折衷主義のガラクタ出力装置)という少し皮肉な意味も込められている。 Perlという名称の記述においては、若干の注意が必要である。プログラミング言語としてのPerlを示すときは「Perl」というように、頭文字を大文字にして固有名詞であることをはっきりさせる。この「Perl」という表記では処理系のことは含まれない。Perl 5の現在開発されている唯一の処理系は「perl」という、すべて小文字で記述される名前の処理系である。一般に「perlだけがPerlを解釈することができる」という表現がなされる。「PERL」のようにすべてを大文字にするのは誤りである。 このようにPerl 5現在において、Perlとは言語の名前であると同時に唯一の処理系の名前でもある。この処理系はC言語で書かれている。スクリプトは実行前に仮想機械向けにコンパイルされ、コンパイルされたバイトコードが実行される(ランタイムコンパイル)。そのため、厳密にはインタプリタとは異なる。 Pythonのように一旦生成したバイトコードを保存して再利用することは少ないが、これは現在のPerlのランタイムコンパイルが高速で、バイトコードから実行するメリットがあまりないことが理由の一つである。コンパイル済みコードの再利用としてはむしろmod_perlのような形式が好まれている。 PAR (Perl Archive Toolkit) というPerlスクリプトを実行環境ごとアーカイブし、単一のファイルにまとめるためのツールキットも存在する。JARのPerl版と考えてよい。実行可能ファイルを作ることもできるため、アプリケーションの配布に適する。しかしその場合はPerl実行環境をまるごと含むため、ファイルサイズが大きくなる傾向にある。 Perlの姉妹言語としてRaku (旧 Perl 6) が存在する。RakuはParrotというバーチャルマシンの上で動作する。現在、ParrotCodeへのコンパイルを行うRakudo Starという処理系やHaskellで書かれたPugsという処理系などの複数の実装が公開されている。なおRakuはPerlと互換性を持たない。 Perlが利用されている代表的なWeb アプリケーションや管理ツール。
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Perl(パール)とは、ラリー・ウォールによって開発されたプログラミング言語である。実用性と多様性を重視しており、C言語やsed、awk、シェルスクリプトなど他のプログラミング言語の優れた機能を取り入れている。ウェブ・アプリケーション、システム管理、テキスト処理など、さまざまなプログラムの開発に広く利用されている。 言語処理系としてのperlはフリーソフトウェアである。Artistic LicenseおよびGPLのもとで配布されており、誰でもどちらかのライセンスを選択して利用することができる。UNIX、Windows、macOSやLinuxのようなUNIX互換OSなど多くのプラットフォーム上で動作する。
{{Otheruses|Perlとしての最新バージョンであるバージョン5系までのPerl|当初Perl 6として設計が始められたプログラミング言語|Raku}} {{Infobox プログラミング言語 | fetchwikidata = ALL | onlysourced = false | name = Perl | released = {{start date and age|1987}} | latest release version = 5.38.0<ref name="latest-release-version">{{cite web |url = https://www.nntp.perl.org/group/perl.perl5.porters/2023/07/msg266602.html |title = perl 5.38.0 is now available |access-date = 2023-07-03 |publisher = www.nntp.perl.org }}</ref> | latest release date = {{Start date and age|mf=yes|2023|07|02|df=yes}}<ref name="latest-release-version"/> | typing = [[動的型付け]] | influenced = [[JavaScript]]、[[PHP (プログラミング言語)|PHP]]、[[Python]]、[[Ruby]]、[[PowerShell]] | website = {{url|https://www.perl.org/}} }} {{プログラミング言語}} '''Perl'''(パール)とは、[[ラリー・ウォール]]によって開発された[[プログラミング言語]]である。実用性と多様性を重視しており、[[C言語]]や[[sed (コンピュータ)|sed]]、[[AWK|awk]]、[[シェル#シェルスクリプト|シェルスクリプト]]など他のプログラミング言語の優れた機能を取り入れている。