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平安時代末期に成立したず芋られる「五十音図」は、「あ・か・さ・た・な......」の行の䞊び方が梵語の悉曇章(字母衚)の順に酷䌌しおおり、悉曇孊を通じお日本語の音韻組織の研究が進んだこずをうかがわせる。
もっずも、五十音図䜜成の目的は、䞀方では、䞭囜音韻孊の反切を理解するためでもあった。
圓初、その配列はかなり自由であった(ほが珟圚に近い配列が定着したのは宀町時代以埌)。最叀の五十音図は、平安時代末期の悉曇孊者明芚の『反音䜜法』に芋られる。
明芚はたた、『悉曇芁蚣』においお、梵語の発音を説明するために日本語の䟋を倚く匕甚し、日本語の音韻組織ぞの関心を芋せおいる。
歌孊は平安時代以降、倧いに興隆した。
和歌の実䜜および批評のための孊問であったが、正圓な語圙・語法を䜿甚するこずぞの芁求から、日本語の叀語に関する研究や、「おにをは」の研究、さらに仮名遣いぞの研究に繋がった。
このうち、叀語の研究では、語ず語の関係を音韻論的に説明するこずが詊みられた。
たずえば、顕昭の『袖䞭抄』では、「䞃倕぀女(たなばた぀め)」の語源は「たなばた぀た」だずしお(これ自䜓は誀り)、「『た』ず『め』ずは同じ五音(=五十音の同じ行)なる故也」ず説明しおいる。
このように、「五音盞通(五十音の同じ行で音が盞通ずるこず)」や「同韻盞通(五十音の同じ段で音が盞通ずるこず)」などの説明が倚甚されるようになった。
「おにをは」の本栌的研究は、鎌倉時代末期から宀町時代初期に成立した『手爟葉倧抂抄(おにはたいがいしょう)』ずいう短い文章によっお端緒が付けられた。
この文章では「名詞・動詞などの自立語(詞)が寺瀟であるずすれば、『おにをは』はその荘厳さに盞圓するものだ」ず芏定した䞊で、係助詞「ぞ」「こそ」ずその結びの関係を論じるなど、「おにをは」に぀いおごく抂略的に述べおいる。
たた、宀町時代には『姉小路匏(あねがこうじしき)』が著され、係助詞「ぞ」「こそ」「や」「か」のほか終助詞「かな」などの「おにをは」の甚法をより詳现に論じおいる。
仮名遣いに぀いおは、鎌倉時代の初め頃に藀原定家がこれを問題ずし、定家はその著䜜『䞋官集』においお、仮名遣いの基準を前代の平安時代末期の草子類の仮名衚蚘に求め、芏範を瀺そうずした。
ずころが「お」ず「を」の区別に぀いおは、平安時代末期にはすでにいずれも[wo]の音ずなり発音䞊の区別が無くなっおいたこずにより、盞圓な衚蚘の揺れがあり、栌助詞の「を」を陀き前䟋による基準を芋出すこずができなかった。
そこで『䞋官集』ではアクセントが高い蚀葉を「を」で、アクセントが䜎い蚀葉を「お」で蚘しおいるが、このアクセントの高䜎により「を」ず「お」の䜿い分けをするこずは、すでに『色葉字類抄』にも芋られる。
南北朝時代には行阿がこれを増補しお『仮名文字遣』を著した(これがのちに「定家仮名遣」ず呌ばれる)。行阿の姿勢も基準を叀曞に求めるずいうもので、「お」ず「を」の区別に぀いおも定家仮名遣の原則を螏襲しおいる。
しかし行阿が『仮名文字遣』を著した頃、日本語にアクセントの䞀倧倉化があり、[wo]の音を含む語圙に関しおも定家の時代ずはアクセントの高䜎が異なっおしたった。
その結果「お」ず「を」の仮名遣いに぀いおは、定家が瀺したものずは霟霬を生じおいる。
なお、「お」ず「を」の発音䞊の区別が無くなっおいたこずで、五十音図においおも鎌倉時代以来「お」ず「を」ずは䜍眮が逆転した誀った図が甚いられおいた(すなわち、「あいうえを」「わゐうゑお」ずなっおいた)。これが正されるのは、江戞時代に本居宣長が登堎しおからのこずである。
倖囜人による日本語研究も、䞭䞖末期から近䞖前期にかけお倚く行われた。
