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冨樫義博
冨樫 義博(とがし よしひろ、本名同じ、1966年(昭和41年)4月27日 - )は、日本の漫画家。妻は同じく漫画家の武内直子。弟は、同じく漫画家の冨樫。 1987年(昭和62年)に『『週刊少年ジャンプ』Winter Special』に掲載された「とんだバースディプレゼント」でデビューし、1989年(平成元年)から『週刊少年ジャンプ』で開始した「てんで性悪キューピッド」で連載デビュー。主に『週刊少年ジャンプ』で活躍。代表作『幽☆遊☆白書』『HUNTER×HUNTER』『レベルE』はいずれもテレビアニメ化され人気を博している。『幽☆遊☆白書』により1993年(平成5年)、第39回小学館漫画賞少年部門受賞。『週刊少年ジャンプ』誌上において『HUNTER×HUNTER』を不定期連載中。血液型はA型。 作品には「善悪」「価値観の逆転」「人間」というテーマが描かれることが多い。 幽☆遊☆白書の妖怪・魔物、『レベルE』の宇宙人、HUNTER×HUNTERのキメラアント、などの外界の生物が人類悪 として描かれるが、そういう“外界”の生物を決して単純な悪者にせず、最終的に善性を持つことになる。また登場人物もHUNTER×HUNTERの殺し屋のキルアや幻影旅団など裏社会に携わるキャラクターが善性を持つようになる。 一方で、黒幕は普通の人間であるが、敵以上に醜悪な人間が登場し、守るべきものは本当に守るべきかと問いかけることが展開も多く描かれる。 ※ 各作品の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。 書誌情報の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。
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冨樫 義博は、日本の漫画家。妻は同じく漫画家の武内直子。弟は、同じく漫画家の冨樫。 1987年(昭和62年)に『『週刊少年ジャンプ』Winter Special』に掲載された「とんだバースディプレゼント」でデビューし、1989年(平成元年)から『週刊少年ジャンプ』で開始した「てんで性悪キューピッド」で連載デビュー。主に『週刊少年ジャンプ』で活躍。代表作『幽☆遊☆白書』『HUNTER×HUNTER』『レベルE』はいずれもテレビアニメ化され人気を博している。『幽☆遊☆白書』により1993年(平成5年)、第39回小学館漫画賞少年部門受賞。『週刊少年ジャンプ』誌上において『HUNTER×HUNTER』を不定期連載中。血液型はA型。
{{存命人物の出典明記|date= 2021年1月11日 (月) 20:12 (UTC)}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 冨樫 義博 | ふりがな = とがし よしひろ | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = 冨樫 義博(とがし よしひろ) | 生地 = {{JPN}}・[[山形県]][[新庄市]]<ref name="U-zen">「[https://web.archive.org/web/20050426022307/http://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/u-zen/013/13_p01.html Vol.13[巻頭インタビュー]冨樫義博]」- [[国土交通省]]山形河川国道事務所が発行している情報誌『U-zen』のインタビュー記事(Internet Archiveによる過去ログ)</ref> | 国籍 = <!-- [[日本]] 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1966|04|27}}<ref name="U-zen" /> | 没年 = | ジャンル = [[少年漫画]] | 活動期間 = [[1986年]] - | 代表作 = 『[[幽☆遊☆白書]]』<br />『[[レベルE]]』<br/>『[[HUNTER×HUNTER]]』 | 受賞 = [[1987年]]:第24回[[ホップ☆ステップ賞]]佳作(「ジュラのミヅキ」)<br />[[1993年]]:第39回[[小学館漫画賞]]少年部門(『幽☆遊☆白書』) | サイン= File:Yoshihiro_Togashi_sign.svg }} '''冨樫 義博'''(とがし よしひろ、[[諱|本名]]同じ<ref>{{Cite book|和書|year=1992|title=幽☆遊☆白書第7巻|page=49|author=冨樫義博|publisher=集英社〈[[ジャンプ・コミックス|JC]]〉|id=ISBN 978-4-08-871279-6}}</ref>、[[1966年]]([[昭和]]41年)[[4月27日]]<ref name="U-zen" /> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[妻]]は同じく漫画家の[[武内直子]]<ref name="U-zen" />{{#tag:ref|結婚についての詳細は[[武内直子#結婚]]の項を[[参照 (書誌学)|参照]]。|group="注"}}。弟は、同じく漫画家の[[冨樫 (漫画家)|冨樫]]{{#tag:ref|冨樫義博本人からの公言はないが『幽☆遊☆白書画集』にて「背景は弟に手伝ってもらった」とコメントしていたり、弟のイラストがコミック版『幽☆遊☆白書』にゲスト掲載されていたり、逆に冨樫の単行本にゲストとして兄の義博が参加している。|group="注"}}。 [[1987年]](昭和62年)に『[[週刊少年ジャンプの増刊号|『週刊少年ジャンプ』Winter Special]]』に掲載された「とんだバースディプレゼント」で[[デビュー]]し、[[1989年]]([[平成]]元年)から『[[週刊少年ジャンプ]]』で開始した「[[てんで性悪キューピッド]]」で連載[[デビュー]]<ref name="U-zen" />。主に『週刊少年ジャンプ』で活躍。代表作『[[幽☆遊☆白書]]』『[[HUNTER×HUNTER]]』『[[レベルE]]』はいずれも[[テレビアニメ]]化され人気を博している。『幽☆遊☆白書』により[[1993年]](平成5年)、第39回[[小学館漫画賞]]少年部門受賞。『週刊少年ジャンプ』誌上において『HUNTER×HUNTER』を不定期連載中。[[血液型]]は[[ABO式血液型|A型]]。 == 経歴 == ; 幼年期 〜 学生時代 : [[山形県]][[新庄市]]万場町にて出生、新庄市立沼田小学校、新庄市立明倫中学校、[[山形県立新庄北高等学校]]出身<ref name="U-zen" />。[[山形大学]]教育学部美術学科(現・地域教育文化学部)在学中<ref name="U-zen" />の[[1986年]](昭和61年)から投稿をはじめ、翌[[1987年]](昭和62年)3月に「ジュラのミヅキ」で第24回[[ホップ☆ステップ賞]]佳作、12月に「ぶっとびストレート」で第34回[[手塚賞]]準入選をそれぞれ受賞。その後、山形大学を[[中退]]し[[上京]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.yamagata-u.ac.jp/jp/files/3614/7548/5631/seika67-01.pdf|title=山大聖火リレー|publisher=山形大学|accessdate= 2021-1-25|archiveurl= }}</ref>、同年「とんだバースディプレゼント」が『[[週刊少年ジャンプの増刊号|週刊少年ジャンプWinter Special]]』に掲載され、漫画家としてデビューする。 == 代表作 == ; [[幽☆遊☆白書]] : [[1990年]](平成2年)から『週刊少年ジャンプ』にて「幽☆遊☆白書」を連載開始。当初は幽霊となった[[少年]]を[[主人公]]とする1話 - 数話完結の話であったが、連載途中より[[格闘漫画]]に作風を移行させた。この作品は人気を集め、[[1992年]](平成4年)にはテレビアニメ化を果たしジャンプの屋台骨を支える看板作品となり、人気の衰えを見る前に連載終了。 ; [[レベルE]] : [[1995年]](平成7年)より[[1997年]](平成9年)にかけては同誌で、不可思議な宇宙人たちを描いたシニカルな[[SF漫画]]、「レベルE」を月1で連載する。同作は連載終了から14年を経た[[2011年]](平成23年)に[[テレビアニメ]]化されている。 ; [[HUNTER×HUNTER]] : [[1998年]](平成10年)から同誌にて「HUNTER×HUNTER」の連載を開始。王道的な展開ながらも複雑な心理戦を描いた[[少年漫画]]として人気を得<ref>{{Cite book|和書|year=2009|title=[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]第166巻|page=188|author=秋本治|authorlink=秋本治|publisher=集英社〈JC〉|id=}}</ref>、[[1999年]](平成11年)からと2011年(平成23年)の2度に渡ってテレビアニメ化されている。1999年(平成11年)1月には同じく漫画家の[[武内直子]]と結婚<ref name="U-zen" />。この頃から頻繁に休載するようになり、[[2006年]](平成18年)には僅か4回の掲載<ref group="注">同年の『週刊少年ジャンプ』8 - 11号にのみ掲載。</ref>、[[2007年]](平成19年)の連載再開まで79週もの休載を挟んだ。その後も断続的に掲載される形で連載が行なわれているが、休載続きの状況から『[[北斗の拳 イチゴ味]]』9巻の巻末インタビュー記事では職業を自ら「無職」と回答していた。[[2018年]]11月26日発売の52号より再び長期休載に入り、約3年11カ月後の[[2022年]]10月24日発売の47号で再開された<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/498672|title=「HUNTER×HUNTER」連載再開!ジャンプリミックスから「冨樫義博クロニクル」発売|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-10-24|accessdate=2022-10-28}}</ref>。 == 人物・エピソード == * 連載中断の主な原因としては、持病である腰痛の悪化が挙げられる。既に『幽☆遊☆白書』の頃から症状は重く、元アシスタントの[[味野くにお]]によれば、腰痛のため「寝そべった状態で原稿を描いていた」こともあったという<ref>[https://ddnavi.com/review/410147/a/ 元アシスタントが語る、漫画家「冨樫義博」] - ダ・ヴィンチWeb・2017年11月20日</ref>。本人も、2022年10月より開催の「冨樫義博展 -PUZZLE-」に向けてのコメントで「2年ほど椅子に座れない状態で描けませんでした」「これを書いている2週間前までお尻をふく姿勢がとれず(中略)あらゆる動作が常人の3~5倍時間がかかります」と語っている<ref>[https://mantan-web.jp/article/20220703dog00m200014000c.html 冨樫義博:展覧会「冨樫義博展 -PUZZLE-」10月開催 描き下ろしビジュアルに「幽☆遊☆白書」「レベルE」「HUNTER×HUNTER」キャラ大集結] - まんたんウェブ・2022年7月4日</ref>。 *[[2022年]]5月24日、[[Twitter]]アカウントを開設。翌日にはフォロワーが120万人を突破した<ref name="natalie20220525">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/478912|title=冨樫義博がTwitterアカウント開設、集英社広報部「本人のものだと聞いております」|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-05-25|accessdate=2022-05-25}}</ref>。集英社広報部によると、本人が運営しているという{{R|natalie20220525}}。Twitter開設以降、毎日、一部に数字が書かれた原稿を公開していたが、8月12日には初めて原稿を公開せず、「症状が改善せず、治療・回復に時間を大幅に割く事になりました。No399…背景効果指定作成中」と報告した<ref>{{Cite news|url= https://www.oricon.co.jp/news/2245568/full/ |title= 『H×H』作者・冨樫氏、体調不良を報告「症状が改善せず、治療・回復に時間を大幅に割く事になりました」 |newspaper= ORICON NEWS |publisher= oricon ME |date= 2022-08-12 |accessdate= 2022-08-12 }}</ref>。 * 2022年10月28日から2023年1月9日〈予定〉まで東京・森アーツセンターギャラリー([[六本木ヒルズ森タワー]] 52階)にて画業35周年を記念した展覧会「冨樫義博展 -PUZZLE-」を開催<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.crank-in.net/news/116609/1|title=いよいよ明日から開催「冨樫義博展」内覧会行ってきた! 画業35年の歩みを堪能|work=クランクイン!|publisher=ブロードメディア株式会社|date=2022-10-27|accessdate=2022-10-28}}</ref>。 == 作風 == 作品には「善悪」「価値観の逆転」「人間」というテーマが描かれることが多い。 [[幽☆遊☆白書]]の妖怪・魔物、『レベルE』の宇宙人、[[HUNTER×HUNTER]]のキメラアント、などの外界の生物が人類悪 として描かれるが、そういう“外界”の生物を決して単純な悪者にせず、最終的に善性を持つことになる。また登場人物も[[HUNTER×HUNTER]]の殺し屋のキルアや[[幻影旅団]]など裏社会に携わるキャラクターが善性を持つようになる。 一方で、黒幕は普通の人間であるが、敵以上に醜悪な人間が登場し、守るべきものは本当に守るべきかと問いかけることが展開も多く描かれる。<ref>{{Cite web|和書|title=冨樫義博『レベルE』なぜ少年漫画らしからぬ作風に? 奇妙でダークなSF漫画の先見性 |url=https://realsound.jp/book/2020/09/post-619423.html |website=Real Sound|リアルサウンド ブック |date=2020-09-15 |access-date=2023-10-05 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://ebookjapan.yahoo.co.jp/special/article/aa0170.html |title=大人になって冨樫義博作品がもっとおもしろい! “外界”から人間を眺める人類学の視点 - ebjニュース&トピックス |access-date=2023-10-05 |date=2022-12-06}}</ref> == 作品 == === 漫画作品 === [[※]] 各作品の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。 <small> * デフォルトでの表記は発表順。未発表作品については投稿した漫画賞の次期で代用。他列でのソート後に再度発表順でソートするには、最左列を利用する。 * 「種」欄は連載か読切かで2種に大別。 * 「収」欄は収録単行本またはイラスト集を「略号x-y」の形で示す。略号対応については[[#漫画単行本]]を参照。 ** 「x」は初収録単行本での収録巻を示す。再出版で収録巻の異なる場合は脚注で補足。 ** 「y」は各単行本内での収録順を示す。 </small> {| style="font-size:smaller" | style="background-color: #fdd; width: 1em; " | | 連載作品 | style="background-color: #ddf; width: 1em; " | | 読切作品 |} {| class="wikitable sortable" style="font-size:smaller; background-color:#ddf" ! !! 作品名 !! 種 !! 発行 !! 掲載誌 !! 収 !! 注記 |- ! 1 |<span style="display:none">せんせえはとしした</span>センセーは年下!! || 読切 || — || 雑誌未掲載([[1986年]]投稿) || てA4-3<br />てB3-3 || [[産前産後休業|産休]]教師の代理として<br />小学生が中学校に赴任するギャグ漫画。<br />第20回H☆S賞([[1986年]])最終候補。15頁。 |- ! 2 |<span style="display:none">しゆらのみつき</span>ジュラのミヅキ || 読切 || — || 雑誌未掲載([[1987年]]投稿) || てA4-2<br />てB3-2 || 植物と会話し操ることが出来る<br />ジュラ族の少女を主人公とした作品。<br />第24回[[週刊少年ジャンプ#新人漫画家の募集企画|ホップ☆ステップ賞]]佳作受賞作。35頁。 |- ! 3 |<span style="display:none">ふつとひすとれえと</span>ぶっとびストレート || 読切 || — || 雑誌未掲載([[1987年]]投稿) || 短-6 || [[野球漫画]]。<br />第34回(昭和62年度下半期)[[手塚賞]]準入選作品。 |- ! 4 |<span style="display:none">とんたはあすていふれせんと</span>とんだバースディ<br />プレゼント || 読切 || [[集英社]] || WJ増刊 少年ジャンプ 1988年 Winter Special || 短-5 || 発明の失敗から[[コンピュータゲーム]]と結びついた<br />現実世界を舞台とした作品。デビュー作。 |- ! 5 |<span style="display:none">おかるとたんていたん</span>オカルト探偵団 PART1 || 読切 || [[集英社]] || WJ増刊 少年ジャンプ 1988年 Autumn Special || 短-2 || 推理とオカルトを合わせた作品。31頁 |- ! 6 |<span style="display:none">ほらあえんしえる</span>HORROR ANGEL || 読切 || [[集英社]] || WJ増刊 少年ジャンプ 1989年 Winter Special || 短-4 || [[ホラー映画|怪奇映画]]の[[妖精|精]]が登場する[[ラブコメディ]]。 |- ! 7 |<span style="display:none">おかるとたんていたん</span>オカルト探偵団 PART2 || 読切 || [[集英社]] || WJ増刊 少年ジャンプ 1989年 Spring Special || 短-3 || [[推理]]と[[オカルト]]を合わせた作品。43頁 |- ! 8 |<span style="display:none">おおかみなんてこわくない</span>狼なんて怖くない!! || 読切 || [[集英社]] || <span style="display:none">V</span>[[週刊少年ジャンプ]] 1989年20号 || 短-1 || [[狼男]]を主人公とした[[ラブコメディ]]。31頁。<br />短編集の表題作。 |- style="background-color:#fdd" ! 9 |<span style="display:none">てんてしようわるきゆうひつと</span>[[てんで性悪キューピッド]] || <span style="display:none"> 1 </span>連載 || [[集英社]] || <span style="display:none">V</span>[[週刊少年ジャンプ]] 1989年32号 - 1990年13号 || て || [[ラブコメディ]]作品。連載デビュー作。 |- style="background-color:#fdd" ! 10 |<span style="display:none">ゆうゆうはくしよ</span>[[幽☆遊☆白書]] || <span style="display:none"> 1 </span>連載 || [[集英社]] || <span style="display:none">V</span>[[週刊少年ジャンプ]] 1990年51号 - 1994年32号 || ゆ || [[オカルト]][[喜劇|コメディ]]として始まり後に[[格闘漫画]]へと変化。<br />第39回[[小学館漫画賞]]受賞作品。アニメ化もされている。 |- style="background-color:#fdd" ! 11 |<span style="display:none">れへるいい</span>[[レベルE]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/102225/|title=レベルE : 作品情報 : 作品情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-09-20}}</ref> || <span style="display:none"> 1 </span>連載 || [[集英社]] || <span style="display:none">V</span>[[週刊少年ジャンプ]] 1995年42号 - 1997年3・4合併号 || レ || [[サイエンス・フィクション|SF]]、[[オカルト]][[喜劇|コメディ]]作品。<br />週刊誌である『WJ』において月刊連載。<br />後にアニメ化。 |- style="background-color:#fdd" ! 12 |<span style="display:none">はんたあはんたあ</span>[[HUNTER×HUNTER]] || <span style="display:none"> 1 </span>連載 || [[集英社]] || <span style="display:none">V</span>[[週刊少年ジャンプ]] 1998年14号 - 連載中 || ハ || 2度のアニメ化等<br />様々なメディアミックスが行われている。 |- !13 |<span style="display:none">あくてんうおーす</span>悪天ウォーズ || 読切 || [[集英社]] || グランドジャンプPREMIUM 2017年9月号、11月号 || || 原作担当。作画は水野ハチ。<br />オリジナルボードゲームを基にした<br />ネーム作品を漫画化。 |} === 書籍 === ==== 漫画単行本 ==== 書誌情報の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。 <small> * [[2022年]](令和4年)11月[[現在]]。 * 書名が同じ物は【 】内の注記で区分をつけている。 * デフォルトでの表記は作品毎にまとめて初巻の発行順とし、短編集については最後に記載した。他列でのソート後にデフォルトの順へと戻すには、最左列を利用する。 * 「略」欄は上記[[#漫画作品]]の収録欄で用いている略号を示す。 </small> {| style="font-size:smaller" | style="background-color: #fcc; width: 1em; " | | 連載作品 | style="background-color: #fee; width: 1em; " | | 再出版 | style="background-color: #ccf; width: 1em; " | | 短編集 |} {| class="wikitable sortable" style="font-size:smaller; background-color:#fcc" ! !! 書名 !! 発行 !! レーベル !! 判 !! 発行年 !! 巻 !! 注記 !! 略 |- ! 1 | <span style="display:none">て1</span>[[てんで性悪キューピッド]]【JC版】 || [[集英社]] || [[ジャンプ・コミックス]] || <span style="display:none">2</span>新書 || [[1990年]] || style="text-align:right;" | 4 || || てA |- style="background-color:#fee" ! 2 | <span style="display:none">て2</span>[[てんで性悪キューピッド]]【ワイド版】 || ホーム社 || ホームコミックス || <span style="display:none">3</span>B6 || [[1994年]] || style="text-align:right;" | 3 || ワイド版での再出版。|| てB |- style="background-color:#fee" ! 3 | <span style="display:none">て3</span>[[てんで性悪キューピッド]]【文庫版】 || [[集英社]] || 集英社文庫コミック版 || <span style="display:none">1</span>文庫 || [[2002年]] || style="text-align:right;" | 2 || 文庫での再出版。|| てC |- ! 4 | <span style="display:none">ゆ1</span>[[幽☆遊☆白書]]【JC版】 || [[集英社]] || [[ジャンプ・コミックス]] || <span style="display:none">2</span>新書 || [[1991年]] - [[1994年]] || style="text-align:right;" | 19 || || ゆ |- style="background-color:#fee" ! 5 | <span style="display:none">ゆ2</span>[[幽☆遊☆白書]]【[[完全版コミックス|完全版]]】 || [[集英社]] || [[ジャンプ・コミックス]] || <span style="display:none">5</span>A5 || [[2004年]] - [[2005年]] || style="text-align:right;" | 15 || ワイド版での再出版。|| ゆ |- style="background-color:#fee" ! 6 | <span style="display:none">ゆ3</span>[[幽☆遊☆白書]]【文庫版】 || [[集英社]] || 集英社文庫コミック版 || <span style="display:none">1</span>文庫 || [[2010年]] - [[2011年]] || style="text-align:right;" | 12 || 文庫での再出版。|| ゆ |- ! 7 | <span style="display:none">れ</span>[[レベルE]]【JC版】 || [[集英社]] || [[ジャンプ・コミックス]] || <span style="display:none">2</span>新書 || [[1996年]] - [[1997年]] || style="text-align:right;" | 3 || || レ |- !8 |[[レベルE]]【文庫版】 |[[集英社]] |集英社文庫コミック版 |<span style="display:none">1</span>文庫 |[[2010年]] |2 |文庫での再出版。 |レ |- ! 9 | <span style="display:none">は</span>[[HUNTER×HUNTER]]|| [[集英社]]|| [[ジャンプ・コミックス]]|| <span style="display:none">2</span>新書 || [[1998年]] - 刊行中 || style="text-align:right;" | 37 || || ハ |- style="background-color:#ccf" ! 10 | <span style="display:none">お</span>狼なんて怖くない!! || [[集英社]] || [[ジャンプ・コミックス]] || <span style="display:none">2</span>新書 || [[1989年]] || style="text-align:right;" | 1 || 短編集。|| 短 |} ==== 絵本 ==== * おおぼーぬーとちぃぼーぬー([[2005年]]、[[講談社]] 絵/冨樫義博 文/武内直子、ISBN 978-4-06-324536-3) === その他 === {{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2021年11月}} * [[バイオハザード3 LAST ESCAPE|バイオハザード3]] 公式ガイドブック([[1999年]]発行) にイラストを寄稿。 * 出身地である山形県新庄市のイメージキャラクター「[https://www.city.shinjo.yamagata.jp/s011/010/010/20200327111439.html かむてん]」のデザインを担当。 * 実弟の[[冨樫 (漫画家)|冨樫]]の単行本『森の妖精のはなし』シリーズ(成人向け)巻末にイラスト寄稿。 * [[森博嗣]]小説『[[地球儀のスライス]]』、[[平山夢明]]小説『他人事』で巻末の解説を書いている。 * 『[[NARUTO -ナルト-]]』の連載十周年記念として出版された『NARUTO秘伝・皆の書 - オフィシャルプレミアムファンB00K』(集英社・2009年12月9日発売、ISBN 978-4-08-874834-4)に十周年お祝いメッセージ&イラストを寄稿。および二影対談として『NARUTO -ナルト-』作者・[[岸本斉史]]との対談が掲載されている。 * [[ヘタッピマンガ研究所R]]([[村田雄介]])Step15-17にゲストとして登場。漫画家になるまでの経緯などについて話した。 * 『HUNTER×HUNTER』のアニメに[[声優]]として2回出演している。 ** [[HUNTER×HUNTER#パイロット版|パイロット版]] - 役柄は不明。 ** [[HUNTER×HUNTER (1999年のアニメ)|日本アニメーション制作版]] - 86番 TVアニメ第13話で受験生の一人(怪鳥に襲われるロッククライマー<ref name="cite_kurobas_hh">{{Cite book|和書|title=[[黒子のバスケ]] オフィシャルファンブック キャラクターズバイブル|chapter=冨樫義博×藤巻忠俊 キセキの対談!!|page=184|isbn=978-4-08-870574-3|publisher=集英社|series=ジャンプコミックス|date=2012-07-09|edition=1|author=藤巻忠俊|authorlink=藤巻忠俊}}</ref>) <!-- ==== サイコロジャンケンボクシング ==== 『幽☆遊☆白書』のジャンプコミックス6巻26ページ(使用ボクサー)、68ページ(ルール)収録の2人対戦用ミニゲーム。 ルールは使用ボクサーを選び、[[ジャンケン]]で勝った側が[[サイコロ]]を用いて1 - 6の目を出し、使用ボクサーに設定されたステータスに従い、相手ボクサーにダメージを与える。3回繰り返すと1[[ラウンド]]の終了(つまりジャンケンに3回とも負けた場合そのラウンドは攻撃できなかったことになる)。体力上限までの範囲で2ポイント回復後、第2ラウンドを開始する。これを、どちらかのボクサーの[[ヒットポイント|HP]]が0になるまで繰り返すというもの。各ボクサーには「得意パンチ」が設定されている場合があり、出た目のパンチが得意だった場合は3ダメージを与えることができる。 同巻107ページ(フリートーク)には作者が中学生の頃に考えて遊んだゲームの一つであると紹介されている。 {| class="wikitable" |- |+サイコ口の目に対応したパンチ内容 !サイコ口の目!!パンチ内容||ダメージ |- |[[File:Alea a1.png|32px|1]]|| rowspan="2" |[[ジャブ]]|| rowspan="2"|1 |- |[[File:Alea 2.png|32px|2]] |- |[[File:Alea 3.png|32px|3]]||ストレート||2 |- |[[File:Alea 4.png|32px|4]]||下記必殺技||4(カミカゼサンキチのみ6) |- |[[File:Alea 5.png|32px|5]]||[[フック (打撃)|フック]]|| rowspan="2"|2 |- |[[File:Alea 6.png|32px|6]]||[[アッパーカット|アッパー]] |} 使用するボクサーは次のとおり。 ; ホワイトタイガー : 挿絵では刈り上げ頭の白人のボクサー : HP12 必殺技スペシャルサンダー 得意パンチ アッパー ; ブラックジョー : 挿絵では黒人のボクサー : HP10 必殺技ビッグマグナム 得意パンチ フック・ストレート ; カミカゼサンキチ : 挿絵では坊主刈りの東洋系のボクサー : HP10 必殺技カミカゼショット 得意パンチ なし ; ミスタークエスチョン : 挿絵では「?」と書かれた覆面のボクサー : HP15 必殺技ハテナボム 得意パンチ なし --> == 関連人物 == ; [[高橋俊昌]] : 『センセーは年下!!』時代から冨樫に目をつけていた初期から『幽☆遊☆白書』中期までの元[[漫画編集者|担当編集]]<ref>{{Cite journal|和書|journal=ジャンプ流!|title=ROAD to JUMP マンガ家デビュー秘話 第21回 冨樫義博|editor=週刊少年ジャンプ編集部|publisher=集英社|page=5|}}</ref>。後、冨樫が『HUNTER×HUNTER』連載中の2001年『週刊少年ジャンプ』第7代編集長。2003年、逝去。 ; 味野くにお : 『幽☆遊☆白書』『レベルE』元アシスタント。[[エッセイ漫画]]『先生白書』にてアシスタント経験の経緯を描いた<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/248918|title=幽☆遊☆白書からレベルEまでの冨樫を知る、元アシスタントが描く「先生白書」|accessdate=2017-12-30|date=2017-09-15|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == <!-- Twitterアカウントは集英社により本人のものと確認されています --> * {{Twitter}} * {{Mediaarts-db|C76912|冨樫義博}} {{幽☆遊☆白書}} {{HUNTER×HUNTER}} {{武内直子}} {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:とかし よしひろ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:山形大学出身の人物]] [[Category:山形県出身の人物]] [[Category:武内直子|+とかしよしひろ]] [[Category:1966年生]] [[Category:存命人物]]
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鳥山明
鳥山 明(とりやま あきら、1955年〈昭和30年〉4月5日 - )は、日本の漫画家、デザイナー。 プロダクションは「BIRD STUDIO」(バード・スタジオ)。血液型はA型。妻は少女漫画家のみかみなち。愛知県名古屋市出身、清須市(旧清洲町域)在住。 1978年に『週刊少年ジャンプ』52号にて読み切り作品『ワンダーアイランド』でデビュー。集英社との専属契約下で『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌に作品を発表。代表作『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』はいずれもテレビアニメ化され、1981年から1999年にかけてフジテレビ系列の毎週水曜日19:00 - 19:30は『Dr.スランプ アラレちゃん』から始まり、『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』『ドクタースランプ』と、長期に渡り鳥山原作のアニメが放映されていた。 漫画家としての活動の合間にデザイナーとしても活動し、『ドラゴンクエストシリーズ』などのゲームやマスコットのキャラクターデザイン、プラモデルや車などのデザインを多数手掛けている。漫画家デビュー以来、地元で活動を行っており、Dr.スランプ単行本の描きおろしページによると、当時は名古屋飛行場(小牧空港)から航空便で東京に原稿を送っていた。 1980年から1990年代の『(週刊少年)ジャンプ』の全盛期を支えた立役者であり、当時編集長を務めた西村繁男は、「『週刊少年ジャンプ』発行部数600万部達成の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現し得たことは、誰も否定できないだろう」と評価している。 『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』は2022年の現在でも、コマーシャルに起用されたり、グッズが作られるなど根強い人気を博している。 初代担当編集者の鳥嶋和彦は、「家は貧しかったが両親共にのんびり屋の性格で、食べ物を買うお金がない代わりに、両親は二人でワルツを踊るような人だった」と述べている。 鳥山自身は絵を描くことが好きで、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていた。欲しい物があるとそれを手に入れるまで、あるいは興味がなくなるまで絵に描き続ける癖があり、その癖は漫画家になって以降も続いている。「当時通っていた絵画教室で描いた『101匹わんちゃん大行進』が表彰されたことで自信を持った」と言い、小学校の写生コンクールで数回入賞し、高校時代には美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部で入賞している。妹がいる。よく悪戯をしていて、父親に怒られていた。 尊敬していた漫画家は手塚治虫とウォルト・ディズニーで、『鉄腕アトム』に登場するロボットを毎日いたずら描きしていた。一番影響を受けたのはディズニーアニメであり、『101匹わんちゃん大行進』にディフォルメの影響を受けて毎日模写をしていた。 幼少時は漫画やアニメに熱中したが、小学校高学年以降は映画やテレビドラマに興味の対象が移り、漫画に触れる機会が無くなっていた。しかし、絵を描くことは変わらず好きで自信もあったため、愛知県立起工業高等学校(現在の愛知県立一宮起工科高等学校)のデザイン科に進学した。 「高校時代はマンガ研究同好会に所属し、同好会の会長にもなったが漫画を描くことはなかった」と言う。1974年に同校を卒業した。 高校を卒業した1974年、絵を描く仕事に就きたいと思い、地元の広告関係のデザイン会社にデザイナーとして就職した。 しかし、平然と遅刻を繰り返したり、レタリング作業が主な仕事になり嫌気が差していたという。最終的に、約2年半ほど経った1977年1月に退職した。本人は「わずかでも世間の仕組みを知ることができて、無駄ではなかった」と述べている。 デザイン会社を退職後、1年間はアルバイトでイラストを手掛けていたが、その後は遊ぶ金もなく途方に暮れていたある日、喫茶店で偶然手に取った『週刊少年マガジン』で、新人賞の作品募集の記事を見つける。入賞すると賞金50万円が手に入ることを知り、23歳にして初めて漫画を描き始めた。結局、締め切りには間に合わなかったため、1978年1月に『週刊少年ジャンプ』の新人賞である月例ヤングジャンプ賞へ応募作品の『アワワワールド』を投稿する。投稿したのはギャグ漫画だが、その理由はストーリー漫画と賞金が一緒なのにページ数は半分だったため。 投稿した作品は入賞には及ばないものの、すぐにまた描き上げた鳥山の投稿作品『謎のレインジャック』を目にした『週刊少年ジャンプ』の編集者の鳥嶋和彦は作中の描き文字(擬音、擬態語など、写植以外の文字のこと)をカタカナでなくアルファベットを使用していることや、対象を様々な角度から描けること、絵が丁寧に描き込まれていることにセンスを感じ「今は下手だが頑張れば何とかなるかもしれないから、もっと描いて送ってよ」とアドバイスをした。この頃は『スター・ウォーズ』のパロディなどを描いており、一部の作品は後にファンクラブの会報に掲載された。なお、この作品自体はパロディは賞の対象にならない規定により選外になった。 鳥山は厳しくネームのボツ(不採用)を出す鳥嶋のもとで懸命に修行することになる。この間のボツ原稿の総量は、1年で500ページにも及んだ。 デビュー前は「どうせ売れる訳がない」と思っており、ペンネームを使う発想もなく本名で通した。「鳥山明」という名前は愛知県には数軒しか存在せず、デビュー直後はイタズラ電話がよくかかって来たため、冗談で“水田二 期作(みずたに きさく)”というペンネームを使おうとも考えたが、担当者に「つまらん」とボツにされた。「本名を使ったことが漫画家になって一番後悔したこと」だと言う。 1978年、『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダー・アイランド』でデビューを飾るも、読者アンケートの結果は最下位であり、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も、芳しいものではなかった。しかし、鳥嶋は鳥山の手を離すことなく「面白い漫画を作り上げよう」と打ち合わせを重ねた。そして『Dr.スランプ』の基本コンセプトが誕生した。鳥山は当初、自称天才科学者の則巻千兵衛を主役と決めており、則巻アラレは脇役と考えていたが、鳥嶋が「アラレを主人公にした方が良い」と主張。そこで、賭けをすることになった。鳥山が苦手とする、女の子を主人公とした作品を読み切りとして『ジャンプ』本誌に掲載し、読者アンケートで4位以下だったら千兵衛を主人公、3位以内だったらアラレを主人公にするというもの。賭けに乗る形で描いた作品が、1979年に発表した『ギャル刑事トマト』である。アンケートで3位を獲得、主人公はアラレに決まった。ただし、『Dr.スランプ』(ドクター≒千兵衛)というタイトルだけは譲らなかった。 1980年5・6合併号より『Dr.スランプ』の連載開始。瞬く間に人気作品となり、早々にテレビアニメ化が決定。タイトルに“アラレちゃん”と追加され、1981年4月より『Dr.スランプ アラレちゃん』として放送開始。一大ブームを巻き起こす。最高視聴率36.9%を記録、歴代アニメ最高視聴率で3位になるなど大ヒットアニメとなった。鳥山の地元である東海3県の東海テレビでは関東以上に視聴率が高く視聴率40%超を記録している。 ジャンプ・コミックス第5巻は、『ドラえもん』(第19巻)の120万部を上回り、第6巻は初版220万部を記録した。 連載1年目は、睡眠は3日に1回、最高記録となる6日連続徹夜、ペン入れの記憶がない回があるなどと多忙を極めた。 『Dr.スランプ』連載中の1982年、松本常男(現キャラメル・ママ会長)により鳥山明公式ファンクラブ「鳥山明保存会」が運営開始される。松本は「最初は『Dr.スランプ・ファン・クラブ』と名付けるはずだったが、トリさ(鳥山明)を見て『保存』するしかない、ということでこの名前になった」と語っている。 アイディアの不足を理由に『Dr.スランプ』の連載終了を相談したところ、「3か月後に新連載を始めるのなら終わってもいい」と言われ、次回作のネタを固めるために読み切り漫画『騎竜少年』『トンプー大冒険』を描きつつ、1984年8月に『Dr.スランプ』の連載を終了。 同年11月に『ドラゴンボール』の連載を開始する。当初は西遊記にコメディや格闘漫画の要素を加えた、孫悟空という少年の冒険譚であった。連載開始当初は期待も大きく反響もあったが、徐々に読者アンケート順位は下降。鳥嶋と分析を重ね、悟空に魅力がないという結論に至った。そこで貪欲に強さを追い求めるキャラを際立たせ、格闘大会天下一武道会という大舞台に向けて修行に励む過程を描く明快なストーリーに軌道修正。すると低迷していたアンケート順位がV字回復し、『ジャンプ』の看板作品に躍り出る。以降、次々と登場する強敵・難敵との戦闘や修行をメインに据えた物語となった。しかし、戦闘シーンが多くなるにつれ、小柄な少年体型の悟空では動き(アクション)に限界があり作画が難しく、連載をやめたいと申し入れたことがある。編集長から合意を得て、悟空を青年(大人)の体型にすることで連載継続に合意した(悟空が成長し、第23回天下一武道会に出場した場面)。 1986年から1997年まで放送されたテレビアニメシリーズは、平均視聴率20%を維持した。 『ドラゴンクエストシリーズ』のキャラクター、モンスターデザインを1986年の第1作『ドラゴンクエスト』から担当している。堀井雄二の描いたラフ絵を基にデザインしているものもあるが、スライムに代表されるように自分のアレンジを加えており、キャラクターデザインに至ってはほとんど別物になっている。堀井のラフ絵では目も口もないドロっとしたスライムであり、鳥山により「ドロドロしてデザインしにくかったから」という理由で、液体で雨粒様のデザインになった。また、タイトルロゴの青いドラゴンは鳥山が描きおろしたものである。デザインを手掛けた榎本一夫(バナナグローブスタジオ)の提案で、ロゴに竜を描き加えることになり、鳥嶋を介して依頼を受けた。なお、専属契約上の問題で公式攻略本にはイラストが載せられず、鳥山の絵が掲載されているのは集英社から出ているファミコン神拳奥義大全書やVジャンプブックスゲームシリーズに限られている。このため、公式攻略本では鳥山明風の作画ができる村上ゆみ子などに委託している。 鳥山は当時「コンピュータRPGをやったことがなかったため初めは苦労したが、『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』以降はどんな感じかわかったのでやりやすかった」と語り、『ドラゴンボール』のストーリー全体にかかわるような影響を受けたという。『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』が発売された段階で、『ドラゴンクエスト』のイラストの中では『ドラゴンクエストII』のパッケージイラストが一番気に入っていると語っている。なお、キャラクターなどが多く面倒なため『ドラゴンクエスト』の漫画を描くのは絶対に嫌だという。 鳥嶋の紹介により「あっ、いいですよ」という軽い気持ちで引き受けたが、30年以上続くシリーズになるとは想定しておらず、「そんなに続くなら断っていた」と心境を語っている。キャラクターデザインは楽しくもキツい仕事であるといい、最初はなんでもない雑魚キャラクターを自由にデザインをしていたが、回を重ねていく内に個人的にあまり興味のない健全なメインキャラクターのデザインが多くなり、ある程度の時代設定や細かく指定されるデザイン設定のため自由に書かせてもらえなくなり、今は騙し騙しで描いているという。ただし引き受けた仕事は目一杯やる主義であり、今後も一生懸命デザインすると語っている。 『ドラゴンクエスト』のデザインは当初ドットで描いてきたというエピソードを堀井雄二や鳥嶋和彦が述べているが、これは実際は『ドラゴンクエストII』のときであり、当初の話ではない。このときのドット絵風に描かれた原画は、後年の画集にも掲載されている。 『ドラゴンボール』がテレビアニメとの関係でアニメスタッフに原稿を下描き状態で見せなければならなくなるなど、精神的にも肉体的にもハードな連載になったため、長期連載を辞めることを決断。1995年の『ドラゴンボール』の連載終了後は、デザイナー仕事の合間に『週刊少年ジャンプ』およびジャンプ系列誌での読み切り、短期集中連載作品がメインになっている。 1997年11月から1999年9月まで放送された『ドクタースランプ』において、初めてキャラクター原案を担当する。1997年の短期集中連載『TOKIMECHA』を一部CGで製作したのをきっかけに、2000年代以降はコンピューターでの作画に移行。フルカラーでの作画が多いのが特徴となっている。『SAND LAND』と『ネコマジンシリーズ』は日本国外でも翻訳出版された。 また、2003年には絵本『てんしのトッチオ』を発表。2009年にはNPO「田園社会プロジェクト」が発行する環境教育教材『最終戦略 バイオスフィア』に読み切り漫画『おいしい島のウーさま』を発表。集英社との専属契約上描けないことになっているのを特別に許可してもらったものである。 2007年3月には、『Dr.スランプ』の最終回から1年後の物語『ドクター・スランプ2007特別編 Dr.MASHIRITO ABALEちゃん』を執筆した。 2013年7月から10月まで、『週刊少年ジャンプ』で『銀河パトロール ジャコ』を短期集中連載した。2013年3月30日には鳥山が初めてアニメシリーズに脚本から深く関わった『ドラゴンボールZ 神と神』が公開。2015年4月18日にはその続編となる『ドラゴンボールZ 復活の「F」』が公開され、こちらでは単独で脚本を務めている。また、2015年7月から放送の『ドラゴンボール超』において、ストーリー&キャラクター原案を担当する。 2017年11月、租税回避に関する流出文書、パラダイス文書に鳥山の名が記載されており、投資組合に出資していたことがわかった。ただし本人によれば資産運用は完全に税理士任せで、報道を見て知ったという。この組合は12人の投資で組成されていたが赤字に陥り、本業の所得からの控除が認められず修正申告を行ったことで知られていたが、パラダイス文書の解析の結果、そのひとりが鳥山であったことが判明した。この報道を受けて11月8日に自宅前で『FLASH』の突撃取材に遭い、顔出しをすることになった。 『Dr.スランプ』連載時代は『徹子の部屋』(1983年5月4日放送)に出演したり、NHK特集『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝〜』(1981年5月25日放送)に荒木飛呂彦とともに登場するなどテレビやラジオ番組には何度か出ており、鳥嶋の指示により『ジャンプ』誌面や『Dr.スランプ』などの単行本にも自身の写真を積極的に載せていた。また、1984年の映画『ゴジラ』にエキストラで参加。本編中では大写しにならなかったが、市販もされた一部ポスターにおける群衆の中に写っている。 元々マスコミなどへの露出を好まなかったが『ドラゴンボール』の連載後期には顕著となり、小さな町に在住しているため顔がばれるのが嫌だからという理由で本人の写真が公表、掲載されることはなくなっている。スーパーマーケットなどを見て歩くのが好きだというが、新しくオープンしたスーパーマーケットに行った際に売場の女性たちからサイン攻めに遭い、なかなか出ることができなかったことがあり、それ以降はそれまで応じていたインタビューを断るようになり、顔のあからさまな露出も避けるようになった。『ブルードラゴン』のCMにも出演しているが、顔出しはしていない。 自画像は『Dr.スランプ』連載時は当初は擬人化した鳥だったが、普通の人間の顔やマスク姿など変遷を繰り返し、最終的にガスマスクを着用をしたロボットのデフォルメキャラクターとなった。照れくさいという理由による。 1978年から1990年代半ばまでの大半の作品は短編作品集『鳥山明○作劇場』シリーズに収録されている。 アシスタントは歴代2人。『Dr.スランプ』連載初期はアシスタントを雇うこと自体知らなかったため、1人で全部描いていた。アシスタントを呼ぶのは1週間に1日だった。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "鳥山 明(とりやま あきら、1955年〈昭和30年〉4月5日 - )は、日本の漫画家、デザイナー。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "プロダクションは「BIRD STUDIO」(バード・スタジオ)。血液型はA型。妻は少女漫画家のみかみなち。愛知県名古屋市出身、清須市(旧清洲町域)在住。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1978年に『週刊少年ジャンプ』52号にて読み切り作品『ワンダーアイランド』でデビュー。集英社との専属契約下で『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌に作品を発表。代表作『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』はいずれもテレビアニメ化され、1981年から1999年にかけてフジテレビ系列の毎週水曜日19:00 - 19:30は『Dr.スランプ アラレちゃん』から始まり、『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』『ドクタースランプ』と、長期に渡り鳥山原作のアニメが放映されていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "漫画家としての活動の合間にデザイナーとしても活動し、『ドラゴンクエストシリーズ』などのゲームやマスコットのキャラクターデザイン、プラモデルや車などのデザインを多数手掛けている。漫画家デビュー以来、地元で活動を行っており、Dr.スランプ単行本の描きおろしページによると、当時は名古屋飛行場(小牧空港)から航空便で東京に原稿を送っていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1980年から1990年代の『(週刊少年)ジャンプ』の全盛期を支えた立役者であり、当時編集長を務めた西村繁男は、「『週刊少年ジャンプ』発行部数600万部達成の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現し得たことは、誰も否定できないだろう」と評価している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, 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"「高校時代はマンガ研究同好会に所属し、同好会の会長にもなったが漫画を描くことはなかった」と言う。1974年に同校を卒業した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "高校を卒業した1974年、絵を描く仕事に就きたいと思い、地元の広告関係のデザイン会社にデザイナーとして就職した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "しかし、平然と遅刻を繰り返したり、レタリング作業が主な仕事になり嫌気が差していたという。最終的に、約2年半ほど経った1977年1月に退職した。本人は「わずかでも世間の仕組みを知ることができて、無駄ではなかった」と述べている。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "デザイン会社を退職後、1年間はアルバイトでイラストを手掛けていたが、その後は遊ぶ金もなく途方に暮れていたある日、喫茶店で偶然手に取った『週刊少年マガジン』で、新人賞の作品募集の記事を見つける。入賞すると賞金50万円が手に入ることを知り、23歳にして初めて漫画を描き始めた。結局、締め切りには間に合わなかったため、1978年1月に『週刊少年ジャンプ』の新人賞である月例ヤングジャンプ賞へ応募作品の『アワワワールド』を投稿する。投稿したのはギャグ漫画だが、その理由はストーリー漫画と賞金が一緒なのにページ数は半分だったため。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "投稿した作品は入賞には及ばないものの、すぐにまた描き上げた鳥山の投稿作品『謎のレインジャック』を目にした『週刊少年ジャンプ』の編集者の鳥嶋和彦は作中の描き文字(擬音、擬態語など、写植以外の文字のこと)をカタカナでなくアルファベットを使用していることや、対象を様々な角度から描けること、絵が丁寧に描き込まれていることにセンスを感じ「今は下手だが頑張れば何とかなるかもしれないから、もっと描いて送ってよ」とアドバイスをした。この頃は『スター・ウォーズ』のパロディなどを描いており、一部の作品は後にファンクラブの会報に掲載された。なお、この作品自体はパロディは賞の対象にならない規定により選外になった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "鳥山は厳しくネームのボツ(不採用)を出す鳥嶋のもとで懸命に修行することになる。この間のボツ原稿の総量は、1年で500ページにも及んだ。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "デビュー前は「どうせ売れる訳がない」と思っており、ペンネームを使う発想もなく本名で通した。「鳥山明」という名前は愛知県には数軒しか存在せず、デビュー直後はイタズラ電話がよくかかって来たため、冗談で“水田二 期作(みずたに きさく)”というペンネームを使おうとも考えたが、担当者に「つまらん」とボツにされた。「本名を使ったことが漫画家になって一番後悔したこと」だと言う。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1978年、『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダー・アイランド』でデビューを飾るも、読者アンケートの結果は最下位であり、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も、芳しいものではなかった。しかし、鳥嶋は鳥山の手を離すことなく「面白い漫画を作り上げよう」と打ち合わせを重ねた。そして『Dr.スランプ』の基本コンセプトが誕生した。鳥山は当初、自称天才科学者の則巻千兵衛を主役と決めており、則巻アラレは脇役と考えていたが、鳥嶋が「アラレを主人公にした方が良い」と主張。そこで、賭けをすることになった。鳥山が苦手とする、女の子を主人公とした作品を読み切りとして『ジャンプ』本誌に掲載し、読者アンケートで4位以下だったら千兵衛を主人公、3位以内だったらアラレを主人公にするというもの。賭けに乗る形で描いた作品が、1979年に発表した『ギャル刑事トマト』である。アンケートで3位を獲得、主人公はアラレに決まった。ただし、『Dr.スランプ』(ドクター≒千兵衛)というタイトルだけは譲らなかった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1980年5・6合併号より『Dr.スランプ』の連載開始。瞬く間に人気作品となり、早々にテレビアニメ化が決定。タイトルに“アラレちゃん”と追加され、1981年4月より『Dr.スランプ アラレちゃん』として放送開始。一大ブームを巻き起こす。最高視聴率36.9%を記録、歴代アニメ最高視聴率で3位になるなど大ヒットアニメとなった。鳥山の地元である東海3県の東海テレビでは関東以上に視聴率が高く視聴率40%超を記録している。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ジャンプ・コミックス第5巻は、『ドラえもん』(第19巻)の120万部を上回り、第6巻は初版220万部を記録した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "連載1年目は、睡眠は3日に1回、最高記録となる6日連続徹夜、ペン入れの記憶がない回があるなどと多忙を極めた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "『Dr.スランプ』連載中の1982年、松本常男(現キャラメル・ママ会長)により鳥山明公式ファンクラブ「鳥山明保存会」が運営開始される。松本は「最初は『Dr.スランプ・ファン・クラブ』と名付けるはずだったが、トリさ(鳥山明)を見て『保存』するしかない、ということでこの名前になった」と語っている。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "アイディアの不足を理由に『Dr.スランプ』の連載終了を相談したところ、「3か月後に新連載を始めるのなら終わってもいい」と言われ、次回作のネタを固めるために読み切り漫画『騎竜少年』『トンプー大冒険』を描きつつ、1984年8月に『Dr.スランプ』の連載を終了。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "同年11月に『ドラゴンボール』の連載を開始する。当初は西遊記にコメディや格闘漫画の要素を加えた、孫悟空という少年の冒険譚であった。連載開始当初は期待も大きく反響もあったが、徐々に読者アンケート順位は下降。鳥嶋と分析を重ね、悟空に魅力がないという結論に至った。そこで貪欲に強さを追い求めるキャラを際立たせ、格闘大会天下一武道会という大舞台に向けて修行に励む過程を描く明快なストーリーに軌道修正。すると低迷していたアンケート順位がV字回復し、『ジャンプ』の看板作品に躍り出る。以降、次々と登場する強敵・難敵との戦闘や修行をメインに据えた物語となった。しかし、戦闘シーンが多くなるにつれ、小柄な少年体型の悟空では動き(アクション)に限界があり作画が難しく、連載をやめたいと申し入れたことがある。編集長から合意を得て、悟空を青年(大人)の体型にすることで連載継続に合意した(悟空が成長し、第23回天下一武道会に出場した場面)。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1986年から1997年まで放送されたテレビアニメシリーズは、平均視聴率20%を維持した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "『ドラゴンクエストシリーズ』のキャラクター、モンスターデザインを1986年の第1作『ドラゴンクエスト』から担当している。堀井雄二の描いたラフ絵を基にデザインしているものもあるが、スライムに代表されるように自分のアレンジを加えており、キャラクターデザインに至ってはほとんど別物になっている。堀井のラフ絵では目も口もないドロっとしたスライムであり、鳥山により「ドロドロしてデザインしにくかったから」という理由で、液体で雨粒様のデザインになった。また、タイトルロゴの青いドラゴンは鳥山が描きおろしたものである。デザインを手掛けた榎本一夫(バナナグローブスタジオ)の提案で、ロゴに竜を描き加えることになり、鳥嶋を介して依頼を受けた。なお、専属契約上の問題で公式攻略本にはイラストが載せられず、鳥山の絵が掲載されているのは集英社から出ているファミコン神拳奥義大全書やVジャンプブックスゲームシリーズに限られている。このため、公式攻略本では鳥山明風の作画ができる村上ゆみ子などに委託している。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "鳥山は当時「コンピュータRPGをやったことがなかったため初めは苦労したが、『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』以降はどんな感じかわかったのでやりやすかった」と語り、『ドラゴンボール』のストーリー全体にかかわるような影響を受けたという。『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』が発売された段階で、『ドラゴンクエスト』のイラストの中では『ドラゴンクエストII』のパッケージイラストが一番気に入っていると語っている。なお、キャラクターなどが多く面倒なため『ドラゴンクエスト』の漫画を描くのは絶対に嫌だという。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "鳥嶋の紹介により「あっ、いいですよ」という軽い気持ちで引き受けたが、30年以上続くシリーズになるとは想定しておらず、「そんなに続くなら断っていた」と心境を語っている。キャラクターデザインは楽しくもキツい仕事であるといい、最初はなんでもない雑魚キャラクターを自由にデザインをしていたが、回を重ねていく内に個人的にあまり興味のない健全なメインキャラクターのデザインが多くなり、ある程度の時代設定や細かく指定されるデザイン設定のため自由に書かせてもらえなくなり、今は騙し騙しで描いているという。ただし引き受けた仕事は目一杯やる主義であり、今後も一生懸命デザインすると語っている。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "『ドラゴンクエスト』のデザインは当初ドットで描いてきたというエピソードを堀井雄二や鳥嶋和彦が述べているが、これは実際は『ドラゴンクエストII』のときであり、当初の話ではない。このときのドット絵風に描かれた原画は、後年の画集にも掲載されている。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "『ドラゴンボール』がテレビアニメとの関係でアニメスタッフに原稿を下描き状態で見せなければならなくなるなど、精神的にも肉体的にもハードな連載になったため、長期連載を辞めることを決断。1995年の『ドラゴンボール』の連載終了後は、デザイナー仕事の合間に『週刊少年ジャンプ』およびジャンプ系列誌での読み切り、短期集中連載作品がメインになっている。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "1997年11月から1999年9月まで放送された『ドクタースランプ』において、初めてキャラクター原案を担当する。1997年の短期集中連載『TOKIMECHA』を一部CGで製作したのをきっかけに、2000年代以降はコンピューターでの作画に移行。フルカラーでの作画が多いのが特徴となっている。『SAND LAND』と『ネコマジンシリーズ』は日本国外でも翻訳出版された。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "また、2003年には絵本『てんしのトッチオ』を発表。2009年にはNPO「田園社会プロジェクト」が発行する環境教育教材『最終戦略 バイオスフィア』に読み切り漫画『おいしい島のウーさま』を発表。集英社との専属契約上描けないことになっているのを特別に許可してもらったものである。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "2007年3月には、『Dr.スランプ』の最終回から1年後の物語『ドクター・スランプ2007特別編 Dr.MASHIRITO ABALEちゃん』を執筆した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "2013年7月から10月まで、『週刊少年ジャンプ』で『銀河パトロール ジャコ』を短期集中連載した。2013年3月30日には鳥山が初めてアニメシリーズに脚本から深く関わった『ドラゴンボールZ 神と神』が公開。2015年4月18日にはその続編となる『ドラゴンボールZ 復活の「F」』が公開され、こちらでは単独で脚本を務めている。また、2015年7月から放送の『ドラゴンボール超』において、ストーリー&キャラクター原案を担当する。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "2017年11月、租税回避に関する流出文書、パラダイス文書に鳥山の名が記載されており、投資組合に出資していたことがわかった。ただし本人によれば資産運用は完全に税理士任せで、報道を見て知ったという。この組合は12人の投資で組成されていたが赤字に陥り、本業の所得からの控除が認められず修正申告を行ったことで知られていたが、パラダイス文書の解析の結果、そのひとりが鳥山であったことが判明した。この報道を受けて11月8日に自宅前で『FLASH』の突撃取材に遭い、顔出しをすることになった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "『Dr.スランプ』連載時代は『徹子の部屋』(1983年5月4日放送)に出演したり、NHK特集『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝〜』(1981年5月25日放送)に荒木飛呂彦とともに登場するなどテレビやラジオ番組には何度か出ており、鳥嶋の指示により『ジャンプ』誌面や『Dr.スランプ』などの単行本にも自身の写真を積極的に載せていた。また、1984年の映画『ゴジラ』にエキストラで参加。本編中では大写しにならなかったが、市販もされた一部ポスターにおける群衆の中に写っている。", "title": "マスコミへの露出" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "元々マスコミなどへの露出を好まなかったが『ドラゴンボール』の連載後期には顕著となり、小さな町に在住しているため顔がばれるのが嫌だからという理由で本人の写真が公表、掲載されることはなくなっている。スーパーマーケットなどを見て歩くのが好きだというが、新しくオープンしたスーパーマーケットに行った際に売場の女性たちからサイン攻めに遭い、なかなか出ることができなかったことがあり、それ以降はそれまで応じていたインタビューを断るようになり、顔のあからさまな露出も避けるようになった。『ブルードラゴン』のCMにも出演しているが、顔出しはしていない。", "title": "マスコミへの露出" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "自画像は『Dr.スランプ』連載時は当初は擬人化した鳥だったが、普通の人間の顔やマスク姿など変遷を繰り返し、最終的にガスマスクを着用をしたロボットのデフォルメキャラクターとなった。照れくさいという理由による。", "title": "マスコミへの露出" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "1978年から1990年代半ばまでの大半の作品は短編作品集『鳥山明○作劇場』シリーズに収録されている。", "title": "作品リスト" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "アシスタントは歴代2人。『Dr.スランプ』連載初期はアシスタントを雇うこと自体知らなかったため、1人で全部描いていた。アシスタントを呼ぶのは1週間に1日だった。", "title": "関連人物" } ]
鳥山 明は、日本の漫画家、デザイナー。 プロダクションは「BIRD STUDIO」(バード・スタジオ)。血液型はA型。妻は少女漫画家のみかみなち。愛知県名古屋市出身、清須市(旧清洲町域)在住。
{{別人|鳥山晃}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 鳥山 明 | ふりがな = とりやま あきら | 画像 = Akira Toriyama.jpg | 画像サイズ = | 脚注 = [[2002年]]、[[ニューヨーク]]でのイベントにて | 本名 = | 生地 = {{JPN}} [[愛知県]][[名古屋市]] | 国籍 = | 生年 = {{生年月日と年齢|1955|4|5}} | 没年 = | 職業 = [[漫画家]]<br />[[デザイナー]] | 称号 = [[芸術文化勲章]] | ジャンル = [[少年漫画]] | 活動期間 = [[1978年]] - | 代表作 = 『[[Dr.スランプ]]』<br/>『[[ドラゴンボール]]』 | 受賞 = 第27回[[小学館漫画賞]]少年少女部門(『Dr.スランプ』)<br/>第4回[[文化庁メディア芸術祭]]インタラクティブ部門大賞(『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』)<br/>[[日本のメディア芸術100選]] マンガ部門3位選出(『ドラゴンボール』)<br/>第40回[[アングレーム国際漫画祭]]40周年記念特別賞<br/>フランス[[芸術文化勲章]]「シュバリエ」 | 公式サイト = | サイン = Signature of Akira Toriyama.svg }} '''鳥山 明'''(とりやま あきら、[[1955年]]〈[[昭和]]30年〉[[4月5日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[デザイナー]]。 プロダクションは「BIRD STUDIO」(バード・スタジオ)。血液型は[[ABO式血液型|A型]]。妻は[[少女漫画家]]の[[みかみなち]]。[[愛知県]][[名古屋市]]出身<ref name="nagoya">『COMIC BOX』「わしの裏話」、1985年11月号。</ref>、[[清須市]](旧[[清洲町]]域)在住<ref>[http://www.inlifeweb.com/reports/report_350.html INLIFE 男の履歴書 鳥山明]</ref><ref>[http://www.meisei-hojinkai.or.jp/area/ 地域情報|一般社団法人 名古屋西法人会] 2014年6月24日閲覧。</ref>。 == 概要 == [[1978年]]に『[[週刊少年ジャンプ]]』52号にて読み切り作品『ワンダーアイランド』でデビュー。[[集英社]]との専属契約下で『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌に作品を発表。代表作『[[Dr.スランプ]]』『[[ドラゴンボール]]』はいずれもテレビアニメ化され、[[1981年]]から[[1999年]]にかけて[[フジテレビ系列]]の毎週水曜日19:00 - 19:30は『[[Dr.スランプ アラレちゃん]]』から始まり、『[[ドラゴンボール (アニメ)|ドラゴンボール]]』『[[ドラゴンボールZ]]』『[[ドラゴンボールGT]]』『[[ドクタースランプ]]』と、長期に渡り鳥山原作のアニメが放映されていた。 漫画家としての活動の合間に[[デザイナー]]としても活動し、『[[ドラゴンクエストシリーズ]]』などのゲームや[[マスコット]]の[[キャラクターデザイン]]、プラモデルや車などのデザインを多数手掛けている。漫画家デビュー以来、地元で活動を行っており、[[Dr.スランプ]]単行本の描きおろしページによると、当時は[[名古屋飛行場]](小牧空港)から航空便で東京に原稿を送っていた<ref>鳥山明「ドキュメンタリー ボクはこうやってDr.SLUMPをかいているのさっ!!3」『Dr.スランプ 第3巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1980年12月15日、{{ISBN2|4-08-851183-2}}、86頁。</ref>。 1980年から1990年代の『(週刊少年)ジャンプ』の全盛期を支えた立役者であり、当時編集長を務めた[[西村繁男]]は、「『週刊少年ジャンプ』発行部数600万部達成の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現し得たことは、誰も否定できないだろう」と評価している<ref>『さらばわが青春の『少年ジャンプ』』pp.282</ref>。 『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』は[[2022年]]の現在でも、[[コマーシャルメッセージ|コマーシャル]]に起用されたり、グッズが作られるなど根強い人気を博している。 == 来歴 == === 幼少時代 === 初代担当編集者の[[鳥嶋和彦]]は、「家は貧しかったが両親共にのんびり屋の性格で、食べ物を買うお金がない代わりに、両親は二人で[[ワルツ]]を踊るような人だった」と述べている。 鳥山自身は絵を描くことが好きで、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていた<ref>[[岡田斗司夫]]、[[唐沢俊一]]「マンガ家という生き方」『オタク論!』創出版 2007年4月27日、{{ISBN2|978-4-924718-80-7}}、203-204頁。</ref>。欲しい物があるとそれを手に入れるまで、あるいは興味がなくなるまで絵に描き続ける癖があり、その癖は漫画家になって以降も続いている<ref>鳥山明『DRAGON BALL 第20巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1990年1月15日、{{ISBN2|4-08-851617-6}}、カバー折り返し。</ref>。「当時通っていた[[絵画]]教室で描いた『[[101匹わんちゃん|101匹わんちゃん大行進]]』が表彰されたことで自信を持った」と言い<ref>渡辺彰則編「鳥山明的超会見」『ドラゴンボール大全集 第6巻』集英社、1995年12月9日、{{ISBN2|4-08-782756-9}}、216頁。</ref>、小学校の[[写生]]コンクールで数回入賞し、高校時代には美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部で入賞している<ref name="box">『COMIC BOX』「ヒストリー・オブ・鳥山明」、1985年11月号。</ref>。妹がいる。よく悪戯をしていて、父親に怒られていた<ref>『Dr.スランプ』実話落書き漫画より。</ref>。 尊敬していた漫画家は[[手塚治虫]]と[[ウォルト・ディズニー]]で、『[[鉄腕アトム]]』に登場するロボットを毎日いたずら描きしていた<ref name="torisa">鳥山明「トリさの解説じゃぞい」『Dr.スランプ 第11巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1983年9月15日、{{ISBN2|4-08-851191-3}}、48・80・110頁。</ref>。一番影響を受けたのはディズニーアニメであり<ref name="land">ジャンプ・コミック出版編集部編「鳥山明 ON THE ROAD」『ドラゴンボール完全版公式ガイド Dragonball LANDMARK 少年編〜フリーザ編』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、2003年12月24日、{{ISBN2|4-08-873478-5}}、146-159頁。</ref>、『101匹わんちゃん大行進』にディフォルメの影響を受けて毎日模写をしていた<ref name="WORLD">週刊少年ジャンプ特別編集「V AKIRA TORIYAMA 鳥山明V.S.堀井雄二 森下孝三 鳥嶋和彦」『鳥山明 the world』集英社、1990年1月15日、{{ISBN2|4-08-858130-X}}、90-91頁。</ref>。 幼少時は漫画やアニメに熱中したが、小学校高学年以降は映画やテレビドラマに興味の対象が移り、漫画に触れる機会が無くなっていた<ref>『徹子の部屋』出演時の発言より。</ref><ref>鳥山明「わたしはこうしてマンガ家になってしまった その3」『鳥山明○作劇場Vol.2』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1988年3月15日、{{ISBN2|4-08-851469-6}}、94頁。</ref>。しかし、絵を描くことは変わらず好きで自信もあったため、愛知県立起工業高等学校(現在の[[愛知県立一宮起工科高等学校]])のデザイン科に進学した。 「高校時代はマンガ研究同好会に所属し、同好会の会長にもなったが漫画を描くことはなかった」と言う<ref>「Dr.スランプが生まれるまでにボツになった原稿は1000枚くらいです」『[[スターログ#日本版|月刊スターログ日本版]]1980年11月号』ツルモトルーム、1980年11月1日</ref>。[[1974年]]に同校を卒業した。 === デザイン会社時代 === 高校を卒業した1974年、絵を描く仕事に就きたいと思い、地元の広告関係のデザイン会社にデザイナーとして就職した。 しかし、平然と遅刻を繰り返したり<ref>鳥山明「わたしはこうしてマンガ家になってしまった その4」『鳥山明○作劇場Vol.2』140頁。</ref><ref name="Japan">[[大下英治]]「第八章 アニメファンの拡大 没原稿五百枚」『<ruby>日本<rp>(</rp><rt>ジャパニーズ</rt><rp>)</rp></ruby>ヒーローは世界を制す』[[角川書店]]、1995年11月24日、{{ISBN2|4-04-883416-9}}、233-237頁。</ref>、[[レタリング]]作業が主な仕事になり嫌気が差していたという。最終的に、約2年半<ref name="sono5.166">鳥山明「わたしはこうしてマンガ家になってしまった その5」『鳥山明○作劇場Vol.2』166頁。</ref>ほど経った[[1977年]]<ref>週刊少年ジャンプ特別編集「V AKIRA TORIYAMA」『鳥山明 the world』88頁。</ref>1月<ref>『BIRD LAND PRESS 4』1983年、11頁。</ref>に退職した。本人は「わずかでも世間の仕組みを知ることができて、無駄ではなかった」と述べている{{R|sono5.166}}。 === デビューまでの経緯 === デザイン会社を退職後、1年間は[[アルバイト]]でイラストを手掛けていたが{{R|box}}、その後は遊ぶ金もなく途方に暮れていたある日、喫茶店で偶然手に取った『[[週刊少年マガジン]]』で、新人賞の作品募集の記事を見つける。入賞すると賞金50万円が手に入ることを知り、23歳にして初めて漫画を描き始めた<ref>鳥山明「-あのころは青かった-これをかいていたころのわし(1)ワンダー・アイランドをかいていたころ」『鳥山明○作劇場Vol.1』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1983年7月15日、{{ISBN2|4-08-851261-8}}、20頁。</ref>。結局、締め切りには間に合わなかったため、1978年1月に『[[週刊少年ジャンプ]]』の新人賞である月例ヤングジャンプ賞へ応募作品の『アワワワールド』を投稿する{{R|land}}<ref name="sono5.184">鳥山明「わたしはこうしてマンガ家になってしまった その5」『鳥山明○作劇場Vol.2』184頁</ref>。投稿したのは[[ギャグ漫画]]だが、その理由はストーリー漫画と賞金が一緒なのにページ数は半分だったため{{R|Japan}}<ref>[[サンケイスポーツ]]特別版『ドラゴンボールZ 復活の「F」新聞』の鳥嶋和彦のコメントより。</ref>。 投稿した作品は入賞には及ばないものの<ref>『さらばわが青春の『少年ジャンプ』』pp.280</ref>、すぐにまた描き上げた鳥山の投稿作品『謎のレインジャック』を目にした『週刊少年ジャンプ』の編集者の鳥嶋和彦は作中の描き文字(擬音、擬態語など、[[写植]]以外の文字のこと)をカタカナでなくアルファベットを使用していることや、対象を様々な角度から描けること、絵が丁寧に描き込まれていることにセンスを感じ{{R|Japan}}<ref name="A">「神龍通信 第1号 歴代担当者座談会」『ドラゴンボール大全集1巻』別冊付録、集英社、1995年。</ref>「今は下手だが頑張れば何とかなるかもしれないから、もっと描いて送ってよ」とアドバイスをした{{R|sono5.184}}。この頃は『[[スター・ウォーズ]]』の[[パロディ]]などを描いており{{R|A}}、一部の作品は後に[[ファンクラブ]]の会報に掲載された。なお、この作品自体はパロディは賞の対象にならない規定により選外になった{{R|Japan}}。 鳥山は厳しく[[ネーム (漫画)|ネーム]]のボツ(不採用)を出す鳥嶋のもとで懸命に修行することになる。この間のボツ原稿の総量は、1年で500ページにも及んだ{{R|Japan}}<ref>鳥山明「-あのころは青かった-これをかいていたころのわし(2)ワンダー・アイランド2 ギャル刑事トマトをかいていたころ」『鳥山明○作劇場Vol.1』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1983年7月15日、{{ISBN2|4-08-851261-8}}、36頁。</ref>。 デビュー前は「どうせ売れる訳がない」と思っており、[[ペンネーム]]を使う発想もなく本名で通した{{R|land}}。「鳥山明」という名前は愛知県には数軒しか存在せず、デビュー直後は[[迷惑電話|イタズラ電話]]がよくかかって来たため、冗談で“水田二 期作(みずたに きさく)”というペンネームを使おうとも考えたが、担当者に「つまらん」とボツにされた{{R|torisa}}。「本名を使ったことが漫画家になって一番後悔したこと」だと言う{{R|land}}。 === Dr.スランプの連載 === 1978年、『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダー・アイランド』でデビューを飾るも、読者アンケートの結果は最下位であり<ref>鳥山明「-あのころは青かった-これをかいていたころのわし(1)ワンダー・アイランドをかいていたころ」『鳥山明○作劇場Vol.1』20頁。</ref>、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も、芳しいものではなかった。しかし、鳥嶋は鳥山の手を離すことなく「面白い漫画を作り上げよう」と打ち合わせを重ねた。そして『Dr.スランプ』の基本コンセプトが誕生した。鳥山は当初、自称天才科学者の[[則巻千兵衛]]を主役と決めており、[[則巻アラレ]]は脇役と考えていたが、鳥嶋が「アラレを主人公にした方が良い」と主張。そこで、賭けをすることになった。鳥山が苦手とする、女の子を主人公とした作品を読み切りとして『ジャンプ』本誌に掲載し、読者アンケートで4位以下だったら千兵衛を主人公、3位以内だったらアラレを主人公にするというもの。賭けに乗る形で描いた作品が、1979年に発表した『ギャル刑事トマト』である。アンケートで3位を獲得、主人公はアラレに決まった。ただし、『Dr.スランプ』(ドクター≒千兵衛)というタイトルだけは譲らなかった<ref name="itm20181029">{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1810/29/news002_2.html|title=『Dr.スランプ』で「マシリト」と呼ばれた男・鳥嶋和彦の仕事哲学【中編】『ジャンプ』伝説の編集長は『ドラゴンボール』をいかにして生み出したのか|website=#SHIFT|publisher=ITmediaビジネス|data=2018-10-29|accessdate=2023-06-28}}</ref><ref>鳥山明「めずらしくわしがマジメにかたるDr.スランプのヒミツ その(2)則巻千兵衛が主人公のハズだった!!」『Dr.スランプ 第16巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1985年1月15日、{{ISBN2|4-08-851196-4}}、48頁。</ref>。 1980年5・6合併号より『Dr.スランプ』の連載開始。瞬く間に人気作品となり、早々に[[テレビアニメ]]化が決定。タイトルに“アラレちゃん”と追加され、1981年4月より『[[Dr.スランプ アラレちゃん]]』として放送開始。一大ブームを巻き起こす。最高視聴率36.9%を記録、歴代アニメ最高視聴率で3位になる<ref>[https://www.amazon.co.jp/dp/B000IU38II 商品の説明「内容紹介」「Amazonレビュー」] - Amazon.co.jp</ref>など大ヒットアニメとなった。鳥山の地元である[[東海3県]]の[[東海テレビ放送|東海テレビ]]では関東以上に視聴率が高く視聴率40%超を記録している<ref name="chunichi">「ずっこけアラレちゃん まじめアトムKO TVアニメホヨヨー人気の秘密」『[[中日新聞]]』1981年12月4日夕刊。</ref>。 [[ジャンプ・コミックス]]第5巻は、『[[ドラえもん]]』(第19巻)の120万部を上回り<ref name="ns811221">「集英社、コミック単行本『Dr.スランプ』絶好調──第6巻初版220万部、業界新」『[[日経産業新聞]]』1981年[[12月21日]]付、4頁。</ref>、第6巻は初版220万部を記録した{{R|ns811221}}。 連載1年目は、睡眠は3日に1回<ref>鳥山明「めずらしく わしが マジメに かたるDr.スランプのヒミツ その(1)こんなにつづくハズじゃなかった」『Dr.スランプ 第16巻』34頁。</ref>、最高記録となる6日連続徹夜{{R|land}}、ペン入れの記憶がない回がある<ref>鳥山明『Dr.スランプ 第9巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1982年12月30日、{{ISBN2|4-08-851189-1}}、カバー折り返し。</ref><ref>鳥山明「めずらしくわしがマジメにかたるDr.スランプのヒミツ その(5)ペン入れをした記憶のない原稿がある!!」『Dr.スランプ 第16巻』116頁。</ref>などと多忙を極めた。 『Dr.スランプ』連載中の1982年、松本常男(現[[キャラメル・ママ]]会長)により鳥山明公式ファンクラブ「鳥山明保存会」が運営開始される。松本は「最初は『Dr.スランプ・ファン・クラブ』と名付けるはずだったが、トリさ(鳥山明)を見て『保存』するしかない、ということでこの名前になった」と語っている<ref>鳥山明「あっそう もうおしまいなんですか ドクター スランプ」『Dr.スランプ 第18巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1985年5月15日、{{ISBN2|4-08-851198-0}}、146頁。</ref>。 === ドラゴンボールの連載 === アイディアの不足を理由に『Dr.スランプ』の連載終了を相談したところ、「3か月後に新連載を始めるのなら終わってもいい」と言われ{{R|land}}、次回作のネタを固めるために読み切り漫画『[[騎竜少年]]』『[[トンプー大冒険]]』を描きつつ、1984年8月に『Dr.スランプ』の連載を終了。 同年11月に『[[ドラゴンボール]]』の連載を開始する。当初は[[西遊記]]に[[コメディ]]や[[格闘漫画]]の要素を加えた、[[孫悟空 (ドラゴンボール)|孫悟空]]という少年の冒険譚であった。連載開始当初は期待も大きく反響もあったが、徐々に読者アンケート順位は下降{{R|land}}。鳥嶋と分析を重ね、悟空に魅力がないという結論に至った。そこで貪欲に強さを追い求めるキャラを際立たせ、格闘大会[[天下一武道会]]という大舞台に向けて修行に励む過程を描く明快なストーリーに軌道修正<ref name="itm20181029"/>。すると低迷していたアンケート順位がV字回復し、『ジャンプ』の看板作品に躍り出る。以降、次々と登場する強敵・難敵との戦闘や修行をメインに据えた物語となった。しかし、戦闘シーンが多くなるにつれ、小柄な少年体型の悟空では動き(アクション)に限界があり作画が難しく、連載をやめたいと申し入れたことがある<ref name="itm20181029"/>。編集長から合意を得て、悟空を青年(大人)の体型にすることで連載継続に合意した(悟空が成長し、第23回天下一武道会に出場した場面)。 1986年から1997年まで放送された[[ドラゴンボール (アニメ)|テレビアニメシリーズ]]は、平均視聴率20%を維持した<ref name="TV">鈴木晴彦編「THE SECRET IN Z 知られざる『Z』」『テレビアニメ完全ガイド『DRAGON BALL Z』孫悟空伝説』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、2003年10月8日、{{ISBN2|4-08-873546-3}}、198-199頁。</ref>。 === ドラゴンクエスト === 『[[ドラゴンクエストシリーズ]]』のキャラクター、モンスターデザインを1986年の第1作『[[ドラゴンクエスト]]』から担当している。[[堀井雄二]]の描いたラフ絵を基にデザインしているものもあるが、[[スライム (ドラゴンクエスト)|スライム]]に代表されるように自分のアレンジを加えており、キャラクターデザインに至ってはほとんど別物になっている。堀井のラフ絵では目も口もないドロっとしたスライムであり、鳥山により「ドロドロしてデザインしにくかったから」という理由で、液体で雨粒様のデザインになった<ref name="illust001">{{Cite book|和書 |chapter = 堀井雄二VS鳥山明 DQモンスターができるまで |title = ドラゴンクエストモンスターズ 鳥山明イラストレーションズ |publisher = 集英社 |date = 1996-12-23 |page = 3 |isbn = 4-08-782017-3 }}</ref>。また、タイトルロゴの青いドラゴンは鳥山が描きおろしたものである。デザインを手掛けた[[榎本一夫]](バナナグローブスタジオ)の提案で、ロゴに竜を描き加えることになり、鳥嶋を介して依頼を受けた<ref>[https://twitter.com/MAADSPIN/status/1673405437029527552 J-WAVE TOKYO M.A.A.D SPIN Twitter 2023年6月27日付]</ref>。なお、専属契約上の問題で公式攻略本にはイラストが載せられず、鳥山の絵が掲載されているのは集英社から出ている[[ファミコン神拳]]奥義大全書や[[Vジャンプ]]ブックスゲームシリーズに限られている。このため、公式攻略本では鳥山明風の作画ができる[[村上ゆみ子]]などに委託している。 鳥山は当時「[[コンピュータRPG]]をやったことがなかったため初めは苦労したが、『[[ドラゴンクエストII 悪霊の神々]]』以降はどんな感じかわかったのでやりやすかった」と語り、『ドラゴンボール』のストーリー全体にかかわるような影響を受けたという{{R|WORLD}}。『[[ドラゴンクエストIV 導かれし者たち]]』が発売された段階で、『ドラゴンクエスト』のイラストの中では『ドラゴンクエストII』のパッケージイラストが一番気に入っていると語っている<ref>『鳥山明 THE WORLD SPECIAL』集英社、1990年9月24日、133頁。</ref>。なお、キャラクターなどが多く面倒なため『ドラゴンクエスト』の漫画を描くのは絶対に嫌だという<ref>鳥山明『ドラゴンボール 第11巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1988年2月15日、{{ISBN2|4-08-851608-7}}、89頁。</ref>。 鳥嶋の紹介により「あっ、いいですよ」という軽い気持ちで引き受けたが、30年以上続くシリーズになるとは想定しておらず、「そんなに続くなら断っていた」と心境を語っている。キャラクターデザインは楽しくもキツい仕事であるといい、最初はなんでもない雑魚キャラクターを自由にデザインをしていたが、回を重ねていく内に個人的にあまり興味のない健全なメインキャラクターのデザインが多くなり、ある程度の時代設定や細かく指定されるデザイン設定のため自由に書かせてもらえなくなり、今は騙し騙しで描いているという。ただし引き受けた仕事は目一杯やる主義であり、今後も一生懸命デザインすると語っている<ref>2016年12月29日『ドラゴンクエスト30th そして新たな伝説へ』(NHK)</ref>{{出典無効|date=2020年1月}}。 『ドラゴンクエスト』のデザインは当初ドットで描いてきたというエピソードを堀井雄二や鳥嶋和彦が述べているが<ref>4gamer.net [https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20130930044/ 「黒川塾(十弐)」の堀井雄二の発言]や、2016年『週刊少年ジャンプ秘録!! ファミコン神拳!!!』({{ISBN2|978-4-8342-8457-7}})73頁の鳥嶋和彦インタビュー、114頁の堀井雄二インタビュー。</ref>、これは実際は『ドラゴンクエストII』のときであり<ref>1996年の書籍『ドラゴンクエストモンスターズ』({{ISBN2|4-08-782017-3}})2冊目の9頁の対談で鳥山明自身の発言。「ガスト」のドット風の原画も掲載。</ref>、当初の話ではない。このときのドット絵風に描かれた原画は、後年の画集にも掲載されている<ref>『鳥山明 ドラゴンクエスト イラストレーションズ』{{ISBN2|978-4-08-792508-1}}の15頁に主人公3人のドット絵、18頁にドット絵のガストを含む、画風の異なるモンスターが掲載。234頁の解説によると15頁の原画は本書の制作時に発見されたものである。</ref>。<!--このエピソードはネットの一部で「『ドラゴンクエストへの道』にも載っている」ような紹介をしているものがあります。本記事もおそらくそれを信じた編者によりそのように書かれたのですが、実際は書いてないそうです。--> === その後の活動 === 『ドラゴンボール』がテレビアニメとの関係でアニメスタッフに[[原稿]]を下描き状態で見せなければならなくなるなど、精神的にも肉体的にもハードな連載になったため、長期連載を辞めることを決断。1995年の『ドラゴンボール』の連載終了後は、デザイナー仕事の合間に『週刊少年ジャンプ』およびジャンプ系列誌での読み切り、短期集中連載作品がメインになっている。 1997年11月から1999年9月まで放送された『[[ドクタースランプ]]』において、初めて[[キャラクター原案]]を担当する<ref name="SLUMP">[https://www.toei-anim.co.jp/dvd/dr-slump90s/ ドクタースランプDVD-BOX SLUMP THE BOX 90's 作品解説]</ref>。1997年の短期集中連載『TOKIMECHA』を一部[[コンピュータグラフィックス|CG]]で製作したのをきっかけに、2000年代以降はコンピューターでの作画に移行。フルカラーでの作画が多いのが特徴となっている。『[[SAND LAND]]』と『[[ネコマジン]]シリーズ』は日本国外でも翻訳出版された。 また、2003年には絵本『てんしのトッチオ』を発表。2009年には[[NPO]]「田園社会プロジェクト」が発行する環境教育教材『最終戦略 バイオスフィア』に読み切り漫画『おいしい島のウーさま』を発表。集英社との専属契約上描けないことになっているのを特別に許可してもらったものである<ref>同誌あとがき</ref>。 2007年3月には、『Dr.スランプ』の最終回から1年後の物語『ドクター・スランプ2007特別編 Dr.MASHIRITO ABALEちゃん』を執筆した<ref>{{Cite web|和書|url=http://mj.shueisha.co.jp/abale/preview.html |title=ドクター・スランプ2007特別編 Dr.MASHIRITO ABALEちゃん |publisher=月刊少年ジャンプ |accessdate=2010-02-10 |deadlinkdate=2016-08-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100210153800/http://mj.shueisha.co.jp/abale/preview.html |archivedate=2010-02-10 }}</ref>。 2013年7月から10月まで、『週刊少年ジャンプ』で『銀河パトロール ジャコ』を短期集中連載した。2013年3月30日には鳥山が初めてアニメシリーズに脚本から深く関わった『[[ドラゴンボールZ 神と神]]』が公開。2015年4月18日にはその続編となる『[[ドラゴンボールZ 復活の「F」]]』が公開され、こちらでは単独で脚本を務めている。また、2015年7月から放送の『[[ドラゴンボール超]]』において、ストーリー&キャラクター原案を担当する。 2017年11月、[[租税回避]]に関する流出文書、[[パラダイス文書]]に鳥山の名が記載されており、投資組合に出資していたことがわかった<ref>[https://mainichi.jp/articles/20171106/k00/00e/040/113000c 漫画家鳥山明氏、米不動産に投資](毎日新聞、2017年11月6日)</ref>。ただし本人によれば資産運用は完全に税理士任せで、報道を見て知ったという。この組合は12人の投資で組成されていたが赤字に陥り、本業の所得からの控除が認められず修正申告を行ったことで知られていたが、パラダイス文書の解析の結果、そのひとりが鳥山であったことが判明した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20171106-MTY736I7HFJKLGVGNOBY3DSU3Y/ |title=「ドラゴンボール」の鳥山明氏、米不動産に投資日本人計12人 パラダイス文書の分析で判明 |publisher=産業経済新聞社 |date=2017-11-6|accessdate=201-12-4}}</ref>。この報道を受けて11月8日に自宅前で『[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]]』の突撃取材に遭い、顔出しをすることになった<ref>{{Cite web|和書|url=https://smart-flash.jp/showbiz/28427/|title=鳥山明4000万円以上節税で「税金払ってますか」直撃|publisher=光文社|date=2017-11-16|accessdate=2017-12-4}}</ref>。 == 作風 == === 作画方法 === ; 面倒くさがり : 初代編集者の[[鳥嶋和彦]]によると、『Dr.スランプ』では一番簡単だからと丸い山に木があるだけの背景にしたという{{R|A}}。『ドラゴンボール』では、描くのが大変な市街地などの背景で闘いに入ると爆破させる<ref name="forever">ジャンプ・コミック出版編集部編「鳥山明 WITH DRAGON BALL」『ドラゴンボール完全版公式ガイド Dragonball FOREVER 人造人間編〜魔人ブウ編 ALL BOUTS & CHARACTERS』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、2004年5月5日、{{ISBN2|4-08-873702-4}}、146-155頁。</ref>、もしくはすぐに登場人物を荒野に移動させたり<ref name="dz4">渡辺彰則編「鳥山明的超会見」『ドラゴンボール大全集4巻』集英社、1995年10月9日、{{ISBN2|4-08-782754-2}}、166-169頁。</ref>、[[サイヤ人#超サイヤ人|超サイヤ人]]を金髪にすることでアシスタントの[[ベタ (漫画)|ベタ]]塗りの時間を節約させる、などのエピソードがある{{R|forever}}。『Dr.スランプ』の途中から『ドラゴンボール』までアシスタントは[[まつやまたかし|松山孝司]]1人しか使っておらず、いつも悟空の髪の毛のベタ塗りに時間を取られていたため、鳥山は「超サイヤ人を登場させたことでアシスタント君との約束をやっと果たすことができた」と語っている<ref>ジャンプ・コミック出版編集部編「マンガ「DRAGON BALL」の真実〜トリヤマはこう考えていたよスペシャル〜」『DRAGON BALL 超エキサイティングガイド ストーリー編』集英社、2009年3月9日、{{ISBN2|978-4-08-874803-0}}、91頁。</ref>。 : しかし鳥山は2015年に「ボクはいつもそうなんですが、人と話す時、特に収録などされていると余計に面倒だからとか、なんとなくとか、ちょっと格好つけて苦労を悟られないように話してしまうという、つまらないクセがあります。もちろん、そんなに面倒くさがりだったら漫画など描けないし、なんとなく描けるほど漫画家という職業は甘いものではありません。なんてことないようなフリをしていますが、陰ではけっこう頑張っているんです」「ジジイになった今だって、漫画の仕事こそあまりしませんが、わずかな睡眠時間であれこれ頑張っています。それでもなかなか満足できるような仕事はできません。自信のあるような態度も、じつは自分を追い込んでいるだけです。よく言われることではありますが、本当に永遠に勉強だと思っています」と言っている<ref name="jumpryu">『ジャンプ流! 秘伝ガイド Vol.01 まるごと鳥山明』集英社、2015年、18頁。</ref>。そして「また、少しだけ話を大げさに盛ってしまったり、プチ自慢したり、言ってることが変わってしまうのも我ながら感心しませんね。へそまがりなうえに孤独好きで人付き合いの悪い部分は、職業的にプラス部分もあったりするので反省はしませんが、人間的にはどうなんでしょう」と言って「流行に乗るな、とまでは言いませんが、わしの作品について来い!なんて言うぐらいの流れに逆らう根性とセンスと個性は、できれば身に付けてほしいですね」とアドバイスしている{{R|jumpryu}}。 : かつてのインタビューではマンガ製作の準備・練習が嫌いなことを公言しており、鳥嶋にも鳥山ほど資料を持っていない作家はなかなかいないと言われている<ref name="out52">[[大徳哲雄]]編「COMIC LIVE DISCUSSION -ユカイなユカイな対談特集-PART 1 鳥山明VSさくまあきら」『[[月刊OUT]] 1982年3月号』みのり書房、昭和57年3月1日、雑誌 01587-3、50-54頁。</ref>。ただし鳥嶋は鳥山のことを「基本的な絵の勉強を漫画ではなく、デザイン画などから学んでいるため、バランス感覚が優れている」「トーンを使わないので、白と黒のバランスを取るのが非常に上手い」「背景などを描かなくても画面が持つだけの構成力とデッサン力を持っている」とも評している{{R|A}}。 : 3代目編集者の武田冬門によると、インタビューではよく「ペン入れが嫌い」や「ネームがしんどい」と言っているが、実際にはほぼ言わないという<ref>Vジャンプ編集部編「DRAGON BALL EDITORS INTERVIEW no.3 3代目担当編集 武田冬門」『30th Anniversary ドラゴンボール超史集』集英社、平成28年(2016年)1月26日、{{ISBN2|978-4-08-792505-0}}、71頁。</ref>。 ; トーンについて : 漫画作品では、あまりタッチをつけない均一な線が用いられており、デジタル作画を導入する前は[[スクリーントーン]]の使用が少なかった。前述のように鳥山は自身のことを非常に面倒臭がりだとしており、本人は「切ったり貼ったりするのが面倒だから、というより好きではない」と語っている{{R|forever}}。ただし、トーンが嫌いなわけではなく、むしろ使いたいとも述べていたこともあり<ref name="kaiken1">渡辺彰則編「鳥山明的超会見」『ドラゴンボール大全集 第1巻』集英社、1995年6月26日、{{ISBN2|4-08-782751-8}}、205-207頁</ref>、デジタル作画導入以降の作品ではトーン処理された画面が増えた。 ; ネームは描かない : 一般的に漫画作品は、[[ネーム (漫画)|ネーム]]、下描き、[[ペン入れ]]の工程を経て完成する。鳥山も初期はネームを作成した上で下描きをしていたが、その後はネームを描かずに、下描きから始める製作方法を取るようになった(『Dr.スランプ』の連載中期以降、それを逆手に取ったような描写も見られるようになる)。これは「3度も描くのが面倒」と、担当編集者の鳥嶋に進言したことによる{{R|forever}}。2代目担当編集者の近藤裕は「いきなり下描きが上がってくるから、描き直しをさせていいものかどうか」と、戸惑ったという<ref>「神龍通信 第2号 歴代担当者+鳥山明座談会」『ドラゴンボール大全集2巻』別冊付録、集英社、1995年。</ref>。 ; CGによる制作 : 『ドラゴンボール』連載終了後に[[バンダイ]]から[[Macintosh|Mac]]をもらい、使い方を教えてもらったのをきっかけにデジタル制作を始め<ref name="cg">Vジャンプ編集部編「鳥山明的超会見追加版」『ドラゴンボール超画集』集英社〈愛蔵版コミックス〉、平成25年(2013年)5月14日、{{ISBN2|978-4-08-782520-6}}、225頁。</ref>、以降は制作過程で[[コンピュータグラフィックス|CG]]を用いたものがかなりの割合を占めており、「パソコンが無ければ絵を描くのが完全に嫌になっていた」{{R|forever}}「よくパソコン塗りは味がないなんて言われるが、芸術作品を描いているわけでもないので」<ref>Vジャンプ編集部編「鳥山明も振り返ってみたDRAGONBALL!!」『ドラゴンボール超全集4』集英社(愛蔵版コミックス)、2013年5月14日、{{ISBN2|4-08-782499-3}}、348頁。</ref>とのこと。デジタル化以降のカラーでは、特徴的であったメリハリの利いたアニメ絵のような塗り方から、境界を明確にしないグラデーション塗りに変わっている(特に陰影の塗り方に顕著)。ただしCGを用いるようになった後も『ネコマジン』などの漫画作品は以前と同様に原稿用紙にペン入れしてベタとトーンだけを[[パーソナルコンピュータ|PC]]で作業しており、ゲームのデザイン画やイラストを描くときのみ[[ペンタブレット]]を使用している{{R|cg}}。 ; 模倣の難しさ : [[とよたろう]]との対談で、「鳥山先生の絵は、一見するとシンプルなので、連載当時に僕たち子供は描けるような気がしちゃったんですよね。でも実際に描いてみるともう何か、圧倒的にちがうんです。どうやっても『本物の悟空』にならない…」(とよたろう)、「そうかもしれないですね。プロのアニメーターさんが描いても『ちょっとちがうかな〜』って思うことがあるくらい(笑)。僕のは線がシンプルだから、かえってむずかしいのかもしれませんね。自分しかわからない線っていうのがあるのかなあ」(鳥山明)と語っている<ref>{{Cite web|和書|publisher=VジャンプWEB|url=http://vjump.shueisha.co.jp/comic/dbs01_sp_int/|title=ドラゴンボール超インタビュー「とりとよ放談」inVJ|accessdate=2018-04-09}}</ref>。 ; 使用道具 : インクはパイロット製図用インクか証券用インク。ペンは[[ゼブラ (文具メーカー)|ゼブラ]][[つけペン|Gペン]]、たまにコピックペン、ピグマ<ref name="dougu">『週刊少年ジャンプ40周年記念出版 マンガ脳の鍛えかた』集英社、2010年3月19日、{{ISBN2|978-4-08-782280-9}}、38頁。</ref>。着色は昔はルマのカラーインク、現在はほとんどパソコンで、使用ソフトは[[Adobe Photoshop]]、たまに[[Painter|Corel Painter]]を使用{{R|dougu}}。また「ペン入れの際スベスベの紙を使えばスムーズな線が描けることを、ほとんどマンガを書かなくなった最近になって発見。これまで使っていた紙は質が悪かったようでちょっとショック」と語っている{{R|dougu}}。 === 人物以外の物 === ; 様々なメカ : 作中にロボットや車、バイクなどが多く登場するのも特徴のひとつで、かつてバイクレーサーだった父親が自動車修理屋を経営していた影響もあるとのこと<ref>鳥山明「わしと自動車」『Dr.スランプ 第14巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1984年6月15日、{{ISBN2|4-08-851194-8}}、145頁。</ref>。『Dr.スランプ』では表紙や扉絵に車ばかりを描いていたら、鳥嶋に「いい加減飽きた、この漫画は車が主人公だっけ?」と嫌味を言われたことがある<ref>鳥山明『Dr.スランプ 第14巻』カバー折り返し。</ref>。ただし、構造に詳しいわけではなく、専門用語などは理解できないという<ref>鳥山明『Dr.スランプ 第12巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1983年12月15日、{{ISBN2|4-08-851192-1}}、カバー折り返し。</ref>。他にも『[[スター・ウォーズ]]』など好みの[[SF映画]]からの影響が強い。オリジナルのメカを考えるのが一番楽しいときであり、どのように乗り込むのか、どこにエンジンが付いているのかなどをきちんと考えて描いているとのこと{{R|kaiken1}}。 ; 動物好き : 脇役に擬人化した動物キャラクターが多いのは、「人間だけだと顔を描き分けるのが大変だから」<ref name="q">週刊少年ジャンプ特別編集「鳥山先生に完全密着取材Q&A!!なるほど!?ザ・ドラゴンボール」『DRAGON BALL 冒険SPECIAL』集英社、1987年12月1日、雑誌29939-12/1、139-140頁。</ref>、「動物好きということもあるが、基本的に人間より安易にバリエーションが増やせるから。特に犬は人間よりはるかに忠実でピュアなイメージなので多用している」<ref>Vジャンプ編集部編「鳥山明に聞いてみた!2013 CHARACTER編」『ドラゴンボール超全集 第1巻』集英社、2013年2月4日、{{ISBN2|978-4-08-782496-4}}、29頁。</ref>とのこと。多くが人間の言葉を操るなど普通に人間社会に溶け込んでいる。元来が少年時代に「馬やチンパンジーを飼いたい」と親に駄々をこねたほどの動物好きで、犬や猫を始め、ウサギ、鳥類、魚類などの飼育を趣味としている<ref>鳥山明「わしと動物その2」『Dr.スランプ 第14巻』62頁。</ref>。[[ハイギョ]]の飼育がテーマの短編作品『ハイギョのマヒマヒ』を執筆しており、『Dr.スランプ』にも、村の乱暴者が[[ブンチョウ]]の飼育を通じて更生する、などのエピソードがある。唯一[[ネズミ]]だけは苦手だったが、子供にせがまれて飼い始めた[[ハムスター]]の影響で苦手意識が薄れた、と語っている{{R|land}}。 === 話作り === ; 話作りについて : もともと先の展開をじっくりと考えて描くタイプではなく、『ドラゴンボール』では行き当たりばったりで描いていたことが多いとのこと。鳥山自身、自分でもどうなっていくのかわからなくて、なかなかドキドキわくわくして描けて悪くないという。また、悟空が大猿に変身したりサイヤ人だったと設定は当初まったく考えておらず、こういう辻褄合わせは上手いと語っている<ref>週刊少年ジャンプ特別編集「超豪華3大マル秘特集 鳥山明スペシャル(2)マンガ「わしとアニメ」」『ドラゴンボールZ アニメ・スペシャル』集英社、雑誌29939-10/18、8頁。</ref>。『Dr.スランプ』でも、作中で行き当たりばったりで考えていたことをネタにしていた。また、「鉛筆で実際にコマを割って絵や台詞を書いたりして話を進めていくと、頭で考えていた漫画と、ちょっと違ってきてしまうことが僕はよくある」と発言している<ref>[[後藤広喜]]編「新生!ホップ☆ステップ賞(第61回3月期)大募集!! 読めば漫画力がつく! 鳥山明先生の天下一漫画指南!!」『週刊少年ジャンプ 1986年37号』集英社、平成2年4月2日、雑誌29931-4/2、121頁。</ref>。ただし、「少年漫画で宇宙を出すと失敗する」と言われていたため、『ドラゴンボール』で[[ナメック星]]を出す際はかなりつじつまが合うように設定を作り込んだという{{R|dz4}}。 : 「普通はこう考えるところを逆手にとって面白くできないか」と考えており<ref>週刊少年ジャンプ特別編集「超アニメ人座談会」『DRAGON BALL Z アニメ・スペシャルII』101頁。</ref>、へそ曲がりな性格から「天下一武道会で悟空が優勝するんでしょう」と周りに言われてなかなか優勝させなかったり<ref name="kaiken2">渡辺彰則編「鳥山明的超会見」『ドラゴンボール大全集 第2巻』集英社、1995年8月9日、{{ISBN2|4-08-782752-6}}、262-264頁。</ref>、「[[ベジータ]]を殺さないで」というファンの意見を聞いてワザと殺したりすることもある<ref>渡辺彰則編「鳥山明的超会見」『ドラゴンボール大全集 5巻』集英社、1995年11月7日、{{ISBN2|4-08-782755-0}}、207頁。</ref>。また、『ドラゴンボール』連載初期でも「戦いの場面を増やせば受けるということは分かっていたが、天邪鬼な性格だからシャクに障る」と、すぐに戦いのほうにシフトはしなかった<ref>『[[MEN'S NON-NO]]』2014年1月号、集英社、186頁。</ref>。 : 『ドラゴンボール』の連載については「絵を描いている時よりも話を考えている時の方が仕事にしてはちょっとだけ楽しいかも」「でも後半の方の話は結構無理して考えていたから苦しかった」と語っている<ref>渡辺彰則編『ドラゴンボール大全集 第2巻』13頁。</ref>。また、新しいことを考えるために連載が終了した漫画のことはわざと忘れるようにしていると語っている<ref>Vジャンプ編集部編「鳥山明INTERVIEW DRAGON BALLと鳥山明」『30th Anniversary ドラゴンボール超史集』集英社、2016年1月26日、{{ISBN2|978-4-08-792505-0}}、93頁。</ref>。 ; 恋愛マンガ嫌い : 「[[ラブコメディ|ラブコメ]]は読めない、ダメ」と語ったことがあり{{R|out52}}、ラブコメ好きの鳥嶋が出したアラレとオボッチャマン、あかねと突詰、タロウと鶴燐、悟空と[[ブルマ (ドラゴンボール)|ブルマ]]を恋愛させろという指示に対しては頑なに拒否し、千兵衛とみどりの結婚をあっさりと済ませ<ref>鳥山明「めずらしくわしがマジメにかたるDr.スランプのヒミツ その(6)センベエさんとミドリさんの結婚」『Dr.スランプ 第16巻』130頁。</ref>、ドラゴンボールでも悟空と[[チチ (ドラゴンボール)|チチ]]の結婚をあっさりと描いている。 == 人物 == === 性格 === ; 人付き合いは苦手 : 人付き合いが苦手だと公言しており、家族と気の合う友人、信頼できる仕事仲間以外の人物とは積極的に会いたいとは思わないと語っている。田舎在住であるのも同じ理由からとのこと<ref>「神龍通信 第1号 ちかごろのワシ」『ドラゴンボール大全集1巻』別冊付録、集英社、1995年。</ref>。1982年に少女漫画家のみかみなち(1976年デビュー、1985年に引退)と結婚。出会いのきっかけは、鳥山が[[迷惑電話|イタズラ電話]]をかけたのが始まりである<ref>「だからマンガ大好き」[[さくまあきら]]著</ref>。「あのセンスと知識にはかなわない」と妻を評している{{R|land}}。 : 親交がある漫画家に、[[桂正和]]がいる。 === 趣味・嗜好 === ; モデルガン・プラモデル好き : [[プラモデル]]作りの腕前はプロ級で、株式会社[[タミヤ]]が毎年主催している1/35フィギュア改造コンテストで複数回入賞。1986年開催の同コンテストでは金賞を受賞している<ref>「タミヤニュース 人形改造作品集14」1986年</ref>。また[[愛知県]]唯一のプラモデルメーカー[[ファインモールド]]の社長と懇意であることから、同社関連の仕事もいくつか手がけている。 ; ヘビースモーカー : 読者からプレゼントされた女性用下着がヤニで黄色くなってしまう{{R|land}}ほどの[[喫煙|ヘビースモーカー]]であり、多い時は1日で3箱{{R|q}}{{efn2|インタビューでそう答えた当時の愛飲銘柄は[[キャスター (たばこ)|キャスター]]。}}、締め切り前は100本以上吸うこともある<ref>「神龍通信 第4号 仕事道具紹介」『ドラゴンボール大全集4巻』別冊付録、集英社、1995年。</ref>。会社勤めを辞めた後、『週刊少年ジャンプ』の新人賞に応募したのも煙草代が欲しい一心からだったと語っている<ref name="pb">『[[週刊プレイボーイ]] 1995年1月31日号』集英社、1995年、43-44頁。</ref>。その一方、酒は苦手でせいぜいビールをコップ1杯程度だという{{R|q}}。 ; ウルトラマン : テレビで見た『[[ウルトラマン]]』に深い感銘を受けており、シンプルな初代ウルトラマンだけが好きだと語っている<ref>「スターログ独占インタビュー Dr.SLUMP 鳥山明」『月刊[[スターログ]]』1980年11月号、ツルモトルーム、87頁。</ref>。『Dr.スランプ』にも幾度と無くウルトラマンや[[バルタン星人]]などのキャラクターを登場させており、『ウルトラマン』と『Dr.スランプ』によるコラボ商品の公式サイトのインタビューで、当時はルールをよく知らず勢い余って描いたと語っている。また、読み切り作品『騎竜少年』でオチを描いた際にも、脇役キャラクターの台詞で事例としてウルトラマンに言及していた。 ; 影響を受けた作品 : [[手塚治虫]]の『[[鉄腕アトム]]』に敬意を表明しているほか、[[ウォルト・ディズニー]]による『[[101匹わんちゃん]]』のクオリティの高いアニメーションにかなりの感銘を受けたという<ref name="SJ interview">{{cite journal |title= |journal=Shonen Jump |issue=1 |pages= |publisher=Viz Media |date=November 26, 2002}}</ref><ref name="kaiken3">渡辺彰則編「鳥山明的超会見」『ドラゴンボール大全集 第3巻』集英社、1995年9月9日、{{ISBN2|4-08-782753-4}}、207頁。</ref>。 : 学生時代、[[ブルース・リー]]主演の[[香港映画]]『[[燃えよドラゴン]]』を観るために1日に3回、10日間ほど映画館に通っていた。多感な頃に観た映画のため影響は大きいという。『ドラゴンボール』のタイトルも『燃えよドラゴン』から来ている<ref name="guide">鈴木晴彦編「鳥山明×中鶴勝祥対談」『テレビアニメ完全ガイド『DRAGON BALL Z』孫悟空伝説』100頁。</ref>。結婚後に妻から[[ジャッキー・チェン]]の映画を薦められて『[[ドランクモンキー 酔拳|酔拳]]』にもハマり{{R|kaiken2}}{{R|SJ interview}}、「この2作のどちらかが映画の中で一番ワクワクしたベスト」だと語っている{{R|land}}。ジャッキー・チェンの映画を流しながら、漫画を描くこともある<ref>2015年7月5日『[[SWITCHインタビュー 達人達]]』(NHK[[NHK教育テレビジョン|Eテレ]])</ref>。『ドラゴンボール』連載以前に、カンフー映画好きだと知った当時の担当者の鳥嶋からカンフーの漫画を描くように言われ、鳥山は「好きなものと漫画で描けるものは違うから嫌」と断ったが、勝手にスケジュールを決められて描くことになったという{{R|guide}}。 : 『ドラゴンボール』の連載にあたって鳥嶋から送ってもらった『[[未来少年コナン]]』のビデオ<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.denfaminicogamer.jp/interview/210924a/2|title =そもそも「編集者」って何なんだ!? 『ドラゴンボール』を手がけた伝説の編集者・鳥嶋和彦が語る、優秀な漫画編集者の条件とは。|publisher=電ファミニコゲーマー|date=2021-09-24|accessdate=2023-01-03}}</ref>を見て感激し、「ああいう作品を描きたい」と述べている<ref>Vジャンプ編集部編「The PERIOD of DRAGON BALL」『30th Anniversary ドラゴンボール超史集』集英社、2016年1月26日、{{ISBN2|978-4-08-792505-0}}、28頁。</ref>。アニメはあまり見ないが、『未来少年コナン』を見た後は割と積極的に見るようになったといい、『[[風の谷のナウシカ (映画)|風の谷のナウシカ]]』、『[[となりのトトロ]]』、『[[銀河鉄道の夜]]』、『[[王立宇宙軍 オネアミスの翼]]』が好きだと語っている<ref>{{Cite book|和書|date=1990-06-10|title=[[アニメージュ]] 1990年6月号|page=16|publisher=[[徳間書店]]}}</ref>。 : 子供たちと一緒に[[特撮]]作品の『[[地球戦隊ファイブマン]]』や『[[特警ウインスペクター]]』<ref name="commnt">{{Cite journal|和書 |editor=[[後藤広喜]] |title=週刊少年ジャンプ第25号もくじ |journal=週刊少年ジャンプ|issue=1990年6月4日号 |page=418 |publisher=[[集英社]] |date=1990-06-04 |id = 雑誌 29931-6/4}}</ref><ref name="30th">{{Cite book|和書 |chapter=Weekly JUMP Toriyama's Comments 1989-1992 |date=2016-01-26 |editor=Vジャンプ編集部 |title=30th Anniversary ドラゴンボール超史集 |page=47 |publisher=集英社|series=愛蔵版コミックス |isbn=978-4-08-792505-0}}</ref>を見ていたところはまり、『ドラゴンボール』に戦隊ヒーローのパロディである[[ギニュー特戦隊]]を登場させた{{R|kaiken2}}{{R|kaiken3}}。戦う時に変身するという超サイヤ人のアイデアも当時子供と一緒に見ていた特撮テレビ番組からヒントを得ている{{R|TV}}。 : 他に影響を受けた作品として『[[ギャラクシー・クエスト]]』、『[[エイリアン (映画)|エイリアン(1作目)]]』も挙げている<ref>『週刊少年ジャンプ40周年記念出版 マンガ脳の鍛えかた』集英社、2010年3月19日、{{ISBN2|978-4-08-782280-9}}、41頁。</ref>。 ; その他 : 愛知県が鳥山明の自宅前から空港までの直通の道路(鳥山ロード)を作ったという話は、『桃太郎電鉄』の製作者[[さくまあきら]]が雑誌に書いた嘘記事である<ref>{{Cite web|和書|url=http://sakumania.com/diary/nikki/080507.html|title=5月7日(水)|publisher=さくまあきらホームページ|date=2008-05-07|accessdate=2022-08-20}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://sakumania.com/diary/nikki/080508.html|title=5月8日(木)|publisher=さくまあきらホームページ|date=2008-05-08|accessdate=2022-08-20}}</ref>。 : 『Dr.スランプ』の登場キャラクターである空豆ピースケの趣味は[[サイン (有名人の署名)|サイン]]集めだが、これは、鳥山の趣味がそのまま反映されたもの{{R|torisa}}。 : 好きな季節は夏だと語っており、作品の季節感も夏であることが多い。本人いわく「蚊さえいなければ最高」とのこと<ref>鳥山明『ドラゴンボール 第18巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1989年7月15日、{{ISBN2|4-08-851615-X}}、カバー折り返し。</ref>。 : 女性の髪形では[[髪型#髪型の分類|ショートカット]]が好みで、それは『ドラゴンボール』内では第22回天下一武道会の頃のブルマの髪形に反映されている。 : 『週刊少年ジャンプ』1983年32号の企画で[[シーラカンス]]を食べたことがある。 : 歴史・地理方面には疎く、[[織田信長]]の死因を知らなかったことを鳥嶋にからかわれたことがある{{R|out52}}。 : 「生まれも育ちも名古屋。[[中日ドラゴンズ]]ファン」{{R|nagoya}}と語っている。『Dr.スランプ』内でもキャラクターたちが中日ドラゴンズを応援する一幕がみられる<ref>鳥山明「ギャースカ大魔王の巻」『Dr.スランプ 第3巻』108頁。</ref>。 : 『ドラゴンボール』連載10年間で自身が気に入っているイラストは、脚が付いたバイクに悟空と[[孫悟飯|悟飯]]が乗っているものの1点だけ{{R|kaiken1}}。絵柄に関しては、終盤の超サイヤ人3が登場したあたりが『ドラゴンボール』という戦闘漫画の中で一番好きだと語っている<ref>Vジャンプ編集部編「The PERIOD of DRAGON BALL」『30th Anniversary ドラゴンボール超史集』集英社、2016年1月26日、{{ISBN2|978-4-08-792505-0}}、59頁。</ref>。 : 自身の作品で一番好きな漫画は『[[COWA!]]』<ref>『ジャンプ流! 秘伝ガイド Vol.01 まるごと鳥山明』集英社、2015年、4頁。</ref>。 == マスコミへの露出 == 『Dr.スランプ』連載時代は『[[徹子の部屋]]』(1983年5月4日放送)に出演したり、[[日本放送協会|NHK]]特集『わが青春の[[トキワ荘]]〜現代マンガ家立志伝〜』(1981年5月25日放送)に[[荒木飛呂彦]]とともに登場するなどテレビやラジオ番組には何度か出ており、鳥嶋の指示により『ジャンプ』誌面や『Dr.スランプ』などの単行本にも自身の写真を積極的に載せていた{{R|land}}。また、1984年の映画『[[ゴジラ (1984年の映画)|ゴジラ]]』に[[エキストラ]]で参加。本編中では大写しにならなかったが、市販もされた一部ポスターにおける群衆の中に写っている<ref>さくまあきらホームページ:仕事人裏日記 [http://sakumania.com/diary/nikki/9912.html 1999年12月16日]</ref>。 元々マスコミなどへの露出を好まなかったが『ドラゴンボール』の連載後期には顕著となり<ref>「神龍通信 第2号 ちかごろのワシ」『ドラゴンボール大全集2巻』別冊付録、集英社、1995年。</ref>、小さな町に在住しているため顔がばれるのが嫌だから<ref>[http://sakumania.com/diary/nikki/061207.html さくまあきらのホームページ:仕事人裏日記] 2006年12月7日</ref>という理由で本人の写真が公表、掲載されることはなくなっている{{efn2|ただし例外はあり、1996年の『週刊少年ジャンプ』の映画『[[ファイナル・プロジェクト]]』の宣伝記事にてジャッキー・チェンとツーショットの写真が掲載されている。}}。[[スーパーマーケット]]などを見て歩くのが好きだというが、新しくオープンしたスーパーマーケットに行った際に売場の女性たちからサイン攻めに遭い、なかなか出ることができなかったことがあり、それ以降はそれまで応じていたインタビューを断るようになり、顔のあからさまな露出も避けるようになった{{R|pb}}。『[[ブルードラゴン]]』のCMにも出演している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/prof/237524/cm/|title =鳥山明のCM出演情報|publisher=ORICON NEWS|accessdate=2022-05-01}}</ref>が、顔出しはしていない。 自画像は『Dr.スランプ』連載時は当初は擬人化した鳥だったが<ref>{{Cite book|和書|title=週刊少年ジャンプ 1980年5・6合併号、目次コメント|publisher=集英社}}</ref>、普通の人間の顔やマスク姿など変遷を繰り返し、最終的に[[ガスマスク]]を着用をしたロボット<ref>ロボットの自画像は『Dr.スランプ』時代から登場している。</ref>のデフォルメキャラクターとなった。照れくさいという理由による{{R|q}}。 == 受賞歴 == * 1981年 第27回[[小学館漫画賞]] 少年少女部門受賞(『Dr.スランプ』) * 2000年 第4回[[文化庁メディア芸術祭]] デジタルアート・インタラクティブ部門大賞受賞(『[[ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち]]』) * 2006年 [[日本のメディア芸術100選]] マンガ部門3位選出(『ドラゴンボール』) * 2013年 第40回[[アングレーム国際漫画祭]] 40周年記念特別賞受賞<ref>[https://natalie.mu/comic/news/84306 コミックナタリー - 鳥山明、仏アングレーム国際BD祭で特別賞を受賞] [[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]] 2013年2月5日</ref> * 2019年 フランス[[芸術文化勲章]]シュバリエ受章<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASM635T4HM63UCVL02H.html |title=「ドラゴンボール」鳥山明さん、仏芸術文化勲章を受章 |newspaper=[[朝日新聞]] |accessdate=2021-05-31 |date=2019-06-03}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.ambafrance.org/article15311 |title=漫画家の亜樹直、鳥山明両氏が芸術文化勲章を受章|publisher=[[駐日フランス大使館]]|date=2019-12-30|accessdate=2021-05-31}}</ref> == 作品リスト == === 漫画 === ==== 連載 ==== * [[Dr.スランプ]](『[[週刊少年ジャンプ]]』1980年5・6合併号 - 1984年39号)全236話。単行本全18巻。 * [[ドラゴンボール]](『週刊少年ジャンプ』1984年51号 - 1995年25号)全519話。単行本全42巻。 ==== 短期集中連載 ==== * [[鳥山明のヘタッピマンガ研究所]] (『[[フレッシュジャンプ]]』1982年10月号 - 1984年3月号)全12話。[[さくまあきら]]との共著<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000004-I000999819-00 鳥山明のヘタッピマンガ研究所 (集英社): 1985|書誌詳細|国立国会図書館サーチ]</ref>。 * [[COWA!]](『週刊少年ジャンプ』1997年48号 - 1998年15号)全14話。 * [[カジカ (漫画)|カジカ]](『週刊少年ジャンプ』1998年32号 - 44号)全12話。 * [[SAND LAND]](『週刊少年ジャンプ』2000年23号 - 36・37合併号)全14話。 * [[銀河パトロール ジャコ]](『週刊少年ジャンプ』2013年33号 - 44号)全11話。 ==== 不定期連載 ==== * [[GO!GO!ACKMAN]](『Vジャンプ』1993年7月号 - 1994年10月号)全11話。 ==== シリーズ短編作品 ==== * [[ネコマジン]]シリーズ ** [[ネコマジン#ネコマジンがいる|ネコマジンがいる]](『週刊少年ジャンプ』1999年22・23合併号、37・38合併号)全2話。 ** [[ネコマジン#ネコマジンZ|ネコマジンZ]](『月刊少年ジャンプ』2001年6月号、2003年9月号、2004年3月号、2005年1月号、2月号)全5話。 ** [[ネコマジン#ネコマジンみけ|ネコマジンみけ]](『週刊少年ジャンプ』2003年37・38合併号) * [[桂正和×鳥山明共作短編集 カツラアキラ|銀河パトロールシリーズ]]<ref>桂正和×鳥山明『カツラアキラ』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、2014年4月4日、{{ISBN2|978-4-08-880124-7}}、193頁。</ref>{{efn2|短期集中連載の『[[銀河パトロール ジャコ]]』も銀河パトロールシリーズの内の1つ。}} ** [[桂正和×鳥山明共作短編集 カツラアキラ#さちえちゃんグー!!|さちえちゃんグー!!]](『[[ジャンプスクエア]]』2008年5月号)原作担当で作画は[[桂正和]]。 ** [[桂正和×鳥山明共作短編集 カツラアキラ#JIYA -ジヤ-|JIYA -ジヤ-]](『[[週刊ヤングジャンプ]]』2010年2・3合併号 - 6号)全3話。原作担当で作画は[[桂正和]]。 ==== 短編・読み切り ==== 1978年から1990年代半ばまでの大半の作品は短編作品集『[[鳥山明○作劇場]]』シリーズに収録されている。 : ※は単行本未収録作品。 * アワワワールド※(1978年)[[週刊少年ジャンプ#新人漫画家の募集企画|月例ヤングジャンプ賞]]投稿作品。1983年、ファンクラブ会報誌「BIRD LAND PRESS」の5〜6号に掲載。 * 謎のレインジャック※(1978年)月例ヤングジャンプ賞投稿作品(最終選考作品)。1982年、ファンクラブ会報誌「BIRD LAND PRESS」の3〜4号および『週刊少年ジャンプ増刊号』1983年12月号に掲載。 * ワンダー・アイランド(『週刊少年ジャンプ』1978年52号)デビュー作。 * ワンダー・アイランド2 (『[[週刊少年ジャンプの増刊号|少年ジャンプ]]』1979年1月25日増刊号) * 本日のハイライ島(『少年ジャンプ』1979年4月20日増刊号) * ギャル刑事トマト(『少年ジャンプ』1979年8月15日増刊号) * POLA&ROID(『週刊少年ジャンプ』1981年17号)愛読者賞1位。 * ESCAPE(『少年ジャンプ』1982年1月10日増刊号) * MAD MATIC (『週刊少年ジャンプ』1982年12号)愛読者賞2位。 * [[PINK (鳥山明の漫画)|PINK]](『フレッシュジャンプ』1982年12月号) * CHOBIT (『週刊少年ジャンプ』1983年10号)愛読者賞3位。 * CHOBIT2(『フレッシュジャンプ』1983年6月号) * 騎竜少年 其之壱(『フレッシュジャンプ』1983年8月号) * 騎竜少年 其之弐(『フレッシュジャンプ』1983年10月号) * トンプー大冒険(『週刊少年ジャンプ』1983年52号) * Mr.ホー(『週刊少年ジャンプ』1986年49号) * LADY RED『[[スーパージャンプ]]』創刊2号(週刊少年ジャンプ1987年4月10日増刊号) * [[剣之介さま]](『週刊少年ジャンプ』1987年38号) * SONCHOH(『週刊少年ジャンプ』1988年5号) * 豆次郎くん(『週刊少年ジャンプ』1988年38号) * ROCKY※([[猫十字社]]の同人誌『動じん誌』1989年) * 空丸くん日本晴れ(『週刊少年ジャンプ』1989年13号) * WOLF※(画集『鳥山明 the world』1990年) * [[貯金戦士キャッシュマン]](週刊少年ジャンプ増刊『ブイジャンプ』1990年12/12号 - 1991年11/27号)全3話。 * TRUNKS THE STORY -たったひとりの戦士-(『週刊少年ジャンプ』1992年36・37合併号) * DUB&PETER1(『[[Vジャンプ]]』1992年11月12日号 - 1993年4月4日号)全4話。 * 宇宙人ペケ(『週刊少年ジャンプ』1996年37・38合併号、39号)全2話。 * TOKIMECHA※(『週刊少年ジャンプ』1997年3・4合併号 - 7号)全3話。 * 魔人村のBUBUL※(『週刊少年ジャンプ』1997年22・23合併号) * [[ハイギョ]]のマヒマヒ※(『週刊少年ジャンプ』1999年4・5合併号) * ヒョータム※ (『e-ジャンプ<ref>『週刊少年ジャンプ』『Vジャンプ』の共同編集</ref>』2000年1月18日増刊) * こちらナメック星ドラゴン公園前派出所※(『[[超こち亀]]』2006年)[[秋本治]]との合作。 * [[CROSS EPOCH]]※(『週刊少年ジャンプ』2007年4・5合併号)[[尾田栄一郎]]との合作。 * [[Dr.スランプ#特別編|Dr.MASHIRITO ABALEちゃん]]※(『月刊少年ジャンプ』2007年4月号) * おいしい島のウーさま※(2030マガジン『最終戦略 バイオスフィア』 2009年5月{{efn2|2009年5月初版発行。2016年4月に第二版発行。第二版の書名は『おいしい島のウーさま VS テクテク星人 ぐるぐる島の宝を守れ!』。第二版は冊子の表紙デザイン、中身のレイアウトなどが変更されているが、漫画の内容は同じである。}}) * KINTOKI-金目族のトキ-※(『週刊少年ジャンプ』2010年50号) * DRAGON BALL- 放たれた運命の子供(コミックス『銀河パトロール ジャコ』2014年4月4日)描き下ろしおまけ漫画。 === デザイン === ==== コンピュータゲーム ==== * ドラゴンボールシリーズ ** [[ドラゴンボール 神龍の謎]](敵キャラクターのクリリアン、アシュラロボ、M・B軍将軍<ref>『BIRD LAND PRESS 22』1986年、19頁。</ref>) ** [[ドラゴンボールZ (アーケードゲーム)]](筐体デザイン<ref name="ozotto">Vジャンプ編集部編「鳥山明とVジャンプ」『30th Anniversary ドラゴンボール超史集』集英社、2016年1月26日、{{ISBN2|978-4-08-792505-0}}、83頁。</ref>) ** [[ドラゴンボールZ V.R.V.S]](魔人オゾット{{R|ozotto}}) ** [[PlayStation 2|PS2]]版[[超ドラゴンボールZ]]([[フリーザ#ゲームでの登場|メカフリーザ]]デザイン監修) ** [[ドラゴンボールオンライン]](全面監修<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/332339.html|title=G-Star 2009現地レポート「ドラゴンボールオンライン」クリエイティブディレクター高宮孝治氏特別インタビューシステム的な新しさではなく“原作感”の表現にこだわったMMORPG|accessdate=2019-10-09}}</ref><ref name="DBonline">Vジャンプ編集部編「VIDEOGAME SELECTION PICK OP! 05 ドラゴンボール ゼノバース」『30th Anniversary ドラゴンボール超史集』集英社、2016年1月26日、{{ISBN2|978-4-08-792505-0}}、190-191頁。</ref>、一部のキャラクターデザイン{{R|DBonline}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.4gamer.net/games/038/G003825/20091203021/|title=「ドラゴンボールオンライン」の実現に必要だった二つのフュージョンとは? ICON2009で行われたNTL高宮氏の講演を紹介|accessdate=2019-10-09}}</ref>。その他のデザインは幹大樹などが担当<ref>{{Twitter status|mikidai7|861575919286140930|幹大樹による2017年5月8日22:38の発言|accessdate=2019-10-10}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.exys2008.com/recruit/interview/daiki|title=Exys株式会社 幹大樹自己紹介|accessdate=2019-10-10}}</ref>) ** [[ドラゴンボールヒーローズ]](フリーザ一族アバター{{Efn2|他のアバターデザインは鳥山明の許可を得て開発チームが作っている。}}<ref>Vジャンプ増刊バンダイ公式5周年記念ファンブック ドラゴンボールヒーローズ 2016年01月号 集英社、2015年11月19日、27頁、39頁 [[JANコード]] 4910113240162</ref>) ** [[ドラゴンボール ゼノバース]](キャラクターデザイン監修{{R|DBonline}}) ** [[ドラゴンボール ファイターズ]](人造人間21号デザイン監修<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=pITf-cya_tk|title=PS4/XboxOne「ドラゴンボール ファイターズ」第2.5弾PV|accessdate=2017-11-5}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://dragonball.news/news/andoroid21_01.html|title=新企画「FOREVER NO.21」を発足!第1回目は人造人間21号の活躍を改めて紹介!|accessdate=2019-10-10}}</ref>) ** [[ドラゴンボール レジェンズ]](シャロット、ザッハ、フードの男<ref>{{Cite web|和書|url=https://dragonball.news/news/18032201.html|title=新作アプリゲーム「ドラゴンボール レジェンズ」!プロデューサーが詳しくゲーム内容を解説!|accessdate=2018-4-7}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://dble.bn-ent.net/jp/story.html|title=ゲームオリジナルキャラクターは原作者鳥山明先生描きおろし!|accessdate=2019-10-10}}</ref>) ** [[ドラゴンボールZ KAKAROT]](ボニュー<ref>{{Cite web|和書|url=https://automaton-media.com/articles/newsjp/20190912-101641/|title=アクションRPG『ドラゴンボールZ KAKAROT』発売日が決定。ギニュー特戦隊幻のメンバー「ボニュー」の姿も|accessdate=2019-10-09}}</ref>) * [[ドラゴンクエストシリーズ]] ** [[ドラゴンクエスト]] ** [[ドラゴンクエストII 悪霊の神々]] ** [[ドラゴンクエストIII そして伝説へ…]] ** [[ドラゴンクエストIV 導かれし者たち]] ** [[ドラゴンクエストV 天空の花嫁]](メインキャラクターデザインは主人公、パパス、ビアンカのみ) ** [[ドラゴンクエストVI 幻の大地]](一部のモンスターは[[中鶴勝祥]]が担当) ** [[ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち]](一部のメインキャラクター、モンスター担当。その他のモンスターは中鶴勝祥と[[かねこ統]]が担当) ** [[ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君]] ** [[ドラゴンクエストIX 星空の守り人]](一部のメインキャラクター、ボスモンスター、職業イラスト担当。その他のデザインは中津英一朗、松本敏章が担当) ** [[ドラゴンクエストX|ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン]](Ver.1からVer.5までのパッケージイラスト、一部のメインキャラクター、ボスモンスター担当。Ver.6のパッケージイラスト、その他のデザインは中津英一朗などが担当) ** [[ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて]](一部のメインキャラクター、ボスモンスター担当。その他のデザインは中津英一朗などが担当) ** トルネコの大冒険 不思議のダンジョンシリーズ *** [[トルネコの大冒険 不思議のダンジョン]](パッケージイラスト) *** [[ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険2 不思議のダンジョン]](パッケージイラスト担当。その他のイラストは中鶴勝祥が担当) *** [[ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険3 不思議のダンジョン]](パッケージイラスト担当。その他のイラストは中鶴勝祥が担当) ** [[ドラゴンクエストモンスターズ|ドラゴンクエストモンスターズシリーズ]] *** [[ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド]](パッケージイラスト、わたぼう) *** [[ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド#ニンテンドー3DS版|ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド3D]](パッケージイラスト<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.dragonquest.jp/news/detail/591/|title=ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド3D発売記念|date=2012-05-31|accessdate=2023-08-20}}</ref>) *** [[ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵]](パッケージイラスト) *** [[ドラゴンクエストモンスターズ1・2 星降りの勇者と牧場の仲間たち]](パッケージイラスト) *** [[ドラゴンクエストモンスターズ2 イルとルカの不思議なふしぎな鍵]](パッケージイラスト<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.famitsu.com/news/201402/07047763.html|title=祝・発売! 『ドラゴンクエストモンスターズ2 イルとルカの不思議なふしぎな鍵』公式サイトで特製壁紙を配信|date=2014-02-07|accessdate=2023-08-20}}</ref>) *** [[ドラゴンクエストモンスターズ3 魔界の王子とエルフの旅]](パッケージイラスト<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/55d48b3d5d68b9fc290b572f84a004302ec213d2|title=『ドラクエモンスターズ3』鳥山明氏描き下ろしのパッケージデザイン公開!DL版予約受付もスタート|date=2023-08-07|accessdate=2023-08-20}}</ref>) *** [[ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート]](パッケージイラスト) *** [[ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー]](パッケージイラスト、主人公、神獣) *** [[ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー2]](パッケージイラスト<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.4gamer.net/games/104/G010498/20100428127/|title=「ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー2」発売記念に壁紙配信|date=2010-04-28|accessdate=2023-08-20}}</ref>) *** [[ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー2 プロフェッショナル]](パッケージイラスト) *** [[ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー3]](パッケージイラスト<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.4gamer.net/games/310/G031004/20160324035/|title=本日発売の「ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー3」。鳥山 明氏が手がけた原画を元に制作された特製壁紙を配信|date=2016-03-24|accessdate=2023-08-20}}</ref>、主人公、謎の少女) ** [[スライムもりもりドラゴンクエスト|スライムもりもりドラゴンクエストシリーズ]] *** スライムもりもりドラゴンクエスト 衝撃のしっぽ団(パッケージイラスト) *** スライムもりもりドラゴンクエスト2 大戦車としっぽ団(パッケージイラスト) *** スライムもりもりドラゴンクエスト3 大海賊としっぽ団(パッケージイラスト<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.dragonquest.jp/news/detail/448/|title=スライムもりもりドラゴンクエスト3のイメージイラストがジグソーパズルに|date=2011-11-30|accessdate=2023-08-20}}</ref>) ** [[剣神ドラゴンクエスト 甦りし伝説の剣]](パッケージイラスト) ** [[ドラゴンクエスト 少年ヤンガスと不思議のダンジョン]](パッケージイラスト) ** [[ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔]](パッケージイラスト、主人公、ディーン、セティア、ヒルダ) ** ドラゴンクエスト モンスターバトルロードシリーズ *** [[ドラゴンクエスト モンスターバトルロード]](I、II、III主人公描き下ろしイラスト、ロトSPカード描き下ろしイラスト) *** ドラゴンクエスト モンスターバトルロードII(IV、V、VI主人公描き下ろしイラスト) *** ドラゴンクエスト モンスターバトルロードIIレジェンド(既存のキャラクターのみ) *** [[ドラゴンクエスト モンスターバトルロードビクトリー]](既存のキャラクターのみ) *** [[ドラゴンクエスト モンスターバトルスキャナー]](既存のキャラクターのみ) *** 戦え! ドラゴンクエスト スキャンバトラーズ(既存のキャラクターのみ) ** ドラゴンクエストヒーローズシリーズ *** [[ドラゴンクエストヒーローズ 闇竜と世界樹の城]](アクト、メーア、ディルク、ジュリエッタ<ref>{{Cite web|和書|url=https://dengekionline.com/elem/000/000/927/927055/|title=『ドラゴンクエストヒーローズ 闇竜と世界樹の城』から鳥山明さんデザインの新キャラや冒険の舞台が早くも公開!|date=2014-09-18|accessdate=2023-08-20}}</ref>、ヘルムード) *** [[ドラゴンクエストヒーローズII 双子の王と予言の終わり]](ラゼル、テレシア、ツェザール、オルネーゼ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.famitsu.com/news/201602/10098632.html|title=『ドラゴンクエストヒーローズII』鳥山明先生のデザインする主人公たちと、本作の舞台となる7つの王国に関する情報を公開!|date=2016-02-10|accessdate=2023-08-20}}</ref>、ゼビオン王) ** ドラゴンクエストビルダーズシリーズ *** [[ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ]](パッケージイラスト、主人公) *** [[ドラゴンクエストビルダーズ2 破壊神シドーとからっぽの島]](パッケージイラスト<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1144442.html|title=「ドラゴンクエストビルダーズ2」“水を出し入れする”新システムなどを公開|date=2018-09-22|accessdate=2023-08-20}}</ref>、主人公、少年シドー、昆虫型乗り物) ** ドラゴンクエスト トレジャーズ 蒼き瞳と大空の羅針盤(鳥山明の書き下ろしイラストがあるかは不明。パッケージイラストは中鶴勝祥が担当) * [[ファミコンジャンプII 最強の7人]](敵キャラクターのいっかくねこ、ダークレイド、ゼドー) * [[クロノ・トリガー]](キャラクター、シルバードデザイン) * [[空想科学世界ガリバーボーイ]](メカデザイン〈レディ・ビー、シーライオン〉) * [[桃太郎電鉄シリーズ]](メカボンビーRX) * トバルシリーズ ** [[トバルNo.1]] ** [[トバル2]] * [[ジャンプアルティメットスターズ]](Dr.マシリトとキャラメルマンJ) * [[ブルードラゴン]](キャラクターデザインの他、トリッポの声優としても出演) * [[超速変形ジャイロゼッター]](BEEMAN) * [[ジャンプフォース]](グラパー、ナビゲーター、ガレナ、カイン<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.4gamer.net/games/422/G042257/20180920115/|title=鳥山 明氏デザインのオリジナルキャラクターの発表など,内容盛りだくさんの「JUMP FORCE」ステージをレポート|accessdate=2018-09-25}}</ref>、プロメテウス<ref>{{Twitter status|ce_f_jump|1164054352408928256|JUMP FORCE【公式】による2019年8月21日14:59の発言|accessdate=2020-06-30}}</ref>) ==== アニメーション ==== * ドラゴンボールシリーズ ** [[ドラゴンボール (アニメ)|ドラゴンボール]](一部のゲストキャラクター) *** [[ドラゴンボール 神龍の伝説]](グルメス、ボンゴ、パスタ、パンジ、兵士、召し使いロボット) *** [[ドラゴンボール 最強への道]](レッド総帥、ブラック参謀、ブルー将軍、ホワイト将軍、バイオレット大佐、ハッチャン、巨大ロボット) ** [[ドラゴンボールZ]](劇場版の主要ゲストなど、一部のアニメオリジナルキャラクターをデザイン) *** [[ドラゴンボールZ この世で一番強いヤツ]](Dr.ウィロー) *** [[ドラゴンボールZ 地球まるごと超決戦]](神精樹) *** [[ドラゴンボールZ たったひとりの最終決戦〜フリーザに挑んだZ戦士 孫悟空の父〜]](バーダック、トーマ、セリパ、トテッポ、パンブーキン) *** [[ドラゴンボールZ 超サイヤ人だ孫悟空]](スラッグ) *** [[ドラゴンボールZ とびっきりの最強対最強]](クウラ、クウラ最終形態、サウザー、ドーレ、ネイズ) *** [[ドラゴンボールZ 極限バトル!!三大超サイヤ人]](人造人間13号、人造人間14号、人造人間15号、合体13号) *** [[ドラゴンボールZ 燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦]](ブロリー、超サイヤ人ブロリー) *** [[ドラゴンボールZ 銀河ギリギリ!!ぶっちぎりの凄い奴]](ボージャック、ゴクア、ザンギャ、ビドー、ブージン) *** [[ドラゴンボールZ 龍拳爆発!!悟空がやらねば誰がやる]](タピオン、ミノシア) *** [[ドラゴンボールZ 神と神]](2013年)ストーリー{{efn2|鳥山が初めてアニメシリーズに脚本の段階から深く関わった作品。鳥山がコミックの原作と違わぬほど書き込んだ台詞入りプロットの中から90%以上のストーリーと台詞が採用されている。「企画の力 森下孝三東映アニメーション取締役副会長 ドラゴンボール"復活"の全貌」『[[日経エンタテインメント!]]』2013年5月号No.194、[[日経BP]]社、2013年4月4日、22-23頁。}}、キャラクターデザイン *** [[ドラゴンボールZ 復活の「F」]](2015年)脚本、キャラクターデザイン ** [[ドラゴンボールGT]](タイトルロゴ、メインキャラクターなどのデザイン) ** [[ドラゴンボール超]](2015年 - 2018年)原案、キャラクター原案 *** [[ドラゴンボール超 ブロリー]](2018年)脚本、キャラクターデザイン *** [[ドラゴンボール超 スーパーヒーロー]](2022年)脚本、キャラクターデザイン * [[ドクタースランプ]](1997年 - 1999年)監修<ref>[https://web.archive.org/web/19980119012819/http://www.toei-anim.co.jp/tv/Dr_slump/index.html ドクタースランプ 公式サイト 1998年1月19日時点]</ref>、キャラクター原案{{R|SLUMP}} ** ドクタースランプ アラレのびっくりバーン(1999年)デザイン<ref>[https://web.archive.org/web/19991022020616/http://www.toei-group.co.jp/movie/new_mov/99anime/arare.htm 99春 東映アニメフェア 公式サイト1999年4月29日時点]</ref> * 劇場版[[クラッシャージョウ]](1983年)宇宙ステーションMAX310のデザイン * [[小助さま力丸さま -コンペイ島の竜-]](1988年)初の描き下ろしオリジナルアニメ。[[芦田豊雄]]と共に脚本も担当。 * [[ドラゴンクエスト (アニメ)|ドラゴンクエスト]](1989年 - 1991年)メインキャラクターデザイン * [[空想科学世界ガリバーボーイ]](1995年)一部メカデザイン * [[超速変形ジャイロゼッター]](2013年)スペシャルジャイロゼッターデザイン * [[SAND LAND]](2023年)復活したスライムのデザイン、ラストバトルの追加脚本<ref>『SAND LANDパンフレット』東宝、2023年8月18日、12頁、14頁。</ref> ==== テレビ番組 ==== * アップルポップ(1988年 - 1992年)『[[ひらけ!ポンキッキ]]』内の[[人形劇]][[コーナードラマ]]。キャラクターデザイン、美術デザイン<ref>{{Cite web|和書|url=https://awrd.com/creatives/detail/251297|title=アップルポップ|accessdate=2023-08-20}}</ref>。 ==== プラモデル ==== * LISA(リーザ)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.iist.or.jp/wf/magazine/0690/0690_J.html |title=ファインモールド |accessdate=2016-1-12}}</ref>(1985年)デザイン、パッケージイラスト、説明書のイラストを担当。 * [[ファインモールド]]「ワールドファイターコレクション」シリーズ全7種<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.finemolds.co.jp/www/newFT.html |title=ワールドファイターコレクション |accessdate=2016-1-12}}</ref>(1994年)デザイン、パッケージイラスト、説明書のイラストを担当。世界各国の陸軍兵士をリアルに再現した上でコミカルにデフォルメしたプラモデルフィギュア{{efn2|『ドラゴンボール』「其之五百一 救世主登場!?」のカラー扉絵で、ファインモールドがプラモデル化した「日本陸軍[[九七式軽装甲車]]テケ」を描いて[[ミスター・サタン]]を搭乗させ、その車体にFINE MOLDSと記している。}}。 ==== フィギュア ==== * トレーディングフィギュアゲーム「[[バトルブレイク|BATTLE BRAKE(バトルブレイク)]]」(V龍<ref name="battlebrake1">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/48326|title=鳥山明、荒木が「BATTLE BRAKE」フィギュアをデザイン|accessdate=2021-6-20}}</ref>{{efn2|name="battlebrake2"|『Vジャンプ』2011年6月号に付属。}}、ラッキードラゴン{{R|battlebrake1}}{{efn2|イラスト集『鳥山明 the world』の84頁に掲載されている描き下ろしイラストが元デザイン。}}、トリヤマロボ) ==== ピンバッジ ==== * ファインモールド「ワールドファイタープレーン ピンバッジコレクション」全3種<ref>{{Twitter status|goshikiken|964502680319045632|五式犬(有)ファインモールド公式による2018年2月16日23:12の発言|accessdate=2018-4-6}}</ref>(2017年)愛知航空ミュージアムのカフェ、その他イベントで販売 ==== メカデザイン ==== * レディ・ビー(1992年)『Vジャンプ』1992年11月22日号のカバー原画としてデザインされた飛行艇。三面図も描き起こし、それを基に[[バンプレスト]]のスタジオ・デュースによりCGイラストが作られた。『Vジャンプ』の創刊[[コマーシャルメッセージ|CF]]で「ガリバーメカ」としてアラレ、[[天外魔境II 卍MARU#火の一族|カブキ団十郎]]、スライム、[[チョコボ]]と共演している。後に『空想科学世界ガリバーボーイ』にも登場。 ==== カーデザイン ==== * QVOLT(2005年)『[[CQモーターズ|チョロQモーターズ]]』の[[電気自動車]] ==== キャラクターデザイン ==== * [[コアラ]]舎シンボルマーク(1984年)名古屋市[[東山動植物園]]にある、コアラ舎のコアラのシンボルマーク<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.beams.co.jp/special/teamjapan/dainagoyaten/guidebook/spot.html|title=東山動植物園のコアラロゴは漫画家・鳥山明氏のデザイン|accessdate=2023-08-20}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.walkerplus.com/article/1141235/|title=あの鳥山明先生の作品がなぜ動物園に!?その背景を関係者に聞いてみた!同園には別の超有名漫画家の作品も|date=2023-06-22|accessdate=2023-08-20}}</ref>。 * ギャオくん(1989年)『週刊少年ジャンプ』創刊20周年記念キャラクター。ゲーム『[[ファミコンジャンプ 英雄列伝]]』にも登場。 * V龍(ブイロン)(1990年→2008年→2013年{{efn2|『ブイジャンプ』1990年12月12日号に掲載。その後『Vジャンプ』2008年7月号(創刊15周年)でデザインが変更。『Vジャンプ』2013年7月号(創刊20周年)では進化したV龍(体の色も緑から赤に変わっている)が掲載された。}})『ブイジャンプ』イメージキャラクター。後にデザインが変更され、フィギュア『[[バトルブレイク]]』{{R|battlebrake1}}{{Efn2|name="battlebrake2"}}、ゲーム『[[ドラゴンクエストX]]』『[[ガイストクラッシャー]]』『[[モンスターストライク]]』にも登場。 * ガラクタじじい、小悪魔(1991年)[[フジテレビ系列]]『[[イギリスグランプリ|F1イギリスGP]]』番組内に放映された『週刊少年ジャンプ』のCMに登場するキャラクター * 五式犬(1991年)[[ファインモールド]]マスコットキャラクター ** ジッポライター<ref>{{Cite web|和書|url=https://shopping.finemolds.net/eshopdo/refer/refer.php?sid=ns92858&cid=0&view_id=ZIPPOt5&gid=|title=ジッポーライター 五式犬|accessdate=2018-4-6}}</ref>に使われているイラスト ** Tシャツ、エコバッグ、エプロン<ref>{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/finemolds/entry-12274080528.html|title=静岡ホビーショーですよ!|accessdate=2018-4-6}}</ref>、缶バッジ<ref>{{Cite web|和書|url=https://finemolds.co.jp/sonota/2016WF-S.html|title=ワンフェス2016|accessdate=2018-4-6}}</ref>、名刺入れ、灰皿<ref>{{Cite web|和書|url=https://finemolds.co.jp/sonota/2017WF-W.html|title=ワンフェス2017|accessdate=2018-4-6}}</ref>、プラモデル<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.finemolds.co.jp/sonota/2018WF-S.html|title=ワンフェス2018|accessdate=2018-4-6}}</ref>などに使われているイラスト * スーパーセンス ストーリー(1991年)[[本田技研工業|ホンダ]]の交通安全啓発用パンフレットのキャラクターデザイン。作画は[[東映アニメーション|東映動画(現・東映アニメーション)]]が担当。 * リードン(2002年)集英社文庫25周年企画「伝説の読書竜リードン」栞に使われているイラスト * [[ジャンタ]](2005年)[[ジャンプショップ]]オリジナルキャラクター * [[日本マンガ塾]]オリジナルキャラクター * KAIZOくん<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/56387 |title=ジャンプフェスタ今年も開催 |accessdate=2017-5-8}}</ref>(2009年)集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト、ジャンプフェスタのオリジナルキャラクター * マイ、ホンボット(2016年)アプリ『Myジャンプ』オリジナルキャラクター === 書籍 === ==== イラスト集 ==== * 鳥山明 the world(1990年1月10日発売、集英社) * 鳥山明 THE WORLD SPECIAL(1990年9月19日発売、集英社) * 鳥山明の世界 AKIRA TORIYAMA EXHIBITION(1993年、1995年増補版発行(全2種)、「鳥山明の世界」展実行委員会) * ドラゴンボール大全集 1巻 COMPLETE ILLUSTRATIONS(1995年6月25日発行、集英社) * ドラゴンクエストモンスターズ 鳥山明イラストレーションズ{{efn2|[[奥付]]のモンスターイラストレーションには鳥山明と並んで[[中鶴勝祥]]の名前がある。}}(1996年12月1日発売、集英社) * ドラゴンクエスト25thアニバーサリー モンスター大図鑑{{efn2|奥付のモンスターイラスト・イメージイラスト製作が「フェイク・デザイン・ワークス」になっており、掲載されているイラストもパソコンで着色し直していたり鳥山明の原画ではない。}}(2012年5月31日発売、[[スクウェア・エニックス]]) * ドラゴンボール超画集(2013年5月9日発売、集英社) * 鳥山明 ドラゴンクエスト イラストレーションズ(2016年5月27日発売、集英社) ==== 絵本 ==== * TOCCIO THE ANGEL てんしのトッチオ(2003年1月24日発売、集英社) ==== 関連書籍 ==== * 鳥山明 THE WORLD アニメ・スペシャル(1990年10月10日発行、集英社) * AKIRA TORIYAMA LE MAITRE DU MANGA(2011年11月3日発売、[[:en:12 bis|12 bis]]、{{ISBN2|978-2-35648-332-4}})※フランスのみで発売 * DVD付分冊マンガ講座 ジャンプ流 vol.1 まるごと鳥山明(2016年1月7日発売、集英社) === イラスト・挿絵 === * [[さくまあきら]]『燃えよ!フトリッパー』(1982年)シングルレコードジャケットのイラスト * [[高千穂遥]]『だからバイク大好き!』(1983年)カバーイラスト * [[昆虫記|ファーブル昆虫記]]全6巻(1996年)[[奥本大三郎]]編訳による集英社文庫の表紙および扉絵を担当 * ビッチズ・ライフ・イラストレーション・ファイル<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/90771 |title=鳥山明や桂正和ら参加のセクシー画集復刻 |accessdate=2017-5-8}}</ref>(2001年、グラフィック社) * 『[[モデルグラフィックス#アートボックス編集の他の模型誌|月刊アーマーモデリング]]』2009年1月号表紙描き下ろしイラスト(コミカライズされた日本陸軍[[九七式中戦車]]チハと日本兵たち)、2010年11月号表紙描き下ろしイラスト * [[浜崎あゆみ]]『[[Rule/Sparkle]]』(2009年2月25日発売、[[avex trax]])初回盤ピクチャーレーベルのイラスト(映画『DRAGONBALL EVOLUTION』主題歌) * [[jealkb]]『[[Invade]]』(2011年)通常版、初回版A、初回版Bジャケットイラスト(3つ共同じイラストだが着色が異なる) * 『[[西遊記〜はじまりのはじまり〜]]』(2014年)広告用イラスト * 清州町観光協会設立15周年記念事業『交響曲信長』ジャケットイラスト * [[鳥嶋和彦]]、[[霜月たかなか]]『Dr.マシリト 最強漫画術』(2023年7月21日発売、集英社)カバーイラストレーション、Dr.マシリトイラスト、あのころのトリシマとトリヤマ === 作詞 === * 「んちゃんちゃソング」(1981年)『Dr.スランプ アラレちゃん』挿入歌 * 「クリラ」「ヘリコプター」(1984年)[[小山茉美]]のアルバム『ポルカドットマジック』に収録。ジャケットイラストも担当。 === 寄稿 === * 『[[いしかわじゅん]]』単行本 特別寄稿(1986年)いしかわじゅん著・[[双葉社]]刊行『僕達のサヨナラ・感電タウン』にイラストを寄稿。 * 『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』特別寄稿(1993年)『Kamedas』にイラストを寄稿。 * 『[[さくらももこ]]』と往復書簡でのコラボ作品(1995年)『さくらももこの総天然色満足館』にイラストを寄稿。 * 『「[[ミッキーマウス|ミッキー]]」&「[[ミニーマウス|ミニー]]」生誕70周年記念フェスティバル』展示用イラスト(1998年)当時の『[[ディズニーファン]]』にイラストを掲載。 * 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』連載25周年紀念 特別寄稿(2001年)『Kamedas2』にイラストを寄稿。 * 『[[ONE PIECE]]』連載10周年紀念 特別寄稿(2007年)『ONE PIECE 10th Treasures』2007年 9/10号にイラストを寄稿。 * 『[[NARUTO -ナルト-]]』連載10周年紀念 特別寄稿(2009年)『NARUTO秘伝・皆の書』オフィシャルプレミアムファンBOOKにイラストを2枚寄稿。 * 『[[桂正和]]』画業30周年紀念 特別寄稿(2011年)『桂正和 画業30周年記念本「桂大全」』にイラストを2枚寄稿<ref>{{Cite web |url=https://natalie.mu/comic/news/40757|title=桂正和、画業30周年記念!3冊組画集「桂大全」発売決定|accessdate=2020-06-30}}</ref>。 * 『[[浅田弘幸]]』画業25周年紀念 特別寄稿(2012年)『[[テガミバチ]]』14巻小冊子付き特装版にイラストを寄稿<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/68646|title=浅田弘幸「テガミバチ」14巻に鳥山明、尾田栄一郎、藤崎竜ら|accessdate=2020-06-30}}</ref>。 * 『[[ジョジョの奇妙な冒険]]』連載25周年紀念 特別寄稿(2012年)『[[ウルトラジャンプ]]』2012年10月号付録の冊子「25YEARS WITH JOJO」にイラストを寄稿<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/76762|title=鳥山明、CLAMP、うすた京介ら「ジョジョ」描く別冊付録|accessdate=2020-06-30}}</ref>。 * ジャイアント・ジャガ・イモムシ、ベビークラーケン(2014年)『[[トリコ]]』公式ファンブック 29.5巻に寄稿されたキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/118177|title=鳥山明、尾田栄一郎ら寄稿の「トリコ」ファンブック第2弾|accessdate=2020-06-30}}</ref>。 * 『NARUTO -ナルト-』展 特別寄稿(2015年)NARUTO展の前売特典『新伝・雷の書』にイラストを寄稿。 * 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』連載40周年紀念 特別寄稿(2016年)『週刊少年ジャンプ』2016年7号にイラストを寄稿<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20160117dog00m200014000c.html |title=鳥山明「こち亀」両さん描く 秋本治に連載40周年のメッセージも |accessdate=2017-5-8}}</ref>。同イラストが『週刊少年ジャンプ増刊・[[こち亀40周年企画#概要|こち亀ジャンプ]]』にも掲載。 * 『[[銀魂]]』展 展示用イラスト(2016年)銀魂展『連載完結寸前 大銀魂展〜ツケが回る前にケツを拭け〜』のパンフレットにもイラストを掲載<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/214380|title=すべてを水に流す「大銀魂展」明日開幕!“担当がウッと思う”空知の仕事場再現も|accessdate=2020-06-30}}</ref>。 * 『[[To LOVEる -とらぶる-]]』シリーズ10周年紀念 特別寄稿(2017年)『To LOVEる-とらぶる-シリーズ10周年アニバーサリーブック とらぶるくろにくる』にイラストを寄稿<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/255335|title=「To LOVEる」10年まとめた記念本に高橋留美子、諫山創ら22名が描くヒロイン|accessdate=2020-06-30}}</ref>。 * 『[[青の祓魔師]]』10周年紀念 特別寄稿(2020年)『AOEX10』にイラストを寄稿<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/3817841 |title=「青エク」10周年本にSQ.作家や鳥山明、尾田栄一郎ら70名超える作家が寄稿 |accessdate=2020-06-30}}</ref>。 * 『[[北斗の拳]]』40周年大原画展 特別寄稿(2023年)『北斗の拳40周年大原画展 〜愛をとりもどせ!!〜 公式図録』にもイラストを掲載<ref>{{Twitter status|40thHokutoNoTen|1715289026780123595|【公式】北斗の拳40周年大原画展による2023年10月20日17:49の発言|accessdate=2023-11-1}}</ref>。 === その他 === * 激突!4コマ競作バトルロイヤル(1986年)『スーパージャンプ』創刊号に4コマ漫画を2本掲載。 * BATTLEMAN [[フォーミュラ1|F-1]][[ドイツグランプリ|西ドイツホッケンハイムGP]]観戦記レポート漫画(1990年)『週刊少年ジャンプ』1990年44号および週刊少年ジャンプ特別編集『F-1 GRAND PRIX 1990』に掲載。また、1990年の『週刊少年ジャンプ』のコーナー「週刊少年ジャンプF-1CLUB」に漫画『BATTLEMANのすごいぞ!F.1』を複数回掲載している。 * モンモンの相撲遊戯(『週刊少年ジャンプ』1992年3・4合併号)[[つの丸]]の読み切り漫画。他連載作家と共に協力。 * 『月刊アーマーモデリング』2009年1月号模型作例「1/35[[四式軽戦車]]」製作および記事執筆(模型の車体はファインモールド製、砲塔は[[タミヤ]]製) * ちかごろのワシ(1995年 - 1996年)全7回。『ドラゴンボール大全集』別冊付録『神龍通信』全7号に描き下ろし漫画を掲載。 * さいきんのわし(2014年)『[[最強ジャンプ]]』2014年7月号に描き下ろし4コマ漫画を掲載。 * ドラゴンボール30周年スペシャル裏マンガ(2016年)『30th ANNIVERSARY ドラゴンボール 超史集』に描き下ろし漫画を掲載。 * タレントに頼まれて似顔絵を描いている([[品川庄司]]の[[品川祐]]、[[次長課長]]の[[井上聡]]、[[麒麟 (お笑いコンビ)|麒麟]]の[[川島明]]、[[千秋 (タレント)|千秋]]<ref>『苺同盟』帯カバー、[[アスコム (出版社)|アスコム]]、2007年。</ref>、[[jealkb]]([[田村淳|haderu]]、[[衛藤幸生|elsa]]、[[ニブンノゴ!|ediee]]、[[ニブンノゴ!|hideki]]、[[じゃぴょん|dunch]]、[[金成公信|chaos]]、[[ギンナナ|mofto]])、[[ニブンノゴ!]]の大川知英、[[じゃぴょん]]、[[坂口博信]]など) == 番組出演歴 == === テレビ === * わが青春の[[トキワ荘]]〜現代マンガ家立志伝〜([[日本放送協会|NHK]]、1981年5月25日) * [[徹子の部屋]]([[テレビ朝日]][[オールニッポン・ニュースネットワーク|系列]]、1983年5月4日) === ラジオ === * [[ミッドナイト東海]]{{efn2|ミッドナイト東海では[[笑福亭鶴瓶]]と対談した。その後『[[Seventeen (日本の雑誌)|週刊セブンティーン]]1981年4・5合併号』でも笑福亭鶴瓶と鳥山明の対談が行われ、対談記事「新春あこがれ対談 Dr.スランプVS鶴瓶」が掲載された。}}([[東海ラジオ放送]]、1980年頃) * [[島田紳助のおっと危ない!東京ばくだん小僧]]のコーナー「アタック[[北斗の拳]]」あたた耐久レース([[ニッポン放送]]、1985年)電話出演 == 個展開催歴 == ; 鳥山明の世界 {|class="wikitable" !開催期間!!開催場所 |- |1993年12月4日 - 1994年1月30日||神奈川県・[[川崎市市民ミュージアム]] |- |1994年4月9日 - 5月29日||福島県・[[いわき市立美術館]] |- |1994年8月5日 - 9月4日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/bijyutu/shop/book_list3.html |title=高松市美術館|accessdate=2016-1-21}}</ref>||香川県・[[高松市美術館]] |- |1994年10月22日 - 11月27日||北海道・[[北海道立旭川美術館]] |- |1994年12月22日 - 1995年1月29日||福岡県・ラフォーレミュージアム小倉 |- |1995年4月22日 - 5月21日||東京都・新宿三越美術館 |- |1995年6月6日 - 7月2日||愛知県・名古屋市民ギャラリー |- |1995年7月20日 - 8月27日||熊本県・[[熊本県立美術館]] |- |1995年7月20日 - 8月27日||東京都・[[国立西洋美術館]] |- |1995年9月14日 - 9月25日{{efn2|当初は1995年3月10日 - 4月19日の開催予定だったが、[[阪神・淡路大震災]]の影響で開催延期になった。}}||兵庫県・神戸阪急ミュージアム |- |1997年7月27日 - 8月24日<ref>{{Cite web|和書|url=http://manga-museum.com/about.html |title=まんが美術館について |accessdate=2016-1-21}}</ref>||秋田県・[[横手市増田まんが美術館|増田町まんが美術館]] |} ; 鳥山明 The World of DRAGONBALL<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei-anim.co.jp/movie/2013_dragonballz/news/12.html |title=『鳥山明 The World of DRAGONBALL』開催決定 |accessdate=2016-1-21}}</ref> {|class="wikitable" !開催期間!!開催場所 |- |2013年3月27日 - 4月15日||東京都・日本橋高島屋 |- |2013年4月17日 - 4月23日||大阪府・[[阪神百貨店]]梅田本店 |- |2013年7月27日 - 9月1日||愛知県・松坂屋美術館 |} == 関連人物 == ; [[桂正和]] : 鳥山同様に[[鳥嶋和彦]]によって才能を見出された一人。鳥山が「恋愛モノ」を苦手にしているのと対照的に桂は「恋愛モノ」を得意にしており、その道の第一人者。鳥山とはデビュー前に[[手塚賞]]準入選の時の授賞式で会って以来交流があり<ref name="katsuraakira">『桂正和×鳥山明共作短編集 カツラアキラ』集英社〈[[ヤングジャンプ・コミックス]]〉、194-196頁。</ref>、『[[ウイングマン]]』の作中に「[[生徒会]]トリヤマ」や「Mr.マヤリト」として鳥山が登場している。逆に『Dr.スランプ』には、非常な田舎者として桂が登場しており、番外の短編漫画でエピソードが語られている。また、悟空が[[界王#北の界王|界王]]を笑わせるために使ったギャグは、鳥山が桂に披露したもののバカにされたといわれるものであり、[[融合 (ドラゴンボール)|フュージョン]]のアイディアも桂による、と述べている<ref>渡辺彰則編「鳥山明的超会見」『ドラゴンボール大全集 第6巻』集英社、1995年12月9日、{{ISBN2|4-08-782756-9}}、214-215頁。</ref>。1984年に桂が病気療養のため約5か月間『ウイングマン』の連載を中断した際、週1ページの応援作品「がんばれ!桂くん」が連載されたが、鳥山は、タイトルとタイトルバックの似顔絵(病室で寝巻き姿の桂が、元気にウイングマンの変身ポーズを決めている)を寄稿している。『ウイングマン』連載以降に電話で話すようになり、鳥山が『ドラゴンボール』、桂が『[[電影少女]]』を連載していた頃は、仕事からの逃避でお互い締め切り直前に長電話をよくしていた{{R|katsuraakira}}。『[[D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜]]』連載前に鳥山に相談したところ「主人公を変身させて髪の色を変えてみてはどうか」「戦わせるしかない」と言われ、不安を抱きつつ描いたら鳥山のファンから「(超サイヤ人の)マネをするな」と抗議が来たという<ref>「神龍通信 第7号」『ドラゴンボール大全集7巻』別冊付録、集英社、1996年。</ref>。 : 桂、[[寺田克也]]、[[竹谷隆之]]の3名について鳥山いわく「自分からは滅多に誰かに会おうとはしないが、この3人の天才に会うのは悪くない」とのことである<ref>「神龍通信 第3号 ちかごろのワシ」『ドラゴンボール大全集3巻』別冊付録、集英社、1995年。</ref>。桂とは2008年に『さちえちゃんグー!!』(読切)、2009年には『JIYA -ジヤ-』(短期連載)で共作(原作を鳥山、作画を桂が担当)しており、鳥山は「組むんだったら桂君しかありえない。文句を言ってくれる人は彼くらい」と語っている{{R|katsuraakira}}。 ; [[さくまあきら]] : 友人<ref>鳥山明「あっそう もうおしまいなんですか ドクター スランプ」『Dr.スランプ 第18巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1985年5月15日、{{ISBN2|4-08-851198-0}}、116頁。</ref>。『[[Seventeen (日本の雑誌)|セブンティーン]]』において鳥山と[[笑福亭鶴瓶]]の対談をさくまがセットしたのが初対面{{R|out52}}。『Dr.スランプ』には「たこやきマクサ」として登場している。 ; [[尾田栄一郎]] : 1995年の集英社主催のパーティーで[[徳弘正也]]に同行し(当時、[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]をしていた)、鳥山からイラスト入りのサインを貰ったのが初対面。その後、尾田の希望で鳥山と対談して以降、さまざまな場で交流している。『天才パソコミ塾』(2002年 集英社インターナショナル)でMacを使った漫画の描き方で共演したり、2006年12月には『ONE PIECE』と『ドラゴンボール』のコラボレーション漫画『[[CROSS EPOCH]]』(『週刊少年ジャンプ』2007年4・5合併号、2006年12月25日発売)を発表した。 ; [[岸本斉史]] : 岸本は『[[NARUTO -ナルト-|NARUTO]]』の連載が3周年を迎えたらご褒美として、鳥山のサイン色紙を貰うという約束を編集部と取り付けており、実際にサインを手に入れた際には、その喜びを『ジャンプ』の巻末コメントで語っていた。また、ナルトの連載10周年を記念して発売された『NARUTO-ナルト-秘伝・皆の書』では、鳥山がナルトのイラストや、ナルトの格好をした悟空を描いている。 ; 棚園正一 : 不登校だった13歳の時に自立支援組織から来ていた家庭教師の協力で鳥山明と対面した<ref name="hutton">{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/ebook/articles/1402/21/news031.html |title=不登校と漫画と鳥山明――漫画を描き続けて自分と世界が変わるまで |accessdate=2016-2-24}}</ref>。棚園は、その実体験を基にした漫画『[[学校へ行けない僕と9人の先生]]』を連載。同作品コミックス(2015年2月27日発売)に鳥山明寄稿による1600字超のコメントが収録されている。また鳥山と棚園は「作品をより面白い漫画にするためには」と言った話し合いを年5回程度のペースで続けている<ref>棚園正一『学校へ行けない僕と9人の先生』双葉社、2015年2月27日、{{ISBN2|978-4-575-84582-2}}、293頁。</ref>。 ; 桑折貴之(お笑いコンビ・[[じゃぴょん]]) : 鳥山明の娘がじゃぴょんの桑折のファンということから、じゃぴょん単独ネタライブの似顔絵、およびチラシを描いたことがある<ref>[http://blogs.yahoo.co.jp/koori_blog/11292205.html 1530シアターブラッツ] 2015年8月14日</ref><ref>[http://blogs.yahoo.co.jp/koori_blog/11292054.html 1424シアターブラッツ] 2015年8月14日</ref>。そのことは2008年6月7日放送の『[[やりすぎコージー]]・オ〜ガの泉2〜モヤモヤ芸人救済スペシャル〜』で語られた。 ; [[大川知英]](お笑いトリオ・[[ニブンノゴ!]]) : 『ドラゴンボール』のハリウッド化の話が出た際、一番初めに相談したほどの親友{{efn2|2009年6月11日放送『[[アメトーーク!|雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!]]』で大川が語った。}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=_xK8Bt-fVbY|title=【お宅訪問】これは凄い!鳥山明コレクション!|date=2014-4-10|accessdate=2020-1-3}}</ref>。 ; [[jealkb]] : 鳥山明の娘がjealkbと[[マキシマムザホルモン]]のファンであり、jealkbがライブで名古屋に来た時は、仕事で忙しくない限りは参加している{{efn2|2012年11月17日放送のラジオ『ダイスケはん&ナヲのギンギラギンにさりげ肉』で語られた。}}。上記のじゃぴょんの桑折、ニブンノゴ!の大川もjealkbのメンバーである。またjealkbのメンバーでもある[[田村淳]]が[[香那]]と入籍した際には、結婚祝のイラスト付き色紙を贈っている{{efn2|2013年10月7日に田村淳の[[Facebook]]でイラスト色紙画像が上げられた<ref>{{Facebook post|田村淳による2013年10月7日|214090415433324|4=1|accessdate=2020-01-03}}</ref>。}}。 ; [[マキシマム ザ ホルモン]] : 娘と一緒に2012年10月29日に開催されたjealkbとマキシマム ザ ホルモンの対バンライブ「異色薔薇ノ歌合戦」に参加した。その際、鳥山明はマキシマム ザ ホルモンの楽屋に訪れてサインを描いている{{efn2|2012年10月30日にマキシマム ザ ホルモンの[[Twitter]]でサイン画像が上げられた<ref>{{Twitter status|MTH_OFFICIAL|262898597023068160|マキシマム ザ ホルモンによる2012年10月29日21:48の発言|accessdate=2020-01-03}}</ref><ref>{{Twitter status|MTH_OFFICIAL|263121775414632449|マキシマム ザ ホルモンによる2012年10月30日0:34の発言|accessdate=2020-01-03}}</ref><ref>{{Twitter status|MTH_OFFICIAL|263124216428240896|マキシマム ザ ホルモンによる2012年10月30日0:44の発言|accessdate=2020-01-03}}</ref><ref>{{Twitter status|MTH_OFFICIAL|263127633376714753|マキシマム ザ ホルモンによる2012年10月30日0:58の発言|accessdate=2020-01-03}}</ref><ref>{{Twitter status|MTH_OFFICIAL|263132834812788736|マキシマム ザ ホルモンによる2012年10月30日13:18の発言|accessdate=2020-01-03}}</ref>。}}。またライブで歌われた曲「[[爪爪爪/「F」|「F」]]」にインスパイアされて『[[ドラゴンボールZ 復活の「F」]]』のアイデアを閃いた<ref>{{Twitter status|MTH_OFFICIAL|535368435794845696|マキシマム ザ ホルモンによる2014年11月20日18:45の発言|accessdate=2020-01-03}}</ref>。 === 担当編集者 === {{See also|ドラゴンボール#歴代担当編集者}} ; [[鳥嶋和彦]] ; [[ドラゴンボール#歴代担当編集者|近藤裕]] ; [[ドラゴンボール#歴代担当編集者|武田冬門]] === アシスタント === アシスタントは歴代2人。『Dr.スランプ』連載初期はアシスタントを雇うこと自体知らなかったため、1人で全部描いていた<ref name="asst">中野博之編「鳥山明×井上雄彦 黄金対談」『週刊少年ジャンプ 2018年33号』集英社、2018年7月30日、雑誌29935-7/30、474頁。</ref>。アシスタントを呼ぶのは1週間に1日だった{{R|asst}}。 ; ひすゎし(現:[[田中久志]]) : 『Dr.スランプ』前半を担当。 ; [[まつやまたかし]] : 『Dr.スランプ』後半から『ドラゴンボール』後半まで担当している{{R|asst}}。『Dr.スランプ』のペンギン村の建物や風景、『ドラゴンボール』の[[カメハウス]]、ナメック星などの背景画を担当<ref name="artlogic">{{Cite web|和書|publisher=ARTFRONT WORLD|title=WORK SHOP お仕事の依頼はこちら|url=http://art-front.xsrv.jp/jp/workshop.html|accessdate=2018-08-05}}</ref>。『ドラゴンボール』終盤でアシスタントを辞めることになり、「あと少しで連載が終わるから」ということで以降は鳥山1人で執筆していた{{R|asst}}。2009年に再びアシスタントとして『おいしい島のウーさま』の作画に関わっている{{R|artlogic}}{{Efn2|『おいしい島のウーさま』と同時掲載の『なぜテクテク星人はぐるぐる島を狙っているの?』では作画をまつやまが担当し、鳥山は監修と表紙絵を担当している。}}。 === アニメーター === ; [[中鶴勝祥]] : 「『僕こんなの書いたっけ?』と思えるほど完成度の高いイメージボードを書いてくれる」と話している<ref>週刊少年ジャンプ編集部・編「GT超辞典」『ジャンプ・アニメコミックス・ジュニア ドラゴンボールGT パーフェクトファイル』集英社〈ジャンプ・コミックス セレクション〉、1997年5月24日、{{ISBN2|4-8342-1524-5}}、86頁。</ref>。 ; [[山室直儀]] : 「[[孫悟空 (ドラゴンボール)|孫悟空]]を書けるのはこの人しかいない」と評している<ref>日経BP刊『日経エンタテインメント!』2013年5月号より。</ref>。 ; [[芦田豊雄]] : 影やハイライトの入れ方・カラーの処理の仕方に影響を受けたと公言している{{R|kaiken1}}<ref>『アニメージュ』2006年4月号、徳間書店、140頁。</ref>。また、尊敬している人物の1人であると話している{{R|kaiken1}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[手塚賞]] - 審査員を務めている。 * [[天下一漫画賞]] - 第1回の審査員を務めた。 == 外部リンク == * [https://www.s-manga.net/search/search.html?titleauthor=%E9%B3%A5%E5%B1%B1%E6%98%8E 鳥山明 - 集英社マンガネット S-MANGA.net] * {{Mediaarts-db|id=C53398|name=鳥山明}} {{鳥山明}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:とりやま あきら}} [[Category:鳥山明|*]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本のキャラクターデザイナー]] [[Category:日本のロゴデザイナー]] [[Category:芸術文化勲章受章者]] [[Category:名古屋市出身の人物]] [[Category:1955年生]] [[Category:存命人物]]
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永野のりこ
永野 のりこ(ながの のりこ、7月5日 - )は、日本の女性漫画家。日本漫画家協会常務理事。東京都多摩地域出身。通称「ナガノ」。代表作に『GOD SAVE THE すげこまくん!』『みすて♡ないでデイジー』など。初期に「永野のり子」の表記も使用していた。 東京都多摩地区出身で、作品中にときどき同地の方言が現れる。東京都立八王子東高等学校、法政大学文学部哲学科卒。同期にほりのぶゆきがいる。ほりは漫画研究会所属だったが永野は所属しておらず、当時面識は無かった。 出産早々夫が失業し、自分が漫画で家計を支えようと持ち込みを始める。子供を背負って持ち込みをし、気の毒がられたというエピソードがある。彼女を最初に担当した編集者は徳間書店の大塚英志だった。1985年に『Sci-Fiもーしょん!』(『月刊少年キャプテン』)でデビュー。『アニメージュ』の投稿コーナーの左枠に描かれている『まじょっ子ソンソン』は、同誌で最も長い連載作品である(1987年8月号付録及び11月号読切、1988年1月号より現在まで連載)。 1992年末から『ヤングマガジン』で連載した『GOD SAVE THE すげこまくん!』で大きな人気を博した。 同作品のドラマCDでは作者の歌唱によるオリジナルソング「ラジオボーイ」を聞くことができる。 近年は作中でカトリックについての言及が見られる。 一人娘はオタク系バンド「Little Non」(2011年2月解散)のボーカルとして活躍し、現在はソロのシンガーソングライター、造形・縫製作家として活躍中の 永野希 である。産経新聞火曜日に連載されていた子育てエッセイ漫画『ちいさなのんちゃん』の主役でもある(「おかっぱ少女」として描かれている)。 2018年、第49回星雲賞アート部門を受賞。 見やすい絵柄と破天荒なストーリー展開(ファンからは「ナニなアレ」と称される)、その裏に隠されたリリカルさが魅力で、著名漫画家にもファンが多い。主役がコミュニケーションが苦手で、社会から疎外され気味の立場に置かれていることが多く、その主役がもがき苦しみ、傷つきながらも最終的に何らかの形で他者との交流を築き上げていくことが作品のメインテーマとなっていることから、「ナガノに救われた」と共感・感動させられる読者も少なくない。熱心なファン・読者は「ナガノ者(もの)」と称されることが多い。 いわゆるメガネ男子好きであるため、ほぼすべての作品に眼鏡をかけた少年が主要人物として登場する。また、おかっぱ(ボブ)の女の子の登場頻度も高く、初期の作品は少年が歪み切った愛情表現としてこの女の子をいじめる(そして最終的には結ばれる)というパターンのものが多い。脇役キャラも、黒髪ロングの少女、茶髪の少女、ショートカットの少女、ウェーブのかかったロングヘアの少女、細身の少年、マッチョで角刈りの少年、お下げ髪でメガネの少女など、ある程度見た目と性格のパターンが固定化されている。 漫画を描くことについては母から大反対された。そのため母との折り合いが悪くなり、永野が漫画家としてヒットを飛ばしてからも決してその活躍を認めなかったという。そのため、娘の希は「メガネくんはつらい現状から逃避しようとする母、おかっぱ女性はそんな自分を許し癒そうとするもうひとりの母」であると語っている。 当初はタッチの荒い少年漫画調の絵柄であったが、1990年代前半からベタ塗りを多用したレディースコミック調に変化し、現在はスクリーントーンを多用したアニメ調の絵柄となっている。 非常にシャイな性格であり、一度発表し雑誌等に掲載した作品を「恥ずかしい」といってお蔵入りにすることもあるため、連載作品でも単行本未収録が数話ある。 SF・特撮ファンでもあり、作中どさくさにまぎれて、ウルトラ怪獣等が多く登場する。同嗜好の唐沢なをきによる「怪獣王」では、全体の1/3を占めるロング対談の相手をつとめ、怪獣ものTV番組や映画に関する思いを吐露しており、臨月でオールナイトの「ウルトラQ」上映会に参加したエピソードなどのほか、「(怪獣が)もう、好きで好きで、大人になっても好きで好きで、好きで好きで、好きで好きで、好きで好きでしょうがないんですよね」という、誤植と見まがうほどの熱烈な発言まで見られる(対談の文字起こしは唐沢よしこ)。また自身の作品『GOD SAVE THE すげこまくん!』のドラマCDはサブタイトルが「ウルトラ総進撃」となっており、円谷プロダクションの協力により、文字通り多数のウルトラ怪獣が登場する。 音楽ではニュー・ウェイヴやテクノポップが好きであり、作品中でもネタとして登場する。好みの男性はディーヴォのマーク・マザーズボーである(メガネが特徴の人物である)。
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永野 のりこは、日本の女性漫画家。日本漫画家協会常務理事。東京都多摩地域出身。通称「ナガノ」。代表作に『GOD SAVE THE すげこまくん!』『みすて♡ないでデイジー』など。初期に「永野のり子」の表記も使用していた。
{{存命人物の出典明記|date=2016-11-03}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 永野 のりこ | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{JPN}}・[[東京都]][[多摩地域]] | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1984|7|5}} | 没年 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1985年]] - | ジャンル = | 代表作 = 『[[GOD SAVE THE すげこまくん!]]』<br/>『[[みすて♡ないでデイジー]]』 など | 受賞 = 第49回[[星雲賞]]アート部門 | 公式サイト = [http://naganoare.spaces.live.com/ 永野のりこ 公式ホームページ<br/> 『 さいはての石の下のアレ 』] }} '''永野 のりこ'''(ながの のりこ、[[7月5日]] - )は、[[日本]]の[[女性]][[漫画家]]。[[日本漫画家協会]]常務理事<ref>{{Cite web|和書|url=https://nihonmangakakyokai.or.jp/about/about03 |title=組織・役員 |access-date=2023/07/26 |publisher=[[日本漫画家協会]]}}</ref>。[[東京都]][[多摩地区|多摩地域]]出身。通称「ナガノ」。代表作に『[[GOD SAVE THE すげこまくん!]]』『[[みすて♡ないでデイジー]]』など。初期に「永野のり子」の表記も使用していた。 == 経歴 == [[東京都]][[多摩地区]]出身で、作品中にときどき同地の方言が現れる。[[東京都立八王子東高等学校]]<ref>{{Cite journal|year=1988|title=私の仕事〈第6回〉漫画家 永野のりこ|journal=桜庭(東京都立八王子東高等学校 同窓会報)|volume=第7号}}</ref>、[[法政大学文学部]]哲学科卒。同期に[[ほりのぶゆき]]がいる。ほりは[[漫画研究会]]所属だったが永野は所属しておらず、当時面識は無かった。 出産早々夫が失業し、自分が漫画で家計を支えようと[[持ち込み原稿|持ち込み]]を始める。子供を背負って持ち込みをし、気の毒がられたというエピソードがある。彼女を最初に担当した編集者は[[徳間書店]]の[[大塚英志]]だった。[[1985年]]に『Sci-Fiもーしょん!』(『[[月刊少年キャプテン]]』)でデビュー。『[[アニメージュ]]』の投稿コーナーの左枠に描かれている『まじょっ子ソンソン』は、同誌で最も長い連載作品である([[1987年]][[8月]]号付録及び[[11月]]号読切、[[1988年]][[1月]]号より現在まで連載)。 [[1992年]]末から『[[週刊ヤングマガジン|ヤングマガジン]]』で連載した『[[GOD SAVE THE すげこまくん!]]』で大きな人気を博した。 同作品のドラマCDでは作者の歌唱によるオリジナルソング「ラジオボーイ」を聞くことができる。 近年は作中で[[カトリック教会|カトリック]]についての言及が見られる。 一人娘は[[オタク系バンド]]「[[Little Non]]」([[2011年]][[2月]]解散)のボーカルとして活躍し、現在はソロの[[シンガーソングライター]]、[[造形]]・[[縫製]]作家として活躍中の [[永野希]] である。[[産経新聞]][[火曜日]]に連載されていた子育てエッセイ漫画『ちいさなのんちゃん』の主役でもある(「[[おかっぱ]]少女」として描かれている)。 2018年、第49回[[星雲賞]]アート部門を受賞。 == 作風 == 見やすい絵柄と破天荒なストーリー展開(ファンからは「ナニなアレ」と称される)、その裏に隠されたリリカルさが魅力で、著名漫画家にもファンが多い。主役がコミュニケーションが苦手で、社会から疎外され気味の立場に置かれていることが多く、その主役がもがき苦しみ、傷つきながらも最終的に何らかの形で他者との交流を築き上げていくことが作品のメインテーマとなっていることから、「ナガノに救われた」と共感・感動させられる読者も少なくない。熱心なファン・読者は「ナガノ者(もの)」と称されることが多い。 いわゆる[[眼鏡キャラクター|メガネ男子]]好きであるため、ほぼすべての作品に[[眼鏡]]をかけた少年が主要人物として登場する。また、[[おかっぱ]](ボブ)の女の子の登場頻度も高く、初期の作品は少年が歪み切った愛情表現としてこの女の子をいじめる(そして最終的には結ばれる)というパターンのものが多い。脇役キャラも、黒髪ロングの少女、茶髪の少女、ショートカットの少女、ウェーブのかかったロングヘアの少女、細身の少年、マッチョで角刈りの少年、お下げ髪でメガネの少女など、ある程度見た目と性格のパターンが固定化されている。 漫画を描くことについては母から大反対された。そのため母との折り合いが悪くなり、永野が漫画家としてヒットを飛ばしてからも決してその活躍を認めなかったという。そのため、娘の希は「メガネくんはつらい現状から逃避しようとする母、おかっぱ女性はそんな自分を許し癒そうとするもうひとりの母」であると語っている<ref>[http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/penhashi/3669 【田中圭一のペンと箸―漫画家の好物ー】第23話:『みすて♡ないでデイジー』永野のりこと下北沢の薬膳中華] - ぐるなび みんなのごはん。・2016年11月21日</ref>。 当初はタッチの荒い少年漫画調の絵柄であったが、[[1990年代]]前半からベタ塗りを多用した[[レディースコミック]]調に変化し、現在は[[スクリーントーン]]を多用したアニメ調の絵柄となっている。 == 人物 == === 性格 === 非常にシャイな性格であり、一度発表し雑誌等に掲載した作品を「恥ずかしい」といってお蔵入りにすることもあるため、連載作品でも単行本未収録が数話ある。 === 趣味・嗜好 === [[サイエンス・フィクション|SF]]・[[特撮]]ファンでもあり、作中どさくさにまぎれて、[[ウルトラ怪獣]]等が多く登場する。同嗜好の[[唐沢なをき]]による「怪獣王」では、全体の1/3を占めるロング対談の相手をつとめ、怪獣ものTV番組や映画に関する思いを吐露しており、臨月でオールナイトの「ウルトラQ」上映会に参加したエピソードなどのほか、「(怪獣が)もう、好きで好きで、大人になっても好きで好きで、好きで好きで、好きで好きで、好きで好きでしょうがないんですよね」という、誤植と見まがうほどの熱烈な発言まで見られる(対談の文字起こしは[[唐沢よしこ]])。また自身の作品『GOD SAVE THE すげこまくん!』のドラマCDはサブタイトルが「ウルトラ総進撃」となっており、円谷プロダクションの協力により、文字通り多数のウルトラ怪獣が登場する。 音楽では[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]や[[テクノポップ]]が好きであり、作品中でもネタとして登場する。好みの男性は[[ディーヴォ]]の[[マーク・マザーズボー]]である(メガネが特徴の人物である)。 === 活動 === * 2010年2月11日、『ちいさなのんちゃん すくすくマーチ 新装丁版』の発売に合わせ、[[サイン会]]、[[Little Non]][[バレンタインデー|バレンタイン]]スペシャル[[演奏会|ライヴ]][[イベント]]が[[六本木ヒルズ]]にて開催された。 * 父が[[福島県]][[双葉町]]の[[帰還困難区域]]であることから、[[やなせたかし]]等の協力を得て早くから東日本大震災に伴う原発事故被害地域への慈善活動に取り組んでおり<ref>[https://web.archive.org/web/20130327080538/https://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/02/post_6280.html 今を生きる 子どもたちに笑顔を 来月8日披露 やなせさんら協力 楢葉の仮設校舎(いわき)にイラスト | 東日本大震災 | 福島民報]</ref><ref>[https://www.nihonmangakakyokai.or.jp/?tbl=exhibition&id=6374 東日本大震災祈念 6年目の「絵の花束2017」展 - 公益社団法人日本漫画家協会]</ref>、その一つ'''おきあがりこぼしプロジェクト'''では[[一本木蛮]]とともに[[ウクライナ]]へも渡航した<ref>[http://www.nihonmangakakyokai.or.jp/?tbl=exhibition&id=6535 ウクライナ♡日本マンガ交流展 - 公益社団法人日本漫画家協会]</ref>。 * [[日本漫画家協会]]の常務理事を務めている。 == 作品リスト == === 漫画 === * Sci-fiもーしょん! * 必勝!!株リッチ大作戦 * [[みすて♡ないでデイジー]] * GIVE ME(くれくれ)たまちゃん! * [[GOD SAVE THE すげこまくん!]] * オタクの御主人 * 科学少年01くん * ハネムーンプラネット * [[どーしちゃったの!?KENにーちゃん!]] * もぐっこモグタンVSまじょっ子ソンソン * マンガ [[パソコン通信]]入門 -笑って体験、はじめの一歩-([[荻窪圭]]著、[[講談社]][[ブルーバックス]]) * [[電波オデッセイ]] * 土田君てアレですね! -きみに幸アレ!!- * ちいさなのんちゃん * STAND☆BYみ〜ちぇ!! * ひっち&GO!! * 永遠のなかまはずれの国 * トモルの星 * アレ!アレ!!<ref>[http://moura.jp/manga/michao/060/index.html アレ!アレ!!]{{dead link|date=December 2018}}</ref>(MiChao!<ref>[http://kc.kodansha.co.jp/magazine/index.php/90000 MiChao!]{{dead link|date=December 2018}}</ref>でのWeb連載漫画)) * ちいさなのんちゃん すくすくマーチ 新装丁版 * アイランド皇帝 -ボクはキミに取り返しのつかないコトをする- === アニメ === * みすて・ないでデイジー<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.allcinema.net/cinema/88919 |title=みすて・ないでデイジー |publisher=Allcinema.net |date= |accessdate=2018-12-25}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[Little Non]](永野のりこの娘 ノゾミがヴォーカルを務めていたバンド) == 外部リンク == * [http://naganoare.wordpress.com/ 永野のりこ 公式ホームページ 『さいはての石の下のアレ』] * {{twitter|dempaantenna}} * [https://web.archive.org/web/20070820220809/http://meta-metaphysica.net/manga/writer/nagano_n.html 永野のりこデータ集] * [https://missile-mimi.blogspot.com/ ミミちゃん] * {{マンガ図書館Z作家|139|永野 のりこ}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:なかの のりこ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:SF漫画家]] [[Category:SFアーティスト]] [[Category:新聞連載の漫画家]] [[Category:日本のサブカルチャーに関する人物]] [[Category:法政大学出身の人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:生年非公表]] [[Category:存命人物]]
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聖悠紀
聖 悠紀(ひじり ゆき、1949年12月21日 - 2022年10月30日)は、日本の男性漫画家。本名は長谷川 清俊(はせがわ きよとし)。『くるくるパッX』など一部の作品ではひじり悠紀や聖 ゆきの表記が使われていた。SF漫画を中心に執筆しており、代表作に『超人ロック』シリーズなど多数。 新潟県新発田市出身で、小学生時代は三条市や新潟市など新潟県内を転々としていた。中学3年生で愛知県名古屋市へ転居し、高校進学後に石森章太郎の「マンガ家入門」を読んだことがきっかけとなって、漫画を描くようになる。 高校2年の時、貸本屋で借りた「ボーイズライフ」に掲載されていた作画グループの会員募集を見て会員になり、1967年(昭和42年)にグループの肉筆回覧誌に掲載するため送った作品が、後に代表作となる『超人ロック』の1作目「ニンバスと負の世界」で、これにより一挙に会員の注目を集めた。 大学に進学すると学業の傍ら漫画にも没頭し、春・夏・冬の休みには当時大阪府にあった作画グループの本部に1週間以上も泊まり込んで漫画漬けの生活を送ったという。当時からグループ代表のばばよしあきの他にみなもと太郎とは深い親交があり、長らくグループ内では「トリオ・ザ・サクガ」の名で呼ばれていた。 1969年に『超人ロック』の第2作である「この宇宙に愛を」、1970年には第3作「ジュナンの子」を完成させたが、「ジュナンの子」は肉筆回覧誌には収録されず、グループが当時貸本漫画向けに刊行を始めた「作画グループシリーズ」第2弾として発刊され、全国規模でファンを獲得することになった。さらに肉筆回覧誌に収録された「この宇宙に愛を」が編集者の目に止まったことがきっかけとなり、1971年に小学館の「別冊少女コミック」から『うちの兄貴』でデビュー。少女漫画家として活動するようになり、1973年には上京。 そのような状況の中『超人ロック』の熱烈なファンの声に押された作画グループ代表のばばよしあきの説得もあって、1974年に第4作「コズミックゲーム」を発表。新たなファンを獲得したものの、活動の場を少女漫画から特撮やアニメのコミカライズなど「テレビ漫画」の分野に移す結果を招いた。当時関わった作品では、アニメのキャラクターデザインも担当した『闘将ダイモス』などが知られている。 1977年に『超人ロック』の特集が「月刊OUT」で組まれ、同誌の別冊「ランデヴー」で「新世界戦隊」が連載された。これは初の『超人ロック』の商業連載で、その後は少年漫画誌などを主な活動の場としている。漫画家となるきっかけになった作画グループではその後も活動を続け、多数の会員が集まって一つの漫画を制作する「合作」にも参加していた(後述)。 2017年11月に慢性副鼻腔炎の手術を受け、術後の経過診断のための診察時に倒れて心停止となった。蘇生に成功するが昏睡状態となり、その後12月に心臓の外科手術を受けた。術後2か月入院し、2018年2月初頭の退院直後に「まだ以前のようには動けない」ことと、とリハビリ中であることを自身のTwitterアカウントにて発表した。単行本と画集の発売も遅れたが、画集は同月中に刊行された。また、当時連載中の『超人ロック 鏡の檻』と『超人ロック ガイアの牙』は5か月間休載となった。 2020年6月10日、パーキンソン病で闘病中であることを公表。その後、パーキンソン病により身体機能が低下して、2022年10月30日に肺炎を併発して死去した事が2022年12月16日に公表された。72歳没。 子供向けテレビ番組を幼年誌へ掲載するために漫画化したもの(内部リンクは大元のテレビ番組に対してなされている)。 主に登場キャラクターの一人を作画している。初期には主人公やヒロイン担当も多い。詳細は各記事を参照。
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聖 悠紀は、日本の男性漫画家。本名は長谷川 清俊。『くるくるパッX』など一部の作品ではひじり悠紀や聖 ゆきの表記が使われていた。SF漫画を中心に執筆しており、代表作に『超人ロック』シリーズなど多数。
{{Infobox 漫画家 |名前 = 聖 悠紀 |画像 = |画像サイズ = |脚注 = |本名 = 長谷川 清俊 |生年 = {{生年月日と年齢|1949|12|21|no}} |生地 = {{JPN}} [[新潟県]][[新発田市]] |没年 = {{死亡年月日と没年齢|1949|12|21|2022|10|30}} |没地 = |国籍 = [[日本]] |職業 = [[漫画家]] |活動期間 = [[1971年]] - [[2022年]]<ref name="mia_hsgw20221216">{{Cite tweet |user=mia_hsgw |author=mia |number=1603646318840119296 |title=聖悠紀は急逝いたしました |date=2022-12-16 |accessdate=2022-12-16 <!-- |archiveurl=https://archive.md/Oo24W |archivedate=2022-12-16 -->}}</ref><ref name="YKOURS20221216">{{Cite tweet |author=アワーズ編集部 |authorlink=ヤングキングアワーズ |user=YKOURS |number=1603646106016964608 |title=聖悠紀先生 ご逝去の報 |date=2022-12-16 |accessdate=2022-12-16 <!-- |archiveurl=https://archive.md/Y8oge |archivedate=2022-12-16 -->}}</ref> |ジャンル = [[SF漫画]] |代表作 = 『[[超人ロック]]』 |受賞 = |サイン = |公式サイト = [http://www.denkaba.com/ 公式ホームページ「電脳かば」] }} '''聖 悠紀'''(ひじり ゆき、[[1949年]][[12月21日]]{{sfn|『TO YOU』|1983|pp=46-52}} - [[2022年]][[10月30日]]<ref name="mia_hsgw20221216" />)は、[[日本]]の男性[[漫画家]]。本名は長谷川 清俊(はせがわ きよとし)。『[[くるくるパッX]]』など一部の作品では'''ひじり悠紀'''や'''聖 ゆき'''の表記が使われていた。[[SF漫画]]を中心に執筆しており、代表作に『[[超人ロック]]』シリーズなど多数。 == 略歴 == === 生い立ち === [[新潟県]][[新発田市]]出身で、小学生時代は[[三条市]]や[[新潟市]]など新潟県内を転々としていた{{sfn|『TO YOU』|1983|pp=46-52}}。中学3年生で[[愛知県]][[名古屋市]]へ転居し、高校進学後に[[石森章太郎]]の「マンガ家入門」を読んだことがきっかけとなって、漫画を描くようになる{{sfn|『TO YOU』|1983|pp=46-52}}。 高校2年の時、貸本屋で借りた「[[ボーイズライフ]]」に掲載されていた[[作画グループ]]の会員募集を見て会員になり{{sfn|『TO YOU』|1983|pp=46-52}}、1967年(昭和42年)にグループの肉筆回覧誌に掲載するため送った作品が、後に代表作となる『[[超人ロック]]』の1作目「ニンバスと負の世界」で、これにより一挙に会員の注目を集めた{{sfn|『TO YOU』|1983|pp=42-45}}。 === 大学進学後にデビュー === 大学に進学すると学業の傍ら漫画にも没頭し、春・夏・冬の休みには当時大阪府にあった作画グループの本部に1週間以上も泊まり込んで漫画漬けの生活を送ったという{{sfn|『TO YOU』|1983|pp=42-45}}。当時からグループ代表の[[ばばよしあき]]の他に[[みなもと太郎]]とは深い親交があり、長らくグループ内では「トリオ・ザ・サクガ」の名で呼ばれていた。 1969年に『超人ロック』の第2作である「この宇宙に愛を」、1970年には第3作「ジュナンの子」を完成させたが、「ジュナンの子」は肉筆回覧誌には収録されず、グループが当時[[貸本漫画]]向けに刊行を始めた「作画グループシリーズ」第2弾として発刊され、全国規模でファンを獲得することになった{{sfn|『TO YOU』|1983|pp=42-45}}。さらに肉筆回覧誌に収録された「この宇宙に愛を」が編集者の目に止まったことがきっかけとなり{{sfn|『TO YOU』|1983|pp=42-45}}、[[1971年]]に[[小学館]]の「[[ベツコミ|別冊少女コミック]]」から『うちの兄貴』でデビュー。[[少女漫画家]]として活動するようになり{{sfn|『TO YOU』|1983|pp=42-45}}、1973年には上京。 そのような状況の中『超人ロック』の熱烈なファンの声に押された作画グループ代表のばばよしあきの説得もあって、1974年に第4作「コズミックゲーム」を発表{{sfn|『TO YOU』|1983|pp=42-45}}。新たなファンを獲得したものの、活動の場を少女漫画から[[特撮]]や[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]の[[コミカライズ]]など「テレビ漫画」の分野に移す結果を招いた{{sfn|『TO YOU』|1983|pp=42-45}}。当時関わった作品では、アニメのキャラクターデザインも担当した『[[闘将ダイモス]]』などが知られている。 1977年に『超人ロック』の特集が「[[月刊OUT]]」で組まれ、同誌の別冊「ランデヴー」で「新世界戦隊」が連載された{{sfn|『TO YOU』|1983|pp=42-45}}。これは初の『超人ロック』の商業連載で、その後は少年漫画誌などを主な活動の場としている。漫画家となるきっかけになった作画グループではその後も活動を続け、多数の会員が集まって一つの漫画を制作する「合作」にも参加していた(後述)。 === 闘病生活、死去 === 2017年11月に慢性[[副鼻腔炎]]の手術を受け、術後の経過診断のための診察時に倒れて心停止となった。蘇生に成功するが昏睡状態となり、その後12月に心臓の外科手術を受けた。術後2か月入院し、2018年2月初頭の退院直後に「まだ以前のようには動けない」ことと、とリハビリ中であることを自身のTwitterアカウントにて発表した。単行本と画集の発売も遅れたが、画集は同月中に刊行された。また、当時連載中の『超人ロック 鏡の檻』と『超人ロック ガイアの牙』は5か月間休載となった<ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/02/05/kiji/20180205s00041000180000c.html |title=「超人ロック」漫画家の聖悠紀氏 昨年12月に心停止 心臓手術で2カ月入院していた |newspaper=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2018-02-05 |accessdate=2022-12-16}}</ref>。 [[2020年]]6月10日、[[パーキンソン病]]で闘病中であることを公表<ref>{{Cite news |url=https://www.oricon.co.jp/news/2164237/full/ |title=『超人ロック』聖悠紀氏、パーキンソン病公表「できる限り描いていきたい」 |newspaper=ORICON NEWS |publisher=oricon ME |date=2020-06-10 |accessdate=2022-12-16}}</ref><ref>{{Cite tweet|author=聖悠紀 |user=Y_HIJIRI |number=1270662950454345730 |title=お知らせしたいことがあります。ご覧ください。 #locke_fan |date=2020-06-10 |accessdate=2022-12-16}}</ref>。その後、パーキンソン病により身体機能が低下して、[[2022年]]10月30日に肺炎を併発して死去した事が[[2022年]]12月16日に公表された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2260921/full/ |title=漫画家・聖悠紀さん、10月30日に亡くなっていた 享年72 SF漫画『超人ロック』手掛ける |website=ORICON NEWS |publisher=oricon ME |date=2022-12-16 |accessdate=2022-12-16}}</ref>。{{没年齢|1949|12|21|2022|10|30}}。 == 作品リスト == * [[超人ロック]]シリーズ * [[アナベル (漫画)|アナベル]] * [[黄金の戦士]] * [[スカイホークダンディ]] * [[くるくるパッX]] * [[スイート・ミカ]] - 連載時(掲載は1981年)のタイトルは『1991 スイート・ミカ』。舞台は連載時より10年後の近未来の設定。 * [[フレミング家の悲劇]] * [[ペアペアライサンダー]] * [[ミルザンヌの嵐]] * [[TWD EXPRESS]] * スペースマンA(「[[ファルコン50]]」原案) * [[すすめ!ジェッツ]] * [[スペクトラム学園]] * [[ウォー・プリンセス]] * [[ラスト・ウィザード]] * [[ハムレット]](新書館 ペーパームーンコミックス) * スキール!! == コミカライズ作品 == 子供向けテレビ番組を幼年誌へ掲載するために漫画化したもの(内部リンクは大元のテレビ番組に対してなされている)。 * [[電人ザボーガー]] * [[正義のシンボル コンドールマン]] * [[忍者キャプター]](キャラクターデザインも担当) * [[大鉄人17]] * [[快傑ズバット]] * [[闘将ダイモス]](アニメのキャラクターデザインも担当) * [[魔女っ子メグちゃん]] * [[宇宙戦艦ヤマト]] * [[ダイヤモンド・アイ]] == 作画グループ合作 == 主に登場キャラクターの一人を作画している。初期には主人公やヒロイン担当も多い。詳細は各記事を参照。 * [[アキラ・ミオ大漂流]] (週刊少年マガジン、[[講談社]]) * [[失われた伝説]](GROUP) * [[ダリウスの風]](週刊[[少女コミック]]、[[小学館]]) * [[1000万人の2人]](週刊[[少年キング]]、[[少年画報社]]) * [[銀河を継ぐ者]](週刊[[少女フレンド]]、講談社)- KCフレンドではカバーが『SF 銀河を継ぐ者』となっている。 * 怪盗スカイラーク(GROUP、SG企画ほか)- リレー漫画。描き手メンバーの異なるA班とB班が、第1話から分岐して同時並行で結末を目指す実験作。聖はB班の終盤近くを担当。 * 怪盗スカイラーク -華麗な冒険-(SF漫画競作大全集、東京三世社)- 『怪盗スカイラーク』の続編。お風呂屋さんに籠城したB班ではなく、ヘルパーパタパタ登場のA班からの続きになっている。 * [[ベレヌスのロビン#ストーリー(炎の伝説)|ベレヌスのロビン - 炎の伝説 -]]([[少年キング|少年KING]]、少年画報社) * 銀河活動大写真異聞([[月刊ウィングス|ウィングス]]、[[新書館]])- もし『ベレヌスのロビン』が映画内の劇中作であったら、が題材の作品。撮影中に様々な事件が役者を襲う。 * [[ベレヌスのロビン#ストーリー(炎の戦士)|ベレヌスのロビン - 炎の戦士 -]](単行本描きおろし、SG企画) == キャラクターデザイン == === テレビアニメ === * [[超電磁マシーン ボルテスV]] * [[闘将ダイモス]] * [[未来ロボ ダルタニアス]](原案) * [[ピンクレディー物語 栄光の天使たち]] === 特撮テレビドラマ === * [[忍者キャプター]] == その他 == * テレビアニメ『[[それでも町は廻っている]]』 - 第1話提供バックイラスト * テレビアニメ『[[僕らはみんな河合荘]]』 - 第9話エンドカード == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} {{Reflist|30em}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=聖悠紀 |title=TO YOU 超人ロック・聖悠紀の世界 SFファンとそうでない人へ 愛蔵/限定版 |date=1983-08-15 |publisher=TO YOU刊行会([[少年画報社]]) |ref={{sfnref|『TO YOU』|1983}} }} == 外部リンク == * [http://www.denkaba.com/ 電脳かば] - 聖悠紀夫妻 公式サイト * {{Twitter|Y_HIJIRI}} * [http://www5d.biglobe.ne.jp/~azumi/sg-kikaku/index.htm 株式会社SG企画] - 公式サイト * {{Mediaarts-db|name=聖悠紀}} {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひしり ゆき}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:SF漫画家]] [[Category:作画グループ]] [[Category:愛知工業大学出身の人物]] [[Category:パーキンソン病の人物]] [[Category:新潟県出身の人物]] [[Category:1949年生]] [[Category:2022年没]]
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日渡早紀
日渡 早紀(ひわたり さき、1961年〈昭和36年〉7月5日 - )は日本の漫画家。神奈川県川崎市出身。血液型はB型。代表作に『ぼくの地球を守って』など。 実家は書店。1981年(昭和56年)、「魔法使いは知っている」で白泉社の第6回アテナ大賞第2席を受賞。この作品が1982年(昭和57年)『花とゆめ』(白泉社)第4号に掲載され、デビュー。 なお、この作品は早紀シリーズ第1話として位置付けられている。 発表年は掲載誌の号数に準拠。単行本は花とゆめコミックス、文庫版は白泉社文庫、愛蔵版はジェッツコミックスより刊行(全て白泉社)。
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日渡 早紀は日本の漫画家。神奈川県川崎市出身。血液型はB型。代表作に『ぼくの地球を守って』など。
{{存命人物の出典明記|date= 2021年6月26日 (土) 21:10 (UTC)}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 日渡 早紀 | 画像 = <!-- 画像ファイル名 --> | 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px --> | 脚注 = <!-- 画像の説明文 --> | 本名 = <!-- 必ず出典を付ける --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1961|07|05}}{{Efn2|p.25:"生年月日:S36・7・5(蟹座)" と記載{{Sfn|村石憲一|1985|p=25}}。}} | 生地 = {{JPN}}・[[神奈川県]][[川崎市]]{{Sfn|日外アソシエーツ編集部|2003|p=319}} | 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|1961|07|05|YYYY|YY|YY}} --> | 没地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 --> | 国籍 = | 職業 = [[漫画家]] | 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 --> | 活動期間 = [[1982年]] - | ジャンル = [[少女漫画]]<br />[[SF漫画]] | 代表作 = 『[[ぼくの地球を守って]]』<br />『早紀シリーズ』<br />『アクマくんシリーズ』{{Efn2|p.22作者プロフィール:"代表作に、早紀ちゃんシリーズ・アクマくんシリーズ・ぼくの地球を守って" と記載{{Sfn|三浦修二|1994|p=22}}。}} | 受賞 = 第6回[[白泉社アテナ新人大賞|アテナ大賞]]第2席(『[[魔法使いは知っている]]』) | サイン = | 公式サイト = }} '''日渡 早紀'''(ひわたり さき、[[1961年]]〈[[昭和]]36年〉[[7月5日]]{{Efn2|19人目、p.25:"生年月日:S36・7・5(蟹座)。出身地:神奈川県。血液型:B型" と記載{{Sfn|村石憲一|1985|p=25}}。}}{{Sfn|日外アソシエーツ編集部|2003|p=319}} - )は[[日本]]の[[漫画家]]。[[神奈川県]][[川崎市]]出身{{Efn2|p.319:"出身地:神奈川県川崎市" と記載{{Sfn|日外アソシエーツ編集部|2003|p=319}}。}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hakusensha.co.jp/artist/profile.php?artistname=%93%FA%93n%91%81%8BI&artistname2=%82%D0%82%ED%82%BD%82%E8%82%B3%82%AB&keyword=%82%D0+%82%D1&home=%90_%93%DE%90%EC%8C%A7&birthday=7%8C%8E5%93%FA&bloodtype=B%8C%5E&debut=1982%94N%81u%89%D4%82%C6%82%E4%82%DF%81v4%8D%86%81w%96%82%96%40%8Eg%82%A2%82%CD%92m%82%C1%82%C4%82%A2%82%E9%81x|title=白泉社 作家データベース 日渡早紀|publisher=白泉社 |accessdate=2020-09-19}} {{ja icon}}</ref>。[[血液型]]は[[ABO式血液型|B型]]。[[wikt:代表作|代表作]]に『[[ぼくの地球を守って]]』など。 __TOC__{{-}} == 来歴 == 実家は[[書店]]<ref>『星は、すばる。』P143で本人談より。</ref>。[[1981年]](昭和56年)、「魔法使いは知っている」<ref>[https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/41856/ 星は、すばる。|白泉社] </ref>で[[白泉社]]の第6回[[白泉社アテナ新人大賞|アテナ大賞]]第2席を受賞。この作品が[[1982年]](昭和57年)『[[花とゆめ]]』(白泉社)第4号に掲載され、デビュー。 なお、この作品は早紀シリーズ第1話として位置付けられている。 == 作品リスト == 発表年は掲載誌の号数に準拠。単行本は[[花とゆめコミックス]]、文庫版は白泉社文庫、愛蔵版はジェッツコミックスより刊行('''全て[[白泉社]]''')。 * 早紀シリーズ(1982年 - 1985年、『[[花とゆめ]]』・『[[別冊花とゆめ]]』) - [[単行本]]シリーズ計2巻・文庫版シリーズ計1巻 ** 単行本は『星は、すばる。』、『無限軌道』が刊行。 ** 文庫版は『星は、すばる。』が刊行。 * アクマくんシリーズ(1982年 - 1986年、『花とゆめ』) - 単行本シリーズ計7巻・文庫版シリーズ計4巻 ** 単行本は『アクマくんにお願い』、『アクマくん ぼくは天使になりたい』、『アクマくん ブラック・ミニオン』、『アクマくん 魔法★BITTER』全4巻が刊行。 ** 文庫版は『アクマくんにお願い』、『アクマくん ブラック・ミニオン』、『アクマくん 魔法★BITTER』全2巻が刊行。 * [[記憶鮮明|記憶鮮明シリーズ]](1984年 - 1999年、『花とゆめ』・『花ゆめEPO』・『別冊花とゆめ』) - 単行本シリーズ計2巻・文庫版シリーズ計1巻 ** 単行本は『記憶鮮明』、『偶然が残すもの』が刊行。 ** 文庫版は『記憶鮮明』が刊行。 * [[ぼくの地球を守って]](1986年 - 1994年、『花とゆめ』) - 単行本全21巻・文庫版全12巻・愛蔵版全10巻 * 未来のうてな(1994年 - 1999年、『花とゆめ』) - 単行本全11巻・文庫版全5巻 * 宇宙なボクら!(1999年 - 2001年、『花とゆめ』) - 単行本全4巻・文庫版全2巻 * [[GLOBAL GARDEN]](2001年 - 2005年、『花とゆめ』) - 単行本全8巻・文庫版全4巻 * [[ボクを包む月の光]] ─ぼく地球(タマ)次世代編─(2003年 - 2015年<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/132145|title=「ぼく地球」3rdステージへ突入、新章は「ぼくは地球と歌う」|publisher=コミックナタリー|date=2014-11-26|accessdate=2020-09-19}} {{ja icon}}</ref>、『別冊花とゆめ』・『花とゆめプラス』) - 単行本全15巻 * [[ぼくは地球と歌う]] ─ぼく地球(タマ)次世代編II─(2015年<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/142033|title=「ぼく地球」第3章開幕、ボク月の4年後に蓮が出会った美少女は|publisher=コミックナタリー|date=2015-03-26|accessdate=2020-09-19}} {{ja icon}}</ref> - 連載中、『別冊花とゆめ』・『[[MELODY (雑誌)|MELODY]]』) - 単行本既刊7巻(2021年10月5日現在) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == *{{Citation|和書|editor=村石憲一|date=1985-02-01 |title=まんが家23人筆記アンケート|journal=まんが情報誌[[ぱふ|月刊ぱふ]] 1985年2月号(通巻97号)|volume=11 |issue=2 |pages=13-29 |publisher=[[雑草社]] |ref={{SfnRef|村石憲一|1985}} }} *{{Citation|和書|editor=三浦修二|date=1994-10-01 |title=少女マンガ大特集|journal=まんが専門誌[[MOE (雑誌)|月刊MOE]] 1994年10月号(通巻180号)|volume=16 |issue=7 |pages=6-40 |publisher=[[白泉社]] |ref={{SfnRef|三浦修二|1994}} }} * {{Citation|和書|author=まんがseek・日外アソシエーツ編集部 共著|date=2003-02-25 |title=漫画家人名事典|pages=319 |publisher=[[日外アソシエーツ]] |isbn=4816917608 |ref={{SfnRef|日外アソシエーツ編集部|2003}}} }} == 外部リンク == * [https://blog.goo.ne.jp/purasunikki 日渡ぷらす日記 公式ブログ] {{ja icon}}(2010年4月9日 04時06分00秒 - ) * {{Twitter|hujisunsun_m7}} {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひわたり さき}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:川崎市立橘高等学校出身の人物]] [[Category:神奈川県出身の人物]] [[Category:1961年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:日渡早紀]]