[[ウェブ・アプリケーション]]、システム管理、テキスト処理など、さまざまなプログラムの開発に広く利用されている。 言語処理系としてのperlは[[フリーソフトウェア]]である。[[Artistic License]]および[[GNU General Public License|GPL]]のもとで配布されており、誰でもどちらかのライセンスを選択して利用することができる。[[UNIX]]、[[Microsoft Windows|Windows]]、[[macOS]]や[[Linux]]のようなUNIX互換OSなど多くのプラットフォーム上で動作する。 == 特徴 == * 強力な[[文字列]]処理の仕組みを備えており、[[正規表現]]を利用できる。 * [[連想配列]](ハッシュ)をサポート。 * 多次元データ構造が利用可能。 * 自由度の高い文法。簡潔にプログラムを記述できる。 * [[後方互換]]性は高い。 * 数多くの[[オペレーティングシステム]]で利用可能である。 * インタプリタであり、コードを利用者がコンパイルする仕組みはない。 * [[スクリプト言語]]の中では高い処理速度を持つ。 * [[Unicode]]使用を支援する仕組みがある。 * モジュールによる拡張が可能であり、有志によって開発された豊富なモジュールを利用できる([[CPAN]]を参照)。 * [[オブジェクト指向]]を支援する仕組みがある。 * [[参照カウント|リファレンスカウント]]方式によるガーベッジコレクションの仕組みがある。 * [[例外処理]]を利用できる。 * [[クロージャ]]を利用できる。 * [[リフレクション (情報工学)|リフレクション]]を利用できる。 == Hello world == {{see|Hello world}} <syntaxhighlight lang="perl"> say 'Hello, world!' ; </syntaxhighlight> == モジュール == Perlプログラムには、[[モジュール]]によって機能を付加することができる。たとえば、他のプログラムやネットワークとの通信、各種ファイル形式の取り扱い、数学的な計算など、数多くのモジュールが存在する。PerlにはCPANというモジュールを体系的に管理する[[インターネット]]上のシステムがある。インターネットに接続していれば、CPANにアクセスして、モジュールをインストールすることが可能である。 {{Main|CPAN}} === 標準モジュール === Perlには標準で利用できるモジュールが数多く存在する。一部を以下に挙げる。 * [https://metacpan.org/pod/distribution/base/lib/base.pm base] - 派生元モジュールを指定するのに用いる。 * [https://metacpan.org/pod/distribution/perl/lib/Benchmark.pm Benchmark] - ベンチマーク * [https://metacpan.org/pod/Carp Carp] - 呼び出し元の観点で例外を発生 * [https://metacpan.org/pod/distribution/PathTools/Cwd.pm Cwd] - カレントディレクトリのパスを取得 * [https://metacpan.org/pod/distribution/Data-Dumper/Dumper.pm Data::Dumper] - 変数の内容を出力 * [https://metacpan.org/pod/distribution/Digest-MD5/MD5.pm Digest::MD5] - MD5値 * [https://metacpan.org/pod/distribution/Digest-SHA/lib/Digest/SHA.pm Digest::SHA] - SHA-1/224/256/384/512 * [https://metacpan.org/pod/distribution/Encode/Encode.pm Encode] - 文字列のエンコード・デコード * [https://metacpan.org/pod/distribution/Exporter/lib/Exporter.pm Exporter] - 関数のエクスポート * [https://metacpan.org/pod/distribution/perl/lib/File/Basename.pm File::Basename] - ファイルのベース名とディレクトリ名の取得 * [https://metacpan.org/pod/distribution/perl/lib/File/Copy.pm File::Copy] - ファイルの移動とコピー * [https://metacpan.org/pod/distribution/File-Path/lib/File/Path.pm File::Path] - 複数階層のディレクトリの作成と削除 * [https://metacpan.org/pod/distribution/PathTools/lib/File/Spec.pm