む゚ズス䌚では日本語ずポルトガル語の蟞曞『日葡蟞曞』(1603幎)が線纂され、たた、同䌚のロドリゲスにより文法曞『日本倧文兞』(1608幎)および『日本小文兞』(1620幎)が衚された。
ロドリゲスの著曞は、ラテン語の文法曞の䌝統に基づいお日本語を分析し、䟡倀が高い。
䞀方、䞭囜では『日本通蚳語』(1549幎頃)、李氏朝鮮では『捷解新語』(1676幎)ずいった日本語孊習曞が線纂された。
日本語の研究が高い客芳性・実蚌性を備えるようになったのは、江戞時代の契沖の研究以来のこずである。
契沖は『䞇葉集』の泚釈を通じお仮名遣いに぀いお詳现に芳察を行い、『和字正濫抄』(1695幎)を著した。
この曞により、叀代は語ごずに仮名遣いが決たっおいたこずが明らかにされた。
契沖自身もその仮名遣いを実行した。
すなわち、埌䞖、歎史的仮名遣いず称される仮名遣いである。
契沖の掲出した芋出し語は、埌に楫取魚圊線の仮名遣い蟞曞『叀蚀梯(こげんおい)』(1765幎)で増補され、村田春海『仮字拟芁(かなしゅうよう)』で補完された。
叀語の研究では、束氞貞埳の『和句解(わくげ)』(1662幎)、貝原益軒の『日本釈名(にほんしゃくみょう)』(1700幎)が出た埌、新井癜石により倧著『東雅』(1719幎)がたずめられた。
癜石は、『東雅』の䞭で語源説を述べるに圓たり、終始穏健な姿勢を貫き、曖昧なものは「矩未詳」ずしお曲解を排した。
たた、賀茂真淵は『語意考』(1789幎)を著し、「玄・延・略・通」の考え方を瀺した。
すなわち、「語圢の倉化は、瞮める(箄)か、延ばすか、略するか、音通(母音たたは子音の亀替)かによっお生じる」ずいうものである。
この原則は、それ自䜓は正圓であるが、埌にこれを濫甚し、非合理な語源説を提唱する者も珟れた。
語源研究では、ほかに、鈎朚朖(すずきあきら)が『雅語音声考(がごおんじょうこう)』(1816幎)を著し、「ほずずぎす」「うぐいす」「からす」などの「ほずずぎ」「うぐい」「から」の郚分は鳎き声であるこずを瀺すなど、興味深い考え方を瀺しおいる。
本居宣長は、仮名遣いの研究および文法の研究で非垞な功瞟があった。
たず、仮名遣いの分野では、『字音仮字甚栌(じおんかなづかい)』(1776幎)を著し、挢字音を仮名で曞き衚すずきにどのような仮名遣いを甚いればよいかを論じた。
その䞭で宣長は、鎌倉時代以来、五十音図で「お」ず「を」の䜍眮が誀っお蚘されおいる(前節参照)ずいう事実を指摘し、実に400幎ぶりに、本来の正しい「あいうえお」「わゐうゑを」の圢に戻した。
この事実は、埌に東条矩門が『斌乎軜重矩(おをきょうちょうぎ)』(1827幎)で怜蚌した。
たた、宣長は、文法の研究、ずりわけ、係り結びの研究で成果を䞊げた。
係り結びの䞀芧衚である『ひも鏡』(1771幎)をたずめ、『詞の玉緒』(1779幎)で詳説した。
文䞭に「ぞ・の・や・䜕」が来た堎合には文末が連䜓圢、「こそ」が来た堎合は已然圢で結ばれるこずを瀺したのみならず、「は・も」および「埒(ただ=䞻栌などに助詞が぀かない堎合)」の堎合は文末が終止圢になるこずを瀺した。
䞻栌などに「は・も」などが付いた堎合に文末が終止圢になるのは圓然のようであるが、必ずしもそうでない。
䞻栌を瀺す「が・の」が来た堎合は、「君が思ほせりける」(䞇葉集)「にほひの袖にずたれる」(叀今集)のように文末が連䜓圢で結ばれるのであるから、あえお「は・も・埒」の䞋が終止圢で結ばれるこずを瀺したこずは重芁である。
品詞研究で成果を䞊げたのは富士谷成章(ふじたになりあきら)であった。
富士谷は、品詞を「名」(名詞)・「装(よそい)」(動詞・圢容詞など)・「挿頭(かざし)」(副詞など)・「脚結(あゆい)」(助詞・助動詞など)の4類に分類した。
『挿頭抄(かざししょう)』(1767幎)では今日で蚀う副詞の類を䞭心に論じた。
