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介錯
介錯(かいしゃく)は、切腹に際し、本人を即死させてその負担と苦痛を軽減するため、介助者が背後から切腹人の首を刀で斬る行為。 または、付き添って世話をすること。 概要 腹部を切開しただけでは人は即死しない。従って切腹では、割腹の後、自ら喉を突き通したり心臓を刺すことが正式な作法であったが、現実問題として難しい場合が多かった。そこで切腹を行う者の負担を軽減し、また即死できない本人が醜態を見せることのないよう、背後から首を斬って切腹を手伝う者が必要になった。後に切腹の儀礼化が進むと、介錯は切腹の一部となり、足の運びや刀の構え方などの作法も確立した。 首を刀で斬り落とすのには、首の骨の関節を切る、また「首の皮一枚」を残すなどいくつかの作法が存在する。頭部を完全に切断せず首の皮で胴体に繋げた状態とするのは、胸の前にぶらさがった頭の重みで切腹者を前のめりの状態で死なせる配慮で、首が落ちずに危うくつながる意味の「首の皮一枚」という表現はここから出た。すなわち本来の「首の皮一枚」という状態は、別に命が助かったわけではない。切腹の儀礼化がさらに進んだ江戸時代中期以降になると、いわゆる「扇子腹」で切腹人が小刀・脇差に見立てた扇子に手を伸ばそうとした瞬間に介錯することもあった。 また、首の皮一枚を残すという事が「切腹」≠「不名誉な斬首刑」を表している。 剣の扱いに未熟な者は手許を誤って斬り損ね、何度も首に斬りつけたり、刀を損傷してしまうことも多々あった。三島事件の際に介錯した森田必勝は、2度斬り損ねた上に刀を曲げてしまった。介錯の不手際は切腹人を苦しめるのみならず、面目を失する行為とされたため、介錯人は通例として剣の腕の立つ者が選ばれた。 伝承 介錯は、居合道の形として現代でも伝承が続いている。介錯の形を伝える流派は無双直伝英信流(無雙神傳英信流、夢想神伝流)に並流された大森流などである。夢想神伝流では順刀とも呼ばれる。 広義の介錯 切腹に限らず、介錯の語には「補助する」という広い意味もある。鉄骨などをクレーンで吊り上げる時、補助者がロープで揺れを抑えることを「介錯する」と呼称し、舞台芸能では世話をすることを介錯と称する。例えば、文楽などの古典芸能では小道具の受け渡しを介錯と呼ぶ。現代の演劇では、幕の開閉や役者の動作の補助などを介錯と呼ぶ。照明などの角度を変更するための介錯棒という道具もある。 脚注 関連項目 情けの一撃 - の訳語。「慈悲の一撃」、「とどめ」とも訳される。瀕死の動物や人間の苦しみを終わらせるために行われる処置の事。 山田浅右衛門 外部リンク 武士 死の幇助 日本の文化 演劇 和製漢語 切腹
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8E%9F%E6%B3%89
川原泉
川原 泉(かわはら いずみ、1960年9月24日 - )は、日本の漫画家。女性。鹿児島県指宿市出身、鹿児島市在住。鹿児島大学法文学部卒業。専攻は日本史。 来歴 大学4年在学中に、初めての漫画「ジュリエット白書」を『花とゆめ』に投稿。その後、大学の教授の紹介で地元女子校の教員採用の面接を受けたが、良妻賢母教育と勉学のどちらを優先するかという質問に「もちろん勉学」と答えた結果、不採用となる。この件が川原のお嬢様学校コンプレックスの元となったという。以降は目標を漫画に定め、1983年、『花とゆめ』増刊に掲載された「たじろぎの因数分解」でデビューした。以来、白泉社を中心に活動。 1985年、「ゲートボール殺人事件」の頃、東京へ引越しし、世田谷区に住む。 1986年、アイススケート漫画『銀のロマンティック…わはは』の取材のため札幌を訪れた際に、当時の担当編集者が同じだった縁で三原順と会い、交流は三原の病没まで続いた。 1987年、初の長期連載となった『笑う大天使(わらうミカエル)』の仕事が一段落し、一旦帰郷した際に初めてファミリーコンピュータを購入し、『女神転生』などのゲームに熱中。『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』の影響で『魔法の国ザンス』シリーズなどのファンタジーにも興味を持つに至る。 1988年、「笑う大天使 オペラ座の怪人」の原稿を落としてしまい、打ちひしがれた川原は都落ちを決意、荷物をまとめたが周囲の励ましにより帰郷を中止。せっかく荷造りをしたのだからと前の仕事場から徒歩5分の場所に移転する。 1996年、鹿児島市に引越す。 2005年、『ブレーメンII』で第36回 星雲賞コミック部門と第4回(2004年度)センス・オブ・ジェンダー賞特別賞を受賞。 2006年夏、『笑う大天使』が映画化。 人物・作品 カーラは公式化された愛称であり、『メイプル戦記』のおまけ「カーラ君を探せ」、『小人たちが騒ぐので』などで「友人M」の「カワハラ君」という呼びかけが「カーラ君」と聞こえるのが由来。 書店に行く度に2万円ほど本を購入し、生活費で一番お金をかけているのは本であるというほどの読書家。恋愛ものの本はほとんど読む事はなく、好きなのはSFやホラーで、ロバート・R・マキャモン、スティーヴン・キング、そして特にディーン・R・クーンツの作品を好んでいる。また、『銀河英雄伝説』のファンでもあり、徳間文庫版第7巻「怒涛編」の解説を執筆、徳間デュアル文庫版のハンドブックにも再録されている。 1/4スペースなどの記述によると、タカシという兄がいる。彼とのエピソードのいくつかが披露されている他、漫画にも彼(の似顔)をモデルとした、地味な顔立ちでメガネ着用のキャラクターが散見される。 1/4スペースやエッセイ漫画などでは、昔からの女性の友人2人(特に「友人M」)が登場するエピソードが多く見られる。 ヒロインの相手は、年の離れた社会的地位のある男性という設定が多い。 好きなミュージシャンに王様を挙げていて、王様も川原作品のファンである。 紀文食品の「魚河岸あげ」が、東京で発見したおいしいものベスト3に入ると『メイプル戦記』の1/4スペースに書いているほど好きである。また「小人たちが騒ぐので」の中にも3回ほど「魚河岸あげ」が登場する。この事が縁となり、その思いと紀文食品が結びついて、描き下ろし作品「漫画魚河岸あげの魅力」が紀文食品のサイト内で発表された。 作中の設定 聖ミカエル学園(セントミカエルがくえん) 架空の学校。明治36年(1903年)創立の由緒正しき名門お嬢様学校で、生徒は「アーク・エンジェルの乙女達」と呼ばれる。カトリック系聖ミカエル教団に属し、宗教の時間・朝の礼拝など、宗教行事も多く取り入れられた、幼稚園から短大まである女子校。教師の半数をシスター(外国人多数)が占める。「よき妻 よき母」を育てるための教育に重きを置き、礼儀作法や清掃活動などには大変厳格だが、多くの生徒がエスカレーター式に付属短大へ入学するためか、勉強への強い意欲はあまり見られず、偏差値は中の上程度と思われ、『不思議なマリナー』の中で、「上品だが、そのぶんバカ」との発言がある。挨拶はいつでも「ごきげんよう」。「登下校の際は車による送り迎え禁止」という校則がある。 浮世離れした深窓の令嬢がほとんどだが、変わった毛色の生徒が2 - 3人必ず混ざっている。制服はシスターのような白いハイカラーの襟の胸元にひも状のリボン、プリーツではないひざ下のスカートに三つ折りソックス。ベレー帽をかぶる。映画版『笑う大天使』では、ベレー帽にスクウェアカットの胸元の黒いAラインワンピース、胸下にベルト状の細い白のリボンをつけて、足元は黒ストッキングと、かなりフェミニンになっている。 「archangel」は日本ではアーク・エンジェルの読みが一般的だが、『笑う大天使』以前の作品では、「大天使」のルビは「アーチエンジェル」となっている。また、『笑う大天使』において、その事を自虐的なネタとして取り上げている。 同校生徒が登場する作品 笑う大天使 笑う大天使 空色の革命 笑う大天使 オペラ座の怪人 笑う大天使 夢だっていいじゃない 銀のロマンティック…わはは メイプル戦記 不思議なマリナー 大地の貴族 秋吉田藩 江戸時代の外様大名が治める架空の藩で、奥州にあるという設定。石高は25万石。藩主は鳴沢家。秋吉田城は「空の鳴滝城」と謳われる名城で、私有財産として現存している設定である。特産は巨大松茸。現代でも旧・家臣団が鳴沢家当主の法要に列席するために集まってくる。 同藩が登場する作品 殿様は空のお城に住んでいる - 江戸時代中期の秋吉田藩の殿様と正室の少女と、その側近たちの時代活劇。 笑う大天使 - メインキャラの斎木和音の母方の先祖が秋吉田藩の藩主。 笑う大天使 空色の革命 - 和音の母である旧秋吉田藩「鳴沢家」の令嬢と、実業家の父との話が軸のひとつ。 秋吉田藩レポート - 『まるごと川原泉』2号に掲載された。 穴田アナ MHKのアナウンサー。眼鏡を掛けている。ジャンルを問わず作品の報道を一手に引き受ける人物である。ヘリンボーンの上着がトレードマーク。 穴田アナが登場する作品 空の食欲魔人 - 大韓航空機撃墜事件のニュース報道。 甲子園の空に笑え! - 高校野球の実況中継。 ゲートボール殺人事件 - 花吹雪市の朝のニュース特集(暴力団抗争)。 銀のロマンティック…わはは - フィギュアスケートの実況中継。主人公の父親がトーク番組「穴田の部屋」にゲスト出演。 笑う大天使 - 名門女子高校生連続誘拐事件のニュース報道。 メイプル戦記 - プロ野球の実況中継。 愚者の楽園 - K県のニュース(台風情報)※K県に出張中に出演 中国の壺 - アメリカと中国の地震のニュース報道。 桜井敦子 振られキャラ。銀行頭取の令嬢である。映画『笑う大天使』では、菊地凛子が演じた。 彼女を振った相手 司城一臣(笑う大天使) 瀬名弓彦(フロイト1/2) 小早川秀明(メイプル戦記) 作品リスト 漫画作品 ※掲載誌はいずれも白泉社。 ジュリエット白書 (別冊花とゆめ 1983年冬の号)※コミックス収録にあたり全面的に描き直された。 メロウ・イエロー・バナナムーン (別冊花とゆめ 1983年夏の号) たじろぎの因数分解 (花とゆめ 1983年9月大増刊号) 悪魔を知る者 (別冊花とゆめ 1983年秋の号) 真実のツベルクリン反応 (花とゆめ 1983年22号) 花にうずもれて (花とゆめ 1983年11月大増刊号) 空の食欲魔人 (花とゆめ 1984年1号) 進駐軍(GHQ)に言うからねっ! (花とゆめ 1984年5号) カレーの王子さま:空の食欲魔人 (花とゆめ 1984年22号) 3月革命 (花とゆめ 1984年8号) 月夜のドレス (花とゆめ 1984年12号) 悲しみのオイル・ダラー (花とゆめEX 1984年7月1日号) 甲子園の空に笑え! (花とゆめ 1984年16 - 18号) アップル・ジャック:陸の食欲魔人 (花とゆめ 1984年24号) 不思議なマリナー:海の食欲魔人 (別冊花とゆめ 1985年夏の号) ミソ・スープは哲学する:青い瞳の食欲魔人 (花とゆめ 1985年4号) ゲートボール殺人事件 (花とゆめ 1985年10 - 12号) アンドロイドはミスティー・ブルーの夢を見るか? :宇宙の食欲魔人(別冊花とゆめ 1985年夏の号) Intorlerance... あるいは暮林助教授の逆説 (花とゆめ 1985年18 - 19号) パセリを摘みに (花とゆめ 1985年23号) 銀のロマンティック…わはは (花とゆめ 1986年3 - 7号) 架空の森 (花とゆめ 1986年13号) 愚者の楽園 8月はとぼけてる (花とゆめ 1986年17号) 大地の貴族 9月はなごんでる (花とゆめ 1986年19号) 美貌の果実 10月はゆがんでる (花とゆめ 1986年21号) 笑う大天使 (花とゆめ 1987年3 - 14、17 - 19号) 笑う大天使 空色の革命 (花とゆめ 1988年3号) 笑う大天使 オペラ座の怪人 (花とゆめ 1988年6、12、16、19号) 笑う大天使 夢だっていいじゃない (花とゆめ 1988年23号) 森には真理が落ちている (花とゆめ 1988年1号) フロイト1/2 (花とゆめ 1989年4、8号) 追憶は春雨ぢゃ (花とゆめ 1989年11号) かぼちゃ計画 (花とゆめ 1989年14号) 中国の壺 (花とゆめ 1989年19、21、23号) 殿様は空のお城に住んでいる (花とゆめ 1990年4、9、14号) バビロンまで何マイル? (花とゆめ 1990年19号 - 1991年4、7 - 10、12 - 13号) 0の行進 (花曜日 1991年SUMMER号) メイプル戦記 (花とゆめ 1991年17 - 20号、1992年10号…1995年21号(不定期連載)) ヴァンデミエール 葡萄月の反動 (花とゆめ 1993年19号※、1994年6、8号) ※急病のため2Pのみ 小人たちが騒ぐので (PUTAO 1997年7月号 - 1998年6月号) ロレンツォのカエル (セリエミステリー 1997年4月号) ブレーメンII (MELODY 1999年6月号 - 2003年9月号、2004年2 - 7月号) 「〜がある」シリーズ レナード現象には理由がある (MELODY 2003年1月号) ドングリにもほどがある (MELODY 2003年11月号、2004年1月号) あの子の背中に羽がある (MELODY 2004年11月号、2005年3、8月号) 真面目な人には裏がある (MELODY 2005年10月号 - 2006年2、4月号) その理屈には無理がある (MELODY 2006年10月号) その科白には嘘がある (MELODY 2006年12月号 - 2007年2月号) グレシャムには罠がある (MELODY 2007年2、4、10月号) コメットさんにも華がある (MELODY 2007年12月号 - 2008年4月号、2011年4月号別冊ふろく) バーナム効果であるあるがある (MELODY 2011年8月号 - ) エッセイほか 本日のお言葉 (白泉社 1989年10月) 川原漫画から精選された珠玉のお言葉400余、ほか 新・本日のお言葉 (白泉社 2000年1月) 事象の地平 (白泉社 1998年7月) 川原教授のまるかじりエッセイ集 川原泉の本棚 (白泉社 2003年2月) 川原泉による選・イラストのアンソロジー本 川原泉の本棚2 (白泉社 2004年2月) デジタル原始人☆川原泉(白泉社 2022年5月)共著:福田素子 参考文献 川原泉 『笑う大天使』 1 - 3巻(花とゆめCOMICS、白泉社、1987年、1988年、1989年) 三原順 『はみだしっ子』 第1巻(白泉社文庫、1996年) 『まるごと川原泉』 1 - 3号(白泉社MELODY別冊 2004年9月増刊、2004年11月増刊、2005年1月増刊) 脚注 外部リンク 魚河岸あげ - 紀文食品魚河岸あげ特集サイト マンガでチェック!魚河岸あげ®の魅力 - 上記サイト中の漫画紹介ページ 日本の漫画家 SF漫画家 鹿児島大学出身の人物 鹿児島県出身の人物 1960年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E7%94%B0%E6%A0%84%E4%B8%80%E9%83%8E
尾田栄一郎
尾田 栄一郎(おだ えいいちろう、本名同じ、1975年1月1日 - )は、日本の男性漫画家。熊本県熊本市出身。九州東海大学中退。血液型はA型。愛称は尾田っち。既婚。2児の父。 1997年より、『週刊少年ジャンプ』で『ONE PIECE』を連載中。同作の2022年8月時点の累計発行部数は、国内累計4億1000万部、世界累計5億1000万部を突破しており、「最も多く発行された単一作家によるコミックシリーズ」としてギネス世界記録に認定されている。67巻は日本国内出版史上最高記録となる初版405万部を発行している。 来歴 油絵が趣味だった父親の影響で幼い頃から絵を描き始め、4歳の時に漫画家という職業の存在を知り「大人になっても働かなくていいんだ!」と思い漫画家を目指し始める。初めて読んだ漫画は藤子不二雄Ⓐの『怪物くん』であり、それがきっかけで漫画家になる決心をしたという。小学五年生時には『キャプテン翼』の影響でサッカー部に入部。このサッカー部での経験が元で後に自分の漫画内でチームの楽しさを描くきっかけになったと語っている。 漫画は中学2年生の頃から本格的に描き始めた。『ONE PIECE』の題材とした海賊が好きになった原点は『小さなバイキングビッケ』であり、中学時代には「ジャンプに海賊の漫画を描こう」と目標を定め、アイディアを貯め始める。高校一年生の時にサッカー部を辞め、漫画一本に集中することに決める。 1992年の東海大学付属第二高等学校在学中に月火水木金土(つきひみずきこんどう)のペンネームで投稿した短編「WANTED!」が『週刊少年ジャンプ』の新人賞の手塚賞に準入選する。1993年には「一鬼夜行」が10月期第104回ホップ☆ステップ賞にて入選を受賞。 1994年に九州東海大学工学部建築学科を1年時で中退し、甲斐谷忍・徳弘正也・和月伸宏のアシスタントを務める。アシスタント時代に描いた読切の海賊漫画「ROMANCE DAWN」が、後の『ONE PIECE』の原型となる。 1997年に『週刊少年ジャンプ』で海賊達の冒険を描く『ONE PIECE』の連載を開始。初連載ながらも1999年にはアニメ化され、国民的人気作品となった。 2002年、アニメ『ONE PIECE』の劇場版第3作『ONE PIECE 珍獣島のチョッパー王国』の同時上映作品『夢のサッカー王!』に愛称の「オダッチ」役で声優として出演。 2007年、『週刊少年ジャンプ』2007年4・5合併号に、『ONE PIECE』と鳥山明の『ドラゴンボール』のコラボ作品「CROSS EPOCH」が掲載された。 2009年にはアニメ『ONE PIECE』の劇場版10作目を記念して『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』の映画ストーリー・コスチューム&クリーチャーデザイン・製作総指揮を務める。この映画は様々な東映記録を塗り替え、漫画原作のアニメ映画としては歴代最高記録(当時)の興行収入48億円の大ヒットとなり、2010年上半期邦画興行成績ランキング第1位、2010年年間邦画興行成績ランキング第4位となった。同年、鈴木敏夫のラジオ番組『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』に出演した。 2010年、『週刊少年ジャンプ』2010年39号掲載の『ONE PIECE』第597話で物語に大きな区切りがついたことに伴い、連載を40号(9月6日発売)から43号(9月27日発売)まで4週にわたり長期休載、44号(10月4日発売)より連載を再開。甲斐谷忍はツイッターで尾田が実質休んだのは一週間のみで残りは仕事をしていたと語っている。尾田は休暇の間は家族でハワイに旅行した。 2011年、『週刊少年ジャンプ』2011年17号に島袋光年の『トリコ』のアニメ化に伴い、『ONE PIECE』と『トリコ』のコラボコミック「実食! 悪魔の実!!」が掲載された。尾田は島袋に指定されたところに絵を描いただけだが、作中には尾田の考えたモンスター「トラノイヲカルキツネノイヲカルブタ」が登場している。 2012年、初の展覧会『ONE PIECE展』の監修を務めた。テーマ曲にはかねてから親交のあった中田ヤスタカ書き下ろしの「パノラミック・エクスペリエンス」が使われた。同年、『ONE PIECE』劇場版12作目となる『ONE PIECE FILM Z』の総合プロデューサーを務めた。興行収入は『STRONG WORLD』を上回る68.7億円を記録するメガヒット作となった。 2013年5月、扁桃周囲膿瘍で入院しジャンプの連載を2週休載した。退院後は定期的に1週休載する連載シフトを敷いていた。2014年5月、病状完治を目的として扁桃腺切除の手術を受けるため、2週休載することが発表された。 2015年6月15日、『ONE PIECE』が「最も多く発行された単一作家によるコミックシリーズ」としてギネス世界記録に認定され、「漫画界の先人達または協力者達、読者の皆様への感謝を忘れず、これからも記録に恥じぬ作品を描いていきたいと思います」とコメントした。 2016年の熊本地震では、復興支援として『ONE PIECE』の主人公ルフィ名義で8億円を寄付。また、南阿蘇鉄道のラッピング車両等にイラスト提供を行うなど復興プロジェクトに協力。復興活動への尽力が評価され、2018年4月4日に熊本県民栄誉賞を受賞した。 2023年6月6日、目の手術を受けるため『週刊少年ジャンプ』での『ONE PIECE』の連載を29号(6月19日発売)から32号(7月10日発売)まで4週にわたり休載することを発表。 受賞歴 「FLY UP BOY」で第69回ホップ☆ステップ賞最終候補 1992年下期 - 「WANTED!」で第44回手塚賞準入選(「月火水木金土」名義) 1993年 - 「一鬼夜行」で第104回ホップ☆ステップ賞入選 2000年 - 『ONE PIECE』で第4回手塚治虫文化賞最終選考6位 2001年 - 『ONE PIECE』で第5回手塚治虫文化賞最終選考6位 2002年 - 『ONE PIECE』で第6回手塚治虫文化賞最終選考6位 2006年 - 『ONE PIECE』で日本のメディア芸術100選マンガ部門選出 2012年 - 『ONE PIECE』で第41回日本漫画家協会賞大賞受賞 2018年 - 熊本県民栄誉賞 2019年 - Yahoo!検索大賞作家部門賞 2023年 - 第18回渡辺晋賞、第42回藤本賞 特別賞 人物 一番好きな『ジャンプ』作品は『キン肉マン』とジャンプ30周年の際のコメントで答えている。『ONE PIECE』内の隠れキャラクターパンダマンは、元々は尾田が『キン肉マン』の超人募集に応募した際に生まれたキャラクターである。 最も尊敬する漫画家は鳥山明。「神様」とまで表現しており、仕事机から仰ぎ見る位置に鳥山のサインを飾ってある(このサインを手に入れるため、徳弘正也に頼んで鳥山のところに連れていってもらい、握手している写真も撮った)。 大御所扱いされるのを嫌っており、担当編集者にも「尾田先生」とは呼ばせないようにしている。 嫉妬するほどいい作品として新川直司の作品である『四月は君の嘘』を挙げている。その理由は「漫画での表現が最も苦手とするジャンルである『音楽』の表現を見事にうまく表現している」からである。 2016年7月10日に放送されたフジテレビ系『伝説の瞬間発掘ファイル〜アニメ編〜』の番組内で、『ONE PIECE』ファンであるサッカー選手・香川真司とプレゼント交換をし、自分のプレゼントが渡った瞬間を映像で見たいという香川の要望に対し、顔出しNGの条件付きで初めて日本のテレビ番組に出演した。 アトリエは自宅と併設されている。2019年1月9日に放送されたフジテレビ系『ホンマでっか!?TV』の番組内で、『ONE PIECE』のファンである司会の明石家さんまや、尾田と親交がある木村拓哉などが尾田の自宅に訪問する様子が放送された。 交友関係が広く、サッカー選手の香川真司、歌手のきゃりーぱみゅぱみゅ、桜井和寿、木村拓哉、明石家さんまなどの著名人とプライベートで仲が良い。 尾田のアシスタントを務めた池沢春人によれば、寝るとき以外はずっと漫画を描いている。安藤英によれば、締め切り近くになると3時間も寝ず、「眠くなるから」と言って食事もとらない。 趣味 趣味は映画鑑賞で、好きなジャンルは任侠映画と西部劇。任侠映画の『次郎長三国志』を偏愛しており、2011年に発売されるDVDボックスのイラストも手掛けている。加藤泰や山中貞雄の映画も好み、任侠映画全般を愛好している。また、『バグダッド・カフェ』も好きな作品で、『ONE PIECE』に登場する「スパイダーズカフェ」は、『バグダッド・カフェ』の舞台をモチーフにしている。 Mr.Childrenのファン。映画主題歌をMr.Childrenとすることを条件として『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』での仕事を引き受けた。 執筆姿勢 ONE PIECE関連 『ONE PIECE』は少年のものであるべきと考え、「作中で恋愛を描かない」、「殺人や死亡シーンをなるべく描かない」、「戦いの後には仲間たちとの楽しい宴が始まる」といった制約を設けて執筆している。また、毎週15歳の頃の自分が楽しめるか確認している。 『ONE PIECE』というファンタジーの世界で、どこかにリアリティを求めるとすれば、それは人間の感情だと思っている。そこはしっかり守っていかないと、全部嘘っぱちになると語る。 『ONE PIECE』のラストは連載前から決めてある。最終章が一番盛り上がる漫画にする。担当編集者の引継ぎの際には毎回、尾田から担当に直接、ラストまでの大まかなストーリーラインを提示する。2010年7月の時点で物語の半分くらい。 今後『ONE PIECE』以外の長編はもう描かないと決めている。理由は、体力的に次の長期連載をやるのは無理だから。 『ONE PIECE』は当初5年で完結させる予定だった。新しい島に行けば新しい仲間がいてすぐに仲間になってくれるから、1年半で仲間は全員集まるだろうとゲーム感覚で考えていたからである。ところが、キャラクターたちはゲームではなく、人間だった。麦わら帽子をかぶった手足が伸びる人間が現れて「海賊になろう」と言われても、仲間になってはくれない。相当なエピソードがなければ、仲間になろうとは思えない。そこが大きな誤算だったという。 『ONE PIECE』はラストが決まっている以上、早く最後の画に行き着きたいという気持ちがどこかにある。しかし、キャラクターの気持ちは一人一人丁寧に考えて描きたいし、それを捨て駒のように扱いたくもないから、いざ描くとなるとどうしても長くなってしまうと語る。 『ONE PIECE』が予想以上の長寿漫画となったことで、新たに、「読者が卒業することなくずっと読み続けて、それぞれ家庭を持ち子供が出来たら親子で一緒に読んで欲しい」という野望ができた。 『ONE PIECE』の新しいシリーズを始めるときは、毎回新しく漫画を描くつもりでやっている。一休みして別の漫画を始めても、この漫画で全部やってしまっても、作家としてのやりたいものの消化という意味では同じだと考えている。 『ONE PIECE』の主人公とは長い付き合いになると思ったので、尾田の中で一番作りこまずに、自然に描けたキャラクターがルフィとなった。しかし、作りこまなかった分、本当の姿も模索していた。尾田が初めてルフィの本当の姿に気付いたのは、ウソップ編になってから。ウソップがクラハドールを殴った後、第25話でルフィが子供たちと一緒になって「ばーか!!」と言ったとき、「あ、ルフィって子供なんだ」と気付いた。それまでは17歳の冒険好きの少年という設定が頭の中にあり、理屈でゴチャゴチャとキャラクターを考えていたのだが、ルフィは自分の理想の子供を描けばいいんだと気付いてからは、ルフィは勝手に動き、喋り、笑い、怒るようになっていったという。 尾田は、ルフィの兄であるエースが死を迎える場面を描いたことについて「本当に悩みました」「読者の反響は僕の想像以上でした」と振り返っている。尾田はこのシーンを描いたことについて「ルフィが前に進むためには、大きな試練を経験させる必要があった」と語り、「僕もルフィと一緒に乗り越えなければいけない所でした」「楽しいばかりでは、長い連載はやっていけないんです」と明かしている。 ルフィたちに「2年間の修業期間」を設けたことについては、「四皇などの敵に勝つには、2年間が必要だった」「17歳のルフィでは勝てるはずがなかった」と明かしている。仲間たちと再会までの期間を「2年」としたのは、「ルフィをそこまで大人にしたくなかった。少年漫画であることにこだわりたかったんです」と述べている。 漫画関連 世の中に対してどうこうと言う難しいメッセージは作品に込めない。テーマは、物語をまとめるための道具であって、受け手に何かを考えさせようという意識はない。あくまで娯楽作品として描いている。 話作りの方法としては、まず、見せ場を思い浮かべて、次に、そこを読者にとってグッとくるものにするために必要なストーリーを考える。 話作りは執念だと考え、どんな話をやろうとも面白くなる術があると信じている。キャラクターは勝手に動き出すが、その行動の中で一番面白い行動、違和感のない行動が絶対に存在する。その面白い行動を、誰かと掛け合わせることで、さらに面白くなる。それを執念で見つけ出す。 漫画もアニメも、基本的に、ストーリーよりも演出の方が重要だと考えている。 感動的なエピソードについて、キャラクターが動き始めたときに、自分で少し手を貸して演出を加えることで、それを一つの感動的な話に仕上げることはあるが、初めから感動話にしようと狙って書いたことは一度もない。感動話はキャラクターの感情の盛り上がりから生まれるもので、作家が感動させることを目的に話を作ってしまったら、キャラクターを押しつぶしてしまうと語る。 キャラクターが泣くシーンは、自分自身が泣けないと涙を流させない。 「10のことを伝えるため100を描く」、「普通の漫画の3倍のエピソードを盛り込むのが自分のテーマ」と語っている。 普通、話を作って進めるにはメインの人達だけ描けばいい。しかし自分は、それに対して町の人たちがどう思っているのかというような、その画面に収まっている全ての感情を描きたい。カメラである場所を写したときに、一番ものすごいリアクションをとるのが主役で、それに対する反対意見もあるだろうし、同調もある。それらを全部まとめて描いていかないと、そのシチュエーションや時代背景は表現しきれないと語る。 セリフでの説明は本当はしたくない。絵と動きで表現して分からせたい。しかし、伝わらなければ意味がない。作家的なこだわりを捨てて説明してでも、伝えなければならないシーンは沢山あると語る。 担当編集者にはアイディアを出さない様にしてもらっている。理由は人に頼ってしまったり、人のせいにしてしまわないようにするため。ただし、気になることがあれば遠慮なく指摘してほしいと語っている。 見たこともないキャラクターのシルエットが出来た瞬間が一番嬉しい。漫画で一番やりたいのは、ストーリーではなくキャラクターの造形。こんなスタイルの人間は可能かな、と、あれこれデザインしている時間が楽しいと語る。 キャラクターの性格は描いているうちに分かることもあれば、ノリで出た口癖がそのキャラクターの根幹になることもある。何はともあれ「絵」。面白い顔ができれば、その顔が変なことをしゃべり始める。そうなればしめたものだという。 時代は感じさせないようにしている。流行りもののネタは絶対に扱わないし、すたれていくと分かっているものは扱わない。昔から残っている古典的なものや、自分から発信されていくもので構成すれば、古さは出ないと思っている。 週刊連載で、毎週何か一つは読者をビックリさせるものを入れようと思っている。読者が次の号を待っている間にこうなるんじゃないかと想像するものよりも凄いものを見せたいと語る。 群集シーン、動物、煙、雲、海など、「生きて動く物」は全て自分自身で描いている。 回想シーンは過去に描いたものは使わず、全て新規描き下ろしにしている。 スクリーントーンは貼り始めるときりがなく時間がかかるため、ほとんど使わない。 1週間のうち、ネームに3日、作画に3日、残りの1日を単行本作りなど連載以外の作業に使うのが基本のペース。 カラー原稿には2日かける。何を描くかを決めるのに一番時間がかかり、それに丸一日は費やす。色づけは基本的にコピックで行う。江戸絵を描くときにはホルベインの色鉛筆を使う。WJ表紙イラストだけは編集部から「秋なので運動会をテーマにして欲しい」などの注文があり、その枠の中で描くが、見開きの扉絵やコミックスのカバーなどに関しては自由に描いている。 新学期に友達を作るのに役立つなど、人と人とをつなぐことが、自分が漫画を描くことの役割の一つではないかと考えている。 各キャラクターの感謝やお礼の言葉は、最もストレートな「ありがとう」で可能な限り統一している。 評価の声 井上雄彦 『井上雄彦ぴあ』(2009年)での対談で、「連載の第一話を読んだ時点で『すごい漫画が始まった』『間違いなく大丈夫だと確信した』と思った」「作者が伝えたい意思が満ち溢れている」「『ONE PIECE』のすごいところはルフィの目が点なところ。“面白いものはあれこれ足さなくても面白い!”という意思表現の象徴」と賞賛。 鳥山明 尾田の画集『COLOR WALK 1』(2001年)での対談で、「『ONE PIECE』を子供に勧められて読んでみたら、どうして皆がワンピースワンピースって騒ぐのかよく分かった」「このまま王道を描き続けてほしい」と語っている。 藤子不二雄Ⓐ 『COLOR WALK 2』(2003年)での対談で、「自分の好きなことを描いてそれが読者にウケているという理想的な流れを感じる」と評価。 天野喜孝 『COLOR WALK 3』(2006年)での対談で、「絵の中に視点が入り込んでる」「キャラクターがこちらに飛び出してくる」として賞讃。 やなせたかし 『COLOR WALK 4』(2010年)での対談で、「何よりも自分が楽しんで描いているのがよく分かる」「手塚治虫、白土三平、浦沢直樹、三浦建太郎の作品を読んだときと同様にショックを受けた」と語っている。 松本大洋 『COLOR WALK 5』(2010年)での対談で、「尾田さんの絵はこれぞ漫画!って感じがする」と評価。 稲垣理一郎 「この人は本当にナチュラルボーン少年漫画家」と絶賛。 和月伸宏 「漫画の申し子のような人」と評価。 富野由悠季 「誰にもない自分だけに固有の価値なんてものを持ってるのは、それこそ尾田栄一郎ぐらいだよ」と語っている。 細田守 webアニメスタイル 特別企画ミニインタビュー『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』細田守インタビュー(1)で原作について「面白かったです。よくできた少年マンガだなと思いましたよ。あるべき少年マンガの姿だな、と思いましたけどね。」と語っている。 久島(デビュー前に尾田を担当していたジャンプ編集者) 初対面の時点で他の新人漫画家とは違う雰囲気と感じ成功を確信、アシスタント修行へ行かせたり、喧嘩のように激しい打ち合わせをしながら読み切りを作成させるなど尾田の地力を養わせた。また、「根性が凄く、読み切りを全てボツにしても一週間後には別のネームを仕上げてきた」「日本人の根底にある浪花節的なものを自分の柱にもっており、それを作品内でしっかり描けている」とも評している。 服部ジャン=バティスト哲(6代目ジャンプ担当編集者) 「面白い作品を届けるために超人的なパワーを発揮する」と語っている。 作品リスト 漫画作品 書籍 いずれも、集英社より発行。 漫画単行本 いずれも、〈ジャンプ・コミックス〉より新書判で発行。 『ONE PIECE』1997年 - 続刊中、既刊106巻 『WANTED! 尾田栄一郎短編集』1998年11月9日第1刷発行、 画集 ONE PIECE 尾田栄一郎画集 COLOR WALK(2001年7月発行、) ONE PIECE 尾田栄一郎画集 COLOR WALK 2(2003年11月発行、) ONE PIECE 尾田栄一郎画集 COLOR WALK 3 LION(2006年1月発行、) ONE PIECE 尾田栄一郎画集 COLOR WALK 4 EAGLE(2010年3月発行、) ONE PIECE 尾田栄一郎画集 COLOR WALK 5 SHARK(2010年12月発行、) ONE PIECE 尾田栄一郎画集 COLOR WALK 6 GORILLA(2014年1月発行、) ONE PIECE 尾田栄一郎画集 COLOR WALK 7 TYRANNOSAURUS(2016年7月発行、) ONE PIECE 尾田栄一郎画集 COLOR WALK 8 WOLF(2018年3月2日発売、) ONE PIECE 尾田栄一郎画集 COLOR WALK 9 TIGER(2020年9月16日発売、) ONE PIECE 尾田栄一郎画集 COLOR WALK 10 DRAGON(2023年4月4日発売、) ONE PIECE FILM STRONG WORLD EIICHIRO ODA ARTBOOK(2009年12月発行、) その他 映画『夢のサッカー王!』(2002年、『ONE PIECE 珍獣島のチョッパー王国』の同時上映作品) - オダッチ役で声優として出演。 ゲーム『From TV animation ONE PIECE ナナツ島の大秘宝』(2002年) - オウムデザイン 映画『ONE PIECE THE MOVIE エピソードオブチョッパー+ 冬に咲く、奇跡の桜』(2008年) - 企画協力・オリジナルキャラクターデザイン ゲーム『ONE PIECE アンリミテッドクルーズ』(2008年) - オリジナルキャラクターデザイン 映画『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』(2009年) - 映画ストーリー・コスチューム&クリーチャーデザイン・製作総指揮 最強ジャンプマスコットキャラクター『ファラオン』(2011年) - キャラクターデザイン 映画『ONE PIECE FILM Z』(2012年) - 総合プロデューサー 週刊少年ジャンプ45周年記念マスコットキャラクター『ジャッター』(2013年) - キャラクターデザイン ゲーム『ONE PIECE アンリミテッドワールド レッド』(2013年) - オリジナルキャラクターデザイン 映画『ONE PIECE FILM GOLD』(2016年) - 総合プロデューサー 映画『ONE PIECE STAMPEDE』(2019年) - 監修 映画『ONE PIECE FILM RED』(2022年) - 総合プロデューサー 関連人物 漫画家 師匠 甲斐谷忍 『翠山ポリスギャング』の製作に参加。 徳弘正也 甲斐谷の元でアシスタントを務めた後、『ジャングルの王者ターちゃん♡』『水のともだちカッパーマン』の製作に参加。尾田は徳弘の元でアシスタントをしていた際、人物の輪郭の描き方や表現手法などを学ばせてもらった。同時期に徳弘から言われた「描き込みは伝わるんだぞ」という言葉は最も印象に残っているという。 和月伸宏 『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』の製作に参加。同時期に和月の元でアシスタントを務めた人物として、武井宏之、しんがぎん、いとうみきお、鈴木信也がいる。 尾田は和月、武井と共に、安西信行のサークルが発刊した『機動戦士ガンダム』の同人誌『DRILL GUNDAM』(2000年)に「ザク」のイラストを寄稿している。 漫☆画太郎 『まんゆうき 〜ばばあとあわれなげぼくたち〜』の第1話の製作に参加。 アシスタント キユ(松井勝法) 江尻立真 池沢春人 安藤英 天望良一 芝田優作 石山諒 その他 島袋光年 同世代の漫画家で、仲のいい友人。デビューが決まった際はお互いに電話で報告し合った。 岸本斉史 共に1974年度生まれで、デビューも近い。岸本の代表作『NARUTO -ナルト-』は『ONE PIECE』と双璧の人気を博した。互いに友でありライバルと認め合っており、家族ぐるみでも親交が深い。 栗原正尚 共に第44回手塚賞の受賞者。尾田は栗原の『怨み屋本舗 EVIL HEART』第2巻に描き下ろしイラストを寄せている。 担当編集者 ダッチー(本名不明)(『ONE PIECE』連載前、月刊少年ジャンプ時代) 久島(『ONE PIECE』連載前、週刊少年ジャンプ時代) 浅田貴典(1996年 - 2001年4月頃) 土生田高裕(2001年4月頃 - 2005年2月頃) 渡辺大輔(2005年2月頃 - 2006年10月頃) 川島直樹(2006年10月頃 - 2007年11月頃) 大西恒平(2007年11月頃 - 2008年6月頃) 服部ジャン=バティスト哲(2008年6月頃 - 2010年12月頃) 井坂尊(2010年12月頃 - 2014年6月頃) 杉田卓(2014年6月頃 - 2017年1月頃) 内藤拓真(2017年1月頃 - 2019年) 高野健(2019年 - 2020年) 岩崎湧治(2020年 - 2023年) 穴山(2023年 - ) 声優 アニメ『ONE PIECE』のメイン声優陣とは深い親交があり、「プロのエンターテイナーとの交流はいい刺激になる」と語っている。 田中真弓 モンキー・D・ルフィの担当声優。 尾田は読み切りの時からルフィの声優には田中がいいと考えていたが、その意向を伝えておらず、オーディションに田中が参加して驚いたという。 大谷育江 トニートニー・チョッパーの担当声優。 尾田は「客にこび、甘ったれた『マスコットキャラ』という奴らが嫌い」だったため、当初チョッパーの口元を本物のトナカイと同じく隆起させていたが、アニメで小泉昇の描く可愛らしいチョッパーと大谷の「反則もの」の声に感化され、考えを変えてマスコット・チョッパーを徹底的に解禁した。 矢尾一樹 フランキーの担当声優。 フランキー以前に矢尾がジャンゴ役で出演してからの友人関係。フランキーは、アニメの初代プロデューサーから「アニメは長寿番組になるから、声優陣に違う風を吹かせるためにも矢尾一樹が麦わらの一味に入れるようにしてくれ」とオーダーがあり、矢尾をイメージして作られている。 中井和哉、岡村明美、山口勝平、平田広明、山口由里子、チョー それぞれロロノア・ゾロ、ナミ、ウソップ、サンジ、ニコ・ロビン、ブルックの担当声優。 脚注 注釈 出典 日本の漫画家 熊本市出身の人物 東海大学付属熊本星翔高等学校出身の人物 日本のギネス世界記録保持者 1975年生 存命人物
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唐沢なをき
唐沢 なをき(からさわ なをき、男性、1961年10月21日 - )は、日本の漫画家、同人作家。 本名は唐沢 直樹。別筆名に南里 こんぱる。兄の唐沢俊一との共著では唐沢商会名義を使っていた時期もあるが、現在は両名の並記が主である。 経歴 北海道札幌市出身。薬局を営む両親の元に生まれる。生まれてからしばらく、昼間のうちは親戚の家に預けられて育てられていた。幼少時代はテレビアニメ『鉄人28号』や特撮『ウルトラQ』、『ウルトラマン』に熱中。 漫画では特に赤塚不二夫から大きな影響を受けて育った。実家である薬局に余っていた大学ノートとボールペンを利用して怪獣図鑑や漫画を描き始め、高校時代までに約50冊分のノートに漫画を描いていた。 高校に入ると、兄に誘われて同人誌活動を始める。同時期、札幌では島本和彦とあさりよしとおが同人活動しており、同人誌即売会で机を並べることもあった。高校卒業後は多摩美術大学付属の専門学校に入学するために上京。卒業を控えて就職活動でデザイン会社にいくも、担当者から生活態度まで全否定を受けてその帰りの電車の中で漫画家を目指すようになる。 漫画家デビューのため小学館へ持ち込みを開始するが 持ち込み時代はギャグや絵柄について否定され続け、時として高橋留美子の絵柄を真似るように言われたという。この時期に小学館の編集者から紹介されて弘兼憲史のアシスタントを1年ほど勤める。 白泉社の担当から評価されて、1985年に「南里こんぱる」のペンネームで同社の『月刊コミコミ』1986年1月号に掲載された『無敵刑事』でデビュー。同年末にコミコミ編集部の紹介でとり・みきのアシスタントを始める。『コミコミ』での仕事は3ヶ月に1回しかなく他に月数回のアシスタントのとエロ雑誌のカットだけが収入源 だったが、作品については特に文句を言われなくなったという。 徳間書店の『ハイパーゾーン』に持ち込んだのをきっかけに『月刊少年キャプテン』から読切の仕事を貰う。それ以後、連載も増えて順調に仕事を続けられるようになり、20年以上精力的に執筆している。 2009年、NHK『マンガノゲンバ』の取材を受けるが、この時のスタッフの態度があまりに非常識だったため、途中で出演を辞退している。この件は「まんが極道」の中でネタにしている。 2012年10月1日より読売新聞夕刊にて4コマ漫画『オフィス ケン太』の連載を開始。同紙夕刊での4コマ漫画連載は、鈴木義司『サンワリ君』(2004年7月2日連載終了)以来8年3ヶ月ぶりとなる。 日本漫画家協会の参与を務めている。 作風 もっぱらギャグ漫画のフィールドで活躍している。漫画の常識や漫画という体裁・メディア性そのものをネタとする、実験的なメタ・ギャグを得意とする。その作風はデビュー以前からほとんど変わっていないという(ただし、初期はほとんどなかった下ネタやプライベートな内輪ネタを扱うようになるなどの変化もある)。パロディ・オマージュ・揶揄も好んでネタとし、ギャグとして他の漫画家の絵柄や作風を模倣することも多い。特に杉浦茂など、昭和の漫画家の作風をリスペクトしている。 兄・唐沢俊一原作のものを除き、ほとんどの作品は短編連作または4コマ漫画。また非常に多作であることも特徴で、一時期は月30本の締切を抱えていた。本人の弁によれば「細かい仕事をたくさんこなしていかないと食べられないだけ」という。 『電脳炎』『電脳なをさん』『パソ犬モニ太』などパソコンをネタにした漫画も生み出しているが、自身はパソコンなどコンピューターが苦手であると語り、『電脳炎』に出てくるパソコン嫌いのお父さんは自分がモデルだとしている。 人物など 血液型はB型。 趣味・嗜好 子供の頃はかなりの偏食で「海臭い物は全てダメ」だったという。当然魚類も苦手だったが、握り飯の中に入った鮭の切り身を美味いと感じてから、徐々に克服していった。 上述の通り大の怪獣及び特撮好きで、漫画にそれを生かしている他にも、著名人との対談集『怪獣王』を出版している。妻・唐沢よしこは当初怪獣の知識が全く無かったため、良い夫婦関係を築くためにもということで、いくつかの特撮作品を鑑賞させた。結果、大ハマりしたのは『ウルトラマンタロウ』だったが、これは唐沢も予想だにしなかったという。 筆名 デビュー当時に使用していた南里こんぱると言うペンネームは、昭和初期の俳優で後には企画スタッフとしても東映映画に関わった南里金春の名前をもじったもの。なお、唐沢は後年刊行された初期作品集の名前に「金春」と名付けている。 なをき・俊一のそれぞれの名前、及び「唐沢商会」は作品によっては「唐澤商会」「唐澤なをき」のように「唐沢」が「唐澤」と表記される場合がある。 名前が似ているせいか、浦沢直樹と間違えられる事があるらしい。 家族・親族 妻はエッセイストの唐沢よしこ。作家で「と学会」元運営委員でもある唐沢俊一は実兄。 叔父:小野栄一 妻:唐沢よしこ 兄:唐沢俊一 義姉:ソルボンヌK子 作品リスト 現在連載中の作品 俺とねこにゃん(モバMAN) パチモン大王(フィギュア王) ぶよ通信(ガンダムエース) モニ太のデジタル辞典(YOMIURI ONLINE)- イラスト担当、文は唐沢よしこ担当 唐沢なをきの必殺! 屋根落とし!!(時代劇専門チャンネル) オフィス ケン太(読売新聞夕刊) 過去の主な連載作品 カスミ伝シリーズ カスミ伝(月刊少年キャプテン) カスミ伝S(アスキーコミック→コミックビーム) カスミ伝△(月刊マガジンZ) ホスピタル(月刊アニマルハウス) 鉄鋼無敵科學大魔號(月刊少年キャプテン) 鉄鋼無敵科學大魔號改(マガジンGREAT) BURAIKEN(ぶらいけん)(月刊アニマルハウス) 夕刊赤富士(夕刊フジ) 必殺山本るりこ(コミックガンマ) 学園天国(小説すばる) ヌルゲリラ(ファミ通) からまん(週刊SPA!) 二十一世紀科学小僧(コミックビンゴ) 怪奇版画男(ビッグコミックスピリッツ21) 唐沢なをきのうらごし劇場(B-CLUB、AX、1994年 - 2000年)2001年に単行本化 けだもの会社(MANGAオールマン) さちことねこさま(コミックビーム) パソ犬モニ太(読売新聞夕刊) 漫画家超残酷物語(月刊IKKIなど) 唐沢なをきの幻獣辞典(マガジンGREAT) ウルトラファイト番外地(特撮エース) 犬ガンダム(月刊ガンダムエース) 電脳炎(ビッグコミックオリジナル) がんばれみどりちゃん(イブニング) けんこう仮面(ビッグコミックオリジナル増刊) - 唐沢よしこと共著 機動戦士ぶよガンダム(ガンダムエース) ヌイグルメン!(イブニング) とりから往復書簡(月刊COMICリュウ) - とり・みきとの共著 電脳なをさん(週刊アスキー→cakes、2020年5月に連載終了) 僕らの蟹工船 小林多喜二『蟹工船』より(コミックビーム) まんが家総進撃(コミックビーム) 短編集 八戒の大冒険(1988年3月20日、徳間書店) 八戒の大冒険(1991年9月1日、白夜書房) 八戒の大冒険 2002 REMIX(2002年3月8日、エンターブレイン) 金春(1989年8月31日、白泉社) 金春-唐沢なをき初期傑作集-(2004年、エンターブレイン) 百億萬円(1992年4月20日、扶桑社) ハラペーニョ(1996年10月22日、アスキー) 唐沢なをきの楽園座(1997年8月27日、講談社) YAPOOS - ヤプーズ -(1997年10月22日、アスキー) 唐沢俊一との共著 挿絵 爆笑三国志シリーズ 念術小僧 大江戸サイキックボーイ(加藤正和) 猫丸先輩シリーズ(倉知淳) 猫丸先輩の推測 猫丸先輩の空論 ほうかご探偵隊(倉知淳) その他 バラバラくん - 絵本 おへそに太陽を - 山中恒よみもの文庫 理科子先生と学ぼう! - キャラクター。読売新聞 第3水曜日掲載。 唐沢なをきの大富豪(ボトムアップ、1997年)- パソコンゲーム モロ★次元世界物語(『諸星大二郎 デビュー50周年記念 トリビュート』収録、2021年) あの日の生物都市(『諸星大二郎 デビュー50周年記念 トリビュート』収録、2021年) 関連人物・交友関係 兄の俊一曰く「親戚づきあいなどはかなり苦手なのだが、交友関係は広く、マンガ業界からSF業界、映像業界に至るまで人脈を持っている」という。 唐沢俊一 なをきの兄。小学生時代から新しい漫画を描くたびに兄に見せていた。なお、なをきは登記上は兄の個人事務所の監査役である。 伊藤剛 93~94年の約二年弱浦沢直樹の、95年から97年まで断続的に唐沢なをきのアシスタントを努め「山本直樹先生のところに一度でも行けてれば3なおき揃い踏みだったのですが」と呟く 。 とり・みき アシスタントを経験。とり・みきは初めてなをきの作品を褒めた人物であり、そのことが持ち込みでボロボロになったなをきの心の支えとなった。『ひぃびぃ・じぃひぃ』や『愛のさかあがり』など手伝っていた。後に『とりから往復書簡』を連載する。ただしアシスタント時代の2人の間に会話は少なく、後になをきはとり・みきの影響を受けたと言われていることについて、とり・みき自身は否定している。 弘兼憲史 1年ほどアシスタントを経験。漫画の基礎を学んだが、弘兼との間に共通の話題は無く、会社のように規則正しい職場にも馴染めずにいた。『課長島耕作』の最終巻に歴代アシスタントとして「唐沢なをき」の名前が載った時が、漫画家になってから友人・知人の反応が一番大きかったという。 菅野博士 デビュー前からの友人。 星里もちる 「キャプテン」時代からの友達。星里の結婚式でのクイズ大会でなをきは車を当てたことがある。 永野のりこ 『怪獣王』では対談を行なっている。新人時代、なをき・星里・永野の3人は「キャプテン三羽烏」と言われ、注目を集めていた。 瀬奈陽太郎 元アシスタント。 関連番組 BSマンガ夜話『カスミ伝S』(2001年2月26日 NHK BS2)- 他に『怪奇版画男』や『電脳なをさん』についても触れた。推薦者の岡田斗司夫は、唐沢とは面識がなかったものの、兄の俊一とは親しく、また『電脳なをさん』と同じ「週刊アスキー」で連載を持つなど、縁はあった。 脚注 参考資料 とり・みき『マンガ家のひみつ』徳間書店、1997年 ISBN 4-19-860699-4、125-148頁 唐沢俊一『B級学「マンガ編」』海拓舎、1999年発行 ISBN 4-907727-00-3、184 - 216頁 おしぐちたかし『漫画魂 おしぐちたかしインタビュー集』白夜書房、2003年 ISBN 4-89367-911-2、45-52頁 外部リンク からまん - 公式サイト。よしこ夫人が運営している。 これまでのキャラ掲載 からまんブログ - 唐沢とよしこ夫人のブログ。 マンガ家・唐沢なをきの軌跡 - オレのギャグマンガ道 - マイナビニュースでの唐沢のインタビュー。 日本の漫画家 SF漫画家 新聞連載の漫画家 同人作家 札幌市出身の人物 1961年生 存命人物 日本のサブカルチャーに関する人物
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玖保キリコ
玖保 キリコ(くぼ きりこ、1959年5月21日 - )は、日本の女性漫画家。東京都文京区出身。本名・福住 幸恵。東洋大学文学部英米文学科卒業。 東京の大学で英米文学を教えていたイギリス人と結婚し1996年に渡英し、現在はロンドン在住。 概要 1982年『LaLa』掲載の「物思いモノローグ」でデビュー。『シニカル・ヒステリー・アワー』の連載で人気を得る。『いまどきのこども』で、男性読者にも知られるようになった。 ピッキーピクニックというバンドにも参加していた。 小学館の『マミイ』の表紙に、2000年4月号から2007年9月号までイラストレーションを掲載した。 主な作品 シニカル・ヒステリー・アワー(1982年 - 1995年、白泉社 LaLa、全14巻)のち文庫 くるくるシニカル 帰ってきたツネコちゃん(2005年 - 2007年、白泉社 Silky、全1巻) いまどきのこども(1986年 - 1994年、小学館 ビッグコミックスピリッツ・小学一年生・小学六年生、全13巻)のち文庫 シンプルマインズ 白泉社、1987 アレルジィ 白泉社、1988 キリコのコリクツ(エッセイ)本本堂、1989 のち角川文庫 女社長(1991年 - 1993年、小学館 ビッグコミックスピリッツ、全3巻) キリコのドッキリコ みぢかなところにキケンがいっぱい 角川文庫 1992.9 夫とその妻 マガジンハウス 1992.3 現代犯罪図鑑 別役実共著 岩波書店 1992.3 バケツでごはん(1993年 - 1996年、小学館 ビッグコミックスピリッツ、全8巻)のち文庫 それなりのジョーシキ 角川書店 1994 のち文庫 電脳繁盛記 毎日コミュニケーションズ 1996.3 非常識がジョーシキ 角川書店 1996 のち文庫 ジョーシキ一本釣り 角川書店 1997 のち文庫 はんきいぱんきい 白泉社 1997.8 ちょべりぶ(1998年 - 1999年、小学館、全3巻) ホテルニューからまつ 文藝春秋 1998.3 キリコ百貨店 節分ショー(2000/2、小学館 My First BIG) キリコ百貨店 祝ひな祭り(2000/3、小学館 My First BIG) キリコ工場(2000/5、白泉社 ジェッツコミックス) キリコ・ロンドン 角川書店 2000.8 カエル屋敷のベンジャミン 小学館 2001.5(ビッグコミックスペリオール) 動物占い アニマルマニア(2000年 - 2002年、小学館 ビッグコミックスピリッツ、全3巻) となりのモモゴン 岩崎書店 2002.11 中級キリコ・ロンドン 角川書店 2002.12 しましまおばけ 白泉社 2003.11 モモゴンのクリスマス 岩崎書店 2003.11 ヒメママ(2007年 - 2009年、ウフ マガジンハウス、全3巻) 三匹、おうちにいる(福音館書店 母の友) てきとーロンドナー(2009年 - 、白泉社 Silky)※連載中 ロンドン丼 英国暮らしは毎日がドッキリコ! 角川書店 2012.07 カンデム地球防衛隊(2018年11月25日 - 隔週日曜日更新、白泉社 マンガPark)※連載中 注釈 外部リンク 玖保倉庫玖保キリコのブログやブログ内のマンガもある。 日本の漫画家 東京都立大泉高等学校出身の人物 東洋大学出身の人物 東京都区部出身の人物 ナゴムレコード 在イギリス日本人 1959年生 存命人物
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倉田真由美
倉田 真由美(くらた まゆみ、1971年〈昭和46年〉7月23日 - )は、日本の漫画家。本名:叶井 真由美。通称「くらたま」。MIYN(ミューン)所属。血液型O型。代表作は『だめんず・うぉ〜か〜』。 一橋大学商学部卒業。元NHK経営委員会委員。恵泉女学園大学非常勤講師。 略歴 中学・高校時代 福岡県出身。本人によれば、中学3年生の時にスパルタの塾に通って猛烈に勉強したため、大学にはその余力で受かったみたいなものと述べている。 高校時代は「それほど熱心に勉強せずにマンガを描きながら、勉強もしたという感じが近い」と述べている。 大学受験 福岡県立福岡高等学校3年の頃は小学館や集英社のある東京に憧れ、東京の大学への進学を希望していたが、親からは地元の九州大学より上の国立大学でないとダメだと言われていた。そこで高校では理系であったが、大学受験ではこだわらず、前期に理系の東京工業大学、後期に文系の一橋大学商学部を受験した。 ところが大学入試の前日にも持ち込み原稿を持参し出版社巡りを行い、最後に回った講談社では「まずは受験をしっかりやれ」と言われたという。東京工業大の入学試験で不合格となるが、後期で一橋大学商学部に合格、同大学に入学した。 大学時代 サッカー部の主将に初恋をし、マネージャーとして入部。その後は恋愛に夢中になり、漫画を描くことを止めていた。さらに同じゼミの、当時既にプロの漫画家であった黒田硫黄と自分の画力の差に愕然とし、漫画家になることを断念した。 漫画家デビュー 倉田の漫画家活動は就職活動に失敗したことから始まる。大学4年の就職活動で山一證券の最終面接まで残ったが、面接官からこの会社を選んだ理由を聞かれた倉田は「歯医者が近いので」と思ったことをそのまま口に出してしまったために面接官の不興を買い、最終面接で落とされた。このエピソードを元に就職活動に失敗する女子学生を描いた漫画を、『ヤングマガジン』ギャグ大賞に応募。大賞を受賞し、デビューを果たした。 ヒット作には恵まれなかったが、雀荘従業員や学習塾講師などのアルバイトの傍ら、漫画の創作を続けた。2000年に週刊誌『SPA!』で、大きな欠陥のある男性との交際を繰り返す女性たちについて描いた作品『だめんず・うぉ〜か〜』の連載を始め、ブレイクを果たす。以後、恋愛・男女関係やコミュニケーションに関する仕事が増える。現在では漫画家としてだけではなく、主にコメンテーターとしてテレビなどにも多く出演している。 28歳で結婚し、第一子となる男児を出産したが、2年後に離婚(親権は倉田)。普段は息子を福岡の実家に預けて東京で生活し、およそ週に一度、息子に会うために福岡へ帰省している。 2009年7月、自らの連載上で未婚のまま第二子を妊娠していることを公表。相手の男性は中村うさぎから紹介された映画配給会社「トルネード・フィルム」取締役・叶井俊太郎。同年9月、叶井と入籍。同年11月、第二子となる女児を出産。 2021年10月、最長8ページの漫画しか描いたことがなかった倉田が初の長編作品『凶母(まがはは)〜小金井首なし殺人事件 16年目の真相〜』を執筆。「まんが王国」ほか電子書店にて連載を開始。 人物 作風 西原理恵子、浜口乃理子などと同様に、作者自身を主人公としてその日常体験を漫画にするのを基本的な作風とする。 漫画家を目指したきっかけは、西原理恵子の作品を読んで「この程度なら私にも描ける」と思ったからだと『だめんず・うぉ〜か〜』の作中で振り返っている。ただし、西原理恵子本人からは「あんたいくら走っても前に私いないよ」とコメントしている。倉田は、インタビューで画力について聞かれ「西原さんのほうが全っ然うまい。私の絵はヘタウマじゃなくて本当にヘタなんです(笑)」と述べている。 交友関係 渡辺洋香(女流雀士)や中村うさぎ(小説家)や深澤真紀(コラムニスト)と親交がある。渡辺洋香はだめんず会会長として『だめんず・うぉ〜か〜』レギュラーだった時期があり、中村うさぎとは共著が多く、深澤とも多く仕事をしている。また北芝健と仲が良く、2003年には倉田真由美と北芝健の2人が協力した『踊る大捜査線』のオフィシャル解読本も出版された(同書内で、倉田は青島俊作をだめんずではないと言い切っている)。 2009年から「日本催眠術協会」の役員を務めている。 社会的活動・教育活動 2010年6月20日付でNHK経営委員会委員。2012年2月末に任期満了で退任。2013年4月から恵泉女学園大学非常勤講師。 政治活動 2006年7月、民主党が衆議院・参議院・地方選に向けて候補者公募の選考で意見を聞くために開設された有識者会議のメンバーに選ばれてたことを契機に、小沢一郎政経研究会の講演を行なうなど、民主党と深くかかわるようになる。 2009年の政権交代により鳩山由紀夫を首班とする政権が誕生すると、倉田は日本放送協会経営委員会委員に就任することが決まった(2010年5月)。しかし、国会の承認議決において、後述の所得隠しを問題とする自民党・みんなの党・新党改革・たちあがれ日本によって反対を受けた。 2012年の政権交代により、第2次安倍内閣が成立すると麻生太郎副総理を「失言放言が多く、良いところが全くない。景気対策に失敗した時に責任を取らせるためか、引退前の最後の花道で起用しただけ。」と非難し、安倍晋三のことを自身の漫画に登場する『働かないヒモ』と一刀両断した。また、自民党が民主党の政権運営の拙さを指摘したことについても、国民の選択を批判する行為であると非難している。 『こんな男とは絶対、結婚するな!』の共著や、『だめんず・うぉ〜か〜』第7巻の対談などで福島瑞穂と面識があり、福島と山口二郎との共著『本当に憲法改正まで行くつもりですか?』もある。 反ワクチン 反ワクチン主義に傾倒し新型コロナワクチンに疑義を唱えており、2023年10月時点でも接種していない。2021年8月にはニューヨークの教職員のワクチン義務化について、「もはやアメリカはまったく自由の国じゃないな」と述べている。2021年10月11日に「昔、水痘に罹った子をわざわざ訪ねて自分の子にうつし免疫を獲得させることは普通にあった。『軽症ですむ子供のうちに罹ってしまう』って、病気によっては最高の解決法なんじゃないのか」とツイートした際には、「それを安全に、手軽に出来るようにしたのがワクチン」「亡くなることだってあるのに…」「最高じゃなかったからワクチンが義務付けられるようになったんでしょ」と指摘された。日本で接種されている水痘(帯状疱疹)ワクチンは1回の接種で水痘にかかるのを80 - 85%減らすことが出来、重症化をほぼ100%防げるものである。医師にも批判されたため、2021年10月13日時点で該当ツイートを削除した。 不祥事 所得隠し事件 2006年11月29日、自身が社長を務める漫画制作会社「たまくら」(東京都新宿区)が東京国税局の税務調査で、2005年4月期までの3年間に約1800万円の所得隠しをおこなったと指摘されていたことが判明した。数十人の架空のアシスタントを立て、給与を水増ししていたとされている。重加算税を含めた追徴税額は約600万円と報道された。同社は修正申告し、追徴税額を支払った。 倉田本人は事実を認めたうえで、追徴された税金はすでに支払っており、事件は過去のものだと述べている。また『だめんず・うぉ〜か〜』内でもこの事件を振り返り「税理士に60人分の架空のアシスタントを立てろと言われたから立てただけ」「レポーターにつめ寄られてとっても怖かった」と弁明、述懐した。 この件が発覚した後に出演した『たかじんのそこまで言って委員会』(2006年12月10日放送分)冒頭で涙ながらに釈明のコメントを行ったが、宮崎哲弥ら共演者からは悪質だと追及を受ける形となった。また『週刊文春』2006年12月14日号でも「くらたま悪質脱税 だめんずを使って領収書集め」と題する記事が掲載されている。。 著作 単独 だめんず・うぉ〜か〜 突撃くらたま24時――東京デンジャラス探訪 - 白夜書房 2001年 ISBN 978-4893677518 文庫本 - 講談社 2004年 ISBN 978-4062569200 くらたまのお蔵だし - 扶桑社 2002年 ISBN 978-4594034962 たま先生に訊け! (1) 双葉社 2002年 ISBN 978-4575294064 文庫本 - 双葉社 2005年 ISBN 978-4575712995 どっちが委員会 - 講談社 2002年 ISBN 978-4063345643 たま先生に訊け! (2) 双葉社 2003年 ISBN 978-4575295436 文庫本 - 双葉社 2005年 ISBN 978-4575713008 くらたまのどっちが委員会!?――世の中の小問題を考える毒舌バトル - 講談社 2003年 ISBN 978-4062567732 くらたま切り捨て御免! - 講談社 2004年 ISBN 978-4063348989 花のオンナ道 - マガジンハウス 2004年 ISBN 978-4838715046 文庫本 - 光文社 2007年 ISBN 978-4334784669 くらたま流 恋のお悩み一刀両断! - PHP研究所 2005年 ISBN 978-4569643601 ほやじ日記 - 朝日新聞社 2005年 ISBN 978-4022579928 いい男には恋のルールは通じない!―本命の彼とうまくいく方法 - 青春出版社 2006年 ISBN 978-4413036139 おやじの格差 - 朝日新聞社 2006年 ISBN 978-4022502223 ラブ中。 - マガジンハウス 2006年 ISBN 978-4838717187 だめんず症候群(扶桑社新書 1) - 扶桑社 2007年 ISBN 978-4594052461 くらたま式恋愛ヂカラ強化ナビ ラブラブ中。 - マガジンハウス 2007年 ISBN 978-4838717873 婚活―その人と結婚するために - 三笠書房 2009年 ISBN 978-4837965015 くらたまの恋愛やり直し!!塾 - 主婦の友社 2009年 ISBN 978-4072666142 婚活迷宮の女たち - ダイヤモンド社 2010年 ISBN 978-4478013885 共著 書名、共著者名、出版社名、出版年、ISBN の順に記載 うさぎとくらたまのホストクラブなび(中村うさぎ共著) - 角川書店 2002年 ISBN 978-4048837910 文庫本 - 角川書店 2005年 ISBN 978-4044125257 くらたま&岩月教授のだめ恋愛脱出講座(岩月謙司共著) - 青春出版社 2002年 ISBN 978-4413033459 死ぬまでにしたい10のこと(10名の女性によるエッセイのアンソロジー) - ソニーマガジンズ 2003年 ISBN 978-4789721288 喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな!(齋藤孝共著) - 集英社 2004年 ISBN 978-4083330261 文庫本 - 集英社 2007年 ISBN 978-4086501347 くらたま&ヨーコの恋愛道場 〜教えて! 10人の達人たち〜(渡辺洋香共著) - 白夜書房 2004年 ISBN 978-4893679215 うさたま見聞録(中村うさぎ共著) - 角川書店 2004年 ISBN 978-4048838733 うさたま恋のER緊急救命室(中村うさぎ共著) - 宝島社 2004年 ISBN 978-4796639309 うさたまの暗夜行路対談(中村うさぎ共著) - 講談社 2004年 ISBN 978-4062124201 ゴージャスめし(弘兼憲史共著) - 講談社 2004年 ISBN 978-4063375534 うさたまの霊長類オンナ科図鑑(中村うさぎ共著) - 角川書店 2005年 ISBN 978-4048839334 うさたまのオバ化注意報(中村うさぎ共著) - 小学館 2005年 ISBN 978-4093964616 ダメだ! この会社――わが社も他社も丸裸(山崎元共著) - 小学館 2005年 ISBN 978-4093875455 こんな男とは絶対、結婚するな!(福島みずほ共著) - 大和書房 2005年 ISBN 978-4479770800 本当に憲法改正まで行くつもりですか?(山口二郎、福島みずほ共著 倉田真由美挿絵) - 実務教育出版 2007年 ISBN 978-4788926202 うさたまのいい女になるっ!―暗夜行路対談(中村うさぎ共著) - 講談社 2008年 ISBN 978-4062759519 くらたまとフカサワのアジアはらへり旅(深澤真紀共著) - 理論社 2008年 ISBN 978-4652079362 うさたまの妖怪オンナ科図鑑(中村うさぎ共著) - 角川グループパブリッシング 2008年 ISBN 978-4048850049 人に愛される子を育てる! 魔法のアドバイス(多湖輝共著) - 宝島社 2008年 ISBN 978-4796660617 女性解放区(杉本彩、さかもと未明共著) - PHP研究所 2009年 ISBN 978-4569771731 こころの薬―幸せになれる診療室(大平健共著) - 新潮社 2009年 ISBN 978-4101160825 ダメになってもだいじょうぶ―600人とSEXして4回結婚して破産してわかること(叶井俊太郎共著) - 幻冬舎 2010年 ISBN 978-4344019188 その他 勝手に!踊る大捜査線 フジテレビ出版 2003年 ISBN 978-4594041380 倉田と北芝健が協力している『踊る大捜査線』のオフィシャル解読本。この本で倉田は青島刑事をだめんずじゃないと言い切っている。 諸富祥彦著『ケッコン構造改革のススメ!―新・男と女の掟62+1』 倉田真由美挿絵 実業之日本社 2003年 ISBN 978-4408105529 ミシェル・アレクサンダー、ジェニー・ロング『10日間でダメ男と別れる方法』倉田真由美訳 主婦の友社 2004年 ISBN 978-4072452271 ダサたまのオシャレケモノ道(「GLOW」宝島社) 雑誌の連載記事 だめんずうぉ〜か〜(週刊SPA!) フリドラ男(週刊朝日=イラストとコラム) 終末アイドル フルフル9(FLASH) わらびん(デーリー東北) CM NTT-BJ・タウンページTVCM『弁護士編』(2010年) - 石原良純とのコラボアニメCM 主な出演 テレビ番組 現在 バラいろダンディ(TOKYO MX、2014年4月 - 、月曜日) めんたいワイド(福岡放送、2006年10月 ‐ ) 過去 たかじんのそこまで言って委員会(現・そこまで言って委員会NP)(読売テレビ、2006年6月 - 2007年9月) スッキリ!!(現・スッキリ)(日本テレビ、2006年4月 - 2006年11月、木曜日) ウェークアップ!ぷらす(読売テレビ、時期不明) ワイド!スクランブル(現・大下容子ワイドスクランブル)(テレビ朝日、2006年 - 時期不明) 100人目のバカ(不定期放送) ザ!情報ツウ(日本テレビ、時期不明) 真相報道 バンキシャ!(日本テレビ、時期不明) ウォッチ!(TBS、時期不明) @サプリッ!(日本テレビ、時期不明) みのもんたの朝ズバッ!(TBS、2005年4月 - 2006年3月、金曜日) FNNスーパーニュースアンカー(関西テレビ、2007年12月 - 2009年3月、金曜日) 5時に夢中!(TOKYO MX、2009年4月 - 2009年9月、水曜日) ニッポン・ダンディ(TOKYO MX、2013年10月 - 2014年3月、火曜日) 白熱ライブ ビビット→ビビット(TBS、2016年10月 - 2019年9月、火曜日パーソナリティ) ラストアイドル(グループ)(テレビ朝日)審査員 ラジオ 過去 大竹まこと ゴールデンラジオ!(文化放送、2015年9月1日 - 2020年3月23日) - パートナー。2016年9月27日までは火曜日、2016年10月3日からは月曜日に出演した。 Love a la mode(CROSS FM、水曜21:30-23:30、2023年1月4日-3月29日、全13回) 脚注 関連項目 中村うさぎ 渡辺洋香 北芝健 叶井俊太郎 日本催眠術協会 - 倉田が役員をつとめる一般財団法人 外部リンク オフィシャルサイト 倉田真由美(@kuratamagohan)- Twitter キャリアライフストーリー Vol.3 倉田真由美さん ベネッセドリームエントリー 2005年5月13日(2006年1月11日時点のアーカイブ) 日本の漫画家 NHK経営委員 恵泉女学園大学の教員 一橋大学出身の人物 福岡県立福岡高等学校出身の人物 福岡市出身の人物 日本の反ワクチン活動家 1971年生 存命人物
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高河ゆん
高河 ゆん(こうが ゆん、本名:山田 理沙(やまだ りさ、旧姓:木村)、1965年7月9日 - )は、日本の漫画家・同人作家。東京都品川区出身、世田谷区在住。東京都立三田高等学校卒業。血液型はB型。夫は漫画家のたつねこ。一女の母。 代表作に『アーシアン』、『LOVELESS』、『車田水滸伝 HERO OF HEROES』など。 概要 二次創作の同人作家出身であり、『銀河旋風ブライガー』、『キャプテン翼』、『聖闘士星矢』、『魔王伝』などが知られている。商業誌デビュー後も同人活動は継続している。 ペンネームは車田正美作『リングにかけろ』の登場人物である高嶺竜児、河合武士、剣崎順(じゅんの読みから)を合わせて名づけられた。『ぱふ』2006年9月号のインタビューにて「本来なら高河じゅんだが、高河ゆんにした」と答えている。 ずっと自己流で制作しており、漫画入門書の類はプロデビューから数年後に初めて読んだ。ネームおよび原稿用紙は特注品で、「高河ゆん専用」(由来は『機動戦士ガンダム』の「シャア専用ザク」)と印刷されている。 現在は『コミックZERO-SUM』で『LOVELESS』を、『コミックZERO-SUM増刊WARD』で『佐藤くんと田中さん -The blood highschool』を連載中。また、『月刊ニュータイプ』2012年10月号より連載が開始された『悪魔のリドル』(漫画:南方純)の原作を担当している。また『チャンピオンRED』では車田正美の漫画作品のクロスオーバー作品となる『車田水滸伝 HERO OF HEROES』の連載も開始。 略歴 宝保育園へ入園 1972年 - 品川区立後地小学校へ入学 1976年 - 小学5年生で初めてコミックスを購入する。記念すべき第一号は萩尾望都の『ポーの一族』であった。 中学生の時、車田正美公認ファンクラブに入会する。 1981年 - 東京都立三田高等学校へ入学 1982年 - コミックマーケットに初参加して同人誌を読む。 1983年 - 留年し高校2年生を2回繰り返す。同人サークルを作り同人誌の制作を始める。 1984年 - 夏休みを利用してアメリカでホームステイし、ロサンゼルスオリンピックを観戦。後に『アーシアン』第1話に活かされる。 1986年 - 同人史上で初のダンスパーティーを開催する。 1986年 - 上智大学法学部の入学試験に不合格 1986年 - 同人誌を見た学習研究社からの依頼でコミックス『若草物語』を描き下ろす。 1986年 - 『メタルハート』(光文社「コミックVAL」1986年11月号)で商業誌デビュー。 1987年 - 『キャプテン翼』の二次創作同人誌『ASIA』を発行。同人時代の代表作とされる。 1987年 - 同人業界に『魔王伝』ブームを起こす。 1987年 - 友人がウィングス編集部に同人誌『ASIA』を持ち込み、編集者にスカウトされプロの漫画家になる決意をする。 1987年 - 『アーシアン』第2話「HONG KONG CHINESE」の取材に香港へ旅行。 1988年 - 原画展「ASIA 1」 1988年 - マネージャー交代。千蔵マキから吉川千鶴へ。 1989年 - 原画展「ASIA 2」 1990年 - アニメ映画『CAROL』のキャラクター原案に起用される。 1990年より休筆 1990年 - 原画展「ASIA 3」 1991年より執筆活動再開 1991年 - 原画展「TPC」(高河ゆん、おおや和美、田村由美、森丘茉莉) 1993年 - たつねこと結婚 1993年 - 原画展「ASIA 4」(原画集販売) 1994年より出産、育児休暇に入る。 1995年 - 「コミックマーケット48」カタログ表紙を描き下ろす。 1997年 - 原画展「5人のプロジン・アマジン展」(高河ゆん、武内直子、たつねこ、田村由美、萩原一至) 1997年 - 『妖精事件』の取材にアイルランドへ旅行。 1998年 - 原画展「高河・なるしま展」(高河ゆん、なるしまゆり) 2000年 - 展覧会「【少女漫画の新しい展開】展」(大橋薫&楠桂、高河ゆん、なるしまゆり、くさなぎ俊祈) 2002年 - エニックスお家騒動に関連した一迅社設立に伴い『LOVELESS』の連載を『月刊Gファンタジー』から『コミックZERO-SUM』へ。 2005年 - 『LOVELESS』テレビアニメ化 2006年 - 西尾維新による初のオリジナル漫画原作『放課後、七時間目。』を漫画化。 2007年 - テレビアニメ『機動戦士ガンダム00』のキャラクター原案に起用される。 2008年 - テレビアニメ『機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン』のキャラクター原案を手懸ける。 2009年 - ロサンゼルス・コンベンションセンターで開催されたAnime Expoにゲスト参加 2010年 - アニメ映画 『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』のキャラクター原案を手懸ける。 2010年 - 「コミックマーケット78」において口蹄疫被害へのチャリティー同人誌製作企画に参加 2010年 - 東京都青少年健全育成条例改正への反対表明を各所で幾度も出す。 2011年 - 西川貴教の企画したSTAND UP! JAPANにて東日本大震災チャリティーオークションに出品 2011年 - アニメイト主催Smile Heartにて東日本大震災チャリティーオークションに出品 2011年 - pakoと共同でテレビアニメ『UN-GO』のキャラクターデザインを担当する。 2011年 - アニメイト福島にて、東日本大震災の復興支援サイン会を行う。 2012年 - 12月「yyuunn」名義でPixivでの活動を開始する。 人物像・逸話 逸話 小学生時代、児童文学を熱心に読む。アストリッド・リンドグレーンの作品、『ナルニア国ものがたり』、『ゲド戦記』など。 小学校5年生の時に初めてコミックスで買ったのが『ポーの一族』である。以降、萩尾望都の熱心な読者になり、作品はコミックスで購入していた。 中学生当時、「週刊少年ジャンプ」連載の車田正美作『リングにかけろ』の熱狂的ファンとなり、作者に会いたい一心でファンレターを熱心に送り、仕事場を訪れる機会を何度か得た。公認ファンクラブにも入会していた。 高校2年生の時にバイトと同人活動に明け暮れた結果留年した。 同人界に菊地秀行『魔王伝』のブームを起こした。 同人時代は、漫画を一ヶ月に200ページ以上、多い時には600ページ近く描いていた。 1990年前後は多くの作品を描きたいがために、栄養ドリンクと一緒に無水カフェインを5時間おきに飲む事もあった。副作用で乗り物酔いの状態になり、酔い止め薬も服用し、それでも改善しない時は仰向けに寝て描いていた。最終手段としてニトログリセリンを摂取し、心臓にショックを与え目を覚ましていた。 締め切りのプレッシャーに大変弱く、修羅場の最中に書き置きを残して空港に向かい、最短で搭乗可能な便で逃亡することが何度かあった。しかし三日以内には仕事場に帰っていた。 関連人物 共同で同人誌を制作したメンバーは、後藤星、加藤明日香、結城惺、源氏のお町、JUN、須賀邦彦、おおや和美、岩崎翼、風祭壮太、千蔵マキ、喬塔寧、那州雪絵、立野真琴、厦門潤、島田ひろかず、裏千家さとみ、尾崎芳美、新田一実、えみこ山、くりこ姫、橘しいな、石澤夕花、藤原志津子、もこなあぱぱ、CLAMP、Dr.モロー、門井亜矢、松ゆたこ、萩原一至、三途川よりまし、麻宮騎亜、柴田昌弘、中津賢也、栗本薫、月夜野 亮、たつねこ、霜月旬、美杉果林、こいでみえこ、箱田真紀、尾崎南、橘皆無、大日向基、榎木らいざ、真由良、うたたねひろゆき、南野ましろ、森永ミルク、那月由之介、和泉八雲、香上由高、篁みづき、氷川へきる、武内直子、なるしまゆり、峰倉かずや、三輪士郎、影木栄貴、つだみきよ、などである。 初代マネージャー千蔵マキが「アーシアン ORIGINAL ALBUM 1」内の一曲を作詞、歌唱している。 二代目マネージャー吉川千鶴が小説『超獣伝説ゲシュタルト 烙印の殉教者』を刊行した。 以下の通り大貫健一と共同する機会が多い。 OVA『アーシアン』1、2(キャラクターデザイン担当:大貫健一) OVA『アーシアン』3(監督:大貫健一) 『BLOODY BRIDE いまどきのバンパイア』(共同でキャラクターデザインを担当) 『機動戦士ガンダム00』(キャラクターデザイン原案:高河ゆん、作画監督:大貫健一(数話)) 『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』(同上) 萩原一至、なるしまゆり、田村由美との交流が深い。 一時期、永野護とアーケード格闘ゲームの対戦仲間だった。 カラーCGは、みつみ美里に師事した。 一迅社編集長、杉野庸介との肉筆対談を単行本『LOVELESS』初回限定特典の小冊子に掲載している。 嗜好 キャラクターの名前、同人作品の題名などに「宝」と付ける事が度々ある。 眼鏡フェティシズムの傾向があり、着用したキャラクターを登場させる割合が高い。 ポニーテール姿の男性キャラの設定が多い。 好きなキャラクターは『銀河旋風ブライガー』のアイザック、『キャプテン翼』の若島津健、『少女革命ウテナ』の姫宮アンシーなどである。 作品一覧 漫画作品 若草物語(原作:ルイーザ・メイ・オルコット) [1985年6月/ハイコミック名作/学習研究社] マインドサイズ [1988年6月30日/VAL光文社コミックス/光文社] メタルハート (コミックVAL1986年11月号) かわきの瞳 -マインドサイズ1- (VALプリティ創刊号1987年4月) 君の国をはなれても -マインドサイズ2- (描き下ろし) グラス・マジック (描き下ろし) アーシアン [月刊ウィングス1987年8月号-1988年4月号、サウス1988年7月10日号-1995年24号(春号)/新書館] サフラン・ゼロ・ビート ISBN 4-403-61326-8 [1993年11月25日/ウイングス・コミックス/新書館] サフラン・ゼロ・ビート (別冊ぱふ1988年初夏号/雑草社) サフラン・ゼロ・ビートll HANDS OF GOD (月刊ウィングス1991年9月号) 子供たちは夜の住人 [オルフェ1988年7月号、ホラーハウス1989年2月号-1989年5月号、メヌエット1990年第2号-1990年7月号/大陸書房] ローラカイザー [プリンセスGOLD1988年9月25日号-1993年11号/プリンセス・コミックス/秋田書店] REN-AI 恋愛 [月刊プリンセス1989年1月号-1999年9月号/プリンセス・コミックス] 高河ゆん初期傑作集 ISBN 4-575-28773-3 [1997年10月15日/日本漫画家大全/双葉社] ほっと・すたっふ'88 (花とゆめEPO1988年11月号/白泉社) 狼をめぐる冒険 (花とゆめEPO1989年5月号) 9月の夏 (花とゆめEPO1989年11月号) 約束の夏 (月刊ウィングス1991年11月号) You're My Only Shinin' Star 君はぼくの輝ける星 ISBN 4-06-360740-2 [モーニングパーティ増刊28号1989年-35号1990年/講談社] 飢餓一族 ISBN 4-05-600065-4 [LCミステリー1992年3月号-1993年2月号/ピチコミックスDXミステリー/学習研究社] 超獣伝説ゲシュタルト [ファンタスティックコミック1992年7月25日号、ガンガンファンタジー1993年4月号-1993年9月号、月刊Gファンタジー1994年2月号-2001年2月号/エニックス] 妖精事件 [月刊アフタヌーン1993年6月号-1999年11月号/講談社] 妖精事件 1992 (モーニングパーティ増刊1992年2月4日号) 暗闇坂 (アフタヌーンシーズン増刊No.1 1999年10月8日) LA VIE EN ROSE [forMrs.1995年1月号-1998年1月号/プリンセスコミックスデラックス/秋田書店] 恋愛-CROWN- [クリムゾン1998年9月1日号-2002年3月号/クリムゾンコミックス/創美社] はぴぷり [はなまるきっず1999年5月号-2001年3月号/ピチコミックスデラックス/学習研究社] LOVELESS [月刊Gファンタジー2001年12月号-2002年2月号、コミックZERO-SUM2002年5月号-/ZERO-SUMコミックス/一迅社] アーシアン外伝 秘密の花園 [クリムゾン2002年7月号-2002年11月号/集英社] 佐藤くんと田中さん -The blood highschool [コミックZERO-SUM増刊WARDVol.17 2007年8月16日-/一迅社] 機動戦士ガンダム00 in those days ISBN 978-4-04-715500-8 [2010年8月26日/角川コミックス・エース/角川グループパブリッシング] (原作:矢立肇・富野由悠季、監修:水島精二・黒田洋介) wanderer.(月刊ニュータイプ2008年11月号) I'm home.(月刊ニュータイプ2009年3月号) 主をほめたたえよ-アレルヤ-(月刊ニュータイプ2009年4月号) The beginning man.(『機動戦士ガンダム00 高河ゆん Dear Meisters COMIC&ARTS』描き下ろし) 空と大地のまじわるところ(月刊ニュータイプ2010年7月号別冊付録) The second birthday(月刊ニュータイプ2010年8月号別冊付録) いつかどこかの街角で (コミックZERO-SUM2010年11月号) 未完作品(連載中含まず) B型同盟 [月刊ニュータイプ1988年4月号-1989年5月号/ニュータイプ100%コミックス/角川書店] 源氏 [月刊ウィングス1988年6月号-1995年6月号/ウイングス・コミックス] 超新化エナス(原作:平野俊弘) (月刊ニュータイプ#コミックGENKi1988年8月号-1989年8月号) 夜嬢帝国 ISBN 4-253-07492-8 [プリンセススペシャル1988年9月15日号-1989年2月1日号、プリンセスデラックス1989年4月25日号/プリンセス・コミックス] ありす IN WONDERLAND [プリティ1989年1月10日号-1992年5月10日号/VAL光文社コミックス] ヴァンプ-吸血の徒- (サウスエクストラ1989年11月20日号、LCミステリー1995年9月号-1996年3月号) CAROL-K(原案:木根尚登) (きみとぼく1995年6月号-1998年3月号/ソニー・マガジンズ) アーシアン外伝 The Secret Garden (月刊ウィングス1995年7月号-1996年4月号) ハリケーン・ヒル (マガジンSPECIAL1997年11月号/講談社) クロニクル ISBN 4-7575-0098-X [月刊少年ガンガン1998年4月号、Gファンタジー1998年11月号-1999年8月号] 天使庁 (クリムゾン2002年11月号-2003年7月号、コミックZERO-SUM増刊WARD2003年夏号vol.1-2007SPRINGvol.16) KILL ME (BE×BOY2003年4月号-2006年4月号/ビブロス) 完結単行本未収録作品 SDアーシアン「春眠暁を覚えずと申しますが」 (月刊ウィングス1991年6月号) SD源氏「目に青葉 山ほととぎす 初がつお」 (月刊ウィングス1991年7月号) SDサフラン・ゼロ・ビート「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」 (月刊ウィングス1991年8月号) クロックタワーゴーストヘッド(原作:プレイステーション用ゲーム) (月刊Gファンタジー1998年9月号、10月号) 恋愛-CROWN- (描き下ろし漫画/「高河・なるしま展」カタログ/1998年12月24日/創美社) 放課後、七時間目。(原作:西尾維新)ISBN 4-06-378808-3 (コミックファウスト/2006年6月24日/講談社) 機動戦士ガンダム00 楽園TV ASIN B0041TA7OK (ガンダムエース増刊「ガンダム00エース」/2010年9月18日/角川グループパブリッシング) 画集 LOVE SONGS ISBN 4-403-61165-6 [1988年8月25日/新書館] (収録作品)『アーシアン』 SSSSPECIAL ISBN 4-403-61194-X [1989年7月5日/新書館] (収録作品)『アーシアン』『源氏』 高河ゆん原画展 '93 ASIA4原画集 [1993年8月10日/CLUB:Y:CLUB(同人サークル)] 超獣伝説ゲシュタルト(大判ポストカードブック)ISBN 4-87025-361-5 [1998年10月16日/エニックス] YOUR EYES ONLY ISBN 4-7580-3005-7 [2005年7月9日/一迅社] (収録作品)『恋愛-CROWN-』『完結版 アーシアン』『はぴぷり』『LOVELESS』『魔獣の来る夜』『ライトジーンの遺産』『機動戦士Ζガンダム』『機動戦士ガンダムSEED』『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』 機動戦士ガンダム00 高河ゆんデザインワークス ISBN 978-4-7580-1128-0 [2009年1月14日/一迅社] (ファーストシーズンデザイン稿、カラーイラスト、千葉道徳との対談、他) 機動戦士ガンダム00 高河ゆん Dear Meisters COMIC&ARTS ISBN 978-4-04-854356-9 [2009年6月24日/角川グループパブリッシング] (ファースト&セカンドシーズン全キャラクターデザイン稿、ART GALLERY) (収録漫画)「wanderer.」「I’m home.」「主をほめたたえよ-アレルヤ-」「The beginning man.」 劇場版機動戦士ガンダム00 高河ゆんワークスコンプリート ISBN 978-4-7580-1206-5 [2010年12月17日/一迅社] (未公開デザイン稿、鼎談:高河ゆん×水島精二×宮野真守) その他(作品一覧) CYCLAND(サイクランド)YUN‐KOUGA REVIEW CATALOGUE ISBN 4-89369-122-8 黄昏のマジック・キングダム(漫画) 第百一話(小説) (自伝、エッセイ、絵日記、キャラクター解説、作品リスト、他) [1991年7月9日/BNN] 別冊ぱふ'92AUTUMN 高河ゆん完全特集 (栗本薫との対談、インタビュー、作品リスト、活動年表、再録記事、他) [1992年12月1日/雑草社] 魔獣の来る夜 ISBN 4-87282-802-X (栗本薫との共著) [2001年8月20日/あんず堂] いまどきのバンパイア-高河ゆん+大貫健一設定原画集 ISBN 4-8470-2452-4 [1997年1月30日/ワニブックス] LOVELESS MIND MAP ISBN 4-7580-5167-4 (TVアニメLOVELESSオフィシャルガイドブック) [2005年7月25日/一迅社] UN-GO pako&高河ゆんデザインワークス (鼎談:pako×高河ゆん×水島精二)[2011年12月29日/一迅社] 悪魔のリドル (原作:高河ゆん、画:南方純、連載:月刊ニュータイプ2012年10月号 - 2016年11月号) 車田水滸伝 HERO OF HEROES (原作:車田正美、画:高河ゆん、連載:チャンピオンRED 2014年5月号 - 、2014年2月号にプレ新連載掲載) アンソロジーコミック 新機動戦記ガンダムW 1st ISBN 4-05-601076-5 [1995年10月6日/ノーラコミックスDXPockeシリーズ/学習研究社] TRY!ダグオン 3巻 [1996年8月8日/ブロッコリー] ファイアーエムブレム 聖戦の系譜ファンSpecial ISBN 4-89366-580-4 [1996年10月5日/ファミ通ファンブック/アスペクト] スーパーコミック劇場VOL4 サイキックフォース「炎の瞳」(たつねことの合作)ISBN 4-87025-944-3 [1997年3月27日/エニックス] サイキックフォース キャラクターズコレクション [1997年5月4日/ブロッコリー] スーパーコミック劇場VOL6 女神異聞録ペルソナ「王様とわたし」 ISBN 4-87025-679-7 [1997年10月27日/エニックス] ひぐらしのなく頃に ビジュアルファンブック ISBN 4-7580-1034-X [2005年6月24日/一迅社] 蒼穹のファフナー オフィシャルアンソロジーコミック ISBN 4-89425-384-4 [2005年11月25日/ホビージャパン] ゼロサムオリジナルアンソロジーシリーズ Arcana 1(執事)[2006年10月25日/一迅社] ISBN 4-7580-5253-0 Arcana 2(賊・怪盗)[2007年1月31日] ISBN 978-4-7580-5267-2 Arcana 3(王子&姫)「花王」[2007年4月25日] ISBN 978-4-7580-5282-5 Arcana 4(吸血鬼)「川を渡れ」[2007年8月3日] ISBN 978-4-7580-5302-0 月刊少年エース2007年10月号増刊新世紀エヴァンゲリオン総集編 [2007年8月21日/角川グループパブリッシング] 破天荒遊戯 コミックアンソロジー ISBN 978-4-7580-5337-2 [2008年2月25日/一迅社] 新世紀エヴァンゲリオン コミックトリビュート ISBN 978-4-04-715419-3 [2010年4月3日/角川グループパブリッシング] 最遊記ANTHOLOGY ISBN 978-4-7580-5525-3 [2010年7月24日/一迅社] キャラクターデザイン(原案) CAROL - アニメーション映画 (原作:木根尚登、監督:出崎哲、制作:アニメイトフィルム、マジックバス) ハイスクール・オーラバスター - OVA (原作:若木未生、監督:亀垣一、制作:O.L.M) 神王伝説クリスタニア - コンピュータゲームソフト (原作:水野良) BLOODY BRIDE いまどきのバンパイア - プレイステーション用ゲームソフト (制作:アトラス) 機動戦士ガンダム00 - テレビアニメ (原作:矢立肇、富野由悠季、監督:水島精二、製作:サンライズ、毎日放送) 劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer- - アニメーション映画 (原作:矢立肇、富野由悠季、監督:水島精二、製作:サンライズ、毎日放送、バンダイビジュアル) UN-GO - テレビアニメ (原案:坂口安吾、監督:水島精二、製作:ボンズ、フジテレビ(ノイタミナ)) 『UN-GO 因果論』(劇場版 UN-GO episode:0 因果論のコミカライズ) (ストーリー:會川昇、画:pako、作画協力:高河ゆん) [月刊ニュータイプ2011年10月号-2012年4月号/カドカワコミックス・エース/2012年5月9日/角川書店] スーパーロボット大戦X - PlayStation 4・PlayStation Vita用ゲームソフト (バンダイナムコエンターテインメント、2018年3月29日発売) イラスト・挿し絵作品 不思議の国からきた少女(筒井広志) [1988年11月20日/角川文庫/角川書店] MIND SCREEN(結城惺) [1991年9月25日、1993年7月1日、1997年3月10日/ウィングス・ノヴェルス/新書館] キャット・ボーイ(図子慧) [1990年3月1日/角川ルビー文庫/角川書店] N.D.D (NEVER DIE DETECTIVE)(大沢在昌) (コミックバーガー1991年15号-1992年21号/スコラ) 魔剣伝(流星香) [1991年7月25日、1991年9月25日/新潮文庫/新潮社] シャルルに捧げる夜送曲(藤本ひとみ) [1994年10月10日、1994年11月10日、1995年1月10日/コバルト文庫/集英社] 源氏小説版(綾乃なつき) [1997年4月25日、1997年12月25日/集英社] BLOODY BRIDE いまどきのバンパイア(水城黎亜) [1997年2月24日/ビクターノベルス/ビクターブックス] ハイスクール・オーラバスター(若木未生) [1997年12月10日、1998年8月10日、1999年1月10日、2000年1月10日、2000年8月10日、2000年12月10日、2002年10月10日、2004年8月10日/コバルト文庫] 超獣伝説ゲシュタルト 烙印の殉教者(吉川千鶴) [1999年4月16日、1999年9月17日/Gファンタジーノベルズ/エニックス] 地平線に映る声(相坂きいろ) [2001年12月1日/角川ビーンズ文庫/角川書店] リューンサーガ enterbrain(星野ケイ) [2002年2月12日/A-NOVELS/エンターブレイン] ライトジーンの遺産(神林長平) [2003年5月31日/ソノラマ文庫/朝日ソノラマ] もえるるぶ東京案内2006年版 [2006年1月30日/JTBパブリッシング] 獣シリーズ(浦賀和宏) (ファウスト/講談社) LOVELESS 泡沫の絆(夏居あや) [2008年7月19日/一迅社文庫アイリス/一迅社] 神々たちの午睡(あさのあつこ) (アニメディア2008年11月号、12月号/学習研究社) LOVELESS ふたつの雪花(夏居あや) [2009年4月20日/一迅社文庫アイリス/一迅社] 金の瞳と鉄の剣(虚淵玄) [2011年4月15日/星海社FICTIONS/星海社] トレーディングカード LOVELESS(原作版) [2006年10月27日/アニメイト] ガンダムウォー 戦場の女神2 [2008年11月/バンダイ] 機動戦士ガンダム00 マイスターワークス 1st Phase [バンダイ] 機動戦士ガンダム00 マイスターワークス 2nd Phase (MeisterSPカード全3種描き下ろし)[バンダイ] 機動戦士ガンダム00 マイスターワークス 3rd Phase (MeisterSPカード全3種描き下ろし)[バンダイ] 機動戦士ガンダム00 マイスターワークス 4ever (MeisterSPカード全3種描き下ろし)[バンダイ] 機動戦士ガンダム00 ビジュアルアートワークス Feat.Yun Kouga (全て高河ゆんのイラスト全16種)ジャンボカードダス[バンダイ] OS:東方混沌符 2.00 [2011年3月26日/AXIA (グッズ会社)/上海アリス幻樂団/ブシロード] その他(イラスト・挿し絵作品) プリントゴッコ人気コミックイラスト集(理想科学工業) プリントゴッコ用カラーイラスト3点 小説Wings No.02(1989年9月/新書館) 木根尚登との対談 K'sMAGAZINE 2(1990年/YAMAHA) 小室哲哉との対談 マンガ応用テクニック講座(デザインの現場No.40・3月号増刊/1990年3月15日/美術出版社) PATi PATi(1992年/ソニー・マガジンズ) TMN EXPOのレポート 同人漫画大百科(1992年10月15日/辰巳出版) 月刊コミックコンプ(1992年12月号/角川書店) 菊池通隆との対談 別冊ぱふ活字倶楽部Special2(1995年) 若木未生との対談 LOGOUT(1995年9月号/アスキー) ゲーム大会に参加 藤本ひとみ対談集[1995年9月10日/コバルト文庫] 藤本ひとみとの対談 『PALM』獸木野生(月刊ウィングス1995年) 連載100回記念イラスト&コメント 王国小屋(コミックバーガー1995年6月号-コミックバーズ1996年11月号/スコラ) ゲームコラム Cobalt(1996年10月号/集英社) 若木未生との対談 Tech Saturn Vol2(1995年/アスキー) コラム TECH PlayStation(1997年4月号-6月号/アスキー) コラム(ファイナルファンタジーVII、ブシドーブレード、ファイナルファンタジーIV) Cobalt(1997年10月号) 若木未生との対談 色彩王国(1997年11月4日/美術出版社) カラーの描き方、ぬりえ下絵 『天使かもしれない』田村由美[1998年6月10日/小学館文庫/小学館] エッセイを寄稿 小説NON(1999年4月号/祥伝社) 「魔王伝」イラスト&コメント コピックワールド(1999年9月20日/美術手帖増刊/美術出版社) テレビアニメ『まりあ†ほりっく』第10章(2009年) エンドカードイラスト 月刊ニュータイプ(2009年6月号) 水島精二との対談 『涼宮ハルヒの憂鬱』キャラクターブック「超月刊キョン&古泉」[2009年5月9日/角川グループパブリッシング] トリビュートイラスト テレビアニメ『はなまる幼稚園』第10話(2010年) エンドカードイラスト テレビアニメ『STAR DRIVER 輝きのタクト』TOKYO MX放送版 第10話(2010年) エンドカードイラスト 総集編DVD『機動戦士ガンダム00 スペシャルエディションIII リターン・ザ・ワールド』(2010年2月23日) 書き下ろしエンディングイラスト 『百合姫カラーアートワークス CHRONICLE』[2010年7月17日/一迅社] イラスト収録 コミック『少女ファイト』7巻特装版付録冊子「少年ファイト」[2010年7月/講談社] 寄稿 『劇場版 機動戦士ガンダム00』挿入歌「もう何も怖くない、怖くはない」石川智晶[2010年10月6日/flying DOG] ジャケットイラスト 「FSS 25th Anniversary SPECIAL * ISSUE」月刊ニュータイプ4月号付録(2011年3月10日) 海老川兼武との合作イラストを寄稿 Keyのゲーム『Rewrite』公式サイト(2011年7月1日) 応援イラスト 「カプコンヒーローズカレンダー 2012」[2011年9月15日/カプコン] 『逆転裁判』シリーズを担当 『学園アリス 25.5 公式ファンブック』[2011年9月20日/白泉社] イラストを寄稿 「ミラクルジャンプ 」N°07(2012年2月7日/集英社) カバーイラスト テレビアニメ『BLAZBLUE -ALTER MEMORY-』第9話(2013年) エンドカードイラスト テレビアニメ『ストレンジ・プラス』第9話(2014年) エンドカードイラスト テレビアニメ『うーさーのその日暮らし 覚醒編』第7話(2014年) エンドカードイラスト テレビアニメ『紅殻のパンドラ』第12話(2016年) エンドカードイラスト テレビアニメ『私の百合はお仕事です!』第10話(2023年) エンドカードイラスト 参考 CYCLAND[1991年7月9日/BNN]ISBN 4-89369-122-8 別冊ぱふ'92 AUTUMN 高河ゆん完全特集[1992年12月1日/雑草社] 脚注 外部リンク まんが家高河ゆんのブログ 日本の漫画家 同人作家 東京都立三田高等学校出身の人物 東京都区部出身の人物 1965年生 存命人物
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桜玉吉
桜 玉吉(さくら たまきち、本名:野澤 朗、1961年3月2日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。東京都出身。東京都立芸術高等学校卒業、多摩美術大学中退。有限会社「玉屋」社長。実姉はイラストレーターの真野匡。 エンターブレイン(旧・アスキー出版)の雑誌を中心に、漫画日記やコンピュータゲームを題材とするギャグ漫画を発表している。代表作に『しあわせのかたち』『漫玉日記』シリーズ。『サンサーラ・ナーガ』シリーズなどのゲームのキャラクターデザインやイラストも手がける。 経歴 『しあわせのかたち』初期・ゲームパロディ 「MSXマガジン」「スコラ」「平凡パンチ」のカットなど、イラストレーターとしての仕事を経て、1986年よりアスキー発行の「ファミコン通信(現・ファミ通)」創刊号から連載された『し・あ・わ・せのかたち』(のちに『しあわせのかたち』に統一)で漫画家デビュー。ファミコンゲームを題材にしたパロディギャグ漫画で人気を博し、8年間の長期に渡り連載され、OVA化・ドラマCD化もされた。アスキーの漫画部門(現在のエンターブレイン)が設立されたのは、『しあわせのかたち』の人気がきっかけとされている。 1991年3月、作者の突然の体調不良で『しあわせのかたち』の連載が数か月中断される。 『しあわせのかたち』後期・日記漫画 1991年7月、「ファミコン通信」が隔週刊から週刊に移行するのに伴い、『しあわせのかたち』の連載が(減ページで)再開されるが、それまでのキャラクター「例の3人組」を用いたパロディ路線から、いきなりエッセイ形式の漫画日記へ移行した。漫画日記には、竹熊健太郎、藤原カムイ、相原コージ、奥村勝彦、押井守、呉智英など、業界関係者も多数登場する。ゲームのパロディネタはたまに行われる程度になった。 さらにゲームパロディでも日記マンガでもない『ラブラブROUTE21』という暗黒舞踏漫画を連載内中編として掲載。ファミコンと全く関係ない内容にもかかわらず、アンケートで上位となった。2014年には劇団Patchの末満健一によって映画化されている。 同じく連載内中編作品の『しあわせのそねみ』は、桜玉吉のターニングポイントとなった。それまでの作風と大きく異なり、写実風の絵柄で暗くひねくれた作風の漫画を数回にわたり展開した。あまりに毒々しい内容であったため、誌上で『この作風が嫌なら、「嫌」と書いたハガキを送ってほしい。「嫌」ハガキが50通来たら考え直す』と告知したら「嫌」ハガキが153通も来たため、直後の回を必要以上にポップな作風で描いた。 『しあわせのそねみ』の作風は一回のみの予定ではあったが、後のエッセイ漫画の作風の実質的なプロトタイプとなり、ここで確立された日記形式の作風は、その後の作品にも受け継がれている。 『しあわせのかたち』は桜玉吉の病状悪化に伴い、作中では玉吉本人がカービィ星へ行くかたちで1994年3月に連載終了となる。 『漫玉日記』連載開始 その後、アスキーが発行していた漫画雑誌「ファミコミ」にて、『トル玉の大冒険』を連載。『しあわせのかたち』後期と同形式の日常を描いた漫画日記へと移行する。 1995年に「ファミコミ」と「月刊アスキーコミック」が休刊となり、両誌を引き継ぐ形で創刊された「月刊コミックビーム」に移籍する。それを機に『トル玉の大冒険』から『防衛漫玉日記』にタイトルが変更された。桜玉吉が結成した地球防衛隊(釣りサークル)での活動を中心に描いていたが、私的事情の混乱もあってか次第に無気力になり、防衛隊を解散させて連載を突然終わらせる。 私生活では、『しあわせのかたち』の連載中の1989年にコピーライターの女性と結婚しており、娘をもうけていたが、すれ違いなどが原因で『防衛漫玉日記』終了後に離婚した。しかし、その後も絶縁したわけではなく、子供の親として頻繁にコミュニケーションはとっていた模様。 『防衛漫玉日記』の連載終了後、虚脱状態に陥り、病院で軽いうつ病と診断される。漫画家という孤独な仕事にその原因があると考えた玉吉はペンを置くことを決心する。しかし担当編集者の「何でも独力でやろうとし過ぎる。もっと組織的な活動をすべきである」とのまじめな説得に思いとどまり、漫画家活動のための有限会社設立を決め、有限会社「玉屋」を設立した。 『防衛漫玉日記』から1年の休筆を経て『幽玄漫玉日記』を「月刊コミックビーム」1998年1月号から連載する。『防衛漫玉日記』とほぼ同じ漫画日記の形式をとる内容で、当初「玉屋」の活動日記という体裁の通常のエッセイ漫画を企図していたが、この頃より鬱の症状及びそれに伴う前衛的な表現と、個人の独白のような内容が出始める。画風もデフォルメタッチの表現から、水彩画まで幅広くあり、終盤は後の『御緩漫玉日記』に繋がる現実と虚構が交錯する独特の内容となっており、自己の内面を私小説風に掘り下げつつそれ自体を自己模倣の対象としてユーモラスに描いた。 「月刊コミックビーム」2003年11月号から『御緩漫玉日記』連載。念願叶って手に入れた伊豆の一軒家での生活を描く。また、多摩川の近くに新しく仕事場を借りた頃の過去の回想的な物語も不定期に描かれるが、連載中に急性腹膜炎になり死線を彷徨う。連載再開後は、前々作、前作において見られた、鬱症状を描いた内容および現実と虚構が交錯するメタ表現が顕著に出ており、それに合わせて画風も濃い水墨画を用いた大胆な作風になる事が多くなった。鬱の影響もあって、作画作業が困難になることが多かったらしく、独白のみを描き殴ったような実験的作風も見られ、今まで以上に幻想的な展開となっていく。 「自分の知らない間に勝手に別人格が制作中の漫画を書き換える」など解離性同一性障害を思わせる症状が出始め、体力的・精神的な限界を感じ『御緩漫玉日記』の連載を終了(未完)した。 『御緩漫玉日記』連載終了後、現在 連載終了後は「コミックビーム」の宣伝4コマ『読もう! コミックビーム』や僅かなイラスト仕事のみで作品連載は行わず、ヤフーオークションに出品を行って金銭を得ているエピソードが4コマの作中で明かされていた。 東日本大震災を契機に徐々にうつ病が回復し、2012年4月、連載終了から約4年ぶりとなる新作「3・11金曜日」を「コミックビーム」に発表。後に近況と震災時のエピソードを描いた短編作品をまとめた『漫喫漫玉日記 深夜便』が2013年11月に発売。ネットカフェを仕事場代わりにしている近況が明らかにされた。 2013年9月、週刊文春にて漫画日記『日々我人間(ヒビワレニンゲン)』を連載開始。当初は隔週連載だったが現在は週刊連載になっている。 その後も不定期ながら「コミックビーム」などで漫画日記を連載するも、O村に「漫画喫茶にいると若手が真似するからいけない」と言われ『御緩漫玉日記』で購入した伊豆の一軒家に再び拠点を移し、伊豆での暮らしを描いた『伊豆漫玉日記』を「コミックビーム」で不定期連載している。 ペンネーム 本名・素顔は非公表というのが建前であるが、初期の『MSXマガジン』では本名で(誌上インタビューで顔も出していた)、『ファミコン通信』では桜玉吉名義で活動していた。1987年、『MSXマガジン』がリニューアルしたのを機に「桜玉吉」へ統一。最近は自分の本名を再び作中に登場させ、ネタとして使っている。ペンネームの由来は桜上水に住んでいて、近くに玉川上水があって、めでたいので吉、とのこと。 『』執筆時に「チャーリー野沢」というペンネームを使っているが、これはこの作品がアメリカのテレビゲーム雑誌『Nintendo Power』へ掲載される際、糸井重里によって付けられたものであることを雑誌インタビューで桜玉吉本人が語っている。日本へ逆輸入する際に名前をそのまま残したようである。なお玉吉本人は、このペンネームについては気に入っていない旨を発言している。 一時期マンガのネタとして、編集長に本名を姓名判断でバカにされたあてつけからペンネームを編集長の本名である奥村勝彦へ改名した。実際に使用されたのは「コミックビーム」掲載時の一回のみだが、表紙や巻末でも奥村勝彦名義で記載された。 作風 絵柄は『しあわせのかたち』に代表されるアニメ風のデフォルメ形、『幽玄漫玉日記』に代表される筆を使った水墨画形、緻密に書き込まれた写実形があり、巧みに使い分けられる。 実在する人物でも作品に登場する際にはキャラ付けされているため、必ずしもその人物本来の性格、容姿、行動等と一致しないことがある。 特に『しあわせのかたち』における終盤の担当者は本人の意向もあり、奇行、支離滅裂な発言、鼻提灯であることが多い等の過剰な演出で作品に登場していた。 日記形式の作風は本質的に自分や他人の私生活をダシにするというものであるため、「周囲の人間をいじくり倒し本当にロクな者ではない。こんな事でしかメシを食えぬ人間」と葛藤する様子も時折見せる。 作品リスト 漫画作品 のんきな父さん(MSXマガジンほか) しあわせのかたち(ファミコン通信) ラブラブROUTE21(連載内中編) しあわせのそねみ(連載内中編) 渡る世間にメガトンパンチ(ファミコミ) 甲殻大戦争(コミックマスター) トル玉の大冒険(ファミコミ) 防衛漫玉日記(コミックビーム) 幽玄漫玉日記(コミックビーム) 御緩漫玉日記(コミックビーム) 漫喫漫玉日記 深夜便(コミックビーム) 漫喫漫玉日記 四コマ便(コミックビーム) なぁゲームをやろうじゃないか!!(月刊アフタヌーン) おやじの惑星(白夜書房、短編集) ブロイラーおやじFX(グランドチャンピオン) ゲイツちゃん(週刊アスキー) 読もう! コミックビーム(ファミ通) (竹熊健太郎原作、チャーリー野沢名義) おやじ文庫(ビームコミックス文庫、上記『おやじの惑星』の新装版) ゲイツちゃんxp(週刊アスキー) 日々我人間シリーズ(週刊文春) 伊豆漫玉シリーズ(エンターブレイン) キャラクターデザイン サンサーラ・ナーガ(FC / ビクターエンタテインメント) サンサーラ・ナーガ2(SFC / ビクターエンタテインメント) サンサーラナーガ1×2(GBA / ビクターエンタテインメント) ダンジョンランド(GB / エニックス) タワードリーム(SFC / アスキー) タワードリーム2(PS / アクセラ) ピキーニャ!(SFC / アスキー) ピキーニャ!☆エクセレンテ☆(PS / アスキー) ピキーニャ!ぽけっとランナー(携帯ゲーム機 / アスキー) その他作品 アイコ16歳 イメージイラスト MSX MAGAZINE 永久保存版 イラスト(アスキー) MSX MAGAZINE 永久保存版2 イラスト(アスキー) 桜玉吉のかたち(エンターブレイン、2000年6月)ISBN 978-4757700451 彼の半生を知人・親族のインタビュー等でまとめた本 しあわせ 桜玉吉開運画集(エンターブレイン) ザ・コレクション サンサーラ・ナーガ2―メイキング・オブ・サンサーラ・ワールド(メディアワークス) 同名ゲームの設定画および書き下ろしイラストが大量に収録 役満天国(ファミリーコンピュータ用ソフト)説明書イラスト まんがの森看板 - 上野店、旧・高田馬場店(現・コアブックス)、渋谷店、広告(JR吉祥寺駅構内) 『しあわせのかたち』のキャラクターイラストが使われていた。まんがの森の全店閉店により現存せず。 『犬の気持ちは、わからない 〜熱海バセット通信〜』(著者:押井守) イラスト 関連人物 奥村勝彦(O村) 牧野伸康(チョリソのぶ)プロモデラー、造形師、アシスタント 武井宏之(カメさん)元アシスタント 肉柱ミゲル(みげー君)元アシスタント 竹熊健太郎(キー坊)予備校時代からの友人 田中パンチ(編集・プロデュース) 脚注 外部リンク 日本の漫画家 日本のイラストレーター 東京都出身の人物 1961年生 存命人物
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手塚治虫
手塚 治虫(てづか おさむ、1928年11月3日 - 1989年2月9日)は、日本の漫画家、アニメ監督、医師。勲等は勲三等。学位は医学博士(奈良県立医科大学・1961年)。本名は手塚 治(読み同じ)。 戦後日本においてストーリー漫画の第一人者として、漫画表現の開拓者的存在として活躍した。兵庫県宝塚市出身で同市名誉市民。出生は大阪府豊能郡豊中町。大阪帝国大学附属医学専門部卒業。 概要 大阪帝国大学附属医学専門部在学中の1946年1月1日に4コマ漫画『マアチャンの日記帳』(『少国民新聞』連載)で漫画家としてデビュー。1947年、酒井七馬原案の描き下ろし単行本『新寶島』がベストセラーとなり、大阪に赤本ブームを引き起こす。1950年より漫画雑誌に登場、『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』といったヒット作を次々と手がけた。 1963年、自作をもとに日本初となる30分枠のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』を制作、現代につながる日本のテレビアニメ制作に多大な影響を及ぼした。1970年代には『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『ブッダ』などのヒット作を発表。また晩年にも『火の鳥』『陽だまりの樹』『アドルフに告ぐ』など青年漫画においても傑作を生み出す。デビューから1989年(平成元年2月)に死去するまで第一線で作品を発表し続け、存命中から「マンガの神様」と評された。 藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄)、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、横山光輝、水野英子、矢代まさこ、萩尾望都などをはじめ数多くの人間が手塚に影響を受け、接触し漫画家を志した。 生涯 幼少期 手塚治虫(本名:治)は1928年11月3日、大阪府豊能郡豊中町(現・豊中市本町付近)に、父・手塚粲(てづかゆたか・1900年 - 1986年5月14日)と母・文子(1909年 - 1983年)の長男として生まれた。明治節に生まれたことから「明治」にちなんで「治」と名づけられた。3人兄弟の長男であり、弟は手塚浩(1930年 - )、妹は宇都美奈子(1932年 - 2015年)。 1933年、治が5歳の時に一家は、1932年に他界した祖父が終の棲み家とした兵庫県川辺郡小浜村(現・宝塚市)川面(かわも)の邸宅に移り住んだ。このころの寶塚(現・宝塚)は、小林一三が箕面有馬電気軌道の乗客増加を狙って田園風景の中に開発した新興の住宅地が散在して、その中心に宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)の本拠地である宝塚大劇場、宝塚ファミリーランドの前身である宝塚新温泉や宝塚ルナパークなどの行楽施設が立ち並んで、一種の異空間を形作っていた。宝塚の人工的な近代都市の風景は手塚の作品世界の形成に大きな影響を及ぼしたと考えられる。 父は宝塚ホテルの中に作られた宝塚倶楽部の会員であり、ときどき治は父に連れられて宝塚ホテルのレストランで食事をして、母には宝塚少女歌劇団に連れていってもらっていた。また手塚家の隣家は宝塚少女歌劇団の男役トップスターである天津乙女(本名:鳥居榮子)と雲野かよ子(本名:鳥居華子)と池邊鶴子(本名:鳥居久代)姉妹が住む鳥居家であり、宝塚音楽学校に入学したい娘が保護者とともにお百度を踏む光景がよく見られるなど、宝塚少女歌劇団の女性と接する機会も多かった。のちに手塚は、初恋の相手が宝塚少女歌劇団の生徒だったこと、宝塚の生徒を見たいがために宝塚大劇場に通ったこと、月丘夢路や淡島千景のような鉄火肌の女性が好みであること、月丘主演の大映映画『新雪』(1942年)を20数回観たことを語っている。 1935年、池田師範附属小学校(現・大阪教育大学附属池田小学校,ただし移転により当時とは場所が異なる)に入学した。母が東京出身であったこともあり、近畿方言を話せず浮いた存在であった。しかし、幼いころから見よう見まねで描いていた漫画絵が治を救うことになる。小学3年生のときに、最初の漫画「ピンピン生チャン」を完成させると、その後漫画の練習に取り組み、小学5年生のころには長編漫画「支那の夜」を完成。同作品は、仲間内のみならず学校の教師のあいだでも話題になるほどであり、以後教師からも漫画を描くことを黙認されるようになったという。漫画を描くことで同級生たちからも一目置かれ、また漫画目当てにいじめっ子も手塚の家に訪れるようになるなどして次第にいじめはなくなった。誕生日には家に20人もの友人が集まるほどになっていた。友人が家に来ると、紅茶と菓子でもてなされ、治の誕生日には五目寿司や茶碗蒸しがふるまわれた。この当時に描いた漫画の一部は今でも記念館に保存されている。 この時期に、同級生の石原実(後に大阪淀屋橋石原時計店社長)と親しくなり、彼の影響を受けて昆虫や科学、天文学に興味をもつようになる。手塚家の邸宅の広い庭は昆虫の宝庫であり、また周囲の田園地帯にも虫が豊富にいて、昆虫採集には最適の環境だったことから、趣味に対し深みをもたせた。友人から借りた平山修次郎『原色千種昆蟲図譜』を読み、甲虫のオサムシの存在を知り、それにちなんで、この時期からペンネームとして「手塚治虫」を使い始めた。1950年ごろまでは、「治虫」はそのまま「おさむし」と読ませていた。 青年期 1941年、大阪府立北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)に入学。日本は日中戦争の真っただ中で軍事色が強まっていった時期であり、小学校時代とは一転し、漫画を描いているのを学校教練の教官に見つかり殴られるなどしている。この時期、仲間内で作った同好会の会誌などで漫画を執筆する一方で、手塚版「原色甲蟲圖譜」などイラストレーションによる図鑑を自作するなど精力的に活動する。 第二次世界大戦末期の1944年夏には体の弱い者が集められる強制修練所に入れられた。9月からは学校に行くかわりに軍需工場に駆りだされ、ここで格納庫の屋根にするスレートを作った。 1945年3月、修業年限短縮により北野中学を4年で卒業。旧制浪速高等学校(現・大阪大学)を受験したものの、漫画ばかり描いていたため、不合格となった。6月、勤労奉仕で監視哨をしていたときに大阪大空襲に遭遇、頭上で焼夷弾が投下されるも九死に一生を得る。この空襲は手塚の原体験ともいうべきものとなり、後に『紙の砦』(1974年)や『どついたれ』(1979年 - 1980年)などの自伝的作品の中にその様子が描かれている。この体験以降、手塚は工場に行くのをやめ、家にこもってひたすら漫画を描くようになった。 同年7月、手塚は大阪帝国大学附属医学専門部の試験を受け、入学を許可された。医学専門部は、戦争の長期化に伴い、軍医速成のため正規の医学部とは別に臨時に大阪帝国大学の学内に付設されたもので、学制上は旧制医学専門学校であり、したがって旧制中学校からの入学が可能であった。大阪大学(旧・大阪帝国大学)附属医学専門部は1951年に廃止されている。なお後述の通り医師国家試験についてはジャングル大帝や鉄腕アトムなど連載の執筆をしながら合格している。 デビュー、赤本の世界へ 終戦後、学生である手塚は戦時中に描き溜めた長編の中から『幽霊男』(『メトロポリス』の原型)という長編を毎日新聞学芸部へ送った。これは音沙汰なしに終わったが、その後、手塚の家の並びに、花里いさ子という宝塚のスターがいて、その姪にあたる女性が毎日新聞社の秘書課に勤務しており、その紹介で、子供向けの『少国民新聞』(現・毎日小学生新聞)学芸部の程野という人物に会い、彼の依頼を受けて『少国民新聞』の大阪版に4コマ漫画『マアチャンの日記帳』を連載(1946年1月1日 - 3月31日)、この作品が手塚のデビュー作となった。この『マアチャン』はローカルながら人気があり、人形や駄菓子のキャラクターに使用されたという記録も残っている。『マアチャン』に続けて4月から『京都日日新聞』に4コマ漫画『珍念と京ちゃん』を連載しており、これらと並行して4コマ形式の連載長編作品『AチャンB子チャン探検記』『火星から来た男』『ロストワールド』(後述するものとは別物)なども各紙に描かれているが、4コマ連載という形式に限界があり、後2者はどちらも中断に近いかたちで終わっている。 本人の語るところによれば、漫画家としてのデビューは、戦時下の1944年(昭和19年)に描いた大政翼賛会の「桃太郎」であるという。しかしながら、現物はみつかっていない。 漫画家としてデビューする前の1945年ごろ、2代目桂春団治が地方での自主興行を行う際のポスター画を提供した(現物は宝塚市立手塚治虫記念館に展示されている)。2代目春団治が宝塚市清荒神在住ということもあり、親交を重ねるうち、手塚の漫画家志望という進路を案じ、落語家になるよう勧めたという。 1946年、同人誌『まんがマン』の例会を通じて後見役の酒井七馬と知り合い、酒井から長編ストーリー漫画の合作の話を持ちかけられる。これは戦後初の豪華本の企画でもあり、それまで長編漫画を描き溜めていた手塚としては願ってもない話であった。こうして大雑把な構成を酒井が行い、それを元に手塚が自由に描くというかたちで200ページの描き下ろし長編『新寶島』が制作された。1947年1月に出版されると、当時としては異例のベストセラーとなった。映画的な構成とスピーディな物語展開をもつ『新寶島』は、一般に戦後ストーリー漫画の原点として捉えられている(後段#新寶島(新宝島)の革新性も参照)。 ベストセラーとなった『新寶島』は大阪に赤本ブームを起こし、手塚はこれに乗って描き下ろし単行本のかたちで長編作品を発表できるようになった。手塚は忙しくなり、これまでに描き溜めてきた長編をもとに、学業のかたわら月に1、2冊は作品を描き上げなければならなくなった。1947年に発表された『火星博士』『怪人コロンコ博士』『キングコング』などは子供向けを意識したB級映画的な作品であったが、1948年の『地底国の怪人』からは悲劇的な展開も取り入れるようになり、SF、冒険などを題材に作品中でさまざまな試みが行われた。同年末に描かれた『ロストワールド』では様々な立場の人物が絡み合う地球規模の壮大な物語が描かれ、つづく『メトロポリス』(1949年)『来るべき世界』(1951年)とともに手塚の初期を代表するSF三部作をなしている。1949年の西部劇『拳銃天使』では児童漫画で初のキスシーンを描く。1950年には文豪ゲーテの『ファウスト』を漫画化したほか、「映画制作の舞台裏をお見せします」という導入で始まる『ふしぎ旅行記』、自身の漫画手法を体系化して示した漫画入門書の先駆的作品『漫画大学』などを発表している。 医師合格 漫画執筆が忙しくなると大学の単位取得が難しくなり、手塚は医業と漫画との掛け持ちは諦めざるを得なくなった。教授からも「医者になるよりも漫画家になるように」と忠告され、また母の後押しもあって、手塚は専業漫画家となることを決める。もっとも学校を辞めたわけではなく、1951年3月に医学専門部を卒業(5年制、1年留年。この年に専門部が廃止されたため最後の卒業生となった)、さらに大阪大学医学部附属病院で1年間インターンを務め、1952年3月に第十二回医師国家試験に合格、1953年9月18日に医籍登録されている。 このため、後に手塚は自伝『ぼくはマンガ家』の中で、「そこで、いまでも本業は医者で、副業は漫画なのだが、誰も妙な顔をして、この事実を認めてくれないのである」と述べている。 雑誌連載開始 手塚は大阪で赤本漫画を描くかたわら、東京への持ち込みも行っている。当初期待した講談社では断られたが、新生閣という出版社で持ち込みが成功し、ここでいくつか読み切りを描いた後、新創刊された雑誌『少年少女漫画と読み物』に1950年4月より『タイガー博士の珍旅行』を連載、これが手塚の最初の雑誌連載作品となった。同年11月より雑誌『漫画少年』(学童社)にて『ジャングル大帝』の連載を開始、1951年には『鉄腕アトム』(1952年 - )の前身となる『アトム大使』を『少年』(光文社)に連載するなど多数の雑誌で連載を始め、この年には少年漫画誌のほとんどで手塚の漫画の連載が開始された。1953年には『少女クラブ』(講談社)にて『リボンの騎士』の連載を開始した。宝塚歌劇やディズニーからの影響を受けたこの作品は、以後の少女雑誌における物語漫画の先駆けとなった。1954年には『ジャングル大帝』連載完結の後を受けて『漫画少年』に『火の鳥』の連載を開始した。『火の鳥』のシリーズはその後も休刊等によりCOM、マンガ少年、野性時代と掲載誌を変えながら長年に描き継がれ,手塚のライフワークとなった。 月刊の雑誌連載という形態は、手塚がそれまで描き下ろし単行本で行ってきた複雑な物語構成の見直しを余儀なくさせ、読者を引っ張るための魅力的なキャラクター作りや単純な物語構成などの作劇方法へ手塚を向かわせることになった。一方、描き下ろし単行本の方は1952年の『バンビ』『罪と罰』の2冊で終わりを告げるが、代わりに郵便法の改正によってこの時期に雑誌の付録が急激に増加し、手塚は連載作品と並行して付録冊子のかたちで描き下ろし長編作品をいくつも手がけ、このかたちで単行本時代の作品も続々とリメイクされていった。 私生活の面では、1952年に宝塚から東京に移住し、さらに翌1953年に『漫画少年』編集部からの紹介で豊島区のトキワ莊に入居した。その後トキワ荘には、手塚に続いて寺田ヒロオ、藤子不二雄が入居。手塚は自分が住んでいた14号室を藤子不二雄の二人に譲ってトキワ荘から転居したが、その後も石森章太郎(後に石ノ森章太郎に改名)、赤塚不二夫など後に著名な漫画家となる者たちが続々と入居したトキワ莊は漫画家の梁山泊となった。この時期、手塚はトキワ莊の漫画家に映画をたくさん観るようにと薦めており、手塚自身も十数年間は年に365本を必ず観ていたという。 なお、1953年に手塚は関西の長者番付の画家の部でトップとなったが、仕事場が木造2階建て建築のトキワ莊であったため、取材に来た新聞記者に呆れられたので、以後は意識して高級品を買い込むようにしたと語っている。 『鉄腕アトム』『ぼくのそんごくう』など児童漫画の人気作品の連載をする一方で、手塚は1955年に大人向けの漫画雑誌『漫画読本』(文藝春秋新社)に『第三帝国の崩壊』『昆虫少女の放浪記』を発表しており、ここでは子供向けの丸っこい絵柄とは違った大人向けのタッチを試みている。1955年から1958年にかけての手塚は知的興味を全面に出した作品を多く出しており、1956年にSF短編シリーズ『ライオンブックス』を始めたほか、学習誌に『漫画生物学』『漫画天文学』などの学習漫画を発表、後者は第3回小学館漫画賞(1957年)の対象作品となった。このほかにも幼年向け作品や絵物語、小説やエッセイなど漫画家の枠を超えた活動をするようになっており、1958年には東映動画(現・東映アニメーション)の演出家白川大作から請われて同社の嘱託となり劇場用長編漫画映画『西遊記』(『ぼくのそんごくう』が原作)の原案構成を受けもっている。 劇画との闘い 1958年ごろより、各漫画誌で桑田次郎、武内つなよし、横山光輝などの売れっ子漫画家が多数出現しており、この時期の手塚は人気面ではそのような漫画家たちの一人に過ぎなくなっていた。さらに手塚を脅かしたのは、この時期に新しく台頭してきた劇画の存在であった。社会の闇をストレートに描く劇画の人気は当時の手塚を大いに悩ませ、階段から転げ落ちたり、大阪の劇画作家の拠点に押しかけ、集会に参加したりした。 当初は劇画の雑誌にも連載をもつなどしていたが、手塚のアシスタントまでが貸本劇画を何十冊も借りてくるようになると、手塚はノイローゼに陥り、精神鑑定も受けたという。またすでに、1957年には『黄金のトランク』(『西日本新聞』連載)で劇画風のタッチを試みるなどしており、徐々に劇画の方法論を自作に取り入れていくようになる。 1959年、週刊誌ブームを受けて週刊漫画雑誌『少年マガジン』(講談社)および『少年サンデー』(小学館)が創刊され、それ以後月刊の少年誌は次第に姿を消していくことになった。このとき、手塚は誘いを受けて小学館の専属作家となった(ただし、『少年サンデー』初代編集長の豊田亀市は、契約料200-300万円(当時)を提示して専属契約を持ちかけたが、断られたと証言している。)が、講談社からも誘いを受けて困惑し、結局『少年サンデー』創刊号には自身の手による『スリル博士』を連載、『少年マガジン』の方には連載13回分の下描きだけをして石森章太郎に『快傑ハリマオ』の連載をさせている。同年、宝塚ホテルにて結婚式を挙げる。 アニメーション アニメーション制作に至るまで 前述のとおり、幼少期からディズニー映画を愛好していた手塚は、もともとアニメーション(注:1960年代ぐらいまでは世間一般では漫画映画と呼ばれていた)に強い関心を持っており、アニメーションの制作は念願の仕事であった。特に影響を受けた作品はディズニーの『バンビ』(1942年米国公開)だが、これは日本では戦後の1951年になって公開された(ディズニーの『白雪姫』(米国公開1937年)や『ピノキオ』(米国公開1940年)も日本での公開は戦後になってのことである)。 日本は戦時中はディズニーやフライシャー兄弟など米国のアニメーションの公開を禁止していたが、1942年(昭和17年)に戦時中の日本において初めて公開された動画作品であるアジア初の劇場用長編動画作品『西遊記 鉄扇公主の巻』(中国、1941年、73分、モノクロ)を観て感動した。戦後ずいぶん経った1980年に中国を訪れた際には上海美術映画製作所で監督の万籟鳴と対面を果たして孫悟空とアトムが握手するイラストを制作した。 プロの漫画家になる前の敗戦の年である1945年に手塚は、焼け残った大阪の松竹座において海軍省製作の長編漫画映画『桃太郎 海の神兵』を観て感涙し、このとき将来必ず自分の手で漫画映画を作ることを決意したという。戦後の1946年(昭和21年)に上京した際にアニメータ募集の張り紙をみて漫画映画製作会社「芦田漫画製作所」(芦田巌)に出向いて採用を志願したが断られている。 漫画は手塚にとってアニメーション制作の資金を得るための手段だった。評論家の大宅壮一から(華僑のように出身地の大阪を離れて東京で稼ぐという意味の揶揄として)「阪僑」と嘲評されるほど漫画を描いて稼ぎまくった。また自らを「ディズニー狂い」と称した。また前述のとおり、東映動画から請われて嘱託の仕事(長編劇場アニメーション映画「西遊記」(1960年)、原案は手塚治虫の連載漫画「ぼくのそんごくう」や北杜夫との共同の脚本による「アラビアンナイト・シンドバッドの冒険」(1962年))を受けている。 虫プロダクション設立 1961年、手塚は自分のプロダクションである手塚プロダクションに動画部を設立。当初は6人のスタッフから始まった。最初に制作した作品『ある街角の物語』はスタッフの給料から制作費まですべてを手塚の描いた漫画の原稿料で賄い、1年をかけて40分のカラー長編アニメーション作品で、ブルーリボン賞や文部省芸術祭奨励賞など数々の賞を受賞する。その後1962年に動画部は「虫プロダクション」と改名した。虫プロダクションは最盛期には400人を超えた数の正社員を擁していたという。 鉄腕アトム 虫プロダクションへの改名後、日本初となる30分枠のテレビアニメーションシリーズ(当時はテレビ漫画と云われた)『鉄腕アトム』の制作に取りかかった。しかし当初は総勢10名にも満たないスタッフでは毎週テレビ放送用にディズニーのような絵の枚数を要するフルアニメーション番組を制作することは作業量の面からまったく不可能であり、毎週の放送を可能にするために絵の枚数を大幅に削減するためのさまざまなリミテッドアニメの手法を工夫して編み出すに至った。毎週放送のアニメーション番組を実現するために(既にアメリカのハンナ・バーベラ・プロダクションなどでも工数を減らしたリミッテッド・アニメーションの制作は行われていたがそれらも参考にして)試行錯誤と創意工夫を積み重ねて作り出したさまざまなリミテッド・アニメの手法や様式は、その後の日本のアニメーション制作全般に大きな影響を与えることになる。虫プロの鉄腕アトムは、当時の日本のテレビアニメーションを代表する大人気作品になった。 ジャングル大帝 1967年には自身の漫画が原作である『ジャングル大帝』が第28回ヴェネツィア国際映画祭サンマルコ銀獅子賞を受賞している。1969年から「アニメラマ三部作」(二作目『クレオパトラ』を監督)が制作される(注:アニメラマの第一作目「千夜一夜物語」と第二作目のクレオパトラの企画と制作には手塚は強く関わっているが、三作目のアニメラマ「哀しみのベラドンナ」は手塚が虫プロダクションを辞した後に作られた作品で手塚は全く関与をしていない)。これは従来の子供向けアニメ映画とは逆の位置にあり、成人向けに作られた劇場用アニメーション映画であった。 また、虫プロダクションはアニメーション監督としては杉井ギサブロー、りんたろう、山本暎一、出崎統、高橋良輔、富野由悠季、吉川惣司など、アニメーターとしては中村和子、月岡貞夫、川尻善昭、芦田豊雄、安彦良和、杉野昭夫、荒木伸吾、北野英明、村野守美、金山明博など、制作者としては丸山正雄、鈴木良武、岸本吉功、田代敦巳、清水達正、若尾博司、八田陽子、明田川進、酒井明雄、布川ゆうじなど後に日本を代表するアニメーション制作者となる人材を多く輩出した。 低額なアニメ制作費の功罪 たとえリミテッド・アニメの手法を用いるにしてもテレビ放送の30分枠用に(最低レベルで)1本あたり2,000枚分の動画を動画家(アニメーター)5名で担当し、一人が1日66枚を仕上げるという苛酷な労働状況が作られることとなった。また作品を1本につき55万円 という破格の製作費で売り込んだことが制作部の首を絞めることになった。 手塚がアニメの値段を安くして売り込んだのは、当時の普通のテレビ番組の制作費が50万程度であったことと、安くすればスポンサーに受け入れられやすくなることや、他者の競争参入を阻める考えたからであったと語るが、これはのちに手塚自身が「大失敗だった」と認めたように、結果的に大誤算であった。『アトム』の大成功を見て他者がこの分野に次々と参入を開始して低予算で多くの番組が制作され放映されることになったのである。 しかし当初は経営が苦しかった虫プロも『アトム』が大ヒットすると版権(マーチャンダイジング)収入で莫大な利益が上がるようになり、また海外に向けて作品の放映権+派生商品を展開する権利を販売できたことなどにより、急速に規模が拡大してゆき(最盛期には社員総数が一時は400名から最大550名の規模となり)、『アトム』は虫プロダクションを黒字にさせた。放送が4年間続いた『鉄腕アトム』は放映開始から1年半で手塚の漫画原作をほぼ使い切ってしまい、その後に虫プロ文芸部のスタッフが独自に作ったエピソードは人気を得るための戦闘が描かれる傾向が強まり、「鉄腕アトム」から手塚の好んだアニメーションらしいユーモアが失われていった。 また、手塚の存命中から「アニメーターの給料が安いのは手塚のせいである」と雑誌で非難されることがあったが、手塚はこう反論している「しかしね、ぼく個人我慢ならんのはね、こういう声があるんだよ。手塚があのアトムを売る時、べらぼうな安値できめてしまったから、現在までテレビアニメは制作費が安くて苦労するんだと。冗談じゃないよ。」「あの時点での制作費はあれが常識なんで、あの倍もふっかけようもんなら、まちがってもスポンサーはアトムを買わなかったね。そうしたら、テレビアニメ時代なんて夢物語だったろうね。」「たしか四十何万が制作費で、ぼくの持ち出しは二十万くらいでしたかね。ところがアトムがべらぼうにあたったんで、アニメ番組はあたるということで、それから半年ほどあとには、アニメものがたちまちバタバタとできたんだ。その制作費は、なんと百万ですよ!つまりそれだけ出してもモトがとれてお釣りがくると企業は踏んだんだ。それから先はご覧の通りですよ。現在制作費は五百万円が下限で、六、七百万円ぐらいはスポンサーが出しますよ」。 また杉井ギサブローは、手塚治虫が独自のリミテッド・アニメの手法を日本に定着させなければ日本は世界一のテレビアニメ生産国にはなっていなかったであろうとも語っている。 アート・アニメーションへの功績 一方で、アート・アニメーション(手塚自身は商業アニメーションに対比して「実験アニメーション」と言っていた)の分野にも功績を残している。虫プロで「ある街角の物語」(1962年,38分)、「おす」(1962年)、「めもりい」(1964年)、「人魚」(1964年)、「タバコと灰」(1965年)、「しずく」(1965年)、「展覧会の絵」(1966年、33分)、「創世記」(1968年)、その後に手塚プロで「ジャンピング」(1984年)、「おんぼろフィルム」(1985年)、「プッシュ」(1987年)、「村正」(1987年)、「森の伝説」(1987年,29分20秒)、「自画像」(1988年)と長編、短編の非商業作品を制作した。第1回広島国際アニメーションフェスティバルグランプリに『おんぼろフィルム』が選ばれている(名誉会長ポール・グリモー、審査委員長はラウル・セルヴェ、選考委員長アントワネット・モゼス)。虫プロ社内には社長であった手塚の発案により、実験作品の製作資金に対して20万円の助成制度まで設けられていた(手塚によると、虫プロを設立したのは本来は実験アニメーションの制作を行うためであったと語っている)。 低迷と復活 アニメ制作に乗り出して以降も、手塚は漫画作品を精力的に発表していた。虫プロの成立時期は漫画作品もアニメと関連した企画が多くなっており、アニメーションと並行して『鉄腕アトム』原作版の連載や、日本初のカラーテレビアニメ『ジャングル大帝』に連動しての同作品リメイク版の連載、当初アニメ化の企画もあった『マグマ大使』の連載などが1963年 - 1965年にかけて行われている。他のアニメ作品と関連して『W3』連載雑誌でのいざこざが起こったW3事件も1965年の出来事である。 1966年、手塚は実験漫画雑誌『COM』を創刊する。先行した白土三平の劇画作品『カムイ伝』を看板作品とする『ガロ』に対抗したもので、手塚の『火の鳥』を目玉として、石森章太郎や永島慎二などの意欲的な作品が掲載された。1967年には怪奇漫画『バンパイヤ』に続いて『どろろ』を『少年サンデー』に連載。これらは当時水木しげるによって引き起こされていた妖怪ブームを意識した作品であった。1968年には青年誌『ビッグコミック』(小学館)、『プレイコミック』(秋田書店)などが相次いで創刊し、青年漫画が本格的にスタートしており、手塚も『ビッグコミック』に『地球を呑む』『奇子』『きりひと讃歌』、『プレイコミック』に『空気の底』シリーズなど青年向けの作品を手がけている。この時期の手塚の青年向け作品は安保闘争などの社会的な背景もあり、暗く陰惨な内容のものが多かった。 一方少年誌では『ファウスト』を日本を舞台に翻案した『百物語』、永井豪『ハレンチ学園』のヒットを受け、「性教育マンガ」と銘打たれた『やけっぱちのマリア』(週刊少年チャンピオン)、『アポロの歌』(週刊少年キング)などを発表しているが、この時期には少年誌において手塚はすでに古いタイプの漫画家とみなされるようになっており、人気も思うように取れなくなってきていた。さらにアニメーションの事業も経営不振が続いており、1973年に自らが経営者となっていた虫プロ商事、それに続いて虫プロダクションが倒産し、手塚も個人的に推定1億5000万円の借金を背負うことになった。作家としての窮地に立たされていた1968年から1973年を、手塚は自ら「冬の時代」であったと回想している。 1973年に『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)で連載開始された『ブラック・ジャック』も、もともとは少年誌・幼年誌で人気が低迷していた手塚の最期を看取ってやろうという、壁村耐三編集長の厚意で始まったものであった。しかし、長期間続く戦いで読み手を惹き付けようとするような作品ばかりであった当時の少年漫画誌にあって、『ブラック・ジャック』の毎回読み切り形式での連載は新鮮であり、後期の手塚を代表するヒット作へと成長していくことになった。さらに1974年、『週刊少年マガジン』(講談社)連載の『三つ目がとおる』も続き、手塚は本格的復活を遂げた。 1976年、中断されたままであった『火の鳥』が『マンガ少年』(朝日ソノラマ)の創刊によって再開。1977年時点で、手塚は『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『ブッダ』『火の鳥』『ユニコ』『MW』と6つの連載を抱えていた。また、同時期の漫画文庫本ブームに伴い手塚の過去の作品も続々と再刊されており、さらに同年6月からの講談社『手塚治虫漫画全集』刊行によって、手塚は「漫画の第一人者」、「漫画の神様」という評価を確かなものにしていった。 晩年 1980年代になると、幕末から明治までの時代に自身のルーツをたどった『陽だまりの樹』(ビッグコミック)や、アドルフ・ヒトラーを題材に一般週刊誌で連載された『アドルフに告ぐ』(週刊文春)など、青年漫画の新たな代表作を手がけることになる。「陽だまりの樹」は第29回小学館漫画賞、「アドルフに告ぐ」は第10回講談社漫画賞一般部門を受賞した。 1985年にNHKから取材を受けた時点では1日にわずか1~2時間の睡眠で漫画の執筆やアニメーション制作をこなしていた。「丸が上手く描けないんだ」と身体能力の衰えを認めつつも、取材陣に対し「(体の老化を乗り越えられれば)あと40年(100歳)は描きますよ、僕は。アイディアだけは、もうバーゲンセールしてもいいぐらいあるんだ」と創作活動への強い意欲を見せた。 死去 しかし、それから3年後の1988年3月15日に、突然腹部の激痛にみまわれ、救急搬送される。検査の結果進行性のスキルス胃癌と判明し半蔵門病院に入院、胃の4分の3を切除する。5月に退院し、以前と全く変わらない多作振りを見せたものの、入院前に比べ次第に身体は痩せ細り、時折休憩を挟まないと描き続けられないほど体力が低下していった。同年10月に再入院。11月、万全な体調とはいえない中で「参加しなければ国際問題です」と周囲の制止を振り切り、中華人民共和国上海市でのアニメーションフェスティバルに出席するが、帰国と同時に体調が悪化。12月に再度手術を受けるが、この時点ではすでに末期の状態であり、肝臓にまでがんが転移していた。 翌1989年1月21日に手塚プロ社長の松谷孝征が見舞いに来たときには、「僕の病状は何なんだ、君聞いてきてくれ」と頼んでいたという。胃癌ということは伏せた上で医師から聞いたことを話すと「そうか…」と一言だけ言ったという。手塚は病院のベッドでも、医者や妻の制止を振り切り漫画の連載を続けていた。 同年1月25日以降、昏睡状態に陥るが意識が回復すると「鉛筆をくれ」と言っていた。息子の眞は、「(この頃の父は)昏睡が覚めると鉛筆を握らせるがすぐに意識がなくなりの繰り返しだった」と語っている。死に際の状態であるにもかかわらず「頼むから仕事をさせてくれ」と起き上がろうとし、妻は「もういいんです」と寝かせようとするなど最後まで仕事への執着心をなくさなかった。 1989年(平成元年)2月9日午前10時50分、半蔵門病院の病室で死去。60歳没。手塚治虫の死に立ち会った松谷によると、手塚治虫の最期の言葉は、「頼むから、仕事をさせてくれ」。この言葉からも、仕事への意欲が溢れ出ている。通夜は2月11日、東久留米市の自宅で、葬儀は3月2日、東京都港区の青山葬儀所で手塚プロダクションの社葬としてそれぞれ営まれた。 手塚の死により、『グリンゴ』『ルードウィヒ・B』『ネオ・ファウスト』などの作品が未完のまま遺された。また、梅原猛の小説『ギルガメシュ』のアニメ化に意欲的だったが、構想中のままに終わった。亡くなる3週間前(1989年1月15日)まで書かれていた自身の日記には、そのときの体調状態や新作のアイデアなどが書き連ねられていた。 周りの人間は誰も手塚に胃癌であることを伝えず、手塚自身は生き続けるということに何も疑問は持たなかったとされる。しかし、手塚が病院で描いていた遺作の一つ「ネオ・ファウスト」では主要な人物が胃癌にかかり、医者や周りは気遣って胃癌であることを伝えないが、本人は胃癌であることを知っていて死亡するという内容が描かれている。 作風と功績 手塚が影響を受けたもの Milt Gross 手塚の「映画のような」ページレイアウトは、Milt Grossの初期のグラフィック小説He Done Her Wrongの影響を受けた。 ディズニー 手塚は幼少期から独自の漫画を描いており、田河水泡『のらくろ』、横山隆一『フクちゃん』の模写をするようになったが、7歳のころに出た謝花凡太郎によるミッキーマウスの海賊版単行本に夢中になり、この本の模写をするようになった(手塚によれば「本家のディズニーに送ってやりたい程」そっくりの絵だったという)。手塚の絵柄は、劇画の影響を受ける1955年ごろまではディズニーの影響が強い丸っこい絵柄で、「ディズニースタイル」とも呼ばれていた。ディズニーのアニメーションに出会ったのは9歳のときで、毎年正月に大阪の朝日会館で行われる「漫画映画大会」で上演されたものであった。父が家庭用映写機を購入したときには、上演用フィルムの中に『ミッキーの汽車旅行』もあった。以来ディズニーのアニメーションに心酔し、1950年にディズニーの『白雪姫』が封切られたときには映画館で50回、次の『バンビ』は80回以上観たという。 チャールズ・チャップリン 手塚は「尊敬する映画人」として、チャールズ・チャップリンとウォルト・ディズニーを挙げている。 暇があるとよく映画館に出かけた手塚は、チャップリンから多大な影響を受けていることを認めている。手塚はチャップリン映画のテーマが「食う」「寝る」「住む」の三要素に絞られていることが偉大である、と語っており、また「どうしたら後世に残る漫画が描けるのでしょうか」と質問を受けるたびに、「とにかくチャップリンの映画を見ろ。あれに全てがある」と答えている。 フライシャー兄弟 なお、竹熊健太郎は手塚が得意とした「楽屋落ち的なメタ・ギャグ」「キャラクターのメタモルファーゼ」から、フライシャー兄弟のアニメーションからも影響を受けていることを指摘している。 万籟鳴 また、手塚の担当編集者でマネージャーも務めた手塚プロ社長の松谷孝征は手塚が最も愛して尊敬したのは万籟鳴であり、手塚はディズニーの影響を受けていると多くの人が認識するも実際は中国アニメ、特に万籟鳴の影響を受けており、その時期はディズニーよりも早くて影響も深いと述べている。病で倒れる直前の1988年に第1回上海国際アニメフェスの審査員として中国を訪れた際も古希を迎えた万籟鳴と再会しており、1989年8月27日に手塚プロが制作し、日本テレビの24時間テレビ 「愛は地球を救う」で放映された『手塚治虫物語 ぼくは孫悟空』でも中国で万籟鳴と会った場面が再現されており、病床の手塚が草案をしたためたものの完成を見ずに放送年の2月に手塚は死去したために遺作の1つとなった。 文学、演劇、宝塚文化 夏目房之介は、「手塚が漫画に持ち込んだ外部性・異質な文化」として、ディズニーとともに文学、演劇、宝塚文化を挙げている。幼少期の手塚の家には新潮社の「世界文学全集」があり、よく外国文学を読み漁っていたという。のちに漫画化したドストエフスキー『罪と罰』やゲーテの『ファウスト』は何十回も読み返しており、特に『ファウスト』は日本を舞台にした翻案作品『百物語』『ネオ・ファウスト』を含めると3度にわたり手塚によって漫画化されている。また宝塚演劇に惹かれたことで手塚は演劇青年となり、大学で演劇部に所属していたほか、在学中の1950年ごろには関西民衆劇場に所属し、ドストエフスキー『罪と罰』の公演にペンキ屋の役で出演するなどしている。夏目は初期の手塚作品の大げさな表情やポーズ、舞台セットのような背景に宝塚演劇の影響を見ており、また手塚漫画の特徴である牧歌的な風景と未来的な風景の同居を、当時の宝塚の人工的な風景に由来するものと見ている。 その他 子供時代、家には「ナカムラ・マンガ・ライブラリー」も揃っていたという。 1972年2月に発生したあさま山荘事件について、「わたしはこんな連中を『漫画世代』と読んでいるが、映像で育った若い人たちの間にこんな世代が広がっているのはものすごく危険だ。漫画家としても描き方を反省する時期に来ていると思う」と述べている。 新寶島(新宝島)の革新性 手塚治虫の最初期の作品である酒井七馬との共作による1946年の『新寶島』は戦後ストーリー漫画の原点とされ、本作を読んで影響を受けたり、漫画家を志した読者も多い。藤子不二雄、石ノ森章太郎、ちばてつや、望月三起也、楳図かずお、中沢啓治など。劇画を始めた辰巳ヨシヒロ、桜井昌一、佐藤まさあき も衝撃を語っている。 その一方で、「手塚が「新寶島」で映画から学んだ革命的な技法を導入し、これまでのマンガのスタイルを一変させた」といったような話題も生んだ。これは一部正しいが全てが正しいというわけではない。呉智英は著書『現代マンガの全体像』(1986年)において、『新寶島』の1ページ3段のコマ割りはむしろ平凡なもので、構図なども戦前の作品である『スピード太郎』(宍戸左行)と比べても革新的なものとはいえないと指摘し、むしろ物語の展開の方に「手塚の天分」がみられるとしている。米澤嘉博も「1ページ3段割を基本としており、アップやロングの使い分けもない」として同様の指摘を行い、それよりも戦前の絵物語やコミックストリップ、映画や少年小説などの冒険物語の要素を一つにしたところに新しさを見ている。また、中野晴行は著書『謎のマンガ家・酒井七馬伝 「新宝島」伝説の光と影』において、元アニメーターだった酒井の経歴に触れて、その後の手塚作品では「映画的表現」が後退していることから、『新寶島』の「映画的表現」には酒井の功績が大きかったのではないか、と推測している。一方、野口文雄は中野の説を批判し、『新寶島』の革新性は、それまで主に登場人物のセリフによる説明に頼っていた時間や状況の進行を、セリフによらずスピーディなアクションやコマ割り・構図による表現で行ったことであるとし(これこそが「映画的手法」)、こういった表現はそれ以前の『スピード太郎』などにも見られず、むしろそれ以降の酒井七馬の作品にも影響を与えたとする。 上記のような話題が生まれた背景には、1938年に内務省から「児童読物ニ関スル指示要項」が出され、児童図書の表現規制が10年近くなされていたため、戦前の漫画表現が忘れ去られていたこと、そのようななかで『新寶島』に触れた衝撃や影響を、藤子不二雄など後の漫画界を支えたベテラン作家が語ったことなどがあった。 夏目房之介は、赤本時代の手塚漫画の達成として「コマの読み方」を変えたことを挙げている。それまでの日本の漫画は、現在の4コマ漫画と同じように、1ページ内で右側に配置されたコマを縦に読んで行き、次に左側に移りまた縦に読んでいく、というかたちで読まれていた。しかしこの読み方ではコマ割りの方法が大幅に制限されるため、手塚は赤本時代に、上の段のコマを右から左に読んで行き、次に下の段に移りまた右から左に読む、という現在の読み方を少しずつ試み浸透させていった。これに加えて、初期の手塚は登場人物の絵柄をより記号化し、微妙な線の変化を用いて人物造形や表情のヴァリエーションを格段に増やした。流線や汗、擬音などの漫画的な記号も従来に比べて格段に増やしており、このような表現の幅の広さが、多数の人物が入り組む複雑な物語を漫画で描くことを可能にし、また絵柄の記号化を進めたことは、絵を学ばずとも記号表現を覚えることで、誰でも漫画を描くことができるという状況を作ることにもなった。また物語という点において戦前の漫画と手塚漫画の物語を隔てるものは「主人公の死」などをはじめとする悲劇性の導入であり、死やエロティシズムを作品に取り入れていったことで多様な物語世界を描くことを可能にし、以降の漫画界における物語の多様さを準備することになった。 上記の絵柄の記号化、体系化は漫画制作の並行作業化分業化を容易とするもので、アシスタントを雇いプロダクション制を導入することを可能にした。漫画の制作に対して(アニメーション制作と類似の)アシスタント制、プロダクション制を導入したのは手塚が最初である。手塚が漫画制作に導入したものとしては他に、Gペンの使用(早く描けるという理由による。それまで漫画では丸ペンの使用が一般的だった)、スクリーントーンの採用などがある(注:日本で漫画制作にスクリーントーンを導入したのは手塚治虫が最初ではない)。 手塚作品のテーマ 手塚は自らの戦争体験によってもたらされた「生命の尊厳」を自身のテーマの一つとして挙げている。 手塚は、自身はマンガにおいて時代の流れに合わせ転向を繰り返す転向者であるとしたうえで、「ただ一つ、これだけは断じて殺されても翻せない主義がある。それは戦争はご免だということだ。だから反戦テーマだけは描き続けたい。」と語っている。 手塚は子供を「未来人」と呼び、以下のように語っている。 手塚は作品の中で天使と悪魔の二面性や、異民族間、異文化間の対立や抗争などを繰り返しテーマにしている。手塚は戦後まもないころ、酔っ払ったアメリカ兵にわけもわからず殴られ強いショックを受けたことがあり、これがこのテーマの原体験になっているのだとしている。もっとも、『ジャングル大帝』などにおける「分厚い唇、攻撃的なイメージ」といった類型的な黒人観は批判されており、手塚の死後の1990年には「黒人差別をなくす会」により糾弾を受けている。これ以後、手塚の単行本には差別と受け取られる表現について弁明するただし書きが付けられるようになった。 また、漫画を描く際にプロ・アマ、さらには処女作であろうがベテランであろうが描き手が絶対に遵守しなければならない禁則として、"基本的人権を茶化さないこと"を挙げ、どんな痛烈かつどぎつい描写をしてもいいが、「戦争や災害の犠牲者をからかう」「特定の職業を見下す」「民族、国民、そして大衆を馬鹿にする」だけはしてはならない、「これをおかすような漫画がもしあったときは、描き手側からも、読者からも、注意しあうようにしたいものです」と述べている。 夏目房之介は、手塚が追い求めたテーマを「生命」というキーワードに見出している。夏目は手塚が小中学生のころによく見たという以下のような夢を紹介し、この夢が生命、変身、不定形、エロス、世界との関わり方といった「手塚の作家の資質の核」をほとんど言い切ってしまっているとしている。 夏目によれば、1950年頃の手塚はこのような「不定形で変身をし続ける生命の原型」を、描線に込めて漫画の全世界に拡張したことで密度の高い作品を生んだ。しかし劇画の影響などから描線の自由度が失われると、描線では実現できなくなった生命観を理念として作品のテーマとしていき、『火の鳥』に現れるような汎生命思想が描かれることになったのだという。 鳴海丈が書いた書籍『萌えの起源』(PHP新書 2009年)によると「萌え」文化が日本に誕生した理由を手塚によるものが大きいとし、その理由を「ボクっ娘」「萌え擬人化(擬人化)」「ケモノ」「ロリ系」等といったジャンルを日本漫画黎明期から"意図的に"漫画の中で多用してそれが広がったことを上げている。 年齢と経歴と血液型 手塚治虫は、1928年生まれでデビュー時は1946年1月4日で17歳であったが、1946年1月1日付の少年国民新聞(現・毎日小学生新聞)にデビュー作の「マァチャンの日記帳」が紹介された際には、19歳として以下のように紹介されていた。 『新しく明日(原文ママ)から連載する漫画「マアチャンの日記帳」の作者手塚治蟲(原文ママ)さんはみなさんと同じクリクリ坊主で十九歳のお兄さんです。毎日、大阪帝大医学専門部に通学して、お医者さんになる勉強をしていられますが、小さい頃から漫画が大好きで国民学校2年生の時からいろいろの漫画をかいて、たのしんでいられました。あんまり上手なのでみなさんのために連載することにしました。ほがらかなマアチャンをかわいがって上げて下さい。』 関係の有無は不明だがこの時手塚は当時日常的に使われていた数え年ではこの記事が掲載された1946年元日で19歳になる。他に1989年の書籍に掲載された手塚と石ノ森章太郎との対談では「自分は20歳でデビューした」という体で話を進め、17歳でデビューした石ノ森を叱責している。晩年においては生年月日は大正15年(1926年)で定着していた。世間一般に本当の生年が明らかにされたのは死去直後のことであり、訃報を伝える新聞でも新聞の種類によって生年が異なるという不思議な事態が起きた。親しい立場にあった漫画家でさえ本当の年齢を知って驚いたほどであった。 また、手塚は大阪帝国大学附属医学専門部の卒業生であり、上記のようにデビュー当時の新聞には事実どおり「大阪帝大医学専門部(ママ)」と紹介されていた。1978年に手塚が書いた雑誌の寄稿文でも自分のことを事実どおり帝国大学附属医学専門部の学生だったと振り返っている。しかし1980年代には「1944年に旧制浪華高校理乙入学」「1945年に大阪大学医学部予科入学」と事実と異なった経歴が紹介されることもあった。(事実どおり紹介している書籍もある)手塚の没後、小野耕世『手塚治虫』(ブロンズ新社、1989年)によって「浪華高校」も「大阪大学予科」もそもそも存在しない学校であることが指摘されている。書籍によっては手塚の来歴が事実と異なった内容で紹介されるようになった理由については定かではない。 一方、血液型もプロフィールにおいてB型と紹介されることもあったが、現在ではA型ということで落ち着いている。これについては手塚本人の著書で「戦争中に検査を受けた際はB型と聞かされていたが、1980年代頃に精密検査を受けてA型と知らされた」と説明している。なお、息子の眞もA型である。 才能と作業の手法 ベタ塗りを時折編集者などにやらせていたのが、後のアシスタント制度に繋がった。飯沢匡がそれを面白がり、「ベタマン」という小説にして発表したが、手塚に批判的な漫画評論家などから「手塚は一人で描いていない」という非難を浴びるようになり、第三回小学館漫画賞受賞(1957年)以降、長年漫画賞から遠ざかることになった。 手塚のアシスタントであったわたべ淳は、手塚が鉛筆で下書きをせずにペン入れしていたことを証言している。フリーハンドでかなり正確な円や直線を描くことができ、揺れるタクシーや飛行機の中でもかなり正確に描いたという(常に原稿の締め切りに追われていた手塚は、乗り物の中で作品を仕上げることも少なくなかった)。インクは開明墨汁を愛用し、『マンガの描き方』でも推薦している。死去の前年には林家木久蔵(現・木久扇)に「木久蔵さん、僕はね、丸が描けなくなった」と体の衰えを語っている。その一方で手塚は自分の漫画について「絵ではなくて記号」であること(漫画記号論)を繰り返し強調しており、その背景には手塚のデッサン力に対する負い目があったともいわれている。作品の中で自身の画力を自虐的に扱うシーンを入れることもたびたびであった。 上記の通り常に原稿の締め切りに追われていた。これは、自身の漫画のネタとしてもたびたび登場している。理由は、来る仕事をほとんど拒まなかったためである。締め切りを守らず、編集者を待たせることから一部の編集者からはペンネームをもじって「ウソ虫」「遅虫」などと呼ばれていたという。 漫画の技法を自ら開拓していくかたわらで、劇画が流行すると自身の絵に劇画タッチを取り入れ、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』が流行すると『どろろ』で妖怪マンガを繰り出し、『劇画』が主流の雑誌「ガロ」に対抗して、トキワ荘のメンバーである藤子不二雄や石ノ森章太郎といった『漫画』を主流にした雑誌「COM」を自ら立ち上げるなど対抗することも多かった。 速読にも長けており、500ページ程度の本を20分前後で読破したという。喫茶店などで打ち合わせの前に本屋に立ち寄り、立ち読みした本から得たアイデアを語り、「多忙なのに、先生はいつ勉強しているのか」と編集者を不思議がらせた(手塚眞講演)。 漫画の製作に取りかかりながら、別の雑誌の編集者とまったく別のテーマの漫画のアイデアについて電話で話していたこともあるという(手塚眞講演)。 手塚は極度の激務家だったことで知られ、睡眠時間は1日わずか4時間程度で、それ以上に眠ることはほとんどなかったといわれる。全盛期は月に数日程度しか眠らないこともしばしばであった。手塚の死後、93歳まで健在だったライバルの水木しげるはエッセイ漫画『睡眠のチカラ』の中で、自分は1日10時間の睡眠を実践することで長生きができたと語り、反対に手塚は徹夜ばかり続けていたために早死にしてしまったと指摘していた。 医師免許取得者として 手塚は医師免許を持っていたが、大阪帝国大学附属医学専門部の時代からすでにプロの漫画家として活動しており、インターン時代に患者を診ていたのを除いて職業医師として活動したことはなく、編集者やアシスタントなど興味本位で診察を受けに来た人間の多くを追い返していた。ただし、岡部冬彦が手塚と海外に行き体調を崩した際は手塚が診察している。そのとき、岡部は手塚のことを信じずに日本にトンボ返りして病院で検査したが、手塚の言うとおりただの飲み過ぎであった。 手塚が医者になるのをやめ漫画家一本にした直接的な理由は、手塚の母にある。手塚は「せむしの仔馬」というアニメ映画を見ることを口実に母親を連れ出し開演までの時間に映画館のロビーで漫画家になるか医師になるかを相談した。母親はためらうことなく自分の好きな方をやりなさいと答え漫画家一本で行くことを決心した。ちなみにそのときの映画「せむしの仔馬」には火の鳥が登場し、これが手塚の「火の鳥」の着想の一つになった。またこれは手塚が病室でコンテを切っていた遺作の一つ「青いブリンク」の原作でもある。 また手塚の学生時代の恩師からは授業中もずっと漫画を描いている手塚に対して「手塚君、君は、このまま医者をつづけても、ろくな医者にはなれん。必ず患者を五、六人は殺すだろう。世の中のためにならんから医者をあきらめて漫画家になりたまえ」と言われている。手塚はインターン時代に患者の顔を見るとどうしてもカルテに似顔絵を描いてしまうとも語っている。息子の眞によれば、手塚は血を見るのが嫌いで道を断念したという。大学は「絶対に医師として働かない」という条件付きで卒業させてもらったという。 なお専門は外科である。担当教授の紹介で奈良県立医科大学の研究生となり、論文「異型精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的研究」(タニシの異形精子細胞の研究。タニシの精子の研究を通じて人間の精子の発生のメカニズムを考えるというもの)で1961年に医学博士を取得した。 医師免許は終身有効であり、手塚はプロの漫画家になった後も医師免許(昭和28年9月18日医籍登録第150476号)を保持し続けていた。没後の2003年11月20日から宝塚市立手塚治虫記念館の企画展「『ブラック・ジャック』のDNA」に医師免許証の現物が公開陳列されたとき、ある識者から免許証は当人死亡後は政府に返納せねばならないと定めた法令に違反している、という指摘があった。厚生労働省と協議した結果、いったん規定どおりに返納手続きを行った後に同省が改めて遺族に譲渡するという特例の措置がとられた。厚生労働省医政局医事課試験免許室では「こういった例は過去にあまりない」としている。それにより現在遺され記念館に展示されている免許証には「抹消」の赤印が押されている。 プロ野球との関わり 手塚治虫はプロ野球と関係が深く、特に「アトムズ(現:東京ヤクルトスワローズ)」と「埼玉西武ライオンズ」に繋がりがある。 現在の東京ヤクルトスワローズは「国鉄スワローズ」という名前で誕生し、1965年に運営団体が当時のフジテレビ社長水野成夫の意向でフジサンケイグループに買収され、「サンケイスワローズ」と変わった。1966年、『鉄腕アトム』がフジサンケイグループに属するフジテレビの看板番組となっていたことと、サンケイ新聞に鉄腕アトムを連載していたことから、名前を変え鉄腕アトムをマスコットキャラクターにした「サンケイアトムズ」が誕生した。「サンケイアトムズ」は1969年に「アトムズ」に変わり、経営権がヤクルト本社に移ると「ヤクルトアトムズ」へと変わった。「ヤクルトアトムズ」は現在の「ヤクルトスワローズ」の直接の前身である。 また、「埼玉西武ライオンズ」も手塚と繋がりがある。1978年、クラウンライターライオンズが西武グループに買収され西武ライオンズ(2008年、埼玉西武ライオンズに改名)となった際には、『ジャングル大帝』の主人公・レオがマスコットに採用され、2008年までユニフォームの帽子もレオをデザインしたものが使われていた(それ以降も時折復刻ユニフォームでの試合で着用されている)。ただし、手塚は球団の堤義明オーナーから「大人になった姿のレオ」と指定されたことから父親の「パンジャ」がモデルであるとしている。また、オリジナルキャラクターでレオの妹・ライナも1981年より登場している。 2008年、東京ヤクルトスワローズは『ヤクルトアトムズ復活シリーズ』として、1969年のビジターユニフォームを復刻(手塚治虫生誕80周年記念事業として手塚プロダクションとの協賛)。日本生命セ・パ交流戦、西武ドームで開催された西武戦では、奇しくもレオとの対決となり、手塚治虫ダービーと銘打たれた。 また2013年4月には、「読売ジャイアンツ」と「鉄腕アトム」のコラボレーション企画「GIANTS×ATOM」が発表された。この企画では鉄腕アトムの登場人物達が読売巨人軍のユニフォームを着たキーホルダー、うちわ、タオルハンカチなどが商品化され東京ドーム内グッズ売店等で売りだされることになった。 なお、手塚自身は阪神タイガースのファンであった。1950年の年賀状では、「野球ものも考えていますが近頃の阪神の不振に聊(いささ)かくさっているので書く気がありません」と1949年当時のユニフォーム を着た虎が素振りをしているイラストに添えてコメントしており、実際に野球を主題とする作品を描くことはなかった。ただし、年賀状を書いた1950年に連載した『タイガー博士の珍旅行』は「タイガース」という野球チームがあちこちを旅行する道中記(野球のプレーはしない)である。1985年に阪神が優勝し日本シリーズで西武と対戦したときは「どちらも勝て」と大弱りだったという。 関係の深い漫画家 藤子不二雄 藤子不二雄(藤本弘と安孫子素雄)の二人は、手塚治虫の「新寶島」に衝撃を受け漫画家を志した。彼らは学生時代に手塚のファンとして手塚にハガキを出し、その返事として「しっかりしたタッチで将来がたのしみです」との直筆のハガキを受け取った。そのハガキには手塚のキャラクターの絵と一緒に、文字の列が角度を変えながら中心に近づくように書かれており、ハガキをぐるぐる回しながら文字の列を読むという手塚らしい実に独特なものであった。このハガキが、ますます彼らの漫画家への志に拍車をかける。藤子不二雄は当初、手塚にちなみ、「手塚不二雄」のペンネームで漫画を投稿する。しかしあまりにも露骨なため、「手塚の足にも及ばない」という意味を込め「足塚不二雄」に変更した。 高校3年のときに、かつて手塚が「マァチャンの日記帳」を連載していた新聞に「今は手塚先生の漫画が載っていないのでかわりに僕たちの漫画を載せてください(要約)」との手紙を添えて漫画「天使の玉ちゃん」を投稿。それが採用されプロデビューを果たす。その3か月後、二人で手塚の実家を訪れている。藤子の単行本デビュー作「UTOPIA 最後の世界大戦」は、手塚の紹介で出版社が藤子に執筆を依頼し、世に出ることになった。 その後上京した藤子不二雄は、手塚の住んでいた「トキワ莊14号室」に入れ替わりで入居して暮らすこととなる。手塚はお金のない二人のために敷金の肩代わり(藤子は2年後に返還)と、漫画を描くための机を残している。そのため、藤子不二雄の初期作品は手塚の机で描かれたものである。憧れの手塚が住んでいた、トキワ莊14号室に住めたことについて藤本は、「四畳半というものがこんなに広いものかと感動しました」と語る。安孫子も自身の漫画でトキワ莊14号室を宇宙のような壮大な情景で描いている。その後、たびたび手塚治虫の緊急アシスタントとして手塚の仕事を手伝っていた。 藤本は、生涯にわたって手塚を「最大の漫画の神様」と尊敬し続け、自伝や漫画の書き方の本で手塚を絶賛していた。安孫子も同様に手塚を尊敬し、自伝漫画「まんが道」では手塚を最大の師として登場させ、「手塚治虫はふたりにとって神であった」「いや、日本中の漫画少年にとっても神であった」と頻繁に手塚を「神」と表現した。現在手塚が「漫画の神様」と称されるのは彼らの影響が大きい(それ以前は漫画の王様といわれてもいたがドラえもんブームの際はコロコロコミック等で藤子が漫画の王様と呼ばれた)。藤子不二雄が漫画家25周年を迎えた際には手塚タッチのドラえもんとドラえもん風のヒョウタンツギを描いた色紙をプレゼントしている。その25周年記念パーティーは手塚が仕切り、二人を二次会まで連れていっている。 手塚は藤子不二雄のスタジオに突然ひょっこり「ハハハ、来たよ」と特に用事もないのにふらっと現れることもあった。また安孫子が新宿の焼き鳥屋で飲んでいると、そのことを聞きつけた手塚がやってくることもあったという。手塚は藤本と二人で「惑星ソラリス」などの映画を見ることもあった。 手塚は藤子の本の寄稿で「オバケのQ太郎」のことを「おばけという概念をこれほどまでにキュートに、子どもの世界にひきずりおろして描いた作品は以前にないでしょう。アメリカには幽霊の子どもを主人公にしたキャスパーという例がありますが、これよりもずっととぼけていて性格づけがみごとです。」「キャラクターの描きやすさの点でも、まず、オバQ君にかなうものはありますまい。(日本に現在のようなキャラクター漫画が流行する前の発言)」と語っている。 手塚治虫の漫画「七色いんこ」では藤子のドラえもんが登場するコマがある。「黄金のトランク」では主人公の名前が不二雄である。「どろろ」と「バンパイヤ」には「オバケのQ太郎」が登場。「がちゃぼい一代記」では、藤本と安孫子が手塚のアシスタントをする様子を手塚自身が描いている。手塚治虫漫画全集の「ジャングル大帝」のあとがきには藤子不二雄の二人に向けて、アシスタントしてくれたことに対する感謝の言葉と激励が書かれている。藤子の二人の結婚式の仲人は手塚が務めた。藤本は、手塚が亡くなったときの追悼文で「高校生になっても先生のまんがを読み続け……、気がついてみると自分もまんが家になっていた」と語っている。 手塚、藤本、安孫子の3人が住んでいた「トキワ莊14号室」の天井は、トキワ莊解体時に手塚が持ち帰っている。その理由は「室内にこんろを持ち込んでご飯を炊いたり、煮炊きをした。あの時の煙は天井にしみ込んでいるはず。大家さんに頼んで天井板を記念に譲ってもらいます」とのこと。 石ノ森章太郎 石ノ森(旧:石森章太郎)も手塚治虫の「新寶島」に衝撃を受けた。中学生の頃、手塚に分厚いファンレターを出したところ、手塚からさらに分厚い封筒の返事が届き、ますます手塚のファンになったという。 石ノ森は高校在学時、手塚が連載していた『漫画少年』の投稿欄に投稿をするようになる。手塚は漫画少年に送ってきた石ノ森のことを、「天才的な少年の絵」と褒めている。そして「鉄腕アトム」執筆中の手塚に依頼され、石ノ森は学業を中断して手塚のアシスタントを務めた。手塚は回を追うごとに上手くなる石ノ森の絵を見て舌を巻き、仕事を手伝ってもらったと語る。アシスタント経験中は、手塚は激務だったはずが石ノ森を映画に連れ出している。そのときの様子を石ノ森は「ギリギリの仕事のなかで、ある日、夜になると編集者の目を盗んで、こっそりぼくを映画館に連れて行ってくれた。ぼくだって当時のご多分にもれぬ映画少年である。編集者には申しわけないが、ちゃっかり便乗していた」と語る。そして、手塚が編集者に紹介したことにより、石ノ森は漫画家としてデビューすることになった。その後石ノ森は手塚が住んでいたトキワ莊に住んだ。手塚は自身の漫画に石ノ森をたびたび登場させている。石ノ森章太郎の結婚式の仲人は、遅刻するも手塚が務めた。テレビ映画「快傑ハリマオ」の漫画版では手塚が原作、作画が石ノ森で共作をした。1959年、石ノ森は手塚のアシスタントだった月岡貞夫とともに、手塚治虫の身代わりとして東映動画の劇場アニメ『西遊記』の制作現場に派遣された。のちに、この体験が石ノ森が東映グループでゴレンジャー(スーパー戦隊シリーズ)等を代表とする、特撮作品の原作を担当するきっかけに繋がる。 また、石ノ森は手塚が亡くなる少し前にも対談をしており、石ノ森は手塚のことを「面白おかしく事象を表現するだけ、と思われていた漫画というメディアで、ペーソスのみならず悲劇や深い哲学的な思索まで持ち込んで、ドラマを描くという試みは前人未到のことだった。」と彼の業績を評価している。手塚は対談で石ノ森の漫画「仮面ライダー」のことを「繰り返し、繰り返し読まれてもちっとも見劣りしない作品」と褒めている。 石ノ森はデビュー後のお金のない19歳の頃、手塚に内緒で「火の鳥風太郎」という、手塚の代表作のアイデアを使った作品を描いている。本作で得られた原稿料は、全てオーディオ機器を購入するために当てられた。 赤塚不二夫 赤塚不二夫も手塚治虫の漫画「新寶島」「ロストワールド」に出会ったことで、漫画家になることを決意した。彼が18歳の時は長谷邦夫、石ノ森章太郎と一緒に『墨汁一滴』を描く仲間として手塚の家を訪問した。その時、手塚は締め切りに追われ忙しいにもかかわらず赤塚達の似顔絵を描いたり、ピアノを披露したりして彼らは感銘を受ける。赤塚が新人漫画家としてデビューしたころ、手塚は「赤塚クン。りっぱな漫画家になるには一流の映画を観なさい、一流の小説を読みなさい、そして一流の音楽を聞きなさい」と助言した。手塚の言葉に従い、赤塚はレコード店に行き、店員に「一流の音楽が聞きたいんです。一流のレコードをください」と言うが、店員は何を渡したらいいのか分からず困ったという。その後、赤塚も手塚が住んでいたトキワ莊で暮らした。手塚はトキワ莊のメンバーに同様に「マンガからマンガを勉強するんじゃないよ。」「一流の芝居を見なさい、一流の本を読みなさい」などと言っており、赤塚は「だから僕たち(トキワ莊メンバー)はあの頃、ほとんど酒なんて飲まなかった。そのかわり、映画を見に行こう、音楽を聴こう、ジャズのコンサートに行こう、小説を読もう。手塚先生がそうしろって言ったから。」「そのときはわからなかった。それで後になってからその意味がわかってくる。手塚先生のおっしゃってたことは、やっぱりすごく大きいのだ。いい音楽を聴きなさい。いい映画を見なさい。いい芝居をみなさい。本当に大事な教えだったんだと今にして改めて思うのだ」と語っている。手塚は赤塚をたびたび自身の漫画に登場させている。それと同時に手塚は赤塚のギャグである「シェー」など気に入っていたのか「W3」「火の鳥」など複数の作品に使っている。手塚の「ブラック・ジャック」の『アヴィナの島』の回では赤塚の「天才バカボン」のパパが登場する。 赤塚はトキワ莊時代、手塚のアシスタントを務めたことがある。また赤塚は雑誌の企画で「赤塚不二虫」のペンネームで、『鉄腕アトムなのだ!』という手塚作品のパロディ漫画を描いている。その中には火の鳥やヒョウタンツギなどが登場。その表紙には「わたしにこのマンガをかかせた手塚治虫先生にこの1編をささげます」と書かれている。 水野英子 水野英子も、小学3年生の時に手塚治虫の漫画に衝撃を受けて漫画家を志す。水野は16歳の頃に手塚に会いたいと伝えて東京に行き手塚と出会った。数年後、水野は上京して手塚が住んでいたトキワ莊の住人となる。水野は女性少女漫画家の草分け的先駆けとなった(それまでの少女漫画はほとんどの場合男性が描いていた。) 水野は手塚を振り返って次のように語っている。「私が初めて先生の漫画に出会ったときのショックをどう言い表したらよいでしょう。そこには絢爛たるファンタスティック・ワールドが広がっていたのです!SF・西部劇・ミステリー、おとぎ話…次々と繰り広げられる見も知らぬ魅惑的な世界!街中の本屋さんを駆け巡り、一冊とも見逃すまいとするのがあのころの私の日課でした。やっと買い求めた本を、家に持ち帰るのももどかしく、読みながら歩いているうちに夢中になって家の前を通りすぎてしまったこと。親が死んでも泣かなかった私がジャングル大帝のラストシーンではもう何も見えなくなるぐらいショックで泣いてしまったこと…」「私は、ついに自分も漫画を描こうと決心し、漫画家への道を歩み始めました。十七歳で上京し、とうとう本物の先生にお会いできた時の感激!銀座の喫茶店でにこやかに優しく私を迎えて下さった先生のまぶしさ!手塚先生が最初に入居なさったというアパートトキワ莊に、当時の新人実力者たちといっしょに住むことができた嬉しさ!」手塚は水野のことを自著で「天才児水野英子」と書いている。 横山光輝 横山光輝も、手塚治虫の「メトロポリス」に感銘を受け漫画家を志す。しかし、高校卒業後は一旦就職した。 手塚はある日、大阪東光堂の社長に連れられたスマートな青年と出会う。社長はその青年は神戸銀行に勤めていると言い、社長は「うちでデビューさせようと思いますが、どうでっしゃろ?」と聞いた。手塚は彼の作品を読み、「売れるかも知れませんな」と褒め、その青年は漫画家としてデビューすることになった。その青年こそが横山光輝である。横山はその後、手塚を原作とし「黄金都市」「ターザンの洞窟」など作画した。手塚は横山を「かれほど"彗星のように"という形容のあてはまる男はいない」と絶賛している。「鉄人28号」は『少年』誌上で手塚の「鉄腕アトム」と人気を二分する大ヒット作となった。サンケイ新聞記者として、工業関係の取材経験のあった横山は、「最初は大きくしかできず、それから小さくなる」と考え、手塚治虫の『鉄腕アトム』を意識して鉄人28号を大型ロボットにしたとも語っていた。プライベートでも手塚と横山は付き合いがあったようで、横山が東京に来たばかりのころには、手塚がいろいろアドバイスしていた。横山は手塚のアシスタントも経験している。 手塚が亡くなった際、横山は「いつも僕は手塚さんの作品を参考にしてものを考えてきましたから、すべての作品から影響は受けています。技法の点でいえばアングルの取り方がとても上手だった。影を後ろにのばしたり、壁に大きく写したり。若いころはよく食事をごちそうになったりしたものです。やさしくて、とても他人に気を使う人でしたよ。」と語った。 手塚は生前、「横山さんはいろんなジャンルの仕事をされましたが、この『鉄人28号』と『伊賀の影丸』それに『三国志』の三つは、エポックメーキングなものでしょう。娯楽マンガの功労賞があれば、横山さんにぜひ一番にさし上げるべきではないかと思います」と発言している。 松本零士 松本零士も、小学2・3年生の頃、学級文庫で手塚治虫の描いた本を読んで漫画家を志した。それは手塚の「新宝島」「キングコング」「火星博士」「月世界紳士」であった。 松本は、「手塚さんの漫画がそれまでのどんな漫画よりもスピーディでかっこよかった。おそらく、当時、全国の漫画少年たちが度肝を抜かれたのではないか」と語る。松本は手塚が連載していた『漫画少年』の投稿欄の常連になる。そして高校生のとき、それを見た手塚から「テツタイコウ テツカ(手伝い請う。手塚)」の電報を受け取る。松本は最初はイタズラかと思ったが、それはイタズラではなく本当に手塚が緊急のアシスタントを求めた電報であった。そこで松本は緊急アシスタントとして出向いて手塚を手伝いながら、漫画家について根掘り葉掘り質問した。この出来事は、松本がプロ漫画家を目指す思いを強めた。松本がプロの漫画家になり、上京してからも手塚とは親交があり、手塚が一人で突然に松本の下宿先を訪れ、窓の外から「おーい松本君。メシ食わせるから、出てこーい。」と誘ったこともあったという。 松本が手塚と気が合ったのは、お互いがあけっぴろげだからと語っている。 手塚の漫画「ばるぼら」には松本零士をモデルにした「松本麗児」という登場人物が登場し、漫画家で本の収集家という設定で、物語に重要な場面で関わってくる。 また松本は、日本初の30分テレビアニメシリーズとなった「鉄腕アトム」にも縁がある。松本は「鉄腕アトムですが、実は私も関係しているんです。試写会前日の夜中に手塚さんから私の下宿に『助けてくれ!』と電話があり、『映写機が壊れて編集ができない』というので、私の映写機を持って行ったんです。アトム第一話の後半は私の映写機で編集して試写会を行っているんですよ。」と語っている。「私と手塚さん、それと石ノ森章太郎氏の3人は自称アニメマニアという仲。将来はアニメ映画を作ろうという夢を持っていて、お互いにいろいろな機材や資料を貸合っていたんですがお二人とも亡くなってしまって。お二人から借りた機材もまだ持っているんですが、今では遺品になってしまいましたね。」とも語る。 松本は熱心な手塚治虫作品のコレクターでもあり、手塚自身も持っていなかった初期作品も全て所有し、1冊数百万の値段を付けた「新宝島」の初版本も持っている。2013年には、手塚治虫の未発表原稿を個人的に発見したことでニュースにもなった。 永井豪 永井豪も、手塚治虫に影響を受け漫画家を志したと語る。「僕の人生は手塚先生の作品から始まった。」 とも言い彼は子供のころに手塚治虫の漫画をよく読みいつも衝撃を受けていた。永井は初め手塚治虫のアシスタントになるために手塚プロダクションに出向いたが、あいにく手塚と連絡が付かず、代わりに知人に紹介された石ノ森章太郎の下で仕事を手伝うことになった。 永井は自身の半生を振り返り「私の少年時代、手塚作品と過ごす時間が最も幸せな時間だった。学校でイヤなことがあったときも、手塚漫画が私の心をいやしてくれた。自分も手塚先生のように漫画家になりたいと考えたのは自然の成り行き。そして私は漫画家になった。しかし手塚先生にはなれなかった・・・永井豪になってしまった」と語る。またアンソロジーコミック『ブラック・ジャックALIVE』で永井豪がブラック・ジャックを描いたときには、ブラック・ジャックと永井豪自身と学生時代の手塚をいっしょに登場させ、ブラック・ジャックが学生時代の手塚に「お前は漫画家より医者に向いている」と発言すると、手塚治虫キャラ全員と永井豪も存在が消えかかった(もしも手塚治虫が漫画家になっていなかったら永井豪も漫画家になっていなかったという表現)。 永井のデビュー後は、手塚とプライベートでも親交があった。手塚と永井は複数回一緒に旅行しており、SF作家クラブのメンバーと旅行したり、サンディエゴのコミックコンベンションに出かけたことがある。ロスでは二人っきりで映画「シャイニング」を見た。手塚は永井に対して「豪ちゃん、短編をたくさん描きなさい。短編は大事ですよ」といつもアドバイスを送っていた。 永井の結婚式では手塚がスピーチをおこなっている(『コミックボックス』1989年5月号に当時の写真が掲載されている)。 古谷三敏 古谷も、手塚の漫画『新宝島』を読んで漫画家を志した。彼はそのときの様子を次のように語っている「ぼくも子供の頃に手塚先生の『新宝島』を読んで衝撃を受けたひとりです。それまでの漫画と比べてスピード感があって、ストーリーも絵も、今までの日本にない。ディズニー映画のようなアメリカナイズされた文化を垣間見た感じがしました。何百回読んだかわかりませんし、『新宝島』を読んで漫画家になろうと決めたんです。ぼくのデビュー作『みかんの花咲く丘』も手塚先生の漫画をずいぶんと参考にしています。」その後、古谷は手塚のアシスタントを経験した。手塚はアシスタントに給料を渡す際に「かならず映画を観るんだぞ」と言いながら笑顔で1000円を渡していた(その頃はレストラン定食が50円で食べられる時代であり、映画を見てもお釣りがくる)。古谷はいつも喜んで映画を見ていた。アシスタント中、徹夜明けで手塚とホテルから出てきたときに「おれは手塚治虫と一緒に歩いているんだ」と嬉しくなったという。 さいとう・たかを さいとう・たかをも、手塚治虫に憧れて漫画家を目指した。手塚治虫の「新宝島」を読み、「紙で映画が作れる!」と興奮したという。昭和30年ごろの学生時代には漫画家志望者として手塚治虫の自宅を訪ねた。しかし、運が悪く手塚はすでに東京に上京していたため、さいとうは手塚に会うことはできず、手塚の母と二言三言話しただけで帰ることになった。このころのさいとうは、手塚のような丸っこい絵柄であった。 その後、さいとうは「手塚に憧れて漫画家を目指したが、手塚調の丸っこいタッチの絵が描けず現在の絵になった」と証言している。さいとうは後に「劇画」と呼ばれる分野の開拓に貢献し、手塚の大きなライバルとして、彼の漫画家生命を大きく揺るがした。 さいとうが辰巳ヨシヒロ達と工房を立ち上げ、「打倒手塚だ!」と言ったときは、実はさいとう以外は全員熱心な手塚ファンであったため、「お前なに身の程知らずなことを言っているんだ」と言われたという。 さいとうは、のちに手塚と漫画「過去からの声」で共作をしており、そのときは原作が手塚で作画がさいとうであった。『ビッグコミック』では、四大作家競作として石ノ森章太郎、藤子不二雄、さいとう・たかを、手塚治虫の4人で競作をしている。 さいとうは手塚が亡くなったときに「今まで目標とし、登っていた大きな山が突然なくなったような気がします」と語った。 辰巳ヨシヒロ 手塚の「新宝島」に衝撃を受けて漫画家を志した。辰巳は当時を振り返り「手塚治虫という初めて目にする作者の作品はこれまでの漫画の常識を根本から覆す画期的な世界を構築していた」、「ぼくにとって手塚治虫は神様にも匹敵する存在になっていた」と語っている。少年時代辰巳は宝塚の手塚の家を訪問したこともある。手塚は辰巳を優しく自室に招き入れ、辰巳が持参した4コマ漫画を読み「長編を描きませんか?これからは4コマを発表する場所がだんだんなくなります。ぜひ長編を描きなさい」と助言した。これは辰巳にとって大きな助言になる。またジャングル大帝の第一話連載前のカラーページを手塚に見せてもらい、身震いし度肝を抜かれたと語っている。その後、辰巳は漫画家としてデビューし、手塚の鉄腕アトムに影響を受けた「鉄腕げん太」という漫画も描いた。しかし、数年後、あえて手塚治虫とは別の「まんがではないまんが」を模索するようになる。その結果、辰巳は劇画の開拓者になった。「劇画」という呼び名も辰巳が考案したものである。 辰巳は『劇画宣言』という内容の封書をいくつか書き手塚にも送った。しかし、手塚はその後に辰巳に対し、商業主義的になっていく劇画の風潮に対して忠告した。また手塚が文藝春秋漫画賞を受賞したとき、さいとう・たかを、佐藤まさあきとともに辰巳を授賞式に招待し、1982年には辰巳のフランス旅行に途中から同行したこともあった。 つげ義春 小学4年生のころに手塚治虫のマンガに熱中しはじめる。新刊が出ると本屋へ走る日々であった。貧しさのため母に買ってもらうことはできず、3か月に1度くらい帰ってくる泥棒の義祖父を待ちわび、買っていたが、その間に本が売切れてしまうのを案じ、手持ちのおもちゃをおもちゃ屋に売ってお金を工面した。それでも手に入らないときは、万引きをしようと本屋の前をうろうろするほどであった。16歳のとき、一人で部屋で空想したり、好きな絵を書いていられる職業として漫画家になることを志す。当時、トキワ荘に住んでいた手塚治虫を訪ね、原稿料の額などを聞き出し、プロになる決意を強める。 白土三平 貸本時代の白土は、手塚に似た絵の漫画を描いていた。白土の初期作品「嵐の忍者」では手塚のスターシステムのキャラクターが登場するなど、その影響を見ることができる。白土は、「紙芝居をやっていたころ。いわゆるユーモアマンガで手塚さんを勉強した。」という。手塚もそのことに言及しており、「たとえば白土三平氏やつげ義春氏のかつての作品が、円熟した時代のものにくらべて、きわめて手塚的であるのは、おそらくはぼくの漫画を教科書として使ったのであった。イミテーションを望んでいたわけではないはずだ」と語っている。白土は徐々に手塚的な作風を止め、劇画作家へと転向し、手塚の最大のライバルとして立ちはだかった。劇画ブームが起きると、白土が率いる「ガロ」に対抗して手塚は「COM」を立ち上げた。手塚は「白土三平氏が登場してから、子供漫画には重厚なドラマ、リアリティ、イデオロギーが要求されるようになった」と語っている。手塚の漫画「ネオ・ファウスト」では、登場人物が白土の漫画を読み、内容から教訓を得ようとするシーンが登場する。白土は手塚が亡くなった際に、「気がついてみたら、私もいつかこの世界で飯を食っていたのだが、手塚さんは我々の偉大な先輩であると共に、多くの日本人にとっても忘れえぬ人でありつづけるだろう。人の運命とはいえ、実に残念である。」と発言している。 大友克洋 大友は子供のころからの手塚ファンと語っており、特に少年時代は「鉄腕アトム」のアニメを見るため、放映時間になると決まって家に帰っていたという。またマーブルチョコも、アトムのおまけのシール欲しさによく買っていた。「僕は手塚作品で最初に好きなのは鉄腕アトムなんだけどビッグXも好きだし、高校生のころは火の鳥を読んでいた」とも語り、手塚治虫漫画全集は全巻揃えている。大友克洋は、高校生のころに火の鳥が連載していた手塚治虫の雑誌「COM」に漫画を投稿している。デビュー初期の作品「FIRE BALL」では敵のコンピューターの名前に「アトム」を使っている。 また大友の代表作「AKIRA」の最終巻の最後のページには、本作を手塚に捧げるとの一文がある。大友は、手塚の作品を原作とする劇場用アニメーション映画『メトロポリス』で脚本を担当している。2005年の監督作品『スチームボーイ』のタイトルも、「鉄腕アトム」の英語版タイトル「アストロボーイ」を意識したものである。舞台挨拶では「スチームボーイは手塚さんがやろうとしていた世界観を意識した」と語った。 雑誌『ユリイカ』の大友特集号で、手塚は「僕はデッサンの基礎をやっていないから、こんな絵を見せられてはたまらない。一も二もなく降参する」と大友の画力を賞賛している。 また手塚は「大友克洋さんの出現によって、劇画はトドメをさされてしまいました。少ないけれど確かな線によって、白っぽい画面のままで、劇画以上のリアリティが出せることが証明されてしまったのです」と述べ、劇画の衰退は大友に一因があるとし、その功績を高く評価している。 手塚が大友をパーティーに招待した際は「ボクはあなたの絵見ました。マンガをね、虫メガネで見たけど、それでもデッサンが狂っていませんね。スゴイですよ!」と大友のことを絶賛している。大友はそれに対して「でも僕は手塚先生のようなデフォルメされた絵はかけないんですよね」と語ると手塚は「僕は描こうと思えば誰の絵でも描けるけど、諸星大二郎のような絵と星野之宣のような絵は描けない」ということも大友に洩らしている。 大友が一番好きな手塚キャラは、屈折して影のあるロック・ホームと語り、大友が脚本を手がけたメトロポリスには、原作では登場しないロック・ホームが、重要な役柄で映画全編に登場する。 大友が1993年のNHKラジオ「日曜喫茶室 鉄腕アトムの贈り物」に出演した際に、大友の作風が生まれたことについて以下のように語っている。「僕は高校のころから映画が好きで映画ばっかり見てましたけど、手塚さんが作った漫画っていうのは非常に映画的な漫画なんですよね、昔の漫画に比べると。のらくろだったり、その、昔の古い漫画がありますけど、それに比べると非常に映画的にカメラアングルをこったり、カット割りみたいなのが素晴らしい。それをやっぱり、もう一度やってみたいなっていうのが、昔みたいなイマジネーションで漫画を描いてみたり、映画のカット割りに非常に近い、まあ手塚さんがそう作ったから当たり前なんですけど、それはありましたね、それを自分でもやってみたくなっちゃう。」「僕は手塚さんみたいに枚数が描けないんで線の数で勝負している。」また手塚が大友のことを『降参する』と言ったことについては「俺なんかをそんな風に言っていいのかなと思った」という。大友が手塚から漫画のパーティーに誘われたときのことは、「女房が電話に出て『手塚治虫から電話が来たよ』って言われて非常にビックリした」と語っている。 大友は2014年のアニメビジエンスNo.3で大友タッチの鉄腕アトムを描いた。 萩尾望都 萩尾は高校2年生のころに手塚の漫画「新撰組」に出会い、強い衝撃を受け漫画家を志した。その強い衝撃の様子を彼女はこう語る「『新撰組』のクライマックスシーンは、言うまでもなく花火のあがる河原での決闘シーンだ。このシーンが重要なのは、それまで丘十郎を支え育んできた彼の正義の情けが、熱意が、信頼が、ガラガラと崩壊していく様が描かれているからだ。親友大作は実は長州のスパイだった。敵を斬れと土方歳三に命じられた丘十郎が苦しみつつ歩く大きなコマがある。そのコマには大きなふきだしが三、四個あり、新撰組という集団の利益、忠誠と、個人の意志友情との間に引き裂かれてゆく、まさにダブルバインドに落ちた丘十郎の苦しみがめんめんとつづられているハズであった。しかしそれは私の思い込みであった。実際はセリフは二行しかない。"大作・・許してくれ"。この二行は私にとって二百行にも価した。このシーンはぐっさりと私の心にくいこみ、いまだにその衝撃を忘れることができない。」「実のところ、私はそのショックで、十七の時に漫画家になる決心をしてしまった。」萩尾はこれを読んだ後、1週間ぐらいボーっとしたという。 その後、萩尾は漫画家になり手塚と雑誌で対談をしたことも何度かある。手塚は萩尾の作品「11人いる!」に対して「11人いる!なんてのはスペース・オペラとしての傑作だと思っているんです」と評価している。萩尾は手塚の全作品を所有しているほどの大の手塚ファンであり、手塚が亡くなったときには次のように語った。「私は手塚先生の写真を持っている。サイン本も持ってる。直筆の絵も持ってる。でももう何もいらないから手塚先生に長生きしてほしかった。悲しい。一体、どうしたらいいの。手塚先生、返事して下さい。」 里中満智子 里中は、小学校入学直後に創刊されたばかりの『なかよし』で手塚作品に夢中になり、愛読していた。しかし、彼女はそれだけでは物足りず、貸本屋に通い詰め手塚作品をむさぼるように読んでいたという。貸本に置いてないものは必死でお小遣いをためて買い、友人の兄から借りたりした。その中でも『鉄腕アトム』に特に夢中になった。悪いことをしようとしたときにも「アトムならこんなことをしない」と自分に言い聞かせた。里中は「グレたりしないで生きてきたのはアトムのおかげ。アトムを生み出した手塚先生のおかげ」と語る。しかし、彼女が小学5年生のころに悪書追放運動が起こり「鉄腕アトム」も悪書として批判されることがあった。里中は「こんなことでは漫画が滅ぼされてしまう!守りたい!」と思い漫画家を目指す。里中は16歳の若さで漫画家になった。1972年、里中はイベントの移動のため、手塚と二人きりで新幹線に乗ることとなり、大阪までの3時間、手塚と一緒に語り合った。そのときの様子を里中は「酸欠状態で心臓バクバクだったが、手塚先生は優しかった」と語る。その中で手塚は「今後何を描きたいか」という質問で「究極のエロティシズムを描きたい!エロティシズムって素晴らしいですよ!」などと語り、当時若い女性であった里中は、どう受け答えしていいかわからず困ったという。しかし「聞いているだけで幸せでした」とも語る。その他に手塚は、妻との新婚時代のことや、息子のことについてなどを語った。 南部正太郎 手塚が「マァチャンの日記帳」などの新聞連載を始めたころ、同時期に長谷川町子の「サザエさん」(『夕刊フクニチ』)、南部正太郎の「ヤネウラ3ちゃん」(『大阪新聞』)などの新聞連載漫画が始まっていた。手塚は『大阪新聞』を介して南部と知り合い、もう一人武田将美を加えて「スリー・メンズ・クラブ」というグループを結成、たびたび3人で映画や漫画について話し合うなどしていた。当時は南部の『ヤネウラ3ちゃん』の人気が圧倒的で、3人組を意味する「スリー・メンズ・クラブ」の「スリー」を3ちゃんの3のことだと思う人も多かったという。 馬場のぼる 馬場のその穏やかな人柄もあり、手塚の親しい友人の一人として交際。手塚の葬儀では加藤芳郎とともに、弔辞を読んだ。手塚の作品の一つ「七色いんこ」では馬場のぼるの絵本作品「11ぴきのねこ」を馬場のぼるの作品として物語の鍵に使っている。また、手塚は早くから馬場をキャラクターとして自作に登場させており、なかには「フィルムは生きている」の宍戸梅軒や「W3」の馬場先生のように重要な役柄で起用されるケースもある。「W3」で重要な役柄に抜擢された理由は馬場が手塚に対して「ねえ、たまにはルンペンよりいい役にしなさいよ」と言ったことによる。馬場は自分がモデルの馬場先生が「たいやきは しっぽの中のアンコで ねうちがわかるんだぞ」という場面に関心を寄せている。手塚が馬場と九州へ旅行に出かけた折、飛行機内で手塚が「鳥人大系」を描いていると「よくペンが走るなあ」と馬場が呆れたという。馬場は手塚のことを「手塚さんが現れて、どんどん人気が上がっていったんですね。そうして人気が上がるにつれ雑誌に手塚調の絵が氾濫するわけです。」と語り、手塚の訃報の際には「言うべき言葉も見つかりません。40年の付き合いでした。開拓者精神の旺盛な人で、鉄腕アトムのアニメをテレビで初めてやったのが手塚さんでした。