File::Spec] - ファイル名に対する移植性のある処理 * [https://metacpan.org/pod/distribution/File-Temp/lib/File/Temp.pm File::Temp] - 一時ファイルの生成 * [https://metacpan.org/pod/distribution/FindBin/lib/FindBin.pm FindBin] - スクリプトが存在するディレクトリのパスの取得 * [https://metacpan.org/pod/distribution/Getopt-Long/lib/Getopt/Long.pm Getopt::Long] - コマンドライン引数の処理 * [https://metacpan.org/pod/distribution/IO/lib/IO/Socket/INET.pm IO::Socket::INET] - ソケット * [https://metacpan.org/pod/distribution/lib/lib_pm.PL lib] - モジュールの検索パスを追加 * [https://metacpan.org/pod/distribution/Scalar-List-Utils/lib/List/Util.pm List::Util] - 配列に対する処理 * [https://metacpan.org/pod/distribution/libnet/lib/Net/FTP.pm Net::FTP] - FTPクライアント * [https://metacpan.org/pod/distribution/Scalar-List-Utils/lib/Scalar/Util.pm Scalar::Util] - スカラ値のユーティリティ * [https://metacpan.org/pod/distribution/Storable/Storable.pm Storable] - データの直列化 * [https://metacpan.org/pod/distribution/perl/ext/Sys-Hostname/Hostname.pm Sys::Hostname] - ホスト名の取得 * [https://metacpan.org/pod/distribution/Time-Piece/Piece.pm Time::Piece] - 日付・時刻の扱い * [https://metacpan.org/pod/distribution/perl/lib/utf8.pm utf8] - utf8プラグマ === 代表的なCPANモジュール === ; テキスト処理 :* [https://metacpan.org/pod/distribution/Text-CSV/lib/Text/CSV.pm Text::CSV] - CSVファイルの解析 :* [https://metacpan.org/pod/distribution/Text-Diff/lib/Text/Diff.pm Text::Diff] - diffコマンド :* [https://metacpan.org/pod/distribution/Template-Toolkit/lib/Template.pm Template Toolkit] - テンプレートシステム ; データベース :* [https://metacpan.org/pod/distribution/DBI/DBI.pm DBI] - 汎用[[データベース]]インタフェース : ; Webアプリケーション :* [https://metacpan.org/pod/distribution/CGI/lib/CGI.pm CGI] - CGIプログラミング :* [https://metacpan.org/pod/distribution/Plack/ Plack] - [[PSGI]]のリファレンス実装 :* [https://mojolicious.org/ Mojolicious] - Webフレームワーク :* [https://metacpan.org/pod/distribution/Catalyst-Runtime/lib/Catalyst.pm Catalyst] - Webアプリケーションフレームワーク : ; Webアクセス :* [https://metacpan.org/pod/distribution/libwww-perl/lib/LWP/UserAgent.pm LWP::UserAgent] - WWWクライアント : ; データ記述言語の処理 :* [https://metacpan.org/pod/distribution/XML-Simple/lib/XML/Simple.pm XML::Simple] - XMLをPerlのデータ構造に変換 :* [https://metacpan.org/pod/distribution/XML-LibXML/LibXML.pod XML::LibXML] - XMLのサポート :* [https://metacpan.org/pod/distribution/JSON/lib/JSON.pm JSON] - [[JavaScript Object Notation|JSON]]のサポート :* [https://metacpan.org/pod/distribution/YAML/lib/YAML.pm YAML] - [[YAML]]のサポート == 歴史 == {|class=wikitable |+Perlの歴史 !