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藤島康介
藤島 康介(ふじしま こうすけ、1964年7月7日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。男性。東京都生まれ、千葉県出身。千葉県立成東高等学校卒業。現在の妻はコスプレイヤー・タレントの御伽ねこむ。 1986年に『コミックモーニング』(講談社)掲載の「MAKING BE FREE!」でデビューし、同年に『モーニングパーティー増刊』(同)で開始した『逮捕しちゃうぞ』で連載デビュー。他に代表作として『ああっ女神さまっ』がある。『月刊アフタヌーン』(同)誌上において『トップウGP』を連載中(2021年3月現在)。 江川達也のアシスタントを経て、『コミックモーニング』(講談社)1986年8号掲載の「MAKING BE FREE!」でデビュー。 1986年より『モーニングパーティー増刊』(同)に『逮捕しちゃうぞ』、1988年より『月刊アフタヌーン』(同)に『ああっ女神さまっ』を連載。いずれも人気作となり、アニメ化、映画化されている。また『サクラ大戦シリーズ』『テイルズ オブ シリーズ』をはじめとするゲーム、アニメ作品のキャラクターデザインやイラストなどでも人気が高い。 2008年11月、『good!アフタヌーン』(同)初号にて、『ああっ女神さまっ』より20年振りの新連載『パラダイスレジデンス』が開始した。 2009年5月12日、『ああっ女神さまっ』で第33回講談社漫画賞一般部門を受賞。 子供の頃読んだ松本零士の漫画に影響を受け、漫画家を志すようになった。 1980年代前半の一時期に漫画情報誌『ぱふ』の編集者もしており、同誌で4コマ漫画『(ぱ)の洋子ちゃん』を南田 洋名義で連載していた。 南田名義では同人活動もしており、所属サークル名は「ワルキューレ」。同時期に千葉県内で初めて開催された同人誌即売会『ライブ・マガジン・フェスティバル(LMF)』の案内カタログに、スタッフ漫画を描いていたこともある。 オートバイマニアで、作品中でもバイクに関わる話が頻繁に描かれる。車もフェラーリ・360モデナ、ケーターハム、アルファロメオ・156、ロータス・エランS3(漫画家の田中むねよしより購入)を所有。自転車やプラモデルにも造詣が深い。 2014年に前妻と離婚。2016年6月29日、コスプレイヤー・タレントの御伽ねこむと再婚したと報じられた。なお、2016年7月21日発売のPlayStation 4用ロールプレイングゲーム『クロバラノワルキューレ Black Rose Valkyrie』は藤島がキャラクターデザインを務めており、御伽が一之宮ルナ役で声優として初出演している。 2016年7月7日、自身の誕生日であるこの日にTwitterで結婚を報告した。同年7月27日、前日26日に御伽との間に第一子が誕生したことを双方のTwitter及び御伽の公式ブログを通じて報告した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "藤島 康介(ふじしま こうすけ、1964年7月7日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。男性。東京都生まれ、千葉県出身。千葉県立成東高等学校卒業。現在の妻はコスプレイヤー・タレントの御伽ねこむ。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1986年に『コミックモーニング』(講談社)掲載の「MAKING BE FREE!」でデビューし、同年に『モーニングパーティー増刊』(同)で開始した『逮捕しちゃうぞ』で連載デビュー。他に代表作として『ああっ女神さまっ』がある。『月刊アフタヌーン』(同)誌上において『トップウGP』を連載中(2021年3月現在)。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "江川達也のアシスタントを経て、『コミックモーニング』(講談社)1986年8号掲載の「MAKING BE FREE!」でデビュー。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1986年より『モーニングパーティー増刊』(同)に『逮捕しちゃうぞ』、1988年より『月刊アフタヌーン』(同)に『ああっ女神さまっ』を連載。いずれも人気作となり、アニメ化、映画化されている。また『サクラ大戦シリーズ』『テイルズ オブ シリーズ』をはじめとするゲーム、アニメ作品のキャラクターデザインやイラストなどでも人気が高い。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2008年11月、『good!アフタヌーン』(同)初号にて、『ああっ女神さまっ』より20年振りの新連載『パラダイスレジデンス』が開始した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2009年5月12日、『ああっ女神さまっ』で第33回講談社漫画賞一般部門を受賞。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "子供の頃読んだ松本零士の漫画に影響を受け、漫画家を志すようになった。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1980年代前半の一時期に漫画情報誌『ぱふ』の編集者もしており、同誌で4コマ漫画『(ぱ)の洋子ちゃん』を南田 洋名義で連載していた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "南田名義では同人活動もしており、所属サークル名は「ワルキューレ」。同時期に千葉県内で初めて開催された同人誌即売会『ライブ・マガジン・フェスティバル(LMF)』の案内カタログに、スタッフ漫画を描いていたこともある。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "オートバイマニアで、作品中でもバイクに関わる話が頻繁に描かれる。車もフェラーリ・360モデナ、ケーターハム、アルファロメオ・156、ロータス・エランS3(漫画家の田中むねよしより購入)を所有。自転車やプラモデルにも造詣が深い。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "2014年に前妻と離婚。2016年6月29日、コスプレイヤー・タレントの御伽ねこむと再婚したと報じられた。なお、2016年7月21日発売のPlayStation 4用ロールプレイングゲーム『クロバラノワルキューレ Black Rose Valkyrie』は藤島がキャラクターデザインを務めており、御伽が一之宮ルナ役で声優として初出演している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "2016年7月7日、自身の誕生日であるこの日にTwitterで結婚を報告した。同年7月27日、前日26日に御伽との間に第一子が誕生したことを双方のTwitter及び御伽の公式ブログを通じて報告した。", "title": "人物" } ]
藤島 康介は、日本の漫画家、イラストレーター。男性。東京都生まれ、千葉県出身。千葉県立成東高等学校卒業。現在の妻はコスプレイヤー・タレントの御伽ねこむ。 1986年に『コミックモーニング』(講談社)掲載の「MAKING BE FREE!」でデビューし、同年に『モーニングパーティー増刊』(同)で開始した『逮捕しちゃうぞ』で連載デビュー。他に代表作として『ああっ女神さまっ』がある。『月刊アフタヌーン』(同)誌上において『トップウGP』を連載中(2021年3月現在)。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 藤島 康介 | 画像 = <!-- 画像ファイル名 --> | 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px --> | 脚注 = <!-- 画像の説明文 --> | 本名 = <!-- 必ず出典を付ける --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1964|7|7}} | 生地 = {{JPN}}・[[東京都]] | 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|1964|7|7|YYYY|YY|YY}} --> | 没地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 --> | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 職業 = [[漫画家]]<br>[[イラストレーター]] | 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 --> | 活動期間 = [[1986年]] - | ジャンル = | 代表作 = 『[[逮捕しちゃうぞ]]』<br>『[[ああっ女神さまっ]]』 | 受賞 = 第33回[[講談社漫画賞]]一般部門(『ああっ女神さまっ』) | サイン = <!-- 画像ファイル名 --> | 公式サイト = <!-- 公式ホームページのURLとページ名を記入。 --> }} '''藤島 康介'''(ふじしま こうすけ、[[1964年]][[7月7日]]<ref name="gazoo">{{Cite web|和書|url=https://gazoo.com/article/manga/160215.html |title=漫画「逮捕しちゃうぞ」の作者 “藤島康介” に聞いたクルマの魅力 |accessdate=2020-09-22 |author=渡邊智昭 |date=2016-02-15 |website=GAZOO |publisher=[[トヨタ自動車]]}}</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[イラストレーター]]。男性。[[東京都]]生まれ、[[千葉県]]出身。[[千葉県立成東高等学校]]卒業<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.dotline-jp.com/evaluation/%E5%8D%83%E8%91%89%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E6%88%90%E6%9D%B1%E9%AB%98%E6%A0%A1%E3%81%A7%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%81%B7%E6%A5%AD%E7%A0%94%E7%A9%B6%E8%AC%9B%E6%BC%94%E4%BC%9A%E3%81%AB/ |title=千葉県立成東高校で開催された職業研究講演会に当社CEOの 垣本祐作が講師として登壇しました。 |accessdate=2020-09-22 |date=2019-10-18 |publisher=[[ドットライン|ドットライングループ]]}}</ref>。現在の妻は[[コスプレ|コスプレイヤー]]・[[タレント]]の[[御伽ねこむ]]<ref name="結婚"/><ref name="結婚2"/>。 [[1986年]]に『[[コミックモーニング]]』([[講談社]])掲載の「MAKING BE FREE!」でデビューし、同年に『モーニングパーティー増刊』(同)で開始した『[[逮捕しちゃうぞ]]』で連載デビュー。他に代表作として『[[ああっ女神さまっ]]』がある。『[[月刊アフタヌーン]]』(同)誌上において『トップウGP』を連載中(2021年3月現在)。 == 来歴 == [[江川達也]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を経て<ref name="gazoo" />、『[[モーニング (漫画雑誌)|コミックモーニング]]』([[講談社]])[[1986年]]8号掲載の「MAKING BE FREE!」でデビュー。 [[1986年]]より『モーニングパーティー増刊』(同)に『[[逮捕しちゃうぞ]]』、[[1988年]]より『[[月刊アフタヌーン]]』(同)に『[[ああっ女神さまっ]]』を連載。いずれも人気作となり、アニメ化、映画化されている。また『[[サクラ大戦シリーズ]]』『[[テイルズ オブ シリーズ]]』をはじめとするゲーム、アニメ作品のキャラクターデザインやイラストなどでも人気が高い{{要出典|date=2018年3月}}。 [[2008年]]11月、『[[good!アフタヌーン]]』(同)初号にて、『ああっ女神さまっ』より20年振りの新連載『[[パラダイスレジデンス]]』が開始した。 [[2009年]][[5月12日]]、『ああっ女神さまっ』で第33回[[講談社漫画賞]]一般部門を受賞<ref>{{Cite web|和書|date=2009-05-12|url=https://archive.is/j5Nzi|title=講談社漫画賞に5作品 藤島康介さんらが受賞|publisher=47NEWSアーカイブ|accessdate=2016-07-04}}</ref>。 == 人物 == {{出典の明記|date=2020年9月|section=1}} 子供の頃読んだ[[松本零士]]の漫画に影響を受け<ref name="gazoo" />、漫画家を志すようになった。 [[1980年代]]前半の一時期に[[漫画情報誌]]『[[ぱふ]]』の編集者もしており<ref>{{Cite news |和書|title=藤島康介さん、御伽ねこむさんと結婚 人気漫画家が「日本一可愛いコスプレイヤー」と31歳差婚 |newspaper=[[The Huffington Post]] |date=2016-06-28 |author=安藤健二 |url=https://www.huffingtonpost.jp/2016/06/28/nekomu_n_10726008.html |accessdate=2020-09-22}}</ref>、同誌で[[4コマ漫画]]『(ぱ)の洋子ちゃん』を'''南田 洋'''名義で連載していた。 南田名義では同人活動もしており、所属サークル名は「ワルキューレ」。同時期に千葉県内で初めて開催された同人誌即売会『ライブ・マガジン・フェスティバル(LMF)』の案内カタログに、スタッフ漫画を描いていたこともある。 [[オートバイ]]マニアで、作品中でもバイクに関わる話が頻繁に描かれる。車も[[フェラーリ・360モデナ]]、[[ケーターハム]]、[[アルファロメオ・156]]、[[ロータス・エラン]]S3(漫画家の[[田中むねよし]]より購入)を所有。[[自転車]]や[[プラモデル]]にも造詣が深い。 [[2014年]]に前妻と離婚<ref>{{Cite journal |和書|title=漫画家・藤島康介氏、御伽ねこむとの結婚背景でラブコメには描けない泥沼法廷闘争 |date=2017-11-08 |publisher=主婦と生活社 |journal=週刊女性 |issue=2017年11月21日号 |url=https://www.jprime.jp/articles/-/11011 |accessdate=2020-06-19}}</ref>。[[2016年]][[6月29日]]、[[コスプレイヤー]]・[[タレント]]の[[御伽ねこむ]]と再婚したと報じられた<ref name="結婚">{{Cite news |和書|title=コスプレ御伽ねこむ、漫画家藤島康介氏と31歳差婚 |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2016年6月29日 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1670302.html |accessdate=2020-06-19}}</ref>。なお、[[2016年]][[7月21日]]発売の[[PlayStation 4]]用[[コンピュータRPG|ロールプレイングゲーム]]『[[クロバラノワルキューレ|クロバラノワルキューレ Black Rose Valkyrie]]』は藤島がキャラクターデザインを務めており、御伽が一之宮ルナ役で声優として初出演している<ref>{{Cite news |和書|url=http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160629-OHT1T50078.html |title=天然おっぱいコスプレイヤー・御伽ねこむ、結婚&妊娠…藤島康介氏と31歳差婚 |newspaper=[[スポーツ報知]] |date=2016年6月29日 |accessdate=2016年6月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170311015215/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160629-OHT1T50078.html |archivedate=2017年3月11日}}</ref>。 2016年[[7月7日]]、自身の誕生日であるこの日にTwitterで結婚を報告した<ref name="結婚2">{{Twitter status2|fujishimakosuke|750910940518854656|2016年7月7日13時34分|accessdate=2016-7-7}}</ref>。同年7月27日、前日26日に御伽との間に第一子が誕生したことを双方のTwitter及び御伽の公式ブログを通じて報告した<ref>{{Twitter status2|fujishimakosuke|758104694602407936|2016年7月27日10時00分|accessdate=2016-8-5}}</ref>。 == 作品リスト == === 漫画作品 === * (ぱ)の洋子ちゃん(4コマ漫画、漫画情報誌『[[ぱふ]]』、[[雑草社]])※'''南田 洋'''名義 * [[逮捕しちゃうぞ]](1986年 - 1992年、『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]・パーティー増刊』、[[講談社]]、単行本全7巻、新装版全5巻) * [[ああっ女神さまっ]](1988年 - 2014年、『[[月刊アフタヌーン]]』、講談社、全48巻) * STRIKER THE SHINING STAR(1993年、『週刊モーニング』No.11、No.38、講談社、全1巻{{要出典|date=2021年1月}}) * [[パラダイスレジデンス]](2008年 - 2012年、2014年 - 2016年、『[[good!アフタヌーン]]』→『月刊アフタヌーン』、講談社、全4巻) * トップウGP(2016年 - 連載中、『[[月刊アフタヌーン]]』、講談社、既刊12巻) === キャラクターデザイン等 === * [[甲竜伝説ヴィルガスト]](1992年 - 1993年、OVA) - キャラクター原案 * [[ああっ女神さまっ]](1993年 - 2014年) - スーパーバイザー、OVAの最終話のみ絵コンテ * [[機動警察パトレイバー 2 the Movie]](1993年、劇場アニメ) - メカニックデザイン協力。『[[ミニパト]]』のラフデザインを担当。 * [[銀河お嬢様伝説ユナ]](1995年 - 1998年、ゲーム) - プリンセス・ミラージュのキャラクターデザイン * [[テイルズ オブ シリーズ]](ゲーム) - キャラクター原案 ** [[テイルズ オブ ファンタジア]](1995年) ** [[テイルズ オブ ファンタジア なりきりダンジョン]](2000年) ** [[テイルズ オブ シンフォニア]](2003年) ** [[テイルズ オブ ジ アビス]](2005年) ** [[テイルズ オブ シンフォニア -ラタトスクの騎士-]](2008年) ** [[テイルズ オブ ヴェスペリア]](2008年) ** [[テイルズ オブ ファンタジア なりきりダンジョンX]](2010年) ** [[テイルズ オブ エクシリア]](2011年) ** [[テイルズ オブ エクシリア2]](2012年) ** [[テイルズ オブ シンフォニア ユニゾナントパック]](2013年) ** [[テイルズ オブ ゼスティリア]](2015年) ** [[テイルズ オブ ベルセリア]](2016年) ** [[テイルズ オブ ザ レイズ]](2017年) ** [[テイルズ オブ クレストリア]](2020年) * [[サクラ大戦シリーズ]](1996年 - 2008年、ゲーム) - キャラクター原案。他に武器の考案なども行なった。 ** [[サクラ大戦 (テレビアニメ)|サクラ大戦]](2000年) - キャラクター原案 ** [[サクラ大戦 活動写真]](2001年) - キャラクター原案 * [[エクスドライバー]](2000年 - 2001年、OVA) - 企画、キャラクター原案 * [[ガングレイヴ]](2002年、ゲーム) - メカニックデザイン * [[PIANO (アニメ)|PIANO]](2002年 - 2003年、テレビアニメ) - キャラクターデザイン * [[キャラ☆メル]](2007年 - 2009年、雑誌) - 雑誌オリジナルキャラクター「メル」 * [[クロバラノワルキューレ]](2016年、ゲーム) - キャラクターデザイン。妻の御伽ねこむは本作が声優初出演。 * パラダイスレジデンスシリーズ(小説版、著:[[野梨原花南]]、[[講談社ラノベ文庫]]、講談社、全2巻) - 原作 === アンソロジー === * [[To Heart]] アンソロジーMAX(2000年2月18日、[[ティーツー出版]]){{ISBN2|4-88749-046-1}} - カバーイラスト、イラスト、[[髙橋龍也]]・[[水無月徹]]との対談が掲載 === 挿絵 === * [[ユミナ戦記]]([[吉岡平]])※'''春巻秋水'''名義 * 早川通信(早田カメラ店) * 少年名探偵虹北恭助の冒険([[はやみねかおる]]) === 新書 === * 漫画描き方入門じゃありません(2009年6月10日、アフタヌーン新書、講談社){{ISBN2|978-4-06-364773-0}} - 『 [[ああっ女神さまっ]]』連載20週年記念出版。自身の創作活動について書かれたもの === 連載コラム === * おとなのえんそく。(『[[グランドジャンプ]]』、[[集英社]]) === その他 === * 『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]] 超こち亀』 連載30周年特別寄稿 1ページトリビュート漫画(2006年) * PRIUS PHVenus「ソーラーパネル」(2017年)<ref>{{Cite web|和書|url=http://comic-sp.kodansha.co.jp/priusphv-phvenus/|title=作 藤島康介×ソーラーパネル|publisher=PRIUS PHVenus|accessdate=2017-09-14}}</ref> == その他の活動 == * [[講談社漫画賞]]・選考委員 - 第35回(2011年)から第39回(2015年)まで == 関連人物 == ; [[よしづきくみち]] : 元アシスタント<ref>{{Cite book |和書 |year=2008 |title=よしづきくみち画集 〜Calendar Film〜 |publisher=[[富士見書房]] |page=105 |isbn=978-4-8291-7670-2}}</ref>。 ; [[砂倉そーいち]] : アシスタント時代の友人。 <!--* [[げーむじん]] * [[キャラ☆メル]]--> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Twitter|fujishimakosuke|藤島康介}} {{normdaten}} {{デフォルトソート:ふししま こうすけ}} [[Category:藤島康介|*]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本のイラストレーター]] [[Category:千葉県立成東高等学校出身の人物]] [[Category:千葉県出身の人物]] [[Category:1964年生]] [[Category:存命人物]]
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山下和美
山下 和美(やました かずみ、1959年8月15日 - )は、日本の漫画家。北海道小樽市出身。女性。神奈川県立希望ヶ丘高等学校卒業。横浜国立大学教育学部中退。 1980年、『週刊マーガレット』(集英社)でデビュー。当初は少女漫画誌で活動していたが、その後は青年漫画誌である『モーニング』(講談社)に活動の場を移して人気を博す。代表作に、大学教授の父親・古瀬大六を主人公のモデルとした『天才柳沢教授の生活』、マーク・トウェインの同名の小説から着想を得た『不思議な少年』など。2003年、『天才柳沢教授の生活』で第27回(平成15年度)講談社漫画賞一般部門を受賞。 2011年時点、『モーニング』と『モーニング・ツー』以外では、『YOU』(集英社)で『寿町美女御殿』を経て、『数寄です!』を掲載している。 2021年3月より画業40周年を記念して「山下和美 画業40周年記念原画展」開催。 2021年4月、『ランド』で第25回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "山下 和美(やました かずみ、1959年8月15日 - )は、日本の漫画家。北海道小樽市出身。女性。神奈川県立希望ヶ丘高等学校卒業。横浜国立大学教育学部中退。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1980年、『週刊マーガレット』(集英社)でデビュー。当初は少女漫画誌で活動していたが、その後は青年漫画誌である『モーニング』(講談社)に活動の場を移して人気を博す。代表作に、大学教授の父親・古瀬大六を主人公のモデルとした『天才柳沢教授の生活』、マーク・トウェインの同名の小説から着想を得た『不思議な少年』など。2003年、『天才柳沢教授の生活』で第27回(平成15年度)講談社漫画賞一般部門を受賞。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2011年時点、『モーニング』と『モーニング・ツー』以外では、『YOU』(集英社)で『寿町美女御殿』を経て、『数寄です!』を掲載している。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2021年3月より画業40周年を記念して「山下和美 画業40周年記念原画展」開催。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2021年4月、『ランド』で第25回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。", "title": "経歴" } ]
山下 和美は、日本の漫画家。北海道小樽市出身。女性。神奈川県立希望ヶ丘高等学校卒業。横浜国立大学教育学部中退。
{{別人|山下友美}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 山下 和美 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{JPN}} [[北海道]][[小樽市]] | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1959|8|15}}<ref name="nataprof" /> | 没年 = | ジャンル = [[少女漫画]]<br />[[青年漫画]] | 活動期間 = [[1980年]] - | 職業 = [[漫画家]] | 公式サイト = [https://ameblo.jp/y-tamarin/ タマリン日記] | 代表作 = 『[[天才柳沢教授の生活]]』<br />『[[不思議な少年 (漫画)|不思議な少年]]』<br />『ランド』 | 受賞 = 第27回[[講談社漫画賞]]<br />(『天才柳沢教授の生活』にて)<br />第25回[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞<br />(『ランド』にて) }} '''山下 和美'''(やました かずみ、[[1959年]][[8月15日]]<ref name="nataprof">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/artist/1999|title=コミックナタリー - 山下和美のプロフィール|publisher=株式会社ナターシャ | accessdate = 2013-03-22 }}</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[北海道]][[小樽市]]<ref name="nataprof" />出身。[[女性]]。[[神奈川県立希望ヶ丘高等学校]]卒業<ref>{{Cite web|和書|title=ウィンウィン対談 渋谷和宏さん 褒めて部下を伸ばす 編集長の相手の心を開くスキルとは|url=http://www.ewoman.co.jp/winwin/101/2/3|website=www.ewoman.co.jp|accessdate=2020-03-10}}</ref>。[[横浜国立大学]]<ref name="nataprof" />教育学部<ref>{{Cite web|和書|title=【インタビュー】漫画家に大切なこと~山下和美さんの新人時代に学ぶ~|url=https://www.clipstudio.net/oekaki/archives/151873|website=イラスト・マンガ描き方ナビ|accessdate=2020-03-10|language=ja}}</ref>中退。 == 経歴 == [[1980年]]、『[[マーガレット (雑誌)|週刊マーガレット]]』([[集英社]])でデビュー。当初は[[少女漫画]]誌で活動していたが、その後は[[青年漫画]]誌である『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』([[講談社]])に活動の場を移して人気を博す。代表作に、大学教授の父親・[[古瀬大六]]<ref>『モーニング』の読者欄のフォーラムでは、古瀬大六は[[長崎県]][[南高来郡]][[安中村 (長崎県)|安中村]](現在の[[島原市]])が本籍である、と山下本人がコメントを出している([[ノート:山下和美|ノート]]参照)。その古瀬は2007年に逝去したと、『モーニング』の欄外近況で山下がコメントした。</ref>を主人公のモデルとした『[[天才柳沢教授の生活]]』、[[マーク・トウェイン]]の同名の小説から着想を得た『[[不思議な少年 (漫画)|不思議な少年]]』など。[[2003年]]、『天才柳沢教授の生活』で第27回([[平成]]15年度)[[講談社漫画賞]]一般部門を受賞。 2011年時点、『モーニング』と『[[モーニング・ツー]]』以外では、『[[YOU (雑誌)|YOU]]』([[集英社]])で『[[寿町美女御殿]]』を経て、『[[数寄です!]]』を掲載している。 2021年3月より画業40周年を記念して「山下和美 画業40周年記念原画展」開催<ref>{{Cite news|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|url=https://natalie.mu/comic/news/420051|title=山下和美の画業40周年を記念した原画展、「天才柳沢教授の生活」など90点を展示|date=2021-03-14|accessdate=2021-03-14}}</ref>。 2021年4月、『ランド』で第25回[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞を受賞<ref>{{Cite news|newspaper=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞社|url=https://www.asahi.com/articles/ASP4Q63VHP49UCVL025.html|title=マンガ大賞に「ランド」、特別賞は鬼滅 手塚治虫文化賞|date=2021-04-28|accessdate=2021-04-28}}</ref>。 == 逸話 == *学生時代から[[ロック (音楽)|ロック]]が大好きで、学生時代は[[ディープ・パープル]]や[[レインボー (バンド)|レインボー]]、特に[[リッチー・ブラックモア]]のファンである事を音楽評論家の[[酒井康]]との対談(酒井康著『虹色の音詞II』より)で明かしており、[[レインボー・オン・ステージ|ライブアルバム]]にもなったレインボーの初来日公演([[日本武道館]])も見に行っている。それ以外では[[ジェスロ・タル]]や[[矢沢永吉]]のファンであり、基本的にジャンルは問わないとのことだが、[[イアン・ギラン]]が[[ラップ]]に挑戦したことだけは許せなかったという。 *『天才柳沢教授の生活』の柳沢家と同じく4人姉妹であり末っ子。<!--また、柳沢良則教授の末娘の柳沢世津子は山下本人がモデルと思われる。--><!--根拠はなんでしょうか-->上の姉2人も一時期漫画家として活動しており、漫画の技術は2人の姉を見て自然に身についたという。 *[[オナニーマシーン]]のギタリストであるオノチンは山下の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]でもある。 *『週刊マーガレット』時代、新連載の準備中に[[脳梗塞]]で入院。後遺症で現在も視野の右側が見えないという<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.moae.jp/comic/dasakuteiinda/2/1 |title=ダサくていいんだ! 【第2話】デビューはしたけれど|publisher=Webコミックサイト モアイ |accessdate=2015-07-18}}</ref>。 *[[東京都]][[世田谷区]][[豪徳寺 (地名)|豪徳寺]]の[[洋館]](旧[[尾崎行雄]]邸)保存運動を近隣住民らと2020年に始め、同業だが付き合いがなかった[[笹生那実]]・[[新田たつお]]夫妻の協力を得て実現させた。経緯を描いた漫画「世田谷イチの洋館の家主になる」を2021年より『[[グランドジャンプ]]』にて連載中<ref>[https://mainichi.jp/articles/20201206/ddm/041/040/110000c 「憲政の神様」の洋館 残った/東京・世田谷 旧尾崎行雄邸/人気漫画家ら資金提供 買い取り成功]『[[毎日新聞]]』朝刊2020年12月6日(社会面)2020年12月8日閲覧</ref>。 == 作品リスト == * BOY 全2巻 * カーニバル 全1巻 * さようなら…あなた 全1巻 * 1億1千万のわたし 全1巻 * あざやかな星たち(マーガレットコミックス)全2巻 * スカイブルーへようこそ 全1巻 * ゴーストタウンに星が降る 全1巻 * ダンディーとわたし 全9巻 * [[天才柳沢教授の生活]](『モーニング』、講談社)既刊34巻 ** 天才柳沢教授 孫・華子との生活 Special Short Short(『[[朝日新聞]]』東京本社版夕刊)※上記の[[スピンオフ]]作品 * [[不思議な少年 (漫画)|不思議な少年]](『モーニング』→『モーニング・ツー』→『モーニング』、講談社)既刊9巻 * [[ランド (漫画)|ランド]](『モーニング』、講談社)全11巻 * ツイステッド・シスターズ(『モーニング』、講談社)既刊5巻 * ハイスクール・コネクション 全4巻 * [[ゴースト・ラプソディー]](講談社漫画文庫・全2巻、ヤングユーコミックス・全4巻) * 摩天楼のバーディー 全8巻 * ガールフレンズ(ヤングユーコミックスワイド版、[[集英社]]) * [[天使みたい]] -ガールフレンズ- 1(クイーンズコミックス、集英社) * 白い花 紅い華 -ガールフレンズ- 2(クイーンズコミックス、集英社) * ふたりでお茶を 全1巻 * グラサンららばい(マーガレットコミックス)全2巻 * [[寿町美女御殿]](『YOU』、集英社)全4巻 * [[数寄です!]](『YOU』、集英社)全3巻 ** 続 数寄です! 全2巻 * 世田谷イチ古い洋館の家主になる(『[[グランドジャンプ]]』、集英社) 全3巻 === アンソロジー === * [[東日本大震災]]チャリティー漫画本 PARTY! HANA<ref group="注">計36人の作家による作品。</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://marga2011charity.blog.fc2.com/ |title=PARTY!〜東日本大震災チャリティー漫画本〜HP|author=[[ななじ眺]]・[[葉月めぐみ]] |accessdate=2016-06-05}}</ref>(2011年8月5日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mediapal.co.jp/book/201/ |title=東日本大震災チャリティー漫画本 PARTY! HANA|山下 和美他|チャリティー漫画本|出版案内 |publisher=株式会社メディアパル |accessdate=2016-06-05}}</ref>、メディアパル、{{ISBN2|978-4-89610-201-7}}) ** 天才柳沢教授の生活 番外編<ref>{{Cite web|和書|date=2011-07-18 |url=https://natalie.mu/comic/news/53232 |title=「君届」番外編も!マーガレット作家によるチャリティ本|work=コミックナタリー |publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|株式会社ナターシャ]] |accessdate=2016-06-05}}</ref> == その他の活動 == * [[講談社漫画賞]]・選考委員 - 第39回(2015年)から第41回(2017年)まで == 関連番組 == * [[BSマンガ夜話]]「天才柳沢教授の生活」(2000年7月31日、[[NHK BS2]]) - 本人出演なし。ゲストは[[東野幸治]]と[[山田五郎]]。 == 関連人物 == * [[蔵田徹也]] * [[古瀬大六]](父親) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://ameblo.jp/y-tamarin/ タマリン日記](オフィシャルブログ) * {{Twitter|kazumiyamashita}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{デフォルトソート:やました かすみ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:新聞連載の漫画家]] [[Category:神奈川県立希望ケ丘高等学校出身の人物]] [[Category:北海道出身の人物]] [[Category:1959年生]] [[Category:存命人物]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E5%92%8C%E7%BE%8E
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和田慎二
和田 慎二(わだ しんじ、本名:岩本 良文(いわもと よしふみ)、1950年4月19日 - 2011年7月5日)は、日本の漫画家。広島県呉市出身。代表作『スケバン刑事』はTVドラマ化・映画化もされるなど高い人気を得た。その他の代表作に『超少女明日香』、『怪盗アマリリス』、『ピグマリオ』、『少女鮫』などがある。漫画原作者・挿絵画家としての仕事も手がけた。 1971年、東海大学在学時に「パパ!」(『別冊マーガレット』9月号)でデビュー。 大学卒業後の1974年に作品『キャベツ畑でつまずいて』の中で、日本で最初に「ロリータ・コンプレックス」という言葉を使ったといわれている。 集英社『別冊マーガレット』、白泉社『花とゆめ』などの少女誌で主に執筆していたが、『少女鮫』の終了後、少年誌やミステリー・ホラー誌などを中心に執筆。その後、白泉社と決裂して版権を引き上げ、メディアファクトリーから新作や過去の代表作を新装出版した。 2011年7月5日、虚血性心疾患のため自宅で死去。61歳没。秋田書店の月刊少女漫画誌『ミステリーボニータ』にて連載中だった『傀儡師リン』(コミックス既刊14巻まで)が遺作となった。 ジャンルは少女漫画に分類されるが、作風としては壮大なファンタジーに加えて大胆なアクションを取り入れたものが多い。 『スケバン刑事』は根強い人気がある作品であり、コミックは累計で2000万部を超えている。また、実写作品としてシリーズでテレビドラマ化されている。1985年にフジテレビと東映の制作により主人公・麻宮サキを斉藤由貴が演じた第1シリーズは和田の意向がほとんど反映されず、和田自身が納得のいく内容ではなかったが高視聴率作品となった。以後、麻宮サキ役は南野陽子、浅香唯が演じてこれらのシリーズも高視聴率を記録し映画版も作成されるなど好評だった。なお、和田は『II』のみ好意的な評価を下している。テレビシリーズ3作目において、和田は「ただのスケバンが強い敵を倒すのが『スケバン刑事』の面白さだ。スーパーヒーローものがやりたければ他でやれ!」「自分の為だけに闘うヒロインがあるか? なぜ学生刑事が生まれてきたのかを理解していない!」と激怒し、その後は『スケバン刑事』の新作のオファーが来ても断っていた。しかし主役が大ファンだった「あやや」ならということで映画化を許諾し、テレビシリーズ終了後の2006年には4代目となる主人公・麻宮サキを松浦亜弥が主演、深作健太監督作品として映画化された。 和田の作品には、一度出演したキャラクターが後の作品で再登場する例がたびたびある。 例として、代表作の『スケバン刑事』では神恭一郎、海堂美尾、沼重三、スガちゃんなど。これらのキャラクターは彼の他の作品にも登場しており、特に神恭一郎は和田がデビュー当時より執筆を続けていた単発読切シリーズの一つである『神恭一郎シリーズ』の主人公である(なお、『スケバン刑事』の第二部は、『神恭一郎シリーズ』の完結編という意味合いも持つ)。『スケバン刑事』終了後は神は死亡したとして、同作品のキャラクターだったムウ・ミサが探偵事務所を引き継いだ。沼重三は『大逃亡』ではヒロインの江木真里亜を追い詰める保護司として悪役を演じていたが、ヒロイン・麻宮サキの担任教師となった『スケバン刑事』では彼が真里亜の墓参りをする場面が存在し、物語が地続きであることが明かされる。さらに沼重三は作中で出会った渡辺由梨を妻に迎えた後、彼女とともに『超少女明日香シリーズ』にも出演している。スガちゃんは、『スケバン刑事』後は『怪盗アマリリス』で主人公宅のお手伝いさんとしてレギュラー出演している。「シリーズ 風がめざめる時代(とき)」三部作の藤野病院とその院長である藤野医師は『スケバン刑事』、『怪盗アマリリス』にも同様の役柄で登場する。 和田自身もデビュー初期の兄貴シリーズから、漫画家の「岩田慎二(いわた しんじ)」通称「岩(がん)さん」や「ヒゲクマ」の名で劇中に登場している。また、実写でも『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』の劇場版『スケバン刑事』(1987年)においてヨーヨー売りのおじさん役でカメオ出演している。 和田は、手塚治虫のスター・システムを積極的に継承している漫画家のひとりである。しかも、人間の顔に関する二通りの考え方(「顔が似ているから性格も似ている」と「顔は同じであるが性格はまったく違う」)のどちらも取り入れている。例えば、『怪盗アマリリス』の黒沢ゆかりと『超少女明日香 黄金のドクロが笑う』の黒百合島のアッパラパー娘は同じ性格・同じ役割を持つのに対し、『恐怖の復活』の鳴海麻矢と『スケバン刑事』の鳴海碧子は、まるで違う役柄を演じ分けた例である。『少女鮫』の石動医師と『Lady Midnight』の木場刑事、『怪盗アマリリス』の麻丘社長と『傀儡師リン』のバイオリニスト麻丘雅(これに関しては名前が一緒)も、一人の役者が異なる役を演じていると考えることができる。海堂美緒は『バラの追跡』では神の親友・西園寺京吾を父の敵として闘うが、『バラの迷路』では夫婦であり敵という関係になっている。 なお、『愛と死の砂時計』では一見正直者だが、実際は強欲な老人だった用務員が『スケバン刑事』ではサキの母ナツの昔馴染であり、サキのおしめを替えたこともあると語る好々爺として描かれた。『超少女明日香』に登場する芙蓉夫人のスパイ・八雲は、『スケバン刑事』では信楽老の部下、『怪盗アマリリス』では、マナベプロの新社長・八雲翔、『傀儡師リン』では、阿積美保の弟・阿積八雲として出演した。『呪われた孤島』で悪魔の女医・日下部亜矢の悪行を知りながら愛する助手・遠藤は『騎士よ...』ではドン・キホーテ(と自らを思い込んでいる月面基地司令官)のお供として活躍を見せた。 また、当時の『マーガレット』や『花とゆめ』の漫画家たちとコラボレーションしていた事もある(例:『スケバン刑事』と『ガラスの仮面』美内すずえ、『超少女明日香』と『紅い牙』柴田昌弘など)。
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和田 慎二は、日本の漫画家。広島県呉市出身。代表作『スケバン刑事』はTVドラマ化・映画化もされるなど高い人気を得た。その他の代表作に『超少女明日香』、『怪盗アマリリス』、『ピグマリオ』、『少女鮫』などがある。漫画原作者・挿絵画家としての仕事も手がけた。
{{別人|和田愼司|x1= 元石川県小松市長の}} {{複数の問題 |独自研究=2018年5月12日 (土) 16:57 (UTC) |出典の明記=2018年5月12日 (土) 16:57 (UTC) }} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 和田 慎二 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = 岩本 良文 | 生地 = {{JPN}}・[[広島県]][[呉市]] | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1950|4|19|no}} | 没年 = {{死亡年月日と没年齢|1950|4|19|2011|7|5}} | 没地 = | 職業 = [[漫画家]]・[[漫画原作者]] | 活動期間 = [[1971年]] - [[2011年]] | ジャンル = [[少女漫画]] | 代表作 = 『[[超少女明日香]]』シリーズ<br />『[[怪盗アマリリス]]』<br />『[[ピグマリオ]]』<br />『[[スケバン刑事]]』など | 受賞 = | 公式サイト = }} '''和田 慎二'''(わだ しんじ、本名:岩本 良文(いわもと よしふみ)、[[1950年]][[4月19日]] - [[2011年]][[7月5日]]<ref>{{Cite web|和書|title=漫画家の和田慎二氏が死去|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0602H_W1A700C1CC1000/|website=日本経済新聞|date=2011-07-06|accessdate=2021-06-29|language=ja}}</ref>)は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[広島県]][[呉市]]出身<ref name="四国新聞">{{Cite web|和書|title=漫画家の和田慎二さんが死去/「スケバン刑事」の作者|url=https://www.shikoku-np.co.jp/national/culture_entertainment/20110706000310|website=四国新聞社|accessdate=2021-06-29}}</ref>。代表作『[[スケバン刑事]]』はTVドラマ化・映画化もされるなど高い人気を得た<ref name="知恵蔵">{{Cite Kotobank|word=和田慎二|encyclopedia=朝日新聞出版発行「知恵蔵」|accessdate=2021年9月24日}}</ref>。その他の代表作に『[[超少女明日香]]』、『[[怪盗アマリリス]]』、『[[ピグマリオ]]』、『[[少女鮫]]』などがある<ref name="知恵蔵" />。[[漫画原作者]]・挿絵画家としての仕事も手がけた。 == 略歴 == [[1971年]]、[[東海大学]]在学時に「パパ!」(『[[別冊マーガレット]]』9月号)でデビュー<ref name="四国新聞" />。 大学卒業後の[[1974年]]に作品『キャベツ畑でつまずいて』の中で、日本で最初に「[[ロリータ・コンプレックス]]」という言葉を使ったといわれている<ref>[http://www.hp-alice.com/lcj/ronbun/article2004.pdf 日本のサブカルチャーにおける 《ルイス・キャロル=ロリータ・コンプレックス》]</ref><ref>{{Citation | 和書 | author = [[藤本由香里]] | contribution = 実録!「生き字引」伝説 | title = [[米澤嘉博|米澤嘉博に花束を]] | publisher = 虎馬書房 | date = 2007-08-19 | page = 52-53 }}</ref>。 [[集英社]]『別冊マーガレット』、[[白泉社]]『[[花とゆめ]]』などの少女誌で主に執筆していたが、『少女鮫』の終了後、少年誌やミステリー・ホラー誌などを中心に執筆。その後、白泉社と決裂して版権を引き上げ、[[メディアファクトリー]]から新作や過去の代表作を新装出版した。 {{Wikinews|訃報 和田慎二氏 - 漫画家 「スケバン刑事」など}} [[2011年]][[7月5日]]、[[虚血性心疾患]]のため自宅で死去<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201107/2011070600523 時事ドットコム:漫画家の和田慎二氏死去]{{リンク切れ|date=2021年9月}}</ref>。61歳没<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110706-OYT1T00412.htm 「スケバン刑事」漫画家の和田慎二さん死去]{{リンク切れ|date=2021年9月}} 読売新聞 2011年7月6日閲覧</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20110709213158/http://www.47news.jp/CN/201107/CN2011070601000448.html 漫画家の和田慎二さんが死去「スケバン刑事」の作者]{{リンク切れ|date=2021年9月}} 共同通信 2011年7月10日閲覧</ref>。[[秋田書店]]の月刊少女漫画誌『[[ミステリーボニータ]]』にて連載中だった『[[傀儡師リン]]』(コミックス既刊14巻まで)が遺作となった<ref name="四国新聞" />。 == 作品について == ジャンルは[[少女漫画]]に分類されるが、作風としては壮大な[[ファンタジー]]に加えて大胆なアクションを取り入れたものが多い。 === スケバン刑事 === 『[[スケバン刑事]]』は根強い人気がある作品であり、コミックは累計で2000万部を超えている。また、実写作品としてシリーズで[[テレビドラマ]]化されている。[[1985年]]に[[フジテレビジョン|フジテレビ]]と[[東映]]の制作により主人公・麻宮サキを[[斉藤由貴]]が演じた第1シリーズは和田の意向がほとんど反映されず、和田自身が納得のいく内容ではなかったが高視聴率作品となった。以後、麻宮サキ役は[[南野陽子]]、[[浅香唯]]が演じてこれらのシリーズも高視聴率を記録し映画版も作成されるなど好評だった。なお、和田は『[[スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説|II]]』のみ好意的な評価を下している。テレビシリーズ3作目において、和田は「'''ただの'''スケバンが強い敵を倒すのが『スケバン刑事』の面白さだ。スーパーヒーローものがやりたければ他でやれ!」「自分の為だけに闘うヒロインがあるか? なぜ学生刑事が生まれてきたのかを理解していない!」と激怒し<ref>和田慎二「メイキング・オブ スケバン刑事 PART10」『スケバン刑事 10巻 青き狼の群れ』白泉社文庫、1995年</ref>、その後は『スケバン刑事』の新作のオファーが来ても断っていた。しかし主役が大ファンだった「あやや」ならということで映画化を許諾し、テレビシリーズ終了後の[[2006年]]には4代目となる主人公・麻宮サキを[[松浦亜弥]]が主演、[[深作健太]]監督作品として映画化された。 === 登場人物 === 和田の作品には、一度出演したキャラクターが後の作品で再登場する例がたびたびある。 {{Main|スター・システム (小説・アニメ・漫画)#漫画・アニメーション (日本)}} 例として、代表作の『スケバン刑事』では[[神恭一郎]]、海堂美尾、沼重三、スガちゃんなど。これらのキャラクターは彼の他の作品にも登場しており、特に神恭一郎は和田がデビュー当時より執筆を続けていた単発読切シリーズの一つである『神恭一郎シリーズ』の主人公である(なお、『スケバン刑事』の第二部は、『神恭一郎シリーズ』の完結編という意味合いも持つ)。『スケバン刑事』終了後は神は死亡したとして、同作品のキャラクターだったムウ・ミサが探偵事務所を引き継いだ。沼重三は『大逃亡』ではヒロインの江木真里亜を追い詰める保護司として悪役を演じていたが、ヒロイン・麻宮サキの担任教師となった『スケバン刑事』では彼が真里亜の墓参りをする場面が存在し、物語が地続きであることが明かされる。さらに沼重三は作中で出会った渡辺由梨を妻に迎えた後、彼女とともに『超少女明日香シリーズ』にも出演している。スガちゃんは、『スケバン刑事』後は『怪盗アマリリス』で主人公宅のお手伝いさんとしてレギュラー出演している。「シリーズ 風がめざめる時代(とき)」三部作の藤野病院とその院長である藤野医師は『スケバン刑事』、『怪盗アマリリス』にも同様の役柄で登場する。 和田自身もデビュー初期の兄貴シリーズから、漫画家の「岩田慎二(いわた しんじ)」通称「岩(がん)さん」や「ヒゲクマ」{{Efn|『炎の剣』に奴隷商人として登場していた。}}の名で劇中に登場している。また、実写でも『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』の劇場版『スケバン刑事』(1987年)において[[ヨーヨー]]売りのおじさん役で[[カメオ出演]]している<ref>{{Cite web|和書|url= https://magmix.jp/post/115605/2|title= 美少女アイドルが『スケバン刑事』に! 類似作も生んだ大人気学園ドラマを振り返る|publisher=マグミクス|date=2022-10-09|accessdate= 2022-10-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= https://eiga.com/movie/37346/|title= スケバン刑事:作品情報|publisher=映画.com|accessdate= 2022-10-09}}</ref>。 === スターシステム === 和田は、[[手塚治虫]]の[[スター・システム (小説・アニメ・漫画)|スター・システム]]を積極的に継承している漫画家のひとりである。しかも、人間の顔に関する二通りの考え方(「顔が似ているから性格も似ている」と「顔は同じであるが性格はまったく違う」)のどちらも取り入れている。例えば、『怪盗アマリリス』の黒沢ゆかりと『超少女明日香 黄金のドクロが笑う』の黒百合島のアッパラパー娘は同じ性格・同じ役割を持つのに対し、『恐怖の復活』の鳴海麻矢と『スケバン刑事』の鳴海碧子は、まるで違う役柄を演じ分けた例である。『少女鮫』の石動医師と『Lady Midnight』の木場刑事、『怪盗アマリリス』の麻丘社長と『傀儡師リン』のバイオリニスト麻丘雅(これに関しては名前が一緒)も、一人の役者が異なる役を演じていると考えることができる。海堂美緒は『バラの追跡』では神の親友・西園寺京吾を父の敵として闘うが、『バラの迷路』では夫婦であり敵という関係になっている。 なお、『愛と死の砂時計』では一見正直者だが、実際は強欲な老人だった[[学校用務員|用務員]]が『スケバン刑事』ではサキの母ナツの昔馴染であり、サキの[[おむつ|おしめ]]を替えたこともあると語る好々爺として描かれた。『超少女明日香』に登場する芙蓉夫人のスパイ・八雲は、『スケバン刑事』では信楽老の部下、『怪盗アマリリス』では、マナベプロの新社長・八雲翔、『傀儡師リン』では、阿積美保の弟・阿積八雲として出演した。『呪われた孤島』で悪魔の女医・日下部亜矢の悪行を知りながら愛する助手・遠藤は『騎士よ…』ではドン・キホーテ(と自らを思い込んでいる月面基地司令官)のお供として活躍を見せた。 == 作品リスト == === 連載・読み切り === * 洋子の海{{Efn|別冊マーガレット少女まんがスクール第39回金賞受賞作。近く掲載予定とされながらも結局は未発表作品となり長らく読者の目に触れることはなかったが、秋田書店「和田慎二傑作選 恵子とパパと洋子の海」に収録された。}} * 〈マックとユミ〉シリーズ ** 四次元コート{{Efn|秋田書店「和田慎二傑作選 亜里沙とマリア」に収録された。}} ** バラ屋敷の謎 * 呪われた孤島 * [[炎の剣]] * 騎士よ… * 夏に来たイブ * [[愛と死の砂時計]] * オレンジは血の匂い * 5枚目の女王(クイーン) * [[朱雀の紋章]] * [[アラビアン狂想曲]] * [[大逃亡]] * [[Lady Midnight]] * [[怪盗アマリリス]] * 姉貴は年下!? * [[銀色の髪の亜里沙]] * [[クマさんの四季]] * ケンタッキーのクマ母さん * [[少女鮫]] * [[スケバン刑事]] ** 校舎は燃えているか ** スケバン刑事if{{Efn|死闘を繰り広げたサキと麗巳だったが、そんな2人が「もしもサキと麗巳が敵ではなく友人として出会っていたら」をコンセプトに描かれたパラレルワールドの作品。そのため、麻宮サキが「天宮佑希」、海槌麗巳が「氷室麗華」に変更されている。本編では学生刑事として登場した吉村美鈴が、本作では麗華に心酔する部下として登場。佑希(サキ)を敵視している。また、信楽碧子は本編同様に麗華(麗巳)の同志であったが、本作では最終的には決別することとなる。}} ** 深海魚は眠らない{{Efn|『スケバン刑事』の後日譚。主人公はムウ=ミサ。サキとその伴侶である神恭一郎の死により、神の探偵事務所を引き継いだ彼が、事務所とともに引き継いだ事件を通じて新たな恋をするも、相手は復讐鬼であり、また不治の病に侵されていた。ムウ=ミサが再び恋する女性を失うことを暗示させて物語は幕を閉じる。花とゆめCOMICS「超少女明日香 雨の封印」にのみ収録されている。}} ** バラの追跡{{Efn|海堂美尾の過去が描かれた番外編。}} * [[忍者飛翔]] * [[ピグマリオ]] * [[ラムちゃんの戦争]] * [[わが友フランケンシュタイン]] * 左の眼の悪霊 → 左の目の悪霊{{Efn|『神恭一郎事件簿』第3巻に収録された際、「目」に変更された。}} → 左の眼の悪霊{{Efn|『和田慎二傑作選 血塗られた恐怖』に収録された際、再び元の「眼」に戻された。}} * [[あさぎ色の伝説]] * [[超少女明日香]]シリーズ * 緑色の砂時計 * [[恐怖の復活|恐怖の復活(ホラー・リザレクション)]] * [[傀儡師リン]] * 〈恵子とパパ〉シリーズ ** パパ! ** バニラ・エッセンスの午後{{Efn|このタイトルで、[[笠倉出版社]]から恵子とパパシリーズが纏められ出版された。}} ** 白い学生服 ** パパとパイプ ** パパにくびったけ ** ライダーより愛をこめて ** 時計じかけのオレンジ・ジャム{{Efn|このタイトルで、[[大都社]]から恵子とパパシリーズの2度目の出版となった。}} ** いとこにキッス! ** ホットケーキ物語{{Efn|本作は唯一パパの死後の作品であり、作者は本作をもってシリーズを完結させるつもりだった。しかし、熱心な読者の抗議と、読者のパパなどキャラクターへの愛情に感動してシリーズを続けることになった。}} * 〈エコと兄貴さま〉シリーズ ** 私と兄貴のアップルパイ ** キャベツ畑でつまずいて また、当時の『マーガレット』や『花とゆめ』の漫画家たちとコラボレーションしていた事もある(例:『スケバン刑事』と『[[ガラスの仮面]]』[[美内すずえ]]、『超少女明日香』と『[[紅い牙]]』[[柴田昌弘]]など)。 === 漫画原作 === * 白龍(絵:[[衣谷遊]]) * [[神に背を向けた男]](絵:[[浜田翔子 (漫画家)|浜田翔子]]) * ブレイズ (絵:はしもとさかき) * ドラゴンアイズ(絵:葉月暘子) * ブラック・マスク-黒仮面-(絵:葉月暘子) * 一角獣(UNICORN)(絵:葉月暘子) * クレオパトラブレスト(絵:葉月暘子) * [[CROWN (和田慎二・氷栗優の漫画)|CROWN]](絵:[[氷栗優]]) * ネメシスの剣(絵:[[伊藤伸平]]) * リオン(絵:[[島崎譲]]) * Kiyoshirou伝奇ファイル(絵:[[細雪純]]) * オーディンの薔薇(絵:[[富樫じゅん]]) === キャラクターデザイン === *[[クラッシャージョウ#アニメ|クラッシャージョウ]](1983年、[[松竹富士]]系) - 劇場版アニメ映画。スペシャル・デザイン(ゴビー) === イラスト === * ドーム郡ものがたり(1981年、著:芝田勝茂、福音館土曜日文庫) == 関連人物 == === 交友 === * [[吾妻ひでお]] * [[高千穂遙]] ** 高千穂が設立した有限会社クリスタルアートスタジオ(現:[[スタジオぬえ]])のスタッフを介して知り合った。和田が好きな[[インバネスコート]]について、入手が困難であることを高千穂に話したところ、高千穂はオーダーメードのインバネスコートを父親に作らせた<ref>{{Cite web|和書| url=http://book.asahi.com/book/comicbreak/2011092000002.html |publisher=朝日新聞 |date=2011-9-21 |title=〈私のコミック履歴書〉作家 高千穂遙さん - コミック・ブレーク - 本に出あう - コミック・ブレーク - BOOK asahi.com:朝日新聞社の書評サイト |accessdate=2011年9月25日}}{{リンク切れ|date=2021年9月}}</ref>。 * [[竹本泉]] * [[美内すずえ]] * [[山田ミネコ]] ** 共に[[鈴木光明]]の門下生。雑誌、単行本の紹介記事の特集では互いに寄稿している。 * 森勇気 ** 元々和田の熱烈なファンであり、ファンクラブにも所属していた漫画家。生前の和田との共作やアシスタント経験もある。 === アシスタント === * [[柴田昌弘]] * [[早坂未紀]] * [[乱丸]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://www.hechima.co.jp/~jori/room6/sakusya/S-wada.htm コミックスライブラリ〈出版物リスト-和田慎二-〉] * [http://zof.sakura.ne.jp/empty/wada/database.cgi 和田慎二作品データーベース]{{リンク切れ|date=2021年9月}} {{スケバン刑事}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:わた しんし}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本の漫画原作者]] [[Category:東海大学出身の人物]] [[Category:広島県出身の人物]] [[Category:1950年生]] [[Category:2011年没]]
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タンゴ
タンゴ(tango)とは タンゴのうちでとくに名高く重要なのはアルゼンチン・タンゴ、すなわちブエノス・アイレスに起こりそこを本場として発達したタンゴである。 タンゴが生まれた経緯は不明だが、18世紀の後半に「tango」と記された手稿譜が見つかっており、盛んにイベリア半島で踊られていた。その後、スペイン帝国による植民地政策の結果としてラプラタ川の河口地域の人々にこのダンスパターンが伝わり、1880年にはすでに出版譜が見つかっており、1900年以降にバンドネオン、フルートなどの混合されたアンサンブルを伴ったダンススポットが強烈に流行した。ポピュラー音楽およびダンスの一形態で、カンドンベ、ミロンガ、ハバネラなど複数の音楽が混ざり合って19世紀半ばにブエノスアイレス、モンテビデオ近辺のラ・プラタ川流域で生まれた。 「アルゼンチン・タンゴは今から約130年前に、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの港町ラ・ボカ地区から始まった」ともされる。ただ、その前から、アフリカ系アルゼンチン人のコミュニティーで、「タンゴ」 と称する音楽がはやっていた。アルゼンチンタンゴ・ダンスはスペインやイタリアからの貧しい移民のフラストレーションのはけ口として、ボカ地区の酒場で生まれた踊りといわれる。日頃の不満を歌にし、「最初は単身赴任の男性達が酒場で荒々しく男性同士で踊った」とも「娼婦を相手に踊られるようになった」ともいわれる。しかし、実際には記録はほとんど残っていないため、正しいことはわかっていない。ただ、リズムに関してはキューバのハバネラ、ヨーロッパ伝来のワルツ、アメリカ伝来のフォックストロット、アフリカ起源で南米のいくつもの国に広がったカンドンベ、アルゼンチンのパンパで生まれたミロンガなどが、初期のタンゴに影響を与えた。 日本では、本場アルゼンチンのタンゴを「アルゼンチン・タンゴ」と呼び、ヨーロッパに渡って変化したタンゴを、(日本の某レコード会社が和製英語を作りだし、それをジャケットなどに印字して日本人をミスリードした結果)「コンチネンタル・タンゴ」という和製英語で呼ぶことが行われるようになり(あるいは「ヨーロッパ・タンゴ」)と呼び、日本でのタンゴの普及は、昭和初期から戦前までにアルゼンチンから一部移入がされたものの、その後戦後にかけて移入したのは、むしろヨーロッパからムード音楽の一環としてのそれであり、いわゆる「コンチネンタル・タンゴ」の類であった。すなわち、競技ダンス・社交ダンスで用いられる1ジャンルのタンゴのための舞踊音楽であった。よって、長らくタンゴと言えばマランド、アルフレッド・ハウゼといったイメージで、多くの場合理解されていた。しかし1960年代からはオスヴァルド・プグリエーセ、フランシスコ・カナロなどの大御所たちもこぞって来日を果たしており、一部の聴衆から熱狂的な支持を生んだ。ただ、楽器の習得や様式の完成に非常に時間がかかり、専門的な教育機関も存在しない日本で学習するのは非常に困難なジャンルという認識もあった。 いったん上記の競技ダンスや社交ダンスが一般的には下火になっていた1980年代後半、米国で成功した「タンゴ・アルヘンティーノ」公演が日本にも移入し、これ以降、アルゼンチン・タンゴが普及するようになった。現在は鬼怒無月のように調性を廃したタンゴ・アヴァンギャルド、エレクトロニクスをフル活用したタンゴ・エレクトロニコなどの新たな可能性が日々探られている。インターネット・ラジオも、アルゼンチンではない国からアルゼンチン・タンゴが24時間流れ続ける例が存在するなど、新しい聴取者層を獲得している。近年は日本のみならず韓国や台湾などもタンゴの音楽家が続々と増えており、技術的に本場とほぼ変わらないレヴェルのテイクも珍しくない。 弦楽器の騒音的奏法、ヴァイオリン群による集団グリッサンド、バンドネオン本体への打撃、コントラバスのコルレーニョバトゥット、ピアノとバンドネオンのトーンクラスターが典型例だがピアノの内部奏法はタンゴ・アヴァンギャルドを除いて行われることがない。 バンドネオンが用いられることが特徴である。また、非常に鋭いスタカートでリズムを刻むにもかかわらず打楽器を欠く。オルケスタティピカに始まりキンテートを通過し、現在はこの枠ではくくれない編成も多い。またバンドネオンなしのピアノと弦のみの演奏もある。ギターの伴奏と歌によるタンゴも、カルロス・ガルデルらが録音を残し高く評価されている。アストル・ピアソラの作品のように、クラシック音楽の演奏家によりクラシック音楽のスタイルで演奏されるものもある。特に、1950年代後半頃からアコースティックギターなども使われるようになってきた。 少しでも伝統を外すと「タンゴのイメージに合わない」・「アルゼンチン・タンゴを騙っているだけ」という苦情が寄せられることも多く、ウルグアイとアルゼンチンですら激しい対立があることで有名だが、多種多様な実験が多くの聴衆に受け入れられてきたことも事実なのである。 楽器編成は通常のポピュラー音楽での管弦楽編成に近い。ムード音楽的演奏から、マランドのように歯切れの良いリズムを重視したアルゼンチンスタイルに近い演奏までさまざまである。一般的にはアコーディオンが用いられるため、バンドネオンの鋭いスタッカートではなく、オーケストラの分厚いくぐもったスタッカートが多い。 ヨーロッパのタンゴは日本では「コンチネンタル・タンゴ」という和製英語で呼ばれているが、正しい英語では「European Tango ヨーロピアン・タンゴ」と言い、ヨーロッパで大雑把にひとくくりにしたがる人がいても、実際には国ごとにそれなりに傾向は異なり、ジャーマン・タンゴ、ロシアン・タンゴ、フィニッシュ・タンゴ、フレンチ・タンゴ、チロリアン・タンゴ、ダッチ・タンゴ、デニッシュ・タンゴなど各国ごとのタンゴに細分化することも可能である。 北欧フィンランドのタンゴ(フィニッシュ・タンゴ)はどうかと言うと、フィンランドでは1910年代からタンゴ演奏が始まったため、日本より伝統が長い。アコーディオンが使われる。「短調にこだわり哀調を帯びさせる」ことが必須になっており、朗らかさは無く、その点で南欧のタンゴとは異なっている。現在はアストル・ピアソラ国際演奏コンクールの優勝者も輩出するなど、演奏の質の高さには定評がある。毎年必ず行われるTangomarkkinatが有名。 小編成が圧倒的に多い。アルゼンチン・タンゴの中になかった楽器も積極的に取り入れられており、なおかつコンチネンタル・タンゴのような妥協を行わない点が特徴。 かつてはオルケスタ・ティピカ・東京、坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニヤのようなオルケスタ・ティピカを組織するのが一般的であったが、1970年代の低迷期に入ってからは小編成が有力となった。アルフレッド・ハウゼ楽団のようなコンチネンタル・タンゴの人気も日本ではかなりある。1990年代は日本でもアストル・ピアソラが人気を博したこともあり、ピアソラ・スタイルを表面的に模倣した楽団も見られた。1970年から毎年必ず行われる民音タンゴ・シリーズが有名で、同シリーズは2019年時点で50回を重ねている。 1979年のジャパニーズ・タンゴとは「法被を着てバンドネオンを弾き、着物を着て歌を歌い、LPジャケットには富士山が描かれる」といったステレオタイプなものを指していた。2010年代は、このようなスタイルを日本人がとることは最早ない。 日本は1940年代に戦争の影響で音楽活動が制限されたために、「1940年代こそアルゼンチン・タンゴの全盛期であった」とする現地民と意見が食い違うタンゴ・ファンは今もなお1910-30年代生まれの日本人に多い。日本人にとってのタンゴの黄金期は1920年代末期を完璧に演じきったオルケスタ・ティピカ・ヴィクトルで知られる1927年前後、日本のタンゴ楽団の活動と活発なAM放送による啓蒙で知られる1954年前後、そしてインターネットによる新たなファン獲得に成功した2010年代を印象に残る日本にとっての黄金期と捉える人物が多い。 タンゴでは、作曲者の作ったメロディーは大切にされるものの、演奏する楽団の編曲により、新たな旋律や副旋律がつけられたり、変奏 variación がつけられたりすることが当然のようになっている。 たとえば、『ラ・クンパルシータ』は、ヘラルド・マトス・ロドリゲスの作曲したメロディーの他に、ロベルト・フィルポが付け加えた中間部が好評を呼び、著名度が高いタンゴとなった。 タンゴについては、やはり演奏する楽団の編曲の良し悪しが、聴いている聴衆の満足度につながるものとされる。これはバッハのコラール編曲と事情が似ており、コラール原曲より付された対旋律のほうが有名、といった古事を継承している。 なお、楽譜からはずれる即興演奏は、避けられる方向であったが、アストル・ピアソラのように即興演奏を好むタンゴ演奏家もいる。ピアソラは徹底的に「書き譜」を売ることで顰蹙を買ったが、タンゴ楽団の譜面には自分たちの芸風を示したメモは一切書かないのが本当は主流で、伝統的にはすべて演奏様式は口承である。 アストル・ピアソラやそれ以降の楽団のモダンタンゴの解釈については、古くからのタンゴ愛好家で違和感を覚えるような声が多くあった。これは、ジャズやジプシー楽団から引き抜かれた人物が独自の癖を披露したからである。その一方で、そのモダンタンゴに感銘を覚えるタイプのタンゴ愛好家も増えてきている。21世紀に入ると、古典またはアルカイックタンゴ専門の楽団も出現している。 タンゴの曲の多くには、スペイン語(リオプラテンセ・スペイン語)の歌詞がついているが、"La última curda" (最後の酔い) の "curda"(酔い) のようにブエノスアイレス地方の俗語である ルンファルド (lunfardo) がよく用いられる。日本の西和辞典で引きづらいこともしばしばである。 また、vos (あんた,túに相当する) およびそれに相当するという南米の言い回しボセオ(voseo) が出てくることもある。 ボセオについては、日本の西和辞典では、具体的な活用形ですらも取り上げられているとはいえない状態である。英語の voseo や、その他のサイトで調べるしかない。 『ラ・クンパルシータ』のように、ひとつのタンゴの曲に、違った複数の歌詞が付けられることがある。 よく知られた例 『ラ・クンパルシータ』『エル・チョクロ』『フェリシア』 タンゴの歌詞について、『カミニート』(Camnito) の ガビノ・コリア・ペニャロサ Gabino Coria Peñaloza や、 『スール』(Sur) の オメロ・マンシ Homero Manzi のように、作者に敬意が表される場合も少なくない。歌詞が文学的なタンゴは歌がつけられた演奏になる傾向にある。地名・招聘した人物への敬意が示されていることもある(輝ける東京)。 またラ・ファン・ダリエンソやコロール・タンゴのような先人の発明を継承した「後継楽団」が多いのもタンゴの特徴で、メンバー紹介には誰から後継を行ったのかが丁寧に書かれていることがある。 歌詞なしで演奏されることも、ごく普通である。『フェリシア』や『パリのカナロ』のように、歌詞なし演奏がほとんどの曲もある。 また『レスポンソ』や『とろ火で』のように歌詞がつけられていない場合もある。 原曲にスペイン語の歌詞がつけられているタンゴに、別の言語の歌詞がつけられる場合もある。『エル・チョクロ』(El choclo)は英語の歌詞がつけられ『キッス・オブ・ファイア』(Kiss of Fire )としてアメリカで歌われヒットした。 日本では、菅原洋一が第31回NHK紅白歌合戦で『ラ・クンパルシータ』を日本語の歌詞で歌った。冴木杏奈が着物姿で『カミニート』を歌っている映像が YouTube で、アップロードされている。淡谷のり子も日本語の歌詞で『ラ・クンパルシータ』や『ジーラ・ジーラ』を歌っていた。 原語がスペイン語でない歌が、タンゴとして演奏される場合もある。たとえばシャンソンの『小雨降る径』("Il pleut sur la route")や『恋心』("L'amour, c'est pour rien" )がタンゴとして演奏される場合もある。ファン・ダリエンソ楽団はサービスと称してスペイン語で原曲を歌わせ、そのまま日本語の訳詞で歌わせる、ということも行わせた。 ファンサービスとしてファン・ダリエンソ楽団は「スペイン語の歌詞の音楽は日本語でも歌えます!」と主張して、(強引に)翻訳された歌詞を専属歌手に歌わせ、その録音が残っている。 複数の作品のサビを数曲ほど接合させる例(トロイロ)もある。これは先人への敬意が込められる。このような形態では歌手は歌わない。 ラテン音楽は原則的にスリーコード(つまりトニック(I)、サブドミナント(IV)、ドミナント(V, VII))のみで進む鉄則があるため、これを破ろうとする者は「前衛」「異端」と呼ばれていた。 四声和声法では「主旋律がアルペジオのような動きをするのはやめましょう」というのが鉄則だが、古典タンゴの代表作『フェリシア』のように、最初からメロディーがアルペジョで動くことも普通に行われる。さらに、アルフレド・デ・アンジェリス楽団はベースや中声部のバンドネオンがアルペジョで動くこともある珍しい集団である。 モダンタンゴの時代に入ると近代和声の影響を徐々に受けて減ったが、それでもバンドネオンセクションは依然として平行進行が好まれる。またファン・ダリエンソ楽団の『Sentimento Gaucho』に至ってはメロディーとベースがサビで有名な連続8度を行うなど、西洋楽器を使いつつ西洋音楽の規則では説明のつかないことが頻発する。(なお和声法や対位法の規則を守らない、という現象は、バッハやベートーヴェンのようなクラシック音楽の名作においてすら、頻繁に発生している。) 楽曲を編曲しなおす楽団も数多く、オスバルド・プグリエーセ楽団やエドゥアルド・ロビーラはバンドネオンの左手や弦楽セクションを用いて対位法的な趣味を前面に打ち出しており、近代和声や対位法の規則を(途中から、それなりに)意識したようである。タンゴ黎明期から黄金期にかけての作品が和声法と対位法を守っていないわけだが、一体どこまでがミスでどこからが意図的なのかについては明らかにされていない。 タンゴは、器楽では楽に演奏できても声楽では歌唱が厳しいメロディーラインが多く、歌手は「アルペジョにはいると加速または減速がはいる」独特の修練を必要とする。 タンゴは、始めはフォルクローレから出発した。初期のタンゴでは、ギター・ヴァイオリン・フルートのアンサンブルで演奏されて、バンドネオンは定着せず、ミロンガ・カンドンベと同種のラプラタ諸国の民俗音楽であった。バンドネオンの導入により、タンゴは(他のフォルクローレと)差別化がなされるようになった。ミロンガについては、タンゴとして演奏されることもある。 カルロス・ガルデルは、フォルクローレ歌手として活動を始めて、その後タンゴを歌いだした。ガルデルの歌にギター伴奏のタンゴに、タンゴ愛好家の人気があり、今でも頻繁に聴くことができる。 また、タンゴ楽団によるヴァルス(バルスとも呼ばれる)すなわちアルゼンチン当地のワルツの演奏も、よく聴かれ、フランシスコ・カナロ楽団の『黄金の心』(Corazón de oro)が有名である。 ブエノスアイレスのタンゴ生演奏の店タンゲリア tanguería では、フォルクローレの演奏も行っているところもある。東京の六本木にありタンゴバプとして有名だった店 「六本木カンデラリア」 (閉店) の店主の高野太郎は、フォルクローレ歌手である。タンゴもフォルクローレも、どちらもレパートリーとしている歌手も、目立つ。 エドガルド・ドナートがクラシック系統の音楽学校であるフランツリスト音楽院の優等生だったように、アルゼンチンでも日本もふくめ他地域でもクラシック音楽を専門的に学んだ人がタンゴ界で活躍することは、めずらしくない。 タンゴも最初期の『エル・エントレリアーノ』から、半音階をとりいれたりしている。また、カデンツァなど、クラシック音楽の用法が、タンゴに応用されている。スペインのクラシック音楽の作曲家イサーク・アルベニスも、有名な『タンゴ ニ長調』(「アルベニスのタンゴ」)を作曲している。『ビクトリア・ホテル』の作曲者のフェリシアーノ・ラタサはクラシック音楽の作曲家と伝えられている。 クラシック音楽に対抗意識をもちつつ対話していたタンゴの権威にアストル・ピアソラがいて、アルゼンチンに来たアルトゥール・ルービンシュタインに自作の曲を見てもらったり、ナディア・ブーランジェから作曲を学んでいたというエピソードがある。 また、クラシック音楽家でも、演奏にタンゴをあえて選ぶ人も出てきている。チェロ奏者のヨーヨー・マが、ピアソラ作曲の『リベルタンゴ』を演奏曲目に選んでいる。 エドガルド・ドナートは、ウルグアイのジャズのカルロス・ウォーレン楽団に所属していたこともある。フランシスコ・ロムートは、ジャズピアニストとしても活躍していたこともあった。アストル・ピアソラは少年期はタンゴよりもジャズを好んでいたといわれている。 タンゴも時代が下りモダンタンゴに近づくと、ジャズの影響が見られる曲も増えてくる。ちなみに、ピアソラは、ジャズ・タンゴを提唱しているし、ジャズの演奏家としている表現もみかける。タンゴもジャズも、ピアノとコントラバスとギターという楽器を使用するということでは、共通している。アティリオ・スタンポーネ楽団やネストル・マルコーニ楽団は、ジャズのリズムやピアノソロを全面に押し出すなど、タンゴ・アヴァンギャルドではジャズのイディオムも解禁されている。 ただ、ジャズの曲をタンゴとして演奏されたりすることは、なかなかありえない。『エル・チョクロ』を『キッス・オブ・ファイア』(Kiss of Fire)として、ジャズで演奏されて注目されたことがある。『アディオス・ムチャーチョス』についてアメリカのジャズの権威のルイ・アームストロングの歌の録音もある。アメリカのルロイ・アンダーソンの『ブルー・タンゴ』(Blue Tango)が、ジャズ楽団でも演奏されている。それ以外の例で、モダンタンゴ以外のタンゴがジャズとして演奏されることはあまりない。 1940年代を過ぎるとフランチーニ=ポンティエル楽団やサルガン楽団、トロイロ楽団は近代和声を拡張したジャズに影響された大胆な和声を積極的に織り込むようになった。この展開を嫌い、古典和声にこだわり続けたダリエンソやデ・アンジェリスのような硬派のタンゴ楽団もいる。近代和声を用いた名曲の第一号がマリアーノ・モーレスの『Uno(1943)』という見解を示す識者は多い。この作品はジャズのようなナインスコードが偶発的に出現するが、このような艶のある表現はレトロタンゴの時代では決してみられなかった。 『小雨降る径』と『恋心』については、タンゴとして演奏される場合がある。(なお、逆にタンゴの曲がシャンソンとして歌われる例はあまり見当たらない。) 日本ではタンゴ歌手として出発した菅原洋一がシャンソンを歌った。シャンソン歌手の高英男が第12回NHK紅白歌合戦で、同じくシャンソン歌手の芦野宏が第13回NHK紅白歌合戦で『カミニート』を歌った。シャンソン生演奏の店シャンソニエで、月何回か、タンゴの生演奏を行うところもある。 スペインの歌手のフリオ・イグレシアスや、メキシコのトリオ・ロス・パンチョスのように、タンゴ歌手でないスペイン語圏の歌い手も、タンゴのレコード録音がヒットすることもある。 このように多くのタンゴ楽団に接した者ほど、アストル・ピアソラを避ける傾向にある。ラウル・オウテーダも同様である。 〜1910年頃 ロセンド・メンディサーバル 作曲 アンヘル・ビジョルド 作曲 ドミンゴ・サンタ・クルス Domingo Santa Cruz 作曲 フェリシアーノ・ラタサ Feliciano Latassa 作曲 エンリケ・サボリド 作曲 ホセ・ルイス・パドゥラ José Luis Padula 作曲 ビセンテ・グレコ Vicente Greco 作曲 1910年頃〜1940年頃 アグスティン・バルディ Agustín Bardi 作曲 ロベルト・フィルポ 作曲 ヘラルド・マトス・ロドリゲス 作曲 ペレグリーノ・パウロス Peregrino Paulos 作曲 フランシスコ・ロムート 作曲 エドガルド・ドナート 作曲 ヘスス・ベントゥーラ Jesús Vntura 作曲 エドゥアルド・アローラス作曲 エンリケ・デルフィノ Enrique Delfino 作曲 サムエル・カストリオータ Samuel Castriota 作曲 フアン・デ・ディオス・フィリベルト 作曲 マヌエル・ホベス Manuel Jovés 作曲 カルロス・ガルデル 作曲 セパスティアン・ピアナ Sebastián Piana 作曲 カトゥロ・カスティージョ Cátulo Castillo 作曲 フアン・デアンブロージョ Juan Deambroggio 作曲 エンリケ・サントス・ディセポロ Enrique Santos Discépolo 作曲 ペドロ・ラウレンス Pedro Laurenz 作曲 フリオ・セサル・サンデルス Julio Cécar Sanders 作曲 フランシスコ・カナロ 作曲 アレハンドロ・スカルピーノ Alejandro Scarpino & ファン・カルダレーラ Juan Caldarella 作曲 ファン・カルロス・コビアン 作曲 1940年頃〜1960年頃 フランシスコ・カナロ & マリアーノ・モーレス 作曲 マリアーノ・モーレス Mariano Mores 作曲 オスヴァルド・プグリエーセ 作曲 アニバル・トロイロ作曲 ファン・カナロ Juan Canaro 作曲 1950年頃〜 オラシオ・サルガン作曲 アストル・ピアソラ作曲 作曲者の国籍より分類 ドイツ ヨゼフ・リクスナー Josef Rixner 作曲 ハンス・オットー・ボルグマン Hans-Otto Borgmann 作曲 デンマーク ヤーコブ・ガーデ Jacob Gade 作曲 フランス ジョルジュ・ビゼー Geroge Bizet 作曲 ヘンリー・ヒンメル Henry Himmel 作曲 アメリカ合衆国 ルロイ・アンダーソン Leroy Anderson 作曲
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "タンゴ(tango)とは", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "タンゴのうちでとくに名高く重要なのはアルゼンチン・タンゴ、すなわちブエノス・アイレスに起こりそこを本場として発達したタンゴである。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "タンゴが生まれた経緯は不明だが、18世紀の後半に「tango」と記された手稿譜が見つかっており、盛んにイベリア半島で踊られていた。その後、スペイン帝国による植民地政策の結果としてラプラタ川の河口地域の人々にこのダンスパターンが伝わり、1880年にはすでに出版譜が見つかっており、1900年以降にバンドネオン、フルートなどの混合されたアンサンブルを伴ったダンススポットが強烈に流行した。ポピュラー音楽およびダンスの一形態で、カンドンベ、ミロンガ、ハバネラなど複数の音楽が混ざり合って19世紀半ばにブエノスアイレス、モンテビデオ近辺のラ・プラタ川流域で生まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「アルゼンチン・タンゴは今から約130年前に、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの港町ラ・ボカ地区から始まった」ともされる。ただ、その前から、アフリカ系アルゼンチン人のコミュニティーで、「タンゴ」 と称する音楽がはやっていた。アルゼンチンタンゴ・ダンスはスペインやイタリアからの貧しい移民のフラストレーションのはけ口として、ボカ地区の酒場で生まれた踊りといわれる。日頃の不満を歌にし、「最初は単身赴任の男性達が酒場で荒々しく男性同士で踊った」とも「娼婦を相手に踊られるようになった」ともいわれる。しかし、実際には記録はほとんど残っていないため、正しいことはわかっていない。ただ、リズムに関してはキューバのハバネラ、ヨーロッパ伝来のワルツ、アメリカ伝来のフォックストロット、アフリカ起源で南米のいくつもの国に広がったカンドンベ、アルゼンチンのパンパで生まれたミロンガなどが、初期のタンゴに影響を与えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "日本では、本場アルゼンチンのタンゴを「アルゼンチン・タンゴ」と呼び、ヨーロッパに渡って変化したタンゴを、(日本の某レコード会社が和製英語を作りだし、それをジャケットなどに印字して日本人をミスリードした結果)「コンチネンタル・タンゴ」という和製英語で呼ぶことが行われるようになり(あるいは「ヨーロッパ・タンゴ」)と呼び、日本でのタンゴの普及は、昭和初期から戦前までにアルゼンチンから一部移入がされたものの、その後戦後にかけて移入したのは、むしろヨーロッパからムード音楽の一環としてのそれであり、いわゆる「コンチネンタル・タンゴ」の類であった。すなわち、競技ダンス・社交ダンスで用いられる1ジャンルのタンゴのための舞踊音楽であった。よって、長らくタンゴと言えばマランド、アルフレッド・ハウゼといったイメージで、多くの場合理解されていた。しかし1960年代からはオスヴァルド・プグリエーセ、フランシスコ・カナロなどの大御所たちもこぞって来日を果たしており、一部の聴衆から熱狂的な支持を生んだ。ただ、楽器の習得や様式の完成に非常に時間がかかり、専門的な教育機関も存在しない日本で学習するのは非常に困難なジャンルという認識もあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "いったん上記の競技ダンスや社交ダンスが一般的には下火になっていた1980年代後半、米国で成功した「タンゴ・アルヘンティーノ」公演が日本にも移入し、これ以降、アルゼンチン・タンゴが普及するようになった。現在は鬼怒無月のように調性を廃したタンゴ・アヴァンギャルド、エレクトロニクスをフル活用したタンゴ・エレクトロニコなどの新たな可能性が日々探られている。インターネット・ラジオも、アルゼンチンではない国からアルゼンチン・タンゴが24時間流れ続ける例が存在するなど、新しい聴取者層を獲得している。近年は日本のみならず韓国や台湾などもタンゴの音楽家が続々と増えており、技術的に本場とほぼ変わらないレヴェルのテイクも珍しくない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "弦楽器の騒音的奏法、ヴァイオリン群による集団グリッサンド、バンドネオン本体への打撃、コントラバスのコルレーニョバトゥット、ピアノとバンドネオンのトーンクラスターが典型例だがピアノの内部奏法はタンゴ・アヴァンギャルドを除いて行われることがない。", "title": "奏法" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "バンドネオンが用いられることが特徴である。また、非常に鋭いスタカートでリズムを刻むにもかかわらず打楽器を欠く。オルケスタティピカに始まりキンテートを通過し、現在はこの枠ではくくれない編成も多い。またバンドネオンなしのピアノと弦のみの演奏もある。ギターの伴奏と歌によるタンゴも、カルロス・ガルデルらが録音を残し高く評価されている。アストル・ピアソラの作品のように、クラシック音楽の演奏家によりクラシック音楽のスタイルで演奏されるものもある。特に、1950年代後半頃からアコースティックギターなども使われるようになってきた。", "title": "演奏形態" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "少しでも伝統を外すと「タンゴのイメージに合わない」・「アルゼンチン・タンゴを騙っているだけ」という苦情が寄せられることも多く、ウルグアイとアルゼンチンですら激しい対立があることで有名だが、多種多様な実験が多くの聴衆に受け入れられてきたことも事実なのである。", "title": "演奏形態" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "楽器編成は通常のポピュラー音楽での管弦楽編成に近い。ムード音楽的演奏から、マランドのように歯切れの良いリズムを重視したアルゼンチンスタイルに近い演奏までさまざまである。一般的にはアコーディオンが用いられるため、バンドネオンの鋭いスタッカートではなく、オーケストラの分厚いくぐもったスタッカートが多い。", "title": "演奏形態" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ヨーロッパのタンゴは日本では「コンチネンタル・タンゴ」という和製英語で呼ばれているが、正しい英語では「European Tango ヨーロピアン・タンゴ」と言い、ヨーロッパで大雑把にひとくくりにしたがる人がいても、実際には国ごとにそれなりに傾向は異なり、ジャーマン・タンゴ、ロシアン・タンゴ、フィニッシュ・タンゴ、フレンチ・タンゴ、チロリアン・タンゴ、ダッチ・タンゴ、デニッシュ・タンゴなど各国ごとのタンゴに細分化することも可能である。", "title": "演奏形態" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "北欧フィンランドのタンゴ(フィニッシュ・タンゴ)はどうかと言うと、フィンランドでは1910年代からタンゴ演奏が始まったため、日本より伝統が長い。アコーディオンが使われる。「短調にこだわり哀調を帯びさせる」ことが必須になっており、朗らかさは無く、その点で南欧のタンゴとは異なっている。現在はアストル・ピアソラ国際演奏コンクールの優勝者も輩出するなど、演奏の質の高さには定評がある。毎年必ず行われるTangomarkkinatが有名。", "title": "演奏形態" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "小編成が圧倒的に多い。アルゼンチン・タンゴの中になかった楽器も積極的に取り入れられており、なおかつコンチネンタル・タンゴのような妥協を行わない点が特徴。", "title": "演奏形態" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "かつてはオルケスタ・ティピカ・東京、坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニヤのようなオルケスタ・ティピカを組織するのが一般的であったが、1970年代の低迷期に入ってからは小編成が有力となった。アルフレッド・ハウゼ楽団のようなコンチネンタル・タンゴの人気も日本ではかなりある。1990年代は日本でもアストル・ピアソラが人気を博したこともあり、ピアソラ・スタイルを表面的に模倣した楽団も見られた。1970年から毎年必ず行われる民音タンゴ・シリーズが有名で、同シリーズは2019年時点で50回を重ねている。", "title": "演奏形態" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1979年のジャパニーズ・タンゴとは「法被を着てバンドネオンを弾き、着物を着て歌を歌い、LPジャケットには富士山が描かれる」といったステレオタイプなものを指していた。2010年代は、このようなスタイルを日本人がとることは最早ない。", "title": "演奏形態" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "日本は1940年代に戦争の影響で音楽活動が制限されたために、「1940年代こそアルゼンチン・タンゴの全盛期であった」とする現地民と意見が食い違うタンゴ・ファンは今もなお1910-30年代生まれの日本人に多い。日本人にとってのタンゴの黄金期は1920年代末期を完璧に演じきったオルケスタ・ティピカ・ヴィクトルで知られる1927年前後、日本のタンゴ楽団の活動と活発なAM放送による啓蒙で知られる1954年前後、そしてインターネットによる新たなファン獲得に成功した2010年代を印象に残る日本にとっての黄金期と捉える人物が多い。", "title": "演奏形態" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "タンゴでは、作曲者の作ったメロディーは大切にされるものの、演奏する楽団の編曲により、新たな旋律や副旋律がつけられたり、変奏 variación がつけられたりすることが当然のようになっている。", "title": "演奏解釈" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "たとえば、『ラ・クンパルシータ』は、ヘラルド・マトス・ロドリゲスの作曲したメロディーの他に、ロベルト・フィルポが付け加えた中間部が好評を呼び、著名度が高いタンゴとなった。", "title": "演奏解釈" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "タンゴについては、やはり演奏する楽団の編曲の良し悪しが、聴いている聴衆の満足度につながるものとされる。これはバッハのコラール編曲と事情が似ており、コラール原曲より付された対旋律のほうが有名、といった古事を継承している。", "title": "演奏解釈" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "なお、楽譜からはずれる即興演奏は、避けられる方向であったが、アストル・ピアソラのように即興演奏を好むタンゴ演奏家もいる。ピアソラは徹底的に「書き譜」を売ることで顰蹙を買ったが、タンゴ楽団の譜面には自分たちの芸風を示したメモは一切書かないのが本当は主流で、伝統的にはすべて演奏様式は口承である。", "title": "演奏解釈" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "アストル・ピアソラやそれ以降の楽団のモダンタンゴの解釈については、古くからのタンゴ愛好家で違和感を覚えるような声が多くあった。これは、ジャズやジプシー楽団から引き抜かれた人物が独自の癖を披露したからである。その一方で、そのモダンタンゴに感銘を覚えるタイプのタンゴ愛好家も増えてきている。21世紀に入ると、古典またはアルカイックタンゴ専門の楽団も出現している。", "title": "演奏解釈" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "タンゴの曲の多くには、スペイン語(リオプラテンセ・スペイン語)の歌詞がついているが、\"La última curda\" (最後の酔い) の \"curda\"(酔い) のようにブエノスアイレス地方の俗語である ルンファルド (lunfardo) がよく用いられる。日本の西和辞典で引きづらいこともしばしばである。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "また、vos (あんた,túに相当する) およびそれに相当するという南米の言い回しボセオ(voseo) が出てくることもある。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ボセオについては、日本の西和辞典では、具体的な活用形ですらも取り上げられているとはいえない状態である。英語の voseo や、その他のサイトで調べるしかない。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "『ラ・クンパルシータ』のように、ひとつのタンゴの曲に、違った複数の歌詞が付けられることがある。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "よく知られた例 『ラ・クンパルシータ』『エル・チョクロ』『フェリシア』", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "タンゴの歌詞について、『カミニート』(Camnito) の ガビノ・コリア・ペニャロサ Gabino Coria Peñaloza や、 『スール』(Sur) の オメロ・マンシ Homero Manzi のように、作者に敬意が表される場合も少なくない。歌詞が文学的なタンゴは歌がつけられた演奏になる傾向にある。地名・招聘した人物への敬意が示されていることもある(輝ける東京)。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "またラ・ファン・ダリエンソやコロール・タンゴのような先人の発明を継承した「後継楽団」が多いのもタンゴの特徴で、メンバー紹介には誰から後継を行ったのかが丁寧に書かれていることがある。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "歌詞なしで演奏されることも、ごく普通である。『フェリシア』や『パリのカナロ』のように、歌詞なし演奏がほとんどの曲もある。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "また『レスポンソ』や『とろ火で』のように歌詞がつけられていない場合もある。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "原曲にスペイン語の歌詞がつけられているタンゴに、別の言語の歌詞がつけられる場合もある。『エル・チョクロ』(El choclo)は英語の歌詞がつけられ『キッス・オブ・ファイア』(Kiss of Fire )としてアメリカで歌われヒットした。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "日本では、菅原洋一が第31回NHK紅白歌合戦で『ラ・クンパルシータ』を日本語の歌詞で歌った。冴木杏奈が着物姿で『カミニート』を歌っている映像が YouTube で、アップロードされている。淡谷のり子も日本語の歌詞で『ラ・クンパルシータ』や『ジーラ・ジーラ』を歌っていた。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "原語がスペイン語でない歌が、タンゴとして演奏される場合もある。たとえばシャンソンの『小雨降る径』(\"Il pleut sur la route\")や『恋心』(\"L'amour, c'est pour rien\" )がタンゴとして演奏される場合もある。ファン・ダリエンソ楽団はサービスと称してスペイン語で原曲を歌わせ、そのまま日本語の訳詞で歌わせる、ということも行わせた。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ファンサービスとしてファン・ダリエンソ楽団は「スペイン語の歌詞の音楽は日本語でも歌えます!」と主張して、(強引に)翻訳された歌詞を専属歌手に歌わせ、その録音が残っている。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "複数の作品のサビを数曲ほど接合させる例(トロイロ)もある。これは先人への敬意が込められる。このような形態では歌手は歌わない。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ラテン音楽は原則的にスリーコード(つまりトニック(I)、サブドミナント(IV)、ドミナント(V, VII))のみで進む鉄則があるため、これを破ろうとする者は「前衛」「異端」と呼ばれていた。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "四声和声法では「主旋律がアルペジオのような動きをするのはやめましょう」というのが鉄則だが、古典タンゴの代表作『フェリシア』のように、最初からメロディーがアルペジョで動くことも普通に行われる。さらに、アルフレド・デ・アンジェリス楽団はベースや中声部のバンドネオンがアルペジョで動くこともある珍しい集団である。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "モダンタンゴの時代に入ると近代和声の影響を徐々に受けて減ったが、それでもバンドネオンセクションは依然として平行進行が好まれる。またファン・ダリエンソ楽団の『Sentimento Gaucho』に至ってはメロディーとベースがサビで有名な連続8度を行うなど、西洋楽器を使いつつ西洋音楽の規則では説明のつかないことが頻発する。(なお和声法や対位法の規則を守らない、という現象は、バッハやベートーヴェンのようなクラシック音楽の名作においてすら、頻繁に発生している。)", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "楽曲を編曲しなおす楽団も数多く、オスバルド・プグリエーセ楽団やエドゥアルド・ロビーラはバンドネオンの左手や弦楽セクションを用いて対位法的な趣味を前面に打ち出しており、近代和声や対位法の規則を(途中から、それなりに)意識したようである。タンゴ黎明期から黄金期にかけての作品が和声法と対位法を守っていないわけだが、一体どこまでがミスでどこからが意図的なのかについては明らかにされていない。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "タンゴは、器楽では楽に演奏できても声楽では歌唱が厳しいメロディーラインが多く、歌手は「アルペジョにはいると加速または減速がはいる」独特の修練を必要とする。", "title": "歌唱" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "タンゴは、始めはフォルクローレから出発した。初期のタンゴでは、ギター・ヴァイオリン・フルートのアンサンブルで演奏されて、バンドネオンは定着せず、ミロンガ・カンドンベと同種のラプラタ諸国の民俗音楽であった。バンドネオンの導入により、タンゴは(他のフォルクローレと)差別化がなされるようになった。ミロンガについては、タンゴとして演奏されることもある。", "title": "他の種類の音楽との関連" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "カルロス・ガルデルは、フォルクローレ歌手として活動を始めて、その後タンゴを歌いだした。ガルデルの歌にギター伴奏のタンゴに、タンゴ愛好家の人気があり、今でも頻繁に聴くことができる。", "title": "他の種類の音楽との関連" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "また、タンゴ楽団によるヴァルス(バルスとも呼ばれる)すなわちアルゼンチン当地のワルツの演奏も、よく聴かれ、フランシスコ・カナロ楽団の『黄金の心』(Corazón de oro)が有名である。", "title": "他の種類の音楽との関連" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "ブエノスアイレスのタンゴ生演奏の店タンゲリア tanguería では、フォルクローレの演奏も行っているところもある。東京の六本木にありタンゴバプとして有名だった店 「六本木カンデラリア」 (閉店) の店主の高野太郎は、フォルクローレ歌手である。タンゴもフォルクローレも、どちらもレパートリーとしている歌手も、目立つ。", "title": "他の種類の音楽との関連" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "エドガルド・ドナートがクラシック系統の音楽学校であるフランツリスト音楽院の優等生だったように、アルゼンチンでも日本もふくめ他地域でもクラシック音楽を専門的に学んだ人がタンゴ界で活躍することは、めずらしくない。", "title": "他の種類の音楽との関連" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "タンゴも最初期の『エル・エントレリアーノ』から、半音階をとりいれたりしている。また、カデンツァなど、クラシック音楽の用法が、タンゴに応用されている。スペインのクラシック音楽の作曲家イサーク・アルベニスも、有名な『タンゴ ニ長調』(「アルベニスのタンゴ」)を作曲している。『ビクトリア・ホテル』の作曲者のフェリシアーノ・ラタサはクラシック音楽の作曲家と伝えられている。", "title": "他の種類の音楽との関連" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "クラシック音楽に対抗意識をもちつつ対話していたタンゴの権威にアストル・ピアソラがいて、アルゼンチンに来たアルトゥール・ルービンシュタインに自作の曲を見てもらったり、ナディア・ブーランジェから作曲を学んでいたというエピソードがある。", "title": "他の種類の音楽との関連" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "また、クラシック音楽家でも、演奏にタンゴをあえて選ぶ人も出てきている。チェロ奏者のヨーヨー・マが、ピアソラ作曲の『リベルタンゴ』を演奏曲目に選んでいる。", "title": "他の種類の音楽との関連" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "エドガルド・ドナートは、ウルグアイのジャズのカルロス・ウォーレン楽団に所属していたこともある。フランシスコ・ロムートは、ジャズピアニストとしても活躍していたこともあった。アストル・ピアソラは少年期はタンゴよりもジャズを好んでいたといわれている。", "title": "他の種類の音楽との関連" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "タンゴも時代が下りモダンタンゴに近づくと、ジャズの影響が見られる曲も増えてくる。ちなみに、ピアソラは、ジャズ・タンゴを提唱しているし、ジャズの演奏家としている表現もみかける。タンゴもジャズも、ピアノとコントラバスとギターという楽器を使用するということでは、共通している。アティリオ・スタンポーネ楽団やネストル・マルコーニ楽団は、ジャズのリズムやピアノソロを全面に押し出すなど、タンゴ・アヴァンギャルドではジャズのイディオムも解禁されている。", "title": "他の種類の音楽との関連" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "ただ、ジャズの曲をタンゴとして演奏されたりすることは、なかなかありえない。『エル・チョクロ』を『キッス・オブ・ファイア』(Kiss of Fire)として、ジャズで演奏されて注目されたことがある。『アディオス・ムチャーチョス』についてアメリカのジャズの権威のルイ・アームストロングの歌の録音もある。アメリカのルロイ・アンダーソンの『ブルー・タンゴ』(Blue Tango)が、ジャズ楽団でも演奏されている。それ以外の例で、モダンタンゴ以外のタンゴがジャズとして演奏されることはあまりない。", "title": "他の種類の音楽との関連" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "1940年代を過ぎるとフランチーニ=ポンティエル楽団やサルガン楽団、トロイロ楽団は近代和声を拡張したジャズに影響された大胆な和声を積極的に織り込むようになった。この展開を嫌い、古典和声にこだわり続けたダリエンソやデ・アンジェリスのような硬派のタンゴ楽団もいる。近代和声を用いた名曲の第一号がマリアーノ・モーレスの『Uno(1943)』という見解を示す識者は多い。この作品はジャズのようなナインスコードが偶発的に出現するが、このような艶のある表現はレトロタンゴの時代では決してみられなかった。", "title": "他の種類の音楽との関連" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "『小雨降る径』と『恋心』については、タンゴとして演奏される場合がある。(なお、逆にタンゴの曲がシャンソンとして歌われる例はあまり見当たらない。)", "title": "他の種類の音楽との関連" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "日本ではタンゴ歌手として出発した菅原洋一がシャンソンを歌った。シャンソン歌手の高英男が第12回NHK紅白歌合戦で、同じくシャンソン歌手の芦野宏が第13回NHK紅白歌合戦で『カミニート』を歌った。シャンソン生演奏の店シャンソニエで、月何回か、タンゴの生演奏を行うところもある。", "title": "他の種類の音楽との関連" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "スペインの歌手のフリオ・イグレシアスや、メキシコのトリオ・ロス・パンチョスのように、タンゴ歌手でないスペイン語圏の歌い手も、タンゴのレコード録音がヒットすることもある。", "title": "他の種類の音楽との関連" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "このように多くのタンゴ楽団に接した者ほど、アストル・ピアソラを避ける傾向にある。ラウル・オウテーダも同様である。", "title": "楽団" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "〜1910年頃", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ロセンド・メンディサーバル 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "アンヘル・ビジョルド 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ドミンゴ・サンタ・クルス Domingo Santa Cruz 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "フェリシアーノ・ラタサ Feliciano Latassa 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "エンリケ・サボリド 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ホセ・ルイス・パドゥラ José Luis Padula 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "ビセンテ・グレコ Vicente Greco 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "1910年頃〜1940年頃", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "アグスティン・バルディ Agustín Bardi 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "ロベルト・フィルポ 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "ヘラルド・マトス・ロドリゲス 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "ペレグリーノ・パウロス Peregrino Paulos 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "フランシスコ・ロムート 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "エドガルド・ドナート 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "ヘスス・ベントゥーラ Jesús Vntura 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "エドゥアルド・アローラス作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "エンリケ・デルフィノ Enrique Delfino 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "サムエル・カストリオータ Samuel Castriota 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "フアン・デ・ディオス・フィリベルト 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "マヌエル・ホベス Manuel Jovés 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "カルロス・ガルデル 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "セパスティアン・ピアナ Sebastián Piana 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "カトゥロ・カスティージョ Cátulo Castillo 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "フアン・デアンブロージョ Juan Deambroggio 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "エンリケ・サントス・ディセポロ Enrique Santos Discépolo 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "ペドロ・ラウレンス Pedro Laurenz 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "フリオ・セサル・サンデルス Julio Cécar Sanders 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "フランシスコ・カナロ 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "アレハンドロ・スカルピーノ Alejandro Scarpino & ファン・カルダレーラ Juan Caldarella 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "ファン・カルロス・コビアン 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "1940年頃〜1960年頃", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "フランシスコ・カナロ & マリアーノ・モーレス 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "マリアーノ・モーレス Mariano Mores 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "オスヴァルド・プグリエーセ 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "アニバル・トロイロ作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "ファン・カナロ Juan Canaro 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "1950年頃〜", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "オラシオ・サルガン作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "アストル・ピアソラ作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "作曲者の国籍より分類", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "ドイツ", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "ヨゼフ・リクスナー Josef Rixner 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "ハンス・オットー・ボルグマン Hans-Otto Borgmann 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "デンマーク", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "ヤーコブ・ガーデ Jacob Gade 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "フランス", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "ジョルジュ・ビゼー Geroge Bizet 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "ヘンリー・ヒンメル Henry Himmel 作曲", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国", "title": "有名な作品" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "ルロイ・アンダーソン Leroy Anderson 作曲", "title": "有名な作品" } ]
タンゴ(tango)とは 18世紀後半にイベリア半島で発祥したある種のリズムの舞曲。 (上記ダンスパターンが19世紀後半南米に輸出され)アルゼンチン・ブエノスアイレスやウルグアイ・モンテビデオでダンススポットのために考案されたジャンル。 タンゴのうちでとくに名高く重要なのはアルゼンチン・タンゴ、すなわちブエノス・アイレスに起こりそこを本場として発達したタンゴである。
{{Otheruses}} [[File:Tango_BuenosAires.jpg|thumb|right|200px|ブエノスアイレスでタンゴを踊る男女]] [[File:Tango au01.JPG|thumb|right|201px|街頭でのタンゴ舞踊(2004年、ブエノスアイレス、[[:en:San Telmo, Buenos Aires|San Telmo]]) ]] [[File:Tango-Show-Buenos-Aires-01.jpg|thumb|right|200px|ブエノスアイレスのタンゴ・ショーで踊る男女]] '''タンゴ'''(tango)とは *[[18世紀]]後半に[[イベリア半島]]で発祥したある種のリズムの舞曲。 *(上記ダンスパターンが[[19世紀]]後半南米に輸出され)[[アルゼンチン]]・[[ブエノスアイレス]]や[[ウルグアイ]]・[[モンテビデオ]]で[[ダンス]]スポットのために考案されたジャンル。 タンゴのうちでとくに名高く重要なのはアルゼンチン・タンゴ、すなわちブエノス・アイレスに起こりそこを本場として発達したタンゴである<ref>世界大百科事典「タンゴ」</ref>。 == 歴史 == タンゴが生まれた経緯は不明だが、18世紀の後半に「tango」と記された[[手稿]][[楽譜|譜]]が見つかっており、盛んにイベリア半島で踊られていた。その後、[[スペイン帝国]]による[[植民地]]政策の結果として[[ラプラタ川]]の[[河口]]地域の人々にこのダンスパターンが伝わり、1880年にはすでに出版譜が見つかっており、1900年以降に[[バンドネオン]]、[[フルート]]などの混合されたアンサンブルを伴ったダンススポットが強烈に流行した<ref group="注">それらのスポットは現在の「出会い系サイト」と同様の機能を持つものであった。[[フランシスコ・ロムート]]のデビュー曲「El 606」が性病の薬からとられていることは有名であり、彼はこの曲の作曲当時'''13歳'''である。</ref><ref>{{Cite web |url = https://archive.ph/1SyRN|title = EL 606|website = todotango|publisher = todotango|date = |accessdate = 2022-04-25}}</ref>。[[ポピュラー音楽]]および[[ダンス]]の一形態で、[[カンドンベ]]、[[ミロンガ]]、[[ハバネラ]]など複数の音楽が混ざり合って19世紀半ばに[[ブエノスアイレス]]、[[モンテビデオ]]近辺の[[ラ・プラタ川]]流域で生まれた。<ref group="注">[[オスヴァルド・プグリエーセ]]楽団も「アルゼンチンポピュラー音楽フェスティバル」と題されたイヴェントに出演しており、その意味では「[[ポピュラー音楽]]」にも分類できる。なお、タンゴにはクラシックを正式に修めた音楽学校卒業者が多数関与している。だがタンゴのヴァリアシオンの連続はクラシック音楽の難易度をはるかに超えていて、クラシック音楽とも同一ではない。</ref> [[File:Tango-origen.jpg|thumb|right|350px|[[1900年]]頃の写真、男同士で踊ることも少なくなかった]] [[File:AnibalTroilo.jpg|thumb|right|300px|[[アニバル・トロイロ]]]] [[File:PiazzollaFerrer.jpg|thumb|right|280px|タンゴの録音、左の人物が[[アストル・ピアソラ]]]] 「アルゼンチン・タンゴは今から約130年前に、[[アルゼンチン]]の[[首都]][[ブエノスアイレス]]の港町[[ラ・ボカ地区]]から始まった」ともされる。ただ、その前から、[[アフリカ系アルゼンチン人]]のコミュニティーで、「タンゴ」 と称する音楽がはやっていた。アルゼンチンタンゴ・ダンスは[[スペイン]]や[[イタリア]]からの貧しい[[移民]]の[[フラストレーション]]のはけ口として、ボカ地区の[[酒場]]で生まれた踊りといわれる。日頃の不満を歌にし、「最初は単身赴任の男性達が酒場で荒々しく男性同士で踊った」とも「娼婦を相手に踊られるようになった」ともいわれる。しかし、実際には記録はほとんど残っていないため、正しいことはわかっていない。ただ、リズムに関してはキューバの[[ハバネラ]]、ヨーロッパ伝来の[[ワルツ]]、アメリカ伝来の[[フォックストロット]]、アフリカ起源で南米のいくつもの国に広がった[[カンドンベ]]、アルゼンチンのパンパで生まれた[[ミロンガ]]などが、初期のタンゴに影響を与えた。 === 1880年 - 1919年 === *1880年、現在譜面の残る最初のタンゴ 『'''バルトーロ'''』(Bartolo) が出版される。(これにも諸説がある) *1880年代、ギターとフルートのヴァイオリンのアンサンブルだったタンゴに'''[[バンドネオン]]'''を入れる楽団が出てくる。 *1897年、'''[[ロセンド・メンディサーバル]]'''が『'''[[エル・エントレリアーノ]]'''』を作曲する。 *1903年、'''[[アンヘル・ビジョルド]]'''が、『'''[[エル・チョクロ]]'''』を作曲する。 *1910年、'''[[エル・カチャファス]]'''([[:es:El Cachafaz|El Cachafaz]]。本名:[[:es:Ovidio José Bianquet|Ovidio José Bianquet]])が最初のタンゴ学校を開く。後にカチャファスは、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[ヨーロッパ]]に渡りタンゴの普及に努めた。 *同時期、アルゼンチン上流階層の芸術家によりヨーロッパに紹介、カトリック教会が禁止令を出さねばならぬほど[[パリ]]で大流行。 *この時期、ドイツからアルゼンチンに[[バンドネオン]]が大量に輸入され、バンドネオン使用の定着がタンゴの特徴となる。 *1917年、'''[[ロベルト・フィルポ]]'''楽団により、'''[[ヘラルド・マトス・ロドリゲス]]'''作曲のタンゴの『'''[[ラ・クンパルシータ]]'''』が初演される。 *1917年頃、“タンゴの神様”と言われる歌手'''[[カルロス・ガルデル]]'''がブエノスアイレスに現れる。 *この頃、タンゴ楽団の楽器について、すなわち'''[[ピアノ]]・[[バンドネオン]]・[[ヴァイオリン]]・[[コントラバス]]'''という組み合わせが固まる。 === 1920年 - 1949年 === *1920年代、踊りのためのタンゴバンド大人気(代表的指揮者:'''[[ファン・ダリエンソ]]''')。 *1925年、 '''[[フランシスコ・カナロ]]'''の[[パリ]]公演が大成功する。 *1926年、 '''[[フアン・デ・ディオス・フィリベルト]]'''が、『[[カミニート]]』を発表する。 *この頃より、ヨーロッパの楽団でタンゴを演奏することが流行する。ヨーロッパでのタンゴの勃興である。 *1940年代、{{仮リンク|アルゼンチンの経済|en|Economy of Argentina}}は繁栄し、一人当たりの国民総生産額がドイツやイタリアよりも上位となった時期であった。'''タンゴ黄金時代'''の絶頂期であった。 *1945年、第二次世界大戦が終わる。その前後ドイツのバンドネオン工場の多くが廃業となる。演奏家からの人気第一位であったアルフレッド・アーノルド社もバンドネオンの製造をやめてしまった。 *1946年、[[ファン・ペロン]]大統領就任し、労働者の利益を重視しつつも、反対派を抑圧する政治を行う。 *1948年 '''[[アニバル・トロイロ]]'''楽団が、歌のタンゴの傑作『'''[[スール (曲)|スール]]'''』を発表。 === 1950年 - 1999年 === *1950年代、日本でもタンゴが流行し、日本国内に20を超えるタンゴバンドが存在。 *1954年、'''[[アストル・ピアソラ]]'''、パリに留学。以降次々と新しいスタイルのタンゴを発表する。 *1955年9月、タンゴを擁護していた[[フアン・ペロン|ペロン]]政権が崩壊。タンゴ低迷期始まる。 *1960年代、かつては先進国並みであったアルゼンチンの経済的地位に翳りが出てくる。モダンタンゴが根付き始める。踊るタンゴが低迷し、聞くためのタンゴが表舞台へ。 *1970年、日本において[[民音タンゴ・シリーズ]]がスタート。毎年、全国にて[[アルゼンチン・タンゴ]]の興業が開催される。 *1976年、[[ホルヘ・ラファエル・ビデラ|ビデラ将軍]]一派が軍事独裁政権を樹立し、市民運動家らを殺害、一般に 「[[汚い戦争]]」 [[:es:Guerra sucia en la Argentina|Guerra sucia]] といわれる。フォルクローレやタンゴなどの音楽家の[[亡命]]があいつぐ。 *1982年、[[フォークランド紛争]]で、アルゼンチンがイギリスに敗れる。 *1983年、アルゼンチンで軍事独裁政権が倒れ、[[民主化]]なる。 *1983年、パリで『'''[[タンゴアルヘンティーノ]]'''』が初演され大人気となる。タンゴ復興機運が盛り上がる。 *1985年、『'''タンゴ・アルヘンティーノ'''』のブロードウェイ公演成功。 *1994年、フォーエバータンゴがサンフランシスコでロングランの大成功。 *1995年、アルゼンチンでソロ・タンゴ開局 *1997年6月19日〜、[[ブロードウェイ]]で『'''[[フォーエバータンゴ]]'''』で大人気となる。 *1999年2月、『フォーエバータンゴ』が初来日公演 === 2000年 - === *2003年8月、第1回アルゼンチン・タンゴ・ダンス世界大会がブエノスアイレスで開催される。 *2004年6月、第1回アルゼンチン・タンゴ・ダンスアジア大会が東京で開催される。 *2004年、 三重県[[四日市市]]の[[エフエムよっかいち]]で放送されていた番組「[[タンゴをあなたに]]」が、[[2004年]]9月で放送終了し、2004年12月1日からは「[[ブエノスディアス、タンゴでおはよう]]」が帯番組として放送開始。(現在の構成は、コンチネンタル、タンゴアラカルト、今に活きるタンゴ、レトロタンゴ、モダンタンゴの5日制) * 2013年 アルゼンチン・タンゴしか放送しないラジオ番組「[[タンゴアルバム]]」が、放送60年を迎える。 * 2016年 4月13日巨匠[[マリアーノ・モーレス]]死去。 * 2016年 5月31日「ブエノスディアス、タンゴでおはよう」が放送3000回。 * 2016年 8月19日、巨匠[[オラシオ・サルガン]]死去。 *2019年 1月に[[民音タンゴ・シリーズ]]が、通算50回目。 <center><gallery> Camanita Tango 06 (3395529946).jpg Tango_in_Plaza_Dorrego.jpg </gallery></center> ;日本での受容史 [[日本]]では、本場アルゼンチンのタンゴを「アルゼンチン・タンゴ」と呼び、ヨーロッパに渡って変化したタンゴを、(日本の某レコード会社が和製英語を作りだし、それをジャケットなどに印字して日本人をミスリードした結果)「[[コンチネンタル・タンゴ]]」という[[和製英語]]で呼ぶことが行われるようになり<ref group="注">「continental」という英語は、continent(=[[大陸]])から派生した語であり、あくまで「大陸の」という意味である。Oxford Dictionary[https://www.lexico.com/definition/continental]などを参照。</ref>(あるいは「ヨーロッパ・タンゴ」)と呼び、日本でのタンゴの普及は、[[昭和]]初期から[[戦前]]までにアルゼンチンから一部移入がされたものの、その後戦後にかけて移入したのは、むしろヨーロッパからムード音楽の一環としてのそれであり、いわゆる「コンチネンタル・タンゴ」の類であった。すなわち、[[競技ダンス]]・[[社交ダンス]]<ref group="注">[[ソシアルダンス]]</ref>で用いられる1ジャンルのタンゴのための[[ダンス・ミュージック|舞踊音楽]]であった。よって、長らくタンゴと言えば[[マランド]]、[[アルフレッド・ハウゼ]]といったイメージで、多くの場合理解されていた。しかし[[1960年代]]からは[[オスヴァルド・プグリエーセ]]、[[フランシスコ・カナロ]]などの大御所たちもこぞって来日を果たしており、一部の聴衆から熱狂的な支持を生んだ。ただ、楽器の習得や様式の完成に非常に時間がかかり、専門的な教育機関も存在しない日本で学習するのは非常に困難なジャンルという認識もあった。 いったん上記の[[競技ダンス]]や[[社交ダンス]]が一般的には下火になっていた[[1980年代]]後半、米国で成功した「タンゴ・アルヘンティーノ」公演が日本にも移入し、これ以降、[[アルゼンチン・タンゴ]]が普及するようになった。現在は[[鬼怒無月]]のように調性を廃した[[タンゴ・アヴァンギャルド]]、エレクトロニクスをフル活用した[[タンゴ・エレクトロニコ]]などの新たな可能性が日々探られている。[[インターネット]]・[[ラジオ]]も、アルゼンチンではない国からアルゼンチン・タンゴが24時間流れ続ける例<ref group="注">Balázs GyenisのDJによるArgentine Tango Radio Budapestはその典型例。</ref>が存在するなど、新しい聴取者層を獲得している。近年は日本のみならず韓国や台湾などもタンゴの音楽家が続々と増えており、技術的に本場とほぼ変わらないレヴェルのテイクも珍しくない。 == 拍節 == === 二拍子系 === *全般的に鋭い[[スタカート]]を多用する。2/4拍子ないし4/8拍子で、後年4/4拍子でも書かれる。以下4/4拍子で説明する。 **第一拍の[[アウフタクト]]に深い「溜め」をおく。 **第一拍、第三拍に強烈なスタカートをおく。これを徹底すると[[オスヴァルド・プグリエーセ]]の『[[ラ・ジュンバ]]』(La Yumba)になる。 **これらを滑らかにスピードアップすると、[[アストル・ピアソラ]]の3, 3, 2のリズムに違和感なく到達する。<ref group="注">3.3.2の拍で進行するタンゴはピアソラにより有名だが、伝統的にはこれらはタンゴのイディオムではない。</ref> **終止の際には第二拍を際立たせる楽団もあるが(この拍へのニュアンスは楽団ごとにかなり異なり共通見解はなく)、第三拍をわずかに打つ。 *強靱なリズム体の上に、ロマンティックな、時としてメランコリックな主旋律が泣くのがタンゴの魅力である。 *要求されるリズムパターンはTango、Milonga、Habanera、Candombe(少数)、FoxTrot(稀)、の五つである。 === 三拍子系 === *フランシスコ・カナロやオラシオ・サルガン<ref group="注">Alma, corazón y vida-Roberto Goyeneche y Angel Diazなど。</ref>の楽団には三拍子系の作品のテイクも見られる。 *要求されるリズムパターンはValsである。 === 速度 === *伝統的には[[イサーク・アルベニス]]の「タンゴ」で示されている通り、中庸のテンポで踊りに合わせるのが一般的であった。しかし、聴くタンゴが一般化してからは極限まで速度を上げた[[ファン・ダリエンソ]]楽団、中庸のテンポにこだわり続けた[[フランシスコ・カナロ]]楽団、やや遅くともアクセントの鋭さを誇示した[[オスヴァルド・プグリエーセ]]まで様々である。4分の4拍子の場合だと、[[四分音符]]イコール120が平均値。 == 奏法 == 弦楽器の騒音的奏法<ref group="注">[[サブハーモニクス]]ではなく、弓圧を強めたピッチレスのノイズ。</ref>、ヴァイオリン群による集団グリッサンド<ref group="注">トロイロが使っている。</ref>、バンドネオン本体への打撃、コントラバスのコルレーニョバトゥット<ref group="注">プグリエーセが使っている。</ref>、ピアノとバンドネオンのトーンクラスター<ref group="注">1960年代以降プグリエーセが多用している。</ref>が典型例だがピアノの[[内部奏法]]はタンゴ・アヴァンギャルドを除いて行われることがない。 == 演奏形態 == === アルゼンチン・タンゴ === {{main|アルゼンチン・タンゴ}} [[バンドネオン]]が用いられることが特徴である。また、非常に鋭い[[スタカート]]でリズムを刻むにもかかわらず打楽器を欠く。オルケスタティピカ<ref group="注">[[ヴァイオリン]](3人以上)、[[バンドネオン]](3人以上)、[[ピアノ]]、[[コントラバス]]をふくむ「標準編成の楽団」の意。</ref>に始まりキンテート<ref group="注">ヴァイオリン、バンドネオン、ピアノ、[[コントラバス]]、[[ギター]]各1を含む「五重奏団」の意。</ref>を通過し、現在はこの枠ではくくれない編成も多い。またバンドネオンなしのピアノと弦のみの演奏もある。ギターの伴奏と歌によるタンゴも、[[カルロス・ガルデル]]らが録音を残し高く評価されている。<ref group="注">そもそも、タンゴはバンドネオンなしから始まった民俗音楽である。</ref>[[アストル・ピアソラ]]の作品のように、[[クラシック音楽]]の演奏家によりクラシック音楽のスタイルで演奏されるものもある。特に、1950年代後半頃から[[アコースティックギター]]なども使われるようになってきた。 少しでも伝統を外すと「タンゴのイメージに合わない」・「[[アルゼンチン・タンゴ]]を騙っているだけ」という苦情が寄せられることも多く、[[ウルグアイ]]と[[アルゼンチン]]ですら激しい対立があることで有名だが、多種多様な実験が多くの聴衆に受け入れられてきたことも事実なのである。 === ヨーロッパのタンゴ === 楽器編成は通常のポピュラー音楽での[[管弦楽]]編成に近い。[[ムード音楽]]的演奏から、[[マランド]]のように歯切れの良いリズムを重視したアルゼンチンスタイルに近い演奏までさまざまである。一般的には[[アコーディオン]]が用いられるため、バンドネオンの鋭いスタッカートではなく、オーケストラの分厚いくぐもったスタッカートが多い。 ヨーロッパのタンゴは日本では「[[コンチネンタル・タンゴ]]」という[[和製英語]]で呼ばれているが、正しい英語では「European Tango ヨーロピアン・タンゴ」と言い、ヨーロッパで大雑把にひとくくりにしたがる人がいても、実際には国ごとにそれなりに傾向は異なり、ジャーマン・タンゴ、ロシアン・タンゴ、フィニッシュ・タンゴ、フレンチ・タンゴ、チロリアン・タンゴ、ダッチ・タンゴ、デニッシュ・タンゴなど各国ごとのタンゴに細分化することも可能である。 {{Seealso|コンチネンタル・タンゴ}} 北欧[[フィンランド]]のタンゴ(フィニッシュ・タンゴ)はどうかと言うと、フィンランドでは1910年代からタンゴ演奏が始まったため、日本より伝統が長い。[[アコーディオン]]が使われる。「[[調|短調]]にこだわり哀調を帯びさせる」ことが必須になっており、朗らかさは無く、その点で[[南ヨーロッパ|南欧]]のタンゴとは異なっている。現在は[[アストル・ピアソラ国際演奏コンクール]]の優勝者も輩出するなど、演奏の質の高さには定評がある。毎年必ず行われる[[w:Tangomarkkinat|Tangomarkkinat]]が有名。 === アメリカン・タンゴ === 小編成が圧倒的に多い。アルゼンチン・タンゴの中になかった楽器<ref group="注">トロンボーンを入れるTango No.9。</ref>も積極的に取り入れられており、なおかつコンチネンタル・タンゴのような妥協を行わない点が特徴。 === ジャパニーズ・タンゴ === かつては[[オルケスタ・ティピカ・東京]]、[[坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニヤ]]のようなオルケスタ・ティピカを組織するのが一般的であったが、1970年代の低迷期に入ってからは小編成が有力となった。[[アルフレッド・ハウゼ]]楽団のようなコンチネンタル・タンゴの人気も日本ではかなりある。1990年代は日本でもアストル・ピアソラが人気を博したこともあり、ピアソラ・スタイルを表面的に模倣した楽団も見られた。1970年から毎年必ず行われる[[民音タンゴ・シリーズ]]が有名で、同シリーズは2019年時点で50回を重ねている。 1979年のジャパニーズ・タンゴとは「[[法被]]を着てバンドネオンを弾き、着物を着て歌を歌い、LPジャケットには富士山が描かれる」といったステレオタイプなもの<ref group="注">これで絶大な人気が出て、プロモーターは願ったりかなったりという時代が1966-67年ごろである。</ref>を指していた。2010年代は、このようなスタイルを日本人がとることは最早ない。 日本は1940年代に戦争の影響で音楽活動が制限されたために、「1940年代こそアルゼンチン・タンゴの全盛期であった」とする現地民と意見が食い違うタンゴ・ファンは今もなお1910-30年代生まれの日本人に多い。日本人にとってのタンゴの黄金期は1920年代末期を完璧に演じきった[[オルケスタ・ティピカ・ヴィクトル]]で知られる1927年前後、日本のタンゴ楽団の活動と活発なAM放送による啓蒙で知られる1954年前後、そしてインターネットによる新たなファン獲得に成功した2010年代<ref group="注">この時期の民音タンゴシリーズに招聘された[[コロール・タンゴ]]などの「巨匠の後継楽団」がオールドファンにも新規ファンにも好評であったことが原因とみられる。</ref>を印象に残る日本にとっての黄金期と捉える人物が多い。 == 演奏解釈 == タンゴでは、作曲者の作ったメロディーは大切にされるものの、演奏する楽団の編曲により、新たな旋律や副旋律がつけられたり、変奏 variación がつけられたりすることが当然のようになっている。 たとえば、『[[ラ・クンパルシータ]]』は、[[ヘラルド・マトス・ロドリゲス]]の作曲したメロディーの他に、[[ロベルト・フィルポ]]が付け加えた中間部が好評を呼び、著名度が高いタンゴとなった。 タンゴについては、やはり演奏する楽団の編曲の良し悪しが、聴いている聴衆の満足度につながるものとされる。これはバッハのコラール編曲と事情が似ており、コラール原曲より付された対旋律のほうが有名、といった古事を継承している。 なお、楽譜からはずれる即興演奏は、避けられる方向であったが、アストル・ピアソラのように即興演奏を好むタンゴ演奏家もいる。ピアソラは徹底的に「書き譜」を売ることで顰蹙を買ったが、タンゴ楽団の譜面には自分たちの芸風を示したメモは一切書かないのが本当は主流で、伝統的にはすべて演奏様式は口承である。 [[アストル・ピアソラ]]やそれ以降の楽団の[[モダンタンゴ]]の解釈については、古くからのタンゴ愛好家で違和感を覚えるような声が多くあった。これは、ジャズやジプシー楽団から引き抜かれた人物が独自の癖を披露したからである。その一方で、そのモダンタンゴに感銘を覚えるタイプのタンゴ愛好家も増えてきている。21世紀に入ると、古典またはアルカイックタンゴ専門の楽団も出現している。 == 歌唱 == === タンゴの歌詞のスペイン語 === タンゴの曲の多くには、[[スペイン語]]([[リオプラテンセ・スペイン語]])の歌詞がついているが、"La última curda" ('''[[最後の酔い]]''') の "curda"(酔い) のようにブエノスアイレス地方の俗語である [[ルンファルド]] ([[:es:lunfardo|lunfardo]]) がよく用いられる。日本の西和辞典で引きづらいこともしばしばである。 また、vos (あんた,túに相当する) およびそれに相当するという南米の言い回し[[ボセオ]]([[:es:voseo|voseo]]) が出てくることもある。 :¡Volvé! - 戻ってきて! :¡Ya sé, no me digás! ¡Tenés razón! - 分かったから、俺に言うなよ!その通りだ! …… 意訳「[[最後の酔い]]」から [[ボセオ]]については、日本の西和辞典では、具体的な活用形ですらも取り上げられているとはいえない状態である。英語の [[:en:voseo|voseo]] や、その他のサイトで調べるしかない。 === ひとつのタンゴに、違った複数の歌詞がつけられる === 『[[ラ・クンパルシータ]]』のように、ひとつのタンゴの曲に、違った複数の歌詞が付けられることがある。 よく知られた例 『[[ラ・クンパルシータ]]』『[[エル・チョクロ]]』『[[フェリシア (曲)|フェリシア]]』 === 作詞者に敬意が示されている === タンゴの歌詞について、『[[カミニート]]』([[:es:Caminito (canción)|Camnito]]) の ガビノ・コリア・ペニャロサ [[:es:Gabino Coria Peñaloza|Gabino Coria Peñaloza]] や、 『[[スール (曲)|スール]]』(Sur) の [[オメロ・マンシ]] [[:es:Homero Manzi|Homero Manzi]] のように、作者に敬意が表される場合も少なくない。歌詞が文学的なタンゴは歌がつけられた演奏になる傾向にある。地名・招聘した人物への敬意が示されていることもある(輝ける東京)。 また[[ラ・ファン・ダリエンソ]]や[[コロール・タンゴ]]のような先人の発明を継承した「後継楽団」が多いのもタンゴの特徴で、メンバー紹介には誰から後継を行ったのかが丁寧に書かれていることがある。 === 歌詞なし演奏も当たり前 === 歌詞なしで演奏されることも、ごく普通である。『[[フェリシア (曲)|フェリシア]]』や『[[パリのカナロ]]』のように、歌詞なし演奏がほとんどの曲もある。 また『[[レスポンソ]]』や『[[とろ火で]]』のように歌詞がつけられていない場合もある。 === スペイン語以外の歌詞がつけられているタンゴ === 原曲にスペイン語の歌詞がつけられているタンゴに、別の言語の歌詞がつけられる場合もある。『[[エル・チョクロ]]』([[:es:El choclo|El choclo]])は英語の歌詞がつけられ『キッス・オブ・ファイア』([[:en:Kiss of Fire|Kiss of Fire]] )としてアメリカで歌われヒットした。 日本では、[[菅原洋一]]が[[第31回NHK紅白歌合戦]]で『[[ラ・クンパルシータ]]』を日本語の歌詞で歌った。冴木杏奈が着物姿で『[[カミニート]]』を歌っている映像が YouTube で、アップロードされている。[[淡谷のり子]]も日本語の歌詞で『ラ・クンパルシータ』や『[[ジーラ・ジーラ]]』を歌っていた。 原語がスペイン語でない歌が、タンゴとして演奏される場合もある。たとえば[[シャンソン]]の『[[小雨降る径]]』("Il pleut sur la route")や『[[恋心 (シャンソン)|恋心]]』("L'amour, c'est pour rien" )がタンゴとして演奏される場合もある。[[ファン・ダリエンソ]]楽団はサービスと称してスペイン語で原曲を歌わせ、そのまま日本語の訳詞で歌わせる、ということも行わせた。 ファンサービスとして[[ファン・ダリエンソ]]楽団は「スペイン語の歌詞の音楽は日本語でも歌えます!」と主張して、(強引に)翻訳された歌詞を専属歌手に歌わせ、その録音が残っている。<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=OiDOy7R5oF0 外部リンク]</ref> === メドレー === 複数の作品のサビを数曲ほど接合させる例(トロイロ)もある。これは先人への敬意が込められる。このような形態では歌手は歌わない。 === ラテン音楽の規則と近代和声法の規則のせめぎあいや禁則の頻発 === [[ラテン音楽]]は原則的にスリーコード(つまりトニック(I)、サブドミナント(IV)、ドミナント(V, VII))のみで進む鉄則があるため、これを破ろうとする者は「前衛」「異端」と呼ばれていた。 四声和声法では「[[主旋律]]が[[アルペジオ]]のような動きをするのはやめましょう」というのが鉄則だが、古典タンゴの代表作『フェリシア』のように、最初からメロディーが[[アルペジョ]]で動くことも普通に行われる。さらに、[[アルフレド・デ・アンジェリス]]楽団はベースや中声部のバンドネオンがアルペジョで動くこともある珍しい集団である。 [[モダンタンゴ]]の時代に入ると[[近代和声]]の影響を徐々に受けて減ったが、それでもバンドネオンセクションは依然として平行進行が好まれる。また[[ファン・ダリエンソ]]楽団の『Sentimento Gaucho』に至ってはメロディーとベースがサビで有名な'''連続8度'''を行うなど、西洋楽器を使いつつ西洋音楽の規則では説明のつかないことが頻発する。(なお和声法や対位法の規則を守らない、という現象は、[[バッハ]]や[[ベートーヴェン]]のようなクラシック音楽の名作においてすら、頻繁に発生している。) 楽曲を編曲しなおす楽団も数多く、[[オスバルド・プグリエーセ]]楽団や[[エドゥアルド・ロビーラ]]はバンドネオンの左手や弦楽セクションを用いて[[対位法]]的な趣味を前面に打ち出しており、近代和声や対位法の規則を(途中から、それなりに)意識したようである。タンゴ黎明期から黄金期にかけての作品が和声法と対位法を守っていないわけだが、一体どこまでがミスでどこからが意図的なのかについては明らかにされていない。 タンゴは、器楽では楽に演奏できても声楽では歌唱が厳しいメロディーラインが多く、歌手は「アルペジョにはいると加速または減速がはいる」独特の修練を必要とする。 == 他の種類の音楽との関連 == === フォルクローレ === タンゴは、始めは[[フォルクローレ]]から出発した。初期のタンゴでは、ギター・[[ヴァイオリン]]・[[フルート]]のアンサンブルで演奏されて、バンドネオンは定着せず、[[ミロンガ]]・[[カンドンベ]]と同種のラプラタ諸国の[[民俗音楽]]であった。バンドネオンの導入により、タンゴは(他のフォルクローレと)差別化がなされるようになった。ミロンガについては、タンゴとして演奏されることもある。 [[カルロス・ガルデル]]は、フォルクローレ歌手として活動を始めて、その後タンゴを歌いだした。ガルデルの歌にギター伴奏のタンゴに、タンゴ愛好家の人気があり、今でも頻繁に聴くことができる。 また、タンゴ楽団による[[ヴァルス]](バルスとも呼ばれる)すなわちアルゼンチン当地の[[ワルツ]]の演奏も、よく聴かれ、[[フランシスコ・カナロ]]楽団の『[[黄金の心]]』(Corazón de oro)が有名である。 ブエノスアイレスのタンゴ生演奏の店[[タンゲリア]] tanguería では、フォルクローレの演奏も行っているところもある。東京の六本木にありタンゴバプとして有名だった店 「[[六本木カンデラリア]]」 (閉店) の店主の[[高野太郎]]は、フォルクローレ歌手である。タンゴもフォルクローレも、どちらもレパートリーとしている歌手も、目立つ。 === クラシック音楽 === [[エドガルド・ドナート]]がクラシック系統の音楽学校であるフランツリスト音楽院の優等生だったように、アルゼンチンでも日本もふくめ他地域でもクラシック音楽を専門的に学んだ人がタンゴ界で活躍することは、めずらしくない。 タンゴも最初期の『[[エル・エントレリアーノ]]』から、半音階をとりいれたりしている。また、[[カデンツァ]]など、クラシック音楽の用法が、タンゴに応用されている。スペインのクラシック音楽の作曲家[[イサーク・アルベニス]]も、有名な『[[タンゴ (アルベニス)|タンゴ ニ長調]]』(「アルベニスのタンゴ」)を作曲している。『[[ビクトリア・ホテル]]』の作曲者のフェリシアーノ・ラタサはクラシック音楽の作曲家と伝えられている。 クラシック音楽に対抗意識をもちつつ対話していたタンゴの権威に[[アストル・ピアソラ]]がいて、アルゼンチンに来た[[アルトゥール・ルービンシュタイン]]に自作の曲を見てもらったり、[[ナディア・ブーランジェ]]から作曲を学んでいたというエピソードがある。 また、クラシック音楽家でも、演奏にタンゴをあえて選ぶ人も出てきている。チェロ奏者の[[ヨーヨー・マ]]が、ピアソラ作曲の『[[リベルタンゴ]]』を演奏曲目に選んでいる。 === ジャズ === [[エドガルド・ドナート]]は、ウルグアイのジャズのカルロス・ウォーレン楽団に所属していたこともある。[[フランシスコ・ロムート]]は、ジャズピアニストとしても活躍していたこともあった。[[アストル・ピアソラ]]は少年期はタンゴよりもジャズを好んでいたといわれている。 タンゴも時代が下りモダンタンゴに近づくと、ジャズの影響が見られる曲も増えてくる。ちなみに、ピアソラは、ジャズ・タンゴを提唱しているし、ジャズの演奏家としている表現もみかける。タンゴもジャズも、ピアノとコントラバスとギターという楽器を使用するということでは、共通している。[[アティリオ・スタンポーネ]]楽団や[[ネストル・マルコーニ]]楽団は、ジャズのリズムやピアノソロを全面に押し出すなど、[[タンゴ・アヴァンギャルド]]ではジャズのイディオムも解禁されている。<ref>[https://archive.is/uKOnK 外部リンク]</ref><ref>[https://archive.is/2JqSE 外部リンク]</ref> ただ、ジャズの曲をタンゴとして演奏されたりすることは、なかなかありえない。『エル・チョクロ』を『キッス・オブ・ファイア』([[:en:Kiss of Fire|Kiss of Fire]])として、ジャズで演奏されて注目されたことがある。『[[アディオス・ムチャーチョス]]』についてアメリカのジャズの権威の[[ルイ・アームストロング]]の歌の録音もある。アメリカの[[ルロイ・アンダーソン]]の『[[ブルー・タンゴ]]』([[:en:Blue Tango|Blue Tango]])が、ジャズ楽団でも演奏されている。それ以外の例で、モダンタンゴ以外のタンゴがジャズとして演奏されることはあまりない。 1940年代を過ぎると[[フランチーニ=ポンティエル楽団]]やサルガン楽団、トロイロ楽団は近代和声を拡張したジャズに影響された大胆な和声を積極的に織り込むようになった。この展開を嫌い、古典和声にこだわり続けたダリエンソやデ・アンジェリスのような硬派のタンゴ楽団もいる。近代和声を用いた名曲の第一号が[[マリアーノ・モーレス]]の『Uno(1943)』という見解を示す識者は多い。この作品はジャズのようなナインスコードが偶発的に出現するが、このような艶のある表現はレトロタンゴの時代では決してみられなかった。 === シャンソン === 『[[小雨降る径]]』と『[[恋心 (シャンソン)|恋心]]』については、タンゴとして演奏される場合がある。(なお、逆にタンゴの曲がシャンソンとして歌われる例はあまり見当たらない。) 日本ではタンゴ歌手として出発した[[菅原洋一]]がシャンソンを歌った。シャンソン歌手の[[高英男]]が[[第12回NHK紅白歌合戦]]で、同じくシャンソン歌手の[[芦野宏]]が[[第13回NHK紅白歌合戦]]で『[[カミニート]]』を歌った。シャンソン生演奏の店シャンソニエで、月何回か、タンゴの生演奏を行うところもある。 === ラテン === スペインの歌手の[[フリオ・イグレシアス]]や、メキシコの[[トリオ・ロス・パンチョス]]のように、タンゴ歌手でないスペイン語圏の歌い手も、タンゴのレコード録音がヒットすることもある。 == 作曲家 == === 著名なタンゴの曲の作曲者 === *[[アンヘル・ビジョルド]] [[:es:Ángel Villoldo|Ángel Villoldo]] (1861年?〜1919年) *[[ロセンド・メンディサーバル]] [[:es:Rosendo Mendizábal|Rosendo Mendizábal]] (1868年〜1913年) *[[エンリケ・サボリド]] [[:es:Enrique Saborido|Enrique Saborido]] (1877年〜1941年) *[[ロベルト・フィルポ]] [[:es:Roberto Firpo|Roberto Firpo]] (1884年〜1969年) *[[フアン・デ・ディオス・フィリベルト]] [[:es:Juan de Dios Filiberto|Juan de Dios Filiberto]] (1885年〜1964年) *[[フランシスコ・カナロ]] [[:es:Francisco Canaro|Francisco Canaro]] (1888年〜1964年) *[[カルロス・ガルデル]]  [[:es:Carlos Gardel|Carlos Gardel]] (1890年?〜1935年) *[[エドゥアルド・アローラス]] [[:es:Eduardo Arolas|Eduardo Arolas]] (1892年〜1924年) *[[フランシスコ・ロムート]] [[:es:Francisco Lomuto|Francisco Lomuto]] (1893年〜1980年) *[[ファン・カルロス・コビアン]] [[:es:Juan Carlos Cobián|Juan Carlos Cobián]] (1896年〜1953年) *[[エドガルド・ドナート]] [[:es:Edgardo Donato|Edgardo Donato]] (1897年〜1963年) *[[ヘラルド・マトス・ロドリゲス]] [[:es:Gerardo Matos Rodríguez|Gerardo Matos Rodríguez]] (1900年〜1948年) *[[オスヴァルド・プグリエーセ]] [[:es:Osvaldo Pugliese|Osvaldo Pugliese]] (1905年〜1995年) *[[アニバル・トロイロ]] [[:es:Aníbal Troilo|Aníbal Troilo]] (1914年〜1975年) *[[オラシオ・サルガン]] [[:es:Horacio Salgán|Horacio Salgán]] (1916年〜2016年) *[[アストル・ピアソラ]] [[:es:Astor Piazzolla|Astor Piazzolla]] (1921年〜1991年) === タンゴと名付けられた作品を書いた著名な作曲者 === *[[コンロン・ナンカロウ]] - Tango? *[[トム・ジョンソン]] - Tango *[[近藤譲]] - 記憶術のタンゴ *[[マイケル・フィニスィー]]<ref>{{Cite web |url = https://global.oup.com/academic/product/twenty-three-tangos-9780193726444?cc=gb&lang=en|title = Twenty-Three Tangos|website = global.oup.com|publisher = global.oup.com|date = |accessdate = 2021-12-22}}</ref> - 23のタンゴ *[[西村朗]] - タンゴ *[[イサーク・アルベニス]] - タンゴ *[[ウィリアム・ボルコム]] - ラグ-タンゴ == 演奏家 == === アルゼンチン・ウルグアイ === ==== バンドネオン奏者 ==== *[[オスバルド・フレセド]] [[:es:Osvaldo Fresedo|Osvaldo Fresedo]] *[[ミゲル・カロー]] [[:es:Miguel Caló|Miguel Caló]] *[[アストル・ピアソラ]] *[[エドゥアルド・ロビーラ]] [[:es:Eduardo Rovira|Eduardo Rovira]] *[[レオポルド・フェデリコ]] [[:es:Leopoldo Federico|Leopoldo Federico]] ==== ヴァイオリン奏者 ==== *[[フランシスコ・カナロ]] *[[フリオ・デ・カロ]] [[:es:Julio de Caro|Julio de Caro]] *[[ファン・ダリエンソ]] [[:es:Juan D'Arienzo|Juan D'Arienzo]] ==== ピアニスト ==== *[[ファン・カルロス・コビアン]] *[[オスヴァルド・プグリエーセ]] *[[カルロス・ディサルリ]] [[:es:Carlos Di Sarli|Carlos Di Sarli]] *[[フランシスコ・ロムート]] === ドイツ === ==== ドイツのヴァイオリン奏者 ==== *[[アルフレッド・ハウゼ]] [[:de:Alfred Hause|Alfred Hause]] === 日本 === ==== 日本のバンドネオン奏者 ==== *[[早川真平]] *[[坂本政一]] *[[池田光夫]] *[[森川倶志]] *[[門奈紀生]] *[[京谷弘司]] *[[米山義則]] *[[小川紀美代]] *[[小松亮太]] *[[三浦一馬]] *北村聡 *早川純 *鈴木崇朗 ==== 日本のピアニスト ==== *[[小松真知子]] *青木菜穂子 ==== 日本のヴァイオリン奏者 ==== *[[桜井潔]] *[[志賀清]] *[[鄭英徳]] *[[近藤久美子]] *[[会田桃子]] ==== 日本のダンサー ==== *[[アレハンドロ・ザッコ]] *小林太平 *チヅコ - 2010年タンゴダンス世界選手権ステージ部門チャンピオン *[[アクセル・アラカキ]] - 2017年タンゴダンス世界選手権ステージ部門チャンピオン == 歌手 == === アルゼンチン・ウルグアイの歌手 === *[[カルロス・ガルデル]](ギターも) *[[ロシタ・キロガ]] *[[メルセデス・シモーネ]] *[[リベルタ・ラマルケ]] *[[エドムンド・リベロ]] *[[ロベルト・ゴジェネチェ]] *[[フリオ・ソーサ]] *[[スサーナ・リナルディ]] === 日本の歌手 === *[[藤沢嵐子]] *[[菅原洋一]] *[[阿保郁夫]] *[[冴木杏奈]] *[[香坂優]] *[[ロベルト杉浦]] (現地のテレビショーにでていたときの芸名はTakafumi<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.jvcmusic.co.jp/-/Profile/A023106.html|title = 本名の「タカフミ」の愛称で|website = www.jvcmusic.co.jp|publisher = www.jvcmusic.co.jp|date = |accessdate = 2021-10-06}}</ref>) == 楽団 == === タンゴ黎明期の楽団 === *[[アヘシラオ・フェラサーノ]]楽団 Agesilao Ferrazzano *[[フリオ・ポジェーロ]]楽団 *[[ファン・ギド]]楽団 *[[ルイス・ペトルチェリ]]楽団 *[[ロベルト・フィルポ]]楽団 ([[ラ・クンパルシータ]]の世界初録音を行った) *[[カジェタノ・プグリッシ]]楽団 *[[アドルフォ・カラベリ]]楽団 *[[エドガルド・ドナート]]楽団 *[[フランシスコ・ロムート]]楽団 *[[ペドロ・マフィア]]楽団 === ラウル・オウテーダの選んだタンゴ十大楽団 === *[[フリオ・デ・カロ]]六重奏団 *[[オスバルド・プグリエーセ]]楽団 Orquesta de Osvaldo Pugliese *[[カルロス・ディサルリ]]楽団 *[[アニバル・トロイロ]]楽団 *[[オスバルド・フレセド]]楽団 *[[フランシスコ・カナロ]]楽団 Orquesta de Francisco Canaro *[[フランチーニ=ポンティエル楽団]]([[エンリケ・マリオ・フランチーニ]]と[[アルマンド・ポンティエル]]) *[[ミゲル・カロー]]楽団 *[[オラシオ・サルガン]]楽団 *[[アルフレド・ゴビ]]楽団 === DJバラーシュの選んだタンゴ十大楽団 === このように<ref>[https://balazstango.blogspot.com/2016/02/10-orchestras-20-singers-40-tangos.html balazs's selection]</ref>多くのタンゴ楽団に接した者ほど、[[アストル・ピアソラ]]を避ける傾向にある。ラウル・オウテーダも同様である。 === タンゴ黄金期の楽団 === *[[ファン・ダリエンソ]]楽団 Orquesta De Juan D'Arienzo *[[フロリンド・サッソーネ]]楽団 *[[オルケスタ・ティピカ・ヴィクトル]] OTV *[[リカルド・タントゥリ]]楽団 *[[アルフレド・デ・アンジェリス]]楽団 *[[ロドルフォ・ビアジ]]楽団 *[[アンヘル・ダゴスティーノ]]楽団 *[[エンリケ・ロドリゲス]]楽団 *[[ルシオ・デマレ]]楽団 *[[オルケスタ・ティピカ・ブルンスビック]] OTB === そのほかの楽団 === *[[キンテート・レアル]] Quinteto Real *[[新生五重奏団]] *[[リカルド・サントス]]楽団 *[[マランド]]楽団 Malando Orchestra *[[タマンゴ]] Tamango *[[コロール・タンゴ]] (プグリエーセ後継楽団) *[[ラ・ファン・ダリエンソ]] (ダリエンソ後継楽団) *[[タニ・スカラ]]楽団 === 日本の楽団 === *[[タンゴ・クリスタル]] *[[ザ・タンギスツ]] *[[タンゴ倭]] (自作自演を行える楽団) *[[早川真平とオルケスタ・ティピカ・東京]] *[[オルケスタ・ティピカ・大阪]] *[[オルケスタ・アストロリコ]] *[[北村維章と東京・シンフォニック・タンゴ・オーケストラ]] *[[西塔祐三とオルケスタ・ティピカ・パンパ]] *[[坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニヤ]] == 有名な作品 == === アルゼンチン・タンゴ起源-黎明期 === '''〜1910年頃''' [[ロセンド・メンディサーバル]] 作曲 *[[エル・エントレリアーノ]] [[:es:El entrerriano|El entrerriano]] [[アンヘル・ビジョルド]] 作曲 *[[エル・チョクロ]] [[:es:El choclo|El choclo]] ドミンゴ・サンタ・クルス Domingo Santa Cruz 作曲 *[[市民連合 (ドミンゴ・サンタ・クルスの曲)|市民連合]] Unión Cívica フェリシアーノ・ラタサ Feliciano Latassa 作曲 *[[ビクトリア・ホテル]] Hotel Victoria [[エンリケ・サボリド]] 作曲 *[[フェリシア (曲)|フェリシア]] felicia *[[ラ・モローチャ]] La morocha ホセ・ルイス・パドゥラ José Luis Padula 作曲 *[[7月9日 (曲)|7月9日]] Nueve de julio [[ビセンテ・グレコ]] [[:es:Vicente Greco|Vicente Greco]] 作曲 *[[黒い瞳 (ビセンテ・グレコの曲)|黒い瞳]] Ojos negros *[[ロドリゲス・ペーニャ]] Rodríguez Peña === アルゼンチン・タンゴ起源-黄金期 === '''1910年頃〜1940年頃''' [[アグスティン・バルディ]] [[:es:Agustín Bardi|Agustín Bardi]] 作曲 *[[ティンタ・ベルデ]] Tinta verde *[[ロレンソ (曲)|ロレンソ]] Lorenzo [[ロベルト・フィルポ]] 作曲 *[[夜明け (ロベルト・フィルポの曲)|夜明け]] El amanecer [[ヘラルド・マトス・ロドリゲス]] 作曲 *[[ラ・クンパルシータ]] [[:es:La Cumparsita|La Cumparsita]] ペレグリーノ・パウロス Peregrino Paulos 作曲 *[[インスピラシオン]] Inspiración [[フランシスコ・ロムート]] 作曲 *[[シ・ソイ・アシ]] Si soy así *[[ソンブラス・ナダ・マス]] Sombras nada más [[エドガルド・ドナート]] 作曲 *[[淡き光に]] A media luz *[[台風 (曲)|台風]] El huracán ヘスス・ベントゥーラ Jesús Vntura 作曲 *[[大きな人形]] A la gran muñeca [[エドゥアルド・アローラス]]作曲 *[[デレーチョ・ビエホ]] Derecho viejo *[[ラ・カチーラ]] La cachila エンリケ・デルフィノ Enrique Delfino 作曲 *[[レ・ファ・シ]] Re fa si サムエル・カストリオータ Samuel Castriota 作曲 *[[わが悲しみの夜]] [[:es:Mi noche triste|Mi noche triste]] [[フアン・デ・ディオス・フィリベルト]] 作曲 *[[カミニート]] [[:es:Caminito (canción)|Caminito]] *[[バンドネオンの嘆き]] [[:es:Quejas de bandoneón|Quejas de bandoneón]] マヌエル・ホベス Manuel Jovés 作曲 *[[パトテロ・センティメンタル]] Patotero sentimental [[カルロス・ガルデル]] 作曲 *[[わが懐かしのブエノスアイレス]] [[:es:Mi Buenos Aires querido|Mi Buenos Aires querido]] *[[想いの届く日]] [[:es:El día que me quieras|El día que me quieras]] *[[シレンシオ]] Silencio *[[ポル・ウナ・カベサ]] [[:es:Por una cabeza|Por una cabeza]] セパスティアン・ピアナ Sebastián Piana 作曲 *[[ミロンガ・センチメンタル]] Milonga sentimental [[カトゥロ・カスティージョ]] [[:es:Cátulo Castillo|Cátulo Castillo]] 作曲 *[[たそがれのオルガニート]] [[:es:Organito de la tarde|Organito de la tarde]] フアン・デアンブロージョ Juan Deambroggio 作曲 *[[場末のバンドネオン]] Bandoneon arrabalero [[エンリケ・サントス・ディセポロ]] [[:es:Enrique Santos Discépolo|Enrique Santos Discépolo]] 作曲 *[[ジーラ・ジーラ]] Yira,yira [[ペドロ・ラウレンス]] Pedro Laurenz 作曲 *[[デ・プーロ・グアポ]] De puro guapo フリオ・セサル・サンデルス Julio Cécar Sanders 作曲 *[[アディオス・ムチャーチョス]] Adiós muchachos [[フランシスコ・カナロ]] 作曲 *[[最後の盃]] La última copa *[[マドレセルバ]] Madreselva *[[ガウチョの嘆き]] Sentimiento gaucho アレハンドロ・スカルピーノ Alejandro Scarpino & ファン・カルダレーラ Juan Caldarella 作曲 *[[パリのカナロ]] Canaro en Paris ファン・カルロス・コビアン 作曲 *[[ノスタルヒアス]] Nostargias === アルゼンチン・タンゴ起源-過渡期 === '''1940年頃〜1960年頃''' [[フランシスコ・カナロ]] & [[マリアーノ・モーレス]] 作曲 *[[さらば草原よ]] Adiós pampa mía [[マリアーノ・モーレス]] [[:es:Mariano Mores|Mariano Mores]] 作曲 *[[タンゲーラ]] Tanguera *[[ウノ (マリアーノ・モーレスの曲)|ウノ]] Uno *[[軍靴の響き]] Taquito militar [[オスヴァルド・プグリエーセ]] 作曲 *[[レクエルド]] Recuerdo *[[ラ・ジュンバ]] La Yumba [[アニバル・トロイロ]]作曲 *[[タンゴの街]] Barrio de tango *[[マリア (フロレアル・ルイスの曲)|マリア]] María *[[最後の酔い]] La última curda *[[スール (曲)|スール]] Sur *[[レスポンソ]] Responso *[[チェ・バンドネオン]] Che bandoneón [[ファン・カナロ]] Juan Canaro 作曲 *[[カナロ・エン・ハポン]] Canaro en Japón ===アルゼンチン・タンゴ起源-復興期=== '''1950年頃〜''' [[オラシオ・サルガン]]作曲 *[[ドン・アグスティン・バルディ]] Don Agustín Bardi *[[とろ火で]] A fuego lento [[アストル・ピアソラ]]作曲 *[[アディオス・ノニーノ]] Adiós nonino *[[リベルタンゴ]] Libertango *[[フラカナーパ]] Fracanapa === コンチネンタル・タンゴ起源 === 作曲者の国籍より分類 '''ドイツ''' ヨゼフ・リクスナー [[:de:Josef Rixner|Josef Rixner]] 作曲 *[[碧空]] Blauer Himmel ハンス・オットー・ボルグマン [[:de:Hans-Otto Borgmann|Hans-Otto Borgmann]] 作曲 *[[夜のタンゴ]] Tango notturno '''デンマーク''' [[ヤーコブ・ガーデ]] [[:en:Jacob Gade|Jacob Gade]] 作曲 *ジェラシー Jalousie '''フランス''' [[ジョルジュ・ビゼー]] Geroge Bizet 作曲 *真珠採り Perlefisher ヘンリー・ヒンメル Henry Himmel 作曲 *[[小雨降る径]] Il pleut sur la route '''アメリカ合衆国''' [[ルロイ・アンダーソン]] [[:en:Leroy Anderson|Leroy Anderson]] 作曲 *[[ブルー・タンゴ]] [[:en:Blue Tango|Blue Tango]] == 補遺 == * [[12月11日]]は、タンゴの日である。 ** [[2004年]]からアルゼンチン全国の記念日とされている。[[カルロス・ガルデル]]と[[フリオ・デ・カロ]]の誕生日が当日ということで決められた。 * [[NATOフォネティックコード]]ではTのことを'''Tango'''と表す。 ** 軍隊や警察などで[[テロリスト]]の通称として使われる。'''T'''erroristのTから採られている。 * [[ニコニコ動画]]には[[アルゼンチン・タンゴ]]のアップロード数は、ピアソラやダリエンソのような例外を除いて極めて少なかった。しかし2010年代から[[ボカロタンゴ]]と呼ばれるジャンルの動画投稿が活発化し、2016年現在30件以上のヒットがある。アルゼンチン・レトロタンゴからの伝統を継いでいるとは言えないが、新規のリスナーを獲得している。 * [[mixi]]のコミュニティに至っては、ピアソラが6000超のメンバーを抱えるのに対してプグリエーセはその1/60以下になり、その他の巨匠に至ってはコミュニティそのものがない。 ** [[YouTube]]や[[Facebook]]や[[Spotify]]ではそのようなことはないことから、[[日本]]に関する限りタンゴの愛好家の高齢化を指摘する声も多い。 * タンゴの楽団は親日家が多いこともあってコンチネンタル・タンゴ、アルゼンチン・タンゴ、タンゴ・アヴァンギャルド問わず幅広く来日しており、LP時代は専属楽団も抱えるほど日本はタンゴを耳にする機会の多い国家であった。 ** [[キユーピー・バックグラウンド・ミュージック]]、[[黒ネコのタンゴ]]、[[だんご三兄弟]]など、日本とタンゴとのかかわりを示す証拠は多い。スペイン人の日本来訪が16世紀半ば、そしてスペイン人のアルゼンチンの植民化が完全に同じ時期である。21世紀に入り、[[台湾]]や[[大韓民国]]もタンゴに興味を持っているようである。 * [[ヤマハ音楽教室]]の専門コースの教材には、「[[ブルー・タンゴ]]」が使われていた時がある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連文献 == *Barreiro, Javier (1985). El tango. Gijón: Júcar. ISBN 84-334-2064-X. *Bottomer, Paul (1999). Tango. Madrid: Susaeta. *Cadícamo, Enrique (1973). Café de camareras. Buenos Aires: Sudamericana. *Ferrer, Horacio (1980). Libro del tango: arte popular de Buenos Aires (3 tomos). Buenos Aires: Antonio Tersol. *González Arzac, Alberto; Uthurralt, Marisa (2007). Tango aborigen. Buenos Aires: Quinque. *Groppa, Carlos G. (2004). The tango in the United States: a history. McFarland. ISBN 0786426861. *Hidalgo Huerta, Manuel (2001). Tango. Biblioteca Nueva. ISBN 84-7030-987-0. *Judkovski, José (1998). El tango. Una historia con judíos. Buenos Aires: Fundación IWO. ISBN 987-96990-0-9. *Varios autores; coord. Martini Real, Juan Carlos (1976-2011). Historia del tango (21 tomos). Buenos Aires: Corregidor. ISBN 978-950-05-1947-2. *Nudler, Julio (1998). Tango judío (del ghetto a la milonga). Buenos Aires: Sudamericana. ISBN 950-07-1498-1. *Oderigo Ortiz, Néstor (2009). Latitudes africanas del tango. Buenos Aires: Eduntref. ISBN 950-07-1498-1. *Pau, Antonio (2001). Música y poesía del tango (prólogo de Ernesto Sabato). Madrid: Trotta. *Sabato, Ernesto (1963). Tango: discusión y clave. Buenos Aires: Losada. *Vidart, Daniel (1964). Teoría del tango. Montevideo: Banda Oriental. *Vidart, Daniel (1967). El tango y su mundo. Montevideo: Tauro. *Zubillaga, Carlos; Borges, Jorge Luis (1986). Carlos Gardel (prólogo de Jorge Luis Borges). Madrid: Los Juglares. *Zucchi, Oscar (1997ss). El tango, el bandoneón y sus intérpretes (10 tomos; 3 editados). Buenos Aires: Corregidor. *Raul Outeda ; La Historia De 500 Tangos ISBN 978-9500510363 *Raul Outeda& Roberto Cassinelli ; Anuario del Tango ISBN 978-9500510950 *Michel Plisson ; Tango, du noir au blanc, 2e édition, éditions Actes Sud, 2004. *Alfredo Helman, Passione di Tango, Edizioni Clandestine. *Hugo Lamas, Enrique Binda, El tango en la sociedad porteña, Héctor Lorenzo Lucci. *Dimitri Papanikas, La morte del Tango. Breve storia politica del Tango in Argentina, Ut Orpheus Edizioni. *Robert Farris Thompson, Tango. Storia dell'amore per un ballo, Elliot Edizioni. *Pier Aldo Vignazia, Il tango è (sempre) una storia d'amore.. e non una rosa in bocca, Sigillo Edizioni. *Драгилёв, Д. Лабиринты русского танго. — СПб.: Алетейя, 2008. ISBN 978-5-91419-021-4 *Кофман, А. Аргентинское танго и русский мещанский романс // Литература в контексте культуры. МГУ, 1986 *Marcelo Copello - Revista Gosto Nº7 Fev. 2010 - Editora Isabella *SZEGO, Thais. Entre na dança. Revista Saúde! é vital. Março, 2007 *CUNHA, A. G. Dicionário etimológico Nova Fronteira da língua portuguesa. 2ª edição. Rio de Janeiro. Nova Fronteira. 1996. *FERREIRA, A. B. H. Novo dicionário da língua portuguesa. 2ª edição. Rio de Janeiro. Nova Fronteira. 1986. == 関連項目 == === 楽器 === *[[バンドネオン]] === タンゴのジャンルで鳴るダンスの種類 === *[[ヴァルス]] *[[ミロンガ]] *[[カンドンベ]] === ラジオ === *[[タンゴアルバム]] === 地理的分類 === *[[アルゼンチン・タンゴ]] *[[コンチネンタル・タンゴ]] == 外部リンク == {{commons&cat|Tango_(music)|Tango}} *[http://www.todotango.com/spanish/aviso.asp Todotango のサイト(スペイン語・英語)] *[http://www.pasiontango.org/ Pasiontango] *[http://hjg.com.ar/tangos/ Letras de tango のサイト(タンゴの歌の原詩が満載)] *[http://a-tango.jp/ アルゼンチンタンゴの資料室(日本語の資料、リンク集)] *[http://tango.min-on.or.jp/ 民音タンゴ・シリーズのサイト(1970年から続くアルゼンチン・タンゴの興業)] {{音楽}} {{スペイン語圏の音楽}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:たんこ}} [[Category:音楽のジャンル]] [[Category:タンゴ|*]] [[Category:中南米の音楽]] [[Category:アルゼンチンの音楽]] [[Category:ウルグアイの音楽]] [[Category:アルゼンチンのダンス]] [[Category:中南米のダンス]] [[Category:競技ダンス]] [[Category:歌]]
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サンバ
サンバ
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サンバ
'''サンバ''' == 芸能 == * [[サンバ (ブラジル)]] ({{pt|samba}}) - ブラジルの民衆音楽、また民俗舞踏。 * [[サンバ (アルゼンチン)]] ({{es|zamba}}) - アルゼンチンの民俗舞踏。 * {{仮リンク|サンバ (社交ダンス)|en|Samba (ballroom dance)}} - [[社交ダンス]]・[[競技ダンス]]の種類。 * [[サンバ (映画)]] - 2014年のフランス映画<ref>{{Cite web|和書|url= http://samba.gaga.ne.jp//|title=映画「サンバ」公式HP|accessdate=2014/12/26}}</ref>。 * [[三板]] - 沖縄の打楽器。 == 人名 == * [[クリストファー・サンバ]] - フランス出身のサッカー選手。 * [[サンバ・ソウ]](Samba Sow) - マリ出身のサッカー選手。マリ代表。 * [[サンバ・ディアキテ]](Samba Diakité, 1989年1月24日 - ) - フランス出身のサッカー選手。マリ代表。 * [[ファイ・サンバ]](Faye Samba) - セネガル共和国出身のバスケットボール選手。 == その他 == *[[トランプ]]ゲームの種類。[[カナスタ]]を参照。 *[[Samba]] - Windowsのファイル共有、プリンタ共有、ドメインコントロールのためのソフトウェア。 *[[MacWWW|Samba (MacWWW)]] - Macintosh向けのウェブブラウザ。 *[[産婆]] *[[驂馬]] *[[三八]] *[[アオイ科]](旧[[アオギリ科]])で木材が得られる[[西アフリカ]]原産の樹種。[[オベチェ]]を参照。 *[[サンバ (台風の名前)]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * {{Prefix|サンバ}} * {{Intitle|サンバ}} * [[Wikipedia:索引 さん#さんは]] {{Aimai}} {{デフォルトソート:さんは}}
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スカ
スカ(Ska)は、1950年代にジャマイカで発祥したポピュラー音楽のジャンル。オフビートを強調したリズムが特徴。メントやカリプソ、アメリカのR&Bなどの影響を受けている。有名グループにはザ・スカタライツがいる。 スカの発祥については諸説ある。感度の悪いラジオで、ニューオーリンズなどアメリカ南部の都市のラジオ放送局からのジャズの2・4拍目が強調されて聞こえたため、誤ってコピーされたという説もある。直接的には、1950年代からのアメリカのリズム・アンド・ブルースと、ジャマイカの音楽文化には欠かせないサウンド・システムの影響が大きいが、それ以前にジャマイカにはジャズの下地があり、スカ以前のメント、ラスタファリアニズムの影響があった。 イギリスの統治下の時代にジャマイカにもたらされたブラスバンドの形式は、キングストンでいくつかのジャズの楽団となって残っていたが、1950年代までは、労働者階級にはメントが一般的で、ジャズは中産階級に好まれていた。西キングストンにある感化院、アルファ・ボーイズ・カトリック・スクールの教師が、厳しく品行を正す教育と共に、特にジャズの音楽教育のプログラムが取り入れたのはこうした理由による。トミー・マクック、ドン・ドラモンド、リコ・ロドリゲスらはこの学校でジャズを学び卒業し、デューク・エリントンやカウント・ベイシーの影響を受けたジャマイカのビッグバンドで演奏を始めていた。 1950年代、ジャズの手解きを受けたアルファボーイズ出身者らが、ラスタファリアンのカウント・オジーを訪ね、ワレイカ・ヒルでナイヤビンギに合わせて管楽器を演奏するセッションが度々行われていたという。スカに特徴的な2・4拍目が強い裏打ちはこのナイヤビンギの影響もあり、アメリカ音楽に対するラスタ的な返答とも受け取れる。一方は、メントやカリプソなどカリブ圏の音楽は小節が3-3-2拍のリズムで、このリズムに対するバックビートとして2・4拍目を強調した結果であるとも言われている。 第二次世界大戦後から、ジャマイカではラジオの購入者数が増加し、ニューオーリンズなどアメリカ南部の都市のラジオ局から、ファッツ・ドミノやルイ・ジョーダンなどのR&Bを聴くことができた。その上、戦後のアメリカ軍の駐留は、ジャマイカ人が軍事放送でアメリカ音楽を聞くことができたことを意味し、さらにアメリカからのレコードの一定の流入があった。そのような音楽の需要に応えるために、コクソン・ドッド、デューク・リードらはサウンド・システムを形成した。サウンド・システムはスピーカーシステムのパワーと、レコードの品質の両方によって良し悪しが判断されたため、サウンドマン達はマイアミやニューオーリンズからレコードを独自に入手した。R&Bが1960年代前半に人気があった時に、ジャマイカの音楽家たちは、R&Bのカバーを録音した。 1960年代初め、スカは急激にジャマイカの音楽シーンを席巻しはじめた。アップテンポの裏打ちは1962年のジャマイカ独立を祝う気持ちと一致していた。デリック・モーガンの「Forward March」やザ・スカタライツの「Freedom Sound」は、ジャマイカ独立を記念した曲である。スカのバンド編成がジャズバンドと同じため、ジャマイカン・ジャズとも呼ばれたが、これは、初めて海外にスカが紹介された1964年ニューヨークで開催された国際見本市において、ジャマイカン・ジャズと説明されたのが始まりである。この見本市では、バイロン・リー&ドラゴネアズ、プリンス・バスター、エリック・モリス、ピーター・トッシュらが選ばれ、演奏した。スカを演奏する代表的なバンドはザ・スカタライツであり、彼らは「ナバロンの要塞(Guns of Navarone)」などをプレイした。またザ・スカタライツは日本の「リンゴ追分」も録音している。当時のジャマイカの音楽プロデューサーたちはスカを海外に波及させようとしていて、それをジャマイカ政府が支持していた。このような指向性でのスカは、積極的にメントなどのジャマイカの旋律の復活が試みられた。歌詞のある曲については、ザ・ブルース・バスターズの「Wings of a Dove」、エリック・モリスの「Oil in My Lamp」、ジミー・クリフの「King of Kings」、デスモンド・デッカーの「Israelites」など、キリスト教(ラスタファリズムではない)の復活を反映させたものが目立って多かった。その他の歌はほとんどが大衆的で、ジャマイカンパトワを必要としない内容だった。他にロード・クリエイター、ローレル・エイトキン、ドン・ドラモンド、エチオピアンズ、トミー・マクック、ジャッキー・ミットーらも活躍した。エリック・モリスの「Humpty Dumpty」や「Solomon Gundie」、デルロイ・ウィルソンの「Dancing Mood」などは、もっと後に生まれるロックステディとの橋渡しをする曲である。 その一方で、スカのもっとも初期のリスナーたちは、地方からキングストンに仕事を求めて来たゲットーに住む若年貧困層(ルードボーイ)であった。ルードボーイ達が踊ったスタイルによってスカにも影響を及ぼし、音楽はより脅迫的に激しく、ベースラインはよりシンプルに変化した。 1966年までには、多くの聴衆はスカのビートと速度に疲れるようになり、ビートはより遅くされてロックステディへと移行する。遅くなった理由として、ジャマイカの暑い夏のためとする見方もあるが、アメリカのR&Bからの影響が継続していたという点も挙げられる。1960年代半ばのモータウンやスタックスのソウルミュージックがより伸びやかで滑らかなスタイルに変化したことに、ジャマイカのミュージシャンも同調した。 1970年代末には、パンク・ロックとスカを融合したサウンドの2トーン・スカが隆盛となった。主なバンドとしてザ・スペシャルズ、マッドネス、ザ・セレクター、ザ・ビートなどがいた。なお、2トーン・スカと区別するため、1960年代ジャマイカ産のスカをオリジナル・スカ(Original Ska)、あるいはオーセンティック・スカ(Authentic Ska)と呼ぶこともある。 1980年代には、アメリカでフィッシュボーンがスカとパンク等を融合したロックを展開した。 その後、USネオスカ・バンドトースターズのボーカリストであるバケットが、オーセンティック・スカ~パンク系のスカレーベルムーンスカ・レコードを設立。アメリカにおいて「サード・ウェイヴ・スカ」と呼ばれるムーブメントを引き起こした。さらに1980年代終わり頃から歪んだギターサウンドが特徴の、スカコア/スカ・パンクが派生した。 1990年代前半までにはスカと、スカ・パンクのバンドはアメリカだけでなく、そのほかの国々にも登場した。1997年、ランシドのティム・アームストロングとバッド・レリジョンのブレット・ガーヴィッツが、エピタフ・レコードのサブレーベルとして、ヘルキャット・レコードを創設。ヘプキャット、ザ・スラッカーズなど、スカ、スカ・パンクのバンドを同レーベルから送り出した。
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スカ(Ska)は、1950年代にジャマイカで発祥したポピュラー音楽のジャンル。オフビートを強調したリズムが特徴。メントやカリプソ、アメリカのR&Bなどの影響を受けている。有名グループにはザ・スカタライツがいる。
{{Otheruses}} {{Infobox music genre | name = スカ<br />Ska | stylistic_origins = {{hlist-comma|ジャマイカン・[[メント]]|[[カリプソ (音楽)|カリプソ]]|[[ジャズ]]|ニューオーリンズ・リズム・アンド・ブルース}} | cultural_origins = [[1950年代]]後半、[[ジャマイカ]] | derivatives = {{hlist-comma|[[ロックステディ]]|[[レゲエ]]}} | fusiongenres = {{hlist-comma|[[2トーン]]|[[スカ・ジャズ]]|スカ・ポップ|スカ・パンク|[[スカコア]]|[[スプージ]]|クリスチャン・スカ}} | regional_scenes = {{hlist-comma|日本|オーストラリア|アメリカ合衆国|イギリス}} | local_scenes = | other_topics = {{hlist-comma|[[サード・ウェイヴ・スカ]]|[[スカ・バンドの一覧]]|[[ルードボーイ]]|[[モッズ]]|[[スキンヘッド]]|[[スウェードヘッド]]|トロージャン・スキンヘッド}} }} '''スカ'''('''Ska''')は、[[1950年代]]に[[ジャマイカ]]で発祥した[[ポピュラー音楽]]の[[ポピュラー音楽のジャンル一覧|ジャンル]]。[[オフビート]]を強調したリズムが特徴。[[メント]]や[[カリプソ (音楽)|カリプソ]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]などの影響を受けている。有名グループには[[スカタライツ|ザ・スカタライツ]]がいる。 == 歴史 == スカの発祥については諸説ある。感度の悪い[[ラジオ]]で、[[ニューオーリンズ]]などアメリカ南部の都市の[[ラジオ放送局]]からのジャズの2・4拍目が強調されて聞こえたため、誤ってコピーされたという説もある。直接的には、[[1950年代]]からのアメリカの[[リズム・アンド・ブルース]]と、ジャマイカの音楽文化には欠かせない[[サウンド・システム]]の影響が大きいが、それ以前にジャマイカには[[ジャズ]]の下地があり、スカ以前の[[メント]]、[[ラスタファリ運動|ラスタファリアニズム]]の影響があった。 [[イギリス]]の統治下の時代にジャマイカにもたらされた[[ブラスバンド]]の形式は、[[キングストン (ジャマイカ)|キングストン]]でいくつかのジャズの楽団となって残っていたが、1950年代までは、[[労働者階級]]にはメントが一般的で、ジャズは[[中流階級|中産階級]]に好まれていた。西キングストンにある感化院、アルファ・ボーイズ・[[カトリック・スクール]]の教師が、厳しく品行を正す教育と共に、特にジャズの音楽教育のプログラムが取り入れたのはこうした理由による。[[トミー・マクック]]<ref>「スカ・ディスク・ガイド」リットー・ミュージック、p/28</ref>、[[ドン・ドラモンド]]、[[リコ・ロドリゲス (音楽家)|リコ・ロドリゲス]]らはこの学校でジャズを学び卒業し、[[デューク・エリントン]]や[[カウント・ベイシー]]の影響を受けたジャマイカのビッグバンドで演奏を始めていた。 [[1950年代]]、ジャズの手解きを受けた[[アルファボーイズ]]出身者らが、[[ラスタファリアン]]の[[カウント・オジー]]を訪ね、ワレイカ・ヒルで[[ラスタファリ運動#ナイヤビンギ|ナイヤビンギ]]に合わせて[[管楽器]]を演奏するセッションが度々行われていたという<ref>bounce.com『[http://www.bounce.com/interview/article.php/2703/0/ Rico Rodriguez インタビュー]』2006年7月24日</ref>。スカに特徴的な2・4拍目が強い[[バックビート (音楽用語)|裏打ち]]はこのナイヤビンギの影響もあり、アメリカ音楽に対するラスタ的な返答とも受け取れる。一方は、メントやカリプソなどカリブ圏の音楽は小節が3-3-2拍のリズムで、このリズムに対する[[バックビート (音楽用語)|バックビート]]として2・4拍目を強調した結果であるとも言われている。 [[第二次世界大戦]]後から、ジャマイカではラジオの購入者数が増加し、ニューオーリンズなどアメリカ南部の都市のラジオ局から、[[ファッツ・ドミノ]]<ref group="注">「ブルーベリー・ヒル」などのヒット曲で有名。</ref>や[[ルイ・ジョーダン]]<ref group="注">「エイント・ノーバディ・ヒア・バット・アス・チキンズ」のようなユーモラスな曲も歌った。</ref>などの[[リズム・アンド・ブルース|R&amp;B]]を聴くことができた。その上、戦後の[[アメリカ軍]]の駐留は、ジャマイカ人が軍事放送でアメリカ音楽を聞くことができたことを意味し、さらにアメリカからのレコードの一定の流入があった。そのような音楽の需要に応えるために、[[コクソン・ドッド]]、[[デューク・リード]]らはサウンド・システムを形成した。サウンド・システムはスピーカーシステムのパワーと、レコードの品質の両方によって良し悪しが判断されたため、サウンドマン達は[[マイアミ]]やニューオーリンズからレコードを独自に入手した。R&Bが[[1960年代]]前半に人気があった時に、ジャマイカの音楽家たちは、R&Bのカバーを録音した。 === 独立とスカ・ブーム === 1960年代初め、スカは急激にジャマイカの音楽シーンを席巻しはじめた。アップテンポの裏打ちは[[1962年]]のジャマイカ独立を祝う気持ちと一致していた。[[デリック・モーガン]]の「Forward March」や[[スカタライツ|ザ・スカタライツ]]の「Freedom Sound」は、ジャマイカ独立を記念した曲である。スカのバンド編成が[[ジャズ]]バンドと同じため、ジャマイカン・ジャズとも呼ばれたが、これは、初めて海外にスカが紹介された[[1964年]][[ニューヨーク]]で開催された国際見本市において、ジャマイカン・ジャズと説明されたのが始まりである。この見本市では、バイロン・リー&ドラゴネアズ、[[プリンス・バスター]]、エリック・モリス、[[ピーター・トッシュ]]らが選ばれ、演奏した。スカを演奏する代表的なバンドはザ・スカタライツであり、彼らは「[[ナバロンの要塞 (曲)|ナバロンの要塞(Guns of Navarone)]]」などをプレイした<ref>[http://www.skatalites.com/history/ History, The Skatalites website.] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20131001041459/http://www.skatalites.com/history/ |date=1 October 2013 }}</ref>。またザ・スカタライツは日本の「リンゴ追分」も録音している<ref group="注">美空ひばりの有名曲。</ref>。当時のジャマイカの音楽プロデューサーたちはスカを海外に波及させようとしていて、それをジャマイカ政府が支持していた。このような指向性でのスカは、積極的にメントなどのジャマイカの旋律の復活が試みられた。歌詞のある曲については、[[ブルース・バスターズ|ザ・ブルース・バスターズ]]の「Wings of a Dove」、エリック・モリスの「Oil in My Lamp」、[[ジミー・クリフ]]<ref group="注">「ハーダー・ゼイ・カム」で有名なレゲエ・シンガー。</ref>の「King of Kings」、[[デスモンド・デッカー]]の「Israelites」<ref group="注">イギリスで大ヒットしている。</ref>など、キリスト教(ラスタファリズムではない)の復活を反映させたものが目立って多かった。その他の歌はほとんどが大衆的で、ジャマイカンパトワを必要としない内容だった。他にロード・クリエイター、ローレル・エイトキン、ドン・ドラモンド、エチオピアンズ、トミー・マクック、ジャッキー・ミットーらも活躍した。エリック・モリス<ref group="注">教訓スカ「マネー・キャント・バイ・ライフ」も発表した。</ref>の「Humpty Dumpty」や「Solomon Gundie」、デルロイ・ウィルソンの「Dancing Mood」などは、もっと後に生まれる[[ロックステディ]]との橋渡しをする曲である。 {{Main|ルードボーイ}} その一方で、スカのもっとも初期のリスナーたちは、地方からキングストンに仕事を求めて来たゲットーに住む若年貧困層(ルードボーイ)であった。ルードボーイ達が踊ったスタイルによってスカにも影響を及ぼし、音楽はより脅迫的に激しく、ベースラインはよりシンプルに変化した。 {{main|ロックステディ}} 1966年までには、多くの聴衆はスカのビートと速度に疲れるようになり、ビートはより遅くされてロックステディへと移行する。遅くなった理由として、ジャマイカの暑い夏のためとする見方もあるが、アメリカのR&amp;Bからの影響が継続していたという点も挙げられる。1960年代半ばの[[モータウン]]や[[スタックス・レコード|スタックス]]の[[ソウルミュージック]]がより伸びやかで滑らかなスタイルに変化したことに、ジャマイカのミュージシャンも同調した。 [[ビートルズ]]の[[ポール・マッカートニー]]作曲の「[[オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ]]」もスカの影響がある。 == 2トーン以降 == {{Seealso|2トーン|サード・ウェイヴ・スカ}} [[1970年代]]末には、[[パンク・ロック]]とスカを融合したサウンドの[[2トーン|2トーン・スカ]]が隆盛となった。主なバンドとして[[スペシャルズ|ザ・スペシャルズ]]<ref group="注">代表曲は「ルーディーたちへのメッセージ」ほか。</ref>、[[マッドネス]]<ref group="注">サックスを強調した「ワン・ステップ・ビヨンド」で知られる。</ref>、ザ・セレクター、ザ・ビートなどがいた。なお、2トーン・スカと区別するため、1960年代ジャマイカ産のスカをオリジナル・スカ(Original Ska)、あるいはオーセンティック・スカ(Authentic Ska)と呼ぶこともある。 [[1980年代]]には、アメリカで[[フィッシュボーン]]がスカとパンク等を融合したロックを展開した。 その後、USネオスカ・バンド[[トースターズ]]のボーカリストであるバケットが、オーセンティック・スカ~パンク系のスカレーベル[[ムーンスカ・レコード]]を設立。アメリカにおいて「[[サード・ウェイヴ・スカ]]」と呼ばれるムーブメントを引き起こした。さらに[[1980年代]]終わり頃から歪んだギターサウンドが特徴の、[[スカコア]]/スカ・パンクが派生した。 [[1990年代]]前半までにはスカと、スカ・パンクのバンドはアメリカだけでなく、そのほかの国々にも登場した。1997年、[[ランシド]]の[[ティム・アームストロング]]と[[バッド・レリジョン]]のブレット・ガーヴィッツが、[[エピタフ・レコード]]のサブレーベルとして、[[ヘルキャット・レコード]]を創設。ヘプキャット、ザ・スラッカーズなど、スカ、スカ・パンクのバンドを同レーベルから送り出した。 == 関連項目 == * [[スカ・バンドの一覧]] * [[レゲエ]] * [[ロックステディ]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.potentbrew.com/skaregdu.html The Origins of Ska, Reggae, and Dub Music] {{音楽}} {{スカ}} {{カリブ海地域の音楽}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:すか}} [[Category:スカ|*]] [[Category:音楽のジャンル]]
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六道神士
六道 神士(りくどう こうし、1970年11月16日 - )は、日本の漫画家、同人作家。男性。福岡県太宰府市出身。九州産業大学卒業。代表作は『エクセル・サーガ』など。 1990年代から同人サークル「げんこつ団(18禁)」「下僕堂(18禁)」に参加、「六道館」を主宰する。 1994年、『カイザーペンギン』(辰巳出版)に掲載の『ダブルインテンション』でデビュー。同年同誌上で『市立戦隊ダイテンジン』の連載が始まる。この作品は全9話が連載されるが、同誌の休刊に伴い終了。 その後、1996年に『市立戦隊ダイテンジン』の設定を一部流用、エロ要素を徹底的に排除した形で『ヤングキングアワーズ』(少年画報社)誌上にて『エクセル・サーガ』の連載を開始。本作は、1999年にテレビアニメ化される。同じく1996年から始まった『ホーリーブラウニー』も『激漫』掲載の短編に端を発している。 同人活動においては、男性向け作品をはじめ、自身が描いた作品に登場するキャラクターについての解説本などを発行している。
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六道 神士は、日本の漫画家、同人作家。男性。福岡県太宰府市出身。九州産業大学卒業。代表作は『エクセル・サーガ』など。
{{存命人物の出典明記|date=2013年6月}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 六道 神士 | ふりがな = りくどう こうし | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生年 = {{生年月日と年齢|1970|11|16}} | 生地 = [[日本]]・[[福岡県]][[太宰府市]] | 没年 = | 没地 = | 国籍 = <!-- [[日本]] 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1994年]] - | ジャンル = | 代表作 = <!-- 「代表作を挙げた出典」に基づき記載 --> | 受賞 = | サイン = | 公式サイト = }} '''六道 神士'''(りくどう こうし、[[1970年]][[11月16日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、同人作家。男性<ref>[https://netatopi.jp/article/1000511.html 六道神士、瀬口たかひろのトークも! 福岡在住のマンガ家が一堂に会した「福岡マンガTシャツ展」に行ってみた]</ref>。[[福岡県]][[太宰府市]]出身。[[九州産業大学]]卒業<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kyusan-u.ac.jp/J/art/main/index.php?%E5%8D%92%E6%A5%AD%E7%94%9F|title=卒業生 - 九州産業大学芸術学部|publisher=九州産業大学 芸術学部|accessdate=2013-06-12}}</ref>。{{要出典範囲|date=2022-07-18|代表作は『[[エクセル・サーガ]]』など。}} == 経歴など == 1990年代から同人サークル「げんこつ団(18禁)」「下僕堂(18禁)」に参加、「六道館」を主宰する<ref name="sansai">{{Cite book ja-jp|author = 伊藤真広|editor = 村中宣彦|year = 2006|chapter = 【プロ作家】→【同人名義】データベース|title = ゲームラボ特別編集「現代視覚文化研究」|publisher = [[三才ブックス]]|isbn = 4-86199-061-0|page = 193}} 「六道館」を主宰し始めたのが1990年代からであったこと・同人活動の内容について参照した。</ref>。 [[1994年]]、『カイザーペンギン』([[辰巳出版]])に掲載の『ダブルインテンション』でデビュー。同年同誌上で『[[市立戦隊ダイテンジン]]』の連載が始まる。この作品は全9話が連載されるが、同誌の休刊に伴い終了。 その後、1996年に『市立戦隊ダイテンジン』の設定を一部流用、エロ要素を徹底的に排除した形で『[[ヤングキングアワーズ]]』([[少年画報社]])誌上にて『[[エクセル・サーガ]]』の連載を開始。本作は、1999年に[[テレビアニメ]]化される。同じく1996年から始まった『[[ホーリーブラウニー]]』も『激漫』掲載の短編に端を発している。 同人活動においては、男性向け作品をはじめ、自身が描いた作品に登場するキャラクターについての解説本などを発行している<ref name="sansai"/>。 == 作品リスト == * [[市立戦隊ダイテンジン]](1994年 - 1995年、『カイザーペンギン』、辰巳出版、全1巻) * [[エクセル・サーガ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/105505/|title=へっぽこ実験アニメーション エクセル・サーガ :作品情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-05-26}}</ref>(1996年 - 2011年、『ヤングキングアワーズ』、少年画報社、全27巻) * [[Holy Brownie]](1996年 - 2010年、『激漫』、[[ワニマガジン社]] → 『[[ヤングキングアワーズ#アワーズプラス|ヤングキングアワーズプラス]]』 → 『ヤングキングアワーズ』、少年画報社、不定期連載、全6巻) * [[アラハバキ (漫画)|アラハバキ]](2000年 - 2002年、『[[ウルトラジャンプ]]』、[[集英社]]、全2巻) * [[メビウスギア]](2007年 - 2009年、原作:[[井上敏樹]]、『[[ウルトラジャンプ]]』、[[集英社]]、全4巻) * [[アカンプリス]](2009年 - 2011年、『[[チェンジH]]』、少年画報社、全1巻) * [[デスレス]](2010年 - 2016年、『[[ヤングキング]]』 → 『[[月刊ヤングキング]]』、少年画報社、全12巻) * サラカエル(2010年 - 2013年、『[[電撃マオウ]]』、[[アスキーメディアワークス]]、季刊連載、全3巻) * ECHO/ZEON -エコー/ゼオン-(2010年 - 2012年、『[[ヤングエース]]』、[[角川書店]]、全3巻) * AGEHA(2012年 - 2013年、『ヤングキングアワーズ』、少年画報社、全2巻) * [[紅殻のパンドラ]](2012年 - 連載中、原案:[[士郎正宗]]、『[[ニュータイプエース]]』→『[[ニコニコエース]]』→『[[コミックNewtype]]』、角川書店、既刊23巻<!--最新刊発売日に準拠-->) * カンタン・キス(2013年 - 2014年、『[[ヤングコミック]]』、少年画報社、全2巻) * スーパー・カルテジアン・シアター(2016年 - 2018年、『ヤングキングアワーズ』、少年画報社、全5巻) == アシスタント == * [[佐藤ショウジ]] * [[いかみはじめ]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Official website|http://www7b.biglobe.ne.jp/~rikudoukan/|六道館}} * {{Twitter|rikudou_koushi}} {{Manga-artist-stub}} {{コミックマーケットカタログ表紙}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:りくとう こうし}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:同人作家]] [[Category:九州産業大学出身の人物]] [[Category:福岡県出身の人物]] [[Category:1970年生]] [[Category:存命人物]]
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フォスター
フォスター、フォースター は、英語圏の姓 (Foster) 、またドイツ語圏の姓 (Forster)。
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フォスター、フォースター は、英語圏の姓 (Foster) 、またドイツ語圏の姓 (Forster)。
'''フォスター'''、'''フォースター''' は、英語圏の[[姓]] (Foster) 、またドイツ語圏の姓 (Forster)。 <!-- 曖昧さ回避をする必要のある語にだけリンクを張り、記事のあるものだけ記載すること。 --> == 地名 == * [[フォスターシティ]] - アメリカ・[[カリフォルニア州]]の市。 * [[フォスター (ロードアイランド州)]] - アメリカ・[[ロードアイランド州]]。 == 姓 == * [[アラン・ディーン・フォスター]] - アメリカのSF作家、ファンタジー作家。 * [[E・M・フォースター]] - イギリスの小説家。 * {{仮リンク|ウィリアム・エドワード・フォースター|en|William Edward Forster}} - イギリスの政治家。 * [[グレッグ・フォスター]] - アメリカの陸上競技選手([[障害走]])。 * {{仮リンク|グレッグ・フォスター (バスケットボール)|en|Greg Foster (basketball)}} - アメリカのバスケットボール選手 ([[パワーフォワード|PF]]/[[センター (バスケットボール)|C]])。 * {{仮リンク|ケビン・フォスター (野球)|en|Kevin Foster (baseball)}} - アメリカの野球選手([[投手]])。 * [[ジェフ・フォスター]] - アメリカのバスケットボール選手 (C)。 * [[ジョージ・フォスター]] - アメリカの野球選手([[外野手]])、[[MLBオールスターゲーム]]5回、[[最優秀選手賞 (MLB)|シーズンMVP]]1回。 * [[ジョセフ・フォスター (系譜学者)]] - イギリスの系譜学者。 * [[ジョディ・フォスター]] - アメリカの女優、映画監督、[[アカデミー主演女優賞]]。 * {{仮リンク|ジョン・フォスター (野球)|en|John Foster (baseball)}} - アメリカの野球選手(投手)。 * [[スティーブン・フォスター]] - アメリカの作曲家、アメリカ音楽の父。 * [[デイヴィッド・フォスター]] - カナダの音楽プロデューサー、[[グラミー賞]]を多数受賞。 * [[ノーマン・フォスター]] - イギリスの建築家。 * [[ビル・フォスター (野球)]] - アメリカの野球選手(投手)、[[アメリカ野球殿堂]]、ルーブの弟。 * [[ビンス・フォスター]] - アメリカの弁護士。 * [[フレイザー・フォースター]] - イングランドのサッカー選手 ([[ゴールキーパー (サッカー)|GK]])、[[サッカーイングランド代表|イングランド代表]]。 * [[ブレンダン・フォスター]] - イギリスの陸上競技選手([[中距離走]])。 * [[ベン・フォスター (俳優)]] - アメリカの俳優。 * [[ベン・フォスター (サッカー選手)]] - イングランドのサッカー選手 (GK)、イングランド代表。 * [[ヘンリー・フォスター]] - イギリスの海軍士官。 * [[ボブ・フォスター]] - プロボクシングの元WBA・WBC世界ライトヘビー級王者。 * [[ボブ・フォースター (ライダー)]] - イギリスのオートバイレーサー。 * [[マーク・フォスター]] - イギリスの競泳選手。 * [[マーク・フォースター]] - ドイツ出身のスイスの映画監督。 * [[マット・フォスター]] - アメリカの野球選手(投手)。 * [[メグ・フォスター]] - アメリカの女優。 * [[ライル・フォスター]] - 南アフリカ共和国のサッカー選手 ([[フォワード (サッカー)|FW]])、[[サッカー南アフリカ共和国代表|同国代表]]。 * [[ルーブ・フォスター]] - アメリカの野球選手 ([[党首]])、[[アメリカ野球殿堂]]、ビルの兄。 * [[ロバート・フォスター]] - アメリカの俳優。 * 曖昧さ回避 ** {{仮リンク|ウィリアム・フォスター|en|William Foster}} ** {{仮リンク|エドワード・フォスター|en|Edward Foster}} ** {{仮リンク|ジェームズ・フォスター|en|James Foster}} ** {{仮リンク|ジョセフ・フォスター |en|Joseph Foster}} ** [[ジョン・フォスター]] ** [[スティーブン・フォスター (曖昧さ回避)]] ** [[チャールズ・フォスター]] ** {{仮リンク|トーマス・フォスター|en|Thomas Foster}} ** {{仮リンク|フランク・フォスター|en|Frank Foster}} ** [[ベン・フォスター]] ** [[ボブ・フォスター (曖昧さ回避)]] ** [[マイケル・フォスター]] ** [[ロバート・フォスター (曖昧さ回避)]] == 男性名 == * {{仮リンク|フォスター・エドワーズ|en|Foster Edwards}} - アメリカの野球選手(投手)。 * {{仮リンク|フォスター・キャッスルマン|en|Foster Castleman}} - アメリカの野球選手([[内野手]])。 * [[フォスター・ギャンブル]] - アメリカの映画監督。 * [[フォスター・グリフィン]] - アメリカの野球選手(投手)、[[読売ジャイアンツ]]などに所属。 * {{仮リンク|フォスター・サレル|en|Foster Sarell}} - アメリカのアメリカンフットボール選手 ([[オフェンシブタックル|OT]])。 * [[フォスター・ホラン]] - アイルランドのラグビー選手。 * {{仮リンク|フォスター・モロー|en|Foster Moreau}} - アメリカのアメリカンフットボール選手 ([[タイトエンド|TE]])。 == 企業などの団体名 == * [[フォスター (芸能プロダクション)]] - 日本の芸能事務所。 * [[フォスター電機]] - 日本の音響機器製造会社。 * フォスター - かつて存在した日本のアダルトゲーム制作会社、[[フォレスト (ゲーム会社)|フォレスト]]のブランド。 * {{仮リンク|フォスター (オーストラリアの企業)|en|Foster's Group}} - [[オーストラリア]]の[[ビール]]、ソフトドリンクメーカー。2011年に[[SABミラー]]に買収され、2016年にSABミラーが[[アンハイザー・ブッシュ・インベブ]]されたことで傘下となった。 == 架空の人物 == * [[ジェーン・フォスタ]] - [[マーベル・コミック]]に登場する看護師。 == 関連項目 == * {{仮リンク|フォスト|en|FOST}} (FOST) * {{prefix}} * {{intitle}} * [[Wikipedia:索引 ふお#ふおす]] * [[:en:Special:PrefixIndex/Foster]] {{Aimai}} {{DEFAULTSORT:ふおすたあ}} [[Category:英語の姓]] [[Category:ドイツ語の姓]] [[Category:英語の男性名]] [[Category:同名の企業]]
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エルヴィス・プレスリー