今月の1日(手塚が亡くなったのは9日)にお見舞いに行きましたが、眠っておられてお話をすることはできませんでした。だいぶ痩せられて、危ないとは思っていましたが・・・。本当に偉大な方をなくしました」と語った。 小島功 手塚が昭和30年以降に「大人漫画」の世界に進んだ際に、大人漫画家の「若手」作家どうしとして交流が始まる。小島は、手塚のしらない「酒と女の世界」の指南役となり、手塚を銀座の夜の街に誘った。のちに二人とも「漫画集団」の一員となり、交流が深まる。また、「大人の女が描けない」漫画家だった手塚は、小島漫画のグラマーな女性キャラクターを模して、大人の女性像を描くようになった。また、小島が主導した1963年の「日本漫画家協会」の設立にも、「児童漫画家の代表」として賛成して支援した。 やなせたかし 1960年代から晩年まで親交があった。手塚は劇場アニメ『千夜一夜物語』(1969年)に当時まだ大人漫画家として活動し現在ほど有名でなかったやなせを美術監督として起用し、キャラクターデザインもやなせに依頼している。そのお礼として手塚はポケットマネーを出して、やなせの原案によるアニメ映画『やさしいライオン』を制作した(大藤信郎賞を受賞)。 やなせは手塚のことを自著「アンパンマンの遺書」にて次のように記している「当時の小学生で漫画がうまいというのは、手塚治虫のマネがいかにうまくできるかということだった。」「手塚治虫という名前は、ぼくも風のたよりに聞いてはいたが、それはまったく別世界のできごとで、ぼくには無関係だった。」「ある日、電話が鳴った『もしもし、やなせさん、手塚治虫です』『あ、どうも』『実はね、今度虫プロで長篇アニメをつくることになったんですよ』『はあ、大変ですね』『それで、やなせさんにキャラクターデザインをお願いしたいんです。ひきうけていただけますか』『いいですよ』『それじゃね』だいたいこんな風な会話だった。手塚治虫はそのころはすでに漫画の神様に近く、名声も確立して収入は僕のX倍もあったが、ぼくとはまったく世界がちがったから、ほとんど関心はなかった。」「それなのに何故ぼくに電話してきたのか。わけが分からない。漫画家は冗談が多い。これは手塚治虫の冗談だと思って、すっかり忘れていた。ところがある日、また虫プロから電話がかかってきた。」「手塚治虫はもう遠くの国へ逝ってしまったが、ぼくは改めて聞きたい『手塚さん、なぜぼくに依頼したんですか?』」「ところが千夜一夜は興行的に大ヒットするのである。そして手塚さんはぼくに言った『ヒットのお礼に、何かアニメーションの短編を自由につくってください』『え、ほんとですか』『制作費はぼくのポケットマネーから出します。』ということで、ぼくは、はじめてアニメーションを手がけることになった。とにかく自分でつくれる作品ということで、すでにラジオでやっていて、脚本も音楽もできているやさしいライオンを選んだ。千夜一夜で山本暎一のやり方を見ていたので、大体のことは解ったし、絵コンテも手塚治虫と机を並べて描いたので要領はつかめていた」。 やなせは「千夜一夜物語」前後を境に、子供向け作品を描いていた手塚が大人向け作品を作ることが増え、逆に大人向け作品を描いていたやなせが子供向け作品を作ることが増えたことを『運命の交錯』と表現している。 2009年に江戸東京博物館で開催された「手塚治虫展」では、「ぼくが学んだのは、手塚治虫の人生に対する誠実さである。才能は努力しても、とてもかなわないが、誠実であることはいくらかその気になれば可能である。もちろん遠く及ばないにしても、いくらかは近づける。手塚治虫氏はその意味でぼくの人生の師匠である。」というやなせのコメントが紹介された(やなせは手塚より9歳年長である)。 寺田ヒロオ 寺田と手塚はトキワ莊で一緒に暮らしていた。トキワ莊に漫画家が続々と集まってくるのは、手塚が藤子不二雄の二人に14号室を譲ってからであるため、手塚は寺田と二人で住んでいた期間を「トキワ荘前史」と表している。寺田と手塚の部屋は向かい合わせだった。手塚と寺田は歳が3つほどしか違わず、手塚は寺田を「テラさん」と呼んでいた。寺田は手塚のことをこう語る「今のようにアシスタントを使って漫画を描くというスタイルは、手塚治虫さんが最初でしょう。手塚さんの登場で少年漫画の世界は革命的に変わりました。それまでは、どちらかと言えば舞台的な作り方だったのが、彼以来、映画的なものに変わってしまったんです。背景も細かく書き込むようになったし。かなり複雑なストーリーのものが漫画の世界に現れたものも手塚さん以降でしょう。」手塚は自著で寺田のことを「寺田ヒロオ氏は児童漫画にかける情熱はすさまじく、高邁な信念をもって作品を描き、『スポーツマン金太郎』や『背番号0』などの名作を出した。その信念は終始一貫変わらなかった。ぼくの尊敬する漫画家のタイプの人である」と語っている。手塚は劇画ブームの際、自身も劇画を描くなど対抗し乗り切ったが、寺田はそれができず児童漫画を貫くも、全く面識のない劇画作家(さいとう・たかを)に自分の描いた原稿を送り付け、「あなたはこんな物を描いていては駄目だ。漫画を描くならば、こういった物を描きなさい」と、一方的に諭したこともあったという。寺田の漫画は打ち切られ、寺田は自宅に引きこもりがちになる。1981年のNHK特集『現代マンガ家立志伝』で、トキワ莊メンバーが同莊会を開くという内容の番組が放送されたが、寺田は来なかった。そのとき、手塚は「テラさんは?」と語り寺田が来ないことを知ると、「ああ、惜しい・・」と残念がる姿が放映された。寺田はその後、トキワ莊メンバーとはほとんど会わなかったものの、1990年に自宅に旧知の仲間を呼んで宴会をした後、自室に引きこもる生活を続け、1992年に死去している。 福井英一 福井の柔道漫画『イガグリくん』(『冒険王』1952年 - 1954年連載) は連載時絶大な人気を誇っており、当時手塚は福井を最大のライバルとみなしていた。ライバルとしてだけではなく手塚の描いた「38度線上の怪物」には福井が登場し、福井が描いた『イガグリくん』には手塚が登場するコマがあるなど交流もあった。しかし、酔った福井が手塚に「やい、この大阪人、あんまり儲けるなよ!」とふっかけて口論となり、手塚の返答に「稼ぐばかりが能じゃねえ、子供だ、子供のことをちったァ考えてみろ」「金のために描いているしか思えねえ、この大阪人め!」と罵倒したこともある。1954年ごろ、手塚は『漫画少年』連載の「漫画教室」の中で、良くないストーリー漫画の例として『イガグリくん』を模した作品を登場させて福井の怒りを買い、福井の抗議を受けて馬場のぼるの仲裁で謝罪している。手塚は翌月の「漫画教室」に、漫画の先生が福井と馬場らしきシルエットの人物にやり込められている様子を描いて謝罪の意を表した。そのしばらく後に福井は過労で急逝しており、手塚は死去の報を受けて、競争相手がいなくなったことに「ホッとした」という感情を覚え、そのことで自己嫌悪に陥ったと記している。手塚は直後アシスタントしてもらっていた高校生時代の石ノ森章太郎にハガキを出している。「福井英一氏が亡くなられた。今、葬儀の帰途だ。狭心症だった。徹夜をしたんだ。終わって飲みに出て倒れた。出版社が殺したようなものだ。悲しい、どうにもやりきれない気持ちだ。おちついたら、また、のちほどくわしく知らせるから…」その手紙を受け取った石ノ森は、手塚の悲しみが行間からにじみ出てるようだったと語っている。その後手塚は漫画「世界を滅ぼす男」で空に浮かぶ雲を福井の形にして、自身の追悼の気持ちを漫画の中であらわした。その雲は穏やかな生前の福井の顔の形をしており、頭の上部には天使の輪の形をした雲が付いていた。手塚は福井が亡くなったことによるショックで、手塚と福井が連載していた「漫画少年」に『あと2年で漫画家を辞める』とまで発表し、漫画家を辞め医者を目指すつもりであった。 水木しげる 水木しげるはデビュー当時、漫画は手塚治虫のような作風の漫画しか売れず、「私は(手塚治虫を)ライバルだと思ってやってきた。若い時から漫画界に君臨してきた彼に対して屈折した思いもあった」「手塚さんがコンクリート塗装の大きな道を闊歩してきたとすれば、私は細く曲がりくねった悪路をつまずきながら歩いてきたようなものだ」と自著『水木さんの幸福論』で語っている。 『週刊少年マガジン』の編集長だった内田勝によると、1965年から同紙で連載開始された水木の妖怪漫画「墓場の鬼太郎」を目にした手塚は、その内容から受けたあまりの衝撃に、自宅で階段から転げ落ちたという。やがて「ゲゲゲの鬼太郎」と改題された同作品によって「妖怪ブーム」が起こると、手塚はこれを意識して「どろろ」を発表している。一方、水木の作品には棺桶職人を主人公にした短編「一番病」 があるが、これは手塚によく似た主人公が一番になろうとばかりして酷い目に会う、という物語である。また水木の作品を元にして、手塚の地元である宝塚ファミリーランドで「ゲゲゲの鬼太郎」のアトラクションが開催されていたことに対し、手塚は難癖と取られても仕方がない発言を行ったという。 水木は雑誌のインタビューで手塚のことを直接名指ししたわけではないが、「水木サン(水木の一人称)はいつでも自分がオモチロイと思ったものだけを描くんです。誰かにウケるものを描こうなんて考えたこともない。そんなことを考えて描く人は三流ですよ」と語っている。 水木の長女の尚子は父・水木しげるの妖怪漫画よりも、かわいい絵を描く手塚の大ファンだった。水木の次女の悦子は「姉が手塚さんのマンガをかなり読んでいたことを水木は気にしていたようです」と話している。また水木の娘が水木に対して「お父ちゃんの漫画には未来がない。手塚漫画には未来がある」と言うと。水木は「これが現実なんだ!おれは現実を描いているんだ!」と激怒したという。水木の娘が手塚からサインを貰ったときは『お父ちゃんの雑なサインと違って、丁寧に描いてくれた!』と言い、水木をガッカリさせている。一方、手塚の息子の眞は、幼少期は『ゲゲゲの鬼太郎』のファンで、父親の漫画よりも好んでおり、水木の娘と好対照であった。後に眞が制作した映画『妖怪天国』は水木の影響を受けており、手塚治虫・水木しげる両人ともゲスト出演している。手塚によると、この映画への出演は眞から「水木に特別出演してほしいが、個人的に知っているか?」という相談を受けたところから始まった。手塚はこれに対して「ああ、いろいろつき合って貰ってるよ」と返答した、と記しており、手塚と水木は漫画家としての交友は持っていたことがうかがえる。 手塚の漫画「I.L」には主人公のI.Lの顔がモンスターになるシーンで水木が登場する。そのとき、水木はI.Lに関心を寄せた台詞を語っている。同じく手塚の漫画「三つ目がとおる」の「ガイコツ・ショー」の話では、テレビ局に乗り込んだ写楽達の場面で水木が登場し、三つ目小僧に付いて語っている。受け手であるタレントは「水木センセイのお話はこわかったですねー」と返答。「火の鳥 鳳凰編」では茜丸が様々な生き物に生まれ変わった夢を見る場面で、夢から目覚めたときの吉備真備が水木の登場人物「ねずみ男」の姿に変わっている。手塚は水木を自分の漫画に登場させる時は水木に電話で許可を取るようにしていた。週刊少年マガジン1969年3月30日号の企画で、漫画家とその妻の集合写真を撮ったときは、手塚と水木は二人仲良く並んで撮影している。 上記のように「手塚と水木は不仲である」ということが語られることもあるが、水木本人も後年の書籍で手塚との不仲を否定している。 諸星大二郎 手塚賞応募作である「生物都市」を手塚は筒井康隆とともに絶賛し、この作品は満場一致で手塚から手塚賞が送られた。諸星および星野之宣と鼎談した際、手塚は「僕は諸星さんの絵だけは描けない」と発言している。手塚の漫画「ルードウィヒ・B」では、諸星のことをみなもと太郎や坂口尚などとともに「天才」と評価し、「自分を大事にして自分の個性を出していく者が結局強いんですよ。どこでも通用するんすよ。こういうのが自分の個性で勝つんすよ」と主人公のルードウィヒに語らせている。 いしかわじゅん イベントでいしかわが吾妻ひでおと一緒に手塚と同席した際、「この2人は若手の間では神様みたいな人」と手塚に紹介されたことがある。そのとき、いしかわは「神様に神様といわれるのは妙な気分であった」と語る。またそのとき、手塚は「いしかわ氏はぼくの影響を全然うけてないからなー」と語り、いしかわは「(そんなことないですよ。あなたの影響を受けていない漫画家なんていませんよ)」と心の中で語った。またいしかわは「七色いんこ」中のキャラとして登場させたいとのことで手塚から電話をもらったことがある。「七色いんこ」に登場した際のいしかわは、吾妻ひでおとキスをするという役柄であった。手塚はいしかわの作品「憂国」に対して「いしかわ氏の憂国なんかおもしろいよね」と発言もしている。 いしかわは手塚が亡くなった際に「今朝起きたら手塚治虫が死んでいた」「歴史上の人は死なないと思っていた。生死を超越した存在だとばっかり思っていたのだ」とそのショックを語った。 寺沢武一 寺沢は特に手塚のファンという訳ではなかったが、たまたま週刊少年チャンピオンで連載していた「ブラック・ジャック」内のアシスタント募集の広告を見て、手塚プロダクションに作品を投稿する。そのときは手塚プロダクションの採用担当者の判断により不採用となったが、後日、手塚治虫が直々に寺沢の絵を見たところ寺沢の絵を気に入り、手塚のアシスタントに採用された。ジャンプコミックスで寺沢の『コブラ』第1巻には、手塚があとがきに寄稿している。手塚はその中で「じつは、助手を募集したとき、どういうわけか寺沢くんは選にこぼれてしまっていた。あとから気づいたぼくは、大慌てで彼を採用しなおした。こんなすごい絵がかける人をなんで見落とすんだ!こうして四人の採用者に彼が一人加わり、それが結果的に、彼がトップにプロの道へ進むきっかけをつくったのだった。」「彼の絵は緻密で、丹念で、しかも美しかった。ことに背景を描かせると抜群だった。」「ジャンプにプロ第一作を載せたということは、寺沢くんにとって大成功だと思う。」と寺沢のことを絶賛している。当時、寺沢は手塚の専属アシスタントをしていたにも拘らず、一人だけ残業をせず、「これから自分の創作活動するんで帰ります」と 早めに帰宅していたが、手塚は寛容に扱っていた。理由は「彼はとても才能のある子だから、一日でも早くアシスタントを卒業してデビューして欲しかった」 とのこと。寺沢は、手塚が火の鳥の原稿をカッターで切り、構図を変えているのを見て「うわっこんな風に発想するのか!」と驚いたという。また寺沢は手塚のことを「僕の思いつきを先生は面白がってくれた。きっとそういう新しい血が欲しかったんだと思う」「手とり足とり教えてくれたわけじゃないがすごくいい時間をもらった。僕にとって金に換算できない貴重な経験だった」と語っている。 あだち充 あだちは、高校在学中に手塚の雑誌『COM』に投稿していた。そしてCOMの新人賞において、「虫と少年」が手塚によって佳作2位に選ばれた。以後『COM』の読者コーナーにしばしば登場。あだちは手塚が死去した際に『週刊少年サンデー』上で次のような追悼文を寄せた。「亡くなられた2月9日は僕の誕生日でした。鉄腕アトムの誕生の年に生まれた僕としては、手塚先生の影響は計り知れません。虫プロ主催の雑誌『COM』がなかったら、漫画の作品めいたものも描かなかったでしょう。心からご冥福をお祈りいたします。」 夏目房之介 夏目は小さな出版社に勤めながら、自分の漫画をいろんな人に送っていた。そうすることによって仕事がくるかと思っていたが、これは彼曰く全然当て外れであった。しかし、手塚治虫から夏目へと直筆のハガキが届き、その中には「24Pのものが一番面白かったと存じます」とわざわざ夏目の作品を褒めるものであった。このことに夏目は「信じられない」と語る。1977年、夏目が実際に手塚と出会ったときには「ああ自費出版を送っていただいて。あの本ね、面白いから編集者に貸したらそれきり返してくれないんです。週刊朝日やヤングコミックの仕事も拝見してますよ」と手塚に言われ、夏目は感銘を受けている。同時に「怖い人だ」という感想も述べている。これは当時、無名の新人であった自分の作品にもチェックを入れてくる手塚のプロ意識に対して尊敬と畏怖をこめてそう評している。 手塚死去の際、夏目は次のように語っている。「亡くなったことを知ってから、あちこちの連載に片っ端から追悼文を書いた。書いているうちは比較的冷静なのに、書き終えてみると、みぞおちのあたりから痙攣が馳せのぼってきて泣く。『うぉっうぉっうぉっおっおっ』と、まるでオットセイである。幼いころからのいろんなことが、いちどに手塚さんにむかってほとばしったみたいな泣き方で、これを書くたんびにくりかえすのである」「手塚さんの死を知ってから、表層的には平静だった私が月刊コミックトム(遺作ルードウィヒ・Bの掲載誌)に追悼文を書き、最後に『手塚さん、さようなら』と記した途端に泣いた」「手塚治虫さんは、私などにとって好きとか嫌いとか、影響を受けたとか受けないとか、そういう表層的な存在ではなかった。だから、作品ひとつだけあげろと言われると『そんなことができるもんか!』と、どなりかえしたくなる」 関係の深いアニメーション監督 富野由悠季 富野は小学生のころ、1年先輩の友達の家で雑誌「少年」に連載されていた「アトム大使」で初めて手塚作品と触れ合う。そして小学5年生の4月から両親に「少年」を毎月買ってもらうようにお願いした。そのときのことを富野は「漫画が掲載されているような雑誌は買ってはいけないというのがうちのテーゼだったんです。それを拝み倒して4月から買ってもらったときに偶然『鉄腕アトム』の連載が始まった月だったんです。本当に衝撃的でした。それまではまだ・・・こんなタイトルあげても若い人は分からないかも知れませんが『のらくろ』の漫画がつまり戦前の漫画がちらちら残ってるんですよ。家の中に。そういうものを読んでお茶を濁していたという気分のところに、これが来ましたんで、要するに昔の軍隊話でないまったく新しい漫画が来た。ということで本当にびっくりしたし、何よりも物語を読まなければならない、つまり、絵だけを見ていたらすまないぞという物語を手塚先生がお描きになったというのが、やはり、いや、これは低俗な漫画ではないという断定を子供心にしてくれたという意味ではとてもすごい作品だったという風に思っています。」また、富野は手塚の「来るべき世界」にさらにそれを超える衝撃を受けたということも語っている。富野は、小学6年生のときには「僕は漫画で初めて女の子を知った」と「来るべき世界」のポポーニャが覆面を外すコマを上げた。 富野は日本大卒業後の1964年(昭和39年)、手塚治虫が設立したアニメ制作会社の虫プロダクションに入社した。富野は手塚から直々に鉄腕アトムの演出に抜擢されアニメ後半の演出の多くは富野が手がけている。富野の初監督作品は手塚の漫画を原作とした「海のトリトン」である。富野は手塚治虫を振り返りこう語っている「アニメは全部動かさなくても伝えられるということを教えてもらった。」「週ペースでものを作ることにすでに現場は慣れていましたが、とにかく忙しく、演出論などを議論をしている時間はなかった」「虫プロでマンガ家でアニメーターの真似事をしている人が社長であるわけがない。早く演出にならないと給料安くてやってられないと思っていた僕に「演出やらない?」と言ってきたとき、ああやはりこの人はマンガ家でありクリエイターであって社長ではなかった、と思った。オレの映画観と手塚先生の映画観が違ったから。手塚先生の映画観は甘いんじゃないかと思ってた。手塚先生が満足した作品はないと思う。」「映画は好きに作ってすむものではない。好きだけで作れるとは思わないで下さい。それでも作るなら、手塚先生と同じ手の速さと学識を持ってほしい。僕もその1億分の1くらいになれるように頑張ります。」「(「ジャングル大帝」のシナリオの社内募集にコンテを持ち込みした際)それが採用されるというのは、じつはハナからわかっていた。なぜなら、コンテを読める奴はいないのだから、ぼくのコンテだって採用される。虫プロのコンテの基準は、マンガ絵がはっきりしていればいいのであって、映像的な評価を意識したものはないから、りんちゃん(=りんたろう)的なコンテであればとおるとふんだのだ」「だからといって、手塚先生がコンテを読めないことをあげつらうつもりはない」「手塚先生だって、若い連中が描いたコンテはなおすし、短編アニメのコンテをきらせたら天下一品であるのだが、ストーリー・アニメのコンテは不得手でいらっしゃったというのが、ぼくの評価である。こんなエピソードを書いたからといって、TVアニメのパイオニアである事実を貶めることにはならないし、マンガ家として天才であることを汚すことにもならない」 手塚は富野の監督作品『機動戦士ガンダム』について「機動戦士ガンダム以降では子供向けアニメが受けにくくなった」と語っている。 手塚が死去したときのことを富野は次のように振り返っている「先生が亡くなられたと聞いた翌朝、失礼をかえりみず先生のお宅にあがりこんで、死に顔を拝見できなくとも近くにいたいと願った。その行為は今も恥じていない。師のエキスの一万分の一も真似することはできないだろうけど、ここに従うものがいると知ってほしいと思うのは、生きている者の欲である。」 りんたろう(林重行) りんたろうは1963年に東映動画から手塚治虫の虫プロダクションに移籍した。これは東映動画ではやりたかった演出ができなかったためである。りんたろうは念願がかなって「鉄腕アトム」の演出を務めた。彼は手塚のことを「偉大なマンガ家であり、寝食を忘れて一緒に仕事をしたチーフ。覚えているのは、動画机を並べて仕事をしていたときのこと。地震みたいにガタガタガタガタ揺れ出した。先生は調子に乗ってくると貧乏揺すりをするクセがあった。あとは音楽に造詣が深かったこと。朝からコンテをかきつつベートーベンの第5(運命交響曲)をかけていた。商業主義でアニメがどんどん大きくなり、先生が本来やりたかったアニメとどんどんかけ離れていった。でも先生は悩みながらアニメを手放さなかった。プライベートなフィルムを作ってバランスを取っていたんだと思う。でも、最後までどの作品にも満足しなかったのではないか。」と語る。 杉井ギサブロー(杉井儀三郎) 杉井は幼少のころより手塚作品を読んで育った。彼はこう語る「手塚先生の『新宝島』に出会ったのは7歳のとき。その紙のザラザラした感触も覚えている。手塚先生のマンガはほかのマンガと違って、読むというより映画を見ているという印象だった。」「僕は手塚マンガから映画の作り方を教わった。」「手塚先生と初めて会ったのは20代初め。小学生のころからファンで雲の上の人だったけど、冷静に考えると先生もまだ30代。30代の若者が20代の若者を集めて作ったのが虫プロだった。一番教わったのは、エンターテインメントというのはチャレンジだということ。常にチャレンジしていないと古びてしまう。だから同じことを繰り返してはいけない。先生はホントにマンガが好きだったんだろうか、マンガではなく映画が好きで、映画を書いていたんじゃないかと思う。」 手塚は杉井のことを「ギッちゃん」と呼んでいた。 出崎統 出崎は小学4・5年生のころより手塚治虫に憧れて漫画を描いて育った。その後、虫プロに入社する。彼は次のように語る「僕は手塚治虫にあこがれ、マンガ家を目指して挫折して、偶然虫プロに入ることができた。先生を目の前にしてもこちらからアクションを起こすことなんてできなくて。何か思い出を作っておけばよかったと後悔してる。一度、アトムのコンテを見せたとき『出崎君、エンターテインメントを忘れないで』と言われた。僕は暗い話が好きでそんなのばかりやっていたから。それからずっと、エンターテインメントって何だろう、と考えて、今日まで来てしまった。マンガでもアニメでも手塚作品の主人公はいつも悩んでる。そこにひかれたから、僕も『ロボットとは?』『人間とは?』とアトムをいつも悩ませた。それで『エンターテインメントを忘れないで』と言われちゃったけど、反権力で心の中に葛藤を抱えている、そういう主人公にあこがれ、僕もそういう作品を目指している。」 高橋良輔 高橋も幼少のころより手塚治虫に憧れて育ち1964年に虫プロへ入社した。「私も手塚先生のファンで、別世界の人と思ってた。虫プロの試験でお会いして「ホンモノだーっ!」って思った。神様みたいな存在だったのが、一緒に働いているとどんどん「ちょっと年上のただのオジサン」になっていった。徹夜して机の下に寝ていると何か圧迫感があって、見たら隣で先生が寝ている。手塚先生と添い寝しちゃった。後になって自分のスタジオを高田馬場に持ったとき、手塚プロも高田馬場にあったので、たまに坂道なんかで会うと声をかけていただき、ますますオジサン度が強まった。亡くなってからは、今度は偉大さが強まってきた。自分が生きて出会った、いちばん偉大な人、という思いを強くしている。「アトム」の後、30分のテレビアニメが増え、手塚アニメの人気が一時下がった。すると先生は大人向けの長編を作って大ヒットさせた。業界がまたそういう方向を食いつぶしていると、2時間という枠のアニメを今度はテレビでやった。開拓者、挑戦者だった。その遺志を継いで何とか新しいものを作っていこうと頑張っている。」「今仕事してみると、『先生が生きていたらどういう風に言ってくれるのかな』とか、先生のチェックがないということがね、あらためて『先生が亡くなっちゃったんだなあ』と。そういう意識の仕方ですね。」 ちなみに、高橋の監督作品「装甲騎兵ボトムズ」の主人公キリコは手塚の作品「ブラック・ジャック」の登場人物から取られている。 宮崎駿 宮崎は手塚のアニメーション制作に対し批判的であった。手塚の訃報に際し、宮崎は手塚の漫画史における功績に敬意を表しつつも、手塚のアニメ作品を、店子を集めてムリやり義太夫を聴かせる落語の長屋の大家と同じ旦那芸であると痛烈に批判し、手塚がリミテッド・アニメーションとフルアニメーションの違いもろくに理解せず喧伝していたことや、ロトスコープを慌てて買い込んだことに触れ、「アニメーションに関しては(中略)これまで手塚さんが喋ってきたこととか主張したことというのは、みんな間違いです」「アニメーションに対して彼がやったことは何も評価できない」と述べ、「趣味としてみればわかるんです。お金持ちが趣味でやったんだと思えば」と総括している。 一方で、手塚がテレビアニメ黎明期に『鉄腕アトム』を安価な予算で作ったことが、日本におけるアニメの製作費が低くなる前例となってしまった件については、日本が経済成長を遂げていく過程では必然のことであり、「引き金を引いたのが、たまたま手塚さんだっただけ」とする立場を取っている。 漫画作品に関しては後の2009年のインタビューにおいて、7歳のときに読んだ『新宝島』に「言い難いほどの衝撃」を受けたことを明かし、「僕らの世代が、戦後の焼け跡の中で『新宝島』に出会った時の衝撃は、後の世代には想像できないでしょう。まったく違う世界、目の前が開けるような世界だったんです。その衝撃の大きさは、ディズニーのマネだとか、アメリカ漫画の影響とかで片づけられないものだったと思います」と語っている。また、その後のSF3部作(『ロストワールド』『メトロポリス』『来るべき世界』)の虜になっていたことも認め、「モダニズムとは、繁栄や大量消費と同時に、破壊の発明でもある。そのことに、ひとりアジアの片隅で行き着いたのが手塚さんだった」と評している。当初、漫画家を目指していた宮崎がアニメーターに転じたのは、絵が手塚の亜流に見えてしまうことが理由のひとつにあったという。また、手塚のアニメについて、従来の評価は変わらないとした上で「僕は手塚さんがひどいアニメーションを作ったことに、ホッとしたのかもしれません。これで太刀打ちできると」と述べている。 雑誌の寄稿文では「十八歳を過ぎて自分でまんがを描かなくてはいけないと思ったときに、自分にしみこんでいる手塚さんの影響をどうやってこそぎ落とすか、ということが大変な重荷になりました。ぼくは全然真似した覚えはないし実際似てないんだけど、描いたものが手塚さんに似ていると言われました。それは非常に屈辱感があったんです。模写から入ればいいと言う人もいるけどぼくは、それではいけないと思い込んでいた。それに、手塚さんに似ていると自分でも認めざるをえなかったとき、箪笥の引き出しにいっぱいためてあったらくがきを全部燃やしたりした。全部燃やして、さあ新しく出発だと心に決めて、基礎的な勉強をしなくてはとスケッチやデッサンを始めました。でもそんなに簡単に抜けだせるはずもなくて…。」と語り、その後のインタビューでは「僕は、手塚さんとはずっと格闘してきましたから。それは『恩義』だけれど、そんな言葉で語れるほど簡単なものじゃありません」とも語っている。 宮崎は東映動画に入社した年である1963年に手塚治虫が原案を務めた『わんわん忠臣蔵』にアニメーターの一人として参加している。1977年には同じく手塚治虫原案の『草原の子テングリ』でレイアウトを務めた。 手塚は宮崎の『ルパン三世 カリオストロの城』に対し「僕は面白いと思った。うちのスタッフも皆、面白がって観ていた」と『ぱふ』のインタビューで語っている。 1981年には手塚と宮崎との合作『ロルフ』も予定されていた。手塚はアニメージュの紙面上で次のように語っている。「『ロルフ』---この有名なアングラ・コミックを宮崎さんが長編アニメにしたいという執念をぼくにもらされたのは、もう半年くらい前のことです。『じゃりン子チエ』の追い込みも終わった前後のことで、どうしてもこれだけは国際的アニメに作り上げたいという夢を、大塚康生氏とともに語られました。ぼくたちは、この夢の実現を目ざして、どんなに時間がかかっても成就したいと思っています。それにはT社の社長および原作者の強力なご援助がなければできないことです。コケの一念で実現させたいと思います。宮崎さんは、きっととてつもないもの凄い映画に作り上げられることでしょう」。この合作は実現しなかったが、ロルフの企画は名前と形を変え『風の谷のナウシカ』となった。 手塚は『風の谷のナウシカ』が大ヒットしたのを見て、「凄く悔しがっていた」と元アシスタントの石坂啓が述懐している。また、手塚は晩年にアニメーターで元トキワ荘住人の鈴木伸一とともに『天空の城ラピュタ』を観たという。映画を観た後、手塚は鈴木に「面白かった?」と聞き、「は、はい。」と答えた鈴木に対し「そうかな?」と述べ、宮崎をライバル視していたという。 宮崎は2011年に刊行された著書『本へのとびら』の中で、これまでの手塚への発言について「手塚さんは今の僕より若くして亡くなった方ですから、僕より若い人なんだ、とこのごろは思っているんです。年寄りがとやかく言うことではありません。」と述べている。 その他 トレードマークは、ベレー帽と分厚い黒縁眼鏡。人前で帽子を外すことは滅多になく、「帽子を被ってないときは映さないで」と照れ笑いする様子が映像に残っている。しかし、街中を歩くとき、仕事中、タクシーの中などはベレー帽を脱いでいることが多かった(これにはベレー帽を脱いでいると街中を歩いていても手塚治虫であると気づかれにくい利点もあったようである)。ベレー帽は、もともと横山隆一を模倣してかぶり始めたもので、横山はやがてベレー帽の使用をやめたが、手塚は自身の漫画の中でも自分自身をベレー帽と黒縁眼鏡と鼻が大きい人物として特徴付けており、生涯これを変えることをしなかった。このベレー帽をかぶる風習はトキワ荘のメンバーにも伝わり、石森章太郎や藤子不二雄(藤本弘)などもベレー帽をかぶっていた。また、トキワ荘のマンガ家のあいだでよく用いられた「~氏」という敬称はもともと手塚が使っていたもので、相手の年齢にかかわらず用いられて便利ということで広まったと水野英子は証言している。 身長は170センチメートルと、戦前生まれとしては大柄であった。視力は度の強い近視であった。甘いものが好きであったために歯を悪くした。特に「チョコがなければ仕事ができない」というほどのチョコレート好きであり、死後に施錠されていた仕事机の中からかじりかけの板チョコが見つかった。 人並み外れた仕事量をこなしたことで知られているが、決して家庭を蔑ろにすることはなく、誕生日とクリスマスには必ず家族でレストラン・ディナーをとる習慣があり、計画を立てて正月と夏休みには家族旅行に出かけていた。田中圭一には「マンガ家としてだけじゃなく父としても神」と評された。 アシスタント経験のある漫画家古谷三敏によると、手塚はアルコールがあまり飲めず、煙草も普段は吸わなかった。バーで煙草をふかしたときは上手く吸い込めていなかったという。 1962年に日本共産党への支持を表明後、日本共産党の選挙応援にたびたび駆け付け、赤旗にも掲載されていた。一方で、自由民主党の機関紙である「月刊自由民主」にも、1984年10月号に寄稿したことがある。 年表 1928年11月3日 - 大阪府豊能郡豊中町(現・豊中市)に生まれる。※岡町相生通りに生誕から2歳まで、引っ越して岡町曽根(萩の寺の付近)に2歳から5歳まで。 1933年 - 5歳のとき兵庫県川辺郡小浜村(現・宝塚市)の川面(かわも)の高台のふもとの元祖父の屋敷に一家で引っ越す。このころから母とともに宝塚歌劇に親しむ。 1935年 - 池田師範学校附属小学校(現・大阪教育大学附属池田小学校)入学。 1939年 - 自分の名前「治」に虫を付けて「治虫」をペンネームとする。 1941年 - 大阪府立北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)入学。 1945年3月 - 北野中学を卒業。勤労動員中6月の大阪大空襲に遭遇。7月、大阪帝国大学附属医学専門部に入学。 1946年1月4日 - プロデビュー作の四コマ漫画『マァチャンの日記帳』(少國民新聞(後の毎日小学生新聞)大阪版)の連載開始。 1947年 - 酒井七馬がもちかけた企画による長編漫画単行本(赤本)『新寳島』が刊行された(初版1月30日、4月20日、6月1日、7月25日と版を重ねて累積40万部が売れたとされる)。 1950年(22歳) - 上京中に学童社に立ち寄って加藤謙一と出会い、持っていた単行本用の原稿を見せたところ連載が決まり「漫画少年」誌で『ジャングル大帝』の連載開始。 1951年 - 1年留年し、大阪大学附属医学専門部(旧制)卒業。毎日放送開局時のアナウンサー採用試験に合格。偶然通りかかって受験してみたところ合格した、と後年同局の番組『あどりぶランド』で語っている。光文社の月刊誌「少年」に「アトム大使」(当初の予定はアトム大陸)を連載開始。 1952年 - 医師免許取得。『アトム大使』から路線変更した『鉄腕アトム』(連載予告では鉄人アトム)を『少年』 に引き続いて連載。東京都新宿区四谷に約1年半下宿する(四谷交差点(北西角。メトロ2番入り口前)「成木屋青物店」の2階。のちの漫画作品「四谷快談」の舞台。『鉄腕アトム』などの執筆場所)。 1953年(25歳) - 東京都豊島区椎名町5丁目(現:豊島区南長崎3丁目)のトキワ荘に入居。『リボンの騎士』を講談社の月刊誌少女クラブに連載開始。 1954年 - 週刊朝日の昭和29年(1954年)4月11日号、頁22-23で「知られざる二百万長者 児童マンガ家・手塚治虫という男」として紹介される。 1954年 - 10月に豊島区雑司が谷の並木ハウスに下宿。 1957年 - 東京都渋谷区代々木初台に借家。 1958年(30歳) - 第3回小学館漫画賞受賞(『漫画生物学』『びいこちゃん』)。練馬区東大泉町(現:東大泉)の東映動画から漫画「ぼくのそんごくう」を元にした劇場用長編総天然色漫画映画「西遊記」の制作を持ちかけられて嘱託社員となる。 1959年 - 松下井知夫(まつしたいちお)が中心となって結成した「ストーリー漫画研究会」に参加(松下に結婚式の媒酌人を依頼)。 1959年 - 10月に岡田悦子と結婚。『週刊少年サンデー』創刊号から『スリル博士』を連載する。 1960年 - 練馬区谷原町(現・練馬区富士見台)に自らデザインした自宅を建てる。 1961年 - 奈良県立医科大学から医学博士の学位を授与される。主に東映動画から引き抜いた人材を中心とする6名で手塚治虫プロダクション動画部を設立し(12月には株式会社虫プロダクションとして登記)、自宅の庭の一角に作った建物で非商用アニメーション作品「ある街角の物語」の制作を開始。長男・眞(本名:真)が誕生。 1963年(35歳) - 自ら創設して社長も務めた虫プロダクション制作の日本初毎週30分枠のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』(モノクロ作品)がフジテレビにて1月1日から放送を開始する(丸4年間放送)。「ある街角の物語」が芸術祭奨励賞、第1回大藤信郎賞、ブルーリボン教育文化映画賞を受賞。 1964年 - 長女・るみ子が誕生。 1965年 - 日本初の1時間枠テレビアニメ「新宝島」を1月3日に放送(これは本来は手塚治虫原作の漫画を毎月1回1時間の枠で毎回完結の独立したアニメ番組化していく構想「虫プロ・ランド」の第1作目であったが、経営的な面から製作継続は無理と判断され、これ一作だけが作られて中止となった)。日本初のカラーテレビアニメシリーズ『ジャングル大帝』がフジテレビで10月6日から放送。毎日新聞社の特派員記者としてニューヨーク世界博覧会を取材するために渡米した際に偶然に同博覧会場のペプシコーラ館前において生涯で一度だけとなったウォルト・ディズニーとの対面を果たす。W3事件。虫プロの版権部門を独立させた会社「虫プロ商事」を発足する。 1967年 - 虫プロ商事は月刊誌『COM』を刊行開始し、同誌に「火の鳥」の連載を開始。 1968年(40歳) - 虫プロ商事制作のテレビ番組「バンパイヤ」がフジテレビ系で放送開始。漫画制作のための手塚プロダクションを設立。 1969年 - 大人のための劇場用長編アニメーション「千夜一夜物語」を公開。 1970年 - 『火の鳥』で第1回講談社出版文化賞の児童まんが部門で受賞。日本万国博覧会(大阪万博)にて「フジパンロボット館」をプロデュース。少年画報社の「週刊少年キング」誌連載の『アポロの歌』に過度の性的描写があるとして、一部地域で青少年に対する発売禁止を受ける。 1971年 - 虫プロ社長を退任。(虫プロ商事の社長は継続)。手塚プロダクション動画部を作り、テレビアニメシリーズ「ふしぎなメルモ」を制作し、朝日放送(現:朝日放送テレビ。TBS系列)で放送。 1972年 -『ブッダ』を連載開始。 1973年(45歳) - 虫プロ商事とそれに続いて虫プロダクションが倒産。虫プロダクションの経営から手を退いた後も、手塚は個人で多額の債務保証を行っていたため債権者に追われる身となるが、知人の葛西健蔵(現・アップリカ・チルドレンズプロダクツ会長)が後見人となり、版権の散逸は免れた。11月19日、『週刊少年チャンピオン』にて『ブラック・ジャック』の連載開始。 1974年 - 練馬区から杉並区下井草に引っ越す。 1975年 - 漫画作品『ブッダ』、『動物つれづれ草』により第21回文藝春秋漫画賞を受賞。『ブラック・ジャック』により第4回日本漫画家協会賞特別優秀賞を受賞。 1977年 - 漫画作品『三つ目がとおる』、『ブラック・ジャック』により第1回講談社漫画賞少年部門受賞。講談社『手塚治虫漫画全集』(当初は第1 - 第3期の全300巻を予定)刊行開始。 1978年(50歳) - 日本アニメーション協会(Japan Animation Association = JAA)の初代会長となった。 1978年 - 日本テレビ系の夏の「24時間テレビ」の中で、日本初の単発2時間枠のスペシャルアニメ番組「100万年地球の旅 バンダーブック」を放送。 1979年 - 児童漫画の開拓と業績により巖谷小波文芸賞受賞。 1980年 - 東宝洋画系で劇場用長編アニメーション「火の鳥2772」を公開。サンディエゴ・コミック・コンベンション・インクポット賞受賞。国際交流基金のマンガ大使として国連本部、米国の大学で現代日本のマンガ文化について講演。映画『ヒポクラテスたち』に、大学病院の教授役でカメオ出演する。 1983年(55歳) - 漫画作品『陽だまりの樹』により第29回(昭和58年度)小学館漫画賞(青年・一般向け部門)受賞。 1984年 - 実験アニメーション『ジャンピング』がザグレブ国際アニメーション映画祭グランプリおよびユネスコ賞を受賞。 1985年 - 実験アニメーション『おんぼろフィルム』が第1回国際アニメーション映画祭広島大会グランプリ受賞。東京都民文化栄誉章受章。漫画家生活40周年、『講談社 手塚治虫漫画全集』(当初予定した3期分全300冊)の完結により、講談社漫画賞特別賞受賞。同年7月にフランスで開催された「日仏文化サミット85」(朝日新聞社、フランス文化省、コミュニケーション国際広場CICOM主催、日仏両国外務省後援)に参加。 1986年 - 漫画作品『アドルフに告ぐ』により、第10回講談社漫画賞一般部門受賞。 1987年 - 愛知県岡崎市で開催の地方博覧会「葵博」の総合プロデューサーを務める。 1988年2月13日 - 朝日賞受賞記念講演(東京・有楽町朝日ホール)、講演題「アニメーションと私」。 1988年6月4日 - 高橋健、矢島稔、田中栄治らと「日本昆虫倶楽部」を創設し初代会長に。 1988年(60歳) - 戦後マンガとアニメーション界における創造的な業績により朝日賞受賞。実験アニメーション「森の伝説」で毎日映画コンクール大藤賞受賞。ザグレフ国際アニメーション映画祭CIFEJ賞(青少年映画賞)を受賞。体調悪化により急遽入院(スキルス性胃癌と判明するが本人自身には伝えられず)。11月1日に大阪教育大学附属池田小学校で生涯最後の講演を行う。 1989年2月9日 - 胃癌により入院中の半蔵門病院にて午前10時50分に死去(60歳没)。戒名は伯藝院殿覚圓蟲聖大居士。没後に日本政府から勲三等瑞宝章叙勲。日本SF作家クラブ主催第10回日本SF大賞特別賞受賞。 1990年 - 東京国立近代美術館で回顧展。権威ある美術館で、没後1年足らずで回顧展が開かれた。国立美術館での漫画家の回顧展は空前のことであるという。同年、全業績に対して第19回日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞。 1993年 - 第4期講談社手塚治虫全集の刊行を開始(その後1997年12月に第4期の刊行は完了し、全部で400冊の全集が完結した)。 1994年 - 兵庫県宝塚市に、宝塚市立手塚治虫記念館が4月25日に開館した。これのメモリアル公演として宝塚歌劇団花組が第80期生初の舞台公演として『ブラック・ジャック 危険な賭け』『火の鳥』を上演。 2002年 - 米アイズナー賞の「漫画家の殿堂」入り。同年に日本漫画家協会と出版社5社は手塚治虫の誕生日である11月3日を「漫画の日」とすることを提唱。 2004年 - 漫画『ブッダ』の英訳版がアイズナー賞の最優秀国際作品部門を受賞。 2007年 - 2008年に生誕80周年を迎えることを記念して、手塚治虫作品を読者の手で選んで発行する『手塚治虫O(オンデマンド)マガジン』のサービスが開始される。 2008年 - 生誕80周年を記念して小学館から過去のコミックの特装版、純金製アトムなどの商品の発売、出身地宝塚でのイベント、アメリカ合衆国サンフランシスコでの手塚治虫展、広島国際アニメーションフェスティバル、東京国際映画祭で過去に自身が手がけたアニメ作品が特集されて上映。 2009年 - 江戸東京博物館で特別展「手塚治虫展」開催。 2009年10月 - 講談社『手塚治虫文庫全集』(全200巻)刊行開始。 2011年4月28日から6月30日 - 大阪大学総合学術博物館 侍兼山修学館で、大阪大学総合学術博物館第13回企画展「阪大生・手塚治虫 - 医師か?マンガ家か?-」開催 ※ url=https://www.museum.osaka-u.ac.jp/jp/exhibition/P13/P13.html 2012年 - 世田谷文学館にて「地上最大の手塚治虫展」開催。 2013年 - 練馬区立石神井公園ふるさと文化館にて特別展「鉄腕アトム放送50周年記念 - 鉄腕アトムが飛んだ日」(開催期間:2013年1月19日-3月24日)。 2013年 - 愛知県岡崎市「おかざき世界子ども美術博物館」で「手塚治虫展」。原稿や愛用品など約170点を展示(開催期間:2013年4月27日-2013年7月15日)。 2013年 - 東京都現代美術館で特別展「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」(2013年6月29日 - 9月8日)。以降、広島県立歴史博物館(2013年11月15日 - 2014年1月5日)、大阪歴史博物館(2014年1月15日 - 3月10日)、山梨県立博物館(2014年3月21日 - 5月19日)、宮城県美術館(2014年5月31日 - 7月27日)、長野県信濃美術館(2014年10月4日-12月7日・予定)を巡回。 2014年 - 大学入試センター試験二日目(1月19日、日曜日)の日本史Bの設問に手塚が取り上げられ、著書や漫画が使われた。※注:学校用教科書に手塚治虫の文章が掲載された例は在命中にも何度かある。 2014年4月7日 - 米グーグルのWebサイト「歴史アーカイブ(Google Cultural Institute)」に漫画やアニメ作品でたどる手塚治虫の生涯が公開。 2014年5月16日(?) - スペイン、バルセロナのコミックサロンで、手塚治虫作「人間昆虫記」が外国作品部門で受賞 ※日本漫画作品では初の受賞。 2014年7月12日から8月31日 - 滋賀県立近代美術館で「手塚治虫展」(2014年7月12日-8月31日)開催。 2014年7月25日 - 漫画『地底国の怪人』の英訳版(The Mysterious Underground Men, by Osamu Tezuka(PictureBox))がアイズナー賞の最優秀国際アジア作品部門を受賞。 2014年7月19日から10月5日 - 湯前まんが美術館(熊本県球磨郡湯前町中央公民館(那須良輔記念館))で「火の鳥連載60周年記念 阿蘇と手塚治虫」展(2014年7月19日 - 10月5日)開催。 2014年9月5日から9月14日 - 横浜みなとみらいのブリリアショートショートシアターで、手塚治虫の実験アニメーション特集(2014年9月5日 - 9月14日)。※「森の伝説 第二楽章」完成記念。初日に手塚眞のトークショウ。※2014年8月21日に第15回広島国際アニメーションフェスティバルでのワールドプレミア上映に続く一般向け公開。 2014年11月3日から11月9日 - 東京・吉祥寺の吉祥寺ギャラリー・カイ(GALLERY KAI)で「手塚治虫の美女画展」開催。 2015年2月28日から5月10日 - 京都国際マンガミュージアムで「医師たちのブラック・ジャック展」開催。 2015年12月17日から12月23日 - 吉祥寺リベストギャラリー創で「手塚治虫文化祭 〜キチムシ‘15〜」開催。 2016年7月30日から8月21日 - 会津若松市歴史資料センター「まなべこ」で特別企画展「手塚治虫と会津」開催。 2016年9月10日から11月13日 - さいたま市立漫画会館1階 企画展示室で「手塚治虫とっておきの漫画」展開催。 2018年1月25日から3月11日 - フランス・アングレーム美術館で展覧会「Osamu Tezuka, Manga no Kamisama」開催。 2018年7月13日から9月2日 - 台湾台北市の誠品書店敦南店で「漫畫之神-手塚治虫 生誕90年紀念展」開催。「手塚治虫書店」も出店。 2019年4月1日 - 宝塚市立手塚治虫記念館がリニューアルオープン。 2019年1月TVアニメ「どろろ」が放送開始 2019年10月1日 - キオクシアの「#世界新記憶」第1弾として人工知能による手塚治虫新作漫画制作プロジェクト「TEZUKA2020」(テヅカニーゼロニーゼロ)が発表、タイトルは『ぱいどん』で2020年2月及び4月にモーニングで前後編が掲載された。 2020年9月28日 - 米国の出版社ファンタグラフィックスが主催する漫画の賞ハーヴェイ賞(The Harvey Awards)の運営委員会は、2020年9月28日に手塚治虫に対して殿堂入りクリエイターとして"Harvey Awards Hall of Fame"を授与すると発表。 url=https://www.excite.co.jp/news/article/Atpress_228464/ 2021年3月24日から4月5日 - 阪急うめだ本店 9階 阪急うめだギャラリーで「手塚治虫のクリエーション」開催。 関連人物 家族 祖父・手塚太郎は司法官で、1886年(明治19年)に創立された関西法律学校(現・関西大学)の創立者の一人である。大阪地方裁判所検事正から名古屋控訴院検事長、長崎控訴院長などを歴任した。曽祖父・手塚良仙は適塾に学んだ蘭方医で、1858年(安政5年)に江戸の神田お玉ヶ池種痘所(現・東京大学医学部の前身)を設立した人物の一人でもある。その生涯は治虫の晩年の作『陽だまりの樹』でフィクションを交えつつ描かれており、福澤諭吉の自伝『福翁自伝』にも記録が残っている。遠祖は平安時代の武将・手塚光盛とされる。家系図 (なお作家活動時には多くの書籍で生年を大正15年(1926年)と紹介していた)。 父・粲は住友金属に勤める会社員であり、カメラを愛好するなどモダンな人物であった。当時非常に珍しかった手回しの9.5mmフィルム映写機(パテベイビー)を所有しており、治は小学校2年生から中学にかけて、日曜日には家にいながらにしてチャップリンの喜劇映画、マックス・フライシャーやディズニーのアニメ映画を観ることができた。そのため治は幼少時から漫画家よりもむしろアニメ監督になることを夢見ていたという。なお、父はカメラにはまる前は漫画にも凝っていて、漫画への理解があり、家には田河水泡の『のらくろ』シリーズや、中村書店の「ナカムラ・マンガ・ライブラリー」、「ナカムラ・繪叢書」など、200冊を超える漫画本があったという。また、のちに父が母に向けて書いたラブレターを発見した際、ラブレターに漫画が描かれてあるのを発見し、治虫は「やっぱり自分は父の息子だ」と思ったという。粲は晩年はファンクラブの世話人として、手塚の元を訪れるファンを接待していた。 母・文子は、服部英男(陸軍中将。陸士11期・陸大23期、輜重兵将校、最終補職は輜重兵監。)の娘で、厳しいしつけのもとに育ち、夫には絶対服従であったが、戦中に夫が召集された際は、生活費の捻出や畑仕事から隣組の役員まで務める働きぶりを示す一方で、幼少期の治に子守唄代わりに絵本や漫画を登場人物ごとに声音を使い分けて読み聞かせていた。母もまた漫画好きであり、のちに治虫の長男・眞が治虫の書斎で『のらくろ』を読んでいたところ、ページの隅にパラパラ漫画を発見した。てっきり治虫によるものだと思っていたが、後になって文子が描いたものだったと判明したという。1983年1月4日、74歳で没。 治虫は初期の自伝などで父を悪く書き、母を持ち上げるというエディプスコンプレックス丸出し の行動を取っている。父を強権的で母に無理を押し付ける亭主関白として、あるいは治虫自身に害のある行動を取ったと回想しているものであり、そのうちの一部はのちにエッセイなどで事実上の撤回をしている(初期の自伝などで父は漫画を買ってくれず主に母が漫画を買ってくれたとしていたが、後年のエッセイではむしろ父親が買ってくれていたと変わっている)。実妹・美奈子は治虫没後のインタビューで、父親について決して強権的ではなく家庭サービスにも熱心であったと述べている。このことは「ぼくの漫画期」にも載っている。 治は長子で、下には2歳下の弟・浩と4歳下の妹・美奈子(結婚後は宇都に改姓)がいる。浩は「子供のころ昆虫のことがもとでああじゃね、こうじゃねと話していたら取っ組み合いのケンカになった。殴り合いでね、こっちは軽く勝つと思っていたら兄貴強かったですよ。だから、ヨワムシとかナキムシとか言ってたけどあれはまるで嘘ですよ。」と語っている。2009年2月9日放送の「BS20周年企画 手塚治虫2009」では手塚の同級生とともに宝塚市の手塚治虫記念館に訪れている。美奈子は「戦争が始まって兄はどこか変わった。それまでは天国のような生活だったけど、戦争が始まって軍事教練などさせられて兄のプライドは傷付いた」と話している。美奈子は手塚のキャラクター・ヒョウタンツギの創作者でもある。 妻の悦子(旧姓・岡田)は、血の繋がらない親戚で幼馴染であった。結婚が第一次ベビーブームと重なっていたため、結婚前に2回しかデートができず、しかも結婚披露宴では1時間前まで閉じ込められて原稿を描き遅刻してしまったという。悦子は梅花高女(現・梅花中学校・高等学校)出身であり、この学校が当時「大阪のひどい方で一流の、つまりすごい学校」だったため、手塚は「鉄火肌のおもしろい子」を期待して悦子と結婚したが、実際に結婚してみるとそうではないことがわかったという。 子供は3人。長男は映像作家の手塚眞 (本名は「真」、悦子夫人が真実一路という言葉を好んでいたので命名)。長女はプランニングプロデューサー・地球環境運動家の手塚るみ子(少女雑誌の懸賞の当選者に「るみ子」という名前があったので命名)。次女は女優の手塚千以子(ちいこ・『千夜一夜物語』にちなんで命名)。また、声優の松山薫は姪。 妻、長男、長女の3人が手塚治虫に関する本を刊行している。 アシスタント経験者 日本で漫画制作作業の専業アシスタント制度(プロダクション制作システム)を最初に始めたのは手塚治虫であるといわれている。 なお以下のリストは完全なものではない。手塚治虫は、アシスタントは通例2-3年程度で独り立ちすることを良しと考えていた。 トキワ荘・初台時代 安孫子素雄(藤子不二雄) - 「漫画少年」連載の『ジャングル大帝』の最終回等をアシスト 藤本弘(藤子・F・不二雄) - トキワ荘メンバーと共に雑誌未掲載の「ぼくのそんごくう」をアシスト 石森章太郎(石ノ森章太郎) - 高校時代に光文社「少年」連載の『鉄腕アトム』「電光人間の巻」など複数をアシスト 赤塚不二夫 - 石森とともに「少女クラブ」掲載の『火の鳥(ギリシャ編)』をアシスト(ペン入れ) 横山光輝 - 「少年」連載の『鉄腕アトム』をアシスト 桑田二郎 - 「少年」連載の『鉄腕アトム』をアシスト 永島慎二 - 『丹下左膳』をアシスト 松本零士 - 『複眼魔人』をアシスト アニメーション制作のスタッフ 以下のリストは完全なものではない。なお、虫プロダクションの最盛期には従業員が400人以上いたといわれる。 その他、手塚の創作活動を支えた人物 島方道年(導年) - 明治製菓を経て、マネージャー兼社長室部長として旧虫プロに招かれる。手塚プロダクション初代社長。 清野正信 - 虫プロ商事勤務を経て文民社に移籍。 葛西健蔵 - 育児用品メーカー「アップリカ」の創業者。旧虫プロ倒産時に面識はなかったが恩人と慕う手塚の再建を支援。その縁で手塚プロダクションの取締役も務めた。2017年逝去。『どついたれ』のモデルとされる。 森晴路 - 手塚プロの社員となり講談社の手塚治虫全集を担当。のちに手塚プロダクション資料室長。2016年逝去。 古徳稔 - 晩年のマネージャー。手塚の没後はアニメ製作プロデューサーや出版局長を歴任。2020年逝去。 清水義裕 - アルバイトとして手塚プロに入り、手塚が指揮するテレビスペシャルの制作進行を務める。その後正式に入社。2020年現在取締役。 手塚治虫を演じた俳優 手塚治虫(本人) - 『バンパイヤ』など、多数。 江守徹 - 銀河テレビ小説『まんが道』(1987年)『まんが道 青春編』(1988年) 手塚眞 - 『NHKスペシャル いのち わが父・手塚治虫』(1989年) 古谷一行・工藤彰吾 - 『水曜グランドロマン 手塚治虫物語 いとしき生命のために』(1990年2月、日本テレビ系列)※DVD化あり(東映ビデオ、カラー、本編90分、品番:DSTD03488) 中井貴一 - 『陽だまりの樹』(舞台)(1992年、1995年、1998年) 北村想 - 映画『トキワ荘の青春』(1996年)※DVD化あり(カルチュア・パブリッシャーズ (バップ)、2009年10月28日、品番VPBT-15461) 吉澤拓真 - 『天空に夢輝き 手塚治虫の夏休み』(1996年)※DVD化あり。 奥田瑛二 - 『永遠のアトム・手塚治虫物語』(1999年) 久野雅弘・立澤真明 - 『愛と青春の宝塚』(2002年) 春風亭昇太 - 『超大型歴史アカデミー100人の 偉人・天才編』(2007年1月5日) 上地雄輔 - 未来創造堂『シアター創造堂 日本漫画 加藤謙一』(2007年1月26日) 藤原竜也 - フジテレビ開局50周年特別企画 『わが家の歴史』(2010年4月9日 - 11日、3夜連続スペシャルドラマ)※ BD-BOX(2010年10月20日発売)あり。三谷幸喜脚本(フィクション作品)。 田中れいな - 『リボーン〜命のオーディション〜』(2011年) 草彅剛 - 『神様のベレー帽〜手塚治虫のブラック・ジャック創作秘話〜』(2013年9月24日)※DVD/BD化あり。 岡田斗司夫 - テレビドラマ『アオイホノオ』(2014年)・ただし、岡田はいわゆるカメオ出演であり、厳密な意味での俳優ではない。 バカリズム - 24時間テレビ41スペシャルドラマ『ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語』(2018年8月25日)・24時間テレビ内で放送。 掲載誌の編集者 これはまだ不完全なリストである。 新井善久(講談社「少女クラブ」担当編集者、『火の鳥』)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。 青木和夫(秋田書店「週刊少年チャンピオン」担当編集者) 阿久津信道(秋田書店「冒険王」と「漫画王」担当編集長で『冒険狂時代』『ぼくのそんごくう』。元秋田書店取締役編集局長、2007年9月12日死去) ※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。 阿久津邦彦(秋田書店「少年チャンピオン」編集者) 井岡秀次(講談社「週刊少年マガジン」) 伊藤嘉彦(秋田書店「週刊少年チャンピオン」担当編集者(ブラックジャック4代目担当編集者)、現・幻冬舎コミックス代表取締役社長) 内田勝(講談社「週刊少年マガジン」)※ 少年マガジン編集長。W3事件参照。 大浦静雄(潮出版社、7年間『ブッダ』の連載を担当) 大塚公平(秋田書店「週刊少年チャンピオン」副編集長、映画評論家) 大和田俊司(秋田書店「週刊少年チャンピオン」編集者) 岡本三司(秋田書店「週刊少年チャンピオン」編集者)※『ブラック・ジャック』初代担当 加藤謙一(学童社「漫画少年」)※ 戦前に小学校教師から講談社に転職して「少年倶楽部」編集長になる。敗戦で公職追放を受けて個人で学童社を興していた。偶然そこを訪問した手塚が携行していた赤本用原稿を見て掲載を決めた結果が長編連載漫画『ジャングル大帝』となった。 壁村耐三(秋田書店「少年チャンピオン」)※ 『ぼくのそんごくう』(秋田書店「冒険王」)連載時の編集部員で、のちに『ブラックジャック』連載開始時の少年チャンピオンの編集長。 刈谷政則(大和書房) 河野安廣(秋田書店「週刊少年チャンピオン」編集者) 熊藤男(秋田書店「週刊少年チャンピオン」副編集長) 桑田裕(光文社「少年」担当編集者) 栗原良幸(講談社週刊少年マガジン編集者「三つ目がとおる」) 小林鉦明(かねあき)(少年画報社、秋田書店) 志波秀宇(ひでたか)(小学館「ビッグコミック」)『地球を呑む』『きりひと賛歌』※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。 篠田修一(大都社)※手塚治虫ファンクラブ顧問も務めた。 戸田利吉郎(少年画報社) 豊田亀市 (小学館「週刊少年サンデー」の初代編集長、小学館「少年サンデー」で『スリル博士』『0マン』『キャプテンKen』『白いパイロット』)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。 中村一彦 (小学館「少年サンデー」、どろろの担当手塚番) 長崎尚志 ※「かつて手塚先生の担当だったわたしは…」という文章を「パイドン」の制作発表で寄稿していることから,何かの作品編集を担当したらしいが,詳細は不明。 牧野武朗(講談社「なかよし」初代編集長、「週刊少年マガジン」の初代編集長)※ 講談社「少女クラブ」担当編集者のとき手塚に連載を依頼(「リボンの騎士」)。 松岡博治(朝日ソノラマ単行本「サンコミックス」、雑誌「マンガ少年」担当編集者で、『鉄腕アトム』『火の鳥』)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。※ 元メディアファクトリーコミック出版事業部エグゼクティブプロデューサー。2023年死去。 松谷孝征(たかゆき)(実業之日本社「漫画サンデー」編集者)※その後1973年から16年間手塚治虫のマネージャーを務め、請われて1985年4月から手塚プロダクション代表取締役社長。※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。 丸山昭(講談社「少女クラブ」担当編集者で『リボンの騎士』『火の鳥』(共に少女クラブ版))※著書やインタビュー記事のほか、「神様の伴走者13+2」にも寄稿あり。 峯島正行(実業之日本社の編集者)- 『週刊漫画サンデー』の初代編集長 宮原照夫(講談社「週刊少年マガジン」編集長(4代目)、『W3(少年マガジン版)』『三つ目がとおる』『手塚治虫漫画全集』)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。 西村繁男(集英社「週刊少年ジャンプ」) 野口勲(虫プロ商事の編集者) 橋本一郎(朝日ソノプレス社、朝日ソノラマの編集部、元少年画報社編集者、「サンコミックス」創刊編集長) 福島健夫(編集長、実業之日本社「漫画サンデー」の編集者) 鈴木敏夫(徳間書店「コミックアンドコミック」「アニメージュ」の編集) 上野明雄(小学館「小学一年生」「小学三年生」の担当編集者を経て編集長) 吉倉英雄(集英社「月刊少年ジャンプ」編集者) 長野規(集英社の月刊「おもしろブック」編集員、のちに週刊少年ジャンプ初代編集長) 黒川拓二(元少年キング編集長で『ノーマン』『鬼丸大将』『紙の砦』『アポロの歌』を担当)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。 鈴木五郎(小学館「中学生の友」で『流星王子』『おお!われら三人』)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。 池田幹生(文藝春秋「週刊文春」で『アドルフに告ぐ』)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。 石井文男(虫プロ商事「COM」二代目編集長で『火の鳥』(COM版))※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。 鈴木俊彦(小学館「ビッグコミック」創刊時の編集長『地球を呑む』)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。 竹尾修(潮出版社「希望の友」「少年ワールド」「コミックトム」の編集者。『ブッダ』と絶筆『ルードウィヒ・B』の担当)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。 山崎邦保(虫プロ商事「COM」創刊編集長(1969年3月号まで)で『火の鳥』(COM版)) 山本順也(小学館) 白井勝也(小学館) 御木基宏(小学館) 世界に手塚作品を紹介した人物 フレデリック・L・ショット 手塚治虫の作品を多数翻訳したほか、手塚治虫を含めて日本の漫画を海外に紹介する書籍を多数書いた。日本に留学で居住していたことがあり、火の鳥の翻訳作業を最初として手塚と親交関係にあった。 2017年に長年の漫画を通じた国際文化交流への功績により2017年度国際交流基金賞受賞者。 日本国外の作家 マウリシオ・デ・ソウザ ブラジルの漫画家。 1984年に手塚が国際交流基金の文化専門家派遣事業でブラジルを訪れて以来親交をもち、手塚がブラジルに行く際には必ず彼と会い、その逆もまた然りであった。ソウザによると、手塚は暴力を作品に導入したことを大変後悔していたらしく、比較的平和的なソウザの作風を「漫画はこうあるべきだ」と称していた。お互いのキャラを一つの作品にクロスオーバーとして登場させようとの計画があったが、手塚の死で一時断念。しかし、ブラジルでも日本の漫画が出版され、ソウザのキャラも日本の漫画風にアレンジされた本も出されたことによって、計画が再度発動、そして実現する運びとなった。パロディやオマージュ、リメイクなどではなく、手塚のキャラが公式として他人の作品に登場するのは史上初だといわれる。アマゾンの保護を巡るストーリーは2012年2月、3月に上下巻で発行された。 手塚側のキャラは「リボンの騎士」のサファイア、「ジャングル大帝」のレオ、そして「鉄腕アトム」のアトムなどである。 ブラジル漫画×アトム、日本でも 手塚治虫との約束、電子書籍で実現 (朝日新聞、2023年7月11日) 関連項目 手塚プロダクション 手塚治虫の作品一覧 宝塚市立手塚治虫記念館 手塚賞 手塚治虫文化賞 Earth Dreaming〜ガラスの地球を救え! osamu moet moso 手塚 (小惑星) - 手塚治虫に因んで命名された。 手塚光盛 - 木曾義仲の家臣、信濃国諏訪手塚城主。光盛の後裔を自称している者に、手塚良仙や手塚治虫を始めとした手塚家の一族がいる。 手塚良運 - 手塚良庵の従兄弟で、墓が曹洞宗興国山"清凉寺"(茨城県石岡市)にある(黒沢哲哉「虫ん坊」2014年2月号のコラム虫さんぽより)。 山吹御前 - 手塚光盛の兄・盛澄の娘であるという説がある。詳細は当該項目参照。 Google Cultural Institute 「Osamu Tezuka」(米グーグル歴史アーカイブ「手塚治虫」)。 脚注 注釈 出典 参考文献 手塚治虫の自著 それ以外 竹内オサム『手塚治虫-アーチストになるな-』ミネルヴァ書房 2008年 外部リンク 手塚プロダクション 公式ウェブサイト 手塚治虫について|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL 宝塚市立手塚治虫記念館(開館1994年4月25日) Google歴史アーカイブ 手塚治虫 「倉田わたるのミクロコスモス」“手塚治虫漫画全集”解説総目録 手塚治虫のすべて 黒沢哲哉:「手塚治虫、アニメにかけた情熱のルーツを綴る!!」(虫ん坊、コラム「手塚マンガあの日あの時」第24回) 虫マップ ー手塚治虫ゆかりの地を訪ねてー 日本の漫画家 SF漫画家 新聞連載の漫画家 日本のアニメーション監督 日本のアニメーション作家 手塚プロダクションの人物 朝日賞受賞者 勲三等瑞宝章受章者 ハーベイ賞の受賞者 20世紀日本の著作家 アイズナー賞殿堂入りの人物 埼玉西武ライオンズ関連人物 落語立川流 トキワ荘 阪神間モダニズム 日本の外科医 医学博士取得者 おさむ 20世紀日本の医師 奈良県立医科大学出身の人物 大阪大学出身の人物 大阪府立北野高等学校出身の人物 兵庫県出身の人物 大阪府出身の人物 胃癌で亡くなった人物 1928年生 1989年没
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永野護
永野 護(ながの まもる、1960年1月21日 - )は、日本のメカニックデザイナー、キャラクターデザイナー、漫画家。株式会社EDIT代表取締役。京都府舞鶴市出身。身長175cm。愛称(自称)は「クリス」。妻は川村万梨阿。 人物 アニメ制作会社日本サンライズ(サンライズを経て、現・バンダイナムコフィルムワークス)に企画部のオールラウンド・デザイナーとして入社すると、すぐにテレビアニメ『重戦機エルガイム』のメインデザイナーに抜擢される。永野の生み出したロボット「ヘビーメタル」は、ロボットアニメ史上、初めて設定上齟齬なく動くデザインを提供し、アニメ業界に旋風を巻き起こした。以後、アニメのデザイナー、漫画家として活躍。 人間もメカ(ロボット)も両方ひっくるめて「キャラクター」として描ける人間が本来のデザイナーだと思っているので、「メカデザイン」という役職は存在しないというのがポリシー。 経歴 1982年、第2回SFアート大賞(月刊「スターログ」主催)で入選。拓殖大学を中退。永野も参加していた地元京都の『機動戦士ガンダム』ファンのグループに、サンライズの関係者が運営する『伝説巨神イデオン』の映画化記念イベントでコスプレパフォーマンスをしてくれないかという打診があった。そこで永野が絵を描けることを知っていた友人がサンライズの人間に彼を推薦してくれた。当時、『超時空要塞マクロス』の成功でサンライズでも若い人材を求めており、新人デザイナーを募集していた。その頃、永野はまだ巨大ロボットもアニメ的なキャラクターも描けなかったので、面接には一般的なアニメとは違う写実的なタッチの建造物や自分の考えた世界観の絵などを持ち込み、担当者からはっきりと「絵は使えないが経歴が面白いから雇う」と言われた。入社後、プロデューサーの植田益朗に自分の絵を見せた時も、「プロとしてやっていけるかどうかはわからないけど、いろいろやってみなさい」と言われた。 1983年、サンライズに入社。とりあえず3月に新設される第3スタジオに配属されることになり、企画部長の山浦栄二の下で仕事をすることになった。1月から3月までは試用期間で、練習として描くよう言われた神田武幸監督の『銀河漂流バイファム』用のメカのデザインが採用され、4月から正式に入社するよう言われた。デザイナーとして入社したものの、実際には「何でもやれ」と言われており、プロデューサーと一緒に企画を立て、プレゼンし、そして財政面も考えた。またスタッフを管理し、実質的にプロダクションマネージャーのような役割も担うことになった。4-6月に「銀河漂流バイファム」、7月からは『重戦機エルガイム』の制作に参加、その合間に『巨神ゴーグ』も手伝うというスケジュールだった。 第3スタジオでは、神田監督とキャラクターデザインの芦田豊雄に挟まれた席で絵コンテの描き方やキャラクターの描き方を教わり、そこに毎日数十枚上がってくるメカデザインの大河原邦男のデザイン画を見せられてレクチャーを受けるという英才教育のような仕事の叩きこまれ方をした。安彦良和監督のもとで『巨神ゴーグ』の作業が始まると安彦に兵器や機械の構造に詳しい人間として呼ばれ、会社側に「安彦さんはとても大切な人だから要望を無視するわけにはいかない」と言われて掛け持ちすることになった。その頃、第2スタジオに呼ばれて『機動戦士ガンダム』シリーズの富野由悠季監督の『聖戦士ダンバイン』の新主役機、ビルバインのコンペにデザインを提出することになった。富野監督はすでに永野が描いた小物の設定書を50枚ほど見たことがあり、彼を呼ぶよう頼んでいた。当時、富野には「永野のような才能を拾い上げなくては」という意識があったという。 6月頃、永野は上司の山浦から『バイファム』の後番組の企画を第3スタジオで作るように言われた。「これまでに誰も見たことのない新しいタイプのメカを考え出すように」と言われ、「メカだけでいいのか」と聞き返すと「企画もストーリーも全部だ」と言われたので、永野はもう一人の人物と一緒に『スターウォーズ』をベースにした誰も知らない惑星でのロードムービー風の話を考えた。6月末、大きなメカと少年少女が旅をするという設定で最初の企画デザインを提出した。7月、永野がバンダイにプレゼンテーションを行ったところ気に入られ、7月末にサンライズに対して『Explorer』という仮タイトルで企画にゴーサインが出た。8月に『ダンバイン』のスポンサーだったクローバーが倒産し、代わってバンダイがスポンサーになった。しかし、植田プロデューサーが探していたのは永野も所属する第3スタジオの『バイファム』の後番組で、バンダイがスポンサーの『ダンバイン』は第2スタジオの作品だった。そのため、山浦と植田はスタッフの再編を考えなければならなかった。彼らは監督も探し始め、第2スタジオに移った永野はバイファムやゴーグから手を引いてこの企画に専念することになり、企画を練り上げ、玩具用の図面を引き、企画案のリライトも行った。9月、富野が監督を務めることが決定し、それまでの企画を引き継いだ。これが『重戦機エルガイム』となった。 富野、安彦、神田がなぜか優しく接してくれたが、そのことについて、後に山浦が「当時のアニメ業界には会話や挨拶がきちんとできる人間がいなかったからだ」と説明してくれた。 1984年、『エルガイム』放映中に富野監督から『機動戦士Ζガンダム』のコンセプトデザインを依頼される。そしてメイン・デザイナーに指名され、MSや戦艦から衣装や小物類まで様々なデザインを手掛ける。しかし制作会社やスポンサーなどに最初に提出したMSのデザインを酷評され、代わりのスタッフが投入されたことから番組開始前に降板。その後、一時復帰するが、数点のデザインを残して番組を去った。 1985年、アニメ雑誌「月刊ニュータイプ」(角川書店)創刊号から「フール・フォー・ザ・シティ」の連載開始。漫画家としても活動を始める。同年、『Ζガンダム』の続編の『機動戦士ガンダムΖΖ』で監督の富野によりメイン・デザイナーに指名され、メカデザインを一手に引き受けることになった。主役のガンダムや敵MSなどのデザインを行なっていたが、年末に事態が急変し、数点を除いてΖΖだけでなくほとんどの永野デザインのメカが画面から消えることになった。 1986年、「月刊ニュータイプ」で「ファイブスター物語」連載開始。同年、映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』で、富野監督の指名により再度メイン・デザイナーに起用される。しかし、スタッフなどの制作サイドやスポンサーと衝突して降板。全てのデザインが没となる。 1989年、サンライズ退社。席がなくなる代わりに、原作を持ち込んだ時の版権が自分に帰属することになった。株式会社トイズプレス副社長に就任。 1994年頃、富野監督から『聖戦士ダンバイン』シリーズの劇場版デザイナーとしてオファーを受けるが、企画の頓挫により実現しなかった。 1998年、『ブレンパワード』で富野監督の指名でタッグを組み、久しぶりにアニメのデザインワークスを担当した。 1999年、幾原邦彦のヴィジュアルストーリー『シェルブリット』のビジュアルデザインを担当。 2012年11月1日、原作・監督・脚本・絵コンテ・レイアウト・原画・全デザインを永野護が担当した『花の詩女 ゴティックメード』が劇場公開される。 デザインワークス 銀河漂流バイファムと巨神ゴーグ サンライズ入社直後に神田武幸監督の『銀河漂流バイファム』と安彦良和監督の『巨神ゴーグ』に登用され、それぞれメインのメカデザイナーの大河原邦男・安彦良和の両巨匠のかたわらでサブのメカデザインを任された。 『バイファム』では、大河原がデザインしなかった一部のゲストメカのデザインを担当した。中でも正式採用のきっかけとなったパペットファイターはメカデザイン初仕事だった。それ以外にも登場ロボットのラウンドバーニアン(RV)のラフデザインやディティールアップ、地球軍とククト軍両方の制服のデザイン(クリンナップはキャラクターデザイナーの芦田豊雄)、一部ゲストキャラクターのデザイン(芦田の不在時)なども行っている。RVのラフデザインは、監督の神田から説明を受けながらなんとか描いたラフを大河原がクリンナップしてバザムになった。永野は直された自分のデザインの全てのパーツとフォルムがきちんと形になっていて、かつ大河原デザインにもなっていることにショックを受けたと語っている。 『ゴーグ』では、大型重機ダイノソアとヘリコプターをデザインしたほか、水陸両用装甲車のキャリア・ビーグルや戦車(メルカバ93型)などの三面図と作画参考用の各部ディティールやコックピットや内部機構の設定などを描いている。また安彦が永野を呼んだのは、デザイナーというよりも自身があまり詳しくないミリタリー関係や機械類の作動方法のアドバイザーとしてだった。 重戦機エルガイム キャラクターデザインとメカデザインの両方を一手に引き受けた。発端は当時の日本サンライズで新人デザイナーとして活動を始めた永野が「自分が描きたいロボット」として描いた画を富野由悠季監督が見たことだったという。しかも永野がロボットのイラストの端に描いていたキャラクター達も目に留まり、キャラクターデザインまで担当するという前代未聞の人事となった。結果的に、富野監督の意向で主人公メカを含むメカデザイナーとキャラクターデザイナーの両方を駆け出しの新人が務めるという異例の事態につながったが、反対意見も多かったという。ただし、当時の永野はまだ新人であり、印象的なメカデザインで注目されていたものの、その画力はアニメーションの設定画(誰もが同じ画を描けるようにする指示書)というレベルではなかったため、最初の内は実際のアニメ制作用の設定画の一部はアニメーションディレクターを務めた湖川友謙率いるビーボォーのスタッフが永野の絵から起こしていた。また永野も湖川らの設定画に直接解説文や注釈を書き込んだりしている。 デザインは単にキャラ表を起こすだけでなく、劇中で「ヘビーメタル」と呼ばれるロボットの内部構造や駆動系に関する科学的・技術的考証から人物の衣装・小道具に至るまで、いわゆるコンセプトデザインの領域に踏み込んだデザインを行なった。それまでのアニメロボットが現実的な可動をある程度無視していたのに対して、『エルガイム』において永野は、ムーバルフレームや二重関節などの導入により、フィルム上でロボットが合理的に動いているように見える機械的に矛盾の無い可動を視聴者にイメージさせることに成功した。 『エルガイム』ではデザインにとどまらず、ほとんどのセクションを手掛け、演出や脚本に口を出したり一部原画を描いたりもしている。 また以前から温めていた画面には登場しない「裏設定」を数多く盛り込み、積極的に各媒体で公表。「ファイブスター物語」のプロトタイプともいうべき独自の世界を構築するなど、アニメファンの間にセンセーションを巻き起こした。 機動戦士Ζガンダム 富野監督により、メイン・デザイナーに指名された。富野監督からは「キャラクター以外のビジュアルイメージを出してデザインに専念して欲しい」と言われ、富野とSF設定考証担当の永瀬唯との3人でスペースコロニーや宇宙船などの作品の基本設定も考えた。 メカニックデザインではなく「デザインワークス」とクレジットされているのは、全天周囲モニターとリニアシート、ムーバブル・フレーム、多重関節といったΖガンダムとそれ以降の続編に出てくるメカニックの基本デザイン、あるいはノーマルスーツや制服などの衣装や拳銃などの小物類といった、メカニックの範疇を超えたデザインを行っているためである。またヤザン・ゲーブルのキャラクター設定画は、永野がオリジナルを描いている。 モビルスーツではΖガンダム(百式)とガンダムMk-IIのラフ、ガルバルディβ、リック・ディアス、キュベレイ、ハンブラビ、戦艦ではアーガマ、グワンバン、エンドラをデザインした。 Ζガンダムのラフは、『エルガイム』放映期間中、富野監督に「アメリカで行われるコンベンションに新しいガンダムに関するアイデアをいくつか持って行きたい」と言われて描いた新ガンダムのコンセプト案。富野監督にはまったく新しいMS像を作りたいという意識が強かったようで、好きに描いていいからとにかく永野バージョンのガンダムではなく新しいロボットを作るようにと言われて描いた。画稿には「ZETA」や「ZETA GUNDAM」と記されているが、あくまで『Ζガンダム』に登場する新しいMSのコンセプトをイメージしたもので、既存のMSのイメージを大きく変えるものとなっている。またこれらのラフについては、このコンセプトを基に永野自身がリック・ディアスとガルバルディβをデザインしたり、藤田一己がのちにクリンナップして百式とΖガンダム頭部の決定稿を描いたり、大河原邦男が参考にして自身のΖガンダムやガンダムMk-IIのラフデザインを描いたりしている。 一方で永野は、前作のデザインの流れも取り入れた保守的なMSのデザイン作業も進めており、それがリック・ディアスとガルバルディβだった。しかし、最初に提出されたその2つのデザインに対するサンライズ上層部やバンダイなどのスポンサーの評価は低く、「こんなのモビルスーツじゃない」などと酷評された。そこで作品に使えるメカデザイナーを探すことになり、36人の候補の中から藤田一己が選ばれた。また前回のガンダムのデザイナーの大河原邦男の復帰も決まった。 ガンダムMk-IIは、永野が描いたΖガンダムのラフを基に復帰した大河原がΖガンダムとガンダムMk-IIのラフを描き、それらを基に永野がガンダムMk-IIのラフを描き、大河原がまたそれに手を入れるというやり取りを繰り返した後、最終的に新人の藤田がクリンナップしてデザインを完成させた。 まだ若かった永野はΖガンダムのデザインから外されたことに反発して辞めることを宣言するが、他の仕事もあって多忙なキャラクター担当の安彦のデザイン数がまた十分ではなかったので、それをサポートしてから辞めることにした。そしてその仕事が終わると、一旦プロジェクトから外れた。 その後、富野から物語中盤から登場するMSをデザインして欲しいと声がかかって復帰する。今度は誰の意見も聞かず、子供が落書きでも描けるようにとシルエットを重視したハンブラビとキュベレイというキャラクター性の強いMSをデザインした後、完全に現場を離れた。 小説版「機動戦士Ζガンダム」(講談社)の表紙イラストや扉絵も描いており、こちらは最後まで担当している。またMSや戦艦、航空機などのデザインはほとんどがアニメ本編に登場するものとは別デザインとなっている。 機動戦士ガンダムΖΖ 富野監督によりメイン・デザイナーに指名され、メカデザインを一手に引き受けることになっていた。しかし番組開始前に降板することになり、ΖΖを含むほとんどの永野デザインのメカが画面から消えることになった。結局、作品に登場したのは、前作『Ζガンダム』から引き続き登場しているデザイン以外では、ガザDとゲゼ(ともにラフのみ)、プチ・モビルスーツ、ミドル・モビルスーツ、そしてずっと以前にデザインしていたシュツルム・ディアスだけだった。 永野は富野監督の「ロボットアニメの原点に戻って子供にもわかりやすい『明るいガンダム』にしよう」という意図をくみ、敵MSを作品初期のコミカルなムードに合わせた3-5等身のSDガンダム風のデザインにした。富野監督の評価も「今回のZZといわれるガンダムは、いわゆる永野メカではありません。大河原マシンに近い線があります。それは彼が従来のデザインと、大河原デザインの二種を意識してそれぞれをデザインしているということなんです。(中略)だからこれからの彼のメカのバリエーションには期待できます。今描かせているヤラレメカに近いメカなどはかつての手塚治虫をほうふつさせる、漫画的なものまであります。それに加えてオーソドックスなデザインをすることで、彼のフィールドは良い方向に、一気に広がるかもしれません」と上々だった。しかし、「子供たちにひと目で敵ロボットの特徴をわからせるための巨大な一つ目に5等身のガルスJ」「ハマーン・カーン専用MSとしてデザインされ、女性用ということで『おっぱいミサイル』を胸に2発搭載するハンマ・ハンマ」など、 ユニークではあるがあまりにも従来のMS像とはかけ離れたそのデザインは波紋を呼んだ。 一方、主役のΖΖガンダムに関しては、前作とは違ってサンライズとスポンサーの「とにかくガンダムに見えるように」「合体変形するように」という要望通りにデザインした(ただし、合体変形機構は永野の案ではない)。しかし、永野のデザインでは模型にした際に合体変形機構に問題があるとされるなどスポンサーサイドの了解が得られず、何度かのデザイン修正が行われ、一部媒体では永野案のデザインも公開されたものの、土壇場で没となった。 最終的にはΖΖのデザインだけでなくメイン・デザイナーの座からも外れることになり、一部のデザインを除いて永野のメカは番組から姿を消した。またハンマ・ハンマやガルスJは、名称だけ残して別のデザイナーによるデザインに差し替えられた。 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 富野監督によりメイン・デザイナーに指名された。富野監督からは「テレビシリーズではないから全てのデザインをお前に託す」と言われ、旧作(ファースト・ガンダム、Z、ZZ)に登場したメカは一切使用しないという条件で、敵味方のMSと艦艇、コックピットのシステム、サイコミュ用ヘルメットやノーマルスーツまで、劇中のほぼ全てのデザインを担当する予定だった。しかし、富野監督の要求を受けて提案したデザインラインにクライアントからのOKが出ず、また彼自身が周囲のスタッフと衝突したこともあり、またも途中降板することになった。全てのデザインが白紙に戻され、急遽メカニックデザインの発注やMSデザインのコンペが行われることになった。 MSは主役のアムロ・レイ用のHi-S(ハイエス)ガンダム(劇場版でのνガンダム)とΖガンダム(劇場版でのリ・ガズィ)、ネオ・ジオン側のシャア・アズナブル用のナイチンゲール(劇場版でのサザビー)、そしてギラ・ドーガやヤクト・ドーガにあたる機体などをデザインした。しかし、当時、永野が富野監督と考えていたMSのデザインラインは「ごつく怖い」というものだったため、ネオ・ジオン側のMSはすべて恐竜や怪獣をモチーフとしており、リック・ディアスのラインを推し進めた超重装甲の怪異なデザインとなっていた。その影響で再登場予定だったΖガンダムも同様に重武装・重装甲となっており、唯一、アムロ用の新ガンダムのみが細身でシンプルだった。その新ガンダムも、いわゆるガンダムの常識を覆すデザインで作業が進行していたが、途中降板となったために完成度7割程度のところでストップした。結局、超重装甲のコンセプトがバックウェポンシステムとして引き継がれたリ・ガズィを除き、全てのデザインが他のデザイナーたちによって一からやり直された。 ブレンパワード 『ブレンパワード』では人物を担当したいのまたむつみとともにメインデザインとクレジットされ、メカ関係の基本設定を担当。金属板の積層をモチーフにした斬新なロボットデザインを発表した。薄い装甲が何枚も重なった「積層」というアイデアと、必ずしも関節部が「関節」として可動する必要はないという発想から出て来た重ね板バネの力を取り入れるというアイデアとが合わさって出来たデザイン。ガンダムシリーズに登場するモビルスーツのように内燃機関と機械的な関節で動く兵器ではなく、積層構造の幾何学的な筋肉を持つ、軽くてデジタル的なロボットである。またそれ以外にも主役ロボットの出現するシーンのイメージボードやコックピット内部と駆動筋システムの図解、2種類のパイロットスーツ、近未来的なデザインの艦船や戦闘機なども描いている。 代表作「ファイブスター物語」 1986年よりアニメ誌『月刊ニュータイプ』で連載を開始。以後、20年以上にわたって断続的に連載が続いている。 『FSS』は、永野が『重戦機エルガイム』放映中に雑誌媒体などで発表した関連イラストや自身が考えた裏設定などがベースになり、発展して行った作品である。『エルガイム』の制作に参加していて自分の手でストーリーを作りたくなった永野が描き始めた漫画で、永野が最初に考えていた企画から監督の富野由悠季にバトンタッチして以降の部分を切り離して作った。富野が『エルガイム』では一切やらせなかった要素で『FSS』が出来たとも言える。 永野は『エルガイム』制作中に自身の考えた設定をメディアに積極的に公表していた。それは作品の公式の設定ではない部分も多かったが、どの媒体でも「裏設定」として普通に扱っていた。さらにムック本「ザ テレビジョン別冊 重戦機エルガイム②」では、この裏設定をベースにした永野自身によるイラスト10点と作品年表も掲載され、これらが漫画「FSS」の源流になって行く。 永野は驚異的な遅筆で知られ、本編単行本よりもイラスト集・設定集の冊数の方が遥かに多い。物語の進行が遅い上に、度々連載が(しかもいきなり読者に予告抜きで)休載となる。この遅筆の理由の一つには作画手段へのこだわりがある。作中でのメカの描写には相当な時間をかけており、一ページに大写しにモーターヘッドが出てくる場合などは2・3日も時間をかけて描き込むという。カラーイラストでは主にアクリルガッシュを用いているが、イラストボードに鉛筆で下絵を描いて彩色するという手法もあり、単行本の表紙画などには制作に1ヶ月以上かかると言われている(単行本第12巻の表紙イラストには1ヵ月半を費やしている(『F.S.S. DESIGNS2』によれば、アクリルガッシュを使い出したのは1991年頃からで、以前は透明水彩、のちにアクリル水彩を使用していた。アクリル水彩に変えたのは肌の色が確実に出せるのと着色後の安定感から、アクリルガッシュに移行したのは自分の絵に対する理想が固まる中でアクリル水彩の透明感が気に入らなくなったからだという)。 また、公式に設定画を公表したMHも気に入らなくなれば手を加えて直してしまうため、作中で登場するたびに微妙に細部のデザインが変わることもある。デザイン画の公表から年月が経ち古くなってしまったMHは、大幅にリファインがなされることもある。その場合、元のイメージを多少残した他は、デザインがまるっきり別物に変貌してしまうことも多い。MHのみならずキャラクターのファッションも同様で、こうしたデザインに対するこだわりの強さも遅筆の一つの要因であると考えられる。「デザイン画のために『FSS』本編が存在する」とまで発言したこともある。 一時期『FSS』の執筆には、Macintoshを用いた2次元コンピュータグラフィックスが多用されていた。しかし永野は、「やはり自分の求める表現はデジタルでは無理」と考え、以後基本的にマンガ制作ではコンピューターを使用していない。もっとも、アニメ製作におけるコンピュータを使った作業については否定的ではなく、『F.S.S. DESIGNS2』において「原画のベクタライズにかかるコストさえクリアされれば、2Dセルアニメーションでも高度なコンピュータでの作業が必須となってくる」と述べ、自身による劇場アニメ『花の詩女 ゴティックメード』の制作では、ベクター画像を用いた動画の導入を試みている。 主な作品 漫画 フール・フォー・ザ・シティ(1985年) ファイブスター物語(1986年 - 現在) アニメ映画 花の詩女 ゴティックメード(2012年、原作・脚本・監督・デザイン・原画・撮影) デザイン アニメーション 銀河漂流バイファム(1983年、ゲストメカデザイン) 巨神ゴーグ(1984年、ゲストメカデザイン) 重戦機エルガイム(1984年、キャラクターデザイン・メカデザイン) 機動戦士Ζガンダム(1985年、デザインワークス) 機動戦士ガンダムΖΖ(1986年、メカデザイン) デルパワーX 爆発みらくる元気!!(1986年、キャラクターデザイン) ブレンパワード(1998年、メインデザイン) ゲーム エアーズアドベンチャー(1996年、キャラクターデザイン) 鉄拳3(PlayStation版) (1998年、アンナ・ウィリアムズのスペシャルコスチュームのデザイン) パンツァーフロントシリーズ(Ausf.B 除く) (1999年 - 2001年、架空戦車デザイン、コンストラクションモードサンプルゲーム “最後の戦闘” 監修(bisのみ)) ファンタシースターオンラインver2(2001年、武器「ハート・オブ・ポウム」「アリス・クロー」デザイン) 鉄拳5(PlayStation 2版)(2005年、アンナ・ウィリアムズのスペシャルコスチュームのデザイン) 鉄拳6(PlayStation 3版、Xbox 360版、PSP版)(2009年 - 2010年、風間飛鳥およびアンナ・ウィリアムズのスペシャルコスチュームのデザイン) ファンタシースターオンライン2(2014年、一部キャラクター、特典武器、および特典マグのデザイン) テレビ番組 NHK教育テレビ子供向け教育番組『天才てれびくん』(1995年、CGキャラクター「玉三郎」デザイン) イラスト 小説 富野由悠季『機動戦士Ζガンダム』全5巻(1985年 - 1986年、講談社、表紙カバー・扉絵など) 幾原邦彦『Schell Bullet』全2巻(1999年 - 2000年、角川書店、ビジュアルイメージ・デザイン設定) ムック 「Gerry Anderson's THE MAKING OF TERRAHAWKS ザ・テレビジョン アニメシリーズ3」(1985年、角川書店ニュータイプ100%コレクション、表紙) その他 航空自衛隊第204飛行隊1998年度戦技競技会特別塗装 - 同隊配備のF-15J戦闘機のノーズアート(航空機の機体に描かれる絵画)として、園田健一、貞本義行、出渕裕らのイラストとともに『ファイブスター物語』のイマラ・ロウト・ジャジャスが採用された。なお、この時の第204飛行隊1998年度戦技競技会仕様モデルはハセガワから限定発売された。 音楽作品 CD SUPER NOVA(1987年11月21日) - 『FOOL for THE CITY』のイメージアルバム。 The Five Star Stories Sound Version(1987年5月21日) - 『ファイブスター物語』のイメージアルバム第1弾。 GREEN and GOLD(1988年6月21日) - 『ファイブスター物語』のイメージアルバム第2弾。 THE FIVE STAR STORIES MAMORU NAGANO(1990年9月21日) - 『ファイブスター物語』のイメージアルバム第3弾。 Mr.ROBOT/GEAR ROBOT(1990年9月) - ビデオ作品『Mr.ROBOT』ならびに『GEAR ROBOT』のサウンドトラック。 出演 テレビ 『重戦機エルガイムスペシャル』(1984年1月28日)…前番組『聖戦士ダンバイン』終了翌週に放送された放送直前特番。永野は番組放送中、透明のアクリルボードにホワイトマーカーで特大イラストを完成させるというパフォーマンスを披露した。イラストは未完成のまま番組終了。 趣味 音楽 ロックに通暁し、作品中の固有名詞などには、バンド名(主にプログレッシブ・ロック)やその作品名、メンバー名をオマージュとしてしばしば借用している。例えば、アモン・デュール、アトール、アシュ・ラ・テンペル、モーターヘッド等が挙げられる。また、楽器や機材にも精通しておりフォーカスライト、SSL、インタシティ、Neve Electronics等、楽器・機材メーカー名を借用する事もある。 学生時代、バンドを組んでおり、ベースを担当していた。米軍キャンプで演奏をしていた経験もあり、一時期は本気でミュージシャンになろうかと考えていたこともあるという。自身が執筆するマンガのイメージアルバム「THE FIVE STAR STORIES」を自ら手がけたこともある。 サンライズの面接にもベースを背負って靴底が15cmもあるロンドンブーツを履いていったが、長髪で靴のせいで身長が190cm近くある永野を見た担当者は、「使いものになりそうにないけどオモロイんで雇おうか」と言ったという。 ファッション ファッションデザインを学んでおり、登場キャラクターのファッションにも強いこだわりを持ってデザインをしている。『FSS』を始めとして、永野の作品に登場するキャラクターのコスチューム・デザインは、アニメ・マンガの世界を超えて高い評価を得ている。こうしたファッションへのこだわりについて、永野はデザイン集『F.S.S. DESIGNS1』において、実家が呉服関係の仕事をしていたため幼少時より布地に囲まれて育ったという原体験を語っている。「FSSのデザインは1980年代ファッションを引っ張ってきたという自負がある」とも語っている。 洋服を着ても、基本的に「服を着た俺を見て」ではなく「洋服を見て」というのが先に立っている。ちょっと変わった服を着ていて街で馬鹿にされたりからかわれたりすることもあるので、好きな服を着ることにはすごくパワーがいるが、それでも着る。 ミリタリー 大のミリタリーファンであり、現実の兵器の造形・デザイン面の様々な分野に造詣が深く、永野のデザインはそれらより強い影響を受けている。サンライズの面接でも、戦車や戦闘機などを描いて提出した。実在の兵器の中では第二次世界大戦時のドイツ軍やソ連軍の戦車への愛好が強い。その嗜好は、『パンツァーフロント』でのオリジナル戦車デザインや、『ファイブスター物語』における戦車戦の描写に反映しているほか、「バストーニュ」「トブルク」「マエッセン」「ケーニヒ」など、『FSS』に登場する地名や人物名もその分野に因んだものが見られる。そのためミリタリー色の強いアニメ『装甲騎兵ボトムズ』のファンでもある。また、『ボトムズ』の作画監督の谷口守泰とは、実家が呉服関係の仕事をしていたという永野のプロフィールと谷口の西陣織図案デザイナー出身という異色の経歴とのつながりや、同じ京都人として、永野との親交が知られている。 航空自衛隊第204飛行隊が永野のイラストをノーズアートに採用した際、その御礼で、当時第204飛行隊が駐屯していた百里基地を訪問。その時の興奮を『Takes of Joker』13号に綴っている。 模型製作 モデラーを自認しており、模型を趣味で制作している。腕前はかなりのもので、模型雑誌のプロモデラーと比較してもあまり遜色がないほどのもの。 ミリタリー模型ファンであり、田宮模型が主催する1/35ミリタリーフィギュアの改造コンテスト「タミヤ人形改造コンテスト」に18歳の時に入賞した経験があり、同社が発行する作品集にも掲載された。タミヤがMMタイガーIおよびキングタイガーをリリースした際は、『月刊ニュータイプ』誌の模型コーナーに作例を提供したり、『FSS』の連載のトビラで同キットを紹介した事がある。また、自らデザインしたモビルスーツ「リック・ディアス」の改造作品「シュツルム・ディアス」の作例が模型専門誌「モデルグラフィックス」に掲載された事がある。後にシュツルム・ディアスは明貴美加のクリンナップを経て『機動戦士ガンダムΖΖ』の劇中に登場した。また『FSS』のモーターヘッド造形やWTMの原型で知られる谷明は、ワンダーフェスティバルにて、永野に見い出され、海洋堂に入社した経緯がある。 コスプレ 学生時代から、「トミノコ族」の中心的存在として知られ、1981年2月22日に新宿アルタ前で行われた、富野由悠季主催の『機動戦士ガンダム』劇場版公開前のイベント「アニメ新世紀宣言」に、シャア・アズナブルのコスプレをして現れた。ちなみに同イベントでは、川村万梨阿もララァ・スンのコスプレで登場している。 2000年7月23日に幕張メッセで行われた、東京キャラクターショー2000・角川書店ブースでの『Schell Bullet』トークショーでは、著者である幾原邦彦とともに、「厄落とし」と称して、『セーラームーン』(講談社作品)に登場するキャラクターの女装コスプレでムーンライト伝説にあわせてダンスを披露し(永野はセーラーヴィーナス、幾原はセーラーマーズにそれぞれ扮した)、観客の度肝を抜いた。この時、川村が振り付けを担当した。 ゲーム TVゲームに非常に熱中しやすく、スーパーファミコンのソフトが全盛期だった頃は、親交のある佐藤元とよくソフトを交換し合い、それが部屋中に散乱していたという。特にオンラインゲーム『ファンタシースターオンライン』には熱中し、著名人プレイヤーとしても知られている。続編『ファンタシースターユニバース』においてもファンサイトと自身専用ロビーを立ち上げてプレイしたとされる。また、彼がデザインした武器が同ゲーム内に登場する。『ファンタシースターオンライン2』においても彼がデザインした武器およびキャラクターが登場し、キャラクターの声優は妻である川村万梨阿が担当した。 『バーチャファイター』全盛期には、印税を投げ打って筐体を購入した事を、川村がラジオで語っている。 ドリームキャスト版『ソウルキャリバー』に熱中した際には、同ゲームの攻略本にて『アイヴィ』の攻略記事を執筆した事がある。 私生活 家族 妻はアニメ『重戦機エルガイム』のガウ・ハ・レッシィ/リリス・ファウ役(二役)や、アニメ版『ファイブスター物語』でラキシス役を務めた声優・川村万梨阿である。互いに学生時代の頃から12年の交際を経て1991年に挙式し、富野由悠季夫妻が仲人を、ガンダムの登場人物であるギレン・ザビ役の声優・銀河万丈が披露宴の司会を務めた。川村以外の家族は非公開だが、夫婦仲は良好らしく、『Tales of Joker』8号のインタビューでロボットデザインの話題になった時、とある事で川村と夫婦喧嘩になった時、川村から「お前なんかロボットが描けなかったらただのクズ男だよ」と言われて「あったりまえじゃん。オレはロボットが描けるから今の地位があるんだぜ」と言い返した逸話を披露している。 交友関係 親交のあるアニメーター兼漫画家・佐藤元の漫画『おやすみ!わたしのサイボーイ』(1985年)の作画に協力した。 『巨神ゴーグ』や『機動戦士Ζガンダム』などで親交のある安彦良和は、雑誌『ガンダムエース』での対談を経て、永野の考え方を堅実で合理的、「クールなおたく」であると評した。 ゲームデザイナーの遠藤雅伸とも交遊があり、『ファイブスター物語』の雑誌掲載版再録を行なっていた雑誌『Tales of Joker』に、遠藤が「Otaku of Chris」と題したエッセイを寄稿していた時期もある。 脚注 注釈 出典 外部リンク オートマチック・フラワーズ - (Edit / Automatic Flowers Studio) 日本の漫画家 SF漫画家 日本のイラストレーター 日本の男性アニメーター メカニックデザイナー ガンダムのデザイナー 日本のキャラクターデザイナー アニメのキャラクターデザイナー ゲームのグラフィッカー・原画家 日本のサブカルチャーに関する人物 京都府出身の人物 1960年生 存命人物
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少年漫画
少年漫画(しょうねんまんが)は、日本における少年(小学校高学年から高校生まで)を対象読者と想定した漫画。厳密には、小学校低学年以下を読者に想定した幼年漫画と分類される。 概要 具体的には少年漫画雑誌(少年雑誌)に掲載されていることで分類される。1960年代中頃までは男子小中学生向けの漫画であったが、1960年代末からは読者層を大きく広げ、高校生以上の高い年齢層向けの作品や女性を視野に入れた作品も多くなった。ストーリーは基本的に戦いやパワーゲームが好まれ、冒険やアクションなど、主人公の戦いと成長をテーマにしたものが多い。他にスポーツを題材にしたもの、ホビーを題材にしたもの(メディアミックス化した商業戦略的な作品も多い)、乗り物やロボット、未来的な発明道具などメカが多数登場するSF作品も少年漫画に好まれる題材である。他にもギャグ漫画も定番となっている。一方、少女漫画では屋台骨といってもいい恋愛要素は、メインストーリーに付随されるおまけとしての見方が強かったが、1980年代以降、少年漫画においてもラブコメディが定番化するようになった。『ONE PIECE』が歴代漫画売上日本一を記録するなど、少年漫画は漫画界において最も発行部数が大きい分野であるが故に批判対象になることも多い。1968年、永井豪の『ハレンチ学園』がヒットしてから少年漫画でも性描写が増加し、過激化した暴力表現とともに社会問題になった。また1980年代には、『北斗の拳』に代表される格闘漫画の流行で暴力表現が増加し、これも社会問題となった。 絵柄は、白と黒のコントラストが強く、描線の力強さ、物の重圧感や立体感、人物の俊敏な動き、背景の奥行きを強調した、少年の理想を追求したものが多い。激しいアクションのシーンではコマを斜めに割り、効果線やオノマトペを多様し、インパクトのために見開きや1ページ1コマの表現を使ったりもする。心理描写などの少女漫画と同様の技法も使うが、少女漫画と比較すると、柄トーンや点描の使用頻度が少なく、会話や共感や心理描写はおまけにとどめ、人物の動き、戦いの臨場感、お色気シーン、社会問題の解決に重点を置いている。女性キャラクターは、お色気要員、応援役、準主人公に徹させるなど、少女漫画との住み分けが見られる。2000年代以降は、女性向けの少年漫画、萌え絵を取り入れた少年漫画、日常のみを題材にした少年漫画も増えた。少女漫画、青年漫画(特に青年漫画)との境界線は曖昧になってきている。 雑誌によっては作家をデビューさせる漫画賞をストーリー部門とギャグ部門に分けているが、デビュー後はどちら出身でもアクション、ラブコメディを描くことがある。 商業漫画はアンケート葉書の結果を意識した展開が重視される。 主な少年漫画雑誌 集英社発行 週刊少年ジャンプ 月刊少年ジャンプ ジャンプスクエア (終了)ジャンプSQ.19 (終了)ジャンプスクエアセカンド (終了)少年ブック (終了)日の丸 (終了)フレッシュジャンプ 講談社発行 週刊少年マガジン マガジンSPECIAL 別冊少年マガジン (終了)マガジンドラゴン 月刊少年マガジン 月刊少年マガジン+ (終了)マガジンイーノ 月刊少年シリウス 月刊少年ライバル (終了)少年倶楽部 (終了)ぼくら (終了)週刊ぼくらマガジン (終了)アブラカダブラ 小学館発行 週刊少年サンデー 週刊少年サンデーS 少年サンデー特別増刊R ゲッサン (終了)別冊少年サンデー (終了)ボーイズライフ (終了)少年ビッグコミック (終了)ハイパーコロコロ (終了)コミックGOTTA 秋田書店発行 週刊少年チャンピオン 月刊少年チャンピオン 別冊少年チャンピオン (終了)冒険王 チャンピオンRED 徳間書店発行 わんぱっくコミック 月刊マンガボーイズ 月刊少年キャプテン 少年画報社発行 少年キング 月刊少年コミック スクウェア・エニックス発行 月刊少年ガンガン フレッシュガンガン 月刊ガンガンJOKER (終了)月刊少年ギャグ王 (終了)ガンガンパワード (終了)ガンガンWING KADOKAWA発行 角川書店BC編集 月刊少年エース 月刊エースネクスト エースアサルト エース桃組 4コマnanoエース ニュータイプエース 月刊コンプエース 月刊コミックコンプ 富士見書房BC編集 月刊ドラゴンエイジ ドラゴンエイジピュア メディアファクトリーBC編集 月刊コミックアライブ アスキー・メディアワークスBC編集 月刊コミック電撃大王 月刊電撃コミックガオ! マッグガーデン発行 月刊コミックブレイド コミックブレイドMASAMUNE 一迅社発行 月刊ComicREX アース・スター エンターテイメント発行 コミック アース・スター 潮出版社発行 コミックトム 朝日ソノラマ発行 マンガ少年 DUO 白泉社発行 少年ジェッツ 月刊コミコミ 宝島社発行 週刊少年宝島 光文社発行 少年王 ソフトバンククリエイティブ発行 月刊少年ブラッド リイド社発行 月刊少年ファング 竹書房発行 コミックガンマ 新声社発行 コミックゲーメスト ホビージャパン発行 コミックジャパン 双葉社発行 スーパーロボットマガジン 週刊少年アクション 英知出版発行 トラウママンガマガジン ジャイブ発行 月刊コミックラッシュ 休廃刊漫画雑誌 漫画少年 少年画報 月刊コミックNORA COM 関連項目 幼年漫画 少年向けアニメ 青年漫画 萌え絵 萌え 漫画のジャンル (対象読者別)
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少女漫画
少女漫画(しょうじょまんが)は、少女向け雑誌に掲載されるなど、主たる読者として未成年女性を想定した日本の漫画である。大人の女性向け漫画は女性漫画(レディースコミック)として区別される。 概説 歴史的には海外にも発生し、海外女性向けコミックの一部として少女向けの作品も存在するであろう。しかし少女向けの出版分野としては途中消滅(1970年代フランス)するなどして、ジャンルとして20世紀に大きな発展を遂げたのは日本においてである。 絵柄および表現の特徴 少女漫画の絵柄は基本的に可愛らしく清潔な印象を与えるものが多いが、その絵柄はお転婆のように元気なもの、落ち着いた癒し系のもの、姫のように美しいもの、ブランド志向でセレブなもの、抒情画やイラストポエムのように抒情的なもの、耽美映画のように耽美的なもの、劇画や青年漫画のようにシリアスなものなど時代に合わせて様々となっている。昔の少女漫画は平面的と錯覚させる絵柄が多かったものの、現在はファンタジーブームや子供向けアイドルブームやダンス必修化などを経て少女漫画にも立体感のある絵柄が増えている。瞳がキラキラと輝いたヒロインや表情が現れる大きな目、ホラー漫画以外でもホラーに近い不安を感じさせる精神世界のような絵柄も特徴的。ヒロインの背丈はフイチンさんのような八頭身から小さな恋のものがたりのチッチような低身長まで存在している。ストーリー漫画では憧れや等身大が強調されるが、コメディやギャグ漫画ではその限りではなく奇人変人だらけのものも多い。 人体の描写は骨や筋肉の隆起が少なく、ファッションと表情の描写に重点が置かれている。現代物の少女漫画では少年漫画と異なりずっと同じ服やアクセサリーや髪型をすることは少なく、青年漫画と別の生々しい生活感を表現することもある。またファッションブック(をまとめたもの)の影響を受けて全身のファッションを扉絵やコマぶち抜きなどで魅せることも行われている。 漫画表現では作品世界の情趣を大切にして目の毒になるものをリアルに描き込むことは避け、モノローグの多用、心象を具象化した背景(咲き乱れる花など)、コマ割りなどを駆使し、感情の流れを重視した演出・画面技法に優れている。またストーリー漫画では少年漫画と比較して心理描写が多く、現実問題を扱った作品が多く、暴力や死の扱いが重い(少女漫画の主旨が共感であることに由来するともいう)。 そのほか、少女漫画は流行した少年漫画や青年漫画や映画やドラマの影響を大きく受けており、伝統的な少女漫画の系統によらない表現手法も含んでいる。逆にまた、少女漫画からは特有の記号的表現が過去に多く誕生していて、現在は少女漫画にとどまらずに全ての分野に拡散している。 なお、1990年代以降にインターネット上で人気となったアニメやゲーム風の「萌え絵」や「萌え漫画」の絵柄はそれらの少女漫画特有の絵柄や要素を原型としてパロディ漫画の登場や女性のゲームデザイナー進出などにより発展したものであり、一般の少女漫画の絵柄よりも属性化・記号化の強いものとなっている。 内容の特徴 少女漫画は4コマ漫画から始まっており当初はお転婆なものが中心となっていたが、体験談漫画の登場で等身大へと近づいていき、ラブコメの登場でコメディ要素が強くなっていった。一方、ヒロインが不幸な運命に翻弄されるシリアスなものも登場して人気となった(母恋物、洋画翻案物など)。 2000年代以降は恋愛漫画及び恋愛要素のある作品が主流であり、運命や占いのようなスピリチュアル要素が取り入れられる一方、女性の自立などのメッセージを含ませた漫画も存在する。一方でギャグ漫画やホラー漫画、アイドル漫画など恋愛漫画以外のジャンルも存在する。ファンタジー漫画やスポーツ漫画も古くからジャンルとして確立しており、現在に至るまで人気が根強い。 子供向けの少女漫画誌は読者の購読を始めてから卒業までの期間が短いため、少女漫画作品は短期終了のものが多く、他のジャンルに比べストーリーの完結性の強く計算された物語が要求される(少女漫画以外でもアニメ化などを意識して完結性を計算したものは存在する)。また少女漫画では一般的に、キャラクターの萌え属性の不変性が重視される萌え漫画などよりも、キャラクターの成長が重視されている。 少女漫画家 少女漫画家は当初男性作家が多かったものの、女性作家が増えて心情重視のストーリー漫画が一般化したことで男性作家はコメディやギャグへと転向していき(弓月光や魔夜峰央など)、現在はコメディやギャグもほとんどが女性作家により描かれるようになっている(例外もある)。少女漫画の女性作家は学生デビューも多く(ちゃおではやぶうち優やときわ藍、りぼんでは津山ちなみや森ゆきえや春田ななや半澤香織や佐和田米など)若い感覚が取り入れられている。また、かつての『ギャルコミ』編集長は同誌について「30歳を超えると絵が古くなり、若い世代が感覚的についていけない」と語っていた。 メジャー誌の少女漫画家は漫画スクールや新人漫画賞からのデビューが一般的となっている(「ちゃお」は「ちゃおまんがスクール」や「小学館新人コミック大賞」の少女・女性部門、「りぼん」は「りぼんまんがスクール+」、「なかよし」は「なかよしまんがスクール」や「なかよし新人まんが賞」など)。新人の漫画掲載は増刊を中心に行われており(「りぼん」では「りぼんスペシャル」、「ちゃお」では「ちゃおデラックス」、なかよしでは「なかよしラブリー」(休刊)など)、本誌の連載へと至るのは一部の作家のみとなっている。 なお、少女漫画家にも特定雑誌への専属契約は存在する(種村有菜など)が、専属契約せずにマルチに活躍する作家も存在している(双葉陽など)。1980年代以降は少女漫画家が青年漫画や少年漫画や4コマ漫画に転向したり兼業する例も多く見られる(#歴史節も参照)。 歴史 黎明期 大正時代以前よりも少女誌では少女主人公の絵物語が存在していた。 一方、新聞漫画では1902年1月に東京五大新聞の一つ「時事新報」の日曜版が北澤楽天による漫画欄を設け、同年3月にそこから子供主人公の漫画が登場し、同年9月には北澤楽天が長期連載となる「凸坊」シリーズの連載を開始したものの、少女主人公の新聞漫画は長らく存在していなかった。大正デモクラシーと大正自由教育運動の中で、1921年には東京朝日新聞の漫画欄「漫画の国」でおしゃれ少女が主人公の片割れの8コマ漫画「リン子と金丸」(山田みのる)が登場し、次いで翌1922年には國民新聞でおしゃれ少女が単独主人公の4コマ漫画「みい子」(前川千帆)が登場したものの、どちらも短期間の連載となっていた。 お転婆少女の漫画の登場 前述の「時事新報」では1899年に創刊者の福沢諭吉が「婦人は静にして奥ゆかしきこそしけれ。所謂おてんばは我輩の最も賤しむ所なれども(後略)」としてお転婆を好ましくないものとしていたものの、人気となっていた西洋の翻訳少女小説では当時の西洋のジェンダー規範による物語の制約を回避するために「お転婆少女」(「少年のような少女」)を主人公とするのが定番となっていた。 前述の「凸坊」シリーズの連載を行っていた北澤楽天らは風刺新聞「團團珍聞」や「滑稽新聞」による風刺漫画ブームが起きると1905年に時事漫画誌「東京パック」を立ち上げて時事新報社を辞職したものの、1912年の東京パックの経営権問題とその後継として設立された楽天社の失敗により時事新報社へと戻って「凸坊」シリーズの連載を再開したが、その連載中の北澤楽天が1918年頃に立ち上げた漫画塾「漫画好楽会」からお転婆少女の漫画が登場することとなった。 1923年4月、前述の「漫画好楽会」出身の麻生豊が報知新聞において少女主人公の「ダダ子」の連載を開始し、次いで翌1924年3月には同じく「漫画好楽会」出身の長崎抜天が「時事新報」夕刊において女学校に通う少女を主人公とする漫画「ひとり娘のひね子さん」の連載を開始する。1928年8月、アムステルダムオリンピックで人見絹枝が日本人女性初のメダリストとなると、北澤楽天は同年11月に「時事新報」日曜版の別冊付録「時事漫画」においてお転婆少女が主人公の「とんだはね子嬢」の連載を開始し、翌1929年3月にその連載を前述の長崎抜天が引き継ぐ。 その後、少女誌に連載漫画が登場することとなる。1932年には良妻賢母の育成を編集方針とする『少女倶楽部』(大日本雄弁会講談社)に少年漫画「のらくろ」で有名な田河水泡の『スタコラサッチャン』が連載され始め、1935年には同誌に田河水泡の元内弟子である倉金章介の『どりちゃんバンザイ』が連載されはじめた。 抒情漫画の登場 少女漫画登場前、大正の抒情画ブームを受けて抒情画家を表紙や挿絵に採用する複数の少女誌が人気となっていた。抒情画は「眼が大きく、口が小さく、髪の豊か」な絵柄を特徴としていたが、この大きな眼は「社会に向って見開かれた眼」を意味していた。少女誌には抒情画と抒情詩を組み合わせた詩画集も掲載されていた。この詩画集は後の少女漫画誌における「イラストポエム」の前身に当たる。 また抒情画は元々センチメンタル(おセンチ)な作風が中心となっていたが、1928年に少女誌「少女世界」でデビューした抒情画家の松本かつぢは作風を差別化するためとして「明るくて可愛い抒情画」を確立した。1930年には少女誌「少女の友」(実業之日本社)の編集に内山基が加わり、内山基が同誌の編集方針に「ロマンチシズム・エキゾチズム・ヒューマニズム」を導入した(いわゆる「夢の世界」「憧れの世界」)。これらの方針には内山基が学生時代に関わった米国出身の慈善活動家 大森安仁子の影響があったとされる。「少女の友」の抒情画では前述の方針に従って「健康で、夢を持った、清純な少女」を求め、新世代の抒情画家である中原淳一や前述の松本かつぢを採用した。 この新世代の抒情画から抒情漫画が登場することとなる。1938年、『少女の友』において抒情画家の松本かつぢは抒情漫画『くるくるクルミちゃん』の連載を開始した。 統制下 1937年に大東亜戦争が勃発すると、1938年5月に社会主義的な革新官僚らが中心の企画院によって策定された国家総動員法が施行され雑誌浄化運動が始まり、同年10月には内務省警保局図書課が雑誌編集者に対して「児童読物改善に関する指示要綱」を提示し、1940年には出版社を糾合した日本出版文化協会が設立され1941年より出版統制を行うようになり、用紙の入手難や印刷所の労働力不足もあって「内容の粗悪なもの」「時局柄不適当なもの」などが規制されることとなった。 少女誌では漫画や抒情画などが「低調」や「主情的ニ偏スル」や「日本人でなく毛唐を描いている」や「全体として弱々しく、敗戦主義の絵だ」などとして注意を受けることとなった。 そんな現実主義の風潮の中で、1940年には『少女倶楽部』に田河水泡の弟子で女性作家の長谷川町子の『仲よし手帖』が登場した。 戦後 戦後初期には雑誌用紙の統制が継続していたものの、用紙の確保には多くの種類の雑誌を出版した方が有利な制度となっていたため、雑誌の復刊や創刊が相次いだとされる。少女誌では1945年秋に『少女倶楽部』が復刊して抒情画が復活し、少女漫画の絵柄は抒情画の影響を受けていった。また統制外の仙花紙を用いた大衆娯楽のカストリ雑誌や赤本の出版ブームも起き、その赤本から少女向けのものも登場した(後述)。 また戦後初期にはまだ見合い結婚が一般的であり、自由恋愛による結婚は少なく、少女誌でもそれが反映されていたとされる。 1945年には戦後初の映画「そよかぜ」が登場して主題歌「リンゴの唄」が人気となり、次いで翌1946年にはNHKラジオより童謡「みかんの花咲く丘」が登場してヒットした。少女漫画では1949年1月に前述の『仲よし手帖』の連載を引き継いだ新たな少女誌『少女』(光文社)が登場し、その『少女』がお転婆姫物の『あんみつ姫』(倉金章介)を連載して人気を博した。同1949年3月、映画『のど自慢狂時代』に子供歌手「美空ひばり」が出演して人気となっていき、赤本では美空ひばりとあんみつ姫を組み合わせた『ひばり姫歌合戦』(峠てっぺい)や『ひばり姫』シリーズ(伴久良)などが登場した。 また赤本では宝塚歌劇団の機関紙「歌劇」にルーツを持ち、ディズニーの影響も受けていると言われる手塚治虫が和製の西洋おとぎ漫画を開拓していった。1948年にはグリム童話「二人兄弟」の翻案児童漫画として姫救出物の「森の四剣士」が登場し、翌1949年6月には少女向けとして姫を主人公とする『奇跡の森のものがたり』も登場、この流れが後述する『リボンの騎士』へと繋がっていく。 また両性向けの少年少女誌では冒険物が登場した。戦前より米国の「ターザン・シリーズ」が映画として入ってきて人気となっており、紙芝居でもその影響を受けた山川惣治による「少年タイガー」などの冒険活劇が人気となっていたが、戦後の1946年には映画「鉄腕ターザン」が日本でも公開されてターザン映画の人気が復活した。1946年には漫画単行本「冒険ベンちゃん」が登場し、1948年にはその「冒険ベンちゃん」などの載る少年少女誌「少年少女漫画と読物」が登場し、また1948年2月には漫画単行本「冒險ターザン」が登場して人気となり、同年8月には少年誌「冒険活劇文庫」(後の「少年画報」、明々社)が登場、翌1949年2月にはそれらの対抗として少年少女誌「少年少女冐險王」(秋田書店)も登場した。また1947年には冒険物の紙芝居「少年王者」の翻案を初めとする絵物語本の「おもしろブック」シリーズ(集英社)が登場し、1949年8月にはその「少年王者」を看板とした少年少女誌「集英社の少年少女おもしろブック」が登場した。これら少年少女誌は少年誌寄りであったとされる。また、前述の『少女』の登場もあり、これら新興漫画誌の人気によって「赤とんぼ」「銀河」「少年少女の広場」(旧 「子供の広場」)などの少年少女誌が廃刊に追い込まれた。「少年少女の広場」の編集者の猪野省三はこれら新興漫画誌をカストリ雑誌の子ども版だと批判し、また「銀河」の創刊および編集に関わっていた滑川道夫も児童向け小説や漫画の悪書追放を訴え、これが後の悪書追放運動(マンガバッシング)へと繋がっていく。 1951年には前述の「おもしろブック」の姉妹誌として少女向けの『少女ブック』が登場した。少女ブックでは前述の『あんみつ姫』を踏襲して1951年より『てるてる姫』(早見利一)を、1953年より『もん子姫諸国漫遊記』(倉金章介・宮崎博史)を連載した。また少女ブックでは1951年に女性作家上田としこの『ボクちゃん』も連載したが、『ボクちゃん』は田河水泡のコマ割りと手塚治虫の「映画的なストーリー展開」を参考にして描かれていたとされる。一方、旧来の『少女クラブ』でも1953年に手塚治虫のストーリー漫画『リボンの騎士』を連載し、この頃から少女誌では従来の絵物語などを押しのけて少女漫画の比重が高まっていくこととなった。その後、水野英子がデビューして手塚治虫の住むトキワ荘に入居し台頭、後の少女漫画に影響を与えていくことになる また1947年には第一次ベビーブームが起きており、その子供が成長したことで低年齢向けの漫画雑誌も増加していった。1951年に「少年少女冐險王」の弟誌「漫画王」が、1953年に「少年ブック」と『少女ブック』の弟誌「幼年ブック」が登場した。少女漫画誌では1954年に「少年クラブ」の弟誌「ぼくら」と共に『少女クラブ』の妹誌『なかよし』が、1955年に『少女ブック』の妹誌『りぼん』が登場した。漫画中心の少女雑誌が流行することで、小説中心だった『少女の友』は同1955年に休刊へと追い込まれた(休刊は悪書追放運動の影響とする説もある)。また1958年には秋田書店も少女雑誌に参入したものの、新たに創刊された『ひとみ』は他との差別化が行われていなかったとされる。 復興後 朝鮮特需の恩恵などにより日本経済が復興し、1956年には経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言されるまでに至った。漫画では1953年に名作の漫画化を中心とする貸本漫画が登場し、チープな赤本に代わって貸本屋が人気となることで名作以外の貸本漫画も登場した。少女向けの貸本漫画も登場した。 映画では三益愛子主演などの母もの映画が家庭婦人に人気となっており、少女漫画では女流作家を中心に娘視点の母恋物(母娘メロドラマ)が登場した。貸本漫画では1953年に「太平洋文庫」から「母恋物語」(帷子進)が、1957年より東光堂のレーベル「漫画光文庫」から『母恋シリーズ』(牧美也子)が出版されたほか、母恋と名の付くもの以外でも母子ものが一般的となっており、少女漫画誌では1957年の『少女』に『母さんふたり』(横山光輝)が登場し、次いで、少女漫画誌ではわたなべまさこによる多数の母娘離別物が登場した。『少女ブック』では1959年より『白馬の少女』(わたなべまさこ)、1962年より『ミミとナナ』(わたなべまさこ)が、『りぼん』でも1961年より『おかあさま』(わたなべまさこ)、1963年より『カメリア館』(わたなべまさこ)が連載された。また1957年には『少女ブック』で姉妹離別物の『山びこ少女』(わたなべまさこ)も登場している。 また白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器となり、各戸給水の拡大と噴流式洗濯機の登場が洗濯しながらの井戸端会議を無くしていった。1956年には白黒テレビの普及によって大手邦画会社がテレビへの提供を取りやめ(五社協定#テレビの台頭)、テレビ局はそれに代わってアメリカ製ホームドラマを放送して夢の郊外生活を広めていった。同1956年には住宅不足の解消のためとしてダイニングキッチンを採用する郊外団地が登場し、翌々年の1958年には団地族という言葉も生まれ、核家族化が進んでいった。 またテレビ番組では1956年4月より「」を初めとするアメリカ製の西部劇が放送されており、少女漫画では同年6月に「少女クラブ」で西部劇モノの『赤っ毛小馬』(水野英子)が、1957年に『少女ブック』で『荒野に夕日が沈むとき』(赤塚不二夫)が登場した。 また前述の美空ひばりから続く少女スターの人気が続き、『少女ブック』では1955年より中村メイコを元にした『中村メイ子ちゃん』(上田トシコ)が、『少女』では1957年より小鳩くるみを元にした『小鳩くるみちゃん』(水谷武子)が連載された。翌1958年にはテレビドラマから女優の宮城まり子を当て書きした『まりっぺ先生』が登場し、翌1959年に『りぼん』で少女漫画化された(漫画は赤塚不二夫)。 また1946年には東京バレエ団が結成されて「白鳥の湖」のバレエ公演が行われ人気となり、1948年にはイギリスのバレエ映画「赤い靴」が登場してこちらも人気となった。その後、1953年にテレビ放送が開始されるとテレビにおいてもバレエ番組が放送されるようになった。少女漫画誌では1956年1月に『少女クラブ』で『白鳥の湖』(横山光輝)が、同年2月に『なかよし』で別冊付録として『赤いくつ』(原作:三谷晴美、漫画:相沢光朗)が、同年3月に同じく『なかよし』で別冊付録として『白鳥の湖 少女バレー物語』(大城のぼる)が登場した。1958年1月には『少女』でバレエ物の『あらしをこえて』(高橋真琴)が登場し、『少女』ではその後も高橋真琴がバレエ物を連載していった。またバレリーナの松島トモ子が少女スターとして活躍しており、1958年には『少女』の別冊付録として『松島トモ子ちゃんのバレエまんが』が登場した。また1958年10月にはバレエ専門の貸本漫画誌『バレエ』(中村書店)も登場している。 1950年代後半から1960年代前半にかけては、抒情画と宝塚歌劇団の影響を受けた前述の高橋真琴の影響を受け、少女漫画特有の装飾的な表現が発達した。この表現はスタイル画を取り入れたり、人物の背景に花を描き込んだり、キャッチライトが多数入った睫毛の長い目などである。先行した少女小説の影響などもあって、美形の男性・男装の麗人などが登場し、華麗なストーリーを展開した。1950年代から1960年代前半の少女漫画はちばてつやや松本零士など男性作家によって描かれていることが多く、この時期の古典的な少女漫画の様式や技法の追究は、主に前述の高橋真琴を始めとする男性作家や男性編集者によって築かれたものである。 また1950年9月に文部省特選としてディズニー映画「白雪姫」が、1952年にディズニー映画「シンデレラ姫」が日本でも公開され人気となっており、1954年に王女と新聞記者の身分違いの恋愛を描いたイタリア映画「ローマの休日」が公開され大ヒットしていた。1957年には女性週刊誌「週刊女性」(1957年)が、1958年には女性週刊誌「女性自身」が創刊されて人気となり、そこで継続的に取り上げられたこともあって、1958年には身分違いの自由恋愛で皇后となった美智子妃のブームが起き(ミッチー・ブーム)、プリンセス・ラインのドレスがブームとなった。 1953年には世界的なミス・コンテストの一つミス・ユニバースに昭和のシンデレラ姫と呼ばれた伊東絹子が入賞し、その体型であった「八頭身」が流行語となっており、それによって日本人ファッションモデルも八頭身が一般的となっていき、少女漫画でもその影響を受けていった。初期の例としては1957年の『フイチンさん』(上田トシコ)の主人公が八頭身スタイルとなっている。 一方、映画では1946年よりミステリー物の「多羅尾伴内」シリーズが放映され人気となり、次いで少年小説誌では1949年より「少年探偵団」の連載が再開されて「少年探偵ブーム」が起こり1954年にはそれがラジオドラマ化され同じく人気となるが、少女誌でも少女探偵小説が人気となっていった。少女漫画では探偵物として「少女クラブ」に『探偵タン子ちゃん』(小野寺秋風、1951年)、『少女ブック』に『探偵テイ子ちゃん』(小野寺秋風)、『なかよし』に『ボクちゃん探偵長』(小野寺秋風)及び『こけし探偵局』(手塚治虫、1957年)が登場した。また『少女クラブ』では1956年7月にシャーロック・ホームズシリーズ『まだらのひも』の少女漫画化を(漫画:石森章太郎)、次いで1957年に海外のスリラー推理小説の少女漫画化を行い(漫画:石森章太郎)、その後同誌では「こわいマンガ」「かなしいマンガ」が増えていって人気となった。 また1956年には短編貸本漫画誌の探偵ブック「影」も登場し、1957年には探偵物に限らず短編貸本漫画誌のブームが起きた。少女向けではわかば書房が『花』(1957年)を、若木書房が『泉』(1958年)『こだま』(1959年)『こけし』(1959年)『ゆめ』(1960年)『草ぶえ』(1961年)『風車』(1962年)『風船』を、東京漫画出版社が『さくらんぼ』『ジュニアフレンド』『星座』『忘れな草』『セレナーデ』『ボンジュール』などを、金竜出版社が『虹』(1959年)を、金園社が『すみれ』『こまどり』(1960年)『りぼん』を発行した。短編貸本漫画誌のブームは後も活躍する多くの少女漫画家を輩出することとなった(若木書房#おもな出身作家、矢代まさこなど)。 1951年には産業経済新聞で連載されていたジャングル冒険物の「少年ケニヤ」が人気となって1954年に映画化され、少女漫画でも1959年に『なかよし』でその少女版とも言える『マサ子の谷』(藤本章治)が登場している。テレビドラマにおいては1958年に覆面ヒーロー物の「月光仮面」が登場してブームとなり、次いで1959年には「七色仮面」が、1960年には『アラーの使者』が登場し、後者は『ひとみ』で少女漫画化された(漫画は水野英子)。その後、1961年に『ひとみ』は休刊となった。 また、少女誌『少女』では1955年より小説「私のグチ日記」(森いたる)が連載されるようになり、次いで1958年には読者の体験談を基にした最初の漫画である『クラスおてんば日記』(今村洋子)が登場した。この等身大の漫画は後の作品に大きな影響を与えたとされる。その後、『クラスおてんば日記』のスピンオフの『チャコちゃんの日記』(今村洋子、1959年-)、『おてんば天使』(横山光輝、1959年-)、『少女たち』(原作:西谷康二、漫画:牧美也子)などの作品が人気となっていった。『少女ブック』でも1961年に「クラスおてんば日記」と同様の『おセンチおてんば日記』(松浦重光)が登場した。また貸本漫画では1959年に若木書房が『ひまわりブック』シリーズを開始したが、そこでも日常的な生活マンガが一般的となっていき、1964年には若木書房より等身大の『ようこシリーズ』(矢代まさこ)も登場し、後の萩尾望都やや樹村みのりに影響を与えている。 ラブロマンスと魔女の時代 世界の貿易自由化の波に合わせて日本も1960年に貿易為替自由化計画大綱を策定し、それによって国内製紙メーカーが国際競争力を付けるために設備投資を進めていったものの、過剰生産となって紙余りの状態となり、出版界では紙が使いやすくなった。漫画雑誌での紙の量の増大は作品の描写に用いるコマやページ数の増大でもあり、長ページ化とともに画面の展開手法がより流れるようなものへと変化していった。また1955年には「W3事件」によって週刊少年マガジンで滑稽性やかわいらしさを排除した劇画のブームが起き、少女漫画でも劇画の影響を受けたものが増えていった。 また国民車構想によって1958年に大衆車が登場したことでモータリゼーションが進み、スーパーマーケットや大型書店の支店が全国に広まった。 1960年代なかばごろから1970年代はじめごろには日本は慢性的な貿易赤字から一転した黒字化の定着など高度経済成長がより進展した。人手不足によって格差の大きな縮小が起きて一億総中流となり、三大都市圏への人口移動が続き、大企業での終身雇用の定着とサラリーマンの企業戦士化が進み、生活の向上と安定が強まることで更なる核家族化が進行し、血縁や地縁(ゲマインシャフト)よりも社縁(ゲゼルシャフト)が強くなっていき、恋愛結婚が見合い結婚を上回った。子供では競争社会から来る焦りで母親から過干渉される子供や、逆に放任されて自宅の鍵を学校へと持っていくカギっ子が増えていった。1960年代に第一次塾ブームが起き、1965年には高校進学が70%に達している。また1966年には文部省の留守家庭児童会育成事業補助要綱によって学童保育(放課後児童クラブ)が広まっていった。 そして少女漫画はビッグ・バン的な発展を生じた。量的には、以前には少女雑誌の一部分でしかなかった漫画が雑誌のほとんど全てを占めていくようになり、雑誌の数も、隔週刊が毎週刊化、週刊誌から月刊別冊が、さらにそれぞれが増刊誌を出したり、新創刊が次々と生まれた。需要の性質と量の急激な変化と相まって、10代で雑誌デビューする女性新人がとくに多かったのもこの時代である。デビューの仕方も、それまでの持込や人脈によるものから雑誌の中の漫画講座・コンクール・漫画新人賞からの率が増えていった。これらによって少女の職業選択に少女漫画家という選択が入ってきた。一方で、格段に増えた少女漫画雑誌と経済発展による貸本屋の退潮によって、貸本出版の少女漫画は衰退消滅していく。 この時期以降の特徴として、生産者(作者)と消費者(読者)の間の強い近さがある。例えばトキワ荘では石ノ森章太郎の女性ファンが集まって石ノ森章太郎の「東日本漫画研究会」に女子部が発足し、少女漫画同人誌の『墨汁二滴』が作られ、そこから西谷祥子、志賀公江、神奈幸子らが輩出されている。 テレビの毎週放送の番組や週刊誌が人気となったことで、漫画誌でも週刊化が進んでいった。1950年代後半には既に少年漫画誌で「週刊少年マガジン」や「週刊少年サンデー」が登場しており、少女漫画誌でも1962年に月刊誌「少女クラブ」の後継誌『週刊少女フレンド』が、1963年に月刊誌「少女ブック」の後継誌『週刊マーガレット』が登場した。一方、月刊誌『少女』は後継誌の無いまま休刊となった。この週刊誌化によって少女漫画では新たな方向の模索が行われた。 もともと映画においてロマンティック・コメディの洋画が人気となっており、少女漫画ではフィクション性の強い外国もののラブロマンス(無国籍漫画)が登場した。これには1963年に『りぼんカラーシリーズ』として『りぼん』へと別冊付録された同名の洋画の翻案漫画『ローマの休日』(水野英子)、同年に『週刊マーガレット』で連載された洋画「麗しのサブリナ」が基の『すてきなコーラ』(水野英子)、1964年に『週刊マーガレット』で連載された洋画「ジェニーの肖像」が基の『セシリア』(水野英子)などがある。なお1966年にはテレビのレギュラー番組として「土曜洋画劇場」が登場している。 1952年に長編小説「赤毛のアン」の邦訳が初めて登場し児童にも人気となったが、その後、1962年には学生の頃に「赤毛のアン」の影響を受けたみつはしちかこが少女誌『美しい十代』で4コマ漫画「小さな恋のものがたり」の連載を開始した(1972年にテレビドラマ化)。『小さな恋のものがたり』は4コマ漫画にイラストポエムを挟む構成となっていた。また水野英子のファンであった男性作家あすなひろしはジュニア文芸誌に漫画を掲載するようになり、その影響を受けてポエムコミックという作風を確立していった。あすなひろしの作風は男性作家立原あゆみにも影響を与えている。 また1962年には『りぼん』に変身魔法物の『ひみつのアッコちゃん』(赤塚不二夫)が、1964年には『週刊マーガレット』に超能力物の『おかしなおかしなおかしなあの子』(後の『さるとびエッちゃん』、石ノ森章太郎)が登場した。 また貸本漫画では太平洋文庫を中心に怪奇漫画が多数登場して他の出版社へも広がっていったが、少女向けでは蛇などへの変身譚が登場した。1961年には前述の『虹』に『口が耳までさける時』(楳図かずお)が、1964年には『花』に『ヘビおばさん』(楳図かずお)が登場し、1965年には『少女フレンド』でホラー漫画『ねこ目の少女』(楳図かずお)が、翌1966年には同誌で『』(楳図かずお)が、『週刊マーガレット』で『白ヘビ館』(古賀新一)が連載され人気となった。 ギャグ漫画では1960年代に赤塚不二夫が「りぼん」「少女フレンド」などの少女漫画誌に連載をもっており、その中から『キビママちゃん』(1965年)『ジャジャ子ちゃん』(1965年)『へんな子ちゃん』(1967年)などが登場した。 1955年、石原裕次郎による都会的な青年小説「太陽の季節」が登場して1956年に映画化され、次いで青年向け貸本漫画でも青年物が登場していき、1963年には青年向け短編貸本漫画誌「青春」がヒロ書房より出版され、少女向けでも1960年代後半に同ヒロ書房より少女向け短編貸本漫画誌『おーい青春』、『Oh! 青春』が登場した。しかしながらヤングコミック(1967年)やビッグコミック(1968年)などの青年漫画誌の登場によって青年向け貸本漫画が衰退し、貸本屋の閉店が続いていった。一方、1963年には歌謡曲でも青春を扱った「学園もの」が登場し、テレビからは「」(1964年)などの学園もののアメリカドラマが登場、少女漫画でも1965年に『週刊マーガレット』でアメリカ風ハイスクール物の『マリイ・ルウ』(西谷祥子)が登場し、次いで1966年には同じく『週刊マーガレット』で「青春学園物の草分け」とも言われる『レモンとサクランボ』(西谷祥子)が登場した。また貸本青年漫画誌「17才」で「ロマンスあげます」シリーズを連載していた楳図かずおは、1966年8月より『なかよし』で「ラブコメの原点」とも言われる『ロマンスの薬』(楳図かずお)の連載を開始した。1969年には『週刊マーガレット』に米国舞台のラブコメディ『おくさまは18歳』(本村三四子)が登場し、1970年にはそれが舞台を日本に変更した上でドラマ化され人気となった。同1970年には同誌に米国舞台のラブコメディ『美人はいかが?』(忠津陽子)が登場し、1971年にはこちらも舞台を日本に変更した上でドラマ化されている。 海外ドラマの影響を受けて魔法少女物の流行も起きている。1965年に魔法使いが主役のディズニー実写アニメーション映画「メリー・ポピンズ」が日本でも公開され、1966年にはアメリカドラマ「奥さまは魔女」及び「かわいい魔女ジニー」が日本でも放送されてヒットし、『奥さまは魔女』は週刊マーガレットで少女漫画化されている(作者はわたなべまさこ)。また国内からも魔法少女物のTBSドラマ『コメットさん』(1967年-1979年)や東映アニメ『魔法使いサリー』(1966年-1968年)が登場したが、どちらも原作は横山光輝であり、前者は週刊マーガレットに、後者はりぼんに漫画が連載されることとなった。これらの国産魔法少女のヒットによって「東映魔女っ子シリーズ」は定番となっていき、前述の『ひみつのアッコちゃん』や前述の『さるとびエッちゃん』がそのシリーズとしてアニメ化されている。 なおストーリー漫画が中心になるにつれ少女漫画は少女の心を考えて描く必要が出てきて男性作家では難しくなっていったとされる。 ロックとスポ根の時代 アメリカのロックバンド「ザ・ベンチャーズ」や「ビートルズ」の来日公演と録画放送によって日本でもグループ・サウンズのブームが起きていった。女性向け週刊誌では少女週刊漫画誌『少女フレンド』『マーガレット』と女性週刊誌「女性自身」「ヤングレディ」の間に当たるティーン向け週刊誌がまだ無く、1968年にはグループサウンズの記事が中心のティーン向け週刊誌『週刊セブンティーン』と『ティーンルック』が登場した。また同1968年には多くの漫画雑誌の創刊が行われ、少女漫画誌では『少女コミック』(小学館)が創刊された。 少女漫画や少女向けテレビアニメではヨーロッパやアメリカを舞台した作品が増加していった。特に1960年代には日本人の海外渡航が自由化され、「裕福」で「おしゃれ」なイメージのフランスを舞台にする少女漫画が増えていったほか、留学エージェントの登場によりアメリカへの留学が簡単となり、少女漫画では「週刊少女フレンド」にアメリカ留学をテーマとした『ハリケーンむすめ』(杉本啓子、1969年)や『お蝶でござんす』(漫画:神奈幸子、原作:羽生敦子、1971年)が登場した。また素敵なレディを目指す作品も増えていき、『週刊マーガレット』では1965年に『マリイ♡ルウ』(西谷祥子)、1967年に『初恋さんこんにちは!』(本村三四子)、1968年に『Oh! ジニー』(本村三四子)、1970年に『クラス・リングは恋してる』(西谷祥子)が登場した。 また、少女の憧れの職業としてスチュワーデス(航空機の客室乗務員)が浮上した。1970年にはスチュワーデスをテーマとしたテレビドラマ「アテンションプリーズ」が登場し、1971年にはそれが「少女フレンド」で少女漫画化されている(作者は細川智栄子)。 そのほか、1964年に野球競技を含む「1964年東京オリンピック」が開催され、1966年より少年漫画において野球漫画「巨人の星」を始めとするスポ根が登場して人気を博しており、また、大日本紡績の女子バレーボールチームが「東洋の魔女」として人気となっていたこともあって、少女漫画ではバレーボールのスポ根ものが複数登場した。1968年には『週刊マーガレット』から『アタックNo.1』(浦野千賀子)が、『少女フレンド』から『サインはV』(原作:神保史郎・漫画:望月あきら)が、『りぼん』から『ビバ!バレーボール』(井出智香恵)が登場し、翌1969年には少女コミックでも『勝利にアタック!』(灘しげみ)が登場している。同1969年には『アタックNo.1』がアニメ化され、『サインはV』がテレビドラマ化された。 またボウリング人気が拡大しボウリングブームが起きた。1969年には女子プロボウラーが誕生し、その中の一人として和製ジャンヌ・ダルクこと「中山律子」が台頭した。1971年にはテレビドラマからボウリング物の「美しきチャレンジャー」が登場し、学年誌で漫画化された。少女漫画では同1971年の『別冊なかよし』に『中山律子物語』(原作:八木基克、漫画:いがらしゆみこ)が登場した。 1950年代後半のミッチー・ブームでは軽井沢のテニスコートが出会いの場であったことによりテニスブームが起きており、また、その後のスポ根ブームの影響も受けて、少女漫画ではテニス物も登場した。1969年には週刊マーガレットで『スマッシュをきめろ!』(志賀公江)が、また週刊少女フレンドで『ラケットに約束!』(原作:一ノ木アヤ、漫画:青池保子)が登場し、1973年には週刊マーガレットで『エースをねらえ!』(山本鈴美香)が登場した。『スマッシュをきめろ!』は「コートにかける青春」としてテレビドラマ化され、『エースをねらえ!』はテレビアニメ化された。 また水泳物もブームとなった。1968年には週刊マーガレットで『ただいまの記録2分20秒5』(藤原栄子)が、1969年には少女フレンドで『金メダルへのターン!』(原作:津田幸夫、漫画:細野みち子)が、りぼんで『若あゆのうた』(横山まさみち)が登場し、『金メダルへのターン!』は1970年にテレビドラマ化された。 その他、化粧品ブランド「キスミー」のCMソング「セクシーピンク」によって1959年より「セクシー」という俗語の使用が拡大した。1961年にはアメリカ映画の「ボーイハント」が日本でも公開されるなどして、「ボーイハント」も流行語となった。1960年代後半には「ミニの女王」と呼ばれたツイッギーの来日と共に日本でもミニスカートが流行し、その後「ハレンチ」が流行語となり、少年漫画では「ハレンチ学園」(永井豪)が人気となってドラマ化されたが、女性向けでも「小説ジュニア」(「Cobalt」前身)の「ハレンチくん」(土田よしこ、1968年)や、りぼんコミック連載の『赤塚不二夫先生のハレンチ名作』(赤塚不二夫、1969年)が登場している。その後、赤塚不二夫のアシスタントを務めた土田よしこは赤塚不二夫のギャグ路線を引き継ぎ1973年には『つる姫じゃ〜っ!』を連載したほか、1970年代には倉多江美の『ぼさつ日記』も登場している。 終末思想と耽美の時代 核戦争の脅威が高まったことで1960年代より米ソの緊張緩和(米ソデタント)が模索されており、1968年に核拡散防止条約が調印され、1969年より米ソ間で戦略兵器削減交渉(SALT)が行われるようになった。そんな中、ユネスコ会議において「地球と平和の概念を称える日」が提唱され、また、も起き、1970年より米国においてアースデイが開始され、環境問題への注目が高まっていった。少女漫画では1971年に環境問題をテーマにした『日本列島一万年』(美内すずえ)が登場している。 またテレビでは1968年に少年漫画「サイボーグ009」がアニメ化され、1971年に改造人間モノの特撮ドラマ「仮面ライダー」が登場し、少年向けにおいてサイボーグが人気となっていった。少女向けでも1973年に東映魔女っ子シリーズで魔法に代わって超能力を使うサイボーグ少女の『ミラクル少女リミットちゃん』が登場し、『週刊少女コミック』(漫画:美紀かおり)や学年誌などで漫画化されている。 そのほか1970年代初頭、日本では第二次ベビーブームが起きたものの、第四次中東戦争によって1973年10月に第1次オイルショックが起こると人口抑制が叫ばれ、日本の出生数は減少していくこととなった。また1971年のニクソン・ショックによる米ドルの金本位制の終了により日本では経常収支黒字が続いており、当時固定相場制だったこともあって対策に金融緩和が行われ、それによって通貨供給量が増えていったことでインフレーションが起き、また1972年に登場した日本列島改造論によって地価高騰も起き、それらによって狂乱物価となっていった。そんなオイルショックとインフレーションの中で、1973年11月には16世紀の終末の預言書「ノストラダムスの大予言」が登場して大ヒットし、オカルトブームが始まった。また1970年にはイギリスドラマ「謎の円盤UFO」が日本でもテレビ放送され子供の間でUFOが話題となり、学研の学年誌「コースシリーズ」でも超能力やUFOなどの超常現象の記事が人気となっていった。少女漫画では考古学者が多く登場するようになったとされ、その代表的な作品には新興少女漫画誌『月刊プリンセス』に登場した『王家の紋章』(細川智栄子あんど芙〜みん)がある。 また手塚治虫作品のアニメ化を行っていた虫プロダクションが1966年に経営問題から虫プロ商事を分離し、その虫プロ商事によって1967年に「鉄腕アトムクラブ」の後継となるまんがエリート育成漫画誌「COM」が創刊され、1969年にはその妹誌の『月刊ファニー』も登場した。しかしながら月刊ファニーは1970年に、COMは1971年に休刊し、その雑誌の元投稿者が1970年代に少女漫画誌で活躍するようになった。これには萩尾望都、竹宮惠子、山岸凉子らがいる。彼女らなどは少女漫画に異風のSFやファンタジーをもたらしたが、その生まれが昭和24年前後であったことから花の24年組と呼ばれている。また、白泉社雑誌を場とした少女漫画デビューの男性作家柴田昌弘(サスペンス性・SF的要素・メカニック)、魔夜峰央(ミステリ・怪奇・耽美・ギャグ)、和田慎二(主にアクション)なども少女漫画の世界の拡大に貢献した。そのほか、主人公の成長を描く話(教養小説的作品傾向)が長編化と共に広がり、複数の成功作が生まれる。 一方1960年代後半にはベトナム戦争などの影響で米国において社会そのものを見直すカウンターカルチャーが生じてヒッピームーブメントが起きており、それに伴ってメッセージソングが流行していた。週刊セブンティーンではそんな米国を舞台にした作品として1969年に『ファイヤー!』(水野英子)が登場した。 同時期に日本でもフーテン族が登場したり、大学紛争の全共闘運動が起きている。また、この全共闘運動において日本でのウーマンリブ運動が起き、その上、1970年代に「かわい子ちゃん歌手」のブームが起きたこともあって「女性上位社会の到来」が予期されるようになり、同時期の少女漫画ではその反動として弓月光の『にくいあんちきしょう』(1970年) や津雲むつみの『おれは男だ!』(1971年-) のような硬派な男主人公の少女漫画が登場し、後者はテレビドラマ化された。また1972年には新左翼による「あさま山荘事件」が起き、少女漫画では1974年に樹村みのりの『贈り物』が登場している。 また三大都市圏への人口集中が問題となっており、1962年には全国総合開発計画が打ち立てられ、1960年代には高速道路や新幹線が開通された。また1963年には明るい未来を描いた少年漫画 鉄腕アトムがテレビアニメ化され、1969年には米国のアポロ11号によって人類が月面へと到達したほかスペースコロニー計画も提唱され、また、1970年には日本で大阪万博が開催され、明るい未来が予期されるようになっていった。この頃の少女漫画では「やさしいママと頼りがいのあるパパと誰からも好かれる良い子」という理想の家庭が描かれていたとされる。これよってノンポリなしらけ世代が生まれ、大学紛争は収束した。 海外映画ではイタリア映画作家ルキノ・ヴィスコンティが耽美へと傾倒していき、少女漫画でも耽美の影響が強くなっていった。耽美作品における芸術とは何かは、例えばヴィスコンティの耽美映画「ベニスに死す」(1971年)内のセリフに現れている。登場人物アッシェンバッハが『「美と純粋さの創造はスピリチュアルな行為」であり「(現実の)感覚を通して(知恵、真実、人間の尊厳の)スピリットに到達することは出来ない」』としたのに対して、登場人物アルフレッドは「(芸術に現実の)悪徳は必要であり、それは天才の糧である」と反論している(なお、ここでの翻訳はオリジナルの英語版の映画がベースであり、日本語版の映画には「背徳」などの超訳が含まれる)。 1970年に日本公開されたヴィスコンティの耽美映画「地獄に堕ちた勇者ども」では強姦描写や近親相姦が存在していた。少女漫画の強姦描写では1971年には「りぼん」増刊の『りぼんコミック』において強姦を描いた『しあわせという名の女』(もりたじゅん)や『彼…』(一条ゆかり)が掲載されており、その後、1973年にはりぼん本誌にも強姦描写のある『ラブ・ゲーム』(一条ゆかり)が登場している。また少女漫画の近親恋愛モノでは1970年には「りぼんコミック」に『うみどり』(もりたじゅん)が登場し、1972年には「りぼん」本誌に『おとうと』(一条ゆかり)が登場した。 また欧米では経口避妊薬の登場によって「性の開放」が起きていた。日本でも欧米の影響を受けて少女小説誌やジュニア小説誌でセックスものが流行していき、1974年には映画でもフランス製ソフトコア・ポルノの「エマニエル夫人」が若い女性にヒットし、1975年には邦画からも「東京エマニエル夫人」(日活)が登場した。一方で性教育も問題となり、テレビ番組ではNHKの「こんにちは奥さん」で性教育が取り上げられるようになった。少女漫画では1970年に初めて性が主題の『真由子の日記』(大和和紀)が『週刊少女フレンド』より登場し、その後も『週刊セブンティーン』掲載の『わたしは萌』(立原あゆみ)のようなセックスありきの漫画が登場している。また1970年には学生妊娠物の『誕生!』(大島弓子)も『週刊マーガレット』より登場している。変身物でも1970年に学年誌などで性教育を隠しテーマとした「ふしぎなメルモ」が登場し、1971年にアニメ化された。 またプレイガール物の漫画も登場した。1971年には『なかよし』に『ジェニファの恋のお相手は』(萩尾望都)が、『別冊少女コミック』に『精霊狩り』(萩尾望都)が登場し、1973年には『週刊少女コミック』に『オーマイ ケセィラ セラ』(萩尾望都)が、『りぼん』に『ハートに火をつけて』(一条ゆかり)が登場した。 女性同士の恋愛の漫画も登場している。1971年2月には『りぼんコミック』において『』(山岸凉子)が登場し、同年には週刊マーガレットにも池田理代子の『ふたりぽっち』が、1972年にはりぼん本誌にも『摩耶の葬列』(一条ゆかり)が登場した。 また1960年代後半には西洋においてカウンターカルチャーからゲイ解放運動が起きており、それがアングラブームと結びついていた。日本の実験映画でも1968年に個人映画作家の岡部道男が米実験映画「」(監督:ケネス・アンガー)の影響を受けてゲイ映画「クレイジーラヴ」を、1969年に映画作家松本俊夫がゲイバーを舞台にした「薔薇の葬列」を製作していた(前述の一条ゆかりのレ​ズビアン漫画『摩耶の葬列』のタイトルの元ネタ)。また一般映画では1969年に少年愛(少年同士の恋愛)を含むイギリス学園映画の「If もしも....」が日本でも公開され、1970年にフランス寄宿学校映画の「悲しみの天使」が日本でも公開された。少女漫画では1970年代に花の24年組を中心として耽美な少年愛モノが増えていった。男同士のベッドシーンが描かれる初期の少女漫画作品としては1972年に別冊セブンティーンで連載された『ゲッシング・ゲーム』(山岸凉子)がある。少年愛では1973年に一条ゆかりが「りぼん」で『アミ…男ともだち』を掲載し、1974年より映画「悲しみの天使」の影響を受けた萩尾望都が週刊少女コミックで『トーマの心臓』を連載し、また、1976年より映画「If もしも....」の影響を受けた竹宮恵子が週刊少女コミックで『風と木の詩』を連載した。 そのほか、当時は1960年代に起きたブルーボーイ事件によって男性から女性への性転換も注目されていた。少女漫画では1971年10月の『りぼん』に『さらばジャニス』(一条ゆかり)が登場している。また、性転換コメディも登場して人気となった。弓月光は少女漫画として男主人公の性転換コメディ『どろん』(1972年)、『笑って許して』(1973年)を『りぼん』に、『ボクの初体験』(1975年-)を『マーガレット』に連載し、このうち『笑って許して』は後の人気少年漫画「らんま1/2」(高橋留美子)にも影響を与えている。 1970年代初頭にはジャンボ機が登場して海外旅行が身近となり、また女性添乗員も登場し、それらに伴って女性出国者の数も急激に増加していった。そんな中で1972年に週刊マーガレットからフランスのベルサイユを舞台にした歴史フィクション漫画『ベルサイユのばら』(池田理代子)が登場し、その後、宝塚歌劇団でミュージカル化され、『ベルばらブーム』が起きることとなる。 また1960年代に司馬遼太郎の歴史小説「新選組血風録」及び「燃えよ剣」が登場してドラマ化され新選組ブームが起きており、少女漫画では『ベルサイユのばら』ブームの後の歴史フィクション物として新選組が注目されるようになった。1973年には「りぼん」に『恋よ剣』(弓月光)が掲載され、1975年には「週刊マーガレット」に『天まであがれ!』(木原敏江)が、1976年には「LaLa」に『あさぎ色の伝説』(和田慎二)が連載され始めた。しかしながら『天まであがれ!』は読者ウケが良くなく連載期間が短縮されたとされる。 また学園漫画では1965年に『りぼん』で『5年ひばり組』シリーズ(巴里夫)が、1972年に『りぼん』で『6年○組○○番』(巴里夫)が登場した。なお、その後、1974年以降、児童文学では「ミス3年2組のたんじょう会」(1974年)、「四年三組のはた」(1975年)を初めとする「○年○組もの」が多数登場するようになっていった。 そのほか、1960年代のエコノミックアニマル化への反省から1970年代には人間性回復が謳われるようになった。音楽では四畳半フォークなどの生活派や叙情派のフォークソングが人気となったほか、歌詞に「愛」を入れた歌が増加していった。また前述の少女アニメ『魔法少女サリー』でも「愛と希望」が強調されていたほか、1960年代後半には恋愛結婚が見合い結婚を上回った。少女漫画では『りぼん』に愛の力を強調する一条ゆかりの作品群が登場し、その中から1972年の『りぼん』別冊付録に結婚しても「心はいつも少女のようで」居たいとする『9月のポピィ』(一条ゆかり)が登場した。また『りぼん』では『乙女ちっくマンガ』と呼ばれる日常の微妙な少女的センスとしての少女趣味的な作品群も登場して支持されていった。乙女ちっくマンガの代表的な作家には陸奥A子、田渕由美子、太刀掛秀子が居る。 生活満喫と家庭崩壊の時代 1974年には高校進学が90%に達し、1970年代には高学歴社会の到来によってオーバードクターが話題となっていった。高学歴社会の到来により、若者は全能感を保ちながら新しい知識を吸収し、既存の社会に対する半人前意識を失って社会へと同化することを拒み、居心地の良い青年期の猶予期間(モラトリアム)に留まろうとするモラトリアム人間が多くなったとされる。また、かつては社会のために貢献して自己愛を満たすのが一般的となっていた(社会化された自己愛)が、マスメディアの発展による社会的英雄の失墜とそれによる既存社会への不信によって、自己のための自己愛(裸の自己愛)が一般的となっていったとも言われている。そんな中で社会性よりも時代の空気を重視する時代が到来し、「ナウな」「ナウい」が流行語となり、ギャルや新人類が台頭していく。 また、1970年代以前より子供向け番組の出演者「水森亜土」(あどタン)が人気となっており、あどタンの使う亜土文字や亜土言葉は少女の間で今風と評価されていた。1970年代の少女漫画では『別冊少女フレンド』に『UッK-UK-亜土ちゃん』や『あなたと亜土たんのおてまみ広場』が連載されていた。また「亜土ネコミータン」などの水森亜土イラストのキャラクターグッズを1960年代後半に発売していた山梨シルクセンターが1970年代にサンリオとなって台頭し、1971年にはサンリオが新宿でファンシーグッズのショップを構え、1974年にはオイルショックによる紙不足を見越して事前に紙を調達していたサンリオが安価にファンシーノートを提供してブームを起こした。これらの流れによって若い女性の間では「かわいい」「ファンシー」がブームとなっていった。一方、少女漫画誌『りぼん』でもたびたび水森亜土のイラストのグッズを付録にしており、1974年にはアイドルグッズの付録を減らして少女漫画絵のかわいいグッズを付録するようになった。また『なかよし』でもそれに対抗していき、ファンシーグッズの増加とおこづかいの制約によって少女漫画の輪番購入による回し読みと付録の交換文化が生まれ、またグッズの贈り合いのほか、お菓子や手紙などの贈り合いも一般化していった。このファンシーグッズの流れは80年代消費社会へと続いていくこととなる。 また『りぼん』の近況欄ではしらいしあいを皮切りに漫画家がかわいい変体少女文字(丸文字)を使い始め、1974年頃には少女の間でも変体少女文字が使われ始めるようになり、1978年にはそれが普及したとされる。「かわゆい」という語も『りぼん』の『キノコ♥キノコ』(みを・まこと)のキャッチコピーや『週刊少女フレンド』などで使われ始め、1980年代初頭には「ウッソー」「ホントー」「カワユーイ」の三語が流行していった(三語族)。 また上記の流れは男性にも波及し、少女漫画が男性読者にも注目されるようになり、少女漫画の影響を受けた絵柄や心理描写も少年漫画へと波及し始めた。また作家の環境として貸本出版が消滅した代わりに、学校において漫画研究会(漫研)部が増え、コミックマーケットなどの同人誌即売会が広がって作品発表とファン交流の場を与えた(後述)。作家の年齢層も上がっていった。また、漫画道具が多様になっている。昭和30年代にはカブラペンなどわずかだったが、1970年代には多様なペンとスクリーントーンが使われるようになっている。 また、新少女漫画誌のブームが起き『花とゆめ』(1974年)『りぼんデラックス』(1975年)『プチマーガレット』(1976年)『LaLa』(1976年)『リリカ』(1976年)『プチコミック』(1977年)『ちゃお』(1977年)『ぶ〜け』(1978年)『プリティプリティ』(1978年)などの雑誌が創刊されたほか、1978年には秋田書店の『ひとみ』も再創刊されている。そのうち『リリカ』はサンリオが海外も視野に入れて創刊したものであり、4コマ漫画の『HELLO KITTY』(清水侑子)ほか絵本的な漫画を連載していたものの、1979年に休刊となっている。 ペットでは1960年代に従来の番犬に代わって室内犬が人気となっていき、1970年代にはアニメシリーズの世界名作劇場より「フランダースの犬」(1975年)や「あらいぐまラスカル」(1977年)などの動物モノが登場して人気となった。少女漫画からは1977年に『ぼくの鈴ちゃん』(たかなししずえ)が、1978年に『おはよう!スパンク』(原作:雪室俊一、漫画:たかなししずえ)が登場し、後者は1981年にアニメ化されている。 またテレビアニメにおいては1970年に擬人化物である「みなしごハッチ」(1970年)が人気となって、その後も擬人化物のアニメが次々と製作されるようになり、少女漫画からも1975年に「なかよし」で擬人化犬ものの『わんころべえ』(あべゆりこ)が登場している。また、1978年には「LaLa」で猫耳ものの『綿の国星』(大島弓子)が登場し、1980年前後には若者の間で猫耳をファッションとして身に着けることが流行して社会現象となった。 また世界名作劇場以外でも西洋舞台の名作文学の雰囲気を持つ作品が登場した。1975年、『なかよし』に名作文学の雰囲気を持つ『キャンディ♡キャンディ』(原作:水木杏子、漫画:いがらしゆみこ)が登場し、1976年にアニメ化され人気となり、『なかよし』の部数を押し上げた。1978年には『りぼん』でもそれに対抗した『ハロー!マリアン』(佐伯かよの)が登場した。また、1979年には『キャンディ♡キャンディ』の後番組として東映魔女っ子シリーズからも西洋舞台の「花の子ルンルン」が登場し、その影響などによって「ルンルン気分」という言葉や「ルンルン」という擬音が広く流行した。一方、少年漫画では「ぶりっ子」という言葉が流行し、それに符合する女性アイドル松田聖子が人気となり、女学生にも聖子ちゃんカットが流行となった。松田聖子は1980年代における「少女期の拡大」の典型例とも言われている。少女漫画では例えば『りぼん』に『るんるんこりす姫』(みよし・らら、1981年-)が登場している。一方、ぶりっ子が増えることで反ぶりっ子感情も登場し、1981年には現役高校生作家による小説『1980アイコ十六歳』が登場してドラマ化および映画化され、1982年にはそれが週刊マーガレットで少女漫画化されている(漫画は飯塚修子)。 1970年代中盤よりファッション誌の旅行特集によって女性の個人旅行が人気となり (アンノン族)、1977年にはコンパクトな初のオートフォーカスカメラであるジャスピンコニカ(コニカC35AF)が登場して女性にも人気となった。また、1975年にファッション誌「JJ」が登場してニュートラを初めとするブランドブームが起き、1981年にはブランド小説「なんとなく、クリスタル」がヒットしてブランド志向の若者は「クリスタル族」と呼ばれるようになった。少女漫画では1970年代後半より外国を舞台とした作品が減少していき、代わりにセレブ物の『有閑倶楽部』が登場して人気となった。 また、1982年に西武百貨店のキャッチコピー「おいしい生活」がヒットすると、いかに日々の生活を満喫するかという価値観が広まり、フィクションよりも現実世界を追い求める風潮が強まった。女性はおいしい生活を求めて男を求めるようになり、「愛人バンク 夕ぐれ族」の登場によって援助交際が増加していった。この頃に青年漫画では「愛人」、ドラマでは「愛人バンク殺人事件」(土曜ワイド劇場内)が登場し、少女漫画でも『愛人志願落第生』(くさか里樹)が登場している。 また1980年には性豪ジャコモ・カサノヴァの伊米合作映画『カサノバ』が日本でも公開され、少女漫画では1983年にタラシヒーローの『東京のカサノバ』(くらもちふさこ)が登場して人気となった。「くらもちふさこ」はその後も三股ヒーローの『A-Girl』(1984年)などを出している。 またヤマハ音楽教室などによってピアノの普及が進んだことで、ピアノ物の少女漫画も登場し人気となった。これには1975年よりの『オルフェウスの窓』(池田理代子)や、1980年よりの『いつもポケットにショパン』(くらもちふさこ)がある。その後、1985年、バラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の「お嬢さまを探せ」のコーナーによって若者の「お嬢さまブーム」が起きてすぐに、ソ連の天才ピアニストのスタニスラフ・ブーニンが来日して人気となり、ブーニンはその追っかけの対象となったとされる(ブーニン現象)。 不良ブームも起きている。1968年よりアメリカの暴走族映画の影響を受けて日本映画からも「不良番長」シリーズが登場し、1971年にはスケバン物の「女番長シリーズ」も登場し、1973年にはヤクザ映画まで仁義物ではない「実録シリーズ」(「仁義なき戦い」など)が登場した。1970年代には不良少年がオートバイを手に入れ暴走族となって広域で徒党を組むようになり、また、1970年代後半には中学校や高等学校において先生などに対する校内暴力が増えていき問題となった。1980年代にはロングスカートが流行し、「なめ猫」や尾崎豊も登場、不良に憧れる少女が増加していていった。そんな空気の中で、少女漫画では1977年に『プチコミック』で不良ヒーローを据えた『ハイティーン・ブギ』(原作:後藤ゆきお、漫画:牧野和子)が登場し、1982年に映画化された。また1981年には不良風キャラの登場する少年漫画「Dr.スランプ」がアニメ化が放送されて人気となり、『りぼん』でもそのアニメの付録が登場し、翌1982年には『りぼん』からも不良ヒーロー物のメディアミックス『ときめきトゥナイト』(池野恋)が登場して人気となった。1985年には『別冊マーガレット』からも暴走族物の『ホットロード』(紡木たく)が登場しヒットした。 また、原宿では1977年に歩行者天国(ホコ天)が設けられ、その後、派手な衣装を提供する「ブティック竹の子」やフィフティーズ・ルック(1950年代アメリカファッション)を提供する「ピンク・ドラゴン」(「クリームソーダ」ブランドなど)が開業されると、ホコ天にディスコを踊る竹の子族やロカビリーを踊るローラー族が登場した。その後、原宿のホコ天を巻き込んだバンドブームがあり、少女漫画では『愛してナイト』(多田かおる、1981年)、『愛の歌になりたい』(麻原いつみ、1981年)、『プラスティック・ドール』(高橋由佳利、1983年)、『ダイヤモンド・パラダイス』(槇村さとる、1984年)、『アンコールが3回』(くらもちふさこ、1985年)、『3-THREE-』(惣領冬実、1988年)などのバンド物が登場した。 そのほか、日本でもギャルが台頭した。1975年にアメリカ西海岸(ウェスト・コースト)のスポーツ文化(スキー、テニス、ドライブ、サーフィンなど)を特集する男性誌「POPEYE」が登場して少年に人気となり、1978年には少女向けでもアメリカ西海岸のギャル文化を特集をする「ギャルズライフ」(主婦の友社)が登場した。1980年にはその増刊として少女漫画誌の『ギャルズコミック』(後の『ギャルコミ』)も登場している。また、旧来の少女漫画誌でもアメリカ西海岸を舞台したものが多数登場して人気となっていった。これには1978年より「別冊少女コミック」で連載されたサンディエゴ舞台の『カリフォルニア物語』(吉田秋生)、1980年より「LaLa」で連載されたロサンゼルス舞台の『エイリアン通り』(成田美名子)、1981年より「別冊少女コミック」で連載されたロサンゼルス舞台の『ファミリー!』(渡辺多恵子)などがある。 しかしながらギャルズライフはだんだんヤンキー路線を取るようになっていき、1980年代初頭に新たなギャル雑誌「Popteen」「キャロットギャルズ」「まるまるギャルズ」などが登場すると、1984年にはギャル雑誌を標的とした図書規制法が立案され、法案が成立しなかったもののギャル雑誌の衰退するきっかけとなった。「ギャルズライフ」はリニューアルして「ギャルズシティ」となったものの約一年で休刊となり、その後、その増刊だった『ギャルコミ』も休刊した。 またスパイ・アクションも台頭している。前述の西部劇のテレビ放送によってガンブームが起きており、1964年にスパイ・アクション映画「007/危機一発」が日本でも上映されヒットし、1970年に「007 ロシアより愛をこめて」として再上映されていた。少女漫画では1976年よりスパイ・アクション漫画の『エロイカより愛をこめて』(青池保子)が登場して人気となったほか、1978年より連載の人気ナンセンスギャグ漫画『パタリロ!』(魔夜峰央)にもスパイのバンコラン少佐が登場している。 1974年には宇宙SFのテレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」が登場し、1978年には宇宙SF映画「スター・ウォーズ」が日本でも上映され、宇宙SF物がブームとなった。この頃の少女漫画では『11人いる!』(萩尾望都、1975年-)、『最終戦争シリーズ』(山田ミネコ、1977年-)、『樹魔・伝説』(水樹和佳、1979年-)、『ブレーメン5』(佐々木淳子、1980年-)などのSF物が登場している。 また1970年代後半にはオカルトブームの中から欧米のニューエイジという思想が精神世界という名前で日本にも広まった。少女漫画では1983年に植物の精神世界へと入って戦う『ダークグリーン』(佐々木淳子)が登場している。 狼男のブームも起きている。1980年代初頭にアメリカ映画から「ハウリング」「ウルフェン」「狼男アメリカン」「狼の血族」などの狼男ものが登場し、少女漫画からも1984年に『ムーン・ライティング』(三原順)が登場した。 1972年に中学校での、1973年に高等学校でのクラブ活動が必修化され、学校では漫画研究会(漫研)部が増えていった。また1972年にはSF大会の流れを組んだ漫画イベント「日本漫画大会」も開始された。1976年にはSF雑誌「奇想天外」が登場し、1978年にはその雑誌の別冊として「SFマンガ大全集」が登場した。翌1979年にはSF漫画誌「リュウ」及び「少年少女SFマンガ競作大全集」が、1982年にはSF漫画誌『ウィングス』が、1983年にはSF漫画誌「月刊スーパーアクション」が登場したが、その後のSFの衰退によって『ウィングス』は少女漫画誌となっていった。 一方、1975年には前述の「日本漫画大会」を追い出された漫画批評集団「迷宮」によって「コミックマーケット」が立ち上げられた。コミックマーケットでは当初少女漫画の同人誌が流行していたものの、新漫画誌の創刊ブームが起きたことで第一世代の作家が『LaLa』などの新興商業誌に流れていったとされる。また少年愛でもコミケの流れを汲むニューウェーブとして「花の24年組」の少年愛路線を引き継いだ耽美派商業雑誌「JUNE」(1978年)や「ALLAN」(1980年)が登場した。1980年には『花とゆめ』に漫研および同人誌即売会を舞台にした少女漫画『コミック・フェスティバル』(佐々木倫子)が掲載された。一方、コミックマーケットでは作家の入れ替わりによってアニメのパロディ(アニパロ)漫画が台頭し、1982年にはアニパロ中心の商業漫画誌「アニパロコミックス」が登場した。アニパロでは少年アニメなどをパロディしたショタ物の「やおい漫画」だけでなく少女アニメなどをパロディしたロリ物の「ロリコン漫画」も登場しており、その流れで生まれた商業ロリコン漫画誌の一つ「プチ・パンドラ」(1984年)は後の少女漫画家武内直子にも影響を与えている。 また、1970年代には商業漫画でも国内作品のパロディ物が登場するようになった。少年漫画では「月光仮面」のパロディ漫画「けっこう仮面」(1974年-)などが登場して人気となり、少女漫画でも「伊賀の影丸」のパロディ漫画『伊賀野カバ丸』(亜月裕、1979年-)が登場して人気となった。 1970年代より宅配便が発展し、またマイコン技術による多品種小量生産も広がっていく。1976年には家庭用のVHSビデオデッキが登場して人気となっていき、1979年には音楽を持ち運ぶウォークマンという個人化的製品が登場してヒット、軽薄短小や分衆という言葉が誕生した。第一次バンドブームも起きて、音楽以外でもノリが重要となっていきノリの悪いネクラに対する差別が起きるようになった。そんな中で、1980年代中盤には正義感のあるスケバン物が登場した。ドラマでは『花とゆめ』に連載されていた『スケバン刑事』(和田慎二)が1985年にテレビドラマ化されて人気となり、翌1986年にはその対抗としてオリジナルテレビドラマ「セーラー服反逆同盟」が登場したものの、後者のコミカライズは少年誌となっていた。また1985年には不良少女物の『花のあすか組!』(高口里純)と共に新少女漫画誌『月刊ASUKA』が創刊され、その漫画が1988年にテレビドラマ化されている。 また1976年には翻訳小説「飛ぶのが怖い」が登場し、翌1977年には自由を謳歌する「翔んでる女」が流行語となった。またそれによってかよらずか離婚も増加していた。女性誌では1977年に「an・an」「non・no」「JUNON」の上位誌としてニューファミリーをメインターゲットに据えた「クロワッサン」「MORE」「ARURU」が登場したものの部数が伸びず、1978年には「ARURU」が休刊し、「クロワッサン」も「女の新聞」へとリニューアルされ、それにより「クロワッサン」は離婚を含めたシングル謳歌を広めていくこととなった。1979年には「キャリアウーマン」が流行語となり、また、同年にはハーレクイン小説の日本語版も登場している。1980年には女性向け就職情報誌とらばーゆが誕生し、「とらばーゆする」が流行語となった。1980年代には日本の貿易黒字が世界最高になり、1986年の男女雇用機会均等法の施行で女性の職業選択の幅も広がった。そんな中で1980年代半ばにはOL向け女性漫画誌の『オフィスユー』が登場した。 一方、1970年代後半には前述の校内暴力に合わせて子供から親への家庭内暴力も注目されるようになった。またテレビドラマでは1976年の嫁姑問題物の「となりの芝生」で「辛口ホームドラマ」が確立し、次いで1977年夏には家庭の崩壊を描く「岸辺のアルバム」が登場、その後の主婦向けのドラマでは「金曜日の妻たちへ」(1983年)や「くれない族の反乱」(1984年)のような不倫物が流行して「金妻症候群」や「金妻する」や「くれない族」が流行語となった。1984年には離婚家庭の増加によって離婚家庭が死別家庭を上回り、1985年には小説「家庭内離婚」が登場して翌1986年にそれがドラマ化され同語が流行語となり、同1986年には「タンスにゴン」のCMから「亭主元気で留守が良い」というキャッチコピーが登場して流行語となった。この頃に大人の女性向けの漫画が成長し、離婚や不倫などをテーマとしたレディースコミックがジャンルとして確立した。少女漫画でも1983年に『DUO』で家庭崩壊物の『夢虫・未草』(大島弓子)が登場している。またその後にはレディースコミックよりも下の世代向けのジャンルとしてヤング・レディースも登場した。 また、1983年にフジテレビのゴールデンタイムのドラマ枠「月曜ドラマランド」が登場し、その枠で4コマ漫画や少女漫画のドラマ化が行われるようになった。初期のドラマ化された少女漫画作品には『あんみつ姫』(倉金章介)と『うっふんレポート』(弓月光)が存在する。 その後、1985年4月にはフジテレビで高校生アイドルオーディション番組「夕やけニャンニャン」が始まり、その番組の中でアイドルグループ「おニャン子クラブ」が結成された。同年7月リリースのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」がヒットし、この頃にブルセラショップが誕生して90年代に掛けて増加していく。一方、同7月には「東京女子高制服図鑑」が出版されて学校選びに制服のデザインが注目されるようになり、またDCブランドブームもあって、学校ではブレザー型の制服へのモデルチェンジが進んでいった。なお前述のドラマ枠「月曜ドラマランド」では「おニャン子クラブ」を起用して『有閑倶楽部』(一条ゆかり)、『ピンクのラブソング』(飯塚修子)、『ないしょのハーフムーン』(赤石路代)などの少女漫画がドラマ化された。 1987年には「おニャン子クラブ」から工藤静香がソロデビューを果たして人気となり、少女漫画からは1989年に工藤静香似の主人公の『マリンブルーの風に抱かれて』(矢沢あい)が登場した。また同1989年にはアイドル歌手「田村英里子」がデビューしてそのタイアップテレビアニメ『アイドル伝説えり子』が放送され、そのアニメが『月刊ASUKA』で少女漫画化されている(漫画は河原歩)。 また、1981年にはニューハーフの六本木美人「松原留美子」がデビューして「ニューハーフ」という言葉が定着した。このニューハーフブーム受けて、少年漫画から同年に「ストップ!! ひばりくん!」が登場し人気となって1983年5月にテレビアニメ化された。少女漫画からは同1983年3月に『前略・ミルクハウス』(川原由美子)が、1986年に『ここはグリーン・ウッド』(那州雪絵)が登場している(男の娘#漫画)。 その他、1980年代には「少年隊」や「光GENJI」などのジャニーズ事務所所属の少年アイドルグループのブームもあり、少女漫画でも『別冊少女コミック』に少年アイドルグループ物の『はじめちゃんが一番!』(渡辺多恵子)が登場している。 『キャンディ♡キャンディ』のような西洋を舞台とした大河的な少女漫画およびそのアニメ化も続いていた。1982年には『週刊少女コミック』に同じく西洋舞台の『ジョージィ!』(原作:井沢満、漫画:いがらしゆみこ)が登場して1983年に「レディジョージィ」としてアニメ化され、1983年には『ちゃお』に西洋舞台の『アルペンローゼ』が登場して1985年に「炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ」としてアニメ化され、1986年には『ひとみ』に西洋舞台の『レディ!!』(英洋子)が登場して1987年に「レディレディ!!」としてアニメ化され、1988年にはその続編アニメの「ハロー!レディリン」も登場している。東映アニメーションは「レディレディ!!」を「純粋な少女漫画路線」と評している。 また、占いは昔から少女誌に存在したが、1980年代にはおまじないが人気となっていく。1970年前後、コンピュータ商法のブームからデパートにコンピュータ占いの機械が登場する。1978年12月、星占いの専門誌「星占い手帳」が登場し、翌1979年4月には少女向け星占い誌「My Birthday」が登場したが、「My Birthday」ではおまじない関連の投書を掲載しておまじないの投書がブームとなり、1982年にはおまじないをまとめた本「私の知ってるおまじない」も登場した。少女漫画誌では『りぼん』におまじないグッズの付録が登場するようになったほか、乙女チックラブコメから『ため息の行方』(陸奥A子)のようなアミニズム的な作品が登場した。また1986年2月には前述の「My Birthday」の増刊として漫画誌『おまじないコミック』が登場し、同年4月にはコミックの掲載のある少女誌『ピチレモン』も登場。おまじないブームが拡大していった。 また、1970年代のオカルトブームは、1980年代に前世ブーム(戦士症候群)となった。少女漫画では1986年に『花とゆめ』でそれをモチーフとした『ぼくの地球を守って』(日渡早紀) が登場して人気となり、その後そのフォロワーとして『ウィングス』に『シークエンス』(みずき健)が登場した。この『シークエンス』によって少女の自殺未遂事件が起きている。 1977年にはイタリアのホラー映画「サスペリア」が、1979年にはアメリカのホラー映画「ハロウィン」が、1981年にはカナダのホラー映画「プロムナイト」が日本でも上映され、また1977年には日本映画からホラーコメディ映画の「ハウス」が登場し、ホラービデオでは1986年にトロマ・エンターテインメントが「ホラー・パーティ」を出していた。少女漫画や女性漫画では1985年に朝日ソノラマが「ホラー・オカルト少女マンガ」誌『ハロウィン』を、1986年に大陸書房が「ホラー少女コミック」誌『ホラーハウス』を、1986年に近代映画社が「ファンタスティック&ホラーマンガ」誌『プロムナイト』を、1987年に秋田書店が「100%恐怖コミック」誌『サスペリア』を、1988年に主婦と生活社がホラー誌『ホラーパーティー』を創刊した。 また1980年代にはミステリー少女小説のブームも起きている。1982年に赤川次郎の一般小説「三姉妹探偵団」が登場して1986年にフジテレビでテレビドラマ化され、少女小説でも1987年に「赤い靴探偵団シリーズ」 が、1988年に「放課後シリーズ」が登場して人気となった。少女漫画誌や女性漫画誌ではミステリーと名前の付く漫画誌が多数創刊された。これには1985年創刊の『ミステリー La comic』(後のラ・コミック)、1986年創刊の『ミステリーJour Special』、1988年創刊の『ミステリーボニータ』と『セリエミステリー』と『Mystery I』、1989年創刊の『BE・LOVE ミステリー』と『Sakura mystery』(後のミステリーサラ)などがあった。 そのほか、1970年代後半に欧米でニュー・ウェイヴやパンク・ロック、インディー・ロック、オルタナティヴ・ロックなどのブームが起きており、1980年代には日本でもインディーズレーベルの「ナゴムレコード」(1983年)、「TRANS RECORDS」(1984年)、「キャプテンレコード」(1985年)などが登場してサブカル誌「宝島」がそれらを取り上げるようになった。1989年には「宝島」の派生として女性向けファッション誌の「CUTiE」が登場し、翌1990年にはそこでサブカル系に生きる少女をテーマとした漫画『東京ガールズブラボー』(岡崎京子)が登場した。また、少女漫画誌では1986年に『りぼん』でサブカル系漫画(ガロ系)の影響を受けたと言われるさくらももこがシュールさの残る『ちびまる子ちゃん』の連載を開始した。 また、少年漫画にも高橋留美子を皮切りに女性漫画家が進出、少女漫画の読者層であった少女たちも少年漫画や青年漫画を読むことが一般的になっていった。1986年には青年漫画誌「ビッグコミックスピリッツ」と「コミックモーニング」が週刊誌化され、青年漫画が大きく成長したことによって、くじらいいく子や山下和美や岡野玲子のように青年漫画を手がける女性少女漫画作家も登場した。これらによって少女漫画の手法や少女漫画的なテーマが少年漫画や青年漫画の世界にも広く普及することになった。 個性と癒やしの時代 1980年代後半に不動産バブルによるバブル景気が起きたことで、その対策として1990年に土地関連融資の総量規制が行われたが、バブル崩壊が発生し、1990年代は平成不況が続くこととなった。節約ブームが起こり、100円ショップが成長し、のちに失われた10年といわれる低迷した過渡期に入る。会社ではリストラや非正規雇用が拡大し、社縁が薄くなっていく。世帯収入の減少と共に共働き世帯が増えて専業主婦世帯の数を上回り、カギっ子は一般的となった。1980年代に始まったゆとり教育では1989年の学習指導要領改訂によって「個性重視の原則」が導入され、また新聞では同じ頃よりという言葉が登場して、1994年頃よりその言葉の使用が増え始めたほか、マイブームという言葉も登場し、1997年にはその言葉が流行語となる。 また1990年代には「テトリス」や「ぷよぷよ」などの落ち物パズルのブームなどによって少女にもゲーム機が普及し、少女漫画のゲーム化や少女漫画誌でのゲームコミカライズが行われるようになり、少女漫画でもファンタジー物が流行していった。 1990年代後半にはWindows 95の登場によってインターネットが普及していき、2000年代にはe-Japan構想によって学校教育にインターネットが取り入れられるようになり、携帯電話のインターネット料金定額化(パケット定額制)が行われ、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が普及し、インターネット上での繋がりが増していった。 1990年代にはバトルヒロイン物の少女漫画が流行した。1980年代の美少女ブームの影響を受けて1989年より特撮の東映不思議コメディーシリーズでも美少女シリーズが開始され、その中の一つ「美少女仮面ポワトリン」の影響を受けて、少女漫画からも『美少女戦士セーラームーン』(武内直子)が登場し、アニメ化され大ヒットした。このヒットによって、ギャグ漫画の『赤ずきんチャチャ』(彩花みん)もバトルヒロイン物としてアニメ化されることとなったほか、1990年代後半の魔法少女物のメディアミックス『カードキャプターさくら』(CLAMP)や『スーパードール★リカちゃん』(漫画版は征海未亜)も魔法バトルが中心となっていた。その後の「プリキュアシリーズ」以降はアニメ原作のコミカライズが少女漫画誌に連載されるようになっている。 また中華モチーフの少女漫画も複数登場した。1970年代に日中国交正常化と香港映画のブームが起き、1980年代に赤い人民服風の衣装を着たイエロー・マジック・オーケストラ (YMO) が流行し、中国雑貨の人気が上昇していき、1987年には「週刊少年サンデー」から高橋留美子の「らんま1/2」が登場して1989年から1992年に渡りアニメ化され女性にも人気となっていたほか、1994年にはDr.コパが火付け役となってインテリアを中心に風水ブームが起きていた。そのため1990年代には少年漫画だけでなく少女漫画からも中華モチーフの『ふしぎ遊戯』(渡瀬悠宇、1992年-)や風水バトルの『Dr.リンにきいてみて!』(あらいきよこ、1999年-)が登場してアニメ化された。 1990年代中盤にヒーリングを含むスピリチュアル・ブームが起き、また同時期には癒し系アイドルも人気となり、1997年にはアロマなどの癒し商品も人気となり、1999年には癒し系キャラの「たれぱんだ」も人気となった。少女漫画では1998年に心の傷を癒やすことをテーマとした『フルーツバスケット』(高屋奈月)が登場して人気となり、2001年にアニメ化されている。またオウム真理教による地下鉄サリン事件で一度廃れた「守護霊」も2005年より江原啓之らが看板のテレビ番組「オーラの泉」によって再興され、少女漫画では2006年に『しゅごキャラ!』(PEACH-PIT)が登場して2007年にアニメ化されている。 その他、1990年代には小動物ブームも起きていた。児童漫画誌連載の「ハムスターの研究レポート」(大雪師走)によってハムスターブームが起き、1994年には『なかよし』にハムスターが人間となる『さくらんぼねむり姫』(片岡みちる)が登場し、1997年には学年誌から「とっとこハム太郎」(河井リツ子)が登場して『ちゃお』にも掲載され、2000年には『なかよし』にゲーム原作の『どこでもハムスター』(猫部ねこ)が登場した。また1996年には携帯型育成ゲーム機「たまごっち」シリーズが登場して人気となり、1997年より『なかよし』にて『てんしっちのたまごっち』(かなしろにゃんこ)が連載されたほか、1997年にはゲーム「ポケットモンスター」のアニメ版が始まって大人気となり、同年より『ちゃお』にて『ポケットモンスター PiPiPi★アドベンチャー』(月梨野ゆみ) が連載された。2000代前半には『ちゃお』に妖精が主役の『ミルモでポン!』(篠塚ひろむ)が連載されてアニメ化され低学年の人気を得たほか、宇宙人が主役の『ぱにょぱにょデ・ジ・キャラット』(ひな。)も連載れていた。『なかよし』もこの頃に宇宙人が主役の『どーなつプリン』(猫部ねこ)や、ジンが主役の『よばれてとびでて!アクビちゃん』(上北ふたご)を連載している。2009年にはサンリオのジュエルペットがアニメ化されて人気となり、その後『ちゃお』や『ぷっちぐみ』や学年誌でコミカライズされた。 百合のブームも起きている。1990年代の『美少女戦士セーラームーン』の同人漫画では「やおい漫画」の延長として女性同士の同性愛ものが多く登場していた。1998年、少女小説誌「Cobalt」において現代のエス小説とでも言うべき「マリア様がみてる」が登場し人気となり、2003年より『マーガレット』で漫画化され(漫画:長沢智)、2004年にアニメ化された。2003年には「男子禁制」を謳う百合漫画誌『百合姉妹』(マガジン・マガジン)が登場し、2005年にはその実質的後継誌として『コミック百合姫』(一迅社)が誕生している。一方、百合要素のあるスポーツ物では1997年のアニメに「バトルアスリーテス大運動会」が存在していたが、少女漫画でも2004年に『ちゃお』でギャグ物の『スパーク!!ララナギはりけ〜ん』(もりちかこ)が登場している。 また1990年代の少女漫画の夕方アニメ化ブームではそれが男性にも影響を与えており、少女漫画では2005年に『ChuChu』でアニメオタクの義兄をテーマとした『アニコン』(やぶうち優)が登場している。また、2000年代にはバラエティ番組「学校へ行こう!」の「みのりかわ乙女団」に登場した「乙女系男子」という言葉も流行し、少女漫画では2006年に『別冊花とゆめ』で『オトメン(乙男)』(菅野文)が登場して2009年にドラマ化され、同年に「オトメン」が流行語となった。またメイド喫茶の流行と共に「萌え」が一般人へも広がって2005年に流行語となり、少女漫画では少年にメイド服を着せた作品が登場した。2006年には『LaLa』でメイド喫茶などを舞台とした『会長はメイド様!』(藤原ヒロ)が(2010年にアニメ化)、2008年には『B's-LOG COMIC』で擬似家族物の『少年メイド』(乙橘)が登場し(2016年にアニメ化)、同2008年には『なかよし』でも萌え少年をテーマとした『萌えキュン!』(桃雪琴梨)が、2009年には『ちゃお』でも『メイドじゃないもん!』(いわおかめめ)が登場している。 またゲーム会社「エニックス」によりファンタジー物を中心とする少年漫画誌「月刊少年ガンガン」(1991年)及びその派生誌「月刊Gファンタジー」(1993年)が登場し、1999年にはその派生として少女漫画誌『月刊ステンシル』が登場した。その後、2001年にエニックスお家騒動が起きるとエニックス社員の一部が独立して新会社「マッグガーデン」を立ち上げ、一部の連載漫画もマッグガーデンの新雑誌「月刊コミックブレイド」へと移籍されることとなった。少女漫画では『月刊ステンシル』に連載されていたヒーリング漫画『AQUA』(天野こずえ)が移籍されて『ARIA』となり、2005年にアニメ化されて人気となった。 平成のスイーツブームも起きている。80年代後半のバブル期のフランス料理疲れに次ぐイタ飯(イタリア料理)ブームからデザートのティラミスが登場し、平成のスイーツブームが始まった。また、1993年開始のフジテレビのバラエティ番組「料理の鉄人」によってパティシエが注目となっていた。少女漫画からは2008年に『夢色パティシエール』(松本夏実)が登場し、その後アニメ化されている。 1990年代にはローティーン向けファッションの流行も起きた。1980年代後半よりローティーン向けファッション雑誌「ピチレモン」が登場し、次いで登場したナルミヤ・インターナショナルの子供服ブランド「mezzo piano」や「エンジェルブルー」が人気となり、1990年代にはハナコジュニア世代を中心に幼い頃からファッションに興味を持つ少女が増えていった。この世代は状況に見合った格好をしつつもリボンやレースなどの女性的なものを好んでいるとされる。しかしながら少女漫画誌でこれら子供服ブランドとのタイアップ漫画が行われたのは2000年代に入ってからであった。ちゃおは2002年よりmezzo pianoとのタイアップ漫画『シンデレラコレクション』(今井康絵、2002年 - 2004年)を、なかよしは2007年よりエンジェルブルーとのタイアップ漫画『夢みるエンジェルブルー』(白沢まりも・2007年 - 2009年)を連載した。しかしながら、エンジェルブルーブランドは2010年に休止となった。 1977年より男児向け食玩シールの「ビックリマン」が登場してブームとなり男児の間で「シール交換」が人気となっていったが、ビックリマンは女児も収集を行っていたとされる。少女漫画では1991年より『ぴょんぴょん』でビックリマンを基にした『愛の戦士ヘッドロココ』(藤井みどり)が連載されている。また一般的なシールの交換も行われており、コレクションするためのシール帳も人気となっていった。 1995年に自撮りマシンのプリント倶楽部(プリクラ)が登場すると若者においてプリクラ交換をコミュニケーションに使うコギャルが登場し、コギャルを取り上げる新興ファッション誌「egg」も登場してコギャルの流行が拡大していった。一方、テレビ東京の番組「ボディボディ」では「不思議ちゃんの世界」のコーナーで不思議ちゃんを紹介しており、不思議ちゃんも話題となっていった。少女漫画では同年の『りぼん』にコギャルと不思議ちゃんの対比を行う『ご近所物語』(矢沢あい)が登場して人気となった。その後も現実の若者ファッションやカルチャーに連動した子供向け漫画として、1998年に『りぼん』で白ギャルモチーフの『GALS!』(藤井みほな)が、2009年に『ちゃお』で姫ギャルモチーフの『姫ギャル♥パラダイス』(和央明)が、2014年に『ちゃお』で原宿系モチーフの『てぃんくる☆コレクション』(和央明)が登場している。 また、1980年代後半から1990年代前半にかけて第3次ディスコブームが起こっており、便利屋男「アッシーくん」や彼氏候補「キープくん」と共にボディコンファッションが注目となっていた。女性漫画誌『Judy』では1990年代初頭に『ボディコン刑事』(井上恵美子)が登場し、少女漫画誌『りぼん』では1993年に『スパイシー☆ガール』(藤井みほな)が登場した。また1990年代にはスーパーモデルが世界的ブームとなり、1994年には『りぼん』でモデル物の『パッション♡ガールズ』(藤井みほな)が登場した。その後、ハイティーン向けファッションでは1990年代末から2000年代初頭にかけて「CUTiE」派生の『CUTiE Comic』、「Zipper」派生の『Zipper comic』などファッション誌派生の少女漫画誌が登場したもののこれらは短期間で終了し、連載されていた漫画はヤングレディース誌に吸収されている。また1990年代後半にはフジテレビの本社移転に伴ってお台場が有名となり、前述の『GALS!』でもお台場が登場し、また『なかよし』でも2001年に連載として『ODAIBAラブサバイバル』(原作:小林深雪、漫画:白沢まりも)が登場した。 アイドルでは、1990年代後半にバラエティ番組出身のユニット「ポケットビスケッツ」が小学生に人気となって社会現象となっていた。次いで2000年代には「ミニモニ。」「ピポ☆エンジェルズ」などの子供向けアイドルが登場し、女児向けアーケードゲームでは2000年代半ばに「オシャレ魔女♥ラブandベリー」を初めとするコーデバトルものが登場して流行となり、2001年よりe-karaなどのカラオケ玩具の登場およびタイアップもあって、女児向けの少女漫画では女性アイドルもののメディアミックスのオリジナル作品やコミカライズ作品が増えていった。これらの代表的なものには『ミニモニ。やるのだぴょん!』(もりちかこ)、『ぴちぴちピッチ』(花森ぴんく)、『きらりん☆レボリューション』(中原杏)、『プリティーシリーズ』、『アイカツ!』シリーズがある。 2000年代には那須博之が「モーニング娘。」起用による『美少女戦士セーラームーン』のドラマ化を構想し、その構想は実現しなかったものの2003年に美少女戦士セーラームーンのテレビドラマ化が行われ、それを皮切りに2005年には過去の名作に当たる『アタックNO.1』のテレビドラマ化および『花より男子』のテレビドラマ化が行われ、2007年には『ちびまる子ちゃん』のテレビドラマ化も行われている。 また2000年代には電撃文庫などのライトノベルブームが起きており、2005年には『LaLa』で『しにがみのバラッド。』のコミカライズが行われたほか、2006年には電撃文庫の女性向け作品『リリアとトレイズ』のコミカライズが中心のガールズコミック誌『comic SYLPH』(後の『シルフ』)も登場した。また2000年代後半には動画投稿サイト「ニコニコ動画」が人気となり、2006年にヒロインが「宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶ」ことを目指すライトノベル「涼宮ハルヒの憂鬱」が深夜アニメ化された際は動画投稿サイト上でハルヒダンスが流行し、2007年にボーカロイド「初音ミク」が登場した際は動画投稿サイト上でボカロソングが流行となった。2010年代にはボカロソングを基にした商業ボカロ小説が登場し10代の少女に人気となっていった。少女漫画では2010年代にボーカロイド中心の少女コミック誌『ミルフィ』が創刊されたほか、女性向け少年漫画誌の「月刊コミックジーン」でもボカロ小説のコミカライズが行われていた。旧来の少女漫画誌でも『ミラクル♪ミク』(琴慈)や『ミライチューン』(染川ゆかり)などのボーカロイド漫画が登場している。しかしながら、その後ネット文化がPC中心からスマートフォン中心へと移行したことによってボカロ小説のブームは収束していった。 中高生向けの音楽では、ミュージック・ビデオの普及と共に、宝塚歌劇団を参考にした「昔の少女漫画」のような耽美派バンド「MALICE MIZER」などのヴィジュアル系バンドが登場し、それによりヴィジュアル系バンドのコスプレやヴィジュアル系バンドの同人「やおい」漫画が流行した。耽美派雑誌『JUNE』の発行元マガジン・マガジンも『JUNE』的なムック本である『MALICE MIZER 耽美実験革命』を出版している。また少女漫画でもヴィジュアル系の人気を受けて『快感・フレーズ』(新條まゆ)や『NANA』(矢沢あい)が登場し、どちらもテレビアニメ化されている。一方、インターネットでは中学2年生ごろに発生する思春期特有のひねくれを意味する「中二病」という言葉が広まっていき、ヴィジュアル系も一過性の中二病の一つとして解釈されるようになっていった。 その後、音楽物では少女漫画誌との関連の薄い部活学園物の深夜アニメが人気となっていった。2009年に部活ガールズバンド物の萌え4コマ「けいおん!」がアニメ化された際には女子高生にバンドブームや制服ブームが起こり、2013年に美少女スクールアイドルもののメディアミックス「ラブライブ!」がアニメ化された際もその女性人気が高まることとなった。少女漫画の中高生の音楽物では2013年に男女混合バンドの『覆面系ノイズ』(福山リョウコ)が登場した(2017年にアニメ化)。また、動画投稿サイトにおいて歌い手や踊り手の動画が流行し、2014年には踊り手漫画の『バディゴ!』(黒崎みのり)が登場した(2016年に一部がアニメ化)。 また、1990年前後にはOLのオジン化(オヤジギャル)が指摘されており、ドラマでもオヤジギャルが主役の「キモチいい恋したい!」が登場し、週刊誌「SPA!」連載の漫画にもオヤジギャルを題材とする「スイートスポット」(中尊寺ゆつこ)が登場した。この頃にはOL向け4コマ誌『まんがハイム』(徳間オリオン)および『まんがタイムスペシャル』(芳文社)が登場している。 一方、1994年前後には漫画をあまり取り扱わない出版社による漫画誌への参入も目立っており、これら漫画誌は上の世代の著名漫画家を揃えていたもののどれも失敗に終わっている。例えば少女漫画誌以外ではマガジンハウスの「COMICアレ!」や文芸春秋の「コミック'94」やNHK出版の「コミックムウ」が、少女漫画誌ではソニー・マガジンズの『きみとぼく』が登場した。 また1990年代には携帯電話が登場してそのマナーが問題となっていき、2000年には公共広告機構(現ACジャパン)のCMによってマナーを守らない人を意味する「ジコチュー」(自己中)が流行語となった。少女漫画では2002年に『デザート』で『自己chuラヴァーズ』(いしだ絵里)が登場した。2006年には乙女ゲームの『ときめきメモリアル Girl's Side 2nd Kiss』で「セカンドキスシステム」(通称「事故チュー」)が搭載され、またいつからかより少女漫画でも事故的なキスに「事故チュー」という語が使われるようになっていった。 また1990年代には買い物依存症も話題となった。