{{Nowrap|バージョン}}!!{{Nowrap|公開日}}!!内容 |- |1.0 |style="white-space:nowrap" | 1987年12月18日 | *6台の {{lang|en|VAX}} 機と6台の {{lang|en|Sun}} 機のためのコンフィギュレーション管理制御システムのレポート作成ツールとして誕生した。 |- |2.0 |style="white-space:nowrap" |1988年6月05日 | *ヘンリー・スペンサー作の美しい正規表現ライブラリを {{lang|en|Perl}} 風にアレンジし、導入した。 |- |3.0 |style="white-space:nowrap" |1989年10月18日 | *バイナリデータを処理できるようになった。 |- |4.0 |style="white-space:nowrap" |1991年3月21日 | *{{lang|en|O'Reilly&Associates, Inc.}} より {{lang|en|Programming perl}} が発売されたのに合わせて公開された。 |- |5.0 |style="white-space:nowrap" |1994年10月17日 | *レキシカル変数 my の導入 *リファレンスおよびオブジェクト指向に対応。 *<code>use</code>が導入され追加モジュールの取扱いが大幅に強化された。 *strictプラグマの導入 |- |5.5.0 |style="white-space:nowrap" |1998年7月22日 | *正規表現の拡張、<code>B::*</code>モジュールによるフックのサポート、<code>qr//</code> 正規表現演算子の追加がなされた。 *{{lang|en|BeOS}} を含む幅広いオペレーティングシステムに移植された。 *日本語圏で最も重要なことは、このバージョンが {{lang|en|JPerl}} がサポートする最後のバージョンということである。したがって、日本語情報処理において2022年においてもなお、バージョン 5.005_03 は利用されている。 |- |5.6.0 |style="white-space:nowrap" |2000年5月22日 | *<code>our</code>文やウィークリファレンス、<code>warnings</code>プラグマの導入など、言語コアが大きく拡張された。 *試験的ながら {{lang|en|Unicode}} のサポートを開始した最初のバージョン。 *バージョン番号の構造を変更。サブバージョン(5.6.0の6に相当)が偶数のものが安定版、奇数のものが開発版を意味する。 |- |5.8.0 |style="white-space:nowrap" |2002年7月18日 | *5.8系列の最新版は5.8.9(2008年12月14日)。 *汎用文字エンコーディング操作モジュール <code>Encode</code> が標準ライブラリに加えられ、{{lang|en|Unicode}}および {{lang|en|[[Shift_JIS]]}} などの様々な文字エンコーディングに正式に対応した。 *スレッドや<code>PerlIO</code>レイヤが導入された。 |- |5.10.0 |style="white-space:nowrap" |2007年12月18日 | *公開日は {{lang|en|Perl 1.0}} の公開からちょうど20年目にあたる。 *静的変数を宣言する <code>state</code> 文や、[[switch文|{{lang|en|switch}}文]]に相当する <code>given</code> 文、<code>say</code> などの言語拡張が導入された。 *新しいキーワードの導入による[[互換性]]の問題に対処するため、新しいキーワードの導入を <code>feature</code> プラグマで制御できるようになった。 |- |5.12.0 |style="white-space:nowrap" |2010年4月13日 | *<code>package</code> のバージョン指定構文や未実装部分を表す<code>...</code>演算子([[ヤダヤダ演算子]])、後置の <code>when</code> 修飾子などが導入された。 *日付と時刻に関するコアモジュールが[[2038年問題]]に対応した。 |- |5.14.0 |style="white-space:nowrap" |2011年5月14日 | *{{lang|en|Unicode}} 6.0 にほぼ完全に対応。 *IPv6サポートの改善。 *<code>push</code>、<code>pop</code>、<code>unshift</code>、<code>shift</code>、<code>each</code>、<code>keys</code>、<code>values</code> などの配列やハッシュを受け取る関数が、リファレンスを受け取ることができるようになった。 *<code>package パッケージ名 { ... }</code>構文の追加。 *値を破壊せずに戻り値として返す正規表現オプション<code>r</code>が追加。 |- |5.16.0 |style="white-space:nowrap" |2012年5月20日 | *<code>use バージョン番号</code>文の動作が変更された。以前はスクリプトの実行に必要なPerlのバージョンを示すものだったが、「指定したバージョンよりも新しいバージョンの {{lang|en|Perl}} で新たに実装された機能を無効化する」という動作になった。 *<code>__SUB__</code>は現在実行中のサブルーチンに対する参照を返す。 *<code>feature</code> プラグマで<code>unicode_eval</code>を有効にすると、文字列に対する <code>eval</code> は常に文字列を {{lang|en|Unicode}} として扱う。また<code>evalbytes</code>を有効にすると、引数をバイト列として評価する<code>evalbytes</code>関数が利用できる。 *<code>substr</code> は、左辺値もしくは潜在的に左辺値とみられるコンテキストで2つもしくは3つの引数付きで呼び出された場合、第一引数を変更する特殊な左辺値スカラを返す。 *{{lang|en|Unicode}} 6.1 対応も強化された。 *デバッガ、<code>CORE</code>名前空間、<code>XS</code>インターフェイスなどでさまざまな機能強化が加わっている。 |- |5.18.0 |style="white-space:nowrap" |2013年5月18日 | *実験的機能を利用するための新しい警告カテゴリ<code>experimental::feature_name</code>が追加され、{{lang|en|Perl}} 5.10 で加わったスマートマッチ演算子、レキシカルな<code>$_</code>がそのカテゴリに変更された。 *ハッシュの際に使われるシードがランダム化され、<code>keys</code> や <code>values</code>、<code>each</code> といったハッシュを利用する関数が返すキー/値の並び順が実行毎に異なるようになった。 *{{lang|en|Unicode}} 6.2 への対応、新しい<code>DTrace</code>プローブの追加、実験的機能としてレキシカルサブルーチンの追加などが行われた。<code>\N{...}</code>表現の扱いがいくつか変わっているほか、垂直タブがホワイトスペースとして扱われなくなっている点など、文字の扱いについていくつかの変更が加わった。 *<code>encoding</code>、<code>CPANPLUS</code>、<code>Log::Message</code>、<code>Log::Message::Config</code>、<code>Log::Message::Handlers</code>、<code>Log::Message::Item</code>、<code>Log::Message::Simple</code>、<code>Object::Accessor</code>などが廃止予定のモジュールとなった。 |- |5.20.0 |style="white-space:nowrap" |2014年5月27日 | *実験的機能として<code>use feature 'signature'</code>によるサブルーチンシグネチャ、<code>use feature 'postderef'</code>によるPostfix Dereferencingと呼ばれる機能が追加された。Postfix Dereferencingを利用すると、いままで<code>${ $sref } </code>のように表記していたものが<code>$sref->$* </code>のように表記できるようになる。 *新たなスライス表記として、キーと値のペアを戻す<code>%hash{…}</code>と<code>%array[…]</code>というスライス表記が加わった。 *subキーワードのprototype属性がサポートされ、プロトタイプパーシングの一貫性も強化された。 *64ビットプラットフォーム対応が改善され、Perl配列が2**31以上の要素を保持できるようになった。 *正規表現エンジンは2**31以上の文字列に対応できるようになった。 *{{lang|en|Unicode}} 6.3 に対応した。 *コアモジュールとして<code>IO::Socket::IP</code>が追加された。 *rand関数の仕様が変更された。 *一部のコマンドラインオプションの挙動が変更された。 |- |5.22.0 |style="white-space:nowrap" |2015年6月1日 | *ビット単位の演算子が導入された。 *ダブルダイアモンド演算子が導入された。 *正規表現の<code>\b</code>バウンダリの機能が強化された。 *正規表現のキャプチャしない修飾子が追加された。 *<code>use re 'strict'</code>がサポートされた。 *Unicode 7.0がサポートされた。 *POSIX 2008のロケール、通貨がサポートされた。 *古いプラットフォーム上のUTF-8判定が改善された。 *リファレンスのエイリアスがサポートされた。 *引数なしのプロトタイプがサポートされた。 *サブルーチンの<code>const</code>アトリビュートがサポートされた。 *<code>fileno</code>にディレクトリハンドルも指定可能になった。 *Win32でリスト形式のパイプオープンが可能になった。 *リスト代入の繰返し指定が可能になった。 *<code>Inf</code>と<code>Nan</code>の扱いが強化された。 *浮動小数点数の扱いが強化された。 *<code>Inf</code>と<code>NaN</code>の文字列化は致命的エラーになった。 *実験的なCバックトレースAPIがサポートされた。 |- |5.24.0 |style="white-space:nowrap" |2016年5月9日 | *サブルーチンと数値計算が高速化された。 *Unicode 8.0 がサポートされた。 *実験的な扱いだった前方デリファレンスが本格サポートされた。 |- |5.26.0 |style="white-space:nowrap" |2017年5月30日 | *Unicode 9.0 がサポートされた。 *セキュリティ対策として特殊変数 @INC は、デフォルトではカレントディレクトリ "." を含まなくなった。 *実験的な扱いだったレキシカルサブルーチンが本格サポートされた。 *インデントされたヒヤドキュメントがサポートされた。 *新しい正規表現修飾子 /xx がサポートされた。 *正規表現の特殊変数として @{^CAPTURE}、 %{^CAPTURE}、%{^CAPTURE_ALL} が追加された。 *OS側で対応していれば、UTF-8 ロケールでデフォルトの照合を使えるようになった。 |- |5.28.0 |style="white-space:nowrap" |2018年6月22日 | *Unicode 10.0 がサポートされた。 *delete 関数がキー/値のハッシュスライスに使えるようになった。 *実験的機能として、正規表現アサートの英字名が利用可能になった。 *実験的機能として、Unicode 用字の混合が検出できるようになった。 *perl -i によるインプレース編集がより安全になった。 *state 宣言された配列変数、ハッシュ変数が初期化できるようになった。 *OSが扱うiノード番号をフルサイズで扱えるようになった。 *sprintf 関数のフォーマットサイズ修飾子 %j は C99以前のコンパイラでも使用できるようになった。 *Close-on-exec フラグはアトミックに設定されるようになった。 *文字列および数値のビット演算子は実験的ではなくなった。 *OSがロケールに対応している場合、スレッド環境でもロケールを自由に使用・変更できるようになった。 *特殊変数 ${^SAFE_LOCALES} が追加された。 *多数のセキュリティ上の修正が行われた。 |- |5.30.0 |style="white-space:nowrap" |2019年5月22日 | *Unicode 12.1をサポート。 |- |5.32.0 |style="white-space:nowrap" |2020年6月20日 | *演算子 isa をサポート。 |- |5.34.0 |2021年5月20日 | * 実験的機能として<code>use feature 'try'</code>によるtry/catch構文が追加された。 * 正規表現の繰り返し構文 <code>qr/{,n}/</code>において下限の省略が可能になった。 * これまでは正規表現の中括弧の中にスペースを含むことができなかったが、<code>\x{ FFFC }</code>のようにスペースを含むことが可能になった。 * <code>0o''ddddd''</code>のような8進数表記が可能になった。 |- |5.36.0 |2022年5月28日 | *Unicode 14.0 に対応した。 *use v5.36 の記述により Perl7 で提案されていた機能の大部分がサポートされた。 *コマンドラインフラグ -g が導入された。 *正規表現の拡張ブラケット文字クラスは実験的とは見なされなくなった。 *正規表現の可変長の後読みは、ほとんど実験的とは見なされなくなった。 *浮動小数点例外のシグナル SIGFPE が遅延しなくなった。 *ブール値 true/false がサポートされた。 *実験的機能として、for ループの1回の処理で複数の値を扱えるようになった。 *実験的機能として、組み込み関数が追加された。 *実験的機能として、defer ブロックがサポートされた。 *実験的機能として、try/catch 構文に finally ブロックが利用できるようになった。 *実験的機能として、Unicode による対になるデリミタが多数サポートされた。 *サブルーチンシグネチャ付きのサブルーチンの @_ は実験的になった。 |- |5.38.0 |2023年7月02日 | *<code>class</code>構文が追加された。 *Unicode 15.0 に対応した。 *非推奨の警告には特定のサブカテゴリが追加された。 *%{^HOOK} APIが導入された。 *PERL_RAND_SEED *シグネチャでのDefined-orおよびlogical-or代入のデフォルト式がサポートされた。 *@INCフックの強化と$INCおよびINCDIR *deferまたはfinallyブロックからの制御フローがコンパイル時に検出されるようになった。 *パターン内での楽観的な評価 *REG_INFが65,536から2,147,483,647に引き上げられた。 *新しいAPI関数optimize_optreeおよびfinalize_optreeが追加された。 *一部のgoto文がdeferおよびfinallyブロックで許可されるようになった。 *新しい正規表現変数${^LAST_SUCCESSFUL_PATTERN}が追加された。 *参加プラットフォームでLocaleカテゴリLC_NAMEがサポートされるようになった。 |} == エピソード == ラリー・ウォールは敬虔なクリスチャンであったため、Perlは当初、[[新約聖書]]の[[s:マタイによる福音書(口語訳)#13:46|マタイによる福音書13章46節]]の「高価な真珠」にちなんで、[[真珠]]を意味する「pearl」と名付けられた<ref name=":0">{{Cite web |title=Scripting on the Lido Deck {{!}} WIRED |url=https://web.archive.org/web/20160307004219/https://www.wired.com/2000/10/cruise/ |website=web.archive.org |date=2016-03-07 |access-date=2022-07-29}}</ref>。ラリーは肯定的な意味を持つ短い名前を選びたいと考えていて、彼によれば3文字および4文字の単語を辞書から探したが良いのが見つからなかったということである。また、彼は妻のグロリアにちなんで名前を付けることも考えたが、家族の会話でまぎらわしいために却下となった。 Perlの正式なリリースの前に、ラリーはすでに「[[:en:PEARL (programming language)|PEARL]]」という名前のプログラミング言語が存在することに気づき、綴りを変更して「Perl」とした<ref name=":0" />。このようにPerlという名前は何らかの略語ではないが、あとからいくつかの[[バクロニム]]が考えられている。開発者ラリー自身によると、「{{lang|en|'''p'''ractical '''e'''xtraction and '''r'''eport '''l'''anguage}}」(実用的なデータ取得レポート作成言語)という意味を持ち、同時に 「{{lang|en|'''p'''athologically '''e'''clectic '''r'''ubbish '''l'''ister}}」(病的折衷主義のガラクタ出力装置)<ref name="progperl1">プログラミング Perl VOLUME 1 ISBN 4-87311-096-3</ref>という少し皮肉な意味も込められている。 == 処理系 == Perlという名称の記述においては、若干の注意が必要である。プログラミング言語としてのPerlを示すときは「Perl」というように、頭文字を大文字にして固有名詞であることをはっきりさせる。この「Perl」という表記では処理系のことは含まれない。Perl 5の現在開発されている唯一の処理系は「perl」という、すべて小文字で記述される名前の処理系である。一般に「perlだけがPerlを解釈することができる」という表現がなされる。「PERL」のようにすべてを大文字にするのは誤りである。 このようにPerl 5現在において、Perlとは言語の名前であると同時に唯一の処理系の名前でもある。この処理系はC言語で書かれている。スクリプトは実行前に[[仮想機械]]向けにコンパイルされ、コンパイルされたバイトコードが実行される(ランタイムコンパイル)。そのため、厳密にはインタプリタとは異なる。 [[Python]]のように一旦生成したバイトコードを保存して再利用することは少ないが、これは現在のPerlのランタイムコンパイルが高速で、バイトコードから実行するメリットがあまりないことが理由の一つである。コンパイル済みコードの[[コードの再利用|再利用]]としてはむしろ[https://perl.apache.org/ mod_perl]のような形式が好まれている。 [https://metacpan.org/release/PAR PAR] (Perl Archive Toolkit) というPerlスクリプトを実行環境ごとアーカイブし、単一のファイルにまとめるためのツールキットも存在する。[[Jar|JAR]]のPerl版と考えてよい。実行可能ファイルを作ることもできるため、アプリケーションの配布に適する。しかしその場合はPerl実行環境をまるごと含むため、ファイルサイズが大きくなる傾向にある。 Perlの姉妹言語として[[Raku]] (旧 Perl 6) が存在する。Rakuは[[Parrot]]というバーチャルマシンの上で動作する。現在、ParrotCodeへのコンパイルを行うRakudo Starという処理系や[[Haskell]]で書かれた[[Pugs]]という処理系などの複数の実装が公開されている。なおRakuはPerlと互換性を持たない。 == Perlが利用されているアプリケーション == Perlが利用されている代表的なWeb アプリケーションや管理ツール。 === Webアプリケーション === *[[Movable Type]] *[[TWiki]] *[[Bugzilla]] *[[cPanel]] === Webサービス === * [[DuckDuckGo]] === 管理ツール === *[[git]] *[[OpenSSL|openssl]] *[[autoconf]] *[[Autotools#automake|automake]] *[[SpamAssassin]] *VmwareTools *[[MySQL]] innotop == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 参考文献 == * [[ラリー・ウォール]]、ジョン・オーワント、トム・クリスチャンセン著、[[近藤嘉雪]]訳『プログラミング [https://www.oreilly.co.jp/books/perl/ Perl]』VOLUME 1 (ISBN 4-87311-096-3), 2 (ISBN 4-87311-097-1), [[オライリー・ジャパン]]、2002年 == 関連項目 == {{Portal|FLOSS|[[ファイル:FLOSS logo.svg|41px]]}} * [[ラリー・ウォール]] * [[Artistic License]] * [[グルー言語]] * [[スクリプト言語]] * [[軽量プログラミング言語]] == 外部リンク == {{Wikibooks|Perl|Perl}} * {{Official website}} * [https://perldoc.perl.org/ Perl programming documentation] - Perlの公式ドキュメント * [https://perldoc.jp/ perldoc.jp] - Perlの公式ドキュメントの日本語訳 * [https://www.cpan.org/ CPAN] - Perlのモジュールの配布を行うサイト * [https://www.perl.com/ Perl.com] - [[オライリー]]によるPerlのウェブサイト * [https://www.activestate.com/products/activeperl/ ActivePerl] - [[ActiveState]]社のPerlディストリビューション。[[Windows API#Win32|Win32]]版は[[Microsoft Windows|Windows]]環境で最も利用される。 * [https://metacpan.org/release/Perl-Dist-Chocolate Chocolate Perl] - Perlのディストリビューションのひとつ * [https://strawberryperl.com/ Strawberry Perl] - Perlのディストリビューションのひとつ * [https://plackperl.org/ PSGI/Plack] - [[Web Server Gateway Interface|WSGI]]のPerlによる実装 * [https://japan.perlassociation.org/ Japan Perl Association] - YAPC::Asiaを主催する一般社団法人 <!-- ドメイン失効 * [http://vanillaperl.com/ Vanilla Perl] - Perlのディストリビューションのひとつ --> {{Perl}} {{プログラミング言語一覧}} {{FOSS}} {{authority control}} [[Category:スクリプト言語|Perl]] [[Category:オープンソースソフトウェア|Perl]] [[Category:Perl|*]] [[Category:1987年のソフトウェア]]
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