エルヴィス・アーロン・プレスリー(Elvis Aron Presley、1935年1月8日 - 1977年8月16日)は、アメリカのロック歌手、ミュージシャン、映画俳優。全世界のレコード・カセット・CD等の総売り上げは5億枚以上とされている、史上最も売れた音楽家の一人。「キング・オブ・ロックンロール」と称される。ミドルネームは公文書、サイン共にAronだが、墓石にはAaronと表記されている。 1950年代にチャック・ベリーやファッツ・ドミノ、リトル・リチャード、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ビル・ヘイリーら と共にロック・アンド・ロール(ロックンロール)の誕生と普及に大きく貢献した、いわゆる創始者の一人であり、後進のアーティストに多大なる影響を与えた。その功績からキング・オブ・ロックンロールまたはキングと称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「史上最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている。1950年代に、アメリカやイギリスをはじめとする多くの若者をロックンロールによって熱狂させ、それは20世紀後半のポピュラー音楽の中で、最初の大きなムーブメントを引き起こした。また、極貧の幼少時代から一気にスーパースターにまで上り詰めたことから、アメリカンドリームの象徴であるとされる。ジョン・レノン、ボブ・ディラン、ポール・マッカートニー、ボブ・シーガー、フレディ・マーキュリー、テリー・スタッフォードなど、多くのロック、ポップのミュージシャンたちが憧れたことでも知られる(下段・フォロワーを参照)。 初期のプレスリーのロカビリー・スタイルは、黒人の音楽であるブルースやリズムアンドブルースと白人の音楽であるカントリー・アンド・ウェスタンを融合した音楽であるといわれている。それは深刻な人種問題を抱えていた当時のアメリカでは画期的なことであった。 その後全国的な人気を得たが、白人社会だった当時は保守層から「プレスリーはセックス狂」や「彼は白人を黒人に陥れる」など、凄まじい批判を受けた。「ロックンロールが青少年の非行の原因だ」と中傷され、「骨盤ダンス」も問題となり、PTAはテレビ放送の禁止要求を行うなど、様々な批判、中傷の的になった。KWK FM & AMラジオではプレスリーのレコード(「ハウンドドッグ」)を叩き割り、「ロックンロールとは絶縁だ」と放送。さらにフロリダの演奏では、下半身を動かすなとPTAやYMCAに言われ小指を動かして歌った。この時には警官がショーを撮影し、下半身を動かすと逮捕されることになっていた。 そんな激しい批判の中でもプレスリーは激しいパフォーマンスをやめず、若者を釘付けにしていった。当時プレスリーは、自身に影響を与えた黒人アーティストのリスペクトを、インタビューなどで公に答えており、「ロックンロールが非行の原因になるとは思わない」とも答えている。また、プレスリーは自身のロックンロールについて「セクシーにしようとは思っていない。自分を表現する方法なんだ」「オレは人々に悪影響を与えているとは思わない。もしそう思ったら、オレはトラック運転手に戻るよ。本気でそう思っている」と答えている。 プレスリーの音楽によって多くの人々が初めてロックンロールに触れ、ロックンロールは一気にメジャーなものとなった。また、いままで音楽を聞かなかった若年層(特に若い女性)が、音楽を積極的に聞くようになり、ほぼ同時期に普及した安価なテレビジョンやレコードプレーヤーとともに音楽消費を増加させる原動力になった。さらに、音楽だけでなくファッションや髪型などの流行も若者たちの間に芽生え、若者文化が台頭した。晩年はその活動をショーやコンサート中心に移した。1977年8月16日、自宅であるグレイスランドにて42歳の若さで死去した。 プレスリーの記録は多数あり、例えば、最も成功したソロアーティスト、最多ヒットシングル記録(151回)、1日で最もレコードを売り上げたアーティスト(死の翌日)、等がギネスによって認定されている。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第3位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第3位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位。 プレスリーは1935年1月8日、ミシシッピ州テュペロの小さな家(トイレも水道も無い掘立小屋)で生まれた。父ヴァーノン・エルヴィス・プレスリー(1916〜79)、母グラディス・ラブ・プレスリー(1912〜58)の3人家族であった(プレスリーには双子の兄弟ジェシー・ガーロン・プレスリーがいたが、誕生時に死亡している)。父ヴァーノンが不渡小切手で服役するなど非常に貧しい幼少時代であったが、両親はエルヴィスを大事に育てた。 熱心なキリスト教プロテスタント(新教)の信者 で、ペンテコステ派であり、9歳の時に洗礼を受けた。11歳の誕生日にはライフルを欲しがったが、当然母親に却下され、代わりに与えられたのがギターであった。これを機に自宅の地下洗濯部屋で練習し音楽に傾倒していった。 1948年、プレスリーが13歳の時にテネシー州メンフィスへと引っ越した。下宿生活を経て、1949年に一家はメンフィスにあるロウダーデール・コート公営住宅に転居した。メンフィスは非常に貧しい黒人の労働者階級が多かったため、そのような環境の中で黒人の音楽を聴いて育った。エリス公会堂のゴスペルのショーも欠かさずに観に行っていた。ある日、毎回欠かさず観に来ていたエルヴィスだったが、入場料を払えないとの理由で1度欠席した。これに気を留めたのがJ.D.サムナーで「じゃあ次回からは楽屋口から入るといいよ」と告げ、エルヴィスは無料でショーを観ることができた(1970年代のコンサートではJ.D.サムナー&ザ・スタンプス・カルテットをコーラス隊として迎えている)。このことが後のプレスリーの音楽性に大きな影響を与えたとされる。プレスリーは高校卒業後、精密金型会社で働いた後にクラウン・エレクトリック社に転職しトラック運転手として働いていた。 1953年の夏にプレスリーはメンフィスのサン・スタジオで最初の両面デモ・アセテート盤を録音するため4ドルを支払った。収録曲は当時のポピュラーなバラード “My Happiness” と “That’s When Your Heartaches Begin” であった。 サン・レコードの創業者サム・フィリップスとアシスタントのマリオン・ケイスカーはその録音を聞きエルヴィスの才能を感じ、1954年6月に行方不明の歌手の代理としてプレスリーを呼んだ。セッションは実り多いものであったかは分からなかったが、サムは地元のミュージシャン、スコッティ・ムーア、ビル・ブラックと共にプレスリーを売り出すこととした。プレスリーは最初「The Hillbilly Cat(田舎者の猫)」という名前で歌手活動を始め、その後すぐに歌いながらヒップを揺らすその歌唱スタイルから、(彼に批判的な人々から)「Elvis the Pelvis(骨盤のエルヴィス)」と呼ばれた。 1954年7月5日のリハーサル休憩中にプレスリーは“That’s All Right, Mama” をいじくり始め、サムはプレスリーが適所を得たかもしれないと考えて録音ボタンを押した。即興での演奏でドラムスが不在であったため、ベースをかき鳴らしての演奏となった。B面に“Blue Moon of Kentucky”が収録されたシングルは、WHBQラジオが放送した二日後に、メンフィスでのローカル・ヒットとなった。ラジオを聴いた人たちは黒人歌手だと勘違いしていた。 また、公演旅行はプレスリーの評判をテネシー中に広げることとなった。しかし「初舞台の時には死ぬほど緊張した。観客の声が怖かったんだ」との言葉も残っている。また、プレスリーがツアーをはじめた時、ツアー先の白人プロモーターから「黒人娘(コーラスを務めた“ザ・スウィート・インスピレーションズ”のことを言ったものだが、実際にはもっとひどい差別的な言い方をされた)は連れてこないでくれ」と連絡を受けたことが度々あった。プレスリーは「彼女たちを来させないなら僕も行かない」と言い張り、向こうが謝罪し多額のお金を積んだが、絶対に行かなかった。 このエピソードの様に、公民権法が施行される前の1950年代のアメリカでは、音楽も人種隔離的な扱いを受けている部分が多く残っていた。当時のロックンロールのヒットソングも黒人の曲をパット・ブーンらの白人がカバーし、そのカバー版が白人向けの商品として宣伝され、チャートに掲載され、またラジオなどで流れる傾向にあった。たとえ同じ歌を同じ編曲で歌ったとしても、黒人が歌えばリズム・アンド・ブルースに、白人が歌えばカントリー・アンド・ウェスタンに分類されることが常識だった。プレスリーは、このような状況にあって黒人のように歌うことができる白人歌手として発掘された。 サンとの契約下でプレスリーは5枚のシングルをリリースした。 「ザッツ・オールライト」はビッグボーイ・クルーダップ(アーサー・クルーダップ)のカバーである。多くはリズム・アンド・ブルース、またはカントリー・アンド・ウェスタンのヒット曲のカバーであった。レーベルには「エルヴィス・プレスリー、スコッティー・アンド・ビル」とクレジットされた。10曲の中で最短の曲は1分55秒、最長のもので2分38秒である。 1955年8月18日にプレスリーの両親はプロデューサーのトム・パーカー(通称・パーカー大佐)との契約書に署名し、サン・スタジオとの関係は終了した。 プレスリーは1955年11月21日にRCAビクターと契約した。1956年1月28日に「CBS-TVトミー・ドーシー・ステージ・ショウ」にてTVに初出演し、黒人のR&Bを歌う。そこでプレスリーは白人らしからぬパフォーマンスを披露したが、これに対してPTAや宗教団体から激しい非難を浴びせられた。しかし、その激しい非難にもかかわらず、それを見た若者たちは、プレスリーのファンになっていった。 1956年1月27日に第6弾シングル “Heartbreak Hotel / I Was the One” がリリースされた。これは1956年4月にチャートの1位に達した。Heartbreak Hotel はその後数多く登場したミュージシャンに多大な影響を与えた。 レコーディング場所について1950年代はニューヨークにあるRCAスタジオを利用したことがあったが、プレスリーのキャリアにおいて、主演映画の挿入歌以外のレコーディング場所で最も利用されたのはテネシー州ナッシュヴィルにあるRCAスタジオBである。しかし、1972年以降はハリウッドにあるRCAスタジオや地元メンフィスのスタジオを利用した。更に1976年になると、RCAスタッフがプレスリーの自宅(グレイスランド、ジャングルルーム)に録音機材を持ち込み、レコーディングを行った。 後年レコーディング自体に関心を示さなくなったのは、RCAのミキシングやアレンジがプレスリーの意向にそぐわなかったことや良質な楽曲がなくなったこと、コーラスがプレスリーの要求にこたえられなかったこと、体調面など様々な理由があった。 プレスリーは一発撮りと呼ばれる1テイク完成型のスタジオ・ライブ形式のレコーディング・スタイルにこだわった(いくつかのテイクをつなぎ合わせて一つの曲として発表する形式やパートごとの別録りといった選択肢もあったが、プレスリーはそれを嫌い、現在まで発表された曲数が700以上ある中で、そのような形式で発表した曲は少ない)。そのため、プレスリーの死去後現在まで様々な未発表テイクが発掘されており、その中には発表されたテイクと違った趣向のものもある。後年、レコーディングに関心がなくなった頃は、体調不良を訴え、「歌のレコーディングは後で必ずするからミュージックだけ録音しておいてくれ」と言うこともあったが、ほとんどの場合、それは実現しなかった。 1956年12月4日、プレスリーはカール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイスがレコーディングしているサン・レコードに立ち寄り、彼らとジャム・セッションを行なった。フィリップスにはもうプレスリーの演奏をリリースする権利はなかったが、このセッションを録音した。ジョニー・キャッシュも共に演奏していたと長い間考えられていたが、フィリップスが撮らせた写真でしか確認することができない。このセッションは伝説的な『ミリオン・ダラー・カルテット』と呼ばれるようになった。年末の『ウォール・ストリート・ジャーナル』一面で、プレスリー関連商品が2千2百万ドルを売り上げ、レコード売り上げがトップであることを報じられた。また『ビルボード』誌で100位以内にランクインした曲数が史上最高となった。音楽業界最大手の1つであるRCAでの最初の1年間、RCAのレコード売り上げの半数がプレスリーのレコードであった。 当時のアメリカの国民的バラエティー番組『エド・サリヴァン・ショー』には、1956年9月と10月、1957年1月と短期間に3回出演した。なお、広い視聴者層を持つ国民的番組への出演を意識して、ジャケットを着用し出演した上に、当初保守的な視聴者の抗議を配慮した番組関係者が、意図的にプレスリーの上半身だけを放送したと伝えられている。 そのようなやり取りがあったものの、司会者のエド・サリヴァンが「このエルヴィス・プレスリーはすばらしい青年です」と紹介したことから、プレスリーへの批判は少なくなった上に、アメリカ全土へのプロモーションに大きく役立ったと言われている。 1958年1月20日に、プレスリーはアメリカ陸軍への徴兵通知を受けた。当時のアメリカは徴兵制を施行しており、陸軍の徴兵期間は2年間である。プレスリーは特例措置を受けることなく、他と変わらぬ普通の一兵士として西ドイツにあるアメリカ陸軍基地で勤務し、1960年3月5日に満期除隊した。 徴兵命令が来た際、プレスリーは「闇に響く声」を撮影中で、徴兵を少し延期したことでも話題になった。徴兵局はパラマウントからの延期の申し入れに対し、「エルヴィスをよこして頭を下げさせろ」と伝えた。翌日、プレスリーは徴兵局へ出向き、延期の申し入れを行った。 1958年8月11日、戦車兵としての専門教育を受けていたプレスリーは、すでに体調を崩していた母グラディスが緊急入院したとの知らせを受けた。上官はプレスリーからの外出申請をいったんは却下したが、8月12日の外出が許可された。グラディスは8月14日に亡くなり、翌15日に葬儀が営まれた。再び帰営する際、プレスリーはグラディスの部屋を生前の状態に保つよう言い残している。 プレスリーは西ドイツに駐留する第32機甲連隊に配属され、第1中戦車大隊の本部管理隊で勤務した。同地では松濤舘空手を学び、また軍曹まで昇進した。空手8段と言われることがあるが、実際には空手ではなく、除隊後にトレーニングした韓国人のカン・リー道場での最終段位であり、空手道とは関係がない。公開されている免状には韓国国旗とアメリカ国旗があしらわれている。また在籍中、病気にかかり軍の病院において扁桃腺炎だと診断された。その際、医師はプレスリーの声が変調するのを恐れて、扁桃腺の切除手術は行わなかったが、回復し健康を取り戻した。 1960年3月2日、プレスリーは帰国の途に就いた。途中スコットランドを経由しているが、これが彼にとって唯一のイギリス滞在となった。プレスリーは3月3日の朝に帰国して大勢のファンに迎えられ、5日に名誉除隊となった。 プレスリーの映画は駄作・凡作が多いことで知られている。ただし「ブルー・ハワイ」「ビバ・ラスベガス」など、楽曲は優れている。駄作が多い理由としては、悪徳マネージャーのトム・パーカー大佐が、一気に10本ものハリウッド映画を契約してしまうなどの行動を取ったことなどが大きい。歌手として有名になっていくにつれて、映画配給会社数社から出演の依頼がプレスリーのもとに届いた。プレスリーは大変喜んで、劇場に通いつめ、演技を独学で勉強した。初出演映画にはパーカー大佐がプレスリーを映画の主演にさせたかったので20世紀FOX配給「Rino Brothers」を選んだ。プレスリーはシリアスな演技派を目指していた為、映画内での歌には興味がないと公言していたが、結局パーカー大佐の要請で4曲も歌う羽目になりタイトルも「Love Me Tender」に変更されて公開された。 陸軍入隊前までの1958年までに4作の映画が製作されたが、いずれも挿入歌ありの主演映画に終始し、おまけに映画挿入歌を収めたアルバムが好評だったため、当時のショウビジネスの世界に新たなビジネスの形態を作り出した。1960年に陸軍除隊するとパーカー大佐は配給会社数社と長期に渡り出演契約を結んだ為、1969年まで1年に3本のペースで27本もの映画の製作が行われ、活動の拠点をハリウッドに移さざるをえなかった。おおよその映画は制作費を抑えた挿入歌アルバム付きのものが多かったが、「G.I. Blues」、「Blue Hawaii」、「Viva LasVegas(ラスヴェガス万才)」等、話題にはなったが、プレスリーの映画は全体的に評価が低い。評価されたのは「オン・ステージ」「オン・ツアー」など、コンサートをドキュメンタリー的に記録したものだけである。 結局、1956年から1969年まで計31本の映画が公開された中で、プレスリーが望んだ(主題歌以外の)歌のない映画は、1969年公開の「Charro!(殺し屋の烙印)」のみであった。この映画が製作された頃のプレスリーは1960年代初期と違い、映画への意欲が薄らいでいた時期ではあった(1968年のカムバックを経て、残った契約の消化を急いでいた)が、久しぶりに前向きに臨んだ西部劇で役作りの為にあごひげまではやし撮影された。しかし、プレスリーの主演映画に対する世間の注目度が低かったこと、脚本の出来もイマイチだったことなどが原因で映画の興行成績は振るわなかった。 そういう状況の中、ミュージカル映画の枠を超えていなかったこと、台本の出来の悪さ、また、プレスリーが力を入れて撮影したシーンがカットされたことなど、プレスリーの仕事への不満は募っていき、それが歌手としてコンサート活動を再開するきっかけになった。 歌手活動の本格再開後も、1970年8月のラスベガス公演やリハーサル風景を収めたドキュメンタリー映画「Elvis: That’s the Way It Is(エルヴィス・オン・ステージ)」や1972年4月のコンサート・ツアーの模様を収めたドキュメンタリー映画「ELVIS On Tour(エルヴィス・オン・ツアー)」が製作され、好評だった。それ以降は映画の公開はなかったが、プレスリーの死後の1981年には、ほとんどを生前の映像等で構成したライフ・ストーリー的映画「This Is ELVIS」が公開された。これらを合わせると、プレスリーが主演した映画は計34本となる。 1974年8月19日に、ラスベガス公演中のプレスリーの楽屋をバーブラ・ストライザンドが訪れた。バーブラは自らが主演する映画「A Star Is Born(スター誕生)」での共演をプレスリーに依頼し、プレスリー自身も非常に乗り気だったと伝えられているが、後日パーカー大佐が出演料を理由に断った。 1970年代半ば、プレスリー自身が起案し出演する空手家が主人公の映画の撮影を行ったが、完成することはなかった。理由の一つとして、プレスリーの体調が悪くなることが多く空手を続けられる状況ではなくなり、空手自体をやめてしまったことが挙げられる。ちなみに、空手の後の太り始めた頃からの趣味はラケットボールで、医師からの勧めで始めた。プレスリーは自宅であるグレイスランドの敷地内に専用コートを建てた。亡くなる1977年8月16日の早朝も友人たちとプレーし、汗を流した。 プレスリーとビートルズは直接的な接点はなかったが、両者は1965年8月27日、ロサンゼルスのプレスリーの邸宅で一度きりの会見を果たしたことがロック史に残る出来事として語られている。ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインとパーカー大佐の間での「極秘の打ち合わせ」という名目だったが、どこからか漏れてしまい、案の定自宅周辺には野次馬が集まった。 この会見はビートルズのメンバー達や関係者達の証言の食い違いがあり、様々な諸説がある。通説ではメンバーのジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターは平静を装いながらも、心を躍らせて招かれた部屋に入った。そこでプレスリーはテレビを見ながらベースを練習してくつろいでいた。「本物のエルヴィスだ」と感激した4人は呆然としてしまった。気まずい沈黙とぎこちない会話の後、プレスリーが「一晩中僕を見てるだけなら僕はもう寝るよ?せっかく演奏ができると思って待ってたのに」と声をかけた後、即興演奏が始まった。プレスリーはベースを演奏し、レノンとハリスンはギター、マッカートニーはピアノを演奏した。スターはドラムキットが無かったため演奏しておらずビリヤードやサッカーを楽しんでいたという。 ビートルズの友人でもある記者のクリス・ハッチンスによれば、レノンがプレスリー宅のラウンジに入った時、テーブルランプの「リンドン・B・ジョンソン大統領と共に」というメッセージが刻まれたワゴンの模型を見つけた。その瞬間レノンは大統領を侮辱する態度をとり、プレスリーは困って苦笑いしていたという。プレスリーの妻だったプリシラによれば「ビートルズが入ってきたとき、エルヴィスはソファでリラックスしながらテレビを見ていました。両者とも最初は多少の沈黙とぎこちない会話の後、エルヴィスがベースを取り出してチャーリー・リッチの曲を弾き始めました。突然、ビートルズとエルヴィスのジャムセッションが始まりました」と語っている。 ビートルズの広報担当者でもあるトニー・バロウによると「プレスリーとビートルズは奇妙な沈黙が多く、いくつかぎこちない会話をした。最初に口を開いたのはジョンで、最近はなぜ映画でソフトなバラードばかりを歌ってるの?ロックンロールはどうしたのと質問していた。会話は上手くいかなかったが、プレスリーが楽器を用意し、素晴らしいセッションが始まった。彼等が演奏した全ての曲は覚えてないが、その内の1つはI Feel Fineだったことは覚えている。リンゴは木製家具を叩いてバックビートを鳴らしていた。それは素晴らしいセッションだった」と語っている。 プレスリーが「君たちのレコードは全部持ってるよ」と言ったのに対してレノンは「僕はあなたのレコードは1枚も持ってないけどね」と発言したことからその場が凍りついたという。これはレノンの過激なジョークだったとも言われている。この会見は成功したとは言えないものだったが、ビートルズは忘れられない夜だったと語っている。プレスリーのロードマネジャーであるジョー・エスポジートによれば、「プレスリーは面会の後もビートルズに敬意を払っていた」と語っている。レノンはプレスリーの取り巻きに「エルヴィスがいなければ今の自分はいない」と伝えるよう頼んだという。 後にプレスリーはマッカートニーやハリスンの曲をカバーしているが、レノンの曲は取り上げていない。(ただしビートルズもプレスリーのカバーを正式には残していない)しかしプレスリーの側近であるジェリーシリングによると、プレスリーはレノンがメインのビートルズ初期の曲もよく聞いていた。プレスリーはア・ハード・デイズ・ナイトを特に気に入っていたという。しかし、ビートルズのドラッグソングは好きではなかったと側近は語っている。プレスリーはビートルズとの会見の後に、何度かインタビューやライブなどで、ビートルズを賞賛している。1969年にプレスリーは英国人記者に「彼らはとても面白くて、とても実験的だ。特に彼らが I Saw Her Standing There 辺りを歌っていたときが好きでした」と語った。ライブでも「ビートルズやドアーズなど、新しいバンドが本当に好きだ」と語っている。 しかし1970年に、反米精神に満ちたヒッピーのドラッグカルチャーの問題などで、混沌としているアメリカを危惧したプレスリーは、ニクソン大統領にアメリカを救うのに協力したいと手紙を出した。ヒッピーに支持され、大きな影響を与えていたビートルズを危険視した。LSDなどのビートルズのドラッグの音楽や過激なドラッグの発言、反アメリカ的な発言や共産主義的な思想など、若者に悪影響を及ぼしているとプレスリーは懸念していた。ビートルズの中でも特にジョンレノンの過激な発言と、抗議パフォーマンスがアメリカに悪影響で要注意人物と考えていたという。プレスリーはビートルズを一時期マークしていた。 しかしプレスリーは麻薬取締局のバッジを取得した後、ほとぼりも冷めていったのか、ニクソンとの関係も次第に無くなっていき、ビートルズの曲をコンサートで歌ったりもしている。プレスリーは1970年代にいくつかビートルズの曲をカバーしている。1973年の世界同時生中継で視聴者数15億人ともいわれている「アロハ・フロム・ハワイ」のコンサートでもビートルズの曲を歌っている。 この様にプレスリーのビートルズに対する嫌悪感は個人的なものでは無く、彼等への好意やリスペクトがあったのも事実だが、アメリカの愛国者としてビートルズを悪影響とも見なしていた。社会的立場が違ったプレスリーとビートルズの関係性は非常に複雑と言える。 1967年5月1日には、ラスベガスのアラジン・ホテルでプリシラ・アン・ボーリューと結婚。プリシラはプレスリーの駐西独アメリカ軍での所属部隊長の継子であった。プレスリーは未成年であったプリシラを自分の父親とその妻の家に同居させ、有名なカトリックの女子高に通わせて、きちんと卒業させるということをプリシラの母親と継父に約束してプリシラをメンフィスで暮らせるようにした。しかし、程なく2人はグレイスランドで一緒に暮らすようになっていく。8年後に結婚し、1968年2月1日には娘リサ・マリー・プレスリーが生まれる。 その4年後、結婚前から続いているプレスリーの生活習慣(昼と夜が逆転した生活)、メンフィス・マフィア(エルヴィスの取り巻き)といつも一緒の生活、さらに年間何ヶ月にも及ぶコンサートツアーによる別居生活などのさまざまな理由から、プリシラは空手教師のもとに走り、2人の結婚生活は破綻してしまう。グレイスランドを出たプリシラはリサ・マリーを引き取り、ロサンゼルスに住居を移す。1973年10月9日に正式離婚。 離婚後もプレスリーとプリシラは友人関係にあり、以前よりも密に連絡を取り合うようになったという。プレスリーがツアーでロサンゼルスにいるときは、プリシラの家を訪れたり、なにか事あるごとにプリシラをグレイスランドに呼び寄せたりして精神的にプリシラを頼りにしていた。二人は、リサ・マリーがまだ幼かったこともあって、2人が離婚したことでリサが不幸にならないようにと願っていた。リサとプレスリーは頻繁に会っていたようだ。プレスリーが死んだその日もリサはグレイスランドにいた。 プレスリーの音楽活動は62年の「好きにならずにいられない」までは好調を保っていたが、63年から68年ごろまでは絶不調と言ってよい状態だった。量産された映画とビートルズの登場に押された影響は否定できず、プレスリー自身もそれを自覚していた。不調の時代では65年の「クライング・イン・ザ・チャペル」(オリオールズの曲をカバー)が彼らしい佳作だった。68年のTVライブで復活したエルヴィスは69年に「サスピシャス・マインズ」、「イン・ザ・ゲットー」を発売し、カムバックした。1969年から過密スケジュールでキャリアを再開。しかし、それはプレスリーを完全なワーカホリック状態へと追い込むものであった。1969年以降行ったライヴは1000回以上であり、平均すると1年におよそ125回のペースだった。 1969年よりネバダ州のラスベガスを中心にショーを行うようになっていた。プレスリーのコンサートは時代を経て、大規模なものになっていった。瞬間最高視聴率約72%を記録した1968年のNBC-TVスペシャル以後、翌年にラスベガスのステージで歌手復帰してからは、ロックンロール以外にもレパートリーの幅を拡げ、ゴスペルやスタンダード・ナンバー等を取り入れた。バックもコーラス・グループやピアノ等が新たに加わり、オーケストラまで揃えた多人数の団体に膨れ上がった。なお派手な衣装は、リベラーチェからの影響と言われている。この時期のステージでは、トニー・ジョー・ホワイト、ニール・ダイアモンド、BJトーマスらの曲をカバーしている。日本では、『エルヴィス・オン・ツアー』は『リスボン特急』と共に上映された。 1972年には「バーニング・ラヴ」が、ビルボード2位まで上昇する大ヒットとなっている。1970年代にエルヴィスは他に、「アメリカの祈り」「ロックンロール魂」などを発売した。 また、ラスベガスのステージ編成をそのまま地方公演に取り入れた。コンサート活動再開後、最後にコンサートを行った1977年6月26日インディアナポリス公演までチケットは売り切れ状態が続いた。1977年8月17日から始まる予定だったツアーも最終日の8月27日のメンフィス公演まで売り切れ、翌28日に同地で追加公演を行う予定だった。 1960年代半ばからアメリカは非常に混沌とした時代になった。ヒッピーの過激な反戦運動の中で、フリーセックス、栄養失調、病気、LSDなどの薬物中毒の問題などが浮上し、犯罪と暴力が急増した。 プレスリーはドラッグが蔓延るヒッピー文化の暴動と、過激なカウンターカルチャーによるアメリカの未来を危惧していたという。1970年12月21日には、アメリカン航空の民間機でワシントンD.C.に出向き(普段は自家用機しか乗らない)、シークレット・サービスに手紙を手渡した。一市民であるプレスリーから大統領にあてた手紙である。 「私はエルヴィス・プレスリーです。あなたを尊敬しています。私は3週間前にパームスプリングスでアグニュー副大統領と話し、我が国に対する懸念を表明しました。麻薬文化、ヒッピー、SDS、ブラックパンサーなど。私は彼等にとって敵では無く彼らの言う「体制」ではなく、私はアメリカを愛する者です。私はこの国を助けるためにできるだけの手伝いをさせていただきたい。私には国を助けること以外に何の関心も動機もありません。ですから私は役職を与えられたくないのです。もし私が連邦捜査官になったら、もっと良いことができます。あらゆる年齢層の人々とのコミュニケーションを通じて、私なりの方法でそれを手助けするつもりです。何よりも私はエンターテイナーです。必要なのは連邦資格だけです。」という手紙をニクソンに送った。 ホワイトハウス内は大騒ぎとなり、その40分後補佐官から「大統領が会いたい」と電話があった。ホテルに到着したデル・ソニー・ウェストが合流し3人でホワイトハウスへ行き、リチャード・ニクソン大統領に会った。ツーショット写真はその際撮影されたものである。プレスリーはFBI本部のプライベートツアーを許可された。若者の凄まじい反米精神と、不健全なヒッピーカルチャーを深刻な問題として考えていたプレスリーは、ビートルズ、スマザーズ・ブラザーズ、ジェーン・フォンダなど、彼等の公の場での過激な発言と活動を危険視していた。プレスリーは彼等を厳しく取り締まるべきと考えていたという。 「連邦麻薬取締局」のバッジを望んでいたプレスリーは「自分はドラッグ・カルチャーと、共産主義の洗脳について研究してきた」とニクソンに語っている。保守派の政治家として、麻薬撲滅に熱心であったニクソン大統領に対して、「ロックが麻薬使用に影響しているとは思わないが、責任は感じている」といい、麻薬取締官の資格を与えられた。翌週、プレスリーはそのバッジをみんなに見せびらかせて回った。なお、プレスリーは警察官等のバッジ・コレクションをしており、大変な収集家であった。 プレスリーは愛国心が強かったが、自分の「政治的見解」は自分の中に留めるとしており、政治について公に意見を言うことはしなかった。ニクソンとのドラッグカルチャー問題も、自分は芸能人ということをあらかじめ念押し、必要以上に関与することはしなかった。1972年の記者会見で「政治的なキャリアを追求することを考えたことはありますか?」という問いにプレスリーは「 いいえ、私にはその願望はありません」と答えている。記者から「兵役についてた頃の話もありましたが、ベトナム戦争の反対運動者についてあなたの意見はどうですか?今日徴兵されることは拒否しますか?」という問いに、プレスリーは「それについての自分の意見は自分の中に留めておくつもりです。私は芸能人だしね」と答え、記者は「他の芸能人も貴方と同じように秘密にするべきですか?」と質問するとプレスリーは「いいえ」と答えている。 また、プレスリーは人種差別に強く反対的で、1950年代に白人社会から凄まじい批判を受けても、黒人アーティスト達の影響やリスペクトを何度も公言しているが、一方で公民権運動には参加しなかった。人種差別やベトナム戦争を反対していた「キング牧師」を、プレスリーは熱烈に支持していたが、それを公に言うこともなかった。(キング牧師が暗殺されたとき、プレスリーは泣き崩れたという。)この様にプレスリーは、基本的にエンターテイメント以外で、自分を主張することはしないスタイルだった。 トム・パーカーは悪徳マネージャーとして有名だった。パーカーは、エルヴィスとリーバー&ストーラーが親しいことが、自分がエルヴィスを支配する上でマイナスだと考えた。パーカーはエルヴィスと、リーバー&ストーラーの仲を引き裂く工作を行い、これに成功している。プレスリーは世界的なスーパースターとなったが、終生アメリカ、カナダ以外でコンサートを行っていない。海外での公演ができなかった理由は、移民であるパーカー大佐がアメリカの永住権を所持しておらず、カナダを例外としてアメリカ国外へいったん出国すると再入国を許されない事態を恐れた為だったと言われている。ちなみに、パーカー大佐が出身国に残してきた家族が、大佐がプレスリーに付き添う姿をテレビで見て仰天したという逸話が残されている。 これに対して、パーカー大佐は世界の公演希望に応えるため、衛星中継という方法で、生のプレスリーを世界へ送った。来日公演の要請に対しては、日本のゴールデンタイムに衛星生中継で視聴してもらえるよう、1973年1月14日に、ハワイ時間深夜1時からコンサート『アロハ・フロム・ハワイ』を開催する形で応えた。これは日本のゴールデン・タイム(午後7時)にあわせたものである。放送は約2時間続いた。 このコンサートはプレスリーの愛唱歌でもあった「アイル・リメンバー・ユー」の作者、クイ・リーの遺族らによって創設された“クイ・リー癌基金”のためのチャリティー・コンサートとして開催された為収益は全て、クイ・リー癌基金へ寄付された。この公演のチケットには値段が付いておらず、客が献金したい分だけ払えば、購入することが出来た。6000席の会場で7万5000ドル集まったので、1人あたり12ドル50セント支払った計算になる。 アメリカでは公開中だった『エルビス・オン・ツアー』と競合することを回避するために、4月4日に放送された。新たにハワイのビーチや挿入歌がインサートされた、生放送とは別の編集版であった。既にこのコンサートのライヴアルバムが発売されていたにもかかわらず、この放送を視聴した世帯数は、人類初の月面着陸の映像を視聴した世帯数より多かった。 「プレスリーの離婚の財産分与の資金捻出のため」という名目でパーカー大佐はプレスリーの楽曲の権利をRCAへ売り渡した。これは将来的に見ても大損な取引だったが、パーカー大佐自身がギャンブルで大損を出していたため、手っ取り早く大金を得るためにプレスリーに伝えないで独断で売った。離婚に必要な資金は175万ドルでエルヴィスならすぐに回収できるであろう金額だった。プレスリーがお金がなくなっていったのはこの権利で手に入る印税を受け取れなかったことが関係している。プレスリー関係者からは「悪名高き73年の取引」といわれている。 この様な理由以外にも、プレスリーはパーカー大佐に対する不満をメンバーたちに多く漏らしていた。しかし、プレスリーは生涯パーカー大佐をクビにすることはなかった。ネルソン・ジョージは、「マネージャーのトム・パーカー大佐がプレスリーをどんどん安物のクズにおとしめていった」と評している。 1977年8月16日にテネシー州メンフィスの自宅、グレイスランドで没した。ガールフレンドのジンジャー・アルデンによって寝室のバスルームの床に倒れているところを発見され、バプテスト記念病院へ搬送されたが、医師は午後3時30分、プレスリーの死亡を確認した。42歳没。検視後、死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された。 晩年、プレスリーはストレスからくる「過食症」に陥ったことが原因で体重が激増したことに加え、1975年頃からは主治医だったジョージ・ニコポウラスから処方された睡眠薬などを「誤った使い方」で服用していた。「処方ドラッグをやっていた」とグレン・D・ハーディンなどのメンバー、さらにデル・ソニー・ウェストなどのメンフィス・マフィアのメンバーたちも語っている。 グレンは詳しいことは死ぬまで語るつもりはないといっているが、ソニー・ウェストは暴露本を書いて中傷したとされた。このことについてソニーは「まだ存命中だったエルヴィスを救うためだった」と述べた。違法なドラッグは一切使用していないが、この処方ドラッグの影響で癇癪持ちになり、体調も維持できなくなってしまった。 イギリスのテレビ局、チャンネル4はプレスリーのDNAに、肥満や心臓疾患を引き起こすものが発見されたと報道した。 当初はメンフィスのフォレスト・ヒル墓地で母親の隣に埋葬されたが、遺体の盗掘未遂事件後に、母親と共にグレイスランドに再埋葬された。グレイスランドには、プレスリーの様々な遺品やピンクや緑に塗られたキャデラック、愛娘の名前をつけた自家用機、コンベア880型「リサ・マリー号」などが展示されており、現在も世界中からファンや観光客が訪れている。スコティ・ムーアは「エルヴィスの葬儀は見世物ショーになるだろう」と感じ、式に出席しなかった。 プレスリーの急死後、その肖像権は非常に危うい位置にあった。プレスリーはステージ以外の事は人任せで、肖像権は一応管理されていたが杜撰だったため、金儲けの道具とされ、プレスリーのイメージを損なうものであっても簡単に商品化できた。 存命中にはプレスリーは多くの「名義貸し」のつもりで契約書にサインしていたが、相手は「エルヴィスが利益になる」と考え、膨大な予算をプレスリーに用意させようとした(ソニー・ウェストの暴露テープに電話の内容が記録されている)。 死去後まもなくして遺族らが膨大なプレスリーの物的財産を管理する組織を結成、肖像権も管理しようと訴訟を起こした(当時、亡くなった人々の肖像権の取り扱いは帰属等がはっきりしていなかった)。遺族らは勝訴し、肖像権を手に入れ、以後今日までしっかりと管理されている。 肖像権が管理できるようになって、「エルヴィス・プレスリー」という名を使い現在まで様々なプロジェクトを世界に向かって発信してきた。プレスリーのキャリアはサン・レコードからデビューした1954年から死去する1977年である。本業の歌の部門では、数多くの未発表テイクが発掘されている。 未発表映像も発掘され、1968年のTVスペシャルや1973年のアロハ・フロム・ハワイのアウトテイクを収録した完全版がリリースされ好評となった。その他、側近や友人、家族らが語るプレスリーの人物像に焦点をあてた物や、プレスリーのゴスペルに対する思いを映像化した物もある。 それ以外にもプレスリーをモチーフにした映画の製作やプレスリーの曲が数多くの映画の挿入歌に使用される事も多い。プレスリーに因んだセリフも数多くの映画の中で聞くことが出来る。ブロードウェイのミュージカルにも取り上げられる等、そのような話題はとどまる事を知らない。プレスリーの記録であるナンバー1ヒット曲数18曲が、2019年マライア・キャリーの19曲によって更新された。 死後、ロニー・マクドウェルは「キング・イズ・ゴーン」を発表した。あまりにエルヴィスに似ていることと、歌のうまさはおおいに話題となった。プレスリーの物まね、または成りきる(演じる)事を生業とする人々が世界に存在し、その数は8万5000人と言われている。また、エルヴィスを尊敬するアーティストも多く、そのようなアーティスト達が一堂に会したトリビュート・コンサートが実現した。 更に1997年には新たなる試みとして、プレスリーのコンサート映像を使用し、それにあわせて当時のバンド・メンバーが演奏するエルヴィス・ザ・コンサート(現:エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート)のメンフィス公演が行われ、以後全米各地のほか、ほぼ年に1回のペースでアメリカ以外の地域でツアーを行っている。娘はマイケル・ジャクソンと結婚したが、後に離婚している。 彼の死後、プレスリーの生存説、目撃情報などの滑稽な陰謀論やオカルト話が「ウィークリー・ワールド・ニューズ」「東京スポーツ」などを中心に相次いで報告された。年をとったプレスリーを見たという証言がある一方、若い頃そのままのプレスリーを見た、人面魚とプレスリーが泳いでいるのを見た、という証言がイエロー・ペイパーを中心に報道された。プレスリーが生きているという確実な証拠には300万ドル(約3億4000万円)が支払われるが、その日は来るのは難しい。 エルヴィスは多くの国の若者に、ロックンロールという新しい音楽への強い関心を与えた存在だった。ジョン・レノン、ボブ・ディラン、ポール・マッカートニー、ボブ・シーガー、フレディ・マーキュリー、ルー・リード、ロバート・プラント、ブルース・スプリングスティーン、テリー・スタッフォード、クリフ・リチャードらをはじめとする多くのアーティストが大きな影響を受けた。 ジョン・レノンとエリック・カルメンは、ヴォーカル・スタイルにおいても影響を受けている。ジョン・シュナイダー、ZZトップ、チープ・トリック、らはエルヴィスの曲をカバーした。ロバート・ゴードン、タフ・ダーツ、ストレイ・キャッツ、ブラスターズらもエルヴィスの影響を受けていた。 ヒュー・ジャレット — バックボーカル(1956–58; 2008年に死亡) ボブ・ムーア—コントラバス、ベースギター(1958–59、1960–68; 2021年に死亡) 1970年代の、金やダイヤモンドやルビーなどを施したジャンプスーツは、25kg以上にもなっていた。これは敬愛していたゲイのピアニストであるリベラーチェからの影響を受けたものだった。ただし、プレスリーは宝石類にはあまり興味がなく、ステージ上で華やかに見えるものなら安いイミテーションでも構わないという考えだった。 彼は酒も煙草もやらなかった。たまに葉巻を吸う程度である。「オン・ステージ」で観客から酒を渡された時も、口を付けるだけでほとんど飲んでいない。ステージ上で飲んでいるものは水かゲータレードである。 コーヒーや炭酸飲料、「ピーナッツバターとバナナとベーコンのサンドイッチ」が大好きで、毎日のように食べていた。今ではこのサンドイッチは「エルヴィスサンド」と呼ばれている。ただし、このサンドイッチは食べる前に多量のバターを溶かしたフライパンで揚げ焼きにしたもので、当然ながら高カロリーなため、プレスリーが30代以降体調を崩し、肥満化していった一因になったのではないかという指摘もある。 日本では湯川れい子、小林克也、平尾昌晃、山下敬二郎、ミッキー・カーチス、本郷直樹、尾藤イサオ、ささきいさお、鹿内孝、藤木孝、西郷輝彦、坂本九、西田敏行、大瀧詠一等がプレスリー・ファンとして知られている。 アメリカのティーンエイジャーの一部は、プレスリーのダックテールと呼ばれる横髪を後ろへなで付けるヘアスタイルを真似し始めた。また、黒いズボンや緩い開襟シャツといったプレスリーのスタイルは、ファッションの新たな流行を生み出した。プレスリーや、ジェームズ・ディーンの影響は、西側世界における3ティーンエイジャー世代の存在を印象付けた。エルヴィス・プレスリーを慕うミュージシャンに、ドイツのオペラ歌手ペーター・ホフマンらがいる。 1977年にジミー・カーター大統領は「エルヴィス・プレスリーの死は、我が国から大事な一部分を奪いとったようなものだ。彼の音楽とその個性は白人のカントリー音楽と、黒人のリズム・アンド・ブルースのスタイルを融合させ、永久にアメリカの大衆文化の様相を変えてしまった。彼は、祖国アメリカの活力、自由、気質を世界の人々に植え付けるシンボルだった。」と語った。ジェームズ・ブラウンは「彼は白人のアメリカ人に目線を下げるということを教えた」という言葉を書き残している。 アメリカ内務省のゲイル・ノートン長官は2006年3月27日、プレスリーが約20年間を過ごした、テネシー州メンフィスの邸宅「グレイスランド」を国の国定史跡に認定した。認定の式典は一般公開で行われ、娘であるリサ・マリー・プレスリーも出席した。 グレイスランドの前の通りはエルヴィス・プレスリー・ブールバード(大通り)という。世界中のプレスリーのファン、ファンクラブからの募金のみで運営しているセイント・パウロ・エルヴィス・プレスリー記念病院がある。 プレスリーの記録には限りがないが、代表的なものや、興味深いものを挙げる。 公式リリース音源の数は800曲を超える。 プレスリーがそのキャリアにおいて発表した曲の未発表テイクが数多く存在するが、プライベート録音を含め、すべての残されたプレスリーの音源を聴きたいというファンの要望に応えるべく立ち上げられたのが、主演映画のタイトルから引用したFollow That Dreamレーベルである。 このレーベルのアルバムは限定生産され、世界中のファンクラブに優先的に流通させるので一般のCDショップ等に出回りにくい。1999年に第一弾 Barbank'68(1968年のNBC-TVスペシャルのリハーサルの模様を収録)がリリースされた。以後、定期的に貴重な音源が次々とリリースされている。わずかだが一つの曲のすべてのテイクを聴くことが出来たり、コンサートアルバムはプレスリーのコンサートを体験することが出来なかったファンにも追体験出来るような内容になっている。 プレスリーが1977年に亡くなるまでの21年間に、146曲が100位以内に、112曲が40位以内に、72曲が20位以内に、38曲が10位以内にチャートインした。1962年4月21日から2週連続で1位を獲得した「グッド・ラック・チャーム」を最後にプレスリーは1位から遠ざかったが、1969年11月1日、「サスピシャス・マインド」が1位を獲得し、「プレスリーの復活」と言われた。1972年10月28日には「バーニング・ラヴ」が2位まで上り詰めたが、チャック・ベリーの「マイ・ディンガリング」(1972年10月21日から2週連続1位)に阻止された。 1970年代においてはプレスリーは一度も1位を取ることはなかったが、2002年にリメイクされた「ア・リトル・レス・カンヴァセーション」は世界24カ国でナンバー1を取得した。アメリカにおいて1位を獲得したシングルの数は18作〈計79週間〉で、ビートルズの20作〈計59週間〉、マライア・キャリーの19作〈計82週間〉に次ぐ歴代3位の記録となっている(Billboard誌に準拠)。 ロックン・ロール(1986年殿堂入り)、カントリー(1998年殿堂入り)、ゴスペル・ミュージック(2001年殿堂入り)の3部門のいずれも殿堂入りした初のアーティストとなった。また、今のところ楽曲においては3回(通算5回)グラミー賞を受賞しているが、3回ともロック部門ではなくゴスペル部門においての受賞であり、プレスリーは終生この事を誇りにした。 ナンバー1ヒットは全18曲、合計79週間である。曲数はビートルズ、マライア・キャリーに次ぐ歴代3位である。週間数に関してはマライア・キャリーに次ぐ歴代2位である。(en:List of Billboard Hot 100 chart achievements and milestones#Most cumulative weeks at number one) 映画は駄作がほとんどである。ただし「オン・ステージ」「オン・ツアー」の2作のライブ映画だけは、内容が充実している。32本の映画出演作(ドキュメンタリーを除く)全てが主役。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "エルヴィス・アーロン・プレスリー(Elvis Aron Presley、1935年1月8日 - 1977年8月16日)は、アメリカのロック歌手、ミュージシャン、映画俳優。全世界のレコード・カセット・CD等の総売り上げは5億枚以上とされている、史上最も売れた音楽家の一人。「キング・オブ・ロックンロール」と称される。ミドルネームは公文書、サイン共にAronだが、墓石にはAaronと表記されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1950年代にチャック・ベリーやファッツ・ドミノ、リトル・リチャード、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ビル・ヘイリーら と共にロック・アンド・ロール(ロックンロール)の誕生と普及に大きく貢献した、いわゆる創始者の一人であり、後進のアーティストに多大なる影響を与えた。その功績からキング・オブ・ロックンロールまたはキングと称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「史上最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている。1950年代に、アメリカやイギリスをはじめとする多くの若者をロックンロールによって熱狂させ、それは20世紀後半のポピュラー音楽の中で、最初の大きなムーブメントを引き起こした。また、極貧の幼少時代から一気にスーパースターにまで上り詰めたことから、アメリカンドリームの象徴であるとされる。ジョン・レノン、ボブ・ディラン、ポール・マッカートニー、ボブ・シーガー、フレディ・マーキュリー、テリー・スタッフォードなど、多くのロック、ポップのミュージシャンたちが憧れたことでも知られる(下段・フォロワーを参照)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "初期のプレスリーのロカビリー・スタイルは、黒人の音楽であるブルースやリズムアンドブルースと白人の音楽であるカントリー・アンド・ウェスタンを融合した音楽であるといわれている。それは深刻な人種問題を抱えていた当時のアメリカでは画期的なことであった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "その後全国的な人気を得たが、白人社会だった当時は保守層から「プレスリーはセックス狂」や「彼は白人を黒人に陥れる」など、凄まじい批判を受けた。「ロックンロールが青少年の非行の原因だ」と中傷され、「骨盤ダンス」も問題となり、PTAはテレビ放送の禁止要求を行うなど、様々な批判、中傷の的になった。KWK FM & AMラジオではプレスリーのレコード(「ハウンドドッグ」)を叩き割り、「ロックンロールとは絶縁だ」と放送。さらにフロリダの演奏では、下半身を動かすなとPTAやYMCAに言われ小指を動かして歌った。この時には警官がショーを撮影し、下半身を動かすと逮捕されることになっていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "そんな激しい批判の中でもプレスリーは激しいパフォーマンスをやめず、若者を釘付けにしていった。当時プレスリーは、自身に影響を与えた黒人アーティストのリスペクトを、インタビューなどで公に答えており、「ロックンロールが非行の原因になるとは思わない」とも答えている。また、プレスリーは自身のロックンロールについて「セクシーにしようとは思っていない。自分を表現する方法なんだ」「オレは人々に悪影響を与えているとは思わない。もしそう思ったら、オレはトラック運転手に戻るよ。本気でそう思っている」と答えている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "プレスリーの音楽によって多くの人々が初めてロックンロールに触れ、ロックンロールは一気にメジャーなものとなった。また、いままで音楽を聞かなかった若年層(特に若い女性)が、音楽を積極的に聞くようになり、ほぼ同時期に普及した安価なテレビジョンやレコードプレーヤーとともに音楽消費を増加させる原動力になった。さらに、音楽だけでなくファッションや髪型などの流行も若者たちの間に芽生え、若者文化が台頭した。晩年はその活動をショーやコンサート中心に移した。1977年8月16日、自宅であるグレイスランドにて42歳の若さで死去した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "プレスリーの記録は多数あり、例えば、最も成功したソロアーティスト、最多ヒットシングル記録(151回)、1日で最もレコードを売り上げたアーティスト(死の翌日)、等がギネスによって認定されている。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第3位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第3位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "プレスリーは1935年1月8日、ミシシッピ州テュペロの小さな家(トイレも水道も無い掘立小屋)で生まれた。父ヴァーノン・エルヴィス・プレスリー(1916〜79)、母グラディス・ラブ・プレスリー(1912〜58)の3人家族であった(プレスリーには双子の兄弟ジェシー・ガーロン・プレスリーがいたが、誕生時に死亡している)。父ヴァーノンが不渡小切手で服役するなど非常に貧しい幼少時代であったが、両親はエルヴィスを大事に育てた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "熱心なキリスト教プロテスタント(新教)の信者 で、ペンテコステ派であり、9歳の時に洗礼を受けた。11歳の誕生日にはライフルを欲しがったが、当然母親に却下され、代わりに与えられたのがギターであった。これを機に自宅の地下洗濯部屋で練習し音楽に傾倒していった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1948年、プレスリーが13歳の時にテネシー州メンフィスへと引っ越した。下宿生活を経て、1949年に一家はメンフィスにあるロウダーデール・コート公営住宅に転居した。メンフィスは非常に貧しい黒人の労働者階級が多かったため、そのような環境の中で黒人の音楽を聴いて育った。エリス公会堂のゴスペルのショーも欠かさずに観に行っていた。ある日、毎回欠かさず観に来ていたエルヴィスだったが、入場料を払えないとの理由で1度欠席した。これに気を留めたのがJ.D.サムナーで「じゃあ次回からは楽屋口から入るといいよ」と告げ、エルヴィスは無料でショーを観ることができた(1970年代のコンサートではJ.D.サムナー&ザ・スタンプス・カルテットをコーラス隊として迎えている)。このことが後のプレスリーの音楽性に大きな影響を与えたとされる。プレスリーは高校卒業後、精密金型会社で働いた後にクラウン・エレクトリック社に転職しトラック運転手として働いていた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1953年の夏にプレスリーはメンフィスのサン・スタジオで最初の両面デモ・アセテート盤を録音するため4ドルを支払った。収録曲は当時のポピュラーなバラード “My Happiness” と “That’s When Your Heartaches Begin” であった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "サン・レコードの創業者サム・フィリップスとアシスタントのマリオン・ケイスカーはその録音を聞きエルヴィスの才能を感じ、1954年6月に行方不明の歌手の代理としてプレスリーを呼んだ。セッションは実り多いものであったかは分からなかったが、サムは地元のミュージシャン、スコッティ・ムーア、ビル・ブラックと共にプレスリーを売り出すこととした。プレスリーは最初「The Hillbilly Cat(田舎者の猫)」という名前で歌手活動を始め、その後すぐに歌いながらヒップを揺らすその歌唱スタイルから、(彼に批判的な人々から)「Elvis the Pelvis(骨盤のエルヴィス)」と呼ばれた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1954年7月5日のリハーサル休憩中にプレスリーは“That’s All Right, Mama” をいじくり始め、サムはプレスリーが適所を得たかもしれないと考えて録音ボタンを押した。即興での演奏でドラムスが不在であったため、ベースをかき鳴らしての演奏となった。B面に“Blue Moon of Kentucky”が収録されたシングルは、WHBQラジオが放送した二日後に、メンフィスでのローカル・ヒットとなった。ラジオを聴いた人たちは黒人歌手だと勘違いしていた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "また、公演旅行はプレスリーの評判をテネシー中に広げることとなった。しかし「初舞台の時には死ぬほど緊張した。観客の声が怖かったんだ」との言葉も残っている。また、プレスリーがツアーをはじめた時、ツアー先の白人プロモーターから「黒人娘(コーラスを務めた“ザ・スウィート・インスピレーションズ”のことを言ったものだが、実際にはもっとひどい差別的な言い方をされた)は連れてこないでくれ」と連絡を受けたことが度々あった。プレスリーは「彼女たちを来させないなら僕も行かない」と言い張り、向こうが謝罪し多額のお金を積んだが、絶対に行かなかった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "このエピソードの様に、公民権法が施行される前の1950年代のアメリカでは、音楽も人種隔離的な扱いを受けている部分が多く残っていた。当時のロックンロールのヒットソングも黒人の曲をパット・ブーンらの白人がカバーし、そのカバー版が白人向けの商品として宣伝され、チャートに掲載され、またラジオなどで流れる傾向にあった。たとえ同じ歌を同じ編曲で歌ったとしても、黒人が歌えばリズム・アンド・ブルースに、白人が歌えばカントリー・アンド・ウェスタンに分類されることが常識だった。プレスリーは、このような状況にあって黒人のように歌うことができる白人歌手として発掘された。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "サンとの契約下でプレスリーは5枚のシングルをリリースした。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "「ザッツ・オールライト」はビッグボーイ・クルーダップ(アーサー・クルーダップ)のカバーである。多くはリズム・アンド・ブルース、またはカントリー・アンド・ウェスタンのヒット曲のカバーであった。レーベルには「エルヴィス・プレスリー、スコッティー・アンド・ビル」とクレジットされた。10曲の中で最短の曲は1分55秒、最長のもので2分38秒である。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1955年8月18日にプレスリーの両親はプロデューサーのトム・パーカー(通称・パーカー大佐)との契約書に署名し、サン・スタジオとの関係は終了した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "プレスリーは1955年11月21日にRCAビクターと契約した。1956年1月28日に「CBS-TVトミー・ドーシー・ステージ・ショウ」にてTVに初出演し、黒人のR&Bを歌う。そこでプレスリーは白人らしからぬパフォーマンスを披露したが、これに対してPTAや宗教団体から激しい非難を浴びせられた。しかし、その激しい非難にもかかわらず、それを見た若者たちは、プレスリーのファンになっていった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1956年1月27日に第6弾シングル “Heartbreak Hotel / I Was the One” がリリースされた。これは1956年4月にチャートの1位に達した。Heartbreak Hotel はその後数多く登場したミュージシャンに多大な影響を与えた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "レコーディング場所について1950年代はニューヨークにあるRCAスタジオを利用したことがあったが、プレスリーのキャリアにおいて、主演映画の挿入歌以外のレコーディング場所で最も利用されたのはテネシー州ナッシュヴィルにあるRCAスタジオBである。しかし、1972年以降はハリウッドにあるRCAスタジオや地元メンフィスのスタジオを利用した。更に1976年になると、RCAスタッフがプレスリーの自宅(グレイスランド、ジャングルルーム)に録音機材を持ち込み、レコーディングを行った。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "後年レコーディング自体に関心を示さなくなったのは、RCAのミキシングやアレンジがプレスリーの意向にそぐわなかったことや良質な楽曲がなくなったこと、コーラスがプレスリーの要求にこたえられなかったこと、体調面など様々な理由があった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "プレスリーは一発撮りと呼ばれる1テイク完成型のスタジオ・ライブ形式のレコーディング・スタイルにこだわった(いくつかのテイクをつなぎ合わせて一つの曲として発表する形式やパートごとの別録りといった選択肢もあったが、プレスリーはそれを嫌い、現在まで発表された曲数が700以上ある中で、そのような形式で発表した曲は少ない)。そのため、プレスリーの死去後現在まで様々な未発表テイクが発掘されており、その中には発表されたテイクと違った趣向のものもある。後年、レコーディングに関心がなくなった頃は、体調不良を訴え、「歌のレコーディングは後で必ずするからミュージックだけ録音しておいてくれ」と言うこともあったが、ほとんどの場合、それは実現しなかった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "1956年12月4日、プレスリーはカール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイスがレコーディングしているサン・レコードに立ち寄り、彼らとジャム・セッションを行なった。フィリップスにはもうプレスリーの演奏をリリースする権利はなかったが、このセッションを録音した。ジョニー・キャッシュも共に演奏していたと長い間考えられていたが、フィリップスが撮らせた写真でしか確認することができない。このセッションは伝説的な『ミリオン・ダラー・カルテット』と呼ばれるようになった。年末の『ウォール・ストリート・ジャーナル』一面で、プレスリー関連商品が2千2百万ドルを売り上げ、レコード売り上げがトップであることを報じられた。また『ビルボード』誌で100位以内にランクインした曲数が史上最高となった。音楽業界最大手の1つであるRCAでの最初の1年間、RCAのレコード売り上げの半数がプレスリーのレコードであった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "当時のアメリカの国民的バラエティー番組『エド・サリヴァン・ショー』には、1956年9月と10月、1957年1月と短期間に3回出演した。なお、広い視聴者層を持つ国民的番組への出演を意識して、ジャケットを着用し出演した上に、当初保守的な視聴者の抗議を配慮した番組関係者が、意図的にプレスリーの上半身だけを放送したと伝えられている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "そのようなやり取りがあったものの、司会者のエド・サリヴァンが「このエルヴィス・プレスリーはすばらしい青年です」と紹介したことから、プレスリーへの批判は少なくなった上に、アメリカ全土へのプロモーションに大きく役立ったと言われている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1958年1月20日に、プレスリーはアメリカ陸軍への徴兵通知を受けた。当時のアメリカは徴兵制を施行しており、陸軍の徴兵期間は2年間である。プレスリーは特例措置を受けることなく、他と変わらぬ普通の一兵士として西ドイツにあるアメリカ陸軍基地で勤務し、1960年3月5日に満期除隊した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "徴兵命令が来た際、プレスリーは「闇に響く声」を撮影中で、徴兵を少し延期したことでも話題になった。徴兵局はパラマウントからの延期の申し入れに対し、「エルヴィスをよこして頭を下げさせろ」と伝えた。翌日、プレスリーは徴兵局へ出向き、延期の申し入れを行った。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1958年8月11日、戦車兵としての専門教育を受けていたプレスリーは、すでに体調を崩していた母グラディスが緊急入院したとの知らせを受けた。上官はプレスリーからの外出申請をいったんは却下したが、8月12日の外出が許可された。グラディスは8月14日に亡くなり、翌15日に葬儀が営まれた。再び帰営する際、プレスリーはグラディスの部屋を生前の状態に保つよう言い残している。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "プレスリーは西ドイツに駐留する第32機甲連隊に配属され、第1中戦車大隊の本部管理隊で勤務した。同地では松濤舘空手を学び、また軍曹まで昇進した。空手8段と言われることがあるが、実際には空手ではなく、除隊後にトレーニングした韓国人のカン・リー道場での最終段位であり、空手道とは関係がない。公開されている免状には韓国国旗とアメリカ国旗があしらわれている。また在籍中、病気にかかり軍の病院において扁桃腺炎だと診断された。その際、医師はプレスリーの声が変調するのを恐れて、扁桃腺の切除手術は行わなかったが、回復し健康を取り戻した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "1960年3月2日、プレスリーは帰国の途に就いた。途中スコットランドを経由しているが、これが彼にとって唯一のイギリス滞在となった。プレスリーは3月3日の朝に帰国して大勢のファンに迎えられ、5日に名誉除隊となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "プレスリーの映画は駄作・凡作が多いことで知られている。ただし「ブルー・ハワイ」「ビバ・ラスベガス」など、楽曲は優れている。駄作が多い理由としては、悪徳マネージャーのトム・パーカー大佐が、一気に10本ものハリウッド映画を契約してしまうなどの行動を取ったことなどが大きい。歌手として有名になっていくにつれて、映画配給会社数社から出演の依頼がプレスリーのもとに届いた。プレスリーは大変喜んで、劇場に通いつめ、演技を独学で勉強した。初出演映画にはパーカー大佐がプレスリーを映画の主演にさせたかったので20世紀FOX配給「Rino Brothers」を選んだ。プレスリーはシリアスな演技派を目指していた為、映画内での歌には興味がないと公言していたが、結局パーカー大佐の要請で4曲も歌う羽目になりタイトルも「Love Me Tender」に変更されて公開された。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "陸軍入隊前までの1958年までに4作の映画が製作されたが、いずれも挿入歌ありの主演映画に終始し、おまけに映画挿入歌を収めたアルバムが好評だったため、当時のショウビジネスの世界に新たなビジネスの形態を作り出した。1960年に陸軍除隊するとパーカー大佐は配給会社数社と長期に渡り出演契約を結んだ為、1969年まで1年に3本のペースで27本もの映画の製作が行われ、活動の拠点をハリウッドに移さざるをえなかった。おおよその映画は制作費を抑えた挿入歌アルバム付きのものが多かったが、「G.I. Blues」、「Blue Hawaii」、「Viva LasVegas(ラスヴェガス万才)」等、話題にはなったが、プレスリーの映画は全体的に評価が低い。評価されたのは「オン・ステージ」「オン・ツアー」など、コンサートをドキュメンタリー的に記録したものだけである。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "結局、1956年から1969年まで計31本の映画が公開された中で、プレスリーが望んだ(主題歌以外の)歌のない映画は、1969年公開の「Charro!(殺し屋の烙印)」のみであった。この映画が製作された頃のプレスリーは1960年代初期と違い、映画への意欲が薄らいでいた時期ではあった(1968年のカムバックを経て、残った契約の消化を急いでいた)が、久しぶりに前向きに臨んだ西部劇で役作りの為にあごひげまではやし撮影された。しかし、プレスリーの主演映画に対する世間の注目度が低かったこと、脚本の出来もイマイチだったことなどが原因で映画の興行成績は振るわなかった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "そういう状況の中、ミュージカル映画の枠を超えていなかったこと、台本の出来の悪さ、また、プレスリーが力を入れて撮影したシーンがカットされたことなど、プレスリーの仕事への不満は募っていき、それが歌手としてコンサート活動を再開するきっかけになった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "歌手活動の本格再開後も、1970年8月のラスベガス公演やリハーサル風景を収めたドキュメンタリー映画「Elvis: That’s the Way It Is(エルヴィス・オン・ステージ)」や1972年4月のコンサート・ツアーの模様を収めたドキュメンタリー映画「ELVIS On Tour(エルヴィス・オン・ツアー)」が製作され、好評だった。それ以降は映画の公開はなかったが、プレスリーの死後の1981年には、ほとんどを生前の映像等で構成したライフ・ストーリー的映画「This Is ELVIS」が公開された。これらを合わせると、プレスリーが主演した映画は計34本となる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "1974年8月19日に、ラスベガス公演中のプレスリーの楽屋をバーブラ・ストライザンドが訪れた。バーブラは自らが主演する映画「A Star Is Born(スター誕生)」での共演をプレスリーに依頼し、プレスリー自身も非常に乗り気だったと伝えられているが、後日パーカー大佐が出演料を理由に断った。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1970年代半ば、プレスリー自身が起案し出演する空手家が主人公の映画の撮影を行ったが、完成することはなかった。理由の一つとして、プレスリーの体調が悪くなることが多く空手を続けられる状況ではなくなり、空手自体をやめてしまったことが挙げられる。ちなみに、空手の後の太り始めた頃からの趣味はラケットボールで、医師からの勧めで始めた。プレスリーは自宅であるグレイスランドの敷地内に専用コートを建てた。亡くなる1977年8月16日の早朝も友人たちとプレーし、汗を流した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "プレスリーとビートルズは直接的な接点はなかったが、両者は1965年8月27日、ロサンゼルスのプレスリーの邸宅で一度きりの会見を果たしたことがロック史に残る出来事として語られている。ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインとパーカー大佐の間での「極秘の打ち合わせ」という名目だったが、どこからか漏れてしまい、案の定自宅周辺には野次馬が集まった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "この会見はビートルズのメンバー達や関係者達の証言の食い違いがあり、様々な諸説がある。通説ではメンバーのジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターは平静を装いながらも、心を躍らせて招かれた部屋に入った。そこでプレスリーはテレビを見ながらベースを練習してくつろいでいた。「本物のエルヴィスだ」と感激した4人は呆然としてしまった。気まずい沈黙とぎこちない会話の後、プレスリーが「一晩中僕を見てるだけなら僕はもう寝るよ?せっかく演奏ができると思って待ってたのに」と声をかけた後、即興演奏が始まった。プレスリーはベースを演奏し、レノンとハリスンはギター、マッカートニーはピアノを演奏した。スターはドラムキットが無かったため演奏しておらずビリヤードやサッカーを楽しんでいたという。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "ビートルズの友人でもある記者のクリス・ハッチンスによれば、レノンがプレスリー宅のラウンジに入った時、テーブルランプの「リンドン・B・ジョンソン大統領と共に」というメッセージが刻まれたワゴンの模型を見つけた。その瞬間レノンは大統領を侮辱する態度をとり、プレスリーは困って苦笑いしていたという。プレスリーの妻だったプリシラによれば「ビートルズが入ってきたとき、エルヴィスはソファでリラックスしながらテレビを見ていました。両者とも最初は多少の沈黙とぎこちない会話の後、エルヴィスがベースを取り出してチャーリー・リッチの曲を弾き始めました。突然、ビートルズとエルヴィスのジャムセッションが始まりました」と語っている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "ビートルズの広報担当者でもあるトニー・バロウによると「プレスリーとビートルズは奇妙な沈黙が多く、いくつかぎこちない会話をした。最初に口を開いたのはジョンで、最近はなぜ映画でソフトなバラードばかりを歌ってるの?ロックンロールはどうしたのと質問していた。会話は上手くいかなかったが、プレスリーが楽器を用意し、素晴らしいセッションが始まった。彼等が演奏した全ての曲は覚えてないが、その内の1つはI Feel Fineだったことは覚えている。リンゴは木製家具を叩いてバックビートを鳴らしていた。それは素晴らしいセッションだった」と語っている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "プレスリーが「君たちのレコードは全部持ってるよ」と言ったのに対してレノンは「僕はあなたのレコードは1枚も持ってないけどね」と発言したことからその場が凍りついたという。これはレノンの過激なジョークだったとも言われている。この会見は成功したとは言えないものだったが、ビートルズは忘れられない夜だったと語っている。プレスリーのロードマネジャーであるジョー・エスポジートによれば、「プレスリーは面会の後もビートルズに敬意を払っていた」と語っている。レノンはプレスリーの取り巻きに「エルヴィスがいなければ今の自分はいない」と伝えるよう頼んだという。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "後にプレスリーはマッカートニーやハリスンの曲をカバーしているが、レノンの曲は取り上げていない。(ただしビートルズもプレスリーのカバーを正式には残していない)しかしプレスリーの側近であるジェリーシリングによると、プレスリーはレノンがメインのビートルズ初期の曲もよく聞いていた。プレスリーはア・ハード・デイズ・ナイトを特に気に入っていたという。しかし、ビートルズのドラッグソングは好きではなかったと側近は語っている。プレスリーはビートルズとの会見の後に、何度かインタビューやライブなどで、ビートルズを賞賛している。1969年にプレスリーは英国人記者に「彼らはとても面白くて、とても実験的だ。特に彼らが I Saw Her Standing There 辺りを歌っていたときが好きでした」と語った。ライブでも「ビートルズやドアーズなど、新しいバンドが本当に好きだ」と語っている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "しかし1970年に、反米精神に満ちたヒッピーのドラッグカルチャーの問題などで、混沌としているアメリカを危惧したプレスリーは、ニクソン大統領にアメリカを救うのに協力したいと手紙を出した。ヒッピーに支持され、大きな影響を与えていたビートルズを危険視した。LSDなどのビートルズのドラッグの音楽や過激なドラッグの発言、反アメリカ的な発言や共産主義的な思想など、若者に悪影響を及ぼしているとプレスリーは懸念していた。ビートルズの中でも特にジョンレノンの過激な発言と、抗議パフォーマンスがアメリカに悪影響で要注意人物と考えていたという。プレスリーはビートルズを一時期マークしていた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "しかしプレスリーは麻薬取締局のバッジを取得した後、ほとぼりも冷めていったのか、ニクソンとの関係も次第に無くなっていき、ビートルズの曲をコンサートで歌ったりもしている。プレスリーは1970年代にいくつかビートルズの曲をカバーしている。1973年の世界同時生中継で視聴者数15億人ともいわれている「アロハ・フロム・ハワイ」のコンサートでもビートルズの曲を歌っている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "この様にプレスリーのビートルズに対する嫌悪感は個人的なものでは無く、彼等への好意やリスペクトがあったのも事実だが、アメリカの愛国者としてビートルズを悪影響とも見なしていた。社会的立場が違ったプレスリーとビートルズの関係性は非常に複雑と言える。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "1967年5月1日には、ラスベガスのアラジン・ホテルでプリシラ・アン・ボーリューと結婚。プリシラはプレスリーの駐西独アメリカ軍での所属部隊長の継子であった。プレスリーは未成年であったプリシラを自分の父親とその妻の家に同居させ、有名なカトリックの女子高に通わせて、きちんと卒業させるということをプリシラの母親と継父に約束してプリシラをメンフィスで暮らせるようにした。しかし、程なく2人はグレイスランドで一緒に暮らすようになっていく。8年後に結婚し、1968年2月1日には娘リサ・マリー・プレスリーが生まれる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "その4年後、結婚前から続いているプレスリーの生活習慣(昼と夜が逆転した生活)、メンフィス・マフィア(エルヴィスの取り巻き)といつも一緒の生活、さらに年間何ヶ月にも及ぶコンサートツアーによる別居生活などのさまざまな理由から、プリシラは空手教師のもとに走り、2人の結婚生活は破綻してしまう。グレイスランドを出たプリシラはリサ・マリーを引き取り、ロサンゼルスに住居を移す。1973年10月9日に正式離婚。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "離婚後もプレスリーとプリシラは友人関係にあり、以前よりも密に連絡を取り合うようになったという。プレスリーがツアーでロサンゼルスにいるときは、プリシラの家を訪れたり、なにか事あるごとにプリシラをグレイスランドに呼び寄せたりして精神的にプリシラを頼りにしていた。二人は、リサ・マリーがまだ幼かったこともあって、2人が離婚したことでリサが不幸にならないようにと願っていた。リサとプレスリーは頻繁に会っていたようだ。プレスリーが死んだその日もリサはグレイスランドにいた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "プレスリーの音楽活動は62年の「好きにならずにいられない」までは好調を保っていたが、63年から68年ごろまでは絶不調と言ってよい状態だった。量産された映画とビートルズの登場に押された影響は否定できず、プレスリー自身もそれを自覚していた。不調の時代では65年の「クライング・イン・ザ・チャペル」(オリオールズの曲をカバー)が彼らしい佳作だった。68年のTVライブで復活したエルヴィスは69年に「サスピシャス・マインズ」、「イン・ザ・ゲットー」を発売し、カムバックした。1969年から過密スケジュールでキャリアを再開。しかし、それはプレスリーを完全なワーカホリック状態へと追い込むものであった。1969年以降行ったライヴは1000回以上であり、平均すると1年におよそ125回のペースだった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "1969年よりネバダ州のラスベガスを中心にショーを行うようになっていた。プレスリーのコンサートは時代を経て、大規模なものになっていった。瞬間最高視聴率約72%を記録した1968年のNBC-TVスペシャル以後、翌年にラスベガスのステージで歌手復帰してからは、ロックンロール以外にもレパートリーの幅を拡げ、ゴスペルやスタンダード・ナンバー等を取り入れた。バックもコーラス・グループやピアノ等が新たに加わり、オーケストラまで揃えた多人数の団体に膨れ上がった。なお派手な衣装は、リベラーチェからの影響と言われている。この時期のステージでは、トニー・ジョー・ホワイト、ニール・ダイアモンド、BJトーマスらの曲をカバーしている。日本では、『エルヴィス・オン・ツアー』は『リスボン特急』と共に上映された。 1972年には「バーニング・ラヴ」が、ビルボード2位まで上昇する大ヒットとなっている。1970年代にエルヴィスは他に、「アメリカの祈り」「ロックンロール魂」などを発売した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "また、ラスベガスのステージ編成をそのまま地方公演に取り入れた。コンサート活動再開後、最後にコンサートを行った1977年6月26日インディアナポリス公演までチケットは売り切れ状態が続いた。1977年8月17日から始まる予定だったツアーも最終日の8月27日のメンフィス公演まで売り切れ、翌28日に同地で追加公演を行う予定だった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "1960年代半ばからアメリカは非常に混沌とした時代になった。ヒッピーの過激な反戦運動の中で、フリーセックス、栄養失調、病気、LSDなどの薬物中毒の問題などが浮上し、犯罪と暴力が急増した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "プレスリーはドラッグが蔓延るヒッピー文化の暴動と、過激なカウンターカルチャーによるアメリカの未来を危惧していたという。1970年12月21日には、アメリカン航空の民間機でワシントンD.C.に出向き(普段は自家用機しか乗らない)、シークレット・サービスに手紙を手渡した。一市民であるプレスリーから大統領にあてた手紙である。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "「私はエルヴィス・プレスリーです。あなたを尊敬しています。私は3週間前にパームスプリングスでアグニュー副大統領と話し、我が国に対する懸念を表明しました。麻薬文化、ヒッピー、SDS、ブラックパンサーなど。私は彼等にとって敵では無く彼らの言う「体制」ではなく、私はアメリカを愛する者です。私はこの国を助けるためにできるだけの手伝いをさせていただきたい。私には国を助けること以外に何の関心も動機もありません。ですから私は役職を与えられたくないのです。もし私が連邦捜査官になったら、もっと良いことができます。あらゆる年齢層の人々とのコミュニケーションを通じて、私なりの方法でそれを手助けするつもりです。何よりも私はエンターテイナーです。必要なのは連邦資格だけです。」という手紙をニクソンに送った。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "ホワイトハウス内は大騒ぎとなり、その40分後補佐官から「大統領が会いたい」と電話があった。ホテルに到着したデル・ソニー・ウェストが合流し3人でホワイトハウスへ行き、リチャード・ニクソン大統領に会った。ツーショット写真はその際撮影されたものである。プレスリーはFBI本部のプライベートツアーを許可された。若者の凄まじい反米精神と、不健全なヒッピーカルチャーを深刻な問題として考えていたプレスリーは、ビートルズ、スマザーズ・ブラザーズ、ジェーン・フォンダなど、彼等の公の場での過激な発言と活動を危険視していた。プレスリーは彼等を厳しく取り締まるべきと考えていたという。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "「連邦麻薬取締局」のバッジを望んでいたプレスリーは「自分はドラッグ・カルチャーと、共産主義の洗脳について研究してきた」とニクソンに語っている。保守派の政治家として、麻薬撲滅に熱心であったニクソン大統領に対して、「ロックが麻薬使用に影響しているとは思わないが、責任は感じている」といい、麻薬取締官の資格を与えられた。翌週、プレスリーはそのバッジをみんなに見せびらかせて回った。なお、プレスリーは警察官等のバッジ・コレクションをしており、大変な収集家であった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "プレスリーは愛国心が強かったが、自分の「政治的見解」は自分の中に留めるとしており、政治について公に意見を言うことはしなかった。ニクソンとのドラッグカルチャー問題も、自分は芸能人ということをあらかじめ念押し、必要以上に関与することはしなかった。1972年の記者会見で「政治的なキャリアを追求することを考えたことはありますか?」という問いにプレスリーは「 いいえ、私にはその願望はありません」と答えている。記者から「兵役についてた頃の話もありましたが、ベトナム戦争の反対運動者についてあなたの意見はどうですか?今日徴兵されることは拒否しますか?」という問いに、プレスリーは「それについての自分の意見は自分の中に留めておくつもりです。私は芸能人だしね」と答え、記者は「他の芸能人も貴方と同じように秘密にするべきですか?」と質問するとプレスリーは「いいえ」と答えている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "また、プレスリーは人種差別に強く反対的で、1950年代に白人社会から凄まじい批判を受けても、黒人アーティスト達の影響やリスペクトを何度も公言しているが、一方で公民権運動には参加しなかった。人種差別やベトナム戦争を反対していた「キング牧師」を、プレスリーは熱烈に支持していたが、それを公に言うこともなかった。(キング牧師が暗殺されたとき、プレスリーは泣き崩れたという。)この様にプレスリーは、基本的にエンターテイメント以外で、自分を主張することはしないスタイルだった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "トム・パーカーは悪徳マネージャーとして有名だった。パーカーは、エルヴィスとリーバー&ストーラーが親しいことが、自分がエルヴィスを支配する上でマイナスだと考えた。パーカーはエルヴィスと、リーバー&ストーラーの仲を引き裂く工作を行い、これに成功している。プレスリーは世界的なスーパースターとなったが、終生アメリカ、カナダ以外でコンサートを行っていない。海外での公演ができなかった理由は、移民であるパーカー大佐がアメリカの永住権を所持しておらず、カナダを例外としてアメリカ国外へいったん出国すると再入国を許されない事態を恐れた為だったと言われている。ちなみに、パーカー大佐が出身国に残してきた家族が、大佐がプレスリーに付き添う姿をテレビで見て仰天したという逸話が残されている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "これに対して、パーカー大佐は世界の公演希望に応えるため、衛星中継という方法で、生のプレスリーを世界へ送った。来日公演の要請に対しては、日本のゴールデンタイムに衛星生中継で視聴してもらえるよう、1973年1月14日に、ハワイ時間深夜1時からコンサート『アロハ・フロム・ハワイ』を開催する形で応えた。これは日本のゴールデン・タイム(午後7時)にあわせたものである。放送は約2時間続いた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "このコンサートはプレスリーの愛唱歌でもあった「アイル・リメンバー・ユー」の作者、クイ・リーの遺族らによって創設された“クイ・リー癌基金”のためのチャリティー・コンサートとして開催された為収益は全て、クイ・リー癌基金へ寄付された。この公演のチケットには値段が付いておらず、客が献金したい分だけ払えば、購入することが出来た。6000席の会場で7万5000ドル集まったので、1人あたり12ドル50セント支払った計算になる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "アメリカでは公開中だった『エルビス・オン・ツアー』と競合することを回避するために、4月4日に放送された。新たにハワイのビーチや挿入歌がインサートされた、生放送とは別の編集版であった。既にこのコンサートのライヴアルバムが発売されていたにもかかわらず、この放送を視聴した世帯数は、人類初の月面着陸の映像を視聴した世帯数より多かった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "「プレスリーの離婚の財産分与の資金捻出のため」という名目でパーカー大佐はプレスリーの楽曲の権利をRCAへ売り渡した。これは将来的に見ても大損な取引だったが、パーカー大佐自身がギャンブルで大損を出していたため、手っ取り早く大金を得るためにプレスリーに伝えないで独断で売った。離婚に必要な資金は175万ドルでエルヴィスならすぐに回収できるであろう金額だった。プレスリーがお金がなくなっていったのはこの権利で手に入る印税を受け取れなかったことが関係している。プレスリー関係者からは「悪名高き73年の取引」といわれている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "この様な理由以外にも、プレスリーはパーカー大佐に対する不満をメンバーたちに多く漏らしていた。しかし、プレスリーは生涯パーカー大佐をクビにすることはなかった。ネルソン・ジョージは、「マネージャーのトム・パーカー大佐がプレスリーをどんどん安物のクズにおとしめていった」と評している。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "1977年8月16日にテネシー州メンフィスの自宅、グレイスランドで没した。ガールフレンドのジンジャー・アルデンによって寝室のバスルームの床に倒れているところを発見され、バプテスト記念病院へ搬送されたが、医師は午後3時30分、プレスリーの死亡を確認した。42歳没。検視後、死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "晩年、プレスリーはストレスからくる「過食症」に陥ったことが原因で体重が激増したことに加え、1975年頃からは主治医だったジョージ・ニコポウラスから処方された睡眠薬などを「誤った使い方」で服用していた。「処方ドラッグをやっていた」とグレン・D・ハーディンなどのメンバー、さらにデル・ソニー・ウェストなどのメンフィス・マフィアのメンバーたちも語っている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "グレンは詳しいことは死ぬまで語るつもりはないといっているが、ソニー・ウェストは暴露本を書いて中傷したとされた。このことについてソニーは「まだ存命中だったエルヴィスを救うためだった」と述べた。違法なドラッグは一切使用していないが、この処方ドラッグの影響で癇癪持ちになり、体調も維持できなくなってしまった。 イギリスのテレビ局、チャンネル4はプレスリーのDNAに、肥満や心臓疾患を引き起こすものが発見されたと報道した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "当初はメンフィスのフォレスト・ヒル墓地で母親の隣に埋葬されたが、遺体の盗掘未遂事件後に、母親と共にグレイスランドに再埋葬された。グレイスランドには、プレスリーの様々な遺品やピンクや緑に塗られたキャデラック、愛娘の名前をつけた自家用機、コンベア880型「リサ・マリー号」などが展示されており、現在も世界中からファンや観光客が訪れている。スコティ・ムーアは「エルヴィスの葬儀は見世物ショーになるだろう」と感じ、式に出席しなかった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "プレスリーの急死後、その肖像権は非常に危うい位置にあった。プレスリーはステージ以外の事は人任せで、肖像権は一応管理されていたが杜撰だったため、金儲けの道具とされ、プレスリーのイメージを損なうものであっても簡単に商品化できた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "存命中にはプレスリーは多くの「名義貸し」のつもりで契約書にサインしていたが、相手は「エルヴィスが利益になる」と考え、膨大な予算をプレスリーに用意させようとした(ソニー・ウェストの暴露テープに電話の内容が記録されている)。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "死去後まもなくして遺族らが膨大なプレスリーの物的財産を管理する組織を結成、肖像権も管理しようと訴訟を起こした(当時、亡くなった人々の肖像権の取り扱いは帰属等がはっきりしていなかった)。遺族らは勝訴し、肖像権を手に入れ、以後今日までしっかりと管理されている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "肖像権が管理できるようになって、「エルヴィス・プレスリー」という名を使い現在まで様々なプロジェクトを世界に向かって発信してきた。プレスリーのキャリアはサン・レコードからデビューした1954年から死去する1977年である。本業の歌の部門では、数多くの未発表テイクが発掘されている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "未発表映像も発掘され、1968年のTVスペシャルや1973年のアロハ・フロム・ハワイのアウトテイクを収録した完全版がリリースされ好評となった。その他、側近や友人、家族らが語るプレスリーの人物像に焦点をあてた物や、プレスリーのゴスペルに対する思いを映像化した物もある。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "それ以外にもプレスリーをモチーフにした映画の製作やプレスリーの曲が数多くの映画の挿入歌に使用される事も多い。プレスリーに因んだセリフも数多くの映画の中で聞くことが出来る。ブロードウェイのミュージカルにも取り上げられる等、そのような話題はとどまる事を知らない。プレスリーの記録であるナンバー1ヒット曲数18曲が、2019年マライア・キャリーの19曲によって更新された。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "死後、ロニー・マクドウェルは「キング・イズ・ゴーン」を発表した。あまりにエルヴィスに似ていることと、歌のうまさはおおいに話題となった。プレスリーの物まね、または成りきる(演じる)事を生業とする人々が世界に存在し、その数は8万5000人と言われている。また、エルヴィスを尊敬するアーティストも多く、そのようなアーティスト達が一堂に会したトリビュート・コンサートが実現した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "更に1997年には新たなる試みとして、プレスリーのコンサート映像を使用し、それにあわせて当時のバンド・メンバーが演奏するエルヴィス・ザ・コンサート(現:エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート)のメンフィス公演が行われ、以後全米各地のほか、ほぼ年に1回のペースでアメリカ以外の地域でツアーを行っている。娘はマイケル・ジャクソンと結婚したが、後に離婚している。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "彼の死後、プレスリーの生存説、目撃情報などの滑稽な陰謀論やオカルト話が「ウィークリー・ワールド・ニューズ」「東京スポーツ」などを中心に相次いで報告された。年をとったプレスリーを見たという証言がある一方、若い頃そのままのプレスリーを見た、人面魚とプレスリーが泳いでいるのを見た、という証言がイエロー・ペイパーを中心に報道された。プレスリーが生きているという確実な証拠には300万ドル(約3億4000万円)が支払われるが、その日は来るのは難しい。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "エルヴィスは多くの国の若者に、ロックンロールという新しい音楽への強い関心を与えた存在だった。ジョン・レノン、ボブ・ディラン、ポール・マッカートニー、ボブ・シーガー、フレディ・マーキュリー、ルー・リード、ロバート・プラント、ブルース・スプリングスティーン、テリー・スタッフォード、クリフ・リチャードらをはじめとする多くのアーティストが大きな影響を受けた。", "title": "フォロワー" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "ジョン・レノンとエリック・カルメンは、ヴォーカル・スタイルにおいても影響を受けている。ジョン・シュナイダー、ZZトップ、チープ・トリック、らはエルヴィスの曲をカバーした。ロバート・ゴードン、タフ・ダーツ、ストレイ・キャッツ、ブラスターズらもエルヴィスの影響を受けていた。", "title": "フォロワー" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "ヒュー・ジャレット — バックボーカル(1956–58; 2008年に死亡)", "title": "バンド・メンバー" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "ボブ・ムーア—コントラバス、ベースギター(1958–59、1960–68; 2021年に死亡)", "title": "バンド・メンバー" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "1970年代の、金やダイヤモンドやルビーなどを施したジャンプスーツは、25kg以上にもなっていた。これは敬愛していたゲイのピアニストであるリベラーチェからの影響を受けたものだった。ただし、プレスリーは宝石類にはあまり興味がなく、ステージ上で華やかに見えるものなら安いイミテーションでも構わないという考えだった。", "title": "衣装と食生活" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "彼は酒も煙草もやらなかった。たまに葉巻を吸う程度である。「オン・ステージ」で観客から酒を渡された時も、口を付けるだけでほとんど飲んでいない。ステージ上で飲んでいるものは水かゲータレードである。", "title": "衣装と食生活" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "コーヒーや炭酸飲料、「ピーナッツバターとバナナとベーコンのサンドイッチ」が大好きで、毎日のように食べていた。今ではこのサンドイッチは「エルヴィスサンド」と呼ばれている。ただし、このサンドイッチは食べる前に多量のバターを溶かしたフライパンで揚げ焼きにしたもので、当然ながら高カロリーなため、プレスリーが30代以降体調を崩し、肥満化していった一因になったのではないかという指摘もある。", "title": "衣装と食生活" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "日本では湯川れい子、小林克也、平尾昌晃、山下敬二郎、ミッキー・カーチス、本郷直樹、尾藤イサオ、ささきいさお、鹿内孝、藤木孝、西郷輝彦、坂本九、西田敏行、大瀧詠一等がプレスリー・ファンとして知られている。", "title": "影響" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "アメリカのティーンエイジャーの一部は、プレスリーのダックテールと呼ばれる横髪を後ろへなで付けるヘアスタイルを真似し始めた。また、黒いズボンや緩い開襟シャツといったプレスリーのスタイルは、ファッションの新たな流行を生み出した。プレスリーや、ジェームズ・ディーンの影響は、西側世界における3ティーンエイジャー世代の存在を印象付けた。エルヴィス・プレスリーを慕うミュージシャンに、ドイツのオペラ歌手ペーター・ホフマンらがいる。", "title": "影響" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "1977年にジミー・カーター大統領は「エルヴィス・プレスリーの死は、我が国から大事な一部分を奪いとったようなものだ。彼の音楽とその個性は白人のカントリー音楽と、黒人のリズム・アンド・ブルースのスタイルを融合させ、永久にアメリカの大衆文化の様相を変えてしまった。彼は、祖国アメリカの活力、自由、気質を世界の人々に植え付けるシンボルだった。」と語った。ジェームズ・ブラウンは「彼は白人のアメリカ人に目線を下げるということを教えた」という言葉を書き残している。", "title": "影響" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "アメリカ内務省のゲイル・ノートン長官は2006年3月27日、プレスリーが約20年間を過ごした、テネシー州メンフィスの邸宅「グレイスランド」を国の国定史跡に認定した。認定の式典は一般公開で行われ、娘であるリサ・マリー・プレスリーも出席した。", "title": "影響" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "グレイスランドの前の通りはエルヴィス・プレスリー・ブールバード(大通り)という。世界中のプレスリーのファン、ファンクラブからの募金のみで運営しているセイント・パウロ・エルヴィス・プレスリー記念病院がある。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "プレスリーの記録には限りがないが、代表的なものや、興味深いものを挙げる。", "title": "記録" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "公式リリース音源の数は800曲を超える。", "title": "ディスコグラフィ:アルバム" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "プレスリーがそのキャリアにおいて発表した曲の未発表テイクが数多く存在するが、プライベート録音を含め、すべての残されたプレスリーの音源を聴きたいというファンの要望に応えるべく立ち上げられたのが、主演映画のタイトルから引用したFollow That Dreamレーベルである。", "title": "ディスコグラフィ:アルバム" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "このレーベルのアルバムは限定生産され、世界中のファンクラブに優先的に流通させるので一般のCDショップ等に出回りにくい。1999年に第一弾 Barbank'68(1968年のNBC-TVスペシャルのリハーサルの模様を収録)がリリースされた。以後、定期的に貴重な音源が次々とリリースされている。わずかだが一つの曲のすべてのテイクを聴くことが出来たり、コンサートアルバムはプレスリーのコンサートを体験することが出来なかったファンにも追体験出来るような内容になっている。", "title": "ディスコグラフィ:アルバム" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "プレスリーが1977年に亡くなるまでの21年間に、146曲が100位以内に、112曲が40位以内に、72曲が20位以内に、38曲が10位以内にチャートインした。1962年4月21日から2週連続で1位を獲得した「グッド・ラック・チャーム」を最後にプレスリーは1位から遠ざかったが、1969年11月1日、「サスピシャス・マインド」が1位を獲得し、「プレスリーの復活」と言われた。1972年10月28日には「バーニング・ラヴ」が2位まで上り詰めたが、チャック・ベリーの「マイ・ディンガリング」(1972年10月21日から2週連続1位)に阻止された。", "title": "シングル・ディスコグラフィー" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "1970年代においてはプレスリーは一度も1位を取ることはなかったが、2002年にリメイクされた「ア・リトル・レス・カンヴァセーション」は世界24カ国でナンバー1を取得した。アメリカにおいて1位を獲得したシングルの数は18作〈計79週間〉で、ビートルズの20作〈計59週間〉、マライア・キャリーの19作〈計82週間〉に次ぐ歴代3位の記録となっている(Billboard誌に準拠)。", "title": "シングル・ディスコグラフィー" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "ロックン・ロール(1986年殿堂入り)、カントリー(1998年殿堂入り)、ゴスペル・ミュージック(2001年殿堂入り)の3部門のいずれも殿堂入りした初のアーティストとなった。また、今のところ楽曲においては3回(通算5回)グラミー賞を受賞しているが、3回ともロック部門ではなくゴスペル部門においての受賞であり、プレスリーは終生この事を誇りにした。", "title": "シングル・ディスコグラフィー" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "ナンバー1ヒットは全18曲、合計79週間である。曲数はビートルズ、マライア・キャリーに次ぐ歴代3位である。週間数に関してはマライア・キャリーに次ぐ歴代2位である。(en:List of Billboard Hot 100 chart achievements and milestones#Most cumulative weeks at number one)", "title": "シングル・ディスコグラフィー" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "映画は駄作がほとんどである。ただし「オン・ステージ」「オン・ツアー」の2作のライブ映画だけは、内容が充実している。32本の映画出演作(ドキュメンタリーを除く)全てが主役。", "title": "フィルモグラフィ" } ]
エルヴィス・アーロン・プレスリーは、アメリカのロック歌手、ミュージシャン、映画俳優。全世界のレコード・カセット・CD等の総売り上げは5億枚以上とされている、史上最も売れた音楽家の一人。「キング・オブ・ロックンロール」と称される。ミドルネームは公文書、サイン共にAronだが、墓石にはAaronと表記されている。
{{Infobox Musician | 名前 = エルヴィス・プレスリー | 画像 = Elvis Presley promoting Jailhouse Rock.jpg | 画像説明 = 1957年公開の映画『[[監獄ロック (映画)|監獄ロック]]』プロモーション時 | 画像サイズ = 280px | 画像補正 = | 背景色 = singer | 出生名 = エルヴィス・アーロン・プレスリー | 別名 = <!-- 活動時に使用した別名義を記載。愛称や略称ではありません。 --> | 学歴 = | 出生 = {{Plainlist| * {{生年月日と年齢|1935|1|8|died}} * {{USA}} [[ミシシッピ州]][[テューペロ (ミシシッピ州)|テューペロ]] }} | 出身地 = {{USA}} [[テネシー州]][[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]] | 死没 = {{Plainlist| * {{死亡年月日と没年齢|1935|1|8|1977|8|16}} * {{USA}} [[テネシー州]][[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]][[グレイスランド]] }} | ジャンル = {{Hlist-comma|[[ロックンロール]]<ref name="allmusic">{{Cite web |first=Richie |last=Unterberger |authorlink=:en:Richie Unterberger |title=Elvis Presley Biography, Songs, & Albums |url={{AllMusic|artist |elvis-presley-mn0000180228/biography|pure_url=yes}} |website=[[オールミュージック|AllMusic]] |publisher= RhythmOne |accessdate=2020-12-17 }}</ref><ref>{{cite book |editor-last= Edmondson |editor-first= Jacqueline |year= 2013 |title= Music in American Life: An Encyclopedia of the Songs, Styles, Stars, and Stories that Shaped Our Culture |location= Santa Barbara, California |publisher= ABC-CLIO |page= 883 |isbn= 978-0-313-39348-8 }}</ref><ref name="Far Out">{{cite web |last= Golsen |first= Tyler |title=The song that gave Elvis Presley his first Grammy |url= https://faroutmagazine.co.uk/the-song-elvis-presley-first-grammy/ |publisher= Far Out Magazine |date= 2022-10-27 |accessdate= 2022-11-09 }}</ref>|[[ブルーグラス]]<ref name="allmusic" />|[[ブルース]]<ref name="allmusic" />|[[カントリー・ミュージック|カントリー]]<ref name="allmusic" />|[[ゴスペル (音楽)|ゴスペル]]<ref name="allmusic" /><ref name="Far Out" />|[[ポップ・ミュージック|ポップ]]<ref name="allmusic" />|[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]<ref name="allmusic" />|[[ロカビリー]]<ref name="allmusic" /><ref>{{cite book |last= Charlton |first= Katherine |year= 206 |title= Rock Music Styles: A History |edition= 5th |publisher= McGraw-Hill |page= 103 |isbn= 978-0-073-12162-8 }}</ref>}} | 職業 = {{Hlist-comma|[[歌手]]|[[俳優]]}} | 担当楽器 = {{Hlist-comma|[[ボーカル]]|[[ギター]]|[[ピアノ]]}} | 活動期間 = [[1954年]] - [[1977年]] | レーベル = {{Hlist-comma|[[サン・レコード]]|[[RCAビクター]]}} | 事務所 = | 共同作業者 = | 公式サイト = | 著名使用楽器 = {{Plainlist| * [[マーティン D-28]]<ref>[https://www.mcall.com/entertainment/mc-ent-martin-guitar-dreadnought-exhibit-nazareth-20180424-story.html New Martin guitar exhibit reveals the history of the famed D-28, revered by country and folk musicians alike] The Morning Call 2018年4月26日</ref> * [[ギブソン (楽器メーカー)|ギブソン]] J-200<ref>[https://www.smh.com.au/business/companies/gibson-guitar-maker-for-elvis-and-b-b-king-hit-by-700m-debt-blues-20180323-p4z5y2.html Gibson, guitar maker for Elvis and B.B. King, hit by $700m debt blues] The Sydney Morning Herald 2018/03/23</ref> * ギブソン Super400<ref>[https://www.denofgeek.com/culture/elvis-presley-s-68-comeback-special-revealed-a-past-sin/ Elvis Presley’s 68 Comeback Special Revealed a Past Sin] Den of Geek US 2018/04/09</ref> }} }} '''エルヴィス・アーロン・プレスリー'''({{Lang|en|''Elvis Aron Presley''}}、[[1935年]][[1月8日]] - [[1977年]][[8月16日]])は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のロック歌手、[[音楽家|ミュージシャン]]、[[俳優|映画俳優]]。全世界の[[レコード]]・[[カセットテープ|カセット]]・[[コンパクトディスク|CD]]等の総売り上げは5億枚以上とされている<ref>{{Cite web|title= 40 years ago America was shocked by the death of Elvis Presley|url= https://www.news24.com/channel/music/news/40-years-ago-america-was-shocked-by-the-death-of-elvis-presley-20170815|website= News24|accessdate=2022-02-14|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|title= 40 years ago America shocked by death of Elvis|url= https://www.geo.tv/latest/153471-40-years-ago-america-shocked-by-death-of-elvis|website= Geo News|accessdate=2022-02-14|language=en}}</ref>、[[売れた音楽家の一覧|史上最も売れた音楽家]]の一人<ref>{{Cite web|title=Universal Music can't help falling for Elvis Presley, to manage song catalog|url=https://www.reuters.com/lifestyle/universal-music-cant-help-falling-elvis-presley-manage-song-catalog-2022-04-12/|website=Reuters|accessdate=2022-11-28|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|title=Universal to manage Elvis’s publishing catalogue|url=https://timesofmalta.com/articles/view/universal-to-manage-elviss-publishing-catalogue.948013|website=Times of Malta|accessdate=2022-11-28|language=en}}</ref>。「'''キング・オブ・ロックンロール'''」と称される<ref>{{Cite web|title=Why Elvis Presley is called “The King of Rock 'n' Roll”|url=https://blog.ha.com/2014/12/elvis-presley-king-rock-roll/|website=Heritage Auctions {{!}} For Collectors By Collectors|date=2014-12-03|accessdate=2019-04-09|language=en-US}}</ref>。[[ミドルネーム]]は[[公文書]]、[[サイン]]共にAronだが、[[墓石]]にはAaronと表記されている<ref>{{Cite web|title=Elvis Aaron Presley - Elvis' middle name, is it Aron or Aaron? {{!}} Elvis News|url=https://www.elvis.com.au/presley/news/article-aron-or-aaron.shtml|website=www.elvis.com.au|accessdate=2019-04-09}}</ref>。 == 概要 == 1950年代に[[チャック・ベリー]]や[[ファッツ・ドミノ]]、[[リトル・リチャード]]、[[カール・パーキンス]]、[[ジェリー・リー・ルイス]]、[[ビル・ヘイリー]]ら<ref>[https://www.allmusic.com/album/the-roots-of-rock-n-roll-1946-1954-mw0000697594 The Roots of Rock 'n' Roll: 1946-1954 - Various Artists AllMusic)]</ref> と共に[[ロックンロール|ロック・アンド・ロール]](ロックンロール)の誕生と普及に大きく貢献した、いわゆる創始者の一人であり、後進のアーティストに多大なる影響を与えた。その功績から'''キング・オブ・ロックンロール'''または'''キング'''と称され、[[ギネス・ワールド・レコーズ]]では'''「史上最も成功したソロ・アーティスト」'''として認定されている<ref>{{Cite web|title=Elvis Guinness Book|url=https://www.elvis.net/guinness/guinnessframe.html|website=www.elvis.net|accessdate=2019-04-09}}</ref>。[[1950年代]]に、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[イギリス]]をはじめとする多くの若者をロックンロールによって熱狂させ、それは20世紀後半の[[ポピュラー音楽]]の中で、最初の大きなムーブメントを引き起こした。また、極貧の幼少時代から一気にスーパースターにまで上り詰めたことから、アメリカンドリームの象徴であるとされる。[[ジョン・レノン]]、[[ボブ・ディラン]]、[[ポール・マッカートニー]]、[[ボブ・シーガー]]、[[フレディ・マーキュリー]]、テリー・スタッフォード<ref>[https://www.allmusic.com/artist/terry-stafford-mn0000027102 テリー・スタッフォード] All music 2022年7月30日閲覧</ref>など、多くのロック、ポップのミュージシャンたちが憧れたことでも知られる(下段・フォロワーを参照)。 初期のプレスリーのロカビリー・スタイルは、[[ブラックミュージック|黒人の音楽]]である[[ブルース]]や[[リズムアンドブルース]]と[[白人]]の[[音楽]]である[[カントリー・アンド・ウェスタン]]を融合した音楽であるといわれている。それは[[アフリカ系アメリカ人公民権運動|深刻な人種問題を抱えていた当時のアメリカ]]では画期的なことであった。 その後全国的な人気を得たが、白人社会だった当時は[[保守|保守層]]から「プレスリーはセックス狂」や「彼は白人を黒人に陥れる」など、凄まじい批判を受けた。「ロックンロールが[[青少年]]の[[非行]]の原因だ」と中傷され、「骨盤ダンス」も問題となり、[[PTA]]は[[テレビ放送]]の禁止要求を行うなど、様々な批判、中傷の的になった。KWK FM & AMラジオではプレスリーのレコード(「[[ハウンド・ドッグ (曲)|ハウンドドッグ]]」)を叩き割り、「ロックンロールとは絶縁だ」と放送<ref>[http://www.kwk106.com/history.htm The History of KWK - the Rockin' Best!]</ref>。さらに[[フロリダ州|フロリダ]]の演奏では、下半身を動かすなと[[PTA]]や[[キリスト教青年会|YMCA]]に言われ小指を動かして歌った。この時には[[警察官|警官]]がショーを撮影し、下半身を動かすと逮捕されることになっていた。 そんな激しい批判の中でもプレスリーは激しいパフォーマンスをやめず、若者を釘付けにしていった。当時プレスリーは、自身に影響を与えた黒人アーティストのリスペクトを、インタビューなどで公に答えており、「ロックンロールが非行の原因になるとは思わない」とも答えている。また、プレスリーは自身のロックンロールについて「セクシーにしようとは思っていない。自分を表現する方法なんだ」「オレは人々に悪影響を与えているとは思わない。もしそう思ったら、オレはトラック運転手に戻るよ。本気でそう思っている」と答えている。 プレスリーの音楽によって多くの人々が初めてロックンロールに触れ、ロックンロールは一気にメジャーなものとなった。また、いままで音楽を聞かなかった若年層(特に若い女性)が、音楽を積極的に聞くようになり、ほぼ同時期に普及した安価な[[テレビジョン]]や[[レコード]]プレーヤーとともに音楽消費を増加させる原動力になった。さらに、音楽だけでなくファッションや髪型などの[[流行]]も若者たちの間に芽生え、[[若者文化]]が台頭した。晩年はその活動をショーやコンサート中心に移した。1977年8月16日、自宅である[[グレイスランド]]にて42歳の若さで死去した。 プレスリーの記録は多数あり、例えば、最も成功したソロアーティスト、最多ヒットシングル記録(151回)、1日で最もレコードを売り上げたアーティスト(死の翌日)、等が[[ギネス世界記録|ギネス]]によって認定されている。「[[ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー]]」において第3位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第3位。「[[Q誌]]の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位<ref>{{Cite web |url=https://www.rocklistmusic.co.uk/qlistspage3.htm#100%20Greatest%20Singers |title=Rocklist.net...Q Magazine Lists.. |work=Q - 100 Greatest Singers |date=2007-04 |accessdate=2013-05-21}}</ref>。 == 経歴 == === 生い立ち === プレスリーは1935年1月8日、[[ミシシッピ州]][[テューペロ (ミシシッピ州)|テュペロ]]の小さな家(トイレも水道も無い掘立小屋)で生まれた。父ヴァーノン・エルヴィス・プレスリー(1916〜79)、母グラディス・ラブ・プレスリー(1912〜58)の3人家族であった(プレスリーには双子の兄弟ジェシー・ガーロン・プレスリーがいたが、誕生時に死亡している)。父ヴァーノンが不渡[[小切手]]で服役するなど非常に貧しい幼少時代であったが、両親はエルヴィスを大事に育てた。 熱心な[[キリスト教]][[プロテスタント]](新教)の信者<ref>https://hollowverse.com/elvis-presley</ref> で、[[ペンテコステ派]]<ref>{{Cite web |title=Religious Life of Elvis |url=https://ifphc.wordpress.com/2008/03/17/religious-life-of-elvis/ |website=Flower Pentecostal Heritage Center |date=2008-03-17 |access-date=2022-12-05 |language=en}}</ref>であり、9歳の時に[[洗礼]]を受けた。11歳の誕生日には[[ライフル砲|ライフル]]を欲しがったが、当然母親に却下され、代わりに与えられたのが[[ギター]]であった。これを機に自宅の地下洗濯部屋で練習し音楽に傾倒していった。 1948年、プレスリーが13歳の時に[[テネシー州]][[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]へと引っ越した。下宿生活を経て、1949年に一家はメンフィスにあるロウダーデール・コート公営住宅に転居した。メンフィスは非常に貧しい黒人の労働者階級が多かったため、そのような環境の中で黒人の音楽を聴いて育った。エリス公会堂のゴスペルのショーも欠かさずに観に行っていた。ある日、毎回欠かさず観に来ていたエルヴィスだったが、入場料を払えないとの理由で1度欠席した。これに気を留めたのがJ.D.サムナーで「じゃあ次回からは楽屋口から入るといいよ」と告げ、エルヴィスは無料でショーを観ることができた(1970年代のコンサートではJ.D.サムナー&ザ・スタンプス・カルテットをコーラス隊として迎えている)。このことが後のプレスリーの音楽性に大きな影響を与えたとされる。プレスリーは高校卒業後、精密金型会社で働いた後にクラウン・エレクトリック社に転職しトラック運転手として働いていた。 === サン・レコード時代 === [[File:PresleyPromo1954PhotoOnly.jpg|thumb|right|220px|サン・レコード時代のエルヴィス(1954年)]] [[1953年]]の夏にプレスリーは[[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]の[[サン・スタジオ]]で最初の両面デモ・[[アセテート盤]]を録音するため4ドルを支払った。収録曲は当時のポピュラーな[[バラード]] {{en|“My Happiness”}} と {{en|“That’s When Your Heartaches Begin”}} であった。 サン・レコードの創業者[[サム・フィリップス]]<ref>{{cite news|title=Sam Phillips Obituary|url=http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/obituaries/article854378.ece|accessdate=6 October 2011|newspaper=The Times| accsess- date=15 September 2022}}</ref>とアシスタントのマリオン・ケイスカーはその録音を聞きエルヴィスの才能を感じ、[[1954年]]6月に行方不明の歌手の代理としてプレスリーを呼んだ。セッションは実り多いものであったかは分からなかったが、サムは地元のミュージシャン、[[スコティ・ムーア|スコッティ・ムーア]]<ref>http://www.scottymoore.net/</ref>、[[ビル・ブラック]]と共にプレスリーを売り出すこととした。プレスリーは最初「{{en|The Hillbilly Cat}}(田舎者の猫)」という名前で歌手活動を始め、その後すぐに歌いながらヒップを揺らすその歌唱スタイルから、(彼に批判的な人々から)「{{en|Elvis the Pelvis}}([[骨盤]]のエルヴィス)」と呼ばれた。 [[1954年]][[7月5日]]のリハーサル休憩中にプレスリーは{{en|“That’s All Right, Mama”}}<ref>https://www.songfacts.com/facts/elvis-presley/thats-alright-mama</ref> をいじくり始め、サムはプレスリーが適所を得たかもしれないと考えて録音ボタンを押した。即興での演奏でドラムスが不在であったため、ベースをかき鳴らしての演奏となった。B面に{{en|“Blue Moon of Kentucky”}}が収録されたシングルは、WHBQラジオが放送した二日後に、メンフィスでのローカル・ヒットとなった。ラジオを聴いた人たちは黒人歌手だと勘違いしていた。 また、公演旅行はプレスリーの評判をテネシー中に広げることとなった。しかし「初舞台の時には死ぬほど緊張した。観客の声が怖かったんだ」との言葉も残っている。また、プレスリーがツアーをはじめた時、ツアー先の白人プロモーターから「黒人娘(コーラスを務めた“ザ・スウィート・インスピレーションズ”のことを言ったものだが、実際にはもっとひどい差別的な言い方をされた)は連れてこないでくれ」と連絡を受けたことが度々あった。プレスリーは「彼女たちを来させないなら僕も行かない」と言い張り、向こうが謝罪し多額のお金を積んだが、絶対に行かなかった。 このエピソードの様に、[[公民権]]法が施行される前の[[1950年代]]のアメリカでは、音楽も人種隔離的な扱いを受けている部分が多く残っていた。当時のロックンロールのヒットソングも黒人の曲を[[パット・ブーン]]らの白人がカバーし、そのカバー版が白人向けの商品として宣伝され、チャートに掲載され、またラジオなどで流れる傾向にあった。たとえ同じ歌を同じ編曲で歌ったとしても、[[黒人]]が歌えば[[リズム・アンド・ブルース]]に、[[白人]]が歌えば[[カントリー・アンド・ウェスタン]]に分類されることが常識だった。プレスリーは、このような状況にあって黒人のように歌うことができる白人歌手として発掘された。 サンとの契約下でプレスリーは5枚の[[シングル]]をリリースした。 * {{en|“[[ザッツ・オール・ライト|That’s All Right]] / Blue Moon Of Kentucky”}} - Sun 209, [[1954年]][[7月19日]] * {{en|“Good Rockin’ Tonight / I Don’t Care if the Sun Don't Shine”}} - Sun 210, [[1954年]][[9月25日]] * {{en|“Milkcow Blues Boogie / You’re A Heartbreaker”}} - Sun 215, [[1954年]][[12月28日]] * {{en|“[[ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス|Baby Let’s Play House]] / I’m Left, You’re Right, She’s Gone”}} - Sun 217, [[1955年]][[4月10日]] * {{en|“[[ミステリー・トレイン (曲)|Mystery Train]] / I Forgot To Remember To Forget”}} - Sun 223, [[1955年]][[8月6日]] 「ザッツ・オールライト」はビッグボーイ・クルーダップ(アーサー・クルーダップ)の[[カバー曲|カバー]]である。多くはリズム・アンド・ブルース、またはカントリー・アンド・ウェスタンのヒット曲のカバーであった。レーベルには「エルヴィス・プレスリー、スコッティー・アンド・ビル」とクレジットされた。10曲の中で最短の曲は1分55秒、最長のもので2分38秒である。 [[1955年]][[8月18日]]にプレスリーの両親はプロデューサーの[[トム・パーカー (マネージャー)|トム・パーカー]](通称・'''パーカー大佐''')との契約書に署名し、サン・スタジオとの関係は終了した。 === RCAとの契約 === [[File:1956-elvis-presley-harley-davidson.jpg|thumb|right|220px|[[ハーレー・ダビッドソン]]に乗るエルヴィス(1956年)]] [[File:Elvis and liberace.jpg|thumb|right|220px|[[リベラーチェ]]とエルヴィス(1956年)]] [[File:Elvis Presley and Ed Sullivan October 1956.jpg|thumb|right|220px|[[エド・サリヴァン]]とエルヴィス(1956年)]] プレスリーは[[1955年]][[11月21日]]に[[RCAレコード|RCAビクター]]と契約した。[[1956年]][[1月28日]]に「CBS-TVトミー・ドーシー・ステージ・ショウ」にて[[テレビ|TV]]に初出演し、黒人のR&Bを歌う。そこでプレスリーは白人らしからぬパフォーマンスを披露したが、これに対してPTAや宗教団体から激しい非難を浴びせられた。しかし、その激しい非難にもかかわらず、それを見た若者たちは、プレスリーのファンになっていった。 1956年1月27日に第6弾シングル {{en|“Heartbreak Hotel / I Was the One”}} がリリースされた。これは1956年4月にチャートの1位に達した。{{en|Heartbreak Hotel}} はその後数多く登場したミュージシャンに多大な影響を与えた。 レコーディング場所について1950年代は[[ニューヨーク]]にある[[RCAスタジオ]]を利用したことがあったが、プレスリーのキャリアにおいて、主演[[映画]]の挿入歌以外のレコーディング場所で最も利用されたのは[[テネシー州]][[ナッシュヴィル]]にある[[RCAスタジオB]]である。しかし、1972年以降はハリウッドにあるRCAスタジオや地元メンフィスのスタジオを利用した。更に1976年になると、RCAスタッフがプレスリーの自宅(グレイスランド、ジャングルルーム)に録音機材を持ち込み、レコーディングを行った。 後年レコーディング自体に関心を示さなくなったのは、RCAのミキシングやアレンジがプレスリーの意向にそぐわなかったことや良質な楽曲がなくなったこと、コーラスがプレスリーの要求にこたえられなかったこと、体調面など様々な理由があった。 プレスリーは一発撮りと呼ばれる1テイク完成型のスタジオ・ライブ形式のレコーディング・スタイルにこだわった(いくつかのテイクをつなぎ合わせて一つの曲として発表する形式やパートごとの別録りといった選択肢もあったが、プレスリーはそれを嫌い、現在まで発表された曲数が700以上ある中で、そのような形式で発表した曲は少ない)。そのため、プレスリーの死去後現在まで様々な未発表テイクが発掘されており、その中には発表されたテイクと違った趣向のものもある。後年、レコーディングに関心がなくなった頃は、体調不良を訴え、「歌のレコーディングは後で必ずするからミュージックだけ録音しておいてくれ」と言うこともあったが、ほとんどの場合、それは実現しなかった。 1956年12月4日、プレスリーは[[カール・パーキンス]]、[[ジェリー・リー・ルイス]]がレコーディングしている[[サン・レコード]]に立ち寄り、彼らと[[ジャム (音楽)|ジャム・セッション]]を行なった。フィリップスにはもうプレスリーの演奏をリリースする権利はなかったが、このセッションを録音した。[[ジョニー・キャッシュ]]も共に演奏していたと長い間考えられていたが、フィリップスが撮らせた[[写真]]でしか確認することができない{{sfn|Jorgensen|1998|p=71}}。このセッションは伝説的な『[[ミリオン・ダラー・カルテット]]』と呼ばれるようになった。年末の『[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]』一面で、プレスリー関連商品が2千2百万ドルを売り上げ、レコード売り上げがトップであることを報じられた{{sfn|Palladino|1996|p=131}}。また『[[ビルボード]]』誌で100位以内にランクインした曲数が史上最高となった{{sfn|Stanley|Coffey|1998|p=37}}。音楽業界最大手の1つであるRCAでの最初の1年間、RCAのレコード売り上げの半数がプレスリーのレコードであった{{sfn|Victor|2008|p=439}}。 ===エド・サリヴァン・ショー=== 当時のアメリカの国民的バラエティー番組『[[エド・サリヴァン・ショー]]』には、[[1956年]]9月と10月、[[1957年]]1月と短期間に3回出演した<ref>[https://www.edsullivan.com/artists/elvis-presley/ エド・サリバン・ショー エルヴィス・プレスリー] エド・サリバン公式HP 2022年8月1日閲覧</ref>。なお、広い視聴者層を持つ国民的番組への出演を意識して、ジャケットを着用し出演した上に、当初保守的な視聴者の抗議を配慮した番組関係者が、意図的にプレスリーの上半身だけを放送したと伝えられている。 そのようなやり取りがあったものの、司会者の[[エド・サリヴァン]]が「このエルヴィス・プレスリーはすばらしい青年です」と紹介したことから、プレスリーへの批判は少なくなった上に、アメリカ全土へのプロモーションに大きく役立ったと言われている。 === 軍歴 === [[File:Elvis Presley in Germany.jpg|thumb|220px|陸軍に勤務していた頃のプレスリー]] [[1958年]][[1月20日]]に、プレスリーは[[アメリカ陸軍]]への[[徴兵]]通知を受けた。当時のアメリカは[[徴兵制度|徴兵制]]を施行しており、陸軍の徴兵期間は2年間である。プレスリーは特例措置を受けることなく、他と変わらぬ普通の一兵士として[[西ドイツ]]にあるアメリカ陸軍基地で勤務し、[[1960年]][[3月5日]]に満期除隊した<ref>[https://www.life.com/arts-entertainment/return-of-the-king-when-elvis-left-the-army/ RETURN OF THE KING: WHEN ELVIS LEFT THE ARMY] - ''LIFE.TIME.com([[ライフ (雑誌)|ライフ]])''.2013年9月10日閲覧.</ref>。 徴兵命令が来た際、プレスリーは「闇に響く声」を撮影中で、徴兵を少し延期したことでも話題になった。徴兵局はパラマウントからの延期の申し入れに対し、「エルヴィスをよこして頭を下げさせろ」と伝えた。翌日、プレスリーは徴兵局へ出向き、延期の申し入れを行った。 1958年8月11日、戦車兵としての専門教育を受けていたプレスリーは、すでに体調を崩していた母グラディスが緊急入院したとの知らせを受けた。上官はプレスリーからの外出申請をいったんは却下したが、8月12日の外出が許可された。グラディスは8月14日に亡くなり、翌15日に葬儀が営まれた。再び帰営する際、プレスリーはグラディスの部屋を生前の状態に保つよう言い残している。 プレスリーは西ドイツに駐留する第32機甲連隊に配属され、第1中戦車大隊の本部管理隊で勤務した。同地では松濤舘空手を学び、また[[軍曹]]まで昇進した。空手8段と言われることがあるが、実際には空手ではなく、除隊後にトレーニングした韓国人のカン・リー道場での最終段位であり、空手道とは関係がない。公開されている免状には韓国国旗とアメリカ国旗があしらわれている。また在籍中、病気にかかり軍の病院において[[扁桃炎|扁桃腺炎]]だと診断された。その際、医師はプレスリーの声が変調するのを恐れて、[[扁桃|扁桃腺]]の切除手術は行わなかったが、回復し健康を取り戻した。 1960年3月2日、プレスリーは帰国の途に就いた。途中[[スコットランド]]を経由しているが、これが彼にとって唯一のイギリス滞在となった。プレスリーは3月3日の朝に帰国して大勢のファンに迎えられ、5日に名誉除隊となった。 === 映画出演 === [[File:Elvis Presley Jailhouse Rock.jpg|thumb|220px|『監獄ロック』(1957年)]] [[File:G.I. Blues (1960) trailer 1.jpg|thumb|220px|『G.Iブルース』(1960年)]] プレスリーの映画は駄作・凡作が多いことで知られている。ただし「ブルー・ハワイ」「ビバ・ラスベガス」など、楽曲は優れている。駄作が多い理由としては、悪徳マネージャーのトム・パーカー大佐が、一気に10本ものハリウッド映画を契約してしまうなどの行動を取ったことなどが大きい。歌手として有名になっていくにつれて、[[映画配給会社]]数社から出演の依頼がプレスリーのもとに届いた。プレスリーは大変喜んで、劇場に通いつめ、演技を独学で勉強した。初出演映画にはパーカー大佐がプレスリーを映画の主演にさせたかったので[[20世紀FOX]]配給「''{{en|Rino Brothers}}''」を選んだ。プレスリーはシリアスな演技派を目指していた為、映画内での歌には興味がないと公言していたが、結局パーカー大佐の要請で4曲も歌う羽目になりタイトルも「''{{en|Love Me Tender}}''」に変更されて公開された。 陸軍入隊前までの[[1958年]]までに4作の映画が製作されたが、いずれも挿入歌ありの主演映画に終始し、おまけに映画挿入歌を収めたアルバムが好評だったため、当時のショウビジネスの世界に新たなビジネスの形態を作り出した。1960年に陸軍除隊するとパーカー大佐は配給会社数社と長期に渡り出演契約を結んだ為、1969年まで1年に3本のペースで27本もの映画の製作が行われ、活動の拠点をハリウッドに移さざるをえなかった。おおよその映画は制作費を抑えた挿入歌アルバム付きのものが多かったが、「''{{en|G.I. Blues}}''」、「''{{en|Blue Hawaii}}''」、「''{{en|Viva LasVegas}}''(ラスヴェガス万才)」等、話題にはなったが、プレスリーの映画は全体的に評価が低い。評価されたのは「オン・ステージ」「オン・ツアー」など、コンサートをドキュメンタリー的に記録したものだけである。 結局、1956年から1969年まで計31本の映画が公開された中で、プレスリーが望んだ(主題歌以外の)歌のない映画は、[[1969年]]公開の「''{{interlang|en|Charro!}}''(殺し屋の烙印)」のみであった。この映画が製作された頃のプレスリーは1960年代初期と違い、映画への意欲が薄らいでいた時期ではあった([[1968年]]のカムバックを経て、残った契約の消化を急いでいた)が、久しぶりに前向きに臨んだ西部劇で役作りの為にあごひげまではやし撮影された。しかし、プレスリーの主演映画に対する世間の注目度が低かったこと、脚本の出来もイマイチだったことなどが原因で映画の興行成績は振るわなかった。 そういう状況の中、[[ミュージカル映画]]の枠を超えていなかったこと、台本の出来の悪さ<ref group="注釈">プレスリーは映画の台本を叩きつけ、「ふざけるな。 [[ボート]]に[[オートバイ|バイク]]に車の選手、全部同じストーリーだ」と激怒し、撮影現場に行かなかったこともあった。</ref>、また、プレスリーが力を入れて撮影したシーンがカットされたことなど、プレスリーの仕事への不満は募っていき、それが歌手としてコンサート活動を再開するきっかけになった。 歌手活動の本格再開後も、[[1970年]]8月の[[ラスベガス]]公演やリハーサル風景を収めた[[ドキュメンタリー映画]]「''{{en|Elvis: That’s the Way It Is}}''([[エルビス・オン・ステージ|エルヴィス・オン・ステージ]])」や[[1972年]]4月のコンサート・ツアーの模様を収めたドキュメンタリー映画「''{{en|ELVIS On Tour}}''(エルヴィス・オン・ツアー)」が製作され、好評だった<ref>[https://www.allcinema.net/cinema/3123  エルヴィス・オン・ツアー] 2022年7月29日閲覧</ref>。それ以降は映画の公開はなかったが、プレスリーの死後の1981年には、ほとんどを生前の映像等で構成したライフ・ストーリー的映画「''{{en|This Is ELVIS}}''」が公開された。これらを合わせると、プレスリーが主演した映画は計34本となる。 [[1974年]][[8月19日]]に、ラスベガス公演中のプレスリーの楽屋を[[バーブラ・ストライザンド]]が訪れた。バーブラは自らが主演する映画「''{{en|A Star Is Born}}''(スター誕生)」での共演をプレスリーに依頼し、プレスリー自身も非常に乗り気だったと伝えられているが、後日パーカー大佐が出演料を理由に断った。 1970年代半ば、プレスリー自身が起案し出演する[[空手道|空手]]家が主人公の映画の撮影を行ったが、完成することはなかった。理由の一つとして、プレスリーの体調が悪くなることが多く空手を続けられる状況ではなくなり、空手自体をやめてしまったことが挙げられる。ちなみに、空手の後の太り始めた頃からの趣味は[[ラケットボール]]で、医師からの勧めで始めた。プレスリーは自宅であるグレイスランドの敷地内に専用コートを建てた。亡くなる1977年8月16日の早朝も友人たちとプレーし、汗を流した。 === ビートルズとの会見 === プレスリーと[[ビートルズ]]は直接的な接点はなかったが、両者は1965年8月27日、[[ロサンゼルス]]のプレスリーの邸宅で一度きりの会見を果たしたことがロック史に残る出来事として語られている。ビートルズのマネージャーである[[ブライアン・エプスタイン]]とパーカー大佐の間での「極秘の打ち合わせ」という名目だったが、どこからか漏れてしまい、案の定自宅周辺には野次馬が集まった。 この会見はビートルズのメンバー達や関係者達の証言の食い違いがあり、様々な諸説がある。通説ではメンバーの[[ジョン・レノン]]、[[ポール・マッカートニー]]、[[ジョージ・ハリスン]]、[[リンゴ・スター]]は平静を装いながらも、心を躍らせて招かれた部屋に入った。そこでプレスリーはテレビを見ながら[[ベース (弦楽器)|ベース]]を練習してくつろいでいた。「本物のエルヴィスだ」と感激した4人は呆然としてしまった。気まずい沈黙とぎこちない会話の後、プレスリーが「一晩中僕を見てるだけなら僕はもう寝るよ?せっかく演奏ができると思って待ってたのに」と声をかけた後、[[即興演奏]]が始まった。プレスリーはベースを演奏し、レノンとハリスンは[[ギター]]、マッカートニーは[[ピアノ]]を演奏した。スターはドラムキットが無かったため演奏しておらず[[ビリヤード]]や[[サッカー]]を楽しんでいたという。 ビートルズの友人でもある記者のクリス・ハッチンスによれば、レノンがプレスリー宅のラウンジに入った時、テーブルランプの「リンドン・B・ジョンソン大統領と共に」というメッセージが刻まれたワゴンの模型を見つけた。その瞬間レノンは大統領を侮辱する態度をとり、プレスリーは困って苦笑いしていたという。プレスリーの妻だったプリシラによれば「ビートルズが入ってきたとき、エルヴィスはソファでリラックスしながらテレビを見ていました。両者とも最初は多少の沈黙とぎこちない会話の後、エルヴィスがベースを取り出してチャーリー・リッチの曲を弾き始めました。突然、ビートルズとエルヴィスのジャムセッションが始まりました」と語っている。 ビートルズの広報担当者でもあるトニー・バロウによると「プレスリーとビートルズは奇妙な沈黙が多く、いくつかぎこちない会話をした。最初に口を開いたのはジョンで、最近はなぜ映画でソフトなバラードばかりを歌ってるの?ロックンロールはどうしたのと質問していた。会話は上手くいかなかったが、プレスリーが楽器を用意し、素晴らしいセッションが始まった。彼等が演奏した全ての曲は覚えてないが、その内の1つはI Feel Fineだったことは覚えている。リンゴは木製家具を叩いてバックビートを鳴らしていた。それは素晴らしいセッションだった」と語っている。 プレスリーが「君たちのレコードは全部持ってるよ」と言ったのに対してレノンは「僕はあなたのレコードは1枚も持ってないけどね」と発言したことからその場が凍りついたという。これはレノンの過激なジョークだったとも言われている。この会見は成功したとは言えないものだったが、ビートルズは忘れられない夜だったと語っている。プレスリーのロードマネジャーであるジョー・エスポジートによれば、「プレスリーは面会の後もビートルズに敬意を払っていた」と語っている。レノンはプレスリーの取り巻きに「エルヴィスがいなければ今の自分はいない」と伝えるよう頼んだという。 後にプレスリーはマッカートニーやハリスンの曲をカバーしているが、レノンの曲は取り上げていない。(ただしビートルズもプレスリーのカバーを正式には残していない)しかしプレスリーの側近であるジェリーシリングによると、プレスリーはレノンがメインのビートルズ初期の曲もよく聞いていた。プレスリーはア・ハード・デイズ・ナイトを特に気に入っていたという。しかし、ビートルズのドラッグソングは好きではなかったと側近は語っている。プレスリーはビートルズとの会見の後に、何度かインタビューやライブなどで、ビートルズを賞賛している。1969年にプレスリーは英国人記者に「彼らはとても面白くて、とても実験的だ。特に彼らが I Saw Her Standing There 辺りを歌っていたときが好きでした」と語った。ライブでも「ビートルズやドアーズなど、新しいバンドが本当に好きだ」と語っている。 しかし1970年に、反米精神に満ちたヒッピーのドラッグカルチャーの問題などで、混沌としているアメリカを危惧したプレスリーは、ニクソン大統領にアメリカを救うのに協力したいと手紙を出した。ヒッピーに支持され、大きな影響を与えていたビートルズを危険視した。LSDなどのビートルズのドラッグの音楽や過激なドラッグの発言、反アメリカ的な発言や共産主義的な思想など、若者に悪影響を及ぼしているとプレスリーは懸念していた。ビートルズの中でも特にジョンレノンの過激な発言と、抗議パフォーマンスがアメリカに悪影響で要注意人物と考えていたという。プレスリーはビートルズを一時期マークしていた。 しかしプレスリーは麻薬取締局のバッジを取得した後、ほとぼりも冷めていったのか、ニクソンとの関係も次第に無くなっていき、ビートルズの曲をコンサートで歌ったりもしている。プレスリーは1970年代にいくつかビートルズの曲をカバーしている。1973年の世界同時生中継で視聴者数15億人ともいわれている「アロハ・フロム・ハワイ」のコンサートでもビートルズの曲を歌っている。 この様にプレスリーのビートルズに対する嫌悪感は個人的なものでは無く、彼等への好意やリスペクトがあったのも事実だが、アメリカの愛国者としてビートルズを悪影響とも見なしていた。社会的立場が違ったプレスリーとビートルズの関係性は非常に複雑と言える。 === 結婚と離婚 === [[File:Elvis Presley and Priscilla with Lisa Marie February 1968.jpg|right|220px|thumb|リサを抱くプリシラとエルヴィス(1968年)]] [[1967年]][[5月1日]]には、[[ラスベガス]]のアラジン・ホテルで[[プリシラ・アン・ボーリュー]]と[[結婚]]。プリシラはプレスリーの駐西独アメリカ軍での所属部隊長の継子であった。プレスリーは未成年であったプリシラを自分の父親とその妻の家に同居させ、有名な[[カトリック教会|カトリック]]の[[男女別学|女子高]]に通わせて、きちんと卒業させるということをプリシラの母親と継父に約束してプリシラをメンフィスで暮らせるようにした。しかし、程なく2人はグレイスランドで一緒に暮らすようになっていく。8年後に結婚し、[[1968年]][[2月1日]]には娘[[リサ・マリー・プレスリー]]が生まれる。 その4年後、結婚前から続いているプレスリーの生活習慣(昼と夜が逆転した生活)、メンフィス・マフィア(エルヴィスの取り巻き)といつも一緒の生活、さらに年間何ヶ月にも及ぶコンサートツアーによる別居生活などのさまざまな理由から、プリシラは空手教師のもとに走り、2人の結婚生活は破綻してしまう。[[グレイスランド]]を出たプリシラはリサ・マリーを引き取り、ロサンゼルスに住居を移す。[[1973年]][[10月9日]]に正式離婚。 離婚後もプレスリーとプリシラは友人関係にあり、以前よりも密に連絡を取り合うようになったという。プレスリーがツアーでロサンゼルスにいるときは、プリシラの家を訪れたり、なにか事あるごとにプリシラをグレイスランドに呼び寄せたりして精神的にプリシラを頼りにしていた。二人は、リサ・マリーがまだ幼かったこともあって、2人が離婚したことでリサが不幸にならないようにと願っていた。リサとプレスリーは頻繁に会っていたようだ。プレスリーが死んだその日もリサはグレイスランドにいた。 === 1960年代、70年代の音楽活動 === プレスリーの音楽活動は62年の「好きにならずにいられない」までは好調を保っていたが、63年から68年ごろまでは絶不調と言ってよい状態だった。量産された映画とビートルズの登場に押された影響は否定できず、プレスリー自身もそれを自覚していた。不調の時代では65年の「クライング・イン・ザ・チャペル」(オリオールズの曲をカバー)が彼らしい佳作だった。68年のTVライブで復活したエルヴィスは69年に「サスピシャス・マインズ」<ref>[https://www.discogs.com/ja/Elvis-Presley-Suspicious-Minds-/master/107519 Elvis - Suspicious Minds] - Discogs</ref>、「イン・ザ・ゲットー」を発売し、カムバックした。[[1969年]]から過密スケジュールでキャリアを再開。しかし、それはプレスリーを完全な[[ワーカホリック]]状態へと追い込むものであった。[[1969年]]以降行ったライヴは1000回以上であり、平均すると1年におよそ125回のペースだった。 [[1969年]]より[[ネバダ州]]の[[ラスベガス]]を中心にショーを行うようになっていた。プレスリーのコンサートは時代を経て、大規模なものになっていった。瞬間最高[[視聴率]]約72%を記録した[[1968年]]の[[ELVIS|NBC-TVスペシャル]]以後、翌年にラスベガスのステージで歌手復帰してからは、ロックンロール以外にもレパートリーの幅を拡げ、ゴスペルやスタンダード・ナンバー等を取り入れた。バックもコーラス・グループやピアノ等が新たに加わり、オーケストラまで揃えた多人数の団体に膨れ上がった。なお派手な衣装は、[[リベラーチェ]]からの影響と言われている。この時期のステージでは、トニー・ジョー・ホワイト、ニール・ダイアモンド、BJトーマスらの曲をカバーしている。日本では、『エルヴィス・オン・ツアー』は『リスボン特急』と共に上映された。 1972年には「バーニング・ラヴ」が、[[ビルボード]]2位まで上昇する大ヒットとなっている<ref>[https://www.billboard.com/artist/elvis-presley/chart-history/hsi/ "Burning Love" by Elvis Presley (Hot 100 chart history) &ndash; Billboard.] Retrieved 28 June 2022</ref>。1970年代にエルヴィスは他に、「アメリカの祈り」「ロックンロール魂」などを発売した。 また、ラスベガスのステージ編成をそのまま地方公演に取り入れた。コンサート活動再開後、最後にコンサートを行った[[1977年]][[6月26日]][[インディアナポリス]]公演までチケットは売り切れ状態が続いた。[[1977年]][[8月17日]]から始まる予定だったツアーも最終日の8月27日のメンフィス公演まで売り切れ、翌28日に同地で追加公演を行う予定だった。 === ニクソンとの面会 === [[ファイル:Elvis-nixon.jpg|right|220px|thumb|[[リチャード・ニクソン]] 大統領とエルヴィス・プレスリー(1970年)]] 1960年代半ばからアメリカは非常に混沌とした時代になった。ヒッピーの過激な反戦運動の中で、フリーセックス、栄養失調、病気、LSDなどの薬物中毒の問題などが浮上し、犯罪と暴力が急増した。 プレスリーはドラッグが蔓延るヒッピー文化の暴動と、過激なカウンターカルチャーによるアメリカの未来を危惧していたという。1970年12月21日には、[[アメリカン航空]]の民間機で[[ワシントンD.C.]]に出向き(普段は自家用機しか乗らない)、[[シークレット・サービス]]に手紙を手渡した。一市民であるプレスリーから大統領にあてた手紙である。 「私はエルヴィス・プレスリーです。あなたを尊敬しています。私は3週間前にパームスプリングスでアグニュー副大統領と話し、我が国に対する懸念を表明しました。麻薬文化、ヒッピー、SDS、ブラックパンサーなど。私は彼等にとって敵では無く彼らの言う「体制」ではなく、私はアメリカを愛する者です。私はこの国を助けるためにできるだけの手伝いをさせていただきたい。私には国を助けること以外に何の関心も動機もありません。ですから私は役職を与えられたくないのです。もし私が連邦捜査官になったら、もっと良いことができます。あらゆる年齢層の人々とのコミュニケーションを通じて、私なりの方法でそれを手助けするつもりです。何よりも私はエンターテイナーです。必要なのは連邦資格だけです。''」という手紙をニクソンに送った。'' ホワイトハウス内は大騒ぎとなり、その40分後補佐官から「大統領が会いたい」と[[電話]]があった。ホテルに到着した[[デル・ソニー・ウェスト]]が合流し3人で[[ホワイトハウス]]へ行き、[[リチャード・ニクソン]]大統領に会った。ツーショット写真はその際撮影されたものである。プレスリーはFBI本部のプライベートツアーを許可された。若者の凄まじい反米精神と、不健全なヒッピーカルチャーを深刻な問題として考えていたプレスリーは、ビートルズ、スマザーズ・ブラザーズ、ジェーン・フォンダなど、彼等の公の場での過激な発言と活動を危険視していた。プレスリーは彼等を厳しく取り締まるべきと考えていたという。 「連邦麻薬取締局」のバッジを望んでいたプレスリーは「自分はドラッグ・カルチャーと、[[共産主義]]の[[洗脳]]について研究してきた」<ref>{{Cite web|url= https://www.smithsonianmag.com/history/when-elvis-met-nixon-69892425/ |title= When Elvis Met Nixon |author= Peter Carlson |website= Smithsonian Magazine |date= 2010-12 |accessdate= 2023-07-14 }}</ref>とニクソンに語っている。保守派の政治家として、麻薬撲滅に熱心であったニクソン大統領に対して、「ロックが[[麻薬]]使用に影響しているとは思わないが、責任は感じている」といい、麻薬取締官の資格を与えられた。翌週、プレスリーはそのバッジをみんなに見せびらかせて回った。なお、プレスリーは警察官等のバッジ・コレクションをしており、大変な収集家であった。 プレスリーは愛国心が強かったが、自分の「政治的見解」は自分の中に留めるとしており、政治について公に意見を言うことはしなかった。ニクソンとのドラッグカルチャー問題も、自分は芸能人ということをあらかじめ念押し、必要以上に関与することはしなかった。1972年の記者会見で「政治的なキャリアを追求することを考えたことはありますか?」という問いにプレスリーは「 いいえ、私にはその願望はありません」と答えている。記者から「兵役についてた頃の話もありましたが、ベトナム戦争の反対運動者についてあなたの意見はどうですか?今日徴兵されることは拒否しますか?」という問いに、プレスリーは「それについての自分の意見は自分の中に留めておくつもりです。私は芸能人だしね」と答え、記者は「他の芸能人も貴方と同じように秘密にするべきですか?」と質問するとプレスリーは「いいえ」と答えている。 また、プレスリーは人種差別に強く反対的で、1950年代に白人社会から凄まじい批判を受けても、黒人アーティスト達の影響やリスペクトを何度も公言しているが、一方で公民権運動には参加しなかった。人種差別やベトナム戦争を反対していた「キング牧師」を、プレスリーは熱烈に支持していたが、それを公に言うこともなかった。(キング牧師が暗殺されたとき、プレスリーは泣き崩れたという。)この様にプレスリーは、基本的にエンターテイメント以外で、自分を主張することはしないスタイルだった。 ===トム・パーカー大佐=== [[File:Elvis Presley and Colonel Tom Parker 1969.jpg|thumb|220px|パーカー大佐とともに(1969年)]] トム・パーカーは悪徳マネージャーとして有名だった。パーカーは、エルヴィスとリーバー&ストーラーが親しいことが、自分がエルヴィスを支配する上でマイナスだと考えた。パーカーはエルヴィスと、リーバー&ストーラーの仲を引き裂く工作を行い、これに成功している。プレスリーは世界的なスーパースターとなったが、終生アメリカ、[[カナダ]]以外でコンサートを行っていない。海外での公演ができなかった理由は、移民であるパーカー大佐がアメリカの永住権を所持しておらず、カナダを例外としてアメリカ国外へいったん出国すると再入国を許されない事態を恐れた為だったと言われている。ちなみに、パーカー大佐が出身国に残してきた家族が、大佐がプレスリーに付き添う姿をテレビで見て仰天したという逸話が残されている。 これに対して、パーカー大佐は世界の公演希望に応えるため、[[衛星中継]]という方法で、生のプレスリーを世界へ送った。来日公演の要請に対しては、[[日本]]の[[ゴールデンタイム]]に衛星生中継で視聴してもらえるよう、1973年1月14日に、[[ハワイ・アリューシャン標準時|ハワイ時間]]深夜1時からコンサート『[[アロハ・フロム・ハワイ]]』を開催する形で応えた。これは日本のゴールデン・タイム(午後7時)にあわせたものである。放送は約2時間続いた。 このコンサートはプレスリーの愛唱歌でもあった「アイル・リメンバー・ユー」の作者、[[クイ・リー]]の遺族らによって創設された“クイ・リー癌基金”のためのチャリティー・コンサートとして開催された為収益は全て、クイ・リー癌基金へ寄付された。この公演のチケットには値段が付いておらず、客が献金したい分だけ払えば、購入することが出来た。6000席の会場で7万5000[[ドル]]集まったので、1人あたり12ドル50セント支払った計算になる。 アメリカでは公開中だった『エルビス・オン・ツアー』と競合することを回避するために、4月4日に放送された。新たにハワイのビーチや挿入歌がインサートされた、生放送とは別の編集版であった。既にこのコンサートのライヴアルバムが発売されていたにもかかわらず、この放送を視聴した世帯数は、人類初の月面着陸の映像を視聴した世帯数より多かった<ref name="afpbb.com">{{Cite news|url= https://www.afpbb.com/articles/-/2267718?pid=2023790 |title= “キング・オブ・ロックンロール”エルビスにまつわる9つの数字 |newspaper= AFPBB News |publisher= 株式会社クリエイティヴ・リンク |date= 2007-08-15 |accessdate= 2023-07-14 }}</ref>。 「プレスリーの離婚の財産分与の資金捻出のため」という名目でパーカー大佐はプレスリーの[[著作権|楽曲の権利]]をRCAへ売り渡した。これは将来的に見ても大損な取引だったが、パーカー大佐自身が[[ギャンブル]]で大損を出していたため、手っ取り早く大金を得るためにプレスリーに伝えないで独断で売った。離婚に必要な資金は175万ドルでエルヴィスならすぐに回収できるであろう金額だった。プレスリーがお金がなくなっていったのはこの権利で手に入る[[印税]]を受け取れなかったことが関係している。プレスリー関係者からは「悪名高き73年の取引」といわれている。 この様な理由以外にも、プレスリーはパーカー大佐に対する不満をメンバーたちに多く漏らしていた。しかし、プレスリーは生涯パーカー大佐をクビにすることはなかった。ネルソン・ジョージは、「マネージャーのトム・パーカー大佐がプレスリーをどんどん安物のクズにおとしめていった」と評している<ref>ネルソン・ジョージ著「リズム&ブルースの死」134ページ・早川書房</ref>。 === 死と埋葬 === [[ファイル:ElvisBurialSite.jpg|thumb|220px|right|プレスリーの墓]] [[1977年]][[8月16日]]にテネシー州メンフィスの自宅、[[グレイスランド]]で没した。ガールフレンドのジンジャー・アルデンによって寝室のバスルームの床に倒れているところを発見され、バプテスト記念病院へ搬送されたが、医師は午後3時30分、プレスリーの死亡を確認した。{{没年齢|1935|1|8|1977|8|16}}。検視後、死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された<ref group="注釈">当時ドーナツの食べ過ぎが原因だったというデマがあった。</ref>。 晩年、プレスリーはストレスからくる「過食症」に陥ったことが原因で体重が激増したことに加え、[[1975年]]頃からは主治医だった[[ジョージ・ニコポウラス]]から処方された睡眠薬などを「誤った使い方」で服用していた。「処方ドラッグをやっていた」とグレン・D・ハーディンなどのメンバー、さらに[[デル・ソニー・ウェスト]]などのメンフィス・マフィアのメンバーたちも語っている。 グレンは詳しいことは死ぬまで語るつもりはないといっているが、ソニー・ウェストは[[暴露本]]を書いて中傷したとされた。このことについてソニーは「まだ存命中だったエルヴィスを救うためだった」と述べた。違法なドラッグは一切使用していないが、この処方ドラッグの影響で癇癪持ちになり、体調も維持できなくなってしまった。 イギリスのテレビ局、チャンネル4はプレスリーのDNAに、肥満や心臓疾患を引き起こすものが発見されたと報道した<ref>「急逝したミュージシャン40名 死の真相」49ページ。インテルファン。</ref>。 当初はメンフィスのフォレスト・ヒル墓地で母親の隣に埋葬されたが、遺体の盗掘未遂事件後に、母親と共にグレイスランドに再埋葬された。グレイスランドには、プレスリーの様々な遺品やピンクや緑に塗られた[[キャデラック]]、愛娘の名前をつけた自家用機、[[コンベア880]]型「リサ・マリー号」などが展示されており、現在も世界中からファンや観光客が訪れている。[[スコティ・ムーア]]は「エルヴィスの葬儀は見世物ショーになるだろう」と感じ、式に出席しなかった。 === 死後 === プレスリーの急死後、その[[肖像権]]は非常に危うい位置にあった。プレスリーはステージ以外の事は人任せで、肖像権は一応管理されていたが杜撰だったため、[[商業主義|金儲けの道具]]とされ、プレスリーのイメージを損なうものであっても簡単に商品化できた。 存命中にはプレスリーは多くの「名義貸し」のつもりで契約書にサインしていたが、相手は「エルヴィスが利益になる」と考え、膨大な予算をプレスリーに用意させようとした(ソニー・ウェストの暴露テープに電話の内容が記録されている)。 死去後まもなくして遺族らが膨大なプレスリーの物的財産を管理する組織を結成、肖像権も管理しようと訴訟を起こした(当時、亡くなった人々の肖像権の取り扱いは帰属等がはっきりしていなかった)。遺族らは勝訴し、肖像権を手に入れ、以後今日までしっかりと管理されている。 肖像権が管理できるようになって、「エルヴィス・プレスリー」という名を使い現在まで様々なプロジェクトを世界に向かって発信してきた。プレスリーのキャリアはサン・レコードからデビューした1954年から死去する1977年である。本業の歌の部門では、数多くの未発表テイクが発掘されている。 未発表映像も発掘され、[[1968年]]のTVスペシャルや1973年のアロハ・フロム・ハワイのアウトテイクを収録した完全版がリリースされ好評となった。その他、側近や友人、家族らが語るプレスリーの人物像に焦点をあてた物や、プレスリーのゴスペルに対する思いを映像化した物もある。 [[ファイル:Elvis impersonators record.jpg|right|220px|thumb|エルヴィスの物まねタレント]] それ以外にもプレスリーをモチーフにした映画の製作やプレスリーの曲が数多くの映画の挿入歌に使用される事も多い。プレスリーに因んだセリフも数多くの映画の中で聞くことが出来る。ブロードウェイのミュージカルにも取り上げられる等、そのような話題はとどまる事を知らない。プレスリーの記録であるナンバー1ヒット曲数18曲が、2019年[[マライア・キャリー]]の19曲によって更新された。 死後、ロニー・マクドウェルは「キング・イズ・ゴーン」を発表した。あまりにエルヴィスに似ていることと、歌のうまさはおおいに話題となった。プレスリーの物まね、または成りきる(演じる)事を生業とする人々が世界に存在し、その数は8万5000人と言われている<ref name="afpbb.com"/>。また、エルヴィスを尊敬するアーティストも多く、そのようなアーティスト達が一堂に会したトリビュート・コンサートが実現した。 更に[[1997年]]には新たなる試みとして、プレスリーのコンサート映像を使用し、それにあわせて当時のバンド・メンバーが演奏する[[:en:ELVIS THE CONCERT|エルヴィス・ザ・コンサート]](現:[[:en:ELVIS PRESLEY IN CONCERT|エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート]])のメンフィス公演が行われ、以後全米各地のほか、ほぼ年に1回のペースでアメリカ以外の地域でツアーを行っている。娘は[[マイケル・ジャクソン]]と結婚したが、後に離婚している。 彼の死後、プレスリーの生存説、目撃情報などの滑稽な[[陰謀論]]や[[オカルト]]話が「[[ウィークリー・ワールド・ニューズ]]」「[[東京スポーツ]]」などを中心に相次いで報告された。年をとったプレスリーを見たという証言がある一方、若い頃そのままのプレスリーを見た、人面魚とプレスリーが泳いでいるのを見た、という証言がイエロー・ペイパーを中心に報道された。プレスリーが生きているという確実な証拠には300万ドル(約3億4000万[[円 (通貨)|円]])が支払われるが、その日は来るのは難しい。 == フォロワー == [[ファイル:Graceland.jpg|thumb|220px|グレイスランド(Graceland)]] エルヴィスは多くの国の若者に、ロックンロールという新しい音楽への強い関心を与えた存在だった。[[ジョン・レノン]]、[[ボブ・ディラン]]、[[ポール・マッカートニー]]、[[ボブ・シーガー]]、[[フレディ・マーキュリー]]、[[ルー・リード]]<ref>https://www.complex.com/music/2013/10/lou-reed-8-favorite-rock-songs-of-all-time</ref>、[[ロバート・プラント]]、[[ブルース・スプリングスティーン]]、テリー・スタッフォード、[[クリフ・リチャード]]らをはじめとする多くのアーティストが大きな影響を受けた。 ジョン・レノンとエリック・カルメンは、ヴォーカル・スタイルにおいても影響を受けている。ジョン・シュナイダー、ZZトップ、チープ・トリック、らはエルヴィスの曲を[[カバー]]した。ロバート・ゴードン、タフ・ダーツ、ストレイ・キャッツ、ブラスターズらもエルヴィスの影響を受けていた。 == バンド・メンバー == * スコティ・ムーア — リードギター、リズムギター、バックボーカル(1954–59、1960–69、2016年に死亡) * ビル・ブラック — コントラバス、ベースギター、バックボーカル(1954–58; 1965年に死亡) * DJフォンタナ — ドラム、バックボーカル(1955–59、1960–69、2018年に死亡) * ゴードン・ストーカー — バックボーカル、ピアノ、オルガン、アコーディオン、パーカッション(1956–59、1960–68、1969–71、2013年に死亡) * ニール・マシューズ、Jr. —バックボーカル、ギター、ベースギター、コントラバス(1956–59、1960–68、1969–71; 2000年に死亡) * ホイト・ホーキンス —バックボーカル、ピアノ、オルガン、パーカッション(1956–59、1960–68、1969–71、1980年に死亡) ヒュー・ジャレット — バックボーカル(1956–58; 2008年に死亡) * レイ・ウォーカー — バックボーカル(1958–59、1960–68、1969–71) ボブ・ムーア—コントラバス、ベースギター(1958–59、1960–68; 2021年に死亡) * ダドリー・ブルックス — ピアノ、チェレスタ(1957–59、1960–63; 1989年に死亡) * タイニー・ティンブレル — リズムとリードギター、マンドリン(1958–59、1963–68; 1992年に死亡) *ジョーダネアーズ - 男性コーラス・グループ *スウィート・インスピレーションズ - 女性・ソウル・コーラス・グループ(ツアーなどで共演) === 家族 === * 父:ヴァーノン・エルヴィス・プレスリー/Vernon Elvis Presley(1916年4月19日 - 1979年6月26日) * 母:グラディス・ラヴ・プレスリー/[[:en:Gladys Presley|Gladys Love Smith Presley]](1912年4月25日 - 1958年8月14日) * 兄:ジェシー・ギャロン・プレスリー/Jesse Garon Presley(エルヴィスの双子の兄に当たり30分早く生まれたが、生後まもなく死去。グレイスランドの瞑想の庭に記念碑がある) * 前妻:[[プリシラ・プレスリー]]/[[:en:Priscilla Presley|Priscilla Beaulieu Presley]](1945年5月24日 - )<br />[[回想録]]の訳書に、『私のエルヴィス』([[小沢瑞穂]]訳、[[新潮文庫]]、1987年) ** 娘:[[リサ・マリー・プレスリー]]/[[:en:Lisa Marie Presley|Lisa Marie Presley]](1968年2月1日 - 2023年1月12日) *** 孫娘:[[ライリー・キーオ]]/[[:en:Riley Keough|Riley Keough]](1989年5月29日 - )リサ・マリーの娘で女優 *** 孫:ベンジャミン・キーオ、2020年7月12日、[[銃|銃身]][[自殺]]により死去<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0117361|title=プレスリーの孫、ショットガンを口にくわえ自殺 死因判明|accessdate=2023-07-15|publisher=シネマトゥデイ}}</ref><!-- <ref>[https://news.livedoor.com/article/detail/18601483/ プレスリーの孫が27歳で自殺。ショットガンを口にくわえ… - Peachy - ライブドアニュース]</ref> -->。 == 衣装と食生活 == 1970年代の、金やダイヤモンドやルビーなどを施したジャンプスーツは、25[[キログラム|kg]]以上にもなっていた。これは敬愛していたゲイのピアニストである[[リベラーチェ]]からの影響を受けたものだった。ただし、プレスリーは宝石類にはあまり興味がなく、ステージ上で華やかに見えるものなら安いイミテーションでも構わないという考えだった。 彼は[[酒]]も[[煙草]]もやらなかった。たまに[[葉巻きたばこ|葉巻]]を吸う程度である。「オン・ステージ」で観客から酒を渡された時も、口を付けるだけでほとんど飲んでいない。ステージ上で飲んでいるものは[[水]]か[[ゲータレード]]である。 [[コーヒー]]や[[炭酸飲料]]、「[[ピーナッツバター]]と[[バナナ]]と[[ベーコン]]の[[サンドイッチ]]」が大好きで、毎日のように食べていた。今ではこのサンドイッチは「[[エルヴィスサンド]]」と呼ばれている。ただし、このサンドイッチは食べる前に多量の[[バター]]を溶かした[[フライパン]]で揚げ焼きにしたもので、当然ながら高[[カロリー]]なため、プレスリーが30代以降体調を崩し、[[肥満]]化していった一因になったのではないかという指摘もある。 == 影響 == 日本では[[湯川れい子]]、[[小林克也]]、[[平尾昌晃]]、[[山下敬二郎]]、[[ミッキー・カーチス]]、[[本郷直樹]]、[[尾藤イサオ]]、[[ささきいさお]]、鹿内孝、藤木孝、[[西郷輝彦]]、[[坂本九]]、[[西田敏行]]、[[大瀧詠一]]等がプレスリー・ファンとして知られている。 アメリカのティーンエイジャーの一部は、プレスリーのダックテールと呼ばれる横髪を後ろへなで付けるヘアスタイルを真似し始めた。また、黒いズボンや緩い開襟シャツといったプレスリーのスタイルは、ファッションの新たな流行を生み出した。プレスリーや、ジェームズ・ディーンの影響は、西側世界における3[[ティーンエイジャー]]世代の存在を印象付けた。エルヴィス・プレスリーを慕うミュージシャンに、[[ドイツ]]の[[オペラ]]歌手[[ペーター・ホフマン]]らがいる。 [[1977年]]に[[ジミー・カーター]]大統領は「エルヴィス・プレスリーの死は、我が国から大事な一部分を奪いとったようなものだ。彼の音楽とその個性は白人の[[カントリー音楽]]と、黒人の[[リズム・アンド・ブルース]]のスタイルを融合させ、永久にアメリカの大衆文化の様相を変えてしまった。彼は、祖国アメリカの活力、自由、気質を世界の人々に植え付けるシンボルだった。」と語った。[[ジェームズ・ブラウン]]は「彼は白人のアメリカ人に目線を下げるということを教えた」という言葉を書き残している。 [[アメリカ内務省]]の[[ゲイル・ノートン]]長官は[[2006年]][[3月27日]]、プレスリーが約20年間を過ごした、[[テネシー州]][[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]の邸宅「グレイスランド」を国の国定史跡に認定した。認定の式典は一般公開で行われ、娘であるリサ・マリー・プレスリーも出席した。 == 交友関係 == === メンバー等 === * 70年代のプレスリーのバックバンドを務めたベースの[[ジェリー・シェフ]]はプレスリーから要請が来た時、最初は断るつもりで対面した。その理由はジェリーが、[[ブルース]]以外の音楽には興味がなかったからである。その場のセッションでエルヴィスがブルースをいじり始め、ジェリーはその歌い方に感銘を受け、バンドに参加する決心をしたという。しかし、ジェリーが本当に心を魅せられたのはプレスリーの温かい人柄であったという。雑用スタッフも決して邪険にせず、この曲は嫌いなどということも無かったという。プレスリーはジェリー・シェフにブルースのソロを振った際、ジェリーはブルース以外の曲も演ろうと思い(公演で何度もブルースは弾いてきたので)アドリブで[[ケイジャン (音楽)|ケイジャン]]を弾いた。それ以降、メンバー紹介の際には「[[フェンダー・プレシジョンベース|フェンダーベース]]のジェリー・シェフです。今夜は何を演ってくれるのでしょう?」とMCするようになった。 * ピアノのグレン・ハーディンは、プレスリーがリハーサルしていない曲をソロで振ってくることがあったため、それ以来、プレスリーにソロを要求されると思われる曲を練習していたという。 * プレスリー復帰後のショーで[[リズムギター]]を務めていた{{仮リンク|ジョン・ウィルキンソン (ギタリスト)|en|John Wilkinson (guitarist)|label=ジョン・ウィルキンソン}}は、元々は歌手であった。プレスリーは休憩時間などにジョンに歌ってもらい、リラックスしていたようである。1990年代に左半身不随になり、2度とギターは弾けなくなってしまった。 * プレスリーの友人で警備担当であるケネディ警部補が同じく警官であった弟を亡くした時、プレスリーは[[葬儀]]の資金を全額負担し、バックコーラスであったJ.D.サムナー&スタンプス・カルテットに[[ゴスペル (音楽)|ゴスペル]]を歌わせた。葬儀の際に野次馬で式が邪魔されるのを避けるため、プレスリーは警官の制服を着用し、他の参列した警官と共に式に出席した。 ==エピソード== * 身長については諸説ある。1958年の軍隊の記録では6[[フィート]](182[[㎝]])とされている。<ref>{{Cite web|url=https://web.archive.org/web/20120721012141/http://i14.tinypic.com/520vij5.jpg|title=Elvis army information|accessdate=January 8, 2020|publisher=Thehillbillycat}}</ref> これは[[靴]]を履いた状態での記録である。<ref>{{Cite web|url=https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcRJyMwhGcXpS1B_mUj-49oS0BdNKaL2gGhIcA&usqp=CAU|title=Elvis height|accessdate=January 8, 2021|publisher=Thehillbillycat}}</ref> 他に、彼が17歳の時の運転免許証の記録によると5フィート11インチ(180cm)とされている。 また、彼のコスチュームデザイナーは5フィート11.5インチ(181cm)であったと語っている。など様々な記録が残っているため、実際は靴を履いた状態で180cmから182cmであったと推測できる。 * 髪は茶褐色であるが黒く染めていた。 * 趣味は[[バッジ]]収集。 * [[ジェームズ・ディーン]]の大ファンで、目標としていた。ディーンの代表作「[[理由なき反抗]]」の台詞を全て覚え、周りを驚かしたこともある。ちなみに、プレスリーの代表作「[[闇に響く声]]」は、ディーンのために書かれた作品であった。評論家たちはこの作品を、プレスリーの映画の中で最良の演技をしたと言った。 * ホノルルの[[真珠湾|パール・ハーバー]]にある「アリゾナ記念館」は、プレスリーが1961年に行ったチャリティ・ショーによって建てられたものである。プレスリーによると「1日100万ドル使い続けても使い切れない」とのこと。友人には車や宝石を頻繁にプレゼントした。ただし、プレスリーはまるで日課のように多方面、数え切れないほどの多くの団体に寄付した。殆どが非公式や匿名で行われたものだった為、明確には把握出来ていない。 * プレスリーは友達だと思った人間には尽くすタイプだった。反対に「エルヴィスのお金や贈り物を求めて近付いてくる人間には、その姿勢に気付き距離を置いていたようである」とバンド・メンバーは回想している。 * [[アフリカ系アメリカ人]]に対する差別には反対であったが、全盛期の1950年代から[[1960年代]]にかけてアメリカ合衆国に広がった[[アフリカ系アメリカ人公民権運動]]には、関与しなかった。 [[File:Lisa Marie.jpg|right|220px|thumb|元自家用機の[[コンベア880]]「リサ・マリー」]] * [[モハメド・アリ]]と交流があった。二人は1973年に初めて会い、1977年まで交友が続いた。アリは、歌手ではサム・クックが一番好きで、2番目にエルヴィスを好きだったという。アリに金色のマントを送ったが、それを初めて着用して登場した試合で敗れたので、以後2度と着用することはなかったが、アリはそれを大事にした。アリは金色のマントをもらったので、お返しにプレスリーに金色のアリのサイン入りグローヴを送った。プレスリーもこれを大事にした。メンフィス・マフィアがプレスリーとファンの間に壁を作り、プレスリーをホテルの最上階に閉じ込めて、窓ガラスに銀紙を貼り、隔離していた。 * 現在グレイスランドには元自家用機の[[コンベア880]]「リサ・マリー」(機体記号N880EP)が展示されており、機体内部を含めて公開されているが、世界でも数機しかないコンベア880の現存機の内の1つでもある。この機体は[[1975年]]に[[デルタ航空]](当時の機体記号はN8809E)から購入したもので、没後の[[1979年]]に登録抹消されている。 * [[フォーミュラ1|「F1]]チームの元オーナーのクレイグ・ポロックがかなり古い[[ハーレーダビッドソン]]を約60万円で購入したところ、すぐ故障したので修理に出しシートを開けたらシートの裏に'''“親愛なるジェームズ・ディーンへ、エルビス・プレスリー”'''と書かれており、プレスリーからジェームズ・ディーンにプレゼントされたものとわかった為オークションに出展したところ、およそ1億2千万円の値がついた」との出所不明の逸話が日本でのみ広まっているが、ジェームズ・ディーンが事故で他界したのが1955年であり、エルヴィスが本格デビューしたのが1956年であることを鑑みても、キャリア絶頂期で世を去った1955年頃のディーンが、デビュー前のエルヴィスと親交していたとは考えにくい。また、二人が一緒に写るポートレイトなども(フェイク画像を除き)存在しない。 * 亡くなった際には、「我が国家の貴重な財産がもぎとられた」と、[[ジミー・カーター]]大統領が異例の追悼声明を発表している<ref>『20世紀全記録 クロニック』[[小松左京]]、[[堺屋太一]]、[[立花隆]]企画委員。[[講談社]]、1987年9月21日、p1122。</ref>。 === メンフィス === グレイスランドの前の通りはエルヴィス・プレスリー・ブールバード(大通り)という。世界中のプレスリーのファン、ファンクラブからの募金のみで運営しているセイント・パウロ・エルヴィス・プレスリー記念病院がある。 == 主な使用楽器 == ; [[マーティン (楽器メーカー)|マーティン]]D-18 : デビューから徴兵までコンサートで使い続けていたギター。RCAファースト・アルバムのジャケット写真(1955年フロリダ公演)など弦が切れた状態で演奏されていた。また、カントリー・ミュージシャンが使っていた革のギター・カバーを被せて使用した。ブリッジ・ピンを何度も紛失している。 : 1969年のステージ復帰後、長らくギブソン製を使っていたが、1977年のツアーで新品のD-18で演奏している。あまり弾きやすいギターではなかったようで、側近のレッド・ウェストとの電話で「新しいマーティンのギターが弾きにくい」と愚痴をこぼしている。 ; [[マーティン D-28]] : 主にテレビ・ショウで使用された。ドーシー・ショウやミルトン・バール・ショウで使用。 ; [[ギブソン・J-200]] : 映画「さまよう青春」、「闇に響く声」などで使用された。ボディが大容量なため、大音量が出せる。1968年のTV番組「エルヴィス」ではシット・ダウン・ショウで使用。 ; ギブソン・J-200(特注品) : 1960年にプレスリーが特注で作ったギターで、プレスリーがデザインした人工衛星が描かれたピックガードを装着していた。また、指板にはELVIS PRESLEYとインレイが施されている。1969年の公演再開から1971年までステージで使い続けた。「[[エルビス・オン・ステージ]]」でも確認できる。ストロークが激しいため、ギター上部(ピックガードの反対側)はピックで塗装面がかなり削れてしまっている。 ; [[ギブソン・ダヴ]](特注品) : 1971年からJ-200に代わって使用したギター。J-200と違い、スクエア・ショルダーとなっていて、角ばったデザインが特徴。DOVEという名称の由来のピックガードの鳩のプリントは無い、オール・ブラックのモデル。ピックガードは白とのプライ加工されており、縁取りが見えるようになっている。また、指板には筆記体でElvis Presleyとインレイが施されている。さらにアメリカ・ケンポー・カラテ協会のステッカーを貼っていた。 ; [[ギブソン・ハミングバード]] : 75年から76年にかけて使用していたギター。ピックガードにハチドリのプリントが施されている。ダヴと同じくスクエア・ショルダー・タイプ。 ; [[ギブソン・EDS-1275|ギブソン・EBS-1250]] : 6弦ベースと6弦ギターの[[ダブルネック・ギター|ダブルネック]]のモデル。通常のEBS-1250はドットインレイだが本モデルはレスポールやSGのような台形のインレイを採用した。アコギの様にヘッドにストラップを付けて映画「カリフォルニア万才」で使用。 ; ハグストロム・ヴァイキングII : テレビ・ショウの「エルヴィス」で使用したギターでワイン・レッドのモデル。スウェーデン製。非常に硬質で特徴的な音色。オープニング、スタンド・アップ・ショウなどで使用されたが、プレスリーの所有物ではなく、テレビ出演に当たって借り受けたもの。 ; [[グレッチ・カントリー・ジェントルマン|グレッチ 6122 カントリー・ジェントルマン]] : 69年から70年まで公演で使用したギター。[[チェット・アトキンス]]のシグネイチャー・モデルである。ホロウボディだがFホールはペイント。ドキュメンタリー映画「[[エルビス・オン・ステージ]]」のMGMリハーサル撮影の合い間にも使用している。同映画に収録されたインターナショナル・ホテルでの公演でも使用。公演ではイスに座り、このギターを弾きながら歌った。 ; [[フェンダー・プレシジョンベース]](オリジナル・プレシジョン・ベース) : 1957年5月3日、映画「監獄ロック」の劇中曲「ベイビー・アイ・ドント・ケア」を収録中に使用。ベーシストのビル・ブラックは[[ウッドベース]]奏者であり、与えられたエレクトリック・ベースを上手く扱うことができず、怒ってスタジオを出て行ってしまった。そこでプレスリーが投げ出されたこのプレシジョン・ベースを弾いた。1957年にリニューアルされる前の仕様。 == 記録 == プレスリーの記録には限りがないが、代表的なものや、興味深いものを挙げる。 === ギネス・ワールド・レコーズ編 === * '''世界で最も成功したソロ・アーティスト''' * 全米No.1シングル18曲(歴代3位)/全英18曲(歴代1位) * 最多ゴールド、プラチナ、マルチ・プラチナレコード獲得数:140タイトル * 全米No.1アルバム9作/全英6作 * 全米チャート入りレコード149作/全英98作 * シングル発売133枚 * 最も長期に渡ってNo.1アルバムをチャートに送り込んだアーティスト(1956〜2002年)初のNo.1アルバム「エルヴィス・プレスリー登場!(1956)」から「ELVIS(2002年)」まで。 * 最多ヒットシングル記録(151曲)ビルボードtop100へのエントリー回数151回は最多。 * 1日で最もレコードを売ったアーティスト(エルヴィス・プレスリー/死の翌日、1977年8月17日) 2,000万枚以上の売り上げ。プレスリーの死の衝撃が物語れる。 * 世界に最もファンクラブが多いアーティスト(エルヴィス・プレスリー)世界で(死後にもかかわらず)625のファンクラブが現在活動中である。 * 世界で最も訪問される墓(グレイスランド) エルヴィスの墓であるグレイスランドは、年間約70万人が訪れる墓。死後18年にあたる1995年には、歴代最多の753,965人が訪れた。アメリカの国定史跡。 === 統計、評論家などによる投票 === ; [[ロックの殿堂]](エルヴィス・プレスリー/米1986年) : 1986年、アメリカで始まったロックの殿堂は、ロック史上優れたアーティストやプロデューサーを登録している。プレスリーは第1回目で選ばれた。 ; [[UKミュージック・ホール・オブ・フェイム]](エルヴィス・プレスリー/英2004年) : 2004年、イギリスで始まった、UKミュージック・ホール・オブ・フェイム(音楽の殿堂)は、音楽史上優れたアーティストやプロデューサーを登録している。プレスリーは第1回目で選ばれた。2007年、この殿堂は資金不足のため、廃止された。 ; カントリーの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米1998年) : 1998年、[[カントリー・ミュージック協会]]により、カントリーの殿堂入りを果たした。伝統的な同教会が認めたことは、プレスリーの音楽の真価を証明するものだった。9月23日、[[テネシー州]]、[[ナッシュビル]]の[[グランド・オール・オープリー]]・ハウスで授賞式が行なわれた。 ; ゴスペルの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米2001年) : 2001年、[[ゴスペル・ミュージック協会]]により、ゴスペルの殿堂入りを果たした。11月27日に、テネシー州、フランクリンのピープルズ・チャーチで授賞式が行われた。ちなみにロックとカントリー、ゴスペルの3つの殿堂入りを果たしたのは、プレスリーと[[ジョニー・キャッシュ]]だけである。 ; 世界の音楽を最も変えた曲(エルヴィス・プレスリー/That's All Right) : イギリスの雑誌『Q』によって発表。音楽のジャーナリスト達の投票により決定。プレスリーの音楽の始まりであり、ロックの原点とも言われる曲「ザッツ・オール・ライト」が、「音楽と世界を永遠に変えた革新的な100曲」の第1位に選ばれた。2位はビートルズの「I Wanna Hold Your Hand」。 ; 死後、最も売り上げが多いアーティスト(エルヴィス・プレスリー) : 経済誌「Forbes」により毎年(10月下旬)発表。死んだ著名人の1年度の売り上げを順位付けしたものである。2001年から発表が始まり、プレスリーは2005年まで5年連続1位に輝いた。2006年は、カート・コバーンの著作権が売却されたことにより2位になったが、翌2007年には4900万ドル(約56億円)で再び首位を奪回し、2008年度も5200万ドル(約51億円)で1位になった。毎年大体50億〜60億あたりの売り上げを誇っている。 ; イギリスで最もヒットしたアーティスト(エルヴィス・プレスリー) : 「The Book Of British Hit Singles & Albums」が発表。プレスリーが「イギリスで1番売れたアーティスト・トップ100リスト」の第1位になった。1952年からのチャート・イン週間数の総計を基準としたものである。毎年発表される。上位には[[クイーン (バンド)|クイーン]]や[[クリフ・リチャード]]らがいる。 === 雑誌や一般による投票 === ; ロック史上最高の服装(エルヴィス・プレスリー/白いジャンプ・スーツ) : 約1万2千人の音楽ファンによって投票。「最高のロック・アウトフィットtop10」での投票で、プレスリーの「白いジャンプ・スーツ」が、ロック史上最高の服装として歴代第1位に選ばれた。2位は、[[カイリー・ミノーグ]]の「ゴールドのホット・パンツ」。 ; 最もサインに価値があるロック・ミュージシャン(エルヴィス・プレスリー) : カリフォルニア州のサイン専門誌「Autograph Magazine」により発表。最もサインに価値のあるロック・ミュージシャン第1位に、プレスリーが選ばれた。2位はビートルズの[[ポール・マッカートニー]]。 == ディスコグラフィ:アルバム == {{main|[[エルヴィス・プレスリーの作品#アルバム|エルヴィス・プレスリーのアルバム一覧]]}} 公式リリース音源の数は800曲を超える。 === Follow That Dreamレーベル === プレスリーがそのキャリアにおいて発表した曲の未発表テイクが数多く存在するが、プライベート録音を含め、すべての残されたプレスリーの音源を聴きたいというファンの要望に応えるべく立ち上げられたのが、主演映画のタイトルから引用した[[:en:Follow That Dream|Follow That Dream]]レーベルである。 このレーベルのアルバムは限定生産され、世界中の[[ファンクラブ]]に優先的に流通させるので一般のCDショップ等に出回りにくい。[[1999年]]に第一弾 ''{{en|Barbank'68}}''([[1968年]]のNBC-TVスペシャルのリハーサルの模様を収録)がリリースされた。以後、定期的に貴重な音源が次々とリリースされている。わずかだが一つの曲のすべてのテイクを聴くことが出来たり、コンサートアルバムはプレスリーのコンサートを体験することが出来なかったファンにも追体験出来るような内容になっている。 === オリジナルアルバム === {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- ! rowspan="2"| 発売年 ! rowspan="2"| アルバムタイトル ! colspan="3"|最高位 ! rowspan="2"| [[RIAA]] |- style="font-size:smaller;" ! width="60"| [[Top Country Albums|US Country]] ! width="60"| [[Billboard 200|US]] ! width="60"| [[UK]] |- | rowspan="2"| 1956 | align="left"| [[エルヴィス・プレスリー登場!]]([[:w:Elvis Presley (album)|Elvis Presley]]) | | 1 | 1 | Gold |- | align="left"| [[エルヴィス (エルヴィス・プレスリーのアルバム)|エルヴィス]]([[:w:Elvis (1956 album)|Elvis]]) | | 1 | 3 | Gold |- | 1957 | align="left"| [[エルヴィス・クリスマス・アルバム]]([[:w:Elvis' Christmas Album|Elvis' Christmas Album]]) | | 1 | 2 | 3× Multi-Platinum |- | rowspan="2"| 1960 | align="left"| [[エルヴィス・イズ・バック]]([[:w:Elvis Is Back!|Elvis Is Back!]]) | | 2 | 1 | Gold |- | align="left"| [[心のふるさと]]([[:w:His Hand in Mine|His Hand in Mine]]) | 7 | 13 | 3 | Platinum |- | 1961 | align="left"| [[歌の贈り物 (エルヴィス・プレスリーのアルバム)|歌の贈り物]]([[:w:Something for Everybody|Something for Everybody]]) | | 1 | 2 | Gold |- | 1962 | align="left"| [[ポット・ラック]]([[:w:Pot Luck (album)|Pot Luck]]) | | 4 | 1 | |- | 1967 | align="left"| [[ゴールデン・ヒム]]([[:w:How Great Thou Art (Elvis Presley album)|How Great Thou Art]]) | 7 | 18 | 11 | 2× Multi-Platinum |- | 1969 | align="left"| [[エルヴィス・イン・メンフィス]]([[:w:From Elvis in Memphis|From Elvis in Memphis]]) | 2 | 13 | 1 | Gold |- | 1970 | align="left"| [[バック・イン・メンフィス]]([[:w:From Memphis to Vegas/From Vegas to Memphis|Back in Memphis]]) | | | | |- | rowspan="3"| 1971 | align="left"| [[エルヴィス・カントリー]]([[:w:Elvis Country (I'm 10,000 Years Old)|Elvis Country (I'm 10,000 Years Old)]]) | 6 | 12 | 6 | Gold |- | align="left"| [[ラヴ・レター・フロム・エルヴィス]]([[:w:Love Letters from Elvis|Love Letters from Elvis]]) | 12 | 33 | 7 | |- | align="left"| [[初めてのクリスマス]]([[:w:Elvis Sings the Wonderful World of Christmas|Elvis Sings the Wonderful World of Christmas]]) | 13 | | | 3× Multi-Platinum |- | rowspan="2"| 1972 | align="left"| [[エルヴィス・ナウ]]([[:w:Elvis Now|Elvis Now]]) | 45 | 43 | 12 | Gold |- | align="left"| [[至上の愛 (エルヴィス・プレスリーのアルバム)|至上の愛]]([[:w:He Touched Me|He Touched Me]]) | 32 | 79 | 38 | Platinum |- | rowspan="2"| 1973 | align="left"| [[フール (エルヴィス・プレスリーのアルバム)|フール]]([[:w:Elvis (1973 album)|Elvis]]) | 8 | 52 | 16 | |- | align="left"| [[ロックン・ロール魂]]([[:w:Raised on Rock/For Ol' Times Sake|Raised on Rock/For Ol' Times Sake]]) | | 50 | | |- | 1974 | align="left"| [[グッド・タイムス]]([[:w:Good Times (Elvis Presley album)|Good Times]]) | 5 | 90 | 42 | |- | rowspan="2"| 1975 | align="left"| [[約束の地 (エルヴィス・プレスリーのアルバム)|約束の地]]([[:w:Promised Land (Elvis Presley album)|Promised Land]]) | 1 | 47 | 21 | |- | align="left"| [[エルヴィス・トゥデイ]]([[:w:Today (album)|Today]]) | 4 | 57 | 48 | |- | 1976 | align="left"| [[メンフィスより愛をこめて]]([[:w:From Elvis Presley Boulevard, Memphis, Tennessee|From Elvis Presley Boulevard, Memphis, Tennessee]]) | 1 | 41 | 29 | Gold |- | 1977 | align="left"| [[ムーディ・ブルー]]([[:w:Moody Blue|Moody Blue]]) | 1 | 3 | 3 | 2× Multi-Platinum |- |} === ライブ・アルバム === {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- ! rowspan="2"| 発売年 ! rowspan="2"| タイトル ! colspan="2"| 最高位 ! rowspan="2"| [[RIAA]] |- style="font-size:smaller;" ! width="60"| [[:en:Top Country Albums|US Country]] ! width="60"| [[Billboard 200|US]] |- | 1968 | align="left"| [[ELVIS|エルヴィスNBC TVスペシャル]](Elvis NBC-TV Special) | | 8 | プラチナ |- | rowspan="3"| 1970 | align="left"| [[エルヴィス・オン・ステージVol.3]](Elvis in Person at the International Hotel) | | | ゴールド |- | align="left"| [[エルヴィス・オン・ステージVol.2]](On Stage: February 1970) | 13 | 13 | プラチナ |- | align="left"| [[エルヴィス・オン・ステージVol.1]](That's the Way It Is) | 8 | 21 | ゴールド |- | 1972 | align="left"| [[エルヴィス・イン・ニューヨーク]]([[:w:Elvis: As Recorded at Madison Square Garden|Elvis: As Recorded at Madison Square Garden]]) | 22 | 11 | 3× マルチ-プラチナ |- | 1973 | align="left"| [[アロハ・フロム・ハワイ|エルヴィス・イン・ハワイ]]([[:w:Aloha from Hawaii: Via Satellite|Aloha from Hawaii: Via Satellite]]) | 1 | 1 | 5× マルチ-プラチナ |- | 1974 | align="left"| [[ライヴ・イン・メンフィス (エルヴィス・プレスリーのアルバム)|ライヴ・イン・メンフィス]]([[:w:Elvis: As Recorded Live on Stage in Memphis|Elvis: As Recorded Live on Stage in Memphis]]) | 2 | 33 | ゴールド |- | 1977 | align="left"| [[エルヴィス・イン・コンサート′77]]([[:w:Elvis in Concert (album)|Elvis in Concert]]) | 1 | 5 | 3× マルチ-プラチナ |- | 1997 | align="left"| [[エルヴィス・イン・ニューヨーク|アフタヌーン・イン・ザ・ガーデン]](An Afternoon in the Garden) | | | |- | rowspan="3"| 1998 | align="left"| [[アロハ・フロム・ハワイ]](Aloha From Hawaii - Via Satellite) | | | |- | align="left"| [[ELVIS|タイガーマン〜NBC・ライヴ 1968]](Tiger Man) | | | |- | align="left"| [[ELVIS|メモリーズ〜'68カムバック・スペシャル]](Memories: The '68 Comeback Special) | | | |- | 1999 | align="left"| [[エルヴィス・ザ・コンサート〜1999ワールド・ツアー]](Concert 1999 World Tour) | | | |- | rowspan="2"| 2001 | align="left"| [[グレイテスト・ヒッツ・ライヴ (エルヴィス・プレスリーのアルバム)|グレイテスト・ヒッツ・ライヴ]](The Live Greatest Hits) | | | |- | align="left"| [[エルヴィス・ライヴ・イン・ラスベガス]](Live In Las Vegas) | | | |- | 2007 | align="left"| [[VIVA LAS VEGAS グレイテスト・ラスヴェガス・パフォーマンス]](Elvis: Viva Las Vegas) | | 54 | |- | 2008 | align="left"| [[ELVIS|68カムバック・スペシャル・ボックス 40周年記念エディション]](The Complete '68 Comeback Special: 40th Anniversary Edition) | | | |- | 2012 | align="left"| [[エルヴィス・イン・ニューヨーク|エルヴィス・イン・ニューヨーク 40周年記念エディション]](Prince from Another Planet) | | 187 | |} == シングル・ディスコグラフィー == {{main|[[エルヴィス・プレスリーの作品#シングル|エルヴィス・プレスリーのシングル一覧]]}} プレスリーが1977年に亡くなるまでの21年間に、146曲が100位以内に、112曲が40位以内に、72曲が20位以内に、38曲が10位以内にチャートインした。1962年4月21日から2週連続で1位を獲得した「[[グッド・ラック・チャーム]]」を最後にプレスリーは1位から遠ざかったが、[[1969年]][[11月1日]]、「サスピシャス・マインド」が1位を獲得し、「プレスリーの復活」と言われた。1972年10月28日には「[[バーニング・ラヴ (エルヴィス・プレスリーの曲)|バーニング・ラヴ]]」が2位まで上り詰めたが、[[チャック・ベリー]]の「マイ・ディンガリング」([[1972年]][[10月21日]]から2週連続1位)に阻止された。 [[1970年代]]においてはプレスリーは一度も1位を取ることはなかったが、[[2002年]]にリメイクされた「[[おしゃべりはやめて|ア・リトル・レス・カンヴァセーション]]」は世界24カ国でナンバー1を取得した。アメリカにおいて1位を獲得したシングルの数は18作〈計79週間〉で、ビートルズの20作〈計59週間〉、マライア・キャリーの19作〈計82週間〉に次ぐ歴代3位の記録となっている([[Billboard]]誌に準拠)。 [[ロックの殿堂|ロックン・ロール]](1986年殿堂入り)、カントリー(1998年殿堂入り)、ゴスペル・ミュージック(2001年殿堂入り)の3部門のいずれも殿堂入りした初のアーティストとなった。また、今のところ楽曲においては3回(通算5回)グラミー賞を受賞しているが、3回ともロック部門ではなくゴスペル部門においての受賞であり、プレスリーは終生この事を誇りにした。 === 全米ナンバー1獲得曲 === ナンバー1ヒットは全18曲、合計79週間である。曲数は[[ビートルズ]]、[[マライア・キャリー]]に次ぐ歴代3位である。週間数に関しては[[マライア・キャリー]]に次ぐ歴代2位である。([[:en:List of Billboard Hot 100 chart achievements and milestones#Most cumulative weeks at number one]]) * [[ハートブレイク・ホテル]]({{en|Heartbreak Hotel}})[[1956年]] 7週間連続1位 * [[アイ・ウォント・ユー、アイ・ニード・ユー、アイ・ラヴ・ユー]]({{en|I Want You,I Need You,I Love You}})1956年 1週間1位 * [[ハウンド・ドッグ (曲)|ハウンド・ドッグ]]({{en|Hound Dog}})1956年 11週間連続1位 * [[冷たくしないで]]({{en|Don’t Be Cruel}})1956年 11週間連続1位(Hound DogのB面) * [[ラヴ・ミー・テンダー (エルヴィス・プレスリーの曲)|ラヴ・ミー・テンダー]]({{en|Love Me Tender}})1956年 5週間連続1位 * [[ノート:Too Much|トゥー・マッチ]]({{en|Too Much}})[[1957年]] 3週間連続1位 * [[恋にしびれて]]({{en|All Shook Up}})1957年 8週間連続1位 * [[テディ・ベア (エルヴィス・プレスリーの曲)|テディ・ベア]]({{en|(Let Me Be Your) Teddy Bear}})1957年 7週間連続1位。エルヴィスは「なぜこんな曲が7週もNo.1になったのか」と疑問に思ったという。 * [[監獄ロック]]({{en|Jailhouse Rock}})1957年 7週間連続1位 * ドントまずいぜ({{en|Don’t}})1957年 5週間連続1位 * [[冷たい女]]({{en|Hard Headed Woman}})[[1958年]] 1週間1位 * [[恋の大穴]]({{en|A Big Hunk o’ Love}})[[1959年]] 2週間連続1位 * [[本命はお前だ]]({{en|Stuck On You}})[[1960年]] 4週間連続1位 * [[オー・ソレ・ミオ|イッツ・ナウ・オア・ネバー]]({{en|It’s Now or Never}})1960年 5週間連続1位 * [[今夜はひとりかい?]]({{en|Are You Lonesome Tonight?}})1960年 6週間連続1位 * [[サレンダー (エルヴィス・プレスリーの曲)|サレンダー]]({{en|Surrender}})1960年 2週間連続1位 * [[グッド・ラック・チャーム]]({{en|Good Luck Charm}})[[1961年]] 2週間連続1位 * [[サスピシャス・マインド]]({{en|Suspicious Minds}})[[1969年]] 1週間1位 === 主なシングル === * [[フール・サッチ・アズ・アイ]]({{en|(Now and Then There's) A Fool Such as I}})1959年 全米2位、全英1位 * アイ・ニード・ユア・ラヴ・トゥナイト、全米4位 * 思い出の指輪 * ワン・ナイト * 悲しき悪魔、1963年、全米3位 * ラブ・ミー * アイ・ガット・スタング * ドント・クライ・ダディ * あの娘が君なら * リトル・シスター * 望みがかなった * マリーは恋人 * 破れたハートを売り物に * アスク・ミー * 明日への願い * [[好きにならずにいられない]]({{en|Can’t Help Falling in Love}})1961年 全米2位、全英1位 * [[心の届かぬラヴ・レター]](リターン・トゥ・センダー)({{en|Return to Sender}})[[1962年]] 全米2位、全英1位 * クライング・イン・ザ・チャペル、1965年、全米3位 * [[イン・ザ・ゲットー]]({{en|In the Ghetto}})1969年 全米3位、全英1位 * ワンダー・オブ・ユー<ref>{{cite web|url=http://www.officialcharts.com/chart-news/the-official-top-50-biggest-selling-elvis-presley-singles-revealed__10564/|title=Elvis Presley's Top 50 biggest selling songs revealed|last=Copsey|first=Rob|publisher=Official Charts Company| accessdate=30 July 2022}}</ref>、1970年 * [[バーニング・ラヴ (エルヴィス・プレスリーの曲)|バーニング・ラヴ]]({{en|Burning Love}})1972年 全米2位、全英7位 * [[オールウェイズ・オン・マイ・マインド]]({{en|Always on My Mind}})1972年 全英9位 * アメリカの祈り(アメリカン・トリロジー)、1973年、全米26位 * ロックンロール魂 === その他の楽曲 === * ブルー・ハワイ * ビバ・ラスベガス * GIブルース * サスピション == フィルモグラフィ == 映画は駄作がほとんどである。ただし「オン・ステージ」「オン・ツアー」の2作のライブ映画だけは、内容が充実している。32本の映画出演作(ドキュメンタリーを除く)全てが主役。 * [[やさしく愛して]] ''{{en|Love Me Tender}}''(1956年) * [[さまよう青春]] ''Loving You''(1957年) * [[監獄ロック (映画)|監獄ロック]] ''{{en|Jailhouse Rock}}''(1957年) * [[闇に響く声]] ''{{en|King Creole}}''(1958年) * [[G.I.ブルース]] ''{{en|G.I. Blues}}''(1960年) * [[燃える平原児]] ''{{en|Flaming Star}}''(1960年) * [[嵐の季節]] ''{{en|Wild in the Country}}''(1961年) * [[ブルー・ハワイ (映画)|ブルー・ハワイ]] ''{{en|Blue Hawaii}}''(1961年) * [[夢の渚]] ''{{en|Follow That Dream}}''(1962年) * [[恋のKOパンチ]] ''{{en|Kid Galahad}}''(1962年) * [[ガール!ガール!ガール! (映画)|ガール!ガール!ガール!]] ''{{en|Girls! Girls! Girls!}}''(1962年) * [[ヤング・ヤング・パレード]] ''{{en|It Happened at the World's Fair}}''(1963年) * [[アカプルコの海]] ''{{en|Fun in Acapulco}}''(1963年) * [[キッスン・カズン]] ''{{en|Kissin' Cousins}}''(1963年) * [[ラスベガス万才]] ''{{en|Viva Las Vegas}}''(1964年) * [[青春カーニバル]] ''{{en|Roustabout}}''(1964年) * [[フロリダ万才]] ''{{en|Girl Happy}}''(1965年) * [[いかすぜ!この恋]] ''{{en|Tickle Me}}''(1965年) * [[ハレム万才]] ''{{en|Harum Scarum}}''(1965年) * [[フランキーandジョニー]] ''{{en|Frankie and Johnny}}''(1966年) * [[ハワイアン・パラダイス]] ''{{en|Paradise, Hawaiian Style}}''(1966年) * [[カリフォルニア万才]] ''{{en|Spinout}}''(1966年) * [[ゴー!ゴー!ゴー!]] ''{{en|Easy Come, Easy Go}}''(1967年) * [[ダブル・トラブル]] ''{{en|Double Trouble}}''(1967年) * [[ブルー・マイアミ]] ''{{en|Clambake}}''(1967年) * [[ステイ・アウェイ・ジョー]] ''{{en|Stay Away, Joe}}''(1968年) * [[スピードウェイ (映画)|スピードウェイ]] ''{{en|Speedway}}''(1968年) * [[バギー万才!!]] ''{{en|Live a Little, Love a Little}}''(1968年) * [[殺し屋の烙印]] ''{{interlang|en|Charro!}}''(1969年) * [[トラブル・ウィズ・ガール]] ''{{en|The Trouble with Girls}}''(1969年) * [[チェンジ・オブ・ハビット]] ''{{en|Change of Habit}}''(1969年) * [[エルビス・オン・ステージ]] ''{{en|Elvis: That's the Way It Is}}''(1970年)、ライブ・ドキュメンタリー映画 * [[エルビス・オン・ツアー]] ''{{en|Elvis on Tour}}''(1972年)、ライブ・ドキュメンタリー映画 == プレスリーを扱った作品 == === プレスリー本人が描かれた作品 === * TV映画『[[ザ・シンガー]]』''Elvis''(1979年) - 彼の生涯を描いたストレートな伝記作品。プレスリーを[[カート・ラッセル]]が演じる。 * 舞台『ACT ELVIS PRESLEY』(1997年) - [[加藤直]]の演出で、主演・[[沢田研二]]の一人芝居でプレスリーの生涯を描く。 * 映画『[[エルヴィスとニクソン]]』''Elvis Meets Nixon''(1997年) - プレスリーとニクソン大統領との会合を描いた作品。プレスリーをリック・ピータースが演じる。 * TV映画『ELVIS エルヴィス』''Elvis''(2005年) - スターになる以前のプレスリーから描いた伝記映画。プレスリーを演じた[[ジョナサン・リース=マイヤーズ]]は[[ゴールデン・グローブ賞]] 主演男優賞(ミニシリーズ部門)を受賞。 * Viva Elvis(ビバ・エルビス) - 2010年2月19日から2012年8月31日まで[[ラスベガス]]のアライアで公演されていた[[シルク・ドゥ・ソレイユ]]のショー。約30曲の代表曲と生前のプレスリーの映像とパフォーマンスを組み合わせた構成となっていた。 * 映画『[[エルヴィスとニクソン 〜写真に隠された真実〜]]』''Elvis & Nixon''(2016年) - プレスリーとニクソン大統領との会合を描いた作品。プレスリーを[[マイケル・シャノン]]が演じる。 * ドキュメンタリー映画『[[:en:The King (documentary)|The King(原題)]]』(2017年) - プレスリーのドキュメンタリー。日本未公開。 * 映画『[[エルヴィス (映画)|エルヴィス]]』 ''Elvis''(2017年) - プレスリーの伝記映画。[[オースティン・バトラー]]がプレスリーを演じる。 * 映画''[[プリシラ (2023年の映画)|Priscilla]]'' (2023年) - 、[[プリシラ・プレスリー]]の自伝『私のエルヴィス』を原作とした映画。[[ジェイコブ・エロルディ]]がプレスリーを演じる。 === プレスリーに関連した作品 === * 映画『[[フォレスト・ガンプ/一期一会]]』 - 無名時代のプレスリーがガンプの家に泊まり、背骨の固定装置を足に着けたガンプの動きにヒントを得て独自のステージパフォーマンスを編み出すというくだりがある。また、劇中でガンプの母親が「子どもの見るものではない」と当時のプレスリーに対する親の考えが表されている。 * 映画『[[ミステリー・トレイン]]』([[ジム・ジャームッシュ]]) - プレスリーのゆかりの地としてメンフィスを訪れる若い日本人観光客のカップルのエピソードが含まれている。女の子のミツコはプレスリーに心酔している。プレスリーの亡霊が登場したり、ラジオからプレスリーの曲が流れたりもする。 <!--* 映画『[[スコーピオン (映画)|スコーピオン』 - 本当にこれであっているのかわからないのでコメントアウト - 主人公ら5人の強盗グループがラスベガスで開催されているエルヴィス・プレスリーそっくりさんコンテストの会場にジャンプスーツ姿で現れ、騒ぎに乗じて金を盗み出す場面がある。---> * 映画『[[プレスリーVSミイラ男]]』''Bubba Ho-Tep''(2006年) - 主人公は[[ブルース・キャンベル]]が演ずるプレスリー。プレスリーは現在も、人知れず南部のとある老人ホームで余生を送っており、1977年に亡くなったのは実はそっくりさんだったという設定。 *[[ポール・サイモン]] - [[1986年]]に発表されたアルバム『[[グレイスランド]]』、及びそのタイトル曲は、エルヴィスの家の影響を受けている。タイトル曲は、後に[[グラミー賞]]を獲得した。 <!--* 映画『[[ハートブレイク・ホテル]]』(1988年、クリス・コロンバス監督、デヴィット・キース、チューズデイ・ウェルド、チャーリー・シュラッター)、映画『[[グレイスランド]]』(1998年米、デヴィッド・ウィンクラー監督、ハーベイ・カイテル)など、プレスリーに対するオマージュを描いた映画作品は多数ある。あまりに抽象的--> * TVシリーズ『[[フルハウス (1987年のテレビドラマ)|フルハウス]]』 - 大のプレスリー・ファンであるジェシー・カツォポリス({{en|Jesse Katsopolis}})が主役。作品の随所にプレスリー関連のネタが登場する。1度だがラスベガスへ行ったときには「ラスベガス万才」と同じ空撮の映像に[[ジョン・ステイモス]]が歌った「Viva Las Vegas」が流れる。また、まだ母体の中に居る段階の子供に生まれるまでずっとプレスリーの曲を聞かせようとしたり、子供部屋の装飾を全てプレスリーグッズにしようとするエピソードもあった(結果的には未遂に終わるが)。また初期はプレスリーを模した髪形をしていた。 * TVシリーズ『[[俺がハマーだ!]]』- プレスリー似た者コンテストの優勝者が次々と撲殺される事件が起き、[[おとり捜査]]のために主人公ハマー刑事がコンテストに出場するエピソードがある。 * [[ジャック・ウォマック]]の小説''{{en|Ambient}}''や''{{en|Elvissey}}''(ともに未訳)で描かれる近未来世界では、プレスリーの復活を信じるE教会({{en|the Chirch of E}})という宗教が登場する。''{{en|Elvissey}}''では、E教会の信者たちが、プレスリーのそっくりさんファッションに身を固めて、{{en|Elcon}}という集会を開催するシーンがある。 * 映画『[[トゥルー・ロマンス]]』''True Romance''(1993年) - プレスリーのファンである主人公を励ます幻影として登場する。[[ヴァル・キルマー]]が演じた。 * 映画『[[メン・イン・ブラック (映画)|メン・イン・ブラック]]』 - [[トミー・リー・ジョーンズ]]が車内でプレスリーの歌をかけるシーンで[[ウィル・スミス]]が「エルヴィスは死んだんだぞ」と言うと「死んでないよ、故郷の星に帰ったのさ」と返すシーンがある。 <!--先に映画の項目をつくること*映画『[[ハネムーン・イン・ベガス]]』で、恋人を取られそうになる主人公(ニコラス・ケイジ)が、彼女を追って、ベガスに行くために“フライング・エルビス(Flying Elvisses)”なるグループに参加。空中から、プレスリーの衣装で(白いフリンジのつなぎ)スカイダイブして着陸というパフォーマンス。---> * 映画『[[トラブル IN ベガス]]』''Elvis Has Left the Building''(2004年) - エルヴィス・プレスリーのコスプレをした人物が次々に登場し、次々に死んでいく。 * 映画『[[エルヴィス、我が心の歌]]』''The Last Elvis''(2012年) - プレスリーのトリビュートアーティストの物語。 * 映画『[[スティーラーズ (2013年の映画)|スティーラーズ]] 』''Pawn Shop Chronicles''(2013年) - プレスリーのトリビュートアーティストが主要人物として登場する。 * 映画『[[ボス・ベイビー]]』''The Boss Baby''(2017年) - プレスリーに扮した何十人もの男が登場する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0098259|title=宮野真守、何十人ものエルヴィス・プレスリー役!衝撃シーン公開|publisher=シネマトゥデイ|date=2018-02-08|accessdate=2018-04-10}}</ref>。 * [[能]]『Blue Moon Over Memphis』 - 米国人劇作家[[:en:Deborah Brevoort|Deborah Brevoort]]による2001年の英語能作品<ref>[https://www.deborahbrevoort.com/blue-moon-over-memphis/ Blue Moon Over Memphis] Deborah Brevoort</ref>。エルビスの邸宅グレイスランドを訪れた熱烈な女性ファンの前にエルビスの霊が現れるという作品で、日本語を母語としない能の研究者を中心に結成されている「シアター能楽」により2000年代より米国で演じられている<ref name=theatrenogaku>[https://www.youtube.com/watch?v=NQpNmYbIVxY Blue Moon Over Memphis (Introduction)] Theatre Nohgaku 2016/03/21</ref><ref>[https://www.waseda.jp/inst/sgu/news/2019/03/22/4969/ 能を英語で上演――”Blue Moon Over Memphis” UCLAにて共催] 早稲田大学、2019/03/22</ref>。日本の能面師が制作したエルビスの面を使用<ref name=theatrenogaku/>。 * 映画『[[リロ・アンド・スティッチ]]』''Lilo & Stitch''(2003年) - 主人公リロがプレスリーのファンであり、劇中音楽にプレスリーの楽曲が使用され、スティッチが鬘とファッションでプレスリーに扮してギターを披露する場面がある。 == 日本語文献 == : ※近年刊行の一部。 * [[ピーター・グラルニック]] 『エルヴィス伝 復活後の軌跡 1958-1977』三井徹訳 [[みすず書房]]、2007年 大著 * アルフレッド・ワートハイマー撮影・文 『エルヴィス・プレスリー 21歳の肖像』夏目大訳 青志社 2007年 大著の写真集 * 『SCREEN特別編集 エルヴィス・プレスリーの伝説』 [[近代映画社]] 2005年 * 『文藝別冊 エルヴィス・プレスリー』 <KAWADE夢ムック>[[河出書房新社]] 2003年 * ボビー・アン・メイソン 『エルヴィス・プレスリー』外岡尚美訳<ペンギン評伝双書>[[岩波書店]] 2005年 * 前田絢子『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』[[角川学芸出版|角川選書]] 2007年 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{commons&cat|Elvis Presley}} {{ウィキポータルリンク|音楽|[[画像:Xmms.png|45px|ウィキポータル 音楽]]}} * [[ロックミュージシャンの一覧]] * [[ジェームズ・バートン]] * [[スコティ・ムーア]] * [[ゴスペル (音楽)|ゴスペル]] * [[R&B]] * [[カントリー・ミュージック]] * [[ブルース]] == 外部リンク == * {{Official website|https://www.shopelvis.com/}} * {{allcinema name|290068|エルヴィス・プレスリー}} * {{Kinejun name|3106|エルヴィス・プレスリー}} * {{IMDb name|0000062|Elvis Presley}} * {{Discogs artist|Elvis Presley|Elvis Presley}} * [https://www.elvisfind.com/ Elvis Presley Search Engine & Portal] * [https://www.elvisinfonet.com/ The Elvis Information Network] - News, Reviews, Interviews & Articles. Updated daily - An Award winning website. * [http://www.always-the-king.de/ Always The King]: Elvis fansite in German and English. * [https://www.elvisnews.com/ ElvisNews]: Updated several times a day, this website gives you a summary of every Elvis-related news around the world. * [https://elvis-aron-presley.nl/ Elvis Aron Presley]: Fansite. * [http://news.bbc.co.uk/1/hi/scotland/3559331.stm BBC News article] on Elvis Presley's Scottish roots * [http://www.elvisinhawaii.com/ Elvis in Hawaii]: Information about the Aloha from Hawaii show(1973) and the Hawaiian movies. * [http://www.hotshotdigital.com/WellAlwaysRemember/ElvisPresley.html Elvis Presley: The King] on Hotshotdigital.com * {{Wayback|url=https://fiftiesweb.com/elvis.htm |title=Elvis Presley - The Early Years|date=20140213070211}} Emphasis on Elvis' career in the '50s and '60s * [https://ci.nii.ac.jp/naid/40004863565/ Rockabillyとは何か〜Elvis PresleyのSUN時代の楽曲分析 (国立情報学研究所CiNii内の論文情報)] * [https://lovemetender.jp/ エルヴィス・プレスリー・オフィシャル・グッズ・ショップ - LOVE ME TENDER] {{Normdaten}} {{エルヴィス・プレスリー}} {{DEFAULTSORT:ふれすりい えるういす}} [[Category:エルヴィス・プレスリー|*]] [[Category:アメリカ合衆国のロック歌手]] [[Category:アメリカ合衆国のポップ歌手]] [[Category:20世紀アメリカ合衆国の音楽家]] [[Category:アメリカ合衆国の男優]] [[Category:20世紀アメリカ合衆国の男優]] [[Category:ロックンロール・ミュージシャン]] [[Category:アメリカ先住民のミュージシャン]] [[Category:ロックの殿堂入りの人物]] [[Category:カントリー・ミュージックの殿堂入りの人物]] [[Category:ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム]] [[Category:オリコン年間アルバムチャート1位獲得アーティスト]] [[Category:RCAレコードのアーティスト]] [[Category:サン・レコードのアーティスト]] [[Category:グラミー賞受賞者]] [[Category:アメリカ合衆国のギネス世界記録保持者]] [[Category:アメリカ合衆国陸軍の軍人]] [[Category:双子の芸能人]] [[Category:ドイツ系アメリカ人]] [[Category:フランス系アメリカ人]] [[Category:イングランド系アメリカ人]] [[Category:スコットランド系アメリカ人]] [[Category:アイルランド系アメリカ人]] [[Category:ミシシッピ州の人物]] [[Category:1935年生]] [[Category:1977年没]]
2003-02-02T05:38:41Z
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カーペンターズ