1992年には翻訳書「買い物しすぎる女たち」が登場し、1998年にはテレビドラマから「私の中の誰か~買い物依存症の女たち~」が登場、同1998年には週刊誌「週刊文春」にも中村うさぎのエッセイ「ショッピングの女王」が登場した(漫画化はファミリー4コマ誌「まんがライフ」)。また1995年にはコギャルのシャネル・グッチ・プラダ好きも話題となっていた。ヤング・レディース誌『Kiss』では2005年に買い物中毒OLを主人公とした『東京アリス』(稚野鳥子)が登場した。 また1999年代末からは「カリスマ美容師ブーム」が起きた。テレビからは1999年に美容師対決番組「シザーズリーグ」が、2000年に美容師との恋愛物のテレビドラマ「ビューティフルライフ」が登場し、同2000年には少年漫画から美容師物の「シザーズ」が登場し、少女漫画でも2003年に『ちゃお』で美容師物の『ビューティー・ポップ』(あらいきよこ)が登場した。また、「カリスマ美容師ブーム」に乗じて「カリスマ店員」や「カリスマホスト」も話題となっていき、同じく1999年代末にはホストクラブでの男買いも人気となった。女性漫画誌「YOU」に連載された「ごくせん」では文化祭でホストクラブをする話が登場し、少女漫画でも2002年に『LaLa』で『桜蘭高校ホスト部』(葉鳥ビスコ)が登場した(2006年にアニメ化)。 女性向けゲームでは1994年に「アンジェリークシリーズ」が、2000年に「遙かなる時空の中でシリーズ」が登場し、『月刊Asuka』や『LaLa』などのファンタジーに強い少女漫画誌でコミカライズされるようになった。2002年、女性向けゲーム誌「B's-LOG」が登場し、2005年にはその派生としてゲームコミカライズが中心のガールズコミック誌『B's-LOG COMIC』が誕生した。2006年、ケータイ小説提供会社の「ボルテージ」が女性向けモバイルゲームへと参入して「リアル系乙女ゲーム」として人気となり、少女漫画では『B's-LOG COMIC』でその中の一つ『恋人はNo.1ホスト』が漫画化されている(漫画はヤマダサクラコ)。2010年代には乙女ゲームから『うたの☆プリンスさまっ♪』などの男性アイドルを育成するものが登場し、また、女児向けの女性アイドル物からも派生として『KING OF PRISM by PrettyRhythm』などの男性アイドルものが登場し、それらは少女漫画誌でコミカライズされるようになっている。 また、1980年代後半にはレディースコミックに過激な性描写が増えて人気となり、その雑誌に広告を出す形でテレフォンクラブが広まっていった。その後、バブル崩壊による家計収入の減少と共に若年層にも援助交際が浸透し、1990年代半ばには10代向けの性漫画であるティーンズラブ (TL漫画) 雑誌が登場、「少女コミック」などの少女漫画誌でもそれらに引きずられる形で性描写が増加していった。2006年には歌手の倖田來未によって「エロカッコイイ」「エロカワイイ」が流行語となった。 また携帯電話の普及によって2000年代中盤にはケータイ小説がブームとなり、2007年には双葉社によってケータイ小説サイト「魔法のiらんど」のコミカライズ雑誌『COMIC魔法のiらんど』が創刊された。しかしながらケータイ小説サイトはスマートフォンの登場によって下火となっていったとされる。2011年、角川系のアスキー・メディアワークスは「魔法のiらんど」の運営会社を買収して吸収し、アスキー・メディアワークスは独自コミカライズレーベル『魔法のiらんどCOMICS』を立ち上げた。一方、旧来の少女小説レーベル「コバルト文庫」(集英社)も2010年に増刊としてコミカライズ雑誌『Comic Cobalt』を立ち上げたものの成功せずに終わっている。 一方、2000年代には純愛ブームも起きている。2000年代前半には恋愛小説およびその実写化で「世界の中心で、愛をさけぶ」(セカチュー)や「いま、会いにゆきます」(イマアイ)のような純愛物が流行し、前者は『プチコミック』で漫画化され(画は一井かずみ)、後者は女性誌「女性セブン」で漫画化された(画は川島彩)。少女漫画では2003年より『Betsucomi』に純愛物の『砂時計』(芦原妃名子)が登場し、セカチュー及びイマアイの実写化を行ったTBSテレビは2007年に昼帯のテレビドラマ(昼ドラ)でも「純愛で勝負する」としてその『砂時計』の昼ドラ化を行っている。 2000年代後半には別冊マーガレット連載の『君に届け』(椎名軽穂)や『ストロボ・エッジ』(咲坂伊緒)などのピュアストーリー物が人気となった(前者は2009年にアニメ化)。2010年代にはボーカロイド界隈から「スキキライ」や「告白実行委員会〜恋愛シリーズ〜」などの青春系ソングの人気クリエイターユニット「HoneyWorks」が生まれ、人間のボーカルを迎い入れた後もその楽曲の小説化が続いていった(通称:ハニワ小説)。一方、別冊マーガレットでも「青春に乗る」を意味する『アオハライド』(咲坂伊緒)が登場して人気となり、アニメ化の際にはHoneyWorksがその主題歌を務めている。また、実写映画でも青春モノの「キラキラ映画」が流行し少女漫画の実写映画化が活発となったものの、2010年代末には過剰供給となって衰退していった。 また、1987年より始まった恋愛バラエティ番組「ねるとん紅鯨団」によって全国でお見合いパーティが開かれるようになっており、そのパーティーで多くのダメ男と遭遇した漫画家の倉田真由美は2000年よりその経験を活かして漫画「だめんず・うぉ〜か〜」を週刊誌「SPA!」に連載し、それが2002年と2006年にドラマ化された。『プチコミック』でも2015年よりダメンズ物の『深夜のダメ恋図鑑』(尾崎衣良)が連載された(2018年ドラマ化)。 オカルトでは2006年よりブログにおいて「都市伝説」の用語の使用が増加し、2007年にはテレビ番組から「やりすぎ都市伝説」が登場した。同2007年にはオリジナルテレビアニメから電脳空間と都市伝説をテーマにした『電脳コイル』も登場し、ちゃおで少女漫画化された(作者は久世みずき)。また、ソーシャル・ネットワーキング・サービス (SNS) の普及と共に社会的要素の強いソーシャルゲームが広まっていき、2009年には海外のマフィア抗争ソーシャルゲーム「Mafia Wars」を元にした国産ソーシャルゲーム「怪盗ロワイヤル」が登場して人気となり、『Cookie』で少女漫画化されている(作者は菅野紗由)。2011年には児童文庫にソーシャル型デスゲーム物の「オンライン!」が登場して人気となり、その後も児童文庫ではデスゲーム物が定番となっていったが、少女漫画でも2012年に『なかよし』でデスゲーム物の『出口ゼロ』(瀬田ハルヒ)が登場している。 テレビドラマでは、2014年にダブル不倫ものの「昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜」が注目され「昼顔妻」という言葉が流行した。一方、 ヤング・レディース漫画のダブル不倫物『あなたのことはそれほど』(いくえみ綾)も2017年にドラマ化されたものの、コンセプトの違いから昼顔ほどは人気とならなかったとされる。 また2004年〜2005年には男女雇用機会均等法の第一世代において自分一人だけで贅沢をするという「おひとりさまブーム」が起き、2005年には「おひとりさま」が「2005年ユーキャン新語・流行語大賞」の候補として選出された。しかしながらその後「おひとりさま」という言葉が広がっていく過程で、贅沢以外でも一人で過ごすことが人気となっていったとされる。少女漫画では2006年に『Kiss』の増刊として『Beth』が創刊され、そこで『おひとり様物語』(谷川史子)が登場した(『Beth』休刊後は『Kiss』へと移籍)ほか、『Sho-comi』の編集長によれば2012年〜2013年ごろより若い作家の手によって「ぼっち好き」のヒロインが増えていったとされる。 その他、生涯未婚率の上昇に伴い、結婚の是非を問うヤングレディース漫画も登場した。2011年にテレビドラマ「家政婦のミタ」がヒットして家政婦が注目されるようになり、2012年にはヤング・レディース誌『Kiss』において契約結婚により家政婦となる『逃げるは恥だが役に立つ』(海野つなみ)が登場して人気となった。2014年には同誌で行き遅れ物の『東京タラレバ娘』(東村アキコ)が登場して人気となり、両作品はドラマ化されていった。その他、家政夫物も人気となった。2016年にテレビドラマから女装家政夫物の「家政夫のミタゾノ」が登場し、同年に電子書籍サイト「コミックシーモア」の女性向けコミック誌『恋するソワレ』から家政夫物の『家政夫のナギサさん』が登場した(2020年にドラマ化)。 また、少女漫画や女性漫画のWebコミックサイトも登場した。ヤングレディース誌『FEEL YOUNG』の公式Webサイト(FC Web→フィーヤンネット)では多数のWeb連載が行われるようになり『ラブリー!』(桜沢エリカ)などがそのサイトに移籍されたほか、2006年に開始された講談社の無料Web漫画サイト「MiChao!」では女性向けコーナーが設けられ『最終戦争シリーズ』(山田ミネコ)の最新作が「MiChao!」で連載されるようになった。2009年には少女向け漫画誌『ウィングス』の派生としてWebコミックサイト『WEBウィングス』も開始された。2013年には集英社の電子少女漫画アプリ『マーガレットBOOKストア!』(後の『コミックりぼマガ』)が登場し、そのアプリ内では新作の提供を行う『マーガレットchannel』(後の『デジタルマーガレット』)も設けられた。その後も漫画誌派生のWebコミックサイトは多数登場している。 少年漫画誌の少女漫画受け入れ スクウェア・エニックスの少年ガンガン系列の少年漫画誌では元々女性作者が多く、女性作者で女主人公の恋愛要素のある少年漫画も存在していたが、Web漫画が商業化される時代になると女性作家のWeb恋愛漫画も少年漫画として商業化するようになった。この姿勢はWeb小説のコミカライズが流行した以降も継続している。 また集英社も2015年より『花より男子』(神尾葉子)の続編『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』(神尾葉子)を少年漫画誌派生のWebサイト「少年ジャンプ+」で連載するようになり(2018年ドラマ化)、小学館でも少年サンデー系列のWeb雑誌「裏サンデー」(アプリ版はマンガワン)の派生として2016年に『裏サンデー女子部』を登場させている。講談社も2017年より別冊少年マガジンに女性作家の女主人公の恋愛物である「荒ぶる季節の乙女どもよ。」(原作:岡田麿里、作画:絵本奈央)を載せたり、ガールズコミック誌『ARIA』廃刊後の2018年より乙女ゲームのコミカライズ作品『遙かなる時空の中で6』(水野十子)を少年マガジンエッジへと移籍させたりなど、少年漫画誌で男性向け女性向けにこだわらない姿勢を取るようになってきている。白泉社も2017年に少女漫画と青年漫画を同居させたアプリの「マンガPark」を配信した。 21世紀のインターネット普及時代に入って、雑誌や媒体のさらなる多様化と時代の思考の変化などもあり、かつて男性向けとは異なる媒体と手法を持ち、女性漫画の別名であり中心だった少女漫画は、2020年代現在では多くの隣接分野との境界の薄い、漫画界の連続的な一領域と化している。 推しの時代 2010年代後半より人に対するトリセツ本が多数出版されるようになり、女児向け教育本でも「女の子のトリセツ」「女の子のトリセツ トキメキdays」(ミラクルガールズ委員会)、「かわいいのルール」「こころのルール」(はぴふるガール編集部・漫画:双葉陽)などが登場し人気となっていった。少女漫画誌からも2020年に『JSのトリセツ』(雨玉さき)が登場している。 一方、動画サイトでは元々YouTuberが流行となっており、動画投稿者は小学生の憧れの職業となっていた。また子供YouTuberも「キッズライン♡Kids Line」のこうくんねみちゃんや「HIMAWARIちゃんねる」のまーちゃんおーちゃんなどが登場し人気となっていった。少女漫画では2018年にメディアミックスから動画配信をモチーフとした『キラッとプリ☆チャン』が登場し、『ちゃお』や『ぷっちぐみ』でコミカライズされている(ちゃお版は辻永ひつじ、ぷっちぐみ版は菊田みちよ)。 またダンスブームも起きている。2016年にはドラマ版「逃げるは恥だが役に立つ」のエンディングに使われた「恋ダンス」がYouTubeで流行し、2017年にはショートムービー投稿サイト「TikTok」が日本にも上陸してダンスのショートムービーがブームとなった。少女漫画では2020年に『ちゃお』でダンス物の『夜からはじまる私たち』(ときわ藍)が登場したほか、2022年には子供向け実写ドラマでも「ガールズ×戦士シリーズ」の後継としてダンス物の『リズスタ -Top of Artists!-』が登場し、『ちゃお』や『ぷっちぐみ』でコミカライズされた(ちゃお版はくろだまめた、ぷっちぐみ版は今井康絵・ハラミユウキ)。しかしながらリズスタは女児向け特撮枠と共に2023年に終了となった。 またTikTokによるダンス人気によって日本のギャル文化の影響を受けた女性K-POPアイドルが人気となり、2021年の『ちゃお』にはK-POPアイドルを目指す『カラフル!』(ときわ藍)が登場した。2022年にはその流れにある「ギャルピース」のポーズが日本でも逆輸入される形で人気となり、小学生にギャルブームが再興し、2023年には小学生ギャル誌「KOGYARU」が登場した。少女漫画では2022年に『ちゃお』でギャル物の『イイネ♥👍REIWAギャル★あみるん』(いわおかめめ)が登場した。 また2016年にはキズナアイを始めとするバーチャルYouTuber (VTuber) が誕生して人気となり、2018年にはサンリオからバーチャルタレント「となりの研究生マシマヒメコ」が、2019年にはちゃおから怪談VTuber「依ノ宮アリサ」が登場している。少女漫画では2020年に『ちゃお』でVTuber物の『青のアイリス』(やぶうち優)が登場して人気となり、2023年にも『ちゃお』でVTuber物の『恋するアバターちゃん』(相庭)が登場した。 一方、上の世代では「推し」文化の時代となった。「推し」という言葉は元々「ハロー!プロジェクト」(ハロプロ)の女性アイドルに対して使われていたが、その後、身近を売りにしたAKB48や地下アイドルのブームで他へと広まっていき、果てはホストにまで使われるようになった。また、推し活する女性の着ていたファッションが地雷系・量産型として流行した。そんな中で2019年に女性向け漫画として『明日、私は誰かのカノジョ』(をのひなお)が登場し人気となり、2022年に深夜ドラマ化された。また、2017年にYouTubeに投げ銭機能「スーパーチャット」が登場することで推しに直接貢ぐことが可能となり、オトナ女子向け漫画では2020年3月にそれをテーマにした『ガチ恋粘着獣〜ネット配信者の彼女になりたくて〜』(星来)が登場している(2023年深夜ドラマ化)。2020年7月には小説から「推し、燃ゆ」が登場して中学生以上に人気となっていき、2021年には『花とゆめ』で『多聞くん今どっち!?』(師走ゆき)が、2022年には『マーガレット』で『神推し! イケメンソウ』(川又宙子)、『りぼん』で『推しと青春しちゃっていーですか!?』(神田ちな)と『推しぴ症候群』(小林ユキ)、『なかよし』で『キミしか推せない!』(咲良香那)、『花とゆめ』で『推しに甘噛み』(鈴木ジュリエッタ)、『別冊マーガレット』で『推しにガチ恋しちゃったら』(春江ひかる)が登場している。 その他、2014年にはInstagramの日本語版が登場し、Instagramではキラキラ女子や港区女子が増えていった。少女漫画では2017年に『デラックスベツコミ』で『港区JK』(しばの結花)が登場した。また港区女子は飲み会への参加で謝礼金を貰うギャラ飲みを行っていたが、港区女子以外でも食事などの謝礼にお金を貰うパパ活がブームとなり、2017年6月にはフジテレビ系の配信ドラマ「パパ活」が登場して地上波でも放送され、少女漫画からは『堕欲~パパ活貧困女子~』(桜井美也)が登場した。また裏垢もブームとなり、少女漫画では『裏アカ破滅記念日』(桜井美也)が登場している。 また、サンリオではテレビアニメ「おねがいマイメロディ」の悪役として生み出されたクロミが継続的に人気となっていき、ディズニーでも2015年ごろよりヴィランズブームを起こしていった。2016年にサンリオと集英社系のWeb漫画サイト「イチゴミン」がリリースされ、そこでクロミを主人公とした「おかしなクロミちゃん」(かのえゆうし)が連載されるようになったものの、このサイトは2019年に更新停止となっている。その後、前述の地雷系コーデと共にクロミのアイテムが定番となっていき、2023年にはクロミのショートアニメ「KUROMI'S PRETTY JOURNEY」も登場した。ゲームではFortniteなどのバトルロワイヤルゲームやIdentityV 第五人格など非対称対戦ゲームが流行し、2022年にはサンリオからも非対称性対戦ゲームの「ミラクルマッチ」が登場して話題となった。一方、漫画では主人公が魔法少女の敵となって魔法少女と対立するものが数多く登場しており(魔法少女#2000年以降参照)、少女漫画からも2013年に『花とゆめ』で『ブラックハートスター』(中村世子)が、2017年に『りぼん』で『アクロトリップ』(佐和田米)が登場し、後者は2024年にアニメ化予定となっている。 またヤンキーブームの再興も起きている。2019年に少年漫画「鬼滅の刃」のアニメ化による少年漫画ブームが起き、2020年に少年漫画「呪術廻戦」がアニメ化されて人気となり、その後、2021年にヤンキー物の「東京卍リベンジャーズ」がアニメ化及び実写映画化されて人気となった。その後、ドラマでもWeb漫画原作の恋愛物「恋です!〜ヤンキー君と白杖ガール〜」や少年漫画原作の青春物「ナンバMG5」などのヤンキー物が登場し、少女漫画からもヤンキーヒーローの『ひかえめに言っても、これは愛』(藤もも)が登場して人気となっている。 恋愛では少子化の進行により架空の強制結婚制度をテーマとしたものが多数登場した。2017年には架空の「超・少子化対策基本法」をテーマとした少年漫画「恋と嘘」が少女マンガのような設定に改変された上で実写映画化され、2018年には架空の「抽選見合い結婚法」をテーマとした長編小説「結婚相手は抽選で」がテレビドラマ化され、少女漫画からも2020年に架空の「ニート保護法」をテーマとしたLINEマンガ連載の少女漫画『マリーミー!』(夕希実久)がテレビドラマ化されている。また、強制夫婦物の学園物も登場している。2018年には青年漫画から「夫婦実習」をテーマとした「夫婦以上、恋人未満。」が登場し(2022年アニメ化)、 2019年には子供向け少女漫画でも「一攫千金婚校」をテーマとした『初×婚』(黒崎みのり)が登場して人気作となった。 一方で、実録を中心にマッチングアプリ物の流行も起きている。2017年にTwitterアカウント「暇な女子大生」が話題となってドラマ化され、2018年には青年漫画から「来世ではちゃんとします」が、2019年にエッセイ漫画から「38歳バツイチ独身女がマッチングアプリをやってみた結果日記」が登場して、どちらも2020年にドラマ化された。Web漫画では2017年に「出会い系サイトで妹と出会う話」がTwitterで10万いいねを超える話題作となり、少女漫画でも2020年に『ラバーズハイ~親友の彼氏とマッチングしてしまった~』(原作:永塚未知流、漫画:安斎かりん)が登場している。 マンガアプリでは元々男性向けと女性向けを同居させたものが主流となっていたが、2018年より『Palcy』(講談社・2018年-)、『マンガMee』(集英社・2018年-)などの女性向けに特化したマンガアプリも配信されるようになった。また清涼飲料水のテレビCMでは昔より青春物が定番となっていたが、逆に青春もののコンテンツでも「炭酸感」のあるものが多数登場した。少女漫画では2016年に『りぼん』で『ハニーレモンソーダ』(村田真優)が登場して人気となって2018年には『マンガMee』でもそれが再掲連載されるようになり、2020年には競合の『Palcy』からも『微炭酸なぼくら』(フクシマハルカ)が登場している。2021年にはWeb漫画出身の“超微炭酸系”恋愛少年漫画「ホリミヤ」がアニメ化・ドラマ化・実写映画化され、同年にはオリジナルアニメ映画「サイダーのように言葉が湧き上がる」も上映され、更に同年には前述の少女漫画『ハニーレモンソーダ』も実写映画化されている。 しかしその一方で、テレビドラマや日本映画では「恋愛離れ」が進んでいるとされる。少女漫画では長らく恋愛が中心となっていたが、2020年に『りぼん』の編集長はインタビューで「漫画家志望の若者が『自分が描きたいのは恋愛じゃないから、少年漫画に投稿しよう』と考えること。その先入観は払拭したいです。」と述べている。 なお人気の難病モノには恋愛要素が残っているとされるが、難病モノの中では特に盲聾物が人気となっていった。早くは2016年に少年漫画の「聲の形」がアニメ映画化されて話題となっており、2022年にはオリジナルドラマから「silent」が登場してコア視聴率(13~49歳の視聴率)で 5% 超え(20人に1人以上)を獲得し、2023年には同じくオリジナルドラマから「星降る夜に」も登場した。少女漫画では2019年に『デザート』から『ゆびさきと恋々』(森下suu)が登場して人気となり、2024年にアニメ化される予定となっている。 また、2018年には「マンガボックス」連載の不倫される側をテーマとしたヤングレディース漫画『ホリデイラブ 〜夫婦間恋愛〜』(こやまゆかり)がテレビドラマ化されて「サレ妻」が流行語となり、『マンガMee』でも不倫の代償を描いた『サレタガワのブルー』(セモトちか)が人気となって2021年にテレビドラマ化された。また同2021年には『マンガMee』が「マンガMeeジャンル大賞」を創設し、「不倫・結婚生活」ジャンルの漫画の募集を開始した。 モデルものでは『ちゃお』において専属モデルのちゃおガールをテーマにした読み切りが登場しており、2020年に『ミラクルモデルデビュー』として単行本化されている。また子供向けアイドルでは2016年に『ちゃお』が「ちゃおガール」の中から「Ciào Smiles」を結成していたものの、メディアミックスは行われず2021年に活動終了となっている。一方、2017年に『ちゃお』や『ぷっちぐみ』から実写ドラマとのメディアミックスの『ガールズ×戦士シリーズ』が登場し、その俳優から2019年にアイドルユニット『Girls²』が、2021年にアイドルユニット『Lucky²』が結成され、『ちゃお』では2020年に「Girls²」をモチーフとした実写ドラマとのメディアミックス『ガル学。』(漫画はおりとかほり)が、2022年に「Lucky²」をモチーフとした実写ドラマとのメディアミックス『ガル学。Ⅱ〜Lucky Stars〜』(漫画は同左)が登場した。 また2020年前後には夜好性ブームも起きている。「ヨルシカ」、「ずっと真夜中でいいのに。」、「YOASOBI」などの夜好性バンドが登場して人気となっていったほか、2019年にはヒップホップ・ユニットのCreepy Nutsもよふかしのうたをリリースした。少年漫画からは同2019年に「よふかしのうた」が登場して2022年にアニメ化され、少女漫画では前述の『夜からはじまる私たち』が登場したほか、2023年にちゃおで YOASOBI の幾田りらとのコラボまんが『ロマンスの約束』『サークル』(漫画:まいた菜穂)が掲載された。 その他、音楽ものでは歌劇ものが人気となった。2012年、青年漫画誌「ジャンプ改」に『かげきしょうじょ!』(斉木久美子)が登場し、同誌休刊後の2015年に少女漫画誌『MELODY』へと移籍して継続したほか、2016年には人気少女漫画『学園アリス』の続編として『花とゆめ』に『歌劇の国のアリス』(樋口橘)が登場していた。2018年、ブシロードよりメディアミックス「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」が登場して人気となり、2021年には『かげきしょうじょ!!』もアニメ化された。2023年には『ちゃお』にも読み切りとして宝塚音楽学校を舞台とする『王子は舞台に恋をする ~七海ひろき物語~』(原作:小出真未、漫画:ときわ藍)が登場した。 ホラーでは児童文庫から「5分後に意外な結末」(学研、2013年-)や「5分シリーズ」(エブリスタ/出書房新社、2017年-)のような多数のどんでん返し小説群が登場して人気となっていき、2022年には前者が深夜ドラマ化されている。少女漫画では2021年より『ちゃおコミ』で「1話3分シリーズ」の『こわい家、あります。くらやみくんのブラックリスト』が漫画化され(漫画は姫野よしかず)、2022年には前述の『5分後に意外な結末』が『なかよし』の付録や『Palcy』でコミカライズされ、同年より『りぼん』でもオリジナルの『3分後に○○する話』(武内こずえ)が連載されるようになった。 また、サバサバを自称しながらネチネチしている自称サバサバ女(自サバ女)が注目されるようになった。早くは2011年より週刊誌「SPA!」で連載された「アラサーちゃん」に登場しており、2014年にドラマ化されている。またその後も2019年よりマンガワンで連載の『ブラックガールズトーク』(マキノマキ)、同じく2019年よりツイッター上で連載されたの『彼氏の周りに湧くウザい女たち』(染井ロキ)、2020年よりめちゃコミックで連載の『ワタシってサバサバしてるから』(原作:とらふぐ、漫画:江口心、2023年ドラマ化)などが登場した。 またマジョリティから外れたサブカルを好む若者を描いた物も再流行している。映画からは2021年に「花束みたいな恋をした」や「明け方の若者たち」が登場し、青年漫画からも同年に「まじめな会社員」が登場した。少女漫画では2015年には既に『Kiss』で読み切りとして『アレンとドラン』(麻生みこと)が登場し、2016年より連載化されている。 また青春とSFを組み合わせたものも再流行した。2012年より別冊マーガレットで連載され2014年に青年誌に移籍した『orange』(高野苺)が2015年に実写映画化された後2016年にテレビアニメ化およびアニメ映画化され、同2016年にはオリジナルアニメ映画から新海誠の「君の名は。」も登場し、どちらもヒットした。また百合SFもブームとなっており、2018年にはSF誌「SFマガジン」の百合特集が発売前に重版されるなどしていた。少女漫画誌からは2022年に超本格SF新連載として『ちゃお』で『2人はS×S』が登場した。 平成以降に始まった作品の本誌でのリバイバルも行われるようになった。早くは2015年に『りぼん』本誌で10年ぶりに「めだかの学校」の続編作『めだかの学校 2限目!』が登場した。2016年には『なかよし』本誌で「カードキャプターさくら」の続編作『カードキャプターさくらクリアカード編』が登場して2018年よりアニメ化されている。その後も『なかよし』では「東京ミュウミュウ」の男版『東京ミュウミュウ オーレ!』や「ぴちぴちピッチ」の次世代作『ぴちぴちピッチaqua』が本誌で連載されるようになった。 また2019年より始まるコロナ禍での休校およびGIGAスクール構想下でのオンライン授業によって2021年には小学生にもタブレットやパソコンが普及した。2020年には各社が休校への支援として一時的に有料コンテンツの無料公開を行い、少女漫画でも多くの雑誌の無料公開が行われたが、その後、子供向けのWeb漫画サイトが登場していった。例えば児童書ポータルサイト「ヨメルバ」では児童文庫レーベル「角川つばさ文庫」の小説「絶体絶命ゲーム」や「四つ子ぐらし」のコミカライズがWeb連載されるようになり、少女漫画誌からも2021年8月に『ちゃお』派生のWeb漫画サイト『ちゃおコミ』が登場してそこで『ウェディング・デスゲーム』(春瀬花香)が連載されるようになった。また2022年には『ちゃおコミ』に『ドリームゲーム』(にしむらともこ)も登場した。 Web漫画サイトの登場によって昔の作品が再掲載されるようになり、昔の作品の続編がWeb連載されることも増えていった。例えば『りぼん』では「GALS!」の続編作『GALS!!』がマンガMeeで連載されており、『ちゃお』では「ぷくぷく天然かいらんばん」の続編作『ぷくぷく天然かいらんばん おかわり』や『真代家こんぷれっくす!』の続編作『続・真代家こんぷれっくす!』、『チャームエンジェル』の続編作『チャームエンジェル -星天使編-』が前述のWeb漫画サイト『ちゃおコミ』で連載されている。 一方でアーケードゲーム由来のアイドル物のメディアミックスは縮小が続いっていった(ゲーム自体や付録は継続)。2020年6月には『アイカツ!シリーズ』の最新作「アイカツプラネット!」のアニメが終了し、ちゃおで連載されていたそのコミカライズも2022年6月に終了となった。また『プリティーシリーズ』の最新作「ワッチャプリマジ!」のアニメも2022年10月に終了し、ちゃおで連載されていたそのコミカライズも同時に終了した。新シリーズの「ワッチャプリマジ!スタジオ」ではアニメが放送されず、そのコミカライズも『ちゃお』では無く『ちゃお』増刊の「ワッチャプリマジ!FBスタジオ」での連載となっている。 マスコットではサンエックスの「すみっコぐらし」が流行となっており、キャラクター誌や少女漫画誌でもそれが広く展開されていた。2018年、「ちゃおサマーフェスティバル2018」において日本コロムビアとサンエックスは新コンテンツ『げっし〜ず』のゲーム化を発表し、同年に『ちゃお』はそのコミカライズを開始した(作者は鮎ヒナタ)。2020年にはコロナ禍の巣ごもり需要によってNintendo Switchのゲーム『あつまれ どうぶつの森』が人気となって流行語となり、少女漫画誌では「ちゃお」及び「ぷっちぐみ」がそのゲームの漫画化を行った(作者は前者が加藤みのり、後者がかなき詩織)。また任天堂のゲームシリーズ「星のカービィ」のコミカライズは長らく「月刊コロコロコミック」(女児の読者も多かった)やキャラクター誌「キャラぱふぇ」が中心となっていたが、2022年には少女誌『ぷっちぐみ』にも『星のカービィ プププなまいにち』(さくま良子)が、2023年には『ちゃお』にも『星のカービィ』(加藤みのり)が登場した。 またTwitterで連載する個人漫画からは2020年にマスコット漫画「ちいかわ」が登場して人気となり、2022年には「めざましテレビ」内でショートアニメ化されて更に人気が拡大していき、少女漫画誌の付録にも登場するようになった。また2022年には同作者ナガノのTwitter初出漫画『くまのむちゃうま日記』がKissレーベルより出版されている。 Web小説のコミカライズも多数行われるようになってきている。これには乙女ゲーム世界などへ異世界転生や異世界転移するという設定が多く、また悪役令嬢/悪役姫もの、聖女もの、スローライフもの、もふもふものなどが存在し、そのコミカライズは主に『コミックZERO-SUM』、『ゼロサムオンライン』、『B's-LOG COMIC』、『裏サンデー女子部』、『PASH UP!』、『コミックブリーゼ』などの女性向けの雑誌や、『FLOS COMIC』、『レジーナブックス』などの専門Web誌で行われている。また、似たような設定のオリジナル少女漫画も登場しており、ちゃおからは悪役姫ものの『恋して♥悪役プリンセス!』(辻永ひつじ)が、LaLaからは『転生悪女の黒歴史』(冬夏アキハル)や『帝国の恋嫁』(可歌まと)や『死に戻り令嬢のルチェッタ』(天乃忍)が、『花とゆめ』からは『転生したら姫だったので男装女子極めて最強魔法使い目指すわ。』(輝)や『人狼乙女ゲームに転生したので生き残りエンドを目指します』(サザメ漬け)や『乙女ゲーに転生したけど筋肉で解決します』(ダル子)が、『ザ花とゆめ』からは『ドラひよ〜異世界の竜は私のなでなでに弱いみたいです〜』(千歳四季)が登場している。2022年にはLaLa派生の電子コミック誌『異世界転生LaLa』が登場し、また同年にはデジタルマーガレット派生の漫画サイト『異世界マーガレット』(ニコニコ静画内)も登場した。 また、現実世界への転生物やループ物も登場した。テレビドラマでは2022年に転生物の青年漫画「妻、小学生になる。」がドラマ化されて特にネット配信において人気となり、翌2023年にはループ物のオリジナルドラマ「ブラッシュアップライフ」も登場して同じくネット配信で人気となった。また映画でも2022年に直木賞受賞の生まれ変わり物の小説「月の満ち欠け」が映画化され、テレビアニメでも2023年に女性人気の高い青年漫画「【推しの子】」がアニメ化され人気となった。少女漫画では早くは前述の『orange』がループ物として存在したが、2022年には『Sho-Comi』で転生物の『アイドル転生―推し死にたまふことなかれ―』(ひので淘汰)が登場している。 また異世界から現実世界への転生物も登場した。これには『Sho-Comi』の『異世界魔王は腐女子を絶対逃がさない』(池山田剛)、『りぼん』の『花火は醒めない夢をみる』(中島みるく)などがある。 また2010年代には懐古向けの名作の復刊が中心だったコンビニコミックからオリジナル漫画誌「思い出食堂」が登場してヒットし食漫画ブームが起きており、テレビでも2012年より「孤独のグルメ」がドラマ化されてヒットし食ドラマや食バラエティがブームとなっていった。女性漫画からも食漫画が続々とドラマ化されるようになり、少女漫画でも食要素の大きい『Kiss』連載の『わたしのお嫁くん』(柴なつみ)がドラマ化されている。 少女漫画の現状 少女漫画界ではレディース誌やヤングレディース誌、ガールズコミック誌、オトナ女子向け雑誌など上の年齢向けの雑誌が増えることで対象世代による細分化の傾向にある。また女性向けWeb小説がコミカライズ及びアニメ化されて有名となり一般化したことで、人気Web小説のコミカライズを中心とした女性向け新興Web雑誌が増えつつある。一方、紙の少女漫画雑誌の部数は減少傾向にある。 かつての少女漫画ではタブー破りによるジャンルの拡大が行われていたものの、年々恋愛への特化が進んでいったことで恋愛以外のSFや部活物やラブコメ以外のコメディ物が減っていき、今や少女漫画は女性向け恋愛漫画の代名詞となっている。少女漫画として描けないものが増えたことで「描きたいものが少女漫画では無かった」などとして少女漫画から抜け出す女性作家も出てきている。 一方、女性読者側も1980年代ごろより女性漫画家の少年漫画・青年漫画進出や少女アニメのパロディ漫画の流行などに伴って少年漫画や青年漫画から女性の読みにくい絵柄が減ったことで少年漫画・青年漫画への流失が続いていったものの、Web漫画の時代になってからは少年漫画や青年漫画と少女漫画や女性漫画が同居するようになっており、読者から見たカテゴリーの分け隔ては減ってきている。 メディア化ではかつては少女漫画からドラマ化やアニメ化される作品が出てきていたものの、ドラマ向きのレディース漫画やヤングレディース漫画や芸人脚本家の台頭、アニメ向きのラノベや萌え漫画や女性向けWeb小説の台頭、恋愛映画における新海誠監督のアニメーション映画の台頭、実写映画におけるテレビドラマの劇場版の増加と実写邦画自体の市場の縮小などによって、少女漫画のメディア化ではYouTube上でのボイスコミック化が中心となっている。 少女漫画のテレビアニメ化は掲載誌の部数を増やすのに有効な手段であり、2000年代初頭の「ちゃお」は『ミルモでポン!』のアニメ版のヒットによって部数を伸ばし少女漫画誌の部数トップに躍り出ていたものの、後述の少女漫画に依らない少女向けオリジナルアニメ作品の増加や夕方アニメの衰退などによって少女漫画のテレビアニメ化がだんだんと行われなくなり、また、雑誌付録や誌上通販されていた少女漫画のOVAアニメ化も今やほぼ無くなっている。2022年代現在、連載中の少女漫画のテレビアニメ化が継続されているのは主に白泉社の作品となっている(『かげきしょうじょ!!』、『贄姫と獣の王』など)。また白泉社は2021年よりYouTubeの「はくせんアニメちゃんねる」上で新作短編アニメを提供するようにもなっている。 少女向けオリジナルアニメ作品のコミカライズではアーケードゲーム由来のアイドル物のメディアミックスのアニメがコロナ禍を経て終了し、2022年12月現在はバトルヒロイン物の『プリキュアシリーズ』(なかよし)が残るのみとなっている。またサンリオ作品のコミカライズは、かつては少女漫画誌で行われていたものの、『ミュークルドリーミー』では少女漫画誌よりも低年齢向けの幼児雑誌(おともだち及びたのしい幼稚園)でのみ行われるようになっている。一方、高年齢向けのメディアミックスではバトルヒロイン物やアイドル物を含め少女漫画以外で行われていることが多い状態となっており、その中には女性人気の高いものも登場している。 一方、コロナ禍によって Nintendo Switch およびそのゲームソフトが伸び、少女漫画では「ちゃお」や「ぷっちぐみ」を中心にそのコミカライズが拡大している。これには『どうぶつの森シリーズ』『星のカービィシリーズ』『ポケットモンスターシリーズ』などが存在する(#推しの時代を参照)。 少女漫画の実写映画化も未だ続いているものの、少女漫画原作のキラキラ映画のブーム衰退により、2021年現在では青春よりも俳優(推し)を意識した実写化が中心となっている。例えば、りぼんの『ハニーレモンソーダ』の実写映画化ではジャニーズのラウールをヒーロー役に起用していたが、りぼん本誌ではそれに先立って『ラウールと恋してみない?』を連載している。 また、『りぼん』では「ハニーレモンソーダ」の長期連載化に伴って読者層が上がっており、2021年のLINEの調査では『りぼん』が女子高校生の読む漫画雑誌2位(少女漫画誌では1位)にランクインしてる。同ランキングでは『ちゃお』も4位にランクインしている。 テレビドラマでは女性漫画のドラマ化が続いている一方で若者のドラマ離れが進んでおり、2022年現在、ドラマのコア視聴率(13~49歳の視聴率)は2%以上程度でも合格となっているとされる。 また昔の美容室は少女漫画誌の置いてあるところが多かったものの、今の美容室は電子書籍読み放題のタブレットの導入が進んでいる。少女漫画の入り口となる低年齢向けでは、2021年より『ぷっちぐみ』が様々な読み放題サービスで配信されるようになっている。 少女漫画雑誌 作品が掲載されている主な雑誌。現在はほぼ漫画のみの誌面であるが、創刊当初は絵物語や小説、ファッション、スターの情報などの少女向け総合誌として刊行されていたが、1960-1970年代以降に漫画雑誌として再編成されたものも多く、読者層の成長と共に高年齢層向けの雑誌が刊行されていった。 主な雑誌 少女雑誌 少女漫画雑誌の前身。以下の少女向け漫画雑誌も前述のように、創刊当初は少女漫画以外の絵物語などを多く掲載していた。 少女クラブ(講談社、1923年 - 1962年 少女フレンドへ発展) ひとみ(秋田書店、1958年 - 1961年 後に漫画雑誌として再開) 幼児・幼稚園児・低学年向け 後述のハイティーン向けと同様に、比較的新しい時代に年齢の細分化に対応して刊行された。従来児童向けの雑誌か少女向けの下限が担っていた層である未就学児(4歳ごろ)から小学校中学年までの女の子向けで、『ぴょんぴょん』は現在の『ちゃお』が探る低年齢層向け路線の先駆けであったが、1992年に『ちゃお』に統合された。 月刊キャロル(講談社、1983年 - 1984年) ぴょんぴょん(小学館、1988年 - 1992年) るんるん(講談社、1991年 - 1998年) ぷっちぐみ(小学館、2006年 - ) 少女向け 創刊当初は少女向け雑誌として刊行されていた雑誌も多く、当初の読者層を小中学生としながらも高校生にまで読まれ、文字通り少女漫画の中心であったが、高年齢層向けの雑誌の刊行、メディアミックスへの特化などで、現在は対象年齢を下げ小中学生向けになっている。少女漫画誌の多様化した現在では、前身の少女雑誌と同様に小学生の少女向け総合誌としての役割がこのジャンルを支えているともされる。 なかよし(講談社、1954年 - ) りぼん(集英社、1955年 - ) ちゃお(小学館、1977年 - ) ちゃおコミ(小学館、2021年 - )※Webのみ ひとみ(秋田書店、1978年 - 1991年) 中高生向け 創刊当初は少女漫画よりもファッションやスターの情報を多く載せ総合誌的な性質をもっていたが、少女向け同様に徐々に少女漫画誌として充実してきた。 少女フレンド(講談社、『少女クラブ』が1962年にリニューアル - 1996年) 別冊フレンド(講談社、1965年 - 旧『別冊少女フレンド』) Sho-Comi(小学館、1968年 - 、旧『少女コミック』) ChuChu(小学館、2000年 - 2010年) 花とゆめ(白泉社、1974年 - ) 別冊花とゆめ(白泉社 1977年-2018年) noicomi(スターツ出版、2019年 - )※電子のみ ハイティーン向け 年齢の細分化に対応して刊行された中学生から大学生(20代前半)向けの雑誌であり、その後も若者向けを謳い続けている。 デザート(講談社、1996年 - ) マーガレット(集英社、1963年 - )※以前は中高生向けとされていた 別冊マーガレット (集英社、1963年 -) マーガレットchannel→デジタルマーガレット(集英社、2013年 - )※電子のみ Betsucomi→ベツコミ(小学館、2002年 - ) ※元「別冊少女コミック」 LaLa(白泉社、1976年 - ) LaLa DX(白泉社、1983年 - ) ミルフィ(富士見書房、2013年 - 2015年)※電子のみ 1970 - 1980年代のハイティーン誌 1970年代から1980年代にかけて、ハイティーン向け雑誌として創刊された。 セブンティーン(漫画を分離)→月刊ティアラ(集英社、1968年 - 1989年) 別冊少女コミック(小学館、1970年 - 2002年)※従来路線は月刊フラワーズに移籍、雑誌自体はリニューアルしてBetsucomiに 月刊プリンセス(秋田書店、1974年 -) プリンセスGOLD(秋田書店、1979年 - 2020年)※最後は電子のみ mimi(講談社、1975年 - 1996年) プチマーガレット→ぶ〜け(集英社、1976年 - 2000年) My Birthday→おまじないコミック→ティーンズコミックパル→少女パル(実業之日本社、1979年 - 1997年) ギャルズコミック→ギャルコミ(主婦の友社、1980年 - 1985年)※ギャルズライフ増刊 パレット→Missy→ミッシィ(主婦の友社、1985年 - 1990年) プチフラワー→月刊フラワーズ(小学館、1980年 - ) 凛花→増刊flowers(小学館、2007年 - ) ボニータ(秋田書店、1981年 - 1995年) ミステリーボニータ(秋田書店、1988年 -) オトナ女子向け プチコミック(小学館、1977年 - ) Amie(講談社、1997年 - 1999年) プチプリンセス(秋田書店、2002年 - )※現在は電子のみ AneLaLa(白泉社、2013年 - 2017年) COMIC it(KADOKAWA、2015年 - )※現在は電子のみ 姉フレンド(講談社、2016年 - )※電子のみ マンガJam(祥伝社、2017年 - )※アプリのみ コミックタタン(コアミックス、2018年 - )※電子のみ バニラブ(リブレ、2019年 - )※電子のみ ぼるコミ(ボルテージ、2020年 - )※電子のみ コミックブリーゼ(キルタイムコミュニケーション、2020年 - )※電子のみ ヤング・レディース誌 ヤング・レディース誌はレディースコミック誌よりも下の世代に向けて創刊された。当初は学生から社会人向けの雑誌であった。2020年時点では読者の約半数が35歳以上、読者の約7割が30代以上となっている。 ヤングユー(集英社、1986年 - 2005年)※一部執筆陣はコーラスが引き継ぎ FEEL YOUNG(祥伝社、1989年 - ) FC Web Free Comic & Column→フィーヤン・ネット WEBコミック & コラム(祥伝社、2004年-?年)※Webのみ FEEL FREE(祥伝社、2015年 - 2020年)※Webのみ kiss(講談社、1992年 - ) One more Kiss→Kiss PLUS→ハツキス(講談社、2001年 - 2021年)※最後は電子のみ コーラス→cocohana(集英社、1992年 - ) Cheese!(小学館、1996年 - 、旧『少女コミックCheese!』) ガールズ・コミック誌 ガールズ・コミック誌はヤング・レディース誌よりも下の世代に向けて創刊された。 MELODY(白泉社、1997年 - ) Cookie(集英社、1999年 - ) B's-LOG COMIC(KADOKAWA エンターブレイン、2005年 - 、旧『comic B's-LOG』)※現在は電子のみ シルフ→pixivシルフ(KADOKAWA アスキー・メディアワークス、2006年 - )※現在は電子のみ ARIA(講談社、2010年 - 2018年) ファッション誌派生漫画誌 元々ファッション誌にも漫画は連載されていたが、1990年代末よりファッション誌の派生漫画誌も発行されるようになった。しかしながらこれらは長続きせず、連載陣の一部はヤングレディース誌「FEEL YOUNG」や「ヤングユー」へと移籍している。 CUTiE Comic(宝島社、1998年 - 2001年)※CUTiE派生 コミックanan(マガジンハウス、1999年)※an・an臨時増刊号 Zipper comic→FEEL YOUNG増刊SALADA(祥伝社、2000年 - 2003年)※Zipper派生 全年齢向け ページ数が多く、様々な世代向けのものを掲載していた。また出版社側からは新人作家の育成の場として扱われていた。 ザ マーガレット(集英社 1982年 - 2023年) 男性向け 月刊ステンシル(エニックス、1999年-2003年) コミックハイ!(双葉社、2004年-2015年) コミックエール!(芳文社、2007年-2009年) 海外少女漫画 中華民国(台湾) 星少女 東立出版社 1992年創刊 台湾オリジナル作家少女漫画雜誌。月刊。2016年4月より電子化 夢夢少女漫畫月刊 尖端出版 2003年7月~2018年11月 集英社作品掲載 りぼんの繁体中文版 Candy月刊 長鴻出版社 2004年3月~2016年6月 小学館作品掲載 Sho-Comi、Cheese!、flowers、プチコミックの繁体中文版 甜芯少女漫畫月刊 尖端出版 2007年8月~2015年6月休刊 小学館作品掲載 ちゃおの繁体中文版 香港 少女漫畫 自由人出版 1995年休刊 COMIC FANS 天下出版社 1995年8月~2012年6月 Comicフェス COMIC Festival 天下出版社 2012年7月~2013年6月 韓国 Wink ソウル文化社 アメリカ他 ←← 1972年〜1992年 Shojo Beat Viz Media 2005年~2009年 少女漫画を多く所蔵する図書館 現代マンガ図書館(東京都千代田区) - 内記稔夫の蔵書により開設された。 米沢嘉博記念図書館(東京都千代田区) - 漫画評論家の米沢嘉博および岩田次夫の蔵書が所蔵されている。 菊陽町図書館(熊本県菊池郡) - 古い少女雑誌が所蔵されている(村崎コレクション)。 少女まんが館(東京都あきる野市) 少女まんが館 TAKI 1735(三重県多気郡) 唐津ゲストハウス 少女まんが館Saga(佐賀県唐津市) 脚注 注釈 出典 参考文献 外部リンク 「少女マンガはどこからきたの?web展~ジャンルの成立期に関する証言より~」 明治大学米沢嘉博記念図書館サイト内(公開2020年12月4日~) 恋愛ロマンスはタブーだった 「少女マンガはどこからきたの?」展で知る少女マンガの歴史 AERA、2021年3月6日 関連項目 女性漫画(レディースコミック) 少女向けアニメ 女性向けアニメ ボーイズラブ ティーンズラブ 少女文化 / 少女趣味 / 乙女系 少女漫画関連アニメ作品の年代別一覧 アニメ・漫画の実写映画化作品一覧 アニメ・漫画のテレビドラマ化作品一覧 女性と漫画 漫画のジャンル (対象読者別) 少女
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魔夜峰央
魔夜 峰央(まや みねお、本名山田 峰央、1953年(昭和28年 - )は、日本の男性漫画家。新潟県新潟市(現・同市中央区)出身。血液型はO型。通称(作品内での一人称)「ミーちゃん」。 来歴 新潟市立関屋中学校卒業後、新潟県立新潟南高等学校に入学。高校2年の夏休み中の8月28日より漫画を描き始め、以後毎日執筆を続けたとの事。大阪芸術大学に入学したが2年で退学。 1973年(昭和48年)、『デラックスマーガレット』(集英社)1973年秋の号に掲載の『見知らぬ訪問者』でデビュー。当初は本名での作品発表であったが、後に現在のペンネームに改名。 1978年(昭和53年)、『ラシャーヌ!』を連載開始。デビュー以来オカルト・ホラーもしくはミステリー調のシリアス路線が作品の主体であったが、同作からギャグ路線に変更。同年、『パタリロ!』の連載開始。 1980年(昭和55年)頃、バレエダンサーの山田芳実と出会い、後に結婚。二人が出会った時の年齢は、自身のキャラクターであるバンコランとマライヒの年齢と奇しくも同じであったという。その後、2児(一男一女)をもうける。娘は2017年(平成29年)に山田マリエ名義で漫画家としてデビューした。 1982年(昭和57年)には同作がフジテレビにてテレビアニメ化された。1983年(昭和58年)に劇場公開されたアニメ映画作品『パタリロ! スターダスト計画』では、魔夜が声優として特別出演した他、主題歌「RUN AWAY 美少年達(ローズボーイズ)!」の歌唱も担当した。 1984年(昭和59年)、フジテレビのクイズ番組『クイズ!お金が大好き』にレギュラー出演。 1988年(昭和63年)にトンキンハウス(東京書籍)から発売されたファミリーコンピュータ用ゲームソフト『エリュシオン』のキャラクターデザインを手がけている(元はPC-9800シリーズ用ゲームソフトの移植作で、1986年(昭和61年)にシステムソフトから発売された同名のアドベンチャーRPG)。また、『ラシャーヌ!』でこのゲームのキャラが脇役として登場した事がある。 1992年(平成4年)頃に突然倒れて意識不明になったことを、2011年『週刊文春』(文藝春秋)11月24日号にて妻の山田芳実が語っている。 1994年(平成6年)から数年間、ストーリー4コマ漫画の技法を作品に積極的に取り入れていた。一般的なストーリー漫画の途中で4コマ漫画が突如挿入されるという独特のスタイルで、魔夜はこれをストーリー4コマの略で「スト4」と呼称。 1999年(平成11年)「パタリロ!」で第28回日本漫画家協会賞優秀賞受賞 2007年(平成19年)には『パタリロ西遊記!』が舞台化。魔夜はキャストとして出演もし、ダンスと振り付けを妻の山田が担当した。 2008年(平成20年)時点で開始から30年を越えた『パタリロ!』は、その後も連載を継続中。『パタリロ!』シリーズは外伝も含めれば100冊を越え、少女漫画界では随一の長編作品である。 2015年(平成27年)、1986年(昭和61年)出版の短編集に収録されていた『翔んで埼玉』がネットで話題となり、約30年ぶりに復刻出版され、2015年(平成27年)12月25日時点でAmazonの本の売れ筋ランキングで1位となった。 2019年(平成31年)2月22日、『翔んで埼玉』が実写映画公開された。冒頭のシーンに本人役で出演している。 作風と影響 オーブリー・ビアズリーに影響を受けたという、ベタを印象的に使って、白黒の強い階調を感じさせる独特の画風が特徴。また、背景が極度に抽象化されて描かれることが多い。主人公名がそのままタイトルになっている作品が多い。その事について魔夜自身は「読者に早く主人公の名前を覚えて貰うため」と語っている。「頭にノコギリや傘を突き立て、流血させたまま平気でキャラクターに会話を続けさせる」というギャグを好んで使う。また、時折ほとんど意味のないコマが合間に登場する。 ネームを描かず最初から原稿を描き始めるので、結末近くのコマが台詞だらけになることもままあるとのこと。 大学を辞めたのち、漫画家になりたいから2年間食わせてくれと親を説得し、人生で一番読書を行った。各国のSFと推理小説をメインに半年で約750冊を読破、SFをはじめ多岐に渡る知識を得ており、それが作品に影響している。クトゥルー神話にも造詣が深く、複数の作品のコンセプトとなっている。また、服の皺はさいとう・たかを、草の描き方等は水木しげる、横顔は池田理代子、ふきだしは萩尾望都から影響を受けているとの事。ギャグ漫画の執筆は『がきデカ』を読んだことが一つのきっかけとなった。 過去には「まだ誰も手を付けていないジャンルを描こう」と考え、『パタリロ!』を中心とする作品群でいろいろ手を広げてみたが、いざ描いてみると「すでに手塚治虫さんがすべて開拓済みだったんだよ」として絶望したという。 「ミ~ちゃんち NO.9(『親バカの品格』収録)」によると、毎週月曜日から金曜日の5日間、1日8時間仕事をしており、締め切りを破るどころか「締め切りの2ヶ月前」に原稿を上げたこともある。だが、一度だけ30ページの予定を一本丸々忘れていたことがあり、まだ手を付けていなかった仕事のページ数を減らしてもらったことがある。 人物 『妖怪缶詰』によれば、名前の由来は大角岑生(昭和期の海軍大将)からとったと言われている。 悪魔や妖怪(存在するかという科学的考察でなく、田舎には何か潜んで欲しいという人文科学的興味)、そして宝石(持ち運べる財産として調べ始めた趣味)の知識に長けていて、それらを生かした「オカルト」「ミステリー」「ギャグ」の作品が多い。 自身の好きなキャラクターはマライヒ。 同性愛を題材にする作品を多く手がけているため、同性愛者からは作者自身が同性愛者と思われる事が多く、ファンレターや写真集が送られてきた事もあった。 尊敬する人物は、当時の区分けで同じ選挙区だった田中角栄。また、落語家では古今亭志ん生と立川談志を挙げている。作中にも落語ネタが随所に出てくる。 ばんばひろふみの「パックインミュージック」の「青春の激怒」に投書をして放送で読まれたことがある。内容は、ばんばが「パタリロ」を「パタリ口(ぐち)」と誤読したことに抗議するものだった。 2010年(平成22年)7月末からTwitterで発言している。薦めたのは『パタリロ!』文庫版で解説を書いた縁のある相川七瀬。妻の山田芳実も数週間先にTwitterを始めており、夫婦の会話が発言上で交わされる事もある。アカウントを"miichan28saipru"とするなど「永遠の28歳ネタ」は健在である。 過去に埼玉県に住んでいたことがある。 母親の実家が真言宗の寺で、自身も真言宗の信者であり、場合によっては僧侶になっていたかもしれないとTwitterにて告白している。ちなみに、彼の代表作『パタリロ!』の主人公・パタリロ・ド・マリネール8世も真言宗の信者という設定がある。 作者にとって最も愛着があるキャラクターは「竹中くん」。紐のように細い目と、歯をみせて笑っているような表情を常に崩さないのが特徴の少年キャラで、多くの魔夜作品でモブやゲストとして登場している。ただし、彼がレギュラーに採用された作品は一つもない。竹中くんは作品によって性格や役所は異なり、一種のスターシステムとして機能している。 『ガラスの仮面』の作者美内すずえのアシスタント経験があり、後年『パタリロ!』で「ガラスのパタリロ仮面」(劇中でパタリロが『ガラスの仮面』の演劇を行う。単行本第37巻収録)というエピソードを描いている。美内も、『ガラスの仮面』で主人公北島マヤにクックロビン音頭の手拍子「パパンがパン」を観客に求めさせている。 『少女まんが入門』で「こんな変な人も実際に生きてるのだから、面白いキャラクターを考える際の参考に」と魔夜から鈴木光明に届いた手紙が紹介され、「先生から電話が掛かってきた後、愛犬を連れて散歩に出たら100円を拾いました。さすが先生からの電話には御利益があると思いましたが、よく考えたら、今時100円じゃ何も買えません。次から1万円拾えるように電話を掛けて下さい」との文面が公開されている。また、魔夜の本名(山田 峰央)のことも取り上げられ、「山田ミネコの旦那さんではありません」とも説明されている。 縄張り意識が強い一面があり、自宅でも自分の部屋には、たとえ家族であっても絶対に入らせないという。 酒豪であり、娘曰く「ウイスキーをストレートで並々と注いであっという間に飲む」らしい。しかし暴飲が祟り、2016年(平成28年)2月に肝臓を患い倒れ療養を余儀なくされた。倒れた時点でΓ-GTPの値が1,230(健康な状態であれば16から86)に達していたという。 一方、食事に対しては欲求がなく、現在は1日に夕食を1食摂るだけで食べることを面倒臭いと思うことすらあるという。 2019年(平成31年)4月上旬に内視鏡検査で初期の食道ガンが見つかる。 継続中の作品 『パタリロ!』(正編/本編) …白泉社『マンガPark』 『眠らないイヴ』 …竹書房『まんがライフ』毎年1回・1月号のみ掲載 『May探偵プリコロの○○』 …東京創元社『Webミステリーズ!』(毎月15日更新) 作品リスト パタリロ! 及びラシャーヌ! 関連 パタリロ! …『マンガPark』(1978年 - 連載中)- 2022年6月時点で、花とゆめコミックスの正編のみで104巻まで刊行されている。スピンオフ作品まで含めればコミックスの巻数は120巻を超えている。 パタリロ!99.9 [トリビュート・ファンブック] - 1~100巻ストーリーガイド パタリロ! [アニメ全百科] - 花とゆめコミックススペシャル(1982年)。原作・魔夜峰央、白泉社・フジテレビ・東映動画による共著。アニメ版のキャラクター設定デザイン集、アフレコ風景など。 パタリロ西遊記! - 『月刊メロディ』 パタリロ西遊記!外伝 パタリロ源氏物語! - 『MELODY』 家政夫パタリロ!シリーズ - 『Silky』 家政夫パタリロ! 奥様はパタリロ! ビストロ温泉パタリロ! 出もどり家政夫パタリロ! 仁義なき家政夫パタリロ! パパ!?パタリロ! - Silkyに連載された本編の外伝。 恋するマライヒ - 花とゆめコミックススペシャル(2018.11.20) ラシャーヌ! - 『花とゆめ』『別冊花とゆめ』『LaLa』など(1978年 - 1989年) アスタロト アスタロト 【未完】 - 『別冊プリンセス』(1991年 - 1994年) アスタロト外伝 【未完】 - 『ひとみCCミステリー』(1995年 - 1996年) ファーイースト トラウマ!! 及び関連作品 妖怪始末人トラウマ!! - 『月刊コミコミ』(1986年 - 1988年) 妖怪始末人トラ・貧!! - 『プリンセスGOLD』(1991年 - 1993年) 妖怪始末人トラウマ!!と貧乏神 - 『別冊YOU』(2007年 - 2009年) 妖怪学園ザビエル その他の連載・シリーズ 妖怪盗賊マザリシャリフ - 『LCミステリー』(1994年 - 1995年) 邪神ハンター ピーチドラゴン ゼロ星 - 『プリンセスGOLD』(1994年 - 1997年) 毒師プワゾン 破異スクール斬鬼郎 美少年的大狂言 魔ジャリ 翔んで埼玉 横須賀ロビン やおい君の日常的でない生活 ルル亀! - 『少年ジェッツ』(1981年 - 1982年) おらが丸 V.マドンナ(原作・野沢尚) 面白半分個 妖怪缶詰 親バカ日誌 親バカの壁(親バカ日誌2) 親バカ輪舞(親バカ日誌3) 親バカの品格(親バカ日誌4) シオン魔日記 ミッドナイト・ディメンション サプライズホテル クレプスキュール -逢魔が刻- トワイライト -大禍刻- オーロラ -王魔が刻- 魔夜峰央のまどろみ日記 本日も異常ナシ(『きのう今日ナス』改題) 黄昏マンガ家ミーちゃんのSFですよ May探偵プリコロ May探偵プリコロの○○ 邪神ハンターピーチドラゴン 眠らないイヴ … 『まんがライフ』(2000年 - 連載中) - 1月号に毎年掲載される作品で、連載スタートから18年後に単行本1巻が出版。 2万光年翔んで新潟 - 「目玉のマッチャン」改題作を含む全5作から成るSF関連作品集。 読み切り・短編など 怪奇生花店 この世の果て ヴァンコラン ルル=ベル火星行 タロット パンドラキン てれてんぽ 吸血のデアポリカ 脚注 注釈 出典 関連項目 PATA (X JAPAN) - 名前の由来はパタリロに似ていることから。『パタリロ!』の単行本第44巻にてパロディとして題材になっている。 クトゥルフ神話 外部リンク (2010年7月31日 - 2014年4月9日 03:02)※ UTC表記。 「翔んで埼玉」の魔夜峰央、映画ヒット中にがん見つかる(朝日新聞デジタル2019年8月12日記事) 日本の漫画家 新潟市出身の人物 1953年生 存命人物
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梶原一騎
梶原 一騎(かじわら いっき、1936年9月4日 - 1987年1月21日)は、日本の漫画原作者、小説家、映画プロデューサー。本名は高森 朝樹(たかもり あさき)。高森 朝雄(たかもり あさお)の筆名も使用した。格闘技やスポーツを題材に、男の闘う姿を豪快に、ときには繊細に描き出し、話題作を次々と生み出した。自身の型破りで豪快な生き方や数々のスキャンダルでも話題を呼んだ。身長180cm、体重85kg。空手五段、柔道二段(1983年7月28日の自己申告)。 1966年から『週刊少年マガジン』に連載された漫画『巨人の星』の原作者として名声を上げ、以後『あしたのジョー』(高森朝雄名義)、『タイガーマスク』など、いわゆる「スポ根もの」分野を確立した功績をはじめ、多くの劇画・漫画作品の原作者として活躍した。 弟は漫画原作者、空手家の真樹日佐夫。妻は高森篤子(1945年3月5日 - 2015年4月6日)。1973年から1985年にかけて離婚期間があり、その間の1979年から81年にかけて台湾の有名タレント、白冰冰(パイ・ピンピン)とも婚姻関係を結ぶ。高森篤子との間に2人の娘と3人の息子がおり、白との間に娘・白暁燕(パイ・シャオイェン)がいた。 経歴 東京市浅草区石浜(現 台東区橋場)の木賃アパートで知的でインテリな父・高森龍夫と情念の深い母・高森や江(旧姓:佐藤)の間に三兄弟の長男として生まれ、まもなく両親とともに渋谷区隠田1丁目(現在の神宮前4・6丁目周辺)に移った。父方の祖父が熊本県阿蘇郡高森町周辺の出身であるだけで、梶原自身と九州との関わりは宮崎県への1年の疎開と福岡県小倉市(現在の北九州市)の親戚の家へ預けられたという程度である。 弟の真樹日佐夫によれば「兄の朝樹は、父方の知的な高森家と、大柄で激烈な気性の持ち主ばかりだった母方の佐藤家の遺伝子の「合作」だった」とも語っている。 幼少時から非常に凶暴で喧嘩っ早く目立ちたがり屋な気質が現れていた。戦中の1943年に、父の龍夫が師範科時代に在籍していた学校である私立緑岡小学校(後の青山学院初等部)に入学するものの、朝樹の持つ荒い気質と校風は水と油のようなもので、クラスメートや上級生の子供達とも衝突ばかり起こしていた。この頃すでに梶原は体が大きく太り気味だったので、同級生も敵わぬと見たのか上級生とつるんで逆襲してくるため、梶原はいつも生傷が絶えなかった。その上級生を奇襲し血染めにしたことで、母親が学校から呼び出されることになり、梶原はわずか1年生にして退学。家の近くの公立小学校に入れられた。その際に担任の教師に叱り付けられ「あなたは、こういう学校には向かない子です!普通の学校に行った方がいいのではありませんか」と罵られ、この言葉に朝樹は子供心にも傷ついた。 公立小学校時代は同級生に、雑誌『暮らしの手帖』編集長花森安治の長女葵がいる。梶原は取れたボタンを付けてもらった等の思い出があり、淡い思いを抱いていたというが、当の葵は「高森くん」という同級生がいたことは覚えていたものの、それ以上の詳しい記憶はないという。 その後、1945年に入ると東京が連合国軍機の空襲を受けることになったため、梶原を含めた高森一家は仕事のある父を東京に残し、ミカン山を営んでいた父の叔父である林進士が住む宮崎県東臼杵郡富島町(現在の日向市)に疎開。しかし、現在家督を継いでいる林晴夫の話によれば、富島町亀崎村の日向灘を見下ろす山の中腹にあった林家の裏手のミカン畑は当時開墾されて間もなく、まだ苗を植えたばかりだったから、さしたる収穫がなかった。それよりも自給自足の耕作が必要で当時八歳だった朝樹は、母と共に肥やしを担ぎ、苗の隙間で芋を育てては掘っていた。 戦後、川崎市に転居。このころ教護院「新日本学園」で1年を過ごしている。のち東京都大田区蒲田に移り、大田区立相生小学校に学ぶ。小学生時代、蒲田に転居した直後から駅前のマーケットで万引きやかっぱらいを繰り返し、たびたび補導されたが改悛の情なく、弟の真土(真樹日佐夫)まで引き込むようになったため、両親の配慮で青梅市の教護院「東京都立誠明学園」に送られ中学相当の3年間を過ごす。 誠明学園在学中は寮から少なくとも二度脱走している(一度目は自宅に到着する前に連れ戻された)。なお「梶原」とは誠明学園時代に恋仲で結婚まで考えていた娘の苗字に由来する筆名である。のち真樹日佐夫は高校時代に空き巣狙いを繰り返して鑑別所に送られたが、担当刑事から共犯者の存在を示唆された母は梶原に疑いの目を向けた。 東京都立芝商業高等学校を半年ほどで中退(本人は長らく早稲田大学卒と詐称していた。例えば、ごま書房刊の「息子の鍛え方」の裏表紙には、早稲田大学卒業と記述されていた)。父の高森龍夫は、梶原の出生当時、中央公論社で校正の仕事に従事していたが、のちに改造社へ移り、編集者となる。また弟の真樹日佐夫や妻の篤子によれば、梶原の両親は弟などには愛情を注いでいたのに対し、梶原がいくら頑張っても認めようとはしなかったという。 その一方、文学青年の一面を持ち小説家を志していた。1953年、17歳の時に「梶原一騎」のペンネームでボクシング小説「勝利のかげに」を雑誌『少年画報』に応募し、見事入選を果たす。17歳の少年小説家「梶原一騎」の誕生である。以来、スポーツ物の少年小説を多数執筆するようになるが、雑誌の中で少年小説に代わって漫画が誌面を占めるようになったため、梶原の活躍の場が狭まる事となった。 東京中日スポーツで『力道山物語』を連載し、好評を得て、力道山から直々に電話をもらい、力道山と親密な関係となる。その頃、『力道山物語』の評判を聞きつけた『週刊少年マガジン』初代編集長・牧野武朗が梶原の元を訪ね、プロレス漫画『チャンピオン太』(画・吉田竜夫)の連載(原作)を依頼。1962年から連載開始した同作は人気を博し、テレビドラマ化され、その際、梶原本人が力道山に本人役の依頼を交渉。テレビも好評であった。 その後は生活のため『チャンピオン太』などで漫画の原作を担当する日々を送っていたが、自分の本意ではない漫画原作を続ける事に抵抗があり、やめようかと悩むようになる。 その時、『週刊少年マガジン』の当時の編集長・内田勝と副編集長・宮原照夫が梶原の元を訪れ「梶原さん、マガジンの佐藤紅緑(少年小説の第一人者)になって欲しいんです」と口説かれ、それまで悩んでいた梶原の気持ちに火がつき、1966年野球漫画『巨人の星』(画:川崎のぼる)の連載を開始。連載当初から人気が高く、1968年にはテレビアニメとなり、視聴率30%を超える空前の大ヒットとなった。 『巨人の星』を皮切りに『柔道一直線』『夕やけ番長』を連載。どちらもヒット作となり、特に『柔道一直線』は桜木健一主演でドラマ化され、大ヒットとなった。 1968年『週刊少年マガジン』誌上でボクシング漫画『あしたのジョー』(画:ちばてつや)を連載。『巨人の星』との差別化を図るためペンネームを梶原一騎ではなく、本名の末字を変えた「高森朝雄」とし、爆発的な人気を呼ぶ。主人公・矢吹丈のライバルである力石徹の死に講談社では葬儀が執り行われ、600名もの弔問客が集まった。また当時起こった「よど号ハイジャック事件」では実行犯グループのリーダー・田宮高麿が「我々は明日のジョーである」という声明文を発表するなど社会現象となった。 それ以降も『タイガーマスク』『赤き血のイレブン』『キックの鬼』『空手バカ一代』『侍ジャイアンツ』などヒット作を量産する。 1973年に『愛と誠』の連載を発表。それまではスポーツものの原作を手がけて、いわゆる「スポ根作家」のイメージが強かったが、同作では梶原版「ロミオとジュリエット」を意識した純愛山河を手がけ、ドラマ、映画化され、大ヒットとなる。1975年講談社漫画賞を受賞。 松竹で映画化されたことにより、芸能界のひのき舞台へ出る。1974年、同作のテレビドラマ化にあたり、オーディションで選ばれた池上季実子を池上の所属プロから引き抜き、梶原プロダクションを設立。映画界への進出を企て、梶原原作漫画のアニメ化で親交のあった東京ムービー社長の藤岡豊、石原プロモーションで映画のプロデュースを行っていた川野泰彦と1975年「三協映画」を設立した。「三協」の意味は「三人で協力する」という意味合いである。いくらヒットを飛ばそうと、独立プロのトップは、メジャー映画会社のトップと飲み食いすることはないが、梶原を原作とする、製作する映画がヒットを続けることで、松竹や娯楽性の豊かさに目をつけた東映が、梶原を大事にするようになった。こうして単なる劇画作家から、プロデューサー、芸能プロダクションのトップというイメージを手に入れる。この頃から、当時の映画界の四巨星といわれた東映の岡田茂、東宝の松岡功、大映の徳間康快、松竹の奥山融とも一緒に飲み食いする立場となり、芸能界に顔を効かせるようになった。 三協映画では、文芸路線、格闘技路線、梶原原作漫画のアニメ化の三つの路線があったが、経営的には格闘技もので上げた収益を文芸もので使い果たすことの繰り返しであった。なお、1977年に自身の原案をもとに、鈴木清順が監督をした10年ぶりの作品『悲愁物語』を撮らせている。 自身の漫画から産まれたキャラクター「タイガーマスク」が現実に新日本プロレスでデビューしたことが契機となって、梶原は1980年代から、かねてから縁のあったプロレス界にも深入りするようになる。 1983年5月25日、講談社刊『月刊少年マガジン』副編集長・飯島利和への傷害事件で逮捕された。この逮捕により、過去に暴力団員とともに起こした「アントニオ猪木監禁事件」や、赤坂のクラブホステスに対する暴行未遂事件(1982年3月18日)、『プロレスを10倍楽しく見る方法』のゴーストライターのゴジン・カーンから10万円を脅し取った事件も明るみに出ている。弟の高森日佐志によると、このとき警察が狙っていた本件は覚醒剤常習容疑だったという。警察は、梶原が萩原健一(当時、大麻不法所持で逮捕留置中だった)に大麻を渡したのではないかと疑っていた。その他にもさまざまなスキャンダルがマスメディアを賑わせ、連載中の作品は打ち切り、単行本は絶版となり、名声は地に落ちた。 2か月に及ぶ勾留後に保釈され、8月8日、山の上ホテルでステーキと鰻を一緒に食べた直後、倒れた。病院での診断名は壊死性劇症膵臓炎。死亡率が100%に近い病気であり、長年のアルコール依存や暴飲暴食が祟って胆石を長時間放置し続けたために周辺臓器がすべて病んでおり、わずかな期間に手術を4回重ね、4度目の時に医師団から「あと2時間の命」とまで宣告されていた。長年培ってきた体力等から生還を果たしたが、87キロあった体重も60キロを割っていた。 1985年3月14日、東京地裁刑事第二十八部で、懲役2年、執行猶予3年(求刑は懲役2年)の有罪判決を受ける。1985年、かねてからの念願だった小説家への転身を決意して、真樹日佐夫との合作で正木亜都のペンネームで小説家としての活動を開始。漫画原作者からの引退を宣言して、『漫画ゴラク』誌上にて「梶原一騎引退記念作品」として自伝漫画『男の星座』(作画:原田久仁信)連載開始。力道山、大山倍達などが実名で登場する中、著者自身実名ではなく「梶一太」と名をつけ、その青春遍歴のドラマを赤裸々に描き、同時にこれまで見られなかったほどの飄々たるユーモアも漂わせながらライフワーク的な作品となるはずであったが、1987年(昭和62年)年明けに体調不良となって入院し、1月21日午後12時55分、東京女子医科大学病院にて死去、50歳没。病室には辞世の句が残されていた。 【吾が命 珠の如くに慈しみ 天命尽くば 珠と砕けん】 『男の星座』は未完に終わった。 死後数年間は梶原について語ることをタブー視される風潮が見られたが、梶原の再評価の気運が高まるのは、1990年代半ばになってからである。 2005年の東京アニメアワードにて、特別功労賞(原作者部門)を受賞した。 作品の特色 梶原の世界は、戦前の『少年倶楽部』等で人気を呼んだ佐藤紅緑らの熱血小説と教養小説の世界の系譜と戦後の福井英一『イガグリくん』などの流れを受け継いだものと指摘されている。これは、マンガの神様と謳われたモダンな作風の手塚治虫には欠けた要素であり、事実手塚は生涯、梶原が得意としたスポーツ漫画と格闘漫画を手がけなかった(ただし手塚は「巨人の星対鉄腕アトム」の企画やアニメ「あしたのジョー」が虫プロダクションにより作られるなど積極的に梶原と関わっている)。逆に梶原は桑田次郎と組んだ唯一のSFアクション作品である『ゴッド・アーム』以外、SFやファンタスティックな作品は手がけていない。 梶原作品の特色としては、最後に主人公が散り去っていく場合が多く、ハッピーエンドで完結する作品は少ないといわれている。時に自己破滅的であり直情型で己の道に突き進む主人公像が見られるが、真白になるまで燃え尽きる結末を好むのは、彼の作品の特徴ともいえる。 ストーリーの展開としては型破りで奇想天外、なおかつ劇的な内容で読者を飽きさせない巧みな作風が特徴である。『巨人の星』の大リーグボール養成ギプスや消える魔球に代表される奇抜なアイディア、『空手バカ一代』の劇的なストーリー展開、『愛と誠』にみられる奥深い心理描写などは、彼の特異な才能の一面を発揮したものと評価されている。 若手時代、五味康祐の成人向け小説『スポーツマン一刀斎』を少年向け雑誌に掲載するためのリライトの仕事をして、その作品に登場する「架空のキャラクターと実在のスポーツ選手との共演」という手法を学んだという。馬場、猪木、王、長嶋といった実在の選手と架空の選手をうまく融和させる手法を結実させ、最終的にタイガーマスクを現実化させるところまで行っている。 主人公とライバルは片親を亡くしたか、両親ともいない、または捨てられた場合が多く、孤児の場合、師匠が親代わりという設定になる。総じて「主人公を甘えさせてくれる母親がいない」というケースがすべての作品における普遍的なテーマとなっている。「男を成長させるのは、味方との融和でなく、強敵との死闘だ」という人生哲学により、主人公がある程度強くなると、それまで師匠だった人物が敵にまわる展開が繰り返される(具体的には「巨人の星」、「あしたのジョー」、「タイガーマスク」、「柔道一直線」、「柔道讃歌」の項目を参照)。大山倍達も、スピンアウト的作品『ボディガード牙』では、ある種の魔王的な存在として登場する。 『ボディガード牙』『新ボディガード牙』は暴力描写がSMの域に達して梶原の暗黒面がもっとも強調された作品群となっている。内乱に明け暮れる海外が舞台となったこともあって拷問場面が執拗に繰り返されるが、それまで支配者や悪の側にたっていたものが立場を失って壮絶な虐待を受けたり、虐げられていた者が一転して鞭をふるったりなどの価値転換、錯綜のカオスともなっている(こうした趣向は『愛と誠』にも見られる)。作中では「人間の性、悪なり!」という慨歎が繰り返されている。 1980年代に入ると真面目に読まれていた梶原作品の生真面目さに、とりわけ『巨人の星』には逆説的にギャグの要素を感じ取る視点が生まれ、数多くの漫画などでパロディーの対象とされた。『マカロニほうれん荘』の鴨川つばめはギャグとして読んでいたと語り、江口寿史の『すすめ!!パイレーツ』などが典型例である。 「原作の内容は一字一句変えてはならない」という不文律があり、絵を描く漫画家に強制していた。その代わりに、漫画家の絵のタッチやコマ割り等の内容に関しては一切文句を言わなかったといわれている。 評価と影響力 昭和40年代(1965年から1974年)に入るとテレビが一家に1台は普及するようになり、テレビ文化は大衆化された。梶原作品の多くは、アニメ化または実写化されテレビ放映し人気を博した。またテレビによる宣伝効果で原作の売り上げも伸びた。 漫画界においては、手塚治虫が手がけずに傍流になっていた熱血とスポーツと格闘技の世界を復権させて、多くの模倣作を生み出したことで主流の地位まで引き上げた。少女漫画の世界にも梶原の影響は及び、『サインはV』『アタックNo.1』といったスポ根ものが人気を博した。 一方では映画作りにも注力しいくつかのヒット作を世に送り出した。格闘界ではアントニオ猪木の異種格闘技シリーズに代表される試合にも、仕掛け人的な役割を演じ強い影響力をもたらした。 だがその一方で「カポエイラはずっと逆立ちしたまま闘う格闘技」「ブルース・リーは極真空手を習っていた」等の、誤った説を自著で発表したこともあり、今でもそれが定説となってしまっているものもある。梶原的ファンタジーの頂点とも言える『プロレススーパースター列伝』が、前記のような誤った説(というより意図的な創作)の集合体であるのは、多くのプロレスファンの知るところとなっている。 1983年の逮捕事件により、梶原個人は一時的にはマスコミ界から抹殺に近い状況まで追い込まれ、作品の評価も失墜した。梶原の暴力癖は傲岸不遜というより、収入が跳ね上がっても自らの社会的地位が一向に上昇しないこと、小説家志望の自分に常にヒットを要求する漫画編集者などへの怒りや苛立ち、鬱屈が引き金になった物が多く、ひどい時には女性を巡るトラブルから、鉄拳を実弟の真樹、幼馴染、ホステスに向けたこともあった。 また、梶原がコワモテだった理由について、ライターの竹熊健太郎は、漫画制作において、原作は叩き台と思われており、そうでもしないと個性がなくなるからではないかと推測している。 小林よしのりは自分の漫画(格闘お遊戯)で梶原一騎をもじった登場人物を出して茶化したことに対し「怒りを招くのではないか」と危惧していたが、梶原は「自分にはギャグは書けない」としてギャグ漫画家に敬意を持っており、事なきを得たという。後に小林よしのりは『新ゴーマニズム宣言』で「白鳥が美しく見えるのは水の中で必死に足で水を掻いているから」という花形満の台詞を引用し、「梶原一騎からはいっぱい学んだ」というコメントを書いている。 ギャグ漫画の巨匠・赤塚不二夫とは飲み仲間であり、赤塚に対し一目おくことがあった(『人生これでいいのだ!!』1999年・集英社刊)。著書『劇画一代』の中でギャグ漫画は個人的には好きであると明かし、山上たつひこのギャグを評価しつつも、「赤塚は文化人を気取っているからそこまでやれぬ、やらぬだけで、もし赤塚が本気になってギャグ漫画を描けば山上ごときは消し飛んでしまう」と評している。小学館の赤塚担当編集者だった武居俊樹は著書『赤塚不二夫のことを書いたのだ』で、梶原が赤塚に直接「俺、ギャグは描けないんだ。だからあんたの漫画の原作は描けないな」と言ったことを記している。なお、梶原が言うところの「ギャグ」は初期の赤塚が得意としていたペーソス的なコメディに近く、晩年の作品『人間兇器』『SP長い顎』『男の星座』などでは、意図的にコメディ的な描写を行っていた。 1983年の事件による逮捕と、これによってようやく白日の下になったそれまで不問にされていた数々の出来事のために晩年や死後数年間は、出版界・マスコミでも梶原についてはタブーとされていた時期があった。しかし、1990年代半ばに再評価の兆しが伺えた。その発端となったのは、1994年、劇作家・高取英・著『梶原一騎を読む』(1994年・ファラオ企画刊)である。夏目房之介、いしかわじゅん、呉智英といった論客たちが寄稿し、死後初めて梶原一騎と梶原作品について取り上げられた最初の書物となった。その後、1994年8月15日付の朝日新聞の連載コラム『新戦後がやってきた』の中で梶原一騎の不遇と当時「好感度調査」で4年連続一位の座を独走するビートたけしを対比させた論評が掲載された。そして、ジャーナリスト・斎藤貴男が関係者への徹底した入念な取材を元に発表された労作『夕やけを見ていた男 -評伝・梶原一騎-』(1995年・新潮社刊)により、再評価の気運が高まった。本書は1995年3月19日付の朝日新聞書評欄で作家・沢木耕太郎による書評や数々のサブカル誌がとりあげられたことにより、それまでタブーとされていたマスメディアでも『驚きももの木20世紀』(1997年4月25日オンエア)を皮切りに『二十世紀最強の秘蔵映像211連発!』(1997年12月31日オンエア)『BSマンガ夜話』『ブロードキャスター』(1999年4月3日オンエア)『ダウンタウンDX』などでも梶原作品が取り上げられ、梶原一騎の名が再び世に出るようになった。また当時、数々の歴史上人物を取り上げていた関口宏司会による人気番組『知ってるつもり?!』(1999年7月11日オンエア)でも梶原一騎の生涯が紹介された。 今日でも『あしたのジョー』絡みなどで『NHK教育』「あしたのジョーの、あの時代」(2007年3月24日オンエア)や『報道ステーション』(2008年3月25日オンエア)などで取り上げられ、2007年3月2日には、紛失されていた『あしたのジョー』の直筆原稿の一部発見が『NHKニュース7』で第一報として取り上げられ、話題を呼んだ。 大山倍達と『空手バカ一代』 アメリカでかつて敵国であった大男どもをなぎ倒し、凱旋帰国して国内でもかなりの有名人であった大山倍達の元に1954年頃、梶原が訪ねた時、石を抱えて大山に近づき、「この石を割ってみせてくれませんか?」とお願いしたことが二人の初めての出会いとなった。その時、大山の数々の武勇伝の挿話に若き日の梶原は大いに心を打たれた。最初はそれほど密接な関係ではなかったが、二人の親交は徐々に深まりつつあった。当時の梶原の大山に対する気持ちとして「大山倍達は巨大な不遇の碑に見えた。12歳も年が違う大山倍達に対して何というか父性本能のようなものを感じたのだ」と述懐している(『反逆世代への遺言』1984年・ワニブックス刊)。 1957年(昭和32年)から1959年(昭和34年)の3年間、大山道場で空手修行もしていた。指導をした渡邊一久は「週に1, 2回は稽古に来ていた。左半身に構え、ワンツーの殴打技を主にし、蹴り技はあまりなかった。巨体と柔道経験を活かして組んで投げようとするが、足捌きが速い大山道場の強豪を捉えられなかった。相手の突きを身体で受け、前に出て突きで攻める熱闘型の組手スタイルだった。昭和33年(1958年)頃、昇級審査を受け、緑帯を允許された。大山倍達先生は、作家としてまだ無名だった梶原一騎氏を『将来、大山道場を宣伝してくれる人だから』と語り、空手の達人が活躍する主人公の小説を書いてほしかったようだが、その先見の明は10数年後に証明されることとなった。」と述べている。 1969年6月『冒険王』にて『虹を呼ぶ拳』(画・つのだじろう)の連載を開始。この作品の中で大山は協力者(アドバイザー)として名前を連ねている。この頃、同じく『柔道一直線』(画・永島慎二)にも空手使い・鬼丸雄介の師匠として実名で作中に登場することが見られた。 1970年11月『空手バカ一代』プロジェクトが発進する。武道の世界では反体制の立場にある一介の空手家を大講談社の少年雑誌が大きく取り上げていいものか社内でも議論はあったが、当時『少年マガジン』がノンフィクション作品を発表していたこと等により実現が可能となり、1971年6月『少年マガジン』誌上で梶原にとって長年の念願であった『空手バカ一代』(画・つのだじろう)の連載を開始。連載当初から反響の大きさにより、極真会館には連日50人、100人の入門志願者が押しよせ、大山自身も劇画によって知名度が上がり、極真会館館長の立場から一定の社会的地位を占めることとなった。 しかし1973年、作画担当のつのだじろうが「連載を降りたい」と言い出した。「原作が来るのがひどく遅く、締切りに追われて満足な仕事ができない」「待つ時間ばかりで、他に自分のやりたい仕事の時間が確保できない」というのがその理由。連載から二年が過ぎ、当初予定していた大山倍達一代記は描きあげていたが、まだまだ人気は高かった。当時『あしたのジョー』などの人気漫画の連載が終了していたことにより、『少年マガジン』の部数の影響も考慮して連載終了の気配を示しにくい状況ではあったが、つのだ自身が以前から独学でオカルトの世界を研究しており、この年『少年チャンピオン』の夏休み企画で描いた短編シリーズ『亡霊学級』がヒットしたことにより、『恐怖新聞』の連載が決定していた、などの要因が重なったことで最終的にはつのだの意見を容れ、降板することとなった。降板後もつのだとマガジン編集部は喧嘩別れすることはなく、すぐに「うしろの百太郎」の連載が始まっている。 その後、つのだの後を引き継ぐ形となった影丸譲也であるが、先程にもあるように大山倍達個人の挿話は描ききってしまったため、物語の展開の苦難を余儀なくされた。苦肉の策として弟子の芦原英幸の挿話を描いたことで急に人気があがり盛り返したが、それが極真会館内部の人間関係や、大山との関係に大きな亀裂を生むこととなった。ジャーナリスト斎藤貴男の取材でも、大山は「(あの漫画は)大山倍達物語でなく、芦原物語になってしまった。」と語っている。真樹日佐夫も大山没後に東京スポーツで連載していた大山の伝記で、「弟子を取り上げてくれるなとは言わないが、あまり持ち上げるのはいかがなものか? 長い目で見れば決して彼らの為にもならんと思うが...」という大山の言葉を紹介している。大山は、弟子を活躍させるなら満遍なく登場させて欲しいと望んだが、それでは各エピソードが散漫になってしまい、ドラマにならないため難しかった。 結果として、芦原英幸を中心にした新生『空手バカ一代』は極真会館内部での派閥抗争を招く結果となった。「あいつが漫画になって、俺がならないのはなぜだ。」と不満を持つ弟子もいたという。やがて空手家でもない梶原の勢力が、極真内部で拡大していくことに対する反発が起き、同時に彼を重用する大山への批判にも及んでいく。極真内部は次第に大きく大山派と梶原派の二大勢力と、マイペースの中間派に分裂していった。 そんな状況の中で制作された『地上最強のカラテ』(1976年)は興行として大ヒットを記録したが、さらにこの成功が梶原と大山の仲に決定的な亀裂をもたらした。当初、梶原サイドと大山サイドで半分ずつ出資していたが、配給収入の分配として梶原サイドから大山サイドに対して支払われることは一切なく続篇の『地上最強のカラテ・パート2』(1977年)でも同様のことが行なわれ、大山サイドの不信感を募らせることとなった(もっとも梶原サイドにしてみれば、利益を独り占めにした覚えはなく、大きな収益をもたらしても、大きな制作資金を投入しているので厳密には利益は微々たるものであることを主張している。事実、映画業界は徹底した配給会社優位のトップオフ方式であり、製作会社には相当なヒットでないと収益が出ない仕組みとなっている。1円も回収できないこともごく普通である)。 当時『空手バカ一代』の作画担当であった、つのだじろうはオカルト物の連載を終了させ、オカルトとは別の分野の作品を描こうとしていた。そんな時期に旧知の大山から梶原抜きの大山倍達伝の企画を諮られたが、当初つのだは梶原の報復を恐れて断った。すると大山は当時親しくしていた評論家・平岡正明を原作につけることで、つのだが矢面に立たないよう配慮して再度お願いした。大山の熱心な申し出もあり、最終的にはつのだも引き受けることとなったが、原作者をつけることに懲りていたつのだは、平岡正明の件は断り、一人で引き受けることとなった。 しかし、1978年4月『少年チャンピオン』から連載された『ゴッドハンド』は、内容について梶原の大きな不興を買うこととなった。タイトルにもなっている呼称「ゴッドハンド」は、確かに元々大山の代名詞のように使われていた言葉であるが、それは必ずしも事実でなかったのも一因である。この頃からつのだ本人及び編集サイドに梶原サイドからのクレイムがつき、結果、作品自体にも読者人気が及ばず、わずか9週で打ち切りとなった。しかしそれ以後も梶原サイドからのつのだ本人に対する脅迫まがいの行為は途絶えることがなく、恐れたつのだは『増刊ビッグコミックス』で連載していたオカルト漫画『魔子』の最終回に、梶原一騎及び真樹日佐夫を中傷する内容のセリフをアナグラムで書いてしまう。それを知った梶原は激怒し、つのだは新宿の京王プラザホテルに軟禁され、各出版社や漫画家仲間宛に詫び状を書かされる(業界では有名な「つのだじろう詫び状事件」である)。 その後も梶原と大山との“義兄弟”関係は公の場では維持され続けたが、1980年蔵前国技館で開催されたウィリー・ウィリアムス VS アントニオ猪木との世紀のイベントで梶原と大山との確執は頂点に達した。ウィリー VS 猪木戦における極真サイドから梶原襲撃“指令”などの怪情報が、試合前から関係者の間でまことしやかに流れており、結局は起こることはなかったもののそのことを信じた梶原サイドは大山に対して“誠意ある謝罪”を要求した。身に覚えのない大山としても謝罪する謂れはなく、大山との長年に及ぶ“義兄弟”の関係は途絶えた。 その後の梶原の逮捕やスキャンダル、闘病にも静観していた大山ではあるが、1983年に大病から奇跡的な生還を果たした療養中の梶原に対し、匿名で励ましの手紙を送った。それを読んだ梶原は「これは館長からだよ。俺にはわかるんだ」と話したという。大山はこの挿話を梶原の妻・篤子から後に知らされ、晩年にジャーナリスト・斎藤貴男の取材に応じた時もこの挿話を嬉しそうに話したという。 1985年5月、『漫画ゴラク』にて梶原一騎引退記念作品と銘打たれた自伝劇画『男の星座』(作画原田久仁信)を発表。力道山、木村政彦、ルー・テーズなど実在の人物が登場するなか、大山倍達との話題が多く描かれており、その他にも極真会館のさまざまな挿話がちりばめられ、若き日の梶原の大山に対する熱い思いが込められていた。作画担当の原田久仁信によれば、『男の星座』を描いて(極真との)関係が修復に向かっているところがあったという。しかし梶原の死により、『男の星座』は絶筆となり、『漫画ゴラク』追悼号にも「もっと早く仲直りすべきだった。許すべきだった。後悔しています。(中略)。約20年間のつきあいでしたが仲直りできなかったのが、かえすがえすも残念でなりません。仏に申し訳ないと思っています。」と大山の一文が寄せられている。 没後、実弟の真樹日佐夫は大山に「せめて葬儀には出席してもらいたい」と依頼したが、大山は辞退している。大山の秘書を務めた高木薫によれば、大山は理由について「私は案外小心者なので」とだけ語ったという。もっとも墓参りはしていたという。 創価学会との関係 斎藤貴男『夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎』pp.205 - 207(新潮社、1995年 ISBN 4104030015)によると、梶原は1970年初春、自民党と公明党から、1971年の第9回参議院議員通常選挙に立候補しないかと誘われたことがある(結局立候補はしなかった)。梶原の根性論は当時、創価学会会長の池田大作から大変気に入られていた。池田は演説に際して梶原作品を取り上げて根性の大切さを説き、その根性を「広宣流布」(広く仏法を流布すること)のために役立てよと述べた。このような縁から、梶原は荘司としおと組んで『公明新聞』に『熱血モーレツ記者』という作品を発表したこともあった。このことから創価学会員であるとの誤解をさせることがあるが、これは誤りである。 他著からの引用など 梶原一騎の原作において頻繁に他著からの引用が見られるが、その多くが梶原自身の創作であることが知られる。「水上で優雅に見える白鳥も水面の下では激しく足をばたつかせている」などのよく知られる知識なども事実とは異なる。 アーネスト・ヘミングウェイ「事実をありのまま伝えるという行為は いかなる面白い創作をするよりも困難な作業である」 坂本龍馬「どんなときでも坂道を登っていく。男が死ぬときは、例えそこがドブの中であろうと前のめりに死んでいたい」 デュマ「復讐とは神が人間に与え給うた最も甘美かる快楽を得る行為である」 ネルー首相「愛は平和ではない。愛は戦いである。武器のかわりが誠実(まこと)であるだけで。それは地上におけるもっとも激しい 厳しい自らを捨てて かからなければならない戦いである」 備考 モンキー・パンチ原作のアニメ『ルパン三世』の劇場映画第一作『ルパン三世 ルパンVS複製人間』で、赤塚不二夫と共に声優を務めた。 赤塚不二夫・著『人生これでいいのだ!!』(1999年・集英社刊)の中で梶原一騎とのゴールデン街で飲み歩いた思い出を披露している。 『YAWARA!』『MONSTER』『二十世紀少年』の著者である浦沢直樹は 放送作家・倉本美津留との漫画談義で「梶原さんは原作者ですが、その想像力は手塚さんと双璧をなすと言ってもいい。シェイクスピア的な存在だと思います」と述べ、「梶原作品を外して、梶原以降のスポーツものを語ることはできません。水島新司さんの『ドカベン』も、あだち充さんの『タッチ』も、僕の『YAWARA!』もシェイクスピア梶原に対して、どんな角度で攻めればいいかを考え抜いた結果なんです」と答えている。(『BRUTUS』2016年2月15日号) 『グラップラー刃牙』の著者・板垣恵介は、川原正敏、猿渡哲也との三大人気格闘漫画家の座談会で『柔道一直線』の地獄車や『あしたのジョー』の金竜飛の挿話を例に上げて「梶原一騎さんは、思い込みの天才」と評している。(『格闘技マンガ最強伝説』1996年・福昌堂刊より) 『週刊少年マガジン』2008年9月17日号の『青春少年マガジン』の作品の中で若き日の著者・小林まことが講談社のパーティーにて梶原との初対面のシーンが描かれている。 『週刊少年ジャンプ』2008年9月29日(42)号の『バクマン。』(原作:大場つぐみ、作画:小畑健)の中で『男の条件』(原作:梶原一騎、作画:川崎のぼる)の作品が取り上げられ、主人公の真城最高が「日本一の少年マンガ原作者・梶原一騎先生原作による…」というセリフが掲載されている。 また、最高の1番好きな作品が『あしたのジョー』であり、相棒の高木秋人が原作(梶原)が週刊で同時に5本連載を持って描いていた事に驚く場面がある。 『週刊プレイボーイ』2008年10月13日号のTAJIRIとキン肉マンの原作者・嶋田隆司(ゆでたまご)との対談の中で嶋田は、子供の頃、梶原作品に影響を受けていたことを披露。またTAJIRIも「梶原一騎は自分にとって神のような存在」であることを明かしていた。 『おれはキャプテン』の著者であるコージィ城倉は「一番影響を受けた作家は梶原一騎である」と公言している。『グラゼニ』などでの原作者としての名義である「森高夕次」は、梶原の別名である「高森朝雄」に由来する。「高」と「森」を逆にして、「朝」を「夕」にして、「次」は梶原一騎を次ぐ者という意味である。 『映画秘宝』2010年5月号の萩原健一インタビューにて、萩原が大麻事件で勾留されていた時期に、同じ留置場の別の房に梶原も(副編集長への傷害事件で)勾留されていたことを披露しており、たまたま屋上で遭遇した時に梶原が小さく見えたと印象を伝えている。 『笑っていいとも!』の「ご先祖様は有名人」のコーナーで梶原一騎が取り上げられ、司会のタモリが「俺はこの人に3回会ったことがある」と述懐していた。また、ご先祖に縁のあるゲストとして復縁後に誕生した末っ子(三男)・誠樹が出演し、水曜レギュラーの柴田理恵から父親の印象について尋ねられ「怖いです」と答えていた。 晩年の夫人、白冰冰は台湾の有名タレントで、現在でもファンの自動車に肖像画が描かれるほど敬愛されている。2人の間に生まれた娘・白暁燕は、梶原の没後の1997年に身代金目的で誘拐され、惨殺された(17歳没)。 いわゆる、友達のような親子関係は嫌いで、子供たちへも自分への礼儀については厳しかったが、呼び方に関しては自分を「パパ」と呼ばせるという一面もあった。 気性が荒いことで知られていたが、晩年は家庭で時折癇癪を起こすことこそあったものの、概ね穏やかに過ごしていたという。「夕焼けを見ていた男」で紹介され、2016年春に発売された週刊誌でも長男が改めて語ったエピソードとして、ある日遊びに夢中になって門限に遅れてしまった息子たちが帰宅すると玄関は既に施錠されて入ることができず呼び鈴を鳴らしたところ、家の中から梶原の「こんなに遅くまで遊んでいるような子はうちの子じゃありませーん」という嬉しそうな声が聞こえてきた、というものがある。 主な作品 漫画原作 太字はテレビアニメ化した作品。斜線はテレビドラマ化した作品。 ○はアニメ映画化した作品。◎は実写映画化した作品。 ●はプログラムピクチャーとして公開された作品。△はラジオドラマ化した作品。 ▲は舞台化した作品。□はVシネマ及びOVA化した作品。×は未刊行作品。 1960年代 1961年 ハリケーンGメン(作画:九里一平) 1962年 チャンピオン太(作画:吉田竜夫) 0戦チャンピオン(高森朝雄名義、作画:吉田竜夫) 1963年 ×新戦艦大和(作画:団鉄也) ×忍者 宮本武蔵(作画:どやたかし) ×忍者柴田(作画:古城武司) 大空三四郎(作画:吉田竜夫) ふりそで剣士(作画:東浦美津夫) ハリス無段(作画:吉田竜夫) 1964年 ×二刀流力道山(作画:水島朗) ×空手にかけたちかい(作画:荘司としお) ×潜艦豊登(高森朝雄名義、作画:水島朗) ×未来人王(作画:古城武司) 1965年 魔犬ムサシ(作画:石川球太) ※『魔犬ムサシ号』改題 ×まぼろし大将(作画:左馬一平) ×忍法太平洋戦記 空母島(作画:辻なおき) ×忍法太平洋戦記 姿なき英雄(作画:荘司としお) ×大妖虫サソラ(作画:鹿野さとる) 1966年 偉大なる王(作画:古城武司) ○△▲□巨人の星(作画:川崎のぼる) 吹けよ!カミカゼ(作画:古城武司) 大魔鯨(作画:川崎のぼる) ×鉄人レーサー(作画:堀江卓) 1967年 夕やけ番長(作画:荘司としお) 挑戦者AAA(作画:永島慎二) 白い魔神(作画:川崎のぼる) ×キングコング(高森朝雄名義、作画:一峰大二) ※テレビアニメ『キングコング』のコミカライズ版 ×巨人の星 黒部猛巳編(作画:川崎のぼる) ×キングコング(高森朝雄名義、作画:一峰大二) ※別冊少年マガジン連載、テレビアニメ『キングコング』のコミカライズ版 ●柔道一直線(作画:永島慎二、斎藤ゆずる) ×巨人の星 ポール矢吹編・前編(作画:川崎のぼる) ※なお後編は川崎のぼる氏の事故による入院のため発表されていない 泣き笑い番長(作画:水島新司) ※『ファイティング番長』改題 ×青春球場(作画:園田光慶) ×キャプテン・スカーレット(作画:園田光慶)※テレビSF人形劇『キャプテン・スカーレット』のコミカライズ版。 ×火の玉レーサー カミカゼ(作画:園田光慶) 1968年 ○◎△▲あしたのジョー(高森朝雄名義、作画:ちばてつや) 特攻3万メートル(作画:横山まさみち) ◎●タイガーマスク(作画:辻なおき) 甲子園の土(作画:一峰大二) ×鬼とオレたち(作画:石井いさみ) 男の条件(作画:川崎のぼる) 巨人の星 青島光彦編(作画:川崎のぼる) ×レーサーの喪章は赤いバラの花(作画:宮谷一彦) ジャイアント台風(高森朝雄名義、作画:辻なおき) 白鯨(作画:影丸譲也) ※ハーマン・メルヴィルの同名長編小説を元に構成 ×キック魂 (だましい)(作画:古城武司) 1969年 ×たいよう先生(作画:石井いさみ) プロレス悪役シリーズ(作画:一峰大二) ※『プロレス悪役物語』改題 復讐記(作画:影丸譲也) ※アレクサンドル・デュマ・ペールの小説『モンテ・クリスト伯』を脚色、構成 ●キックの鬼(高森朝雄名義〔ただし途中まで〕、作画:中城けんたろう) ×ミュンヘンの虹(作画:峯岸ひろみ) キック魂 (ガッツ)(作画:南波健二) 虹をよぶ拳(作画:つのだじろう) 友情山脈(作画:福原秀美) ×ケンよ海で泣け(作画:小沢さとる) 夕やけ番長(作画:荘司としお) ※週刊少年チャンピオン連載 モーレツ!巨人(作画:石井いさみ) 狼よ!なぜ走る(作画:つのだじろう) 格闘王V(作画:みね武) 1970年代 1970年 赤き血のイレブン(作画:園田光慶、深大路昇介) キリマンジャロの風(高森朝雄名義、作画:石川球太) 朝日の恋人(作画:かざま鋭二) 野獣の弟(作画:石井いさみ) ×人生二勝一敗(作画:聖日出夫) おとこ道(作画:矢口高雄) ×城と太陽と名探偵(作画:横山光輝) 金田正一物語 どあほう一念!!400勝(作画:菅原卓也) 1971年 ケンカの聖書(作画:石井いさみ) 熱血モーレツ記者(作画:荘司としお) ※『猪突猛進記者』改題 柔道一直線 鬼車青春双六(作画:斎藤ゆずる) ×ファイティング原田物語 挑戦!!連打する男(作画:菅原卓也) 柔道一直線 鬼車の子守り歌(作画:斎藤ゆずる) 柔道一直線 大完結編(作画:斎藤ゆずる) 太陽の恋人(作画:かざま鋭二) ◎空手バカ一代(作画:つのだじろう、影丸穣也) 斬殺者(作画:小島剛夕) ●侍ジャイアンツ(作画:井上コオ) 陽気蝮 乱世の梟雄 斎藤道三伝(作画:小山春夫) 1972年 ×夕日の恋人(作画:かざま鋭二) 剣は道なり(作画:荘司としお) 柔道讃歌(作画:貝塚ひろし) ◎□ボディガード牙(作画:中城健) 1973年 ◎△▲愛と誠(作画:ながやす巧) 一騎名勝負劇場(作画:小山春夫、菅原卓也、左馬一平、中城健、武藤康也、水島健一朗) おれとカネやん(作画:古城武司) ×プロレス地獄変 うそつき魔王(作画:宮谷一彦、いしだ晋一、朝香慶朗、下田文博) 紅の挑戦者(高森朝雄名義、作画:中城健) 1974年 新 ボディガード牙 カラテ地獄変(中城健) ×ウルフの調書(作画:南波健二) ×長嶋茂雄物語 炎の讃歌(作画:貝塚ひろし) ◎若い貴族たち(作画:佐藤まさあき) 世界ケンカ旅行 空手戦争(共同原作:大山倍達、作画:守谷哲己) 1975年 花も嵐も(作画:川崎のぼる) 朝焼けの祈り(作画:かざま鋭二) 巨人の太陽(作画:古城武司) 天下一大物伝(作画:大島やすいち) 1976年 ×悪役天使(作画:一大寺鉄) ゴッド・アーム(作画:桑田次郎) マットの獅子王 アントニオ猪木伝(構成:真樹日佐夫、作画:小畑しゅんじ) ×花と十字架(作画:古城武司) 明日へキックオフ(作画:前田俊夫) ●新巨人の星(作画:川崎のぼる) 格闘士ローマの星(作画:ふくしま政美) ◎恋人岬(作画:牧美也子) 1977年 序章 火乃家の兄弟(作画:かざま鋭二)※後に『青春山脈』と改題 拳鬼奔る(作画:ふくしま政美、ケン月影) 昭和一代女(作画:上村一夫) 英雄失格(作画:やまさき拓味) ×巨人の星 王貞治(作画:関谷ひさし) 1978年 青春山脈(作画:かざま鋭二) 熱球讃歌(作画:貝塚ひろし) あゝ五高 武夫原頭に草萌えて(作画:影丸穣也) ◎四角いジャングル(作画:中城健) 巨人の星外伝 それからの飛雄馬(作画:川崎のぼる) おかあさん(作画:はしもとかつみ) □新カラテ地獄変(作画:中城健、影丸譲也) 1979年 ×真説 柳生十兵衛(作画:小島剛夕) □人間兇器(作画:中野喜雄) 巨人のサムライ炎(作画:影丸穣也) 哀愁荒野(作画:松久由宇) ×最強・最後のカラテ(構成:真樹日佐夫、作画:岡本春助) ×ウィリー・ウィリアムス物語 黒い必殺拳(作画:古城武司) 雨の朝サブは…(作画:下條よしあき) 1980年代 1980年 初恋物語(作画:小野新二) プロレススーパースター列伝(作画:原田久仁信) 覆面プロレス王 タイガーマスク(作画:宮田淳一) ※後に『タイガーマスク二世』と改題 ×さらばサザンクロス(作画:かざま鋭二) 1981年 ×SP長い顎(作画:ほり善明) ×タイガーマスク二世(作画:つはらよしあき) ※コミックまるまる連載 タイガーマスク二世(作画:宮田淳一) ※増刊少年マガジン連載 1982年 悪役ブルース(作画:峰岸とおる) ×ザ・レフェリー(作画:中城健) ×おんなプロレス地獄変 女子プロレスラー紅子(作画:中城健) 正編カラテ地獄変(作画:中城健→影丸譲也) 1985年 一騎人生劇場 男の星座(作画:原田久仁信) ※連載中に梶原の死去により未完、遺作となった 火子伝説(作画:古城武司、広岡球志) ※梶原没後に完結 1986年 ピストン堀口物語(作画:影丸穣也) ※『ピストン堀口血戦譜 SLボクサー』改題 小説、絵物語 1950年代 1953年 勝利のかげに(絵:林唯一) ※懸賞入賞作 1954年 白井の王座ゆるがず 柔道日本一 空手鬼武勇伝(絵:富賀正俊) 無敵鬼殺し 全米にとどろく鬼六段前田 涙の柔道王 リングの兄弟 勝利の鉄腕 少年プロレス王 鉄腕リキヤ(絵:吉田竜夫) 空手王のいかり(絵:池田宏) 鉄腕嵐をこえて(絵:林唯一) クリスマスの決斗(絵:池田浩晶) 日本のマンモス力道山(絵:千葉浩) ほまれの鉄腕(絵:岩井泰三) 1955年 荒野の快男児(絵:吉田竜夫) 十六才の拳闘王 少年拳闘王(絵:岩井泰三) 力道山対木村の大試合(絵:湯浅利八) 世界一強い男 宙とぶ巨人 少年拳闘王 あおげ大空 日本の虎(絵:白石太郎) 柔道か!空手か!決戦両国橋(絵:田渕創生) 友情のタッグチーム(絵:深尾徹哉) 少年プロレス王(絵:吉田竜夫) ルー・テーズ物語(絵:吉田竜夫) うなる山嵐 日本柔道の虎(絵:豊田稔) 木刀の快男児(絵:伊勢良夫) 柔道王三船十段(絵:福田三郎) 1956年 黒帯小天狗(絵:湯浅利八) 日本の虎(絵:湯浅利八) リングの王者(絵:岩井泰三) 白亞館の決闘(絵:岩井泰三) 柔道王 花咲く決戦(絵:槙有為男) 講道館四天王(絵:竹山のぼる) リングの鬼 日本柔道のトラ(絵:岩井泰三) 少年柔道王 柔道小僧(絵:豊田稔) プロレス五郎(絵:吉田竜夫) 風雲講道館(絵:湯浅利八、豊田稔) 少年四天王(絵:永松健夫) 竜虎二少年(絵:湯浅利八) 拳闘絵物語 日本の虎(絵:湯浅利八) 決戦ともえ投げ 無敵の空気なげ リングの二人組(絵:吉田郁也) 1957年 猛牛対空手王の決闘(絵:湯浅利八) 巨人軍一刀斎(絵:霜野二一彦) 変相魔人(絵:桑田次郎) 一升マスのちかい(絵:武部本一郎) 富士一平(絵:桜井はじめ) 怪人よわむし男(絵:武部本一郎) 竜巻三四郎(絵:吉田竜夫) 大空行進曲(絵:吉田竜夫) 柳生の虎 怪奇探偵小説 白バラ探偵局(絵:岩田浩晶) 講道館の竜虎(絵:石井達治) リングの悪魔(絵:逢瀬弘) 1958年 豪快前田六段 仮面の殺人者(絵:吉田郁也) 白虎大助(絵:吉田竜夫) 仮面の殺人鬼 虹を呼ぶ対決 若乃花物語 花と嵐の土俵入り 嵐を呼ぶ新大関 1959年 火をはく左フック 父と子の花道 新人王をかけて 宮本武蔵(絵:佐藤広喜) 朝汐太郎(絵:石井達二) 誇り高き人々(絵:高荷義之) 土俵の若武者 おどり出たホープ やったぞ米倉 打たせて撃つ ピストン堀口血戦譜 1960年代 1960年 マウンドの王者 白銀に挑戦する男 第一回オリンピックへの道 ガンファイター(絵:小松崎茂) ※映画『ガン・ファイター』のコミカライズ版 1961年 拳銃王子 千の銃口を持つ男 スポーツびっくり話(絵:霜野二一彦) おれは力道山(絵:水野良太郎) 新戦艦大和(絵:吉田郁也) 力道山光浩 高山一夫物語 うなれ!!KOパンチ(絵:中村英夫) 早うち名保安官(絵:中村英夫) 1962年 零戦まぼろし隊(絵:吉田郁也) プロレス悪役物語(絵:中村英夫、石原豪人) 力道山物語(絵:霜野ニ一彦) プロレスの王者 力道山物語(絵:中村英夫) 原田選手物語 とったぞ!!世界の王者(高森朝雄名義、絵:斉藤寿夫) 白井選手物語 日本人初の世界チャンピオン誕生(高森朝雄名義、絵:斉藤寿夫) 栄光!リングの鬼(高森朝雄名義、絵:中村英夫) 1963年 大あばれ日本ジュードー(絵:岩田浩昌) 力道山をねらう怪人ころし屋たち(構成担当、絵:林朝路) ああ東海に日は上る(絵:岩田浩昌) プロレス世界選手権 力道山をねらう8人男(構成担当、絵:坂口太郎、中村猛男、南村喬、湯川久雄) プロレス世界選手権 花形レスラー総まくり(構成担当、絵:坂口太郎、中村猛男、湯川久雄) プロレス=ワールド戦特報(構成担、絵:中村猛男、湯川久雄) 力道山のひみつ作戦2 1964年 あせとなみだのゴールイン(絵:林朝路) ニュース速報 から手チョップはもう見られない! 怪力豊登 ちかいの必殺わざ 王者はだれ?日本のプロレス5人男(構成担当、絵:中村猛男、南村喬之、湯川久雄) 豊登にいどむ怪人レスラー これがミイラ男だ!(絵:中村猛男) プロレス世界のチャンピオン力くらべ(構成担当、絵:石原豪人、中村猛男、南村喬、湯川久雄) こうして生まれた 王の合気道打法(高森朝雄名義、絵:林朝路) 世界のチャンピオン(絵:斉藤寿夫) 後藤又兵衛(絵:伊藤幾久造) 忍者と秘宝(絵:柳柊二) 新プロレス悪役物語(絵:石原豪人) 力道山のひみつ兵器(絵:石原豪人) プロレス世界一物語(絵:石原豪人) なぐりこみ!大宇宙(絵:前村教綱) 無敵の忍法剣 柳生十兵衛(絵:柳柊ニ) 快男児物語 少年ジンギスカン(絵:中村英夫) 日本柔道はなぜ負けた!(絵:林朝路) 長島・王の名勝負物語 三冠王への道(絵:石原豪人) 七つボタンは桜に錨(絵:石原豪人) 1965年 ルー・ゲーリッグ物語 愛と勇気の打げき王 力道山にちかった世界のチャンピオン 豊登 動物悪役物語(絵:中村英夫、石原豪人、小松崎茂) 新しい巨人の英雄宮田投手のすべて(絵:岩田浩昌) 世界の王者 原田選手物語(絵:上西康介) 1966年 プロレス怪人物語(絵:中村英夫) プロレス名勝負物語(絵:中村英夫) プロレス世紀の恐怖試合(絵:石原豪人) ナポレオン=ソロ危機いっぱつ(絵:南村喬之) 空とぶ ろくろ首(絵:水木しげる) プロレス速報 日本を襲撃!五人の悪魔 義賊と捕物十番勝負(絵:佐藤広喜) 悪魔くん(構成担当、原作:若林一郎、絵:水木しげる) ※東映の特撮テレビドラマの絵物語 川崎のぼる名画劇場 命をかけた野獣との対決 人類大血闘画報(構成担当、絵:川崎のぼる) 1967年 せむし怪人ののろい(絵:中村英夫) プロレス世界の怪人ベストテン(絵:中村英夫) 馬場のぼる決戦録 ふみつぶし魔との死闘(絵:中村英夫) ボクシング悪役物語(絵:石原豪人) 野球王ベーブ・ルース物語 ちかいのホームラン(絵:中村英夫) 世界へはばたく三羽がらす さくれつしたちかいの殺人パンチ 1968年 涙のホームラン王(絵:中村英夫) プロレス必殺技シリーズ 世紀の殺しわざコブラツイスト(高森朝雄名義、絵:石原豪人) プロレス必殺技シリーズ 驚異の石頭1本足原爆頭突き(高森朝雄名義、絵:石原豪人) プロレス名勝負物語 首つり魔をたおせ!!(高森朝雄名義、絵:石原豪人) 青春に旋風をよべ(絵:依光隆) 1969年 朝焼けの悲しみ(絵:霜野二一彦) ※巨人の星誕生の秘密をあかす半自伝小説 1970年代 1970年 球魂の歌(絵:南波健二) 1972年 狼と来た夏(絵:貝原浩) 1974年 純愛山河「愛と誠」(絵:ながやす巧) ※余話 1979年 父なる川(川上哲治) ※小説 その他 ふたりのジョー(原案:梶原一騎・真樹日佐夫、文:木村光一) ※梶原のプロットに真樹が肉付けし2002年に小説として発表。翌年OVA化された。 年代不明 朝の足音 ※佳作入賞作 著作 地獄からの生還(自伝的エッセイ)ISBN 4877285075 わが懺悔録 男たちの星 映画制作(三協映画) 愛のなぎさ(1976年) 地上最強のカラテ(1976年) ドキュメンタリー 地上最強の空手PART2(1976) ドキュメンタリー 雨のめぐり逢い(三協映画=松竹、1977年) 悲愁物語(三協映画=松竹、1977年) 監督:鈴木清順、脚本:大和屋竺 世紀の真剣勝負 史上最強の空手 結集編(1977年) ドキュメンタリー マッハ'78(松竹=三協映画、1978年) カラテ大戦争(松竹=三協映画、1978年) 格闘技世界一 四角いジャングル (1978年) ドキュメンタリー 激突!格闘技 四角いジャングル(1979年) ドキュメンタリー 最強最後のカラテ(1980年) ドキュメンタリー あしたのジョー(三協映画=富士映画=ヘラルドエンタープライズ、1980年) 格闘技オリンピック(1980年) ドキュメンタリー リトルチャンピオン(松竹=三協映画、1981年) あしたのジョー2 (三協映画=ヘラルドエンタープライズ=富士映画=ちば企画、1981年) 巨人の星(1982年) もどり川(1983年)( 監督:神代辰巳、脚本:荒井晴彦、原作:連城三紀彦「戻り川心中」) 原作の実写映画化 あしたのジョー (日活、1970年) ボディガード牙 (東映、1973年) ボディガード牙 必殺三角飛び (東映、1973年) 愛と誠 (松竹、芸映プロ、1974年) けんか空手 極真拳 (東映、1975年) けんか空手 極真無頼拳 (東映、1975年) 空手道(みち)(歌:渥美二郎「渥美健」名義) 若い貴族たち 13階段のマキ (東映、1975年) 続 愛と誠 (松竹、1975年) 愛と誠 完結篇 (三協映画、1976年) 空手バカ一代 (東映、1977年) 恋人岬 (松竹、1977年) カラテ大戦争 (松竹、三協映画、1978年) 新・空手バカ一代 格闘者(「新・空手バカ一代 格闘者」製作委員会、2003年) あしたのジョー (東宝、2011年) タイガーマスク (アークエンタテインメント、2013年) 梶原一騎の人生を描いた作品、映画 『すてごろ 梶原三兄弟激動昭和史』(2003年)( 原作、脚本:真樹日佐夫) 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』 ※梶原一騎や真樹日佐夫が実名で登場するノンフィクション 大日本プロレス設立計画 昭和後期に梶原が設立を計画したプロレス団体。結局不成立となった。 1994年12月21日に設立したプロレス団体「大日本プロレス」とは無関係である。 なおサムソン・クツワダが、同じく1977年(昭和52年)近辺において、社長=岩田弘(TBSプロレス元社長)、エース=高見山・鶴田・渕正信・大仁田厚で新団体を作るという構想があったことを自ら暴露している。岩田と懇意にしていた笹川良一の庇護が期待できたという(吉田豪『吉田豪のセメント!!スーパースター列伝 part1』kamipro books) 出演 映画 けんか空手 極真拳 (1975年、東映) - 本人 愛と誠 完結篇 (三協映画、1976年) 地上最強のカラテシリーズ - 本人 ルパン三世 ルパンVS複製人間(1978年) - 書記長(声優として特別出演) あしたのジョー(1980年) - 解説者(声優として特別出演) テレビドラマ 柔道一直線 第7話「必殺二段車」(1969年、TBS / 東映) 参考文献 高森篤子『妻の道-梶原一騎と私の二十五年』、JICC出版局、1991年11月。ISBN 4-7966-0219-4 真樹日佐夫『兄貴-梶原一騎の夢の残骸』(『ちくま文庫』)、筑摩書房、2000年4月。ISBN 4-480-03553-2 ※原著は、真樹日佐夫『荒野に一騎咆ゆ-風靡し壮烈に散った劇画界巨星の慟哭の鎮魂譜』(日本文芸社、1987年10月。ISBN 4-537-02077-6)を改題改訂した『兄貴-梶原一騎の夢の残骸』(飯倉書房、1997年1月。ISBN 4-8422-0307-2)。 斎藤貴男『梶原一騎伝』(『新潮文庫』)、新潮社、2001年3月。ISBN 4-10-148731-6 ※原著は、 山本鎭雄『劇画『巨人の星』を読む(第2部・第3部補遺)」 『社会学的世界 増補改訂版』(恒星社厚生閣、2001年) 脚注 関連項目 士道館 添野義二 大室山一騎道場 - 静岡県伊東市にある士道館の道場。梶原一騎の碑があり、士道館の門下生たちがよく掃除をしに訪れる スポ根 日映 外部リンク 梶原一騎 Official Site 日本の漫画原作者 20世紀日本の小説家 20世紀日本の随筆家 プロレスの関係者 暴力団関係者 アントニオ猪木 ジャイアント馬場 力道山 極真会館の人物 東京都区部出身の人物 1936年生 1987年没
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黒田硫黄
黒田 硫黄(くろだ いおう、男性、1971年1月5日 - )は、日本の漫画家。ペンネームの由来は「黒田」+オモチャの「火星大王」から。愛称は「大王」。 男女の双子で誕生。東日本出身。一橋大学法学部・社会学部卒業。 1993年『月刊アフタヌーン』にてデビュー。『月刊アフタヌーン』『月刊IKKI』『COMIC CUE』などに筆による作品を発表している。2002年、『セクシーボイスアンドロボ』により第6回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞文部科学大臣賞を受賞。 来歴 生まれは札幌市であるが、幼少期は10回を超える引越しで東日本を転々としたため、「東日本出身」としばしば表現している。麻布高校時代にアニメ研究会に所属、2分ほどの紙製アニメやリレーマンガを他の部員たちと制作していた。一橋大学では漫画研究会に所属。教養課程野崎歓ゼミナール(映画論)、法学部村井敏邦ゼミナール(刑事法)、社会学部湊博昭ゼミナール(精神医学)などに参加。大学の同じゼミナールに、後に漫画家となった倉田真由美がいた。出版社への数度の持ち込みを経て、在学中の1993年にアフタヌーン四季賞秋のコンテストにて「蚊」、「熊」、「南天」、「遠浅」の4編により四季大賞を受賞し、漫画家としてデビューする。 翌年より『月刊アフタヌーン』にて『大日本天狗党絵詞』を連載。連載終了後の1998年、この作品に注目していたよしもとよしともから合作の話を持ちかけられ、よしもと原作、黒田作画による「あさがお」を『COMIC CUE』に掲載。これを端緒として同誌に短編作品を発表していく。1999年に作品集『大王』を刊行、帯に大友克洋、寺田克也、よしもとよしとも3名からの推薦文が寄せられた。 2000年から2003年にかけて『月刊アフタヌーン』にて『茄子』を連載、平行して『月刊IKKI』に『セクシーボイスアンドロボ』を連載する。『茄子』のうちの一編「アンダルシアの夏」は単行本帯にて宮崎駿に「このおもしろさが判る奴は本物だ」と絶賛されたのち、2003年に高坂希太郎監督により劇場アニメ化。また、2007年には続編である「スーツケースの渡り鳥」が同監督によりOVA化された。また『セクシーボイスアンドロボ』は2007年に日本テレビにてテレビドラマ化されている。 2003年以降しばらく目立った活動がなかったが、2005年より『月刊アフタヌーン』に復帰し、2006年より同誌で『あたらしい朝』の連載を開始。しかし急病により同誌2007年6月号より中断し、1年の長期休載を経て2008年9月号より再開したが、たびたび休載となっている。 評価 毎日新聞で黒田を取り上げた宮本大人は、「線の引き方、コマの割り方、構図の取りかた、話の展開、キャラクターの造形、言葉の選択、それらの一つ一つが今目の前にある形になるまでに、どんな選択肢があり、どういう理由で他の選択肢が落とされたのかが、いちいち分かった(気がした)のである」とそのセンスを評価した。 文芸評論家の大庭萱朗は「黒田硫黄のマンガのすべてのコマ、すべてのページに、観ることと描くことの歓び、そして生きることの瑞々しさが横溢している」と評した上で、漫画の「観る体験を味わう媒体としての側面を捉えた」という点で、黒田を手塚治虫、大友克洋、高野文子の系譜に連なる作家と位置づけている 『ユリイカ』の特集号に評をよせた斎藤環は、「作品の端正なまでの倫理性」という点で「手塚治虫の正統的系譜」に位置づけられるとし、さらに「作家自身を戯画化し薀蓄を語るスタイル」や小綺麗さとは無縁な絵のスタイル、飛翔シーンの多さや「出立」を作品のモチーフとして繰り返し描いているなどの点で宮崎駿との類似性を見出している。また黒田が一部で女性であると誤解を受けていたことを取り上げ、本来女性作家に特徴的な人物同士の関係性に注目する作風(「関係性への配慮」)がその誤解に一役買ったのではないかと分析している。 作家像 コマ割りへのこだわり 上記のようにコマ割りのセンスが評価されている黒田だが、デビュー前の持ち込みの時には編集者からコマ割りを酷評されたことがあり、これをきっかけに1年ほどコマ割りの研究をしたのだと語っている。また大学の漫画研究会では、大島渚の『忍者武芸帳』を題材に「コマ割りと時間の関係」について分析し、コマの面積と読み手の感じる作品内の時間の長さは比例するのではないか、という仮説を立てたという。もっともその後のインタビューではキャラクターを中心に読まれる漫画への憧れも語り、「コマ割りに凝れば凝るほど、“コマ割りがいい”という漫画の楽しみ方は貧しいなと思い知りました」とのコメントも寄せている。 筆の使用 しばしば黒田の特徴とされる筆の使用は、もともとは早く描けるからという理由で使い始めたもの。石神井の職人によるものを愛用しており、墨は自分で磨って使っているが、忙しいときには筆ペンも使っている。また「筆で描く漫画家」のように間口を狭めるのが嫌で作品によってはペンも使用している。連載作品の中では『茄子』の大部分がペンによって描かれている。 スターシステム 黒田はデビュー時から作品にスター・システムを取り入れており、同じ外見のキャラクターを複数の作品でそれぞれ別の役どころで登場させている。なかでも中年男性「高間」は『大日本天狗党絵詞』『茄子』で同じ名前で登場するなどやや特殊な位置付けがなされている。以前の公式ホームページには「キャラクターとは役者であります」という言葉で始まる「俳優図鑑」という各キャラクターの解説もあった。 他の作家との影響関係など 黒田は藤子・F・不二雄のファンであり、『Comickers』では藤子の『21エモン』が漫画家となるきっかけだったかも知れないと語っている。『Quick Japan』では新沢基栄や徳弘正也などに言及、小説家では学生時代に筒井康隆を愛読していたと語っている。南信長は、直系子孫たる作家のいない諸星大二郎の「遺伝子」を「そこはかとなく」感じさせる最たる一人として、黒田を挙げている。 作中のモチーフ ここでは「黒田硫黄キーワード事典」を参考に、黒田の作品に特徴的ないくつかのモチーフを解説する。 象(ゾウ) 「象の散歩」「象夏」(『大王』所収)「象の股旅」(『黒船』所収)など、黒田は象を好んで作品の題材に取り上げており、また象印の架空のビール「パオパオビール」を複数の作品で登場させている。黒田は象について「とくにアジア象だと人間との関係の文化があるので面白い話がいっぱい掘り出せます」とコメントしている。 自転車 自転車レースを描いた「アンダルシアの夏」で自転車レースファンである宮崎駿から賛辞を受けた黒田だが、このほかにも「わたしのせんせい」「自転車フランケン」など作中にしばしば自転車を登場させている。2003年には『Comickers』春号にて自転車レース漫画『シャカリキ!』の作者 曽田正人と対談した。またスタジオジブリ主催のツール・ド・信州にも参加している。『茄子』のアニメ化を記念してつくられた特集本では、すぎむらしんいちやあさりよしとおなど自転車好きの漫画家からイラストを寄せられた。 カメラ 『大日本天狗党絵詞』などに小道具として登場。四季賞の賞金ではカメラを買い、大学の写真サークルで現像の方法などを一通り学んだという。そのとき「自分の外側のものをいかに取り込んでいくか」という点で写真の才能がないことがわかったが、ゾーンシステムや露出の感覚などが絵を描く上での勉強になったと語っている。黒田自身の撮影した写真は『天狗党』カバー見返しや巻末付録などで見ることができる。 ロボット 幼少時に『鉄腕アトム』『マジンガーZ』を好んで観ていたという黒田は、古いタイプのロボットへの憧憬を語っており、今後ロボットものを描きたいとも語っている。「THE WORLD CUP 1962」(『大王』所収)では人類崩壊後に巨大ロボットが戦う光景を描き、『セクシーボイスアンドロボ』ではロボットオタクの青年「ロボ」を登場させた。 料理 『茄子』をはじめとする黒田の作品において頻繁に描かれる食事や料理は、キャラクターの「生き方や人間関係、過去の記憶と密接に結びつ」き、「演出上重要な役割を担」っている。2002年のインタビューでは「僕は登場人物が何を食っているのか分からないようなマンガはだめだと思ってるんです」と語っており、南信長は、それ故に黒田の作品には生命感やリアリティが生じるのだとしている。 作品リスト 連載作品 大日本天狗党絵詞 (講談社『月刊アフタヌーン』1994年10月号 - 1997年1月号) 幼い頃から天狗とともに暮らし、自身も天狗になろうとする少女・シノブを描く現代劇。黒田の初連載作品であり、当時黒田が凝っていた能の影響が窺える。全28話、単行本全4巻。 『大日本天狗党絵詞 1 新装版』 (アフタヌーンKC)(2008年10月) 短編「かみかくし」初出:『大日本天狗党絵詞』の世界 (『月刊アフタヌーン』1994年10月号)4ページカラー 『大日本天狗党絵詞 2 新装版』 (アフタヌーンKC)(2008年11月21日) 『大日本天狗党絵詞 3 新装版』 (アフタヌーンKC)(2008年12月22日) 茄子 (『月刊アフタヌーン』2000年11月号 - 2002年10月号) 茄子をテーマにしたオムニバス作品。晴耕雨読の生活を送る中年・高間(たかま)の話を中心に、現代劇・時代劇・近未来SFまでさまざまな人物・ジャンルの短編を描く。全24話、単行本全3巻。 セクシーボイスアンドロボ (小学館『スピリッツ増刊IKKI』第1号(2000年) - 第13号(2003年)) 「スパイか占い師になりたい」という少女・ニコが携帯電話と声色を駆使し、相棒のロボとともに様々な事件を解決する都会劇。13話(未完)、単行本2巻。 あたらしい朝 (『月刊アフタヌーン』2006年9月号 - 2010年12月号) 1930年代のドイツ。ナチスの政治資金をうっかりネコババしてしまった2人の不良青年・マックスとエリックは、ほとぼりを冷ますために兵役に就く。しかし折りしも戦争が始まってしまい、2人の人生の歯車は大きく狂っていく。不定期に連載。全16話、単行本全2巻。 アップルシードα ((c)士郎正宗・SPWA・LPE、講談社『月刊モーニングtwo』2014年9月号 - 2016年2月号 ) 士郎正宗のコミック「アップルシード」を原案とし、2014年に公開された映画「アップルシードα」のコミカライズとして連載された。映画の内容とは基本設定を共通とするがストーリーはオリジナルである。212X年、40年間の非核大戦の末に文明崩壊した後の世界。サイボーグが政治とインフラを握り人間を下位に置く都市国家ニューヨークに、大戦を生き抜いた元SWATのデュナンと戦闘サイボーグ・ブリアレオスが流れ着き、サイボーグと人間、『オリュンポス』それぞれの勢力間での争いに巻き込まれていく。全15話、単行本全2巻。 ころぶところがる (八重洲出版『サイクルスポーツ』2021年1月号 - 、小学館『ゲッサン』2023年7月号 - 2023年9月号) 短編作品 『大王』 (1999年刊、イーストプレス)収録作品(収録順) 『黒船』 (2001年刊、イーストプレス) 『大金星』 (2008年刊、アフタヌーンKC)収録作品 Schweitzer (初出掲載誌「アディダス・マンガフィーバー」2002年刊)8ページ ミシ (『月刊アフタヌーン』2005年4月号 - 同9月号連載) アンヘル (前後編)(「月刊アフタヌーン」2003年8、9月号初出)42ページ 居酒屋武装条例 (講談社『ヤングマガジンアッパーズ』Vol.7、2002年) ぶどうの丘 (『COMIC CUE』Vol.200、2002年) ねこねこ救助隊 (青土社『ユリイカ』2003年8月号) 多田博士 (講談社『エソラ』Vol.3、2006年)他 『きょうのカプセル』講談社 (2018年11月22日) 未収録作品 遠浅(『月刊アフタヌーン』1993年11月号)26ページ このあいだスタジオジブリに行きました(『千尋と不思議の町 千と千尋の神隠し徹底攻略ガイド、2001年7月)1ページ 自転車のふく(スタジオジブリ『熱風』2003年2月号)2ページ まさかアニメになるとは思わなんだ。(『茄子 アンダルシアの夏』劇場パンフレット)1ページ 毎月映画を観てマンガ描いた(『熱風』2004年11月号)4ページ スタジオジブリのフリーペーパー『熱風』(GHIBLI〈ジブリ〉と読む)で発表した2作は共にその号の特集に沿った雑談的な作品。「毎月映画を-」は、『映画に毛が3本!』の『アッパーズ』連載時の思い出などを語った外伝でもある。 固定ギアでモテモテの巻(飛鳥新社『季刊エス』13号、2005年)1ページ さらばユニヴァース(スピッツ「ハヤブサ」のツアーパンフレット) アンソロジー収録のものは#参加アンソロジーなどを参照 参加アンソロジーなど ネオデビルマン (2000年刊、講談社) ゼノンの立つ日(『モーニング新マグナム増刊』No.8(1999年)初出)54ページ 永井豪『デビルマン』を題材に様々な作家が自由に作品を描く企画単行本(作品の初出は『モーニング』)。全3巻。寺田克也、岩明均などが参加しており、黒田の作品は3巻に収録。2001年には文庫版上下巻も刊行された。 Adidas MANGA FEVER (2002年刊、スタイル) Schweitzer(描き下ろし)8ページ 2002 FIFAワールドカップ開催を記念して作られた単行本。大友克洋、井上雄彦、松本大洋など、海外の作家を含め29人の漫画家が参加。黒田は8ページのオールカラーコミックを寄稿している。 大合作 (2002年刊、講談社) 『月刊アフタヌーン』創刊10周年を記念して制作された合作漫画『大合作』、14周年を記念して制作された『大合作2』を収録。黒田は両作品に参加し連載作品のキャラクターを登場させているほか、『ああっ女神さまっ』のキャラクターを多数の作家が描き合う企画にも参加している。 茄子 アンダルシアの夏 アニメ&漫画コラボブック (2003年刊、講談社) アンヘル(前後編)(『月刊アフタヌーン』2003年8、9月号初出)42ページ 『茄子』の劇場アニメ化を記念して作られた特集本。『茄子』から『アンダルシアの夏』および続編の『スーツケースの渡り鳥』が再録されているほか、単行本未収録の番外編『アンヘル』を収録(ただし、初出時にあった後編の扉ページを消し、前後編の区切りを無くしている)。そのほか黒田と高野文子との対談や高坂希太郎の対談、友人の漫画家の応援イラストなどが収録されている。 短篇集 hi mi tsu ki chi (2011年刊、小学館) 勉強部屋(書き下ろし) 「秘密基地」をテーマに漫画家・作家によって描かれた作品を集めた単行本。大友克洋、いがらしみきお、業田良家、水道橋博士らが参加している。 エッセイ 映画に毛が3本! (講談社『ヤングマガジンアッパーズ』1998年Vol.6 - 2004年21号/講談社『別冊ヤングマガジン』2006年18号 - ) 『ヤングマガジンアッパーズ』に創刊時から連載されていた漫画形式の映画コラム。毎回1作品を取り上げ見所を解説する。榎本俊二『映画でにぎりっ屁』との交代で掲載、2003年に講談社から単行本が刊行された。『アッパーズ』休刊後、2006年より『別冊ヤングマガジン』に移って連載が再開。現在のところ、単行本発売後に『アッパーズ』に発表した数回分と『スチームボーイメカニカルブック』(講談社、2004年)で発表した特別編、そして『別冊ヤングマガジン』掲載分が単行本未収録である。 関連人物 小原慎司 黒田と同時期にデビューした漫画家。黒田からの呼びかけで2000年に『COMIC CUE』掲載の『課外授業』で合作を行なった(小原原作、黒田作画、『黒船』所収)。『ユリイカ』特集号にイラストとコメントを寄せており、「多分、ボクは日本で一番目か二番目に黒田硫黄の才能にシットした漫画家なのではないか」と書いている。一方黒田は『黒船』巻末の作品解説にて「氏はリリカルというかおたくというかおもろい漫画を描く人」で「私にはリリカルさが足りないなあと思った」とコメント。「リリカルさ」を意識してか『課外授業』は単行本収録時に描き足され、余韻をもった結末に変えられている。 五十嵐大介 黒田と同時期にデビューした漫画家で、漫画家の友人が少ない中では特に黒田と仲が良く、また尊敬していると語っている。2001年の国際交流基金アジアセンター主催「アジアINコミック」展に黒田とともに参加。『茄子アンダルシアの夏 アニメ&漫画コラボブック』では茄子(ナス)をテーマにした短編作品を寄稿している(五十嵐『リトル・フォレスト』2巻に再録)。 小田ひで次 四季賞出身の漫画家。黒田のアシスタントをしていたことがあり、『ユリイカ』特集号にアシスタント体験マンガを寄稿した。小田の方が年長だが『四季賞クロニクル』付属ブックレットでは黒田にデビュー作を酷評されたことが書かれている。 野崎歓 黒田は大学の1、2年次に野崎の映画ゼミに所属しており、野崎は『ユリイカ』特集号に当時を回想するエッセイを寄せている。これによると当時の黒田は「20歳の男児とはとても思えぬ風格」で当時から「大王」のあだ名で呼ばれており、クリント・イーストウッドの『許されざる者』を絶賛した野崎に対して、劇中のライフル銃の扱いの歴史的観点からみた誤りを指摘してみせ野崎を鼻白ませたという。 脚注 注釈 出典 参考文献 </div> 出典 外部リンク (公式ブログ) 文化庁メディア芸術祭 受賞作品紹介ページ 日本の漫画家 二卵性双生児 一橋大学出身の人物 麻布中学校・高等学校出身の人物 1971年生 存命人物
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ウェブブラウザ
ウェブブラウザ(インターネットブラウザ、web browser)とは、パソコンやスマートフォン等を利用してWebサーバに接続するためのソフトウェアであり、ウェブページを表示したり、ハイパーリンクをたどったりするなどの機能がある。単にブラウザ(ブラウザー)とも呼ばれる。 主なウェブブラウザとして、Google Chrome、Safari、Microsoft Edge、Mozilla Firefox、Opera、Internet Explorer、Vivaldi等がある。Windows 7など古いOSではサポートが終了しているものがある。 構造と動作 大まかに言うと、ウェブブラウザには3つの機能がある。 主としてHTTPによりサーバと通信し、コンテンツを取得する。接続先を指定する際には、Uniform Resource Identifier (URI) を使用する。 取得したコンテンツに対して、その種類(HTML/XHTML/XML、文書、画像等)に応じた構文解析を行う。 構文解析の結果を基に文字や画像を適切に配置し、あるいは文字の大きさを調整したり色を付けるなどして描画する。 取得したHTMLは、ウェブブラウザのレイアウトエンジンに渡され、マークアップからインタラクティブな文書に変換される。Flashアプリケーションや Javaアプレットに対応するプラグインが用意されている場合は、それらを表示・実行することができる。未対応の種類のファイルに遭遇した場合は、ダウンロードして保存するか、他のプログラムを起動して開こうとする。 HTMLには、他のコンテンツへのハイパーリンクを記載することができる。リンクにはURIが含まれており、リンクをクリックすると、ウェブブラウザはそのURIで示されるコンテンツを取得する。 サーバ等への接続方法 例えば、ブラウザのロケーションバーに http://en.wikipedia.org/ と入力したとする。Uniform Resource Locator (URL) のプレフィックスであるURIスキームによってURLをどう解釈するかは決まっている。古典的なURLは定義名 http: で始まり、Hypertext Transfer Protocol (HTTP) を使用してサーバに接続する。必須要件ではないが、多くのウェブブラウザは様々な定義名に対応しており、HTTPS用の https:、File Transfer Protocol 用の ftp:、内部ファイル用の file: などとも接続できる。 ウェブブラウザが直接扱えない定義名は、ブラウザ内部で定義された、他のアプリケーションにそのまま渡されることが多い。例えばmailto: で始まるURIは既定の電子メールクライアントに渡され、news:で始まるURIは既定のニュースグループリーダに渡される。OSのシェルがURIスキームを解釈しウェブブラウザなど適切なアプリケーションに渡される場合もある。 機能 ウェブブラウザの機能は、最小限の文字を用いたユーザインタフェース (UI) から、多様なファイル形式やプロトコルに対応する高機能なものまで幅広い。電子メール、ネットニュース、Internet Relay Chat (IRC) 等に対応するコンポーネントを含むウェブブラウザは「インターネットスイート」と呼ばれることもある。 主要なウェブブラウザは同時に複数の情報リソースを扱うことができ、別窓で表示したり、タブを使って同じウィンドウ内に表示したりする(タブブラウザ)。また、表示したくないポップアップ広告を自動的にブロックする機能もある 。 ユーザがブックマークしたウェブページの一覧を表示する機能があり、素早くそれらのウェブページに戻ることができる。ブックマークはInternet Explorerでは「お気に入り」と呼ぶ。さらに、フィードリーダが組み込まれているウェブブラウザも多い。Firefoxではフィードは "live bookmarks" という形式で扱われ、フィードにおける最近の項目と対応するブックマークのフォルダのように機能する。Operaではフィードの内容を格納し表示する従来型のフィードリーダを採用している。 ユーザインタフェース (UI) 多くの主要ウェブブラウザのUIには、以下のような共通の要素がある。 「前へ/次へ」のボタン。前のリソースに戻るボタンと次のリソースに進むボタンである。一部では一つに統合されているものもある。 「更新」のボタン。現在のリソースを再ロードする。 「中止」のボタン。リソースの読み込みを取り消す。一部では「更新」ボタンと統合されている。 「ホーム」のボタン。指定したホームページに戻る機能を提供する。 アドレスバーは、Uniform Resource Identifier (URI) の入力のためにあり、入力された URI が指すリソースを表示する。検索バーと統合されている場合もある。 検索バーは検索エンジンへの入力のためにある。アドレスバーと検索バーが統合されている場合もある。 サイドバー - ブラウザによって名称は異なる。ウィンドウの左端・右端などにあり表示/非表示を切り替えられる。頻繁に使うが常に表示するほどではない要素(ブックマーク・履歴など)に簡単にアクセスできるようにしている。 ステータスバーはリソースの読み込み状況を表示したり、カーソルの位置にあるリンクのURIを表示したり、ページの拡大機能を提供したりする。 ブラウザによってはスキンで外観を変更できる。 主要なウェブブラウザはウェブページ内のインクリメンタル検索機能も持っている。 多くのタブブラウザには以下のような共通の要素がある。 タブバー - 複数開いているタブを切り替える。タブをピン留めする・グループ化するなどの管理機能を持つものもある。 新しいタブ - タブブラウザで新しいタブを開いた時、単にホームページや空白のページが表示される場合もあるが、Opera 9.2で導入された「スピードダイヤル」を皮切りに多くのブラウザで様々な機能が提供されるようになった。登録したページ(ブックマーク)や頻繁に表示したページの一覧など。 2000年代末期、Google Chromeの登場や画面解像度が低いネットブックの普及などに伴い、UIを整理してページの表示領域を極力拡大する傾向が主流になった。アドレスバーに検索などの機能を統合、ステータスバーの廃止、ボタンの数を最小限にするなどである。 特殊なUIを備えたブラウザ テキストベースブラウザ:(テキストブラウザ) ウェブページのテキストのみをレンダリングするウェブブラウザ。CUI環境で動作させることができる。スタイルシートや画像、動画といったテキスト以外のコンテンツはほぼ無視されるが、その分必要リソースが少なく動作速度も速い傾向にある。 アクセシビリティの観点から、音声ブラウザ等に対応させるためのテストにも利用される。 音声ブラウザ:コンテンツを音声として読み上げるブラウザ。原理はテキストブラウザと同じだが、読み上げ機能に特化している。 ヘッドレスブラウザ:通常のUIを備えず、レンダリング結果を画面に表示する代わりにファイル等で記録するウェブブラウザ。ウェブコンテンツの制作者がテストに利用することが多い。いわゆるウェブクローラーはそれ自身がヘッドレスブラウザとして動作している。 通常のブラウザと同じレンダリングエンジンを内蔵しており、単にHTMLを取得しただけではわからないスクリプトの動作結果やCSSによる装飾結果も確認できる。ヘッドレスブラウザはコマンドのパラメーターや、コンテンツ本体とは別に用意したスクリプト言語等を利用して制御する。 専用ブラウザ:特定ウェブサイトの閲覧に特化したブラウザ。ブラウザ独自のGUIを内蔵しているものでは、汎用ブラウザよりも操作性が優れる。2ちゃんねるブラウザのようにサーバから直接ローデータを取得してレンダリングするものや、HTTP以外の手段で通信しているものもある。 汎用ブラウザの拡張機能として実装されているケースもある。回線速度やハードウェアのリソースが潤沢ではなかった時代では有力な実装方法であったが、開発コストが大きい為廃れる傾向にある。 なお、スマートフォン用の「アプリ」は専用ブラウザ的な運用がなされているが、実態は特定サイトに接続を固定化された汎用ブラウザという事も珍しくない。 最小主義のブラウザ:UNIX哲学に基づいたブラウザ。ウェブページの解釈・表示のみを行ない、例えばタブやボタンを持たない。タイル型ウィンドウマネージャと併用されることが多い。UNIX哲学では、「一つのことを、うまくやれ」の精神が重要視される。等一部の(特にX向けの)ブラウザはこの教義をかなり厳密に守っていると言える。Uzblは2017現在も開発が続いているWebkit解釈によるウェブブラウザである。このブラウザは下部のステータスバーと呼ばれる一行の表示を除き、タブやその他一切のUIを持たない。操作は設定ファイル(多くの場合~/.config/uzbl/configというテキストファイルである)で定義され、標準ではVi風の鍵盤操作が定められている。最小主義と言ってもWebブラウザの本義は満たしており、UzblはAcid3を満点で合格している。これらのブラウザはウィンドウマネージャ(親和性の高いものにawesome、i3が挙げられる)によってタブブラウザのように操作できる。 ウェブ標準への対応 初期のウェブブラウザが対応していたHTMLは非常に単純なものだった。ウェブブラウザの発展によりHTMLの標準でない方言が生まれ、互換性問題が大きくなっていった。最近のウェブブラウザは標準および事実上標準のHTMLとXHTML 、それらに高度な表現や機能を付加するCSS・JavaScriptなどに対応している。 表示したときの見た目はどのブラウザでも同じであるべきだが、そうでない場合もある。 拡張機能 ウェブブラウザが標準では持たない機能を追加するアドオン。 Firefox・Google Chrome・Safari・Opera等には独自の拡張機能フォーマットがあり、ブラウザの開発元が用意したポータルサイトで配布される。多くは企業ではなくユーザーの有志が制作しており、UIの改善・広告ブロックなど様々な機能を提供する。 プライバシーと安全性 多くのウェブブラウザはHTTPSに対応しており、ウェブキャッシュやCookieや閲覧履歴を素早く簡単に消去する機能もある。しかしそれだけでは対処できないセキュリティのリスクに晒され、マルウェアに悪用されたり、(現在は死語になったが)ブラウザクラッシャーなどでブラウザのみならずオペレーティングシステムをフリーズさせられる場合がある。ブラウザ自体にもブラックリストで悪質なサイトへのアクセスを防止する・自動アップデートなどのセキュリティ向上機能が追加されているが、アンチウイルスソフトウェアなどでオペレーティングシステム (OS) 全体を保護するのが望ましい。 コンピュータセキュリティ、ネットワーク・セキュリティも参照。 歴史 ウェブブラウザの歴史は1980年代末に遡り、それから様々な技術の基礎を築きあげた最初のウェブブラウザ、WorldWideWebがティム・バーナーズ=リーによって1991年に公開された。このブラウザは既存および新たなソフトウェアとハードウェアの色々な技術とともに寄せ集められていた。なお、WorldWideWebは後にNexusへと改称されている。 テッド・ネルソンとダグラス・エンゲルバートはバーナーズ=リーのずっと前にハイパーテキストの概念を開発していた。この核となる部分は World Wide Web に合うのではないか、というエンゲルバートの提案にバーナーズ=リーは賛同した。 1993年にNCSA Mosaicが登場した。Mosaic は画像が扱える最初のウェブブラウザの一つであり、これによってウェブの利用者が激増するきっかけとなった。米国立スーパーコンピュータ応用研究所 (NCSA) の Mosaic チームのリーダーであったマーク・アンドリーセンはその後まもなくネットスケープを設立し、Mosaicを汲むNetscape Navigatorを1994年にリリースした。このブラウザは瞬く間に世界中のもっとも主流なウェブブラウザとなり、最盛期には全てのウェブにおいて9割もの利用率を占めた。 これにマイクロソフトが反応し、1995年にNCSAからMosaicのライセンスを引き継ぎInternet Explorerを開発した。このことが最初のブラウザ戦争の引き金にもなった。マイクロソフトはInternet ExplorerをWindowsに同梱させることでOS市場の優位性をウェブブラウザ市場にも引き継がせ、Internet Explorerにも力を持たせることができた。これによって2002年にはInternet Explorerの利用率はピーク時で95%を超えた。2011年2月現在ではNet Applicationsによると利用率が57%程度とされており、Internet Explorerのシェア減少が示されていた。 1996年にOperaが登場したが利用者を大きく獲得することはなく、2011年2月現在で2%と常にその前後の利用率となっていた。ただし携帯電話のウェブブラウザ市場では最も占有率を伸ばしており、4000万台を超える端末に導入されていた。また、いくつかの組み込みシステム向けにも登場しており任天堂の家庭用ゲーム機であるWiiやDSiなどがある。 1998年にNetscapeはMozilla Foundationを旗揚げし、オープンソースとして自由な競争力のあるブラウザを提供しようと計画した。このブラウザは最終的にMozilla Firefoxとして展開された。公開されたFirefoxはベータ版段階だったがそれなりの愛好者を獲得し、Firefox 1.0が2004年末期にリリースされてから間もなくFirefoxの全バージョン合計で7.4%の利用率を獲得した。2011年2月現在では22%の利用率となっていた。 2003年1月にAppleのSafariが登場した。Appleの製品での占有率は独占的で、2011年2月現在の利用率は6.3%となっており、緩やかな上昇傾向を見せていた。KDEプロジェクトのKHTMLを基に開発したWebKitと呼ばれるレンダリングエンジンを採用している。WebKitはAppleのiOS、GoogleのAndroid、ノキアのS60、Palm(2010年、ヒューレット・パッカードにより買収)のHP webOSなどいくつかの携帯電話のプラットフォームでも採用されていた。 2008年9月にGoogleのGoogle Chromeが登場した。これはWebKitを基に開発したBlinkと呼ばれるレンダリングエンジンを採用している。ウェブブラウザのシェアは1990年代後半以降のWindowsの普及に伴いInternet Explorerの占有が続いていたが、Google Chromeが2010年代に入って著しくシェアを伸ばし、2011年2月時点で11%の利用率に成長した。この増加傾向はInternet ExplorerやFirefoxの減少傾向と同期していた。そして2011年12月、Google ChromeはInternet Explorer 8を越えて最も広く使われているウェブブラウザとなった。ただし、Internet Explorerの全バージョンを合計すると、IEが最も広く使われているウェブブラウザであった。 2015年時点ではGoogle Chromeの世界シェアはInternet Explorerを抑えて1位となっており、過半数を占めるようになった。Internet ExplorerおよびFirefoxのシェア減少は著しく、それぞれ2位 (19.9%) および3位 (17.87%) となりGoogle Chromeとの差が急激に広がっていた。一方で日本国内に限ると、依然としてInternet Explorerのシェアは高く過半数を占めていた。 2015年7月にマイクロソフトのEdgeが登場した。EdgeHTMLと呼ばれるレンダリングエンジンを採用していたが、後にBlinkへ変更された。Windows 10に合わせてリリースされシェアを伸ばし、2020年には7.9%の利用率となりFirefox (7.2%) をやや上回ったが、Google Chrome (69.8%) には遠く及んでいない。 なお、成長著しいスマートフォンや非PCのタブレットの分野では、オペレーティングシステム (OS) 付属のウェブブラウザが利用されることがほとんどであり、AndroidではAndroidのAndroid標準ブラウザと後継のChrome、iOSのSafariがOSの占有率にほぼ比例して普及している。PCとのデータ同期も可能である。FirefoxやOperaなどはブラウザをスマートフォン・タブレット対応アプリとしてリリースして対抗している。 推奨ブラウザ 本来ウェブサイトは様々なOS環境・ウェブブラウザで見られるようにウェブ標準などに則し、アクセシビリティ等を考慮した形で作成される必要がある。しかしウェブサイトによっては種々の都合からサイトの閲覧に必要な環境として特定の推奨ブラウザを明記していることがあり、閲覧者は技術上の理由から推奨ブラウザに合わせたウェブブラウザの選択が必要となることもある。また、推奨ブラウザの記述内容によってはユーザが安全上の不利益を被る場合もある。 脚注 出典 関連項目 ウェブサイト ウェブブラウザの一覧 ブラウザ戦争 HTMLレンダリングエンジン(レイアウトエンジンとも) タブブラウザ ツリーブラウザ ラインモードブラウザ モバイルブラウザ 推奨ブラウザ インターネットスイート 外部リンク Architecture of the World Wide Web, Volume One W3C WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project W3C World Wide Web インターネットの歴史 ネットワークソフト アプリケーションソフト
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Mozilla Application Suite
Mozilla Application Suite(モジラ・アプリケーション・スイート)またはMozilla Suite(モジラ・スイート)はMozilla Foundationによりプロジェクトを組んでオープンソースで開発されていたインターネットスイートであり、ウェブブラウザ、電子メールクライアント、ニュースクライアント、HTMLエディタおよびIRCクライアントの機能が含まれている。ウェブ標準とみなされるW3Cなどで決められた勧告や規格にできる限り準拠していくという方針で開発されていた。 レンダリングエンジンはGeckoと呼ばれ、Mozilla以外でも利用できるようになっており、Mozilla FirefoxやCamino、Galeonなど幾つかのGeckoを利用したブラウザが存在する。 2005年3月10日にMozillaの開発の終了が宣言され、以後Mozillaはブラウザとメールクライアントを分離したMozilla FirefoxとMozilla Thunderbirdの開発に重点を置いた。Mozilla Application Suiteについては外部団体のThe SeaMonkey Councilが引き継ぎ、ソフト名をSeaMonkeyに変更したうえでインターネットスイートとして開発を継続することとなった。 概要 タブブラウザ形式のウェブブラウザの他、電子メールクライアント、ニュースクライアント(ニュースリーダー)、WYSIWYG型HTMLエディタ、アドレス帳、IRCクライアントChatzillaも実装されている。XULというXMLをベースにした言語を使い、機能を拡張することができる。 また、標準機能としては利用できないが、拡張機能でカレンダー機能なども追加する事ができる。このカレンダーはvCal形式を採用しており、macOSのiCalとも互換性がある。このようにプラグインにより、さまざまなアプリケーションを追加可能である。これらはXULによって開発されている。 現在のオープンソースとなったMozillaは、Netscape 5.0としてリリース予定だった開発中のソースコードをベースにして機能改良を施していくという方向性で開発が始まった。しかし、既存のソースコードをそのまま使っていては問題が多かった為にレンダリングエンジンを全面的に書き直す事となった。こうして出来上がった全く新しいレンダリングエンジンがGeckoであり、それを用いてNetscape 6、7などがリリースされた。 以前、Mozilla自体は完成した製品/ソフトウェアというより、他のプロジェクト(主にNetscape)にリリースしてもらうための開発、デバッグのためのブラウザという位置づけであった。そのためサポート体制などは整っているとは言い難かった。 しかし、2003年5月末に起こったAOLとマイクロソフトの和解により、AOL傘下であったネットスケープ・コミュニケーションズとマイクロソフトの間で起こっていた反トラスト法訴訟などがすべて取り下げられた。また同時に、マイクロソフトのウェブブラウザであるInternet Explorerを数年に渡りロイヤリティフリーで使うという契約を結んだことにより、ブラウザを提供するネットスケープ・コミュニケーションズの存在価値が危ういものとなった。これは、NetscapeのコードベースにもなっているMozillaの存在価値をも揺るがす問題であった。こうした事態を受けて2003年7月、Mozilla OrganizationはAOLから資金提供を受け、Mozillaの開発を支援する団体であるMozilla Foundationを設立した。ファウンデーションの設立により、ネットスケープ・コミュニケーションズが担っていた「エンドユーザへのソフトウェア提供及びサポート」という目標がファウンデーションにも覆い被さることとなった。これによりファウンデーションはMozillaの入ったCDの販売や、電話でのサポート等の業務も行うようになった。 歴史 1998年3月31日 - mozilla.org がMozillaのソースコードを公開する。 2000年11月 - 未完成のMozilla M18 を元にして、Netscape 6.0がリリースされる。 2001年10月 -Mozilla 0.9.4を基にして、Netscape 6.2がリリースされる。 2002年6月5日 -Mozilla 1.0がリリースされる。 2002年8月29日 -Mozillaの安定版を元に、Netscape 7.0がリリースされる。 2003年4月2日 - ロードマップの大規模な変更があり、今後の安定版にMozilla FirebirdとMozilla Thunderbirdの成果が取り込まれる事となった。 2003年6月30日 - 1.0系に代わる安定版として、1.4がリリースされる。 2003年7月15日 - Mozillaの開発、配布、導入を推進する財団としてMozillaファウンデーションが設立される。 2004年6月17日 - 1.4系に代わる安定版として、1.7がリリースされる。 2005年3月10日 - Mozilla Application Suiteの開発を1.7系列で打ち止めとすることが発表される。 2005年7月2日 - 開発打ち切りとなっていたMozilla Application Suiteを外部団体のThe SeaMonkey Councilが引き継ぎ、ソフト名もSeaMonkeyに変更 2006年1月30日 - 開発が引き継がれてから初の正式リリースとなる、SeaMonkey 1.0 がリリースされる。 2006年4月18日 - Suiteの最終セキュリティアップデートである1.7.13がリリースされる。 ユーザーエージェント 「Mozilla」はNetscapeやInternet Explorerの「User-Agent:」フィールドのキーワードにもなっている。ネットスケープ・コミュニケーションズの初期の社名はMosaic Communicationsといい、Mozillaという名称は、同社がブラウザ「Mosaic」(NCSA Mosaicとは異なる)を開発中に、Mosaicと日本の怪獣映画ゴジラを合成してコードネームとしてつけられたのが起源である。NCSA Mosaicで知られる NCSA の圧力により、社名も製品名もMosaicからNetscapeに改名を迫られた経緯との関係なのか、Netscapeの初期のバージョンのREADMEには「N-e-t-s-c-a-p-eと書いてMozillaと読む」との記述があった。開発者などの間ではNetscapeをMozillaと呼ぶ場合もあり、User-Agent:フィールドやドキュメントの表記はそのまま残されているものもある。 Internet Explorerが User-Agent: フィールドでMozillaを名乗っている事情は、リリース当時Netscapeが普及しており、ウェブサイトもほとんどがNetscape用につくられていたことによる。後発でリリースされたInternet ExplorerはNetscape用につくられたウェブサイトのJavaScriptやCGIなどが動作するよう、類似のUser-Agent:フィールドを名乗るようにした。もInternet Explorerをはじめとする多くのグラフィカルなブラウザは「Mozilla」という名前を含んだUser-Agent:フィールドを利用したままであり、そのため、ブラウザ判定は別の部分で行わなければならない。 支部 担当地域におけるMozillaの普及促進をおこなう支部として、2004年2月にMozilla Europeが設立されて活動を開始し、2番目の支部として日本国内におけるMozilla製品および関連技術の普及促進を目的とする、米国Mozilla Foundationの公式支部として設立された非営利法人(有限責任中間法人)「Mozilla Japan」が2004年8月19日から活動を開始した。 日本語化に際して Mozillaは、国際化されたソフトウェアであり、日本語を含む多くの言語が利用可能である。ただし、mozilla.org自体はメニューなどのGUIを各国語に地域化したパッケージは作成しておらず、地域化モジュールおよびパッケージの作成は有志によって行われている。日本語圏では、1999年中盤(M9)頃から谷口悠太氏、2000年(M13)から2002年中盤頃迄「もじら組」にて日本語パック「JLP」がリリースされていたが、バージョン1.0.1で終了している。その後、有志による日本語化作業と配布が分散した形で行われたが、正式な日本語版が用意されない場合もあった。現在はMozilla Japanのローカライズセンターにて有志による作業とその成果物であるリソースの調整が行われ、正式な日本語版がリリースされている。 開発の終焉 2005年3月10日、完全版であるMozilla Application Suiteの開発は 1.7 系列で打ち切られることが発表された。それに伴い、開発中だったバージョン1.8もα6で開発中止となった。今後は、Mozilla Application Suiteに含まれるブラウザ部分のMozilla Firefoxや電子メールソフト部分のMozilla Thunderbirdの開発に軸足を据える事となった。その後の2006年4月リリースのバージョン 1.7.13 をもっての開発・アップデート終了が発表された。 2006年6月以降、Mozilla 1.7系列も対象となる新たな脆弱性が発見されており、MozillaファウンデーションではFirefoxまたはThunderbirdの最新版へ移行するよう推奨している。 SeaMonkeyへ 2005年7月2日、開発中止となっていたMozilla Application SuiteをSeaMonkeyとしてSeaMonkey Councilが引き継ぐ事が決定。SeaMonkey Projectで生まれた改良点はMozilla FirefoxやMozilla Thunderbirdにフィードバックされることとなる。また、その後2006年1月30日には初の正式版となるSeaMonkey 1.0 がリリースされた。 脚注 関連項目 Mozilla Foundation Mozilla Japan もじら組 MozillaZine Mozilla Firefox - 旧・Mozilla Firebird。Mozillaウェブブラウザ部分のみの単体ソフト。 Camino - 旧Chimera。Geckoベース、macOSネィティブのウェブブラウザ。 K-Meleon - WindowsネイティブのGeckoブラウザ。 Mozilla Thunderbird - Mozillaメールソフト(電子メールクライアント)のみの単体ソフト。 Mozilla Sunbird - Mozillaのカレンダーのみの単体ソフト。 Mozilla Composer - Mozilla付属のHTML編集ソフト。 Nvu - MozillaのHTML編集単体ソフト。 SeaMonkey - Mozilla Application Suiteの後継となる統合ソフト。 Gnuzilla - フリーソフトウェア版Mozilla。 Open Directory Project XULRunner Minimo Bugzilla - バグの追跡・管理(トラッキング)ソフト。 外部リンク Mozilla Japan 開発打ち切りのアナウンス mozilla.org 1.7系列での開発打ち切りの発表 Suiteのセキュリティアップデート打ち切りの発表 Mozilla Japan もじら組 The SeaMonkey Project えむもじらMozilla日本語ローカライズ版リンク集 インターネットスイート Geckoを用いたウェブブラウザ オープンソースソフトウェア Application Suite 1998年のソフトウェア
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相原コージ
相原 コージ(あいはら コージ、本名:相原 弘治、1963年(昭和38年)5月3日 - )は、日本の漫画家。北海道登別市出身。 妻の両角ともえも漫画家で、現在は相原のアシスタント(元・いしかわじゅんのアシスタント)。兄はミュージシャンの相原ピリカ。 経歴・人物 北海道室蘭東高等学校(現・北海道室蘭東翔高等学校)を卒業後、日本デザイナー学院に入学。まんが専攻科卒業だが、相原自身は「専門学校の漫画コースは、行っても役に立ちません」と、この最終学歴を拒絶している(『サルでもやれる編集者教室』などで言及)。また『文化人類ぎゃぐ』の著者紹介でも同校に関して記載し、「恥ずかしい経歴」と書いている。 ほどなく『ガロ』に作品を投稿するも落選。その後『Weekly漫画アクション』(現・漫画アクション)に持ち込み掲載された『8月の濡れたパンツ』で1983年(昭和58年)にデビュー。この作品は上記学校の授業で描いたものだったため、持ち込みであるにもかかわらずカラー原稿が入っており、編集部を驚か(笑わ)せた。 いがらしみきおに強い影響を受け、ギャグ漫画を多く執筆。出世作・初単行本作品『ぎゃぐまげどん』では枠にとらわれない先鋭的・実験的なギャグ漫画を描き、漫画情報誌「ぱふ」における編集部のレビューでは「邪道まんが家」という誉め言葉を貰った。 その後は代表作として『コージ苑』、『かってにシロクマ』など。また、竹熊健太郎との合作『サルでも描けるまんが教室』は、漫画家の人生および漫画創作法自体をパロディ化した傑作となった。その後も、ギャグ漫画・ストーリー漫画で、従来の漫画家が描かなかった「極端な描写・物語」を追求し続けている。 『コージ苑』絶頂期に東京電力から広告依頼を受けるが、原発の広告は描けないと断った。 格闘技・プロレスに造詣が深く、自身もブラジリアン柔術を習っている。この経験はその後の彼の作品「真・異種格闘大戦」にて「ブラジリアン柔術を習得したゴリラ」が登場するシーンに生かされている。 大変な遅筆である(by『フロムK』いしかわじゅん) 相原賞 1988年(昭和63年)から1990年(平成2年)にかけて、『週刊ビッグコミックスピリッツ』誌上で全5回開催された、新人漫画家の賞(ただし、プロ作家でも参加可能)。 審査員は竹熊健太郎と相原コージ。「グランプリ」「金のアイハラ賞」「銀のアイハラ賞」「残念賞(佳作)」があった。 元来はある作家が原稿を落としてしまい、スピリッツのページが空いてしまった事により穴埋め企画として「従来の漫画賞のパロディ」として始まったが、予想を超えた多数の応募があり、多くの人気作家を生んだ。2001年(平成13年)から掲載雑誌の『週刊ビッグコミックスピリッツ』で「スピリッツ賞」が始まったため、消滅した。 相原賞を受賞後デビューした漫画家 ほりのぶゆき (第1回金のアイハラ賞) 藤野美奈子 (第2回佳作、第3回銀のアイハラ賞) 榎本俊二 (第3回特別賞) 三好銀 (第3回銀のアイハラ賞) ※ 伊東ジュラ紀名義 本秀康 (第4回佳作) ※ 安藤アイラブハー名義 受賞したデビュー済の漫画家 うのせけんいち (第1回佳作) 中尊寺ゆつこ (第2回特別賞) 作品リスト 漫画 ぎゃぐまげどん(1984 - 1985年、アクションHERO、双葉社)- 1986年発行の再版にデビュー作『8月の濡れたパンツ』収録 文化人類ぎゃぐ(1985年、Weekly漫画アクション、双葉社)- コミックエッセイ作品 コージ苑(1985年 - 1988年、週刊ビッグコミックスピリッツ、小学館) 神の見えざる金玉(1986年 - 1989年、COMICアクションキャラクター、双葉社) かってにシロクマ(1986年 - 1989年、Weekly漫画アクション、双葉社) サルでも描けるまんが教室(共著:竹熊健太郎、1989年 - 1992年、週刊ビッグコミックスピリッツ、小学館) とんち番長(劇中劇) ムジナ(1993年 - 1997年、週刊ヤングサンデー、小学館) 一齣漫画宣言(1994年 - 1996年、週刊ビッグコミックスピリッツ、小学館) 漫歌(1998年 - 2010年、Weekly漫画アクション → 移籍後ビッグコミックスペリオール、小学館) 相原コージのなにがオモロイの?(1999年 - 2000年、週刊ビッグコミックスピリッツ、小学館) もにもに(2001年 - 2002年、週刊ビッグコミックスピリッツ、小学館) 真・異種格闘大戦(2004年 - 2011年、漫画アクション → 移籍後双葉社Webマガジン、双葉社) サルまん2.0(2007年、月刊IKKI、小学館)- 『サルでも描けるまんが教室』の続篇 Z 〜ゼット〜(2012年 - 2015年、別冊漫画ゴラク → 移籍後ゴラクエッグ、日本文芸社) 下ネタで考える学問(2012年 - 2013年、漫画アクション、双葉社) コージジ苑(2015年 - 、アサヒ芸能、徳間書店) 愛のバビロン(漫画:藤田かくじ、2016年 - 2018年、ゴラクエッグ、日本文芸社) こびとねこ(2017年 - 2019年、WEBコミックアクション、双葉社) 翻車魚奇譚(2020年 - 、Webアクション、双葉社) うつ病になってマンガが描けなくなりました(2021年 - 、Webアクション、双葉社) コンピュータゲーム かってにシロクマ(キャラクターデザイン) たんば(キャラクターデザイン) 摩訶摩訶(キャラクターデザイン) イデアの日(原案・シナリオ・キャラクターデザイン) その他 たんば(カードゲーム、イラスト等) 地上げの王様(ボードゲーム、イラスト等) OVA かってにシロクマ(脚本・絵コンテ) 脚注 外部リンク (2011年3月11日 17:07:33 - ) 日本の漫画家 ゲームのグラフィッカー・原画家 北海道出身の人物 1963年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%8A%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%81%A4%E3%81%8A
あおきてつお
あおき てつおは、日本の漫画家。日本古代史研究者。東京都出身、千葉県千葉市在住。 1980年に『少年ビッグコミック』(小学館)掲載の「10月のメモリー」でデビュー。代表作に『緋が走る』『島根の弁護士』『赤い靴はいた』などがある。近年は主に集英社やリイド社、小学館の青年誌などで執筆活動をしながら、日本古代史をテーマにしたエッセイ作品も残している。 来歴 18歳の頃より同人漫画家としてマンガ研究会を設立して同人活動を行っており、1980年、小学館の『少年ビッグコミック』にて「10月のメモリー」でデビューした。 少年誌や少女誌などでの短編読み切り作品やオムニバス形式での短期シリーズ連載などを経て、1982年から『少年ビッグコミック』で連載された『気ままにウルフ』が初の長期連載作品(単行本全8巻)となる。以降、1990年頃までは少年誌を中心に、1992年以降は主に青年誌などで執筆活動をしている。また、企業や組合・業界誌コミックの企画制作する有限会社「ピエゾコミックコーポレーション」を設立し、『法律の抜け穴』シリーズなどを始め、企業コミックやイラスト・挿絵などを執筆した。1993年からは三省堂の中学英語教科書「New Crown」の編集委員として10年間イラストを担当し、漫画形式の教科書の先駆けとして話題になる。 代表作の1つである『緋が走る』は、1999年にNHKにて田中美里主演でテレビドラマ化され、全6回放映された。また、『島根の弁護士』は2007年にフジテレビ系列の「土曜プレミアム」枠にて、仲間由紀恵主演の2時間ドラマが放映された。2019年には『赤い靴はいた』より短編「アゲハがとんだ」が東映にて教育アニメ化された。 2022年より日本大学芸術学部文芸学科の非常勤講師に着任。 作品リスト 単行本 あおきてつお選集(少年ビッグコミック(小学館))全2巻 気ままにウルフ(少年ビッグコミック(小学館))全8巻 Vボーイ(少年キャプテン(徳間書店))全2巻 こっとん鉄丸(週刊少年サンデー(小学館))全5巻 THE WINNER(週刊少年チャンピオン(秋田書店))全3巻 赤い靴はいた(草土文化)全1巻 ※1995年に同社より新装版発行 緋が走るシリーズ 緋が走る(スーパージャンプ(集英社))全15巻 ※原作:ジョー指月 美咲の器-それからの緋が走る-(オースーパージャンプ(集英社))全9巻 ※原作:ジョー指月 奥州藤原4代 秀衡(草土文化)3巻 口福の人(MANGAオールマン(集英社))全3巻 ラッシュアワーズ(スーパージャンプ(集英社))全1巻   のちに「秘密のピュアラブ」として改訂 全2巻 深川澪通り木戸番小屋 (集英社)全2巻 ※原作:北原亞以子 島根の弁護士(ビジネスジャンプ(集英社))全13巻 ※原作:香川まさひと(1話 - 66話まで) 水の剣 火の刀(コミック乱(リイド社))全2巻 ※原作その他:麻木遼、桜小路むつみ クースー! 〜さくらと秋奈 夢の酒〜(ヤングジャンプ(集英社))全2巻 拓馬の風(コミック乱(リイド社))全1巻 ※原作:神鷹 真夜中のこじか(ビッグコミックオリジナル(小学館)) (2011年〜2013年)全5巻 ※原作:北原雅紀 こんぺいとう〜おいね診療譚〜(コミック乱(リイド社)にて不定期連載(2011年 - 2014年)) 既刊1巻 ※シナリオ:神鷹史 エントツの下で(昭和人情食堂(ぶんか社))全5話 ショパンの事件譜(ビッグコミック増刊号(小学館)) (2014年〜2020年)既刊4巻 ※原作:北原雅紀 新版 学習まんが 日本の歴史(集英社) 本編まんが制作 1巻「日本のあけぼの  旧石器・縄文・弥生・古墳時代」 ※ 監修:設楽博己 2巻「律令国家をめざして  飛鳥時代」 ※ 監修:仁藤敦史 3巻「仏教の都 平城京  奈良時代」 ※ 監修:仁藤敦史 ママ友は静かに笑う(まんが王国(ビーグリー))(2018年〜2020年)※原作:北原雅紀 マンガ家が解く古代史ミステリーシリーズ(2014年〜) 新版 学習まんが 日本の歴史(小学館)(2022年)本編まんが制作      4巻「平安王朝と貴族政治: 平安時代Ⅰ」※ 編集:山川出版社 シナリオ:三条和都      5巻「院政と武士の台頭:平安時代II 」※ 編集:山川出版社 シナリオ:三条和都 教科書コミック/イラスト NEW CROWN(三省堂)中学英語教科書1〜3年生用 (1993年〜2003年) 組合コミック ドクターMELON(三菱電機労働組合)月刊MELON連載(1995年〜 ) 書籍(文説) 邪馬台国は隠された 全1巻(三冬社)(2022年) 実用書コミック・企業コミック 他 英会話コミック(アルク)全2巻 高脂血症のアプローチ(ライフ・サイエンス出版)全1巻 透析療法とエリスロポエチン(ライフ・サイエンス出版)全1巻 クロスロード 青春の交差点(中日新聞社)全1巻 マンガから考える法と社会(新日本出版社)全1巻 ※原作:矢野達雄 マンガでわかる刑法と裁判(自由国民社)全1巻 法律の抜け穴シリーズ(自由国民社) 9・14・15・スペシャル版・新版など 定年まで10年ですよ(集英社)全1巻 ※原作:日経ヴェリタス 小泉ですが何か?((株)小泉)1〜2巻 ※原作:門脇正法 「医療経営士」になって働こう! 全1巻(日本医療企画) 「介護福祉経営士」が日本の未来を創る 全1巻(日本医療企画) 会報誌『MAMOR』(扶桑社)2014年11月号の特集「私たち、自衛隊に住んでます」内で 「これが自衛官・営内居住の効力!」という4ページの漫画を執筆。 その他 生命保険コミックシリーズ/クルマ開発秘話コミックなど。 関連人物 隅田かずあさ アシスタント。 脚注 外部リンク ぽけまん 作者プロフィール 日本の漫画家 同人作家 東京都出身の人物 1957年生 存命人物
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青沼貴子
青沼 貴子(あおぬま たかこ、1960年(昭和35年)1月1日 - )は、日本の漫画家。北海道函館市出身。函館東高等学校卒業。本名は鈴木 貴子(旧姓:青沼)。東京都板橋区在住。 来歴 高校卒業後上京し、1981年に集英社『週刊マーガレット』の増刊号にて『ブルース・ブルース』でデビュー。 1984年、『週刊マーガレット』にて連載されていた『ペルシャがすき!』を原案としたスタジオぴえろ製作のテレビアニメ、『魔法の妖精ペルシャ』の放映が日本テレビ系にて開始された(全48話)。 1995年、婦人生活社の育児雑誌に連載されていた『ママはぽよぽよザウルスがお好き』がTBS系列(毎日放送制作)にてアニメ化され、全52話放映された。また1999年にはそのスピンオフ作品の『板橋マダムス』がフジテレビ系列にて櫻井淳子の主演でドラマ化されている。 2011年5月、芳文社や竹書房のいくつかの4コマ漫画誌にてエッセー漫画を中心とした連載をしているほか、2006年に『北海道新聞』の金曜日夕刊にて『たんぽぽちゃん 昭和ダイアリー』(『たんぽぽちゃん』のスピンオフ作品。 2010年に終了)をはじめ、2017年4月より『中日新聞』など各ブロック紙に『ねえ、ぴよちゃん』などを連載している。また、実録系の4コマ漫画雑誌などにも読み切りとしてゲスト掲載されることもある。 概要 初期は『ペルシャがすき!』や『おどろんエンジェル』などに代表されるように、ほのぼのとしながら多少ユーモアを交えた作品がメインであった。 結婚し出産後、主な執筆の場を育児向けの雑誌に移し、テレビアニメ化もされた『ママはぽよぽよザウルスがお好き』に代表されるように自身の子育て体験などを元にしたエッセイ風の作品を得意としている。『ママはぽよぽよザウルスがお好き』のモデルキャラクターとなった自身の息子と娘の現在を描いたエッセイ漫画作品として『かわいいころを過ぎたら』シリーズなどがある。 主な作品リスト 連載中の作品 ねえ、ぴよちゃん(中日新聞、東京新聞、北陸中日新聞、日刊県民福井、北海道新聞、西日本新聞のブロック紙3社連合に属する新聞及び河北新報、新潟日報、神戸新聞、中国新聞、徳島新聞、愛媛新聞に掲載)2017年4月1日から連載開始。2022年1月1日から南日本新聞にも連載開始。 連載終了の作品 たんぽぽちゃん 昭和ダイアリー(北海道新聞、2006年 - 2010年4月30日)木曜日夕刊 - 『たんぽぽちゃん』のスピンオフ作品。 単行本リスト ペルシャがすき!(集英社)全9巻 新装版として2000年から2001年にかけて全6巻発行。 おいら空丸(集英社)全3巻 ピタパットキャット(集英社)全1巻 とってもカミカミ(集英社)全1巻 おどろんエンジェル(集英社)全6巻 アイドルがいっぱい(角川書店)全1巻 ママはぽよぽよザウルスがお好き(婦人生活社)全4巻 、廉価版コミックとして同社より1996年に2冊発行、また幻冬舎より2004年に新装版として全4巻発行、また2010年にメディアファクトリーに新装版として全3巻発行。 ママぽよえほん(婦人生活社)全12巻 青沼さんちのぽよぽよ日記(イースト・プレス)全1巻 アン2歳、おむつはずし大作戦―ママぽよスペシャル あこがれの「綿パンツ」へ4つのステップ(婦人生活社)全1巻 かわいいころを過ぎたら~『ママはぽよぽよザウルスがお好き』リュウの思春期ルポ~(メディアファクトリー)全1巻 かわいいころを過ぎたら アン18歳~『ママはぽよぽよザウルスがお好き』アンの思春期ルポ~(メディアファクトリー)全1巻 夫とふたりでもうまく暮らすコツ 『ママはぽよぽよザウルスがお好き』ダーリンとのその後(メディアファクトリー)全1巻 20歳は過ぎたけれど 『ママはぽよぽよザウルスがお好き』リュウ&アン成人編(メディアファクトリー)全1巻 いつか大人になるのかな 『ママはぽよぽよザウルスがお好き』リュウ&アン人生道草編(メディアファクトリー)全1巻 青沼貴子のマダム花子(竹書房)全1巻 幼稚園なんてコワくない97(ダイヤモンド社)全1巻 小学校なんてコワくない97(ダイヤモンド社)全1巻 幼稚園なんてコワくない98(ダイヤモンド社)全1巻 小学校なんてコワくない98(ダイヤモンド社)全1巻 御入学!小学校なんてコワくない お母さんのための小学校準備マニュアル 初めて小学生のママになる人のための不安解消ブック(ダイヤモンド社)全1巻 たんぽぽちゃん(婦人生活社)全2巻、2004年に幻冬舎より新装版発行。 なまらうまい!たんぽぽちゃんの昭和ごはん(ぶんか社)全3巻 きらり花枕(全日出版)全1巻 ぷかり夢枕(全日出版)全1巻 青沼さん、BL漫画家をこっそりめざす。(イースト・プレス)全1巻 『まんがホーム』連載の「腐女子主婦がゆく! BL作家への道」を単行本化 こんな私がマンガ家に!?(イースト・プレス)全1巻 かあさんはテヌキスト(芳文社)既刊1巻 フィクションの4コマ漫画である本編(初出時題名『ぐ~すかうめ実さん』)に、エッセイ漫画『貴子のお茶の子サイサイ』を併録 子育テーゼに乾杯(竹書房)全1巻 初出時(『すくすくパラダイス』連載→『すくすくパラダイスぷらす』配信)の題名表記は『コソダテーゼに乾杯』 青沼さんちの犬は腹黒だ(竹書房)全1巻 空気でも太るお年頃の私が15キロ痩せるまで(メディアファクトリー)全1巻 イラストなど担当作品 鷲沢玲子と服部まゆみのシンプルキルト(婦人生活社) まるごと体験BOOK中学受験!(飛鳥新社) メイドインアビス 烈日の黄金郷(2022年)第4話のエンドカードを描く。 出典 日本の漫画家 新聞連載の漫画家 北海道出身の人物 1960年生 存命人物
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秋月りす
秋月 りす(あきづき りす、1957年9月16日 - )は、日本の女性漫画家。福岡県生まれ、大阪府育ち。「秋月りす」はペンネームで本名は非公開(「秋月」は福岡県朝倉市に実在する地域名である)。血液型A型。 概要 小学生の頃に家族と大阪府に移住した。妹がいる。 関西大学文学部国文学科卒。現在はインテリアコーディネータの夫と奈良県奈良市に在住する。ただし、秋月には子供はいない。下戸であり、ペットに猫の「みりん」(♀)と「ちび」(♂)がいて、エッセイ漫画に頻繁に登場していたが、「みりん」は21歳、「ちび」は18歳で他界。現在は「とらぴー」(♀)を飼っている。 1988年にアフタヌーン四季賞にて『奥さま進化論』でデビュー。この時は既に30歳で既婚だった。OL、主婦を題材にした4コマ漫画を多く執筆。素朴で穏やかな作風だが、デビュー当初の彼女の作風は現在と多少異なっていた。当時、流行していた不条理系(いわゆる“毒”のある作品)の4コマを描こうと担当編集に相談した際に反対されたというエピソードもある。 それまで男性の多かった4コマ漫画に女性作家が増えた発端となった作家であり、日本の4コマ漫画シーンにおいて重要な存在で、2004年第8回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。 作品リスト OL進化論:『週刊モーニング』に1989年第50号から連載中(2021年第30号から休載中)。 OL進化論出張版 中年ポルカ(上記のスピンオフ作品。2001年から2002年に『イブニング』に掲載) 中間管理職刑事(同じくスピンオフ作品。2004年から2008年に『まんがライフオリジナル』(竹書房)などに掲載) クリティカル進化論 OL進化論で学ぶ思考の技法(北大路書房) かしましハウス ミドリさん あねさんBeat!!:『まんがライフオリジナル』『まんがライフ』(竹書房)の両誌に掲載された、竹書房での初の連載作品。連載時のタイトルは『あねさんBeat!!』。28歳のOLミドリと22歳の夫・達也、達也の母が織りなす日常4コマ漫画。連載終了後も『しゅーとめヘブン』のタイトルで読み切りが描かれた。単行本全2巻 奥様はインテリアデザイナー:『まんがアクションランド』(双葉社)に連載されていた、インテリアデザイン事務所勤めの妻とサラリーマンの夫(いずれも名無し)の夫婦4コマ漫画。連載極初期のタイトルは『お似合いBeat』だった。単行本全1巻 OLちんたらポンちゃん:『女性自身』(光文社)に毎号1ページずつ連載されていた、『OL進化論』のジュンそっくりのOL・ポンちゃんが主人公の4コマ漫画。単行本全1巻 凸凹ガールズ:『サラダまんが』(竹書房)に連載されていた、一見中学生と一見水商売のお隣さん同士が実は同じ女子大に入学した同級生だった…という4コマ漫画。掲載誌が4号で休刊したため、連載は3回で終わっている。 お茶くみエンジェルス:(竹書房)掲載誌不明。係長と部下のOLたちが織りなす、『OL進化論』連載開始前のパイロット版的な4コマ漫画。 奥さま進化論:『モーニングパーティー増刊』(講談社)1988年 - 1990年、『モーニング』(同)1989年に掲載されたデビュー作。OLで新婚の妻・春山のぶ子と夫を取り巻く4コマ漫画で秋月ワールドの原点。単行本には描き下ろし作品が加えられると共に、作者自身をネタにした4コマではないショートエッセイ漫画『そらまめ日記』が収録されている。単行本全1巻 おうちがいちばん:『まんがライフオリジナル』(竹書房)など、4コマ漫画雑誌に連載中(2016年2月号から休載中)。夫婦と2人の子供、会社の上司・同僚、祖父・祖母などが中心の漫画。家庭の話題の中で、日常の出来事を漫画にしている作品。 どーでもいいけど【不景気な暮らしの手帖】:『朝日新聞』木曜特集「ウィークエンド経済」に1992年4月から2001年3月まで連載。4コマ漫画。その時々の経済問題や話題をテーマにしていた。単行本全1巻 おね〜ちゃんといっしょ 同居するOL姉妹を描いた作品。『かしましハウス』の最初の単行本に収録されている。 きょうびの料理:『きょうの料理』(NHK出版)に1995年4月号から1999年3月号まで連載。後に料理研究家・小林カツ代との共著『りすとカツ代のきょうびの料理』として角川書店より刊行された。内容は連載分に描き下ろしを追加した上で、漫画内容に合わせて小林がレシピを書き下ろしたもの。巻末に大島弓子による解説漫画が収録されている。2006年発行 ISBN 4048539582 脚注 日本の漫画家 新聞連載の漫画家 関西大学出身の人物 大阪府出身の人物 福岡県出身の人物 本名非公開の人物 1957年生 存命人物
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朝基まさし
朝基 まさし(あさき まさし、1970年3月2日 - )は、日本の漫画家。大阪府出身。旧ペンネームに越智辺昌義(おちべ まさよし)がある。 主に講談社の少年漫画誌で活動しており、サスペンス漫画、社会派漫画を中心に発表している。原作付きの作品が多い。代表作に、『サイコメトラーEIJI』『クニミツの政』『シバトラ』『でぶせん』(4作品ともに安童夕馬原作)などがある。 『クニミツの政』で2003年(平成15年度第27回)講談社漫画賞少年部門受賞。 以前、大島司のもとでアシスタントをしていた。 略歴 1989年 -「最後の地球人」で第18回小学館新人コミック大賞児童部門佳作。 1991年 - 越智辺昌義名義で『マガジンスペシャル』にて『超頭脳シルバーウルフ』の連載を開始。( - 1992年) 1994年 - 『マガジンスペシャル』にて『大樹のマウンド』の連載を開始。( - 1996年)※連載開始時にペンネームを朝基まさしに改名。 1996年 - 『週刊少年マガジン』で『サイコメトラーEIJI』の連載を開始。( - 2000年) 1996年 - 『銀狼怪奇ファイル 二つの頭脳を持つ少年』のタイトルで『超頭脳シルバーウルフ』がドラマ化される。(日本テレビ系) 1997年 - 『サイコメトラーEIJI』がドラマ化される。(日本テレビ系) 1999年 - ドラマの続編『サイコメトラーEIJI2』が放送される。(日本テレビ系) 1999年 - プレイステーションで『サイコメトラーEIJI』がゲーム化される。(講談社) 2000年 - ドラマ『サイコメトラーEIJIスペシャル』が放送される。(日本テレビ系) 2001年 - 『週刊少年マガジン』で『クニミツの政』の連載を開始。( - 2005年) 2003年 - 第27回講談社漫画賞少年部門受賞。(『クニミツの政』) 2003年 - 『クニミツの政』がドラマ化される。(関西テレビ系) 2006年 - 『週刊少年マガジン』で石田衣良原作『IWGP 電子の星』の期間限定連載(全8回)。 2006年 - 『週刊少年マガジン』2007年2・3合併号で『シバトラ』の連載を開始。( - 2009年) 2008年 - 『シバトラ』がドラマ化される。(フジテレビ系) 2010年 - 『週刊少年マガジン』2010年14号よりキサラギリュウ原作『BLACK OUT』を連載開始。( - 2010年) 2011年 - 『週刊ヤングマガジン』2011年21・22合併号より『サイコメトラーEIJI』の続編『サイコメトラー』の連載を開始。 2014年 - 『週刊ヤングマガジン』で『でぶせん』の連載を開始。 2017年 - 『週刊ヤングマガジン』で『マイホームヒーロー』の連載を開始。 作品リスト 単行本 超頭脳シルバーウルフ(金成陽三郎原作、越智辺昌義名義。1991 - 1992年不定期連載、マガジンスペシャル、1992年、マガジンKC(講談社)全3巻) 大樹のマウンド(マガジンスペシャル、1994 - 1996年、マガジンKC全5巻) サイコメトラーEIJI(安童夕馬原作。1996 - 2000年連載、週刊少年マガジン、1996 - 2000年、マガジンKC全25巻) クニミツの政(安童夕馬原作、2001 - 2005年連載、週刊少年マガジン、2001 - 2005年、マガジンKC全27巻) クニミツの政 立志編(安童夕馬原作、2003年、KCDX(講談社)全1巻、) IWGP 電子の星(石田衣良原作、2006年連載、週刊少年マガジン、2006年、マガジンKC全1巻、) シバトラ(安童夕馬原作、2006 - 2009年連載、週刊少年マガジン、2007 - 2009年、マガジンKC全15巻) BLACK OUT(キサラギリュウ原作、2010年連載、週刊少年マガジン、マガジンKC全4巻) 雑草女(山田隆道原作、2010年 - 2011年連載、月刊アフタヌーン、アフタヌーンKC全1巻) サイコメトラー(安童夕馬原作、2011年 - 休載中、週刊ヤングマガジン)※サイコメトラーEIJIの直接の続編 でぶせん(安童夕馬原作、2014年 - 2016年連載、週刊ヤングマガジン) マイホームヒーロー(山川直輝原作、2017年 - 連載中、週刊ヤングマガジン) ガイドブック・その他 マニア図鑑 サイコメトラーEIJIブレイクコレクション(安童夕馬原作。1998年、KCDX。) クニミツの政 クニミツの納得いかねぇ!(武藤国光名義。2003年、KCDX。) クニミツの政 クニミツの日本国憲法(武藤国光名義。2004年、KCDX。) 関連人物 師匠 大島司 アシスタント 日向武史 菅野文 宗田豪 亜桜まる オジロマコト 奈央晃徳 岡田有希 真右衛門 脚注 日本の漫画家 1970年生 存命人物 大阪府出身の人物
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あしべゆうほ
あしべ ゆうほ(1949年7月12日 - )は、日本の漫画家。女性。青森県三沢市出身。 経歴 1970年、『別冊少女コミック』(小学館)に掲載された「マドモアゼルにご用心」にてデビュー。 以後『月刊プリンセス』や、『ボニータ』・『ミステリーボニータ』(いずれも秋田書店)を中心に活躍。 代表作は『悪魔の花嫁』(原作:池田悦子)、『クリスタル☆ドラゴン』、『ダークサイド・ブルース』(原作:菊地秀行)など。 『ダークサイド・ブルース』は1994年に劇場版アニメとなり、『悪魔の花嫁』は、1988年にOVA化されている。 『月刊プリンセス』創刊期において大きく貢献し、1975年創刊号から連載開始した『悪魔の花嫁』は累計発行部数は1000万部突破の大ヒット作となった。 その後の1970年代から1980年代「月刊プリンセス黄金期」においても『悪魔の花嫁』は『王家の紋章』(細川智栄子あんど芙〜みん))、『エロイカより愛をこめて』、『イブの息子たち』(青池保子)、『妖精国の騎士』(中山星香)、『オリンポスのポロン』(吾妻ひでお)、『アンジェリク』(原作:セルジュ・ゴロン&アン・ゴロン、作画:木原敏江)などの作品と共に同誌においてなくてはならない存在であった。 2021年9月1日から10月31日まで、あしべの画業50周年を記念して京都にあるガーデンミュージアム比叡のギャラリーsoRaとロテルド比叡の2会場で、原画展「夢の世界 幻想の軌跡」を開催。 作品リスト 悪魔の花嫁(原作:池田悦子、『月刊プリンセス』・『ミステリーボニータ』、 1975年 - 連載中 、秋田書店) クリスタル☆ドラゴン(『ボニータ』・『ミステリーボニータ』1981年 - 連載中 、秋田書店) ダークサイド・ブルース(原作:菊地秀行) 風の呪歌〜射干玉の髪の姫君 テディ・ベア 魔・ちがいの呪文 雷鳴の符 うしろの正面だあれ? 魔獣の棲む森 マドモアゼルにご用心(『別冊少女コミック』 1970年12月号 - 、小学館) セシルがぬいだ…(『別冊少女コミック』1971年7月号 - 、小学館) おとなへの出発―十代-心とからだの変化(原作:奈良林祥、作画:あしべゆうほ、学習研究社発行の性教育漫画(昭和49年)) 画集 悪魔の花嫁 ― 幻の未収録作品&秘蔵原画集 (秋田書店、2009年12月発売、) 参考資料 まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、 小学館漫画賞事務局、竹内オサム『現代漫画博物館』2006年、小学館、 脚注 外部リンク 水晶宮 - 公式サイト。 日本の漫画家 青森県出身の人物 1949年生 存命人物
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あだちつよし
あだち つよし(1964年 - )は、日本の漫画家。新潟県上越市有間川出身、東京都西東京市在住。 作品リスト 連載 鉄拳児耕助(『フレッシュジャンプ』1985年4月号 - 1989年1月号(最終号)→『月刊少年ジャンプ』1989年3月号 - 1989年7月号、集英社、全12巻) FIGHTING COCK(『スーパージャンプ』1990年9月号 - 1992年17号、集英社、全5巻) むしむしころころ(原作:武論尊、『スーパージャンプ』1993年4号 - 1996年18号、全11巻) GO FOR ぶれいく(原作:武論尊、『スーパージャンプ』1999年21号 - 2000年20号、全3巻) 殴人K(原作:宮崎克、『ビジネスジャンプ』2006年2号 - 2006年12号、集英社、全1巻) スパイハンドラー 怜とミレイ(原作:真刈信二、『週刊現代』2004年6月26日号 - 2005年3月12日号、講談社、全1巻) 震災列島(原作:石黒耀、『週刊現代』2005年4月9日号 - 、講談社) 赤と鉄(原作:鍋島雅治、『週刊漫画ゴラク』2007年 - 2008年連載、日本文芸社、全2巻) 女帝NEO・美姫(原作:倉科遼、『ケータイ★まんが王国』、全3巻) 怪奇まんが道(原作:宮崎克、『コミック特盛』夏号新耳袋アトモス - 連載、ホーム社、全1巻) 怪奇まんが道 奇想天外篇(原作:宮崎克、Webマンガサイト・Z連載、ホーム社、全1巻) 戦車でホイホイ(監修:外薗昌也、原作:あかめありす、『コミクリ!』2018年3月9日 - 、講談社、既刊1巻) マインドハック(原作:宮崎克、『週刊漫画ゴラク』2021年10月22日号 - 2021年12月24日号、日本文芸社、全1巻) その他 キン肉マン創作秘話(シナリオ協力:篁光太郎、『キン肉マン 大解剖』収録、三栄書房) 出典 外部リンク 日本の漫画家 新潟県出身の人物 1964年生 存命人物
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安達哲
安達 哲(あだち てつ、昭和43年、1968年2月10日 - )は、日本の男性漫画家。東京都出身。 来歴 1986年、『卒業アルバム』が、第39回少年マガジン新人漫画賞にて特別入選。2003年、『バカ姉弟』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞。 代表作に『お天気お姉さん』など。 作品リスト ホワイトアルバム(『週刊少年マガジン』、1988年21号‐1988年34号、全2巻) キラキラ!(『週刊少年マガジン』、1989年1・2合併号‐1990年25号、全8巻) さくらの唄(『週刊ヤングマガジン』、1991年1・2合併号‐1991年41号、全3巻) お天気お姉さん(『週刊ヤングマガジン』、1992年17号‐1994年29号、全8巻) - 実写作品として映画、オリジナルビデオ、テレビドラマ化されたほか、OVA化もされた。 幸せのひこうき雲(『ヤングマガジン増刊エグザクタ』、1997年第7号 - 第12号、全1巻) バカ姉弟(『週刊ヤングマガジン』、1999年29号‐不定期連載、『月刊ヤングマガジン』2016年3号(2016年2月20日発売)- 連載、既刊5巻。続編の「総天然色 バカ姉弟」既刊5巻) - 第7回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞 キング姉弟(『ヤングキング』2023年18号 - 連載中) トンビ(原作:史村翔洋、講談社、1996年、『ヤングマガジン15周年記念作品集 米「コメ」』掲載、モノクロ前後編、計77P) シュセンドー(原作:金成陽三郎、『ビジネスジャンプ』、2010年2号‐2010年11号、全1巻) 単行本未収録 子供たちをよろしく(『週刊ヤングマガジン』、1995年8月21・28合併号 No.35・36、頭3ページカラー以降モノクロ、41P)  安達 哲のヘイ!チャウチャウドッグ(『rockin'on』1995年8月号 - 1996年5月号掲載、1号につき2ページ掲載、モノクロ)  山内一清の妻(江口寿史 責任編集 『コミックキュー』掲載、1997vol.3、イーストプレス モノクロ24P 読切) E-Oppersと企画でカラーポスター作品を掲載(『ヤングマガジンUppers』、1998.8.5号通巻8号)  女だらけ雀(原作:北海塩蔵、竹書房、『近代麻雀ゴールド』2000年7月 読切掲載 センターカラー30P) ギャル雀(原作:有元美保、竹書房、『近代麻雀ゴールド』2000年11月号 - 2001年11月号連載) シュー・マイスター柊圭吾(原作:大塚洋史、『ビジネスジャンプ』、2007年18号通巻620号 読切掲載 センターカラー52P) カメコとマダム(原作:樫田正剛、『ビジネスジャンプ』、2008年4号通巻632号 読切掲載 センターカラー35P) コドモ警察(『月刊ヒーローズ』、2013年4号 読切掲載 センターカラー22P 「case1.ガスパニック」「case2.男・ブル刑事」の2話を掲載) 対談  PATI-PATI SPECIAL ISSUE 電気グルーヴマガジン(ピエール瀧との対談掲載、カラー2P、貴重な安達哲の写真2点も掲載、1992年ソニーマガジンズ) 関連項目 ゴトウユキコ:OLラッパー・ノセレーナとの対談「人の話が聞こえない。vol1」の中で影響を受けた漫画家として安達哲の名を挙げている。 脚注 日本の漫画家 東京都出身の人物 1968年生 存命人物
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あだち充