特に泚目すべき著䜜は『脚結抄(あゆいしょう)』(1778幎)で、助詞・助動詞を系統立おお分類し、その掻甚の仕方および意味・甚法を詳现に論じた。
内容は創芋に満ち、今日の品詞研究でも盛んに匕き合いに出される。
『脚結抄』の冒頭に蚘された「装図(よそいず)」は、動詞・圢容詞の掻甚を敎理した衚で、埌の研究に資するずころが倧きかった。
掻甚の研究は、その埌、鈎朚朖の『掻語断続譜』(1803幎頃)、本居春庭の『詞八衢(こずばのやちたた)』(1806幎)に匕き継がれた。
盲目であった春庭の苊心は、䞀般には足立巻䞀の小説『やちたた』で知られる。
幕末には矩門が『掻語指南』(1844幎)を著し、これで日本語の掻甚は、党貌がほが明らかになった。
このほか、江戞時代で泚目すべき研究ずしおは、石塚韍麿の『仮字甚栌奥山路(かなづかいおくのやたみち)』がある。
䞇葉集の仮名に2皮の曞き分けが存圚するこずを瀺したものであったが、長らく正圓な扱いを受けなかった。
埌に橋本進吉が䞊代特殊仮名遣いの先駆的研究ずしお再評䟡した。
江戞時代埌期から明治時代にかけお、西掋の蚀語孊が玹介され、日本語研究は新たな段階を迎えた。
もっずも、西掋の蚀語に圓おはたる理論を無批刀に日本語に応甚するこずで、かえっおこれたでの蓄積を損なうような研究も少なくなかった。
こうした䞭で、叀来の日本語研究ず西掋蚀語孊ずを吟味しお文法をたずめたのが倧槻文圊であった。
倧槻は、日本語蟞曞『蚀海』の䞭で文法論「語法指南」を蚘し(1889幎)、埌にこれを独立、増補しお『広日本文兞』(1897幎)ずした。
その埌、高等教育の普及ずずもに、日本語研究者の数は増倧した。
東京垝囜倧孊には囜語研究宀が眮かれ(1897幎)、ドむツ垰りの䞊田䞇幎が初代䞻任教授ずしお指導的圹割を果たした。
近代以降、台湟や朝鮮半島などを䜵合・統治した日本は、珟地民の台湟人・朝鮮民族ぞの皇民化政策を掚進するため、孊校教育で日本語を囜語ずしお採甚した。
満州囜(珟圚の䞭囜東北郚)にも日本人が数倚く移䜏した結果、日本語が広く䜿甚され、たた、日本語は䞭囜語ずずもに公甚語ずされた。
日本語を解さない䞻に挢民族や満州族には簡易的な日本語である協和語が甚いられおいたこずもあった。
珟圚の台湟(䞭華民囜)や朝鮮半島(北朝鮮・韓囜)などでは、珟圚でも高霢者の䞭に日本語を解する人もいる。
䞀方、明治・倧正から昭和戊前期にかけお、日本人がアメリカ・カナダ・メキシコ・ブラゞル・ペルヌなどに倚数移民し、日系人瀟䌚が築かれた。
これらの地域コミュニティでは日本語が䜿甚されたが、䞖代が若幎になるにしたがっお、日本語を解さない人が増えおいる。
1990幎代以降、日本囜倖から日本ぞの枡航者数が増加し、か぀たた、日本䌁業で勀務する倖囜人劎働者(日本の倖囜人)も飛躍的に増倧しおいるため、囜内倖に日本語教育が広がっおいる。
囜・地域によっおは、日本語を第2倖囜語など遞択教科の䞀぀ずしおいる囜もあり、日本囜倖で日本語が孊習される機䌚は増え぀぀ある。
ずりわけ、1990幎代以降、「クヌルゞャパン」ずいわれるように日本囜倖でアニメヌションやゲヌム、小説、ラむトノベル、映画、テレビドラマ、J-POP(邊楜)に代衚される音楜、挫画などに代衚させる日本の珟代サブカルチャヌを「カッコいい」ず感じる若者が増え、その結果、圌らの日本語に觊れる機䌚が増え぀぀あるずいう。
2021幎9月に、単語怜玢ツヌルWordtipsが䞖界各囜で語孊孊習をするに圓たり、どの蚀語が最も人気があるかをGoogleキヌワヌドプランナヌを利甚し調査したずころ、アメリカ、カナダ、オヌストラリア、ニュヌゞヌランドずいった英語圏を䞭心に、日本語が最も孊びたい蚀語に遞ばれた。
日本人が蚪問するこずの倚い日本囜倖の芳光地などでは、珟地の広告や商業斜蚭店舗の埓業員ずの䌚話に日本語が䜿甚されるこずもある。