カーペンターズ(英: Carpenters)は、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス出身の兄妹が中心メンバーのポップ・ミュージック・グループ。ピアノとアレンジを兄のリチャードが受け持ち、ヴォーカル(初期はドラムスも)を妹カレンが担当した。ロック全盛の1970年代において独自の音楽スタイルを貫き、大きな成功を収めた。1983年のカレンの死により活動を終えた。 代表曲に「遥かなる影」、「雨の日と月曜日は」、「スーパースター」、「イエスタデイ・ワンス・モア」、「トップ・オブ・ザ・ワールド」、「青春の輝き」等がある。 1970年代を中心に、アメリカのラジオ番組『アメリカン・トップ40』やアダルト・コンテンポラリー・チャートでの記録を塗り替え、ソフトロックやイージーリスニング、アダルト・コンテンポラリー・ミュージックといったジャンルにおける主要なヒットメーカーとなった。Billboard Hot 100で1位となったシングルが3曲、アダルト・コンテンポラリー・シングル・チャートで1位が15曲ある。さらに、トップ10入りは12曲に及ぶ。アルバム・シングルの総売上枚数は1億枚を上回るとされている。 14年間の活動で、11枚のアルバム(うち『close to you』『カーペンターズ』『ア・ソング・フォー・ユー』『ナウ・アンド・ゼン』『緑の地平線〜ホライゾン』の5枚がトップ10シングル曲を収録)、31枚のシングル、5本のテレビ・スペシャル番組、テレビ・シリーズ番組を1本制作した。アメリカ本国をはじめ英国、日本、オーストラリア、オランダ、ベルギーなど世界各国でツアーを行った。 オリコンチャートブックの集計では1970年から1989年(いわゆるレコード時代)の日本での海外アーティスト別アルバム売上枚数はビートルズに次いで第2位である。シングル売上枚数は第1位。CD時代に入った後も、1995年発売のベスト盤『青春の輝き〜ベスト・オブ・カーペンターズ』が200万枚越えるセールスを記録する等、日本においても時代を超越して愛され続けているグループである。 カレンが、神経性無食欲症(いわゆる拒食症)の合併症による心停止のために死去してから、摂食障害の危険性の認識が深まったといわれている。 カーペンター兄妹は二人ともコネチカット州ニューヘイブンにある Grace–New Haven Hospital(現在のYale–New Haven Hospital)にてHarold Bertram(1908年11月8日 - 1988年10月15日没)とAgnes Reuwer(旧姓 Tatum、1915年3月5日 - 1996年11月10日没)の夫婦のもとに生まれた。 ハロルドは父(兄妹の祖父、イギリス人)が宣教師として赴任していた中国で生まれた。その後、一家は1917年にイギリスにもどり1921年にはアメリカに渡り、技術者として身を立てた。父方の祖母のネリーは美しく、歌声はとても大きくてきれいだった。 兄妹の母であるアグネス・テイタム・カーペンターは、ボルチモア出身で小売店を営む家庭の4人姉妹として生まれた。アグネスの父は姉妹たちに一生懸命働くことの大切さと勤労道徳をしっかり教え込んだ、アグネスはとても意志が強く、ウエディングドレスも自作し、子供を守り家事をきっちりこなす母親であった。二人は1935年4月9日に結婚、第二次世界大戦が終わり、アメリカ庶民が手頃な価格で家が買えるようになった頃、カーペンター夫妻は1946年、ニューヘイブンの郊外に家を購入した(55 Hall Street, New Haven)。ハロルドはNew Heaven pulp and board companyでカラー・プレス工として働いた。アグネスとハロルドは週末は車の洗車をして家庭が豊かになるように努めた。兄であるリチャードは1946年10月15日生まれで、ハロルドの兄弟の名をとり、Richard Lynnと名付けられた。3年後の1950年3月2日、妹Karen Anneが誕生した。 夫妻は子供を非常にかわいがったが、リチャードによると、夫婦は表だった愛情表現をあまり好まなかった。この関係がカレンがのちに神経性食思不信になった時に周囲から母親からの愛情が足りないのが原因と指摘された由縁である。しかし、リチャードが後にテレビ番組で「うちの家族は他の家族の様にHugging(何かの折に愛情確認のために抱きしめる)はしないが、お互いのことをちゃんと思いやっているんだ」とコメントした。 ハロルドは表立った愛情表現は下手であったが、音楽に対する感情表現を表すのは子供たちの前でもためらわなかった。ハロルドが集めた音楽はハリー・ジェイムス、レッド・ニコルズ、スパイク・ジョーンズ、チャイコフスキーやラフマニノフと多様で、これはリチャードが多種多様な音楽に触れるきっかけとなった。 リチャードはおとなしい子供で、ほとんどの時間をピアノを弾いたり音楽を聴いたりして家で過ごしていた。リチャードが3歳になるまでに興味を持ったのは、地下室でレコードプレーヤの前で何時間も音楽を聴くことであった。父は地下室の天井からブランコを吊るし、そこでカレンとリチャードはブランコに揺られながら音楽を聴いて育った。二人はいつも一緒でそれは生涯変わらなかった。リチャードは屋内で遊ぶのが好きであったが、カレンはかなりのおてんばで、よくソフトボールをして遊んでいた。リチャードは12歳の時にピアノを始め、16歳の時に近くのエール大学でピアノのレッスンを受けた。この頃になると、リチャードがミュージシャンとしての将来を目指していることは、近所の皆が感じていた。他の子供が外でローラー・スケートをしているころ、リチャードがピアノを練習している音が窓から聞こえたそうである。 母のアグネスはこの頃までには、リチャードがクラシック音楽でなく、何か違う音楽で身を立てると予感していたようで、毎日彼が練習するのを聞いていたという。 リチャードの音楽的才能に気づいた夫妻は、息子の音楽活動のためにハリウッドのある南カリフォルニアに引っ越すことを決断、友に別れを告げ、1963年6月、車に引っ越しの荷物を詰めてカリフォルニアを目指した。ハリウッドの中心ではなく、少し離れたダウニーに移り住んだ。ダウニーはニューヘイブンと同じく、郊外でミドルクラスといわれる家庭が住むのに適していた。彼が最初に住んだアパートは今もあり、リチャードはそこに1年以上いたといわれている。 カーペンター家はニューヘイブンの家が売れず、経済的に苦しかった。そのため家族は最初にShoji Apartments(現在はThe Pinecrest Apts、12020 Downey Avenue, Downey, CA)に移り住んだ。最初はShojiアパートの22号室であったが、数か月後に向かいの大きな23号室に移り、約1年間過ごした。 1965年の11月、父であるハロルドはようやくダウニーのフィドラー・アベニューに家族向けの一軒家を手に入れて移り住んだ。(リチャードはストーリーブック・ハウスと呼んでいる)この家が建っていた場所はパラマウントとベルフラワーの境界に位置していたため、高速105号線の建設でちょうどこの場所だけが取り壊され、歴史的建造物であることを惜しむ声も上がった。カーペンター一家はこのフィドラー・アベニューの家に1971年まで住み続けた。 リチャード・リン・カーペンターは1946年10月15日、妹カレン・アン・カーペンターは1950年3月2日生まれである。リチャードは父親の膨大なレコード・コレクションを聴き、ピアノの練習に熱心だった。。一方カレンは親しみやすく外向的でスポーツを好んだが、兄と一緒に音楽を聴くことも多かった。 1963年6月、両親のハロルドとアグネスは家族を連れてカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のダウニーに移り住んだ。リチャードを音楽業界へ近づけることと、カレンと父がニュー・イングランドの厳しい冬を嫌ったための移住であった。同年の秋からリチャードはダウニー高校へ通い、体育の代わりにバンドを選択科目とした。後にカレンも、これを参考にして選択を体育から音楽に変更した。音楽教師のブルース・ギフォードは、リチャードが「ラプソディ・イン・ブルー」を指示されて演奏するのを聴いて、リチャードのピアノ奏者としての才能を認めた。 翌年度からリチャードはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校へ通い、将来の作曲パートナーとなるジョン・ベティスと出会った。ベティスの協力のもとに、リチャードはやがて「トップ・オブ・ザ・ワールド」、「愛にさよならを」、「オンリー・イエスタデイ」といったヒット曲を生み出していく。またリチャード・カーペンター・トリオでベースやチューバを演奏することになるウェズリー・ジェイコブズや、1966年にクリスマス・ソングのスタンダード「メリー・クリスマス・ダーリン」を共作するフランク・プーラーらと知り合ったのもこの学校でのことである。 カレンは、1964年にダウニー高校へ入学し、ドラム演奏の才能を見せはじめた。カレンは、運動は好きだが体育の授業は嫌いだったと述べている。カレンは体育から逃れるため、カリフォルニア州立大学学生であったリチャードに、やはり同様に体育からマーチング・バンドを選択できるように、教師を紹介してもらい、結果、ダウニー高校マーチング・バンドの一員となることを認められた。1963年、リチャードを教えていた教師のブルース・ギフォードは、カレンにグロッケンシュピールを担当させたが、カレンは気に入らなかった。あるインタビューでカレンは、「演奏に不便で運びにくく、バンドの演奏よりも常に4分の1音高い音を出すことなどに苛立っていた」と述べている。 その後間もなくカレンは、友人でありバンド仲間のフランキー・チャベスからドラムの演奏を勧められ、チャベスのセットを借りてドラムを教わった。「基礎から始めて2人で何時間も練習したのだろう」とリチャードは語っている。1964年に両親からラディックのドラムセットを買って貰ったころには、カレンの腕前はプロ並みに上達しており、リチャードが後年のドキュメンタリー『リメンバー・ザ・カーペンターズ』("Close to You:Remembering the Carpenters")で語っているところによれば「エキゾティックな拍子記号の列を叩き出せるほどになっていた」という。 1965年まで1年間カレンはドラムの練習に励み、リチャードは教師フランク・プーラーの指導の下でピアノを練習した。兄妹はジャズ・トリオの結成を真剣に考えるようになり、親しくなったウェス・ジェイコブズとバンドを結成。ドラムはカレン、ピアノはリチャード、ベース/チューバはジェイコブズという編成のジャズ・トリオで、「リチャード・カーペンター・トリオ」と名乗った。1966年、トリオはハリウッド・ボウルで毎年行われていた "Battle of the Bands" (いわゆる対バン形式のコンテスト)に出場し、「イパネマの娘」のインストゥルメンタル・ヴァージョンや自作曲「アイス・ティー」を演奏した。1966年6月24日、トリオはこの大会で優勝し、RCAレコードとの契約を勝ち取った。そこで彼らはビートルズの「エヴリー・リトル・シング」やフランク・シナトラの「夜のストレンジャー」("Strangers in the Night")などといった曲を録音した。しかし、RCAとの契約はすぐに打ち切られる。 1966年、ロサンゼルスのベース奏者ジョー・オズボーンが所有していたガレージ・スタジオで深夜にセッションが行われることとなり、そこでオーディションを受けるトランペット奏者の伴奏を務めるために参加することとなったリチャードに、カレンも同行した。この時、ためしに歌ってみるようオズボーンから頼まれたカレンの声のすばらしさが認められ、1966年5月13日、カレンはオズボーンが立ち上げたばかりのレーベル、マジック・ランプ・レーベルとソロ・アーティストとしての短期レコード契約を結ぶこととなった。このレーベルからはリチャードが作曲した「ルッキング・フォー・ラヴ」("Looking for Love")と「アイル・ビー・ユアズ」("I'll Be Yours")を収録したシングルが制作されたが、レーベル自体がその後すぐに消滅。しかしオズボーンは、カレンとリチャードがA&Mレコードからのオファーを受けることとなる1969年まで、2人にデモ・テープの録音を続けさせた。 1967年、リチャードとカレンはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校の学生ミュージシャン4人と共に、「ザ・サマーチャイムズ」という名のセクステット(6重奏団)を結成した。やがて「スペクトラ」と改名し、最終的には「スペクトラム」の名に落ち着いた。グループはジョリー・ナイト・ステーキ・ハウスやウィスキー・ア・ゴーゴーなどで頻繁に演奏するようになった。スペクトラムはレコード会社と契約を交わせなかったが、同じバンドのメンバーであると同時に、のち1983年のカレンの死まで多くの楽曲の共作者となるジョン・ベティスと、リチャードは親交を深めた。 1968年、スペクトラム解散。リチャード・カーペンター・トリオのウェス・ジェイコブズは、ベースとチューバを演奏していたが、デトロイト交響楽団へ加入するためグループを去った(1970年首席チューバ奏者となった)。リチャードとカレンは1968年の中ごろにテレビ番組"Your All American College Show"から出演依頼を受けた。全国の大学からさまざまなグループを集めてコンテストに参加させるオーディション番組であった。兄妹はマーサ&ザ・ヴァンデラスの曲 "Dancing in the Street" で参加することとしたが、バンドを去ったジェイコブズの代わりとなるベース奏者が必要となり、オーディションを行った。結局、そのテレビ出演だけの臨時参加という形でビル・シショフが選ばれた。一時的なメンバーを加えたリチャード・カーペンター・トリオは1969年6月22日にテレビデビューを飾った。この演奏が、リチャードとカレンにとって初めてのテレビ出演でもあった。この出演を最後にリチャード・カーペンター・トリオは最終的に解散し、レコード会社からのオファーを待つこととなる。 当時はジミ・ヘンドリックスやビートルズ、ジャニス・ジョプリン、ローリング・ストーンズなどロックグループが主流だった。しかし、リチャードとカレンは自分たちの路線を貫き、二人は友人たちの手を借りながらさまざまなレコード・レーベルにデモ・テープを送り続けた。それがA&Mレコードの共同所有者でありトランペット奏者・ヴォーカリストでもあるハーブ・アルパートの関心を惹いた。このアルパートがリチャードとカレンを世に送り出すことになる。 1969年4月22日、リチャードとカレンは「カーペンターズ」名義でA&Mレコードとの契約を結んだ。当時の州法で19歳のカレンは未成年者だったため、両親も署名した。兄妹はあえて定冠詞 "The" の付かない"Carpenters"を契約上の名義とすることに決めた("The Carpenters" は「カーペンター兄妹」ないし「カーペンター家」を意味するが、"Carpenters" だけでは「大工たち」の意味になる)。その理由についてリチャードは、2004年に発売された "Gold:35th Anniversary Edition" のライナーノーツにおいて、バッファロー・スプリングフィールドやジェファーソン・エアプレインのように、「ザ・〜ズ」ではないバンド名のほうがかっこいいと思ったからだと述べている。 A&Mレコードとの契約において、リチャードとカレンはスタジオ内での自由を与えられた。『オファリング』と題されて1969年にリリースされた彼らの最初のアルバムには、リチャードがスペクトラム時代に作曲ないし共作した楽曲もいくつか収録されている。このアルバムにおける人気曲は、ビートルズのヒット曲をバラード風にアレンジした「涙の乗車券」で、ビルボード・ホット100で最高54位、アダルト・コンテンポラリー・チャートでトップ20位入りするなど、まずまずのヒットとなった。この曲の成功を受けて、『オファリング』は1970年に『涙の乗車券』へと題名を変えて再発された。 アルバム『涙の乗車券』のチャート・アクションは今一つ振るわなかったが、リチャードとカレンはバート・バカラック/ハル・デヴィッド作の「close to you」でついに成功を手にする。このシングルは1970年にリリースされて初登場56位となり、1970年7月22日にはチャート1位に昇りつめ、4週にわたって首位の座を守った。また1970年ビルボード誌年間ランキングでは第2位となっている。ベストセラーとなったアルバム『close to you』の収録曲からはこの曲と「愛のプレリュード」がRIAAによってゴールドディスクに認定され、同アルバムは『ローリング・ストーン』誌による『偉大なアルバム500選』("500 Greatest Albums of All Time")の175位にも選ばれている。その年の最優秀新人部門をはじめとする2つのグラミー賞も受賞した。 「Close to You」が1位となった直後に、カーペンターズがカヴァーした「愛のプレリュード」(ポール・ウィリアムス/ロジャー・ニコルス作)がビルボード・ホット100で第2位となり、アダルト・コンテンポラリーチャートでは首位を7週間保持した。リチャード自身もこの曲はグループの「代表曲」だと認めている。この曲はもともとウィリアムズとニコルズがクロッカー・ナショナル銀行のテレビCM曲として前年に作曲したものだが、リチャードはテレビで聴いたときにその曲のヒット性にいち早く気づいたのである。「愛のプレリュード」はウィリアムズとニコルズにとって初のヒット・シングルとなった。 2人はその年の締めくくりとして、クリスマス・ソング「メリー・クリスマス・ダーリン」をリリースした。この曲は、カリフォルニア州立大学時代に2人の参加していた合唱団の監督を務めていたフランク・プーラーとリチャードが共作した作品で、1970年のビルボードのホリデイ・チャートで上位にランクインして、翌年以降も同チャートにたびたび登場した。 一連のヒット・シングルやアルバムによって、カーペンターズは1970年代を通じてヒット・チャートの常連となった。1971年のヒット曲「ふたりの誓い」は、元はサイ・ハワード監督による1970年の映画『ふたりの誓い』の結婚シーンのためにレコーディングされたものである。映画館でこの曲を聴いて気に入ったリチャードは、その後間もない1970年秋にこの曲を録音し、カーペンターズにとって3枚目のゴールド・シングルとなった。 続いて送り出された「雨の日と月曜日は」はビルボード・ホット100の第2位を記録し、ポール・ウィリアムズとロジャー・ニコルスにとって2曲目のヒット・シングルとなった。カーペンターズの評伝を著した作家コールマンは、「雨の日と月曜日は」をおそらく最もポピュラーなカーペンターズの楽曲であろうと評している。さらにこの曲はカーペンターズ第4のゴールド・シングルとなったが、1位獲得を阻んだのはキャロル・キングの「イッツ・トゥー・レイト」("It's Too Late")だった。 レオン・ラッセル/ボニー・ブラムレット作曲のシングル「スーパースター」はカーペンターズの次の代表曲となり、ここで聴かれる痛切で心に残るカレンの歌声は高い評価を受けている。この曲もビルボード・ホット100で第2位となった。1971年には彼ら自身の名をタイトルとしたアルバム『カーペンターズ』(日本盤タイトルは『ふたりの誓い』→『スーパースター』→『カーペンターズ』と改題された)がリリースされた。この作品は彼らにとって最も売れたアルバムの1つであり、RIAAのプラチナムを4度にわたって獲得(売上400万枚以上)している。この作品でカーペンターズはグラミー賞(Best Pop Performance by a Duo or Group with Vocal)を受賞し、3部門でノミネートされた。 1972年にリチャードはエレキギターによるソロを導入したバラードを考案した。後にこうした形態の曲をハードロックやヘヴィメタルのバンドが継承して Power ballad と呼ばれる1ジャンルにまでなったことから、リチャードがこのジャンルの先駆者とみなされることもある。この曲「愛にさよならを」はリチャードとベティスによって作曲されたもので、カーペンターズが1972年に出した2枚目のシングルとして最高7位を記録した。「愛にさよならを」はビング・クロスビー主演の映画 "Rhythm on the River" に着想を得たものである。この映画は1940年に制作され、作中にはベイジル・ラスボーンが演じる作曲家が登場する。この作曲家は歴史上最も美しい歌 "Goodbye to Love" の作者として有名という設定である。リチャードによれば、この曲は映画の中に言及があるだけで演奏されてはいなかったが、同名の曲を自分で書こうと思いつき、1972年にベティスと共作するまでそのアイディアを温めていたという。2人はリードギタリストとしてトニー・ペルーソを招き、A&Mのスタッフもペルーソの大胆なソロに満足した。これを機にペルーソは1983年までカーペンターズの伴奏者を務めることとなった。しかし、ファンの中にはカーペンターズのレコードにエレキギターのソロが入ることに不満を抱く者も少なくなく、嫌がらせの手紙を送りつける者さえいたという。 1973年リリースのアルバム『ナウ・アンド・ゼン』のタイトルは2人の母アグネス・カーペンターの案による。この作品には『セサミ・ストリート』で挿入歌として使用された楽曲「シング」や、昔のラジオを懐かしむ懐古的な歌詞の「イエスタデイ・ワンス・モア」などが収録されている。日本とイギリスでのカーペンターズ最大のヒット曲である「イエスタデイ・ワンス・モア」はアルバムのB面1曲目に収録され、その後に60年代前半にヒットした例えばスキータ・デイヴィスの「この世の果てまで」などのオールディーズのメドレーが続き、聴き物となっている。 カーペンターズにとって初となるベスト・アルバムは "The Singles:1969-1973" と題され、アメリカとイギリスでアルバムチャートのトップに立っている。特にイギリスにおいては、1974年7月13日にエルトン・ジョンの『カリブ』にトップを奪われるまでトータル17週も首位に立ち、70年代に最も売れたアルバムのひとつとなっている。また、このアルバムはアメリカでも2008年までに700万枚以上を売り上げ、7倍のマルチ・プラチナ・ディスクを授与されている。 このベスト・アルバム用に新たに作り直され、アルバムの先行シングルとしてリリースされたのが「トップ・オブ・ザ・ワールド」である。1972年リリースのアルバム『ア・ソング・フォー・ユー』に収められていたこの曲のアルバム・ヴァージョンを聴いたカントリー・シンガーのリン・アンダーソンがこの曲をカヴァーして1973年にリリースすると、リチャードとカレンも自分たちもシングルとしてリリースするべきかどうかについて議論した。A&Mの仕事仲間であったギル・フリーセンは、アルバム『ア・ソング・フォー・ユー』からはすでに4枚ものシングル(「ハーティング・イーチ・アザー」、「愛にさよならを」、「小さな愛の願い」、「愛は夢の中に」)をカットしていることを理由に反対したが、それにもかかわらず、一般からの需要は高いという判断により「トップ・オブ・ザ・ワールド」を1973年9月にシングルカットされ、同年12月にビルボードHOT100において2週連続で1位となり、カーペンターズにとって2枚目の全米1位シングルとなった。 カーペンターズは1974年には新しいアルバムを発表しなかった。リチャードはこれについて「単に時間がなかったから。アルバムを作る気分にもなれなかったし」と語っている。その代わりに、2人はポール・ウィリアムズ/ロジャー・ニコルズ作曲のシングル「愛は夢の中に」をリリースしている。これはもともと1972年のアルバム『ア・ソング・フォー・ユー』に収録されていたものだが、カーペンターズはそのLPをリリースした2年後になって、この曲をシングル・カットすることを決定した。1974年3月、そのシングル・ヴァージョンはビルボード・トップ100チャートの11位に達し、アルバム『ア・ソング・フォー・ユー』からの5番目のトップ20ヒットとなった。 一方、同1974年には『ナウ・アンド・ゼン』に収録されたハンク・ウィリアムズの「ジャンバラヤ」をアップテンポにリメイクした。この曲はアメリカでシングルとしてリリースされたほか、日本のチャートでも30位以内にランクインし、イギリスをはじめとする他の多くの国でもヒットした。オランダでは、カーペンターズにとって最大のヒット曲となったほどである。また1974年の暮れには、ジャズ調の編曲を施したクリスマス・ソング「サンタが街にやってくる」をシングルとしてリリースしている。 1975年はまだ彼らにとって多作の年であった。マーヴェレッツが1961年にチャート1位を獲得したヒット曲で、モータウン・サウンドのクラシックであった「プリーズ・ミスター・ポストマン」をカヴァーしたシングルがヒット。これは1974年にリリースしたものだが、75年の1月にビルボード・トップ100で1位を獲得し、彼らにとっての3度目の(そして最後の)首位獲得作品となった。このシングルはまた、カレンとリチャードにとっての12番目のアメリカでのミリオンセラーにもなった。日本ではこのシングルが最高の売上枚数を記録している。 「プリーズ・ミスター・ポストマン」に続き、春にはリチャードとジョン・ベティスの共作「オンリー・イエスタデイ」がビルボードで4位まで上昇し、これは彼らにとって最後のアメリカでのトップ10ヒットとなった。リチャードとベティスはこの曲がヒット・シングルになるとは思っていなかったので、ロジャー・ヤングとの賭けでトップ5入りしない方に賭けており、2人はヤングに1000ドル支払うはめになったという。 1975年の上半期に成功を収めたこの2曲はいずれも1975年のアルバム『緑の地平線〜ホライゾン』に収められている。このアルバムはほかにもイーグルスの「デスペラード」とニール・セダカの「ソリテアー」のカヴァーを収録しており、これらも同じ年に中ヒットを記録した。このアルバムのジャケットは、日本人デザイナーの長岡秀星の代表作のひとつである。ただし、以降彼らのレコード・セールスは次第に下降線を辿り始めた。『緑の地平線〜ホライゾン』はプラチナム・アルバムに認定されたが、その後(アルバムからの2枚目のシングルがチャートから消えて以降)カーペンターズにとっては初めてマルチ・プラチナムに達することのなかったアルバムとなった。 1976年6月11日に発売された次のアルバム『見つめあう恋』も、ゴールド・ディスクには認定されたものの、彼らにとってはファースト・アルバム『涙の乗車券』以来の7年間で初めてプラチナ獲得に至らなかったアルバムである。それでも1976年のシングル・リリースは成功を収めていたが、当時のヒット・ラジオ番組は音楽的スタイルを変化させており、ついにはカーペンターズのような「ソフト」なグループの多くを苦しめるようになった。カーペンターズのその年最大のポップ・シングルはハーマンズ・ハーミッツのカヴァー「見つめあう恋」で、最高12位であった。カレンの最も好きな曲といわれる「青春の輝き」はビルボード・ホット100では25位にとどまったが、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは「見つめあう恋」に続き14枚目となる1位を獲得した。これは同チャートの歴史上他に類を見ない記録となった。 彼らの功績の1つとして数えられることは少ないが、カーペンターズはアメリカでは最も早く自分たちのレコードの宣伝のためにミュージック・ビデオを制作したグループの1つである。1975年の初めに、彼らはディズニーランドで「プリーズ・ミスター・ポストマン」の演奏を撮影しているほか、「オンリー・イエスタデイ」をハンティントン・ガーデンで収録しているが、ここでのカレンは健康で調子良さそうに見える。しかし、1年後に撮影した「見つめあう恋」のビデオに出演した時には目に見えて違いが現れるようになっていた。 1977年から1979年にかけてディスコ・ブームの真只中であり、カーペンターズやジョン・デンヴァーら大人向けの「イージー・リスニング」のアーティストは、ラジオなどで放送される機会がやや減りつつあった。1977年にリリースされたカーペンターズの実験的なアルバム『パッセージ』は、他の音楽ジャンルへ挑むことによって、より多くの層へ訴えかけようとする試みであったが、ラテン音楽(「一人にさせて」)、カリプソ(「恋の強がり」)、ポップ・ソング(「想い出にさよなら」、「あの日、あの時」)という不釣合いな混ぜ合わせに、「ふたりのラヴ・ソング」(アダルト・コンテンポラリー・チャート4位)、「星空に愛を(コーリング・オキュパンツ)」といったヒット曲を抱き合わせたというものである。最も有名な曲、ミュージカル『エビータ』から取られた「月影のバルコニー〜泣かないでアージェンティーナ」やクラトゥの「星空に愛を」などのカヴァーはいずれも合唱とオーケストラによる伴奏が加えられた。シングル「星空に愛を」はイギリスではヒットしたが、アメリカのポップ・チャートでは32位止まりとなり、カーペンターズとしては初めてゴールド認定となる50万枚の売り上げに達することのなかったアルバムとなった。 リチャードは『パッセージ』収録曲の「想い出にさよなら」は、きっとヒットすると感じていたため、A&Mにシングルでのリリースを決断させた。この曲はアン・マレーのシングルとして発売され、1979年のアダルト・コンテンポラリーおよびカントリー・チャートの両方で1位を獲得し、リチャードの感性の正しさを証明した。カーペンターズによる「ふたりのラヴ・ソング」と「星空に愛を」のミュージック・ビデオがDVD"Gold:Greatest Hits"で観ることができる。 国内チャートでの成績はやや振るわなくなってきたとはいえ、カーペンターズはまだ十分な人気を維持していた。1978年の初めには、アップテンポでフィドルを加味した「スウィート・スマイル」がカントリー・チャートで意外にもトップ10入りを果たした(ビルボード・ポップ・チャートではトップ40に若干及ばなかったが、アダルト・コンテンポラリーで7位、カントリー・チャートで8位を獲得した)。この曲は後年カントリーやポップのスターとなるジュース・ニュートンが作曲したものである。イギリスでは2作目のベスト・アルバム"The Singles:1974-1978"が発売された。一方アメリカではカーペンターズ初のクリスマス・アルバム『クリスマス・ポートレイト』が発売されてその季節の人気作品となり、勢いの衰えはじめたこの時期にあっては意外な売れ行きを見せ、カレンとリチャードに再びプラチナムをもたらした。 1979年、リチャードはカンザス州のリハビリ施設で薬物依存症からの回復を試みる。その間にカレンはニューヨークに渡って、プロデューサーにフィル・ラモーンを迎えた初のソロ・アルバムの制作を決意する。彼女はこのアルバムのためにより大人向けでディスコ調の作品を選び、これまでのイメージを払拭しようと努めた。だが、1980年の初頭に完成したソロ作品に対し、リチャードやA&Mは難色を示した。カレンにとっては不幸なことに、このアルバムは発表しないものとする決定が下され、この作品の制作費として印税から50万ドル以上の負債を請求されたのである。この決定に怒りを覚えつつも、ある面では慣れぬ仕事から解放されたカレンは、依存症から立ち直った兄と新しいアルバムの制作にとりかかる。お蔵入りになったカレンのソロ・アルバムは1996年10月に『遠い初恋』としてリリースされるまで未発表だったが、録音された楽曲のうち4つは1989年のカーペンターズのアルバム『愛の軌跡〜ラヴラインズ』の中で日の目を見た。その際に「イフ・アイ・ハド・ユー」はシングルとしてリリースされ、アダルト・コンテンポラリー・チャートで20位以内にランクインした。 カーペンターズは1980年に『Music』と題されたテレビの特番に出演し、エラ・フィッツジェラルドやジョン・デヴィッドソンをはじめとする著名なゲストと共演した。これはカレンがトム・バリスと結婚したのと同じ年に撮影されたもので、この時期のカレンは比較的健康な体重を取り戻していた。。 1981年6月16日にリリースされたカーペンターズのデュオとしての次なるLP『メイド・イン・アメリカ』は、商業的には失敗に終わった。この作品はアメリカでは、カレンが亡くなる1983年初頭までは20万枚ほどしか売れていなかった。しかしながら、アルバムからシングル・カットされたロマンティックな「タッチ・ミー」はHot100で16位まで上昇し、全米ポップ・チャートにおける彼らの最後のトップ20ヒットシングルとなった。この曲はビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートでは彼らにとって15番目の首位記録作品でもある。 カレンのトーマス・ジェイムズ・バリスとの結婚や、彼女が患っていた拒食症などの個人的な問題は、グループの復帰に暗い影を落とした。瞬く間に恋に落ちたあと、カレンは不動産業者のバリスとの結婚式をビバリーヒルズ・ホテルのクリスタル・ルームで盛大に行った。1980年の8月31日に挙げられたこのセレモニーの中で、カレンは翌年に「タッチ・ミー」のカップリングとしてリリースされる、リチャードとベティスが書き下ろした楽曲「ウエディング・ソング」を披露している。 だが、結婚してから1年ほどの間に、彼女の容姿は変わり果てていった。『メイド・イン・アメリカ』の販売促進用に制作されたビデオで窺えるその姿は、もはや彼女が重病人であったことを裏付けるのに十分な証拠といえるものであった。カレンとバリスの結婚生活は惨憺たるものであり、彼らは1981年の終わりには別居する。1982年、カレンは障害の診療を受けるためニューヨークの著名な心理セラピスト、スティーブン・レベンクロンを訪ね、この年の11月には仕事に復帰して離婚手続きを完了するためにカリフォルニアへ戻った。カレンの甲状腺は通常のものであったが、新陳代謝を加速するために甲状腺の薬を通常の10倍服用していることが分かった。これに加えて大量の下剤(日に90錠から100錠)を服用していたことが、彼女の心臓を弱める原因となった。 ニューヨークの病院での2か月以上にわたる治療を経て、カレンは30ポンド(13.6キログラム)以上も体重を戻したが、急激な体重の増加は、長年の無理なダイエットですでに弱っていた彼女の心臓に、さらなる負担をかけてしまった。1983年の2月4日の朝、カレンはダウニーの両親の家で心肺停止状態に陥ってダウニー・コミュニティ病院に運ばれるが、それから20分後に死亡が確認された。彼女はその日、離婚届へ署名するつもりであったという。 検死によると、カレンの死因は神経性無食欲症に起因するエメチンの心毒性であった。解剖学的な結論としては、心臓麻痺が第1の原因で、拒食症は第2の原因であった。第3に挙げられるのが悪液質で、これは負担や衰弱としては非常に軽いもので、慢性的な疾患と関連した一般的な体の衰えというべきものであった。エメチンの心毒性が死因であったことは、カレンが当時は簡単に入手できた薬である吐剤(誤って毒物を摂取してしまった人が即座に嘔吐できるようにするためのもの)を悪用していた可能性を示唆したが、明確な証拠はない。 彼女の告別式は1983年2月8日火曜日にダウニーの統一メソジスト教会で執り行われた。カレンは白い開いた棺にピンクのドレスを着せて横たえられ、およそ1,000人の会葬者が最後の別れを告げた。会葬者の中には、ドロシー・ハミル、オリビア・ニュートン=ジョン、ペトゥラ・クラーク、クリスティナ・フェラー、ディオンヌ・ワーウィックといった彼女の友人たちがいた。別居中であったカレンの夫も葬儀に出席し、結婚指輪を外して棺の中に入れた。 1983年10月12日、ハリウッド名声の歩道のコダック・シアターから2、3ヤードほどのところにカーペンターズの星型プレートが飾られた。多くのファンと並び、リチャード、ハロルド、アグネス・カーペンターが除幕式に出席した。 カレンの死は拒食症だけでなく過食症に対してもメディアの注目を呼び寄せた。カレンの死によって有名人たちも自らの摂食障害を公表するようになったが、その中にはトレイシー・ゴールドやダイアナ妃といった人々がいた。医療センターや病院はこうした障害に悩む人々からの相談を受けることが多くなった。カレンの死が大きく報道されるまでは、一般大衆の間では拒食症や過食症についてあまり知られていなかったため、症状を正確に認識して対処することは困難だったのである。2003年12月、リチャードによってカレンと両親の遺骨がカリフォルニア州サイプレスのフォレスト・ローン記念公園から掘り起こされ、リチャードの自宅に近い場所となるカリフォルニア州ウェストレイク・ビレッジのピアース・ブラザーズ・ヴァリー・オークス記念公園に改葬された。 カレンの死後も、リチャードは未発表音源集やコンピレーション・アルバムなどデュオの作品のプロデュースを続けた。『メイド・イン・アメリカ』やそれ以前のアルバムでお蔵入りになっていた完成曲を収録したアルバム『ヴォイス・オブ・ザ・ハート』は1983年の終りにリリースされ、チャート46位に達してゴールド認定を受けた。このアルバムからは2枚のシングルがカットされた。「遠い初恋」はカレンのソロ・アルバム用に録音された曲の2つ目のヴァージョンである(1979年にボビー・ヴィントンによりマイナー・ヒットとなっていた)。このシングルはアダルト・コンテンポラリー・チャートで第7位となったが、ポップ・チャートでは101位にとどまった。次のシングル「ユア・ベイビー」はACチャート12位となったが、「バブル・アンダー」はチャート入りしなかった。 リチャード・カーペンターは1984年5月19日にメアリ・ルドルフと結婚した。1987年8月17日には長女クリスティが、1989年7月25日には次女トレイシィが、1992年7月25日には三女ミンディ・カレン(叔母の名を継いだ)が生まれ、その後もコリンとテイラーが生まれた。 1984年、リチャードはデュオの最初のクリスマス・アルバム『クリスマス・ポートレイト』からのアウトテイクに新しい音源を加えた2枚目のクリスマス・アルバム『オールド・ファッションド・クリスマス』を、カーペンターズの「新作」として制作した。また1987年には、リチャード初のソロ・アルバム『タイム』をリリースした。このアルバムからは、ダスティ・スプリングフィールドをゲスト・ヴォーカルに迎えた「サムシング・イン・ユア・アイズ」がヒット・シングルとなった。 カーペンターズのイメージを守りレコードの版権管理をしていこうと務めるリチャードに対しては批判が集中した。彼らを題材として扱うドキュメンタリーやドラマが制作されることになると、リチャードがそれらすべてに対して実質的な監督権を主張したためである。1987年には、トッド・ヘインズの自主制作短編映画 "Superstar:The Karen Carpenter Story" (カレンが衰えて早すぎる死を迎えるまでを、実際の女優ではなくバービー人形を用いて描いている)の配給に介入した。この映画のカレンに対する描写は同情的なものだったが、カレンの不幸を浮き立たせるために家族に対しては悪印象を与えるような表現がとられており、リチャードはカーペンターズの曲が無許可で使用されていることを根拠に訴訟を起こし、映画の配給を差し止めさせた。1989年のテレビ映画『カーペンターズ・ストーリー』("The Karen Carpenter Story"、シンシア・ギブ主演)はリチャードの協力下に制作され、好意的な評価と高い視聴率を獲得した。この映画の放映後数週間はレコード屋からカーペンターズの在庫がなくなったほどである。 カレンのソロ・アルバム『遠い初恋』は1996年10月にリリースされた。CDにはA&Mが1980年にこのアルバムをお蔵入りにした経緯などを説明した、リチャードによるライナーノーツが付いている。ここに収録された楽曲は、ロック(ピーター・セテラをゲスト・ヴォーカルに迎えた「メイキング・ラヴ・イン・ジ・アフターヌーン」)からブルース(「ラスト・ワン・シンギン・ザ・ブルース」)まで、幅広いジャンルの音楽をカヴァーしている。なお、このアルバムのプロデューサーであるフィル・ラモーンはセテラがかつて所属していたバンド、シカゴの楽曲も数多く手がけている。カレンが1979年から1980年にかけて録音した未発表のソロ曲は他にも9曲ある。 1997年にリチャードは自身のピアニスト・編曲家・作曲家としての才能のすべてを注ぎ込んだアルバムを録音して発表したが、そのタイトルはまさに"Pianist Arranger Composer Conductor"というものであった(日本盤タイトルは『新たなる輝き:イエスタデイ・ワンス・モア』)。日本におけるカーペンターズの人気は非常に高く、カレンの死後も長く続いた。日本人でないアーティストのシングルが日本で大きく売れることは稀であるが、カーペンターズは例外である。カーペンターズのシングル3枚(「スーパースター」、「イエスタデイ・ワンス・モア」、両A面の「青春の輝き」/「トップ・オブ・ザ・ワールド」)がオリコンチャートのトップ10入りし、その他にも7曲がトップ40に入っている。1995年には日本市場向けにリチャードが編纂した『青春の輝き:ヴェリー・ベスト・オブ・カーペンターズ』("22 Hits of the Carpenters")がチャートトップを獲得し、2002年には出荷枚数300万枚を突破する。2003年には300万枚突破記念盤として再発、2005年には10周年記念盤として再々発された。 リチャード・カーペンターは、妻のメアリ・ルドルフ・カーペンターおよび4人の娘と1人の息子らとともにカリフォルニア州サウザンド・オークスに住んでおり、夫妻は芸術家の後援活動をしている。2004年にリチャードと妻はカレンを記念したサウザンド・オークス市民芸術プラザ基金(Thousand Oaks Civic Arts Plaza Foundation)に対し、300万ドルの寄付を行うことを公約した。これを受けて2006年9月20日には初年度となる「リチャード・カーペンター奨学金コンクール・ショー」(Richard Carpenter Scholarship Competition Award Show)が開催された。ショーの後にはリチャードと娘のトレイシーやミンディも演奏した。リチャードはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校の「リチャード&カレン・カーペンター・パフォーミング・アーツ・センター」とも提携している。彼はカーペンター・センターの資金繰りを目的とすることも含めて、コンサート活動を継続している。 2001年にはヴァージニア州ノーフォークで行われたペトゥラ・クラークの「サイン・オブ・ザ・タイムズ」コンサートにゲスト出演し、演奏の一部はCDやDVDでリリースされたほか、PBSの特番で放映された。2002年にリチャードはクラークをカーペンター・センターへ招いたり、クラークのCD "The Ultimate Collection" で客演するなどもしている。2007年、中国のラジオ番組China Driveがリスナーに対して「初めて聞いた英語の歌」を募ったところ、50%以上が「イエスタデイ・ワンス・モア」を挙げた。 2008年、アルバム『ナウ・アンド・ゼン』(1973年)のジャケットで有名になった、カリフォルニア州ダウニーのニューヴィル・アヴェニューにあるカーペンター家の家屋の取り壊しが間近に迫った際には、ファンによって抗議運動が展開された。 2008年6月1日、ハリウッドにあるUniversal Studiosで火災があり、保管されていたUMGのものを含めた、50万を超える映画や音楽の原盤(オリジナルのマスターテープ)を焼失してしまった中にカーペンターズのものも含まれていたことが、40周年記念アルバム『40/40』制作時にマスターテープが届かないことを不審に思ったリチャード・カーペンターの問合せによって判明した。 カーペンターズの音楽を特徴的なものにした要素の1つは、カレンの用いた低い音域の声である。ジャズやカントリー・ミュージックの分野には見られたが、当時のポピュラー音楽の世界にアルト歌手はほとんど存在しなかった。しかし、カレンはおよそ3オクターヴにわたる広い声域をもっていたのである。リチャードの声もカレンの歌声と非常に相補的なものだと評価されていた。カレンは高い音域の声も出すことはできたが、低音(カレンは自分の "basement" と呼んでいた)ほど特質のあるものではなかった。リチャードはカーペンターズのオフィシャル・サイトのファンからの質問のページで、カレンと自分は彼女の「胸声」に魔法のようなものを感じており、音の豊かさという点では比較にならなかったため、彼女の高音を強調するつもりはまったくなかったと述べている。 カレンの「魔法」が低音域にあったため、リチャードはカヴァー曲はもちろん自作曲もカレンにふさわしいキーで編曲しなおした。カーペンターズの曲の多くはD(「ユー」「見つめあう恋」)、E(「イエスタデイ・ワンス・モア」)、G(「恋よさようなら」「リーズン・トゥ・ビリーヴ」「ふたりの誓い」「ユール・ラヴ・ミー」)などのキーを用いている。カレンはこれらDからGまで、場合によってはA、B、Cも用いているが、こうした芸当のできる歌手は多くないことから、カレンの声域の広さはよく知られている。 歌手であると同時にドラマーでもあったカレンは、1974年まではしばしばドラムも演奏していた。リチャードによれば、カレンは自分を「歌えるドラマー」だと考えていた。5フィート4インチ(163センチメートル)しかなかったカレンは、ライヴでドラムを演奏するとキットの陰に隠れてよく見えなかった。やむをえず2人は、バラードの時にはカレンが立ち上がって歌い、それ以外のあまり有名でない曲の時には座るという妥協案を見出した。年が経つにつれ、カレンがドラムを演奏している時にも彼女のヴォーカルを求める声が高まるようになり、カレンがドラムの前に座る時間は徐々に減っていった。1976年のアルバム『見つめあう恋』のころには、カレンはまったくドラムを叩かなくなっていた。 カーペンターズの音楽は、そのアレンジの見事さによって高く評価されている。アレンジは大抵リチャードが担当し、その手腕は広く賞賛された。アレンジの大半はクラシックのスタイルで、多くの弦楽器や、ときには金管楽器や木管楽器も用いた(「星空に愛を(コーリング・オキュパンツ)」では、160人以上の歌手と演奏家を迎えている)。著名な音楽評論家のダニエル・レビティンは "Electronic Musician" 誌において「リチャード・カーペンターこそ、ポップ・ミュージック界で最も才能あるアレンジャーの1人である」と述べている。 1969年の最初のアルバム『オファリング』に対するレヴューはあまり芳しいものではなく、カーペンターズのスタートは順調なものではなかったが、2人はバート・バカラックの前座として自分たちのプロモートに励んだ。1974年のラスヴェガスのホテルリヴィエラにおけるコンサートのときに、リチャードはそのいきさつについて説明した。映画『ハロー・ドリー!』封切り後のベネフィット・ディナーの際にバカラックの方から彼らの元を訪れて、後日行われるバカラックのディナー・ショーの前座をやってみないかと誘ったのである。このときにバカラックは自分の曲をどれでもいいからメドレーにして歌ってみろとの要求を出した。カーペンターズは2か月をかけて8曲のメドレーをまとめ上げた。このメドレーは全部で13分近くあったものを5分に短縮した上で1971年のアルバム『カーペンターズ』に収録された。 カーペンターズはコンサート・ツアーやテレビ出演などの過密なスケジュールをこなしていった。彼らが出演したテレビ番組には『エド・サリヴァン・ショー』やジョニー・カーソン司会の『ザ・トゥナイト・ショー』、『キャロル・バーネット・ショー』("The Carol Burnett Show"、1971年および1972年)、『マイク・ダグラス・ショー』("The Mike Douglas Show"、1971年)などがあり、『ジョニー・キャッシュ・ショー』("The Johnny Cash Show"、同じく1971年)では「ふたりの誓い」と「雨の日と月曜日は」を演奏した。BBCのテレビ特番 ("Carpenters:Live at the BBC") では生演奏を披露している。彼らはまた夏の間だけのシリーズ番組"Make Your Own Kind of Music"で主演を務め、アメリカでは毎週火曜日の午後8時にNBCで放送された。1980年のラジオでのインタビューでカレンとリチャードのいずれもが、1970年代初めのテレビとの関わりにおいて自分たちはつけ込まれ利用されていたこと、その後の作品を制作してゆく上での支配権を握られそうになっていたことなどを述べている。 1973年5月には、時のアメリカ大統領リチャード・ニクソンと訪米中の西ドイツ首相ヴィリー・ブラントからの招待を受け、ホワイトハウスで演奏することになった。 カーペンターズは1971年から1975年にかけて数多くのコンサートを行っている。以下の表はリチャードが保存していた旅行記録に基づいたものである。 1970年代の中ごろには、度重なるツアーや長期に及ぶレコーディング・セッションが2人を蝕みはじめており、2人の十数年にわたる活動の後半は仕事の上でも個人生活の上でも問題を抱えたものとなっていた。カレンは強迫観念的にダイエットをするようになり、やがて神経性無食欲症になって症状も進行していった。この拒食症が最初に現われたのは、ラスヴェガスでのショーの途中でカレンが倒れた1975年のことである。カレンは消耗しきっており、フィリピンとイギリスおよび日本へのコンサート・ツアーはキャンセルするよう命じられた。リチャードはその時期の6、7日の過密スケジュールのことを後悔しており、現在明らかになったことを当時すでに知っていたら絶対にそのような日程には同意しなかっただろうと語っている。カレンはシングル「オンリー・イエスタデイ」のミュージック・ビデオを撮影したころには(まだ病的ではなかったが)顕著に痩せて見えるようになった。一方リチャードもメタカロン(催眠剤)の中毒に陥っており、1970年代後半には演奏に悪影響を及ぼしはじめ、これらをきっかけとして1978年に2人はライヴ・コンサートへの出演を辞めることとなった。 カーペンターズとして行った日本公演は、1972年、1974年、1976年の3回である。1974年の日本公演では、武道館ではひばり児童合唱団と、京都では地元の合唱団(リチャードが「Kyoto Children's choir」と紹介していた。)と「シング」を日本語で歌った。 カーペンターズが司会を務めるテレビ特番も大変好評で、1976年から1980年にかけて計5本のレギュラー番組を持っていた。なかでも1976年12月8日放送の"The Carpenters' Very First TV Special"は人気を博し、アメリカの視聴率調査会社ニールセンのランキングで第6位となった。彼らのショーには大抵「shtick」(演出上の見せ場として、お決まりのギャグなどを演じる滑稽な場面)があり、リチャードはこれを大変嫌っていたものの、カレンは気に入っており、その個性をカメラの前で花開かせることとなった。 カーペンターズ最後のテレビ特番"Music"は1980年5月に放送された。この番組には「shtick」はなく、音楽だけで構成されていた。テレビ司会者のジョン・デヴィッドソンや有名なスタンダード歌手のエラ・フィッツジェラルドらがゲスト出演し、さまざまな歌を披露した。この番組で演奏された曲の多くは2004年にアルバム『レインボウ・コネクション〜アズ・タイム・ゴーズ・バイ』に収録された。カーペンターズのオフィシャル・サイトで、このアルバムに収められた15曲のうち5曲が"Music, Music, Music!"から採られたものであると明記されている。 しかし、ABCは彼らの純粋に音楽だけで番組を構成するという方針に不満を覚えていた。ドキュメンタリー『リメンバー・ザ・カーペンターズ』("Close to You:Remembering the Carpenters")で、リチャードはABCのスタッフがこぼした「一体あいつらはこれを何だと思っているんだ? PBSの番組か?」という言葉を引用している(PBSは教養番組を主とするアメリカの公共放送局で、日本ではNHK教育にあたる)。皮肉にも、このドキュメンタリーは翌1998年にMPIホーム・ビデオ社からDVDとして発売される前にPBSで放映された。 カーペンターズの絶大な人気は、音楽評論家たちの批判をはねのける勢いをもっていた。バラードやミドルテンポのポップスを中心とした2人の音楽性は、批評家たちから退屈で甘ったるいと斬り捨てられていたのである。しかし、レコード業界は2人にいくつもの賞を授与した。カーペンターズはそのキャリアにおいて3度のグラミー賞を受賞している(1970年に最優秀新人賞および「close to you」で最優秀ボーカル・グループ賞、1971年に『スーパースター』で最優秀ボーカル・グループ賞)。また、1973年には、投票によって第1回アメリカン・ミュージック・アワードの最優秀ポップ・ロック・デュオにも選ばれた。 多くの批評家たちから「ミルクを飲んで、アップル・パイを食べて、シャワーを浴びる」といった印象だと批判されたことに対して、リチャードはインタビューにおいてたびたび「自分はミルクなど好きではないし、ワインも飲む。マリファナ合法化のために投票さえした」とまで言いながら、そうした評価を払拭しようと努めている。 レイ・コールマンの著書 "The Carpenters:The Untold Story" (『カレン・カーペンター:栄光と悲劇の物語』)においてもリチャードは、カーペンターズのイメージをひたすら「清廉潔白」にしておこうと務めるA&Mの経営陣や、彼らの音楽よりも彼らのイメージばかりを批評する評論家に対して、自分がいかに嫌悪感を抱いていたかを強調している。 カーペンターズの本格的な再評価は、1990年代から2000年代にかけて各国で制作された、"Close to You:Remembering the Carpenters"(アメリカ)や "The Sayonara"(日本)、"Only Yesterday:The Carpenters Story"(イギリス)などさまざまなドキュメンタリーによってもたらされた。作品の技術的な質の高さや歌に奥底に秘められた悲しみ、カレンの歌声やその人生に刻まれた苦悩が多くのファンを惹きつけた。彼女の特徴的なヴォーカルが、その後のポップ・ミュージックにアン・マレーやリタ・クーリッジ、メリサ・マンチェスターといったアルト歌手を登場させる契機になったといわれている。 1990年代のR&Bグループ、ボーイズIIメンさえもが自分たちに影響を与えたアーティストとしてカーペンターズの名を挙げている。1990年にオルタナティヴ・ロック・バンドのソニック・ユースは "Tunic (Song for Karen)" という曲を録音した(アルバム『GOO』収録)。これはカレンが新しい「友だち」のデニス・ウィルソンやエルヴィス・プレスリー、ジャニス・ジョプリンらの元を訪ねてもう一度ドラムを演奏するために家族へ別れを告げるという内容の歌である。批評家からはそのサウンドが「ソフトすぎる」と批判されていたにもかかわらず、カーペンターズをロックの殿堂へ入れるべきだとする運動や嘆願書が数多く存在する。 1994年のトリビュート・アルバム『イフ・アイ・ワー・ア・カーペンター〜カーペンターズに捧ぐ』では、ソニック・ユースやベティー・サーヴァート、少年ナイフ、グラント・リー・バッファロー、マシュー・スウィート、クランベリーズといったアーティストによって、カーペンターズのヒット曲のオルタナティブ・ロック的解釈が試みられた。 カーペンターズの曲の多くは、もはやポップ・スタンダードとなっている。特に「close to you」などはカラオケで歌われることも多い。この曲は『バックマン家の人々』で挿入歌として使用され、『ザ・シンプソンズ』の2つのエピソードや『ザ・シンプソンズ MOVIE』でも使われている。代表曲の一つ「愛のプレリュード」は結婚式や披露宴の定番であり、映画『スタスキー&ハッチ』("Starsky & Hutch")や『1408号室』でも印象的に用いられている。「スーパースター」はルーサー・ヴァンドロスやルーベン・スタッダードからベット・ミドラー、ソニック・ユースに至るまで、数多くのアーティストによってカヴァーされた。クレイ・エイケンはテレビ番組『アメリカン・アイドル』でこの曲を歌い、若い世代にもこの曲を知らしめた。「愛のプレリュード」と「close to you」は、その良質さと歴史的重要性からグラミーの殿堂入りを果している。 自分に大きな影響を与えた人物としてカレン・カーペンターの名を挙げている現代のアーティストには、クリスティーナ・アギレラ、グウェン・ステファニー、シャナイア・トゥエイン、アナスタシア、メアリー・J. ブライジ、アリシア・キーズ、リアン・ライムス、ケリー・ジョーンズ(ステレオフォニックス)、ジョニー・ボーレル(レイザーライト)、ジョー・オメアラ(S Club 7)、マドンナなどがいる。 クイーンはプロフィールにカーペンターズを「嫌いなアーティスト」として挙げていた。 リチャードと妻メアリ・ルドルフ・カーペンターは、2007年にベンチュラ郡のフィランソロピスト(社会奉仕家)・オブ・ザ・イヤー賞を授与された。 アメリカ合衆国のバンドカーペンターズのディスコグラフィは、14枚のスタジオ・アルバム、2枚のライブ・アルバム、11枚のコンピレーション・アルバム、3作の音楽ビデオ、1枚のトリビュート・アルバム、46枚のシングル、2枚のサウンドトラックにより構成される。その経歴を通じて、カーペンターズは解散までにリード・アーティストとして30枚のシングルをリリースした。この30枚のうち13枚がRIAAによってゴールドディスクに認定され、22枚がアダルト・コンテンポラリー・チャートのトップ10に到達した。またカーペンターズは1969年から1983年までに10枚のアルバムを発表した。そのうち6枚のアルバム(『close to you』、『カーペンターズ』、『ア・ソング・フォー・ユー』、『ナウ・アンド・ゼン』、『緑の地平線〜ホライゾン』、『見つめあう恋』)がビルボード・ホット100のトップ20入りした曲を収録している。 1970年代を通じて、リチャードとカレンはグラミー賞に何度もノミネートされている。リチャードはインストゥルメンタル曲『フラット・バロック』("Flat Baroque")によって、個人でもノミネートされた。2人はグラミー賞を3度受賞し、2曲が殿堂入りを果している。 6月2日 日本武道館 5月31日 日本武道館、6月1日 静岡駿府会館、6月4日 京都会館、6月5日 広島県立体育館、6月7日 大阪フェスティバルホール、6月8日 横浜文化体育館、6月10日 名古屋市民会館、6月12日 日本武道館 本来なら1975年に実施されるはずだったが、カレンの体調不良でドクターストップがかかり、翌76年に延期された。(★の付いている公演日は、1日2回公演) 3月15日・16日 日本武道館、3月17日 静岡市駿府会館、3月18日 愛知県体育館、3月19日 神戸市立中央体育館、3月20日 京都体育館、3月21日 和歌山県立体育館、3月24日★・25日★、26日★ 大阪フェスティバルホール、3月28日 金沢大乗寺山・実践倫理記念会館、3月29日 岡山市立体育館、3月30日 山口県体育館、3月31日★ 福岡 九電記念体育館、4月1日 熊本市立体育館、4月2日 広島県立体育館、4月5日★ 仙台宮城県スポーツセンター、4月7日 札幌真駒内アイスアリーナ、4月9日 日本武道館、4月10日★ 神奈川県民ホール、4月11日 水戸笠松運動公園体育館 1971年、A&Mのグラフィック部門はクレイグ・ブラウン&アソシエーツを雇い、カーペンターズの最新作となる3枚目のアルバム『カーペンターズ』のジャケットのデザインを依頼した。リチャードは仕上がったロゴを一目見るなり最高の出来だと感じたと語っている。その後カーペンターズのアルバムすべてにおいてこのロゴが使用されることになったが、ファンからは「なぜ『パッセージ』にだけこのロゴが使用されていないのか」という質問が多く寄せられている。これに対しリチャードは裏ジャケットの下中央で使われているはずだと答えている。 日本でも現在に至るまでその人気は確かなもので、広告・ドラマの主題歌などさまざまなメディアで耳にする機会は少なくない。また、彼ら自身が1970年代に森永製菓のハイクラウンチョコレートや、サントリーのソフトドリンク、ポップのCMに起用されていたことがある。 スローテンポで聴きやすいスタンダードポップス、音楽的にも優れた楽曲、覚えやすく歌いやすいメロディー、カレンの正確な発音、正しい英文法、基本的な単語で構成された歌詞、スラングがないこと、ヒット曲が多いこと......などから、ビートルズなどと共に「英語教材」としても一般的に広く薦められている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "カーペンターズ(英: Carpenters)は、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス出身の兄妹が中心メンバーのポップ・ミュージック・グループ。ピアノとアレンジを兄のリチャードが受け持ち、ヴォーカル(初期はドラムスも)を妹カレンが担当した。ロック全盛の1970年代において独自の音楽スタイルを貫き、大きな成功を収めた。1983年のカレンの死により活動を終えた。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "代表曲に「遥かなる影」、「雨の日と月曜日は」、「スーパースター」、「イエスタデイ・ワンス・モア」、「トップ・オブ・ザ・ワールド」、「青春の輝き」等がある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1970年代を中心に、アメリカのラジオ番組『アメリカン・トップ40』やアダルト・コンテンポラリー・チャートでの記録を塗り替え、ソフトロックやイージーリスニング、アダルト・コンテンポラリー・ミュージックといったジャンルにおける主要なヒットメーカーとなった。Billboard Hot 100で1位となったシングルが3曲、アダルト・コンテンポラリー・シングル・チャートで1位が15曲ある。さらに、トップ10入りは12曲に及ぶ。アルバム・シングルの総売上枚数は1億枚を上回るとされている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "14年間の活動で、11枚のアルバム(うち『close to you』『カーペンターズ』『ア・ソング・フォー・ユー』『ナウ・アンド・ゼン』『緑の地平線〜ホライゾン』の5枚がトップ10シングル曲を収録)、31枚のシングル、5本のテレビ・スペシャル番組、テレビ・シリーズ番組を1本制作した。アメリカ本国をはじめ英国、日本、オーストラリア、オランダ、ベルギーなど世界各国でツアーを行った。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "オリコンチャートブックの集計では1970年から1989年(いわゆるレコード時代)の日本での海外アーティスト別アルバム売上枚数はビートルズに次いで第2位である。シングル売上枚数は第1位。CD時代に入った後も、1995年発売のベスト盤『青春の輝き〜ベスト・オブ・カーペンターズ』が200万枚越えるセールスを記録する等、日本においても時代を超越して愛され続けているグループである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "カレンが、神経性無食欲症(いわゆる拒食症)の合併症による心停止のために死去してから、摂食障害の危険性の認識が深まったといわれている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "カーペンター兄妹は二人ともコネチカット州ニューヘイブンにある Grace–New Haven Hospital(現在のYale–New Haven Hospital)にてHarold Bertram(1908年11月8日 - 1988年10月15日没)とAgnes Reuwer(旧姓 Tatum、1915年3月5日 - 1996年11月10日没)の夫婦のもとに生まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ハロルドは父(兄妹の祖父、イギリス人)が宣教師として赴任していた中国で生まれた。その後、一家は1917年にイギリスにもどり1921年にはアメリカに渡り、技術者として身を立てた。父方の祖母のネリーは美しく、歌声はとても大きくてきれいだった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "兄妹の母であるアグネス・テイタム・カーペンターは、ボルチモア出身で小売店を営む家庭の4人姉妹として生まれた。アグネスの父は姉妹たちに一生懸命働くことの大切さと勤労道徳をしっかり教え込んだ、アグネスはとても意志が強く、ウエディングドレスも自作し、子供を守り家事をきっちりこなす母親であった。二人は1935年4月9日に結婚、第二次世界大戦が終わり、アメリカ庶民が手頃な価格で家が買えるようになった頃、カーペンター夫妻は1946年、ニューヘイブンの郊外に家を購入した(55 Hall Street, New Haven)。ハロルドはNew Heaven pulp and board companyでカラー・プレス工として働いた。アグネスとハロルドは週末は車の洗車をして家庭が豊かになるように努めた。兄であるリチャードは1946年10月15日生まれで、ハロルドの兄弟の名をとり、Richard Lynnと名付けられた。3年後の1950年3月2日、妹Karen Anneが誕生した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "夫妻は子供を非常にかわいがったが、リチャードによると、夫婦は表だった愛情表現をあまり好まなかった。この関係がカレンがのちに神経性食思不信になった時に周囲から母親からの愛情が足りないのが原因と指摘された由縁である。しかし、リチャードが後にテレビ番組で「うちの家族は他の家族の様にHugging(何かの折に愛情確認のために抱きしめる)はしないが、お互いのことをちゃんと思いやっているんだ」とコメントした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ハロルドは表立った愛情表現は下手であったが、音楽に対する感情表現を表すのは子供たちの前でもためらわなかった。ハロルドが集めた音楽はハリー・ジェイムス、レッド・ニコルズ、スパイク・ジョーンズ、チャイコフスキーやラフマニノフと多様で、これはリチャードが多種多様な音楽に触れるきっかけとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "リチャードはおとなしい子供で、ほとんどの時間をピアノを弾いたり音楽を聴いたりして家で過ごしていた。リチャードが3歳になるまでに興味を持ったのは、地下室でレコードプレーヤの前で何時間も音楽を聴くことであった。父は地下室の天井からブランコを吊るし、そこでカレンとリチャードはブランコに揺られながら音楽を聴いて育った。二人はいつも一緒でそれは生涯変わらなかった。リチャードは屋内で遊ぶのが好きであったが、カレンはかなりのおてんばで、よくソフトボールをして遊んでいた。リチャードは12歳の時にピアノを始め、16歳の時に近くのエール大学でピアノのレッスンを受けた。この頃になると、リチャードがミュージシャンとしての将来を目指していることは、近所の皆が感じていた。他の子供が外でローラー・スケートをしているころ、リチャードがピアノを練習している音が窓から聞こえたそうである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "母のアグネスはこの頃までには、リチャードがクラシック音楽でなく、何か違う音楽で身を立てると予感していたようで、毎日彼が練習するのを聞いていたという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "リチャードの音楽的才能に気づいた夫妻は、息子の音楽活動のためにハリウッドのある南カリフォルニアに引っ越すことを決断、友に別れを告げ、1963年6月、車に引っ越しの荷物を詰めてカリフォルニアを目指した。ハリウッドの中心ではなく、少し離れたダウニーに移り住んだ。ダウニーはニューヘイブンと同じく、郊外でミドルクラスといわれる家庭が住むのに適していた。彼が最初に住んだアパートは今もあり、リチャードはそこに1年以上いたといわれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "カーペンター家はニューヘイブンの家が売れず、経済的に苦しかった。そのため家族は最初にShoji Apartments(現在はThe Pinecrest Apts、12020 Downey Avenue, Downey, CA)に移り住んだ。最初はShojiアパートの22号室であったが、数か月後に向かいの大きな23号室に移り、約1年間過ごした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1965年の11月、父であるハロルドはようやくダウニーのフィドラー・アベニューに家族向けの一軒家を手に入れて移り住んだ。(リチャードはストーリーブック・ハウスと呼んでいる)この家が建っていた場所はパラマウントとベルフラワーの境界に位置していたため、高速105号線の建設でちょうどこの場所だけが取り壊され、歴史的建造物であることを惜しむ声も上がった。カーペンター一家はこのフィドラー・アベニューの家に1971年まで住み続けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "リチャード・リン・カーペンターは1946年10月15日、妹カレン・アン・カーペンターは1950年3月2日生まれである。リチャードは父親の膨大なレコード・コレクションを聴き、ピアノの練習に熱心だった。。一方カレンは親しみやすく外向的でスポーツを好んだが、兄と一緒に音楽を聴くことも多かった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1963年6月、両親のハロルドとアグネスは家族を連れてカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のダウニーに移り住んだ。リチャードを音楽業界へ近づけることと、カレンと父がニュー・イングランドの厳しい冬を嫌ったための移住であった。同年の秋からリチャードはダウニー高校へ通い、体育の代わりにバンドを選択科目とした。後にカレンも、これを参考にして選択を体育から音楽に変更した。音楽教師のブルース・ギフォードは、リチャードが「ラプソディ・イン・ブルー」を指示されて演奏するのを聴いて、リチャードのピアノ奏者としての才能を認めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "翌年度からリチャードはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校へ通い、将来の作曲パートナーとなるジョン・ベティスと出会った。ベティスの協力のもとに、リチャードはやがて「トップ・オブ・ザ・ワールド」、「愛にさよならを」、「オンリー・イエスタデイ」といったヒット曲を生み出していく。またリチャード・カーペンター・トリオでベースやチューバを演奏することになるウェズリー・ジェイコブズや、1966年にクリスマス・ソングのスタンダード「メリー・クリスマス・ダーリン」を共作するフランク・プーラーらと知り合ったのもこの学校でのことである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "カレンは、1964年にダウニー高校へ入学し、ドラム演奏の才能を見せはじめた。カレンは、運動は好きだが体育の授業は嫌いだったと述べている。カレンは体育から逃れるため、カリフォルニア州立大学学生であったリチャードに、やはり同様に体育からマーチング・バンドを選択できるように、教師を紹介してもらい、結果、ダウニー高校マーチング・バンドの一員となることを認められた。1963年、リチャードを教えていた教師のブルース・ギフォードは、カレンにグロッケンシュピールを担当させたが、カレンは気に入らなかった。あるインタビューでカレンは、「演奏に不便で運びにくく、バンドの演奏よりも常に4分の1音高い音を出すことなどに苛立っていた」と述べている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "その後間もなくカレンは、友人でありバンド仲間のフランキー・チャベスからドラムの演奏を勧められ、チャベスのセットを借りてドラムを教わった。「基礎から始めて2人で何時間も練習したのだろう」とリチャードは語っている。1964年に両親からラディックのドラムセットを買って貰ったころには、カレンの腕前はプロ並みに上達しており、リチャードが後年のドキュメンタリー『リメンバー・ザ・カーペンターズ』(\"Close to You:Remembering the Carpenters\")で語っているところによれば「エキゾティックな拍子記号の列を叩き出せるほどになっていた」という。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1965年まで1年間カレンはドラムの練習に励み、リチャードは教師フランク・プーラーの指導の下でピアノを練習した。兄妹はジャズ・トリオの結成を真剣に考えるようになり、親しくなったウェス・ジェイコブズとバンドを結成。ドラムはカレン、ピアノはリチャード、ベース/チューバはジェイコブズという編成のジャズ・トリオで、「リチャード・カーペンター・トリオ」と名乗った。1966年、トリオはハリウッド・ボウルで毎年行われていた \"Battle of the Bands\" (いわゆる対バン形式のコンテスト)に出場し、「イパネマの娘」のインストゥルメンタル・ヴァージョンや自作曲「アイス・ティー」を演奏した。1966年6月24日、トリオはこの大会で優勝し、RCAレコードとの契約を勝ち取った。そこで彼らはビートルズの「エヴリー・リトル・シング」やフランク・シナトラの「夜のストレンジャー」(\"Strangers in the Night\")などといった曲を録音した。しかし、RCAとの契約はすぐに打ち切られる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1966年、ロサンゼルスのベース奏者ジョー・オズボーンが所有していたガレージ・スタジオで深夜にセッションが行われることとなり、そこでオーディションを受けるトランペット奏者の伴奏を務めるために参加することとなったリチャードに、カレンも同行した。この時、ためしに歌ってみるようオズボーンから頼まれたカレンの声のすばらしさが認められ、1966年5月13日、カレンはオズボーンが立ち上げたばかりのレーベル、マジック・ランプ・レーベルとソロ・アーティストとしての短期レコード契約を結ぶこととなった。このレーベルからはリチャードが作曲した「ルッキング・フォー・ラヴ」(\"Looking for Love\")と「アイル・ビー・ユアズ」(\"I'll Be Yours\")を収録したシングルが制作されたが、レーベル自体がその後すぐに消滅。しかしオズボーンは、カレンとリチャードがA&Mレコードからのオファーを受けることとなる1969年まで、2人にデモ・テープの録音を続けさせた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "1967年、リチャードとカレンはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校の学生ミュージシャン4人と共に、「ザ・サマーチャイムズ」という名のセクステット(6重奏団)を結成した。やがて「スペクトラ」と改名し、最終的には「スペクトラム」の名に落ち着いた。グループはジョリー・ナイト・ステーキ・ハウスやウィスキー・ア・ゴーゴーなどで頻繁に演奏するようになった。スペクトラムはレコード会社と契約を交わせなかったが、同じバンドのメンバーであると同時に、のち1983年のカレンの死まで多くの楽曲の共作者となるジョン・ベティスと、リチャードは親交を深めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1968年、スペクトラム解散。リチャード・カーペンター・トリオのウェス・ジェイコブズは、ベースとチューバを演奏していたが、デトロイト交響楽団へ加入するためグループを去った(1970年首席チューバ奏者となった)。リチャードとカレンは1968年の中ごろにテレビ番組\"Your All American College Show\"から出演依頼を受けた。全国の大学からさまざまなグループを集めてコンテストに参加させるオーディション番組であった。兄妹はマーサ&ザ・ヴァンデラスの曲 \"Dancing in the Street\" で参加することとしたが、バンドを去ったジェイコブズの代わりとなるベース奏者が必要となり、オーディションを行った。結局、そのテレビ出演だけの臨時参加という形でビル・シショフが選ばれた。一時的なメンバーを加えたリチャード・カーペンター・トリオは1969年6月22日にテレビデビューを飾った。この演奏が、リチャードとカレンにとって初めてのテレビ出演でもあった。この出演を最後にリチャード・カーペンター・トリオは最終的に解散し、レコード会社からのオファーを待つこととなる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "当時はジミ・ヘンドリックスやビートルズ、ジャニス・ジョプリン、ローリング・ストーンズなどロックグループが主流だった。しかし、リチャードとカレンは自分たちの路線を貫き、二人は友人たちの手を借りながらさまざまなレコード・レーベルにデモ・テープを送り続けた。それがA&Mレコードの共同所有者でありトランペット奏者・ヴォーカリストでもあるハーブ・アルパートの関心を惹いた。このアルパートがリチャードとカレンを世に送り出すことになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1969年4月22日、リチャードとカレンは「カーペンターズ」名義でA&Mレコードとの契約を結んだ。当時の州法で19歳のカレンは未成年者だったため、両親も署名した。兄妹はあえて定冠詞 \"The\" の付かない\"Carpenters\"を契約上の名義とすることに決めた(\"The Carpenters\" は「カーペンター兄妹」ないし「カーペンター家」を意味するが、\"Carpenters\" だけでは「大工たち」の意味になる)。その理由についてリチャードは、2004年に発売された \"Gold:35th Anniversary Edition\" のライナーノーツにおいて、バッファロー・スプリングフィールドやジェファーソン・エアプレインのように、「ザ・〜ズ」ではないバンド名のほうがかっこいいと思ったからだと述べている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "A&Mレコードとの契約において、リチャードとカレンはスタジオ内での自由を与えられた。『オファリング』と題されて1969年にリリースされた彼らの最初のアルバムには、リチャードがスペクトラム時代に作曲ないし共作した楽曲もいくつか収録されている。このアルバムにおける人気曲は、ビートルズのヒット曲をバラード風にアレンジした「涙の乗車券」で、ビルボード・ホット100で最高54位、アダルト・コンテンポラリー・チャートでトップ20位入りするなど、まずまずのヒットとなった。この曲の成功を受けて、『オファリング』は1970年に『涙の乗車券』へと題名を変えて再発された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "アルバム『涙の乗車券』のチャート・アクションは今一つ振るわなかったが、リチャードとカレンはバート・バカラック/ハル・デヴィッド作の「close to you」でついに成功を手にする。このシングルは1970年にリリースされて初登場56位となり、1970年7月22日にはチャート1位に昇りつめ、4週にわたって首位の座を守った。また1970年ビルボード誌年間ランキングでは第2位となっている。ベストセラーとなったアルバム『close to you』の収録曲からはこの曲と「愛のプレリュード」がRIAAによってゴールドディスクに認定され、同アルバムは『ローリング・ストーン』誌による『偉大なアルバム500選』(\"500 Greatest Albums of All Time\")の175位にも選ばれている。その年の最優秀新人部門をはじめとする2つのグラミー賞も受賞した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "「Close to You」が1位となった直後に、カーペンターズがカヴァーした「愛のプレリュード」(ポール・ウィリアムス/ロジャー・ニコルス作)がビルボード・ホット100で第2位となり、アダルト・コンテンポラリーチャートでは首位を7週間保持した。リチャード自身もこの曲はグループの「代表曲」だと認めている。この曲はもともとウィリアムズとニコルズがクロッカー・ナショナル銀行のテレビCM曲として前年に作曲したものだが、リチャードはテレビで聴いたときにその曲のヒット性にいち早く気づいたのである。「愛のプレリュード」はウィリアムズとニコルズにとって初のヒット・シングルとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2人はその年の締めくくりとして、クリスマス・ソング「メリー・クリスマス・ダーリン」をリリースした。この曲は、カリフォルニア州立大学時代に2人の参加していた合唱団の監督を務めていたフランク・プーラーとリチャードが共作した作品で、1970年のビルボードのホリデイ・チャートで上位にランクインして、翌年以降も同チャートにたびたび登場した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "一連のヒット・シングルやアルバムによって、カーペンターズは1970年代を通じてヒット・チャートの常連となった。1971年のヒット曲「ふたりの誓い」は、元はサイ・ハワード監督による1970年の映画『ふたりの誓い』の結婚シーンのためにレコーディングされたものである。映画館でこの曲を聴いて気に入ったリチャードは、その後間もない1970年秋にこの曲を録音し、カーペンターズにとって3枚目のゴールド・シングルとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "続いて送り出された「雨の日と月曜日は」はビルボード・ホット100の第2位を記録し、ポール・ウィリアムズとロジャー・ニコルスにとって2曲目のヒット・シングルとなった。カーペンターズの評伝を著した作家コールマンは、「雨の日と月曜日は」をおそらく最もポピュラーなカーペンターズの楽曲であろうと評している。さらにこの曲はカーペンターズ第4のゴールド・シングルとなったが、1位獲得を阻んだのはキャロル・キングの「イッツ・トゥー・レイト」(\"It's Too Late\")だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "レオン・ラッセル/ボニー・ブラムレット作曲のシングル「スーパースター」はカーペンターズの次の代表曲となり、ここで聴かれる痛切で心に残るカレンの歌声は高い評価を受けている。この曲もビルボード・ホット100で第2位となった。1971年には彼ら自身の名をタイトルとしたアルバム『カーペンターズ』(日本盤タイトルは『ふたりの誓い』→『スーパースター』→『カーペンターズ』と改題された)がリリースされた。この作品は彼らにとって最も売れたアルバムの1つであり、RIAAのプラチナムを4度にわたって獲得(売上400万枚以上)している。この作品でカーペンターズはグラミー賞(Best Pop Performance by a Duo or Group with Vocal)を受賞し、3部門でノミネートされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "1972年にリチャードはエレキギターによるソロを導入したバラードを考案した。後にこうした形態の曲をハードロックやヘヴィメタルのバンドが継承して Power ballad と呼ばれる1ジャンルにまでなったことから、リチャードがこのジャンルの先駆者とみなされることもある。この曲「愛にさよならを」はリチャードとベティスによって作曲されたもので、カーペンターズが1972年に出した2枚目のシングルとして最高7位を記録した。「愛にさよならを」はビング・クロスビー主演の映画 \"Rhythm on the River\" に着想を得たものである。この映画は1940年に制作され、作中にはベイジル・ラスボーンが演じる作曲家が登場する。この作曲家は歴史上最も美しい歌 \"Goodbye to Love\" の作者として有名という設定である。リチャードによれば、この曲は映画の中に言及があるだけで演奏されてはいなかったが、同名の曲を自分で書こうと思いつき、1972年にベティスと共作するまでそのアイディアを温めていたという。2人はリードギタリストとしてトニー・ペルーソを招き、A&Mのスタッフもペルーソの大胆なソロに満足した。これを機にペルーソは1983年までカーペンターズの伴奏者を務めることとなった。しかし、ファンの中にはカーペンターズのレコードにエレキギターのソロが入ることに不満を抱く者も少なくなく、嫌がらせの手紙を送りつける者さえいたという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "1973年リリースのアルバム『ナウ・アンド・ゼン』のタイトルは2人の母アグネス・カーペンターの案による。この作品には『セサミ・ストリート』で挿入歌として使用された楽曲「シング」や、昔のラジオを懐かしむ懐古的な歌詞の「イエスタデイ・ワンス・モア」などが収録されている。日本とイギリスでのカーペンターズ最大のヒット曲である「イエスタデイ・ワンス・モア」はアルバムのB面1曲目に収録され、その後に60年代前半にヒットした例えばスキータ・デイヴィスの「この世の果てまで」などのオールディーズのメドレーが続き、聴き物となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "カーペンターズにとって初となるベスト・アルバムは \"The Singles:1969-1973\" と題され、アメリカとイギリスでアルバムチャートのトップに立っている。特にイギリスにおいては、1974年7月13日にエルトン・ジョンの『カリブ』にトップを奪われるまでトータル17週も首位に立ち、70年代に最も売れたアルバムのひとつとなっている。また、このアルバムはアメリカでも2008年までに700万枚以上を売り上げ、7倍のマルチ・プラチナ・ディスクを授与されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "このベスト・アルバム用に新たに作り直され、アルバムの先行シングルとしてリリースされたのが「トップ・オブ・ザ・ワールド」である。1972年リリースのアルバム『ア・ソング・フォー・ユー』に収められていたこの曲のアルバム・ヴァージョンを聴いたカントリー・シンガーのリン・アンダーソンがこの曲をカヴァーして1973年にリリースすると、リチャードとカレンも自分たちもシングルとしてリリースするべきかどうかについて議論した。A&Mの仕事仲間であったギル・フリーセンは、アルバム『ア・ソング・フォー・ユー』からはすでに4枚ものシングル(「ハーティング・イーチ・アザー」、「愛にさよならを」、「小さな愛の願い」、「愛は夢の中に」)をカットしていることを理由に反対したが、それにもかかわらず、一般からの需要は高いという判断により「トップ・オブ・ザ・ワールド」を1973年9月にシングルカットされ、同年12月にビルボードHOT100において2週連続で1位となり、カーペンターズにとって2枚目の全米1位シングルとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "カーペンターズは1974年には新しいアルバムを発表しなかった。リチャードはこれについて「単に時間がなかったから。アルバムを作る気分にもなれなかったし」と語っている。その代わりに、2人はポール・ウィリアムズ/ロジャー・ニコルズ作曲のシングル「愛は夢の中に」をリリースしている。これはもともと1972年のアルバム『ア・ソング・フォー・ユー』に収録されていたものだが、カーペンターズはそのLPをリリースした2年後になって、この曲をシングル・カットすることを決定した。1974年3月、そのシングル・ヴァージョンはビルボード・トップ100チャートの11位に達し、アルバム『ア・ソング・フォー・ユー』からの5番目のトップ20ヒットとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "一方、同1974年には『ナウ・アンド・ゼン』に収録されたハンク・ウィリアムズの「ジャンバラヤ」をアップテンポにリメイクした。この曲はアメリカでシングルとしてリリースされたほか、日本のチャートでも30位以内にランクインし、イギリスをはじめとする他の多くの国でもヒットした。オランダでは、カーペンターズにとって最大のヒット曲となったほどである。また1974年の暮れには、ジャズ調の編曲を施したクリスマス・ソング「サンタが街にやってくる」をシングルとしてリリースしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "1975年はまだ彼らにとって多作の年であった。マーヴェレッツが1961年にチャート1位を獲得したヒット曲で、モータウン・サウンドのクラシックであった「プリーズ・ミスター・ポストマン」をカヴァーしたシングルがヒット。これは1974年にリリースしたものだが、75年の1月にビルボード・トップ100で1位を獲得し、彼らにとっての3度目の(そして最後の)首位獲得作品となった。このシングルはまた、カレンとリチャードにとっての12番目のアメリカでのミリオンセラーにもなった。日本ではこのシングルが最高の売上枚数を記録している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "「プリーズ・ミスター・ポストマン」に続き、春にはリチャードとジョン・ベティスの共作「オンリー・イエスタデイ」がビルボードで4位まで上昇し、これは彼らにとって最後のアメリカでのトップ10ヒットとなった。リチャードとベティスはこの曲がヒット・シングルになるとは思っていなかったので、ロジャー・ヤングとの賭けでトップ5入りしない方に賭けており、2人はヤングに1000ドル支払うはめになったという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "1975年の上半期に成功を収めたこの2曲はいずれも1975年のアルバム『緑の地平線〜ホライゾン』に収められている。このアルバムはほかにもイーグルスの「デスペラード」とニール・セダカの「ソリテアー」のカヴァーを収録しており、これらも同じ年に中ヒットを記録した。このアルバムのジャケットは、日本人デザイナーの長岡秀星の代表作のひとつである。ただし、以降彼らのレコード・セールスは次第に下降線を辿り始めた。『緑の地平線〜ホライゾン』はプラチナム・アルバムに認定されたが、その後(アルバムからの2枚目のシングルがチャートから消えて以降)カーペンターズにとっては初めてマルチ・プラチナムに達することのなかったアルバムとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "1976年6月11日に発売された次のアルバム『見つめあう恋』も、ゴールド・ディスクには認定されたものの、彼らにとってはファースト・アルバム『涙の乗車券』以来の7年間で初めてプラチナ獲得に至らなかったアルバムである。それでも1976年のシングル・リリースは成功を収めていたが、当時のヒット・ラジオ番組は音楽的スタイルを変化させており、ついにはカーペンターズのような「ソフト」なグループの多くを苦しめるようになった。カーペンターズのその年最大のポップ・シングルはハーマンズ・ハーミッツのカヴァー「見つめあう恋」で、最高12位であった。カレンの最も好きな曲といわれる「青春の輝き」はビルボード・ホット100では25位にとどまったが、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは「見つめあう恋」に続き14枚目となる1位を獲得した。これは同チャートの歴史上他に類を見ない記録となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "彼らの功績の1つとして数えられることは少ないが、カーペンターズはアメリカでは最も早く自分たちのレコードの宣伝のためにミュージック・ビデオを制作したグループの1つである。1975年の初めに、彼らはディズニーランドで「プリーズ・ミスター・ポストマン」の演奏を撮影しているほか、「オンリー・イエスタデイ」をハンティントン・ガーデンで収録しているが、ここでのカレンは健康で調子良さそうに見える。しかし、1年後に撮影した「見つめあう恋」のビデオに出演した時には目に見えて違いが現れるようになっていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "1977年から1979年にかけてディスコ・ブームの真只中であり、カーペンターズやジョン・デンヴァーら大人向けの「イージー・リスニング」のアーティストは、ラジオなどで放送される機会がやや減りつつあった。1977年にリリースされたカーペンターズの実験的なアルバム『パッセージ』は、他の音楽ジャンルへ挑むことによって、より多くの層へ訴えかけようとする試みであったが、ラテン音楽(「一人にさせて」)、カリプソ(「恋の強がり」)、ポップ・ソング(「想い出にさよなら」、「あの日、あの時」)という不釣合いな混ぜ合わせに、「ふたりのラヴ・ソング」(アダルト・コンテンポラリー・チャート4位)、「星空に愛を(コーリング・オキュパンツ)」といったヒット曲を抱き合わせたというものである。最も有名な曲、ミュージカル『エビータ』から取られた「月影のバルコニー〜泣かないでアージェンティーナ」やクラトゥの「星空に愛を」などのカヴァーはいずれも合唱とオーケストラによる伴奏が加えられた。シングル「星空に愛を」はイギリスではヒットしたが、アメリカのポップ・チャートでは32位止まりとなり、カーペンターズとしては初めてゴールド認定となる50万枚の売り上げに達することのなかったアルバムとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "リチャードは『パッセージ』収録曲の「想い出にさよなら」は、きっとヒットすると感じていたため、A&Mにシングルでのリリースを決断させた。この曲はアン・マレーのシングルとして発売され、1979年のアダルト・コンテンポラリーおよびカントリー・チャートの両方で1位を獲得し、リチャードの感性の正しさを証明した。カーペンターズによる「ふたりのラヴ・ソング」と「星空に愛を」のミュージック・ビデオがDVD\"Gold:Greatest Hits\"で観ることができる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "国内チャートでの成績はやや振るわなくなってきたとはいえ、カーペンターズはまだ十分な人気を維持していた。1978年の初めには、アップテンポでフィドルを加味した「スウィート・スマイル」がカントリー・チャートで意外にもトップ10入りを果たした(ビルボード・ポップ・チャートではトップ40に若干及ばなかったが、アダルト・コンテンポラリーで7位、カントリー・チャートで8位を獲得した)。この曲は後年カントリーやポップのスターとなるジュース・ニュートンが作曲したものである。イギリスでは2作目のベスト・アルバム\"The Singles:1974-1978\"が発売された。一方アメリカではカーペンターズ初のクリスマス・アルバム『クリスマス・ポートレイト』が発売されてその季節の人気作品となり、勢いの衰えはじめたこの時期にあっては意外な売れ行きを見せ、カレンとリチャードに再びプラチナムをもたらした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "1979年、リチャードはカンザス州のリハビリ施設で薬物依存症からの回復を試みる。その間にカレンはニューヨークに渡って、プロデューサーにフィル・ラモーンを迎えた初のソロ・アルバムの制作を決意する。彼女はこのアルバムのためにより大人向けでディスコ調の作品を選び、これまでのイメージを払拭しようと努めた。だが、1980年の初頭に完成したソロ作品に対し、リチャードやA&Mは難色を示した。カレンにとっては不幸なことに、このアルバムは発表しないものとする決定が下され、この作品の制作費として印税から50万ドル以上の負債を請求されたのである。この決定に怒りを覚えつつも、ある面では慣れぬ仕事から解放されたカレンは、依存症から立ち直った兄と新しいアルバムの制作にとりかかる。お蔵入りになったカレンのソロ・アルバムは1996年10月に『遠い初恋』としてリリースされるまで未発表だったが、録音された楽曲のうち4つは1989年のカーペンターズのアルバム『愛の軌跡〜ラヴラインズ』の中で日の目を見た。その際に「イフ・アイ・ハド・ユー」はシングルとしてリリースされ、アダルト・コンテンポラリー・チャートで20位以内にランクインした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "カーペンターズは1980年に『Music』と題されたテレビの特番に出演し、エラ・フィッツジェラルドやジョン・デヴィッドソンをはじめとする著名なゲストと共演した。これはカレンがトム・バリスと結婚したのと同じ年に撮影されたもので、この時期のカレンは比較的健康な体重を取り戻していた。。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "1981年6月16日にリリースされたカーペンターズのデュオとしての次なるLP『メイド・イン・アメリカ』は、商業的には失敗に終わった。この作品はアメリカでは、カレンが亡くなる1983年初頭までは20万枚ほどしか売れていなかった。しかしながら、アルバムからシングル・カットされたロマンティックな「タッチ・ミー」はHot100で16位まで上昇し、全米ポップ・チャートにおける彼らの最後のトップ20ヒットシングルとなった。この曲はビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートでは彼らにとって15番目の首位記録作品でもある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "カレンのトーマス・ジェイムズ・バリスとの結婚や、彼女が患っていた拒食症などの個人的な問題は、グループの復帰に暗い影を落とした。瞬く間に恋に落ちたあと、カレンは不動産業者のバリスとの結婚式をビバリーヒルズ・ホテルのクリスタル・ルームで盛大に行った。1980年の8月31日に挙げられたこのセレモニーの中で、カレンは翌年に「タッチ・ミー」のカップリングとしてリリースされる、リチャードとベティスが書き下ろした楽曲「ウエディング・ソング」を披露している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "だが、結婚してから1年ほどの間に、彼女の容姿は変わり果てていった。『メイド・イン・アメリカ』の販売促進用に制作されたビデオで窺えるその姿は、もはや彼女が重病人であったことを裏付けるのに十分な証拠といえるものであった。カレンとバリスの結婚生活は惨憺たるものであり、彼らは1981年の終わりには別居する。1982年、カレンは障害の診療を受けるためニューヨークの著名な心理セラピスト、スティーブン・レベンクロンを訪ね、この年の11月には仕事に復帰して離婚手続きを完了するためにカリフォルニアへ戻った。カレンの甲状腺は通常のものであったが、新陳代謝を加速するために甲状腺の薬を通常の10倍服用していることが分かった。これに加えて大量の下剤(日に90錠から100錠)を服用していたことが、彼女の心臓を弱める原因となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "ニューヨークの病院での2か月以上にわたる治療を経て、カレンは30ポンド(13.6キログラム)以上も体重を戻したが、急激な体重の増加は、長年の無理なダイエットですでに弱っていた彼女の心臓に、さらなる負担をかけてしまった。1983年の2月4日の朝、カレンはダウニーの両親の家で心肺停止状態に陥ってダウニー・コミュニティ病院に運ばれるが、それから20分後に死亡が確認された。彼女はその日、離婚届へ署名するつもりであったという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "検死によると、カレンの死因は神経性無食欲症に起因するエメチンの心毒性であった。解剖学的な結論としては、心臓麻痺が第1の原因で、拒食症は第2の原因であった。第3に挙げられるのが悪液質で、これは負担や衰弱としては非常に軽いもので、慢性的な疾患と関連した一般的な体の衰えというべきものであった。エメチンの心毒性が死因であったことは、カレンが当時は簡単に入手できた薬である吐剤(誤って毒物を摂取してしまった人が即座に嘔吐できるようにするためのもの)を悪用していた可能性を示唆したが、明確な証拠はない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "彼女の告別式は1983年2月8日火曜日にダウニーの統一メソジスト教会で執り行われた。カレンは白い開いた棺にピンクのドレスを着せて横たえられ、およそ1,000人の会葬者が最後の別れを告げた。会葬者の中には、ドロシー・ハミル、オリビア・ニュートン=ジョン、ペトゥラ・クラーク、クリスティナ・フェラー、ディオンヌ・ワーウィックといった彼女の友人たちがいた。別居中であったカレンの夫も葬儀に出席し、結婚指輪を外して棺の中に入れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "1983年10月12日、ハリウッド名声の歩道のコダック・シアターから2、3ヤードほどのところにカーペンターズの星型プレートが飾られた。多くのファンと並び、リチャード、ハロルド、アグネス・カーペンターが除幕式に出席した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "カレンの死は拒食症だけでなく過食症に対してもメディアの注目を呼び寄せた。カレンの死によって有名人たちも自らの摂食障害を公表するようになったが、その中にはトレイシー・ゴールドやダイアナ妃といった人々がいた。医療センターや病院はこうした障害に悩む人々からの相談を受けることが多くなった。カレンの死が大きく報道されるまでは、一般大衆の間では拒食症や過食症についてあまり知られていなかったため、症状を正確に認識して対処することは困難だったのである。2003年12月、リチャードによってカレンと両親の遺骨がカリフォルニア州サイプレスのフォレスト・ローン記念公園から掘り起こされ、リチャードの自宅に近い場所となるカリフォルニア州ウェストレイク・ビレッジのピアース・ブラザーズ・ヴァリー・オークス記念公園に改葬された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "カレンの死後も、リチャードは未発表音源集やコンピレーション・アルバムなどデュオの作品のプロデュースを続けた。『メイド・イン・アメリカ』やそれ以前のアルバムでお蔵入りになっていた完成曲を収録したアルバム『ヴォイス・オブ・ザ・ハート』は1983年の終りにリリースされ、チャート46位に達してゴールド認定を受けた。このアルバムからは2枚のシングルがカットされた。「遠い初恋」はカレンのソロ・アルバム用に録音された曲の2つ目のヴァージョンである(1979年にボビー・ヴィントンによりマイナー・ヒットとなっていた)。このシングルはアダルト・コンテンポラリー・チャートで第7位となったが、ポップ・チャートでは101位にとどまった。次のシングル「ユア・ベイビー」はACチャート12位となったが、「バブル・アンダー」はチャート入りしなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "リチャード・カーペンターは1984年5月19日にメアリ・ルドルフと結婚した。1987年8月17日には長女クリスティが、1989年7月25日には次女トレイシィが、1992年7月25日には三女ミンディ・カレン(叔母の名を継いだ)が生まれ、その後もコリンとテイラーが生まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "1984年、リチャードはデュオの最初のクリスマス・アルバム『クリスマス・ポートレイト』からのアウトテイクに新しい音源を加えた2枚目のクリスマス・アルバム『オールド・ファッションド・クリスマス』を、カーペンターズの「新作」として制作した。また1987年には、リチャード初のソロ・アルバム『タイム』をリリースした。このアルバムからは、ダスティ・スプリングフィールドをゲスト・ヴォーカルに迎えた「サムシング・イン・ユア・アイズ」がヒット・シングルとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "カーペンターズのイメージを守りレコードの版権管理をしていこうと務めるリチャードに対しては批判が集中した。彼らを題材として扱うドキュメンタリーやドラマが制作されることになると、リチャードがそれらすべてに対して実質的な監督権を主張したためである。1987年には、トッド・ヘインズの自主制作短編映画 \"Superstar:The Karen Carpenter Story\" (カレンが衰えて早すぎる死を迎えるまでを、実際の女優ではなくバービー人形を用いて描いている)の配給に介入した。この映画のカレンに対する描写は同情的なものだったが、カレンの不幸を浮き立たせるために家族に対しては悪印象を与えるような表現がとられており、リチャードはカーペンターズの曲が無許可で使用されていることを根拠に訴訟を起こし、映画の配給を差し止めさせた。1989年のテレビ映画『カーペンターズ・ストーリー』(\"The Karen Carpenter Story\"、シンシア・ギブ主演)はリチャードの協力下に制作され、好意的な評価と高い視聴率を獲得した。この映画の放映後数週間はレコード屋からカーペンターズの在庫がなくなったほどである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "カレンのソロ・アルバム『遠い初恋』は1996年10月にリリースされた。CDにはA&Mが1980年にこのアルバムをお蔵入りにした経緯などを説明した、リチャードによるライナーノーツが付いている。ここに収録された楽曲は、ロック(ピーター・セテラをゲスト・ヴォーカルに迎えた「メイキング・ラヴ・イン・ジ・アフターヌーン」)からブルース(「ラスト・ワン・シンギン・ザ・ブルース」)まで、幅広いジャンルの音楽をカヴァーしている。なお、このアルバムのプロデューサーであるフィル・ラモーンはセテラがかつて所属していたバンド、シカゴの楽曲も数多く手がけている。カレンが1979年から1980年にかけて録音した未発表のソロ曲は他にも9曲ある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "1997年にリチャードは自身のピアニスト・編曲家・作曲家としての才能のすべてを注ぎ込んだアルバムを録音して発表したが、そのタイトルはまさに\"Pianist Arranger Composer Conductor\"というものであった(日本盤タイトルは『新たなる輝き:イエスタデイ・ワンス・モア』)。日本におけるカーペンターズの人気は非常に高く、カレンの死後も長く続いた。日本人でないアーティストのシングルが日本で大きく売れることは稀であるが、カーペンターズは例外である。カーペンターズのシングル3枚(「スーパースター」、「イエスタデイ・ワンス・モア」、両A面の「青春の輝き」/「トップ・オブ・ザ・ワールド」)がオリコンチャートのトップ10入りし、その他にも7曲がトップ40に入っている。1995年には日本市場向けにリチャードが編纂した『青春の輝き:ヴェリー・ベスト・オブ・カーペンターズ』(\"22 Hits of the Carpenters\")がチャートトップを獲得し、2002年には出荷枚数300万枚を突破する。2003年には300万枚突破記念盤として再発、2005年には10周年記念盤として再々発された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "リチャード・カーペンターは、妻のメアリ・ルドルフ・カーペンターおよび4人の娘と1人の息子らとともにカリフォルニア州サウザンド・オークスに住んでおり、夫妻は芸術家の後援活動をしている。2004年にリチャードと妻はカレンを記念したサウザンド・オークス市民芸術プラザ基金(Thousand Oaks Civic Arts Plaza Foundation)に対し、300万ドルの寄付を行うことを公約した。これを受けて2006年9月20日には初年度となる「リチャード・カーペンター奨学金コンクール・ショー」(Richard Carpenter Scholarship Competition Award Show)が開催された。ショーの後にはリチャードと娘のトレイシーやミンディも演奏した。リチャードはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校の「リチャード&カレン・カーペンター・パフォーミング・アーツ・センター」とも提携している。彼はカーペンター・センターの資金繰りを目的とすることも含めて、コンサート活動を継続している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "2001年にはヴァージニア州ノーフォークで行われたペトゥラ・クラークの「サイン・オブ・ザ・タイムズ」コンサートにゲスト出演し、演奏の一部はCDやDVDでリリースされたほか、PBSの特番で放映された。2002年にリチャードはクラークをカーペンター・センターへ招いたり、クラークのCD \"The Ultimate Collection\" で客演するなどもしている。2007年、中国のラジオ番組China Driveがリスナーに対して「初めて聞いた英語の歌」を募ったところ、50%以上が「イエスタデイ・ワンス・モア」を挙げた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "2008年、アルバム『ナウ・アンド・ゼン』(1973年)のジャケットで有名になった、カリフォルニア州ダウニーのニューヴィル・アヴェニューにあるカーペンター家の家屋の取り壊しが間近に迫った際には、ファンによって抗議運動が展開された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "2008年6月1日、ハリウッドにあるUniversal Studiosで火災があり、保管されていたUMGのものを含めた、50万を超える映画や音楽の原盤(オリジナルのマスターテープ)を焼失してしまった中にカーペンターズのものも含まれていたことが、40周年記念アルバム『40/40』制作時にマスターテープが届かないことを不審に思ったリチャード・カーペンターの問合せによって判明した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "カーペンターズの音楽を特徴的なものにした要素の1つは、カレンの用いた低い音域の声である。ジャズやカントリー・ミュージックの分野には見られたが、当時のポピュラー音楽の世界にアルト歌手はほとんど存在しなかった。しかし、カレンはおよそ3オクターヴにわたる広い声域をもっていたのである。リチャードの声もカレンの歌声と非常に相補的なものだと評価されていた。カレンは高い音域の声も出すことはできたが、低音(カレンは自分の \"basement\" と呼んでいた)ほど特質のあるものではなかった。リチャードはカーペンターズのオフィシャル・サイトのファンからの質問のページで、カレンと自分は彼女の「胸声」に魔法のようなものを感じており、音の豊かさという点では比較にならなかったため、彼女の高音を強調するつもりはまったくなかったと述べている。", "title": "音楽と歌詞のスタイル" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "カレンの「魔法」が低音域にあったため、リチャードはカヴァー曲はもちろん自作曲もカレンにふさわしいキーで編曲しなおした。カーペンターズの曲の多くはD(「ユー」「見つめあう恋」)、E(「イエスタデイ・ワンス・モア」)、G(「恋よさようなら」「リーズン・トゥ・ビリーヴ」「ふたりの誓い」「ユール・ラヴ・ミー」)などのキーを用いている。カレンはこれらDからGまで、場合によってはA、B、Cも用いているが、こうした芸当のできる歌手は多くないことから、カレンの声域の広さはよく知られている。", "title": "音楽と歌詞のスタイル" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "歌手であると同時にドラマーでもあったカレンは、1974年まではしばしばドラムも演奏していた。リチャードによれば、カレンは自分を「歌えるドラマー」だと考えていた。5フィート4インチ(163センチメートル)しかなかったカレンは、ライヴでドラムを演奏するとキットの陰に隠れてよく見えなかった。やむをえず2人は、バラードの時にはカレンが立ち上がって歌い、それ以外のあまり有名でない曲の時には座るという妥協案を見出した。年が経つにつれ、カレンがドラムを演奏している時にも彼女のヴォーカルを求める声が高まるようになり、カレンがドラムの前に座る時間は徐々に減っていった。1976年のアルバム『見つめあう恋』のころには、カレンはまったくドラムを叩かなくなっていた。", "title": "音楽と歌詞のスタイル" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "カーペンターズの音楽は、そのアレンジの見事さによって高く評価されている。アレンジは大抵リチャードが担当し、その手腕は広く賞賛された。アレンジの大半はクラシックのスタイルで、多くの弦楽器や、ときには金管楽器や木管楽器も用いた(「星空に愛を(コーリング・オキュパンツ)」では、160人以上の歌手と演奏家を迎えている)。著名な音楽評論家のダニエル・レビティンは \"Electronic Musician\" 誌において「リチャード・カーペンターこそ、ポップ・ミュージック界で最も才能あるアレンジャーの1人である」と述べている。", "title": "音楽と歌詞のスタイル" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "1969年の最初のアルバム『オファリング』に対するレヴューはあまり芳しいものではなく、カーペンターズのスタートは順調なものではなかったが、2人はバート・バカラックの前座として自分たちのプロモートに励んだ。1974年のラスヴェガスのホテルリヴィエラにおけるコンサートのときに、リチャードはそのいきさつについて説明した。映画『ハロー・ドリー!』封切り後のベネフィット・ディナーの際にバカラックの方から彼らの元を訪れて、後日行われるバカラックのディナー・ショーの前座をやってみないかと誘ったのである。このときにバカラックは自分の曲をどれでもいいからメドレーにして歌ってみろとの要求を出した。カーペンターズは2か月をかけて8曲のメドレーをまとめ上げた。このメドレーは全部で13分近くあったものを5分に短縮した上で1971年のアルバム『カーペンターズ』に収録された。", "title": "プロモーション活動とツアー" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "カーペンターズはコンサート・ツアーやテレビ出演などの過密なスケジュールをこなしていった。彼らが出演したテレビ番組には『エド・サリヴァン・ショー』やジョニー・カーソン司会の『ザ・トゥナイト・ショー』、『キャロル・バーネット・ショー』(\"The Carol Burnett Show\"、1971年および1972年)、『マイク・ダグラス・ショー』(\"The Mike Douglas Show\"、1971年)などがあり、『ジョニー・キャッシュ・ショー』(\"The Johnny Cash Show\"、同じく1971年)では「ふたりの誓い」と「雨の日と月曜日は」を演奏した。BBCのテレビ特番 (\"Carpenters:Live at the BBC\") では生演奏を披露している。彼らはまた夏の間だけのシリーズ番組\"Make Your Own Kind of Music\"で主演を務め、アメリカでは毎週火曜日の午後8時にNBCで放送された。1980年のラジオでのインタビューでカレンとリチャードのいずれもが、1970年代初めのテレビとの関わりにおいて自分たちはつけ込まれ利用されていたこと、その後の作品を制作してゆく上での支配権を握られそうになっていたことなどを述べている。", "title": "プロモーション活動とツアー" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "1973年5月には、時のアメリカ大統領リチャード・ニクソンと訪米中の西ドイツ首相ヴィリー・ブラントからの招待を受け、ホワイトハウスで演奏することになった。", "title": "プロモーション活動とツアー" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "カーペンターズは1971年から1975年にかけて数多くのコンサートを行っている。以下の表はリチャードが保存していた旅行記録に基づいたものである。", "title": "プロモーション活動とツアー" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "1970年代の中ごろには、度重なるツアーや長期に及ぶレコーディング・セッションが2人を蝕みはじめており、2人の十数年にわたる活動の後半は仕事の上でも個人生活の上でも問題を抱えたものとなっていた。カレンは強迫観念的にダイエットをするようになり、やがて神経性無食欲症になって症状も進行していった。この拒食症が最初に現われたのは、ラスヴェガスでのショーの途中でカレンが倒れた1975年のことである。カレンは消耗しきっており、フィリピンとイギリスおよび日本へのコンサート・ツアーはキャンセルするよう命じられた。リチャードはその時期の6、7日の過密スケジュールのことを後悔しており、現在明らかになったことを当時すでに知っていたら絶対にそのような日程には同意しなかっただろうと語っている。カレンはシングル「オンリー・イエスタデイ」のミュージック・ビデオを撮影したころには(まだ病的ではなかったが)顕著に痩せて見えるようになった。一方リチャードもメタカロン(催眠剤)の中毒に陥っており、1970年代後半には演奏に悪影響を及ぼしはじめ、これらをきっかけとして1978年に2人はライヴ・コンサートへの出演を辞めることとなった。", "title": "プロモーション活動とツアー" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "カーペンターズとして行った日本公演は、1972年、1974年、1976年の3回である。1974年の日本公演では、武道館ではひばり児童合唱団と、京都では地元の合唱団(リチャードが「Kyoto Children's choir」と紹介していた。)と「シング」を日本語で歌った。", "title": "プロモーション活動とツアー" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "カーペンターズが司会を務めるテレビ特番も大変好評で、1976年から1980年にかけて計5本のレギュラー番組を持っていた。なかでも1976年12月8日放送の\"The Carpenters' Very First TV Special\"は人気を博し、アメリカの視聴率調査会社ニールセンのランキングで第6位となった。彼らのショーには大抵「shtick」(演出上の見せ場として、お決まりのギャグなどを演じる滑稽な場面)があり、リチャードはこれを大変嫌っていたものの、カレンは気に入っており、その個性をカメラの前で花開かせることとなった。", "title": "テレビ特番" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "カーペンターズ最後のテレビ特番\"Music\"は1980年5月に放送された。この番組には「shtick」はなく、音楽だけで構成されていた。テレビ司会者のジョン・デヴィッドソンや有名なスタンダード歌手のエラ・フィッツジェラルドらがゲスト出演し、さまざまな歌を披露した。この番組で演奏された曲の多くは2004年にアルバム『レインボウ・コネクション〜アズ・タイム・ゴーズ・バイ』に収録された。カーペンターズのオフィシャル・サイトで、このアルバムに収められた15曲のうち5曲が\"Music, Music, Music!\"から採られたものであると明記されている。", "title": "テレビ特番" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "しかし、ABCは彼らの純粋に音楽だけで番組を構成するという方針に不満を覚えていた。ドキュメンタリー『リメンバー・ザ・カーペンターズ』(\"Close to You:Remembering the Carpenters\")で、リチャードはABCのスタッフがこぼした「一体あいつらはこれを何だと思っているんだ? PBSの番組か?」という言葉を引用している(PBSは教養番組を主とするアメリカの公共放送局で、日本ではNHK教育にあたる)。皮肉にも、このドキュメンタリーは翌1998年にMPIホーム・ビデオ社からDVDとして発売される前にPBSで放映された。", "title": "テレビ特番" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "カーペンターズの絶大な人気は、音楽評論家たちの批判をはねのける勢いをもっていた。バラードやミドルテンポのポップスを中心とした2人の音楽性は、批評家たちから退屈で甘ったるいと斬り捨てられていたのである。しかし、レコード業界は2人にいくつもの賞を授与した。カーペンターズはそのキャリアにおいて3度のグラミー賞を受賞している(1970年に最優秀新人賞および「close to you」で最優秀ボーカル・グループ賞、1971年に『スーパースター』で最優秀ボーカル・グループ賞)。また、1973年には、投票によって第1回アメリカン・ミュージック・アワードの最優秀ポップ・ロック・デュオにも選ばれた。", "title": "評価と影響" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "多くの批評家たちから「ミルクを飲んで、アップル・パイを食べて、シャワーを浴びる」といった印象だと批判されたことに対して、リチャードはインタビューにおいてたびたび「自分はミルクなど好きではないし、ワインも飲む。マリファナ合法化のために投票さえした」とまで言いながら、そうした評価を払拭しようと努めている。", "title": "評価と影響" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "レイ・コールマンの著書 \"The Carpenters:The Untold Story\" (『カレン・カーペンター:栄光と悲劇の物語』)においてもリチャードは、カーペンターズのイメージをひたすら「清廉潔白」にしておこうと務めるA&Mの経営陣や、彼らの音楽よりも彼らのイメージばかりを批評する評論家に対して、自分がいかに嫌悪感を抱いていたかを強調している。", "title": "評価と影響" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "カーペンターズの本格的な再評価は、1990年代から2000年代にかけて各国で制作された、\"Close to You:Remembering the Carpenters\"(アメリカ)や \"The Sayonara\"(日本)、\"Only Yesterday:The Carpenters Story\"(イギリス)などさまざまなドキュメンタリーによってもたらされた。作品の技術的な質の高さや歌に奥底に秘められた悲しみ、カレンの歌声やその人生に刻まれた苦悩が多くのファンを惹きつけた。彼女の特徴的なヴォーカルが、その後のポップ・ミュージックにアン・マレーやリタ・クーリッジ、メリサ・マンチェスターといったアルト歌手を登場させる契機になったといわれている。", "title": "評価と影響" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "1990年代のR&Bグループ、ボーイズIIメンさえもが自分たちに影響を与えたアーティストとしてカーペンターズの名を挙げている。1990年にオルタナティヴ・ロック・バンドのソニック・ユースは \"Tunic (Song for Karen)\" という曲を録音した(アルバム『GOO』収録)。これはカレンが新しい「友だち」のデニス・ウィルソンやエルヴィス・プレスリー、ジャニス・ジョプリンらの元を訪ねてもう一度ドラムを演奏するために家族へ別れを告げるという内容の歌である。批評家からはそのサウンドが「ソフトすぎる」と批判されていたにもかかわらず、カーペンターズをロックの殿堂へ入れるべきだとする運動や嘆願書が数多く存在する。", "title": "評価と影響" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "1994年のトリビュート・アルバム『イフ・アイ・ワー・ア・カーペンター〜カーペンターズに捧ぐ』では、ソニック・ユースやベティー・サーヴァート、少年ナイフ、グラント・リー・バッファロー、マシュー・スウィート、クランベリーズといったアーティストによって、カーペンターズのヒット曲のオルタナティブ・ロック的解釈が試みられた。", "title": "評価と影響" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "カーペンターズの曲の多くは、もはやポップ・スタンダードとなっている。特に「close to you」などはカラオケで歌われることも多い。この曲は『バックマン家の人々』で挿入歌として使用され、『ザ・シンプソンズ』の2つのエピソードや『ザ・シンプソンズ MOVIE』でも使われている。代表曲の一つ「愛のプレリュード」は結婚式や披露宴の定番であり、映画『スタスキー&ハッチ』(\"Starsky & Hutch\")や『1408号室』でも印象的に用いられている。「スーパースター」はルーサー・ヴァンドロスやルーベン・スタッダードからベット・ミドラー、ソニック・ユースに至るまで、数多くのアーティストによってカヴァーされた。クレイ・エイケンはテレビ番組『アメリカン・アイドル』でこの曲を歌い、若い世代にもこの曲を知らしめた。「愛のプレリュード」と「close to you」は、その良質さと歴史的重要性からグラミーの殿堂入りを果している。", "title": "評価と影響" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "自分に大きな影響を与えた人物としてカレン・カーペンターの名を挙げている現代のアーティストには、クリスティーナ・アギレラ、グウェン・ステファニー、シャナイア・トゥエイン、アナスタシア、メアリー・J. ブライジ、アリシア・キーズ、リアン・ライムス、ケリー・ジョーンズ(ステレオフォニックス)、ジョニー・ボーレル(レイザーライト)、ジョー・オメアラ(S Club 7)、マドンナなどがいる。", "title": "評価と影響" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "クイーンはプロフィールにカーペンターズを「嫌いなアーティスト」として挙げていた。", "title": "評価と影響" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "リチャードと妻メアリ・ルドルフ・カーペンターは、2007年にベンチュラ郡のフィランソロピスト(社会奉仕家)・オブ・ザ・イヤー賞を授与された。", "title": "評価と影響" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国のバンドカーペンターズのディスコグラフィは、14枚のスタジオ・アルバム、2枚のライブ・アルバム、11枚のコンピレーション・アルバム、3作の音楽ビデオ、1枚のトリビュート・アルバム、46枚のシングル、2枚のサウンドトラックにより構成される。その経歴を通じて、カーペンターズは解散までにリード・アーティストとして30枚のシングルをリリースした。この30枚のうち13枚がRIAAによってゴールドディスクに認定され、22枚がアダルト・コンテンポラリー・チャートのトップ10に到達した。またカーペンターズは1969年から1983年までに10枚のアルバムを発表した。そのうち6枚のアルバム(『close to you』、『カーペンターズ』、『ア・ソング・フォー・ユー』、『ナウ・アンド・ゼン』、『緑の地平線〜ホライゾン』、『見つめあう恋』)がビルボード・ホット100のトップ20入りした曲を収録している。", "title": "ディスコグラフィ" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "1970年代を通じて、リチャードとカレンはグラミー賞に何度もノミネートされている。リチャードはインストゥルメンタル曲『フラット・バロック』(\"Flat Baroque\")によって、個人でもノミネートされた。2人はグラミー賞を3度受賞し、2曲が殿堂入りを果している。", "title": "グラミー賞受賞歴" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "6月2日 日本武道館", "title": "日本公演" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "5月31日 日本武道館、6月1日 静岡駿府会館、6月4日 京都会館、6月5日 広島県立体育館、6月7日 大阪フェスティバルホール、6月8日 横浜文化体育館、6月10日 名古屋市民会館、6月12日 日本武道館", "title": "日本公演" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "本来なら1975年に実施されるはずだったが、カレンの体調不良でドクターストップがかかり、翌76年に延期された。(★の付いている公演日は、1日2回公演) 3月15日・16日 日本武道館、3月17日 静岡市駿府会館、3月18日 愛知県体育館、3月19日 神戸市立中央体育館、3月20日 京都体育館、3月21日 和歌山県立体育館、3月24日★・25日★、26日★ 大阪フェスティバルホール、3月28日 金沢大乗寺山・実践倫理記念会館、3月29日 岡山市立体育館、3月30日 山口県体育館、3月31日★ 福岡 九電記念体育館、4月1日 熊本市立体育館、4月2日 広島県立体育館、4月5日★ 仙台宮城県スポーツセンター、4月7日 札幌真駒内アイスアリーナ、4月9日 日本武道館、4月10日★ 神奈川県民ホール、4月11日 水戸笠松運動公園体育館", "title": "日本公演" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "1971年、A&Mのグラフィック部門はクレイグ・ブラウン&アソシエーツを雇い、カーペンターズの最新作となる3枚目のアルバム『カーペンターズ』のジャケットのデザインを依頼した。リチャードは仕上がったロゴを一目見るなり最高の出来だと感じたと語っている。その後カーペンターズのアルバムすべてにおいてこのロゴが使用されることになったが、ファンからは「なぜ『パッセージ』にだけこのロゴが使用されていないのか」という質問が多く寄せられている。これに対しリチャードは裏ジャケットの下中央で使われているはずだと答えている。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "日本でも現在に至るまでその人気は確かなもので、広告・ドラマの主題歌などさまざまなメディアで耳にする機会は少なくない。また、彼ら自身が1970年代に森永製菓のハイクラウンチョコレートや、サントリーのソフトドリンク、ポップのCMに起用されていたことがある。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "スローテンポで聴きやすいスタンダードポップス、音楽的にも優れた楽曲、覚えやすく歌いやすいメロディー、カレンの正確な発音、正しい英文法、基本的な単語で構成された歌詞、スラングがないこと、ヒット曲が多いこと......などから、ビートルズなどと共に「英語教材」としても一般的に広く薦められている。", "title": "備考" } ]
カーペンターズは、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス出身の兄妹が中心メンバーのポップ・ミュージック・グループ。ピアノとアレンジを兄のリチャードが受け持ち、ヴォーカル(初期はドラムスも)を妹カレンが担当した。ロック全盛の1970年代において独自の音楽スタイルを貫き、大きな成功を収めた。1983年のカレンの死により活動を終えた。 代表曲に「遥かなる影」、「雨の日と月曜日は」、「スーパースター」、「イエスタデイ・ワンス・モア」、「トップ・オブ・ザ・ワールド」、「青春の輝き」等がある。
{{otheruses|アメリカの兄妹ポップ・デュオ|その他の用法|カーペンター}} {{出典の明記|date=2021年5月}} {{Infobox Musician | 名前 = カーペンターズ | 画像 = Carpenters - Nixon - Office.png | 画像説明 = 1972年8月1日 [[ホワイトハウス]]にて撮影 | 画像サイズ = 280px | 画像補正 = | 背景色 = group | 別名 = <!-- 活動時に使用した別名義を記載。 --> | 出身地 = {{USA}} [[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]] | ジャンル = {{Hlist-comma|[[ポップ・ミュージック|ポップ]]<ref name="allmusic">{{Cite web |first=Stephen Thomas |last=Erlewine |authorlink=スティーヴン・トマス・アールワイン |title=Carpenters Biography, Songs, & Albums |url=https://www.allmusic.com/artist/carpenters-mn0000051909/biography |website=[[オールミュージック|AllMusic]] |publisher=RhythmOne |accessdate=2020-08-02 }}</ref>|[[ソフトロック]]<ref name="allmusic" />}} | 活動期間 = 1969年 - 1983年 | レーベル = [[A&Mレコード]] | 事務所 = | 共同作業者 = | 公式サイト = {{URL|https://www.carpentersofficial.com/|カーペンターズ公式サイト}} | メンバー = {{Plainlist| * [[カレン・カーペンター]] ([[ボーカル]]・[[ドラムセット|ドラムス]]) * [[リチャード・カーペンター]] (ボーカル・[[鍵盤楽器]]) }} }} '''カーペンターズ'''({{lang-en-short|Carpenters}}<ref group="注" name="35thanniversary">'''The Carpenters'''と表記されることが多いが、正式には単に'''Carpenters'''の表記が正しいCarpenter, Richard (2004). Album notes for ''The Carpenters Gold:35th Anniversary Edition'' by The Carpenters. A&M Records. [https://musicbrainz.org/release/bcc87110-9bbe-447f-81bf-69e828436508 The Carpenters Gold:35th Anniversary Edition] at [[MusicBrainz]].</ref>)は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]出身の兄妹が中心メンバーの[[ポピュラー音楽|ポップ・ミュージック]]・グループ。[[ピアノ]]とアレンジを兄の[[リチャード・カーペンター|リチャード]]が受け持ち、[[ヴォーカル]](初期はドラムスも)を妹[[カレン・カーペンター|カレン]]が担当した。[[ロック (音楽)|ロック]]全盛の[[1970年代]]において独自の音楽スタイルを貫き、大きな成功を収めた<ref name="billboard">{{cite web |url=https://www.billboard.com/bbcom/bio/index.jsp?pid=4243|title=Billboard - The Carpenters Biography|accessdate=2007-12-28 |last=Erlewine|first=Stephen Thomas|work=Billboard|archiveurl=https://archive.is/4dYE|archivedate=2012-12-09}}</ref><ref name="webbio">{{cite web|url=http://www.richardandkarencarpenter.com/biography.htm|title=Carpenters Biography 2005|accessdate=2007-11-30|author=Carpenter, Richard|year=2005|work=The Carpenters Official Website|pages=1-10}}</ref>。[[1983年]]のカレンの死により活動を終えた。 代表曲に「[[遥かなる影]]」、「[[雨の日と月曜日は]]」、「[[スーパースター (デラニー&ボニーの曲)|スーパースター]]」、「[[イエスタデイ・ワンス・モア]]」、「[[トップ・オブ・ザ・ワールド (カーペンターズの曲)|トップ・オブ・ザ・ワールド]]」、「[[青春の輝き]]」等がある。 == 概要 == 1970年代を中心に、アメリカのラジオ番組『[[アメリカン・トップ40]]』やアダルト・コンテンポラリー・チャートでの記録を塗り替え、[[ソフトロック]]や[[イージーリスニング]]、[[アダルト・コンテンポラリー・ミュージック]]といったジャンルにおける主要なヒットメーカーとなった。[[Billboard Hot 100]]で1位となったシングルが3曲、アダルト・コンテンポラリー・シングル・チャートで1位が15曲ある。さらに、トップ10入りは12曲に及ぶ。アルバム・シングルの総売上枚数は1億枚を上回るとされている<ref name="webbio"/>。 14年間の活動で、11枚のアルバム(うち『[[遙かなる影 (アルバム)|close to you]]』『[[カーペンターズ (アルバム)|カーペンターズ]]』『[[ア・ソング・フォー・ユー (アルバム)|ア・ソング・フォー・ユー]]』『[[ナウ・アンド・ゼン (カーペンターズのアルバム)|ナウ・アンド・ゼン]]』『[[緑の地平線〜ホライゾン]]』の5枚がトップ10シングル曲を収録)、31枚のシングル、5本のテレビ・スペシャル番組、テレビ・シリーズ番組を1本制作した。アメリカ本国をはじめ英国、日本、オーストラリア、オランダ、ベルギーなど世界各国でツアーを行った。 オリコンチャートブックの集計では[[1970年]]から[[1989年]](いわゆる[[レコード]]時代)の日本での海外アーティスト別アルバム売上枚数は[[ビートルズ]]に次いで第2位である。シングル売上枚数は第1位。CD時代に入った後も、[[1995年]]発売のベスト盤『[[青春の輝き〜ベスト・オブ・カーペンターズ]]』が200万枚越えるセールスを記録する等、日本においても時代を超越して愛され続けているグループである。 カレンが、[[神経性無食欲症]](いわゆる拒食症)の合併症による心停止のために死去してから、[[摂食障害]]の危険性の認識が深まったといわれている<ref>{{Citation|last=Costin|first=Carolyn|publication-date=1999|title=The Eating Disorder Sourcebook|publication-place=New York, New York|publisher=McGraw-Hill Professional|isbn=1565658531}}</ref><ref>{{Citation|last=Zerbe|first=Kathryn J.|publication-date=1995|title=The Body Betrayed:A Deeper Understanding of Women, Eating Disorders, and Treatment|publication-place=Carlsbad, California|publisher=Gurze Books, LLC.|isbn=0936077239}}</ref>。 == 歴史 == === 家族の歴史とダウニーまでの道のり === カーペンター兄妹は二人とも[[コネチカット州]][[ニューヘイブン (コネチカット州)|ニューヘイブン]]にある Grace–New Haven Hospital(現在のYale–New Haven Hospital)にてHarold Bertram(1908年11月8日 - 1988年10月15日没)とAgnes Reuwer(旧姓 Tatum、1915年3月5日 - 1996年11月10日没)の夫婦のもとに生まれた。 ハロルドは父(兄妹の祖父、イギリス人)が[[宣教師]]として赴任していた[[中国]]で生まれた。その後、一家は1917年にイギリスにもどり1921年にはアメリカに渡り、技術者として身を立てた。父方の祖母のネリーは美しく、歌声はとても大きくてきれいだった。 兄妹の母であるアグネス・テイタム・カーペンターは、ボルチモア出身で小売店を営む家庭の4人姉妹として生まれた。アグネスの父は姉妹たちに一生懸命働くことの大切さと勤労道徳をしっかり教え込んだ、アグネスはとても意志が強く、ウエディングドレスも自作し、子供を守り家事をきっちりこなす母親であった。二人は1935年4月9日に結婚、第二次世界大戦が終わり、アメリカ庶民が手頃な価格で家が買えるようになった頃、カーペンター夫妻は1946年、ニューヘイブンの郊外に家を購入した(55 Hall Street, New Haven)。ハロルドはNew Heaven pulp and board companyでカラー・プレス工として働いた。アグネスとハロルドは週末は車の洗車をして家庭が豊かになるように努めた。兄であるリチャードは1946年10月15日生まれで、ハロルドの兄弟の名をとり、Richard Lynnと名付けられた。3年後の1950年3月2日、妹Karen Anneが誕生した。 夫妻は子供を非常にかわいがったが、リチャードによると、夫婦は表だった愛情表現をあまり好まなかった。この関係がカレンがのちに神経性食思不信になった時に周囲から母親からの愛情が足りないのが原因と指摘された由縁である。しかし、リチャードが後にテレビ番組で「うちの家族は他の家族の様にHugging(何かの折に愛情確認のために抱きしめる)はしないが、お互いのことをちゃんと思いやっているんだ」とコメントした。 ハロルドは表立った愛情表現は下手であったが、音楽に対する感情表現を表すのは子供たちの前でもためらわなかった。ハロルドが集めた音楽は[[ハリー・ジェイムス]]、レッド・ニコルズ、[[スパイク・ジョーンズ (音楽)|スパイク・ジョーンズ]]、[[チャイコフスキー]]や[[ラフマニノフ]]と多様で、これはリチャードが多種多様な音楽に触れるきっかけとなった。 リチャードはおとなしい子供で、ほとんどの時間をピアノを弾いたり音楽を聴いたりして家で過ごしていた。リチャードが3歳になるまでに興味を持ったのは、地下室でレコードプレーヤの前で何時間も音楽を聴くことであった。父は地下室の天井からブランコを吊るし、そこでカレンとリチャードはブランコに揺られながら音楽を聴いて育った。二人はいつも一緒でそれは生涯変わらなかった。リチャードは屋内で遊ぶのが好きであったが、カレンはかなりのおてんばで、よくソフトボールをして遊んでいた。リチャードは12歳の時にピアノを始め、16歳の時に近くの[[エール大学]]でピアノのレッスンを受けた。この頃になると、リチャードがミュージシャンとしての将来を目指していることは、近所の皆が感じていた。他の子供が外でローラー・スケートをしているころ、リチャードがピアノを練習している音が窓から聞こえたそうである。 母のアグネスはこの頃までには、リチャードがクラシック音楽でなく、何か違う音楽で身を立てると予感していたようで、毎日彼が練習するのを聞いていたという。 リチャードの音楽的才能に気づいた夫妻は、息子の音楽活動のためにハリウッドのある南カリフォルニアに引っ越すことを決断、友に別れを告げ、1963年6月、車に引っ越しの荷物を詰めてカリフォルニアを目指した。ハリウッドの中心ではなく、少し離れた[[ダウニー (カリフォルニア州)|ダウニー]]に移り住んだ。ダウニーはニューヘイブンと同じく、郊外でミドルクラスといわれる家庭が住むのに適していた。彼が最初に住んだアパートは今もあり、リチャードはそこに1年以上いたといわれている。 === ダウニーにて === カーペンター家はニューヘイブンの家が売れず、経済的に苦しかった。そのため家族は最初にShoji Apartments(現在はThe Pinecrest Apts、12020 Downey Avenue, Downey, CA)に移り住んだ。最初はShojiアパートの22号室であったが、数か月後に向かいの大きな23号室に移り、約1年間過ごした。 1965年の11月、父であるハロルドはようやくダウニーのフィドラー・アベニューに家族向けの一軒家を手に入れて移り住んだ。(リチャードはストーリーブック・ハウスと呼んでいる)この家が建っていた場所はパラマウントと[[ベルフラワー (カリフォルニア州)|ベルフラワー]]の境界に位置していたため、高速105号線の建設でちょうどこの場所だけが取り壊され、歴史的建造物であることを惜しむ声も上がった。カーペンター一家はこのフィドラー・アベニューの家に1971年まで住み続けた。 === 兄妹の生い立ち === [[リチャード・カーペンター|リチャード・リン・カーペンター]]は1946年10月15日、妹[[カレン・カーペンター|カレン・アン・カーペンター]]は1950年3月2日生まれである。リチャードは父親の膨大な[[レコード]]・コレクションを聴き、[[ピアノ]]の練習に熱心だった。<ref name="edwards">{{cite video|people=Edwards, Ralph (Executive Producer)|date2=1971-02-14|title=This Is Your Life|url=http://www.ralphedwards.com/|medium=Television production, DVD|publisher=Ralph Edwards Productions|location=Los Angeles, California}}</ref>。一方カレンは親しみやすく外向的でスポーツを好んだが、兄と一緒に音楽を聴くことも多かった<ref name="edwards" />。 1963年6月、両親のハロルドとアグネスは家族を連れてカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のダウニーに移り住んだ。リチャードを音楽業界へ近づけることと、カレンと父が[[ニュー・イングランド]]の厳しい冬を嫌ったための移住であった<ref name=Coleman47>{{Harvnb|Coleman|1994|p=47}}</ref>。同年の秋からリチャードはダウニー高校へ通い、体育の代わりにバンドを選択科目とした。後にカレンも、これを参考にして選択を体育から音楽に変更した。音楽教師のブルース・ギフォードは、リチャードが「[[ラプソディ・イン・ブルー]]」を指示されて演奏するのを聴いて、リチャードのピアノ奏者としての才能を認めた<ref name="webbio"/>。 翌年度からリチャードは[[カリフォルニア州立大学]]ロングビーチ校へ通い、将来の作曲パートナーとなる[[ジョン・ベティス]]と出会った。ベティスの協力のもとに、リチャードはやがて「[[トップ・オブ・ザ・ワールド (カーペンターズの曲)|トップ・オブ・ザ・ワールド]]」、「[[愛にさよならを]]」、「[[オンリー・イエスタデイ]]」といったヒット曲を生み出していく。また[[リチャード・カーペンター・トリオ]]で[[ベース (弦楽器)|ベース]]や[[チューバ]]を演奏することになる[[ウェズリー・ジェイコブズ]]や、1966年に[[クリスマス]]・ソングの[[スタンダード・ナンバー|スタンダード]]「[[メリー・クリスマス・ダーリン]]」を共作する[[フランク・プーラー]]らと知り合ったのもこの学校でのことである<ref name="cr53">{{Harvnb|Coleman|1994|p=53}}</ref>。 カレンは、1964年にダウニー高校へ入学し、ドラム演奏の才能を見せはじめた<ref name="webbio"/>。カレンは、運動は好きだが体育の授業は嫌いだったと述べている。カレンは体育から逃れるため、カリフォルニア州立大学学生であったリチャードに、やはり同様に体育から[[マーチング・バンド]]を選択できるように、教師を紹介してもらい<ref name="cr51">{{Harvnb|Coleman|1994|p=51}}</ref>、結果、ダウニー高校マーチング・バンドの一員となることを認められた。1963年、リチャードを教えていた教師のブルース・ギフォードは、カレンに[[グロッケンシュピール]]を担当させたが、カレンは気に入らなかった。ある[[インタビュー]]でカレンは、「演奏に不便で運びにくく、バンドの演奏よりも常に4分の1音高い音を出すことなどに苛立っていた」と述べている<ref name=LeadSister1>{{cite web |url=http://www.leadsister.com/timeline/downey.html|title=Downey, California|accessdate=2007-12-29 |work=LeadSister}}</ref>。 その後間もなくカレンは、友人でありバンド仲間のフランキー・チャベスからドラムの演奏を勧められ、チャベスのセットを借りてドラムを教わった。「基礎から始めて2人で何時間も練習したのだろう」とリチャードは語っている。1964年に両親から[[ラディック (楽器メーカー)|ラディック]]のドラムセットを買って貰ったころには、カレンの腕前はプロ並みに上達しており、リチャードが後年のドキュメンタリー『[[リメンバー・ザ・カーペンターズ]]』(''"[[:en:Close to You:Remembering the Carpenters|Close to You:Remembering the Carpenters]]"'')で語っているところによれば「エキゾティックな[[拍子記号]]の列を叩き出せるほどになっていた」<ref name="Coleman52">{{Harvnb|Coleman|1994|p=52}}</ref><ref name="mpi"/>という。 === 初期の活動 === 1965年まで1年間カレンはドラムの練習に励み、リチャードは教師フランク・プーラーの指導の下でピアノを練習した。兄妹はジャズ・トリオの結成を真剣に考えるようになり、親しくなったウェス・ジェイコブズとバンドを結成<ref name="cr53"/>。ドラムはカレン、ピアノはリチャード、ベース/チューバはジェイコブズという編成のジャズ・トリオで、「リチャード・カーペンター・トリオ」と名乗った。1966年、トリオは[[ハリウッド・ボウル]]で毎年行われていた "[[:en:Battle of the Bands|Battle of the Bands]]" (いわゆる[[対バン]]形式のコンテスト)に出場し、「[[イパネマの娘]]」のインストゥルメンタル・ヴァージョンや自作曲「アイス・ティー」を演奏した。1966年6月24日、トリオはこの大会で優勝し、[[RCAレコード]]との契約を勝ち取った<ref name="webbio" />。そこで彼らは[[ビートルズ]]の「[[エヴリー・リトル・シング]]」や[[フランク・シナトラ]]の「[[夜のストレンジャー]]」(''"[[:en:Strangers in the Night|Strangers in the Night]]"'')などといった曲を録音した。しかし、RCAとの契約はすぐに打ち切られる<ref name="cr59">{{Harvnb|Coleman|1994|p=59}}</ref>。 1966年、ロサンゼルスのベース奏者[[ジョー・オズボーン]]が所有していたガレージ・スタジオで深夜にセッションが行われることとなり、そこでオーディションを受けるトランペット奏者の伴奏を務めるために参加することとなったリチャードに、カレンも同行した<ref name="mpi">{{cite video|people=Surratt, Paul and JoAnn Young (Executive Producers)|date2=1998-03-31|title=Close to You:Remembering the Carpenters|url=http://www.mpihomevideo.com/?p=25467&pid=80&pcid=&ccid=|medium=Videotape, DVD|publisher=MPI Home Video|id=JAN:’3030672782’}}</ref><ref name="cr58">{{Harvnb|Coleman|1994|p=58}}</ref>。この時、ためしに歌ってみるようオズボーンから頼まれたカレンの声のすばらしさが認められ、1966年5月13日、カレンはオズボーンが立ち上げたばかりのレーベル、マジック・ランプ・レーベルとソロ・アーティストとしての短期レコード契約を結ぶこととなった。このレーベルからはリチャードが作曲した「ルッキング・フォー・ラヴ」(''"Looking for Love"'')と「アイル・ビー・ユアズ」(''"I'll Be Yours"'')を収録したシングルが制作されたが、レーベル自体がその後すぐに消滅。しかしオズボーンは、カレンとリチャードが[[A&Mレコード]]からのオファーを受けることとなる1969年まで、2人にデモ・テープの録音を続けさせた<ref name="E">{{cite video |people=Richard Carpenter, Karen Carpenter|date2=1997-04-13|title=E!True Hollywood Story|medium=Television broadcast|accessdate=2007-12-28}}</ref>。 1967年、リチャードとカレンはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校の学生ミュージシャン4人と共に、「ザ・サマーチャイムズ」という名のセクステット(6重奏団)を結成した。やがて「スペクトラ」と改名し、最終的には「スペクトラム」の名に落ち着いた<ref name="mpi"/><ref name="cr63">{{Harvnb|Coleman|1994|p=63}}</ref>。グループはジョリー・ナイト・ステーキ・ハウスや[[ウィスキー・ア・ゴーゴー]]などで頻繁に演奏するようになった<ref name="E"/><ref name="cr54">{{Harvnb|Coleman|1994|p=54}}</ref>。スペクトラムはレコード会社と契約を交わせなかったが、同じバンドのメンバーであると同時に、のち1983年のカレンの死まで多くの楽曲の共作者となる[[ジョン・ベティス]]と、リチャードは親交を深めた。 1968年、スペクトラム解散。リチャード・カーペンター・トリオのウェス・ジェイコブズは、ベースとチューバを演奏していたが、[[デトロイト交響楽団]]へ加入するためグループを去った(1970年首席チューバ奏者となった)<ref name="dso">[http://www.detroitsymphony.com/main.taf?erube_fh=dso&dso.submit.getOrchMember=1&dso.memberId=204 Detroit Symphony]</ref>。リチャードとカレンは1968年の中ごろにテレビ番組''"Your All American College Show"''から出演依頼を受けた。全国の大学からさまざまなグループを集めてコンテストに参加させるオーディション番組であった。兄妹は[[マーサ&ザ・ヴァンデラス]]の曲 ''"[[:en:Dancing in the Street|Dancing in the Street]]"'' で参加することとしたが、バンドを去ったジェイコブズの代わりとなるベース奏者が必要となり、オーディションを行った。結局、そのテレビ出演だけの臨時参加という形でビル・シショフが選ばれた<ref name="webbio" />。一時的なメンバーを加えたリチャード・カーペンター・トリオは1969年6月22日にテレビデビューを飾った。この演奏が、リチャードとカレンにとって初めてのテレビ出演でもあった。この出演を最後にリチャード・カーペンター・トリオは最終的に解散し、レコード会社からのオファーを待つこととなる。 当時は[[ジミ・ヘンドリックス]]や[[ビートルズ]]、[[ジャニス・ジョプリン]]、[[ローリング・ストーンズ]]などロックグループが主流だった。しかし、リチャードとカレンは自分たちの路線を貫き、二人は友人たちの手を借りながらさまざまなレコード・レーベルにデモ・テープを送り続けた。それが[[A&Mレコード]]の共同所有者でありトランペット奏者・ヴォーカリストでもある[[ハーブ・アルパート]]の関心を惹いた。このアルパートがリチャードとカレンを世に送り出すことになる。 === カーペンターズ === 1969年4月22日、リチャードとカレンは「カーペンターズ」名義でA&Mレコードとの契約を結んだ。当時の州法で19歳のカレンは未成年者だったため、両親も署名した<ref name="webbio" /><ref name="cr76">{{Harvnb|Coleman|1994|p=76}}</ref>。兄妹はあえて定冠詞 "The" の付かない"Carpenters"を契約上の名義とすることに決めた("The Carpenters" は「カーペンター兄妹」ないし「カーペンター家」を意味するが、"Carpenters" だけでは「大工たち」の意味になる)。その理由についてリチャードは、2004年に発売された ''"[[:en:Gold:35th Anniversary Edition|Gold:35th Anniversary Edition]]"'' のライナーノーツにおいて、[[バッファロー・スプリングフィールド]]や[[ジェファーソン・エアプレイン]]のように、「ザ・〜ズ」ではないバンド名のほうがかっこいいと思ったからだと述べている<ref group="注" name="35thanniversary"/>。 A&Mレコードとの契約において、リチャードとカレンはスタジオ内での自由を与えられた<ref name="mpi"/>。『[[涙の乗車券 (カーペンターズのアルバム)|オファリング]]』と題されて1969年にリリースされた彼らの最初のアルバムには、リチャードがスペクトラム時代に作曲ないし共作した楽曲もいくつか収録されている<ref name="offering">Carpenter, Richard (1969). Album notes for ''Ticket to Ride'' by The Carpenters. A&M Records. [https://musicbrainz.org/release/af34b180-66f3-42e6-bfe4-134bd038999f Ticket to Ride] at [[MusicBrainz]].</ref>。このアルバムにおける人気曲は、ビートルズのヒット曲をバラード風にアレンジした「[[涙の乗車券]]」で、[[ビルボード]]・ホット100で最高54位、[[アダルト・コンテンポラリー]]・チャートでトップ20位入りするなど、まずまずのヒットとなった<ref name="allmusic"/><ref name="cr81">{{Harvnb|Coleman|1994|p=81}}</ref>。この曲の成功を受けて、『オファリング』は1970年に『[[涙の乗車券 (カーペンターズのアルバム)|涙の乗車券]]』へと題名を変えて再発された。 アルバム『涙の乗車券』のチャート・アクションは今一つ振るわなかったが、リチャードとカレンは[[バート・バカラック]]/[[ハル・デヴィッド]]作の「[[遙かなる影|close to you]]」でついに成功を手にする。このシングルは1970年にリリースされて初登場56位となり<ref name="cr85">{{Harvnb|Coleman|1994|p=85}}</ref>、1970年7月22日にはチャート1位に昇りつめ、4週にわたって首位の座を守った<ref name="mpi"/>。また1970年ビルボード誌年間ランキングでは第2位となっている。ベストセラーとなったアルバム『[[遙かなる影 (アルバム)|close to you]]』の収録曲からはこの曲と「[[愛のプレリュード]]」がRIAAによってゴールドディスクに認定され、同アルバムは『[[ローリング・ストーン]]』誌による『偉大なアルバム500選』(''"[[:en:Rolling Stone's 500 Greatest Albums of All Time|500 Greatest Albums of All Time]]"'')の175位にも選ばれている<ref>[https://www.rollingstone.com/news/story/5938174/the_rs_500_greatest_albums_of_all_time/ ''Rolling Stone Magazine:500 Greatest Albums'']</ref>。その年の最優秀新人部門をはじめとする2つのグラミー賞も受賞した。 「Close to You」が1位となった直後に、カーペンターズがカヴァーした「愛のプレリュード」([[ポール・ウィリアムズ (シンガーソングライター)|ポール・ウィリアムス]]/[[ロジャー・ニコルス]]作)がビルボード・ホット100で第2位となり、アダルト・コンテンポラリーチャートでは首位を7週間保持した。リチャード自身もこの曲はグループの「代表曲」だと認めている<ref name="allmusic"/><ref name="mpi"/>。この曲はもともとウィリアムズとニコルズがクロッカー・ナショナル銀行のテレビCM曲として前年に作曲したものだが、リチャードはテレビで聴いたときにその曲のヒット性にいち早く気づいたのである。「愛のプレリュード」はウィリアムズとニコルズにとって初のヒット・シングルとなった。 2人はその年の締めくくりとして、クリスマス・ソング「[[メリー・クリスマス・ダーリン]]」をリリースした。この曲は、カリフォルニア州立大学時代に2人の参加していた合唱団の監督を務めていたフランク・プーラーとリチャードが共作した作品で、1970年のビルボードのホリデイ・チャートで上位にランクインして、翌年以降も同チャートにたびたび登場した。 一連のヒット・シングルやアルバムによって、カーペンターズは1970年代を通じてヒット・チャートの常連となった。1971年のヒット曲「[[ふたりの誓い (曲)|ふたりの誓い]]」は、元は[[サイ・ハワード]]監督による1970年の映画『[[ふたりの誓い]]』の結婚シーンのためにレコーディングされたものである<ref name="laos">{{cite video |people=Cy Howard (Director), [[:en:David Susskind|David Susskind]] (Producer)|date2=1970-08-12|title=Lovers and Other Strangers|medium=DVD|publisher=[[:en:Buena Vista Motion Pictures Group|Buena Vista Pictures]]|accessdate=2007-12-28}}</ref>。映画館でこの曲を聴いて気に入ったリチャードは、その後間もない1970年秋にこの曲を録音し、カーペンターズにとって3枚目のゴールド・シングルとなった<ref name="cr100">{{Harvnb|Coleman|1994|p=100}}</ref>。 続いて送り出された「[[雨の日と月曜日は]]」はビルボード・ホット100の第2位を記録し<ref name="allmusic"/>、ポール・ウィリアムズとロジャー・ニコルスにとって2曲目のヒット・シングルとなった。カーペンターズの評伝を著した作家コールマンは、「雨の日と月曜日は」をおそらく最もポピュラーなカーペンターズの楽曲であろうと評している。さらにこの曲はカーペンターズ第4のゴールド・シングルとなったが、1位獲得を阻んだのは[[キャロル・キング]]の「イッツ・トゥー・レイト」(''"[[:en:It's Too Late|It's Too Late]]"'')だった<ref name="cr104">{{Harvnb|Coleman|1994|p=104}}</ref>。 [[レオン・ラッセル]]/ボニー・ブラムレット作曲のシングル「[[スーパースター (デラニー&ボニーの曲)|スーパースター]]」はカーペンターズの次の代表曲となり、ここで聴かれる痛切で心に残るカレンの歌声は高い評価を受けている。この曲もビルボード・ホット100で第2位となった<ref name="allmusic"/>。1971年には彼ら自身の名をタイトルとしたアルバム『[[カーペンターズ (アルバム)|カーペンターズ]]』(日本盤タイトルは『ふたりの誓い』→『スーパースター』→『カーペンターズ』と改題された)がリリースされた。この作品は彼らにとって最も売れたアルバムの1つであり、RIAAのプラチナムを4度にわたって獲得(売上400万枚以上)している<ref name="RIAA" />。この作品でカーペンターズはグラミー賞([[:en:Grammy Award for Best Pop Performance by a Duo or Group with Vocal|Best Pop Performance by a Duo or Group with Vocal]])を受賞し、3部門でノミネートされた<ref name="cr108">{{Harvnb|Coleman|1994|p=108}}</ref>。 1972年にリチャードは[[エレクトリックギター|エレキギター]]によるソロを導入したバラードを考案した。後にこうした形態の曲を[[ハードロック]]や[[ヘヴィメタル]]のバンドが継承して [[:en:Power ballad|Power ballad]] と呼ばれる1ジャンルにまでなったことから、リチャードがこのジャンルの先駆者とみなされることもある。この曲「[[愛にさよならを]]」はリチャードとベティスによって作曲されたもので、カーペンターズが1972年に出した2枚目のシングルとして最高7位を記録した<ref name="allmusic"/>。「愛にさよならを」は[[ビング・クロスビー]]主演の映画 ''"[[:en:Rhythm on the River|Rhythm on the River]]"'' に着想を得たものである<ref name="cr124">{{Harvnb|Coleman|1994|p=124}}</ref>。この映画は1940年に制作され、作中には[[ベイジル・ラスボーン]]が演じる作曲家が登場する。この作曲家は歴史上最も美しい歌 ''"Goodbye to Love"'' の作者として有名という設定である。リチャードによれば、この曲は映画の中に言及があるだけで演奏されてはいなかったが、同名の曲を自分で書こうと思いつき、1972年にベティスと共作するまでそのアイディアを温めていたという<ref name="mpi"/><ref name="cr124" />。2人はリードギタリストとしてトニー・ペルーソを招き、A&Mのスタッフもペルーソの大胆なソロに満足した。これを機にペルーソは1983年までカーペンターズの伴奏者を務めることとなった。しかし、ファンの中にはカーペンターズのレコードにエレキギターのソロが入ることに不満を抱く者も少なくなく、嫌がらせの手紙を送りつける者さえいたという<ref name="mpi"/><ref name="cr127">{{Harvnb|Coleman|1994|p=127}}</ref>。 1973年リリースのアルバム『[[ナウ・アンド・ゼン (カーペンターズのアルバム)|ナウ・アンド・ゼン]]』のタイトルは2人の母アグネス・カーペンターの案による。この作品には『[[セサミ・ストリート]]』で挿入歌として使用された楽曲「[[シング (セサミストリートの曲)|シング]]」や、昔のラジオを懐かしむ懐古的な歌詞の「[[イエスタデイ・ワンス・モア]]」などが収録されている。日本とイギリスでのカーペンターズ最大のヒット曲である「イエスタデイ・ワンス・モア」はアルバムのB面1曲目に収録され、その後に60年代前半にヒットした例えば[[スキータ・デイヴィス]]の「[[この世の果てまで]]」などのオールディーズのメドレーが続き、聴き物となっている。 カーペンターズにとって初となる[[ベスト・アルバム]]は ''"[[:en:The Singles:1969-1973|The Singles:1969-1973]]"'' と題され、アメリカとイギリスでアルバムチャートのトップに立っている。特にイギリスにおいては、1974年7月13日に[[エルトン・ジョン]]の『[[カリブ (アルバム)|カリブ]]』にトップを奪われるまでトータル17週も首位に立ち<ref>[[:en:List of number-one albums from the 1970s (UK)|''List of 1970s UK Albums Chart number ones'']]</ref>、70年代に最も売れたアルバムのひとつとなっている。また、このアルバムはアメリカでも2008年までに700万枚以上を売り上げ<ref name="RIAA">{{cite web |url=https://www.riaa.com/index.php|title=RIAA Official Home Page|accessdate=2007-12-29 |work=Recording Industry Association of America}}</ref>、7倍のマルチ・プラチナ・ディスクを授与されている<ref name="RIAA"/>。 このベスト・アルバム用に新たに作り直され、アルバムの先行シングルとしてリリースされたのが「[[トップ・オブ・ザ・ワールド (カーペンターズの曲)|トップ・オブ・ザ・ワールド]]」である。1972年リリースのアルバム『[[ア・ソング・フォー・ユー (アルバム)|ア・ソング・フォー・ユー]]』に収められていたこの曲のアルバム・ヴァージョンを聴いたカントリー・シンガーの[[リン・アンダーソン]]がこの曲をカヴァーして1973年にリリースすると、リチャードとカレンも自分たちもシングルとしてリリースするべきかどうかについて議論した。A&Mの仕事仲間であったギル・フリーセンは、アルバム『[[ア・ソング・フォー・ユー (アルバム)|ア・ソング・フォー・ユー]]』からはすでに4枚ものシングル(「ハーティング・イーチ・アザー」、「愛にさよならを」、「小さな愛の願い」、「[[愛は夢の中に]]」)をカットしていることを理由に反対したが<ref name="cr132">{{Harvnb|Coleman|1994|p=132}}</ref>、それにもかかわらず、一般からの需要は高いという判断により「トップ・オブ・ザ・ワールド」を1973年9月にシングルカットされ、同年12月にビルボードHOT100において2週連続で1位となり、カーペンターズにとって2枚目の全米1位シングルとなった。<ref>[[:en:List of Hot 100 number-one singles of 1973 (U.S.)|''List of Hot 100 number one singles of 1973(U.S.)'']]</ref> === 1970年代後半 === カーペンターズは1974年には新しいアルバムを発表しなかった。リチャードはこれについて「単に時間がなかったから。アルバムを作る気分にもなれなかったし」と語っている<ref name="cr137">{{Harvnb|Coleman|1994|p=137}}</ref>。その代わりに、2人はポール・ウィリアムズ/ロジャー・ニコルズ作曲のシングル「[[愛は夢の中に]]」をリリースしている。これはもともと1972年のアルバム『[[ア・ソング・フォー・ユー]]』に収録されていたものだが、カーペンターズはそのLPをリリースした2年後になって、この曲をシングル・カットすることを決定した<ref name="officialsitewontlastaday">http://www.richardandkarencarpenter.com/SN_IWon'tLastADay.htm</ref>。1974年3月、そのシングル・ヴァージョンはビルボード・トップ100チャートの11位に達し、アルバム『ア・ソング・フォー・ユー』からの5番目のトップ20ヒットとなった。 一方、同1974年には『ナウ・アンド・ゼン』に収録されたハンク・ウィリアムズの「[[ジャンバラヤ (曲)|ジャンバラヤ]]」をアップテンポにリメイクした。この曲はアメリカでシングルとしてリリースされたほか、日本のチャートでも30位以内にランクインし、イギリスをはじめとする他の多くの国でもヒットした。オランダでは、カーペンターズにとって最大のヒット曲となったほどである<ref name="officialsitejambalaya">http://www.richardandkarencarpenter.com/SN_Jambalaya.htm</ref>。また1974年の暮れには、ジャズ調の編曲を施したクリスマス・ソング「[[サンタが街にやってくる]]」をシングルとしてリリースしている。 1975年はまだ彼らにとって多作の年であった。[[マーヴェレッツ]]が1961年にチャート1位を獲得したヒット曲で、[[モータウン]]・サウンドのクラシックであった「[[プリーズ・ミスター・ポストマン]]」をカヴァーしたシングルがヒット。これは1974年にリリースしたものだが、75年の1月にビルボード・トップ100で1位を獲得し、彼らにとっての3度目の(そして最後の)首位獲得作品となった。このシングルはまた、カレンとリチャードにとっての12番目のアメリカでのミリオンセラーにもなった。日本ではこのシングルが最高の売上枚数を記録している<ref name="cr135">{{Harvnb|Coleman|1994|p=135}}</ref>。 「プリーズ・ミスター・ポストマン」に続き、春にはリチャードとジョン・ベティスの共作「[[オンリー・イエスタデイ]]」がビルボードで4位まで上昇し、これは彼らにとって最後のアメリカでのトップ10ヒットとなった<ref name="officialsiteonlyyesterday">http://www.richardandkarencarpenter.com/SN_OnlyYesterday.htm</ref>。リチャードとベティスはこの曲がヒット・シングルになるとは思っていなかったので、ロジャー・ヤングとの賭けでトップ5入りしない方に賭けており、2人はヤングに1000ドル支払うはめになったという<ref name="coleman">{{Harvnb|Coleman|1994}}</ref>。 1975年の上半期に成功を収めたこの2曲はいずれも1975年のアルバム『[[緑の地平線〜ホライゾン]]』に収められている。このアルバムはほかにも[[イーグルス]]の「[[ならず者 (曲)|デスペラード]]」と[[ニール・セダカ]]の「[[ソリテアー]]」のカヴァーを収録しており、これらも同じ年に中ヒットを記録した。このアルバムのジャケットは、日本人デザイナーの[[長岡秀星]]の代表作のひとつである。ただし、以降彼らのレコード・セールスは次第に下降線を辿り始めた。『緑の地平線〜ホライゾン』はプラチナム・アルバムに認定されたが、その後(アルバムからの2枚目のシングルがチャートから消えて以降)カーペンターズにとっては初めてマルチ・プラチナムに達することのなかったアルバムとなった。 1976年6月11日に発売された次のアルバム『[[見つめあう恋 (アルバム)|見つめあう恋]]』も、ゴールド・ディスクには認定されたものの、彼らにとってはファースト・アルバム『[[涙の乗車券 (カーペンターズのアルバム)|涙の乗車券]]』以来の7年間で初めてプラチナ獲得に至らなかったアルバムである。それでも1976年のシングル・リリースは成功を収めていたが、当時のヒット・ラジオ番組は音楽的スタイルを変化させており、ついにはカーペンターズのような「ソフト」なグループの多くを苦しめるようになった。カーペンターズのその年最大のポップ・シングルは[[ハーマンズ・ハーミッツ]]のカヴァー「[[見つめあう恋]]」で、最高12位であった。カレンの最も好きな曲といわれる「[[青春の輝き]]」はビルボード・ホット100では25位にとどまったが、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは「見つめあう恋」に続き14枚目となる1位を獲得した。これは同チャートの歴史上他に類を見ない記録となった。 彼らの功績の1つとして数えられることは少ないが、カーペンターズはアメリカでは最も早く自分たちのレコードの宣伝のためにミュージック・ビデオを制作したグループの1つである。1975年の初めに、彼らはディズニーランドで「プリーズ・ミスター・ポストマン」の演奏を撮影しているほか、「オンリー・イエスタデイ」をハンティントン・ガーデンで収録しているが、ここでのカレンは健康で調子良さそうに見える。しかし、1年後に撮影した「見つめあう恋」のビデオに出演した時には目に見えて違いが現れるようになっていた。 1977年から1979年にかけてディスコ・ブームの真只中であり、カーペンターズや[[ジョン・デンバー|ジョン・デンヴァー]]ら大人向けの「イージー・リスニング」のアーティストは、ラジオなどで放送される機会がやや減りつつあった。1977年にリリースされたカーペンターズの実験的なアルバム『[[パッセージ (カーペンターズのアルバム)|パッセージ]]』は、他の音楽ジャンルへ挑むことによって、より多くの層へ訴えかけようとする試みであったが、[[ラテン音楽]](「一人にさせて」)、[[カリプソ (音楽)|カリプソ]](「恋の強がり」)、ポップ・ソング(「想い出にさよなら」、「あの日、あの時」)という不釣合いな混ぜ合わせに、「ふたりのラヴ・ソング」(アダルト・コンテンポラリー・チャート4位)、「星空に愛を(コーリング・オキュパンツ)」といったヒット曲を抱き合わせたというものである。最も有名な曲、ミュージカル『[[エビータ (ミュージカル)|エビータ]]』から取られた「月影のバルコニー〜泣かないでアージェンティーナ」や[[クラトゥ]]の「星空に愛を」などのカヴァーはいずれも合唱とオーケストラによる伴奏が加えられた。シングル「星空に愛を」はイギリスではヒットしたが、アメリカのポップ・チャートでは32位止まりとなり、カーペンターズとしては初めてゴールド認定となる50万枚の売り上げに達することのなかったアルバムとなった<ref name="cr231">{{Harvnb|Coleman|1994|p=231}}</ref>。 リチャードは『パッセージ』収録曲の「想い出にさよなら」は、きっとヒットすると感じていたため、A&Mにシングルでのリリースを決断させた。この曲は[[アン・マレー]]のシングルとして発売され、1979年のアダルト・コンテンポラリーおよびカントリー・チャートの両方で1位を獲得し、リチャードの感性の正しさを証明した。カーペンターズによる「ふたりのラヴ・ソング」と「星空に愛を」のミュージック・ビデオがDVD''"[[:en:Gold:Greatest Hits|Gold:Greatest Hits]]"''で観ることができる。 国内チャートでの成績はやや振るわなくなってきたとはいえ、カーペンターズはまだ十分な人気を維持していた。1978年の初めには、アップテンポで[[フィドル]]を加味した「スウィート・スマイル」がカントリー・チャートで意外にもトップ10入りを果たした(ビルボード・ポップ・チャートではトップ40に若干及ばなかったが、アダルト・コンテンポラリーで7位、カントリー・チャートで8位を獲得した)。この曲は後年カントリーやポップのスターとなる[[ジュース・ニュートン]]が作曲したものである。イギリスでは2作目のベスト・アルバム''"[[:en:The Singles:1974-1978|The Singles:1974-1978]]"''が発売された。一方アメリカではカーペンターズ初のクリスマス・アルバム『[[クリスマス・ポートレイト]]』が発売されてその季節の人気作品となり、勢いの衰えはじめたこの時期にあっては意外な売れ行きを見せ、カレンとリチャードに再びプラチナムをもたらした。 === 1980年代初頭 === 1979年、リチャードは[[カンザス州]]のリハビリ施設で薬物依存症からの回復を試みる。その間にカレンはニューヨークに渡って、プロデューサーに[[フィル・ラモーン]]を迎えた初のソロ・アルバムの制作を決意する。彼女はこのアルバムのためにより大人向けでディスコ調の作品を選び、これまでのイメージを払拭しようと努めた。だが、1980年の初頭に完成したソロ作品に対し、リチャードやA&Mは難色を示した。カレンにとっては不幸なことに、このアルバムは発表しないものとする決定が下され、この作品の制作費として印税から50万ドル以上の負債を請求されたのである。この決定に怒りを覚えつつも、ある面では慣れぬ仕事から解放されたカレンは、依存症から立ち直った兄と新しいアルバムの制作にとりかかる。お蔵入りになったカレンのソロ・アルバムは1996年10月に『[[遠い初恋]]』としてリリースされるまで未発表だったが、録音された楽曲のうち4つは1989年のカーペンターズのアルバム『[[愛の軌跡〜ラヴラインズ]]』の中で日の目を見た。その際に「イフ・アイ・ハド・ユー」はシングルとしてリリースされ、アダルト・コンテンポラリー・チャートで20位以内にランクインした。 カーペンターズは1980年に『[[:en:Music, Music, Music!|Music]]』と題されたテレビの特番に出演し、[[エラ・フィッツジェラルド]]や[[ジョン・デヴィッドソン]]をはじめとする著名なゲストと共演した。これはカレンがトム・バリスと結婚したのと同じ年に撮影されたもので、この時期のカレンは比較的健康な体重を取り戻していた。<ref name="mpi" />。 1981年6月16日にリリースされたカーペンターズのデュオとしての次なるLP『[[メイド・イン・アメリカ (カーペンターズのアルバム)|メイド・イン・アメリカ]]』は、商業的には失敗に終わった。この作品はアメリカでは、カレンが亡くなる1983年初頭までは20万枚ほどしか売れていなかった。しかしながら、アルバムからシングル・カットされたロマンティックな「タッチ・ミー」はHot100で16位まで上昇し、全米ポップ・チャートにおける彼らの最後のトップ20ヒットシングルとなった。この曲はビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートでは彼らにとって15番目の首位記録作品でもある。 カレンのトーマス・ジェイムズ・バリスとの結婚や、彼女が患っていた拒食症などの個人的な問題は、グループの復帰に暗い影を落とした。瞬く間に恋に落ちたあと、カレンは不動産業者のバリスとの結婚式をビバリーヒルズ・ホテルのクリスタル・ルームで盛大に行った。1980年の8月31日に挙げられたこのセレモニーの中で、カレンは翌年に「タッチ・ミー」のカップリングとしてリリースされる、リチャードとベティスが書き下ろした楽曲「ウエディング・ソング」を披露している<ref name="cr343">{{Harvnb|Coleman|1994|p=343}}</ref>。 だが、結婚してから1年ほどの間に、彼女の容姿は変わり果てていった。『メイド・イン・アメリカ』の販売促進用に制作されたビデオで窺えるその姿は、もはや彼女が重病人であったことを裏付けるのに十分な証拠といえるものであった。カレンとバリスの結婚生活は惨憺たるものであり、彼らは1981年の終わりには別居する。1982年、カレンは障害の診療を受けるためニューヨークの著名な心理セラピスト、[[スティーブン・レベンクロン]]を訪ね、この年の11月には仕事に復帰して離婚手続きを完了するためにカリフォルニアへ戻った。カレンの甲状腺は通常のものであったが、新陳代謝を加速するために甲状腺の薬を通常の10倍服用していることが分かった。これに加えて大量の下剤(日に90錠から100錠)を服用していたことが、彼女の心臓を弱める原因となった。 === カレンの突然の死 === ニューヨークの病院での2か月以上にわたる治療を経て、カレンは30ポンド(13.6キログラム)以上も体重を戻したが、急激な体重の増加は、長年の無理なダイエットですでに弱っていた彼女の心臓に、さらなる負担をかけてしまった。1983年の2月4日の朝、カレンはダウニーの両親の家で心肺停止状態に陥ってダウニー・コミュニティ病院に運ばれるが<ref>[http://www.drmci.org/ DRMCI.org]</ref>、それから20分後に死亡が確認された。彼女はその日、離婚届へ署名するつもりであったという。 検死によると、カレンの死因は[[神経性無食欲症]]に起因する[[エメチン]]の心毒性であった。解剖学的な結論としては、心臓麻痺が第1の原因で、拒食症は第2の原因であった。第3に挙げられるのが[[悪液質]]で、これは負担や衰弱としては非常に軽いもので、慢性的な疾患と関連した一般的な体の衰えというべきものであった<!-- ここは何となく誤訳っぽい。医学的文脈に強い人の修正求む -->。エメチンの心毒性が死因であったことは、カレンが当時は簡単に入手できた薬である吐剤(誤って毒物を摂取してしまった人が即座に嘔吐できるようにするためのもの)を悪用していた可能性を示唆したが、明確な証拠はない<ref name="cr21-24">{{Harvnb|Coleman|1994|pp=21-24}}</ref>。 彼女の告別式は1983年2月8日火曜日にダウニーの統一メソジスト教会で執り行われた。カレンは白い開いた棺にピンクのドレスを着せて横たえられ、およそ1,000人の会葬者が最後の別れを告げた。会葬者の中には、[[ドロシー・ハミル]]、[[オリビア・ニュートン=ジョン]]、[[ペトゥラ・クラーク]]、[[クリスティナ・フェラー]]、[[ディオンヌ・ワーウィック]]といった彼女の友人たちがいた。別居中であったカレンの夫も葬儀に出席し、結婚指輪を外して棺の中に入れた<ref name="coleman"/>。 1983年10月12日、[[ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム|ハリウッド名声の歩道]]の[[コダック・シアター]]から2、3ヤードほどのところにカーペンターズの星型プレートが飾られた。多くのファンと並び、リチャード、ハロルド、アグネス・カーペンターが除幕式に出席した<ref name="cr323">{{Harvnb|Coleman|1994|p=323}}</ref>。 カレンの死は拒食症だけでなく過食症に対してもメディアの注目を呼び寄せた。カレンの死によって有名人たちも自らの摂食障害を公表するようになったが、その中には[[トレイシー・ゴールド]]や[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ妃]]といった人々がいた。医療センターや病院はこうした障害に悩む人々からの相談を受けることが多くなった。カレンの死が大きく報道されるまでは、一般大衆の間では拒食症や過食症についてあまり知られていなかったため、症状を正確に認識して対処することは困難だったのである。2003年12月、リチャードによってカレンと両親の遺骨がカリフォルニア州サイプレスのフォレスト・ローン記念公園から掘り起こされ、リチャードの自宅に近い場所となるカリフォルニア州[[ウェストレイクビレッジ (カリフォルニア州)|ウェストレイク・ビレッジ]]のピアース・ブラザーズ・ヴァリー・オークス記念公園に改葬された。 === カーペンターズ以降 === カレンの死後も、リチャードは未発表音源集やコンピレーション・アルバムなどデュオの作品のプロデュースを続けた。『メイド・イン・アメリカ』やそれ以前のアルバムでお蔵入りになっていた完成曲を収録したアルバム『[[ヴォイス・オブ・ザ・ハート]]』は1983年の終りにリリースされ<ref>[http://www.grantguerrero.com/carpenters/voice.html Voice of the Heart review]</ref>、チャート46位に達してゴールド認定を受けた。このアルバムからは2枚のシングルがカットされた。「[[遠い初恋 (曲)|遠い初恋]]」はカレンのソロ・アルバム用に録音された曲の2つ目のヴァージョンである(1979年に[[ボビー・ヴィントン]]によりマイナー・ヒットとなっていた)。このシングルはアダルト・コンテンポラリー・チャートで第7位となったが、ポップ・チャートでは101位にとどまった。次のシングル「ユア・ベイビー」はACチャート12位となったが、「バブル・アンダー」はチャート入りしなかった。 リチャード・カーペンターは1984年5月19日にメアリ・ルドルフと結婚した。1987年8月17日には長女クリスティが、1989年7月25日には次女トレイシィが、1992年7月25日には三女ミンディ・カレン(叔母の名を継いだ)が生まれ、その後もコリンとテイラーが生まれた。 1984年、リチャードはデュオの最初のクリスマス・アルバム『クリスマス・ポートレイト』からのアウトテイクに新しい音源を加えた2枚目のクリスマス・アルバム『[[オールド・ファッションド・クリスマス]]』を、カーペンターズの「新作」として制作した。また1987年には、リチャード初のソロ・アルバム『[[タイム (リチャード・カーペンターのアルバム)|タイム]]』をリリースした。このアルバムからは、[[ダスティ・スプリングフィールド]]をゲスト・ヴォーカルに迎えた「サムシング・イン・ユア・アイズ」がヒット・シングルとなった。 カーペンターズのイメージを守りレコードの[[版権]]管理をしていこうと務めるリチャードに対しては批判が集中した。彼らを題材として扱うドキュメンタリーやドラマが制作されることになると、リチャードがそれらすべてに対して実質的な監督権を主張したためである。1987年には、[[トッド・ヘインズ]]の自主制作短編映画 ''"[[:en:Superstar:The Karen Carpenter Story|Superstar:The Karen Carpenter Story]]"'' (カレンが衰えて早すぎる死を迎えるまでを、実際の女優ではなく[[バービー|バービー人形]]を用いて描いている)の配給に介入した。この映画のカレンに対する描写は同情的なものだったが、カレンの不幸を浮き立たせるために家族に対しては悪印象を与えるような表現がとられており、リチャードはカーペンターズの曲が無許可で使用されていることを根拠に訴訟を起こし、映画の配給を差し止めさせた。1989年のテレビ映画『カーペンターズ・ストーリー』(''"[[:en:The Karen Carpenter Story|The Karen Carpenter Story]]"''、シンシア・ギブ主演)はリチャードの協力下に制作され、好意的な評価と高い視聴率を獲得した。この映画の放映後数週間はレコード屋からカーペンターズの在庫がなくなったほどである。 カレンのソロ・アルバム『[[遠い初恋]]』は1996年10月にリリースされた。CDにはA&Mが1980年にこのアルバムをお蔵入りにした経緯などを説明した、リチャードによるライナーノーツが付いている。ここに収録された楽曲は、ロック([[ピーター・セテラ]]をゲスト・ヴォーカルに迎えた「メイキング・ラヴ・イン・ジ・アフターヌーン」)からブルース(「ラスト・ワン・シンギン・ザ・ブルース」)まで、幅広いジャンルの音楽をカヴァーしている。なお、このアルバムのプロデューサーである[[フィル・ラモーン]]はセテラがかつて所属していたバンド、[[シカゴ (バンド)|シカゴ]]の楽曲も数多く手がけている。カレンが1979年から1980年にかけて録音した未発表のソロ曲は他にも9曲ある。 1997年にリチャードは自身のピアニスト・編曲家・作曲家としての才能のすべてを注ぎ込んだアルバムを録音して発表したが、そのタイトルはまさに''"[[:en:Pianist Arranger Composer Conductor|Pianist Arranger Composer Conductor]]"''というものであった(日本盤タイトルは『新たなる輝き:イエスタデイ・ワンス・モア』)。日本におけるカーペンターズの人気は非常に高く、カレンの死後も長く続いた。日本人でないアーティストのシングルが日本で大きく売れることは稀であるが、カーペンターズは例外である。カーペンターズのシングル3枚(「スーパースター」、「イエスタデイ・ワンス・モア」、両A面の「青春の輝き」/「トップ・オブ・ザ・ワールド」)が[[オリコンチャート]]のトップ10入りし、その他にも7曲がトップ40に入っている。1995年には日本市場向けにリチャードが編纂した『青春の輝き:ヴェリー・ベスト・オブ・カーペンターズ』(''"22 Hits of the Carpenters"'')がチャートトップを獲得し、2002年には出荷枚数300万枚を突破する。2003年には300万枚突破記念盤として再発、2005年には10周年記念盤として再々発された。 === 近年の活躍 === リチャード・カーペンターは、妻のメアリ・ルドルフ・カーペンターおよび4人の娘と1人の息子らとともにカリフォルニア州サウザンド・オークスに住んでおり、夫妻は芸術家の後援活動をしている。2004年にリチャードと妻はカレンを記念したサウザンド・オークス市民芸術プラザ基金(Thousand Oaks Civic Arts Plaza Foundation)に対し、300万ドルの寄付を行うことを公約した。これを受けて2006年9月20日には初年度となる「リチャード・カーペンター奨学金コンクール・ショー」(Richard Carpenter Scholarship Competition Award Show)が開催された。ショーの後にはリチャードと娘のトレイシーやミンディも演奏した。リチャードはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校の「リチャード&カレン・カーペンター・パフォーミング・アーツ・センター」とも提携している。彼はカーペンター・センターの資金繰りを目的とすることも含めて、コンサート活動を継続している。 2001年には[[バージニア州|ヴァージニア州]][[ノーフォーク (バージニア州)|ノーフォーク]]で行われたペトゥラ・クラークの「サイン・オブ・ザ・タイムズ」コンサートにゲスト出演し、演奏の一部はCDやDVDでリリースされたほか、[[公共放送サービス|PBS]]の特番で放映された。2002年にリチャードはクラークをカーペンター・センターへ招いたり、クラークのCD ''"The Ultimate Collection"'' で客演するなどもしている。2007年、中国のラジオ番組[[:en:China Drive|China Drive]]がリスナーに対して「初めて聞いた英語の歌」を募ったところ、50%以上が「イエスタデイ・ワンス・モア」を挙げた<ref name="TalkChina">[http://enpf.chinabroadcast.cn/TalkChina/forums/55682/ShowThread.aspx#55682 Talk China]</ref>。 2008年、アルバム『ナウ・アンド・ゼン』(1973年)のジャケットで有名になった、カリフォルニア州ダウニーのニューヴィル・アヴェニューにあるカーペンター家の家屋の取り壊しが間近に迫った際には、ファンによって抗議運動が展開された<ref name="honoluluadvertiser">Los Angeles Times, Februay 16, 2008.. https://www.latimes.com/news/local/la-me-carpenters16feb16,0,4160096,full.story</ref>。 === マスターテープ焼失 === [[2008年]][[6月1日]]、[[ハリウッド]]にある[[ユニバーサル・スタジオ|Universal Studios]]で[[火災]]があり、保管されていた[[ユニバーサル ミュージック グループ|UMG]]のものを含めた、50万を超える[[映画]]や[[音楽]]の原盤(オリジナルの[[マスターテープ]])を焼失してしまった中にカーペンターズのものも含まれていたことが、40周年記念アルバム『40/40』制作時にマスターテープが届かないことを不審に思ったリチャード・カーペンターの問合せによって判明した<ref>{{Cite news|title=Here Are Hundreds More Artists Whose Tapes Were Destroyed in the UMG Fire (Published 2019)|url=https://www.nytimes.com/2019/06/25/magazine/universal-music-fire-bands-list-umg.html|work=The New York Times|date=2019-06-25|accessdate=2020-10-16|issn=0362-4331|language=en-US|first=Jody|last=Rosen}}</ref><ref>{{Cite web|title=A List of Artists Whose Masters Were Lost In the 2008 Universal Studios Fire|url=https://www.digitalmusicnews.com/2019/06/12/artists-masters-lost-2008-universal-studios-fire/|website=Digital Music News|date=2019-06-12|accessdate=2020-10-16|language=en-US}}</ref>。 == 音楽と歌詞のスタイル == === 低音域の声 === カーペンターズの音楽を特徴的なものにした要素の1つは、カレンの用いた低い音域の声である。[[ジャズ]]や[[カントリー・ミュージック]]の分野には見られたが、当時のポピュラー音楽の世界に[[アルト]]歌手はほとんど存在しなかった。しかし、カレンはおよそ3オクターヴにわたる広い声域をもっていたのである<ref name="fansask" />。リチャードの声もカレンの歌声と非常に相補的なものだと評価されていた。カレンは高い音域の声も出すことはできたが、低音(カレンは自分の "basement" と呼んでいた)ほど特質のあるものではなかった<ref name="fansask" />。リチャードはカーペンターズのオフィシャル・サイトのファンからの質問のページで、カレンと自分は彼女の「[[胸声]]」に魔法のようなものを感じており、音の豊かさという点では比較にならなかったため、彼女の高音を強調するつもりはまったくなかったと述べている<ref name="fansask">{{cite web|url=http://www.richardandkarencarpenter.com/fans_ask_Archive-All.htm|title=Carpenters Fans Ask|accessdate=2007-12-31|author=Carpenter, Richard|year=2005|work=The Carpenters Official Website}}</ref>。 カレンの「魔法」が低音域にあったため、リチャードはカヴァー曲はもちろん自作曲もカレンにふさわしいキーで編曲しなおした。カーペンターズの曲の多くは[[ニ長調|D]](「ユー」「見つめあう恋」)、[[ホ長調|E]](「イエスタデイ・ワンス・モア」)、[[ト長調|G]](「恋よさようなら」「リーズン・トゥ・ビリーヴ」「ふたりの誓い」「ユール・ラヴ・ミー」)などのキーを用いている。カレンはこれらDからGまで、場合によっては[[イ長調|A]]、[[ロ長調|B]]、[[ハ長調|C]]も用いているが、こうした芸当のできる歌手は多くないことから、カレンの声域の広さはよく知られている。 === ドラム演奏 === 歌手であると同時にドラマーでもあったカレンは、1974年まではしばしばドラムも演奏していた。リチャードによれば、カレンは自分を「歌えるドラマー」だと考えていた<ref name="mpi" />。5フィート4インチ(163センチメートル)しかなかった<!-- そんなに低くないぞ -->カレンは、ライヴでドラムを演奏するとキットの陰に隠れてよく見えなかった。やむをえず2人は、バラードの時にはカレンが立ち上がって歌い、それ以外のあまり有名でない曲の時には座るという妥協案を見出した。年が経つにつれ、カレンがドラムを演奏している時にも彼女のヴォーカルを求める声が高まるようになり、カレンがドラムの前に座る時間は徐々に減っていった。1976年のアルバム『見つめあう恋』のころには、カレンはまったくドラムを叩かなくなっていた<ref name="akindofhush">Carpenter, Richard (1976). Album notes for ''A Kind of Hush'' by The Carpenters. A&M Records. [https://musicbrainz.org/release/425841dd-b9b6-4df0-83cd-166ce6c3a516 A Kind of Hush] at [[MusicBrainz]].</ref>。 === アレンジ === カーペンターズの音楽は、そのアレンジの見事さによって高く評価されている。アレンジは大抵リチャードが担当し、その手腕は広く賞賛された。アレンジの大半はクラシックのスタイルで、多くの弦楽器や、ときには金管楽器や木管楽器も用いた(「星空に愛を(コーリング・オキュパンツ)」では、160人以上の歌手と演奏家を迎えている<ref name="webbio"/>)。著名な音楽評論家のダニエル・レビティンは ''"Electronic Musician"'' 誌において「リチャード・カーペンターこそ、ポップ・ミュージック界で最も才能あるアレンジャーの1人である」と述べている<ref name="levitin">{{cite web|url=https://ccrma.stanford.edu/CCRMA/Courses/192d:1997/rc_arranging.htm|title=Arranging Master Class:Richard Carpenter|accessdate=2007-12-27|author=Levitin, Daniel|date=May 1995|work=Electronic Musician}}</ref>。 == プロモーション活動とツアー == 1969年の最初のアルバム『オファリング』に対するレヴューはあまり芳しいものではなく、カーペンターズのスタートは順調なものではなかったが、2人は[[バート・バカラック]]の前座として自分たちのプロモートに励んだ<ref>[https://www.onamrecords.com/artists/carpenters onamarecords.com]</ref>。1974年の[[ラスヴェガス]]のホテル[[リヴィエラ (ホテル)|リヴィエラ]]におけるコンサートのときに、リチャードはそのいきさつについて説明した。映画『ハロー・ドリー!』封切り後のベネフィット・ディナーの際にバカラックの方から彼らの元を訪れて、後日行われるバカラックのディナー・ショーの前座をやってみないかと誘ったのである。このときにバカラックは自分の曲をどれでもいいからメドレーにして歌ってみろとの要求を出した<ref name="Reader's Digest">{{cite video |people=Richard Carpenter, Karen Carpenter|year2=1997|title=Burt Bacharach Medley (Live Version)|medium=CD Box Set|work=Reader's Digest Collection:Their Greatest Hits and Finest Performances|publisher=Reader's Digest|accessdate=2007-12-28 |time=0:00-14:39}}</ref>。カーペンターズは2か月をかけて8曲のメドレーをまとめ上げた<ref name="Reader's Digest"/>。このメドレーは全部で13分近くあったものを5分に短縮した上で1971年のアルバム『カーペンターズ』に収録された<ref name="Reader's Digest"/>。 カーペンターズはコンサート・ツアーやテレビ出演などの過密なスケジュールをこなしていった。彼らが出演したテレビ番組には『[[エド・サリヴァン・ショー]]』<ref name="edsullivan">{{cite video |people=Ed Sullivan, The Carpenters|date2=1970-10-18|title=Ed Sullivan's Rock 'n' Roll Classics:Chart Toppers, Volume 2||medium=DVD|location=The Ed Sullivan Theatre|accessdate=2007-12-28}}</ref>や[[ジョニー・カーソン]]司会の『[[ザ・トゥナイト・ショー]]』<ref name="tsjc">{{cite web |url=https://www.imdb.com/title/tt0726782/|title=The Tonight Show Starring Johnny Carson|accessdate=2007-12-29 |work=Internet Movie Database}}</ref>、『キャロル・バーネット・ショー』(''"[[:en:The Carol Burnett Show|The Carol Burnett Show]]"''、1971年および1972年)、『マイク・ダグラス・ショー』(''"[[:en:The Mike Douglas Show|The Mike Douglas Show]]"''、1971年)<ref>{{YouTube|AOBTNL-nN4k|The Carpenters and WRC bumper 1971}}</ref>などがあり、『[[ジョニー・キャッシュ]]・ショー』(''"[[:en:The Johnny Cash Show (TV series)|The Johnny Cash Show]]"''、同じく1971年)では「ふたりの誓い」と「雨の日と月曜日は」を演奏した<ref>{{YouTube|SQ1NtnvdlAo|The Carpenters On The Johnny Cash Show}}</ref>。BBCのテレビ特番 (''"[[:en:Carpenters:Live at the BBC|Carpenters:Live at the BBC]]"'') では生演奏を披露している。彼らはまた夏の間だけのシリーズ番組''"[[:en:Make Your Own Kind of Music (TV series)|Make Your Own Kind of Music]]"''で主演を務め、アメリカでは毎週火曜日の午後8時に[[NBC]]で放送された。1980年のラジオでのインタビューでカレンとリチャードのいずれもが、1970年代初めのテレビとの関わりにおいて自分たちはつけ込まれ利用されていたこと、その後の作品を制作してゆく上での支配権を握られそうになっていたことなどを述べている<ref>[http://www.thecarpenters.tv/ thecarpenters.tv]</ref>。 1973年5月には、時のアメリカ大統領[[リチャード・ニクソン]]と訪米中の西ドイツ首相[[ヴィリー・ブラント]]からの招待を受け、ホワイトハウスで演奏することになった<ref name="mpi"/>。 カーペンターズは1971年から1975年にかけて数多くのコンサートを行っている。以下の表はリチャードが保存していた旅行記録に基づいたものである<ref name="coleman"/>。 {|class="wikitable" |- !年 !コンサート回数 !TV出演回数 |- |1971 |145公演<ref name="cr137"/> |10番組(''"[[:en:Make Your Own Kind of Music (TV series)|Make Your Own Kind of Music]]"''など) |- |1972 |174公演<ref name="cr137" /> |6番組 |- |1973 |174公演<ref name="cr137" /> |3番組 |- |1974 |203公演<ref name="cr137" /> |なし |- |1975 |118公演 + 延期46回<ref name="cr137" /> |なし |- |} 1970年代の中ごろには、度重なるツアーや長期に及ぶレコーディング・セッションが2人を蝕みはじめており、2人の十数年にわたる活動の後半は仕事の上でも個人生活の上でも問題を抱えたものとなっていた。カレンは強迫観念的にダイエットをするようになり、やがて[[神経性無食欲症]]になって症状も進行していった。この拒食症が最初に現われたのは、ラスヴェガスでのショーの途中でカレンが倒れた1975年のことである。カレンは消耗しきっており、フィリピンとイギリスおよび日本へのコンサート・ツアーはキャンセルするよう命じられた。リチャードはその時期の6、7日の過密スケジュールのことを後悔しており、現在明らかになったことを当時すでに知っていたら絶対にそのような日程には同意しなかっただろうと語っている。カレンはシングル「オンリー・イエスタデイ」のミュージック・ビデオを撮影したころには(まだ病的ではなかったが)顕著に痩せて見えるようになった。一方リチャードもメタカロン(催眠剤)の中毒に陥っており、1970年代後半には演奏に悪影響を及ぼしはじめ、これらをきっかけとして1978年に2人はライヴ・コンサートへの出演を辞めることとなった。 カーペンターズとして行った日本公演は、1972年、1974年、1976年の3回である。1974年の日本公演では、武道館ではひばり児童合唱団と、京都では地元の合唱団(リチャードが「Kyoto Children's choir」と紹介していた。<ref>https://kcjcc.jp/ 京都市少年合唱団</ref>)と「[[シング (セサミストリートの曲)|シング]]」を日本語で歌った。 == テレビ特番 == カーペンターズが司会を務めるテレビ特番も大変好評で、1976年から1980年にかけて計5本のレギュラー番組を持っていた。なかでも1976年12月8日放送の''"[[:en:The Carpenters' Very First TV Special|The Carpenters' Very First TV Special]]"''は人気を博し、アメリカの視聴率調査会社ニールセンのランキングで第6位となった<ref name="mpi"/>。彼らのショーには大抵「shtick」(演出上の見せ場として、お決まりのギャグなどを演じる滑稽な場面)があり、リチャードはこれを大変嫌っていたものの、カレンは気に入っており、その個性をカメラの前で花開かせることとなった。 カーペンターズ最後のテレビ特番''"[[:en:Music, Music, Music!|Music]]"''は1980年5月に放送された。この番組には「shtick」はなく、音楽だけで構成されていた<ref name="mpi"/>。テレビ司会者のジョン・デヴィッドソンや有名なスタンダード歌手のエラ・フィッツジェラルドらがゲスト出演し、さまざまな歌を披露した。この番組で演奏された曲の多くは2004年にアルバム『[[レインボウ・コネクション〜アズ・タイム・ゴーズ・バイ]]』に収録された。カーペンターズのオフィシャル・サイトで、このアルバムに収められた15曲のうち5曲が''"Music, Music, Music!"''から採られたものであると明記されている。 しかし、[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]は彼らの純粋に音楽だけで番組を構成するという方針に不満を覚えていた。ドキュメンタリー『リメンバー・ザ・カーペンターズ』(''"[[:en:Close to You:Remembering the Carpenters|Close to You:Remembering the Carpenters]]"'')で、リチャードはABCのスタッフがこぼした「一体あいつらはこれを何だと思っているんだ? [[公共放送サービス|PBS]]の番組か?」という言葉を引用している(PBSは教養番組を主とするアメリカの公共放送局で、日本では[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]にあたる)。皮肉にも、このドキュメンタリーは翌1998年にMPIホーム・ビデオ社からDVDとして発売される前にPBSで放映された。 == 評価と影響 == === 音楽評論家からの酷評 === カーペンターズの絶大な人気は、音楽評論家たちの批判をはねのける勢いをもっていた。バラードやミドルテンポのポップスを中心とした2人の音楽性は、批評家たちから退屈で甘ったるいと斬り捨てられていたのである。しかし、レコード業界は2人にいくつもの賞を授与した。カーペンターズはそのキャリアにおいて3度のグラミー賞を受賞している(1970年に最優秀新人賞および「close to you」で最優秀ボーカル・グループ賞<ref name="cr95">{{Harvnb|Coleman|1994|p=95}}</ref>、1971年に『スーパースター』で最優秀ボーカル・グループ賞<ref name="cr108"/>)。また、1973年には、投票によって第1回[[アメリカン・ミュージック・アワード]]の最優秀ポップ・ロック・デュオにも選ばれた。{{Seealso|:en:American Music Awards of 1974}} 多くの批評家たちから「ミルクを飲んで、アップル・パイを食べて、シャワーを浴びる」といった印象だと批判されたことに対して、リチャードはインタビューにおいてたびたび「自分はミルクなど好きではないし、ワインも飲む。マリファナ合法化のために投票さえした」とまで言いながら、そうした評価を払拭しようと努めている<ref name="superstars70s">{{cite book |title=Superstars of the 70's|year=1976|publisher=Octopus Books Limited|location=London, England|isbn=0706404475}}</ref>。 レイ・コールマンの著書 ''"The Carpenters:The Untold Story"'' (『カレン・カーペンター:栄光と悲劇の物語』)においてもリチャードは、カーペンターズのイメージをひたすら「清廉潔白」にしておこうと務めるA&Mの経営陣や、彼らの音楽よりも彼らのイメージばかりを批評する評論家に対して、自分がいかに嫌悪感を抱いていたかを強調している<ref name="cr109">{{Harvnb|Coleman|1994|p=109}}</ref>。<!-- 英語版では原文が長めに引用されているが、訳出は控える --> ===カーペンターズの再評価=== カーペンターズの本格的な再評価は、1990年代から2000年代にかけて各国で制作された、''"[[:en:Close to You:Remembering the Carpenters|Close to You:Remembering the Carpenters]]"''(アメリカ)や ''"The Sayonara"''(日本)<!-- 原題? 海外表記? -->、''"[[:en:Only Yesterday:The Carpenters Story|Only Yesterday:The Carpenters Story]]"''(イギリス)などさまざまなドキュメンタリーによってもたらされた。作品の技術的な質の高さや歌に奥底に秘められた悲しみ、カレンの歌声やその人生に刻まれた苦悩が多くのファンを惹きつけた。彼女の特徴的なヴォーカルが、その後のポップ・ミュージックに[[アン・マレー]]や[[リタ・クーリッジ]]、[[メリサ・マンチェスター]]といったアルト歌手を登場させる契機になったといわれている。 1990年代のR&Bグループ、[[ボーイズIIメン]]さえもが自分たちに影響を与えたアーティストとしてカーペンターズの名を挙げている。1990年に[[オルタナティヴ・ロック]]・バンドの[[ソニック・ユース]]は ''"Tunic (Song for Karen)"'' という曲を録音した(アルバム『[[GOO (アルバム)|GOO]]』収録)。これはカレンが新しい「友だち」の[[デニス・ウィルソン]]や[[エルヴィス・プレスリー]]、[[ジャニス・ジョプリン]]らの元を訪ねてもう一度ドラムを演奏するために家族へ別れを告げるという内容の歌である<ref name="sonicyouth">[http://www.sonicyouth.com/ sonicyouth.com]</ref>。批評家からはそのサウンドが「ソフトすぎる」と批判されていたにもかかわらず、カーペンターズを[[ロックの殿堂]]へ入れるべきだとする運動や嘆願書が数多く存在する<ref name="petition2">[http://www.gocarpenters.com/ gocarpenters.com]</ref>。 1994年のトリビュート・アルバム『[[イフ・アイ・ワー・ア・カーペンター〜カーペンターズに捧ぐ]]』では、[[ソニック・ユース]]や[[ベティー・サーヴァート]]、[[少年ナイフ]]、[[グラント・リー・バッファロー]]、[[マシュー・スウィート]]、[[クランベリーズ]]といったアーティストによって、カーペンターズのヒット曲のオルタナティブ・ロック的解釈が試みられた<ref name="musiccity">[http://www.music-city.org/Various-Artists/If-I-Were-a-Carpenter-21765/ music-city.org]</ref>。 カーペンターズの曲の多くは、もはやポップ・スタンダードとなっている。特に「[[遙かなる影|close to you]]」などは[[カラオケ]]で歌われることも多い。この曲は『[[バックマン家の人々]]』で挿入歌として使用され<ref name="parenthood">{{cite web |url=https://www.imdb.com/title/tt0098067/soundtrack|title=Parenthood (1989)|accessdate=2007-12-29 |work=Internet Movie Database}}</ref>、『[[ザ・シンプソンズ]]』の2つのエピソードや『[[ザ・シンプソンズ MOVIE]]』でも使われている<ref>{{cite video |people=Brooks, James L.;Groening, Matt;Jean, Al;Scully, Mike;Silverman, David;Castellaneta, Dan;Smith, Yeardley|year=2007|title=Audio commentary for [[ザ・シンプソンズ MOVIE|The Simpsons Movie]]|medium=DVD||publisher=20th Century Fox}}</ref>。代表曲の一つ「[[愛のプレリュード]]」は結婚式や披露宴の定番であり、映画『スタスキー&ハッチ』(''"[[:en:Starsky & Hutch (film)|Starsky & Hutch]]"'')<ref name="sandh">{{cite web |url=https://www.imdb.com/title/tt0335438/soundtrack|title=Starsky & Hutch (2004)|accessdate=2007-12-29 |work=Internet Movie Database}}</ref>や『[[1408号室]]』<ref name="imdb1408">{{cite web |url=https://www.imdb.com/title/tt0450385/soundtrack|title=1408 (2007)|accessdate=2007-12-29 |work=Internet Movie Database}}</ref>でも印象的に用いられている。「[[スーパースター (デラニー&ボニーの曲)|スーパースター]]」は[[ルーサー・ヴァンドロス]]や[[ルーベン・スタッダード]]から[[ベット・ミドラー]]、[[ソニック・ユース]]に至るまで、数多くのアーティストによってカヴァーされた。[[クレイ・エイケン]]はテレビ番組『[[アメリカン・アイドル]]』でこの曲を歌い、若い世代にもこの曲を知らしめた<ref name="realitytvworld">[https://www.realitytvworld.com/news/clay-aiken-solitaire-opens-at-%234-in-billboard-hot-100-chart-2413.php realitytvworld.com]</ref>。「愛のプレリュード」と「close to you」は、その良質さと歴史的重要性からグラミーの殿堂入りを果している<ref name="grammyhalloffame">[https://www.grammy.com/recording-academy/awards/hall-of-fame grammy.com]</ref>。 === アーティスト達からの評価 === 自分に大きな影響を与えた人物としてカレン・カーペンターの名を挙げている現代のアーティストには、[[クリスティーナ・アギレラ]]、[[グウェン・ステファニー]]、[[シャナイア・トゥエイン]]、[[アナスタシア (歌手)|アナスタシア]]、[[メアリー・J. ブライジ]]、[[アリシア・キーズ]]、[[リアン・ライムス]]、ケリー・ジョーンズ([[ステレオフォニックス]])、ジョニー・ボーレル([[レイザーライト]])、ジョー・オメアラ([[S Club 7]])、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]などがいる<ref>VH1's Greatest Women of Rock and Roll</ref><ref>[http://www.famousinterview.ca/interviews/shania_twain.htm Shania Twain Interview]</ref>。 [[クイーン (バンド)|クイーン]]はプロフィールにカーペンターズを「嫌いなアーティスト」として挙げていた。 === その他 === リチャードと妻メアリ・ルドルフ・カーペンターは、2007年に[[ベンチュラ郡]]のフィランソロピスト(社会奉仕家)・オブ・ザ・イヤー賞を授与された<ref name="webbio"/>。 == ディスコグラフィ == {{Main|カーペンターズのディスコグラフィ}} アメリカ合衆国のバンドカーペンターズのディスコグラフィは、14枚のスタジオ・アルバム、2枚のライブ・アルバム、11枚のコンピレーション・アルバム、3作の音楽ビデオ、1枚のトリビュート・アルバム、46枚のシングル、2枚のサウンドトラックにより構成される。その経歴を通じて、カーペンターズは解散までにリード・アーティストとして30枚のシングルをリリースした。この30枚のうち13枚がRIAAによってゴールドディスクに認定され、22枚がアダルト・コンテンポラリー・チャートのトップ10に到達した。またカーペンターズは1969年から1983年までに10枚のアルバムを発表した。そのうち6枚のアルバム(『close to you』、『カーペンターズ』、『ア・ソング・フォー・ユー』、『ナウ・アンド・ゼン』、『緑の地平線〜ホライゾン』、『見つめあう恋』)がビルボード・ホット100のトップ20入りした曲を収録している。 == グラミー賞受賞歴 == 1970年代を通じて、リチャードとカレンはグラミー賞に何度もノミネートされている。リチャードはインストゥルメンタル曲『フラット・バロック』(''"[[:en:Flat Baroque|Flat Baroque]]"'')によって、個人でもノミネートされた<ref name="newsletter">Wallace, Evelyn (1973). The Carpenters' Official Fan Club Newsletters, Issue#26. June, 1973.</ref>。2人はグラミー賞を3度受賞し、2曲が殿堂入りを果している<ref name="grammyhalloffame"/>。 {|class="wikitable" |- !&mdash;|年 !部門 !style="width:5em" |受賞/<br>ノミネート !タイトル |- |rowspan="8" |1970 |最優秀新人賞 |受賞 |style="text-align:left" |カーペンターズ |- |最優秀ボーカル・グループ賞 |受賞 |style="text-align:left" |「[[遙かなる影|close to you]]」 |- |最優秀レコード賞 |ノミネート |style="text-align:left" |『[[遙かなる影 (アルバム)|close to you]]』 |- |最優秀アルバム賞 |ノミネート |style="text-align:left" |『close to you』 |- |最優秀アレンジメント賞 |ノミネート |style="text-align:left" |「close to you」 |- |最優秀楽曲賞 |ノミネート |style="text-align:left" |「[[愛のプレリュード]]」 |- |最優秀コンテンポラリー・ソング賞 |ノミネート |style="text-align:left" |「愛のプレリュード」 |- |最優秀録音賞 |ノミネート |style="text-align:left" |『close to you』 |- |rowspan="5" |1971 |最優秀ボーカル・グループ賞 |受賞 |style="text-align:left" |『[[カーペンターズ (アルバム)|カーペンターズ]]』 |- |最優秀アルバム賞 |ノミネート |style="text-align:left" |『カーペンターズ』 |- |最優秀アレンジメント賞 |ノミネート |style="text-align:left" |「[[スーパースター (デラニー&ボニーの曲)|スーパースター]]」 |- |最優秀オリジナル・キャスト・アルバム賞 |ノミネート |style="text-align:left" |"[[:en:Bless the Beasts and Children (soundtrack)|Bless the Beasts and Children]]" |- |最優秀録音賞 |ノミネート |style="text-align:left" |『カーペンターズ』 |- |1972 |最優秀アレンジメント賞 |ノミネート |style="text-align:left" |"[[:en:Flat Baroque|Flat Baroque]]"<ref name="newsletter"/> |- |rowspan="2" |1973 |最優秀ボーカル・グループ賞 |ノミネート |style="text-align:left" |「[[シング (セサミストリートの曲)|シング]]」 |- |最優秀アレンジメント賞 |ノミネート |style="text-align:left" |「シング」 |- |1974 |最優秀アレンジメント賞 |ノミネート |style="text-align:left" |「愛のプレリュード」 |- |1977 |最優秀アレンジメント賞 |ノミネート |style="text-align:left" |「星空に愛を(コーリング・オキュパンツ)」 |} == 日本公演 == === 1972年 === 6月2日 [[日本武道館]] === 1974年 === 5月31日 日本武道館、6月1日 静岡駿府会館、6月4日 [[京都会館]]、6月5日 [[広島県立総合体育館|広島県立体育館]]、6月7日 大阪[[フェスティバルホール]]、6月8日 [[横浜文化体育館]]、6月10日 [[名古屋市民会館]]、6月12日 日本武道館 === 1976年 === 本来なら1975年に実施されるはずだったが、カレンの体調不良でドクターストップがかかり、翌76年に延期された。(★の付いている公演日は、1日2回公演) 3月15日・16日 日本武道館、3月17日 静岡市駿府会館、3月18日 [[愛知県体育館]]、3月19日 [[神戸市立中央体育館]]、3月20日 京都体育館、3月21日 [[和歌山県立体育館]]、3月24日★・25日★、26日★ 大阪フェスティバルホール、3月28日 金沢大乗寺山・[[実践倫理宏正会|実践倫理]]記念会館、3月29日 岡山市立体育館、3月30日 山口県体育館、3月31日★ [[福岡市九電記念体育館|福岡 九電記念体育館]]、4月1日 熊本市立体育館、4月2日 広島県立体育館、4月5日★ 仙台[[宮城県スポーツセンター]]、4月7日 札幌[[真駒内屋内競技場|真駒内アイスアリーナ]]、4月9日 日本武道館、4月10日★ [[神奈川県民ホール]]、4月11日 水戸[[笠松運動公園|笠松運動公園体育館]] == 受賞歴 == * 第7回[[ザテレビジョンドラマアカデミー賞]] '''主題歌賞'''(『[[TOP OF THE WORLD]]』、ドラマ『[[未成年]]』主題歌) == 備考 == === ロゴ === 1971年、A&Mのグラフィック部門はクレイグ・ブラウン&アソシエーツを雇い、カーペンターズの最新作となる3枚目のアルバム『カーペンターズ』のジャケットのデザインを依頼した<ref name="officialfansaskarchive">{{cite web |url=http://www.richardandkarencarpenter.com/fans_ask_Archive-All.htm|title=Fans Ask Archive|accessdate=2008-01-21 |last=Carpenter|first=Richard|work=Richard and Karen Carpenter's Official Website}}</ref>。リチャードは仕上がった[[:en:Image:Carpenters LOGO.png|ロゴ]]を一目見るなり最高の出来だと感じたと語っている<ref name="officialfansaskarchive"/>。その後カーペンターズのアルバムすべてにおいてこのロゴが使用されることになったが、ファンからは「なぜ『パッセージ』にだけこのロゴが使用されていないのか」という質問が多く寄せられている。これに対しリチャードは裏ジャケットの下中央で使われているはずだと答えている。 === 広告曲 === 日本でも現在に至るまでその人気は確かなもので、広告・ドラマの主題歌などさまざまなメディアで耳にする機会は少なくない。また、彼ら自身が1970年代に[[森永製菓]]のハイクラウンチョコレートや、[[サントリーフーズ|サントリー]]のソフトドリンク、ポップのCMに起用されていたことがある。 === 英語教材 === スローテンポで聴きやすいスタンダードポップス、音楽的にも優れた楽曲、覚えやすく歌いやすいメロディー、カレンの正確な発音、正しい英文法、基本的な単語で構成された歌詞、スラングがないこと、ヒット曲が多いこと……などから、[[ビートルズ]]などと共に「英語教材」としても一般的に広く薦められている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{reflist|colwidth=30em}} == 参考文献 == * {{cite book |last=Coleman |first=Ray |authorlink=:en:Ray Coleman |title=The Carpenters:The Untold Story |format=paperback |edition=1st |year=1994 |publisher=Harper Collins Publishers |isbn=0-06-018345-4 |ref=harv }} ** {{cite |和書 |last= |first= |author=レイ・コールマン |translator=安藤由紀子・小林理子 |title=カレン・カーペンター:栄光と悲劇の物語 |format= |edition=1 |year=1995 |publisher=福武書店 |isbn=4-8288-1749-2 |ref=harv }} * {{cite |和書 |author=小倉ゆう子 |authorlink=小倉ゆう子 |title=カーペンターズ 永遠の輝き |format=ムック |edition= |year=1996 |publisher=共同通信社 |isbn=4764130297 |ref=harv }} * [[東ひさゆき]]/佐藤直人/[[岩淵悟]]/[[スティーヴ・マックルーア]]著・[[東ひさゆき]]監修『ビルボード年間チャート1955→2001』[[共同通信社]]、2002年4月10日、ISBN 4-7641-3053-X == 外部リンク == <!-- 余計なお世話ですが、カーペンターズ級になると雑多なファンサイトなどきりがないので、よほどしっかりした情報を懇切にまとめたサイトでない限り、これ以上の追加は止めたほうがよいと思います --> * [https://www.richardandkarencarpenter.com/ Richard and Karen Carpenter] - Official site * [http://www.carpenterarts.org/ Richard and Karen Carpenter Center for the Performing Arts] - Official site * [http://www.hotelsoftennessee.com/paulwilliamsconnectionorg/ Paul Williams Connection] - Official site * {{imdb name|id=0139389|name=Karen Carpenter}} * {{imdb name|id=0139443|name=Richard Carpenter}} * [https://www.mtosmt.org/issues/mto.02.8.4/mto.02.8.4.holm-hudson.html Society Music Theory] - A musicologist's discourse on their song "Superstar" * [https://www.onamrecords.com/Carpenters.html On A&M Records] - Miscellaneous photos and information regarding Carpenters * [https://www.photofeatures.com/carpenters/index.html Chris Walter] - Pictures of Carpenters in an official archive * [https://www.universal-music.co.jp/carpenters/ ユニバーサル ミュージック公式サイト]{{ja icon}} {{カーペンターズ}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:かへんたす}} [[Category:カーペンターズ|*]] [[Category:アメリカ合衆国の音楽グループ]] [[Category:アダルト・コンテンポラリー]] [[Category:グラミー賞受賞者]] [[Category:A&Mレコードのアーティスト]] [[Category:1969年に結成した音楽グループ]] [[Category:1983年に解散した音楽グループ]] [[Category:兄弟姉妹の音楽デュオ]] [[Category:2人組の音楽グループ]]
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スティーヴ・ライヒ
スティーヴ・ライヒ(Steve Reich、1936年10月3日 - )は、ミニマル・ミュージックを代表するアメリカの作曲家。母は女優のジューン・キャロル(英語版)(旧姓・シルマン)。異父弟に作家のジョナサン・キャロル。 ドイツ系ユダヤ人移民の父親と東欧系ユダヤ人の母親の子として生まれる。最小限に抑えた音型を反復させるミニマル・ミュージックの先駆者として、「現代における最も独創的な音楽思想家」(ニューヨーカー誌)と評される。同じ言葉を吹き込んだ二つのテープを同時に再生し、次第に生じてくるフェーズ(位相)のずれにヒントを得て、『イッツ・ゴナ・レイン(英語版)』(1965年)、『カム・アウト(英語版)』(1966年)などの初期の作品を発表。 1990年、『18人の音楽家のための音楽』(1974年-1976年)、ホロコーストを題材にした『ディファレント・トレインズ』(1988年)により2つのグラミー賞を受賞。1993年には、「21世紀のオペラはこうあるべき」(タイム誌)と評された『ザ・ケイヴ(英語版)』(『The Cave -洞窟-』)を発表した。 2006年、第18回高松宮殿下記念世界文化賞の音楽部門を受賞。2009年、『ダブル・セクステット(フランス語版、英語版)』でピューリッツァー賞 音楽部門を受賞。2008年度の「武満徹作曲賞」審査員を務め、18人の音楽家のための音楽の自作自演を行った。 なお、日本国内ではドイツ語式に「ライヒ」と表記されるが、本国アメリカ合衆国では一般的に「ライシュ」または「ライク」と発音される。種々のインタビューやコンサート・トークにおいて、本人は「ライシュ」と発音している。ただし最近のTV番組などでは、ナレーターなどによりあえて「ライヒ」と発音されるケースもある。 ライヒは1957年にコーネル大学哲学科で学士号を取得した後、1958年から1961年までニューヨークのジュリアード音楽院に在籍し、ウィリアム・バーグスマらに師事。1961年から1963年までは、カリフォルニア州のオークランドにある、ミルズカレッジでルチアーノ・ベリオとダリウス・ミヨーの元で学び、修士号を取得した。ライヒの作品、特に『ドラミング(英語版)』(1971年)では、アフリカ音楽の影響が色濃く、ライヒは特にAM・ジョーンズによる、ガーナのエヴェ族に関するアフリカ音楽の研究から影響を受けていた。やがてライヒは、ドラミングの研究のためにガーナを訪れるようになり、1970年にはガーナ大学アフリカ研究所でドラミングを集中して学んだ。また、ライヒは1973年から1974年にかけてシアトルでバリ島のガムランの研究も行った。さらにユダヤ人としての自らのルーツを探るようにヘブライ語聖書の伝統的な詠唱法を学ぶことで、「言葉が生む旋律」を再発見していく。 『ドラミング』以降、ライヒは自分自身が先駆者であった"フェイズ・シフティング"の技法から離れ、より複雑な楽曲を書き始める。彼は他の音のオーグメンテーション(あるフレーズやメロディの一部の音符を一時的に増幅させ、繰り返したりすること)のようなプロセスを用いる方へ移行する。『マレット楽器、声およびオルガンのための音楽(英語版)』(1973年)のような作品を作曲したのはこの時期である。 特に『4台のオルガン(英語版)』(『フォー・オルガンズ』)では、オーグメンテーション(英語版)が用いられており、1967年に作曲された Slow Motion Sound はそのプロトタイプともいえる。この曲は演奏されたことはないが、録音された音や声を、音程も音質も変えずに、音を元の長さの数倍になるまで遅く再生するアイディアは、『フォー・オルガンズ』でも採用されている。その結果、4台のオルガンがそれぞれ特定の8部音符を強調しながら、11thの和音を奏で、マラカスがテンポの速い8部音符のリズムを刻む立体的な音の空間を持った曲が出来上がった。リズムが変化し、繰り返される手法が使われている。この曲は、初期のライヒの作品が循環的であるのに対し、直線的である点が異質で特徴的である。 1974年には、ライヒはライヒを知る大多数の人々から重要であると位置づけられる作品、『18人の音楽家のための音楽』を書き始めた。初期の作品の持つ作風へ戻りつつも、この作品には多くの新しいアイディアが含まれている。曲は11のコードのサイクルを基本としており、それぞれのコードには短い曲がそれぞれ割り当てられ、曲の終わりには元のサイクルへと戻っていく。セクション(楽曲内の区切り)は"Pulses"、 Section I-X、再び"Pulses"と名づけられている。ライヒにとっては、大人数のアンサンブルのために書いた初の試みであり、演奏家が増えることによって音響心理学的な効果はより大きなものとなり、その効果に夢中になったライヒは「もっとこのアイディアを探求したい」と語っている。また、ライヒはこの作品は過去に書かれたどの作品よりも、最初の5分間に含まれるハーモニーが豊かであるとも語っている。 同じ年に、ライヒは彼自身の哲学、美学、1963年から1974年の間に作曲した作品についてのエッセイが収録された本"Writings About Music"を出版した。2002年には"Writings On Music (1965-2000)"として、新しいエッセイが収録された本も出版されている。 1976年から1977年にかけては、ライヒはドイツ系ユダヤ人である自らのルーツを探るように、ニューヨークとエルサレムにて、ヘブライ語聖書の伝統的な詠唱法を学んだ。1981年に作曲された『テヒリーム』は、ヘブライ語で詩篇もしくは賛歌を意味するタイトルが示す通り、ヘブライ語のテキストを女声が歌い上げる、4部に分かれた曲である。 1988年には、クロノス・クァルテットのために『ディファレント・トレインズ』を書き下ろす。この作品においてライヒは、インタビューで録音された古い肉声を使用しており、その肉声が奏でる音程に合わせて弦楽器のメロディーが反復され、加速するといった新しい手法を用いている。曲は3部に分かれており、第二次世界大戦前のアメリカ、第二次大戦中のヨーロッパでのホロコースト、戦後のアメリカにおける汽車の旅が、汽笛の音を散りばめながら描かれている。1990年に、ライヒはこの作品においてグラミー賞最優秀現代音楽作品賞を受賞する。 1993年には、ライヒは妻で映像作家でもあるベリル・コロットとオペラ『ザ・ケイヴ』においてコラボレーションを行う。このオペラでは、彼はユダヤ教、キリスト教、イスラム教のルーツを探っている。テクニックはチェコ人作曲家のヤナーチェクの発話旋律と全く変わらないが、採譜された旋律を電子キーボードとマイク増幅されたボーカルで二度三度と繰り返すためにライヒ色は失われていない(イスラムの場面ではコーランは歌うことができないので、そのままの詠唱を行ってもらった)。ライヒとコロットは、飛行船ヒンデンブルク号の惨劇、ビキニ環礁での核実験、そしてより現代的な出来事、特にクローン羊ドリーを取り上げたオペラ『スリー・テイルズ』(2002年)でも再度コラボレーションを行っている。 テクノミュージックやエレクトロニカのアーティストたちにも多大な影響を与えており、ライヒ自身もテクノに興味があることをインタビューの中で述べている。1999年には、ライヒ公認のプロジェクトとして、ライヒの楽曲を9人のテクノのアーティスト達がリミックスしたCD、"Reich Remixed"が発表される。日本からは、竹村延和("Proverb"をリミックス)、ケン・イシイ(『カム・アウト』をリミックス)が参加した。
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スティーヴ・ライヒは、ミニマル・ミュージックを代表するアメリカの作曲家。母は女優のジューン・キャロル(旧姓・シルマン)。異父弟に作家のジョナサン・キャロル。
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照--> | Name = スティーヴ・ライヒ<br/>Steve Reich | Img = Steve Reich2.jpg | Img_capt = 2006年頃 | Img_size = | Landscape = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --> | Background = classic | Birth_name = Stephen Michael Reich<!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 --> | Alias = | Blood = <!-- 個人のみ --> | School_background = <!-- 個人のみ -->[[コーネル大学]]哲学科<br/>[[ジュリアード音楽院]] | Born = {{生年月日と年齢|1936|10|3}}<br/>{{USA}}、[[ニューヨーク]]市[[ブロードウェイ (ニューヨーク)|ブロードウェイ]] | Died = | Origin = | Instrument = | Genre = [[ミニマル・ミュージック]] | Occupation = [[作曲家]] | Years_active    = | Label = [[ECMレコード]] | Production = | Associated_acts = | URL = | Current_members = <!-- グループのみ --> | Past_members = <!-- グループのみ --> | Notable_instruments = }} {{Portal クラシック音楽}} '''スティーヴ・ライヒ'''(Steve Reich、[[1936年]][[10月3日]] - )は、[[ミニマル・ミュージック]]を代表する[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[作曲家]]<ref>Mertens, Wim; American Minimal Music 136 pages Publisher: Kahn & Averill; New edition (December 31, 1983) ISBN 978-1871082005</ref>。母は女優の{{仮リンク|ジューン・キャロル|en|June Carroll}}(旧姓・シルマン)。異父弟に作家の[[ジョナサン・キャロル]]。 == 人物 == [[ドイツ人|ドイツ系]][[ユダヤ人]]移民の父親と[[東ヨーロッパ|東欧系]]ユダヤ人の母親の子として生まれる。最小限に抑えた音型を反復させる[[ミニマル・ミュージック]]の先駆者として、「現代における最も独創的な音楽思想家」([[ザ・ニューヨーカー|ニューヨーカー誌]])と評される。同じ言葉を吹き込んだ二つのテープを同時に再生し、次第に生じてくるフェーズ(位相)のずれにヒントを得て、『{{仮リンク|イッツ・ゴナ・レイン|en|It's Gonna Rain}}』(1965年)、『{{仮リンク|カム・アウト (ライヒ)|label=カム・アウト|en|Come Out (Reich)}}』(1966年)などの初期の作品を発表。 1990年、『[[18人の音楽家のための音楽]]』(1974年-1976年)、ホロコーストを題材として、「[[スピーチ・メロディ]]」と呼ばれる手法を確立した『[[ディファレント・トレインズ]]』<ref>「発話旋律(Speech Melody)」とは何か~ライヒとヤナーチェク https://www.tmso.or.jp/j/archives/special_contents/2022/2022score/column/column15.php</ref>(1988年)により2つのグラミー賞を受賞。1993年には、「21世紀のオペラはこうあるべき」([[タイム (雑誌) |タイム誌]])と評された『{{仮リンク|ザ・ケイヴ|en|The Cave (opera)}}』(『The Cave -洞窟-』)を発表した。 2006年、第18回[[高松宮殿下記念世界文化賞]]の音楽部門を受賞。2009年、『{{仮リンク|ダブル・セクステット|fr|Double Sextet|en|Double Sextet}}』で[[ピューリッツァー賞 音楽部門]]を受賞<ref>[https://web.archive.org/web/20090422144633/http://www.theroot.com:80/views/eugene-robinson-wins-pulitzer-prize www.theroot.com]</ref>。2008年度の「[[武満徹]]作曲賞」審査員を務め、18人の音楽家のための音楽の自作自演を行った。 なお、日本国内では[[ドイツ語]]式に「ライヒ」と表記されるが、本国[[アメリカ合衆国]]では一般的に「ライシュ」または「ライク」と発音される。種々のインタビューやコンサート・トークにおいて、本人は「ライシュ」と発音している。ただし最近のTV番組などでは、ナレーターなどによりあえて「ライヒ」と発音されるケースもある。 === 初期・フェイズ・シフティング === ライヒは1957年に[[コーネル大学]]哲学科で学士号を取得した後、1958年から1961年まで[[ニューヨーク]]の[[ジュリアード音楽院]]に在籍し、ウィリアム・バーグスマらに師事。1961年から1963年までは、[[カリフォルニア州]]の[[オークランド (カリフォルニア州)|オークランド]]にある、ミルズカレッジで[[ルチアーノ・ベリオ]]と[[ダリウス・ミヨー]]の元で学び、修士号を取得した。ライヒの作品、特に『{{仮リンク|ドラミング (ライヒ)|label=ドラミング|en|Drumming (Reich)}}』(1971年)では、[[アフリカ]]音楽の影響が色濃く、ライヒは特にAM・ジョーンズによる、[[ガーナ]]のエヴェ族に関するアフリカ音楽の研究から影響を受けていた。やがてライヒは、ドラミングの研究のためにガーナを訪れるようになり、1970年にはガーナ大学アフリカ研究所でドラミングを集中して学んだ。また、ライヒは1973年から1974年にかけて[[シアトル]]で[[バリ島]]の[[ガムラン]]の研究も行った。さらにユダヤ人としての自らのルーツを探るようにヘブライ語聖書の伝統的な詠唱法を学ぶことで<ref>{{Cite web|和書|url = https://praemiumimperiale.org/ja/component/k2/reich |archiveurl = |title = スティーヴ・ライヒ |website = praemiumimperiale.org|publisher = praemiumimperiale.org|date = |archivedate = |accessdate = 2023-07-05}}</ref>、「言葉が生む旋律」を再発見していく。 === 中期・オーグメンテーション === 『ドラミング』以降、ライヒは自分自身が先駆者であった"フェイズ・シフティング"の技法から離れ、より複雑な楽曲を書き始める。彼は他の音のオーグメンテーション(あるフレーズやメロディの一部の音符を一時的に増幅させ、繰り返したりすること)のようなプロセスを用いる方へ移行する。『{{仮リンク|マレット楽器、声およびオルガンのための音楽|en|Music for Mallet Instruments, Voices and Organ}}』(1973年)のような作品を作曲したのはこの時期である。 特に『{{仮リンク|4台のオルガン|en|Four Organs}}』(『フォー・オルガンズ』)では、{{仮リンク|オーグメンテイション (音楽)|label=オーグメンテーション|en|Augmentation (music)}}が用いられており、1967年に作曲された ''Slow Motion Sound'' はその[[プロトタイプ]]ともいえる。この曲は演奏されたことはないが、録音された音や声を、音程も音質も変えずに、音を元の長さの数倍になるまで遅く再生するアイディアは、『フォー・オルガンズ』でも採用されている。その結果、4台の[[オルガン]]がそれぞれ特定の8部音符を強調しながら、11thの和音を奏で、[[マラカス]]が[[テンポ]]の速い8部音符の[[リズム]]を刻む立体的な音の空間を持った曲が出来上がった。リズムが変化し、繰り返される手法が使われている。この曲は、初期のライヒの作品が循環的であるのに対し、直線的である点が異質で特徴的である。 [[1974年]]には、ライヒはライヒを知る大多数の人々から重要であると位置づけられる作品、『18人の音楽家のための音楽』を書き始めた。初期の作品の持つ作風へ戻りつつも、この作品には多くの新しいアイディアが含まれている。曲は11のコードのサイクルを基本としており、それぞれのコードには短い曲がそれぞれ割り当てられ、曲の終わりには元のサイクルへと戻っていく。セクション(楽曲内の区切り)は"Pulses"、 Section I-X、再び"Pulses"と名づけられている。ライヒにとっては、大人数の[[アンサンブル]]のために書いた初の試みであり、演奏家が増えることによって[[音響心理学]]的な効果はより大きなものとなり、その効果に夢中になったライヒは「もっとこのアイディアを探求したい」と語っている。また、ライヒはこの作品は過去に書かれたどの作品よりも、最初の5分間に含まれる[[和声|ハーモニー]]が豊かであるとも語っている。 同じ年に、ライヒは彼自身の[[哲学]]、[[美学]]、1963年から1974年の間に作曲した作品についてのエッセイが収録された本"Writings About Music"を出版した。2002年には"Writings On Music (1965-2000)"<ref>{{Cite web|和書|url = https://academic.oup.com/book/27047 |archiveurl = |title = Writings on Music 1965–2000: 1965-2000 |website = academic.oup.com|publisher = academic.oup.com|date = |archivedate = |accessdate = 2023-07-05}}</ref>として、新しいエッセイが収録された本も出版されている。 === 後期・囁かれだした民族主義 === 1976年から1977年にかけては、ライヒは[[ドイツ系アメリカ人|ドイツ系]][[ユダヤ人]]である自らのルーツを探るように、ニューヨークと[[エルサレム]]にて、[[ヘブライ語]]聖書の伝統的な[[チャント|詠唱]]法を学んだ<ref>Schwarz, K. Robert. Minimalists, Phaidon Press, 1996, p.84 and p.86.</ref>。1981年に作曲された『テヒリーム』は、ヘブライ語で[[詩篇]]もしくは[[イムヌス|賛歌]]を意味するタイトルが示す通り、ヘブライ語のテキストを女声が歌い上げる、4部に分かれた曲である。 1988年には、[[クロノス・クァルテット]]のために『ディファレント・トレインズ』を書き下ろす。この作品においてライヒは、インタビューで録音された古い肉声を使用しており、その肉声が奏でる音程に合わせて弦楽器のメロディーが反復され、加速するといった新しい手法、「[[スピーチ・メロディ]]」を用いている<ref>「発話旋律(Speech Melody)」とは何か~ライヒとヤナーチェク https://www.tmso.or.jp/j/archives/special_contents/2022/2022score/column/column15.php</ref>。曲は3部に分かれており、[[第二次世界大戦]]前のアメリカ、第二次大戦中の[[ヨーロッパ]]での[[ホロコースト]]、戦後のアメリカにおける汽車の旅が、汽笛の音を散りばめながら描かれている。1990年に、ライヒはこの作品において[[グラミー賞]]最優秀現代音楽作品賞を受賞する。 1993年には、ライヒは妻で映像作家でもある[[:en:Beryl Korot|ベリル・コロット]]と[[オペラ]]『ザ・ケイヴ』<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.operacity.jp/concert/compo/2008/profile.html |archiveurl = |title = 「音楽史の方向を変えたと論理的に主張できる作曲家はほんの一握りしかいないが、スティーヴ・ライヒはその一人である」(ガーディアン紙)。 |website = www.operacity.jp|publisher = www.operacity.jp|date = |archivedate = |accessdate = 2023-07-05}}</ref>においてコラボレーションを行う。このオペラでは、彼は[[ユダヤ教]]、[[キリスト教]]、[[イスラム教]]のルーツを探っている。テクニックはチェコ人作曲家のヤナーチェクの発話旋律と全く変わらないが、採譜された旋律を電子キーボードとマイク増幅されたボーカルで二度三度と繰り返すためにライヒ色は失われていない(イスラムの場面ではコーランは歌うことができないので、そのままの詠唱を行ってもらった)。ライヒとコロットは、[[飛行船]][[ヒンデンブルク号爆発事故|ヒンデンブルク号の惨劇]]、[[ビキニ環礁]]での[[核実験]]、そしてより現代的な出来事、特に[[クローン]]羊[[ドリー (羊)|ドリー]]を取り上げたオペラ『スリー・テイルズ』(2002年)でも再度コラボレーションを行っている。 == ライヒのフォロワー == [[テクノ (ダンスミュージック)|テクノミュージック]]や[[エレクトロニカ]]のアーティストたちにも多大な影響を与えており、ライヒ自身もテクノに興味があることをインタビューの中で述べている。[[1999年]]には、ライヒ公認のプロジェクトとして、ライヒの楽曲を9人のテクノのアーティスト達が[[リミックス]]したCD、"''Reich Remixed''"が発表される。日本からは、[[竹村延和]]("''Proverb''"をリミックス<ref>{{Cite web|和書|url = https://soundcloud.com/dj-takemura-official/proverb-nobukazu-takemura |archiveurl = |title = Proverb (Nobukazu Takemura Remix)|website = soundcloud.com|publisher = soundcloud.com|date = |archivedate = |accessdate = 2023-07-05}}</ref>)、[[ケン・イシイ]](『カム・アウト』をリミックス)が参加した。 == 共演者と作曲家の一覧 == * [[パット・メセニー]] - 『[[エレクトリック・カウンターポイント]]』演奏 * [[クロノス・クァルテット]] - 『[[ディファレント・トレインズ]]』、『[[トリプル・クァルテット]]』演奏 * [[アンサンブル・モデルン]] - 『[[18人の音楽家のための音楽]]』演奏 * [[ムーンドッグ]] * [[ジョニー・グリーンウッド]]([[レディオヘッド]]) - レディオヘッドの楽曲からインスピレーションを得て製作されたアルバム『レディオ・リライト』に参加 * {{仮リンク|加藤訓子|it|Kuniko Kato}} - [[日本人]]の[[女性]][[打楽器]]奏者。[[アルバム]] ''Kuniko plays Reich'' 等、ライヒのほぼ全面的な信頼を得た[[コラボレーション]]企画を幾つも行っている。 * ミカ・ストルツマン([[吉田ミカ]]) - 『東京/バーモント・カウンターポイント』編曲、世界初演&収録(CDトリプルカルテット) * [[リチャード・ストルツマン]] - 『[[ニューヨーク・カウンターポイント]]』世界初演 == 作品 == * 『{{仮リンク|イッツ・ゴナ・レイン|en|It's Gonna Rain}}』 - ''It's Gonna Rain''(1965年) * 『{{仮リンク|カム・アウト (ライヒ)|label=カム・アウト|en|Come Out (Reich)}}』 - ''Come Out''(1966年) * 『{{仮リンク|リード・フェイズ|en|Reed_Phase}}』 - ''Reed Phase''(1966年) * 『[[ピアノ・フェイズ]]』 - ''Piano Phase''(1967年) * 『[[ヴァイオリン・フェイズ]]』 - ''Violin Phase''(1967年) * 『{{仮リンク|振り子の音楽|en|Pendulum_Music}}』 - ''Pendulum Music''(1968年) * 『{{仮リンク|4台のオルガン|en|Four Organs}}』 - ''Four Organs''(1970年) * 『{{仮リンク|フェイズ・パターンズ|fr|Phase Patterns}}』 - ''Phase Patterns''(1970年) * 『{{仮リンク|ドラミング (ライヒ)|label=ドラミング|en|Drumming (Reich)}}』 - ''Drumming''(1971年) * 『{{仮リンク|手拍子の音楽|en|Clapping Music}}』 - ''Clapping Music''(1972年) * 『{{仮リンク|木片の音楽|fr|Music for Pieces of Wood}}』 - ''Music for Peices of Wood''(1973年) * 『{{仮リンク|6台のピアノ|en|Six Pianos}}』 - ''Six Pianos''(1973年) * 『{{仮リンク|マレット楽器、声およびオルガンのための音楽|en|Music for Mallet Instruments, Voices and Organ}}』 - ''Music for Mallet Instruments, Voices and Organ''(1973年) * 『[[18人の音楽家のための音楽]]』 - ''Music for 18 Musicians''(1974年-1976年) * 『{{仮リンク|大アンサンブルのための音楽|en|Music for a Large Ensemble}}』 - ''Music for a Large Ensemble''(1978年) * 『八重奏曲』 - ''Octet''(1979年) - のちに『{{仮リンク|エイト・ラインズ|en|Eight_Lines}}』''Eight Lines''(1983年)としてリアレンジ * 『{{仮リンク|管楽、鍵盤と弦楽のための変奏曲|en|Variations for Winds, Strings and Keyboards}}』 - ''Variations for Winds, Strings and Keyboards''(1980年) * 『[[テヒリーム (ライヒ)|テヒリーム]]』 - ''Tehillim''(1981年) * 『{{仮リンク|ヴァーモント・カウンターポイント|en|Vermont Counterpoint}}』 - ''Vermont Counterpoint''(1982年) **『東京/バーモント・カウンターポイント』(1982<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.boosey.com/licensing/music/Steve-Reich-Tokyo-Vermont-Counterpoint/26181 |archiveurl = |title = Tokyo/Vermont Counterpoint (1982)|website = www.boosey.com|publisher = www.boosey.com|date = |archivedate = |accessdate = 2023-07-05}}</ref>/2001年) * 『{{仮リンク|砂漠の音楽|en|The Desert Music}}』 - ''The Desert Music''(1984年) * 『{{仮リンク|六重奏曲 (ライヒ)|label=六重奏曲|en|Sextet (Reich)}}』 - ''Sextet''(1985年) * 『[[ニューヨーク・カウンターポイント]]』 - ''Newyork Counterpoint''(1985年) * 『{{仮リンク|オーケストラのための3つの楽章|fr|Three Movements}}』 - ''Three Movements for orchestra''(1986年) * 『6台のマリンバ』 - ''Six Marimbas''(1986年) - 『6台のピアノ』のリアレンジ * 『{{仮リンク|エレクトリック・カウンターポイント|en|Electric Counterpoint}}』 - ''Electric Counterpoint''(1987年) * 『[[ディファレント・トレインズ]]』 - ''Different Trains''(1988年) * 『{{仮リンク|ザ・ケイヴ|en|The Cave (opera)}}』 - ''The Cave''(1993年) * 『{{仮リンク|シティ・ライフ (ライヒ)|label=シティ・ライフ|en|City Life (music)}}』 - ''City Life''(1995年) * 『{{仮リンク|プロヴァーブ (ライヒ)|label=プロヴァーブ|en|Proverb (Reich)}}』 - ''Proverb''(1995年) * 『[[トリプル・クァルテット]]』 - ''Triple Quartet''(1998年) * 『{{仮リンク|スリー・テイルズ (ライヒ)|label=スリー・テイルズ|en|Three Tales (opera)}}』 - ''Three Tales''(1998年-2002年) * 『{{仮リンク|チェロ・カウンターポイント|en|Cello_Counterpoint}}』 - ''Cello Counterpoint''(2003年) * 『{{仮リンク|ユー・アー (ライヒ)|label=ユー・アー|fr|You Are (Variations)}}』 - ''You Are (Variations)''(2004年) * 『{{仮リンク|ヴィブラフォン、ピアノ、弦楽器のためのヴァリエーションズ|fr|Variations for Vibes, Pianos, and Strings}}』 - ''Variations for Vibes, Pianos,& Strings''(2005年) * 『{{仮リンク|ダニエル・ヴァリエーションズ|en|Daniel Variations}}』 - ''Daniel Variations''(2006年) * 『{{仮リンク|ダブル・セクステット|fr|Double Sextet|en|Double Sextet}}』 - ''Double Sextet''(2007年) * 『{{仮リンク|2x5|en|2×5}}』 - ''2x5''(2008年) * 『{{仮リンク|マレット・クァルテット|en|Mallet Quartet}}』 - ''Mallet Quartet''(2009年) * 『{{仮リンク|WTC 9/11|en|WTC 9/11}}』 - ''WTC 9/11''(2011年) * 『{{仮リンク|レディオ・リライト|en|Radio Rewrite}}』 - ''Radio Rewrite''(2012年) * 『{{仮リンク|クァルテット (ライヒ)|label=クァルテット|en|Quartet (Reich)}}』 - ''Quartet''(2013年) * 『{{仮リンク|パルス (ライヒ)|label=パルス|en|Pulse (Reich)}}』 - ''Pulse''(2015年) * 『{{仮リンク|ランナー (ライヒ)|label=ランナー|fr|Runner}}』 - ''Runner''(2016年) * 『{{仮リンク|アンサンブルとオーケストラのための音楽|fr|Music for Ensemble and Orchestra}}』 - ''Music for Ensemble and Orchestra'' (2018年)<ref>[https://www.boosey.com/cr/news/New-Steve-Reich-Work-for-Orchestra-to-Premiere-in-Fall-2018/101141 boosey.com; New Steve Reich Work for Orchestra to Premiere in Fall 2018]</ref> * 『{{仮リンク|ライヒ/リヒター|fr|Reich/Richter}}』 - ''Reich/Richter''(2019年) * 『トラベラーズ・プレイヤー』 - ''Traveler's Prayer''(2020年){{efn|2023年4月21日、日本初演<ref>{{Wayback|url=https://www.operacity.jp/concert/toccf_concert/?year=2023|title=コリン・カリー・グループ ライヒ《18人の音楽家のための音楽》([[東京オペラシティ文化財団]] 2023年度主催公演)|date=20230609152319}}</ref>。}}<ref>{{Wayback|url=https://www.nhk.jp/p/bescla/rs/Z9L1V2M24L/episode/re/JZ15JL6WV7/|title=コリン・カリー・グループ スティーヴ・ライヒの世界(NHK[[ベストオブクラシック]] 2023年8月25日放送)|date=20230905180747}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{commonscat|Steve Reich}} * [[近現代音楽の作曲家一覧]] * [[実験音楽]] * [[現代音楽]] * [[ジョン・ケージ]] * [[カールハインツ・シュトックハウゼン]] * [[フィリップ・グラス]] * [[テリー・ライリー]] * [[フランク・ザッパ]] * [[オーネット・コールマン]] * [[ミニマル・ミュージック]] * [[ミニマル・アート]] * [[ヒップホップ]] == 外部リンク == * [https://www.stevereich.com/ 公式サイト] * [https://wmg.jp/stevereich/ ワーナーミュージック・ジャパン - スティーヴ・ライヒ] * [https://www.happano.org/4-stevereich ブルース・ダフィーによるインタビュー 1(1985年10月9日)日本語訳 ] <!--この記事は[[:en:Steve_Reich]]Revision as of 18:49, 5 Feb 2005を元に翻訳され、日本語版独自の加筆を加えた。--> * [https://www.happano.org/11-stevereich-2 ブルース・ダフィーによるインタビュー 2(1995年11月9日)日本語訳 ] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:らいひ すていいふ}} [[Category:現代音楽の作曲家]] [[Category:ミニマリストの作曲家]] [[Category:アメリカ合衆国の作曲家]] [[Category:ユダヤ人の作曲家]] [[Category:ECMレコードのミュージシャン]] [[Category:ドイツユダヤ系アメリカ人]] [[Category:東欧ユダヤ系アメリカ人]] [[Category:アメリカ芸術科学アカデミー会員]] [[Category:アメリカ芸術文学アカデミー会員]] [[Category:高松宮殿下記念世界文化賞受賞者]] [[Category:ピューリッツァー賞受賞者]] [[Category:グラミー賞受賞者]] [[Category:1936年生]] [[Category:存命人物]]