あだち 充(あだち みつる、本名:安達 充、1951年2月9日 - )は、日本の漫画家。群馬県伊勢崎市出身。男性。群馬県立前橋商業高等学校卒。血液型はAB型。 来歴 群馬県伊勢崎市に生まれる。三男一女の末っ子であり、直近の兄で3歳半年上のあだち勉から甚だしい影響を受ける。少年時代はあだち勉とともに貸本漫画の読者投稿コーナーの常連だった。また、勉は高校在学中から貸本漫画で原稿料を得ており、充はその手伝いをしていたことから、貸本漫画業界で「群馬の天才兄弟」として知られる存在となる。 絵を仕事にする希望を持ち、地元では一番商業美術に力を入れていた群馬県立前橋商業高等学校の商業美術部に入部する。しかし、明確な展望はなく、両親の勧める通りに安定した職業へ就く可能性もあったという。在学中に『COM』の新人賞で「虫と少年」が佳作2位に選ばれ、以後『COM』の新人投稿ページにしばしば掲載されるようになる。当時は『COM』や『週刊少年マガジン』、貸本漫画などを愛読しており、永島慎二、樹村みのり、さいとう・たかをらのファンだった。 野球にはまだ人並みの関心しか持っておらず、スポーツ経験も中学時代の体操部としての活動程度しかなかった。野球に深く関わるようになったのは、『週刊少年サンデー』で水島新司と『男どアホウ甲子園』を連載していた佐々木守と組んで、商業漫画家として野球漫画を手掛けてからである。後に熱心な野球ファンとなり、勉とともにビタミンAという草野球チームを主宰するが、多忙のためあまり試合に参加できなかった。 プロの漫画家を目指す踏ん切りをつけられたのは、勉が永島慎二に会い、充をアシスタントに採用してもらう内定を取り付けてくれたことによる。東京のデザイン会社に就職していた勉は、自身が会社員を続けているのだから、弟が漫画家となることは認めるように両親を説得する(しかし、ほどなく会社を辞めて漫画家へ復帰。フジオ・プロ在籍を経て、後年は充のマネージャーとなる)。ところが、充が高校3年生の1968年に、永島慎二が突然の渡米。1969年初春、どうにか『COM』のツテで同誌にイラストを連載していた石井いさみのアシスタントに就職する。 上京しての面接当日、石井いさみが『くたばれ!!涙くん』を『週刊少年サンデー』で連載していることを知って読み、これが『週刊少年サンデー』との出会いとなった。同年に一時帰郷して高校を卒業。1970年に『デラックス少年サンデー』で、原作付きの『消えた爆音』でデビュー。以降しばらくは佐々木守、やまさき十三などの漫画原作者と組んだ作品を中心に発表し、当時のブームであった劇画調の少年漫画を執筆。石井と石井の担当編集者だった武居俊樹の薦めもあり、2年間勤務した石井プロから独立するも、ヒットには恵まれず、幼年誌でのコミカライズや少女誌などに活躍の場を移していく。このこともあって、1975年の『牙戦』を最後に劇画調の作風には見切りをつけ、ソフトタッチな作風へ変化していく。少女誌では花の24年組の影響を受ける。 1978年、再び少年誌へ戻り、高校野球を題材とした『ナイン』を発表。初の原作無しでの本格連載であり、少女漫画の雰囲気を少年漫画に持ち込んだこの作品が高い評価を得る。続く『みゆき』『タッチ』が大ヒット。ラブコメ漫画の代表的作家として高橋留美子とともに『週刊少年サンデー』を牽引し、人気漫画家としての地位を確立する。1982年、上記2作で第28回小学館漫画賞少年少女部門を受賞<。80年代は『ナイン』『みゆき』『タッチ』に加え、少女漫画誌連載の『陽あたり良好!』もテレビアニメ化された。 以降も『週刊少年サンデー』で野球漫画を中心に執筆。コミックスの発行部数は、1990年4月に『スローステップ』第5巻にて、累計1億部を達成しており、2008年5月『クロスゲーム』第12巻にて、単行本のみの累計で小学館連載作家として初めて2億部を突破した。2009年、『クロスゲーム』で第54回(平成20年度)小学館漫画賞少年向け部門を受賞。前後して、長い間主戦場だった『週刊少年サンデー』を離れ、2009年に創刊した月刊誌『ゲッサン』へ活躍の場を移している。 作風 スポーツ漫画を多く描いているが、デビュー当初の経験から、熱血スポ根ものではなく、青春ラブコメディを得意としている。その一方で人間ドラマ志向が強く、劇画的な過剰さを避けつつも、シリアスな展開も多い。 高校野球をよく題材に取り上げており、『いつも美空』連載時のインタビューによると「原作のあるもの以外、ほぼ全作品が同じ世界観を持ち合わせている」という。 は、あだちの描くキャラクターは「何事にもガツガツしない」ことが特徴であるとし、『タッチ』の野球部員らを指し「元祖草食系男子」と形容している。 しばしば用いる技法としては、場面転換や時間経過を現すシーンで擬音も何もないサイレント映画のような風景で繋げていく、というものが挙げられる。また作中にはしばしばあだち自身が登場し、平然と作品に対する弁解や宣伝を行なう(メタフィクション)のも作品の特徴の一つである。 直前まで元気であった登場人物が突然死ぬような「死ネタ」を多用するのも特徴。 設定変更を何事もなかったかのように行うのではなく、連載途中に堂々とそれを明示する形で行う割り切りの良さもあだちの作風であり、作中でメタ表現として設定変更を公表する方針を取っている。『ラフ』のライバルキャラである仲西弘樹の家族構成の変更、『H2』の主要キャラである木根竜太郎の右打ちから両打ちへの変更(作者の作画ミスの辻褄合わせのギャグを契機に設定変更)などが主な例である。 2017年8月15日のフジテレビ系列『めざましテレビ』において、絵は生き物ゆえ何十年も同一人物を描いていることで微妙に顔は変わろうとも、作品に登場するキャラクターの絵のデザインの特徴が似ているのにも(そっくりなことにも)こだわりがあり、「あだち劇団」の劇団員がいろいろな役をしている考えがあるという内容が、11年半あだちを担当していた当時の「週刊少年サンデー」編集長・市原武法のコメントとして放送された。本人曰く「あだち一座」ともされる。 2017年にweb漫画サービス「サンデーうぇぶり」にて公開された「前代未聞の超難問・あだち充キャラクタークイズ」をあだち本人が挑戦したところ、100点満点中の76点だった。コメントでは、「これは76点満点の問題です。(※本当は100点満点です)それ以上の点数を取ってしまった人は再検査の必要があります。」と語っている。 幼少期から大の落語好きで、人間描写やコメディ描写に色濃く影響を受けている。そのため、スポーツ漫画以外では落語風SF時代劇『虹色とうがらし』なども描いている。 1975年の『牙戦』までの初期作品で用いていた劇画調の画風は、アシスタントを務めていた石井いさみの『くたばれ!!涙くん』の絵柄に近いが、石井もインタビューで「最後のほうは彼(あだち充)にほとんど描かせたくらい、それくらいキャラクターもそっくりに描いてくれました」と述べていた。また、石井も1975年連載開始の『750ライダー』以降、それまでの劇画調の絵柄からソフトタッチな作風へ変化しており、師匠と弟子が同時期に作風を大きく変えている。 人物 野球との関わり 東京ヤクルトスワローズのファンであり、ファンクラブのポストカードや、球団の宣伝ポスターを執筆している。少年時代は“三原脩信者”であったため、西鉄ライオンズ、つづいて大洋ホエールズのファンとなり、後に好みの選手が多く所属していたため、中日ドラゴンズのファンとなった。そして、広岡達朗監督時代(1976 - 79)のスワローズの連日のサヨナラ勝ちを生で目にしたためにスワローズファンとなり現在に至る。2003年からはスワローズのファンクラブのポストカードのおまけを描いていたが、2007年度からは会員カードにも起用されている。 地元球団である群馬ダイヤモンドペガサスの選手が移動するときに使用するチームバスのイラストを執筆している。また、ダイヤモンドペガサスの後援会会員証のイラストも描いている。 あだちの母校である前橋商業高等学校が夏の甲子園に出場したときには応援に駆けつけたり、夏の群馬予選時の選手名鑑の広告欄、『前商健児』にイラストを描いた。 2013年7月、長らく高校野球を題材に漫画を描いてきた実績を認められ、大会期間中にテレビ朝日系列局で放送される『熱闘甲子園』のキービジュアルイラストを担うことになった。 その他 デビュー当時を除き、小学館をメインに活動しているが、過去(1973年 - 1983年)に週刊少年ジャンプで開催されていた愛読者賞に、1982年と1983年の二度読者投票により選ばれている。 前述の通り、小学生の頃から落語ファンで、中学の時には『落語大全集』を購入していた。好きな落語家は立川談志、三遊亭圓生、古今亭志ん生。作品にも時折落語のネタが現れる。その影響からか、落語家出身タレントである伊集院光のファンであり、伊集院のラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』(TBSラジオ)のヘビーリスナーでもある。朝から昼にかけては文化放送で『くにまるジャパン』などを愛聴している。 岩崎良美のファンであり(「憧れの人」とも表現)、岩崎がアニメ『タッチ』の主題歌を担当する以前よりアルバムを聴いたり、また岩崎がパーソナリティーを務めるラジオ番組を毎週録音したりしていた。 『タッチ』『ラフ』の実写化に関しては、長澤まさみの衣装に期待してオファーを受けたと冗談交じりに語った。 作風にはまったく影響していないが、父や兄の影響から、麻雀好きでもあり、腕も立つ。 作品 連載 レインボーマン - 講談社『テレビマガジン』(1972年10月号 - 1973年10月号)、『おともだち』(1972年11月号 - 1973年1月号) - 原作:川内康範、同名特撮ドラマのコミカライズ。 リトル・ボーイ - 『少年サンデー増刊号』(1974年春、夏休み増刊号)、『週刊少年サンデー』(1974年28号 - 47号) - 原作:佐々木守 おらあガン太だ - 徳間書店『テレビランド』(1974年9月号 - 1975年3月号) - 原作:才賀明、同名ドラマのコミカライズ 牙戦(きばせん) - 『週刊少年サンデー』(1975年2号 - 34号) - 原作:滝沢解 ヒラヒラくん青春仁義 - 学習研究社『中学コース・中一コース』(1975年4月号 - 1976年3月号) - 原作:佐々木守、単行本未収録回あり ヒラヒラくん青春音頭 - 『中一コース』(1976年4月号 - 1977年3月号) - 原作:佐々木守、単行本未収録 ヒラヒラくん青春太鼓(ヒラヒラくん青春日記) - 『中一コース』(1977年4月号 - 1978年3月号) - 原作:佐々木守。単行本化に伴い『青春日記』に改題、未収録回あり。出版:ECコミックス(こだま出版) がむしゃら - 『週刊少年サンデー』(1976年5・6合併号 - 18号) - 原作:やまさき十三 甲子園魂 - 双葉社『週刊パワァコミック』(1976年15号 - 1977年6号) - 原作:佐々木守 ああ!青春の甲子園 - 『週刊少女コミック』 - 原作:やまさき十三 初恋甲子園 - (1976年34号 - 51号) 泣き虫甲子園 - (1977年15号 - 46号) おひけェなすって!野球仁義 - 『中一コース』(1978年4月号 - 1979年3月号) - 原作:佐々木守 ナイン - 『少年サンデー増刊号』(1978年10月号 - 1980年11月号) 夕陽よ昇れ!! - 『週刊少女コミック』(1979年8号 - 19号) - 原作:やまさき十三 おいら放課後若大将 - 『中一コース』(1979年4月号 - 1980年3月号) 陽あたり良好! - 『週刊少女コミック』(1980年2号 - 1981年15号) みゆき - 『少年ビッグコミック』(1980年17号 - 1984年18号) タッチ - 『週刊少年サンデー』(1981年36号 - 1986年50号) スローステップ - 『ちゃお』(1986年9月号 - 1991年3月号) ラフ - 『週刊少年サンデー』(1987年17号 - 1989年40号) 虹色とうがらし - 『週刊少年サンデー』(1990年4・5合併号 - 1992年19号) H2 - 『週刊少年サンデー』(1992年32号 - 1999年50号) じんべえ - 『ビッグコミックオリジナル』(1992年6月20日号 - 1997年3月20日号、不定期連載) 冒険少年 - 『ビッグコミックオリジナル』(1998年10月20日号 - 2005年4月20日号、不定期連載) いつも美空 - 『週刊少年サンデー』(2000年22・23合併号 - 2001年24号) KATSU! - 『週刊少年サンデー』(2001年36・37合併号 - 2005年12号) クロスゲーム - 『週刊少年サンデー』(2005年22・23合併号 - 2010年12号) アイドルA - 『週刊ヤングサンデー』(2005年36・37合併号 - 2007年36・37合併号)、『ゲッサン』(2010年11月号 - 2011年8月号、不定期連載中) QあんどA - 『ゲッサン』(2009年創刊号 - 2012年4月号) MIX - 『ゲッサン』(2012年6月号 - 連載中) 短編集 読切・短編(他作品の単行本に収録) なかよしの詩 - 虫プロ商事 『COM』(1971年9月号) - 『夕陽よ昇れ!!』第2巻(フラワーコミックス・小学館) 命のマウンド - 『週刊少年サンデー』(1975年初夏増刊号) - 原作:やまさき十三、『あだち充初期傑作集』第1巻(こだま出版) もうひとつの甲子園 - 『週刊少年サンデー』(1975年夏休み増刊号) - 原作:やまさき十三、『あだち充初期傑作集』第1巻(こだま出版) ハートのA - 『週刊少女コミック』(1975年33号 - 38号) - 原作:才賀明、『あだち充初期傑作集』第3巻(こだま出版) 北風からから - 『週刊少女コミック』(1977年12月21日増刊号) - 『ああ!青春の甲子園』第7巻(フラワーコミックス・小学館) 青空つれてテルテルぼうず - 『週刊少女コミック』(1978年7号) - 『ああ!青春の甲子園』第7巻(フラワーコミックス・小学館) 青葉に風 - 『週刊少女コミック』(1978年20号) - 『あだち充初期傑作集』第3巻(こだま出版) ケン - 『週刊少女コミック』(1978年28号 - 『ああ!青春の甲子園』第6巻(フラワーコミックス・小学館) 青春一直線(ストレート) - 『週刊少女コミック』(1978年37号) - 『ああ!青春の甲子園』第7巻(フラワーコミックス・小学館) ティーンズ - 『週刊少女コミック』(1978年42号) - 『あだち充初期傑作集』第3巻(こだま出版) MY SWEET SUNDAY - 『週刊少年サンデー』(2009年16号) - 合作:高橋留美子、『アイドルA』(少年サンデーコミックススペシャル・小学館) 足つりバカ日誌 - 『ゲッサン』(2020年9月号) - 『MIX』第17巻(少年サンデーコミックス・小学館) 読切・短編(単行本未収録) その他 エッセイ集 がんばれ女のコ!(1984年12月18日、学習研究社)-(雑誌『SanSun』1983年5月号 - 1987年12月号連載時のタイトルは『真夜中のひとりごと』であった) 続・がんばれ女のコ!(1986年4月7日、学習研究社) 完結編・がんばれ女のコ!(1988年1月12日、学習研究社) ムック 少年サンデーグラフィック タッチ(1985年8月30日、小学館) 少年サンデーグラフィック タッチ 2(1985年12月26日、小学館) 少年サンデーグラフィック 劇場用アニメ タッチ 3 背番号のないエース(1986年5月7日、小学館) 少年サンデーグラフィック タッチ 4(1986年10月9日、小学館) 少年サンデーグラフィック 劇場用アニメ タッチ 5 さよならの贈り物(1987年1月5日、小学館) 少年サンデーグラフィック 劇場用アニメ タッチ 6 君が通り過ぎたあとに(1987年5月1日、小学館) 陽あたり良好! グラフィック(1987年12月4日、小学館) カレンダー プチコミック編集カレンダー 1993 少女伝説(1992年11月、小学館) 画業30周年記念企画BOX TIME CAPSULE(2001年6月、小学館 - 3333部、シリアルナンバー入り完全限定販売) イラスト集 Season's Album(2002年8月1日、小学館、『TIME CAPSULE』に収録された同名の画集の増補改訂版) 画業40周年記念本 おあとがよろしいようで(2010年12月17日、小学館)- タイトルの通り『ナイン』から『クロスゲーム』までの連載作品の最終回のみを収録・解説した一冊。巻末付録として『QuickJapan Vol.62』に掲載された内容を増補改訂した「あだち充大辞典」が収められている。 装画 大泉エッセイ 〜僕が綴った16年 (2013年4月19日、メディアファクトリー) - 大泉洋のエッセイ集の表紙装画。装画は初めての仕事。大泉があだちの大ファンだということで叶ったもの。16年前の大泉を模したイラストになっている。 イメージイラスト 熱闘甲子園(2013年、朝日放送) 週刊朝日増刊『甲子園2015』(2015年8月3日、朝日新聞出版) - 小学館の媒体以外で「浅倉南」が表紙を飾る初の試みであった。さらに同年9月1日発売の「週刊朝日」本誌でも「上杉達也」が表紙に起用された。 ミックスグリル弁当(2018年、阪神甲子園球場) - 「第90回記念選抜高等学校野球大会」の開催期間にあわせて販売された『MIX』とのコラボ弁当。 小説丸(2017年、小学館) - 小学館文庫の20周年にウェブサイトをリニューアルした際、『虹色とうがらし』に登場する七味と山椒をイメージキャラクターにした。 ジャケット Noriko Hidaka All Time Best〜40 Dramatic Songs〜(2020年12月2日、ポニーキャニオン) - 日高のり子歌手デビュー40周年記念ベストアルバムのジャケット描きおろし 『毎月あだち充』 あだちの過去の作品のみをとりまぜて掲載している月刊誌。2011年4月28日より毎月刊行。 漫画家本シリーズ 漫画家本 vol.6 あだち充本(少年サンデーコミックススペシャル)2018年8月8日、小学館 協力 あだち勉物語 〜あだち充を漫画家にした男〜(2020年9月12日 - 、サンデーうぇぶり) - ありま猛の連載漫画。題字の提供およびネームを監修。兄・あだち勉の破天荒なエピソードを描いている。 映像化作品 アニメ 実写 配信ドラマ ショート・プログラム (2022年3月1日より順次配信) 関連人物 あだち勉 - あだちの実兄であり漫画家。故人。赤塚不二夫のチーフアシスタントを経てあだちプロの専務取締役に就任、アシスタントやマネージャーの仕事をしていた。マネージャーを務めていた1982年から84年にかけて、弟をモデルにしたギャグ漫画『実録あだち充物語』を発表している。弟からは親しみをこめて「バカあんちゃん」と呼ばれていた。 ありま猛 - 兄・勉の弟子で漫画家。兄弟で同居していた時代から交友があり、毎年正月にはありまを実家に招き、あだちの地元の同級生を交えた泊まりがけの麻雀を40年以上続けてきた。ありまの連載『あだち勉物語』では題字を手がけたほか、あだちが「協力」としてクレジットされている。 石井いさみ - 師匠。週刊少年チャンピオン50周年記念サイトのインタビューでは「忙しいときはアシスタントが5人いました、その中に、あだち(充)くんもいて、彼が入ったときなんか、『おい、俺より上手いやつが入ってきたぞ』と女房に言ってねぇ(笑)、本当に絵が上手かった。最後のほうは彼にほとんど描かせたくらい、それくらいキャラクターもそっくりに描いてくれました」と、あだちの画力を絶賛している。 永島慎二 - あだちは10代の頃、永島のファンであり、よく絵の模写をしていた。あだちは高校卒業後は永島のアシスタントに就くことになっていたが、永島が仕事を放ってアメリカに逃亡したため石井いさみに拾われることになった。『ビッグコミックオリジナルONE』2005年10月16日号の「追悼・永島慎二」では永島との思い出を描いた作品『逃げた神様』を執筆している。なお、この追悼企画はあだちが旧知の編集者に電話をかけたことが発端となったもの。 高橋留美子 - 1980年代以降、あだちとともに『週刊少年サンデー』の看板作家を務める友人でありライバル。あだちは少年誌にこだわる理由について「高橋先生の存在が大きい」と述べている。年に数回会い、互いの作品の感想を述べ合うことがあるという。週刊少年サンデー2006年43号巻末コメントにて「1作だけ違うペンネームをつけるとしたら、どんな名前にしますか?」という質問に対しての高橋は「あだち充。」と回答している。『タッチ』作中には高橋のサイン色紙が登場。2009年16号の少年サンデー創刊50周年記念の際には合作漫画『MY SWEET SUNDAY』を掲載し、これは『アイドルA』単行本に収録されている。あだちが一番好きな高橋の作品は『境界のRINNE』であり、また、一番好きな主人公とヒロインそれぞれにも、同作品の六道りんねと真宮桜を挙げている。普通の人柄であることがその理由だという。 島本和彦 - あだちとは互いにファン同士である。『タッチ』に島本の『炎の転校生』の主人公、滝沢昇が3ページほどゲスト出演する回があるが、これは島本が『炎の転校生』連載終了後、他の漫画家の制作現場を経験してアシスタントの使い方を勉強する目的で、1話だけアシスタントに入った日にその場で島本が描いたもの。なお、島本和彦と藤田和日郎の合作『からくり逆境サーカスナイン』では、あだちにより1コマのみ『タッチ』の主要人物3人が登場している。 ミスター・ポーゴ - プロレスラー。あだちとは中学時代の同級生であり、『週刊ゴング』に対談が掲載された事もある。その対談によると、『タッチ』の登場人物・松平孝太郎はポーゴがモデルだと言うことである。 三ツ矢雄二 - 『タッチ』のアニメ版で上杉達也を演じる声優。2018年の連続テレビアニメ『深夜!天才バカボン』第5話ではゲストキャラとして、あだち充を演じた(クレジットでは「あだち充先生」表記)。 アシスタント 小野新二 服部かずみ 脚注 注釈 出典 参考文献 書籍 雑誌 外部リンク あだち充作品情報 日本の漫画家 群馬県立前橋商業高等学校出身の人物 群馬県出身の人物 1951年生 存命人物 日本の野球に関する人物
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新井理恵
新井 理恵(あらい りえ、1971年9月14日 - )は、日本の漫画家。栃木県宇都宮市出身。栃木県立宇都宮南高等学校卒業。血液型はO型。 1990年、『別冊少女コミック』(小学館)11月号増刊に掲載の『ご笑覧ください』でデビュー。 作品中に登場するキャラクターが、しばしばシュールな長台詞でツッコミを入れるのが特徴的。 アマチュア時代、東田正美の名で投稿するほどの車田正美のファンで、それ故か一時期少年誌で作品を発表していた時期もあったが、型にはまった女性キャラを描かないといけないのが嫌で少女向けの雑誌へ戻ったとコメントしている。 作品リスト 4コマ漫画 オムニバスの4コマ漫画 × ―ペケ―(1990年12月号 - 1999年1月号、別冊少女コミック、小学館) 日常茶番事(小学館キャンバス文庫のしおり、小学館) 豆しばばばっ!(2010年5月号 - 2012年3月号、ちゃお、小学館) 豆しばのコミカライズであるが限りなく新井の作風に支配されている、未単行本化、ただしウェブコミックはある。 ストーリー漫画 脳髄ジャングル(1992年8月号 - 1994年7月30日号、デラックス別冊少女コミック、小学館) 第1巻は、「夢の中でぐらいは幸せでいたい」と願う、永井真理(ながい まさみち、通称「まり坊」)が、誤った呪術によって創り出した悪夢枕である「まくらん」と日常を過ごす、エブリデイ・マジックのファンタジー漫画。 Vol.2では、夢・希望・感情などが具現化された状態である人型の「夢魔」が、彼の住む森に迷い込んだ「まくらん」と共同生活をする。 子供達をせめないで(1996年7月号 - 11月号、きみとぼく、ソニー・マガジンズ)(2001年1月号 - 2002年6月号、WALLFLOWER、幻冬舎コミックス) 裕福な家庭に生まれながらも家族から疎まれ、荒れた生活を送っていた男子高校生睦月が、無垢な女子小学生菜摘と出会う。心に孤独を抱えた2人は互いに惹かれ合うようになるが…。 女類男族(おんなるいおとこぞく)(1997年42号 - 1998年11号、週刊ヤングサンデー、小学館) タカハシくん優柔不断(2000年5月号 - 2001年3月号、月刊コミックドラゴン、富士見書房 全2巻) LOVELESS(2000年6月5日号 - 2002年4月5日号、デラックス別冊少女コミック、小学館) 惚れっぽい渡辺薫香(わたなべ くにか)、無愛想な和田涼子(わだ りょうこ)、幼い容姿の武田優希(たけだ ゆき)の女子高校生3人と、薫香のストーカーである後藤浩之(ごとう ひろゆき)が織り成す学園漫画。 甘辛ベビーフード(スーパークロスワード、マガジン・マガジン) - 新井の息子が主人公の実録漫画。 うまんが(2000年10月号 - 2002年4月号、別冊少女コミック、小学館)(2002年6月号 - 2003年5月号、flowers、小学館) 小学校5年生の少女有馬皐月(ありま さつき)が、同じクラスの安田優駿(やすだ ゆうしゅん)に恋するあまり、馬の姿をした自称妖精の「まくまく」を呼び出したことから始まる、エブリデイ・マジックなファンタジー漫画。著者である新井の趣味が競馬であるので、それに関連したものが多数登場する。 ろまんが(2003年6月号 - 2008年1月号 、flowers、小学館) - 『うまんが』のスピンオフで、正統な続編。コンチキチが主人公。 M -エム-(2004年11月号 - 2009年7月号、スピカ、幻冬舎コミックス) 机上意思(デスクトップ)マスター(2009年9月号 - 2011年3月号、スピカ、幻冬舎コミックス) ヨタ話(2012年9月 - 小学館、デラックスベツコミ、Betsucomiフラワーコミックス)既刊6巻 新井理恵劇場 猫山さん(2016年8月 - 小学館、月刊フラワーズ、フラワーコミックスα)既刊3巻 日常の秘め事 (デジタルマーガレット、2016年9月23日 - 2019年5月10日) 原作付きの漫画化作品 ケイゾク/漫画(西荻弓絵原作、1999年10月号 - 2000年1月号、月刊少年エース、角川書店) 青の炎(貴志祐介原作、2003年、あすかコミックスDX、角川書店) 関連項目 ジャンプ放送局 - 「くれいじぃ☆がーる」の名で投稿していた。 うすた京介 - 新井から影響を受けたというギャグ漫画家。 ファンロード - 「東田正美」の名で投稿していた。 外部リンク 小学館コミック -flowers- Webコミック GENZO 幻冬舎コミックス 日常の秘め事 マーガレットBOOKストア! 日本の漫画家 栃木県立宇都宮南高等学校出身の人物 栃木県出身の人物 1971年生 存命人物
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荒木飛呂彦
荒木 飛呂彦(あらき ひろひこ、本名:荒木利之、1960年〈昭和35年〉6月7日 - )は、日本の漫画家。宮城県仙台市宮城野区出身。仙台市立小松島小学校卒業、仙台市立台原中学校卒業、東北学院榴ケ岡高等学校卒業、仙台デザイン専門学校卒業。宮城教育大学中退。既婚者で二女の父。 1980年(昭和55年)に「武装ポーカー」でデビュー(荒木利之名義)。代表作は『週刊少年ジャンプ』(集英社)1987年1・2合併号から連載を開始した『ジョジョの奇妙な冒険』。同作はシリーズごとに主人公や舞台を変えながら長年にわたって連載されており、全世界のシリーズ累計発行部数は1億2000万部を突破している。 略歴 生い立ち 幼少期から「ひとりの世界」に浸るのが好きで、早くから漫画も描いていた。 中学時代には剣道部に所属。この頃には、漠然と漫画家になりたいと思っていたという。当時は梶原一騎の漫画作品『巨人の星』(川崎のぼる画)、『あしたのジョー』(ちばてつや画)などを愛読、また白土三平の忍者・歴史漫画『サスケ』と『カムイ伝』の理論的な作風に影響を受けた。小説では江戸川乱歩や『シャーロック・ホームズ』シリーズをよく読んでいたという。 なお、荒木には4つ下に双子の妹がおり、この2人の仲が良かったことから、「家族の中で疎外感を抱いたため、ひとりで何かを楽しむことが余計に好きになったのだと思う」とインタビューで語っている。 高校時代はロードレース部に所属。この頃に横山光輝のサスペンス作品を愛読する。 荒木曰く、子供の頃に流行した漫画作品はほとんど読んでおり、「ジャンプ」は週刊も月刊も隅から隅まで読んでいた。当時好きだった作品は『リングにかけろ』、『コブラ』、『サーキットの狼』、『荒野の少年イサム』、『包丁人味平』など。 漫画家デビュー 16歳の時に同い年のゆでたまごが『週刊少年ジャンプ』でデビューしたことで、「同い年なのにプロでやっている人がいるのか、これはのんびりしていられないな」と焦りを感じ、高校3年の時に初投稿、以後何度か投稿を重ね、専門学校在学中の1980年(昭和55年)に「武装ポーカー」で第20回手塚賞に準入選しデビュー。 初めて『週刊少年ジャンプ』編集部を訪れたのは高校卒業の直前頃である。当時荒木は手塚賞に投稿しており選外佳作は受賞していたものの、佳作では一行ほどの選評しか得られず自らの作品の欠点が分からずにいたという。そのため、そこを直接はっきり聞きたいと考え上京した。当時はまだ東京・仙台間に新幹線が開通しておらず、片道4、5時間かけて通っていた。 その際のことについて、当時荒木は原稿をホワイトで修正するということを知らなかったために描いた線がはみ出ており、いきなり「おい、ホワイトしてないだろ」と怒られたと語っている。また、編集者が扉絵だけ見て「読みたくない」と言い出すこともあったという。 『魔少年ビーティー』『バオー来訪者』 デビュー後は仙台在住のまま『週刊少年ジャンプ』で『魔少年ビーティー』を執筆していた。『魔少年ビーティー』は連載候補に挙がってから実際に連載開始するまで1年半ほど間が空いたが、その間にも様々な作品を描き溜めており不安はなかったという。しかし、当時は一人で描いていたため技術的に週間連載ができるか自信がなく、その方が不安だったとのこと。 当時の担当編集者とは、よく映画や漫画以外の本についての話をしていた。当時の荒木はそういうことを全く知らず、「えっ、それって何ですか?」と聞くと、「なんだよ、あの本読んでないの?今日、買って読みなさいよ。読まなきゃプロになれないよ?」とプレッシャーをかけられ、とにかく本を読まなければだめだ、という雰囲気があったという。すすめられた本を読んだ後、それを担当と批評し合っていた。 また、荒木は当時の状況について、「ぼくの作品はかならずしも健全な内容じゃないので、ひどく否定されることもありました。たとえば『魔少年ビーティー』のときは、タイトルに「魔少年」と付いているだけでダメだと言われました」と語っている他、後に連載する『ジョジョの奇妙な冒険』についても「少年マンガで外国の主人公はありえない」と言われたという。一方で、「やったことないんだから、ひとまずやってみようじゃないか」と考えてくれる人もいたという。 上京後は『バオー来訪者』を短期連載。この頃から、多種多様なキャラクターが互いの強さを競い合う、バトル系の作品を中心に描くようになる。荒木は「筋肉ムキムキのヒーローだけが強いわけではないだろう」「貧弱な肉体の持ち主でも、自身の弱さを突きぬければ、ヒーローに勝てるかも知れない」と思っていたという。現実的な理由としては、先輩漫画家たちが描いていた表現の隙間を狙わなければ生き残れないという状況も影響していた。 『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズの連載開始 1987年(昭和62年)より『ジョジョの奇妙な冒険』の連載を開始し、2003年(平成15年)までに6部の物語を執筆する長期連載となった。この期に確立した能力バトルという作風は、その後の『週刊少年ジャンプ』の主流となっている他、「現在のバトルマンガは全て『ジョジョ』の影響下にあると言っても過言ではない」とも評されるなど、その後の漫画界に多大な影響を及ぼすことになる。2003年には自身初となる個展「JOJO IN PARIS」をフランス・パリで開催した。 ウルトラジャンプへの移籍 2004年(平成16年)からは『ジョジョの奇妙な冒険』Part7にあたる『スティール・ボール・ラン』の連載を開始し、連載途中の2005年(平成17年)より月刊誌『ウルトラジャンプ』に移籍。 荒木は月刊ペースでの連載について、ページ数の制限によるストレスが無くなり物語のリズムも良くなったと語っている。1話当たりのページ数を増やした理由は「ダイナミックな画面表現と、繊細な心理描写をかねそなえた作品を描こう、と思ったから」であり、週刊連載ペースのコンパクトな起承転結の繰り返しではなく、もっと大きな物語を描きたくなったという。 また移籍により倫理性に関わる描写も変化した。荒木は「40歳をこえて、倫理性にまつわる表現も描かなくちゃダメだろう」「ターゲットを若い読者だけに限定していたら、作品が窮屈になるんじゃないかな」と思ったと述べている。 2007年、日本人漫画家として初めてアメリカの生物科学誌『Cell』の表紙を飾った。 2009年、フランス・ルーヴル美術館「模型の展示室」で開催された企画展「小さなデッサン展 漫画の世界でルーブルを」に、荒木の原画が展示された。本展を記念して、「Rohan au Louvre(岸辺露伴 ルーヴルへ行く)」が発表され、2010年3月19日発売の『ウルトラジャンプ』4月号より3号連続で連載された。 また、『ジョジョ』シリーズは2010年(平成22年)3月4日発売の『スティール・ボール・ラン』20巻にて、通算100巻を達成した。同年11月15日より京都国際マンガミュージアムで開催された「マンガ・ミーツ・ルーヴル――美術館に迷い込んだ5人の作家たち」にて、『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』のカラー原画約20枚が展示され、好評により横浜・BankART Studio NYKでの巡回展も行われた。 2011年(平成22年)、荒木は画業30周年を迎えた。また翌2012年に『ジョジョ』シリーズが連載開始25周年を迎えることもあり、4月1日に荒木の公式サイト「JOJO.com」がオープンした。 4月19日発売の『ウルトラジャンプ』5月号にて『スティール・ボール・ラン』が完結した。5月19日発売の同誌6月号より、『ジョジョ』シリーズのPart8である『ジョジョリオン』の連載を開始した。 8月23日発売の『SPUR』10月号にて、グッチとコラボした漫画『岸辺露伴 グッチへ行く』が掲載された。荒木が女性ファッション誌で作品を発表するのはこれが初であり、同誌には荒木のスペシャルインタビューも収録された。また9月17日よりグッチ新宿で、『岸辺露伴 グッチへ行く』の原画展「岸辺露伴 新宿へ行く」が開催された。 『ジョジョ』シリーズ連載25周年 2012年、『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズは連載開始より25周年を迎えた。 シリーズ25周年を記念して、せんだいメディアテーク6階にて7月28日から8月14日までの日程で「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展 in S市杜王町」が、六本木・森アーツセンターギャラリーにて10月6日から11月4日までの日程で「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展 東京」がそれぞれ開催された。また、7月5日に行われた「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展」の記者発表会では、『ジョジョの奇妙な冒険』のテレビアニメ化が発表されるなど、25周年を記念した企画が続々と実施された。同年、荒木が表紙を描き下ろしたモードファッション誌『SPUR』2011年10月号が第3回雑誌大賞グランプリを獲得した。また12月22日発売の『SPUR』2013年2月号にて、『岸辺露伴 グッチへ行く』に続くグッチとのコラボ漫画第2弾となる『徐倫、GUCCIで飛ぶ』が別冊付録として封入された。 また10月15日に発売されたAERA10月22日号の表紙を荒木が飾った他、フェリシモが主催する「サンタクロース大賞 2012」にノミネートされた。 2013年、1月初旬から2月中旬にかけて、グッチのクリエイティブディレクターであるフリーダ・ジャンニーニとのコラボが全世界70店舗を超えるGUCCI直営ショップのウィンドウにて展開された。また6月28日から7月14日の日程で、イタリア・フィレンツェのGUCCI Show roomにて「荒木飛呂彦原画展 in フィレンツェ」が開催された。 10月12日に東北大学で行われた交流イベント「ホームカミングデー」の仙台セミナーで講演を行った他、11月2日に東京大学本郷キャンパスにて「漫画のセリフについて」の公開講座を実施した。 12月5日、第17回文化庁メディア芸術祭のマンガ部門大賞に『ジョジョリオン』が選出された。 2014年、9月19日発売の『ウルトラジャンプ』10月号に『魔少年ビーティー』の復刻版が付属された。刊行30周年を記念し、絶版となっていたジャンプコミックス版が再現された。 2015年、4月17日には荒木による『荒木飛呂彦の漫画術』が発売された。絵を描く際に必要な「美の黄金比」やヘミングウェイに学んだストーリー作りなど、具体的な方法論を交えながら創作術を解説した作品となっている。また同年には短編『死刑執行中脱獄進行中』が森山未來主演で舞台化された。 『ジョジョ』シリーズ累計発行部数1億部突破、連載30周年 2016年、7月22日から9月25日の日程で六本木にて開催された「ルーヴル美術館総監修 特別展」に参加した他、10月より岩手各地で開催された「希望郷いわて国体(第71回国民体育大会)」と「希望郷いわて大会(第16回全国障害者スポーツ大会)」を記念したイラスト「いわて人間讃歌」を描き下ろした。同年には、ジョジョシリーズ第4部『ダイヤモンドは砕けない』の実写映画化も決定し、翌2017年に公開された。 また、同年12月19日発売の『ジョジョリオン』14巻をもって『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズの累計発行部数が1億部を突破した。荒木は「『ジョジョ』の連載が始まったのが1987年。それから30年をまさに迎えようかというタイミングで1億冊を突破したということは誠に嬉しい事です。そして、30年の間にこの作品とキャラクターたちを、手にとってきてくれた読者の方々には感謝しかありません。けど、これがゴールではなく、30周年となる2017年も様々な企画が盛り沢山なので、これから先も『ジョジョ』を楽しんでもらえればと願っています。」とのコメントを発表した。 2017年、8月12日から9月10日までの30日間にわたり、『ジョジョ』シリーズ30周年を記念して「ジョジョフェス in S市杜王町」が宮城県仙台市で開催された。イベントのメインコンテンツとして「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展 in S市杜王町 2017」が実施され、第1部から第8部まで200枚以上のカラー原画と180枚以上のモノクロ原稿などが展示された。 国立新美術館で原画展「荒木飛呂彦原画展 JOJO 冒険の波紋」開催 2018年、『ジョジョ』シリーズ30周年の集大成として、8月24日から10月1日の日程で東京・国立新美術館にて展覧会「荒木飛呂彦原画展 JOJO 冒険の波紋」が開催された。 国立美術館で漫画家の個展が開催されるのは手塚治虫以来28年ぶり2人目であり、現役の漫画家としては史上初の快挙であった。同館の主任研究員・教育普及室長の真住貴子は、「国立の美術館で展覧会をやるにふさわしい実力をお持ちだということは申し上げる必要もないと思うが、これまでの荒木先生の展覧会とは違った切り口で漫画の新しい可能性をお見せできる展覧会になるというのが最終的な開催の決め手」とコメントした他、当時の館長・青木保は「日本のアニメやゲーム、漫画というと世界から引きがあり、ヨーロッパやアジア、南米、ロシアなどからも来てほしいと要望があり、大変ありがたいことだと思っています。そういう状況の中で『荒木飛呂彦原画展』を催すことができて本当に嬉しく、光栄に感じております」と述べた。 6月21日には国立新美術館にて記者発表会が行われ、荒木も登壇した。舞台上では「『ジョジョ』の原画展については、漫画界に感謝をしたいと思います。手塚(治虫)先生をはじめ、先輩方の作品や助言がなければ『ジョジョの奇妙な冒険』は影も形もなかったと思います。また私より年下の漫画家のみなさんが盛り上げていただいているので、今回の国立新美術館での開催があると思います。みなさまありがとうございます」と感謝を述べた他、自らの口で『ジョジョ』シリーズPart5にあたる『黄金の風』のテレビアニメ化を発表した。 また、11月25日から2019年1月14日までの日程で大阪文化館・天保山にて、2020年1月25日から3月29日の日程で長崎・長崎県美術館にて、2020年4月25日から5月23日の日程で石川県・金沢21世紀美術館にて巡回展がそれぞれ開催された。 2021年に開催された東京オリンピック・パラリンピック競技大会では、公式アートポスターの制作を担当。荒木はパラリンピックをテーマとした「神奈川沖浪裏上空」という作品を発表した。 同年、「荒木飛呂彦に続く王道にして異端なる才能を求むッ!!」と銘打たれた、荒木自らが審査員を務める『ウルトラジャンプ』(集英社)のマンガ賞「荒木飛呂彦漫画賞」が開催された。 8月19日発売の『ウルトラジャンプ』9月号にて『ジョジョ』シリーズPart8の『ジョジョリオン』が完結した。 『ジョジョ』シリーズ連載35周年 2022年、『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズは連載開始より35周年を迎えた。 3月19日には、35周年を記念して1冊全てが『ジョジョ』で構成された「JOJO magazine(ジョジョマガジン)」が刊行。荒木が自らカバーを書き下ろした他、「岸辺露伴は動かない」の71ページにおよぶ新作読切、新作小説、最新作までを網羅したアニメ特集、スピンオフドラマ「岸辺露伴は動かない」シリーズで岸辺露伴役を務めた高橋一生のインタビューなどが収録された。12月19日には2号目となる「JOJO magazine 2022 WINTER」が発売された他、『ジョジョ』シリーズのテレビアニメが10周年を迎えたこともあり、様々な記念企画が実施された。同年、朝日新聞社主催の第26回手塚治虫文化賞・マンガ大賞最終候補9作品に『ジョジョリオン』がノミネートされた。 また12月19日に発売された『ウルトラジャンプ』2023年1月号にて、『ジョジョ』シリーズPart9にあたる『The JOJOLands』が発表された。翌2023年2月17日発売の同誌3月号より連載開始。 趣味趣向・影響 漫画家 荒木は白土三平、横山光輝、梶原一騎を自身の選ぶ3大漫画家として挙げている。中でも横山については、特に学生服の主人公が古代遺跡を探検する『バビル2世』は『ジョジョの奇妙な冒険』Part3のモチーフに影響を与えており、インタビューでは「自分の原点」とも述べている。 同世代であり、自身が漫画家を本気で目指すきっかけにもなったゆでたまごについて、バトルの作り方や世界観、戦っていく構図などで影響を受けているという。また、「同世代ということで、すごく目標というか励みになっている。それって漫画家として幸運だなって。目標がないまま漫画を描いていないという意味で、幸せなことだと思います」と感謝の気持ちも述べている。 他には手塚治虫、藤子不二雄、ちばてつや、大友克洋などの作品を読んでいる。自身の代表作『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズについて、荒木は「彼らと似ていないもの」を描くという発想で生まれたものだと語っており、「今思えば、70〜80年代の漫画家は天才たちだらけ。また、音楽やファッションでも新しいものがどんどん生まれて、刺激的でした。あの時代にデビューし『ジョジョ』を描き始めることができたのは、よかったかもしれない」と振り返っている。 「良い作品には順位はつけられないが」と前置きしつつ、「とにかく次が読みたくて本屋に走った(または何があろうと家に帰り、テレビの前に座った)作品ベスト10」として、『ゴルゴ13 芹沢家殺人事件』、『虹をよぶ拳』、『宇宙戦艦ヤマト』、『ドラゴンボール』、『荒野の少年イサム』、『どろろ(アニメ)』、『賭博黙示録カイジ』、『バビル2世』、『ナニワ金融道』、『北斗の拳』を挙げている。 小説 サスペンスの教科書として、ロアルド・ダール作『チョコレート工場の秘密』を挙げている。荒木は「ワクワク感とスリルと語り口が大好きで、マンガ家になる時は“こういうマンガを描きたい”と思ってましたね。とにかく読んでいる最中ドキドキしっぱなしで、“次どうなるんだよ!”っていう」と語り、デビュー前の荒木にとっての目標であり基本だったとしている。 スティーヴン・キング作『ミザリー』も同じくサスペンスの教科書だとしている。荒木は「作家が熱狂的なファンに監禁され、小説を書かされるという話なんですけど、主人公がどんどんどんどん追いつめられていく過程が本当に面白い。こういうパターンの場合、“逃げればいいじゃん”って読者に思わせちゃダメなんですよね。そう思わせないための演出というか手続きが、絶妙なんですよ」と語っており、「僕が思うサスペンスの、完璧な形ですね。好きだからというより、勉強のために今でも読み返しています」と絶賛している。 また、アーサー・コナン・ドイル作『シャーロック・ホームズ』シリーズからの影響も大きい。荒木も少年時代に読んでいなければ漫画家になっていたか分からないし、『ジョジョの奇妙な冒険』は描けていなかったと思うと語っており、「魅力的なキャラクターを作り上げることの重要性」「物語の作り方」などを学んだとしている。 映画 特にホラー映画から影響を受け、2011年には自身初となる映画評論集『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』を、2013年には『荒木飛呂彦の超偏愛! 映画の掟』を刊行している。 映画俳優で監督であるクリント・イーストウッドの大ファンを公言し、自身の作品に多大な影響を与えたと明かしている。具体的は、『ジョジョ』シリーズに登場する空条承太郎のモデルとなっており、「イーストウッドのように立っているだけで絵になることを目指したキャラクターなんです」と語っている。イーストウッド作品の特徴については「社会からはみだす男の美学」があることだとしており、「はみだし者が孤独を抱えながら戦う」というのは『ジョジョ』シリーズ全体を通じた要素になっている。2012年には対談を果たした。 また『ジョジョ』シリーズに登場するディオ・ブランドーを生み出す際に、『ブレードランナー』に登場するレプリカントのロイ・バッティ(演:ルトガー・ハウアー)から影響を受けたとしている。 絵画・美術品・ファッションなど 荒木は自身の絵柄についてルネッサンス美術、特にミケランジェロに影響を受けたと公言しており、「ジョジョ立ち」と呼ばれる独特のポージングもイタリア美術が発想の元となっている。また『ヴォーグ』などのファッション雑誌が好きで、1980年代のベルサーチやなどが『ジョジョ』のファッションのルーツだと語っている。色は紫を好み、カラーイラストでも多用される。絵柄についてはファッション・イラストレーターのアントニオ・ロペス (イラストレーター)(例)やSF・ファンタジー画家のフランク・フラゼッタ、ヨーロッパの漫画家エンキ・ビラルやなどからの影響も指摘されている。また、絵の特徴やデザインはシンプルなほどよく、車田正美のような極限まで単純化された画面や物語が最高と語っている。 また、独特のカラーリングについては「ポール・ゴーギャンが砂浜の色をピンクに塗っていたのが、子供のころから魅力的だと思っていた。何色で塗ってもいいんだ、と」と語っている。 洋楽 荒木はいつも仕事中に洋楽を聴いているという大の洋楽好きとして知られ、洋楽ならばジャンルを問わず何でも聴くと発言している。また、代表作『ジョジョの奇妙な冒険』内ではキャラクター名やスタンド名などの大半を洋楽の楽曲名から引用している。音楽を聴きながら作品を描く理由としては「音楽をかけるのはミュージシャンの考えやファッション、時代に対する姿勢だとかを隣において、感じるためでもあるんです」「ミュージシャンやアーティストたちが、苦しさとかトラブルを抱えながら創作した音楽を届けてくれているんだと思うと、励みになるんですよ」と述べている。 なお、生涯のベストアルバム5選には『危機(イエス)』『レイト・フォー・ザ・スカイ(ジャクソン・ブラウン)』『ヒステリア(デフ・レパード)』『フィジカル・グラフィティ(レッド・ツェッペリン)』『ビヨンド・ザ・ミズーリ・スカイ(チャーリー・ヘイデン&パット・メセニー)』を、好きなジャケットデザイン5選には『危機(イエス)』『不死蝶(サンタナ)』『ブラインド・フェイス(ブラインド・フェイス)』『ブレックファスト・イン・アメリカ(スーパートランプ)』『アンダーカレント(ビル・エヴァンス&ジム・ホール)』をそれぞれ挙げている。 プリンス 荒木は洋楽アーティストの中でも特にプリンスのファンであることを公言しており、好きな理由として、「動かせない運命の流れみたいなものがアルバムの中にあり、聴いていて完璧な世界に浸れる」という点を挙げている。他にも「プリンスにはセクシーさを出している曲がありますけど、『前向きに生きていこう』っていう生命力のメッセージがあるんですよね。ちょっとしたゲスさも入ったりもするけど、それがまたいいんです」、「いつも創作に勇気を与えてくれる人です。心強いですよ。過去の作品を聞くと、いつも迷った時に『プリンスだったら、つまんないことにこだわらないだろうな』とか『そこを突破していくだろうな』っていうことを思い出すんです」とも語る。 作風 荒木の作風は、哲学や経済そして自然科学などを上手い具合に取り入れながら、今われわれが生きる世界に通じる“同時代性”や“現実感”を加えてきた、とも評される。荒木自身も「絵を描くことは、ある種、化学実験。絵を描きながら学んでいる部分もあると思います。自然科学や物理学、そして哲学や経済、そういったものが全部一体化した思想や理論の中で『ジョジョ』の世界を描いていくことが理想です」と語っている。 画風 評論家の加藤幹郎は、高度な技術で過去の作品の引用を行うその作風から荒木をマニエリスムの作家と評している。美術史学者の辻惟雄は荒木の画風について、「マンガ特有の誇張というものは、日本の絵巻物の頃からあって、今も変わらない傾向があります。その中でも『ジョジョの奇妙な冒険』は極点まで行った観があるね。最初はマッチョな肉体を描くアメコミの影響が強いように見えたけど、巻を追うごとに奇想になってきますね。空想力が豊かで、密度が凄い」と評している他、「バラエティの豊富さは北斎を思わせますが、それだけともちょっと違う。『ジョジョの奇妙な冒険』は形を極端に歪めたり、誇張したり、マニエリスムのようでもある。立体的で幻想的な描き方は、曾我蕭白に近いものを感じますね」とも指摘している。 一方で連載開始時から「人間讃歌」をメインテーマとして掲げる『ジョジョの奇妙な冒険』は「ある意味で少年漫画の王道」と評されており、荒木自身「昔からある少年漫画の伝統を受け継いでいるつもり」と話している。しかし、荒木は「子ども向けに描いたつもりはない」とも発言している。 また荒木が影響を受けた横山光輝と梶原一騎から、梶原的なマッチョイズムと、横山の歴史マンガなどにみられる盤上の駒を淡々と眺めているような冷めた視線という、相反する成分が共存した作風であると指摘する意見もある。 コマ割り 荒木の作品では非対称な変形コマを多用し、ページ全体が歪んで見えるようなコマ割りがしばしば行なわれる。「斜めになったコマ」はそれほど珍しいものではないが、「1ページのコマ割り全体が斜めになっている」のは他にあまり例がない。この変形ゴマは『ジョジョ』Part3後半より使われるようになり次第に頻度が増え、それに従いコマ外の余白が増えていったが、Part7『スティール・ボール・ラン』では全ページがタチキリ(ページの端いっぱいまで絵を入れること)で描かれるようになったため余白が激減した。このタチキリの使用については、Part7の舞台である西部アメリカの広大さを意識して取られた方法ではないかと指摘されている。 台詞回し・擬音 台詞回しはしばしば翻訳調と言われており、荒木も「本を読んだ影響が残っているんじゃあないか」と話している。また、この「じゃあないか」という口調も「じゃないか」に「あ」を加えた荒木独特のものであり、「じゃあない」、「じゃあないぜ」、「じゃあないのォ?」といったパターンも確認されており、作中の人物の特徴的な言い回しはネット上で改変されて使われることも多い。また、緊迫シーンなどで「ゴゴゴゴゴゴ・・・」「ドドドドドド・・・」や「ドォーン」といった(物理的ではなく)心理的な状態を表現する独特の擬音が使われており、これらはサスペンス映画で使われるような効果音を漫画にも欲しいと思ったことが発想の元になったと述べている。荒木の音楽好きは広く知られており、「ズギュウン」や「ズッギャーン」など、楽器の音をイメージした擬音が多い。なお、登場人物が必殺技の名前を叫ぶのは車田正美の影響である。 キャラクター設定 荒木は漫画を描く上で最も重要な要素を「キャラクター作り」と捉えており、設定の際には履歴や家族構成、所属組織の他、趣味や癖、信条など60近い項目が存在する「キャラクター身上調査書 」を用いてそのキャラクターのバックボーンを作り上げる方式を取っている。また、悪役は「前向きな性格にする」と決めており、そうしないと「ストーリーが破綻しちゃうんで」と語っている。 ジョジョ立ち 『ジョジョの奇妙な冒険』には登場人物に腰の極端なひねりや捻転、奇矯な手足の動きなどを加えた独特のポージングが頻出する。これらのポーズは、荒木が20代のときに『北斗の拳』『リングにかけろ』『キャプテン翼』などの強い個性を持つ当時の『ジャンプ』連載陣の中で自分の独創性を模索していた頃、イタリアの彫刻芸術からヒントを得て作り上げられたものだという。2013年に行われた第88回箱根駅伝では、順天堂大学アンカーの選手が、ゴールの際ジョジョ立ちをして話題になった。エゴン・シーレやグスタフ・クリムトなどの、敬愛する画家が描いた人物そのままのポーズや顔を描くことも少なくない。 超能力の表現 作中の「波紋」(呼吸を中心とする特殊な身体技法)や「スタンド」の能力表現は、同郷の先輩である大友克洋が超能力の表現に使っていた「歪む背景」が、不可視であることに不満を持ったことが発想の元となったという(また「スタンド」に関してはつのだじろう『うしろの百太郎』にも言及している)。なお大友の作品に関しては、空間表現や緻密な描写などが大いに作画の勉強になったとも語っている。 執筆スタイル 荒木は漫画家を始めた当初は、若さゆえほかの漫画家に闘争心を燃やすあまり徹夜することも多かったというが、「結局最後は自分との闘いになる」との理由で考えを変え、『ジョジョ』連載くらいからは、基本的に徹夜をせずに毎朝10時に起床して23時まで執筆する生活とし、日曜日はネーム、月から木まで作画、金、土は休養(取材)というサイクルの執筆を続けている。荒木のこのような規則正しい生活は『週刊少年ジャンプ』で『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を長寿連載していた秋本治を見習ってのことで、締め切りも今まで破ったことがないという。 愛用している画材はカートリッジ式の筆ペン。仕事の開始前には、自分で豆を挽いてコーヒーを淹れることが習慣だという。 手書き 2012年時点でも荒木は手書きにこだわっており、机の上にはパソコンやモニタなどは置いていないが、画材には強いこだわりはなく、ぺんてるの筆ペンとゼブラのGペン、シャープペンシル、下書き用に青鉛筆(キャラクターを描く際のアタリを描くことに用いる)があれば十分だという。またペン入れには開明書液を使っているほか、30年前に父親が製作した卓上製図板を現在でも使い続けている。下書き前には、青鉛筆をカッターナイフで削ることから始める。これは漫画家デビューの時から行なっている行為らしく、「儀式」のようなものであると語る。この行為から、執筆作業に対しての気持ちが入っていく面もあるという。 手書きについては、「例えば料理をしているときに『この味なんだろう』っていう、驚きがあったりするじゃないですか。あれが絵の中にあるんですよ。手で描いてるとね、『おお〜!』って思う時があって、あれが好きなんですよ。その連続というのが手描きの魅力で」と語っている。デジタルツールを用いたこともあるが、下手なせいか時間がかかってしまい手で描いた方が速いという。 月刊連載への移籍 荒木は月刊連載に移行した理由について、「週刊連載が量的にきつくなった」と語っており、「若いころは一晩寝れば治っていたんですけど、治らなくなったりしていますし。関節とかを悪くして、それを我慢してやっていると、どんどん悪化していくんですよ」と身体が衰えてきていることを明かしている。 健康 単行本の著者近影は10数年間ほとんど変わらず若々しさを保っており、『ユリイカ』で10年越しにインタビューを行った斎藤環は荒木について「当時と比べてまったくお変わりないですね。むしろ若返ったくらいで驚くばかりです。さすが波紋の使い手というか……」と作品にちなんで驚きを表すも、それに対して荒木は「着実に老化しており、週刊連載が量的にきつくなったから月刊に移った」と語っている。 体力維持のため50歳を過ぎてもジムでのトレーニングや水泳を欠かさず、ご飯はひとめぼれを食べる。また独自の健康法として冬でも冷水のシャワーを浴びるというものがあったが心臓への負担の考慮から現在はやっていないと述べている。 年譜 1960年(昭和35年) - 宮城県仙台市に出生。 1980年(昭和55年) - 専門学校在学中に第20回手塚賞に本名で応募した「武装ポーカー」が準入選。 1981年(昭和56年) - 『週刊少年ジャンプ』に同作品が掲載されプロデビュー。 1982年(昭和57年) - 『魔少年ビーティー』で初連載。(1983年まで) 1984年(昭和59年) - 東京へ拠点を移し『バオー来訪者』連載開始。(1985年まで) 1985年(昭和60年) - 『ゴージャス☆アイリン』連載開始。(1986年まで) 1987年(昭和62年) - 『週刊少年ジャンプ』にて『ジョジョの奇妙な冒険』連載開始。1999年(平成11年)までに5部の物語を執筆。 2000年(平成12年) - 『ジョジョの奇妙な冒険Part6 ストーンオーシャン」を連載開始。この頃よりCDのジャケットやTシャツのデザインなど、イラストレーションの仕事も増える。 2003年(平成15年) - 4月、フランスのパリで自身初の個展「JOJO IN PARIS」開催。 2004年(平成16年) - 『週刊少年ジャンプ』にて『ジョジョの奇妙な冒険』のPart7にあたる『スティール・ボール・ラン』を連載開始。 2005年(平成17年) - 『スティール・ボール・ラン』が『ウルトラジャンプ』へ移籍。 2007年(平成19年) - アメリカの科学雑誌『セル』9月7日号の表紙絵を描き下ろす。同誌に論文を掲載した瀬藤光利の依頼によるもので、研究グループが発見したタンパク質分解酵素「スクラッパー」をスタンド風に擬人化したイラストが掲載された。 2008年(平成20年) - 川端康成の小説『伊豆の踊子』(集英社文庫)の表紙画を手がける。 2009年(平成21年) - フランスの出版社・フュチュロポリスとルーヴル美術館との共同企画『BD(バンド・デシネ)プロジェクト』の一環として、自身初のフルカラー漫画作品『Rohan au Louvre(邦題:岸辺露伴 ルーヴルへ行く)』を執筆。本編公開に先駆け、フランス・ルーヴル美術館テーマ企画展:『小さなデッサン展-漫画の世界でルーヴルを』にて表紙案とイメージボードを展示し、2010年(平成22年)に仏語版単行本を発売。日本では2010年(平成22年)に『ウルトラジャンプ』にて日本語版をモノクロ掲載、2011年(平成23年)に日本語版単行本化。 2011年(平成23年) - 3月11日、故郷の仙台市が東日本大震災で被災。4月、初の荒木飛呂彦オフィシャルサイトである公式サイト「JOJO.com」をオープン。『ウルトラジャンプ』にて『ジョジョの奇妙な冒険Part8 ジョジョリオン』を連載開始。ファッションブランド『GUCCI』のブランド設立90周年と自身の執筆30周年を記念して短編のSpur×Gucci×荒木飛呂彦コラボ作品『岸辺露伴 グッチへ行く』をファッション雑誌『SPUR』に掲載、グッチ店舗のウィンドディスプレイも手掛けた。9月には新宿で「岸辺露伴 新宿へ行く展」が開催され、『岸辺露伴 グッチへ行く』の原画などが展示された。達増拓也岩手県知事の発表した『東北復興平泉宣言』のイメージイラストを手がけた。 2012年(平成24年) - 『ジョジョの奇妙な冒険』の連載25周年を記念し、7月に国内初となる原画展「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展 in S市杜王町」をせんだいメディアテークで、また10月には「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展」を森アーツセンターギャラリーで開催。前年の『SPUR』表紙イラストが第3回雑誌大賞グランプリに選ばれた。『ダ・ヴィンチ』8月号、『AERA』10月22日号の表紙を自らのポートレイトで飾った。宮城県芸術選奨(メディア芸術部門)受賞。 2013年(平成25年) - 6月、イタリアのフィレンツェにあるGUCCIショールームにて原画展『HIROHIKO ARAKI AN EXCLUSIVE MANGA EXHIBITION IN FLORENCE』を開催。 2016年(平成28年) - 第45回ベストドレッサー賞(学術・文化部門)受賞。「いわて人間賛歌」のイラストを手がける。 2017年(平成29年) - 8月、せんだいメディアテークで原画展「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展 in S市杜王町 2017」を開催。 2018年(平成30年) - 国立新美術館と大阪文化館・天保山で原画展「荒木飛呂彦原画展 JOJO 冒険の波紋」を開催 2020年(令和2年) - 2020年東京パラリンピックの公式アートポスターを手がける。長崎県美術館と金沢21世紀美術館で原画展「荒木飛呂彦原画展 JOJO 冒険の波紋」を巡回開催。2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)のロゴマーク選考委員を担当。 2021年(令和3年) - 第6回マンガ郷いわて特別賞受賞。 作品リスト 漫画 太字は連載作品。●:『ゴージャス☆アイリン』収録、○:『死刑執行中脱獄進行中』収録、◎:『岸辺露伴は動かない』収録、☆:単行本未収録。 武装ポーカー(●1980年、週刊少年ジャンプ (WJ) ) - 第20回手塚賞準入選作。 アウトロー・マン(●1981年、WJ増刊) バージニアによろしく(●1981年、WJ増刊) 魔少年ビーティー【読切版】(●1982年、フレッシュジャンプ) 魔少年ビーティー(1983年、WJ) バオー来訪者(1984年 - 1985年、WJ) ゴージャス☆アイリン(●1985年 - 1986年、WJ増刊) ジョジョの奇妙な冒険(1987年 - 2004年、WJ、2005年 - 連載中、UJ) Part 1 ファントムブラッド(1987年) Part 2 戦闘潮流(1987年 - 1989年) Part 3 スターダストクルセイダース(1989年 - 1992年) Part 4 ダイヤモンドは砕けない(1992年 - 1995年) Part 5 黄金の風(1995年 - 1999年) Part 6 ストーンオーシャン(2000年 - 2003年) Part 7 スティール・ボール・ラン(2004年 - 2011年、WJ→ウルトラジャンプ (UJ) ) Part 8 ジョジョリオン(2011年 - 2021年、UJ) Part 9 The JOJOLands(2023年 - 連載中、UJ) 変人偏屈列伝(初期作画:鬼窪浩久、1989年 - 2003年、スーパージャンプ (SJ)・MANGAオールマン (MA)・UJ) 死刑執行中 脱獄進行中(○1994年・2008年(再録)、SJ) ドルチ 〜ダイ・ハード・ザ・キャット〜(○1996年、MA) 岸辺露伴は動かないシリーズ 岸辺露伴は動かない〜エピソード16:懺悔室〜(○・◎1997年、WJ) 岸辺露伴は動かない 〜エピソード2:六壁坂〜(◎2007年、ジャンプスクエア・2009年、ジャンプスクエア マスターピース〈再録〉) 岸辺露伴 グッチへ行く(◎2011年8月23日発売、集英社『SPUR』10月号・2012年『JOJOmenon』〈再録〉) - 岸辺露伴のアナザーストーリー・シリーズ。オールカラー読み切り短編作品。 岸辺露伴は動かない 〜エピソード5:富豪村〜(◎2012年、WJ) 岸辺露伴は動かない 〜エピソード6:密漁海岸〜(◎2013年、WJ) 望月家のお月見 岸辺露伴は動かない エピソード4(◎2014年、少年ジャンプ+) 岸辺露伴は動かない エピソード7 月曜日-天気雨(◎2015年、ジャンプスクエア) 岸辺露伴は動かない エピソード#8 D・N・A(◎2017年、別冊マーガレット) 岸辺露伴は動かない エピソード09 ザ・ラン (◎2018年、WJ) 岸辺露伴は動かない エピソード10 ホットサマー・マーサ(◎JOJO magazine 2022 SPRING) 岸辺露伴は動かない ドリッピング画法(◎2022年、UJ) デッドマンズQ(○1999年、MA) 岸辺露伴 ルーヴルへ行く(2010年、UJ) - 『小さなデッサン展-漫画の世界でルーヴルを』に展示された漫画の再録。 徐倫、GUCCIで飛ぶ(☆2012年12月22日発売、集英社『SPUR』2月号) - GUCCI×JOJO 第二弾。オールカラー読み切り短編作品。 単行本 発行は注記のない限り全て集英社。 ジャンプ・コミックス 魔少年ビーティー(全1巻、1984年) バオー来訪者(全2巻、1985年) ジョジョの奇妙な冒険(全63巻、1987年 - 1999年) ジョジョの奇妙な冒険 Part 6 ストーンオーシャン(全17巻、2000年 - 2003年) スティール・ボール・ラン(全24巻、2004年 - 2011年) ジョジョリオン(全27巻、2011年 - 2021年) 岸辺露伴は動かない(既刊2巻、2013年 - ) The JOJOLands(既刊1巻、2023年 - ) ジャンプ スーパー コミックス(創美社発行、集英社発売) 荒木飛呂彦短編集 ゴージャス☆アイリン(全1巻、1987年) SCオールマン愛蔵版→YJC-UJ愛蔵版 死刑執行中脱獄進行中(全1巻、1999年) YJC-UJ愛蔵版 ゴージャス☆アイリン(全1巻、2004年) 変人偏屈列伝(鬼窪浩久との共著、全1巻、2004年) UJ愛蔵版 岸辺露伴 ルーヴルへ行く(全1巻、2011年) 集英社コミックス愛蔵版 函装版ジョジョの奇妙な冒険・JoJonium(第1期・全17巻、2013年 - 2015年) 集英社文庫 魔少年ビーティー(全1巻、2000年) バオー来訪者(全1巻、2000年) ジョジョの奇妙な冒険(既刊66巻、2002年 - ) オインゴとボインゴ兄弟 大冒険(全1巻、2002年) 死刑執行中脱獄進行中(全1巻、2011年) ゴージャス☆アイリン(全1巻、2011年) 変人偏屈列伝(鬼窪浩久との共著、全1巻、2012年) SHUEISHA JUMP REMIX ジョジョの奇妙な冒険(既刊64巻、2001年 - ) 魔少年ビーティー対バオー来訪者(全1巻、2004年) ゴージャス☆アイリン(全1巻、2007年) ジョジョの奇妙な冒険 Part 6 ストーンオーシャン(全10巻、2009年) 死刑執行中脱獄進行中(全1巻、2012年) 集英社新書 荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論(全1巻、2011年) ジョジョの奇妙な名言集 Part1-3(解説 中条省平、2012年) ジョジョの奇妙な名言集 Part4-8(2012年) 荒木飛呂彦の超偏愛! 映画の掟(全1巻、2013年) 荒木飛呂彦の漫画術(全1巻、2015年) 画集 JoJo6251 荒木飛呂彦の世界(1993年) JOJO A-GO!GO!(2000年) JOJOVELLER(2013年) JOJOnicle(2018年) その他 『県立海空高校野球部員山下たろーくん』 寄稿文・イラスト(1988年) 『世界デザイン博覧会』 新聞広告 イラスト寄稿(1988年) 『ファミコンジャンプII 最強の7人』 モンスター・7大ボスデザイン(1991年) 『こちら葛飾区亀有公園前派出所 Kamedas』 イラスト寄贈(1993年) SUGIURUMN アルバム『MUSIC IS THE KEY OF LIFE』 ジャケットイラスト(2000年) 大塚ギチ、宮昌太朗 『ジョジョの奇妙な冒険II ゴールデンハート/ゴールデンリング』 挿絵(2001年) SUGIURUMN アルバム『LIFE GROUND MUSIC』 ジャケットイラスト(2002年) 『女王陛下の少年スパイ!アレックスシリーズ』 表紙・挿絵(2002年) 『アディダス マンガフィーバー』イラスト(2002年) 『こちら葛飾区亀有公園前派出所 超こち亀』 連載30周年特別寄稿 こち亀キャラinアナザーワールド 1ページコラボ(2006年) SOUL'd OUT シングル『Catwalk』 ジャケットイラスト(2006年) 『UNIQLO CREATIVE AWARD 2006』 Tシャツデザイン(2006年) 大亜門 『太臓もて王サーガ』 外伝 1ページコラボ(2006年) コミックバンチ増刊号 『北斗の拳』トリビュート・ピンナップイラスト(2006年) 『プレステージ』 公開初日プレゼント用ステッカー描き下ろし(2007年) 米科学誌『セル』 Volume 130 表紙 (2007年) 乙一 『“The Book” jojo's bizarre adventure 4th another day』 挿絵(2007年) 集英社文庫『伊豆の踊り子』 表紙(2008年) 『NARUTO-ナルト-秘伝・皆の書』 イラスト寄贈 (2009年) 『ハイパーアングルポーズ集』 Introduction(2010年) 『ハイパーアングルポーズ集 vol.2 shape of men』 Introduction(2010年) 『SPUR』2011年10月号 表紙(2011年) 上遠野浩平 『恥知らずのパープルヘイズ -ジョジョの奇妙な冒険より-』 表紙・挿絵(2011年) 『東北復興平泉宣言』 イメージイラスト(2011年) 西尾維新 『JOJO'S BIZARRE ADVENTURE OVER HEAVEN』 表紙(2011年) 石川さゆり アルバム『X -Cross-』 ジャケットイラスト(2012年) 斎藤環『生き延びるためのラカン』文庫版 カバーイラスト(2012年) 美術手帖 2012年 11月号 表紙(2012年) 第63回NHK紅白歌合戦 石川さゆり 背景イラスト(2012年) JOJO's Kitchen 荒木飛呂彦 パスタを作る - ジャンプLIVE1号(2013年)企画 JOJO's Kitchen 「シュールストレミングを食べてみた!」 - ジャンプLIVE2号(2014年)企画 ダーティ・ループス アルバム『ダーティ・ループス〜コンプリート・エディション〜』ジャケットイラスト(2014年) 千住明 アルバム『メインテーマ』 ジャケットイラスト(2015年) 熊野本宮大社 お守り「和の守り」デザイン(2016年9月22日より授与開始) DRAGON BALL SUPER GALLERY - 『最強ジャンプ』2022年 8月号 裏表紙(2022年) 『冨樫義博展 -PUZZLE-』 コメント・イラスト色紙寄贈(2022年) テレビ出演 NHK 『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝〜』1981年5月25日 フジテレビ721 『週刊少年「」』2003年4月15日 スカパー! 『MTV SOUL'd OUT スペシャル』2005年2月3日、5日、6日、11日 NHK BS2 『マンガノゲンバ』 2006年7月4日 GyaO 『溜池Now』(第37回 世界一受けたい!!「ジョジョの奇妙な…」授業) 2007年8月6日配信 NHK教育テレビジョン 『日曜美術館』「命輝く家族の肖像 〜モーリス・ドニ〜」2011年10月2日 NHK教育テレビジョン 『NHK高校講座(芸術・美術)』2012年7月26日 TBS 『王様のブランチ』2012年10月13日 フジテレビ 『めざましテレビ』2012年10月16日 テレビ東京 『サキよみ ジャンBANG!』2012年10月19日 NHK Eテレ 『SWITCHインタビュー 達人達』「荒木飛呂彦×千住明」2013年4月20日 NHK『探検バクモン 国立西洋美術館 奇妙な冒険』2018年8月29日 MBS『ちちんぷいぷい』2018年11月30日 NHK Eテレ『日曜美術館』2019年5月19日 NHK『謎の国宝 鳥獣戯画 “楽しい”はどこまで続く?』2020年5月17日 NHK Eテレ『日曜美術館』新春SP「#アートシェア2022」2022年1月1日 NHK Eテレ『日曜美術館』「まなざしのヒント メトロポリタン美術館展」2022年5月8日 関連人物 こせきこうじ 荒木が生まれて初めて肉眼で目撃した漫画家はこせきこうじで、手塚賞・赤塚賞授賞式の場であった。荒木はこせきの『県立海空高校野球部員山下たろーくん』第5巻に文章を寄稿しており、同作品について「『ジョジョ』を描く上でどの作品よりも影響を受け、最も尊敬している作品である」「漫画のヒーローは心の底に誰よりも熱い気持ちを持ち、目的を持って成長すればいい、という事を教えられた」と書いている。 高橋和希 『遊☆戯☆王』の原作者で荒木のファン。『ジョジョ』を見たことが漫画家を目指すきっかけになっており、『遊☆戯☆王』の劇中カードゲーム『マジック&ウィザーズ』の原型は実在するカードゲームと『ジョジョ』の世界観である「スタンド」に由来し、メインキャラのメインカードはスタンドに近い設定で「精霊」と呼ばれている他、世界観は『ジョジョ』のPart3以降を基に製作している(コマ割りや舞台など)。高橋曰くPart3から『ジョジョ』に嵌ったとコメントしている。 武論尊、原哲夫 『北斗の拳』の原作者と作画担当者。『ジャンプ』時代の同期で交流も深い。そのため『北斗の拳』関連の企画に積極的に参加している。 宅八郎 友人。過去に何度か雑誌で対談している。 アシスタント 鬼窪浩久 中祥人 三部敬 田中靖規 椎橋寛 蒔野靖弘 神海英雄 滝れーき 脚注 注釈 出典 参考文献 青土社『ユリイカ』2007年11月臨時増刊号 第39巻第14号 総特集・荒木飛呂彦 太田出版『QuickJapan』Vol.75 2007年12月 特集・ジョジョの奇妙な冒険 『杜王新報 特別版』2012年 - 仙台での「ジョジョ展」で販売された新聞形式の冊子。河北新報が紙面作成を担当している。 外部リンク 荒木飛呂彦公式サイト 『JOJO.com』 ジョジョの奇妙な冒険 公式サイト スティール・ボール・ラン 公式サイト - 岩手県公式動画チャンネルが2021年12月24日にアップロード 日本の漫画家 仙台市出身の人物 1960年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%82%8D%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%97
あろひろし
あろ ひろし(1959年5月15日 - )は、東京都出身の日本の漫画家、同人活動家。 東京都立小岩高等学校およびデザイン学校を卒業、自画像は眼鏡をかけたワニで、初期の作品群『アリゲーター』シリーズの主人公としても使用されている。 経歴 20歳の時に初めて漫画家を志し、絵を描き始める。1980年、『スタートラブルスペコマE-1』で第13回赤塚賞に準入選する。デビュー後、秋本治のアシスタントを1年半務める。 独立後は人気が伸び悩み、加藤唯史のアシスタントとなる。桂正和の代原として『とっても少年探検隊』でタッチを変えて復活し、『月刊少年ジャンプ』に移行して『優&魅衣』の連載を開始。「スタヂオぱらのい屋」開設後は、集英社を含む複数の出版社で作品を発表しつつ、今日に至る。 1995-1996年頃、『ヤングアニマル』(白泉社)での代理原稿掲載時にばたぁ健(ばたぁけん)、片今羅人(かたいまらひと)といった別名義を使用したことがある。 作風 上記以外の代表作として『ふたば君チェンジ♡』『ハンター・キャッツ』などが挙げられる。また、ライトノベル『魔獣戦士ルナ・ヴァルガー』(秋津透著)の挿絵も第9巻まで担当している。 作風としてはSF色の強いギャグ漫画が持ち味だが、シニカルでブラックな笑いや、ほのぼのとしたユーモアなどバラエティに富む作品が多い。『優&魅衣』の完結と共に「ギャグ漫画家」を卒業し「ギャグも描く漫画家」となったと宣言し、以降はシリアスなSFやホラーなども積極的に手がけるようになる。強い影響を受けた作家として、星新一の名を挙げている。 自らを「比較的短い作品」向きのタイプと評し、それを裏付けるように読み切り作品の発表が多く、連載も長く続くことは比較的少ない。連載期間の最長記録は、長らく『ふたば君チェンジ♡』の6年4ヶ月であったが、『ボクの社長サマ』の連載が8年10ヶ月続いた事によって更新された。 執筆の際は、ネームを作らずに白紙に直接描き進めていくため、物語の流れや新登場するキャラクターの設定が当初の予定から大きく変化することがあるという。作者自身が単行本などで直接言及した例として、『若奥さまのア・ブ・ナ・イ趣味』の「加世」、『ソリャナイゼみるきぃライフ』の下着ドロボウ、『桃色物件』の「実輪音子」などが挙げられる。 人物 巨漢として知られ、各方面でしばしばネタにされる(自らネタにすることもある)。また師匠の秋本曰く、本名は珍しい名前とのこと。 デビュー当時からコミックマーケットにも積極的に参加しており、第28回コミックマーケットにおいてはカタログの表紙イラストを手がけている。本業の漫画作品に見られる独創的な発想力は、同人活動においても、同人誌の内容はもちろんグッズや販売形態にまでも遺憾なく発揮されている。 現在は、デジタルアーツ東京で講師を務めている。2006年頃に眼の病気を患い、それ以来は片眼に近い状態で漫画を描いている。長らく独身であったが、2007年ごろに結婚した。 作品リスト 連載中の作品 単行本 日付は初版発行日。 なお、芳文社発行の『ボクの社長サマ』『よめヨメかなたさん』『妖こそ!うつつの分校』以外の単行本はすべて既に絶版となっているが、Amazon Kindle、クリーク・アンド・リバー、ビーグリーより電子書籍が再版されているものもある。 ぶぎ♡うぎアリゲーター(集英社漫画文庫:集英社)1983年12月25日 ぶぎ♡うぎアリゲーター(ジャンプコミックスセレクションワイド判:ホーム社・集英社)1990年4月21日(「アリゲーター・シリーズ」7話と短編「おいでませテーラー虻脳丸」「虻脳丸の日び」「ストアー・ウオーズ」収録) おみそれ! トラぶりっ娘(ジャンプスーパーコミックス:創美社・集英社)1984年8月15日 おみそれ! トラぶりっ娘DX(デラックス)(ジャンプスーパーエース:創美社・集英社)1992年4月15日(表題作全10話と短編「あの娘(こ)は氷点下」「トラブル・セパレーション」「スタートラブル スペコマE-1」「百物語の夜」「小さな行為の物語」「あの霊(こ)とフルタイム」収録) とっても少年探検隊(ジャンプスーパーコミックス:創美社・集英社)1985年10月15日(表題作と短編「岡科寮奇談」収録) とっても少年探検隊II(ジャンプスーパーコミックス:創美社・集英社)1993年3月9日 優&魅衣(ジャンプ・コミックス:集英社)1986年3月15日 - 1989年2月15日・全8巻 優&魅衣(ジャンプコミックスセレクション:ホーム社・集英社)1995年8月26日 - 1995年12月13日・全5巻 MORUMO 1/10(少年キャプテンコミックス:徳間書店)1986年9月20日 - 1987年7月20日・全2巻 MORUMO 1/10(少年キャプテンコミックススペシャル:徳間書店)1994年10月5日 - 1994年11月10日・全2巻 TRICK STER(富士見ファンタジアコミックス:富士見書房)1988年10月31日 TRICK STER(ドラゴンコミックス:角川書店)1995年3月1日 雲界の旅人(アニメージュコミックススペシャル:徳間書店)1989年5月1日 雲界の旅人(少年キャプテンコミックススペシャル:徳間書店)1994年12月20日 - 1995年2月20日・全2巻 雲界の旅人~島の花嫁~(同人誌)2017年10月1日(クラウドファンディング支援で描かれた続編エピソード) シェリフ(ジャンプ・コミックス:集英社)1989年10月15日 - 1990年4月15日・全2巻 ぱらのい屋劇場(ジャンプコミックスデラックス:集英社)1989年11月15日 - 1991年3月15日・全2巻 若奥さまのア・ブ・ナ・イ趣味(少年キャプテンコミックススペシャル:徳間書店)1990年6月20日(表題作全5話と「それいけ!奥秩父研究所(全4話)」「マッドサイエンティスト自己採点用紙」収録) ふたば君チェンジ♡(ジャンプ・コミックス:集英社)1991年6月15日 - 1997年4月9日・全8巻 あろひろし作品集(ラポートコミックス:ラポート) 封印 1991年8月1日(表題作ほか「任侠 妖精伝」「CALLING」、アニメ『プロジェクトA子』のアンソロジーコミックとして発表された作品「女王陛下のA子」「スパルタンB子」「赤ちゃんはC子(トッピ・レディ)がお好き」収録) たからもの 1993年3月15日(表題作ほか「三獲関係」「まちあわせ」「カーゴシップ・クライシス」「こ・う・そ・く エスパー」「サパータイム」収録) 恋は芙蘭 1996年1月10日(表題作ほか「モンスター ハンター」「ふぁいなる ふぁんたじぃ」「炎のダルマー」収録) ぱらのい屋劇場[壱] 1998年8月25日(表題作1-14話と「ようこそP.E.Tへ!(全18話+1)」収録) ぱらのい屋劇場[弐] 1998年10月10日(表題作15-30ほか「漂流会社」「お笑いクエスト 春の陣・冬の陣」「愛のムチ」「ザ・復讐」「わるあ描き」、アニメ「機動戦士ガンダム」のアンソロジーコミックとして発表された作品「整備しちゃうぞ!」収録) ちょっち お・と・な 1999年2月10日(「なりゆきパフォーマー」「大脱衣」「秘(丸に秘)恋女房」「ハンコください」「下ジモの事情!?」「それぬけ! 星間マッサージ」「ESP少女隊ハイパー3」「硝子の日々」「ぱぁとたいむCHASER」収録) マジカル☆ヤンキー 2002年12月10日(表題作1-4話ほか「声がでちゃうの」「破局の選択」「握ッテル!?」「年賀嬢」「卒業」「せんぷうき」「超ついてねぇ」「秘(丸に秘)湯~まるひのゆ」収録) ハンター・キャッツ(少年キャプテンコミックススペシャル:徳間書店)1993年10月10日 - 1996年11月25日・全5巻 無敵英雄エスガイヤー(JETS COMICS:白泉社)1994年9月30日(表題作1話-7話+予告と「恋はちょもらんま」収録) ソリャナイゼみるきぃライフ(ノーラコミックス:学習研究社)1997年11月6日 みがわりアクシデンツ(ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ:集英社)1999年3月24日 桃色物件(ピンクハウス)(Kyun Comics:コスミックインターナショナル)2000年1月18日 - 2002年4月1日・全3巻(第1巻のみ表題作第1話-4話ほか「Mr.味一番!」「BOTOMシスター」「保護します♡」「保健の砦」「夜のお惣菜」「天国に一番近いBARBAR」「家庭教師・生徒の実情」収録) おっきくなぁれ(Kyun Comics:コスミックインターナショナル)2000年11月1日(「放浪のタン」「大っきくなぁれ!」「ジャイアントチェリー」「爆裂!白雪姫」「ペロペロちょこれいと」「エデンの選択」「強くなれ。」「きしりの館」「うかつの朝」収録) みこと日記(ダイアリー)(ジャンプ・コミックス:集英社)2002年3月9日 科学の女体盛り(ぶんか社コミックス:ぶんか社)2002年12月10日(表題作全13話ほか「私立コーポぶんか学園 全2話」収録) めい探偵網笠栗須!!(まぁるまんコミックス:ぶんか社)2004年5月10日 ボクの社長サマ(まんがタイムコミックス:芳文社)2006年7月22日 - 2013年2月22日・全6巻 よめヨメかなたさん(まんがタイムコミックス:芳文社)2010年9月22日 - 2013年1月22日・全3巻 妖こそ!うつつの分校(まんがタイムコミックス:芳文社)2013年12月22日 - 2015年9月22日・全3巻 いにしえや浪漫堂(まんがタイムファミリー(芳文社))2014年? - 2018年5月号(3月17日発売)・全2巻(ナンバーナインより電子書籍のみ) 小説挿絵 魔獣戦士ルナ・ヴァルガー(秋津透著。角川スニーカー文庫(角川書店)。全12巻のうち第9巻まで担当) ハイパータイマー・ネーナシリーズ(岬兄悟著。富士見ファンタジア文庫(富士見書房)。全2巻のうち第1巻「あやうしDNA」のみ担当) 出演 テレビドラマ『宇宙少女モルモ10分の1』 - 教師 カセットブック『魔獣戦士ルナ・ヴァルガー2 襲来!海帝鯨(シーカイザー)』 - 海蛮人A イメージアルバム『優&魅衣』 - 大家(父) イメージアルバム『究極超人あ〜る』収録曲「春風高校校歌」より - 「山本正之&ゆうきまさみと仲間たち」の中の一人として 関連人物 師匠 小谷憲一 秋本治 加藤唯史 アシスタント 落合ひさお 猫島礼 すぎたにコージ 知人作家 沖由佳雄、毛羽毛現 - 3人でグループを形成している。あろは2人の単行本のゲストページに寄稿している他、『優&魅衣』において沖は一コマだけ出演しており、毛羽毛に至っては主要キャラクターのモデルとなっている。 矢野健太郎、サトウ・ユウ(サーガ・ミオノ)、佐藤元 - 上記とは別に4人でグループを形成している。アンソロジーコミック『4Spiritsプラス2』(ラポート)で共筆している他、3人とも『優&魅衣』の単行本のゲストページに寄稿している。 帯ひろ志、宮原ナオ、永野護 - 上記の3人同様、『優&魅衣』の単行本のゲストページに寄稿している。また、宮原は『4Spiritsプラス2』にもゲスト参加している。 とみさわ千夏、うすね正俊 - 2人とも秋本のアシスタント時代の同期である。 一本木蛮 - 『優&魅衣』のイメージアルバムに、無頼出真理役として出演している他、『優&魅衣』本編にも一コマだけ登場している。 みやさかたかし - あろが芳文社の雑誌での仕事をするようになったきっかけを作った。 関連項目 日本の漫画家一覧 日本の成人向け漫画家の一覧 脚注 外部リンク あろひろしの妻による公式ページ AroWiki ファンページ 日本の漫画家 同人作家 東京都出身の人物 1959年生 存命人物
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飯森広一
飯森 広一(いいもり こういち、1949年7月4日 - 2008年5月14日)は、日本の漫画家。鎌倉学園高等学校、専修大学卒業。 宮崎県児湯郡西米良村生まれ。都城市育ち。動物漫画を主に描く漫画家で、代表作は『レース鳩0777』など。晩年は活動をほぼ休止していた。 2008年5月14日、脳血栓のため58歳で死去。 作品 盲導犬プロメテウス(全3巻) - 小学館 少年ビッグコミック 盲導犬としての訓練を受けるプロメテウスの成長と、見習い訓練士、盲人の少年が犬を通じて成長を描く。 アイン(全6巻) - 小学館 少年ビッグコミック 「合成GABA」の投薬実験で驚異的な頭脳を得たチンパンジー、アイン。アインを取り巻く薬品開発者たちや、アインを政治的に利用しようとする者たち。アインという存在を通して、人類や科学の矛盾、問題点を描く。石油エネルギーに替わるエネルギーを検討する会議で安易に原子力に頼ろうとする有識者に、バイオ燃料の可能性を提示し、もっと検討を行うよう警鐘を述べるシーンがある。 これから動物園 - 小学館 コロコロコミック 山奥に新規建設される予定の動物園に新人飼育員として採用された若者の成長を描く。 レース鳩0777(全14巻) - 秋田書店 少年チャンピオンコミックス 60億のシラミ(全5巻) - 秋田書店 少年チャンピオンコミックス 地球が氷河期に入るという予測に対応する人類を描く。「第一部」のみで終了(事実上の打ち切り)。飯森作品としてはハードな内容で、特殊警備組織NSP(New Super Police=“新撰組”。明言はされないが、おそらく国家警察)が日本政府により設置されている。またこれもおそらく政府により、北海道で強制労働が行なわれていることを示唆する描写もある。拳銃を始めとする武器・兵器の解説も度々行なわれる。因みにシラミとは「地球に寄生する人間」という比喩表現である。 家族動物園(全1巻) - 朝日ソノラマ サンコミックス ぼくの動物園日記(全10巻) - 集英社 ジャンプ・コミックス 西山登志雄が、上野動物園で飼育係をしていた頃をモデルとして描く。巻末の解説は西山が執筆。 トンキー物語-ぽるぷ出版 ほるぷ平和漫画シリーズ 表題作のほかに、ぼくの動物園日記より抜粋して収録。 日本動物記 (全2巻)- 小学館 てんとう虫コミックス 希望の伝説(全3巻) - 秋田書店 少年チャンピオンコミックス 動物漫画シリーズ傑作選(全3巻) - 集英社 ジャンプ・コミックス 巻末の解説を西山登志雄が執筆している。 ああ北極の犬たちよ 表題作は、植村直己の犬ぞりを操った人類史上初の北極点単独行を描く。 ぼくのシマイヌ 天塩の人食い 町に来た犬 - 小学館 小学二年生 1977年12月号ふろくに掲載 超星人ダイダル - 小学館 小学五年生 1978年12月号から1979年2月号連載 走れ!ゴロー - 小学館 小学五年生 1984年6月号から1985年2月号連載 荒野にほえろ!! - 小学館 小学五年生 1985年6月号から8月号連載 シルクロードの竜 - 集英社 月刊少年ジャンプ 1980年5月号読切 アシスタント まつなが陽一 脚注 外部リンク A World of Good Forest ※自身のホームページ、閉鎖 web archive 日本の漫画家 鎌倉学園高等学校出身の人物 専修大学出身の人物 宮崎県出身の人物 1949年生 2008年没
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五十嵐浩一
五十嵐 浩一(いがらし こういち、1956年8月9日 - )は、日本の漫画家。石川県金沢市出身。明治大学卒業。代表作として『ペリカンロード』や『めいわく荘の人々』などがある。 経歴 デビュー前は明治大学漫画研究会にて活動していた。在学中には、神戸さくみ、ももなり高らのアシスタントを務めていた。 1979年、清山社より短編集「吸血鬼」でデビュー。当時のペンネームは今西亜麗。 1981年、少年画報社『少年キング』新人賞受賞作「ワンスーパーないと」が同誌7月3日号に掲載され、五十嵐浩一名義で商業誌デビュー。 1982年、『少年KING』連載の「ペリカンロード」がヒット。1987年に完結、代表作となる。 1988年、少年画報社『ヤングキング』にて「めいわく荘の人々」を連載。長期人気作品となる。 1998年、少年画報社『ヤングキング別冊キングダム』にて「Home Sweet Home」を連載、2001年に完結。 2001年、『ヤングキング別冊キングダム』にて「ペリカンロードII」を連載、2004年に完結。 2006年、徳間書店『COMICリュウ』にて「REVIVE!」を連載。 2007年、双葉社『漫画アクション』にて「アリエテ2057」を連載。 作品リスト ワンスーパーないと(少年キング、少年画報社、ヒットコミックス版単行本『ペリカンロード』第3巻収録) ピーター葉゜夢(少年キング、少年画報社) ペリカンロード(少年KING、少年画報社) スクラッチタイム(ヤングキング、少年画報社) めいわく荘の人々(ヤングキング、少年画報社) KIDS!-五十嵐浩一作品集(アスキー) Home Sweet Home(ヤングキング別冊キングダム、少年画報社) ペリカンロードII(ヤングキング別冊キングダム、少年画報社) 迷惑の人(ジャイブ) I.B.S.S ice blue silver sky(ジャイブ) REVIVE!(COMICリュウ、徳間書店) アリエテ2057(漫画アクション、双葉社) 脚注 外部リンク 迷惑の猫 - ブログ 日本の漫画家 明治大学出身の人物 石川県出身の人物 1956年生 存命人物
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池上遼一
池上 遼一(いけがみ りょういち、男性、1944年5月29日 - )は、日本の漫画家。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授を務めており、劇画家と紹介される事もある。 来歴 福井県越前市(旧:武生市)出身。小学生の頃から貸本漫画に慣れ親しむ。中学卒業後、大阪に移り看板屋の仕事をしながら漫画を描き始める。1962年、漫画短編誌『魔像』(日の丸文庫)に掲載された「魔剣小太刀」で貸本漫画家デビュー。岩井しげおらのアシスタントをしながら漫画を描くが生活苦で断念、看板屋の仕事に戻る。1966年、投稿した読切作品「罪の意識」が『ガロ』に掲載され、これを読んだ水木しげるが青林堂の長井勝一にスカウトを依頼。水木のアシスタントになるべく上京する。一年半ほど水木のアシスタントとして働いた後メジャーデビューし、以降、劇画漫画の第一線で活躍中。 代表作に『男組』など。貸本時代や『ガロ』に寄稿していた頃はオリジナル作品を描いていたが、メジャーデビュー後は作品のほとんどが原作者付きである。『HEAT -灼熱-』で2001年度、第47回小学館漫画賞受賞。 2023年、第50回アングレーム国際漫画祭で、特別栄誉賞を受賞。 人物 水木しげるのアシスタントになるまで水木の漫画を読んだことはなかった。劇画風な絵を描くさいとう・たかをや佐藤まさあきのアシスタントになりたかったが人手は足りているとのことで断わられた。 つげ義春の熱烈なファンで、水木のアシスタントに入った時、その場につげもいて驚愕したという。また、水木も「私よりつげさんの方を「先生」と仰いで尊敬していた」と述べ、若いアシスタントがつげを揶揄するような発言をした際には「おどりゃ、つげ先生に何をぬかすかあ」と食ってかかったりしていたという。 若い頃は日本民主青年同盟に所属していた。水木の職場で共産主義をバカにした同僚アシスタントと口論になったこともあったという。民青では同盟員に漫画を馬鹿にされて民青を辞めた。 劇画以外の作品にも関心があり、特に高橋留美子を高く評価している。高橋自身も『ガロ』に掲載された池上の漫画に衝撃を受けたことを後に明かしている。 『週刊少年サンデー』や『ビッグコミックスピリッツ』への執筆を経て、1990年代に入ってからは、『ビッグコミックスペリオール』のレギュラー漫画家として定着し、眉目秀麗な主人公、アウトローの世界、裏切りと同盟を繰り返す複雑な人物関係の劇画を確立している。 1990年、『信長』の執筆に際して新府城の復元図を剽窃し、復元図の作者である工業デザイナーに抗議された。『信長』の小学館からの単行本は最終巻が出版されないまま絶版となったが、引用箇所を描き替えた上で2003年にメディアファクトリーから復刊されている。 漫画家の野中英次が『課長バカ一代』や『魁!!クロマティ高校』など池上の絵柄をパロディ化していると知人やスタッフから聞かされた時は、「自分の亜流が出てくるということは、それだけ自分の作品が認知されて有名になったということなので嬉しかった」と雑誌のインタビューで語って、野中を公認しており、『魁!!クロマティ高校』に登場するメカ沢新一と北斗武士を自ら描いたパネルを野中に贈っている。また、野中ファンが池上と野中を同一人物と思って「野中さんって、マトモな漫画も描けるんですね」と勘違いされた事があったという。 2010年の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の倉田圭一(演:窪田正孝)は、池上をモデルとしている。 2014年には自身が戦車好きである事を明かし、「年甲斐もなく『ガルパン』にハマってしまいました」と語っており、弟子と同人誌も発行している。『ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ作戦です! 3』の帯には推薦コメントと池上自身が描いた萌え絵での応援イラストが掲載されている。 多くの美形キャラクターがアジア人の顔であり、香港や台湾を中心にアジアにファンが多い。 娘の夫は『コミックフラッパー』と『コミックジーン』の編集長の池上昌平である。 妹は越前市でボルガライスで有名な喫茶店を営んでおり、店内には原画が多数飾られている。またボルガライスの販促ポスターも描いており、ボルガライスが日本全国に知られる一因となった。 作品リスト 怪奇大作戦(1968 - 1969年連載、『小学三年生』、全7話、小学館) スパイダーマン(1970 - 1971年連載、『月刊別冊少年マガジン』、全8巻、講談社。初期は小野耕世が参加している、第7話(1970年9月号)からは、平井和正が原作としてクレジットされている) おえんの恋(1972年連載、『月刊漫画ガロ』、全1巻、青林堂) ひとりぼっちのリン(1972 - 1973年連載、『週刊少年マガジン』、全4巻、講談社、原作:阿月田伸也) I・餓男(アイウエオボーイ)(1973 – 1977年連載、『劇画 KING SERIES』、全8巻、オリオン出版、原作:小池一夫) 男組(1974 - 1979年連載、『週刊少年サンデー』、全25巻、小学館、原作:雁屋哲) 男大空(1980 - 1982年連載、『週刊少年サンデー』、全15巻、小学館、原作:雁屋哲) 傷追い人(1982 - 1986年連載、『ビッグコミックスピリッツ』、全11巻、小学館、原作:小池一夫) 星雲児-聖・少年戦士伝(1982 - 1984年連載、『週刊少年サンデー』、全6巻、小学館、あかねこか・出渕裕・かがみあきらが制作に参加、池上は製作総指揮も兼任) 青拳狼(せいけんウルフ)(1984年連載、『週刊少年サンデー』、全3巻、小学館、原作:きむらはじめ) 殺愛(1984年7月20日発売、上下巻、スタジオ・シップ出版、原作:小池一夫) 舞(1985 - 1986年連載、『週刊少年サンデー』、全6巻、小学館、原作:工藤かずや) クライングフリーマン(1986 - 1988年連載、『ビッグコミックスピリッツ』、全9巻、小学館、原作:小池一夫) 信長(1986 - 1987年連載、『ビッグコミックオリジナル増刊』→『ビッグコミックスペリオール』、1987年 - 1990年、全7巻、小学館、原作:工藤かずや) 人面蝶 幻想ロマン作品集(1987年8月発売、KCスペシャル、講談社) 赤い鳩(アピル)(1988 - 1989年連載、『ビッグコミックスピリッツ』、全6巻、小学館、原作:小池一夫) OFFERED(1989 - 1990年連載、『ビッグコミックスピリッツ』、全4巻、小学館、原作:小池一夫) サンクチュアリ(1990 - 1995年連載、『ビッグコミックスペリオール』、全12巻、小学館、原作:史村翔) BOX(1991年連載、『ビッグコミック』、全1巻、小学館、原作:狩撫麻礼) 王立院雲丸の生涯(1991 - 1992年連載、『週刊少年サンデー』、全3巻、小学館、原作:広井王子) 今日子(1993 - 1995年連載、『ビッグコミックスピリッツ増刊号/スピリッツ21』、全2巻、小学館、原作:家田荘子) オデッセイ(1995 - 1996年連載、『ビッグコミックスペリオール』、全3巻、小学館、原作:史村翔) strain(1996 - 1998年連載、『ビッグコミックスペリオール』、全5巻、小学館、原作:武論尊) 池上遼一近代日本文学名作選 (1997年10月発売、『ビッグコミックススペシャル』、小学館) HEAT -灼熱-(1998 - 2004年連載、『ビッグコミックスペリオール』、全17巻、小学館、原作:武論尊) 池上遼一幻のコミック傑作選「ジム」 (小学館、『ビッグコミックススペシャル』、2000年10月) 覇-LORD-(『ビッグコミックスペリオール』、2004年 - 2011年連載、全22巻、小学館、原作:武論尊) SOUL 覇 第2章(2011年 - 2013年連載、『ビッグコミックスペリオール』、全3巻、小学館、原作:武論尊) 修羅雪姫 外伝(作画担当。2009年1月28日発売、『週刊プレイボーイ』連載、小池書院出版、原案:上村一夫、原作:小池一夫) 池上遼一自選集「YUKO」(2010年9月30日発売、『ビッグコミックススペシャル』、小学館) 池上遼一自選集「OEN」(2010年10月29日発売、『ビッグコミックススペシャル』、小学館) 六文銭ロック(2013年 - 2015年、『ビッグコミックスペリオール』、全4巻、小学館、原作:武論尊) アダムとイブ(2015年 - 2016年、『ビッグコミックスペリオール』、全2巻、小学館、原作:山本英夫) BEGIN(2016年 - 2020年、『ビッグコミックスペリオール』、全9巻、小学館、原作:史村翔) Mの首級 マッカーサー暗殺計画(2020年、『ビッグコミックスペリオール』、小学館、原作:リチャード・ウー) トリリオンゲーム(2020年 - 、『ビッグコミックスペリオール』、小学館、原作:稲垣理一郎) 陰獣トリステサ(原作:橘外男) ウニデス潮流の彼方に 罪の意識 天使は舞いおりた くノ一異聞 肌の記憶 ベスティア モッブ〜死神〜(原作:滝沢解) 流月抄 週刊新マンガ日本史 第25号「黒田官兵衛」(2011年、朝日新聞出版) ※ 武論尊と史村翔は同一人物のペンネーム 画集 池上遼一 Art Works 男編&女編(2019年) 阿羅紫〜ARASHI〜 池上遼一画集(2012年) 池上遼一キャラクター劇画集―絵師池上遼一全仕事 –(大阪芸術大学出版、2005年4月発売) アシスタント 藤原芳秀 松久由宇 佐多みさき あきは@ 関連番組 BSマンガ夜話「男組」(2008年6月18日 NHK BS2) - 本人出演なし。ゲストは大槻ケンヂ、角田信朗。 浦沢直樹の漫勉(2016年9月15日 NHK Eテレ) - 『BEGIN』の製作過程を収録した画像を見ながら浦沢と対談。 脚注 外部リンク 池上遼一・データベース(公認サイト) 池上遼一作品が読めるサイト - マンガ読破!EX 日本の漫画家 日本のマンガ・アニメ教育者 福井県出身の人物 大阪芸術大学の教員 1944年生 存命人物 日本のキャラクターデザイナー
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池田理代子
池田 理代子(いけだ りよこ、1947年12月18日 - )は、日本の漫画家・劇画家、声楽家・オペラ歌手、歌人。大阪府出身、千葉県柏市育ち、東京都渋谷区在住を経て現在は静岡県熱海市在住。血液型はAB型。 来歴 大阪府大阪市東淀川区上新庄生まれ。大阪市立新庄小学校、柏市立柏第二中学校、都立白鷗高校卒。東京教育大学文学部哲学科中退。 武家の出身で職業軍人の娘だった母と、離婚歴のある父との間に長女として生まれた。教師になりたかった母の教育熱のお陰で、多くの習い事(歌、書道、琴、ピアノ、声楽、茶道、絵画、そろばん、華道、英語など)をさせてもらった。一方で、空想癖と動作の緩慢、加えて容貌へのコンプレックスもあって自分独りの世界にこもった。自己主張に目覚めるのは、言葉も気候も景色も違う関東に転居してからという。中学生になって日記を書き始めると「物語」を書くことにのめり込み、創作民話、童話、恋愛小説などを節操なく書いた。大学は哲学科に進んだが、物語をかくことは終生やめられそうになかった。 学者を志し勉強していたが、1年で父親からの金銭的援助が打ち切られてしまうために、生活の糧として漫画を描き始める。この間、日本共産党系の日本民主青年同盟(民青同盟)に加盟して学生運動も経験する。出版社へ持ち込むが、技術の未熟さを指摘され、貸本屋向けの出版社で執筆を始めた。この下積み時代に、原稿料をもらうまで1個5円の麩(圧縮麩)を2つ買って3日間過ごした事もあった。2〜3年の下積み生活の後、出版社からスカウトがかかり、1967年に『バラ屋敷の少女』でデビュー。 1972年に『週刊マーガレット』にて連載を開始した『ベルサイユのばら』が空前のヒット。石膏デッサンや油絵など本格的な絵の勉強をしながら連載を続けた。執筆のきっかけとなったのは、高校2年生の夏に読んだツヴァイクの『マリー・アントワネット』で彼女の魅力を知り、書きたいと思っていたことにある。多忙のため大学に戻れず、入学から7年で中退を余儀なくされたが、2年間連載された同作品で少女漫画家としての人気は不動のものとなった。1975年からは『オルフェウスの窓』の連載を開始。1980年、同作品で第9回日本漫画家協会賞優秀賞受賞。 1984年に、不倫相手の松谷蒼一郎との会話のテープを報道社に送り付け、スキャンダルに。この不倫スキャンダルは当時、週刊誌やテレビで大々的に取り上げられる。 40歳から更年期障害に悩まされ、残りの人生について考える機会が増えた池田は、音楽への道に進むかどうか5年間の思案の後、45歳で音大受験を決意。1995年、東京音楽大学声楽科に入学。ピアニスターHIROSHIとコンサートを開くなど活動した。同年、当時は日本銀行考査局長で後に大和総研副理事長になった賀来景英と再々婚して話題となった。1998年にはNHK「課外授業 ようこそ先輩」に出演し、母校の大阪市立新庄小学校にて聖徳太子をテーマに授業を行った。1999年に大学卒業。 以降、コンサート出演や講演などの活動を行う。2005年には、世界初録音9曲を含むマリー・アントワネット作曲の歌曲12曲を歌ったCDを発売した。また、同年より『朝日新聞』土曜日朝刊別冊「be on sunday・エンターテインメント」4コマ漫画と、コラム『ベルばらKids』を連載する。 2009年3月11日、フランス政府から、多くの日本人が『ベルサイユのばら』を通じてフランスの歴史、言葉、食文化などに関心を持ったとし、レジオン・ドヌール勲章シュバリエ章が授与された。 2009年からオペラ歌手の村田孝高と同居。2013年から共同でブログを運営している。 短歌にも親しんでおり、2016年8月20日、岡山市で開催された塔短歌会全国大会にゲストとして参加した際、同会への入会を表明した。2020年には第一歌集『寂しき骨』を出版。太平洋戦争に出征して奇跡的な生還を果たした父が大きなテーマとなっている。 20代の頃に自身の著作権管理会社を設立。実妹が社長を務め、自身は社員として給与を受け取っていた。音大に入学する際も、在学中の4年間は執筆活動が出来ないにもかかわらず、実妹が後押ししたために実現し、東敦子に師事した。その後、東京で借りていた自宅兼アトリエのマンションの家賃が大幅に値上がりするのを機に、先述の管理会社の退職金を用いて2017年に熱海のマンションに移住した。 「聖徳太子」と「日出処の天子」 2007年、池田は「ある漫画家」の作品で聖徳太子と蘇我毛人の「霊的恋愛」が描かれていることに違和感を覚えたと発言した。一方で自分は〔1991年 - 1994年連載の作品で〕「史実に忠実な聖徳太子を描いた」とも述べており、テーマも四天王寺から依頼されたもので、正史に沿うよう努めたという。この記事に対してインターネットを中心に反応があり、それがマスコミにも取りあげられた。『週刊新潮』は山岸凉子の『日出処の天子』(1980年 - 1984年連載)と比較し、類似点を確認する論者として唐沢俊一を挙げている。 漫画作品 ベルサイユのばら 1972年 - 1973年。宝塚歌劇団による舞台化が大成功。アニメ化・映画化もされ、一種の社会現象を巻き起こした。 おにいさまへ… 1974年。NHK BS2でアニメ化され、1991年7月14日から1992年5月31日まで放送。 オルフェウスの窓 1975年 - 1981年。宝塚歌劇団で舞台化され、瀬戸内美八のさよなら公演となった。 栄光のナポレオン-エロイカ 1986年 - 1995年。ナポレオン・ボナパルトの栄光と没落を描いた大作。ロザリー、ベルナール、アランなど『ベルサイユのばら』の登場人物達も再登場し、続編的要素を持つ。 クローディーヌ…! 1978年。 蒼い柘榴 祖国に愛を 沈丁花 妖子 ふたりぽっち エピタラム ウェディング・ドレス 桜京 雨あがり 真理子 私漫画 白いエグモント 章子のエチュード パラノイア・ズライカ マイ・ダイヤモンド 大人の恋愛時間 聞かなかった言葉 秋の華 風の記憶 魅女物語 ガラスの闇 フリージアの朝 シジフォスは憩う エピタラム-祝婚歌 池田理代子短篇集 風を摘むプシケ(池田理代子&矢島正雄) 春の雪(三島由紀夫&池田理代子&宮本えりか) 2006年。 ファルコンの名騎手(池田理代子&バーバラ・カートランド) 愛はワルツにのせて(池田理代子&バーバラ・カートランド) 華麗なるロンドンの夜会(池田理代子&バーバラ・カートランド) 謎の貴婦人(池田理代子&バーバラ・カートランド) 国王とじゃじゃ馬娘(池田理代子&バーバラ・カートランド) 女王エリザベス(池田理代子&宮本えりか) 1999年。イングランド女王エリザベス1世の伝記を漫画化。元題は『エリザベス 国と結婚した女王』だった。 愛は永遠に(池田理代子&珠玉傑) ゆれる早春(池田理代子&珠玉傑) 生きててよかった!(池田理代子&珠玉傑) 女帝エカテリーナ 1982年 - 1984年。アンリ・トロワイヤ原作のエカテリーナ2世の伝記の漫画化。 春日局 けふぞ火宅を 1989年。 聖徳太子 1992年 - 1994年。 天の涯まで 1999年。ポーランド分割の悲劇を描いた作品であり、主人公はナポレオンの元帥でもあったユーゼフ・ポニャトフスキ。『女帝エカテリーナ』『ベルサイユのばら』『栄光のナポレオン-エロイカ』の3作品の外伝的要素もある。 ニーベルンクの指輪 2000年 - 2001年。リヒャルト・ワーグナー作の同名の楽劇を元にした作品。 太王四神記 2007年9月25日から漫画化した韓国ドラマ『太王四神記』を連載する。 ベルばらKids 2005年10月より2013年3月まで『朝日新聞』土曜日朝刊別冊「be」に連載された、『ベルばら』のキャラクター達によるコミカルな四コマ漫画。 漫画以外の著書 『愛と苦悩ブラームス』(音楽之友社ジュニア音楽図書館作曲家シリーズ、1981年) 『ワイン色のつぶやき』(国土社、1983年) 『フランス革命の女たち』(新潮社・とんぼの本、1985年)ISBN 410601923X 『なぜ愛に賭けるのか 女として生きるということ』(PHP研究所 1985年) 『男と女・ロマンティック街道』(祥伝社、1989年) 『せめて一度の人生ならば』(海竜社、1991年) 『花も嵐も結婚も』(集英社、1994年) 『文化としての漫画と歴史』(アドバンテージサーバー「ブックレット生きる」、1994年) 『名作を書いた女たち 自分を生きた13人の人生』講談社、1995年)のち中公文庫  『歴史の影の男たち』(宇野亜喜良共著)(小学館、1996年) 『どうすりゃいいのっ!? 池田理代子の超身の上相談』(白泉社、1999年) 『ぶってよ、マゼット―47歳の音大生日記』(中央公論新社、1999年)のち文庫 『寝てもさめても猫三昧』(主婦と生活社、2002年)  『あきらめない人生 ゆめをかなえる四〇からの生きかた・考えかた』(海竜社、2005年) 『知識ゼロからのオペラ入門』(幻冬舎、2010年) 『池田理代子の世界』(朝日新聞出版、2012年)ISBN 9784022724243 『「ベルサイユのばら」で読み解くフランス革命』(ベスト新書、2016年) 『池田理代子第一歌集 寂しき骨』(集英社、2020年) 共著 『セリ・シャンブル 2 三石由起子・池田理代子の部屋』(旺文社、1985年) 『続・僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』平田オリザ,彬子女王,大隅良典,永田和宏共著(文春新書、2018年) 翻訳 『星をつかんだ女 世界一のベストセラー作家バーバラ・カートランド自伝』(サンリオ、1996年) シュガー・ロートボード『スウィート・リヴェンジ 甘美なる復讐』(日本文芸社、1996年) ダフニ・ローズ・キングマ『「愛の別れ」を癒す本 新しい人生と向き合うためのこころの処方箋』(大和書房、1996年) ダフニ・ローズ・キングマ『さよならの処方箋 別れを乗り越え、たしかな愛をつかむ方法』(大和書房、2000年) 画集ほか 『ベルサイユのばら オールカラーイラスト全集』(集英社〈週刊マーガレット特別編集〉、1976年4月30日発行)雜誌コード:0429-4/30 『自選複製原画集 池田理代子 ベルサイユのばら』(集英社、1979年3月20日発売) 『池田理代子 ファンタジーイラスト集』(実業之日本社、1980年12月25日発行)0071-156190-3214 『複製原画集 オルフェウスの窓 オリジナル・イラスト・セレクション 池田理代子』(集英社〈月刊セブンティーン特別編集〉、1981年9月30日発行) 『中公コミックス 複製原画集 女帝エカテリーナ 池田理代子』(中央公論社、1984年8月10日発売)ISBN 4-12-001311-1 『オスカル 白き薔薇の肖像』(斎藤良一編、徳間書店〈アニメージュ文庫〉、1988年1月31日発売)ISBN 4-19-669573-6 『池田理代子画集』(アールビバン株式会社、1999年2月24日発行) 『ベルサイユのばら大事典』(集英社、2002年10月13日発売)ISBN 4-08-782052-1 『「ベルサイユのばら」の街歩き パリ・ベルサイユ』(JTBパブリッシング、2002年12月25日発売)ISBN 4-533-04571-5 『「ベルサイユのばら」その謎と真実 永久保存版』(JTBパブリッシング、2003年1月1日発売)ISBN 4-533-04570-7 『別冊宝島(756) 私たちの好きなベルサイユのばら 完全保存版』(宝島社、2003年4月27日発売)ISBN 4-7966-3184-4 『ベルサイユのばら オールカラーイラスト集』(JTBパブリッシング、2003年11月1日発売)ISBN 4-533-05012-3 『池田理代子イラスト集 FANTASIA』(実業之日本社、2004年10月20日発売)ISBN 4-408-61241-3 『集英社DVDコミックス ベルサイユのばら 特別編集版』(エー・アイ・アイ、2005年3月1日発売)ISBN 4-08-900515-9 DVD:SHDV-11015 『オルフェウスの窓大事典』(集英社、2005年6月25日発売)ISBN 4-08-782095-5 『永遠の少女マンガぬりえ1 ベルサイユのばら』(株式会社セイカ)CN-8122507-A 『永遠の少女マンガぬりえ2 オルフェウスの窓』(株式会社セイカ)CN-8120433-A 『ぬり絵で楽しむ「ベルサイユのばら」』(ソニー・マガジンズ、2006年7月26日発売)ISBN 4-7897-2927-3 『大人のぬりえ ベルサイユのばら ビギナー編』(集英社、2006年7月31日発売)ISBN 4-08-781354-1 『大人のぬりえ ベルサイユのばら アドバンス編』(集英社、2006年7月31日発売)ISBN 4-08-781355-X 『永遠の「ベルサイユのばら」』(JTBパブリッシング、2008年1月1日発売)ISBN 4-533-06994-0 『ベルばらミュージアム 40周年記念 ベルサイユのばら展 ビジュアルガイドブック』(集英社、2012年9月13日発売)ISBN 978-4-08-780654-0 『ベルサイユのばら 塗り絵 Coloriage』(扶桑社、2017年2月2日発売)ISBN 978-4-594-07647-4 『池田理代子 麗しの世界』(宝島社、2017年3月6日発売)ISBN 978-4-8002-6868-6 『デビュー50周年記念展 池田理代子 —「ベルばら」とともに— オフィシャルブック』(展覧会場および朝日新聞SHOPで限定販売) 『大人のぬりえ ベルサイユのばら なぞり描き編』(集英社、2018年11月26日発売)ISBN 978-4-08-781665-5 音楽CD 『思い出の絵ぼんぼり〜歌は美しかった』(2003年7月23日発売、コロムビアミュージックエンタテインメント・DENONレコード)COCQ-83676 『ヴェルサイユの調べ〜マリー・アントワネットが書いた12の歌』(2005年11月2日発売、キングレコード〈キングインターナショナル〉、マリー・アントワネット生誕250周年記念作品)KKCC-3010 出演・プロデュース作品 クリス・マルケル監督の映画、サン・ソレイユ Sans Soleil (1983年)日本語版ナレーション 『池田理代子インハワイ ハワイの休日』(クリスタル映像、1984年)、イメージビデオ、撮影は村西とおる 東京レディースオーケストラ公演(1995年) 日中青年文化交流の集い・北京での公演(1996年) オペラ『愛の妙薬』(2002年、主演:アディーナ役、並びにプロデュース) オペラ『フィガロの結婚』(2004年、伯爵夫人役、並びにプロデュース) 小林研一郎指揮・日本フィルハーモニー交響楽団公演「第九」にてソロソプラノ(2004年) ミュージカル『赤毛のアン』(2004年、ステラ夫人役) 荒川区民オペラ公演オペレッタ『こうもり』(2008年、ヒロインのロザリンデ役) 阪急宝塚本線 ラッピング電車「宝夢」(ゆめ)(2018年3月17日(2018年11月17日一部リニューアル) - 2019年10月31日の間運行、イラストを担当) CM 資生堂『Actea Heart』 音声ガイド 兵庫県立美術館「マリー・アントワネット物語展」(2013年) 脚注 関連項目 有名人100枚の絵でつなぐ カンボジア学校建設プロジェクト THE ALFEE 30th ANNIVERSARY HIT SINGLE COLLECTION 37 少女漫画 東京教育大学の人物一覧 東京音楽大学の人物一覧 外部リンク 池田理代子 オフィシャルサイト 村田孝高と池田理代子のブログ〜オペラと人生 池田理代子さん 「ベルばら」オスカルはなぜ女性に (日経電子版2019年9月13日掲載) 20世紀日本の女性著作家 21世紀日本の女性著作家 20世紀日本の女性画家 21世紀日本の女性画家 日本の漫画家 20世紀日本の音楽家 21世紀日本の音楽家 日本の声楽家 日本ペンクラブ会員 レジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章者 東京音楽大学出身の人物 アマチュア無線関連の人物 大阪市出身の人物 1947年生 存命人物
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池野恋
池野 恋(いけの こい、本名:玉山智恵美 1959年4月16日 - )は、日本の漫画家。岩手県稗貫郡石鳥谷町(現:花巻市石鳥谷町)出身・在住。代表作の『ときめきトゥナイト』はシリーズ累計で3000万部を超えるヒット作、他に『ナースエンジェルりりかSOS』など。1980年代から90年代にかけて少女漫画雑誌『りぼん』を代表する漫画家の一人として活躍、2000年代からは作品発表の場を主に『Cookie』に移して活動している。血液型はB型。 来歴 祖父の影響で絵を描くことが好きになり、小学校1年生のときに手塚治虫の『ジャングル大帝』を読んで漫画の面白さに衝撃を受ける。1972年、町立石鳥谷中学校に進学、2年生のときにコックリさんに似た大明神様という占いで「十九歳で漫画家デビューする」という答えが出たことを友達から聞き、意識する。1975年、県立花巻南高校に進学。高校2年のとき、漫画仲間の従姉妹が使っていた「樋口愛」というペンネームをもじってダジャレで「池野恋」というペンネームを決める。高校を卒業後は盛岡にある専門学校に1年間通い、簿記や和文タイプを習得する。専門学校の夏休みのときに8月31日締め切りの『りぼん』新人賞の募集要項をみて、はじめて漫画の投稿をしたところ準入選となり、1978年12月刊の『りぼん お正月大増刊』に掲載された「HAPPY END ものがたり」で19歳で漫画家としてデビューする。受賞の知らせを受けたときには既に就職が内定しており、1979年4月に岩手県連共済にタイピストとして就職、漫画家と兼業することを決める。しかし漫画のほうが忙しくなり、県連共済は3年勤めたところで辞めて漫画専業となる。 1982年、初の長編『ときめきトゥナイト』の連載を開始、ほぼ同時にテレビアニメ化もされ大ヒットとなる。1986年にお見合い結婚をし、翌年に子供が生まれたことを機に『ときめきトゥナイト』第1部の連載を終了する。その後、第2部、第3部と続き、1994年まで続く長期連載となった。 1995年からは秋元康原作による『ナースエンジェルりりかSOS』の連載を開始、テレビアニメ化もされた。 2000年代からは作品発表の場を主に『Cookie』に移して活動している。2002年からは『ときめきトゥナイト』のセルフカバー作品『ときめきミッドナイト』の連載を開始、2009年に完結した。 2022年には『ときめきトゥナイト』の連載開始から40周年を迎え、2023年夏に新宿高島屋で「ときめきトゥナイト展」の開催が決定した。 漫画以外では、エフエム岩手のキャラクター「けんたくん」、岩手県警察で使用されていた雉の「ケイ太郎君」、地域安全イメージキャラクターの「安全のぞみちゃん」のデザインを担当した。 略歴 1979年 - 「HAPPY END ものがたり」によりデビュー。 1982年 - 『りぼん』で、「ときめきトゥナイト」の連載を開始( - 1994年)。 1982年 - 『ときめきトゥナイト』がアニメ化される(日本テレビ系)。 1995年 - 『りぼん』で、「ナースエンジェルりりかSOS」の連載を開始( - 1996年)。 1995年 - 『ナースエンジェルりりかSOS』がアニメ化される(テレビ東京系)。 作品リスト HAPPY ENDものがたり(『りぼんお正月大増刊号』1979年) 土曜の午後は頬づえついて テレパシーにご用心!(『りぼん』1979年11月号) となりのワン・パターン(『りぼん』1980年3月号) ちょっとおとぎ話(『りぼん』1980年7月号) 舞ちゃんノン・ストップ(『りぼん』1981年1月号 - 1981年3月号) おじゃま虫1/2(『りぼん』1981年6月号) めちゃんこ教室(1982年) ときめきトゥナイト (『りぼん』1982年7月号 - 1994年10月号) オ・サ・ムING(1985年) リング・リング ヒロインになりたい(『りぼん』1991年1月号 - 1991年3月号) きまぐれタイム・マシン 夢見るタマゴ(『りぼんオリジナル』1993年8月号) ナースエンジェルりりかSOS(原作:秋元康、『りぼん』1995年1月号 - 1996年6月号) おしえて菜花(『りぼん』1996年12月号 - 1998年3月号) うそつきなシーズン(『りぼんオリジナル』1998年 - 1999年) 真夏のドア(『りぼん夏休みおたのしみ増刊号』1998年) ときめきトゥナイト―星のゆくえ―(2000年) レディ・エンジェル(『りぼんオリジナル』2000年2月号) 真冬のチャイム ミスティボーイ 2001年、 ときめきミッドナイト(『Cookie』『Cookie BOX』2002年 - 2009年) ifの額縁(『Cookie』2010年9月号 - ?) いつもときめいて〜ときめきトゥナイト番外編〜(『Cookie』2009年9月号) いつもときめいて〜ときめきミッドナイト番外編〜(『Cookie』2009年10月号) 風のおくりもの(『コミックいわて』2011年) わかむらさき(原作:黒方薫、『Cookie』) ときめきトゥナイト 真壁俊の事情(描き下ろし、2013年8月9日) ときめきトゥナイト 江藤望里の駆け落ち(描き下ろし、2015年4月24日) ときめきトゥナイト 江藤蘭世の宝箱(描き下ろし、2019年7月18日) ときめきまんが道 池野恋40周年本(2019年、上下巻、エッセイコミック) ブラッディ・ブライド-吸血鬼の婚活-(『Cookie』2020年5月号 - 2021年1月号) ときめきトゥナイト それから(『Cookie』2021年7月号 - 連載中) 画集 『ときめきトゥナイトロマンチックアルバム』 2000年10月、集英社・愛蔵版コミックス、 その他 けもの (青羊)2ndアルバム『めたもるシティ』(2017年7月19日、ヴィレッジレコーズ) - ジャケットイラスト 単行本 注記がないものはすべて集英社刊 『ちょっとおとぎ話』 1980年、 「ちょっとおとぎ話」「HAPPY ENDものがたり」「土曜の午後は頬づえついて」「テレパシーにご用心!」「となりのワン・パターン」を収録 『舞ちゃんノン・ストップ』 1981年、 「舞ちゃんノン・ストップ」「おじゃま虫1/2」を収録 『めちゃんこ教室』 1982年、 『ときめきトゥナイト』 全30巻 1982年、 1983年、 1983年、 1983年、 1984年、 1984年、 1984年、 1985年、 1985年、 1985年、 1986年、 1986年、 1986年、 1987年、 1987年、 1988年、 1988年、 1989年、 1989年、 1989年、 1990年、 1990年、 1992年、 1992年、 1992年、 1993年、 1993年、 1994年、 1994年、 1995年、 『ヒロインになりたい』 1991年、 「ヒロインになりたい」「きまぐれタイム・マシン」を収録 『ナースエンジェルりりかSOS』 原作:秋元康、全4巻 1995年9月、 1996年1月、 1996年6月、 1996年9月、 『おしえて菜花』 全4巻 1997年、 1998年、 1998年、 1998年、 『うそつきなシーズン』 1999年、 「うそつきなシーズン」「真夏のドア」を収録 『ときめきトゥナイト―星のゆくえ―』 2000年、 『ミスティボーイ』 2001年、 『ときめきミッドナイト』 2002年、 2003年、 2004年、 2005年、 2005年、 2006年、 2007年、 2008年、 2009年、 『池野恋 ときめき短編集』 2009年、 「リング・リング」「オ・サ・ムING」「夢みるタマゴ」「レディ・エンジェル」「真冬のチャイム」を収録 『ifの額縁』 2011年、 「ifの額縁」「いつもときめいて〜ときめきトゥナイト番外編〜」「いつもときめいて〜ときめきミッドナイト番外編〜」を収録 『入門! 池野恋』 2013年 ※電子書籍 『わかむらさき』 原作:黒方薫、2013年8月、 『ときめきトゥナイト 真壁俊の事情』 2013年8月9日、 『ときめきトゥナイト 江藤望里の駆け落ち』 2015年4月24日、 『ときめきトゥナイト 江藤蘭世の宝箱』 2019年7月18日、 『ときめきまんが道 池野恋40周年本』 上、2019年7月18日、 下、2019年7月18日、 『ブラッディ・ブライド-吸血鬼の婚活-』 2022年、 『ときめきトゥナイト それから』 連載中 2022年3月、 2023年1月、 脚注 注釈 出典 参考文献 関連項目 岩手県出身の人物一覧 日本の漫画家 岩手県出身の人物 1959年生 存命人物
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日本の交通
日本の交通(にほんのこうつう)では、日本の交通の歴史や状況などを述べる。現代日本は鉄道旅客輸送の比率が高く、旅客輸送キロ数は中国に次いで世界2位である。 蒸気機関や内燃機関が導入される以前において、日本の支配層は伝統・秩序の保持や、軍事的な理由などから交通を活発にすることにあまり好意的ではなかった。『日本書紀』においても、人々の往来を妨害する神(「荒神」)や地元の人々の存在が多数登場しており、大化の改新直後においても旅人がその地域の慣習を知らずに禁忌を犯したために地元の人々に処罰されていることが問題視されているなどの記載がある。 国家としての形態を成すために、日本においても都と諸国の国府を結ぶ主要道路は整備された。しかし、地方間の交通は農民の逃亡を助けることになるとして、主要官道を除いてほとんど整備されず、地方の川には年貢を都へ運ぶときだけ舟橋で渡せばよいと考えられていた(『日本紀略』の延暦20年5月甲戌条)。 江戸時代においても軍事的・政治的理由から、大きな河川には橋が架けられず、鎖国(海禁政策)や大船建造の禁(武家諸法度の一部)が出されたほか、江戸防衛を理由に街道筋で牛馬車など車両を使用した物流を禁じる方針を採った。このため日本の道路は鋪装されることがほとんどなく、車輪を用いた車は大八車といった荷物運搬用以外に用いられることは、牛車などしかなかった。馬の使用についても制限が加えられていた。物資の輸送には川舟や小型の商船が用いられており、大都市では水路が発達していた。 明治維新を経て、近代国家へと変貌していくにあたり、鉄道網を構築することが優先された。道路については後回しとなったが、第二次世界大戦後に本格的な整備が始まった。高度経済成長期には本格的な自動車専用道路である高速道路が、日本で初めて登場した(名神高速道路)。その後は1964年東京オリンピックや1970年大阪万博などを契機に新幹線や都市高速道路の整備がはじまり、現在では総延長14000kmの高速道路網が整備されており、新幹線についても整備が進んだ。しかしモータリゼーションの進展による中心市街地の衰退、老朽化など、さまざまな面でひずみも抱えている。 現在 道路 高度成長期までは日本の道路は劣悪であったが、1960年代以降盛んに道路建設が行われ、全国に高水準の道路整備が行き渡っている。高速道路の建設も進み、ほぼ全国に高速道路網が整備されている。安全対策の進展により交通事故による死者数は減少しているが、大都市圏を除けば一人一台の時代となり交通量が増え、高齢化や道路の老朽化も進み、新たな問題も生まれている。 バブル崩壊後の財政状況から道路整備予算は圧縮される傾向にあり、道路公団民営化や道路特定財源の一般財源化など制度面での変化が起こっている。 鉄道 日本では都市部を中心に鉄道の需要が非常に大きく、大都市では地下鉄や通勤鉄道路線の整備が続いているが、地方では高度経済成長とモータリゼーションの進展以降、鉄道の利用割合は減少を続けており、廃止される路線が多い。一方で、地方部でも新幹線が整備されていない地域を中心に、新幹線を求める声は依然として大きい。 JR東海はリニアモーターカー方式である中央新幹線の整備を行うことを決定しており、日本の鉄道網の高速化はさらに進むことになる。 航空 全国に空港の建設が行われ、空港の無い都道府県のほうが少数となっている。しかし地方の中小規模空港では多額の建設費をかけて開港にはこぎつけたものの需要不足に苦しむ空港も少なくない。21世紀になると成田国際空港は着陸料が高いために旅客需要を香港国際空港や仁川国際空港(韓国)などに奪われ、ハブ空港としての地位が低下した。 海運・水運 四方を海に囲まれ、日本には欠かせない運送手段であり、沿岸部に工業地域・工業地帯や人口が集中する理由でもある。2020年現在、日本には994の港湾があり、中でも重要度の高い港湾は国際戦略港湾(5港)国際拠点港湾(18港)に指定されている。また漁港は2790あり、中でも漁業の中心地かつ漁業の振興に欠かすことの出来ない漁港13港は特定第3種漁港に指定されている。日本郵船や商船三井などの世界有数の規模を持つ船会社が19世紀の後半から各国との間に貨物船や旅客船を運航してきた。現在、中東や東南アジアから石油や天然ガスなどの資源が輸入され、ヨーロッパやアメリカ合衆国へ電化製品や自動車などが輸出される。さらに、大小の船会社によって多数の貨客フェリーや高速船が運航される。また、造船分野においても、その技術力の高さから世界有数の規模を保つ。 歴史 律令時代 古代は律令制の整備に伴い、駅制が敷かれて都(畿内)と地方の間に道路が整備され、駅家が置かれた。これを古代官道というが、古代官道は地方広域区分である五畿七道に沿って整備された。 五畿七道:畿内、西海道、南海道、山陽道、山陰道、東海道、東山道、北陸道 戦国時代まで 中世には都市の発達に伴い、年貢や物資の輸送の必要性から陸上交通が整備され、定期市なども開かれた。これに伴い、港や廻船も整備され、海上交通や海上輸送も行われるようになる。交通の要所には、幕府や戦国大名や有力寺社などが関を設置して、関銭が徴収された。 江戸時代 江戸を新たな中心として、日本各地で街道の整備が進められた。経済発展に伴って水上交通が盛んになり、海上航路の開発や運河の整備が行われた。 街道 宿場町の発展 五街道(始点:日本橋):東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道 樽廻船、菱垣廻船 駕籠、馬(馬子)、北前船、車道(くるまみち)など。 明治から第二次大戦まで 明治に入ると近代国家になるために交通網を整備する必要があった。整備を進めやすいために道路よりも鉄道を優先して建設された。鉄道の建設には多くの問題や妨害があったが、品川・横浜間で仮営業が始められた後、新橋・横浜間の営業が始められた。これを契機として、官民による鉄道の建設が進められた。都市内においては路面電車や地下鉄が整備され、馬車の走行のためにガス灯の設置や舗装が進められた。しかし、地方の道路整備は遅々として進まず、幹線道路でも自動車の通行に適さない区間が大量にあった。 人力車、馬車鉄道、人車鉄道など:明治初期 平地が少なく険しい山地が多い国土→トンネル 第二次大戦後 第二次世界大戦中まで自動車用の道路の整備があまり進まず、国道にあっても舗装率は非常に低かった。経済復興のため、名古屋と神戸を結ぶ名古屋・神戸高速道路(現在の名神高速道路)が計画されたが、高速道路の計画をたてられる交通工学の技術者が日本にはいなかったために国際連合に要請して計画書が策定された。それが1956年に出されたワトキンス・レポートである。その中で「日本の道路は信じがたいほどに悪い。工業国にして、これほど道路を無視してきた国は日本の他にない」と述べられた。この報告書も後押しとなり、日本の道路整備は飛躍的に進んでいく。 鉄道においては高速化のために蒸気機関車から気動車(ディーゼルカー)への転換や電化が進められていった。 敗戦の影響で、航空機の開発を制限された日本では航空機製造の分野では振るわなかったが、戦前に活躍した技術者の多くが鞍替えすることで日本の自動車産業の成長を支えることとなった。 1964年の東京オリンピックに合わせて、東名高速道路の建設や東海道新幹線の開通などが相次いだ。東京の首都高速道路も1962年に一部開通し、これは日本初の都市高速道路でもあった。1960年代後半頃からマイカーの普及が本格化し、自動車の台数が大幅に増加した(モータリゼーション)。その一方で、道路や自動車の利用環境の整備の遅れなどから交通事故も激増し、交通戦争と称された。暴走族の出現も問題となった。交通事故防止の対策として、横断歩道橋などの設置による歩車分離を実施していった。乗用車の保有台数は1971年(昭和46年)には1000万台に達した。 在来鉄道がモータリゼーション進展の波に押されて停滞する一方で、高速旅客鉄道である新幹線は日本の大動脈へと成長していく。自動車と航空旅客輸送の間を埋める日本の新幹線の成功により、停滞傾向にあった鉄道を見直す機運が高まり、ヨーロッパやアジアの国々にも高速旅客鉄道を登場させる動機となった。 資源の多くを海外に頼る日本では、戦前から造船技術が発達し、戦後も大型タンカーなどの建造が活発に行われ、鉄鋼業とともに日本の経済と物流の一翼を担った。空港の整備が進められ、航空輸送が徐々に拡大した。円の価値が一段と上昇した1980年代以降は、海外へのビジネスや旅行の渡航も活発になった。 交通体系を基準にした地方区分 交通体系や道路地図などでは地形的条件に則り、律令時代の五畿七道や、江戸時代の五街道などを目安として、地方を区分することが多い。 脚注 出典 関連項目 日本の道路年表、日本の高速道路一覧 日本のバス 日本の自転車 橋(日本と世界の橋が一括して書かれている) にほんのこうつう
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オペレーティングシステム
オペレーティングシステム(、略称:OS、オーエス)とは、コンピュータのオペレーション(操作・運用・運転)を司るシステムソフトウェアである。 概要 オペレーティングシステムは通常、ユーザーやアプリケーションプログラムとハードウェアの中間に位置し、ユーザーやアプリケーションプログラムに対して標準的なインタフェースを提供すると同時に、ハードウェアなどの各リソースに対して効率的な管理を行う。現代のOSの主な機能は、ファイルシステムなどの補助記憶装置管理、仮想記憶などのメモリ管理、マルチタスクなどのプロセス管理、更にはGUIなどのユーザインタフェース、TCP/IPなどのネットワーク、などがある。パーソナルコンピュータからスーパーコンピュータまでの各種のコンピュータや、スマートフォンやゲーム機などを含む各種の組み込みシステムで、内部的に使用されている。 商品として(ないし製品として)のOSには、デスクトップ環境やウィンドウシステムなど、あるいはデータベース管理システム (DBMS) などのミドルウェア、ファイル管理ソフトウェアやエディタや各種設定ツールなどのユーティリティ、ウェブブラウザや時計などのアクセサリが、マーケティング上の理由などから一緒に含められていることもある。 コンピュータのタイプごとの主なオペレーティングシステム スマートフォンのOSおよびそのシェアは、2021年9月時点でAndroidが約72%、iOSが約27%である。Androidは広い意味でのLinuxの一種であり、Linuxのカーネルを一部改編し他のオープンソース・ソフトウェアを組み合わせたものである。 ノートPCやデスクトップPCのOSおよびそのシェアは、2021年時点でWindows 75.4%、macOS 15.93%、ChromeOS 2.59%、Linux 2.33%となっている。macOSはFreeBSDを基にしたUnix系のOSである。 スーパーコンピュータのOSは、2000年ころはUNIXが9割ほどを占めていたが、その後の10年間でそのほぼ全てがLinuxに置き換わり、2021年現在では世界のスーパーコンピュータのTOP500のほぼ100%がLinuxである。 組み込みシステムでは組み込みオペレーティングシステムと呼ばれるOSを用いる。小規模な組み込みシステムのなかには明確なOSを内蔵していないものもあるので曖昧な面もあるが、組み込みOSを搭載しているものに関しては2019年時点でのシェアでTRON(トロン)系がおよそ60%であり、24年連続トップを占める。TRON系のなかでもITRON(アイトロン)が最も普及している。TRON以外では、次いでPOSIX系つまりUNIX系、Linux類などである。米リナックスワークスのLynxOS(リンクスオーエス)、米ウィンドリバーのVxWorks(ヴイエックスワークスト)、米シンビアンのSymbian OS(シンビアン・オーエス)など。 オペレーティングシステムの目的 オペレーティングシステムの主な目的は、ハードウェアの抽象化、リソースの管理、そしてコンピュータ利用効率の向上である。 ハードウェアの抽象化 コンピュータごとに、製造元が異なるなどで、実現する機能は同じでも詳細な仕様に差異があるハードウェアが搭載されていることが多い。そのようなハードウェアの統一的で抽象化された利用方法を提供することで、アプリケーションソフトウェアの開発を容易にする。 リソースの管理 複数のアプリケーションソフトウェアを同時に利用する際に、互いに独立して動作できるように資源を管理する。プログラムからの資源要求に競合が起きた場合には、待たせる、エラーを返すなど、適切に対処する。 コンピュータの利用効率の向上 複数のタスクを同時に実行する際に、資源割り当ての順番や処理の割り当て時間を工夫することで、全体のスループットを向上させる。これはデスクトップ環境ではあまり恩恵を感じることはないが、ウェブサーバやデータベースなど大量のアクセスをこなす用途などでは重要になる。 オペレーティングシステムの機能とコンポーネント APIとABI オペレーティングシステムはアプリケーションソフトウェアを動作させるのが第一の目的である。このためのインタフェースがアプリケーションプログラミングインタフェース (API) とアプリケーションバイナリインタフェース (ABI) である。カーネルはシステムコールによってアプリケーションにサービスを提供する。さらに基本ライブラリも含めた形でアプリケーションに対してAPI/ABIを提供する。アプリケーションによってはオペレーティングシステム上のミドルウェアやアプリケーションフレームワークなどをAPIとして使用する場合もある。 APIはプログラミングのためのインタフェースであり、プログラムを作成する際の規則を構成する。例えば、C言語での関数やFORTRAN/Pascalなどのライブラリ呼び出しの仕様といったものがそれにあたる。 一方、ABIはコンパイルされたソフトウェアがオペレーティングシステムの機能を呼び出す際のインタフェースであり、プロセスが動作する際の規則を構成する。例えば、Unix系のオペレーティングシステムはAPIがほとんど共通だが、ABIはオペレーティングシステムによって異なる。したがって、同じCPUを使ったシステムであっても、ABIが異なれば実行ファイルが異なる。ABIには、呼出規約、システムコールの方法などが含まれる。 なお、オペレーティングシステムの垣根を越えたABIもいくつか存在する。例えば、OCMP (Open Computing Environment for MIPS Platform) というMIPS系チップを使用したUNIX機によるバイナリ共通インタフェースが日本電気やソニー、住友電気工業、日本タンデムコンピューターズなどにより定義され、その定義に沿ったUNIXオペレーティングシステムが複数販売された。 カーネル ファームウェアとデバイスドライバの助けを借り、カーネルはコンピュータの全ハードウェアデバイスの基本的制御を提供する。RAM上のプログラムのメモリアクセスを管理し、どのプログラムがどのハードウェア資源へのアクセスを得るかを決定し、常に運用が最適化されるようCPUの状態を設定し、ファイルシステムと共にディスク、磁気テープ、フラッシュメモリといった長期的不揮発性記憶装置でのデータの編成を行う。 プログラム実行 オペレーティングシステムはアプリケーションプログラムとコンピュータハードウェアの間のインタフェースを提供し、オペレーティングシステムに組み込まれた規則や手続きに従うことによってアプリケーションプログラムはハードウェアとやりとりできる。オペレーティングシステムはまた、アプリケーションプログラムの開発と実行を簡素化するサービス群も提供する。アプリケーションプログラムの実行にあたって、オペレーティングシステムのカーネルがプロセスを生成する。プロセスの生成には、メモリ空間などの資源の割り当て、マルチタスクシステムでのプロセスへの優先度の割り当て、プログラムのバイナリコードのメモリへのロード、アプリケーションプログラムの実行開始といった仕事が含まれる。そうして初めてユーザーやハードウェアデバイスとやりとりを開始できる。 割り込み 割り込みはオペレーティングシステムの要であり、オペレーティングシステムが周囲の環境と相互作用し反応するための効率的手段となっている。非常に小さなスタック(50バイトや60バイト)しか持たない古いシステムでは、オペレーティングシステムが対応しなければならないイベントの発生源を「監視」するポーリング方式を採用していたが、現代の大きなスタックを持つシステムでは一般的ではない。現代の多くのCPUは、割り込みをベースとしたプログラミングを直接サポートしている。割り込みが発生すると、その時点のレジスタコンテキストを退避し、そのイベントに対応した特定のコードを実行する。非常に基本的なコンピュータにもハードウェア割り込み機能があり、プログラマは特定の割り込みが発生したときに実行すべきコードを設定することができる。 割り込みを受信すると、コンピュータのハードウェアは実行中のプログラムを自動的に一時停止させ、状態を退避させ、その割り込みに事前に割り当てられているコードを実行する。これは例えば読書中に電話が鳴ったとき、本にしおりを挟み、電話に出るのに似ている。現代的なオペレーティングシステムでは、割り込みはオペレーティングシステムのカーネルが扱う。割り込みはコンピュータのハードウェアが発生させる場合もあるし、実行中のプログラムが発生させる場合もある。 ハードウェアから割り込みが発生した場合、オペレーティングシステムのカーネルがそのイベントにどう対応するかを一般に何らかの処理コードを実行して決定する。割り込みには優先順位があり、それに従って実行するコードが決定される。再び人間にたとえれば、電話が鳴ると同時に火災を知らせる火災報知器の非常ベルも鳴ったら、電話には出ずに避難するだろう。ハードウェア割り込みの処理は通常、デバイスドライバと呼ばれるソフトウェアに委任される。デバイスドライバはオペレーティングシステムのカーネルの一部という場合もあるし、別のプログラムという場合もあるし、混在する場合もある。デバイスドライバは割り込みによって得た情報を各種手段を通じて動作中のプログラムに中継する。 実行中のプログラムがオペレーティングシステムに対して割り込みを発生させる場合もある。例えば、あるプログラムがハードウェアにアクセスしたい場合、オペレーティングシステムのカーネルに対して割り込みを発生させ、結果として制御をカーネルに移す。するとカーネルは必要な処理を行う。また、プログラムがメモリなどの資源を追加で要求する場合、割り込みを発生させてカーネルに知らせる。ただし、それらは一般にシステムコールと呼ばれ、ハードウェア割り込みとは実装が異なることもある。 モード 現代的CPUには複数の運用モードがある。その場合、少なくともユーザーモードとスーパーバイザモードの2つが存在する。スーパーバイザモードはオペレーティングシステムのカーネルが使用するモードで、ハードウェアに無制限にアクセスでき、メモリの読み書きの方法を制御したり、グラフィックスカードなどのデバイスとやりとりしたりできる。一方ユーザーモードはカーネル以外のほぼ全てが使用する。アプリケーションはユーザーモードで動作し、ハードウェアとのやりとりはカーネルを通す必要がある。CPUは2つ以上のモードを持つこともあり、古いプロセッサをエミュレートするのに使ったりする。 コンピュータが起動した際は、自動的にスーパーバイザモードで動作する。BIOSやEFI、ブートローダー、オペレーティングシステムのカーネルといったごく一部のプログラムがスーパーバイザモードで動作する。このようになっているのは、ユーザーモードの環境の初期化はその外側にあるプログラムでないと行えないためである。しかし、オペレーティングシステムが他のプログラムに制御を渡す際には、CPUをユーザーモードに設定できる。 ユーザーモードでは、プログラムが使用できるCPUの命令セットが制限されている。ユーザープログラムでユーザーモードを抜け出すには、割り込みを発生させ、カーネルに制御を戻す。そのようにしてハードウェアやメモリへのアクセスといったことへの独占的制御をオペレーティングシステムが保持している。 メモリ管理 パーキンソンの法則によると、「メモリを拡張するとプログラムはそれに伴って拡大する」という。プログラマーは無限の容量と無限の速度のメモリを理想としている。コンピュータのメモリは階層構造になっていて、最も高速なレジスタから、キャッシュメモリ、RAM、最も低速なディスク装置がある。オペレーティングシステム内のメモリ管理部はこのようなメモリを管理するもので、利用可能な部分、割り当てと解放、主記憶と二次記憶との間でのスワップなどを制御する。 マルチプログラミング・オペレーティングシステムのカーネルはプログラムが使用中の全システムメモリの管理責任を負っている。それによってあるプログラムが既に別のプログラムが使用しているメモリを誤って使用しないようにしている。プログラム群は時分割で動作するので、それぞれのプログラムの独立したメモリアクセスが可能となっている。 協調的メモリ管理は初期のオペレーティングシステムでよく使われた方式で、全プログラムが自発的にカーネルのメモリ管理機構を使い、割り当てられたメモリをはみ出さないように動作することを前提としている。プログラムにはバグがつきもので、そのために割り当てられたメモリからはみ出すこともあるため、このようなメモリ管理は今では見られない。プログラムが異常動作すると、他のプログラムが使用中のメモリを書き換えることもあった。悪意あるプログラムやウイルスが意図的に他のプログラムのメモリを書き換えたり、オペレーティングシステム自体の動作を妨げたりすることも可能である。協調的メモリ管理では、たった1つのプログラムがおかしな動作をするだけでシステム全体がクラッシュする。 カーネルによるメモリ保護により、プロセスのメモリへのアクセスが制限される。メモリ保護には様々な技法があり、セグメント方式とページング方式が代表的である。どの技法でも何らかのハードウェアサポートが必要であり(例えば、80286のMMUなど)、あらゆるコンピュータがそのようなハードウェア機構を備えているわけではない。 セグメント方式でもページング方式でも、CPU内のユーザーがアクセスできないレジスタ群でユーザープログラムがアクセス可能なメモリアドレスの範囲を設定している。その範囲外のアドレスにアクセスしようとすると割り込みが発生してCPUがスーパーバイザモードに遷移し、カーネルがその状況に対処する。これをセグメンテーション違反と呼ぶ。セグメンテーション違反は一般にプログラムの間違いから発生するので、実行を継続するような対処は困難であり、カーネルは問題のプログラムを強制終了させ、エラーを報告するのが一般的である。 Windows 3.1からWindows Meまでは何らかのメモリ保護機構を備えていたものの、それを回避するのも容易だった。そのためセグメンテーション違反の発生を知らせるが考案されたが、それでもシステムがクラッシュすることが多かった。 仮想記憶 ページングやセグメントによる仮想記憶を使用することで、カーネルは任意の時点で各プログラムが使用するメモリを選択でき、同じメモリ位置を複数タスクで使用させることも可能となる。 あるプログラムが使用可能な現在のメモリ範囲だが物理メモリが割り当てられていない位置にアクセスしようとしたとき、セグメンテーション違反のように割り込みによってカーネルに遷移する。このような割り込みをUnix系ではページフォールトと呼ぶ。 カーネルがページフォールトを受け付けると、そのプログラムに割り当てられた仮想メモリ空間の調整を行い、要求されたメモリアクセスが可能になるよう物理メモリを割り当てる。これにより、カーネルはそれぞれのアプリケーションへのメモリ割り当てを自由に決定でき、さらには実際には割り当てないでおくことも可能となる。 現代的オペレーティングシステムでは、相対的にアクセス頻度が低いメモリを一時的にディスクなどの二次記憶装置に退避させ、主記憶を他のプログラムのために空けることができる。これをスワッピングと呼び、限られたメモリを複数のプログラムで使用可能にし、メモリの内容を必要に応じて退避させたり復帰させたりできる。 仮想記憶により、実際に搭載しているよりも多くのRAMを使用しているかのような感覚でコンピュータを使用することができる。 マルチタスク コンピュータ上の各動作はバックグラウンドであっても一般のアプリケーションであっても、内部的にはプロセスとして動作する。DOSのような機能の限定されたオペレーティングシステムは一度に1つのプロセスしか実行できない。近代的なオペレーティングシステムは一度に複数のプロセスを動作させることができる(マルチタスク)。プロセス管理は複数のプロセスを実行するためにオペレーティングシステムが行う処理である。プロセッサを1つだけ持つ一般的なコンピュータでは、マルチタスクは高速にプロセスからプロセスへ切り替えを行うことで実現される。ユーザーがより多くのプロセスを実行すれば、個々のプロセスに割り当てられる時間は少なくなっていく。多くのシステムでは、これが音声の途切れやマウスカーソルの奇妙な動作などを引き起こす。一般的なプロセス管理は、プロセスごとに優先度を与え、それによって配分される時間を決めている。 オペレーティングシステムのカーネルにはスケジューラと呼ばれるソフトウェアが含まれており、プロセッサが実行すべきプロセスの順序と一度に実行する期間を決定している。スケジューラが選択したプロセスにカーネルが制御を渡し、それによってそのプログラムがCPUとメモリにアクセス可能になる。その後何らかの機構で制御がカーネルに戻され、スケジューラが再び新たなプロセスを選択する。このようなカーネルとアプリケーション間の制御の切り替えをコンテキストスイッチと呼ぶ。 プログラム群へのCPU時間の割当方法の初期のモデルとして協調的マルチタスクがある。このモデルでは、カーネルがあるプログラムに制御を渡すと、そのプログラムは時間を制限されることなく処理を行え、カーネルには自発的に制御を戻すことになっている。したがって、悪意あるプログラムやバグのあるプログラムがあると他のプログラムにCPU時間が割り当てられなくなり、無限ループに陥っている場合はシステム全体がハングアップする。 プリエンプティブ・マルチタスクでは、動作中のプロセスから任意の時点で制御を奪うことができ、全プログラムに所定のCPU時間を割り当てることが可能である。これを実現するためオペレーティングシステムはタイマ割り込みを使用し、所定の時間が経過したら割り込みを発生させてスーパーバイザモードに制御を戻させ、カーネルがスケジューラを呼び出す。 現代的オペレーティングシステムでは、プリエンプションの考え方をユーザーモード(アプリケーション)だけでなくデバイスドライバやカーネルコードに対しても適用し、リアルタイム性を向上させている。 ホームコンピュータなどのシングルユーザー・オペレーティングシステムでは、少数のよく評価されたプログラムしか使わないことが多く、協調的マルチタスクで全く問題ない。例外として AmigaOS は初期のバージョンからプリエンプティブ・マルチタスクを実現していた。Microsoft Windows で初めてプリエンプティブ・マルチタスクを実装したのは Windows NT だが、それが一般家庭向けに発売されるのは Windows XP からだった。 ディスクアクセスとファイルシステム ディスクに格納したデータへのアクセスは、あらゆるオペレーティングシステムの中心的機能である。コンピュータはファイルという形でディスクにデータを格納する。ディスクの内容は高速アクセス、高信頼性、ディスク領域の利用効率などを考慮して編成される。このファイルをディスクに格納する方式をファイルシステムと呼び、それによってファイルに名前と属性が付与される。また、ディレクトリあるいはフォルダと呼ばれる構造を使い、ファイル群を階層構造(木構造)内に格納できる。 初期のオペレーティングシステムは一種類のディスク装置しかサポートしておらず、ファイルシステムも一種類ということが多かった。初期のファイルシステムは容量や性能が低く、ファイル名やディレクトリ構造の面で制約が多かった。そういった制約はオペレーティングシステム自体の設計上の制約を反映していることが多く、複数のファイルシステムをサポートするのもオペレーティングシステムの制約の観点から非常に困難だった。 より単純なオペレーティングシステムではストレージへのアクセス手段が限られているが、UNIXやLinuxなどのオペレーティングシステムでは仮想ファイルシステム (VFS) という機構をサポートしている。UNIXなどのオペレーティングシステムは様々なストレージデバイスをサポートしており、それらの仕様やファイルシステムとは独立した共通のアプリケーションプログラミングインタフェース (API) でアクセスできるようにしている。そのためプログラムはアクセスしようとしているデバイスに関する知識を持つ必要がない。VFS機構により、プログラムはデバイスドライバとファイルシステムドライバを経由してシステム上のあらゆるデバイスと様々なファイルシステムにアクセス可能となる。 ハードディスクドライブなどの補助記憶装置には、デバイスドライバを通してアクセスする。デバイスドライバは担当するデバイスのインタフェースをよく理解しており、それをオペレーティングシステムが全ディスクドライブに共通で用意しているインタフェースに変換する。UNIXでは、それがブロックデバイスのインタフェースである。 代表例 Linuxを元プラットフォームとして開発されたものにはext2、ext3、ReiserFSなどがある。また、他のプラットフォームからXFS、JFS、FATファイルシステムなどが移植され、NTFSも不十分ながら読み書きが可能である。 Macintoshではまず最初にMacintosh File System (MFS) が実装されたが、ディレクトリ機能を備えていなかったためファイルブラウザFinderでフォルダをエミュレーションしていた。その後Hierarchical File System (HFS) でディレクトリ機能を実装し、現在は改良を加えたHFS+が採用されている。現在macOSで読み書きが可能なものはHFS、HFS+、UNIX File System (UFS)、FATとなる。なおUFSの使用は一般でなく、FATへの対応は他プラットフォームとのデータ交換に用いられる。NTFSは読み込みのみが可能であり、書き込みについてはCommon Internet File System (CIFS) によるネットワークを介したものに限られる。 Windowsが標準で扱えるファイルシステムは、FAT、FAT32、NTFSである。NT系のWindowsではNT3.51まではOS/2標準のHPFSにアクセス可能だった。現在Windows上ではNTFSが最も信頼性と効率が高いものとして一般的に利用される。FATはMS-DOSから採用される古いファイルシステムであるが、パーティションやファイルサイズに制限があり、大容量化したハードディスクではあまり用いられない。このためファイルサイズの制限をなくしたexFATが新たに開発された。なお、exFATはVistaや7では標準で使えるが、XPでexFATを使うためには専用のプログラムを新たにインストールする必要がある。 プラットフォーム間の差異 FATはその仕様の制限から大容量のハードディスクには向かないが、その一方構造が単純でデジタルカメラや携帯電話などの組み込みシステム向けを含むさまざまなオペレーティングシステムで読み書き可能なことから、各種メモリカードやUSBメモリなどプラットフォームを跨ぐ用途においては主流である。なお、それらフラッシュディスクの大容量化に対応するため、マイクロソフトはFATを拡張したexFATというファイルシステムを発表している。 MacintoshからWindows等へファイルを転送すると、転送先のWindows側に本体とは別のファイルが出現することがある。これはHFSやHFS+のみがサポートするリソースフォークと呼ばれるデータ構造によるもので、Macintoshではそれらを一元的に管理を行うため一つの書類に見える。このように幾つものフォークを一つのデータに格納することをマルチフォークと呼び、もとのデータを改変することなくオペレーティングシステム独自の管理情報を容易に付与できる機能だが、実質的にMacintoshでしか利用できない。 障害への対応 ファイルシステムには、急な電源切断などによる障害へ対応する機構を持つものがある。 ジャーナルファイルシステムが最もよく採用される機構であり、その他にもZFSのように書き込み操作をトランザクションとして扱うものもある。これらを用いることで、障害復旧時のチェックを大幅に短縮する、または完全に不要にする。一方これらの機構を持たないファイルシステムでは、ファイルシステムの整合性を保つためストレージ全体を検査する必要がある。 デバイスドライバ デバイスドライバはハードウェアとのやり取りをするためのソフトウェアである。一般にハードウェアとの通信を行うインタフェースを持ち、ハードウェアの接続される何らかの通信サブシステムやバスを経由して通信を行う。コマンドをハードウェアに送り、データの送受信を行う。また、一方でオペレーティングシステムやアプリケーションに対するインタフェースも提供する。ハードウェアに強く依存するプログラムであり、オペレーティングシステムにも依存している。これによって、オペレーティングシステムやアプリケーションがハードウェアを使って動作することが容易になっている。ハードウェアの非同期的な割り込みの処理もデバイスドライバの役割である。 デバイスドライバの主たる設計目標は抽象化である。ハードウェアは用途が同種のものであっても、機種によって動作や性能などがそれぞれ異なる。新たな機能や性能を提供するハードウェアが登場したとき、それらは従来とは異なった制御方式を採用していることが多い。オペレーティングシステムを将来にわたってあらゆるハードウェアを制御できるように設計するのは困難である。従って、個別のハードウェアの制御をオペレーティングシステムから切り離す必要がある。デバイスドライバはオペレーティングシステムとのインタフェース(関数呼び出し)をデバイス固有の処理に変換することが主たる機能となる。理論的には、新たな制御方法の新しいハードウェアが登場しても、そのハードウェア用のドライバが古いオペレーティングシステムに対応していれば、古いオペレーティングシステムでもドライバだけ置き換えればハードウェアを制御可能となる。 Vista以前のWindowsやバージョン2.6より以前のLinuxカーネルでは、ドライバ実行は協調的だった。すなわち、あるドライバが無限ループに陥ると、システム全体がフリーズした。その後のバージョンではプリエンプションが可能となり、カーネルがドライバを中断させることができるようになった。 ネットワーク 多くのオペレーティングシステムはTCP/IPプロトコルをサポートしている。歴史的に見れば、初期のコンピュータネットワークはモデムを使って電話回線で行われていた(BSC手順など)。その後、パケット通信が使われるようになり、IBMのSNAなどの各社独自のネットワークアーキテクチャが登場した。現在では、TCP/IPを中心とした通信が主流となっている。 通信プロトコルは、トランスポート層まではカーネル内モジュールとして実装し、プレゼンテーション層より上はシステムプロセスとして実装されるのが一般的である。セッション層の実装はシステムによって異なる。 このようなネットワーク機能により、異なるオペレーティングシステム間でネットワークを形成し、計算能力 (RPC)、ファイル、プリンター、スキャナーなどのリソースを共有できる。ネットワークにより、あるコンピュータのオペレーティングシステムが遠隔のコンピュータにあるリソースをあたかも自身に直接接続されているかのように透過的に利用できる。単純な通信に始まり、分散ファイルシステム、グラフィックスやサウンドといった機能の共有まで様々な応用がある。透過的アクセスの例としては、SSHによるコマンドラインの直接使用などもある。 セキュリティ オペレーティングシステムが関係するセキュリティ機能は、ユーザーがリソースへの何らかのアクセスを行う際に前もって認証し、そのユーザーのアクセスレベルを決定し、管理者の方針に基づいてアクセスを制限することである。 オペレーティングシステムは、処理を許可すべき要求と処理すべきでない要求を識別できなければならない。一部のシステムは単にユーザー名などで要求者を識別し、それによって特権の有無を判断する。要求者を識別する過程を「認証」(authentication) と呼ぶ。ユーザー名を示さなければならないことが多く、ユーザー名に続いてパスワードも必要な場合がある。別の認証方法として、磁気カードや生体データを使った「認証」(certification) を行うこともある。ネットワーク経由に接続などの場合、認証を全く行わずにリソースにアクセスさせることもある(ネットワーク上で共有されたファイルを読む場合など)。 さらに高度なセキュリティを備えたシステムでは、監査証跡 (auditing) オプションも提供している。これは、リソースへのアクセス要求を監視し記録するものである(「このファイルは誰が読もうとしたか?」など)。プログラムが何らかのリソースを要求すれば割り込みによってカーネルに制御が渡るので、そこでセキュリティの確認が可能である。プログラムがハードウェアやリソースに直接アクセスできる場合、セキュリティは確保されない。 何者かがコンソールやネットワーク接続経由でログインしようとする際にもセキュリティの確保が必要である。このような要求は一般にデバイスドライバ経由でカーネルに渡され、それから必要ならアプリケーションに渡される。ログインにまつわるセキュリティは、企業や軍などで機密情報を保持しているコンピュータでは長年の課題だった。アメリカ国防総省 (DoD) はセキュリティ評価に関する基本要件を定めた標準 Trusted Computer System Evaluation Criteria (TCSEC) を策定した。TCSECはセキュリティを要求されるシステムの調達条件とされるようになったため、オペレーティングシステムのメーカーはこれを重視するようになった。 ユーザインタフェース 個人が使用するコンピュータにはユーザインタフェースが必要とされる。ユーザインタフェースは必ずしもオペレーティングシステムの一部とは限らない。通常はシェルなどのプログラムが実装しているが、人間とのやりとりが必要なプログラムは基本的にユーザインタフェースを備えている。ユーザインタフェースは、キーボードやマウスやクレジットカード読み取り機といった入力デバイスからのデータを取得するのにオペレーティングシステムを介する必要があり、モニターやプリンターといった出力機器にプロンプトやメッセージを出力するのにもオペレーティングシステムを介する必要がある。主なユーザインタフェースは、古くからあるキャラクタユーザインタフェース(コマンドラインインタフェース)と視覚的なグラフィカルユーザインタフェースに大別される。 グラフィカルユーザインタフェース (GUI) 最近のオペレーティングシステムは一般にGUIを持っている。多くのプロプライエタリなシステム(WindowsやMac OS)はカーネルとGUIが密接に関係している。他のオペレーティングシステムではユーザインタフェースはモジュール化されていて、任意のGUIをインストールしたり、新たなGUIを作成したりできる(Linux、FreeBSD、OpenSolaris)。 Windowsでは新たなバージョンが登場するたびにGUIを変更してきた。初期のWindowsからWindows Vistaまでを比べてみると、その変化は大きいし、MacintoshのGUIは1999年のMac OS Xの登場で劇的に変化した。 Macでは初期からSystem 6.0.xまでが白黒のGUIで、System 7以降もカラー化されたのみで、Mac OS 8でプラチナアピアランスが採用されても、Mac OS 9.2.2までは基本要素はほぼ変わらなかった。しかしMac OS Xになって完全に刷新され、AquaベースのGUIになった。Mac OS X v10.3以降ではメタルアピアランスが導入され、その後もバージョンアップのたびに少しずつ手が加えられている。また、Aquaとは別にX11も用意されている。 Mac OS Xの前身のNEXTSTEPは様々な独創的なGUI要素で知られ、他のオペレーティングシステムやデスクトップ環境に大きな影響を与えた。グレースケールのシステムだったころよりアルファチャンネルを備えていたのは特筆すべき点である。 LinuxではGUIを提供するデスクトップ環境がいくつか存在する。Linuxで使えるGUIとして有名なものは、GNOMEとKDEがある。 オペレーティングシステムの歴史 1950年代 オペレーティングシステム前史 1950年代、オペレーティングシステムという概念が登場し始めた。初期のコンピュータはオペレーティングシステムを持たなかった。しかし、システム管理用ソフトウェアツールやハードウェアの使用を簡素化するツールはすぐに出現し、徐々にその利用範囲を拡大していった。最初のオペレーティングシステムは、IBM 701用にゼネラルモーターズが開発したもの、IBM 704用にゼネラルモーターズとノースアメリカン航空が共同開発したもの等、多くの候補があるが、どういった機能が搭載された時点でオペレーティングシステムと呼ぶかによる。この時代のものをオペレーティングシステムとは呼ばない場合もある。 当時は、パンチカード等から入力されたプログラムを磁気テープに一旦保存し、その磁気テープを大型コンピュータに接続後、プログラムをロードして実行していた。そのため、入出力装置のドライバに当たるものが作成されていた。また、アセンブラやコンパイラが登場し始めた時代なので、まずコンパイラをロードしてからプログラム(ソースコード)をロードし、コンパイル結果として出力されたアセンブリ言語をアセンブルするために、さらにアセンブラをロードするといった手続きが必要だった。こうした作業を自動化するバッチ処理がオペレーティングシステムの機能として実現されていた。また、プロセスの状態を監視するモニタも実装されていた。 1960年代 オペレーティングシステムの確立 1960年代前半には、オペレーティングシステム機能の増強が進められた。スプール、ジョブ管理、記憶保護、マルチプログラミング、タイムシェアリングシステム、そして、仮想記憶の概念が登場し始めた。これらの概念を複数搭載するオペレーティングシステムも登場していた。また、マルチプロセッシングシステムに対応するオペレーティングシステムもあった。 1960年代後半には、オペレーティングシステムは著しい進化を遂げた。現在のオペレーティングシステムの概念や基本部分(カーネル)の技術の大半は、この時期に完成された。 1962年、ゼネラル・エレクトリックがGECOS(後のGCOS)の開発を開始した。 1964年発表のIBM System/360シリーズに搭載されたOS/360およびDOS/360は世界初の商用オペレーティングシステムとされ、単一のOSシリーズで幅広いモデル(性能、容量、価格帯)と周辺機器を稼働させ、更にハードディスクドライブをサポートし、本格的な(プリエンプティブな)マルチタスクを実現した。「オペレーティングシステム」という用語が一般化したのもOS/360からである。従来は機種ごとに専用の制御ソフトが付属し「機種が変わればプログラムは書き直し、周辺機器は買い直し」が常識だったが、オペレーティングシステムがアプリケーションに一貫した上位互換のAPIを提供する事で、OS/360用に書かれたプログラムは、40年以上経過した現在のz/OS上でもバイナリ互換で動作する。このOS/360はNASAが使っていた この頃のもう1つの重要な進歩としてタイムシェアリングシステムの本格的な実用化がある。コンピュータの資源を複数のユーザーが並行的に使えるようにすることで、システムを有効利用するものである。タイムシェアリングは、各ユーザーに高価なマシンを独占しているかのような幻想を抱かせた。1965年のMulticsのタイムシェアリングシステムは特に有名である。更に1967年にはSystem/360用に、商用初の仮想化オペレーティングシステム(仮想機械)であるCP-40とCP-67が登場し、1台のコンピュータで同時に複数のオペレーティングシステムを稼働できるようになったが、これもタイムシェアリングの応用である。 また仮想記憶は1961年のバロース B5000が商用初とされ、1970年のIBM System/370シリーズ用のOS/VSで広く普及した。コンピュータの利用形態としてオンライントランザクション処理やデータベース処理が普及したのもこの頃である。 1970年代 - 1980年代前半 分散システムの台頭 1970年代 - 1980年代前半は、多種多様な分散システムが普及した。ミニコンピュータ用オペレーティングシステムとしては、VMSが有名である。Multicsは1970年代の様々なオペレーティングシステム、UNIXなどに影響を与えた。UNIXはオープンシステムと呼ばれ、ミニコンピュータからメインフレームまで広く普及した。 また1970年代には低価格なマイクロプロセッサが登場したが、初期のマイクロコンピュータは、メインフレームやミニコンピュータのような大規模なオペレーティングシステムを搭載する容量もなかったため、ディスク管理程度の必要最低限の機能しか持たないオペレーティングシステムが開発された。初期の特筆すべきオペレーティングシステムとしてCP/Mがあり、8ビットのマイクロコンピュータで良く使われた。その大雑把なクローン(複製)として16ビットのIBM PC用にPC DOSが生まれ、そのOEM版であるMS-DOSが普及した。これらはオペレーティングシステムの提供する機能が少なく、画面制御など多くの機能は、アプリケーションが直接ハードウェアを操作する必要があったため、同じCPUを使用していても、ハードウェア(機種)が異なると互換性も失われた。このMS-DOSと後継のMicrosoft Windowsによって、マイクロソフトは世界有数のソフトウェア企業となった。 なお、1980年代の別の特筆すべき流れとして、GUIを標準装備したApple Computer(現:Apple)のMacintoshがある。Macintoshのオペレーティングシステム (Mac OS) は、当時の性能的制約から、多くの部分がファームウェアの状態でハードウェアに組み込まれてはいたが、現在でいうウィジェット・ツールキットを含むToolboxと呼ばれるAPI群を持ち、アプリケーションにおけるGUIのデザイン開発をある程度まで標準化した。 マイクロプロセッサの高性能化と低価格化が進むと、業務用途のシステムでは、高機能な端末を大量に用意することが可能になり、UNIXをベースとしたクライアントサーバモデルが普及した。クライアント機であるワークステーションのオペレーティングシステムとしてSunOS、IBM AIX、IRIXなどのUnix系オペレーティングシステムが用いられた。この時期には肥大化したUNIXの再設計の機運が高まり、マイクロカーネルという新しい設計手法が生まれ、成果としてMachなどのカーネルが作られた。しかし、UNIXの権利を持つAT&Tがライセンスに厳しい条件をつけるようになり、UNIXを自由に改変したり、改変した機能を外部に公開することができなくなった。このため、オープンシステムとしてのUNIXのオープンな文化は一時衰退に追い込まれた。さらにUNIXの標準規格を巡ってUNIX戦争が勃発し、UNIX市場は大きなダメージを受けた。 1980年代後半-2000年代初頭 次世代オペレーティングシステムへの流れ 1980年代後半には、パソコンにも32ビット時代が到来し、1990年代に入ると、低価格なAT互換機でもメモリを十分に搭載すればPC-UNIXの利用が可能になりはじめた。当時のパソコンでは、オペレーティングシステムとして最低限の機能しか持たないDOSが依然として使われており、GUIやネットワーク、マルチメディアに対応させるため、ベンダがDOSを様々な形で拡張したシステムソフトウェアや、ウィンドウシステムを搭載するようにもなったが、これは互換性や信頼性など様々な点で問題を発生させていた。こうした問題を解決するため、堅牢な(プリエンプティブな)マルチタスク機能、高度なネットワーク機能など、従来のUNIX(互換)ワークステーション並みの機能がパソコンにも求められるようになってきた。さらに、肥大化したソフトウェア開発の効率を改善するためにオブジェクト指向APIを導入し、Macintoshのように標準化されたGUIを備えることも求められた。これらの機能を備えたオペレーティングシステムは「次世代オペレーティングシステム」、「モダン・オペレーティングシステム」などと呼ばれた。 1987年にはIBMとマイクロソフトが、パーソナルコンピュータ用に堅牢なマルチタスク機能・GUI(同年末の1.1より)・ネットワーク機能(拡張版)を装備したOS/2を発表した。1988年に登場したNEXTSTEPは、業務用途に耐える堅牢性・全面的なオブジェクト指向導入による柔軟性・高度なグラフィック機能・一貫したGUIといった、新世代のデスクトップオペレーティングシステムで求められる機能を全て実現した。しかしこれらは当時のハードウェア性能では負荷が大きかったため広くは普及せず、代わりに、軽量だが堅牢なメモリ管理やマルチタスク機能は持たないMac OSや、Windows 3.x などのGUI環境が徐々に普及していった。これらは当時の限られたハードウェアでも快適に動作したが、安定性や機能では劣っていた。 UNIX(互換)系オペレーティングシステムの流れでは、UNIXの権利を持つAT&T(1992年からはノベル)がソースコードの自由な改変を禁じていたことから、オープンソースのUNIX互換オペレーティングシステムが開発されはじめる。1990年にHurdの開発が開始され、1991年に、Linuxがフリーソフトウェアとして公開された。マイクロカーネルなどの新しい設計手法を採用し、トレンドに合わせたびたび設計が変更されたHurdの開発が停滞する一方、Linuxは保守的な設計とバザール方式という不特定多数の担い手による開発手法を採用し、迅速な開発が進められ、PC-UNIXのデファクトスタンダードとなった。ただしLinuxはオペレーティングシステムの心臓部であるカーネルのみのため、カーネル以外のオペレーティングシステムを構成するソフトウェアを揃えて自ら環境を整える必要があり、初期段階においては技術者などのごく一部の人たちにのみ使われていた。386BSDを皮切りにフリーのBSD系UNIXも登場したが、UNIXの権利者だったノベルとBSDを開発したカリフォルニア大学バークレー校との訴訟に巻き込まれ、開発中止を余儀なくされた(1994年からFreeBSDとNetBSDの開発が再開される)。 1994年には、Windowsとしては初めて、32ビットに本格対応(カーネルの32ビット化)し、堅牢なマルチタスク機能を備えたWindows NTが登場した。ただこれも負荷や互換性の問題などから個人用途にはあまり普及せず、かわって急速に普及したのはWindows 3.xを拡張しつつ、Windows NTの機能を限定的に取り入れたWindows 95であった。以降、Windows NT系とWindows 9x系との並存が続き、WindowsがWindows NTベースに一本化されたのは2001年のWindows XPからである。 また、Appleも同年、NEXTSTEPを発展させたMac OS Xを新たにリリース、従来の Mac OS の後継となった。このころには低価格なパーソナルコンピュータでも、これらのオペレーティングシステムの負荷を問題としないほどに高性能化しており、オープンで低価格な分散コンピューティングを広めた(ダウンサイジング)。 2000年代中盤 オペレーティングシステムの多様化 2003年にはパソコンにも64ビット時代が到来し、オペレーティングシステムも64ビット化が進んだが、16ビット化や32ビット化の際と比較するとオペレーティングシステムの機能や役割に大きな変化はなかった。商用のパソコン用オペレーティングシステムのWindowsとMac OS Xのいずれもが64ビットへの移行を徐々に進めていった。Windowsは同一バージョンのオペレーティングシステムで32ビット版と64ビット版の双方を提供して、Mac OS Xは32ビットカーネルを維持したまま、一般プロセスに64ビット機能を持たせる道を選んだ。2000年代中頃まではパソコンの性能向上が著しかったため、デスクトップ用途の新しいオペレーティングシステムは同時代における高性能なパソコンを必要としていたが、2006年を境にしてCPUの性能向上の限界が顕著に現れ始めると、高効率化を目指した開発にシフト。Windows Vista・Windows 7やmacOSなどの新しいオペレーティングシステムにおいて、高機能のマルチコアCPUやプログラマブルシェーダを搭載したビデオチップへの対応が進められた。 オープンソースの流れでは、従来よりGNUがUNIX向けのツール群を開発していたが、これらをLinuxカーネルと組み合わせたGNU/Linuxが、2000年頃よりUnix系オペレーティングシステムの主流となった。またBSD系オペレーティングシステムもUnix系オペレーティングシステムのシェアの大きな部分を占めている。 一方、組み込みシステムにもより複雑な機能が求められるようになり、NetBSD、VxWorks、LynxOS、QNX、Enea OSE、Symbian OSなど汎用オペレーティングシステムをベースとしリアルタイム性能を持たせた組み込みオペレーティングシステムが幅広い用途に使われている、中でもオープンソースのTOPPERSのITRONを含むTRON系オペレーティングシステム・APIが、2020年現在、組み込みオペレーティングシステムの60%のシェアを持っている。 1990年代以降はダウンサイジングの流れにより、業務用途でもオープンシステムやWindowsへと主流が移行している中、信頼性・可用性を重視する用途には、現在でも専用オペレーティングシステム(z/OS、MSP/XSP、VOS3、ACOSなど)を搭載したメインフレームが採用され、使い分けられている。 2010年代 ユビキタス時代へ 2000年代末以降、パーソナルコンピュータ市場が成熟化する一方で、スマートフォンやタブレットに代表される、デスクトップ・オペレーティングシステムから派生した組み込みプラットフォームが普及し、モバイルコンピューティングが一般化した。 これらはカメラ、GPS、加速度センサー、ジャイロスコープ、無線LAN、Bluetooth、狭い画面に最適化されたタッチパネルなどのインタフェースを組み込み、携帯機器の低消費電力の要求に応えたiOS、Androidなどのモバイルプラットフォームを採用している。 オペレーティングシステムの分類 タスク管理の特徴 マルチタスク シングルタスク リアルタイムオペレーティングシステム 応用分野 サーバ(サーバ向け) デスクトップ(パソコン、ワークステーション向け) モバイル(PDA、スマートフォン向け) 組み込み(組み込みシステム向け) 脚注 注釈 出典 参考文献 関連項目 オペレーティングシステムの一覧 ハードウェア ソフトウェア 動作環境 デスクトップ環境 ハイパーバイザ ネットワークオペレーティングシステム Live CD システムイメージ 人工意識 マルチユーザー マルチタスク デバイスドライバ スプーリング 外部リンク the history of operating systems ソフトウェア コンピュータの仕組み
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93
鉄道
鉄道(てつどう、 )とは、レールを敷いて、その上に列車を走らせ、人や貨物を運ぶ陸上交通機関である。 概説 鉄道とは平行に2本のレールを敷き、その上で列車などを走らせ、人や貨物を運ぶ交通機関、交通システムである。線路、旅客や貨物を載せて走る列車、停車場、駅などの施設、運行管理や信号保安まで様々な要素で構成される一連の体系である。 「鉄道」は狭義には(その交通システム全体ではなく)レールを敷いた道「線路」(鉄路)だけを指すことがある。 鉄道は歴史的に見て、まずイギリスやヨーロッパで発展した。フランス語では「(シュマン・ドゥ・フェール)」と言い、これは直訳すると「鉄の道」である。日本語でも「鉄道」、中国語でも「鉄道」または「鉄路」と言う。なお鉄製のレールだけでなく、例えばコンクリート製の案内軌道などを用いるものもある。また、鋼索(鋼でできた太いロープ)で車両を支持し運転するもの(索道。ロープウェイ)も鉄道の一種としている。広い意味では、懸垂式・跨座式のモノレール、案内軌条式のAGT(新交通システム)、浮上式鉄道を含む。 なお、『日本大百科全書』は定義文の冒頭部「専用の用地にレールを敷設した線路上を動力を用いた車両を運転し」としている。専用の用地でなく道路に敷設された路面電車は、日本の法制上は「軌道」とよんで「鉄道」とは区別している。つまり、用地のありかたにも着目して線引きしている。 次にレールの素材に着目して線引きができるかについて検討してみると、英語では (アメリカ)または (イギリス)と呼び、これは単に「レールの道」という意味で、語自体には「レールの材質」に関する意味が含まれていない語で造語して呼ぶようになった。だがイギリス同様に鉄道が早期から発展した欧州の大陸側のフランスでは (訳:鉄の道)、ドイツでも「」(訳:鉄の道)と呼び、日本語でも「鉄道」、中国語でも「」または「」 等々、数多くの言語で「鉄の道(路)」という表現をする。鉄道はもともと鉄製レールの案内路を有するシステムであったので、レールの素材(材質)に焦点を当てて造語した。 なお、素材ばかりに着目しても、先に説明したようにコンクリートのレール(案内路)を用いたシステム(素材以外は駅や列車などシステム全体が同じようなシステム)を含められなくなってしまうので、レールの素材にこだわりすぎて線引きするのにも無理がある。このように交通システムはさまざまな変則的なものを開発することができる、という面もあり、また各国で法制度が異なっており、さらにトロリーバスまで含めるのか含めないのかなど、どこまでを法制上「鉄道」に含めて扱うかについても国ごとにかなりの差異があり、「鉄道」と「鉄道でないもの」の線引きのしかたはさまざまあり、世界的に見てかなり曖昧である。 よって本項では(焦点がぼけてしまわぬよう、周辺あたりの曖昧な領域は避け)できるだけ、この記事の意味の中心部、つまり専用の用地に敷いた鉄製レールを有するものについて解説することにし、鉄道に含めてよいかどうか曖昧な形態のものについては脚注などで軽く触れるにとどめる。 特徴 鉄道の(他の交通機関と比較しての)特徴としては、安全であること、(運行の)時間・時刻が正確であること、省エネであることなどが挙げられる。 分類・種類 鉄道はさまざまに分類することが可能で、たとえば技術的観点、経済的観点、法制的観点などに基づいて分類することができる。 他のさまざまな交通機関も含めた中での鉄道の役割・位置づけ 鉄道は、19世紀まで各国の主たる陸上交通機関であった。だが20世紀前半からモータリゼーションが進展したり(20世紀半ばころから)航空交通が発達したので、鉄道はその役割を年々縮小してきている。1980年代の欧米の(全交通機関輸送量に占める)鉄道輸送のシェアを見てみると、旅客輸送では、イギリス、フランス、旧西ドイツが7 - 11 %、アメリカが1 %、貨物輸送では12 - 38 %となっていた。1997年の鉄道旅客輸送は、イギリス、フランス、ドイツが6 - 7 %、アメリカ1 %となっていた(つまり、さらにシェアが減少した)。1997年の貨物輸送を見てみると、イギリス7 %、フランス、ドイツが20 - 22 %、アメリカ40 %である。よって、欧米の鉄道ではそれぞれの国の交通体系のなかでの「鉄道の役割」というのは、旅客輸送より貨物輸送のほうが大きい。なお日本の鉄道での諸交通体系に占めるシェアも、モータリゼーションの進展とともに低下してきており、1955年(昭和30年)時点で日本の鉄道のシェアは、旅客輸送が82 %、貨物輸送が53 %であったが、1984年(昭和59年)には、旅客輸送が39 %、貨物輸送が5 %にまで減少し、1997年(平成9年)時点で旅客輸送は22 %、貨物輸送は5 %となっていた。欧米のデータと比較すれば一目了然であるが、日本の鉄道では、貨物輸送より旅客輸送の役割が大きいことが特徴となっている。 こうした状況下で世界的に鉄道に期待されている機能と役割は、高速鉄道に象徴されるような「スピード」(移動の速さ)と、都市圏での通勤・通学輸送にみられるような「輸送密度の高い大量輸送」である。 分類、種類 技術、経済、法制などの観点から分類可能である。 技術的分類 鉄道は、技術的には、軌道・車両の構造、軌道の敷設面、軌間、車両の動力源などに基づいて分類できる。 軌道・車両の構造による分類 普通鉄道と特殊鉄道に分類できる。 普通鉄道は、2本のレールの上に自走する車両を運行させる一般的な鉄道である。対して特殊鉄道は、普通鉄道とは異なるものをまとめて呼ぶ総称であり、たとえば普通鉄道に特別な装備を付加した歯車式鉄道(ラックレール式鉄道。アプト式、シュトループ式など)と、全然別の構造の単軌条式鉄道(モノレール)、案内軌条式鉄道(新交通システムを含む)、鋼索鉄道(ケーブルカー)などがあり、さらに言うと「特殊鉄道」には(次第に「鉄道」なのかあいまいな領域になるが)索道(ロープウェー)、無軌条電車(トロリーバス)、磁気浮上式鉄道(リニアモーターカー、マグレブトレイン 等)なども含められることになる。 軌道の敷設面による分類 大まかには、「地表に敷設する鉄道」「高架鉄道」「地下鉄道(地下鉄)」の3種にわけられる。 地表に敷設する鉄道には、専用の用地に敷設する一般の鉄道と、道路上に敷設する路面電車がある。 高架鉄道は、交通の頻繁な道路や他の鉄道との平面交差を避けるために、高架構造上にレールを敷設するものである。 地下鉄道は、都市の地下のトンネル内に敷設する。 軌間(ゲージ)による分類 大まかには、「標準軌鉄道」「広軌鉄道」「狭軌鉄道」の3種にわけられる。 標準軌鉄道は、ヨーロッパ・アメリカなど世界の70 - 75 %が採用しており、日本の新幹線や一部の私鉄も採用している、1435ミリメートルゲージである。 広軌鉄道は、標準軌間より広いゲージで、スペインやインドの1672ミリメートルゲージ、旧ソ連地域の1525ミリメートルゲージがある。 狭軌鉄道には、ニュージーランド、南アフリカ共和国、日本の旧国鉄在来線や多くの私鉄などの1067ミリメートルゲージ、またタイ、ミャンマー、スイスの私鉄などの1000ミリメートルゲージなどがある。 日本の新幹線は「標準軌」で、在来線が「狭軌」である。 経済的分類 経営形態による分類 経営形態による分類がある。たとえば私企業による経営や、国による所有「国有」、国による経営「国営」などである。 世界の鉄道は、初期の段階においては(規模がまだ限られていたので)株式会社の形態が多かったが、やがて全国的な鉄道網の形成に伴い国有・国営の形態をとるものが多くなっていった。その後多くが、分割されたり、一部を分離独立させたり、民営化するなど多様な道を進むことになった。 欧州を見てみると、イギリスの鉄道は1947年の法律によって国有化され、その後、1963年から公共企業体として運営されていたが、1994年に分割・民営化された。フランスの鉄道は、1937年の「公私混合株式会社」の発足以来、国有化の道を歩み始め、1983年からは全額政府出資の事業体として運営されていたが、1997年1月フランス国鉄 (SNCF) は、鉄道線路の建設と維持管理とを行うフランス鉄道線路事業公社 (RFF) を分離独立させ、フランス国鉄 (SNCF) 自体は鉄道輸送に専念する事業体となった。ドイツの鉄道は、1920年のドイツ国有鉄道の設立により国有化されたが、第二次世界大戦後の1951年の東西ドイツの分裂により、西ドイツは「ドイツ連邦鉄道」、東ドイツは「東ドイツ国鉄」として国有国営の事業体となった。1990年の東西ドイツ統一以降、1994年に東西両国鉄が「連邦鉄道財産機構」として統合され、その後業務別に三つの組織に分割されていった。 アメリカの鉄道は、第一次世界大戦中に一時期、国の管理下に置かれたことがあるが、基本的には民間の運営であった。しかし、自動車や航空機に比べ鉄道による旅客・貨物輸送の需要は伸びず、1971年には国が管理・運営する鉄道として都市間の旅客輸送を行うアムトラック (Amtrak)(正式名:全米鉄道旅客輸送公社National Railroad PassengerCorporation。その通称である「Americantrack」の略称がAmtrak)が、1976年には連邦政府の援助・監督下に経営される株式会社形態の貨物輸送鉄道コンレール (Conrail)(統合鉄道会社Consolidated Rail Corporationの略称)が設立された。その後、アメリカでは1980 - 1990年代に規制緩和政策が推進されるとともに鉄道会社の統廃合が進み、コンレールも「ノーフォーク・サザン鉄道」と「CSX鉄道」に分割・買収される形で1999年に姿を消した。 日本の鉄道は、1906年(明治39年)に(特定地方限定の地方鉄道を除いて)国有化され、第二次世界大戦後、1949年(昭和24年)に公社(公共企業体)「日本国有鉄道」として新たに発足したが、1987年(昭和62年)4月分割・民営化が行われ、「国鉄」は「JR」となり、6つの旅客鉄道会社(JR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州)と1つの貨物鉄道会社(JR貨物)の合計7つの会社として再出発した。日本の鉄道体系は、株式会社形態をとる私鉄(民鉄)の役割が比較的大きいことが、世界的に見て特徴となっている。特に旅客に関しては大きな割合を分担し、1984年(昭和59年)時点での年間輸送量は、国鉄68億人、私鉄118億人で、私鉄が国鉄を上回っていた(その後国鉄もJRとなりすべて国有ではなくなったが、1997年(平成9年)の年間輸送量は、JR旅客会社88億5919万人、私鉄133億8582万人で、やはり旅客では私鉄の役割が大きい)。なお貨物に関しては、さほどではなく、1997年の貨物輸送量がJR貨物が4729万トン、私鉄2194万トンであった。 業務地域の広さによる分類 業務を行う地域によって、「全国鉄道」「地域鉄道」「地方鉄道」に分ける方法がある。 全国鉄道は全国的規模の幹線鉄道。主要都市間の長距離輸送を担う。フランスのSNCFや、日本の旧国鉄のようなもの。 地域鉄道は、ひとつの国をいくつかのブロックに分割した程度の規模で、(次に説明する)地方鉄道より広範囲に、相互の主要都市を結ぶ直通運転も行う。日本のJR北海道、JR東日本…等もこの「地域鉄道」に分類される。 地方鉄道は、限られた地域内の局地的な短距離輸送が主で、大都市圏の地下鉄や郊外電車、路面電車などである。経営形態としては民営鉄道や公営鉄道などがある。 歴史 軌道に関しては、16世紀ごろにドイツのハルツ鉱山で板の上にレール状の木材を取り付けて、その上に石炭運搬の車両を通したのが始まり、ともされる。木製のレールは激しく摩耗するのでその後に鉄製にかえられた。(ここで「鉄道」になった)。初期の鉄製レールはL字型で、底辺(水平面)が外側になるように敷設し、外側の底辺の上を車輪が転がるようになっていた。その後、車輪外周の内側につば状の輪縁(フランジ)をつけることでレールのほうのL字型は止め、レールの頭部の内側を走る、現在と同様の方式となった。この段階で、車両の動力源は人力や馬の力(馬力)であったが、18世紀の後半にワットが改良した蒸気機関をさらに改良利用する方法が多くの人によって研究され、1804年にイギリスのリチャード・トレビシック(1771―1833)が、初めてレールの上を走る蒸気機関車を製作し、馬にかわって、石炭の運搬車を引かせることに一応は成功した。そして、1825年にイギリスダラム州にストックトン&ダーリントン鉄道が開業し、鉄道会社が予め作成した運行スケジュールに従って列車が運行される、現代の鉄道とほぼ同様の形態が採用された。 構造 線路は地上に敷設されていることが多いが、都市部や地形に制約のある場所、また高速走行を行うための路線では地下や高架に線路を敷設している。特に地下に敷設される路線は地下鉄と呼ぶ。 軌道 軌道は2本のレールを枕木の上に平行に敷設したものであり、システムによっては3本以上のレールを用いる。レールと枕木はバラストと呼ばれる砂利やコンクリート製の道床によって支えられる。特に、道床に砂利を用いたものをバラスト軌道と呼ぶ。コンクリート製のものでは、道床と枕木の機能が一体化したスラブ軌道や、コンクリート製の基礎にレールを直結し枕木を省略した形態も存在する。 軌間 2本のレールの間隔を軌間(ゲージ)という。軌間は世界で規格が異なる。三線軌条などの混合軌間、軌間可変車両、ロールボックなどのテクノロジーで異なる軌間の路線でも車両の直通が可能だが、通常の車両では直通で旅客や貨物が輸送できない問題がある。規格が異なる理由は、戦争時に自国内の鉄道インフラをそのまま使わせない、もしくは初期の鉄道関連会社の慣習上の理由による。ただ利便性が悪いのも確かで国ごとに規格争い(鉄道ゲージ戦争)も発生する(日本の改軌論争、、)。 車両 鉄道の車両を動力源によって分類した場合、蒸気機関を動力として用いる蒸気機関車、その他の内燃機関を動力とする気動車・ディーゼル機関車、電気モーターを動力とする電車・電気機関車がある。鉄道車両は1両でも用いることができるが、多数の車両を連結でき、その利点を活用して旅客や貨物を一編成(ひとつらなりの形)で大量に輸送することが可能である。 鉄道車両は、異なる軌間の区間に乗り入れることが困難である。軌間を切り替える手法としては、まず境界駅で台車を交換する方法がある。この方法は、広軌の旧ソ連圏と、これに接する標準軌の中国や東ヨーロッパを直通する列車などで採用されている。しかし、この方法では、電車や機関車など、モーターを持つ台車の取替はできず、また作業のため、国境駅で3時間以上待たなくてはいけないなどの問題がある。また、スペインの「タルゴ」「Alvia」で特殊な設備を用いて乗客を乗せたまま自国の1668 mmと周辺他国の1435 mmを切り替える方法が実用化されている。また、日本では、乗客を乗せたまま軌間切り替え可能なフリーゲージトレインの実用化試験が行われている。 他にも、異なる路線の鉄道車両の乗り入れが困難である場合が存在する。建築限界や車両限界が路線によって異なる場合も、乗り入れの障害となる。例としては車両限界の大きい新幹線と、車両限界の小さい在来線を改軌した区間を直通するミニ新幹線のように、在来線の車両サイズで作らざるを得なくなる。直流、交流といった電気方式が区間によって異なる場合には、直通するためには製作コストの高い双方の電気方式に対応した車両を使用するか、機関車を付け替えるなどの必要が生じるが、電気方式が同じでも、電圧が区間によって異なる場合は、複電圧方式の車両が必要となる。 駅 鉄道駅は、列車が止まり、人が列車に乗り降りしたり、貨物を積み降ろしする場所である。基本的には線路とプラットホームから構成され、中程度以上であれば駅舎やさまざまな関連施設がある。貨物駅であればさらに貨物ターミナルから構成される。さまざまな分類法がある。 踏切 鉄道と道路が平面的に交差する場所には踏切が設置される。 日本では、踏切の通行は鉄道に優先権があり、道路交通を遮断することとなる。列車運行本数が多い場合は遮断時間が長くなり、交通渋滞の原因となり、甚だしい場合には「開かずの踏切」が生まれる。踏切を解消するため連続立体交差事業が進められている。 周辺設備 鉄道の中には、単に線路と列車と駅により構成されているだけに留まらず、変電所 や指令所 などを備えるものがある。電車は電力で走ることから、線路と平行して電線路が敷設され、それに伴い、鉄道変電所や電源の管理する施設が備えられている。また、複雑化した鉄道ネットワークにおいては、過密なダイヤや突発的な事故に対応するため、一箇所で集中的に列車の管理を行うこともある。 運営 鉄道の運営を行う鉄道事業者は、民間企業によるものと、国や特殊法人・地方公共団体が行うものなどがある。なお、日本においては日本国有鉄道の分割民営化と、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)の特殊会社化に伴い、いわゆる「国営の鉄道事業者」は現存しない。ただし、日本国有鉄道の事業を継承したJRグループのうち、北海道旅客鉄道(JR北海道)、四国旅客鉄道(JR四国)、日本貨物鉄道(JR貨物)、および帝都高速度交通営団の事業を継承した東京地下鉄(東京メトロ)については、国や独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構が一部または全部の株式を保有している。したがって、現在の日本国政府が、鉄道事業の経営にまったく関与していないわけではない。 鉄道は、線路・駅などのインフラストラクチャーに対する投資コストが大きく、固定費率が大きいことから損益分岐点が高く、黒字となるには一定以上の輸送量、利用客数が必要となる。このため、。また、相当な利益を上げないと既存路線の高速化や自動列車保安装置設置、駅のバリアフリー化やホームドア設置、パークアンドライド用駐車場設置などの鉄道サービスや安全性向上も困難である。 。減少の背景には、日本の人口構成が関わっている。鉄道利用者の中心は通学利用者と、通勤利用者であるが、人口構成上、学生は卒業する年代の人口よりも入学する年代の人口が少なく、社会人も退職する年代の人口よりも新規に就職する世代の人口が少ない状況にあるため、両者は今後長期間にわたり減少する仕組みになっている。減少の要因として他には、鉄道事業者の経営努力不足、や、変わったところでは、。 上述した内容は日本全体の話であるが、ローカル線の利用者数を巡る環境は特に厳しい。採算が取れない場合、路線や駅の存続問題が発生する。対応策として、赤字が続く鉄道を廃止したり、第三セクター鉄道に転換することがある。。 乗車 鉄道の乗車には切符などの乗車券、または乗車カードを必要とする。運賃を支払うことでこれらを入手することができ、乗車権を得られるが、車内で精算する仕組みを取っている鉄道もある。 技術 鉄道車両や鉄道施設に関しての学問として、鉄道工学がある。 新たな技術として、デュアル・モード・ビークル (DMV) などがある。 特徴 鉄道は、レールの上しか通行できない半面、他の陸上輸送機関に比べて自然環境への負荷が比較的少なく、大量輸送に向き、定時性や安全性に優れるという特徴を有する。 長所 鉄道は、専用の鉄軌道上で案内されて運転される特性上、多数の車両を連結して一括運転できる。このため、一度に大量の旅客や貨物を運送できる。 軌道や車輪に鉄を使用しているため、走行時に鉄同士が触れ合うことになるが、この際の走行抵抗は、きわめて小さい。鉄製の車輪は、自動車に用いられるゴムタイヤと比べると変形量が小さいためである。また、一般的な自動車と比べ細長く体積の割りに前面投影面積が小さいため、空気抵抗も小さい。車列が長いほど体積当たりの空気抵抗は少なくなる。 結果、必要な動力も重さの割には小さくできる。例えば日本の国鉄115系電車10両編成(質量は400トン、出力は2880 kW)では1トンあたり7 kW であるが、乗用車のカローラ(質量は1400 kg、出力は82 kW)では1トンあたり58 kWであり、国鉄115系電車が1トンあたりで要する出力はカローラの8分の1以下である。そのため、鉄道は船と並んで、エネルギー効率のよい大量輸送システムといえる。 鉄道は、その走行抵抗の少なさなどのため、単位輸送量当たりのエネルギー消費は自動車や航空機よりはるかに少ない。によれば、一定の距離で、一定の人数を輸送するために要するエネルギーの量は、日本の国鉄の鉄道を基準にすると、バスはその1.8倍、乗用車は5.3倍、航空機は8.8倍であった。また、貨物の場合、船は0.8倍、トラックは2.8倍であった。さらに、電車や電気機関車の場合、発電機や電動機のエネルギー変換効率が内燃機関よりはるかに高いので、。したがって、地球温暖化の原因となる二酸化炭素の単位輸送量当たりの排出量が少ない 交通機関である。 定時性 鉄道は専用の軌道を有しているため、定時性に優れる。路面電車のように道路上を走行する併用軌道を除けば、基本的に専用の走行路を使用するので、定時運行を確保しやすい。定められた時刻通りに列車を運行することは鉄道事業の出発点である。特に、自動車や飛行機などの代替輸送機関が発達した先進国地域では、遅れのひどい鉄道からは利用者が去っていってしまう。ちなみに1999年度(平成11年度)のJR東日本の数字によれば、新幹線の95 %と、在来線の87 %が定刻(遅延1分未満)に発着している。 ただし、故障や災害等で事故が発生すると、事故現場の回避や追い越しができないため、長時間に渡って不通になる場合がある。台風・地震など、自然災害により不通になると、その影響が広範囲に渡るなど、脆弱な面もある。自動車が事故車線や現場を回避できたり、途中経路の天候が悪くても離陸・着陸地点の天候に問題がなければ航行が可能な飛行機とは対照的である。また、踏切事故や人身事故、強風などの影響で長時間運行が停止することも多い。 安全性 鉄道は安全性が高い交通手段であるといえる。鉄道事故の発生する確率は他の交通機関よりも低い。ある統計によれば、鉄道事故による利用客の死亡率は自動車の545分の1、航空機の104分の1であるという。 鉄道が自動車より安全であることの理由として、次のようなことが挙げられる。 専用軌道を走行するため、自動車と違いハンドル操作が不要である。自動車の場合、少々のハンドルの動きで車体が左右へぶれてしまう。特に高速の場合、わずかなハンドルのぶれでも瞬時に本来進むべき道から逸れてしまい、事故の原因にもなり得る。それに対して鉄道は、線路さえしっかりしていれば、高速走行しても支障がない。 鉄道には運転士が信号を見落としても、自動で列車を停止させるシステム(運転保安装置や運行制御システム)が備わっている。自動車にはこのようなものがないため、信号を無視すれば他の自動車や歩行者と衝突してしまう可能性がある。 鉄道事故の多くは道路交通と平面交差する踏切や、利用客と鉄道との接点である駅のホーム、急カーブ、単線、地上の線路で発生している。これらの事故に対して、踏切では立体交差化、駅のプラットホームではホームドアの設置、カーブではカントの設置及びカント量の上限を超えない範囲内での引き上げや脱線防止ガード設置、鉄道路線全般では自動列車保安装置の装備といった防止措置がとられる。 鉄道は、飛行機・船と同様、一度に大量の人員を輸送できる故に、一度事故になると大惨事になり得る。。 短所 鉄車輪と鉄軌道との摩擦力が小さいという理由により、自動車ほど急勾配を上り下りすることができない。自動車の勾配は立体駐車場などの1/6(水平に6 m進むと1 m高くなる)が最急だと言われているが、鉄道では25 ‰程度が常用の限度とされている。より急な線区も存在する(例えば箱根登山鉄道には80 ‰勾配が存在する)が、その場合建設や運転に不利になる。そのため、山岳などの障害物を迂回したり、トンネル掘削による障害物回避、あるいはループ線やスイッチバックを設置するなどを行う必要がある。また、これらの対策でもどうにもならない急勾配は、ラックレール等を用いることで対処する場合もある。ただし最近では、ICE 3など、一部の高性能車両は連続40 ‰勾配路線を300 km/hにて走行可能であり、高性能車両を用いることで、トンネル掘削などの投資を抑えることが可能となりつつある。 また摩擦力・粘着力によって加速度を得ることが、自動車に比べて難しく、急加速・急減速が困難である。普通鉄道の最高速度は574.8 km/hだが、営業上の最高速度は320 km/hにとどまっている(「高速鉄道の最高速度記録の歴史」を参照)。この限界を突破するために浮上走行が考案されたが、その一つがリニアモーターカーである。 急減速が利かない欠点に対しては線路を一定区間に区切り、1つの区間に同時に2本以上の列車を入れない閉塞という概念・設備を導入して列車同士の衝突事故を防いでいる。ブレーキの改良も進められている。 また、鉄道は曲線にも弱い。曲線では遠心力が働くが、遠心力による横からの力に対して鉄道は自動車より弱い。よって、鉄道と自動車が同じ半径の曲線を通過する際には、鉄道の通過速度を自動車よりずっと小さくする必要が生じる。この欠点を小さくしようとすれば曲線を緩くする以外に方法はない。 路上を自由自在に走行できる道路交通とは違い、レールの上しか走行できないという制約があるため、わずかな障害によって広範囲で正常運転ができなくなることが多い。人身事故が発生すると、多くの列車に影響が出る。また土砂災害や地震など、自然災害を受けると復旧までにかなりの時間を要し、迂回路がない場合、バスなどの代替輸送に頼らざるを得ない。強風にも弱く、強風のため長時間運行が停止されることもしばしば発生する。ただし積雪の際に自動車よりも安全に運行できる鉄道は、地域によっては冬場の市民の貴重な足となりうる。 鉄道は建設と維持に莫大な費用を必要とし、特に地方の閑散線区では採算性が低くなりやすい。それでも鉄道の維持を選択する場合は、公的資金の投入が必要となることがある。一例を挙げると、2011年(平成23年)7月の豪雨災害で不通となったJR東日本只見線会津川口 - 只見間は、線路などを地元自治体が所有する「上下分離方式」を採用して復旧することが決定した。復旧に際し沿線市町村と福島県は復旧費を約54億円負担し、復旧後は沿線市町村と福島県が年間運営費として約2億1000万円負担することになると見積もられている。 環境負荷 CO2 鉄道はエネルギーあたりの輸送効率が良く、自動車交通や航空交通などと比較して排出される二酸化炭素 (CO2) が少ない。東京-大阪の旅客輸送について、鉄道と自動車一人あたりの二酸化炭素排出量を試算すると、鉄道は自動車の6分の1であると報告されている。 排気中の汚染物質 かつては蒸気機関車の煤煙が大きな問題であったが、日本国内の鉄道は電化が進み、ディーゼル機関を利用した非電化鉄道が残っているものの、排気中の汚染物質が問題になることは少ない。 一方、国外(主に発展途上国)においては電化されていない鉄道が現在も大量に走っており、そうした地域では大気汚染の大きな原因の一つとなっている。 開発に伴う自然破壊 新規開発は地域の利便性が大きく向上し経済発展に繋がるが、森林等自然が残るエリアを開拓する形で行われるため自然破壊(森林破壊)に直結している。ブラジル・アマゾン熱帯雨林の鉄道を含む開発事業は国際的に大きな非難を浴びている。また日本国内ではリニア新幹線の開発が現地住民やNGOなどから批判され、抗議運動を起こされている。 世界の鉄道 国際鉄道輸送 各地域、各国の鉄道 脚注 注釈 出典 参考文献 関連文献 (著者・編者の五十音順) 関連項目 Environmental design in rail transportation 国際鉄道連合 国鉄・私鉄 List of rail transport topics 運輸業 鉄道運営組織一覧 List of railway industry occupations メガプロジェクト 鉱山鉄道 Passenger rail terminology 世界の鉄道一覧 鉄道工学 Transport Revolution 鉄道国際協力機構 鉄道輸送 ラック式鉄道、粘着式鉄道 ダイヤグラム、時刻表、信号扱所 鉄道ファン 鉄道雑誌の一覧 鉄道シミュレーター 鉄道用語一覧 法律 鉄道事業法 鉄道と戦争 ‐ 南北戦争で鉄道妨害行為として使用された。枕木は燃やしてバーを加熱してネクタイのように捻じ曲げられた。 ‐ 焦土作戦用に、鉄道の枕木を破壊して、輸送ができないようにする装備。第一次世界大戦で使用され始め、ロシアやドイツなどで使用された。 陸上交通 公共交通