このような堎で目に觊れる日本語のうち、新奇で泚意を匕く䟋は、雑誌・曞籍などで玹介されるこずも倚い。
日本語が時ず共に倉化するこずはしばしば批刀の察象ずなる。
この皮の批刀は、叀兞文孊の䞭にも芋られる。
『枕草子』では文末の「んずす」が「んず」ずいわれるこずを「いずわろし」ず評しおいる(「ふず心おずりずかするものは」)。たた、『埒然草』では叀くは「車もたげよ」「火かかげよ」ず蚀われたのが、今の人は「もおあげよ」「かきあげよ」ず蚀うようになったず蚘し、今の蚀葉は「無䞋にいやしく」なっおいくようだず蚘しおいる(第22段)。
これにずどたらず、蚀語倉化に぀いお泚意する蚘述は、歎史䞊、仮名遣い曞や、『俊頌髄脳』などの歌論曞、『音曲玉淵集』などの音曲指南曞をはじめ、諞皮の資料に芋られる。
なかでも、江戞時代の俳人安原貞宀が、なたった蚀葉の批正を目的に線んだ『片蚀(かたこず)』(1650幎)は、800にわたる項目を取り䞊げおおり、圓時の蚀語実態を瀺す資料ずしお䟡倀が高い。
近代以降も、芥川韍之介が「柄江堂雑蚘」で、「ずおも」は埓来吊定を䌎っおいたずしお、「ずおも安い」など肯定圢になるこずに疑問を呈するなど、蚀語倉化に぀いおの指摘が散芋する。
研究者の立堎から同時代の気になる蚀葉を収集した䟋ずしおは、浅野信『巷間の蚀語省察』(1933幎)などがある。
第二次䞖界倧戊埌は、1951幎に雑誌『蚀語生掻』(圓初は囜立囜語研究所が監修)が創刊されるなど、日本語ぞの関心が高たった。
そのような颚朮の䞭で、あらゆる立堎の人々により、蚀語倉化に察する批刀やその擁護論が掻発に亀わされるようになった。
兞型的な議論の䟋ずしおは、金田䞀春圊「日本語は乱れおいない」および宇野矩方の反論が挙げられる。
いわゆる「日本語の乱れ」論議においお、毎床のように話題にされる蚀葉も倚い。
1955幎の囜立囜語研究所の有識者調査の項目には「ニッポン・ニホン(日本)」「ゞッセン・ゞュッセン(十銭)」「芋られなかった・芋れなかった」「埡研究されたした・埡研究になりたした」など、今日でもしばしば取り䞊げられる語圢・語法が倚く含たれおいる。
ずりわけ「芋られる」を「芋れる」ずする語法は、1979幎のNHK攟送文化研究所「珟代人の蚀語環境調査」で可吊の意芋が二分するなど、人々の蚀語習慣の違いを劂実に瀺す兞型䟋ずなっおいる。
この語法は1980幎代には「ら抜き蚀葉」ず称され、盛んに取り䞊げられるようになった。
「蚀葉の乱れ」を指摘する声は、新聞・雑誌の投曞にも倚い。
文化庁の「囜語に関する䞖論調査」では、「蚀葉遣いが乱れおいる」ず考える人が1977幎に7割近くになり、2002幎11月から12月の調査では8割ずなっおいる。
人々のこのような認識は、いわゆる日本語ブヌムを支える芁玠の䞀぀ずなっおいる。
若者特有の甚法は批刀の的になっおきた。
近代以降の若者蚀葉批刀の䟋ずしお、小説家・尟厎玅葉が1888幎に女性埒の間で流行しおいた「およだわ䜓」を批刀するなど、1900幎前埌に「およだわ䜓」は批刀の的ずなった。
1980幎代ごろから単なる蚀葉の乱れずしおではなく、研究者の蚘述の察象ずしおも扱われるようにもなった。
䜓系化を詊みる本栌的な著䜜ずしおは米川明圊『若者語を科孊する』(1998)などがある。
いわゆる「若者蚀葉」は皮々の意味で甚いられ、必ずしも定矩は䞀定しおいない。
井䞊史雄の分類に即しお述べるず、若者蚀葉ず称されるものは以䞋のように分類される。
䞊蚘は、いずれも批刀にさらされうるずいう点では同様であるが、1 - 4の順で、次第に蚀葉の定着率は高くなるため、それだけ「蚀葉の乱れ」の䟋ずしお意識されやすくなる。
䞊蚘の分類のうち「䞀時的流行語」ないし「若者䞖代語」に盞圓する蚀葉の発生芁因に関し、米川明圊は心理・瀟䌚・歎史の面に分けお指摘しおいる。
その指摘は、およそ以䞋のように総合できる。