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ミニマル・ミュージック
ミニマル・ミュージック(Minimal Music)は、音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽。現代音楽のムーブメントのひとつ。1960年代から盛んになった。単にミニマルと呼ばれることもある。 ミニマル・ミュージックは、1960年代のアメリカで生まれた。この時期、テリー・ライリーの「In C」(1964年)やスティーヴ・ライヒの「It's Gonna Rain」(1965年)「Come Out」(1966年)などの作品が作られている。ラ・モンテ・ヤングの「弦楽三重奏」(1958年)をミニマル・ミュージックの始まりとする説もある。 同時期にヨーロッパでは、ルチアーノ・ベリオ、ジェルジ・リゲティ、ヘンリク・グレツキらも単純反復による音楽語法を試みており、これらの作風はアメリカのミニマル・ミュージックと類似している。1968年には当時、音楽評論家として活躍していたマイケル・ナイマンがコーネリアス・カーデューの「The Great Digest」を評す際、当時は抽象絵画などを表現する時に用いられていた単語「ミニマリズム」を文中で用い、音楽評論で初めて「ミニマル」の概念を持ち込んだ。 ナイマンは、1974年の著書“Experimental Music: Cage and Beyond”(日本語訳「実験音楽 ― ケージとその後」)のラ・モンテ・ヤングに言及した節で、ヤングのヴェーベルン聴取を取り上げ、「ミニマルなプロセスの音楽」の起源をセリエリズムであると主張している。ヤングは、セリーが形を変えて提示されても同一音高が同一オクターブで演奏される傾向を「静的」と解釈可能であると見たのである。 エリック・サティの後期作品の一部(「ヴェクサシオン」、「家具の音楽」など)は、執拗な反復によって曲が成り立っており、ジョン・ケージの初期作品に影響を与えているという点で、ケージの後に続いたミニマル・ミュージックへと続く音楽史の脈絡に深く影響している。 日本における潮流としてはヨシ・ワダ、近藤譲、藤枝守らが、欧州における潮流としてはトム・ジョンソン、ジェルジ・リゲティ、ジョン・マクガイヤーらがミニマル・ミュージックに類似する反復語法を自身の語法に取り入れている。作曲家の久石譲は、自らのコンサートの一部において、ミニマル・ミュージックの語法で書かれた作品を上演している。また、反復を基本とするオスティナート語法での作曲を長年続けていた伊福部昭のもとへテリー・ライリーが表敬訪問した。
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ミニマル・ミュージックは、音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽。現代音楽のムーブメントのひとつ。1960年代から盛んになった。単にミニマルと呼ばれることもある。
{{Portal クラシック音楽}} '''ミニマル・ミュージック'''('''Minimal Music''')は、音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる[[音楽]]<ref>[https://global.oup.com/academic/product/modern-music-and-after-9780199740505?cc=gb&lang=en&# 外部リンク]中の15.: Minimalism and melody New York minimalism - Minimalism in Europe - Melody 17.: Holy Minimalisms Pärt - Tavener and Górecki - (Messiaen) - Ustvolskaya </ref>。[[現代音楽]]のムーブメントのひとつ。[[1960年代]]から盛んになった<ref>ジャン=イヴ・ボスール『現代音楽を読み解く88のキーワード 12音技法からミクスト作品まで』音楽之友社、2008年、p100-102.161-163。</ref>。単にミニマルと呼ばれることもある。 ==歴史== ミニマル・ミュージックは、1960年代の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で生まれた。この時期、[[テリー・ライリー]]の「[[:en:In C|In C]]」(1964年)や[[スティーヴ・ライヒ]]の「[[:en:It's Gonna Rain|It's Gonna Rain]]」(1965年)「[[:en:Come Out (Reich)|Come Out]]」(1966年)などの作品が作られている。[[ラ・モンテ・ヤング]]の「[[:en:Trio for Strings|弦楽三重奏]]」(1958年)をミニマル・ミュージックの始まりとする説もある<ref>小沼純一『ミニマル・ミュージック その展開と思考』青土社、2008年、p21。</ref>。 同時期に[[ヨーロッパ]]では、[[ルチアーノ・ベリオ]]、[[リゲティ・ジェルジュ|ジェルジ・リゲティ]]、[[ヘンリク・グレツキ]]らも単純反復による音楽語法を試みており、これらの作風はアメリカのミニマル・ミュージックと類似している。[[1968年]]には当時、音楽評論家として活躍していた[[マイケル・ナイマン]]が[[コーネリアス・カーデュー]]の「The Great Digest」を評す際、当時は[[抽象絵画]]などを表現する時に用いられていた単語「[[ミニマリズム]]」を文中で用い、音楽評論で初めて「ミニマル」の概念を持ち込んだ<ref>Experimental Music Cage and Beyond: Second edition p.130 chapter 7 minimalism 978-0-521-65383-1</ref>。 ナイマンは、[[1974年]]の著書“''Experimental Music: Cage and Beyond''”(日本語訳「実験音楽 ― ケージとその後」)の[[ラ・モンテ・ヤング]]に言及した節で、ヤングの[[アントン・ヴェーベルン|ヴェーベルン]]聴取を取り上げ<ref>[http://www.cambridge.org/9780521653831 外部リンク]</ref>、「ミニマルなプロセスの音楽」の起源を[[トータル・セリエリズム|セリエリズム]]であると主張している。ヤングは、セリーが形を変えて提示されても同一音高が同一オクターブで演奏される傾向を「静的」と解釈可能であると見たのである。 [[エリック・サティ]]の後期作品の一部(「[[ヴェクサシオン]]」、「[[家具の音楽]]」など)は、執拗な反復によって曲が成り立っており、[[ジョン・ケージ]]の初期作品に影響を与えているという点で<ref>[https://archive.is/A47ln 外部リンク]</ref>、ケージの後に続いたミニマル・ミュージックへと続く音楽史の脈絡に深く影響している。 [[日本]]における潮流としては[[ヨシ・ワダ]]、[[近藤譲]]、[[藤枝守]]らが、欧州における潮流としては[[トム・ジョンソン]]、[[ジェルジ・リゲティ]]、[[ジョン・マクガイヤー]]らがミニマル・ミュージックに類似する反復語法を自身の語法に取り入れている。作曲家の[[久石譲]]は、自らのコンサートの一部において、ミニマル・ミュージックの語法で書かれた作品を上演している。また、反復を基本とする[[オスティナート]]語法での作曲を長年続けていた[[伊福部昭]]のもとへ[[テリー・ライリー]]が表敬訪問した<ref>[https://omisnuffs.files.wordpress.com/2015/08/kawademook_ifukube.jpg 外部リンク]中の上野インタビューにその記述がある。KAWADE夢ムック ISBN:978-4-309-97833-8</ref>。 ==代表的な作曲家== ===特に代表的な作曲家=== *[[テリー・ライリー]] - [[アメリカ合衆国]] *[[ラ・モンテ・ヤング]] - アメリカ合衆国 *[[スティーヴ・ライヒ]] - アメリカ合衆国 *[[フィリップ・グラス]] - アメリカ合衆国 ===著名な作曲家=== *[[ダニエル・レンツ]] - [[アメリカ合衆国]] *[[シメオン・テン・ホルト]] - [[オランダ]] *[[コーネリアス・カーデュー]] - [[イギリス]] *[[マイケル・ナイマン]] - イギリス *[[ギャヴィン・ブライアーズ]] - イギリス *[[デヴィッド・ベッドフォード]] - イギリス *[[ジョン・ホワイト (作曲家)|ジョン・ホワイト]] - イギリス *[[マーク・フェル]] - イギリス *[[ジョヴァンニ・ソッリマ]]- [[イタリア]] *[[ジョン・クーリッジ・アダムズ|ジョン・アダムズ]] - アメリカ合衆国 *[[フレデリック・ジェフスキー]] - アメリカ合衆国出身、在[[ベルギー]] *[[ジョン・マクガイヤー]] - アメリカ合衆国<ref group="注">長期間、西ドイツ在住であったが、現在は帰国した</ref> *[[トニー・コンラッド]] - アメリカ合衆国 *[[トム・ジョンソン (作曲家)|トム・ジョンソン]] - アメリカ合衆国出身、在[[フランス]] *[[グレン・ブランカ]] - アメリカ合衆国 *[[マイケル・トーキー]] - アメリカ合衆国 *[[アルヴォ・ペルト]] - [[エストニア]] *[[ヴィム・メルテン]] - [[ベルギー]] *[[ルイ・アンドリーセン]] - [[オランダ]] *[[シャンドル・カロシュ]] - [[ロシア]] *[[エロディ・ローテン]] - [[フランス]]出身、在アメリカ合衆国 *[[ペーター・ミヒャエル・ハーメル]] - [[ドイツ]] *[[近藤譲]] - [[日本]] *[[坂本龍一]] - 日本 *[[久石譲]] - 日本 *[[藤枝守]] - 日本 *[[ヨシ・ワダ]] - 日本出身、在アメリカ合衆国<ref group="注">子のTashi Wadaとともに親子二代でミニマリズムという稀有な例でもある</ref> ==関連項目== *[[ミニマル]] *[[ミニマリズム]] *[[トータリズム]]<ref group="注">ポストミニマリズムという形容では、論及が難しい一派に対して使われ始めた</ref> *[[民族音楽]] *[[現代音楽]] *[[環境音楽]] *[[テクノポップ|テクノ]] *[[ハウス (音楽)]] *[[エレクトロニカ]] *[[ダンスミュージック]] *[[発車メロディ]] == 脚注 == === 注釈 === {{Reflist|group=注}} === 出典 === {{Reflist}} ==参考文献== *Mertens, Wim; American Minimal Music 136 pages Publisher: Kahn & Averill; New edition (December 31, 1983) ISBN 978-1871082005 日本語版(アメリカンミニマル・ミュージック [[ヴィム・メルテン|ウィム・メルテン]]著 [[細川周平]]訳 [[冬樹社]] 1985/05 ASIN: B000J6UH8A 絶版) *Nyman, Michael; Experimental Music: Cage and Beyond (Music in the Twentieth Century) 216 pages Publisher: Cambridge University Press; 2nd edition (1999/7/29) *Modern Music and After Third Edition. Paul Griffiths Published: 03 March 2011. 480 Pages. 100 musical examples. 235x156mm. ISBN 9780199740505. OUP ==外部リンク== *[http://www.scaruffi.com/music/avant.html GUIDE TO AVANTGARDE MUSIC] *[http://www.filomusica.com/filo25/grana.html NUEVAS TENDENCIAS: EL MINIMALISMO] {{作曲}} {{近代音楽と現代音楽}} {{実験音楽}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:みにまるみゆしつく}} [[Category:ミニマリズム|*みにまるみゆしつく]] [[Category:現代音楽]] [[Category:音楽のジャンル]] [[Category:音楽のムーブメント]] [[Category:ポストモダンアート]]
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シカゴ
シカゴ(英語: Chicago、[ʃɨˈkɑːɡoʊ, ʃɨˈkɔːɡoʊ, tʃɨˈkɑːɡoʊ] ( 音声ファイル))は、アメリカ合衆国のイリノイ州クック郡にある都市。クック郡の郡庁所在地である。 イリノイ州最大にして北アメリカ屈指の世界都市。国内ではニューヨークとロサンゼルスに次ぐ人口を持つ。シカゴは150年以上、全米で最も混雑する鉄道中心地であり続けており、鉄道車両の4台に1台はシカゴを通過するか起点・終点としている。 19世紀後半から20世紀中盤までアメリカ国内における鉄道・航空・水運の拠点として、また五大湖工業地帯の中心として発展し、ニューヨークに次ぐアメリカ第2の都市となっていた歴史を持つ。摩天楼がそびえ立つアメリカ型都市の発祥とされ、ダウンタウンの高層建築はシカゴ派として知られ、近代建築史における重要局面をなした。1973年に建てられたシアーズ・タワー(現在はウィリス・タワーに改称)は1998年まで世界一の高層建築であった。マコーミック・プレイスコンプレックスは北アメリカ最大のコンベンション・センターであり、オヘア空港は全米有数の過密な空港として知られる。 2017年にアメリカのシンクタンクが発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界12位の都市と評価された。アメリカの都市ではニューヨーク、ロサンゼルスに次ぐ3位である。2017年3月の調査によると、世界7位の金融センターである。2014年の都市の経済規模(GDP)では、世界9位となっている。 日本語の漢字表記は「市俄古」である。また、シカゴに住む人々は「Chicagoans(シカゴアンズ)」と呼ばれている。 「シカゴ」の語源は、この地に先住するアルゴンキン語族インディアンの言葉の、Shikaakwaであると言われており、シカゴ川流域に自生するヒガンバナ科ネギ亜科に属する、日本のギョウジャニンニクに似た植物(Allium tricoccum)のこと。 シカゴはニューヨークが対西ヨーロッパから国際都市、ロサンゼルスが対中央アメリカ・アジアへの交易窓口として発展したのに対して古くから内陸交通の要衝として発展し、アメリカの産業・文化の発展と共に都市形成が行われてきた経緯がある。また、イリノイ川河口地点は古くからインディアン部族の交易の場として機能していた。一番古い記録では1673年にフランス人伝道師が訪れている。 1779年にドミニカの毛皮商が入植し、1803年には軍事拠点としてディアボーン砦(英語版)が作られるとともに開拓が進み、1833年には人口200人程度だった。1836年に始まったミシガン湖とミシシッピー川を結ぶ運河建設を発端に、土地投機家が大挙して押し寄せ、一大開発都市に発展する基盤が築かれた。1837年に市に昇格すると人口は急増し、翌年にはガリーナ・アンド・シカゴ・ユニオン鉄道(英語版)が開通、以後交通の要衝として大発展を遂げる。その後、1848年にはイリノイ・ミシガン運河が開通、1852年にはイリノイ・セントラル鉄道が開通し、内陸交通の要としての地位を更に高めた。その頃の主要産業は農業で、シカゴはとりわけ小麦を東部の都市に送り出す穀物の集散地として発展、1848年には世界有数の先物商品取引所であるシカゴ商品取引所(Chicago Board of Trade、CBOT)が作られた。また、畜産業も発達し、1855年には収容頭数が当時最大のユニオン・ストック・ヤード(英語版)が設けられた。一方で、優秀な鉄鉱床が点在していたために鉱業も発展し、1860年には人口6万人に増大し、セントルイスやシンシナティを追い越し、西部最大の都市になった。同年の大統領選挙ではシカゴを地盤とするリンカーン候補(共和党)が当選し、初めて政治でも主導権を握ると、翌年から南北戦争(1861年-1865年)を開始した。このころには30万都市となっていた。 1871年にはシカゴ大火によって甚大な被害を受けた。一説によれば牛がランプを倒して大火災になり、炎が燃え尽きるころには街は廃墟になり、ほとんどの公共建築が焼け落ちた。しかし、現在はギャラリーや公式観光案内所になっているシカゴ・ウォーター・タワーは唯一焼け落ちずに残った公共建築物である。被害額は当時にして約2億ドル、家を失った人は10万人に上ったという。しかし、この焼失はシカゴの計画都市化、新都市計画の幕開けになった。被災後に市は木造住宅を禁止し、煉瓦、石造、鉄製を推奨した。そのためシカゴは建築家たちの格好の市場となり、1885年にホーム・インシュアランス・ビル、1887年にタマコビルディングが竣工、建築におけるシカゴ派による摩天楼設立ラッシュの先駆となった。このダウンタウン形成時に、その観察に努めた社会学者が膨大な記述を行った。社会学におけるいわゆるシカゴ学派の始まりである。 1873年に始まった大不況 (1873年-1896年)では、1886年5月に合衆国カナダ職能労働組合連盟が統一ストライキを行なったが、ヘイマーケット事件が起こり、1889年に第二インターナショナルが国際労働運動のためのメーデーをパリで制定すると、1890年にメーデーをシカゴで実行した。 コロンブスの新大陸「発見」400周年を記念して開かれた1893年のシカゴ万国博覧会では、ウェスチングハウスの交流電源による実演など、ヨーロッパをついに凌いだアメリカの工業力と先進性を誇示する技術が多数披露され、白を基調とした建物群から「ホワイト・シティ」と呼ばれた壮大な万博会場を造り上げ、国際的な地位を高めるとともに文化都市として脚光を浴び成功を収めた。それと同時にオーケストラホール、図書館、博物館、公園などの文化施設の建設ラッシュとなった。1882年から1905年にかけて電力産業が乱立すると、1912年にサミュエル・インサル(英語版)の提唱で公益事業の価格統制制度が導入され、低料金の電気が普及した。人口は1900年に170万人に達し、ニューヨークに次ぐアメリカ第二の大都市になった。 しかし、それらはいわゆる富裕層によって生み出された文化であり、肥大する経済発展とは裏腹に新たな社会問題も生まれた。それが貧富の差の拡大で、20世紀に入るとウェストサイドでスラム化が進行した。またかつて奴隷として、アメリカ建国時に農業などの労働を担っていたアフリカ系アメリカ人が、1914年から1950年にかけてアメリカ南部から次々に移入した(アフリカ系アメリカ人の大移動)。彼らは法律上・表面的には奴隷の身分を解かれてシカゴにやって来たが、人種差別などから低賃金重労働以外に就くことはほぼ不可能であり、新天地での生活も相変わらず苦しいものだった。暴動は日常茶飯事となり、とりわけ1919年の暴動(英語版)は過去最悪となった。更に腐敗政治の蔓延などで市街は無法地帯となり、その時多くの住人が市街地を去った。 1927年の市長選挙でウィリアム・ヘイル・トンプソンが勝利すると、トンプソンはシセロにあるナイトクラブの常連となってギャング(シカゴ・アウトフィット)と癒着し、アル・カポネが裏社会を支配した。1929年の世界恐慌の影響で、市の財政も大幅な赤字となった。同年、聖バレンタインデーの虐殺を契機に、トニー・アッカルドやサム・ジアンカーナ等、1940年代から1960年代の次世代を担うギャングが台頭した。トンプソン政権は、1931年市長選で敗北するまで続いた。 1920年にも建築ラッシュは続き、トリビューン・タワー(英語版)やリグリー・ビル(英語版)、戦後には世界一の高さを誇っていたシアーズ・タワー(現ウィリス・タワー)などが建設され、今日に見るようなダウンタウンが形成されていった。シカゴ学派第三世代の中でもルイス・ワースはシカゴのマイノリティグループの社会層とセグリゲーションについて記述し(アーバニズム)、そこから旧市街地、工業地、新興住宅地と同心円状に都市が形成されるモデル(同心円モデル)を打ち立てたことで有名である。 1958年頃に旧来の白人中心のギャングだけでなく、ブラック・P・ストーンズやヴァイス・ローズ、1968年にはギャングスター・ディサイプルズといった黒人によるストリートギャングが誕生し、1960年代より1970年代にかけてギャング同士の抗争が発生し、治安が悪化した。 1950年から1970年にかけて民主党のリチャード・J・デイリー(英語版)市長は、様々な有力者の支持を受け、市街地の再開発と治安の改善、賃金格差の是正などに努め、市政を建て直した。ニューヨークやボストンなどが経済発展に陰りが見え始めた頃に、シカゴは比較的堅調な経済情勢を維持できたのも、この市長の善政のおかげだったといわれている。 シカゴの人口は、1950年に362万人となり最高を記録した。以後、周辺部を含めた都市圏の人口は現在まで増加傾向が続いているが、市域内の人口は伸び悩む傾向が続き、市域人口は1980年代前半にロサンゼルスに抜かれている。これは五大湖近辺の市街地老朽化と製造業の衰退によるものと見られており、また、西海岸諸都市の経済発展を受けて、アメリカ国内におけるシカゴ経済の地位は、20世紀半ばまでの時期に比べて相対的に低下した。ただし近郊では、半導体・電子機器・輸送機械などの産業が発展し、シカゴは現在もアメリカにおける商業・金融・流通の重要拠点の一つとしての地位を保っている。 シカゴには高さ100m以上の超高層ビルが575棟ある。これは世界でもニューヨーク、香港に次ぐ数である。 シカゴはミシガン湖の南西部先端であるイリノイ州北東部に位置している。アメリカ合衆国統計局によると、シカゴは総面積606.1km(234.0mi)である。このうち588.3 km(227.1 mi)は陸地で17.8 km(6.9 mi)は水地域である。総面積の2.94%は水地域となっている。 ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfa)に属する。冬季は厳しい寒さとなるが、さほど降雪は多くない。一方、夏季は温暖な南西風の影響でかなりの暑さとなり、気温の年較差が大きい大陸性気候となっている。 シカゴは英語で「風の街」(Windy City)と呼ばれ、ミシガン湖から季節風が吹き付ける。なお、「風の街」という表現は風の強さからきているとの考えが一般に受け入れられているが、実際はそうではない。そもそもオクラホマシティの方が、より風が強いぐらいである。「風の街」の由来は、1893年の万国博覧会の候補地としてニューヨークとシカゴが争ったとき、ニューヨークのある雑誌がシカゴ市民を「Chicagoans' talk is full of hot air. 」と評したことである。これを直訳すると「シカゴ市民の話は風に満ちていた」だが、そのこころは「シカゴ市民の話は中身のない言葉だけ」、である。つまり上記の英文はシカゴおよびシカゴ市民を馬鹿にした発言である。このことが本来の由来を離れて使用されるに至った。なお、1893年の万博は結局シカゴで開催され、それまでの万博で最大の規模となった。 2010年現在の国勢調査で、シカゴ市内の人口は269万5,598人、104万5,560世帯が暮らしている。これはイリノイ州の全体的な人口の約5分の1及びアメリカの人口の1%になる。かつてはニューヨークに次ぐ大都市だったが、ロサンゼルスの台頭と五大湖近辺の地位低下、更に都市圏の拡大による郊外化、サブプライムローン金融危機に伴う抵当物件差押えの増加や、低所得者向け高層公共住宅の取り壊しとそれに伴う住民の立ち退き、全米平均を上回る高い失業率を背景に人口が急減している。 この都市の人種的な構成は白人45.0%、アフリカン・アメリカン32.9%、インディアン0.5%、アジア5.5%、その他の人種13.4%、および混血2.7%であり、黒人の比率が全米平均の12.6%より20%以上も高いのが特徴である。この人口の28.9%はヒスパニックまたはラテン系である。2011年の国勢調査によると、シカゴの白人住民のうちもっとも多いのがアイルランド系であり、ドイツ系、ポーランド系がそれに続く。 この都市内の住民は26.2%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が11.2%、25歳以上44歳以下が33.4%、45歳以上64歳以下が18.9%、及び65歳以上が10.3%にわたっている。中央値年齢は32歳である。女性100人ごとに対して男性は94.2人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は91.1人である。 この都市の世帯ごとの平均的な収入は38,625米ドルであり、家族ごとの平均的な収入は42,724米ドルである。男性は35,907米ドルに対して女性は30,536米ドルの平均的な収入がある。この都市の一人当たりの収入(per capita income)は20,175米ドルである。人口の19.6%および家族の16.6%は貧困線以下である。全人口のうち18歳未満の28.1%および65歳以上の15.5%は貧困線以下の生活を送っている。 1970年代は犯罪発生率が高く、970人が殺害され、殺人発生率は10万人あたり29人であった。近年は人口減少と共に殺人も減少傾向にあったが、2012年には前年よりも有意な増加が見られ、発生率は10万人あたり18.5人で、全米平均の4倍近くとなっており、506人が殺害されている。そのため、警官の増員や地元代表らとの連携がなされ、2013年には殺人被害者数が415人まで下がったものの、暴力行為は依然多く、発砲事件だけでも2013年の負傷者の数は2,185人にのぼった。 ギャング(前述)による抗争などが発生しており、2011年と2012年にはシカゴで殺害された年間死亡者数がイラクやアフガニスタンに派兵された米兵の同年の死亡者数を上まったことから、「Chiraq」(シカゴの「Chi」とイラクの「raq」をかけあわせた語句)という不名誉なあだ名がついてしまった。 19世紀末の連続殺人犯であるH・H・ホームズが「殺人の城」と呼ばれた建物を建てたのもシカゴである。 2021年現在、シカゴは自動車の盗難件数が最も多いアメリカの都市となっている。シカゴでは2019年以降に自動車盗難の大規模な急増が始まり、2020年には少なくとも1,415件の犯罪が市内で行われた 。 シカゴ警察によると、自動車盗難犯は進行中のCOVID-19パンデミックのために広く着用されているフェイスマスクを使って、一般市民に効果的に溶け込み、自分の身元を隠しているとのことである。2021年1月27日、ライトフット市長はカージャックの波の悪化を「最優先事項」であると述べ、CPDのカージャック部隊に40人の警察官を増員した。 2010年代、アメリカ社会は万引などの窃盗犯罪に寛容になり、徐々に小売業への影響が広がった。2023年4月11日、ウォルマートは組織的な盗難被害の多さからなる赤字を理由に、シカゴ市内4店舗の閉鎖を発表した。 1850年代以降、シカゴはいくつかの大学を擁する高等教育・研究の世界的な中心地となっている。これらの大学は、U.S. News & World Report誌による全米の「国立大学」の上位に常にランクインしている。シカゴおよび周辺地域で評価の高い大学には、シカゴ大学、ノースウェスタン大学、イリノイ工科大学、ロヨラ大学、デポール大学、イリノイ大学シカゴ校、コロンビア大学シカゴが含まれる。その他の有名校は以下の通り。シカゴ州立大学、シカゴ美術館附属美術大学、東西大学、ナショナル・ルイス大学、ノースパーク大学、ノースイースタン・イリノイ大学、ロバート・モリス大学イリノイ校、ルーズベルト大学、セント・ザビエル大学、ラッシュ大学、シャイナー大学。 シカゴの文化は富裕層らが築いた文化(美術館や博物館、公園、または時代の最先端を走った摩天楼に象徴される建築など)と、貧困層が築いた文化(ブルースやジャズ、ハウス、シカゴ文学と呼ばれる一種のプロレタリア文学など)に大別されるが、一般に象徴されるのは後者である。 一方で、前述の通り1920年代に蔓延したマフィアや暴力団(ギャング)も有名。時代を反映した映画「ブルース・ブラザース」「逃亡者」などの舞台にもなっている。またシカゴ風ピザ、アイスクリームサンデー発祥の地でもある。 ピカソの彫像『無題(Untitled)』の置かれたデイリー・シビック・センター(Daley Civic Center)では、シカゴの提供により平日の正午にコンサートなどの様々な無料文化イベント「アンダー・ザ・ピカソ(Under The Picasso)」が行われ市民が集う。 聖パトリックの祝日にはシカゴ川がシンボルカラーの緑に染められる事で知られる。 クラシック音楽では、シカゴ交響楽団やシカゴ・リリック・オペラがある。シカゴ交響楽団はアメリカ五大オーケストラ(Big Five)の一つとされる のみならず、世界最高のオーケストラのひとつとして知られている。同交響楽団は1891年に創設され、1953年~1962年の音楽監督フリッツ・ライナーの時代と、1969年~1991年の音楽監督ゲオルク・ショルティの時代にそれぞれ大発展を遂げ、世界的な名声を確立した。シカゴ・リリック・オペラは、ニューヨークのメトロポリタン・オペラ、サンフランシスコ・オペラと並ぶ、アメリカ3大オペラ・ハウスの一つとされている。 また、シカゴはアフリカ系アメリカ人らが築き上げた音楽文化、ブルースやジャズのメッカとして名高い。アメリカ南部のミシシッピ川流域で発生したアコースティックなデルタ・ブルースにエレクトリック・ギターなどを導入してシカゴ・ブルースと呼ばれる音楽に発展させた。ジャズの分野では、1920年代にはルイ・アームストロング等多くのミュージシャンが、活動の拠点をニューオーリンズからシカゴに移した。1965年には、アフリカ系アメリカ人のジャズ・ミュージシャンたちがAACM(創造的音楽家のための協会)を設立し、音楽教育やコンサート活動などを行う。同協会からはアート・アンサンブル・オブ・シカゴが世界的成功を収めた。またそうした音楽的伝統の元に生まれたハウス音楽の発祥としても知られている。シカゴにあった「ウェアハウス」というアフロ・アメリカンやゲイなどを主な客層としたクラブの名前が「ハウス」という言葉の起源であり、シカゴ・ハウスは後にニューヨークでなど爛熟したハウス・ミュージックの原形ともされ、現在でもダンス音楽の世界ではシカゴを中心とするDJ達が重要な位置を占めている。現在ではシカゴ音響派と呼ばれるジャズ、ロック、ポップス、現代音楽が一緒になったようなそれまでにはない新しい音楽(ポストロックともいう)を追求する者も多くいる。また、ギャング文化に伴ったヒップホップのメッカともいわれており、近年ではトラップに影響を受けたトラックに乗せてシカゴの治安問題を暴力的な歌詞に乗せて歌う「ドリル・ミュージック」というジャンルが発生している。 1998年、シカゴは3つの主要な博物館(フィールド自然史博物館、シェッド水族館、アドラー・プラネタリウム)に取り囲まれたレイクフロントパーク地域に、ミュージアム・キャンパスを公式に開設した。このミュージアム・キャンパスはグラント・パークの南部地区に設定された。グラントパークにはシカゴ美術館も所在している。 シカゴ地域の他の主要な博物館・ギャラリーは以下の通り。 シカゴのロウアー・ウェスト・サイド地区(en:Lower West Side, Chicago)は、チェコからの移民によって作られたコミュニティであり、シカゴ近辺の住民からはピルゼン地区(Pilsen)と通称される。ピルゼンとは、チェコの都市プルゼニの英語およびドイツ語名である。しかし1970年代以降、地区の主な住人はメキシコ系へと置き換わっていった。 北米4大プロスポーツリーグすべてを有する数少ない都市。さらにMLSやマイナーリーグなども構えている。 一級鉄道の6社がシカゴに乗り入れる。 全米国際姉妹都市協会(Sister Cities International)加盟都市。 他 シカゴは多くの映画やドラマの舞台となっており、シカゴ内のある高層ホテルでは様々な映画やドラマを10回以上も撮影していることで知られている。
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"コロンブスの新大陸「発見」400周年を記念して開かれた1893年のシカゴ万国博覧会では、ウェスチングハウスの交流電源による実演など、ヨーロッパをついに凌いだアメリカの工業力と先進性を誇示する技術が多数披露され、白を基調とした建物群から「ホワイト・シティ」と呼ばれた壮大な万博会場を造り上げ、国際的な地位を高めるとともに文化都市として脚光を浴び成功を収めた。それと同時にオーケストラホール、図書館、博物館、公園などの文化施設の建設ラッシュとなった。1882年から1905年にかけて電力産業が乱立すると、1912年にサミュエル・インサル(英語版)の提唱で公益事業の価格統制制度が導入され、低料金の電気が普及した。人口は1900年に170万人に達し、ニューヨークに次ぐアメリカ第二の大都市になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "しかし、それらはいわゆる富裕層によって生み出された文化であり、肥大する経済発展とは裏腹に新たな社会問題も生まれた。それが貧富の差の拡大で、20世紀に入るとウェストサイドでスラム化が進行した。またかつて奴隷として、アメリカ建国時に農業などの労働を担っていたアフリカ系アメリカ人が、1914年から1950年にかけてアメリカ南部から次々に移入した(アフリカ系アメリカ人の大移動)。彼らは法律上・表面的には奴隷の身分を解かれてシカゴにやって来たが、人種差別などから低賃金重労働以外に就くことはほぼ不可能であり、新天地での生活も相変わらず苦しいものだった。暴動は日常茶飯事となり、とりわけ1919年の暴動(英語版)は過去最悪となった。更に腐敗政治の蔓延などで市街は無法地帯となり、その時多くの住人が市街地を去った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1927年の市長選挙でウィリアム・ヘイル・トンプソンが勝利すると、トンプソンはシセロにあるナイトクラブの常連となってギャング(シカゴ・アウトフィット)と癒着し、アル・カポネが裏社会を支配した。1929年の世界恐慌の影響で、市の財政も大幅な赤字となった。同年、聖バレンタインデーの虐殺を契機に、トニー・アッカルドやサム・ジアンカーナ等、1940年代から1960年代の次世代を担うギャングが台頭した。トンプソン政権は、1931年市長選で敗北するまで続いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1920年にも建築ラッシュは続き、トリビューン・タワー(英語版)やリグリー・ビル(英語版)、戦後には世界一の高さを誇っていたシアーズ・タワー(現ウィリス・タワー)などが建設され、今日に見るようなダウンタウンが形成されていった。シカゴ学派第三世代の中でもルイス・ワースはシカゴのマイノリティグループの社会層とセグリゲーションについて記述し(アーバニズム)、そこから旧市街地、工業地、新興住宅地と同心円状に都市が形成されるモデル(同心円モデル)を打ち立てたことで有名である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1958年頃に旧来の白人中心のギャングだけでなく、ブラック・P・ストーンズやヴァイス・ローズ、1968年にはギャングスター・ディサイプルズといった黒人によるストリートギャングが誕生し、1960年代より1970年代にかけてギャング同士の抗争が発生し、治安が悪化した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1950年から1970年にかけて民主党のリチャード・J・デイリー(英語版)市長は、様々な有力者の支持を受け、市街地の再開発と治安の改善、賃金格差の是正などに努め、市政を建て直した。ニューヨークやボストンなどが経済発展に陰りが見え始めた頃に、シカゴは比較的堅調な経済情勢を維持できたのも、この市長の善政のおかげだったといわれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "シカゴの人口は、1950年に362万人となり最高を記録した。以後、周辺部を含めた都市圏の人口は現在まで増加傾向が続いているが、市域内の人口は伸び悩む傾向が続き、市域人口は1980年代前半にロサンゼルスに抜かれている。これは五大湖近辺の市街地老朽化と製造業の衰退によるものと見られており、また、西海岸諸都市の経済発展を受けて、アメリカ国内におけるシカゴ経済の地位は、20世紀半ばまでの時期に比べて相対的に低下した。ただし近郊では、半導体・電子機器・輸送機械などの産業が発展し、シカゴは現在もアメリカにおける商業・金融・流通の重要拠点の一つとしての地位を保っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "シカゴには高さ100m以上の超高層ビルが575棟ある。これは世界でもニューヨーク、香港に次ぐ数である。", "title": "街の景観" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "シカゴはミシガン湖の南西部先端であるイリノイ州北東部に位置している。アメリカ合衆国統計局によると、シカゴは総面積606.1km(234.0mi)である。このうち588.3 km(227.1 mi)は陸地で17.8 km(6.9 mi)は水地域である。総面積の2.94%は水地域となっている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfa)に属する。冬季は厳しい寒さとなるが、さほど降雪は多くない。一方、夏季は温暖な南西風の影響でかなりの暑さとなり、気温の年較差が大きい大陸性気候となっている。", "title": "気候" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "シカゴは英語で「風の街」(Windy City)と呼ばれ、ミシガン湖から季節風が吹き付ける。なお、「風の街」という表現は風の強さからきているとの考えが一般に受け入れられているが、実際はそうではない。そもそもオクラホマシティの方が、より風が強いぐらいである。「風の街」の由来は、1893年の万国博覧会の候補地としてニューヨークとシカゴが争ったとき、ニューヨークのある雑誌がシカゴ市民を「Chicagoans' talk is full of hot air. 」と評したことである。これを直訳すると「シカゴ市民の話は風に満ちていた」だが、そのこころは「シカゴ市民の話は中身のない言葉だけ」、である。つまり上記の英文はシカゴおよびシカゴ市民を馬鹿にした発言である。このことが本来の由来を離れて使用されるに至った。なお、1893年の万博は結局シカゴで開催され、それまでの万博で最大の規模となった。", "title": "気候" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2010年現在の国勢調査で、シカゴ市内の人口は269万5,598人、104万5,560世帯が暮らしている。これはイリノイ州の全体的な人口の約5分の1及びアメリカの人口の1%になる。かつてはニューヨークに次ぐ大都市だったが、ロサンゼルスの台頭と五大湖近辺の地位低下、更に都市圏の拡大による郊外化、サブプライムローン金融危機に伴う抵当物件差押えの増加や、低所得者向け高層公共住宅の取り壊しとそれに伴う住民の立ち退き、全米平均を上回る高い失業率を背景に人口が急減している。", "title": "人口動勢" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "この都市の人種的な構成は白人45.0%、アフリカン・アメリカン32.9%、インディアン0.5%、アジア5.5%、その他の人種13.4%、および混血2.7%であり、黒人の比率が全米平均の12.6%より20%以上も高いのが特徴である。この人口の28.9%はヒスパニックまたはラテン系である。2011年の国勢調査によると、シカゴの白人住民のうちもっとも多いのがアイルランド系であり、ドイツ系、ポーランド系がそれに続く。", "title": "人口動勢" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "この都市内の住民は26.2%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が11.2%、25歳以上44歳以下が33.4%、45歳以上64歳以下が18.9%、及び65歳以上が10.3%にわたっている。中央値年齢は32歳である。女性100人ごとに対して男性は94.2人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は91.1人である。", "title": "人口動勢" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "この都市の世帯ごとの平均的な収入は38,625米ドルであり、家族ごとの平均的な収入は42,724米ドルである。男性は35,907米ドルに対して女性は30,536米ドルの平均的な収入がある。この都市の一人当たりの収入(per capita income)は20,175米ドルである。人口の19.6%および家族の16.6%は貧困線以下である。全人口のうち18歳未満の28.1%および65歳以上の15.5%は貧困線以下の生活を送っている。", "title": "人口動勢" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1970年代は犯罪発生率が高く、970人が殺害され、殺人発生率は10万人あたり29人であった。近年は人口減少と共に殺人も減少傾向にあったが、2012年には前年よりも有意な増加が見られ、発生率は10万人あたり18.5人で、全米平均の4倍近くとなっており、506人が殺害されている。そのため、警官の増員や地元代表らとの連携がなされ、2013年には殺人被害者数が415人まで下がったものの、暴力行為は依然多く、発砲事件だけでも2013年の負傷者の数は2,185人にのぼった。", "title": "犯罪" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ギャング(前述)による抗争などが発生しており、2011年と2012年にはシカゴで殺害された年間死亡者数がイラクやアフガニスタンに派兵された米兵の同年の死亡者数を上まったことから、「Chiraq」(シカゴの「Chi」とイラクの「raq」をかけあわせた語句)という不名誉なあだ名がついてしまった。", "title": "犯罪" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "19世紀末の連続殺人犯であるH・H・ホームズが「殺人の城」と呼ばれた建物を建てたのもシカゴである。", "title": "犯罪" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2021年現在、シカゴは自動車の盗難件数が最も多いアメリカの都市となっている。シカゴでは2019年以降に自動車盗難の大規模な急増が始まり、2020年には少なくとも1,415件の犯罪が市内で行われた 。 シカゴ警察によると、自動車盗難犯は進行中のCOVID-19パンデミックのために広く着用されているフェイスマスクを使って、一般市民に効果的に溶け込み、自分の身元を隠しているとのことである。2021年1月27日、ライトフット市長はカージャックの波の悪化を「最優先事項」であると述べ、CPDのカージャック部隊に40人の警察官を増員した。", "title": "犯罪" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2010年代、アメリカ社会は万引などの窃盗犯罪に寛容になり、徐々に小売業への影響が広がった。2023年4月11日、ウォルマートは組織的な盗難被害の多さからなる赤字を理由に、シカゴ市内4店舗の閉鎖を発表した。", "title": "犯罪" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "1850年代以降、シカゴはいくつかの大学を擁する高等教育・研究の世界的な中心地となっている。これらの大学は、U.S. News & World Report誌による全米の「国立大学」の上位に常にランクインしている。シカゴおよび周辺地域で評価の高い大学には、シカゴ大学、ノースウェスタン大学、イリノイ工科大学、ロヨラ大学、デポール大学、イリノイ大学シカゴ校、コロンビア大学シカゴが含まれる。その他の有名校は以下の通り。シカゴ州立大学、シカゴ美術館附属美術大学、東西大学、ナショナル・ルイス大学、ノースパーク大学、ノースイースタン・イリノイ大学、ロバート・モリス大学イリノイ校、ルーズベルト大学、セント・ザビエル大学、ラッシュ大学、シャイナー大学。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "シカゴの文化は富裕層らが築いた文化(美術館や博物館、公園、または時代の最先端を走った摩天楼に象徴される建築など)と、貧困層が築いた文化(ブルースやジャズ、ハウス、シカゴ文学と呼ばれる一種のプロレタリア文学など)に大別されるが、一般に象徴されるのは後者である。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "一方で、前述の通り1920年代に蔓延したマフィアや暴力団(ギャング)も有名。時代を反映した映画「ブルース・ブラザース」「逃亡者」などの舞台にもなっている。またシカゴ風ピザ、アイスクリームサンデー発祥の地でもある。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "ピカソの彫像『無題(Untitled)』の置かれたデイリー・シビック・センター(Daley Civic Center)では、シカゴの提供により平日の正午にコンサートなどの様々な無料文化イベント「アンダー・ザ・ピカソ(Under The Picasso)」が行われ市民が集う。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "聖パトリックの祝日にはシカゴ川がシンボルカラーの緑に染められる事で知られる。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "クラシック音楽では、シカゴ交響楽団やシカゴ・リリック・オペラがある。シカゴ交響楽団はアメリカ五大オーケストラ(Big Five)の一つとされる のみならず、世界最高のオーケストラのひとつとして知られている。同交響楽団は1891年に創設され、1953年~1962年の音楽監督フリッツ・ライナーの時代と、1969年~1991年の音楽監督ゲオルク・ショルティの時代にそれぞれ大発展を遂げ、世界的な名声を確立した。シカゴ・リリック・オペラは、ニューヨークのメトロポリタン・オペラ、サンフランシスコ・オペラと並ぶ、アメリカ3大オペラ・ハウスの一つとされている。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "また、シカゴはアフリカ系アメリカ人らが築き上げた音楽文化、ブルースやジャズのメッカとして名高い。アメリカ南部のミシシッピ川流域で発生したアコースティックなデルタ・ブルースにエレクトリック・ギターなどを導入してシカゴ・ブルースと呼ばれる音楽に発展させた。ジャズの分野では、1920年代にはルイ・アームストロング等多くのミュージシャンが、活動の拠点をニューオーリンズからシカゴに移した。1965年には、アフリカ系アメリカ人のジャズ・ミュージシャンたちがAACM(創造的音楽家のための協会)を設立し、音楽教育やコンサート活動などを行う。同協会からはアート・アンサンブル・オブ・シカゴが世界的成功を収めた。またそうした音楽的伝統の元に生まれたハウス音楽の発祥としても知られている。シカゴにあった「ウェアハウス」というアフロ・アメリカンやゲイなどを主な客層としたクラブの名前が「ハウス」という言葉の起源であり、シカゴ・ハウスは後にニューヨークでなど爛熟したハウス・ミュージックの原形ともされ、現在でもダンス音楽の世界ではシカゴを中心とするDJ達が重要な位置を占めている。現在ではシカゴ音響派と呼ばれるジャズ、ロック、ポップス、現代音楽が一緒になったようなそれまでにはない新しい音楽(ポストロックともいう)を追求する者も多くいる。また、ギャング文化に伴ったヒップホップのメッカともいわれており、近年ではトラップに影響を受けたトラックに乗せてシカゴの治安問題を暴力的な歌詞に乗せて歌う「ドリル・ミュージック」というジャンルが発生している。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1998年、シカゴは3つの主要な博物館(フィールド自然史博物館、シェッド水族館、アドラー・プラネタリウム)に取り囲まれたレイクフロントパーク地域に、ミュージアム・キャンパスを公式に開設した。このミュージアム・キャンパスはグラント・パークの南部地区に設定された。グラントパークにはシカゴ美術館も所在している。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "シカゴ地域の他の主要な博物館・ギャラリーは以下の通り。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "シカゴのロウアー・ウェスト・サイド地区(en:Lower West Side, Chicago)は、チェコからの移民によって作られたコミュニティであり、シカゴ近辺の住民からはピルゼン地区(Pilsen)と通称される。ピルゼンとは、チェコの都市プルゼニの英語およびドイツ語名である。しかし1970年代以降、地区の主な住人はメキシコ系へと置き換わっていった。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "北米4大プロスポーツリーグすべてを有する数少ない都市。さらにMLSやマイナーリーグなども構えている。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "一級鉄道の6社がシカゴに乗り入れる。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "全米国際姉妹都市協会(Sister Cities International)加盟都市。", "title": "友好姉妹都市(代表的な都市)" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "他", "title": "友好姉妹都市(代表的な都市)" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "シカゴは多くの映画やドラマの舞台となっており、シカゴ内のある高層ホテルでは様々な映画やドラマを10回以上も撮影していることで知られている。", "title": "シカゴを舞台にした映画・ドラマ・漫画・舞台・ゲーム" } ]
シカゴは、アメリカ合衆国のイリノイ州クック郡にある都市。クック郡の郡庁所在地である。 イリノイ州最大にして北アメリカ屈指の世界都市。国内ではニューヨークとロサンゼルスに次ぐ人口を持つ。シカゴは150年以上、全米で最も混雑する鉄道中心地であり続けており、鉄道車両の4台に1台はシカゴを通過するか起点・終点としている。
{{Otheruses}} {{世界の市 |正式名称 = シカゴ市 |公用語名称 = {{en|City of Chicago}} |愛称 = 風の街<br/>2番目の都市<br/>シャイ・タウン<br/>{{en|CHI}} |標語 = {{en|Urbs In Horto(庭園の街)}}<br/>{{en|I Will}} |画像 = Chicago montage.jpg |画像サイズ指定 = |画像の見出し = 上から: [[:en:Chicago Loop|ダウンタウン]]、[[ウィリス・タワー]]、[[:en:Chicago Theatre|シカゴ・シアター]]、[[シカゴ・L]]、[[ネイビー・ピア]]、[[フィールド自然史博物館]]、[[ミレニアム・パーク]] |市旗 = Municipal Flag of Chicago.svg |市章 = Seal of Chicago, Illinois.svg |位置図 = Cook County Illinois incorporated and unincorporated areas Chicago highlighted.svg |位置図サイズ指定 = |位置図の見出し = シカゴ市の位置(イリノイ州) |位置図B = |位置図2B = {{Maplink2|zoom=9|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=270|frame-height=250|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|frame-latitude=41.8|frame-longitude=-87.64}} |下位区分名 = {{USA}} |下位区分種類1 = [[アメリカ合衆国の州|州]] |下位区分名1 = {{Flag|Illinois}} |下位区分種類2 = [[イリノイ州の郡一覧|郡]] |下位区分名2 = [[クック郡 (イリノイ州)|クック郡]]<br/>[[デュページ郡 (イリノイ州)|デュページ郡]] |最高行政執行者称号 = [[シカゴ市長|市長]] |最高行政執行者名 = {{ill2|ブランドン・ジョンソン (政治家)|en|Brandon Johnson (politician)|label=ブランドン・ジョンソン}} |最高行政執行者所属党派 = [[民主党 (アメリカ)|民主党]] |成立区分 = 設立 |成立日 = [[1837年]][[3月4日]] |規模 = 市 |総面積(平方キロ) = 606.2 |総面積(平方マイル) = 234.0 |陸上面積(平方キロ) = 588.3 |陸上面積(平方マイル) = 227.1 |水面面積(平方キロ) = 17.9 |水面面積(平方マイル) = 6.9 |水面面積比率 = 3.0 |市街地面積(平方キロ) = 5,498 |市街地面積(平方マイル) = 2,122.8 |都市圏面積(平方キロ) = 28,160 |都市圏面積(平方マイル) = 10,874 |人口の時点 = [[2010年]] |人口に関する備考 = |総人口 = 2,695,598 |人口密度(平方キロ当たり) = 4,447.4 |人口密度(平方マイル当たり) = 11,864.4 |都市圏人口 = 9,461,105 |都市圏人口密度(平方キロ) = |都市圏人口密度(平方マイル) = |市街地人口 = 8,711,000 |等時帯 = [[中部標準時]] |協定世界時との時差 = -6 |夏時間の等時帯 = [[中部夏時間]] |夏時間の協定世界時との時差 = -5 |緯度度 = 41 |緯度分 = 54 |緯度秒 = |N(北緯)及びS(南緯) = N |経度度 = 87 |経度分 = 39 |経度秒 = |E(東経)及びW(西経) = W |標高(メートル) = 179 |標高(フィート) = 587 |公式ウェブサイト = [https://www.chicago.gov/ www.chicago.gov] |備考 = }} '''シカゴ'''({{lang-en|Chicago}}、{{IPA-en|ʃɨˈkɑːɡoʊ, ʃɨˈkɔːɡoʊ, tʃɨˈkɑːɡoʊ||En-us-Chicago-2.ogg}})は、[[アメリカ合衆国]]の[[イリノイ州]][[クック郡 (イリノイ州)|クック郡]]にある[[都市]]。クック郡の郡庁所在地である。 イリノイ州最大にして[[北アメリカ]]屈指の[[世界都市]]。国内では[[ニューヨーク]]と[[ロサンゼルス]]に次ぐ人口を持つ。シカゴは150年以上、全米で最も混雑する[[アメリカ合衆国の鉄道|鉄道中心地]]であり続けており、[[鉄道車両]]の4台に1台はシカゴを経由するか起点・終点としている<ref name=aar>{{Cite web|publisher=[[アメリカ鉄道協会]] |accessdate=2023-09 |title=Freight Rail Facts & Figures |url=https://www.aar.org/facts-figures}}</ref>。 == 概要 == [[19世紀]]後半から[[20世紀]]中盤までアメリカ国内における[[鉄道]]・[[航空]]・[[水運]]の拠点として、また[[五大湖]]工業地帯の中心として発展し、ニューヨークに次ぐアメリカ第2の都市となっていた歴史を持つ。摩天楼がそびえ立つアメリカ型都市の発祥とされ、[[オフィス街|ダウンタウン]]の高層建築は[[シカゴ派]]として知られ、近代建築史における重要局面をなした。[[1973年]]に建てられたシアーズ・タワー(現在は[[ウィリス・タワー]]に改称)は[[1998年]]まで世界一の[[高層建築物|高層建築]]であった。マコーミック・プレイスコンプレックスは北アメリカ最大の[[コンベンション・センター]]であり、[[シカゴ・オヘア国際空港|オヘア空港]]は全米有数の過密な空港として知られる。 [[2017年]]にアメリカの[[シンクタンク]]が発表した総合的な[[世界都市]]ランキングにおいて、世界12位の都市と評価された<ref>[http://www.joneslanglasalle.co.jp/japan/ja-jp/Documents/New%20Release/20171023-JLL-DecodingCityPerformance.pdf JLL、世界の都市比較インデックスを分析「都市パフォーマンスの解読」を発表] JLL 2017年10月25日閲覧。</ref>。アメリカの都市では[[ニューヨーク]]、[[ロサンゼルス]]に次ぐ3位である。[[2017年]]3月の調査によると、世界7位の[[金融センター]]である<ref>[http://www.banque-finance.ch/wp-content/uploads/2017/03/gfci_21.pdf Global Financial Centres Index 21] Z/Yen Group 2017年4月5日閲覧。</ref>。[[2014年]]の[[域内総生産順リスト|都市の経済規模(GDP)]]では、世界9位となっている<ref>[https://www.thechicagocouncil.org/issue/global-cities Cities Rank Among the Top 100 Economic Powers in the World] Chicago Council on Global Affairs 2016年10月28日閲覧。</ref>。 日本語の漢字表記は「市俄古」である。また、シカゴに住む人々は「{{lang|en|Chicagoans}}(シカゴアンズ)」と呼ばれている<ref>[https://web.archive.org/web/20210126140504/http://www005.upp.so-net.ne.jp/nakky/travel/chicago_all.htm]</ref>。 「シカゴ」の語源は、この地に先住する[[アルゴンキン語族]][[インディアン]]の言葉の、{{en|Shikaakwa}}であると言われており、シカゴ川流域に自生する[[ヒガンバナ科]][[ネギ亜科]]に属する、日本の[[ギョウジャニンニク]]に似た植物<ref group="注釈">英語でrampと呼ばれる。</ref>(''Allium tricoccum'')のこと<ref>{{Cite web|title=Chicago Name Origin|url=https://chicagology.com/chicagoname/|website=chicagology|accessdate=2021-12-04|language=en-US}}</ref>。 == 歴史 == {{main|{{仮リンク|シカゴの歴史|en|History of Chicago}}}} [[File:Dingell Emanuel Paczki.jpg|thumb|left|[[ポンチキ]]の箱を手にするシカゴ元市長[[ラーム・エマニュエル]](右、2006年のイリノイ州下院議員当時)と、元ミシガン州下院議員の[[:en:John Dingell|ジョン・ディンゲル]](左)]] [[File:Chicago Downtown71.jpg|thumb|300px|シカゴの古い町並み]] [[File:Unemployed men queued outside a depression soup kitchen opened in Chicago by Al Capone, 02-1931 - NARA - 541927.jpg|250px|thumb|left|[[アル・カポネ]]が行った失業者向けのスープキッチンに並ぶ人々(1931年)]] シカゴは[[ニューヨーク]]が対西ヨーロッパから国際都市、[[ロサンゼルス]]が対[[中央アメリカ]]・[[アジア]]への交易窓口として発展したのに対して古くから内陸交通の要衝として発展し、アメリカの[[産業]]・文化の発展と共に都市形成が行われてきた経緯がある。また、[[イリノイ川]]河口地点は古くから[[インディアン]]部族の交易の場として機能していた。一番古い記録では[[1673年]]に[[フランス人]][[伝道師]]が訪れている。 [[1779年]]に[[ドミニカ共和国|ドミニカ]]の毛皮商が入植し、[[1803年]]には軍事拠点として{{仮リンク|ディアボーン砦|en|Fort Dearborn}}が作られるとともに開拓が進み、1833年には人口200人程度だった<ref>[http://www.pbs.org/wgbh/amex/chicago/timeline/index.html Timeline: Early Chicago History] Chicago City of Century, PBS</ref><ref name="iwa">岩本裕子、「[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/15028/ シカゴ万博 (1893) と黒人女性 -アイダ・B・ウェルズとファニー・B・ウィリアムズの場合]」 『駒澤史学』 1993年 45巻 p.143-166, {{issn|0450-6928}},『駒沢大学歴史学研究室内駒沢史学会』</ref>。[[1836年]]に始まった[[ミシガン湖]]と[[ミシシッピー川]]を結ぶ運河建設を発端に、土地[[投機家]]が大挙して押し寄せ、一大開発都市に発展する基盤が築かれた。[[1837年]]に市に昇格すると人口は急増し、翌年には{{仮リンク|ガリーナ・アンド・シカゴ・ユニオン鉄道|en|Galena and Chicago Union Railroad}}が開通、以後[[交通]]の要衝として大発展を遂げる。その後、[[1848年]]には[[イリノイ・ミシガン運河]]が開通、[[1852年]]には[[イリノイ・セントラル鉄道]]が開通し、内陸交通の要としての地位を更に高めた。その頃の主要産業は[[農業]]で、シカゴはとりわけ[[コムギ|小麦]]を東部の都市に送り出す穀物の集散地として発展、[[1848年]]には世界有数の先物商品取引所である[[シカゴ商品取引所]](Chicago Board of Trade、CBOT)が作られた。また、[[畜産業]]も発達し、[[1855年]]には収容頭数が当時最大の{{仮リンク|ユニオン・ストック・ヤード|en|Union Stock Yards}}が設けられた。一方で、優秀な[[鉄鉱石|鉄鉱床]]が点在していたために[[鉱業]]も発展し、[[1860年]]には人口6万人に増大し、[[セントルイス]]や[[シンシナティ]]を追い越し、西部最大の都市になった。同年の[[1860年アメリカ合衆国大統領選挙|大統領選挙]]ではシカゴを地盤とする[[エイブラハム・リンカーン|リンカーン]]候補([[共和党 (アメリカ)|共和党]])が当選し、初めて政治でも主導権を握ると、翌年から[[南北戦争]](1861年-1865年)を開始した。このころには30万都市となっていた<ref name=iwa/>。 [[ファイル:UCB030024.JPG|130px|thumb|{{仮リンク|トリビューン・タワー|en|Tribune Tower}}]] [[1871年]]には[[シカゴ大火]]によって甚大な被害を受けた。一説によれば[[ウシ|牛]]が[[ランプ (照明器具)|ランプ]]を倒して大火災になり、炎が燃え尽きるころには街は[[廃墟]]になり、ほとんどの公共建築が焼け落ちた。しかし、現在はギャラリーや公式観光案内所になっている[[シカゴ・ウォーター・タワー]]は唯一焼け落ちずに残った公共建築物である。被害額は当時にして約2億ドル、家を失った人は10万人に上ったという。しかし、この焼失はシカゴの計画都市化、新都市計画の幕開けになった。被災後に市は[[木構造 (建築)|木造住宅]]を禁止し、[[煉瓦]]、石造、鉄製を推奨した。そのためシカゴは[[建築家]]たちの格好の市場となり、[[1885年]]に[[ホーム・インシュアランス・ビル]]、[[1887年]]にタマコビルディングが竣工、建築における[[シカゴ派]]による摩天楼設立ラッシュの先駆となった。このダウンタウン形成時に、その観察に努めた[[社会学]]者が膨大な記述を行った。社会学におけるいわゆる[[シカゴ学派 (社会学)|シカゴ学派]]の始まりである。 [[1873年]]に始まった[[大不況 (1873年-1896年)]]では、[[1886年]]5月に[[アメリカ労働総同盟|合衆国カナダ職能労働組合連盟]]が統一ストライキを行なったが、[[ヘイマーケット事件]]が起こり、[[1889年]]に[[第二インターナショナル]]が国際労働運動のための[[メーデー]]を[[パリ]]で制定すると、[[1890年]]にメーデーをシカゴで実行した<ref>{{cite book |last=Foner |first=Philip S. |authorlink=Philip S. Foner |title= May Day: A Short History of the International Workers' Holiday, 1886-1986 |year=1986 |publisher=International Publishers |location=New York |isbn=0-7178-0624-3 |pages=41–43 }}</ref>。 [[クリストファー・コロンブス|コロンブス]]の新大陸「発見」400周年を記念して開かれた[[1893年]]の[[シカゴ万国博覧会]]では、[[ウェスティングハウス・エレクトリック|ウェスチングハウス]]の[[電源|交流電源]]による実演など、ヨーロッパをついに凌いだアメリカの工業力と先進性を誇示する技術が多数披露され、白を基調とした建物群から「ホワイト・シティ」と呼ばれた壮大な万博会場を造り上げ、国際的な地位を高めるとともに文化都市として脚光を浴び成功を収めた。それと同時にオーケストラホール、[[図書館]]、[[博物館]]、[[公園]]などの文化施設の建設ラッシュとなった。[[1882年]]から[[1905年]]にかけて電力産業が乱立すると、[[1912年]]に{{仮リンク|サミュエル・インサル|en|Samuel Insull}}の提唱で公益事業の[[価格統制]]制度が導入され、低料金の電気が普及した。人口は[[1900年]]に170万人に達し、[[ニューヨーク]]に次ぐアメリカ第二の大都市になった<ref name=iwa/>。 しかし、それらはいわゆる[[富裕層]]によって生み出された文化であり、肥大する経済発展とは裏腹に新たな[[社会問題]]も生まれた。それが[[経済的不平等|貧富の差]]の拡大で、20世紀に入るとウェストサイドで[[スラム]]化が進行した。またかつて[[奴隷]]として、アメリカ建国時に農業などの労働を担っていた[[アフリカ系アメリカ人]]が、[[1914年]]から[[1950年]]にかけて[[アメリカ合衆国南部|アメリカ南部]]から次々に移入した([[アフリカ系アメリカ人の大移動]])。彼らは法律上・表面的には奴隷の身分を解かれてシカゴにやって来たが、[[人種差別]]などから低賃金重労働以外に就くことはほぼ不可能であり、新天地での生活も相変わらず苦しいものだった。[[暴動]]は日常茶飯事となり、とりわけ[[1919年]]の{{仮リンク|シカゴ人種暴動 (1919年)|en|Chicago Race Riot of 1919|label=暴動}}は過去最悪となった。更に腐敗政治の蔓延などで市街は無法地帯となり、その時多くの住人が市街地を去った。 [[1927年]]の市長選挙で[[ウィリアム・ヘイル・トンプソン]]が勝利すると、トンプソンは[[シセロ]]にあるナイトクラブの常連となってギャング([[シカゴ・アウトフィット]])と癒着し、[[アル・カポネ]]が裏社会を支配した。[[1929年]]の[[世界恐慌]]の影響で、市の財政も大幅な赤字となった。同年、[[聖バレンタインデーの虐殺]]を契機に、[[トニー・アッカルド]]や[[サム・ジアンカーナ]]等、[[1940年代]]から[[1960年代]]の次世代を担うギャングが台頭した。トンプソン政権は、[[1931年]]市長選で敗北するまで続いた。 [[1920年]]にも建築ラッシュは続き、{{仮リンク|トリビューン・タワー|en|Tribune Tower}}や{{仮リンク|リグリー・ビル|en|Wrigley Building}}、戦後には世界一の高さを誇っていたシアーズ・タワー(現[[ウィリス・タワー]])などが建設され、今日に見るようなダウンタウンが形成されていった。シカゴ学派第三世代の中でも[[ルイス・ワース]]はシカゴの[[社会的少数者|マイノリティグループ]]の社会層と[[セグリゲーション (社会現象)|セグリゲーション]]について記述し([[アーバニズム]]<ref>1938: Urbanism As A Way of Life. in: AJS 44, S. 1-24<br />[[高橋勇悦]]訳「生活様式としてのアーバニズム」[[鈴木広 (社会学者)|鈴木広]]編『都市化の社会学 増補版』([[誠信書房]], 1978年)</ref>)、そこから旧市街地、工業地、新興住宅地と同心円状に都市が形成されるモデル([[同心円モデル]])を打ち立てた<ref>Park, R. E., Burgess, E. W. & McKenzie, R. D. 1925 ''The City'',</ref>ことで有名である。 [[1958年]]頃に旧来の白人中心のギャングだけでなく、[[ブラック・P・ストーンズ]]や[[ヴァイス・ローズ]]、1968年には[[ギャングスター・ディサイプルズ]]といった[[黒人]]による[[ストリートギャング]]が誕生し、1960年代より1970年代にかけてギャング同士の抗争が発生し、治安が悪化した。 [[1950年]]から[[1970年]]にかけて[[民主党 (アメリカ)|民主党]]の{{仮リンク|リチャード・J・デイリー|en|Richard J. Daley}}[[市長]]は、様々な有力者の支持を受け、[[市街地]]の[[都市再開発|再開発]]と[[治安]]の改善、[[賃金]]格差の是正などに努め、市政を建て直した。ニューヨークや[[ボストン]]などが経済発展に陰りが見え始めた頃に、シカゴは比較的堅調な経済情勢を維持できたのも、この市長の善政のおかげだったといわれている。 シカゴの人口は、1950年に362万人となり最高を記録した。以後、周辺部を含めた[[シカゴ都市圏|都市圏]]の人口は現在まで増加傾向が続いているが、市域内の人口は伸び悩む傾向が続き、市域人口は[[1980年代]]前半にロサンゼルスに抜かれている。これは五大湖近辺の市街地老朽化と[[製造業]]の衰退によるものと見られており、また、西海岸諸都市の経済発展を受けて、アメリカ国内におけるシカゴ経済の地位は、20世紀半ばまでの時期に比べて相対的に低下した。ただし近郊では、[[半導体]]・[[電子機器]]・輸送機械などの産業が発展し、シカゴは現在もアメリカにおける[[商業]]・[[金融]]・[[流通]]の重要拠点の一つとしての地位を保っている。 == 街の景観 == [[File:Chicago sunrise 1.jpg|center|700px|thumb|シカゴのスカイライン、ノーザリー島から西方を向かって、2009年4月]] [[File:One Summer Night in the Windy City.jpg|center|700px|thumb|ジョンハンコックセンターから南方へ向かって、2010年8月]] シカゴには高さ100m以上の[[超高層建築物|超高層ビル]]が575棟ある。これは世界でもニューヨーク、[[香港]]に次ぐ数である<ref>{{Cite web|title=Number of 150m+ Completed Buildings - The Skyscraper Center|url=http://www.skyscrapercenter.com/cities|website=www.skyscrapercenter.com|accessdate=2020-02-14}}</ref>。 === 主な超高層ビル === [[ファイル:Chicago-Illinois-U.S.-skyline-day.jpg|400px|thumb|ミシガン湖からシカゴの摩天楼群を望む。左側の最も高いビルが[[ウィリス・タワー]](旧シアーズ・タワー)。右端のビルは[[Aonセンター]]。]] * [[ウィリス・タワー]](旧シアーズ・タワー、442m)- [[2013年]]の[[1 ワールドトレードセンター]]の建築まで、アメリカで最も高いビルであり、[[1998年]]まで世界一高いビルでもあった。 * [[トランプ・インターナショナル・ホテル・アンド・タワー (シカゴ)|トランプ・インターナショナル・ホテル・アンド・タワー]](415.1m) * [[Aonセンター]](346m) * [[ジョン・ハンコック・センター]](344m) * [[AT&T・コーポレートセンター]](307m) * [[トゥー・プルーデンシャル・プラザ|プルデンシャル・プラザ2]](303m) * {{仮リンク|311サウスワーカー・ビル|en|311 South Wacker Drive}}(293m) * {{仮リンク|トリビューン・タワー|en|Tribune Tower}}(141m) * {{仮リンク|リグリー・ビル|en|Wrigley Building}}(134m) == 地理 == {{main|{{仮リンク|シカゴの地理|en|Geography of Chicago}}}} シカゴは[[ミシガン湖]]の南西部先端であるイリノイ州北東部に位置している。[[アメリカ合衆国国勢調査局|アメリカ合衆国統計局]]によると、シカゴは総面積606.1[[平方メートル|km{{sup|2}}]](234.0[[平方マイル|mi{{sup|2}}]])である。このうち588.3&nbsp;km{{sup|2}}(227.1&nbsp;mi{{sup|2}})は陸地で17.8&nbsp;km{{sup|2}}(6.9&nbsp;mi{{sup|2}})は水地域である。総面積の2.94%は水地域となっている。 == 気候 == [[ケッペンの気候区分]]では[[亜寒帯湿潤気候]](Dfa)に属する。冬季は厳しい寒さとなるが、さほど降雪は多くない。一方、夏季は温暖な南西風の影響でかなりの暑さとなり、気温の年較差が大きい[[大陸性気候]]となっている。 シカゴは英語で「風の街」(Windy City)と呼ばれ、ミシガン湖から季節風が吹き付ける。なお、「風の街」という表現は風の強さからきているとの考えが一般に受け入れられているが、実際はそうではない。そもそも[[オクラホマシティ]]の方が、より風が強いぐらいである。「風の街」の由来は、1893年の[[シカゴ万国博覧会 (1893年)|万国博覧会]]の候補地として[[ニューヨーク]]とシカゴが争ったとき、ニューヨークのある雑誌がシカゴ市民を「'''Chicagoans' talk is full of hot air. ''' 」と評したことである。これを直訳すると「シカゴ市民の話は風に満ちていた」だが、そのこころは「シカゴ市民の話は'''中身のない言葉だけ'''」、である。つまり上記の英文はシカゴおよびシカゴ市民を馬鹿にした発言である。このことが本来の由来を離れて使用されるに至った。なお、1893年の万博は結局シカゴで開催され、それまでの万博で最大の規模となった。 {{Weather box |location = [[シカゴ・ミッドウェー国際空港]](1981–2010年、極値1928年- ) |collapsed = Y |single line = Y |metric first = Y |Jan high F = 31.5 |Feb high F = 35.8 |Mar high F = 46.8 |Apr high F = 59.2 |May high F = 70.2 |Jun high F = 79.9 |Jul high F = 89.2 |Aug high F = 90.1 |Sep high F = 75.3 |Oct high F = 62.8 |Nov high F = 48.6 |Dec high F = 35.3 |year high F =60.0 |Jan mean F=24.8 |Feb mean F=28.7 |Mar mean F=38.8 |Apr mean F=50.4 |May mean F=60.9 |Jun mean F=71.0 |Jul mean F=75.9 |Aug mean F=74.1 |Sep mean F=66.4 |Oct mean F=54.2 |Nov mean F=41.5 |Dec mean F=29.0 |year mean F=51.3 |Jan low F = 18.2 |Feb low F = 21.7 |Mar low F = 30.9 |Apr low F = 41.7 |May low F = 51.6 |Jun low F = 60.1 |Jul low F = 66.5 |Aug low F = 66.2 |Sep low F = 50.5 |Oct low F = 45.7 |Nov low F = 34.5 |Dec low F = 22.7 |year low F =43.5 |Jan record high F = 67 |Feb record high F = 75 |Mar record high F = 86 |Apr record high F = 92 |May record high F = 102 |Jun record high F = 107 |Jul record high F= 111 |Aug record high F = 102 |Sep record high F = 101 |Oct record high F = 94 |Nov record high F = 81 |Dec record high F = 72 |year record high F =111 |Jan record low F = -30 |Feb record low F = -20 |Mar record low F = -7 |Apr record low F = 10 |May record low F = 28 |Jun record low F = 35 |Jul record low F = 46 |Aug record low F = 43 |Sep record low F = 34 |Oct record low F = 20 |Nov record low F = -3 |Dec record low F = -20 |year record low F= -30 |precipitation colour = green |Jan precipitation inch = 2.06 |Feb precipitation inch = 1.94 |Mar precipitation inch = 2.72 |Apr precipitation inch = 3.64 |May precipitation inch = 4.13 |Jun precipitation inch = 4.06 |Jul precipitation inch = 4.01 |Aug precipitation inch = 3.99 |Sep precipitation inch = 3.31 |Oct precipitation inch = 3.24 |Nov precipitation inch = 3.42 |Dec precipitation inch = 2.57 |year precipitation inch=39.09 |Jan snow inch = 11.5 |Feb snow inch = 9.1 |Mar snow inch = 5.4 |Apr snow inch = 1.0 |May snow inch = 0 |Jun snow inch = 0 |Jul snow inch = 0 |Aug snow inch = 0 |Sep snow inch = 0 |Oct snow inch = 0.1 |Nov snow inch = 1.3 |Dec snow inch = 8.7 |year snow inch = 37.1 |unit precipitation days = 0.01 in |Jan precipitation days = 10.7 |Feb precipitation days = 8.8 |Mar precipitation days = 11.2 |Apr precipitation days = 11.1 |May precipitation days = 11.4 |Jun precipitation days = 10.3 |Jul precipitation days = 9.9 |Aug precipitation days = 9.0 |Sep precipitation days = 8.2 |Oct precipitation days = 10.2 |Nov precipitation days = 11.2 |Dec precipitation days = 11.1 |year precipitation days=123.1 |unit snow days = 0.1 in |Jan snow days = 8.1 |Feb snow days = 5.5 |Mar snow days = 3.8 |Apr snow days = 0.7 |May snow days = 0 |Jun snow days = 0 |Jul snow days = 0 |Aug snow days = 0 |Sep snow days = 0 |Oct snow days = 0.1 |Nov snow days = 1.8 |Dec snow days = 6.7 |year snow days=26.7 |source 1 = NOAA,<ref name = "NOAA MDW txt">{{cite web |url=ftp://ftp.ncdc.noaa.gov/pub/data/normals/1981-2010/products/station/USW00014819.normals.txt |publisher=National Climatic Data Center |title=Station Name: IL CHICAGO MIDWAY AP |deadurl=no |accessdate=2013-03-12}}</ref><ref name= NOAA> {{cite web | url = http://www.nws.noaa.gov/climate/xmacis.php?wfo=lot | title = NowData - NOAA Online Weather Data | publisher = NWS Romeoville, IL | accessdate = 2011-12-14}}</ref><ref name= "Chicago Top 20 of 20th century"> {{cite web | url = http://www.crh.noaa.gov/lot/?n=top20events_1900to1999 | title = Top 20 Weather Events of the Century for Chicago and Northeast Illinois 1900–1999 | publisher = NWS Romeoville, IL | accessdate = 2014-06-16}}</ref> WRCC<ref name = "WRCC MDW extremes">{{cite web|title=CHICAGO MIDWAY AP 3 SW, ILLINOIS|url=http://www.wrcc.dri.edu/cgi-bin/cliMAIN.pl?il1577|publisher=Western Regional Climate Center|accessdate=2014-06-12}}</ref> |date=November 2012 }} {{Weather box |location = [[シカゴ・オヘア国際空港]](1981–2010年、極値1871年–) |collapsed = Y |single line = Y |metric first = Y |Jan high F = 31.0 |Feb high F = 35.3 |Mar high F = 46.6 |Apr high F = 59.0 |May high F = 70.0 |Jun high F = 79.7 |Jul high F = 84.1 |Aug high F = 81.9 |Sep high F = 74.8 |Oct high F = 62.3 |Nov high F = 48.2 |Dec high F = 34.8 |year high F =59.1 |Jan mean F=23.8 |Feb mean F=27.7 |Mar mean F=37.9 |Apr mean F=48.9 |May mean F=59.1 |Jun mean F=68.9 |Jul mean F=74.0 |Aug mean F=72.4 |Sep mean F=64.6 |Oct mean F=52.5 |Nov mean F=40.3 |Dec mean F=27.7 |year mean F=49.8 |Jan low F = 16.5 |Feb low F = 20.1 |Mar low F = 20.2 |Apr low F = 38.8 |May low F = 48.3 |Jun low F = 53.1 |Jul low F = 63.9 |Aug low F = 62.9 |Sep low F = 54.3 |Oct low F = 42.8 |Nov low F = 32.4 |Dec low F = 20.7 |year low F =40.8 |Jan record high F = 67 |Feb record high F = 75 |Mar record high F = 88 |Apr record high F = 91 |May record high F = 98 |Jun record high F = 104 |Jul record high F = 105 |Aug record high F = 102 |Sep record high F = 101 |Oct record high F = 94 |Nov record high F = 81 |Dec record high F = 71 |year record high F =105 |Jan record low F = -27 |Feb record low F = -21 |Mar record low F = -12 |Apr record low F = 7 |May record low F = 27 |Jun record low F = 35 |Jul record low F = 45 |Aug record low F = 42 |Sep record low F = 29 |Oct record low F = 14 |Nov record low F = -2 |Dec record low F = -25 |year record low F = -27 |precipitation colour = green |Jan precipitation inch = 1.73 |Feb precipitation inch = 1.79 |Mar precipitation inch = 2.50 |Apr precipitation inch = 3.38 |May precipitation inch = 3.68 |Jun precipitation inch = 3.45 |Jul precipitation inch = 3.70 |Aug precipitation inch = 4.90 |Sep precipitation inch = 3.21 |Oct precipitation inch = 3.15 |Nov precipitation inch = 3.15 |Dec precipitation inch = 2.25 |year precipitation inch=36.89 |Jan snow inch = 10.8 |Feb snow inch = 9.1 |Mar snow inch = 5.6 |Apr snow inch = 1.2 |May snow inch =trace |Jun snow inch = 0 |Jul snow inch = 0 |Aug snow inch = 0 |Sep snow inch = 0 |Oct snow inch = 0.2 |Nov snow inch = 1.2 |Dec snow inch = 8.2 |year snow inch = 36.3 |unit precipitation days = 0.01 in |Jan precipitation days = 10.5 |Feb precipitation days = 8.8 |Mar precipitation days = 11.1 |Apr precipitation days = 12.0 |May precipitation days = 11.6 |Jun precipitation days = 10.2 |Jul precipitation days = 9.8 |Aug precipitation days = 9.8 |Sep precipitation days = 8.3 |Oct precipitation days = 10.2 |Nov precipitation days = 10.8 |Dec precipitation days = 11.0 |year precipitation days=124.1 |unit snow days = 0.1 in |Jan snow days = 8.2 |Feb snow days = 5.9 |Mar snow days = 4.2 |Apr snow days = 0.9 |May snow days = 0 |Jun snow days = 0 |Jul snow days = 0 |Aug snow days = 0 |Sep snow days = 0 |Oct snow days = 0.2 |Nov snow days = 1.7 |Dec snow days = 6.9 |year snow days=28.0 |Jan sun = 135.8 |Jan percentsun = 46 |Feb sun = 136.2 |Feb percentsun = 46 |Mar sun = 187.0 |Mar percentsun = 51 |Apr sun = 215.3 |Apr percentsun = 54 |May sun = 281.9 |May percentsun = 62 |Jun sun = 311.4 |Jun percentsun = 68 |Jul sun = 318.4 |Jul percentsun = 69 |Aug sun = 283.0 |Aug percentsun = 66 |Sep sun = 226.6 |Sep percentsun = 60 |Oct sun = 193.2 |Oct percentsun = 56 |Nov sun = 113.3 |Nov percentsun = 38 |Dec sun = 106.3 |Dec percentsun = 37 |year percentsun = 56 |Jan humidity = 72.2 |Feb humidity = 71.6 |Mar humidity = 69.7 |Apr humidity = 64.9 |May humidity = 64.1 |Jun humidity = 65.6 |Jul humidity = 68.5 |Aug humidity = 70.7 |Sep humidity = 71.1 |Oct humidity = 68.6 |Nov humidity = 72.5 |Dec humidity = 75.5 |year humidity =69.6 |source 1 = NOAA (relative humidity and sun 1961–1990)<ref name= NOAA/><ref name = "NOAA ORD TXT">{{cite web |url=ftp://ftp.ncdc.noaa.gov/pub/data/normals/1981-2010/products/station/USW00094846.normals.txt|publisher=National Oceanic and Atmospheric Administration |title=Station Name: IL CHICAGO OHARE INTL AP |deadurl=no |accessdate=2013-03-18}}</ref><ref name = "NOAA sun"> {{cite web | title = Chicago/O'Hare, IL Climate Normals 1961-1990 | url = ftp://ftp.atdd.noaa.gov/pub/GCOS/WMO-Normals/TABLES/REG_IV/US/GROUP3/72530.TXT | publisher = National Oceanic and Atmospheric Administration | accessdate = May 14, 2013}}</ref> }} == 人口動勢 == {{US Census population | 1840=4470 | 1850=29963 | 1860=112172 | 1870=298977 | 1880=503185 | 1890=1099850 | 1900=1698575 | 1910=2185283 | 1920=2701705 | 1930=3376438 | 1940=3396808 | 1950=3620962 | 1960=3550404 | 1970=3366957 | 1980=3005072 | 1990=2783726 | 2000=2896016 | 2010=2695598 | estimate= 2696555 | estyear= 2021 | footnote=[http://www.census.gov/prod/www/abs/decennial/ U.S. Decennial Census]<br /><ref>https://www.census.gov/quickfacts/fact/table/chicagocityillinois/PST045221#PST045221S</ref> |2020=2746388}} {| class="wikitable sortable mw-collapsible" style="font-size: 90%;" |- ! 人種構成 !! 2010<ref name="census1">{{cite web |url=http://quickfacts.census.gov/qfd/states/17/1714000.html |title=Chicago (city), Illinois |work=State & County QuickFacts |publisher=U.S. Census Bureau|accessdate=2014-01-17}}</ref>!! 1990<ref name="census1"/> !! 1970<ref name="census1"/> !! 1940<ref name="census1"/> |- | [[白人]] || 45.0% || 45.4% || 65.6% || 91.7% |- | —非ヒスパニック || 31.7% || 37.9% || 59.0%<ref group="注釈" name="fifteen">From 15% sample</ref> || 91.2% |- | [[アフリカ系アメリカ人|黒人]] || 32.9% || 39.1% || 32.7% || 8.2% |- | [[ヒスパニック]](肌の色問わず)|| 28.9% || 19.6% || 7.4%<ref group="注釈" name="fifteen"/> || 0.5% |- | [[アジア系アメリカ人|アジア系]] || 5.5% || 3.7% || 0.9% || 0.1% |} [[2010年]]現在の[[国勢調査]]{{GR|2}}で、シカゴ市内の人口は269万5,598人、104万5,560世帯が暮らしている。これはイリノイ州の全体的な人口の約5分の1及びアメリカの人口の1%になる。かつては[[ニューヨーク]]に次ぐ大都市だったが、[[ロサンゼルス]]の台頭と[[五大湖]]近辺の地位低下、更に都市圏の拡大による[[郊外]]化、サブプライムローン金融危機に伴う抵当物件差押えの増加や、低所得者向け高層公共住宅の取り壊しとそれに伴う住民の立ち退き、全米平均を上回る高い失業率を背景に人口が急減している。 この都市の人種的な構成は[[白人]]45.0%、アフリカン・アメリカン32.9%、インディアン0.5%、アジア5.5%、その他の人種13.4%、および混血2.7%であり、黒人の比率が全米平均の12.6%より20%以上も高いのが特徴である。この人口の28.9%はヒスパニックまたはラテン系である。[[2011年]]の国勢調査によると、シカゴの白人住民のうちもっとも多いのがアイルランド系であり、ドイツ系、ポーランド系がそれに続く。 この都市内の住民は26.2%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が11.2%、25歳以上44歳以下が33.4%、45歳以上64歳以下が18.9%、及び65歳以上が10.3%にわたっている。中央値年齢は32歳である。女性100人ごとに対して男性は94.2人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は91.1人である。 この都市の世帯ごとの平均的な収入は38,625米ドルであり、家族ごとの平均的な収入は42,724米ドルである。男性は35,907米ドルに対して女性は30,536米ドルの平均的な収入がある。この都市の一人当たりの収入([[w:per capita income|per capita income]])は20,175米ドルである。人口の19.6%および家族の16.6%は[[貧困線]]以下である。全人口のうち18歳未満の28.1%および65歳以上の15.5%は貧困線以下の生活を送っている。 == 犯罪 == [[Image:Chicago violent crime map 2006.png|thumb|left|250px|シカゴ市内の地域ごとの暴力犯罪の図。色が赤い地域ほど、犯罪発生率が高いことを示す。]] {{Infobox UCR |city_name=Chicago |year=2010 |homicide=15.2 |forcible_rape=N/A |robbery=501.6 |aggravated_assault=485.5 |violent_crime=N/A |burglary=924.7 |larceny_theft=2,638.4 |motor_vehicle_theft=673.3 |arson=N/A |property_crime=4,236.4 |source_url=http://www.fbi.gov/about-us/cjis/ucr/crime-in-the-u.s/2010/crime-in-the-u.s.-2010/tables/table-8/10tbl08il.xls |source_name=FBI 2010 UCR data }} 1970年代は犯罪発生率が高く、970人が殺害され、殺人発生率は10万人あたり29人であった。近年は人口減少と共に殺人も減少傾向にあったが、2012年には前年よりも有意な増加が見られ、発生率は10万人あたり18.5人で、全米平均の4倍近くとなっており、506人が殺害されている。そのため、警官の増員や地元代表らとの連携がなされ、2013年には殺人被害者数が415人まで下がったものの、暴力行為は依然多く、発砲事件だけでも2013年の負傷者の数は2,185人にのぼった<ref>[http://abcnews.go.com/US/violence-mars-chicago-holiday-weekend-50-reportedly-injured/story?id=24446308 More Than 60 Shot, 9 Dead in Chicago's Bloody Holiday Weekend] ABC News, Jul 7, 2014</ref>。 ギャング(前述)による抗争などが発生しており、2011年と2012年にはシカゴで殺害された年間死亡者数が[[イラク]]や[[アフガニスタン]]に派兵された米兵の同年の死亡者数を上まったことから、「Chiraq」(シカゴの「Chi」とイラクの「raq」をかけあわせた語句)という不名誉なあだ名がついてしまった。 19世紀末の連続殺人犯である[[H・H・ホームズ]]が「殺人の城」と呼ばれた建物を建てたのもシカゴである。 2021年現在、シカゴは自動車の盗難件数が最も多いアメリカの都市となっている。シカゴでは2019年以降に自動車盗難の大規模な急増が始まり、2020年には少なくとも1,415件の犯罪が市内で行われた<ref name="Gorner and Berlin">Jeremy Gorner & Jonathon Berlin, [https://www.chicagotribune.com/news/criminal-justice/ct-chicago-2020-carjackings-jump-20210111-rf2prz67are4tmddx5zjjagati-htmlstory.html Carjackings more than double in Chicago during 2020, police say, perhaps as criminals blended in with masked public], ''Chicago Tribune'' (January 18, 2021).</ref> 。 シカゴ警察によると、自動車盗難犯は進行中のCOVID-19パンデミックのために広く着用されているフェイスマスクを使って、一般市民に効果的に溶け込み、自分の身元を隠しているとのことである。2021年1月27日、ライトフット市長はカージャックの波の悪化を「最優先事項」であると述べ、CPDのカージャック部隊に40人の警察官を増員した<ref name="Pratt and Byrne">Gregory Pratt & John Byrne, [https://www.chicagotribune.com/politics/ct-chicago-carjackings-mayor-lori-lightfoot-20210127-2l7bl2jog5fgrii52l6zzr4fyq-story.html Chicago Mayor Lori Lightfoot says spike in carjackings ‘top of mind,’ adding 40 more police officers to carjacking unit and gathering regional mayors], ''Chicago Tribune'' (January 27, 2021)</ref>。 [[2010年代]]、アメリカ社会は[[万引]]などの窃盗犯罪に寛容になり、徐々に小売業への影響が広がった<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.mynavi.jp/techplus/article/svalley-914/ |title=10万円までの窃盗を重罪としないカリフォルニア、"万引き天国"問題のその後 |publisher=マイナビニュース |date=2022-03-08 |accessdate=2023-09-29}}</ref>。[[2023年]][[4月11日]]、[[ウォルマート]]は組織的な盗難被害の多さからなる赤字を理由に、シカゴ市内4店舗の閉鎖を発表した<ref>{{Cite web|和書|url=https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00381/042100036/ |title=ウォルマートが窃盗被害で一気に4店閉鎖 無人販売が人気の国との差 |publisher=日経ビジネス |date=2023-04-25 |accessdate=2023-09-29}}</ref>。 == 教育 == :''主要記事:[[w:Chicago Public Schools]]'' :''高等教育:[[w:List of colleges and universities in Chicago]]'' ===大学・短大=== 1850年代以降、シカゴはいくつかの大学を擁する高等教育・研究の世界的な中心地となっている。これらの大学は、U.S. News & World Report誌による全米の「国立大学」の上位に常にランクインしている。シカゴおよび周辺地域で評価の高い大学には、[[シカゴ大学]]、[[ノースウェスタン大学]]、[[イリノイ工科大学]]、[[ロヨラ大学]]、[[デポール大学]]、[[イリノイ大学シカゴ校]]、コロンビア大学シカゴが含まれる。その他の有名校は以下の通り。シカゴ州立大学、[[シカゴ美術館附属美術大学]]、東西大学、ナショナル・ルイス大学、ノースパーク大学、ノースイースタン・イリノイ大学、ロバート・モリス大学イリノイ校、ルーズベルト大学、セント・ザビエル大学、ラッシュ大学、シャイナー大学<ref>{{cite web |url=http://www.free-4u.com/Colleges/Chicago-IL-Colleges.html |title=Chicago, Illinois Colleges and Universities |publisher=Free-4u.com |access-date=January 8, 2017}}</ref>。 == 文化 == [[ファイル:Chicago River @ night.jpg|thumb|[[シカゴ川]]の夜景]] [[ファイル:UCB050044.JPG|thumb|[[ネイビー・ピア]]]] [[ファイル:John G Shedd Aquarium Chicago 040724.jpeg|thumb|[[シェッド水族館]]]] [[ファイル:Downtown Chicago Illinois Nov05 img 2558.jpg|thumb|[[ミレニアム・パーク]]]] シカゴの文化は富裕層らが築いた文化([[美術館]]や[[博物館]]、[[公園]]、または時代の最先端を走った摩天楼に象徴される建築など)と、貧困層が築いた文化([[ブルース]]や[[ジャズ]]、[[ハウス (音楽)|ハウス]]、シカゴ文学と呼ばれる一種の[[プロレタリア文学]]など)に大別されるが、一般に象徴されるのは後者である。 一方で、前述の通り[[1920年代]]に蔓延した[[マフィア]]や暴力団([[ギャング]])も有名。時代を反映した映画「[[ブルース・ブラザース]]」「[[逃亡者 (1993年の映画)|逃亡者]]」などの舞台にもなっている。また[[シカゴ風ピザ]]、[[サンデー (デザート)|アイスクリームサンデー]]発祥の地でもある。 [[パブロ・ピカソ|ピカソ]]の彫像『[[シカゴ・ピカソ|無題(Untitled)]]』の置かれたデイリー・シビック・センター(Daley Civic Center)では、シカゴの提供により平日の正午にコンサートなどの様々な無料文化イベント「アンダー・ザ・ピカソ(Under The Picasso)」が行われ市民が集う。 [[聖パトリックの祝日]]には[[シカゴ川]]がシンボルカラーの緑に染められる事で知られる。 === 音楽 === [[クラシック音楽]]では、[[シカゴ交響楽団]]や[[シカゴ・リリック・オペラ]]がある。シカゴ交響楽団は[[アメリカ五大オーケストラ]](Big Five)の一つとされる<ref>[http://www.nytimes.com/2013/06/16/arts/music/the-big-five-orchestras-no-longer-add-up.html?pagewanted=all&_r=0 The Big Five Orchestras No Longer Add Up]([[ニューヨーク・タイムズ]] [[2013年]][[6月14日]])</ref> のみならず、世界最高のオーケストラのひとつとして知られている。同交響楽団は1891年に創設され、1953年~1962年の音楽監督[[フリッツ・ライナー]]の時代と、1969年~1991年の音楽監督[[ゲオルク・ショルティ]]の時代にそれぞれ大発展を遂げ、世界的な名声を確立した。シカゴ・リリック・オペラは、ニューヨークの[[メトロポリタン・オペラ]]、[[サンフランシスコ・オペラ]]と並ぶ、アメリカ3大オペラ・ハウスの一つとされている。 また、シカゴは[[アフリカ系アメリカ人]]らが築き上げた音楽文化、ブルースやジャズのメッカとして名高い。アメリカ南部の[[ミシシッピ川]]流域で発生したアコースティックな[[デルタ・ブルース]]に[[エレクトリック・ギター]]などを導入して[[シカゴ・ブルース]]と呼ばれる音楽に発展させた。ジャズの分野では、[[1920年代]]には[[ルイ・アームストロング]]等多くのミュージシャンが、活動の拠点を[[ニューオーリンズ]]からシカゴに移した。1965年には、アフリカ系アメリカ人のジャズ・ミュージシャンたちがAACM(創造的音楽家のための協会)を設立し、音楽教育やコンサート活動などを行う。同協会からは[[アート・アンサンブル・オブ・シカゴ]]が世界的成功を収めた。またそうした音楽的伝統の元に生まれたハウス音楽の発祥としても知られている。シカゴにあった「[[ウェアハウス (ナイトクラブ)|ウェアハウス]]」というアフロ・アメリカンや[[ゲイ]]などを主な客層としたクラブの名前が「ハウス」という言葉の起源であり、[[シカゴ・ハウス]]は後に[[ニューヨーク]]でなど爛熟したハウス・ミュージックの原形ともされ、現在でもダンス音楽の世界ではシカゴを中心とするDJ達が重要な位置を占めている。現在ではシカゴ音響派と呼ばれる[[ジャズ]]、[[ロック (音楽)|ロック]]、[[ポップ・ミュージック|ポップス]]、[[現代音楽]]が一緒になったようなそれまでにはない新しい音楽([[ポストロック]]ともいう)を追求する者も多くいる。また、ギャング文化に伴った[[ヒップホップ]]のメッカともいわれており、近年では[[トラップ (音楽のジャンル)|トラップ]]に影響を受けたトラックに乗せてシカゴの治安問題を暴力的な歌詞に乗せて歌う「ドリル・ミュージック」というジャンルが発生している。 === 博物館及びギャラリー === [[1998年]]、シカゴは3つの主要な博物館([[フィールド自然史博物館]]、[[シェッド水族館]]、[[アドラー・プラネタリウム]])に取り囲まれたレイクフロントパーク地域に、[[ミュージアム・キャンパス (シカゴ)|ミュージアム・キャンパス]]を公式に開設した。このミュージアム・キャンパスは[[グラント・パーク (シカゴ)|グラント・パーク]]の南部地区に設定された。グラントパークには[[シカゴ美術館]]も所在している。 シカゴ地域の他の主要な博物館・ギャラリーは以下の通り。 * [[シカゴ・ウォーター・タワー]]([[:en:Chicago Water Tower|Chicago Water Tower]]) * [[シカゴ現代美術館]](Museum of Contemporary Art) * [[シカゴ科学産業博物館]](Museum of Science and Industry) * オリエンタル・インスティテュート博物館([[:en:Oriental Institute, Chicago|Oriental Institute]]) * シカゴ歴史博物館([[:en:Chicago History Museum|Chicago History Museum]]) * デュセーブル・アフリカ・アメリカ史博物館([[:en:DuSable Museum of African American History|DuSable Museum of African American History]]) * ペギー・ノートバート自然博物館([[:en:Peggy Notebaert Nature Museum|Peggy Notebaert Nature Museum]]) * ポーランド博物館([[:en:Polish Museum of America|Polish Museum of America]]) * 放送通信博物館([[:en:Museum of Broadcast Communications|Museum of Broadcast Communications]]) === 公園 === * [[リンカーン・パーク]] - ニューヨークの[[セントラル・パーク]]を上回る広さがある。[[ミシガン湖]]の湖畔に沿った細長い公園である。動物園や運動施設などがあり市民の憩いの場となっている。 * [[グラント・パーク (シカゴ)|グラント・パーク ]] - 中心業務地区に接している。シカゴで最も歴史の長い公園のひとつ。 * [[ミレニアム・パーク]] - [[ミレニアム駅 (シカゴ)|ミレニアム駅]](旧ランドルフ・ストリート駅)の真上に設けられた。名称の「[[ミレニアム]]」が示す通り当初の開園予定は[[2000年]]であったが、実際のオープンは工事の遅れにより[[2004年]]となった。銀色の金属製で豆の形をした「ザ・ビーン」の通称で知られるオブジェ「[[クラウド・ゲート]]」などの[[パブリックアート]]作品が設けられている。 === ピルゼン地区 === シカゴのロウアー・ウェスト・サイド地区([[:en:Lower West Side, Chicago]])は、チェコからの移民によって作られたコミュニティであり、シカゴ近辺の住民からはピルゼン地区(Pilsen)と通称される。ピルゼンとは、チェコの都市[[プルゼニ]]の英語およびドイツ語名である。しかし[[1970年代]]以降、地区の主な住人はメキシコ系へと置き換わっていった。 == スポーツ == === プロスポーツ === [[北米4大プロスポーツリーグ]]すべてを有する数少ない都市。さらに[[メジャーリーグサッカー|MLS]]や[[マイナーリーグ]]なども構えている。 {| class="wikitable" |- ! チーム !! 種別 !! リーグ !! 競技場 !! 設立 !! 優勝回数 |- | [[シカゴ・カブス]] | [[野球]] | [[メジャーリーグベースボール|MLB]]''':''' [[ナショナルリーグ]] | [[リグレー・フィールド]] | [[1876年]] | [[ワールドシリーズ]]優勝3回 |- | [[シカゴ・ホワイトソックス]] | [[野球]] | MLB''':''' [[アメリカンリーグ]] | [[ギャランティード・レート・フィールド]] | [[1900年]] | ワールドシリーズ優勝3回 |- | [[シカゴ・ベアーズ]] | [[アメリカンフットボール|フットボール]] | [[NFL]] | [[ソルジャー・フィールド]] | [[1919年]] | [[スーパーボウル]]優勝1回 |- | [[シカゴ・ブラックホークス]] | [[アイスホッケー]] | [[ナショナルホッケーリーグ|NHL]] | [[ユナイテッド・センター]] | [[1926年]] | [[スタンレー・カップ]]優勝6回 |- | [[シカゴ・ブルズ]] | [[バスケットボール]] | [[NBA]] | ユナイテッド・センター | [[1966年]] | [[NBAファイナル]]優勝6回 |- | [[シカゴ・ファイアーFC]] | [[サッカー]] | [[メジャーリーグサッカー|MLS]] | [[ソルジャー・フィールド]] | [[1997年]] | [[MLSカップ]]優勝1回、[[USオープンカップ]]優勝4回、サポーターズシールド優勝1回 |} === その他 === * シカゴは[[2016年]]の[[近代オリンピック|オリンピック]]の開催都市に立候補していた。 :[[サンフランシスコ]]、シカゴ、[[ヒューストン]]、[[フィラデルフィア]]、[[ロサンゼルス]]の5都市の中から、[[2007年]][[4月14日]](アメリカ時間)に[[アメリカオリンピック委員会]](USOC)によって最終国内候補都市に選定された。 * [[1893年]]に開催された第1回[[世界選手権自転車競技大会]]の開催地である。 * [[1977年]]より毎年[[シカゴマラソン]]が開催されている。 == 交通 == [[ファイル:UCB040036.JPG|thumb|250px|[[ユニオン駅 (シカゴ)|ユニオン駅]] 大待合室「グレート・ホール」]] {{main|シカゴの公共交通機関}} === 空港 === * [[シカゴ・オヘア国際空港]] * [[シカゴ・ミッドウェー国際空港]] === 港 === * [[シカゴ港]] === 鉄道 === [[一級鉄道]]の6社がシカゴに乗り入れる<ref name=aar />。 * [[アムトラック]] * [[シカゴ・L]](CTA - [[シカゴ交通局]]) ** [[ループ (シカゴ交通局)]] * [[メトラ]](Metra) * [[サウスショアー線]] ==== ターミナル駅 ==== * [[ユニオン駅 (シカゴ)|ユニオン駅]] * [[オギルビー・トランスポーテーション・センター (シカゴ)|オギルビー・トランスポーテーション・センター]](ノースウェスタン駅) * [[ラサール・ストリート駅 (シカゴ)|ラサール・ストリート駅]] * [[ミレニアム駅 (シカゴ)|ミレニアム駅]](ランドルフ・ストリート駅) == 友好姉妹都市(代表的な都市) == [[全米国際姉妹都市協会]](Sister Cities International)加盟都市。 <div style="float: left; vertical-align: top; margin-right: 1em;"> * {{flagicon|JPN}} [[大阪市]] * {{flagicon|CAN}} [[トロント]]([[カナダ]]) * {{flagicon|UK}} [[バーミンガム]]([[イギリス]]) * {{flagicon|FRA}} [[パリ]]([[フランス]]) * {{flagicon|RUS}} [[モスクワ]]([[ロシア]]) * {{flagicon|SWE}} [[ヨーテボリ]] ([[スウェーデン]]) * {{flagicon|IND}} [[デリー]]([[インド]]) * {{flagicon|CHN}} [[上海市]]・[[瀋陽市]]([[中華人民共和国|中国]]) * {{flagicon|ITA}} [[ミラノ]]([[イタリア]]) </div><div style="float: left; vertical-align: top; margin-right: 1em;"> * {{flagicon|GER}} [[ハンブルク]]([[ドイツ]]) * {{flagicon|POL}} [[ワルシャワ]]([[ポーランド]]) * {{flagicon|MEX}} [[メキシコシティ]]([[メキシコ]]) * {{flagicon|GHA}} [[アクラ]]([[ガーナ]]) * {{flagicon|GRE}} [[アテネ]]([[ギリシャ]]) * {{flagicon|MAR}} [[カサブランカ]]([[モロッコ]]) * {{flagicon|SRB}} [[ベオグラード]]([[セルビア]]) * {{Flagicon|RSA}} [[ダーバン]]([[南アフリカ共和国]]) 他 </div>{{clear|left}} == 関係者 == ; 出身者 {{Main|Category:シカゴ出身の人物}} *[[キム・ノヴァク]](女優) ; 居住その他ゆかりある人物 == シカゴを舞台にした映画・ドラマ・漫画・舞台・ゲーム == [[File:South Water Street (service level).jpg|thumb|250px|[[:en:Multilevel streets in Chicago|複数階層の道路]]]] [[File:Chicago (ILL) Downtown, S Wells St. " under the Loop, Traffic " (4824232434).jpg|thumb|250px|高架線路]] シカゴは多くの[[映画]]や[[ドラマ]]の舞台となっており、シカゴ内のある高層[[ホテル]]では様々な映画やドラマを10回以上も撮影していることで知られている。 * [[あなたが寝てる間に…]](1995) * [[アンタッチャブル (映画)|アンタッチャブル]](1987) * [[ER緊急救命室]] * [[イルマーレ (2006年の映画)|イルマーレ]](2006)※アメリカリメイク版 - [[キアヌ・リーブス]]、[[サンドラ・ブロック]]主演 * [[ウォッチドッグス]](2014) * [[ガンスミスキャッツ]] * [[グッド・ワイフ|The Good Wife]](2009) * [[刑事ニコ/法の死角]](1988) * [[交渉人 (映画)|交渉人]](1998) * [[ザ・パッケージ/暴かれた陰謀]](1989) * [[サイレントスコープ]](1999) * [[シカゴ (2002年の映画)|シカゴ]](2002)※[[ブロードウェイ]]の[[振付師]]・[[演出家]][[ボブ・フォッシー]]による[[ミュージカル]]『[[シカゴ (ミュージカル)|シカゴ]]』の[[アメリカ合衆国の映画|映画]]化。[[映画監督|監督]][[ロブ・マーシャル]]。[[第75回アカデミー賞]][[アカデミー作品賞|作品賞]]受賞。 * [[シカゴ・ファイアー (テレビドラマ)|シカゴ・ファイヤー]](2012-) * [[:en:Chicago P.D. (TV series)|Chicago P.D.]](2014-) * [[:en:Chicago Med|Chicago Med]](2015-) * [[シカゴ・ホープ]] * [[死の標的]](1990) * [[ジャック・アンド・ベティ物語]](1992)※TBS系列で放映されたTVドラマ * [[Shall We Dance?]](2004)※アメリカリメイク版 - [[リチャード・ギア]]主演 * [[真実の行方 (映画)|真実の行方]](1996) * [[スティング (映画)|スティング]] * [[ストリート・オブ・ファイヤー]](1984) * [[ダークナイト|The Dark Knight]](2008)※[[バットマン]]の実写映画 * [[宝塚歌劇団]]花組公演「[[SPEAKEASY]]」 * [[チェーン・リアクション]](1996) * [[追跡者 (1998年の映画)|追跡者]](1998) * [[デス・ウィッシュ]](2018) * [[逃亡者 (1993年の映画)|逃亡者]](1993) * [[トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン]] * [[ニード・フォー・スピード ザ・ラン]](2011) * [[バックドラフト (映画)|バックドラフト]](1991) * [[プリズン・ブレイク]] * [[ブルース・ブラザース]](1980) * [[ベビーシッター・アドベンチャー]](1987) * [[ヒルストリート・ブルース]](1981~1987) * [[ホーム・アローン|ホームアローン]]シリーズ * [[マイ・ボディガード (1980年の映画)|マイ・ボディガード]](1980)※[[デンゼル・ワシントン]]が主演した作品とは無関係 * [[ミッション: 8ミニッツ]](2011) * [[野獣捜査線]](1985) * [[レッドブル (映画)|レッドブル]](1988) * [[レリック (映画)|レリック]](1997) * [[バットマン・ビギンズ]](2005) *[[囚われた国家]](2019) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{reflist}} == 関連項目 == {{colbegin|2}} *[[シカゴ都市圏]] * [[シカゴ市長]] * [[シカゴ市消防局]] * [[シカゴ市警察]] * [[シカゴ新報]](The Chicago Shimpo) * [[ミース・ファン・デル・ローエ]] * [[フランク・ロイド・ライト]] * [[至聖三者大聖堂 (シカゴ)|至聖三者大聖堂]] * [[シカゴ・トリビューン]](新聞) * [[シカゴ大学]] * [[シカゴ学派]] * [[世界バラ会議]] {{colend}} == 外部リンク == {{Commons&cat}} ; 公式 :* [https://www.chicago.gov/city/en.html シカゴ市公式サイト] {{en icon}}{{es icon}}{{zh icon}}{{pl icon}}{{ar icon}} : ; 日本政府 :* [https://www.chicago.us.emb-japan.go.jp/ 在シカゴ日本国総領事館] {{en icon}}{{ja icon}} : ; 観光 :* [https://www.enjoyillinois.com/ イリノイ州観光局]{{en icon}} :* [https://web.archive.org/web/20210506015258/https://usshimbun.com/ US新聞]{{リンク切れ|date=2021年12月}}{{ja icon}}{{en icon}} {{イリノイ州}} {{アメリカ50大都市}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しかこ}} [[Category:シカゴ|*]] [[Category:イリノイ州の都市]] [[Category:クック郡 (イリノイ州)]] [[Category:デュページ郡 (イリノイ州)]] [[Category:アメリカ合衆国の計画都市]] [[Category:アメリカ合衆国の観光地]]
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岩手県
岩手県(いわてけん)は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は盛岡市。 東北地方の北部(北東北)に所在し、北は青森県、西は秋田県、南は宮城県と境界を接している。面積は15,275.01kmで、日本の都道府県としては、北海道に次いで2番目に広い。県の人口およそ120万人のうち、100万人以上(8割強)は内陸部の北上盆地に集中し、沿岸部は平地が少なく小都市が点在する。北上盆地と沿岸部の他は、大半が山地や丘陵地である。 江戸時代初期は、現在の岩手県の前身にあたる地域は南部藩の一部と伊達藩の一部で構成されていた(このため県内において、呼称としての「南部」は地理的な意味とは逆に県北部を指す場合がある)。また、岩手県内で陸前に該当する地域は釜石以南の三陸地方のみである。南部(県北)地域は陸中に当たる。 「岩手」の名称は、県庁の置かれた盛岡市の所属郡名「岩手郡」に由来する。その起源については、「住民の悪鬼追討の祈りに対し、人々の信仰を集めて『三ツ石さま』と呼ばれていた大岩(三ツ石の神、現:三ツ石神社)がそれを懲罰し、二度とこの地を荒らさないという鬼の確約を岩の上に手形で残させた」という故事に倣うとされる。 また、「岩手」の名が文献に登場するのは、「みちのくから都に献上された鷹を、帝がたいそう気に入り、鷹に慣れた大納言に預けたが、取り逃がしてしまった」という大和物語の一説の鷹の名「岩手」が初めてだといわれている。帝は、岩手を失った悲しみを「言わないことが言うことより気持ちが勝る」の意味で、「岩手=言はで」に掛け「いはでおもふぞいふにまされる」と詠じたという。この表現は、古今和歌集の中からの本歌取りである。 1872年の発足以降現在に至るまで正式には「岩手県」であるが、明治・大正期には「巌手縣」や「巖手県」の表記も行われ、県報には「巌手県報」の題字が使用されるなど、両方が併用されていた。「岩手県」に一本化されたのは1923年9月22日で、「岩手県報 第847号」に「縣名ノ文字ニ關スル件」が公示され「岩手県」を正式名としている。 内陸部は年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。内陸北部や高原地帯は湿潤大陸性気候に属し、寒さが非常に厳しい。特に藪川は冬季に-30°C近くまで冷え込むこともある本州最寒地として有名である。沿岸部は海洋性気候で夏は冷涼である。 県内全域が豪雪地帯に指定されているものの、降雪量には地域差が大きい。西和賀町と八幡平市は降雪量がかなり多く、特別豪雪地帯に指定されている。奥羽山脈沿いは、降雪量が多く雪質も良いため、いくつかのスキー場でスキーやスノーボードの国際大会や国内大会が開かれることもある。一方、沿岸部に位置する宮古市、大船渡市などは降雪量が少ない。 太平洋側の盆地である北上盆地は、冬季の西高東低の気圧配置になると奥羽山脈が「壁」の役割をはたして晴天になることが多い。そのため、放射冷却によって早朝の最低気温が低くなる。北上盆地に位置する盛岡市は、より北に位置する札幌市や青森市などの都道府県庁所在地よりも最低気温を下回ることが多く、都道府県庁所在地で最寒都市である日が多い。実際、北上盆地の各都市(盛岡市、花巻市、北上市、奥州市)は今でも厳冬期に気温が-15°C前後まで下がることは珍しくない。しかし、冬季の深夜・早朝は市街地と郊外の気温差が非常に大きく、盛岡、北上、一関を中心にヒートアイランド現象が顕著に見られる。 北上盆地の夏は、フェーン現象の影響で、南にある仙台市よりも最高気温が高いことがしばしばあるが、沿岸部は仙台市と同様の気候となることが多い。 国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、岩手県の面積は15,275.01平方キロメートルである。 岩手県の東西南北それぞれの端は以下の位置である。東端は魹ヶ崎(本州最東端)、西端は黒森峠の北東約2km、南端はJR東日本東北本線油島駅の東南東約6.7km、北端はJR東日本八戸線角の浜駅の北約1kmである。加えて、重心も併記する。また総務省統計局の平成27年国勢調査によると、人口重心は紫波郡紫波町佐比内字砥ケ崎にある。 総面積で全国2位だが、可住地面積割合が24.3%と低く全国40位で、可住地面積では全国5位に下がる(都道府県の面積一覧#2014年 面積の順位を参照)。可住地は大別して内陸部(人口100万人程度)と、沿岸部(20万人程度)の2つ。このうち、内陸部には東北新幹線・東北縦貫自動車道などの高速交通インフラが整っているが、その他の地域ではインフラが未発達で、地域間移動は国道や在来線レベルに留まっている。特に、内陸部と沿岸部を行き来するためには、一般国道・県道は急峻な峠を上り下りする道となっており、直線距離の割に、移動に大きな時間を要する結果を招いている。このような状況は、県土が多数の島によって構成されている沖縄県とも相似しており、救急医療においてはヘリコプター輸送が行われているほどである。 交通インフラの未整備に起因して、短時間で県庁にたどりつけない県民が多数存在することから、従来岩手県庁は、県内各所に「地方振興局」を設置、県の総合出先機関として機能させてきた。近年にいたって、平成の大合併で市町村数が大幅に減少したことを契機として、2006年(平成18年)4月に地方振興局の再編を実施。高速交通インフラが整った内陸部では、細かい地域圏に分割せず、県の中枢機能が集まる盛岡市広域と、県南地域との南北2分割に統合した。県南地域については、従来多くの広域生活圏の設定があったが、それらを一まとめに統合して、新たに設立した「県南広域振興局」の管轄とした。この結果、従来12だった広域生活圏は、4に減少した。 広域振興局は以下4つに分けられる。 圏域は以下9つに分けられる。 各広域振興局ごとに県内市町村を列記する。県内には14市10郡15町4村がある。「町」の読み方は、葛巻町、岩手町、西和賀町、山田町、軽米町、一戸町の6つが「まち」で、他は全て「ちょう」である。村はすべて「むら」と読む。 盛岡広域振興局管内 482,482人 県南広域振興局管内 514,132人 沿岸広域振興局管内 218,744人 県北広域振興局管内 133,932人 都市雇用圏(10 % 通勤圏)の変遷 北上市など県の南部では経済発展によって所得水準が大きく向上している。一方の内陸北部・沿岸部では目立った経済的発展がなく発展が遅れがちで、所得格差が存在している。統計資料で比較すると、県全体の平均所得が242万円なのに対し、県北の中心都市二戸市・久慈市では、190万円台にとどまり、50万円以上もの格差が存在している。岩手県庁は2006年、県北・沿岸振興本部を設置して対策に乗り出したが、南北の格差は逆に拡大傾向すら呈しており、根本的な対策が求められている。 約4万年 - 3万3000年前には、斜軸尖頭器を出土した柳沢舘遺跡(奥州市)や金取遺跡(遠野市)などが存在した。また、ハナイズミモリウシ をはじめとする動・植物化石が多量に発見された金森遺跡(一関市)などの遺跡から旧石器時代から人が住んでいたと考えられる。 古くは縄文時代より豊かな狩猟・漁労生活を実現した地だった。近年の東北学では、上代の北上川流域は蝦夷の中心地で、日高見国とも呼ばれていたという説が唱えられている(また、日高見国の名が北上川という地名や、「日本国」という国名のもととなったとも)。一方で、胆沢の角塚古墳は最北の前方後円墳であり、ヤマト王権の影響力が及ぶ北の端でもあった。 北東北地域は、律令国家の形成期である7世紀後半にはまだその支配に組み込まれておらず、蝦夷は朝廷側からは征伐の対象であった。8世紀末の38年戦争では胆沢に蝦夷の軍事指導者アテルイが現れて朝廷軍に抵抗するが、征夷大将軍に任ぜられた坂上田村麻呂によって滅ぼされる。その後北上川流域は朝廷が掌握し、蝦夷の多くが全国に強制移住させられた。残った蝦夷は、俘囚として支配体制に組み込まれ、同時に胆沢には関東地方から柵戸として入植者が入った。 11世紀までに奥六郡(現在の岩手県内陸部)を拠点として糠部(現在の青森県東部)から亘理・伊具(現在の宮城県南部)にいたる広大な地域に影響力を発揮した俘囚長の安倍氏が半独立の勢力を築いた。安倍氏は前九年の役で源頼義の率いるヤマト朝廷軍になびいた秋田仙北の俘囚主清原氏によって滅ぼされた。その清原氏も一族の内紛から後三年の役で滅び、安倍氏の血を引く奥州藤原氏が江刺郡豊田館から磐井郡平泉に拠点を移動して奥州を掌握、豊かな産金をもとに仏教を基盤とする地域支配を実現し、その平泉時代を築いた。 平泉が源頼朝に攻略され再び源氏が統治した鎌倉時代には甲斐国南部の河内地方を領した甲斐源氏の南部氏が八戸周辺に移住し、今の青森県から岩手県北及び秋田県鹿角地方にまで勢力を伸ばした。沿岸部では閉伊氏、県央部では斯波氏、稗貫氏、阿曽沼氏、和賀氏などが割拠し、県南部は葛西氏、留守氏が有力だったが、次第に福島県伊達郡に根城を置く伊達氏の勢力が浸透し、室町時代には葛西氏、留守氏は伊達の馬打ちとして事実上支配下に置かれた。 これらの諸氏は伊達氏の内紛によって再び自立するが、伊達政宗の仙台移封を機会に葛西氏は滅亡、留守氏は伊達氏の一族として組み込まれた。同じころ、安倍氏の末裔である一方井氏を母に持つ南部氏の南部信直が勢力を拡大し、南部所属の頭領として振舞うようになると、これを認めない九戸南部氏の九戸政実と争い、豊臣秀吉の知遇を得た信直は秀吉軍を招きいれて政実を滅ぼした(九戸政実の乱)。大浦氏以外の南部氏諸家を統一した信直は盛岡に拠点を移し、勢力を確立した。 江戸時代には、県の南部は概ね仙台藩伊達氏に62万石、一関藩は田村氏、水沢には留守氏(水沢伊達氏)が置かれ、北部は移封も無く盛岡藩南部氏によって20万石統治された。幕末に東北諸藩が奥羽越列藩同盟(北部政府)を作ると、現在の岩手県を支配していた伊達藩・南部藩はその中心となるが、結局敗れて明治政府によって占領された。 明治3年7月10日(1870年8月6日)、盛岡藩は財政難により廃藩置県に先立って廃藩を申し出、旧領には明治政府により盛岡県が設置された。盛岡県成立時の管轄地域は陸中国岩手郡、稗貫郡および紫波郡、和賀郡の一部のみで、新政府に敗れる前の盛岡藩より大幅に縮小された。 その後、莫大な御用金を課せられたり、旧藩を分断する県域を設定され弱体化を図られるなど敗戦の屈辱を味わう。(ただし盛岡藩の廃藩置県の折に課せられた70万両の納付は減免されている。) 以降は旧藩を問わず多くの人材を輩出。原敬が内閣総理大臣に就任するなど、近代日本国家建設に多くの功があった。また中央へ人材を輩出した。 県域は明治4年(1871年)の第1次府県統合ではほとんど変わらず、明治5年1月8日(1872年2月16日)には盛岡県から岩手県に改称、1876年(明治9年)の第2次府県統合で磐井県から胆沢郡・江刺郡・磐井郡を、青森県から二戸郡を編入したが、前者はおおむね旧仙台藩領であり、旧藩が分断された状態は是正されなかった。 1876年(明治9年)1月に最初の県議会が開かれ、5月に岩手県が成立した。県名はそれまでの県庁所在地の郡名を採って付けられた。 1889年(明治22年)に、南岩手郡盛岡が岩手県下で初めて市制施行し、盛岡市となる。1937年(昭和12年)には製鉄業によって発展した上閉伊郡釜石町が市制施行して釜石市となる。1941年(昭和16年)には下閉伊郡宮古町・山口村・千徳村・磯鶏村が合併・市制施行して宮古市となり、戦前までに3市が誕生した。 1934年(昭和9年)、極端な冷害による昭和農業恐慌が発生。欠食児童の大量発生や婦女子の身売りが相次ぎ社会問題となった。 1937年(昭和12年)2月、県内に記録的な豪雪。雪崩などによる死者・行方不明者62人以上。鉄道の運行も困難となり、盛岡保線事務所は除雪人夫1700人を動員して県内各地の除雪に当たった。 その後、1964年(昭和39年)に花巻空港が開港、1982年(昭和57年)に東北新幹線の大宮 - 盛岡間が開業して、首都圏からは約3時間、仙台からも1時間圏内(当時)となり、交通の便は改善された。これに伴って、安価で広大な土地や豊富な水などを背景に、北上市、金ケ崎町周辺を中心として工場の進出が急激に進展。関東自動車工業(現・トヨタ自動車東日本)などの自動車産業、東芝や富士通などの半導体工場、塩野義製薬など大企業の工場の進出が進み、製造品出荷額が大きな伸びを見せた。 2008年(平成20年)には、6月14日に岩手・宮城内陸地震(最大震度6強)が、7月24日に岩手県沿岸北部地震(最大震度6弱)の大地震が発生した。さらにその3年後の2011年(平成23年)3月11日、国内観測史上最大の超巨大地震となるマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震(最大震度7)が発生し、沿岸部の各地で津波による大きな被害が出た。 1995年(平成7年)以降、細川内閣(当時)の打ち出した大規模景気対策に乗って公共投資を拡大させ、その後1997年(平成9年)まで、積極投資を拡大させた。当時県知事を務めていた増田寛也は、退任後の取材に「国の財政的限界で、いずれ予算が回らなくなるのは分かっていた(中略)...東北新幹線や花巻空港、釜石自動車道など(骨格的な事業)は、先にやってしまおうと思った」と答えている。結果的には彼の読み通り、小泉内閣が発足した2001年(平成13年)以降、公共投資予算は年10%以上の割合で急速に縮減され、財政再建に大きく舵を切った。 県自らも、県議会での質問に答える形で、財政悪化の原因について自己分析している(→増田寛也#公共投資など参照)。 衆議院の小選挙区が3。参議院では、全県で1区を構成。 かつては産業がほとんどない事を自称していたが、東北新幹線や東北縦貫自動車道などの整備に伴って、企業の誘致が進んでいる。企業の誘致には、法人道府県民税収や、法人事業税、従業員からの住民税収、関連企業による経済波及効果などで大きな税源涵養が見込まれることから、全国の自治体が誘致にしのぎを削っている。岩手県もこの例に漏れず、誘致に腐心しており、これまでにトヨタ自動車系の生産工場、東芝のフラッシュメモリ工場、富士通などを誘致した。こうした奏功から、1995年(平成7年)以降は製造品出荷額が伸びを示し、47都道府県中、県民所得は40位台後半から、38位にまで改善した。東北6県で見ると、福島県、宮城県、山形県に続く数字である。 特に自動車産業については、トヨタ自動車が東北地方を新たに生産拠点と位置付けており、今後とも一層の誘致が見込まれる産業分野である。 さらに、近年は国際リニアコライダーを軸とした国際学術研究都市構想を表明している。 貯蓄率が極めて高いことで知られる。地方の県としては珍しく、県内に3行の地方銀行(第二地銀を含む)を持ち、保有する金融資産は4兆円以上に達する。県民の貯蓄率は39%で、東北地方平均の25%、全国平均の16.5%を大きく上回り、東北では宮城県に次いで2位、全国でも9位の高率を保つ。 2006年(平成18年)農林水産統計によると、農業産出額は2,544億円。食料自給率は106%であり、北海道や青森県、秋田県、山形県などとともに、自給率100%を超える数少ない県の一つである。広大な面積と、山岳に囲まれた地形のため、地域によって気候が大きく異なる所があり、特性に応じてさまざまな形態の農業が営まれている。コメの品種は「ひとめぼれ」などが多かったが、2000年代以降県内の気候に適した2品種「銀河のしずく」と「金色の風」を相次いで投入した。米以外の穀物では花巻市を中心に雑穀の生産が有名。畜産も盛んでありブランド牛肉である前沢牛のほか、青森県との境に近い北部を中心にブロイラーの生産が盛んであり、九州南部に次ぐ大産地となっている。かつての北上山地では焼畑農業が盛んであったため、これが後述のアカマツの多さなどほかの産業にも影響を与えていると見られている。 林業では幹が通直で高品質なアカマツが有名で県の木としても指定されている。特に北上山地や三陸沿岸北部のアカマツは品質が高く南部赤松と呼ばれ、秋田のスギや青森のヒバと並ぶ北東北のブランド木材である。アカマツが多いことからアカマツと共生するマツタケの出荷も多く、2010年代以降は長野県と並ぶ2大産地の一つとなっている。一方でアカマツの致死性の伝染病であるマツ材線虫病(松くい虫)の北限地域であり徐々に被害が拡大していることから影響が懸念されている。住宅構造の変化により梁や柱を見せなくなったことや伝染病の流行により高級アカマツ材の市場が減少していることなどから、尾根沿いにはアカマツではなくカラマツを植えることも増えてきている。全国的に高級木材として知られるヒノキは天然分布せず、寒冷地であり漏脂病という致命的な病気のリスクが高いことから沿岸南部を除いて植栽されることもない。 アカマツ以外にはミズナラを中心としたブナ科広葉樹による木炭の生産でも知られ、木炭では特に黒炭の生産量が全国一である。こちらもナラ枯れと呼ばれるミズナラに致死性の伝染病が県内でも確認されている。県北部の二戸市(旧:浄法寺町)ではウルシの栽培が盛んで樹液を精製した漆の国内最大の産地となっている。県が木質バイオマス事業などの自然エネルギー活用に熱心なこともあって、生産高188億円(2005年(平成17年))と、全国5位の数字を出している。 農林関係の国の研究機関が立地していることでも知られ、農林水産省管轄の東北農業研究センター、森林総合研究所東北支所はいずれも盛岡市郊外にある。 水産業では、三陸海岸周辺が、黒潮による豊かな漁場として知られている。リアス式海岸の岩礁は、ワカメや海苔といった海藻類の養殖にも適しており、ワカメとあわびの養殖で、生産高全国1位の規模を持つ。カキ(牡蛎)やホヤの養殖も盛ん。珍しいものでは陸前高田市広田湾におけるエゾイシカゲガイ養殖が知られる。流通量が少なく高値で取引される。 製造品出荷額は2兆1000億円で、東北地方では福島県(全国順位19位)、宮城県(同24位)、山形県(同28位)に次いで4位(同31位)である。 長らく主要な産業が新日本製鐵(現:日本製鉄)釜石製鉄所(釜石市)、太平洋セメント大船渡工場(大船渡市)ほどしかなく、政府の救済策を求めたこともあったが、1982年(昭和57年)に東北新幹線大宮・盛岡間が開業すると、企業誘致が徐々に進展した。1993年(平成5年)に関東自動車工業(金ケ崎町)(現・トヨタ自動車東日本岩手工場)が進出して以来、製造業は大きく進展し、県民所得は全国40番台後半から、30番台まで向上した。このほか、県南には富士通や塩野義製薬、東芝などの工場が立地する。 特に、2008年(平成20年)2月に決定された東芝・フラッシュメモリ工場の北上市への建設は、波及効果を合わせると1兆円程度の経済効果があるとされ、県は法人事業税減免や低利融資などを通じて、これを後押しするとしている。東芝が「行政からの融資措置だけでなく、質の高い人材の確保が容易なことが決め手になった」とし、「金のかからない新しい産業誘致モデル」として注目された。工場新設に当たって、北上市はこれまでに蓄積した企業誘致と合わせて、法人市民税、固定資産税の大きな増収が見込まれることから、国から地方交付税の交付を受けない「不交付団体」への昇格を果たすことになった。岩手県では、かつて製鉄業が隆盛を極めていた時代に釜石市が不交付団体となっていた前例があり、「それに次ぐ快挙」(2008年(平成20年)2月・岩手県知事定例記者会見)と評された。 自動車産業に関しては、トヨタ自動車が、東北地方を新たな生産拠点とする意向を示しており、すでに金ケ崎町に立地する自動車工場も、現行より10万台増の25万台生産規模まで拡大されることが決まっている。自動車関連産業の集積を進めるため、岩手県は、トヨタ自動車東日本が進出している宮城県や山形県、福島県などと連携して、今後も誘致活動を展開していくとしている。 観光業の振興に腐心している。2007年(平成19年)には、盛岡市を舞台にしたNHK連続テレビ小説「どんど晴れ」が放映され、盛岡さんさ踊りに訪れた観光客が8.7%増えて128万3000人となり、一定の効果が上がっている。2011年(平成23年)には、奥州藤原氏の栄華の遺産「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」(平泉町)が世界遺産(文化遺産)に登録された。 県庁所在地の盛岡市は、県内のみならず北東北の広域交通網を束ねる拠点として機能しており、新幹線に接続して北東北各地への高速バスが多数発着するほか、盛岡駅では東北新幹線「はやぶさ」と秋田新幹線「こまち」の分割・併合も実施している。 岩手県の鉄道網は充実しており、県内の鉄道の総延長は1,000kmを超え、都道府県別では北海道、東京都に次いで第3位である。 県北の軽米町、葛巻町、九戸村以外の全ての自治体に鉄道またはBRTが存在する。 東北新幹線で、首都圏や仙台、青森と結ばれる。その停車駅でもある盛岡駅は県庁所在地にあり、複数の路線が接続するなど拠点性を有している。 旧国鉄のJR東日本のほか、新幹線の新規開業に伴う並行在来線として分離した第三セクター鉄道のIGRいわて銀河鉄道および、旧国鉄の既設線および予定線を承継した三陸鉄道がある。 東日本大震災や新型コロナウイルスによる影響で利用者が著しく減少しており、東北本線や田沢湖線以外の殆どの路線は輸送密度が1,000人を下回っている。既に岩泉線については事業者より廃止届が提出され、2014年4月1日をもって廃止されバスに転換された。 貨物扱いについては、盛岡貨物ターミナル駅(盛岡市都南地区及び紫波郡矢巾町)および水沢駅(奥州市水沢地区)が貨物駅となっている。 県内のその他の路線は下記を参照。なお、普通列車の運転頻度は盛岡市内近郊の区間を除いて毎時1本以下である。また、県内における営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。 沿岸部と内陸部(特に対北部)を結ぶ鉄道のダイヤが極端に少ないため、公共交通による県域横断の手段としては長距離バスが主力になっている。 内陸部の縦軸の交通には、東北縦貫自動車道、国道4号など、自動車を用いた高速交通インフラが整っている。その反面、内陸部と沿岸を結ぶ「横軸」の交通は、いまだ急勾配・急カーブの一般国道レベル(国道106号など)に留まっている。また、道路の舗装率も低く全国最下位である。なお、盛岡市内は道路が入り組んでいることと外環状バイパス道路の整備が不十分であることから、特に朝夕の混雑が激しい。 秋田県秋田市とは、仙岩道路(国道46号バイパス)で結ばれており、トンネルや橋梁の整備で比較的スムーズな移動が可能である。また地域高規格道路である盛岡秋田道路が整備中で橋場バイパス、角館バイパスが一部供用中である。 高速道路については首都圏を除いた政令指定都市を抱えていない県では唯一100km/hを超えて走行可能である。 運輸支局は、広大な県土に対し紫波郡矢巾町所在の本局1箇所のみであり、配下の車両検査事務所は存在しない。 県内で登録される自動車のナンバープレートの地名表記は「岩手」であるが、2014年11月17日より盛岡地域(盛岡市、八幡平市、滝沢市、紫波町、矢巾町)において「盛岡」ナンバー、胆江・両磐地域(奥州市、一関市、金ケ崎町、平泉町)において「平泉」ナンバーの使用が開始された。 ※ご当地ナンバーも参照。 重要港湾および主な関連施設を以下に列挙する。 災害拠点病院 保育所 高校進学率は98.4%と、全国平均を上回るが、大学進学率が逆に10%以上低い。私立学校の数が少ないため、公立学校が圧倒的な比重を占めている。 なお、首都圏の大学に進学すると費用が高額に上りがちなことから、その対策として、当初は看護系単科大学となる予定だった岩手県立大学を、総合大学に路線変更したこともある。 2009年に一関市の一関第一高等学校に付属中学を設置し、リーダー育成を主眼とした中高一貫教育にも取り組んでいる。 全国紙は全て東京本社発行の紙面となる。なお地域ニュース面は読売・朝日・毎日は岩手面だが、産経・日経・河北は岩手単独ではなく東北6県版として掲載。スポーツ紙(スポーツニッポン・日刊スポーツ・スポーツ報知・サンケイスポーツ)の地域ニュース面は全紙が岩手単独ではなく東北6県版となっている。 ラテ欄 テレビは、朝日・毎日・読売は在盛(盛岡に所在)局を中心に掲載。それ以外は、青森・秋田・岩手の「北東北」3県をまとめて一つの版とする新聞が多い。ただし青森・秋田は民放3局に対し、岩手は民放が4局存在するため、スペースの都合上、岩手の放送局は一列に並ばず、一部局が下段に下げられる、あるいはいわゆる「ハーフサイズ」で掲載する新聞もある。ラジオは、東北各県のAM・FMを掲載している新聞が多いが、聴取困難な福島県の放送局は割愛される場合もある。 県内の民間放送局が2局しか無かったころは、仙台放送や東日本放送を中心に宮城県の民間放送局の再送信が行われていたが、民間放送局が4局揃った現在では再送信は全て中止されている。 岩手県の方言研究は、南部藩士である服部武喬が1790年(寛政2年)に著した『御国通辞』において黎明とされる。『御国通辞』では主に日常的に使用される語彙567語を、江戸語の「こほる(凍る)」と盛岡方言の「しみる」に対応させて挙げ連ねる形をとっている。服部武喬前後の研究として、黒川盛隆の『谷の下水(1799年)』と小本村司の『杜陵方言考(1877年)』があり、いずれも語彙集である。 1903年(明治36年)に国語調査委員会の方言調査が実施されたのをきっかけに、各地域の学校・個人による調査・研究が盛んに行なわれた。大きく2地域から4地域に分けられるとされ、4地域に分ける場合、洋野町から西和賀町まで秋田・青森県に隣接する帯状の北部方言地域、久慈市沿岸から釜石市北部までの沿岸方言地域、盛岡を中心に遠野市中部・北上市北部までの中部方言地方、横は金ケ崎町から大船渡市までの南部方言地方となる。 郷土料理 名産品・料理 伝統工芸品 岩手県ではプロ野球選手やメジャーリーガーを多数輩出していて、大谷翔平(ロサンゼルスエンゼルス)、菊池雄星(トロントブルージェイズ)、佐々木郎希(千葉ロッテマリーンズ)らを輩出している。 広く県民に敬愛され、県民に明るい希望と活力を与えることに顕著な業績があった者について、その栄誉を讃えることを目的とする。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "岩手県(いわてけん)は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は盛岡市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "東北地方の北部(北東北)に所在し、北は青森県、西は秋田県、南は宮城県と境界を接している。面積は15,275.01kmで、日本の都道府県としては、北海道に次いで2番目に広い。県の人口およそ120万人のうち、100万人以上(8割強)は内陸部の北上盆地に集中し、沿岸部は平地が少なく小都市が点在する。北上盆地と沿岸部の他は、大半が山地や丘陵地である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "江戸時代初期は、現在の岩手県の前身にあたる地域は南部藩の一部と伊達藩の一部で構成されていた(このため県内において、呼称としての「南部」は地理的な意味とは逆に県北部を指す場合がある)。また、岩手県内で陸前に該当する地域は釜石以南の三陸地方のみである。南部(県北)地域は陸中に当たる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "「岩手」の名称は、県庁の置かれた盛岡市の所属郡名「岩手郡」に由来する。その起源については、「住民の悪鬼追討の祈りに対し、人々の信仰を集めて『三ツ石さま』と呼ばれていた大岩(三ツ石の神、現:三ツ石神社)がそれを懲罰し、二度とこの地を荒らさないという鬼の確約を岩の上に手形で残させた」という故事に倣うとされる。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "また、「岩手」の名が文献に登場するのは、「みちのくから都に献上された鷹を、帝がたいそう気に入り、鷹に慣れた大納言に預けたが、取り逃がしてしまった」という大和物語の一説の鷹の名「岩手」が初めてだといわれている。帝は、岩手を失った悲しみを「言わないことが言うことより気持ちが勝る」の意味で、「岩手=言はで」に掛け「いはでおもふぞいふにまされる」と詠じたという。この表現は、古今和歌集の中からの本歌取りである。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1872年の発足以降現在に至るまで正式には「岩手県」であるが、明治・大正期には「巌手縣」や「巖手県」の表記も行われ、県報には「巌手県報」の題字が使用されるなど、両方が併用されていた。「岩手県」に一本化されたのは1923年9月22日で、「岩手県報 第847号」に「縣名ノ文字ニ關スル件」が公示され「岩手県」を正式名としている。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "内陸部は年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。内陸北部や高原地帯は湿潤大陸性気候に属し、寒さが非常に厳しい。特に藪川は冬季に-30°C近くまで冷え込むこともある本州最寒地として有名である。沿岸部は海洋性気候で夏は冷涼である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "県内全域が豪雪地帯に指定されているものの、降雪量には地域差が大きい。西和賀町と八幡平市は降雪量がかなり多く、特別豪雪地帯に指定されている。奥羽山脈沿いは、降雪量が多く雪質も良いため、いくつかのスキー場でスキーやスノーボードの国際大会や国内大会が開かれることもある。一方、沿岸部に位置する宮古市、大船渡市などは降雪量が少ない。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "太平洋側の盆地である北上盆地は、冬季の西高東低の気圧配置になると奥羽山脈が「壁」の役割をはたして晴天になることが多い。そのため、放射冷却によって早朝の最低気温が低くなる。北上盆地に位置する盛岡市は、より北に位置する札幌市や青森市などの都道府県庁所在地よりも最低気温を下回ることが多く、都道府県庁所在地で最寒都市である日が多い。実際、北上盆地の各都市(盛岡市、花巻市、北上市、奥州市)は今でも厳冬期に気温が-15°C前後まで下がることは珍しくない。しかし、冬季の深夜・早朝は市街地と郊外の気温差が非常に大きく、盛岡、北上、一関を中心にヒートアイランド現象が顕著に見られる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "北上盆地の夏は、フェーン現象の影響で、南にある仙台市よりも最高気温が高いことがしばしばあるが、沿岸部は仙台市と同様の気候となることが多い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、岩手県の面積は15,275.01平方キロメートルである。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "岩手県の東西南北それぞれの端は以下の位置である。東端は魹ヶ崎(本州最東端)、西端は黒森峠の北東約2km、南端はJR東日本東北本線油島駅の東南東約6.7km、北端はJR東日本八戸線角の浜駅の北約1kmである。加えて、重心も併記する。また総務省統計局の平成27年国勢調査によると、人口重心は紫波郡紫波町佐比内字砥ケ崎にある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "総面積で全国2位だが、可住地面積割合が24.3%と低く全国40位で、可住地面積では全国5位に下がる(都道府県の面積一覧#2014年 面積の順位を参照)。可住地は大別して内陸部(人口100万人程度)と、沿岸部(20万人程度)の2つ。このうち、内陸部には東北新幹線・東北縦貫自動車道などの高速交通インフラが整っているが、その他の地域ではインフラが未発達で、地域間移動は国道や在来線レベルに留まっている。特に、内陸部と沿岸部を行き来するためには、一般国道・県道は急峻な峠を上り下りする道となっており、直線距離の割に、移動に大きな時間を要する結果を招いている。このような状況は、県土が多数の島によって構成されている沖縄県とも相似しており、救急医療においてはヘリコプター輸送が行われているほどである。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "交通インフラの未整備に起因して、短時間で県庁にたどりつけない県民が多数存在することから、従来岩手県庁は、県内各所に「地方振興局」を設置、県の総合出先機関として機能させてきた。近年にいたって、平成の大合併で市町村数が大幅に減少したことを契機として、2006年(平成18年)4月に地方振興局の再編を実施。高速交通インフラが整った内陸部では、細かい地域圏に分割せず、県の中枢機能が集まる盛岡市広域と、県南地域との南北2分割に統合した。県南地域については、従来多くの広域生活圏の設定があったが、それらを一まとめに統合して、新たに設立した「県南広域振興局」の管轄とした。この結果、従来12だった広域生活圏は、4に減少した。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "広域振興局は以下4つに分けられる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "圏域は以下9つに分けられる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "各広域振興局ごとに県内市町村を列記する。県内には14市10郡15町4村がある。「町」の読み方は、葛巻町、岩手町、西和賀町、山田町、軽米町、一戸町の6つが「まち」で、他は全て「ちょう」である。村はすべて「むら」と読む。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "盛岡広域振興局管内 482,482人", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "県南広域振興局管内 514,132人", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "沿岸広域振興局管内 218,744人", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "県北広域振興局管内 133,932人", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "都市雇用圏(10 % 通勤圏)の変遷", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "北上市など県の南部では経済発展によって所得水準が大きく向上している。一方の内陸北部・沿岸部では目立った経済的発展がなく発展が遅れがちで、所得格差が存在している。統計資料で比較すると、県全体の平均所得が242万円なのに対し、県北の中心都市二戸市・久慈市では、190万円台にとどまり、50万円以上もの格差が存在している。岩手県庁は2006年、県北・沿岸振興本部を設置して対策に乗り出したが、南北の格差は逆に拡大傾向すら呈しており、根本的な対策が求められている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "約4万年 - 3万3000年前には、斜軸尖頭器を出土した柳沢舘遺跡(奥州市)や金取遺跡(遠野市)などが存在した。また、ハナイズミモリウシ をはじめとする動・植物化石が多量に発見された金森遺跡(一関市)などの遺跡から旧石器時代から人が住んでいたと考えられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "古くは縄文時代より豊かな狩猟・漁労生活を実現した地だった。近年の東北学では、上代の北上川流域は蝦夷の中心地で、日高見国とも呼ばれていたという説が唱えられている(また、日高見国の名が北上川という地名や、「日本国」という国名のもととなったとも)。一方で、胆沢の角塚古墳は最北の前方後円墳であり、ヤマト王権の影響力が及ぶ北の端でもあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "北東北地域は、律令国家の形成期である7世紀後半にはまだその支配に組み込まれておらず、蝦夷は朝廷側からは征伐の対象であった。8世紀末の38年戦争では胆沢に蝦夷の軍事指導者アテルイが現れて朝廷軍に抵抗するが、征夷大将軍に任ぜられた坂上田村麻呂によって滅ぼされる。その後北上川流域は朝廷が掌握し、蝦夷の多くが全国に強制移住させられた。残った蝦夷は、俘囚として支配体制に組み込まれ、同時に胆沢には関東地方から柵戸として入植者が入った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "11世紀までに奥六郡(現在の岩手県内陸部)を拠点として糠部(現在の青森県東部)から亘理・伊具(現在の宮城県南部)にいたる広大な地域に影響力を発揮した俘囚長の安倍氏が半独立の勢力を築いた。安倍氏は前九年の役で源頼義の率いるヤマト朝廷軍になびいた秋田仙北の俘囚主清原氏によって滅ぼされた。その清原氏も一族の内紛から後三年の役で滅び、安倍氏の血を引く奥州藤原氏が江刺郡豊田館から磐井郡平泉に拠点を移動して奥州を掌握、豊かな産金をもとに仏教を基盤とする地域支配を実現し、その平泉時代を築いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "平泉が源頼朝に攻略され再び源氏が統治した鎌倉時代には甲斐国南部の河内地方を領した甲斐源氏の南部氏が八戸周辺に移住し、今の青森県から岩手県北及び秋田県鹿角地方にまで勢力を伸ばした。沿岸部では閉伊氏、県央部では斯波氏、稗貫氏、阿曽沼氏、和賀氏などが割拠し、県南部は葛西氏、留守氏が有力だったが、次第に福島県伊達郡に根城を置く伊達氏の勢力が浸透し、室町時代には葛西氏、留守氏は伊達の馬打ちとして事実上支配下に置かれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "これらの諸氏は伊達氏の内紛によって再び自立するが、伊達政宗の仙台移封を機会に葛西氏は滅亡、留守氏は伊達氏の一族として組み込まれた。同じころ、安倍氏の末裔である一方井氏を母に持つ南部氏の南部信直が勢力を拡大し、南部所属の頭領として振舞うようになると、これを認めない九戸南部氏の九戸政実と争い、豊臣秀吉の知遇を得た信直は秀吉軍を招きいれて政実を滅ぼした(九戸政実の乱)。大浦氏以外の南部氏諸家を統一した信直は盛岡に拠点を移し、勢力を確立した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "江戸時代には、県の南部は概ね仙台藩伊達氏に62万石、一関藩は田村氏、水沢には留守氏(水沢伊達氏)が置かれ、北部は移封も無く盛岡藩南部氏によって20万石統治された。幕末に東北諸藩が奥羽越列藩同盟(北部政府)を作ると、現在の岩手県を支配していた伊達藩・南部藩はその中心となるが、結局敗れて明治政府によって占領された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "明治3年7月10日(1870年8月6日)、盛岡藩は財政難により廃藩置県に先立って廃藩を申し出、旧領には明治政府により盛岡県が設置された。盛岡県成立時の管轄地域は陸中国岩手郡、稗貫郡および紫波郡、和賀郡の一部のみで、新政府に敗れる前の盛岡藩より大幅に縮小された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "その後、莫大な御用金を課せられたり、旧藩を分断する県域を設定され弱体化を図られるなど敗戦の屈辱を味わう。(ただし盛岡藩の廃藩置県の折に課せられた70万両の納付は減免されている。) 以降は旧藩を問わず多くの人材を輩出。原敬が内閣総理大臣に就任するなど、近代日本国家建設に多くの功があった。また中央へ人材を輩出した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "県域は明治4年(1871年)の第1次府県統合ではほとんど変わらず、明治5年1月8日(1872年2月16日)には盛岡県から岩手県に改称、1876年(明治9年)の第2次府県統合で磐井県から胆沢郡・江刺郡・磐井郡を、青森県から二戸郡を編入したが、前者はおおむね旧仙台藩領であり、旧藩が分断された状態は是正されなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "1876年(明治9年)1月に最初の県議会が開かれ、5月に岩手県が成立した。県名はそれまでの県庁所在地の郡名を採って付けられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "1889年(明治22年)に、南岩手郡盛岡が岩手県下で初めて市制施行し、盛岡市となる。1937年(昭和12年)には製鉄業によって発展した上閉伊郡釜石町が市制施行して釜石市となる。1941年(昭和16年)には下閉伊郡宮古町・山口村・千徳村・磯鶏村が合併・市制施行して宮古市となり、戦前までに3市が誕生した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "1934年(昭和9年)、極端な冷害による昭和農業恐慌が発生。欠食児童の大量発生や婦女子の身売りが相次ぎ社会問題となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1937年(昭和12年)2月、県内に記録的な豪雪。雪崩などによる死者・行方不明者62人以上。鉄道の運行も困難となり、盛岡保線事務所は除雪人夫1700人を動員して県内各地の除雪に当たった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "その後、1964年(昭和39年)に花巻空港が開港、1982年(昭和57年)に東北新幹線の大宮 - 盛岡間が開業して、首都圏からは約3時間、仙台からも1時間圏内(当時)となり、交通の便は改善された。これに伴って、安価で広大な土地や豊富な水などを背景に、北上市、金ケ崎町周辺を中心として工場の進出が急激に進展。関東自動車工業(現・トヨタ自動車東日本)などの自動車産業、東芝や富士通などの半導体工場、塩野義製薬など大企業の工場の進出が進み、製造品出荷額が大きな伸びを見せた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "2008年(平成20年)には、6月14日に岩手・宮城内陸地震(最大震度6強)が、7月24日に岩手県沿岸北部地震(最大震度6弱)の大地震が発生した。さらにその3年後の2011年(平成23年)3月11日、国内観測史上最大の超巨大地震となるマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震(最大震度7)が発生し、沿岸部の各地で津波による大きな被害が出た。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "1995年(平成7年)以降、細川内閣(当時)の打ち出した大規模景気対策に乗って公共投資を拡大させ、その後1997年(平成9年)まで、積極投資を拡大させた。当時県知事を務めていた増田寛也は、退任後の取材に「国の財政的限界で、いずれ予算が回らなくなるのは分かっていた(中略)...東北新幹線や花巻空港、釜石自動車道など(骨格的な事業)は、先にやってしまおうと思った」と答えている。結果的には彼の読み通り、小泉内閣が発足した2001年(平成13年)以降、公共投資予算は年10%以上の割合で急速に縮減され、財政再建に大きく舵を切った。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "県自らも、県議会での質問に答える形で、財政悪化の原因について自己分析している(→増田寛也#公共投資など参照)。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区が3。参議院では、全県で1区を構成。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "かつては産業がほとんどない事を自称していたが、東北新幹線や東北縦貫自動車道などの整備に伴って、企業の誘致が進んでいる。企業の誘致には、法人道府県民税収や、法人事業税、従業員からの住民税収、関連企業による経済波及効果などで大きな税源涵養が見込まれることから、全国の自治体が誘致にしのぎを削っている。岩手県もこの例に漏れず、誘致に腐心しており、これまでにトヨタ自動車系の生産工場、東芝のフラッシュメモリ工場、富士通などを誘致した。こうした奏功から、1995年(平成7年)以降は製造品出荷額が伸びを示し、47都道府県中、県民所得は40位台後半から、38位にまで改善した。東北6県で見ると、福島県、宮城県、山形県に続く数字である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "特に自動車産業については、トヨタ自動車が東北地方を新たに生産拠点と位置付けており、今後とも一層の誘致が見込まれる産業分野である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "さらに、近年は国際リニアコライダーを軸とした国際学術研究都市構想を表明している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "貯蓄率が極めて高いことで知られる。地方の県としては珍しく、県内に3行の地方銀行(第二地銀を含む)を持ち、保有する金融資産は4兆円以上に達する。県民の貯蓄率は39%で、東北地方平均の25%、全国平均の16.5%を大きく上回り、東北では宮城県に次いで2位、全国でも9位の高率を保つ。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "2006年(平成18年)農林水産統計によると、農業産出額は2,544億円。食料自給率は106%であり、北海道や青森県、秋田県、山形県などとともに、自給率100%を超える数少ない県の一つである。広大な面積と、山岳に囲まれた地形のため、地域によって気候が大きく異なる所があり、特性に応じてさまざまな形態の農業が営まれている。コメの品種は「ひとめぼれ」などが多かったが、2000年代以降県内の気候に適した2品種「銀河のしずく」と「金色の風」を相次いで投入した。米以外の穀物では花巻市を中心に雑穀の生産が有名。畜産も盛んでありブランド牛肉である前沢牛のほか、青森県との境に近い北部を中心にブロイラーの生産が盛んであり、九州南部に次ぐ大産地となっている。かつての北上山地では焼畑農業が盛んであったため、これが後述のアカマツの多さなどほかの産業にも影響を与えていると見られている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "林業では幹が通直で高品質なアカマツが有名で県の木としても指定されている。特に北上山地や三陸沿岸北部のアカマツは品質が高く南部赤松と呼ばれ、秋田のスギや青森のヒバと並ぶ北東北のブランド木材である。アカマツが多いことからアカマツと共生するマツタケの出荷も多く、2010年代以降は長野県と並ぶ2大産地の一つとなっている。一方でアカマツの致死性の伝染病であるマツ材線虫病(松くい虫)の北限地域であり徐々に被害が拡大していることから影響が懸念されている。住宅構造の変化により梁や柱を見せなくなったことや伝染病の流行により高級アカマツ材の市場が減少していることなどから、尾根沿いにはアカマツではなくカラマツを植えることも増えてきている。全国的に高級木材として知られるヒノキは天然分布せず、寒冷地であり漏脂病という致命的な病気のリスクが高いことから沿岸南部を除いて植栽されることもない。 アカマツ以外にはミズナラを中心としたブナ科広葉樹による木炭の生産でも知られ、木炭では特に黒炭の生産量が全国一である。こちらもナラ枯れと呼ばれるミズナラに致死性の伝染病が県内でも確認されている。県北部の二戸市(旧:浄法寺町)ではウルシの栽培が盛んで樹液を精製した漆の国内最大の産地となっている。県が木質バイオマス事業などの自然エネルギー活用に熱心なこともあって、生産高188億円(2005年(平成17年))と、全国5位の数字を出している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "農林関係の国の研究機関が立地していることでも知られ、農林水産省管轄の東北農業研究センター、森林総合研究所東北支所はいずれも盛岡市郊外にある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "水産業では、三陸海岸周辺が、黒潮による豊かな漁場として知られている。リアス式海岸の岩礁は、ワカメや海苔といった海藻類の養殖にも適しており、ワカメとあわびの養殖で、生産高全国1位の規模を持つ。カキ(牡蛎)やホヤの養殖も盛ん。珍しいものでは陸前高田市広田湾におけるエゾイシカゲガイ養殖が知られる。流通量が少なく高値で取引される。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "製造品出荷額は2兆1000億円で、東北地方では福島県(全国順位19位)、宮城県(同24位)、山形県(同28位)に次いで4位(同31位)である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "長らく主要な産業が新日本製鐵(現:日本製鉄)釜石製鉄所(釜石市)、太平洋セメント大船渡工場(大船渡市)ほどしかなく、政府の救済策を求めたこともあったが、1982年(昭和57年)に東北新幹線大宮・盛岡間が開業すると、企業誘致が徐々に進展した。1993年(平成5年)に関東自動車工業(金ケ崎町)(現・トヨタ自動車東日本岩手工場)が進出して以来、製造業は大きく進展し、県民所得は全国40番台後半から、30番台まで向上した。このほか、県南には富士通や塩野義製薬、東芝などの工場が立地する。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "特に、2008年(平成20年)2月に決定された東芝・フラッシュメモリ工場の北上市への建設は、波及効果を合わせると1兆円程度の経済効果があるとされ、県は法人事業税減免や低利融資などを通じて、これを後押しするとしている。東芝が「行政からの融資措置だけでなく、質の高い人材の確保が容易なことが決め手になった」とし、「金のかからない新しい産業誘致モデル」として注目された。工場新設に当たって、北上市はこれまでに蓄積した企業誘致と合わせて、法人市民税、固定資産税の大きな増収が見込まれることから、国から地方交付税の交付を受けない「不交付団体」への昇格を果たすことになった。岩手県では、かつて製鉄業が隆盛を極めていた時代に釜石市が不交付団体となっていた前例があり、「それに次ぐ快挙」(2008年(平成20年)2月・岩手県知事定例記者会見)と評された。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "自動車産業に関しては、トヨタ自動車が、東北地方を新たな生産拠点とする意向を示しており、すでに金ケ崎町に立地する自動車工場も、現行より10万台増の25万台生産規模まで拡大されることが決まっている。自動車関連産業の集積を進めるため、岩手県は、トヨタ自動車東日本が進出している宮城県や山形県、福島県などと連携して、今後も誘致活動を展開していくとしている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "観光業の振興に腐心している。2007年(平成19年)には、盛岡市を舞台にしたNHK連続テレビ小説「どんど晴れ」が放映され、盛岡さんさ踊りに訪れた観光客が8.7%増えて128万3000人となり、一定の効果が上がっている。2011年(平成23年)には、奥州藤原氏の栄華の遺産「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」(平泉町)が世界遺産(文化遺産)に登録された。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "県庁所在地の盛岡市は、県内のみならず北東北の広域交通網を束ねる拠点として機能しており、新幹線に接続して北東北各地への高速バスが多数発着するほか、盛岡駅では東北新幹線「はやぶさ」と秋田新幹線「こまち」の分割・併合も実施している。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "岩手県の鉄道網は充実しており、県内の鉄道の総延長は1,000kmを超え、都道府県別では北海道、東京都に次いで第3位である。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "県北の軽米町、葛巻町、九戸村以外の全ての自治体に鉄道またはBRTが存在する。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "東北新幹線で、首都圏や仙台、青森と結ばれる。その停車駅でもある盛岡駅は県庁所在地にあり、複数の路線が接続するなど拠点性を有している。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "旧国鉄のJR東日本のほか、新幹線の新規開業に伴う並行在来線として分離した第三セクター鉄道のIGRいわて銀河鉄道および、旧国鉄の既設線および予定線を承継した三陸鉄道がある。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "東日本大震災や新型コロナウイルスによる影響で利用者が著しく減少しており、東北本線や田沢湖線以外の殆どの路線は輸送密度が1,000人を下回っている。既に岩泉線については事業者より廃止届が提出され、2014年4月1日をもって廃止されバスに転換された。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "貨物扱いについては、盛岡貨物ターミナル駅(盛岡市都南地区及び紫波郡矢巾町)および水沢駅(奥州市水沢地区)が貨物駅となっている。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "県内のその他の路線は下記を参照。なお、普通列車の運転頻度は盛岡市内近郊の区間を除いて毎時1本以下である。また、県内における営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "沿岸部と内陸部(特に対北部)を結ぶ鉄道のダイヤが極端に少ないため、公共交通による県域横断の手段としては長距離バスが主力になっている。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "内陸部の縦軸の交通には、東北縦貫自動車道、国道4号など、自動車を用いた高速交通インフラが整っている。その反面、内陸部と沿岸を結ぶ「横軸」の交通は、いまだ急勾配・急カーブの一般国道レベル(国道106号など)に留まっている。また、道路の舗装率も低く全国最下位である。なお、盛岡市内は道路が入り組んでいることと外環状バイパス道路の整備が不十分であることから、特に朝夕の混雑が激しい。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "秋田県秋田市とは、仙岩道路(国道46号バイパス)で結ばれており、トンネルや橋梁の整備で比較的スムーズな移動が可能である。また地域高規格道路である盛岡秋田道路が整備中で橋場バイパス、角館バイパスが一部供用中である。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "高速道路については首都圏を除いた政令指定都市を抱えていない県では唯一100km/hを超えて走行可能である。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "運輸支局は、広大な県土に対し紫波郡矢巾町所在の本局1箇所のみであり、配下の車両検査事務所は存在しない。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "県内で登録される自動車のナンバープレートの地名表記は「岩手」であるが、2014年11月17日より盛岡地域(盛岡市、八幡平市、滝沢市、紫波町、矢巾町)において「盛岡」ナンバー、胆江・両磐地域(奥州市、一関市、金ケ崎町、平泉町)において「平泉」ナンバーの使用が開始された。 ※ご当地ナンバーも参照。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "重要港湾および主な関連施設を以下に列挙する。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "災害拠点病院", "title": "医療・福祉" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "保育所", "title": "医療・福祉" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "高校進学率は98.4%と、全国平均を上回るが、大学進学率が逆に10%以上低い。私立学校の数が少ないため、公立学校が圧倒的な比重を占めている。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "なお、首都圏の大学に進学すると費用が高額に上りがちなことから、その対策として、当初は看護系単科大学となる予定だった岩手県立大学を、総合大学に路線変更したこともある。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "2009年に一関市の一関第一高等学校に付属中学を設置し、リーダー育成を主眼とした中高一貫教育にも取り組んでいる。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "全国紙は全て東京本社発行の紙面となる。なお地域ニュース面は読売・朝日・毎日は岩手面だが、産経・日経・河北は岩手単独ではなく東北6県版として掲載。スポーツ紙(スポーツニッポン・日刊スポーツ・スポーツ報知・サンケイスポーツ)の地域ニュース面は全紙が岩手単独ではなく東北6県版となっている。 ラテ欄 テレビは、朝日・毎日・読売は在盛(盛岡に所在)局を中心に掲載。それ以外は、青森・秋田・岩手の「北東北」3県をまとめて一つの版とする新聞が多い。ただし青森・秋田は民放3局に対し、岩手は民放が4局存在するため、スペースの都合上、岩手の放送局は一列に並ばず、一部局が下段に下げられる、あるいはいわゆる「ハーフサイズ」で掲載する新聞もある。ラジオは、東北各県のAM・FMを掲載している新聞が多いが、聴取困難な福島県の放送局は割愛される場合もある。", "title": "報道・通信" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "県内の民間放送局が2局しか無かったころは、仙台放送や東日本放送を中心に宮城県の民間放送局の再送信が行われていたが、民間放送局が4局揃った現在では再送信は全て中止されている。", "title": "報道・通信" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "岩手県の方言研究は、南部藩士である服部武喬が1790年(寛政2年)に著した『御国通辞』において黎明とされる。『御国通辞』では主に日常的に使用される語彙567語を、江戸語の「こほる(凍る)」と盛岡方言の「しみる」に対応させて挙げ連ねる形をとっている。服部武喬前後の研究として、黒川盛隆の『谷の下水(1799年)』と小本村司の『杜陵方言考(1877年)』があり、いずれも語彙集である。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "1903年(明治36年)に国語調査委員会の方言調査が実施されたのをきっかけに、各地域の学校・個人による調査・研究が盛んに行なわれた。大きく2地域から4地域に分けられるとされ、4地域に分ける場合、洋野町から西和賀町まで秋田・青森県に隣接する帯状の北部方言地域、久慈市沿岸から釜石市北部までの沿岸方言地域、盛岡を中心に遠野市中部・北上市北部までの中部方言地方、横は金ケ崎町から大船渡市までの南部方言地方となる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "郷土料理", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "名産品・料理", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "伝統工芸品", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "岩手県ではプロ野球選手やメジャーリーガーを多数輩出していて、大谷翔平(ロサンゼルスエンゼルス)、菊池雄星(トロントブルージェイズ)、佐々木郎希(千葉ロッテマリーンズ)らを輩出している。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "広く県民に敬愛され、県民に明るい希望と活力を与えることに顕著な業績があった者について、その栄誉を讃えることを目的とする。", "title": "県民栄誉賞受賞者" } ]
岩手県(いわてけん)は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は盛岡市。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{出典の明記|date=2014年4月11日 (金) 00:07 (UTC)}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 岩手県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Konjikido-Ooido.jpg{{!}}中尊寺金色堂 覆堂 | photo1b = Jyoudogahama.jpg{{!}}浄土ヶ浜 | photo2a = Esashi-fujiharanosato.jpg{{!}}えさし藤原の郷 | photo2b = Hachimann numa 2008.jpg{{!}}八幡平 | photo3a = Ōsawa Onsen 大沢温泉.jpg{{!}}大沢温泉 | photo3b = Mt. Iwate and Morioka.jpg{{!}}岩手山と盛岡市街 | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center | space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:50%">[[中尊寺金色堂]]覆堂<td style="width:50%">[[浄土ヶ浜]]</tr><tr><td style="width:50%">[[えさし藤原の郷]]<td style="width:50%">[[八幡平]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[大沢温泉 (岩手県)|大沢温泉]]<td style="width:50%">[[岩手山]]と盛岡市街</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|岩手県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[岩手県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Iwate Prefecture.svg|70px|岩手県章]] | 都道府県章の説明 = 岩手県章 | 区分 = 県 | コード = 03000-7 | ISO 3166-2 = JP-03 | 隣接都道府県 = {{flag|青森県}}<br/>{{flag|宮城県}}<br/>{{flag|秋田県}} | 木 = [[アカマツ|ナンブアカマツ]] | 花 = [[キリ]] | 鳥 = [[キジ]] | シンボル名 = 県の魚<br />県の歌 | 歌など = [[サケ|ナンブサケ]]<br />[[岩手県民の歌]] | 郵便番号 = 020-8570 | 所在地 = 盛岡市内丸10番1号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-03|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Iwate Prefectural Government Office 20220525b.jpg|220px|岩手県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 03 Iwate prefecture.svg|320px|岩手県の位置]]{{基礎自治体位置図|03|000|image=Map of Iwate Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} '''岩手県'''(いわてけん)は、[[日本]]の[[東北地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[盛岡市]]。 == 概要 == [[東北地方]]の北部(北東北)に所在し、北は[[青森県]]、西は[[秋田県]]、南は[[宮城県]]と境界を接している。面積は{{formatnum:{{自治体面積/岩手県|岩手県}}}}[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]で<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO-title.htm|title=全国都道府県市区町村別面積調|author=国土地理院|accessdate=2014/07/17}}</ref>、日本の[[都道府県]]としては、[[北海道]]に次いで2番目に広い。県の人口およそ120万人のうち、100万人以上(8割強)は内陸部の[[北上盆地]]に集中し、沿岸部は平地が少なく小都市が点在する。北上盆地と沿岸部の他は、大半が山地や丘陵地である。 江戸時代初期は、現在の岩手県の前身にあたる地域は[[南部藩]]の一部と[[仙台藩|伊達藩]]の一部で構成されていた(このため県内において、呼称としての「南部」は地理的な意味とは逆に県北部を指す場合がある)。また、岩手県内で[[陸前国|陸前]]に該当する地域は釜石以南の[[三陸地方]]のみである。南部(県北)地域は[[陸中国|陸中]]に当たる。 == 名称 == 「岩手」の名称は、県庁の置かれた盛岡市の所属[[郡]]名「[[岩手郡]]」に由来する。その起源については、「住民の悪鬼追討の祈りに対し、人々の信仰を集めて『三ツ石さま』と呼ばれていた大岩(三ツ石の神、現:[[三ツ石神社]])がそれを懲罰し、二度とこの地を荒らさないという鬼の確約を岩の上に手形で残させた」という故事に倣うとされる。 また、「岩手」の名が文献に登場するのは、「[[陸奥国|みちのく]]から[[平安京|都]]に献上された鷹を、帝がたいそう気に入り、鷹に慣れた[[大納言]]に預けたが、取り逃がしてしまった」という[[大和物語]]の一説の鷹の名「岩手」が初めてだといわれている。帝は、岩手を失った悲しみを「言わないことが言うことより気持ちが勝る」の意味で、「岩手=言はで」に掛け「いはでおもふぞいふにまされる」と詠じたという。この表現は、[[古今和歌集]]の中からの[[本歌取り]]である。 [[1872年]]の発足以降現在に至るまで正式には「'''岩手県'''」であるが、明治・大正期には「'''巌手縣'''」や「'''巖手県'''」の表記も行われ、県報には「巌手県報」の題字が使用されるなど、両方が併用されていた<ref group="注釈">例えば県出身者の宮沢賢治が「巌手県」を使用していたことが宮沢賢治記念館が所蔵する郵便物で確認できる。</ref>。「岩手県」に一本化されたのは[[1923年]][[9月22日]]で、「岩手県報 第847号」に「縣名ノ文字ニ關スル件」が公示され「岩手県」を正式名としている<ref>[https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000216078 岩手県を「巌手県」と書いている本を見かけた。県名に「巌」の字が使われていたのはいつ頃までか。]</ref>。 == 地理・地域 == === 自然公園 === [[ファイル:Iwate-san.JPG|thumb|right|[[小岩井農場]]から見た岩手県最高峰[[岩手山]]]] [[ファイル:Kitakami River.jpg|thumb|right|[[平泉]]の[[衣川館|高館]]から見た東北最大河川の[[北上川]]]] * [[国立公園]] ** [[三陸復興国立公園]] ** [[十和田八幡平国立公園]] * [[国定公園]] ** [[早池峰国定公園]] ** [[栗駒国定公園]] * [[県立自然公園]] ** [[花巻温泉郷]]県立自然公園 ** 久慈平庭県立自然公園 ** 外山早坂高原県立自然公園 ** [[湯田温泉峡]]県立自然公園 ** 折爪[[馬仙峡]]県立自然公園 ** [[五葉山]]県立自然公園 ** [[室根高原県立自然公園]] === 地形 === * 山岳 ** [[奥羽山脈]] - [[秋田駒ヶ岳]]、[[岩手山]]、[[焼石岳]]、[[栗駒山]]、[[八幡平]] ** [[北上山地]] - [[早池峰山]]、[[室根山]]、[[五葉山]] * 高原 ** [[種山ヶ原]] * 山地・山塊 ** 北上山地、[[和賀山塊]] * 河川 ** [[北上川]]水系 - [[中津川 (岩手県)|中津川]]、[[雫石川]]、[[猿ヶ石川]]、[[胆沢川]]、[[衣川 (岩手県)|衣川]] * 湖沼 ** [[田瀬ダム|田瀬湖]] ** [[錦秋湖]] ** [[岩洞ダム|岩洞湖]] ** [[四十四田ダム|南部片富士湖]] === 気候 === 内陸部は年較差、日較差が大きい顕著な[[大陸性気候]]である。内陸北部や高原地帯は[[湿潤大陸性気候]]に属し、寒さが非常に厳しい。特に[[藪川]]は冬季に-30°C近くまで冷え込むこともある本州最寒地として有名である。沿岸部は[[海洋性気候]]で夏は冷涼である。 県内全域が[[豪雪地帯]]に指定されているものの、降雪量には地域差が大きい。[[西和賀町]]と[[八幡平市]]は降雪量がかなり多く、特別豪雪地帯に指定されている。奥羽山脈沿いは、降雪量が多く雪質も良いため、いくつかの[[スキー場]]で[[スキー]]や[[スノーボード]]の国際大会や国内大会が開かれることもある。一方、沿岸部に位置する宮古市、大船渡市などは降雪量が少ない。 太平洋側の[[盆地]]である北上盆地は、冬季の[[西高東低]]の[[気圧]]配置になると奥羽山脈が「壁」の役割をはたして晴天になることが多い。そのため、[[放射冷却]]によって早朝の[[最低気温]]が低くなる。北上盆地に位置する[[盛岡市]]は、より北に位置する[[札幌市]]や[[青森市]]などの[[都道府県庁所在地]]よりも最低気温を下回ることが多く、都道府県庁所在地で最寒都市である日が多い。実際、[[北上盆地]]の各都市([[盛岡市]]、[[花巻市]]、[[北上市]]、[[奥州市]])は今でも厳冬期に気温が-15°C前後まで下がることは珍しくない。しかし、冬季の深夜・早朝は市街地と郊外の気温差が非常に大きく、盛岡、北上、一関を中心に[[ヒートアイランド現象]]が顕著に見られる。 北上盆地の夏は、[[フェーン現象]]の影響で、南にある[[仙台市]]よりも最高気温が高いことがしばしばあるが、沿岸部は仙台市と同様の気候となることが多い。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+岩手県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="8"|三陸海岸 !colspan="5"|北部内陸 !colspan="4"|北上高地 |- !style="width:4em"|[[洋野町]]<br />[[種市町|種市]] !style="width:4em"|[[久慈市|久慈]] !style="width:4em"|[[普代村|普代]] !style="width:4em"|[[岩泉町]]<br />小本 !style="width:4em"|[[宮古市|宮古]] !style="width:4em"|[[山田町|山田]] !style="width:4em"|[[釜石市|釜石]] !style="width:4em"|[[大船渡市|大船渡]] !style="width:4em"|[[軽米町|軽米]] !style="width:4em"|[[二戸市|二戸]] !style="width:4em"|[[八幡平市]]<br />荒屋 !style="width:4em"|[[八幡平市]]<br />岩手松尾 !style="width:4em"|[[一戸町]]<br />奥中山 !style="width:4em"|[[久慈市]]<br />[[山形村 (岩手県)|山形]] !style="width:4em"|[[葛巻町|葛巻]] !style="width:4em"|[[盛岡市]]<br />藪川 !style="width:4em"|[[宮古市]]<br />区界 |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |21.1<br />(8月)||21.6<br />(8月) |21.0<br />(8月)||21.5<br />(8月) |21.2<br />(8月)||21.9<br />(8月)||22.9<br />(8月)||23.0<br />(8月) |21.1<br />(8月)||22.7<br />(8月)||21.7<br />(8月) |21.3<br />(8月)||20.8<br />(8月) |20.9<br />(8月)||21.5<br />(8月)||19.4<br />(8月)|| |- !最寒月 |−1.1<br />(1月)||−1.5<br />(2月) |−1.4<br />(1月)||−1.2<br />(1月)|-0.9<br />(1月)||−1.3<br />(1月)||0.6<br />(1月)||0.7<br />(1月) |−3.0<br />(1月)||−2.3<br />(1月)||−3.6<br />(1月) |−3.5<br />(1月)||−4.8<br />(1月) |−3.1<br />(1月)||−3.9<br />(1月)||−7.0<br />(1月)|| |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |196.4<br />(9月)||205.0<br />(9月) |257.8<br />(9月)||257.1<br />(9月) |229.4<br />(9月)||234.6<br />(8月)||287.2<br />(8月)||218.7<br />(9月) |160.6<br />(9月)||161.2<br />(9月)||163.3<br />(9月) |159.0<br />(9月)||171.5<br />(8月) |170.3<br />(8月)||154.0<br />(8月)||183.7<br />(7月)|| |- !最少月 |36.0<br />(12月)||30.3<br />(12月) |36.7<br />(12月)||38.4<br />(12月) |39.9<br />(12月)||42.7<br />(1月)||47.0<br />(1月)||36.9<br />(12月) |28.2<br />(1月)||32.3<br />(1月)||70.8<br />(2月) |38.3<br />(1月)||53.5<br />(2月) |45.8<br />(1月)||34.3<br />(1月)||30.4<br />(1月)|| |- !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="4"|北上高地 !colspan="2"|中西部 !colspan="11"|北上盆地 |- ![[岩泉町|岩泉]] ![[宮古市]]<br />[[川井村 (岩手県)|川井]] ![[遠野市|遠野]]!![[住田町|住田]] ![[西和賀町]]<br />[[沢内村|沢内]] ![[西和賀町]]<br />[[湯田町|湯田]] ![[盛岡市]]<br />好摩 ![[盛岡市|盛岡]] ![[雫石町|雫石]] ![[紫波町|紫波]] ![[花巻市]]<br />[[大迫町|大迫]] ![[花巻市|花巻]] ![[北上市|北上]] ![[奥州市]]<br />[[江刺市|江刺]] ![[奥州市]]<br />若柳 ![[一関市|藤沢]]<br />千厩 ![[一関市|一関]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |22.0<br />(8月)||22.4<br />(8月) |22.5<br />(8月)||22.7<br />(8月) |21.9<br />(8月)||22.2<br />(8月) |22.4<br />(8月)||23.2<br />(8月) |22.4<br />(8月)||22.9<br />(8月) |22.9<br />(8月)|| |23.7<br />(8月)||23.5<br />(8月) |23.2<br />(8月)||23.2<br />(8月) |23.8<br />(8月) |- !最寒月 |−1.3<br />(1月)||−1.4<br />(1月) |−2.8<br />(1月)||−1.0<br />(1月) |−3.4<br />(1月)||−3.0<br />(1月) |−3.2<br />(1月)||−2.1<br />(1月) |−3.0<br />(1月)||−2.3<br />(1月) |−2.5<br />(1月)|| |−1.5<br />(1月) ||−1.7<br />(1月) |−1.7<br />(1月) ||−1.3<br />(1月) |−0.7<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |179.2<br />(9月)||185.4<br />(8月) |194.2<br />(8月)||197.7<br />(8月) |264.8<br />(7月)||32.1<br />(1月) |170.0<br />(8月)||177.8<br />(8月) |215.3<br />(7月)||170.6<br />(8月) |170.5<br />(8月)|| |189.8<br />(8月)||157.1<br />(8月) |184.5<br />(8月)||171.7<br />(8月) |175.5<br />(8月) |- !最少月 |49.5<br />(2月)||35.0<br />(1月) |37.1<br />(2月)||32.0<br />(1月) |157.5<br />(3月)||131.4<br />(3月) |36.0<br />(1月)||50.6<br />(1月) |64.5<br />(2月)||42.9<br />(1月) |41.5<br />(1、2月)|| |55.1<br />(1月)||43.0<br />(1月) |49.6<br />(1月)||27.4<br />(12月) |34.6<br />(12月) |} === 広袤(こうぼう) === {{座標一覧|section=広袤(こうぼう)}} 国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、岩手県の面積は{{formatnum:{{自治体面積/岩手県|岩手県}}}}平方キロメートルである<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO-title.htm|title=全国都道府県市区町村別面積調|author=国土地理院|accessdate=2014/6/6}}</ref>。 岩手県の東西南北それぞれの端は以下の位置である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/center.htm|accessdate=2014/6/6|title=日本の東西南北端点の経度緯度|author=国土地理院}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/kendata/iwate_heso.htm|title=岩手県 市町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系)|author=国土地理院|accessdate=2014/6/6}}</ref>。東端は[[魹ヶ崎]](本州最東端)、西端は[[黒森峠 (秋田県)|黒森峠]]の北東約2km、南端はJR東日本[[東北本線]][[油島駅]]の東南東約6.7[[キロメートル|km]]、北端は[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[八戸線]][[角の浜駅]]の北約1kmである。加えて、重心も併記する<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/kitaheso.htm|title=北海道・東北地方の東西南北端点と重心の経度緯度|author=国土地理院|accessdate=2014/6/6}}</ref>。また総務省[[統計局]]の平成27年国勢調査によると、人口重心は[[紫波郡]][[紫波町]]佐比内字砥ケ崎にある<ref name ="jyuushin27">{{Cite web|和書|url=https://www.stat.go.jp/data/kokusei/topics/pdf/topics102.pdf#page=3|title=我が国の人口重心 -平成27年国勢調査結果から-|author=総務省統計局|accessdate=2017/8/14}}</ref>。 {| class="wikitable" style="text-align:center; background-color: white;" |+{{SUBJECTPAGENAME}}の広袤 |- |重心<br />{{ウィキ座標度分秒|39|35|39|N|141|21|32|E|type:landmark_region:JP|name=岩手県重心}} |<br />北端<br />{{ウィキ座標度分秒|40|27|02|N|141|40|57|E|type:landmark_region:JP|name=岩手県最北端}}<br />↑ |人口重心<br />{{ウィキ座標度分秒|39|30|28.55|N|141|17|28.18|E|type:landmark_region:JP|name=岩手県人口重心}} |- |西端<br />{{ウィキ座標度分秒|39|23|28|N|140|39|11|E|type:landmark_region:JP|name=岩手県最西端}}← |岩手県庁舎所在地<br />{{ウィキ座標度分秒|39|42|13|N|141|09|09|E|type:landmark_region:JP|name=岩手県庁}} |東端<br />→{{ウィキ座標度分秒|39|32|48|N|142|04|21|E|type:landmark_region:JP|name=岩手県最東端}} |- | |↓<br />南端<br />{{ウィキ座標度分秒|38|44|52|N|141|13|53|E|type:landmark_region:JP|name=岩手県最南端}} | |} === 地域 === [[ファイル:岩手県地域区分図.svg|thumb|200px|right|岩手県 地域区分図<br />(2007年)]] 総面積で全国2位だが、可住地面積割合が24.3%と低く全国40位で、可住地面積では全国5位に下がる([[都道府県の面積一覧#2014年 面積の順位]]を参照)。可住地は大別して内陸部(人口100万人程度)と、沿岸部(20万人程度)の2つ。このうち、内陸部には[[東北新幹線]]・[[東北縦貫自動車道]]などの高速交通インフラが整っているが、その他の地域ではインフラが未発達で、地域間移動は[[国道]]や[[在来線]]レベルに留まっている。特に、内陸部と沿岸部を行き来するためには、[[一般国道]]・[[都道府県道|県道]]は急峻な峠を上り下りする道となっており、直線距離の割に、移動に大きな時間を要する結果を招いている。このような状況は、県土が多数の[[島]]によって構成されている[[沖縄県]]とも相似しており、[[救急医療]]においては[[ヘリコプター]]輸送が行われているほどである。 [[交通]][[インフラ]]の未整備に起因して、短時間で県庁にたどりつけない県民が多数存在することから、従来[[岩手県庁]]は、県内各所に「地方振興局」を設置、県の総合出先機関として機能させてきた。近年にいたって、[[平成の大合併]]で市町村数が大幅に減少したことを契機として、[[2006年]](平成18年)4月に地方振興局の再編を実施。高速交通インフラが整った内陸部では、細かい地域圏に分割せず、県の中枢機能が集まる[[盛岡市]]広域と、県南地域との南北2分割に統合した。県南地域については、従来多くの広域生活圏の設定があったが、それらを一まとめに統合して、新たに設立した「県南広域振興局」の管轄とした。この結果、従来12だった広域生活圏は、4に減少した。 *人口は[[2005年]](平成17年)[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]の値である<ref>[http://www.pref.iwate.jp/~stat/chiiki/kiso/k-A.xls] - 岩手県{{リンク切れ|date=2021年10月}}</ref>。 ;県内地域区分 広域振興局は以下4つに分けられる。 :* [[盛岡広域振興局]]管内 482,482人 :* [[県南広域振興局]]管内 514,132人 :*沿岸広域振興局管内 218,744人 :*県北広域振興局管内 133,932人 圏域は以下9つに分けられる。 :* 盛岡圏域(岩手地域・盛岡地域・紫波地域) :* 岩手中部圏域(和賀地域・花巻地域・遠野地域) :* 胆江圏域 :* 両磐圏域 :* 宮古圏域 :* 釜石圏域 :* 気仙圏域 :* 二戸圏域 :* 久慈圏域 === 自治体 === {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=岩手県|float=right}} 各広域振興局ごとに県内市町村を列記する。県内には14市10郡15町4村がある。「町」の読み方は、葛巻町、岩手町、西和賀町、山田町、軽米町、一戸町の6つが「まち」で、他は全て「ちょう」である。村はすべて「むら」と読む。 '''盛岡広域振興局管内''' 482,482人 * [[盛岡市]] - ([[都道府県庁所在地|県庁所在地]]・[[中核市]]・[[盛岡広域振興局]]所在地) * [[八幡平市]] * [[滝沢市]] * [[岩手郡]] ** [[雫石町]] - [[葛巻町]] - [[岩手町]] * [[紫波郡]] ** [[紫波町]] - [[矢巾町]] '''県南広域振興局管内''' 514,132人 * [[奥州市]] - ([[県南広域振興局]]所在地) * [[一関市]] * [[花巻市]] * [[北上市]] * [[遠野市]] * [[胆沢郡]] ** [[金ケ崎町]] * [[西磐井郡]] ** [[平泉町]] * [[和賀郡]] ** [[西和賀町]] '''沿岸広域振興局管内''' 218,744人 * [[釜石市]] - (沿岸広域振興局所在地) * [[宮古市]] * [[大船渡市]] * [[陸前高田市]] * [[気仙郡]] ** [[住田町]] * [[上閉伊郡]] ** [[大槌町]] * [[下閉伊郡]] ** [[山田町]] - [[岩泉町]] - [[田野畑村]] '''県北広域振興局管内''' 133,932人 * [[久慈市]] - (県北広域振興局所在地) * [[二戸市]] * [[下閉伊郡]] ** [[普代村]] * [[二戸郡]] ** [[一戸町]] * [[九戸郡]] ** [[野田村]] - [[洋野町]] - [[軽米町]] - [[九戸村]] === 都市圏 === [[都市雇用圏]](10 [[パーセント|%]] 通勤圏)の変遷 * [[東北新幹線]]の駅が設置された[[都市圏]]は'''太字''' {|class="wikitable" style="text-align:center" |-style="border-bottom:solid 3px #666;" !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|1980年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|1990年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|1995年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|2000年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|2005年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|2010年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|2015年 |-style="background-color:#ccffcc" |{{都市圏|盛岡|38|2706|盛岡都市圏}} |{{都市圏|'''盛岡'''|41|8459}} |{{都市圏|'''盛岡'''|46|1605}} |{{都市圏|'''盛岡'''|47|5541}} |{{都市圏|'''盛岡'''|45|0392}} |{{都市圏|'''盛岡'''|47|4395}} |{{都市圏|'''盛岡'''|47|0414}} |- |style="background-color:#ffffcc"|{{都市圏|水沢|12|4722|水沢都市圏}} |style="background-color:#ffffcc"|{{都市圏|'''水沢'''|14|2279}} |style="background-color:#ffffcc"|{{都市圏|'''水沢'''|14|3633}} |{{都市圏|'''北上'''|22|0258}} |{{都市圏|'''北上'''|21|5745}} |{{都市圏|'''北上'''|19|4576}} |{{都市圏|'''北上'''|19|1213}} |- |style="background-color:#ffcccc"|{{都市圏|花巻|9|7389|北上都市圏}} |style="background-color:#ccffff"|{{都市圏|'''一関'''|11|1629}} |style="background-color:#ccffff"|{{都市圏|'''一関'''|11|7414}} |style="background-color:#ffffcc"|{{都市圏|'''水沢'''|13|3028}} |style="background-color:#ccffff"|{{都市圏|'''一関'''|14|9496}} |style="background-color:#ffffcc"|{{都市圏|'''奥州'''|14|1071|奥州都市圏}} |style="background-color:#ffffcc"|{{都市圏|'''奥州'''|13|5317|奥州都市圏}} |- |style="background-color:#ccffff"|{{都市圏|一関|9|2459|両磐}} |style="background-color:#ffcccc"|{{都市圏|'''花巻'''|9|8853}} |style="background-color:#ffcccc"|{{都市圏|'''花巻'''|9|9643}} |style="background-color:#ccffff"|{{都市圏|'''一関'''|11|0034}} |style="background-color:#ffffcc"|{{都市圏|'''水沢'''|12|5216}} |style="background-color:#ccffff"|{{都市圏|'''一関'''|13|5987}} |style="background-color:#ccffff"|{{都市圏|'''一関'''|12|9451}} |- |style="background-color:#ccff99"|{{都市圏|釜石|8|6538|釜石都市圏}} |{{都市圏|'''北上'''|8|2851}} |{{都市圏|'''北上'''|8|7969}} |style="background-color:#eee;text-align:left;font-size:80%"|花巻都市圏は<br />北上都市圏と合一 |style="background-color:#ffccff"|{{都市圏|宮古|8|0392}} |style="background-color:#ffccff"|{{都市圏|宮古|7|8047}} |style="background-color:#ffccff"|{{都市圏|宮古|7|2502}} |- |{{都市圏|北上|7|6633|北上都市圏}} |style="background-color:#ccff99"|{{都市圏|釜石|7|1542}} |style="background-color:#ffccff"|{{都市圏|宮古|8|7499}} |style="background-color:#ffccff"|{{都市圏|宮古|8|4406}} |style="background-color:#ccff99"|{{都市圏|釜石|5|9503}} |style="background-color:#ccff99"|{{都市圏|釜石|5|4850}} |style="background-color:#ccff99"|{{都市圏|釜石|4|8561}} |- |style="background-color:#ffccff"|{{都市圏|宮古|7|3014|宮古市}} |style="background-color:#ffccff"|{{都市圏|宮古|6|8052}} |style="background-color:#ccff99"|{{都市圏|釜石|6|7748}} |style="background-color:#ccff99"|{{都市圏|釜石|6|4000}} |} * [[盛岡駅]]で[[東北新幹線]]と[[秋田新幹線]]とが接続 * [[北上ジャンクション|北上JCT]]で[[東北自動車道]]と[[秋田自動車道]]が接続 * [[花巻ジャンクション|花巻JCT]]で東北自動車道と[[釜石自動車道]]が接続 *北上都市圏(花巻都市圏)に[[花巻空港]]がある *交通の変遷 ** [[1982年]](昭和57年) - 東北新幹線 大宮 - 盛岡駅間開業 ** [[1985年]](昭和60年) - 東北新幹線 大宮 - 上野駅間開業 ** [[1991年]](平成3年) - 東北新幹線 上野 - 東京駅間開業 ** [[1997年]](平成9年) - 秋田新幹線開業、秋田道により秋田港と直結される ** [[2002年]](平成14年) - 東北新幹線 盛岡 - 八戸駅間開業 ** [[2010年]](平成22年) - 東北新幹線 八戸 - 新青森駅間開業 === 「南北沿岸」の所得格差 === 北上市など県の南部では[[経済発展]]によって[[収入|所得]]水準が大きく向上している。一方の内陸北部・沿岸部では目立った経済的発展がなく発展が遅れがちで、[[所得格差]]が存在している。統計資料で比較すると、県全体の平均所得が242万円なのに対し、県北の中心都市[[二戸市]]・[[久慈市]]では、190万円台にとどまり、50万円以上もの格差が存在している<ref>[http://www.daily-tohoku.co.jp/kikaku/kikaku2006/yosan/yosan_12.htm デーリー東北] - [[デーリー東北|デーリー東北新聞社]]、[[2006年]](平成18年)[[3月5日]]確認{{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>。[[岩手県庁]]は2006年、県北・沿岸振興本部を設置して対策に乗り出したが、南北の格差は逆に拡大傾向すら呈しており、根本的な対策が求められている<ref>岩手日報社、[[2006年]](平成18年)[[2月12日]]確認</ref>。 === 隣接自治体 === * 青森県:[[八戸市]]、[[三戸郡]][[田子町]]、[[三戸町]]、[[階上町]] * 秋田県:[[鹿角市]]、[[仙北市]]、[[大仙市]]、[[横手市]]、[[仙北郡]][[美郷町 (秋田県)|美郷町]]、[[雄勝郡]][[東成瀬村]] * 宮城県:[[栗原市]]、[[登米市]]、[[気仙沼市]] == 歴史 == === 先史・古代 === 約4万年 - 3万3000年前には、斜軸[[尖頭器]]を出土した柳沢舘遺跡([[奥州市]])や[[金取遺跡]]([[遠野市]])などが存在した。また、[[ハナイズミモリウシ]] をはじめとする動・植物化石が多量に発見された[[花泉遺跡|金森遺跡]]([[一関市]])などの遺跡から旧石器時代から人が住んでいたと考えられる<ref>細井計「風と人間」2ページ</ref><ref name="kensi3">{{Cite book|和書 |author= 細井計|authorlink=細井計 |coauthors = [[伊藤博幸]]・[[菅野文夫]]・[[鈴木宏]] |date = 1999-08 |title = 岩手県の歴史 |series = 県史 [[児玉幸多]] 監修 3 |publisher = 山川出版社 |isbn = 4-634-32030-4 |ref = 細井ほか1999 }}</ref>。 古くは[[縄文時代]]より豊かな狩猟・漁労生活を実現した地だった。近年の[[東北学]]では、上代の[[北上川]]流域は[[蝦夷]]の中心地で、[[日高見国]]とも呼ばれていたという説が唱えられている(また、日高見国の名が北上川という地名や、「日本国」という国名のもととなったとも)。一方で、[[胆沢]]の[[角塚古墳]]は最北の前方後円墳であり、[[ヤマト王権]]の影響力が及ぶ北の端でもあった。 北東北地域は、律令国家の形成期である7世紀後半にはまだその支配に組み込まれておらず、蝦夷は朝廷側からは征伐の対象であった。[[8世紀]]末の38年戦争では胆沢に蝦夷の軍事指導者[[アテルイ]]が現れて朝廷軍に抵抗するが、[[征夷大将軍]]に任ぜられた[[坂上田村麻呂]]によって滅ぼされる。その後北上川流域は朝廷が掌握し、蝦夷の多くが全国に強制移住させられた。残った蝦夷は、[[俘囚]]として支配体制に組み込まれ、同時に胆沢には関東地方から[[柵戸]]として入植者が入った。 [[11世紀]]までに[[奥六郡]](現在の岩手県内陸部)を拠点として糠部(現在の青森県東部)から亘理・伊具(現在の宮城県南部)にいたる広大な地域に影響力を発揮した俘囚長の[[安倍氏 (奥州)|安倍氏]]が半独立の勢力を築いた。安倍氏は[[前九年の役]]で源頼義の率いるヤマト朝廷軍になびいた秋田仙北の俘囚主[[出羽清原氏|清原氏]]によって滅ぼされた。その清原氏も一族の内紛から[[後三年の役]]で滅び、安倍氏の血を引く[[奥州藤原氏]]が[[江刺郡]][[豊田館]]から[[磐井郡]][[平泉]]に拠点を移動して奥州を掌握、豊かな産金をもとに仏教を基盤とする地域支配を実現し、その[[平泉]]時代を築いた。 === 中世 === 平泉が[[源頼朝]]に攻略され再び源氏が統治した[[鎌倉時代]]には[[甲斐国]]南部の河内地方を領した[[甲斐源氏]]の[[南部氏]]が八戸周辺に移住し、今の[[青森県]]から岩手県北及び[[秋田県]]鹿角地方にまで勢力を伸ばした。沿岸部では[[閉伊氏]]、県央部では[[斯波氏]]、[[稗貫氏]]、[[阿曽沼氏]]、[[和賀氏]]などが割拠し、県南部は[[葛西氏]]、[[留守氏]]が有力だったが、次第に[[福島県]][[伊達郡]]に根城を置く[[伊達氏]]の勢力が浸透し、[[室町時代]]には[[葛西氏]]、[[留守氏]]は伊達の馬打ちとして事実上支配下に置かれた。 これらの諸氏は伊達氏の内紛によって再び自立するが、[[伊達政宗]]の仙台移封を機会に葛西氏は滅亡、留守氏は伊達氏の一族として組み込まれた。同じころ、安倍氏の末裔である一方井氏を母に持つ南部氏の[[南部信直]]が勢力を拡大し、南部所属の頭領として振舞うようになると、これを認めない九戸南部氏の[[九戸政実]]と争い、[[豊臣秀吉]]の知遇を得た信直は秀吉軍を招きいれて政実を滅ぼした([[九戸政実の乱]])。[[大浦氏]]以外の南部氏諸家を統一した信直は盛岡に拠点を移し、勢力を確立した。 === 近世 === [[江戸時代]]には、県の南部は概ね[[仙台藩]][[伊達氏]]に62万石、[[一関藩]]は[[田村氏]]、[[奥州市|水沢]]には[[留守氏]](水沢伊達氏)が置かれ、北部は移封も無く[[盛岡藩]][[南部氏]]によって20万石統治された。[[幕末]]に東北諸藩が[[奥羽越列藩同盟]](北部政府)を作ると、現在の岩手県を支配していた伊達藩・南部藩はその中心となるが、結局敗れて明治政府によって占領された。 === 近代以降 === [[ファイル:地図_鉄道_詳細_JR東北新幹線.svg|thumb|160px|right|[[東北新幹線]]の路線図]] [[明治]]3年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]([[1870年]]8月6日)、盛岡藩は財政難により[[廃藩置県]]に先立って廃藩を申し出、旧領には[[明治政府]]により'''盛岡県'''が設置された。盛岡県成立時の管轄地域は[[陸中国]][[岩手郡]]、[[稗貫郡]]および[[紫波郡]]、[[和賀郡]]の一部のみで、新政府に敗れる前の盛岡藩より大幅に縮小された。 その後、莫大な御用金を課せられたり、旧藩を分断する県域を設定され弱体化を図られるなど敗戦の屈辱を味わう。(ただし盛岡藩の廃藩置県の折に課せられた70万両の納付は減免されている。) 以降は旧藩を問わず多くの人材を輩出。[[原敬]]が[[内閣総理大臣]]に就任するなど、近代日本国家建設に多くの功があった。また中央へ人材を輩出した。 県域は明治4年([[1871年]])の第1次府県統合ではほとんど変わらず、明治5年1月8日([[1872年]]2月16日)には盛岡県から'''岩手県'''に改称<ref>太政官布告第1号、仙台県ヲ宮城県盛岡県ヲ岩手県ト改称。</ref>、[[1876年]](明治9年)の第2次府県統合で[[磐井県]]から[[胆沢郡]]・[[江刺郡]]・[[磐井郡]]を、[[青森県]]から[[二戸郡]]を編入したが、前者はおおむね旧[[仙台藩]]領であり、旧藩が分断された状態は是正されなかった。 [[1876年]](明治9年)1月に最初の県議会が開かれ、5月に岩手県が成立した。県名はそれまでの県庁所在地の郡名を採って付けられた。 [[1889年]](明治22年)に、[[南岩手郡]]盛岡が岩手県下で初めて市制施行し、'''[[盛岡市]]'''となる。[[1937年]]([[昭和]]12年)には製鉄業によって発展した[[上閉伊郡]]釜石町が市制施行して'''[[釜石市]]'''となる。[[1941年]](昭和16年)には[[下閉伊郡]]宮古町・山口村・千徳村・磯鶏村が合併・市制施行して'''[[宮古市]]'''となり、戦前までに3市が誕生した。 [[1934年]](昭和9年)、極端な[[冷害]]による[[昭和農業恐慌]]が発生。[[欠食児童]]の大量発生や婦女子の[[身売り]]が相次ぎ[[社会問題]]となった<ref>「岩手の欠食児、年末には5万人を越すか」『東京朝日新聞』1934年(昭和9年)10月12日(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p.461 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 [[1937年]](昭和12年)2月、県内に記録的な豪雪。[[雪崩]]などによる死者・行方不明者62人以上<ref>「雪崩による死者不明、全県で六十二人以上」『岩手日報』1937年(昭和12年)2月17日(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p.15 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。鉄道の運行も困難となり、盛岡保線事務所は除雪人夫1700人を動員して県内各地の除雪に当たった<ref>「数年来の大雪で各地に被害」『岩手日報』1937年(昭和12年)2月16日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p.14 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 [[1961年]](昭和36年)[[5月28日]]、[[新里村 (岩手県)|新里村]]の山林から出火。[[フェーン現象]]による強風に煽られ[[田老町]]、[[宮古市]]、[[岩泉町]]、[[普代村]]、[[久慈市]]にいたる40万ha以上に延焼する大規模火災([[山火事]])となった。死者5人、負傷119人、全焼住宅1235棟。このうち田老町では[[ラサ工業]]の[[田老鉱山]]住宅448棟が被害にあったほか、普代村では[[普代村立普代小学校|普代村立黒崎小学校]]の校舎が全焼した<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=152|isbn=9784816922749}}</ref>。 