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赤星たみこ
赤星たみこ(あかぼし たみこ、1957年5月6日 - )は、日本の漫画家、エッセイスト。宮崎県日之影町出身。夫にイラストレーターの新野啓一がいる。 経歴 東京デザイナー学院在学中から森永真理のアシスタントを務める。1979年に講談社の少女漫画雑誌『mimi』でギャグ漫画家としてデビュー。1987年より「漫画アクション」で連載した「恋はいつもアマンドピンク」は映画化・ドラマ化された。 エッセイ漫画も多く手がけており、1997年に子宮がんを患い子宮と卵巣を手術で摘出した経験から子宮がんの闘病記やエコロジーをテーマとした作品も発表している。 地元の宮崎県への愛郷心が強く、高千穂あまてらす鉄道の取締役を務めていたことがあった。 作品リスト 漫画 巻数表示のないものは単巻 タラッタ☆ポン(講談社) - デビュー作 えぐりのあなたのナニをえぐっちゃう 続・えぐりのあなたのナニをえぐっちゃう コロッケ通信(講談社) エリコ(講談社) 恋はいつもアマンドピンク(双葉社)全5巻(1988年に映画化・テレビドラマ化、2001年に新装版3冊および番外編として1冊発行) エクレア気分(光文社)全4巻(新装愛蔵版:上下巻) 1995年、『我慢できない!』(関西テレビ制作)というタイトルでドラマ化 恋の街東京(双葉社)全2巻(1989年、双葉社) 1989年にテレビドラマ化(TBS制作、ドラマチック22) なかよし(双葉社)全2巻 1990年に単発ドラマとしてテレビドラマ化(TBS制作、ドラマチック22内。1990年3月『なかよし』、1990年12月『なかよし2 恋の手ほどき』)、1995年に『とっても母娘』(TBS制作、花王 愛の劇場)のタイトルでテレビドラマ化。 キス・ミー(双葉社)全3巻 NEW キス・ミー(双葉社)全2巻 1998年に『パパ・レンタル中』(TBS制作、花王 愛の劇場)のタイトルでテレビドラマ化 MADE IN 桜新町(双葉社) 花束(双葉社) 愛の奇跡(講談社) あなたにあげる(ぶんか社) くるくるピッ(祥伝社) 別れたら好きな人(双葉社)全2巻 1999年にテレビ東京でテレビドラマ化。 エッセイ関連作品 でがらしTV(ヒット出版) 赤星たみこ、わたしは趣味のエコロジスト(メディアファクトリー)※共著:室田武 ねこのはなし(朝日ソノラマ) はいッガンの赤星です(扶桑社) はいッガンを治した赤星です(扶桑社) ゴミを出さない暮らしのコツ(大和書房) 赤星たみこの美人道(白泉社) 美人になるツボ教えます(秋田書店) 気持ちよく暮らす簡単家事生活(青春出版社) エコロなココロ(大和書房) きれいに暮らす簡単石けん生活(青春出版社) ミネラル豆乳ダイエット(小学館) グランマ!もっと身体美人(創美社) グランマ!女を上げる節約術(創美社) グランマ! まんがで読めるおばあちゃんの知恵袋(集英社クリエイティブ) 赤星たみこの石けん達人(創美社) ダメ犬ちゃん夫のしつけ37のルール(すばる舎) もったいない事典(小学館) 美女の壺(創美社) もったいないぞ!(毎日新聞社) 赤星たみこのがん安心講座(エビデンス社) 赤星生活(講談社) イラスト等担当作品 世紀末男女コレクション(二見書房)※文章:麻生香太郎 ハナマル8分中華(角川・エス・エス・コミュニケーションズ) メチャウマ200円中華(角川・エス・エス・コミュニケーションズ) ひと味かえて本格家庭中華(ヒット出版)上下巻 ※監修:周富徳 平成夫婦茶腕ビックリ節約マニュアル50(日本テレビ) 思わずニヤリ。「チョット知的な」ことわざ学(技術評論社)※監修:塩田丸男 服部幸應の食育アドバイスQ&A(家の光協会)※監修:服部幸應 朝のヨガ(ビジネス社)※監修:森川那智子 夜のヨガ(ビジネス社)※監修:森川那智子 脚注 関連項目 日本の漫画家一覧 日本の成人向け漫画家の一覧 外部リンク 赤星コム 赤星たみこの戯言・放言・虚言日記♪ 日本の漫画家 1957年生 存命人物 宮崎県出身の人物 日本の闘病記著者
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ジャズ
ジャズ()は、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズの黒人コミュニティで生まれた音楽ジャンルで、ブルースやラグタイムをルーツとしている。1920年代のジャズ・エイジ以降、伝統音楽やポピュラー音楽における主要な表現として認識されるようになった。 概要 ジャズの特徴は、スウィングするリズムや、裏の音符の多いシンコペーションのあるリズム、初期にブルースの影響を受けた(ブルーノートもあったが、これは基本的にはブルースである)複雑なコード、複雑なスケール、コールアンドレスポンス・ボーカル、ポリリズム、即興演奏などである。ジャズのルーツは、西アフリカの文化と音楽的表現、そして黒人の伝統にある。 ジャズが世界中に広まるにつれ、国や地域、地元の音楽文化が取り入れられ、さまざまなスタイルが生まれた。ニューオリンズのジャズは1910年代初頭に始まり、それまでのブラスバンドのマーチ、フランスのカドリーユ、ラグタイム、ブルースに、ポリフォニックな即興演奏を組み合わせたものであった。ただ、ジャズの淵源は、ニューオリンズといった一地域のみに求められるものではない。アメリカ各地では、様々な形式のポピュラー音楽が現れており、そしてそれらは、共通の起源や音楽的方向性を持ちながらも、個々の状況に応じて発展していった。1930年代には、アレンジされたダンス志向のスウィング・ビッグバンド、カンザス・シティ・ジャズ、ジプシー・ジャズ(ミュゼットワルツを強調したスタイル)などのスタイルが知られるようになった。初期のジャズの代表的なミュージシャンには、ルイ・アームストロング、デューク・エリントンらがいた。白人のポール・ホワイトマンを”キング・オブ・ジャズ”と呼んだ評論家たちは、後にその誤りを自嘲的に語ることになった。1940年代に登場したチャーリー・パーカーらによるビバップは、ジャズをスウィングのようなダンサブルな娯楽音楽から、速いテンポで演奏され、複雑な即興演奏を多用する、ミュージシャン主導の音楽へと変化させた。1940年代末には、白人寄りのクール・ジャズが登場した。 1950年代半ばには黒人主体のハード・バップが登場し、同ジャンルはサックスやピアノの演奏にリズム&ブルース、ゴスペル、ブルースなどの影響を取り入れた。1950年代後半には、モードを音楽構造の基礎とするモードジャズ(モーダル・ジャズ)が発展し、即興・アドリヴが重視された。フリー・ジャズは、西洋音楽の規則的な音階や拍子、形式的な音楽構造にとらわれない自由な演奏を追求したが、それはそれまで長年構築されてきた西洋音楽の秩序を崩壊させるものであった。1960年代末から1970年代前半にかけては、ジャズとロックのリズム、電気楽器を組み合わせたクロスオーバーが登場し、70年代後半にはジャズ・ロック・フュージョンへと変化した。1980年代には、スムーズジャズと呼ばれるジャズ・フュージョンの後継である商業的なジャズが成功を収め、ラジオで放送された。1990年代に入ると、ジャズ・ラップやニュー・ジャズなど、さまざまなスタイルやジャンルが登場した。 詳細 卑猥な意味をもつという"jass(ジャス)"によるとする説や、19世紀からアメリカ南部の黒人が使っていた性行為などの性的意味、熱狂や急速なテンポ・リズムを意味するスラングのjazz(ジャズ)によるとする説などがある。jassという言葉の意味は様々に変化し、上記のような特徴をもつ黒人音楽を、ジャズと称するようになった時期も明らかではない。作曲家のジェリー・ロール・モートンは、ラグタイム時代からスウィングジャズ時代まで活動した。 1916年にシカゴで活動していたをリーダーとする白人バンドが、jassということばにヒントを得てバンド名を"Stein's Dixieland Jass Band(ステインのディキシーjassバンド)"とし、これからジャズと称されるようになった、という記録がある。このグループはさらに"Original Dixieland Jass Band(オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド)"と改名、1917年1月に史上最初のジャズ・レコードを録音したが、そのレコードのラベルには"jass band"と印刷されていた。 ビバップやフリー・ジャズのような革新性、スウィング・ジャズやヴォーカル・ジャズのような保守性、大衆性、商業主義が混在しながらジャズ音楽は存続してきた。革新性は主に黒人ミュージシャンによって推し進められた芸術音楽としての一面、保守性は白人富裕層・中流階級向けの音楽としての一面、また大衆性や商業主義は大衆音楽やポピュラー音楽として発展した一面を表していた。なお、ジャズは60年代の公民権運動やヒッピー文化などのカウンターカルチャーとは、方向性が異なっていたが、ときに交わることもあった。 革新性 ジャズは、欧州をルーツとするクラシック音楽への対抗や人種差別への抵抗、そして自由な音楽性を探求する音楽だった。それが60年代初頭までは時代の先端として存在し、新たな演奏スタイルが誕生し、ジャズをより幅広い音楽ジャンルへと変化させた。1940年代後半におけるビバップの誕生は即興演奏の飛躍的発展として、また1950年代におけるビートニクに共感する若者からの支持を獲得した(ビートニクやジャズ喫茶を参照)。革新的ビバップ、西洋音楽からの分離を志向したフリー・ジャズ、ロックとの融合を目指したジャズ・ロックなど、新たな音楽ジャンルが模索されていった。「多様性」は、ジャズの特徴でもあり、演奏スタイルは多様である。白人・黒人の混合文化はジャズの初期からの傾向でもあるが、1970年代半ばのフュージョン以降は停滞し、保守的なものになった。なお黒人主導の反抗的で自由な音楽性は、ヒップホップ・ミュージックに受け継がれたという意見がある。 また一部ビバップやフリー・ジャズなどのより革新的な演奏スタイルは、即興的で混沌としており、大衆性・商業性には結びつかず、現在でもジャズの中では前衛的ジャンルと認識されている。一方で、ビバップ、フリージャズなどの革新を追い求める姿勢は、ジャズを芸術性も含む音楽ジャンルであると認識させ、ジャズを長く嫌いであった人間にも魅力的に感じさせる場合がある。 保守性 1910年代にクラシック音楽に倣った編成であるビッグバンド(後のスウィング・ジャズ)が誕生すると、それを機にハーレム・ルネサンスの後押しもあってジャズクラブやジャズバーがニューヨークの各所で開店されていった。しかしコットン・クラブをはじめとしたナイトクラブでは、演奏者は黒人でありながらも、顧客は白人の富裕層・中流層が多かった。それはジャズを、サロン音楽的ジャンルとしても定着させた。ジャズの世界では、ジョージ・ガーシュウィン、ベニー・グッドマン、グレン・ミラー、スタン・ケントン、ギル・エヴァンスらの白人音楽家による白人ジャズも、常に存在した。 大衆性・商業主義 ジャズは、白人のメインカルチャーとは異なる、都市の黒人による洗練された音楽として登場したが、ラグタイムからの音楽性を受け継いだ当初から、大衆音楽としての側面があった。大衆文化に寄り添い、また商業性を意識した音楽性は、1940年代の芸術音楽であるビバップの誕生までは、ジャズの主要な特徴として認識された。ビッグバンドやスウィング・ジャズは、クラブやバーで演奏されるだけでなく、ダンスホールで演奏される、大衆のためのダンス・ミュージックとしての役割も担い、狂騒の20年代を文化的側面から支えた(ジャズ・エイジ)。あるいはヴォーカル・ジャズも同様に大衆からの人気を博し、ポピュラー音楽の一翼を担っていた。代表的なジャズ・ヴォーカリストとしては、アフロアメリカンのビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーン 、エラ・フィッツジェラルド、ナット・キング・コール、白人のビング・クロスビー、フランク・シナトラ、ペギー・リー、トニー・ベネット、ペリー・コモ、ローズマリー・クルーニー、パティ・ペイジなどがいた。彼らの中には稀代のエンターテイナーとして歴史に名を残した者もいる。またルイ・アームストロングやチェット・ベイカーのように、演奏・ヴォーカルともに活躍した者もいた。 歴史 1920年代 - 1940年代 ジャズは西洋音楽とアフリカ音楽の組み合わせにより発展した音楽である。スピリチュアル、ブルースの要素を含み、ルーツは西アフリカ、西サヘル(サハラ砂漠南縁に東西に延びる帯状の地域)、ニューイングランドの宗教的な賛美歌やヨーロッパの軍隊音楽にある。アフリカ音楽を起源とするものについては、アフリカからアメリカ南部に連れてこられたアフリカからの移民(多くは奴隷として扱われた)とその子孫の人種音楽としてもたらされたとされており、都市部に移住した黒人ミュージシャンによってジャズとしての進化を遂げたといわれている。なお、ジャズより古い時代に誕生したラグタイムはスウィングしておらずジャズとは関係ないが初期のジャズ・ピアノ奏法に影響を与えた。 ニューオーリンズが発祥の地とされており、現在でもその語源ははっきりしない。20世紀初頭には、コルネット奏者の「アフロアメリカン」であるバディ・ボールデンがニューオーリンズで人気を博したが、ボールデンは1907年に活動停止し、本人による録音は残されていない。 1917年、ニューオーリンズ出身の白人バンドであるオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドが、ジャズでは初のレコードとなる「Dixie Jass Band One Step」と「Livery Stable Blues」の2曲入りシングルをビクタートーキングマシンから発表。 初期のジャズは、マーチングバンドと20世紀初頭に流行したダンス音楽に影響を受けており、ブラス(金管楽器)・リード(木管楽器)・ドラムスによる組み合わせの形態はこれらの影響に基づく可能性もある。初期は黒人が楽器を買う金がなく、白人が捨てた楽器を拾って演奏することもあった。ジャズが普及していった理由は、ラジオが1920年代末には、かなり多くの家庭に普及し、楽譜を売っていた音楽業界も、蓄音機の発明により、レコード産業へと発展していったことが大きかった。ラグタイムは、後のダンス向きなスウィング・ジャズへと交代していく。アメリカの禁酒法時代(1920-1933年)に地下化した酒場に集うミュージシャンによって、あるいはレコードやラジオの普及によって、ダンス・ミュージックなどのポピュラー音楽のスタイルがまだまだ渾然一体となっていた1920年代初頭にはアメリカを代表する音楽スタイルの一つとして、アメリカ国内の大都市に急速に広まった。第一次世界大戦から大恐慌までのアメリカの隆盛期が「ジャズ・エイジ」と呼ばれるのはこのためである。1920年代にはイギリスでもジャズが流行り、後のエドワード8世も少年時代にレコードを収集するなど、幅広い層に受け入れられた。 1930年代には、ソロ演奏がそれまで以上に重要視されるようになり、ソロを際だたせる手法の一つとして小編成バンドが規模拡大してビッグ・バンドスタイルによるスウィング・ジャズが確立されるようになり、人気を博す。人気の中心となったのは、デューク・エリントン、ベニー・グッドマン、グレン・ミラー、カウント・ベイシー、トミー・ドーシー、スタン・ケントンらのスウィング・バンドだった。人種的障壁で隔てられていた黒人ミュージシャンと白人ミュージシャンの媒介としての役割を果たしたクレオールも媒介役になった。スウィング・ジャズはアレンジャーとバンドリーダーの立場がより重要視されるようになった。ルイ・アームストロングは、ジャズとボーカルとの融合において重要な役割を果たした。 その一方で、ソロを際だたせる別の手法として、アレンジを追求したスウィング・ジャズとは異なる方向性を求めたり、スウィング・ジャズに反発するミュージシャンにより、即興演奏を主体としたビバップ等の新たなスタイルが模索されるようになる。1940年代初頭には、ビバップに傾倒するミュージシャンも増えていくが、1942年8月から1943年秋にかけて、アメリカで大規模なレコーディング・ストライキがあったため、初期ビバップの録音はわずかしか残されていない。戦前に設立されたアルフレッド・ライオンのブルーノート・レコードは弱小レーベルながら、ジャズの発展に大きく貢献した。 1950年代 - 1960年代 1950年代にはチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピー、セロニアス・モンクらによる「ビバップ」が誕生し、多くの録音を残した。ビバップのコンボは、サックス、トランペット、ピアノ、ドラムス、コントラバスで構成される小さなコンボだった。ビバップ・ミュージシャンは、編曲された音楽を演奏するのではなく、通常、リズムセクションの伴奏で作曲のメロディー(ヘッドと呼ばれる)を演奏し、その後、各演奏者がソロを即興で演奏し、最後にメロディーに戻る。 最も影響力のある、ビバップ・アーティストの作曲家や演奏家は次のとおり。アルトサックス奏者のチャーリー・パーカー。テナーサックス奏者のデクスター・ゴードン、ソニー・ロリンズ。クラリネット奏者バディ・デフランコ、トランペット奏者のファッツ・ナヴァロ、クリフォード・ブラウン、マイルス・デイヴィス、ディジー・ガレスピー。ピアニストのバド・パウエル、セロニアス・モンク。ギタリスト、 チャーリー・クリスチャン、ジョー・パス、ベーシストのカーリー・ラッセル、ドラマーのバディ・リッチ、ケニー・クラーク、マックス・ローチ、アート・ブレイキー。ジャズの全盛期であった1950年代には、クール・ジャズ、ウエストコースト・ジャズ、ハード・バップ等の新たなスタイルが登場し、モダン・ジャズの流れを作り出すことになる。ナット・キング・コール、メル・トーメ、ペギー・リーらの歌手も、この時期活躍した。 1957年、フランス映画『大運河』(監督:ロジェ・ヴァディム)でジョン・ルイスが音楽を担当し、サウンドトラックはジョンが在籍するモダン・ジャズ・カルテット名義の『たそがれのヴェニス』として発表。サウンドトラックをジャズにゆだねたのは、伝記映画を除けば初のことであった。以後、フランスで「シネ・ジャズ」と呼ばれる動きが起こり、マイルス・デイヴィスが『死刑台のエレベーター』(監督:ルイ・マル)に、セロニアス・モンクが『危険な関係』(監督:ロジェ・ヴァディム)に、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズが『殺られる』の映画音楽を担当した。1958年には、アメリカ映画『私は死にたくない』(監督:ロバート・ワイズ)にジェリー・マリガンやアート・ファーマー等が参加し、以後アメリカでも、ジャズが本格的に映画音楽として使用されるようになった。 1950年代末期には、マイルス・デイヴィスの『マイルストーンズ』『カインド・オブ・ブルー』といった作品で、モード・ジャズという手法が試みられ、それまではある程度調性に従って演奏するスケールを緻密に変化させる必要があったところに、ドリアンなどの聴き馴染みのないモードに長居することで、演奏は楽になる割にファンシーなサウンドを得ることが可能になった。一方、オーネット・コールマンやアルバート・アイラー、サン・ラらは、より前衛的で自由度の高いジャズを演奏し、1960年代になると、オーネットのアルバム名から「フリー・ジャズ」という言葉が広まっていった。また、ジャズ・ボーカルではビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレエ、エラ・フィッツジェラルド、ニーナ・シモン、アニタ・オデイらも活躍した。白人歌手のヘレン・メリル、クリス・コナーらも人気を集めた。 1960年には、ジョン・コルトレーンによるアルバム『ジャイアント・ステップス』が発売された。コルトレーンは翌1961年にも『ライブ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』を発表した。また1960年代前半には、ブラジル音楽のボサノヴァに注目するジャズ・ミュージシャンも多くなった。スタン・ゲッツは『ジャズ・サンバ』(1962年)を『ビルボード』誌のポップ・チャート1位に送り込み、翌年にはボサノヴァの重要人物(ジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビン等)との共演盤『ゲッツ/ジルベルト』を制作、グラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。1965年には、ハンク・モブレーのカバーによる「リカード・ボサノヴァ」が、ジャズの曲として大ヒットし、スタンダード・ナンバーとして認知されるまでになる。カーティス・フラー、キャノンボール・アダレイやホレス・シルヴァー、ナット・アダレイ、ラムゼイ・ルイスらを中心としたソウル・ジャズ(ファンキー・ジャズ)も、1950年代後半から1960年代に人気となった。またリー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」は大ヒットしすぎたために、ブルーノート・レコードが一度倒産状態になるという珍現象も見られた。 1960年代までのジャズは、一部の楽器(エレクトリックギター、ハモンドオルガン等)を除けば、アコースティック楽器が主体だった。しかし、1960年代末期、マイルス・デイヴィスはより多くのエレクトリック楽器を導入し、エレクトリック・ジャズ・アルバム『ビッチェズ・ブリュー』をヒットさせた。同作に参加した多くのミュージシャンも、独立してエレクトリック楽器を導入したバンドを次々と結成した。 1970年代 - 1980年代 1970年代に入るとエレクトリック・ジャズは、クロスオーバーと呼ばれるスタイルに変容していく。この時期に大ヒットしたのが、デオダートの「ツアラトゥストラはかく語りき」である。さらには1970年代半ばには、フュージョンと呼ばれるスタイルに発展していく。フュージョンのリー・リトナー、ラリー・カールトン、アル・ディ・メオラらは、FMラジオなどでさかんにオンエアされた。スタッフ、ザ・クルセイダーズ、スパイロ・ジャイラ、ジョージ・ベンソン、チャック・マンジョーネ、グローヴァー・ワシントン・ジュニアらも活躍した。だが、フュージョンはそのポップ性、商業性、娯楽性からフリー・ジャズ、ビバップのアーティストやジャズ評論家、ジャズ・ファンの一部から強い拒否反応を受けた。これは商業か芸術かといった、普遍的な問題の表れでもあった。 1990年代 - 現在 1990年代のジャズは特定のスタイルが主流になるのではなく多様化が進んでいる。フュージョンの後継とも言えるスムーズ・ジャズがその1つである。ブラッド・メルドーはザ・バッド・プラスと共にロックを伝統的なジャズの文脈で演奏したり、ロック・ミュージシャンによるジャズ・バージョンの演奏を行なったりしている。1990年代に入ってからも前衛的なジャズも伝統的なジャズも継承され演奏されている。ハリー・コニック・ジュニア、ダイアナ・クラール、カサンドラ・ウィルソン、ミシェル・ンデゲオチェロらはこの時期に活動した。2000年代から2010年代には、ノラ・ジョーンズ、ホセ・ジェイムズ、ジェイミー・カラム、ロバート・グラスパー、エスペランサ・スポルディング、カマシ・ワシントン、グレゴリー・ポーター等がジャズ・シーンを牽引している。グレゴリー・ポーターはジャズだけでなく、ソウルやR&Bの要素も持っている。また、2010年代に、ヒップホップやファンクの要素が加わったケンドリック・ラマーとサンダーキャットのコラボなどジャズラップなどが人気となった。 ジャズメンの来日 NHK『タモリのジャズスタジオ』においてピーター・バラカン・ブロードキャスターが「ヨーロッパと日本がなければ、アメリカのジャズ・ミュージシャンは生計が立たなかった」と述べた様に、ジャズ・プレイヤーにとって日本は重要なマーケットで、多くのミュージシャンが来日公演を行なっている。日本にジャズ・ミュージシャンとして初めて来日したアメリカ人は1952年、ベニー・グッドマン楽団で活躍したドラマーのジーン・クルーパである。翌年には、オスカー・ピーターソン、ベニー・カーター、エラ・フィッツジェラルドなどと共にジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック(JATP)として再来日した(この一座にチャーリー・パーカーが参加し来日する予定もあったが結果的に実現しなかった)。その翌月にはルイ・アームストロングが初来日し公演を行っている。 各地域のジャズ ヨーロッパ ヨーロッパではイギリス、フランス、ドイツ、北欧などでもジャズが発展した。イギリスのジャズメンでは、ケニー・ボール&ヒズ・ジャズメンの「遥かなるアラモ」、クリス・バーバーの「可愛い花」などがよく知られている。フランスではアメリカから移住した、「小さな花」のシドニー・ベシェや、後のデクスター・ゴードンらがジャズを広めた。北欧でもジャズが、盛んに演奏された。しかし、ヨーロッパの一部では、保守層やファシズム政権等で、「黒人音楽」「軽佻浮薄」な「非音楽」であるとしてジャズを排斥する動きも起こった。ナチ党に支配されたナチス・ドイツでは、反ジャズが政府の公式な見解となり、「退廃音楽」「斜めの音楽」(比喩:「変な音楽」)と呼ばれ1935年に黒人が演奏するジャズの放送が禁止されるなど、様々な条例が作られた。しかし当局によるジャズの定義があいまいであったため、ドイツ人演奏家によるジャズ演奏自体は行われていた。ナチスは、すでに大衆音楽として普及していたジャズを禁止することは得策ではないとして、娯楽放送や宣伝放送にジャズを紛れ込ませた。 ラテン・アメリカ アフロキューバン・ジャズと呼ばれ、ラロ・シフリンらが活躍した。 アフリカ ダラー・ブランドらがいたが、彼のジャズはアメリカのジャズとほぼ同じ音楽性だった。アフロ・ジャズ、アフロ・ディスコは、欧米や日本で考えられている、ジャズ、ディスコとは、サウンドが異なる。 戦前日本のジャズ 戦前の日本にすでに渡ってきていた舶来音楽、西洋音楽には、ジャズとタンゴがあった。初期のジャズ演奏家には、紙恭輔、南里文雄、井田一郎らがいた。井田は1923年に日本で初めてのプロのジャズバンドを神戸で結成した。 ジャズの聴き手や演奏家には、都会人やブルジョワ階級の子弟が多かった。当時のレコード業界はポリドール(1927)、ビクター (1927)、コロムビア(1928)と外資系の大手レコード会社が設立された。テイチクは、異業種参入組のキング(大日本雄弁会講談社のレコード会社)より更に遅い1934年だが、その年の12月に発売したディック・ミネの「ダイナ」がヒット。「ダイナ」はよくカバーされた日本のジャズソングであり、榎本健一はパロディとしてカバーした。 最初のジャズソングとされるのが二村定一がの"My Blue Heaven"をカバーした「青空」で、1927年にラジオ放送された。レコードが発売されたのは翌年の1928年。A面が「青空」、B面が「アラビヤの唄」だった。また、ラジオ、レコードで企画を立ち上げる人間も必要になり堀内敬三が登場した。初期のジャズ演奏家である紙恭輔がコロムビアに関わった。 1930年代のスウィングジャズは、時代の最先端であり、服部良一は1935年当時のデザインの流線型を題材にした「流線型ジャズ」(志村道夫)を世に出した。しかし、1940年10月31日限りで日本全国のダンスホールは一斉閉鎖された。 行政警察を管掌する内務省、映画や音楽を監督指導する情報局はジャズを「敵性音楽」として禁令を出したが、抽象的過ぎて何の曲がジャズに含まれるか、音楽の素人である役人に判別は難しかった。また1943年1月にはジャズレコードの演奏禁止、更にレコードの自発的提出、「治安警察法第十六条」の適用による強制的回収などにより米英音楽の一掃を図ったが、北村栄治のように自宅でこっそり聴いていた者もいた。最終的には役人に協力する音楽業界の人間が、日本音楽文化協会、いわゆる「音文」(音楽界の統制団体)の小委員会の決定により、「ジャズの演奏は禁止」となった。こののちジャズメンの活動は、各種の慰問団などに変わっていった。 戦前に活躍したジャズ・ミュージシャン、ジャズ歌手としては、二村定一、服部良一、淡谷のり子、ディック・ミネ、志村道夫、南里文雄、堀内敬三、川畑文子、ベティ稲田、井田一郎、レイモンド・コンデ、水島早苗、あきれたぼういずらがいた。 戦後日本のジャズ 戦後、ジャズ、カントリー、ハワイアンなどのアメリカ音楽が、日本に入ってきた。進駐軍の音楽は、「ベース」で演奏された。戦後の日本のジャズの早い例には、ニュー・パシフィック・ジャズバンドがあげられる。弘田三枝子、伊東ゆかり、しばたはつみは少女歌手として、米軍キャンプで歌った。 戦後は、服部良一が作曲したブギウギを笠置シヅ子に歌わせたことから始まる。江利チエミ、ジョージ川口、ティーブ釜萢(ムッシュかまやつの父)、ナンシー・梅木、世良譲などのすぐれた歌手、演奏家などが出、ジャズが大衆化した。一時期は、外国のポピュラー音楽をすべて「ジャズ」と呼ぶ風潮が広がったほどである。また、ディキシーランドジャズ・バンドが数多く生まれている。 鈴木章治とリズムエース、北村栄治らも音楽活動を始めた。宮沢昭、守安祥太郎らも活躍した。1956年に穐吉敏子が、1962年に渡辺貞夫がバークリー音楽院(現バークリー音楽大学)に留学。1963年には松本英彦がモントレー・ジャズ・フェスティバルに出演する等、国際的に活動するミュージシャンも増えていった。八木正生、猪俣猛らも活躍した。 1960年頃、アート・ブレイキーのモーニン(1958年発表)のヒットにより、ファンキー・ブームが起こった。1961年に発足、翌年改名したミュージシャンたちの勉強会 新世紀音楽研究所(改名前はジャズ・アカデミー)に集った高柳昌行、富樫雅彦、日野皓正、菊地雅章、山下洋輔らが、毎週金曜日に銀巴里でジャムセッションを行った。日野皓正は、そこが自身の原点だと述べる。 1965年、ニューポートジャズフェスティバルに日本人ジャズシンガーとして初めて出演したのは、3日目のトリをビリーテイラートリオと一緒に出演した弘田三枝子だった。1960年代、70年代から日本でもフリー・ジャズが盛んになってくる。日本のフリー・ジャズの先駆者となったのは、阿部薫、高柳昌行らである。1970年代後半になるとフュージョン・ブームとなり、渡辺貞夫らもフュージョン・アルバムを出すほどだった。中央線沿線を拠点とするミュージシャンも多く登場し、1980年代後半、新星堂のプロデューサーが続に中央線ジャズという言葉を提唱した。 21世紀に入ってからも、H ZETTRIO、山中千尋、矢野沙織、寺久保エレナ、上原ひろみ、国府弘子、西山瞳、菊地成孔、小曽根真、石若駿らが活躍した。 エピソード ジャズ、ロックの評論家で、若者に人気だった植草甚一の約4000枚のジャズ・レコード・コレクションは、タモリが引き取ることになったという。 セクシーな女性歌手の系譜は、ヘレン・メリルらがルーツとも見られているが、21世紀の日本のジャズでも、高木里代子らがそれを引き継ぎ、山下毅雄の音楽が映画のサウンドトラックとして使用される現象も見られた。 他の音楽ジャンルにおけるジャズ要素を取り入れた楽曲は、ジャジーと表現されることがある。ジャジーという表現は、ロックやポップス、歌謡曲など、異なるジャンルでも使用される。またジャズは聴衆に、大人向け、自由といったイメージを抱かせ、BGM業界にも一定の役割を果たした。 主なスタイル/ジャンル 過去に演奏されたスタイルと、現在も演奏されているスタイルの双方を掲載している。 ニューオーリンズ・ジャズ / ディキシーランド・ジャズ スウィング・ジャズ シンフォニック・ジャズ モダン・ジャズ ビバップ クール・ジャズ ウエストコースト・ジャズ ハード・バップ ファンキー・ジャズ ソウル・ジャズ モード・ジャズ(新主流派を含む) フリー・ジャズ(アヴァンギャルド・ジャズ) ラテン・ジャズ (モダン・ジャズに含まれる場合もある) アフロ・キューバン・ジャズ ブラジリアン・ジャズ ボサノヴァ・ジャズ(スタン・ゲッツなど) ジャズ・ファンク(ファンキー・ジャズとは異なる) ジャズ・ロック エレクトリック・ジャズ(マイルス・デイヴィスなど) オルガン・ジャズ(ジミー・スミスなど) クロスオーヴァー(デオダートなど) フュージョン ロフト・ジャズ(英語版による) エスノ・ジャズ(英語版による) パンク・ジャズ ジャズ・ラップ クラブ・ジャズ スムーズジャズ アシッド・ジャズ トラッド・ジャズ コンテンポラリー・ジャズ ニュージャズ 主なアーティスト 著名な評論家 リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ) 岩浪洋三 植草甚一 大橋巨泉 野口久光 油井正一 原田和典 著名な演奏場所 著名なジャズクラブ ヴィレッジ・ヴァンガード(1935年 - 、ニューヨーク)グリニッジ・ヴィレッジ地区にあり、モダンジャズを牽引した名店。 ミントンズ・プレイハウス(1938年 - 1974年、ニューヨーク)テナーサックス奏者ヘンリー・ミントンが開店。ビバップの発祥の証しとなる「ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン」1941年でのセッションレコードで有名。2006年再開店。 バードランド(1949年 - 1965年、ニューヨーク)マンハッタン地区にあったビバップ・モダンジャズの黄金時代を牽引した名店。1986年再開店。 プリザベーション・ホール(1960年代 - 、ニューオーリンズ)ディキシーランド・ニューオーリンズジャズ主体の名店。 ブルーノート(1981年 - 、ニューヨーク)グリニッジ・ヴィレッジ地区にあり、世界各国にレストランをチェーン展開。ブルーノート・レコードとは無関係。 ジャズクラブ以外 コットン・クラブ(1923年 - 1940年、ニューヨーク)ハーレム地区にあった名高い高級ナイトクラブ。 カーネギー・ホール(1891年 - 、ニューヨーク)マンハッタン地区にあるコンサートホール。1938年ベニー・グッドマンにより史上初のジャズ・コンサートが開催された。 アポロ・シアター (1860年 - 、ニューヨーク) マンハッタン地区にあるコンサートホール、クラブ。 ジャズ喫茶 ジャズを聴きながら楽しむ喫茶店。日本で1950年代後半から流行り、1970年代から下火となる。 著名なフェスティバル 三大ジャズ・フェスティバル ニューポート・ジャズ・フェスティバル(アメリカ、1954年 - ロードアイランド州・ニューポート)1984年に日本ビクターがスポンサーに付いて以降のフェスティバル・プロダクション主催の同フェスティバルは JVC Jazz Festival Newport, R.I. が正式名称。世界の複数の都市で姉妹フェスティバルが催されている) モントレー・ジャズ・フェスティバル(アメリカ・カリフォルニア州・モントレー) モントルー・ジャズ・フェスティバル(スイス・モントルー、毎年7月開催) 北アメリカ ニューポート・ジャズ・フェスティバル モントレー・ジャズ・フェスティバル サッチモ・サマーフェスト(アメリカ・ニューオーリンズ): 毎年、ルイ・アームストロングの誕生日8月4日を含む日程で開催される。French Quarter Festivals, Inc.主催。 ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバル(アメリカ・ニューオーリンズ)(アメリカ、1970年 - ) バンクーバー・ジャズ・フェスティバル(カナダ・バンクーバー、毎年6月開催) モントリオール国際ジャズフェスティバル(カナダ・モントリオール)世界最大規模。 シカゴ・ジャズ・フェスティバル - アメリカ・シカゴのグラント・パークで毎年9月開催。 ヨーロッパ モントルー・ジャズ・フェスティバル ノース・シー・ジャズ・フェスティバル(オランダ・ハーグ) メールス・ニュー・ジャズ・フェスティバル(ドイツ・メールス) 四月ジャズ祭(フィンランド) ジャズ・ジャンボリー祭(ポーランド) アンティーブ・ジャズ祭(フランス) レニングラード・ジャズ祭(ロシア) アフリカ ケープタウン・インターナショナル・ジャズ・フェスティバル(南アフリカ共和国) 日本 MIYA JAZZ INN(1974年 -、栃木県)(無料) 神戸ジャズストリート(1981年 -、兵庫県)(有料) サッチモ祭(1981年 -、東京都 )(無料) 富士通コンコード・ジャズ・フェスティバル(1986年 -、開催地は変動 )(有料) 徳島ジャズストリート(1988年 -、徳島県)(有料) モントレー・ジャズフェスティバル・イン・能登(1989年 - 、石川県)世界で唯一、モントレー以外の地で「MJF」の名称使用許諾を得ている。(有料) なかのぶジャズフェスティバル(1989年 - 、東京都)第3回(2009年)より毎年の開催。(有料・無料) Jazz Picnic in 猪名川(1989年 - 、大阪府 有料。但し一時期はロックフェスティバルだった年もある) 横浜旭ジャズまつり(1990年 -、神奈川県 )毎年7月の最終日曜日に開催。(有料) 南郷サマージャズフェスティバル(1990年 - 、青森県)行政主催のジャズフェスティバルとしてスタート(有料) 定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台(1991年 -、宮城県)2日間合計で70万人以上の観客数となる日本最大の街角音楽祭。(無料) ハママツ・ジャズ・ウィーク(1992年 -、静岡県 )(有料) ヤマハ・ジャズ・フェスティバル・イン・浜松 横濱ジャズプロムナード(1993年 -、神奈川県 )(有料・無料) 阿佐ヶ谷ジャズストリート(1995年 -、東京都 )(有料) 高槻ジャズストリート(1999年-、大阪府)(無料) 新宿トラッド・ジャズ・フェスティバル(2000年-、東京都) JAZZ PROMENADE in SENDAI(2001年 - 、宮城県)(無料) 守口・門真ジャズフェスティバル(2001年 - 、大阪府)(有料・無料) 東京JAZZ(2002年 -、東京都 )(有料) 新潟ジャズストリート(2003年 -、新潟県 )(有料) 十三ジャズ(2003年 -、大阪府)(無料) 岡崎ジャズストリート(2006年 -、愛知県)(有料・無料) 法善寺ジャズストリート(大阪府)(無料) お茶の水JAZZ祭(2007 -、東京都)(有料) SAPPORO CITY JAZZ(2007年 -、北海道) 新宿春の楽しいジャズ祭り(? -、東京都)(有料) びわこジャズ東近江 (2009年-、滋賀県東近江市)(無料)毎年4月の土・日曜日に開催。2011年は市内25箇所150組が参加した。2016年度より現在の名称に変更。旧名びわこJAZZフェスティバル。 大津ジャズフェスティバル (2009年-、滋賀県大津市)(無料)琵琶湖岸大津港周辺を舞台に世界一美しいジャズフェスティバルとして毎年10月の土・日曜日に行われる。2009年は26箇所234組が参加。 中洲ジャズ (2009年-、福岡県) (無料) 金沢JAZZ STREET (2009年-、石川県金沢市)(有料・無料) すみだストリートジャズフェスティバル (2010年-、東京都) (無料) 小金井ジャズフェスティバル (2011年-、東京都) (無料) 赤れんがSummerJazz+ (2011年-、京都府舞鶴市) (有料) 神戸ジャズウィーク ジャズアート仙川 ライブ・マジック 川崎ジャズ 横浜ジャズプロムナード JAZZ in FUCHU 湯河原ジャズ・フェスティバル 高崎ジャズ・フェスティバル JAZZ ART FESTIVAL 開催終了 びわ湖バレイ・ジャズ・フェスティバル(1965年 - 1993年、滋賀)(有料) ライブ・アンダー・ザ・スカイ(1977年 - 1992年、東京都)(有料) オーレックス・ジャズ・フェスティバル(1980年 - 1983年) ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾(1982年 - 2003年、新潟・長野県)初期~中期は、ジョージ・ウェインがプロデュースした(有料) マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル(1986年 - 1996年、2002年、山梨県)(有料) 著名な教育機関 バークリー音楽大学(アメリカ) ジュリアード音楽院(アメリカ) ジェイコブズ音楽院(アメリカ) リーズ音楽大学(イギリス) 関連作品・関連メディア TV・ラジオ番組 ジャズ専門衛星放送 ミュージックバード(SPACE DiVA)内THE JAZZ、CSデジタル音声放送。かつてはCS-PCM音声放送でも放送。ジャズに関する総合チャンネル。レギュラー番組ほか、ライブ、アーチスト特集、新譜・ビンテージ音源の紹介など。 ジャズ専門ネットラジオ局(無償配信) 1.FM - アメリカ。多くのチャンネルをもつ。128kbpsのスムースジャズチャンネルがある。 BlueNoteRadio - アメリカ。ジャズ名門レーベル直営。 Dr. Horner's Classic Jazz Corner SKY.fm - アメリカ。多くのチャンネルを持つ。96kbpsのスムースジャズ、モダンジャズチャンネルがある。 チャンネル別ページ : Smooth Jazz, Uptempo Smooth Jazz, Piano Jazz, Bossa Nova Jazz, * * * *Modern Jazz, Bebop Jazz SmoothJazz.com -アメリカ。128kbpsのスムースジャズ。 Mars FM - Jazz Radio ラジオ放送 セッションxxxx (NHK-FM) ロマンチックコンサート『エンジョイ・ジャズ』(ラジオ深夜便内、NHKラジオ第1・NHK-FM) ジャズ・トゥナイト (NHK-FM) テイスト・オブ・ジャズ(ラジオNIKKEI) オトナのJAZZTIME(ラジオ日本) Legacy Of Jazz (JFN系各局)- エフエム東京系 ASAHI BEER OZ MEETS JAZZ(JFL系各局)- 幹事局はJ-WAVE 地方局 おばん de JAZZ(STVラジオ) インビテーション・トゥ・ジャズ (SBSラジオ) 渡辺美香のWhat a Wonderful World(CBCラジオ) ジャズ・シティ(富山シティエフエムほか) ワンダフル・ジャズ・タウン(FM愛媛) 酒とJAZZの日々(FM徳島) 黒木研三の“ジャズライブラリー”(ラジオ関西) JAZZ STRUTTIN'(Date fm) ラジオ放送終了番組 水曜WANTED!(TOKYO FM) - パーソナリティが菊地成孔・大谷能生の時代にジャズを主体とした放送がされた。 渡辺美香のMy Favorite Things (CBCラジオ) 後藤浩二 ジャズ魂~あなたと夜と音楽と~(CBCラジオ) 朝のなつメロ(東海ラジオ) - 歌謡曲・演歌中心の内容だったがパーソナリティが村上和宏アナウンサー担当時のみ「ドーナツアワー」のサブタイトルが付き洋楽・ジャズ中心に放送されていた。 ホットジャズライン(ラジオ関西) - 主にディキシーランド・ジャズやスウィングを放送していた。 ときめきJAZZ喫茶(NHKラジオ第1) ジャズトレイン(RKBラジオ) 巨泉のジャズABC(TBSラジオ) テレビ放送終了番組 純情きらり(NHK・朝の連続テレビ小説) - ヒロインがジャズピアニストを目指すストーリーであり、ジャズのスタンダードナンバーやジャズ風にアレンジされた唱歌などが劇中で頻繁に演じられていた。 カムカムエヴリバディ(NHK・朝の連続テレビ小説) - ルイ・アームストロングの『オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート』が物語の重要なキーワードとして描かれている。 映画 アーティスト伝記物、もしくはストーリー・音楽ともにジャズと関わりの深い作品 洋画 伝記物 グレン・ミラー物語 (1953年) - アンソニー・マン監督 ジェームズ・ステュアート出演 ベニイ・グッドマン物語 (1955年) - バレンタイン・デイビス監督、テディ・ウィルソン、ライオネル・ハンプトン、ジーン・クルーパ、スタン・ゲッツ、ハリー・ジェイムス、ジギー・エルマン出演 五つの銅貨 (1959年) - メルヴィル・シェイヴルソン監督、ダニー・ケイ、ルイ・アームストロング、ボブ・クロスビー出演。レッド・ニコルズ(コルネット奏者)の半生を描く。 ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実 (1972年) - ダイアナ・ロス主演、ビリー・ホリデイの生涯を描いた伝記映画。 コットン・クラブ (1984年) ラウンド・ミッドナイト (1986年) - デクスター・ゴードン出演、ハービー・ハンコック音楽、ベルトラン・ダベルニエ監督。バド・パウエルとレスター・ヤングの挿話に基づいて描いている。 バード (1988年) - クリント・イーストウッド監督、チャーリー・パーカーの生涯を描いた伝記映画。 ストレート・ノー・チェイサー (1988年) - セロニアス・モンク出演、クリント・イーストウッド製作総指揮 レッツ・ゲット・ロスト (1988年) - チェット・ベイカー出演、ブルース・ウェーバー製作・監督 MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間 (2015年) - マイルス・デイヴィスの伝記映画 ブルーに生まれついて (2015年) - チェット・ベイカーの伝記映画 私が殺したリー・モーガン (2016年) - リー・モーガンの伝記映画 記録映画 真夏の夜のジャズ (1960年) フィクション ジャズ・シンガー (1927年) - 世界初のトーキー映画。 黄金の雨 (1936年) - ノーマン・Z・マクロード監督、ビング・クロスビー、ルイ・アームストロングら出演。 画家とモデル (1937年) - ラオール・ウォルシュ監督、ジャック・ベニー主演、ルイ・アームストロングら出演。 ニューオーリンズ (1947年) - アーサー・ルービン監督、ルイ・アームストロングやビリー・ホリデイが脇役として出演 情熱の狂想曲 (1950年) 上流社会 (1956年) - チャールズ・ウォルターズ監督、ビング・クロスビー、フランク・シナトラ、ルイ・アームストロング出演 酒とバラの日々 (1962年) おしゃれキャット (1970年) - ディズニー制作アニメーション。貴族と放浪者の対比を「クラシック音楽」と「ジャズ」という音楽性の違いによって描写している。 ニューヨーク・ニューヨーク (1977年) ラグタイム (1981年) (1984年) - ソ連製作 ハーレム・ナイト (1989年) モ'・ベター・ブルース (1990年) - デンゼル・ワシントン出演、スパイク・リー監督・出演 ディンゴ (1991年) - 音楽を担当したマイルス・デイヴィス自身も俳優として出演 スウィング・キッズ (1993年) - ナチス政権下のハンブルクでスウィング・ジャズを愛する青年達の悲劇を描いている。 セッション (2014年) ラ・ラ・ランド (2016年) 邦画 伝記物 エンドレス・ワルツ (1995年) - 若松孝二監督。阿部薫を描く フィクション さらばモスクワ愚連隊 (1968年) - 五木寛之原作、堀川弘通監督 上海バンスキング - 1984年版(監督 : 深作欣二)と1988年版(監督 : 串田和美)の二作品がある。いずれも原作は斎藤憐 ジャズ大名 (1986年) - 筒井康隆原作、岡本喜八監督 キャバレー (1986年) - 栗本薫原作、角川春樹監督 この世の外へ クラブ進駐軍 (2004年) - 阪本順治監督・脚本 スウィングガールズ (2004年) - 矢口史靖監督・脚本 大停電の夜に (2005年) - 源孝志監督 ジャズの映画音楽/サウンドトラック ファンキーハットの快男児 (1961年) - 音楽:三保啓太郎、監督: 深作欣二、主演千葉真一 ファンキーハットの快男児 二千万円の腕 (1961年) - 音楽:三保啓太郎、 監督 : 深作欣二 裸の銃弾(1969年) - 音楽:山下洋輔トリオ、 監督:若松孝二 天使の恍惚(1972年) - 音楽:山下洋輔トリオ、 監督:若松孝二 脱走遊戯 (1976年) - 音楽:八木正生、 監督 :山下耕作 十三人連続暴行魔(1978年) - 音楽:阿部薫、監督:若松孝二 その他 ジャズをモチーフとした小説を多く発表している作家 五木寛之 - 「さらばモスクワ愚連隊」「青年は荒野をめざす」等 筒井康隆 - 「ジャズ大名」「男たちのかいた絵」「ジャズ小説」等 村上春樹 - 「国境の南、太陽の西」「アフターダーク」等。ジャズに特化したエッセイ集「ポートレイト・イン・ジャズ」も発表 川柳川柳 - ジャズを取り入れた新作落語「ジャズ息子」「ガーコン」を作る ナチスではジャズを シュレーゲムジーク(ドイツ語で「変な音楽」の意)と呼び、アメリカ人の退廃的な文化であるというプロパガンダを流していた。 ジャズをモチーフとした絵画を多く発表している画家 立川広己 - 「ジャズ」「JAZZ」「JAZZの流れる卓上」「ジャズの流れる街」等『JAZZシリーズ』作品群、「JAZZの中の裸婦」『花シリーズ薔薇図』との融合作「ジャズと赤バラ」等創作。主に抽象画。 脚注 注釈 出典 関連項目 ブラックミュージック ブルース R&B ソウル ゴスペル ストレイン マルチストレイン形式 More Reading 『ハーレムの黒人たち』植草甚一、晶文社(2005/5) 『コーヒー一杯のジャズ』植草甚一、 晶文社(2004/12) 『ファンキー・ジャズの勉強』植草甚一、晶文社(2005/6) 『ジャズの十月革命』植草甚一、晶文社(2005/4) 『ジャズは海をわたる』植草甚一、晶文社(2005/7) 『ジャズマガジンを読みながら』植草甚一、晶文社(2005/7) 『ビリー・ホリディ物語』油井正一、大橋巨泉 外部リンク ListenJapan ジャズトロンボーンの歴史 アメリカ合衆国の音楽 アフリカ系アメリカ人の歴史
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%B2%A2%E3%81%A8%E3%81%8A%E3%82%8B
藤沢とおる
藤沢 とおる(ふじさわ とおる、1967年1月21日 - )は、日本の漫画家・漫画原作者。北海道出身、東京都在住。代表作に『湘南純愛組!』『GTO』『TOKKO 特公』などがある。主に不良漫画やアクション漫画を手がける。妻は女優の藤沢あやの。 略歴 少年誌デビュー以前は、相沢真理名義にて18禁のエロ漫画などを執筆(1987年、東京三世社より単行本『東京SEX-Y倶楽部』を発売)。また、漫画家の江川達也のアシスタントをしていた。 1989年、『マガジンフレッシュ』掲載の『LOVE YOU』でデビュー。 1998年、第22回講談社漫画賞少年部門受賞(『GTO』)。アニメ版『GTO』に、受験者役(第2話)で声優として出演したことがある。 2010年10月12日、ブログであやの(現:藤沢あやの)との結婚を発表。 2011年2月20日、第一子となる女児が誕生。 チャリティ活動にも積極的に取り組み、東日本大震災の被災者を支援するために他の漫画家と共同で東日本大震災チャリティ同人誌「pray for Japan」で執筆する。 人物 作中において、登場人物が意外な行動を見せる場面で、漫符「!?」の字が表示される演出を好む。 影響を受けたマンガ家は、大友克洋、上條淳士、藤原カムイ、柴田昌弘、たがみよしひさなど。 作品リスト 漫画 P-BOYS(1987年、『週刊少年宝島』、JICC出版局) - 相沢真理名義。 LOVE YOU(1989年、『マガジンFRESH!』、講談社) - 読み切り作品。 艶姿純情BOY(1989年 - 1990年、『週刊少年マガジン』、講談社、全4巻) 湘南純愛組!(1990年 - 1996年、『週刊少年マガジン』、全31巻) BAD COMPANY(1996年、『週刊少年マガジン』、全1巻) BAD COMPANY 2(1996年、『週刊少年マガジン』) GTO(1997年 - 2002年、『週刊少年マガジン』、全25巻) GTO映画化記念!?「大トロでGOー!!」(2000年、『週刊少年マガジン』臨時増刊) GTOマガジン万歳記念「おフランスでGOー!!」(2000年、『週刊少年マガジン』臨時増刊) こんなモン食ってきたスペシャル「藤沢とおるのまんが道〜爆裂やしがに旅情編〜」(2002年、『マガジンFRESH!』増刊) GTO SHONAN 14DAYS(2009年 - 2011年、『週刊少年マガジン』、全9巻) - 「GTO」の外伝作品。 BLACK DIAMOND (2011年、『週刊少年マガジン』、GTO SHONAN 14DAYS 9巻に収録) - 「GTO SHONAN 14DAYS」番外編。 井の頭ガーゴイル(2012年 - 、『週刊ヤングマガジン』、講談社、既刊5巻) - 「GTO」のスピンアウト作品。休載中(第2シリーズ完の状態)。 GT-R(2012年、『週刊少年マガジン』、既刊1巻) - 「GTO」の外伝作品。休載中(第1シリーズ完の状態)。 GTO パラダイス・ロスト(2014年 - 、『週刊ヤングマガジン』、講談社、既刊19巻) - 「GTO」の外伝作品。 昭和バンカラ派(2012年 - 、『週刊漫画ゴラク』、日本文藝社) ROSE HIP ROSE(2002年 - 2003年、『ヤングマガジンアッパーズ』、講談社、全2巻) - 後に復刻版(全4巻)が発売。警察庁・警視庁合同の特殊部隊「ASALLT」のローズヒップ(朝倉かすみ・17歳・女子高生)を主役にした警察アクションもの。 MAGNUM ROSE HIP(2006年、『週刊少年マガジン』) - Rose Hip Rose復刻版3、4巻収録。 ROSE HIP ZERO(2005年 - 2006年、『週刊少年マガジン』、全5巻) - 14歳・女子中学生の朝倉かすみとテロ対策4課のエースだった鬼道のコンビによる「ROSE HIP ROSE」の前日譚。 TOKKO 特公(2003年 - 、『月刊アフタヌーン』、講談社、全3巻、未完) 特公 零(ゼロ)(2013年 - 2016年 、『月刊ヒーローズ』、ヒーローズ、全4巻) - 「TOKKO 特公」の派生作品でありエピソードゼロとされる。原作・構成を担当。作画は浅田有皆。 WILD BASE BALLERS(2003年 - 2004年、『週刊少年マガジン』、全6巻) - 原作を担当。作画は関口太郎。 ひみつ戦隊モモイダー(2003年・2006年 - 2007年、『週刊ヤングジャンプ』/『週刊ヤングジャンプ増刊『漫革』』、集英社、全1巻) 仮面ティーチャー(2006年 - 2007年、『週刊ヤングジャンプ』、全4巻) 仮面ティーチャーBLACK(2013年 - 2014年、『週刊ヤングジャンプ』、全5巻) 仮面ティーチャー VS POLICE(2013年、『週刊ヤングジャンプ』・『週刊ヤングマガジン』) - 「仮面ティーチャー」と「井の頭ガーゴイル」のコラボ読み切り。 REVEREND D(2006年 - 2007年、『月刊ComicREX』、一迅社、全2巻、未完) - 第一部完。D級レヴェレンド(黒神父)と幻視能力を持つ少女・泉結衣が、謎の事件を起こす結社・ソロモンズ・チャイルドの目的を探る。 アニマルJOE(2007年 - 2008年、『ビッグコミックスピリッツ』、小学館、全1巻、未完) - 第一部完。 あんハピっ!(2008年 - 2009年、『コミックチャージ』、角川書店、未完) - 連載雑誌の休刊に伴い、未完のまま終了。 遠い星から来たALICE(2008年 - 2009年、『ビッグコミックスピリッツ』、小学館、全2巻) ソウルメッセンジャー(2011年、『スーパージャンプ』、集英社、全2巻) - 原作を担当。作画はきたがわ翔。 渋谷ハチ公前 -another side-(2011年 - 2012年、『電撃コミック ジャパン』、アスキー・メディアワークス、全1巻) - 原作を担当。原案は青木良。作画は水元あきつぐ。 ソウルリヴァイヴァー(2011年 - 2014年、『月刊ヒーローズ』、ヒーローズ、全6巻) - 原作・構成・キャラクターデザインを担当。作画は秋重学。 ソウルリヴァイヴァー SOUTH(2015年 - 2016年、『月刊ヒーローズ』、全3巻) - 続編的作品。本作では作画も手掛ける。 愛しのDUTCHOVENガール(2012年 - 2013年、『漫画アクション』、双葉社、未完) - 料理監修は影山のぞみ。 宇宙刑事ギャバン 黒き英雄(2012年 - WEBコミックス、2013年に『月刊少年チャンピオン』(秋田書店)に移籍、全1巻) - 構成・演出を担当。脚本は小林雄次、作画は太田正樹。 別に放り出した訳ぢゃないんだけど...。〜未完の漫画が或る理由〜(2013年、一迅社) - 作品集。「ひみつ戦隊モモイダー」(単行本未収録分)・「あんハピっ!」・「◯◯ラーのクッキングエレジー」・「愛しのDUTCHOVENガール」・「アンチャーテッド エルドラドの秘宝」を収録。 SHONANセブン(2014年 - 2019年 、『月刊少年チャンピオン』、秋田書店、全17巻) - 原作を担当。作画は高橋伸輔。 えやみのかみ(2014年 - 2016年、『マンガボックス』、全3巻) - 原作を担当。作画は落合ヒロカズ。 おいしい神しゃま(2014年 - 2015年、『週刊少年サンデー』、小学館、全3巻) RED DATA PLANET(2019年 - 2021年、『別冊少年チャンピオン』、秋田書店、全18話、全4巻) - 原作を担当。作画は伊臣麿。 小説 GTO Live in 北海道(1998年、講談社) - 相沢春吉と共著。 キャラクターデザイン サンデー×マガジン クロスライン 列島最強伝説 エンドカード 聖痕のクェイサー テレビアニメ第23話 関連人物 師匠 江川達也 アシスタント 綾峰欄人 葵ろむ ダイナミック太郎 みずもとあきつぐ 関連項目 日本の漫画家一覧 脚注 外部リンク 日本の漫画家 北海道出身の人物 1967年生 存命人物
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ヒップホップ
ヒップホップは、1970年代にニューヨークのブロンクス地区で開かれたブロック・パーティーにルーツのある、音楽・ダンス・ファッションを中心とする黒人文化である。80年代には、ヒップホップには三大要素があると言われていた。DJ、ブレイクダンス、グラフィティがその構成要素である。しかし現在では、ミュージシャンとしてのMCを加えた四大要素と言われている。ヒップは、とんでいる、ホップは跳躍するなどの意味がある。 ライターのスティーヴ・ヘイガーは、アフリカ・バンバータの、ラップ音楽やブレイクダンス、グラフィティ・アートを含めた黒人文化をヒップホップとした発言は、ヴィレッジ・ヴォイスで最初に活字になったものであると主張している。 概要 単に「ヒップホップ」と呼んだ場合、サンプリングや打ち込みのバックトラックに、MCによるラップを乗せた音楽を指すことがあるが、これらはヒップホップ・ミュージックあるいはラップ・ミュージックと呼ぶのが正しい。これに「ブレイクダンス」と「グラフィティ」などを加えたものが本来のヒップホップである。ヒップホップにおいて、ラップ(MC)、DJプレイ、ブレイクダンス、グラフィティは四大要素と呼ばれる。 これらはアメリカのストリートギャング文化とも関係があるといわれ、抗争を無血に終わらせるために、銃や暴力の代わりとしてブレイクダンスやラップの優劣が争われた。ラップ、DJプレイ、ブレイクダンスには、フリースタイル・バトルと呼ばれる対決方式も存在する。その後、発祥地アメリカだけにとどまらず、ブレイクダンスを踊ったり、グラフィティをアートとしてとらえたり、ファッションにも影響を及ぼすなど、ヒップホップ文化は、欧米、日本をはじめ世界各国に広まった。 これにアフリカ・バンバータが加えた「知識」までを五大要素、さらにKRS・ワンが提唱した「ビートボックス」とストリート文化「言語」、「服装」、「起業精神」を含むと九大要素と呼ばれる。 詳細 起源については諸説有るが、一般的に1970年代に生まれ、クール・ハーク(ブレイクビーツの発明者)、グランドマスター・フラッシュ(スクラッチ技術を普及)、アフリカ・バンバータ(ヒップホップという言葉の生みの親)らのDJたちの活躍によって、それまでのブロック・パーティを超えた音楽として広がり始めた。 曲調やダンス、ファッションなどのスタイルを、それぞれオールド・スクール(Old School、1970年代末 - 1980年代初頭)、ニュー・スクール(New School, 1990年代以降)と呼ぶ。オールド・スクールのラッパーにはグランドマスター・フラッシュ、トリーチャラス・スリー、スーパー・ウルフ らがいた。1980年代後期 - 1990年代前期はラップの全盛期だったことから、特にゴールデンエイジ・ヒップホップと呼ばれる場合もある。日本では80年代半ばのラップをミドル・スクール(Middle School)と表現することがある。ミドル・スクールのラッパーには、Run-D.M.C.、LLクールJ、UTFO、フーディニらがいた。 パブリック・エナミーやBDPのアルバムは、社会的意識の萌芽を予感させた。1980年代、ヒップホップは、ビートボックスのボーカルパーカッションテクニックを介して、人体を使用したリズムの作成も受け入れた。先駆者はダグ・E・フレッシュだった。ダグ・E・フレッシュやビズ・マーキーは、自身の口と声、他の身体の部分を使用してビート、リズムを創造した。これらは「ヒューマンビートボックス」と呼ばれ、このジャンルのアーティストは、ターンテーブリズムのスクラッチやその他の楽器の音を歌ったり楽器の音を模倣したりした。 ミュージックビデオの登場はエンターテインメントを変えた。「プラネットロック」のミュージックビデオは、ヒップホップミュージシャン、グラフィティアーティスト、およびB-boyのサブカルチャーを紹介した。1982年から1985年の間に「ワイルドスタイル」、「ビートストリート」、「クラッシュグルーブ」、ブレイクダンス、「ドキュメンタリー・スタイル・ウォーズ」など、多くのヒップホップ関連の映画が上映された。1980年には、世界の若者の一部がヒップホップ文化を受け入れた。アメリカの都市コミュニティでは、ヒップホップのファッションが流行した。Run-D.M.C.だけでなく、アイスT、ビッグ・ダディ・ケイン、ドクター・ドレイらも愛用した ゴールドのチェーン・アクセサリーや、ジャージとスニーカーなどが見られた。その後パブリック・エネミーやKRS1のブギー・ダウン・プロダクションなどが登場した。 ニュー・スクール・ラップは、80年代末から90年代初頭まで流行した。ニュー・スクールのラッパーには、デ・ラ・ソウル、ア・トライブ・コールド・クエスト、リーダーズ・オブ・ザ・ニュースクールらがいた。ファッションは、シルバーが流行した。またサイズの大きな衣服や、バギースタイルのパンツ(大きいサイズのダブついたズボン)を選び、腰履きで着るアーティストも見られた。大きい服を着るようになったのは、大きめのサイズの服を子供に提供しておけば、成長しても買い換える必要がないことなどが原因とされている。 別なカテゴライズとして、アーティストの出身地などから、ヒップホップ発祥の地であるニューヨークなどのアメリカ東海岸におけるイースト・コースト・サウンド、ロサンゼルスなどのアメリカ西海岸におけるウエスト・コースト・サウンド(ウエスト・サイド)といった、地域による分け方がある。ニューヨークのラップは、ジャズトラックを使用した楽曲もあり、対して初期のウエスト・コースト・サウンドは、ドクター・ドレー、スヌープ・ドッグらを中心としたGファンクと呼ばれる、Pファンクなどをサンプリングし、シンセサイザーなどの電子音を取り入れたトラックに、ギャングスタ・ラップをのせた。近年はサウス(南部)やミッドウエスト(中西部)と呼ばれるローカルサウンドも登場している。サウスのトラックは、バウンスビートが特徴である。ヒップホップのポピュラー化により、東海岸でギャングスタ・ラップをするものが現れた。 1990年代頃から東海岸を代表するディディ(パフ・ダディ)、ノトーリアス・B.I.G.擁するバッド・ボーイ・エンターテインメント(Bad Boy Entertainment)と、西海岸を代表するドクター・ドレー、 スヌープ・ドッグ、2パック(出身はイースト・コーストではあるが、最盛期の活動場所はウエスト)らが所属するデス・ロウ・レーベルとの対立が象徴的であるように、両海岸のアーティストたちはお互いを威嚇、中傷し合った。それらの内容はラップの歌詞にも現れ、ギャングを巻き込んだ暴行、襲撃、発砲事件などに発展した。この東西抗争は、2パック、ノトーリアス・B.I.G.という両海岸を代表する有名ラッパーを、ともに銃撃事件で失う悲惨な結末を招いた。抗争はその後、個人間のビーフ(中傷合戦)を除いて、沈静化している。 歴史 代表的なレコードレーベル ※五十音順 サブジャンル オールドスクール・ヒップホップ 70年代後半から80年代の黎明期のヒップホップを統括したジャンル。代表的なアーティストにシュガーヒル・ギャング、グランドマスター・フラッシュ、クール・ハークなど。 ミドル・スクール 1980年代半ばのヒップホップを表す日本独自表現。アメリカではゴールデンエイジ・ヒップホップと呼ぶ場合もある。 ニュー・スクール デラソウル、リーダーズ・オブ・ニュースクールなど。 ネクスト・スクール エドOG&ダ・ブルドッグズやメイン・ソースなど。 ギャングスタ・ラップ ギャング活動や犯罪行為について言及したジャンルで、歌詞の過激な内容が度々論争を引き起こす。ハードコア・ヒップホップとほぼ同義。 Gファンク 上記のギャングスタ・ラップから派生したジャンル。代表的なアーティストにドクター・ドレー、スヌープ・ドッグ、ウォーレンGなど。 サザン・ヒップホップ 南部ラップともいう。マスターP、スリー6マフイアなど。 ヒップホップ・ソウル ヒップホップのトラックの上に、新しいR&Bのメロディーを乗せたジャンル。代表的なアーティストにメアリー・j・ブライジらがいた。日本の宇多田ヒカルのサウンドも、このジャンルに属する。」 チカーノラップ メキシコ系移民たちが中心になり勃興したジャンル。キッド・フロスト、メローマン・エイスなど。 マイアミ・ベース ルークや2ライブ・クルーなど。 ラガ・ヒップホップ/ダンスホール シャバ・ランクス、ビーニー・マン、シャギー、ショーン・ポールらが活躍した。 ニューメタル ヘヴィメタルとヒップホップを融合したジャンルで、コーン、スリップノットなどがいる。 その他のジャンル クランク 90年代のシンセサイザーや重低音のベースを特徴のラップ。代表者はリル・ジョン、マシン・ガン・ケリーらがいる。 トラップ 90年代にクランクから派生したジャンル。代表者はドレイク、カーディーB、XXXテンタシオン、トラヴィス・スコットなど。 エモ・ラップ 2010年代にエモとラップを融合させたジャンル。代表者はXXXテンタシオンなど。 音楽用語 Bボーイ 「Bボーイ (B-Boy)」はブレイクする者、突破していく少年の意味。ブレイクダンサーの事も指す。この言葉は、クール・ハークが作り出したとされ、ブロックパーティなどでブレイクビーツを流すと踊りだすダンサーの事を、「ブレイク・ボーイ (Break-Boy)」あるいは「Bボーイング (B-Boying)」と呼んだ事に由来する。詳細はBボーイを参照。 ヒップホッパー 日本では「ヒップホッパー (hip hopper)」という言葉は「ヒップホップ文化に没頭する人」と解釈される。しかし、KRS・ワンなどによると、本来は「ヒップホップの四大要素全てが優れていて、筋金入りのヒップホップ育ちのような人」を指す。 代表的なアーティスト MC DJ クール・ハーク グランドマスター・フラッシュ アフリカ・バンバータ マーリー・マール ピート・ロック Q-Bert DJプレミア グラフィティ・アーティスト ジャン=ミシェル・バスキア キース・ヘリング PHASE 2 関連映画 ※印は日本劇場未公開作品 ワイルド・スタイル(1982年) ビート・ストリート(1984年)※ スタイル・ウォーズ(1984年)※ ブレイクダンス - Breakin''' (1984年) ブレイクダンス2/ブーガルビートでT.K.O! - Electric-Boogaloo Is Breakin' 2 (1984年) クラッシュ・グルーブ (1985年)※ タファー・ザン・レザー (1988年)※ ドゥ・ザ・ライト・シング(1989年) ハウス・パーティー (1990年) ハウス・パーティー2 (1991年) ニュー・ジャック・シティ (1991年) ボーイズン・ザ・フッド (1991年) ジュース(1992年) ポエティック・ジャスティス (1993年) ポケットいっぱいの涙 - メナスIIソサエティ(1993年) ビート・オブ・ダンク - アバーブ・ザ・リム (1994年)※ ジェイソンズ・リリック(1994年) マーダー・ワズ・ザ・ケイス(1994年) ハウス・パーティー3 - (1994年) クルックリン - (1994年) パンサー - (1995年) クロッカーズ - Clockers (1995年) フライディ (1996年) スラム - Slam (1998年) ロミオ・マスト・ダイ - Romeo Must Die (2000年) トレーニング デイ - Training Day (2001年) セイブ・ザ・ラスト・ダンス - Save The Last Dance (2001年) サウスセントラルLA - BABY BOY(2002年) ブラウン・シュガー - Brown Sugar (2002年)※ 8 Mile - 8 Mile (2002年) ユー・ガット・サーブド - You Got Served (2003年)※ ブラック・ダイヤモンド - Cradle 2 The Grave (2003年) ダンス・レボリューション - Hunny (2003年) クリップス - Redemption: The Stan Tookie Williams Story (2004年)※ ハッスル&フロウ “Hustle & Flow” (2005年) スピリット・ボクシング - Shackles (2005年)※ コーチ・カーター - Coach Carter (2005年) ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン - Get Rich or Die Tryin' (2005年) ATL - ATL (2006年)※ ストレイト・アウタ・コンプトン Straight Outta Compton'' (2015年) 脚注 注釈 出典 書籍 ヒップホップ・ジェネレーション[新装版]:ジェフ・チャン、 DJクール・ハーク著:リットー・ミュージック HIP HOP:ダースレイダー著、シンコー・ミュージック ラップ・イヤー・ブック:アイスT 関連項目 R&B ソウル・ミュージック ヒップホップ音楽の歴史 ファンク レゲエ ブレイクダンス ニュージャックスウィング ゴールデンエイジ・ヒップホップ ヒップホップミュージック ヒップホップ用語 アメリカ合衆国の音楽 サブカルチャー 風俗 アフリカ系アメリカ人の文化 ニューヨーク市の文化
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経営学
経営学(けいえいがく)は、経営に関する学問。経営管理も参照。 定義 効率的な組織運営を考える学問 経営学とは「常に変化する内外の環境において組織をいかに効率的に運営するか」を解明する学問である。その対象は今日では広く、企業だけでなく、官庁組織、学校その他一般に組織といわれるものすべてを含むと考えられる。 企業を対象とする領域学 経営学とは、「企業」という特定の領域を対象とする領域学のことである。「領域学」とは、経済学・社会学・心理学などのように、特定の限られた変数群と一定の理論的枠組みとを用いて、対象世界に接近する「ディシプリン」の学問ではなく、教育学や宗教学と同じように、変数群や理論的枠組みを特定化するのではなく、むしろ対象世界を特定化して、それに対して多面的に接近する学問であることをいう。その領域学としての経営学の対象は、企業である。企業は形式的には生産の担い手であるといわれるが、生産という言葉のなかには、財・サービスをつくるという意味はもとより、新しい知識を生み出す、イノベーション(経営革新)といった意味合いもまた含まれている。 狭義の経営学に内包される2領域 狭義の経営学としては組織体の効率効果的な運営のための長期的視野に立った理論の構築を目的とする学問と捉えられるため、その際は会計学やマーケティングなどの分野は除外される。 ビジョン達成に向けて、企業(およびそのほかの組織体)の組織構造とその機能をどのように設計すればよいか、その方法論や根拠などを明らかにすること。…マクロ組織論は、こういった目的意識を共有する経営理論の分野である。古くはエージェンシー理論、近年ではスチュワードシップ理論などがこの領域では有名。コーポレート・ガバナンスなどへの応用が進んでいる。 ビジョン達成を目的とした、持続的な競争優位を確立するためのアクション・プラン設計方法やその根拠などを明らかにすること。…経営戦略論が、こういった目的意識を共通のメインテーマとしている。経営戦略論には、全社戦略論と競争戦略論の2つの領域がある。前者の全社戦略論では、オリバー・ウィリアムソンやロナルド・コースらが理論化に尽力した取引費用理論、金融工学のオプション価格理論にルーツを持つリアル・オプション理論といった理論などが有名。後者の競争戦略論ではマイケル・ポーターが理論化したポジショニング理論やジェイ・B・バーニーのリソース・ベースド・ビューなどが実務でしばしば用いられている。 日本で初めて経営学の概念を提唱したのは、商工経営学と名付けた上田貞次郎東京高等商業学校(現・一橋大学)教授とされる。 学際的な学問としての経営学 経済学では、各主体(個人・企業、およびそのほかの組織体)の行動が市場原理にゆだねられた場合の帰結(均衡)と、そこでの資源配分の効率性や社会的総余剰の適切さについて分析したり、社会システムの構造を物象化の機序を明らかにしつつそこに生起する論理と動態を明らかにすることに重点が置かる。 それに対し、経営学は、いかにすれば企業(およびそのほかの組織体)がその業績や効率性を向上させることが出来るかを明らかにしようとする。つまり、社会全体を見るか・一組織を見るかの違いであり経済学的アプローチではミクロ経済学の範疇であると、かつては考えられていた。 また、同じ「企業」を観察する場合でも、経済学では各企業が合理的な行動をとった場合にどのような状態が現出するかを考察することが多く、経営学では企業がどのような行動をとることが合理的かを考察する、などの違いがある。 以上のような学問的出発点の違いから、経営学では個々の企業間の差異が注目されるのに対し、(特に新古典派の)経済学ではその差異にはあまり注意が払われない場合が多い。 ただし、1980年代以降、経営学分野で経済学理論を基礎とした領域が発達したり(マイケル・ポーター、伊丹敬之等)、経済学でも企業・組織のメカニズムや効率性を分析する領域(企業経済学・組織の経済学など)が発達していることから、両者の違いは以前ほど明確ではなくなってきている(事実、アメリカのビジネススクールには経営学者と経済学者が混在している)。 とは言え、経営学は「領域」の学問と言われるように、社会学的手法を用いた分野(マーケティングなど)や、社会心理学的手法を用いた分野(労務管理論など)など手法横断的・学際的な発展をしており、数学を用いた社会分析に特化し続けている(「ディシプリン」としての学問)経済学とは一線を画している。最近の経営学者・経済学者には、この点を両者の相違としている者も多い。 学術の動向 1926年、神戸高等商業学校(現在の神戸大学)で「經營学」という名称の授業科目が開講した。 1926年、日本経営学会が創設された。 1951年、日本で初めて経営学博士が授与されたのは平井泰太郎(授与機関は神戸大学)である。 1962年、我が国最古のビジネススクールである慶應義塾大学ビジネススクールが慶應義塾大学産業研究所 (KEO) より分離独立した。 日本学術会議 25期 経営学委員会 (3名) 令和2年10月現在 24期 経営学委員会 (3名) 平成30年4月25日現在 日本学術振興会産学協力研究委員会 経営問題108委員会 1947年、日本学術振興会が経営問題108委員会を設立した。学界委員と産業界委員が連携して活動している。 下記に事例として、2012年における日本学術振興会産学協力研究員会 経営問題108委員会委員構成を取り上げる。 産業構造・中小企業第118委員会 日本学術振興会は産学協力研究委員会として産業構造・中小企業第118委員会を擁している。日本学術振興会産業構造・中小企業第118委員会は日本における中小企業研究の中核的な組織である。戦前から活動してきた日本学術振興会第23(中小工業)小委員会に端を発している。日本学術振興会第三常置委員会に中小工業に関する研究を行う第二三小委員会を設置することとなる。昭和13年11月4日、第一回会議(如水会)で招集され、上田貞次郎委員長、 山中篤太郎幹事体制となる。 第23小委員会 第二三委員会は、国民経済構造第七七小委員会(昭和20年~22年)、中小産業復興第九〇小委員会(昭和21年~23年)を経て、昭和23年4月に現在の第118委員会として発足した。委員16名構成とした。 その他委員 磯部喜一、大塚一朗、小田橋貞寿、末松玄六、高宮晋、田杉競、豊崎稔、中西寅雄、中山素平、藤井茂、細野孝一、松井辰之助、美濃口時次郎、村本福松。 委員の構成(平成31年4月現在) 委員構成については、時代によって社会経済環境の変化に応じて編成が異なる。下記に事例として、平成10年代、平成20年代と10年単位で遡り記載する。 委員の構成(平成18年) 委員の構成(平成24年) 日本経営学会 日本経営学会理事長は平成初期まで一橋大学出身者と神戸大学出身者であった。 21世紀を迎える頃、慶應義塾大学出身者が一橋大学と神戸大学以外で初の理事長となる。 神戸大学経営学研究科・経営学部は公式サイトにて“地域別比較(神戸大学経営学研究科と一橋商学研究科の比較)”を掲示している。 進路 経営学は多くの資格試験や公務員採用試験の受験科目となっている。下記に代表的な事例を記載する。 資格試験 公認会計士・監査審査会が行う国家試験である公認会計士試験の受験科目である。 公務員採用試験 準キャリアと位置付けられている財務専門官採用試験の受験科目である。 国税専門官採用試験の受験科目である。税務大学校での研修を経て国税専門官となる。国税専門官は勤務年数等の条件を充足すると税理士資格が付与される。 下位分野 経営戦略論 経営管理 M&A 資金調達 プライベート・エクイティ・ファンド ベンチャーキャピタル コーポレート・ガバナンス キャッシュ・フロー経営 倫理学 ミクロ経済学 マクロ経済学 産業組織論 交渉術 マーケティング 組織論 人的資源論 財務会計論 管理会計論 原価計算 監査論 会社法 租税法 民法 経営史 技術経営論 プロジェクトマネジメント 生産技術 品質工学 人間工学 ロジスティクス 金融工学 金融商品取引法 保険数理 計量経済学 公共経営学 公共経営学は公共経営()を研究する学問である。すなわち、行政組織や非営利組織の効率的運営を研究する学問である。経営学の一種であり、同時に行政学の一種でもある。 出典 参考文献 R.Caves著「Economic Analysis and the Quest for Competitive Advantage」(『American Economic Review』74号、1984年) R.R.Nelson著「Why Do Firms Differ, and How does It Matter?」(R.P.Rumelt,D.Schendel,D.J.Teece編『Fundamental Issues in Strategy』Harvard Business School Press、1994年) 神戸大学経済経営学会編著『ハンドブック経営学[改訂版]』、ミネルヴァ書房、2016/4/11。ISBN 978-4623076734。 上林憲雄編著『経営学の開拓者たち: 神戸大学経営学部の軌跡と挑戦』中央経済社 (2021年)。ISBN 978-4502377518 関連項目 アンリ・ファヨール -「管理原則の父」と称される。 フレデリック・テイラー - 経営管理論の古典の一つである科学的管理法を提唱。 ハーバート・サイモン 日本経営学会(経営学領域における日本最古の学術団体であり、世界で2番目の学術団体) 組織学会(組織科学領域における日本最大の学術団体) 日本中小企業学会(日本の中小企業研究を代表する学術研究団体) 社会科学 企業 行政学 ビジネス
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池原しげと
池原 しげと(いけはら しげと、1952年2月26日 - )は、日本の漫画家。男性。富山県入善町出身。 略歴 本名、池原成利(いけはら しげとし)。本名の他、池あや子(いけ あやこ)、原成(はら しげる)名義でも執筆している。血液型AB型。 中学の時に手塚治虫の『鉄腕アトム』に感動したのがきっかけで漫画を描き始める。 少年画報社に入社して営業職を2ヶ月務めた後、友人の誘いで1970年に手塚プロダクションに入社、手塚治虫のアシスタントを1年半ほど行う。その後、手塚プロでは『海のトリトン』『ふしぎなメルモ』で絵コンテの補佐としてアニメ制作にも携わる。その際、富野由悠季に絵コンテの描き方などを教わった。 手塚治虫と絵柄が似ているという理由で起用された手塚原作の『ふしぎなメルモ』(小学館学年誌)の代筆で、1971年に漫画家デビュー。1970年代前半には、学年誌で数々の特撮&アニメ作品のコミカライズを執筆しながら手塚治虫のアシスタントなど関係者で設立した企画者集団のひろみプロに参加して、『ミラクル少女リミットちゃん』『魔女っ子メグちゃん』といったテレビアニメの企画に関与した。 80年代以後、『冒険王』→『コミックボンボン』などにて執筆。主にロボットアニメなどテレビアニメのコミカライズものやファミコン等のテレビゲーム関連の作品を多く描く。『コミックボンボン』のマスコットキャラクターの爆弾マークは、池原がデザインしたものである。 特にロックマンシリーズを多数執筆しており、作品を重ねるごとに池原なりのキャラクターの掘り下げを行ったり、オリジナルストーリー(「甦るブルース」)を執筆したこともある。池原が描くロックマンのデザインは、初期は鉄腕アトムに似せていたが、カプコンのキャラクターイメージの共通化の意向により、シリーズ第7作『ロックマン Dr.ワイリーの陰謀』以降は元のゲームと同じ意匠に変更された。ロックマンシリーズを執筆する際は、必ずプレイして攻略法を確認している。単行本の巻末によれば、ゲーム自体は得意ではないらしく、先に自身の息子が攻略していることがあるという。また、『ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?』のボスキャラ公募の際、“ナパームマン”という名のボス(『ロックマン5 ブルースの罠!?』に登場する同名のボスとは別)を投稿したが、採用はされなかった。なおロックマンは企画段階では鉄腕アトムの版権を購入してゲームにする予定であった。 作品リスト 漫画 氷上のプリンセス(子供の光 1972年) ちぎれ雲の詩(中二時代) ふしぎなメルモ(小学一年生 1972年1月号-1973年3月号連載)、(虫プロ商事「月刊れお」での「ふしぎなメルモ」の代筆も)。 鉄腕アトム(小学三年生 1972年7月号) サンダーマスク(小学館BOOK、小学一年生 1972年11月号-1973年3月号〈原成 名義〉、小学三年生 1972年11月号-1973年3月号、小学四年生 1972年11月号-1973年3月号連載) 快傑ライオン丸(小学六年生 1972年5月号 - 1973年3月号連載〈原成 名義〉) 行け!ゴッドマン(おともだち 1972年 - 1973年) ミラクル少女リミットちゃん(小学一年生、小学三年生 1973年連載) ファイヤーマン(小学二年生 1973年1月号-8月号連載) ジャンボーグA(小学四年生 1973年4月号-12月号連載〈4月号のみ原成 名義〉) ウルトラマンタロウ(小学館BOOK 1973年連載) わんぱくミューたん(小学一年生1973年連載) ワンサくん(小学二年生1973年5月号-9月号連載、小学三年生1973年5月号-9月号連載) プルルくん(よいこ ) 宇宙戦艦ヤマト(小学四年生 1974年10月号-1975年3月号連載) 魔女っ子メグちゃん(希望の友、小学館学年誌 1975年連載) ザ・カゲスター(小学二年生 1976年4月号-8月号連載) ジェッターマルス(原作:手塚治虫、テレビランド 1976年連載) 超人戦隊バラタック(冒険王連載) SF西遊記スタージンガー(冒険王 1979年連載) フルーツケンちゃん(小学三年生 1976年4月号-1977年3月号連載) パン屋のケンちゃん(小学三年生 1977年4月号-1978年3月号連載) スポーツケンちゃん(小学三年生 1978年4月号-1979年3月号連載) カレー屋ケンちゃん(小学三年生 1979年4月号-1980年3月号連載) ザ☆ウルトラマン(テレビマガジン 1979年4月号-1980年3月号連載) 宇宙空母ブルーノア(テレビランド 1979年11月号-1980年4月号連載) ウルトラマン80(テレビマガジン 1980年4月号-1981年4月号連載) 燃えろアーサー白馬の王子(テレビランド 1980年6月号-9月号連載) スター・ウォーズ 帝国の逆襲(テレビランド 1980年9月号-11月号連載) ねこのちっぽくん(1970年代前半の「1・2年の学習」連載) ミクロマン(冒険王連載) ファミコン風雲児 ファミコン風雲児 対 ファミ拳リュウ - ほしの竜一との合作、『ファミ拳リュウ』とのクロスオーバー作品 ロックンゲームボーイ 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争 重戦機エルガイム 聖戦士ダンバイン 伝説巨神イデオン プロゴルファー一条一也 ロックマンシリーズ ロックマン ロックマン Dr.ワイリーの陰謀(ロックマン2 Dr.ワイリーの謎の漫画化) ロックマン4 ロックマン5 ロックマン6 ロックマン7 ロックマンワールド ロックマンワールド2 ロックマンワールド3 ロックマン 甦るブルース ロックマンXシリーズ イレギュラーハンターロックマンX 君がいた夏 〜沖縄高校野球物語〜(2001年 沖縄タイムス 原作:高屋敷英夫) コミック版 プロジェクトX〜挑戦者たち〜 液晶 執念の対決〈瀬戸際のリーダー〉大勝負 コミック版 その時歴史が動いた ミステリー大化改新 ハンノッキの冒険 (2003年 入善町)  武藤俊憲のシンキングゴルフ(構:坂本静児) コミカライズ版『マリン・エクスプレス』全3巻 ※ 原作:手塚治虫の長編TVアニメの漫画化。 なんにもするな(ゴルフレッスンコミック) ぱいどん(背景担当、モーニング2020年13、20号) Webコミック ムッシュAKASHI(原案:森田清) アニメ ふしぎなメルモ(絵コンテ、演出) 海のトリトン(絵コンテ) 超人戦隊バラタック(原作、キャラクター原案) 広告 JR東日本グループ「150 YEARS」(1960年代パートイラスト) 参考文献 『魔女っ子大全集 東映動画篇』バンダイ、1993年 外部リンク 池原しげと|虫ん坊|手塚治虫TEZUKA OSAMU OFFICIAL 脚注 日本の漫画家 日本の男性アニメーター 手塚プロダクションの人物 富山県出身の人物 1952年生 存命人物
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いしいひさいち
いしい ひさいち(本名:石井 壽一(読み同じ)、男性、1951年(昭和26年)9月2日 - )は、日本の漫画家である。最長期作品は『ののちゃん』、代表作は『がんばれ!!タブチくん!!』である。編集プロダクション「チャンネルゼロ」監査役。 概説 新聞連載や4コマ漫画を中心として活動。一方でいわゆる「新聞漫画」「風刺画」を基調とせず、プロ野球、政治、経済、時事問題、推理小説、哲学、時代劇、学生の貧乏生活、庶民の家庭生活など多岐に渡るテーマを扱い、極度にデフォルメされたキャラクターと過激な皮肉、ナンセンスや解読困難な展開など独特な世界観を提供する。 第31回文藝春秋漫画賞、第7回手塚治虫文化賞短編賞、第32回日本漫画家協会賞大賞、第54回菊池寛賞を受賞。「タブチくん!!」を始めアニメ化もされている。 来歴 岡山県玉野市(宇野)築港出身。岡山県立玉野高等学校2年生の時、漫画研究会発足時に誘われて会員となる。高校時代には虫プロ商事の漫画雑誌『COM』の読者投稿コーナー「ぐら・こん 基礎コース」に応募し、2度にわたって入選している。 1970年(昭和45年)に関西大学に進学し、漫画同好会に入会。当時は大阪府大阪市東淀川区下新庄に下宿した。1972年(昭和47年)、大学在学中に関西ローカルのアルバイト情報誌『日刊アルバイト情報』にて「oh!バイトくん」でデビュー。 1975年(昭和50年)には、大学時代の仲間の峯正澄、レオナルド・いもらと「チャンネルゼロ工房」を結成し、同人誌「チャンネルゼロ」を刊行する。同年3月、5年かかって関西大学社会学部を卒業、漫画家となる道を選ぶ。「チャンネルゼロ工房」で発行した自費出版単行本『Oh!バイトくん』が評判となり、1977年(昭和52年)にプレイガイドジャーナル社から初の単行本『バイトくん』が発売。その後、高信太郎の紹介で三流劇画誌『漫画大快楽』(檸檬社)1978年7月号に掲載した「おじゃ漫むし」で商業誌デビューする。また『漫画アクション』(双葉社)に連載していた「くるくるパーティー」からのセレクト版として、1979年(昭和54年)に代表作で、当時プロ野球選手だった田淵幸一をモデルとした『がんばれ!!タブチくん!!』が刊行され、アニメ映画化された。 いしいひさいち作品のヒットによりチャンネルゼロは1980年から1981年にかけて季刊漫画誌の『漫金超』(まんがゴールデンスーパーデラックス)を刊行。本誌は強い個性を持つ既成作家や同人作家を集めて紙面を構成されており、ニューウェーブ漫画家を多数起用した。 1980年(昭和55年)には、いしいの初期の多数の4コマ漫画作品が原作の『おじゃまんが山田くん』がテレビアニメ化。1981年(昭和56年)にはアニメ映画化もされ、1984年(昭和59年)には『元祖おじゃまんが山田くん』として実写ドラマ化もされた。 1999年(平成11年)には朝日新聞朝刊に掲載されている『となりのやまだ君』が『ホーホケキョ となりの山田くん』としてスタジオジブリで映画化。 1985年(昭和60年)、文藝春秋漫画賞を受賞。2003年(平成15年)、『現代思想の遭難者たち』(講談社)、『ののちゃん』(朝日新聞朝刊連載)など一連の作品に対して、第7回手塚治虫文化賞 短編賞を受賞。第32回(2003年(平成15年)度)日本漫画家協会賞大賞を受賞。2006年(平成18年)、菊池寛賞を受賞。 2009年(平成21年)11月21日より病気療養に入り、全ての連載が休載となった。その後体調が回復したため、2010年(平成22年)3月1日より朝日新聞の連載を再開させるなど、一部の仕事について復帰した。それ以後、連載は『ののちゃん』のみとなっていたが、2020年(令和2年)6月より『小説新潮』にて新連載『剽窃新潮』を開始した。 2022年(令和4年)8月、公式サイトや『ののちゃん』内で掲載していた「吉川ロカ」というキャラクターのエピソードをまとめた単行本『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』を刊行。自費出版ながら同年の「このマンガを読め!」で1位となり、各メディアでも好意的に取り上げられるなど話題作となった。 人物 顔出し・解説を嫌う 極端なマスコミ嫌い・人嫌いで、顔写真が公開されたのは『週刊明星』1979年9/30・10/7合併号と、文藝春秋漫画賞を受賞した1985年(昭和60年)に『夕刊フジ』(同年5月30日付)・『週刊文春』6月6日号に三度だけ露出したのみ。『となりの山田くん』映画化時は記者会見に出ないということが映画化を許諾する際の条件だったため代わりに『ホットケヨとりなしの山田くん 山田くんガイドブック』という小冊子を配った。漫画賞を受賞しても授賞式にも登場することはなく、代理人が出席している。サイン会も1985年(昭和60年)、『鏡の国の戦争』刊行時に2度おこなっただけである。 また、漫画家とのつきあいも少なく、漫画家になってから実際に会ったことのある漫画家は大友克洋・西村宗・高橋春男の3人だけであると記している。 デビューからしばらくの間は、自宅の電話機を常に冷蔵庫の中に入れていたという逸話もある。マスコミにほとんど露出しないため、奇人・偏屈イメージがあるが、実像は社交家でこそないものの、穏やかな物腰で人と接することのできる普通の人物である。寡黙ではあり、大友克洋は、大阪のチャンネルゼロまで赴いて面会した折に本人より周囲のチャンネルゼロの人間とばかり会話したような気がすると証言している。 かつては、自身の単行本に「解説」をつけられるのを嫌っており、デビュー単行本『バイトくん』(村上知彦と高信太郎が解説)以外には、解説がなかった。だが、近年刊行されている「ひさいち文庫」には解説がつけられるようになり、各界のいしいファンが寄稿している。 引越し 『がんばれ!!タブチくん!!』がヒットしていた頃、「いしい作品のモデルになった者は、皆不幸になる」という話が、学生時代を中心とした作者の交友関係者の周辺で、まことしやかに語られたこともあった。人前に出ないのは皮肉の対象人物からの報復を恐れているからだとする噂もあり、実際単行本の作者紹介欄には、「敵が多く、引越しを繰り返している」と書かれているものがある。ただし、モデルになった田淵幸一は大らかな性格で、『タブチくん!!』の愛読者だったと伝えられている。なお、いしい本人の『タブチくん!!』に対しての意識は、2003年(平成15年)のタイガースの優勝に際し「アンチ阪神を続けるあまりファンかアンチかわからなくなってきた」というコメントを寄せている。 漫画家デビュー以来現在までに大阪府大阪市東淀川区(既述)、兵庫県神戸市東灘区渦森台、神奈川県鎌倉市などに在住。自分で本を購入する習慣がなく、引越しをする際の条件に「図書館が近所にあるか」を盛り込むほどの「図書館ヘビーユーザー」を自称している。 音楽 ヴィジュアル系ロックバンドcali≠gariが好きと自身のコラムで語っており、『ののちゃん』第2492回でものぼるが「君が咲く山」を聴いて“壊れる”場面がある。他にGARNET CROWなども挙げる。「ののちゃん」連載内連載「ROCA」で主題となっているファドは、自身の音楽的嗜好である。 漫画 2012年(平成24年)に出版された書籍に収録した自筆の文章によれば、これまで出会った漫画作品のベスト3に安部慎一の『無頼の面影』、鈴木翁二の『夢は方南に在り』、楠勝平の『てっぺんかけたか』を挙げており、すべて『ガロ』の作家となっている(生涯ベスト単行本には楠勝平の『おせん』をあげている)。また現役の4コマ漫画では植田まさしの『コボちゃん』と、小坂俊史の作品に注目しているという。 古本の売買については、自作品に自身のキャラクターを登場させ「いろんな人によんでもらえる方が、まんが家としてはすてられるよりは良いですが」と語らせている。 親族 妻はヤクルト本社のノンキャリアOLであった女性で、1985年(昭和60年)に結婚。作中において自身の妻は「ののちゃん」の猫久保さんに似ているキャラクターで描かれる。 作品の特徴 幅広いテーマ 実在の政治家を始めとする人物、流行、事象、組織社会、地域社会、家族、地域差、生活習慣などの幅広いジャンルを読者が持つ多様な共通理解と巧みに掛け合わせて風刺し、シニカルに笑わせる作品が多い。同時に「何でも噛み付く」とまでいわれるほどあらゆる事象に対し批判精神を忘れない。 ビル・クリントンは「ビル・フリチントン」と書かれ、高橋由伸の顔はへのへのもへじとして描かれる。また、石原伸晃の顔はひょっとことして描かれる。 政治風刺漫画では、志位和夫が一度登場している。 観察眼 実在する人物を描く際、わかりやすい特徴をとらえて前面に押し出す。例として宮澤喜一が挙げられる。いしいは宮澤を、背もたれに腕を乗せて体を斜めにして座った姿で描くが、これは宮澤自身の癖がそのまま出ている。 言葉遣い いしいの作品は台詞もすべて描き文字となっているが、「やむを得ない」を「やもうえない」と表現する、「しつこい」を「ひつこい」と表記するという特徴がある。 4コマへのこだわり 「いしいひさいちの登場以前、4コマ漫画は『起承転結』が基本であったが、いしいは自作でその既成概念を破壊した」という評論に対し、いしいは自著で「誤解です」と答えている。いしいによれば、そもそも4コマ漫画に起承転結というセオリーはなく、あるとすれば観念的な読者の認識のフレームではないかとしている。同様の理由で、いわゆる萌え4コマ(日常系4コマ)を「オチが弱い」という理由で批判するのはおかしいと指摘している。 実在人のパロディ いしいが実在の人物をもとに創作した「タブチくん」などのキャラクターは、しばしばモデルとなった人物の枠を越えて自律し、モデルの人物とは直接関係のないキャラクターとして他の作品に登場するスターシステムとして使われている。 広岡達朗を例にあげると、「わたしはネコである」ではバイトくんのキャラクターの何人かとともに、安田猛を編集者とする高慢な作家「広岡達三」として、時代劇ものでは「大山田藩(10万石)の筆頭家老、広岡刑部」として登場し、江戸屋敷の家老である野村(野村克也)とは勢力争いを展開している。 また読売新聞主筆渡邊恒雄は、町内会長ナベツネツネオ(その実体は超人ワンマンマン)として「ののちゃん」に登場し、読売トップが朝日連載マンガの準レギュラー化するという事態に至った。この渡邊、広岡以外にも中曽根康弘、金正日など当初は悪意をこめて描かれていた人間が長期化するうちに不思議な愛嬌をおびてくるという現象も顕著である。 また、ののちゃんの同級生の少年探偵ミヤベくん(推理作家の宮部みゆきがモデル)のように、似顔絵キャラクター(この場合だと女流推理作家役など)を経ずに起用することもある。ただし、ミヤベくんは後から別の作品で(まったく同じ顔で)女流作家役としても起用された。 さらに著名人に留まらず、ヤクルトスワローズ私設応援団長をしていた岡田正泰まで登場させている。 スター・システム 別の作品に同一キャラクターを登場させることが多い。前述の実在人の他、キクチくん、三宅さん、クボくん、スズキくん、藤原センセ、猫久保さん(広岡の家政婦など)など多数の例がある。自身をモデルにしたキャラクターを作品に登場させる場合は、「バイトくん」の主人公であるキクチくんの絵柄でほぼ一貫している。東日本大震災の前は、いしい被災地というネーミングで登場したことも多かった。 難解 また、作品には意味の分からない・分かりにくいオチの作品も多いが、筆者であるいしい自身も下書きや作品を何度読んでも意味が分からない作品も多数あるらしい。『となりのやまだ君』では『となりのののちゃん』(東京創元社)巻末にて自身も意味の分からなくなった一作品のオチの意味を読者に尋ねたり、『ののちゃん』の一作品では公式ホームページ上で自ら解説を行ったこともある。また単行本を出す際には、作者本人が作品を厳選、時に訂正や加筆を行っていることがひさいち文庫内において明らかにされている。ただし、徳間書店の単行本『山田くん全集』と『ののちゃん全集』においては、作品セレクトをやめて連載完全収録に踏み切り、長年の友人である村上知彦に心境の変化を指摘された。 作品リスト 漫画 バイトくん がんばれ!!タブチくん!! 『おじゃまんが』奇想天外社、1979年 鏡の国の戦争 『いしいひさいちの経済外論』朝日新聞社共著 朝日新聞社、1987年 - 1991年 『スクラップスチック』少年画報社、1990年 なんのマネカネ(週刊ポスト、1990年4月-1991年7月連載) わたしはネコである 『いしいひさいちの英語で覚えるニッポン入門 経済外論編』ケリー伊藤英訳 SSコミュニケーションズ 1992年 元祖おじゃまんが山田くん 『いしいひさいちの問題外論』チャンネルゼロ、1992-99年 ワイはアサシオや 『コミカル・ヒストリー・ツアー』週刊朝日百科 世界の歴史 『コミカル・ミステリー・ツアー 赤禿連盟』創元推理文庫、1992-98年 『いしいひさいちの大政界』チャンネルゼロ、1993-94年 『忍者無芸帖』文春文庫、1993年 パッパラ天国(小学四年生、1994年3月号-8月号連載) 4年B組ヤンパチ先生(小学四年生、1996年4月号-8月号連載) いしいひさいちのCNN 『わたしはネコである殺人事件』講談社、1996年 『ノンキャリウーマン』 ドタバタぱぁティー まかまか漫マン ゴキブリ新聞 地底人 困ったもんだ(夕刊フジ) 『大問題』創元ライブラリ 95年から毎年刊行、峯正澄文 DOUGHNUTS BOOKS 踊る大政界 ののちゃん(旧・となりのやまだ君) 『女(わたし)には向かない職業』東京創元社、1997年 のち文庫(タイトルはP・D・ジェイムズの同名小説をひねったもの) 『新忍者無芸帖』文藝春秋、1998年 『となりのののちゃん』東京創元社、2001年 『ほんの一冊』朝日新聞社、1999年 『ほんの本棚』創元ライブラリ、2001年 B型平次捕物帳 『現代思想の遭難者たち』講談社、2002年 『文豪春秋』創元ライブラリ、2002年 『眼前の敵』河出書房新社、2003年 『フン!』徳間書店スタジオジブリ、2004年 『大阪100円生活バイトくん通信』講談社、2005年 スコン!(夕刊フジ) 『チャンチャンバラエティ 武士は死んでもなおらない』講談社、2009年 いしい商店紀尾井町店(週刊文春連載) 剽窃新潮(小説新潮、2020年7月号- 連載中) 『ROCA 吉川ロカストーリーライブ』2022年、自費出版 文章 大阪呑気大事典(大阪オールスターズ編)(JICC出版局) 本文ならびに挿絵を執筆。 その他 アメリカ映画『』(1978年、ショーン・S・カニンガム監督) - 日本公開時のポスターのイラスト(担当)制作。 『さらば国分寺書店のオババ』 (1979年、情報センター出版局、著作:椎名誠) - 本文挿絵。 『クラッシャージョウ』(1983年、松竹富士系)※劇場版アニメ映画 - スペシャル・デザイン(最低人)。 『大阪学』(新潮文庫、著作:大谷晃一) - カバーイラスト。 『名古屋学』 (新潮文庫、著作:岩中祥史) - カバーイラスト。 脚注 参考文献 『文藝別冊 [総特集]いしいひさいち』(河出書房新社、2012年) 外部リンク (笑)いしい商店 公式サイト (長く休んでいたが2012年(平成24年)3月に新しいサイトで再開) いしいひさいちFC仲野荘 (かつてファンクラブを主宰した眠田直による資料サイト) 日本の漫画家 新聞連載の漫画家 菊池寛賞受賞者 関西大学出身の人物 岡山県出身の人物 1951年生 存命人物
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石垣ゆうき
石垣 ゆうき(いしがき ゆうき、1965年11月26日 - )は、日本の漫画家。 本名、石垣 雄規。三重県四日市市出身。大阪芸術大学出身。 趣味はフルスクラッチビルドのフィギュア造り。猫を飼っている。 一般には、『週刊少年マガジン』に1990年から1999年まで不定期連載された『MMR マガジンミステリー調査班』の作画担当として有名。すっきりした絵柄ながら写実的な画も描き、ギャンブル、オカルト、探偵物など幅広い分野の作品を手がける。 代表作には先述の『MMR』の他、文庫版も発売されたギャンブル漫画『100万$キッド』などがある。 2014年時点、携帯電話は所持していない。父方の家系が年を取ると禿げやすくなる傾向にあり、その頃に敢えて坊主頭にしたが、母方の家系が禿げない血筋であることを知らず、自身は禿げるどころか生えていると語っている。 2014年時点では老眼が進行したためにデジタル作画へと移行。しかし、長時間画面を見て原稿を作成しているため、目を痛めやすい体質であることから、時折目薬を差している。 経歴 1985年、『月刊少年マガジン』5月号にて読切漫画「100万$キッド」でデビュー。 その後、1986年41号から1988年19号にかけて『週刊少年マガジン』にて「100万$キッド」(原案協力:宮崎まさる)を連載。 1988年、『週刊少年マガジン』40号にて「あいつはアインシュタイン」(原作:宮崎まさる)の読切を掲載。 1989年、同誌の5号から23号にかけて「あいつはアインシュタイン」(原作:宮崎まさる)を短期連載。 1990年から1999年まで、『週刊少年マガジン』にて代表作「MMR マガジンミステリー調査班」を不定期連載。 1996年から1997年まで、『マガジンSPECIAL』にて「スクープハンター多聞」を不定期連載。全4話。 2003年6月号から2006年3月号まで、『コミックボンボン』にて「マジシャン探偵A」を連載。 2008年、『週刊少年マガジン』21・22号、23号にてMMRの新たな読切(前後編)を掲載。メンバーは一新されている。 作品一覧 漫画 100万$キッド(1985、月刊少年マガジン)※読切、デビュー作 100万$キッド(原案協力:宮崎まさる)(1986-1988、週刊少年マガジン、全9巻、KCデラックス版全7巻、文庫版全5巻) あいつはアインシュタイン(原作:宮崎まさる)(1989、週刊少年マガジン、全3巻) コシヒカリ劇場(1989、週刊少年マガジン)※読切 くるぶしくん(1990、週刊少年マガジン)※読切 MMR マガジンミステリー調査班(1990-1999、2008、2012-2015、週刊少年マガジンならびにプロジェクト・アマテラス、全13巻の後に続刊2巻)※不定期掲載 怨声『もっと苦しめ…』(マガジンSPECIAL 1994年4号)※読切。MMR マガジンミステリー調査班第5巻収録。 スクープハンター多聞(1997、マガジンSPECIAL、全1巻) マジシャン探偵A(2003-2006、コミックボンボン、全8巻) 三国志大戦 2005年『No.155 R李典』、2010年『魏082 R楽進』 講談社 学習まんが 日本の歴史(10) 戦国大名の争い(2020年) ドラマ MMR未確認飛行物体(1996年4月-9月)※原案者としてクレジット 出典 外部リンク 日本の漫画家 大阪芸術大学出身の人物 三重県出身の人物 1965年生 存命人物
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石川サブロウ
石川 サブロウ(いしかわ サブロウ、- )は、日本の漫画家。北海道岩内郡岩内町出身。 略歴 1974年、『立ち読み厳禁』が第7回手塚賞で佳作となり、同作品でデビュー(『週刊少年ジャンプ』)。 以後、『警察犬物語』『北の土龍』『蒼き炎』などの作品を次々に発表し、骨太な中にも暖かみのある作風で多くの読者の支持を集める。 作品リスト 連載作品 友だち学園(1974年/週刊少年ジャンプ掲載) 警察犬物語(1978年-1979年/原作:三木孝祐/週刊少年ジャンプ掲載) はっちゃき先生(1980年/週刊ヤングジャンプ掲載) 北の土竜(1981年-1985年/週刊ヤングジャンプ掲載) オレの瞬間(1986年-1987年、1988年、1989年/週刊ヤングジャンプ増刊号掲載) 風が舞う(1987年/ビジネスジャンプ掲載) なにくそ一歩(1988年/週刊少年サンデー掲載) あした翔ける!(1988年-1989年/原作:布施博一/スーパージャンプ掲載) 蒼き炎(1989年-1994年/週刊ヤングジャンプ/ヤングジャンプサーティー/ヤングジャンプDX掲載) へのカッパ(1994年/ビッグコミックオリジナル掲載) 母の曠野(1995年/原案:江沢光/脚本:久保田千太郎/ビッグコミック掲載) 天より高く(1995年-1997年/原作:半村良/コミックトム掲載) 煩悩三昧(1997年-1998年/ビッグコミックオリジナル増刊号掲載) 本日も休診 (1995年-1999年/原案:見川鯛山/ビッグコミック/ビッグコミック増刊号掲載) ファイター伝説 金と銀(1998年-1999年/原作:やまさき十三/ビッグコミックスペリオール掲載) 海峡ものがたり(1999年-2001年/原作:ジョー指月/MANGAオールマン掲載) ゆきのいろ(2001年-2003年/スーパージャンプ/オースーパージャンプ掲載) 還暦ルーキー・逃げたらあかん(2002年/原作:平山譲/ビジネスジャンプ掲載) 月と日と(2003年/原案協力・監修:明鹿人丸/スーパージャンプ掲載) ひょぼくれ文左〜鸚鵡籠中記より〜(2004年-2007年/原作:土岐正造/コミック乱掲載) ベスポジ(2004年/原作:中原まこと/コミックBG掲載) 彩の四季(2004年-2005年/原作:青内彰生/週刊漫画TIMES掲載) がばい -佐賀のがばいばあちゃん-(2005年-2010年/原作:島田洋七/ビジネスジャンプ掲載) オシムの言葉 マンガ編(2006年/原作:木村元彦/Sportiva掲載) 神様のカルテ(2010年-2011年/原作:夏川草介/ビッグコミック掲載) どらコーボク(2011年-2012年/原作:小路谷純平/ビッグコミック掲載) 本日は休診(2012年-2013年/漫画サンデー掲載) ゆいっこ(2014年-2018年/家の光掲載) 読み切り作品 立ち読み厳禁(1974年/週刊少年ジャンプ掲載) 漫画エレジー(1974年/少年ジャンプ増刊号掲載) ふたりぼっち(1975年/週刊少年ジャンプ掲載) 北の土龍(1981年/週刊ヤングジャンプ掲載) 天と大地と(1986年/週刊ヤングジャンプ増刊号掲載) 遠い路(1986年/週刊ヤングジャンプ掲載) ポチの伝説(1987年/週刊ヤングジャンプ掲載) WANTED(1989年/ビッグコミック掲載) RUNNER(1989年/週刊少年サンデー掲載) 夢の礎 横浜ベイブリッジストーリー(1991年/脚本:浅野崇/週刊ヤングジャンプ増刊ワーキング・デビュー掲載) コートのブタ(1994年/ベアーズクラブ掲載) 鉄心の弟子(1994年/ヤングジャンプDX掲載) 鬼平(1998年/スーパージャンプ掲載) たまごっち物語(1998年/原作:源内薫/週刊ヤングジャンプ掲載) 龍馬の手紙(2010年/BJ魂掲載) 友よ!龍馬よ!(2010年/BJ魂掲載) いしころりん(2011年/ビッグコミック増刊号掲載) 通訳フジヤマ(2012年/原作:香川まさひと/ビッグコミック増刊号掲載) 通訳フジヤマ(ビッグコミック本誌版)(2013年/原作:香川まさひと/ビッグコミック掲載) アシスタント 本庄敬 金平守人 注釈 外部リンク ぽけまん 作者プロフィール 日本の漫画家 北海道出身の人物 1953年生 存命人物
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石川優吾
石川 優吾(いしかわ ゆうご、1960年2月9日 - )は、日本の漫画家。大阪府四條畷市出身。 概要 農家の次男として生まれる。高校卒業後にいったん大学に入学するが、パチンコに明け暮れて、1年で中退。大学にはトランポリン(体育の授業)だけ参加した。 大学中退後、大阪デザイナー学院に入学する。デザイン会社に就職するも半年ほどで辞め、以前からの夢であった漫画を志す。新人賞に出し、うまく賞に引っかかったことがきっかけで漫画家になることができた。1982年、22歳の時に「革命ルート163」(『週刊ヤングジャンプ』新人増刊号)でデビュー。 特徴 作品には大阪弁を話すキャラがよく登場し、また大阪が舞台となっているものも多い。 石川優吾という名はペンネーム。由来は、歌手の石川優子のファンであることから。 SMAPの木村拓哉と同身長であることを、自身のtwitterにて明かしている。また、アシスタントは女性のみ採用するとも発言している(職場の人間関係が円滑になりやすいためとのこと)。 猫を飼っている。アメリカンショートヘアで、名前はミーくん。時折twitterに画像をupしている。 作品リスト 春ウララ(『週刊ヤングジャンプ』1984年 - 1986年、全7巻) 童乩〈タンキー〉(原作:荒井涼助、『ビジネスジャンプ』1990年 - 1992年) キーパー(『ビジネスジャンプ』1992年 - 1993年、全1巻) お礼は見てのお帰り(『ビッグコミックスペリオール』1994年 - 1998年、全10巻) - KTV・CX系にてドラマ化 よいこ(『ビッグコミックスピリッツ』1998年 - 2001年、全15巻) - TBS系にてアニメ化 ソーダむらの村長さん(『ビッグコミックスペリオール』1999年 - 2001年、全2巻) どりる(『週刊少年サンデー』2001年 - 2002年、全4巻) 格闘美神 武龍(『週刊ヤングサンデー』2002年 - 2007年、全18巻) - TX系にてアニメ化 カッパの飼い方(『週刊ヤングジャンプ』2003年 - 2010年、全15巻) - アニマックスにてアニメ化 子泣きじじいの飼い方(『月刊ヤングジャンプ』2008年 - 2010年、全2巻) スプライト(『ビッグコミックスペリオール』2009年 - 2015年、全15巻) ほっとDog(『オースーパージャンプ』2010年、全1巻) イヌナキ(『ジャンプ改』2011年 - 2013年、不定期連載、全2巻) ワンダーランド(『ビッグコミックスペリオール』2015年 - 2017年、全6巻) 今日からゾンビ!(原作担当、作画:荒木宰、『ビッグコミックスペリオール』2016年 - 2017年、全2巻) BABEL(『ビッグコミックスペリオール』2017年 - 2021年、全10巻) ぬりかべ(『ビッグコミックスペリオール』2022年13号) - 読み切り 湖底のひまわり(『ビッグコミック』2022年18号 - 、既刊2巻) 脚注 外部リンク 公式サイト 日本の漫画家 大阪府出身の人物 1960年生 存命人物
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石坂啓
石坂 啓(いしざか けい、1956年3月28日 - )は、日本の漫画家、作家。女性。雑誌『週刊金曜日』編集委員(547号(2005年3月4日号)〜1226号(2019年3月29日号))や、ピースボート水先案内人を務めるほか、テレビコメンテーターとしても出演している。愛知県名古屋市出身。 既婚で一児の母。本名、立川啓子。旧姓、福田。堀田あきおと1983年に結婚するが、数年で離婚した。現在の夫は、『コージ苑』(相原コージ)にも登場する担当編集者の立川義剛であり二人の間に一人息子がいる。 来歴 愛知県名古屋市生まれ。父親は日本人、母親は華僑であるため、日中ハーフである。1976年、父の経営する会社が倒産。名古屋芸術大学卒業。 1978年に上京、手塚プロダクションにて手塚治虫のアシスタントを1年ほどつとめる。同期に高見まこ、わたべ淳、堀田あきおらがいた。『ブラック・ジャック』の作画などを担当した。 デビュー作は第2回マンガ少年新人賞佳作入選の『とろりんなんぼく』(1979年)。青年漫画作品を中心に執筆し、『ビッグコミックスピリッツ』で連載した『キスより簡単』はテレビドラマ化・映画化もされた。 1987年〜1988年にはTBSラジオの深夜放送『石坂啓のスーパーギャング』のパーソナリティをつとめるなど多彩な活動を行っていたが、出産を機に漫画家を休業し、以降はエッセイストやコメンテーターとしての活動が主となる。第3回文化庁メディア芸術祭大賞を受賞。 人物・発言 2005年時点で14歳の息子も日本国籍である。しかし、彼が成人となる前には「平和憲法」が憲法改正されて自衛隊から「正規の軍隊」になるだろうとし、イタリア人と結婚した妹夫婦に一家で養子縁組し、「子供を守る」ために日本から逃げると述べている。 『週刊金曜日』の編集委員や『マガジン9条』発起人、「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人などを務める。 基本的に権威に当たるものが大嫌いで、息子が「小学校で体罰を受けた」と聞くと、早速学校に乗り込んでその疑惑の教師を糾弾した。そのためにモンスターペアレント扱いされたこともある。仕事柄、時間に融通がきいたので、息子の登下校にはほぼ毎日、付き添っていた。 選択的夫婦別姓制度実現をめざす民法改正運動を行っているmネットの呼びかけ人でもある。 いちばんの好物は、焼きそば。 松下玲子を支持し、武蔵野市長選挙応援に駆けつけている。 安倍晋三元首相暗殺事件の犯人を称賛しており、足立正生監督作品の「REVOLUTION+1」上映後のトークイベントにて、事件に関して夫である編集者の立川義剛と共に「でかした」と声を上げたことや実行犯を「(容疑者名)様」と呼んでいることを語った(詳細は政治活動の項目で後述)。 論評・活動等 戦争や北朝鮮に関する活動 1990年の湾岸戦争時には都内の寺で抗議のパフォーマンスとしてハンガーストライキ(白米とパンと肉を抜いた食生活)を行った。 2003年6月8日、小田実・姜尚中・和田春樹らと「東北アジアの平和を求める日韓市民共同声明」を発表し、「日本政府は、核危機の克服のためにも、また、日本の植民地支配の清算と拉致問題の解決のためにも、北朝鮮政府との中断した国交交渉をただちに、無条件で再開しなければなりません」と訴えた。 政治的活動 2006年9月、加藤紘一宅放火事件に対し、「民主主義にとってテロは敵だ。言論封じのあらゆるテロを許さない」と非難する共同宣言を上原公子らと共に発表した。しかし、一方では前述および後述のように安倍晋三銃撃事件の容疑者を礼賛している。 2009年10月、フリーター全般労働組合などが主催した「リアリティツアー 62億ってどんなんだよ。麻生首相のお宅拝見」で、無許可デモ及び公務執行妨害の容疑で3人が逮捕されると、これを不法逮捕とする糾弾運動に上原公子らと参加した。 政治家の辻元清美とは個人的にも親交が深く、お互いの著書に推薦文や後書きを寄せあったりしている。辻元の秘書給与詐欺事件に際しては灰谷健次郎と共に、「裁判を支える会」の呼びかけ人を務めた。 狛江市の市長選挙では河西信美、2007年東京都知事選では、浅野史郎を応援する組織「アサノと勝とう!女性勝手連」の呼びかけ人となるなどの活動をしたが、両名とも落選している。 2017年には寺脇研と共に、武蔵野市長選挙に出馬した松下玲子の応援に行っている。松下の街宣中には「ブレません!」との支持パネルを掲げた。 2022年の安倍晋三銃撃事件を容疑者の視点から描いた映画であるREVOLUTION+1(連合赤軍に自ら所属していた足立正生が監督)の上映後トークイベントに参加し、マイクを向けられた際、「(事件を)知ったときは思わずでかした! と叫びました」「夫(小学館の編集者であり、取締役である立川義剛)は容疑者を(容疑者名)様と呼んでいます」と発言し、但馬オサムによって「唖然となるようなことを嬉々として口にしていた」と報じられた。 国立メディア芸術総合センターについて 日本漫画家協会会長のやなせたかしや里中満智子が「劣化が進む貴重なマンガ原画を保存・修復する拠点」として政府に働きかけていた国立メディア芸術総合センターについて、「国費で額縁に原画を飾っても、ありがたがって見に来るマンガ好きはいない。恥ずかしいから私の作品は並べないで」「大家の先生方はマンガが不遇だった時代の人が多いから、国が歩み寄ってくるとうれしく思う人がいるだろう。しかし、お上にほめられて喜ぶ漫画家はいない。むしろ、お上をちゃかすのがマンガの精神。」と批判した。民主党が開催した2009年度補正予算案を検証する勉強会では「世界の若者に我が国のメディア芸術の魅力を発信する拠点となる」と説明する文化庁職員に対して、「お上に『よろしい』と言われて喜ぶより、そういうものをちゃかしたり風刺した作品を見せるのがマンガの精神」と述べ、「漫画家の仲間で好意的な反応をした人はいない」「ものすごくつまらないものになる」と計画の撤廃を訴えた。 その他の活動 楠瀬誠志郎らと共に「さくらちゃんを救う会」の呼びかけ人を務めた。 テレビ朝日放送番組審議会副委員長を務めている。 漫画作品リスト 下北なぁなぁイズム 朝日ソノラマ 1980 茶番劇 朝日ソノラマ 1981 エルフ 朝日ソノラマ 1982 マンチャラ小日向くん 小学館 1983-84 安穏族 集英社漫画文庫 1984 キスより簡単 小学館 1986-87 - 1987年にフジテレビ系でテレビドラマ化。1989年と1991年(タイトル『キスより簡単2 漂流編』)に映画化。 ハートパートナー 双葉社 1987 - 1987年にテレビ朝日「気ままな女シリーズ」の枠で『私のハートパートナー』のタイトルで前後編の2回に分けてドラマ化された。 夢みるトマト 小学館 1988―89 キャリング 堀田あきお共著 小学館 1988―89 アレルギー戦士 小学館 1988 マネームーン 小学館 1990―91 ムスコン 小学館 1990 パパイラズ Men's子育て記 堀田あきお共著 小学館 1990.4 正しい戦争―石坂啓反戦マンガ傑作集 集英社 1991 私はカラス 小学館 1992 ハルコロ 1,2(潮出版社1992,1993) ISBN 978-4267902420, ISBN 978-4267902482 (岩波現代文庫、2021)ISBN9784006023386、ISBN9784006023393- 本多勝一の『アイヌ民族』(朝日新聞社,1992)に登場する「15世紀前半を舞台とする架空のアイヌ女性の生涯」をコミック化。 新友録 集英社 1993 さよなら家族 イースト・プレス 1994.6 アイ'ム ホーム 小学館 1999 - 第3回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞。2004年にNHK夜の連続ドラマで『アイ'ム ホーム 遥かなる家路』のタイトルで、2015年にテレビ朝日系で『アイムホーム』のタイトルでそれぞれテレビドラマ化。 俺になりたい男 小学館 2000.7 セカンドベスト 小学館 2002.1 ひみつの箱 堀田あきお共著 小学館、2006 悪(絵本)大月書店 2009.9 竜宮家族 小学館 2015.3 ねこミンミ - 『小学一年生』で連載していた。 ピョンタくんの楽しい戦争 - 編集委員をつとめた『週刊金曜日』誌上で月イチ連載。伏字シーンを登場させて不自由な世の中を表現しているのが特徴。 イラスト提供作品 ボーイフレンドはエッチなゆうれい(山中恒 作)偕成社 1986 背後霊倶楽部(山中恒 作)旺文社 1988 背後霊仕掛人(山中恒 作)旺文社 1990 背後霊内申書(山中恒 作)旺文社 1991 あわてんぼ!めたねこムーニャン(山中恒 作)小学館 1991 くいしんぼ!めたねこムーニャン(山中恒 作)小学館 1991 大変身!めたねこムーニャン(山中恒 作)小学館 1992 福引きはネコの手をかりて(山中恒 作)理論社 1994 あつがりネコ海へいく(山中恒 作)理論社 1994 いじわるネコのひとめぼれ(山中恒 作)理論社 1994 いすわりネコはくいしんぼ(山中恒 作)理論社 1994 おばぺのヒュータン(山中恒 作)小学館 1996 随筆単行本リスト 『男嫌い』第三書館 1991 のち新潮文庫 『家ねこ外ねこみんなのねこ』小学館 1993 『赤ちゃんが来た』朝日新聞社 1993 のち文庫- 1994年にNHKドラマ新銀河でテレビドラマ化。 『私は恥ずかしい』文春ネスコ、1994 『こんなのはじめて』ネスコ 1995 『お金の思い出』新潮社 1996 のち文庫 『コドモ界の人』朝日新聞社、1996 のち文庫 上記の「赤ちゃんが来た」の続編的エッセイ。 『ちょっとコハレタひと』読売新聞社 1998 『学校に行かなければ死なずにすんだ子ども』幻冬舎、2001 のち文庫 共著 『尾木ママと考える大震災後を生きる希望のヒント』尾木直樹共著 金曜日 2012 出演 テレビ スーパーモーニング(東京・テレビ朝日(全国ネット))臨時コメンテーター ※ かつては火曜のレギュラー ムーブ!(大阪・朝日放送(ABCテレビ))水曜レギュラー(2007.12.12現在終了) ラジオ 石坂啓のスーパーギャング(TBSラジオ)- 1987年4月10日〜1988年4月8日 金曜深夜パーソナリティ 関連作品 ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜(2009年、秋田書店) - アシスタント時代の石坂が登場。 ブラック・ジャックREAL~感動の医療体験談~(2013年、秋田書店) - 実話を元にしたストーリーに、手塚治虫のアシスタント経験者らが絵を描いた作品集。石坂も1編を担当。 関連項目 日本の漫画家 脚注 外部リンク Mainichi INTERACTIVE カモミール: 社会に一石を投じる作品を【写真·文: 細田尚子】 週刊金曜日 政治漫画 20世紀日本の女性著作家 21世紀日本の女性著作家 日本の女性評論家 日本のフェミニスト フェミニストアーティスト 日本のラジオパーソナリティ 人いしさかけい 九条の会の人物 名古屋芸術大学出身の人物 名古屋市出身の人物 1956年生 存命人物
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石渡治
石渡 治(いしわた おさむ、1959年5月16日 - )は、日本の漫画家。男性。神奈川県出身。妻は漫画家の高梨くみ。漫画家のよしもとよしともは実弟である。 『B・B』で第34回(昭和63年度)小学館漫画賞を受賞した。 作品リスト 連載 タケル(『週刊少年サンデー増刊号』、全1巻) ラグタイムブルース(全6巻、ワイド版全3巻) スーパーライダー(『週刊少年サンデー』、全10巻) 石渡治傑作集(『少年ビッグコミック』、全1巻) 火の玉ボーイ(『週刊少年サンデー』、全14巻、ワイド版全7巻) B・B(『週刊少年サンデー』、全31巻、ワイド版全16巻、文庫版全17巻) ゴンベ(『漫画アクション』、全1巻) HAPPY MAN(原作:マキノノゾミ、『漫画アクション』、全9巻、ワイド版全4巻) 10月の満月に一番近い土曜日(全1巻) "LOVe"(『週刊少年サンデー』、全30巻) 風神(『週刊少年サンデー超』、単行本未収録) パスポート・ブルー(『週刊少年サンデー』、全12巻) II -ツヴァイ-(『週刊少年サンデー超』、全3巻) 白兵武者(『週刊ヤングサンデー』、全12巻) Odds -オッズ-(『週刊ヤングサンデー』2006年14号 - →『スピリッツ増刊 YSスペシャル』Vol.1、全10巻) Odds +1(『スピリッツ増刊 YSスペシャル』Vol.2 - Vol.5、全1巻) Odds GP!(『漫画アクション』2009年4号 - 2013年24号、全14巻) Odds VERSUS!(『漫画アクション』2014年2号 - 、既刊30巻) その他 デーモン小暮閣下の 悪夢へようこそ(1991年、カジマビジョン・自動車工業振興会) - アニメパートのキャラクターデザイン HUMANE SOCIETY 〜人類愛に満ちた社会〜(1992年、ソニー・ミュージックエンタテインメント、ムービック) - スーパーバイザー・キャラクター原案 ライブ・ア・ライブ (1994年、スクウェア) - 西部編のキャラクターデザイン 第35回読売新聞社杯全日本選抜競輪(豊橋競輪場) - ポスターデザイン 脚注 外部リンク 石渡治(@chaamuusan)- Twitter 日本の漫画家 神奈川県出身の人物 1959年生 存命人物
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板垣恵介
板垣 恵介(いたがき けいすけ、1957年4月4日 - )は、日本の漫画家、元陸上自衛隊第一空挺団所属。北海道釧路市出身。本名は板垣 博之(いたがき ひろゆき)。既婚者で三女の父親であり、三女は、同じく漫画家の板垣巴留。 来歴 少年時代から格闘家に対する憧れが強く、阿寒高校時代には少林寺拳法に励み、二段位を取得した。高校卒業後、一旦地元企業に就職するも間もなく退職、20歳のときに陸上自衛隊に入隊し、陸自屈指の精鋭部隊である第1空挺団に約5年間所属した。その間、アマチュアボクシングで国民体育大会に出場したこともある。この時に小銃など総重量30kgの荷物を背負いながら真夏の富士山麓を100キロ歩き続ける訓練を完遂し、「この訓練が人生で一番きつかった。これに比べればたいしたことはない」と人生の糧になったことを語っている。後に板垣の強い希望でこの訓練は自伝として漫画化された(後述)。 その後、B型肝炎を患って自衛隊を除隊し1年近い入院生活を送った後、職を転々としながらの生活を送っていた。1987年、格闘技と並ぶ少年時代からの趣味だったイラストの腕を生かし漫画家として身を立てようと、小池一夫主催の「劇画村塾」に入塾(東京第6期生)。小池原作の漫画『傷追い人』の主人公・茨城圭介と自身の妻・惠子の名前からペンネームを取って「板垣恵介」とし、1989年『メイキャッパー』でデビュー。1991年、『週刊少年チャンピオン』に『グラップラー刃牙』の連載を開始。その後シリーズ第2部『バキ』、第3部『範馬刃牙』、第4部『刃牙道』、第5部『バキ道』を経て、『週刊少年チャンピオン』2023年39号より第6部『刃牙らへん』を連載している。 作風 代表作である『グラップラー刃牙』シリーズや『餓狼伝』のような、格闘漫画の分野において高い人気を誇っている。 絵柄に関しては池上遼一、谷口ジロー、鳥山明の影響を受けていると語っている。また、女性の描き方はおおた慶文の影響が強いとのこと。 作画時にボディビルの雑誌を参考にしているため、筋肉を緻密にかつ誇張して描く傾向が強い。これについては「ボディビルダーがあれだけ肉体美を持ちながら鑑賞のみにとどまっているのがもったいなく、自身の漫画の中では願望として格闘家の肉体もボディビルダー的に描いている」という旨の発言をしている。また、板垣の作業机最下段の資料棚には、人体解剖学や医学の専門書が常備されているという。 キャラクターは手を肘より先、足は脛より先を長く描くことを意識している。そうすることにより動きが速そうに見え、立ってるだけでスピード感のある絵になるという。また、キャラクター同士が対峙し、にらみ合うなどの緊迫した場面で、背景が歪む描写は自分が初めて行ったと主張している。 まず原稿用紙のコマ割りを決めた後、コマを個別に切り離して一コマ単位で描き上げ、作業終了後それらを貼り合わせてページを作るという独特の手法で作品を制作している。これは、大勢のスタッフが手分けして作業できるよう編み出された工夫であるという。緊急時には一コマを複数に切り分けて作業分担する。 登場するサブキャラクターに多くの尺を割き、丁寧に(主に格闘技の試合などを)描写しているのも特徴である。これは自身が読んでいた作品が、主人公以外の闘いは大幅に省略されていることに不満を持ったのが発端で、「『あしたのジョー』で力石とカーロス・リベラが闘ったらどうなるのか?」といったものを表現したかったと語る。その影響で主人公が長い間登場しなかったり、狂言回し的な役割に徹することも少なくない。 ムエタイ、柔道といった一般的に「強い」といわれる格闘技の選手をかませ犬的に描写することが多い。これについて「強いとされている格闘技をあえて重要な斬られ役にすることで、キャラクターの強さを印象付けるため」と語っている。 多くの格闘家、武道家と親交があり、自身の作品の中にもそれらが原型となった登場人物が多数登場している。島田道男の項目も参照。 勢いに任せた作風に見えるが、勝敗などの部分はあらかじめ決めているとのこと。『グラップラー刃牙』の最大トーナメント編も、全試合の勝敗は決めていたが、「花山対克巳戦は、描いている途中で勝敗が変わりそうになった」と語っている。 時おり描写される極端な強さの表現などが、ギャグと捉えられることがある。板垣自身も「漫☆画太郎から同業者と呼ばれた」「ネットでは『刃牙は格闘技漫画の名を借りたギャグ漫画』と書かれている」と認めている。あまりに凄すぎる事柄に対しては「笑っちゃう様な」と言われる場合があるため、板垣自身もそうした表現を目指してるという。 週刊少年チャンピオン連載の『浦安鉄筋家族』では、刃牙のパロディキャラクターが登場したりと、刃牙のネタが多用されている。板垣は『あっぱれ!浦安鉄筋家族』2巻にて「浜岡賢次さんほど板垣恵介とバキシリーズを理解してくれている人はいない」とコメントしている。 現在は東京都府中市在住で、2014年に市制60周年を迎えた府中市のオリジナルナンバープレートのデザインに『刃牙道』が採用された。 作品リスト 連載作品 メイキャッパー 『ヤング・シュート』(1989年7月号 - 1991年3月号) 『コミック・シュート』(1991年4月号 - 1991年9月号) デビュー作。1989年7月号掲載分は読切。 グラップラー刃牙 - 『週刊少年チャンピオン』(1991年43号 - 1999年29号) グラップラー刃牙外伝 - 『週刊少年チャンピオン』(1999年30号 - 1999年42号) バキ - 『週刊少年チャンピオン』(1999年43号 - 2005年52号) バキ特別編 SAGA[性] - 『ヤングチャンピオン』(2002年12号 - 2002年15号) バキ外伝 疵面、作画:山内雪奈生 『チャンピオンRED』(2005年3月号 - 2007年12月号) 『週刊少年チャンピオン』(2009年7号 - 2009年15号) 『別冊少年チャンピオン』(2014年11月号 - ) バキ外伝 創面 - 『別冊少年チャンピオン』(2012年7月号 - )、作画:山内雪奈生 バキ外伝 拳刃 - 『チャンピオンRED』(2013年8月号 - )(原作・構成。原作協力:浦秀光、作画:宮谷拳豪) 範馬刃牙 - 『週刊少年チャンピオン』(2006年1号 - 2012年38号) ピクル - 『週刊少年チャンピオン』(2007年35号 - 2007年42号) 餓狼伝【未完】、原作:夢枕獏 『コミックバーズ』(1996年8月号 - 1999年5月号) 『ヤングマガジンアッパーズ』(1999年15号 - 2003年24号、2004年17号 - 2004年21号) 『イブニング』(2005年5号 - 2010年21号) 餓狼伝BOY - 『週刊少年マガジン』(2004年7号 - 2004年32号)、原作:夢枕獏 オルビム - 『チャンピオンRED』(2007年3月号 - 2007年7月号)(第2話まで監修。原作:かさはら倫尚、漫画:井上元伸) どげせん - 『週刊漫画ゴラク』(2010年11月19日号 - 2011年10月21日号)(企画、全面協力。作・画:RIN) 濁ジョータロー - 『プレイコミック』(2011年10月号 - )、作画:叶精作 謝男 シャーマン - 『週刊漫画ゴラク』(2011年12月30日号 - 不定期連載中) 刃牙道 - 『週刊少年チャンピオン』(2014年16号 - 2018年19号) バキ道 - 『週刊少年チャンピオン』(2018年45号 - 2023年29号) 刃牙らへん - 『週刊少年チャンピオン』(2023年39号 - 連載中) 読切作品 グラップラーアギトー ※デビュー前の習作。スタジオシップ版『メイキャッパー』3巻に収録。 化粧師-メイカー- - 『週刊少年チャンピオン』(1994年3+4号)※『グラップラー刃牙』13巻に収録 蹴人シュート - 『コミック格闘王』vol.1(1994年10月25日号)※ 闘人烈伝(編集:夢枕獏)に収録 マリア - 『ビッグコミックスピリッツ』(1996年25号) メイカー 『ヤングサンデー』(1997年1号、1997年2+3号)※ 秋田書店版『メイキャッパー』3巻に収録 『ヤングサンデー』(1997年35号、1997年36+37号) 『ヤングサンデー』(1998年38号) 習志野第一空挺団シリーズ 200000歩2夜3日 - 『ヤングチャンピオン』(1998年8号) 340メートル60秒 - 『ヤングチャンピオン』(1999年1号) 210日900m/m以上? - 『週刊少年チャンピオン』(2022年40号、41号) 70分600cc以上? - 『週刊少年チャンピオン』(2022年47号) メディア出演 テレビ 堂本剛の正直しんどい(新OP制作コラボ) 週刊少年「板垣恵介」( 2003年8月5日、フジテレビ721) 脳内ドキュメンタリー 考える人(2013年9月9日、NHK札幌放送局) さんまの転職DE天職2(2014年4月21日、日本テレビ) 漫道コバヤシ(2015年10月30日・11月16日、フジテレビONE) ナカイの窓(2016年10月19日、日本テレビ) 板垣恵介が行く!最強道場(2021年3月21日、BS-TBS) 川島・山内のマンガ沼(2021年9月25日・10月2日、読売テレビ(10月1日・7日、日本テレビ)) お笑いの日2021「お笑いミクスチャーフェス」(2021年10月2日、TBSテレビ) - バカリズムとコラボ ラジオ キャイ〜ンのおのれっ、この・・・傾奇者がぁ〜!!(2014年1月20日、TBSラジオ) webテレビ 宇宙一せまい授業!(2007年11月18日・25日、あっ!とおどろく放送局) その他 グラップラー刃牙(原作者ナレーターで特別出演) OVA版グラップラー刃牙(選手A) 読売ジャイアンツ対千葉ロッテマリーンズのオープン戦始球式(2022年3月18日、東京ドーム) 著書 板垣恵介の格闘士[グラップラー]列伝(徳間書店、1999年12月31日、ISBN 4-19-861112-2 ) 板垣恵介の激闘達人烈伝(徳間書店、2005年12月、ISBN 978-4198923457) 宇宙一せまい授業!(北本かつらと共著)(東邦出版、2008年5月16日) 檄!(マガジンハウス、2013年5月23日、ISBN 978-4838724727) 裏最強土下座(幻冬舎、2013年9月26日、ISBN 978-4344024564) イラスト 新説 ストリートファイター列伝(月刊ゲーメスト9月号増刊『ストリートファイターIIダッシュ』、新声社、1992年9月30日発行。) バイソン、リュウ 獅子の門シリーズ(夢枕獏、光文社)表紙・本文イラスト 餓鬼レンジャー「ラップ・グラップラー餓鬼」(2002年5月22日)ジャケットイラスト 史上最強の哲学入門 (飲茶著、マガジン・マガジン、2010年4月 ISBN 978-4896447323) 表紙イラスト ソニー・コンピュータエンタテインメント年の瀬のPlayStation祭り アントニオ猪木・橋本真也イラスト カイジ500回記念 祝福イラスト&コメント(『週刊ヤングマガジン』2011年35号、36頁。) SHOW-YA「GENUINE DIAMOND」(2012年3月7日)特典イラストポスター 『罪と罰』第3巻 (漫F画太郎、原作ドストエフスキー、新潮社、2012年10月 ISBN 978-4107716828) 表紙イラスト 「スポーツ祭東京2013」国体卓球競技イラスト 「献血しよう!2013 in TOKYO」キャンペーン用カレンダー ビッグコミック創刊45周年&ゴルゴ13生誕45周年記念企画 私が描くデューク東郷(『ビッグコミック』2013年11月25日号、3頁。) 大戦乱!!三国志バトル(五虎大将軍 趙雲、呂布) チェインクロニクル ~絆の新大陸~(範馬刃牙)※期間限定コラボ 語!白浜の昇竜伝。~ぼくの覚えた太極そのイチ~(2014年11月23 - 24日、座・高円寺2)チラシ・ポスター作画 ポッカサッポロ がぶ飲み『パネェ日本昔話』キャンペーン用イラスト プリズナートレーニング 圧倒的な強さを手に入れる究極の自重筋トレ(ポール・ウェイド著、山田雅久訳、CCCメディアハウス、2017年7月 ISBN 978-4-484-17106-7) 表紙イラスト RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2017 バンタム級トーナメント&女子スーパーアトム級トーナメント 2nd ROUND/Final ROUND(2017年12月29日・31日、さいたまスーパーアリーナ) ポスター用イラスト プリズナートレーニング 超絶!! グリップ&関節編 永遠の強さを手に入れる最凶の自重筋トレ(ポール・ウェイド著、山田雅久訳、CCCメディアハウス、2018年3月27日 ) 表紙イラスト ダウンタウンDX 放送開始25周年記念(2018年11月)コラボイラスト ピップマグネループMAX『刃牙』プロモーション(2021年3月、ピップ) - プロモーション用オリジナルキャラクターイラスト 東京2020パラリンピック公式プログラム(2021年8月、KADOKAWA) - テコンドーのイラストを描きおろし コラム 読書日記(『日本経済新聞夕刊』、2013年12月4日、11日、18日、25日) デザイン 原付きバイク用ナンバープレート(東京都府中市) 2014年7月28日から限定600枚で交付開始予定。 関連人物 富沢ひとし(元アシスタント) 井上元伸(元アシスタント) 三枝誠(自衛隊時代の同期) 笠原倫(少年チャンピオンの同期) 塩田剛三 マッスル北村 島袋光年 板垣巴留(実娘) 脚注 外部リンク 公式サイト(有限会社いたがきぐみ) 日本の漫画家 自衛隊出身の人物 陸上自衛官 北海道出身の人物 1957年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%B9%E3%81%AA%E3%81%A4%E3%81%BF
樹なつみ
樹 なつみ(いつき なつみ、1960年2月5日 - )は、日本の漫画家。兵庫県出身。代表作に『八雲立つ』など。 プロフィール 「緑の館の住人たち」(未収録)で第3回LMS6位初入選。「フェアリー★ガゼール」(『マルチェロ物語』3巻収録)で第11回LMSトップ賞を受賞し、1979年『LaLa』4月号「めぐみちゃんに捧げるコメディ」(『男と女に捧げるコメディ』収録)でデビュー。1981年に初連載『マルチェロ物語』で人気を得る。 受賞歴 『OZ』で1993年、第24回星雲賞を受賞。 『八雲立つ』で1997年度第21回講談社漫画賞を受賞。 作品リスト 男と女に捧げるコメディ(1981年) トランシルヴァニア・アップル(1983年) マルチェロ物語(全8巻、1982年 - 1985年) 朱鷺色三角(全5巻、1985年 - 1987年) パッション・パレード―朱鷺色三角 2(全6巻、1987年 - 1989年) エキセントリック・シティ(1989年) 花咲ける青少年(全12巻、1990年 - 1994年) 花咲ける青少年特別編(全5巻、2011年 - 2014年) 花咲ける青少年プレミアムファンブック(2011年) OZ(全4巻、1990年 - 1992年) 八雲立つ(全19巻、1992年 - 2002年) 八雲立つ 灼(既刊7巻、2018年 - ) 獣王星(全3巻、1994年 - 2006年) 暁の息子(2000年) デーモン聖典(全11巻、2003年 - 2007年) ヴァムピール(全5巻、2008年 - 2013年) ヴァムピール特別編 KING AND BARON+(全2巻、2013年 - 2014年) 一の食卓(既刊6巻、2015年 - ) 元新撰組の斎藤一を題材としている 出典 参考文献 外部リンク なつみ缶 20世紀日本の女性著作家 21世紀日本の女性著作家 日本の漫画家 SF漫画家 兵庫県出身の人物 1960年生 存命人物
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伊東岳彦
伊東 岳彦(いとう たけひこ)は、日本の漫画家、イラストレーター、アニメーション作家。男性。 本名や生年月日は公表されていない。代表作は『宇宙英雄物語』『星方武侠アウトロースター』『覇王大系リューナイト』。愛称は「老師」。 来歴 北海道北見市出身。高校卒業後、東京のデザイン専門学校へ進み、同時期に様々な雑誌の仕事や設定協力などを手掛ける。その後おもちゃのデザインの仕事に就いた後、漫画編集者に。しかし担当した作品がどれも面白くないと思いそれなら自分で描いたほうがいいと考えて転職、「Good Morning アルテア」をアンソロジーコミック『C-LIVE 1』(夢元社発行、東京創元社発売)に掲載。 デビュー当初はBLACK POINTというペンネームを使用しており、自画像(顔に「BP」と書かれている)や初期の作品で確認できる。イラスト・アニメ関連の仕事では幡池裕行名義で活動している。このことについて伊東自身が「別人だ」と語った事があるが、『Vジャンプ』連載「覇王大系リューナイト」第1回の画稿の名義は幡池裕行になっている。 作品制作の際にはスタジオ形式を採用しており、クリエイタースタジオモーニングスターで活動している。モーニングスターには幡池裕行も所属していることになっている。 闇の魔法陣というサークル名で、オリジナル作品の番外編やパイロット版、設定集、ラフ画などを収録した同人誌を発表している。 オリジナルのスペースオペラ作品に共通する世界観としてがある。 作品リスト 漫画 Good Morningアルテア(BlackPoint名義) 数多の星より大切な…(BlackPoint名義) 宇宙英雄物語 覇王大系リューナイト OUTLAW STAR KO世紀ビースト三獣士―外伝BIRTH of the V-美-DARN 逢魔にドキドキ! 画集 『TAKE OUT ~伊東岳彦「宇宙英雄物語」の世界~』 (集英社 1997) 設定 参加作品 アニメ Good Morningアルテア(原作) トップをねらえ!(設定) New Story of Aura Battler DUNBINE(キャラクターデザイン:幡池裕行名義) 機動警察パトレイバー THE MOVIE(メカニックデザイン協力:幡池裕行名義) NG騎士ラムネ&40(キャラクター原案) デトネイター・オーガン(メカニックデザイン:幡池裕行名義) KO世紀ビースト三獣士II(原作/キャラクター原案) D-1 DEVASTATOR(メカニックデザイン:幡池裕行名義) 覇王大系リューナイト(原作/キャラクター原案) 天空のエスカフローネ(デザイン協力:幡池裕行名義) 星方武侠アウトロースター(原作)(キャラクター原案:幡池裕行名義) AIKa(ゲストキャラクターデザイン) 星方天使エンジェルリンクス(原作)(キャラクター原案:幡池裕行名義) ゼーガペイン(原作)(キャラクター原案/デザインディレクター:幡池裕行名義) 遊☆戯☆王5D's(デザイン協力) ゲーム アリシア ドラグーン(キャラクターデザイン) 銀河お嬢様伝説ユナ(機械化兵士デザイン) サウザンドアームズ(キャラクターデザイン) SFアドベンチャー ZERO ONE SP(キャラクターデザイン) Zwei Worter(中野訓練校制服デザイン) その他 Android専用アプリケーションソフトウェア『お天気キャス子ウェザーデス。』(キャラクターデザイン:幡池裕行名義) イラスト系 小説挿絵 青の騎士ベルゼルガ物語(幡池裕行名義) 聖エルザクルセイダーズ(BlackPoint名義) 南国戦隊シュレイオー 宇宙豪快ダイザッパー わたしの勇者さま(シリーズ途中より幡池裕行名義) アベニールをさがして(幡池裕行名義) ウルフゾーン A君(17)の戦争(表紙のみ) 聖刻1092(幡池裕行名義) ソード・ワールドRPGリプレイ第2部(幡池裕行名義) ファミコン必勝本(表紙のみ・BlackPoint名義) メルヴィ&カシム(幡池裕行名義) CDジャケット 『銀河乞食軍団ハイパー CD BOOK』ブックレット内挿絵・文章 (1992) 機動戦士Vガンダムサウンドトラック『機動戦士Vガンダム SCORE I』CDジャケットイラスト(幡池裕行名義)(1993) とうきょうデンキKIRAKIRA合唱団 『THE COVERS』CDジャケットイラスト (1995) ムック 『完全保存版 NG騎士ラムネ&40』 (コミックボンボンスペシャル76 講談社) ラフイラスト,インタビュー 『NG騎士ラムネ&40 熱血必勝英雄伝異聞』 (みのり書房) 小説「さすらいの勇者ダ・サイダー」挿絵 『NG騎士ラムネ&40 DX』 (ケイブンシャの大百科別冊) ラフイラスト 『NG騎士ラムネ&40 ILLUSTRATIONS』 (GAKKEN MOOK) カラーイラスト 雑誌 『月刊アウト 1992年5月号』 伊東岳彦特集 『月刊アウト 1993年6月号~1994年4月号』 小説「NG騎士ラムネ&40XX」挿絵 『月刊アウト 1995年5月号』 嘘企画「ラムネス7」イラスト 『月刊AX』 vol.23(2000/2)より数回 連載コラム「ぶるったす」 『Comickers 1997年8月号』 カラーイラスト、インタビュー 『Comickers 1999年冬号』カラーテクニック 『I・C SCREEN TECHNICAL GALLERY』 (アイシー 1998) スクリーントーン技術教本 その他 TCG アクエリアンエイジ 『蒼月の魔道師 ”ソニア・ホノリウス”』カードイラスト 『マイコンBASICマガジン1988年3月号)』NECパソコンインフォメーションセンター「このごろの斉藤さんのPC-88 MA/FA プライベートライフ!!」(BlackPoint名義) 日本の漫画家 日本の男性イラストレーター 日本のアニメーション作家 サンライズ 北海道出身の人物 存命人物
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伊藤理佐
伊藤 理佐(いとう りさ、1969年 - )は、日本の漫画家。長野県諏訪郡原村出身。代表作に『おいピータン!!』『ヒゲぴよ』『幸福のススメ』『おるちゅばんエビちゅ』『やっちまったよ一戸建て!!』など。 経歴・人物 板金塗装店を経営する両親の元に三姉妹の長女として生まれる。小学生の頃に鈴木光明の「少女まんが入門」を読み漫画を書き始める。1987年、長野県諏訪二葉高等学校の在学中に『月刊ASUKA』へ投稿した短編ギャグ漫画「おとうさんの休日」が掲載されデビュー。高校卒業後は上京し、女子美術大学短期大学部彫塑科に入る。アシスタントをしながら自分の作品も描いた。 猫好きであり、作品内にも猫が描かれることが多い。 一度の離婚歴があるが、2007年に漫画家の吉田戦車と再婚した。吉田とは若い頃からの飲み仲間だったが、お互いの初婚後は疎遠になるも、離婚後に二ノ宮知子の『のだめカンタービレ』が講談社漫画賞を受賞した際の記念パーティーで再会し、その後交際に発展して結婚した。その後妊娠し、2010年1月14日に女児を出産した。この際、『おんなの窓』は吉田戦車が『おとこの窓』として4回にわたりピンチヒッターを務めた。 『やっちまったよ一戸建て!!』で書かれた新築の一戸建ては吉田との再婚時に売却し(その数ヵ月前に賃貸マンションに転居している)、現在は別の中古物件を住居兼仕事場にしている。また『ダ・ヴィンチ』2006年12月号にて、本人は自分を「酒ラン(酒乱)」と考えていることを告白するなど、酒豪である。 『おいピータン!!』で第29回講談社漫画賞少女部門受賞。『女いっぴき猫ふたり』など一連の作品で第10回手塚治虫文化賞短編部門受賞。 作品リスト 悪魔の楽園 あさって朝子さん あたって砕けろ いいようにはしないから いとうりさ丼 えみちゃんでポン おかあさんの扉(『オレンジページ』で連載中) おいクロタン!!(『おいピータン!!』のスピンオフ作品) おいピータン!! OL様のつけどころ お父さんの休日 おるちゅばんエビちゅ(主婦と生活社『ギガ/Shan』→双葉社『アクションピザッツ』) おるちゅばんエビちゅ ちゅ〜(双葉社『漫画アクション』) おんなの窓(『週刊文春』で連載中) 今日もいい天気 ぐるぐるッと! 結婚泥棒 恋のウフフ話 恋のナイショ話 幸福のススメ ご指名ねがいます こんなんで一家 チューネン娘。 微熱なバナナ 逆立ち幽霊 ハチの子リサちゃん は行でいこう はらはちぶう ヒゲぴよ(『コーラス』で連載、NHKにてアニメ化) 必殺!OL非事人 ヒロミとジュリエット ミックスリサ 妙齢おねいさん道(『オール讀物』で連載中) モモちん やっちまったよ一戸建て!! りさちゃん大集合 ひとり上手な結婚(2010年8月 講談社 / 2014年2月 講談社文庫)-山本文緒との共著 ティーンズボディーブック新装改訂版(イラスト、中央公論新社) 今日は笑点びより(50周年記念 完全保存版 『笑点』大研究(2016年8月19日、電子書籍)に収録) 「ステキな奥さん」シリーズ(『朝日新聞』で連載中の「オトナになった女子たちへ」に加筆した物) ステキな奥さん ぶはっ ステキな奥さん あはっ ステキな奥さん うぷぷっ コラム オトナになった女子たちへ(朝日新聞 朝刊 金曜 生活面) - 同じ1969年生まれの益田ミリと交互に掲載。イラストも描く。 文献 『伊藤理佐 総特集 おんなの人生、濃縮還元。』河出書房新社「KAWADEムック」、2022年。多くの知人が寄稿 テレビ出演 ボクらの時代 (2022年4月17日、フジテレビ) - 二ノ宮知子、安野モヨコと対談 脚注 外部リンク 女いっぴき猫ふたり - web上の連載(archive) 日本の漫画家 長野県出身の人物 女子美術短期大学出身の人物 1969年生 存命人物
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稲田浩司
稲田 浩司(いなだ こうじ、1964年3月14日 - )は、日本の漫画家。男性。東京都の日暮里出身。 主に集英社の『週刊少年ジャンプ』、『月刊少年ジャンプ』(現在は月刊少年ジャンプの後継誌の『ジャンプSQ』)で執筆している。代表作は漫画原作者の三条陸とのコンビによる『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』、『冒険王ビィト』。 略歴 1985年、「ルージュ・マジック」でデビュー。1987年、「クソッタレだぜェ!!」(『週刊少年ジャンプ』52号掲載)で本誌デビュー。1989年45号より『週刊少年ジャンプ』にて「DRAGON QUEST -ダイの大冒険-」(原作:三条陸、監修:堀井雄二)を連載、1996年52号で終了。1998年、『赤マルジャンプ』で「イルカ岩で…」を掲載。 2001年に『月刊少年ジャンプ』誌上にて「DRAGON QUEST IV外伝 -地獄の迷宮-」(原作:三条陸、監修:堀井雄二)を掲載。2002年4月号より『月刊少年ジャンプ』にて三条陸とのコンビで「冒険王ビィト」を連載。これもメディアミックスが行われ単行本も10巻を越えるが、稲田の体調不良のため2006年8月号を最後に休載、同誌も翌年に休刊していた。 2015年12月21日発売の『週刊少年ジャンプ』誌上にて、「冒険王ビィト」の連載再開の告知が行われ、2016年4月15日発売の『ジャンプSQ.CROWN 2016 SPRING』より連載が再開した。 作品 漫画 クソッタレだぜェ!!(1988年、週刊少年ジャンプ、集英社、全1巻) - 短編集 DRAGON QUEST -ダイの大冒険-(1989年、週刊少年ジャンプ、集英社、全37巻、文庫版全22巻) イルカ岩で… (1998年、赤マルジャンプ週刊少年ジャンプ特別編集増刊’98SUMMER ) DRAGON QUEST IV外伝 -地獄の迷宮-(2001年、月刊少年ジャンプ、集英社、全1巻) 冒険王ビィト(2002年、月刊少年ジャンプ、集英社、既刊17巻) - 2016年よりジャンプSQ.CROWNで連載→2018年よりSQ.RISEに移籍 ゲーム ドラゴンクエスト ダイの大冒険 クロスブレイド(メイロ&ダムドのキャラクターデザイン) 関連人物 師匠 うすね正俊 桂正和 黒岩よしひろ アシスタント 有賀照人 うすた京介 脚注 日本の漫画家 東京都出身の人物 1964年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E7%B4%80%E8%89%AF
井上紀良
井上 紀良(いのうえ のりよし、本名:井上典義、1959年2月11日 - )は、日本の漫画家。滋賀県高島郡(現・高島市)出身。血液型はO型。 略歴 1959年、滋賀県の高島郡に生まれる。小学生の頃に望月三起也や松本零士、モンキー・パンチの作品を読み、影響を受ける。中学を卒業後、京都の友禅会社に入ったが、伝統工芸にありがちな徒弟制度で10年経たないと一人前にはなれないというのを聞き、友禅の仕事に魅力が無くなり退職、漫画家を目指す。高知県に渡り、青柳裕介、間宮聖士のアシスタントをして修業したのち、1978年に『少年キング』(少年画報社)「パイナップル・ジョー」で漫画家デビュー。その後、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)・第4回青年漫画大賞にて「エンジェルス」が入選。以降、30年以上に渡り『週刊ヤングジャンプ』で執筆する。ROLAND監修による『ローランド・ゼロ』(宝島社、2020年12月18日) 及び『ローランド・ゼロ 逆襲篇』(宝島社、2021年5月7日) で漫画部分の作画を担当した。 人物 愛車はピンクのポルシェ・ボクスター。 作品リスト 漫画 連載 男は天兵(原作:雁屋哲、1982年、全11巻) デュエット(原作:小池一夫、1984年、全9巻) マッド★ブル34(原作:小池一夫、1985年 - 1991年、全27巻) マイク・タイソン物語(監修:ジョー小泉、1988年、全1巻) THE MISSION(原作:樫原一郎、1991年、全1巻) ガルフの鷹(原作:八城正幸、1991年、全3巻) 連環日本書紀(原作:小池一夫、1992年、全4巻) W・WOLF(原作:東板前二、1992年、全2巻) 黄龍の耳(原作:大沢在昌、脚本:M・A・T(1~8巻)→東板前二(9~15巻)、1992年 - 1996年、全15巻) X(クロス)(原作:梶研吾、1992年、全8巻) 私立探偵 濱マイク(原作:林海象、1998年、全2巻) "殺医"ドクター蘭丸(原作:梶研吾、1998年 - 2001年、全14巻) マッド・ブル2000(原作:小池一夫、1999年 - 2001年、全7巻) 未成年J(原作:伊東順、夏一青、2001年、全2巻) 星の艦 あきらめなければいつかは乗れる(原作:小池一夫、2002年、全2巻) 水滸伝(原作:北方謙三、2003年、全3巻) 夜王(原作:倉科遼、2003年 - 2010年、全29巻) エターナル・ストーン(原作:東板前二、2009年) ログ・イン(原作:東板前二、2010年 - 2011年 全2巻) 華と修羅(原作:谷本和弘、2010年 - 2011年、全5巻) 憑鬼の剣(原作:かわさき健、2011年 - 2012年、全1巻) 海傑エルマロ(原案:伊藤福八、脚本:中川トシヒロ、2011年 - 2014年、全8巻) 第46代 棗希朗衛門(原作:大沢在昌、脚本:鍋島雅治、2012年、全1巻) BABEL(原作:木下半太、2015年 - 2017年、全8巻) BABEL THE 2ND 黄金少年GOLDEN BOY(原作:木下半太、2017年 - 2018年、全2巻) ポルノダイヤモンド~AVフィクサー砥上大夜~(原作:サンレイン、2019年 - 2020年、まんが王国) フォックスの威(原作:木下半太、2021年 - 、マンガBANG!) モデル~快楽殺人者たちのアトリエ~(原作:井深みつ、2022年、まんが王国) 短編集 エンジェルス 井上紀良傑作集(1991年) ダイヤモンドエルフィン 井上紀良傑作集 2(1991年) ロシアン・ルーレット 井上紀良傑作集 3(1999年) 師匠 青柳裕介 間宮聖士 弟子 林晃 架空まさる 吉勝太(峯松考佳) 出典 外部リンク 「常に更新しつづけていきたい」。マンガ家・井上紀良先生のマンガへの飽くなき挑戦 電子書籍ランキング.com(2016年11月7日付) 日本の漫画家 滋賀県出身の人物 1959年生 存命人物
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いまいかおる
いまい かおる(1951年9月22日 - )は、日本の漫画家。東京都荒川区出身。出身校は第二瑞光小学校。女性。本名は今井薫。兄弟は、兄、弟。 来歴・概要 もともと漫画を描くことが大好きな少女で、漫画好きの兄愛読書の「少年サンデー」「少年マガジン」などを見ているうちに漫画が好きになった。 「物心ついたときから、女の子やお姫さまのいたずら描きをしていました。小学校入学時には、生活の一部になっていました。ノート、本の余白なんかに描きましたね」 中学生時代より、鈴木光明が主催し顧問をしていた漫画同人誌に参加をしていた。高校卒業後三越の紳士靴売り場に就職し、その在職中に新人発掘用単行本に採用掲載された「アニキの初恋」が漫画家としてのデビュー作となった。 1971年、集英社の少女漫画誌『別冊マーガレット』に掲載された「ぼくんちにきた赤ちゃん」にて本格的に漫画家としてのデビューを果たした。以降、集英社、白泉社、講談社などの少女漫画誌などを中心とした執筆活動をしていた。デビュー作である「ぼくんちにきた赤ちゃん」はその後『フーちゃん』と改題され、『別冊マーガレット』にて約10年連載され単行本も全6巻発行される長寿連載作品となった。 また漫画家としての活動のかたわら、教育副読本や歌舞伎関連本のイラスト、コラム等も手がけており、近年では歌舞伎解説本などのイラストを担当するイラストレーターとしての活動が中心となっている。 歌舞伎に詳しくなったのは、子供の頃に母親のお伴をしていたことによると答えている。 主な作品リスト 漫画作品 フーちゃん(別冊マーガレット、集英社) おはよう!レミちゃん(花とゆめ、白泉社) 100ブンの1物語(花とゆめ、白泉社) 台風ベビー(LaLa、白泉社) てんまり子ダヌキ(リリカ、サンリオ) ねこねこ・こねこ(なかよし、講談社) とびだせ!マオ(なかよし、講談社) とんでモン・ペ (なかよし、講談社)※同名アニメのコミカライズ作品 二階のイソロー(ビッグコミックフォアレディ、小学館) イラスト担当作品 歌舞伎キャラクター事典(新書館、1987年) コミックストーリーわたしたちの古典シリーズ(学校図書) 万葉集(1990年) 雨月物語(1991年) 若い女性のための歌舞伎入門(宙出版、1991年) 光栄まんがパック(コーエーテクモゲームス、1991年) イラストガイド歌舞伎入門(ロングセラーズ、1993年) まんがde歌舞伎(新書館、2003年) 歌舞伎ざんまい(朝日ソノラマ、2005年) 歌舞伎筋立て・見せ場がひと目でわかる本(ロングセラーズ、2009年) 歌舞伎キャラクター事典(PHP研究所、2009年) コラム作品 歌舞伎万華鏡(中日新聞、 - 2005年) 脚注 日本の漫画家 三越の人物 東京都区部出身の人物 1951年生 存命人物
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入江喜和
入江 喜和(いりえ きわ、1966年4月27日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。血液型はA型。夫は同じく漫画家の新井英樹。 来歴 東京都板橋区で生まれる。11歳で千葉県銚子市に移住。居酒屋を経営する家庭で育つ。母親が東京下町で生まれ育ち、入江自身も21歳から墨田区・江東区に住んでいる。中学・高校時代、山岸凉子から多大な影響を受ける。 1988年より劇画村塾(小池一夫劇画村塾)に通い、マンガを描き始める。デビュー前から小池一夫から「天才」と称賛されていた。 1998年、『月刊アフタヌーン』(講談社)の「四季賞・1989年冬のコンテスト」で、「杯気分! 肴姫」が四季賞を受賞。 青年誌時代 1991年に『杯気分! 肴姫』で連載デビュー。以降は『モーニング』(講談社)、『コミックビーム』(エンターブレイン)を中心に作品を発表していく。 シングルマザーを主人公にした『のんちゃんのり弁』は、1997年に中部日本放送制作TBS系のドラマ30枠でTVドラマ化。翌年に同じ枠でドラマの続編も放送され、2009年には映画化された。 2000年ごろから一時休筆した後、2004年5月、『モーニング』での『昭和の男』連載で復帰。 その後、2006年より女性誌である講談社『BE・LOVE』を主な執筆の場とする。 講談社『BE・LOVE』時代 デビューから青年誌を中心に作品を発表してきた入江は、2006年より30〜40代女性が読者ターゲットの『BE・LOVE』に作品を掲載しはじめる。 『おかめ日和』(2006年 - 2013年)を『BE・LOVE』誌上にて、足かけ8年連載した。最終的に全17巻の大作となる。 『たそがれたかこ』(2013年 - 2017年)は、「このマンガがすごい!2018【オンナ編】」第4位。最終10巻と第1巻にはCD付き特装版があり、「クリープハイプ」の尾崎世界観が、同作のために書き下ろした完全オリジナル曲(「漫画」)を収録したことでも大きな話題となった。最終話は例外的に2号連続で1話扱いとなり、そのタイトルは「風にふかれて」であり、クリープハイプの曲名からつけられた。なお、同作の登場人物、谷在家光一は、尾崎世界観がモデルである。 『東京BONごはん〜おウチで作る名店の味〜』(2014年 - )を『おとなの週末』にて連載。この作品は、『たそがれたかこ』連載中の執筆となり、入江、初の並行連載となる。東京の名店の名物料理を数ページの食レポ形式のマンガで紹介し、家庭の普通の食材でつくれる関連したアレンジ料理を1〜2品、登場人物・いさくのクッキングレシピという趣向で各話の最終ページに描いた。2017年9月には『モーニング』2017年41号にて読切作『シダ&ナンシー』が掲載。 2018年、『ゆりあ先生の赤い糸』を『BE・LOVE』2018年3月1日号より連載開始。入江は、「今回は思いっきり「少女漫画」をやりたかった。昔、自分が毎日中毒になるくらい浸かっていた、次回が楽しみすぎて最新号を読んだ時からもどかしいくらいの、少女マンガ。それって「共感」だけじゃなかったハズなんですよね。何だか知らんけどやたらその世界に引き込まれてしまう「勢い」があった。それを目指して描いてみたいー」としている。読者の評価も高く、「このマンガがすごい!2020」オンナ編・第8位となった。 2019年9月から10月には、「新井英樹・入江喜和 画業30周年原画展」を、イオンモールkyoto、丸井錦糸町店、丸井有楽町店にて同時開催。 2021年、『ゆりあ先生の赤い糸』が第45回講談社漫画賞総合部門を受賞。 2023年、『ゆりあ先生の赤い糸』が第27回手塚治虫文化賞を受賞。 人物 様々な登場人物を細かく描き分ける群像劇が中心で、舞台となる店や施設、街の取材を怠らず、設定は入江が暮らす東京の下町や山手線圏内であることが多い。その際、実在する街角や、ライヴハウス、バーなどがリアルに丹念に描かれるのが特徴のひとつ。物語は、登場人物が勝手に動く方法でつくっていくと入江も言う。例えば『たそがれたかこ』の9巻の場合は、「たかこさんが急に立ちあがって歌いだしたっていうのはうれしかったです。(…)「そうか、バンドやりたいのか、たかこさん!」と! 胸に迫るものがありました」と語っている。 エレファントカシマシファンで、宮本浩次に関しても多々発言している。 バレエ好き。 作品リスト 杯気分! 肴姫(1991年 - 1993年、講談社モーニングKC、全7巻) 杯気分! 肴姫(2010年、エンターブレイン刊ビームコミックス新装版、全3巻) のんちゃんのり弁(1995年 - 1998年、講談社モーニングKC、全4巻) のんちゃんのり弁 新装版(2009年、講談社モーニングKCDX、上・下巻) ちゃらっぽこ幽霊(『コミックビーム』1999年4月号 - 5月号掲載、前後編38ページ、2008年エンターブレイン刊ビームコミックス『ビーム短編傑作選 奥村編集長セレクション マンゴー編』に収録)(一読すると、読んだことが忘れらなくなる傑作) ざしき(『コミックビーム』1999年8月号掲載。「ちゃらっぽこ幽霊」の続編) あこがれ(『コミックビーム』2000年1月号掲載) 昭和の男(2004年 - 2005年、講談社モーニングKC、全2巻) おかめ日和(2006年 - 2013年、講談社『BE・LOVE』連載、講談社 BE・LOVE KCDX、全17巻) あこがれの山岸凉子先生にお会いしました(2013年、講談社『BE・LOVE』6号 2ページ小品)(山岸凉子『言霊』 収録 KCデラックス BE LOVE) たそがれたかこ(2013年 - 2017年、講談社『BE・LOVE』、全10巻) 今日もウチで呑んでます(2013年 、日本文芸社 別冊漫画ゴラク 酒楽 2013年9月第1号 - 2014年1月 第2号 連載)(おつまみレシピのあるエッセイマンガ)(「東京BONごはん〜おウチで作る名店の味〜」収録) なんやかんやで四半世紀 画業25周年記念プレゼント小冊子(2014年、講談社 非売品 『たそがれたかこ』1・2巻購読者へのキャンペーン景品 12ページ小冊子 入江の様々な登場人物が入り乱れるファンブック) 東京BONごはん〜おウチで作る名店の味〜(日本文芸社ニチブンコミックス 全1巻)(初出タイトル「こまどり夫婦の東京BONごはん」 講談社 『おとなの週末』2014年4月 - 2015年7月) たそがれたかこ 番外編 公平くん男道(2017年8月、講談社『BE・LOVE』15号、8ページ小品)(「キワ本」に収録) シダ&ナンシー(2017年、講談社 『モーニング』41号 1話読み切り) たそがれたかこ 特別描き下ろし うわがき たかこ(2018年5月、KADOKAWA『ダ・ヴィンチ』6月号、2ページカラー作品)(「キワ本」に収録) ゆりあ先生の赤い糸(2018年 - 2022年、講談社『BE・LOVE』連載、講談社 BE・LOVEコミックス、全11巻) みっしょん!!(2023年 - 、講談社『BE・LOVE』連載) 脚注 関連項目 新井英樹 山岸凉子 小池一夫 劇画村塾 外部リンク 手前味噌だったらゴメンナサイ - 公式ブログ1 キワ者便り - 公式ブログ2 日本の漫画家 東京都出身の人物 1966年生 存命人物
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岩明均
岩明 均(いわあき ひとし、1960年7月28日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。男性。和光大学中退。本名:岩城 均(いわき ひとし)。父は和光大学名誉教授の岩城正夫(1930年 - )。 『寄生獣』で1993年に第17回講談社漫画賞一般部門、1996年に第27回星雲賞コミック部門、『ヒストリエ』で2010年に第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、2012年に第16回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞している。 人物 高校3年生まで漫画を読まずに育つ。漫画に夢中になった当初は漫画を買うことすら恥ずかしく、やっと買ったのは小さな文庫サイズの手塚治虫の漫画だったという。学生時代には父の著書に挿絵を提供していた。1984年、上村一夫のアシスタントを始める。1985年、ちばてつや賞に入選した「ゴミの海」が『モーニングオープン増刊』(講談社)に掲載され、デビュー。以後は主に『月刊アフタヌーン』などの講談社の雑誌で活動している。 漫画家の須賀原洋行とは親交がある。ともに『月刊アフタヌーン』に連載していたこともあり、『よしえサン』の単行本巻末に特別寄稿として、須賀原をモチーフにした読切作品を掲載したこともある。一方の須賀原も『寄生獣』単行本巻末に岩明を主人公にしたフィクション読切漫画「寄生OL」を特別寄稿している。 作風 残虐描写を特徴とするが、ストーリーは哲学的かつドラマティックな展開を両立させている。2000年代以降は歴史に題材を取った作品が多い。休載になることもしばしばで作品の量は多くなく、本人も自覚している。 略歴 1985年:『ゴミの海』がちばてつや賞に入選しデビュー。 1985年 - 1988年:『モーニング』で『風子のいる店』を連載。 1988年 - 1995年:『モーニングオープン増刊』、『月刊アフタヌーン』で『寄生獣』を連載。 1993年:第17回講談社漫画賞受賞(『寄生獣』)。 1996年:第27回星雲賞コミック部門受賞(『寄生獣』)。 1996年 - 1999年:『ビッグコミックスピリッツ』で『七夕の国』を連載。 1999年:『モーニング新マグナム増刊』にて『雪の峠』を短期集中連載。 2000年:『ヤングチャンピオン』にて『剣の舞』を短期集中連載。 2001年 - 2002年:『ヤングアニマル嵐』で『ヘウレーカ』を連載。 2003年:『月刊アフタヌーン』で、『ヒストリエ』の連載を開始。 2010年:第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞(『ヒストリエ』)。 2012年:第16回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞(『ヒストリエ』)。 2015年 - 2018年:『別冊少年チャンピオン』にて『レイリ』を連載(作画:室井大資)。 2019年:第3回さいとう・たかを賞受賞(『レイリ』)。 作品リスト 連載 風子のいる店(1985年 - 1988年、『モーニング』連載) 寄生獣(1988年 - 1995年、『モーニングオープン増刊』→『月刊アフタヌーン』連載) ネオ寄生獣f(原作、アンソロジー。2015年) ネオ寄生獣(原作、アンソロジー。2016年) 寄生獣リバーシ(原作 / 作画:太田モアレ。2018年 - 2021年、『コミックDAYS』連載) 骨の音(短編集。1990年) 七夕の国(1996年 - 1999年、『ビッグコミックスピリッツ』連載) 雪の峠・剣の舞(中編集。雪の峠:1999年、『モーニング新マグナム増刊』掲載。剣の舞:2000年、『ヤングチャンピオン』掲載) ヘウレーカ(2001年 - 2002年、『ヤングアニマル嵐』連載) ヒストリエ(2003年 - 、『月刊アフタヌーン』連載中) ブラック・ジャック〜青き未来〜(脚本提供。原作:手塚治虫、作画:中山昌亮。2011年 - 2012年、『週刊少年チャンピオン』連載) レイリ(原作・脚本。漫画:室井大資。2015年 - 2018年、『別冊少年チャンピオン』連載) アンソロジー収録 ネオ・デビルマン(初出:竹書房『コミックガンマ』1996年No.33) モーニングKCデラックス『ネオデビルマン』第2巻(1999年)→講談社漫画文庫『ネオデビルマン』下巻(2001年)→KCデラックス『新装版 ネオデビルマン』下巻(2012年) 雪の峠(初出:講談社『モーニング新マグナム増刊』1999年5月19日号 - 1999年11月10日号) 『武士の誇り(漫画家たちが描いた日本の歴史)』(2014年、金の星社) キャラクターが先?物語が先?(『手塚治虫文化賞20周年記念MOOK マンガのDNA ―マンガの神様の意思を継ぐ者たち―』(2016年、朝日新聞出版)) 未収録作品 午前の星(『モーニング パーティー増刊』 1986年7月8日号、 9月9日号) 大理石の都(『コミックモーニング増刊 OPEN』 1986年7月29日号) 酒場紳士(『コミックモーニング特別編集 THE OPEN B』 1988年10月25日号) 残像(『コミックモーニング』 1991年32号) 目を見て話せ(2003年、『エース特濃』Vol.1。2008年、『コミックチャージ』4号に再録) インタビュー 『SPA!』1992年2月5日号 『SPA!』1993年8月18日号 『ぱふ』1995年3月号 『クイックジャパン』Vol.59 (2005年3月発行) 『ジャンプスクエア』2009年5月号 『朝日新聞』2012年4月23日 『モーニング』2013年No.10(2013年2月21日号) 『モーニング』2013年No.11(2013年2月28日号) 『モーニング』2013年No.12(2013年3月7日号) 『ユリイカ』 2015年1月臨時増刊号 総特集・岩明均 『キネマ旬報』2015年5月上旬号 脚注 外部リンク ジャンプスクエア公式サイト 岩明均先生 直撃インタビュー 完全版 第1回 古代史への興味を持った理由(2009年4月23日時点のアーカイブ) 第2回 一日の過ごし方・スケジュール(2009年4月23日時点のアーカイブ) 日本の漫画家 SF漫画家 東京都出身の人物 1960年生 存命人物
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伊藤誠
伊藤誠(いとうまこと) 実在の人物 伊藤誠 (漫画家) 伊藤誠 (映画監督) 伊藤誠 (経済学者) 伊藤誠 (プロデューサー) 伊藤誠 (外交官) 伊藤誠 (美術評論家) 伊藤誠 (シンガーソングライター) など。 架空の人物 伊藤誠 - アダルトゲーム『デイズシリーズ』の登場人物。 関連項目
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%B3%89%E8%88%9E
岩泉舞
岩泉 舞(いわいずみ まい、1970年7月13日 - )は、日本の漫画家。北海道室蘭市出身。1989年、「ふろん」がホップ☆ステップ賞にて佳作を受賞しデビュー。以後1994年まで、『週刊少年ジャンプ』に短編作品を執筆した。1999年から『月刊Vジャンプ』に作品を掲載していた。 読みきり作品が中心であり、しかもきわめて寡作だったため、2021年までは代表作である『七つの海 - 岩泉舞短編集1』が唯一の単行本であった。 2015年には、マンガ図書館Zで『七つの海 - 岩泉舞短編集1』が公開された。「七つの海」の冒頭3ページは、岩泉が所有していたカラー原画を使用している。 2021年3月2日、Twitterにて『七つの海』に雑誌掲載当時のカラーページと未収録作品、描き下ろし作品を含めた短編集『岩泉舞作品集 MY LITTLE PLANET』の発売が発表され、岩泉本人のイラスト入りコメントも同時に公開された。 作品リスト 漫画作品 ふろん (1989年、『週刊少年ジャンプ オータムスペシャル』掲載) 忘れっぽい鬼 (1989年、『週刊少年ジャンプ ウインタースペシャル』掲載) たとえ火の中… (1990年、『週刊少年ジャンプ』第25号掲載) 七つの海 (1991年、『週刊少年ジャンプ』第21・22合併号掲載) COM COP (1991年、『週刊少年ジャンプ』第39号掲載) COM COP2 (1992年、『週刊少年ジャンプ』第10号掲載) KING -キング- (1992年、『週刊少年ジャンプ』第49号掲載) クリスマスプレゼント (1993年、『週刊少年ジャンプ』第3・4合併号掲載) - 原作:武論尊 COM COP3 〜夢見る佳人〜 (1993年、『週刊少年ジャンプ』第52号掲載) - 原作:村山由佳 リアルマジック (1994年、『サマースペシャル』掲載) MY LITTLE PLANET ロボットを捨てに行く (2022年、Web描き下ろし) ミレンさんの壺(2022年、『eBigComic4』連載) - 初連載作品 書籍 『七つの海 - 岩泉舞短編集1』 集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1992年5月13日第1刷発行、 「ふろん」 「忘れっぽい鬼」 「たとえ火の中…」「七つの海」 「COM COP」 「COM COP2」の6編を収録。 『岩泉舞作品集 MY LITTLE PLANET』 小学館クリエイティブ〈単行本〉、2021年5月31日発売、 「MY LITTLE PLANET」「ふろん」「忘れっぽい鬼」「たとえ火の中…」「七つの海」「COM COP」「COM COP2」「KING」「COM COP〜夢みる佳人〜」「クリスマスプレゼント」を収録。 脚注 外部リンク 日本の漫画家 北海道室蘭栄高等学校出身の人物 北海道出身の人物 1970年生 存命人物
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いわしげ孝
いわしげ 孝(いわしげ たかし、1954年12月31日 - 2013年3月6日)は、日本の漫画家。鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鹿児島工業高等学校を経て二松學舍大学卒。血液型AB型。デビューから十数年は本名の岩重孝(読みは同じ)で活動していた。 概要 高校時代の1970年(昭和45年)に『週刊少年ジャンプ』(集英社)の第5回新人漫画賞で「小さな命」が入選、審査員である本宮ひろ志から「彼の作品は生命が感じられるね」と評価された。この作品が翌1971年の同誌正月号に掲載され、デビューを果たす。 当時のいわしげは意欲的に漫画を描いており、同じ年に「スクラップ」も同誌の上期手塚賞で佳作に選ばれたほか、続く下期手塚賞でも「ブルースを歌う少女」が佳作に選ばれている。ただ、当時まだ高校生だったいわしげは、絵柄の荒々しさなど漫画の技術に未熟さを感じていたという。以降しばらくは学業に専念する。 高校卒業後、大学入学のために上京、書店でアルバイトをする傍ら漫画を描いた。 大学卒業後、『ビッグコミック』(小学館)に投稿を開始する。1978年に「忘れ雪」が第2回小学館新人コミック大賞で入選し、本格的にデビューする。 1980年(昭和55年)の梅雨時に、『ビッグコミック』の縁ではるき悦巳と知り合い、そのアシスタントとなる。同期にさかもと瓢作(坂本瓢作)がおり、はるきの作品である『じゃりン子チエ』の補助作業もさかもとと共に行った。並行していわしげは『ぼっけもん』を『ビッグコミックスピリッツ』で連載し、同作は1986年(昭和61年)に第31回小学館漫画賞に選ばれている。 1988年(昭和63年)から『ビッグコミックスピリッツ』にて『ジパング少年』を連載、同時にペンネームを本名の岩重孝からいわしげ孝に変更した。  以降は『週刊ヤングサンデー』『ビッグコミックスペリオール』(共に小学館)に移り、『花マル伝』などを連載した。その後『モーニング』(講談社)での『まっすぐな道でさみしい』の連載などを経て、『ビッグコミック』にて『単身花日』を2006年から2008年4月まで連載、同年のうちに引き続き同誌にて『上京花日』の連載を開始した。 2013年3月6日、病気のために死去した。。遺作となった『上京花日』は、2010年より病気療養に入って休載し、2011年秋にいったん再開したものの、未完のまま2012年2月25日号掲載分が絶筆となった。 作品リスト 岩重孝名義 ぼっけもん(ビッグコミックスピリッツ) うち、若葉!(ビッグコミックスピリッツ) 二匹のブル(原作:瀬叩龍、ビッグコミックスピリッツ) いわしげ孝名義 ジパング少年(ビッグコミックスピリッツ) ざっぺら(ビッグコミックスペリオール) ばんえい駆ける(ビッグコミックスペリオール) 花マル伝(ヤングサンデー) 主人公の花マルのクラスメートの杉矢は『単身花日』など、後の作品のモブシーンにもたびたび登場する。 怪人百面相(ビッグコミックスペリオール) 新・花マル伝 (週刊ヤングサンデー) まっすぐな道でさみしい -種田山頭火外伝- (モーニング) 青春の門 -筑豊編-(原作:五木寛之、モーニング) 単身花日 桜木舜の単身赴任・鹿児島(ビッグコミック) 上京花日(ビッグコミック、未完) 脚注 出典 外部リンク - 小学館コミック ビッグスリーネット 日本の漫画家 鹿児島県立鹿児島工業高等学校出身の人物 二松學舍大学出身の人物 鹿児島県出身の人物 1954年生 2013年没
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岩谷テンホー