その後、[[1964年]](昭和39年)に[[花巻空港]]が開港、[[1982年]](昭和57年)に[[東北新幹線]]の[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]] - [[盛岡駅|盛岡]]間が開業して、首都圏からは約3時間、仙台からも1時間圏内(当時)となり、交通の便は改善された。これに伴って、安価で広大な土地や豊富な水などを背景に、[[北上市]]、[[金ケ崎町]]周辺を中心として工場の進出が急激に進展。[[関東自動車工業]](現・[[トヨタ自動車東日本]])などの自動車産業、[[東芝]]や[[富士通]]などの[[半導体]]工場、[[塩野義製薬]]など大企業の工場の進出が進み、製造品出荷額が大きな伸びを見せた<ref name=yuti>[http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20080107_2 岩手日報] - [[岩手日報|岩手日報社]]、2008年1月17日確認{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。 [[2008年]]([[平成]]20年)には、6月14日に[[岩手・宮城内陸地震]](最大震度6強)が、7月24日に[[岩手県沿岸北部地震]](最大震度6弱)の大地震が発生した。さらにその3年後の[[2011年]](平成23年)3月11日、国内観測史上最大の[[巨大地震|超巨大地震]]となる[[マグニチュード]]9.0の[[東北地方太平洋沖地震]](最大震度7)が発生し、沿岸部の各地で津波による大きな被害が出た。 == 人口 == [[File:Growth rate map of municipalities of Iwate prefecture, Japan 2015-2020.svg|thumb|250px|岩手県市町村人口増減率分布図(2015年度と2020年度国勢調査から算出) <div style="columns: 14rem 2; column-rule: 1px solid #E0DEDB;"><div style="page-break-inside: avoid;"> 増加 {{Legend|#CCFFAA|0.0 - 2.5 %}} 減少 {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} </div></div>]] {{人口統計|code=03000|name=岩手県|image=Demography03000.svg}} * [[2015年|平成27年]][[国勢調査 (日本)|国勢調査]]における前回調査からの人口増減率は3.80%の減少で、全国の0.75%を3%以上下回った。47都道府県中では41位(首位は[[沖縄県]]の2.93%増加、最下位は[[秋田県]]の5.79%減少)だった。県内市町村では上位が[[滝沢市]]の2.98%増加、[[矢巾町]]の1.74%増加、[[北上市]]の0.40%増加、[[盛岡市]]の0.24%減少。下位が[[大槌町]]の23.02%減少、[[陸前高田市]]の15.20%減少、[[山田町]]の14.99%減少となっており、内陸部への集積、沿岸部の減少が顕著となっている<ref>{{Cite web|和書|title= 平成27年国勢調査 |url=https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2015/kekka.html |publisher=[[総務省統計局]] |date=2016-10-26 |accessdate=2017-07-22}}</ref>。この動向によって県の人口重心も前回調査の[[花巻市]]内川目<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.stat.go.jp/data/kokusei/topics/pdf/topi6102.pdf|title=我が国の人口重心 -平成22年国勢調査結果から-|author=総務省統計局|accessdate=2017/8/14}}</ref> から西北西へ686メートルと大きく移動し、[[紫波郡]][[紫波町]]佐比内字砥ケ崎にある<ref name ="jyuushin27"/>。 * [[2016年]]10月1日現在の推計人口は1,268千人であり、日本の総人口126,933千人の1%を割り込んだ。また47都道府県では32位だった<ref>{{Cite web|和書|title= 統計表一覧 政府統計の総合窓口 |url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?lid=000001177743&layout=datalist |publisher=[[総務省統計局]] |date=2017-04-14 |accessdate=2017-07-23}}</ref>。 == 政治 == === 県政 === {{Main|岩手県知事一覧|岩手県庁|岩手県議会}} * [[都道府県知事|知事]]:[[達増拓也]](たっそ たくや、4期目) ==== 財政と事業 ==== [[1995年]](平成7年)以降、[[細川内閣]](当時)の打ち出した大規模景気対策に乗って[[公共投資]]を拡大させ、その後[[1997年]](平成9年)まで、積極投資を拡大させた。当時県知事を務めていた[[増田寛也]]は、退任後の取材に「国の財政的限界で、いずれ予算が回らなくなるのは分かっていた(中略)…[[東北新幹線]]や[[花巻空港]]、[[釜石自動車道]]など(骨格的な事業)は、先にやってしまおうと思った」と答えている<ref>[[読売新聞]]2007年3月13日付朝刊 - [[読売新聞社]]</ref>。結果的には彼の読み通り、[[第1次小泉内閣|小泉内閣]]が発足した[[2001年]](平成13年)以降、公共投資予算は年10%以上の割合で急速に縮減され、財政再建に大きく舵を切った。 県自らも、県議会での質問に答える形で、財政悪化の原因について自己分析している(→[[増田寛也#公共投資]]など参照)。 ; 平成20年度 :* 当初予算規模 約6500億円(一般会計) :* [[ラスパイレス指数]] 98.6 ; 平成19年度 :* [[財政力指数]] 0.31 :** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中8位 ; 平成18年度 :* 財政力指数 0.29 :** IVグループ(財政力指数0.3未満)10自治体中1位 ; 平成17年度 :* 財政力指数 0.27 :** IVグループ(財政力指数0.3未満)14自治体中5位 ; 平成16年度 :* 財政力指数 0.26 :** IVグループ(財政力指数0.3未満)15自治体中5位 === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#岩手県|岩手県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が3。[[参議院]]では、全県で1区を構成。 == 経済・産業 == かつては[[産業]]がほとんどない事を自称していたが、[[東北新幹線]]や[[東北縦貫自動車道]]などの整備に伴って、[[企業]]の誘致が進んでいる。企業の誘致には、[[道府県民税|法人道府県民税収]]や、[[法人事業税]]、従業員からの[[住民税]]収、関連企業による経済波及効果などで大きな税源涵養が見込まれることから、全国の自治体が誘致にしのぎを削っている。岩手県もこの例に漏れず、誘致に腐心しており、これまでに[[トヨタ自動車]]系の生産工場、[[東芝]]の[[フラッシュメモリ]]工場、[[富士通]]などを誘致した。こうした奏功から、[[1995年]](平成7年)以降は製造品出荷額が伸びを示し、47[[都道府県]]中、県民所得は40位台後半から、38位にまで改善した。東北6県で見ると、[[福島県]]、[[宮城県]]、[[山形県]]に続く数字である<ref>[http://www3.pref.iwate.jp/webdb/view/outside/s14Tokei/bnyaBtKekka.html?C=B0301&R=I008 岩手の統計情報] - [[岩手県庁]]総務部統計課、2008年5月確認</ref>。 特に[[自動車産業]]については、トヨタ自動車が東北地方を新たに生産拠点と位置付けており<ref name=toyota>[https://web.archive.org/web/20111118152039/http://gendai.net/?m=view&g=syakai&c=020&no=35925 ゲンダイネット]{{リンク切れ|date=2017年10月}} - 2008年2月28日確認など。</ref>、今後とも一層の誘致が見込まれる産業分野である。 さらに、近年は[[国際リニアコライダー]]を軸とした国際学術研究都市構想を表明している<ref>岩手県 [http://www.pref.iwate.jp/dbps_data/_material_/_files/000/000/010/421/j4.pdf ILCを核とした国際学術研究都市イメージ]</ref>。 [[貯蓄率]]が極めて高いことで知られる。地方の県としては珍しく、県内に3行の[[地方銀行]]([[第二地銀]]を含む)を持ち、保有する金融資産は4兆円以上に達する。県民の貯蓄率は39%で、[[東北地方]]平均の25%、全国平均の16.5%を大きく上回り、東北では宮城県に次いで2位、全国でも9位の高率を保つ<ref>[http://www.shiruporuto.jp/finance/tokei/stat/pdf/data02a.pdf 金融資産と負債] - 金融広報中央委員会、2008年6月確認</ref>。 {| class="wikitable sortable mw-collapsible mw-collapsed" |+岩手県内の市町村の域内総生産(単位: 100万円) |- !市町村名<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=http://www3.pref.iwate.jp/webdb/view/outside/s14Tokei/bnyaBtKekka.html?C=B0302&R=I017|title=市町村民経済計算(概要版)|accessdate=2020-04-11|publisher=岩手県}}</ref>!!広域振興圏名<ref name=":0" />!!2014年度<ref name=":0" />!!2015年度<ref name=":0" />!!2016年度<ref name=":0" />!!2017年度<ref name=":0" /> |- |盛岡市|| rowspan="8" |県央||1,075,077||1,082,427||1,053,221||1,052,324 |- |八幡平市||91,823||85,645||86,711||87,377 |- |滝沢市||126,355||130,206||120,435||121,066 |- |雫石町||54,955||54,745||51,297||51,915 |- |葛巻町||21,313||23,437||20,030||20,370 |- |岩手町||41,796||39,949||38,195||37,285 |- |紫波町||84,930||84,705||82,997||84,123 |- |矢巾町||120,279||137,131||124,796||148,397 |- |花巻市|| rowspan="8" |県南||337,090||333,772||330,650||317,143 |- |北上市||376,158||378,560||372,329||401,422 |- |遠野市||100,755||109,403||96,021||106,452 |- |一関市||380,553||388,498||375,927||377,680 |- |奥州市||364,164||384,323||398,170||403,685 |- |西和賀町||20,624||21,814||18,587||18,957 |- |金ケ崎町||112,032||84,748||83,732||138,070 |- |平泉町||22,188||24,121||24,558||23,046 |- |宮古市|| rowspan="9" |沿岸||241,241||263,401||265,017||252,145 |- |大船渡市||207,410||207,908||179,184||170,532 |- |陸前高田市||93,154||84,993||81,400||66,234 |- |釜石市||193,596||201,952||172,929||188,599 |- |住田町||18,112||17,985||20,510||21,913 |- |大槌町||46,679||43,695||41,989||44,200 |- |山田町||59,292||70,525||72,724||61,777 |- |岩泉町||41,778||41,692||35,858||39,650 |- |田野畑村||17,631||21,670||15,961||17,829 |- |久慈市|| rowspan="8" |県北||133,387||134,011||128,151||128,956 |- |二戸市||103,241||101,549||100,695||99,599 |- |普代村||11,052||12,785||14,745||16,134 |- |軽米町||28,309||28,676||27,408||27,458 |- |野田村||21,355||24,321||20,577||20,827 |- |九戸村||19,058||19,752||20,036||20,852 |- |洋野町||44,307||46,465||42,306||47,057 |- |一戸町||37,808||38,048||37,784||38,162 |- |} === 産業 === ==== 農林水産業 ==== [[2006年]](平成18年)農林水産統計によると、[[農業]]産出額は2,544億円。[[食料自給率]]は106%であり<ref>[http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7235.html 農林水産統計] - [[農林水産省]]提供、2008年8月12日確認</ref>、[[北海道]]や[[青森県]]、[[秋田県]]、[[山形県]]などとともに、自給率100%を超える数少ない県の一つである。広大な面積と、山岳に囲まれた地形のため、地域によって気候が大きく異なる所があり、特性に応じてさまざまな形態の農業が営まれている。[[コメ]]の品種は「[[ひとめぼれ]]」などが多かったが、2000年代以降県内の気候に適した2品種「[[銀河のしずく]]」と「[[金色の風 (米)|金色の風]]」を相次いで投入した。米以外の穀物では[[花巻市]]を中心に[[雑穀]]の生産が有名。[[畜産]]も盛んでありブランド牛肉である[[前沢牛]]のほか、青森県との境に近い北部を中心に[[ブロイラー]]の生産が盛んであり、九州南部に次ぐ大産地となっている。かつての北上山地では[[焼畑農業]]が盛んであったため<ref>能登淳子 (1999)北上山地における焼畑耕作の衰退と土地利用の変化 : 戦後の3地域における比較. 林業経済研究45(1), pp. 111 - 116. {{doi|10.20818/jfe.45.1_111}}</ref>、これが後述のアカマツの多さなどほかの産業にも影響を与えていると見られている。 [[林業]]では幹が通直で高品質な[[アカマツ]]が有名で県の木としても指定されている。特に北上山地や三陸沿岸北部のアカマツは品質が高く南部赤松と呼ばれ、秋田の[[スギ]]や青森の[[アスナロ|ヒバ]]と並ぶ北東北のブランド木材である。アカマツが多いことからアカマツと[[共生]]する[[マツタケ]]の出荷も多く、2010年代以降は[[長野県]]と並ぶ2大産地の一つとなっている<ref>農林水産省 特用林産物統計調査 令和3年度ほか</ref>。一方でアカマツの致死性の伝染病である[[マツ材線虫病]](松くい虫)の北限地域であり徐々に被害が拡大していることから影響が懸念されている。住宅構造の変化により梁や柱を見せなくなったことや伝染病の流行により高級アカマツ材の市場が減少していることなどから、尾根沿いにはアカマツではなく[[カラマツ]]を植えることも増えてきている。全国的に高級木材として知られる[[ヒノキ]]は天然分布せず、寒冷地であり漏脂病という致命的な病気のリスクが高いことから沿岸南部を除いて植栽されることもない。 アカマツ以外には[[ミズナラ]]を中心とした[[ブナ科]]広葉樹による[[木炭]]の生産でも知られ、木炭では特に[[黒炭]]の生産量が全国一である。こちらも[[ナラ枯れ]]と呼ばれるミズナラに致死性の伝染病が県内でも確認されている。県北部の[[二戸市]](旧:[[浄法寺町]])では[[ウルシ]]の栽培が盛んで樹液を精製した[[漆]]の国内最大の産地となっている。県が[[木質バイオマス]]事業などの自然エネルギー活用に熱心なこともあって、生産高188億円([[2005年]](平成17年))と、全国5位の数字を出している。 農林関係の国の研究機関が立地していることでも知られ、農林水産省管轄の[[東北農業研究センター]]、[[森林総合研究所]]東北支所はいずれも盛岡市郊外にある。 [[水産業]]では、[[三陸海岸]]周辺が、[[黒潮]]による豊かな漁場として知られている。[[リアス式海岸]]の岩礁は、[[ワカメ]]や[[海苔]]といった[[海藻類]]の養殖にも適しており、ワカメと[[あわび]]の養殖で、生産高全国1位の規模を持つ。[[カキ (貝)|カキ(牡蛎)]]や[[ホヤ]]の養殖も盛ん。珍しいものでは[[陸前高田市]][[広田湾]]における[[エゾイシカゲガイ]]養殖が知られる。流通量が少なく高値で取引される。 ==== 商工業 ==== 製造品出荷額は2兆1000億円で、東北地方では[[福島県]](全国順位19位)、[[宮城県]](同24位)、[[山形県]](同28位)に次いで4位(同31位)である。 長らく主要な[[産業]]が[[新日本製鐵]](現:[[日本製鉄]])[[日本製鉄釜石製鉄所|釜石製鉄所]]([[釜石市]])、[[太平洋セメント]][[太平洋セメント大船渡工場|大船渡工場]]([[大船渡市]])ほどしかなく、政府の救済策を求めたこともあったが、[[1982年]](昭和57年)に[[東北新幹線]]大宮・盛岡間が開業すると、企業誘致が徐々に進展した<ref name=yuti />。[[1993年]](平成5年)に[[関東自動車工業]]([[金ケ崎町]])<small>(現・[[トヨタ自動車東日本]]岩手工場)</small>が進出して以来、[[製造業]]は大きく進展し、県民所得は全国40番台後半から、30番台まで向上した。このほか、県南には[[富士通]]や[[塩野義製薬]]、[[東芝]]などの工場が立地する。 特に、[[2008年]](平成20年)2月に決定された[[東芝]]・[[フラッシュメモリ]]工場の[[北上市]]への建設は、波及効果を合わせると1兆円程度の経済効果があるとされ、県は[[事業税|法人事業税]]減免や低利融資などを通じて、これを後押しするとしている。東芝が「行政からの融資措置だけでなく、質の高い人材の確保が容易なことが決め手になった」とし、「金のかからない新しい産業誘致モデル」として注目された<ref>[[毎日新聞]] 2008年(平成20年)2月20日付朝刊 - [[毎日新聞社]]</ref><ref>[http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20080208_2 岩手日報] - 岩手日報社、2008年2月8日確認</ref>。工場新設に当たって、北上市はこれまでに蓄積した企業誘致と合わせて、[[市町村税|法人市民税]]、[[固定資産税]]の大きな増収が見込まれることから、国から[[地方交付税]]の交付を受けない「不交付団体」への昇格を果たすことになった。岩手県では、かつて製鉄業が隆盛を極めていた時代に釜石市が不交付団体となっていた前例があり、「それに次ぐ快挙」(2008年(平成20年)2月・岩手県知事定例記者会見)と評された。 自動車産業に関しては、[[トヨタ自動車]]が、東北地方を新たな生産拠点とする意向を示しており<ref name=toyota />、すでに[[金ケ崎町]]に立地する自動車工場も、現行より10万台増の25万台生産規模まで拡大されることが決まっている。自動車関連産業の集積を進めるため、岩手県は、[[トヨタ自動車東日本]]が進出している宮城県や山形県、福島県などと連携して、今後も誘致活動を展開していくとしている。 ===== 県内に拠点を誘致した主な製造業 ===== {{節スタブ}} {{Col| ;[[盛岡市]] :* [[美和ロック]] ;[[八幡平市]] :* [[アステラス製薬|アステラス東海]]<small>(旧東北山之内製薬)</small> ;[[岩手郡]][[雫石町]] :* [[小岩井乳業]] :* [[セイコーインスツル]] ;[[花巻市]] :* [[リコー]] :* [[EN大塚製薬]]<small>(旧[[雪印乳業]]岩手医薬品工場)</small> ;[[北上市]] :* [[キオクシア]]<small>(旧[[東芝メモリ]])</small> :* [[明治製菓]] :* [[北上ハイテクペーパー]]<small>(旧[[三菱製紙]])</small> :* [[東京製綱]] :* [[アイメタルテクノロジー]] | ;[[金ケ崎町]] :* [[トヨタ自動車東日本]]<small>(旧[[関東自動車工業]])</small> :* [[塩野義製薬]] :* [[デンソー]] ;[[奥州市]] :* [[東京エレクトロン テクノロジーソリューションズ]]<small>(旧[[東京エレクトロン東北]])</small> :* [[フジキン]] :* [[関東化学]] :* [[コンバム]] :* [[田中貴金属工業]] :* [[日成ビルド工業]] :* [[ファインシンター]] ;[[一関市]] :* [[LIXIL]]<small>(旧[[トステム]])</small> :* [[日本ピストンリング]] :* [[ヒロセ電機]] | ;[[宮古市]] :* [[ヒロセ電機]] ;[[釜石市]] :* [[日本製鉄北日本製鉄所]]釜石地区 :* [[SMC]] ;[[大船渡市]] :* [[太平洋セメント]][[太平洋セメント大船渡工場|大船渡工場]] ;[[久慈市]] :* [[北日本造船]] }} ==== サービス業 ==== [[ファイル:Sansa Odori 2.JPG|thumb|right|[[盛岡さんさ踊り]]の様子]] 観光業の振興に腐心している。[[2007年]](平成19年)には、[[盛岡市]]を舞台にした[[連続テレビ小説|NHK連続テレビ小説]]「[[どんど晴れ]]」が放映され、[[盛岡さんさ踊り]]に訪れた観光客が8.7%増えて128万3000人となり<ref>[http://www.morioka-times.com/news/2007/0708/06/07080602.html 盛岡タイムス] - [[盛岡タイムス]]社、2007年8月6日確認</ref>、一定の効果が上がっている。[[2011年]](平成23年)には、[[奥州藤原氏]]の栄華の遺産「[[平泉|平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―]]」([[平泉町]])が[[世界遺産]]([[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]])に登録された。 == 交通 == 県庁所在地の盛岡市は、県内のみならず[[北東北]]の広域交通網を束ねる拠点として機能しており、新幹線に接続して北東北各地への高速バスが多数発着するほか、盛岡駅では東北新幹線「[[はやぶさ (新幹線)|はやぶさ]]」と秋田新幹線「[[こまち (列車)#沿革|こまち]]」の[[増解結|分割・併合]]も実施している。 === 鉄道 === 岩手県の鉄道網は充実しており、県内の鉄道の総延長は1,000kmを超え、都道府県別では[[北海道]]、[[東京都]]に次いで第3位である。<ref>{{Cite web|和書|title=鉄道路線(都道府県データランキング) |url=https://uub.jp/pdr/t/k.html |website=鉄道路線(都道府県データランキング) |access-date=2022-07-20 |language=ja}}</ref> 県北の[[軽米町]]、[[葛巻町]]、[[九戸村]]以外の全ての自治体に鉄道または[[BRT]]が存在する。<ref>{{Citation|title=【全国】鉄道未通過市町村、各都道府県に最低1つはある説【地理】|url=https://www.youtube.com/watch?v=zrhAQBDl6Uk|language=ja-JP|access-date=2022-07-20}}</ref> [[ファイル:Morioka station.jpg|thumb|right|[[盛岡駅]]]] [[東北新幹線]]で、[[首都圏 (日本)|首都圏]]や[[仙台市|仙台]]、[[青森市|青森]]と結ばれる。その停車駅でもある[[盛岡駅]]は県庁所在地にあり、複数の路線が接続するなど拠点性を有している。 旧国鉄の[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]のほか、新幹線の新規開業に伴う[[在来線#並行在来線|並行在来線]]として分離した[[第三セクター鉄道]]の[[IGRいわて銀河鉄道]]および、旧国鉄の既設線および予定線を承継した[[三陸鉄道]]がある。 東日本大震災や新型コロナウイルスによる影響で利用者が著しく減少しており、東北本線や田沢湖線以外の殆どの路線は輸送密度が1,000人を下回っている。[https://www.jreast.co.jp/press/2022/20220728_ho01.pdf]既に岩泉線については事業者より廃止届が提出され、2014年4月1日をもって廃止されバスに転換された<ref name="jrmorioka20131108">{{PDFlink|[http://www.jr-morioka.com/cgi-bin/pdf/press/pdf_1384311180_1.pdf 岩泉線の廃止について]}} - 東日本旅客鉄道(2013年11月8日付)</ref><ref name="yomiuri20131108">[https://web.archive.org/web/20131112164952/http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20131108-OYT8T00032.htm 岩泉線きょう廃止届 押角トンネルなど無償譲渡] - 読売新聞(2013年11月8日付) ※[[インターネットアーカイブ]]</ref>。 貨物扱いについては、[[盛岡貨物ターミナル駅]]([[盛岡市]][[都南村|都南地区]]及び[[紫波郡]][[矢巾町]])および[[水沢駅]]([[奥州市]][[水沢市|水沢地区]])が[[貨物駅]]となっている。 県内のその他の路線は下記を参照。なお、普通列車の運転頻度は盛岡市内近郊の区間<ref group="注釈">東北本線の北上駅・日詰駅 - 盛岡駅間およびIGRの盛岡駅 - 滝沢駅・好摩駅間は毎時2本程度。</ref>を除いて毎時1本以下である。また、県内における営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。 * 路線 ** [[東日本旅客鉄道]](JR東日本) *** [[東北新幹線]] *** [[東北本線]] *** [[田沢湖線]]([[秋田新幹線]]) *** [[北上線]] *** [[八戸線]] *** [[花輪線]] *** [[釜石線]] *** [[山田線]] *** [[大船渡線]] ** [[IGRいわて銀河鉄道]] *** [[いわて銀河鉄道線]] ** [[三陸鉄道]] *** [[三陸鉄道リアス線|リアス線]] === 路線バス === [[ファイル:Iwatekenkotsu IKK543.JPG|thumb|right|岩手県交通バス]] 沿岸部と内陸部(特に対北部)を結ぶ鉄道のダイヤが極端に少ないため、公共交通による県域横断の手段としては長距離バスが主力になっている。 * [[岩手県交通]] * [[岩手県北自動車]] * [[ジェイアールバス東北]] * [[秋北バス]] * [[岩手急行バス]] * [[早池峰バス]] * [[東磐交通]] * [[東和町総合サービス公社]] * [[岩ケ崎観光タクシー]]([[栗原市民バス]]、路線([[一関市]]〜[[宮城県]][[栗原市]])) === 自動車交通 === {{独自研究|section=1|date=2013年12月 執筆者による論評・観察記録が多く書かれているため。}} 内陸部の縦軸の交通には、[[東北縦貫自動車道]]、[[国道4号]]など、[[自動車]]を用いた高速交通インフラが整っている。その反面、内陸部と沿岸を結ぶ「横軸」の交通は、いまだ急勾配・急カーブの[[一般国道]]レベル([[国道106号]]など)に留まっている。また、道路の舗装率も低く全国最下位である。なお、盛岡市内は道路が入り組んでいることと外環状バイパス道路の整備が不十分であることから、特に朝夕の混雑が激しい。 [[秋田県]][[秋田市]]とは、[[仙岩道路]]([[国道46号]][[バイパス道路|バイパス]])で結ばれており、[[トンネル]]や[[橋梁]]の整備で比較的スムーズな移動が可能である。また[[地域高規格道路]]である[[盛岡秋田道路]]が整備中で[[橋場バイパス]]、[[角館バイパス]]が一部供用中である。 高速道路については首都圏を除いた政令指定都市を抱えていない県では唯一100km/hを超えて走行可能である。 ==== 高速道路 ==== * {{Ja Exp Route Sign|E4}} [[東北自動車道]] * {{Ja Exp Route Sign|E4A}} [[八戸自動車道]] * {{Ja Exp Route Sign|E46}} [[秋田自動車道]] * {{Ja Exp Route Sign|E46}} [[釜石自動車道]] * {{Ja Exp Route Sign|E45}} [[三陸沿岸道路]] **[[三陸縦貫自動車道]] **[[三陸北縦貫道路]] **[[八戸久慈自動車道|八戸・久慈自動車道]] ==== 一般国道 ==== {{Col| * [[国道4号]] * [[国道45号]] * [[国道46号]] * [[国道106号]] * [[国道107号]] | * [[国道281号]] * [[国道282号]] * [[国道283号]] * [[国道284号]] * [[国道340号]] | * [[国道342号]] * [[国道343号]] * [[国道346号]] * [[国道395号]] * [[国道396号]] | * [[国道397号]] * [[国道455号]] * [[国道456号]] * [[国道457号]] }} ==== 県道 ==== * [[岩手県の県道一覧]]を参照 ==== 自動車のナンバープレート ==== [[運輸支局]]は、広大な県土に対し[[紫波郡]][[矢巾町]]所在の本局1箇所のみであり、配下の[[車両検査事務所]]は存在しない。 県内で登録される自動車の[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]]の地名表記は「'''岩手'''」であるが、2014年11月17日より盛岡地域(盛岡市、八幡平市、滝沢市、紫波町、矢巾町)において「'''盛岡'''」ナンバー、胆江・両磐地域(奥州市、一関市、金ケ崎町、平泉町)において「'''平泉'''」ナンバーの使用が開始された。 ''※[[ご当地ナンバー]]も参照。'' === 空港 === * [[花巻空港]](いわて花巻空港) === 港湾 === [[重要港湾]]および主な関連施設を以下に列挙する。 * [[久慈港]] * [[宮古港]] ** 宮古海上保安署 * [[釜石港]] ** 釜石海上保安部([[第二管区海上保安本部]]管轄) * [[大船渡港]] {{See also|日本の漁港一覧#岩手県}} == 医療・福祉 == {{main|Category:岩手県の医療機関}} [[災害拠点病院]] * [[岩手県災害拠点病院]] [[保育所]] * [[岩手県保育所一覧]] == 教育 == [[ファイル:Ipu.JPG|thumb|right|[[岩手県立大学]]の正門]] === 概要 === [[高等学校|高校]]進学率は98.4%と、全国平均を上回るが、大学進学率が逆に10%以上低い<ref>「都道府県別進学率・就園率」島根県庁調査、[[2008年]](平成20年)5月確認</ref>。[[私立学校]]の数が少ないため、[[公立学校]]が圧倒的な比重を占めている。 ;学力向上策 :[[大学入試センター試験]]の平均点が全国最下位<ref>岩手日報社、[[2007年]](平成19年)[[2月13日]]確認</ref> なことから、県は予算を投じて学力の向上に取り組んでいる。[[2005年]](平成17年)度からは、県費で[[予備校]]講師を招く事業を行っているが、この取り組みが主要進学校のみで行われていることに、「主要進学校の実績は堅調なのだから、進学率向上には、それ以外の高校での対策も重要」との意見もある。 なお、首都圏の大学に進学すると費用が高額に上りがちなことから、その対策として、当初は看護系[[単科大学]]となる予定だった[[岩手県立大学]]を、[[総合大学]]に路線変更したこともある。 2009年に一関市の[[岩手県立一関第一高等学校・附属中学校|一関第一高等学校]]に付属中学を設置し、リーダー育成を主眼とした中高一貫教育にも取り組んでいる。 === 教育機関 === {{Col| ; [[大学]] : 国立 :* [[岩手大学]] : 公立 :* [[岩手県立大学]] : 私立 :* [[盛岡大学]] :* [[富士大学]] :* [[岩手医科大学]] :* [[岩手保健医療大学]] }} {{Col| ; [[通信制大学]] : 私立 :* [[放送大学]] 岩手学習センター }} {{Col| ; [[短期大学]] : 公立 :* [[岩手県立大学盛岡短期大学部]] :* [[岩手県立大学宮古短期大学部]] : 私立 :* [[盛岡大学短期大学部]] :* [[修紅短期大学]] }} ; [[高等専門学校]] : 国立 :* [[一関工業高等専門学校]] ; [[専修学校]] :* [[岩手県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] :* [[岩手県特別支援学校一覧]] ; [[高等学校]] :* [[岩手県高等学校一覧]] ; [[中学校]] :* [[岩手県中学校一覧]] ; [[小学校]] :* [[岩手県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] :* [[岩手県幼稚園一覧]] ; その他教育機関 ; [[農業大学校]] :* [[岩手県立農業大学校]] ; [[職業能力開発短期大学校]] :* [[岩手県立産業技術短期大学校]] ; [[海上技術短期大学校]] :* [[国立宮古海上技術短期大学校]] == 報道・通信 == === 新聞社 === ==== 全国紙・広域(ブロック)紙 ==== * [[読売新聞]](支局) * [[朝日新聞]](同) * [[毎日新聞]](同) * [[日本経済新聞]](同) * [[産経新聞]](同) * [[河北新報]](同) <!--* [[日本農業新聞]](同)--><!--一般紙ではないためコメントアウト。--> <!--* [[しんぶん赤旗]](同)--><!--一般紙ではないためコメントアウト。--> <!--* [[公明新聞]](同)--><!--一般紙ではないためコメントアウト。--> <!--* [[聖教新聞]](同)--><!--一般紙ではないためコメントアウト。--> [[全国紙]]は全て東京本社発行の紙面となる。なお地域ニュース面は読売・朝日・毎日は岩手面だが、産経・日経・河北<!--・日本農業・公明-->は岩手単独ではなく東北6県版<!--(しんぶん赤旗は「東北6県&北海道版」)-->として掲載。スポーツ紙([[スポーツニッポン]]・[[日刊スポーツ]]・[[スポーツ報知]]・[[サンケイスポーツ]])の地域ニュース面は全紙が岩手単独ではなく東北6県版となっている。 '''[[ラテ欄]]''' テレビは、朝日・毎日・読売は在盛(盛岡に所在)局を中心に掲載。それ以外は、青森・秋田・岩手の「北東北」3県をまとめて一つの版とする新聞が多い。ただし青森・秋田は民放3局に対し、岩手は民放が4局存在するため、スペースの都合上、岩手の放送局は一列に並ばず、一部局が下段に下げられる、あるいはいわゆる「ハーフサイズ」で掲載する新聞もある。ラジオは、東北各県のAM・FMを掲載している新聞が多いが、聴取困難な[[福島県]]の放送局は割愛される場合もある。<!-- 仔細は以下コメントアウト *全国紙・ブロック紙の岩手版は「北東北版」として岩手・秋田・青森の局をフルサイズで、宮城の局(在仙局)をハーフサイズで各々掲載する新聞が殆どで(毎日・朝日--><!--・聖教--><!--の岩手版TV面は在盛局のみフルサイズで他県局は全てハーフ及び極小サイズで掲載。--> <!--*公明新聞は「北東北版」として在青及び在秋局をメインに扱い、在盛局はIBC・TVIのみフルサイズで、MIT と IAT はハーフサイズで掲載。読売は在盛局と[[宮城テレビ放送|MMT]]をフルサイズ掲載し他県局はハーフ及び極小サイズ。 *日本農業は在盛局と[[青森放送|RAB]]・[[秋田放送|ABS]]・[[仙台放送|OX]]のみをフルサイズ掲載し他県局は非掲載。--> <!--*スポーツ報知は北東北3県局を極小サイズで掲載)、仙台地区(南東北)とは別扱いである。 *河北新報のTV面は岩手版を含む全地域版共に東北6県全ての局をフルサイズで掲載(ただし岩手版は在仙局のみ最終面・在盛局の右隣にハーフサイズ掲載)。 *--><!--しんぶん赤旗・--><!--スポニチは在盛局を含む北東北の局に加え、北海道の局=在札局も極小サイズで掲載。 *日刊スポーツ・スポニチ・サンケイスポーツは「北東北版」として在青・在秋局をメインに扱っている。在盛局は全局フルサイズ掲載だが日刊スポーツはIBCのみフルサイズでありながら下部に、スポニチはNHK教育とIATのみフルサイズでありながら下部に掲載している。一般紙も日経・産経は「北東北版」として在青・在秋局がメインに扱われており、その右隣に在盛局をフルサイズ掲載している。 *ラジオ欄については、読売・毎日は(福島県を除く)東北各県局に加え在京AM局も掲載(毎日は[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBS]]・[[文化放送|QR]]・[[ニッポン放送|LF]]を、読売は前述3局に加え[[RFラジオ日本]]も掲載)。その他の新聞は、在盛局を含む東北各県局のみを掲載している(河北・読売は東北6県全局掲載、その他新聞は在福島局のみ非掲載)。--> ==== 地方紙 ==== * [[岩手日報]]([[盛岡市]]) * [[盛岡タイムス]](同) * [[胆江日日新聞]]([[奥州市]]) ** 奥州平泉観光新聞 * [[岩手日日]]([[一関市]]) * [[岩手東海新聞]](休刊中、[[釜石市]]) * [[東海新報]]([[大船渡市]]) * [[デーリー東北]](支局) ; ラテ欄 :* 岩手日報がTVは在盛局を最終面にフルサイズ掲載。ラジオ面(中面)には「第2TV」として在青局&在仙局をハーフサイズ掲載。ラジオは在盛局・コミュニティFMのみで他県局は非掲載。 :* 盛岡タイムスはTV・ラジオ共に最終面に在盛局のみを掲載し他県局は非掲載。 :* 岩手日日はTVが在盛局を最終面にフルサイズで、在仙局はその右隣にハーフサイズで各々掲載。ラジオは在盛局と在仙局を中面に掲載し、TV面とは完全に分割されている。 :* デーリーは青森県三八上北地方が取材・購読地域の中心であることから、在盛局はmitのみ最終面に在青局と同一サイズで掲載し、その他在盛局はその右隣にハーフサイズ掲載。ラジオは中面に在盛局・在青局同一サイズで掲載(その右隣には在京AM局=TBS・QR・LFを極小サイズで掲載)。 ===== 通信社 ===== * [[共同通信]](同) * [[時事通信]](同) ==== 放送局 ==== * デジタルテレビ・県域FM局・補完FM局の親局送信所はいずれも[[新山 (紫波町)]]に設置されている。 ===== 県域放送 ===== ; [[日本放送協会]] (NHK) [[NHK盛岡放送局|盛岡放送局]] : [[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタルテレビ放送]](地デジ)リモコンID : 総合1、教育2 ; [[IBC岩手放送]] (IBC) : テレビ:[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列・地デジリモコンID : 6。 ラジオ:[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列。[[1953年]](昭和28年)12月25日ラジオ開局・[[1959年]](昭和34年)9月1日TV開局)<ref group="注釈">JNN系列局が存在しない秋田県の全国報道取材も行う。CATV経由で秋田市にも再送信。</ref> ; [[テレビ岩手]] (TVI) : [[日本ニュースネットワーク|NNN]]・[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]系列、地デジリモコンID : 4。[[1969年]](昭和44年)12月1日開局<ref group="注釈">開局当初は盛岡市茶畑二丁目に本社演奏所があった。のちに現在地の盛岡市内丸に移転。</ref>。通常時終夜放送を行っている。かつては[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]にも加盟していた。 ; [[エフエム岩手]] (FMI) : [[全国FM放送協議会|JFN]]系列、[[1985年]](昭和60年)10月1日開局<ref group="注釈">開局当初は盛岡市盛岡駅前通8番17号の小岩井明治安田ビル2階に本社演奏所があったが、[[2006年]](平成18年)に現在のTVI本社ビル7階へ移転。</ref> ; [[岩手めんこいテレビ]] (mit) : [[フジニュースネットワーク|FNN]]・[[フジネットワーク|FNS]]系列、地デジリモコンID : 8。[[1991年]](平成3年)4月1日開局<ref group="注釈">開局当初は水沢市佐倉河に本社演奏所を、盛岡市本宮に業務センターを置いていたが、のちに盛岡業務センターを本社に格上げ・機能拡充する形で演奏所を移転。奥州市の旧本社跡は「めんこい美術館」に衣替えし、業務センターは奥州市に置かれて現在に至る。</ref>)<ref group="注釈">FNN/FNS系列局が存在しない青森県の全国報道取材も行う。CATV経由で青森県三八上北地方にも再送信([[折爪岳]]からの電波の直接受信も可)。</ref> ; [[岩手朝日テレビ]] (IAT) : [[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]系列、地デジリモコンID : 5。[[1996年]](平成8年)10月1日開局 ===== コミュニティ放送 ===== * 内陸 ** [[カシオペアFM]]([[二戸市]] J-WAVEを配信)※IBC岩手放送のFM補完放送開始前は、同局の番組も配信していた ** [[ラヂオもりおか]]([[盛岡市]] J-WAVEを配信) ** [[えふえむ花巻|FM One]]:([[花巻市]] ミュージックバードを配信) ** [[北上ケーブルテレビ|きたかみE&Beエフエム]](北上市 J-WAVEを配信) ** [[奥州エフエム放送]]([[奥州市]] ミュージックバードを配信) ** [[一関コミュニティFM|FMあすも]]([[一関市]] J-WAVEを配信) * 三陸沿岸 ** [[宮古エフエム放送|みやこハーバーラジオ]]([[宮古市]] ミュージックバードを配信) ** [[FMねまらいん]]([[大船渡市]] ミュージックバードを配信) ==== ケーブルテレビ ==== * [[:Category:岩手県のケーブルテレビ局|岩手県のケーブルテレビ局]] 県内の民間放送局が2局しか無かったころは、[[仙台放送]]や[[東日本放送]]を中心に宮城県の民間放送局の再送信が行われていたが、民間放送局が4局揃った現在では再送信は全て中止されている。 == 文化・スポーツ == === 方言 === {{See also|南部弁|岩手県南部方言|ケセン語}} 岩手県の方言研究は、南部藩士である服部武喬が1790年(寛政2年)に著した『御国通辞』において黎明とされる。『御国通辞』では主に日常的に使用される語彙567語を、江戸語の「こほる(凍る)」と[[盛岡弁|盛岡方言]]の「しみる」に対応させて挙げ連ねる形をとっている。服部武喬前後の研究として、黒川盛隆の『谷の下水(1799年)』と小本村司の『杜陵方言考(1877年)』があり、いずれも語彙集である。 1903年(明治36年)に国語調査委員会の方言調査が実施されたのをきっかけに、各地域の学校・個人による調査・研究が盛んに行なわれた。大きく2地域から4地域に分けられるとされ、4地域に分ける場合、洋野町から西和賀町まで秋田・青森県に隣接する帯状の北部方言地域、久慈市沿岸から釜石市北部までの沿岸方言地域、盛岡を中心に遠野市中部・北上市北部までの中部方言地方、横は金ケ崎町から大船渡市までの南部方言地方となる<ref>本堂寛作成の『日本言語学地図』を参照</ref>。 === 食文化 === {{See also|Category:岩手県の食文化}} '''郷土料理''' {{Main|日本の郷土料理一覧#岩手県}} '''名産品・料理''' {{Col| * [[前沢牛]] * [[江刺りんご]] * 三陸[[わかめ]] * [[白金豚]] | * [[日本短角種|いわて短角牛]] * [[南部せんべい]] * [[ゆべし]] * [[まめぶ汁]] }} === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] :* [[南部鉄器]](金工品、[[1975年]]) :* [[岩谷堂箪笥]](木工品、[[1982年]]) :* [[秀衡塗]](漆器、[[1985年]]) :* [[浄法寺塗]](漆器、1985年) '''伝統工芸品''' {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#岩手県}} === スポーツ === {{See also|Category:岩手県のスポーツチーム}}岩手県では[[プロ野球選手]]や[[メジャーリーガー]]を多数輩出していて、[[大谷翔平]]([[ロサンゼルス・エンゼルス|ロサンゼルスエンゼルス]])、[[菊池雄星]]([[トロント・ブルージェイズ|トロントブルージェイズ]])、[[佐々木朗希|佐々木郎希]]([[千葉ロッテマリーンズ]])らを輩出している。{{Col| ;サッカー :* [[いわてグルージャ盛岡]]([[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]) :* [[盛岡ゼブラ]]([[東北社会人サッカーリーグ]]1部) :* [[FCガンジュ岩手]](東北社会人サッカーリーグ1部) :* [[富士大学サッカー部|富士クラブ2003]](東北社会人サッカーリーグ1部) :* [[新日鐵住金釜石サッカー部]](東北社会人サッカーリーグ2部) :* [[水沢サッカークラブ]](東北社会人サッカーリーグ2部) :* [[ヌ・ペーレ平泉前沢]](東北社会人サッカーリーグ2部) :* [[大宮サッカークラブ]](東北社会人サッカーリーグ2部) :* [[富士大学サッカー部|FC Fuji 08]](東北社会人サッカーリーグ2部) :* [[遠野クラブ]](東北社会人サッカーリーグ2部) :* [[花巻フットボールクラブ]](東北社会人サッカーリーグ2部) :* [[FC紫波]]([[岩手県社会人サッカーリーグ]]1部) ; フットサル :* [[ステラミーゴいわて花巻]] ; ラグビー :* [[日本製鉄釜石シーウェイブス]]([[JAPAN RUGBY LEAGUE ONE]]) | ; バスケットボール :* [[岩手ビッグブルズ]]([[ジャパン・バスケットボールリーグ]]) ; 野球 :* [[フェズント岩手]] :* [[水沢駒形野球倶楽部]] :* [[トヨタ自動車東日本硬式野球部]] ; ボクシング :* [[ミナノボクシングジム]] ; プロレス :* [[みちのくプロレス]] ; 競馬 :* [[岩手県競馬組合]] }} == 観光 == {{main|岩手県の観光地}} {{main|岩手県指定文化財一覧|北海道・東北地方の史跡一覧#岩手県|岩手県の城}} === 世界遺産 === :* [[平泉|平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群]](岩手県)(平成23年記載) :* [[明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業]](岩手県、静岡県、山口県、福岡県、熊本県、佐賀県、長崎県、鹿児島県)(平成27年記載) :* [[北海道・北東北の縄文遺跡群]](北海道、青森県、岩手県、秋田県)(令和3年記載) === 有形文化財建造物 === ; [[国宝]] :* [[中尊寺金色堂]] (平泉町) == 岩手県出身の人物 == {{see|岩手県出身の人物一覧}} == 県民栄誉賞受賞者 == 広く県民に敬愛され、県民に明るい希望と活力を与えることに顕著な業績があった者について、その栄誉を讃えることを目的とする<ref>[http://www.pref.iwate.jp/dbps_data/_material_/_files/000/000/011/666/20090831_1.pdf 私立花巻東高等学校野球部に対する県民栄誉賞の授与について]</ref>。 # [[新日本製鐵株式会社]] [[釜石製鉄所]]ラグビー部(1985年1月) # [[日蔭暢年]](1985年10月) # [[三ヶ田礼一]](1992年2月) # [[盛岡商業高等学校]]サッカー部(2007年1月) # [[花巻東高等学校]]硬式野球部(2009年10月) # [[岩清水梓]](2011年8月) # [[小林陵侑]]<ref>[https://www.pref.iwate.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/019/620/01kobayashi_kenmineiyo0412.pdf 小林 陵侑選手に対する県民栄誉賞の授与について]</ref>(2019年5月) # 小林陵侑(2回目)<ref>[https://www.pref.iwate.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/053/550/01_jinnjikahaihusiryou.pdf 小林 陵侑選手に対する県民栄誉賞の授与について]</ref>(2022年5月) == 岩手県を舞台とした作品 == {{see|岩手県を舞台とした作品一覧}} === 文芸 === {{Col| * 陸奥甲冑記([[澤田ふじ子]]) * あこがれ ([[石川啄木]]) * [[遠野物語]] ([[柳田國男]]) * [[炎立つ (小説)|炎立つ]]([[高橋克彦]]) * [[ポラーノの広場]] ([[宮沢賢治]]) * [[ユタとふしぎな仲間たち]]([[三浦哲郎]]) * [[壬生義士伝]] ([[浅田次郎]]) | * [[吉里吉里人]]([[井上ひさし]]) * 無医村に花は微笑む(将基面誠) * 球形の季節([[恩田陸]]) * [[蒼茫の大地、滅ぶ]]([[西村寿行]]) * 鬼死骸村の殺人([[吉村達也]]) * [[タマラセ]] (ライトノベル 作:[[六塚光]]) * [[岬のマヨイガ]]([[柏葉幸子]]) }} === 音楽 === {{Col| * 北上夜曲 / 安藤睦夫作曲 * 遠野物語 / [[あんべ光俊]] * イーハトーブの風 / あんべ光俊作曲 * 緑の町に舞い降りて -Ode of Morioka- / [[松任谷由実]] * 盛岡ブルース / [[青江三奈]] * 江釣子のおんな / [[成世昌平]]、[[竹川美子]] * [[北山崎]] / [[水田竜子]] | * 姫風/ [[紅音]] * 三陸・大船渡 / [[新沼謙治]] * どんと来い!岩手、どんと来い!岩手 パートⅡ / 秋本清・秋本絢子 * みちのく平泉、[[石割桜]] / [[大沢桃子]] * 雪 / [[吉田拓郎]] 岩手放送の女性をモデルにして作った曲 * 南部蝉しぐれ / [[福田こうへい]]  }} === 映画 === {{Col| * [[情熱の詩人啄木]](1936年) * [[風の又三郎]](1940年) * [[馬 (映画)|馬]](1941年) * [[花くれないに]](1957年) * [[大怪獣バラン]](1958年) * [[九十九本目の生娘]](1959年) * [[大いなる旅路]](1960年) * [[北上夜曲]](1961年) * [[北上川の初恋]](1961年) * [[われ一粒の麦なれど]](1964年) * [[家族 (映画)|家族]](1970年) * [[愛と死]](1971年) * [[同胞 (映画)|同胞]](1975年) * [[八つ墓村]](1977年) * [[イーハトーブの赤い屋根]](1978年) * [[トラック野郎 一番星北へ帰る]](1978年) * [[子育てごっこ]](1979年) * [[時代屋の女房]](1983年) * [[男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎]](1984年) * [[風の又三郎 ガラスのマント]](1989年) * [[息子 (映画)|息子]](1991年) | * [[あふれる熱い涙]](1992年) * [[釣りバカ日誌6]](1993年) * [[(ハル)]](1996年) * [[わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語]](1996年) * [[宮澤賢治 その愛]](1997年) * [[私の骨]](2001年) * [[壬生義士伝]](2003年) * [[待合室 (映画)|待合室]](2005年) * [[河童のクゥと夏休み]](2007年) * [[伊藤の話]](2007年) * [[しあわせカモン]](2009年) * [[こつなぎ 山を巡る百年物語]](2009年) * [[HOME 愛しの座敷わらし]](2012年) * [[よだかのほし]](2012年) * [[遺体 明日への十日間]](2013年) * [[山懐に抱かれて]](2019年) * [[風の電話]](2020年) * [[影裏]](2020年) * [[すずめの戸締まり]](2022年) * [[銀河鉄道の父#映画|銀河鉄道の父]](2023年) * [[釜石ラーメン物語]](2023年) }} === ドラマ === * [[あの人は帰ってこなかった]](1965年) * [[夏の故郷]](1976年) * [[炎立つ (NHK大河ドラマ)|炎立つ]](1993年)奥州市 * [[鬼ユリ校長、走る!]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]]、1994年)花巻市 * [[イーハトーブの幽霊]](2000年) * [[義経 (NHK大河ドラマ)|義経]](2005年)奥州市 * [[連続テレビ小説]]「[[どんど晴れ]]」(2007年)盛岡市 * 連続テレビ小説「[[あまちゃん]]」(2013年)久慈市 === 漫画・アニメ === * [[グスコーブドリの伝記]] (アニメ 原作:[[宮沢賢治]] 監督/脚本 :[[中村隆太郎]]) * [[セロ弾きのゴーシュ]] (アニメ 原作:[[宮沢賢治]] 監督/脚本 :[[高畑勲]]) * [[イーハトーブ幻想〜KENjIの春]] (アニメ 監督/脚本:[[河森正治]]) * [[ふしぎ遊戯]] (漫画/アニメ 原作:[[渡瀬悠宇]] 監督 :[[亀垣一]]) * [[魔法遣いに大切なこと]] (漫画 原作:[[山田典枝]] 作画:[[よしづきくみち]]) * [[六三四の剣]] (漫画 作:[[村上もとか]]) * [[とりぱん]] (漫画 作:[[とりのなん子]]) * まますたGoo! (漫画 作:[[五十嵐大介]]) * リトル・フォレスト(漫画 作:[[五十嵐大介]]) * プチッコホーム (漫画 作:[[佐藤智一]]) * [[ルパン三世 (TV第2シリーズ)]] 第37話「ジンギスカンの埋蔵金」(漫画 原作:[[モンキー・パンチ]] 監督:[[鈴木清順]]) * [[ゴルゴ13]] 「穀物戦争 蟷螂の斧」 (漫画 作:[[さいとうたかを]]) * ゴルゴ13 「穀物戦争 蟷螂の斧 汚れた金」 (漫画 作:さいとうたかを) * [[ロン先生の虫眼鏡 (漫画)|ロン先生の虫眼鏡]] (漫画 原作[[光瀬龍]]・作画[[加藤唯史]]) * [[いぬかみっ!]] (ライトノベル・アニメ 原作:[[有沢まみず]] 監督:[[草川啓造]]) * [[水木しげるの遠野物語]]([[水木しげる]]) * [[コミックいわて]](オムニバス漫画集) * [[ハヤチネ!]](漫画 作:[[福盛田藍子]]) * [[ルパン三世 東方見聞録 〜アナザーページ〜]] * [[彼女とカメラと彼女の季節]] (漫画 作:[[月子 (漫画家)|月子]]) * [[犬神さんと猫山さん]](漫画 作:[[くずしろ]]) * ニタイとキナナ(漫画 作:[[高室弓生]]) * [[岬のマヨイガ#アニメ映画|岬のマヨイガ]](アニメ:原作:柏葉幸子 監督:[[川面真也]]) === ゲーム === * [[アノニマス (ゲーム)]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == <!-- 実際に参考にした文献一覧 --> *{{Cite book|和書 |author= 細井計|authorlink=細井計 |coauthors = [[伊藤博幸]]・[[菅野文夫]]・[[鈴木宏]] |date = 1999-08 |title = 岩手県の歴史 |series = 県史 [[児玉幸多]] 監修 3 |publisher = 山川出版社 |isbn = 4-634-32030-4 |ref = 細井ほか1999 |oclc = 42967226 }} *日野資純・飯豊毅一・佐藤亮一 編「講座方言学 4 ―北海道・東北地方の方言―」国書刊行会、1998年 ISBN 978-4-336-01975-2 ==関連文献== *{{Cite book |和書 |author=一戸隆次郎|authorlink=|editor = |year=1897|title=岩手県郷土史|publisher=吉川半七|id={{NDLJP|763238}}|quote= }} == 関連項目 == <!-- 関連するウィキリンク、ウィキ間リンク --> * [[:Category:岩手県]] * [[陸中国]] * [[陸前国]] * [[陸奥国 (1869-)|陸奥国]] * [[特別:CategoryTree/岩手県|岩手県カテゴリのカテゴリツリー]] * [[岩手県庁]] * [[岩手県の観光地]] * [[岩手県の県道一覧]] * [[岩手県高等学校一覧]] ** [[岩手県高等学校の廃校一覧]] * [[岩手県中学校一覧]] ** [[岩手県中学校の廃校一覧]] * [[岩手県小学校一覧]] * [[岩手県出身の人物一覧]] * [[岩手・宮城内陸地震]] * [[日本の地方公共団体一覧]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/岩手県|break=yes}} {{Multimedia|岩手県の画像}} {{Sisterlinks|wikt=|b=|q=|s=|commons=Iwate prefecture|commonscat=Iwate prefecture|n=Category:岩手県|v=no|voy=岩手県|d=Q48326|species=Iwate prefecture}} * {{Osmrelation|3792412}} * {{Official website|name=岩手県公式サイト}} * {{Twitter|pref_iwate|岩手県広聴広報課}}(公式アカウント) * {{Twitter|iwate_bousai|岩手県総合防災室}} * {{Twitter|iwatevscovid19|岩手県新型コロナウイルス感染症対策本部【公式】}} * {{Facebook|pref.iwate|岩手県広聴広報課}}(公式アカウント) * [https://iwatetabi.jp/ いわての旅] - 岩手県観光協会 {{s-start}} {{s-bef|before=[[盛岡藩]] ---- [[磐井県]]の一部([[陸中国]])|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1870年]] -|years2=盛岡県→岩手県}} {{s-aft|after=-----|表記=次}} {{S-end}} {{日本の都道府県}} {{岩手県の自治体}} {{岩手県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:いわてけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:岩手県|*]]
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個人
個人(こじん)とは、 日本語の「個人」という言葉は江戸時代にはみられない。服部徳の『民約論』(1877年(明治10年))には一個ノ人という言葉がみえ、高橋達郎の『米國法律原論』(同)には独立人民や各個人々となり、青木匡が訳した『政体論』(1878年(明治11年))では一個人となり、ついに文部省の訳『独逸國學士佛郎都氏 國家生理学(第二編)』(1884年(明治17年))で「個人」という言葉が記述された。これはIndividualの訳語といわれる。 『経営者の役割』(1938年) などで知られるチェスター・バーナードの組織論では個人(the individual)と人間(the person)の概念を区別している。バーナードの組織論では、「個人」は物的、生物的、社会的要因の統合物で没理論的な存在とするが、「人間」は自由意志と選択力をもつ意思決定者で論理的・合理的存在であるとしている。 また、バーナードの組織論では、単純なFO(formal organization)である単位組織を理念型とし、FOに参加する者は「個人人格」と「組織人格」の二重の人格を持つとする。その上で各人(貢献者)は個人人格によってFOに参加(貢献)するか否かを金銭的報酬や活動の社会的意義、ステータスなどの誘因により決定し、「誘因」と「貢献」のバランスが保たれる限りFOへの参加を個人は受け入れるとし、それに参加する限り組織人格が個人を支配するとしている。 「組織 / その組織を構成する個々の人」の対比は、法律用語では講学上「法人 / 自然人(英: natural person)」という用語を用いて行っている。日本の法律における文言では「人」になっている場合も「自然人」の場合も「個人」の場合もある。
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個人(こじん)とは、 社会集団と対比されている概念であり、社会集団を構成する個々の人のこと。 所属する団体やその地位などとは無関係な立場に立った人間としての一人。私人。
'''個人'''(こじん)とは、 # 社会集団と対比されている概念であり、社会集団を構成する個々の[[人間|人]]のこと<ref name="koujien">広辞苑「個人」</ref>。 # 所属する団体やその地位などとは無関係な立場に立った人間としての一人<ref name="daijisen">大辞泉「個人」</ref>。[[私人]]<ref name="daijisen" />。 == 概説 == {{出典の明記|date=2022年4月|section=1}} 日本語の「個人」という言葉は[[江戸時代]]にはみられない。服部徳の『民約論』([[1877年]]([[明治]]10年))には一個ノ人という言葉がみえ、高橋達郎の『米國法律原論』(同)には独立人民や各個人々となり、[[青木匡]]が訳した『政体論』([[1878年]](明治11年))では一個人となり、ついに[[文部省]]の訳『独逸國學士佛郎都氏 國家生理学(第二編)』([[1884年]](明治17年))で「個人」という言葉が記述された。これはIndividualの訳語といわれる。 == 個人と組織 == 『経営者の役割』(1938年) などで知られる[[チェスター・バーナード]]の組織論では個人(the individual)と人間(the person)の概念を区別している<ref name="Barnard">{{Cite web|和書|author=伊藤博之|url=https://www.econ.shiga-u.ac.jp/ebr/Ronso-410ito.pdf|title=組織論と組織統治論1|publisher=滋賀大学 |accessdate=2022-04-01}}</ref>。バーナードの組織論では、「個人」は物的、生物的、社会的要因の統合物で没理論的な存在とするが、「人間」は自由意志と選択力をもつ意思決定者で論理的・合理的存在であるとしている<ref name="Barnard" />。 また、バーナードの組織論では、単純なFO(formal organization)である単位組織を理念型とし、FOに参加する者は「個人人格」と「組織人格」の二重の人格を持つとする<ref name="Barnard" />。その上で各人(貢献者)は個人人格によってFOに参加(貢献)するか否かを金銭的報酬や活動の社会的意義、ステータスなどの誘因により決定し、「誘因」と「貢献」のバランスが保たれる限りFOへの参加を個人は受け入れるとし、それに参加する限り組織人格が個人を支配するとしている<ref name="Barnard" />。 == 法律と個人 == 「組織 / その組織を構成する個々の人」の対比は、[[法用語一覧|法律用語]]では講学上「[[法人]] / [[自然人]]({{lang-en-short|''natural person''}})」という用語を用いて行っている。日本の法律における文言では「人」になっている場合も「自然人」の場合も「個人」の場合もある<ref group="注">ただし、「個人的な」(personal)「個人的に」(personally) という場合には、自然人に限らないこともある。「''[[株主]]は、[[株式会社]]の債務につき、個人的に責任を負わない。''」など。この場合、株主が法人の場合もあるわけである。</ref>。 == 脚注 == ; 注 {{Reflist|group="注"}} ; 出典 {{Reflist}} == 関連項目 == * [[自律]] * [[プライベート]] {{Wiktionary|個人}} * [[特別:検索/intitle:個人|「個人」を含む記事名一覧]] * 個人責任([[:en:individual responsibility|individual responsibility]]) {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こしん}} [[Category:哲学の概念]] [[Category:人間]] [[Category:人権]] [[Category:徳]]
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赤石路代
赤石 路代(あかいし みちよ、1959年10月11日 - )は、日本の女性漫画家。埼玉県浦和市出身。武蔵野美術大学卒業。 浦和第一女子高等学校時代は漫画同好会に所属。1979年、小学館新人コミック大賞に入選。1980年、『別冊少女コミック』1月増刊号掲載の「マシュマロティーはひとりで」でデビュー。1993年、「ワン・モア・ジャンプ」で第39回(平成5年・1993年度)小学館漫画賞児童部門を受賞。 その後、『月刊フラワーズ』で「めもくらむ〜大正キネマ浪漫〜」で完結、『姉系プチコミック』で「うしろに何かみえてますが」を連載中。『ミステリーボニータ』で不定期連載していた「天の神話 地の永遠シリーズ」完結。 『月刊フラワーズ』にて新連載「神無月紫子の優雅な暇潰し」が、そして『ミステリーボニータ』で「P.A.(プライベート・アクトレス)」の次世代編「P.As.(プライベート・アクターズ)〜風と共に来たりぬ〜」がスタートした。 Twitterで自身のアカウントにアクセスできなくなり、新しいアカウント「赤石路代2(@akaishimichiy0)」を作った。
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赤石 路代は、日本の女性漫画家。埼玉県浦和市出身。武蔵野美術大学卒業。
<!-- 要出典部分をコメントアウトしました(2013.04) {{存命人物の出典明記|date=2012年1月}} --> {{Infobox 漫画家 | 名前 = 赤石 路代 | ふりがな = あかいし みちよ | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = 山下 路代(旧姓:赤石){{Efn2|p. 40より:結婚後の本名及び旧姓が併記されている{{Sfn|日本漫画家名鑑500編集委員会|1992|p=40-41}}<ref name="mangaseek"/>。}}。<!-- 存命人物であるため、出典記載の上公開をお願いいたします。 山下 路代(旧姓:赤石)<br/>(やました みちよ)--> | 生地 = [[日本]]・[[埼玉県]][[さいたま市]](旧・浦和市) | 国籍 = | 生年 = {{生年月日と年齢|1959|10|11}} | 没年 = | ジャンル = [[少女漫画]] | 活動期間 = [[1980年]] - | 職業 = [[漫画家]] | 代表作 = 『天よりも星よりも』<br />『アルペンローゼ』など{{Sfn|日本漫画家名鑑500編集委員会|1992|p=40-41}}<!-- 「代表作を挙げた出典」に基づき記載 --> | 受賞 = {{Awards|award=[[小学館漫画賞]]児童部門 |year=1993 |title=[[ワン・モア・ジャンプ]]}} | 公式サイト = [https://michiyo244.wix.com/redroad<br/>『 Akaishi Michiyo Official Site 』] }} '''赤石 路代'''(あかいし みちよ、[[1959年]][[10月11日]]<ref name="mangaseek">{{Cite book|和書|author1=まんがseek|author2=日外アソシエーツ編集部|title=漫画家人名事典|publisher=[[日外アソシエーツ]]|date=2003-02-25|edition=初版|id={{全国書誌番号|20379514}}|isbn=4-8169-1760-8|ncid=BA60744327|oclc=674855721|asin=4816917608|page=8}}</ref> - )は、[[日本]]の女性{{R|mangaseek}}[[漫画家]]。[[埼玉県]][[浦和市]]{{Efn2|2001年に合併で[[さいたま市]]に。}}出身{{R|mangaseek}}。[[武蔵野美術大学]]<ref name="blogprof">{{Cite web|和書|url=https://profile.ameba.jp/ameba/michiyoakaishi/|title=RED ROAD 公式ブログ 赤石路代のプロフィール|author=赤石路代|accessdate=2013-04-06}}</ref>卒業。 <!-- 以下、要出典から1年以上経過していることもあり、存命人物の情報であるためコメントアウトしました。 出典を加えての公開をお願いいたします。(2013年4月) --> <!-- 本名:山下{{要出典範囲|(旧姓:赤石)|date=2012年1月}}路代{{R|mangaseek}}。{{要出典範囲|[[埼玉県立浦和第一女子高等学校]]|date=2012年1月}}から[[武蔵野美術大学]]<ref>[https://profile.ameba.jp/ameba/michiyoakaishi/ RED ROAD 公式ブログ 赤石路代のプロフィール]</ref>{{要出典範囲|[[造形学部]]芸能デザイン学科卒業|date=2012年1月}}。 --> == 概要 == [[埼玉県立浦和第一女子高等学校|浦和第一女子高等学校]]時代は漫画同好会に所属<ref>{{Cite web|和書|title=赤石路代先生参加の作品展があります。|url=https://flowers.shogakukan.co.jp/migration/news/news_20200928a.html|website=小学館コミック「月刊flowers」公式サイト|accessdate=2021-03-30}}</ref>。[[1979年]]、[[小学館新人コミック大賞]]に入選。[[1980年]]、『[[ベツコミ|別冊少女コミック]]』1月増刊号掲載の「マシュマロティーはひとりで」でデビュー。[[1993年]]、「[[ワン・モア・ジャンプ]]」で第39回(平成5年・[[1993年]]度)[[小学館漫画賞]]児童部門を受賞。 その後、『[[月刊フラワーズ]]』で「[[めもくらむ〜大正キネマ浪漫〜]]」で完結、『[[プチコミック|姉系プチコミック]]』で「うしろに何かみえてますが」を連載中。『[[ミステリーボニータ]]』で不定期連載していた「[[天の神話 地の永遠]]シリーズ」完結。 『月刊フラワーズ』にて新連載「神無月紫子の優雅な暇潰し」が、そして『ミステリーボニータ』で「[[P.A.|P.A.(プライベート・アクトレス)]]」の次世代編「P.As.(プライベート・アクターズ)〜風と共に来たりぬ〜」がスタートした。 Twitterで自身のアカウントにアクセスできなくなり、新しいアカウント「赤石路代2(@akaishimichiy0)」を作った。 == 作品リスト == === 連載コミック === * [[ベツコミ|別冊少女コミック]]連載 ** 燃えてMIKO(原作:[[牛次郎]])(全4巻、文庫版全2巻) ** [[ないしょのハーフムーン]](全6巻、文庫版全3巻) *** [[高井麻巳子]]主演で単発テレビドラマ化された(『[[月曜ドラマランド]]』枠) ** 姫100%(全4巻、文庫版全2巻) ** [[「あると」の「あ」]](全4巻、文庫版全2巻) *** 読み切り『フェアレディは涙をながす』4巻に収録 ** アスターリスク(全2巻、文庫版全1巻) * [[ちゃお]]連載 ** [[アルペンローゼ (漫画)|アルペンローゼ]](全9巻、FCDX版全4巻) *** 『炎のアルペンローゼ』というタイトルでテレビアニメ化された ** [[天よりも星よりも]](全8巻、ワイド版全4巻、文庫版全4巻) ** ふ・し・ぎ・のRIN(全6巻) ** [[ワン・モア・ジャンプ]](全9巻、FCDX全4巻) ** [[夜がおわらない]](全3巻) * [[プチコミック]]、姉系プチコミック連載 **[[P.A.|P.A. プライベートアクトレス]](全8巻と特別編、文庫版全4巻) (2017年プチコミック40周年企画で新作が描かれた単行本未収録) ***[[榎本加奈子]]主演でテレビドラマ化された ** [[SILENT EYE]](全6巻、文庫版全3巻) ** [[シネマの帝国]](全4巻、文庫版全2巻) ** [[VIDEO J]](全3巻) ** [[エキストラ・ガール]](全4巻) ** [[鎌倉けしや闇絵巻]](全7巻) ** うしろに何かみえてますが(既刊4巻) * [[月刊Asuka]]連載 ** [[SAINT (漫画)|SAINT]](全5巻、文庫版全3巻) * [[歴史ロマンDX]]連載 ** [[アレクサンダー大王 -天上の王国-]](全1巻) * [[Cheese!]]連載 ** [[永遠かもしれない|永遠(とわ)かもしれない]](全8巻、文庫版全4巻) * [[Judy]]連載 ** [[市長 遠山京香]](全11巻) * [[プチフラワー]]、[[月刊フラワーズ]]連載 ** [[AMAKUSA1637]](全12巻) ** [[暁のARIA]](全14巻) ** [[エンジェル・トランペット]](全13巻) ** [[めもくらむ〜大正キネマ浪漫〜]](全6巻) ** 神無月紫子の優雅な暇潰し(既刊9巻) * [[増刊flowers|凛花]]連載 ** [[アレクサンダー大王 -天上の王国-]](『歴史ロマンDX』に連載されたものの続編、全3巻) * [[ミステリーボニータ]]連載 **[[天の神話 地の永遠]](全14巻) *** 『永遠(とわ)かもしれない』の続編 ** P.As.(プライベート・アクターズ)(既刊3巻) *** 『[[P.A.|P.A.(プライベート・アクトレス)]]』の新世代編 * [[ChuChu]]連載 ** [[ファイヤー オン アイス]](全1巻) === 短編 === * マシュマロティーはひとりで‥(『別冊少女コミック増刊』1980年1月号) * ドヌーブにはなれないけど(『別冊少女コミック増刊』1980年5月号) * 殺し文句を推理して(『別冊少女コミック』1980年10月号) * ティータウンのうさぎたち(『別冊少女コミック』1980年12月号) * ラブ・ウォーズ81(『別冊少女コミック増刊』1981年1月号) * ラブカウント0-0(ラブオール)(『別冊少女コミック』1981年8月号) * サンシャイン・ランナー(『別冊少女コミック』1982年4月号 - 5月号) * ロンドン時間で会おうね(『ちゃお』1982年12月号) * スパークリング・ストリート(『別冊少女コミック増刊』1982年7月号) * アスファルト・プリンス?SSシリーズ2(『別冊少女コミック増刊』1983年4月号) * 6秒の9月(『別冊少女コミック』1983年9月号) * キャッチ30秒(『別冊少女コミック』1984年1月号 - 2月号) * 狼は翔けてゆく?SSシリーズ3(『別冊少女コミック増刊』1984年2月号) * アイドルはだれだ!!(1979年作品、『ポシェット』1984年vol7) * トワイライトの猫だから(『別冊少女コミック』1984年 4月号) * ラビュリントスの夜(『別冊少女コミック』1985年5月号) * アンダー・スタディー(『別冊少女コミック』1985年12月号 - 1986年1月号) * バーミリオンオーラ?SSシリーズ4(『別冊少女コミック増刊』1986年1月号) * 今夜はフィジカル?SSシリーズ番外編(単行本書き下ろし、1987年) * マリリンのどこがいいの(『ちゃおデラックス』1987年冬の号) * その日は金曜日(『別冊少女コミック』1989年9月号) * 土曜日にはきっと行くから(『ASUKA』1990年12月号) * ヴィヴィアン・リーが殺した(『プチコミック』1991年2月号) * フェアレディは涙をながす(『別冊少女コミック』1991年7月号) * W?影のない午後(『ちゃおDX』1991年夏休み増刊号) * サンライズレッド?SSシリーズ5(『ちゃおDX』1992年冬休み増刊号) * NEWS6:30(『プチコミック』1995年6月号) * 健全な精神は健全な肉体に宿るわけではない(『少女コミックCheese! 増刊』1995年9月15日号) * TRUE COLOR(1995年TRUE COLOR書き下ろし) * フ・リ・ンということ(『少女コミックCheese!増刊』1996年1月15日号) * そして天使は微笑んだ(『プチコミック』1996年7月号) * 雨の似合う部屋(『少女コミックCheese!』1996年10月号 - 11月号) * LANDRY(『少女コミックCheese!』1997年4月号) * かたつむりの時間(『少女コミックCheese!』1997年7月号) * ストロベリームーン(『プチコミック』1998年10月号) * そして白くふりつもる?永遠かもしれない番外編(『少女コミックCheese!』2000年5月20日号) * NEWS9:05(『プチコミック』2000年8月号) * デザート・ストーム?サイレント・アイ番外編(『プチコミック』2001年8月号) * いつか黄昏に出会う(『プチコミック2001年1月増刊』) * あの星からやってきた(『colletミステリー』2001年9月号) * 野薔薇の庭?永遠かもしれない番外編(『プチコミック』2001年10月号) * 赤ちゃんはどこからくるの?(『colletミステリー』2002年1月号) * 殺人は煙草の前に(『colletミステリー』2002年3月号) * セブンピース(『プチコミック』2005年10月号) * ケータイが落ちていた。(『プチコミック』2006年3月号) * 桜ノ木ノ下デ(『増刊flowers凛花』2012年) * 風ガ来タ午後(『増刊flowers』2013年2号) * 海ヘト続ク地図ニ無イ道(『月刊flowers』2013年6月号) * 君二送ル11通ノ手紙(『増刊flowers』2014年) * 青い花の丘の夢を見ている(『月刊flowers増刊』2014年) * 陽はまたのぼる(タイ人身取引撲滅啓発冊子用書き下ろし2015年) * 花ハココニ咲イテル(『増刊flowers』2015年春号) * 窓ノムコウノ夏(『月刊flowers』2016年1月号) * ソノ音ガ聞コエルカ(『増刊flowers』2017年春号) * ワタシノカワイイ家(『増刊flowers』2017年秋号) * [[エンジェル・トランペット]] アフターストーリーズ ** 白骨村殺人(かもね)事件(『増刊flowers』2018年秋号・冬号) ** 月の犬(『増刊flowers』2019年春号) ** ダーウィンのお言葉(『増刊flowers』2019年夏号) ** 探偵さん物語(『増刊flowers』2019年冬号) * 虹がすむ君の(『月刊flowers』2023年2月号<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/506782|title=赤石路代の読み切りがflowersに、岩本ナオ「金の国 水の国」鑑賞レポや浜辺美波も|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-12-26|accessdate=2022-12-26}}</ref>) === 小説 === * 明日・わたしに・殺される * NAOYA L⇔R == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|author=「日本漫画家名鑑500」編集委員会(委員長:[[石ノ森章太郎]])・[[加藤昇]] 編|date=1992-12-18 |title=日本漫画家名鑑500:[[1945年|1945]]-[[1992年|1992]] |pages=1069 |publisher=アクア・プランニング|id={{全国書誌番号|93037702}} |ref={{SfnRef|日本漫画家名鑑500編集委員会|1992}} }}<!--奥付及び編集後記より:1991年夏・東京池袋にて開催『まんが大博覧会:作家500人展』の一環で編纂された名鑑。限定5千部印刷し、協賛した漫画家・図書館・マスコミ各社等に無料配布/非売品との事。--> == 外部リンク == * [https://michiyo244.wix.com/redroad/ 赤石路代OFFICIAL SITE] * [https://web.archive.org/web/20010416235505/http://www14.u-page.so-net.ne.jp/xb3/michiyo/ 赤石路代のPENGUIN ROOM][https://web.archive.org/web/19991129004627/http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/Michiyo/m_index.html] * {{Ameba ブログ|michiyoakaishi|RED ROAD}} * {{twitter|michiyoakaishi}} * {{Twitter|akaishimichiy0}}[[[2021年]]2月より使用中] {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:あかいし みちよ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:さいたま市出身の人物]] [[Category:武蔵野美術大学出身の人物]] [[Category:埼玉県立浦和第一女子高等学校出身の人物]] [[Category:存命人物]] [[Category:1959年生]]
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ゴスペル
ゴスペル
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ゴスペル 英語(古語)で福音書あるいは福音のこと。他の西洋語の「福音」に当たる語が、ギリシア語(euangelion)、またはラテン語(evangelium)の音訳であるのに対し、gospel は意訳である。即ち、アングロ・サクソン語の god-spell (「良い話」の意)がその語源。英語にも、ギリシア語系の evangel という単語があるが、gospel より頻度は圧倒的に低い。 ゴスペル (音楽)。 ゴスペル - ロックマンシリーズに登場するキャラクター。
'''ゴスペル''' * [[英語]](古語)で[[福音書]]あるいは福音のこと。他の西洋語の「福音」に当たる語が、[[ギリシア語]]([[福音書|euangelion]])、または[[ラテン語]](evangelium)の音訳であるのに対し(例えば、仏:Évangile 独:Evangelium)、gospel は意訳である。即ち、[[アングロ・サクソン語]]の god-spell (「良い話」の意)がその[[語源]]。英語にも、ギリシア語系の evangel という単語があるが、gospel より頻度は圧倒的に低い。 * [[ゴスペル (音楽)]](gospel music, gospel song)。 * ゴスペル - [[ロックマンシリーズ]]に登場するキャラクター。{{main|ロックマンシリーズ#サポートロボット}} {{aimai}} {{デフォルトソート:こすへる}} [[Category:英語の語句]]
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Cascading Style Sheets
Cascading Style Sheets(CSS、カスケーディング・スタイル・シート、カスケード・スタイル・シート)は、HTML や XML の要素をどのように修飾(表示)するかを指示する仕様の一つで、World Wide Web Consortium (W3C) がとりまとめ勧告する、文書の構造と体裁を分離させるという理念を実現するために提唱されたスタイルシートの具体的な仕様の一つ。 CSS は HTML で表現可能と考えられるデザインの大部分を実現できる要素を取り入れつつ、新たなデザイン機能を備える。以下の点を特徴とする。 CSS は、1994年にWWW生誕の地である CERN に勤務するホーコン・ウィウム・リーにより提唱された。 スタイルの情報は読み込む内容(作成者スタイルシート)やユーザーエージェントの設定(ユーザースタイルシート)の2か所に記載できる。ユーザーエージェントも独自のスタイル(デフォルトスタイルシート)を持っている。 作成者スタイルシートはマークアップ文書の中に直接記述するか、別文書として読み込ませる形で利用される。CSS の利便性を最大限発揮するために、別文書として読み込ませる事が推奨されている。 ここでは CSS Level 2 について説明する。CSS の文法は異なるレベル間でも後方互換性を持つように設計されており、例えば CSS Level 1 で書かれたスタイルシートを CSS Level 2 として扱うことも可能である(ただし一部に解釈の相違などに伴う非互換部分も存在する)。CSS では要素にスタイルを与えるため、次のような仕様が定められている。 以下のCSS断片を例にとる。 上例の CSS 断片を適用すると宣言している文書のうち、セレクタが指定しているものと一致する部位(HTML 文書においては要素、要素の親子関係、特定のクラス、ID など)に、宣言ブロック内の宣言が適用される。宣言は、「プロパティ: 値」か、「空(何も記述しない)」のどちらかで構成され、プロパティ、: 、値の前後には空白文字(スペース、タブ、改行など)を自由に入れられ、また ; で区切ることにより宣言を並べて書くことができる。 上例は HTML 文書に適用する場合、「 id という ID を持った p 要素の文字色を赤 FF(=255) 、緑 33(=51) 、青 0 にせよ」という指定を意味する。 このような宣言があったとき、後者二つは " や ' を付したために不正である。なぜなら、" や ' で囲ったものは文字列として扱われ、color プロパティが取りうる色の値( #rrggbb 、rgb([0-255], [0-255], [0-255]) 、または、 black や red などのキーワードなど)ではないからである。また、 は、 と等価である。; は前者のように宣言をセレクタに一つずつ書いてあるのを、ひとつのセレクタのブロックで記述するときに宣言を分けるのに使う。そのため、必ずしも宣言に ; をつけるのを強制するものではない。 セレクタは、実装レベルの高いブラウザならばどの属性であっても CSS を適用することが可能であり、この場合 ID に関する属性セレクタであるので、#id は [id="id"] と等価である。セレクタの簡単なマッチングが可能である。 そのほかHTMLタグに対する適用、文書構造からみた子・兄妹構造へ適用するセレクタ、更にはリンクや動的な表現・言語に関する疑似クラス( :link 、:hover 、:lang )などがある。 CSS は必ずしも一つのところで一意に指定できず、そのため指定内容の衝突を避けるために優先順位がユーザーエージェントによって計算される。その結果は、以下のような条件により算出される。 記載可能な方法の詳細は次の通りで、一般的に優先される順位で並べ替えている(CSS2で最重要指定の優先順位の仕様が変更されている、勧告6章4)。 作成者スタイルシートの記述方法による優先順位は以下の通り。 CSS の仕様にはレベルという段階があり、2011年11月段階で、Level 1 から Level 4 までの仕様が公開されている。 ボックスモデルの参考図 マージン ボーダー パディング 内容 パディング ボーダー マージン ボックスに width 属性を設定したとき、W3C のボックスのモデルでは内容の横幅であると解釈される。そしてパディングとボーダー分の横幅は要素の横幅に追加される。 他方マイクロソフトのボックスのモデルでは width 属性は内容の横幅とパディングとボーダー分を足したもの、すなわち要素全ての横幅になる。そのため Internet Explorer 5.5 以下と 6.0 以上および Internet Explorer 以外のWebブラウザでの表示を近づけるためには、パディングとボーダーを0にする、もしくはCSSハックを使う必要がある。 Internet Explorer 6 では DOCTYPE が正確ならば標準準拠モードに移行できる(ただ XML や XHTML の場合、XML 宣言を仕様通り書くと過去互換モードでレンダリングされるバグがある)。 CSS2 は CSS1 の上位互換。幾つかの概念の追加・拡大・改訂が行われた。 具体的には表示媒体(モニターや TV、紙媒体など)によって自動的にスタイルシートを変更できるようにし、それに附随して音声ブラウザへの対応、印刷媒体への対応が行われ、フォントなどの表示機能の拡張や、ボックスの概念の修正などが行われた。 ただし2002年頃以降に発表されたCSS対応UAで、これを仕様と見なしているものは存在せず、実質的に、CSS2.1 に仕様としての役割を委ねた形になっている。CSS2勧告の仕様書にアクセスすると、CSS2 は管理されておらず、仕様の参照や実装は CSS 2.1 を基にせよと奨励する注意書きがある。 CSS2 の改訂版。CSS2仕様書の不明瞭な定義が原因で各ユーザーエージェントのCSS2実装に非互換が生じたため、曖昧な記述を明確にする改訂が行われた。また、 text-shadow プロパティのように、CSS2 で策定されていながら長い間実装が行われなかったもの、display プロパティの run-in 値のように、複数のユーザーエージェントで相互運用性を確保できなかった機能は削除されている。それらは CSS3 以降のレベルで定義され直すことになる。 CSS の実装に際してベンダは、2002年頃から CSS2.1 を基本仕様と見なしている。 CSS3 以降では CSS 2.1 を中核とし、新たな機能の追加や改良をモジュールとすることで実現するものとする。ユーザーエージェントは各モジュールへ対応するか否かを自由に選択できるようになる他、縦方向の書字や、HTML以外の規格にまで関与した内容となっている。2018年7月現在で勧告されているモジュールは以下の通り。 CSS4 はモジュール化されたため、単一の統合された仕様は存在せず、「Level 4」モジュールの総称となる。 Level 4 モジュールで追加される機能は、Level 3 モジュールで未定義だった新しい機能のほか、草案に一度含まれながら、相互運用性を十分に確保出来ず仕様から省かれた機能からなる。 未だに勧告候補に至っていない Level 3 モジュールが存在する中、既に Level 4 モジュールの公開草案がいくつか公開されている。
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Cascading Style Sheets(CSS、カスケーディング・スタイル・シート、カスケード・スタイル・シート)は、HTML や XML の要素をどのように修飾(表示)するかを指示する仕様の一つで、World Wide Web Consortium (W3C) がとりまとめ勧告する、文書の構造と体裁を分離させるという理念を実現するために提唱されたスタイルシートの具体的な仕様の一つ。 CSS は HTML で表現可能と考えられるデザインの大部分を実現できる要素を取り入れつつ、新たなデザイン機能を備える。以下の点を特徴とする。 ページを表示するメディアに合わせてスタイルシートを切り替えることで、メディアごとに表示を変化させることができる。 ユーザーエージェント(多くの場合ウェブブラウザ)、ウェブサイト制作者、ユーザがそれぞれ定義した CSS のもたらす効果を重ね合わせる(カスケードする)ことができる。 CSS は、1994年にWWW生誕の地である CERN に勤務するホーコン・ウィウム・リーにより提唱された。
{{WikipediaPage|CSSの設定|Help:外装の詳細設定}} {{infobox file format | name = Cascading Style Sheets | extension = .css | icon = [[ファイル:Nuvola mimetypes source css.png|127px]] | mime = text/css | owner = [[World Wide Web Consortium]] | creatorcode = | genre = [[スタイルシート]] | containerfor = | containedby = | extendedfrom = | extendedto = | standard = [http://www.w3.org/TR/CSS1/ CSS Level 1 (Recommendation)],<br /> [http://www.w3.org/TR/2008/REC-CSS2-20080411/ CSS Level 2 (Recommendation)],<br /> [http://www.w3.org/TR/CSS2/ CSS Level 2 Revision 1 (Recommendation)],<br /> [http://www.w3.org/TR/css3-selectors/ Selectors Level 3 (Recommendation)],<br /> [http://www.w3.org/TR/css3-color/ CSS Color Module Level 3 (Recommendation)],<br /> [http://www.w3.org/TR/css3-namespace/ CSS Namespaces Module Level 3 (Recommendation)], }} {{HTML}} '''Cascading Style Sheets'''('''CSS'''、カスケーディング・スタイル・シート、カスケード・スタイル・シート)は、[[HyperText Markup Language|HTML]]や[[Extensible Markup Language|XML]]の要素をどのように修飾(表示)するかを指示する仕様の一つで、[[World Wide Web Consortium]] (W3C) がとりまとめ[[W3C勧告|勧告]]する、文書の構造と体裁を[[関心の分離|分離]]させるという理念を実現するために提唱された[[スタイルシート]]の具体的な仕様の一つ。 CSSはHTMLで表現可能と考えられるデザインの大部分を実現できる要素を取り入れつつ、新たなデザイン機能を備える。以下の点を特徴とする。 * ページを表示するメディアに合わせてスタイルシートを切り替えることで、メディアごとに表示を変化させることができる。 * [[ユーザーエージェント]](多くの場合[[ウェブブラウザ]])、[[ウェブサイト]]制作者、ユーザがそれぞれ定義した CSSのもたらす効果を重ね合わせる(カスケードする)ことができる<ref group="注釈">ただし拡張・修正の続いているCSS仕様の全てを完全に実装しているユーザーエージェントは事実上皆無といってよく、実際シェアで多数を占めるユーザーエージェントは部分対応にすぎない。しかし実用上支障のないレベルの実装はされてきており、なおかつ表現の互換性についても考慮されてきている。</ref>。 CSSは、[[1994年]]に[[World Wide Web|WWW]]生誕の地である[[欧州原子核研究機構]]に勤務する[[ホーコン・ウィウム・リー]]により提唱された。 == 記述 == スタイルの情報は読み込む内容(作成者スタイルシート)やユーザーエージェントの設定(ユーザースタイルシート)の2か所に記載できる。ユーザーエージェントも独自のスタイル(デフォルトスタイルシート)を持っている。 作成者スタイルシートはマークアップ文書の中に直接記述するか、別文書として読み込ませる形で利用される。CSS の利便性を最大限発揮するために、別文書として読み込ませる事が推奨されている。 === 記述方法 === ここでは CSS Level 2 について説明する。CSS の文法は異なるレベル間でも後方互換性を持つように設計されており、例えば CSS Level 1 で書かれたスタイルシートを CSS Level 2 として扱うことも可能である(ただし一部に解釈の相違などに伴う非互換部分も存在する)。CSS では要素にスタイルを与えるため、次のような仕様が定められている。 以下のCSS断片を例にとる。 <syntaxhighlight lang="css"> p#id { color: #ff3300 } </syntaxhighlight> * <code>{</code> から <code>}</code> までの部分を'''宣言ブロック'''という * <code>p#id</code> を'''セレクタ'''(選択子)といい、スタイルが適用される対象をしめす * 宣言ブロックとセレクタを合わせて'''規則集合'''という * <code>color: #ff3300</code> 部分を'''宣言'''という * 宣言の内、<code>:</code> より前(上例では <code>color</code> )を'''プロパティ'''(特性)という * 宣言の内、<code>:</code> より後(上例では <code>#ff3300</code> )を'''値'''という 上例の CSS 断片を適用すると宣言している文書のうち、セレクタが指定しているものと一致する部位(HTML 文書においては要素、要素の親子関係、特定のクラス、ID など)に、宣言ブロック内の宣言が適用される。宣言は、「<code>プロパティ: 値</code>」か、「空(何も記述しない)」のどちらかで構成され、プロパティ、<code>:</code> 、値の前後には空白文字(スペース、タブ、改行など)を自由に入れられ、また <code>;</code> で区切ることにより宣言を並べて書くことができる。 上例は HTML 文書に適用する場合、「 <code>id</code> という ID を持った <code>p</code> 要素の文字色を赤 <code>FF(=255)</code> 、緑 <code>33(=51)</code> 、青 <code>0</code> にせよ」という指定を意味する。 <syntaxhighlight lang="css"> color: #ff3300; width: 35% </syntaxhighlight> <syntaxhighlight lang="css"> color: "#0033ff"; width: '53%' </syntaxhighlight> このような宣言があったとき、後者二つは <code>"</code> や <code>'</code> を付したために不正である。なぜなら、<code>"</code> や <code>'</code> で囲ったものは文字列として扱われ、<code>color</code> プロパティが取りうる色の値( <code>#rrggbb</code> 、<code>rgb([0-255], [0-255], [0-255])</code> 、または、 black や red などのキーワードなど)ではないからである。また、 <syntaxhighlight lang="css"> p#id { color: #ff3300 } p#id { font-size: 24px } </syntaxhighlight> は、 <syntaxhighlight lang="css"> p#id { color: #ff3300; font-size: 24px } </syntaxhighlight> と等価である。<code>;</code> は前者のように宣言をセレクタに一つずつ書いてあるのを、ひとつのセレクタのブロックで記述するときに宣言を分けるのに使う。そのため、必ずしも宣言に <code>;</code> をつけるのを強制するものではない。 セレクタは、実装レベルの高いブラウザならばどの属性であっても CSS を適用することが可能であり、この場合 ID に関する属性セレクタであるので、<code>#id</code> は <code>[id="id"]</code> と等価である。セレクタの簡単なマッチングが可能である。 そのほかHTMLタグに対する適用、文書構造からみた子・兄妹構造へ適用するセレクタ、更にはリンクや動的な表現・言語に関する疑似クラス( <code>:link</code> 、<code>:hover</code> 、<code>:lang</code> )などがある。 === 優先順位 === CSS は必ずしも一つのところで一意に指定できず、そのため指定内容の衝突を避けるために優先順位がユーザーエージェントによって計算される。その結果は、以下のような条件により算出される。 * 作成者スタイルシートはユーザースタイルシートより優先される * デフォルトスタイルシートは他のスタイルシートを優先する * 最重要指定されている宣言はユーザースタイルシートが作成者スタイルシートより優先される(CSS1 では逆) * 外部から読み込んだものは読み込んだ先とまとめて扱う * 詳細度によって整理する ** そのセレクタ内で指定先を一意に決められるもの(ID の類)が多い方を優先する ** ID の類による優先順位が同じ場合は、属性や擬似クラスの数が多い方を優先する ** それでも優先順位が決まらない場合は、要素の数が多い方を優先する * これでもまだ優先順位が同一の場合、作成者スタイルシートにおいて以下の順で優先する *# インラインのもの *# 外部からのもの * HTML の align 属性など、CSS 以外によるスタイルの指定は、それと等価な CSS によるスタイル指定が製作者スタイルシートの先頭にあるものとして扱う。ただし、これらの詳細度は最も低いものとする(CSS1 においては要素名による指定を一つだけ含むセレクタと同じ詳細度) 記載可能な方法の詳細は次の通りで、一般的に優先される順位で並べ替えている(CSS2で最重要指定の優先順位の仕様が変更されている、勧告6章4)。 # ユーザスタイルシート中で最重要指定された宣言 - ユーザーエージェントの設定のスタイルの中で <code>!important</code> を宣言に付加する # 作成者スタイルシート中で最重要指定された宣言 - 作成者が内容に付随させたスタイル中で <code>!important</code> を宣言に付加する。 # 作成者スタイルシート中の通常の宣言 # ユーザースタイルシート中の通常の宣言 # デフォルトスタイルシートの宣言 作成者スタイルシートの記述方法による優先順位は以下の通り。 # 特定の要素にスタイルを記述する # HTML や XML のヘッダ部にそのページ全体を対象にスタイルを定義する # CSS のみを記述した外部ファイルを用意し、HTML ファイルのヘッダ部からリンクを張ってスタイルを参照させる == 勧告等 == CSS の仕様にはレベルという段階があり、2011年11月段階で、Level 1 から Level 4 までの仕様が公開されている。 === Cascading Style Sheets, level 1 (CSS1), 勧告 1996年12月 === * [[フォント]][[プロパティ]] * [[色]]および[[背景]]のプロパティ * [[テキスト]]プロパティ ** 語間の調整 ** 行寄せ * ボックスプロパティ ** マージン ** ボーダー ** パディング * 類別プロパティ ** 表示 ** リスト '''ボックスモデルの参考図''' <div style="border:1px dotted #999999;background-color:#facc9f;width:21em;padding:1em;"> マージン <div style="border:1px solid #4d8ca5;background-color:#ffdd9c;width:19em;padding:1em;"> ボーダー <div style="border:1px solid #4d8ca5;background-color:#c4d08b;width:17em;padding:1em;"> パディング <div style="border:1px solid #4d8ca5;background-color:#8eb6c2;width:15em;padding:1em;"> 内容 </div> パディング </div> ボーダー </div> マージン </div> ボックスに '''<code>width</code>''' 属性を設定したとき、[[World Wide Web Consortium|W3C]] のボックスのモデルでは内容の横幅であると解釈される。そしてパディングとボーダー分の横幅は要素の横幅に追加される。 他方[[マイクロソフト]]のボックスのモデルでは <code>width</code> 属性は内容の横幅とパディングとボーダー分を足したもの、すなわち要素全ての横幅になる<ref>[[:en:Internet Explorer box model bug]]</ref>。そのため Internet Explorer 5.5 以下と 6.0 以上および Internet Explorer 以外のWebブラウザでの表示を近づけるためには、パディングとボーダーを0にする、もしくは[[CSSハック]]を使う必要がある。 Internet Explorer 6 では DOCTYPE が正確ならば標準準拠モードに移行できる(ただ XML や XHTML の場合、XML 宣言を仕様通り書くと[[互換モード|過去互換モード]]でレンダリングされるバグがある)。 === Cascading Style Sheets, level 2 (CSS2), 勧告 1998年5月 === CSS2 は CSS1 の上位互換。幾つかの概念の追加・拡大・改訂が行われた。 具体的には表示媒体(モニターや TV、紙媒体など)によって自動的にスタイルシートを変更できるようにし、それに附随して[[音声ブラウザ]]への対応、印刷媒体への対応が行われ、フォントなどの表示機能の拡張や、ボックスの概念の修正などが行われた。 ただし2002年頃以降に発表されたCSS対応UAで、これを仕様と見なしているものは存在せず、実質的に、CSS2.1 に仕様としての役割を委ねた形になっている。CSS2勧告の仕様書にアクセスすると、CSS2 は管理されておらず、仕様の参照や実装は CSS 2.1 を基にせよと奨励する注意書きがある。 === Cascading Style Sheets, level 2 revision 1 (CSS 2.1), 勧告 2011年6月 === CSS2 の改訂版。CSS2仕様書の不明瞭な定義が原因で各ユーザーエージェントのCSS2実装に非互換が生じたため、曖昧な記述を明確にする改訂が行われた。また、 <code>text-shadow</code> プロパティのように、CSS2 で策定されていながら長い間実装が行われなかったもの、<code>display</code> プロパティの <code>run-in</code> 値のように、複数のユーザーエージェントで相互運用性を確保できなかった機能は削除されている。それらは CSS3 以降のレベルで定義され直すことになる。 CSS の実装に際してベンダは、2002年頃から CSS2.1 を基本仕様と見なしている。 === Cascading Style Sheets, level 3 (CSS3) === [[ファイル:CSS3 logo and wordmark.svg|サムネイル|150px|CSS3のロゴ]] CSS3以降ではCSS 2.1を中核とし、新たな機能の追加や改良を[[モジュール]]とすることで実現するものとする<ref name="LatestSnapshotLevel">{{Citation2|language=en|chapter-url=https://www.w3.org/TR/css/#css-levels|chapter=2.4 CSS Levels|title=CSS Snapshot 2023|author=World Wide Web Consortium|author-link=World Wide Web Consortium|date=14 February 2023|access-date=21 November 2023|mode=cs1}}</ref>。ユーザーエージェントは各モジュールへ対応するか否かを自由に選択できるようになる他、縦方向の書字や、HTML以外の規格にまで関与した内容となっている。2023年11月現在で勧告されているモジュールは以下の通り。 {| class="wikitable sortable" |+ CSS3の主要モジュール仕様書<ref>{{cite web2 |language=en |url=https://www.w3.org/Style/CSS/specs |title=All CSS specifications |publisher=W3C |date=2023-09-06 |access-date=2023-11-21 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231022023502/https://www.w3.org/Style/CSS/specs |archive-date=2023-10-22 |url-status=live }}</ref> |- !モジュール !仕様書タイトル !状態 !日付 |- |<samp>css3-background</samp> |[https://www.w3.org/TR/css3-background/ CSS Backgrounds and Borders Module Level 3]&nbsp; |勧告候補草案 ||align="right"| {{dts|2023|Feb}} |- |<samp>css-box-3</samp> |[https://www.w3.org/TR/css-box-3/ CSS Box Model Module Level 3] |勧告 ||align="right"| {{dts|2023|Apr}} |- |<samp>css-cascade-3</samp> |[https://www.w3.org/TR/css-cascade-3/ CSS Cascading and Inheritance Level 3]&nbsp; |勧告 ||align="right"| {{dts|2021|Feb}} |- |<samp>css-color-3</samp> |[https://www.w3.org/TR/css3-color CSS Color Module Level 3] |勧告 ||align="right"| {{dts|2022|Jan}} |- |<samp>css3-content</samp> |[https://www.w3.org/TR/css-content-3/ CSS Generated Content Module Level 3]&nbsp; |草案 ||align="right"| {{dts|2019|Aug}} |- |<samp>css-fonts-3</samp> |[https://www.w3.org/TR/css-fonts-3/ CSS Fonts Module Level 3] |勧告 ||align="right"| {{dts|2018|Sep}} |- |<samp>css3-gcpm</samp> |[https://www.w3.org/TR/css-gcpm-3/ CSS Generated Content for Paged Media Module] |草案 ||align="right"| {{dts|2014|May}} |- |<samp>css3-layout</samp> |[https://www.w3.org/TR/css-template-3/ CSS Template Layout Module] |ノート ||align="right"| {{dts|2015|Mar}} |- |<samp>css3-mediaqueries</samp>&nbsp; |[https://www.w3.org/TR/css3-mediaqueries/ Media Queries] |勧告 ||align="right"| {{dts|2012|Jun}} |- |<samp>mediaqueries-4</samp>&nbsp; |[https://www.w3.org/TR/mediaqueries-4/ Media Queries Level 4] |勧告候補 ||align="right"| {{dts|2021|Dec}} |- |<samp>css3-multicol</samp>&nbsp; |[https://www.w3.org/TR/css-multicol-1/ Multi-column Layout Module Level 1] |勧告候補 ||align="right"| {{dts|2021|Oct}} |- |<samp>css3-page</samp> |[https://www.w3.org/TR/css3-page/ CSS Paged Media Module Level 3] |草案(一部はcss3-breakへ) ||align="right"| {{dts|2018|Oct}} |- |<samp>css3-break</samp> |[https://www.w3.org/TR/css-break/ CSS Fragmentation Module Level 3] |勧告候補 ||align="right"| {{dts|2018|Dec}} |- |<samp>selectors-3</samp> |[https://www.w3.org/TR/selectors-3/ Selectors Level 3] |勧告 ||align="right"| {{dts|2018|Nov}} |- |<samp>selectors-4</samp> |[https://www.w3.org/TR/selectors-4/ Selectors Level 4] |草案 ||align="right"| {{dts|2022|Nov}} |- |<samp>css3-ui</samp> |[https://www.w3.org/TR/css-ui-3/ CSS Basic User Interface Module Level 3 (CSS3 UI)] |勧告 ||align="right"| {{dts|2018|Jun}} |} === Cascading Style Sheets, Level 4 (CSS4)以降 === {{節スタブ}} CSS4はモジュール化されたため、単一の統合された仕様は存在せず、「Level 4」モジュールの総称となる<ref name="LatestSnapshotLevel" />。 Level 4 モジュールで追加される機能は、Level 3 モジュールで未定義だった新しい機能のほか、草案に一度含まれながら、相互運用性を十分に確保出来ず仕様から省かれた機能からなる。 未だに勧告候補に至っていないLevel 3モジュールが存在する中、勧告候補になったLevel 4モジュール仕様書は[https://www.w3.org/TR/mediaqueries-4/ Media Queries Level 4]、[https://www.w3.org/TR/css-conditional-4/ CSS Conditional Rules Module Level 4]などがある。このほか、Level 5、6のモジュール草案も[https://www.w3.org/TR/css-color-5/ CSS Color Module Level 5]や[https://www.w3.org/TR/css-cascade-6/ CSS Cascading and Inheritance Level 6]が公開されている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=注釈}} === 出典 === <references /> == 関連項目 == * [[スタイルシート]] ** [[Extensible Stylesheet Language|XSL]] ** [[Document Style Semantics and Specification Language|DSSSL]] * [[リキッドデザイン]] * [[ホーコン・ウィウム・リー]] * CSSの拡張 ** [[LESS]] ** [[Sass]] == 外部リンク == {{外部リンクの注意|section=1}} {{Wikibooks|CSS}} * W3C ** [http://www.w3.org/Style/CSS/ Cascading Style Sheets home page] ** [http://www.w3.org/TR/REC-CSS1/ Cascading Style Sheets, level 1 (CSS1)] ** [http://www.w3.org/TR/2008/REC-CSS2-20080411/ Cascading Style Sheets, level 2 (CSS2)] ** [http://www.w3.org/TR/CSS2/ Cascading Style Sheets, level 2 revision 1 (CSS2.1)] ** [http://www.w3.org/TR/CSS/ Cascading Style Sheets (CSS) Snapshots] ** [http://www.w3.org/Style/CSS/current-work CSS current work & how to participate] ** [http://jigsaw.w3.org/css-validator/ W3C CSS 検証サービス] * 勧告・ノートの非公式日本語訳 ** [http://www.y-adagio.com/public/standards/css1/toc.htm 段階スタイルシート 水準1(CSS1) 標準情報(TR) TR X 0011:1998] ** [http://www.y-adagio.com/public/standards/tr_css2/toc.html 段階スタイルシート 水準2(CSS2) 標準情報(TR) TR X 0032:2000] ** [http://momdo.s35.xrea.com/web-html-test/spec/CSS21/ CSS2.1勧告の日本語訳について] ** [http://standards.mitsue.co.jp/resources/w3c/TR/css3-selectors/ セレクタ Level 3] ** [http://standards.mitsue.co.jp/resources/w3c/TR/css3-namespace/ CSS 名前空間モジュール] ** [http://standards.mitsue.co.jp/resources/w3c/TR/css3-color/ CSS カラーモジュール Level 3] ** [http://standards.mitsue.co.jp/resources/w3c/TR/css-2010/ CSS スナップショット 2010] *ウェブブラウザ ** [https://developer.mozilla.org/ja/css CSS: カスケーディングスタイルシート - MDN] {{Internet-stub}} {{W3C標準}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:CASCADINGSTYLESEETS}} [[Category:W3C勧告]] [[Category:World Wide Web]] [[Category:スタイルシート言語]] [[Category:HTML]]
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吉田秋生
吉田 秋生 (よしだ あきみ、1956年8月12日 - )は、東京都渋谷区出身の女性漫画家。武蔵野美術大学卒業。 1977年に「ちょっと不思議な下宿人」で活動開始。1983年に「河よりも長くゆるやかに」及び「吉祥天女」で第29回小学館漫画賞を、2001年に「YASHA-夜叉-」で第47回小学館漫画賞を受賞。
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吉田 秋生 は、東京都渋谷区出身の女性漫画家。武蔵野美術大学卒業。 1977年に「ちょっと不思議な下宿人」で活動開始。1983年に「河よりも長くゆるやかに」及び「吉祥天女」で第29回小学館漫画賞を、2001年に「YASHA-夜叉-」で第47回小学館漫画賞を受賞。
{{Otheruses|女性漫画家(よしだ あきみ)|男性のテレビドラマ演出家(よしだ あきお)|吉田秋生 (ドラマ演出家)}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 吉田 秋生 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{JPN}}・[[東京都]] | 国籍 = [[日本]] | 生年 = {{生年月日と年齢|1956|8|12}}<ref name="nataprof">{{Cite web|和書|url = https://natalie.mu/comic/artist/1869 | title = コミックナタリー - 吉田秋生のプロフィール | publisher = 株式会社ナターシャ | accessdate = 2013-02-03 }}</ref> | 没年 = | ジャンル = [[少女漫画]] | 称号 = [[芸術学士]]([[武蔵野美術大学]]) | 活動期間 = [[1977年]]([[昭和]]52年) - | 代表作 = 『[[櫻の園 (漫画)|櫻の園]]』<br />『[[吉祥天女]]』<br />『[[BANANA FISH]]』<br />『[[YASHA-夜叉-]]』<br />『[[海街diary]]』 | 受賞 = <!--新人賞は記載していません--> * 第29回[[小学館漫画賞]](『[[河よりも長くゆるやかに]]』及び『[[吉祥天女]]』) * 第47回小学館漫画賞(『[[YASHA-夜叉-]]』) * 第11回[[文化庁メディア芸術祭マンガ部門]]優秀賞(『[[海街diary]]』) }} '''吉田 秋生''' (よしだ あきみ、[[1956年]][[8月12日]]<ref name="nataprof" /> - )は、[[東京都]]<ref name="nataprof" />[[渋谷区]]出身の[[女性]][[漫画家]]。[[武蔵野美術大学]]卒業<ref name="nataprof" />。 [[1977年]]に「ちょっと不思議な下宿人」で活動開始<ref name="nataprof" />。[[1983年]]に「[[河よりも長くゆるやかに]]」及び「[[吉祥天女]]」で第29回[[小学館漫画賞]]を、[[2001年]]に「[[YASHA-夜叉-]]」で第47回小学館漫画賞を受賞。 == 作品 == * 『[[カリフォルニア物語]]』小学館、1979年 - 1981年 *: 小学館文庫、1994年 * 『夢の園』小学館、1983年 - 「カリフォルニア物語」番外編 * 『[[吉祥天女]]』小学館、1983年 - 1984年 *: 小学館文庫、1995年 * 『夢みる頃をすぎても』小学館、1983年 *: 楽園のこちらがわ/楽園のまん中で/はるかな天使たちの群れ/夢みる頃をすぎても/ジュリエットの海/解放の呪文/最後の夏 小学館文庫、1995年  * 『[[河よりも長くゆるやかに]]』小学館、1984年 *: 小学館文庫、1994年 * 『Bobby's Girl』[[角川書店]]、1985年 * 『[[櫻の園 (漫画)|櫻の園]]』白泉社文庫、1985年 - 1986年 * 『[[BANANA FISH]]』小学館、1986年 - 1994年 ** BANANA FISH オフィシャルガイドブック REBIRTH ** BANANA FISH 画集 ANGEL EYES **: 小学館文庫、1996年 * 『PRIVATE OPINION』小学館、1995年 - 「BANANA FISH」番外編 * 『無敵のライセンス』[[河出書房新社]]、1989年 * 『ハナコ月記』筑摩書房、1993年 *: ちくま文庫、1996年 * 『きつねのよめいり』小学館文庫、1995年    夏の終わりに…/風の歌うたい/十三夜荘奇談/きつねのよめいり/ざしきわらし/のっぽのアリス/ナサナエルの肖像/マダム・ブレルの人魚/[[悪魔と姫ぎみ]]/どうぞハートの代金を/ヨナの百夜一夜物語/ちょっと不思議な下宿人/月夜のおくりもの * 『[[ラヴァーズ・キス]]』小学館、1995年 - 1996年 *: 小学館文庫、1999年 * 『[[YASHA-夜叉-]]』小学館、1996年 - 2002年 ** YASHA-夜叉- オフィシャルガイドブック FIRST GENERATION ** YASHA-夜叉- 画集 DOUBLE HELIX * 『[[イヴの眠り]]』小学館、2004年 *: 小学館文庫、2009年 * 『[[海街diary]]』小学館、2007年 - 2018年 ** Kamakura Diary(フランス語版)Dargaud、2013年4月 - ** Our Little Sister - Diario di Kamakura(イタリア語版)Star Comics、2017年4月 - * 『詩歌川百景』小学館 2019年 - * 『[[The Best Selection (フラワーコミックス)#吉田秋生 The Best Selection|吉田秋生 The Best Selection]]』小学館、2007年 *: 夢みる頃をすぎても/風の歌うたい/十三夜荘奇談/Fly boy,in the sky/夏の終わりに…/ジュリエットの海 * 『[[The Best Selection (フラワーコミックス)#吉田秋生 The Best Selection 2|吉田秋生 The Best Selection 2]]』小学館、2009年 *: 最後の夏/解放の呪文/きつねのよめいり/のっぽのアリス/ナサナエルの肖像/ヨナの百夜一夜物語/悪魔と姫ぎみ == 映像化作品 == ===テレビドラマ=== ; [[フジテレビジョン|フジテレビ]] * 『ざしきわらし』(「[[世にも奇妙な物語]]」、1991年、出演:[[永島敏行]]、[[沢田和美]]、[[栗田陽子]]、[[光石研]]) ; [[テレビ朝日]] * 『[[YASHA-夜叉-#テレビドラマ|YASHA-夜叉-]]』(2000年4月21日 - 6月30日、主演:[[伊藤英明]]) * 『[[吉祥天女#テレビドラマ|吉祥天女]]』(2006年4月15日 - 6月24日、主演:[[岩田さゆり]]) === 実写映画 === * 『[[櫻の園 (漫画)#1990年版|櫻の園]]』(1990年11月3日公開、[[アルゴ・ピクチャーズ|アルゴプロジェクト]]、主演:[[中島ひろ子]]) ** 『[[櫻の園 (漫画)#2008年版|櫻の園]]』(2008年11月8日公開、[[松竹]]、主演:[[福田沙紀]]) * 『[[ラヴァーズ・キス#映画|ラヴァーズ・キス]]』(2003年1月25日公開、[[東北新社]]/[[東宝]]、主演:[[平山あや|平山綾]]) * 『[[吉祥天女#映画|吉祥天女]]』(2007年6月30日公開、CKエンタテインメント、主演:[[鈴木杏]]) * 『[[海街diary (映画)|海街diary]]』(2015年6月13日公開、東宝 / [[ギャガ]]、主演:[[綾瀬はるか]]、[[長澤まさみ]]、[[夏帆]]、[[広瀬すず]]) === アニメ === ==== アニメ映画 ==== * 『[[悪魔と姫ぎみ]]』(1981年3月20日公開、スーパーウッド、声の出演:[[木ノ葉のこ]]、[[富山敬]]) * 『[[ボビーに首ったけ]]』(1985年3月9日公開、[[東映]]・[[角川書店]] [[マッドハウス]]、声の出演:[[野村宏伸]]) [[片岡義男]]・原作 キャラクターデザイン担当。 ==== テレビアニメ ==== * 『[[BANANA FISH]]』(2018年) ==== その他 ==== * [[ニュースステーション]] オープニング・アニメーション。 === 舞台 === * 『[[櫻の園 (漫画)|櫻の園]]』 [[1994年]]、[[2007年]] 、[[2009年]]、[[2011年]] * 『[[BANANA FISH]]』 [[2005年]]と[[2009年]]と2021年 * 『[[カリフォルニア物語]]』[[2008年]] * 『[[海街diary]]』[[2017年]] * 『[[海街diary]]』[[2017年|2022年]] == 参考文献 == * [[藤本由香里]]『少女まんが魂 現在を映す少女まんが完全ガイド&インタビュー集』[[白泉社]]、2000年12月、ISBN 4-592-73178-6 - 少女マンガ評論家・藤本由香里によるインタビューを掲載 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=注}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://web.archive.org/web/20080605192921/https://flowers.shogakukan.co.jp/interviwe/interviwe_10.html 小学館コミック@flowers] - 2002年6月掲載インタビュー {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:よした あきみ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:SF漫画家]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:芸術学士取得者]] [[Category:武蔵野美術大学出身の人物]] [[Category:1956年生]] [[Category:存命人物]]
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津田雅美
津田 雅美(つだ まさみ、1970年7月9日 - )は、日本の漫画家。神奈川県出身。血液型はO型。 1992年、「会えてよかった」で第17回白泉社アテナ新人大賞を受賞。1993年、同作品が『増刊LaLa ミステリースペシャル』1993年3月10日号(白泉社)に掲載されデビュー。以後、『LaLa』『LaLa DX』(いずれも白泉社)を中心に活躍。 代表作は『彼氏彼女の事情』(通称:「カレカノ」)で、本作品は庵野秀明監督によりアニメ化され、テレビ東京系にて1998年10月から1999年3月まで放映された(全26話)。 発表年は掲載誌の号数に準拠。 以上、全て白泉社刊
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津田 雅美は、日本の漫画家。神奈川県出身。血液型はO型。 1992年、「会えてよかった」で第17回白泉社アテナ新人大賞を受賞。1993年、同作品が『増刊LaLa ミステリースペシャル』1993年3月10日号(白泉社)に掲載されデビュー。以後、『LaLa』『LaLa DX』(いずれも白泉社)を中心に活躍。 代表作は『彼氏彼女の事情』で、本作品は庵野秀明監督によりアニメ化され、テレビ東京系にて1998年10月から1999年3月まで放映された(全26話)。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 津田 雅美 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{flagicon|Japan}} [[神奈川県]] | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1970|7|9}} | 没年 = | 没地 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1992年]] - | ジャンル = [[少女漫画]] | 代表作 = 『[[彼氏彼女の事情]]』 | 受賞 = 第17回[[白泉社アテナ新人大賞]]([[1992年]]) | 公式サイト = }} '''津田 雅美'''(つだ まさみ、[[1970年]][[7月9日]]<ref name="profile">{{Cite web|和書|url=http://www.hakusensha.co.jp/artist/profile.php?artistname=%92%C3%93c%89%EB%94%FC&artistname2=%82%C2%82%BE%82%DC%82%B3%82%DD&keyword=%82%C2+%82%C3&home=%90_%93%DE%90%EC%8C%A7&birthday=7%8C%8E9%93%FA&bloodtype=B%8C%5E&debut=1993%94N%81u%91%9D%8A%A7%83%89%83%89%83%7E%83X%83e%83%8A%81%5B%83X%83y%83V%83%83%83%8B%81v%81w%89%EF%82%A6%82%C4%82%E6%82%A9%82%C1%82%BD%81x|title=白泉社 作家データベース 津田雅美|publisher=白泉社 |accessdate=2016-02-03}}</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[神奈川県]]出身<ref name="profile"/>。[[ABO式血液型|血液型]]はO型<ref name="6巻145"> {{Cite book|和書|author=津田雅美|year=2016|title=ヒノコ|page=145|volume=6巻|publisher=白泉社|isbn=978-4592211037}} </ref>{{efn|2016年以前のプロフィールではB型<ref name="profile"/>になっているが、病院で調べたところ、O型だったと訂正している<ref name="6巻145"/>}}。 [[1992年]]、「会えてよかった」で第17回[[白泉社アテナ新人大賞]]を受賞。[[1993年]]、同作品が『増刊LaLa ミステリースペシャル』1993年3月10日号([[白泉社]])に掲載されデビュー。以後、『[[LaLa]]』『[[LaLa DX]]』(いずれも白泉社)を中心に活躍。 代表作は『[[彼氏彼女の事情]]』(通称:「カレカノ」)で、本作品は[[庵野秀明]]監督により[[アニメ化]]され、[[テレビ東京]]系にて[[1998年]]10月から[[1999年]]3月まで放映された(全26話)。 == 人物 == * あまり[[少女漫画]]は読まず、[[中学生]]のころまでは漫画の読み方さえいまいちわかっていなかった。しかし、[[高等学校|高校]]入学前の[[春休み]]に「急に急に」理解し、多くの作品を読み始めた<ref>[https://web.archive.org/web/20160923024403/http://www.hakusensha.co.jp/lala/interview/iv02.html 白泉社『LaLa』HP 作家インタビュー2「津田雅美」]</ref>。 * [[日本]]の歴史や文化が好きで、中でも[[相撲]]・[[柔道]]・[[歌舞伎]]を好む。特に[[相撲]]は、力士は[[安美錦]]、実況アナウンサーは[[吉田賢]]に心酔している<ref>『[[eensy-weensy モンスター]]』第1巻108頁</ref>。本人のこの嗜好は「[[ちょっと江戸まで]]」で生かされており、「[[歌舞伎]]好きで[[相撲]]好きったら[[江戸]]だろうって気も」と記している。ただし、同作連載前は「江戸だけはありえない」と言っていた<ref>『[[ちょっと江戸まで]]』第1巻27頁</ref>。 * 海外の文化では、ドラマは『[[朱蒙]]』(韓国)、『[[デスパレートな妻たち]]』(アメリカ)、『[[アグリー・ベティ]]』(アメリカ)を好んで視聴していた<ref>『[[ノスタルジア]]』133頁</ref>。また、アーティストは[[マイケル・ジャクソン]]を好んでおり、本人の作業場に新人が入ってきたときは必ず彼の[[プロモーションビデオ]]を鑑賞させ、その偉大さを知らしめることにしている<ref>『[[ちょっと江戸まで]]』第3巻101頁</ref>。 * 食生活では、[[オレンジ]]や[[柚子]]の[[ママレード]]が大好物である<ref>『[[eensy-weensy モンスター]]』第2巻67頁</ref>が、[[柑橘類]]が「[[蜜柑]]も1コを3食に分けて」食べなければならないほど本人の「おなかに合わない」ため、たまにしか食べることができない<ref>『[[eensy-weensy モンスター]]』第2巻98頁</ref>。また、[[アボカド]]も好物であり、飲食店のメニューで好みのアボカド料理を目にすると必ず注文してしまうほどで、自宅でもトマト等とゴマ[[サラダドレッシング|ドレッシング]]で和えて食する<ref>『[[ちょっと江戸まで]]』第2巻131頁</ref>。一方、[[2007年]]前半ごろより意識して野菜を多く摂るようにしており<ref>『[[eensy-weensy モンスター]]』第1巻71頁</ref>、[[2009年]]夏の時点では野菜を宅配してもらっていた。その中の葉付き[[人参]]の葉を「宝物」として珍重している<ref>『[[ちょっと江戸まで]]』第2巻89頁</ref>。 * 常的に[[メガネ]]を着用しており、[[2010年]]時点で4本所有している<ref>『[[ちょっと江戸まで]]』第3巻158頁</ref>。 * 「たぶん」一番好きな本は、『[[あしながおじさん]]』([[ジーン・ウェブスター]]著)<ref>『[[ちょっと江戸まで]]』第3巻189頁</ref>。 == 作品リスト == 発表年は掲載誌の号数に準拠。 === 連載・不定期掲載 === * オンナになった日(1995年、[[LaLa]]) - 単行本全1巻 * [[彼氏彼女の事情]](1996年 - 2005年、LaLa) - 単行本全21巻、文庫本全10巻 * [[eensy-weensy モンスター]](2006年 - 2007年、LaLa) - 単行本全2巻 * [[ちょっと江戸まで]](2008年 - 2011年、LaLa) - 単行本全6巻 * ヒノコ(2012年<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/66624|title=津田雅美の古代ファンタジー「ヒノコ」LaLaで連載開始|publisher=コミックナタリー|date=2012-03-24|accessdate=2017-10-25}}</ref> - 2017年<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/247378|title=白泉社の大人ガール向けマンガ誌・AneLaLa休刊、津田雅美「ヒノコ」は完結|publisher=コミックナタリー|date=2017-09-05|accessdate=2017-10-25}}</ref>、LaLa・AneLaLa) - 単行本全8巻 * 十年後、街のどこかで偶然に(2013年<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/92109|title=AneLaLa本日発売!津田雅美、葉鳥ビスコらの大人な一面が|publisher=コミックナタリー|date=2013-06-05|accessdate=2017-10-25}}</ref> - 2015年、AneLaLa) - 単行本全1巻 === 読切 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller;" ! 作品名 !! 掲載誌 !! 収録 |- |会えてよかった||『増刊LaLa ミステリースペシャル』1993年3/10号||単行本『オンナになった日』、文庫本『ブスと姫君』 |- |今は、どこかの空の下で||『LaLa』1993年4月号||単行本『オンナになった日』、文庫本『ブスと姫君』 |- |君がいるから||『LaLa』1993年6月号||単行本『天使の棲む部屋』、文庫本『ブスと姫君』 |- |あした また森であおうね||『増刊LaLa SFスペシャル』1993年9/10号||単行本『彼氏彼女の事情』第4巻 |- |ブスと姫君||『LaLa』1994年3月号||単行本・文庫本『ブスと姫君』 |- |恋は一秒。||『[[LaLa DX]]』1994年4/10号||単行本・文庫本『ブスと姫君』 |- |あばれる王様||『LaLa DX』1994年7/10号||単行本『彼氏彼女の事情』第8巻 |- |すきになったひと||『LaLa』1994年8月号||単行本・文庫本『ブスと姫君』 |- |18歳||『LaLa』1994年11月号||単行本・文庫本『ブスと姫君』 |- |トラとカメレオン〜約束は一週間〜||『LaLa』1995年2月号||単行本『彼氏彼女の事情』第1巻 |- |わたしは行かない||『LaLa DX』1995年9/10号||単行本『天使の棲む部屋』 |- |きまずい関係||『LaLa』1995年10月号||単行本『天使の棲む部屋』、文庫本『ブスと姫君』 |- |天使の棲む部屋||『LaLa』1995年12月号||単行本『天使の棲む部屋』 |- |森の中||『LUNATIC LaLa』1995年WINTER号||単行本・文庫本『夢の城』 |- |わたしは人魚||『LUNATIC LaLa』1996年SUMMER号||単行本・文庫本『夢の城』 |- |3-BITTER PAIN-||『LaLa』1996年12月号||文庫本『ブスと姫君』 |- |夢の城||『LaLa』1998年11月号||単行本・文庫本『夢の城』 |- |な忘れそ||『LaLa』2000年10月号||単行本『ノスタルジア』、文庫本『夢の城』 |- |恋愛は、普通||『LaLa』2005年11月号||単行本『ノスタルジア』 |- |赤い実||『LaLa DX』2005年11月号||単行本『ノスタルジア』、文庫本『夢の城』 |- |ノスタルジア||『LaLa』2006年1月号||単行本『ノスタルジア』、文庫本『夢の城』 |- |肩のり神様||『LaLa』2006年5月号|| |- |あこがれ||『[[MELODY (雑誌)|MELODY]]』2018年10月号|| |- |犬の國駅||『MELODY』2018年12月号|| |- |後宮花苑||『MELODY』2019年2月号|| |} 以上、全て[[白泉社]]刊 == 注釈 == {{notelist}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{デフォルトソート:つた まさみ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:神奈川県出身の人物]] [[Category:1970年生]] [[Category:存命人物]]
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藤崎竜
藤崎 竜(ふじさき りゅう、1971年3月10日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。男性。身長173cm。血液型はA型。初期の頃のペンネームは漢字表記は同じだが、読みが「ふじざき りゅう」だった。愛称は「フジリュー」と「プティタキテュー」。 青森県むつ市(旧下北郡川内町)出身。工学系専門学校卒。 小学校3 - 4年生の頃に、車田正美の『リングにかけろ』をきっかけに漫画を読むようになり、気がついたら絵を描かけるようになっていた。 幼い頃からパソコンに親しむ。10代の頃はコンピュータのシステムエンジニアを志望し専門学校に通っていた。 高校在学中の16歳頃にオリジナル漫画を初めて製作し、雑誌の漫画賞に応募して最終選考に残る。 1990年、自分が漫画界に通用するかを試すための「実験」として製作した『ハメルンの笛吹き』を『週刊少年ジャンプ』に投稿したところ、第39回手塚賞の佳作を受賞し、それをきっかけに漫画家を目指すようになる。同年、再び『週刊少年ジャンプ』に応募した『WORLDS』が第40回手塚賞に準入選し、『ジャンプ』増刊号に掲載されデビューした。デビュー後、3本の読切漫画が『週刊少年ジャンプ』本誌および増刊に掲載される。 1992年、3年制の専門学校を卒業して上京。在学中は就職活動をしており、採用通知も来ていたものの漫画家になるために断った。読切漫画をまとめた初の単行本、短編集『WORLDS』を出版する。同年末には『週刊少年ジャンプ』で『PSYCHO+』を初連載するが、短期間で打ち切り終了。その後、3年間は読切漫画を増刊に3本発表するにとどまる。 1996年に『週刊少年ジャンプ』で、連載開始した『封神演義』は人気作となり、1999年にはアニメ化された。2000年に完結。 2002年に『週刊少年ジャンプ』にて『サクラテツ対話篇』、2004年に『Wāqwāq』を連載するが、共に支持を得られず打ち切りとなる。その後の2005年は増刊『ジャンプ the REVOLUTION!』にて読切作品『天球儀』が掲載された。 2006年には初の画集『藤崎竜イラスト集1990-2006 PUTITAKITYU』を発売。同年、バンダイの食玩『共生魔神ぐりりんパンチャー』のメカ・キャラクターデザインを担当し、『Vジャンプ』11月号に販促用の読切漫画を掲載した。 2008年から月刊漫画誌『ジャンプスクエア』1月号にて小野不由美原作のホラー小説『屍鬼』を漫画化し、連載を開始。2010年にはアニメ化された。2011年に連載終了。並行して角川ビーンズ文庫のライトノベル『風水天戯』の挿絵も手がける。 2012年、ジャンプスクエアとその季刊誌に、自身が原作を担当した読切漫画を3本発表。同年末には、『ミラクルジャンプ』No.12に読切漫画『アメとサルタヒコ』を発表。 2013年、『週刊ヤングジャンプ』32号より、『アメとサルタヒコ』の設定をアレンジした『かくりよものがたり』の連載を開始。2014年に第一幕了(事実上の打ち切り)。 2015年、『週刊ヤングジャンプ』45号より、田中芳樹原作SFライトノベル『銀河英雄伝説』を漫画化し、連載を開始する。 書誌情報の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。
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藤崎 竜は、日本の漫画家、イラストレーター。男性。身長173cm。血液型はA型。初期の頃のペンネームは漢字表記は同じだが、読みが「ふじざき りゅう」だった。愛称は「フジリュー」と「プティタキテュー」。 青森県むつ市(旧下北郡川内町)出身。工学系専門学校卒。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 藤崎竜 | ふりがな = ふじさき りゅう | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = [[日本]]・[[青森県]][[むつ市]](旧下北郡川内町) | 国籍 = <!-- [[日本]] 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 職業 = [[漫画家]]<br />[[イラストレーター]] | 生年 = {{生年月日と年齢|1971|3|10}}<ref name="example">[[ジャンプ・コミックス|ジャンプ・コミックス デラックス]]「めざせ漫画家!手塚・赤塚賞受賞作品集7」</ref><ref name="封神大全">封神演義公式ファンブック『封神大全』162 - 165頁</ref> | 没年 = | ジャンル = [[少年漫画]]<br />[[青年漫画]]<br />[[SF漫画]]<br />[[ファンタジー漫画]]<br />[[サスペンス]]・[[ホラー漫画]] | 活動期間 = [[1990年]] - | 代表作 = <!-- 「代表作を挙げた出典」に基づき記載 --> | 受賞 = 第39回[[手塚賞]]佳作:ハメルンの笛吹き<br />第40回手塚賞準入選:WORLDS | }} '''藤崎 竜'''(ふじさき りゅう、[[1971年]][[3月10日]]<ref name="example"/><ref name="封神大全"/> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[イラストレーター]]。[[男性]]。身長173cm<ref name="example"/>。[[ABO式血液型|血液型]]はA型<ref name="example"/>。初期の頃の[[ペンネーム]]は漢字表記は同じだが、読みが「ふじざき りゅう」だった。愛称は「'''フジリュー'''」と「'''プティタキテュー'''」。 [[青森県]][[むつ市]](旧[[下北郡]]川内町)出身。工学系専門学校卒。 == 来歴 == 小学校3 - 4年生の頃に、[[車田正美]]の『[[リングにかけろ]]』をきっかけに漫画を読むようになり、気がついたら絵を描かけるようになっていた<ref name="封神大全"/>。 幼い頃から[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]に親しむ。10代の頃はコンピュータの[[システムエンジニア]]を志望し専門学校に通っていた。 高校在学中の16歳頃にオリジナル漫画を初めて製作し、雑誌の漫画賞に応募して最終選考に残る<ref name="封神大全"/>。 [[1990年]]、自分が漫画界に通用するかを試すための「実験」として製作した『ハメルンの笛吹き』を『[[週刊少年ジャンプ]]』に投稿したところ、第39回[[手塚賞]]の佳作を受賞し、それをきっかけに漫画家を目指すようになる<ref>『WORLDS』単行本36頁</ref>。同年、再び『週刊少年ジャンプ』に応募した『WORLDS』が第40回手塚賞に準入選し、『ジャンプ』増刊号に掲載されデビューした。デビュー後、3本の読切漫画が『週刊少年ジャンプ』本誌および増刊に掲載される。 [[1992年]]、3年制の専門学校を卒業して[[上京]]<ref name="封神大全"/>。在学中は就職活動をしており、採用通知も来ていたものの漫画家になるために断った<ref name="封神大全"/>。読切漫画をまとめた初の単行本、短編集『WORLDS』を出版する。同年末には『週刊少年ジャンプ』で『[[PSYCHO+]]』を初連載するが、短期間で[[打ち切り]]終了。その後、3年間は読切漫画を増刊に3本発表するにとどまる。 [[1996年]]に『週刊少年ジャンプ』で、連載開始した『[[封神演義 (漫画)|封神演義]]』は人気作となり、[[1999年]]にはアニメ化された。[[2000年]]に完結。 [[2002年]]に『週刊少年ジャンプ』にて『[[サクラテツ対話篇]]』、[[2004年]]に『[[ワークワーク|Wāqwāq]]』を連載するが、共に支持を得られず打ち切りとなる。その後の[[2005年]]は増刊『ジャンプ the REVOLUTION!』にて読切作品『天球儀』が掲載された。 [[2006年]]には初の画集『藤崎竜イラスト集1990-2006 PUTITAKITYU』を発売。同年、バンダイの食玩『[[共生魔神ぐりりんパンチャー]]』のメカ・キャラクターデザインを担当し、『[[Vジャンプ]]』11月号に販促用の読切漫画を掲載した。 [[2008年]]から月刊漫画誌『[[ジャンプスクエア]]』1月号にて[[小野不由美]]原作の[[ホラー小説]]『[[屍鬼]]』を[[屍鬼#漫画版|漫画化]]し、連載を開始。[[2010年]]にはアニメ化された。[[2011年]]に連載終了。並行して[[角川ビーンズ文庫]]の[[ライトノベル]]『[[風水天戯]]』の挿絵も手がける。 [[2012年]]、ジャンプスクエアとその季刊誌に、自身が原作を担当<ref group="注">作画は別の作家が担当。</ref>した読切漫画を3本発表。同年末には、『[[ミラクルジャンプ]]』No.12に読切漫画『アメとサルタヒコ』を発表。 [[2013年]]、『[[週刊ヤングジャンプ]]』32号より、『アメとサルタヒコ』の設定をアレンジした『[[かくりよものがたり]]』の連載を開始。2014年に第一幕了(事実上の打ち切り)。 [[2015年]]、『[[週刊ヤングジャンプ]]』45号より、[[田中芳樹]]原作[[サイエンス・フィクション|SF]][[ライトノベル]]<ref>[http://www.raitonoveru.jp/howto1/tabuu/05a.html 現代人は移り気になっている] - ライトノベル作法研究所 2015年8月11日閲覧</ref>『[[銀河英雄伝説]]』を漫画化し、連載を開始する。 == 人物 == *[[自画像]]は[[道化師]]をデフォルメしたような姿で、作品ごとに微妙にデザインを変えている。例外として、漫画家デビュー初期の単行本『WORLDS』のカバー折り返しには、眼鏡をかけた[[ドラゴン]]が自画像として描かれている。 *単行本のおまけページに、藤崎の思考を垣間見ることができる。週刊少年ジャンプ時代の単行本には、あとがき漫画「'''断崖絶壁今何処'''(だんがいぜっぺきいまいずこ)」と、『封神演義』以降の単行本には、余白部分に[[随筆]]風文章の「'''駄文'''(だぶん)」のコーナーを載せていた。週刊少年ジャンプを離れてからは、各作品をテーマにしたあとがき漫画を単行本に描き下ろしている。 *好きな漫画家は[[萩原一至]]<ref name="example"/>。また、[[桂正和]]の大ファンでもあり、『PSYCHO+』のヒロインである水の森雪乃のあだ名「電脳少女(コンピュータ・ガール)」は、桂の漫画『[[電影少女]]』のオマージュである<ref group="注">『PSYCHO+』第4話のコマ外(単行本1巻108ページ)に、桂に対して謝罪するコメントを書いている。</ref>。小学校高学年頃から[[安永航一郎]]の[[ギャグ漫画]]を好むようになり、『封神演義』連載当時も読み続けていることを公言していた<ref name="封神大全"/>。 *文学や哲学の著書や学術書など、多くの書物を読んでいる。その一方で、小学生の時に『リングにかけろ』を読むまでは、漫画に限らず本は読んだことがなかったとも述べている<ref name="封神大全"/>。 *[[古代ローマ]]が好きで、作中の固有名詞に利用したものがある。また『封神演義』の連載が決まる前は、ローマ時代の軍事物のオリジナル漫画による新連載を構想していた<ref name="封神大全"/>。 *[[NHK教育テレビジョン|教育テレビ]]を観るのが趣味。『Wāqwāq』などでは影響されたと思われる[[マスコットキャラクター]]が多く見られる。 *かなりの偏食家で、野菜と果物を好む。嫌いな食物は[[魚類|魚]]、[[食肉|肉]]、[[キノコ]]。肉は基本的に受け付けないが、周期的に食べたくなるらしく、[[ベーコン]]、[[ソーセージ|ウィンナー]]、[[ハンバーグ]]など、原型が判らないものなら食べられる。特におろしハンバーグが好き。キノコも「これは[[きのこの山]]だ」と念じれば食べられる。[[牛乳]]が好きだとも語っており、牛乳を題材にした漫画も書いている。 *大の[[ゲーム]]好き。最近では[[モンスターハンター|モンスターハンターシリーズ]]を気に入っている。好きなスポーツは[[スノーボード]]で、『封神演義』連載中でも休日を利用して遊びに行くほど<ref name="封神大全"/>。『PSYCHO+』を連載していた頃は[[パチンコ]]にハマっていた。 *『封神演義』連載中期には[[シルバーアクセサリー]]に傾倒<ref name="封神大全"/>。登場人物の衣装・小物に現代のデザインを応用したものが随所に登場している。 *[[喫煙]]者。20歳の誕生日から吸い始める。タバコを吸う理由として「タバコを吸わないと脳細胞が増えすぎて、物事を深く考え過ぎてしまう」とのこと。吸わなかった時期に、重いテーマを詰め込みすぎて、読み切り漫画のネームに4ヶ月も悩んだ。世間的に禁煙の気運が高まる中、[[橋本龍太郎]](『封神演義』連載時は総理大臣)の「私はタバコをやめない」という発言に拍手をしたらしい。 *同期デビューで同い年の[[叶恭弘]]、[[道元宗紀]]と仲が良い。『PSYCHO+』2巻のあとがきには一時的にアシスタントをしてもらった道元と叶へのお礼が記されている。 *[[嶋智之]]は、『ハメルンの笛吹き』が手塚賞佳作を受賞して以降<ref name="封神大全"/>、『週刊少年ジャンプ』時代の担当編集者であり、ジャンプスクエアへ移って連載した『屍鬼』まで担当した。単行本のあとがき漫画には「シマ氏」としてデフォルメした姿で登場させていた。 **また、『封神演義』単行本の「断崖絶壁今何処」には、連載当時の週刊少年ジャンプ編集長だった[[鳥嶋和彦]]も、デフォルメした姿で登場させている。 *『封神演義』連載中に、自身のセルフパロディキャラである「'''新藤崎竜'''」を登場させている。その容姿は藤崎と全く似ていない。あとがき漫画「断崖絶壁今何」に登場し、藤崎本人と対決した挙句に敗北し、墓に葬られている。『封神演義』の劇中漫画「国立アンニュイ学園」と、『サクラテツ対話篇』の劇中漫画「荒野の砂漠 水一滴も無し」は、新藤崎竜が執筆したことになっている。 * 『Wāqwāq』に登場するプラ(プラテリーナ8世)は、「無限会社藤崎重工」で製造され、設計・製造責任者は藤崎本人と設定されている。また、藤崎重工の住所・電話番号は集英社と同じである<ref>『Wāqwāq』18話の扉絵</ref>。 *2009年、自身のファンだという、漫画家の[[新條まゆ]]の誕生日に、サイン色紙をプレゼントしている<ref>[http://blog.mayutan.com/archives/2009-01-29.html 誕生日のご報告] - 2014年3月13日閲覧。</ref>。 *兄がいる<ref name="q"/>。 *幼少時から引っ越しが多く、幼少時の記憶が全くないことを明かしており、担当編集の嶋から「あまりいいことがなかったんだね」と突っ込まれ、笑いながら同意している<ref name="封神大全"/>。 **かつて東京都町田市の玉川学園に住んでいたことがある旨を、『封神演義』単行本第6部の表紙裏で明かしている。 === 仕事に関して === *「自分の漫画を解説したりするのは漫画家のすることじゃない」というポリシーを持っている<ref name="q">封神演義ドットコム スープー・武吉のフジリュー突撃Q 第一回 - 2014年3月13日閲覧。</ref>。そのため、自身の作品について、第三者からのインタビューを受ける以外では、自ら解説することがあまりない<ref group="注">例外として、『WORLDS』単行本では、各作品掲載後の余白頁に描き下ろしイラスト入りで詳細に解説しているほか、あとがき漫画「断崖絶壁今何処」で続編の未来予想図を描いている。また『DRAMATIC IRONY』単行本の「断崖絶壁今何処」でも、簡潔ではあるが解説を行っている。</ref>。 *「人前に生身でさらすのは最も苦手<ref>週刊少年ジャンプ2000年23号巻末コメント</ref>」という理由で、インタビューなども含めて基本的に顔出しはしない<ref group="注">かつて、週刊少年ジャンプ新年号(1993年・1997年)の表紙に、他の漫画家たちと集合した写真が掲載されたことがある。</ref>。 *カラー原稿については、「漫画が上手な人はカラーも上手」という考えを持っており、「比較的丁寧に一生懸命塗っているつもり」と語る。イラスト集が出るという話が来た時には、自分のカラー原稿にその価値はあるのか疑問を思い戸惑ったが、開き直って出すことに決めた<ref>『藤崎竜イラスト集1990-2006 PUTITAKITYU』あとがき</ref>。 *キャラクターデザインは、ストーリーがあって、キャラの性格を決めてから描いている。デザインはコンセプトがわかりやすく読者に伝わりやすいように、9割素直に性格と一致するように作っている<ref>『週刊ヤングジャンプ』2014年6・7号「YJ必修マンガ講義 2014年1月期 第1回 “キャラデザ”論I」</ref>。また、シンプルでインパクトのあるシルエットとキャラにあったモチーフも押さえている<ref>『週刊ヤングジャンプ』2014年8号「YJ必修マンガ講義 2014年1月期 第2回 “キャラデザ”論II」</ref>。 **脇役および主要キャラクターにあたる動物はマスコットキャラクターもしくは[[ぬいぐるみ]]のように描かれるのがほとんどである。 **大抵のキャラクターの血縁関係者はある意味個性的で、キャラクターに似ていない(むしろ似せていない)かつ特徴的に描かれている。 *細かい絵柄と鮮やかなカラー絵が特徴。作家生活を通じて絵柄は大きく変わっているが、ほとんどの時代に共通するものは、背景やメカニックに対する細かい描き込み、[[スクリーントーン]]とCGを多用した、まるでアニメの[[セル画]]のように見える絵柄が特徴となっている。 *戦闘シーンの描写は、当の藤崎曰く「うまく描くのが苦手」であるため、ほとんど動きのある描写は描かず、静止画のような止めのカットが多く、それを激しいエフェクト描写で補っている。 *初期の頃(『ハメルンの笛吹き』から『伝染源』まで)の絵柄は、独特の雲の描き方、髪の毛を1本1本描く、[[水彩画]]のような塗り方など、[[少年漫画]]や[[少女漫画]]とも思えない不思議な雰囲気から、「作者は女性」と思われることが多かった。 *[[1993年]]の読み切り『DIGITALIAN』で少年漫画らしい絵柄に変化し、話もコミカルな感じになったが、[[1995年]]発表の読み切り『DRAMATIC IRONY』では、単純な勧善懲悪ではない「悪と正義」をテーマにしたダークな話になり、スクリーントーンを多用し、絵柄も重苦しい感じだった。 *[[1996年]]に連載が開始された『封神演義』では、これまでの前作とは打って変わって娯楽要素を取り入れるようになり、話のノリや絵柄がかなり少年漫画らしくなった。[[オマージュ]]的表現を頻繁に使っており、ゲームや他の漫画の[[パロディ]]を交えた[[ギャグ]]も豊富である。初期の頃の彩色は、プリンターのインクが切れたため、[[コピック]]を使用していた。連載が進むにつれて、線が細くなるなど絵柄が変化し、藤崎独特の世界観が濃くなったため、話が難しくなっていった。連載半ばには彩色もパソコンによる[[コンピュータグラフィックス|CG]]に切り替わった。 *『屍鬼』のコミカライズでは、主要登場人物等は漫画的にデフォルメした絵で描き、その他の村人やモブ背景の人々については[[写実主義|写実的]]に描くなど、絵柄の幅は広くなった。また、背景や乗り物に小物など、人物以外の描写には、自身が取材で撮影した写真を加工したうえで使用している。 *2017年に行われたインタビューでは、座右の銘として「ストレスフリー」と「余計なことは言わない」を掲げている。『銀河英雄伝説』ではデジタルネームを導入し、[[Microsoft Surface#Surface Book シリーズ|Surface book]]によるフルデジタル作業へと移行。9名いるアシスタントは在宅勤務しており、[[Skype]]で通信しながら作業を行う<ref>『週刊ヤングジャンプ』2017年53特大号p442-443</ref>。 == 作品リスト == === 漫画作品 === * 2020年2月現在。 * デフォルトでの表記は発表順。雑誌未掲載作品については執筆年で代用している。他列でのソート後に再度発表順でソートするには、最左列を利用する。 * 「種」欄は連載か読切かで2種に大別。 * 「収」欄は収録単行本またはイラスト集を「略号x-y」の形で示す。略号対応については[[#漫画単行本]]を参照。 ** 「x」は初収録単行本での収録巻を示す。再出版で収録巻の異なる場合は脚注で補足。 ** 「y」は各単行本内での収録順を示す。 ** 「未」は単行本未収録を示す。 {| style="font-size:smaller" | style="background-color: #fdd; width: 1em; " | | 連載作品 | style="background-color: #ddf; width: 1em; " | | 読切作品 |} {| class="wikitable sortable" style="font-size:smaller; background-color:#ddf" ! !! 作品名 !! 種 !! 発行 !! 掲載誌 !! 収 !! 注記 |- |- !1 |<span style="display:none">はめるんのふえふき<br></span>ハメルンの笛吹き||読切|| — ||雑誌未掲載([[1990年]]執筆)||短1-1<br />作3||[[ハーメルンの笛吹き男]]をモチーフにした<br />[[ダーク・ファンタジー]]漫画。第39回[[手塚賞]]佳作。 |- !2 |<span style="display:none">わあるす<br></span>WORLDS||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||[[週刊少年ジャンプの増刊号|WJ増刊]] 1991年ウィンタースペシャル (1990年執筆) |短1-2<br />Wb3||[[パラレルワールド]]を題材にしたダーク・ファンタジー漫画。<br />第40回手塚賞準入選作。雑誌掲載デビュー作品。 |- !3 |<span style="display:none">たいとろおぷ<br></span>TIGHT ROPE||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||WJ増刊 1991年スプリングスペシャル||短1-3<br />作3||人間を管理するために人間によって造られた<br />管理者(エイディー)を描く[[SF漫画]]。 |- !4 |<span style="display:none">しゃとおていしいす<br></span>SHADOW DISEASE||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||[[週刊少年ジャンプ]] 1991年45号||短1-4<br />作3||自分の影に肉体を乗っ取られた少年を描いた<br />ダーク・ファンタジー漫画。<br />元々は季刊誌掲載用に描かれた作品<ref>『WORLDS』単行本150頁</ref>。 |- !5 |<span style="display:none">そおとおふないと<br></span>SOUL of KNIGHT||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||WJ増刊 1992年スプリングスペシャル||短1-5<br />作3||お転婆な王女と記憶喪失の騎士を描いた[[ファンタジー漫画]]。 |-style="background-color:#fdd" !6 | <span style="display:none">さいこふらす</span>[[PSYCHO+]]|| <span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">S</span>集英社||週刊少年ジャンプ 1992年51号 - 1993年11号 || S<br />作1 || 緑色の髪と眼を持つ少年を主人公にした[[超能力]]漫画。<br />全11話。初の連載作品。 |- !7 |<span style="display:none">てんせんけん<br></span>伝染源||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||WJ増刊 1993年サマースペシャル||S2-5<br />Wb3||未来から現代へ逃亡した超能力者「伝染源」と<br />その祖先との戦いを描いたSF漫画。 |- !8 |<span style="display:none">てしたりあん<br></span>DIGITALIAN||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||WJ増刊 1993年オータムスペシャル||S2-6<br />作1||[[ロールプレイングゲーム|RPG]]風のファンタジー漫画。 |- !9 |<span style="display:none">とらまていつくあいろにい<br></span>DRAMATIC IRONY||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||WJ増刊 1995年スプリングスペシャル||短2-1<br />作3||架空の漫画の世界で繰り広げられる、<br />正義と悪を描いたダーク・ファンタジー漫画。 |-style="background-color:#fdd" !10 | <span style="display:none">ほうしえんき</span>[[封神演義 (漫画)|封神演義]]|| <span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">S</span>集英社||週刊少年ジャンプ 1996年28号 - 2000年47号 || ほ || 原作:[[安能務]]訳『[[封神演義]]』。<br />中国の古典文学作品を基にした漫画。全204話。<br />アニメ化・ゲーム化もされた。 |- !11 |<span style="display:none">ゆかみすむ<br></span>ユガミズム||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||週刊少年ジャンプ 1997年25号||短2-2<br />作3<br><ref group="注">上記の他、[[コンビニコミック]]『[[コンビニコミック#集英社ジャンプリミックス|集英社ジャンプリミックス]] 伝説のジャンプ・リーダーズカップ!!』(2011年4月28日初版発売)にも収録されている。</ref>||ジャンプリーダーズカップ用作品。[[喜劇#コメディ漫画|コメディ漫画]]。 |- !12 |<span style="display:none">みるくしやんきい<br></span>milk junkie||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||eジャンプ 2000年1月18日増刊号 ||短2-3<br />作3||背が伸びる牛乳を飲んで巨人化していく少年を描いた<br />[[ブラックジョーク|ブラックコメディ]]漫画。 |- !13 |<span style="display:none">いせつほうしんえんき<br></span>異説 封神演義||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||週刊少年ジャンプ 2001年5・6合併号||短2-4<br />作3||『封神演義』のセルフパロディ漫画。<br />ゲーム「[[封神演義 (漫画)#アニメ『仙界伝 封神演義(せんかいでん ほうしんえんぎ)』|仙界伝弐]]」のプロモーションも兼ねている<ref>週刊少年ジャンプ2001年5・6合併号巻末コメント</ref>。 |-style="background-color:#fdd" !14 | <span style="display:none">さくらてつたいわへん</span>[[サクラテツ対話篇]]|| <span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">S</span>集英社||週刊少年ジャンプ 2002年1号 - 21号 || さ<br />作2 || 古代の哲学者をモチーフにしたブラックコメディ漫画。<br />全19話。 |-style="background-color:#fdd" !15 | <span style="display:none">わあくわあく</span>[[ワークワーク|Wāqwāq]]|| <span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">S</span>集英社||週刊少年ジャンプ 2004年40号 - 2005年23号 || W || SF漫画。全33話。 |- !16 |<span style="display:none">てんきゆうき<br></span>天球儀||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||WJ増刊 ジャンプ the REVOLUTION!2005 ||作3||ブラックコメディ漫画。 |- !17 |<span style="display:none">きようせいましんくりりんはんちやあ<br></span>[[共生魔神ぐりりんパンチャー]]||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||[[Vジャンプ]] 2006年11月号||Wb3||同名の[[食玩]]の販促漫画。 |-style="background-color:#fdd" !18 | <span style="display:none">しき</span>[[屍鬼#漫画版|屍鬼]]|| <span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">S</span>集英社||[[ジャンプスクエア]] 2008年1月号 - 2011年7月号 || し || 原作:[[小野不由美]]。同名の[[ホラー小説]]のコミカライズ。<br />初の月刊誌連載。アニメ化もされた。 |- !19 |<span style="display:none">ふらわあすふろむあるしやあのん<br></span>フラワーズ フロム アルジャーノン||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||[[ジャンプSQ.19]] 2012年Vol.2||未||原作を担当。作画:[[笠井稔]]。 |- !20 |<span style="display:none">こうすとさつかあ<br></span>GHOST SOCCER||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||ジャンプスクエア 2012年8月号 ||未||原作を担当。作画:[[松永ケサカツ]]。 |- !21 |<span style="display:none">かのうせいせかいをかけるしようしよ<br></span>可能性世界を駆ける少女||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||ジャンプSQ.19 2012年Vol.3 ||未||原作を担当。作画:[[荻野純]]。 |- !22 |<span style="display:none">あめとさるたひこ<br></span>アメとサルタヒコ||読切||<span style="display:none">S</span>集英社||[[ミラクルジャンプ]] 2012年No.12 ||未||過酷な運命を持つ少女と、彼女の幼馴染である青年の物語。<br />初の青年誌漫画。<br />『[[かくりよものがたり]]』のプロトタイプ作品。 |-style="background-color:#fdd" !23 | <span style="display:none">かくりよものがたり</span>[[かくりよものがたり]]|| <span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">S</span>集英社||[[週刊ヤングジャンプ]] 2013年32号 - 2015年4・5合併号|| か ||『アメとサルタヒコ』の連載版。最終回は「第一幕了」表記。 |-style="background-color:#fdd" !24 | <span style="display:none">ぎんがえいゆうでんせつ</span>[[銀河英雄伝説]]|| <span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">S</span>集英社||週刊ヤングジャンプ 2015年45号 - 2020年8号<br />[[ウルトラジャンプ]] 2020年3月号 - || ぎ || 原作:[[田中芳樹]]。同名の[[SF小説]]のコミカライズ。 |- |} === 書籍 === ==== 漫画単行本 ==== 書誌情報の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。 * 2023年12月現在。 * 書名が同じ物は【 】内の注記で区分をつけている。 * デフォルトでの表記は作品毎にまとめて初巻の発行順とし、短編集については最後に記載した。他列でのソート後にデフォルトの順へと戻すには、最左列を利用する。 * 「略」欄は上記[[#漫画作品]]の収録欄で用いている略号を示す。 {| style="font-size:smaller" | style="background-color: #fcc; width: 1em; " | | 連載作品 | style="background-color: #fee; width: 1em; " | | 再出版 | style="background-color: #ccf; width: 1em; " | | 短編集 |} {| class="wikitable sortable" style="font-size:smaller; background-color:#fcc" ! !! 書名 !! 発行 !! レーベル !! 判 !! 発行年 !! 巻 !! 注記 !! 略 |- ! 1 | <span style="display:none">さいこふらす</span>[[PSYCHO+]]|| [[集英社]] || [[ジャンプ・コミックス]] || <span style="display:none">2</span>[[新書]] || [[1993年]] || style="text-align:right;" |2<br /><ref group="注">巻数はそれぞれ「SIDE A」・「SIDE B」の表記が使われている。</ref>|| 2巻に読み切り漫画『伝染源』・『DIGITALIAN』収録。|| S |- style="background-color:#fee" ! 2 | <span style="display:none">さくひんしゆういち</span>藤崎竜作品集1 PSYCHO+|| 集英社 || [[集英社文庫]]コミック版 || <span style="display:none">1</span>[[文庫本|文庫]] || [[2008年]] || style="text-align:right;" | 1 || 文庫での再出版。読み切り漫画『DIGITALIAN』収録。 || 作1 |- ! 3 | <span style="display:none">ほうしえんき1</span>[[封神演義 (漫画)|封神演義]]【JC版】|| 集英社 || ジャンプ・コミックス || <span style="display:none">2</span>新書 || [[1996年]] - [[2001年]]|| style="text-align:right;" |23|||| ほ |- style="background-color:#fee" ! 4 | <span style="display:none">ほうしえんき2</span>封神演義【[[完全版コミックス|完全版]]】|| 集英社 || ジャンプ・コミックス || <span style="display:none">2</span>A5 || [[2005年]] - [[2006年]]|| style="text-align:right;" |18|| ワイド版での再出版。掲載当時のカラー原稿を再現。<br />18巻は[[ぬいぐるみ]]が付属する初回限定特装版も同時発売。 || ほ |- ! 5 | <span style="display:none">さくらてつたいわへん1</span>[[サクラテツ対話篇]] || 集英社 || ジャンプ・コミックス || <span style="display:none">2</span>新書 || [[2002年]]|| style="text-align:right;" |2<br /><ref group="注">巻数はそれぞれ「上巻」・「下巻」の表記が使われている。</ref>|| || さ |- style="background-color:#fee" ! 6 | <span style="display:none">さくひんしゆうに</span>藤崎竜作品集2 サクラテツ対話篇|| 集英社 || 集英社文庫コミック版 || <span style="display:none">1</span>文庫 || 2008年 || style="text-align:right;" | 1 || 文庫での再出版。|| 作2 |- ! 7 | <span style="display:none">わあくわあく1</span>[[ワークワーク|Wāqwāq]]【JC版】|| 集英社 || ジャンプ・コミックス || <span style="display:none">2</span>新書 || 2005年|| style="text-align:right;" |4|| || Wa |- style="background-color:#fee" ! 8 | <span style="display:none">わあくわあく2</span>Wāqwāq【文庫版】|| 集英社 || 集英社文庫コミック版 || <span style="display:none">1</span>文庫 || 2008年 - [[2009年]] || style="text-align:right;" | 3|| 文庫での再出版。<br />3巻に読み切り漫画『WORLDS』,『伝染源』,<br />『[[共生魔神ぐりりんパンチャー]]』<ref group="注" name="初">初収録。</ref>収録。 | Wb |- ! 9 | <span style="display:none">しき</span>[[屍鬼#漫画版|屍鬼]]|| 集英社 || ジャンプ・コミックス || <span style="display:none">11</span>新書 || 2008年 - [[2011年]]|| style="text-align:right;" |11|||| し |- ! 10 | <span style="display:none">かくりよものがたり</span>[[かくりよものがたり]]|| 集英社 || [[ジャンプ・コミックス]] <br />(JC ヤングジャンプ)<ref group="注">『週刊ヤングジャンプ』に掲載された漫画は、通常[[ヤングジャンプ・コミックス]]レーベルで単行本が発行されるが、本作は『[[週刊少年ジャンプ]]』等と同じ[[ジャンプ・コミックス]]レーベルから発行されている。</ref>|| <span style="display:none">2</span>新書 || [[2013年]] - [[2015年]]|| style="text-align:right;" |8|| ||か |- style="background-color:#ccf" ! 11 | <span style="display:none">わあるず</span>WORLDS|| 集英社 || ジャンプ・コミックス || <span style="display:none">2</span>新書 || [[1992年]] || style="text-align:right;" | 1 || 短編集。初の単行本。|| 短1 |- style="background-color:#ccf" ! 12 | <span style="display:none">とらまていつくあいろにい<br></span>DRAMATIC IRONY|| 集英社 || ジャンプ・コミックス || <span style="display:none">2</span>新書 || [[2001年]] || style="text-align:right;" | 1 || 短編集。|| 短2 |- style="background-color:#fee" ! 13 | <span style="display:none">さくひんしゆうさん</span>藤崎竜作品集3 天球儀|| 集英社 || 集英社文庫コミック版 || <span style="display:none">1</span>文庫 || 2008年 || style="text-align:right;" | 1 || 出版当時までの読み切り作品を集めて文庫での再出版。<br />『天球儀』<ref group="注" name="初"/>,『異説 封神演義』,『milk junkie』,<br />『ユガミズム』,『DRAMATIC IRONY』,『SOUL of KNIGHT』,<br />『TIGHT ROPE』,『ハメルンの笛吹き』収録。 | 作3 |- ! 14 | <span style="display:none">ぎんがえいゆうでんせつ</span>[[銀河英雄伝説]]|| 集英社 || [[ヤングジャンプ・コミックス]] || <span style="display:none">2</span>B6 || [[2016年]] - || style="text-align:right;" |28|||| ぎ |- style="background-color:#fee" |} ==== 作品ガイドブック ==== * 封神演義公式ファンブック『封神大全』([[1999年]]/{{ISBN2|4-08-782760-7}}) * 屍鬼 ビジュアルワークス(2010年7月2日/{{ISBN2|978-4-08-782294-6}}) - ジャンプ掲載時のカラー原稿、藤崎に対するインタビューやアニメスタッフ・キャストとの対談、キャラクターの初期設定資料等を収録。 ==== 画集 ==== * 藤崎竜イラスト集1990-2006 PUTITAKITYU([[2006年]][[6月21日]]発売/{{ISBN2|4-08-874091-2}}) === その他 === * [[ほったゆみ]]『[[はじマン チャレンジ!はじめてのマンガ]]』- 第3話に課題作品『くまくんときつねくん』のコマ割りを寄稿。同作単行本1巻に収録されている他、公式Webサイトで公開されている[http://tonarinoyj.jp/manga/hajiman/]。 ==== キャラクターデザイン ==== * [[共生魔神ぐりりんパンチャー]] *[[PlayStation Portable|PSP]]専用ソフト『[[ファンタシースターポータブル2]]』([[セガ]]) - [[週刊少年ジャンプ]]・[[ジャンプスクエア|ジャンプSQ.]]とのコラボレーション企画として、コスチュームと武器をデザイン。 ==== 挿絵 ==== * [[眠り姫は魔法を使う]]([[霧咲遼樹]]/1995年/集英社[[ジャンプ ジェイ ブックス]]/{{ISBN2|4-08-703038-5}}) * [[RIPPER GAME]](霧咲遼樹/1996年/集英社ジャンプ ジェイ ブックス/{{ISBN2|4-08-703047-4}}) * [[D室の子猫の冒険]](霧咲遼樹/1998年/集英社ジャンプ ジェイ ブックス/{{ISBN2|4-08-703065-2}}) * [[風水天戯]]([[望月もらん]]/2010年 - 2012年/[[角川ビーンズ文庫]]/全6巻) ==== 表紙絵 ==== * [[夢十夜]]・[[草枕]]([[夏目漱石]]/2011年度版/[[集英社文庫]]/{{ISBN2|4-08-752033-1}}) * [[夏と花火と私の死体]]([[乙一]]/2012年度版/集英社文庫/{{ISBN2|4-08-747198-5}}) * [[学習漫画 日本の歴史|集英社版 学習まんが 日本の歴史]]11巻 ゆらぐ江戸幕府 江戸時代Ⅲ(2016年度版/集英社/{{ISBN2|4-08-239111-8}}) * [[封神演義 導なき道へ]]([[吉上亮]]/2018年/集英社ジャンプ ジェイ ブックス/{{ISBN2|978-4-08-703454-7}}) == 関連項目 == * [[青森県出身の人物一覧]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://www.houshin-engi.com/ 封神演義ドットコム] {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:ふしさき りゆう}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本のイラストレーター]] [[Category:SF漫画家]] [[Category:青森県出身の人物]] [[Category:1971年生]] [[Category:存命人物]]
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検索エンジン
検索エンジン(けんさくエンジン、英: search engine)は、狭義にはインターネットに存在する情報(ウェブページ、ウェブサイト、画像ファイル、ネットニュースなど)を検索する機能およびそのプログラム。インターネットの普及初期には、検索としての機能のみを提供していたウェブサイトそのものを検索エンジンと呼んだが、現在では様々なサービスが加わったポータルサイト化が進んだため、検索をサービスの一つとして提供するウェブサイトを単に検索サイトと呼ぶことはなくなっている。広義には、インターネットに限定せず情報を検索するシステム全般を含む。 狭義の検索エンジンは、ロボット型検索エンジン、ディレクトリ型検索エンジン、メタ検索エンジンなどに分類される。広義の検索エンジンとしては、ある特定のウェブサイト内に登録されているテキスト情報の全文検索機能を備えたソフトウェア(全文検索システム)等がある。 検索エンジンは、検索窓と呼ばれるテキストボックスにキーワードを入力して検索をかけるもので、全文検索が可能なものと不可能なものとがある。検索サイトを一般に「検索エンジン」と呼ぶことはあるが、厳密には検索サイト自体は検索エンジンでない。 与えられた検索式に従って、ウェブページ等を検索するサーバ、システムのこと。検索式は、最も単純な場合はキーワードとなる文字列のみであるが、複数のキーワードにAND(「かつ」、論理積)やOR(「または」、論理和)等の論理条件を組み合わせて指定することができるものが多い。 ロボット型検索エンジンの大きな特徴の一つとして、クローラ(ロボット・スパイダー)を用いることが挙げられる。このことにより、WWW上にある多数の情報を効率よく収集(日本の著作権法では複製)することができる。大規模な検索エンジンでは、80億ページ以上のページから検索が可能になっている。 収集したページの情報は、前もって解析し、索引情報(インデックス)を作成する(日本の著作権法では編集)。日本語などの言語では、自然言語処理機能が生成される索引の質に影響する。このため、多言語対応した検索エンジンの方が精度の高い検索が可能となる。 検索結果の表示順は、検索エンジンの質が最も問われる部分である。ユーザーが期待したページを検索結果の上位に表示することができなければ、ユーザーが離れてしまうからである。そのため、多くの検索エンジンが、表示順を決定するアルゴリズムを非公開にし、その性能を競っている。検索エンジン最適化業者の存在も、アルゴリズムを公開しない要因になっている。Googleは、そのアルゴリズムの一部であるページランクを公開してきたが、やはり、多くの部分が非公開になっている。Googleの場合、創設初期におけるアルゴリズムについては、創設者自身がウェブ上で公表している論文でその一端を知ることができる。 参照 英語原文 日本語の解説 ウェブページの更新時刻の情報を用いて、新しい情報に限定して検索できるものや、検索結果をカテゴリ化して表示するものなど、特長のある機能を搭載したり、検索結果をユーザーへ最適化していく動きもある。 従来のウェブページを検索するだけの検索エンジンにとどまらず、最近ではインターネットショッピング専用の検索エンジンなど、特定の分野に特化した検索エンジンの開発も散見される。商品検索では、価格比較サービス日本最大手の価格.comや、ベンチャー企業が開発するQOOPIEなどある。また、職業検索エンジンとしてはCraigslistなどがある。 Google、Yahoo!、インフォシーク、テクノラティ、MARSFLAG、Altavista、ムーター、AlltheWeb、Teoma(英語版)(終了)、WiseNut(英語版)、Inktomi(終了)、SAGOOL、Yahoo! JAPAN (2005.10〜2010.11) など。 人手で構築したウェブディレクトリ内を検索するサーバ、システムのこと。 人手で構築しているため、質の高いウェブサイトを検索可能。概要を人手で記入しているため、検索結果の一覧から目的のサイトを探しやすい、サイトのカテゴリ分けがされていることから、特定分野や地区などに限定したサイトを探しやすいという特長がある。 しかし、検索対象となるサイトは人手で入力するため、検索対象となるサイト数が多くできないという欠点がある。 インターネットが一般に使われるようになった初期(1990年代)のころには、ディレクトリ型が主体であったが、WWWの爆発的な拡大によって、あらゆるウェブサイトを即時にディレクトリに反映させることが事実上不可能になり、現在では主流ではなくなっている。 このため、ディレクトリ型検索エンジンでは、検索にヒットするサイトが無かった場合、ロボット型検索エンジンを用いて結果を表示するような、併用型のものが多い。 日立国際ビジネスのHole-in-One( - 2004年11月)、Yahoo!JAPANのYahoo!カテゴリ( - 2018年3月)、LookSmart Japan( - 2006年6月)、gooのgooカテゴリー検索( - 2019年8月)、Open Directory ProjectことDMOZ( - 2017年3月)など。 P2P通信によってウェブコンテンツのインデックスを多数のピアに分散させ、P2Pネットワーク全体で各ピアの持つインデックスを共有する検索システムのこと。 ウェブのクロールは各ピアが独自に行い、インデクサーはRWI(Reverse Word Index)を作成する。作成されたインデックスの一部はDHT(分散ハッシュテーブル、Distributed Hash Table)として他のピアに分配される。 検索は自分のピアの端末からP2Pネットワーク上にある他のピアにリクエストを送信することにより行うことができる。 分散型検索エンジンの例としてはYaCyがある。YaCyは「人民による人民のためのウェブ検索」を標榜し、分散型であることにより検閲を防ぐことができるとしている。 ひとつの検索ワードを複数の検索エンジンで検索することをメタ検索という(横断検索エンジンと呼ぶこともある)。 詳細は「メタ検索エンジン」を参照のこと。 与えられた文書群から、検索式(キーワードなど)による全文検索機能を提供するソフトウェア、システムの総称で、ウェブサーバに組み込んで利用されることが多い。スタンドアローン環境で用いられる個人用途のものもあり、そういったものは特に「デスクトップ検索」と呼ばれている。企業内のファイルサーバーや企業内ポータルを対象とするものは「エンタープライズサーチ」と呼ばれる。 検索エンジンのはしりは1994年にスタンフォード大学のジェリー・ヤンとデビッド・ファイロが開発したYahoo!である。Yahoo!はディレクトリ型の検索エンジンでインターネットの普及に大きな役割を果たした。 その後、ウェブ上の情報を自動的に探索して情報を索引として整理するロボットまたはクローラと呼ばれるプログラムが開発された。 ロボット型検索エンジンの中でもラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンが開発したGoogle検索は検索結果のランキングと高速検索に優れていたため検索エンジンのトップに躍り出た。Googleが1998年に稼動させたGoogle検索は、従来の検索エンジンがポータルサイト化へと進む流れに逆行し、独創的な検索技術に特化し、バナー広告等を排除したシンプルな画面だった。 Googleは2000年には米Yahoo!のロボット型検索エンジンに採用されたが、Google躍進に危機感を募らせた米Yahoo!は、2004年にロボット型検索エンジンを独自技術Yahoo! Search Technology (YST)(Yahoo!が買収したInktomiと、Overtureが買収したAltaVista、Alltheweb等の技術を統合した)に切り替えた。 2009年にはマイクロソフトが新たな検索エンジンとしてBingを発表した。 検索という行為が一般化するにつれて、各種目的別に多様化した検索エンジンが現れるようになった。ブログの情報に特化した検索TechnoratiやblogWatcher、商品情報の検索に特化した商品検索サイト、サイトの見た目で検索するMARSFLAG、音楽検索、動画検索、ファイル検索、アップローダ検索ほか、次々と新しい検索エンジンが生まれている。 日本のインターネット普及初期から存在した検索エンジンには以下のようなものがある。黎明期には、豊橋技術科学大学の学生が作成したYahho や、東京大学の学生が作成したODiN、早稲田大学の学生が作成した千里眼など、個人の学生が作成したものが商用に対して先行していた(いずれも1995年に作成、日本電信電話株式会社のNTT DIRCECTORY、サイバースペースジャパン(現・ウェブインパクト)のCSJインデックスは1994年に作成)。これらは単に実験用に公開されていただけでなく、多くの人に用いられていたものであり、黎明期のユーザにとっては知名度、実用度ともに高いものであった。またMondouなどのように研究室(京都大学)で作成したものもあった。 1995年12月にソフトバンクがアメリカ合衆国Yahoo!株を一部買い取り、翌年4月から日本版にローカライズしたYahoo! JAPANをサービス開始した。同年7月の展示会Interopでは机2つぶん並べる程度の小規模ブースで出展する程度の力の入れ具合で、ソフトバンクの一部署として開始する程度だったものが、もともとの米国Yahoo!の知名度、90年代後半のインターネット利用者人口の増加、ディレクトリ型だけだった検索をロボット型も追加、サイト登録した一部のウェブサイトの紹介をするYahoo! Internet Guide(ソフトバンククリエイティブ出版)との連携、日本Yahoo!株高騰のニュースでインターネットを利用しない人にも名前が知れ渡るなど、様々なプラス要因と経営戦略が見事に当たり、検索サイト首位の座を固めた。そして、検索サイトの集客力を武器にニュース、オークションなど、検索サービス以外のサービスを含めたポータルサイトとしての独走を始めた。 1997年頃から、WWWの爆発的な拡大に伴って、ディレクトリ型のみであったYahoo!のウェブディレクトリの陳腐化が急速に進んだ。2000年代には、日本でもGoogleに代表されるロボット型検索エンジンが人気を集め始め、国産ではinfoseekやgooが登場(Yahoo! JAPANがロボット型検索エンジンにgooを採用)、2004年にはGoogleやYahoo!のエンジンに匹敵すると謳うTeomaを利用した検索エンジン、Ask Jeeves(現・Ask.com)が「Ask.jp」として日本上陸、2005年にはオーストラリアで誕生したMooterが日本上陸など、群雄割拠の時代になった。検索エンジンを利用すること=「ググる」というネットスラングも生まれた。 また、検索エンジンでは判断できない抽象的な条件などでの検索を人手に求めた、OKWaveや人力検索はてななどの「人力検索」「ナレッジコミュニティ」と呼ばれるサービスも登場した。 モバイル検索の分野は長らく公式サイトと呼ばれる世界がユーザーの囲い込みを行っていたため、脚光を浴びることが少なかった。次第にパソコンだけでなくフィーチャーフォンや携帯型ゲーム機からもウェブサイトが検索される傾向が高くなり、GoogleやYahoo!をはじめとする携帯向けのモバイル検索サイトが登場した。ソフトバンク・Yahoo! JAPANがボーダフォンを買収し、KDDIがGoogleと提携するなどした。 2010年、Yahoo! JAPANがGoogleの検索エンジンを採用し、日本でも事実上Googleが圧倒的なシェアを保有するに至った。 Googleなどのウェブ検索エンジンでは、データベースの検索結果など多くの動的ページが検索対象になっていない。このような動的ページは「深層ウェブ」「見えないウェブ」「隠されたウェブ」などと呼ばれている。静的ページの500倍の量が存在し、多くは無料だといわれる。深層ウェブは、一般の検索エンジンなどからデータベースなどを見つけ出すか、直接アクセスした上で、それぞれの検索機能から再度検索しなければならない。また、ダークウェブを探索する際に使われる検索エンジンAhmiaも存在している。 ロボット型検索エンジンは、その原理上インターネット上のコンテンツを複製の上で、検索を目的とした蓄積に適した形態で保存する他、場合によってはキャッシュとして提供できるような形態でも保存する場合がある。著作権をたてに、ウェブサイトの閲覧利用規約等と称して、一切のいかなる複製も禁ずるとするサイト等があり、どういったものかと古くより話題になっていた。 また、2006年11月には、日本の知的財産戦略本部コンテンツ専門調査会第3回企画WGにおいて、検索エンジンに関して「著作権法上、複製、編集には権利者の許諾が必要であり、Yahoo!、Googleなど大手検索システムのサーバーは海外に置かれているのが現状。」 と報告され、これをうけて経済産業省が日本国内でも合法的に検索エンジンサービスが行えるように著作権法の改正や検索エンジンの開発に取り組むと発表し、2010年1月の改正で複製が合法とされた。 2006年頃から日本ではURL(アドレス)を表示せず、社名や商品名などの検索キーワードを表示し、検索エンジンで検索させるように仕向けるテレビコマーシャルなどの広告表現が急増している。大抵はキーワードが書かれた状態の検索フォームとボタンを表示し、マウスクリックを促す演出がなされている。このような変化が生じた理由は不明であるが、各メディアの広告掲載基準の変更や、コマーシャルでURLを表示するのに比べてアクセス数を獲得しやすいことが増加の要因である。しかし検索結果に企業にとって不都合な情報が現れる場合があるため、グーグル八分のような検索結果の操作が行われるケースも考えられる。 現在、主流となっている広告手法として、ユーザーの検索結果後に広告を露出させる検索連動型広告と、サイトの中を分析し、そのサイトに合った広告を配信するコンテンツ連動型広告が主流である。 英語圏でも2013年ごろから「#wikipedia」のような番号記号を使った広告活動をおこなっている。 いわゆる「使用言語からみたインターネット人口の割合」は Internet Archive を用いて Euro Marketing と Global Reach から過去の月次資料を整理すると次のような推移を辿っている。 ※2005年2月2日の時点で、WWW検索エンジンの代表格であるGoogleでは80億を越す8,058,044,651ウェブページが登録されていた。 1995年以前のInternet Societyによればインターネットで用いられている言語のうち英語が占める割合は85%とされていたが、その後のITの進歩や各国のインターネットの普及により多言語化が進み、上表に見られるように2000年の年末には英語と非英語の言語人口が逆転し、その傾向は継続していった。このため検索エンジン各社は多言語対応に苦慮することとなった。 検索エンジンは、利便性がある一方、危険性も存在する事やその被害例について参考文献や資料が存在する。検索エンジンの安全性に関する調査報告については、ウイルス対策ソフトなどを提供するセキュリティベンダーの米マカフィーが、2007年6月4日「検索エンジンの安全性に関する調査報告」を発表し「検索エンジンは危険であり、検索エンジンにキーワードを入力して上位に現れるサイトの危険度を調べたら、広告として表示されるサイトは、そうでないサイトの2.4倍も危険率が高い」としている。 また2006年05月12日に公表された調査報告書によると検索エンジンのキーワード検索結果には危険なリンクがあり、検索エンジンが自分を守ってくれると思ってはいけない。それどころか検索結果ランキングがサイトの安全性を反映していないことも多く、特に検索エンジン広告を訪れる場合、ユーザーは高いリスクにさらされると警鐘を鳴らしている。 さらに、検索エンジンの提供サイトの危険度についての調査報告では、同マカフィーが「検索エンジンの安全度調査」を発表し「最も危険な結果が多いのは米ヤフー」としている。 SEO対策の技術が進んだこともあり、検索上位が大手サイトやまとめサイトばかりになるなど、表示されるサイトに偏りが生じている。昔のインターネットのほうが精度が高かったという感想も多い。 ウェブサイトの人気と関連性のいくつかの組み合わせにもとづいてそれらを番付するよう検索エンジンはプログラムされているけれども、それらが与える情報のなかのさまざまな政治的、経済的、社会的な、バイアスを'経験的な'(英: empirical)研究はしめす。 など。
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JAPAN (2005.10〜2010.11) など。", "title": "検索エンジン(狭義)" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "人手で構築したウェブディレクトリ内を検索するサーバ、システムのこと。", "title": "検索エンジン(狭義)" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "人手で構築しているため、質の高いウェブサイトを検索可能。概要を人手で記入しているため、検索結果の一覧から目的のサイトを探しやすい、サイトのカテゴリ分けがされていることから、特定分野や地区などに限定したサイトを探しやすいという特長がある。", "title": "検索エンジン(狭義)" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "しかし、検索対象となるサイトは人手で入力するため、検索対象となるサイト数が多くできないという欠点がある。", "title": "検索エンジン(狭義)" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "インターネットが一般に使われるようになった初期(1990年代)のころには、ディレクトリ型が主体であったが、WWWの爆発的な拡大によって、あらゆるウェブサイトを即時にディレクトリに反映させることが事実上不可能になり、現在では主流ではなくなっている。 このため、ディレクトリ型検索エンジンでは、検索にヒットするサイトが無かった場合、ロボット型検索エンジンを用いて結果を表示するような、併用型のものが多い。", "title": "検索エンジン(狭義)" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "日立国際ビジネスのHole-in-One( - 2004年11月)、Yahoo!JAPANのYahoo!カテゴリ( - 2018年3月)、LookSmart Japan( - 2006年6月)、gooのgooカテゴリー検索( - 2019年8月)、Open Directory ProjectことDMOZ( - 2017年3月)など。", "title": "検索エンジン(狭義)" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "P2P通信によってウェブコンテンツのインデックスを多数のピアに分散させ、P2Pネットワーク全体で各ピアの持つインデックスを共有する検索システムのこと。", "title": "検索エンジン(狭義)" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ウェブのクロールは各ピアが独自に行い、インデクサーはRWI(Reverse Word Index)を作成する。作成されたインデックスの一部はDHT(分散ハッシュテーブル、Distributed Hash Table)として他のピアに分配される。", "title": "検索エンジン(狭義)" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "検索は自分のピアの端末からP2Pネットワーク上にある他のピアにリクエストを送信することにより行うことができる。", "title": "検索エンジン(狭義)" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "分散型検索エンジンの例としてはYaCyがある。YaCyは「人民による人民のためのウェブ検索」を標榜し、分散型であることにより検閲を防ぐことができるとしている。", "title": "検索エンジン(狭義)" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ひとつの検索ワードを複数の検索エンジンで検索することをメタ検索という(横断検索エンジンと呼ぶこともある)。 詳細は「メタ検索エンジン」を参照のこと。", "title": "検索エンジン(狭義)" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "与えられた文書群から、検索式(キーワードなど)による全文検索機能を提供するソフトウェア、システムの総称で、ウェブサーバに組み込んで利用されることが多い。スタンドアローン環境で用いられる個人用途のものもあり、そういったものは特に「デスクトップ検索」と呼ばれている。企業内のファイルサーバーや企業内ポータルを対象とするものは「エンタープライズサーチ」と呼ばれる。", "title": "検索エンジン(広義)" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "検索エンジンのはしりは1994年にスタンフォード大学のジェリー・ヤンとデビッド・ファイロが開発したYahoo!である。Yahoo!はディレクトリ型の検索エンジンでインターネットの普及に大きな役割を果たした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "その後、ウェブ上の情報を自動的に探索して情報を索引として整理するロボットまたはクローラと呼ばれるプログラムが開発された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ロボット型検索エンジンの中でもラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンが開発したGoogle検索は検索結果のランキングと高速検索に優れていたため検索エンジンのトップに躍り出た。Googleが1998年に稼動させたGoogle検索は、従来の検索エンジンがポータルサイト化へと進む流れに逆行し、独創的な検索技術に特化し、バナー広告等を排除したシンプルな画面だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "Googleは2000年には米Yahoo!のロボット型検索エンジンに採用されたが、Google躍進に危機感を募らせた米Yahoo!は、2004年にロボット型検索エンジンを独自技術Yahoo! Search Technology (YST)(Yahoo!が買収したInktomiと、Overtureが買収したAltaVista、Alltheweb等の技術を統合した)に切り替えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2009年にはマイクロソフトが新たな検索エンジンとしてBingを発表した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "検索という行為が一般化するにつれて、各種目的別に多様化した検索エンジンが現れるようになった。ブログの情報に特化した検索TechnoratiやblogWatcher、商品情報の検索に特化した商品検索サイト、サイトの見た目で検索するMARSFLAG、音楽検索、動画検索、ファイル検索、アップローダ検索ほか、次々と新しい検索エンジンが生まれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "日本のインターネット普及初期から存在した検索エンジンには以下のようなものがある。黎明期には、豊橋技術科学大学の学生が作成したYahho や、東京大学の学生が作成したODiN、早稲田大学の学生が作成した千里眼など、個人の学生が作成したものが商用に対して先行していた(いずれも1995年に作成、日本電信電話株式会社のNTT DIRCECTORY、サイバースペースジャパン(現・ウェブインパクト)のCSJインデックスは1994年に作成)。これらは単に実験用に公開されていただけでなく、多くの人に用いられていたものであり、黎明期のユーザにとっては知名度、実用度ともに高いものであった。またMondouなどのように研究室(京都大学)で作成したものもあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "1995年12月にソフトバンクがアメリカ合衆国Yahoo!株を一部買い取り、翌年4月から日本版にローカライズしたYahoo! JAPANをサービス開始した。同年7月の展示会Interopでは机2つぶん並べる程度の小規模ブースで出展する程度の力の入れ具合で、ソフトバンクの一部署として開始する程度だったものが、もともとの米国Yahoo!の知名度、90年代後半のインターネット利用者人口の増加、ディレクトリ型だけだった検索をロボット型も追加、サイト登録した一部のウェブサイトの紹介をするYahoo! Internet Guide(ソフトバンククリエイティブ出版)との連携、日本Yahoo!株高騰のニュースでインターネットを利用しない人にも名前が知れ渡るなど、様々なプラス要因と経営戦略が見事に当たり、検索サイト首位の座を固めた。そして、検索サイトの集客力を武器にニュース、オークションなど、検索サービス以外のサービスを含めたポータルサイトとしての独走を始めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1997年頃から、WWWの爆発的な拡大に伴って、ディレクトリ型のみであったYahoo!のウェブディレクトリの陳腐化が急速に進んだ。2000年代には、日本でもGoogleに代表されるロボット型検索エンジンが人気を集め始め、国産ではinfoseekやgooが登場(Yahoo! JAPANがロボット型検索エンジンにgooを採用)、2004年にはGoogleやYahoo!のエンジンに匹敵すると謳うTeomaを利用した検索エンジン、Ask Jeeves(現・Ask.com)が「Ask.jp」として日本上陸、2005年にはオーストラリアで誕生したMooterが日本上陸など、群雄割拠の時代になった。検索エンジンを利用すること=「ググる」というネットスラングも生まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "また、検索エンジンでは判断できない抽象的な条件などでの検索を人手に求めた、OKWaveや人力検索はてななどの「人力検索」「ナレッジコミュニティ」と呼ばれるサービスも登場した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "モバイル検索の分野は長らく公式サイトと呼ばれる世界がユーザーの囲い込みを行っていたため、脚光を浴びることが少なかった。次第にパソコンだけでなくフィーチャーフォンや携帯型ゲーム機からもウェブサイトが検索される傾向が高くなり、GoogleやYahoo!をはじめとする携帯向けのモバイル検索サイトが登場した。ソフトバンク・Yahoo! JAPANがボーダフォンを買収し、KDDIがGoogleと提携するなどした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2010年、Yahoo! JAPANがGoogleの検索エンジンを採用し、日本でも事実上Googleが圧倒的なシェアを保有するに至った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "Googleなどのウェブ検索エンジンでは、データベースの検索結果など多くの動的ページが検索対象になっていない。このような動的ページは「深層ウェブ」「見えないウェブ」「隠されたウェブ」などと呼ばれている。静的ページの500倍の量が存在し、多くは無料だといわれる。深層ウェブは、一般の検索エンジンなどからデータベースなどを見つけ出すか、直接アクセスした上で、それぞれの検索機能から再度検索しなければならない。また、ダークウェブを探索する際に使われる検索エンジンAhmiaも存在している。", "title": "リーガルリスク" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "ロボット型検索エンジンは、その原理上インターネット上のコンテンツを複製の上で、検索を目的とした蓄積に適した形態で保存する他、場合によってはキャッシュとして提供できるような形態でも保存する場合がある。著作権をたてに、ウェブサイトの閲覧利用規約等と称して、一切のいかなる複製も禁ずるとするサイト等があり、どういったものかと古くより話題になっていた。", "title": "リーガルリスク" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "また、2006年11月には、日本の知的財産戦略本部コンテンツ専門調査会第3回企画WGにおいて、検索エンジンに関して「著作権法上、複製、編集には権利者の許諾が必要であり、Yahoo!、Googleなど大手検索システムのサーバーは海外に置かれているのが現状。」 と報告され、これをうけて経済産業省が日本国内でも合法的に検索エンジンサービスが行えるように著作権法の改正や検索エンジンの開発に取り組むと発表し、2010年1月の改正で複製が合法とされた。", "title": "リーガルリスク" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "2006年頃から日本ではURL(アドレス)を表示せず、社名や商品名などの検索キーワードを表示し、検索エンジンで検索させるように仕向けるテレビコマーシャルなどの広告表現が急増している。大抵はキーワードが書かれた状態の検索フォームとボタンを表示し、マウスクリックを促す演出がなされている。このような変化が生じた理由は不明であるが、各メディアの広告掲載基準の変更や、コマーシャルでURLを表示するのに比べてアクセス数を獲得しやすいことが増加の要因である。しかし検索結果に企業にとって不都合な情報が現れる場合があるため、グーグル八分のような検索結果の操作が行われるケースも考えられる。", "title": "検索エンジン上の各種広告" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "現在、主流となっている広告手法として、ユーザーの検索結果後に広告を露出させる検索連動型広告と、サイトの中を分析し、そのサイトに合った広告を配信するコンテンツ連動型広告が主流である。", "title": "検索エンジン上の各種広告" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "英語圏でも2013年ごろから「#wikipedia」のような番号記号を使った広告活動をおこなっている。", "title": "検索エンジン上の各種広告" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "いわゆる「使用言語からみたインターネット人口の割合」は Internet Archive を用いて Euro Marketing と Global Reach から過去の月次資料を整理すると次のような推移を辿っている。", "title": "検索エンジンの課題と問題点" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "※2005年2月2日の時点で、WWW検索エンジンの代表格であるGoogleでは80億を越す8,058,044,651ウェブページが登録されていた。", "title": "検索エンジンの課題と問題点" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "1995年以前のInternet Societyによればインターネットで用いられている言語のうち英語が占める割合は85%とされていたが、その後のITの進歩や各国のインターネットの普及により多言語化が進み、上表に見られるように2000年の年末には英語と非英語の言語人口が逆転し、その傾向は継続していった。このため検索エンジン各社は多言語対応に苦慮することとなった。", "title": "検索エンジンの課題と問題点" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "検索エンジンは、利便性がある一方、危険性も存在する事やその被害例について参考文献や資料が存在する。検索エンジンの安全性に関する調査報告については、ウイルス対策ソフトなどを提供するセキュリティベンダーの米マカフィーが、2007年6月4日「検索エンジンの安全性に関する調査報告」を発表し「検索エンジンは危険であり、検索エンジンにキーワードを入力して上位に現れるサイトの危険度を調べたら、広告として表示されるサイトは、そうでないサイトの2.4倍も危険率が高い」としている。", "title": "検索エンジンの課題と問題点" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "また2006年05月12日に公表された調査報告書によると検索エンジンのキーワード検索結果には危険なリンクがあり、検索エンジンが自分を守ってくれると思ってはいけない。それどころか検索結果ランキングがサイトの安全性を反映していないことも多く、特に検索エンジン広告を訪れる場合、ユーザーは高いリスクにさらされると警鐘を鳴らしている。 さらに、検索エンジンの提供サイトの危険度についての調査報告では、同マカフィーが「検索エンジンの安全度調査」を発表し「最も危険な結果が多いのは米ヤフー」としている。", "title": "検索エンジンの課題と問題点" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "SEO対策の技術が進んだこともあり、検索上位が大手サイトやまとめサイトばかりになるなど、表示されるサイトに偏りが生じている。昔のインターネットのほうが精度が高かったという感想も多い。", "title": "検索エンジンの課題と問題点" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "ウェブサイトの人気と関連性のいくつかの組み合わせにもとづいてそれらを番付するよう検索エンジンはプログラムされているけれども、それらが与える情報のなかのさまざまな政治的、経済的、社会的な、バイアスを'経験的な'(英: empirical)研究はしめす。", "title": "検索エンジンの課題と問題点" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "など。", "title": "サービスを終了した主な検索エンジンサイト" } ]
検索エンジンは、狭義にはインターネットに存在する情報(ウェブページ、ウェブサイト、画像ファイル、ネットニュースなど)を検索する機能およびそのプログラム。インターネットの普及初期には、検索としての機能のみを提供していたウェブサイトそのものを検索エンジンと呼んだが、現在では様々なサービスが加わったポータルサイト化が進んだため、検索をサービスの一つとして提供するウェブサイトを単に検索サイトと呼ぶことはなくなっている。広義には、インターネットに限定せず情報を検索するシステム全般を含む。 狭義の検索エンジンは、ロボット型検索エンジン、ディレクトリ型検索エンジン、メタ検索エンジンなどに分類される。広義の検索エンジンとしては、ある特定のウェブサイト内に登録されているテキスト情報の全文検索機能を備えたソフトウェア(全文検索システム)等がある。 検索エンジンは、検索窓と呼ばれるテキストボックスにキーワードを入力して検索をかけるもので、全文検索が可能なものと不可能なものとがある。検索サイトを一般に「検索エンジン」と呼ぶことはあるが、厳密には検索サイト自体は検索エンジンでない。