岩谷 テンホー(いわたに てんほー、1954年9月30日 - )は、日本の漫画家。本名は岩谷芳朗。代表作は『みこすり半劇場』。長崎県出身。 略歴 長崎県南松浦郡新上五島町(旧奈良尾町)出身。長崎県立長崎工業高等学校卒業。大手印刷会社で漫画雑誌の写真製版の仕事をしていた。届く4コマ漫画の原稿を読み、俺にも書けると一念発起し、1985年に31歳でデビューした。1986年から2002年まで週刊プレイボーイに『マグニチュード9.99』を長期連載した。担当が元少年ジャンプの編集者であったこともあり、作画やアイディア出しのアドバイスをたくさんもらい、インタビューでは育ててくれた雑誌と述べている。 その後東スポアダルト面で4コマ漫画の連載をスタート。作中に下ネタを入れだすのはここからとなる。 自身では作風を「『サザエさん』の世界にお色気を持ち込んだもの」と述べている。 作風 いわゆる下ネタかブス女をオチや題材に持ってくる作風がほとんどでかつ専門的にこれらの4コマ作品を描き続けているため、イメージが定着している。小道具としてナスやキュウリなどを(性具代わりに)使うといったギャグも非常に多い。しかし長年人気を維持しており、「偉大なるマンネリ」と例えられる作風である。 当然ながら作品発表の場はお色気ものの4コマ雑誌(艶笑4コマ誌)か、青年漫画誌に限られているが、過去にはごく稀にファミリー向けの4コマ誌にゲスト作家として招かれたこともあった。そのときの雑誌の予告には「あの岩谷テンホーがファミリー向け4コマ誌に!大丈夫か?」などといったコピーが掲載された。このようなケースの作品では当然ながら下ネタは描かれなかったものの、その分作者独特の毒気のある作風が存分に発揮されていた。 作品リスト みこすり半劇場…ぶんか社発行の4コマ誌(4コマ漫画専門雑誌)ならびに同誌掲載の漫画のタイトル。正式名称は「岩谷テンホーのみこすり半劇場」。「東京スポーツ」(中京スポーツ/大阪スポーツ/九州スポーツ) におなじく同名の4コマ漫画を連載中。派生作品としてみこすり半劇場必殺、みこすり半劇場タイフーン、みこすり半劇場タイフーン、みこすり半劇場ファミリー編、みこすり半劇場ぶっ飛びなどがある。 2007年10月4日にフジテレビ系列で放送された「とんねるずのみなさんのおかげでした 」のコーナー「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」で、ダイノジが「東スポの裏に連載している4コマ漫画で作者の岩谷テンホーが行き詰まった時に描くパターン(忍者編&家族編)」という物まねを行なった。 2013年3月にリバプールよりオリジナルアニメDVDがセブン-イレブン限定で発売される。まがりひろあき監督。 テンホー注意報 本ナマ 赤貝編 テンホー注意報 本ナマ 青筋編 テンホーの第3の足 テンホー漬 テンホーのすっぽん横町 生しぼりテンホー劇場 極生しぼりテンホー劇場 激生しぼりテンホー劇場 特選!生しぼりテンホー劇場 東京コンニャ区 東京コンニャ区 今昔お笑い天国 かずのこ伝書 かずのこ大全 はまぐり草子 はまぐり絵巻全集 タバスコシャワー まぜごはん リビ道 ダボパン おまかせナース天国 あわびの涙 愛のカリブト(ワニマガジン社『アクションカメラ』) タバスコシャワー ダボパン たまんて箱 テンパーくん はみチン波止場(週刊実話連載終了) 新はみチン波止場(週刊実話連載) 岩谷テンホーのまんずの河(週刊プレイボーイ連載終了) マグニチュード9.99(週刊プレイボーイ連載終了) 動物性おつゆ(週刊ヤングサンデー連載終了) 書籍 『みこすり半劇場』第1ー13集 日本文華社・ぶんか社, 1988-96 みこすり半劇場 刑事編 (Bunka comicsデラックス)ぶんか社, 1992.12 みこすり半劇場 時代劇編 1-2(Bunka comicsデラックス ぶんか社, 1992-94 みこすり半劇場 ファミリー編 1-2(Bunka comicsデラックス) ぶんか社, 1993-94 みこすり半劇場 青春編 (Bunka comicsデラックス) ぶんか社, 1993.2 みこすり半劇場 病院編 (Bunka comicsデラックス) ぶんか社, 1993.3 みこすり半劇場 カップル編 (Bunka comicsデラックス ぶんか社, 1996.4 みこすり半劇場 アドベンチャー編 (Bunkasha comics) ぶんか社, 1996.8 岩谷テンホーのまるごとみこすり半劇場 (みこすり半劇場増刊) ぶんか社, 2006-07 みこすり半劇場 タイフーン ぶんか社, 2006.11 みこすり半劇場 ハリケーン ぶんか社, 2006.11 完本みこすり半劇場 (BUNKASHA COMICS) ぶんか社, 2015.4 大盛!!みこすり半劇場昇り竜 (Bunkasha comics) ぶんか社, 2015.5 大盛!!みこすり半劇場太鼓判 (Bunkasha comics) ぶんか社, 2016.10 大盛!!みこすり半劇場うっちゃり (Bunkasha comics) ぶんか社, 2016.2 大盛!!みこすり半劇場絶頂 (Bunkasha comics) ぶんか社, 2017.12 大盛!!みこすり半劇場右手で (Bunkasha comics) ぶんか社, 2017.4 大盛!!みこすり半劇場うず潮 (Bunkasha comics) ぶんか社, 2018.7 大盛!!みこすり半劇場エビ反り (Bunkasha comics) ぶんか社, 2019.1 大盛!!みこすり半劇場くい込み (Bunkasha comics) ぶんか社, 2019.8 大盛!!みこすり半劇場バズーカ (Bunkasha comics) ぶんか社, 2020.1 大盛!!みこすり半劇場突進 (Bunkasha comics) ぶんか社, 2020.8 大盛!!みこすり半劇場 2021 (Bunkasha comics) ぶんか社, 2021.11 大盛!!みこすり半劇場反撃 (Bunkasha comics) ぶんか社, 2021.4 『タバスコシャワー』1-2 (マンサンコミックス) 実業之日本社, 1989-90 『Magnitude 9.99 : 全方位激震ギャグ』1-5 (プレイボーイ・ギャグ・コミックス) 集英社, 1991-94 『リビ道』第1-3巻 実業之日本社, 1992 『岩谷テンホ~のはまぐり草子』第1-2巻 (マンサンコミックス) 実業之日本社, 1992-93 『テンホーの第3の足』ぴいぷる社, 1994.1 『テンホー漬』ぶんか社, 1995.6 『岩谷テンホーのまんずの河』第1巻 (プレイボーイ・ギャグ・コミックス) 集英社, 1996.10 <Y84-G1980> 『たま(ん)て箱』第1-2巻 (Bun bun comics) 未来出版, 1996.10 『カリブト』1-2 (ジャンプ・コミックスデラックス) 集英社, 1996-98 『東京コンニャ区』(Bun bun comics) 未来出版, 1997.7 『まぜごはん』v.1 (マンサンQコミックス) 実業之日本社, 2002.11 『テンホー本ナマ注意報 赤貝編』未来出版, 2003.11 『はまぐり絵巻 完全版』v.1-2 (マンサンQコミックス) 実業之日本社, 2003. はまぐり絵巻全集 地の巻・天の巻 (マンサンQコミックス) 実業之日本社, 2004 『テンホー本ナマ注意報 青筋編』未来出版, 2004.1 『動物性おつゆ』1-3 (Young sunday comics special) 小学館, 2004-07 『おまかせナース天国』未来出版, 2004.7 『テンホーのすっぽん横町』未来出版, 2005.12 『とんびの島から』(愛蔵版コミックス. ふんわりジャンプ) 集英社, 2018.4 アーケードゲーム 麻雀コミック劇場(ダイナックス) 笑いの麻雀エンジェルス(ダイナックス) 出演 ラジオ 福山雅治の魂のラジオにゲスト出演したことがある。 ウェブテレビ 宇宙一せまい授業!(あっ!とおどろく放送局-2007年) 脚注 出典 関連項目 日本の漫画家一覧 日本の成人向け漫画家の一覧 外部リンク 日本の漫画家 新聞連載の漫画家 長崎県出身の人物 成人向け漫画家 1954年生 存命人物
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スペースシャトル
スペースシャトル()は、かつてアメリカ航空宇宙局 (NASA) が1981年から2011年にかけて135回打ち上げた再使用をコンセプトに含んだ有人宇宙船である。 もともと「再使用」というコンセプトが強調されていたが、出来上がったシステムは、オービタ部分は繰り返し使用されたが、打ち上げられる各部分の全てが再利用できたわけではなく、外部燃料タンクなどは基本的には使い捨てである。 概要 初飛行は1981年、2回目の飛行は1982年で、2011年7月の135回目の飛行を最後に退役した。 スペースシャトルは宇宙輸送システム (Space Transportation System, STS) あるいはスペースシャトル計画の一環としてもちいられた。STSの開発とシャトルの飛行は、基本的にアメリカの資金によって行われた。主な使用目的は、NASAのおかれた様々な政治的状況や起こしてしまったシャトルの事故も影響して、およそ10年ごとに大きく変遷してきたが、数々の人工衛星や宇宙探査機の打ち上げ、宇宙空間における科学実験、国際宇宙ステーション (International Space Station, ISS) の建設などである。なおシャトルはNASAによってだけでなく、米国国防総省、欧州宇宙機関、ドイツ等の軌道上実験にも使用された。 シャトルは再使用型宇宙往還機であり、軌道船 (Orbitor Vehicle, OV)、外部燃料タンク (External Tank, ET)、固体燃料補助ロケット (Solid Rocket Booster, SRB) の三つの部分によって構成されている。ETとSRBは上昇中に切り離され、軌道船 (OV) のみが地球周回軌道に到達する。発射時には機体は通常のロケットと同じように垂直に打ち上げられるが、軌道船は水平に滑空して帰還・着陸し、再使用のために整備された。SRBはパラシュートで海に降下し、回収船で回収されて整備した後、推進剤を再充填して再利用された。 構造・飛行等の概略 まずシャトルの構造および打ち上げ〜着陸の概略を説明する。 通常は5名から7名の飛行士が搭乗した。なお、最も初期の頃に行われた、STS-1からSTS-4の4回の試験飛行のように、機長と操縦士の2名だけでも飛行できた。 発射時のシャトルの構成は、おおまかに オレンジ色の外部燃料タンク (External Tank, ET) 2本の白色で細長い固体燃料補助ロケット (Solid Rocket Boosters, SRB) 宇宙飛行士と貨物を搭載する軌道船 (Orbiter Vehicle,OV) の三つの部分から構成されていた。なお、上記に加えて、STSのために開発された、PAMとIUSと呼ばれる人工衛星打上げ用の2種類の固体ロケットを用いれば、搭載物をさらに高い軌道に運ぶこともできた。なお、シャトルには全体でおよそ250万個もの部品が使われており、人間がこれまでに製造した中で最も複雑な機械であると言われている。 (→#構造・メカニズム・諸元) シャトルは通常のロケットと同じように、発射台からは垂直に離陸する。その際の推力を生むのは2本のSRBおよび、(軌道船の後部に装着している)3基のメイン・エンジン (Space Shuttle Main Engine, SSME) であり、SSMEの推進剤(液体水素と液体酸素)は外部燃料タンクから供給される。上昇の手順はおおまかに、 SRBも含めてすべてのロケットが噴射される第一段階 SRBが役目を終えSSMEだけで推進する第二段階 のふたつに分かれていて、打上げからおよそ2分後に第二段階に移り、SRBは切り離され落下、パラシュートで海に着水し再使用のため船で回収される。機体(軌道船およびET)はその後も上昇を続け、軌道に到達するとSSMEが燃焼を停止し、ETも役目を終えて切り離される。切り離され自由落下を始めたET(巨大なオレンジ色のタンク)は通常は大気圏に再突入して空気抵抗と熱によって消滅する。ただし、様々な用途に使用することは、構想としてはあった。 軌道船はその後さらに軌道操縦システム (Orbital Maneuvering System, OMS) を噴射することでミッションの目標としている軌道へと向かう。軌道上での姿勢は、姿勢制御システム (Reaction Control System, RCS) を噴射することで制御する。 シャトルが従来の宇宙船とは際だって異なった特徴の一つに、軌道船の胴体部分のほとんどを占めるほどの大きさの貨物搭載室を備えていることと、そこに大きな観音開きのドアがついていることである。これによって、飛行士や宇宙ステーションの建設資材などを、地球周回低軌道や大気圏上層部、さらには熱圏などに運ぶことができた。例えば、ハッブル宇宙望遠鏡のような大きなものを搭載し軌道に投入することや故障した衛星などがあれば、その軌道へ向かい、貨物室に回収して地球に持ち帰ったりすることもできた。 任務が終了すると、軌道船はOMSを逆噴射して速度を落とし大気圏に再突入した。降下している間、シャトルは大気の様々な層を通過し、主に空気抵抗を用いて機体の速度を極超音速状態から減速させる。大気圏下層部に到達し着陸態勢に入るとグライダーのように滑空飛行し、フライ・バイ・ワイヤ方式の操縦系統で油圧によって動翼を制御した。着陸の際には、長い滑走路が必要とされた。シャトルの形態は、帰還時に極超音速飛行および旅客機のような低速飛行の双方をしなければならない、という二律背反する要求を満たすために作られた妥協の産物であり、その結果として軌道船は着陸寸前には、普通の航空機には見られないような急激な降下(高い降下率)を経験することになる。 (→#飛行手順の詳細) かさんだコストと危険性 当初は通常のロケットより一回あたりの飛行コストを安くできるという見込みでこの計画がスタートし製造されたが、実際の運用で発生した事故に対する安全対策により、当初の予想より保守費用が大きくなっていき、結果的に使い捨てロケットよりもコストが高くなった。(→#甘すぎた予測と膨らんだ費用と危険性) 呼称の指す範囲 「スペースシャトル」という言葉は、一般には軌道船(オービタ)の単体を指していることもある。シャトル(往復を繰り返すもの)という表現に合致しているのは基本的にオービタ部分であるし、形状という点でも、「シャトル」という用語の源となっている織物のシャトルと形が類似し連想させるのはオービタ単体であるからである。ただし技術的な観点、つまり宇宙飛行システム、飛行に必要な技術的な要素、という意味では、軌道船以外にも外部燃料タンク・固体燃料補助ロケットが結合されて、はじめてシャトルは完成状態となり飛行可能となるので、NASAのエンジニアなどは三つが合体した状態を「スペースシャトル」と呼ぶ。そして、紛らわしさを避けるために「オービタ」「SRB」「ET」などの呼称を用いて呼び分けている。 完成状態にする作業はスペースシャトル組立棟で行われる。なお、この建物は元々はシャトルのものではなく、アポロ計画のサターン5型ロケットを組み立てるために作られたものである。 「スペースシャトル」という用語で、スペースシャトルをコアとした計画全体(スペースシャトル計画)を指して用いられていることもある。 計画・設計・製造 計画の初期段階 シャトルの設計と製造は1970年代初頭に始まったが、その概念はそれより20年も前、1960年代のアポロ計画よりも早い段階に存在していた。宇宙から宇宙船を水平に着陸させるという構想は1954年に国立航空諮問委員会(NACA)が描いていたもので、それは後にX-15航空工学実験調査機として実現することになった。NACAに対してこの提案を行ったのは、ヴァルター・ドルンベルガーである。 1957年、X-15をさらに発展させたXシリーズ宇宙往還機計画が提案された。宇宙飛行士ニール・アームストロングはX-15とX-20両方のテスト・パイロットに選抜されたが、X-20は計画されただけで実機が飛行することはなかった。 X-20は実現されなかったが、同様のコンセプトを持つHL-10実験機は数年後に開発され、1966年1月にNASAの元へと届けられた。HLとは、「Horizontal Landing(水平着陸)」の意味である。 1960年代半ば、空軍は次世代宇宙輸送システムに関する一連の極秘調査計画を行い、「一部再使用型の宇宙船こそが最も安上がりな方法だ」と判断した。彼らの提案では、使い捨て型の宇宙船とロケット(クラスI)の開発に直ちに取りかかり、それに続いて一部再使用型(クラスII)の開発を続け、最終的には完全再使用型(クラスIII)に達するべきである、とされた。1967年、NASA長官ジョージ・ミューラー (George Mueller) は幹部80人を集め、将来的な選択肢に関する1日間の討論会を開催した。会議では、初期の頃の空軍のX-20計画を含む様々な提案がなされた。 1968年、NASAは地球と宇宙を往復することを目的とした「統合往還機 (Integrated Launch and Re-entry Vehicle, ILRV)」の研究を開始し、同時に複数の企業に対してメイン・エンジン (SSME) の開発を競わせた。ヒューストンとハンツビルにあるNASAの事務局は共同で、宇宙に貨物を運ぶだけでなく大気圏を滑空して地球に帰還できるような宇宙船の設計を公募した。その中の一つに、巨大なロケットと小型の軌道船によって構成されたDC-3と呼ばれた案があった。 1969年、ニクソン大統領はスペースシャトル計画を進行させることを正式に決定した。 1973年8月、X-24Bが飛行に成功したことにより、大気圏に再突入した宇宙船が水平に着陸するのが可能であることが証明された。 開発・設計 スペースシャトルは、再使用することを目的に設計された宇宙船としては初めてのものである。シャトルは様々な搭載物を低軌道に運び、ISS(国際宇宙ステーション)の人員を交代させることができ、軌道船は地球を周回する人工衛星その他の物体を回収し地上に持ち帰ることもできるように設計された。各軌道船は「100回の飛行もしくは10年間の使用に耐えられるように」との考えで設計されたが、後にその期間は延長された。STS(宇宙輸送システム)の設計責任者は、マーキュリー計画、ジェミニ計画、アポロ計画などでも宇宙船の設計を担当したである。軌道船の大きさや形状を決定する際の最も重要な要素となったのは、当時計画されていた商業衛星や秘密衛星の最大のサイズのものを搭載できるようにすることと、極軌道から一周回で離脱するという空軍の秘密計画に対応できるような飛行範囲を持っていることである。衛星を宇宙空間に配置するための高い搭載能力が欲しいという国防総省の要求、および再使用できる機器を持つ宇宙船を開発することによって宇宙開発予算を削減したいというニクソン政権の要求の双方に応えるため、固体燃料補助ロケットと使い捨て型の燃料タンクの併用という方式が選択された。 耐熱タイル シャトル開発でひとつの大きな壁になったのが、大気圏に再突入時の熱からオービタを守り、繰り返し使用可能な熱シールドの開発である。オービタは機体を軽量にするために、基本的に航空機と同様のアルミニウムで出来ているが、アルミニウムはわずか200度程度の温度で柔らかくなってしまい、大気圏再突入時に発生する1600度以上の熱に耐える事は出来ない。そこで、断熱材として素材にシリカガラス繊維を用いた耐熱タイルが開発された。シリカは熱を伝える速度が非常に遅いので、それを用いた耐熱タイルを用いれば機体のアルミを護ることができる。だが、まだ問題があった。機体のアルミは熱で膨張するのに対し、耐熱タイルのほうはほとんど膨張しない為、そのまま接着しては温度上昇とともに耐熱タイルは剥がれて脱落してしまう。試行錯誤が繰り返された結果、機体と耐熱タイルの間にフェルトをはさむ事で機体とタイルの膨張率の違いを受け止める方法が浮上した。これは特殊なフェルトではなく、カウボーイハットなどに用いられるごく普通のフェルトである。機体とフェルトと耐熱タイルの接着についても、アメリカの家庭にありふれた浴槽の防水コーキング用のゴムが接着剤として用いられた。耐熱タイルは2万5千枚製造され、オービタの曲面を覆うため、部分ごとに形状の異なるものがジグソーパズルのように機体に貼り付けられた。 素材選択や接着方法の開発が難航した耐熱タイルは、やはりスペースシャトルの弱点のひとつとなり、繰り返される飛行で何度も脱落を経験している。安全確保のため、帰還後の点検で毎回毎回タイルひとつひとつの状況や履歴を記録しつつ手作業で検査・修復しなければならず、シャトルの不安要因のひとつ、大きな重荷のひとつとしてつきまとうことになった。 製造 飛行可能な機体は6機製造された。1号機エンタープライズは宇宙に行けるようには作られてはおらず、もっぱら滑空試験のためのみに使用された。実用化されたのは、コロンビア、チャレンジャー、ディスカバリー、アトランティス、エンデバーの5機である。当初はエンタープライズも進入着陸試験が終了した後に実用機として改造される予定だったが、構造試験のために製造されたSTA-099をチャレンジャー (OV-099) に改造したほうが安上がりだと判断された。チャレンジャーは1986年、発射から73秒後に爆発事故を起こして機体が失われたため、機体構造の予備品として残っていたものを集めて新たにエンデバーが製作された。コロンビアは2003年に空中分解事故を起こして消滅した。 甘すぎた予測と膨らんだ費用と危険性 スペースシャトル計画の始まりの段階で、NASAの関係者には「一回の飛行あたり1200万ドルほどのコストで飛ばすことができる」などと主張する者もいて、そうした甘い見込みのもとに計画は進んでしまった。 シャトルを繰り返し安全に飛ばすため、再使用する機体の部品は飛行のたびに徹底的な検査が行われたが、シャトルを構成する膨大な数の部品の検査にかかる費用は巨額のものとなった。 エンデバーの製作にかかった費用は約17-18億ドルで、シャトルの一回の飛行にかかる費用は2002年の時点では約4億5,000万ドルだった。だが、コロンビアの事故以降は安全対策のコストが上昇し、2007年には1回の飛行につき約10億ドルを要するようになった。 スペースシャトルには技術的な困難だけでなく、官僚主義に侵されたNASAという巨大組織の抱える問題も影響した。チャレンジャー号の事故は予測・回避できた可能性が高かったにもかかわらず、NASAの幹部は「事故は起きないだろう」と充分な対策を行わず、米国が行った宇宙飛行中の事故では初の死者を出している。コロンビア号の事故においても、発射時の映像を確認した職員によって上昇中に剥離した断熱材がオービタに衝突した可能性が指摘されたものの、NASA幹部は提供された情報を軽視したという経緯がある。 政治学者のロジャー・A・ピールケ・Jr. (Roger A. Pielke, Jr.) は、2008年度初頭までにシャトル計画にかかった費用は総額で1,700億ドル(2008年度換算)ほどと算定した。これによれば打ち上げ一回あたりのコストは15億ドルということになる。 最終的には、スペースシャトルの計135回の打ち上げで2090億ドルもの費用がかかっていた。 構造・メカニズム・諸元 軌道船 軌道船は多くの航空機と似たような形状をしており、主翼は内側が81°、外側が45°の後退角を持った二重デルタ翼で、垂直尾翼の後退角は50°である。主翼の後端には4枚の動翼が取りつけられている。垂直尾翼後端には空力ブレーキも兼ねた方向舵が設置されていて、降下と着陸の際に高揚力装置(フラップ)とともに作動して機体を制御する。 胴体部分のほとんどは直径4.6m、長さ18mの貨物搭載室が占めていて、観音開きの保護ドアによって覆われている。搭載物は通常は機体が水平の状態にあるときに格納され、その後機体とともに発射台上に垂直に設置される。無重力の宇宙空間では、搭載物は飛行士が操縦するロボットアームや船外活動によって放出される。搭載物自体が持っているロケットによって、さらに高い軌道へと投入されることもある。 機体の後端には、メイン・エンジンが三角状に配置されている。エンジンのノズルは上下方向に10.5°、左右方向に8.5°傾けることが可能で、上昇中に推力の向きを変えて機体の進行方向を制御する。軌道船の機体構造は主にアルミニウム合金によって作られているが、エンジン部分の支持構造にはチタニウム合金が使用されている。 軌道船は飛行目的に応じて、軌道実験室(スペースラブ、スペースハブ)、搭載物をより高い軌道に投入するためのロケット(慣性上段ロケット (IUS)、ペイロード・アシスト・モジュール (PAM))、軌道滞在期間延長機器(EDO (Extended Duration Orbiter) キット)、カナダ・アームなど様々な追加機器を搭載することができる。 製造された機体の中で実際に宇宙に行くことができたのは、OV-099チャレンジャー号、OV-102コロンビア号、OV-103ディスカバリー号、OV-104アトランティス号、OV-105エンデバー号の5機である。 オービタに加えられた主な機器の画像 外部燃料タンク 外部燃料タンク (ET) の主な機能は、軌道船のメイン・エンジンに燃料の液体水素と酸化剤の液体酸素を供給すると同時に、2本のSRBと軌道船を接続し、全体を支える骨組みとなることである。ETはシャトルの中では唯一再使用されない部分で、飛行のたびに投棄されているが、軌道に投入して(宇宙ステーションに接続するなどして)利用することは構想としては検討されていた。 固体燃料補助ロケット 固体燃料補助ロケット (SRB) は2基合計で発射時に必要とされる推力の83%、約1,250万ニュートン(1,276.8トン)を発生し、打上げから2分後、高度約15万フィート(46km)に達したところで切り離され、パラシュートで海に着水して回収される。外殻は厚さ13mmの鋼鉄でできている。SRBは何度も再使用されるもので、一例を挙げれば2009年に試験発射されたアレスI-Xロケットは、過去48回のシャトルの飛行で使用されたSRBの部品を寄せ集めて作られたものであり、その中には1981年の初飛行 (STS-1) で使われたものも含まれていた。 飛行制御系統 シャトルはコンピュータ制御されたフライ・バイ・ワイヤ方式のデジタル飛行制御システムを採用した、初期のころの機種の一つである。これは飛行士が操作する操縦桿やペダルと、機体の操縦翼面や姿勢制御システムの間に機械的なリンクや油圧系統などが一切存在しないということを意味する。飛行士が入力した操作は電気信号に変換され、電線(ワイヤ)を介して操縦装置に伝えられる。 フライ・バイ・ワイヤ方式の最大の懸念は信頼性の問題であり、シャトルのコンピューターシステムについては多くの研究開発が行われた。シャトルは IBM製の5台のAP-101と呼ばれる、それぞれ独立して冗長性を持ち、組み込みシステムを構成する32ビット汎用コンピューターを使用している。このうち4台は主飛行電子ソフトウェアシステム (Primary Avionics Software System, PASS) という特製のソフトウェアで稼働し、残りの1台はこれとは別の、バックアップ飛行システム (Backup Flight System, BFS) というソフトを使用している。これらを総称して「データ処理システム (Data Processing System, DPS)」と呼ぶ。 シャトル用DPS設計の到達目標は、フェイルセーフを達成して信頼性を向上させることだった。DPSは、もし5台のコンピューターのうち1台が故障してもミッションを継続することができ、2台が故障しても安全に着陸できるように設計されている。 4台の汎用コンピューターは、相互に監視し合いながら稼働している。もし1台が他と違う指令を出した場合は、3台が「投票」を行い、違う指令を出している1台を機体の制御から除外する。残りの3台のうち1台がまたもや違う指令を出した場合は、残った2台が投票をしてその1台を除外する。極めて稀な場合だが、もし4台の「主張」が2対2に別れた場合は、どちらか一方のグループが無作為に選ばれる。 BFS(バックアップ飛行システム)は5台のコンピューターの中で独立して開発されたソフトで、4台のメインシステムが故障した時にのみ稼働する。BFSが開発されたのは、メインシステムはハードウェア的には冗長性を持たせているものの全く同じソフトで稼働しているため、もし何らかのエラーが発生した時には4台すべてが故障してしまう可能性があるからである。埋め込み式アビオニクスソフトは、一般の商用ソフトとは全く違う環境のもとで開発されている。コードラインの数は商用ソフトに比べればごく限られたもので、変更がなされることは滅多になく、広範な試験が行われ、ほんのわずかなコンピューターコードのために開発要員や試験要員も含めて多くの人員が関わっている。しかし、どんなに万全を尽くしても故障というのは常に起こりうるものであり、そのような不測の事態に備えてBFSは用意された。シャトルが退役するまでの間、実際にBFSが操縦を引き継ぐような事態が発生することは一度もなかった。 シャトルのコンピューターのソフトウェアは、PL/Iに似たHAL/Sと呼ばれる高級プログラミング言語で書かれている。これはリアルタイム組み込みシステム環境のために、特別に設計されたものである。 IBM製AP-101コンピューターは、もともと1台あたり約424KBの磁気コアメモリを持ち、CPUは毎秒40万回の計算を行うことができた。ハードディスクはなく、ソフトは磁気テープカートリッジからロードした。 1990年、AP-101はAP-101Sという上位機種に置きかえられた。記憶容量はこれまでの2.5倍の約1MBに、演算速度は3倍の毎秒120万回に向上し、さらに記憶装置は磁気コアメモリからバックアップ電池つきの半導体メモリに改良された。 1983年11月から、シャトルにはグリッド・コンパス (GRiD Compass) と呼ばれる、世界で最も初期の頃に作られたラップトップ型コンピュータを使用していた。コンパスはせいぜい8,000ドル程度で売られていた安価なものだが、その重量や大きさに比して不釣り合いなほどの性能を当時発揮し、NASAはその重要な顧客の一つだった。なお、グリッド・コンパスは飛行制御系統には関係せず、シャトルの飛行軌跡を2周回分表示させるのに使用された。 機体の塗装と標章 操縦室の窓と貨物搭載室ドアの間の機体側面には、軌道船の名称が書かれている。搭載室ドア後部の下側には、NASAの標章と「United States」の文字および星条旗が描かれている。国旗は右側主翼にももう一つある。文字に使用されている書体はHelveticaである。 改良 シャトルは1970年代に開発された宇宙船であるため、その当時から安全面における性能や信頼性を向上させるべく多くの改良や改造が施されてきた。 内部構造のほとんどは初期に設計されたものとそれほど変わってはいないが、アビオニクス(飛行用電子機器)は大きく変貌した。たとえばコンピューターのアップグレード(性能向上)に関して言えば、初期の頃のアナログ式のメーター類は廃止され、最新型のエアバスA380やボーイング777に使われているような、グラスコックピットと呼ばれるフルカラーの液晶表示板に改められた。HP-41Cのようなプログラム入力可能な電卓も、依然として使われている。ISS(国際宇宙ステーション)の登場により、ISSに補給物資を届ける飛行でより多くの貨物をミッドデッキに搭載できるよう、内部エアロックは外部エアロックに置き換えられた。外部エアロックの上部には、ISSとのドッキングに使うロシアのアンドロジナスドッキング機構が使われた。 SSME(メイン・エンジン)もまた、信頼性と出力を向上させるべく何度も改良を施されてきた。発射時に「エンジンの出力を104%に上げる」という言い回しが存在することはその名残である。これは安全上の限界を超えてエンジンを噴射するという意味ではなく、初期のエンジン出力と比較しての値を指す。長い開発期間のうちに製造元のロケットダイン社は、安全出力を当初の設計値の104%にまで向上させることができたのだが、これまでに作成した膨大な量の文書やソフトを書き直す必要を避けるため104%という言い回しが残ることとなった。SSMEの進歩の歴史は、フェーズII、ブロックI、ブロックIA、ブロックIIA、ブロックII のような「ブロック番号」となって残されている。これらの改良によってエンジンの信頼性・メンテナンス性・性能は大きく向上し、2001年にはブロックIIエンジンを109%の推力にまで到達させることができた。ただし通常使用される最大推力は104%までで、106%または109%が実現されるのは緊急事態が発生して飛行が中止される時だけである。 最初の二回の飛行STS-1とSTS-2では、外部燃料タンクが太陽光を吸収して内部の温度が上昇するのを防ぐため全体が白色に塗られた。しかし地上での試験で必要ないことが分かったので次回からは廃止され、その塗料の分だけ軌道に投入できる搭載量が増えることとなった。他のところでは、液体水素タンク内部の桁のいくつかも不要なことが判明したため、軽量化のために取り除かれた。改良を施された軽量タンクはほとんどの飛行で使用されてきたが、STS-91からは超軽量タンク(SLWT)に置きかえられた。改良型の超軽量タンクにはアルミニウム/リチウム合金2195が使用されていて、最終型の軽量タンクに比べ3.4トンの減量に成功した。シャトルは無人では飛行できない設計になっているため、これらは実際の飛行で試してみる以外に手段がなかった。 SRB(固体燃料補助ロケット)もまた、何度も改良されてきた。代表的なところではチャレンジャー号爆発事故の後、本体接合部分の密閉性を確保するOリングが三重に強化された。 SRBには他にも性能や安全性を高めるためのいくつかの改良が試みられたが、実現されることはなかった。その中の一つに、より簡略かつ低コストで、安全面や性能にも格段の向上を果たしたと考えられる発展型SRB(Advanced Solid Rocket Booster, ASRB)があった。ASRBは1990年代半ばに宇宙ステーション計画支援のため製造が開始されたが、開発費が22億ドルにまではね上がったため中止が決定された。この代替案として、搭載能力を向上させるために超軽量タンクが開発されたが、安全性は向上しなかった。空軍は独自に、分割式ではない一体成形型の軽量SRBを開発していたが、こちらもまたキャンセルされた。 1995年、発射台上で準備作業をしていたディスカバリー号のETの発泡断熱材にキツツキが穴を空けたため、発射が遅れるという事態が発生した。この時以来、NASAは発射台周辺に市販の鳥よけのためのフクロウの模型や風船を配置するようになった。これらは打ち上げの直前にすべて取り除かれる。ET断熱材は発泡スチロールのようにもろい物質であるため、発射の際の衝撃や空気抵抗ではがれ落ち、軌道船を大気圏再突入の熱から保護する耐熱タイルを傷つける事故がこれまでにもたびたび発生してきた。断熱材の剥落は2003年2月1日に発生したコロンビア号空中分解事故の原因になり、その後も何度も打上げスケジュールの延期の原因になった。 人間が搭乗せず、搭載物だけを宇宙に送る無人の発射計画も1980年代以来何度も提案されてきたが、そのたびに却下された。「」と呼ばれるこれらの計画は、シャトルで蓄積されてきた技術を応用し、再使用という特性を放棄することとひきかえに、大幅なコストの削減が期待できるはずだった。 最初の4回の飛行では、飛行士は離陸時と帰還時には完全密閉型のヘルメットを着用し、空軍の高々度用与圧服を改良した宇宙服を着た。5回目の飛行からはこの与圧服は廃止され、青いワンピースのフライトスーツと部分与圧ヘルメットを着用するようになったが、チャレンジャー号事故による2年間の中断の後に再開された1988年の飛行からは、打上げ/帰還時にはあまりかさばらないように改良されたヘルメットつきのオレンジ色の部分与圧服(Launch-Entry Suit: LES)を着用するようになった。1995年からは、完全与圧式の改良型与圧服 (Advanced Crew Escape Suit: ACES) に置き換えられた。 軌道船がISSとドッキングして宇宙に滞在できる期間を延長するために、ステーション・シャトル電力供給システム (Station-to-Shuttle Power Transfer System, SSPTS) が導入された。SSPTSはISSが発生した電力を使用して軌道船の消耗品の消費を抑えるもので、STS-118から実用化された。 技術的詳細 軌道船諸元(OV-105エンデバー号) 全長:37.237m 全幅:23.79m 全高:17.86m 空虚重量:78,000kg 離陸時総重量:111,000kg 最大着陸重量:100,000kg 主エンジン:ロケットダイン社製ブロックII-SSME3基。1基あたり海面推力1.752MN(178トン、104%推力発生時) 最大搭載量:25,060kg 貨物室寸法:4.6m×18.0m 運用高度:190〜960km(100〜520海里) 最大速度:秒速7.743km(時速27,870km マッハ22.57相当) 軌道範囲:2,009km(1,085海里) 定員:飛行によって異なる。初期の頃は最小人員の2名で飛行したが、後の多くの飛行では5名になり、その後7名(船長、パイロット、数人の搭乗運用技術者、まれに航空機関士(フライトエンジニア))で構成するのが一般的になった。STS-61-AとSTS-71の2回の飛行では8名が搭乗した。STS-3xxと呼ばれる緊急救助飛行では、11名(4人乗りで打ち上げて、7人を移乗)を搭乗できるよう検討されていた。 外部燃料タンク諸元(超軽量タンク) 全長:46.9m 直径:8.4m 燃料容量:2,025m 空虚重量:26,535kg 発射時重量:756,000kg 固体燃料補助ロケット諸元 全長:45.46m 直径:3.71m 空虚重量(1機あたり):68,000kg 発射時総重量(1機あたり):571,000kg 推力(発射時、海面推力):12.5MN(1,281,360kg) 完成型詳細 全長:56m 発射時総重量:2,000,000kg 発射時総推力:30.16MN(3,091,680kg) 飛行手順の詳細 発射 シャトルの発射は、すべてケネディ宇宙センターで行われる。発射時に適用される天候基準は以下のとおりである。ただし、これだけに限定されるものではない。 発射台周辺や飛行経路に一切の降雨があってはならない。 気温は摂氏2℃以上37℃以下でなければならない。 高度2,400mに上昇するまでの間に機体の姿を隠してしまうような雲が存在してはならない。 高度9,000mに到達するまでの間、雷が発生する確率が20%を超えてはならない。 特に落雷が起きる可能性がある場合には、シャトルは絶対に発射されない。航空機はしばしば雷の直撃を受けることがあるが、構造が伝導体であることや、電気的に接地されていないために電流が空気中に放電されることなどにより、機体が悪影響を受けることはない。これに対してシャトルは、機体構造は通常のジェット旅客機と同じように伝導性のアルミニウムで作られているので内部機器が電流の影響を受けることはないが、発射時に噴射される噴煙が機体と地面をつなぐ電線の役目を果たしてしまう。このためNASAの基準では、周辺10海里以内に積乱雲が発生している場合には発射を行ってはならないことになっている。当日は気象担当官が発射台周辺のみならず、大西洋を越えた緊急着陸地点やSRB(固体燃料補助ロケット)の回収点の天候なども監視し、最終的に発射を行うかどうかを判断する。シャトルは雷に対してはまず安全だとは思われるが、アポロ12号が発射された時には実際に落雷で船内が一時停電する事故が発生したため、NASAはこの件については特に慎重になっている。 長い間、シャトルは12月31日と1月1日をまたがっては飛行できなかった。1970年代に開発されたシャトル用のソフトウェアは年越しができるようには設計されておらず、もし飛行中にそれを強行するとコンピューターをリセットしなければならなくなり、予測できないようなエラーが発生する可能性が生じるからである。NASAの技術者がこの問題を解決したのは2007年のことで、これによってようやくシャトルは年を越えて飛行できるようになった。 発射当日はTマイナス9分前の最後のホールド(待機)が解除された後、いよいよ最終的な準備段階に入り、管制センターに設置された地上の打上げ管制装置 (Ground Launch Sequencer, GLS) が秒読み作業を引き継ぐが、もしシャトルに搭載された機器に重大な問題が発生した場合には秒読みは自動的に停止される。発射31秒前には、「オート・シークエンス・スタート (Auto Sequence Start)」と呼ばれる作業工程によって秒読み作業がGLSからシャトルのメイン・コンピューターに引き継がれる。 発射16秒前(Tマイナス16)、騒音抑制装置が作動し、猛烈な音響で機体が損傷を負わないようにするために移動式発射台やSRBの火炎偏向板(フレームトレンチ)に1,100m³の水が放出されはじめる。 発射10秒前(Tマイナス10)、SSME(メイン・エンジン)のノズル内に停滞している水素ガスを燃焼させて除去するために、ノズルの下で電気火花が飛ばされはじめる。エンジン周辺にこれらのガスが残っていると、点火する過程で搭載した検知機が異常を感知して、異常な加圧を招いたり爆発したりする可能性がある。この時、SSMEのターボ・ポンプが作動して燃焼室内に液体酸素や液体水素を供給しはじめる。この間、軌道船の4台のコンピューターは相互に指令を交わし、点火に必要なすべての動作を制御する。 発射6.6秒前(Tマイナス6.6)、SSMEの点火が始まる。点火指令は軌道船のGPC(汎用コンピューター)を経由して、3番エンジン(右側)、2番エンジン(左側)、1番エンジン(中央)の順に120ミリ秒の間隔を置いて送られる。GPCはSSMEの推力を90%にまで到達させると同時に、ノズルの向きを所定の位置に固定する。エンジンに点火されると、騒音抑制装置の水が蒸発して大量の水蒸気となり、南側に向かって噴出される。3基のSSMEの推力はそれから3秒以内に100%に達しなければならず、もしそれが実現しなかった場合はGPCがエンジンを緊急停止させる。逆に正常に推力が発生されていることが確認されれば、SRBを発射台に固定している8本の爆発ボルトが吹き飛ばされ、SRBに点火される。この時間こそが「Tマイナス0」と規定されている発射の瞬間であり、この直後に機体は上昇を開始する。そしてSRBは、いったん点火されたら燃料をすべて消費するまで燃焼を停止することはできない。SRBの排気ガスは北側に向かって掘られた火炎坑に沿って音速に近い速度で噴出され、しばしば衝撃波を発生させる原因となる。GPCは、4台の汎用コンピューターに設定された「発射手順制御装置(Master Events Controller)」と呼ばれるプログラムを介して点火の手順を実行する。上昇中に様々な異常事態が発生したときの緊急対応手順(中止方法)は、広範囲なものが用意されている。その大部分を占めるのは最も複雑で大きな負荷がかかるSSMEに関するもので、SRBが原因でチャレンジャー号爆発事故が発生した後には、緊急対応手順はより拡充されたものになった。 SSMEに点火されSRBが発射台から解放されるまでの間、機体はエンジンの推力によって機首下げの方向にわずかに(操縦席付近で約2m)傾く。この運動は、NASAの隠語で「うなずき (nod)」あるいは「はじき (twang)」などと呼ばれている。その後機体は約6秒かけてまた元の位置に揺れ戻ってきて、完全に垂直になった瞬間にSRBに点火されて上昇を開始する。 発射整備塔を離れた直後、シャトルは予定軌道に対応するためロール運動とピッチ運動を開始し、ETとSRBが上になった裏返しの姿勢になる。機体はゆるやかな弧を描きながら上昇し、燃料はどんどん消費されて重量が軽くなっていくため、加速度は徐々に増加していく。発射直後の加速度は1.2Gで、SRBが切り離される直前は2.5Gに増大し、SRB切り離し直後はいったん0.9Gに落ち、その後SSMEが燃焼を停止する直前には3Gにまで達する。地球周回軌道に乗るためには垂直方向よりもむしろ水平方向への加速がより多く必要とされるが、機体が視界から消える前はほぼ垂直に上昇していくため、水平方向への運動はほとんど確認することはできない。ISSが周回している高度380km付近での周回速度は秒速7.68km、時速27,650kmで、地表付近ではマッハ23に相当する。ISSは赤道に対して51.6°の傾斜角をもって地球を周回しているので、シャトルがランデブーをするためにはその角度に合わせる必要がある。 マックスQ付近では、機体の、特に主翼などの弱い部分にかかる空気力学的圧力を抑えるため一時的にSSMEの推力が65%にまで絞られる。その前後では、空気の急激な圧縮と断熱膨張によりベイパーコーン (vapor cone) やプラントル・グロワートの特異点が起こる。 発射126秒後、SRBをETにつなぎとめていたボルトが爆薬で切断される。SRBはブースター分離モーターを噴射して機体の後方へと押しのけられ、残った推力を偏向し180度のターンを行い燃焼を完全に終了し、真下を向いて落下する。SRBはパラシュートで海に着水して再使用のため回収されるが、シャトルはSSMEの推力でなおも上昇を続ける。この時点では、機体はSRBがなくなったことで推力と重量の比は1を下回っているため、SSMEの力だけでは地球の重力を振り切ることはできなくなる。しかし燃焼を続けるうちに燃料が消費されて徐々に機体が軽くなり、やがて推力:重量比は再び1を超え、最終的に軌道に到達するまで二度と1を下回ることなく加速を続ける。 機体はその後も機首をやや上に向けた姿勢で徐々に軌道を水平に近づけ、SSMEの力で加速する。発射から約5分45秒後、地上との直接通信が終了し、背面が宇宙空間に向いた姿勢になるよう機体を反転させる。地上との交信は、その後は追跡およびデータ中継衛星 (Tracking and Data Relay Satellite, TDRS) を介して行われる。 最後の10秒間には機体は相当に軽くなっているため、飛行士に負担をかけないよう加速度が3G以下になるように推力が絞られる。 メイン・エンジンは空転すると機器を傷める可能性があるので、燃料が完全に空になる前に停止される。液体酸素は液体水素よりも前に供給が停止される。液体酸素はより過激に反応する傾向があり、停止直後の加熱した金属部分に触れると爆発するかもしれないからである。ETはエンジン停止後に爆発ボルトで切り離され、大部分は大気圏内で消滅してわずかな部品がインド洋または太平洋に落下するが、どこに落ちるかは打上げプロファイルによって変わる。タンク内の配管はすべて密閉されており、圧力を解放するような装置は設けられていないため、ETは大気圏下層部で内圧によって破裂する。大気圏再突入時に表面の断熱材が焼失すると、内部に残っていた液体酸素や液体水素を熱から保護する手段がなくなるため、急膨張して爆発の大きな要因になる。このような手段によって、地上に大きな破片が落下するのを防いでいる。 ET分離直後は、軌道の近地点はまだ大気圏を離れてはいないので、そのままでは大気圏に再突入することになる。そのため軌道船は軌道操縦システム (Orbital Maneuvering System, OMS) を噴射し、近地点をより高い高度に設定してETと衝突するのを防止する。一部の飛行(すなわちISSミッションなど)では、打上げ能力を確保するためにOMSが、メイン・エンジンの燃焼後期に並行して使用された。投入時の軌道をこのように設定しているのは、ETを宇宙空間に放出せず大気圏内で廃棄するためと、もしOMSが点火しなかったり、何らかの理由で搭載室のドアが開かなくなるような事態が発生しても、このような軌道にしておけば自動的に地球に帰還できるから、という安全上の理由もある。 軌道上 軌道に乗ると、シャトルは様々な、しばしば相互に関連した任務をこなす。1980年代から90年代にかけては、NASAとヨーロッパ宇宙機関が共同開発した宇宙実験室 (Spacelab) などを含む宇宙科学計画や多種多様な衛星や科学探査機の軌道投入に使用されてきた。90年代から2000年代にかけては衛星打上げの任務は減少し、計画の焦点はもっぱら宇宙ステーションの建設に移った。ほとんどの飛行は数日から2週間程度で終了するが、軌道滞在期間延長機器 (Extended Duration Orbiter) を搭載したり国際宇宙ステーションにドッキングすれば、滞在期間をさらに延長することもできる。 大気圏再突入および着陸 シャトルの大気圏再突入の過程では、降着装置をおろすのと、対気速度計に使うピトー管 (air data probe) を展開する作業以外はすべてコンピューターが自動で行うが、もし何か緊急事態が発生した場合は手動で再突入することも可能である。滑走路への進入と着陸も自動操縦装置に任せることはできるが、通常は手動で行われる。 再突入の作業は、まず軌道船の飛行方向を反転させ、機体後部を進行方向に向けることから始まる。その姿勢でOMSロケットを進行方向に約3分間噴射し(逆噴射)、軌道周回速度を322km/hほど減速する。これにより、軌道の近地点を下げて大気圏上層部に入るようにする。逆噴射の間にかかる加速度は約0.1Gである。その後軌道船は反転して機首を下げ(地球から見ればひっくり返した姿勢になっていたので機首を上げる方向(ピッチ軸を時計回り)に180度回転)、機首を進行方向に向ける。逆噴射は、着陸地点のケネディ宇宙センターから見てほぼ地球の裏側の、インド洋上空の赤道付近で行われる。 高度約120kmの熱圏下層部にさしかかる頃、機体にかかる空気抵抗が顕著になりはじめる。この時の速度はマッハ25(時速30,000km、秒速8.3km)ほどである。シャトルは40°ほどの迎角をとりつつ姿勢制御システムと動翼を併用して機体を制御し、長い航跡を引いて速度だけでなく熱も減少させながら次第に降下していく。空気抵抗が増加するにつれ、シャトルは宇宙船から次第に航空機としての性格を現すようになる。直進している間は、機体には機首を下げるかもしくは40°よりも高い迎角をとらせようとする力が働く。軌道船は途中で4回、70°以上の深いバンク角をとったS字飛行をする。この間迎角は40°を保ったままで、各Sターンは数分間行われる。この操作を行うことで、機体の運動エネルギーを上下方向ではなく左右方向に分散して減速する。このS字飛行が始まるのは熱負荷が最も強烈になる時間帯で、この間熱保護シールドは灼熱化し、加速度は最大となる。最後のターンが終わる頃には軌道船は完全に航空機(グライダー)となっており、機首を下げて機体を水平にし、着陸施設への進入作業が開始される。 軌道船の最大滑空比/揚抗比は速度によって相当に変化し、極超音速域では1:1、超音速域では2:1で、滑走路への進入と着陸を行う亜音速域では4.5:1にまで低下する。 大気圏下層部では、軌道船は毎秒50m(時速180km)という高い降下率を除けば通常のグライダーのように飛行する。この高い高い降下率は、しばしば「空飛ぶレンガ」「翼の生えたレンガ」と揶揄される。速度がマッハ3程度にまで低下したところで、機体の対気速度を検出するため、胴体前方下部の左右両側に設置された対気速度測定用のピトー管が展開される。 高度3,000m、滑走路端まで12kmに達したところで、進入および着陸操作が開始される。飛行士は空力ブレーキを作動させ、機体の速度を682km/hから着陸速度の346km/hにまで減速させる(一般的なジェット旅客機の着陸速度は260km/h程度である)。機体のノーズは滑走路手前ギリギリまでノーズダウンの状態であるが、着陸寸前でノーズアップの状態とされ機体下面の空気抵抗を利用してさらに減速が行われる。430km/hで降着装置がおろされ、343km/hあたりでタイヤが接地し着陸する。シャトルは通常航空機に対して重く、着陸時のタイヤへの加重は過酷で、ボーイング747の2-3倍の63.6トンにもなる。タイヤは16層構造で1本4000ドルで6回まで再使用できるが、実際は使い捨てである。空力ブレーキの作動を補助するために、後輪または前輪が接地したところで直径12mのドラグシュートが展開されるが、どちらの段階で開くかはシュートの展開モードの選定によって変わる。ドラグシュートは機体が110km/h以下になった段階で投棄される。 着陸後は、機体の表面温度が下がるまで数分間待ち、有毒な水素やヒドラジン、四酸化二窒素(姿勢制御システムや3台ある補助動力装置の燃料として使用される)、アンモニアが機体周囲から検出されないかを確認し終えるまで、軌道船は滑走路上で停止したままにされる。支援車両によってパージとベント用の配管が軌道船の燃料配管と貨物室への配管に取り付けられ、着陸後約45-60分かけて有害なガスが除去される。 以上の着陸行程は、基本的にグライダーとして動作するために、やり直しが行えない。そのため着陸地点の天候は厳重にチェックされ、気象予報によっては他の着陸ポイントに変更される。機体は航空機としては非常に重量があるため、通常の飛行場の滑走路では耐えられず、特別に強化された路面をもつ飛行場が選ばれた。通常はNASAシャトル着陸施設の長さ5.2kmの滑走路が主に使用されるが、カリフォルニア州のエドワーズ空軍基地も使用された。この他世界各地に予備の着陸地点が指定され、日本では嘉手納飛行場がその一つであった。 上記のような操縦特性とアプローチに習熟するため、NASAではガルフストリーム IIを改造したシャトル訓練機での訓練を行っていた。 着陸施設 シャトルの着陸は、初期はカリフォルニア州エドワーズ空軍基地に、ケネディ宇宙センターの滑走路が整備された後は基本的にはケネディ宇宙センターで行われることが多かった。ケネディ宇宙センターの天候が不順な場合は回復するまで宇宙で待機したり、あるいはエドワーズ空軍基地やその他世界中に配置された代替基地に着陸することもできた。ただしケネディ以外の施設に着陸するということは、その後にシャトル輸送機でケープ・カナベラルまで運ばれて来なければならないことを意味した。代替着陸基地の一つのホワイト・サンズ空軍基地の滑走路はシャトルが着陸するには整備が不十分という問題もあった。STS-3ではコロンビア号がニューメキシコ州のホワイト・サンズ空軍基地に着陸したが、この滑走路は当時はまだ整備が行き届いておらず、細かい砂が機体に入り込んでその後の整備が大変だった。シャトルを空輸するためのクレーン設備も準備する必要があるなど問題があった。結局、同基地に着陸したのはこの1回だけである。 代替着陸施設は多数あるが、エドワーズ空軍基地とホワイト・サンズ空軍基地以外は使用されることはなかった。エドワーズ空軍基地についても、シャトルの大陸横断に掛かる多額のコストのため近年はできるだけ利用しない方針が採られており、日本人最後の乗務となったSTS-131の着陸時にも一時は使用が決定していたが、最終的にはケネディ宇宙センターへの着陸となった。 飛行記録 主なシャトルの飛行記録は以下のとおりである。 出典:NASA打上げマニフェスト、NASAスペースシャトル公文書記録 事故 1986年1月28日、スペースシャトルチャレンジャー号が発射から73秒後に右側のSRBのOリングの故障が原因で空中分解し、搭乗していた7名の飛行士全員が犠牲になった。機体の最重要機器の一つであるOリングが、異常寒波が原因の低温により損傷した。現場の技術者は再三にわたり12℃以下の気温でのOリングの安全性は保証できないと警告したが、NASAの幹部はこれを無視した。 2003年2月1日、スペースシャトルコロンビア号が発射の際に主翼前縁の強化カーボン・カーボン断熱材が損傷したことにより、大気圏再突入時に空中分解した。地上管制室の技術者たちは損傷の広がりをより明確に把握できるよう、国防総省に対して三回にわたって高解像度の写真を撮影するよう要求し、NASAの熱保護システムの技術主任はコロンビアに搭乗している飛行士たちに耐熱タイルのダメージを調査させるべく船外活動の許可を求めた。NASAの幹部は国防総省の支援の動きに介入してこれを停止させ、船外活動の要求も拒否した。その結果、飛行士が自ら修理に赴くことや、発射準備作業中だったアトランティスで救援に向かうことの実現性は、ついにNASA幹部によって考慮されることはなかった。 退役 2011年7月8日(日本時間9日未明)に打ち上げられたアトランティスのSTS-135をもって、30年あまりに及んだスペースシャトル計画を終了した。当初の予定では2011年2月26日の打ち上げが最後になる予定だったが、後に追加予算が認められて、非常時の救援ミッションのために待機していたアトランティスをISSの補給ミッションに転用する形で同年7月の打ち上げが認められた。 シャトル退役による宇宙開発計画の間隙を埋めるべく、飛行士や搭載物をISSに運ぶだけでなく、地球を離れて月や火星まで到達できるような宇宙船が現在開発中である。当初「有人開発船(Crew Exploration Vehicle)」と呼ばれていた計画概念は、その後オリオン宇宙船やコンステレーション計画へと発展した。しかし2010年にオバマ政権はコンステレーション計画の予算を打ち切り、今後は低軌道への衛星発射の事業は民間企業に委託することを提案した。次世代の宇宙船が登場するまでは、飛行士がISSに到達しまた帰還するためにはロシア連邦のソユーズ宇宙船か、または開発中のアメリカの民間商用宇宙船に頼る以外に手段がなくなる。オバマ大統領の提案はアメリカ合衆国議会によって承認されたが、次の宇宙船が開発されるまでの5年間にシャトルを延長して使用する可能性を含む対抗案も2010年に議会で検討された。しかし結局、シャトルの退役計画は覆されなかった。 退役後は、ディスカバリーはスミソニアン博物館の国立航空宇宙博物館別館、アトランティスはケネディ宇宙センターの見学者用施設、エンデバーはロサンゼルスのカリフォルニア科学センターにそれぞれ展示される。国立航空宇宙博物館別館に展示中のエンタープライズは、同館にディスカバリーが展示されることに伴い、ニューヨークのイントレピッド海上航空宇宙博物館に移されることになっている。2010年4月、タイム紙は「2010年に最も影響を与えなかった人々」のリストの中にスペースシャトルを挙げ、その理由を「シャトルは従来のロケットのように格好良くないから」とした。 民間商用宇宙船への交代 2008年12月23日、NASAはISSへの物資補給を民間に委ねる商業軌道輸送サービス (COTS) に関する契約を、スペースX社およびオービタル・サイエンシズ社と取り交わしたことを発表した。スペースXは2012年にファルコン9ロケットでドラゴン宇宙船を、オービタル・サイエンシズは2013年にアンタレスロケットでシグナス宇宙船を打ち上げ、スペースシャトルに代わってISSへの無人補給ミッションを果たした。 NASAは次いでISSへの有人飛行も民間に委ねるべく商業乗員輸送開発 (CCDev) 計画を開始し、2014年にスペースXのドラゴン2宇宙船とボーイングのCST-100宇宙船を選定した。しかし、有人宇宙船の開発はたびたび遅延を繰り返し、民間によるISSへの有人飛行が実現したのは、スペースシャトル退役から9年後の2020年5月の事であった。 シャトル訓練機 シャトル訓練機 (STA) はシャトルの着陸訓練に使用されたアメリカ航空宇宙局の練習機である。グラマン ガルフストリーム IIをベースに4機が改造された。操縦特性が着陸進入時のオービタの挙動と合致するようになっており模擬的に着陸訓練を行うことが出来た。 開発 外観は飛行訓練中の高い空気力学的荷重に耐えられるように改造されていた。操縦室の左席がオービタの制御と視界を忠実に再現していた。通常の飛行は右席のみで可能となっており、訓練空域までの移動などはこちらで操縦する。 運用の歴史 4機のSTAが通常はテキサス州エルパソで飛行訓練を行い、ヒューストンで整備を行った。STAは同様にフロリダ州のケネディ宇宙センターでも使用された。 機体 N944NA (sn144) N945NA (sn118) N946NA (sn146) N947NA (sn147) その他の用途 機体後部には数名分の座席が設置されておりT-38が使用できない・人数が多い場合(T-38は2名)に、STAはジョンソン宇宙センターとケネディ宇宙センター間の乗員輸送に使用された。 ギャラリー 架空のシャトル一覧 映画『007 ムーンレイカー』(1979年)より、ムーンレイカー号。 映画『スペースバンパイア』(1985年)より、チャーチル号。 テレビドラマ『NASA〜未来から落ちてきた男〜』(1991年)より、フロンティア号。 映画『アルマゲドン』(1998年)より、インディペンデンス号、フリーダム号。 映画『ゼロ・グラビティ』(2014年)より、エクスプローラー号。 シャトル派生型打ち上げ機 シャトル派生型打ち上げ機 () または単純にシャトル派生機 () は、スペースシャトル計画で開発された技術を基にしたロケットで幅広い機種がこれまで提案されてきた。しかし2022年に後述のスペース・ローンチ・システムが唯一打ち上げを果たした一方、それ以外の多くの案は実用化には至っていない。1980年代末から1990年代初頭にNASAは公式に貨物専用のシャトル-Cを研究してきた。 概念 SDVの概念はシャトル自体が飛行を開始した当時から提案された。SDVの概念には以下を含む: 有翼のオービタを無人化された使い捨ての貨物ポッドに交換する("側面搭載型" SDV) オービタを取り除いて外部燃料タンクの上部に上段と貨物部を備える("直列型" SDV) かさばる貨物を打ち上げる為に大型の貨物コンテナを外部燃料タンクの後部に備える(後部貨物輸送機) 固体燃料補助ロケット (SRB) を回収用有翼"フライバック"液体燃料補助ロケットに換装する。 1本かそれ以上の本数の固体燃料補助ロケットに新開発の上段を開発して載せる。 耐用回数の末期のオービタから主翼を除いてスペースシャトルの外部燃料タンクを軌道上に投入して組み合わせて宇宙ステーションとして利用する。 2005年に明らかに前例のない1本の固体燃料ロケット(後に大幅に改良された"延長型"SRB)と新開発の2段目を使用するアレスIが発表された。 これらの案に共通するのは既存のスペースシャトルの構成要素を流用する事で開発費を抑え、より廉価に新型の重量物を軌道に投入する能力を持つ打ち上げシステムを開発しようという意図である。しかし、実際には個々の構成要素は新しい目的別には最適化されておらず、従来の構造体を流用する事によって補強が必要になるなど構造重量の増加の一因ともなり、最適化の障害となっている。有人飛行用としての高度な安全性を備え、再利用を前提としたシステムを使い捨てとして使用しようとした場合、過剰な安全装置等が貨物打ち上げには不要である場合も多い。その為、結局、新技術を盛り込んで最適化された構造の完全新規開発の機体と比較して無駄が多い事は否めず、生産、運用の過程で高くつく可能性が指摘されている。 シャトルC シャトルCはアメリカ航空宇宙局が提案したスペースシャトルの構成要素を流用した無人貨物打ち上げロケットである。外部燃料タンク (ET) と固体燃料補助ロケット (SRB) とメイン・エンジンを備えた貨物用モジュールを組み合わせて使用される予定だった。複数のシャトルCの概念が1984年から1995年にかけて提案された。 シャトルCの概念は理論的にはシャトル計画で開発された再利用技術によって重量物打ち上げロケットの開発費を減らす事が期待された。提案は複数回行われ、いずれも既存のシャトルの構造体や使用回数限度の迫ったメイン・エンジンや航法コンピュータを流用するというものだった。中にはコロンビア号やエンタープライズ号を1回限りの貨物打ち上げ機として使用する案もあった。チャレンジャー号の事故の前にNASAは年間14回の打ち上げを期待していた。チャレンジャー号の事故の後にはこの打ち上げ頻度は複数の理由により非現実的である事が明らかになった。シャトルCは無人であるので高い打ち上げ頻度でも整備費が安く安全性に関する要求水準が低いと考えられた。 2段階の開発が計画された。第一段階として貨物輸送機の形状と大きさが検討された。NASAによる研究は小型だが最も打ち上げ効率の良い機能的な輸送機を示した。 1990年代初頭、NASAの技術者は火星探査用の宇宙船を組み立てる為に地球周回軌道へ80トンの使い捨ての6機のセグメントを打ち上げる為にシャトルCの設計を含む有人火星飛行計画を立案した。代替案は4機のサターンVを使用する案だった。ブッシュ大統領が2010年にスペースシャトルの運用を終了すると発表した後、これらの提案された仕様は検討対象から外された。 DIRECT DIRECTはNASAのビジョン・フォー・スペース・エクスプロレーションで提案されたアレスIとアレスVの代替案として提案された。元のシャトル派生打ち上げ機では"ジュピター"と称され、より野心的な"プロジェクト2"で重量物打ち上げロケットのレビタリアン、軌道周回支援ステーションオリンピア、ガロン重量貨物宇宙船、宇宙ステーションアルゴとヘリオスと乗員貨物船アルテミスから構成され2011年に打ち上げる計画だった。 , DIRECTチームは69人のメンバーで構成されるとされ、 NASAの技術者、コンステレーション計画でNASAと契約した技術者とマネージャー62人から構成され、グループの刊行物によると少数のNASAには属さないメンバーもいる。 計画の名称である"DIRECT"はスペースシャトル計画のハードウェアと施設を"直接"移行する事によって最大限流用する哲学に由来する。 DIRECTには三つの派生機種があり2009年5月に最新の3.0版が発表された。2009年6月17日にワシントンDCで開催された有人宇宙飛行計画委員会の公聴会で明らかになった。 10月11日に2010年のNASAの権限法 (S. 3729) へのオバマ大統領による調印によってスペース・ローンチ・システムが義務化され、DIRECTチームは彼らの努力の成功を宣言した。彼らは新しい宇宙技術企業である: C-Star エアロスペース, LLC.へ組織変更した。 スペース・ローンチ・システム スペース・ローンチ・システムまたはSLSはNASAがコンステレーション計画の中止に伴いスペースシャトルの代替として開発するシャトル派生型打ち上げシステムの一種である。 2010年NASA権限法によってアレスIとアレスVの機体設計を乗員と貨物輸送の両方に使用できる単体のロケットに一本化する構想である。より強力な機種に更新された。当初の打ち上げ能力は上段を除いたコアのみで構成され低軌道へ70から100トンの投入能力を備える。更に地球離脱段を上段に加えることで130トン以上の打ち上げ能力を獲得する見込みである。 スペースシャトルのコンポーネントを流用することで開発期間を短縮してコストを削減する計画だったが、実際には開発は大幅に遅延しコストも増大した。2022年11月に初打ち上げに成功した。 ジュピター ジュピターシリーズは2000年代後半に提案されたスペースシャトル派生ロケットの一つである。NASAがコンステレーション計画のために開発していたアレスIとアレスVの代替として企図された。出来るだけスペースシャトルの構成要素や施設を流用する事が予定されていた。 注記(出典および脚注) 参考文献 NSTS 1988 Reference manual How The Space Shuttle Works NASA Space Shuttle News Reference - 1981 (PDF document) Orbiter Vehicles Lecture Series on the space shuttle from MIT OpenCourseWare 関連項目 外部リンク NASA - Space Shuttle NASA - Human Space Flight Web Gallery JAXA - 宇宙ステーション・きぼう広報・情報センター - スペースシャトル 宇宙船 NASA アメリカ合衆国のロケット
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%98%E5%AF%86%E6%88%A6%E9%9A%8A%E3%82%B4%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC
秘密戦隊ゴレンジャー
『秘密戦隊ゴレンジャー』 (ひみつせんたいゴレンジャー) は、1975年4月5日から1977年3月26日まで、NET系列で毎週土曜19時30分から20時(JST)に全84話が放送された、NET (現・テレビ朝日)・東映制作の特撮テレビドラマ、および作中に登場するヒーローチームの名称。 概要 「スーパー戦隊シリーズ」第1作目として扱われている。他方、シリーズ初期には、本作品と『ジャッカー電撃隊』はシリーズに含まないという見解もあった。 変身ヒーロー作品に「戦隊」という図式を取り入れたうえ、ヒーロー5人が最初から登場するという設定が子供たちの大きな人気を集め、結果的に最高視聴率は22%、放映話数も全84話という記録を打ち立てた。再放送を含めて、2年間という放送期間はスーパー戦隊シリーズの最長記録となっており、未だにその記録は破られていない。人気を支えた理由としては、第1話の時点で5人のキャラクターを明確にしたことや、ハードなスパイアクションからギャグ、次回予告にも使われたなぞなぞネタといった、あらゆる娯楽的要素を盛り込んでいたことなどが挙げられる。 本作品では後年の『バトルフィーバーJ』以降で採用される巨大ロボットこそ登場しなかったものの、ミニチュア特撮による大型メカの活躍場面が用意されているのも特徴である。東映プロデューサーの吉川進は、当時ロボットが子供たちの人気を集めていたことから、メカニックの要素は軽視できなかったことを述べている。 集団変身ヒーローの嚆矢としては、テレビアニメでは1972年の『科学忍者隊ガッチャマン』、実写作品でも同年に制作された『トリプルファイター』がすでに存在していたが、一部書籍では本作品が「実写では本邦初」と説明されている。 主題歌「進め!ゴレンジャー/秘密戦隊ゴレンジャー」のシングルレコードは、番組のヒットにも乗ってミリオンセラー(資料によっては42万枚)を記録した。また、後述のゴレンジャーマシーンなどを商品化したポピニカ商材は、年間46億円以上の売り上げを記録した。 本作品は石森により、スパイアクション漫画作品として『週刊少年サンデー』などの少年漫画誌でも連載されていたが、テレビ版のタッチがコメディ路線に移行していくにつれ、途中からギャグ漫画に180度方向転換し、漫画のタイトルもジャンル変更にともない『週刊少年サンデー』のみ『ひみつ戦隊ゴレンジャーごっこ』に改題された。石森は本作品について「まんがよりもテレビでこそいきる」作品であると述べている。 「ドラマや敵の怪人をコミカルに描く」というコンセプトは、本作品で美術全般を担当したエキス・プロダクションの前沢範が企画会議で石森に「舞台のショーで見られるような、コミカルで楽しいものにしましょう」と提案し、採用された。視聴率は20%を超えるまでになり、吉川進プロデューサーが女子大生のファングループから訪問を受けるなど、性別や年齢を問わない幅広い層から支持を集めた。 メインライターは、上原正三が同じ石森原作である『がんばれ!!ロボコン』と並行して担当。上原はコメディ路線へ作風が変化した理由について、俳優のイメージに引きずられた点と、『ロボコン』との相乗効果が生じた点、沖縄出身である自身の陽気で楽天的な資質などを挙げている。後年、スーパー戦隊シリーズ9作品のメインライターを務めることとなる曽田博久も、本作品よりすでにサブライターとして参加しており、『激走戦隊カーレンジャー』まで、20年間にわたってスーパー戦隊シリーズの脚本に携わることとなる。 アクション面では、仮面ライダーシリーズと異なる集団戦の描写が取り入れられ、ワンフレームで全員が戦う広域カットと個々の戦いを組み合わせることなどにより演出の幅が広がったとされる。また、集団戦に加え各ヒーローが皆異なる武器を持っていることも仮面ライダーシリーズと異なる特長であり、肉弾戦と武器の描写を織り交ぜることで、戦いの流れに変化をつけている。 本作品では、山陰地方(第38話・第39話・第41話)や愛媛県松山市近辺(第60話)などで、本格的な地方ロケを行っている。 制作経緯 NET(現:テレビ朝日)では本作品の放送前、土曜19時台後半より在阪準キー局・毎日放送制作の『仮面ライダーアマゾン』を放送していた。しかし1975年春(3月31日)より「腸捻転」解消によるネットチェンジが実施され、毎日放送はTBS系列に変更となり、その影響で「仮面ライダーシリーズ」の放映権もTBS系列に異動となった。背景には当時のテレビ局と新聞社の統合系列化というマスコミの大変革があった。 『仮面ライダーX』での「メカニック・ヒーロー」への挑戦や『仮面ライダーアマゾン』の「本格的怪奇アクションドラマ」への回帰は成功したとはいえなかったが、それでもNETとしては「仮面ライダーシリーズ」という有力コンテンツを失う危機感は少なからずあった。その穴を埋めるべく東映テレビ事業部本部長の渡邊亮徳は『仮面ライダーストロンガー』制作時に毎日放送に却下されていた「『スパイ大作戦』を参考にした複数の専門家が集まったヒーローチーム」という「5人ライダー」の案件を再検討し、新番組に採り入れることを決定した。また、「5人」とした理由について、企画に参加していた石森プロの加藤昇は『サイボーグ009』のような9人では実写で描写するには多すぎ、同時期に3人ヒーローである『アクマイザー3』の企画が進行していたことを理由に挙げており、東映テレビ事業部部長の渡邊亮徳は7人では多すぎ、3人では少なすぎ、4人では縁起が悪く、5人が収まりが良かったとしている。原作者の石森章太郎は、集団で戦うイメージソースとして自身の作品『少年同盟』も挙げている。 石森は「5人のヒーロー集団」という設定から複雑なデザインは避け、一目でわかるシンプルなヒーロー像を設定した。カラーテレビの時代を反映させ、かつての『仮面の忍者 赤影』(関西テレビ放送)と同様、「色」で個性を強調することとした。強化服を纏うという設定は、既存の作品に見られる改造人間・ロボット・宇宙人などとの差別化から生み出された。石森はこの設定について「007シリーズ」などのスパイものの小道具を全身にまとったイメージと述べている。企画書では、敵味方ともに仮面の集団であることを作品のポイントとしており、仮面という古典的要素と現代的なメカ要素を組み合わせることによる劇画的な雰囲気を強調することが狙いであるとしている。 題名案の変遷 番組のコンセプトはスムーズに決定したが、ネーミングについては難航した。 当初のタイトル案は『レッド・1』というものであり、各メンバーの名もレッドマスクなどと仮称されていた。その後に考案されたのが『ファイブレンジャー』で、メンバーの名称もレッドレンジャーなどとするものだった。 しかし、この『ファイブレンジャー』は「理屈っぽい」として渡邊に却下され、次に出た『ガッツレンジャー』も却下された後、最終的に「5人レンジャー」の「人」を取って「5レンジャー」の名前が考案され、これにOKを出した渡邊によって片仮名の『ゴレンジャー』が決定名となった。 これに伴い、メンバーの名称も渡邊によって日本語に直された。「モモレンジャー」については、当時「ピンク」という単語に「ピンク映画」「ピンク産業」などとエロチックな用法が多かったため、「ピンクレンジャーでは子供向け番組には刺激が強い」と判断し、渡邊が「果物のモモ、ハートのモモ、ふっくらした女性のモモが、ちょっと不良っぽくていい」と「モモレンジャー」に決定した。平山は、小牧リサの太ももから「モモレンジャー」を発想したと証言している。その後、2015年に『手裏剣戦隊ニンニンジャー』が制作されるまで、各ヒーローの色名に日本語が使われた戦隊は、シリーズ中本作品のみであった。 あらすじ 世界征服を企み、国際的に暗躍する黒十字軍。彼らの侵攻を食い止めるべく、国連はイーグルという国際的平和組織の秘密防衛機構を設立、スイス・ジュネーヴに本拠地を置き、全世界に各10ブロックのガードサークルを配置して黒十字軍に対抗していた。ある日、黒十字軍は日本ブロックに焦点を絞って総攻撃を仕掛け、全国の各支部(北海道・東北・関東・関西・九州)は壊滅する。 しかし、各支部に1名ずつ奇跡的に生き残った者がいた。関東支部の海城分隊長の弟で、秘密工作のスペシャリスト海城 剛、東北支部の分隊長新命 明、九州支部の精密技術班員大岩 大太、北海道支部の化学分析班員ペギー 松山、そして関西支部の新米隊員明日香 健二である。イーグル日本ブロックの最高指揮官である江戸川権八は、彼ら5名を新宿の秘密基地に呼び寄せた。 ここに、イーグル日本ブロックが黒十字軍に逆襲するために創設した特別部隊ゴレンジャーの戦いが始まった。 登場人物 秘密戦隊ゴレンジャー 国連が人類を守るために設立した国際秘密防衛機構イーグル(Earth Guard League)の日本ブロックに属する精鋭部隊。作中では単に「ゴレンジャー」と呼称され、「秘密戦隊」のネーミングは作品タイトルや主題歌の歌詞に用いられるのみに留まっている。 黒十字軍の襲撃により壊滅的打撃を受けたイーグル日本ブロック各支部の生き残り隊員が、江戸川権八総司令の指揮下でレンジャー訓練を受け、地球の平和を守るために黒十字軍と戦う特殊部隊ゴレンジャーとなった。正規メンバーは5人であるが、熊野大五郎のようにイーグル内で選抜されたゴレンジャー予備隊員も存在する。 ゴレンジャーの正体は一般には秘匿されているが、第4話の時点で素顔の写真と詳細なプロフィールが黒十字軍の手に渡っており、怪人がスナック「ゴン」にやって来た際には姿を隠すなどして秘密を守っていた。 ゴレンジャーのメンバーは2代目キレンジャーを含め以下の6人。当初のメンバー5人の本名である海城(かいじょう)、新命(しんめい)、大岩(おおいわ)、ペギー、明日香(あすか)の頭文字を繋げると「カシオペア」となり、これはクライマックスへ向けての重要な伏線となっている(後述)。 集合時の名乗りは、「5人揃って、ゴレンジャー!」。大野剣友会の振付による、勢ぞろいした5人が右の掌を前に掲げる決めポーズは、殺陣師の高橋一俊が歌舞伎の『白浪五人男』から採ったものである。 ゴレンジャーのリーダーで、イーグル関東支部の生き残り。4月4日生まれの24歳。一人称は「俺」。 イーグル秘密工作班出身である秘密工作のスペシャリストで、優れた決断力と統率力を持つ義理人情に厚い熱血漢。次第に指揮官としての冷静さと貫禄を身につけていき、時には大人の余裕も見せるようになる。またユーモアのセンスに富み、仲間内での会話では軽妙な遣り取りを交わすことが多く、仮面怪人に対しても巧みなレトリックを弄して煙に巻くケースが見受けられる。正々堂々とした立ち振る舞いを好み、状況によっては敵にも情けをかける一方、騙し討ちなどの卑怯な手段を使う者に対しては激しい怒りを見せる。変装術、格闘術、オートバイの運転などにも長けている。 第1話の冒頭でイーグル関東支部が黒十字軍の襲撃を受けた際、黄金仮面に分隊長である兄を殺されている。これ以外の親族は第12話で「俺の姉は黒十字軍に殺された」と剛本人が述べている。 初期に着用していた白いスーツは誠の要望により作られたが、撮影初日に着用した誠はイメージと異なっていたと述べている。 海城役には次作『ジャッカー電撃隊』で桜井五郎/スペードエース役を演じた丹波義隆も候補に挙がっていた。 海城剛が変身する赤い戦士。 格闘能力と指揮能力に秀でており、総合能力ではアオに分があるものの、見事なリーダーシップでメンバーの危機を救ったこともたびたびあった。海城はかつてイーグル内のサッカー部でエースストライカーだったため、ゴレンジャーストーム/ゴレンジャーハリケーンではフィニッシュのキッカーを務める。 設定ではアカのマスクはプロトタイプで、これを基に他のメンバーのマスクが開発された。 岡田勝によると、変身後のアカは、新堀和男が一人で演じた。新堀と海城役の誠直也は現場で打ち合わせを何度も行い、誠は新堀が演じたアカに対して「背は高く恰好が良かったので全然心配していなかった」と述べており、殺陣担当が変更されて新堀がアカレンジャーを降板した際には、「あのふてぶてしい感じは俺に合ってるから、アカレンジャーはやっぱり新堀のほうがいいな」と漏らした。 誠によれば、新堀は他のメンバーよりコンマ数秒遅く立ち回りを行っており、リーダーとしてのスケール感を表現しているという。また、アカの特徴である重心を落としたガニ股の走りは、ラグビー経験のある誠の走りを真似たものである。 造形を担当したエキス・プロダクションの前澤範は、アカを他の4人より目立つようにしようという考えからブーツを白い400ミリメートルのものにするなどしていたが、制作スケジュールから精神的な余裕はなく深く考えてはいなかったと述べている。 ゴレンジャーのサブリーダーで、イーグル東北支部の唯一の生き残り。メンバー最年長の25歳。一人称は「俺」。 性格はクールな二枚目。東北支部では射撃などの実戦訓練の指揮官を務めていた分隊長だった。かつてレーサーを目指していたこともあり、メカの操作や各種飛行メカの運転技術に長けており、車輛は言うに及ばず、船舶や航空機も動かせる。人間嫌いでメカを愛するが、子供には優しい一面も持っている。バリブルーン、バリドリーンなどの機長を務めるため、非常緊急出動の要請を受けるまで秘密基地に待機していることが多い。諜報活動などの際は、大岩と行動をともにすることも多い。 一見、気障で斜に構えた冷たい人間のようにみえるが、メンバーを思いやる優しさと敵の罠を見破るクールさを併せ持ったチームワークを大事にする大人の性格であり、アカが不在のときはサブリーダーとして見事な指揮を執ることも多く、メンバーからの信望も厚い。加えて仲間思いであり、メンバーが危機に陥ったときは江戸川総指令の制止を振り切って出撃しようとすることもあった。海城とは意見の相違で対立することもあるが、アイコンタクトで意思の疎通を図れるほど互いを信頼している。ときには感情を露わにして海城に窘められる場面もあった。 普段はテンガロンハットを被ることが多い。白いギターを愛用しており、愛煙家でもある。 主演作『仮面ライダーV3』など、既にヒーロー俳優として実績のあった宮内洋がアオに起用された理由のひとつに、当時赤色は「女の子の色」という認識が強く、リーダーのアカが視聴者に受け入れられなかった場合の保険という意味合いもあった。しかし、宮内は当時レギュラー出演していた『刑事くん』(TBS)の撮影などで多忙だったこともあり、「1人のヒーローの下でヘコヘコ働く下っ端なんて嫌です!」と固辞していた。これは、宮内が未だ誰も見ぬ新シリーズ「戦隊ヒーロー」の図式を理解していなかったためであるが、東映サイドはもとより、原作者の石森がどうしても気障でクールなサブリーダーであるアオの配役に宮内を切望し、「アカレンジャーは宮本武蔵、君=アオレンジャーは佐々木小次郎のイメージでやってくれればいいんだよ」と力説して何とか説得し、5人の個性を生かしたチームヒーローものという図式を理解した宮内は、新命をバリブルーンの機長に据えて別撮りで済むシーンを多くすることによってスケジュールの問題をクリアする目処もついたため、ようやくオファーを受けた。ただし、初期は撮影に参加せず、変身後の声のみの出演となったエピソードもある。そのため制作側も宮内には非常に気を遣い、オープニングの登場順でもアオ=新命のクレジットを通常の2番目(アカ→アオ→キ→モモ→ミド)ではなく5番目(アカ→キ→モモ→ミド→アオ)にする、宮内の十八番である素顔のスタントアクションを多くこなすなど、番組内の新命のスタンスが主人公である海城と極力同等(それ以上のケースすらある)に近いものになった。 新命明が変身する青い戦士。 専用の弓矢ブルーチェリー(ウルトラブルーチェリー)による遠距離攻撃やキック技を得意とする。バリブルーンまたはバリドリーンで駆けつけることも多く、単独での格闘は少ない。 変身後のアオは、岡田勝によると中村文弥と中屋敷鉄也が入れ替わりで演じた。中村は主に前期、中屋敷は後期を担当した。 ゴレンジャーのムードメーカーで、イーグル九州支部の唯一の生き残り。23歳。一人称は「おいどん」。ゴレンジャーの男性メンバーの変身前は主に苗字で呼び合っていたが大岩大太は「大ちゃん」と呼ばれている。ただし、第67話でカンキリ仮面との戦いに駆けつけた際はアカから一度だけ名字で呼ばれた。 力自慢でカレー好きの九州男児。九州地方の方言らしき言い回しを用いる。挿入歌によれば10人兄弟らしい。細かいことにはこだわらない性格的には純朴な底抜けのお人好しで、女性や子供にも優しいが、敵にそこを突かれて策略に嵌り捕獲されることも多い。 三枚目だが、江戸川の迂闊な一言から彼の正体がゴレンジャーの総司令であることに真っ先に気付くなど、洞察力に優れており、黒十字軍に捕えられた際、助けに来た仲間に手旗信号やなぞなぞで罠の存在を知らせるなど、機転も利く。戦闘時は得意な柔道を駆使して相手を投げ飛ばす、また自身の怪力や頭突きなどを武器とした格闘戦を挑むことが多い。その一方で、精密技術班員だったこともあり、精密機器や通信関係のスペシャリストという理知的な側面を併せ持ち、相手を撹乱する作戦にも力を発揮する。 カレーライスに関しては目がなく、黒十字軍が用意したカレーでさえも我慢できずに食べてしまう。カレーは大岩をおびき出すエサによく使われるが、一服盛られることは少なく、第9話で痺れ薬入り、第36話で睡眠薬入りのカレーを食べてしまったぐらいだった。また、江戸川総司令がスナック「ゴン」のマスターとしてカレー教室を開いた際には、受講者の作ったカレーを大量に食べていた。「ゴン」では必ず大盛りカレーを注文し、多いときは一度に4杯を注文して綺麗に平らげていた。それらは、黒十字軍の起こした事件で急遽出動するなどの止むを得ない事情があったとはいえ、ほとんどツケであり、マスターの江戸川からは第3話という早い時期から代金を払えとボヤかれていた。 第55話で急遽九州支部の教官に栄転するが、第67話で2代目キレンジャー大五郎の殉職を知り、キレンジャーに再任する。 なぞなぞは苦手なようで、太郎や明日香になぞなぞを出されると「何じゃらホイ?」と九官鳥のゴンや他の人に振って、いつもゴンに馬鹿にされている。 演じた畠山麦は、石森に師事していた漫画家すがやみつるの友人であることが縁で起用された。 第55話から第67話に登場。元はイーグルのゴレンジャー予備隊員だったが、大岩が古巣の九州支部教官に栄転したため、成績優秀者の大五郎が2代目キレンジャーに昇格した。一人称は「俺」。大岩大太の呼び名「大ちゃん」は熊野にも受け継がれるが、海城と新命からは「大五郎」と名前で呼ばれることもあった。 カレーが大好物の大岩とは異なり、ナポリタンやあんみつなどの甘いものを好む大の甘党で、釣りを趣味とする。相撲が得意な肉弾派で猪突猛進気味の性格。しかしそれが仇となり、第67話で自らの不注意によって細菌兵器カビカXをカンキリ仮面に奪われ、これを原因とするパトカーの交通事故で太郎が怪我をしたことに責任を感じ、名誉挽回をかけて1人で戦うもカンキリ仮面が放ったカンキリカッターが腹部に刺さり戦死した。 この大岩交代および復帰劇は、大岩役の畠山が、映画『沖縄やくざ戦争』の競演が縁で松方弘樹から指名されて、松方主演のドラマ『あがり一丁!』(日本テレビ)で主人公の弟分の板前、純役でレギュラー出演することになり、急遽ピンチヒッターが必要になったためである。このため、初登場となった第55話のオープニングでは畠山の映像に熊野大五郎/だるま二郎の名をテロップする形となっており、だるまの映像を用いた新オープニングへの差し替えは第56話からとなっている。 大岩大太または熊野大五郎が変身する黄色の戦士。 初代・2代目ともに怪力を生かした肉弾戦を得意としている。 キレンジャーのマスクは、エキスプロの前澤によると畠山の容貌に合わせて丸く作られたとのことである。 ゴレンジャーの紅一点で、イーグル北海道支部の唯一の生き残り。18歳。一人称は「私」。 化学分析班員であったため、爆弾開発のスペシャリストで、変装と化学分析、爆弾処理が得意。非常に落ち着いた性格で、明日香の抑え役に廻ることもたびたびある。女性ながら格闘能力も一般イーグル隊員を凌駕しており、空手の有段者でもある。他に能なども嗜んでいる。 父がスイス人、母が日本人のハーフであり、挿入歌では弟の存在が語られている。恋仲だった北海道支部時代の上官、醍醐次郎は支部壊滅の際に戦死した。 服装はベストとホットパンツに白いブーツを着用していることが多い。香水はシャネルの五番。髪型はロングヘアーだが、第4話で変装の際、ショートヘアーのかつらを着用したことがある。 映画『ジャッカー電撃隊VSゴレンジャー』ではゴレンジャーのメンバーでは唯一変身前の姿でも登場。 役名は歌手のペギー葉山を捩った名前である。なお「松山」という名前も葉山の代表曲「南国土佐を後にして」の舞台である高知県の隣、愛媛県の県庁所在地「松山市」に引っかけたお遊びである。 ペギー松山が変身する桃色の戦士。 爆発物の扱いに長けており、イヤリング爆弾のほか、ゴレンジャーストーム/ゴレンジャーハリケーンの使用時は自らが開発したボール爆弾のセッティングも務める。また、手刀やキックによる攻撃も得意とする。 岡田勝によると、変身後のモモは小沢章治がメインで演じた。 イーグル関西支部の生き残りの新人隊員で、メンバー最年少の17歳。一人称は「僕」または「俺」。 ゴレンジャーの中ではマスコットキャラクター的な存在で、動物や自然をこよなく愛する。黒十字軍によるイーグル支部襲撃の際、他の4人は攻撃に巻き込まれ負傷しているが、明日香だけは支部施設の屋上にある鳩小屋で鳩の世話をしていたため毒ガス攻撃を免れており、直接の被害は受けていない。若さゆえに血気盛んな面が強い。その性格ゆえか新命からは「坊や」と呼ばれることも多い。 挿入歌によるとなぞなぞが得意なようで、作中でも時々大岩になぞなぞを出している。 当初キャスティングされたのは、新人歌手の岸明彦で、撮影会では彼が明日香役として参加しているが、クランクイン直後に降板したために、急遽伊藤幸雄がその代役を務めることになった。岸が降板したために第1話の撮影は「通常の倍の時間がかかった」と監督の竹本弘一は回想している。 明日香健二が変身する緑色の戦士。 格闘能力は高く、軽い身のこなしで持ち味のスピードを駆使して遠近用万能武器ミドメランを使って戦う。 岡田勝によると、変身後のミドは湯川泰男がメインで演じた。 ゴレンジャーのサポートメンバー イーグル日本ブロック総司令官であり、ゴレンジャーの創設者。普段は新宿駅付近にあるスナック ゴンのマスターに扮している。 当初はゴレンジャーの面々にも正体を隠し、声のみで指令を下していた。しかし、第2話でマスターの姿のまま大岩を「キ」とうっかり呼んだため、大岩に正体を勘付かれてしまう。結局、第3話ではマスターの姿でゴレンジャーに命令することになってしまい、以後はゴレンジャールームにも姿を見せて直接命令を下すようになった。 戦闘訓練や操縦訓練も受けており、「ゴン」で暴れる黒十字軍の攻撃をかわしたことがある他、第20話ではバリブルーンを操縦する場面がある。 料理人としての腕も確かで、得意料理はカレー。第37話では料理教室(カレーの作り方)なども開いている。 詰将棋などを趣味としており、それを参考に作戦を考えたこともある。 企画書(第2稿)での名称は大前田権八であった。 イーグル連絡員 イーグル連絡員の中では最も長期に渡って活動した。普段はスナック ゴン → フルーツパーラー ゴンのウェイトレスに扮している。主にゴレンジャーのサポート活動が中心で、第37話、第58話ではモモレンジャーに転換することもあった。パイロットとしての訓練も受けており、第66話ではバリドリーン、第47・50・65・67・70・71話ではバリタンクの予備パイロットとして参戦したこともある。 総司令やゴレンジャーメンバーからは通常「007」と呼ばれるが、大岩からは戦闘中であっても「陽子ちゃん」と呼ばれている。大岩のことは他のメンバー同様「大ちゃん」と呼んでいる。 企画書(第2稿)では大前田権八の娘大前田陽子という設定であった。 演じる鹿沼えりは、小山ゆうえんちでゾルダーに追いかけられて高所から飛び降りるシーンの撮影の際に背中を負傷し、最終回には未出演となった。残っていたアフレコは寝たままの状態で行ったという。 008 / 、009 / イーグル連絡員のメンバー。 その他のイーグル連絡員(各支部隊員・諜報員) 黒のベレー帽に緑の軍服を着用。ゴレンジャーをサポートする他、科学研究員は新武器の開発も行っている。仮面怪人がイーグル各支部を強襲する際に戦死する者が多い。ゾルダーに化け潜入や諜報活動も行うが、大半は見破られて殉職する。見破られる理由の一つとして、イーグルで用意したゾルダーの衣装が本物のゾルダーと材質が異なることがガンマン仮面の言動から示唆されている。特殊探知機を体にかざされ、黒十字軍の正式構成員でないことを見破られた者もいた。基地に潜入する際に合言葉に引っ掛かり処刑装置の串刺しに遭う者、情報を掴んで逃げる際に矢に射られる者、極めつけは毒グモの実験台で白骨化する者まで出し、その任務は過酷を極めた。 その他 イーグル連絡員の加藤陽子の弟。よく「ゴン」に遊びに来ている。第3・12・22・27話では黒十字軍の罠に巻き込まれてしまい誘拐されることもあったが、第47・53話などでは大岩に出題するなぞなぞや発言が事件解決のヒントになることもあった。 第32話から登場。スナックゴンで飼われている九官鳥。九州弁を話し、人間と会話ができる。大岩をからかっては面白がっている。 ゴレンジャーの戦力 共通装備 ゴレンジャースーツ 5人が着用するイーグル開発の5色の戦闘用特殊強化服。人間の大脳中枢を刺激してその潜在能力を飛躍的に高め、腕に衝撃吸収装置、膝には体温調節器が備わっているので、爆撃などの激しいショックやどんな気温にも耐える。マスクの額部分には番号が書かれており、アカが1、アオが2、キが3、モモが4、ミドが5となっている。また、マスクの後頭部にはそれぞれ番号と同じ数の縦のラインがあり、スーツの胸部分には番号と同じ数のVの字状のラインが施されている。アイマスクには各戦士の個人武器が収納されており、アイマスクのデザイン自体も各々の武器にちなんだものとなっている。ベルトのバックル部分はゴレンジャーのマークとなっており、ベルトの帯部分にはアイマスクと同じ形の飾りがある。 ゴレンジャーの変身プロセスは「転換」と呼ばれる。転換アクションは「ゴー!」というかけ声とともにジャンプして着地する、もしくはその場で回転するだけで完了し、特にアイテムは使用しない。着用する際瞬間的に10万ボルトの高電圧がかかるため、彼らのような訓練を受けたメンバーのみが着用できる。高電圧に耐えるため、転換の際には精神集中が必要である。 撮影用スーツはジャージを改造している。マスクはFRP製で、ゴーグル部分は強度の都合から一体成型となっている。シンプルなデザインのため、従来のヒーローマスクのような分割線の筋彫りや噛み合わせなどが設けられなかったが、材質の向上によりパーツを歪ませずに前後での分割が可能となった。 1975年1月によみうりランドにて開催された第1回撮影会では材質が異なっていた。マントは、第1回撮影会では石森がデザインした丈が長く、アカレンジャー以外の四人も襟が幅広いもので、ベルトの形状なども異なるものであった。この撮影会でバーディーの実演を行ったところ、火が合成繊維のマントに燃え移ってしまい、すぐに劇中の短いものに変更されたそうである。なお、第2回撮影会は1975年2月に新宿西口公園にて本編スーツを着用したゴレンジャーが、出演俳優および武者仮面を除く第5話までの仮面怪人とともに参加したものが開催されている。 ニューゴレンジャースーツ 第43話で敵にゴレンジャースーツの資料が奪われ苦戦を強いられたため、新たに開発された特殊強化服。スーツの外観や転換プロセスは旧スーツと同様であるが、スペックはアップしている。ただし着用時に発生する電流の電圧も15万ボルトに上がっている。変身解除は「逆変転」と呼ばれ、転換と同様に「ゴー!」の掛け声と共にその場で回転しスーツが脱げる方式になっている。 通信機 ゴレンジャー全員が腕に付けている、ブレスレット型の通信用アイテム。転換後は手袋の内側に装着されている。ゴレンジャー以外の一般のイーグル隊員も着用している。中期以降では携帯式のトランシーバー型通信機も登場する。 キーカード ゴレンジャー全員が所持しているアイテム。5つ揃えて桃・緑・赤・青・黄の順に並べると、ベルトバックルにもあしらわれているゴレンジャーのシンボルマークになる(赤が中央になっているのはアカがリーダーであるためである)。第1話で、「ゴン」に集合した時点では素顔での面識がなかった5人が互いの正体を確認するために使われたほか、ゴレンジャールームのドアの鍵としても使われている。 バーディー ゴレンジャー全員のベルトの両腰に付いている小型ロケットブースター。これによりゴレンジャーはジェット推進によって30分間で時速100キロの飛行が可能となり、バリブルーンから飛び降りる際にも使用。横向きに付いており、引き出してノズルを下に向けるだけで点火・ジェット噴射が始まる。 強化ヘルメット 第43話より登場した、転換前のマシン操縦の際に着用される特殊ヘルメット。左右にゴレンジャーのマークがありゴーグル部分には転換する戦士のアイマスク型のマークと番号が付いているのが特徴。防弾能力は折り紙付きで、機関銃で撃たれても弾丸を平然と弾き返す。 個人武器・技 アカレンジャー レッドビュート アカの個人武器である鞭。敵を縛り付けてゴレンジャースーツから2万ボルトの電撃を叩き込むレッドスパークという技が使える。 ヤリビュート レッドビュートを変形させた投げ槍。日輪仮面との戦いで初使用。 ドリルビュート レッドビュートを変形させたドリルで、腕に装着する。第29話で貨物列車の天井を破るために使用。 アミビュート レッドビュートをネット状に変形させ、捕縛に用いる形態。第39話で岩面仮面戦に使用。 ニューレッドビュート 第43話から登場した、レッドビュートの改造強化版。先端には各種アタッチメントを装着可能。なお、第66話までアカレンジャーは旧武器の「レッドビュート」呼びをしており、第67話から「ニューレッドビュート」と呼ぶようになった。 レッドビュートパンチ 先端に赤い球体を装着し、打撃武器として使用する形態。初登場がこの形態であるため、これがニューレッドビュートの基本形態と誤解されていることが多い。 レッドハンター(別名:レッドハンド、レッドアンカー、レッドアーム) 第44話から登場した、先端にクランプアームを装着し、捕縛や奪取に用いる形態。 エレキビュート アミビュートに変形させた状態で高圧電流を流し、ゾルダーを一網打尽にする。 レッドビュート6人斬り ニューレッドビュートを一閃させ、6人のゾルダーを一度に倒す技。 シルバーショット アカが右腰にさげている麻酔銃。第35話では信号弾を発射していた。 オートコントローラー レッドスターの小型自動操縦装置。音声とリモコン操作により、レッドスターの無人操縦が可能。第79話でスケート仮面に足を凍りづけにされた際、窮地を脱するために使用。 レッドキック サッカーで鍛えた脚力を生かしたキック技。変形技の三段跳びレッドキックもある。 レッドパンチ(アカレンジャーパンチ) アカレンジャーのパンチ技。 アオレンジャー ブルーチェリー アオの個人武器である百発百中の精密度を誇る弓。エッジ部分は剣としても使用可能。特殊金属製の矢を射る。第1話では「アーチェリー(アオチェリー)」、第2話では「ブルーアーチェリー」と呼ばれていた。連続撃ちの連続ブルーチェリー、ジェット噴射を用いて矢の飛ぶ方向を変えるスピンシュート(虹仮面に使用)、一本の矢を空中で三本に分裂させるトリプルブルーチェリー(分身した大ナタ仮面に使用)といった技がある。第31話では鉄カン仮面の頭部にリールを取り付け、ゴレンジャーストームを敵の頭に貼り付けるためのリール巻き戻しチェリーを使用した。 チェリーミサイル ブルーチェリーの矢の先端に、モモの持つ高性能小型爆弾を付けてジェット噴射で威力を増して射る。別名ブルーアローミサイル。主に敵のメカなどを破壊するために使われ、武者仮面のロケット、ドクロ仮面の棺桶、砲丸仮面の砲丸ライナー、第37話で逃げる秘密結社ブラックホールの車、第39話の重力装置を破壊した。オープニングでは最終回まで毎回登場している。 ブルー回転アタック 連続で前転しながら敵に接近し、手にしたブルーチェリーの矢を敵の首筋に突き刺す。砲丸仮面の砲丸ライナーを封じるために使用。 ウルトラブルーチェリー 第43話から登場した、ブルーチェリーの強化版。弓に丸い装甲版が装着され、命中精度や連射性も向上した。射たれた矢を3本に分裂させるウルトラブルーチェリー連続射ちが使える。矢の先端にアタッチメントを装着可能で、陽子の母の形見であるダイヤモンドを付けたダイヤモンドヘッド(体の硬い蛇口仮面に使用)、とりもちブルーチェリー(鉄ワナ仮面に使用)といったバリエーションがある。第72話でアオレンジャーが一度だけ「ニューブルーチェリー」と呼んでいた。 玩具『超合金アオレンジャー』では「スーパーアオチェリー」という名称になっている。 オートコントローラー バリブルーンやバリドリーンの小型自動操縦装置で第9話・第39話・第42話・第47話・第48話・第51話などで使用。音声とリモコン操作により、バリブルーンやバリドリーンの無人操縦が可能。 ブルーキック 虹仮面と鉄カゴ仮面に使用した飛び蹴り。ジャンプして、敵集団に6連続キックを放つ六段蹴りもある。 避雷針 ベルト横のスイッチを押すと、頭から避雷針が出てくる。八ツ目仮面の八ツ目ショックを空中に放電させた。 キレンジャー キ専用の高性能無線機でYellow TransCeiver(イエロートランシーバー)の略。さまざまな周波数の電波や音波を発信でき、主に妨害電波や不快音波で仮面怪人にダメージを与えるために使用される。第36話では0.033メガサイクルの超低周波光線を発して空飛ぶ軍艦を破壊した。磁力コントローラーをセットすることも可能で、歯車仮面の水爆の起爆装置を狂わせた。また、赤面仮面に対してマグネット金縛りやマグネットパワーという技を放った。デザインは途中でマイナーチェンジされており、軍艦仮面との再戦ではアンテナの先に突起物が追加された。キのスーツがニュースーツに代わってからは投入されなくなった。 キーステッカー 第43話から登場した、伸縮自在のステッキ。先端に拳形のアタッチメントが付いており、これはグー(キーゲンコツとも呼称される)・チョキ・パーに変形する。初使用時先端には拳ではなく槍状の刃がついていた。第55話でゾルダーを10人まとめて投げる十人投げという技がある。 棒部分の色は当初茶色だったが黄色に変更した。 キー木魚 キーステッカーを木魚のバチくらいの長さに変形させたもの。これでゾルダーたちの頭を連続で殴りつける鉄拳ドレミ打ちという技がある。殴る際にはド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの音階による効果音が入る。「キレンジャーさま怒りの鉄拳ッ!、ドレミ打ち!」がキメ台詞。 メガトン頭突き(爆弾頭突き) キレンジャーの得意技。空中から飛び込み頭突きを決める。バーディーと併用することで高速で頭突きをする阿蘇山頭突きもあり、こちらは第30話で鉄の箱から脱出するために使用。作中では、メガトン頭突きのことを阿蘇山頭突きと呼ぶことがある。 柔道の得意なキレンジャーの投げ技。キレンジャーは投げ技が豊富で、巴投げの要領で何度も回転して相手にダメージを与える阿蘇山車、肩にかついで放り投げる阿蘇山大噴火、敵にさば折りを食らわせた上で放り投げる桜島大噴火という技もある。この際、「おどば阿蘇山たい!怒ればでっかい噴火山たい!」とセリフがある。 阿蘇山落とし ヒッププレスを食らわす。 阿蘇山キック 全体重をかけた強力なキック。 阿蘇山絞め 敵を両手で絞め付ける。第24話で使用。 モモレンジャー イヤリング爆弾 モモの個人武器である手榴弾。モモ爆弾・ピンク爆弾とも呼ばれる。フェイスマスクについているハート型のイヤリングをはずし、「いいわね、いくわよ!」のセリフとともに敵に向かって投げつける。鉄カン仮面には、敵の周りを爆風で取り囲むネズミ爆弾を使用した。 モモミラー ハート型の鏡。太陽光線を反射して目くらましにしたり、敵の光線や炎を反射することも可能。脳波感知機の機能も持っている。鉄グシ仮面戦ではモモミラー火炎返しで鉄グシファイヤーを反射した。鏡仮面戦ではミラーを巨大化させてサンミラー火炎を反射した。 モモカード 第43話から登場した、ハート型手裏剣。複数に分裂して、敵集団を一度に攻撃できる。 モモセセリ 蝶形の小型偵察機。ペンダントヘッドにモモカード2枚を合体させて使用する。第46話・第51話で使用。 ミドレンジャー ミドメラン ミドの特殊合金製ブーメラン。投げることはもちろん、直接敵に斬りつけることも可能で、この戦法はミドメランカッターと呼ばれる。改造による強化が可能で、舟耳仮面戦では両端に鉤爪状のカッターを付けた改良ミドメランを、カミソリ仮面戦では途中で大量に分裂させるスーパーミドメランを使用した。鉄グシ仮面戦ではミド自らが回転しつつミドメランを放つ技回転ミドメランを使用したが、弾かれた。小さな隠しポケットが付いており、第24話でその中に機密カードを隠している。また、第16話ではプールに引き込まれたペギーを救出している。 ニューミドメラン 第43話から登場した、ミドメランのバージョンアップ版。 ミドパンチャー ニューミドメランが変形したスリングショット。鉄板も貫通する弾丸を放つ。発射後に弾丸を巨大化させることも可能。 ミドキック ミドレンジャーの得意とするキック技。空中二段蹴りのダブルキック、ゴールデン仮面大将軍に使用したミド矢車キックというバリエーションがある。 必殺技 ゴレンジャーストーム 番組初期でのゴレンジャーの必殺技。モモレンジャーの用意する銀色のバレーボール型爆弾をモモからキ→ミド→アオの順番に蹴っていく(キはヘディング)ことで5段階式の起爆スイッチをセットし、最後にアオからのパスをアカが「フィニッシュ!」の掛け声とともにキックして敵にぶつけると大爆発する。 キとミドの蹴る順番が入れ替わったり、モモ→キ→アオ→ミド→アカの順に蹴ることも数回あった。第9話からボールの色がパスされたメンバーに合わせて変わるようになり、アカレンジャーにパスされるとスパイクが生えるなどの強化が施された。必ずしもゴレンジャー全員が揃う必要はないらしく、第13話ではモモ→キ→アカの順で3人だけが使用するシーンも見られる。第23話ではバーディーで飛行しながら空中でパスやシュートを行う空中ゴレンジャーストームを使用した。 第2話で早くも武者仮面に通用しないなど、仮面怪人に破られる場面も多く戦隊の必殺技としては弱い部類である。 設定上モモレンジャーがその場で組み立てて出していることから、敵に応じた改造も可能で、角仮面戦では爆弾の中から子爆弾が現れるゴレンジャーストーム親子爆弾による時間差攻撃を使用している。 必殺技の内容は決定まで難航し、撮影前日まで検討が行われた。東映プロデューサーの平山亨は、アメリカ映画で手榴弾をリズミカルにパスするシーンをイメージソースに挙げている。殺陣師の岡田勝は「キックが入るが、イメージはバレーボール」と述べている。 ゴレンジャーストーム・ニューパワー作戦 第27話から登場したゴレンジャーストームの強化型。ボールが敵の弱点や特性に応じて変化する。第35話ではスチール仮面戦にミドレンジャーのミドメランを、第37話ではアカレンジャーのレッドビュートを組み合わせて使用することもあった。 東映プロデューサーの吉川進は、変形を加えたのは最後にもう1つサービスをという意図があったものであることを述べている。 ゴレンジャーハリケーン 第43話からニューゴレンジャースーツへの変更に伴い登場した、ペギーとイーグル科学班が共同開発したゴレンジャーストーム・ニューパワー作戦の変化能力を最大限に引き出したラグビーボール型の新型キック爆弾。 使用するボールはエンドボールと呼ばれ、繰り出し方も変わり、当初はアカの「モモ!ゴレンジャーハリケーンだ!」の掛け声でモモがジャンプしてエンドボールを取り出し全員が横一列に整列し、アカの「ゴレンジャーハリケーン・○○(変形するものの名前)」・「アタック!」の掛け声を合図にモモからキ→ミドへとパスした後ミドからのパスをアオがジャンプして受け取り(右手のみの場合と両手の場合あり)右手で地面にセッティングして「アカ、クラウディングトライだ」と声をかけ、アカが「オーケー!」と返してから「トイヤー!」と言ってジャンプし、アオが地面に直立させたエンドボールをアカが「エンドボール!」の掛け声とともに片足で蹴りこむようになった。また、仮面怪人を中心にエンドボールを奪おうとするゾルダーたち黒十字軍側とゴレンジャーとの攻防戦が描かれることも多くなった。当初はゾルダーを全員倒さないうちにエンドボールが繰り出されており、ラグビー競技のようにゾルダーを掻き分けながらボールをパスを行い、バス回しの途中で黒十字軍側がいったんボールを奪う場面もよく見られる。ただし、第67話で殺陣が大野剣友会からJACに変わってからは、ゾルダーを掻き分けながらボールをパスするシーンは第79話(スケート仮面の回のアイスホッケーバージョン)だけである。このボールも敵に応じた改造が可能で、第53話や第61話などで改造されている。 第67話からはさらに繰り出し方が変わり、アカの「モモ!ゴレンジャーハリケーンだ!」の掛け声で全員が縦一列に整列してモモが横回転してエンドボールを取り出し、アカの「いくぞ!」の掛け声を合図に全員が「オー!」と言ってジャンプをして各ポジションに散り、モモが「オッケー!ゴレンジャーハリケーン・○○(変形するものの名前)」と言い、モモ(空中で離し)→ミド(回転しながら空中で蹴る)→キ(フライングヘッドバット)の順でパスされ、キからのパスをアオが回転しながら「オーライ!」と言って両手で受け取り地面に押さえ、アカが両足で蹴りこむように変更された(ただし第69話から第71話の3話のみ、モモが空中で離したボールをミド→キ→アオの順に宙返りしながらタッチし最後にその空中のボールをアカが蹴り込んでいる)。受け答えは「ゴレンジャーハリケーン・○○(変形するものの名前)」と言うのがアカからモモに変わった以外はほぼ同じ。 「ゴレンジャーストーム」同様、こちらもボールが敵の弱点や苦手なものに応じて変形するが、その内容は次第にギャグ色の強いものになり、それを受けた怪人のリアクションも回を追うごとにエスカレートしていき、幹部である火の山仮面マグマン将軍ですら例外ではなかった(マグマン将軍の項を参照)。 岡田勝はモチーフについて、インタビューにより「ラグビー」と述べているものと、「アメフト」と述べているものがある。書籍『秘密戦隊ゴレンジャー大全集』では「アメリカンフットボールのような陣形」と解説している。岡田は、5人に役割分担をさせやすいことを理由に挙げている。名乗りのポーズ(個人の名乗りも含む)も第67話から第71話までは大野剣友会のものが踏襲されたが、第72話以降はJACオリジナルのポーズに変更されている。ハリケーンを繰り出す前の、中腰になって片手を前に出すポーズは、やくざや香具師が仁義を切る際の「お控えなすって」のポーズを殺陣師の岡田勝が採り入れたもの。 ゴレンジャーハリケーンの変則使用例 第45話と第53話では、アオからパスされたエンドボールをアカが投げてとどめを刺すこともあり、第53話では野球仮面に打ち返されて失敗している。第43話、第48話、第55話、第71話でモモ→キ→ミドとパスした後、時々アオにパスを出しミドにパスを返す場合もあった。第53話での野球仮面への2回目の攻撃時のみモモ→ミド→キ→アオ→キ→アカと渡った。このとき、ミドにパスされた時点でエンドボールは野球のボールへ変化しており、捕手役のキに投手役のミド、アオ、アカが1球ずつ投げて野球仮面から三振を取ってとどめを刺すという演出だった。また、第79話ではスケートリンクを使いアイスホッケーのようにスティックでパスを出しており、この際はモモ→アカ→モモ→ミド→キ→アオ→アカとパスを出しアカの出したパスをアオが両手で受け取り芝生部分に押さえアカが蹴りこんでいる。 第60話の妖貝仮面戦でミドがゾルダーの妨害を受けてパスをミスしてしまい、エンドボールは水没した。この時、モモが予備のボールを出し、キを経由せず直接ミドにパスをしたが、爆弾の威力は変わらなかった。この時のミスで海に落ちたエンドボールを、第61話で牛靴仮面が回収して黒十字ハリケーンの素材にしたことがある。ただし、実際は予めペギーが先回りして偽物とすり替えていた。 また、最終回のみモモが取り出したエンドボールをアカへ渡し、アカが「ゴレンジャーハリケーン・カシオペア」と言った後モモにパスを出した。以降のパスは後期と同様だが映像が撮り直されている。 映画『秘密戦隊ゴレンジャー 爆弾ハリケーン』(1976年)では、モモ・ミド・アカの三人のみによるゴレンジャーハリケーンを使っているが、鋼鉄剣竜に敗れている。最終決戦では5人が1個ずつエンドボールを持ち、一斉に蹴り飛ばす爆弾ハリケーンという技で、鋼鉄剣竜を倒した。 映画『ジャッカー電撃隊VSゴレンジャー』(1978年)では、ジャッカー電撃隊との合同作戦としてアカがビッグワンにパスを行った後に受け取ったエンドボールをビッグボンバーの砲身にセットして発射するゴレンジャーハリケーン・ビッグボンバーが使用されており、エンドボールが変化しない点は爆弾ハリケーンと同様。 ゴレンジャーストーム・ゴレンジャーハリケーンの変形 {| class="wikitable" style="font-size:small" border="1" |- ! 話数 !! 名称 !! 相手 |- !colspan="3"|ゴレンジャーストーム |- |第13話 |(子爆弾入り) |角仮面 |- |第27話 |モグラ |鉄の爪仮面 |- |第28話 |スッポンダー |鉄グシ仮面 |- |第29話 |ダブルパワー |扉仮面 |- |第31話 |リールシュート |鉄カン仮面 |- |第32話 |薪わり |大ナタ仮面 |- |第33話 |桃太郎 |鉄ひめ仮面 |- |第34話 |青天狗 |赤面仮面 |- |第35話 |ミドメランストーム |スチール仮面 |- |第37話 |ビュートフィニッシュ |フォーク仮面 |- |第38話 |錨 |海賊仮面 |- |第39話 |ハンマー |岩面仮面 |- |第40話 |手まり |鉄カゴ仮面 |- |第41話 |ハラハラコイン |鉄獅子仮面 |- !colspan="3"|ゴレンジャーハリケーン |- |第43話 |ブリリアントカッター |ダイヤモンド仮面 |- |第44話 |電気コンロ |エレキ仮面 |- |第45話 |二段ロケッター |剣ザメ仮面 |- |第46話 |石炭 |機関車仮面 |- |第47話 |青い鳥 |鳥牙仮面 |- |第48話 |レンズカバー&マグネシウム |カメラ仮面 |- |第49話 |ドクロ |つの骨仮面 |- |第50話 |バタフライ(蝶) |鉄ワナ仮面 |- |第51話 |黄金銃 |ガンマン仮面 |- |第52話 |設計図 |電話仮面 |- |rowspan="2"|第53話 |ストレート |rowspan="2"|野球仮面 |- |変化球 |- |第54話 |タマゴ |火の山仮面マグマン将軍 |- |第55話 |耳の栓 |大耳仮面 |- |第56話 |火の玉作戦 |蛇口仮面 |- |第57話 |入れ歯 |トサカ仮面 |- |第58話 |観音菩薩 |パラボラ仮面 |- |第59話 |かすみ網 |死の鳥仮面 |- |第60話 |真珠 |妖貝仮面 |- |第61話 |クワガタ虫 |牛靴仮面 |- |第62話 |骨ガラスープ |アバラ仮面 |- |第63話 |チャンネル |テレビ仮面 |- |第64話 |マグネットロック |時計仮面 |- |第65話 |焚火 |落ち葉仮面 |- |第66話 |扇風機 |風車仮面 |- |第67話 |缶詰 |カンキリ仮面 |- |第68話 |アンプル |注射仮面 |- |第69話 |パインカッター |パイナップル仮面 |- |第70話 |空気入れ |タイヤ仮面 |- |第71話 |ピアニスト |ピアノ仮面 |- |第72話 |銀の舟 |イカリ仮面 |- |第73話 |ゴレンジャー |剣道仮面 |- |第74話 |視力検査 |眼鏡仮面 |- |第75話 |給油タンク |ストーブ仮面 |- |第76話 |クモの巣 |鉄グモ仮面 |- |第77話 |冷凍スプレー |鉄ヘビ仮面 |- |第78話 |製氷機 |マンモス仮面 |- |第79話 |アイスホッケー |スケート仮面 |- |第80話 |手毬 |鋼鉄虎仮面 |- |第81話 |大火鉢 |鉄ビン仮面 |- |第82話 |ヨーヨー |ヨーヨー仮面 |- |第83話 |鉄の罠 |ダイガー仮面 |- |rowspan=2|第84話 |ギロチン |rowspan=2|黒十字総統 |- |カシオペア |- |} その他の合体技 ゴレンジャーチャージ 第5話で使用。心肺停止となったミドに対し、4人が右手を掲げてそれぞれの色の光線を放ち、蘇生させた。スーツに流れる特殊電流を利用し、エネルギーを充填させたもの。 ゴレンジャーサークル 敵を囲み、一瞬にして位置を入れ替わることで敵を混乱させる。青スジ仮面に使用。 不意打ちキック 眼鏡仮面のスローモーションメガネを破るために使用した技。アオの合図とともに、キ以外の4人が敵の頭上に飛び蹴りを食らわす。キは敵の股間目掛けてスライディングで頭突きする不意打ち頭突きを使用した。 ゴレンジャーの使用マシン・メカ ゴレンジャーマシーン イーグル科学陣が製作したゴレンジャー隊員が使用する陸上戦闘・追跡用の特殊バイク。ブルーマシーンとグリーンマシーンのサイドカー部分は切り離せる。動力源はリチウムエンジンで、これによってゴレンジャーマシーンは空気のあるところならば半永久的に走ることが出来る。ブルーマシーン・グリーンマシーンのサイドカー部分のシートは、第53話以降色が変わっていた。また、高性能コンピューターによる自動走行も可能。使われない時はゴレンジャールーム付属の車庫に待機している。ゴレンジャー基地に侵入した鉄の爪仮面に破壊されかけたことがあった。第54話で、黒十字軍のナバローン要塞を破壊するために爆薬を積んで特攻、要塞もろとも大破した。 海城剛役の誠直也は、オートバイシーンはスタントなしであったと証言している。 レッドマシーン アカ(海城)専用バイク。レーダー探知機、通信装置、銛ビュート、イオンジェットによる急加速装置などを搭載している。第37話後半から、ヘッドライト周辺が黒くなっていた。 デザイン画ではフロント部分の形状が異なっている。 ベース車はスズキ・GT750。誠は、運転に支障はなかったと述べている。 ブルーマシーン アオとキが乗るサイドカー。運転は主に新命(アオ)が担当するが、新命がバリブルーンでの別行動も多いため、大岩(キ)もしくはペギー(モモ)が運転することも多い。第26話では大岩が運転、ペギーがサイドカーという組み合わせも出ている。基本装備はレッドマシーンと大差ないが、高速走行時の安定性に優れている。設定では特殊作業用マジックハンドを搭載しているが劇中では未使用。第53話の冒頭シーンで、カー側の後部の飾りが無かった。 ベース車はスズキ・GT380。 グリーンマシーン ミドとモモが乗るサイドカー。運転は主に明日香(ミド)が担当、明日香不在時や待機時にはペギー(モモ)が単独で運転することもある。第24話ではモモが運転、ミドがサイドカーという組み合わせが登場している。 ベース車はブルーマシーンと同じスズキGT380。 スターマシーン 第55話より登場した、ゴレンジャーマシーンの後継車両。設計案は第52話で語られている。第三次防衛計画の一環として開発された。動力源は旧マシーンと同じリチウムエンジンで、エンジン出力と装甲が強化されている。話数が増えていくたび、後部にペナント型の旗が付いたり、車体の1か所に各マシーンの名称があしらわれたり(例:レッドスター⇒レッドS)、バックミラーが附属したりすることもあった。また、ブルースター・グリーンスターそれぞれの後部には「GORANGER」ではなく、「GORENGER」と書かれていた。先代マシン同様、ゴレンジャールーム付属の車庫に保管されている。最終話ではゴレンジャーマシーン同様、バリドリーンとともに爆薬を積み込み黒十字城に突入、これを破壊した。爆破直前のシーンは第54話のゴレンジャーマシーンの映像が使い回されている。 ベース車は3台とも旧マシーンと同じである。 レッドスター アカ(海城)専用の新型バイク。強固な壁も打ち破る特殊超圧鋼で作られており、フロント部から機銃掃射を行う。第62話ではアバラ仮面のアバラ絞めで崖から転落してしまい大破するが、すぐに修理されていた。オートコントローラーによる自動操縦が可能。 放送当時にバンダイから発売されたプラモデル「マスコミシリーズ」では、初期のみニューレッドマシーンという名称であった。 ブルースター アオとキが乗る新型サイドカー。運転は主に新命(アオ)が担当する。ブルーマシーンと同じく、新命が待機やバリドリーンでの別行動が多いため大岩や熊野(キ)もしくはペギーが運転するケースもある。第60話では新命が運転、明日香がサイドカーという珍しい組み合わせも登場した。マジックハンドを搭載しているが設定のみで劇中では未使用。 グリーンスター ミドとモモが乗る新型サイドカー。運転は主に明日香(ミド)が担当。明日香が不在のときはペギー(モモ)が主に使用するが、第63話では熊野、第78話では大岩が運転している。フロントに搭載した特殊消火器から消火剤を噴射することもできる。 ブルー、グリーンスターの側車部分は以前の"マシーン"側車よりも狭くなっており、搭乗時には両膝を立てた状態になってしまっている。 バリブルーン ゴレンジャーの空中要塞でもある垂直離着陸可能な飛行戦艦。ブルドッグをモチーフとしたデザイン。カラーリングは赤地に白で、赤塗装は炎のようなデコレートがある。操縦席の定員は基本的に2名だが、他に機体中央部と左右翼端に透明なドームをかぶせた座席があり、5名搭乗する場合にはそれを使用する。浮力発生用(垂直離着陸用)として左右翼端下部に四翅の大型回転翼2基、推力発生用として推進式に三翅のプロペラを2基尾翼に持つ。爆撃機と戦闘機の機能を兼ね備え、給油無しで世界一周も可能という驚異的な航続距離を誇る。主に新命明によって操縦されるが、緊急時で新命が不在のときは他のゴレンジャーや江戸川総司令、007などが操縦することもある。しかし操縦は非常に難しく、性能を全て引き出せるのは新命のみだが、補助的な武器を使用する際は新命の手に余るときもあり、本来はそれらを担当するコ・パイロットがいるのが好ましい。この点は後継機バリドリーンも同じである。様々な救助用メカや攻撃兵器を使ってゴレンジャーを支援する。主な武器はスーパークレーン、ロケット砲、第28話と第42話で使用したドリルミサイル、第36話で使用したバリネット。他にも、人員を掃除機の要領で吸引収容する透明の救命ホース、フックワイヤー、マジックハンド、索敵カメラのスカイスコープ(バリスコープ)、煙幕のブルースモーク、第26話で使用した集音マイク、青スジ仮面の吹き矢を吸い付けたウルトラマグネット、第37話で水爆ミサイル搭載のコンドラーを凍結させた凍結噴射装置といった装備がある。第42話で鉄人仮面テムジン将軍を乗せたまま墜落、爆発四散した(テムジン将軍の項を参照)。 企画時の名称は第1稿ではレッドブルーン、第2稿ではジャガーブルーンと改称された。いずれの名称にも含まれる「ブルーン」は、石森による最初のラフ画稿の時点で既に登場しており、またこれを受けて平山プロデューサーが提案したという江戸川総司令の専用マシン「ブルブルーン」の強烈なインパクトが、動物モチーフの導入を検討するきっかけになったのではないかと、一部資料では推測されている。他のモチーフ案としては、決定稿にも採り入れられた犬の他、双頭の竜を模したものも存在する。デザイン画では内部透視図も描かれている。 バリドリーン バリブルーンが失われたあと、第42話のラストシーンで初登場した、バリブルーンに代わる新型の空中要塞。バリブルーン同様、浮上・離着陸用回転翼と推進式プロペラで飛行する。鳥をモチーフとしたデザイン。カラーリングは白地に赤、機首と爪先は黄色。可変翼として展開する翼にはゴレンジャー全員の色が配されている。操縦席は5名搭乗できるように拡大されている。操縦は引き続き新命明が行い、バリブルーンと同様にオートコントローラーによる自動操縦も可能。第50話で江戸川総司令によってコンピュータが電子データの形で設計し、紙の設計図は処分されていたことが明らかにされた。主な武器は機体下部に搭載されたバルカンミサイル砲のスカイロック・スカイミサイル・両翼の爪を発射するスペースウイング。他にも、人工雲・プロペラシェーブ・小型ムービーカメラなどを装備している。バリタンクやバリキキューンを常時格納しており、それらを前線に輸送・投入する役割もある。最終話でスターマシーンとともに爆薬を積み込んで黒十字城に突入し、黒十字城とともに爆発四散した。 初期案での名称はジェット・バリブルーン。デザイン画では主翼の模様は孔雀を模しており、ローター部分と爪部分はバリブルーンと同様のファイヤーパターンが存在した。 バリタンク バリドリーンとともに第42話より登場した特殊合金製の万能6輪戦車。高い走破性を持つため、地上はもちろん、地底や海底を潜航することも可能。搭乗口はバリドリーンと通路が直結した後部と左右部分の閉開式ハッチの三か所ある。主な操縦者はアカまたはアオ。007とモモが操縦することもあるが、キとミドは操縦することはなかった。最高搭乗人数は6人。主な武器は車体前部の2基の機銃(マシンガン、機関銃)と、上部の2本の巨大なマジックハンドバリハンド。このアームは敵を引き裂くジャイロカッターとして使えるほか、回転させてジャイロコンパス(別名:ハンドジャイロ)として地中に潜ることも可能。アームは第64話で改良されて以降、テンフィンガーと呼ばれる強化版のマニピュレーターになり、仮面怪人を掴んで放り投げたりしていた。他にも、飛行中のバリドリーンから離脱して地上へ降下する際のパラシュート・第45話の潜望鏡と魚雷ミサイル・第54話の消火装置と地中ミサイル・第55話で崖を登るために発射したアンカーバリネットなどを装備。第61話では牛靴仮面の黒十字ハリケーンを無力化するための大型吸引装置を装備した。第46話では機関車仮面を「轢き潰してやる!」と轢殺すべく轢いたこともある。 造形物は実物大の車両とミニチュアが存在する。実物大のベース車両は軽自動車で、中央のタイヤはダミーであった。 バリキキューン 第69話より登場した諜報活動用の気球型飛行メカ。主な操縦者はモモまたはキ。ステルス機能を搭載しているためレーダーに引っかかることなく、いかなる場所にも離着陸できるスパイマシンとなっている。両側には作業用マニピュレーターにもなる鎖付きマジックハンドのバリハンドと鎖付きのクチバシハンドを装備している。他にも、煙幕のスモークバリアと機関銃のバリマシンを装備している。 造形物はミニチュアのほか、実物大の操縦席が作られた。 スペック {| class="wikitable sortable" style="font-size:small" border="1" |- ! 名称 !! 全長 !! 全高 !! 重量 !! スピード !! 初登場 |- ! レッドマシーン |rowspan=3|2.8m |rowspan=9| |300kg |300km/h |rowspan=3| |- ! ブルーマシーン |500kg |rowspan=2|250km/h |- ! グリーンマシーン |400kg |- ! レッドスター |2.6m |280kg |350km/h |rowspan=3|第55話 |- ! ブルースター |rowspan=2|3m |450kg |300km/h |- ! グリーンスター |350kg |250km/h |- ! バリブルーン |42m |84t |マッハ0.98 |第1話 |- ! バリドリーン |50m |95t |マッハ1.1 |第42話 |- ! バリタンク |13m |9.5t |rowspan=2|100km/h |第42話 |- ! バリキキューン | |5.5m |10t |第69話 |} 施設 ゴレンジャー基地 新宿駅西口付近にあるスナック・ゴンの地下にあり、隠し通路およびエレベーターを経由して指令室ゴレンジャールームにたどり着くイーグル日本ブロック本部。ゴレンジャールームの入り口には5人が持つキーカードをセットするスペースがあり、キーカードを揃えるとドアが開くようになっている。ゴレンジャーマシーンやスターマシーンで出動する際は、ゴレンジャールームに隣接する地下ガレージから新宿駅西口のロータリーを通って地上に出る。バリブルーンやバリドリーンは新宿西口地下駐車場の排気ダクトのシークレットポートから、VTOL発進する。 また、イーグル隊員が警備をするゲートも存在しており、そちらではゲートを通る際にレントゲンカメラによる撮影で侵入者をチェックされており、そのチェックに引っかかった場合、基地への通路が遮断され、別ルートへと導く仕掛けになっている。 スナック・ゴンは、第44話でのエレキ仮面軍団によるゴレンジャー基地探索の際に内装を破壊されてしまったため、第45話からは場所を移転した上で、フルーツパーラー・ゴンにリニューアルされた。 黒十字軍 黒十字総統が率いる、人間社会の完全破壊と地球征服を目的とする国籍不明の悪の軍隊。モットーは「破壊と殺戮」。世界規模の組織を有し、アフリカ(日輪仮面将軍)・中央アジア(鉄人仮面テムジン将軍)・北欧(火の山仮面マグマン将軍)には大幹部が配置されている。大幹部以外にもアラビア砂漠の鉄カゴ仮面など幹部級の実力を有する仮面怪人が各地に存在している。歴史も古く、ゴールデン仮面大将軍のような古代からの構成員も存在する。大組織であるがそれに留まらずイーグル構成員を金で寝返らせたり、死者を蘇生改造して仮面怪人にする、アトランティスの遺産、コンドラー戦闘爆撃隊を入手する、宇宙忍団を呼びよせるなど戦力増強もたびたび行っている。作戦面では一般的な怪人の能力に依拠したテロ作戦以外にも最初に日本を攻撃した際に黄金仮面、武者仮面、青銅仮面、ヒスイ仮面、毒ガス仮面の五人の仮面怪人を同時に投入するなど大規模作戦も実行、そのいずれもイーグル支部を壊滅させるなど精度が高かった。 プロデューサーの吉川進は、ハイテクを駆使するヒーロー側との対比や子供へのわかりやすさなどから、プリミティブなイメージで統一したと述べている。脚本陣はストーリーの打ち合わせはせず、石森の描いた怪人デザイン画から好きなものを選んで好きなように書いていた。 黒十字軍の首領。原水爆もよせつけない不死身の肉体を持つ。武器は黒十字剣。前期は白い頭巾で素顔を隠していたが、火の山仮面マグマン将軍着任の際に素顔を現し、その後も顔やマントなど幾度かマイナーチェンジされた。 基本的には冷酷非情な性格ではあるが、寛容な一面もあり、見所がある部下に対しては失敗をしても罪に問わなかったり、組織内で諍いが起きたときは仲裁役に回り、組織に対して忠誠を示す部下を大いに褒め称えるなど、大組織の首領としての手腕は高い。 自らゴレンジャーをも圧倒する絶大な戦闘力を持つが、最終話でという宇宙線が弱点であることを見ぬかれ、ゴレンジャーハリケーン・カシオペアで追い詰められ、彼自身が機械生命体であり黒十字城そのものであることが明かされる。最終的にはゴレンジャーによって爆薬を積んだバリドリーンとスターマシーンごと黒十字城は爆散した。 映画『ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦』では黒十字総統が生まれ変わった黒十字王が登場。 第1話から総統を演じたのは安藤三男であり、エキスプロの前沢代表は、俳優として頭巾で顔の隠れた役柄に不満を持った安藤から個人的に相談を受け、のちに顔の出る衣装を作り、これに応えている。前半期の総統は始終腕組みをしているものだったため、安藤の負担も大きく、前沢は腕をピアノ線で吊るように工夫したという。シリーズ後半に安藤の病気療養による降板により、八名信夫への交代とともに総統の性格も変更された。 第15話より登場したアフリカの星という異名を持つ初代大幹部。アフリカ戦線で連戦連勝の実績を買われ、総統により日本に呼び寄せられた。日輪状の杖を武器とする。勝つためには手段を選ばず、卑怯な作戦を取ることが多い。将軍ではあるが部下は持たず、不利になると共闘した仲間も簡単に見捨てて撤退するため、仲間の仮面怪人と対立することもあった。高熱線で敵を攻撃する日輪ファイヤーという必殺技の他にも、サンミラー火炎という鏡仮面との合体技もある。高速移動能力や再生能力も有する。アフリカ戦線では、自ら調合した水分を蒸発させる薬品Z20を使った作戦を得意としていた模様。失敗続きに加え第20話で総統がテムジン将軍を招聘したことに焦り、最後のチャンスを与えられゴレンジャーを罠にかける。処刑されそうになったので裏切ったと見せかけてゴレンジャーの油断を誘い、味方にイーグルの基地を破壊させた上、1度はアカレンジャーを破る。さらにアカ以外の4人を捕らえるが、怒りに燃えたアカの反撃を受け、ゴレンジャーストームで倒された。 第20話より登場。ゴビ砂漠から呼び寄せられたモンゴルの鬼という異名を持つ2代目大幹部。ゴビ砂漠から引き連れて来た金属をモチーフとした複数の仮面怪人により構成された鋼鉄軍団を率いる。 軍人型の大幹部で、肋骨軍服調の戦闘用ジャケットを纏っている。初登場時に座乗していた車両は、軍用車両を思わせる四輪駆動車。戦いぶりも実力本位の真っ向勝負が多く、初対決でゴレンジャーを出し抜き、古代アトランティスの飛行船を奪取してみせるなど、ゴレンジャーを大いに苦しめる。また、第35話ではコンドラー爆撃隊という一人乗りの小型戦闘機隊を指揮しており、黒十字軍の空戦力を高めた功績も大きい。 指揮能力、行動力は黒十字軍の中でも秀でており、部下との信頼関係も厚いため、鋼鉄軍団は文字どおりの「鉄の結束力」を誇る。自身の戦闘能力も高く、ムチとロケット弾を放つ三つ又の槍を武器とし、眼から破壊光線を放つことも可能。だが失敗が相次ぎ、さらに第42話で地下ミサイル基地をバリブルーンに破壊されたため、総統から火の山仮面マグマン将軍との共同作戦を命じられる。誇りを傷つけられたテムジンはゴレンジャーに最後の勝負を挑む。瞬時に物体を凍結させ吸着する凍結装置を搭載した戦闘用ジャケットによってゴレンジャーストームを2度も防ぎ、バリブルーンを奪いゴレンジャーに特攻を仕掛けるも、アオのコントローラーによりバリブルーンの制御を奪われ、さらに機内温度の上昇によってジャケットに貼り付いたストームが解凍されたためにバリブルーンとともに爆死した。その死に様を黒十字総統は激賞する。笑うとき、口元に手を当てる癖がある。 ラフデザイン画での名称は「鉄面将軍」や「モンゴラー」、「ゴーレム」や「ゴラーム」であった。 第20話の初登場シーン、および1975年7月に開催された撮影会では軍服風のスーツではなく、タイツ姿にマントを羽織っただけのものが使用されている。 第42話より登場。アイスランドのヘクラ火山より呼び寄せられた3代目大幹部。配下に噴火軍団を従えている。当初はテムジン将軍との共闘を行うために来日したが、テムジン将軍の死後、本格的に活動を開始する。無敵の移動要塞ナバローンを指揮し、ナバローンを用いた一撃離脱の奇襲戦法と権謀術数でゴレンジャーを窮地に陥れる。常に指揮棒を携えており、頭部の火山を噴火させて火山弾の雨で敵を攻撃する火の山仮面怒りの大噴火という必殺技を持つ。必殺技抜きでも、ゴレンジャーの個人武器を軽々と捌くなど戦闘能力は高い。ゴレンジャーに次々と作戦を失敗させられた末に、第54話でゴレンジャーと交戦中にバリタンクにナバローンへの侵入を許してしまい、ナバローンの設計図を奪われる。総統に見限られナバローンを率いて最終決戦に挑むが、液体をかけると浮き出てくる特殊設計図を解析したゴレンジャーにより、爆薬を積んだゴレンジャーマシーンでの特攻で、ナバローンを破壊される。やむなく自らゾルダーを率いて出撃するもゴレンジャーハリケーン・タマゴの攻撃を受け、エンドボールが変化した卵を頭のマグマで茹でて食べて爆発、悔しがりの断末魔を残して滅び去る。 造形用デザイン画での名称は「火の岩仮面」であった。 エンディングでの登場カットは最終話まで使用された。 第54話より登場。棺の中で永い眠りについていたが、マグマン将軍に見切りをつけた総統による復活の儀式によって目覚めさせられた。黒十字軍で将軍の中の将軍たる「大将軍」の地位にある唯一の仮面怪人であり、精鋭を集めた黒十字軍最大最強のアフリカ軍団を率いる最高幹部。呪術や古代バビロニアの占星術に深い造詣を持つ。常に大斧を持った2人の近衛兵を傍らに従え、先端にドクロのついた指揮棒を持っている。自ら戦線に立つことはあまりなく、傲慢な性格のため仮面怪人の反感を買いやすく、統率力に欠けるところがあるが、総統への忠誠と忠義心は軍団随一である。しかしゴレンジャーの妨害により成果はほとんどあげられず、最終話ではゴレンジャーの技の応酬の前に敗れるが、ゴレンジャールームの場所を突き止めるべく、自らの身体を金粉に変えて5人のスーツに付着し、黄金の虹となって基地の居場所を総統に教えた。 デザインモチーフはスフィンクスで、デザイン画では「ゴールドスフィンクス」と記載されていた。 仮面怪人 破壊活動の陣頭指揮を執る怪人たち。主に改造人間と推測されるが、一貫したイメージは採られておらず、中には明らかにロボット然とした者(例:大岩が部品から組み立てて作った赤面仮面)もおり、鉄カン仮面はイーグルが所持している体内構造図では機械だった。シリーズ初期の回は主に世界各国の民俗仮面をモチーフにデザインされた。 ゴレンジャーの攻撃に倒されると「炎の中で悶え苦しむ」シーンが描写される(これは大幹部も同じ)。 シリーズが進むにつれ題材とするカテゴリが増え、武器や鉱物、遊具、生物、家電製品、日用品、スポーツ用品など様々なモチーフを用いた怪人が現れた。中には複合名詞や物質名詞を名乗る者もいる。金属系やメカニック系のモチーフも多い。 シリーズ後期には、風貌や言動を含めた存在自体がギャグとしか思えない仮面怪人が数多く登場し、怪人が変装もせず公然と都会の雑踏の中を駆け抜けたり、街角の売店で新聞を買うなど、従来の特撮作品にない演出がなされた。ただしこのような「ギャグ系」怪人でも、登場回のストーリーや展開する作戦にはシリアスなものも多く、ゴレンジャー5人が団結しないと太刀打ち出来ない猛者揃いであった。 曽田博久は「ゴレンジャーの怪人を見て怖がる子供はいないでしょう。怪人を観て怖がりたいなら『仮面ライダー』を観ればいいわけですからね」とコメントしていて、怪人のコミカルさは割り切ったものだった。石森のデザインには「パチンコ仮面」(「チューリップ仮面」、「チンジャラ仮面」の付記あり)というものもあったが、吉川プロデューサーに没にされたという。 曽田によれば、各話の登場怪人は既に用意されていた石森のデザインの中から脚本家が選んでストーリーを執筆しており、脚本家から怪人についての注文を出すことはなかったという。当初は上原正三が優先的に選んでいたが、上原が多忙になると次第に曽田が先に選ばせてもらうようになった。 仮面怪人の造形はエキスプロによって行われ、石森のラフスケッチを前澤範が造形用に起こしていた。石森も前澤も同時期に同じスタッフで担当していた『仮面ライダーストロンガー』と差別化しようとの思いがあり、「とにかくコミカルで面白いものを」とのコンセプトを念頭に置いたという。「色彩豊かなゴレンジャーのキャラクターに負けないように」と、前澤はスタッフに「仕上げをとにかく綺麗に」と徹底したと語っている。ゴレンジャーの仮面怪人は顔にギミックのついたものが多いが、これはギミック好きな吉川の直接指示によって加えられたものという。また、エキスプロの八木功は、当時の東映生田スタジオはノウハウの蓄積によって撮影スケジュールが短くなっていたため、全身を作り込んでいては間に合わなかったと証言している。 戦闘員 一般戦闘員。黒十字軍の最下級の兵士である。「ホイ!」と奇声を発する。「舞台のショーのような楽しいアクションにしよう」との、上述の企画時の申し合わせにより、コミカルな立ち回りがゴレンジャーとの間で繰り広げられた。 全身を黒タイツに包み、黒いレザーベスト、目の縁取りが付属しているヘッドキャップを装着している初期のマスクにはストッキング素材が使われ、目や鼻や口が透けて見えている。1クール放映を終えたころから、視界が取りやすいようスーツアクターの眼部が剥き出しとなった。武器は黒十字ナイフ、黒十字機関銃、バズーカ砲など。直属の仮面怪人の戦法に従い、特殊技を体得した者もいる。また、専用のジープも支給されている。鉄人仮面テムジン将軍配下の黒十字コマンド部隊は軍服を着用している。鼓笛隊に扮した者や、男女の人間態で行動した者もいる。 任務には忠実で、戦闘時に捕まっても黙秘を貫き、作戦のための自爆も厭わない。その一方で「キレンジャーが自分の解けなかったナゾナゾを戦闘中に捕まえたゾルダーに答えさせる」「野球仮面配下のゾルダー最後の1人が背番号0を見せて『俺は補欠だ!』と叫ぶ」と言ったコミカルな描写も多い。 劇場版『ジャッカー電撃隊VSゴレンジャー』などにも登場。 第64話より登場したゾルダーの精鋭部隊。「宇宙忍団」という地球外組織の協力を得て結成された。全身真っ黒なのは一般のゾルダーと同じだがベストや仮面がカラフルである。特別訓練を施されており、忍者のごとき身軽さと壁をすり抜けるなどの忍術を備えている。槍や剣を使った接近戦を得意とする。一般のゾルダーのように仮面怪人とともに任務に携わることはまれで、一般のゾルダーがやられた後に仮面怪人の合図で登場する。時に付き従っていた仮面怪人への刺客ともなる。タイヤ仮面配下のタイヤ忍団やイカリ仮面配下のイカリ忍団、鉄ヘビ仮面配下の鉄ヘビ忍団のように上役の仮面怪人に合わせた能力を持つ者たちもいる。 科学班 特に呼称はないが仮面怪人や特殊装置の製造など科学技術を要する作業に登場する。当初、俳優が顔出しで演じたが、後に全て白衣を着たゾルダーの姿になった。 鋼鉄軍団親衛隊員 テムジン将軍の側近で軍服調のジャケットを纏った2人組のゾルダー。 第42話でテムジン将軍がコンドラーで出撃した後の消息は不明。 アフリカ軍団親衛隊員 ゴールデン仮面大将軍の配下のうち、通常のゾルダー・忍団と大きく外見が異なり、古代エジプト兵のような恰好をしている側近のゾルダー2名。 最終回、大将軍が撃破された際に敬礼し、その後は総統の側近として行動。最終戦闘時に2人ともアカレンジャーを攻撃するが、かわされてお互いの斧が当たり死亡。 狼部隊 三ケ月仮面の配下。一般人に狼の染色体を植え付けて変身させたもの。三ヶ月仮面の持つ杖から発するムーンライト光線で操る。 足軽隊 剣道仮面の配下。足軽の格好をしており、ゾルダーの衣装を着けず、「ホイ!」という掛け声も出さない。 その他 黒十字軍構成員には俳優が顔出しで演じる軍人もおり、軍帽、軍服を着用している。大幹部送迎時にサイドカーを運転するなどの姿が見られた。 特殊構成員 仮面怪人やゾルダー以外で組織に所属している科学者やエージェント。イーグルから寝返って黒十字軍側についた者もおり、劇中で「待遇はイーグルよりもいい」と述べている。 第36話に登場。黒十字軍の女性諜報員。改造人間で、鋼鉄製の伸縮自在の爪を持つ。改造されたことにより黒十字軍の構成員として生きていくしかない旨を語っている。洗脳はされておらず、黒十字軍を裏切ったため処刑された。 第53話に登場する科学者。大量殺戮兵器製造の罪で収監されていたイーグルの刑務所から野球仮面の手を借りて脱獄し、強引に自作のボール爆弾を提供させられる。その腹癒せに野球仮面直属のゾルダーを実験と称して大勢爆死させ、戦闘時にも野球仮面が大切にしている赤バットに新型銃で穴を開けて怒りを買い、銃殺刑に処せられた。 この時のボール爆弾は後に蛇口仮面(第56話)が同型の物を使用。 博士を演じた八名信夫はこの死神博士としての出演の後、病気で降板した安藤に代わって2代目黒十字総統に起用される。 第79話に登場。黒十字軍の女性諜報員。江崎貴美子という名でスケート仮面が行う作戦の実行員として行動。作戦をかぎつけた海城には仲間のサイボーグを差し向け牽制した。 黒十字軍の戦力 虹の要塞 第15話に登場。虹仮面の前線基地。バリヤを装備。 アトランティス号 第21話より登場。古代アトランティス帝国によって製造されたが、その破壊力で1万1千年前にアトランティス大陸を滅亡させたとも言われている悪魔の飛行船。日本の富士山麓に隠されていたが、鉄人仮面テムジン将軍が隠し場所を記した地図の半分を入手。残り半分の地図は清水博士が持っていたが、息子を人質に取られたため、黒十字軍に協力。清水親子はゴレンジャーに助けられるものの、アトランティス号は黒十字軍の手に落ちた。主武装は艦砲のみであるため、鉄人仮面たちはゴンドラに機関銃などの装備を追加していた。 鉄人仮面は富士火山帯の地下に水爆を仕掛け、日本を沈没させて第二のアトランティスにする「アトランティス計画」を立案し、アトランティス号はゴレンジャーへの陽動作戦に利用されるが、第23話で乗っていた針金仮面と共に空中ゴレンジャーストームによって爆散した。 コンドラー 第35話より登場。黒十字総統がバリブルーン打倒のため、南米ナスカ高原から呼び寄せた戦闘機部隊の機体。自転車に蝙蝠状の主翼を付けたようなフォルムの単座軽戦闘機である。搭乗員が剥き出しで腹ばい式に搭乗するので防御力には欠けているが、機動力はバリブルーンを上回っている。武器は操縦席の機関銃、機首のコンドラーミサイルと、対象物の回収に用いられる2基の爪状アーム。 羽ばたいて飛行するオーニソプターで、基本的にゾルダーが操縦するが、話によってはその回の仮面怪人や大幹部自らが搭乗することもある。バリブルーンおよびバリドリーンと対戦すると必ず1機だけ撃墜されて撤退するのがパターンである。「アトランティス計画」では水爆を搭載したこともある。 戦艦 第36話に登場。軍艦仮面による「動く要塞作戦」に投入された。ロケットエンジンの働きで飛行し、コンドラーも搭載発進可能。キレンジャーのYTCから発射された超低周波光線で爆破された。 移動要塞ナバローン 第42話より登場。火の山仮面マグマン将軍が操る移動要塞。上部は岩山に偽装されており、上部を収納することで飛行と地中潜行が可能となる。戦闘時には上部の岩山部分を展開させて、多数のナバロン砲や毒ガス、長距離火炎砲ファイヤーロード、バリヤーで攻撃する。また、コンドラー飛行隊も搭載している。敵の攻撃に備えて、すべての部屋を切り離せる機能を持つが、それが仇となってゴレンジャーに設計図を奪われた上に彼らが誤ってコーヒーをかけてしまって浮き出た部分を解析されたことで、ゴレンジャーマシーンの自爆攻撃によって司令室と動力室、武器倉庫を破壊され、大爆発して崩壊した。 第43話では名前を聞いたキレンジャーが「はて、どっかで聞いたような名前たい」と言っている。 ツタンカーメン号 第55話に登場。大耳仮面によって指揮される飛行船。スフィンクス型の基地から発進し、猛毒細菌死の細菌ガスZを空中散布するツタンカーメンの呪い計画を行う。ガス散布のみを目的としているため、攻撃力や防御力は低いが破壊されるだけでもガスが拡散する怖れがあるためバリドリーンはうかつに攻撃できず、スペースウイングによって宇宙空間に運ばれて爆破された。 書籍『秘密戦隊ゴレンジャー大全集』では、ミニチュアはアトランティス号のものを改造したと推測している。 バットラー 第64話より登場。黒十字城の完成とともに導入された空中戦艦。軍艦に文字通り、蝙蝠状の主翼を持った姿をしており、艦首に固定式6連装砲を装備。コンドラーの母艦機能も持ち、共にバリドリーンを攻撃する。その他に大型ミサイル、爆弾、空中機雷なども装備。弱点は機首。初登場時にはバリドリーンを不時着に追い込むなどしたが、以降はスペースウイングによって撃墜されることが多い。 黒十字城 第64話より登場した黒十字軍の巨大飛行戦艦。多数のバットラーやコンドラーを搭載し、城自体が反重力装置によって飛行可能。バリドリーンの数倍の大きさをもち、反重力砲やウルトラ光線、機雷で攻撃する。また、凄まじい突風を噴出させることであらゆるものを吹き飛ばすことが可能となる。防御も完璧で、あらゆる攻撃をバリヤーによって弾き返す。その実態は黒十字総統が変身したもの。 万一に備えてダミーが複数存在する。黒十字城・バットラー・コンドラーの黒十字軍戦略航空部隊は、イーグルとゴレンジャーを苦しめたが、最終話でバリドリーンとスターマシーンの自爆攻撃を受けて滅んだ。 移動車両 主にゾルダーの輸送用として「トヨタ・ダイナ」「三菱 キャンター」などが使われた。サイドカーも使われ、仮面怪人や大幹部移動時の他、実戦に投入された。 黒十字軍装甲車(黒十字装甲車) 第47話より登場。大口径砲を搭載してバリドリーンなどへの対空兵器としても活躍した。黒とグレーの迷彩塗装が施されており、装甲を施すことで防御力を増している。 ベース車両はスズキ・ジムニー。初期に登場していたジープを改造したものとされる。 キャスト レギュラー 海城剛 / アカレンジャー - 誠直也 新命明 / アオレンジャー - 宮内洋 大岩大太 / キレンジャー - 畠山麦 (1 - 54, 67 - 84) 熊野大五郎 / キレンジャー - だるま二郎 (55 - 67) ペギー松山 / モモレンジャー - 小牧りさ 明日香健二 / ミドレンジャー - 伊藤幸雄 加藤陽子(イーグル連絡員007) - 鹿沼えり (71話まで) 林友子(イーグル連絡員008) - 白川恵美(26話まで) 中村春子(イーグル連絡員009) - 本田みき(20話まで) 加藤太郎 - 小沼宏之 黒十字軍総統 - 安藤三男(55話まで)→八名信夫(56 - 84) 江戸川権八 - 高原駿雄 声の出演 ナレーター以外は全てノンクレジット 日輪仮面 - 増岡弘 (15 - 20) 鉄人仮面テムジン将軍 (20 - 42)、火の山仮面マグマン将軍 (45 - 54)、ゴールデン仮面大将軍 (54 - 84) - 飯塚昭三 火の山仮面マグマン将軍 (42 - 44) - 依田英助 ゴン - 京田尚子 (32 - 54、61、62) ナレーター - 田中信夫 (1 - 14)、大平透 (15 - 84) 主なゲスト出演者 カッコ内は出演話数。 海城分隊長 - はやみ竜次 (1) 幼稚園の先生 - 松谷紀代子 (1) 工藤博士 - 山本廉 (2) 工藤コウイチ - 菅野裕 (2) 黒十字軍科学者 - 杉義一(3) イーグル秘密工作員003 - 長沢大(3) 無藤博士 - 北原義郎 (4) 黒十字軍科学者 - 打田康比古 (4) イーグル隊員 - 加藤寿、日吉としやす (6) ルミ - 川島ゆかり (6) ルミの両親 - 片山滉、笠原玲子 (6) 白石 - 平松慎吾 (7) 白石リカ - 坂口浩子 (7) 先生 - 中村万里 (7) 警官 - 潮健志 (7) スコット - トニー・セテラ (8) エミ - エイミー岡田 (8) 医師 - 中村孝雄 (8) スネークセンター職員 - 叶年央(8) ジェイムス・サチコ - 安達由紀(8) ユキ - 蝦名由紀子 (10) 工藤博士 - 宇南山宏 (11,70) 黒十字軍科学者 - 水原仗二(11) 江口所長 - 柄沢英二 (14) 清崎博士 - 晴海勇三(14) 執事 - 潮健志 (14) 白滝博士 - 笹川恵三 (14) 洋館の美女(ドクロ仮面) - 安達由紀(14) プールサイドの子供 - 鈴木まさゆき(16) みどり - 池谷智南 (18) ミス・サファイヤ - 賀川雪絵 (19) ミス・サファイヤの手下 - 新海丈夫、木下陽夫 (19) 清水博士 - 轟謙二 (21 - 23) イサム - 庄野たけし (21 - 23) 松本博士 - 稲川善一 (26) 内山博士 - 倉石一旺 (26) イーグル秘密情報員0010 - 斉藤真 (27) 吉野博士 - 入江正徳 (28) 吉野たみ - 瀬島充貴 (28) 大田黒 - 大田黒武生(28) 博士 - 梶哲也 (29) 黒十字軍のスパイ - 上野山功一 (31) 秋月参謀 - 小林勝彦 (32) イーグル参謀 - 中田博久 (33) 黒十字軍科学者 - 村上幹男 (34) イーグル科学者 - 大矢兼臣 (34) 街のおばさん(ゾルダー) - 由起艶子 (34) 水木亜矢(サイボーグQ) - 富士谷ひろみ (36) 黒潮十兵衛 - 轟謙二 (38,39) 十兵衛の兄 - 名川定郎(38) 隕石を拾った子供たち - 鈴木まさゆき、伊坂あゆみ、伊坂あきら、伊坂ひろみ、森川ひとみ、森川ふとし (39) イーグル連絡員008 - 内藤みどり (40) 能協力 - 野村四郎 (40) 谷口博士 - 富田浩太郎 (41) 谷口マコ - 松下実加 (41) 幼稚園の先生 - 奈三恭子 (47) 女の子 - 戸川絵夢 (48) イーグル中央研究所所長(つの骨仮面) - 杉義一(49) 講談師(鉄ワナ仮面) - 潮健児(50) ミスターX - 依田英助 (51) 若山教授 - 片山滉 (52) 清水博士 - 村上幹夫 (52) イーグル秘密情報員0079 - 柄沢英二 (52) 高木総司令 - 大木史朗 (52) 黒十字軍科学者 - 細井雅男 (52) 青年 - 小林文隆 (52) 死神博士 - 八名信夫 (53) 刑務所の医師 - 大矢兼臣 (53) 西多摩市の市長(トサカ仮面) - 田島義文 (57) トラックの運転手 - ラビット関根 (57) 喫茶店でペギーを探す男 - 南雲佑介 (57) 母親 - 安達由起 (58) 子供 - 田遠実 (58) 左久井アナウンサー - 岸野和彦(58) 大郷分隊長 - 轟謙二 (59,60) 中林 - 山本廉 (59) 中林夫人 - 由起艶子 (59) 横井博士 - 杉義一 (60) 洋館の女性 - 田中京子 (62) 自転車の少年 - 猪野塚弘之 (62) 駐在 - 人見きよし (62) 黒田博士 - 加地健太郎 (66) 黒田博士の妻 - 沢柳迪子 (66) 黒田博士の息子 - 谷村隆之 (66) 研究員 - 西園寺宏(67) 医師 - 村上幹夫 (67) イーグル諜報部員 - 和田一壮 (68) 中原団地の子供 - 七五三木猛明 (68) 警官 - 亀山達也、畑中猛重(69) 主婦 - 山本緑、八百原寿子(69) イーグル諜報部員0017 - 岩田広之(70) 松井教授 - 斎藤英雄 (71) 謎のバレリーナ - 蓮見里美 (71) イーグル小隊長 - 松本伊佐武(73) イーグル隊員 - 大田黒武生、叶年央(73) 村山 - 岸野一彦(75) 村山の妻 - 金子弘美(75) ガソリンスタンドの店員 - 三橋洋一(75) 記者 - 岸本功(75) 小村道子(鉄ヘビ仮面) - 藍とも子 (77) 太田典子 - 小関典子(77) 典子の両親 - 纓片達雄、花原照子 (77) 村の駐在 - 里木佐甫良 (77) 黒川隊員 - 大前均 (78) TVアナウンサー - 篠原大作 (78) 江崎貴美子(ブラックシャドウ9) - 岡田杏子 (79) 航空社員 - 浦信太郎 (79) スポーツクラブ支配人 - 山崎満 (79) 工事現場監督 - 高杉哲平 (79) アパートの大家 - 北川巧 (79) 冬季訓練の指導官(ゾルダー) - 島村卓志 (79) スポーツクラブ会員(刺客サイボーグ) - 原田力 (79) 田村博士 - 相沢治夫 (80) 田村陽一 - 寺嶋浩昭 (80) 横田鉄也少尉 - 伴直也 (81) 横田めぐみ(鉄也の妹) - 結城なほ子 (81) イーグル裁判長 - 稲川善一 (81) イーグル検察官 - 川上大輔 (81) イーグル弁護人 - 平松慎吾 (81) 石原純子(イーグル諜報部員003) - 日野麗子 (82) マジシャン(ヨーヨー仮面) - 滝雅也 (82) 大古次郎 (ダイガー仮面) - 池田駿介 (83) 川辺教授 - 弘松三郎 (83) 新田博士 - 南祐輔 (83) 広木博士 - 山本武 (83) 医師 - 酒井郷博 (83) スーツアクター 66話までは大野剣友会が、67話以降はジャパンアクションクラブ(JAC)がアクションを担当した。前者では剣戟を応用した集団戦が、後者ではスピード感あるアクションが特徴となっており、それぞれの得意分野が取り入れられている。 新堀和男によると大野剣友会時代のベストメンバーは「アカ・新堀、アオ・中屋敷、キ・前田、モモ・栗原、ミド・中村」とのことであるが、実際にこの組み合わせが実現したのは1,2回程度だという。 アカレンジャー役を務めたJACの大葉健二(高橋健二)は、JAC担当になった当初は誠直也から要望を出されたが、誠がアフレコでスタントの様子を見てからは何も言われなくなり、大葉は自分たちが認められたと感じたという。 大野剣友会 (1 - 66) アカレンジャー、日輪仮面、火の山仮面マグマン将軍、鉄人仮面テムジン将軍、仮面怪人(機関車仮面ほか)、アオレンジャー(代役) - 新堀和男 アカレンジャー(トランポリン)、ミドレンジャー(代役)、仮面怪人(武者仮面、ガンマン仮面 ほか) - 湯川泰男 アオレンジャー(後期)、鉄人仮面テムジン将軍、機関車仮面 - 中屋敷鉄也 アオレンジャー(代役)、黄金仮面 - 河原崎洋夫 アオレンジャー - 湯浅洋行 キレンジャー、仮面怪人 - 前田直高 キレンジャー - 天野正登 キレンジャー - 田中耕三郎 モモレンジャー(初期) - 内藤みどり モモレンジャー - 清田真妃 モモレンジャー - 栗原良二 アオレンジャー(トランポリン)、キレンジャー、モモレンジャー、仮面怪人(ガンマン仮面、電話仮面、青すじ仮面ほか)、ゾルダー - 上田弘司 モモレンジャー、仮面怪人 - 小沢章治 ミドレンジャー、アカレンジャー(代役)、アオレンジャー(初期) - 中村文弥 ミドレンジャー、日輪仮面、仮面怪人 - 橋本春彦 ミドレンジャー - 尚川泰男 ジャパンアクションクラブ (67 - 84) アカレンジャー - 高橋健二 アオレンジャー、アカレンジャー(代役)、仮面怪人 - 岡本美登 キレンジャー - 建部豊 モモレンジャー - 横山稔 ミドレンジャー - 村上潤 アカレンジャー(代役) - 春田三三夫 アオレンジャー(代役) - 益田哲夫 スタッフ 原作 - 石森章太郎 連載 - 週刊少年サンデー( - 第55話)、てれびくん(第49話 - 第84話)、小学館学習雑誌、テレビランド 脚本 - 上原正三、高久進、新井光、曽田博久、平山公夫、藤川桂介 プロデューサー - (東映)平山亨、吉川進(第5話 - )、深沢道尚(第64話 - 第71話)、(NET)萩野隆史 音楽 - 渡辺宙明 音楽制作 - あんだんて 撮影 - 原秀夫、森喜弘、吉田重業、高梨昇、山沢義一、小川康男、加藤弘章 照明 - 戸塚和夫、城田昌貞、安藤真之助、小宮山靖夫、元持秀雄、小林和夫、銀屋謙蔵 美術 - 小川富美夫、市丸博幸、阿部三郎 仕上制作 - 映広音響 録音 - 太田克己 編集 - 菅野順吉、松本高行 効果 - 平田靖、松田昭彦、伊藤克己、大平隆義(イシダサウンドプロ) 選曲 - 村田好次 助監督 - 平山公夫、福島孔道、高橋正治、天間敏広、松本喜隆、小林俊夫、真川敏夫 記録 - 紀志一子、川村澪子、堀よし子、平田穂美、船津一、安倍伸子、植村よし子、久保田民子、宮瀬淳子、田畑三代 技斗 大野剣友会(第1 - 66話)高橋一俊(第1 - 23話)、池田力也(第24 - 26話)、岡田勝(第27 - 66話) JAC(第67話 - 第84話)山岡順二 進行主任 - 大里俊博、小迫進、野津修平、川上正行、山中喆、原田良彦、川口秀雄、工藤孝行 特殊造形 - エキスプロダクション メークアップ - 佐藤せつ子、のざねまさえ、入江プロ、北島操 装置 - 日向勤 トランポリン - 湯川泰男(第1話 - 第66話) 衣裳 - 東京衣裳 現像 - 東映化学 特撮研究所 - 鈴木昶 特撮監督 - 矢島信男(ノンクレジット) 大平特殊効果 - 菊地潔 オートバイアクション - 室町健三 オートバイ協力 - スズキ自動車 制作担当 - 佐久間正光、大里俊博、伊東暉雄 監督 - 竹本弘一、山田稔、田口勝彦、折田至、北村秀敏、小西通雄 制作 - NET、東映 音楽 主題歌 オープニングテーマ「進め! ゴレンジャー」 作詞:石森章太郎 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:ささきいさお、堀江美都子、コロムビアゆりかご会 エンディングテーマ 「秘密戦隊ゴレンジャー」(第1 - 63話) 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:ささきいさお、こおろぎ'73 バトルシーンでも使用された。後半にはインストゥルメンタル版も使用されている。番組名がタイトルに使われたため、オープニングと混同されることがある。 「見よ!! ゴレンジャー」(第64 - 84話) 作詞:石森章太郎 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:ささきいさお、こおろぎ'73、ウィルビーズ メイン・ヴォーカルのささきいさおの担当部分にはメロディーがないため、厳密には歌唱ではなくナレーションで参加していることになる。メロディーがあるのはバックコーラス部分のみである。歌詞は第64話から第68話までは前半1番+後半3番が使用され、バリキキューンが登場した第69話からは1番に変更された。また第66話まではテロップが「秘密戦隊ゴレンジャー」のままだった。 挿入歌 「とべ! バリブルーン」(第13・19・22・23・28・32話) 作詞:赤井圭 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:ささきいさお、こおろぎ'73 第15・24・26・35・37・39・42話ではインストゥルメンタル版が使用された。 「青い空からアオレンジャー」 作詞:石森章太郎 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:ささきいさお 第17話ではインストゥルメンタル版が使用された。 「ナゾナゾのミドレンジャー」 作詞:赤井圭 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:ささきいさお、堀江美都子、コロムビアゆりかご会 第22話ではインストゥルメンタル版が使用された。また、中盤では予告編BGMとしても使用された。 作曲した渡辺は子供向けにしたと述べており、印象に残った曲に挙げている。 「進めゴレンジャーマシン」 作詞:吉井勝 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:ささきいさお、こおろぎ'73 第15・17・18話ではインストゥルメンタル版が使用された。 「花のモモレンジャー」 作詞:田中守 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:堀江美都子 作曲した渡辺は大人っぽさを意識したと述べている。 「悪魔の黒十字軍」 作詞:土井信 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:こおろぎ'73 第15・34・61話ではインストゥルメンタル版が使用された。 作曲した渡辺は、悪の組織の曲が一番難しいと述べている。 「ゴレンジャーストーム」 作詞:石森章太郎 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:ささきいさお、堀江美都子、こおろぎ'73 第16・17話ではインストゥルメンタル版が使用された。 「ゴレンジャー絵かきうた」 作詞:石森章太郎 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:堀江美都子 第18話ではインストゥルメンタル版が使用された。 「おいどん大喰いキレンジャー」 作詞:赤井圭 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:こおろぎ'73、コロムビアゆりかご会 第55話ではインストゥルメンタル版が使用された。 「赤い力だアカレンジャー」 作詞:田中守 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:ささきいさお 「ゴレンジャーがやってくる」 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:ささきいさお、ザ・チャープス インストゥルメンタル版は第43話の冒頭、新命がバリドリーンの操縦訓練をするシーンで初使用。また、同話からゴレンジャーハリケーンのシーンに毎回のように使用された。なお、放送当時に発売された企画アルバムにインスト版が収録されているが、これは劇中未使用のもの。実際に使用されたバージョンは1996年当時は音源が行方不明になっており、1997年の時点でも発見できなかったが、その後選曲の村田好次がコピーテープを保存していることが判明し、2016年5月25日発売の『秘密戦隊ゴレンジャー オリジナル・サウンドトラック』に初収録された。 「バリドリーンの歌」 作詞:上原正三 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:ささきいさお、こおろぎ'73 第42話ラストのバリドリーン初登場のシーンで初使用。以降、バリドリーンやバリタンクの戦闘シーンに歌入り版・インストゥルメンタル版の両方が頻繁に使用されている。後半の予告編BGMとしても使用された(最後の音のみ「ゴレンジャーがやってくる」を編集で繋げている)。 「戦いおわって」 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:ささきいさお、こおろぎ'73 「見よ!! ゴレンジャー」の発表が本作品の主題歌・挿入歌LPの発売後だったため、同シングルのB面曲として作られた。作中未使用。 放送日程 サブタイトルはいずれも「○○! ××」(第64話から「○○!! ××」)というフォーマットで統一。また色名が必ず入れられている。 1975年12月13日に第14話、1976年1月24日に第20話、2月21日に第25話、3月6日に第26話、8月14日に第53話、8月21日に第54話、1977年3月5日に第1話、3月19日に第2話を再放送。 1976年6月26日は、「アントニオ猪木対モハメド・アリ」中継を始めとしたスポーツ特別番組『格闘技世界一決定戦』(19:30 - 21:21)のため放送休止。「猪木対アリ」戦では本番組よりモモレンジャー役の小牧リサと、同局で放映中の『ベルサイユのトラック姐ちゃん』より山本由香利(ゆか里)が、劇中の衣装で登場し花束贈呈を担当。その模様は試合中継映像のDVD「燃えろ! 新日本プロレス エクストラ 猪木VSアリ 伝説の異種格闘技戦」にて確認できる。 放送局 NETテレビ(制作局):土曜 19:30 - 20:00 北海道テレビ:土曜 19:30 - 20:00 青森放送:火曜 17:55 - 18:25 テレビ岩手:金曜 18:00 - 18:30 秋田放送:木曜 16:55 - 17:25 山形テレビ:月曜 18:00 - 18:30 宮城テレビ:金曜 18:00 - 18:30(1975年10月3日まで) 東日本放送:土曜 19:30 - 20:00(1975年10月4日から) 福島中央テレビ:月曜 18:00 - 18:30 新潟放送:金曜 17:30 - 18:00 テレビ山梨:月曜 18:00 - 18:30 長野放送 : 火曜 18:00 - 18:30 静岡放送:金曜 17:30 - 18:00 静岡けんみんテレビ:日曜 18:30 - 19:00(1979年7月1日 - ) 北日本放送:水曜 16:50 - 17:20(1975年10月8日放送開始) 石川テレビ:火曜 18:00 - 18:30 福井放送:火曜 18:00 - 18:30(1976年4月6日放送開始) 名古屋放送:水曜 19:00 - 19:30 朝日放送:土曜 18:00 - 18:30(先行放送) テレビ岡山:金曜 17:00 - 17:30(1976年2月13日 - ) 広島ホームテレビ:土曜 19:30 - 20:00 テレビ山口:日曜 11:30 - 12:00 四国放送 瀬戸内海放送:土曜 19:30 - 20:00 テレビ愛媛 テレビ高知 九州朝日放送:水曜 19:00 - 19:30( - 1976年3月)→ 土曜 19:30 - 20:00(1976年4月 - ) 熊本放送:日曜 11:30 - 12:00 大分放送:土曜 18:00 - 18:30 (1976年4月10日 - ) 宮崎放送:木曜 17:20 - 17:50 ( - 1976年3月)→ 水曜 17:20 - 17:50 (1976年4月 - ) 鹿児島テレビ : 火曜 17:55 - 18:25 沖縄テレビ 劇場版 いずれも東映まんがまつりの一編として公開された。 『秘密戦隊ゴレンジャー 爆弾ハリケーン』 1976年7月18日公開。 監督:山田稔 技斗:岡田勝 脚本:上原正三 登場怪人:鋼鉄剣竜 テレビシリーズ再編集版 『秘密戦隊ゴレンジャー』 1975年7月26日公開。第6話の再編集版。 『秘密戦隊ゴレンジャー 青い大要塞』 1975年12月20日公開。第15話の再編集版。一部地域のみの公開。 『秘密戦隊ゴレンジャー 真赤な猛進撃!』 1976年3月20日公開。第36話の再編集版。 『秘密戦隊ゴレンジャー 火の山最後の大噴火』 1976年12月19日公開。第54話の再編集版。『青い大要塞』同様一部地域のみの公開であったため、DVDへの収録が発表されるまでは関連書籍で言及されることは皆無に等しく、幻の作品になっていた。 これらの作品は2003年7月21日発売の『スーパー戦隊THE MOVIE BOX』および、単品では2004年7月21日発売の『スーパー戦隊THE MOVIE VOl.1』に収録されている。2011年11月21日発売の「復刻!東映まんがまつり 1976春」には「真赤な猛進撃!」のみ収録されている。 2020年11月2日、第33回東京国際映画祭ジャパニーズ・アニメーション部門で『真っ赤な猛進撃!』、『爆弾ハリケーン』に加えて『ジャッカー電撃隊VS秘密戦隊ゴレンジャー』を上映。 エピソード 主演の誠直也と宮内洋が写真週刊誌の対談で語ったところによると、ロケ中は、煙草を隠れて吸ったり、立ち小便をしないなど、見学に来た子どもたちのイメージを壊さないように苦労したそうである。そんな苦労を共にしたためか、誠と宮内らのキャストは仲が良く、男性キャストのみで撮影後の飲み会に繰り出すこともしばしばだったという。 1998年にインナーブレイン社から発売されたPCソフト『秘密戦隊ゴレンジャーのしくみ』によると、当時撮影で東京から御殿場方面へゴレンジャーの役者が、個別に自家用車で高速道路を移動していたところ、次から次へと速度超過で警察に止められた。バラバラに移動していたが、奇しくも高速で5人揃ってしまったと宮内洋は語っている。 映像ソフト化 特記のない限り、いずれも発売元は東映ビデオ。 ビデオ(VHS、セル・レンタル共通)ソフトは1986年 - 1991年にかけて全20巻が発売された。各巻3話、59話分+劇場版1本を収録。発売当初はあくまでも傑作選の予定だったため、収録順は放送順と一致していない。19巻のジャケットには、『超獣戦隊ライブマン』に登場するジェットファルコンの画像が誤って使用されていた。 LD-BOXは1998年11月21日 - 1999年5月21日にかけて全3集が発売された。初の全話収録でのソフト化である。 DVDは2003年4月21日 - 8月8日にかけて、全14巻が発売された。各巻6話収録で、1 - 3巻、4 - 6巻、7 - 9巻、10 - 12巻、13・14巻はそれぞれ同時リリースされた。 2008年7月21日発売の『石ノ森章太郎 生誕70周年 DVD-BOX』に第1話が収録されている。 2011年4月発売の『スーパー戦隊 1stエピソードコレクション I』に第1話が収録されているほか、ペイ・パー・ビューで劇場版『爆弾ハリケーン!』が視聴可能。 Blu-rayは2017年2月8日から10月4日にかけてBOX全5巻が発売された。各巻3枚組・17話収録。また2021年4月14日発売の『スーパー戦隊一挙見Blu-ray 1975 - 1981』に計8話が収録されている。 CS放送・ネット配信 CS放送 東映チャンネル 2005年8月 - 2006年5月 2017年3月 - 12月(「スーパー戦隊ワールド」枠、後者はHD放送) 2007年9月 - 2008年2月(「アンコールアワー」枠) ファミリー劇場 2001年 - 2003年 2010年 - 2011年 ネット配信 東映特撮 YouTube Official 2011年8月1日 - 2012年5月20日 2014年10月25日 - 2015年8月15日 2021年1月26日 - 11月16日 東映特撮ニコニコおふぃしゃる 2022年10月29日 - その他の展開 キレンジャーのカレー発売 スーパー戦隊シリーズ30作を記念して、キレンジャーをイメージキャラクターに起用したレトルトカレー『キレンジャーカレー ポーク中辛』が、2006年7月10日に永谷園より数量限定で全国発売された。 『アニメック』の特集 ラポートのアニメ情報誌『アニメック』で連載されていた、池田憲章によるテレビ特撮作品の名作の作品研究特集「日本特撮映画史・SFヒーロー列伝」にて、生誕10周年を迎えた1986年に本作品が特集された。複数回に分けての掲載となったものの、「日本特撮映画史・SFヒーロー列伝」と交互で連載されていた特撮作品の特集「特撮カルチャーセンター」や各種アニメキャラクター特集優先でしばしば中止となり、バリドリーン登場以降の展開に進む前後で何の予告もなく打ち切りとなってしまった。 音盤ソフトの展開 放映当時はコロムビアがシングルレコードや挿入歌を収録したソング集など発売された他、他社を含む特撮やアニメを収録したレコードを発売した。ただし、放送中に劇中音楽を収録した音楽ソフトの発売はなかった。 放送終了後の1996年にBGM集『秘密戦隊ゴレンジャー MUSIC COLLECTION』が発売され、2004年には5000枚限定で再発売された。ただし、当時は「バリドリーンの歌」「ゴレンジャーがやってくる」のインストゥルメンタル版の音源が発見できなかったことや、CD1枚という容量の都合により、多くの未収録曲がある。 2016年5月25日、『秘密戦隊ゴレンジャー オリジナル・サウンドトラック』が発売された。前述の音源が新たに発見されたこともあり、同盤では本作品のために作られたBGM全曲を、2枚組にて収録している。 パチンコ・パチスロ化 パチンコとしては豊丸産業から2005年と2009年に、またタイヨーエレックから2013年に発売。パチスロとしてはSANKYOから2009年にタイアップ機が発売された。 ゲーム化 2000年にバンプレスト(後のバンダイナムコゲームス)から発売されたプレイステーション用の『AZITO3』にゴレンジャーが登場。なおプレイ開始時にアカレンジャーが最初から登場している。 同年発売のドリームキャスト用の『特撮冒険活劇 スーパーヒーロー烈伝』にもゴレンジャーが参戦した。 2001年9月に同じくバンプレストから発売された『スーパー特撮大戦2001』では、ゴレンジャーが参戦した。 2010年3月より、バンダイから稼動開始のデータカードダス『スーパー戦隊バトル ダイスオー』の第1弾にアカレンジャーが参戦。第2弾ではキレンジャーとミドレンジャーが、第3弾でアオレンジャーとモモレンジャーが参戦しゴレンジャー全員が参戦を果たした。 エイプリルフール企画 2010年4月1日、『サイボーグ009』の公式サイトが1日限定で「秘密戦隊ゴレンジャー公式サイト」になり、コンテンツはファンクラブへのリンクを除いてすべてゴレンジャー関連のものに置き換えられた。作品自体の情報は事実に基づくものであり、石ノ森章太郎の手によるイラストが使用されたほか、漫画版の試し読みも可能だった。 復刻堂 2011年2月28日、ダイドードリンコより「復刻堂 秘密炭酸ゴレンジャー」が発売された。 バラエティ番組 『日曜もアメトーーク!』(2017年7月30日放送分)にて、同番組のための新撮映像に野球仮面(声 - 関智一)が登場。芋長の芋羊羹で巨大化し、宇宙戦隊キュウレンジャーとカズレーザーが搭乗したキュウレンオーと戦う。 シリーズ内の他作品への登場 各作品での詳細はそれぞれのリンク先を参照。 『ジャッカー電撃隊VSゴレンジャー』 本放送終了後に公開された映画で、ゴレンジャーの5人およびバリドリーンが登場。ペギーのみ素顔でも登場。 スーパー戦隊大集合 『未来戦隊タイムレンジャー』第51話として放送された特別総集編。タイムレンジャー5人がタイムジェットで本作品の世界を見に来たという設定で、本作品の映像が流用されている。 『百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊』 『百獣戦隊ガオレンジャー』放送期間中にリリースされたスーパー戦隊Vシネマ作品。バリドリーンおよび本作品の映像を流用する形で新命、アカレンジャーが登場している(アカの一部カットは新撮)。 『轟轟戦隊ボウケンジャーVSスーパー戦隊』 『轟轟戦隊ボウケンジャー』放送期間中にリリースされたスーパー戦隊Vシネマ作品。劇中のシーンでアカレンジャー、EDにゴレンジャー全員が写真のみで登場している。 『海賊戦隊ゴーカイジャー』 関連する映画も含め、複数のキャラクターが同作品にて登場。 テレビシリーズ:ゴレンジャー全員(1話、アカレンジャーの声は誠直也)、バリブルーン(50話)、海城(最終話) ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦:ゴレンジャー全員およびバリブルーン、同作品ではそれに加えて黒十字総統の設定を踏まえた「黒十字王」というキャラクターも登場。海城のみ素顔でも登場。またノンクレジットではあるが、アオレンジャーの声を宮内洋が当てている。 海賊戦隊ゴーカイジャー THE MOVIE 空飛ぶ幽霊船:野球仮面(声は永井一郎)、ゾルダー 『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』 スーパー戦隊シリーズと仮面ライダーシリーズのクロスオーバー作品。ゴレンジャーの5人および野球仮面が登場。 『仮面ライダー×スーパー戦隊×宇宙刑事 スーパーヒーロー大戦Z』 上記2シリーズとメタルヒーローシリーズのクロスオーバー作品。アカレンジャーが登場。 『手裏剣戦隊ニンニンジャー』 シリーズおよび本作品開始40周年を記念し、第7話のラストでアカレンジャーが登場。 『仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦』 スーパー戦隊シリーズと仮面ライダーシリーズのクロスオーバー作品。モモレンジャーが登場。 『機界戦隊ゼンカイジャー THE MOVIE 赤い戦い! オール戦隊大集会!!』 『機界戦隊ゼンカイジャー』の劇場作品。海城剛/アカレンジャーと野球仮面が登場。 『セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記』 『機界戦隊ゼンカイジャー』と『仮面ライダーセイバー』の劇場作品。アカレンジャーが登場。 『機界戦隊ゼンカイジャーVSキラメイジャーVSセンパイジャー』 2022年4月29日期間限定劇場上映、同年9月28日にBlu-ray&DVD発売。ゴレンジャーが登場。キレンジャーは2代目となっている。 関連項目 麒麟戦隊アミノンジャー レインボー戦隊ロビン ボス - コラボレーションCMにゴレンジャーが登場し、遊園地内で迷った布袋寅泰と対峙した。声はオリジナルキャストではなく別人が担当していた。 カーフェリー(後の商船三井フェリーの)さんふらわあ - 旧日本高速フェリー時代、当時の東京 - 那智勝浦 - 高知航路で劇場版『秘密戦隊ゴレンジャー 爆弾ハリケーン!』の撮影が行われた。 南原清隆(ウッチャンナンチャン) - 『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の番組内でエンディング曲『秘密戦隊ゴレンジャー』を使ったダンスを披露したことがある。笑っていいとも!最終回(特番)でも久々に披露した。歌詞の「バンバラバンバンバン」を「ナンバラバンバンバン」に変えていた。 新庄剛志 (SHINJO) - 2004年9月20日のプロ野球の試合前の守備練習で、北海道日本ハムファイターズの同僚である森本稀哲(アカレンジャー)・島田一輝(アオレンジャー)・石本努(モモレンジャー)・坪井智哉(ミドレンジャー)の4選手とともにゴレンジャーの覆面(自身はキレンジャー)を被って登場した。 輝け!!新人紅白歌合戦 - 本番組継続中の1976年5月 - 9月にTBSで放送、紅組のキャプテンはモモレンジャーことペギー松山役の小牧りさが担当(白組は毒蝮三太夫が担当)。TBS番組にもかかわらず、司会の玉置宏は小牧を「モモレンジャーのお姉さん」と紹介した。なお小牧は『ゴレンジャー』のときの衣装(ブラウス・ボレロ・ホットパンツ・ブーツ)では登場せず、ワンピースにハイヒール姿で登場した。 世紀末戦隊ゴレンジャイ - 『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)内で放送された本作品のパロディーコント。本家制作側承認済みであるため、ソフト化も行われている。 戦え!ぼくらのヒーロー大集合 - 1976年5月15日の土曜20時台(本作品第51回放送直後)にて放送。後半ゴレンジャーが『アクマイザー3』『ザ・カゲスター』と共に出演。この後同年7月31日には同枠(本作品第57回放送直後)にて放送された『チビッ子祭り!正義のヒーロー総出演』で、ゴレンジャーは『がんばれ!!ロボコン』『超神ビビューン』『カゲスター』と共に出演(司会は水木一郎・ささきいさお・堀江美都子)。さらに同年9月25日の同枠(本作品第62回放送直後)で放送された『テレビ人気者大集合!!』で。ゴレンジャーは『ロボコン』『カゲスター』『ビビューン』と再々出演し、さらに『宇宙鉄人キョーダイン』(毎日放送制作・TBS系列)や『忍者キャプター』(東京12チャンネル)といった、他局放送の東映特撮ヒーローとも共演した(ゲストはささきいさおと大杉久美子)。 日野・レンジャー(日野自動車) - 本作品の放送期間中に、レンジャーを5台(プラス1台)映して、子供のナレーションでゴレンジャー名乗りのパロディをするCMが放送された。 爆報! THE フライデー - 2014年12月5日放送分で、熊野大五郎(二代目キレンジャー)役のだるま二郎の近況を放送。番組内ではそれに加えて新命明(アオレンジャー)役の宮内洋、明日香健二(ミドレンジャー)役の伊藤幸雄、ペギー松山(モモレンジャー)役の小牧リサがだるま二郎の元を訪れ、都合で不参加となった海城剛(アカレンジャー)役の誠直也からの手紙を小牧が代読した模様も併せて放送された。 ヤマハ除雪機 - 2018年に販売40周年を迎えるにあたり、アオレンジャーがチェンジペガサス、ギンガブルー、ハリケンブルー、シンケンブルーと共にイメージキャラクターに採用されている。2019年にはゲキブルーとゴセイブルーを加えて引き続き起用された。 ザ・ハイスクール ヒーローズ - 2021年7月期にテレビ朝日系『オシドラサタデー』枠で放送された、テレビ朝日・ジェイ・ストーム・東映による学園ヒーロードラマ。主人公がゴレンジャーオタクという設定で、作中にもアカレンジャーが登場する。また同作品の放送開始を記念し、2021年7月30日には同局にて本作品の第1・2話の再放送も行われた(4:00 - 4:55、関東ローカル)。 脚注 注釈 参照話数 出典 出典(リンク) 参考文献 大全集シリーズ(講談社) 外部リンク 秘密戦隊ゴレンジャー(スーパー戦隊ネット内の紹介記事) Blu-ray DVD 秘密戦隊ゴレンジャー特集(東映ビデオ内にあるサイト) スーパー戦隊シリーズの特撮テレビドラマ 1970年代の特撮作品 1975年のテレビドラマ テレビ朝日土曜7時30分枠の連続ドラマ 上原正三脚本のテレビドラマ 高久進脚本のテレビドラマ 曽田博久脚本のテレビドラマ 復讐を題材としたテレビドラマ アトランティス文明を題材としたテレビドラマ 石ノ森章太郎の漫画作品 みつせんたいこれんしやあ 1975年の漫画 週刊少年サンデーの漫画作品 小学館の学年誌の漫画作品 アトランティス文明を題材とした漫画作品
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E8%8A%B8%E8%83%BD
日本の伝統芸能
日本の伝統芸能(にほんのでんとうげいのう)は、日本に古くからあった芸術と技能の汎称。特定階級または大衆の教養や娯楽、儀式や祭事などを催す際に付随して行動化されたもの、または行事などで行われてきたものを特定の形式に系統化して伝承または廃絶された有形無形のものを言う。詩歌・音楽・舞踊・絵画・工芸・芸道などがある。 伝統芸能の定義 伝統芸能とは、西洋文化が入ってくる前の芸術と技能を現代芸術と区別した呼称である。日本固有の文化という意味だが、文化の先進国であった中国から流入したものを日本独自のものに作り変えたものが多い。したがって成立の仕方は現代芸術とさほど変わりはない。しかし、明治期の西洋化以降も伝統芸能が既存の形式を保持して存続し、現代芸術と相互に関連性が少ない形で併存しているのは事実である。また、日本では別々の時代に成立した多くの伝統芸能が並列的に存在しているが、すべての伝統芸能が現存しているわけではない。 形式による分類 詳細な分類はそれぞれの項目を参照のこと。 歌 和歌 長歌 短歌 旋頭歌 片歌 連歌 俳諧 俳句 連句 琉歌 日本舞踊 神楽 田楽 雅楽 舞楽 猿楽 白拍子 延年 曲舞 上方舞 大黒舞 恵比寿舞 纏舞 念仏踊り 盆踊り 歌舞伎舞踊 演劇 能楽 能 狂言 歌舞伎 人形浄瑠璃 音曲 雅楽 謡物 歌舞 管絃 舞楽 邦楽 箏曲 琵琶曲 胡弓楽 尺八楽 三味線楽 地歌 浄瑠璃節 義太夫節 豊後節(『伝授の雲龍』を残して廃絶) 常磐津節 富本節 清元節 新内節 河東節 宮園節 唄 地歌 長唄 荻江節 歌沢 端唄 小唄 都々逸 民謡 島唄(奄美民謡) 演芸 講談(講釈) 落語 浪花節(浪曲) 奇術 萬歳 俄 梯子乗り 女道楽 太神楽 紙切り 曲ゴマ 写し絵 花火 絵解き 工芸 彫金 漆器 陶芸 織物 芸道 茶道 香道 武芸(古武道) 書道 華道 関連項目 六芸 芸道論 民族音楽 古典楽器 舞踊学会 琉球伝統芸能 にっぽんの芸能、古典芸能への招待 - NHK教育テレビが編成している伝統芸能専門番組枠。 外部リンク 伝統芸能情報館(日本芸術文化振興会) (NHK 日本放送協会)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E6%A5%BD%E5%99%A8
古典楽器
古典楽器(こてんがっき)は、比較的古い時代に使われた楽器の総称である。地域や音楽のジャンルによって定義や呼び名は異なる。 分類 日本の古典楽器 日本の古典楽器の詳細は和楽器を参照。 尺八 三味線 琴 箏 笙 篳篥 琵琶 西洋音楽の古典楽器 西洋音楽の古典楽器の詳細は古楽器を参照。 関連項目 楽器 伝統芸能 ルネサンス音楽 バロック音楽 楽器 音楽史
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4
1984年