{{WikipediaPage|[[ウィキペディア]]の検索機能については「[[Help:検索]]」をご覧ください。}} {{複数の問題|出典の明記=2015年12月 |更新=2021年5月}} [[File:Google_Homepage.svg|thumb|[[Google検索]](英語版のデスクトップ版)の[[スクリーンショット]]]] '''検索エンジン'''(けんさくエンジン、{{Lang-en-short|search engine}})は、狭義には[[インターネット]]に存在する情報([[ウェブページ]]、[[ウェブサイト]]、[[画像]]ファイル、[[ネットニュース]]など)を[[検索]]する機能およびその[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]。インターネットの普及初期には、検索としての機能のみを提供していたウェブサイトそのものを検索エンジンと呼んだが、現在では様々なサービスが加わった[[ポータルサイト]]化が進んだため、検索をサービスの一つとして提供するウェブサイトを単に検索サイトと呼ぶことはなくなっている。広義には、インターネットに限定せず情報を検索するシステム全般を含む。 狭義の検索エンジンは、'''ロボット型検索エンジン'''、'''ディレクトリ型検索エンジン'''、'''メタ検索エンジン'''などに分類される。[[検索エンジン (情報技術)|広義の検索エンジン]]としては、ある特定のウェブサイト内に登録されている[[テキスト]]情報の[[全文検索]]機能を備えた[[ソフトウェア]](全文検索システム)等がある。 検索エンジンは、'''検索窓'''と呼ばれる[[テキストボックス]]にキーワードを入力して検索をかけるもので、[[全文検索]]が可能なものと不可能なものとがある。検索サイトを一般に「検索エンジン」と呼ぶことはあるが、厳密には検索サイト自体は検索エンジンでない。 == 検索エンジン(狭義) == === ロボット型検索エンジン === 与えられた検索式に従って、ウェブページ等を検索するサーバ、システムのこと。検索式は、最も単純な場合はキーワードとなる文字列のみであるが、複数のキーワードに[[論理積|AND(「かつ」、論理積)]]や[[論理和|OR(「または」、論理和)]]等の論理条件を組み合わせて指定することができるものが多い。 ロボット型検索エンジンの大きな特徴の一つとして、[[クローラ]](ロボット・スパイダー)を用いることが挙げられる。このことにより、[[World Wide Web|WWW]]上にある多数の情報を効率よく収集(日本の著作権法では[[複製]])することができる。大規模な検索エンジンでは、80億ページ以上のページから検索が可能になっている。 収集したページの情報は、前もって解析し、索引情報([[検索エンジンインデックス|インデックス]])を作成する(日本の著作権法では編集)。日本語などの言語では、[[自然言語処理]]機能が生成される索引の質に影響する。このため、[[多言語]]対応した検索エンジンの方が精度の高い検索が可能となる。 検索結果の表示順は、検索エンジンの質が最も問われる部分である。ユーザーが期待したページを検索結果の上位に表示することができなければ、ユーザーが離れてしまうからである。そのため、多くの検索エンジンが、表示順を決定する[[アルゴリズム]]を非公開にし、その性能を競っている。[[検索エンジン最適化]]業者の存在も、アルゴリズムを公開しない要因になっている。[[Google]]は、そのアルゴリズムの一部である[[ページランク]]を公開してきたが、やはり、多くの部分が非公開になっている。Googleの場合、創設初期におけるアルゴリズムについては、創設者自身がウェブ上で公表している論文でその一端を知ることができる。 参照 英語原文<ref name="stanford-google">[http://www-db.stanford.edu/~backrub/google.html The Anatomy of a Large-Scale Hypertextual Web Search Engine](英語、Sergey Brin and Lawrence Page,Computer Science Department, Stanford University)</ref> 日本語の解説<ref name="existenzueda-6">[https://web.archive.org/web/20190330042456/http://www.geocities.jp/existenzueda/6.htm グーグルの検索順位決定についてーそのアルゴリズム]</ref> ウェブページの更新時刻の情報を用いて、新しい情報に限定して検索できるものや、検索結果を[[カテゴリ]]化して表示するものなど、特長のある機能を搭載したり、検索結果をユーザーへ最適化していく動きもある。 従来のウェブページを検索するだけの検索エンジンにとどまらず、最近では[[インターネットショッピング]]専用の検索エンジンなど、特定の分野に特化した検索エンジンの開発も散見される。商品検索では、価格比較サービス日本最大手の[[価格.com]]や、ベンチャー企業が開発する[[QOOPIE]]などある。また、[[検索エンジンの一覧#職業検索エンジン|職業検索エンジン]]としては[[Craigslist]]などがある。 [[Google]]、[[Yahoo!]]、[[インフォシーク]]、[[テクノラティ]]、[[MARSFLAG]]、[[Altavista]]、[[ムーター]]、[[AlltheWeb]]、{{仮リンク|Teoma|en|Teoma}}(終了)、{{仮リンク|WiseNut|en|WiseNut}}、[[Inktomi]](終了)、[[SAGOOL]]、[[Yahoo! JAPAN]] (2005.10〜2010.11{{要出典|date=2022年2月}}) など。 === ディレクトリ型検索エンジン === 人手で構築した[[ウェブディレクトリ]]内を検索するサーバ、システムのこと。 人手で構築しているため、質の高いウェブサイトを検索可能。概要を人手で記入しているため、検索結果の一覧から目的のサイトを探しやすい、サイトのカテゴリ分けがされていることから、特定分野や地区などに限定したサイトを探しやすいという特長がある。 しかし、検索対象となるサイトは人手で入力するため、検索対象となるサイト数が多くできないという欠点がある。 インターネットが一般に使われるようになった初期(1990年代)のころには、ディレクトリ型が主体であったが、WWWの爆発的な拡大によって、あらゆるウェブサイトを即時にディレクトリに反映させることが事実上不可能になり、{{いつ範囲|現在では主流ではなくなっている|date=2021年4月}}。 {{いつ範囲|このため、ディレクトリ型検索エンジンでは、検索にヒットするサイトが無かった場合、ロボット型検索エンジンを用いて結果を表示するような、併用型のものが多い|date=2021年4月}}。 日立国際ビジネスのHole-in-One( - 2004年11月)、Yahoo!JAPANの[[Yahoo! JAPAN#Yahoo!カテゴリ|Yahoo!カテゴリ]]( - 2018年3月<ref>{{Cite news|title=「Yahoo!カテゴリ」終了へ 「役割終えた」|url=https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1706/29/news079.html|newspaper=[[ITmedia]]|date=2017-06-29|accessdate=2020-01-10}}</ref>)、[[LookSmart#日本におけるルックスマート|LookSmart Japan]]( - 2006年6月<ref>{{Cite web|和書|author=渡辺隆広|publisher=SEMリサーチ|title=バリューコマース、「ルックスマート」を閉鎖|url=https://www.sem-r.com/entry/20060626/1151287071 |date=2006-06-26|accessdate=2023-02-14}}</ref>)、[[goo]]のgooカテゴリー検索( - 2019年8月<ref>{{Cite web|和書|url=https://help.goo.ne.jp/help/article/2359/ |title=goo カテゴリー検索 サービス終了のお知らせ |website=goo |date=2019-07-29 |accessdate=2020-01-10}}</ref>)、<!-- [[infoseek]]、/インフォシークのカテゴリー検索は既にサービス終了、終了時期不明-->Open Directory Projectこと[[DMOZ]]( - 2017年3月)など。 === 分散型検索エンジン === [[P2P]]通信によってウェブコンテンツのインデックスを多数のピアに分散させ、P2Pネットワーク全体で各ピアの持つインデックスを共有する検索システムのこと。 ウェブのクロールは各ピアが独自に行い、インデクサーはRWI(Reverse Word Index)を作成する。作成されたインデックスの一部は[[分散ハッシュテーブル|DHT]](分散ハッシュテーブル、Distributed Hash Table)として他のピアに分配される。 検索は自分のピアの端末からP2Pネットワーク上にある他のピアにリクエストを送信することにより行うことができる。 分散型検索エンジンの例としては[[YaCy]]がある。YaCyは「人民による人民のためのウェブ検索」を標榜し、分散型であることにより検閲を防ぐことができるとしている。<ref>[https://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/516526.html Internet Watchの記事 "プライバシーが保護される分散型サーチエンジン「YaCy」~地道な開発が続く"] </ref> === メタ検索エンジン === ひとつの検索ワードを複数の検索エンジンで検索することをメタ検索という(横断検索エンジンと呼ぶこともある)。 詳細は「[[メタ検索エンジン]]」を参照のこと。 == 検索エンジン(広義) == {{Main|検索エンジン (情報技術)}} === 全文検索システム === 与えられた文書群から、検索式(キーワードなど)による[[全文検索]]機能を提供するソフトウェア、システムの総称で、[[Webサーバ|ウェブサーバ]]に組み込んで利用されることが多い。[[スタンドアローン]]環境で用いられる個人用途のものもあり、そういったものは特に「デスクトップ検索」と呼ばれている。企業内の[[ファイルサーバー]]や[[企業内ポータル]]を対象とするものは「[[エンタープライズサーチ]]」と呼ばれる。 == 歴史 == === 欧米における歴史 === 検索エンジンのはしりは[[1994年]]に[[スタンフォード大学]]の[[ジェリー・ヤン]]と[[デビッド・ファイロ]]が開発した[[Yahoo!]]である<ref name="chisiki">{{Cite book |和書 |author1=時実象一 |author2=都築泉 |author3=小野寺夏生|year=2010 |title=新訂情報検索の知識と技術 第3版 |page=58|publisher=情報科学技術協会 }}</ref>。Yahoo!は[[ウェブディレクトリ|ディレクトリ型]]の検索エンジンでインターネットの普及に大きな役割を果たした<ref name="chisiki" />。 その後、ウェブ上の情報を自動的に探索して情報を索引として整理するロボットまたはクローラと呼ばれるプログラムが開発された<ref name="chisiki" />。 ロボット型検索エンジンの中でも[[ラリー・ペイジ]]と[[セルゲイ・ブリン]]が開発した[[Google検索]]は検索結果のランキングと高速検索に優れていたため検索エンジンのトップに躍り出た<ref name="chisiki" />。Googleが1998年に稼動させた[[Google検索]]は、従来の検索エンジンが[[ポータルサイト]]化へと進む流れに逆行し、独創的な検索技術に特化し、バナー広告等を排除したシンプルな画面だった。<!--Googleは急速に人気を集めた。いつしか{{要検証|date=2010年4月}}ウェブページ検索の世界シェアのトップに躍り出たとされている。--> Googleは2000年には米Yahoo!のロボット型検索エンジンに採用されたが、Google躍進に危機感を募らせた米Yahoo!は、2004年にロボット型検索エンジンを独自技術[[Yahoo! Search#Yahoo! Search Technology (YST)|Yahoo! Search Technology (YST)]](Yahoo!が買収した[[Inktomi]]と、Overtureが買収した[[AltaVista]]、[[AlltheWeb|Alltheweb]]等の技術を統合した)に切り替えた。 2009年には[[マイクロソフト]]が新たな検索エンジンとして[[Microsoft Bing|Bing]]を発表した<ref name="chisiki" />。 検索という行為が一般化するにつれて、各種目的別に多様化した検索エンジンが現れるようになった。ブログの情報に特化した検索[[テクノラティ|Technorati]]や[[blogWatcher]]、商品情報の検索に特化した[[商品検索サイト]]、サイトの見た目で検索する[[MARSFLAG]]、音楽検索、動画検索、ファイル検索、アップローダ検索ほか、次々と新しい検索エンジンが生まれている。 === 日本における歴史 === ==== 黎明期 ==== 日本のインターネット普及初期から存在した検索エンジンには以下のようなものがある。黎明期には、[[豊橋技術科学大学]]の学生が作成したYahho<ref>{{Cite web|和書|url=https://allabout.co.jp/gm/gc/296891/3/ |title=3/3 Yahhoという検索エンジンがあった [企業のIT活用] All About |accessdate=2017-10-18}}</ref> や、[[東京大学]]の学生が作成した[[ODiN]]、[[早稲田大学]]の学生が作成した[[千里眼 (検索エンジン)|千里眼]]など、個人の学生が作成したものが商用に対して先行していた(いずれも1995年に作成、[[日本電信電話株式会社]]の[[NTT DIRCECTORY]]<ref>[https://web.archive.org/web/19971211041257/http://navi.ntt.co.jp/ 当時のNTT DIRECTORYのサイト](1997.12.11収集、ウェブアーカイブ)</ref>、サイバースペースジャパン(現・[[ウェブインパクト]])の[[CSJインデックス]]は1994年に作成)<ref>[https://web.archive.org/web/19980525180344/http://www.csj.co.jp/csjindex/ 当時のCSJインデックスのサイト](1998.5.25収集、ウェブアーカイブ)</ref>。これらは単に実験用に公開されていただけでなく、多くの人に用いられていたものであり、黎明期のユーザにとっては知名度、実用度ともに高いものであった。またMondouなどのように研究室([[京都大学]])で作成したものもあった。 ==== Yahoo! JAPANの独走 ==== 1995年12月に[[ソフトバンク]]がアメリカ合衆国Yahoo!株を一部買い取り、翌年4月から日本版にローカライズした[[Yahoo! JAPAN]]をサービス開始した。同年7月の展示会Interopでは机2つぶん並べる程度の小規模ブースで出展する程度の力の入れ具合で、ソフトバンクの一部署として開始する程度だったものが、もともとの米国Yahoo!の知名度、90年代後半のインターネット利用者人口の増加、ディレクトリ型だけだった検索をロボット型も追加、サイト登録した一部のウェブサイトの紹介をする[[Yahoo! Internet Guide]](ソフトバンククリエイティブ出版)との連携、日本Yahoo!株高騰のニュースでインターネットを利用しない人にも名前が知れ渡るなど、様々なプラス要因と経営戦略が見事に当たり、検索サイト首位の座を固めた。そして、検索サイトの集客力を武器にニュース、オークションなど、検索サービス以外のサービスを含めたポータルサイトとしての独走を始めた。 ==== 群雄割拠と収束 ==== 1997年頃から、WWWの爆発的な拡大に伴って、ディレクトリ型のみであったYahoo!のウェブディレクトリの陳腐化が急速に進んだ。2000年代には、日本でもGoogleに代表されるロボット型検索エンジンが人気を集め始め、国産では[[インフォシーク|infoseek]]や[[goo]]が登場(Yahoo! JAPANがロボット型検索エンジンにgooを採用)、2004年にはGoogleやYahoo!のエンジンに匹敵すると謳うTeomaを利用した検索エンジン、Ask Jeeves(現・[[Ask.com]])が「Ask.jp」として日本上陸、2005年には[[オーストラリア]]で誕生した[[Mooter]]が日本上陸など、群雄割拠の時代になった。検索エンジンを利用すること=「ググる」という[[ネットスラング]]も生まれた。 また、検索エンジンでは判断できない抽象的な条件などでの検索を人手に求めた、[[OKWave]]や[[はてなのサービス一覧#人力検索はてな|人力検索はてな]]などの「人力検索」「[[ナレッジコミュニティ]]」と呼ばれるサービスも登場した。 モバイル検索の分野は長らく[[公式サイト (携帯電話)|公式サイト]]と呼ばれる世界がユーザーの囲い込みを行っていたため、脚光を浴びることが少なかった。次第にパソコンだけでなく[[フィーチャーフォン]]や[[携帯型ゲーム|携帯型ゲーム機]]からもウェブサイトが検索される傾向が高くなり、GoogleやYahoo!をはじめとする携帯向けの[[モバイル検索サイト]]が登場した。ソフトバンク・Yahoo! JAPANが[[ボーダフォン]]を買収し、[[KDDI]]がGoogleと提携するなどした。 2010年、Yahoo! JAPANがGoogleの検索エンジンを採用し、日本でも事実上Googleが圧倒的なシェアを保有するに至った<ref>[https://web.archive.org/web/20190630052207/https://about.yahoo.co.jp/pr/release/2010/0727a.html Yahoo! JAPAN - プレスリリース]</ref>。 == リーガルリスク == === 深層ウェブ === Googleなどのウェブ検索エンジンでは、データベースの検索結果など多くの[[動的ページ]]が検索対象になっていない。このような動的ページは「[[深層Web|深層ウェブ]]」「見えないウェブ」「隠されたウェブ」などと呼ばれている。静的ページの500倍の量が存在し、多くは無料だといわれる。深層ウェブは、一般の検索エンジンなどからデータベースなどを見つけ出すか、直接アクセスした上で、それぞれの検索機能から再度検索しなければならない。<!-- このようにWebページが深層と表層に分かれてしまう背景には検索エンジン側が晒される法的リスクがある。深層にあるものは必ずしも検索エンジンから検索されることを前提としていないものも多い。すべての深層データが検索エンジンから検索可能な状態になっていた場合、動的ページの情報提供者の存在意義を脅かす可能性もある。本来であれば非公開とされているようなデータが誤って検索されてしまうという可能性も高くなる。さらに、データベースと連動する動的ページをクローラーが集中的にクロールすると、データベース側の負荷が上がるためサーバ速度の低下やシステムダウンを引き起こす危険が高まる。このようなことから検索エンジンは技術的に深層に入り込めない訳ではなく、あえて避けていると推測することができる。実際、中国の検索エンジン[[百度]]は集中的なクロール活動を続けた結果、多くのサーバ管理者から一斉にクレームを受け、クロール活動を大きく制限せざるを得なかった。 --><!--百度のアクセスはリンクを辿るのではなく、あてずっぽうで力任せにあれこれ絨毯爆撃する、挙句は robots.txt を無視するなどなど、本質的に問題のあるクロールが問題だったのであり「集中的なクロール活動」という曖昧な表現は間違っている。独自研究以前のレベルの記述-->また、[[ダークウェブ]]を探索する際に使われる検索エンジン[[Ahmia]]も存在している。 === 著作権との関係 === [[#ロボット型検索エンジン|ロボット型検索エンジン]]は、その原理上インターネット上のコンテンツを複製の上で、検索を目的とした蓄積に適した形態で保存する他、場合によっては[[キャッシュ (コンピュータシステム)|キャッシュ]]として提供できるような形態でも保存する場合がある。[[著作権]]をたてに、ウェブサイトの閲覧利用[[規約]]等と称して、一切のいかなる複製も禁ずるとするサイト等があり、どういったものかと古くより話題になっていた<ref>たとえば [http://it.slashdot.jp/story/02/03/18/0234235 検索エンジンのキャッシュは著作権侵害か?](2002.3 [[スラッシュドット]]・ジャパン)などを見よ</ref>。 また、2006年11月には、日本の知的財産戦略本部コンテンツ専門調査会第3回企画WGにおいて、検索エンジンに関して「著作権法上、複製、編集には権利者の許諾が必要であり、Yahoo!、Googleなど大手検索システムのサーバーは海外に置かれているのが現状。」<ref name="kikaku3-siryou2">{{PDFlink|[https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/tyousakai/contents/kikaku3/siryou2.pdf コンテンツをめぐる課題(参考資料)]}}(2006.11 [https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/tyousakai/contents/kikaku3/3gijisidai.html コンテンツ専門調査会 企画ワーキンググループ(第3回)] - 知的財産戦略本部)</ref> と報告され、これをうけて{{要出典範囲|date=2012年12月|[[経済産業省]]が日本国内でも合法的に検索エンジンサービスが行えるように著作権法の改正や検索エンジンの開発に取り組むと発表し}}、2010年1月の改正で複製が合法とされた。 == 検索エンジン上の各種広告 == 2006年頃から日本では[[Uniform Resource Locator|URL]](アドレス)を表示せず、社名や商品名などの検索キーワードを表示し、検索エンジンで検索させるように仕向けるテレビコマーシャルなどの[[広告]]表現が急増している。大抵はキーワードが書かれた状態の検索フォームとボタンを表示し、マウスクリックを促す演出がなされている。このような変化が生じた理由は不明であるが、各メディアの広告掲載基準の変更や、コマーシャルでURLを表示するのに比べてアクセス数を獲得しやすいことが増加の要因である。しかし検索結果に企業にとって不都合な情報が現れる場合があるため、[[グーグル八分]]のような検索結果の操作が行われるケースも考えられる。 現在、主流となっている広告手法として、ユーザーの検索結果後に広告を露出させる[[検索連動型広告]]と、サイトの中を分析し、そのサイトに合った広告を配信する[[コンテンツ連動型広告]]が主流である。 英語圏でも2013年ごろから「#wikipedia」のような[[番号記号]]を使った広告活動をおこなっている。 == 検索エンジンの課題と問題点 == === 多言語化の課題 === いわゆる「使用言語からみたインターネット人口の割合」は [https://archive.org/ Internet Archive] を用いて [http://www.euromktg.com/globstats/ Euro Marketing] と [http://www.glreach.com/globstats/index.php3 Global Reach] から過去の月次資料を整理すると次のような推移を辿っている。 {| class="wikitable" style="margin:auto" |- style="text-align:center" | || 1998年 || 1999年 || colspan="2" | 2000年 || colspan="3" | 2001年 || colspan="2" | 2002年 || 2003年 || 2004年 |- style="text-align:center" | <!-- || 4月 || 7月 -->|| 12月 || 1月 || 4 - 7月 || 12月 || 2月 || 4 - 6月 || 7月 || 1月 || 6 - 10月 || 2 - 4月 || 7月 |- | 英語<!-- || 63.8% || 63.5% --> || 58% || 55% || 51.3% || 49.6% || 47.6% || 47.5% || 45.0% || 43.0% || 40.2% || 36.5% || 35.8% |- | 非英語<!-- || 26.7% || 43.6% --> || 42% || 45% || 48.7% || 50.4% || 52.4% || 52.5% || 55% || 57.0% || 59.8% || 63.5% || 64.2% |} ※2005年2月2日の時点で、WWW検索エンジンの代表格であるGoogleでは80億を越す8,058,044,651ウェブページが登録されていた。 1995年以前のInternet Societyによればインターネットで用いられている言語のうち英語が占める割合は85%とされていたが、その後の[[情報技術|IT]]の進歩や各国のインターネットの普及により多言語化が進み、上表に見られるように2000年の年末には英語と非英語の言語人口が逆転し、その傾向は継続していった。このため検索エンジン各社は多言語対応に苦慮することとなった。 <!-- 古い内容 検索エンジンの利用者はそれら80億を越すウェブページから求める情報を容易に引き出せると思い込みがちであるが、例えば日本語入力のできないコンピュータなどの端末を用いて日本語サイトを検索することは容易ではない。同様に非英語圏の言語間の検索は中間に翻訳エンジンを介さないと検索作業は難しい。 インターネットの多言語化が今後も増加すると仮定した場合、言語間の壁をどのように乗り越えるかは今後の検索エンジンが抱える課題の一つとして挙げることができる。 --> ===危険なサイトの侵入=== 検索エンジンは、利便性がある一方、危険性も存在する事やその被害例について参考文献や資料が存在する。検索エンジンの安全性に関する調査報告については、ウイルス対策ソフトなどを提供するセキュリティベンダーの米マカフィーが、2007年6月4日「検索エンジンの安全性に関する調査報告」を発表し「検索エンジンは危険であり、検索エンジンにキーワードを入力して上位に現れるサイトの危険度を調べたら、広告として表示されるサイトは、そうでないサイトの2.4倍も危険率が高い」としている<ref>[https://web.archive.org/web/20110605101055/https://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/skillup/spam/070618_50th/ Internet Archive] 検索エンジンに現れる広告サイトは2.4倍危険? - ワークスタイル - nikkei BPnet</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20130806160426/http://www.mcafee.com/japan/about/prelease/pr_07a.asp?pr=07/06/05-1 Internet Archive] マカフィー、「検索エンジンの安全性に関する調査報告」第3版を公開 ~毎月2億7,600 万件を超える検索がユーザを危険なサイトへ誘導~ - マカフィー株式会社</ref>。 また2006年05月12日に公表された調査報告書によると検索エンジンのキーワード検索結果には危険なリンクがあり、検索エンジンが自分を守ってくれると思ってはいけない。それどころか検索結果ランキングがサイトの安全性を反映していないことも多く、特に検索エンジン広告を訪れる場合、ユーザーは高いリスクにさらされると警鐘を鳴らしている<ref>[https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0605/13/news008.html ITmedia エンタープライズ] 検索エンジンは危険なリンクでいっぱい――McAfeeが調査報告</ref>。 さらに、検索エンジンの提供サイトの危険度についての調査報告では、同マカフィーが「検索エンジンの安全度調査」を発表し「最も危険な結果が多いのは米ヤフー」としている<ref>[https://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/06/05/15941.html INTERNET Watch] 危険な検索結果が多いサーチエンジンは米Yahoo!~米McAfee調査</ref>。 === 検索精度 === [[SEO対策]]の技術が進んだこともあり、検索上位が大手サイトやまとめサイトばかりになるなど、表示されるサイトに偏りが生じている<ref>{{Cite news|url=https://webtan.impress.co.jp/e/2010/06/08/8138 |title=ネットのファスト風土化と、なんてことはない情報に価値がある話 | 初代編集長ブログ―安田英久|publisher=Web担当者Forum|date=2010-06-08}}</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20220430075128/https://news.yahoo.co.jp/articles/e0d5b700aa2d9aad8e6afae28161d2648cb78a9d 上位はスカスカな「まとめ記事」ばかり…そんなグーグル検索より便利な次世代サービスの共通点(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース]</ref>。昔のインターネットのほうが精度が高かったという感想も多い<ref>[https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2204/06/news012.html 昔のインターネットのほうが便利だったかも いらない情報が多過ぎる現在のネットあるあるに「結局知りたい情報が載ってないことも」(1/2 ページ) - ねとらぼ]</ref>。 === 検索エンジンバイアス === ウェブサイトの人気と関連性のいくつかの組み合わせにもとづいてそれらを番付するよう検索エンジンはプログラムされているけれども、それらが与える情報のなかのさまざまな政治的、経済的、社会的な、バイアスを'経験的な'({{lang-en-short|[[wikt:empirical|empirical]]}})研究はしめす<ref>{{ harvnb | Vaughan | Thelwall | 2004 }}; {{ harvnb | Segev | 2010 }} </ref>。<!-- 書き出しの1文だけです。"These biases can be..."以下未訳。 --> == 主な検索エンジンサイト == {{Main|検索エンジンの一覧}} <!-- * [[BIGLOBE]] - 日本語。(検索エンジンではない/ポータル) --> <!-- * {{404|date=2012年12月|title=検索サービス終了}} [[Clusty.jp]] --> <!-- * [[Coojin]] - [[求人]]情報、日本語。 --> <!-- * {{404|date=2012年12月}} [[Cuil]] --> <!-- * [[エキサイト]](日本語) / [[Excite]](英語) (検索エンジン終了) --> <!-- * [[Woopie]] - [[動画]]検索、日本語。(動画検索終了) --> <!-- * [[livedoor]] - 日本語。(独自検索終了) --> <!-- * [[Mooter]] - 英語 (終了) --> <!-- * [[@nifty]] - 日本語。(ポータルであって検索エンジンではない) --> <!--* [[Powerset]] --> <!-- * [[SAGOOL]] (終了) --> <!-- * [[So-net]] - 日本語。(ポータルであって検索エンジンではない) --> <!-- * [[Wikia Search]](終了) --> * [[Google]] - 日本語他、多言語対応。 ** [[Yahoo! JAPAN]] - 日本語。Googleがバックエンドで、独自の検索はリアルタイム等一部のみ ** [[goo]] - 日本語。Googleがバックエンド ** [[Ask.com]] - [[英語]]、[[日本語]]。Ask.jpブランドとしては撤退、Googleがバックエンド ** [[Startpage.com]] - 英語ほか、9のヨーロッパ言語。検索は日本語にも対応。プライバシー重視。Googleがバックエンド * [[Microsoft Bing]] - 日本語他、多言語対応。 ** [[Yahoo!]](英語) - Microsoft Bingがバックエンド ** [[DuckDuckGo]] - 英語、日本語ほか。プライバシー重視の検索エンジン、Microsoft Bingがバックエンド ** [[Ecosia]] - 英語、日本語ほか・Microsoft Bingがバックエンド ** [[Lycos]] - 英語、日本語ほか、Microsoft Bingがバックエンド * [[:en:Brave_Search|Brave Search]] - 日本語他、多言語対応。 * [[:en:Petal_Search|Petal Search]] - 日本語他、多言語対応。 * [[ヤンデックス|Yandex]] - [[ロシア語]]、英語他、多言語対応。日本語対応はしていないが、世界で4番目に利用されている(日本国内では6番目に利用されている)。 * [[百度]] - 中国語。日本語検索は終了。日本語対応はしていないが、世界で4番目に利用されている(日本国内では5番目に利用されている)。 * [[Cốc Cốc|Cốc Cốc Search]] - ベトナム語。日本語対応はしていない(日本語はGoogleにリダイレクト)が日本国内でのモバイル利用者が6番目に多い。 * [[:en:Sogou|搜狗]](Sogou) - 中国語。 * [[ネイバー|NAVER]] - 朝鮮語。日本語検索は終了 * [[Qwant]] - フランス発プライバシー重視の検索エンジン。一部の国(日本を含む)からの利用を遮断 * [[Indeed]] - 求人専用検索。日本語他、他言語対応。 * [[皆声.jp]] - 日本語ブログ検索 <!-- 著名な検索エンジンサイトを追加してください。無名サイトの宣伝スパムは削除します --> == サービスを終了した主な検索エンジンサイト == <!-- * [[Ask.com#Ask.jp|Ask.jp]](ロボット型)※Ask.comに引き継がれている --> * [[ODiN]](ロボット型) * [[千里眼 (検索エンジン)|千里眼]](ロボット型) * [[OCN Navi]] ([[TITAN]])<ref>[http://shikariki.com/1ocn.html OCN navi(サーチエンジン登録ガイド)]</ref>(ロボット型、[[OCN]]) * [[FreshEYE]] 独自検索の提供は終了 * [[infoseek]] 独自検索の提供は終了 * [[Mondou]] <ref>[https://web.archive.org/web/20041014064856/http://kuamp.kyoto-u.ac.jp/labs/infocom/mondou/ 当時のMondouのサイト](2004.10.14収集、[[ウェブアーカイブ]])</ref>(ロボット型、[[京都大学]]) * [[LookSmart]] Japan(ディレクトリ型) * [[NAVER]] - 韓国語。日本語検索は終了 * [[NTT DIRECTORY]](ディレクトリ型、[[NTT]])<ref>[http://www.ntt.co.jp/RD/OFIS/history/ ディレクトリサービス"NTT DIRECTORY"(研究開発の歴史)]([[NTT]])</ref> * [[SPYSEE]] - 人物情報、日本語。 など。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist|2}} * {{ cite book | last = Segev | first = Elad <!-- | authorlink = w:en:Elad Segev --> | year = 2010 <!-- | url = https://books.google.com/books?id=_Y9wAgAAQBAJ&q=bias --> | title = Google and the Digital Divide: The Biases of Online Knowledge | location = Oxford | publisher = [[w:en:Chandos Publishing|Chandos Publishing]] | isbn = 9781843345657 | ref = harv }} * {{cite journal|last=Vaughan|first=Liwen <!-- | authorlink = w:en:Liwen Vaughan --> | first2 = Mike | last2 = Thelwall |title=Search engine coverage bias: evidence and possible causes|journal=[[w:en:Information Processing & Management |Information Processing & Management]] |year=2004|volume=40|issue=4|pages=693–707 <!-- |doi=10.1016/S0306-4573(03)00063-3|citeseerx=10.1.1.65.5130| s2cid=18977861 --> | ref = harv }} == 関連項目 == * [[検索エンジン (情報技術)]] - 広義の検索エンジン * [[検索エンジンの一覧]] * [[検索エンジンスパム]] * [[検索エンジン最適化]] * [[メタ検索エンジン]] * [[全文検索]] * [[ポータルサイト]] * [[ウェブサイト]] * [[グーグル八分]] * [[Sherlock (ソフトウェア)]] * [[検索連動型広告]] * [[コンテンツ連動型広告]] == 外部リンク == {{Commonscat|Internet search engines}} * {{Cite web|和書|author = |date = |url = https://rnavi.ndl.go.jp/asia/entry/search.php|title = サーチエンジン・ポータルサイト / 国立国会図書館|work = <!-- 作品名 -->|publisher = <!-- ウェブサイトを設置している組織・団体・企業・官公庁など -->|accessdate = 2013-02-13|deadlinkdate = <!-- リンク切れが確認された日付 -->}} * {{Kotobank}} {{Web search engines navbox}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:けんさくえんしん}} [[category:検索エンジン|*]] [[category:情報検索システム]] [[category:World Wide Web]] [[category:検索エンジンソフトウェア]] [[Category:日本のニュースサイト]]
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テレビ
テレビは、テレビジョン(英: television)の略称であり、テレビジョンは、映像と音声を離れた場所に送り、再現するしくみ。光学像を電気的な信号に変換し、無線または有線により伝送し、テレビ受像機で映像として再生する通信方式。光学像および音響を電気信号に変換し、電気的な波の形で有線もしくは無線で離れた場所に伝送し、それを光学像および音響に再変換する電子的なシステム。TVと表記することもある。2番目の意味として、その受像機も指す。3番目の意味としてはコミュニケーション媒体(メディア)としてのテレビジョン、またテレビジョン産業を指す。 当記事では、前半で主に光学像および音響を伝送し再現するしくみ(電子的システム)とその歴史について解説し、後半でテレビジョン産業、媒体としてのテレビジョンの性質や人々に与える影響、視聴傾向などについても説明する。 主に放送(テレビジョン放送)、遠隔監視、テレビ電話などに利用されている。 日本の電波法では「テレビジョン」は「電波を利用して、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を送り、又は受けるための通信設備」と定義されている。放送法ではテレビジョン放送は「静止し、又は移動する事物の瞬間的影像及びこれに伴う音声その他の音響を送る放送(文字、図形その他の影像(音声その他の音響を伴うものを含む。)又は信号を併せ送るものを含む。)」と定義されている。 「テレビジョン」は直接的にはフランス語のtélévision(テレヴィジオン)に由来する。なお、tele-(τηλε)はギリシア語の「遠く離れた」、「vision」はラテン語で「視界」「像」の意味である。 原理としては電送写真(ファクシミリ、FAX)と似ており、走査によって光学像と電気信号を相互に変換する技術を用いるが、ファクシミリが1枚の画像を伝送するのに数十秒ほどの時間をかけるのに対して、テレビジョンは人間の視覚の残像の性質(を利用して像が動いているように見せること)を考慮すると、光学像を1秒間に50〜60枚ほど伝送しなければならない。送信側では、光学像を電気信号に変換する装置(ビデオカメラ)が、受信側では、電気信号を光学像に変換して表示する装置(代表的なものでは液晶パネルやブラウン管など)が必要である。送信側と受信側ではそれぞれ、分解走査と組立走査が行われるが、何らかの方法で同期をとらなければ正しく送受信できない。 伝送方式については基本的には無線方式や有線方式(ケーブルテレビや有線の監視テレビ)がある。 21世紀からはインターネット経由で信号を伝送する方式(インターネットテレビ)も盛んに用いられるようになっている。テレビ局などの組織が一方向的にテレビジョン放送するだけでなく、個人がテレビジョンのコンテンツをネットワーク経由で公開したりリアルタイム放送したり、個人間で双方向的にテレビジョンを使うようになっている。具体的に言うと、2000年ころからインターネットのブロードバンド化つまり高速化が進み、2010年代にはYouTubeが普及し、個人がカメラで光学像の撮影・録音および編集を行いネットワーク上で不特定多数の人々に公開したり、個人がその瞬間の様子をリアルタイム撮影して放送すること(ライブ配信)もさかんに行われるようになっている。 テレビジョンに必要な要素を備えたパソコン、スマートフォン、タブレット端末が急速に普及したことで、テレビジョン技術を双方向に利用し個人と個人がテレビジョンで互いの姿を見つつ会話をすること(テレビ電話)や会議・打ち合わせを行うこと(テレビ会議・ビデオ会議)も気軽に行われるようになっている。 上節ではヨーロッパ諸国とアメリカをごちゃまぜにして年表風に列挙したが、当時は現在のようにEUがあったわけではなくヨーロッパといっても国ごとに施策は異なっていたので、この節では一国の中だけで起きたことを時系列で、フランスを例にとり説明する(日本一国の中だけの出来事の説明は次の節で詳説するので、ここではまずフランス一国内の出来事についてまとめて理解できるように簡潔に説明する)。 フランスでは1931年4月14日に電波で行うテレビ送受信のフランス初の実演が行われた。それまでは有線での実演は行われたことはあったが電波を使うテレビの実演をするのはフランスでは初めてだった。この実演を行ったのはフランスの技術者ルネ・バルテレミ(fr:René Barthélemy)であり、800名の招待客を前にして2キロメートルほど離れた場所からマラコフ電気高等学校とモンルージュにある会社の研究所の間で映像を伝えた。1931年12月6日にはアンリ・ド・フランス(fr:Henri de France)がテレビ放送会社 ラ・コンパニ・ジェネラル・ドゥ・テレヴィジオン(la Compagnie générale de télévision )社(CGT)を設立。1932年12月にはルネ・バルテレミがテレビカメラを発明し実験的な白黒放送番組「Paris Télévision」を毎週1時間放送し、これを受信するためのテレビ受像機がおよそ100台ほど用意された。そのほとんどは公開用テレビ受像機つまり個人が所有するものではなく公共の場に設置して皆で観るものだった。1935年4月26日にはフランスで初の公式テレビ放送を開始するとの宣言が当時のフランス郵政大臣のジョルジュ・マンデル(fr:Georges Mandel)によって行われた。1935年11月17日には(前述の技術者)バルテレミが走査線の数を180本まで増やし解像度を上げるのに成功し、放送用送信機をエッフェル塔の先端に設置。1937年1月4日には毎晩20時から20時半のテレビ放送(レギュラー放送)が開始され、数百台のテレビ受像機が個人宅に設置された。 無線方式、有線方式、インターネット方式などがある。 無線方式はさらに、従来のアナログ方式と近年のデジタル方式がある。過渡期的なアナログとデジタルの両方を用いる方式もあった。 おおむね同様のことではあるが、伝送に地上の電波アンテナ(テレビ塔)を用いるかそれとも放送衛星を用いるか光ケーブル用いるか、などを軸にして大分類すると次のようになる。 TVチューナーのようなコンポーネント型の機器もあるが、基本的に複合型の機器が多い。 演奏所設備をスタジオ機器と言うこともある。この場合撮影スタジオに置かれる機器だけを指すのではなく局舎内の放送関連機器全般を指す。主な物を以下に示す。 放送の受信はアンテナまたはケーブルテレビ局などから信号を受け取りチューナーで選局され映像信号に変えられて、テレビ受像機やDVDレコーダー等の録画機に導かれる(一般に録画機は再生機能も持つが、ここでは録画機と表記する)。 アナログ放送もデジタル放送も次の機能や機器によって受信し視聴や録画を行うのは同じことである。 かつては地上アナログ放送専用のチューナーと呼ばれる単体商品も存在した。これはゴーストキャンセル機能の強化や、音声多重機能のないテレビやビデオデッキに対しその機能を提供する目的で製造されていた。エントリークラスでもテレビで5万円、家庭用ビデオデッキで10万円を下らなかった時期に登場したものだが、NEC等1990年代に入っても生産していたメーカーも存在する。 当記事の最初に説明されているように、「テレビジョン(テレビ)」の3番目の意味としてコミュニケーション媒体(メディア)としてのテレビという意味がある。 一般論として「メディア」という概念と関連付けられたり対比される概念に、各メディアで伝えられる内容つまり「コンテンツ」という概念があるわけだが、テレビジョンの場合のコンテンツというのはテレビ番組である。 どのようなテレビ番組を放送するかということに関してはテレビジョン放送局が決定する権限を持っているが、放送されるテレビ番組はどのように制作されているかというと、(一部に放送局内で制作される場合もありはするが)多くの場合実際にはテレビ番組を制作しているのは放送局自体ではなく、テレビ番組制作会社(制作プロダクション)という会社である。 例えば、NHKで放送されるテレビ番組を制作している会社にNHKエンタープライズやNHKグローバルメディアサービスがあり、TBSテレビの関連テレビ番組制作会社にTBSスパークルやTBSアクトがあり、テレビ朝日グループのテレビ番組制作会社にフレックスや東京サウンドプロダクションがある。 テレビ産業にたずさわっている職業として次のような職業を挙げることができる。 2005年度のフランス・カンヌで開催されたテレビ番組の国際見本市「MIPTV」で発表された統計によると、世界で最もテレビを見る時間が長いのは日本人で、1日のテレビ視聴時間は平均5時間1分だった。2位は米国で4時間46分。世界平均は米国より90分少ない。最下位は中国とスウェーデンの2時間30分だった。 米国のこどもは1日平均3時間テレビを見ており、高校卒業までに合計3年間テレビ視聴に費やしていることになる。また近年は生活習慣病の低年齢化も進行しており、I型糖尿病だけでなく小児でもII型糖尿病が増加し、小児肥満も増加している。米国の調査ではテレビの視聴時間が長い小児ほど肥満の率が高い。テレビの長時間視聴によって運動時間が減り、野菜や果物の摂取量が少なくなるという報告がなされている。CMや番組等でのハンバーガーやスナック菓子やソフトドリンクの映像による刺激がそうした症状の原因のひとつともなっている。エレン・ラペル・シェルは食品業界にとって小児が大きなターゲットとなっており「家族の食費の鍵を握るのは子供である」といっている。 心理学者のAric Sigmanはテレビの視聴は子供の健康に悪影響を与え、幼児期におけるテレビの視聴が多いほど、睡眠時間も不規則になり、免疫システムにも悪影響をおよぼし、自閉症や視力低下、肥満を引き起こす。また、テレビの視聴はホルモン「メラトニン」の分泌を抑制し、その結果DNA変形を引き起こし、癌の原因になる可能性がある。そのため、3歳未満の子供はテレビを観るべきではないと言っている。また毎日視聴する場合はアルツハイマー疾患の可能性も高くなる。またテレビ視聴を減らすことで、国民健康保険制度(National Health Service、NHS)の負担を減らすこともできると提言している。 カナダのモントリオール大学と米国ミシガン大学の研究では、幼児期にテレビを長時間見ていた子供は、学校での適応能力の欠如、いじめに遭いやすい、数学などの学力低下、運動不足、ジャンクフードの過食、肥満度(BMI)が高いといった問題が起きると発表した。 日本小児科学会こどもの生活環境改善委員会は、乳幼児にテレビを長時間見せると、言語発達が遅れる危険性があるとして、2歳以下の子供にテレビを長時間見せないことを提言している。同委員会によると、子供に知識を教えるためにテレビを見させる親もいるが、言語能力は大人との双方向の関わりが必要であり、一方的に聞くだけでは発達しない。同委員会の調査結果では、子供の長時間視聴は、1歳6か月の時点における意味のある言葉(有意語)の出現の遅れと関係があった。 日本の文部科学省は2003年から2004年にかけての調査でTVゲームが予想以上に暴力性を誘発すること、視力低下などは確認されたが、社会的不適応といった問題については有用性も認められるともし、今後、悪影響とよい影響の双方から多角的に研究すべきとした。 アメリカのランド研究所の研究によると、10代の男女は、性描写のあるテレビ番組を見る子供ほど妊娠する・させる可能性が高い。また性描写を含むテレビ番組を最も多く見る子供は、最も見ない子供と比べて妊娠する・させる可能性が2倍だった。 中国の「華西都市報」によると、14歳の少年がアニメ『トランスフォーマー』に影響されてガソリンを5年間飲み続けていたことで、知能障害に陥っていることが分かった。同作品のキャラクターがガソリンの補給でパワーアップする姿に感化されたという。少年は以前、ガスを吸い込んでいたという経緯もあった。 1950年代から1960年代にかけて、テレビの構造や原理などを紹介するための短編映画が2本制作されている。 一つは日本に於けるテレビ本放送が始まる前の年(1952年)にNHKの協力を得て日映科学映画製作所が制作した『テレビジョン』で、テレビ(受像器)及びテレビカメラの原理の紹介の他、本放送開始を前にしてNHKのテレビ実験局で行われたスタジオ収録の様子なども紹介されている。 もう一つはカラー本放送開始の翌年(1961年)に松下電器産業(現・パナソニック)の企画の下で東京シネマが制作した『電子の技術-テレビジョン』で、こちらはテレビを一電化製品として捉え、その原理や構造を細かく紹介しているほか、テレビの製造現場の様子も映し出されている。 これら2本の短編映画は、現在、科学映像館(NPO法人・科学映像館を支える会)のWebサイト上に於いて無料公開されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "テレビは、テレビジョン(英: television)の略称であり、テレビジョンは、映像と音声を離れた場所に送り、再現するしくみ。光学像を電気的な信号に変換し、無線または有線により伝送し、テレビ受像機で映像として再生する通信方式。光学像および音響を電気信号に変換し、電気的な波の形で有線もしくは無線で離れた場所に伝送し、それを光学像および音響に再変換する電子的なシステム。TVと表記することもある。2番目の意味として、その受像機も指す。3番目の意味としてはコミュニケーション媒体(メディア)としてのテレビジョン、またテレビジョン産業を指す。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "当記事では、前半で主に光学像および音響を伝送し再現するしくみ(電子的システム)とその歴史について解説し、後半でテレビジョン産業、媒体としてのテレビジョンの性質や人々に与える影響、視聴傾向などについても説明する。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "主に放送(テレビジョン放送)、遠隔監視、テレビ電話などに利用されている。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "日本の電波法では「テレビジョン」は「電波を利用して、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を送り、又は受けるための通信設備」と定義されている。放送法ではテレビジョン放送は「静止し、又は移動する事物の瞬間的影像及びこれに伴う音声その他の音響を送る放送(文字、図形その他の影像(音声その他の音響を伴うものを含む。)又は信号を併せ送るものを含む。)」と定義されている。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "「テレビジョン」は直接的にはフランス語のtélévision(テレヴィジオン)に由来する。なお、tele-(τηλε)はギリシア語の「遠く離れた」、「vision」はラテン語で「視界」「像」の意味である。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "原理としては電送写真(ファクシミリ、FAX)と似ており、走査によって光学像と電気信号を相互に変換する技術を用いるが、ファクシミリが1枚の画像を伝送するのに数十秒ほどの時間をかけるのに対して、テレビジョンは人間の視覚の残像の性質(を利用して像が動いているように見せること)を考慮すると、光学像を1秒間に50〜60枚ほど伝送しなければならない。送信側では、光学像を電気信号に変換する装置(ビデオカメラ)が、受信側では、電気信号を光学像に変換して表示する装置(代表的なものでは液晶パネルやブラウン管など)が必要である。送信側と受信側ではそれぞれ、分解走査と組立走査が行われるが、何らかの方法で同期をとらなければ正しく送受信できない。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "伝送方式については基本的には無線方式や有線方式(ケーブルテレビや有線の監視テレビ)がある。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "21世紀からはインターネット経由で信号を伝送する方式(インターネットテレビ)も盛んに用いられるようになっている。テレビ局などの組織が一方向的にテレビジョン放送するだけでなく、個人がテレビジョンのコンテンツをネットワーク経由で公開したりリアルタイム放送したり、個人間で双方向的にテレビジョンを使うようになっている。具体的に言うと、2000年ころからインターネットのブロードバンド化つまり高速化が進み、2010年代にはYouTubeが普及し、個人がカメラで光学像の撮影・録音および編集を行いネットワーク上で不特定多数の人々に公開したり、個人がその瞬間の様子をリアルタイム撮影して放送すること(ライブ配信)もさかんに行われるようになっている。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "テレビジョンに必要な要素を備えたパソコン、スマートフォン、タブレット端末が急速に普及したことで、テレビジョン技術を双方向に利用し個人と個人がテレビジョンで互いの姿を見つつ会話をすること(テレビ電話)や会議・打ち合わせを行うこと(テレビ会議・ビデオ会議)も気軽に行われるようになっている。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "上節ではヨーロッパ諸国とアメリカをごちゃまぜにして年表風に列挙したが、当時は現在のようにEUがあったわけではなくヨーロッパといっても国ごとに施策は異なっていたので、この節では一国の中だけで起きたことを時系列で、フランスを例にとり説明する(日本一国の中だけの出来事の説明は次の節で詳説するので、ここではまずフランス一国内の出来事についてまとめて理解できるように簡潔に説明する)。", "title": "テレビの歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "フランスでは1931年4月14日に電波で行うテレビ送受信のフランス初の実演が行われた。それまでは有線での実演は行われたことはあったが電波を使うテレビの実演をするのはフランスでは初めてだった。この実演を行ったのはフランスの技術者ルネ・バルテレミ(fr:René Barthélemy)であり、800名の招待客を前にして2キロメートルほど離れた場所からマラコフ電気高等学校とモンルージュにある会社の研究所の間で映像を伝えた。1931年12月6日にはアンリ・ド・フランス(fr:Henri de France)がテレビ放送会社 ラ・コンパニ・ジェネラル・ドゥ・テレヴィジオン(la Compagnie générale de télévision )社(CGT)を設立。1932年12月にはルネ・バルテレミがテレビカメラを発明し実験的な白黒放送番組「Paris Télévision」を毎週1時間放送し、これを受信するためのテレビ受像機がおよそ100台ほど用意された。そのほとんどは公開用テレビ受像機つまり個人が所有するものではなく公共の場に設置して皆で観るものだった。1935年4月26日にはフランスで初の公式テレビ放送を開始するとの宣言が当時のフランス郵政大臣のジョルジュ・マンデル(fr:Georges Mandel)によって行われた。1935年11月17日には(前述の技術者)バルテレミが走査線の数を180本まで増やし解像度を上げるのに成功し、放送用送信機をエッフェル塔の先端に設置。1937年1月4日には毎晩20時から20時半のテレビ放送(レギュラー放送)が開始され、数百台のテレビ受像機が個人宅に設置された。", "title": "テレビの歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "無線方式、有線方式、インターネット方式などがある。", "title": "テレビの技術" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "無線方式はさらに、従来のアナログ方式と近年のデジタル方式がある。過渡期的なアナログとデジタルの両方を用いる方式もあった。", "title": "テレビの技術" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "おおむね同様のことではあるが、伝送に地上の電波アンテナ(テレビ塔)を用いるかそれとも放送衛星を用いるか光ケーブル用いるか、などを軸にして大分類すると次のようになる。", "title": "テレビの技術" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "TVチューナーのようなコンポーネント型の機器もあるが、基本的に複合型の機器が多い。", "title": "テレビの技術" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "演奏所設備をスタジオ機器と言うこともある。この場合撮影スタジオに置かれる機器だけを指すのではなく局舎内の放送関連機器全般を指す。主な物を以下に示す。", "title": "テレビの技術" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "放送の受信はアンテナまたはケーブルテレビ局などから信号を受け取りチューナーで選局され映像信号に変えられて、テレビ受像機やDVDレコーダー等の録画機に導かれる(一般に録画機は再生機能も持つが、ここでは録画機と表記する)。", "title": "テレビの技術" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "アナログ放送もデジタル放送も次の機能や機器によって受信し視聴や録画を行うのは同じことである。", "title": "テレビの技術" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "かつては地上アナログ放送専用のチューナーと呼ばれる単体商品も存在した。これはゴーストキャンセル機能の強化や、音声多重機能のないテレビやビデオデッキに対しその機能を提供する目的で製造されていた。エントリークラスでもテレビで5万円、家庭用ビデオデッキで10万円を下らなかった時期に登場したものだが、NEC等1990年代に入っても生産していたメーカーも存在する。", "title": "テレビの技術" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "当記事の最初に説明されているように、「テレビジョン(テレビ)」の3番目の意味としてコミュニケーション媒体(メディア)としてのテレビという意味がある。", "title": "テレビ産業" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "一般論として「メディア」という概念と関連付けられたり対比される概念に、各メディアで伝えられる内容つまり「コンテンツ」という概念があるわけだが、テレビジョンの場合のコンテンツというのはテレビ番組である。", "title": "テレビ産業" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "どのようなテレビ番組を放送するかということに関してはテレビジョン放送局が決定する権限を持っているが、放送されるテレビ番組はどのように制作されているかというと、(一部に放送局内で制作される場合もありはするが)多くの場合実際にはテレビ番組を制作しているのは放送局自体ではなく、テレビ番組制作会社(制作プロダクション)という会社である。", "title": "テレビ産業" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "例えば、NHKで放送されるテレビ番組を制作している会社にNHKエンタープライズやNHKグローバルメディアサービスがあり、TBSテレビの関連テレビ番組制作会社にTBSスパークルやTBSアクトがあり、テレビ朝日グループのテレビ番組制作会社にフレックスや東京サウンドプロダクションがある。", "title": "テレビ産業" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "テレビ産業にたずさわっている職業として次のような職業を挙げることができる。", "title": "テレビ産業" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2005年度のフランス・カンヌで開催されたテレビ番組の国際見本市「MIPTV」で発表された統計によると、世界で最もテレビを見る時間が長いのは日本人で、1日のテレビ視聴時間は平均5時間1分だった。2位は米国で4時間46分。世界平均は米国より90分少ない。最下位は中国とスウェーデンの2時間30分だった。", "title": "視聴時間" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "米国のこどもは1日平均3時間テレビを見ており、高校卒業までに合計3年間テレビ視聴に費やしていることになる。また近年は生活習慣病の低年齢化も進行しており、I型糖尿病だけでなく小児でもII型糖尿病が増加し、小児肥満も増加している。米国の調査ではテレビの視聴時間が長い小児ほど肥満の率が高い。テレビの長時間視聴によって運動時間が減り、野菜や果物の摂取量が少なくなるという報告がなされている。CMや番組等でのハンバーガーやスナック菓子やソフトドリンクの映像による刺激がそうした症状の原因のひとつともなっている。エレン・ラペル・シェルは食品業界にとって小児が大きなターゲットとなっており「家族の食費の鍵を握るのは子供である」といっている。", "title": "身体と精神の健康に与える影響" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "心理学者のAric Sigmanはテレビの視聴は子供の健康に悪影響を与え、幼児期におけるテレビの視聴が多いほど、睡眠時間も不規則になり、免疫システムにも悪影響をおよぼし、自閉症や視力低下、肥満を引き起こす。また、テレビの視聴はホルモン「メラトニン」の分泌を抑制し、その結果DNA変形を引き起こし、癌の原因になる可能性がある。そのため、3歳未満の子供はテレビを観るべきではないと言っている。また毎日視聴する場合はアルツハイマー疾患の可能性も高くなる。またテレビ視聴を減らすことで、国民健康保険制度(National Health Service、NHS)の負担を減らすこともできると提言している。", "title": "身体と精神の健康に与える影響" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "カナダのモントリオール大学と米国ミシガン大学の研究では、幼児期にテレビを長時間見ていた子供は、学校での適応能力の欠如、いじめに遭いやすい、数学などの学力低下、運動不足、ジャンクフードの過食、肥満度(BMI)が高いといった問題が起きると発表した。", "title": "身体と精神の健康に与える影響" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "日本小児科学会こどもの生活環境改善委員会は、乳幼児にテレビを長時間見せると、言語発達が遅れる危険性があるとして、2歳以下の子供にテレビを長時間見せないことを提言している。同委員会によると、子供に知識を教えるためにテレビを見させる親もいるが、言語能力は大人との双方向の関わりが必要であり、一方的に聞くだけでは発達しない。同委員会の調査結果では、子供の長時間視聴は、1歳6か月の時点における意味のある言葉(有意語)の出現の遅れと関係があった。", "title": "身体と精神の健康に与える影響" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "日本の文部科学省は2003年から2004年にかけての調査でTVゲームが予想以上に暴力性を誘発すること、視力低下などは確認されたが、社会的不適応といった問題については有用性も認められるともし、今後、悪影響とよい影響の双方から多角的に研究すべきとした。", "title": "身体と精神の健康に与える影響" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "アメリカのランド研究所の研究によると、10代の男女は、性描写のあるテレビ番組を見る子供ほど妊娠する・させる可能性が高い。また性描写を含むテレビ番組を最も多く見る子供は、最も見ない子供と比べて妊娠する・させる可能性が2倍だった。", "title": "身体と精神の健康に与える影響" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "中国の「華西都市報」によると、14歳の少年がアニメ『トランスフォーマー』に影響されてガソリンを5年間飲み続けていたことで、知能障害に陥っていることが分かった。同作品のキャラクターがガソリンの補給でパワーアップする姿に感化されたという。少年は以前、ガスを吸い込んでいたという経緯もあった。", "title": "身体と精神の健康に与える影響" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1950年代から1960年代にかけて、テレビの構造や原理などを紹介するための短編映画が2本制作されている。", "title": "テレビに関する啓発映画" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "一つは日本に於けるテレビ本放送が始まる前の年(1952年)にNHKの協力を得て日映科学映画製作所が制作した『テレビジョン』で、テレビ(受像器)及びテレビカメラの原理の紹介の他、本放送開始を前にしてNHKのテレビ実験局で行われたスタジオ収録の様子なども紹介されている。", "title": "テレビに関する啓発映画" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "もう一つはカラー本放送開始の翌年(1961年)に松下電器産業(現・パナソニック)の企画の下で東京シネマが制作した『電子の技術-テレビジョン』で、こちらはテレビを一電化製品として捉え、その原理や構造を細かく紹介しているほか、テレビの製造現場の様子も映し出されている。", "title": "テレビに関する啓発映画" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "これら2本の短編映画は、現在、科学映像館(NPO法人・科学映像館を支える会)のWebサイト上に於いて無料公開されている。", "title": "テレビに関する啓発映画" } ]
テレビは、テレビジョンの略称であり、テレビジョンは、映像と音声を離れた場所に送り、再現するしくみ。光学像を電気的な信号に変換し、無線または有線により伝送し、テレビ受像機で映像として再生する通信方式。光学像および音響を電気信号に変換し、電気的な波の形で有線もしくは無線で離れた場所に伝送し、それを光学像および音響に再変換する電子的なシステム。TVと表記することもある。2番目の意味として、その受像機も指す。3番目の意味としてはコミュニケーション媒体(メディア)としてのテレビジョン、またテレビジョン産業を指す。 当記事では、前半で主に光学像および音響を伝送し再現するしくみ(電子的システム)とその歴史について解説し、後半でテレビジョン産業、媒体としてのテレビジョンの性質や人々に与える影響、視聴傾向などについても説明する。
{{Otheruses|映像の伝送・再現システム|伝送された映像の再生装置|テレビ受像機}} {{Redirect2|テレビジョン|TV}} '''テレビ'''は、'''テレビジョン'''({{Lang-en-short|television}})の略称であり、テレビジョンは、[[動画|映像]]と[[音声]]を離れた場所に送り、再現するしくみ<ref name="Britannica_international">ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典【テレビジョン】</ref>。光学像を[[電気]]的な[[信号 (電気工学)|信号]]に変換し、[[無線]]または[[有線一般放送|有線]]により伝送し、[[テレビ受像機]]で映像として再生する通信方式<ref>マイペディア【テレビジョン】</ref>。光学像および音響を電気信号に変換し、電気的な波の形で有線もしくは無線で離れた場所に伝送し、それを光学像および音響に再変換する電子的なシステム<ref name="Merriam_Webster">Merriam Webster, definition of television</ref>。'''TV'''と表記することもある。2番目の意味として、その受像機も指す<ref name="Merriam_Webster" />。3番目の意味としては[[メディア (媒体)|コミュニケーション媒体(メディア)]]としてのテレビジョン、またテレビジョン産業を指す<ref name="Merriam_Webster" />。 当記事では、前半で主に光学像および音響を伝送し再現するしくみ(電子的システム)とその歴史について解説し、後半でテレビジョン産業、媒体としてのテレビジョンの性質や人々に与える影響、視聴傾向などについても説明する。 == 概説 == 主に[[放送]]([[テレビジョン放送]])、[[監視カメラ|遠隔監視]]、テレビ電話などに利用されている。 日本の[[電波法]]では「テレビジョン」は「電波を利用して、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を送り、又は受けるための通信設備」と定義されている<ref>電波法施行規則2条1項22号</ref>。[[放送法]]ではテレビジョン放送は「静止し、又は移動する事物の瞬間的影像及びこれに伴う音声その他の音響を送る放送(文字、図形その他の影像(音声その他の音響を伴うものを含む。)又は信号を併せ送るものを含む。)」と定義されている<ref>放送法2条1項18号</ref>。 ===語源=== 「テレビジョン」は直接的には[[フランス語]]の[[wikt:télévision|{{lang|fr|télévision}}]]({{読み|テレヴィジオン|}})に由来する。なお、[[wikt:tele-|{{lang|en|tele-}}]]({{Lang|el|τηλε}})は[[ギリシア語]]の「遠く離れた」、「{{lang|la|vision}}」は[[ラテン語]]で「視界」「像」の意味である。 === 原理、必要な装置や施設 === 原理としては電送写真([[ファクシミリ]]、FAX)と似ており、[[走査]]によって光学像と電気信号を相互に変換する技術を用いる<ref name="Britannica_international" />が、ファクシミリが1枚の画像を伝送するのに数十秒ほどの時間をかけるのに対して、テレビジョンは人間の視覚の[[残像]]の性質(を利用して像が動いているように見せること)を考慮すると、光学像を1秒間に50〜60枚ほど伝送しなければならない<ref name="Britannica_international" />。送信側では、光学像を電気信号に変換する装置([[ビデオカメラ]])が、受信側では、電気信号を光学像に変換して表示する装置(代表的なものでは[[液晶パネル]]や[[ブラウン管]]など)が必要である<ref name="Britannica_international" />。送信側と受信側ではそれぞれ、分解走査と組立走査が行われるが、何らかの方法で[[同期]]をとらなければ正しく送受信できない。 <gallery> File:Sony television camera at Anime Expo 20100703.jpg|[[テレビカメラ]]による屋外撮影 File:Cobertura do incêndio do Edificio Wilton Paes de Almeida (2018).jpg|テレビの[[中継車]]。カメラの映像をまず放送局へと送信するための衛星アンテナを備えている。 File:NFTS TV Studio in 2018.jpg|テレビ・スタジオ File:CCR TV Goa, on the editing screen.jpg|編集室 File:City tv control room Doors Open Toronto 2012 (1).jpg|テレビ放送のコントロール・ルーム File:ТВ-передатчик Харрис.jpg|テレビ放送の[[送信機]] File:Croydon Television Transmitter - geograph.org.uk - 2472598.jpg|テレビの送信[[アンテナ]] File:TV antennas and satellite Dishes (41475804385).jpg|各家庭に設置された受信[[アンテナ]]群 File:Mirai LCD TV.JPG|[[テレビ受像機]] </gallery> ===伝送方法の基本と多様化、組織から個人、一方向から双方向=== 伝送方式については基本的には無線方式や有線方式([[ケーブルテレビ]]や有線の監視テレビ)がある。 21世紀からは[[インターネット]]経由で信号を伝送する方式([[インターネットテレビ]])も盛んに用いられるようになっている。テレビ局などの組織が一方向的にテレビジョン放送するだけでなく、個人がテレビジョンのコンテンツをネットワーク経由で公開したりリアルタイム放送したり、個人間で双方向的にテレビジョンを使うようになっている。具体的に言うと、2000年ころからインターネットのブロードバンド化つまり高速化が進み、2010年代には[[YouTube]]が普及し、個人がカメラで光学像の撮影・録音および編集を行いネットワーク上で不特定多数の人々に公開したり、個人がその瞬間の様子をリアルタイム撮影して放送すること(ライブ配信)もさかんに行われるようになっている。 テレビジョンに必要な要素を備えた[[パソコン]]、[[スマートフォン]]、[[タブレット端末]]が急速に普及したことで、テレビジョン技術を双方向に利用し個人と個人がテレビジョンで互いの姿を見つつ会話をすること([[テレビ電話]])や会議・打ち合わせを行うこと([[ビデオ会議|テレビ会議・ビデオ会議]])も気軽に行われるようになっている。 <gallery> File:Netflix and Moodle.JPG|[[Netflix]] File:Lieutenant gets Facetime with newborn son 110521-F-WA896-002.jpg|[[ビデオ通話]] File:Anne Kirkpatrick Zoom - 5.23.20.jpg|[[ビデオ会議]] </gallery> == テレビの歴史 == === 開発史 === ==== 19世紀 ==== * 1873年 - [[イギリス]]で明暗を電気の強弱に変えて遠方に伝える装置=テレビジョンの開発が始まる。 * 1875年 - [[アメリカ合衆国]]のジョージ・ケリー、並列式の機械式[[走査]]の概念を提案。 * 1877年 - アメリカ合衆国のウィリアム・ソーヤー、直列式の機械式走査の概念を提案。 * 1884年 - [[ドイツ]]の[[パウル・ニプコウ]]、直列式の機械式走査を実現する「[[ニプコー円板]]」の発明。 * 1896年 - [[イタリア]]の[[グリエルモ・マルコーニ]]が[[電波]]を使って、3[[キロメートル]]離れた地点間で[[モールス符号|モールス信号]]の無線通信実験に成功([[無線電信]]参照)。 * 1897年 - ドイツの[[フェルディナント・ブラウン]]、[[陰極線管]]である[[ブラウン管]]の発明。 ==== 20世紀 ==== * 1907年 - [[ロシア帝国|ロシア]]の[[ボリス・ロージング]]、ブラウン管によるテレビ受像機を考案し特許出願。 * 1908年 - イギリスのキャンベル・スウィントン、撮像側にも陰極線管を使った電子式走査法の概念を科学雑誌『[[ネイチャー]]』に発表。全電子式テレビジョンを示唆。 * 1911年 - ロシアのボリス・ロージング、世界で初めてブラウン管を用いたテレビの送受信実験を公開。撮像に機械式のニプコー円板を、受像に電子式のブラウン管をそれぞれ用いた。簡単な図形の輪郭の受像に成功。しかし実用レベルの受像に至るには撮像側の電子化が求められ、映像を電気信号に変換する[[撮像管]]の開発や、映像信号を増幅する[[真空管]]の発達を待たねばならなかった。 * 1923年 - [[浜松高等工業学校]]の[[高柳健次郎]]が電子式走査方式の研究を開始<ref name="yoshino">{{Cite web|和書|url=http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/pdf/015.pdf |title=テレビ技術史概要と関連資料調査|author=吉野章夫|accessdate=2021-11-07 }}</ref>。同時期にアメリカでツボルキンも電子方式のテレビ開発を始めたが互いに全く相手のことを知らなかった<ref name="yoshino" />。 * 1925年 - [[スコットランド]]の[[ジョン・ロジー・ベアード]]、[[機械式テレビジョン]]の開発。撮像と受像に機械式のニプコー円板を用いた。見分けられる程度の人間の顔を送受信することに成功。 * 1925年 - アメリカ合衆国のチャールズ・フランシス・ジェンキンスが機械式テレビの画像を8キロメートル離れた地点間で無線送受信する公開実験を行う。 * 1926年1月 - [[スコットランド]]の[[ジョン・ロジー・ベアード]]、ロンドンの王立研究所で動く物体の送受信の公開実験に成功。 * 1926年 - 早稲田大学の[[山本忠興]]や[[川原田政太郎]]が機械式のテレビジョンの研究に着手<ref name="yoshino" />。 * 1926年12月25日 - 高柳健次郎が世界初の電子式テレビ受像機を用いて「イ」の字を表示させることに成功<ref name="yoshino" />。 <!--**この時期、テレビの本放送へ向けて各国で改良が活発となる。--> * 1927年 - アメリカ合衆国の[[フィロ・ファーンズワース]]、世界初の撮像管「イメージディセクタ」による映像撮影に成功。ブラウン管に「$ $」を表示。同年、撮像・受像の全電子化が達成される。 [[File:Early Television System Diagram.png|thumb|180px|テレビジョン・システムのダイアグラム(1928年)]] * 1928年 - イギリスのジョン・ロジー・ベアード、カラーテレビの公開実験に成功。 * 1930年 - 山本忠興と川原田政太郎が機械式テレビの公開実験に成功<ref name="yoshino" />。同30年に山本はこの発明により[[日本の十大発明家|十大発明家]]の一人として宮中賜餐の栄に浴した。 * 1931年7月 - 川原田らは早稲田大学[[戸塚球場]]にて行われた同学野球部の試合を、理工学部実験室まで送信することに成功した。これが世界初の屋外実況中継となる。 * 1933年 - アメリカのウラジミール・ツヴォルキンが、自身開発のアイコノスコープで野外の景色を撮像することに成功{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|pp=12-13}}。 === 放送史 === ==== 欧米 ==== * 1928年 - アメリカ合衆国のWGY(現在の[[WRGB]])がテレビ実験放送開始。 * 1929年 - イギリスの[[英国放送協会]](BBC)、ドイツの[[国家放送協会]]がテレビ実験放送開始{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|pp=12-13}}(以降、特記のない限り[[白黒テレビ]])。 * 1931年 - アメリカへ亡命したロシアの[[ウラジミール・ツヴォルキン]]、電子走査式撮像管「アイコノスコープ」を考案し特許出願。 * 1932年 - 8月、イギリスBBCで世界初の定期試験放送(機械式、週4日)開始。正式開局は1936年。 * 1934年 - 11月、[[ソビエト連邦]]がテレビ試験放送を開始。 * 1936年 - ドイツで[[ベルリンオリンピック]]のテレビ[[中継放送|中継]]が行われる。 * 1936年 - [[ハンガリー]]の{{仮リンク|ティハニィ・カールマン|en|Kálmán Tihanyi}}、[[プラズマディスプレイ|プラズマテレビ]]の原理を示す。世界初の[[薄型テレビ|フラットディスプレイ]]の概念。 * 1939年 - アメリカ合衆国の[[NBC]]{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|pp=12-13}}、ソビエト連邦の国営放送がテレビ定時放送を開始。 [[File:1940s television sets at the Early Television Museum June 2022.jpg|thumb|180px|[[1940年代]]のアメリカのテレビ受像機]] * 1941年 - 3月、アメリカ合衆国で[[NTSC]]方式による白黒テレビ放送開始<ref name="USAstopNTSC">{{Cite web|date=2009-06-12|url=http://www.atsc.org/communications/press/2009-06-12-NTSC_End_Final.php|title=ATSC SALUTES THE ‘PASSING’ OF NTSC|publisher=[[NTSC]]|language=[[英語]]|accessdate=2009-06-13|deadlinkdate=2011-10-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090620084429/http://www.atsc.org/communications/press/2009-06-12-NTSC_End_Final.php|archivedate=2009年6月20日}}</ref>。 * 1946年 - [[RCA]]、撮像管「イメージオルシコン」を開発{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|pp=218-222|loc=放送技術年表}}。 [[File:Family watching television 1958 cropped2.jpg|thumb|180px|テレビ放送を家庭で観る家族(1958年、アメリカ)]] * 1951年 - アメリカ[[CBS]]が、独自規格(CBS方式)の[[カラーテレビ]]放送を開始{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|pp=218-222|loc=放送技術年表}}。 * 1953年 - 12月、アメリカ合衆国におけるカラーテレビ放送標準規格がNTSC方式に統一<ref name="USAstopNTSC" />。 * 1954年 - 1月23日、アメリカNBCが、NTSC方式によるカラー本放送開始。 *:: なお[[有馬哲夫]]の『テレビの夢から覚めるまで』<ref name="arima1997">{{Cite book |和書 |author=有馬哲夫 |authorlink=有馬哲夫 |title=テレビの夢から覚めるまで アメリカ1950年代テレビ文化社会史 |accessdate=2017-06-24 |date=1997-02-15 |publisher=国文社 |language=日本語 |isbn=4772004297 }}</ref>によれば、1950年代に米国でテレビが一般家庭に普及し始めた頃、アメリカの人々は大真面目に以下のように思っていたという<ref name="kayama2006">{{Cite book |和書 |author=香山リカ |authorlink=香山リカ (精神科医) |title=テレビの罠-コイズミ現象を読み解く |accessdate=2017-06-23 |date=2006-03-10 |publisher=株式会社筑摩書房 |location=東京都 |series=ちくま新書588 |language=日本語 |isbn=4480062963 |page=202 }}</ref>。 *: {{Quotation|テレビは、神からのクリスマス・プレゼントだ。われわれは、このプレゼントを手にして娯楽のことばかりを考えるのではなく、人類の善意と地上の平和のことを、そして、それにいかに役立てるかをも考えなければならない。テレビを通じて、いかにひとびとの蒙を啓き、偏見を根絶し、理解を深めるかに心くだかなければならない。テレビこそ、その未来を開いてくれるだろう。|有馬哲夫|『テレビの夢から覚めるまで アメリカ1950年代テレビ文化社会史』(1997年/国文社)}} <!--[[ファイル:OTVbelweder-front.jpg|250px|right|thumb|180px|1958年の14インチTVセット(ポーランド製)]]--> * 1956年 - [[アンペックス]]社、白黒[[2インチVTR]]1号機「VR-1000」を発表。3年後にはカラーVTRの発表に至る{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|pp=218-222|loc=放送技術年表}}。 * 1962年 - 12月13日、[[通信衛星]]「[[リレー (人工衛星)#リレー1号|リレー1号]]」打ち上げ成功{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|pp=218-222|loc=放送技術年表}}。後述の日米衛星中継試験に用いられた。 * 1965年 - イギリスがカラーテレビ放送標準規格として[[PAL]]方式を採用{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|pp=218-222|loc=放送技術年表}}。 [[File:A Colour Television Test (29219153103).jpg|thumb|180px|ニュージーランドでのカラー放送の試験(1977年)]] * 1967年 - [[フランス]]が[[SECAM]]方式によるカラー放送開始{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|pp=218-222|loc=放送技術年表}}。 * 1984年 - フランスで世界初の有料多チャンネル放送[[Canal+]]がサービス開始{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|pp=218-222|loc=放送技術年表}}。 * 1988年 - 9月より、BBCが[[DVB-T]]形式による世界初の[[デジタルテレビ放送]]試験放送を開始。 * 1995年 - 7月、デジタルテレビ放送等のための映像・音声[[データ圧縮]]フォーマット基準[[MPEG-2]]が策定される{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|pp=218-222|loc=放送技術年表}}。 * 2009年 - 6月12日、アメリカ合衆国でほとんどのNTSC方式の放送停止。[[ATSC]]方式デジタルテレビ放送へ全面移行<ref name="USAstopNTSC" />。 ==== フランス ==== 上節ではヨーロッパ諸国とアメリカをごちゃまぜにして年表風に列挙したが、当時は現在のようにEUがあったわけではなくヨーロッパといっても国ごとに施策は異なっていたので、この節では一国の中だけで起きたことを時系列で、フランスを例にとり説明する(日本一国の中だけの出来事の説明は次の節で詳説するので、ここではまずフランス一国内の出来事についてまとめて理解できるように簡潔に説明する)。 [[フランス]]では1931年4月14日に電波で行うテレビ送受信のフランス初の実演が行われた。それまでは[[有線一般放送|有線]]での実演は行われたことはあったが電波を使うテレビの実演をするのはフランスでは初めてだった<ref>Christian Brochand, Histoire générale de la radio et de la télévision en France, tome I « 1921-1944», Documentation Française, 1994, p.692. </ref>。この実演を行ったのはフランスの技術者ルネ・バルテレミ([[:fr:René Barthélemy]])であり、800名の招待客を前にして2キロメートルほど離れた場所からマラコフ電気高等学校とモンルージュにある会社の研究所の間で映像を伝えた。1931年12月6日にはアンリ・ド・フランス([[:fr:Henri de France]])がテレビ放送会社 ラ・コンパニ・ジェネラル・ドゥ・テレヴィジオン(la Compagnie générale de télévision )社(CGT)を設立。1932年12月にはルネ・バルテレミがテレビカメラを発明し実験的な白黒放送番組「Paris Télévision」を毎週1時間放送し、これを受信するためのテレビ受像機がおよそ100台ほど用意された。そのほとんどは公開用テレビ受像機つまり個人が所有するものではなく公共の場に設置して皆で観るものだった。1935年4月26日にはフランスで初の公式テレビ放送を開始するとの宣言が当時のフランス郵政大臣のジョルジュ・マンデル([[:fr:Georges Mandel]])によって行われた。1935年11月17日には(前述の技術者)バルテレミが[[走査線]]の数を180本まで増やし解像度を上げるのに成功し、放送用送信機を[[エッフェル塔]]の先端に設置。1937年1月4日には毎晩20時から20時半のテレビ放送(レギュラー放送)が開始され、数百台のテレビ受像機が個人宅に設置された。 ==== 日本 ==== ===== 1940年代以前 ===== * 1931年 - [[日本放送協会]](省略NHK)[[NHK放送技術研究所|放送技術研究所]]でテレビの研究開始。 * 1932年 - 早大式は有線から無線電波式に改良された。 * 1933年 - 早大式に日本放送協会から多額の研究資金が提供され、同年秋に日本最初のテレビジョン研究室が同大学構内に建設された。 * 1934年 - この年の1月12日付の新聞で山本は「将来的に映画に匹敵する画質」「生中継ではなく、撮影を行い、適宜に編集を行った上で放送するようになる」と発言している。 * 1935年3月 - 5月まで横浜で開催された関東大震災復興記念横浜大博覧会にて、逓信省電気試験所の[[曽根有]](山本忠興門下)らが開発したテレビジョン電話試作機が展示された。テレビ電話の先駆けとなるこの機械は、双方の視線をちゃんと合わせる改良が施された後、1937年以降は大阪市立電気科学館に設置された。 * 1937年 - この頃から高柳がNHKに出向し、1940年に予定されていた東京オリンピックを見据えてのブラウン管式テレビジョン研究に参加する。 * 1939年 - 3月に日本でNHK放送技術研究所によるテレビ実験放送開始。5月13日には公開実験<ref>{{Cite video|和書|url=https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009060045_00000 |title=テレビジョン実験放送開始 -NHKアーカイブス(動画・静止画) |accessdate=2015-08-25}}</ref>。 * 1940年 - 4月13日、日本初の[[テレビドラマ]]「[[夕餉前]]」の実験放送。東京オリンピックは日中戦争激化の影響などを受けて中止となり、テレビジョン研究は中止され、技術者は無線通信やレーダーの開発を求められた。 * 1945年 - 敗戦直後、日本のテレビ研究が[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]により禁止される<ref name=okuda>{{Cite journal|和書|url=https://t2r2.star.titech.ac.jp/cgi-bin/publicationinfo.cgi?q_publication_content_number=CTT100725641 |format=PDF |title=冷戦期のアメリカの対日外交政策と日本への技術導入 : 読売新聞グループと日本のテレビジョン放送及び原子力導入 : 1945年~1956年 |accessdate=2021-02-25 |author=奥田謙造 |publisher=東京工業大学 |naid=500000404501 |date=2007-03-26}}</ref>。 * 1946年 - 高柳は弟子らと共に日本ビクターに入社しテレビジョンの研究を続けた。7月、テレビ研究禁止令が解除され、11月よりNHKが研究を再開した<ref name=okuda/>。 * 高柳が中心となりNHK、シャープ、東芝と共同でテレビジョン放送技術とテレビジョン受像機を開発した(後述)。 ===== 1950年代 ===== [[File:Gaitou tv.JPG|thumb|200px|昭和30年代の[[街頭テレビ]]の再現。(新横浜ラーメン博物館にて)]] [[ファイル:Old_tvset.jpg|200px|right|thumb|1955年 三菱電機TV受像機の広告]] [[File:Television penetration rate in Japan from 1957 to 2015.svg|250px|right|thumb|テレビの日本での世帯普及率の推移]] * 1950年 - 5月、[[電波法]]・[[放送法]]・[[電波監理委員会設置法]]の「電波3法」施行。 * 1951年 - GHQの要請により[[電波監理委員会]]メンバーが視察のため渡米<ref name=okuda/>。その後、アメリカから3人のコンサルタントが来日。軍事戦略のひとつとして占領国でのテレビ放送利用を重要視していたアメリカの圧力によりアメリカ式(NTSC方式)の技術標準が日本で採用される<ref name=okuda/>。 * 1952年 - 松下電器産業([[パナソニック]]の前身)が日本初の民生用テレビを発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://panasonic.jp/viera/history/1950.html |title=1950年代 日本のテレビ本放送スタート |accessdate=2018-05-28 |deadlinkdate=2021-02-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200411034006/panasonic.jp/viera/history/1950.html |archivedate=2020-04-11}}</ref>。 * 1953年(昭和28年) ** 1月 - [[シャープ]]が国産第1号のテレビ「TV3-14T」を発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://corporate.jp.sharp/info/history/only_one/av/av_w8.html |title=国産第1号テレビ |accessdate=2011-07-04}}</ref>。価格は175,000円。 ** 2月1日 - NHK東京テレビジョン([[呼出符号#放送|コールサイン]]JOAK-TV)のテレビ放送開始(日本初の地上波テレビ放送の開始)。 ** 8月28日 - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]](NTV、コールサインJOAX-TV)、テレビ放送開始([[民間放送]]初のテレビ放送の開始)。またこの日、日本初の[[コマーシャルメッセージ|テレビCM]]を放送する際、画面が裏返しに映る[[放送事故]]が発生した。 *: 当時の主な番組は[[大相撲]]、[[プロレス]]、[[日本プロ野球|プロ野球]]などのスポーツ中継や、記録映画など。 * 1954年 - 4月、[[日本電信電話公社|電電公社]]の整備による[[NTT中継回線#沿革|放送用無線中継回線]]が開通。 * 1955年 - 4月1日、[[ラジオ東京テレビ]](コールサインJOKR-TV)がテレビ放送開始。ラジオ局として発足した放送局による初のテレビ放送開始。[[TBSテレビ]]の前身。 ** 以降の民間放送開局年月日は[[民間放送#沿革]]参照。 ** 当時、白米10[[キログラム]]が約680円、銭湯の入浴料が約15円であったのに対し、テレビ受像機の価格は約20万〜30万円であり、一般人にとっては非常に高価であったため、多くの大衆は繁華街や主要駅などに設置された[[街頭テレビ]]、土地の名士などの一部の富裕世帯宅、客寄せにテレビを設置した飲食店などで番組を見ていた。 ** 7月 - NHK放送技術研究所、イメージオルシコンの国産化に成功。 * 1956年 - 12月、NHKのカラーテレビ実験放送開始([[極超短波|UHF]]帯を使用){{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|p=21}}。 * 1957年 - 12月28日、NHK東京・日本テレビがカラー試験放送開始([[超短波|VHF]]帯を使用)。 * 1958年 ** 1月23日 - [[日本民間放送連盟]](民放連)が「[[放送コード|放送基準]]」を制定{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|p=29}}。 ** 9月1日 - [[映画]]会社主要6社が、この日よりテレビ局への作品販売や所属[[俳優]]の派遣を完全に停止([[五社協定|六社協定]]){{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|p=23}}。この前後、各局では代替としてアメリカ製の[[テレビ映画]]を大量に輸入し、主力番組として放送した。この状況は1961年10月クールの週53作{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|p=33}}を最盛期に、1970年頃まで続き、高い人気を得た作品も少なくない。 ** 12月23日 - [[東京タワー]]からテレビ電波の送信開始{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|p=29}}。 ** この年、[[大阪テレビ放送]]が、世界ではじめて飛行中のヘリコプターからの生放送に成功。 * 1959年 ** 1月10日 - [[NHK教育テレビジョン]]開局。 *** この時期、[[教育放送|教育放送局]]、準教育放送局として開設される民間放送局が相次いだが、いずれものちに総合放送局に改組している。 ** 前年1958年からこの年にかけて多くのテレビ局が開設され、4月10日の[[皇太子]][[明仁|明仁親王]]御成婚の中継特別番組をきっかけにテレビ受像機が一般家庭に普及し始める。 ** 8月1日 - 上記の特別番組制作をきっかけにKRTなど16局が[[Japan News Network]](JNN)を形成。日本初の[[ニュース系列|ニュースネットワーク]]{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|pp=31-32}}(これ以外のネットワーク成立史については[[ニュース系列#歴史]]参照)。 ===== 1960年代 ===== [[File:Master room 1961-01.jpg|thumb|right|200px|1960年代の放送局の[[主調整室|主調整室(マスター室)]]]] * 1960年 - 9月10日から、カラーテレビ本放送開始(NHK東京・大阪の総合・教育両テレビ、日本テレビ、TBS、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]、[[朝日放送テレビ|朝日放送]])。これに合わせ、[[東京芝浦電気]](のちの東芝)<ref>{{Cite web|和書|url=https://toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/history/ichigoki/1960tv/index_j.htm#:~:text=2%E3%82%AB%E6%9C%88%E5%BE%8C%E3%81%AE1959,%E6%A9%9F%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E4%B8%96%E3%81%AB%E9%80%81%E3%82%8A%E5%87%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82 |title=東芝未来科学館:日本初のカラーテレビ受像機 |accessdate=2020-09-01}}</ref>と[[日立製作所]]、[[パナソニック|松下電器産業]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://panasonic.jp/viera/history/1960.html |title=1960年代 カラー放送スタート |accessdate=2018-05-28 |deadlinkdate=2021-02-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180528215916/https://panasonic.jp/viera/history/1960.html |archivedate=2018-05-28}}</ref>が国産カラーテレビを発売。 * 1961年 - 映画会社の[[新東宝]]倒産にともなってフィルムが放送業界に売り払われ、9月頃から順次テレビ放映される。事実上の六社協定(五社協定)の緩和{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|p=39}}。 * 1963年 ** 4月16日 - [[放送批評懇談会]]が発足。 ** 9月 - 難視聴地域[[共同受信施設]]設置事業者の[[郡上八幡テレビ]]が独自制作の番組を放送開始。日本初の[[ケーブルテレビ#コミュニティチャンネル(自主放送)|コミュニティチャンネル]]とされる。 ** 11月23日 - [[SNG (放送)|衛星中継回線]]を用いた初の日米同時放送(左記の日付は日本標準時)。アメリカ大統領[[ジョン・F・ケネディ]]の演説を放送する予定だったが、中継直前に起きた[[ケネディ大統領暗殺事件]]を伝えるニュース速報に差し替えられた{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|p=43}}。 * 1966年 - 3月、全国のすべてのテレビ局が回線上でカラー番組をやり取りできる態勢が確立{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|p=55}}。 * 1968年 - 2月20日、日本初のUHF局である[[NHK徳島放送局|NHK徳島教育テレビ]]が本放送開始{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|p=61}} * 1969年 - 日本のテレビ受像機生産台数が世界1位になる。 ===== 1970年代から1990年代 ===== * 1970年 - NHK、東京と大阪で[[NHK UHFテレビ実験局]]を開設、UHFテレビ放送の試験運用を開始(1975年4月まで)。 * 1972年 - [[有線テレビジョン放送法]]が成立。このあと、全国各地で[[ケーブルテレビ]]会社の設立が相次ぐ。 * 1973年 ** 10月 - 在京キー局において全番組のカラー化が完了{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|p=61}} ** 11月1日 - 教育放送局として開局した日本教育テレビ(のちの[[テレビ朝日]])と東京12チャンネル(のちの[[テレビ東京]])が総合テレビ局化。民間の教育放送局が消滅。 * 1978年 ** 4月8日 - 日本初の[[放送衛星]]、[[ゆり (人工衛星)#ゆり1号|ゆり1号]]打ち上げ成功。7月20日から[[衛星放送]]の試験放送を開始。 ** 9月28日 - 日本テレビが世界初の[[音声多重放送|音声多重実用化試験放送]]による[[ステレオ放送]]を開始{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|p=103}}。 * 1982年 - [[エプソン]]がテレビ付き腕時計「テレビウオッチ」を開発。 * 1983年 - エプソンが液晶ポケットカラーテレビ「ET-10」を開発。世界初の[[TFT液晶]]テレビ。 * 1984年 - 1月23日、放送衛星[[ゆり2号a]]打ち上げ成功{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|p=128}}。 * 1985年 - 11月29日、[[文字多重放送]]の本放送が開始{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|p=134}}。 * 1989年 - 6月1日、「ゆり2号a」を用いたNHK衛星テレビジョン([[NHK-BS]])が本放送を開始。日本初の衛星放送。 * 1990年 - 11月30日、日本初の民間衛星放送局である[[日本衛星放送]](JSB・WOWOW)が「[[ゆり3号a]]」を用いて試験放送を開始。翌年4月1日より有料の本放送を開始{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|pp=157, 160-161}}。 * 1992年 - 通信衛星を用いた初の「CS放送」として、5月に「[[SUPERBIRD|SUPERBIRD B1]]」による[[スカイポート]]が、10月に「[[JCSAT|JCSAT-2]]」による[[CS BAAN]]が、相次いで[[専門チャンネル]]の有料本放送を開始{{Sfn|伊予田|田村|八木|上滝|1998|pp=165}}。 ** これ以降の衛星放送の歴史については[[日本における衛星放送#歴史]]参照。 ===== 2000年代以降 ===== [[File:Victor Flat Vision AV-28AD1.jpg|thumb|200px|フラットハイビジョンブラウン管テレビ(2000年)]] [[File:Toshiba Regza S Series.jpg|thumb|200px|ハイビジョン液晶テレビ]] * 2003年 - 12月1日11時00分、[[東京]]、[[名古屋市|名古屋]]、[[大阪]]を中心に[[ISDB|ISDB-T]]方式による[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタルテレビ放送]]を開始。 * 2006年 - 4月1日11時00分、移動体受信機向けの地上デジタルテレビ放送、通称「[[ワンセグ]]」が29都府県で開始。 * 2011年 - 7月24日12時00分、[[東日本大震災]]の被災3県([[岩手県|岩手]]、[[宮城県|宮城]]、[[福島県|福島]])を除く44都道府県で地上アナログ放送終了。 * 2012年 - 3月31日12時00分、岩手、宮城、福島のアナログ放送が終了。日本全国でテレビ放送の完全デジタル化が完了し、1926年の開発開始から86年の歴史に幕を閉じた。 * 2015年 ** 7月1日 - [[東京メトロポリタンテレビジョン]](TOKYO MX)などが一部時間帯でインターネット[[サイマル放送|サイマル配信]]・[[エムキャス]]を開始。 ** 10月26日 - 在京民放キー局5局によるインターネットでの番組見逃し配信サービス、[[TVer]]開始。 * 2016年 - 4月11日、[[サイバーエージェント]]とテレビ朝日の出資による[[インターネットテレビ]]、[[AbemaTV]]開局。 * 2018年 - 12月1日、放送衛星による[[4K 8Kテレビ放送]]開始。 * 2020年 ** 3月1日 - NHKのインターネット常時同時サイマル配信サービス、[[NHKプラス]]開始。 ** 10月3日 - 日本テレビ系列が一部時間帯でインターネット[[サイマル放送|サイマル配信]]・日テレ系ライブ配信(現・[[日テレ系リアルタイム配信]])を開始。 {{-}} == テレビの技術 == <!-- ===テレビジョンの特許=== 本来、テレビジョンの[[特許]]は開発した日本が取っているはずだったが、開発者の[[高柳健次郎]]が特許を取らなかったため[[アメリカ]]に[[特許]]を取られる悲劇が起きた。 --> === 伝送方式 === 無線方式、有線方式、インターネット方式などがある。 無線方式はさらに、従来のアナログ方式と近年のデジタル方式がある。過渡期的なアナログとデジタルの両方を用いる方式もあった。 *アナログ放送:アナログ[[コンポジット映像信号]]をアナログ変調([[振幅変調#残留側波帯]]、VSB)で、アナログ音声信号はアナログの[[周波数変調]](FMラジオ放送と基本的に同様の方式)で伝送する放送方式(衛星放送は映像はFM、音声はデジタル)。カラー方式やパラメータでさらに細分化される。 *[[世界の放送方式]] **[[NTSC]] **[[PAL]] **[[SECAM]] **[[ハイビジョン#MUSE方式の概要|MUSE]]:アナログハイビジョンのディジタル圧縮アナログ伝送方式。 *デジタル放送:すべての映像・音声・付加情報を[[デジタル変調]]方式([[直交周波数分割多重方式|OFDM]]、Q[[位相偏移変調|PSK]]、[[直交振幅変調|QAM]]など)で伝送する放送方式。日本では[[ISDB]](統合デジタル放送)とも呼ばれる。 おおむね同様のことではあるが、伝送に地上の電波アンテナ(テレビ塔)を用いるかそれとも[[放送衛星]]を用いるか光ケーブル用いるか、などを軸にして大分類すると次のようになる。 *地上放送:地上の送信所から放送する放送方式。 **地上アナログ波テレビ放送(NTSC):日本では1953年から放送されていた方式で、50年以上この方式が続き、2011年7月24日に停波され(例外的に[[東日本大震災]]の被災3県では8か月遅れとなる2012年3月31日に停波となり)日本の「完全デジタル化」が完了した。 **[[地上デジタルテレビ放送]]:日本では2003年12月1日より本放送を開始した現在の方式。 *[[衛星放送]]:[[人工衛星]]([[放送衛星|直接放送衛星]](DBS)、[[通信衛星]](CS))から放送する放送方式。 *[[ケーブルテレビ]](CATV) *[[インターネット・テレビ]] : [[インターネット]]経由で映像および音響の信号の伝送を行うものであり、たとえば[[Netflix]]などのインターネット配信事業者の放送を受信するものや[[YouTube]]のチャネルなど。インターネットは[[インターネット・プロトコル・スイート]]で信号を伝送しているものであり、途中の物理的な経路(物理層)は限定されてはおらず、光ケーブルの場合もメタルケーブル(金属ケーブル)の場合も電磁波の場合もあり、途中で通信衛星を利用する場合もある。 === 放送機器 === ==== テレビ受信機 ==== [[TVチューナー]]のようなコンポーネント型の機器もあるが、基本的に複合型の機器が多い。 *[[テレビ受像機]] - いわゆる「テレビ」。[[受信機]]ないし[[TVチューナー]]と、[[ビデオモニター]]が一体化した機器。 *[[ビデオレコーダ]] - 家庭用のレコーダの大半がテレビ受信機能を持っており、放送映像の記録に便宜を図っている。 *[[TVチューナー]] ==== 送信所設備 ==== *[[テレビ送信機]] *テレビ送信[[アンテナ]] *[[STL (放送局)|STL]](Studio-Transmitter Link) ==== 演奏所設備 ==== [[File:111807y.jpg|thumb|250px|[[フォックス・ビジネス]]の[[主調整室]]]] 演奏所設備をスタジオ機器と言うこともある。この場合撮影スタジオに置かれる機器だけを指すのではなく局舎内の放送関連機器全般を指す。主な物を以下に示す。 *[[主調整室]](マスター) **マトリクススイッチャー(ルーティングスッチャー) **多重化装置([[多重化|MUX]]) **[[限定受信システム]] **データ放送システム **[[CMバンクシステム]] **[[自動番組制御装置]]([[APS]], [[APC]]) **番組バンクシステム **ビデオサーバ **[[ビデオテープレコーダ]] **[[緊急警報放送システム]] **回線システム *[[副調整室]](サブ) **[[映像編集#プロダクションスイッチャー|プロダクションスイッチャー]] **[[ビデオカメラ]] **[[スーパーインポーズ (映像編集)|テロップ挿入装置]] **照明装置 *営業放送システム *[[FPU (放送)|FPU]](Field Pickup Unit/マイクロ波中継装置) === 画質 === *[[標準テレビジョン放送]]([[SDTV]]) **従来のアナログテレビ放送([[NTSC]]・[[PAL]]・[[SECAM]]) **[[クリアビジョン]]([[EDTV]]):画質改良版NTSC放送。暗部画質の改善、重畳された[[ゴーストクリア基準信号]]を元に演算を行いゴーストを低減させる。 **[[ワイドクリアビジョン]](EDTV-II):画質改良版クリアビジョン放送。水平・垂直・時間軸の情報量を増やすことで画質を改善。16:9放送、NTSCと順次走査を両立。 *[[高精細度テレビジョン放送|高精細度テレビジョン放送(HDTV)]] **デジタルハイビジョン([[ISDB]]):日本で2000年12月1日より実施された衛星デジタル放送、2003年12月1日より実施された[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]におけるデジタル方式のHDTV放送方式の愛称。 **ハイビジョン:放送衛星による[[ハイビジョン#アナログハイビジョン|アナログ]](MUSE)方式のHDTV放送の愛称。日本で2007年9月30日に放送(番組送出)終了し、同年10月31日に完全停波となった。 === 音量 === *音量の平均化 **[[デジタルテレビ放送]]は[[ダイナミックレンジ]]が広く高品質な伝送が可能であり、[[コマーシャルメッセージ|CM]]放送時の[[音量]]が前後の番組より大きくなる場合があるとされるが、[[日本民間放送連盟]]は2012年10月1日から番組とCMの全体の音量を平均値として一致させる基準を採用する。CMと番組それぞれの[[音の大きさ]]として感じるラウドネスの[[数値]]をラウドネス[[計量器|メーター]]で測定し平均値を揃える<ref>[[読売新聞]] 2011年12月18日 首都圏12版37面「[[放送塔]]」</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2011-05|url=http://nab.or.jp/loudness/T032-2011.pdf|title=NAB技術規準、テレビ放送における音声レベル運用規準、T032‐2011|format=PDF|publisher=[[日本民間放送連盟]]|accessdate=2011-12-18|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120424234730/http://nab.or.jp/loudness/T032-2011.pdf|archivedate=2012-04-24}}</ref>。 === 付加情報 === *[[音声多重放送]]:[[ステレオ]]音声、あるいは2言語(例・日本語と英語)の音声を流す。[[識別信号|コールサイン]]はJOAX-TAM(日テレの場合)のように"''-TAM''"がつく。 *[[文字多重放送]]:画面上部の見えない部分([[垂直帰線期間]]内)に文字情報や簡易図形情報を重畳。コールサインはJOCX-TCM(フジの場合)のように"''-TCM''"がつく。 *[[クローズドキャプション]]:広義には文字多重放送全般。狭義には米国の文字放送のことで、中大型テレビには法律でデコーダの内蔵を義務づけられている。 *[[緊急警報放送|緊急警報放送システム]]:災害時に専用の受信機を起動、停止させる特殊信号。 === 視聴方法 === 放送の受信は[[アンテナ]]またはケーブルテレビ局などから信号を受け取り[[TVチューナー|チューナー]]で選局され映像信号に変えられて、テレビ受像機や[[DVDレコーダー]]等の録画機に導かれる(一般に録画機は再生機能も持つが、ここでは録画機と表記する)。 アナログ放送もデジタル放送も次の機能や機器によって受信し視聴や録画を行うのは同じことである。 *チューナーから映像・音声信号をテレビに接続し視聴する。 *チューナーから映像・音声信号を'''録画機'''を経由してテレビに接続し視聴、録画する。 *チューナーから映像・音声信号を'''録画機'''に接続し録画のみを行う。 *チューナー内蔵録画機から映像・音声信号をテレビに接続し視聴、録画する。 *チューナー内蔵テレビで直接視聴する。 *チューナー内蔵録画機で録画のみを行う。 かつては[[NTSC|地上アナログ放送]]専用の'''チューナー'''と呼ばれる単体商品も存在した。これは[[ゴースト障害|ゴースト]]キャンセル機能の強化や、[[音声多重放送|音声多重]]機能のないテレビやビデオデッキに対しその機能を提供する目的で製造されていた。エントリークラスでもテレビで5万円、家庭用ビデオデッキで10万円を下らなかった時期に登場したものだが、[[日本電気|NEC]]等1990年代に入っても生産していたメーカーも存在する。<!--その後の録画機器や薄型テレビ等の広い普及の後に、新たな[[地上デジタル放送]]が現れたのである{{要出典}}。--> == テレビ産業 == ;メディアとしてのテレビとそのコンテンツ 当記事の最初に説明されているように、「テレビジョン(テレビ)」の3番目の意味としてコミュニケーション媒体(メディア)としてのテレビという意味がある。 一般論として「メディア」という概念と関連付けられたり対比される概念に、各メディアで伝えられる内容つまり「[[コンテンツ]]」という概念があるわけだが、テレビジョンの場合のコンテンツというのは[[テレビ番組]]である。 どのようなテレビ番組を放送するかということに関しては[[テレビジョン放送局]]が決定する権限を持っているが、放送されるテレビ番組はどのように制作されているかというと、(一部に放送局内で制作される場合もありはするが)多くの場合実際にはテレビ番組を制作しているのは放送局自体ではなく、テレビ番組制作会社([[制作プロダクション]])という会社である。 例えば、[[NHK]]で放送されるテレビ番組を制作している会社に[[NHKエンタープライズ]]や[[NHKグローバルメディアサービス]]があり、[[TBSテレビ]]の関連テレビ番組制作会社に[[TBSスパークル]]や[[TBSアクト]]があり、[[テレビ朝日]]グループのテレビ番組制作会社に[[FLEX|フレックス]]や[[東京サウンドプロダクション]]がある。 === テレビ産業の職業 === テレビ産業にたずさわっている[[職業]]として次のような職業を挙げることができる。 *[[プロデューサー]] *[[ディレクター]] *[[アシスタントディレクター]] *[[放送作家]] *[[番組コーディネーター]] *[[カメラマン]] *[[照明]](照明スタッフ。ライティング) *[[音響]](音響さん) *出演者([[:en:Broadcaster]]、[[プレゼンター]]、[[アナウンサー]]、[[コメンテーター]]、ゲストなど) *[[テレビドラマ]]の制作スタッフ、テレビドラマ出演の[[俳優]] *[[アーチスト]] {{Seealso|[[スタッフ]]}} == 視聴時間 == 2005年度のフランス・カンヌで開催されたテレビ番組の国際見本市「MIPTV」で発表された統計によると、世界で最もテレビを見る時間が長いのは日本人で、1日のテレビ視聴時間は平均5時間1分だった。2位は米国で4時間46分。世界平均は米国より90分少ない。最下位は中国とスウェーデンの2時間30分だった。 === テレビ離れ === {{Main|テレビ離れ}} ; 日本 : NHKが行った「国民生活時間調査」によると、日本人のテレビ視聴時間は平均3時間、1日にテレビを視聴する人が国民全体で減少。特に16~19歳においては、1日にテレビを見る人が5割を下回り、約半分が「ほぼテレビを見ない」ことが分かった<ref>{{Cite web|和書|title=10~20代の約半分「ほぼテレビ見ない」。NHK調査 |url=https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1326218.html |website=AV Watch |date=2021-05-21 |access-date=2022-09-22 |language=ja |last=株式会社インプレス}}</ref>。 ; 米国 : 米国の大学生で1週間に10時間以上テレビを見る割合は17%。一方で1週間にインターネットを10時間以上利用する人の割合は43%だった<ref>米国調査会社MediaPostの調査による{{Full citation needed|date=2021-02}}</ref>。 == 身体と精神の健康に与える影響 == === 心疾患 === *オーストラリア、[[メルボルン]]のベーカーIDI心臓・糖尿病研究所のデビッド・ダンスタンによると、テレビの視聴が1日2時間未満の人と比べて、4時間以上の人は、あらゆる要因によって死亡する危険性が46%高い<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2681857?pid=5157038 |title=毎日4時間以上のテレビ視聴は死亡の危険性高い、豪研究 |newspaper=AFPBB News |accessdate=2010年7月18日}}</ref>。また、[[心疾患]]にかかる危険性は80%高い。また、小型モニターの長時間視聴は[[心臓]]の負担になる。調査は8,800人を対象に6年間にわたって行った。年齢や性別、喫煙、体重、運動などの影響は除かれている<ref>この研究結果は''Journal of the American Heart Association''{{Full citation needed|date=2021-02}}に掲載された。</ref>。 === 肥満・食生活 === *米国ハーバード公衆衛生大学栄養学部のフランク・B・ルー{{Efn|{{lang-en-short|Frank B. Lu}}}}らの研究グループが5万人以上の女性[[看護師]]を対象に行った2004年の調査によると、テレビの視聴時間が多いほど、肥満と糖尿病のリスクが高い<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkeibp.co.jp/archives/342/342081.html|title=「1日2時間以上のテレビ」で肥満の危険|publisher=nikkei BPnet|accessdate=2010-06-15|deadlinkdate=2021-02-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140410021718/http://www.nikkeibp.co.jp/archives/342/342081.html|archivedate=2014-04-10}}</ref>。一日の視聴時間が2時間増えるごとに、肥満の相対リスクは23%、2型糖尿病の発症は14%、統計的に有意に増える(95%信頼区間)。調査において、年齢、喫煙、飲酒、食事の影響は調整している。 *[[ハーバード大学]]医学部のソニア・A・ミラー{{Efn|{{lang-en-short|Sonia A. Miller}}}}によると、テレビを長く見る幼児ほど、食生活が悪い<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.healthdayjapan.com/index.php?option=com_content&task=view&id=101 |title=テレビの見すぎは幼児の食生活を悪化させる(2007.3.12掲載) |website=ヘルスデージャパン |accessdate=2010年7月21日 |deadlinkdate=2021-02-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100112205011/http://www.healthdayjapan.com/index.php?option=com_content&task=view&id=101 |archivedate=2010-01-12}}</ref>。研究結果では、テレビの視聴時間が1時間長くなる度に、1日の摂取カロリーが46カロリー増えていた。実際にテレビが食生活を悪くさせるのかどうかは明らかではないがソニア・A・ミラーは、コマーシャルやテレビを見ながらの食事が、悪い食生活を招くとしている。調査は平均年齢3歳の幼児を対象に行われ、母親達からテレビの視聴時間と食事内容を聞いた。 *カナダのトロント大学の栄養士ハービー・アンダーソン{{Efn|{{lang-en-short|Harvey Anderson}}}}による小児肥満症の研究において、子供がテレビを見ながら食事をすると肥満になる可能性が高まることが分かった。研究結果によると、テレビを見ながら昼食を食べる子供は、テレビを見ない子供に比べて228カロリー余分に多く摂取している<ref>{{Cite news|url=https://www.reuters.com/article/idUSPER95653920080709 |title={{lang|en|Turn off TV during meals or kids may get fat-study}} |newspaper=[[ロイター]] |accessdate=2010年6月14日}}</ref>。テレビを見ながら食事をすると、いつ食事を止めるべきかの判断力が奪われてしまうからである。 *テレビを見て過ごすことは、体重増加、過体重、肥満の危険因子として指摘されている<ref>{{Cite book|和書|url=https://www.wcrf.org/sites/default/files/SER-SUMMARY-(Japanese).pdf |title=「食物、栄養、身体活動とがん予防:世界的展望」要約~日本語翻訳版 |format=PDF |publisher=[[世界がん研究基金]]、[[米国がん研究機構]] |translator=廣畑富雄 |accessdate=2016-07-14}}</ref>。 *韓国のテレビ番組の実験ではテレビの視聴をやめることは、夫婦間の関係を改善するなどの利点があった<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2366631?pid=2752063 |title=テレビを消したら夫婦仲が改善、韓国の離島で実験 |newspaper=AFPBB News |accessdate=2010年6月15日}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.donga.com/jp/List/article/all/20080318/303348/1/ |title=テレビを消しただけで…「生活が楽しくなった」ある離島の実験 |newspaper=東亜日報 |accessdate=2010年6月19日}}</ref>。実験は、[[ケーブルテレビ]]の教育チャンネル「EBSテレビ」が韓国南部の離島、多浪島で3週間にわたって行った。同島の村に住む全28人の住民を対象に、各家庭には監視カメラを設置し、テレビの視聴を禁じた。実験終了後のアンケート調査では、大半の被験者は以前よりもテレビの視聴時間を減らし、読書や夫婦間の対話、宗教活動が増え、精神的に豊かになったと感じていた。 === 注意欠陥障害 === * [[ワシントン大学 (ワシントン州)|ワシントン大学]]小児科学部のディミトリ・クリスタキス博士によると、乳幼児期にテレビの視聴が多いほど、注意欠陥障害になる可能性が大きい<ref>{{Cite news|url=https://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/20040405000140 |title=TV見すぎると注意散漫/乳幼児期、米学会が報告 |publisher=四国新聞社 |accessdate=2021-02-25}}</ref>。1歳と3歳の2,623人を調査した。視聴時間が1時間増えるごとに、7歳時に注意欠陥障害になる可能性が10%増えた。 === 暴力の誘発 === *メアリー・G・バーク医学博士によると、テレビ、[[ビデオグラム|ビデオ]]、[[コンピュータ・ゲーム]]といった'''映像メディア'''と子供の行動の関係についての数々の研究において、映像メディアの視聴時間と子供の暴力性は関連があり<ref name="crn">{{Cite web|和書|url=https://www.crn.or.jp/LIBRARY/NEWS/2003/0307.HTM#1 |title=テレビと映像メディアが脳の発達に与える影響 |website=チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)|accessdate=2010年6月24日}}</ref>、映像メディアを見る時間が少ないほど子供の攻撃性は弱まる。映像メディアの過剰な視聴は子供の行動を堕落させることが示されている。過剰な映像メディアの視聴が原因で精神障害が起きたあるいは悪化した事例もあり、メアリー・G・バーク医学博士が治療に当たった6歳の子供は衝動的攻撃性を持ち、在学に支障を来すほど症状は深刻で、最初は[[注意欠陥・多動性障害]](ADHD)と診断された。この児童は就学前から毎日3、4時間テレビを見ていたが、見ていたのは一般向け番組だけであった。この児童は感情を表すことがなく、特に楽しいという気持ちが欠如していた。しかしバークが遊技治療を行い、6か月にわたりテレビ視聴時間を週4時間に減らした結果、この児童は喜びの感情を表すようになり、攻撃的な行動は減った<ref name="crn" />。 *日本の1998年の[[内閣府]]調査<ref name="cao-youth-kenkyu-tv">{{Cite web|和書|url=https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/tv/tv.htm |title=青少年とテレビ、ゲーム等に係る暴力性に関する調査研究の概要 |website=青少年育成ホームページ |accessdate=2010年7月6日}}</ref>では、テレビの暴力シーンを多く見る子供ほど暴力を振るいやすいなどといった影響があると結論づけている{{R|cao-youth-kenkyu-tv}}。調査対象となった子供は小学6年生と中学2年生、3,242人だった。この調査では、テレビの暴力シーンを見た量を「上位群」「中位群」「下位群」に分け、暴力シーンを多く見た量が多いほど、最近1年間で暴力行為を経験した子供の割合が多かった。一方、暴力被害に遭った子供の数は暴力シーンを見た量との関連は見られなかった。また[[非行]]・不良行為の経験と暴力シーンを見た量に関連が見られた。暴力シーンを見る量が多いほど非行・不良行為の経験をした子供の割合は多かった。「相手からやられたら、やりかえしてもよい」「男がケンカをするのはあたりまえだ」といった「暴力の許容性」についての調査は、調査項目7項目中5項目において、暴力シーンを見る量が多い子供ほど、暴力を許容する内容に賛成する子供の割合が多かった。「被害者への共感性」の調査では、暴力シーンを多く見る子供ほど、暴力被害者のつらさに対する共感性が低かった。また保護者への同[[内閣府]]調査で「[[Vチップ]]」制度について聞いたところ、「積極的に導入すべきである」と「導入を検討すべきである」を合わせて、父親が42%、母親が45%だった。「導入の必要はまったくない」と「あまり導入の必要はない」は、父親が46%、母親が34%だった。 {{See|Vチップ}} *科学誌[[サイエンス]]に載ったマックス・ワイス{{Efn|{{lang-en-short|Max Weis}}}}らの研究によると、テレビ番組で[[黒人差別]]をする発言があからさまに言われなくとも、テレビで描かれるふるまいや行動が、視聴者の黒人に対する差別的な見方や行動を生み出すという<ref>{{Cite web|url=http://www.sciencemag.jp/highlight/index.jsp?pno=190 |title={{lang|en|Science}} {{!}} ハイライト |publisher=サイエンスジャパン |accessdate=2010年6月18日 |deadlinkdate=2021-02-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110114040852/http://www.sciencemag.jp/highlight/index.jsp?pno=190 |archivedate=2011-01-14}}</ref>。バイスブーフ{{Efn|{{lang-de-short|Weisbuch}}}}らの研究では、偏見の非言語的な描写を含む番組を見る頻度と個人が持つ偏見に関連があることが分かった<ref>{{Cite journal|journal=[[サイエンス]] |volume=326 |issue=5960 |year=2009 |title=The Subtle Transmission of Race Bias via Televised Nonverbal Behavior |author1=Max Weisbuch |author2=Kristin Pauker |author3=Nalini Ambady |language=en |doi=10.1126/science.1178358}}</ref>。 === こどもへの影響 === 米国のこどもは1日平均3時間テレビを見ており、高校卒業までに合計3年間テレビ視聴に費やしていることになる<ref name="kodomo">{{Cite news|url=https://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/hotnews/archives/298860.html |publisher=日経メディカルオンライン |date=2004.03.30 |title=【ピックアップ】子どもたちへ、健康に悪いからテレビばかり見ないで |accessdate=2013-03-05 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150115050643/medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/hotnews/archives/298860.html |archivedate=2015-01-15}}</ref>。また近年は[[生活習慣病]]の低年齢化も進行しており、[[I型糖尿病]]だけでなく小児でも[[II型糖尿病]]が増加し、小児肥満も増加している<ref name="kodomo" />。米国の調査ではテレビの視聴時間が長い小児ほど肥満の率が高い<ref name="kodomo" />。テレビの長時間視聴によって運動時間が減り、野菜や果物の摂取量が少なくなるという報告がなされている<ref name="kodomo" />。[[コマーシャルメッセージ|CM]]や番組等での[[ハンバーガー]]や[[スナック菓子]]や[[ソフトドリンク]]の映像による刺激がそうした症状の原因のひとつともなっている<ref name="kodomo" />。[[エレン・ラペル・シェル]]は[[食品業界]]にとって小児が大きなターゲットとなっており「家族の食費の鍵を握るのは子供である」といっている<ref> エレン・ラペル・シェル著、栗木さつき訳「太りゆく人類 肥満遺伝子と過食社会」早川書房、2003年</ref>。 [[心理学者]]のAric Sigmanはテレビの視聴は子供の健康に悪影響を与え<ref name="eikoku">{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2184304?pid=1352241 |title=予想以上?テレビが及ぼす子供への悪影響 - 英国 |newspaper=AFPBB News |date=2007年02月20日 |accessdate=2010-06-14}}</ref>、幼児期におけるテレビの視聴が多いほど、睡眠時間も不規則になり、免疫システムにも悪影響をおよぼし<ref name="eikoku" />、[[自閉症]]や視力低下、肥満を引き起こす。また、テレビの視聴は[[ホルモン]]「[[メラトニン]]」の分泌を抑制し、その結果[[DNA]]変形を引き起こし、[[悪性腫瘍|癌]]の原因になる可能性がある<ref name="eikoku" />。そのため、3歳未満の子供はテレビを観るべきではないと言っている<ref>{{Cite news|url=https://www.telegraph.co.uk/news/uknews/1549500/Children-under-three-should-not-watch-TV.html |title=Children under three 'should not watch TV' |newspaper=Telegraph |accessdate=2010年6月14日}}</ref><ref name="eikoku" />。また毎日視聴する場合は[[アルツハイマー]]疾患の可能性も高くなる<ref name="eikoku" />。またテレビ視聴を減らすことで、[[国民健康保険制度]](National Health Service、NHS)の負担を減らすこともできると提言している<ref name="eikoku" />。 カナダの[[モントリオール大学]]と米国[[ミシガン大学]]の研究{{Efn|カナダの[[モントリオール大学]]、セント・ジャスティン大学病院研究センター、米国[[ミシガン大学]]の小児科専門医たちが、カナダのケベック州で生まれた1314人の子供を対象に行った研究}}では、幼児期にテレビを長時間見ていた子供は、学校での適応能力の欠如、いじめに遭いやすい、数学などの学力低下、運動不足、[[ジャンクフード]]の過食、肥満度([[ボディマス指数|BMI]])が高いといった問題が起きると発表した<ref>Pagani LS, Fitzpatrick C, Barnett TA, Dubow E. Prospective Associations Between Early Childhood Television Exposure and Academic, Psychosocial, and Physical Well-being by Middle Childhood. Arch Pediatr Adolesc Med. 2010;164(5):425–431. {{doi|10.1001/archpediatrics.2010.50}}</ref>。 [[日本小児科学会]]こどもの生活環境改善委員会は、乳幼児にテレビを長時間見せると、言語発達が遅れる危険性があるとして、2歳以下の子供にテレビを長時間見せないことを提言している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jpeds.or.jp/saisin.html#67 |title=乳幼児のテレビ・ビデオ長時間視聴は危険です |publisher=日本小児学会 |accessdate=2010年6月14日 |deadlinkdate=2021-02-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100510140952/http://www.jpeds.or.jp/saisin.html#67 |archivedate=2010-05-10}}</ref><ref name="medical">{{Cite web|和書|url=https://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/hotnews/archives/300721.html |newspaper=日経メディカルオンライン |date=2004.04.08 |title=「日本小児科学会が緊急提言 「乳幼児のテレビ・ビデオ長時間視聴は危険です」|accessdate=2013-03-05}}</ref>。同委員会によると、子供に知識を教えるためにテレビを見させる親もいるが、言語能力は大人との双方向の関わりが必要であり、一方的に聞くだけでは発達しない。同委員会の調査結果では、子供の長時間視聴は、1歳6か月の時点における意味のある言葉(有意語)の出現の遅れと関係があった<ref name="medical" />。 日本の[[文部科学省]]は2003年から2004年にかけての調査で[[TVゲーム]]が予想以上に暴力性を誘発すること、視力低下などは確認されたが、社会的不適応といった問題については有用性も認められるともし、今後、悪影響とよい影響の双方から多角的に研究すべきとした<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/ikusei/04033001/003.htm |archiveurl=https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8200945/www.mext.go.jp/a_menu/sports/ikusei/04033001/003.htm |archivedate=2013-03-06 |title=子どもとテレビゲーム」に関するNPO等についての調査研究-米国を中心に-(報告書概要) |accessdate=2013-03-05}}</ref>。 {{See|ゲーム脳}} アメリカの[[ランド研究所]]の研究によると、10代の男女は、性描写のあるテレビ番組を見る子供ほど[[妊娠]]する・させる可能性が高い{{Efn|論文執筆者は、行動学研究者のAnita Chandra。研究チームは12歳から17歳までの2000人を対象に聴き取り調査を行った。}}。また性描写を含むテレビ番組を最も多く見る子供は、最も見ない子供と比べて妊娠する・させる可能性が2倍だった<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2535238?pid=3494992 |title=性描写含むテレビ番組、10代の妊娠に影響 米研究 |newspaper=AFPBB News |accessdate=2010-06-16}}</ref>。 中国の「華西都市報」によると、14歳の少年がアニメ『[[トランスフォーマー]]』に影響されて[[ガソリン]]を5年間飲み続けていたことで、知能障害に陥っていることが分かった。同作品のキャラクターがガソリンの補給でパワーアップする姿に感化されたという。少年は以前、ガスを吸い込んでいたという経緯もあった<ref>{{Cite news|url=https://www.narinari.com/Nd/20090711987.html |title=「トランスフォーマー」に影響され5年間ガソリンを飲み続けた少年。 |newspaper=Narinari.com |accessdate=2010年6月29日}}</ref>。 === 行政の対応 === *[[鳥取県]][[西伯郡]][[南部町 (鳥取県)|南部町]]では、南部町教育振興会が毎月1日と15日に、テレビを見ないよう町民に呼びかける「町内一斉ノーテレビデー」キャンペーンを実施している<ref>{{Cite web|url=https://www.town.nanbu.tottori.jp/admin/kyouikuiinkai/17/ |title=「町内一斉ノーテレビデー」キャンペーン |website=鳥取県西伯郡・南部町(なんぶちょう)行政サイト |accessdate=2010-06-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20181231143751/https://www.town.nanbu.tottori.jp/admin/kyouikuiinkai/17/ |archivedate=2018-12-31 }}</ref>。生活習慣の改善や親子のふれあいを増やすことなどを目的としている。また、テレビを長時間視聴すると[[前頭葉]]が働かなくなり、怒りっぽくなったり、集中力や記憶力の低下などの症状がでると警告している。 == テレビに関する啓発映画 == 1950年代から1960年代にかけて、テレビの構造や原理などを紹介するための短編映画が2本制作されている。 一つは日本に於けるテレビ本放送が始まる前の年(1952年)に[[日本放送協会|NHK]]の協力を得て[[日映科学映画製作所]]が制作した『テレビジョン』で、テレビ(受像器)及びテレビカメラの原理の紹介の他、本放送開始を前にしてNHKのテレビ実験局で行われた[[スタジオ]]収録の様子なども紹介されている。 もう一つはカラー本放送開始の翌年(1961年)に松下電器産業(現・[[パナソニック]])の企画の下で東京シネマが制作した『電子の技術-テレビジョン』で、こちらはテレビを一電化製品として捉え、その原理や構造を細かく紹介しているほか、テレビの製造現場の様子も映し出されている。 これら2本の短編映画は、現在、[[科学映像館]](NPO法人・科学映像館を支える会)のWebサイト上に於いて無料公開されている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|25em}} == 参考文献 == *{{Cite book|和書|title=テレビ史ハンドブック 改訂増補版 |isbn=978-4426747015 |publisher=自由國民社 |year=1998 |series=総解説シリーズ |last1=伊予田 |first1=康弘 |last2=田村 |first2=穣生 |last3=八木 |first3=信忠 |last4=上滝 |first4=徹也 |last5=野田 |first5=慶人 |last6=煤孫 |first6=勇夫 |ref=harv}} == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|テレビ|[[ファイル:Crystal128-tv.svg|none|32px]]}} * [[薄型テレビ]] * [[機械式テレビジョン]] * [[放送法]] * [[有線テレビジョン放送|有線放送]] * [[インターネットテレビ]] * [[マルチメディア放送]] * [[SMPTE]] * [[欧州放送連合]] * [[全米放送事業者協会]] * {{lang|en|[[The Society for Information Display]]}} * [[アッシジのキアラ]] - テレビの[[守護聖人]] * [[世界テレビ・デー]] == 外部リンク == {{Sisterlinks|commons=Television}} * {{Wayback|url=https://www.nhk.or.jp/strl/aboutstrl/evolution-of-tv/index.html |title=テレビは進化する -日本放送技術発達小史- |date=20020414174831}}([[日本放送協会]] NHK) * [http://www.kingoftheroad.net/colorTV/index.html The Color Television Revolution] * テレビに関する啓発[[映画]](『[[科学映像館]]』より) ** [http://www.kagakueizo.org/movie/industrial/347/ 『テレビジョン』]《[https://www.youtube.com/watch?v=TdAV1ApSs2M →YouTube版]》 - 1952年、NHK協力、[[日映科学映画製作所]]制作 ** [http://www.kagakueizo.org/movie/industrial/303/ 『電子の技術-テレビジョン-]』]《[https://www.youtube.com/watch?v=AlvRzQr3ts4 →YouTube版]》 - 1961年、松下電器産業(現・[[パナソニック]])企画、東京シネマ制作 * 放送博物館所蔵資料([[NHK放送博物館]]Webサイトより) ** {{Wayback|url=https://www.nhk.or.jp/museum/book/kiki100sen04.html |title=テレビ受信機の資料一覧 |date=20070619091828}} ** {{Wayback|url=https://www.nhk.or.jp/museum/book/kiki100sen07.html |title=テレビカメラの資料一覧 |date=20070622012828}} * [http://konsu.sakura.ne.jp/whats/analogtv.html アナログ各TV方式のチャンネルと周波数対照表] (TV-FM DX) * [https://www.youtube.com/watch?v=n7T1TY6HbLQ Fernsehbildmaschine von Peter Schmalenbach]<!-- Television with 4 rotating LED - Strips -->(ドイツ語?、英語字幕、[[YouTube]]) * [https://j-ba.or.jp/index.php 日本民間放送連盟のサイト]([[日本民間放送連盟]]) * [https://www.ite.or.jp/ 映像情報メディア学会のサイト]([[映像情報メディア学会]]) * [https://www.bpo.gr.jp/ 放送倫理番組向上機構のサイト]([[放送倫理番組向上機構]]) * {{Wayback|url=https://www.nhk.or.jp/archives/search/special/comic/?movie#vol05 |title=それは「イ」の字から始まった 〜テレビのはじまり〜 - マンガで読むNHKヒストリー |date=20150927095703}} * {{Kotobank|テレビ放送}} {{Telecommunications}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:てれひ}} [[Category:テレビ|*てれひ]]
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テレビ番組
テレビ番組(テレビばんぐみ)は、テレビジョン放送によって送られるコンテンツ(番組)の総称のことである。 テレビ番組の内容は、きわめて多岐にわたり、また、放送局の性格によっても異なる。地上波放送は総合編成、衛星放送は専門店型編成(専門チャンネル)が一般に見られる。 具体的なテレビ番組の名称については、テレビ番組一覧を参照のこと。 放送法5条では、「放送番組の種別」は「教養番組、教育番組、報道番組、娯楽番組等」としている。また106条では、各放送事業者において、各種別の「相互の間の調和」が義務付けられている。 そして、法107条では、各テレビ局は「放送番組の種別の基準」を定めて公表することが義務付けられている。日本放送協会(NHK)では「等」を除いた各4種、民間放送テレビ各局では4種に「通信販売」と「その他」を加えた6種(例→)を公表のための分類目安としている。 なお、教養番組と教育番組については法2条に内容の定義があるが、報道番組と娯楽番組についての定義はなく、この「放送番組の種別の基準」の自主公表に委ねられている。 この公表では、1つの番組が上記4種ないし6種のいずれか複数を兼ねている場合が通例である。2020年4月期の日本テレビを例に取ると、『ZIP!』『情報ライブ ミヤネ屋』は娯楽・報道・教養・教育のいずれの種別にも属する番組として、『それいけ!アンパンマン』は娯楽・教養に属する番組としてそれぞれ公表されている。 上記の放送法に基づく種別公表や、視聴率調査のための分類(後述)など、テレビ番組の分類項目の設定は重要な事業として行われている。 それらの分類は、あらかじめ項目を決めてから全番組をいずれかに分けるような方法をとるのではなく、いくつかの似た複合的性質をもった番組を、一つの種別としてカテゴライズするような形で行われる場合がある。結果、よく似た構成の番組が複数の分類にまたがって属したり、分類する者によって分類先が異なったりする。 たとえば、タレントが教科書から出る試験問題をクイズとして解くという内容の番組がある場合、それは細分的にはクイズ番組であるが、上記の法的に義務づけられた分類種別公表の場合は「クイズ」という主要構成に注目して「教養番組」と分類する場合も考えうるし、出演者である「タレント」に注目して「バラエティ番組=娯楽番組」と分類する場合も考えうるし、「教科書から出る試験問題」に注目して放送対象を重視し、青少年向け「教育番組」と分類する場合も考えうる。 また、これまでに設定された項目のどれにも属さない番組が生まれた場合でも、項目の増加や拡大は、統計に困難をきたすために行えないことから、結果としてしっくりこない場所に分類されることもある。 NHK教育テレビジョンの番組に代表される、あらゆる世代向けの教育をおこなう番組。 全国向けのものと、地域向けのものがある。多くのテレビ局ではニュース番組を報道局が制作する。映像で即時的に情報を伝えるテレビの特性から、しばしばニュースの現場からの中継放送が行われる。 1950年代前半に日本で民放テレビ放送を開始するとともに、各地で次第に地方局の相次ぐ開局、特に平成新局の開局ラッシュにより、放送対象地域も拡大されるようになったが、今なお「地上波の民放」による「民放テレビ番組」の完全な形での全国(同時)放送は実現していない。これは公共放送であるNHKが放送法により日本全国をくまなくカバーすることが義務付けられているのに対し、民放各局にはそれがないためである。 また、2000年に各キー局の子会社で個別にBSデジタル放送局(BS日テレ、BS朝日、BS-TBS、BSジャパン、BSフジ)が開局したことで、地上波では不可能な「民放テレビ番組の全国放送」も可能と期待されていたにもかかわらず、BSデジタル放送において著作権管理団体(日本音楽事業者協会・日本音楽著作権協会(JASRAC)など)との権利処理などの理由から、各系列とも「地上波/BSとの同時ネットもしくは遅れネット」を行っている番組が少ないのが現状である。 それを裏付けるかのように、日本テレビのアニメや各コンテンツ事業を統括する、元アナウンサーの船越雅史は「テレビ局にとっての最強のコンテンツは、地上波放送の番組」と発言している。 キー局の中でも特にテレビ東京は系列局がテレビ東京を含めて6局のみと他系列に比べて圧倒的に少なく(4大ネットワークで最も少ないテレビ朝日系列でも計24局と、その差は4倍である)、大都市圏と地方の格差を拡大する要因の1つとなっている。「系列局がない地域」の地方局や、中京・関西圏(両地域はいずれも系列局が県域放送のため、広域圏全域をカバーできない)の独立局向けに番販ネットする番組もあるが、それも一部に留まっている。また番組によっては一部系列局のみの放送に留まっているものも少なくない。 2007年に大阪府域局であるテレビ大阪の京都府・兵庫県全域への放送エリア拡大や、宮城県・静岡県・広島県への系列局開局構想を当時の社長が発表したが、その後具体的な進展はない。 毎日放送(MBS)の東京支社テレビ編成部に所属し、現在は同局のテレビアニメなどを担当する丸山博雄は、「テレビ番組は受動的なメディア」「テレビは偶発性を帯びた媒体」と評した上で、「偶然見た番組が視聴者を魅了する可能性を秘めている」「テレビで連続放送する事で「出会い」の機会を作り出す」と語り、能動的に視聴する傾向が強いインターネット番組との大きな違いを主張している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "テレビ番組(テレビばんぐみ)は、テレビジョン放送によって送られるコンテンツ(番組)の総称のことである。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "テレビ番組の内容は、きわめて多岐にわたり、また、放送局の性格によっても異なる。地上波放送は総合編成、衛星放送は専門店型編成(専門チャンネル)が一般に見られる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "具体的なテレビ番組の名称については、テレビ番組一覧を参照のこと。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "放送法5条では、「放送番組の種別」は「教養番組、教育番組、報道番組、娯楽番組等」としている。また106条では、各放送事業者において、各種別の「相互の間の調和」が義務付けられている。", "title": "テレビ番組の分類" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "そして、法107条では、各テレビ局は「放送番組の種別の基準」を定めて公表することが義務付けられている。日本放送協会(NHK)では「等」を除いた各4種、民間放送テレビ各局では4種に「通信販売」と「その他」を加えた6種(例→)を公表のための分類目安としている。", "title": "テレビ番組の分類" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "なお、教養番組と教育番組については法2条に内容の定義があるが、報道番組と娯楽番組についての定義はなく、この「放送番組の種別の基準」の自主公表に委ねられている。", "title": "テレビ番組の分類" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "この公表では、1つの番組が上記4種ないし6種のいずれか複数を兼ねている場合が通例である。2020年4月期の日本テレビを例に取ると、『ZIP!』『情報ライブ ミヤネ屋』は娯楽・報道・教養・教育のいずれの種別にも属する番組として、『それいけ!アンパンマン』は娯楽・教養に属する番組としてそれぞれ公表されている。", "title": "テレビ番組の分類" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "上記の放送法に基づく種別公表や、視聴率調査のための分類(後述)など、テレビ番組の分類項目の設定は重要な事業として行われている。", "title": "テレビ番組の分類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "それらの分類は、あらかじめ項目を決めてから全番組をいずれかに分けるような方法をとるのではなく、いくつかの似た複合的性質をもった番組を、一つの種別としてカテゴライズするような形で行われる場合がある。結果、よく似た構成の番組が複数の分類にまたがって属したり、分類する者によって分類先が異なったりする。", "title": "テレビ番組の分類" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "たとえば、タレントが教科書から出る試験問題をクイズとして解くという内容の番組がある場合、それは細分的にはクイズ番組であるが、上記の法的に義務づけられた分類種別公表の場合は「クイズ」という主要構成に注目して「教養番組」と分類する場合も考えうるし、出演者である「タレント」に注目して「バラエティ番組=娯楽番組」と分類する場合も考えうるし、「教科書から出る試験問題」に注目して放送対象を重視し、青少年向け「教育番組」と分類する場合も考えうる。", "title": "テレビ番組の分類" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "また、これまでに設定された項目のどれにも属さない番組が生まれた場合でも、項目の増加や拡大は、統計に困難をきたすために行えないことから、結果としてしっくりこない場所に分類されることもある。", "title": "テレビ番組の分類" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "NHK教育テレビジョンの番組に代表される、あらゆる世代向けの教育をおこなう番組。", "title": "テレビ番組の種別" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "全国向けのものと、地域向けのものがある。多くのテレビ局ではニュース番組を報道局が制作する。映像で即時的に情報を伝えるテレビの特性から、しばしばニュースの現場からの中継放送が行われる。", "title": "テレビ番組の種別" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1950年代前半に日本で民放テレビ放送を開始するとともに、各地で次第に地方局の相次ぐ開局、特に平成新局の開局ラッシュにより、放送対象地域も拡大されるようになったが、今なお「地上波の民放」による「民放テレビ番組」の完全な形での全国(同時)放送は実現していない。これは公共放送であるNHKが放送法により日本全国をくまなくカバーすることが義務付けられているのに対し、民放各局にはそれがないためである。", "title": "日本の地上波での民放テレビ番組の地域格差の諸問題" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "また、2000年に各キー局の子会社で個別にBSデジタル放送局(BS日テレ、BS朝日、BS-TBS、BSジャパン、BSフジ)が開局したことで、地上波では不可能な「民放テレビ番組の全国放送」も可能と期待されていたにもかかわらず、BSデジタル放送において著作権管理団体(日本音楽事業者協会・日本音楽著作権協会(JASRAC)など)との権利処理などの理由から、各系列とも「地上波/BSとの同時ネットもしくは遅れネット」を行っている番組が少ないのが現状である。", "title": "日本の地上波での民放テレビ番組の地域格差の諸問題" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "それを裏付けるかのように、日本テレビのアニメや各コンテンツ事業を統括する、元アナウンサーの船越雅史は「テレビ局にとっての最強のコンテンツは、地上波放送の番組」と発言している。", "title": "日本の地上波での民放テレビ番組の地域格差の諸問題" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "キー局の中でも特にテレビ東京は系列局がテレビ東京を含めて6局のみと他系列に比べて圧倒的に少なく(4大ネットワークで最も少ないテレビ朝日系列でも計24局と、その差は4倍である)、大都市圏と地方の格差を拡大する要因の1つとなっている。「系列局がない地域」の地方局や、中京・関西圏(両地域はいずれも系列局が県域放送のため、広域圏全域をカバーできない)の独立局向けに番販ネットする番組もあるが、それも一部に留まっている。また番組によっては一部系列局のみの放送に留まっているものも少なくない。", "title": "日本の地上波での民放テレビ番組の地域格差の諸問題" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "2007年に大阪府域局であるテレビ大阪の京都府・兵庫県全域への放送エリア拡大や、宮城県・静岡県・広島県への系列局開局構想を当時の社長が発表したが、その後具体的な進展はない。", "title": "日本の地上波での民放テレビ番組の地域格差の諸問題" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "毎日放送(MBS)の東京支社テレビ編成部に所属し、現在は同局のテレビアニメなどを担当する丸山博雄は、「テレビ番組は受動的なメディア」「テレビは偶発性を帯びた媒体」と評した上で、「偶然見た番組が視聴者を魅了する可能性を秘めている」「テレビで連続放送する事で「出会い」の機会を作り出す」と語り、能動的に視聴する傾向が強いインターネット番組との大きな違いを主張している。", "title": "テレビ番組の存在意義" } ]
テレビ番組(テレビばんぐみ)は、テレビジョン放送によって送られるコンテンツ(番組)の総称のことである。
{{pp-vandalism|small=yes}} [[Image:MDR Kripo live.jpg|thumb|[[生放送]]テレビ番組のセットと[[テレビカメラ|カメラ]]]] '''テレビ番組'''(テレビばんぐみ)は、[[テレビジョン放送]]によって送られる[[コンテンツ]]([[番組]])の[[総称]]のことである。 == 概要 == テレビ番組の内容は、きわめて多岐にわたり、また、[[放送局]]の[[性格]]によっても異なる。[[地上波]][[放送]]は総合編成、[[衛星放送]]は専門店型編成([[専門チャンネル]])が一般に見られる。 具体的なテレビ番組の[[名前|名称]]については、[[日本のテレビ番組一覧|テレビ番組一覧]]を参照のこと。 == テレビ番組の分類 == === 放送法によるテレビ番組分類 === 放送法5条では、「放送番組の種別」は「[[教養番組]]、[[教育番組]]、[[報道番組#放送法上の種別としての「報道番組」|報道番組]]、[[娯楽番組]]等」としている。また106条では、各[[放送事業者]]において、各種別の「相互の間の調和」が義務付けられている。 そして、法107条では、各[[テレビジョン放送局|テレビ局]]は「放送番組の種別の基準」を定めて公表することが義務付けられている。[[日本放送協会]](NHK)では「等」を除いた各4種<ref>[https://www.nhk.or.jp/info/pr/syubetsu/assets/pdf/001.pdf 国内放送番組の種別の基準] 日本放送協会</ref>、[[民間放送]]テレビ各局では4種に「[[通信販売]]」と「[[その他]]」を加えた6種(例→<ref>[https://www.ntv.co.jp/shinsa/program.html 放送番組の種別] [[日本テレビ放送網]]</ref><ref>[https://www.ytv.co.jp/corp/action/category/ 放送番組の種別の基準] [[讀賣テレビ放送]]</ref>)を公表のための分類目安としている。 なお、教養番組と教育番組については法2条に内容の定義があるが、報道番組と娯楽番組についての定義はなく、この「放送番組の種別の基準」の自主公表に委ねられている。 この公表では、1つの番組が上記4種ないし6種のいずれか複数を兼ねている場合が通例である。[[2020年]]4月期の[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]を例に取ると、『[[ZIP!]]』『[[情報ライブ ミヤネ屋]]』は娯楽・報道・教養・教育のいずれの種別にも属する番組として、『[[それいけ!アンパンマン]]』は娯楽・教養に属する番組としてそれぞれ公表されている<ref>[https://www.ntv.co.jp/shinsa/pdf/202004.pdf 2020年4月期基本 番組種別] 日本テレビ放送網</ref>。 === その他のテレビ番組分類 === 上記の放送法に基づく種別公表や、[[視聴率]]調査のための分類(後述)など、テレビ番組の分類項目の設定は重要な事業として行われている。 それらの分類は、あらかじめ項目を決めてから全番組をいずれかに分けるような方法をとるのではなく、いくつかの似た複合的性質をもった番組を、一つの種別としてカテゴライズするような形で行われる場合がある。結果、よく似た構成の番組が複数の分類にまたがって属したり、分類する者によって分類先が異なったりする。 たとえば、[[タレント]]が教科書から出る試験問題を[[クイズ]]として解くという内容の番組がある場合、それは細分的には[[クイズ番組]]であるが、上記の法的に義務づけられた分類種別公表の場合は「[[クイズ]]」という主要構成に注目して「教養番組」と分類する場合も考えうるし、出演者である「タレント」に注目して「[[バラエティ番組]]=娯楽番組」と分類する場合も考えうるし、「教科書から出る試験問題」に注目して放送対象を重視し、青少年向け「教育番組」と分類する場合も考えうる。 また、これまでに設定された項目のどれにも属さない番組が生まれた場合でも、項目の増加や拡大は、統計に困難をきたすために行えないことから、結果としてしっくりこない場所に分類されることもある。 * かつて、[[日本民間放送連盟]][[番組基準|放送基準]]では、番組種別をニュース番組、政治番組、社会公共番組、[[宗教番組]]、[[子供番組|児童向け番組]]、教育番組、娯楽番組に細分し、各局は放送番組種別公表のために、これを準用していた<ref>{{ws|[[s:日本民間放送連盟放送基準 (昭和26年)|日本民間放送連盟放送基準 (昭和26年)]]}} 底本:日本新聞年鑑1954年版(パブリックドメイン)</ref>。のちに改正され、この条文はなくなっている。 * [[デジタル放送の一覧|デジタル放送]]規格では、番組種別を含む番組情報をつけて放送できる。これは[[電子番組ガイド|EPG]]上で確認可能である。規格では、番組は「[[ニュース]]/報道」「[[スポーツ番組|スポーツ]]」「[[情報番組|情報]]/[[ワイドショー]]」「[[テレビドラマ|ドラマ]]」「[[音楽番組|音楽]]」「[[バラエティ番組|バラエティ]]」「[[映画]]」「[[テレビアニメ|アニメ]]/[[特撮]]」「[[ドキュメンタリー]]/教養」「[[舞台芸術|劇場/公演]]」「[[趣味番組|趣味]]/教育」「[[福祉]]」および「その他」の大分類がなされ、さらに各大分類内で最大16種類の中分類に分かれる。 * [[視聴率]]調査を行う株式会社[[ビデオリサーチ]]では、番組を「[[ニュース|報道]]」「教育・教養・[[実用]]」「音楽」「ドラマ」「アニメ」「映画」「スポーツ」「[[バラエティ番組|その他の娯楽番組]]」に分類している。種目別視聴率ベスト10などはこの分類によって行われる。 == テレビ番組の種別 == {{see also|:Category:テレビ番組のジャンル}} === 放送内容による分類 === ==== 教養番組 ==== {{see also|教養番組}} * [[宗教番組]] * [[法律番組]] * [[環境番組]] * [[生活情報番組]] ** [[料理番組]] * [[紀行番組]]/[[旅番組]] ** [[グルメ番組]] * [[人生相談#テレビ|人生相談番組]] ==== 教育番組 ==== {{see also|教育番組}} [[NHK教育テレビジョン番組一覧|NHK教育テレビジョン]]の番組に代表される、あらゆる世代向けの[[教育]]をおこなう番組。 * 幼児・未就学児童向け番組([[幼稚園]]・[[保育所]]向け番組) * [[学校放送]]番組 * [[通信教育#日本|通信講座番組]] * [[語学番組]] ==== 報道番組 ==== {{see also|報道番組}} 全国向けのものと、地域向けのものがある。多くのテレビ局ではニュース番組を[[報道局]]が制作する。映像で即時的に情報を伝えるテレビの特性から、しばしばニュースの現場からの[[中継放送]]が行われる。 * [[ストレートニュース]] ** [[スポットニュース]] * ニュースショー - 事実の報道に加え、[[ニュースキャスター]]やゲスト出演者によるコメントが行われる。 * [[天気予報]] * [[交通情報]] * [[国会中継]] * [[政見放送]] * [[報道特別番組]] ===== 情報番組 ===== {{see also|情報番組}} * [[地域情報番組]] * [[プレイガイド]]情報番組 * [[番宣番組]] * [[自己批評番組]] * [[政府広報#政府広報番組|政府広報番組]] * 各自治体の[[:Category:行政広報番組|行政広報番組]] ==== 娯楽番組 ==== {{see also|娯楽番組}} * [[スポーツ番組]] ** [[スポーツ中継]] * 映画番組 - 国内外の[[映画|劇映画]]を放送する番組。番組本編の冒頭や最後に映画評論家などの司会者兼解説者が出演する場合もある。日本で海外の映画を放送する場合は[[音声多重放送]]による[[二ヶ国語放送]]を実施し、主音声では[[声優]]による日本語[[吹き替え]]版、副音声で原語版を放送するのが一般的である。 * [[テレビドラマ]] ** [[テレビ映画]] ** [[時代劇#テレビ時代劇|テレビ時代劇]] ** [[海外ドラマ]] * [[音楽番組]] ** [[カウントダウン番組]] ** [[カラオケ|カラオケ番組]] - ビデオリサーチではバラエティ扱い。 * [[トーク番組]] - ビデオリサーチではバラエティ扱い。 ** [[討論番組]] * [[テレビアニメ]] * [[お笑い番組]] - ビデオリサーチではバラエティ扱い。 ** [[演芸]]番組 ** [[コント]]番組 ** [[物真似|ものまね]]番組 ** [[ドッキリ]]番組 - ビデオリサーチではバラエティ扱い。 * [[ゲーム番組]] * [[お色気番組]] * [[リアリティ番組]] ==== 複合的な内容を持つ番組 ==== * [[ドキュメンタリー]]番組 - 教養・教育番組の要素を持つ場合と、報道番組の要素を持つ場合がある。後者の場合、あるニュースについて速報性よりも掘り下げた取材を重んじる。 ** [[ドキュメンタリードラマ]] * [[スポーツニュース]] * [[ワイドショー]] * [[ランキング番組]] * [[バラエティ番組]] - [[多様性|バラエティ]]とはあらゆる要素の複合の意味。 ** [[クイズ番組]] - 最近{{いつ|date=2019年1月}}では高い教養を問う番組と、珍回答を示すことで笑いを誘うことを目的とした番組に二極分化しつつある。 ** [[ドキュメントバラエティ]] ** [[恋愛バラエティ番組]] * [[テレビショッピング]] === 放送対象による分類 === ==== 児童向け番組 ==== {{see also|子供番組}} * [[児童向けドラマ]] ** [[特撮テレビ番組一覧|特撮番組]] * 児童向け報道番組 - ニュースを子供にわかりやすく説明する番組。大人にも有用。[[日本放送協会|NHK]]の『[[週刊こどもニュース]]』や[[北陸朝日放送]]の『[[KIDS NEWS]]』などがあったが、現在は放送されていない。 === 放送方法・編成による分類 === * [[生放送]]番組 * [[収録]]番組 * [[再放送]]番組 * [[ネット番組|全国ネット番組]] * [[ローカル番組]]/[[自社制作|自社制作番組]] * [[帯番組]] * [[コンプレックス (番組形式)|コンプレックス番組]] * [[特別番組]] ** [[代替番組]] ** [[年越し番組]] * [[インフォマーシャル]] * [[フィラー#放送|フィラー番組]] * [[ガイド (テレビ放送)|ガイド枠]] === 放送時間の長さによる分類 === * [[ミニ番組]] * [[ワイド番組]] ** [[ローカルワイド番組]] * [[スローテレビ]] === 放送時刻による分類 === {{see also|テレビ放送枠}} * [[朝の情報番組]] * [[夕方ワイド番組]] * [[深夜番組]] === その他の分類 === * [[視聴者参加型番組]] ** [[公開放送]] ** [[ゴングショー]] ** [[双方向番組]] * [[チャリティー#チャリティー番組|チャリティ番組]] == 日本の地上波での民放テレビ番組の地域格差の諸問題 == {{see also|情報格差#放送格差(日本)}} [[1950年代]]前半に日本で[[民間放送|民放]]テレビ放送を開始するとともに、各地で次第に[[ローカル局|地方局]]の相次ぐ開局、特に[[平成新局]]の開局ラッシュにより、放送対象地域も拡大されるようになったが、今なお「[[地上波]]の民放」による「民放テレビ番組」の完全な形での[[全国放送|全国(同時)放送]]は実現していない。これは[[公共放送]]である[[日本放送協会|NHK]]が[[放送法]]により日本全国をくまなくカバーすることが義務付けられているのに対し、民放各局にはそれがないためである。 また、[[2000年]]に各キー局の子会社で個別にBSデジタル放送局([[BS日本|BS日テレ]]、[[BS朝日]]、[[BS-TBS]]、[[BSテレビ東京|BSジャパン]]、[[BSフジ]])が開局したことで、地上波では不可能な「民放テレビ番組の全国放送」も可能と期待されていたにもかかわらず、BSデジタル放送において[[著作権]]管理団体([[日本音楽事業者協会]]・[[日本音楽著作権協会]](JASRAC)など)との権利処理などの理由から、各系列とも「地上波/BSとの同時ネットもしくは遅れネット」を行っている番組が少ないのが現状である。 それを裏付けるかのように、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]のアニメや各[[コンテンツ]]事業を統括する、元[[アナウンサー]]の[[船越雅史]]は「'''テレビ局にとっての最強のコンテンツは、地上波放送の番組'''」と発言している<ref>[http://toyokeizai.net/articles/-/32911?page=2 日テレが、Hulu買収で仕掛ける「動画革命」船越雅史・コンテンツ事業部長に聞く(上)(2/4)] [[東洋経済新報社|東洋経済]]オンライン 2014年3月14日、2015年4月9日閲覧。</ref>。 === テレビ東京系列 === [[キー局]]の中でも特に[[テレビ東京]]は[[TXN|系列局]]がテレビ東京を含めて6局のみと他系列に比べて圧倒的に少なく(4大ネットワークで最も少ない[[All-nippon News Network|テレビ朝日系列]]でも計24局<ref group="注釈">[[クロスネット局]]を含めると、計26局となる。</ref>と、その差は4倍である)、大都市圏と地方の格差を拡大する要因の1つとなっている。「系列局がない地域」の地方局や、中京・関西圏(両地域はいずれも系列局が[[県域放送]]のため、[[広域放送|広域圏]]全域をカバーできない<ref group="注釈">特にテレビ大阪の場合、関西圏の主要[[政令指定都市]]である[[神戸市]]や[[京都市]]でも受信困難な地域が多数ある。</ref>)の独立局向けに[[番組販売|番販]]ネットする番組もあるが、それも一部に留まっている。また番組によっては一部系列局のみの放送に留まっているものも少なくない。 [[2007年]]に[[大阪府]]域局である[[テレビ大阪]]の[[京都府]]・[[兵庫県]]全域への放送エリア拡大や、[[宮城県]]・[[静岡県]]・[[広島県]]への系列局開局構想を当時の社長が発表したが、その後具体的な進展はない<ref name="">[https://www.excite.co.jp/news/article/E1450928022018/?p=5 なぜテレビ東京系は広島や仙台で視聴できないのか] exciteコネタ 2015年12月26日、同31日閲覧。</ref>。 == テレビ番組の存在意義 == [[毎日放送]](MBS)の東京支社[[MBSテレビ|テレビ]]編成部に所属し、現在は同局の[[テレビアニメ]]などを担当する[[丸山博雄]]は、「テレビ番組は受動的なメディア」「テレビは偶発性を帯びた媒体」と評した上で、「偶然見た番組が視聴者を魅了する可能性を秘めている」「テレビで連続放送する事で「出会い」の機会を作り出す」と語り、能動的に視聴する傾向が強い[[インターネット]]番組との大きな違いを主張している<ref>[http://ascii.jp/elem/000/000/677/677980/index-3.html 渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」 ― 第25回「まどマギ」「タイバニ」テレビ局から見たヒットの背景【前編】(3/6)] ASCII.jp 2012年3月19日、2015年4月20日閲覧。</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|テレビ|[[画像:Crystal128-tv.svg|none|40px]]}} {{ウィキプロジェクトリンク|放送番組|[[画像:OTVbelweder-front.jpg|none|40px]]}} * [[ラジオ番組]] * [[コマーシャルメッセージ]](CM)- 民間放送局の収入源 * [[視聴者]] ** [[カウチポテト族]] * [[長寿番組の一覧]] * [[全日本テレビ番組製作社連盟]] == 外部リンク == * [http://televisionarchive.org/ Television Archive]{{en icon}} * {{CRD|2000025807|テレビ番組の調査方法|近畿大学中央図書館}} {{Normdaten}} [[Category:テレビ番組|*]] [[bs:Spisak televizijskih serija]] [[hu:Televíziós sorozat]] [[it:Programmazione televisiva]] [[kk:Трансляция]]
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ナイトライダー
『ナイトライダー』(Knight Rider)は、アメリカの特撮テレビドラマ。 私立探偵機関の調査員、マイケル・ナイトが、人間の言葉を話し特殊装備を搭載したドリーム・カー『ナイト2000』とともにさまざまな事件を解決するカーアクションドラマ。 本項目ではテレビドラマに関連する作品もあわせて解説する。 アメリカでは1982年9月26日から1986年8月8日までNBCで全84話(1シーズン毎に21話×4シーズン=全84話)が放送された。 日本ではテレビ朝日系列で全84話中、74本が放映され米国放送でシーズン4にあたるほとんどのエピソードは『新ナイトライダー』のタイトルで放映された。 永らく未放映になっていた10エピソードは2015年にFOXクラシック 名作ドラマチャンネルで日本語吹き替え版が日本初放送され、その翌年の2016年にはNHK BSプレミアムでもシーズン1の未放映9エピソード(シーズン2の第11話にあたる1エピソードは未放送)が同じく放送された。衛星波の再放送は上記の2局に加え2019年にはAXNで放送されたほか2022年現在、BS松竹東急で放送中である。 若き敏腕刑事マイケル・ロングは、ある産業スパイを追跡中に同僚を殺され、自らもまた凶弾に倒れた。しかし、マイケルはナイト財団の総帥ウィルトン・ナイトによって辛くも命を救われ、その身分もウィルトン・ナイトの養子として新たにマイケル・ナイトとなる。 重病で死の床についたウィルトンは、マイケルの手を取り「一人の男が世界を変えられる(One man can make difference .)」と説いてこの世を去る。ウィルトンの遺志を受け継いだマイケルは、密かに財団が開発していたドリームカー「ナイト2000」のドライバーとなる。ナイト2000は、人工知能「K.I.T.T(キット)」を搭載しており、自分で考えて言葉を話し、さらには自らの意思で走行する事もできるスーパーマシンである。マイケルはK.I.T.T.と共に、世の中の不正や巨悪と戦っていく。 ナイト財団とは、マイクロエレクトロニクス事業で巨万の富を築いた実業家、ウィルトン・ナイトがその収益を投じて設立した組織(財団法人)で、正式名称は「法と政府のためのウィルトン・ナイト記念財団(Wilton Knight Memorial Foundation for Law And Government)」。ウィルトン・ナイトの名前を省略して頭文字をとり「F.L.A.G.」と称されることもある。様々な団体・個人にとって表沙汰にしたくない事件の調査を請け負っている、いわば私立探偵・興信所だが、その実績は政府の公的機関や大企業からも依頼を受けるほどの評価を得ている。財団の総帥であるウィルトン・ナイトは、かねてより犯罪を撲滅するためには積極的な抑止力の必要性を痛感しており、そのためにドリームカー「ナイト2000」が製作されることとなった。 劇中ではマイケルが「民間の調査機関」と名乗っているように、ナイト財団の調査部門そのものに強制権・捜査権は一切ない。そのため、捜査の際には警察や軍との連携を図る場合もある。一方で、マイケルが不法侵入やハッキング等の違法行為を行うシーンがしばしば見られ、キットがマイケルを諌めながらも結局はそれに渋々協力する、というやり取りは半ば恒例となっている。 マイケルが所属する組織は、日本語吹き替え版では単に「ナイト財団」と呼ばれているが、オリジナルではナイト財団の一部門である「F.L.A.G.」となっている。 なお、偶然で全く同一名の財団法人が実在する(en:Knight Foundation)。 同作品中において2人以上の別名義で演じた俳優の一覧。 役名の後のカッコ内は吹替え声優。 備考は外観上の相違点など。 以下は主要級。 以下は敵側による脅威級能力を持つメカ&マシン 以下はその他(1話限りのゲスト等)のメカ&マシン アメリカで放送された順番に記載、また日本(テレビ朝日)版での放映順話数も併記する。(★)は2時間スペシャル回で、各シーズンの第1話がそれぞれの対象となっているが、シーズン2のみ他2話が2時間スペシャル回(シーズン2のみの括りだと計3話)となっている。日本版での放映順話数の(※)はテレビ朝日版での未放映エピソードで邦題タイトルはDVD版より。なおこれらテレビ朝日未放映エピソードとDVD版では全て原語音声と翻訳字幕のみだったが、2014年11月27日にリリースされたコンプリートブルーレイBOXで全話日本語吹替版が出揃う事となった。またシーズン2以降の各話の括弧内は通算話数を表記。 CMへ移行する際のアイキャッチもシーズン毎に異なっている。 『新ナイトライダー2000(原題:Knight Rider 2000)』が1991年に製作された。 製作当時から見て近未来である西暦2000年、警官は銃規制が進んだことで実弾銃使用が撤廃され、代わりに超音波銃の携行が義務付けられており、犯罪者の服役は冷凍睡眠となっているシアトル市を舞台にした物語。 捜査中に仲間に裏切られて頭部に銃撃を受け、その影響による記憶の欠落を補うため、かつてK.I.T.T.に使用されていたメモリーチップを頭に組み込まれた元警官の女性、ショーン・マコーミック(スーザン・ノーマン)が主人公である。 ナイト財団では、10年前(1990年)にマイケル・ナイトが退職しており、残ったデボンと元弁護士のラッセル・マドック主任(カーメン・アルジェンツィアノ)の下、バーチャル・リアリティを搭載したナイト2000の発展型・ナイト4000の製作が進められていた。2人はハロルド市長を相手にナイト4000のプレゼンテーションを行い、犯罪撲滅のための必要性を訴えるが、同席していたダニエルズ警察長官に「犯罪捜査は警察だけで十分」と突っぱねられ、必要性を証明したいのなら30日以内に完成させるよう要求される。 折りしも銃使用撤廃派市会議員の暗殺事件が発生しており、助けが必要だと感じたデボンは、引退して釣りのガイドや車いじりをして過ごす「第三の人生」を送っているマイケルの元を訪ね、協力を要請する。デボンの熱意に打たれたマイケルは、K.I.T.T.を相棒にすることを条件に、ナイト4000が完成するまでの30日間だけ財団に復帰するが、肝心のK.I.T.T.とナイト2000はマドックによって解体されてしまっていた。マイケルは売却されたK.I.T.T.のパーツを買い戻させて再生し、自らの愛車である1957年型シボレー・ベルエアに搭載して捜査を開始するが、安物のチップを使って再生されたK.I.T.T.は、手配中の犯罪者と一般人を間違えるなどかつてのような性能を発揮できないでいた。 一方、銃撃された時の記憶を失くしたショーンは、ダニエルズから警官の職務に就くのは不適格であると言われ、警察を辞職してナイト財団に新たな職を求める。K.I.T.T.のチップがショーンに移植されていると知ったマイケルは、ショーンとともに捜査を開始する。当初は、マイケルとK.I.T.T.を見下した態度を取っていたショーンであったが、銃撃の真相をK.I.T.T.の協力で思い出し、次第に連携が取れるようになっていく。 やがて、遂にナイト4000が完成し、デボンとマドックはテスト走行を行う。デボンは、性能はナイト2000を遥かに凌ぐと評価しながらも、マドックの声で話し、道路に飛び出してきた鹿を「はねても実害はない」と言い放って避けようともしないナイト4000に、K.I.T.T.のような人間性が感じられないと不満を抱く。 テスト走行を終えナイト4000を降りたデボンは、犯人一味に襲われて拉致されてしまう。犯人一味は意識不明となったデボンの記憶を抽出し、ナイト財団がまだ手掛かりを何も掴んでいない事を確認すると、そのまま薬剤を投与しデボンを殺害してしまう。 死の間際デボンが最後に見た夢は、ウィルトン・ナイトの遺志を継ぎナイト財団総帥として悪と戦う決意をしたマイケルと、「二人の友情と一人の男の夢」に乾杯する場面(オリジナルパイロット版のラストシーン)であった。 捜査を進める中、マイケル達は犯人一味に追われ、K.I.T.T.の提案で車ごと海に飛び込み追跡をかわすものの、K.I.T.T.は機能を停止してしまう。 デボンの死にショックを受けたマイケルは、「自分が手を貸したせいでデボンを死なせてしまった」と自責の念にかられふさぎ込んでいたが、ショーンの叱咤で再び気力を取り戻す。 財団に戻ったマイケルは、K.I.T.T.を自分の愛車からナイト4000に移植する。マイケルとショーンは、新たなボディを得たK.I.T.T.(=ナイト4000)とともに事件の真相に迫ろうとする。 この作品はパイロット版のみの製作にとどまったが、CICビクター株式会社からビデオソフトがリリースされた他、『ナイトライダー』シーズン1 DVD-BOX及び『コンプリートブルーレイBOX』に特典として収録されている。また、テレビ朝日系を中心とした各地方局で深夜映画として放映された。日本語吹替え版は製作されていない。 新主人公・ショーンの「脳にメモリーチップを埋め込まれた元警官」という設定は、旧ナイトライダー初期原案における「脳に埋め込んだメモリーチップによりK.I.T.T.と意思疎通が可能」というマイケル・ナイトの没設定をなぞったものであると言える。 当作品でナイト4000のモデルとなったのは、ダッジ・ステルスをベースに新たに制作された車両で当時のコンセプトカーであるポンティアック・バンシーに類似したデザインで制作されたオリジナルカー。 以後も、『ナイトライダー』の続編・新作とされる作品がいくつか製作されている。 1994年に2時間ドラマとして放映された。 近未来のメキシコ。アメリカとの国境付近の「ゾーン」と呼ばれる区域で、不法移民を助ける運び屋で生計を立てる一匹狼の青年・ジェイク・マックィーン(リチャード・ジョセフ・ポール)と、臓器の不法密売を行っている大企業のボス・ジェード(ブライオン・ジェームズ)の戦いを軸にし、「ジェードの部下に襲われ死に瀕した養父(黒人であり、白人のジェイクを引き取って育てた)から受け継いだ正義の心と高性能エンジン」「父の形見のエンジンを搭載して製作した高性能な改造車(マスタングをベースとし、防弾効果のあるシートを車体に貼り付け、銃火器を搭載している)」「その車に、ジェードに殺されたジェイクの恋人・ハンナ(ハドソン・レイク)の意思を宿したクリスタルを搭載し、彼女の意思で自由に会話や情報収集、自動走行などができる」など、元祖ナイトライダーのコンセプトを骨子として部分的に織り込んでストーリーが紡がれていく。 なお2014年11月27日にリリースされた『コンプリートブルーレイBOX』に特典DVDとして初収録されている。 1997年10月から1998年9月まで放映された連続テレビドラマ。 90年代に入り、F.L.A.G.はさらなる事件に対処するために、カイル・スチュワート、ジェニー・アンドリュー、デューク・デパルマー、エリカ・ウエスト、ケビン“トレック”サンダースの5人のスペシャリストを集め、それぞれに人工知能による意思を持った車両(ダンテ、ドミノ、ビーストの自動車3台およびカット、プラトのバイク2台)を1台ずつ与えて実働チームを結成した。彼らは「チーム・ナイトライダー(略称TKR)」と呼ばれ、人々にもその活躍は広く知られていた。 マイケル・ナイトの情報はF.L.A.G.内でも最高機密とされていたが、終盤になって突然マイケルを名乗る人物が登場する。更に、「TKRメンバーの一人・ジェニーがマイケルの実子ではないかという疑惑」「その正体はガース・ナイトと思しき敵「メビウス」の存在」「F.L.A.G.ヨーロッパ支部からやってきた、ドイツ語を話しアメリカ人を嫌う車両「Knight Alpha」の人工知能の正体が、かつてナイト2000に搭載されていたK.I.T.T.であった」など、様々な謎が登場する。しかし、番組自体が1シーズンのみで終わってしまったため、それらの謎は掘り下げられることはなかった。 詳細については以下の英語版の各項目を参照 2008年2月17日夜にNBC系列で『Knight Rider』新作のパイロット版が特番として放映され、同年9月24日から翌年3月4日まで毎週水曜日20:00 - 21:00の時間帯で全17話(当初は全22話予定だったが、諸事情により短縮された)の連続テレビシリーズ版が放映された。これまでの数ある続編作品としては元祖主人公であるマイケル・ナイト(デビッド・ハッセルホフ)が登場し、次世代となる新主人公で自身の息子であるマイク・トレーサー(ジャスティン・ブリューニング)にバトンを受け継がせるシーンもあり、最も正統な続編と見られる。時代観は前作でのシーズン1(ウィルトン没後)から25年後の時代としており、前作でのシーズン4終了以降ではない。前作でのナイト財団はあくまでも単独での捜査を常としていたが、今回の新生ナイト財団は「ナイトインダストリー」と呼ばれることが多く、中盤までFBIと密接な協力関係にある。 日本では2012年1月16日から7月2日まで、フジテレビの深夜枠『登龍門』で『ナイトライダーNEXT』の邦題で日本語吹替え版が全19話(本国では2時間番組だったパイロット版が「序章」前後編の2話に分割して放映されたため)放映された。また日本語版制作スタッフも旧作である初代シリーズを手掛けたプロデューサーが全面指揮をしている。先述通り本作の日本放映はフジテレビ系列で前作(テレビ朝日)とは違う系列。なお「序章」を除き、邦題タイトルには全て「○○ナイト」、「ナイト○○」といったように「ナイト」という文字が必ず入っており、原題にも「KNIGHT」の文字が必ず入っている。 2015年12月、『KNIGHT RIDER HEROES』の予告動画が公開された。 日本でも放映された人気ホームコメディ『アーノルド坊やは人気者』の第6シーズン第8 - 9話『ハリウッド大事件(前・後篇)』にマイケル役のハッセルホフとK.I.T.T.がゲスト出演した。このエピソードの中でのK.I.T.T.は、ひがみっぽくて性格が悪く、ナイト2000によりかかったアーノルド坊やを「触るな!私はスターだ」と怒鳴りつけた。 日本の音楽番組『ミュージックステーション』の1987年2月9日放送分でナイト2000(K.I.T.T.)がゲスト出演し、マイケルに代わり藤井フミヤが乗って野外から中継された。 オムニバスドラマ『世にも不思議なアメージング・ストーリー』においてシドニー・ラシック主演の『リモコン親父の逆襲』でテレビから飛び出すキャラクターの中でナイト2000(K.I.T.T.)がゲスト登場。主人公の自宅のキッチンに突っ込んでくる。 日本ではパイロット版のみがビデオソフト及びレーザーディスクにて発売されている、アメリカのアクションドラマ『驚異のスーパー・バイク ストリートホーク』の第4話後半で、ナイト財団(F.L.A.G.)のトレーラーの後ろ姿が写っている。 1989年からアメリカのFOXテレビで放送されている『ザ・シンプソンズ』のシーズン10第2話「発明は反省のパパ」"The Wizard of Evergreen Terrace"と、シーズン15第12話「バートの親友は誰?」"Milhouse Doesn't Live Here Anymore"にナイト2000(K.I.T.T.)がゲスト登場している。原語版の声はウィリアム・ダニエルズが担当している。 2005年公開の『ハービー/機械じかけのキューピッド』の冒頭でハービーの活躍を新聞記事で紹介するシーンで、ナイト2000がハービーと共演している。 2006年、日本では劇場未公開のコメディ映画『がんばれ! ベンチウォーマーズ』(THE BENCHWARMERS)にナイト2000(K.I.T.T.)が登場している。原語版の声はウィリアム・ダニエルズが担当している。 2008年11月1日の『SmaSTATION!!』の海外テレビドラマランキングで、本作がランクインしており、上記の『ミュージックステーション』での模様も再び放映された。 2014年9月2日に韓国Samsung Electronicsは、公式YouTubeチャンネルで、デビッド・ハッセルホフとナイト2000(K.I.T.T.)[声はウィリアム・ダニエルズ]が共演するスマートホームサービスのCM動画を公開。内容はSamsungのスマートホームのCMを撮影しているハッセルホフが、スマートホームの利点を説明するたびに、嫉妬したK.I.T.T.が「自分にもそんなことはできる」と反論したりエンジンを空ぶかししたりして撮影の邪魔をする。休憩中、「K.I.T.T.が嫉妬するなんて初めてだ」とメイク担当に愚痴るハッセルホフの前に新しい相棒を乗せたK.I.T.T.が現れ、「あなたがもっとスマートな相棒を見つけるなら私だって」と言い捨て走り去ろうとするところを、ハッセルホフが手首のスマートウォッチを操作することでゲートをリモートで閉めてK.I.T.T.を停車させ、得意がるところで終わる。題して「KITT vs Samsung smart home」。 これまでに数回にわたって、シーズン1 - 4までの各シーズンごとのBOXセットが発売されている。また、それとは別に全2巻の傑作選も発売された。 放映当時に日本語吹き替えがあった話は原則、全て吹き替えが収録されているが、テレビ朝日での放送時にカットされていたシーンは吹き替えが行われていない。 また、テレビ朝日未放映話は英語(日本語字幕対応)のみである。ただし後述のブルーレイ版はそれら全てに日本語吹き替えが追加新録されている。 加えて日本初放映時にテレビ朝日独自に編集を行った場面付近の吹替えも収録されておらず、テレビ放映時のオリジナルタイトル字幕、配役・出演者字幕、次回予告及び日本語版エンディングも未収録。 日本未放映話を収録するにあたっては、日本で放送された当時の邦題を彷彿とさせるセンスで新規に邦題が付けられている。 また収録エピソードの順番はパイロット版である「電子頭脳スーパーカー誕生(原題:KNIGHT OF PHOENIX)」を除き、原則的に「米国で放映された順番」となっている。 シーズン1・2では字幕切替に「日本語」・「英語」・「スペイン語」・「ポルトガル語」字幕と4種類の設定が可能あったが、シーズン3・4ではそれらは廃止され「日本語」字幕のみとなっている。またシーズン1・2ではオープニング前のティーザーが収録されておらず、シーズン3・4ではティーザーが収録されている。 シーズン1の前発売の「パイロット版」、及びシーズン4での「オープニング」の日本語吹き替えは収録されていない。 各シーズンのDISC1には第1話に相当するエピソードとして、シーズン1は「パイロット」版である「電子頭脳スーパーカー誕生(原題:KNIGHT OF PHOENIX)」、シーズン2は「ナイトライダー2・無敵ゴライアスvsナイト2000(原題:GOLIATH)」、シーズン3は「ナイトライダー5・強敵!赤い殺人カー(原題:KNIGHT OF THE DRONE)」、シーズン4は「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」が収録されている。これはシーズン1はこの話が「全ての始まり」となるエピソードであるためであり、またシーズン2以降の3話はナイト2000が一度破壊され仕様変更が行われる話であるため、これらを各シーズンの第1話に持ってこないとそれ以降のエピソードとの辻褄が合わなくなってしまうためである(ただし廉価版のDVD-BOXでは「電子頭脳スーパーカー誕生(KNIGHT OF PHOENIX)」がシーズン1のDISC7・2話目に収録されている)。 シーズン2第10話「激闘!魔の巨大ダム捜査 ナイト2000決死のターボジャンプ!!(原題:Knightmares)」の序盤での、「ナイトとしての記憶を失くし、ロングであった頃の記憶しか思い出せなくなったマイケルがかつて勤めていた警察署で署員と話してからK.I.T.T.に発見されるまでのシーン」はテレビ朝日での地上波放送時に吹替が存在していたが、DVD版では日本語吹替が全く収録されていない。 シーズン4第1話「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」の折り返しとなる前半部分終盤でナイト2000がジャガーノートに破壊された直後にボニーが駆け付けるシーンが丸々カットされている。さらにこの直後のトレーラー内でデボンが偽者であることをマイケルが確信し、ボニーにデボンが偽者だと言う場面の日本語吹き替えが収録されていない。なお後述のブルーレイ版では上述シーズン2第10話のシーンも含め、このシーンは収録されている。同様にブルーレイ版での日本語吹替もTV放映当時と同じく収録されているが一部録り直しになっている。 2011年2月16日、アシェット・コレクションズ・ジャパンからDVDマガジン「USアクションドラマコレクション」として刊行開始。収録内容はBOXのものを1巻ごとに分割したもの。全30巻を予定していたが、東日本大震災の影響により3号で休刊となった。 2014年11月27日、NBCユニバーサル・エンターテイメントから「ナイトライダー コンプリート ブルーレイBOX」が発売された。ブルーレイ(本編)の24枚組+DVD(特典)の2枚組の計26枚セットとなっている。先述のDVD版と異なり収録エピソード順番は米国で放映された順番に正しく修正されている。 今回ブルーレイ化されるにあたり、オリジナル・フィルムからHD化を行い、片面2層24枚組に各シーズンを収録した。TV未放送のため今まで字幕版でしか存在していなかった10エピソード(シーズン1の9話+シーズン2の1話=計10話)を、ささきいさお、野島昭生を始めとする当時のオリジナルキャスト(マイケル=ささきいさお、K.I.T.T.=野島昭生、デボン=中村正、ボニー=小山茉美、エイプリル=潘恵子、RC3=水島裕)で吹き替え版を新規収録し、さらにDVD版では吹替がなかった3時間42分にも及ぶシーンも追加収録した。追加収録では声優陣のみならずスタッフの方も、演出に壺井正、翻訳に平田勝茂と、当時のスタッフが再結集している。 ゲスト側は基本的に追加吹替用にキャスティングされた数名の役者(宮崎敦吉、西島麻紘、他)が持ち回りで代役を行っており、有川博、大久保正信、内海賢二、石田太郎、小林勝彦、北村弘一、小林修、富山敬、仁内建之など、すでに故人となっているキャスト及び、藤田淑子(この頃には療養中で活動休止状態であり、2018年12月に逝去)、家弓家正(発売同年の2014年9月に逝去)、飯塚昭三、納谷六朗(発売同年の2014年11月に逝去)、大塚周夫、(発売翌年の2015年1月に逝去)、柴田秀勝、平野文、大塚明夫、若本規夫、千葉繁などは当該シーンのみ代役となっている。その一方で上田みゆき、弥永和子(発売同年の2014年11月に逝去)といった往年のキャストが当時と同じ役で追加収録に参加している。 全エピソードを詳細に網羅した40ページの完全版ブックレットや、DVD版シーズン1に収録されていた「新ナイトライダー2000」と今回初となる「ナイトライダー2010」が特典としてそれぞれDVD各1枚ずつに収録されたものが同梱されている。ただし、字幕表示は「日本語」字幕のみで、またオープニング前のティーザーは今回全てカットされている。さらに初回生産分では限定特典として、1984年12月16日にテレビ朝日「日曜洋画劇場」で日本初放送された「ナイトライダー」(『電子頭脳スーパーカー誕生』)の吹替台本の復刻版が同梱されている。 この他、「ナイトライダーNEXT」の全19話を収録したDVD(9枚組)およびブルーレイ(6枚組)が2012年7月3日にリリースされた。こちらも放映当時にカットされていたシーンにも新規に吹き替えが行われており、完全ノーカット版となっている。 2016年10月11日にはアメリカのインディーズレーベル ミルクリークエンターテイメントから 「knight rider Complete Series Blu-ray」が発売された。日本のブルーレイではティーザーが全てカットされていたがこのアメリカ版Blu-rayでは全てティーザーが収録されている。なお同時にComplete Series のDVD版も発売されている。
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"アメリカで放送された順番に記載、また日本(テレビ朝日)版での放映順話数も併記する。(★)は2時間スペシャル回で、各シーズンの第1話がそれぞれの対象となっているが、シーズン2のみ他2話が2時間スペシャル回(シーズン2のみの括りだと計3話)となっている。日本版での放映順話数の(※)はテレビ朝日版での未放映エピソードで邦題タイトルはDVD版より。なおこれらテレビ朝日未放映エピソードとDVD版では全て原語音声と翻訳字幕のみだったが、2014年11月27日にリリースされたコンプリートブルーレイBOXで全話日本語吹替版が出揃う事となった。またシーズン2以降の各話の括弧内は通算話数を表記。", "title": "エピソードリスト" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "CMへ移行する際のアイキャッチもシーズン毎に異なっている。", "title": "日本での放送" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "『新ナイトライダー2000(原題:Knight Rider 2000)』が1991年に製作された。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "製作当時から見て近未来である西暦2000年、警官は銃規制が進んだことで実弾銃使用が撤廃され、代わりに超音波銃の携行が義務付けられており、犯罪者の服役は冷凍睡眠となっているシアトル市を舞台にした物語。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "捜査中に仲間に裏切られて頭部に銃撃を受け、その影響による記憶の欠落を補うため、かつてK.I.T.T.に使用されていたメモリーチップを頭に組み込まれた元警官の女性、ショーン・マコーミック(スーザン・ノーマン)が主人公である。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ナイト財団では、10年前(1990年)にマイケル・ナイトが退職しており、残ったデボンと元弁護士のラッセル・マドック主任(カーメン・アルジェンツィアノ)の下、バーチャル・リアリティを搭載したナイト2000の発展型・ナイト4000の製作が進められていた。2人はハロルド市長を相手にナイト4000のプレゼンテーションを行い、犯罪撲滅のための必要性を訴えるが、同席していたダニエルズ警察長官に「犯罪捜査は警察だけで十分」と突っぱねられ、必要性を証明したいのなら30日以内に完成させるよう要求される。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "折りしも銃使用撤廃派市会議員の暗殺事件が発生しており、助けが必要だと感じたデボンは、引退して釣りのガイドや車いじりをして過ごす「第三の人生」を送っているマイケルの元を訪ね、協力を要請する。デボンの熱意に打たれたマイケルは、K.I.T.T.を相棒にすることを条件に、ナイト4000が完成するまでの30日間だけ財団に復帰するが、肝心のK.I.T.T.とナイト2000はマドックによって解体されてしまっていた。マイケルは売却されたK.I.T.T.のパーツを買い戻させて再生し、自らの愛車である1957年型シボレー・ベルエアに搭載して捜査を開始するが、安物のチップを使って再生されたK.I.T.T.は、手配中の犯罪者と一般人を間違えるなどかつてのような性能を発揮できないでいた。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "一方、銃撃された時の記憶を失くしたショーンは、ダニエルズから警官の職務に就くのは不適格であると言われ、警察を辞職してナイト財団に新たな職を求める。K.I.T.T.のチップがショーンに移植されていると知ったマイケルは、ショーンとともに捜査を開始する。当初は、マイケルとK.I.T.T.を見下した態度を取っていたショーンであったが、銃撃の真相をK.I.T.T.の協力で思い出し、次第に連携が取れるようになっていく。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "やがて、遂にナイト4000が完成し、デボンとマドックはテスト走行を行う。デボンは、性能はナイト2000を遥かに凌ぐと評価しながらも、マドックの声で話し、道路に飛び出してきた鹿を「はねても実害はない」と言い放って避けようともしないナイト4000に、K.I.T.T.のような人間性が感じられないと不満を抱く。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "テスト走行を終えナイト4000を降りたデボンは、犯人一味に襲われて拉致されてしまう。犯人一味は意識不明となったデボンの記憶を抽出し、ナイト財団がまだ手掛かりを何も掴んでいない事を確認すると、そのまま薬剤を投与しデボンを殺害してしまう。 死の間際デボンが最後に見た夢は、ウィルトン・ナイトの遺志を継ぎナイト財団総帥として悪と戦う決意をしたマイケルと、「二人の友情と一人の男の夢」に乾杯する場面(オリジナルパイロット版のラストシーン)であった。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "捜査を進める中、マイケル達は犯人一味に追われ、K.I.T.T.の提案で車ごと海に飛び込み追跡をかわすものの、K.I.T.T.は機能を停止してしまう。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "デボンの死にショックを受けたマイケルは、「自分が手を貸したせいでデボンを死なせてしまった」と自責の念にかられふさぎ込んでいたが、ショーンの叱咤で再び気力を取り戻す。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "財団に戻ったマイケルは、K.I.T.T.を自分の愛車からナイト4000に移植する。マイケルとショーンは、新たなボディを得たK.I.T.T.(=ナイト4000)とともに事件の真相に迫ろうとする。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "この作品はパイロット版のみの製作にとどまったが、CICビクター株式会社からビデオソフトがリリースされた他、『ナイトライダー』シーズン1 DVD-BOX及び『コンプリートブルーレイBOX』に特典として収録されている。また、テレビ朝日系を中心とした各地方局で深夜映画として放映された。日本語吹替え版は製作されていない。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "新主人公・ショーンの「脳にメモリーチップを埋め込まれた元警官」という設定は、旧ナイトライダー初期原案における「脳に埋め込んだメモリーチップによりK.I.T.T.と意思疎通が可能」というマイケル・ナイトの没設定をなぞったものであると言える。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "当作品でナイト4000のモデルとなったのは、ダッジ・ステルスをベースに新たに制作された車両で当時のコンセプトカーであるポンティアック・バンシーに類似したデザインで制作されたオリジナルカー。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "以後も、『ナイトライダー』の続編・新作とされる作品がいくつか製作されている。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "1994年に2時間ドラマとして放映された。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "近未来のメキシコ。アメリカとの国境付近の「ゾーン」と呼ばれる区域で、不法移民を助ける運び屋で生計を立てる一匹狼の青年・ジェイク・マックィーン(リチャード・ジョセフ・ポール)と、臓器の不法密売を行っている大企業のボス・ジェード(ブライオン・ジェームズ)の戦いを軸にし、「ジェードの部下に襲われ死に瀕した養父(黒人であり、白人のジェイクを引き取って育てた)から受け継いだ正義の心と高性能エンジン」「父の形見のエンジンを搭載して製作した高性能な改造車(マスタングをベースとし、防弾効果のあるシートを車体に貼り付け、銃火器を搭載している)」「その車に、ジェードに殺されたジェイクの恋人・ハンナ(ハドソン・レイク)の意思を宿したクリスタルを搭載し、彼女の意思で自由に会話や情報収集、自動走行などができる」など、元祖ナイトライダーのコンセプトを骨子として部分的に織り込んでストーリーが紡がれていく。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "なお2014年11月27日にリリースされた『コンプリートブルーレイBOX』に特典DVDとして初収録されている。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "1997年10月から1998年9月まで放映された連続テレビドラマ。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "90年代に入り、F.L.A.G.はさらなる事件に対処するために、カイル・スチュワート、ジェニー・アンドリュー、デューク・デパルマー、エリカ・ウエスト、ケビン“トレック”サンダースの5人のスペシャリストを集め、それぞれに人工知能による意思を持った車両(ダンテ、ドミノ、ビーストの自動車3台およびカット、プラトのバイク2台)を1台ずつ与えて実働チームを結成した。彼らは「チーム・ナイトライダー(略称TKR)」と呼ばれ、人々にもその活躍は広く知られていた。 マイケル・ナイトの情報はF.L.A.G.内でも最高機密とされていたが、終盤になって突然マイケルを名乗る人物が登場する。更に、「TKRメンバーの一人・ジェニーがマイケルの実子ではないかという疑惑」「その正体はガース・ナイトと思しき敵「メビウス」の存在」「F.L.A.G.ヨーロッパ支部からやってきた、ドイツ語を話しアメリカ人を嫌う車両「Knight Alpha」の人工知能の正体が、かつてナイト2000に搭載されていたK.I.T.T.であった」など、様々な謎が登場する。しかし、番組自体が1シーズンのみで終わってしまったため、それらの謎は掘り下げられることはなかった。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "詳細については以下の英語版の各項目を参照", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "2008年2月17日夜にNBC系列で『Knight Rider』新作のパイロット版が特番として放映され、同年9月24日から翌年3月4日まで毎週水曜日20:00 - 21:00の時間帯で全17話(当初は全22話予定だったが、諸事情により短縮された)の連続テレビシリーズ版が放映された。これまでの数ある続編作品としては元祖主人公であるマイケル・ナイト(デビッド・ハッセルホフ)が登場し、次世代となる新主人公で自身の息子であるマイク・トレーサー(ジャスティン・ブリューニング)にバトンを受け継がせるシーンもあり、最も正統な続編と見られる。時代観は前作でのシーズン1(ウィルトン没後)から25年後の時代としており、前作でのシーズン4終了以降ではない。前作でのナイト財団はあくまでも単独での捜査を常としていたが、今回の新生ナイト財団は「ナイトインダストリー」と呼ばれることが多く、中盤までFBIと密接な協力関係にある。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "日本では2012年1月16日から7月2日まで、フジテレビの深夜枠『登龍門』で『ナイトライダーNEXT』の邦題で日本語吹替え版が全19話(本国では2時間番組だったパイロット版が「序章」前後編の2話に分割して放映されたため)放映された。また日本語版制作スタッフも旧作である初代シリーズを手掛けたプロデューサーが全面指揮をしている。先述通り本作の日本放映はフジテレビ系列で前作(テレビ朝日)とは違う系列。なお「序章」を除き、邦題タイトルには全て「○○ナイト」、「ナイト○○」といったように「ナイト」という文字が必ず入っており、原題にも「KNIGHT」の文字が必ず入っている。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "2015年12月、『KNIGHT RIDER HEROES』の予告動画が公開された。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "日本でも放映された人気ホームコメディ『アーノルド坊やは人気者』の第6シーズン第8 - 9話『ハリウッド大事件(前・後篇)』にマイケル役のハッセルホフとK.I.T.T.がゲスト出演した。このエピソードの中でのK.I.T.T.は、ひがみっぽくて性格が悪く、ナイト2000によりかかったアーノルド坊やを「触るな!私はスターだ」と怒鳴りつけた。", "title": "ゲスト出演" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "日本の音楽番組『ミュージックステーション』の1987年2月9日放送分でナイト2000(K.I.T.T.)がゲスト出演し、マイケルに代わり藤井フミヤが乗って野外から中継された。", "title": "ゲスト出演" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "オムニバスドラマ『世にも不思議なアメージング・ストーリー』においてシドニー・ラシック主演の『リモコン親父の逆襲』でテレビから飛び出すキャラクターの中でナイト2000(K.I.T.T.)がゲスト登場。主人公の自宅のキッチンに突っ込んでくる。", "title": "ゲスト出演" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "日本ではパイロット版のみがビデオソフト及びレーザーディスクにて発売されている、アメリカのアクションドラマ『驚異のスーパー・バイク ストリートホーク』の第4話後半で、ナイト財団(F.L.A.G.)のトレーラーの後ろ姿が写っている。", "title": "ゲスト出演" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "1989年からアメリカのFOXテレビで放送されている『ザ・シンプソンズ』のシーズン10第2話「発明は反省のパパ」\"The Wizard of Evergreen Terrace\"と、シーズン15第12話「バートの親友は誰?」\"Milhouse Doesn't Live Here Anymore\"にナイト2000(K.I.T.T.)がゲスト登場している。原語版の声はウィリアム・ダニエルズが担当している。", "title": "ゲスト出演" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "2005年公開の『ハービー/機械じかけのキューピッド』の冒頭でハービーの活躍を新聞記事で紹介するシーンで、ナイト2000がハービーと共演している。", "title": "ゲスト出演" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "2006年、日本では劇場未公開のコメディ映画『がんばれ! ベンチウォーマーズ』(THE BENCHWARMERS)にナイト2000(K.I.T.T.)が登場している。原語版の声はウィリアム・ダニエルズが担当している。", "title": "ゲスト出演" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2008年11月1日の『SmaSTATION!!』の海外テレビドラマランキングで、本作がランクインしており、上記の『ミュージックステーション』での模様も再び放映された。", "title": "ゲスト出演" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "2014年9月2日に韓国Samsung Electronicsは、公式YouTubeチャンネルで、デビッド・ハッセルホフとナイト2000(K.I.T.T.)[声はウィリアム・ダニエルズ]が共演するスマートホームサービスのCM動画を公開。内容はSamsungのスマートホームのCMを撮影しているハッセルホフが、スマートホームの利点を説明するたびに、嫉妬したK.I.T.T.が「自分にもそんなことはできる」と反論したりエンジンを空ぶかししたりして撮影の邪魔をする。休憩中、「K.I.T.T.が嫉妬するなんて初めてだ」とメイク担当に愚痴るハッセルホフの前に新しい相棒を乗せたK.I.T.T.が現れ、「あなたがもっとスマートな相棒を見つけるなら私だって」と言い捨て走り去ろうとするところを、ハッセルホフが手首のスマートウォッチを操作することでゲートをリモートで閉めてK.I.T.T.を停車させ、得意がるところで終わる。題して「KITT vs Samsung smart home」。", "title": "ゲスト出演" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "これまでに数回にわたって、シーズン1 - 4までの各シーズンごとのBOXセットが発売されている。また、それとは別に全2巻の傑作選も発売された。", "title": "DVD / ブルーレイ" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "放映当時に日本語吹き替えがあった話は原則、全て吹き替えが収録されているが、テレビ朝日での放送時にカットされていたシーンは吹き替えが行われていない。 また、テレビ朝日未放映話は英語(日本語字幕対応)のみである。ただし後述のブルーレイ版はそれら全てに日本語吹き替えが追加新録されている。 加えて日本初放映時にテレビ朝日独自に編集を行った場面付近の吹替えも収録されておらず、テレビ放映時のオリジナルタイトル字幕、配役・出演者字幕、次回予告及び日本語版エンディングも未収録。", "title": "DVD / ブルーレイ" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "日本未放映話を収録するにあたっては、日本で放送された当時の邦題を彷彿とさせるセンスで新規に邦題が付けられている。 また収録エピソードの順番はパイロット版である「電子頭脳スーパーカー誕生(原題:KNIGHT OF PHOENIX)」を除き、原則的に「米国で放映された順番」となっている。", "title": "DVD / ブルーレイ" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "シーズン1・2では字幕切替に「日本語」・「英語」・「スペイン語」・「ポルトガル語」字幕と4種類の設定が可能あったが、シーズン3・4ではそれらは廃止され「日本語」字幕のみとなっている。またシーズン1・2ではオープニング前のティーザーが収録されておらず、シーズン3・4ではティーザーが収録されている。", "title": "DVD / ブルーレイ" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "シーズン1の前発売の「パイロット版」、及びシーズン4での「オープニング」の日本語吹き替えは収録されていない。", "title": "DVD / ブルーレイ" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "各シーズンのDISC1には第1話に相当するエピソードとして、シーズン1は「パイロット」版である「電子頭脳スーパーカー誕生(原題:KNIGHT OF PHOENIX)」、シーズン2は「ナイトライダー2・無敵ゴライアスvsナイト2000(原題:GOLIATH)」、シーズン3は「ナイトライダー5・強敵!赤い殺人カー(原題:KNIGHT OF THE DRONE)」、シーズン4は「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」が収録されている。これはシーズン1はこの話が「全ての始まり」となるエピソードであるためであり、またシーズン2以降の3話はナイト2000が一度破壊され仕様変更が行われる話であるため、これらを各シーズンの第1話に持ってこないとそれ以降のエピソードとの辻褄が合わなくなってしまうためである(ただし廉価版のDVD-BOXでは「電子頭脳スーパーカー誕生(KNIGHT OF PHOENIX)」がシーズン1のDISC7・2話目に収録されている)。", "title": "DVD / ブルーレイ" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "シーズン2第10話「激闘!魔の巨大ダム捜査 ナイト2000決死のターボジャンプ!!(原題:Knightmares)」の序盤での、「ナイトとしての記憶を失くし、ロングであった頃の記憶しか思い出せなくなったマイケルがかつて勤めていた警察署で署員と話してからK.I.T.T.に発見されるまでのシーン」はテレビ朝日での地上波放送時に吹替が存在していたが、DVD版では日本語吹替が全く収録されていない。", "title": "DVD / ブルーレイ" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "シーズン4第1話「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」の折り返しとなる前半部分終盤でナイト2000がジャガーノートに破壊された直後にボニーが駆け付けるシーンが丸々カットされている。さらにこの直後のトレーラー内でデボンが偽者であることをマイケルが確信し、ボニーにデボンが偽者だと言う場面の日本語吹き替えが収録されていない。なお後述のブルーレイ版では上述シーズン2第10話のシーンも含め、このシーンは収録されている。同様にブルーレイ版での日本語吹替もTV放映当時と同じく収録されているが一部録り直しになっている。", "title": "DVD / ブルーレイ" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "2011年2月16日、アシェット・コレクションズ・ジャパンからDVDマガジン「USアクションドラマコレクション」として刊行開始。収録内容はBOXのものを1巻ごとに分割したもの。全30巻を予定していたが、東日本大震災の影響により3号で休刊となった。", "title": "DVD / ブルーレイ" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "2014年11月27日、NBCユニバーサル・エンターテイメントから「ナイトライダー コンプリート ブルーレイBOX」が発売された。ブルーレイ(本編)の24枚組+DVD(特典)の2枚組の計26枚セットとなっている。先述のDVD版と異なり収録エピソード順番は米国で放映された順番に正しく修正されている。", "title": "DVD / ブルーレイ" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "今回ブルーレイ化されるにあたり、オリジナル・フィルムからHD化を行い、片面2層24枚組に各シーズンを収録した。TV未放送のため今まで字幕版でしか存在していなかった10エピソード(シーズン1の9話+シーズン2の1話=計10話)を、ささきいさお、野島昭生を始めとする当時のオリジナルキャスト(マイケル=ささきいさお、K.I.T.T.=野島昭生、デボン=中村正、ボニー=小山茉美、エイプリル=潘恵子、RC3=水島裕)で吹き替え版を新規収録し、さらにDVD版では吹替がなかった3時間42分にも及ぶシーンも追加収録した。追加収録では声優陣のみならずスタッフの方も、演出に壺井正、翻訳に平田勝茂と、当時のスタッフが再結集している。", "title": "DVD / ブルーレイ" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "ゲスト側は基本的に追加吹替用にキャスティングされた数名の役者(宮崎敦吉、西島麻紘、他)が持ち回りで代役を行っており、有川博、大久保正信、内海賢二、石田太郎、小林勝彦、北村弘一、小林修、富山敬、仁内建之など、すでに故人となっているキャスト及び、藤田淑子(この頃には療養中で活動休止状態であり、2018年12月に逝去)、家弓家正(発売同年の2014年9月に逝去)、飯塚昭三、納谷六朗(発売同年の2014年11月に逝去)、大塚周夫、(発売翌年の2015年1月に逝去)、柴田秀勝、平野文、大塚明夫、若本規夫、千葉繁などは当該シーンのみ代役となっている。その一方で上田みゆき、弥永和子(発売同年の2014年11月に逝去)といった往年のキャストが当時と同じ役で追加収録に参加している。", "title": "DVD / ブルーレイ" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "全エピソードを詳細に網羅した40ページの完全版ブックレットや、DVD版シーズン1に収録されていた「新ナイトライダー2000」と今回初となる「ナイトライダー2010」が特典としてそれぞれDVD各1枚ずつに収録されたものが同梱されている。ただし、字幕表示は「日本語」字幕のみで、またオープニング前のティーザーは今回全てカットされている。さらに初回生産分では限定特典として、1984年12月16日にテレビ朝日「日曜洋画劇場」で日本初放送された「ナイトライダー」(『電子頭脳スーパーカー誕生』)の吹替台本の復刻版が同梱されている。", "title": "DVD / ブルーレイ" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "この他、「ナイトライダーNEXT」の全19話を収録したDVD(9枚組)およびブルーレイ(6枚組)が2012年7月3日にリリースされた。こちらも放映当時にカットされていたシーンにも新規に吹き替えが行われており、完全ノーカット版となっている。", "title": "DVD / ブルーレイ" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "2016年10月11日にはアメリカのインディーズレーベル ミルクリークエンターテイメントから 「knight rider Complete Series Blu-ray」が発売された。日本のブルーレイではティーザーが全てカットされていたがこのアメリカ版Blu-rayでは全てティーザーが収録されている。なお同時にComplete Series のDVD版も発売されている。", "title": "DVD / ブルーレイ" } ]
『ナイトライダー』は、アメリカの特撮テレビドラマ。