この項目では、国際的な視点に基づいた1984年について記載する。 他の紀年法 干支:甲子(きのえ ね) 日本(月日は一致) 昭和59年 皇紀2644年 大韓民国(月日は一致) 檀紀4317年 中華民国(月日は一致) 中華民国73年 朝鮮民主主義人民共和国(月日は一致) 主体73年 仏滅紀元:2526年 - 2527年 イスラム暦:1404年3月27日 - 1405年4月7日 ユダヤ暦:5744年4月26日 - 5745年4月7日 Unix Time:441763200 - 473385599 修正ユリウス日(MJD):45700 - 46065 リリウス日(LD):146541 - 146906 ※ 主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国で1997年に制定された。 カレンダー できごと 世界のできごとのみ記載。 1月 1月1日 - AT&T分割。 1月1日 - ブルネイ独立。 1月14日 - マクドナルドの創業者レイ・クロックがカリフォルニア州サンディエゴの病院で死去。 1月21日 - 映画ターザンの主役をつとめたジョニー・ワイズミュラーが死去。 1月24日 - 米Apple ComputerがMacintoshを発表。 2月 2月8日 - 冬季サラエボオリンピックが開幕。 2月9日 - ソ連共産党のユーリ・アンドロポフ書記長死去。後任にコンスタンティン・チェルネンコ第二書記を選出。 3月 4月 4月22日 - リビア大使館員によるデモ隊への乱射事件を受けてイギリスがリビアと国交を断絶。 5月 6月 6月7日 - 第10回サミット開催(イギリス・ロンドン)。 6月14-17日 - 欧州諸共同体加盟国で欧州議会議員選挙の投票が実施される。 7月 7月28日 - ロサンゼルスオリンピック開催。 8月 8月3日 - 日本の静止気象衛星「ひまわり3号」打上げ。 8月4日 - アフリカのオートボルタがブルキナファソに改名。 8月5日 - ロサンゼルスオリンピックで、オリンピックで初めての女子マラソンを実施。 8月12日 - 7月28日から開催されていた第23回夏季オリンピック・ロサンゼルス大会が閉幕。 8月21日 - フィリピン・マニラで、フェルディナンド・マルコス同国大統領に対する50万人規模の抗議デモ発生。 8月24日 - トヨタ自動車が製造業で初の5兆円企業(売上高)となる。 8月30日 - スペースシャトル・ディスカバリー、初の打ち上げに成功。 9月 10月 10月19日 - カトリック教会の司祭、イエジ・ポピエウシュコがポーランド公安部によって暗殺。 10月25日 - オーストラリアからコアラ6頭が贈られて日本に初めて上陸。 10月31日 - インド首相、インディラ・ガンジーが暗殺される。 11月 11月6日 - アメリカ大統領選挙でレーガンが再選。 11月11日 - たま初ライブ。 11月11日 - シンボリルドルフが菊花賞を勝利し、史上4頭目の牡馬クラシック三冠達成。無敗(8戦8勝)での三冠達成は日本競馬史上初。 12月 12月3日 - インド・ボパールにあるユニオン・カーバイドの殺虫剤工場から有毒ガスが流出、2万人近くが死亡したボパール化学工場事故が発生。 12月19日 - イギリス(サッチャー首相)と中国(趙紫陽国務院総理)が香港返還合意文書に調印。これにより1997年7月1日に香港が中国に返還されることに。 12月27日 - 南極大陸・にて、火星を起源とする隕石「アラン・ヒルズ84001」が採取される。 芸術・文化 音楽 シーラE「グラマラス・ライフ」 ダン・ハートマン「あなたを夢見て」 ロマンティックス「トーキン・イン・ユア・スリープ」 フィル・コリンズ 「見つめて欲しい」 プリンス「ビートに抱かれて(ウェン・ダブズ・クライ)」「パープル・レイン」 映画 ストリート・オブ・ファイヤー カリブの熱い夜 スポーツ ボクシング ティム・ウィザースプーンがグレグ・ペイジ(2009年50歳死去)を判定で破って、WBC世界ヘビー級チャンピオンになった。 ロサンゼルスオリンピック(夏季) 柔道競技で山下泰裕が左足に怪我を負いながらもエジプト代表のラシュワンを破り金メダルを獲得。 サラエボオリンピック(冬季) 野球 モータースポーツ 世界耐久選手権 F1世界選手権 ドライバー ニキ・ラウダ(マクラーレン・TAGポルシェ) コンストラクター マクラーレン・TAGポルシェ ロードレース世界選手権 500cc エディ・ローソン 250cc クリスチャン・サロン サッカー UEFA欧州選手権で地元開催のフランスが優勝、初の国際タイトルを取った。ミシェル・プラティニの全盛期である。 誕生 1月 1月1日 - パオロ・ゲレーロ、サッカー選手 1月1日 - マリック・バディアヌ、サッカー選手 1月1日 - モハマド・ガダル、サッカー選手 1月3日 - フィリプ・ザレウシキー、フィギュアスケート選手 1月5日 - ライアン・オメラ、フィギュアスケート選手 1月5日 - イケチュク・ウチェ、サッカー選手 1月5日 - 、女優 1月6日 - ポール・オセゲラ、プロ野球選手 1月7日 - ジョン・レスター、メジャーリーガー 1月7日 - カルロス・コーポラン、メジャーリーガー 1月7日 - シャビエル・マルガイラス、サッカー選手 1月7日 - マックス・リーメルト、俳優 1月8日 - ジェフ・フランコーア、メジャーリーガー 1月8日 - 金正恩、朝鮮民主主義人民共和国第3代最高指導者 1月9日 - 蒼国来栄吉、大相撲力士 1月9日 - オリバー・ジャービス、レーシングドライバー 1月10日 - マルアーヌ・シャマフ、サッカー選手 1月10日 - アレクサンドル・ポポフ、フィギュアスケート選手 1月10日 - 丸山穂高、政治家 1月11日 - スタイン・スハールス、サッカー選手 1月14日 - エリック・アイバー、メジャーリーガー 1月14日 - マイク・ペルフリー、メジャーリーガー 1月15日 - メーガン・ジェンドリック、競泳選手 1月16日 - ステファン・リヒトシュタイナー、サッカー選手 1月16日 - 増田隆之、声優 1月16日 - クレイグ・ビーティ、サッカー選手 1月17日 - カルヴィン・ハリス、歌手 1月18日 - ジャスティン・トーマス、プロ野球選手 1月18日 ‐ 長谷部誠、サッカー選手 1月19日 - カルン・チャンドック、F1ドライバー 1月19日 - アリオナ・サフチェンコ、フィギュアスケート選手 1月19日 - ニコラス・パレハ、サッカー選手 1月22日 - レオン・ポウ、バスケットボール選手 1月22日 - ウバルド・ヒメネス、メジャーリーガー 1月22日 - 吉村健二、野球選手 1月23日 - アリエン・ロッベン、サッカー選手 1月24日 - スコット・カズミアー、メジャーリーガー 1月24日 - ボイ・ヴァーテルマン、サッカー選手 1月25日 - ロビーニョ、サッカー選手 1月25日 - シュテファン・キースリング、サッカー選手 1月25日 - オンドレイ・ホタレック、フィギュアスケート選手 1月26日 - アントニオ・ルカヴィナ、サッカー選手 1月26日 - 羅雪娟、元競泳選手 1月28日 - アンドレ・イグダーラ、バスケットボール選手 1月29日 - ヌーノ・モライス、サッカー選手 1月29日 - ナタリー・デュトワ、競泳選手 1月30日 - キッド・クディ、ラッパー 1月30日 - 琴奨菊和弘、力士・大関 1月30日 - ジェレミー・ハーミダ、メジャーリーガー 1月31日 - ウラジミール・ビストロフ、サッカー選手 1月31日 - ジェレミー・ウォリナー、陸上競技選手 1月31日 - アレッサンドロ・ロジーナ、サッカー選手 1月31日 - モハメド・チテ、サッカー選手 2月 2月1日 - 佐藤有世、声優 2月1日 - オスカー・アングロ、野球選手 2月1日 - ダレン・フレッチャー、サッカー選手 2月1日 - マティアス・メルツ、オリエンテーリング選手 2月2日 - 胡金龍、プロ野球選手 2月4日 - ダグ・フィスター、メジャーリーガー 2月5日 - カルロス・テベス、サッカー選手 2月6日 - ダレン・ベント、サッカー選手 2月6日 - アントワン・ライト、バスケットボール選手 2月8日 - セシリー・ストロング、女優 2月8日 - マノン・フリール、バレーボール選手 2月9日 - アンナ・ユルキェビッチ、フィギュアスケート選手 2月9日 - ハンネ・ヴァトネ、シンガーソングライター 2月9日 - ディオナー・ナバーロ、メジャーリーガー 2月9日 - 韓庚、歌手、俳優 2月10日 - ザザ・パチュリア、バスケットボール選手 2月10日 - アレックス・ゴードン、メジャーリーガー 2月10日 - ルイス・クルーズ、プロ野球選手 2月12日 - カテリーン・イバルグエン、陸上選手 2月15日 - mink、歌手 2月15日 - ネイト・シャーホルツ、メジャーリーガー 2月16日 - ウサマ・メルーリ、競泳選手 2月17日 - マルチン・ゴルタット、バスケットボール選手 2月17日 - ユリア・メルクロワ、バレーボール選手 2月18日 - ブライアン・ボグセビッチ、プロ野球選手 2月18日 - イドリス・カルロス・カメニ、サッカー選手 2月19日 - マリリン・プラ、フィギュアスケート選手 2月20日 - ブライアン・マッキャン、メジャーリーガー 2月21日 - ダビド・オドンコール、サッカー選手 2月21日 - 香里奈、女優、モデル 2月21日 - ダミアン・モロニー、俳優 2月22日 - ブラニスラヴ・イヴァノヴィッチ、サッカー選手 2月25日 - 邢慧娜、陸上競技選手 2月25日 - ハインリヒ・ハウスラー、自転車競技選手 2月26日 - エマニュエル・アデバヨール、サッカー選手 2月26日 - アレックス・デ・アンジェリス、オートバイレーサー 2月26日 - ベレン・サート、女優 2月27日 - スコット・マシソン、プロ野球選手 2月27日 - アニバル・サンチェス、メジャーリーガー 2月28日 - カロリナ・クルコヴァ、ファッションモデル 2月29日 - ダレン・アンブローズ、サッカー選手 2月29日 - カレン・ジョーンズ、競泳選手 2月29日 - 吉岡聖恵、歌手 3月 3月1日 - パトリック・ヘルメス、サッカー選手 3月1日 - ボシュコ・ヤンコヴィッチ、サッカー選手 3月2日 - 鄭大世、サッカー選手 3月4日 - 岩村愛子、女優、声優 3月4日 - ザク・ウィットブレッド、サッカー選手 3月5日 - ギョーム・オアロ、サッカー選手 3月7日 - ブランドン・T・ジャクソン、俳優 3月7日 - マチュー・フラミニ、サッカー選手 3月8日 - ノラ=ジェーン・ヌーン、女優 3月8日 - サーシャ・ブヤチッチ、バスケットボール選手 3月8日 - 山田恵里、ソフトボール選手 3月9日 - カメル・ギラス、サッカー選手 3月9日 - スヴェトラーナ・ニコラエワ、フィギュアスケート選手 3月10日 - ダヴィ、サッカー選手 3月10日 - オリヴィア・ワイルド、女優 3月12日 - ジェイミー・アレクサンダー、女優 3月12日 - ホセ・アレドンド、元メジャーリーガー 3月13日 - デニス・スアレス、プロ野球選手 3月15日 - イ・ユンジ、女優 3月20日 - フェルナンド・トーレス、サッカー選手 3月20日 - 野村佑香、女優 3月21日 - ソポ・ゲロヴァニ、歌手 3月21日 - ワーナー・マドリガル、プロ野球選手 3月22日 - ピオトル・トロホウスキ、サッカー選手 3月22日 - ジョー・スミス、メジャーリーガー 3月24日 - 神永東吾、ミュージカル俳優 3月24日 - パク・ボム、歌手 3月24日 - クリス・ボッシュ、バスケットボール選手 3月24日 - ホセ・ルイス、プロ野球選手 3月25日 - キャサリン・マクフィー、歌手、女優、モデル 3月28日 - クリストファー・サンバ、サッカー選手 3月29日 - フアン・モナコ、テニス選手 3月29日 - キラ・カアイフエ、プロ野球選手 3月30日 - マリオ・アンチッチ、テニス選手 3月30日 - サマンサ・ストーサー、テニス選手 3月30日 - ジム・ハウザー、プロ野球選手 3月30日 - スカイラー・ストロズモー、プロ野球選手 4月 4月2日 - ショーン・ロバーツ、俳優 4月3日 - マクシミリアーノ・ロペス、サッカー選手 4月4日 - ショーン・メイ、バスケットボール選手 4月4日 - トーマス・ルヴクヴィスト、自転車競技選手 4月5日 - ロドニー・カーニー、バスケットボール選手 4月5日 - マーシャル・オールマン、俳優 4月6日 - ミカエル・シアニ、サッカー選手 4月7日 - レナト・ヤンバエフ、サッカー選手 4月8日 - 申芮智、フィギュアスケート選手 4月9日 - アダム・ローウェン、メジャーリーガー 4月10日 - カルロス・アドリアーノ・デ・ジョス・ソアレス(アレモン)、サッカー選手(+ 2007年) 4月10日 - マンディ・ムーア、歌手 4月10日 - ゴンサロ・ロドリゲス、サッカー選手 4月11日 - アンドレス・ブランコ、メジャーリーガー 4月11日 - アレハンドロ・デアザ、メジャーリーガー 4月12日 - レビ・ロメロ、プロ野球選手 4月13日 - アンデルス・リンデゴーア、サッカー選手 4月13日 - 水嶋ヒロ、俳優、小説家 4月14日 - 日馬富士公平、大相撲第70代横綱 4月14日 - クリス・ラルー、プロ野球選手 4月15日 - 陳玘、中国の卓球選手 4月16日 - ロマン・フェイユ、自転車競技選手 4月16日 - ケロン・スチュワート、陸上競技選手 4月16日 - ムラド・メグニ、サッカー選手 4月17日 - ラッファエレ・パッラディーノ、サッカー選手 4月17日 - ジェド・ラウリー、メジャーリーガー 4月18日 - アメリカ・フェレーラ、女優 4月18日 - マルコス・マテオ、プロ野球選手 4月19日 - イ・ダヘ、女優 4月19日 - ジェニファー・ペリマン、タレント 4月20日 - ネルソン・エボラ、陸上競技選手 4月20日 - タイソン・グリフィン、総合格闘家 4月22日 - アメリ・ベラバ、ミュージシャン、(シュガーベイブス) 4月23日 - アレクサンドラ・コステニューク、チェス棋士 4月23日 - 渡辺明、将棋棋士 4月27日 - パトリック・スタンプ、ミュージシャン 4月28日 - ロムロ・サンチェス、プロ野球選手 4月28日 - ドミトリ・トルビンスキ、サッカー選手 4月28日 - 豊永利行、声優 4月29日 - リナ・クラスノルツカヤ、テニス選手 4月29日 - ワン・バオチャン、俳優 4月30日 - ショーン・デバリ、プロレスラー 4月30日 - 岡田直子、喜劇女優 吉本新喜劇 5月 5月1日 - ミショ・ブレチュコ、サッカー選手 5月1日 - 小山慶一郎、歌手、俳優、タレント、NEWSのメンバー 5月2日 - ターボ・セフォロシャ、バスケットボール選手 5月3日 - ナム・サンミ、女優 5月4日 - サラ・マイアー、フィギュアスケート選手 5月6日 - フアン・パブロ・カリーソ、サッカー選手 5月7日 - アレックス・スミス、アメリカンフットボール選手 5月8日 - デヴィッド・キング、フィギュアスケート選手 5月9日 - プリンス・フィルダー、メジャーリーガー 5月9日 - チェイス・ヘッドリー、メジャーリーガー 5月10日 - ブレント・ボメントレ、フィギュアスケート選手 5月10日 - 丁楊、フィギュアスケート選手 5月10日 - エドワード・ムヒカ、メジャーリーガー 5月10日 - キャム・ミコライオ、プロ野球選手 5月11日 - アンドレス・イニエスタ、サッカー選手 5月11日 - クリスティアン・オボド、サッカー選手 5月14日 - ハッサン・イェブダ、サッカー選手 5月14日 - マーク・ザッカーバーグ、実業家 5月14日 - オリー・マーズ、シンガーソングライター 5月14日 - ミヒャエル・レンジング、サッカー選手 5月15日 - ヨアン・デロ、フィギュアスケート選手 5月16日 - ブランドン・マン、プロ野球選手 5月16日 - ダリオ・チヴィタニッチ、サッカー選手 5月17日 - アンドレアス・コフラー、スキージャンプ選手 5月17日 - イゴール・デニソフ、サッカー選手 5月17日 - パッセンジャー、シンガーソングライター 5月17日 - クリスティアン・ボラーニョス、サッカー選手 5月18日 - ニキ・テルプストラ、自転車競技選手 5月18日 - イベット・ラロワ、陸上選手 5月19日 - ヘスス・ダトロ、サッカー選手 5月20日 - ディララ・カズモヴァ、歌手、女優 5月20日 - ナトゥーリ・ノートン、女優 5月22日 - カロリーネ・ヘルフルト、女優 5月25日 - マリオン・レイヴン、歌手 5月28日 - ミカ・トッド、元ミニモニ。メンバー 5月28日 - 若槻千夏。タレント 5月29日 - カーメロ・アンソニー、バスケットボール選手 5月30日 - サマンサ・ストーサー、テニス選手 5月30日 - フランク・ハーマン、プロ野球選手 5月31日 - ネイト・ロビンソン、バスケットボール選手 5月31日 - アンドリュー・ベイリー、メジャーリーガー 5月31日 - ミロラド・チャビッチ、競泳選手 6月 6月2日 - ナイダン・ツブシンバヤル、柔道選手 6月2日 - タイラー・ファーラー、自転車競技選手 6月4日 - レイニー・ヤン、歌手、女優 6月5日 - ロビンソン・チリノス、メジャーリーガー 6月7日 - アリ・コイヴネン、歌手 6月7日 - マルセル・シェーファー、サッカー選手 6月8日 - マキシミリアーノ・ペレイラ、サッカー選手 6月8日 - ハビエル・マスチェラーノ、サッカー選手 6月9日 - ユリエスキ・グリエル、野球選手 6月9日 - ヴェスレイ・スナイデル、サッカー選手 6月9日 - クリスティーナ・バイアー、アイスダンス選手 6月11日 - ヴァグネル・ラヴ、サッカー選手 6月12日 - ロジャー・バーナディーナ、メジャーリーガー 6月12日 - ブルーノ・ソリアーノ、サッカー選手 6月14日 - ヘスス・グスマン、プロ野球選手 6月15日 - クリフ・ペニントン、メジャーリーガー 6月15日 - ティム・リンスカム、メジャーリーガー 6月18日 - ケイティー・オーシャー、フィギュアスケート選手 6月18日 - フェルナンド・ロドリゲス、メジャーリーガー 6月19日 - ユリア・オベルタス、フィギュアスケート選手 6月22日 - ヤンコ・ティプサレビッチ、テニス選手 6月22日 - シーザー・ラモス、メジャーリーガー 6月23日 - ダフィー、歌手 6月24日 - J.J.レディック、バスケットボール選手 6月25日 - ローレン・ブッシュ、モデル 6月26日 - デロン・ウィリアムス、バスケットボール選手 6月26日 - ユリヤ・テプリヒ、フィギュアスケート選手 6月26日 - ホセ・バレア、バスケットボール選手 6月26日 - レイモンド・フェルトン、バスケットボール選手 6月30日 - エカテリーナ・コステンコ、フィギュアスケート選手 7月 7月1日 - ドナルド・トーマス、走高跳選手 7月2日 - ジョニー・ウィアー、フィギュアスケート選手 7月2日 - ウラディミール・バレンティン、プロ野球選手 7月2日 - ヴィニシウス・マガリャエス、総合格闘家 7月2日 - マールテン・マルテンス、サッカー選手 7月3日 - ニコラス・ロッシュ、自転車競技選手 7月4日 - 赤西仁、歌手、タレント、俳優 7月4日 - イ・ジェフン、俳優 7月4日 - カズレーザー、お笑いタレント(メイプル超合金) 7月4日- 夢咲ねね、女優 7月5日 - ダナイ・ガルシア、女優 7月5日 - 山田優、モデル、女優 7月6日 - 張昊、フィギュアスケート選手 7月7日 - 坂口智隆、プロ野球選手 7月7日 - アルベルト・アクィラーニ、サッカー選手 7月7日 - アルフレッド・フィガロ、プロ野球選手 7月8日 - ダニエラ・サラヒバ、モデル 7月9日 - フアン・カルロス・リナレス、野球選手 7月9日 - オルソジ・ファスバ、短距離走選手 7月9日 - ハンナ・ホール、女優 7月10日 - オスカル・エスカンドン、ボクサー 7月10日 - マルク・ゴンサレス、サッカー選手 7月10日 - 田中圭、俳優 7月11日 - ベン・スピーズ、オートバイレーサー 7月11日 - セリンダ・スワン、女優 7月11日 - レイチェル・テイラー、女優 7月11日 - タニス・ベルビン、フィギュアスケート選手 7月12日 - マイケル・マクガヴァン、サッカー選手 7月12日 - 南條愛乃、声優、歌手、μ's 7月14日 - サミール・ハンダノヴィッチ、サッカー選手 7月14日 - ムニル・エル・ハムダウィ、サッカー選手 7月14日 - レナルド・バークマン、バスケットボール選手 7月14日 - ニウマール、サッカー選手 7月15日 - エドガル・バレット、サッカー選手 7月16日 - ソロモン・ジョーンズ、バスケットボール選手 7月19日 - ラッセ・イェルツェン、ヴィデオ作成者 7月19日 - ディアナ・モカヌ、競泳選手 7月19日 - アダム・モリソン、バスケットボール選手 7月21日 - セルゲイ・ベルビーロ、フィギュアスケート選手 7月22日 - スチュワート・ダウニング、サッカー選手 7月22日 - フリスティナ・ヴァシレヴァ、フィギュアスケート選手 7月23日 - ブランドン・ロイ、バスケットボール選手 7月24日 - ダニエル・ヴェンデ、フィギュアスケート選手 7月25日 - (本名 全智慧)、歌手 7月26日 - ブランドン・モロー、メジャーリーガー 7月26日 - キリアコス・イオアヌ、陸上選手 7月26日 - ケビン・ジェプセン、メジャーリーガー 7月26日 - 丘みどり、演歌歌手 7月27日 - マリアーノ・バルボサ、サッカー選手 7月27日 - ワルテル・ガルガノ、サッカー選手 7月27日 - マックス・シャーザー、メジャーリーガー 7月28日 - アレクサンドル・グラチェフ、フィギュアスケート選手 7月29日 - アンナ・ベッソノバ、新体操選手 7月29日 - チャド・ビリングズリー、メジャーリーガー 7月29日 - ウィルソン・パラシオス、サッカー選手 7月30日 - 木村良平、声優 7月30日 - 小川美佳、ものまねタレント 8月 8月1日 - バスティアン・シュヴァインシュタイガー、サッカー選手 8月1日 - 、アナウンサー 8月2日 - ジャンパオロ・パッツィーニ、サッカー選手 8月3日 - ジョナサン・シガー、モデル、タレント 8月3日 - マット・ジョイス、メジャーリーガー 8月3日 - ライアン・ロクテ、競泳選手 8月7日 - ウェイド・ルブラン、メジャーリーガー 8月8日 - 橋本マナミ、女優・タレント 8月9日 - 古川高晴、アーチェリー選手 8月10日 - 速水もこみち、俳優 8月11日 - ルーカス・ディ・グラッシ、F1ドライバー 8月11日 - メルキー・カブレラ、メジャーリーガー 8月11日 - アダム・ブライト、プロ野球選手 8月12日 - シェローン・シンプソン、陸上競技選手 8月13日 - ニコ・クラニチャール、サッカー選手 8月13日 - アリョーナ・ボンダレンコ、テニス選手 8月13日 - ブーン・ローガン、メジャーリーガー 8月14日 - ジョルジョ・キエッリーニ、サッカー選手 8月14日 - ロビン・セーデリング、テニス選手 8月15日 - ジェニファー・カーク、フィギュアスケート選手 8月17日 - オクサナ・ドムニナ、フィギュアスケート選手 8月18日 - ロベルト・フート、サッカー選手 8月19日 - アレッサンドロ・マトリ、サッカー選手 8月20日 - 森山未來、俳優、ダンサー 8月21日 - アリゼ、歌手 8月21日 - B.J.アップトン、メジャーリーガー 8月21日 - ダスティン・モルケン、プロ野球選手 8月22日 - リー・キャンプ、サッカー選手 8月23日 - グレン・ジョンソン、サッカー選手 8月23日 - リディア・チェプクルイ、陸上競技選手 8月24日 - チャーリー・ビラヌエバ、バスケットボール選手 8月25日 - ICONIQ、歌手 8月26日 - カイル・ケンドリック、メジャーリーガー 8月27日 - 杉本美香、柔道家・日本代表 8月27日 - デヴィッド・ベントリー、サッカー選手 8月27日 - サリー・ムンタリ、サッカー選手 8月28日 - アーラ・ベクナザロワ、フィギュアスケート選手 8月28日 - サラ・ローマー、女優・モデル 8月30日 - 劉艶、フィギュアスケート選手 8月31日 - マイケル・コレノ、フィギュアスケート選手 8月31日 - シャール・シュワーツェル、プロゴルファー 9月 9月1日 - 平岡祐太、俳優 9月2日 - 唐禹哲、俳優 9月3日 - ギャレット・ヘドランド、俳優 9月5日 -上條倫子、NHKアナウンサー 9月5日- クリス・アンカー・セレンセン、自転車競技選手 9月6日 - クリスティアン・ラウフバウアー、フィギュアスケート選手 9月6日 - トーマス・デッケル、自転車競技選手 9月7日 - ベラ・ズボナレワ、テニス選手 9月7日 - マウロ・ゴメス、プロ野球選手 9月8日 - ヴィタリー・ペトロフ、F1ドライバー 9月9日 - ブラッド・グザン、サッカー選手 9月9日 - ブレット・ピル、プロ野球選手 9月10日 - ルーク・トレッダウェイ、俳優 9月10日 - アンドリュー・ブラウン、プロ野球選手 9月11日 - 安田章大、タレント、歌手、俳優、関ジャニ∞ 9月11日 - クリスチーナ・オブラソワ、フィギュアスケート選手 9月12日 - ジョン・ヘイマー、フィギュアスケート選手 9月13日 - パーカー・ペニングトン、フィギュアスケート選手 9月15日 - サセックス公ヘンリー、イギリス国王チャールズ3世次男 9月15日 - ルーク・ファンミル、マイナーリーガー(+ 2019年) 9月16日 - サブリナ・ブライアン、女優、声優 9月16日 - ケイティ・メルア、シンガーソングライター 9月17日 - ミッシェル・ファブリツィオ、オートバイレーサー 9月18日 - トラビス・アウトロー、バスケットボール選手 9月18日 - ディジー・ラスカル、ラッパー 9月19日 - ケヴィン・ゼガーズ、俳優 9月19日 - ダニー・バレンシア、メジャーリーガー 9月20日 - ブライアン・ジュベール、フィギュアスケート選手 9月21日 - ワーレイ、ラッパー 9月21日 - カルロス・ロサ、プロ野球選手 9月22日 - チアゴ・シウヴァ、サッカー選手 9月22日 - テレサ・フー、歌手、女優 9月23日 - マット・ケンプ、メジャーリーガー 9月24日 - アンナ・ザドロズニュク、フィギュアスケート選手 9月25日 - テオドラ・ポシュティッチ、フィギュアスケート選手 9月25日 - ラシャード・マキャンツ、バスケットボール選手 9月25日 - マイケル・クロッタ、プロ野球選手 9月25日 - ビクター・ガラテ、プロ野球選手 9月26日 - ウィルフィン・オビスポ、プロ野球選手 9月27日 - アヴリル・ラヴィーン、歌手 9月27日 - ワウテル・ウェイラント、自転車競技選手(+ 2011年) 9月27日 - ジョン・ラナン、メジャーリーガー 9月28日 - ライアン・ジマーマン、メジャーリーガー 9月29日 - ペア・メルテザッカー、サッカー選手 10月 10月1日 - マット・ケイン、メジャーリーガー 10月1日 - アビゲイル・ピーターセン、フィギュアスケート選手 10月1日 - クリス・ジョンソン、メジャーリーガー 10月2日 - マリオン・バルトリ、テニス選手 10月2日 - リッカルド・ベルタニョン、プロ野球選手 10月3日 - アシュリー・シンプソン、歌手・女優 10月3日 - ユン・ウネ、女優 10月4日 - リェーナ・カーチナ、歌手(t.A.T.u.) 10月4日 - ドリュー・スタッブス、メジャーリーガー 10月4日 - アントニー・ル・タレク、サッカー選手 10月6日 - ジェニファー・ドン、フィギュアスケート選手 10月6日 - バレリー・ビリ、陸上競技選手 10月6日 - アレクサンダー・ガージ、フィギュアスケート選手 10月7日 - 生田斗真、俳優、タレント 10月10日 - トロイ・トゥロウィツキー、メジャーリーガー 10月11日 - アレクサンドル・スミルノフ、フィギュアスケート選手 10月11日 - マックス・ラミレス、メジャーリーガー 10月12日 - ジェイミー・ヴァーナー、元総合格闘家 10月13日 - ヘイデン・ペン、プロ野球選手 10月14日 - 全炳斗、韓国の野球選手 10月14日 - クラウディア・ラウシェンバッハ、フィギュアスケート選手 10月14日 - クリス・ジョンソン、プロ野球選手 10月16日 - シェイン・ワード、歌手 10月17日 - 臼田あさ美、モデル、女優 10月18日 - フリーダ・ピントー、女優 10月18日 - 中司ゆう花、声優 10月18日 - リンゼイ・ボン、スキー選手 10月19日 - ジョシュ・トムリン、メジャーリーガー 10月19日 - 藤田咲、声優 10月19日 - ビートりょう (THE BOHEMIANS)、ミュージシャン 10月20日 - フロラン・シナマ=ポンゴル、サッカー選手 10月22日 - 関根麻里、女優・タレント 10月22日 - 佐藤俊作、俳優 10月23日 - イザベル・グラール、ファッションモデル 10月24日 - 木村カエラ、歌手、ファッションモデル 10月25日 - ケイティ・ペリー、シンガーソングライター 10月26日 - サーシャ・コーエン、フィギュアスケート選手 10月26日 - アドリアーノ・コレイア、サッカー選手 10月26日 - ジェフェルソン・ファルファン、サッカー選手 10月27日 - ブレイディ・クイン、NFL選手 10月28日 - オバフェミ・マルティンス、サッカー選手 10月29日 - ホセ・ミハレス、メジャーリーガー 10月30日 - シェーン・ロビンソン、メジャーリーガー 10月31日 - 赤羽根健治、声優 11月 11月1日 - ミロシュ・クラシッチ、サッカー選手 11月1日 - スティーブン・ボート、メジャーリーガー 11月2日 - ジュリア・ステグナー、ファッションモデル 11月3日 - 錦戸亮、俳優、タレント、歌手、関ジャニ∞ 11月3日 - 福井未菜、女優 11月3日 - ブランドン・ディクソン、プロ野球選手 11月4日 - アイラ・ユスフ、サッカー選手 11月5日 - 把瑠都凱斗、元大相撲力士 11月6日 - リッキー・ロメロ、メジャーリーガー 11月6日 - ロビー・ウィドランスキー、野球選手 11月7日 - アメリア・ベガ、ミス・ユニバース 11月9日 - ジョエル・ズマヤ、メジャーリーガー 11月9日 - SE7EN、歌手 11月9日 - デルタ・グッドレム、歌手 11月9日 - ク・ヘソン、女優 11月10日 - 小林直己、三代目J Soul Brothers、EXILEのメンバー 11月10日 - ケンドリック・パーキンス、バスケットボール選手 11月11日 - ヒルトン・アームストロング、バスケットボール選手 11月12日 - ベンジャミン・オコルスキー、フィギュアスケート選手 11月12日 - ヤン・ツィ、テニス選手 11月12日 - パク・サンダラ、歌手(2NE1) 11月12日 - シーザー・ヒメネス、イタリアンベースボールリーガー 11月14日 - マリヤ・シェリフォヴィッチ、歌手 11月14日 - ヴィンチェンツォ・ニバリ、自転車競技選手 11月14日 - フェリックス・ペレス、プロ野球選手 11月17日 - 佐藤めぐみ、女優 11月17日 - 葉山いくみ、声優 11月18日 - 千葉涼平、アーティスト w-inds. 11月19日 - ホルヘ・フシーレ、サッカー選手 11月20日 - レイトン・ベインズ、サッカー選手 11月21日 - アルバロ・バウティスタ、オートバイレーサー 11月21日 - ジェナ・マローン、女優 11月21日 - ジョシュ・ブーン、バスケットボール選手 11月22日 - スカーレット・ヨハンソン、女優 11月22日 - アントン・トカレフ、フィギュアスケート選手 11月22日 - ヨニ・ラソ、元マイナーリーガー 11月23日 - ルーカス・グラビール、俳優・歌手 11月23日 - ロバート・コエロ、メジャーリーガー 11月23日 - キャスパー・ウェルズ、メジャーリーガー 11月24日 - ジョエル・グスマン、プロ野球選手 11月24日 - カギソ・ディクガコイ、サッカー選手 11月25日 - ギャスパー・ウリエル、俳優 11月26日 - アントニオ・プエルタ、サッカー選手(+ 2007年) 11月28日 - アンドリュー・ボーガット、バスケットボール選手 11月28日 - エリザベス・パットナム、フィギュアスケート選手 11月28日 - マーク=アンドレ・フルーリー、アイスホッケー選手 11月28日 - メアリー・エリザベス・ウィンステッド、女優 11月28日 - トレイ・ソングス、シンガーソングライター 11月29日 - ラスムス・リンドグレン、サッカー選手 11月29日 - カトレゴ・ムフェラ、サッカー選手 11月30日 - アラン・ハットン、サッカー選手 11月30日 - ナイジェル・デ・ヨング、サッカー選手 11月30日 - オリガ・リパコワ、陸上競技選手 12月 12月3日 - エレーナ・ロマノフスカヤ、フィギュアスケート選手 12月3日 - ファン・パブロ・フランシア、サッカー選手 12月5日 - ロコ・ウキッチ、バスケットボール選手 12月5日 - ジョシュ・ルーキー、プロ野球選手 12月5日 - アブデル・カデル・ゲザル、サッカー選手 12月7日 - ロバート・クビサ、F1ドライバー 12月7日 - リュドミラ・ネリディナ、フィギュアスケート選手 12月7日 - カレン・コン、マレーシアの歌手 12月8日 - バダ・ハリ、キックボクサー 12月8日 - エマ・グリアン、陸上競技選手 12月8日 - TAKAHIRO、歌手、俳優、EXILE 12月8日 - ニッキー・ミナージュ、歌手 12月11日 - レイトン・ベインズ、サッカー選手 12月11日 - 加藤順大、サッカー選手 12月12日 - ダニエル・アッゲル、サッカー選手 12月12日 - マテュー・ラダニュー、自転車競技選手 12月13日 - サンティ・カソルラ、サッカー選手 12月15日 - コール・ガーナー、野球選手 12月15日 - マルティン・シュクルテル、サッカー選手 12月16日 - ユリア・シャピロ、フィギュアスケート選手 12月16日 - マリオ・サンティアゴ、プロ野球選手 12月17日 - 福田明日香、歌手 12月18日 - ジュリアーノ・ラッツォーリ、アルペンスキー選手 12月19日 - イアン・ケネディ、メジャーリーガー 12月20日 - アンドレイ・マキシミーシン、フィギュアスケート選手 12月21日 - ヴォーン・チピアー、フィギュアスケート選手 12月21日 - ジャクソン・ラスボーン、俳優 12月21日 - 深谷博輝、L’ALGORITHME(アルゴリズム)シェフ 12月22日 - ベースハンター、ミュージシャン 12月23日 - ジョシュ・サティン、メジャーリーガー 12月24日 - ウォーレス・スピアモン、陸上競技選手 12月25日 - ナタリア・ギマランエス、モデル 12月26日 - ベリー・ファンドリエル、野球選手 12月28日 - 增菘瑋、野球選手 12月28日 - マルティン・カイマー、プロゴルファー 12月28日 - キンバリー・ミックル、陸上競技選手 12月30日 - レブロン・ジェームズ、バスケットボール選手 12月30日 - セルヒオ・ガデア、オートバイレーサー 死去 ノーベル賞 物理学賞 - カルロ・ルビア(イタリア)、シモン・ファンデルメール(オランダ) 化学賞 - ロバート・メリフィールド(アメリカ) 生理学・医学賞 - ニールス・イェルネ(デンマーク)、ジョルジュ・J・F・ケーラー(ドイツ)、セーサル・ミルスタイン(アルゼンチン、イギリス) 文学賞 - ヤロスラフ・サイフェルト(チェコスロバキア) 平和賞 - デズモンド・ムピロ・ツツ(南アフリカ) 経済学賞 - リチャード・ストーン(イギリス) フィクションのできごと 2月26日 - ヴェノム・スネークが搬送されたキプロスの病院で9年間の眠りから覚醒する。同年3月11日、XOFの部隊がビッグ・ボス殺害の為に病院を襲撃するが、顔を包帯で巻いた謎の男イシュメールの協力や、突如現れた燃える男の出現により、スネークは病院から脱出することに成功する。(ゲーム『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』) 4月23日 - 朝、巨大な飛翼竜がマンハッタン島上空に出現し、火炎吐射によって自由の女神像を破壊。これに対し、ニュージャージー州空軍のF-105がから緊急出撃する。(ボードゲーム『』) ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』は、題名通り1984年のロンドンが舞台である。 2029年の未来世界から1984年5月12日の夜のロサンゼルスに殺人機械であるターミネーターのT-800と人類抵抗軍兵士のカイル・リースがタイムトラベルされ、未来の人類抵抗軍を率いるジョン・コナーの母親となる運命にあるサラ・コナーをめぐる戦いが起こり、カイルが死亡するもサラはT-800を破壊して生き残る。そして半年後の11月10日にカイルの間の子であるジョンを妊娠したサラは車での旅の途中、生まれ来るジョンへ向けたメッセージを録音し、立ち寄ったガソリンスタンドにてポラロイドカメラで写真を撮られるが、その写真は未来で転送される前にカイルがジョンから貰うも戦闘の中で燃えて灰になった写真そのものであった。(映画『ターミネーター』) 2029年のロサンゼルスにある機械軍の施設内のタイムマシンより、ターミネーターのT-800がサラ・コナーを抹殺するため1984年の5月12日の夜のロサンゼルスにタイムトラベルされ、これを知った人類抵抗軍の指導者ジョン・コナーによりサラ抹殺を阻止すべく抵抗軍からもタイムトラベルを行うこととなり、何人もの兵士が志願するがカイル・リースが選ばれてタイムトラベルされた。その後、サラへの刺客のT-800はサラ本人と彼女を戦士に育てていた別のT-800(守護者)によって機能を停止し、カイルは警官に成りすました新型ターミネーターのT-1000に襲われるが、本物の警官であるオブライエン共々サラや守護者に救われ、戦闘の末にT-1000は強酸のトラップによって倒される。そしてサラは1997年に起こる、自我に目覚めた戦略防衛コンピュータシステム「スカイネット」による全世界への核攻撃「審判の日」を止めるべく、守護者と協力して作り上げたタイムマシンを使って1997年へとタイムトラベルしようとするが、カイルが最初にタイムトラベルした時に見た「審判の日は2017年」という謎の情報を話したことで、守護者はこれを「別の時間軸の記憶」と判断し、これを受けてカイルはサラを説得してタイムトラベルの行き先を2017年へ変更する。そして、T-1000との戦闘で生体組織を損傷してタイムトラベル出来なくなっていた守護者と未来で合流する予定を立てて、カイルとサラは2017年へタイムトラベルした。(映画『ターミネーター:新起動/ジェニシス』) 「科学アカデミア」の学生である大原丈(後のライブマンメンバー・イエローライオン)と尾村豪(後の武装頭脳軍ボルト幹部・ドクターオブラー)、アカデミアで記念写真を撮る。(特撮テレビ番組『超獣戦隊ライブマン』第41話「透明人間、豪」) 感情依存生物メイラス、ジョージ・ハッチンソン卿を操り復活を目論む。(テレビドラマ『ドクター・フー』) 脚注 出典 関連項目 年の一覧 年表 年表一覧
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E9%9B%BB%E5%AD%90%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%9E%E3%83%B3
超電子バイオマン
『超電子バイオマン』(ちょうでんしバイオマン)は、1984年2月4日から1985年1月26日まで、テレビ朝日系列で毎週土曜18:00 - 18:25(JST)に全51話が放送された、東映制作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称。 概要 本作品では視聴者層の拡大を図り、様々な新機軸が導入された。 制作経緯 マンネリ打破を掲げた本作品では、「戦隊」という語句が含まれない冠名の使用や、戦隊シリーズで多数見られる「戦隊名の一部+色」に代わり「色+ナンバー(例:レッドワン)」を各戦士の呼び名とするなどといった様々な試みがなされており、スーパー戦隊シリーズ自体の転機(ターニングポイント)となった作品でもあった。 その一環として、企画当初は「男性5人のみの戦隊」という案も出ていたが、5人全員を男性にしてしまうとドラマの展開が難しくなることから見送られ、自然なキャラクター造形のため、代わって東映プロデューサーの鈴木武幸による「女性戦士が2人」という要素が導入された。この要素には、女性1人ではメンバーの飾り物になりがちなところを、2人だと女の子同士の会話というドラマ造りができるなどの利点があった。一般的には男児向け作品での女性戦士はあまり受けが良くないものであり、スタッフからは反対意見も出たが、実施してみると好評だったため、翌年には一転して「女性5人でもいいのでは」という意見まで出たという。 さらに本作品では等身大の怪人が一話限りで退場せず幹部と同じくレギュラーとして登場し、その帰結として毎回の巨大戦では敵方の異なる巨大ロボットが登場するという初の試みもなされている。敵組織が巨大ロボットを繰り出す展開は過去のシリーズ作品でも幾度か試みられていたが、等身大の怪人をレギュラー化させたり、等身大の怪人と巨大ロボットとは形態上での関連性を一切持たせないなど、本作品では先行するそれらの作品ともオリジナリティーの面で大きな差別化が図られた。従来の巨大戦はセットでの撮影のみであったが、本作品では屋外での撮影も多用され、クレーンによる吊りなどアクション自体も特徴的なものとなった。 企画当初は物語と設定におとぎ話の要素を盛り込んでおり、過去にバイオロボと邂逅しバイオ粒子を浴びたおとぎ話の主人公たち(桃太郎、金太郎、一寸法師、かぐや姫)が現代へとタイムリープしてきて現代人の女性とともに戦うという構想が考えられていた。この設定は早い時期に「子供が皆おとぎ話を知っているかどうかが疑問」ということで没となったが、郷の動物との意思疎通能力や、メンバーのキャラクター設定などにその名残が見られる。昔話の要素を切り捨ててからの企画はハイテク寄りになり、当時世に出始めた生命工学を表す専門用語「バイオテクノロジー」を題名に取り入れ、なおかつ「超電子」を冠するということでマスクには点滅する発光ダイオードが施された。このバイオテクノロジーという単語から想起される「生体改造」というイメージから、サイボーグ的なヒーローを登場させる案もあったが、こうした「負の要素」を背負ったヒーローは、スーパー戦隊シリーズが掲げる「明るさ」「にぎやかさ」といった統一コンセプトからかけ離れてしまうことからこちらも没とされた。その後も5人全員が異星人という案や、500年前に理想郷を求めて旅をしていた5人がバイオ粒子を浴び、その子孫が戦うといった感じで設定が二転三転。5人の名前も数回にわたって変更されている。 この当時、勧善懲悪の1話完結というスタイルでは、1年という長期間に亘って視聴者の関心を引き付け続けるのは難しいという東映側の判断や、鈴木がかつて関わっていた長浜ロマンロボシリーズの影響もあり、本作品では従来の1話完結という基本を踏まえながらも、敵首領・ドクターマンこと蔭山秀夫とその息子である秀一、そして秀一に似せて作られたアンドロイドのプリンスをめぐる親子の愛憎劇、さらにリーダーである郷史朗と肉親との再会劇といったドラマが用意されるなど、年間を通して大河ドラマとしても楽しめる連続性をもたせた構成が取られている。他には、前出の長浜ロマンロボシリーズのひとつである『闘将ダイモス』を意識する形で恋愛ドラマの要素を盛り込むことも検討されていたが、アニメとは異なり生身の人間が演じる実写作品では生々しい映像になり過ぎ、保護者層からの反感を買う恐れもあったことから時期尚早ということで見送られ、結果としてこの要素は『鳥人戦隊ジェットマン』まで持ち越されることとなった。 技術的な面でも、ヒーローのスーツの素材が本作品より変更されており、それまで多用されてきた綿とナイロンによるものから、新たに伸縮性・耐熱性に優れた「オペコット」と呼ばれる合成繊維による生地が使用されるようになった。また既にメタルヒーローシリーズでは『宇宙刑事ギャバン』から使われていた「東通ecgシステム」が、本作品よりスーパー戦隊シリーズにも本格的に導入され、以降『超力戦隊オーレンジャー』まで使用されることとなった。 また本作品から、主に敵の初登場時に名前のテロップが下に挿入されるようになった。 商業展開 スーパー戦隊シリーズのDX超合金を手がけたポピーが、前作『科学戦隊ダイナマン』放映中にバンダイへ吸収合併されたため、本作品では当初より超合金(DX 電子合体バイオロボ)などの関連玩具商品もバンダイブランドで発売された。詳細はポピーからバンダイへの移行も参照。 また超合金だけでなくプラモデルも、バンダイホビー事業部(現在のBANDAI SPIRITS)よりいろプラ黎明期に、いろプラとして、ベストメカコレクションサイズでバイオロボが発売され、同事業部最後のスーパー戦隊ロボのスケールモデル商品となった。一応の合体変形を有していたが、いろプラ黎明期の簡易な製品化のため主にバイオジェット2号(下半身部)は脚部などの変形がオミットされている。他方でカプセルトイ(ガシャポン)、食玩の平行販売で発売されたプラ組立てキット(後のミニプラ)は簡易ながらも、劇中設定を踏襲した変形合体を実現していた。こちらはスーパー戦隊シリーズ#食玩ならびにミニプラ#1984年を参照。 あらすじ かつて高度な文明によって栄えたバイオ星は、その超科学によって生み出された物質活性化を促進させるバイオ粒子をめぐって引き起こったバイオ平和連合と反バイオ同盟の戦争により滅んでしまう。バイオ粒子の平和利用を目指していたバイオ平和連合の科学者たちは滅亡は避けられないと悟り、宇宙一美しい地球では将来自分たちのような科学をめぐっての悲劇を繰り返させてはならないと、1484年に自我とバイオ粒子を持つ巨大ロボットバイオロボとそのサポートロボピーボを地球に送りこむ。 それから500年経った1984年。ドクターマンと名乗る狂気の天才科学者が、自らが作り出したメカ人間による新帝国ギアを率いて世界征服を開始した。科学による地球の危機に目覚めたピーボは5人の若者をバイオベースに召喚する。彼らは500年前、バイオロボによって肉体と精神を強靱にするバイオ粒子を浴びせられた5人の若者の子孫だった。 宿命の糸で結ばれた5人の若者は超電子頭脳の戦闘マニュアルに従って、バイオマンとしてギアに立ち向かうことになるが、ギアの猛攻は凄まじくイエローフォー / 小泉ミカが倒れた。残された4人は、同じバイオ粒子を受け継いだ矢吹ジュンを戦列に加え、心新たにギアとの宿命的な戦いに身を投じていく。 登場人物 超電子バイオマン 500年前に地球に飛来したバイオロボが放出したバイオ粒子を浴びた地球人の子孫たちによって結成されたスーパー戦隊。特徴として、バイオ粒子の影響により身体能力を高められる。 名乗りの際には各人毎に「ワン」「ツー」「スリー」「フォー」「ファイブ」を発した後、レッドの「超電子」と全員での「バイオマン」を発する。劇場版では個人名乗りを終えた後に行った。 バイオマンのリーダー。24歳。日本人初のスペースシャトルパイロット。バイオ粒子を浴びた先祖は武者修行中の侍。 ギアに絶対に負けないという強い信念と責任感、そして誰よりも熱い心と決断力で仲間を引っ張っていく。第1話でバイオ粒子を直接浴びた影響で動物との意思疎通能力を持っており、多数の犬猫通信員、鳩連絡員を従えて情報収集を行う。一時的に反バイオ粒子を用いたバイオキラーガンの影響により、この能力が失われることがあった。ハンバーグが好物。 両親とは幼いころに死別したと思われていたが、終盤に父・郷紳一朗と思わぬ形で再会を果たす。 初期の企画ではバイオ粒子を浴びた桃太郎という設定。動物との会話ができるという能力は桃太郎がお供の犬・猿・雉を連れていたことに由来するもの。企画時の名前は「鬼塚桃太郎」「鬼塚翔」。また、デザイン案のみだが、ギアの親衛隊長である郷の兄が描かれている。 スチール撮影会時の衣裳は、演じる阪本良介の私物である。また、第1話から着用しているジャケットも阪本が自ら選んでワッペンをつけたものである。 郷史朗が変身する戦士。 パンチが得意で、空手をベースとした格闘技などの戦闘術とバイオソード長剣タイプによる剣技、バイオソード銃タイプでの射撃を得意とする。 23歳のカーレーサー志望の青年。バイオ粒子を浴びた先祖は猟師。 明るく陽気な性格で、早合点しがちで、気は優しく力持ちでかつ、子供たちにはよく好かれている。4歳のとき、全身骨折の大怪我をしたトラウマから精神面に弱さが垣間見え、自分に自信が持てない面も多々見られ、それが原因で失敗することも多い。だが、その度に仲間の支えや必死の努力で克服した。 底抜けの運動神経と反射神経に加え、カーレーサーとして身につけたメカへの知識を生かして活躍する。 明立高校時代は野球部に所属していたが千本ノックに耐え切れず、逃げ出してしまった過去を持つ。後にスーパーエレクトロンを会得するため、千本ノックに再び挑戦しクリアしたことで自らの過去にピリオドを打った。ブレイクダンスが得意で、グリーンツーに変身した際に生かしている。 初期の企画ではバイオ粒子を浴びた金太郎という設定。ガッチリとした体格の肉体派という設定がその名残。企画時の名前は「大熊金太郎」「高杉慎吾」。 高杉真吾が変身する戦士。 スピード戦が得意で、ジャンプ力に優れ、メンバー一の怪力と柔軟な体を用いたリズミカルな動きを得意とする。 18歳。漁師の家系の出身。バイオ粒子を浴びた先祖は農民。 クールな態度だが、根性がある熱血漢にして人情家。年齢の割には年寄りじみた発言をすることも多い。荒くれものの父親に反発し、非行に走った時期もあったが、母親に支えられて立ち直った。それゆえか、失敗を犯し、弱音を吐く高杉に檄を飛ばし彼を殴りつけ叱咤激励したり、非道を働くプリンスをグレていた時の自分と重ね合わせ説得しようとするなど、郷よりもさらに直情的な面を持つ。 マリンスポーツが得意。 最終話では爆発寸前の反バイオ爆弾を停止させた。 初期の企画ではバイオ粒子を浴びた一寸法師という設定。俊敏で小柄という部分にその名残がある。企画時の名前は「都京太郎」「水城大介」。 南原竜太が変身する戦士。 変身後も水中戦を得意とし、強力な足腰の優れたバネを利用した跳躍や滑空を中心とした空中からの攻撃など軽快な戦闘スタイルを得意としている。 18歳の女性ネイチャーカメラマン。バイオマンのサブリーダー。バイオ粒子を浴びた先祖はくノ一。 女だからと軽く見られることを嫌う行動派で気が強く勝ち気な性格で、好奇心も旺盛。亡き兄の遺志を継ぎアフリカの大自然を撮影することを夢見ており、初めは夢を叶えたいことからバイオマンとして戦うことを拒否するが、500年前からの宿命やバイオ星の悲劇を知り戦うことを決意する。バイオマン加入後も郷と意見を対立させて単独行動に走る面も見られた。 空手を主とした格闘技とバイクの運転が得意で、愛車は郷と同型のスズキRG250Γ(HBカラー)。 バイオキラーガンを用いたメイスンの攻撃で致命傷を負いながらもバイオキラーガンの反バイオ粒子エネルギーを全て使い切らせることに成功するが、サイゴーン火炎爆弾の直撃を受けて、カメレオンカンス撃破後に息を引き取り、イエローフォーの姿のままで葬儀が行われた。 初期の企画では5人の中で唯一の現代人という設定。自らの夢のためにバイオマンとして戦うことを拒むという設定はそのまま生かされた。企画時の名前は「篠山ミカ」。 19歳。アーチェリーのオリンピック強化選手。ジュンの先祖は劇中や公式設定では触れられていない。 バイオロボはバイオマンを選び出す際、ギアが侵攻した日本国内限定で選び出したため、当時イギリスでオリンピック強化合宿中だった彼女は資格者ではあったものの感知不能であった。帰国直後にバイオマンとギアの戦闘を偶然目撃、憧れからテクノブレスが欲しいと郷にねだるが、危険性から1度は拒否される。だが、それでも戦いたい一心で郷たちを追いかけ、現れたバイオロボによってバイオ粒子反応があることを証明され、第11話からイエローフォーとしてバイオマンの一員となった。 好奇心旺盛でミカほどではないものの勝気な面があり、仲間の失敗(特にひかる)を厳しく咎めたりするといった圧が強いキツイ性格の持ち主だが、男性には結構モテる。そんな彼女もクモが大の苦手で、いつもは引っ張っているひかるの背中に隠れてしまうほど。幼少時はバレエを習っていた。 第15話「女戦士炎のちかい」の予告映像でひかるの頬を叩く場面が作中でカットされたのは、当初は第9話・イエロー=ミカとして撮影されていた話を撮り直し、キャラクターの立場上ジュン初登場後すぐには放映できなかった上、演じた田中の演技力もあいまってのことである。 小泉ミカおよび矢吹ジュンが変身する戦士。 初代は高い運動神経による素早い連続攻撃などの格闘戦を得意とする。 2代目はメンバー唯一の専用武器バイオアローを使った遠距離攻撃に秀でる。またピンクファイブとの連携技も多い。 20歳の女子大生。バイオ粒子を浴びた先祖が公家の娘。 お嬢様風のルックスで優しさにあふれる穏やかな性格で、当初はメカクローンや自爆用メカ人間におびえて逃げ回り、その都度ミカに助けられるといったパターンが多かった。ミカの死後は徐々にその負けん気の強さを見せるようになり、イエロー顔負けの激しい戦いを見せたり、ピンチに取り乱すピーボを叱咤激励したこともある。植物知識に造詣が深く、自ら探し出した薬草を用いて高杉やデビル菌に対抗出来る植物を探しだして菌に冒された子供たちを救っている。 無償の心の優しさを持っており、ギアの新頭脳ブレインに友情と優しさを説いて交流を持ち、メカクローン1号がドクターマンの敵討ちの協力をバイオマンに懇願した時はこれを信じ、いぶかしがる他のメンバーを説得するなどした。幼いころ大病を患い長く入院していた時期があり、その時の経験から看護師に憧れている。 趣味のフルートの腕前はプロ級。第15話と第39話では、フルートを武器として使ったこともある。 初期の企画ではバイオ粒子を浴びたかぐや姫という設定。ヒメという愛称が付けられていた。実制作の作品における先祖が、公家のお姫様だったのは初期設定の名残である。企画時の名前は「香月光」。 桂木ひかるが変身する戦士。 味方のサポートに回ることが多いが、バレエを活かした柔軟な動きも得意とする。攻撃力は通常は高くないが、怒ると驚異的な力を発揮する。敵の力を利用した攻撃が得意。 バイオマンの協力者 500年前バイオ星平和連合がバイオロボとともに地球に送り込んだ金色の小柄なサポートロボ。元はバイオ星でバイオ粒子の母星救出計画実験助手ロボとして製作された。地球でバイオベースを建造し、バイオマンのサポートを行う。時にはバイオロボの操縦や、緊急時にバイオロボの出力強化パーツとして合体することもできる(この非常手段はピーボへの負荷もまた大きい)。非常に人間くさい感情を持ち、臆病でかなりのおっちょこちょい。1度バイオスーツの強化を行った際には完成直後に爆発事故を起こしてしまい記憶喪失になってしまい、故郷の星や名前もわからなくなり、宇宙に風船で帰ろうとした。年齢的に最低でも500歳ではあるが精神的にはまだまだ子供であり、親友であるジョーイと再会した際やシルバが現れた際には感情が不安定になりかなりの混乱を起こしたが、その後に友人の死を受け入れ、恐怖を克服した後で単身シルバに立ち向かい、説得するほどの勇気を取り戻した。最終決戦直前では柴田博士の電波を逆探知して、ネオグラードの所在を突き止める優秀さも見せた。 バイオマンの良き友人として、教師として共に地球を守り、ギアとの戦いを終えた後、バイオロボと共に別の星を守るために旅立った。 最初期の企画書ではピーボに相当するキャラクターは存在せず、昔話要素が外れた後の企画でバイオMini(ミニ)として追加された。 ドクターマン(=ロボット工学者・蔭山秀夫)に対抗するため、メカ人間に取り付ける「良心回路」の研究を行っている科学者。妙なヒゲに色眼鏡の怪しげな風貌をしている。その正体は、かつての蔭山の友人であり、史朗の父親でもある科学者・郷紳一朗であった。 かつての友人の暴走を止めるべく、自らの死を偽装するとともに自身の肉体をドクターマン同様メカ人間化することで研究を進め、新帝国ギアの打倒のために動いていた。 メカ人間になったことでバイオの力は失われたが、それにより反バイオ粒子の影響を受けなくなった。ギアに拉致され、ネオグラードで囚われの身となる。秀一とバイオマンに助けられるが、バイオマンと秀一を脱出させるために自爆行為を行い、それにより力尽きて死亡。爆死の直前、バイオマンと秀一に「メカに勝てる最大の武器は人間の心だ」と説いた。 ドクターマン=蔭山秀夫の実の息子。17歳。父の存在は知らず「」として生活していた。蕎麦屋で働きながら、夜間学校に通っていたが、バイオマンとの出逢いと、父の存在を知ったことで人生が変化する。蕎麦屋を辞めた後、いずこかに旅立つが、旅先で柴田博士と出会い、彼の助手として働くこととなった。メカ人間ミキとの触れ合いの中で良心回路の無限の可能性と、人間と心を持ったメカが理解しあえることを柴田やバイオマンたちに悟らせることとなった。 顔がプリンスと瓜二つであるため、シルバが複製したプリンスに変装してネオグラードに赴き、父のように慕っていた柴田(郷)博士の死を目の当たりにして、その原因となった実父であるドクターマンを憎みながらも一方で父への思いを捨てきれず、地球を破壊しようとするドクターマンに最後の説得を試みた。それは瀕死となったメカ人間の父に残されていた人間の心を揺さぶり起こした。 ギアとの戦いが終わった後、バイオマンと共にピーボを見送った。 ドクターマン=蔭山秀夫の夫人。17年前に赤ん坊の秀一を連れて夫の元を去っており、バイオマンと、中村家の養子になっていた秀一に手紙と記録映像を見せることでドクターマンの正体を教えた。彼女自身は写真と声のみで作中には登場していない。彼女の離反はドクターマンの精神的外傷になっているらしく、夫人に興味を抱いたモンスターに癇癪を破裂させている。 バイオマンの装備・戦力 共通装備・技 テクノブレス バイオマンの5人が右手首に装備している変身用のブレス。通信機としても機能し、上面が開いてモニターが表示される。一度装着されると手では外すことができない。通信機能を持つ初の変身アイテム。 テレビシリーズと劇場版とで変身ポーズが微妙に変化しているが、これは阪本がテレビシリーズ第16話の撮影時に負傷し、劇場版撮影時に左腕を上げられなかったための措置である。 テレビシリーズ:右手を拳に、左手を平手にして頭の上で合わせ、テクノブレスを胸の前に下ろして「バイオマン」または個人名と発声。 劇場版:右手を前へ突き出し、テクノブレスを胸の前に掲げて「バイオマン」と発声。 バイオスーツ テクノブレスによって装着される強化服。バイオファイバー製で、あらゆる衝撃に耐え、メカクローンの連射銃も防ぐ。装着者に2000 - 2500kgのパンチ力、3500 - 4000kgのキック力、時速120キロの走行速度と100メートルの跳躍力を与える。頭部の超電子頭脳には戦闘マニュアルに加え、各人毎に異なる能力もインプットされており、戦闘に応じてスーツの性能を引き出す能力があるため、戦闘に対しては素人だった5人がすぐに戦闘に対応できた。超電子頭脳へのダメージを防ぐためにスイッチを切ることも可能だが、その間は通信ができなくなる。後にスーパーエレクトロン開発のために強化されるが、強化スーツのバイオ粒子に同調するにはより強力な体力と精神力が必要。また、バイオの力は、生命の危機にさらされることで限界値まで生命力を活性化する場合がある。 デザイン画では胸に文字類が描かれていた。 バイオソード バイオマン全員が標準装備する万能武器。右腰のホルスターで携行し、通常はレーザー光線を発するビームガン型だが、グリップ部をたたみ刃を出すことで電流を流す短剣としても使用可能。長剣にも変形する。後述の個人技やバイオエレクトロンに使われるほか、等身大戦闘で多用される。 バイオパンチ メカクローンの頭を粉砕する威力があるストレートパンチ。全員共通技だが、主にレッドが使う。空中から両手パンチを放つスカイパンチもある。ブルースリーのパンチ力は2000kg。 バイオキック スタンダードなキック技。全員共通技。ブルースリーのキック力は3500kg。バイオマンがフルパワーを発揮すると、パンチ力とキック力は500kg増加する。 反バイオ探知機 バルジオン発見の情報を得て、その反バイオ粒子エネルギーを探すためにピーボが3機開発してバイオマンに使用させたが、偽情報だったために発見できずに終わる。 個人武器・技 レッドワン ファイヤーソード 長剣タイプのバイオソードの刀身を柄の超電子頭脳によって過熱し、敵に振るうことで高熱火炎に包み、大爆発を起こす。投擲することもある。 スパークソード 長剣タイプのバイオソードの刀身にエネルギーを集めてスパークさせて周囲の敵を弾き飛ばす。 超電子レーダー 10キロ四方の敵の距離と方位を計算し、行動を予測し、バイオソード銃タイプと連動させることで正確な射撃を行う。ただし幽体はキャッチ不可能。 ダイビングアタック 空中から敵に体当たりする。グリーンツーも使用可能。 バイオスーパーキック 空中で後方宙返りしてから敵に全体重をかけたキックを食らわす。 グリーンツー ハリケーンソード 長剣タイプにしたバイオソードの刀身を発光させ、強烈な渦巻き状のエネルギー波を放射する。 超電子スコープ 透視能力。人間に化けたメカクローンも判別できる。ズーム機能も装備。 グリーンブーメラン 緑色に光るブーメランのシルエットを緑色のビームで形成し、放つ。 ブレイクアクション ブレイクダンスを応用した格闘技。 スーパージャンプ 垂直に高くジャンプし、敵を霍乱させる。 ブーメランキック ジャンプして一回転し、相手の頭上を飛び越え、着地する寸前に後ろ向きの体勢から相手に回し蹴りを決める。 フィルターサングラス 透明化した敵をメタルテープの力で、実体を確認する特殊装備。 必殺ドリル回し 変身前で使用。電動ドリルで、敵のボディを解体する。 ブルースリー エレキソード 長剣タイプのバイオソードに高圧電流を帯びさせたもので敵の内部メカをショートさせる。投擲することもある。 超電子イヤー 1キロ離れた地点の微細な音を認識できる。 スーパースカイダイビング 高速で空を滑空し、敵に体当たりする。 ブルーカッター 太陽を背にして敵の視力を奪い、エレキソードの状態で、ジャンプして空中で一回転してから敵に斬りつける。 クロスカッター ジャンプして回転を加えながら降下し、敵をバイオソードで切り裂く。 スクリュークラッシュ ジャンプして螺旋状に急降下し、回転しながら敵の脳天にバイオソードを突き刺す。エレキソードの状態で使用することもある。 フライングカッター 急降下しながら空中の敵をバイオソードで切り裂く。 バイオパワーフルチャージ 子供を助けたいという思いが超電子頭脳で増幅され、その力で体内から電撃を放射させ、相手の体に密着して電撃を浴びせて倒す。第9話で使用。 必殺スパナメカ壊し 変身前で使用。スパナで、敵のボディを解体する。 イエローフォー サンダーソード 長剣タイプのバイオソードから空中に雷光を放ち放電、落雷させる。 超電子ホログラフィー 12秒間、記憶した映像を空中に投影したり、虚像を短時間発生させるレーザーホログラフにもなり、敵をかく乱する。第10話でミカの死の間際にも起動し、ミカの別れの言葉の代わりとして彼女の姿を映し出した。 アクションシューティング カメラのシャッターのようなカットに合わせて、敵の隙を突いて強烈な連続パンチやキック、バイオソードでの攻撃を食らわす。 2代目は劇場版にてカメラのシャッターやコンボ技のシャッターチャンスを外しカメラマン要素を消して使用していた。 ストロボフラッシュ 初代イエローフォーの技。超電子頭脳から強烈な光を放射し、敵の視力を奪う。第6話で使用。 バイオアロー 二代目イエローフォーの専用武器。矢の先端にショック爆弾を付けることも可能。 ピンクファイブ レーザーソード 長剣タイプのバイオソード刀身にレーザーエネルギーを集中させ、発射。 超電子ビームライト 強い光を放ち暗闇を200メートル先まで照らす。初使用は第25話。 ピンクバリアー 超電子頭脳から発するビームで光のバリヤーを発生させる。 ピンクフラッシュ 超電子頭脳から連続して強力な閃光を発し、敵を怯ませる。 スピンチョップ スピン回転しながら敵に連続チョップを食らわす。 合体技・必殺技 バイオエレクトロン バイオマンが繰り出す必殺技の総称。彼らのヘルメットに搭載されている超電子頭脳をシンクロさせ、最大効果を発揮できる技を導き出す。使われた技は以下の8種類。 ミラクルレーザー バイオソード長剣タイプを合わせてウェーブ状のレーザー光線を発射する。 バイオエレクトロビーム 5人のバイオソード銃タイプから敵の1点めがけて5色のレーザー熱戦を発射する。 バイオスーパーエレクトロン 超電子頭脳からバイオ粒子エネルギーの光線を一斉に照射する。 バイオビッグアロー 二代目イエローフォー参戦で追加された技。バイオアローを巨大化させ、巨大なバイオ粒子を集中・変換させた金色の光矢を発射する。 バイオリボルバー 敵を囲み5方向からバック宙回転をしながらキックを浴びせて天高く吹き飛ばす。 ミラクルボンバー バイオソード短剣タイプからエネルギーの地走りを起こして敵の足下で爆発させる。 ペンタビーム ミラクルボンバーの長剣タイプ技。劇場版で使用し、ジューノイド5獣士をまとめて吹き飛ばした。 サーカスループ 第2話で使用。5人が連続空中回転しながらサイゴーンに接近して一斉にバイオキックする。 スーパーエレクトロン 強化されたジューノイドたちにはバイオエレクトロンが効かなかったため、バイオマンが研究と特訓の末新たに開発した最強必殺技。第34話から使用された。バイオスーパーエレクトロンを発展させた技で、バイオスーツを同調させて、空中でスクラムを組んでバイオマンが超電子頭脳から放たれる5人の体内で増幅したバイオ粒子を結束、自らの体を砲身にして光子弾として発射する。これをくらったジューノイドは大きな爆発とともにミラクルG-X装甲を貫通されてダメージを受け、さらにエネルギーの玉で遠くに吹き飛ばされる。終盤ではジューノイドに致命傷を与えるまでになった。 バイオロボともども必殺技が1種類となったのは、児童層にキャラクター性を強くアピールする必要があったためとされる。 その他合体技 バイオソードフラッシュ 全員のバイオソード長剣タイプを合わせ、中心部から渦巻状のエネルギーを放つ。打撃も光線攻撃も通じないゴーストカンスの幽霊たちにもダメージを与えられる。 スクランブル攻撃 5人で敵の周囲を何度も宙返りして撹乱しながら攻撃する。第3話で使用。 イエローとピンクの合体技 ペアーソード 2人のバイオソード長剣タイプをクロスさせて2色の波状光線を発射する。 ペアービーム 2人のバイオソード銃タイプで同時に一斉射撃する。最終話では男性陣との連携で放ち、ファラキャットを倒した。 ペアータイフーン 空中で腕を組んで、回転しながら連続蹴りを放つ、第15話のモンスター・ジュウオウ戦で使用。2人で周囲の敵に宙返りキックを繰り返して蹴散らすバージョンもある。 ペアーキック 2人で同時にキックを放つ。 基地・メカニック 飛躍的にエネルギー効率を高めるバイオ粒子によって、超電子頭脳が発展し、バイオロボやビーボのように自我を持つようになっている。 バイオベース 富士山の裾野地下にあるバイオマンの基地。500年前に地球に飛来したピーボが秘かに建造し、新帝国ギアが動き出すまでの間、眠りに就いていた。 ギアの出現に合わせて機能が作動。地下にあるので地上からカムフラージュされており、セキュリティも万全で、最終話でドクターマンのキングメガスに発見されるまでは、ギアにもシルバにも見つけられず、攻撃できなかった。 内部にバイオドラゴンとバイオロボを整備するドックを有し、宇宙空間の異変を察知する宇宙観測装置をはじめとする警戒システムや医療施設など自給システムも充実。基地の外観はバイオドラゴンが出撃するシーンの発進口とエスカレーターが描かれたのみで、全体像は不明。 5人の生活拠点でもあり、第31話では就寝中の様子が描かれ、女性陣は2段ベッド、男性陣はハンモックを吊るして就寝していた。 バイオドラゴンの発進シーンは、外観のイラストにバイオドラゴンのミニチュアをビデオ合成している。この手法は背景イラストを自在に変更できることから採用されたが、実際に背景が変更されることはなかった。 バイオドラゴン 500年前にバイオ星からピーボが乗ってきたバイオジェット1号とバイオジェット2号を搭載する巨大戦闘母艦。2機を積んだままの戦艦形態で発進した後、空中で上層や艦首、両舷の甲板を展開して簡易カタパルトとして機能する空母形態に変形。2機のバイオジェットを発進させる。オートコントロール装置や磁力クレーン、船体両脇に2連レーザー砲を装備している。バイオロボが戦闘中に動けなくなった際には、下部から牽引ビームを放射して艦底に吸着させ、回収し、基地へと運ぶ。また、艦底部のスラスターから煙幕を噴出する。地上へ着陸すると、エスカレーターに乗って全員がコクピット(および、各ジェットコクピット)に移動するが、途中からはバイオマン全員が飛び上がり、空中から直接乗り込む描写も増えた。 メラージュ戦闘機との空中戦も行い、戦艦形態時の厚い装甲に覆われた全身はメラージュ戦闘機のビーム砲にもビクともしない。第36話ではイエローフォーが一時的に戦闘離脱した際に、バイオロボに代わってネオメカジャイガンと交戦、マグネメガスの光線に苦しみながらも、敵が空中からの攻撃に弱いことを見抜いた。 コクピット部はバイオジェット2号と似た形状となっているが、こちらは5人乗りになっている。最終話ではピーボと共に、再び守るべき惑星へと旅立った。 デザイン画での名称はバイオムサシやバイオペガサスだった。没案では自動車をモチーフとしていた。 「ビッグスケール バイオドラゴン」はスーパー戦隊シリーズとしては初めて変形ギミックが搭載された母艦である。 バイオマッハ 機動性と索敵能力に優れたスーパーバイク。レッドワンが乗る赤い車体の1号とイエローフォーが乗る黄色い車体の2号がある。バイオターボがギアに奪われた際にはグリーンとブルーが乗っている。バイオターボ同様スーパースピード機能を有している。鉤縄のついたロープを発射可能。 バイオターボ グリーンツー、ブルースリー、ピンクファイブが乗る高い探査能力を持つスーパーカー。車体は特殊鋼バイオトラン製でミサイル攻撃にも耐える。運転は主にグリーンツーが担当するが、グリーン不在時にはブルーが運転。車体上部には通信用アンテナ兼高性能レーダー・エレクトロセンサーアイを、車体前面にはターボミサイルを装備している。一時的に加速するスーパースピード機能を持つ。第40話では、モンスターとジュウオウが強奪していった。 バイオジェット1号 レッドワンとピンクファイブが搭乗する特殊ジェット戦闘機で、V/STOL機能を持ち、異次元や宇宙空間でも飛行可能で、離着陸可能。オールレンジの万能レーダーでメラージュ戦闘機をキャッチし、3連装ミサイルランチャーと2連装レーザー砲(レーザービーム砲、ビームマシンガン)を装備。バイオロボ合体時の上半身になる。 後年の『百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊』にも登場した。 バイオロボへの合体シーンにおいて、「バイオジェット1号の窓からバイオジェット1号が旋回する様子が見える」というカットミスが見られることがある。また、両ジェットとも、ロボ合体時のコクピットはジェットのままとなっている。 準備稿名はバイオジャック(初期デザイン)。 バイオジェット2号 グリーンツー・ブルースリー・イエローフォーが搭乗する多目的戦略爆撃機。旋回性能に優れる。コクピットは三座で、グリーンとブルーが前列の二席、イエローが後列の一席に座乗する。1号と同じくV/STOL機能を搭載。巡航ミサイルランチャーと2連装レーザー砲を装備し、バイオロボ合体時の下半身になる。 準備稿名はバイオフット(初期デザイン)。 バイオジェット1号とバイオジェット2号が合体した戦闘用巨大ロボット。合体コードは「ハイパークロス」。合体前のバイオジェットの配色は2機とも白を基調としていたが、合体後のバイオロボは黒を基調とした外見になる。胸の黄色い部分が観音開きの入口となっている。物語後半では直立姿勢で飛行ポーズを採り、バイオドラゴンからの発進プロセスを省略して両足から巨大な飛行エネルギーを噴射して出撃することもあった。 バイオ星平和連合によってピーボとバイオドラゴンと共に建造され、バイオ粒子エネルギーを動力として使用し、その無限の可能性を高める目的と、平和利用ならびに、反バイオ同盟などの科学を悪用するグループからの自衛のために生み出された。5人が揃わなければ本来の力を発揮することが出来ない。絶対的窮地に陥った時は目からの転送光線でビーボを収納、回路の一部にすることでパワーアップすることもできるが、ピーボへの負担が大きいために多用はできない。劇中描写はないものの、設定では陸海空、宇宙空間でも活動可能。装甲はバイオ星の特殊金属ジルバイオン製。宇宙一硬い金属だが、サンダーメガスの放つ10万度のビームには敵わないことがピーボから言及されている。 言葉はしゃべらないが人工知能による自我を持っており、「シュイーン」という機械音が意思表示らしい。またお辞儀などの身振りで意思を示すこともある。直接5人のバイオマン候補をスカウトしたことに始まり、現地で呼び出された際にはバイオマンたちを直接素手で鷲掴みにして自身の入口まで運んだり、敵の攻撃によりコクピット内のバイオマンたちに危機が迫ったと感じ取り、彼らを脱出させたこともある。また、体内に爆弾などの危険物が存在する場合、危険警報装置が作動して一時的に機能停止状態になる。 初期企画での名称はバイオキングであった。自我を持っているという設定は、マンネリ打破の一環として戦士とロボットの交流を描くことを意図していたことによる。 アクション用スーツは足のゲタ部分を低くしており、スーツアクターを務めた日下秀昭はそれまでのロボットよりも動きやすかったことを述べている。書籍『スーパー戦隊 Official Mook 21世紀 vol.15 手裏剣戦隊ニンニンジャー』では、フォルムや可動域など造形面においてバイオロボが到達点に達したと評している。 武装 スーパーメーザー 注がれるエネルギー量は雷100万本分にも及ぶバイオロボの主力となる必殺剣。柄の超電子頭脳によって雷100万本分のエネルギーを刀身に集積することで、必殺技を繰り出す。バイオロボはこれを用いた剣技数では最多の戦隊ロボで、後述の多くの必殺技を持つ。 ネオメカジャイガン第1号のメタルメガスとの戦闘では折れたスーパーメーザーをエネルギー状に変化させ、そのまま敵目がけて投げつける破片攻撃を用いて倒した。 バイオシールド 防御用の円形の盾。ジルバイオン鋼製。ハニワカンス、カマキリカンスの剣には真っ二つにされてしまった。 バイオロボミサイル 腹部のハッチから発射する単発ミサイル。使用頻度も高く、バイオジェット1号の操縦桿に発射ボタンがある。 スーパーミサイル 両肩部から連射するミサイル。 バイオフラッシュ 目から放射する赤い閃光で敵にダメージを与える。 バイオロボビーム メラージュ戦闘機などを撃破する際に使用する目から放射する赤い光線。 スーパーキック スーパージャンプから放つ強力なキック。 バイオ粒子光線 目からバイオ粒子エネルギーを放射する。地球に着いた時、バイオマンの先祖となる人々にこの光線を浴びせた。また、バイオロボの目はバイオ粒子を持つ人間を判別する機能もある。 塩素系ガス中和剤 第37話で使用した薬剤。ミサイル発射口から巨大な缶を取りだし、直接手で中身を周囲に振り撒く。 バイオ粒子エネルギー放射 体内のバイオ粒子エネルギーを上昇させ、相手にぶつける。ピーボと合体することで限界以上のパワーを発揮し、その高エネルギーをビームに代えて目から発射することも可能。バルジオン、キングメガスとの最終決戦で使用。 必殺技 ストレートフラッシュ スーパーメーザーをメカジャイガンのボディに水平に突き刺す。 ダッシングビーム 相手に向かって踏み込み、すれ違いざまに横一閃に斬りつける。 コンセントレーション スーパーメーザーを胸元に構えた後、円月を描くように振りかざしてから斬りつける。 コメットカッター スーパーメーザーを額に構えた後、左右に振りかざしてから斬りつける。 チェーンソーカッター モーションはコメットカッターの流用である。 十文字斬り 特訓により編み出した相手を十文字に斬りつける。 ウェイトアタック 上空へ跳び上がり、落下時の加速を利用して空中から袈裟斬りを放つ。その場から垂直に跳び上がるパターンと、前方へ勢いよく跳び上がるパターンが存在する。 逆転一文字斬り わざと後方へ倒れることで敵の攻撃を紙一重で回避し、そのまま地面に寝転がった状態から横一閃に斬りつける攻防一体の技。ネプチューンカンスを倒した。 グレートアタック 劇場版で使用。 ブレイクアタック 敵の前で高く跳躍し、落下時の加速を利用して縦一閃に斬りつける。 シャドウカッター 技名は未呼称および決め技ではないが敵の気配を察知し、横に胴体を斬る。 ピンホールスティング 劇中未使用。刀身にエネルギーを集中させ、弱点目がけて突き刺す。 バイオ粒子斬り 上空へ飛び上がり、胸元に構えたスーパーメーザーに両目からバイオ粒子エネルギーを放ってチャージさせるエネルギーチャージを行い、チャージが限界まで完了すると同時にバックが爆発し、レッドワンの「スーパーメーザー・バイオ粒子斬り!」の呼称と共に空中でバイオロボが数回転した後、全身にピンク色のバイオ粒子エネルギーを纏いながら滑空するように突撃し、相手を横一閃に斬りつける。ネオメカジャイガンとの戦いから決め技として用いるようになった。 バイオ粒子斬りさえも通じないバルジオンに対抗するため、バイオロボが体内にピーボを転送・搭載させることでさらにバイオ粒子エネルギーを増大させた状態ではバイオ粒子斬りの強化版を使用した。 スーパーフラッシュ ピーボを搭載したことで増大したバイオ粒子エネルギーをスーパーメーザーに蓄積させ、刀身に金色のエネルギーを纏わせて突き刺す。ドクターマン自らが駆るキングメガス戦で使用。技名は未呼称。 決め技ではない技 ビーム返し その名の通り、スーパーメーザーを構えて敵のビーム攻撃を刀身で跳ね返す。決め技ではない。序盤から適度に使用されていたが、呼称が行われたのは最後の使用となる第47話のみ。 カットオフ スーパーメーザーを振り下ろして斬りつける。決め技ではなく、アマゾンメガスの髪の毛攻撃を切断するために使用。 スーパーフラッシュ スーパーメーザーを額に構え、強烈な光を放って周囲に小爆発を起こす。決め技ではなく、相手を怯ませるために使用。第38話ではドクロメガスの暗闇攻撃を解除させた。 衝撃波(正式名称不明) 第2話で使用。刀身を地面に突き立て、敵目がけて爆発を起こして攻撃する。 スペック {| class="wikitable sortable" style="font-size:small" border="1" |- ! 名称 !! 全長 !! 重量 !! スピード |- ! バイオドラゴン |102m |1,800t | |- ! バイオジェット1号 |25.6m |368t |マッハ12 |- ! バイオジェット2号 |31m |552t |マッハ10 |- ! バイオマッハ1号 |2.2m |rowspan=3| |300km/h(スーパースピード時:540km/h) |- ! バイオマッハ2号 |2m |250km/h(スーパースピード時:450km/h) |- ! バイオターボ |4.8m |350km/h(スーパースピード時:630km/h) |- ! 名称 !! 全高 !! 重量 !! スピード |- ! バイオロボ |52m |920t |飛行速度:マッハ3 |} 新帝国ギア 「メカこそ優秀、メカこそ絶対、メカこそ永遠」と考える総統ドクターマンが率いるメカ人間の帝国。南極の奥地にある機械の都市要塞ネオグラードを拠点とする。人間を下等な存在だと断定し、メカ人間こそが地球を支配すべきという考えの下、人類への攻撃を開始した。メカ人間たちは「フォア・ザ・マン!」、「オブ・ザ・マン!」、「バイ・ザ・マン!」とドクターマンへの尊称を連呼し、巨大ロボ・メカジャイガン(後にネオメカジャイガン)とメラージュ戦闘機で日本を狙う。スーパー戦隊シリーズにおいて、人間が悪の組織の首領である初のケースとなっている。バイオマンのメンバーを変身後でなく、変身前のフルネームで呼んでいる。 メカ人間はアンドロイドとほぼ同義であるが、ドクターマンのように元々人間でサイボーグの概念で語るべきものも含んでいる。ただしドクターマンに関しては、自分が人間だったことを隠していた。 ジューノイド5獣士以外の各幹部・レギュラーの身長・体重などの設定はない。 出渕は、自身が後年に発表した画集『NEOS(ネオス)』において「企画当初の敵組織の名前をそのまま(画集の)タイトルとして用いた」と画集の中で明かしている。 新帝国ギアをたった一人で作り上げた真の天才を名乗る天才科学者で、その正体はロボット工学者だった。コンピューター研究の一環として、脳細胞を人為的に発達させて常人の数千倍の力を発揮させて超人化させるという実験を、自らを実験台とすることで成功させ、コンピューター以上の高度な頭脳を得る。しかし、それにより「機械こそ人間に取って代わるべき」と考えるようになり、ギアを創設する。副作用として発生した肉体の老化は、体の相当部分をメカ改造することで対応している。中盤、息子との決別を機に自身を再改造し、脳までも機械化。それに合わせてコスチュームも変更された。指揮棒から放つサイコビームで作戦を失敗した幹部に制裁を与える。全身から衝撃波を放つことも可能。 「メカには心は不要」が持論だが、自身は完全に心を捨てきれたわけではなく、幹部であるビッグスリーやジューノイドに喜怒哀楽のある人工知能を搭載するなど人間的な一面を見せることもあり、特に家族が絡むと感情的な行動に出る傾向がある。本人もそれを自覚はしており、再改造を行った際に人間的な感情を低減させる処置を行い、ネオメカジャイガン投入時には、自身の手足であるジューノイドもろとも、バイオマンを抹殺しようとした。しかし完全に感情を捨てきることはできず、人としての情は最後の最後まで残したまま敗退した。 技術者としては非常に優秀でたった一人で新帝国ギアを築き上げ、多種多様かつ高性能の巨大ロボットを開発したのみならず、異星の科学を短期間で解析してバルジオンの改良型を完成させるほどである。 当初の名称はサイバー総統。デザインを担当した出渕裕は、ドクターマンのデザインイメージを天本英世や岸田森が演じることを念頭においていたと述べている。 ビッグスリー ギアの大幹部で、メカジャイガンやジューノイドを使い実際の作戦を指揮する。 初期企画ではヒューマノイド三人衆という総称であった。 ビッグスリーのリーダー格。ビッグスリーの中で最高の知能を持つが、ドクターマンの立案した作戦をあたかも自分が立案したような発言をすることからファラやモンスターに疎まれることが多い。中年男性風の渋い容貌をしており、スーツ姿の紳士風に変装することもある。光線を発射するステッキを武器とし、戦闘力は非常に高い。性格は残忍で人間を軽蔑しているが、その性格には相当人間臭い面があり、ドクターマンの機嫌を取るために黄金を強奪したり、自分を造ったドクターマンが人間だと知ると反乱を計画し、彼に取って代わろうとする野心家の側面を持つ。しかし反乱は失敗し、野心やドクターマンの正体に関する記憶を取り除かれ、徹底した忠誠心を持つように記憶操作された。ジューノイドの強化とともにパワーアップされ、顔面は機械が露出し、右腕にメイスンミサイルを装備し、右手がメイスンバルカンに変形するようになった。胸からレーザーを発射することも可能。 シルバとの対決の際に慢心した隙を突かれて、シルバニードルを胸部に受けて爆死する。 デザインのイメージになったのは団時朗。額の模様はメイクで処理されているが、出渕は造形物を想定していた。改造後は頭部も造型にするよう指示が書かれている。 ビッグスリーの一員である女性型メカ人間。ビッグスリーの中で最も残酷な心を持つ。メイスンに負けず劣らずの性能を持っている。光線を発射する細身の剣が武器。三人の中で特に変装が得意。プライドが高く嫉妬深いという性格のため、直属の配下であるファラキャットしか信用しておらず、ファラキャットとは常に一緒に行動する。 メイスンの反乱の時は彼に与するなど、彼女も野心家の側面がある。しかし反乱失敗後、メイスン同様にドクターマンの正体に関する記憶を取り除かれ、徹底した忠誠心を持つように記憶操作された。 第33話からはパワーアップし、口からファラビームストームやファラフレイムを吐いたり、肩からレーザーを発射したり、投げキッスで光のナイフを複数作り出すファラキッスを使用できるようになった。 バルジオンに乗ってバイオロボと戦うものの、スーパーメーザーを受けたことによるダメージが致命傷となって、ネオグラード帰還後にドクターマンの目の前で爆死。 デザインのイメージは真行寺君枝。周囲からの要望により胸元の開いたデザインとなったが、出渕はロボットという設定であるのに肌を露出させることに違和感を抱いており、改造後のデザインでは露出が抑えられた。 初期企画ではウーマンという名称であった。 ビッグスリーの一員であるスキンヘッドの巨漢型メカ人間。ビッグスリーの中で最高のパワーを誇り、そのパワーはバイオマン全員でも圧倒されるほど。武器は斧のモンスタートマホークで、ビッグスリー3人の武器を交差させると強力な光線を発射できる。怪力自慢だが製作に際してパワーだけが重視された影響か、彼の性格はメイスンやファラのような冷酷さがなく、ビッグスリーの中で最も人間臭く、ボケをかますことが多々ありよくメイスンやファラにつっこまれる。そのため、メイスンやファラには少し、プリンスにははっきりとバカにされている。さらには製作者のドクターマン自身も認めてしまうほど無教養で考えることが苦手な面があり、ファラにもあきれられている。しかし、その反面ドクターマンへの忠誠は厚く、メイスンが反乱を計画した際にはドクターマンの暗殺に加担することを躊躇したが、最終的には計画に加担した。直属の部下であるジュウオウとはメカ同士とは思えない「血の通った関係」を感じさせ、25話では戦いが無い際に二人同じ部屋でテレビを楽しむ描写も見られた。メタルメガスの一件ではたった一人でジュウオウのパーツを拾い集め、その足でネオグラードに戻り、修理をドクターマンに懇願したほど。他の二人同様、人間への変装が可能だが、その魁偉な風貌から一般人にもあからさまに怪しまれてしまうことも多々あった。一人称は「俺」または「ぼくちゃん」。夢はファラとの結婚。 第34話でパワーアップし、右腕をビッグアイアンやビッグハンド、ビッグカッターやビッグフックといった武器への換装が可能になった他、モンスタービームを発射できるようになった。 バルジオン争奪戦で、スーパーメガスに乗って、バルジオンを奪おうとしたバイオマンを止めるが、その際にスーパーメーザー・バイオ粒子斬りを受ける。スーパーメガスから脱出したが、スーパーメーザーを受けたダメージが大きかったためか致命傷を負い、破壊されたジュウオウの頭部を抱えながらバイオロボに向かって突進し爆発した。しかしその際、自身の命と引き換えにバルジオンをネオグラードに送り届ける功績を挙げ、ドクターマンもこれを賞賛した。 出渕がデザイン依頼を受けた時点で、モンスター役はストロング金剛と決まっていたことを聞かされていたため、本人をイメージしてデザインされている。デザイン画では顔に白塗り風にすることを想定していたが、金剛が汗かきであったためメイクがうまく行かず実現しなかった。 ジューノイド ドクターマンが生体部品とメカを合成して作り出した戦闘用メカ獣士たちで、ジューノイド5獣士と呼ばれる。後半はサイゴーン、メッツラー、ジュウオウのジューノイド3獣士となる。 第28話、第31話、劇場版は5人全員で出撃。劇場版では、ジュウオウ、メッサージュウ、サイゴーン、メッツラー、アクアイガーの順にバイオマンの名乗りを模した名乗り口上を行い、それぞれの必殺技を一斉に仕掛けて相手を攻撃する連携技 ジューノイドスクラムアタックを披露した。 第32話以降、生き残って再生された3獣士はビッグスリー同様に武装だけでなく、防御力に於いても、全身をドクターマンによって生み出された新金属 超合金ミラクルG-Xで覆い、バイオエレクトロンを寄せ付けなかった。 3獣士は強化された力を存分に振るってバイオマンを苦戦させたが、新必殺技スーパーエレクトロンの威力の前には勝てず、最終的に3人ともスーパーエレクトロンによって最期を遂げた。 出渕は全員ロボットのイメージでデザインすることを提案していたが、東映プロデューサーの鈴木武幸から子供へのわかりやすさを考慮して動物の要素を入れるよう要望を受けたと述べている。強化後のデザインは出渕の要望によりメカニカル要素を強調している。 鳥か翼竜のようなデザインのジューノイド。しばしば猛禽類のような咆哮を上げるのが癖。常に先陣を切り、荒っぽくも正々堂々と勇猛果敢に挑む正攻法での戦闘を得意としている。時速700キロの飛行能力を生かした空中戦を得意とし、両目からの超音波破壊ビーム、口からの超音波サイクルを主に使用する。この他戦闘ではなく、ジョーイに対する拷問のみのために使用された棒状の専用武器メッサーバトロンも存在する。 レッドワンやブルースリーと対戦する機会が比較的多かった。 第13話でのモンスター起用時、既に負傷状態であるにもかかわらず、無理矢理モンスターの盾にされたり、戦闘中にしりもちをついたりするなどの不名誉な扱いも稀に担わされていたが、バイオマンの初戦の相手を務めた他、3話連続起用、ビッグスリーからの唯一の戦線抜擢、自身の活躍が際立つ登場話も多く、後述の通り、5獣士で最も惨い扱いで最期を遂げたこともなお、好印象を視聴者に与えた存在ともされる。 メタルメガスによる無差別砲撃作戦の犠牲者の一人。生存率80%に生存できず、ドクターマンのいう惜しくない存在の烙印を押された存在となる。その最期は片方の脚を除く下半身に片翼、そして頭部は原型を留めないまでの重篤損傷を受け焼殺されるという醜態を晒しながら葬り去られた。 出渕が描いた最初の準備稿ではメッサージュウは昆虫をイメージしたものだったが、2度の改訂により完成した。ジュウオウとのコラボが可能なメッサージュウ専用のメカジャイガン・マッハカンスの草案も存在する。メッサージュウとアクアイガーは生物モチーフであったため、メカニック的な改造を施すには予算がかかってしまうことから退場することとなった。 不動明王と阿修羅を合わせたような不気味なデザインが特徴のジューノイドで、回転する3つの顔を持つ。瞬間移動を繰り返し、手にしたサイコステッキから光線を発射して相手の自由を奪うサイゴーン不動念力、火炎爆弾、口からの火炎放射、冷凍ビームが武器。先端に人間の眼球の形をした石がついたステッキは、設定では斧に変形可能で、一部スチール写真などで形状が確認できる。 メタルメガスによる無差別攻撃を受け大破したが辛くも生還し、生態的なデザインから全身が銀色のデザインであるロボット然としたデザインのニューサイゴーンとなって復活して、メイスンの直属となった。トリプル超能力と称してより強化された念動力 ホラーキネシス、両眼から発射する、サイゴーンデスビームと口から発射する高熱火炎弾 サイゴーンフレアーを繰り出すほか、ホラーキネシスの応用技でミニカーを通して本物の無人車を操るゴーストカー。土砂崩れを引き起こす岩石落としなどを駆使して、5獣士以上の戦闘能力と存在感を見せたが、パワーアップされてからはBパートからの登場、イエローフォーに攻撃を仕掛けるシーンが比較的多かった。 メイスンを庇い、スーパーエレクトロンを喰らい爆死。作品全体を見るとミカへのトドメを刺すなど、イエローフォーとの因縁が深い。 改造後のマスクの一つはメカクローンのものを改造している。 馬鹿力と鉄球で戦うジューノイド。トゲ付き棍棒や右手の指に仕込まれた一斉発射が可能なロケット砲も武器としている。モンスターを「オヤビン」と呼んで慕っており、第13話でモンスターがメッサージュウと組んで任務を行った際も、勝手に助太刀に現れるほど。愛嬌あふれる性格ではあるが、モンスターに対してはタメ口や「のろま」など軽口を吐くことがある。「はいな」や「ランラランララーン」が口癖の5獣士きってのコミカルキャラ。その分単細胞でギアの作戦を台無しにしてしまうことも多かった。モンスターが他のジューノイドと共に任務を行うことがあったのに対し、ジュウオウはモンスター以外のビッグスリーの配下に付いたことはなく、メイスンとファラには快く思われていない節があり、ファラには「スクラップにでもなったんじゃないの?」と呟かれ、スクラップ状態で蹴りを入れられたことがある。 メタルメガスの攻撃では本来の頑丈さもあり、5体の中で損傷が最も軽微だったが、大ダメージを負ったサイゴーン、メッツラーとともに、郷もろとも崖から転落した際にバラバラになってしまう。それを不憫に思ったモンスターが自力で破片を拾い集めて、ドクターマンに修理を直訴。サイゴーンやメッツラーと比べて、外見があまり変化がないとはいえ、同様にパワーアップされ、正式にモンスターの直属となったが、サイゴーンとメッツラーより出撃回数が少なくなる。パワーアップをしてからは主体攻撃として、バリバリロケットを胸部から発射する。パワーに反し、動きが鈍重でスピードが弱点だとモンスターと共に分析されたことで、ネオグラードを出て行き、秘密特訓として50m走を行うがほとんど効果が出なかった。パワーアップしてからは崖から落ちた際などにモンスターに比較的助けられたり、「ジュウオウがいないと生きていけません」と言われているなど、大事に扱われる描写が増える。 モンスターと共にバルジオンを奪おうと奮闘、シルバからバルジオンの通信機を奪う殊勲を挙げるが、自身もバイバスターの連射で満身創痍となったところに、モンスターの盾となってスーパーエレクトロンを喰らい「みなさん、さようなら〜!!」と叫んで爆死する。 初期企画ではジュオーという名称であった。 フードに包まれた一つ目の頭部を持つ不気味な風貌が特徴のスパイ活動に特化したジューノイド。レイピアとペンチ状の左腕を武器とする。巨大な一つ目から放つ光線 メッツラービームや衝撃波 ゴーストハリケーンのほか、分身能力やチェンジゴーストで姿を消して不意打ちを食らわせたり、液状化(緑色の液体へ変化できる)して空間移動能力を駆使し、変幻自在な戦法を得意とするが、ファラキャットがピンチになった時に駆けつけて応戦するシーンが多く見られた。 メタルメガスの砲撃によって損傷したが、他のジューノイドが盾となり爆風の直撃を免れ、サイゴーンとともに生還。修理・パワーアップされた際にファラの直属となった。 ニューメッツラーになった際には頭部と右手が機械的になり、バイオマンの攻撃に耐えられるほどの防御力が備わり、バイオマン5人相手に互角に渡り合える実力を発揮する。パワーアップ後は幻影を作り出す目からの光線 ミラージュビームや右腕を伸ばす、メッツラー・アームストレッチを使い、バイオマン相手に二つの技をそれぞれ駆使する戦法を取る。全話を通して、作戦に起用された回数が5獣士の中で最も多い。 ファラとファラキャットを庇うように、スーパーエレクトロンを喰らい爆死した。 ネーミングの由来は目が顔(ツラ)にあることから。初期企画ではグロイダーという名称であった。 ピラニアのような頭部を持つ水陸両用のジューノイド。「優秀なメカとはドクターマンの命令をいかに正確に実行すること」という論理的な信念の持ち主。ジューノイドの中で水中戦が唯一、可能だが、その利点は全体を通しても水中からの奇襲や水中に飛び込む程度しか発揮される機会が少なかった。モニター越しのひかるを見て「かわいいですねぇ」と喜ぶなど、人間と同じような感性を持つ。メッサージュウと同様、モンスターと共に一度だけ行動を起こしたことがある。 モリや槍としても使用できる銃 アイガーガンを武器とし、アクアイガー水竜巻や口から吐くシャボン玉爆弾、衝撃波のアクアハリケーンで攻撃する。 メタルメガスの砲撃にて、頭部や脚部などが四散するほどに損傷し爆死した。 デザイン画では足は足ひれ状になっていた。 その他 ファラのボディーガードである女性型メカ人間。ファラは「私のかわいい小猫ちゃん」と呼んで寵愛している。アクロバティックな動きに加えて、鋭い爪による引っかき攻撃や華麗なダブルヌンチャク捌きを見せるなど抜群の格闘技センスを持ち、バイオマンをしばしば圧倒した。 ファラの死後はドクターマンのボディーガードとなり、ビッグスリーやジューノイド全員が戦死した中、最終回では最後の砦として、指令室に乗り込んできたバイオマンを圧倒しかけるも、ペアービームの直撃を受けて爆死する。 終盤ではファラと共に退場する予定であったが、ドクターマンが1人になってしまうためボディーガードが必要であるという出渕の意見により最終話まで登場することとなった。 劇場版に登場したファラキャットの3人の部下。サイ、斧、短剣といった武器を二刀流で使う。3人ともイエローフォーのバイオアローで絶命。 赤いタイツがキャット1、黄色のタイツがキャット2、茶色のタイツがキャット3で、登場時に名乗りを上げている。 プリンス ドクターマンが生き別れの息子・秀一の成長した姿を想像し、「自分の息子」として作り出した少年型メカ人間。当然、秀一に外見は似ているが、性格は冷酷冷徹。ドクターマンの後継者およびギアの最高幹部として作製されただけあり、モンスターを片手でいなすなど、全ての性能においてビッグスリーの面々を上回っている。だが彼をメカ人間と知らない南原との接触により、突然戦闘を放棄し母親を探し回る。連れ戻しにきたメイスンとファラとの対決でメカ人間の正体を露呈してしまい、ドクターマンの手で人間的感情を消去する改良が加えられた。武器は光線を発射する指揮棒とショットガン。メカジャイガングロテスカンスを操縦しバイオロボに挑むもスーパーメーザーに敗れカンスごと自爆した。この他、49-50話でシルバがバルジオン奪還のために作ったものが存在するが、秀一が変装してすり替わったため、シルバ製のプリンスは起動しなかった。 プロデューサーの鈴木武幸が前作から要望していた「アニメ的な美形キャラ」という案から、敵側のドラマを盛り上げることも兼ねて創作された。 ギアの量産された下級兵士。両手を上下に振って独特の金属音を発し、行進時は全員揃った動きをする。銀色の仮面の下に醜いメカの顔を隠している。武器は斧状の剣と銃だが、バイオスーツには通じない。 デザイン画での名称はファイトノイド。出渕の発言によれば、デザイン面で『スーパーロボット レッドバロン』前半に登場する戦闘兵士・メカロボの影響を強く受けているという。 初期企画ではメカノイド兵士という名称であった。 メカクローン1号 その名の通りドクターマンが初めて造ったメカクローン。既にメカが老朽化してあちこち破損しており、雑用係としてこき使われていたが、バイオマンの面々にドクターマンへの厚い忠誠心を語るなどの自我を持ち、ドクターマンを殺した(と思われた)ビッグスリーに復讐しようとした。 演じた岡本美登は、アクション監督の山岡淳二が岡本をシルバ役に起用することを構想していたことから、メカクローン1号役はレギュラー入りする前に現場へ引き合わせる意味合いがあったものと推測している。 メカ人間ジョーイ 爆発したバイオ星から地球に漂着した映像記録媒体のビデオメッセージを見たドクターマンが、ピーボのバイオ星での友人でビデオメッセージの送り主でもあるジョーイに似せて作ったメカ人間。ピーボを騙し、バイオベースの秘密を探ろうとしたが、ピーボがビデオメッセージを観たことで正体を見抜かれてしまい、自爆した。ビデオメッセージは滅亡寸前のバイオ星からジョーイがピーボに宛てた遺言であり、バイオ星の言語で話していたため、さすがのドクターマンも本物のジョーイがすでに故人であることは知らなかった。 ツインドール 双子の少女の姿をしたメカ人間。スーパーコンピュータ開発に必要な子供の脳細胞を集めるために、特殊な長縄跳びで子供を異常空間に転送する。南原もそれに巻き込まれたが、スーパーコンピュータをブルースリーに破壊されて消滅した。ツインカンスのコントロールも行っていた。 新頭脳ブレイン ドクターマンによって作られた史上初のタンパク質合成による自我を持つコンピュータ。アンカーカンスを制御する頭脳として登場し、国際連合安全保障理事会に挑戦するが、感情を持つがゆえにバイオマンの挑発に乗って勝手な行動を取ったり、ひかるとの交流で良心に目覚めるなどしてドクターマンの怒りに触れてしまう。ファラの攻撃で損傷した後、バイオロボを救うため、アンカーカンスに乗り込んで動きを抑えたところをバイオロボに攻撃させた。戦いの後、自ら海に落ちて爆発した。 マグネ戦士 / 山守正太 根倉山で1人で暮らしていた野生児。人間離れした運動神経を持ち、敵味方に「もしやバイオの血を受け継ぐものか?」と思われた。ジュンに惚れて自らもバイオマンとなろうとするが、バイオロボに「資格なし」と判定されてしまい、意気消沈しているところをファラに騙されてバイオマンと戦うための戦士「マグネ戦士」に仕立てられる。ギアのコントロールから逃れ、元の姿に戻った後、バイオマンと共にギアに立ち向かった。 第36話の次回予告のみ、正太が変身ポーズをとっているカットが使用されている。 ストーリー上は悪役ながらも、ヒーロー然としたデザインのマグネ戦士は視聴者からの人気が高かった。書籍『超世紀全戦隊大全集』では、シルバとともにアンチヒーローとして紹介している。 ミキ サタンメガスを修復させるエネルギー転送装置としてドクターマンに造られたメカ人間。修復エネルギーは攻撃にも使用可能。セーラー服の女子高生の姿をしているため、バイオマンでも容易に見つけ出すことはできないはずであったが、飛び込んできた車を念力で破壊したことであっさり知られてしまった。逃亡ののち柴田博士に助けられ、彼に良心回路を取り付けられたために良心に目覚め、秀一と仲良くなる。だが、そのために本来の役割を無意識に実行してしまうことに苦しみ、苦悩の末、サタンメガスに特攻、自爆してサタンメガスの再生を封じた。 ギアの戦力 新帝国ギアが誇る数々のメカニックも、すべてドクターマンの手で作り上げられたものである。ドクターマンの専門分野はロボット工学であるが、電子工学や材料工学の分野でも既存の技術を遥かに凌駕する製品を開発しており、果てはタンパク質合成で生体コンピューターを作り上げるなど、世界一の天才の自称に恥じない優秀な技術力を有している。 ネオグラード 全長:地上380m / 地下250m 南極大陸の奥地のクレバスに存在する新帝国ギアの要塞都市。司令室の他、メカジャイガンなどの兵器工場や格納庫を備える。世界中のあらゆる情報を収集することができ、日本のテレビ番組を視聴することもできる。ドクターマンの死と反バイオ爆弾の停止によってギアは完全に壊滅し、主を失ったネオグラードは南極の雪に静かに埋もれていった。 ネオグラードの外観は出渕のイラストをそのまま使用していたため、ミニチュアなどの造形物などは作られていない。 メカジャイガン ギアの破壊工作用巨大ロボット。通称は「カンス」で「○○カンス」と呼称される。常に数体のストックが存在し、ドクターマンの出撃指令でネオグラードの下部にあるドックから、巨大輸送カプセルで運ばれるが、カニカンスやゴーストカンスなどのように直接出撃する場合もある。動物をモチーフにしたものが多く、プリンスが設計、搭乗したグロテスカンスを除く大半が自動操縦で動く。 初期企画では大巨獣メカベームと設定されていたが、メカ帝国の設定にそぐわないため変更された。デザインを担当した出渕は、漠然としたイメージから巨大ロボットを描くことを得意としていたが、メカジャイガンは従来の慣習から動物のイメージを要求されることが多く苦労した旨を語っている。 ネオメカジャイガン 後半から登場。通称は「メガス」で「○○メガス」と呼称され、火力・装甲・出力共に従来のメカジャイガンよりも格段に強化され、さらにパワーアップしたジューノイドと同様に表面装甲にミラクルG-Xが用いられ、武装もより強力になっている。ドクターマンの出撃指令で輸送カプセルで運ばれるところまではメカジャイガンと共通しているが、最大の違いはビッグスリーが操縦する有人機となっていることである。そのため、操縦席はメラージュ戦闘機として脱出する機構になっている。より戦闘的な武器や器物をモチーフにしたものが多く、中にはレスラーメガスやラガーメガスといったスポーツに因んだものもあったが、全体的にはメカジャイガン以上に兵器然としたデザインが特徴。 ビッグスリーだけでなくシルバも操縦可能で、自ら乗り込んでバイオロボと戦った。 キングメガス 第50話のラストシーンで登場した最後のネオメカジャイガン。ドクターマン自らが乗り込む。トラバサミのような独特の形状の手を持つ。メカジャイガン・ネオメカジャイガンとバルジオンを解析して得られた反バイオ同盟の技術の集大成で、攻撃力・防御力・探査能力全ての面でそれまでのネオメカジャイガンはおろかバルジオンをも上回る。バルジオンよりも強力なバイオ粒子探知機を持ち、今まで発見できなかったバイオベースの場所も特定。さらにバルジオン以上の反バイオ粒子エネルギーを放出しつつ、通常兵器の並行使用能力を有しているため、反バイオ粒子でバイオ粒子を相殺しつつ通常兵器で攻撃を続けることが可能となっている。 武装は両手中央部から放つバルジオンの反バイオ粒子砲を凌ぐ威力を誇る反バイオ粒子ビーム(矢のような光弾のバルジオンのとは異なり、稲妻状に放射される)、腹部の地底ミサイル、肩部のキングメガスレーザー、膝からのキングメガスミサイル、剣(これを使用する時のみ手元が一般的な形状に変化する)など、まさに全身が武器の塊といえる。最終決戦でバイオベースに向かって地下へのミサイル攻撃を仕掛け、バイオロボとの激突では序盤は優位に立ち、バルジオン戦と同様にピーボと合体してパワーアップしたバイオロボに対し、一度はピーボを回路から引きずり下ろして追い詰めたが、再合体後に形勢を覆され、強化バイオ粒子斬りからのスーパーフラッシュという連続攻撃を受けて撃破された。 しかし、このキングメガスが破壊されるとネオグラードに設置してある、地球を消滅させる威力を持つ時限式の反バイオ爆弾が起動するという二重機能を持ち、超絶戦闘能力に加え、万が一戦いに敗れてもこういった奥の手まで用意され、ドクターマンが「自らの最高傑作」と称するに相応しい能力を発揮した。 デザインは、ドクターマンが操縦する最後のメカということから、全身金色にしてゴージャス感を出している。頭部は王冠をイメージしている。 最終回に登場したキングメガスについては、出渕はデザインを納入したあとになってからドクターマンがバルジオンを手本に創ったという設定を知らされたため「可能だったらもっとそれらしいデザインに直したかった」と回想し、自身の画集『-NEOS-ネオス』にはバルジオン風のよりヒーロー然としたグレート・キングメガスIIのイラストも掲載している。 メラージュ戦闘機 新帝国ギアの単座戦闘機で、機首のレーザー砲が武器。メカクローンが操縦して都市などを爆撃し、バイオドラゴンならびにバイオジェットとドッグファイトを展開する。ネオメカジャイガンからの脱出機としても使われ、戦い敗れたビッグスリーの他、シルバとドクターマンも搭乗した。戦隊シリーズに登場した敵の戦闘機としては初めてコックピット部分の描写があるのも特徴。 地上戦闘車両 ジューノイドやビッグスリーが移動や地上攻撃の際に使用する。 バイオキラーガン 反バイオ粒子を使用した銃。第10話ではまだ反バイオ粒子を発生させる技術がギアには無く、人工衛星を使って宇宙空間から集積したものを使用していたが、それでも初代イエローフォーを殺害する威力を発揮した。最終話ではバルジオンの技術を解析して作られた反バイオ粒子発生機能を付加した改良型がキングメガスに搭載された。 超鋼鉄 ドクターマンが開発した装甲材質。スーパーメーザーでも容易には切断できないほどの硬度を持つが、当初は原料不足からハニワカンス一体分しか調達できなかった。 ミラクルG-X ドクターマンがネオメカジャイガンおよび、ビッグスリーやジューノイド強化のために新しく生み出した超合金で、バイオマンの通常技や武器のみならず、バイオエレクトロンやスーパーメーザーの一撃をも弾いてしまう強度を誇り、その硬度は当初バイオマンを苦しめたが、バイオマン各個人によるバイオ粒子の強化と、それによる新必殺技のスーパーエレクトロンとバイオ粒子斬りの開発によって、ミラクルG-Xは打ち破られた。 第3勢力 第37話より登場。銀色のボディが特徴で、シルバの名もそこから由来する(銀=シルバーから)。バイオ粒子を戦争に利用される恐れがあるとしてバイオ星平和連合と対立していた組織反バイオ同盟が作った殺人ロボット。バイオ星の消滅と共に滅んだと思われていたがバルジオン共々脱出し地球に来ていた。主な武器は反バイオ粒子エネルギーを放つ拳銃・バイバスターで、後述するバイオキラーガン以上の威力と、0.03秒の抜き撃ちで高い命中率を誇る。また、肘から出すシルバニードルは射出も可能な遠近兼用武器で、メカ人間をも射抜く威力を持ちメイスンをも敗死させた。全身はLSV合金製で、半径400メートル先のバイオ粒子反応をキャッチする探知機能を備える。あらゆる武器・兵器に関するデータがインプットされており、ネオメカジャイガンの操縦も可能。腕を拘束されても、片腕の装甲を爆破することで脱出する。プリンスの複製を製作するなど技術者としての能力も持つ。目的は「バイオ粒子反応を持つもの(それが無機物などの非生命体でも有機物などの生命体でも)の抹殺」のみで、バイオ粒子でなければネオメカジャイガンといった兵器の強奪使用も辞さない。犠牲を一切考慮せずピーポが過去の過ちを説得しても応じようとしないなど、上記目的の達成のためだけに行動する危険な存在となっている。 バイオ粒子を持つ者に対しては「バイオ粒子反応あり!破壊!」と宣言した後、バイバスターの銃口を向ける。ギアに拘束された際ドクターマンを「自分を騙した男」と言い放ったり、プリンスの存在を知っていたりと時折謎めいた一面を覗かせる。バルジオンとはぐれ、戦いで負けそうになった時は「おのれ…バルジオンさえあれば…!」と負け惜しみをたびたび言っている。 バルジオン争奪戦の最終局面で、遂にバルジオンを取り戻し、南極でバイオロボと因縁の決着を付けるため激突。反バイオ粒子砲でバイオロボを絶体絶命の窮地に追い込むが、ピーボを呼んでエネルギーを急上昇させたバイオロボに圧倒され、強化バイオ粒子斬りによってバルジオンを破壊されるも脱出。しかし、その時点で既に致命傷を負っており、バイオロボにバイバスターを向けるが結局一発も放つこと無く爆発四散した。 当初の名称はシルバード。シルバのデザインについては、キャラクターデザインを手がけた出渕が『人造人間キカイダー』の名敵役・ハカイダーを念頭に置いていたと証言している。バイバスターの多用は、ビデオ合成の費用を圧迫させた。また、デザイン案のみだが、シルバと同系統の「シルバーマン」というキャラが描かれている。 スーツアクターを務めた岡本美登は、初登場時の肩にバイバスターを当てる仕草は脚本のト書きに記述されていたと証言している。 『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』 大ザンギャック副首領として登場。ライダーハンターと名乗り、愛銃のバイバスターで仮面ライダーたちを攻撃する。実はライダーハンターという肩書は自称で、ライダー・戦隊ハンターが彼の正体である。劇中ではメテオ、オーズ、ダブルバース、最終決戦でもオーズとゴーカイジャーたちを圧倒するも、オーズから渡されたライダーキーでオーズに変身したゴーカイジャーのタジャドルチャージによるライジングストライクを受けて爆散した。その際、かつて因縁のあるレッドワンは苦戦するゴーカイシルバーに「本当のシルバーの力を見せてやれ!」と激励していた。 バルジオン 第48 - 50話に登場。反バイオ同盟がバイオ粒子とそれを持つ者を抹殺するために、シルバと共に創り上げた巨大ロボット。無尽蔵と言える膨大な反バイオ粒子エネルギーを動力源とし、そのエネルギー余波はバイオ粒子を持つ者を苦しめるだけではなく、柴田博士の良心回路まで無効化する。特殊金属バルバジウム製装甲はバイオ粒子斬りも通じない頑強な硬度を誇る。一定距離内ならシルバの通信機により無人でも少々の行動は可能で、他の者が操縦していても、シルバの呼びかけにより機能を停止する。シルバは地球飛来時にバルジオンと逸れてしまい、バイオマン打倒のために捜し回るが、バルジオンはシルバ以外でも操縦できるためギアも自己の戦力にしようとこのロボットを追い求める。 武装は胸部中央の装甲を展開して発射する反バイオ粒子砲を主力として、スーパーメーザーにも劣らない切れ味の必殺剣バルジオンメーザー、その剣撃にも耐える硬度を持つ左腕に固定された盾。バイオロボに比べると武装は少ないものの、主力武装である反バイオ粒子砲は特に強力で連射可能でかつ驚異的な威力を誇り、さらに常時放出される反バイオ粒子のエネルギー力場が相乗しバイオロボを敗北寸前に追い詰めた。バルジオンメーザーと盾の使用は初登場の48話のみ。 デザインコンセプトは「悪のバイオロボ」。 海外で放映された際は名称がバイオデストロイアーに変更された。 キャスト レギュラー・準レギュラー 郷史朗 / レッドワン - 阪本良介 高杉真吾 / グリーンツー - 太田直人 南原竜太 / ブルースリー - 大須賀昭人 小泉ミカ / イエローフォー - 矢島由紀(第1 - 9話) 矢吹ジュン / イエローフォー - 田中澄子(第11 - 51話) 桂木ひかる / ピンクファイブ - 牧野美千子 郷紳一朗(柴田博士) - 中丸忠雄(第43,44,47 - 50話) プリンス(第19,20話)、蔭山秀一(第25,26,43,44,47 - 51話) - 井浦秀智(2役) ドクターマン - 幸田宗丸(第1 - 4,6 - 51話) メイスン - 中田博久(第1 - 4,6 - 50話) モンスター - ストロング金剛(第1 - 4,6 - 48話) ファラ - 飛鳥裕子(第1 - 4,6 - 49話) ファラキャット - 大島ゆかり(第2,6,11,14,16 - 18,22,24,27 - 29,33,35,36,38,41,45,49,51話) 矢島由紀の失踪 1984年2月ごろ、第7話以降のアフレコを前にして矢島由紀(ミカ役)が突然失踪。このような状況下で制作された第10話では、ミカは終始イエローフォーのスーツ姿のまま戦死扱いになり、埋葬シーンでも採石場にてスーツ状態のまま遺影も飾られずに弔いが行われるという展開になった。 当初降板理由は不明であり、JAC側からも正式な発表・説明はされなかったが、その後牧野美千子(ひかる役)と太田直人(真吾役)がバラエティ番組において、矢島が番組途中で失踪していたこと、千葉でいわゆるオナベとして働いているところに出くわしたことを語っている。なお、第7話から10話では「日本一声にうるさいマネージャー」が推薦した、矢島と声質が似ている声優の田中真弓が代役としてアフレコを行った。諸般の事情から実現には至らなかったものの、当時JACに所属していた声優富沢美智恵も矢吹ジュン役のオーディションを受ける予定だった。 戦隊側のキャストは当初、阪本良介(郷役)と矢島以外は芸歴の浅い新人で構成されていたが、この矢島の降板に伴い前年デビューしたばかり田中澄子(ジュン役)が加わったことで、レッド以外は全員新人俳優が担当することとなった。 また、この件が起因して鈴木武幸は矢島の所属事務所JACのエースである真田広之を出すように依頼し、当時アイドル的人気が高かった真田が異例のゲスト出演を果たした。真田は驚くほど礼儀正しく現場に一番早く来ていて、鈴木は「さすがトップスターだ」と思ったという。 声の出演 それまでの俳協中心のキャスティングに代わり、仮面ライダーシリーズなど幾多の東映作品に参加したテアトル・エコー所属の声優が多数起用されている。この影響により、それまで戦隊シリーズでナレーションを務めて来た大平透に代わり村越が起用された。また、本作品からレギュラーの登場人物の声を担当する声優の名前が、OPクレジットに表記されている。 ピーボ - 太田淑子 小泉ミカ / イエローフォー - 田中真弓(第7 - 10話・クレジットなし) メッサージュウ - 八代駿(第1,7 - 9,13,23,24,29,31話) サイゴーン - 山下啓介(第2,10,16,20,28,31,32,34,36,37,39,43,47話) ジュウオウ - 安西正弘(第3,5,13,15,17,19,20,25,30,31,34,39,40,42,46,48話) メッツラー - 伊沢弘(第4,11,18,19,22,25 - 27,31 - 33,35,38,41,44,45,49話) アクアイガー - 永井寛孝(第6,12,14,21,23,31話) シルバ - 林一夫(第37,42,44 - 50話) ナレーター - 村越伊知郎 ゲスト 参照 「テクノトピア21」の科学者 - 辻井啓嗣、志村忍(1話) 田島誠 - 工藤秀和(5話) ジョーイ - 中山忍(7、8話) ツインドール - 坂井香月、坂井江奈美(9話) 早瀬健 - 真田広之(13話) 早瀬のコーチ - 広瀬和久(13話・クレジットなし) ブレインの声 - 曽我部和行(14話) 看護婦 - 長門美雪(15話) 浦島次郎 - 松川傑(17話) 浦島浜子 - 呉恵美子(17話) リサ - 斉藤吏恵子(18話) プリンスに襲われた母親 - 島村美妃(20話) 柳 - 小林アトム(21話) 工藤所長 - 松本朝夫(21話) 巡査 - 佐藤輝昭(22話) 篠原ユウ - 新山麻子(23話) 花園百合 - 沢井美奈(24話) 「もーれつ!ガマン大会」の司会者 - 藤井洋八(25話) ドラキュラ伯爵 - 新堀和男(25、26話) 若き日の蔭山秀夫 - 土師孝也(26、51話) 蔭山節子 - 里見和香(26、51話) ハルオ - 星野光司(27話) メカクローン1号 - 岡本美登(28話) ミチオ - 神谷政治(29話) 国友兼光 - 高杉玄(30話) 国友明子 - 立花愛子(30話) 津山舞子 - 平野雅子(32話) 津山静子 - 加藤陽子(32話) 明立高校野球部監督 - 日吉としやす(33話) 洋介 - 野口隆哉(34話) 山守正太 - 黒崎輝(35、36話) タカシ - 加藤岳史(40話) 邦子 - 若林味香(40話) カオル - 林典子(41話) 発電所員 - 小倉雄三(42話) 所員 - 岡本美登(42話) メカ人間ミキ - 柴田時江(43、44話) キャット軍団 - 野本奈穂子、菊地香理、志村忍(劇場版) スーツアクター イエローフォー役の辻井は、本作品で初めて女性キャラクターを担当した。ピンクファイブ役の竹田は、本作品を最後にスーツアクターとして引退し、アクションコーディネーターへ転向した。 レッドワン - 新堀和男 グリーンツー、メッツラー - 剣持誠 ブルースリー - 喜多川務 イエローフォー、ジュウオウ、メカクローン(第50話) - 辻井啓嗣 ピンクファイブ - 竹田道弘 ピーボ - 野本奈穂子 メッサージュウ - 金田憲明 バイオロボ、サイゴーン - 日下秀昭 グリーンツー、アクアイガー、ジュウオウ(代役) - 石垣広文 バイオハンターシルバ、メカクローン1号 - 岡本美登 マグネ戦士 - 赤田昌人 メカクローン - 大竹浩二 メカクローン、他 - ショッカーO野 スタッフ メインライターは前作から引き続き曽田博久。曽田はそれまでも常に新しくすることを考えていたため、本作品で特別に革新を狙ってはいなかったが、しっかりした縦糸を作らないと持たない気がしたと述べている。本作品からは藤井邦夫がサブライターとして新たに参加し、多彩なストーリーを執筆した。元々助監督として東映テレビプロダクションに入社し、『特捜最前線』でも演出陣に名を連ねていたこともあり、藤井には本作品への参加に際して監督としてもオファーがあったが、特撮作品の演出は自信がないとの理由で依頼を断っている。 メイン監督は前年より特撮作品の演出に参入した堀長文がパイロットを担当。スーパー戦隊シリーズに初めてビデオ合成を導入したり、長回しのカットを多用したりと演出に新風を吹き込ませた。堀はその後3作品連続でパイロット作品を手掛けた。 また東映の鈴木武幸プロデューサーが本作品の途中からチーフプロデューサーに昇格、シリーズの数多の作品で辣腕を振るい続けることになる。 シャープなデザインが特徴のギアの各キャラクターは、前作より引き続き参加の出渕裕が担当した。デザインだけでなくプロットも手掛けるなど制作に深く関わっており、後年にも自身の肌にあった作品であったと述懐している。 後のスーパー戦隊シリーズで特撮監督を務める佛田洋の初参加作品である。 プロデューサー - 加藤守啓(テレビ朝日)、阿部征司(第1 - 18話)・鈴木武幸(東映)、富田泰弘(東映エージエンシー) 原作 - 八手三郎 連載 - テレビマガジン、てれびくん、テレビランド、TVアニメマガジン(第1 - 22話) 脚本 - 曽田博久、藤井邦夫、鷺山京子、山本優、鳴海丈 音楽 - 矢野立美 アクション監督 - 山岡淳二、横山稔(ジャパン・アクション・クラブ) 監督 - 堀長文、山田稔、服部和史 撮影 - いのくままさお 照明 - 斉藤久、高橋弘 美術 - 山下宏、宮国登 キャラクターデザイン - 出渕裕、原田吉朗、森野うさぎ、渡部昌彦、神田正宏 録音 - 上出栄二郎 効果 - 大泉音映 選曲 - 石川孝 編集 - 成島一城 製作担当 - 山本康郎 進行主任 - 奈良場稔 計測 - 黒須健雄 記録 - 石川和枝 助監督 - 阿部誠華、小中肇 製作デスク - 寺崎英世 装置 - 東映美術センター 操演 - 船越幹雄 美粧 - サン・メイク 衣裳 - 鷹志衣裳 装飾 - 装美社 撮影協力 - 後楽園ゆうえんち、浅間園・浅間火山博物館 企画協力 - 企画者104 キャラクター制作 - レインボー造型企画 合成 - チャンネル16 現像 - 東映化学 車輌協力 - MAZDA オートバイ協力 - スズキ自動車 ビデオ合成 - 東通ecgシステム(近藤弘志、前岡良徹、峰沢和夫、山本博司) (株)特撮研究所 操演 - 鈴木昶、白熊栄次 美術 - 大澤哲三 撮影 - 高橋政千 照明 - 加藤純弘 特撮監督 - 矢島信男 制作 - テレビ朝日、東映、東映エージエンシー 音楽 『電子戦隊デンジマン』以来となる単独の劇伴を収録したLP『超電子バイオマン 音楽集』が発売され、本作品より歌曲中心の「ヒット曲集」と劇伴による「音楽集」の二本立てによるリリース形式が確立された。 主題歌 スーパー戦隊シリーズとしては初めて、劇伴担当者とは異なる作曲家が主題歌作曲を担当することとなり、当時の人気作詞家・康珍化と、音楽プロデューサーとして著名な加瀬邦彦の豪華コンビが起用された。作曲家とアレンジャーが分けられたのも本作品からである。 主題歌および挿入歌を歌った宮内はこの曲がソロデビュー曲となり、以降の戦隊シリーズや東映特撮作品でも常連歌手として活躍することになる。 オープニングテーマ「超電子バイオマン」 作詞:康珍化 / 作曲:加瀬邦彦 / 編曲:矢野立美 / 歌:宮内タカユキ 鈴木プロデューサーの回想によると、康はスタッフの熱意に負けじと、主題歌の歌詞を巨大な地球の写真に書き付けて送ってきたそうである。 OP映像のキャスト紹介で、高杉真吾のものだけが第5話から差し替えられている。 エンディングテーマ「バイオミック・ソルジャー」 作詞:康珍化 / 作曲:加瀬邦彦 / 編曲:矢野立美 / 歌:宮内タカユキ エンディングの映像は、当時のシリーズのパターンとして5人の日常的な姿やメカの活躍シーン、敵側レギュラーの揃いといったシーンで構成されている。 またイエローの交代、ギアのパワーアップとバイオ粒子斬りの登場、終盤におけるギア側のレギュラーの退陣と物語の展開に合わせて、当時としては珍しく幾度かのマイナーチェンジが行われた。 冒頭のバイオロボを清掃するシーンは映っているメンバーがミカのまま、イエロー交代後も差し替えずに継続使用。また、終盤の5人が走ってくるシーンが34話より、全員新規撮影のものに差し替えられている。 挿入歌 「俺達バイオマン」(第33・49話) 作詞:八手三郎 / 作曲:加瀬邦彦 / 編曲:田中公平 / 歌:宮内タカユキ、こおろぎ'73 「セクシャル・レディ」(第15・21話) 作詞:吉田健美 / 作曲:加瀬邦彦 / 編曲:田中公平/ 歌:石渡マキ 第11話ではカラオケ版のみが3回使用された。 『百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊』では、「女戦士(ファイブマンのファイブイエローまで)」を紹介する際の挿入歌として使用されている。 「Blue Togetherness」(第11話・劇場版) 作詞:冬杜花代子 / 作曲・編曲:矢野立美 / 歌:宮内タカユキ 第15話ではイントロのみが使用された。 『百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊』では、「力の戦士」紹介時の挿入歌として使用されている。 「大空翔けて!」(第18話・劇場版) 作詞:冬杜花代子 / 作曲・編曲:矢野立美 / 歌:こおろぎ'73、ジャパン・エコーシンガーズ 「カラフル・バイオマン」(第12話) 作詞:吉田健美 / 作曲:加瀬邦彦 / 編曲:矢野立美 / 歌:宮内タカユキ、こおろぎ'73、ジャパン・エコーシンガーズ 「夢みるピーボ」 作詞:曽田博久 / 作曲・編曲:田中公平 / 歌:太田淑子、コロムビアゆりかご会 「バイオロボの歌」(第12 - 14・16・17・20 - 22・24・25・28 - 30・32・34 - 36・38 - 41・44・47・48話・劇場版) 作詞:八手三郎 / 作曲:田中公平 / 編曲:矢野立美 / 歌:宮内タカユキ 第11・15話ではカラオケ版が使用された。 コーダ部分は編曲の矢野によるスーパーメーザー使用時の劇伴をモチーフとしている。 「夕焼けのペガサス」 作詞:冬杜花代子 / 作曲:加瀬邦彦 / 編曲:田中公平 / 歌:阪本良介 放送日程 評価 マンネリ化打破と野心的な新機軸が多く盛り込まれた結果、視聴者層を幼児・児童層から10代全般にまで拡大し、女子層の獲得にも成功したとされる。 玩具展開でも当時の戦隊シリーズで「シリーズ最高」の売上を達成した作品であり、戦隊シリーズを玩具業界で「定番」と位置づけた。ただしバンダイの見込みでは本作品は前作『ダイナマン』対比で130%の売上を期待されていたが、110%の売上に留まった。バンダイのデザイン部プレックスに在籍していた大石一雄は、本作品の販売成績について苦戦していたと述べており、バイオロボの合体方法が2機合体だったことが苦戦した要因ではないかと推測している。 またテレビ局に入る本作品のキャラクター使用料は、1984年度における全テレビ局のキャラクターの中で『キン肉マン』に次ぐ2位である。 放送局 系列は放送当時のもの。 他媒体展開 映像ソフト化 いずれも発売元は東映ビデオ。 DVDは2008年8月8日から12月5日にかけて、全5巻が発売された。各巻2枚組で10話(Vol.1のみ11話)収録。テレビシリーズ全話の初ソフト化もあってか反響は大きく、特にVol.1は爆発的ヒットを記録し、旧作にもかかわらず同年8月における特撮ソフトジャンルにて売上第2位を記録した。 2021年4月14日発売の『スーパー戦隊一挙見Blu-ray 1982 - 1986』に計7話が収録されている。 劇場版は、ビデオ(VHS、セル・レンタル共通)と2003年7月21日発売のDVD-BOX『スーパー戦隊 THE MOVIE BOX』、2004年7月21日発売の『スーパー戦隊 THE MOVIE VOl.2』、スーパー戦隊 THE MOVIE Blu-ray BOX 1976-1995」(2011年6月21日発売)、2012年11月発売の「復刻!東映まんがまつり84夏」、前述の『スーパー戦隊一挙見Blu-ray 1982 - 1986』に収録されている。 他テレビシリーズ 『高速戦隊ターボレンジャー』 第1話「10大戦隊集合 頼むぞ! ターボレンジャー」(特別編)で、バイオマンの5人が登場。 『未来戦隊タイムレンジャー』 第51話「スーパー戦隊大集合」(特別総集編)で、タイムレンジャー5人がタイムジェットで本作品の世界を見に来たという設定で、本作品の映像が流用されている。 『海賊戦隊ゴーカイジャー』 第1話などのレジェンド大戦を描いた箇所に、バイオマンの5人が他のスーパー戦隊とともに登場。 『非公認戦隊アキバレンジャー シーズン痛』 第13話にて初代イエローフォーが登場。また第9話ではメカジャイガンをモチーフとしたシーラカンスカンスも登場している。 劇場版 超電子バイオマン 1984年7月14日公開。東映まんがまつりの一編として制作・公開された新作。上映時間45分と、『電子戦隊デンジマン』以来となる40分超の中編作品となった。 監督:堀長文 特撮監督:矢島信男 アクション監督 : 山岡淳二 脚本:曽田博久 登場怪人:カニカンス、ジューノイド5獣士、キャット軍団 カニカンス、キャット軍団(キャット1・キャット2・キャット3)は映画だけのオリジナルキャラクター。 同作品の撮影中、アクション時の衝撃で脳震盪を起こしたジュン役の田中澄子が、一時的に記憶喪失になった。しかし大事には至らず、撮影は無事終了した。 ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦 『ゴーカイジャー』と『ゴセイジャー』のクロスオーバー作品。レッドワン/郷およびバイオロボが登場。 海賊戦隊ゴーカイジャー THE MOVIE 空飛ぶ幽霊船 『ゴーカイジャー』の単独作品。メカクローンが登場。 仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦 『ゴーカイジャー』を始めとするスーパー戦隊シリーズと、仮面ライダーシリーズのクロスオーバー作品。レッドワンおよびシルバが登場。 『機界戦隊ゼンカイジャー THE MOVIE 赤い戦い! オール戦隊大集会!!』 2021年2月20日公開。『機界戦隊ゼンカイジャー』の劇場作品。レッドワンとシルバが登場。 スーパー戦隊Vシネマ 『百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊』 『百獣戦隊ガオレンジャー』をメインとしたクロスオーバー作品で、レッドワンおよびバイオジェット1号が登場。 ゲーム 1998年にバンプレスト(旧レーベル、後のバンダイナムコゲームス→バンダイナムコエンターテインメント)から発売のプレイステーション用『AZITO2』にバイオマンが参戦した(同時期放送の『宇宙刑事シャイダー』も参戦)。 これ以前のものでは、同じくバンプレストが1990年にファミコンソフトで発売した『SDバトル大相撲 平成ヒーロー場所』がある。その中で歴代戦隊ロボが力士となって集まった戦隊部屋があり、バイオロボは登場しないものの、シルバが力士として登場。必殺技を使用する際、バルジオンに変身して反バイオ粒子砲を撃つファンサービスがある。 漫画版および雑誌展開 テレビランド(徳間書店) 作画: 細井雄二 徳間書店から全1巻が発売されている。特徴としては敵方がドクターマンとジューノイド5獣士のみで、ビッグスリーもファラキャットも登場しない。またテレビシリーズとはエピソード的な関連も低く、物語的にもかなりダイジェスト化されている。 テレビマガジン(講談社) 作画:津原義明 TVアニメマガジン(秋田書店) 作画:岡崎優 てれびくん(小学館)作画:おちよしひこ 『テレビマガジン』、『てれびくん』、『テレビランド』の各雑誌は2月号より本作品の掲載が始まっているが、『TVアニメマガジン』では他の競合雑誌からは1か月遅れの番組開始の3月号からの掲載となった。また同誌が1984年6月号をもって休刊したため、第23話以降のクレジットは前述の3雑誌のみに変更された。 CS放送・ネット配信 CS放送 東映チャンネル 2003年2月 - 7月(「スーパー戦隊ワールド」枠) 2004年9月 - 12月(「アンコールアワー」枠) ネット配信 東映特撮 YouTube Official 2012年5月21日 - 11月11日 2018年6月2日 - 12月1日 日本国外における展開 フランスで吹替版が放送され、高い人気を得た。 アメリカ合衆国では1985年にサバン・プロダクションズが1話につき1万ドルで国際放映権を取得し、本作品をベースにアメリカで撮影した映像を組み合わせた作品『Bio-Man』(監督・脚本 - シュキ・レヴィ)を制作するが、放送には至らなかった。1990年代初頭にFoxチルドレンネットワーク社長のマーガレット・ローシュが『Bio-Man』を見たことがパワーレンジャーシリーズ制作のきっかけとなっている。 脚注 注釈 参照話数 出典 出典(リンク) 参考文献 大全集シリーズ(講談社) 『スーパー戦隊 Official Mook 21世紀』講談社〈講談社シリーズMOOK〉 外部リンク 超電子バイオマン(スーパー戦隊ネット内の紹介記事) DVD 超電子バイオマン特集(東映ビデオ内にあるサイト) スーパー戦隊シリーズの特撮テレビドラマ 1980年代の特撮作品 1984年のテレビドラマ 曽田博久脚本のテレビドラマ 康珍化が制作した楽曲 加瀬邦彦が制作した楽曲 南極を舞台とした作品 コンピュータを題材としたテレビドラマ 超能力を題材としたテレビドラマ 巨大ロボットを題材としたテレビドラマ めばえ おともだち たのしい幼稚園 テレビマガジン
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加瀬邦彦
加瀬 邦彦(かせ くにひこ、1941年3月6日 - 2015年4月20日)は、日本のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー。 経歴・人物 東京府(現東京都)生まれ。幼稚舎から慶應義塾に通う。 1957年11月、慶應義塾高等学校1年生の時、東京都から神奈川県茅ヶ崎市に転居したが、これが縁で同年12月23日にアメフト部の先輩の紹介により俳優上原謙のクリスマス・パーティーに誘われ、当時慶應義塾大学2年生だった加山雄三に出会い、音楽面のみならずプライベートでも親交を深めるようになる。 慶應義塾大学法学部政治学科在学中の1961年に、初めてのバンド「ザ・トップビーツ」を結成する。その後ホリプロに所属し、清野太郎、かまやつひろしらとバンド「キャノンボール」を結成。1963年には事務所の指示により、かまやつと共にザ・スパイダースに加入するも、寺内タケシの誘いで約3か月後に脱退し、寺内タケシとブルージーンズに加入した。 1966年、ビートルズの来日公演でブルージーンズが前座を務めることになったが、警備上の措置として、前座のバンドは演奏終了後、楽屋に監禁され、ビートルズを見ることや演奏を聴くことが出来ない状態になっていたため、客席からビートルズを見たかった加瀬はブルージーンズを脱退した。 所属していたホリプロはそれでも、加瀬を引きとめ給料を支払い続けていたが、「タダで給料をもらうのも申し訳ない」と同年7月に、加山が名付け親となるザ・ワイルドワンズを結成、渡辺プロダクションに移籍する。得意の12弦ギター(ヤマハ特注)は、ワイルドワンズ・サウンドの要となる。解散後は、作曲家としてだけでなく、沢田研二の音楽プロデューサーとなり、全盛期の沢田を支えた。 1981年1月、日本劇場取り壊しに伴う最後の日劇ウエスタンカーニバルにザ・ワイルドワンズ(加瀬、鳥塚繁樹、島英二、植田芳暁、渡辺茂樹)のメンバー5名が集結して出演したことを契機として、ザ・ワイルドワンズの再結成話が持ち上がり、仕事の都合で参加を辞退した渡辺を除くメンバー(加瀬、鳥塚、島、植田)4名でザ・ワイルドワンズを再結成した。一時期、渡辺と共にタイガース・メモリアル・クラブバンドにも在籍した。 “ケネディハウス銀座”のオーナーや、加山雄三&ハイパーランチャーズの音楽プロデューサーとしても活躍した。 1994年に食道癌の手術をしたことを著書で明かしていた。2014年には下咽頭癌を発症し、手術後は自宅療養していた。 2012年4月21日、ももいろクローバーZの横浜アリーナでのライブ公演『ももクロ春の一大事2012 〜横浜アリーナ まさかの2DAYS〜』の1日目に百田夏菜子 with ザ・ワイルドワンズとして参加。加瀬が百田の為のソロ曲として作詞・作曲した「渚のラララ」を披露した。 2015年4月20日午後9時、自宅にて自殺を図り、死亡した。74歳没。呼吸用のチューブが塞がれた状態で発見された。通夜は同月27日に葬儀委員長をザ・ワイルドワンズのメンバーが務め護国寺で営まれ、音楽仲間の寺内タケシ、高木ブー、中村あゆみ、モト冬樹、エド山口、江木俊夫らが参列した。翌28日葬儀・告別式が営まれ、岸部一徳、森本太郎、瞳みのる、つのだ☆ひろなど関係者300人が参列。仕事の都合で葬儀に参列できなかった加山は音声メッセージで加瀬を哀悼した。戒名は常樂院悠照清邦居士。同年、第57回日本レコード大賞・特別功労賞が贈られた。 逸話 日本のエレキ・バンドが日本語の歌詞で歌ったものとしては草分け的存在であるオリジナル楽曲「ユア・ベイビー」は、加瀬がブルージーンズ時代に作曲してシングルでも発売されたが、ワイルドワンズ時代においても新たにレコーディングし、「想い出の渚」と共に両A面扱いで発売された。 主な作曲作品 1966年 『想い出の渚』(作詞:鳥塚繁樹、歌:ザ・ワイルドワンズ) 1967年 『夕陽と共に』(作詞・歌:ザ・ワイルドワンズ) 1967年 『青空のある限り』(作詞:安井かずみ、歌:ザ・ワイルドワンズ) 1968年 『愛するアニタ』(作詞:山上路夫、歌:ザ・ワイルドワンズ) 1968年 『バラの恋人』(作詞:安井かずみ、歌:ザ・ワイルドワンズ) 1968年 『花のヤングタウン』(作詞:島田陽子、歌:ザ・ワイルドワンズ) 1968年 『青い果実』(作詞:山上路夫、歌:ザ・ワイルドワンズ) 1968年 『シー・シー・シー』(作詞:安井かずみ、歌:ザ・タイガース) 1969年 『あの頃』(作詞:安井かずみ、歌:ザ・ワイルドワンズ) 1969年 『赤い靴のマリア』(作詞:山口あかり、歌:ザ・ワイルドワンズ) 1972年 『許されない愛』(作詞:山上路夫、歌:沢田研二) 1972年 『ゴジラのお嫁さん』(作詞:もず唱平、歌:子門真人) 1973年 『情熱の砂漠』(作詞:山上路夫、歌:ザ・ピーナッツ、陳和美らもカバー) 1973年 『指輪のあとに』(作詞:安井かずみ、歌:ザ・ピーナッツ) 1973年 『マンジョキロックンロール』(作詞:内田裕也、歌:内田裕也と1815ロックンロールバンド) 1973年 『あなたへの愛』(作詞:安井かずみ、歌:沢田研二) 1973年 『危険なふたり』(作詞:安井かずみ、歌:沢田研二) 1973年 『甘い十字架』(作詞:安井かずみ、歌:布施明) 1973年 『胸いっぱいの悲しみ』(作詞:安井かずみ、歌:沢田研二) 1974年 『恋は邪魔もの』(作詞:安井かずみ、歌:沢田研二) 1974年 『追憶』(作詞:安井かずみ、歌:沢田研二) 1974年 『冬の駅』(作詞:なかにし礼、歌:小柳ルミ子) 1974年 『黄昏の街』(作詞:林春生、歌:小柳ルミ子) 1975年 『白い部屋(作詞:山上路夫、歌:沢田研二) 1976年 『ウィンクでさよなら』(作詞:荒井由実、歌:沢田研二) 1976年 『雨の坂道で』(作詞:安井かずみ、歌:アグネス・チャン) 1977年 『お元気ですか』(作詞:松本隆、歌:アグネス・チャン) 1977年 『いつまでも変わらずに』(作詞:喜多條忠、歌:アグネス・チャン) 1977年 『もう貝殻は拾わない』(作詞:喜多條忠、歌:アグネス・チャン) 1977年 『もう振り向いたりしない』(作詞:松本隆、歌:アグネス・チャン) 1977年 『心に翼を下さい』(作詞:松本隆、歌:アグネス・チャン) 1977年 『愛のパントマイム』(作詞:松本隆、歌:アグネス・チャン) 1977年 『ハロー・サンシャイン』(作詞:三浦徳子、歌:アグネス・チャン) 1977年 『似たものどうし』(作詞:山川啓介、歌:アグネス・チャン) 1977年 『鉛筆で書いたラブ・レター』(作詞:松本隆、歌:アグネス・チャン) 1978年 『女はそれを我慢できない』(作詞:加瀬邦彦、歌:アンルイス) 1979年 『ベイビー・アイ・メイク・ア・モーション』(作詞:岩沢律、歌:レイジー) 1980年 『TOKIO』(作詞:糸井重里、歌:沢田研二) 1980年 『恋のバッド・チューニング』(作詞:糸井重里、歌:沢田研二) 1980年 『夢みるマイ・ボーイ』(作詞:岡田冨美子、歌:榊原郁恵) 1981年 『めざめてキス・ミー』(作詞:竜真知子、歌:甲斐智枝美) 1983年 『ホタテのロックン・ロール』(作詞:内田裕也、歌:安岡力也) 1984年 『超電子バイオマン』(作詞:康珍化、歌:宮内タカユキ) 1987年 『きわどい季節』(作詞:阿久悠、歌:沢田研二) 2010年 『渚でシャララ』(作詞:三浦徳子、歌:ジュリーwithザ・ワイルドワンズ) 2012年 『渚のラララ』〔作詞・作曲:加瀬邦彦、歌:百田夏菜子 with ザ・ワイルドワンズ) 活動歴 1964年 『ユア・ベイビー』(ブルージーンズ時代に作曲)後に、ワイルドワンズ時代多数作曲。 1974年 『天使なんていない』(西郷輝彦、作曲) 1976年 『THE DAY BEFORE TOMORROW』自身のソロ・アルバム(世界各国の7人の歌手が歌唱) 1979年 『ベイビー・アイ・メイク・ア・モーション』(レイジー、作曲) 1981年 『青空オンリー・ユー』(ひかる一平、作曲) 1981年 『アップルパップルプリンセス』(竹内まりや、作曲) 1984年 「超電子バイオマン」OP曲『超電子バイオマン』ED曲『バイオミック・ソルジャー』(挿入歌も数曲)作曲。 1984年 『不思議 Tokyo シンデレラ』セイントフォー作曲。 1988年 『懐かしきラブ・ソング』タイガース・メモリアル・クラブ・バンド、作曲 1990年 『君よ女神のままに』タイガース・メモリアル・クラブ・バンド、作曲 1990年 『未来への花束』タイガース・メモリアル・クラブ・バンド、作曲 その他、ザ・タイガース・ザ・ピーナッツ・ZOOなどにも楽曲を提供している。 著書 「ビートルズのおかげです」 ― ザ・ワイルド・ワンズ風雲録 あの頃の音楽シーンが僕たちのスタイルを生んだ (枻出版社) 2001年 ISBN 978-4870995536 脚注 関連項目 自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧 外部リンク 加瀬邦彦オフィシャルブログ 日本のギタリスト 20世紀日本の実業家 21世紀日本の実業家 日本の作曲家 日本の音楽プロデューサー 過去の渡辺プロ系列所属者 慶應義塾大学出身の人物 慶應義塾高等学校出身の人物 東京都出身の人物 自殺した日本の人物 1941年生 2015年没
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セイントフォー
セイントフォー(Saint Four)とは、加瀬邦彦が音楽プロデュースをしていた1980年代のアイドルグループである。2018年3月から濱田・岩間・鈴木の元メンバー3人で本格的に再始動している(2021年8月からコロナ禍の影響により、グループ活動を一時的に休止している)。 メンバー 現メンバー 岩間沙織 1964年7月7日生まれ。血液型:O型。神奈川県出身。コーラス&バックダンス担当/担当アクロバット:側宙/イメージカラー: グリーン/称号:FASHIONABLE SAORI(ファッショナブル・サオリ) ※初代リーダー。グループ結成時からデビューするまでの2年間を務めた。 浜田範子 1965年2月22日生まれ。血液型:A型。埼玉県出身。リードボーカル担当/担当アクロバット:後方宙返り/イメージカラー: ピンク/称号:DRAMATIC NORIKO(ドラマティック・ノリコ) 鈴木幸恵 1966年5月15日生まれ。血液型:A型。神奈川県出身。リードボーカル担当/担当アクロバット:ピルエット/イメージカラー: ブルー/称号:EXCITING YUKIE(エキサイティング・ユキエ) ※二代目リーダー。デビューから解散まで務めた。 旧メンバー 板谷祐三子 1968年3月5日生まれ。血液型:A型。神奈川県出身。コーラス&バックダンス担当/担当アクロバット:バック転(のちに前方倒立回転に変更)/イメージカラー: レッド/称号:PASSIONATE YUMIKO (パッショネート・ユミコ) ※1986年3月脱退。セイントフォー在籍中は常に眼鏡を着用していた。 いわお潤 本名:岩男潤子。1970年2月18日生まれ。血液型:AB型。大分県出身。コーラス&バックダンス担当/担当アクロバット:バック転/イメージカラー: レッド。 ※板谷脱退後に加入し、またグループ解散声明前に脱退。 来歴 1982年「あなたもスターに!」というプロダクションのダイレクトメールに応募して、約3万人の中から選ばれた4人。デビューするまでの間は、歌唱、体操、アクロバット、ジャズダンス、ローラースケートや日々のジョギング等、そのトレーニング期間は2年にまで及んだ。結成当初は岩間、鈴木、他2名(幻のメンバー)による通称「四人組」としてレッスンをスタートしたが、他2名がグループ活動を辞退したため、浜田、板谷が加入し、オリジナルメンバーとしてデビューを果たした。レコードデビュー前にはテレビ朝日「鶴ちゃんのアイドル・パンチ」に「ツールーズ・エンジェル」としてアシスタント出演をしていた。正式なグループ名として「ルナリアンズ」(意味:月よりの使者)に決まりそうだったものを「もっと私たちに合う名前があるはず!」と「鶴ちゃんのアイドル・パンチ」番組内で一般募集した中から「セイントフォー」(意味:聖なる4人)に決定した。グループは板谷・浜田・鈴木・岩間の立ち位置順で構成、「100%女の子のままデビュー!」というキャッチコピーでデビューを果たした。後に板谷に替わっていわお潤が加入した。曲間にバック宙などを取り入れたアクロバティックなパフォーマンスが話題になった。また、ステージでの衣装のほとんどを日本の老舗バレエ・ダンス用品企業「チャコット」から提供を受けていた。 1985年10月、同グループの振付師である一の宮はじめが主催した『ダンシングミュージカル フィナーレには花束を』に出演。 同年、西ドイツの音楽番組に日本人歌手代表して『不思議Tokyoシンデレラ』、『ロマンチックの向こう側(2ndアルバム収録曲)』の2曲を披露。 デビューからのシングル、アルバムは共に好セールス、また賞レースへの出場や受賞を獲得するなど、順風満帆な活動であった。 しかしセイントフォーを巡って、所属事務所「日芸プロジェクト」と所属レコード会社「リバスター音産」との間で発生した契約上のトラブルに巻き込まれ、4枚目のシングルを発表した後は新曲が発売できない状態が続き、デビューから2年2か月後、本人たちの意思という形で解散。 1987年、東宝が救済に立ち上がり、再出発に向けて準備をしていた映画『やるときゃやるぜ! 〜COME BACK HERO〜』の公開、テレビ放映(テレビ朝日)、ビデオ発売を発表し実現させた。このことを受け、岩間は「セイントフォーは不滅です!」と、涙ながらに語った。 また、解散直後に日本テレビ『酒井広のうわさのスタジオ』にて、浜田と鈴木の二人が解散の経緯についてインタビューに答えている。 セイントフォー解散後、浜田範子・鈴木幸恵はロック系ボーカルデュオ「ピンクジャガー」として再デビュー。解散後、浜田は濱田のり子としてセクシー系の女優として活躍。岩間沙織も現在は女優として活動している。いわお潤は本名の岩男潤子に芸名を戻して、主に声優として活動するようになった。 2012年1月、「ザ・追跡スクープ劇場」(日本テレビ)の2月放送回には、解散から初めてオリジナルメンバーの4人が勢揃いしテレビ出演が予定されていたが、収録間近になり諸般の都合で急遽取りやめになったことについて、濱田はブログで「タイミングって本当に大事で、いつか良きタイミングで必ずその日が訪れると信じている」と、今後の活動においても「大きく前進したのも事実です」と報告した。 2013年3月17日、当グループのデビュー曲を作曲したザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦が運営する東京「ケネディーハウス銀座」にて、当グループのボーカルレッスンの指導と楽曲提供をしていた上田司のバースデーライブにゲストとして、今回は濱田・岩間・鈴木の3人が解散以来初のステージライブを26年振りに披露。濱田のオフィシャルブログでの告知から広がり、チケットは完売しゲスト出演のライブは大成功となった。 10月、日刊スポーツには、一夜限りのワンマン復活ライブ!!の開催情報が、芸能欄で大きな記事として掲載された。 11月3日、ケネディーハウス銀座にて濱田・岩間・鈴木の3人で一夜限りのワンマン〜復活ライブ!!〜が開催された。2回公演のチケットは、即日完売した。その後、日刊スポーツ、FLASHなどでは復活ライブの記事が掲載される。このライブ以降、今後のセイントフォーとしての活動については検討中としていたが、板谷祐三子とは連絡がつかないことが2015年4月10日放送のTBS『爆報! THE フライデー』にて公表された。 2015年12月、『爆報! THE フライデー』に、解散以来28年振りに岩間、濱田、鈴木の三人が揃ってテレビ出演をした。 2018年3月12日、濱田・岩間・鈴木による3人で本格的に再始動することを表明。5月にはベスト盤と最新アルバムの2タイトルを同時発売し、また6月には再始動&CDリリース記念ライブも開催されることが本人たちのブログで報告された。その後の詳細は、週刊雑誌「FLASH」にも掲載され、濱田・岩間がインタビューに答えている。 また、同グループには橋幸夫がプロデュースしていたとされているが、本人たちは「1,2度しかお会いしたことがない」と雑誌の取材で答えており、実際のプロデュースには関わっておらず、当時、単に彼女たちが籍をおいていた所属レコード会社の副社長を橋が務めていただけににすぎなかった事が報告されている。 3月29日、テレビ朝日『スマートフォンデュ』に生出演。デビュー曲「不思議Tokyoシンデレラ」を当時のダンスとともにフルコーラスで披露。曲間に宙返りはなかったものの、現在も舞台やマラソンで身体を鍛えているメンバーの岩間が側転を披露した。 6月に開催される再始動&CDリリース記念ライブの予約は、受け付け開始から1時間で完売となった。その為、多くのファンが記念すべきライブへの参加ができない事情を考慮し、急遽7月8日に追加ライブが決定したが、既に予約が完売しており、さらに再追加ライブを同月15日に行うことが発表された。 5月16日、再始動CDリリース記念としてタワーレコード、ディスクユニオン、HMVなどのショップにて「セイントフォー が帰って来た!奇跡の再始動記念キャンペーン!!」を展開。 5月31日、『スマートフォンデュ・もう一度見てみたい投票ランキング』視聴者アンケートで1位を獲得。「不思議Tokyoシンデレラ」と「太陽を抱きしめろ」の2曲を披露。 6月3日、タワーレコード新宿店イベントスペースにて、インストア・イベント(ミニライブ、特典手渡し&握手会&サイン会)を開催。 6月28日、『スマートフォンデュ・もう一度見てみたい投票ランキング』視聴者アンケートで2度目の1位を獲得。2ndアルバム収録曲からの名曲「ファイアー~灼熱物語~」をテレビで初歌唱した。 7月6日からは、Radio NEOにてレギュラー番組「セイントフォーのミッドナイト・トーク」がスタートした。 7月27日、『スマートフォンデュ・もう一度見てみたい投票ランキング』視聴者アンケートで3度目の1位を獲得。第4弾シングル「ハートジャックWAR」をテレビで歌唱した。 8月24日、東京歌謡曲ナイト(CLUB CITTA'川崎)のライブアクトにゲスト出演。シングル曲、映画でのライブシーンをバックスクリーンに映しだしながら「COME BACK HERO」を歌唱。ほかメドレーを披露。会場では、グッズやCDの販売も行われた。 2021年8月26日、コロナ禍のもと、岩間はメンバーとしての活動と並行して介護職も行っていることやメンバーの時間調整など、グループとしての活動が厳しくなり、セイントフォーとしての活動をストップしたままでは「応援してくれているファンに申し訳がない」という気持ちが一致し、一旦「それぞれに充実した時間を大切に過ごして行こう」というメンバー間での話し合いが持たれ「解散ではなく一時活動を休止する」ということをファンにむけて各メンバーのSNSなどで報告された。 2022年6月、ULTRA-VYBEpresents~名鑑シリーズ(邦楽ロック編)~にて「セイントフォー・コンプリートコレクション1984-1986」のCDが7月6日に期間限定で再販され、先着として缶バッジ、特製カードサイズカレンダーの特典が発表された。 エピソード 過去に濱田・鈴木に対してインタビューを行っているプロインタビュアーの吉田豪は、セイントフォーは事務所による「オーディション詐欺」であったと断じている。無差別にダイレクトメールを送り、応募してきた者から30〜40万円の登録料を取るというもので、月3万円の給料も未払いだったという。彼女たちの主演映画「ザ・オーディション」も、セイントフォーの妹分を募集して同様に登録料を取るためのもので、それに応募して追加メンバーになった岩男は彼女の知らない間に両親がさらに大金を支払っていたという。 事務所の方針により、グループのマンネリ化を防ぐため結成から2年ごとにリーダーを変えていく方針だった。グループ結成からデビューまでの2年間は岩間がリーダーを務め、1985年3月に行ったデビューコンサート(芝郵便貯金ホール)にてリーダーが鈴木にバトンタッチされた。 デビュー直後に出演した『ザ・トップテン』(日本テレビ)の「もうすぐトップテン」というコーナーでは、結成当時から「え〜」「うっそ〜」「やだ〜」などのいわゆる「ぶりっ子言葉」を使ったら1回100円の罰金という決まりがあり、結構貯まっていると浜田が語った。このとき浜田は、緊張のあまり大きく息つぎをしながらのコメントに、司会の堺正章に「あんた、(一言一言)しゃべると疲れるんですか?」と、突っ込まれていた。 1985年1月5日、『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」(フジテレビ)に出演した。 コーナー司会の山村美智子(当時フジテレビアナウンサー)から「TOKYO不思議シンデレラ」と誤って紹介されて登場した。冒頭では、覇気がない言動のためか、島田紳助を相当困惑させていた。肝心の歌の部分は「西川のりお扮するレオタードオバQ(他は書き割り)とヒップアップ&コント赤信号のすもうダンサーズ」のコラボレーションで終わっている。また板谷も、本番中に西川のりおからセクハラを受け、終盤にはとうとう泣き出してしまうというハプニングがあった。なお、当コーナーへの出演は、この回だけだった。 少年サンデー連載『炎の転校生』第8巻では著者の島本和彦が当時、彼女達に熱を上げていたことから「戦闘フォー」というキャラクターが登場している。また、セイントフォーのビデオ『FIRE KISS 〜シークレット・メッセージ〜』には、彼の描き下ろしブックが予約特典として配布された。 この頃からは浜田と鈴木は作詞も勉強し、それぞれにサードアルバムにて自身のソロ曲の作詞で歌唱もしている。事務所の後輩で後に新メンバーとなった潤は加入前のレッスン生時代に、浜田が作詞した楽曲「愛の為に」の提供を受けて、セイントフォーのライブでは妹分と紹介され歌唱していた。 2009年11月16日、「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP(フジテレビ)」放送回は、当時ファンだったという松村邦洋やキャイ~ンの天野ひろゆきらが伝説のアイドルグループとして「不思議Tokyoシンデレラ」を当時の貴重映像とともに歌と踊りを織り交ぜながら紹介していた。 2010年2月14日、「5時に夢中!」(TOKYO MX)放送回、司会の逸見太郎が「今日はセイント・バレンタインデー!」というと、すかさずマツコ・デラックスが「セイントって言っていいのはセイント・フォーの時だけ!!」と言い放った。 2012年9月8日、「にじいろジーン」(フジテレビ)放送回、鈴木砂羽と山口智充が昭和のアイドルイベントで盛り上がりたいという中で「不思議Tokyoシンデレラ」が流された。 2013年5月1日、「ヒルナンデス!」(日本テレビ)放送回、アウトドアグッツの紹介コーナーで森山直太朗とミッツ・マングローブがヘッドライトを装着。するとミッツ・マングローブが「セイントフォーか光GENJIみたいに見える」と森山直太朗にツッコミを受けていた。 2013年7月18日放送のNHK連続テレビ小説『あまちゃん』のワンシーンで、同局で放送されていた『レッツゴーヤング』に出演して『太陽を抱きしめろ』を歌唱した時の映像が使用されたことが濱田のブログで報告されている。また同ドラマでは、この放送回の他にも、本グループの曲が流れたり、映像にレコードジャケットが映し出されたことで、根強いファンの間では話題となった。 鈴木は取材に対して、そして岩間は自身のブログで、オリジナル・メンバーになる前の「幻のメンバー」2名とは、今でも親交があることを明かしている。 2015年11月18日、「NHK歌謡コンサート」で司会の高山哲哉が、ゲストで登場した「フォー・セインツ」のグループ名を間違えて「セイントフォー」と紹介してしまう。 2018年3月、濱田・岩間・鈴木の三人で本格的に再始動することを正式に発表。一年前からレッスンや再始動に向けての準備をしていたことが明かされた。 同月、再始動発表直後に緊急生出演が決定した「スマートフォンデュ歌謡祭」(テレビ朝日)では、およそ30年振りにデビュー曲を歌唱し、その直後からはセイントフォー がYahoo!検索トレンドやツイッタ―で1位にランクインし、その状態は翌日のお昼過ぎまで続いて、番組は神回とまで言われた。 4月、再結成に伴う2タイトルCD同時リリース発表後、ベスト盤CD「コンプリート・コレクション1984-1986」は、Amazon新着予約ランキングの歌謡部門、歌謡/演歌、各部門でベストセラー1位、新作「時の旅人」は2位にランクインした。 5月、2タイトルCD同時リリース後もAmazonランキング歌謡部門、歌謡/演歌各部門で、新作「時の旅人」は2位に、ベスト盤CD「コンプリート・コレクション1984-1986」はベストセラー1位にランクインした。 またオリコンでは「時の旅人」は週間アルバムランキング225位、「コンプリート・コレクション1984-1986」はデイリーアルバムランキング49位、週間アルバムランキング120位にランクインした。 12月、東京神保町タクト(CDショップ)では、昭和歌謡新譜CD年間売上で「コンプリート・コレクション1984-1986」が3位を獲得。 2019年1月、「コンプリート・コレクション1984-1986」が「レコード・コレクターズ 」2018年歌謡曲/芸能部門を獲得。 同年9月、「コンプリート・コレクション1984-1986」が「レコード・コレクターズ」歌謡曲・芸能特集にて10位を獲得。 主な出演(1984年 - 1987年) 映画 1984年11月公開「ザ・オーディション」新城卓監督(東宝東和/フィルムリンク・インターナショナル) - 制作にテレビ朝日が関わっていた。配給収入は8200万円。VHS:品番12843001 (アポロン音工業)/ VHS・β版:NA-1119/VHD:DNK-908/LD:LNK-532(ザ・ワークス) 1987年8月公開「やるときゃやるぜ! 〜COME BACK HERO〜」山名兌二監督(東宝/ジョイパックフィルム) - ビデオ版の本編終了後「COME BACK HERO」のCFが収録されている。VHS:TG1729 (東宝ビデオ) ラジオ 1985年 - 1986年「セイントフォーのみんな起きてる!?」(アール・エフ・ラジオ日本) 1985年 「セイントフォーのハイッ!先生」(KBCラジオ) CM 1984年「ヤングジャワカレー」(ハウス食品) 1984年「オートラマ」レーザー1500スーパースポーツモデル(セイントフォーSpecial)、テルスター(ザ・オーディションSpecial)※限定販売 ミュージカル 1985年10月4日 - 5日 一の宮はじめ ジャズダンスアカデミー第3回公演 「ダンシングミュージカル~フィナーレには花束を~」 (全3回公演、新橋・ヤクルトホール。作・演出・作詞・振付:一の宮はじめ。小林千絵やデビュー前のBaBeの2人と共演) ライブ 1984年12月24日 クリスマス・コンサート(池袋サンシャイン広場) 1985年3月16日 デビュー・コンサート(東京・芝 郵便貯金ホール) 1985年4月2日 セイントフォーLIVEコンサート(LIVE HOUSE Liverpool吉祥寺店) 1985年4月3日 セイントフォーLIVEコンサート(LIVE HOUSE Liverpool国立店) 1985年8月14日 セイントフォーin郡山コンサート(郡山市民文化センター) 1985年8月17日 セイントフォーin日比谷野外音楽堂コンサート 1985年8月20日 セイントフォーin大阪城コンサート(大阪城ホール) 1985年8月23日 セイントフォーin平塚コンサート 1985年8月28日 セイントフォーin川崎コンサート 1985年11月23日 1周年記念ライブ(銀座山野楽器・JamSpot) 1986年1月 ニューイヤー・コンサート(横須賀、茅ヶ崎、相模原、ヤクルトホール/全4公演) 1987年1月18日 ラスト・コンサート~旅立ち~(日仏会館/全2公演) イベント 1984年10月16日 デビュー発表会(ホテル・ニューオオタニ~クリスタル・ルーム) 1984年10月29日 「ザ・オーディション」完成試写会&ミニ・コンサート(中野サンプラザ) 1985年4月21日 ハッピーオンステージ(東武動物公園) 1985年7月6日 ファンの集い(新宿NSビル・大時計広場) 音楽祭・受賞/出場歴 1985年3月8日 リバスターレコード(ヒット曲賞受賞)「不思議Tokyoシンデレラ」 1985年3月27日 東京音楽祭・国内大会出場曲「太陽を抱きしめろ」 1985年7月5日 メガロポリス音楽祭(エメラルド賞受賞)「太陽を抱きしめろ」 1985年7月13日 JALスカイメイトスペシャル'85ほっかいどうレコード新人祭「太陽を抱きしめろ」 1985年7月14日 HBC'85ほっかいどうレコード新人祭・中島レコード新人歌謡祭「太陽を抱きしめろ」 1985年8月29日 日本テレビ音楽祭(新人奨励賞受賞)「ハイッ!先生」 1985年9月21日 KBC新人歌謡音楽祭(優秀新人賞受賞)「ハートジャックWAR」 1985年9月28日 ヤング歌謡大賞~'85新人グランプリ~(シルバー賞受賞)「ハートジャックWAR」 1985年10月7日 銀座音楽祭「ハートジャックWAR」 1985年10月12日 新宿音楽祭(銅賞)「ハートジャックWAR」 1985年「新人アイドルベストテン(明星)」第6位 主な出演(2013年/2018年~再始動・参加メンバー:濱田のり子、岩間沙織、鈴木幸恵) ライブ 2013年3月17日 上田司バースデーライブ(ゲスト出演)(東京・銀座ケネディーハウス)参加メンバー:濱田、岩間、鈴木 2013年11月3日 セイントフォー「一夜限りの復活!ライブ」第1部・第2部(東京・銀座ケネディーハウス)参加メンバー:濱田、岩間、鈴木 2018年6月17日 「再始動&CDリリース記念ライブ」(東京・銀座ケネディーハウス) 2018年7月8日 「再始動&CDリリース記念ライブ」追加ライブ(東京・銀座ケネディーハウス) 2018年7月15日 「再始動&CDリリース記念ライブ」再追加ライブ(東京・銀座ケネディーハウス) 2018年12月29日 「セイントフォー年忘れLIVE・2018」(武蔵野市吉祥寺・ROCK JOINT GB) イベント 2018年6月3日 インストア・ミニライブ&特典会(タワーレコード新宿店) 2018年8月5日 ライブ&サイン会(軽井沢ショッピングプラザ・ニューイーストガーデンモール) 2018年8月17日 テレビ朝日六本木ヒルズ夏祭りSUMMER STATIONスペシャルステージ「スマートフォンデュ歌謡祭」(六本木ヒルズアリーナ) 2018年8月24日「東京歌謡曲ナイト2018」ライブアクト出演(CLUB CITTA'川崎) 2019年2月3日 NHK「レッツゴーヤング・フォーエバー2019」(SKIPシティー彩の国ビジュアルプラザ4F映像ホール・埼玉県川口市) 2019年2月24日 「第11回ノスタルジック2Days2019」ステージコンテンツ出演(パシフィコ横浜) 2019年3月10日 地域のイベントにてテラローザのギタリスト、今井芳嗣をサポートに迎え鈴木幸恵がソロとして出演。 テレビ 2015年4月10日 「爆報! THE フライデー」(TBS)メンバー岩間沙織の今!ゲスト出演:岩間沙織 2015年12月11日 「爆報! THE フライデー」(TBS)三者三様、メンバーの今!ゲスト出演:濱田のり子、岩間沙織、鈴木幸恵 2016年6月17日 「爆報! THE フライデー」(TBS)メンバー岩間沙織のお見合い!ゲスト出演:岩間沙織 2016年7月13日 「あいつ今何してる?」(テレビ朝日)ゲスト出演:鈴木幸恵 2018年3月29日「スマートフォンデュ歌謡祭」(テレビ朝日)歌唱曲「不思議Tokyoシンデレラ」 2018年5月31日「スマートフォンデュ歌謡祭」(テレビ朝日)もう一度見たい投票ランキング1位出演・歌唱曲「不思議Tokyoシンデレラ/太陽を抱きしめろ」 2018年6月28日「スマートフォンデュ歌謡祭」(テレビ朝日)もう一度見たい投票ランキング2ヶ月連続1位出演・歌唱曲「フャイヤー~灼熱物語~」 2018年7月27日「スマートフォンデュ歌謡祭」(テレビ朝日)もう一度見たい投票ランキング3ヶ月連続1位出演・歌唱曲「ハートジャックWAR」 2018年8月30日「スマートフォンデュ・六本木ヒルズ夏祭りSUMMER STATION」(テレビ朝日)歌唱曲「不思議Tokyoシンデレラ/太陽を抱きしめろ」 2018年11月29日「ハートネットTV~リハビリ・介護に生きる~」(NHK Eテレ)インタビュー取材出演:岩間沙織/ゲスト出演:濱田のり子、鈴木幸恵 2019年2月21日「ひるまえほっと」発見!お宝番組・特別編(NHK総合/関東甲信越)「レッツゴーヤング・フォーエバー2019」の模様を放送 2019年4月8、9日「クイズ脳ベルSHOW」(BSフジ)パネラー出演:濱田のり子 2019年4月25日「無料屋」(テレビ朝日)ゲスト出演~セイントフォーと一緒にカラオケに行ける権~ 2019年5月30日「無料屋」(テレビ朝日)ゲスト出演~セイントフォーと一緒にしゃぶしゃぶが食べられる権~ 2019年6月27日「無料屋」(テレビ朝日)ゲスト出演~セイントフォーと一緒にボーリングができる権~ 2019年7月26日「無料屋」(テレビ朝日)ゲスト出演~逗子海水浴場にてセイントフォーが荷物番します権~ 2020年3月21日 有吉反省会2時間スペシャル(日本テレビ)インタビュー出演:濱田のり子 2020年11月11日 「今夜くらべてみました」(日本テレビ)懐かしの美少女アイドルコーナー・テレビ紹介:岩間沙織 2021年2月18、19日「クイズ脳ベルSHOW」(BSフジ)パネラー出演:鈴木幸恵 2022年1月29日「ダンスな会」(テレビ朝日)※過去の映像から紹介されている ラジオ(パーソナリティー) 2018年7月6日 - 2018年12月28日「セイントフォーのミッドナイト・トーク」(Radio NEO) ラジオ(ゲスト出演) 2018年5月11日「後藤麻衣の心配ないさー」(アール・エフ・ラジオ日本) 2018年6月18日 「加藤裕介の横浜ポップJ」生出演(アール・エフ・ラジオ日本) 2018年8月5日「ピーロートpresents ~夏色スタジオin軽井沢~ワイン&スペシャルライブ」軽井沢ショッピングプラザ・ニューイーストガーデンモール(トーク&ライブ)公開生放送(SBCラジオ) 2019年1月13日「原めぐみのEN♥JOYトーク」(レインボータウンFM88.5MHz) 2020年11月4日 「松本もとよ・ビバ!フラメンコ」(ラジオフチューズ87.4㎒)ゲスト出演:鈴木幸恵 2020年11月18日 「松本もとよ・ビバ!フラメンコ」(ラジオフチューズ87.4㎒)ゲスト出演:鈴木幸恵 雑誌 2013年3月「FLASH」再結成、取材掲載 2013年11月「FLASH」ライブ、取材掲載 2014年7月17日「俺たちの昭和マガジン」昭和アイドル・クローズアップ「伝説のアイドル・セイントフォー」濱田のり子:インタビュー掲載 2018年3月12日「FLASH」濱田×岩間、取材掲載 2018年8月3日「ステレオ時代Vol.12」ムック(ネコ・パブリッシング)セイントフォー/ピンクジャガー掲載 2018年11月19日「CONTINE」取材掲載 2021年8月3日「週刊アサヒ芸能」鈴木幸恵:取材掲載 2022年3月1日「女性自身」岩間沙織:取材掲載 2022年11月29日「電池以下~吉田豪編~」取材掲載 」 Web関連 2016年1月5日「アサ芸能プラス」伝説のいい女に会いたい!「<太陽を抱きしめろ>セイントフォー」インタビュー:岩間沙織 2017年11月28日「アサ芸能プラス」蘇る「アイドルグループ」黄金伝説・2<特別対談>セイントフォー:濱田のり子・鈴木幸恵 2018年3月31日「芽瑠璃堂」告知掲載 2018年4月3日 「ナリナリドットコム(音楽ナタリー)」-(exciteニュース、HMV&BOOKS Online、他)告知掲載 2018年4月22日「スマートフラッシュ」セイントフォー×濱田のり子、取材掲載 2018年5月7日「スマートフラッシュ」セイントフォー×岩間沙織、取材掲載 2018年5月11日「CDジャーナルWeb」取材掲載 2018年5月23日「タワーレコード」イベント告知掲載 2018年5月5日「チャッピー加藤×相澤瞬のそれゆけ!ドーナツ盤万博」~「不思議Tokyoシンデレラ」編(ニッポン放送)第5回掲載 2018年5月12日「チャッピー加藤×相澤瞬のそれゆけ!ドーナツ盤万博」~「太陽を抱きしめろ」編(ニッポン放送)第6回掲載 2018年5月31日「WEBザテレビジョン」スマートフォンデュ歌謡祭(テレビ朝日)もう一度見たい投票ランキング1位獲得記事 2018年6月4日「日刊ゲンダイDIGITAL」セイントフォー×岩間沙織、取材掲載 2018年6月28日「WEBザテレビジョン/音楽ナタリー/オリコン/テレ朝POST、他」(テレビ朝日)伝説のアイドル再び生熱唱!記事掲載 2018年7月1日「WEBザテレビジョン」東京女子流、昭和のアイドルを語る。記事中掲載 2018年7月26日「WEBザテレビジョン」(テレビ朝日)SNSで話題となるセイントフォーが今回も登場!記事掲載 2018年7月26日「テレビライフWEB」(テレビ朝日)セイントフォーら伝説のアイドルが生歌披露!記事掲載 2018年8月15日 FRESH LIVE TV「メグミン・歌のホットスタジオ」ゲスト生出演(神田SpaceCube:ネット配信型イベントスペース) 2018年8月10日「WEBザテレビジョン、テレビライフWEB、他」テレビ朝日・サマステでセイントフォーら登場!記事掲載 2018年8月14日 ミドルエッジ「週刊20世紀Walker・Vol.25号」編集長と助手の昭和ヒットパレード!第4弾は「セイントフォー」掲載 2018年11月29日 NHKドキュメンタリー「ハートネットTV~リハビリ・介護に生きる~」番組紹介記事掲載 2019年2月16日 NHK番組発掘プロジェクト通信No.223「レッツゴーヤング・フォーエバー2019」開催ダイジェスト掲載 2019年3月8日 NHK番組発掘プロジェクト通信No.225 80年代アイドル集合!「発掘!お宝番組」特別編ダイジェスト掲載 2019年4月25日「WEBザテレビジョン」(テレビ朝日)「無料屋」セイントフォーとカラオケに行ける権!記事掲載 2019年7月31日「EX WEB」(双葉社)カルト映画「ザ・オーディション」を松江哲明監督が語る! 2020年11月6日「EX WEB」岩間沙織「悲劇のアイドルグループ」セイントフォーの初代リーダー「最年長メンバー列伝」Vol.9 2020年11月7日「ジャニーズだけじゃない、女性アイドルもバク転する時代に」(Techinsight) 2021年8月2日 「アサ芸プラス」昭和のアイドルグループは今!鈴木幸恵:取材記事掲載 2022年2月18日「80年代女性アイドルグループ人気ランキング」第6位(195票)ランクイン(ランキング―) 2022年7月5日 ミドルエッジ「デビューから解散までの全作品を収録!」セイントフォー・コンプリートコレクション1984-1986が発売決定! 2023年10月14日「宇宙人設定、PR費40億円…令和では考えられない"尖りすぎた"昭和アイドルたち」(ENTAME next) ディスコグラフィ シングル オリジナルアルバム ベストアルバム 未発表曲 初恋の並木道 - デビューに向けてレッスン用として歌われていた楽曲。1985年3月芝郵便貯金ホールでのデビューコンサートで歌唱。ビデオ「抱きしめてセイントフォー」に収録。 夜のダンサー -(1stアルバム「未来聖女」別詞曲) - 同じくデビューコンサートで歌唱。ビデオ「抱きしめてセイントフォー」に収録。 ファイヤーKissで火をつけて - 1985年7月、日比谷野外音楽堂でのコンサートで歌唱。ビデオ「Fire Kiss~シークレットメッセージ」収録、ラジオ「みんな起きてる!?」にて放送。 ドリームライト - デビュー前に歌っていた楽曲を 1986年1月、メンバーそれぞれの出身地で行ったコンサートで歌唱。ビデオ「Fire Kiss~シークレットメッセージ」BGM収録、ラジオ「みんな起きてる!?」にて放送。 上記4曲は、2018年5月16日発売CD「時の旅人」に初音盤化収録されている。 以下、メンバーチェンジにより潤加入後 スリリング - メンバーチェンジ後、新生セイントフォーの紹介盤および、レコード会社移籍第1弾として1986年6月に発売予定だった。歌の途中に「SAY!SAY!セイントフォー」という掛け声があった。 COME BACK HERO - 映画「やるときゃやるぜ!~COME BACK HERO~」劇中歌。 移籍第2弾は1986年8月発売予定だった。 トライアングルラブ ラストショー 以上4曲は、『セイントフォーの“みんな起きてる!?”』( アール・エフ・ラジオ日本)の最終回および「解散ライブ~旅立ち~」で披露された。 上記4曲は、2018年5月16日発売CD「コンプリートコレクション」に初音盤化収録されている。 他グループによるカバー 2004年7月には、アニメ『爆裂天使』(ビクターエンタテインメント)のイメージソングとして、声優陣の渡辺明乃・豊口めぐみ・高橋美佳子・田中理恵ら4人が、当グループのデビュー曲『不思議Tokyoシンデレラ』をカバーした。カップリングにも『太陽を抱きしめろ』が同じくカバーされた。 2010年9月、テレビアニメ『そらのおとしものf』からの青春歌謡ユニット「ソラの少女TAI♪」(日本コロムビア)が、配信限定で『不思議Tokyoシンデレラ』をカバーした。その後CD化され『そらのおとしものfプレゼンツ そらの少女TAI♪』に収録されている。 2011年1月から、新潟県を中心に活動しているローカルアイドル「RYUTist」(りゅーてぃすと)が、『不思議Tokyoシンデレラ』をカバーし、ライブで披露。 ビデオ 1985年7月発売「抱きしめてセイントフォー」 - 芝郵便貯金ホールでのライブほか収録。 【収録楽曲】(LD版のチャプター順に列挙、※はVHS版未収録) 1985年12月10日発売「FIRE KISS 〜シークレット・メッセージ〜」 - 1985年8月17日に収録された日比谷野外音楽堂のライブやショートストーリー、4人のトークなどを収録。 【収録楽曲】 1987年3月発売「WE ARE SAINT FOUR」 - 監督廣木隆一、脚本吉本昌弘によるフジテレビ系「月曜ドラマランド」での放送を予定して撮影されたドラマ作品。潤が加入した後、唯一一般発売された作品で、幻のオリジナル5曲(収録楽曲を参照)を収録。 ※ 他に、ファンクラブ会員限定で販売された「セイントフォー旅立ちコンサート1部・2部(日仏会館)」がある。 書籍 単行本 フォト&エッセイ集・セイントフォーじゃじゃネコ通信「お・は・よ・!」(1985年12月1日、リイド社) 写真集 抱きしめてセイントフォー 別冊スコラ26(1985年6月、講談社、撮影:佐々木教平)ISBN 978-4061749269 関連書籍 藤公之介『ザ・オーディション』(1984年11月、せいこう出版) 脚注 注釈 出典 外部リンク 公式プロフィール - シアタープロジェクト 日本の女性アイドルグループ 日本のガール・グループ 3人組の音楽グループ 1984年に結成した音楽グループ 1987年に解散した音楽グループ 2018年に再結成した音楽グループ
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%BC
アース・ウィンド・アンド・ファイアー
アース・ウィンド・アンド・ファイアー()は、アフリカ系アメリカ人によるファンクミュージック・バンドである。R&B、ファンク、ソウル、ジャズなどのジャンルを融合させ、新たなポップミュージックの世界を開拓した。ファンクやディスコが全盛だった1970年代を象徴するバンドとして知られる。略称はEWF、EW&F。 1970年代半ば以降の全盛期は、ファンキーなサウンドとモーリス・ホワイトとフィリップ・ベイリーのツインヴォーカル、重厚なが特徴であった。1980年代前半には、コンピューターを利用した電子音を採り入れたが、人気を復活させるのは困難だった。アメリカ合衆国国内だけでなく日本をはじめ世界的な人気も高く、1970年代から何度か活動停止と再開を繰り返しつつも定期的にヒット曲を放ち、世界でのCD・レコード総売上は9000万枚以上。グラミー賞を6回受賞し、2000年にロックの殿堂入りを果たしている。 来歴 1969年 - 1982年 モーリス・ホワイトは、初期はジャズ・ドラマーとしてラムゼイ・ルイスのバンドに参加していた。彼のバンドを離れた後、1969年にシカゴにて、ソルティ・ペパーズを結成、キャピトルからシングル"La La Time"を残す。 1970年には、活動拠点をロサンゼルスに変え、バンド名もアース・ウィンド・アンド・ファイアーと改名。占星術によると、モーリスの占星図にはEarth, Air & Fire(土と空気と火)の3つの要素があることから、Earth, Wind & Fire(土と風と火)と名づけた(当時の人気バンド、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズの模倣という説もある)。ワーナーと契約、モーリスの弟のヴァーダイン・ホワイト(後にも加入)を含めた10人の大所帯バンドとなる。2作リリースするがヒットはせず、バンドは一度解散する。 1972年にコロムビア・レコードに移籍、フィリップ・ベイリーとやが加入。コロムビアには、以後1990年まで在籍する。1973年に、Head To The Sky(『ヘッド・トゥ・ザ・スカイ』)をリリースし、ゴールド・ディスクを獲得する。1975年には、That's the Way of the World(『暗黒への挑戦』)を、同名の映画のサウンドトラックとしてリリースし全米アルバム・チャート第1位を獲得。この映画にはモーリスも出演しており、彼らの貴重なライヴ映像も観ることができる。75年に「シャイニング・スター」がポップ・チャートでもクロスオーバー・ヒットした頃から、アースの人気が急上昇した。76年には「ゲッタウェイ」を発表し、同曲もヒットした。この2曲はファンクの傑作曲とされている。77年から79年には「太陽の戦士」「宇宙のファンタジー」「セプテンバー」「ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」などがヒットしたが、ファンク度は後退し、ポップ・ソウル色が濃くなっていった。79年にはディスコ「ブギー・ワンダーランド」やバラード曲がヒットしたが、ファンクのアースがディスコやAORをやるなんて、という失望や批判の声も少なからず聞かれた。 1976年に、モーリスは自己プロダクション、カリンバ・エンタテインメントを設立。モーリスは、"Boogie Wonderland"に参加している「エモーションズ」などをプロデュースしている。1978年には、CBS/コロムビアの元、を設立。レーベルの第一弾としてベスト盤『The Best of Earth, Wind & Fire Vol.1』をリリース。ヒット曲"September"の初収録アルバムがこれになる。 1980年に、2枚組の大作Faces(『フェイセス』)を発表。しかし、このアルバムは不評で、これといったヒットも出なかった。挽回を目指し81年に発表したのがアルバムRaise!(『天空の女神』)である。このアルバムからは「レッツ・グルーブ」などのヒット曲が生まれ、アース健在を印象づけた。 1983年以降の活動 1983年に発表した『エレクトリック・ユニヴァース』ではトレードマークであったの使用を中止し、電子楽器中心のサウンドを展開させるが、活動を一時停止、各メンバーはそれぞれソロ活動に移る。この間、フィリップ・ベイリーは1984年にフィル・コリンズのプロデュースでChinese Wallをリリースし、"Easy Lover"をヒットさせる。彼は以後も不定期ながらソロ活動をしている。モーリスも1985年に唯一のソロ・アルバムとなるMaurice Whiteをリリースし、"I Need You"をヒットさせる。 1987年に『』をリリースし、活動を再開。1990年発売の『ヘリテッジ』を最後にコロムビアより離れ、ワーナーへと戻り、1993年に『千年伝説』をリリース。その頃よりモーリスはプロデューサー業を強化するようになり、1994年の全米ツアーには参加せず。モーリスは1995年のライヴ活動もリタイア。1996年に自主レーベル、カリンバ・レコードよりアルバムが制作され、avex traxより『アヴェタ』のタイトルで日本先行発売された。海外版としては、このアルバムは翌年にIn the Name of Loveとリタイトルと再構成され、ライノより翌年にリリースされる。モーリスはこのアルバムを最後にプロデューサー業に専念するようになり、以後の活動はフィリップが中心となっている。 1997年にモーリスは神経性障害と診断される。「パーキンソン病ではなく、元々神経質であることと、度重なるストレスから、震えが伴うことがある」とモーリスは発言していたが、2000年ロックの殿堂入りの際、式典前にパーキンソン病と診断されたことを明らかにし、ステージ活動から退いた。2004年の来日公演には同行する。2007年にはスタックス・レコード(コンコード・レコードにより復活)より、EWFのトリビュート・アルバムInterpetationsをリリース。モーリスは、エグゼクティヴ・プロデューサーとしてこのプロジェクトに参加。 2009年12月、4年ぶりの来日公演が東京と大阪、札幌で行われた。この時、翌2010年は結成40周年目の記念としてモーリスを加えての記念ライヴが行われるとアナウンスされたが、バンドでのライヴは叶わず、日本ではフィリップ・ベイリーのソロライヴのみが行われた。 2013年には22年ぶりにソニー・ミュージック(コロムビア)に戻り、9月に(Now, Then & Forever)をリリース。ラリー・ダンが復帰し、原点回帰をテーマにしたサウンドとなる。限定版にはボーナスCDが付録する。 2016年2月3日、モーリス・ホワイトが死去。同年、第58回グラミー賞特別功労賞生涯業績賞を受賞。 2019年12月11日、日本の女性ボーカルグループLittle Glee MonsterとコラボレーションしたEP「I Feel The Light」をリリースした。 ディスコグラフィ アルバム Earth, Wind and Fire (デビュー, 1971, Warner Bros.) (US 200 #172/US R&B #24) The Need of Love (愛の伝道師, 1971, Warner Bros.) (US 200 #89/US R&B #35) Last Days and Time (地球最後の日, 1972, Columbia) (US 200 #87/US R&B #15) Head to the Sky (ブラックロック革命→ヘッド・トゥ・ザ・スカイ, 1973, Columbia) (US 200 #27/US R&B #2) Open Our Eyes (太陽の化身, 1974, Columbia) (US 200 #15/US R&B #1) That's the Way of the World (暗黒への挑戦, 1975, Columbia) (US 200 #1/US R&B #1) EWFが出演した同名の映画のサウンドトラックとなる。全米アルバム・チャート3週間第1位。プラチナ・ディスクを獲得。 Gratitude (灼熱の狂宴, 1975, Columbia) (US 200 #1/US R&B #1) ライブアルバム。 Spirit (魂, 1976, Columbia) (US 200 #2/US R&B #2) All 'N All (太陽神, 1977, Columbia) (US 200 #3/US R&B #1) The Best of Earth, Wind & Fire Vol.1 (ベスト・オブ・EW & F VOL.1, 1978, ARC) (US 200 #6/US R&B #3) I Am (黙示録, 1979, ARC) (US 200 #3/US R&B #1) Faces (フェイセス, 1980, ARC) (US 200 #10/US R&B #2) Raise! (天空の女神, 1981, ARC) (US 200 #5/US R&B #1) Powerlight (創世記, 1983, Columbia) (US 200 #12/US R&B #4) Electric Universe (エレクトリック・ユニヴァース, 1983, Columbia) (US 200 #40/US R&B #8) ホーンセクションを捨て、電子ドラムやシンセサイザーなどを多用したが不評だった。 Touch the World (タッチ・ザ・ワールド, 1987, Columbia) (US 200 #33/US R&B #3) The Best of Earth, Wind & Fire Vol.2 (1988, Columbia) (US 200 #190/US R&B #74) Heritage (ヘリテッジ, 1990, Columbia) (US 200 #70/US R&B #19) これがコロムビア・レコードからリリースされた最後のアルバムである。 Millennium (千年伝説, 1993, Reprise/Warner Bros.) (US 200 #39/US R&B #8) ワーナー復帰後の第1弾。プリンス等外部のミュージシャンを呼んでいる。 Live in VELFARRE (1995, Karimba Records) 1995年のヴェルファーレでのライヴを収めたライヴ・アルバム。 Greatest Hits Live (1996, Pyramid/Rhino) (US 200 #--/US R&B #75) In the Name of Love (イン・ザ・ネイム・オブ・ラブ 1997, Pyramid/Rhino) (US 200 #--/US R&B #50) 自主レーベル、カリンバ・レコード制作。1996年にavex traxよりAvatar(アヴェタ)のタイトルでリリースされ、翌年にライノより構成を変えてリイシュー。2003年にも自主レーベル、カリンバよりオリジナル・タイトルでリイシュー。 "Greatest Hits" (1998, Columbia) (US 200 #--/US R&B #--) The Essential Earth, Wind & Fire (2002, Columbia) (US 200 #--/US R&B #91) The Promise (2003, Kalimba Records) (US 200 #89/US R&B #19) 国内盤は前作に続き、avexより。 Illumination (2005, Sanctuary Records) (US 200 #32/US R&B #8) Now, Then & Forever (フォーエバー, 2013, Legacy Recordings) (US 200 #11/US R&B #5) 国内盤はソニー・ミュージックより。 Japanese Singles Collection-Greatest Hits- (ジャパニーズ・シングル・コレクション-グレイテスト・ヒッツ-, 2020, Sony Music Japan International) 日本限定発売、日本でリリースされた全シングル発売順にUS7インチ・シングルヴァージョンに準じて収録。DVDには世界初DVD化4曲含む20曲のミュージックビデオを収録。 サウンドトラック スウィート・スウィートバックス・バッドアス・ソング:独立系ながら興業成績1位になった映画のサントラ盤を担当した。 シングル 1970年 "Love Is Life" (US HOT100 #93 /US R&B #43) 1971年 "I Think About Lovin You" (US HOT100 - /US R&B #44) 1973年 "Evil" (US HOT100 #50 /US R&B #25) "Keep Your Head to the Sky" (US HOT100 #52 /US R&B #23) 1974年 "Mighty Mighty" (US HOT100 #29 /US R&B #4) "Kalimba Story" (US HOT100 #55 /US R&B #6) "Devotion" (US HOT100 #33 /US R&B #23) 1975年 "Shining Star" (US HOT100 #1 /US R&B #1) 初の全米No.1曲。 "That's the Way of the World" (US HOT100 #12 /US R&B #5) 邦題「暗黒への挑戦」。 "Sing a Song" (US HOT100 #5 /US R&B #1) 1976年 "Can't Hide Love" (US HOT100 #39 /US R&B #11) "Getaway" (US HOT100 #12 /US R&B #1) "Saturday Nite" (US HOT100 #21 /US R&B #4) "On Your Face" (US HOT100 - /US R&B #26) 1977年 "太陽の戦士 Serpentine Fire" (CBS・ソニー、06SP-198)(US HOT100 #13 /US R&B #1) "Fantasy" (US HOT100 #32 /US R&B #12) 1978年 "Got to Get You into My Life" (US HOT100 #9 /US R&B #1) ビートルズの同名曲のカバー。 "September" (US HOT100#8 /US R&B #1) 代表的な曲の一つ。 "Boogie Wonderland" with The Emotions (US HOT100 #6 /US R&B #2) ディスコナンバー。当時アースに全面バックアップを受けていたエモーションズがバックコーラスとして参加。 1979年 "After the Love Has Gone" (US HOT100 #2 /US R&B #2) AORの作曲家デイヴィッド・フォスター、ジェイ・グレイドン、ビル・チャンプリンが提供。 "In the Stone" (US HOT100 #58 /US R&B #23) "Star" (US HOT100 #64 /US R&B #47) 1980年 "Let Me Talk" (US HOT100 #44 /US R&B #8)、 "You" (US HOT100 #48 /US R&B #10) "And Love Goes on" (US HOT100 #59 /US R&B #15) 1981年 "Let's Groove" (US HOT100 #3 /US R&B #1) 復活したアースらしい曲。 "Wanna Be with You" (US HOT100 #51 /US R&B #15) 1982年 "Fall in Love with Me" (US HOT100 #17 /US R&B #4) "Side by Side" (US HOT100 #76 /US R&B #15) 1983年 "Spread Your Love" (US HOT100 - /US R&B #57) "Magnetic" (US HOT100 #57 /US R&B #10) 1987年 "System of Survival" (US HOT100 #60 /US R&B #1) "Thinking of You" (US HOT100 #67 /US R&B #3) "Evil Roy" (US HOT100 - /US R&B #22) "You and I" (US HOT100 - /US R&B #29) 1988年 "Turn on (The Beat Box)" (US HOT100 - /US R&B #26) 1990年 "For the Love of You" (US HOT100 - /US R&B #19) "Heritage" (US HOT100 - /US R&B #5) "Wanna Be the Man" (US HOT100 - /US R&B #46) 1993年 "Sunday Morning" (US HOT100 #53 /US R&B #20) "Spend the Night" (US HOT100 - /US R&B #42) "Two Hearts" (US HOT100 - /US R&B #88) 1997年 "Revolution" (US HOT100 - /US R&B #89) 2003年 "All in the Way" with The Emotions (US HOT100 - /US R&B #77) 2005年 "Pure Gold" (US HOT100 - /US R&B #76) 日本での活動 日本での人気は非常に高く、 幾度となく来日公演を行っている。また、DREAMS COME TRUE(特にベーシストの中村正人)が強く影響を受けており、『WHEREVER YOU ARE』ではモーリス・ホワイトがバックボーカルに参加している。 日本公演 1979年 3月26日〜28日 日本武道館、30日九電体育館、31日 京都府立体育館、4月1日 名古屋国際展示場、2日 大阪府立体育館、3日 大阪厚生年金会館 1988年 6月2日 日本武道館、4日 横浜文化体育館、5日 大阪城ホール、7日 名古屋市公会堂、8日 NHKホール、9日、10日 国立代々木競技場第一体育館 1990年 10月25日 東京ドーム 1994年 4月1日、2日 国立代々木第一体育館、11日 大阪城ホール、12日 東京ベイNKホール 1995年 4月21日、22日、25日 日本武道館 1996年 9月21日 東京ベイN.K.ホール、23日、24日 日本武道館 2000年 9月26日、27日 東京国際フォーラム ホールA 2001年 11月2日 神戸国際会館こくさいホール、7日 大阪厚生年金会館、9日 日本武道館、12日 北海道厚生年金会館 2002年 11月27日〜29日 東京国際フォーラムホールA、12月2日 フェスティバルホール、3日 福岡国際センター 2004年 9月3日、4日 日本武道館、5日 名古屋レインボーホール、7日 福岡国際センター、9日 大阪城ホール、10日 愛媛県民文化会館メインホール 2006年 1月14日、15日 フェスティバルホール、18日、19日 日本武道館、20日 愛知県芸術劇場大ホール 2009年  12月7日、9日 なんばHatch、 11日、12日 東京国際フォーラム ホールA、14日 Zepp Sapporo、16日 福岡市民会館 2012年 5月17日 東京国際フォーラム ホールA 2013年  8月10日 SUMMER SONIC大阪、8月11日 SUMMER SONIC東京、 2016年 9月19日 名古屋国際会議場、9月22日 フェスティバルホール 2017年 5月20日 フェスティバルホール、5月22日 日本武道館、5月24日 ニトリ文化ホール、5月26日 静岡市民文化会館大ホール、5月27日 広島文化学園HBGホール その他 元WBC世界バンタム級王者薬師寺保栄が、「レッツ・グルーブ」を入場曲として使用していた。 脚注 関連項目 長岡秀星(レコードジャケットのアートワークを担当) ファンク ディスコ・ミュージシャンの一覧 外部リンク アース・ウィンド・アンド・ファイアー - ソニーミュージック アース・ウィンド・アンド・ファイアー - ワーナーミュージック・ジャパン アメリカ合衆国の音楽グループ アメリカ合衆国のR&Bグループ ソウル・グループ ファンク グラミー賞受賞者 ケネディ・センター名誉賞受賞者 ロックの殿堂入りの人物 コロムビア・レコードのアーティスト ワーナー・ミュージック・グループのアーティスト 1969年に結成した音楽グループ サマーソニック出演者
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魚戸おさむ
魚戸 おさむ(うおと おさむ、本名:魚戸 修、1957年5月9日 - )は、日本の漫画家。北海道函館市出身。 来歴 上京後、星野之宣・村上もとかのアシスタントを経て、1985年の『わんぱっくコミック』(徳間書店)に『忍者じゃじゃ丸くん』を執筆、商業誌デビューを果たす。漫画雑誌での初連載作品は1987年に『月刊コロコロコミック』(小学館)にて開始された『熱拳カンフークラブ』。代表作にテレビドラマ化された『家栽の人』(原作:毛利甚八)、『イリヤッド-入矢堂見聞録-』(原作:東周斎雅楽)などがある。 生活クラブの組合員であり、クラブが提携する特産品を紹介するコーナーのイラストをクラブの情報誌で担当している。 「ビッグコミック」2017年1月10日号から、終末医療をテーマにした作品『はっぴーえんど』の連載を開始した。数年前から構想を練って在宅医療に携わる医師らから取材を重ねて現場を歩き、生まれ育った函館市を舞台に、「都会過ぎず、田舎過ぎない場所」として函館の街も描いている。 作品 熱拳カンフークラブ 家栽の人 (原作:毛利甚八、監修:山崎司平) イリヤッド-入矢堂見聞録-(原作:東周斎雅楽) がんばるな!!! 家康 ケントの方舟(原作:毛利甚八) ナイショのひみこさん ニコパチ堂主人 大津次郎 斗馬(原作:若林敏生) 大畸人伝: 魚戸おさむ短編集 イーハトーブ農学校の賢治先生(原作:佐藤成) 玄米せんせいの弁当箱(脚本:北原雅紀) ひよっこ料理人 はっぴーえんど(監修:大津秀一) 週刊マンガ日本史第37号『福澤諭吉』(朝日新聞出版) 食卓の向こう側 コミック編(原作:渡辺美穂、佐藤弘、西日本新聞社) がんばりょんかぁ、マサコちゃん(原作:宮崎克) 絵本 いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日(原作:内田美智子、講談社) はなちゃんのみそ汁(原作:安武信吾、千恵、はな共著、講談社) 「弁当の日」がやってきた!!(原作:竹下和男、講談社) マーガレットとジョニー スーパー恋物語 (原作:三遊亭白鳥、講談社) ゲームコミカライズ 忍者じゃじゃ丸くん いっき かんしゃく玉投げカン太郎 東海道五十三次 テラクレスタ マイティボンジャック 関連人物 村上もとか 1976年に19歳でアシスタントとして村上の元に入り7か月後に脱走同然で辞するが、2年後に再びアシスタントとして師事した。11歳の時に父を亡くしており「先生というよりも父さんみたいな感じがする」として慕っている。村上の作品である『六三四の剣』には「魚戸オサム」という名前のキャラがレギュラー出演している。 星野之宣 短期間アシスタントを務めた後、共通の担当編集者の紹介で、村上のアシスタントとなる。 花沢健吾 元アシスタント。 脚注 外部リンク ひよっこ料理人と、時々玄米せんせい - 魚戸おさむ公式ブログ ぽけまん 作者プロフィール 日本の漫画家 北海道出身の人物 1957年生 存命人物
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うたたねひろゆき
うたたね ひろゆき(1966年6月15日 - )は、日本の男性漫画家、イラストレーター、同人作家。新潟県長岡市出身。妻は同じく漫画家の蘭宮涼。宇宙作家クラブ会員。 略歴 10代の頃から漫画を投稿し始めるも、漫画家になる気はなかった。大学卒業後は就職し、友人の同人誌の手伝いをする。これがきっかけで、漫画の仕事の依頼が来るようになった。 初期は成人誌で活動していたが、作品集『COUNT DOWN』刊行後は青年誌に活動の場を移している。青年誌での作品は、『セラフィック・フェザー』や『天獄』など。デビュー以来、少女の肢体をエロティックに描く作家として評価されている。 また、人気同人サークル「UROBOROS」を主宰し、成人向け同人誌を多数執筆していることでも知られる。オタクを自認しており、掲載誌の近況コメントなども、自身の参加した同人誌即売会やフィギュアなどの話題が多い。 『コンプティーク』(角川書店)で「リスティス」を連載していた当時はわたぬきほづみのペンネームを使用していたが、『電撃王』(アスキー・メディアワークス)へ移籍した後は、うたたねひろゆき名義に統一。名義変更の際には、「わたぬきほづみ失踪」のジョーク記事が誌面に掲載された。 ペンネームの「うたたねひろゆき」「わたぬきほづみ」はそれぞれ漢字で「一二三四五」「四月一日八月一日」と書き、当初は漢字の表記を用いていた。初作品集『COUNT DOWN』の表題は「一二三四五」→「5・4・3・2・1」→「カウントダウン」の連想で付けられている。近年、目の焦点が合いにくくなる眼病を患い、ペン入れ自体が難しくなり、作品数を絞ってはいるが、その美しい筆致は健在である。 影響を受けたイラストレーターに安彦良和、いのまたむつみを挙げている。 作品リスト 漫画 闇語り =鬼哭の章=(少年サンデー大別冊) COUNT DOWN(短編集、富士美出版、成人向け作品) NEVES(サイバーコミックス掲載) トップをねらえ! アストロ兵団(コミックガンバスター2掲載) セラフィック・フェザー(原作:森本洋→武田俊也、月刊アフタヌーン、講談社、1993年 - 2008年、全11巻) 大合作(月刊アフタヌーン1997年2月号) 誘惑 エロティック・エキセントリック リスティス(コンプティーク→電撃王→月刊コミック電撃大王、1992年 - 休載中、メディアワークス、既刊2巻) 禍神風塵帖(アクションHiP→月刊コミック電撃大王) グラス・ガーデン(アフタヌーンシーズン増刊) 天獄 -HEAVEN'S PRISON-(ウルトラジャンプ、2002年 - 2015年、集英社、全12巻) PROJECT G げんしけん「同人誌」 バレット×ファング(COMIC MeDu、2019年 - 連載中、既刊1巻) アニメ 美少女戦士セーラームーンS(原画) アイドル防衛隊ハミングバード(『ザッピングdeショッキング』特典ポスター) クール・ディバイシスシリーズ(『SACRED GIRL 聖少女』原作) 誘惑COUNT DOWN(原作) 誘惑COUNT DOWN 鏡(原作) Hi・Me・Go・To(企画、原作) 新世紀エヴァンゲリオン(原画) イラスト 百星聖戦紀 TECH GIAN(創刊号表紙) クイーンズブレイド(スティックポスターコレクション) ToHeart2(向坂環スポーツタオル) 悠久の車輪 ゲーム ザ・クイーン・オブ・デュエリスト(キャラクターデザイン、イベント原画) バーチャコール(キャラクター原案) ステラアサルトSS(キャラクターデザイン、ゲーム中では使用せず) 麻雀四姉妹 若草物語(キャラクター原案)アーケードゲーム、セガサターンにも移植 エヴァと愉快な仲間たち 脱衣補完計画!(イベント原画) イノセントティアーズ(キャラクターデザイン、3Dキャラ監修) その他 エヴァンゲリオン ANIMA(キャラクターデザイン) SRカプコン リアルフィギュアコレクション(ブリス化デザイン) 脚注 関連項目 蘭宮涼 西崎まりの たつねこ 日本の漫画家一覧 日本の成人向け漫画家の一覧 日本のイラストレーター一覧 日本の漫画家 日本のイラストレーター 同人作家 新潟県出身の人物 1966年生 存命人物
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内山まもる
内山 まもる(うちやま まもる、1949年1月16日 - 2011年12月1日)は、日本の漫画家。男性。茨城県鹿島郡(現在は合併により鉾田市)出身。本名は内山守。趣味はゴルフ、釣り、オートバイ、カメラ、アウトドア。 代表作に『ザ・ウルトラマン』、『リトル巨人くん』など。 略歴 農家の長男で跡継ぎを期待されていたこともあり、漫画家になるつもりはなかった。だが、中学卒業時に自分の漫画を姉が勝手にタツノコプロへ応募したのがきっかけで採用され、2年間という約束で親に許しをもらって上京し入社する。タツノコではアニメ部門に配属され、当時の九里一平(第3代社長)のもとで作画スタッフとして2年間働く。 在籍中に『希望の友』を出版していた潮出版社から、漫画を描かないかと誘われる。当時のタツノコはアルバイト禁止だったことから迷うも、知人女性の「やるべき」との助言により、内緒でタツノコのメンバーに手伝ってもらいながら32ページを描き上げ、『希望の友』誌に発表した『チェ・ゲバラ』で1968年にデビューする。その後、小学館からの誘いで『ジャンボーグA』の連載を開始。本人はこれが漫画家としてのデビューであると語っている。 小学館からは再度誘われ、「ウルトラマンを描かないか」と言われる。タツノコのライバルである円谷プロダクションの作品だったこともあり、連載開始と同時にタツノコを退社して独立する。当時は20歳になっており、約束の2年間を過ぎたので親が連れ戻しに来たが、結局はそのまま東京に残ったという。 小学館の学年別学習雑誌などで『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンA』『ウルトラマンタロウ』『ウルトラマンレオ』などを描き、『レオ』終了後の1975年、『小学三年生』4月号から『さよならウルトラ兄弟』の連載を開始する。この作品は後年に『ザ・ウルトラマン』と改題されて『コロコロコミック』に再掲載され、第三次ウルトラブームの一翼を担うことになり、内山も一気にブレイクする。 ウルトラ漫画の連載後は「人間を描きたい」と思うようになり、1976年から『コロコロコミック』でプロ野球漫画『リトル巨人くん』の連載を開始。これも同誌のみならず『小学館の学習雑誌』でも連載され、単行本15巻を数えるヒット作となる。1979年から『リトル巨人くん』に引き続いて『コロコロコミック』にて『燃えろ!クロパン』、『週刊少年サンデー』にて『番外甲子園』、『冒険王』にて『ひょうたん』『燃えよ甲子園!鷲と鷹』といった野球漫画を連載している。 1983年頃からは『漫画アクション』に発表した野球漫画『いごっそう甲子園』などで青年誌に進出し、作家の高橋三千綱と『こんな女と暮らしてみたい』『風と剣』『おれは女が嫌いだ』『プロゴルファー』などのコンビ作を発表した。それ以後も、ゴルフ漫画などを多く連載した。 2007年から2010年まで『てれびくん』にて新作ウルトラ漫画を連載し、2009年12月12日公開の映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』には『ザ・ウルトラマン』のファンだった監督の坂本浩一の要望により、光の国の住人役としてゲスト出演した。 晩年は『デッドにピンを!』(『GOLFコミック』)や『元祖江戸前 寿し屋與兵衛』(『週刊大衆』)などを連載していた。 2011年12月1日朝、自宅にて62歳で死去した。 2021年6月22日、『ウルトラマン』シリーズ55周年、『ウルトラマンメビウス』15周年、内山の没後10年に合わせ、単行本未収録作品も収録された『完全版 ウルトラマンメビウス外伝 プラス平成ウルトラマン作品集』が刊行。 作品リスト ウルトラシリーズの漫画化作品 帰ってきたウルトラマン 『小学二年生』連載版 1971年5月号 - 1972年4月号 決戦ウルトラ兄弟対11大怪獣 『小学二年生』9月増刊号(1971年) ウルトラマンA 『小学二年生』連載版 1972年5月号 - 1973年3月号 ウルトラマンA〜ウルトラ5兄弟対ヤプール人〜 『小学二年生』9月増刊号(1972年) ウルトラマンA〜怪獣墓場の決闘〜 『小学二年生』1月増刊号(1973年) ウルトラマンタロウ 『小学二年生』連載版 1973年4月号 - 1974年3月号 『小学五年生』連載版 1973年4月号 - 1974年3月号 かがやけウルトラの星 『小学二年生』9月増刊号(1973年) 本編第25話『燃えろ! ウルトラ6兄弟』 挿画 ウルトラマンレオ 『小学二年生』連載版 1974年4月号 - 1975年3月号 『小学三年生』連載版 1974年4月号 - 1975年3月号 ザ・ウルトラマンシリーズ さよならウルトラ兄弟3部作 『小学三年生』1975年4月号 - 1976年3月号 第一部 さよならウルトラ兄弟 1975年4月号 - 8月号 第二部 たたかえ!ウルトラ戦士 1975年9月号 - 12月号 第三部 復活!ウルトラ兄弟 1976年1月号 - 3月号 ザ・ウルトラマン (若きファイタスの挑戦)『コロコロコミック』特別増刊号(1978年) 突撃!ウルトラ兄弟 『小学三年生』1978年10月号 - 同年11月号(同年『コロコロコミック』にて「ザ・ウルトラマン」のタイトルで再録) 飛べ!ウルトラ戦士 『小学三年生』1979年4月号 - 同年12月号 アンドロメロス ウルトラ戦士銀河大戦争 『小学三年生』 1981年6月号 - 1982年3月号 ウルトラマンティガ ウルトラマンティガ〜いざ鎌倉〜 『宇宙船』VOL.81(1997年) ウルトラマンメビウス ザ・ウルトラマンメビウス 「ウルトラマンメビウス」DVD同梱作品解説書(挿絵担当。2006年) ザ・ウルトラマンヒカリ 「ウルトラマンメビウス外伝 ヒカリサーガ」DVD同梱作品解説書(挿絵担当。2007年) ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟 「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟超全集」(2006年) ウルトラマンメビウス外伝 超銀河大戦 戦え!ウルトラ兄弟 『てれびくん』2007年6月号 - 2008年2月号 ウルトラマンメビウス外伝 超銀河大戦 巨大要塞を撃破せよ!! 『コロコロイチバン!』2007年14号(前編)、15号(後編) ウルトラマンメビウス外伝 アーマードダークネス ジャッカル軍団大逆襲!! 『てれびくん』 2008年3月号 - 2009年3月号(ただし、2008年10月号は休載)。 ウルトラマンメビウス外伝 ゴーストリバース ウルトラ兄弟VS暗黒大軍団 『てれびくん』 2009年4月号 - 2009年12月号 大決戦!超ウルトラ8兄弟 大決戦!超ウルトラ8兄弟 『てれびくん』 2008年10月号 大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE 大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE 『てれびくん』 2010年1月号 - 2010年3月号 戦え!ウルトラ戦士 出撃!宇宙警備隊 『てれびくん』 2010年4月号 ウルトラシリーズ以外のテレビ番組の漫画化作品 ハクション大魔王 『たのしい幼稚園』1969年-1970年 昆虫物語 みなしごハッチ 『小学二年生』1970年5月号 - 10月号、『よいこ』、『幼稚園』 ジャンボーグA 『小学二年生』1970年10月号 - 1971年3月号、1973年新年増刊号、『小学三年生』1973年2月号 - 3月号、『小学一年生』1973年12月号 アストロガンガー(原作:鈴川鉄久)『小学一年生』1972年10月号 - 1973年3月号 ミラーマン『小学二年生』1972年1月増刊号 緊急指令10-4・10-10 『小学三年生』1972年8月号 - 1973年1月号、『小学五年生』1972年8月号 - 1973年1月号、『小学六年生』1972年8月号 - 1973年1月号 笛吹童子(原作:北村寿夫)『小学五年生』1972年12月号 - 1973年6月号 熱血猿飛佐助『小学二年生』1973年1月号 - 3月号 コンドールマン(原作:川内康範)『小学二年生』1975年4月号 - 5月号、9月号 超電磁ロボ コン・バトラーV 『小学三年生』1976年4月号 - 10月号 恐竜探険隊ボーンフリー 『小学二年生』1976年11月号 - 1977年3月号 オリジナル作品 チェ・ゲバラ『希望の友』1968年(デビュー作) サブととうちゃん『小学三年生』1973年4月号 - 7月号 リトル巨人くん『コロコロコミック』、『小学二年生』1977年2月号 - 3月号、1978年2月号 - 3月号、1979年2月号 - 3月号、1980年2月号 - 3月号、1984年2月号 - 1986年3月号、『小学三年生』1977年4月号 - 1986年3月号、『小学四年生』1978年4月号 - 1978年8月号、1984年2月号 - 1986年3月号、『小学五年生』1985年4月号 - 1986年3月号 チャンスだ!ゲンちゃん『小学三年生』1976年11月号 - 1977年3月号 どんがら先生 『小学三年生』1986年4月号 - 1987年3月号 野球ムサシ『コロコロコミック』 燃えろ!クロパン『コロコロコミック』1979年9月号 - 1981年3月号 ひょうたん 『冒険王』1974年8月号 - 1979年7月号 鷲と鷹『少年KING』1983年5号 - 24号、1984年1号、2号 仮面社員ヨシツネ『週刊現代』 原作つき作品 サイボーイ(原作:工藤かずや)『コロコロコミック』 風と剣(原作:高橋三千綱)『モーニング』 番外甲子園(原作:やまさき十三)『週刊少年サンデー』 からす - トーナメントプロゴルファー(原作:いけうち誠一)『週刊漫画ゴラク』 てなもんや剛速球(原作:末田雄一郎)『週刊漫画ゴラク』 しおき華(原作:林雄介)『週刊漫画ゴラク』 プロゴルファー(原作:高橋三千綱)『Mr.ゴルフ』 新プロゴルファー(原作:高橋三千綱)『漫画アルバ』 こんな女と暮らしてみたい(原作:高橋三千綱)『コミックモーニング』 おれは女が嫌いだ(原作:高橋三千綱)『ヤングチャンピオン』 いごっそう甲子園(原作:吉田悠二郎)『漫画アクション』 牙のインハイ(原作:かわさき健)、アクションコミックス トライトライ(原作:水谷龍二)『週刊少年サンデー』1982年 幸福大通り(原作:水谷龍二)『月刊アフタヌーン』1987年 秘書マリ子 魅惑の社長秘書物語(原作:伊庭晋太郎)全2巻、1990年刊。ゴラク・コミックス、日本文芸社 元祖江戸前 寿し屋與兵衛(原作:白川晶)『週刊大衆』 鬼麿斬人剣(原作:隆慶一郎)『週刊大衆』 デッドにピンを!(原作:草薙次郎)『GOLFコミック』 シオン〜闇のソムリエ〜(原作:宮崎信二)、NICHIBUN COMICS 映画 大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE(2009年、ワーナー・ブラザース映画) - 光の国の住人 役 脚注 日本の漫画家 タツノコプロの人物 茨城県出身の人物 1949年生 2011年没
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宇野亜由美
宇野 亜由美(うの あゆみ)は、日本の漫画家。山口県萩市出身。 兄はセガ・インタラクティブの宇野薫。 経歴 1993年、『LaLa DX』(白泉社)10月10日号に掲載された「風呂上がりの情事」でデビュー。 代表作は1996年から2005年まで『LaLa』などで連載された『オコジョさん』シリーズ。この作品はアニメ化され、『しあわせソウのオコジョさん』のタイトルで2001年10月よりテレビ東京系にて放映(全51話)された。 作品リスト アジア行かされまくり リゾート行かされまくり ぼくらはみんな高血圧! オコジョさん(『しあわせソウのオコジョさん』の題でアニメ化) しあわせソウのオコジョさん(アニメ版『しあわせソウのオコジョさん』の設定を用いた漫画) 無理矢理おしかけまSHOW 向日館の人びと ぶらり裁判ボーチョー 婚圧ファイター 外部リンク 白泉社オコジョさんWeb(Internet Archive) 日本の漫画家 山口県出身の人物 存命人物
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宇野比呂士
宇野 比呂士(うの ひろし、1962年4月6日 - 2018年)は、日本の漫画家。 大分県出身。男性。故人。代表作は「キャプテンキッド」、「天空の覇者Z」。 アニメ化などがされていないことから知名度はやや低いものの、「マガジンSPECIAL」の看板作家として長年活躍するなど、高い画力と熱血感あふれるストーリー展開から、ファンの間では評価の高い作家の一人である。 経歴 九州大学の工学部に入学。専攻は電子工学であり、「天空の覇者Z」は綿密な科学的考証のもとに描かれているという。卒論のテーマは「磁界が生体に及ぼす影響について」で、アフリカツノガエルの受精卵を強力な電磁界下に置き、細胞分裂の活発な状態でどのような影響を受けるのかを研究していた。 22歳当時はマンガ家になろうとは露ほども思っておらず、研究に没頭していたという。逆算すると、そこから方向転換して、わずか1年ほどで漫画家としてデビューしている。 漫画家として 1985年、「見上げてごらん 夜の星を」でデビュー。1986年から週刊少年マガジンで連載された「名探偵Mr.カタギリ」は、短期連載ながら好評となる。 1990年よりマガジンSPECIALで連載スタートした「キャプテンキッド」が人気となり、約3年間の長期連載となる。1995年に週刊少年マガジンで連載開始された「秘石戦記ストーンバスター!」は、全4巻で打ち切りとなってしまう。 1997年よりマガジンSPECIALで連載された「天空の覇者Z」が大きな人気を得て、2002年まで長期連載される。「歴史もの」「剣術アクション」「怪異とのバトル」「超兵器同士による戦闘シーン」という空想科学冒険マンガ作品であり、宇野にとってそれまでの集大成とも言える作品であった。 2003年よりマガジンSPECIALにて「魔法戦記LUNALUNA」、2006年よりコミックボンボンにて「恐竜世紀ダイナクロア」を連載するが、いづれも短期連載で終わった。以降は、「マンガでよめる! 十五少年漂流記」などの名作の漫画化に取り込む。 死去 2018年3月26日、公式サイトの元運営者より死去したと発表された。詳細な日時は非公開で、死因は脳溢血。公式サイトの元運営者よると、亡くなる前の著者はアシスタントを使わず、独りで毎日原稿に向かっていたという。 シャーロック・ホームズ原作の 「バスカビル家の犬」 が遺作となるが、2022年現在でまだ発売されていない。脱稿済であるが、表紙を描いていなかったとのこと。次回作予定は、同じくシャーロック・ホームズの「緋色の研究」であったが、ネームの途中だったという。 作品リスト 名探偵Mr.カタギリ(原作:鐘田頌太朗 週刊少年マガジン、1986~1988、全5巻) キャプテンキッド(マガジンSPECIAL→週刊少年マガジン→マガジンSPECIAL、1990~1993、全10巻、再版全12巻) 秘石戦記ストーンバスター!(週刊少年マガジン、1994年35号~1995年16号、全4巻、ワイド版全3巻) 幕末覇王伝カオル(描き下ろし、1995、全1巻) 天空の覇者Z(マガジンSPECIAL、1997年2月号~2002年9月号、全16巻) 魔法戦記LUNALUNA(マガジンSPECIAL、2003~2004、全3巻) 恐竜世紀ダイナクロア(コミックボンボン、2006年2月号~2007年8月号、全4巻) マンガでよめる! 十五少年漂流記(原作:ジュール・ヴェルヌ、2016、全1巻) シャーロック・ホームズ 「バスカビル家の犬」 講談社 (遺作) 2023年1月現在、コミックス化はされていない。 脚注 日本の漫画家 大分県出身の人物 1962年生 2018年没
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楳図かずお
楳図 かずお(うめず かずお、本名:楳図一雄、1936年9月3日 あるいは9月25日 - )は、日本の漫画家・タレント・作詞家・作曲家。血液型はO型。初期には山路 一雄やウメヅ カズヲの名義による作品もある。 和歌山県伊都郡高野町に生まれ、奈良県五條市に育つ。1955年に貸本漫画家としてデビュー、『週刊少年サンデー』などに作品を発表。代表作に『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』など。作品は恐怖ものからSF、ギャグもの、時代劇まで、少年もの、少女もの、青年ものを問わず幅広いが、一般にはホラー漫画の第一人者として知られる。 1995年以降、腱鞘炎などといった理由で漫画は休筆中で、現在はタレント活動を精力的に行っている。東京都武蔵野市吉祥寺南町に住居兼オフィスを構える。 来歴 幼少期 1936年9月3日 あるいは9月25日、和歌山県伊都郡高野町に生まれる。本籍地は奈良県五條市だが、父方は一族全部が教員という家系であり、父・公雄も小学校教員をしていたため、幼少期は奈良県の山間部の僻村を転々とした。高野町で生まれたのは、出産の便宜のため。なお、父は囲碁が好きで囲碁大会に奈良県代表としてしばしば出場し、高島忠夫の父とは囲碁友達だった。尚、楳図家の祖先については、(かずおの)曽祖父より前の世代の親族が奈良県外から来たらしいということしか分かっていない。 3歳から6歳までは奈良県宇陀郡曽爾村で過ごし、父から地元の伝説や民話を聞かされて育つ。6歳からは五條市に住し、東京に出る27歳(1963年)までそこで過ごす。ちなみに、五條市に隣接する和歌山県橋本市は、楳図青年の散歩コースでもあり、橋本市の広報誌に4コママンガ『オテンバ日記』を載せたり(1956年)、橋本駅前に『まことちゃん』の像が建てられたり(2002年)と、縁がある。 1947年、小学5年生の時、手塚治虫の『新宝島』を読み、漫画家になることを決意する。初めは手塚を模倣して描いていたが、プロを意識しはじめた中学生時代に手塚調を廃し、初山滋や武井武雄など童画家の影響による作風で漫画を描きはじめ、神戸の「改漫クラブ」、青森の「少年少女漫画ルーム」など複数の同人サークルで積極的に活動する。中学時代は『漫画少年』にたびたび投稿していたがなかなか採用されず、往復マンガが一度載ったのを最後に同誌への投稿をやめ、『譚海』や『漫画と読物』などに作品を発表していた。奈良県立五條高等学校在学中は音楽と美術以外に好きな学科は全くなく、授業中には漫画を描いていた。 プロ漫画家として 1955年、五條高校卒業。親の言いつけで奈良学芸大学(現・奈良教育大学)を受験したが失敗。同年、『森の兄妹』(6月刊。山路一雄名義)、『別世界』(9月刊。共にトモブック社)でプロデビュー。前者は「改漫クラブ」の文通相手だった水谷武子との共作で『ヘンゼルとグレーテル』の漫画化、後者は太古の地球に舞台を取った壮大な叙事詩的SF作品。以後、貸本漫画を多く発表し人気作家となる。 1961年、貸本短編誌『虹』29号に発表した「口が耳までさける時」において「恐怖マンガ」という言葉を作った。1963年8月、同じ大阪貸本漫画家の先輩である佐藤まさあきに誘われて上京。池袋にある佐藤の事務所に居候として3年間住む。以後、目白、高田馬場を経て、吉祥寺(現在)に住す。このころ本格的に俳優を志し、年齢を下に詐称して劇団ひまわりの青年部に入り、『兵隊やくざ』(大映、1965年)や太田博之の映画やNHKの朝の連続ドラマに出演したこともあるが、劇団の上層部の人間から宗教への入信を勧められたのに嫌気が差して退団した。また、当時俳優志望だった久保新二と同居して毎晩ひとつの布団で寝ていたこともある。ただし久保によると「といっても、乳くり合ってたワケじゃないぞ。オレはもちろん、その頃からナヨナヨして奇抜な服着てた楳図もホモじゃねえから」という。 1966年、講談社の少女漫画誌『週刊少女フレンド』に連載した「ねこ目の少女」「」等がヒットし、恐怖マンガ家として全国的に知られるようになる。この後、『週刊少年マガジン』(講談社)、『週刊少年キング』(少年画報社)等などでは少年向けのSF作品、「猫目小僧」など恐怖ものを連載。最も多忙な時期で月刊誌・週刊誌あわせて5本の連載作品を持っていた。 1971年、主たる作品発表の場を、『週刊少年サンデー』(小学館)にしぼる。1975年、『漂流教室』ほか一連の作品で第20回小学館漫画賞受賞。同年、自作自演のLP『闇のアルバム』(CBSソニー)を発表。また、この後、ギャグ作品「まことちゃん」の連載とあいまって、バンド活動を展開する。作詞家として、郷ひろみや近田春夫の楽曲の作詞を手がけたこともある。 1982年、「わたしは真悟」を小学館『ビッグコミックスピリッツ』に連載開始。これに伴い、主たる作品発表の場を同誌に移す。 休筆 1995年に完結した『14歳』以後、漫画は休筆中。理由には、長年の執筆による腱鞘炎が悪化したことの他、「14歳」連載時、小学館の新任編集者にゲンコツの絵を持って来られ、「手はこう描くんですよ」と言われるなど精神的に憔悴したことが挙げられる。小学館との関係は、その後、かつてスピリッツでの担当編集者であった江上英樹が編集長である『月刊IKKI』等が代表作を復刻刊行する等にとどまっている。 休筆以降、現在まで、テレビ・雑誌等で活発なタレント活動を行っており、その明るくサービス精神にあふれたキャラクターを元気一杯に披露している。20代前半の頃より好んで着ている赤白のボーダー柄の服がトレードマークである。2005年の映画『楳図かずお恐怖劇場』シリーズの公開に伴い、絶版作品の復刻もあいまって、若い女性ファンを中心に現在もファンを増やし続けている。 休筆以降、映画監督としての活躍 2014年9月17日公開の長編ホラー映画「マザー」は、楳図初の監督作品となる。脚本も楳図で出演もしている。自叙伝の出版が決まった楳図と編集者の周辺に怪奇現象が続出するが、亡き母の怨念がそこにあったことを知るというストーリーで、片岡愛之助が楳図を演じる。母親役の真行寺君枝、編集者役に舞羽美海なども出演。 映画の完成披露会見では、前年の2013年に転倒して頭部を打ったことから慢性硬膜下血腫で8月と9月の2回にわたり手術を受け、右頭部で190cc、左頭部で250ccの血を抜き、その直後に撮影をしたことなどを明らかにした。 2018年1月、「わたしは真悟」が、フランス・アングレームで開催された「第45回アングレーム国際漫画フェスティバル」にて遺産部門(LA SELECTION patrimoine)に選ばれた。 2019年、文化庁長官表彰。 2021年8月、公式サイトにて、1995年の『14歳』以来26年ぶりとなる新作漫画を発表することを告知。 2022年1月から楳図かずお大美術展を開催。 2023年、第27回手塚治虫文化賞特別賞を受賞。 影響 クリエーターや芸能人にも数多くの信奉者、フォロワーが存在する。 推理小説作家の綾辻行人は楳図を「神」と称して尊敬し、『わたしは真悟』は1頁目から泣いて読むと言う。漫画家の山咲トオルやタレントの中川翔子など、そのイラストにおいて楳図の作風に影響を受けたものが多数ある。また、漫画家児嶋都は楳図タッチでのギャグ・ホラー漫画を描いている。 中川翔子は楳図の漫画を読んでいた父中川勝彦から薦められて幼少期から楳図の漫画を読んでおり、思春期には楳図の絵を写経のように模写していた。芸名の「翔」の字は漂流教室の主人公「高松翔」から取られた。デビュー当時には「楳図タッチの絵を描く謎のアイドル」と紹介されたこともある。 映画監督の塚本晋也は"人生最高の本"の一冊に楳図の『漂流教室』を挙げている。『わたしは真悟』は塚本の『鉄男』に影響を与えているという。 シンガーソングライターのルルティアは2005年公開の映画『楳図かずお恐怖劇場』の音楽を担当し、そのサウンドトラックアルバム『楳図かずお恐怖劇場 ルルティア・トラックス』を発表した。同じくシンガーソングライターの柴田淳も2008年公開の映画『おろち』の主題歌「愛をする人」を担当した。 特殊漫画家の山野一は「あっち側まで突き抜けちゃった人しか知りえない世界や収拾不可能とも思えるモチーフを、みごとに構成構築し、説得力ある完成度の高い作品に仕上げている。そんなお方が時には、マーク・ボランばりのパンタロンスーツで『まことちゃん』を描いたりもするのだから、もうほとんど人間の域を越えている」として「天才とキチガイは紙一重」という言葉が最も相応しい作家と評した。また山野は「身も心もボロボロになって、ようやく最後のページを閉じたとき、聡明な少女は気付くだろう。その作品がかくも自分を魅きつけたのは、その世界が実はずっと昔から自分の中にあり、自覚されずにいたものだからということを」とも語っている。 コメディ・ギャグ要素を含む漫画やアニメにおいて、恐怖に戦慄する登場人物の表情が、突然その作品本来の絵柄から逸脱して楳図調のタッチになってしまうというパロディは非常に広範に用いられ、また漫画そのものがネタにされることもあり、『ドラえもん』の『主役はめこみ機』のエピソードではまことちゃんの顔が野比のび太に変わるという設定が使われた。 エピソード 徹底的なオリジナル追求志向であり、他作品から影響を受けることを恐れて漫画や映画、アニメ、小説などには一切触れないという。また、オリジナリティをものにするには、まだ誰も手を付けていない未知の分野を積極的に開拓する姿勢が大切であるとも述べている。 映画「漂流教室」(大林宣彦監督)は、テーマやストーリーが大きく改変され、苦言を呈した。 アメリカの文化にも大きな影響を受けている。エルヴィス・プレスリー(音楽活動)、マリリン・モンロー(わたしは真悟)アメリカ(14歳) など。 赤と白のボーダーシャツ(ロヂャースにて購入)を好む。また赤と白のボーダーラインが自分のラッキーカラーであると語っている。なぜ赤と白のボーダーラインが好きかについては、海賊の着ている服のイメージからだと答えており、そのイメージの源泉は子供の頃に読んだ手塚治虫の『新宝島』から得たと答えている。また漫画家の他になりたい職業は?という問いにも「やっぱり海賊」と答えた。 2007年に吉祥寺の自宅(まことちゃんハウス)を改築した際、外壁に赤と白のボーダーラインを入れた点について、近隣住民2人から「景観を損ねる」として建設差し止め仮処分申請に発展したが、東京地裁は10月12日に住民側の請求を却下。その後、原告側から塗装中止を求める訴訟も起こされたが、建物が完成したことに伴い、外壁を撤去するまで毎月10万円の損害賠償を請求する訴訟に変更されたものの、東京地裁は2009年1月28日に「周囲の目を引くが、景観の調和を乱すとまでは認められない」として請求を棄却した。 なお「まことちゃんハウス」の室内は壁の色が部屋により変えられており、緑の玄関ホール、白のリビング、黄色の寝室、青の書庫、赤の屋根裏部屋などがある。別荘にも赤と白のボーダーラインを入れている。また、吉祥寺以前に居住していた高尾の家の外壁は真黄色であった。 閉所恐怖症気味で、生来の自動車嫌いである(それゆえに一度も自動車免許を取得していない)。電車は利用するが、ほとんど徒歩で都内を移動する。 7つ年下の弟である、楳図良雄は広告代理店大広の社員で、担当したアニメ「アンデス少年ペペロの冒険」の主題歌の作詞を兄に頼んでいる。 受賞歴 1974年 - 第20回小学館漫画賞(『漂流教室』ほか一連の作品) 2018年 - 第45回アングレーム国際漫画祭 遺産賞(Je suis Shingo『わたしは真悟』仏訳) 2019年 - 文化庁長官表彰 2020年 - ミケルッツィ賞 最優秀クラシック作品賞(Io sono Shingo『わたしは真悟』伊訳) 2023年 - 第27回手塚治虫文化賞特別賞 主要作品 連載作品 ロマンスの薬(原題:ロマンスの薬あげます!!) - 『なかよし』(1962年) 紅グモ - 『週刊少女フレンド』(1965年47号 - 1966年10号) シリーズこわい本<13>に収録。 半魚人 - 『週刊少年マガジン』(1965年48号 - 53号) シリーズこわい本<15>に収録。 ひびわれ人間 - 『週刊少年マガジン』(1966年06号 - 12号) へび少女 - 『週刊少女フレンド』(1966年11号 - 25号) ウルトラマン - 『少年マガジン』(1966年 - 1967年) 赤んぼ少女 - 『週刊少女フレンド』(1967年30号 - 39号) のちに『のろいの館』『赤んぼう少女』とも改題される。 SF異色短編集 - 『ビッグコミック』(1968年 - 1969年) 映(かげ)像 - 『ティーンルック』(1968年) 後に『谷間のユリ』 と共にシリーズこわい本<1>に収録。 蝶の墓 - 『ティーンルック』(1968年) 猫目小僧 - 『少年画報』など(1968年 - 1976年) おそれ - 『ティーンルック』(1969年) 死者の行進 おろち - 『週刊少年サンデー』(1969年25号 - 1970年35号) イアラ - 『ビッグコミック』(1970年1月10日号 - 9月25日号) アゲイン - 『週刊少年サンデー』(1970年43号 - 1972年5号) 怪獣ギョー - 『週刊少年サンデー』(1971年36号 - 37号) 漂流教室 - 『週刊少年サンデー』(1972年23号 - 1974年27号) 洗礼 - 『少女コミック』(1974年 - 1976年) まことちゃん - 『週刊少年サンデー』(1976年16号 - 1981年30号) わたしは真悟 - 『ビッグコミックスピリッツ』(1982年8号 - 1986年27号) 楳図かずおの呪い - (1986年) 神の左手悪魔の右手 - 『ビッグコミックスピリッツ』(1986年31号 - 1988年32号) 14歳 - 『ビッグコミックスピリッツ』(1990年4・5合併号 - 1995年37号) ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館 - 『芸術新潮』(2022年2月号) 読み切り 愛の方程式 - 『高2時代』(1973年) ねがい - 『週刊少年サンデー』(1975年16号) 男神 - 朝日ソノラマ『DUO』(創刊号) 本人歌唱作品 シングル ビチグソロック(1977年、「まことちゃん」B面曲) グワシ!!まことちゃん/ギャングの母(1977年、「KAZZ(楳図の変名)、フィーリング・フリー」名義) サンバ・デ・まことちゃん/パパ&ママROCK(1980年、「楳図かずお&スーパー・ポリス」名義) 木村の兄さん(1996年、UMEZZ名義) あしゅらの道のまん中で/猫目小僧(2006年5月23日、映画『猫目小僧』主題歌。「浅草ジンタ with 楳図かずお」名義) まことちゃん音頭(2010年12月22日) 新宿烏(2011年7月27日、映画『おろち』劇中歌のセルフカバー) アルバム 闇のアルバム(1975年7月21日、SOLL-152) 闇のアルバム(2005年6月29日、ソニー・ミュージック MHCL-542) 1975年発売の『闇のアルバム』に未発表音源を追加してCD化。 闇のアルバム・2(2011年8月31日) その他 むかしトイレがこわかった!(作曲も楳図が担当。NHKみんなのうたで2000年8月-9月に放送された。同年11月18日発売のオムニバスアルバム『NHKみんなのうた/小さな手紙』収録) 作詞提供作品 朝倉理恵、エコノミック・アニマルズ つる姫じゃ〜っ!(作曲も楳図が担当。(漫画『つる姫じゃ〜っ!』イメージソング) 内田あかり ねどこ 郷ひろみ 寒い夜明け 南の果実 近田春夫 ああ、レディハリケーン エレクトリック・ラブ・ストーリー 谷村美月 新宿烏(映画『おろち』劇中歌) 野下まこと まことちゃん(漫画『まことちゃん』イメージソング) 堀江美都子 風よつたえて(アニメ『アンデス少年ペペロの冒険』エンディングテーマ) 猫目小僧(作曲も楳図が担当。アニメ『妖怪伝 猫目小僧』オープニングテーマ) ペペロの冒険(アニメ『アンデス少年ペペロの冒険』オープニングテーマ) 見ろよ! この目を(アニメ『妖怪伝 猫目小僧』エンディングテーマ) 作品の映像化 アニメ化作品 まことちゃん おろち(漫画ビデオ) 楳図かずおの呪い 第1話「ビデオカメラに何が映ったか?」 第2話「幽霊屋敷」 映画化作品 蛇娘と白髪魔(1968年、監督:湯浅憲明) 映画まことちゃん (1980年、監督:芝山努) 漂流教室 (1987年、監督:大林宣彦) 漂流教室 DRIFTING SCHOOL (1995年、監督:J・J・ミムラ) 洗礼 (1996年、監督:吉原健一) 楳図かずお恐怖劇場(2005年) 楳図かずお恐怖劇場「まだらの少女」 (監督:井口昇) 楳図かずお恐怖劇場「ねがい」 (監督:清水厚) 楳図かずお恐怖劇場「蟲たちの家」 (監督:黒沢清) 楳図かずお恐怖劇場「絶食」 (監督:伊藤匡史) 楳図かずお恐怖劇場「プレゼント」 (監督:山口雄大) 楳図かずお恐怖劇場「DEATH MAKE」 (監督:太一) 猫目小僧 (2006年、監督:井口昇) あしゅらの道のまん中で (2006年、歌:浅草ジンタ with 楳図かずお、監督:楳図かずお)PV 神の左手 悪魔の右手 (2006年、監督:金子修介) - コンビニの客役で本人登場 おろち (2008年、監督:鶴田法男) 赤んぼ少女 (2008、監督:山口雄大) 監督映画作品 「マザー」 (2014年9月27日、監督・脚本:楳図かずお)- 初の監督作品。 テレビドラマ化作品 ロング・ラブレター〜漂流教室〜(フジテレビジョン、2001年)(原作 『漂流教室』) 妖怪伝 猫目小僧 怪談整形美女(原作『黒いねこ面』) 雪花魔人形(原作『おろち』姉妹) オリジナルビデオ作品 楳図かずおのギャル10アイランド(脚本、監督、主演)-メーカー ボックスランド うばわれた心臓(1985年、監督:早川光 日本初のオリジナルビデオ作品)原作は高校生シリーズ「恐怖」の1エピソード。 舞台化作品 わたしは真悟(2004年、劇団アロッタファジャイナ、監修:那須博之、脚本・演出:松枝佳紀、出演:上野未来(真鈴役)) 出演 映画 兵隊やくざ(1965年、監督:増村保造) 蛇娘と白髪魔(1968年、監督:湯浅憲明)- タクシー運転手 役 喜談南海變化玉(1978年、監督:長嶺高文) 妖怪天国(1986年、監督:手塚眞) 漂流教室(1987年、監督:大林宣彦) 東京ゾンビ(2005年、監督:佐藤佐吉) 真夜中の弥次さん喜多さん(2005年、監督:宮藤官九郎) 神の左手 悪魔の右手(2006年、監督:金子修介) グーグーだって猫である(2008年、監督:犬童一心) グワシ!楳図かずおです(2009年) ドラマ 総務省製作の選挙啓発ドラマ「希望の党☆」(金子修介監督)に特別出演 月曜ドラマランド版「悪魔くん」に水木しげるへの友情出演 月曜ドラマランド「うっかり夫人ちゃっかり夫人」 火曜サスペンス劇場「真夜中の白い少女 呪われた女学院の惨劇!」 世にも奇妙な物語 25周年記念スペシャル・春~人気漫画家共演編~ 「蟲たちの家」 ドラマ24「東京センチメンタル」第6話 「吉祥寺だけが住みたい街ですか?」第10話 ラジオ 青春大通り(1979年 - 1980年、文化放送)金曜パーソナリティ CM 関電工「関電工が足りない(コロンブスLAN編)」(2002年)- 渡辺哲との共演 大塚製薬「オロナミンC」(2006年)- 上戸彩との共演 Google「Android:みんなのand」(2014年) 他 舞台「マダム鶴子の優雅な正月」(1984年1月1日-2日 本多劇場) 開運!なんでも鑑定団(テレビ東京) 2000年4月11日 - まことちゃんファンの太田裕美が楳図からもらった感謝状を鑑定に出す。 2001年3月20日 - 北原照久らと出張鑑定を行う。 出没!アド街ック天国「高尾山」(2002年5月4日 テレビ東京) - 当時住んでいた家も紹介。 課外授業 ようこそ先輩「“恐怖”は心の安全装置 楳図かずお」(2002年9月8日 NHK)- 小学生を相手に特別授業(夜の学校で肝試し)を行った。 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(日本テレビ) 絶対に笑ってはいけない病院24時(2007年12月31日 - 2008年1月1日) クイズ楳図かずおの500のコト(2008年2月3日) 絶対に笑ってはいけない新聞社24時(2008年12月31日 - 2009年1月1日)※2009年1月18日の未公開シーンに出演 絶対に笑ってはいけないホテルマン24時(2009年12月31日 - 2010年1月1日) 絶対に笑ってはいけないスパイ24時(2010年12月31日 - 2011年1月1日) 絶対に笑ってはいけない空港24時(2011年12月31日 - 2012年1月1日) 絶対に笑ってはいけない熱血教師24時(2012年12月31日 - 2013年1月1日)※2013年1月8日の未公開SPで出演 GyaO「溜池Now」溜池会会員No.006 くにまるワイド ごぜんさま〜 邦流 ゲスト(2009年7月6日 - 10日 文化放送) 趣味悠々「楳図かずおの今からでも描ける!4コマ漫画入門」(2009年11月5日 - 12月24日 NHK教育) クイズ☆タレント名鑑(TBS) - マイケル・ジャクソン「スリラー」ミュージック・ビデオの完全コピー企画 SWITCHインタビュー 達人達「楳図かずお×稲川淳二」(2014年9月6日 NHK教育) 人生クイズ 冠婚葬祭(テレビ朝日)コーナー担当 ほか多数 美術展 楳図かずお大美術展(2022年1月28日 - 3月25日、東京シティビュー TOKYO CITY VIEW(六本木ヒルズ)、9月17日 - 11月20日、あべのハルカス美術館) アシスタント 高木一夫 浅原一義 菅井こうじ 高橋のぼる ロビン西 高橋留美子 脚注 注釈 出典 関連項目 岡田晟 ひばり書房 外部リンク 楳図かずおオフィシャルホームページ 楳図かずお大美術展 楳図かずおニュース - 情報Twitterアカウント 楳図かずお『別世界』における楽譜のアナリーゼ - 金沢音楽制作 「へび女」と手塚治虫に魅せられて 楳図かずおを育んだ故郷(第1回)、(朝日新聞デジタル,2022年10月22日掲載記事) 「恐怖漫画で天下をとる」 楳図かずお、俳優にも挑戦した若手時代(第2回)、(朝日新聞デジタル、2022年10月23日掲載記事) 髪形モデルはあの皇族 楳図かずお語る「まことちゃん」「漂流教室」(第3回)、(朝日新聞デジタル、2022年10月24日掲載) 楳図かずおさん、デビュー前に描いた自身の肉筆作品の寄贈受ける…「芸術的で僕自身びっくり」(読売新聞2023年6月10日掲載記事) 楳図かずお×酒井順子「恐怖マンガの始祖に聞く 新しい作品を生み出す原動力は」(婦人公論 2023年7月17日) <前編> <後編> 日本の漫画家 ホラーに関連する人物 SF漫画家 日本のソングライター 日本のタレント ビクターエンタテインメントのアーティスト みうらじゅん賞受賞者 和歌山県出身の人物 奈良県出身の人物 1936年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%82%8B%E3%81%97%E5%8E%9F%E6%99%BA%E5%BF%97
うるし原智志
うるし原 智志(うるしはら さとし、1966年2月9日 - )は、広島県出身の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、漫画家。オフィス・アースワーク所属。本名は漆原 智志(読みは同じ)。 経歴・人物 1983年、広島県立宮島工業高等学校3年在学中によしもときんじと出会い、意気投合。その後、角川映画のアニメ『少年ケニヤ』のアニメーター一般公募に応募して合格。劇中のサイとカバの格闘シーンの一部を描く。 1984年、高校卒業後に『少年ケニヤ』の制作を担当していた東映動画へ入社。動画経験を積んだ後、日米合作作品のTVアニメ『トランスフォーマー』で原画に昇格。 1985年、東映動画を退社後にフリーランスとなった以降はOVA作品を中心に活躍。『メガゾーン23 PART II 秘密く・だ・さ・い』の原画でAICのプロデューサーの三浦亨に注目され、アダルトアニメ『ホワイトシャドウ』でキャラクターデザイン・作画監督を務めた。 1989年、ヒロイック・ファンタジーに材を取った『極黒の翼バルキサス』でキャラクターデザイン・作画監督を務め、監督のよしもとと協力。よしもととは以降もコンビを組み、『プラスチックリトル』『校内写生2』などで共に活躍することとなる。特に、原作・キャラクターデザイン・作画監督・演出として参加した『プラスチックリトル』の入浴シーンでは、並々ならぬ乳揺れへの執着を見せた。 1990年、よしもときんじや桜美勝志らとオフィス・アースワークを設立、現在に至る。 女性キャラクターのヌード、特に大きく形の良い乳房や、乳首と乳輪の写実的なディテール(皺やモントゴメリー腺など)を描くことを得意とし、自身も女性のイラストを手がけることが好きと公言する。また、ヌードイラストを描く際には陰毛を濃密に描写することが多い。 主な作品 それぞれの作品でのクレジット表記や、アースワーク公式サイトで公表していた一覧より記述。 テレビアニメ 鉄腕アント(動画) ダンジョン&ドラゴン(動画・原画) マペットベイビー(動画・原画) 地上最強のエキスパートチーム G.I.ジョー(原画) 戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー(原画・作画監督) うる星やつら(原画) 星銃士ビスマルク(原画) ついでにとんちんかん(オープニングアニメーション原画) 愛の若草物語(原画) 北斗の拳(原画) 魁!!男塾(原画) 宇宙船サジタリウス(原画) ふしぎ星の☆ふたご姫(第30話:原画) 鴉天狗カブト(メインキャラクターデザイン・第1話作画監督) ラブひな クリスマススペシャル 〜サイレント・イヴ〜(原画) Fate/stay night(第16話:原画) ゼロの使い魔(第1話:原画) ゴーストハント(第9話:原画) 一騎当千 Dragon Destiny(エンディングアニメーション作画監督) げんしけん2(オープニングアニメーション作画監督・原画) とある魔術の禁書目録(オープニングアニメーション原画) クイーンズブレイドシリーズ クイーンズブレイド 流浪の戦士(第2話:絵コンテ) クイーンズブレイド 玉座を継ぐ者(エンディングアニメーション作画監督) 神のみぞ知るセカイII(第11話:予告イラスト) 機巧少女は傷つかない(エンディングアニメーション特技作画監督) モモキュンソード(オープニングアニメーション原画) レーカン!(オープニングアニメーション原画) sin 七つの大罪(絵コンテ、原画) じょしおちっ!〜2階から女の子が…降ってきた!?〜(キャラクターデザイン) 劇場アニメ トランスフォーマー ザ・ムービー(パイロット版の一部メカニックデザイン・原画) 劇場版聖闘士星矢シリーズ 聖闘士星矢 神々の熱き戦い(原画) 聖闘士星矢 真紅の少年伝説(原画) AKIRA(原画) ファイブスター物語(作画監督補) 三国志 第二部・長江燃ゆ!(原画) 一般OVA ガルフォース(原画) ウォナビーズ(原画) 湘南爆走族シリーズ 湘南爆走族II 1/5 LONELY NIGHT(原画) 湘南爆走族III 10オンスの絆(原画) 湘南爆走族4 ハリケーン・ライダーズ(原画) 真魔神伝 バトルロイヤルハイスクール(作画監督補・原画) Good Morning アルテア(レイアウト) ハイスクールAGENT(原画) 竜世紀 神章A.D 1990 璃子(原画) トップをねらえ!(第2話:作画監督補) クライング フリーマンシリーズ クライング フリーマン3 比翼連理(キャラクターデザイン・作画監督) クライング フリーマン4 雄首冬獄(キャラクターデザイン・作画監督) 極黒の翼バルキサス(企画・原案・絵コンテ・演出・キャラクターデザイン・作画監督・原画・動画) メガゾーン23 PART II(原画) 孔雀王2 幻影城(作画監督補・原画) ライディングビーン(メカニック設定) クレオパトラD.C.シリーズ クレオパトラD.C. アポロンの雷(作画監督補) クレオパトラD.C. パンドラの匣(原画) ロードス島戦記(第1話:原画、第5話:作画監督) 冥王計画ゼオライマー(PROJECT III:原画) バブルガムクライシスシリーズ バブルガムクライシス PART6 RED EYES(原画) バブルガムクライシス PART7 DOUBLE VISION(ゲストキャラクターデザイン・総作画監督) プラスチックリトル(原作・演出・キャラクターデザイン・作画監督・原画) 超時空世紀オーガス02(原画) クイーンズブレイド グリムワール(キャラクターデザイン・作画監督)※登場人物キューエルについてのみ担当 18禁OVA 超能力少女バラバンバ(パッケージイラスト・メカニックデザイン・原画) フルーツバージョン(原画) くりいむレモンシリーズ ホワイトシャドウ(キャラクターデザイン・作画監督・原画) 亜美・それから(友情作画監督) 校内写生2(第1話:演出・キャラクターデザイン・作画監督・原画、第4話:キャラクターデザイン・作画監督・原画) 淫獣学園 La☆BlueGirl(絵コンテ) フロントイノセント(原作・監督・脚本・絵コンテ・キャラクターデザイン・作画監督) 一般ゲーム ラングリッサーシリーズ(キャラクターデザイン・原画) グローランサーシリーズ(絵コンテ・キャラクターデザイン・作画監督・原画) 重装機兵ヴァルケン(キャラクターデザイン) アマランスシリーズ アマランスII(パッケージイラスト) アマランスIII(パッケージイラスト) 18禁PCゲーム 秘密の花園(キャラクターデザイン・原画・作画監督) アーケードゲーム ロードブラスター(原画 データイースト) 麻雀ANGEL KISS(ジャレコ) のちにセガサターンにも移植され、「麻雀天使エンジェルリップス」として発売された。 漫画 コミックス レジェンド・オブ・レムネア(原案:よしもときんじ、『極黒の翼バルキサス』のコミカライズ)全3巻/愛蔵版全2巻 キラリティー(月刊コミックNORA連載)全3巻/愛蔵版全2巻 ラグナロックシティ(月刊コミックNORA連載)全1巻 プラスチックリトル(月刊コミックNORA連載)全1巻/オールカラー完全版全1巻 VAMPIRE MASTER ダーククリムゾン(原案協力:高瀬美恵、月刊マガジンZ連載、未完)全3巻/愛蔵版全4巻 悠久黙示録エイドロンシャドー(原案:よしもときんじ、月刊コミック電撃大王、未完)全2巻 未単行本化作品 SHADOW ANGEL 愛する人へ…(作画:木村義浩、コミック桃姫連載) 凌辱の刻(『愛する人へ…』のリメイク、『木村義浩withうるし原智志』名義、COMIC TENMA連載) 御譜の剣(プチマガジンcomic モエマックスJr.連載) 他、読み切り作品多数 画集 SATOSHI URUSHIHARA CELL WORKS(1994年4月、ムービック、ISBN 4896010868) VENUS(1997年11月、学習研究社、ISBN 4-05-601681-X) レジェンド・オブ・ラングリッサー(1998年8月、学習研究社、ISBN 405601955X) LOVE(裸舞)(2003年4月、学習研究社、ISBN 4056031223) U:COLLECTION(2003年12月、講談社、ISBN 4063645339) Φ(2005年4月2日、学習研究社、ISBN 4056039615) ビジュアルワークス 〜フロントイノセントvol.1より〜(2005年10月3日、エンターブレイン、ISBN 4757724969) Σ(2006年6月30日、学習研究社、ISBN 4056044856) 麗裸(2009年11月30日、学研パブリッシング、ISBN 4056056706) グローランサー アートワークス(2010年6月28日、一迅社、ISBN 4758011729) 姦 ―KAN―(2012年1月30日初版発行、茜新社、ISBN 978-4-86349-263-9) 嬲 ―NABURU―(2016年9月10日初版発行、茜新社、ISBN 978-4-86349-574-6) うるし原智志マガジン U-LOVERS vol.1(2011年6月9日、学研パブリッシング、ISBN 4056060975) U-LOVERS vol.2(2013年10月3日、学研パブリッシング、ISBN 405606721X) 挿絵 クリスタニアシリーズ お嬢様×戦車(2009年4月、美少女文庫、著者:森野一角、表紙イラストと中綴ピンナップのみ担当) クリスティナ戦記 奉仕の姫騎士と国境の商人(2015年9月、美少女文庫、著者:わかつきひかる) 監獄城の囚人姫(2016年2月、美少女文庫、著者:わかつきひかる) 僕の小さなエルフ義母(2018年5月、美少女文庫、著者:わかつきひかる) その他 ゲームボーイ (ゲーム雑誌) (表紙絵)1989年-1991年 COMIC TENMA (表紙絵、ピンナップ)2002年7月号-2005年8月号、2005年12月号、2006年3月号-2016年5月号 コミックヴァルキリー (ピンナップ/隔月刊)2008年1、3、9、11月号、2009年5月号-2012年11月号 月刊ヤングキング (ピンナップ/隔月掲載)2008年4月号、2010年6月号-2012年2月号、2012年6月号-2013年2月号 comic モエマックスJr. (表紙絵/不定期刊行)2009年6月号-2011年9月号 二次元ドリームマガジン (ピンナップ/隔月刊)2009年10月号、2012年2月号、2013年2-8、12月号、2014年4月号-継続中 脚注 アシスタント 草野紅壱 政一九 かとうひでお 関連項目 広島県出身の人物一覧 日本の漫画家一覧 外部リンク EARTHWORK Official Web Page うるしのウルルン停滞記 日本の男性アニメーター アニメのキャラクターデザイナー 日本の漫画家 広島県出身の人物 1966年生 存命人物
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漆原友紀
漆原 友紀(うるしばら ゆき、1974年1月23日 - )は、日本の漫画家。山口県出身。女性。別のペンネームに、志摩 冬青(しま そよご)がある。 来歴 『ぶ〜け』(集英社)に吉山友紀名義で投稿を始め、後に志摩冬青名義で『ファンロード』(ラポート)にて活動。大学中退後、漆原友紀名義の投稿作『蟲師』(単行本では『瞼の光』に改題)が1998年、アフタヌーン四季賞の四季大賞を受賞し、商業誌デビュー。『蟲師』は2005年にアニメ化された。その後は『アフタヌーンシーズン増刊』や『月刊アフタヌーン』(共に講談社)などで活動。 ノスタルジックでどこか切ない世界と、そこを舞台に不可思議なことをあくまで日常的に繊細に描く叙情的な作風を特徴とする。 作中では蟲を含め昆虫全般も描かれているが作者本人はゴキブリが大の苦手。 代表作に、デビュー作が連載化された、妖怪に似た不思議な生命体「蟲」(むし)とそれを知る専門家「蟲師」を描いた『蟲師』がある。2007年3月24日には監督大友克洋・主演オダギリジョーによる実写映画版が公開。 年表 1998年 - アフタヌーン1998年冬のコンテスト四季大賞を受賞(『蟲師』)。 2003年 - 文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞(『蟲師』)。 2006年 - 第30回講談社漫画賞一般部門を受賞(『蟲師』)。 作品リスト 志摩冬青 名義 バイオ・ルミネッセンス(短編集。1997年、ラポート) 化石の家 雪の冠 小景雑帳 草雲雀 虫師 Mar・man(雑誌未発表) 漆原友紀 名義 蟲師(1999年、『アフタヌーン』。単行本では『瞼の光』へ改題) - 四季大賞受賞作。 蟲師(1999年 - 2002年、『アフタヌーンシーズン増刊』。2002年 - 2008年、『アフタヌーン』)-上記作品の連載化。 フィラメント―漆原友紀作品集(短編集。2004年、講談社アフタヌーンKC)前出の「バイオ・ルミネッセンス」から「草雲雀」以外のすべての作品を収録し、更に以下の2作が収められている。 岬でバスを降りたひと 迷宮猫 水域(2009年 - 2010年、『アフタヌーン』) 猫が西向きゃ(2018年 - 2020年、『アフタヌーン』) 画集 『蟲師』二十景 漆原友紀画集 〜蟲襖〜 蟲師 画集 出典 外部リンク アフタヌーン公式Web 日本の漫画家 山口県出身の人物 1974年生 存命人物
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永福一成
永福 一成(えいふく いっせい、1965年1月1日 - )は、日本の漫画家、僧侶。東京都出身。 代表作に『チャイルド★プラネット』など。 略歴 和光大学文学部芸術学科卒、東京仏教学院修了。大学時代は漫画研究会に所属しており、卒業後に後輩であった松本大洋の『STRAIGHT』でアシスタントを務める。 1991年、第24回ちばてつや賞優秀新人賞受賞作「カラード・ブルー」でデビュー。実家は浄土真宗本願寺派永福寺。諸星大二郎のファン。『竹光侍』では初の原作を担当している。 作品リスト 漫画作品 カラード・ブルー(1991年 - xxxx年、ヤングマガジン海賊版、講談社、全2巻) ライトニング・ブリゲイド(1993年 - 1995年、ヤングマガジン海賊版、講談社、全3巻) チャイルド★プラネット(原案:竹熊健太郎、1995年 - 1997年、週刊ヤングサンデー、小学館、全7巻) OUT-SIDER(1997年 - 1998年、週刊ヤングサンデー、小学館、全4巻) 鉄騎馬 メタル・ホース(1999年 - 2000年、週刊ヤングサンデー、小学館、全4巻) 漫画原作 竹光侍(作画:松本大洋、2006年 - 2010年、ビッグコミックスピリッツ、小学館、全8巻) イーヴィル・イーター(作画:KOJINO、2012年 - 2013年、月刊サンデージェネックス、小学館、全3巻) 月をさすゆび(作画:能條純一、2014年 - 2016年、ビッグコミックオリジナル、小学館、全4巻) 明仁天皇物語(作画:古屋兎丸、監修: 志波秀宇、2019年、描き下ろし、小学館、全1巻) 協力 昭和天皇物語(作画:能條純一、原作: 半藤一利、監修: 志波秀宇、2017年 - 、ビッグコミックオリジナル、小学館) - 9巻まで脚本を担当。 小説 竹光侍(装画:松本大洋、2010年 - 2011年、小学館文庫、小学館、全4巻) 装甲のジェーンドゥ!(装画:希、2011年、ガガガ文庫、小学館、単巻) 日本の漫画家 浄土真宗の僧 和光大学出身の人物 東京都出身の人物 1965年生 存命人物
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江川達也
江川 達也(えがわ たつや、1961年3月8日 - )は、日本の漫画家、テレビタレント。 愛知県名古屋市千種区出身。愛知教育大学教育学部卒業。男性。旧姓: 野々村。 略歴 小学生の時からノートに漫画を描き始め、中学時代で投稿作品を描き上げるが、その後は漫画からは離れる。1978年12月、江川家の養子に入る。名古屋市立北高等学校を経て愛知教育大学教育学部数学科に入学、人形劇サークル・漫画研究会・アニメ研究会などに在籍し、漫画以外の創作活動も行う。大学卒業後は1983年4月から8月までの約5ヶ月間、公立学校教諭(地方公務員)となり名古屋市立東陵中学校の数学科講師をしたのち退職、本宮ひろ志のアシスタントを4ヶ月間務める。 アシスタントの傍ら描いた習作『Don't Give Up』が『コミックモーニング』編集部の目に止まり、1984年、「BE FREE!」(『モーニング』)でデビュー。その後『まじかる☆タルるートくん』を始めとする少年誌向けのギャグ漫画や、『東京大学物語』『GOLDEN BOY』などの青年誌向けのストーリー漫画まで幅広い分野で執筆し、作品がアニメ化されるなど、立て続けにヒット作を生み出す。 21世紀に入ってからは、ネームバリューが高い作品(『源氏物語』、『日露戦争物語』、『家畜人ヤプー』など)を漫画化。また、携帯サイトや新雑誌などのニッチな場での漫画作品の発表を行う。 漫画以外にもテレビ出演(ホリプロとタレント契約)、ヌード画集執筆など幅広く活動。2005年から2020年まで続いた『ビーバップ!ハイヒール』にレギュラー出演。 2021年11月には江川の還暦を祝し、『まじかる☆タルるートくん』をメインにした展示イベント「まじかる☆タルるートくん展」を開催。 漫画作品の傾向 教師を経験していたことから、作品内に学校や教育をテーマとして取り入れることが多く、現在の学校教育や学歴社会・受験戦争を批判している。その一方で受験参考書(中経出版「センター試験の点数が面白いほどとれる本」シリーズ)の表紙を手掛けている。 大学時代の専攻は数学であり、作品内に数学が登場することもある。また、洗脳や妄想など心理学にも興味を持っており、これらの言葉が作品内に登場し、作品のテーマとなることも多い。 1980年代後半から1990年代前半の『週刊少年ジャンプ』誌上において、人気作家の一人だった江川は、その時「売れる漫画の理論」を作り出し、その後も多くのヒット作を生み出した(読者アンケートの人気結果を分析し、「どういう展開をすれば人気が出る(人気が下がる)」かを研究していたという)。その傍らで、『源氏物語』等の日本古典文学、日本近代国家の形成史に傾倒。これらを主題とする作品『源氏物語』、『日露戦争物語』、『BOCCHAN 坊っちゃん』を執筆した。 『家庭教師神宮山美佳』の連載と前後して作画をデジタル化。背景は手描きでなく、作画ソフトで加工した画像データを使用している。 人物 東京都の高級住宅地にある建設費6億円強の豪邸に住んでおり、自宅には5775万円のメルセデス・ベンツ・SLRマクラーレンを所有する。書籍やテレビ等で、この車を購入したことに触れていることが多い。本人曰く「車の事はよくわからないのでベンツを買った」。だが、おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!に出演するほどの車好きであり、番組内で車とは「親父の思い出」であると発言している。 私生活では既婚者であり、妻との間に一男一女をもうけている。 かつて、アシスタントの態度に「責任感が無い」と怒り、現在はアシスタントを一切使わずに1人で漫画を描いている。また、「(うまいアシスタントを除いて)アシスタントを置かない方が仕事を速く処理できる」、若しくは「アシスタントを置かない方が好きな時に仕事ができるのでよい」という趣旨の説明をしていたこともある(『パソコンテレビ GyaO』内『PRO FILE #6 江川達也 【仕事】』参照、2006年3月20日まで配信)。ただし、アシスタントは現在でも募集している。 『ドラえもん』の原作者である藤子・F・不二雄が亡くなった後、雑誌やラジオにおいて『ドラえもん』を「人の欲望を際限なく肥大化させる」という趣旨の主張を繰り返し行った。藤子・F・不二雄個人についても、「子供を食い物にするハラ黒い大人だ」と批判している。その『ドラえもん』の悪所(と江川がみなす)部分を徹底分析し、アンチテーゼとして構築したのが『まじかる☆タルるートくん』であると江川は主張したが、結局は模倣に終わったと後に語る。後に『ドラえもん』の掲載誌である『月刊コロコロコミック』にて、『ドラえもん』と同じようなコンセプトを持つ『魔動天使うんポコ』を連載した。近年は、宮崎駿やコンピュータゲーム批判をよく行っているが、その反面、江川はいくつかのゲームソフトでキャラクターデザインを担当している。(後述) 著作『現実はマイナーの中に』で、水木しげるを最も尊敬する漫画家に挙げる一方で、手塚治虫に対しては藤子・F・不二雄のケース同様に、激しい批判を行っている。その他の影響を受けた漫画家に石ノ森章太郎、永井豪、松本零士、川崎のぼる、池上遼一、しげの秀一、大友克洋、本宮ひろ志、白土三平、松苗あけみ、一条ゆかりを挙げている。好きなアニメーション監督に、ユーリ・ノルシュテインをあげており、来日した際にサインを貰っている。 恋愛論を語ることが夢で、「恋愛論を語るなら『an・an』誌上で」→「ならばドラマ化されるほどの恋愛漫画の巨匠に」→「ドラマ化がよくされている漫画雑誌は『ビッグコミックスピリッツ』」と、その夢を逆算していって生まれたのが『東京大学物語』であると、江川はTV番組「アイデアの鍵貸します」で語った。その後、着実にそれらは実現し、最終的には『an・an』に取材を受けて、恋愛論を語ることも実現した。そのテレビドラマ版『東京大学物語』の脚本チェックに参加したことがきっかけで、後に『コーリュー』で脚本家デビュー、「江口達大」名義で、AV監督(アダルトビデオ『全編モザイク無し!全編声優吹き替え!全編主観映像! 全編淫語満載!!女教師と女生徒がペニバンで犯し合い、 男優は一切出てこない学園ドラマ。~ボクの初体験~』<ソフト・オン・デマンド>など)をそれぞれ経験したことがある。 『日露戦争物語』で、軍用の古地図を調べたことから、古地図マニアとなり、テレビ番組『タモリ倶楽部』の古地図企画でのレギュラーを務めたほか、巨大構造物(高速道路のジャンクションなど)の回によく出演していた。2012年4月2日放送「ビートたけしのTVタックル」3時間SPで卒業した三宅久之に、江川達也が色紙に描いた三宅久之の似顔絵が額縁入りで番組最後にビートたけしから贈られた。 作品リスト 漫画 BE FREE!(モーニング、モーニングKC全12巻、KCPX(ワイド版)全10巻、講談社漫画文庫全10巻) まじかる☆タルるートくん(週刊少年ジャンプ、ジャンプコミックス全21巻、JCS(ワイド版)全16巻、集英社文庫全14巻) アニメにも早稲田役で出演している まじかる☆たるるくん(Vジャンプ、読み切り4コマ作品) GOLDEN BOY(スーパージャンプ、全10巻) 東京大学物語(ビッグコミックスピリッツ、全34巻) タケちゃんとパパ(全3巻) HAPPY BOY(月刊少年ガンガン、全3巻) 魔動天使うんポコ(月刊コロコロコミック、全4巻) ネオデビルマン(複数の作家によるトリビュートコミックで江川達也の作品を1話収録)(モーニング新マグナム増刊号No.1(1998年1月10日号)に永井豪と江川の対談と共に掲載されたトリビュート漫画。モーニングKCデラックス1巻、講談社漫画文庫1巻に収録) DEADMAN(MANGAオールマン、全6巻) ラストマン(週刊ヤングマガジン、全12巻) THE LASTMAN PREMIUM 文化祭ウラ実行委員会(コミックGOTTA、全2巻) 日露戦争物語(ビッグコミックスピリッツ、ビッグコミックス全22巻、PHP文庫~12巻続刊中) 源氏物語(MANGAオールマン→ウルトラジャンプ、全7巻) ONE ZERO NINE(週刊ヤングジャンプ、全4巻) けっこう仮面R(週刊ヤングマガジン、KCデラックス「けっこう仮面ショッキングエッチコレクション」に収録) 家畜人ヤプー(コミックバーズ、全9巻) 八月の鯉・コーリュー(短編集全1巻) 江川式勉強法(月刊サイゾー、未単行本化) プレイバックpart2(ジェッツコミックス全1巻) 仮面ライダー THE FIRST(特撮エース、未単行本化) 平成歌謡漫画大全集2 HERO(ヤングマガジン創刊23周年企画 ヤングマガジン2003年6月) BOCCHAN 坊っちゃん(コミック・ガンボ(連載誌休刊により連載終了)、全2巻) 家庭教師神宮山美佳(週刊現代、全3巻) 戦国里見八犬伝 Episode Zero(ケータイ★まんが王国、全1巻)「戦国八犬伝」として連載された作品。 真幸くあらば(iPhone限定配信)映画のスピンオフコミック 織田信長物語~桶狭間合戦の真実(コミック乱ツインズ 戦国武将列伝、全1巻) GOLDEN BOY II 〜さすらいのお勉強野郎 芸能界大暴れ編〜(ビジネスジャンプ、全2巻)※「GOLDEN BOY」の続編 マンガ 最終戦争論 石原莞爾と宮沢賢治(歴史街道増刊 月刊コミック大河(10号を以て休刊により連載終了)、全1巻) 「戦争と平和〜石原莞爾と宮沢賢治〜」として連載された作品。 脳内散歩地図(月刊地図中心、2010年1月号~)第1回は一挙30ページ掲載、第2回以降は4ページ程掲載。 三田用水発掘散歩地図 桶狭間の合戦再現散歩地図 徳川幕府利根川大改造地図 長篠の合戦 代々木の変遷 渋谷駅周辺の変遷 首都圏の治水を考える 明智光秀地図 あああああい先生(E★エブリスタプレミアム、2010年、未単行本化) 高知能治安維持軍 H.I.P.P.S(パチンコ・パチスロホール情報誌 でちゃう! 、2011年11月号~2012年10月号) 忘却の涯て 16歳の自分への手紙(クラブサンデー→サンデーうぇぶり、2016年3月 - 11月、未単行本化) 書籍 ラストマン 野獣派宣言(2000年12月、講談社) マンガジンマガジン Vol.2 江川達也(2001年3月、キネマ旬報社) 江川達也の「平成の浮世絵」(2001年6月、メディアファクトリー) EROPOP-EGAWA TATSUYA'S WORKS 1984-2002(2002年2月、角川書店) “全身漫画”家(2002年4月、光文社) 現実はマイナーの中に(2004年6月、ウェイツ) 教育「真」論―That’s Japan Special 連続シンポジウムの記録(2004年6月、ウェイツ)共著 江川達也のニッポンを鍛えろ!-オレ的国家改造計画(2004年10月、ぶんか社) 江川達也の超・常識的生き方(2004年12月、海竜社) 名古屋パワーの法則(2005年3月、徳間書店) 江川達也の時事漫画 にあいこ≒るリアル 1 この国のバカたち(2005年4月、扶桑社) 「東京大学」にダマされるな!(2005年6月、PHP研究所) サブカル「真」論―That’s Japan Special 連続シンポジウムの記録(2005年9月、ウェイツ)共著 学校嫌い 江川達也×山田玲司 狂った教育から解放されるために(2007年7月、一迅社) スピリチュアル・セックス(2008年5月、幻冬舎) 首都高をゆく(2009年6月、イカロス出版)インタビュー収録 高速道路の謎(清水草一著)(2009年8月、扶桑社新書)インタビュー収録 睡眠はコントロールできる(2010年6月、メディアファクトリー、メディアファクトリー新書、遠藤拓郎との共著) VOICE 2011年3月号(PHP研究所)堀江貴文と対談 江川達也が描く秋山兄弟と『坂の上の雲』(2011年11月、別冊宝島) コラム 江川達也の「明治イズムのすゝめ」(THE 21、2005年1月号~12月号)全12回 本音のコラム(2006年~2007年、東京新聞 毎週月曜日) デザイン ゲームキャラクター ホーリーアンブレラ ドンデラの無謀!!(1995年9月29日、スーパーファミコン、ナグザット製作アクションゲーム) G.O.D〜目覚めよと呼ぶ声が聴こえ〜(1996年12月20日、スーパーファミコン、イマジニア制作ロールプレイングゲーム) 製作総指揮・脚本:鴻上尚史、音楽監修:デーモン小暮。 Aniventure Diary(2003年11月18日βテスト開始、2004年6月開発中止、タイトー制作オンラインRPG) アバター Jenka.com(2005年8月25日~2007年3月31日、アバターコミュニティサイト) 3DCGデジタルアナウンサー デジタル新人女性アナウンサー 杏梨ルネ(フジテレビ、2012年10月1日入社~2013年6月退社)退社後はボーカロイドに転職。 にっぽんのミンイ(2012年10月15日~2013年3月21日、フジテレビ)月~木曜深夜 ボーカロイド歌謡祭2013(春)~初音ミクから生まれた新たな音楽の世界~ (2013年6月6日、フジテレビ) 壁画 東山動植物園(アフリカゾウ舎巨大壁画作画担当) 映像作品 実写映画版『BE FREE!』(1986年)…原作 アニメ『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)…原画参加(強姦未遂シーンを担当) アニメ版『まじかる☆タルるートくん』(1990年9月2日~1992年5月10日、朝日放送制作・テレビ朝日系) 映画版『まじかる☆タルるートくん』(1991年3月9日公開)…原作 映画版『まじかる☆タルるートくん 燃えろ!友情の魔法大戦』(1991年7月20日公開)…原作 映画版『まじかる☆タルるートくん すき・すき♡タコ焼きっ!』(1992年3月7日公開)…原作 ドラマ『東京大学物語』(1994年10月10日~1994年12月19日、テレビ朝日系)…原作 アニメ(OVA)『GOLDEN BOY さすらいのお勉強野郎』(1995年~1996年)…原作 ドラマ『コーリュー』(2002年12月15日、メ〜テレ制作・テレビ朝日系)…原作、脚本 アニメ(オリジナルDVD)『東京大学物語』(2004年)…原作 吉澤レイカ『憧れの家庭教師』(2003年、ソフト・オン・デマンド)…総合演出 黒沢愛『憧れのオフィスレディ』(2003年、ソフト・オン・デマンド)…総合演出 月野しずく『憧れの戦闘員』(2004年、ソフト・オン・デマンド)…総合演出 監督作品 実写映画 実写映画版『東京大学物語』(2006年、ソフト・オン・デマンド)…監督・原作 『KING GAME』(2010年、ファントム・フィルム)…監督・原案 出演 テレビ 準レギュラー、不定期出演を含む。 過去の出演番組 たかじんのそこまで言って委員会(読売テレビ) たかじん胸いっぱい(関西テレビ) たかじんONE MAN(毎日放送) ここがヘンだよ日本人(1999年 - 2001年、TBS) - 主に教育問題、性問題に関する討論にて出演。 ガチンコ!(2000年7月、TBS) - 番組コーナー「ガチンコ一日一善隊」にて、江川に憧れる漫画家志望者にアドバイスを送る役で出演。 TVチャンピオン「少年マンガ王選手権」(2000年10月5日、テレビ東京) - 仕事場を訪れた挑戦者に出題した。 プレゼンタイガー(2001年、フジテレビ) WINNERS(2002年 2003年、テレビ東京) 爆笑問題&日本国民のセンセイ教えて下さい!(2003年9月23日 - 2005年10月4日、テレビ朝日) 爆笑問題のススメ(2003年、日本テレビ) 平成教育委員会(2004年、フジテレビ) - 「2004年学問の秋スペシャル」で江川達也が最優秀生徒。 出没!アド街ック天国「本郷」(2005年1月22日、テレビ東京) - 「東京大学物語」に関連したゲスト出演。 こたえてちょーだい!(2005年、2006年、フジテレビ) ※再現ドラマに俳優として出演 ビーバップ!ハイヒール(2005年4月 - 2020年3月、朝日放送テレビ) FNNスーパーニュースアンカー(2006年4月4日 - 2007年9月25日・12月24日、関西テレビ) - 隔週火曜日コメンテーター とんねるずのみなさんのおかげでした(2006年8月、フジテレビ) 今田ハウジング(2006年9月、日本テレビ) 太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。(2006年10月、日本テレビ) アイデアの鍵貸します(2006年11月24日、フジテレビ) スーパーモーニング(2007年4月-9月、テレビ朝日) - 月曜日コメンテーター 徳光和夫の感動再会"逢いたい"(2007年4月 - 2009年3月、TBS) NHKハイビジョン特集「日本のいちばん長い夏」(2010年7月31日、NHK-BShi) - 再現ドラマに俳優として、会田雄次役で出演 A×A ダブルエー(2010年8月、テレビ東京) 幸せの黄色い仔犬(2011年、中京テレビ) - 未来へのおくりもの〜東山動植物園 巨大壁画プロジェクト〜の作画担当として出演 7スタBratch! (2011年4月7日- 、テレビ東京) - 木曜日コメンテーター 俳句王国(2011年12月5日、NHK Eテレ) 爆報! THE フライデー(2011年12月23日、TBS) - オリエンタルラジオが江川邸訪問 デーモン閣下が斬る!BS世界のドキュメンタリー大解剖(2012年1月9日、NHK BS1) あいたい「マンガが町を埋めつくす!~江川達也“マンガ王国とっとり”の旅~」(2012年3月9日、NHK総合 広島放送局) 金とく「真相回転!どえりゃあモータース」(2012年7月13日、NHK総合 名古屋放送局) SHIBUYA DEEP A(2012年7月27日、NHK総合) BS歴史館 戦国武将・決断のとき(2) 桶狭間の戦い「信長・27歳の一大挑戦」(2012年9月20日、NHK BSプレミアム) イカさまタコさま お引越し記念2時間SP(2012年9月26日、TBS) 芸能人雑学王3時間SP 「~新バトル!雑学王3人 VS 博識芸能人30人 国算理社 白熱の大ハンディキャップマッチ!~」(2012年9月27日、テレビ朝日) 中居正広の怪しい噂の集まる図書館(2013年2月19日、テレビ朝日) バリバラ(2013年4月19日・4月26日・6月28日・7月5日、NHK Eテレ) 中居正広のミになる図書館(2013年5月28日、テレビ朝日) アグレッシブですけど、何か?(2014年4月16日、広島ホームテレビ) - 「漫画界の真実」 ピエール瀧のしょんないTV(2014年11月13日、静岡朝日テレビ) - 新東名を鑑賞 チャージ730!→モーニングチャージ!(2015年4月 - 2016年、テレビ東京) ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日) タモリ倶楽部(テレビ朝日) 虎ノ門ニュース 8時入り!(DHCシアター) テレビドラマ 13歳のハローワーク 第4話(2012年2月3日、テレビ朝日) - 江川達也役として出演。 映画 『スパイ・ゾルゲ』(2003年、東宝)…通行人(大陸浪人)役 ※カメオ出演 『日本のいちばん長い夏』(2010年、アマゾンラテルナ)…会田雄次役 『すべては「裸になる」から始まって』(2012年、BANANAFISH)…TOHJIRO監督役 ラジオ 過去の出演番組 伊集院光 日曜日の秘密基地 VIPルーム(2004年8月22日、TBSラジオ) デーモン小暮 ニッポン全国 ラジベガス(2005年5月11日、ニッポン放送) 全国おとな電話相談室(2008年3月9日、TBSラジオ) ラジオ版 学問ノススメ(2009年10月25日、JFN) SHARE SMILE(2009年12月14日~18日、J-WAVE) 小島慶子 キラ☆キラ(2010年3月12日、TBSラジオ) 上地雄輔のラジ音!(2011年11月4日、NHK-FM) 師匠 本宮ひろ志 元アシスタント 坂本眞一 藤島康介 藤沢とおる 山田玲司 田畑由秋 いとう耐 市川智茂 砂倉そーいち 宮本明彦 松浦聡彦 中井邦彦 まんきつ 上月まんまる 森永 茉裕 池上 花英 脚注 注釈 出典 外部リンク ホリプロによる紹介 日本の漫画家 日本の脚本家 日本のAV監督 ホリプロ 教育学士取得者 愛知県内の地方公務員出身の人物 日本の中等教育の教員 愛知教育大学出身の人物 名古屋市出身の人物 1961年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%8F%A3%E5%AF%BF%E5%8F%B2
江口寿史
江口 寿史(えぐち ひさし、1956年3月29日 - )は、日本の漫画家・イラストレーター。妻は元アイドルの水谷麻里。血液型O型。代表作に『ストップ!! ひばりくん!』、『すすめ!!パイレーツ』、『江口寿史の爆発ディナーショー』など。女性画に定評がある。 経歴・人物 生い立ち 熊本県水俣市生まれ。1963年に放映が始まったTVアニメーション『鉄腕アトム』で漫画の存在を知り、さらに雑誌『少年』の『鉄腕アトム』の連載により漫画に夢中になる。読み始めの頃、一番好きだったのは同誌連載の関谷ひさしの『ストップ!にいちゃん』だったという。少しのちにちばてつやの大ファンとなる。 中学2年生の終わりに父親の転勤で千葉県野田市に転居。千葉県立柏高等学校卒業。浪人後、デザイン専門学校に入学するが、漫画を描くための勉強という名目で、名画座で映画ばかり見ていた。 1977年、映画『狼たちの午後』から、子供が銀行を襲うストーリーを思いつき、約3か月かけて描いた『恐るべき子どもたち』を集英社に送ったところ、ヤングジャンプ賞(月例新人賞)に入選。同年、『8時半の決闘』が第6回赤塚賞準入選。 漫画家デビュー 「週刊少年ジャンプ」1977年5月23日号に『恐るべき子どもたち』が掲載され、デビューを飾る。『8時半の決闘』も同年7月11日号に掲載され、10月9日号から『すすめ!!パイレーツ』の連載を開始する。『パイレーツ』の後期より扉絵の構図などにイラストレーションとして見せる為の工夫が見られ始める。 初期のころは山上たけひこの影響を大いに受けていたようで、「すすめ!!パイレーツ」では、「がきデカ」のオマージュのようなシーンが随所にみられる。 1978年、『名探偵はいつもスランプ』で第6回愛読者賞を受賞。1979年、大友克洋の初単行本『ショート・ピース』が刊行。同作品に衝撃を受ける。「自分の絵があまりに古臭く思え」、そこから絵に対する関心が強くなり、同年創刊の雑誌『イラストレーション』を愛読するようになる。 ストップ!! ひばりくん!の大ヒット 1981年、「週刊少年ジャンプ」1月26日号から『ひのまる劇場』を連載。同年10月19日号から、自身の最大のヒット作となる『ストップ!! ひばりくん!』の連載を開始。この頃より筆の遅さが目立ち始め、また「白いワニ」に比喩される「真っ白な原稿」=「ネタ切れ」にも悩まされる様になる。結果、漫画家に厳しい「ジャンプ」としては異様な観すらある破格な優遇を受けながらも『ひばりくん』を中断し、未完のまま放り出してしまう。 以降、作品の発表の場を「フレッシュジャンプ」に移し、『江口寿史の日の丸劇場』(単行本は『寿五郎ショウ』として発売)の連載を始める。この作品によって以降の江口漫画の主流となる「一話完結のショートギャグ」というスタイルを確立する。『日の丸劇場』の連載終了の翌月より同誌において、作者唯一のストーリー物の連載作品『「エイジ」』の連載を開始。第一部が終了した時点で一旦筆を休め、5年後の1990年にその後を描いた『「エイジ85」』および『「エイジ2」』の連載を始めるが3回で中断。 この頃より集英社との専属契約を終了し、フリーに。「weekly漫画アクション」(双葉社)で『エリカの星』、「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で『パパリンコ物語』と他社での連載を始めるが、いずれも途中で投げ出す。その中にあって、1986年から『日の丸劇場』と同じ形式で「月刊ASUKA」(角川書店)で連載された『江口寿史のなんとかなるでショ!』だけは、落稿も1回に止め、円満終了を迎える。 1988年より「アクション」において、『日の丸劇場』、『なんとかなるでショ!』と同様のスタイルで『江口寿史の爆発ディナーショー』を連載。1992年に本作の単行本によって文藝春秋漫画賞を受賞する。なお、この受賞の際に選評で選考委員長の加藤芳郎に“久々の大型新人”扱いされたという逸話がある。 1989年4月~9月には、FM東京系の深夜放送番組スーパーFMマガジン「NORU SORU」のパーソナリティーを務める。 1990年代 1990年、交際を続けていた元アイドルの水谷麻里と結婚(江口は2度目)。この頃より、イラストレーターとしての仕事が増え、徐々に仕事の中心がイラストの方へと移って行く。 1992年、『江口寿史の爆発ディナーショー』で文藝春秋漫画賞を受賞。1995年には自ら編集長となって「COMIC CUE」を創刊。松本大洋、望月峯太郎、よしもとよしとも、魚喃キリコ、古屋兎丸などの意欲的な作家を集めるとともに、「テーマを決めての競作」「名作漫画のカバー」などの企画も行った。 1995年は「COMIC CUE」の編集の仕事があったとはいえ、発表された漫画は合計でわずか14ページであり、漫画家として事実上廃業状態となる。 しかし、1998年より「アクション」誌上において『キャラ者』の連載を開始し、連載漫画家としての復帰を果たす。毎週1ページと短く休載も多いながらも、途中で投げ出される事なく続き、掲載誌を「weelkyぴあ・関東版」(ぴあ)に移した後2008年6月まで連載され、江口にとって最長の連載期間となった。 2000年代 2003年より放映を開始したテレビアニメ『無人惑星サヴァイヴ』にキャラクター原案で参加。 2008年7月より「A-ZERO」にて『ゼロの笑点』を連載。月刊誌でなおかつオールカラー4ページ漫画ではあったが休載なく続き、2009年6月の本誌の休刊により終了。 2018年4月、金沢21世紀美術館にてイラストレーション展 『彼女』を開催。翌2019年より明石、しもだて(筑西市)、青森、旭川、長野、盛岡、千葉を巡回。2023年3月まで行われ、8会場あわせて12万人を越える動員を記録した。2023年3月14日から4月23日まで東京ミッドタウン日比谷にて、東京の風景に溶け込んだ“彼女”を描いた展示会『江口寿史イラストレーション展「東京彼女」』を開催した。 2021年11月13日、水俣市より観光大使第1号に任命された。 2022年3月31日発売の雑誌「昭和45年女・1970年女」vol.6より、音楽ライターの鈴木ダイスケと音楽対談『ヒサシ★ダイスケの「回転違いのズル休み」』連載開始。2023年9月より、兄弟誌の「昭和40年男」(2023年10月号 Vol.8)に移籍し、連載を続行する。 逸話 高校1年の時、吉田拓郎を知ってフォークに夢中になり、マンガは描かなくなった。しかし、ギターが上達せず音楽は諦め、19歳の時、初めて本気で漫画家になろうと決意したという。江口は「マークII」(1985年)という、吉田拓郎に心酔する高校時代の自身を描いた短編を書いているが、2010年のレコード・コレクターズ増刊「日本のフォーク/ロック アルバム・ベスト100 1960-1989」で、私のベスト1レコード/CDに、吉田拓郎のアルバム『元気です。』を挙げ、「このレコードとの出会いがなかったら今の自分はないという意味で断然1位であります」と記している。 地理には疎いようで、千葉県在住にもかかわらず、成増を千葉県の地名だと勘違いしていた。 佐野元春は同い年という事もあり、江口が敬愛するミュージシャンの一人でもある。また、対談した事もあり、佐野から「江口さんもきっと僕と同じように何かと戦っているんだと思う」と言われ、江口が答えに困ったというエピソードがある。 『ひばりくん』連載時に何度も原稿を落としていた事が問題視された事から「今度締切を守れなかったら坊主頭になります」と宣言したが、案の定、締切は守れず坊主頭になった。また、『ひばりくん』の劇中には江口本人である江口"Candy"寿史(えぐち キャンディ ひさし)なる人物が登場しており、上述の通り、江口が坊主頭になった際は彼も坊主頭になっていた。 漫画でも、自身が遅筆である事を自虐したネタを描く事が多々あり、上述の『ひばりくん』では度々本編を無視して締切に追われたり、無理矢理ページを埋めている事を仄めかす姿が描かれ、『江口寿史のなんとかなるでショ! 』の帯には「日本一の遅筆野郎」と書かれる始末であった。 「ぶりっ子」のワードメーカーでもある。 遅筆・放棄 江口は遅筆な事で有名であるが、遅筆のエピソードとしては、「ジャンプ」の愛読者賞用の作品『POCKY』が、途中からネーム状態のまま掲載されるというものがある。そして遅筆の結果、印刷に間に合わずに落稿する事も多く、当初から不定期掲載を謳った連載も多い。 また「(連載作品)未完の帝王」との異名の通り、無事に連載が終了されている作品の多くが一話完結方式で連載されていたもので、いつでも最終回とする事ができた作品が多いのに対し、連載による継続したストーリー展開を必要とした作品については円満に終了された作品はほぼ皆無である。 1996年、『週刊ヤングジャンプ』で連載した『ラッキーストライク』にいたっては僅か3回で放棄した。 代表作の1つである『ストップ!! ひばりくん!』は長期の中断を経て、『ストップ!! ひばりくん! コンプリート・エディション』(小学館クリエイティブ刊 全3巻)において、27年越しで完結した。 未完のまま放棄された作品 「エイジ」 パパリンコ物語 エリカの星 BOXERケン ラッキーストライク HOMERUN CATCHER うなじ 平成大江戸巷談 イレギュラー 作品リスト 漫画 ◎:連載作品(年度は連載開始年) 《収録短編集》■:GO AHEAD!!/□:寿五郎ショウ/◆:なんとかなるでショ!/◇:爆発ディナーショー/▼:お蔵出し/●:THIS IS ROCK!!/★:自選傑作集/▽:犬の日記、くさいはなし、その他の短篇/☆:青少年のための江口寿史入門/※:単行本未収録 連載作品についた□・★・☆については作中の何編かが収録されている事を示し、全編を収録している訳ではない 《短編集以外への収録短編》1:『すすめ!!パイレーツ』に収録/2:『ひのまる劇場』に収録/3:『なんとかなったワケ!』に収録/4:KAWADE夢ムック『総集編江口寿史』に収録/5:『江口寿史の正直日記』に収録/6:吾妻ひでお著『うつうつひでお日記DX』に収録 単行本 ワイド版、文庫版などの同一内容の再版本は割愛 デザイン 天才・たけしの元気が出るテレビ!! オープニングアニメ(4作目作画) デニーズ(メニューとそのイメージキャラクターであるウエイトレスのイラスト。デニーズカードにも使用)(1992年 - 1997年、2023年9月 - ) おたくの星座(キャラクターデザイン) オーロラクエスト おたくの星座 IN ANOTHER WORLD(キャラクターデザイン) - 上記作品のリメイク(PCエンジン用CD-ROM2対応版)。 大槻ケンヂ『グミ・チョコレート・パイン』(カバーイラスト) 老人Z(キャラクターデザイン) PERFECT BLUE(キャラクター原案) 恋愛講座 REAL AGE(キャラクターデザイン、1999年6月24日、PS用ソフト、イマジニア、限定版あり) 無人惑星サヴァイヴ(キャラクター原案) フィーバーガールズI(キャラクターデザイン、三共製パチンコ台) ワイン雑誌「Real Wine Guide」(表紙イラスト、株式会社リアルワインガイド発行、2002年より) RWGオリジナルカレンダー2014(創刊からのイラストの中より厳選された13枚で構成) 30minutes・30minutes鬼(オープニングイラスト) 片腕マシンガール(イラスト、2008年) 古代少女ドグちゃん(イメージイラスト、2009年) 肥薩おれんじ鉄道ラッピング車両(2011年10月) 水俣市(出身地である水俣市の観光ガイドブックの表紙、駅貼りポスターのイラスト等) ハロー!チャンネル vol.8(裏表紙イラスト「SG」)2012年4月25日 - 真野恵里菜とGibson SGがモチーフ CanCam 2014年4月号(月刊トラちゃん vol.7コラボ企画) - トラウデン直美がモチーフ プジョー(プジョー・208GTi のイメージイラスト及び、サイト内公開グラフィックノベル 2013年6月 漫画家による仏の世界展 (イラスト出品「私訳魚籃観音之図」) 2014年(3月・京都、5月・東京、8月千葉) 初の全国巡回作品展『江口寿史展 KING OF POP』開催 (2015年9月 - 11月 北九州市漫画ミュージアム、12月 - 2016年1月 川崎市市民ミュージアム『KING OF POP SideB』、2015年10月 - 2016年2月 明治大学米沢嘉博記念図書館)以降2017年4月まで全国7都市を巡回した。 クレディセゾン(イメージキャラクター、2017年 - ) 東池袋52 第4期Vtuberメンバーのキャラクターデザイン(2018年) - 2022年に同グループは活動を終了しているが、Vtuber・あおいのビジュアルは上記クレディセゾンのイメージキャラクターとして継続 吉祥寺サンロード商店街 デザインフラッグなど (2019年7月 - ) 水俣市 デザインマンホール(2020年3月) Sonny Boy(キャラクター原案、2021年) アニ×パラ〜あなたのヒーローは誰ですか〜 第13弾「パラアルペンスキー」(キャラクターデザイン、2022年) ワコール「Wing」ナチュラルアップブラ×江口寿史(2023年1月 - ) - 実際の商品を身につけたポートレイトをイラスト化したコラボレーション企画 パイロットコーポレーション ボールペン「juice」生見愛瑠×江口寿史コラボイラストパッケージ(パッケージイラスト、2023年2月) 桜木紫乃『妄想Radio』(カバーイラスト、2023年) ジャケットイラスト(音楽) パール兄弟 アルバム『ブートレグだよ』1991年6月 BAHO(Char、石田長生) アルバム『HAPPENINGS』(ジャケットデザインも)1998年6月 朝日美穂、直枝正広&ブラウンノーズ アルバム『TRIBUTE TO YASUYUKI OKAMURA EP』2001年7月 岡村靖幸 トリビュートアルバム『どんなものでも君にかないやしない』2002年4月 ROUND TABLE featuring Nino シングル『Sunny Side Hill』2003年10月 銀杏BOYZ アルバム『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』2005年1月 吉田拓郎 アルバム『一瞬の夏』2005年3月 MAMALAID RAG アルバム『the essential MAMALAID RAG』(ジャケットデザイン 信藤三雄)2010年4月 DJ KAWASAKI アルバム『BLACK&GOLD』2012年3月 SHIT HAPPENING アルバム『Lodge』(ジャケットデザインも)2012年12月 lyrical school アルバム『date course』2013年9月 So nice アナログシングル盤『光速道路』2014年4月 Shiggy Jr. ミニアルバム『LISTEN TO THE MUSIC』2014年7月 新・チロリン アルバム『Last Pajama Party』2015年8月 東京スカパラダイスオーケストラ シングル『嘘をつく唇』2015年12月 Shiggy Jr. アルバム『ALL ABOUT POP』2016年10月 大森靖子 アルバム『MUTEKI』2017年9月 lyrical school アルバム『WORLD 'S END』2018年6月 so nice RYUTist スプリットアナログシングル盤『日曜日のサマートレイン』2018年8月 lyrical school アルバム『BE KIND REWIND』2019年9月 SEKAI NO OWARI シングル『umbrella』2020年6月 Pictured Resort 12インチEPアナログ盤『DYE IT BLUE』2020年8月 大江千里 アルバム『Class of '88』2023年5月24日 イラスト集 NO MATTER(1988年4月 双葉社) ILLUSTRATION H(1991年7月 双葉社) EGUCHI HISASHI WORLD 1980s(1995年8月 美術出版社) EGUCHI HISASHI WORLD 1990s(1995年8月 美術出版社) ポストカードブック ONLY IN DREAMS(1996年11月 美術出版社) 江口寿史 ストリップショウ H(1999年10月 美術出版社) 江口寿史 スクラップブック E(1999年10月 美術出版社) 素顔 Sugao -美少女のいる風景-(2004年9月 双葉社) WORKs EH 95-08(2008年10月 小学館クリエイティブ) KING OF POP 江口寿史 全イラストレーション集(2015年9月 玄光社) step ― Eguchi Hisashi Illustration Book ―(2018年4月 河出書房新社) RECORD 1992-2020 CDジャケットアートワーク集(2020年4月 河出書房新社) 彼女(2021年3月 集英社インターナショナル) アート関連の本 江口寿史監修ポーズ集・基本編(1994年) 江口寿史監修ポーズ集・動き編(1995年) 江口寿史監修ポーズ集・日常編(1995年) 江口寿史監修ポーズ集・カップル基本編(1996年) 江口寿史監修ポーズ集・カップル日常編(1996年) 江口寿史監修ポーズ集・二人のポーズカラー版(2001年) 江口寿史の塗り絵(2008年) 映像化作品 テレビドラマ フジテレビ・関西テレビ 世にも奇妙な物語シリーズ 「ハイ・ヌーン」(1992年6月11日、「世にも奇妙な物語」主演:玉置浩二) - 『すすめ!!パイレーツ』収録「史上最大の生中継の巻」を改題。 「ハイ・ヌーン」(2014年11月18日、「世にも奇妙な物語 25周年記念!秋の2週連続SP」主演:和田アキ子)※リメイク版 「しりとり家族」「しりとり家族ふたたび」(2017年4月29日、「世にも奇妙な物語 '17春の特別編」※本編との合間の短編 主演:滝藤賢一)『江口寿史の爆発ディナーショー』収録。 NHKワンセグ2 「キャラ者」 全3話 / ダイジェスト(2011年5月7日・14日・21日 / 28日、「青山ワンセグ開発」主演:山下リオ) 江口が影響を受けた漫画家 ちばてつや - 特に『あしたのジョー』の影響は強く、様々な作品においてボクシングが描かれている。また、初期の絵柄は、ちばの模倣から始まっている。 赤塚不二夫 山上たつひこ アシスタント 西秋ぐりん 河野哲郎 一條裕子 脚注 関連項目 ギャグ漫画 ぶりっ子 外部リンク (2017年10月1日、江口寿史、ポートレイトドキュメンタリー) KOTOBUKI-STUDIO 日本のイラストレーター 日本の漫画家 熊本県出身の人物 千葉県出身の人物 1956年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9D%E6%9D%BE%E5%85%8B%E5%B9%B8
枝松克幸
枝松 克幸(えだまつ かつゆき)は、日本の漫画家。代表作に『じゃりガキ9』など。三重県立津工業高等学校卒業。 作品リスト 連載作品 出口兄弟奮戦記 フォーエバー神児くん イレギュラーバウンド じゃりガキ9 4SPIRITS キンタEXTRA 東京野球小僧 RISINGキッズ 読切り作品 出口兄弟恋愛記 出口兄弟動乱記 にゃんころ同盟 ガッツ!ザウルス ラブ・ジェネレーション 星の流れに道化者〜4SPIRITS番外編〜 SUZUKA・SPIRITS〜SPIRITS OF RIDERS編〜 SUZUKA・SPIRITS〜野球編〜 フォーエバー神児くん 天才科学者の祖父、鳴海神兵衛が発明した「パラメット(パラサイコ・ヘルメット)」という、被った人の精神力を身体能力に変換し、大幅にパワーアップさせるヘルメットを手にした小学生の少年・鳴海神児が、パ・リーグ万年最下位のお荷物球団、武蔵野ワイルドキャッツ(架空。オーナー企業はやはり架空の「武蔵野乳業」)に入団。周りのプロ選手たちに対して、持って生まれた闘争心、集中力を身をもって示し、パラメットボール(球速は120km程度だが、バットを通り抜ける)やニューパラメットボール(前述パラメットボールのパワーアップ版、球速が増している上に、人体などの分厚いものすら通りぬけることが可能)などの魔球を駆使して、リーグ初優勝を目指す。 また、優勝することにより、事故によって片足が不自由な少女・陽子にも勇気を伝え、陽子はリハビリに励むようになる、というストーリー。単行本内のカットには成長し、白いパラメットを被って、同じように成長した神児とキャッチボールしているという、ファン感涙物のカットがある。 単行本は集英社ジャンプ・コミックスより全3巻が当時発売されていた。 脚注 日本の漫画家 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%BF%AB%E7%B4%94%E4%B8%80
大迫純一
大迫 純一(おおさこ じゅんいち、1962年〈昭和37年〉7月21日 - 2010年〈平成22年〉5月25日)は、日本の小説家、シナリオライター、漫画家。 略歴 大阪市天王寺区生まれ、大阪貿易学院高等学校卒業。 大阪芸術大学芸術学部映像計画学科を2年次で中退 後、キャラクターデザイン、ゲーム原案、脚本、アトラクション俳優、造形助手などの仕事をする。 1984年(昭和59年)徳間書店『ハイパーゾーン』から『デストマン』でデビューし、漫画家としても活動していたが、作品の多くは単行本化しておらず『魔諭邏 MAYURA』が唯一の単行本である。 1996年(平成8年)青心社から『魔法探偵まぁリン1 バビロン・ゲート』にて、小説家としてデビュー。 2007年4月より放送のTVアニメ『神曲奏界ポリフォニカ』では、初のアニメの脚本を手掛けた。 2010年5月25日、癌により逝去。享年47。 人物 かなりの速筆家であり、『神曲奏界ポリフォニカ』のシェアードワールドで執筆を行なっている1人の高殿円からは、“優等生”と評されていた。生前、3日で1冊というトップ・スピードを「意識的に」やり遂げたことがある。 血液型はA型。蟹座。好きな色は黒と銀。好きな酒はカンパリソーダ、タバコはマルボロ、好きな食べ物は卵料理、ソフトドリンクはコカコーラを好んで飲んだ。趣味は玩具と打撃系武器の蒐集。親指シフター。 アメコミのスポーンをこよなく愛し、その思い入れは大きく、スポーンのリングを嵌める事が多かった。 熱い漢の物語を描く、人呼んで「限りなく体育会系に近い文系」だったという。ホラー小説やミステリー小説、時代小説なども執筆していた。 日本推理作家協会所属。 小説作品リスト 神曲奏界ポリフォニカ (GA文庫) ブラック・シリーズ  レオン・ザ・レザレクター&レオン・ザ・ゴールド シリーズ ゾアハンターシリーズ あやかし通信 あやかし通信 九夜でおくる怖い話(実業之日本社) あやかし通信『怪』(ハルキ・ホラー文庫) 実業之日本社版の増補改訂版。 スペクター(コナミノベルス) コナミオリジナルの特撮作品『SPECTER』の小説版という位置付けで刊行されたが、共通なのは世界観のみで、内容は登場人物を含め、大迫独自のものとなっている。 戦艦人間ハヤト(HJ文庫) 戦艦人間ハヤト 起動! 白銀の宇宙戦艦!! 戦艦人間ハヤト2 脅威! メガナイクス!! 戦艦人間ハヤト3 決戦! 果てなき宇宙へ!! 鉄刃サザン(HJ文庫) ディストラクターXIII(富士見ミステリー文庫) 黒き魔像の契約者―ディストラクターXIII〈1〉 白き流聖の追撃者―ディストラクターXIII〈2〉 最終エージェント・チカル(MF文庫J) 魔法探偵まぁリン(発行:プラザ、発売:青心社) 魔法探偵まぁリン1 バビロン・ゲート 魔法探偵まぁリン2 カニバル・リターナー 魔法探偵まぁリン3 ナイトメア・ダメージ 魔法探偵まぁリン4 エターナル・レガシー 超鋼威ガクテッカー(発行:プラザ、発売:青心社) 超鋼威ガクテッカー 超鋼威ガクテッカー2 弩闘編 超鋼威ガクテッカー3 怪機編 魍獣妖拳伝(発行:プラザ、発売:青心社) Kanonアンソロジー・ノベル(共著、JIVE CHARACTER NOVELS) Soul Linkアンソロジー・ノベル(共著、JIVE CHARACTER NOVELS) 小説 無限の住人 刃獣異聞(KCノベルス) 沙村広明による同名の漫画のノベライズ。内容は大迫オリジナル。 法石姫-クロイハナトナクシタナマエ-(GA文庫) 生前に執筆された今作の原稿が2011年9月に刊行され遺作となった。 緋樫みつき名義 ヴァーミンロード(徳間書店 携帯電話用ゲームの新作プロモーションを兼ねた、ゲームノベライズ本。コンシューマーの期待値を高める策として、“期待の新人・緋樫いつき”が設定された。 キネティックノベル 神曲奏界ポリフォニカ THE BLACK (企画:ocelot、開発:KuroCo) コミック作品リスト 魔諭邏 MAYURA(アニメージュコミックス) ゲーム関係の仕事 最終電車 19時03分 上野発夜光列車 - 共に原作を担当。 大幽霊屋敷 〜浜村淳の実話怪談〜 - 実写ゲーム。聞き書き手、出演。 ノベルズ〜ゲームセンターあらしR〜 - グラフィックの原画を担当。 ラブプラス - 姉ヶ崎寧々のシナリオ担当。 脚注・参考文献 関連項目 開明中学校・高等学校 - 1995年(平成7年)大阪貿易学院高等学校から改名 大阪芸術大学 外部リンク ゾアハンター/大迫外伝 - livedoor Blog(ブログ) 大迫純一の世界 日本の小説家 日本の脚本家 日本の漫画家 大阪市出身の人物 1962年生 2010年没
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E5%8F%B8
大島司
大島 司(おおしま つかさ、1970年1月30日 - )は、日本の漫画家。女性。血液型はO型。掛川市ふるさと親善大使。 代表作はデビュー作でもある『シュート!』シリーズで、1994年に第18回講談社漫画賞を受賞。 来歴 静岡県掛川市出身。掛川東高校卒業、東京デザイナー学院アニメーション科卒業。 学生時代から漫画を書き始め、講談社に投稿して入賞していたが、無理やりアクションシーンを盛り込むなどアクションへのこだわりが強かった。 その後少年誌へと移り、『週刊少年マガジン』新人賞に投稿したバレーボール漫画が選外佳作に選ばれ、その後『シュート!』でデビュー。「シュート!」は長期連載作品となり、アニメ化・実写映画化されるなど大ヒット作となった。大島は「『シュート!』は大島司を確立させた作品」と語っている。 作品リスト 『シュート!』シリーズ(週刊少年マガジン、1990年36号 - 2003年24号) シュート!(週刊少年マガジン、1990年36号 - 1996年42号、全33巻、文庫版全16巻) シュート! 〜蒼きめぐり逢い〜(週刊少年マガジン、1996年44号 - 1997年42号、全5巻、文庫版全3巻) シュート! 〜熱き挑戦〜(週刊少年マガジン、1997年48号 - 2000年11号、全12巻、文庫版全6巻) シュート! 〜新たなる伝説〜(週刊少年マガジン、2000年15号 - 2003年24号、全16巻、文庫版全8巻) STAY GOLD(週刊少年マガジン、2004年24号 - 49号、全3巻) アタック!!(週刊コミックバンチ、2007年3号 - 2009年9号、2010年10号 - 13号、全11巻(未完)) アタック!! 〜約束のコート〜(漫画アクション、2015年4号 - 連載中、既刊4巻) ブレイク(月刊コミックゼノン、2012年8月号 - 9月号(前後編掲載) アシスタント 朝基まさし 瀬尾公治 大石知哉 神代京子 脚注 外部リンク ボアソルチマネジメント株式会社 『 大島司代理人 』 日本の漫画家 静岡県出身の人物 1970年生 存命人物
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大島やすいち
大島 やすいち(おおしま やすいち、本名:大島 矢須一(読み同じ)、1954年3月24日 - )は、日本の漫画家。京都府京都市出身。平安高等学校卒業。東京都練馬区在住。男性。 人物 高校時代は沼田清のアシスタントを務め、1971年、『週刊少年サンデー』(小学館)掲載の「青春の土」(新人漫画賞入選)でデビュー。 主に少年漫画・青年漫画を執筆している。 代表作に『おやこ刑事(でか)』(原作:林律雄)、『バツ&テリー』等。 妻の川島れいこも漫画家で、川島との間に生まれた娘の大島永遠と三島弥生もそれぞれ漫画家として活躍中。お笑い芸人の小林アナは遠戚にあたる。 経歴 1971年 - 「青春の土」でデビュー。 1977年 - 『おやこ刑事』連載開始。 1983年 - 『バツ&テリー』連載開始。 1984年 - 『バツ&テリー』で第8回講談社漫画賞少年部門受賞。 作品リスト 青春の土(1970年、週刊少年サンデー、小学館) - デビュー作 あのゴールをめざせ(1971年、週刊少年サンデー) 狼の打者(1971年、週刊少年サンデー) 駒が舞う(1972年-1973年、週刊少年サンデー) 熱球南十字星(1972年、少年サンデー増刊号、小学館) キャッチマン(1973年、週刊少年サンデー) ひだりまき甚太(1973年、週刊少年サンデー) とびだせ又兵衛(1973年、少年サンデー増刊号) 土俵の怪童(1974年、週刊少年サンデー) 三冠王王貞治物語(1974年、小学館入門百科シリーズ、小学館)※1980年に「不滅の大打者王貞治」で再販 ミスター又兵衛(1974年、少年サンデー増刊号) 背番号マイナス10番(1974年、週刊少年サンデー) 天下一大物伝(1975年、週刊少年サンデー) - テレビドラマ化 王貞治物語(1975年、少年サンデー増刊号) 火の玉レッズ(1976年、小学四年生、小学館) ストライク一平(1977年、小学三年生 - 小学四年生、小学館) おやこ刑事(原作:林律雄、1977年-1981年、週刊少年サンデー) - テレビドラマ化 青春高校野球部(1977年、少年サンデー増刊号) 現代警察(1977年、季刊現代警察、啓正社) おれが大将(1978年-1980年、マンガ君 - 少年ビッグコミック、小学館) おれが片目のドンだ(1978年、リリカ、サンリオ) あとの祭り(1979年、ビッグコミック、小学館) 鷹は…(1980年、ビッグコミック) 一撃伝(1980年-1984年、少年ビッグコミック - 少年ビッグ、小学館) 一撃拳(1987年-1988年、週刊少年マガジン) 千里の馬(ランナーズ)(1981年、リイドコミック、リイド社) 勇太やないか(1981年-1982年、週刊少年サンデー) バツ&テリー(1982年-1987年、週刊少年マガジン、講談社) - 第8回講談社漫画賞受賞、アニメーション映画化 バツ&テリーCOP(1987年、月刊少年マガジン・週刊ヤングマガジン、講談社) 映画ションベン・ライダーオーディション広告の挿絵(1982年) リトル・ジュン(1984年、週刊少年マガジン) はーいステップジュン(1985年、マガジンスペシャル、講談社) - リトル・ジュンの連載版、テレビアニメ化 ボバンバ・バンボ(1985年、週刊少年マガジン) マーミー(1986年、モーニング、講談社) スクランブル親衛隊(1986年、週刊少年マガジン) 魔女キンキラ(1988年、モーニング増刊、講談社) I LOVE N・Y(1988年、ペントハウス、講談社) ショット!ダン(1988年-1989年、週刊少年マガジン) K.O.(1988年-1989年、月刊少年マガジン) 熱闘コンドルズ(1989年、週刊モーニング) シャドウ(1989年、コミックバーガー、スコラ) ボウフラ(1990年、漫画アクション、双葉社) ジャスティス(1991年、少年マガジン増刊、講談社) 神の拳(1991年、ビジネスジャンプ、集英社) こちら大阪社会部(原作:大谷昭宏、1991年-1996年、ミスターマガジン、講談社) こちら社会部(原作:大谷昭宏 1996年-1998年、ミスターマガジン) ショット(1992年、ビジネスジャンプ増刊、集英社) なむさん(1992年-1993年、漫画アクション) アクションスター(1992年-1993年、月刊少年マガジン) チキンバスケット(1992年、月刊少年キャプテン、徳間書店) TEAM男道(1994年-1995年、月刊少年マガジン) あるがまま(1994年-1996年、ゴルフトゥデイ、日本ヴォーグ社) アウトロー(1995年、漫画アクション) JOCKEY(原作:田原成貴 1996年-1997年、ヤングマガジン増刊エグザクタ、講談社) スポーツ女医八神蘭(1997年-1998年、週刊現代、講談社) 黒のゴルファー(1998年-2001年、アルバコミック、小池書院) 探偵屋の女房(1998年-2001年、リイドコミック) - オリジナルビデオ化 風介がゆく(2001年、週刊モーニング) 熱き男の2002(2001年-2002年、週刊ポスト、小学館) 兎の玉三郎(2002年-不明、ALBA、小池書院) 探し屋の女房(2002年-2005年、コミック乱、リイド社) 英雄三国志(2003年-不明、時代劇ファン、集英社) 虎狼〜二匹の無頼(2005年-2006年、コミック乱) 武田二十四将(2006年-2008年、コミック乱) 剣客商売(原作:池波正太郎、2008年-連載中、コミック乱) 週刊マンガ日本史(朝日新聞出版) 第10号『源義経』(2009年) 第22号『石田三成』(2010年) アシスタント 里見桂 高橋和希 渡辺みちお 脚注 関連項目 まんがかぞく 外部リンク 大島やすいち公式ホームページ 日本の漫画家 龍谷大学付属平安高等学校出身の人物 京都市出身の人物 1954年生 存命人物
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大友克洋
大友 克洋(おおとも かつひろ、1954年4月14日 - )は、日本の漫画家・映画監督。宮城県登米郡迫町出身。血液型はA型。息子はイラストレーターの大友昇平(SHOHEI)。 ペンタッチに頼らない均一な線による緻密な描き込み、複雑なパースを持つ画面構成などそれまでの日本の漫画にはなかった作風で、80年代以降の漫画界に大きな影響を与えた。 1988年、自作を元に自ら制作したアニメーション映画『AKIRA』は日本国外でも高い評価を得て、「ジャパニメーション」と呼ばれる、日本国外における日本アニメムーブメントのさきがけとなった。 近年は主に映画監督として活動している。日本SF作家クラブ会員だったが2023年2月時点では退会している。 経歴 東北の田舎に生まれ、何もすることが無かったので、幼少の頃より漫画をたくさん読んで育った。絵を描くのが好きだったので、小学生の頃は『鉄腕アトム』や『鉄人28号』をよく模写していた。 中学時代に石ノ森章太郎のマンガ家入門を読んだのをきっかけに、本格的に漫画家を志すようになる。 宮城県佐沼高等学校に入学。その頃から映画に興味を持ち始め、一時漫画から離れて映画漬けの日々を送る。またイラストにも興味を持つようになり、将来はプロのイラストレーターか映画監督になりたいと思うようになる。しかし、一人立ちを考えて漫画を描き始め、1971年末に処女作『マッチ売りの少女』を執筆。手塚治虫の雑誌『COM』や『りぼん』に数度投稿を行う。高校を卒業すると上京し、以前友人に紹介されて漫画を見せたことのある双葉社の編集者に連絡を取り、採用される。 1973年、『漫画アクション』(双葉社)にて「銃声」でプロの漫画家としてデビュー。以後、『漫画アクション』の本誌・増刊で若者の日常を描いた短編作品を発表。次第にニューウェーブの作家として一部の漫画読者からは知られた存在になって行く。 1978年、描きためておいた「ヘンゼルとグレーテル」を『ヤングコミック』(少年画報社)に持ち込み、掲載される。以降、『アクション』以外の漫画雑誌やSF雑誌へと活躍の場を広げ、西洋に題材をとった話やSFなどを発表するようになる。 1979年、初の単行本となる自選作品集『ショートピース』刊行。一般に名前が知られるようになり、他の「ニューウェーブ」作家らとも交流を持つようになる。 1980年、『アクションデラックス』に『童夢』、『漫画アクション』に『気分はもう戦争』(原作:矢作俊彦)を連載開始。 1982年、『週刊ヤングマガジン』にて『AKIRA』( - 1993年)の連載を開始。この作品で一気にメジャー作家となる。漫画のヒットにより、約500万円の予算で1時間ほどの16mmフィルムの実写映画『じゆうを我等に』を自主制作。プライベートムービーを作ることで、映画制作のプロセスを自分なりに勉強した。 1983年公開のアニメ映画『幻魔大戦』(りんたろう監督)で、キャラクターデザイナーとして初めてアニメーション作品に参加。漫画とアニメとの違いを肌で感じ、この経験をきっかけにアニメ制作に興味を持つ。 1986年公開のオムニバス映画『迷宮物語』の中の一編「工事中止命令」で、初めて監督を務める。『幻魔大戦』の後、アニメ制作会社マッドハウスの丸山正雄プロデューサー(当時)から「短編を1本作ってみないか」と誘われ、二つ返事で引き受けた。 1988年、自身の漫画をアニメ化した劇場アニメーション映画『AKIRA』で長編作品を初監督。1991年には『ワールド・アパートメント・ホラー』で商業実写映画を初監督する。以降、漫画よりも映画の分野に活動の軸足を移し、オムニバス映画『 MEMORIES』(1995年)、長編アニメ『スチームボーイ』(2004年)、実写映画『蟲師』(2007年)などの監督作品を発表する。 2012年、自らプロデューサーとなって、東日本大震災の復興支援を兼ねた初の原画展「大友克洋GENGA展」を開催。3000枚もの原画が展示される漫画家としては世界最大規模の原画展となり、収益の約3割を被災した地元団体に寄付した。 2013年公開のオムニバス映画『SHORT PEACE』の中の一編『火要鎮』で監督を務める。同作はアヌシー映画祭公式セレクションとともに、アカデミー賞(アメリカ)へのプレノミネートを果たした。 2015年、アングレーム国際漫画祭で日本人として初めて最優秀賞を受賞する。それまでにも日本の漫画家が作品賞や特別賞を受賞したことはあったものの、大賞は大友が初めて。 2019年、Anime Expo 2019にて新作映画『ORBITAL ERA』の制作、代表作『AKIRA』の再アニメ化が発表される。 2022年1月より、講談社からデビュー以来の単行本未収録作品を含む全作品を雑誌掲載時の状態のまま収録する大友克洋全集「OTOMO THE COMPLETE WORKS」の刊行が開始される。 作風と影響 初期の作風 大友の初期の作品はアメリカン・ニューシネマの影響が強く、ロックやジャズ、ドラッグといった70年代の文化を背景とした日常風景を淡々と描くものが多かった。 コマ割りなどには敬愛する黒澤明やサム・ペキンパーの影響が強い。 緻密に描き込まれているにもかかわらず、余白を大胆に取ることで白っぽい画面が作られており、リアルでありながら劇画のような泥臭さや過剰さのない乾いた画風が注目された。 「大友以前・大友以後」 大友は、戦後に漫画において描かれてきた物語を解体し語りなおす作家として登場した。『ショート・ピース』刊行以後、日本の漫画全体の画風、手法が大きく変わったため、漫画の表現史を画するものとして「大友以前、大友以後」という言葉がしばしば用いられる。この言葉を用いた一人である米澤嘉博は、手塚治虫によって体系化された、記号化された絵を用いて意味のあるコマの連続で物語を表現するという漫画の手法に対して、事態をリアルに一枚の風景として描き出し、自在に変化するカメラワークによる画面の連続で作品を構成する大友の手法を、「非手塚的手法」と呼んだ。 大友の作品ではしばしばキャラクターのいない、風景だけが大写しにされたコマが続けて描かれるが、風景を物語の説明的な背景として使うのではなく「風景だけで何かを語らせる」というやり方は、それ以前の漫画にはない新しい手法であった ササキバラ・ゴウは、漫画の絵から説明的な意味・文脈を取り去り、人物も風景も同じ質感を持った単なる「もの」として写実的・立体的に描く大友の表現が、漫画の作品世界の中で均質な空間を表現することを可能にしたと指摘している。このことは一面では、箱庭的な物語世界のなかにディテールを描き込むことへの欲求を作家に与え、70年代以降のSFブーム・アニメブームと連動して、作品に細かな世界設定を描きこむ傾向を育てた。このような傾向はのちに士郎正宗らによって徹底的に追究されていくことになる。他面、人物の立体的な造形は80年代以降の士郎正宗や桂正和、遊人などの描く美少女像を変化させ、「記号的な顔」と「写実的な肉体」を併せ持つ、日本の漫画表現独特の美少女キャラクターを生み出す一因ともなった。上記に加え、老人を口元に皺を一本入れるというような記号的な方法でなく、骨格から皮膚のたるみまで老人として表現するような大友のデッサン力、建物を様々な角度から正確な遠近法で描き出す描写力、写真や映画などから影響を受けた光学的な表現方法などは、以後の漫画界全体の画力を底上げすることになった。この他にも、効果音を描き文字ではなくフキダシを使って描く方法や、超能力などの大きな力によって地面が割れたり、球状にへこんだりするといった表現方法など、大友が始めたことでスタンダードとなった手法は数多い。 大友は、それまでは平面的だったマンガやアニメの世界を、生身の骨格を持ったキャラクターたちや、構造を理解した上で描いた高層ビル群などの奥行きのある背景によって、リアルに立体化してみせた。物事をテンプレに沿って描いたり漫画的表現をしたりすることを避け、物も人も現実に即した表現で描写、キャラクターも全く美化せず、見たままのアジア人的な容姿(細い目、低い鼻、短い足、小さい乳房)で描いた。そうすることにより、例え荒唐無稽なストーリーであっても本当にあるかもしれないと読者に思わせることが可能となっている。 このような大友のスタイルの斬新さは有名無名を問わず、多くの漫画家に多大な影響を与えた。『ショートピース』刊行前後よりその手法を模倣する漫画家が多数出現。その影響は浦沢直樹、守村大、東本昌平などの当時の新人だけでなく、福山庸治、谷口ジローといった既存の作家にも表れ、作風の変化をもたらした。とり・みき、みやすのんきらは大友風のSFX描写を積極的に取り入れた。貞本義行は衝撃のあまり、大友の単行本を仕事場に置いて、横で見て手本にしながら、大友の「人間の顔を真っ正面から劇画としてアプローチし、且つ漫画的なデザインセンス」を研究していった。そしてそれは少年誌・青年誌の漫画家だけでなく、吉田秋生などの少女漫画家にも及んだ。 大友は漫画界のみならず、アニメの世界にも革命をもたらし、その先進性によって世界中から注目されるようになった。大友の長編監督デビュー作となった劇場アニメ『AKIRA』(1988年)は、日本だけでなく世界中のカルチャーに影響を与え続けている。アメリカ映画『クロニクル』(2012年)は監督のジョシュ・トランクが『AKIRA』の影響を口にし、カニエ・ウェストの「Stronger」のMVは映画『AKIRA』の世界観と映像をオマージュしたものになっている。また日本の映画の音響面も大友作品以降、大きく進化することになった。 アニメーション監督としては安彦良和のファンで、『機動戦士ガンダム』ではなく、それ以降の『巨神ゴーグ』『ヴイナス戦記』などのアニメ作品が好き。また、安彦とは以前は彼のスタジオによく遊びに行っていた仲でもある。 SFへの傾倒 デビュー以降、ATG映画のような若者の日常のバカバカしさを漫画にしていたが、1978年頃にメビウスやフランスのSF・ホラー漫画雑誌「メタル・ユルラン」の作家たちの存在を知ったことでバンド・デシネやヨーロッパのコミックに傾倒、いったんSFや西洋モノの作品に引き寄せられた。そして、彼らの様にきちんと絵を描くならストーリーもしっかり作らないといけないと考えるようになり、ストーリー作りにも力を入れるようになった。その後、軌道修正して自分なりの作風を確立する。 当時、日本の漫画業界は、劇画は『ゴルゴ13』のようなハードボイルド、一般漫画はスポーツ漫画と似たようなジャンルの作品ばかりだった。同じことをやりたくなかった大友は、若者のどうしようもなさを描くような漫画には飽きていたこともあり、子供のころから好きだったSFというジャンルを選んだという。 初めて描いたSF作品は、1979年発表の「Fire-Ball」。それまでロングショットだけで作中人物を描いてきた大友が初めてアップを使った作品でもあり、『童夢』『AKIRA』と続く80年代のSF作品への前触れとなった。1981年の「武器よさらば」は、SFというだけでなく、それまで実験的で渋めの作品が多かった大友がエンタメ志向でアクションを描いたことで驚かれた。 実写とアニメ制作 1980年代半ばからは漫画制作からアニメ映画や実写映画などの映像制作に活動の場を移していく。実写とアニメの制作については、分担作業である実写に対し、アニメは自分の頭の中でイメージが出来てしまう分、思い通りにならない現実とのギャップに悩まされるという。また日本のアニメは、実写同様にスタッフの枠が細分化されているアメリカと違って監督の影響力が強く、作品のすべてにその色が出てくるので、どれくらい物事を勉強しているか、あるいは世界に目を向けているかが重要になってくると述べている。 アニメの場合、実写のフレームとレンズの選定に相当するレイアウトは、常に自分で決めるようにしている。 パロディと批評性 大友は写実的な作風を持つ一方で、作品において漫画作品を始めとする過去の他の作品のパロディ、引用も数多くなされている。 大友本人は、子供の頃に触れた好きな作品へのオマージュを作品にするというのが制作における基本だと語っている。特に、手塚治虫、石ノ森章太郎、横山光輝という3人の漫画家を尊敬しており、自身の漫画でそれぞれオマージュを捧げている。手塚へのオマージュは、『FIRE BALL』において、メインコンピューターが"ATOM"(『鉄腕アトム』)と呼ばれているところ。石ノ森については、超能力をテーマにした『童夢』において、主人公の名前エッちゃん(悦子)を、同じく超能力を持つ少女が主人公の『さるとびエッちゃん』から引用している。横山は、代表作『AKIRA』の作品全体が横山のロボット漫画『鉄人28号』へのオマージュとなっている。作品タイトルにもなっている登場人物アキラの「実験番号28」は『鉄人28号』にちなんでつけており、主役を含む主要キャラクターの名前も同作の登場人物から引用している。また「戦時中に開発された究極の兵器が戦後の平和な時代に発見され、それを巡って物語が展開する」という物語の大筋も『鉄人28号』と同じであり、そのことは大友自身が語っている。 1976年に掲載された短編『CHUCK CHECK CHICKEN』(漫画アクション増刊、1976年11月3日号)は当時大団円を迎えて日本中に大ブームを巻き起こした『子連れ狼』の全編パロディとなっており、駆け落ちした妻と間男を追って元香荻(こおぎ)藩粋応(すいおう)流の解釈人・拝三拝(拝一刀)が一子・団子郎(大五郎)と旅をする物語となっている。 1977年から不定期掲載(全5話)された『さよならにっぽん』(週刊漫画アクション、1977年8月4日号〜1978年2月23日号)はNYに空手道場を構える日本人の空手家の物語で当時ブルース・リーや『空手バカ一代』が流行っていた事からカンフーや空手をネタに依頼され、NYを舞台にしたのは映画『フレンチ・コネクション』の影響である。 『ハイウェイスター』は公道でのドラッグレースを描いた物語で映画『断絶』の影響である。 『酒井さんちのゆきえちゃん』は大友が個人的に酒井ゆきえが好きだった事から描いたオマージュ作品で作中にも『ママとあそぼう!ピンポンパン』の番組に酒井ゆきえが登場している。 1978年から『rockin'on』で連載された「大友克洋の栄養満点!」では、『白雪姫』『赤頭巾』といった有名な童話をシニカルなファンタジーとして語り直しており、1979年より『バラエティ』に連載された『饅頭こわい』(単行本未収録)では毎回2ページを使って『鉄人28号』や『ゲゲゲの鬼太郎』などといった様々な漫画作品のパロディを行なっている。 1979年の『コミックアゲイン』誌では少女漫画の画風を模倣したパロディ作品「危ない! 生徒会長」(『SOS大東京探検隊』収録)を掲載している。 短編作品『猫はよく朝方に帰って来る』に登場する私立探偵は青池保子の『エロイカより愛をこめて』に登場するスパイ、エーベルバッハ少佐のパロディだと筆者自身がコメントしている。 デザイン キャラクターデザイン キャラクターデザイナーとして最初にオファーを受けたのは、アニメ映画『幻魔大戦』。 子供の頃は鉄腕アトムなどを真似して、非常に伝統的な漫画のような絵を描こうとしていた。しかし、高校生の時に流行った横尾忠則や伊坂芳太良といったイラストレーターの絵柄がすごく好きになり、自分もそういう画風でイラストのような感覚で漫画を描いてみたいと思うようになった。それ以来、漫画の登場人物は、従来の古典的なスタイルではなく、そういった新しいアプローチで描くようになった。 『幻魔大戦』の際、プロデューサーの丸山正雄に「ヒロインのルナ姫が可愛くない」と指摘されて何度も描き直したが、どうしても可愛く描けず、監督のりんたろうが間に入って可愛くないままのデザインでOKとなった。その後、『AKIRA』以降の作品では、初期に比べて登場人物の目が大きくなり、造形をかっこよく・可愛らしく描くようになっている。過去のインタビューでは、「そういった(一般的なアニメらしい可愛さの)絵柄も簡単に描けるが、描く理由もない。描かないと生き残れないなら描く」と語っている。 メカニックデザイン メカデザイナーとしては、「武器よさらば」で名を知られるようになった。作中のパワードスーツのデザインのアイデアは、その後、様々なジャンルの多数の作品に引用されている。 『幻魔大戦』に登場するサイボーグ戦士ベガのデザインは、当時のロボットデザインとは一線を画すオリジナリティを感じさせるものになっている。 『AKIRA』に登場する金田のバイクの未来的デザインは画期的で、世間に衝撃を与えた。アニメの世界以外でも、モーターショーでコンセプトモデルとして展示されたり、デザインを再現したカスタムバイクが販売されたり、スティーヴン・スピルバーグ監督のハリウッド映画『レディ・プレイヤー1』に登場したりしている。 影響については、特に一つを選ぶのが難しいくらい様々な人や作品に受けている。自身が見て経験してきたもの全ての影響がごちゃごちゃになって混在していて、その中から作品が生まれてくるという。小説『宇宙の戦士』のパワードスーツのデザインを手がけた宮武一貴や加藤直之のいたスタジオぬえの存在はもちろん大きいが、影響されたものには『2001年宇宙の旅』のようなSF映画も含まれている。『スターウォーズ』のデザインはあまり好きではなく、『エイリアン』やクリス・フォスやメビウス、H・R・ギーガーたちを集めてアレハンドロ・ホドロフスキーが制作しようとしていた『デューン』の方を好む。 シド・ミードの作品には大いに影響を受けている。金田のバイクも、シド・ミードがデザインした映画『トロン』に登場するバイク、ライトサイクルの楕円形の大きなフォルムから着想を得ている。 日本人では、自身の作品にも参加している渡部隆のほか、小林誠や『新世紀エヴァンゲリオン』のメカデザインも好き。 受賞歴 1981年 - 第10回日本漫画家協会賞優秀賞(「童夢」「I・N・R・I」ほか) 1982年 - 第13回星雲賞コミック部門(『気分はもう戦争』) 1983年 - 第4回日本SF大賞(『童夢』) 1984年 - 第15回星雲賞コミック部門(『童夢』) 1984年 - 第8回講談社漫画賞一般部門(『AKIRA』) 1992年 - アイズナー賞(アメリカ)最優秀彩色部門(『AKIRA』米国版) 2002年 - アイズナー賞(アメリカ)最優秀最優秀アーカイブプロジェクト部門および最優秀国際作品部門(『AKIRA』米国版) 2005年 - フランス芸術文化勲章シュヴァリエ(騎士)受章 2002年 - アイズナー賞(アメリカ)コミックの殿堂入り 2012年 - 第16回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞(『SHORT PEACE』の一編「火要鎮」) 2013年 - 紫綬褒章受章 2014年 - アニー賞(アメリカ)ウィンザー・マッケイ賞 (『生涯功労賞』) 2015年 - アングレーム国際漫画祭(フランス)グランプリ 2019年 - フランス芸術文化勲章オフィシエ(将校)受章 作品リスト 漫画作品 単行本 ショートピース(1979年、奇想天外社)(1986年、双葉社) ハイウェイスター(1979年、双葉社) GOOD WEATHER(1981年、綺譚社) さよならにっぽん(1981年、双葉社) ヘンゼルとグレーテル(1981年、ソニー・マガジンズ) 気分はもう戦争(1982年、双葉社)矢作俊彦原案 BOOGIE WOOGIE WALTZ(1982年、綺譚社) 童夢(1983年、双葉社) AKIRA全6巻(講談社、1983年 - 1993年) 彼女の想いで…(1990年、講談社) SOS大東京探検隊(1996年、講談社) 武器よさらば(2013年、バンダイビジュアル) 原作など 大友克洋・高千穂遙原作、高寺彰彦作画「サルタン防衛隊」(1982年) 今敏著「ワールドアパートメントホラー」(1991年、今敏『ワールドアパートメントホラー』収録)- 実写映画のコミカライズ。映画の監督は大友、原案は今敏、脚本は信本敬子。 大友克洋脚本、岡田鯛漫画「ZeD」(1991年) - アニメ映画『老人Z』のコミカライズ。 大友克洋原作、ながやす巧作画「沙流羅」(1990年 - 2004年) エンキ・ビラル著、大友克洋監修、貴田奈津子訳「モンスターの眠り」(1998年) 大友克洋・木村真二共著「ヒピラくん」(2001年 - 2002年) - 絵本。 大友克洋原作、衣谷遊作画「スチームボーイ」(2005年 - 2007年) - アニメ映画『スチームボーイ』のコミカライズ。 大友克洋原案、富沢義彦原作、海童博行作画「危機之介御免」(2006年 - 2007年) 大友克洋原案、富沢義彦原作、海童博行作画「危機之介御免〜ギヤマンの書〜」(2008年 - 2009年) 大友克洋原案、中川いさみ漫画「サプライズ」(2018年、月刊モーニングtwo6月号掲載) イラストレーション 装画・挿絵など 高千穂遥『狼たちの曠野』(1981年)装画 都筑道夫『銀河探偵ビリイ・アレグロ』(1981年)装画 関川夏央『名探偵に名前はいらない』(1981年)口絵 矢作俊彦『カニを、もっとカニを!』(1981年)挿絵 矢作俊彦『カニを、さらにカニを!!』(1982年)挿絵 NHK教育『YOU』(1982年)オープニングのイラスト集。テーマ音楽は坂本龍一。 久住昌之『久住昌之の笑えるビデオ HESO』(1990年) 表紙イラスト 矢作俊彦『東京カウボーイ』(1992年)装画 石野卓球『DOVE LOVES DUB』(1995年) CDジャケットイラスト 東京スカパラダイスオーケストラ『ROCK MONSTER STRIKES BACK』(1996年)CDジャケットイラスト 東郷隆『幕末袖がらみ』(1998年) 表紙イラスト ジェイムズ・キャメロン・小峯隆生『豪快!映画学 ジェイムズ・キャメロン×小峯隆生』(2001年)装画 おたくの殿堂 『お殿』(2006年) ロゴ 佐藤哲也『ぬかるんでから』(2007年) 装画 関純二『担当の夜』(2014年)筆者近影 SABU『天の茶助』(2015年) 装画 ピーテル・ブリューゲルの絵画「バベルの塔」(1563年)の内部図解「INSIDE BABEL」(2017年) 佐藤喬『逃げ 2014年全日本選手権ロードレース』(2018年)装画 東京スカパラダイスオーケストラ「TOKYO SKA TREASURES ~ベスト・オブ・東京スカパラダイスオーケストラ~」(2020年)CDジャケットイラスト 画集 OTOMO KATSUHIRO ARTWORK KABA(講談社、1989年) ビバ・イル・チクリッシモ!(マガジンハウス、2008年)寺田克也との合作 OTOMO KATSUHIRO ARTWORK KABA2(講談社、2012年) GENGA OTOMO KATSUHIRO ORIGINAL PICTURES(発行:大友克洋原画展実行委員会 発売:パイ インターナショナル、2012年) 映像作品 監督作品 じゆうを我等に(実写映画、1982年) - 自主制作作品。16ミリ60分。 ロボットカーニバル(オムニバス・OVA、1987年) - オープニングとエンディングの監督・脚本・絵コンテを担当。 迷宮物語(オムニバス・アニメ映画、1986年) - 「工事中止命令」の監督・脚本・キャラクターデザインを担当。 AKIRA(アニメーション映画、1988年) ワールド・アパートメント・ホラー(実写映画、1991年) MEMORIES(オムニバス・アニメ映画、1995年) GUNDAM Mission to the Rise(短編CGアニメ作品、1998年) - ガンダムとザクのデザインも担当。 スチームボーイ(アニメーション映画、2004年) 蟲師(実写映画、2007年) SHORT PEACE(オムニバス・アニメ映画、2013年) - 「火要鎮」の監督・脚本、「武器よさらば」の原作を担当。 なかの綾「じゅうくはたち」(ミュージック・ビデオ、2016年) ORBITAL ERA(アニメーション映画、時期未定) 童夢(実写パイロットフィルム、製作時期不明) 脚本、キャラクターデザインなど ライブイン・茅ヶ崎(8ミリ長編映画、1978年、森田芳光監督) - 宣伝用イラスト。 幻魔大戦(アニメーション映画、1983年) - キャラクターデザイン。 クラッシャージョウ(アニメーション映画、1983年) - スペシャル・デザイン(アラクネ)。 キヤノンT70(カメラ製品のテレビCM、1984年) - キャラクターデザイン、絵コンテ、原画。 AKIRA(ファミリーコンピュータ、1988年) - シナリオ、プロデュース。 老人Z(アニメーション映画、1991年) - 原作、脚本、メカニックデザイン。 スプリガン(アニメーション映画、1998年) - 総監修。 PERFECT BLUE(アニメーション映画、1998年) - 企画協力。 メトロポリス(アニメーション映画、2001年) - 脚本。 FREEDOM-PROJECT(CMおよびアニメーション映画、2006年) - 一部キャラクターデザイン・メカニックデザイン。 ヒピラくん(短編テレビアニメ、2009年) - 「おはなし」担当。 鬼神伝(アニメーション映画、2011年) - オロチコンセプトデザイン。 キリンMCダノンウォーターズ「ボルヴィック 飲む自然篇」(テレビCM、2012年) - キャラクターデザイン。 スペース☆ダンディ(テレビアニメ、2014年) - ダンシング星人デザイン。 犬ヶ島(アニメーション映画、2018年) - コラボイラスト。 NHKスペシャル 東京リボーン(テレビ番組、2018年) - 一部デザイン監修。 原作提供 高校エロトピア 赤い制服(1981年) - にっかつロマンポルノ映画。短編「任侠シネマクラブ」映像化。白鳥信一監督。 シャッフル(1981年) - 短編映画。短編「RUN」を実写映像化。監督:石井聰亙 出演:室井滋ほか。大友と連絡が取れなかったという理由で無許可で撮影を始め、後で承認される。後から知らされた大友は一言声をかけて欲しいとコメントしている。 不可思議物語(1988年) - オムニバスVシネマの中の一作。短編「猫はよく朝方に帰ってくる」を実写映像化。監督:山川直人 出演:三上博史、室井滋ほか SO WHAT(1988年) - 劇場公開映画。同名の短編を実写映像化。監督:山川直人 出演:東幹久、室井滋、竹中直人ほか 新SOS大東京探検隊(2006年)原作・キャラクター原案。 - 劇場アニメ映画。 関連人物 石ノ森章太郎 大友は石ノ森と同郷、同高校の出身であり、特に意識していた漫画家として石ノ森と園田光慶(『アイアン・マッスル』)を挙げている。 江口寿史 江口は自分の絵柄がイラスト的になっていったことについて、大友の影響が大きかったことを語っている。住まいが近かったため一時期はよく一緒に飲んでいたという。『老人Z』への参加も飲み話がきっかけに実現したものであった ジャン・ジロー(メビウス) しばしば画風が似ていることが指摘されており、大友自身「非常に好きな作家」として名を挙げている。メビウスのほうも1984年 - 85年頃に大友の『さよならにっぽん』に衝撃を受けて以来興味を持ち、相互に影響し合っていると語っている。 ナイン・オールドメン 大友のアニメーションの仕事では、初期のディズニーアニメを支えたナイン・オールドメンの影響があり、『工事中止命令』(1988年)では画集を見ながら作業していたという。 浦沢直樹 19、20歳の頃に大友の登場に衝撃を受け、絵柄がガラッと変わって大友のような絵を描くようになったという。 中川いさみ 大友が中川の漫画を気に入っており、後に中川の「マンガ家再入門」でストーリー漫画の指導をし、本作では大友が登場する。 宮崎駿 1982年の講演で諸星大二郎と並べて「半分ぐらい好き」と評している。「ぼくの好きな漫画家は諸星大二郎なんです。大友克洋も半分ぐらい好きです。なぜ好きかといえば、通俗文化――といって悪い意味で使っているわけじゃありません――の中で、それから逃れられない人たちが大勢いる中で、諸星大二郎・大友克洋の絵を見たとき、非常に清々した気分になる」 アシスタント 高寺彰彦 今敏 末武康光 守村大 - 臨時アシスタント。 脚注 注釈 出典 参考文献 外部リンク アニー賞 大友克洋 ウィンザー・マッケイ賞(受賞スピーチ映像) 日本の漫画家 SF漫画家 日本の映画監督 日本のアニメーション監督 ガンダムシリーズの監督 SF映画監督 日本の男性アニメーター 日本のキャラクターデザイナー アニメのキャラクターデザイナー メカニックデザイナー ガンダムのデザイナー 日本のイラストレーター 日本のサブカルチャーに関する人物 芸術文化勲章受章者 紫綬褒章受章者 アニー賞受賞者 アングレーム国際漫画祭グランプリ受賞者 アイズナー賞殿堂入りの人物 宮城県出身の人物 1954年生 存命人物
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大橋薫
大橋 薫(おおはし かおる、1966年3月24日 - )は、日本の漫画家。「狼のエンブレム」(原作:平井和正&ウルフガイプロジェクト)でデビューする。一卵性双生児の妹に漫画家の楠桂がおり、姉妹での合同作品も多数発表している。 作品リスト 衰族館 悪魔のお店-Shadow & Maria- あなたのチアペット いけない華子先生 ほけん-の-せんせ 祈殺 S○X エデンのどん底 エロカワ王子 ANGEL ガラスの天使 エンゼルのお仕事 大橋 薫イラスト集 BOX オカルト・ゾーン 大橋薫怪奇作品集 オカルト・バージン 乙姫BOMB! 鬼姫祭り 勝手にシンデレラコンプレックス かなづちマーメイド ガラスの天使 口裂け少女さっちゃん(原作:大塚英志) くるぐる使い(原作:大槻ケンヂ) 月曜日の人魚 検察側の証人 GOGO昇天! 御主人様の言うとおり サイコ・クラッシュ! 桜の君 極道の乙女たち C ガールズトーク シスタートラップ 週末は行方不明 セルロイド カーニバル セルロイド カーニバル カーテンコール タック&タカチの事件簿 16秒間の密室(原作:西澤保彦) タック&タカチの事件簿2 6つの箱の死体(原作:西澤保彦) 月夜のヒロイン DEAD DREAM トーキョーエクソシスト 帝都祓魔師 Dolls Don't Cry 年上な彼女たち 人形使いサウジーネ・サーカス団 人魚の首 眠り姫は夢を見ない バスターズ! 万能少女 ヒカルンパッ☆(『別冊ヤングマガジン』、講談社、全2巻) ビッグマウスホラーショー HIMEGOTO FANGU〜牙〜 不良少年 分心 ヘンカノ(『別冊ヤングマガジン』、講談社、単巻) ボディコン英雄伝説 魔女からの伝言 ポワゾンディナー 魔女のいる教室 真澄鏡 迷いの街 真夜中の童話 マリアに殺される 巫女っす!(『ヤングキング』、少年画報社、全3巻) ミナゴロシ REJECT(不良品) 流刑教室 霊獣都市 レミングの行方 脚注 注釈 出典 外部リンク K2OFFICE (公式ウェブサイト、実妹・楠桂と共同) ttp://k2officekaru.blog66.fc2.com/ K2OFFICE大橋薫 公式ブログ 漫画家大橋薫のお仕事近況日常日記] (2011年 1月20日 20:47 - ) ※ UTC表記。
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大森葵
大森 葵(おおもり あおい、11月6日 - )は、日本の漫画家・イラストレーター。ファンタジー作品を描く傍ら、PlayStation 2用ゲームソフト『サモンナイトエクステーゼ 夜明けの翼』ではいるも晴章名義でキャラクターデザインを務めた。 作品 漫画 アルゴレスト バスターズ ソニックウィザード ファントムウィザード 勇者王ガオガイガーFINAL the COMIC SOUL GADGET RADIANT(全10巻) シルシア=コード(『月刊ComicREX』2016年1月号 - 2018年12月号、全4巻) Fate/Grand Order -Epic of Remnant- 亜種特異点IV 禁忌降臨庭園 セイレム 異端なるセイレム』(『月刊ComicREX』2019年3月号 - 連載中、既刊6巻) キャラクターデザイン ラストスタンド (ワンダースワン用ゲームソフト) サモンナイトエクステーゼ 夜明けの翼 (PlayStation 2用ゲームソフト) イラスト 「自由」(『ガンガンONLINE』2009年6月25日) いるも晴章名義 脚注 外部リンク 日本の漫画家 日本のイラストレーター 生年未記載 存命人物
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大山和栄
大山 和栄(おおやま かずえ、生年不詳(2月16日生) - 2010年4月)は、日本の女性漫画家。長崎県平戸市出身。血液型はO型。 来歴 1973年、小学館の少女向け漫画雑誌『週刊少女コミック』にて「おむこさん志願」でデビュー。以降同誌や、同社の一般女性向けの漫画雑誌『プチセブン』などを中心に多数の連載作品を執筆していた。また講談社、秋田書店などの少女向け漫画誌でも主に短編作品を発表していた。 2002年、乳がんに罹患していることが分かり、摘出手術を受けた。以降、乳がんの撲滅運動であるピンクリボン運動にもかかわっていた。また、その闘病体験を生かした作品である『未来暦』やエッセイ作品『明日への伝言』、『乳がんと闘う!!ピンクのリボン』なども発行された。 2009年10月頃より癌が再発した事実を自らのブログに公表し、闘病の記録を綴っていたが、2010年4月初旬自身のブログにて体調が急変したことを伝える記事を執筆していたのが最後の記事となった。その後、同月に亡くなっていたことが判明し、同年6月に故郷である平戸市にてお別れの会が執り行われた。 概要 長崎県平戸の風土をこよなく愛し、作品の中にも数多く登場させていた。例えば『姉妹坂』における茜の出生地が長崎の平戸であり、後に息を引き取る場所も平戸であった。平戸の復興とイメージアップに対し、ピンクリボン運動の講演会などで熱く情熱的に語り、ピンクリボン運動を通して自らも行動を起こしていた。 大学の教壇に立ち、新たな可能性を秘めた若い才能を育てつつ、心に傷を持つ若者達(不登校児童)との交流にも力を注いでいた。 後進の女性漫画家のみならず、漫画を中心とした文化に対して与えた影響には多大なものがあり、画力とストーリーを兼ね備えた本格派の女性漫画家として道を開いた人物であり、作中のキャラクターに対し、個性ではなくシュールな人物としての性格を取り込ませ表現する手法を用いた作家でもあった。 1982年、歌手・女優である小泉今日子のデビューにあたり、プロモーションとして当初は写真の公表をせず、大山が描いた彼女の似顔絵のイラストが起用された。この縁で、小泉のアルバム『詩色の季節』(LP盤、レーベル:ビクターエンタテインメント)のうち、B面に収録の曲の作詞を担当する。作品は物語仕立ての内容となっており、歌詞カードには大山のイラストがちりばめられている。 1984年、『週刊少女コミック』主催の『ザ・スカウトオーディション』において大山の代表作の1つである『シューティングスター』の主人公の名をグランプリとして冠した『浅香唯賞』に川崎亜紀が受賞。これを機に、川崎亜紀は芸名「浅香唯」として芸能界入りし、アイドルタレントとして活躍することとなる。 代表作の1つである『姉妹坂』は1985年に東宝より映画化された。また『未来暦』と『典子、点、テン』は中国でも発売されている。 作品リスト 一般漫画作品 独り遊技(小学館 全1巻)※短編集 恋糸車(小学館 全6巻)原作:落合恵子 ISBN 9784-091303110(1977年10月) ISBN 9784-091303127(1977年12月) ISBN 9784-091303134(1978年2月) ISBN 9784-091303141(1978年4月) ISBN 9784-091303158(1978年6月) ISBN 9784-091303165(1978年8月) なつめのある家(朝日ソノラマ 全1巻)(1978年11月) 春なかば(朝日ソノラマ 全1巻)(1978年11月) わた雪ふんわり(朝日ソノラマ 全1巻)(1978年11月) 姉妹坂(小学館 全19巻) ほおずきの村へ(秋田書店 全1巻)ISBN 9784253071758(1980年12月) 夢色の積み木箱(講談社 全1巻)ISBN 9784061089662(1981年4月) 夢みたものは(小学館 全1巻)ISBN 9784091308023(1981年12月)※短編集 太陽の味がする(小学館 全3巻) ISBN 9784091310712(1982年8月) ISBN 9784091310729(1982年11月) ISBN 9784091310736(1983年3月) たんぽぽ便り(秋田書店 全1巻)ISBN 9784253072441(1983年7月) シューティングスター(小学館 全3巻) ISBN 9784091316813(1984年10月) ISBN 9784091316820(1985年1月) ISBN 9784091316837(1985年2月) 北野模様(小学館 全4巻) ISBN 9784091321916(1985年12月) ISBN 9784091321923(1986年4月) ISBN 9784091321930(1986年9月) ISBN 9784091321947(1987年2月) ぼだいじゅ(ヒット出版 全2巻) 1986年2月発行 1986年4月発行 風の岐路(秋田書店 全1巻)ISBN 9784253120074(1986年3月) 蒼いしあわせ(講談社 全1巻)ISBN 9784061701434(1986年11月) 赫い花(小学館 全12巻) ISBN 9784091776518(1989年4月) ISBN 9784091776525(1989年6月) ISBN 9784091776532(1989年9月) ISBN 9784091776549(1989年11月)  ISBN 9784091776556(1990年4月) ISBN 9784091776563(1990年10月) ISBN 9784091776570(1991年4月) ISBN 9784091776587(1991年6月) ISBN 9784091776594(1991年10月) ISBN 9784091776600(1992年2月) ISBN 9784091776617(1992年4月) ISBN 9784091776624(1992年6月) 典子、点、テン(双葉社 全1巻)ISBN 9784575331271(1991年7月) 都わすれ(小学館 全11巻) ISBN 9784091776716(1993年5月) ISBN 9784091776723(1993年7月) ISBN 9784091776730(1993年10月) ISBN 9784091776747(1994年1月) ISBN 9784091776754(1994年4月) ISBN 9784091776761(1994年6月) ISBN 9784091776778(1994年9月) ISBN 9784091776785(1995年11月) ISBN 9784091776792(1995年11月) ISBN 9784091776808(1995年12月) ISBN 9784091777119(1995年12月) 未来暦(集英社 1巻)ISBN 9784420150774(2005年12月) エッセイ漫画作品 明日への伝言―乳がんと闘う女性たち(秋田書店)ISBN 9784253104968(2004年7月) 乳がんと闘う!!ピンクのリボン(集英社)ISBN 9784420151429(2008年01月) 脚注 外部リンク - 本人公式HP 日本の漫画家 長崎県出身の人物 20世紀生 2010年没
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岡崎京子
岡崎 京子(おかざき きょうこ、1963年〈昭和38年〉12月13日 - )は、日本の漫画家。 1980年代から1990年代にかけて、多くの優れた作品を発表、時代を代表する漫画家として知られた。しかし作家活動の頂点にあった1996年(平成8年)に交通事故で重傷を負い、後遺症で作家生命を事実上絶たれた。 休筆後20年以上を経てもなお、過去作品が断続的に復刊され、また映画化されている。 来歴 東京都世田谷区下北沢の理髪店の娘として生まれる。 東京都立松原高等学校時代から橘川幸夫編集の投稿雑誌『ポンプ』等にイラストや漫画を頻繁に投稿。妹とともに表紙を飾ったこともある。 他、ミニコミ誌「リサイクル・サークル」内にイラストを提供。モチーフの多くはNew Age Steppersなどニューウェイブバンドであった。この頃、音楽家集団京浜兄弟社の加藤賢崇、常盤響、岸野雄一らと交流。跡見学園女子大学短期大学部在学中、友人の同人誌への投稿作品が、メジャーミニコミ誌『東京おとなクラブ』に転載されたものが、雑誌 『漫画ブリッコ』編集者・大塚英志に評価され、 1983年(昭和58年)、『漫画ブリッコ』(白夜書房)6月号にてデビュー。 1980年代から1990年代にかけて、サブカル誌、漫画誌、ファッション誌などに作品が掲載され、また新しいタイプの女性漫画家として内田春菊、桜沢エリカ、原律子らとともに、一般誌にも紹介される。岡崎の作品では、映画、小説、音楽、現代思想書などからの引用が多用され、また同時に岡崎の漫画表現を考察する本や雑誌も多く出版されている。岡崎の作品 『ヘルタースケルター』は2003年(平成15年)度文化庁メディア芸術祭・マンガ部門優秀賞、2004年(平成16年)第8回手塚治虫文化賞・マンガ大賞を受賞。 岡崎のアシスタントを務めていたことがあるのは安野モヨコ、よしもとよしとも、マユタン、千里唱子、坂本大三郎らの漫画家。また後のアートライター工藤キキもアシスタントだったことがある。 事故による休業 結婚後の1996年(平成8年)5月19日18時半頃、自宅付近にて夫と共に散歩中、飲酒運転の大型四輪駆動車にひき逃げされ、自力で呼吸できないほどの重傷を負ったうえ、意識障害が続き創作休止と長期療養を余儀なくされる。 岡崎の家族の了解をとって角川書店が1998年(平成10年)に『UNTITLED』を刊行。題名は編集部と家族が話し合い決定している。 以前からファンであり親交がある小沢健二のコンサートに事故の14年後(2010年(平成22年)5月)に車椅子に乗り訪れる。 『ヘルタースケルター』の映画化に際して事故後初の岡崎本人の発言が2012年1月に発表される。 初の大規模個展「戦場のガールズ・ライフ」が2015年に東京・世田谷文学館で開かれ、その後、兵庫と福岡へも巡回した。 単行本リスト 漫画 『バージン』 白夜書房, 1985年(昭和60年), (白夜コミックス), ISBN 4-938256-90-8. 河出書房新社, 1989年(平成元年), (カワデ・パーソナルコミックス23), ISBN 4-309-72523-6. 河出書房新社, 2002年(平成14年), (九龍コミックス), ISBN 4-309-72826-X. 1985年(昭和60年)までに発表された短篇を収録した短篇集。 『ボーイフレンド is ベター』 白泉社, 1986年(昭和61年), (JETS COMICS), ISBN 4-592-13100-2. 1985年(昭和60年)から1986年(昭和61年)の間に発表された短篇13篇を収録した短篇集。 『セカンド・バージン』 双葉社〈アクションコミックス〉、1986年、ISBN 4575930342 新装版、双葉社〈アクションコミックス〉、2006年、ISBN 4575940461 週刊漫画アクション連載 『退屈が大好き』 河出書房新社〈カワデパーソナルコミックス〉、1987年、ISBN 4309725163 新装版、河出書房新社〈九龍コミックス〉、2002年、ISBN 4309728278 短編集 『TAKE IT EASY』 スコラ, 講談社, 1988年(昭和63年), (バーガーKC-20), ISBN 4-06-304620-6. スコラ, 1989年(平成元年), (バーガーSC-74), ISBN 4-7962-4018-7. スコラ, 1994年(平成6年), (SC DELUXEバーガーSC-326), ISBN 4-7962-4270-8. ソニー・マガジンズ, 2000年(平成12年), (バーズコミックスデラックス), ISBN 4-7897-8243-3. 幻冬舎コミックス, 2003年(平成15年), (バーズコミックスデラックス), ISBN 4-344-80347-7. 『コミックバーガー』1986年(昭和61年)11月号から1987年(昭和62年)3月号までの連載が初出。他に短篇数篇を収録。 『ジオラマボーイ パノラマガール』 マガジンハウス, 1989年(平成元年), (MAG COMICS), ISBN 978-4-8387-0059-2. マガジンハウス, 2010年(平成22年), (MAG COMICS), ISBN 978-4-8387-2165-8. 平凡パンチ1988年(昭和63年)3月10日号から1988年(昭和63年)11月10日号までの連載が初出。 『pink』 マガジンハウス, 1989年(平成元年), (MAG COMICS), ISBN 978-4-8387-0107-0. Bach, Marie and Monthiers, Marie-Françoise, trans., Casterman, Bruxelles, Belgique, 2007, (SAKKA), ISBN 978-2-203-37345-7.※仏語版。 Bach, Marie and Monthiers, Marie-Françoise, trans., Casterman, Bruxelles, Belgique, 2007, (écritures), ISBN 978-2-203-00192-3.※仏語版。 マガジンハウス, 2010年(平成22年), ISBN 978-4-8387-2141-2. Vertical, New York, USA, 2013, ISBN 978-1-939130-12-9.※英語版。 Newパンチザウルス1989年(平成元年)2月23日号から1989年(平成元年)7月4日号までの連載が初出。 『くちびるから散弾銃』 講談社, 1989年(平成元年), (MeワイドKC61), ISBN 4-06-176561-2. 講談社, 1990年(平成2年), (MeワイドKC86), ISBN 4-06-176586-8. ※「2冊め」。 講談社, 1996年(平成8年), (KCDX704), ISBN 4-06-319704-2. ※合本版。 講談社, 2012年(平成24年), (KCDX3252), ISBN 978-4-06-376652-3. ※合本版。 Me twin1987年(昭和62年)2月号から1990年(平成2年)5月号までの連載が初出。 『好き好き大嫌い』 JICC出版局〈宝島comics〉、1989年、ISBN 4-88063-583-9 宝島社〈Wonderland comics〉、2003年、ISBN 4-7966-3148-8 短編集 『ショコラな気持ち』 扶桑社〈SUKI SUKI BOOKS〉、1990年、ISBN 4594005411 描き下ろし。バレンタインデーをテーマにしたCDケースサイズの企画本 『ROCK』 JICC出版局, 1991年(平成3年), (宝島COMICS), ISBN 4-7966-0080-9. 宝島社, 2003年(平成15年), (宝島COMICS), ISBN 4-7966-3333-2. Casterman, Bruxelles, Belgique, 2010, (SAKKA), ISBN 978-2-203-00623-2.※仏語版。 月刊CUTiE1989年(昭和64年)1月号から1990年(平成2年)9月号までの連載が初出。 『ショコラ・エブリデイ』 毎日新聞社、1992年、ISBN 4-620-77035-3 新装版、小学館クリエイティブ、2009年、ISBN 978-4-7780-3504-4 『PeeWee』ソニー・マガジンズ連載 『ハッピイ・ハウス』 主婦と生活社〈GIGAコミックス〉、1992年、上:ISBN 4-391-92015-8、下:ISBN 4-391-92016-6 新装版、主婦と生活社、2006年、ISBN 4-391-92096-4 『コミックGIGA』連載 『カトゥーンズ』 角川書店、1992年、ISBN 4-04-852378-3 新装版、角川書店〈単行本コミックス〉、2004年、ISBN 4-04-853729-6 『月刊カドカワ』連載 『危険な二人』 角川書店, 1992年(平成4年), (YOUNG ROSÉ COMICS DELUXE), ISBN 4-04-852359-7. 角川書店, 2004年(平成16年), (単行本コミックス), ISBN 4-04-853704-0. ヤングロゼ1991年(平成3年)5月号から1992年(平成4年)5月号までの連載が初出。 『東京ガールズブラボー』 JICC出版局、1993年、上:ISBN 4-7966-0547-9、下:ISBN 4-7966-0548-7 宝島社、2003年、上:ISBN 4-7966-3198-4、下:ISBN 4-7966-3199-2 『CUTiE』連載 『愛の生活』 角川書店〈Young rose comics deluxe〉、1993年、ISBN 4-04-852430-5 角川書店〈単行本コミックス〉、2004年、ISBN 4-04-853692-3 『ヤングロゼ』連載 『マジック・ポイント』 大原まり子, 祥伝社, 1993年(平成5年), (FEEL YOUNG COMICS GOLD), ISBN 4-396-76081-7. 大原まり子, 祥伝社, 2012年(平成24年), (FEEL COMICS), ISBN 978-4-396-76545-3. FEEL YOUNG1993年(平成5年)4月号から1993年(平成5年)9月号までの連載が初出。 『リバーズ・エッジ』 宝島社, 1994年(平成6年), ISBN 4-7966-0825-7. 宝島社, 2000年(平成12年), (Wonderland COMICS), ISBN 4-7966-1669-1. Casterman, Bruxelles, Belgique, 2007, (SAKKA), ISBN 978-2-203-00619-5.※仏語版。 宝島社, 2008年(平成10年), ISBN 978-4-7966-6698-5. 臉譜文化,2014年2月6日 ISBN 978-986-235-311-0 ※台湾中文版。 月刊CUTiE1993年(平成5年)3月号から1994年(平成6年)5月号までの連載が初出。 『エンド・オブ・ザ・ワールド』 祥伝社, 1994年(平成6年), (FEEL YOUNG COMICS GOLD), ISBN 4-396-76101-5. 祥伝社, 2012年(平成24年), (FEEL COMICS), ISBN 978-4-396-76546-0. 1992年(平成4年)から1994年(平成6年)の間に発表された短篇5篇を収録した短篇集。 『私は貴兄のオモチャなの』 祥伝社, 1995年(平成7年), (FEEL COMICS), ISBN 4-396-76136-8. FEEL YOUNG掲載作の短編集。表紙の題名は『I wanna be your dog』。 『ヘテロセクシャル』 角川書店, 1995年(平成7年), (YOUNG ROSÉ COMICS DELUXE), ISBN 4-04-852503-4. 角川書店, 2004年(平成16年), (単行本コミックス), ISBN 4-04-853707-5. 1993年(平成5年)から1994年(平成6年)の間に発表された短篇4篇を収録した短篇集。 『チワワちゃん』 角川書店, 1996年(平成8年), (YOUNG ROSÉ COMICS DELUXE), ISBN 4-04-852687-1. 角川書店, 2004年(平成16年), (単行本コミックス), ISBN 4-04-853689-3. 1994年(平成6年)から1995年(平成7年)の間に発表された短篇5篇及び書き下ろし2篇の短篇集。 角川書店, 2018年(平成30年), (あすかコミックDX), ISBN 9784041078488. チワワちゃんの他、LOVE, PEACE & MIRACLE -紙の上のスライドショウ-、夏の思い出、チョコレートマーブルちゃん、GIRL OF THE YEAR、空を見上げる -あとがきにかえて-、好き? 好き? 大好き? を収録した短篇集。 『UNTITLED』 角川書店〈Asuka comics deluxe〉、1998年、ISBN 4-04-852938-2 角川書店〈単行本コミックス〉、2004年、ISBN 4-04-853728-8 『ヘルタースケルター』 祥伝社, 2003年(平成15年), ISBN 978-4-396-76297-1. Carlsen Verlag, Hamburg, Germany, 2005, (MANGA!), ISBN 978-3-551-78634-0.※独語版。 Casterman, Bruxelles, Belgique, 2007, (SAKKA), ISBN 978-2-203-00281-4.※仏語版。 Vertical, New York, USA, 2013, ISBN 978-1-935654-83-4.※英語版。 FEEL YOUNG1995年(平成7年)7月号から1996年(平成8年)4月号までの連載が初出。 2012年に同名で映画化される。 『うたかたの日々』 ボリス・ヴィアン, 宝島社, 2003年(平成15年), ISBN 978-4-7966-3275-1. 月刊CUTiE1994年(平成6年)8月号から1995年(平成7年)7月号までの連載が初出。 『恋とはどういうものかしら?』 2003年、マガジンハウス〈Mag comics〉、ISBN 4-8387-1398-3 短編集 『女のケモノ道』 文藝春秋、2005年、ISBN 4-16-366780-6 『CREA』連載 『秋の日は釣瓶落とし』 双葉社〈アクションコミックス〉、2006年、ISBN 4575940453 短編集 『東方見聞録:市中恋愛観察学講座』 小学館クリエイティブ, 小学館, 2008年(平成20年), ISBN 978-4-7780-3502-0. ヤングサンデー1987年(昭和62年)4月10日号(1巻1号通巻261号)から1987年(昭和62年)10月24日号(1巻14号通巻274号)までの連載が初出。 『岡崎京子未刊作品集 森』 祥伝社〈フィールコミックス〉、2011年、ISBN 978-4396765293 『レアリティーズ』 平凡社、2015年、ISBN 9784-582-28797-4 文芸 いとうせいこう・岡崎京子 『ハプニングみたい』 講談社、1992年、ISBN 4-06-205659-3 講談社〈KCDX〉、2002年、ISBN 4-06-334637-4 『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』 平凡社、2004年、ISBN 4-582-83212-1、物語集 『オカザキ・ジャーナル』 平凡社、2015年、ISBN 978-4-582-83682-0 イラストレーション 大原まり子『処女少女マンガ家の念力』表紙・挿絵、角川文庫、1987年、ISBN 4-04-166802-6 大原まり子『金色のミルクと白色(しろ)い時計』表紙・挿絵、角川文庫、1986年、ISBN 4-04-166801-8 斉藤綾子『ルビーフルーツ』表紙、双葉社、1992年、ISBN 4575231169 押切伸一・川勝正幸『流行の素』本文イラストレーション、JICC出版局、1990年、ISBN 4-88063-972-9 『ウゴウゴルーガ』エンディングアニメーション、フジテレビ、1993年 サニーデイ・サービス『桜 super love』ジャケット、2017年 その他 「X'masスペシャル ポップス&ロック 1989ライブ」Xmas JINGLES 1989年12月23日 NHK 関連書籍 椹木野衣 『平坦な戦場でぼくらが生き延びること:岡崎京子論』 筑摩書房、2000年、ISBN 4-480-82343-3 『総特集岡崎京子』 河出書房新社〈文藝別冊、Kawade夢ムック〉2002年、ISBN 4-309-97627-1 Okazaki principle alliance 編 『Okazaki-ism:岡崎京子・研究読本』 21世紀box、2002年、ISBN 4-88469-269-1 『萩尾望都・岡崎京子・大島弓子』 キネマ旬報社〈マンガ夜話2〉、1999年、ISBN 4-87376-504-8 ばるぼら 『岡崎京子の研究』 アスペクト、2012年、ISBN 4-75722-090-1 増渕俊之編 『岡崎京子の仕事集』 文藝春秋、2012年、ISBN 4-16375-390-7 - 岡崎の初期作品も収録 杉本章吾 『岡崎京子論』 新曜社、2012年、ISBN 4-78851-306-4 『岡崎京子 戦場のガールズ・ライフ(世田谷文学館・岡崎京子展公式カタログ)』 平凡社、2015年、ISBN 978-4-582-20679-1 参考文献 岡崎京子『UNTITLED』角川書店〈Asuka comics deluxe〉、1998年、ISBN 4-04-852938-2。 河出書房新社『文藝』 2001年秋季号 特集・岡崎京子 脚注 外部リンク 日本の漫画家 跡見学園女子大学短期大学部出身の人物 東京都立松原高等学校出身の人物 東京都区部出身の人物 1963年生 存命人物 障害を持つ人物 日本のサブカルチャーに関する人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E3%81%A4%E3%81%90%E3%81%8A
岡崎つぐお
岡崎 つぐお(おかざき つぐお、1960年4月23日 - )は日本の漫画家。東京都出身。 1980年に『2年A組星子先生』でデビュー。デビュー後しばらくは『週刊少年サンデー』(小学館)で活躍した。代表作は『ただいま授業中!』『ジャスティ』『ラグナロック・ガイ』『あそびじゃないの』など。 その後、デジタルコミックも手掛け、1998年刊行の『ウェブコミックス』vol.1(ソフトバンク)に「カイン11」が掲載された。2011年、「Web Magazine KATANA」で『ジャスティ~ネオランビス編』が始まった。 女優の清水まゆみは叔母(母の妹)。 作品リスト ただいま授業中!(『週刊少年サンデー』、1980年 - 1983年) ジャスティ(『週刊少年サンデー増刊号』、1981年 - 1984年) ジャスティ ネオランビス編(『Web Magazine KATANA』、2011年 - 2015年) 春美120%(『週刊少年サンデー』、1983年 - 1984年) ラグナロック・ガイ(『週刊少年サンデー』、1984年 - 1985年) ライジング・ファイタータケル(『月刊少年キャプテン』、1985年 - 1987年) どきどきハートビート(『週刊少年サンデー』、1986年 - 1987年) ミッドナイトゾーン・岡崎つぐおバラエティー傑作短篇集(東京三世社、1988年) とりたて一番!(『バーガーSC』(スコラ)、1991年) 超時空要塞マクロスII(『週刊少年サンデー増刊号』、1992年) あそびじゃないの(『ファミコン通信』、1992年 - 1994年、作画担当・作:宮岡寛) カイン11(『ウェブコミックス』vol.1、ソフトバンク、1998年) Eチェイサー(電気通信振興会 、2002年) メタル・バック(『月刊コミックNORA』) 以蔵(原作:桜井和生) プリマス A PLOT OF NIGHTMARE(『ヒーロークロスライン』、2007年 - 2009年) サキュバス<夢魔>(『Web Magazine KATANA』、2011年) サキュバスII(『Web Magazine KATANA』、2011年) サイボーグ009 BGOOPARTS DELETE(『チャンピオンRED』、2019年 - 2022年、全35話、原作:石ノ森章太郎) 読み切り 2年A組星子先生(『週刊少年サンデー』、1980年) ワックス・ドール (『月刊少年キャプテン』) ルパンのワイン大作戦 (原作:モンキー・パンチ、2010年、『ルパン三世officialマガジン』’10春) 師匠 あや秀夫 アシスタント 本そういち 脚注 外部リンク 日本の漫画家 東京都出身の人物 存命人物 1960年生
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E8%B3%A2%E4%BA%8C
岡村賢二
岡村 賢二(おかむら けんじ、1963年3月30日 - )は、日本の漫画家。新潟県新潟市出身。男性。 1984年、『増刊少年サンデー』に『一年女帝』が掲載され、デビュー。格闘漫画や歴史漫画(「戦国武将列伝」シリーズ等)を多く描いており、激しいバイオレンス描写や、敵役を徹底的に悪人顔に描くなどの特徴がある。 作品リスト 天地無用(原作:やまさき十三、1985年 - 1986年、『週刊少年サンデー』、全4巻) GOAL(1987年、『週刊少年サンデー』、全2巻) ベアマーダー流介(原作:橋場千晶、1988年 - 1989年、『週刊少年サンデー』、全5巻) グラップキッズ(原作:梶研吾、1989年 - 1991年、『COMICアクションキャラクター』、双葉社) グラップ・ガイズ(原作:梶研吾、1993年 - 1994年、『コミックスコラ』、株式会社スコラ) 紅狼(原作:鷹匠政彦、1990年、『週刊ヤングサンデー』、全2巻) 闘魔伝(1991年、双葉社アクションコミックス、全3巻) 蹴速の闘魔神(1991年、双葉社アクションコミックス、全1巻) 烈王(レオ)(原作:梶研吾、1992年 - 1993年、『週刊ヤングサンデー』、全4巻) Souls NY大和組(原作:梶研吾、1992年、光文社コミックス、全2巻) 鉄機剣士 武王伝(原作:梶研吾、1994年、小学館、全3巻) ドン・マイ・ワイフ(原作:梶研吾、1995年、リイド社SPコミックス、全2巻) 鉄と剣(原作:梶研吾、1995年 - 1996年、リイド社SPコミックス、全3巻) シャングリラ-Shangri・La(原作:梶研吾、1995年 - 1997年、リイド社SPコミックス、全8巻) 宇強の大空(原作:梶研吾、1997年 - 2000年、『月刊少年ジャンプ』、全13巻) 龍猿(原作:梶研吾、2001年 - 2002年、集英社ジャンプコミックス、全3巻) 真田十勇士(原作:笹沢左保、2002年 - 2007年、『コミック乱ツインズ』、全8巻) フットボールほど素敵な商売はない!!(原作:戸塚啓、2003年 - 2004年、『週刊ヤングジャンプ』、全2巻) 上杉謙信(2005年 - 2006年、『コミック乱ツインズ 戦国武将列伝』、全2巻) 八犬士(原作:滝沢馬琴、2005年 - 2006年、『別冊漫画ゴラク』、全2巻) 私本太平記(原作:吉川英治、2007年 - 2010年、『コミック乱ツインズ』→『コミック乱ツインズ 戦国武将列伝』、全4巻) 長宗我部元親(2011年 - 2012年、『コミック乱ツインズ 戦国武将列伝』、全2巻) 明智光秀(全1巻) 真田幸村(全1巻) 激動 徳川家康(全1巻) 関ヶ原 英傑伝〜西軍の殉将たち〜(全1巻) 萬山十番勝負(全3巻) 萬無頼伝(全2巻) 龍の拳(全5巻) レッドシーサー(全1巻) 影虎(全3巻) 新・影狩り(原作:さいとう・たかを、2011年 - 2014年、『コミック乱ツインズ』、既刊2巻) 第六天魔王 信長(2012年 - 2013年、『コミック乱ツインズ 戦国武将列伝』、全2巻) 島津戦記(2014年、『コミック乱ツインズ 戦国武将列伝』、全2巻) 夜の戦士〜信玄の忍び〜(原作:池波正太郎、2014年 - 2016年、『コミック乱ツインズ』、全3巻) 直江兼続〜信義の執政〜(2014年 - 2015年、『コミック乱ツインズ 戦国武将列伝』) ごっつあんです(2015年 - 2016年、『週刊漫画ゴラク』、全4巻) 武士のフトコロ(2016年 - 2018年、『週刊漫画ゴラク』、全7巻) 刀剣乱舞 ~日本号つれづれ酒~(2021年 - 連載中、『マンガTOP』) 他多数 脚注 外部リンク 日本の漫画家 新潟市出身の人物 1963年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BB%E9%87%8E%E7%9C%9F
荻野真
荻野 真(おぎの まこと、1959年5月26日 - 2019年4月29日)は、日本の漫画家。男性。岐阜県出身。 略歴 岐阜県立恵那高等学校卒業、名古屋大学理学部中退。在学中は漫画研究会に所属しており、先輩に森博嗣がいた。 大学では落ちこぼれてしまい、仲の良かった同人誌仲間も当時の大手出版社による「青田買い」により疎遠となってしまい、ほぼ八方ふさがりの状態になってしまっていたという。半ばやけくそで漫画の原稿を持ちこむ。最初に持ち込んだ小学館ではボロクソに叩かれ、「いったい何しに来たの?」とまで言われたという。その隣のビルであったヤングジャンプ編集部に持ち込んだ際、応対してくれた田中純に評価され、知己を得たことがその後の大きな手助けになったと後に回顧している。 デビュー作で長期連載となった『孔雀王』は「宗教漫画ブームのはしり」と称された。 2019年4月29日、腎不全のため死去。59歳没。同年5月10日にヤングジャンプの公式サイト上で公表された。 作風 『孔雀王』を筆頭に密教、神道などをモチーフとしたオカルト風アクション漫画家として知られている一方で、『ALGO!』『小類人』などSF作品も手がけている。 人物 荻野の両親はかなり厳格だったようで、漫画家になると告げた際、母親からは「情けない」と連呼しながらひたすら涙され、父親は「エロ漫画と不良物(暴力)だけは絶対に描くな」という条件を出してしぶしぶ認めたという。これは父親が教職にあり、当時休職して教育事務所で有害図書の摘発に携わっていたため、「俺の手でお前の漫画をお縄にさせるなよ、情けないから」という意味合いを込めていた。しかし、後年の作品を見ると荻野の得意分野は明らかにこの二つであり、この枷のために非常に苦労したという(『孔雀王』文庫版あとがきより)。 自身の作品の一つである『孔雀王』は実写映画やOVA、 ゲームと様々なメディア展開をしているが、萩野本人はいわゆるメディアミックスに対して不信感を持っていた。その理由は『孔雀王曲神記』の連載が終了した2010年頃、メディアミックスを重視した作品が増加したことで漫画業界が急変。そのコミカライズを担当する漫画家は「コンペに呼ばれた只の絵描き」として異論・反論も許されず、印税の取り分もごくわずかという不遇な扱いを受けていることを指摘。さらに連載漫画家の収入はこれらの影響で「自身のデビュー当時の収入の半分にも満たない」と語っている。 2015年末に心不全からくる腹水の排泄不良が原因で、急性ヘルニア・肝硬変・肺梗塞・多臓器不全などが一度に発症した。1週間ICU(集中治療室)に入院した後、体重の減量や食事療法を得た末、翌年1月に退院、2月から通常の連載ペースを取り戻した。 作品 孔雀王(1985年 - 1989年、全17巻、文庫版全11巻、集英社) 孔雀王退魔聖伝(1990年 - 1992年、全11巻、文庫版全7巻、集英社) ※孔雀王の第2部。 孔雀王曲神記(2006年 - 2010年、全12巻、集英社) ※孔雀王の第3部。また、連載打ち切りとなった「怨霊侍」の続編でもある。 孔雀王ライジング(2012年 - 2019年、全10巻、『月刊!スピリッツ』小学館)- 最終回は2019年6月27日発売の8月号に掲載 孔雀王-戦国転生-(2012年 - 2019年、全9巻、『コミック乱ツインズ 戦国武将列伝』→『コミック乱』リイド社)- 2019年6月27日発売の8月号に掲載 ALGO!(1990年、全3巻、集英社) 暁星伝奇 真魚(1992年1月、『ヤングジャンプサーティー』集英社、単行本未収録) - 空海の俗人時代を描いた作品 夜叉鴉(1994年 - 1997年、全10巻(集英社)、文庫版全6巻(2004年、集英社)、電子書籍版全11巻(2012年、サード・ライン)) - 電子書籍版11巻は、単行本未収録の2編「もち」「X'mas」を収録。 (1997年 - 2000年、全7巻、集英社) 拳銃神(2000年 - 2003年、全9巻、集英社) おぼこ(2004年、全1巻、集英社) サルビアの海(2012年、全1巻、マガジン・マガジン) 怨霊侍(2005年、全3巻、集英社) 15の春(2011年、全1巻、集英社) アシスタント 片山誠 駕籠真太郎 戸田泰成 盗用問題 『孔雀王』の連載時、夢枕獏が自作の小説『サイコダイバー・シリーズ』からの盗用を指摘して問題になった。当事者間で話し合いが持たれ、荻野と担当編集者が謝罪、さらに『孔雀王』の単行本に「参考文献」として同作の名を挙げることで事態は沈静化した。この経緯については、『サイコダイバー・シリーズ』の後書きでも言及されている。 脚注 注釈 出典 外部リンク 孔雀の実家(荻野真公式サイト) 『怨霊侍』ガイド・呪禁之書 (公式) 日本の漫画家 岐阜県出身の人物 1959年生 2019年没
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E7%94%B0%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%97
奥田ひとし
奥田 ひとし(おくだ ひとし、男性、1963年8月15日 - )は、日本の漫画家。代表作は『天地無用!』、『でたとこプリンセス』など。 プロフィール 秋田県仙北郡協和町(現:大仙市)出身。秋田県立秋田高等学校、駒澤大学経済学部卒業。在学中に「LEO」のペンネームで、徳間書店の季刊誌「ハイパーゾーン」に連載された『カナミ - 時の瘡痕』でデビュー。 大学卒業後は大手ハムメーカーに営業マンとして就職し断筆したが、漫画家への夢を捨てきれず1989年の手塚治虫逝去をきっかけに退社、出渕裕・結城信輝らの下でアシスタントとして修行を積む。当時の実績から、ゼネラルプロダクツが発刊したゼネプロカタログでは「日本の二大トップアニメーターの元で修行した漫画家」と紹介されている。翌1990年、白夜書房の「コミッククラフト」創刊号『ラジカルガーディアン』にて、ペンネームを「奥田ひとし」に改名し再デビュー。このペンネームは、高校時代の同級生であり漫画の技術へ大きな影響を受けた今野仁に敬意を表したものである。 コミッククラフトは7号で廃刊になったが、富士見書房からラジカルガーディアン単行本化の話があり(白夜からも単行本化の話はあった)、連載分1巻に書き下ろし2巻を加えた全3巻を発売。以後は富士見書房の雑誌「ドラゴンマガジン」「コミックドラゴン」などに連載を持ち、『天地無用!』『でたとこプリンセス』などの代表作を出す。 デビュー以来、長らく東京都内に住んでいたが、2004年に「どうしても秋田弁でしゃべりたい」という思いが抑えられなくなり、出身地の秋田に戻った。帰郷後は『超神ネイガー』の企画に賛同し、コミカライズ(富士見書房「月刊ドラゴンエイジ」読み切り→単行本化)をはじめ、様々な商品へのイラスト提供を行う。 実家は秋田県大仙市協和境の蔵元、奥田酒造店。銘柄の「千代緑」「重右衛門の酒」を、自身の作品中に度々登場させている。 作品リスト ラジカルガーディアン(全3巻) でたとこプリンセス(全6巻) イース 太陽の仮面 陰陽探偵少女遊RANTO☆魔承録(原作:あかほりさとる、全5巻) 天地無用! シリーズ(原作:梶島正樹) 天地無用! 魎皇鬼(全12巻) 新・天地無用! 魎皇鬼(全10巻) 天地無用! 砂沙美伝説 天地御免! アペンディクス 天地無用! 砂沙美ちゃん あらかると! 超神ネイガー(原作:海老名保、高橋大/脚本:RED、全1巻) ホムラ!(原作:今野仁、全3巻) なんだ、ただの勇者様か - ウェブコミック誌『YOMBAN』 龍ヶ嬢七々々の埋蔵金(原作:鳳乃一真、全2巻) pallet その他、アンソロジーやイラスト、パンフレット類の4コマ掲載など多数。 脚注 外部リンク 奥田酒造店 - 奥田ひとしの実家の公式ページ。 奥田酒造店 - 秋田県酒造協同組合内の蔵元紹介ページ。 アド・ネット・さきがけ No.79 郷インタビュー 奥田ひとしさん - 漫画家デビューの経緯などに触れられている。 日本の漫画家 駒澤大学出身の人物 秋田県立秋田高等学校出身の人物 秋田県出身の人物 1963年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E7%80%AC%E3%81%82%E3%81%8D%E3%82%89
尾瀬あきら
尾瀬 あきら(おぜ あきら、1947年(昭和22年)7月26日 - )は、日本の漫画家。京都府京都市出身。別名松本 めぐむ。 経歴 高校生時代に石森章太郎の『マンガ家入門』を読み、漫画家を志す。 高校卒業後、あさのりじ、久松文雄のアシスタントを経て、石森プロに入る。当時の石森プロの先輩アシスタントに永井豪、後輩に小山田つとむがいた。石森プロ時代も久松やあさのりじの手伝いをしていた。 松本めぐむというペンネームで貸本漫画の描き下ろし単行本を手掛けた後、『空飛ぶゆうれい船』のコミカライズでデビュー。 初期はアニメや特撮番組のコミカライズ作品を手がけていた。その後、新聞や少女漫画雑誌の連載を経て、『マッチポイント!』からペンネームを現行の尾瀬あきらに変更。『少年ビッグコミック』にて連載された自身初の長期連載作『初恋スキャンダル』は連載5年、単行本全18巻の人気作品となった。 1985年(昭和60年)に『初恋スキャンダル』『とべ!人類II』で第31回(昭和60年度)小学館漫画賞を受賞している。 1988年(昭和63年)の春から『夏子の酒』(モーニング)の連載が始まる。日本酒造りとそのために必要な酒米造りについて、田舎や農業の抱える問題と共に描いた作品で広く人気を博し代表作となり、1994年(平成6年)にフジテレビ系列で連続ドラマ化された。 『夏子の酒』完結後、1年余りの取材を経て、三里塚闘争に奔走される地元農民の生き様を描いた『ぼくの村の話』を1992年(平成4年)春から1993年(平成5年)末にかけて『モーニング』にて連載。「ヒットこそしなかったものの、この作品で多くのものを得た」と公式サイトにて発言している。 これ以降、2 - 3年程度の連載作品を青年漫画雑誌で発表している。 作風・エピソード 基本的に社会派的な問題提起型の話が多く、日本社会の中に内在する、日の当たらない問題・人間を主題に扱う。漫画作品以外にも、漫画の描き方や、趣味である酒に関してつづった著書などがある。 コミカライズを担当していた時代は、既存の物語を組み立て直すことに空虚さを感じていたが、アシスタントではなく漫画を描き続けられただけで喜びを感じていたと語っている。『仮面ライダーV3』では必要最低限の部分を抑えれば自由にやって良いという体制であったため、結城丈二 / ライダーマンについて掘り下げるなどのオリジナル要素を盛り込んだ。『鋼鉄ジーグ』や『大空魔竜ガイキング』では、物語をパターンに納める作業をつまらなく感じたため、自身が好む「人間的な弱さのあるヒーローらしくないヒーロー」というコンセプトで執筆した。『ガイキング』で自身のヒーロー像を描き切ったと感じ、コミカライズの仕事を絶った。 『鋼鉄ジーグ』では女子高校生によるファンクラブが存在した。 主な作品 アニメ・特撮番組の漫画化作品 ※ 全て松本めぐむ名義で執筆。 ※内部リンクは大元のテレビ作品へリンクしている 空飛ぶゆうれい船『別冊少年キング』 超人バロム・1 - 原作:さいとう・たかを、『テレビマガジン』(1972年7月号 - 12月号) 連載1・2話(5・6月号)はさいとう・たかを(さいとうプロ)が執筆した。 バビル2世 - 原作:横山光輝、『テレビマガジン』(1973年2月号 - 9月号) 仮面ライダーV3 - 原作:石森章太郎、『テレビランド』(1973年7月号 - 1974年2月号) 仮面ライダーX - 原作:石森章太郎、『テレビランド』(1974年3月号 - 5月号) 宇宙円盤大戦争 - 原作:永井豪、『テレビマガジン』(1975年7月号 - 8月号) 鋼鉄ジーグ - 原作:永井豪、『冒険王』(1975年11月号 - 1976年9月号) 大空魔竜ガイキング - 原作:中谷国夫・杉野昭夫・小林檀、『テレビランド』(1976年) 児童文学の漫画化作品 ※ 松本めぐむ名義 ハックルベリーの冒険 - 原作:マーク・トゥエイン、集英社モンキー文庫 名作漫画シリーズ(1977年) 一般小説の漫画化作品 善人長屋 - 原作・西條奈加、『ビッグコミックオリジナル』(2018年 - 2020年) 原作付き作品 リュウ - 原作:矢島正雄、『週刊少年サンデー』(1986年 - 1988年) オリジナル作品 少年漫画 とべ!人類 - 『毎日中学生新聞』(1978年 - 1978年) 松本めぐむ名義。作者初のオリジナル作品。後に『少年ビッグコミック増刊号』にて加筆修正版が再掲載された。 初恋スキャンダル - 『少年ビッグコミック』(1981年 - 1986年) とべ!人類II - 『少年ビッグコミック増刊号』(1984年 - 1985年) 『とべ!人類』の続編。『少年ビッグコミック増刊号』に再掲載された『とべ!人類』の反響を受けて描かれたもの。 少女漫画 マッチポイント! - 『コロネット』(1979年) バレー部キャプテン槇村心のさわやか青春スポーツ&ラブ 青年漫画 夏子の酒 - 『モーニング』(1988年 - 1991年) ぼくの村の話 - 『モーニング』(1991年 - 1993年) 成田空港建設に伴う三里塚闘争を、農民側の視点で1960年代の候補地策定から第二次代執行発生直後まで、作者の入念な取材を基に辿った作品。エピローグで、1990年代の円卓会議と政府の謝罪が行われたことが描かれている。 「ぼく」は作中のストーリーテラーで実質的な主人公の押坂哲平とされており、彼が小学5年生から高校1年生へ成長する間の出来事を、連載時点で成人(30歳代)となっている彼が回想する形で物語が展開されている。少年たちのキャラクターデザインは『とべ!人類』の登場人物に近いものとなっている。 連載当時、宮内庁下総御料牧場の風景などを1970年代に刊行された写真集を参考に模写したものが複数あり、講談社の担当のミスで著作権者に対して許諾を取らず無断で掲載したことが問題となった。これはNHKのニュース番組でも報道された。単行本では出典が明記されている。 本作は前作『夏子の酒』と異なり講談社漫画文庫化はされていない。単行本は再版されずに絶版となったが、復刊ドットコムの投票結果などから2008年(平成20年)にコミックパークでのオンデマンド出版による再版が実現している。 みのり伝説 - 『ビッグコミックオリジナル』(1994年 - 1997年) 出版社のライターとして働く杉苗みのりが独立して成長して行くサクセスストーリー。 藤田千恵子の「愛は下克上」を土台にしている。 奈津の蔵 - 『モーニング』(1998年 - 2000年) 夏子の祖母の時代の酒蔵を描いたもので『夏子の酒』の前章にあたる作品。 当時の酒蔵の悪習的しきたりや、酒造りの技術革新などの歴史が垣間見える。 光の島 - 『ビッグコミックオリジナル』(2001年 - 2004年)、原案:森口豁『子乞い』 沖縄県鳩間島の小学校と村(役場)の存続のために里子に出された6歳の主人公、光が島民との触れあいで成長して行く様を題材とした作品。 なお、『子乞い』を原作とした作品は、他に日本テレビ系列で放送されたドラマ『瑠璃の島』(2005年(平成17年))がある。 オンサイト! - 『モーニング』(2004年 - 2005年) 1993年、父親の転勤(左遷)で長野県に転校してきた小学6年生の大村摩耶が、フリークライミング競技と、クラスメイトの岩本瞬(在日韓国人で本名は韓瞬(ハン・スン))や開業医の娘である朴正美(パク・ジョンミ)たちに出逢い、登場人物それぞれが抱える人間としての悩みを、クライミングを通じて打破して行く様を描いた作品。摩耶たちが中学3年生となり、将来を決意した所で第一部が完結。『ぼくの村の話』以来久々の少年少女を物語の中心に据えた作品となっている。 第二部の構想がある模様だが、いまだ掲載されていない。 タイトルの「オンサイト」はフリークライミングにおける完登の様式のひとつ。 蔵人 - 『ビッグコミックオリジナル』(2006年 - 2009年) どうらく息子 - 全18巻『ビッグコミックオリジナル』(2010年 - 2017年) 大卒後就職が決まらず親族が経営する保育園で保育助手のアルバイトをしている関谷翔太が、偶々、寄席で観た「時そば」に魅せられ、惜春亭銅楽(せきしゅんていどうらく)に弟子入りし落語の世界へ入っていく様を描く作品。 夢で逢いましょう - 『ビッグコミックオリジナル』(2022年) 2022年9号と10号に掲載された前後編。漫画家の「終活ラブコメ」を題材とした作品。 その他の漫画作品 いざかやくん - 尾古瀬あきら名義。公式サイトなどに掲載されている。 週刊マンガ日本史第47号『杉原千畝』(朝日新聞出版) 一般書籍 知識ゼロからの日本酒入門(2001年 幻冬舎) - エッセイと漫画から成る。 さらに極める日本酒味わい入門(2003年 幻冬舎) - 上記の続編。 イラスト提供 合名会社森喜酒造場:日本酒「るみ子の酒」のパッケージイラスト 命名の由来となった森喜酒造場の専務が先代の闘病で実家の蔵元を引き継いだ女性であり、同様の主人公設定の「夏子の酒」の佐伯夏子に共感したことから、交友のあった尾瀬が命名、イラスト作成を行なっている。 上野敏彦著『闘う純米酒』表紙カバー 純米酒を巡る神亀酒造当主の闘いを描いている。 その他の活動 小学館漫画賞・選考委員 - 第54回(2008年)から第60回(2014年)まで 関連人物 アシスタント こしのりょう 太田垣康男 山本おさむ - 『哲ちん珍道中』は尾瀬との連名作品であった。 矢野健太郎 他 久木田律子 - 尾瀬と山本おさむがアシスタントをしていた(後に山本は久木田と結婚)。 関連書籍 洋泉社のムック「まんが秘宝」にインタビュー記事が掲載された。 Vol.1「ぶっちぎりヒーロー道」(1997年) - コミカライズ作品について話した。取り上げた作品は『空飛ぶゆうれい船』『バビル二世』『宇宙円盤大戦争』など。 Vol.2「つっぱりアナーキー王」(1997年) - 破滅・革命系の作品について話した。取り上げた作品は『ぎらぎらのてつ』『とべ!人類』『リュウ』『ぼくの村の話』など。 Vol.3「まんがチャンピオンまつり」(1998年) - アシスタント時代やドラマ化について話した。『夏子の酒』で主役を演じた和久井映見に好印象を持っていた。 「夏子の酒」読本(1993年 講談社) - ドラマ化の際に出たガイドブック。表紙に「原作・尾瀬あきら」との記載あり。 ファンクラブ 「尾瀬あきら=松本めぐむFC」が同人誌「松本めぐむ全集」を刊行した。 関連項目 諏訪酒造 - 鳥取県智頭町の酒造メーカー。尾瀬あきらギャラリーがある。 脚注 参考文献 外部リンク 尾瀬あきら公式ホームページ 日本の漫画家 京都市出身の人物 1947年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E5%90%88%E5%B0%9A%E4%B9%8B
落合尚之
落合 尚之(おちあい なおゆき、1968年1月6日 - )は、日本の男性漫画家。福岡県福岡市出身。代表作に『黒い羊は迷わない』『罪と罰 A Falsified Romance』など。 経歴 1991年に「どすこい!!タコ花田イカ花田」でデビュー。その後いくつかの短編を経て、小学館の『週刊ヤングサンデー』に『黒い羊は迷わない』の第一部、第二部を連載。再び数篇の短編を経て同じく小学館の『月刊サンデージェネックス』に「ダンデライオン」「鉄人」(原作:矢作俊彦)を、『ビッグコミックビジネス』に「派遣社員お銀」(原作:神尾龍)を連載。 2011年双葉社の『漫画アクション』にて「罪と罰 A Falsified Romance」を連載終了。 作品リスト 単行本 黒い羊は迷わない 全2巻(小学館、ヤングサンデーコミックス) ダンデライオン 全2巻(小学館、サンデーGXコミックス) ISBN 978-4091570413 (2001年9月) ISBN 978-4091570420 (2001年10月) 鉄人 全4巻(小学館、サンデーGXコミックス) ISBN 978-4091570437 (2002年8月19日) ISBN 978-4091570444 (2002年10月28日) ISBN 978-4091570451 (2003年6月19日) ISBN 978-4091570468 (2003年11月19日) 派遣社員お銀 全1巻(小学館、ビッグコミックススペシャル) ISBN 978-4091805133 (2006/05/30) 罪と罰 A Falsified Romance 全10巻 - (双葉社、アクションコミックス) 師匠 六田登 - デビュー前にアシスタントとしてつく 脚注 外部リンク ゼンマイ駆動 走れプガチョフ - 公式ブログ The Sheepfold - 公認サイト 日本の漫画家 福岡市出身の人物 1968年生 存命人物
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小野弥夢
小野 弥夢(おの ひろむ、9月13日 - )は、漫画家。猫水彩画家。広島県呉市出身。 大和和紀のアシスタントを経て、1977年に『ロックンロールペテン師』でデビュー。 以後、「少女フレンド」を中心に活躍し、現在は女性誌に発表の場を移している。 代表作に『Lady Love』『DIVA』『Pony Tail』など。 特に『DIVA』は、少女漫画では初めて、本格的にオペラの世界を扱った作品として知られる。 1984年、『Lady Love』で第8回講談社漫画賞を受賞。 現在は猫水彩画家として活動しており、都内のギャラリーで作品展に参加している。 作品リスト ショパンにささげるロックンロール 緋の風 Lady Love Sweet 16 天使の賭け Charming ギャロップ ほっかポッカ牧歌 素敵なキッスしてあげる (別冊フレンド 1986年3月号) ロマンスを踊りたい (別冊フレンド 1986年5月号~6月号) DIVA (別冊フレンド 1988年3月号~) 宵の口から……♡ (mimi Excellent 1988年No.8、1989年No.10、12、1999年No.14) アフタヌーンティ (mimi Carnival 1991年10月号) Pony Tail 女性騎士物語 (Monthly mimi 1992年3月号~) 草原に抱かれて眠りたい (Monthly mimi 1994年3月号) なごり雪 (mimi Carnival 1995年5月号) ハーブガーデン (mimi Carnival 1995年10月号) アダージオ (mimi Carnival 1996年3月号) 好きといえるまで (mimi Carnival 1996年12月号) ドアを開けたら暗闇が立っている (mimi Carnival 1997年3月号) 外部リンク 日本の漫画家 広島県出身の人物 存命人物
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小山田いく
小山田 いく(おやまだ いく、1956年6月10日 - 2016年3月23日)は、日本の漫画家。代表作に『すくらっぷ・ブック』など。本名は田上 勝久(たがみ かつひさ)。同じく漫画家のたがみよしひさは実弟。 略歴 長野県小諸市生まれ。小諸市立坂の上小学校、小諸市立芦原中学校、長野工業高等専門学校機械工学科卒業。卒業後の1979年、本名で描いた『五百羅漢』(『別冊ビッグコミック』12月1日号)で漫画家デビュー(これ以前にも“幻のデビュー作”として、第4回小学館新人コミック大賞を受賞した「菩薩」がある)。同年、「12月の唯」(第13回「週刊少年チャンピオン新人まんが賞」佳作)で小山田いく名義に変更し『週刊少年チャンピオン』にてデビューした(同期の受賞者は、入選の神矢みのる、佳作の木村和昭など)。その後、『春雨みら〜じゅ』『三角定規ぷらす1』といった読切短編を発表する。 1980年、故郷の小諸市を舞台とした青春ラブコメディ『すくらっぷ・ブック』で連載デビューする。この作品は前3作の短編から『春雨みら〜じゅ』の柏木晴(かしわぎ はる)を主人公とし、これら3作全ての登場人物を含めた「市立芦ノ原中学校」での学園生活(2学年進級から中学校卒業まで)を描くというもので、一躍人気を獲得する。 『すくらっぷ・ブック』以降しばらくは、短編『シューティング・ザ・ムーン』『ぶるうピーター』『ウッド・ノート』など、同様の恋愛青春群像を中心に描いていたが、1987年発表の『マリオネット師』ではマリオネットを操る若きスリ師の目を通して様々な人生劇を描く手法で、その人気を不動のものとする。以降、環境問題や社会問題を取り上げた作品を得意とするようになる。 民話や神話、古典文学、自然科学といった分野に造詣が深く、特に初期作品には民話や神話をモチーフにした作品やエピソードが多い。登場人物のセリフ中にも古典詩や俳句などがよく引用される。また鉄道にまつわる作品も多数発表している。工業高専卒ながら工学理数系はあまり得意ではなかったとしているが、作品には機械いじりが趣味というキャラクターも多く登場する。過去作品のキャラクターが成長ないし過去の人物として再登場することも多く、読者にとっては楽しみの一つでもあった。「大山田博士」や「寿司ごん店長」など、一部のキャラクターはスター・システムとして登場している。 1994年以降は『少年チャンピオン』発行元の秋田書店や、ぶんか社発行のミステリー・ホラー誌に執筆の場を移して活動した。 2016年3月23日、小諸市の自宅にて倒れているのが発見され、死亡が確認された。享年59。 執筆予定だった雑誌には弟のたがみよしひさが代わって、家族の想い出を描いたその短編「欠片の記憶」を描いた。「欠片の記憶」には「小山田いくこと田上勝久も肝硬変で死んだ……」と記されている。 作品リスト すくらっぷ・ブック - 全11巻連載デビュー作。復刊ドットコムより選集(全4巻)として2006年に復刊。 シューティング・ザ・ムーン - 短編作品。「すくらっぷ・ブック」少年チャンピオンコミックス版最終11巻に収録されていたが、選集版には収録されていない。 星のローカス - 全5巻。最終巻に短編作品「ヘスペリス・ブルー」「ドリュアス エン」「雪のポックル」を収録。 ぶるうピーター - 全8巻。「すくらっぷ・ブック」の高校生版とも言うべき作品。復刊ドットコムより選集(全3巻)として2007年に復刊) ウッド・ノート - 全8巻。バードウォッチングをテーマにした恋愛漫画。復刊ドットコムより選集(全4巻)として2007年に復刊。 きみはノルン - 全3巻。 きまぐれ乗車券 - 小学館ビッグコミックスより全1巻。2006年、復刊ドットコムより選集として復刊。選集版には「くすのき亭の日々(全3話)」と短編読切「約束(まんがライフ1999年1月号)」を収録。 ラスト☆シーン - 全1巻。短編作品「三畳紀のシンデレラ」を収録。 ダスト・ジャケット(単行本未収録読み切り) もののけトゥモロウ - 全1巻。単行本に表題作と短編作品「ボッシュの地平線」収録。 どん亀サブマリン - 全1巻。「ぶるうピーター」登場人物の孫達を描いた作品。表題作全2話と「むかしキュービック(全2話)」「ゲーム・オーバー」「空と呼べ」「無節操に怪談」を収録 霊能バトル - 全3巻。 ろこモーション - 秋田書店サンデーコミックスより全3巻。 マリオネット師 - 全11巻。 迷い家ステーション - 全5巻。 風の宿(かぜのやどり) - 全8巻。 衆楽苑(しゅうらくえん) - ヤングチャンピオンコミックスより2巻まで刊行されるも、最終第3巻が未刊だった。復刊ドットコムより2005年に全1巻で復刊。短編作品「さんさ橋」を収録。 クイーンビー(Queen Bee) - 全1巻。単行本に「吉祥師京太郎の推理 前後編(原作・樋口雅一)」を収録。 アニマルDr.由乃(1999年〜2000年に『サスペリア』にて初出、復刊ドットコムより2004年末に復刊) 合歓リポート(ねむリポート) - 全1巻。 フォーナが走る - 全4巻 むじな注意報! - 全5巻。「すくらっぷ・ブック」の17年後という設定の作品。最終巻には短編連作『ドリーマーの季節(ころ)・全2話』を収録。 生命のダイアリー(いのちのダイアリー)(原作・取材:達山一歩) - 全1巻。 青色学級(ホラー・コミックス) - 秋田書店ホラーコミックス。全1巻。 紅い十字路(ホラー・コミックス) - 秋田書店ホラーコミックス。全1巻。 あの悪魔(ホラー・コミックス) - 秋田書店ホラーコミックス。全1巻。 空っぽの命(ホラー・コミックス) - 秋田書店ホラーコミックス。全1巻。 臨死界より(ホラー・コミックス) - 秋田書店ホラーコミックス。全1巻。 魑魅(すだま) - 2000年にスコラ社バーズコミックより全2巻。復刊ドットコムより2007年に全1巻で復刊。短編作品『下闇の香り』収録。 五百羅漢 - 全1巻。漫画家デビュー作である表題作とサスペリアに掲載した短編を収録して復刊ドットコムより2006年に刊行。 稲川淳二の最新・怖い話(文庫版) 最下層淫売遊女 - ぶんか社の「まんがグリム童話」シリーズより3篇を収録。 マンガでわかるソフト開発入門 奇跡のスピリチュアル・パワー驚異のヒーラー旭太郎(共著) 道はコンチェルト(プレイコミックシリーズ版『我が名は狼(うるふ)』第1巻収録・たがみよしひさとの合作) 脚注 日本の漫画家 日本の鉄道に関係する人物 長野県出身の人物 1956年生 2016年没
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https://ja.wikipedia.org/wiki/Gnutella
Gnutella
Gnutella(グヌーテラ、ニューテラ)はP2Pプロトコルおよびファイル共有クライアント。 概要 ナップスターなどのP2Pクライアントの場合は、中央サーバが存在し、ファイルのメタデータの管理や検索サービスを提供することにより、P2Pネットワークが機能している。それに対し、グヌーテラはサーバに依存せず、純粋にピア間の通信のみでファイルの送受信などの機能を実現している。 P2Pのしくみの分類中、このようなピア間の通信のみによって機能するものをピュアP2P、ナップスターのようにサーバの仲介を必要とするものを、ハイブリッドP2Pと呼んでいる。 その他には、KaZaA や Skypeに使われているスーパーノード型ハイブリッドP2Pがある。 特徴 ナップスターに代表される第一世代P2P(ハイブリッドP2P)は、中央サーバに依存する為、ネットワークへのトラフィックは少ないが、耐障害性が低く、サーバがダウンしたらネットワークが形成できないという弱点があった。それに対してグヌーテラに代表される第二世代P2P(ピュアP2P)は、各クライアントがサーバを兼ねる(サーバント)為、耐障害性が高い。 製作者の「核戦争でも生き残れるように設計されたもの(Gnutella is designed to survive nuclear war)」や、「万一、ニューヨークに核爆弾が投下されたとしても、(それ自体はたいへんなことだが)ニューヨーク以外の『グヌーテラ友達』によってグヌーテラネットは維持されるだろう」といった言葉が、グヌーテラネットワークの特徴をよく表している。 グヌーテラの仕組み グヌーテラネットワーク上で交わされているメッセージは、PING、PONG、PUSH、QUERY、QUERY_HITの以上である。 接続 中央サーバが存在しないグヌーテラにおいて、最初に接続するときに何処に問い合わせるのか?という問題が出てくる。 グヌーテラ第一世代では、ノード情報を掲示板などで入手する方法が採られていたが、グヌーテラ第二世代になって、GWC(GWebCache)というブートストラップサーバーにより各ノードと接続する方法がとられた。 接続においては、グヌーテラサーバントはまずPINGという接続要求を出す。それに対して、接続相手はPONGという信号を返して、ハンドシェイクを行い接続が完了する。 検索 検索はグヌーテラネットワークで行っており、ファイルを求めるサーバントは、QUERYをグヌーテラネットワークに送信し、ヒットしたクエリがQUERY_HITとして検索結果に表示される。 転送 グヌーテラでの、ファイルの転送はHTTPプロトコルで行われている。 ファイルの転送は、QUERY_HIT識別子に含まれる、IPアドレスやポート番号などによってファイルの所有者にHTTPでの転送命令を出す。 また、ファイル所有者がファイアウォール下にいるサーバントの場合は、PUSH識別子を出し、相手サーバントがHTTPでの転送命令を出す。 開発の経緯 2000年、AOL社の一部門であるNullsoftで、当時社員だった Justin FrankelとTom Pepperの二人が、最初のグヌーテラクライアントを開発した。 2000年3月14日、二人はNullsoftのサーバー上にプログラムをダウンロードできる形でアップロードした。この出来事はスラッシュドットで告知されたため、その日の内に数千人がソフトをダウンロードした。ソースコードについては、後ほどGPLライセンスの元で提供する予定だった。 翌日、AOLは法的問題を理由にプログラムの提供を中止し、さらにNullsoft部門にプロジェクトを中止させた。しかしこの措置によっても、グヌーテラを止めることはできなかった。 数日後には、リバースエンジニアリングによってプロトコルは解析され、それを元にグヌーテラ互換のオープンソースクローンが登場した。現在でも、様々なグループが グヌーテラ 互換クライアントの開発を続けている。 グヌーテラ第一世代 シャットダウンから間もなくして、Brian MaylandがNullsoftのプログラムを入手して、グヌーテラプロトコルの動作原理を理解するためにリバースエンジニアリングした。彼の仕事のおかげでテキストベースのUNIXプログラムを作ったJosh Pieperや、より使いやすいGUIをもったプログラムを作ろうとしたGene KanやSpencer Kimballのような人々によってソフトウェア開発がなされることになった。 グヌーテラ第二世代 ユーザの裾野が広がるにつれ、システムの重大な問題が取り沙汰されはじめた。ネットワークはPINGリクエストで溢れかえり、同時に非常に多くの検索クエリーで高負荷になった。より高速なハブとしての役割を果たすコンピュータに接続した低速のモデムといった形でネットワークのトポロジーは非効率的だった。第一世代のソフトウェアの深刻なバグによってパケットがネットワーク上を不明確にさまよっていた。ネットワークは“本来は少数のユーザのために設計されたもので”100人単位から10,000 単位のユーザに膨張しトラブルに見まわれた。「ただ乗り」や「何も提供していないのにファイルを取り出すだけの人々」によってもユーザが探し物をするのを難しくした。 もう一度、情熱的なコミュニティーが救済に乗り出した。Bob Schmidtが初めてのホストキャッシングシステムを開発した。プログラマー達はGnutella 0.56のコードを修正し、パケットが適切に運ばれるようにTTLのバグを取り除こうとした。そして、Jorge Gonzalesはネットワークをダメにするスパマーたちからネットワークを守る行動に出た。 この時点で、物事は個人の開発者が全てをまかなうにはあまりにも複雑になっていた。彼らはコードを書き、報道やユーザやお金の工面をしなければならなかった。 こういった事情で、早急に商業的な努力が介入し、「救済に乗り出す」必要が出てきた。Clip2はgnutellahosts.comを開発し、より良いホストキャッシュの実装し、いくらかナップスターのようなトポロジーをグヌーテラネットワークに組み入れて合体させるようなやり方で動く小さなサーバリフレクターを開発した。 グヌーテラ互換サーバント 関連項目 Cabos Freenet LimeWire Peer to Peer Perfect Dark Profes Share WinMX Winny ヌテラ - 北米や欧州で人気のあるスプレッド(パンなどに塗る食品)。Gnutellaの語源とされるものの一つ(GNU + Nutella)。 外部リンク jnutella(日本語) Gnutella Wiki(日本語) @IT : ネットワーク管理者のためのGnutella入門(日本語) GTK-Gnutella(日本語) Gnutella Protocol Development(英語) LIMEWIRE DEVELOPER RESOURCES(英語) Gnutella互換サーバント 360Share Acqlite Acquisition AquaLime BearFlix BearShare Cabos Epicea eTomiPro Foxy FreeWire FrostWire giFT-Gnutella GnuAce GPU GTK-Gnutella GnucDNA Gnucleus iMesh Kceasy LemonWire LimeWire LimeWire CVS jum MLDonkey Morpheus Mutella MXIE MyNapster NeoNapster Phex Shareaza Swapper.NET TrustyFiles Vagaa XNap xolox Zultrax P2P ネットワークソフト