{{基礎情報 テレビ番組 | 番組名 = ナイトライダー | 画像説明 = | ジャンル = [[海外ドラマ]] | 放送国 = {{USA}} | 制作局 = グレン・A・ラーソン・プロダクションズ<br />[[ユニバーサル・ピクチャーズ|ユニバーサルTV]] | 監督 = | 原作 = | 脚本 = | 出演者 = [[#登場人物|登場人物]]を参照 | 音声 = | 字幕 = | データ放送 = | 番組名1 = シーズン1 | 放送時間1 = | 放送分1 = | 放送枠1 = | 放送期間1 = 1982年9月26日 - 1983年5月6日 | 放送回数1 = 21 | プロデューサー1 = | 出演者1 = | OPテーマ1 = MAIN TITLE | EDテーマ1 = Test Drive | 外部リンク1 = | 外部リンク名1 = | 番組名2 = シーズン2 | 放送時間2 = | 放送分2 = | 放送枠2 = | 放送期間2 = 1983年10月2日 - 1984年5月27日 | 放送回数2 = 21 | プロデューサー2 = | 出演者2 = | OPテーマ2 = MAIN TITLE | EDテーマ2 = Test Drive | 外部リンク2 = | 外部リンク名2 = | 番組名3 = シーズン3 | 放送時間3 = | 放送分3 = | 放送枠3 = | 放送期間3 = 1984年9月30日 - 1985年5月5日 | 放送回数3 = 21 | プロデューサー3 = | 出演者3 = | OPテーマ3 = MAIN TITLE | EDテーマ3 = Test Drive | 外部リンク3 = | 外部リンク名3 = | 番組名4 = シーズン4 | 放送時間4 = | 放送分4 = | 放送枠4 = | 放送期間4 = 1985年9月20日 - 1986年4月4日 | 放送回数4 = 21 | プロデューサー4 = | 出演者4 = | OPテーマ4 = MAIN TITLE | EDテーマ4 = END TITLE | 外部リンク4 = | 外部リンク名4 = | 特記事項 = }} 『'''ナイトライダー'''』(Knight Rider)は、アメリカの[[特撮]][[テレビドラマ]]。 == 内容 == 私立[[探偵]]機関の調査員、マイケル・ナイトが、人間の言葉を話し特殊装備を搭載したドリーム・カー『[[ナイト2000]]』とともにさまざまな事件を解決するカーアクションドラマ。 本項目ではテレビドラマに関連する作品もあわせて解説する。 == 放送期間 == アメリカでは[[1982年]][[9月26日]]から[[1986年]][[8月8日]]まで[[NBC]]で全84話('''1シーズン毎'''に'''21話'''×'''4シーズン'''='''全84話''')が放送された。 日本では[[テレビ朝日]][[All-nippon News Network|系列]]で全84話中、74本が放映され米国放送でシーズン4にあたるほとんどのエピソードは『新ナイトライダー』のタイトルで放映された。 永らく未放映になっていた10エピソードは[[2015年]]に[[FOXクラシック]] 名作ドラマチャンネルで日本語吹き替え版が日本初放送され、その翌年の2016年には[[NHK BSプレミアム]]でもシーズン1の未放映9エピソード(シーズン2の第11話にあたる1エピソードは未放送)が同じく放送された。衛星波の再放送は上記の2局に加え[[2019年]]には[[アクションチャンネル|AXN]]で放送された<ref>{{Cite web|和書|title=80年代の海外ドラマ「ナイトライダー」、AXNで12月9日より放送開始 - |url=https://car-l.co.jp/2019/11/28/19670/ |date=2019-11-28 |access-date=2022-10-27 |language=ja |last=編集部}}</ref>ほか2022年現在、[[BS松竹東急]]で放送中である<ref>{{Cite web|和書|title=ナイトライダー #2「重戦車砲撃網大突破」 #2 | BS松竹東急 |url=https://www.shochiku-tokyu.co.jp/program/7040/ |website=BS松竹東急 |access-date=2022-10-27 |language=ja |last=株式会社BS松竹東急}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=80年代の人気海外ドラマ『ナイトライダー』全4シーズンがBS松竹東急で10・15放送開始|TV LIFE web |url=https://news.yahoo.co.jp/articles/a9c7a6d5598e604a7e2f40469fd060e82a9abbd2 |website=YAHOO! ニュース|access-date=2022-10-06 |language=ja }}</ref>。 == あらすじ == 若き敏腕刑事'''マイケル・ロング'''は、ある産業スパイを追跡中に同僚を殺され、自らもまた凶弾に倒れた。しかし、マイケルはナイト財団の総帥'''ウィルトン・ナイト'''によって辛くも命を救われ、その身分もウィルトン・ナイトの養子として新たに'''マイケル・ナイト'''となる。 重病で死の床についたウィルトンは、マイケルの手を取り「一人の男が世界を変えられる('''One man can make difference .''')」と説いてこの世を去る。ウィルトンの遺志を受け継いだマイケルは、密かに財団が開発していたドリームカー'''「[[ナイト2000]]」'''のドライバーとなる。ナイト2000は、人工知能'''「K.I.T.T(キット)」'''を搭載しており、自分で考えて言葉を話し、さらには自らの意思で走行する事もできるスーパーマシンである。マイケルはK.I.T.T.と共に、世の中の不正や巨悪と戦っていく。 == 登場人物 == * 主要登場人物の内、マイケル、K.I.T.T.、デボンの3名は全84話において[[皆勤賞|皆勤]]登場。 * ボニーはシーズン1第1話・第3話、シーズン2全話、シーズン4第21話以外のエピソードに登場。 * エイプリルはシーズン2内での第19話・第21話以外のエピソードに登場。 * RC3はシーズン4内での全話に登場。 === 主人公と相棒 === ; マイケル・ナイト '''Michael Knight''' (84エピソード, 1982-1986) : 演 - [[デビッド・ハッセルホフ]] [[:en:David Hasselhoff|David Hasselhoff]]、日本語吹替 - [[ささきいさお|佐々木功(現:ささきいさお)]]<ref group="注">テレビ朝日放映版及びDVD版での表記は"佐々木功"で、2014年11月27日にリリースされたブルーレイ版及びFOXクラシックならびにNHK BSプレミアムでの表記は"ささきいさお"となっている。</REF> : 本作の主人公。ナイト財団の最重要顧問<ref group="注">パイロット版では、デボンがマイケルにナイト財団総帥としての覚悟を問う場面がある。ディビッド・ドルトンと初めて対面した時、ドルトンはマイケルについて「ナイト財団の若き総帥にしてデボン・シャイアーの友人」と言っている。また、ボニーはホルストン博士にマイケルを紹介する際、「彼ナイト財団の中心人物ですの」と言っている。</ref>としてウィルトン・ナイトの遺志を継ぐ。ナイト2000のドライバーとしてK.I.T.T.とコンビを組み、数々の難事件に立ち向かった。 : 生年月日は1949年1月9日で元々はマイケル・アーサー・ロングという名の敏腕刑事(階級は警部)であったが、産業スパイ事件捜査中敵組織に長年コンビを組んできた相棒マンツィを殺され、自らも組織のボス・タニヤによって顔を撃たれて瀕死の重傷を負い、ウィルトンにより救出される<ref group="注">この時点ではハッセルホフとは全く別の俳優'''ラリー・アンダーソン'''がロング役(日本語吹替は同じく佐々木功=現:ささきいさおが担当)。ただし車を降りて顔が逆光でシルエットになる場面(=タニヤに撃たれる直前)からはハッセルホフが演じている</ref>。陸軍の軍歴があり<ref group="注">パイロット版で、タニヤに雇われたドライバーと一緒に留置場に入れられた際、「ベトナム(戦争)で情報将校として戦った」と語っている他、シーズン1第2話では、道中知り合ったロビン・ラッド中尉に「君みたいな上官ばかりだったら、俺も軍を辞めなかったのにな」と言っている。</ref>、戦傷を受けた際、額に金属板を埋め込む手術を受けていたため、銃弾がこの板に跳ね返され致命傷を免れていた(ただしそれにより顔は破壊された)。 : 一命を取り留めた後は、負わされた怪我の治療と合わせてウィルトンの息子ガースをモデルに顔の整形手術も行われ<ref group="注">整形後のマイケルの顔を見たデボンは、若き日のウィルトンにそっくりそのままだと述べている。</REF>、更にウィルトンの養子として名前もマイケル・ナイトに改められる。後にウィルトンの実子であるガースの存在を知った際、マイケルはデボンに「そいつ(ガース)が俺にそっくりなのは一体どういうことだ!?」と問い詰める場面があった。ナイトとしてのプロフィールは創作されたものであるため、[[コネ]]を使って経歴を調べた悪党達に「3年前には存在さえしていなかった男だ」と驚かれることもしばしばである。 : 趣味はロッククライミングで、シーズン1第3話「荒野の大戦争!地獄の暴走族スコーピオンズ対ナイト2000(原題:A GOOD DAY AT WHITE ROCK)」では、休暇を取ってロッククライミングをするためホワイトロックの町を訪れている。 : シーズン2第10話「激闘!魔の巨大ダム捜査・ナイト2000決死のターボジャンプ(原題:KNIGHTMARES)」では、敵が投げた手榴弾の爆風でコンクリートの壁に叩き付けられ、そのショックでマイケル・ナイトとしての記憶を一時的に喪失し、マイケル・ロングに戻ってしまったことがある。ロングに戻ってしまったマイケルに「ナイトはどんな奴か」と尋ねられたK.I.T.T.は、「聡明で機敏で論理的だった反面、頑固で短気で若い女性の誘惑にもろく、自分のセンサーがショートしそうなおぞましい音楽(ロック)を好んで聴いている」と答えている。 : シーズン4第14話「死の魔術・アリバイに隠された謎(原題:DEADLY KNIGHTSHADE)」で、雌の虎を見て猫アレルギーである事を告白しており、「大きいのは特にダメ」と語っている。 : 作中では敵相手に[[拳銃]]を使う場面は基本的にはない(アメリカでも市民の拳銃携帯は法律上の必要がなければ禁止。拳銃に限らず銃を持つ場合は周囲に見えるように携行しなければならない)。拳銃自体を所持していないという設定でもあるが、例外もあり敵から奪った拳銃を敵に向けて敵組織(あるいはその[[黒幕]])の情報を自白させるといった場面は少数ながらはある。 : シーズン1第21話(=シーズン1の最終話)「死の銃撃戦!マイケル・ナイト2000(原題:SHORT NOTICE)」では冒頭にて寝込みをいきなり敵に襲われてもみ合いとなり、敵が拳銃を構えて撃とうとした場面でマイケルは銃口を敵に向けて結果その敵が自滅するという場面になり所謂「[[正当防衛]]」となるが、周囲はマイケルを殺人犯扱いをしてしまい、その無実を実証できる人物が実はそれら一連の黒幕との因縁があり、マイケルは自身と無実を実証できる人物の安全を求めて奔走するエピソードとなっている。 : 元刑事という設定であるため「近距離格闘」にはそれなりの自信があり、拳銃は無くとも1対1でのタイマン勝負の場面ではほとんどの場面において相手を簡単に[[ノックアウト|K.O.]]をさせるほどである。 : ただし必ずしもそうではなく中には打たれ強いタフな敵役もおり、シーズン1第21話での黒幕とのタイマン戦では最終的にはマイケルの勝利であったもののかなりの苦戦を強いられている場面があった。 : また1人と格闘中に後ろからもう1人に殴られるなど、不意打ちを食らって気を失い、ピンチに陥る事もある。 : シーズン1 - 3までは、パーマをふんわりかけたアフロのような髪型であったが、シーズン4以降では若干変わり、リーゼントのような髪型となる。服装は基本的に黒の革ジャンと赤のハイネックシャツにデニムパンツ。 : マイケル・ロングの頃の恋人であるスティービーがかかわる話は全シーズン通して3回あり、その3回目で結婚式を挙げる(後述)。 : 後に再婚したジェニファー・トレーサーとの間に、息子マイクを授かる(ナイトライダーNEXTでの設定)。 : 日本版オープニングでのキャスト紹介ではシーズン2第1話「ナイトライダー2・無敵ゴライアスVSナイト2000(原題:GOLIATH)」のみ「ナイトライダー誕生は、ある若者が、悪の凶弾に倒れたことに始まる。ナイト財団の総帥(ウィルトン・ナイト)によって命を救われた彼は、整形手術によって別人の顔となり、その身分もマイケル・ナイトと変わっていた…」と紹介され、それ以外は「ドリームカー・ナイト2000と共に、法の目を逃れる犯罪者たちを追う若きヒーロー、マイケル・ナイト。人は彼をナイトライダーと呼ぶ<ref group="注">劇中でK.I.T.Tおよびマイケルは「ナイトライダー」と呼ばれたことはない。</ref>」と紹介されており、原語版では「Michael Knight, a young loner on a crusade to champion the cause of the innocent, the helpless, the powerless, in a world of criminals who operate above the law」(日本語字幕は「マイケル・ナイト、法の目をかいくぐる犯罪者たちを追う、孤高の若きヒーロー」と表示)と紹介されている。 : またパイロット版の日本版エンディングでは「一人の男が世界を変える。マイケル・ナイト。世の巨大な悪に敢然と立ち向かう正義の騎士、ナイトライダーが今誕生した」、シーズン1初期(第17話まで)の日本版エンディングでは「巨大な悪に立ち向かう現代の騎士、マイケル・ナイト。明日、彼を待ち受ける者は果たして誰か」というナレーションでそれぞれ締めくくられており、原語版ではウィルトンを演じたベイスハートによるナレーションで「(One man can make a difference, ''Michael'') Michael Knight, a lone crusader in a dangerous world, the world...of the Knight Rider」(日本語字幕は「悪に立ち向かう現代の騎士、マイケル・ナイト、またの名を"ナイトライダー"」と表示)となっていて、(One man can…)と言っている所はパイロット版(第1話)及び第4話〜第6話までで第7話以降は無くなっている、この部分が「一人の男が世界を変える」(日本語字幕は「独りで戦え、マイケル」と表示)という意味を示している。 ; K.I.T.T.(キット)'''Knight Industries Two Thousand''' (84エピソード, 1982-1986) : 声 - [[ウィリアム・ダニエルズ]] [[:en:William Daniels|William Daniels]]、日本語吹替 - [[野島昭生]] : ナイト2000に搭載された人工知能で、マイケルの性格を良くも悪くもいちばん理解している相棒。 : 製造番号AD-227529。元々はワシントンのコンピュータに組み込まれていたが、ナイト財団に移されたと自ら語っている。 : 離れた場所にいるマイケルとは、マイケルが左腕につけている'''コムリンク'''と呼ばれる腕時計型の通信機を通して会話する。 : 実直で真面目な性格で、ユーモアにも長けている。 :恐怖といった感情は持っていないと度々明言しており、ナイト2000の頑丈さもあって無茶な行動も躊躇いなくこなせるが、シーズン3第13話「ナイト2000魔の毒液に溶ける!決死の再生立直れキット!!(原題:JUNK YARD DOG)」では産業廃棄物の沼に浸かり死の淵を彷徨った時は、必要以上に警戒心が強くなり、再び敵の廃棄物処理場に乗り込んだ際にトラウマのような感情を見せて動けなくなり、マイケルからのアドバイス<ref group="注">パイロット版(=シーズン1第1話)の序盤でマイケルがタニヤから銃撃を受けた場面の回想シーンが挿入される。</ref>を受けてようやく克服した。 : 一度路肩の石が車体の底に当たったショックでK.I.T.T.の回線が切れた(言葉のプログラムが、粗暴なブルックリン訛りに切り替わった)時に、マイケルを「マイキー」と呼んだこともある。マイケルはその喋り方を我慢できず「頼むからその喋り方だけは勘弁してくれ」という程で、[[ダッシュボード (自動車)|インパネ]]を叩く(ショック療法)などし、さらに終盤では本部に戻る前にわざわざボニーを呼んでまで修理をさせた。また、ジャガーノートの攻撃で破壊され再プログラミングの際にも、ガレージで作業しているRC3達の会話を拾ったため、同様にマイケルのことを「兄弟」と呼んでいる。 : 基本的にマイケルの命令で行動し、時にはマイケルの意見に反対する場面も見られるが、最終的にはほとんどマイケルの言うことに賛同している。ただしシーズン3第7話「地獄におちたマイケル!裏切り!逃亡!死のバイオ兵器強奪(原題:Knight in Disgrace)」ではニューオリンズ犯罪王、ボイド・ラサール(ジョン・コンシダイン、声:[[小林勝彦]])の手によってマイケルが悪の道に堕ちた姿(後にマイケルとデボンの二人だけで画策した芝居であったことが判明する)を嘆いており「人命を危険に晒す行為に力は貸せません!!」と言いマイケルの命令を拒否した。 : シーズン4第11話(日本版での最終話)「復讐の鎮魂歌・さらばナイト2000(原題:THE SCENT OF ROSES)」で最愛のスティービーの命を奪ったデュランに対して怒り狂い、馬乗りになりひたすら暴行を加えるマイケルの元に駆けつけ、「マイケル、やめなさい! あなたまで人殺しになります!!」と彼を一喝する場面も見られた。 : また作中でマイケルが敵に気絶させられ意識が無い状態で車内に乗せられた場面で、今の状況が崖下に一直線となる暴走状況(=シーズン1第11話「潜入!殺人アカデミー テロリストの野望を砕け(原題:A PLUSH RIDE)」)やスクラップにされる状況(=シーズン2第4話「危うしナイト2000!スクラップ地獄 脱出!空中ターボ噴射!!(原題:BLIND SPOT)」)では、結末がどうなるかは明らかにK.I.T.T.自身理解できているものの、あくまでマイケルからの指示命令がなければ自身による独断で行動を取らず、マイケルの意識を戻すことを最優先に行動し、マイケルに意識が戻り、マイケルから(今の状況を)脱出しろと命令が出て初めてそういった行動を取る。 : シーズン4第5話「凶悪の牙・襲われた財団司令室!!(原題:THE WRONG CROWD)」でマイケルが捜査途中で人質を盾に取られ気絶させられた場面では非常事態を察知し彼の基へ駆けつけたり、シーズン4第16話「大追跡!凶悪のオフロードレース (原題:KNIGHT OF A THOUSAND DEVILS)」では通信連絡用のコムリンクをRC3に預け自身との直接連絡ができなかった状況で、犯人一味との格闘の最中主犯人が逃走をした際、マイケルが『K.I.T.T.が気付けば良いけどな』と呟いて後を追ったところ、状況をスキャナーで感知し、直接指示が無かったにも関わらず主犯人の逃走を体当たりで阻止したりと、マイケルの思いが通じて(≒空気が読めて)いる場面がある。 : またマイケル自身に非常事態が発生し、直接連絡ができない場面やマイケル本人が敵による催眠状態で明らかに正常でない状況ではデボンに指示を仰ぐ場面も見られた。シーズン3第10話「復讐のカメレオンマン・千の顔を持つ男(原題:KNIGHT OF THE CHAMELEON)」及びシーズン4第21話「黒魔術ブードゥ!恐怖の脳支配(原題:VOO DOO KNIGHT)」でそれが見られる。 : パイロット版(=シーズン1第1話)では終盤でタニヤから銃で重傷を負ったマイケルに「あなたは(重傷を負いすぐにも病院で手当てが必要で、体力が)もう限界だ」と言い、同場面で飛行機電話に繋がっていたデボンから「残念だがK.I.T.T.、マイケルに意識のある間は君にはどうすることもできない」と言っている。一方のマイケルは「まだ九回裏、ツーアウト」と[[野球]]の終盤場面を例えとした発言で自身を励まし宿敵を討つ姿勢を持っていた。 : 日本語版ではデボンに対しての呼び掛けは『デボン'''さん'''』と[[敬称|さん付け]]している<ref group="注">シーズン2第1話と第17話において日本初放映では第2回・第3回となる為、まだ日本語版の方向性が固まっていなかったこともあり、『[[呼び捨て]]』にしている場面が確認できる</ref>。 === ナイト財団 === ナイト財団とは、マイクロエレクトロニクス事業で巨万の富を築いた実業家、ウィルトン・ナイトがその収益を投じて設立した組織(財団法人)で、正式名称は「法と政府のためのウィルトン・ナイト記念財団(''Wilton Knight Memorial Foundation for Law And Government'')」。ウィルトン・ナイトの名前を省略して頭文字をとり「''F.L.A.G.''」と称されることもある。様々な団体・個人にとって表沙汰にしたくない事件の調査を請け負っている、いわば私立[[探偵]]・興信所だが、その実績は政府の公的機関や大企業からも依頼を受けるほどの評価を得ている。財団の総帥であるウィルトン・ナイトは、かねてより犯罪を撲滅するためには積極的な抑止力の必要性を痛感しており、そのためにドリームカー「ナイト2000」が製作されることとなった。 劇中ではマイケルが「民間の調査機関」と名乗っているように、ナイト財団の調査部門そのものに強制権・捜査権は一切ない。そのため、捜査の際には警察や軍との連携を図る場合もある。一方で、マイケルが不法侵入やハッキング等の違法行為を行うシーンがしばしば見られ、キットがマイケルを諌めながらも結局はそれに渋々協力する、というやり取りは半ば恒例となっている。 マイケルが所属する組織は、日本語吹き替え版では単に「ナイト財団」と呼ばれているが、オリジナルではナイト財団の一部門である「F.L.A.G.」となっている。 なお、偶然で全く同一名の財団法人が実在する([[:en:Knight Foundation]])。 ==== 責任者 ==== ; デボン・マイルズ '''Devon (Shire) Miles''' (84エピソード, 1982-1986)(パイロット版及び日本語版ではデボン・'''シャイアー''')<ref group="注">DVD版での表記は"デボン・マイルズ"で、2014年11月27日にリリースされたブルーレイ版での表記は"デボン・シャイアー"となっている</REF> : 演 - [[エドワード・マルヘアー]] [[:en:Edward Mulhare|Edward Mulhare]]、日本語吹替 - [[中村正 (声優)|中村正]] : 財団の責任者でイギリス人。在りし日のウィルトンとは戦友であり、紳士的かつ温厚な性格。マイケルと意見が対立することもしばしばあるものの、彼の行動を全面的にサポートする良き理解者。 : 軍を始めとして非常に広い人脈を持ち、大統領とも面識がある。 : 博士号を持つ科学者でもあり、ナイト2000のボディを覆う分子結合殻の構造式の2/3(内'''A'''と'''B'''の式を知り『'''C'''の式』のみ知らず後述する他の2名が知っている)を知る3人の人物の1人。 : また、過激な過去を持つという逸話もあり、[[第二次世界大戦]]中は従軍し、[[ゲシュタポ]]の捕虜収容所から3度も脱走に成功した、[[ヴィシー政権|ドイツ軍占領下のフランス]]にナイフ投げの芸人として潜入した、夜バイクに乗って司令部に行く途中に敵機の夜間爆撃に遭い、バイクは破壊されたものの助かった、若い頃はバイクレースのチャンピオンだった(マイケルが「デボンのヘルメットにゴーグル姿なんて想像もつかないね」と評したため「おいおい、それは偏見だぞ。私にだって若い頃はあったんだ、何なら[[トロフィー]]を見せてやろうか?」と言い返した)、等。他、[[SAS (イギリス陸軍)|SAS]]への在籍経験もあるという。ガースからは「親父(ウィルトン)によく似てやがる、だからお前が嫌いだ!!」と言われた。 : 従軍時代の階級は[[尉官|中尉]]であり、[[上司|上官]]にあたるスマイス[[佐官|中佐]]の部下であった。 : なおシャイアーという名字は原語版ではパイロット用脚本に見られる。 : マイケルやK.I.T.T.とともに全話に渡って登場するが、4シーズン中モニター越しでほんの数秒程度の登場だけの「最も登場時間の短い回」が3本あり、ひとつはシーズン3第13話「ナイト2000魔の毒液に溶ける!決死の再生立直れキット!!(原題:JUNK YARD DOG)」でK.I.T.T.が廃溶液によって壊滅的な状況になった場面<ref>TV朝日放映時カットされていたが、冒頭で「ちょっと腰を痛めてな家で療養している、今回の一件はボニーに代理を任せてある」と言っているシーン。</ref>と、シーズン3第14話「強敵!ミサイル装甲車vsナイト2000!!(原題:Buy Out)」、シーズン4第10話「無法街!嵐のシカゴ・ブルース(原題:Knight Song)」である。これはシーズン3第13話の収録時点でデボン役のマルヘアーが持病を患っていたことへの配慮である。逆にシーズン1第7話「デボン逮捕!!決死の脱獄・迫る巨大トレーラー!橋上の対決(原題:NO BIG THING)」はデボンに焦点が当てられたエピソードで、同話中ではマイケルよりも主人公的な視点で描かれており、先述の「ゲシュタポ捕虜収容所から3度の脱走に成功した」という逸話もこの時に本人が語っている。 : 性格は常に温厚であるが、シーズン3第8話「マイケル連続危機!殺人フリスビーが襲う!猛毒が狙う!(原題: DEAD OF KNIGHT)」でのエピソード冒頭で、毒スプレーでたまたまマイケルの後ろにいた全くの無関係である女性を殺害し、その後マイケルを毒薬入りの[[オレンジジュース]](マーティン自身が実行した訳ではない)やカミソリ付きのフリスビーで殺そうとしたソニー・マーティン([[スタンリー・カメル]]、声:[[徳丸完]])に対しては、現行犯逮捕したマイケルの尋問に対してあくまでシラを切り続けるマーティンの態度に業を煮やし、彼の襟首を掴んで「私は普段は忍耐強いが、一度堪忍袋の緒が切れると何をするか自分でも分からなくなる!」と声を荒らげ激昂する場面が見られた。 : マイケルが事件捜査中にFBIや軍といった各機関に協力が必要となった場面では、マイケルからの依頼を受けたデボンが各機関の管理責任者に協力要請を依頼することが基本となっているが、前述のシーズン3第13・14話、シーズン4第10話ではデボン役であるマルヘアーの休養に伴い、ボニーがその代役を務めている。 : 日本版オープニングでのキャスト紹介では「デボン・シャイアー。マイケル・ナイトの良き理解者」と紹介されるが、シーズン2第1話「ナイトライダー2・無敵ゴライアスVSナイト2000(原題:GOLIATH)」のみ「デボン・シャイアー。彼はナイトライダー誕生の秘密(マイケルのこと)を知る、数少ない人物の1人である」と紹介されている。 ==== メカニック ==== ; ボニー・バーストウ '''Bonnie Barstow'''(シーズン1・3・4)(60エピソード, 1982-1983・1984-1986) : 演 - {{仮リンク|パトリシア・マクファーソン|en|Patricia McPherson}}、日本語吹替 - [[小山茉美]] : ナイト2000製作チームのうちの1人。 : K.I.T.T.に対しては母親のようにかいがいしく接する一方、メカニック関連の知識に疎くK.I.T.T.に度々無茶をさせたりどこかしらを故障させるマイケルに対しては、冷たく当たる場面もある(このような場面はシーズン1時に特に多く見られたが、シーズン3以降は徐々に少なくなってきており、シーズン4ではあまり見られなくなっている)。またシーズン3第7話「地獄におちたマイケル!裏切り!逃亡!死のバイオ兵器強奪(原題:Knight in Disgrace)」でエピソード序盤でマイケルが停職処分となった場面では、デボンと口論となり「(マイケルの停職処分は)あんまりですわ!」と彼を擁護する場面も見られた<ref group="注">マイケルの停職処分に関する一部始終は、テロリストのボイド・ラサールを逮捕するため全てマイケルとデボンの二人だけで画策した芝居であって、この時点でのボニーやK.I.T.T.もまんまと二人に騙されていた。後に真実を知って事件解決後のマイケルに対して『私までまんまと騙したことも(事件を解決したことで)許してあげるわ、もし私が真実を知っていたらK.I.T.T.に悟られていたから』と言っている。</ref>。と普段は仲良く無さそうに見えるが、何だかんだでお互いが窮地に陥る場面では助け合う場面がハッキリ見られる。 : シーズン2ではボニーは登場せず、エイプリル・カーティス([[#april|後述]])がナイト2000のメカニックを担当しているが、この交代の理由はエグゼクティブ・プロデューサーの一人、ロバート・フォスターによると「これまでと違った要素を取り入れたかった。きらびやかさが欲しかった」との事<ref>{{Cite journal|first=Bill|last=O'Hallaren|title=Boy, Has She Got Car Troubles|url=http://www.teamknightrider.com/classic/cast/mcpherson/trouble.html|journal=TV Guide|date = 1986-01-04|accessdate = 2014-12-21}}</ref>。そのためシーズン3第1話「ナイトライダー5・強敵!赤い殺人カー(原題:KNIGHT OF THE DRONES)」で復帰した際には、一時的に財団から離れサンフランシスコの大学に在籍していた設定となっている。なお同エピソードでは彼女たった一人だけでK.I.T.T.の内装をいわゆる「後期型」にバージョンアップしている。 : 1度K.I.T.T.に身長、体重、スリーサイズをこっそり計測されたことがあり、それによると身長168cm、体重54kg、スリーサイズは上から97cm-61cm-91cm。(シーズン1第9話「決死の替え玉作戦!ナイト2000 凶悪武装軍団マル秘計画を暴け!!(原題:INSIDE OUT)」)。 : 飛行機嫌いであり、その性格はK.I.T.T.にも反映されている。 : パイロット版(シーズン1第1話)「電子頭脳スーパーカー誕生(原題:KNIGHT OF PHOENIX)」、シーズン1第3話「荒野の大戦争!地獄の暴走族スコーピオンズ 対 ナイト2000(原題:GOOD DAY AT WHITE ROCK)」、シーズン2全話、シーズン4第21話「黒魔術ブードゥー!恐怖の脳支配(原題:VOODOO KNIGHT)」を除くエピソードに登場する。 : 上述のシーズン1第3話やシーズン4第21話のオープニングクレジットでは紹介されているが、前者は物語の冒頭のシーンでデボンがレストランにいる事をボニーから教えてもらったとマイケルの会話及び、後者は物語の中盤のシーンで相手を催眠状態に陥れるイヤークリップの分析に関して、デボンが今ボニーが(休暇で)いないが…というマイケルとの会話では登場しているが、どちらもボニー本人は登場していない。 : 上述のシーズン3第13・14話では本来デボンが担うべき各機関への協力要請の役目をボニーが務めている。 : また逆にシーズン4第21話では本来ボニーが担うべきメカニックとしての役目をデボンが務めている。なお同エピソードでは、ボニーは休暇中という設定であるため一切登場しない。 : シーズン1第17話「激突!キット対マイケル・悪魔の洗脳!奪われたナイト2000(原題:CHARIOT OF GOLD)」、シーズン3第4話「幽霊殺人事件・謎のゴリラを追え!(原題:HALLOWEEN KNIGHT)」、シーズン4第3話「ハイジャック!人質ボニーを救え!!(原題:SKY KNIGHT)」、シーズン4第8話「謀殺!サーキットに忍び寄る魔手!!(原題:KNIGHT RACER)」といった各シーズン(シーズン2を除く)のエピソードではボニーを焦点にしたエピソードとなっている。 : シーズン1第17話ではK.I.T.T.を乗っ取る為に敵組織に洗脳される。シーズン3第4話では新居先で事件に巻き込まれる。シーズン4第3話では姉の結婚式の為、ボストン行への飛行機に乗った所でハイジャック事件に巻き込まれる。シーズン4第8話では自分と同じメカニックの友人が事件に巻き込まれ、その真相を掴むべくデボンにマイケルを事件真相に捜査を要請する場面がある。ただし当のデボンはマイケルに次の仕事を既に予定しており前向きではなく「36時間以内」を条件にその依頼を承諾したが、真相究明に時間が遅れたためデボンはボニーに『残念だが時間が来たこれ以上は無理だ』と非情にも「捜査の打ち切り」を告示したが、ここでマイケルが『ケチな詐欺師を捕まえるのが先か?それとも明日先がわからない人を救うのが先か?』と両者を天秤に掛けて問い詰められたデボンが「全く私を弱みを掴みおって…」と渋々マイケルに7時間以内を条件にボニーの事件解決させることを優先させた。 : またシーズン3第19話「女賊アマゾネス!狙われた最新鋭ミサイル!!(原題:KNIGHT IN RETREAT)」でも数年来の知人であるハーリー・フリーマンが飲酒運転での自殺だとはどうしても思えないとボニーの見解でマイケルに調査を依頼し、事件の真実を受け止めた。 : 家族や親戚については、姉が一人いる事(シーズン4第3話より)が判明している。ただし名前や容姿は不明。 : 日本版オープニングでのキャスト紹介では、日曜洋画版(ナイトライダー6)及びDVD版とブルーレイ版シーズン1では「ボニー・バーストウ。ナイト2000製作メンバーの中心人物」、同じく日曜洋画版(ナイトライダー5)及びDVD版とブルーレイ版シーズン3では「ボニー・バーストウ。元ナイト財団のメンバー、ナイト2000製作チームの中心人物の1人」、それ以外の[[テレビ朝日|TVシリーズ]]版及びブルーレイ版シーズン4では「ボニー・バーストウ。ナイト2000製作メンバーの1人。メカニック担当」と紹介されている。 : 「バーストー」は誤記(語尾がeではなくwで終わっているため)。 ; <span id="april">エイプリル・カーティス '''April Curtis'''</span>(シーズン2)(19エピソード, 1983-1984) : 演 - {{仮リンク|レベッカ・ホールデン|en|Rebecca Holden}}、日本語吹替 - [[潘恵子]] : ボニーが財団を離れていた間のK.I.T.T.担当メカニック。 : ボニー同様、K.I.T.T.に対しては愛情を持って接することから、K.I.T.T.に「技術者というよりはまるで母親のようです」と言わせるほど。 : 水上走行装置(水上シンセサイザー)やウルトラマグネシウム、車高調節装置、特殊耐熱被膜、赤外線透視装置、サイレントモード、緊急パラシュートなど様々な機能をK.I.T.T.に実装し、常にK.I.T.T.をサポートする。メカニックの他にも、デボンの秘書的な役割や看護婦の仕事もこなせる才女。 : シーズン2第20話「ビデオテープは死のサイン!芸能界潜入!マイケル歌手に!!(原題:LET IT BE ME)」において、財団に参加する以前旅行代理店で働いていたこともあると明かし、ロックバンド「クラスアクション」のコンサート中継に紛れて送られた暗号<ref group="注">0と1の二進法で送られており、アルファベットと数字に変換すると「AR LV 1930 2K」となる。これを、「AR=ARRIVE(到着)の略」「LV=Las Vegas(ラス・ベガス)の略」「1930=19時30分」と解読した。なお末尾の数字と「K」については、マイケルが「K=kg(キログラム)の略」だと見破った。</ref>を、麻薬の密輸スケジュールであると解読した。 : デボンとともにガースに捕らわれた際には、その可憐な外見からは一見想像もつかないほどの毅然とした態度でガースに接しており、それに怒ったガースに突き飛ばされた直後に、緊張の糸が切れて泣き出している。 : シーズン2第15話「死線48時間リミット寸前! 決死のレール・ウェイ大走破!!(原題:RACE FOR LIFE)」ではエイプリルに焦点が当てられ、彼女の義理の姉ローラ(リーン・マルタ、声:[[伊藤幸子 (女優)|伊藤幸子]])と姪のベッキー(ロビン・リバリー、声:[[藤枝成子]])も登場している。なお、米国のあるノベライズにおいてデボンの実子であるという描写がされているが、正式な設定の中でその扱いをしているものはない。 : なおエイプリルとボニーが同時に出演(=共演)する場面は一切ない。また同様にエイプリルとレジナルド・コーネリアス・3世(RC3)が共演する場面も存在しない。 : 家族や親戚については、兄と兄嫁(=義姉)とその姪がいる事(シーズン2第15話より)が判明している。ただし実兄は既に[[故人]]となっている。 : 日本版オープニングでのキャスト紹介ではシーズン2第1話「ナイトライダー2・無敵ゴライアスVSナイト2000(原題:GOLIATH)」のみ「エイプリル・カーティス。ドリームカー、ナイト2000のメカニック担当」と紹介され、それ以外は「エイプリル・カーティス。ナイト2000のメカニック担当」と紹介されている。 : シーズン2のみレギュラーキャストだがナイトライダー4として放送されたシーズン2第19話「殺人ミサイル壊滅作戦(原題:MOUTH OF THE SNAKE)」とシーズン2第21話「巨大ブルドーザーの罠!体当り!転落!恐怖の土砂生きうめ(原題:BIG IRON)」の2エピソードにはエイプリルは登場しない。 ; レジナルド・コーネリアス・3世 '''Reginald Cornelius the THIRD'''(日本語版ではレジナルド・'''コルネリウス'''・3世)(通称:''RC3'')(シーズン4)(21エピソード, 1985-1986) : 演 - {{仮リンク|ピーター・パロス|en|Peter Parros}}、日本語吹替 - [[水島裕 (声優)|水島裕]] : ナイト財団のメカニックとしてシーズン4第1話から登場する、陽気な青年。 : シカゴのスラム街で「ストリート・アベンジャー(ビデオ版の字幕では「復讐者」)」と名乗って自警団的な活動(兄がベトナムから持ち帰った[[M16自動小銃#アメリカ軍次期制式ライフル|M16ライフル]]を最初は本物を撃っていたが後にゴムで複製し、それを武器に街に蔓延る悪人達を取り締まっていた)をしていたが、マイケルがシカゴの街に着いた時、2人組の悪人を追いかけて格闘しているRC3に初めて出会いその後、装甲車ジャガーノートによって大破したナイト2000を復活させる際に父親所有のガレージ(財団トレーラーを収容して余るほどの広さ)を提供した上、スラム街に住む失業中のメカニック達のリーダーとしてともにボニーに協力して活躍し、「[[オープンカー|C(コンバーチブル)]]モード」、「スーパー追跡モード(S.P.M.、車体形状が大きく変形し、それまでの追跡モード以上の超高速走行が可能となる)」、「緊急ブレーキシステム([[空力ブレーキ]]装置)」等の新機能まで追加し協力した。ガレージが彼の父親のものだと聞いたマイケルは、「名前はRC2か?」と尋ねている。この実績を買われデボンにK.I.T.T.担当のメカニックとしてスカウトされ財団に参加する事となる。 : 普段の活動は移動本部トレーラーのドライバーとしての仕事がメインであり、それ以外の時はトレーラー内で自分のバイクをいじっている(移動本部トレーラーにはK.I.T.T.と同等の自動走行装置が搭載されており、緊急時に限り使用が許可されている)。 : シーズン4第4話「死を呼ぶ聖地・恐怖のガラガラ蛇(原題:Burial Ground )」ではナイト2000のスタビライザーが損傷した際にナイト財団のマーク入りの白いつなぎを着て作業をしたり、シーズン4第17話「山火事!放火犯を新兵器で追え!(原題:HILLS OF FIRE)」ではナイト2000が急斜面を登れるようにスパイクが飛び出す特殊タイヤ<ref group="注">ボニーが[[ヤマアラシ]]にヒントを得て開発したもので、RC3は自身の名前を取って「RCラジアル」と名付けようと提案した。</ref>をボニーと共に開発したりと、本来のメカニックとしての仕事をしている場面もみられる。またシーズン4後半ではマイケルのサポート役に回ることもあった。 : シーズン4第10話「無法街!嵐のシカゴ・ブルース(原題:KNIGHT SONG)」ではRC3に焦点が当てられ、RC3の地元でかつての幼なじみであったキース・ローソン(マーク・ベンチュリー、声:[[千葉繁]])がギャングになって街を荒らす姿に驚愕し、それぞれがいわば敵同士の間柄となってしまうが、それを乗り越え一皮剥けたRC3の活躍が見られるエピソードとなっている。 : 家族や親戚については、父と兄がいる事(シーズン4第1話より)と伯母がいる事(シーズン4第21話より)が判明している。 : 日本版オープニングでのキャスト紹介では「レジナルド・コルネリウス・3世。通称RC3、メカニックの天才」と紹介されている。 === ナイト家 === ; ウィルトン・ナイト '''Wilton Knight''' (1エピソード, 1982) : 演 - [[リチャード・ベイスハート]] [[:en:Richard Basehart|Richard Basehart]]、日本語吹替 - [[大久保正信]] : ナイト財団の総帥にして、瀕死の重傷を負ったマイケルの命を救った人物。 : “ドリーム・カー”ナイト2000を生み出した人物でもあり天才科学者でもあるが、自身は既に病魔(病名は出なかった)に冒され余命幾ばくもない状態であり、自分の後継者としてマイケルを選び、彼に自身の遺志として「1人の男が世界を変えられる(One man can make a difference)」という言葉を託してこの世を去った。 : このキャッチフレーズは25年後の時代「ナイトライダーNEXT」においても継承されており、マイケルが自身の息子マイクに対してこの言葉を使った。 : シーズン4第1話でも、ウィルトンの娘ジェニファーがナイト財団の理事会においてF.L.A.G.の廃止を提案した際、マイケルはこの言葉を用いてウィルトンの遺志と自身の存在意義をジェニファーに訴えた。 : 名前は全シーズン通して登場するが、本人が登場する場面はパイロット版の前半のみとなっており、回想シーンを含めて写真や映像が出る場面はない(日本放映版を除く)。 : 家族は妻'''エリザベス'''(ただし離婚している)、息子'''ガース'''、娘'''ジェニファー'''がおり、エリザベスとガースはシーズン2、ジェニファーはシーズン4にそれぞれ登場する。 : ウィルトン役のベイスハートは原語版でのオープニングナレーションを全シーズン通じて担当しており、またシーズン1第17話までの初期エンディングのナレーションもしている。 ; ガース・ナイト '''Garthe Knight''' (2エピソード, 1983・1984) : 演 - デビッド・ハッセルホフ、日本語吹替 - [[有川博]]/(追加吹替:[[宮崎敦吉]]) : ウィルトン・ナイトの実の息子。シーズン2第1話「ナイトライダー2・無敵ゴライアスVSナイト2000(原題:GOLIATH)」とシーズン2第17話「ナイトライダー3・替え玉博士略奪作戦(原題:GOLIATH RETURNS)」に登場。悪の限りを尽くし、アフリカの刑務所に投獄されて終身刑を言い渡されていたため、ウィルトンやデボンは二度と彼の姿を見ることはないと信じていた。 : 顔はマイケルと瓜二つ(※マイケルは整形でガースと同じ顔になったという設定)である為、自身の存在と地位を全て奪っていったマイケルに対して激しい憎悪を抱く。そのため「(マイケルは)親父(ウィルトン)が自分の身代わりに立てた代用品に過ぎない」と述べ、「本物が戻ってきた今、貴様(マイケル)を生かしてはおけない」と言い全面対決の意を表した。 : 第1話では「レッドブラフ」襲撃による戦術核ミサイルの強奪、第17話ではレーザー技術の第一人者・クラウス・ベルグストロム博士([[:en:Peter Mark Richman|ピーター・マーク・リッチマン]]、声:[[家弓家正]])の拉致を企て、ひいては世界を征服しようとの野望を抱くが、一方で前述のようにマイケルに対する敵愾心や復讐心が強く、マイケルを倒すことに固執するあまり本来の目的を忘れそうになり、手を組んでいるアフリカの革命家ツオンベ・クーナ([[ゼイクス・モカエ]]、声:[[田中康郎]])やエイドリアン・マーゴから皮肉交じりにたしなめられる場面もあった<ref group="注">日本放映当時ではカットされていたが、ガースとツオンベがお互い一触即発寸前まで揉め合う場面があった。2014年11月27日にリリースされたブルーレイ版での日本語追加収録部分ではガース(有川博)、ツオンベ(田中康郎)両者共既に故人であるため、代役同士の掛け合いとなっている。</REF>。 : 作中ではマイケル役であるデビッド・ハッセルホフが二役で演じているが、日本版では吹替声優が各々異なる。また原語版を演じたハッセルホフはガースの声をマイケルより低いトーンで話しており二者を使い分けている(面と向かっての会話の場合には、スタントの相手の背後から肩越しに、マイケルなりガースなりを撮影する)。両者の外観上の相違点は[[髭]]の有無のみであるため、それを利用してマイケルがガースに変装する場面もあった。シーズン4第1話「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」で登場した実妹・ジェニファーは、マイケルと彼を指して「コインの表と裏」と表現した。 : 第1話にて母エリザベスの手によってアフリカの刑務所を脱獄してアメリカに舞い戻った後、K.I.T.T.のボディを覆う分子結合殻の構造式を入手して製作した巨大トレーラー「ゴライアス」を駆りマイケルに挑むも敗れ、アメリカの刑務所に投獄された。第17話に再登場した際は、エイドリアン・マーゴが砂漠から残骸をかき集め復活させたゴライアスによってその刑務所からの脱獄に成功しているが、最終的にはゴライアスとともに崖から海に転落した。 : その後の生死は不明となっている<ref group="注">シーズン4第1話「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」でのジェニファーとのやり取りの場面において、マイケルが彼女から忌み嫌われている理由を察した際、マイケルが「死んだガースを思い出すからか?」と発言しているので死亡しているものと思われる。</REF>。 ; エリザベス・ナイト '''Elizabeth Knight''' (1エピソード, 1983) : 演 - [[バーバラ・ラッシュ]] [[:en:Barbara Rush|Barbara Rush]]、日本語吹替 - [[北村昌子]] : ウィルトン・ナイトの元妻(彼にとっては4人目の妻)で、旧姓はビショップ。ガースとジェニファーの実母。シーズン2第1話「ナイトライダー2・無敵ゴライアスVSナイト2000(原題:GOLIATH)」に登場。息子・ガースのために裏でアフリカ刑務所から脱獄させるための手続きをとり、さらに分子結合殻の構造式を知るエリオットとデボンに自白剤を盛るなどして、分子結合殻の構造式を手に入れる。 : 彼女と会うことを「デート」と呼び美しい人だとたしなめるエイプリルに対し、デボンはデートではなく「付き合い」だと訂正した上で、彼女を「確かに美しいが、何を考えているか分からない恐さもある」と表現した。 : ガースがゴライアスを駆って軍の施設「レッドブラフ」を襲撃し、戦術核ミサイルを強奪した際には、中継されている映像を見ながら「やった!」と歓喜し「言ったでしょ、あの子はやってのけるって!」と発言している。 : しかしマイケルがガースに変装した際には、マイケルの変装を見抜くことができなかった。 ; ジェニファー・ナイト '''Jennifer Knight''' (1エピソード, 1985) : 演 - [[メアリー・ケイト・マクギーハン]] [[:en:Mary Kate McGeehan|Mary Kate McGeehan]]、日本語吹替 - [[鈴木弘子]] : ウィルトンとエリザベスの娘でガースの妹。 : シーズン4第1話「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」に登場。 : 大統領顧問を辞任し、ナイト財団の活動に直接関与すべくシカゴで理事会を開催する。理事会において、セルニウム116の発見により新時代が到来したが、財団の財力には限りがあると説き、無駄なコストは削減すべきであるとして犯罪調査部門(F.L.A.G.)の廃止を提言する。 : セルニウム116強奪を企むフィリップ・ノルドストロム(ジョン・コンシダイン、声:[[石田太郎]])が送り込んだデボンそっくりに整形を施したエリオット(声:[[仁内建之]])を本物と信じ、実兄ガースと同じ顔であるマイケルに対しては嫌っている態度を見せ、ことあるごとに衝突していたが、辞表を提出し自らの人生を賭けてまで、セルニウム強奪を企む組織の存在とデボンが偽者であることを警告するマイケルの決意に心を動かされる。 : マイケルの警告を聞き入れ目の前のデボンが偽者であるエリオットであったと気付いたため、一味に捕まり危うく爆弾で本物のデボン諸共殺されそうになるが、すんでのところで復活したナイト2000で駆けつけたマイケルに救われる。 : これをきっかけとして、今まで自分のしてきたことが大きな間違いであったことに気付き改心し、「自分の知らない事に干渉しない忍耐力」と「マイケルと自分の姓が同じ『ナイト』である事を誇りに思う事」の二つを学んだと語り、マイケルと抱擁し和解する。 === ナイト財団関係者 === ; エリオット博士 '''Dr.Eliot''' (1エピソード, 1983) : シーズン2第1話「ナイトライダー2・無敵ゴライアスVSナイト2000(原題:GOLIATH)」に登場する。 : ナイト2000開発メンバーの一人でウィルトンがデボンと同等絶対的信頼を寄せていた人物であり分子結合殻の構造式の2/3(内Aと'''C'''の式)を知る人物の一人。しかしそれを付け狙うエリザベス&ガースが自白を強要させる毒薬オルータにより(実行犯はエリザベス)自白を余儀なくされその後死亡する。身の危険を察したデボンとエイプリルがエリオットの宿泊先のホテルを訪問したが、時既に遅く室内で倒れている遺体で発見された。本人の登場は遺体で発見された場面であり、役者は不明で吹替声優も無し。 ; ジョージ・アサートン '''George Atherton''' (1エピソード, 1983) : 演 - [[ジョン・サイファー]] [[:en:John Cypher|John Cypher]]、日本語吹替 - [[仲木隆司]] : シーズン2第8話「盗まれたナイト2000 知能戦!天才マイコン少年VSキット(原題:SOUL SURVIVOR)」に登場する。 : 元ナイト財団の理事であり、ナイト2000即ちK.I.T.T.のこともよく知っている人物でもある。財団を辞職した後は実業家として名を馳せている人物で、その途中で知り合ったエイドリアン(日本語吹替版ではアンジェラ)と愛人関係でもあった。K.I.T.T.のことをふとした弾みでエイドリアンに洩らしてしまったもしくは、K.I.T.T.の極秘書類を盗み見されたのが今回の事件の発端となってしまう。 ; キャシー・カニンガム '''Kathy Cunningham''' (1エピソード, 1984) : 演 - [[シンディ・ジェームス・ゴゼット]] [[:en:Cyndi James Gossett|Cyndi James-Reese]]、日本語吹替 - [[橋本るり子]] : シーズン2第17話「ナイトライダー3・替え玉博士略奪作戦(原題:GOLIATH RETUMS)」に登場する。このエピソードのみ財団の事務員として登場。ガース一味により財団が襲撃されデボンとエイプリルが拐われた事をマイケルに伝える。その後、誘拐された2人に代わり財団本部でマイケルとの連絡役をする。 ; フォン・ブーアマン博士 '''Dr.Von Boorman''' (1エピソード, 1985) : 演 - [[カート・ロウェンス]] [[:en:Curt Lowens|Curt Lowens]]、日本語吹替 - [[松岡文雄]] : シーズン3第13話「ナイト2000魔の毒液に溶ける!決死の再生!立ち直れキット!!(原題:JUNK YARD DOG)」に登場する。 : ボニーと同じくナイト2000開発メンバーの一人で、廃液により壊滅状態となったK.I.T.T.の事を知り[[スイス]]の[[ベルン]]から駆けつけ、先頭に立って再生の指揮を執る。 ; ヤマタ博士 '''Dr.Yamata''' (1エピソード, 1985)(日本語吹き替え版ではボニーが'''リー博士'''と呼んでいる人物) : 演 - ?、日本語吹替 - 無し : シーズン3第13話「ナイト2000魔の毒液に溶ける!決死の再生!立ち直れキット!!(原題:JUNK YARD DOG)」に登場する。 : ボニー、ブーアマン博士と同じくナイト2000開発メンバーの一人で、廃液により壊滅状態となったK.I.T.T.の再生に力を借してくれる<ref group="注">ブーアマン博士と共に研究所に駆けつける場面で確認でき、日本語字幕と書籍「ナイトライダーコンプリートブック」では'''ヤマダ博士'''で、洋書「KNIGHT RIDER LEGACY」では'''ヤマタ博士'''と表記されている。</ref>。 ; ブリーランド博士 '''Dr.Breeland''' (1エピソード, 1985) : 演 - ?、日本語吹替 - 無し : シーズン3第13話「ナイト2000魔の毒液に溶ける!決死の再生!立ち直れキット!!︎(原題:JUNK YARD DOG)」に登場する。 : ボニー、ブーアマン博士、ヤマタ博士と同じくナイト2000開発メンバーの一人で、廃液により壊滅状態となったK.I.T.T.の再生に力を借してくれる<ref group="注">日本放送当時ではカットされていたが、2014年11月27日にリリースされたブルーレイ版では途中参加でボニーが他の技術者に問題点の説明を求めている場面で確認できる。</ref>。 ; クインラン博士 '''Dr.Quinlan''' (1エピソード, 1985) : 演 - ?、日本語吹替 - ? : シーズン4第1話「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」に登場する。 : ナイト2000開発メンバーの一人でウィルトンがデボンと同等絶対的信頼を寄せていた人物であり分子結合殻の構造式の2/3(内Bと'''C'''の式)を知る人物の一人で核物理学者でもある。先述のエリオット博士が亡き以降、デボンが唯一知らない<ref group="注">A式とB式は知っているが、'''C式'''のみを知らない設定。</ref>分子結合殻の構造式の'''C'''の式を知る『事実上最後の人物』の一人である。先述のシーズン2第1話「ナイトライダー2・無敵ゴライアスVSナイト2000(原題:GOLIATH)」の時点で存在は仄めかされており名は出ていないが、デボンからスイスで無事で生存が確認されており、シーズン3第13話「ナイト2000魔の毒液に溶ける!決死の再生!立ち直れキット!!︎(原題:JUNK YARD DOG)」でK.I.T.T.が廃液により壊滅状態となった際ボニーがオリジナル開発メンバーを再集結させる際に初めて名が挙げられていたが本人は登場せず、シーズン4第1話「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」でようやく満を持しての登場となった。しかし作中ではセルニウム116(アイソトープ)の強奪計画を企てる国際的テロリストである、フィリップ・ノルドストロム(ジョン・コンシダイン、声:石田太郎)に拉致され構造式を自白させられた上に終盤まで人質にされていたなどかなり酷い扱いをされていたが、最終的にはマイケルの手によって無事救出されている。その後の描写は無いもののナイト2000の分解された分子結合殻は再び復元されており以降のエピソードでそれが実証されている。 ; イアン・ブラウニング博士 '''Dr.Browning''' (1エピソード, 1986) : 演 - ウィリアム・ジョードン、日本語吹替 - [[池田勝]] : シーズン4第14話「死の魔術・アリバイに隠された謎(原題:DEADLY KNIGHTSHADE)」に登場する。 : ナイト2000開発メンバーの一人で、デボンと共にカーティス基金の運営を務める。カーティス基金はデボン、ブラウニングの他ジェイスン・デシルヴァ(デボンの台詞のみの登場)とマックス・ヘンダーソン(マーク・ハリス、声:[[北村弘一]])の4人で運営されていたが、1ヶ月の内にデシルヴァとヘンダーソンの2人が変死するという事件が起きる。ブラウニングは、残ったデボンと2人で基金5000万ドルの貸し付け先を決めるべく協議していたが、マジシャンのオースティン・テンプルトン([[ランス・バートン]]、声:[[池田秀一]])と共謀し、5000万ドルのうち1000万ドルを着服すべくデボンを殺害しようとする。事件の容疑者としてテンプルトンを疑うマイケルが、彼のマジックショーにK.I.T.T.を参加させトリックを暴こうとしている事を知ると、K.I.T.T.のスキャナーが作動しないようプログラムを書き換えてマイケルの計画を阻止し、スーツケースに仕込んだ銃でデボンを脅してテンプルトンがマジックのセットを保管している倉庫に拉致する。テンプルトンと共にデボンを溺死させようとするが、乗り込んで来たマイケル、K.I.T.T.、RC3に動揺し、裏口から逃げようとした所をRC3に殴られて気絶する。 === その他 === ; ナレーション : 声 - リチャード・ベイスハート、日本語吹替 - [[小林清志]] : 全シーズンでオープニングナレーションを担当。 : 原語版では「Knight Rider. A shadowy flight into the dangerous world of a man, who does not exist.」という台詞で始まる。キャスト紹介はマイケルのみで、他の登場人物の紹介はない。 : 日本語吹替では「ナイトライダー。陰謀と破壊と犯罪の渦巻く現代に蘇る正義の騎士。(中略、登場人物紹介がある)巨大な悪に立ち向かう現代の騎士、ナイトライダー。今日、彼を待ち受ける者は、果たして誰か」という台詞で始まり、日本版最終話となるシーズン4第11話「復讐の鎮魂歌・さらばナイト2000(原題:THE SCENT OF ROSES)」ではオリジナルエンディングナレーション<ref group="注">テレビ朝日放映版のみでDVD版及びブルーレイ版には一切入っていない。</ref>も務めた。また、小林は本編中においてゲストキャラの吹き替えとして出演したこともある。 ; タニヤ・ウォーカー '''Tanya Walker''' (1エピソード, 1982) : 演 - [[フィリス・デイビス]] [[:en:Phyllis Davis|Phyllis Davis]]、日本語吹替 - [[藤田淑子]] : パイロット版に登場した産業スパイ一味の女ボス。 : マイケル・ロングの顔面を銃で狙撃し瀕死の重傷を負わせた張本人であり、マイケル・ナイトへ生まれ変わる切っ掛けを作った。 : 自分の身辺を嗅ぎまわる謎の男マイケル・ナイトの正体が、殺したはずのマイケル・ロングであると知って命を狙う。 : 最終的には、ナイト2000に乗る瀕死のマイケルに止めを刺そうと窓越しで銃を撃とうとした際に、部下のフレッド・ウィルソン(ビンセント・エドワーズ、声:[[中田浩二 (俳優)|中田浩二]])はナイト2000に銃弾は効かない上に跳ね返すことを知っていたため制止し、同時にマイケルも「よせ、タニヤ撃つな!!」と止めたが、タニヤはどうしてもマイケルとの決着を優先しようとしたが故にそれを聞かずに発砲した。そのため、分子結合殻に覆われたボディ(窓ガラスも同様のコーティングを施されている)に跳ね返された銃弾が自身に当たり死亡した。 : その後シーズン2に登場するキャメロン・ザッカリー([[ジョン・ヴァーノン]]、声:[[森川公也]])は、自分の部下の中でNo.1の工作員であり愛人でもあったタニヤの死に関して、マイケルを逆恨みしている。 : タニヤに銃で狙撃され瀕死の重傷を負ったという場面はマイケルにとっては忘れることができない[[心的外傷|トラウマ]]であり、シーズン途中にも何回かこの場面が回想されている。 : パイロット版の小説版においては、終盤ナイト2000に乗るマイケルを銃撃したタニヤは、分子結合殻に跳ね返された銃弾が皮肉にもマイケル同様顔面に命中し、顔が無くなるものの死亡はしていないという描写となっている。 ; K.A.R.R.(カール) '''Knight Automated Roving Robot''' (2エピソード, 1982・1984) : 声 - [[ピーター・カレン]] [[:en:Peter Cullen|Peter Cullen]](初登場時) / [[ポール・フリーズ]] [[:en:Paul Frees|Paul Frees]](再登場時)、日本語吹替 - [[麦人|天地麦人(現:麦人)]] : ナイト2000のプロトタイプに搭載された人工知能。シーズン1第8話「ナイトライダー6・激闘!善と悪2台のナイト2000(原題:Trust Doesn't Rust)」及びシーズン3第5話「悪魔のナイト2000カールまたまた出現!復讐の空中大勝負!!(原題:K.I.T.T. vs. K.A.R.R.)」に登場する。性格は「自己保存」を最優先にプログラミングされているため冷徹・冷酷である。なお車両(ナイト2000)としてのK.A.R.R.については[[#登場メカ&マシン|後述]]する。 ; “スティービー”ステファニー・メーソン '''(Stephanie "Stevie" Mason)''' (3エピソード, 1983・1984・1986) : 演 - [[キャサリン・ヒックランド]] [[:en:Catherine Hickland|Catherine Hickland]]、日本語吹替 - 藤田淑子(TV版放映時)/(追加吹替:?)<ref group="注">2014年11月27日にリリースされたブルーレイ版でのシーズン1第18話全編及びシーズン2第20話とシーズン4第11話での日本語追加収録部分では諸事情により代役"A(仮名)"で、名義は不明であるが、シーズン1全編とシーズン2以降の追加吹替は藤田淑子ではない代役声優A(仮名)が一貫して担当している。</REF> :マイケルがかつて「マイケル・アーサー・ロング」であった頃の恋人。シーズン1・2・4と計3回登場する。 : シーズン1第18話「危機一髪!ナイト2000窮地の女性を救え!(原題:WHITE BIRD)」で初登場する。この時は弁護士の秘書をしており、ある事件に巻き込まれマイケルが彼女を助けるというエピソードであった。この時点のスティービー自身はマイケル・ナイトに対して何故ここまで自分に力を貸そうとしているのかを不思議に思っていたが、終盤では彼がかつての恋人であろうことにうすうす気付いていた。ラストは、証人保護プログラムを受けるべくパトカーに乗って去っていった。 : 2回目はシーズン2第20話「ビデオテープは死のサイン!芸能界潜入!マイケル歌手に!!(原題:LET IT BE ME)」に登場、この時は姓がマーチ(スティービー・マーチ)に変わっており、バンド「クラス・アクション」のボーカルをしている。メンバーであり新たな恋人グレッグが不審な死を遂げたことから、今度はスティービー自身がデボンを通じてマイケルに事件の解決を依頼する。捜査のため歌手としてバンドに潜入したマイケルと息の合ったデュエットを披露し、コンサートを成功させる。ラストは、財団を辞めて一緒に暮らしたいと切り出すマイケルに対し、「私だけのあなたじゃない。世界にはあなたの助けを待っている人が沢山いる」と諭した。そして自身はコンサートツアーに出るために家を引き払い、再び車窓からマイケルに別れを告げる。 : そして3回目はシーズン4第11話(ただし日本放映版では「最終話」となっている)「復讐の鎮魂歌・さらばナイト2000(原題:THE SCENT OF ROSES)」に登場、この時は姓が元のメーソン(スティービー・メーソン)に戻っており、マイケルが(マイケル・ナイトであることに疲れ)新しい人生を見出すため財団を辞める決意をした際、デボンは今のそんな状態の彼のためにスティービーの元に訪れこれまでの経緯を全て打ち明けた。その後スティービーは再会したマイケルと、また昔のように愛を育み、そしてついには晴れて結ばれるが、結婚式で夫婦の誓いを立てた直後にテロリスト集団のボス・デュラン(アーロン・イパレ、声:中田浩二)の襲撃を受け、マイケルをかばって殺されてしまう。彼女が生前マイケルに語った「花は枯れ花瓶は割れても薔薇の香りは永久に残る」という言葉は、愛する人を失った悲しみに暮れていたマイケルに、デボンやボニー達の待つ財団へ再び戻る気力をもたらした。 : 本編で直接顔を合わせている人物はマイケル、K.I.T.T.、デボン、ボニー(=シーズン1、シーズン4)、RC3(=シーズン4)のみ。シーズン2でのエイプリルには直接対峙している場面が存在しない。 : スティービーというのはマイケルによる愛称。シーズン2第20話「ビデオテープは死のサイン!芸能界潜入!マイケル歌手に!!(原題:LET IT BE ME)」及びシーズン4第11話「復讐の鎮魂歌・さらばナイト2000(原題:THE SCENT OF ROSES)」では皆からスティービーと呼ばれており逆にステファニーと呼ばれる場面は無い。今まで日本未放映であったが、2014年11月27日リリースのブルーレイ版で新規日本語吹替が収録されたシーズン1第18話「危機一髪!ナイト2000窮地の女性を救え!(原題:WHITE BIRD)」のみステファニーと呼ぶ場面が確認できる。また同エピソード中敵に襲われそうになり一時身を隠しマイケルが彼女を落ち着かせる際にスティービーと呼ばれて「今、私のことを何て呼んだ?」と聞き返している。なお{{要出典範囲|スティービーが登場するこれらのエピソードで全て共通して挙げられるのが、途中で挿入歌'''White Bird'''(初登場時の題名と同じ)がBGMとして起用されているという点|date=2013年5月}}。 : 要約すると1回目「危機一髪!ナイト2000窮地の女性を救え!(原題:WHITE BIRD)」は「ステファニー・メーソン」、2回目「ビデオテープは死のサイン!芸能界潜入!マイケル歌手に!!(原題:LET IT BE ME)」は「スティービー・マーチ」、3回目「復讐の鎮魂歌・さらばナイト2000(原題:THE SCENT OF ROSES)」は「スティービー・メーソン」となっている。 : シーズン4第11話「復讐の鎮魂歌・さらばナイト2000(原題:THE SCENT OF ROSES)」で[[海老]][[アレルギー]]であることが発覚している。 : シーズン2第20話「ビデオテープは死のサイン!芸能界潜入!マイケル歌手に!!(原題:LET IT BE ME)」劇中でマイケルとスティービーが歌唱する「Our First Night Together」、「No Way To Be In Love」、「[[レット・イット・ビー・ミー|Let It Be Me]]」の3曲は、実際にマイケル役のハッセルホフとスティービー役のヒックランドが歌っており、ハッセルホフが歌手として1985年にリリースしたアルバム「[[:en:Night Rocker|Night Rocker]]」に収録されている。 : 日本放映版でもこれらの場面においては、ハッセルホフ&ヒックランド本人の歌唱ボイスとなっている。 : ハッセルホフとヒックランドは1984年に実際に結婚したが、1989年に離婚している。 ; エイドリアン・マーゴ '''Adrienne Margeaux''' (2エピソード, 1983・1984) : 演 - [[アン・ターケル]] [[:en:Ann Turkel|Ann Turkel]]、日本語吹替 - [[弥永和子]] : シーズン2第8話「盗まれたナイト2000 知能戦!天才マイコン少年VSキット(原題:SOUL SURVIVOR)」とシーズン2第17話「ナイトライダー3・替え玉博士略奪作戦(原題:GOLIATH RETURNS)」に登場。 : 日本語吹き替えでは、アンジェラ・マーゴ(第8話)とアンドリエンヌ・マーゴ(第17話)という異なる名前になっている。さらに、第17話ではマイケルを見たエイドリアンの台詞「あれがマイケル」や、マイケルがエイドリアンに「あんた誰?」というなど基本的に初対面の設定になっている。これらすべては、日本放映ではエイドリアンが初登場する第8話よりも、再登場の第17話の方が、日曜洋画劇場枠で「ナイトライダー3」として先に放映されたということが原因であり、それぞれ名前(呼称)が違うことからして、つじつま合わせとして「別人」として日本語吹き替え版では扱われているせいである。 : 第17話では、ガースに囚われたデボンが彼女を見るなり「エイドリアン・マーゴ!」と叫び、さらにエイプリルから「刑務所に入れられたはずでは?」と質問される描写があり、エイドリアン本人はその質問に対して「高い弁護士を雇い裁判官も買収した」と言っているシーンがあるが<ref group="注">この場面は日本放映当時カットされており、また2014年11月27日にリリースされたブルーレイ版での日本語追加収録部分ではデボン(中村正)の声で“アンドリエンヌ”ではなく原語版同様“エイドリアン”と呼んでいる。なお、このシーンの日本語追加収録部分はガース(ここでは有川博の代役・宮崎敦吉が担当)以外は当時のオリジナルキャスト。</ref>、これはBD発売の際に新録された吹き替えの部分であり、前述の事情を無視した原語からの直の翻訳になっているからである。ゆえに名前(呼称)もオリジナルの「エイドリアン」となっている。 : そのためテレビ朝日放映当時とBD発売版でここの部分の整合性が取れていない。 : 第8話ではランディ・メリット(ブライアン・ロビンス、声:[[鳥海勝美]])というコンピュータ技術の天才少年を唆してナイト2000を奪い、美術品の窃盗を行おうとしていた。 : 第17話ではガースと手を組み、復活させたゴライアスにキットのCPUを改修して搭載しようとしていたが、最終的にはガースとともにゴライアスに乗ったまま海に転落した。 : またマーゴを演じたアン・ターケルはシーズン3第19話「女賊アマゾネス!狙われた最新鋭ミサイル!!(原題:KNIGHT IN RETREAT)」ではビアンカ・モーガン(吹替声優も同じ「弥永和子」)という敵役として登場しているが、マーゴとの関連は不明である。 ; デイビッド・ドルトン '''David Dalton''' (1エピソード, 1984) : 演 - [[チャールズ・タイラー]] [[:en:L.Charles Taylor|L.Charles Taylor]]、日本語吹替 - 池田秀一 : シーズン2第19話「ナイトライダー4・殺人ミサイル壊滅作戦(原題:Mouth of The Snake)」に登場する。 : 器械体操のような動きの常人離れ(K.I.T.T.曰く「人間業ではありません」と言うほどの超人的な才能)をした運動能力を持つ。 : 「蛇の口(ボカ・クエブラ)」というキーワードにまつわる事件を追うマイケルが途中で敵の手に陥り、絶体絶命の危機に晒された時にマイケルを助けた。 : 正体はアメリカ元司法省の大物「アーチ」ことアーチボルド・ヘンリー([[:en:George Mrdock|ジョージ・マードック]]、声:大久保正信)の部下の調査員でいわばマイケルの同業者的な立場であり、マイケルの素性も予め知っていた(マイケルについて「ナイト財団の若き総帥にしてデボン・シャイアーの友人」と説明している)。 : 先述の危機を助けてもらいお互い共通の敵を追うという立場からマイケルから「お互い手を組まないか?」と誘われるものの一匹狼であるドルトンは一度は拒否をした、しかし後に意気投合しマイケルに協力するようになる。 : 一連の事件を追ううち、敵組織に夫を殺された未亡人ジョアンナ・セントジョン([[ジョアンナ・ペティット]]、声:[[小原乃梨子]])と出会い、当初は反発しあうも次第に良きパートナーとなっていき、この事件の真の[[黒幕]]であるエデュアルド・オブライエン([[ペドロ・アルメンダリス・Jr]]、声:[[内海賢二]])を追い詰め、事実上ドルトンとジョアンナの2人で事件を解決している。 : 事件解決後マイケルには「お互い相棒が要る時は真っ先におたく(マイケル)のことを思い出すよ」と言い、マイケルも「俺もだよ」と言い握手を取り別れを告げた。また、彼の上司であるアーチボルドが登場し、ジョアンナに「この先ドルトンのパートナーになってほしい」と告げジョアンナはそれを快く承諾し、ドルトンはアーチボルドに「今まで一人でやってきた」と言うがアーチボルドは「これからは(ジョアンナと)二人だ」と言い戸惑いを見せながらも渋々同意した。このエピソードではマイケルよりもむしろドルトンのほうが主人公視点で描かれている。 : このエピソード製作から2年後に、チャールズ・タイラー演じるドルトンを主人公にした、ナイトライダー初のスピンオフ作品「Code of Vengeance」が製作されており、本エピソードはそのパイロット版と言える。「Code of Vengeance」は14話製作されたが、実際の放送ではわずか4話で打ち切りとなっている(ナイトライダー・コンプリートブック」より)。 : この回のマイケルとK.I.T.T.は、主な捜査はドルトンとジョアンナに任せ、終始ミサイルを搭載したトラックを追跡しているなど出番が極端に少ない上、デボンも序盤と終盤にほんの少し登場する程度、挙句にエイプリルに至っては一切登場しない(DVD版では紹介はある)という異色のエピソードであるが、これはマイケル役のデビッド・ハッセルホフとマイケルの恋人・スティービー役のキャサリン・ヒックランドがこの時期に結婚しており、結婚式と新婚旅行のための休暇を取ったことによるものである。 ; C.J.ジャクソン '''C.J. Jackson''' (1エピソード, 1984) : 演 - [[ジム・ブラウン]] [[:en:Jim Brown|Jim Brown]]、日本語吹替 - [[飯塚昭三]] : シーズン3第1話「ナイトライダー5・強敵!赤い殺人カー(原題:KNIGHT OF THE DRONES)」に登場する。 : ウィルトン・ナイトが財団の後継者に選んでいたケン・フランクリンを殺害した凶悪犯で、財団の仇敵と言える存在。金庫破りのプロ。サンタクララ刑務所に収監されていたがデビッド・ホルストン博士([[ジャレッド・マーティン]]、声:[[津嘉山正種]])の手引きにより脱獄する。その後、連邦準備銀行の金庫を奪う計画に参加していたがホルストンに裏切られ殺害される。 ; ケン・フランクリン '''Ken Franklin''' : ウィルトン・ナイトが財団の後継者に選んでいた人物。あらゆる点で資格を満たしていたがマイケルと違い運に恵まれず、ある夜凶悪犯であるC.J.ジャクソンを追跡中、逆に彼に殺害されてしまった。 : ケンの死はウィルトンにとって大きなショックであり、財団を閉鎖し予定していたプロジェクトを全部取りやめ、新たな後継者であるマイケルを見つけるまでそれが続いた。 : なお、作中では名前のみの登場であるため、役者及び吹替声優は無い。 ; ジム・コートニー '''Jim Courtney''' (1エピソード, 1984)(愛称:ジンボ) : 演 - [[クリフ・オズモンド]] [[:en:Cliff Osmond|Cliff Osmond]]、日本語吹替 - [[大塚周夫]] : シーズン3第3話「ひき逃げ!死のスピードレース!黄金のスーパーカーを追え!(原題:KNIGHT OF THE FASTLANE)」に登場する。 : マイケルがかつて「マイケル・アーサー・ロング」であった警官時代の先輩であり上司でもあり仕事のパートナーでもあった人物で、マイケルや同僚からは「'''ジンボ'''」と呼ばれていた。 : ロング時代の地位は巡査部長で、現在の地位は警部補である。エピソード冒頭で愛娘であるスティシー・コートニー(ダニー・ドゥースティ、声:[[滝沢久美子]])が何者かの手によって意識不明の重体にされてしまい、真犯人を捕まえるべく奔走する。一方のマイケルも今回の事件に関してデボンにかつての恩師であるジンボとその娘であるスティシーの為に自ら調査することを志願し、デボンも事情を踏まえた上でそれを承諾した。当初マイケル・ナイトに対してはあまり協力的では無かったが、真相を突き止める内に彼に対してかつて自分の後輩で部下でもあったロングの面影とナイトの人物像が[[デジャブ]]し、事件解決後には娘・スティシーの意識が戻り、車椅子ながらも元気を取り戻し父として安心し、事件解決に協力したナイトに対して、かつて自分の後輩であったロングの形見となった警察手帳をマイケルに託した。 ; ゴードン・バクスター '''Gordon Baxter''' (1エピソード, 1984)(別名:カメレオンマン) : 演 - [[ディック・ゴーティエ]] [[:en:Dick Gautier|Dick Gautier]]、日本語吹替 - [[小林修 (声優)|小林修]](追加吹替:?<ref name="blu-ray_daiyaku" group="注">ブルーレイ版では声質の似た代役。</ref>) : シーズン3第10話「復讐のカメレオンマン・千の顔を持つ男(原題:KNIGHT OF THE CHAMELEON)」に登場する。 : 変装の名人で『'''カメレオンマン'''』という異名を持つ男。それを駆使した犯罪者であり、かつてマイケルの手によって逮捕され刑務所に送られていたが、エピソード冒頭で監視官の隙を狙って脱走を図り、すぐさま変装を施して追手の目を欺け見事脱走に成功した。 : 変装の名人という肩書き通り作中では様々な人物に変装する上、声帯模写をも駆使し本物との区別が非常に困難な正真正銘『変装のプロ中のプロ』。 : 家族は一人娘のトニー・バクスター(キンバリー・フォスター、声:[[深見梨加|深見理佳(現:深見梨加)]])がいる。ゴードンは娘・トニーのために危険な犯罪を犯してまで大金を得ようとする。一方のトニーは本人との直接の対話では犯罪者である父・ゴードンを毛嫌いしているが、本心は例え犯罪者であっても父は父という複雑な想いをマイケルに打ち明けている。 : 作中では自分を刑務所に入れた張本人であるマイケルに対して復讐心を抱いており、機密兵器保管庫の管理者を騙す為にデボンの声を模写(ここの場面において日本語版では"中村正"が担当)、さらにマイケルに変装(デビッド・ハッセルホフ、日本語版では"ささきいさお"が担当)して、兵器を強奪した。この直後に本物のマイケルと変装したゴードンとが鉢合わせした際、マイケルは「おや?俺がもう一人いたとは知らなかったぜ」といい、ゴードンは「一人で十分、お前は余計だ!」と言い放った。 : 『ローン・イーグル』と呼ばれる一人用ジェットパックを作中に軍基地から強奪しそれを使い逃走を図ったが、終盤ではマイケルがシートイジェクションのジャンプ力でゴードンの懐に飛び付き、ジェットパックのホースを抜かれて真下の池に墜落、トニーの目の前でマイケルに取り押さえられた。 ; ニック・オブライエン '''Nick O'brien''' (1エピソード, 1986) : 演 - [[ケン・スウォフォード]] [[:en:Ken Swofford|Ken Swofford]]、日本語吹替 - 小林修(追加吹替:?<ref name="blu-ray_daiyaku" group="注" />) : シーズン4第20話「野望の血脈・奇襲ニンジャ軍団(原題:KNIGHT OF THE RISING SUN)」に登場する。 : デボンの軍隊時代の戦友で現在はオブライエン工業という製造工場を経営している社長。社員全員を家族同然といい一方の社員達からも恩師と慕われている人望の厚い人物である。養子のコーイ・オブライエン(ルミエル・モア、声:[[菊池正美]])の養父。かつて観光で日本を訪れた際、ある女性から(この時点では赤子である)ムネハル・カスガ(コーイの本名)をスキー・タニカ([[ジョージ・チェン]]、声:[[青野武]])一味から守ってほしいと託された。その後は養子であるコーイを実の息子のように育て、一方のコーイもニックを実の父と慕う間柄となり、マイケルから『本当の親子だ』と言わせた。そのコーイを付け狙うタニカの妨害にも屈せずマイケルやRC3と共にタニカ一味を撃退した。 === 別名義での登場人物 === 同作品中において2人以上の別名義で演じた俳優の一覧。 役名の後のカッコ内は吹替え声優。 備考は外観上の相違点など。 ; デビッド・ハッセルホフ :* マイケル・ナイト(佐々木功=現:ささきいさお) :* ガース・ナイト(有川博、ただし2014年リリースされたブルーレイ版の追加吹替では既に故人(2011年没)となっているため代役) ::: 「ナイトライダー2・無敵ゴライアスVSナイト2000(原題:GOLIATH)」と「ナイトライダー3・替え玉博士略奪作戦(原題:GOLIATH RETURNS)」に登場。所要はナイト家のガース・ナイトを参照。 :: 備考:髭の有無。「ナイトライダー3・替え玉博士略奪作戦(原題:GOLIATH RETURNS)」冒頭での刑務所からの脱獄シーンでは、髭は鼻から顎下まで覆うように濃くなっている。 :: 2008年に稼働したパチスロ(銀座)ではガースがゴライアスのパイロットとして登場する。声優は同じく有川博。 :* 偽マイケル(小林修) ::: シーズン3第10話「復讐のカメレオンマン・千の顔を持つ男(原題:KNIGHT OF THE CHAMELEON)」に登場。 ::: 変装の名人、ゴードン・バクスターが機密兵器保管庫に潜入する際マイケルそっくりに変装した姿。 :: 備考:変装中正体がばれるまでの声は佐々木功(=現:ささきいさお)が担当。 ; エドワード・マルヘアー :* デボン・シャイアー(中村正) :* エリオット(偽デボン)(仁内建之) ::: 「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」に登場。 ::: ナイト財団が発見した強力なアイソトープ「セルニウム116」強奪を企むテロリスト、フィリップ・ノルドストロムが、部下であるフォン・ファウスト博士の「レーザー構成法」を用いて、デボンと背格好が酷似しているエリオットの顔をデボンそっくりに作り替えた姿(整形後はエドワード・マルヘアーが演じている)。 ::: デボンになりすましたエリオットは、声帯模写を駆使して本物と全く区別ができないほどの完璧な変装をしていたが、マイケルはナイト2000が破壊された状態で「誰が見ても明らかだ、K.I.T.T.は死んだ!」、「これから休暇でも取ったらどうだ?」というあまりにも現状の空気が読めていない発言を連発する彼に不信感を抱き、「私の名はイシュメイル」と問いかけ、カマを掛けて「有名な小説の出だしさ。デボンの言う通りヘミングウェイだ」と言ったところ「そうだろう?」と答えたことから、この男が偽者であると確信した。<ref group="注">エピソード冒頭で、K.I.T.T.がマイケルに「『私の名はイシュメイル』で始まる小説の作者は誰か」とクイズを出しており、マイケルは「ヘミングウェイ」と答える。その直後にデボンから通信が入りマイケルが同じ問題を出すと、デボンは「[[ハーマン・メルビル]]の『[[白鯨]]』だ。誰でも知っとるよ」と即答している。</ref> ::: 終盤でノルドストロム共々警察に逮捕され写真撮影をされた際、原語版ではマイケルは偽デボン(エリオット)に「私の名はイシュメイル」の正解を「メルビル」と言ってネタばらしをしたが、日本語吹替え版では「いいねえ、そこの偽デボンさん、もう一枚。ニッコリと笑って」と何故か会話の内容が変更されていた。 ::: またエリオットという名であるが、分子結合殻の構造式を知る同名のエリオットとは当然ながら全くの別人であり、そちらは既に死亡している。 :: 備考:エリオットは偽デボンに整形後のみで、変装中正体がばれるまでの声は中村正が担当。 ; パトリシア・マクファーソン :* ボニー・バーストウ(小山茉美) :* 偽ボニー([[達依久子]]) ::: シーズン4第12話「謀略!復讐の暗殺車ナイト2000(原題:KILLER K.I.T.T.)」に登場。 ::: ナイト財団に恨みを持つマルコ・ベリオがK.I.T.T.を乗っ取るために送った刺客の女性ブロウィン(アンドリア・ハワード)が冒頭にてボニーそっくりの姿に変装して登場。K.I.T.T.に正体が見破られずナイト2000車内に潜入しK.I.T.T.の記憶モジュールをすり替えて車を降りた後に正体を現す。 :: 備考:変装中正体がばれるまでの声は小山茉美が担当。 ; パメラ・スーザン・シュープ :* マギー([[宗形智子]]) ::: パイロット版「電子頭脳スーパーカー誕生(原題:KNIGHT OF PHOENIX)」に登場。一人息子のバディ(バレット・オリバー)がいる。夫の死の真相をつかむ為にシリコンバレーに在るコムトロン社員行きつけのバー「ライジング・サン」でホステスとして働いている時にタニヤを探しているマイケルと出会い最初は不審がるが次第に惹かれるようになり、終盤では結婚をほのめかす発言(バディには父親が必要である旨)をする。 :* マータ・シモンズ([[上田みゆき (声優)|上田みゆき]]) ::: 「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」に登場。テロリスト・ノルドストロムの部下であるハウアーの指示で核物理学者・クインラン博士の自宅に愛犬のロジャーと共に潜入し、助手に化けてデボンをソーテックス社に誘導し、マイケルを罠にはめ、装甲車ジャガーノートによるナイト2000破壊の御膳立てをする。その後、罪の意識にかられマイケルに全てを話して改心し、ノルドストロムのセルニウム116強奪阻止に協力する。 ; ランス・レガルト<ref group="注">「[[特攻野郎Aチーム]]」ではデッカー大佐を演じ、超音速攻撃ヘリが活躍する作品「エアーウルフ」ではシーズン1・2のオープニング・ナレーションと3度のゲスト出演歴がある。</ref> :* クレイグ・グレイ([[石井敏郎]]) ::: パイロット版「電子頭脳スーパーカー誕生(原題:KNIGHT OF PHOENIX)」に登場。コムトロンの警備員でフレッド・ウィルソン(ビンセント・エドワーズ、声:中田浩二)の部下。マイケル・ロングの相棒マンツィ(ハーバート・ジェファーソン・ジュニア、声:[[屋良有作]])を射殺した男。終盤ではヘリを操縦しウィルソンと共にマイケルを追うがナイト2000に放った銃弾が跳ね返されヘリに損傷を被った後はウィルソンの命令を無視しタニヤの待つ空港へ急行した。最終的にはタニヤが自滅した後ウィルソン共々州警察<ref group="注">地元の警察は既にタニヤ一味によって買収されており、マイケルはデボンに州警察かFBIを現場に急行させるよう要請をしている。</REF>に逮捕された。 :* クリストファー・ストーン(家弓家正) ::: 「ナイト2000地中大突入!地図に隠された秘宝の謎を追え!!(原題:A KNIGHT IN SHINING ARMOR)」に登場。冒険家チャーリー・グレンジャー(アート・ランド、声:[[石森達幸]])に仕えていた執事であったが、自身には莫大な借金がありそれを返済するために主であるチャーリーを裏切り殺害した上、娘のキャサリン・グレンジャー(ダフネ・リー・アッシュブルック、声:[[よこざわけい子|横沢啓子(現:よこざわけい子)]])を付け狙う。終盤ではキャサリンに秘宝のある場所へ拉致をし脅迫をかけていたが、マイケルがストーンの車内電話を鳴らし注意を逸らした所で背後から飛びかかり、マイケルが「これは(お前に殺された)チャーリーの分だ!!」といい思い切り顔面を殴りつけて気絶させられた後逮捕された。 ; ショーン・サウスウィック :* ロニー([[一城みゆ希]]) ::: パイロット版「電子頭脳スーパーカー誕生(原題:KNIGHT OF PHOENIX)」に登場。冒頭のラスベガスのカジノではウィルソンの命令でマイクロチップの設計図のデータを奪い、その後の命令ではコムトロン社員行きつけのバー「ライジング・サン」でホステスとして働いていた。店に入ろうとする所をマイケルに呼び止められるが、直前に車(K.I.T.T.)相手に怒鳴っていたマイケルを不審に思いタニヤのことを嗅ぎまわる彼が去った後、車種とナンバーをタニヤに伝え警戒するように呼び掛けている女性。 :* リタ・ウィルコックス([[横尾まり]]) ::: 「ナイトライダー2・無敵ゴライアスVSナイト2000(原題:GOLIATH)」に登場。ラスベガスのシーザース・パレスでカジノのディーラーとして働く女性で、失踪した兄・ロンの捜索をナイト財団に依頼する。ガース・ナイト(デビッド・ハッセルホフ、声:有川博)の[[情婦]]でもある。エピソード途中でマイケルはデボンが毒を盛られたことで「捜査を一時中止する」と言った時は「もういいわ!」と突き放すが、ゴライアスの走行テストの場所を教えたことでマイケルを罠にはめたと思われやしないかと心配し、自らネバダ州ラスベガスにあるナイト財団ベガス支部を訪れる。 ; アラン・オッペンハイマー :* フレデリック・ダンクトン将軍([[小林勝彦]]) ::: 「ナイトライダー6 前半・重戦車砲撃網大突破(原題:DEADLY MANEUVERS)に登場。エンゲルハート陸軍基地の最高責任者。核ミサイルを横流ししていた黒幕。 :* ジョー・ルイス([[石森達幸]]) ::: 「恐怖の殺人改造車!激突!断崖の対決!!(原題:CUSTOM MADE KILLER)に登場。ファッションデザイナー トム・オマリー(ジミー・マフィー)の古くからの友人であったが彼が殺され、次の標的である「デブジョファッション」を救うべく借金を肩代わりしてくれる役所。 ; [[アン・ロックハート]]<ref group="注">彼女自身は放送前にボニー・バーストウ役のオーディションを受けていた。本作品の製作者グレン・A・ラーソンとは親交が深く、彼の作品である「[[少女探偵ナンシー|ハーディボーイズ&ナンシードルー]]」で3度、「[[宇宙空母ギャラクチカ]]」ではシーバ役でレギュラー、「[[トラック野郎!B・J]]」で3度、「[[キャプテン・ロジャース/25世紀の宇宙戦士 バック・ロジャース]]」で1度、「[[私立探偵マグナム]]」で2度、「[[俺たち賞金稼ぎ!!フォール・ガイ]]」で2度と多大なゲスト出演歴がある。</ref> :* シェリー・ベンソン (上田みゆき) ::: 「荒野の大戦争 ! 地獄の暴走族 スコーピオンズ対ナイト2000(原題:A GOOD DAY AT WHITE ROCK)」に登場。歳の離れた弟のデイビー・ベンソン(キース・ミッチェル、声:[[浪川大輔]])がいる。 :* ジェニファー・シェル(上田みゆき) ::: 「驚異のスーパーカーナイト2000水上爆進!黄金像の謎を暴け!(原題:RETURN TO CADIZ)」に登場。一緒に店をし、ダイバーをしている弟のボビー・シェル([[マイケル・ボーウェン]]、声:[[中尾隆聖]])がいる。 :: 備考:髪型。シェリーはロングヘアー、ジェニファーはショートヘアー。またどちらのエピソードも共通して言える点として、弟がいることと、店舗を経営しているという点。なお前者は[[ファーストフード]]も販売している雑貨店、後者は海の側で営む「スリーシェルズ」というシーフード[[レストラン]]。 ; ジェームス・キャラハン :* ブルックナー保安官([[大木民夫]]) ::: 「荒野の大戦争 ! 地獄の暴走族 スコーピオンズ対ナイト2000(原題:A GOOD DAY AT WHITE ROCK)」に登場。ホワイトロックの[[保安官]]でよそ者のマイケルを毛嫌いする。なおホワイトロック保安官事務所に副保安官はおらず、ブルックナーが一人で全業務をこなしている。 :* ジェフ・バーンズ(大木民夫) ::: 「死の空中ブランコ!疑惑のサーカス団!!(原題:CIRCUS KNIGHTS)」に登場。メイジャー・サーカスに出資している銀行の頭取でサーカスが在る土地を狙っている。 ; アレックス・キュービック :* ルガー([[仲木隆司]]) ::: 「死の山荘脱出作戦!ナイト2000殺しのバリケード大突破‼(原題:Just My Bill)」に登場。ディクソン(ロバート・シンプソン、声:[[原田一夫]])が雇った刺客で上院議員であるマギー・フリン(キャロル・クック、声:[[藤波京子]])を殺そうとしたり終盤では山荘に孤立させ、発電所の裁決議会に出席できないよう外部との連絡手段を絶ち、街への主要道路を行き来出来ないようバリケードを張って妨害する敵役。 :* サム([[有本欽隆]]) ::: 「巨大ブルドーザーの罠!体当り転落!恐怖の土砂生きうめ(原題:Big Iron)」に登場。ブルドーザーなど重機を強奪する犯人グループのひとり。 :* マイク・ズーメジアン(仲木隆司) ::: 「ナイト2000魔の毒液に溶ける!決死の再生!立ち直れキット!!(原題:JUNK YARD DOG)」に登場。ジョン・バイロック(ラモン・ビエリ、声:[[小林修]])の廃棄物処理会社にまつわる放火のプロ。表向きはバイロックとは被害者と加害者の間柄になっているが、その実は火事を装い機密書類などの[[証拠隠滅]]を図る始末屋。 :: 備考:いずれのエピソードも共通して言える点として、黒幕から雇われた悪役のひとり。 ; [[ローガン・ラムジー]] :* ローランド・S・パクストン([[藤本譲]]) ::: 「デボン逮捕!決死の脱獄 迫る巨大トレーラー!橋上の対決(原題:NO BIG THING)」に登場。郡を牛耳る悪徳判事でパクストンセメント工業の社長でもある。 :* エドガー(藤本譲) ::: 「トンネル爆破!ナイト2000暗黒からの大脱出!! (原題:KNIGHT STRIKE)」に登場。駐車中のK.I.T.T.にわざとぶつけて修理代を請求する、いわゆる当たり屋夫婦の夫役。 ; ドン・ゴードン :* デッカーソン警部(仁内建之) ::: 「消えた証人を探せ ! 爆走ナイト2000波止場の大激突!!(原題:THE FINAL VERDICT)」に登場。アル・ファーラン(ラモン・ビエリ、声:[[安田隆 (俳優)|安田隆]])の会社の悪事を暴くべく計理士であるマーティ(マービン・カロン、声:[[富山敬]])に付きまとう刑事役。 :* ランディ・カバナウ([[柴田秀勝]]) ::: 「狙われた名馬!転倒に秘められた陰謀!!(原題:KNIGHT BY A NOSE)」に登場。違法闇カジノのオーナー。 ; ラモン・ビエリ :* アル・ファーラン([[安田隆]]) ::: 「消えた証人を探せ ! 爆走ナイト2000波止場の大激突!!(原題:THE FINAL VERDICT)」に登場。盗品を売買するファルコン・エンタープライズの社長。 :* ジョン・バイロック([[小林修]]) ::: 「ナイト2000魔の毒液に溶ける!決死の再生!立ち直れキット!!(原題:JUNK YARD DOG)」に登場。有害物質を垂れ流している廃棄物処理会社の社長。 :: 備考:どちらのエピソードも共通して言える点として、犯罪に加担している悪徳会社の社長役。 ; ジュディ・ランダース :* ミッキー・ブラッドバーン([[西島麻紘]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/ma16_westisland/status/540782387945172993|title=𝕄𝕒𝕙𝕚𝕣𝕠 ℕ𝕚𝕤𝕙𝕚𝕛𝕚𝕞𝕒の2014年12月5日のツイート|accessdate=2022-01-26}}</ref> ::: 「大統領暗殺犯を追え ! 記憶喪失の美女の謎(原題:FORGET ME NOT)」に登場。テレビ朝日では未放映であったがコンプリートブルーレイBOXに吹き替え版収録。酒に酔って休んでいる時にサンミラダ国初の大統領暗殺を目論む組織の計画を偶然聞いてしまった事から捕らわれ車で連れ去られるが、途中で車から飛び降り崖から転落し、記憶喪失となってしまう。自分が何者か思い出そうと調べているうちに、偶然目にしたテレビドラマに映る自分の姿を見て、女優である事を思い出す。 :* シーラ([[平野文]]) ::: 「トンネル爆破!ナイト2000暗黒からの大脱出!!(原題:KNIGHT STRIKE)」に登場。銃火器の展示会でコンパニオンを務めていた時にマイケルと知り合い、押収品を満載したトラックを強奪した際に使用された通行書の持ち主トム・オマリーの消息を知っていると思われた女性。だが彼女自身も押収品の銃を販売していた事からトラックの所在も知っていると思いマイケルと共に捜査に同行する。 ; サム・ブラホス :* カルロス・ラグナ(?) ::: 「闇の武器商人を追え ! マイケル決死の潜入捜査!(原題:HEARTS OF STONE)」に登場。テレビ朝日では未放映であったがコンプリートブルーレイBOXに吹き替え版収録。神父であり、弟のロベルトがラグナ・ファミリーの一員として敵対するストーン・ファミリーとの抗争に参加していることに心を痛めている。 :* アルフレッド・ディアス([[清水信介]]) ::: 「危うしナイト2000!スクラップ地獄・脱出!空中ターボ噴射(原題:BLIND SPOT)」に登場。悪徳スクラップ業者ルイス・R・ガストナー(ジョン・ミルフォード、声:安田隆)の自動車スクラップ工場で働く作業員。ガストナー一味に殺された仲間のセルソがテキーラの飲み過ぎとして運ばれ、そのままスクラップ行きの自動車に乗せられてプレス機で潰されるのを目撃し、ナイト財団に助けを求める。スペイン語訛りで話す事から、盲目の女性のジュリー・ロビンソン(エリサ・タバロス、声:[[鵜飼るみ子]])は密告者が彼であると気付く。 :: 備考:どちらのエピソードも共通して言える点として、事件の黒幕を知っているが、自分一人では到底太刀打ちできないためナイト財団に救援を呼びかけている役回りである。 ; ロビン・デアデン :* リバティ・コックス([[高島雅羅]]) ::: 「爆殺!狙撃!事故続出!恐怖のサバイバル・レースに勝て!!(原題:GIVE ME LIBERTY... OR GIVE ME DEATH)」に登場。ニューホイールズマガジンの記者兼カメラマン。 :* “メル”メラニー・ミッチェル(高島雅羅) ::: 「強敵!ミサイル装甲車 VS.ナイト2000!! (原題:BUY OUT)」に登場。装甲リムジンの製作販売会社アーマービルド社の社員。悪徳社長のハンソン(クルー・グラカー、声:[[田口計]])が自己倒産を企て、隠し口座の現金を独り占めにしようと企むがメル率いる従業員が会社を買い取ることで存続させようとみんなの代表となり、ハンソンの逮捕後はアーマービルド社の女社長となる。 ; カイ・ウルフ :* ヘルムート・グラス(若本紀昭=現:[[若本規夫]]) ::: 「爆殺!狙撃!事故続出!恐怖のサバイバル・レースに勝て!!(原題:GIVE ME LIBERTY... OR GIVE ME DEATH)」に登場。ドイツ出身の[[メタンガス]]燃料車のドライバー。<ref group="注">日本語吹き替え版ではアルコール燃料車となっている。</ref> :* フラット(若本紀昭=現:若本規夫) ::: 「恐怖の殺人改造車!激突!断崖の対決!!(原題:CUSTOM MADE KILLER)」に登場。D・G・グレブス(ジェームズ・ルイージ、声:[[糸博]])が雇った殺し屋で殺人改造車のドライバー。 :: 備考:どちらのエピソードも共通して言える点として、プロのカードライバーである。 ; ジャック・スターレット :* ヘイゲン([[中庸助]]) ::: 「殺しの暗号トパーズの謎!大追跡!ジェット機に飛び乗れ!!(原題:The Topaz Connection)」に登場。製薬会社社長ポール・ドゥブレ(マイケル・ダレル、声:[[小島敏彦]])に雇われた殺し屋。 :* ジョージ・バース([[大塚周夫]]) ::: 「宝石強盗゛黒猫゛の正体を暴け!怪盗キャットvsナイト2000(原題:K.I.T.T. the Cat)」に登場。怪盗キャットの正体がグレース・ファラン([[ジーナ・デイヴィス]]、声:[[高島雅羅]])であるとにらみ彼女を執拗に付け狙う警部補。 :* エイモス([[嶋俊介]]) ::: 「ハイジャック!人質ボニーを救え(原題:Sky Knight)」に登場。アリゾナ南西部、カクタスの町の保安官。 ; [[ガイ・ストックウェル]] :* ジル・リギンズ(宮崎敦吉) ::: 「陰謀を暴け!トラック乗りを狙う強盗(原題:Knight Moves)」に登場。トラック運送業者を襲撃し積荷を奪う強盗団の黒幕。 :* ザッカリー・スレイト([[石田太郎]]) ::: 「驚異のスーパーカーナイト2000水上爆進!黄金像の謎を暴け!(原題:Return to Cadiz)」に登場。海底に沈んだアステカ族の遺産である黄金像を探し求めるトレジャーハンター。 ; デボラ・アリソン :* アメリア・クレルモン([[榊原良子]]) :* カメラ・クレルモン(榊原良子) ::: 「殺人ヘリ攻撃ミサイルの恐怖!決死の空中戦 超パワー全開!!(原題:MERCHANTS OF DEATH)」に登場。 :: 備考:髪型と眼鏡の有無、上記エピソードで二役を演じており、母アメリア役と娘カメラ役を演じている。デボンは若き日のアメリアに想いを寄せておりいつの日にか彼女との結婚を夢見ていたが、彼女が他の男と結ばれ、以降数える程しか会うことが無かった。好奇心旺盛な彼女が冒頭で殺人ヘリコプターのミサイルによって命を落としてしまい非常に残念な心の内を打ち明けた。娘のカメラは、母に想いを寄せていたデボンの書いたラブレターを読み「こんなにもママを愛してくれるなんてとても素敵です」と答えた。エピソード後半では亡き母に扮して敵の目を欺く作戦に協力した。 ; ジョー・ラデュウ :* ジャック・クレイゲン([[柴田秀勝]]) :::「殺人ヘリ攻撃ミサイルの恐怖!決死の空中戦 超パワー全開!!(原題:MERCHANTS OF DEATH)」に登場。エドワード・ストロック(ダナ・エルカー、声:[[阪脩]])の部下で殺人ヘリSX-411のパイロット。上述のアメリア・クレルモン(デボラ・アリソン、声:榊原良子)を殺害した張本人。 :* ダン・ハネガン([[加藤精三 (声優)|加藤精三]]) :::「真夜中の転落死!高層ビルに隠された罠(原題:Knightlines)」に登場。 ; アン・ターケル :* エイドリアン・マーゴ(弥永和子) ::: 「盗まれたナイト2000 知能戦!天才マイコン少年VSキット(原題:SOUL SURVIVOR)」と「ナイトライダー3・替え玉博士略奪作戦(原題:GOLIATH RETURNS)」に登場。概要はその他のエイドリアン・マーゴを参照。 :* ビアンカ・モーガン(弥永和子) ::: 「女賊アマゾネス!狙われた最新鋭ミサイル!! (原題:KNIGHT IN RETREAT)」に登場。 :: 備考:髪型。(エイドリアンはストレートヘアー、ビアンカはウェーブヘアー)どちらの役柄も男を手玉に取り操っている悪女。 ; ジョージ・マードック :* オリバー・キャラン([[梶哲也]]) ::: 「壮絶ジャングル戦!絶体絶命!ナイト2000底なし沼脱出不能(原題:RING OF FIRE)」に登場。街を牛耳る判事であり、同エピソードの黒幕であるクレイ・キャラン(ロバート・レイノルズ、声:[[谷口節]])の実父。 :* アーチボルド・ヘンリー(大久保正信) ::: 「ナイトライダー4・殺人ミサイル壊滅作戦(原題:MOUTH OF SNAKE)」に登場。アメリカ元司法省の大物であった人物で現在はデイビッド・ドルトン(チャールズ・タイラー、声:池田秀一)の上司。 :: 備考:髭と眼鏡と帽子の有無、キャラン判事は眼鏡と髭があり、アーチボルドは帽子を被っている。 ; メアリー・ベス・バーンズ :* シンディ・マッテゾン([[原えり子]]) ::: 「電撃スクランブル!!ナイト2000 凶悪暴走強盗団を壊滅せよ!!(原題:WHITE-LINE WARRIORS)」に登場。街で多発する強盗事件を財団に調査してもらうため依頼したデボンの古くからの友人マリエッタ・マッテゾン(オーリン・アン・マリレリー、声:[[相生千恵子]])の姪で強盗容疑者の濡れ衣を着せられているロン・プレスコット(ウッティー・ブラウン、声:[[古谷徹]])の彼女役。 :* ナンシー・マースデン(原えり子) ::: 「死の魔術 アリバイに隠された謎!(原題:DEADLY KNIGHTSHADE)」に登場。マジシャンで殺人犯のオースティン・テンプルトン(ランス・バートン、声:池田秀一)のアシスタント役。 ; ピーター・マーク・リッチマン :* クラウス・ベルグストロム(家弓家正) :* 偽ベルグストロム(家弓家正) ::: 「ナイトライダー3・替え玉博士略奪作戦(原題:GOLIATH RETURNS)」に登場。レーザー技術の第一人者で、アメリカで開催されるセミナーに参加するため姪のクリスティーナと共にスウェーデンからやって来る。ガース・ナイトとエイドリアン・マーゴにより拉致され、代わりに彼そっくりに顔や声をコピーされた替え玉を送り込ませる。同じ場所に囚われたデボンやエイプリルと共に手製の爆薬を作りドアを破ることに成功したがそれも空しくガースに見つかってしまい今度はデボン、エイプリルとは別々の部屋に拘束されてしまう。最終的にゴライアスの荷台に詰め込まれ運ばれる途中にマイケルとK.I.T.T.に救出される。 :* クライスト(仁内建之) ::: 「対決!恐怖の武装ホーバークラフト!(原題:MANY HAPPY RETURNS)」に登場。同エピソードにてローウェル社が開発した軍事用ホーバークラフトの強奪を企てた主犯格。 :: 備考:ベルグストロム役では本物・偽者両者の外観上相違点はないが、[[姪]]のクリスティーナ(スザンヌ・バーンズ、声:高島雅羅)は些細な違和感(本物の[[おじ|伯父]]は前日に足を捻挫していたこと)から偽者と察し、直後に駆けつけたマイケルが彼に「頼まれていたディズニーランドのチケットが取れそうにない」とカマを掛けた所、偽者であると確信する。 ; [[ジョン・ヴァーノン]] :* キャメロン・ザッカリー(森川公也) ::: 「復讐の罠!マイケルは2度死ぬ シグナルGO!高層ビル激突(原題:A GOOD KNIGHT'S WORK)に登場。マイケル・ロングの顔を銃撃し、瀕死の重傷を負わせたタニヤ・ウォーカーのボス。No.1工作員であり愛人でもあったタニヤを殺したマイケルを恨んでいる<ref group="注">実際は「タニヤがマイケルを殺そうとして結果的にタニヤ自身が自滅した」というのが真実であるが、ザッカリー本人は「マイケルがタニヤを殺した」と思い込んでいる。</ref>。自分の身辺を調査するマイケルを不審に思い、マイケル・ロングの墓をあばいてその死が偽装である事を知ったほか、部下のシンプソンからマイケル銃撃を無人の車に邪魔されたという報告を聞き、「ウィルトン・ナイトのドリーム・カー」が完成していた事を知り、他の計画は後回しにしてでも車を手に入れろと指示する。 :* クロード・ワトキンス(仁内建之) ::: 「黒魔術ブードゥー!恐怖の脳支配 (原題:VOO DOO KNIGHT)」に登場。 :: 備考:ザッカリー役では同エピソード中での黒幕役であったが、ワトキンス役ではその黒幕ハラナ(ロザリンド・キャッシュ、声:[[此島愛子]])に利用される所謂[[かませ犬|チョイ役]]である。 ; ロバート・オレイリー :* シンプソン([[納谷六朗]]) ::: 「復讐の罠!マイケルは2度死ぬ シグナルGO!高層ビル激突(原題:A GOOD KNIGHT'S WORK)」に登場。キャメロン・ザッカリー(ジョン・ヴァーノン、声:森川公也)の部下。仲間がマイケルに逮捕される現場に居合わせ、その声や歩き方からマイケルの正体は死んだはずのマイケル・ロングであると気付き、慌ててザッカリーに報告する。 :* スナイダー([[沢木郁也]]) ::: 「美女とナイト2000を取り戻せ!!(原題:KITTNAP)」に登場。ジュリアン・マーチン(ダニエル・ファラルド、声:谷口節)の部下。 ; ジョン・コンシダイン :* ボイド・ラサール(小林勝彦) ::: 「地獄におちたマイケル!裏切り!逃亡!死のバイオ兵器強奪!!(原題:KNIGHT IN DISGRACE)に登場。ニューオリンズの犯罪王。 :* フィリップ・ノルドストロム(石田太郎) ::: 「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」に登場。国際指名手配中のテロリストであったが誰もが死亡していたと思われていたのだが偽デボン同様の整形手術によって別の人物となりソーテックス社の社長となっていた。 :: 備考:髭の濃淡の差、ラサール役では髭は鼻下から口上の間のみ。一方のノルドストロム役では髭は鼻から顎下まで覆うように濃くなっている。それ以外の共通して言える点として、危険な兵器(バクテリア、アイソトープ)を狙うエピソードのボス(=即ち黒幕)役。 ; ケン・フォリー :* ダントン([[田中康郎]]) ::: 「地獄におちたマイケル!裏切り!逃亡!死のバイオ兵器強奪!!(原題:KNIGHT IN DISGRACE)に登場。ボイド・ラサール(ジョン・コンシダイン、声:小林勝彦)の部下。 :* スパイダーマン([[笹岡繁蔵]]) ::: 「死のリング!仕掛けられた世界戦!!(原題:REDEMPTION OF A CHAMPION)」に登場。 ; ニコラス・ワース :* ライルス([[郷里大輔]]) ::: 「復讐のカメレオンマン・千の顔を持つ男(原題:KNIGHT OF THE CHAMELEON)」に登場。アルマン・プレスラー(バイロン・ウェブスター、声:[[勝田久]])の部下。 :* ハウアー(郷里大輔) ::: 「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」に登場。フィリップ・ノルドストロム(ジョン・コンシダイン、声:石田太郎)の部下でソーテックス社の保安主任。装甲車ジャガーノートのドライバー。 :: 備考:どちらのエピソードも共通して言える点として、黒幕の側近もしくは部下役。 :: 2008年に稼働したパチスロ(銀座)ではハウアーがジャガーノートのパイロットとして登場するが、声優は郷里大輔ではない。 ; クリフ・カーネル :* ジョーイ・ローム([[青野武]]) ::: 「謀略!デトロイト・マフィア!死の19番ホール(原題:THE NINETEENTH HOLE)」に登場。デトロイトから来たマフィア。 :* ジョナサン・タンケル(谷口節) ::: 「謀殺!サーキットに忍び寄る魔手!!(原題:KNIGHT RACER)」に登場。マイケルを鋭利な槍がフロントに沢山付けられた改造車で殺そうとしたヒットマン。ナイト2000とのカーチェイス後、運転を誤り改造車共々爆死した。 == 設定 == === 登場メカ&マシン === ==== 主要メカ&マシン ==== 以下は主要級。 ; ナイト2000(''K.I.T.T.'') [[ファイル:ナイト2000レプリカ.jpg|代替文=ないと2000のレプリカ車両|サムネイル|220x220ピクセル|ナイト2000のレプリカ車両]] : [[ナイト2000]](KNIGHT 2000)とは、「未来の車の原型」を志向して製作された“ドリーム・カー”である。数々の先進的な機能を搭載した車体をK.I.T.T.('''K'''night '''I'''ndustries '''T'''wo '''T'''housand の略<ref group="注">当時、日本で発売されていたゲームブックの一部では、'''K'''night '''I'''ndustrial '''T'''otal '''T'''hink system の略としているものがあった。</ref>。カタカナ表記では「キット」)と呼ばれる高性能[[人工知能]]が制御し、人間との自然な会話による指示・応答や自律での無人走行など、まさに「夢の車」の呼び名にふさわしい性能を持つ。 : 外観は黒一色で統一されたカラーリングで、第三世代[[ポンティアック・ファイヤーバード#3代目|ポンティアック・ファイヤーバード]]・[[ポンティアック・トランザム#第3世代|トランザム]](1982年デビュー)をベースに製作されている(日本語吹き替え版ではやや微妙なニュアンスになっているが、かつてのマイケル・ロング刑事の愛車とナイト2000となったトランザムは別の車両である<ref group="注">パイロット版のナイト2000登場シーンにおけるデボンの台詞に、原語では"Any resemblance between that car and your own is purely superficial. (この車と君が所有する物との間にどのような類似点があってもそれは純粋に表面的なものだ)"という表現がある。</ref>)。 : このボディの黒は一般に言う「塗料の色」ではなく、外板に施されている、新開発の分子結合殻を組み込んだ特殊セラミックによりそう見えるものであるとされている。これは金属でもファイバーグラス等でもない全く違った新物質であり、これによってナイト2000は大抵の銃器程度では傷すら付けられない程の強力な耐弾・耐爆性を実現させている(ただし決して無敵というわけではなく、主にシーズン開始時には敵役に様々な手段で破壊され、その後大幅に強化改造されるという展開が半ばお約束となっていた)<ref group="注">この分子結合殻の具体的な施工方法については特に言及されていないが、シーズン2第1話でのゴライアス(財団から構造式を盗用して分子結合殻を施した)の最終工程、およびシーズン3第13話でのK.I.T.T.の再生シーンにおいて、「車体に黒い塗料のような液体を吹き付ける」という似たようなシーンが2つある。</ref>。 : ベース車同様、駆動方式はフロントエンジン・リアドライブの[[二輪駆動|2WD]]。最高速度はノーマルモード時で322[[マイル毎時|mph]](約520km/h)、[[トランスミッション]]は8段[[オートマチックトランスミッション|オートマチック]]。またシーズン4では、スーパー追跡モード(車体各部を変形・展開させて出力を約40%上げ、450mph(約720km/h)での走行を可能とする)とそれに伴った緊急ブレーキシステム(外装各部を展開し、エア・ブレーキとして機能する)が追加され、さらにルーフ部分を後部トランクルームへ自動的に格納して「[[コンバーチブル]]モード」にも変形出来るようになった。 : 一度のみの改造であるがシーズン2第7話「スペシャルカーを取り戻せ!ナイト2000車ドロ壊滅作戦(原題:CUSTOM K.I.T.T.)」では、捜査中に知り合った女性カーリー・ヘイパー(デニス・ミラー、声:[[玉川砂記子]])がカスタムカーショーの会場からエントリーしていた車が盗まれ代わりに外観をカスタムしたナイト2000がピンチヒッターとしてショーにエントリーした。マイケルとエイプリルの手によってファイヤーペイント、サイドマフラー、ルーフスポイラー、ダブルリアウィング、ゴールドの5スポーク・ワイドリムホイールがこのエピソードのみ装着され登場した<ref group="注">K.I.T.T.本人は納得しておらず、エイプリルに「あなたまでこんな野蛮な(改造)行為に加わるとは…。ウィルトン・ナイト氏が生きておられたら、さぞお嘆きに…」と非難している。しかしエイプリルも「必要に迫られて(車泥をおびき出し事件解決の為)やむなくやっているのよ、いい子だから我慢して」と渋々返答している。</ref>。 : 燃料については一部に「水素」としている資料{{要出典|date=2013年5月}}もあるものの、実際の劇中での燃料関連の描写は、シーズン1において[[ガソリンスタンド]]で給油するシーンや、同シーズンの別エピソードで「代替燃料を用いたレースに出場するために液体水素エンジンに載せ換える」というシーンがある程度で、具体的な設定としては言及されていない<ref group="注">続編であるナイトライダー(2008)(邦題:ナイトライダーNEXT)では、ナイト3000は「供給の利便性」を理由にガソリンエンジン車であることが台詞で語られていた。</ref>。 : 電子機器を多数搭載しているせいか、高熱には弱い。そのため、シーズン2ではエイプリルが特殊耐熱皮膜を開発して装備された他、シーズン3では超高温を発するクリスタルレーザーに対抗するため、ボニーと財団の研究生エリオット・サイクスによって10秒という時間制限付きの耐熱コーティングが装備されている。また軍のものに匹敵する火炎放射器を搭載したサーカスの消防車と対決した時には、炎を浴びて車内の温度が上昇したため、K.I.T.T.がマイケルに「動き回って下さい。スピードで炎を散らすしか方法がありません」と助言した。シーズン4第18話「恐怖の溶岩地獄・死の中米大冒険(原題:KNIGHT FIGHT TO FREEDOM)」では、火山の噴火で流出した溶岩が道路を寸断している状況で、溶岩の幅が広くターボブーストでは飛び越せない事から、全速で溶岩に突入し特に被害もなく通過している。 : 製作総指揮のグレン・A・ラーソンによれば「ナイト2000」とは車の部分であり、「K.I.T.T.」は車に搭載された人工知能を指す(DVDの特典インタビューより)。しかし劇中では両者が明確に区別されないこともしばしばある。 : ナイトライダー放映開始直後、内外装が劇中と同じナイト2000仕様のトランザムを求めてポンティアックのディーラーに来店する客が殺到したため、車両を提供した[[ゼネラルモーターズ|GM]]サイドから制作側へ、ポンティアックのロゴをエンドロールに表示しないよう直接要請があった。また劇中でナイト2000を指す台詞も、シーズン2までは「New black Trans-Am(吹替:黒のトランザム)」だったが、シーズン3後半からシーズン4にかけては「Black T-top(吹替:黒のスポーツカー)」に変化している(一部吹替でトランザムと発言しているシーンもある)。 :ナンバーはカリフォルニア(紺地に黄文字)で文字通りのKNIGHT。アメリカでは特別に手数料を払う事で希望する文字列のナンバーが取れる(日本での希望番号制度と同じ)。 : K.I.T.T.についての詳細は[[ナイト2000|別項]]を参照。 ; ルークワン(''F.L.A.G.SEMI'') : デボンやボニー(エイプリル)が現地で調査しているマイケルたちと合流する際に使用する18輪の大型トレーラートラック([[トラクター]]部10輪、[[海上コンテナ|コンテナ]]部8輪)。日本語吹替版では「ナイト財団'''移動本部'''」と呼ばれている。 : 設計者はボニー。 : 初登場<ref group="注">パイロット版(シーズン1第1話)「電子頭脳スーパーカー誕生(原題:KNIGHT OF PHOENIX)」の終盤(デボンとマイケルがレッカー牽引されているナイト2000の車内で会話中の場面)で黒地に金のストライプが入って"KNIGHT INDUSTRIES"と書かれたそれらしき車両が既に登場しており、上半分が金色になっている。</ref>の第2話から第12話まではコンテナが白塗りだったが、第13話から黒地に財団紋章(チェスの[[ナイト (チェス)|ナイト]])と2本のストライプが金色で描かれた塗装に変わった。なおこれまでは止まっているトレーラーの後部の扉をナイト2000が上がっていき収納されていたが、このエピソードから走行中のトレーラーにナイト2000がコンテナ内に収納されるシーンが見られるようになった。丁度K.I.T.T.のボイスインジケーターが「伸縮式バーグラフ」に変更になったのと全く同時のタイミングである。 : 後部の扉をスロープとして使用することでナイト2000をコンテナ内に収容することができ、車内ではK.I.T.T.のメンテナンスもある程度可能。 : シーズン3第5話「悪魔のナイト2000カールまたまた出現!復讐の空中大勝負!!(原題:K.I.T.T. vs.K.A.R.R.)」にてK.A.R.R.の襲撃を受け、ターボブーストで後部扉を突き破って侵入された後は、K.I.T.T.のものよりも弱い分子結合殻を装備しており、その後シーズン3第18話「爆走コンボイ軍団!トラック野郎とナイト2000(原題:TEN WHEEL TROUBLE)」で捜査の為に財団トレーラーを貸出した時にはコンクリートの残骸(その直前にK.I.T.T.が体当たりで破壊した)に当たってもビクともしない場面が確認できる。 : シーズン4からはRC3が運転を担当しているが、それ以前には設計者であるボニー自身が運転することもあったという<ref group="注">シーズン4第1話「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」でK.I.T.T.が装甲車ジャガーノートによって大破させられた直後の場面に駆けつけた状況からそれが判断できる。またこれらを裏付ける根拠としてRC3が初登場した回でもあるが、この時点ではまだ財団に参加していないことと、またデボンはノルドストロム一味に拉致されておりこの状況下においてそれができるのはボニー唯一人であることが挙げられる。</Ref>(書籍「ナイトライダーコンプリートブック」より)。 : 車内には大型のコンピュータが搭載されており、ナイト財団の多数の機密データもこの中に入っているため、ウォッカを積んだトレーラーと間違えて強奪した暴走族がその利用価値に気付き、コンピュータを悪用されてしまう場面もあった(シーズン4第5話「凶悪の牙・襲われた財団司令室!!(原題:THE WRONG CROWD)」)。 : K.I.T.T.と同等の自動走行装置が搭載されており、緊急時に限り使用が許可されている。なおデボンは「いくらK.I.T.T.と同じ自動走行装置が搭載されているとはいえ、重さ30tのトレーラーが無人で走るのは気が気でならない」と言っているが、トレーラー内でナイト2000の[[スタビライザー (自動車部品)|スタビライザー]]の修理作業をしているRC3(本来移動中は運転席に座ってトレーラーを操縦しているはず)を見た際には彼に対して「どうりで運転がスムーズだなと思った!!」と言っている。またK.I.T.T.が敵の策略にはまって奪われた際、移動手段のないマイケルはRC3にコンテナ部分を切り離させ、トラクターのみで敵地へ乗り込む場面もあった(シーズン4第2話「美女とナイト2000を取り戻せ!!(原題:KITTNAP)」)。 : 他に財団トレーラーが活躍するエピソードはシーズン1第19話「陰謀を暴け!トラック乗りを狙う強盗 (原題:KNIGHT MOVES)」でデボンは渋々であるが事件解決と犯人逮捕の為に運搬用トラックとして貸し出した。また同様にシーズン3第18話「爆走コンボイ軍団!トラック野郎とナイト2000(原題:TEN WHEEL TROUBLE)」で捜査の為に財団トレーラーを貸出した時、デボンは「何を積んどるんだ?」とマイケルに尋ねた際「[[タマネギ]]」だと知ると「うちのトレーラーに臭いが染み付いてしまう!!」と慌てていた。その後にK.I.T.T.から「わざとデボンさんを困らせて楽しんでいるのでは?」と尋ねられたマイケルは「その通り」と即答している。 : 外装はシーズン1・2とシーズン3・4の2種類のトラクターが存在するが内装はシーズン1とシーズン2以降では異なっている。K.I.T.T.を収納するスペース部分は全シーズン通して変わりは無いが、内部コンピューターの設置スペース部分の内張りがシーズン1には無く筋交い部分が露出し所々に「スポットライト」が設置されている一方でシーズン2以降は「黄土色の内張り」が張られており「スポットライト」の台数が減っている。またK.I.T.T.の収納スペース部分と内部コンピューターの設置スペースとの境界箇所には[[カーテン]]が設置されており、シーズン3第1話「ナイトライダー5・強敵!赤い殺人カー(原題:KNIGHT OF THE DRONES)」でそれを確認できる。 : ベース車両はシーズン1及びシーズン2では82年モデルのGMC・ジェネラルでライセンスプレート(ナンバープレート)はK.I.T.T.と同じくカリフォルニア(紺地に黄文字)で"1U13265"、シーズン3及びシーズン4では84年モデルのGMC・ジェネラルでライセンスプレート(ナンバープレート)は同じくカリフォルニア(紺地に黄文字)で"2J01192"に変わっている<ref group="注">シーズン3以降もトレーラーが出てくる場面では82年モデルの"1U13265"のプレートがついたトレーラーのシーンが使い回わされており、主にナイト2000がトレーラーのコンテナ内に出入りするシーンで確認できる。</REF>。 ; RC3のバイク(''RC3 MOTORCYCLE'') : シーズン4第12話「謀略!復讐の暗殺車ナイト2000(原題:KILLER K.I.T.T.)」に登場する。 : RC3が仕事の合間(休憩時間など)で、廃車置場からタダで貰った部品をよせ集めて財団トレーラー内で修理し動くようにしたバイク。 : 同エピソード序盤でK.I.T.T.がマルコ・ベリオ(ハーベイ・ジェイソン、声:麦人)の策略により人格が乗っ取られた際、移動手段が無いマイケルは丁度完成したそのバイクに目を付けテスト走行もしていない状態で借りて敵のアジトに忍び込み情報を掴み取る。マイケルが目を付けた時、RC3は慌てて途中で壊されるのではと終始不安な表情をしていたが、無事戻ってきたので安心した。その後終盤では、マイケルは乗っ取られたK.I.T.T.の標的がコンベンションセンターのアルバート博士であることを突き止め、建物に突っ込む前にK.I.T.T.のCPUを交換しようとRC3と共にバイクに乗って追いかけサンルーフから室内に乗り込み、CPUを交換しK.I.T.T.を元に戻すことに成功し、博士がいる演台の寸前で止める事が出来た。 : 以降はRC3がマイケルと別行動する場面で登場している。シーズン4第16話「大追跡!凶悪のオフロードレース (原題:KNIGHT OF A THOUSAND DEVILS)」では、非公式のオフロードレース「ミル・ディアブロ」に出場してメキシコへの国外逃亡を企む凶悪犯・ロナルド・ベッカー(ジョナサン・ゴールドスミス、声:柴田秀勝)を追って、RC3は「ミル・ディアブロ」のスタート地点の町をマイケルと二手に分かれて探索する。合流した後、K.I.T.T.を追走する形でコースである砂漠や川などの悪路を激走する。ベッカーのボディガードがライフルでマイケルを狙撃する場面では、RC3は場所が斜面であるにも関わらずバイクに乗ったままボディガードに飛びかかり、見事KOしている。事件解決後K.I.T.T.から「車輪に絡んだサボテンはまさに勲章です」と褒められるものの、RC3が軽く叩いただけで前輪まわりが壊れてしまい、「またくず置き場から部品を拾ってくれば良いんです」と慰められている。 : シーズン4第21話「黒魔術ブードゥ!恐怖の脳支配(原題:VOO DOO KNIGHT)」では、ハラナ(ロザリンド・キャッシュ、声:此島愛子)に操られたマイケルがナイト2000で爆破解体予定のビルに向かっていることを知ったRC3がバイクで急行するが、ビルが爆破解体される直前であったため、バイクを置き去りにしてナイト2000で脱出してしまい、バイクはビル爆破に巻き込まれて壊れてしまった。その後は解体現場から無残な姿に変わり果てたバイクをトレーラー内に引き上げ、デボンからは「何だこの鉄クズは?」と言われるが、マイケルからの励ましでもう一度組み立てて蘇らせることを決意した<ref group="注">アメリカでは、このシーンが4年間にわたって放送されたナイトライダーを締めくくるラストシーンとなった。</ref>。車種はヤマハXT250でカラーはグレイでタンクはオフブラック&シート下ホワイト。ライセンスプレートは3W6810。 ==== 強敵メカ&マシン ==== 以下は敵側による脅威級能力を持つメカ&マシン ; カール(''K.A.R.R.'') : K.A.R.R.とは、ナイト2000よりも半年早く完成していた、同じくウィルトン・ナイト開発による"ドリーム・カー"の第1号車であり、正式名称は'''K'''night '''A'''utomated '''R'''oving '''R'''obot。 : K.I.T.T.の基本プログラムが「人間(主にマイケル)への奉仕および命の遵守」という利他的なものであるのに対し、K.A.R.R.のそれは「[[自己保存]]」という利己的なものであり、野生動物の本能に近いものであるという。ウィルトンがK.A.R.R.のプログラムが大いなる欠陥をもつと気付いた時には、既に自身を侵していた病魔と経営周りでのごたごたが重なったこともあって、新たなドリーム・カー(後のK.I.T.T.)製作と自らの後継者探しを優先せざるを得なくなり、K.A.R.R.は財団関係者から忘れ去られたままナイト工業博物館の3番研究室に機能停止した状態で放置されることとなった。 : その後、"お宝"を目当てにナイト工業博物館に侵入したコソ泥、トニー(マイケル・マクレー、声:内海賢二)とレブ([[ウィリアム・サンダーソン]]、声:[[千田光男]])によって偶然再起動され、そのまま2人を乗せて逃亡。 : 基本的なデータ以外は全くの初期状態であるK.A.R.R.は社会常識にも欠けており、不遜な態度を取りながらもギブ&テイクの関係として2人に請われるがままに協力しての金品強奪を繰り返す。だが、整備をさせるためにボニーを拉致したことから、彼らの居場所と次の計画がマイケル側に発覚。K.I.T.T.との対決となるが、基本プログラムの違いを利用して正面から突っ込み合うチキンレースを仕掛けた<ref group="注">2008年に稼働したパチスロ(銀座)でのイベントにおけるK.A.R.R.とのバトルシーンではこの場面の再現となっているが、K.A.R.R.のデザインは初登場時のK.I.T.T.と同じ外観ではなく再登場時後半以降の外観デザインとなっている。</ref>マイケルの作戦に嵌り、衝突直前で反射的にステアリングを切ったために断崖から落下し、爆発炎上した(シーズン1第8話「ナイトライダー6(後半)・激闘!善と悪2台のナイト2000(原題:TRUST DOESN'T RUST)」)<ref group="注">このエピソードは、日本においては「日曜洋画劇場」枠においてシーズン1第2話と連続放映する形で「ナイトライダー6」として初回放送された。</ref>。 : それから2年後の夏、海岸でトレジャーハンティング中のカップルのジョン・スタントン(ジェフリー・オストラッジ、声:佐古雅誉(現:[[佐古正人]]))とマンディ(ジェニファー・ホルムス、声:[[高橋ひろ子]])に砂浜に埋まっていたところを掘り起こされ、ジョンが外れていた車内のコードを接続したことによりK.A.R.R.は復活する。 : この時点ではK.A.R.R.も「駆け引き」を身につけており、ジョンに自分の性能を見せつけた上で「(時給4ドルでボートの修理をしている現状を)空しいとは思わないか?人生を変えてみたくはないか?」と言葉巧みに誘惑し、利用する事でマイケルとK.I.T.T.をおびき寄せようと画策する。 : また、ジョンが勤めているボート会社のオーナー・エディが体調を理由に会社をジョンに譲ると言っていたのを盗聴し、エディの体をスキャンして[[心臓ペースメーカー|ペースメーカー]]を入れている事を知ると、ペースメーカーを誤作動させて心臓発作を起こし<ref group="注">エディの主治医は、「バッテリーの不調」「原因不明の予期せぬ故障」と診断した。</ref>会社の譲渡を前倒しさせようとしたり、ジョンの声色を使ってマンディを呼び出し、車内に閉じ込め室温を上げてジョンを脅迫したりといった冷酷な一面も見せる<ref group="注">当初は、車内から空気を抜いて真空にし、マンディの体が破裂する様子をジョンに見せようとしていた。</ref>。 : 故障しているアルファ回路のスペアを奪うためナイト財団トレーラーを襲い、その際にボニーが対K.A.R.R.用に出力を倍に調整したレーザーを奪う。 : 奪ったレーザーを取り付け、金の延棒を輸送するトラックを囮にマイケルとK.I.T.T.をおびき寄せ最終決戦を挑むが、マイケルが切り札としてK.I.T.T.に取り付けておいた強力反射板によってレーザーをはね返され、唯一の弱点であるスキャナーに被弾する。最後は、K.I.T.T.とのターボジャンプによる空中戦に敗れ、バラバラに破壊されてしまうが、K.A.R.R.そのもの<ref group="注">K.A.R.R.のユニットは、基本的にはK.I.T.T.と同じであるが、点滅するLEDがK.I.T.T.は赤なのに対し、K.A.R.R.は黄色となっている。</ref>。はまだ機能を停止していなかった(シーズン3第5話「悪魔のナイト2000カールまたまた出現!復讐の空中大勝負!!(原題:K.I.T.T. vs. K.A.R.R.)」。 : 日本語版での[[日本語の一人称代名詞|一人称]]は「私」、[[日本語の二人称代名詞|二人称]]は「お前(またはお前達)」。また、特定の相手に対しては名前で呼び、シーズン1では「K.I.T.T. 警告する、コースを変えろ!!」、シーズン3では「これで最後だマイケル・ナイト!!」と言う場面がある。なおK.I.T.T.は丁寧口調な話し方をするのに対し、K.A.R.R.は威圧(=上から目線)的な話し方をする。 : また2008年に稼働していたパチスロ(銀座)でのバトルイベントにも登場(声:麦人)する。外観は再登場時後半以降(スキャナーの色がアンバー、カラーリングがブラック&シルバーの上下ツートン)のものとなっている。倒した時の演出は原作(シーズン1第8話)と同じチキンレースの場面であるが、原作でK.A.R.R.が衝突寸前状態でハンドルを切って崖から転落ではなく、K.I.T.T.と衝突して弾き飛ばすとゲーム勝利となり逆にK.I.T.T.が弾き飛ばされるとゲーム敗北となる。 : K.A.R.R.のK.I.T.T.に対する外観の相違点は以下の通り。 * 初登場時 ** ボイスインジケータがK.I.T.T.のように表示部全体が明滅するタイプではなく、縦3列のグラフィック・レベルメーター方式となっている。表示色はイエロー。表示パターンは中央列が表示部中心から上下へ、左右の列が表示部上端と下端から中心へ向けて伸びる方式。 ** ライセンスプレート(ナンバープレート)は無し<ref group="注">エピソード中盤での銀行強盗で襲撃する場面では、シーズン1第4話での終盤の「K.I.T.T.が扉を体当たりで突破する場面」が使い回されており、その際ナンバープレートに「KNIGHT」が付いているのが確認できる。</REF>。 ** スキャナーの作動音がK.I.T.T.より低く、濁った「グオーン、グオーン」という音色になっている。K.I.T.T.の音は「フォンフォン」である。 ** このエピソードではK.I.T.T.と外観上の相違点が一切無く、全身ブラックでスキャナーの発光色も赤である。中盤辺りで拉致されたボニーを救出するため、K.A.R.R.のルーフにしがみつくマイケルに後方からK.I.T.T.が駆けつける場面に於いて、その直後マイケルがK.I.T.T.に飛び移る場面では両者が同じ画面で2台映っている(この場面では右前方がK.A.R.R.で左後方がK.I.T.T.)。 * 再登場時 ** ボイスインジケーター(K.A.R.R.側は初登場時と同じだが、K.I.T.T.側のインジケーターがシーズン1第13話からK.A.R.R.と近いタイプのもの(表示色は赤で表示パターンが3列とも中心から上下へ伸びる方式)に変更されている<ref group="注">理由は制作スタッフが一部変わるのに伴い、財団トレーラーが黒地にチェスのナイトの紋章と金色の2本ストライプで描かれた塗装等と同時に仕様変更された為。</REF>。 ** ライセンスプレートの追加。K.I.T.T.と同じカリフォルニアナンバーだが、表記は「KNIGHT」ではなく「KARR」。 ** スキャナーの発光色が[[琥珀#琥珀色|アンバー]](黄とオレンジの中間の色)に変更。作動音は、K.I.T.T.の音をベースに禍々しくしたような「ボォンボォン」というような音に変更されており、初登場時の音とは異なる。 ** エンジン音、走行音についても、スキャナーと同じくK.I.T.T.のものをベースに禍々しさを加えた音となっており、初登場時とは異なる。 ** 内装関連が前期型(シーズン1のK.I.T.T.と同じ)。例:「TURBO BOOST」のスイッチボタン、アクセルペダルに発光LEDがない等。 ** エピソード後半よりブラック&シルバーのツートンカラーに変更(脚本ではジョンによる塗装)。なおエピソード前半は初登場時やK.I.T.T.と同じ全身ブラックでスキャナーの発光色のみアンバーとなっている。 ; ゴライアス<ref group="注">[[ゴリアテ]]の英語読み。</ref>(''GOLIATH'') : シーズン2第1話「ナイトライダー2・無敵ゴライアスVSナイト2000(原題:GOLIATH)」に登場する、ウィルトンの息子ガースが作り上げた箱型[[セミトレーラー]]。 : AI等のハイテク装備は搭載していないため、車両としては人間が運転しなければならない一般的なトレーラーである。K.I.T.T.曰く「バカデカいだけが取り柄のくず鉄の塊」<ref group="注">劇中の台詞は修理中の場面で「これからあの『'''バカデカいだけが取り柄の'''』ゴライアスの弱点を探るところです。」と言う場面と、マイケルが敵地へ乗り込む際に「マイケル、あいつがいます。あの『'''バカデカいくず鉄の塊'''』ゴライアスもいます。」と言う場面。</ref>。 : 自白を強要させる毒薬「オルータ」を使用し、K.I.T.T.と同じ分子結合殻の構造式を知るエリオット(後に死亡)とデボンから3つの構造式を獲得して完成させた。 : 初対決では、マイケルがゴライアスを見くびっていたためにK.I.T.T.共々瀕死の重傷を負わされてしまった。 : 初登場時には、キャビン屋根部にロケットランチャー4基、およびフロントバンパーに催涙ガス発射口4門を装備している。また、レッドブラフ襲撃要員であるツオンベ配下の兵士をバンに乗車させていたが、ナイト2000に装備されたレーザーで扉を焼かれて閉じ込められている。 : トレーラーヘッド側のカプラとトレーラーのキングピンとを連結する[[第五輪]]だけ分子結合殻のコーティングが薄く脆いことが唯一の弱点であり、2発目のレーザーで撃ち抜かれトレーラーヘッドのみの状態となる。最後は、残り1発となったミサイルを発射する瞬間にナイト2000の最後のレーザーを撃ち込まれ、爆発炎上する。 : その後、シーズン2第17話「ナイトライダー3・替え玉博士略奪作戦 (原題:GOLIATH RETURNS)」にて再登場。エイドリアンが破壊された部品を回収して復活させたもので、その際にロケットランチャーは取り外され、弱点も解消されている。 : マイケルを倒すことに固執したガースは、本来の目的を完全に忘れてナイト2000を後ろから追跡し続けるも、断崖絶壁の丘でグラップリングフックで軌道を逸らして急停車したナイト2000に対してアクセル全開で突っ込みそのまま海へ転落した。その際の落下中にヘッドとトレーラーが外れている。 : トレーラーヘッドのベース車両は1973年式[[ピータービルト]]・352 ペースメーカー。ライセンスプレート(ナンバープレート)は無し。2008年に稼働していたパチスロ(銀座)でのバトルイベントでもガース(声:有川博)と共に登場する。倒した時の演出は原作ではレーザーを使っていたが、レーザーは使わずゴライアスの前輪に体当たりするという形に変更されている。前輪に体当たりしゴライアスを横転させるとゲーム勝利となるが、逆にK.I.T.T.が弾き飛ばされるとゲーム敗北となる。 ; 殺人ヘリ(''SX-411'') : シーズン2第3話「殺人ヘリ攻撃ミサイルの恐怖!決死の空中戦 超パワー全開(原題:MERCHANT OF DEATH)」に登場する最新鋭の戦闘型ヘリコプター。 : 強力な破壊力を持つ熱線追尾型の「スレッジハマー・ミサイル」を搭載している。操縦者はジャック・クレイゲン(ジョー・ラデュウ、声:柴田秀勝)。終盤でナイト2000との一騎討ちになり、機銃とスレッジハマー・ミサイルで攻撃する。ミサイルを新装備のウルトラマグネシウムでかわし、スモーク・リリースの煙幕で視界を遮りかく乱するマイケルの戦法に怯んだ隙に、高台に上りパワー全開のターボブーストでヘリの上空にジャンプしたナイト2000から発射されたマイクロジャム(劇中では「マイクロウェーブ」と呼称)の直撃を受け、エンジンが停止し不時着した。操縦者のクレイゲンは機を乗り捨てて逃げようとしたが、ナイト2000のルーフから身を乗り出し飛び掛かるマイケルの前に倒された。また2008年に稼働していたパチスロ(銀座)でのバトルイベントにも登場する。倒した時の演出は原作と同様高台からジャンプする場面までは同じだが、原作ではマイクロジャムを使う描写が、テレ朝コミックス版「ナイトライダー2 爆走!ナイト2000」と同じ体当たりで墜落させる描写となっている。 ; 赤い殺人カー(''DRONE CAR'') : シーズン3第1話「ナイトライダー5・強敵!赤い殺人カー(原題:KNIGHT OF THE DRONES)」に登場する。 : 開発者はデビッド・ホルストン博士(ジャレッド・マーティン、声:津嘉山正種)。コンピューターを搭載し、リモートコントロールで遠隔操作ができる無人の車。冒頭ではサンタクララ刑務所のゲートを突き破り収監されていたC・J・ジャクソン(ジム・ブラウン、声:飯塚昭三)を乗せて走り去り、降ろした後サンフランシスコの坂をナイト2000から逃げ回ったがタクシーに激突寸前でかわし、道路工事の土砂に突っ込んで停車した。中盤ではフロントグリルに搭載した強力なミサイルでナイト2000を攻撃し、完全破壊寸前にまで追いやった。終盤では同型の車が2台同時に登場し、装いも新たに後期仕様で復活したナイト2000を前後から挟み撃ちして追いつめるが、スキーモードでミサイルをかわされて同士討ちとなり破壊された。車種は1983年式[[フォード・サンダーバード]]。ナンバープレートは冒頭の1台目は1FPE817で終盤の2台は1GDM087と1GKE220。また2008年に稼働していたパチスロ(銀座)でのバトルイベントにも登場するが、車体の色が赤色ではなく白色となっている。倒した時の演出は原作と同じくスキーモードでミサイルを回避し同士撃ちさせるとゲーム勝利となるが、ミサイルを回避できず被弾するとゲーム敗北となる。 ; ジャガーノート(''JUGGERNAUT'') : シーズン4第1話「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」に登場する。 : セルニウム116([[同位体|アイソトープ]])の強奪計画を企てる国際的テロリストである、フィリップ・ノルドストロム(ジョン・コンシダイン、声:石田太郎)によって設計され、ファーンドリー社によって開発された装甲車。車体前部に象の鼻のような伸縮式の激突用ラムを装備しており、これによって標的を粉砕する。操縦者はノルドストロムの部下・ハウアー(ニコラス・ワース、声:[[郷里大輔]])。分子結合殻を無効化する溶液を散水車で浴びせられた直後のナイト2000を不意討ちし、猛攻を加えてスクラップ状態にまで陥れ、その後はゴライアスのように厳重警戒を強行突破してセルニウム116の強奪を行った。終盤では激突用ラムに強力な爆破装置が追加されており、SPM仕様で復活したナイト2000と再戦するも、オイルスリックで制御不能となり燃料タンク車に激突して爆発・炎上した。カラーは冒頭ではシルバーメタリックで、フロントゲージを装備後はグレーに変更。また2008年に稼働したパチスロ(銀座)でのバトルイベントにも登場し激突用ラムの先端部分が常時回転しており、ミサイルを撃ってくるなど原作よりも大幅に強化されている。パイロットのハウアーは原作よりも[[スマート]]体型で声も原作と異なる。倒した時の演出は原作と同じくオイルスリック(マイケル(=ささきいさお)の声で「オイルのごちそう」)で横転させればゲーム勝利となるが、ミサイルを回避できず被弾するとゲーム敗北となる。 ==== その他メカ&マシン ==== 以下はその他(1話限りのゲスト等)のメカ&マシン ; パワーショベル : シーズン1第6話「命をつなぐ水 渓谷の水を守りぬけ!(原題:NOT A DROP TO DRINK)」に登場する。 : ハーブ・ブレーメン(ジェイソン・エバース、声:?)一味がフランチェスカ・モーガン(サンドラ・カリー、声:?)達が営む牧場への送水配管を破壊するために駆り出した大型パワーショベル。 : マイケルがブレーメンの一番下っ端の手下から情報を聞き出した直後それを阻止すべく現場に急行し[[一騎討ち]]となる。最終的にはエピソード冒頭でボニーが新機能として搭載したグラップリングフック(このエピソードが初登場となる)でタイヤを撃ち抜かれ、さらに「ROCKET BOOST」(これ以前では「TURBO BOOST」で急加速をしていた)による急加速パワーで送水配管から引き離された。 ; ペニングトン・アスコット・レージェンシー(''PENNINGTON ASCOT REGENCY'') : シーズン2第7話「スペシャルカーを取り戻せ!ナイト2000車ドロ壊滅作戦(原題:CUSTOM K.I.T.T.)」に登場する。 : デボンの軍隊時代の上官であるスマイス中佐([[バーナード・フォックス]]、声:[[細井重之]])の愛車。 : エピソード冒頭でデボンがドライブを楽しんでいたところ、近辺で多発しているクラシックカーやカスタムカーを狙う車泥棒に追突され、応対している隙をつかれて奪われてしまう。 : デボンは、中佐が出張から戻ってくるまでに何としても取り戻すことをマイケルに要請するが、中佐が予定よりも早く戻ってきたため非常に場の悪い状況になってしまう。何とかあの手この手で時間を稼いでマイケルが奪還を果たし中佐の下に戻ってきたが、後部バンパーに追突時の痕が残ったままでデボンはどうしようか悩んでいたら、当のマイケルは「おぉ、気の毒にじっくりとごまかしの手を考えるんですな、先に本部に帰ってるよ」と言いその場を後にした。 : ベース車両は33年型デューセンバーグII SJを忠実に再現した79年製作のレプリカでボディカラーはブラック&ホワイトのツートン。ライセンスプレート(ナンバープレート)は5Z59988。 ; カーリー・カスタムカー(''Carrie CUSTOM CAR'') : シーズン2第7話「スペシャルカーを取り戻せ!ナイト2000車ドロ壊滅作戦(原題:CUSTOM K.I.T.T.)」に登場する。 : カーリー・ヘイパー(デニス・ミラー、声:玉川砂記子)がカスタムカーショーに出品した車。元々は車づくりの名人である父親が製作した形見の車。 : ベース車両は70年シボレー・コルベット・スティングレイC3をベースに製作された限定7台のカスタムカーで正式名称は'''BARRISTER'''と呼ばれる車である。ボディカラーはホワイト&ゴールドのツートン。ライセンスプレート(ナンバープレート)は1EVB831。なおシーズン4第19話「死を呼ぶ映画・28番街ステージの怪」にて映画撮影セットの路上に駐車されているがカラーが違う車両でベージュ&ブラウンのツートン。 ; ロングホーン・カスタムリムジン(''LONG HORN CUSTOM LIMOUSINE'') : シーズン2第7話「スペシャルカーを取り戻せ!ナイト2000車ドロ壊滅作戦(原題:CUSTOM K.I.T.T.)」に登場する。 : バック・レイバーン([[アルバート・サルミ]]、声:[[富田耕生]])がカスタムカーショーに出品した車。6輪車に改造し、ボンネットに角の[[フードクレストマーク|フードオーナメント]](模造品)、リアにはバスタブを付けている。 : ベース車両は77年リンカーン・コンチネンタル・ストレッチリムジンでボディカラーはホワイト。ライセンスプレート(ナンバープレート)はHUN639。 ; デボンの愛車(''Devon My Cars'') : シーズン1第7話「デボン逮捕!決死の脱獄 迫る巨大トレーラー!橋上の対決(原題:NO BIG THING)」に登場する。 : エピソード冒頭にてデボンが運転していた車。サンダース巡査に左テールランプを故意に割られてしまう。車種はメルセデス・ベンツ380SLでカラーはレッド。ライセンスプレート(ナンバープレート)は288BAG。 : シーズン2第8話「盗まれたナイト2000 知能戦!天才マイコン少年VSキット(原題:SOUL SURVIVOR)」に登場する。 : ナイト2000がランディにハッキングされ盗まれた為、移動手段に使ったデボンの愛車。マイケルがTVデッキに組み込まれたK.I.T.T.と共に乗車。車種は81年メルセデス・ベンツ380SL(R107)でカラーはブラウンメタリック。ライセンスプレート(ナンバープレート)は1XZZ581。 : シーズン3第3話「ひき逃げ!死のスピードレース!黄金のスーパーカーを追え!(原題:KNIGHT OF THE FASTLANE)」に登場する。 : マーク・ティラー(アラン・フェインスタン、声:有川博)に捜査の囮としてナイト2000を明け渡した際、移動手段に使ったデボンの愛車。K.I.T.T.からの発信電波をキャッチするためボニーと共に乗車。車種はメルセデス・ベンツ380SLでカラーはレッドのオープンカー。ライセンスプレート(ナンバープレート)は1DN1489。 ; 交換したボロ車(''Exchanged rags Car'') : シーズン2第8話「盗まれたナイト2000 知能戦!天才マイコン少年VSキット(原題:SOUL SURVIVOR)」に登場する。 : 同エピソード内でマイケルが美術品強奪の襲撃予想場所に向かう途中にデボンから借りた車がガス欠になり、やっと止まってくれた男性(声:[[沢りつお]])に「おたく高級外車のオーナーになる気ない?」と言ってデボンの愛車と60ドル+K.I.T.T.の入っている物と同型のTVデッキと交換した車両。車種は51年オールズモービル・チャンピオン DXでボディカラーはグリーン。ライセンスプレート(ナンバープレート)はCCU936。 ; デボンのバイク(''Devon Motorcycle'') : シーズン2第16話「激走!殺人レース・荒野に死を呼ぶマッドライダーを倒せ!!(原題:SPEED DEMONS)」に登場する。 : 同エピソード終盤にてデボンが「(バイクレースで)昔の血が騒ぎ出した」とのことで乗り始めたバイク。ライセンスプレート(ナンバープレート)は9E5593。 ; ダガーD-X(''DAGGER D-X'') : シーズン3第3話「ひき逃げ!死のスピードレース!黄金のスーパーカーを追え!(原題:KNIGHT OF THE FASTLANE)」に登場する。 : フットボールチーム・クーガーズと会員制レースクラブ・レーサーズエッジのオーナーであるマーク・ティラー(アラン・フェインスタン、声:有川博)が街道レースで使用した自慢の車。冒頭でレーサーズエッジのメンバーであるライヒ(アレン・ウィリアムス、声:千田光男)とのレースでのゴール直前、ブレーキ故障による警告ランプが点灯し制御不能となり、歩道に立っていたステイシー(ダニー・ドゥースティ、声:滝沢久美子)を轢いてしまう。車両データはイタリア製、ツインターボ(エンジン)、600馬力、0〜100kmまで3.5秒、最高速度320km、アメリカの公道を走ることは法律で禁止されている。隠し場所はティラーズスタジアム本社ビル跡の工場ガレージ。ベース車両は77年フェラーリ308GTS。ボディカラーは、ステイシーが轢かれ置き去りにされた現場をマイケルが捜査中、ごみ箱に付着した塗料片を発見しK.I.T.T.のアナライザー(科学物質分析器)で分析した結果、ダガーD-X専用塗料のゴールドメタリック&ブラウンだと判明した。ライセンスプレート(ナンバープレート)は432MEG。 ; 殺人改造車(''KILLER CAR'') : シーズン3第11話「恐怖の殺人改造車!激突!断崖の対決!!(原題:CUSTOM MADE KILLER)」に登場する。 : 金貸しのD・G・グレブス(ジェームズ・ルイージ、声:糸博)が雇った殺し屋フラット(カイ・ウルフ、声:若本規夫)が乗る殺人改造車。K.I.T.T.の解析によると出力は450馬力、追突時の速度は160km、強力なブレーキシステム装備、エンゲイジ・バンパー、ニトロ([[ナイトラス・オキサイド・システム|NITROUS OXIDE]])搭載。ベース車両は76年プリムス・フューリーでボディカラーはレッド&ホワイトのツートンだったがマイケルとのカーチェイスから逃げた後、洗車場に入り洗車後にはグリーンに変更された。ライセンスプレート(ナンバープレート)は1ALE458。 ; フォークリフト・ホイールローダー : シーズン3第13話「ナイト2000魔の毒液に溶ける!決死の再生!立ち直れキット!!(原題:JUNK YARD DOG)」に登場する。 : ジョン・バイロック(ラモン・ビエリ、声:小林修)が経営するバイロック廃棄物処理場で使われているホイールローダーでフォークリフトのような長い爪を装備している。序盤で捜査に潜入していたマイケルがたまたまK.I.T.T.と別行動をとっていた際、不意に現れその長い爪先でナイト2000を掬い上げ、身動きが取れないナイト2000をそのまま有毒廃溶液の溜池に落とした。その後奇跡の復活を果たしたナイト2000との対決では、今度はこの一連事件の主犯であるバイロックがこのホイールローダーを駆り再戦するものの、今度はマイケルが運転するナイト2000による有毒廃溶液の溜池への誘導に引っかかってしまい背後を取られ、パワー全開のナイト2000に有毒廃溶液の溜池へ押し落とされた。車高が高いため半分ぐらいしか沈まなかったが廃液の中に取り残されたバイロックは降参した。車種はキャタピラー950B。 :なお序盤で登場した際、暗闇であったため操縦者は誰であるか全く不明であるが、その場に居た従業員(=部下)の一人の会話<ref group="注">「侵入者(マイケル)が出た、すぐ社長(バイロック)に連絡しろ!!︎」という台詞があること。</ref>からバイロックでは無い事だけは確かである。 ; ルースター・カスタムレースカー(''ROOSTER CUSTOM RACER'') : シーズン3第16話「謀略!デトロイト・マフィア!死の19番ホール(原題:THE NINTEENTH HOLE)」に登場する。 : マーベリー・グランプリでマイケルとK.I.T.T.の対戦相手ルースター(マイケル・マクマナス、声:[[西尾徳]])の愛車。スーパーチャージャー・ツインブロアー、サイドマフラー、大型リアウィング装備。車種は83年シボレー・カマロでボディカラーはレッドでイエロー&ブラックの塗り分けがされている。ライセンスプレート(ナンバープレート)はQTY512。 ; ナード(''KNERD'') : シーズン3第17話「暗躍!謎の忍者軍団・超高温ビーム砲の恐怖!!(原題:KNIGHT & KNERD)」に登場する。 : ナイト財団の研究員、エリオット・サイクス([[アリー・グロス]]、声:[[田中亮一]])が所有する50ccバイクで、自転車と同様にペダルを漕いで走行することもできる。色は当初はホワイトでライセンスプレートは7286D4が付けられていたが、話のラストでブラックに塗り替えられ、ナイト2000のスキャナーを模した4連の赤いランプとナイト2000と同仕様の「KNERD」のライセンスプレート(ドジという意味の単語「NERD」に、「KNIGHT」の最初の文字「K」を付けている)が取り付けられた。マイケルはKNERDをK.I.T.T.に紹介する際、原語版では「お前の友達」、日本語吹き替え版では「お前の弟分」と紹介した。その直後、日本語吹き替え版でのみエリオットが「そっくりでしょ、ナイト50!」と紹介し、それを見たK.I.T.T.は「まだ子供ですね」と答えている。ベースはイタリア・デルビ社のヴァリアント。 ; RC3のオープンカー(''RC3 OPEN CAR'') : シーズン4第1話「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」に登場する。 : ナイト2000がジャガーノートの猛攻で破壊され、RC3とその友人達が復活に向けて修理中の間にマイケルが敵のアジトに潜入する際の足代わりとしてRC3から借りた愛車の[[ポンコツ]][[オープンカー]]。自画自賛でマイケルに「気をつけな320馬力のオープンカーだ」と言い放って鍵を渡した。車種は68年シボレー・インパラ・コンバーチブルでカラーはホワイトであると思われるがボディの所々が黒く薄汚れ、サビのある車である。ライセンスプレート(ナンバープレート)はKLP832。 : 登場したのはこのエピソードだけで以降には登場しない。 ; フェレット(''FERRET'') : シーズン4第5話「凶悪の牙・襲われた財団司令室!!(原題:THE WRONG CROWD)」に登場する。 : マーケット工業が開発した自爆機能を装備した車。自動走行し、ビルを5つ吹き飛ばせる爆薬を搭載し、目標を破壊するまでは止まらない走る爆弾。ナイト財団のトレーラーを強奪したホランダ(マーク・シュナイダー、声:若本規夫)一味が財団トレーラーのコンピューターを使ってニコラス(ゲイリー・ハッシュバーガー、声:[[関俊彦]])がフェレットのハッキングをしたがプログラムにミスがあり、フェレットは財団トレーラーを爆破標的として向かってくるようになる。それを知ったマイケルはボニーとともにフェレットの標的をナイト2000に仕向けるよう再プログラミングを施し、そのままマーケット工業のテスト走行場まで誘導し、本来の標的である小屋へ誘き寄せ激突寸前でターボブーストで飛び越え突っ込ませて自爆させた。カラーはレッドとホワイトでブラックのソーラーパネルが装備されている。 ; リンクス・インペリアル(''LYNX IMPERIAL'') : シーズン4第6話「復活ナイト2000!大改造パワー全開(原題:KNIGHT STING)」に登場する。 : パラメイヤン国の一等書記官である、サイモン・カラスカス(ウォルター・ゴデル、声:[[安部徹]])が探していたクラシックカー。世界に2台しかなく55年にバロンがスピード世界記録を達成した車。同大使館に保管している殺人バクテリアを奪回するためにK.I.T.T.が、スーパー・クールド・プラスチックを使ってリンクス・インペリアルに変装し潜入した。カラーはトマトレッドでブルーのマーキング塗装がされている。変装していたK.I.T.T.は、リンクスの色とスタイルを大いに気に入る。 ; ホーバークラフト(''L.I.PROTOTYPE HOVERCRAFT'') : シーズン4第7話「対決!恐怖の武装ホーバークラフト!!(原題:MANY HAPPY RETURNS)」に登場する。 : エイミー・ローウェル(D・D・ハワード、声:[[駒塚由衣]])が社長を務める、ローウェル・インダストリー社が開発しテスト中にクライスト(ピーター・マーク・リッチマン、声:仁内建之)一味に奪われた軍事ホーバークラフト。逃亡を阻止すべく駆け付けたマイケルとK.I.T.T.を相手にミサイルや機銃で攻撃するものの歯が立たず、隙をみて海に逃げるもナイト2000から発射されたグラップリング・フックを掛けられ、ウインチの巻き上げとリバース走行で引っ張るパワーに負けて砂浜に引き戻される。特徴はジャイロスコープ、ガイダンスシステム、ロケットランチャー、機銃が装備。ボディカラーはイエローでブラックのストライプが入っている。 ; 火炎放射器付ピックアップトラック (''FLAMETHROWER PICK-UP TRUCK'') : シーズン4第17話「山火事!放火犯を新兵器で追え!(原題:HILLS OF FIRE)」に登場する。 : 山火事を引き起こさせるために、ウィルソン(デビッド・レイナー、声:[[大友龍三郎]])の指示でマヌエル・ゴメス(ガレッド・ピアソン、声:[[小室正幸]])が使用した火炎装置が装着された特殊車両。終盤ウィルソンが運転して逃走を図り、追い詰められ前方に回り込んだナイト2000に火炎放射を行うが、すぐに二酸化炭素で消化される。かなわないと見たウィルソンは更に逃走するが、再び前方に回り込んだナイト2000に乗り上げ大破する。特徴は火炎放射器、6連マウントライト、四輪駆動。車種は79年シボレーK35・カスタムデラックス3+3でボディカラーはオリバーグリーン。ライセンスプレート(ナンバープレート)は2E83109。 == スタッフ == * 製作総指揮 - [[グレン・A・ラーソン]] * 音楽 - ステュー・フィリップス → ドン・ピーク * テーマ音楽 - グレン・A・ラーソン、ステュー・フィリップス * 製作 - グレン・A・ラーソン・プロダクションズ、[[ユニバーサル・ピクチャーズ|ユニバーサルTV]] * 放映 - 米国NBC === 日本語版スタッフ === * 演出 - [[壺井正]] * 翻訳 - [[平田勝茂]] * 効果 - PAG * 調整 - 高橋久義 * テレビ朝日担当 - [[猪谷敬二]] == エピソードリスト == アメリカで放送された順番に記載、また日本(テレビ朝日)版での放映順話数も併記する。(★)は2時間[[特別番組|スペシャル]]回で、各シーズンの第1話がそれぞれの対象となっているが、シーズン2のみ他2話が2時間スペシャル回(シーズン2のみの括りだと計3話)となっている。日本版での放映順話数の(※)はテレビ朝日版での未放映エピソードで邦題タイトルはDVD版より。なおこれらテレビ朝日未放映エピソードとDVD版では全て原語音声と翻訳字幕のみだったが、2014年11月27日にリリースされたコンプリートブルーレイBOXで全話日本語吹替版が出揃う事となった。またシーズン2以降の各話の括弧内は通算話数を表記。 <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">シーズン1 エピソードリスト</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small;" !各話!!日本版!!邦題!!原題!!放送日 {{Flagicon|USA}} |- |1||1||ナイトライダー1<ref name="NYG">『日曜洋画劇場』でのタイトル。</ref>/電子頭脳スーパーカー誕生(★)<ref group="注">旧邦題は『復讐に燃える男!驚異の電子頭脳スーパーカー誕生』</REF>||Knight of the Phoenix(★)||1982年9月26日 |- |2||6||ナイトライダー6<ref name="NYG" />/重戦車砲撃網大突破||Deadly Maneuvers||1982年10月1日 |- |3||27||荒野の大戦争!地獄の暴走族スコーピオンズ対ナイト2000||Good Day at White Rock||1982年10月8日 |- |4||(※)||炸裂サミーの壮絶スタントショー||Slammin' Sammy's Stunt Show Spectacular||1982年10月22日 |- |5||28||死の山荘脱出作戦!!ナイト2000殺しのバリケード大突破!!||Just My Bill||1982年10月29日 |- |6||(※)||命をつなぐ水 渓谷の水を守りぬけ!||Not a Drop to Drink||1982年11月5日 |- |7||26||デボン逮捕!決死の脱獄・迫る巨大トレーラー!橋上の対決||No Big Thing||1982年11月12日 |- |8||7||ナイトライダー6<ref name="NYG" />/激闘!善と悪2台のナイト2000||Trust Doesn't Rust||1982年11月19日 |- |9||29||決死の替え玉作戦!ナイト2000凶悪武装軍団(秘)計画を暴け!!||Inside Out||1982年11月26日 |- |10||31||消えた証人を探せ!爆走ナイト2000 波止場の大激突!!<ref group="注">DVD及びコンプリートブルーレイ及びFOXクラシック放送版では「爆走」の文字がタイトルから省略されている。</REF>||The Final Verdict||1982年12月3日 |- |11||(※)||潜入!殺人アカデミー テロリストの野望を砕け||A Plush Ride||1982年12月10日 |- |12||(※)||大統領暗殺犯を追え!記憶喪失の美女の謎||Forget Me Not||1982年12月17日 |- |13||(※)||闇の武器商人を追え!マイケル決死の潜入捜査!||Hearts of Stone||1983年1月14日 |- |14||32||爆殺!狙撃!事故続出!恐怖のサバイバルレースに勝て!!||Give Me Liberty... or Give Me Death||1983年1月21日 |- |15||30||殺しの暗号トパーズの謎!大追跡!ジェット機に飛び乗れ!!||The Topaz Connection||1983年1月28日 |- |16||(※)||偽礼大量生産!平和な町にはびこる組織犯罪||A Nice, Indecent Little Town||1983年2月18日 |- |17||25||激突!キット対マイケル・悪魔の洗脳!奪われたナイト2000||Chariot of Gold||1983年2月25日 |- |18||(※)||危機一髪!ナイト2000 窮地の女性を救え!||White Bird||1983年3月4日 |- |19||(※)||陰謀を暴け!トラック乗りを狙う強盗||Knight Moves||1983年3月11日 |- |20||33||コンピューター泥棒を追え!ナイト2000 大追跡ジャンプ!!||Nobody Does It Better||1983年4月29日 |- |21||(※)||死の銃撃戦!マイケル・ナイト2000||Short Notice||1983年5月6日 |} </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">シーズン2 エピソードリスト</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small;" !各話!!日本版!!邦題!!原題!!放送日 {{Flagicon|USA}} |- |1 (22)||2||ナイトライダー2<ref name="NYG" />/無敵ゴライアスvsナイト2000(★)<ref group="注">旧邦題は『驚異の電子頭脳スーパーカー!悪の巨大武装トラックを撃破せよ』</REF>||Goliath(★)||1983年10月2日 |- |2 (23)||9||刑務所脱獄!復讐の時限爆弾を探せ!||Brother's Keeper||1983年10月9日 |- |3 (24)||21||殺人ヘリ攻撃ミサイルの恐怖!決死の空中戦・超パワー全開||Merchants of Death||1983年10月16日 |- |4 (25)||18||危うしナイト2000!スクラップ地獄・脱出!空中ターボ噴射!!||Blind Spot||1983年10月23日 |- |5 (26)||8||驚異のスーパーカーナイト2000水上爆進!黄金像の謎を暴け!||Return to Cadiz||1983年10月30日 |- |6 (27)||11||宝石強盗゛黒猫゛の正体を暴け!怪盗キャットvsナイト2000||K.I.T.T. the Cat||1983年11月6日 |- |7 (28)||12||スペシャル・カーを取り戻せ!ナイト2000車ドロ壊滅作戦||Custom K.I.T.T.||1983年11月13日 |- |8 (29)||15||盗まれたナイト2000・知能戦!天才マイコン少年vsキット||Soul Survivor||1983年11月27日 |- |9 (30)||14||壮絶ジャングル戦!絶体絶命!ナイト2000底なし沼脱出不能!!||Ring of Fire||1983年12月4日 |- |10 (31)||10||激闘!魔の巨大ダム捜査・ナイト2000決死のターボ・ジャンプ||Knightmares||1983年12月11日 |- |11 (32)||(※)||危険なクリスマス!強盗犯を目撃した少年を救え!||Silent Knight||1983年12月18日 |- |12 (33)||13||ナイト2000地中大突入!地図に隠された秘宝の謎を追え!!||A Knight in Shining Armor||1984年1月8日 |- |13 (34)||22||トップモデル殺人事件!宝石に隠された陰謀をブッつぶせ!!||Diamonds Aren't a Girl's Best Friend||1984年1月15日 |- |14 (35)||16||電撃スクランブル!ナイト2000凶悪暴走強盗団を壊滅せよ!!||White-Line Warriors||1984年1月29日 |- |15 (36)||17||死線48時間リミット寸前!決死のレール・ウェイ大走破!!||Race for Life||1984年2月5日 |- |16 (37)||19||激走!殺人レース・荒野に死を呼ぶマッドライダーを倒せ!!||Speed Demons||1984年2月12日 |- |17 (38)||3||ナイトライダー3<ref name="NYG" />/替え玉博士略奪作戦(★)<ref group="注">旧邦題は『悪の巨大武装車ゴライアスの大逆襲!危うしナイト2000!!』</REF>||Goliath Returns(★)||1984年2月19日 |- |18 (39)||20||復讐の罠!マイケルは2度死ぬ・シグナルGO!高層ビル激突||A Good Knight's Work||1984年3月4日 |- |19 (40)||4||ナイトライダー4<ref name="NYG" />/殺人ミサイル壊滅作戦(★)<ref group="注">旧邦題は『殺人ミサイル壊滅作戦 敵か!?味方か!?謎の超人登場!!』</REF>||Mouth of the Snake(★)||1984年4月8日 |- |20 (41)||24||ビデオテープは死のサイン!芸能界潜入!マイケル歌手に!!||Let It Be Me||1984年5月13日 |- |21 (42)||23||巨大ブルドーザーの罠!体当り転落!恐怖の土砂生きうめ||Big Iron||1984年5月27日 |} </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">シーズン3 エピソードリスト</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small;" !各話!!日本版!!邦題!!原題!!放送日 {{Flagicon|USA}} |- |1 (43)||5||ナイトライダー5<ref name="NYG" />/強敵!赤い殺人カー(★)||Knight of the Drones(★)||1984年9月30日 |- |2 (44)||43||凶悪バイク・ギャング!顔を消した男!!||The Ice Bandits||1984年10月7日 |- |3 (45)||46||ひき逃げ!死のスピードレース!黄金のスーパーカーを追え!!||Knights of the Fast Lane||1984年10月14日 |- |4 (46)||36||幽霊殺人事件・謎のゴリラを追え||Halloween Knight||1984年10月28日 |- |5 (47)||34||悪魔のナイト2000カールまたまた出現!復讐の空中大勝負!!||K.I.T.T. vs. K.A.R.R.||1984年11月4日 |- |6 (48)||38||爆走デビル・トラック!必殺クラッシュ!巨大タイヤの恐怖||The Rotten Apples||1984年11月11日 |- |7 (49)||39||地獄に落ちたマイケル!裏切り!逃亡!死のバイオ兵器強奪||Knight in Disgrace||1984年11月18日 |- |8 (50)||40||マイケル連続危機!殺人フリスビーが襲う!猛毒が狙う!||Dead of Knight||1984年12月2日 |- |9 (51)||35||恐怖の高電圧・消えたナイト2000||Lost Knight||1984年12月9日 |- |10 (52)||47||復讐のカメレオンマン・千の顔を持つ男||Knight of the Chameleon||1984年12月30日 |- |11 (53)||51||恐怖の殺人改造車!激突!断崖の対決!!||Custom Made Killer||1985年1月6日 |- |12 (54)||48||狙われた名馬!転倒に秘められた陰謀!!||Knight by a Nose||1985年1月13日 |- |13 (55)||37||ナイト2000 魔の毒液に溶ける!決死の再生・立ち直れキット!!||Junk Yard Dog||1985年2月3日 |- |14 (56)||44||強敵!ミサイル装甲車vsナイト2000!!||Buy Out||1985年2月10日 |- |15 (57)||49||真夜中の転落死!高層ビルに隠された罠||Knightlines||1985年3月3日 |- |16 (58)||50||謀略!デトロイト・マフィア!死の19番ホール||The Nineteenth Hole||1985年3月10日 |- |17 (59)||41||暗躍!謎の忍者軍団・超高温ビーム砲の恐怖!!||Knight & Knerd||1985年3月17日 |- |18 (60)||53||爆走コンボイ軍団!トラック野郎とナイト2000||Ten Wheel Trouble||1985年3月24日 |- |19 (61)||42||女賊アマゾネス!狙われた最新鋭ミサイル!!||Knight in Retreat||1985年3月29日 |- |20 (62)||52||トンネル爆破!ナイト2000暗黒からの大脱出!!||Knight Strike||1985年4月5日 |- |21 (63)||45||死の空中ブランコ!疑惑のサーカス団!!||Circus Knights||1985年5月5日 |} </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead" style="text-align: left;">シーズン4 エピソードリスト</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> {| class="wikitable" style="font-size:small;" !各話!!日本版!!邦題!!原題!!放送日 {{Flagicon|USA}} |- |1 (64)||54||無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(★)||Knight of the Juggernaut(★)||1985年9月20日 |- |2 (65)||60||美女とナイト2000を取り戻せ!!||KITTnap<ref group="注">K.I.T.T.が誘拐されるストーリーであることから、誘拐を意味する「kidnap」とK.I.T.T.をかけている</ref>||1985年9月27日 |- |3 (66)||62||ハイジャック!人質ボニーを救え||Sky Knight||1985年10月18日 |- |4 (67)||71||死を呼ぶ聖地・恐怖のガラガラ蛇||Burial Ground||1985年10月25日 |- |5 (68)||61||凶悪の牙・襲われた財団司令室!!||The Wrong Crowd||1985年11月1日 |- |6 (69)||55||復活ナイト2000 大改造パワー全開||Knight Sting||1985年11月8日 |- |7 (70)||65||対決!恐怖の武装ホーバークラフト<ref group="注">DVD及びコンプリートブルーレイ及びFOXクラシック放送版では「武装」の文字がタイトルから省略されている。</REF>||Many Happy Returns||1985年11月15日 |- |8 (71)||63||謀殺!サーキットに忍び寄る魔手||Knight Racer||1985年11月29日 |- |9 (72)||57||疑惑・女子刑務所に消えた怪盗!!||Knight Behind Bars||1985年12月6日 |- |10 (73)||69||無法街!嵐のシカゴ・ブルース||Knight Song||1985年12月13日 |- |11 (74)||74||復讐の鎮魂歌・さらばナイト2000||The Scent of Roses||1986年1月3日 |- |12 (75)||58||謀略!復讐の暗殺車ナイト2000||Killer K.I.T.T.||1986年1月10日 |- |13 (76)||66||恐怖のチェインソー・死を呼ぶ森林||Out of the Woods||1986年1月17日 |- |14 (77)||59||死の魔術・アリバイに隠された謎||Deadly Knightshade||1986年1月24日 |- |15 (78)||64||死のリング!仕掛けられた世界戦!!||Redemption of a Champion||1986年1月31日 |- |16 (79)||72||大追跡!凶悪のオフロード・レース||Knight of a Thousand Devils||1986年2月7日 |- |17 (80)||70||山火事!放火犯を新兵器で追え||Hills of Fire||1986年2月14日 |- |18 (81)||56||恐怖の溶岩地獄・死の中米大冒険||Knight Flight to Freedom||1986年2月21日 |- |19 (82)||68||死を呼ぶ映画・28番ステージの怪||Fright Knight||1986年3月7日 |- |20 (83)||67||野望の血脈・奇襲ニンジャ軍団||Knight of the Rising Sun||1986年3月14日 |- |21 (84)||73||黒魔術ブードゥー!恐怖の脳支配||Voo Doo Knight||1986年4月4日 |} </div></div> == 日本での放送 == * 日本ではシーズン1 - 3までにラインナップされている2時間スペシャル(5本)とTVシリーズ放映開始に合わせてシーズン1の2エピソードを2時間に編集した『ナイトライダー6』を『[[日曜洋画劇場]]』の映画枠で放映。 * 『[[欽ちゃんのどこまでやるの!]]』の終了後に始まった『[[遊びにおいで〜Come on-a my House]]』が低迷し3ヶ月で打ち切りになった事を受けて1987年1月7日から[[テレビ朝日]]系列の水曜21時枠で、4月からの[[テレビ朝日水曜21時枠刑事ドラマ|刑事ドラマ枠]](現在も継続)立ち上げまでの[[つなぎ番組]]としてTVシリーズが始まるが、ボニーとエイプリルの2人の女性メカニックの登場順に関する混乱(シーズン1・3・4がボニー、シーズン2のみエイプリル)を防ぐという理由から、シーズン2がシーズン1より先に放映され、シーズン1初回にあたる「激突!キット対マイケル 悪魔の洗脳!奪われたナイト2000(原題:CHARIOT OF GOLD)」(アメリカではシーズン1第17話)の次回予告では、前述のようにマイケル(佐々木功=現:ささきいさお)の声で「次回から新メンバーのボニー・バーストウが登場します!」と紹介された(ストーリーラストが、マイケル、デボン、K.I.T.T.によって、敵組織の洗脳から無事解放されたボニーの「歓迎会」が開かれるという展開)。その結果、先に放映されたシーズン2に比べて出演者が若干若返った印象となった他、[[ナイト2000]]の機能追加の順序等に関する矛盾(先に放送されたシーズン2で頻繁に使用されていたマイクロジャムを、ボニーが新機能として追加する場面がある)、財団トレーラーの仕様が異なる(黒地に金のラインとチェスの「ナイト」が描かれたコンテナが、話によっては白一色の初期タイプになっている)といった別の混乱が生じた。 * 放映開始から数話は、オープニング終了直後に「ナイトライダー誕生エピソード」としてパイロット版をダイジェストで紹介する、日本オリジナルの演出がなされた。これは、前述の「日曜洋画劇場」枠で放映されたパイロット版を未見の視聴者に対し、物語の背景を分かりやすく解説したものである。 * 1985年6月2日に日曜洋画劇場枠で「ナイトライダー3」として放映されたシーズン2第17話「替え玉博士略奪作戦」では、オープニング直後に上述の「ナイトライダー誕生エピソード」から連続する形で、この話の前日譚にあたる「ナイトライダー2(シーズン2第1話「無敵ゴライアスvsナイト2000)」のダイジェストが日本オリジナルの演出として放映された。 * K.I.T.T.のボイスインジケーターは、本来テレビ朝日未放映エピソードであるシーズン1第12話「大統領暗殺犯を追え!記憶喪失の美女の謎(原題:FORGET ME NOT)」まではパイロット版(第1話)と同様に「発声に合わせて四角部分が赤く点滅する」仕様で、シーズン1第13話「闇の武器商人を追え!マイケル決死の潜入捜査!(原題:HEART OF STONE)」(こちらもテレビ朝日未放映エピソード)以降は「発声に合わせてバー型のLEDが発光する」仕様に改造されており、このエピソードの開始時点でK.I.T.T.が「新しい音声モジュレーターのご感想は?」とマイケルに尋ね、マイケルは「いいねえK.I.T.T.、気に入った」と言っている。しかし日本では、前述の理由でシーズン2が先に放送された為、ボイスインジケーターの仕様が異なるエピソードでは、混乱を防ぐ為にK.I.T.T.の発言シーンは全て中盤以降の仕様に差し替えて放送された。 * オープニングのシーンはシーズン1ではタイトルロゴ「''KNIGHT RIDER''」が本来は画面上部(K.I.T.T.の上)に表示されているのだが、やはりシーズン2以降の画面下部(K.I.T.T.の下)に表示となっており、メインキャスト紹介もシーズン2時の映像のものをそのまま流用、ボニーの紹介箇所のみシーズン3時の映像に差し替えられている。また日本版では上部に片仮名で「ナイトライダー」のロゴ表示が出る。シーズン2に相当するオープニングでは色は赤色、シーズン1・3では金色となっている。シーズン4に相当するオープニングでは漢字と片仮名で「新ナイトライダー」のロゴ表示が赤色で出る。こちらのロゴ文字体は先述のものとは異なっている。いずれもDVD版にはこれらの表示は一切出ない。シーズン1のオープニングに出てくるK.I.T.T.の車内が一瞬映るが。なぜかK.I.T.T.ボイスインジケーターの部分がなぜか【Knight rider 2000】の文字となっている。 * エンディングのシーンも、本来シーズン1第17話までは「ナイト2000を運転するマイケルのアップと荒野のハイウェイ(一本道)を走行するナイト2000」の仕様であるが、上述のボイスインジケーター変更と同じ事情に伴い、これに相当するエピソードでは、混乱を防ぐためにシーズン2以降のアイキャッチと同じ「夜明けの砂漠を正面からナイト2000が向かってくる」仕様に統一されている。本来、このエンディングのシーンではナイト2000のフロントバンパー形状がパイロット版そのものでありシリーズ版と異なっていたため、これらの場面が差し替えられた要因のひとつでもある。 * アイキャッチがシーズン1のみ他と異なる仕様で、上記のK.I.T.T.のボイスインジケーターのような差し替えを行わなかったため余計に別の混乱が生じた(夜明けの砂漠をナイト2000(シーズン2)→左端にライトを照らすナイト2000(シーズン1)→再び夜明けの砂漠をナイト2000(シーズン3)→夜明けの砂漠をSPM仕様のナイト2000(シーズン4))。 * デボンのフルネームはパイロット版のみ「デボン・シャイアー」、以後のシリーズ版では「デボン・マイルズ」となっており、混乱を防ぐという理由から、日本版では先出の「デボン・シャイアー」で終始統一されている。またシーズン4第1話「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」でデボンがノルドストロム一味に拉致され、マイケルが彼の行方を捜す際に「デボン・シャイアー・マイルズ」と尋ねる場面がある。 * 次回予告は各冒頭での[[ティーザー広告|ティーザー]](ハイライトシーン)を流して主役のマイケル(佐々木功=現:ささきいさお)の声で「'''ナイトライダー、次回をお楽しみに!!'''」で締めくくられている。なおシーズン4(新ナイトライダー)では次回予告は無くなっている。 * 次回予告(=各冒頭のティーザー)のBGMはシーズン2までは「Knight」(シーズン1第17話までのエンディングBGM)が使われていたが、シーズン3以降は「END TITLE」が使われている<ref group="注">シーズン1第6話及び第14話と第15話と第17話と第20話とシーズン2第9話では、シーズン3以降と同じ「END TITLE」がBGMに起用されている。またシーズン1第9話では「Test Drive」が使われている。</REF>。 * 原語版シーズン1でのオープニングには第12話までは[[効果音]](Sound Effect)が無かったが、K.I.T.T.のボイスインジケーター及び財団トレーラーのコンテナのデザインが変更された第13話以降は効果音が付加されている。なお日本語版シーズン1オープニング(日曜洋画版、ナイトライダー6)では最初から効果音が付いており、コンプリートブルーレイBOXに収録されているシーズン1オープニングにも日本語版では第1話から全て効果音が付いている一方で原語版はオリジナル同様第13話以降となっている。なおシーズン2以降は原語版・日本語版両方とも全て効果音が付いている。 * 日本版ではシーズン1第20話「コンピューター泥棒を追え!ナイト2000大追跡ジャンプ!!(原題:NOBODY DOES IT BETTER)」の次話にシーズン3第5話「悪魔のナイト2000カールまたまた出現!復讐の空中大勝負!!(原題:K.I.T.T. VS. K.A.R.R.)」となった時、K.I.T.T.の内装が「後期型」に変わっていることに伴い、この次回予告では、前述のようにマイケル(佐々木功=現:ささきいさお)の声で「ナイト2000の宿敵K.A.R.R.が海の中からよみがえってきた。次回からはナイト2000の内装が新しく、面白さ倍増、どうぞお楽しみに!!」と紹介されている。本来はシーズン3第1話「ナイトライダー5・強敵!赤い殺人カー(原題:KNIGHT OF THE DRONES)」のエピソード中盤に「前期型→後期型」にバージョンアップするという場面が描かれていた。 * 日本でのシリーズ初放送時の1987年8月に放送された日本独自の特別編成番組『ナイトライダー・スペシャル』内で放映された2本のエピソード(シーズン3第9話と第4話)は再放送時にはシーズン3の最後(「無敵装甲車ジャガーノート大激突“破壊編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」の前)に放送されている。また、同番組内でナイト2000の機能紹介をする「ナイト2000徹底分析」、及び当時まだ放映されていなかったシーズン3の見所エピソードを紹介する「ナイトライダー最新情報」の2コーナーはこれ以降、再放送されていない。 * 1988年2月、シーズン4第1話(2時間)を2週に分けて放送し、『ナイトライダー』シリーズは終了。 * またこのシーズン4第1話のオープニングは日本独自のものとなっており、メインキャストの紹介が省略され全体的に短いものとなっている。なお、シーズン4DVD版では本来通りメインキャスト紹介ありのオープニングとなっているものの日本語吹替が収録されていなかった。しかしブルーレイ版では日本語吹替版が収録されている。ただし同シーズン第2話以降の音声がそのまま流用されているためオープニングラスト部分の映像と効果音が合っておらずSPM変形時の効果音が入っている。また2週に分けられたため、後半部分となる場面が始まる前に前回のあらすじとして前半部分の経緯をマイケル(佐々木功=現:ささきいさお)の声で説明する場面がありこれも日本独自のものである。 * 時間帯を変えて(関東地区では、1988年11月から1989年3月毎週土曜日15:00 - 15:55)、シーズン4を『新ナイトライダー』として放映。 * 『新ナイトライダー』は関東地区での初放映の際、「ハイジャック!人質ボニーを救え(原題:SKY KNIGHT)」をもって打ち切られ、約7ヶ月後の10月2日夕方5:00に再放送された『ナイトライダー』シリーズの後に残りの未放映分を含めたエピソードが初放映された。 * マイケル役のハッセルホフは、シーズン4第11話「復讐の鎮魂歌・さらばナイト2000(原題:THE SCENT OF ROSES)」を最終話にして欲しいと要望したが、[[却下]]されてしまいがっかりしたという逸話があり、米国版では第21話「黒魔術ブードゥー!恐怖の脳支配(原題:VOODOO KNIGHT)」が最終話となっている。 * 日本放映版では、ハッセルホフの要望に応え、「復讐の鎮魂歌・さらばナイト2000(原題:THE SCENT OF ROSES)」が最終話となり、先述の「黒魔術ブードゥー!恐怖の脳支配(原題:VOODOO KNIGHT)」はこのエピソードの直前に順番が変更されている。さらにこのエピソードの最後の場面は、オリジナルのラストシーン(財団に戻る決意をしたマイケルを乗せて走り去るナイト2000で、米国オリジナル版ではここで従来通りのアイキャッチ「夜明け砂漠をSPM版ナイト2000が正面から向かって、Executive Producer "GLEN.A.LARSON"」となっているがここでは省略)に続いてナイト2000の走行シーン(シーズン4第4話「死を呼ぶ聖地・恐怖のガラガラ蛇(原題:Burial Ground)」の使いまわし)とBGMが追加され、スタッフロールが表示されるという日本独自のものとなっている。最後のアイキャッチにおいて、「巨大な悪に立ち向かう、現代の騎士、ナイトライダー。'''明日'''、彼を待ち受ける者は、果たして、誰か」と言う、オリジナルにないナレーション([[小林清志]])が追加され、オープニング映像の部分箇所と最後は同じく「夜明け砂漠をSPM版ナイト2000」となっており「Executive Producer "GLEN.A.LARSON"」の表示が「新ナイトライダー 終」の表示に置き換えられている(これはシーズン4DVD版には収録されておらず上述通り米国仕様版のままである)。 * 上述通り全84話中74話が日本で放映されたが、テレビ朝日未放映エピソードで残った10話中9話がシーズン1で、残り1話がシーズン2でのエピソードとなっている。よってシーズン3以降のエピソードは日本では全て放映されたことになる。 * なおシーズン3第8話「マイケル連続危機!殺人フリスビーが襲う!猛毒が狙う!(原題: DEAD OF KNIGHT)」に関してテレビ朝日放映当時(1987年9月14日)は劇中流れる挿入BGMの権利関係上の問題点に抵触してなかったが、現在(2015年以降)では抵触する模様で再放送もできない状態であり、日本語完全吹替版としての本エピソードは未放映のままである。 * 2008年に[[スカパー!プレミアムサービス|スカパー!]]などで展開されている[[スーパー!ドラマTV]]でシーズン1から順次放映(テレビ朝日で放送されたエピソードのみでテレビ朝日未放映エピソードは放送されていない)された。 * 2009年1月15日から、[[サンテレビジョン|サンテレビ]]で『ナイトライダー』シーズン1・2が再放送された。 * 2015年8月5日から、[[FOXクラシック]]で『ナイトライダー』シーズン1が放送。この放送ではオリジナル・フィルムを完全HD化して日本未放映エピソードも含めてノーカットオリジナル版をお馴染みの日本語吹き替え版に加え、日本語字幕版も放送。2016年1月6日からはシーズン2を放送。同年6月22日からはシーズン3を放送。同年11月14日からはシーズン4を放送。なおパイロット版「電子頭脳スーパーカー誕生(原題:KNIGHT OF THE PHOENIX)」を含むシーズン初めの4本と2本のスペシャル版は2話に分けて放送。シーズン3第8話「マイケル連続危機!殺人フリスビーが襲う!猛毒が狙う!(原題: DEAD OF KNIGHT)」のみ上述の理由で放送されていない。 * 2016年1月20日から、[[NHK BSプレミアム]]で『ナイトライダー』シーズン1がハイビジョンリマスター版で2エピソードずつ放送(第1話のパイロット版は1エピソード)。 * テレビ朝日での本放送ではナイト2000のベース車となったファイアーバード・トランザムの製造元である[[ゼネラルモーターズ]]社の販売代理店であった[[ヤナセ]]がスポンサーの一つだった為、姉妹車の[[シボレー・カマロ]]など、ゼネラルモーターズ社製品を中心としたTVCMが番組の合間に流れていた。 * 2022年10月15日から、[[BS松竹東急]]で『ナイトライダー』の全4シリーズを放送開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1444655.html|title=「ナイトライダー」全4シリーズ、BS松竹東急で15日放送開始|publisher=インプレス|date=2022-10-04|accessdate=2022-11-20}}</ref>。2022年10月から2023年3月末までにシーズン1全話が、同年4月から同年9月末までにシーズン2全話が、さらに同年10月よりシーズン3を第8話「マイケル連続危機!殺人フリスビーが襲う!猛毒が狙う!(原題: DEAD OF KNIGHT)」を除いて放映中。 * またシーズン1放映直後のシーズン2放映前に主人公マイケル・ナイトの日本語吹替を担当した[[ささきいさお]]がシーズン1のエピソードの中からベスト3を発表する特別企画番組『ささきいさおが選ぶ「ナイトライダー」BEST 3』が放映された<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.mynavi.jp/article/20230323-2634005/|title=ささきいさお『ナイトライダー』を語る「最高傑作なんじゃないかな」|publisher=マイナビニュース|date=2023-03-23|accessdate=2023-03-23}}</ref>。 === アイキャッチ === CMへ移行する際のアイキャッチもシーズン毎に異なっている。 * シーズン1では、直前の画面が右端下へ1/4縮小でスクロールして、左側にライトを点灯したナイト2000が出る(パイロット版でコムトロン本社から空港に向かうナイト2000のシーン)という構図(正確にはパイロット版と第4話以降のシーズン1全話で第2話と第3話のみアイキャッチは無し<ref group="注">第3話はテレビ朝日での地上波放送時のみアイキャッチあり。</ref>)。 * シーズン2第2話からシーズン4第1話までは、直前の画面が中央へ吸い込まれるように消えて行き、夜明けの砂漠をナイト2000が正面に向かってくるという構図となった(ただし、シーズン2第1話「ナイトライダー2・無敵ゴライアスVSナイト2000(原題:GOLIATH)」のみナイト2000とゴライアスが正面から対決するといった構図となっている)。 * テレビ朝日放映版では丁度そのアイキャッチが流れる直前場面が未放映箇所である場合は、それより前の場面でテレビ朝日独自のアイキャッチを流していた。米国オリジナルでのアイキャッチはその場面が『外周側が削られつつ』吸い込まれていくのがオリジナル版の描写であるのに対し、日本独自版では『全体がそのまま縮小する』といった描写となっている(シーズン2第20話「ビデオテープは死のサイン!芸能界潜入!マイケル歌手に!!(原題:LET IT BE ME」)の終盤を見比べればその差は歴然)。 * シーズン4では基本的にシーズン2・3と同じ構図であるが、時間帯がより早くまだ薄暗い砂漠を正面に向かってきてシーズン4以降に搭載されたスーパー追跡モード(以下SPM)形態でのナイト2000が来る構図となっている(ただし、シーズン4第1話「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」のみSPM搭載前であるため、シーズン2・3時のものとなっている)(正確にはシーズン4第2話以降)。 * 上記でのシーズン2・3のアイキャッチとシーズン4のアイキャッチでのナイト2000であるが前者はやや右寄り(運転するマイケル基準であれば左寄り)であり、それに対して後者は中央に向かって速度が前者より少し遅目である。 * またアイキャッチのBGMがシーズン3以降上記の形になった後も原語版では時折そうでない場合が多々あったが、日本語吹替版ではそういった場面においても上記のBGMが使われている。ただし2014年11月27日にリリースされたブルーレイ版では原語版と同じ形に修正されている。なおそれ以前に発売されているDVD版では修正されていなかった。 * エンドロール(『Executive Producer "GLEN.A.LARSON"』のクレジットが出る場面)において、パイロット版(第1話)を含むシーズン1第4話から第15話と第17話までは「ハイウェイを走る」シーンだったが、シーズン1第16話「偽礼大量生産!!平和な町にはびこる組織犯罪(原題:A NICE,INDECENT LITTLE TOWN)」のエンディングで一度だけ先述の「夜明けの砂漠をナイト2000が正面に向かってくる」シーンとなり、その後シーズン1第18話「危機一髪!ナイト2000 窮地の女性を救え!(原題:WHITE BIRD)」からシーズン3終了となる第21話までこの形で統一されるようになった<ref group="注">シーズン3第1話「ナイトライダー5・強敵!赤い殺人カー(原題:KNIGHT OF THE DRONES)」では「[[ゴールデン・ゲート・ブリッジ]]をナイト2000が走行する」シーンとなっている他、冒頭のC.J.ジャクソンがホルストン博士の手によって脱獄するシーンはオープニング前のティーザーとして流されている等このエピソード1回のみの限定となっている。</ref>。さらにシーズン4第1話以降はやはりSPM形態での同シーンとなっている。なおシーズン1第2話及び第3話はラスト1シーンのカットで『Executive Producer "GLEN.A.LARSON"』のクレジットが出る。 * 上記エンドロール後のスタッフロール([[テレビ朝日|日本放映版]]は各エピソードでの吹替えキャストの紹介)のBGMはシーズン3までは「Test Drive」が使われており、シーズン4では「END TITLE」となっている。 * ただし米国版シーズン3以前で2時間スペシャル回になるエピソードでは「END TITLE」が使われている。 * また上記の日本放映版でのキャスト紹介は上から順に、 ** (1)マイケル(デビッド・ハッセルホフ)/佐々木功=現:ささきいさお ** (2)デボン(エドワード・マルヘアー)/中村正 ** (3)ボニー(パトリシア・マクファーソン)(エイプリル(レベッカ・ホールデン))/小山茉美(潘恵子) ** (4)キット(ナイト2000)/野島昭生 ** (5)RC3(ピーター・パロス)/水島裕 : の表記となっている。 == 関連作品 == === 新ナイトライダー2000 === 『新ナイトライダー2000(原題:''Knight Rider 2000'')』が[[1991年]]に製作された。 製作当時から見て近未来である西暦[[2000年]]、警官は[[銃規制#アメリカ合衆国|銃規制]]が進んだことで実弾銃使用が撤廃され、代わりに超音波銃の携行が義務付けられており、犯罪者の服役は冷凍睡眠となっている[[シアトル|シアトル市]]を舞台にした物語。 捜査中に仲間に裏切られて頭部に銃撃を受け、その影響による記憶の欠落を補うため、かつてK.I.T.T.に使用されていたメモリーチップを頭に組み込まれた元警官の女性、ショーン・マコーミック([[:en:Suzan Norman|スーザン・ノーマン]])が主人公である。 ナイト財団では、10年前(1990年)にマイケル・ナイトが退職しており、残ったデボンと元弁護士のラッセル・マドック主任([[カーメン・アルジェンツィアノ]])の下、[[バーチャル・リアリティ]]を搭載したナイト2000の発展型・ナイト4000の製作が進められていた。2人はハロルド市長を相手にナイト4000のプレゼンテーションを行い、犯罪撲滅のための必要性を訴えるが、同席していたダニエルズ警察長官に「犯罪捜査は警察だけで十分」と突っぱねられ、必要性を証明したいのなら30日以内に完成させるよう要求される。 折りしも銃使用撤廃派市会議員の暗殺事件が発生しており、助けが必要だと感じたデボンは、引退して釣りのガイドや車いじりをして過ごす「第三の人生」を送っているマイケルの元を訪ね、協力を要請する。デボンの熱意に打たれたマイケルは、K.I.T.T.を相棒にすることを条件に、ナイト4000が完成するまでの30日間だけ財団に復帰するが、肝心のK.I.T.T.とナイト2000はマドックによって解体されてしまっていた。マイケルは売却されたK.I.T.T.のパーツを買い戻させて再生し、自らの愛車である1957年型シボレー・ベルエアに搭載して捜査を開始するが、安物のチップを使って再生されたK.I.T.T.は、手配中の犯罪者と一般人を間違えるなどかつてのような性能を発揮できないでいた。 一方、銃撃された時の記憶を失くしたショーンは、ダニエルズから警官の職務に就くのは不適格であると言われ、警察を辞職してナイト財団に新たな職を求める。K.I.T.T.のチップがショーンに移植されていると知ったマイケルは、ショーンとともに捜査を開始する。当初は、マイケルとK.I.T.T.を見下した態度を取っていたショーンであったが、銃撃の真相をK.I.T.T.の協力で思い出し、次第に連携が取れるようになっていく。 やがて、遂にナイト4000が完成し、デボンとマドックはテスト走行を行う。デボンは、性能はナイト2000を遥かに凌ぐと評価しながらも、マドックの声で話し、道路に飛び出してきた鹿を「はねても実害はない」と言い放って避けようともしないナイト4000に、K.I.T.T.のような人間性が感じられないと不満を抱く。 テスト走行を終えナイト4000を降りたデボンは、犯人一味に襲われて拉致されてしまう。犯人一味は意識不明となったデボンの記憶を抽出し、ナイト財団がまだ手掛かりを何も掴んでいない事を確認すると、そのまま薬剤を投与しデボンを殺害してしまう。 死の間際デボンが最後に見た夢は、ウィルトン・ナイトの遺志を継ぎナイト財団総帥として悪と戦う決意をしたマイケルと、「二人の友情と一人の男の夢」に乾杯する場面(オリジナルパイロット版のラストシーン)であった。 捜査を進める中、マイケル達は犯人一味に追われ、K.I.T.T.の提案で車ごと海に飛び込み追跡をかわすものの、K.I.T.T.は機能を停止してしまう。 デボンの死にショックを受けたマイケルは、「自分が手を貸したせいでデボンを死なせてしまった」と自責の念にかられふさぎ込んでいたが、ショーンの叱咤で再び気力を取り戻す。 財団に戻ったマイケルは、K.I.T.T.を自分の愛車からナイト4000に移植する。マイケルとショーンは、新たなボディを得たK.I.T.T.(=ナイト4000)とともに事件の真相に迫ろうとする。 この作品は[[パイロット版]]のみの製作にとどまったが、CICビクター株式会社からビデオソフトがリリースされた他、『ナイトライダー』シーズン1 DVD-BOX及び『コンプリートブルーレイBOX』に特典として収録されている。また、テレビ朝日系を中心とした各地方局で深夜映画として放映された。日本語吹替え版は製作されていない。 新主人公・ショーンの「脳にメモリーチップを埋め込まれた元警官」という設定は、旧ナイトライダー初期原案における「脳に埋め込んだメモリーチップによりK.I.T.T.と意思疎通が可能」というマイケル・ナイトの没設定をなぞったものであると言える。 当作品でナイト4000のモデルとなったのは、[[ダッジ・ステルス]]をベースに新たに制作された車両<ref group="注">本作使用後は、1998年に製作されたテレビ映画「帰ってきた[[白バイ野郎ジョン&パンチ]]」(原題: 『CHiPs '99』)に未来の[[コンセプトカー]] Z2000という車名で登場した。他には映画等でパトカー仕様に改造されて登場したりした。</ref>で当時のコンセプトカーである[[ポンティアック]]・バンシーに類似したデザインで制作されたオリジナルカー。 以後も、『ナイトライダー』の続編・新作とされる作品がいくつか製作されている。 === ナイトライダー2010 === 1994年に2時間ドラマとして放映された。 近未来のメキシコ。アメリカとの国境付近の「ゾーン」と呼ばれる区域で、不法移民を助ける運び屋で生計を立てる一匹狼の青年・ジェイク・マックィーン([[:en:Richard Joseph Paul|リチャード・ジョセフ・ポール]])と、臓器の不法密売を行っている大企業のボス・ジェード([[ブライオン・ジェームズ]])の戦いを軸にし、「ジェードの部下に襲われ死に瀕した養父(黒人であり、白人のジェイクを引き取って育てた)から受け継いだ正義の心と高性能エンジン」「父の形見のエンジンを搭載して製作した高性能な改造車(マスタングをベースとし、防弾効果のあるシートを車体に貼り付け、銃火器を搭載している)」「その車に、ジェードに殺されたジェイクの恋人・ハンナ([[ハドソン・レイク]])の意思を宿したクリスタルを搭載し、彼女の意思で自由に会話や情報収集、自動走行などができる」など、元祖ナイトライダーのコンセプトを骨子として部分的に織り込んでストーリーが紡がれていく。 なお2014年11月27日にリリースされた『コンプリートブルーレイBOX』に特典DVDとして初収録されている。 === チーム・ナイトライダー === 1997年10月から1998年9月まで放映された連続テレビドラマ。 90年代に入り、F.L.A.G.はさらなる事件に対処するために、カイル・スチュワート、ジェニー・アンドリュー、デューク・デパルマー、エリカ・ウエスト、ケビン“トレック”サンダースの5人のスペシャリストを集め、それぞれに人工知能による意思を持った車両(ダンテ、ドミノ、ビーストの自動車3台およびカット、プラトのバイク2台)を1台ずつ与えて実働チームを結成した。彼らは「チーム・ナイトライダー(略称TKR)」と呼ばれ、人々にもその活躍は広く知られていた。 マイケル・ナイトの情報はF.L.A.G.内でも最高機密とされていたが、終盤になって突然マイケルを名乗る人物が登場する。更に、「TKRメンバーの一人・ジェニーがマイケルの実子ではないかという疑惑」「その正体はガース・ナイトと思しき敵「メビウス」の存在」「F.L.A.G.ヨーロッパ支部からやってきた、ドイツ語を話しアメリカ人を嫌う車両「Knight Alpha」の人工知能の正体が、かつてナイト2000に搭載されていたK.I.T.T.であった」など、様々な謎が登場する。しかし、番組自体が1シーズンのみで終わってしまったため、それらの謎は掘り下げられることはなかった。 === ナイトライダー(2008年)/ナイトライダーNEXT === {{基礎情報 テレビ番組 | 番組名 = ナイトライダー(2008年)<br />ナイトライダーNEXT | 画像 = | 画像説明 = | ジャンル = [[海外ドラマ]] | 放送時間 = | 放送分 = | 放送枠 = | 放送期間 = 2008年9月24日 - 2009年3月4日 | 放送回数 = 17 | 放送国 = {{USA}} | 制作局 = | 企画 = | 製作総指揮 = グレン・A・ラーソン | 監督 = スティーヴ・シル | 演出 = | 原作 = | 脚本 = デイヴ・アンドロン<br />グレン・A・ラーソン | プロデューサー = デイヴ・アンドロン<br />ゲイリー・スコット・トンプソン | 出演者 = [[#登場人物(ナイトライダー(2008年)/ナイトライダーNEXT)|登場人物]]を参照 | 音声 = | 字幕 = | データ放送 = | OPテーマ = | EDテーマ = | 挿入歌 = | 時代設定 = | 外部リンク = http://www.fujitv.co.jp/knight_rider_next/ | 外部リンク名 = フジテレビ | 特記事項 = }} ''詳細については以下の英語版の各項目を参照'' * ''[[:en:Knight Rider (2008 film)|パイロット版の項目]]'' * ''[[:en:Knight Rider (2008 TV series)|連続テレビシリーズの項目]]'' [[2008年]][[2月17日]]夜に[[NBC]]系列で『Knight Rider』新作のパイロット版が[[特別番組|特番]]として放映され、同年[[9月24日]]から[[2009年|翌年]][[3月4日]]まで毎週水曜日20:00 - 21:00の時間帯で全17話(当初は全22話予定だったが、諸事情により短縮された)の連続テレビシリーズ版が放映された。これまでの数ある続編作品としては元祖主人公であるマイケル・ナイト(デビッド・ハッセルホフ)が登場し、次世代となる新主人公で自身の息子であるマイク・トレーサー([[:en:Justin Bruening|ジャスティン・ブリューニング]])にバトンを受け継がせるシーンもあり、最も正統な続編と見られる。時代観は前作でのシーズン1(ウィルトン没後)から25年後の時代としており、前作でのシーズン4終了以降<ref group="注">マイケル(初代)の台詞から25年前にウィルトンが亡くなった事を語っている為である。またこれをシーズン4以後を基準にした場合21年後となり、シーズン4第7話「対決!恐怖の武装ホーバークラフト!!(原題:MANY HAPPY RETURNS)」終盤でマイケルが現在の地位に至って(パイロット版)から4年目になったという台詞があるため。逆にシーズン4以後を基準にした場合は21年後ということにしないと話の辻褄が合わなくなる。</ref>ではない。前作でのナイト財団はあくまでも単独での捜査を常としていたが、今回の新生ナイト財団は「ナイトインダストリー」と呼ばれることが多く、中盤まで[[FBI]]と密接な協力関係にある。 日本では[[2012年]][[1月16日]]から[[7月2日]]まで、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の深夜枠『[[登龍門 (フジテレビ)|登龍門]]』で『'''ナイトライダーNEXT'''』<ref group="注">原語版でのタイトルは「'''Knight Rider'''」。便宜上、初代シリーズと区分けするため「Knight Rider('''2008'''))」と表記されている。</ref>の邦題で日本語吹替え版が全19話(本国では2時間番組だったパイロット版が「序章」前後編の2話に分割して放映されたため)放映された。また日本語版制作[[スタッフ]]も旧作である初代シリーズを手掛けた[[プロデューサー]]が全面指揮をしている。'''先述通り本作の日本放映はフジテレビ系列で前作(テレビ朝日)とは違う系列。'''なお「序章」を除き、邦題タイトルには全て「○○ナイト」、「ナイト○○」といったように「ナイト」という文字が必ず入っており、原題にも「KNIGHT」の文字が必ず入っている。 ==== あらすじ(パイロット版) ==== : [[民間軍事会社]]「ブラックリバー社」の一味が、'''チャールズ・グレイマン博士'''のある研究成果を強奪するために自宅を急襲。博士はコンピュータと人工知能の権威であり、かつてナイト財団でナイト2000の開発に関わっていたほどの優秀な科学者だった。だが、博士は尋問のショックで心臓発作を起こして急死。それがきっかけとなり、研究室に眠っていた新たなるK.I.T.T.'''「ナイト3000」'''が覚醒。遺された娘の'''サラ・グレイマン'''を守るために飛び出していった。 : 一方でサラは、[[スタンフォード大学]]でナノテクノロジー工学の講師を務めていたが、ブラックリバー社の追手に捕まり窮地に陥る。しかしそこにK.I.T.T.が駆けつけてピンチを免れた。K.I.T.T.は博士が事前にプログラムしていた指示に従い、サラの幼馴染である元特殊部隊員・'''マイク・トレーサー'''の助力を得るためラスベガスに向かう。マイクと合流したサラとK.I.T.T.は、死んだかに見せかけて生きていたチャールズ(実際に死んだのは影武者のベン)や、FBI捜査官のキャリー・リヴァイ、マイクの母であるジェニファーとも合流。途中でジェニファーが命を落とすという悲劇があったものの、マイクとサラはブラックリバー社の野望を挫くことに成功した。 : 後日、ジェニファーの葬儀の場でチャールズは、ブラックリバー社のような陰謀を企む組織や個人が多数存在していることを告げ、「狂った世界を変えよう」とマイクに協力を求めるが、母の死を引きずるマイクは一度は断る。しかし、実の父である初代の'''マイケル・ナイト'''との対話を経て、世界を変えるために新生ナイト財団への参加を決意する。こうして、新たなる「ナイトライダー」が誕生した。 ==== あらすじ(連続ドラマ版) ==== : チャールズ、サラ、キャリーにアレックス・トーレス、ビリー・モーガン、ゾーイ・チェの3人を加えた新生ナイト財団こと「ナイトインダストリー」でK.I.T.T.と共に捜査活動に従事していたマイクだが、様々な事件に対処していく中で、マイクを知っているという人物にあちこちで遭遇する。その度に彼は自分に全く覚えのない事件の話や身の上話を聞かされて混乱し、捜査に支障をきたすまでになっていた。一計を案じたキャリーは、公衆の面前でマイクを麻酔銃で撃ち、彼の死を偽装。過去を捨てて新たな名前として父と同じ「マイケル・ナイト」を名乗ることになったマイクだが、その影では「K.A.R.R.(カール)」というキーワードがチラついていた。 ==== 登場人物(ナイトライダー(2008年)/ナイトライダーNEXT) ==== : 主要登場人物の内、マイク、K.I.T.T.、サラの3名はパイロット版を含む全話において[[皆勤賞|皆勤]]登場する。 : ビリー、ゾーイの2名はパイロット版以外の第1話以降の全話に登場。 : チャールズはパイロット版から第12話までの登場(ただし第11話終盤で死亡しており第12話ではホログラムメッセージでの登場)。 : キャリーはパイロット版から第11話までの登場。 : トーレスは第1話から第12話までの登場。 ===== 全話における主要人物 ===== ; マイク・トレーサー / [[襲名|マイケル・ナイト(2代目)]]Mike Traceur / Michael Knight (Second Generation) : 演 - [[ジャスティン・ブリューニング]] [[:en:Justin Bruening|Justin Bruening]]、日本語吹替 - [[丹沢晃之]] : 本作の主人公。前作の主人公、初代マイケル・ナイトの実子である。マイケルの息子であるが、姓は父方の「ナイト」ではなく母方である「トレーサー」となっている。[[イラク戦争|イラク]]従軍の経験もある元アメリカ陸軍特殊部隊員であるため、腕っ節はかなり強く様々な銃器や爆薬の扱いにも慣れており、先代よりも戦闘的でアグレッシブな印象。なお前作において『拳銃等の所謂火砲は基本的に使わない』という方針であったが、本作では火砲は普通に使用しており、後述する新型K.I.T.T.にも火砲は装備されている。女性に対しても非常に積極的で、幼なじみであるサラとは恋人的な関係でありながらも結構なプレイボーイでもあるため、彼女から皮肉を言われたり睨まれることもしばしばである。パイロット版で登場した時にはレーサーだったが、資金がないため[[ACコブラ|コブラ]]らしき愛車を修理することもままならず、当然賞金を稼ぐこともできないために借金取りに返済を迫られて凄まれている状態であった。<ref group="注">借金自体は、同エピソード中でサラが自身の護衛とチャールズの救出を手伝う報酬として肩代わりしたため、完済している。</ref>母親ジェニファーが敵の一味に殺害され、その葬儀において実父マイケル(初代)と初対面する。マイケル(初代)が25年前にウィルトン・ナイトから託された「1人の男が世界を変えられる」という言葉を受け継ぎ、ナイトインダストリーに参加する決心をする。 : 連続テレビシリーズ版の第1話「よみがえるナイト(原題:A Knight In Shining Armor)」において、イラク従軍経験による記憶障害(後に実際にはK.A.R.R.開発時のテストドライバーであったことを隠蔽するために記憶操作されていたことが判明する)が任務の妨げになるという理由から、キャリーに麻酔銃で銃撃されて表向きは死亡したことになった。それ以降は新たな名前として父と同じ「(2代目)マイケル・ナイト」を名乗る。作中では「マイケル」と名乗りだしてからも同僚達からは変わらず「マイク」と呼ばれ、K.I.T.T.やそれ以外の人物からは「マイケル」と呼ばれる。 ; K.I.T.T.(キット)Knight Industries Three Thousand : 声 - [[ヴァル・キルマー]] [[:en:Val Kilmer|Val Kilmer]]、日本語吹替 - [[野島昭生]] : ナイト3000に搭載された人工知能。日本語吹替え版では旧作のナイト2000と同じ声になっているが、旧ナイト2000の人工知能とは別の物である。K.I.T.Tとは、Knight Industries THREE Thousand の略である。パイロット版でサラに「あなたの名前は?」と尋ねられた際、「私は"'''ナイトインダストリーズ3000'''"、通称"'''K.I.T.T.'''"です」と返答している。日本語吹替え版ではマイクに対する呼掛けは当初は「マイク」であったが、マイクが父と同じ「(2代目)マイケル・ナイト」を名乗るようになってからは「マイケル」と呼ぶ。自身の開発者であるチャールズのことを父と慕う。性格は初代K.I.T.T.とは根本的に別物であるため所々違うが、共通点として話を追うごとに人間らしい感情を学んでいき、物語後半になると初代K.I.T.T.以上にユーモラスで時には悪乗り(寝起きのマイクが乗車中、急ブレーキを掛けてハンドルに頭をぶつけて目を覚まさせる、軍の鬼教官の台詞(「腕立て20回だ、マイケル・ナイト!貴様はクズ野郎で…」)を言う、マイクが犯人の乗る車の後ろにいるにも関わらず自分の判断で車に向けてガトリング砲を発砲し、事件解決後マイクとガトリング砲の使用を巡って口論になるなど。また、敵の追撃を逃れるためにターボブーストで側転しながら頭上の高架道路に飛び移った際には、直前マイクに「横はだめです!」と警告したにも関わらずマイクが実行したため、「だめぇぇぇーっ!!」と絶叫している)する場面も見られる。第12話「ナイトの夜明け(原題:Knight To King's Pawn)」冒頭でトーレスの手によって内蔵コアを抜かれてしまうが、すんでのところで自身の記憶媒体をインターネットに流して[[バックアップ]]を取り、後にマイク達がそのデータをネット上から回収し、車体奪還時に回収したデータメモリを接続しメイン機能の復活を果たした。しかし、突貫作業でのプログラミングであったため修復機能であるナノスキンシステムが作動せず、直後のK.A.R.R.戦では苦戦を強いられた。決着後にゾーイの手によってナノスキンシステムの修復を施され、ボロボロになった姿が瞬時に元の姿に完全修復した。物語後半ではマイクが窮地(命の危機)に陥った場合、優先的にSSCへ連れ戻すようサラにプログラミングされている。 ; サラ・グレイマン Sarah Graiman : 演 - [[ディアンナ・ルッソ]] [[:en:Deanna Russo|Deanna Russo]]、日本語吹替 - [[加納千秋]] : チャールズの娘でナイト3000のプログラマーを担当。本作における[[ヒロイン]]の1人。マイクの同僚であり、また幼なじみであり恋人同士の仲でもあった。パイロット版では、スタンフォード大学でナノテクノロジー工学の講師を務めていたが、父とK.I.T.T.を狙う[[民間軍事会社]]・ブラックリバー社の起こした事件に巻き込まれてマイクと再会。事件解決後に父とともにナイト財団を再興し、メインスタッフとして加わる。第12話では前話で犠牲となったチャールズが亡くなったことで落胆していたが、父の遺言メッセージを聴き、彼の遺した遺産を受け継ぎ中盤以降で復帰。第13話「スワット・ナイト(原題:Exit Light, Enter Knight)」以降では死亡した父に代わりマイクらの総指揮官となる。常日頃からマイクの身を案じており、第4話「ハード・デイズ・ナイト(原題:A Hard Day's Knight)」では毒を盛られ衰弱していくマイクを懸命に介護したり、第17話「アイ・ラブ・ナイト(原題:I Love The Knight Life)」では上記のように命の危機に面した場合K.I.T.T.にマイクを自分の下へ連れ戻すようプログラムした。 : 第12話以前では旧作のボニー(エイプリル)に相当する役割を担っていたが、工作員としての戦闘訓練も受けており、敵と格闘してノックアウトすることもしばしば。第13話以降は(チャールズの後釜として)旧作のデボンに相当する役割を担っている。 : パイロット版では、髪の色は茶色で比較的ナチュラルなメイクであったが、連続シリーズ版では黒髪で目元を強調したメイクとなっており、印象が変わっている。 ; ビリー・モーガン Billy Morgan : 演 - [[ポール・キャンベル]] [[:en:Paul Campbell (Canadian actor)|Paul Campbell]]、日本語吹替 - [[中尾一貴]] : マイクの同僚で、数々の理学学位(応用物理学、量子物理学、電気機械工学、化学、離散数学、応用数学)を有する技術者。主に調査活動やハッキングなどによってマイクの捜査を支援する。コンピュータと情報処理のエキスパートで大のゲーム好きのいわゆる[[ギーク]]/[[ナード]]系の人物ではある(ゲームの攻略法を巡って喧嘩になったオタクに殴られる、紙で手を切り「痛いよママ〜」とつぶやきながら部屋を出て行くなど)が、潜入調査やマイクのフォローの為に現場に出ることもあり、肝は座っている模様。大人子供を問わず女性が苦手だと語っているが、劇中では捜査で知り合った女性とかなり親密な仲になったことが2度ある。第3話では海が苦手(日焼けすると[[蕁麻疹|「じんましん」]]が出てしまうため)が発覚。結局サラと共に現場に出てくるが、本人は周囲を壁に囲まれている方が気が楽とこぼしていた。第8話「ナイト・イン・ベガス(原題:Knight Of The Zodiac)」ではマイクのサポートとしてともにラスベガスへ向かい、SUVからアタックモードに変形したナイト3000を運転し(変形もビリーが命令)、マイクの危機に駆けつける活躍を見せる。第12話ではトーレスによりチームを解散されたが、マイクやゾーイとともに残ってK.I.T.T.の奪還に協力し、第17話では犯人を追うマイクが終盤で犯人が人質を取り、マイクが動けない場面で背後から犯人に不意打ちして状況を打破するといった活躍をこなし、旧作におけるRC3に相当する役割を果たしている。 ; ゾーイ・チェ Zoe Chae : 演 - [[スミス・チョー]] [[:en:Smith Cho|Smith Cho]]、日本語吹替 - [[志田有彩]] : マイクの同僚でコンピュータのエキスパートで9か国語を操る。サラに並ぶ[[ヒロイン]]の1人。ビリーとともにSSC内でコンピュータを駆使した情報分析でK.I.T.T.とマイクを支援する。[[絶対音感]]の持ち主。第3話「サーフィン・ナイト(原題:Knight Of The Iguana)」では、不在のキャリー以外でサーフィンができる唯一のメンバーであったことからマイクとともに捜査に参加して偽装夫婦を装い、その際の偽名としてマイクは「デボン」、ゾーイは「ボニー」と名乗った。第17話でのマイクの話によると料理は不味い(=下手)とのこと。同僚のビリーにはよくちょっかいを出したりいびったりしているが、時には賭けごとをしたり、ビリーが喧嘩に勝てるよう格闘の稽古をつけたりと仲は悪くない。第12話ラストで、チャールズのF.L.A.G.再興を託すビデオメッセージを見た際には、ビリーと抱き合っている。ゾーイ役のチョーは第12話までオープニングのキャスト紹介ではゲスト扱いであったが、第13話以降はレギュラーとなっている。トーレスの死後(第13話以降)は、SSCのボスを自称している。 : 第12話の終盤でK.A.R.R.戦でボロボロになったK.I.T.T.のナノスキンシステムを彼女が一人で修復を行い以降はサラがこれまでチャールズが担ってきた(旧作におけるデボンに相当する)役割を受け継いだことに取って代わり、旧作のボニー(エイプリル)に相当する役割となっている。 : なおサラとの間柄は第3話において後半でサラがマイクに同行すると言い出した際、ゾーイは「これは私の任務!!」と言いK.I.T.T.の助手席の取り合いになった場面もあるが、第17話では、「チャールズやトーレスがこれまで担ってきた仕事を一人では支えきれない」と弱気になったサラを励ましたりと仲は良い。 ===== 中盤までの登場人物(途中で死亡等で退場する人物) ===== ; チャールズ・グレイマン Charles Graiman : 演 - [[ブルース・デイヴィソン]] [[:en:Bruce Davison|Bruce Davison]]、日本語吹替 - [[竹本和正]] : ナイト3000の開発者でマイクの上司。後述するK.A.R.R.やリサ&ケイティなど多数のロボットを開発・制作した人物でもある。前作の設定では空白であった、ナイト2000開発チームにおける中心人物でもあり、本作では旧作のデボンに相当する役割に当たる。娘のサラとマイクの命を第一に考えており、任務至上主義のトーレスと対立することもある。また、サラが潜入任務のために露出度の高いビキニ姿になった際は、父親らしく苦々しい表情を浮かべることもあった。その一方で、第8話でSSCの環境監査にやって来たテス査察官とはかつて恋人同士の関係であり、サラの目の前で見つめ合ったり、監視カメラの前でキスをしたりと情熱的な一面を見せ、キャリーやゾーイがはやし立てる中、サラにたしなめられても平然としていた。マイクの両親であるマイケル・ナイトとジェニファー・トレーサーとは友人関係でもある。 : パイロット版では冒頭にブラックリバー社の一味に襲撃を受け尋問された直後に心臓発作を起こして死亡したが、これは影武者であるベンの偽装(この際ベンは死亡した)であり本人は生き延びている。 : 第11話「ナイト最大の危機・後編(原題:Day Turns Into Knight)」で、それまでK.I.T.T.の移動手段として使用していた[[C-130 (航空機)|C-130輸送機]]が敵の策略を阻止するために損傷した際、機長とともに最後まで機に残って不時着させようと試みるが果たせず、機の爆発に巻き込まれ今度こそ本当に死亡する(ただし作中では爆発の直接描写は無く終盤でK.I.T.T.がそうなったという情報をマイク達に伝え、「私達は父(チャールズ)を失いました…」と告げた)。第12話では、自分にもしもの事があった時に備えて録画していたホログラムメッセージで登場し、これまで謎となっていた真実(K.A.R.R.のドライバーであったことの記憶を消された事実)を打ち明け、自分がいなくなってしまった後にトーレスがK.A.R.R.プロジェクト再開に動き出すだろうと予感しており、それだけは絶対に阻止してほしいと告げた。またK.I.T.T.のコンピュータに記録された3次元映像にも登場しており、ラストでは新たに遺産を受け継いだ娘サラに新たな指揮官としてF.L.A.G.を盛り立ててほしいと告げた。第13話以降は登場しない。 ; キャリー・リヴァイ Carrie Ruvai : 演 - [[シドニー・ターミア・ポワチエ]] [[:en:Sydney Tamiia Poitier|Sydney Tamiia Poitier]]、日本語吹替 - [[甲斐田裕子]] : FBI捜査官でグレイマン親子の友人でもある。ナイトインダストリーの運営責任者の1人でもあり、非常時には彼女やトーレスが先頭に立って事態に対処する。先述の理由からマイクを麻酔銃で銃撃し、彼の死を偽装する。第10話「ナイト最大の危機・前編(原題:Don't Stop The Knight)」のラストで敵の仕掛けた爆弾により致命的な重傷を負い、11話で辛くも一命は取り留めたものの、CIAに勤務する父親から現場復帰は不可能であると告げられ涙した。そのため第12話以降は登場しない。 ; アレックス・トーレス Alex Torres : 演 - [[ヤンシー・アリアス]] [[:en:Yancey Arias|Yancey Arias]]、日本語吹替 - [[里卓哉]] : [[アメリカ国家安全保障局|NSA]]から派遣された[[#ナイト財団|ナイト財団(F.L.A.G.)]]責任者でキャリーの上司。任務の遂行を第一に考える任務至上主義者であり、マイクやサラの命を尊重するチャールズと対立する場面もあった。第11話までは各ミッションを統括するリーダー役であったが、マイクの軍歴の情報を隠蔽するなど時折黒い影を見せており、マイクからは疑いの目で見られていた。第12話では前話のラストで死亡したチャールズがいなくなったことで、遂にその本性を本格的に現し、K.A.R.R.開発に関わっていたことが判明。K.A.R.R.復活に邪魔になるSSCを閉鎖し、チームを解散させ、K.I.T.T.の内蔵コンピュータを奪い、車体も秘密倉庫に隠す。奪ったコンピュータでK.A.R.R.を本格的な兵器にしようとするも、そのK.A.R.R.に捕獲され、生体コンピュータとして取り込まれてしまった。マイクとK.I.T.T.によってグラップリングフックでK.A.R.R.の車内から引っぱり出されたものの、既に致命傷を負っていた。息を引き取る直前に自分の犯した過ち(チャールズがK.A.R.R.プロジェクトに反対していた意味をようやく理解できたこと)をマイク達に詫びている。 : 彼の生前時(第12話冒頭まで)には、SSC内は多数のスタッフ達が常に出入りする賑わった雰囲気であったが、彼の死後(第13話以降)のSSC内は主要メンバー4人(マイク、サラ、ビリー、ゾーイ)以外は誰もいない状態になり、少し寂しげな雰囲気となっている。それと同時に政府機関のバックアップが受けられなくなり、これまで使えていた軍事衛星やデータベースなどが使えなくなったため、捜査能力の若干の低下を招いている。 : これに関しては第12話を境にこれまでのFBIとの連携関係が絶たれ、「ナイトインダストリー」(新生F.L.A.G.)が独立機関になったことによるためである。 : 政府機関の機密事項へのアクセス権を複数所有しており、死亡後にメインのアクセスコードは使えなくなったが、第17話ではゾーイの絶対音感により予備アクセスコードを解読された。第13話以降は登場しない。 : 主要登場人物の中で唯一『姓』の方をメインに呼ばれる人物である。ファーストネーム(名)である「アレックス」と呼ぶのは作中ではチャールズが直接本人と会話する場面でのみ確認できる。なお本項でもこれに準じる。 ; K.A.R.R.(カール)Knight Auto-cybernetic Roving Robotic exoskeleton : 声 - [[ピーター・カレン]] [[:en:Peter Cullen|Peter Cullen]]、日本語吹替 - [[麦人]] : 第12話に登場。乗用型戦闘用ロボットのAI。声優は原語版には旧作シーズン1第8話登場及び日本語吹き替え版共々のK.A.R.R.と同じ声になっているが、旧K.A.R.R.の人工知能とは別の物である。プログラムに致命的な欠陥があり、後述の暴走した経緯から機能を停止されてエリア51内に封印されていたが、トーレスによりK.I.T.T.のコアユニットを組み込まれ再起動される。しかし、それでもプログラムの抜本的な改善は不可能であり、何の進化も見られず再び暴走を起こした。 : 自身に命令できる人物は設計者であるチャールズのみと言っており、トーレスは「チャールズは死んだ。私が最高指揮官だ、私の命令に従え!!」と命令するが、それに対しK.A.R.R.は「お前の言い分は確かに正しい。チャールズがいない今、お前が2番目の指揮官だ、私はお前の命令に従おう」と返答した直後にトーレスに襲い掛かり自身の中に取り込み、「お前と私は一体化した、命令を下すのは私だ!!」と言いマイクの元へ走り出す。そして、マイクの応急処置で復活したK.I.T.T.と対峙し、元々のドライバーだったマイクを取り込もうとするが、トーレスをグラップリングフックで引き出され無人となったコックピットに、ターボブーストによる体当たりを受けて完全に破壊された。 ===== パイロット版限定の登場人物 ===== ; マイケル・ナイト(初代)Michael Knight (First Generation) : 演 - [[デビッド・ハッセルホフ]] [[:en:David Hasselhoff|David Hasselhoff]]、日本語吹替 - [[ささきいさお]] : 前作の主人公であり、今作の主人公であるマイクの父。本作ではパイロット版(日本語吹替え版では「序章・後編」部分)のみの登場。かつて婚約者であったスティービーとは別との女性(先述の通りスティービーは婚姻成立後に殺害されたために[[再婚]]に当たる)である元妻ジェニファーとの間に生まれた息子マイクに、25年前に自身がウィルトンから受け継いだ「1人の男が世界を変えられる」という言葉(死の床についたウィルトンがマイケルに託した遺言)を彼に語って聞かせ、自身と同じ道を歩ませるきっかけを与えた。本作では前作のウィルトンに相当する役割に当たる。日本語吹替版では息子マイクから「マイケル、また会えますか?」という呼び掛けにマイケルは「そう願っている」と笑顔で答えて退場する。 ; ディラン・ファス Dylan Fass : 演 - [[ウェイン・カッサーマン]] [[:en:Wayne Kasserman|Wayne Kasserman]]、日本語吹替 - ?(不明)<!--(声:情報求む!!)--> : レーサーとしてのマイクとコンビを組むメカニックであり、友人。借金の形として人質に取られ、危うく砂漠に埋められそうになるがサラの肩代わりによりどうにか難を逃れた。パイロット版のみのキャラクターで、ラストシーンではグレイマン博士らとともにK.I.T.T.輸送機に乗り組んでいたが、レギュラー版には登場していない。 ; ジェニファー・トレーサー Jennifer Traceur : 演 - [[スーザン・ギブニー]] [[:en:Susan Gibney|Susan Gibney]]、日本語吹替 - [[一城みゆ希]] : マイクの母親でマイケルの再婚相手。パイロット版のみに登場する。敵に追われるチャールズとともに身を隠しており、チャールズがナイト3000のドライバーとして息子マイクを指名するのを母である彼女は反対していた。初代K.I.T.T.(ナイト2000)のことも知っており、チャールズに「今度のK.I.T.T.もトランザム?」と尋ねており、それに対しチャールズは「今度はマスタングだ」と返答した。マイク達と合流した後で敵一味に捕まり、マイクの目の前でウェルザーに殺害されてしまった。ウィルトン・ナイトに同名の娘がいるが、全くの別人である。 ; ベン Ben : 演 - ブルース・デイヴィソン、日本語吹替 - 竹本和正 : パイロット版のみに登場したチャールズの影武者。敵に追われていることを素早く察知し、本物のチャールズを逃がしてマイクの母・ジェニファーの元へ走らせた。チャールズの身代わりとなって敵に捕まり、心臓発作を起こして死亡する。作中ではチャールズ役であるデイヴィソンが一人二役で演じており、両者の外観上の相違点は眼鏡の有無となっている(ベンは眼鏡をかけているが、チャールズは眼鏡をかけていない)。 ; ウェルザー Welther : 演 - [[グレッグ・エリス]] [[:en:Greg Ellis (actor)|Greg Ellis]]、日本語吹替 - [[田中正彦]] : パイロット版に登場。ブラックリバー社の一員で、チャールズとサラを執拗に付け狙う4人組のリーダー。部下にクロス(ジャック・ヤング、声:[[三上哲]])、スモーク(ケヴィン・ダニガン、声:[[山内健嗣]])、ベル(ケヴィン・クリスティー、声:[[茶花健太]])の3人とスパイである保安官のラムジー(クリス・ミルキー、声:[[石丸博也]])がいる。 : チャールズのコンピュータ技術を強奪するためにグレイマン邸を襲撃し、サラを誘拐しようとする。またK.I.T.T.のシステムをハッキングしようとするなど、かなりの強敵として描かれている。後半でマイクの母・ジェニファーを殺害。その後チャールズを車に乗せて連れ去ろうとしたが、後を追うマイクとK.I.T.T.に先回りされ、ナノマシンシステムの強固な防御力にものをいわせたブロッキングで車を大破させられて大怪我を負い(この衝撃で車に乗っていたウェルザーとチャールズ以外は全員死亡、チャールズは軽傷で済んでいる)、後から駆け付けたキャリーに逮捕された。最後は母を殺されて怒りの表情を見せ、銃を構えるマイクに怯むことなく「これで勝ったと思うな…」<ref group="注">自身の行った行動はジェニファーに銃口を突き付けられた為「正当防衛」だという言い訳に等しい反論を主張している。</ref>と捨て台詞を吐いて睨みつけた。 ==== 登場メカ&マシン ==== ; ナイト3000(K.I.T.T.) : 本作では、ナイト2000に代わって[[スポンサー]]である[[フォード・モーター|フォード]]製の[[シェルビー・マスタング#2007 シェルビー GT500|シェルビー マスタングGT500KR]]をベースとしたナイト3000が登場する。搭載されているAIの名称はナイト2000と同じくK.I.T.T.であるが、正式名称は「'''K'''night '''I'''ndustries '''T'''hree '''T'''housand」となっており、初代K.I.T.T.とは"別人"である。新型K.I.T.T.は[[ナノマシン]]による変形機構を備え、ノーマルの[[フォード・マスタング#5代目(2005年 - 2014年)|マスタング]]の他、1969年型のクラシック[[フォード・マスタング#初代後期(1969年 - 1973年)|マスタング]]、ピックアップトラック([[フォード・Fシリーズ#12代目(2009年〜)|フォード F-150 FX4]])、バン([[フォード・Eシリーズ#2008年モデル|E150]])、SUV([[フォード・フレックス]])、パトカー([[フォード・クラウンビクトリア#ポリスインターセプター (Police Interceptor) (P71/P7B型)|クラウンビクトリア・ポリスインターセプター]])など、形状・色等の外観どころか、内装までもが全く異なる車に変形できる。この他、過激なエアロパーツで武装した「アタックモード」と呼ばれるモードに変形でき、かつてのナイト2000を凌駕する機構を多数備えている。主な機構は以下の通り。 * ナノマシンシステム : 車体の色彩変更や変形機構に用いられる他、かつてのナイト2000の分子結合殻のように銃弾が全く通用しない(傷ついてもすぐに再生してしまう)、他車の体当たりにも全く動じないほどの強靭な防御力を与える。ただし、K.I.T.T.のシステムをダウンさせられるとこの機構も停止してしまう。ボディが損傷した際には、ナイトインダストリーズの基地・'''SSC'''(衛星監視室:'''S'''atellite '''S'''urveillance '''C'''hamber)内に設置されたロボット「リサ」および「ケイティ」によって、ナノペイントの再塗装・修復が行われている。一見万能に見える機構だがデリケートな一面もあり、変形中に他の機能を無理に併用したり強い衝撃を受けたりすると、システムダウンを引き起こしてしまうことがある。 * ターボブースト : ナイト2000のものよりもさらに進化しており、アタックモード時に車体後部に出現する独立した噴射口をコントロールすることにより、高速走行中に側転する、ドリフト状態からジャンプして頭上の高架道路に飛び移るなどの驚異的な機動を行うことができる。劇中前半では、前述のようにアタックモードに変形して使用していたが、後半ではノーマルモードでも使用している。 : 旧作では発動する際にはオプションボタン『'''TURBO BOOST'''』を押して作動させるものであったが、本作ではマイクが「K.I.T.T.、'''ターボブースト'''」と呼び掛けて作動させている。 * スキーモード : ナイト2000に装備されていたものと同様に、ターボブースト噴射口の片側のみを使用して車体を跳ね上げ、片輪走行を行う。 : こちらも旧作では発動する際にはオプションボタン『'''SKI MODE'''』を押して作動させるものであったが、本作ではやはり同様にマイクが「K.I.T.T.、'''スキーモード'''」と呼び掛けて作動させている。 * GPSアクセス機能 : 進路上の全ての車と信号の動きを先読みし、敵の追跡から逃れるための最適なルートを割り出すことや、マイケルの周囲に監視の目を光らせて潜入任務を助けることなどができる。 * 高速[[インターネット]]アクセス機能 : 公的機関のデータベースへのアクセスによる情報収集などはもとより、第12話で内蔵コンピュータを敵に奪われた際には、自己の人格や記憶のデータのコピーを他のコンピュータに避難させている。 * グラップリングフック : ナイト2000に装備されていたものと同様に、車体フロント下部からワイヤー付きのフックを撃ち出し、対象物に引っ掛けて使用する。 * ボディスクリーン機能 : フロントガラスだけでなく、ボンネットにも各種情報を表示させることが可能である。タブレット端末の情報を指でボンネットに向けてフリック操作することで、ボンネットに情報を投影することも可能。 * 3次元物体コピー機 : 自動車のキーや衣服など、小型の物体のデータを読み取り、色・形までそっくりそのまま偽造することができる。 * 応急処置機能 : 怪我の止血などの応急処置を行うことができる。第1話において指を切り落とされた男性の手を処置した際は、手をグローブボックス内に入れさせ、止血処置を施した上に、傷口を保護する防護具まで着けさせていた。 * 武装 : ナイト2000にも装備されていたレーザーの他に、ロケットランチャー、ガトリング砲といった、ナイト2000には無かった火砲も装備されている。更に車体後部からは、麻酔ダーツやフレア弾の発射も可能。さらに車内のステアリングからスタンガンを発射でき、第17話で運転席に乗り込んだ悪党に対してそれを用いマイクの行方を尋問させる場面も見られた。 * 通信機器 : 前作の腕時計型通信機「コムリンク」に代わり、パイロット版では、車用のハンズフリーイヤホンのような形状の機器、連続ドラマ版では耳の穴に入れるタイプの超小型の機器が使用されている。名称は特になく、単に「通信機器」と呼ばれている。 * その他 : 前作同様インテリア関連もカスタマイズされているが、その内容はパイロット版と連続版では大幅に変更されている。 : 燃料は一般的な車と同じ[[ガソリン]]で、燃費は現代の[[ハイブリッドカー|HV]]を大幅に上回る1リッター平均約70km/lとK.I.T.T.が述べている。 : ナンバーは白地に黒文字で'''KR'''(「'''K'''night '''R'''ider」の頭文字)。 :: '''パイロット版:'''ナイト2000同様、各部が大幅に改造された仕様となっている。ステアリングは円周の上部がカットされたU字型で、前作同様に操縦桿を思わせる形状。ダッシュボードは中央のパネル部分に大きくモニターが備えられており、そこに各種情報を表示する(ナイト4000のように、ボイスインジケータもここに表示されている)。また、K.I.T.T.の制御により自律走行している際はシフトレバーとペダル類が格納され、ドライバーは運転席に座っているだけとなる。ドライバー自身が運転する場合は、シフトレバーとクラッチ操作でMT車として操縦する。 :: '''連続ドラマ版''':形状的には、通常の2008年型[[フォード・マスタング]]と同タイプのAT仕様になっていること以外はほぼノーマルのGT500KRのままである(本来、ベース車とされるGT500KRにAT仕様は用意されていない)。ステアリングもカスタマイズパーツではあるが市販もされている一般的なD型ステアリングであり、シフトレバー・ペダル類の格納ギミック等もない。"ナイト3000"としての大きな変更点としては、ダッシュボード中央部にエアコン吹き出し口パネルに代わって中央に半球状のインジケータが付いたユニットが取り付けられ(設定ではここにK.I.T.T.のAIコアが内蔵されている)、K.I.T.T.の発声に合わせてリアルタイムで赤く波形表示が光るようになっていることが目立つ程度である。また非常に判りにくいと思うがこの半球状のインジケータ中心部はかつてのナイト2000と同じ「縦3列の伸縮式バーグラフ」が見られる。またスキャナーの発光色や作動音もナイト2000とほとんど同じ「フォンフォン」である(ナイト2000が状況に応じて適宜作動音を発していたのに対し、ナイト3000はほとんどの場面で常時作動音を発している)。それ以外の各種情報は、フロントウィンドウに対してホログラム状に投影されるようになっており、必要に応じて指でフリック操作して移動させること等もできる。 ; C-130輸送機 : マイクやナイト3000を現場へ移送するなど、旧作における「ナイト財団の移動本部トレーラー」に相当する役割を持つ。第11話終盤で機体の損傷により爆発・炎上してしまい同乗していたチャールズはこれが原因で死亡した。第12話以降は登場しない。 ; K.A.R.R.(カール) : チャールズがK.I.T.T.以前に手がけていたプロジェクトで開発された、AI搭載の乗用型戦闘用ロボット。正式名称は'''K'''night '''A'''uto-cybernetic '''R'''oving '''R'''obotic exoskeleton<ref group="注">第12話でビリーが言及した際には前作と同じ'''K'''night '''A'''utomated '''R'''oving '''R'''obotと呼んでいた。</ref>。 : 前作におけるK.A.R.R.との関連性は特に言及されていない。 : [[アメリカ国家安全保障局|国家安全保障局(NSA)]]が中心となり、戦闘行動時における兵士のサポートを目的に開発されていたようだが、暴走して関係者7名を殺害したため[[エリア51]]内の施設にて封印されていた。 : 第12話で登場した当初はK.I.T.T.と同型同仕様のGT500KRの形状をとっていたが(前作のK.A.R.R.同様、スキャナーの色はアンバー(ただし作中ではきわめてイエローに近い色)、作動音も前作の再登場(シーズン3)時のものとほとんど同じ。内装については映されたシーンがないため不明)、実際の劇中のほとんどでは4輪のタイヤが付いたフレーム状の脚にコクピットのある胴体と2本の腕を備えたロボット型の形態で行動しており、名称と第6話「悪夢のハロウィーン・ナイト(原題:Knight Of The Living Dead)」で表示された概念図からしてもそちらが基本形のようである。 :別の過程を通って成長したAIであるK.I.T.T.のコアユニットと統合することによって制御が可能になると考えたNSAによって再起動されるが、結局はそれに強く反対していたチャールズの言葉通りになんら効果は見られず、その場に居て指示を与えようとしたトーレスを取り込んで暴走。駆け付けたK.I.T.T.とマイクに対し、K.I.T.T.を破壊し、元テストドライバーのマイクと「結合」しようとして襲い掛かるが、ターボブーストによる決死の体当たり攻撃を受けてバラバラに破壊され、機能を停止した。 ; 作業用ロボット : チャールズが制作した、画期的なAIを搭載した作業用ロボットアーム。K.I.T.T.のように話すことはできないものの、人語を理解し、自らの感情を持つ。普段は2体のロボット、'''リサ&ケイティ'''がK.I.T.T.の修理を主に担当しているが、時にはマイクたちと一緒に水鉄砲の撃ちあいなどをして遊ぶなど、スタッフからも大切な仲間として扱われている。反面、'''ハンク'''のように別室で長い間作業をさせて貰えないなど無碍に扱われると、人間のように拗ねて反抗的になってしまうという難点も抱えている。 ===== スタッフ ===== * 製作総指揮 - グレン・A・ラーソン * プロデューサー - デイヴ・アンドロン、ゲイリー・スコット・トンプソン * 監督 - スティーヴ・シル * 脚本 - デイヴ・アンドロン、グレン・A・ラーソン * 協力 - [[フォード・モーター]]、マックツールズ、ROBOTWORX ====== 日本語版スタッフ ====== * 演出:壺井正 * 翻訳:平田勝茂、瀬尾友子、石原千麻 * 企画:冨川八峰、山口泉 * プロデューサー:中冨将仁、佐藤大輔、村上栄一 * 制作協力:[[ポニーキャニオン]] * 制作:フジテレビ ===== エピソードリスト ===== {| class="wikitable" style="font-size: 100%;" |- !各話!!邦題!!原題!!監督!!脚本!!放送日 {{Flagicon|USA}} |- |0||序章(前編・後編)||パイロット版||Steve Shill||David Andron & Glen A. Larson||2008年2月17日 |- |1||よみがえるナイト||A Knight in Shining Armor||David Solomon||Gary Scott Thompson||2008年9月24日 |- |2||レーシング・ナイト||Journey to the End of the Knight||David Straiton||Philip Levens||2008年10月1日 |- |3||サーフィン・ナイト||Knight of the Iguana||Bryan Spicer||Rob Wright||2008年10月8日 |- |4||ハード・デイズ・ナイト||A Hard Day's Knight||Allan Kroeker||Dave Andron||2008年10月15日 |- |5||ナイト・ハンター||Knight of the Hunter||Jay Chandrasekhar||Patrick Massett & John Zinman||2008年10月22日 |- |6||悪夢のハロウィンナイト||Knight of the Living Dead||Leslie Libman||Gary Scott Thompson||2008年11月5日 |- |7||ロックンロール・オールナイト||I Wanna Rock & Roll All Knight||Matt Earl Beesley||Rachel Mellon & Teresa Huang||2008年11月12日 |- |8||ナイト・イン・ベガス||Knight of the Zodiac||J. Miller Tobin||Matt Pyken||2008年11月19日 |- |9||ナイト・フィーバー||Knight Fever||Milan Cheylov||Matt Pyken||2008年12月31日 |- |10||ナイト最大の危機・前編||Don't Stop the Knight||Bryan Spicer||Rob Wright||2009年1月7日 |- |11||ナイト最大の危機・後編||Day Turns Into Knight||Allan Kroeker||Dave Andron||2009年1月14日 |- |12||ナイトの夜明け||Knight to King's Pawn||Jeffrey G. Hunt||Patrick Massett & John Zinman||2009年1月21日 |- |13||スワット・ナイト||Exit Light, Enter Knight||Gary Scott Thompson||Gary Scott Thompson||2009年1月28日 |- |14||ファイト・ナイト||Fight Knight||Nick Gomez||Rob Wright||2009年2月4日 |- |15||フライ・バイ・ナイト||Fly By Knight||Jay Chandrasekhar||Dave Andron||2009年2月11日 |- |16||ナイト・アンド・シティ||Knight and the City||Guy Norman Bee||Matt Pyken||2009年2月18日 |- |17||アイ・ラブ・ナイト||I Love the Knight Life||Alex Zakrzewski||Philip Levens||2009年3月4日 |} === KNIGHT RIDER HEROES === 2015年12月、『KNIGHT RIDER HEROES』の予告動画が公開された<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=24Tk8BeXqxo KNIGHT RIDER HEROES - OFFICIAL TRAILER - DAVID HASSELHOFF]</ref><ref>[https://www.facebook.com/Knight-Rider-Heroes-1016358645098376/ KNIGHT RIDER HEROES]</ref><ref>[http://buzz-netnews.com/knight_rider_heroes マジで!?!?ナイト2000が帰ってくる!?謎の「ナイトライダー」トレーラー映像が公開される!]</ref><ref>[http://jp.autoblog.com/2015/12/17/kitt-knight-rider-video/ 【ビデオ】『ナイトライダー』新作エピソードの予告映像が公開!]</ref>。 == ゲスト出演 == 日本でも放映された人気ホームコメディ『[[アーノルド坊やは人気者]]』の第6シーズン第8 - 9話『ハリウッド大事件(前・後篇)』にマイケル役のハッセルホフとK.I.T.T.がゲスト出演した。このエピソードの中でのK.I.T.T.は、ひがみっぽくて性格が悪く、ナイト2000によりかかったアーノルド坊やを「触るな!私はスターだ」と怒鳴りつけた。 日本の音楽番組『[[ミュージックステーション]]』の[[1987年]][[2月9日]]放送分でナイト2000(K.I.T.T.)がゲスト出演し、マイケルに代わり[[藤井フミヤ]]が乗って野外から中継された。 オムニバスドラマ『[[世にも不思議なアメージング・ストーリー]]』において[[シドニー・ラシック]]主演の『リモコン親父の逆襲』でテレビから飛び出すキャラクターの中でナイト2000(K.I.T.T.)がゲスト登場。主人公の自宅のキッチンに突っ込んでくる。 日本ではパイロット版のみがビデオソフト及びレーザーディスクにて発売されている、アメリカのアクションドラマ『[[驚異のスーパー・バイク ストリートホーク]]』の第4話後半で、ナイト財団(F.L.A.G.)のトレーラーの後ろ姿が写っている。 1989年からアメリカの[[20世紀フォックステレビジョン|FOXテレビ]]で放送されている『[[ザ・シンプソンズ]]』のシーズン10第2話「発明は反省のパパ」"The Wizard of Evergreen Terrace"と、シーズン15第12話「バートの親友は誰?」"Milhouse Doesn't Live Here Anymore"にナイト2000(K.I.T.T.)がゲスト登場している。原語版の声はウィリアム・ダニエルズが担当している。 2005年公開の『[[ハービー/機械じかけのキューピッド]]』の冒頭でハービーの活躍を新聞記事で紹介するシーンで、ナイト2000がハービーと共演している。 2006年、日本では劇場未公開のコメディ映画『がんばれ! ベンチウォーマーズ』(THE BENCHWARMERS)にナイト2000(K.I.T.T.)が登場している。原語版の声はウィリアム・ダニエルズが担当している。 [[2008年]][[11月1日]]の『[[SmaSTATION!!]]』の海外テレビドラマランキングで、本作がランクインしており、上記の『ミュージックステーション』での模様も再び放映された。 [[2014年]][[9月2日]]に韓国[[サムスン電子|Samsung Electronics]]は、公式[[YouTube]]チャンネルで、デビッド・ハッセルホフとナイト2000(K.I.T.T.)[声はウィリアム・ダニエルズ]が共演する[[スマートハウス|スマートホーム]]サービスのCM動画を公開。内容はSamsungのスマートホームのCMを撮影しているハッセルホフが、スマートホームの利点を説明するたびに、嫉妬したK.I.T.T.が「自分にもそんなことはできる」と反論したりエンジンを空ぶかししたりして撮影の邪魔をする。休憩中、「K.I.T.T.が嫉妬するなんて初めてだ」とメイク担当に愚痴るハッセルホフの前に新しい相棒を乗せたK.I.T.T.が現れ、「あなたがもっとスマートな相棒を見つけるなら私だって」と言い捨て走り去ろうとするところを、ハッセルホフが手首のスマートウォッチを操作することでゲートをリモートで閉めてK.I.T.T.を停車させ、得意がるところで終わる。題して「KITT vs Samsung smart home」。 == DVD / ブルーレイ == === DVD === これまでに数回にわたって、シーズン1 - 4までの各シーズンごとのBOXセットが発売されている。また、それとは別に全2巻の傑作選も発売された。 放映当時に日本語吹き替えがあった話は原則、全て吹き替えが収録されているが、テレビ朝日での放送時にカットされていたシーンは吹き替えが行われていない。 また、テレビ朝日未放映話は英語(日本語字幕対応)のみである。ただし後述のブルーレイ版はそれら全てに日本語吹き替えが追加新録されている。 加えて日本初放映時にテレビ朝日独自に編集を行った場面付近の吹替えも収録されておらず、テレビ放映時のオリジナルタイトル字幕、配役・出演者字幕、次回予告及び日本語版エンディングも未収録。 日本未放映話を収録するにあたっては、日本で放送された当時の邦題を彷彿とさせるセンスで新規に邦題が付けられている。 また収録エピソードの順番はパイロット版である「電子頭脳スーパーカー誕生(原題:KNIGHT OF PHOENIX)」を除き、原則的に「米国で放映された順番」となっている。 シーズン1・2では字幕切替に「日本語」・「英語」・「スペイン語」・「ポルトガル語」字幕と4種類の設定が可能あったが、シーズン3・4ではそれらは廃止され「日本語」字幕のみとなっている。またシーズン1・2ではオープニング前のティーザーが収録されておらず、シーズン3・4ではティーザーが収録されている。 シーズン1の前発売の「パイロット版」、及びシーズン4での「オープニング」の日本語吹き替えは収録されていない。 各シーズンのDISC1には第1話に相当するエピソードとして、シーズン1は「パイロット」版である「電子頭脳スーパーカー誕生(原題:KNIGHT OF PHOENIX)」、シーズン2は「ナイトライダー2・無敵ゴライアスvsナイト2000(原題:GOLIATH)」、シーズン3は「ナイトライダー5・強敵!赤い殺人カー(原題:KNIGHT OF THE DRONE)」、シーズン4は「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」が収録されている。これはシーズン1はこの話が「全ての始まり」となるエピソードであるためであり、またシーズン2以降の3話はナイト2000が一度破壊され仕様変更が行われる話であるため、これらを各シーズンの第1話に持ってこないとそれ以降のエピソードとの[[矛盾|辻褄]]が合わなくなってしまうためである(ただし廉価版のDVD-BOXでは「電子頭脳スーパーカー誕生(KNIGHT OF PHOENIX)」がシーズン1のDISC7・2話目に収録されている)。 シーズン2第10話「激闘!魔の巨大ダム捜査 ナイト2000決死のターボジャンプ!!(原題:Knightmares)」の序盤での、「ナイトとしての記憶を失くし、ロングであった頃の記憶しか思い出せなくなったマイケルがかつて勤めていた警察署で署員と話してからK.I.T.T.に発見されるまでのシーン」はテレビ朝日での地上波放送時に吹替が存在していたが、DVD版では日本語吹替が全く収録されていない。 シーズン4第1話「無敵装甲車ジャガーノート 大激突“破壊編”/大勝負“再生編”(原題:KNIGHT OF THE JUGGERNAUT)」の折り返しとなる前半部分終盤でナイト2000がジャガーノートに破壊された直後にボニーが駆け付けるシーンが丸々カットされている。さらにこの直後のトレーラー内でデボンが偽者であることをマイケルが確信し、ボニーにデボンが偽者だと言う場面の日本語吹き替えが収録されていない。なお後述のブルーレイ版では上述シーズン2第10話のシーンも含め、このシーンは収録されている。同様にブルーレイ版での日本語吹替もTV放映当時と同じく収録されているが一部録り直しになっている<ref group="注">ボニーが「でもマイケル、そんな事言っても…」といい、マイケルが「俺を信じるんだ、ボニー!!」という部分が台詞自体は同じであるがTV放映版と異なっている。</ref>。 2011年2月16日、[[アシェット・コレクションズ・ジャパン]]からDVDマガジン「USアクションドラマコレクション」として刊行開始。収録内容はBOXのものを1巻ごとに分割したもの。全30巻を予定していたが、[[東日本大震災]]の影響により3号で休刊となった。 === ブルーレイ === [[2014年]][[11月27日]]、[[NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン|NBCユニバーサル・エンターテイメント]]から「ナイトライダー コンプリート ブルーレイBOX」が発売された。ブルーレイ(本編)の24枚組+DVD(特典)の2枚組の計26枚セットとなっている。先述のDVD版と異なり収録エピソード順番は米国で放映された順番に正しく修正されている。 今回ブルーレイ化されるにあたり、オリジナル・フィルムからHD化を行い、片面2層24枚組に各シーズンを収録した。TV未放送のため今まで字幕版でしか存在していなかった10エピソード(シーズン1の9話+シーズン2の1話=計10話)を、ささきいさお、野島昭生を始めとする当時のオリジナルキャスト(マイケル=ささきいさお、K.I.T.T.=野島昭生、デボン=中村正、ボニー=小山茉美、エイプリル=潘恵子、RC3=水島裕)で吹き替え版を新規収録し、さらにDVD版では吹替がなかった3時間42分にも及ぶシーンも追加収録した<ref group="注">ただし初回放送では吹替音声が存在していたにもかかわらずブルーレイでは追加収録音声に替わっている部分もある。以下に例を複数上げる。</ref><ref group="注">シーズン2第10話「激闘!魔の巨大ダム捜査 ナイト2000決死のターボジャンプ!!」の「マイケルが警察署で署員と話してからK.I.T.T.に発見されるまでのシーン」は地上波放送時に吹替が存在していたが、ブルーレイ収録時には新録音声が収録されている(なおDVD版でもこのシーンは吹替が収録されていない)。このシーンはオリジナルキャストによる再録が行われているが、放送時の吹替と台詞が異なる。また同エピソードの中盤辺りでパトカーの追跡から逃れた直後のK.I.T.T.との会話シーンも台詞は同じだが再録されている。</ref><ref group="注">また地上波放送時にカットされたシーンが復活したことにより辻褄が合わなくなった台詞を再録してる場合もある。シーズン2第3話「殺人ヘリ攻撃ミサイルの恐怖!決死の空中戦・超パワー全開」の「マイケルがガソリンスタンドで行方不明となっているアメリアの行き先を訪ね、軍の払い下げの武器倉庫であることを突き止め、そこへ向かう途中でバイクに乗る2人組と絡むシーン」は地上波放送版ではK.I.T.T.が「暴走族ですか」、マイケルが「何処にでもいるんだよな」という台詞になっているが、ブルーレイ版ではK.I.T.T.が「例の二人です」、マイケルが「しつこい奴等だ」という台詞に変更されている。これに関しては少し前の場面に遡り「マイケルが食材を調達中にバイクに乗る2人組が女性を無理矢理連れ込もうとしているのをやめるよう注意を促しているシーン」が地上波放送時にカットされていたため、整合性を取るための変更である。</ref><ref group="注">シーズン3第8話「マイケル連続危機!殺人フリスビーが襲う!猛毒が狙う!」の「事件解決後の終盤場面でのマイケルとデボンとボニーの会話シーン」も地上波放送版&DVD版とこちらは台詞自体は両者共同じであるが、ブルーレイ版はBGMの差し替えのために再録されている。なおこのエピソードの日本語追加・再録版に関しては上述通りテレビ放映は一切されていない。</ref><ref group="注">逆に従来のDVDでは吹き替えが存在していた部分が原語音声に切り替わっている箇所も一部存在する。シーズン1第5話「死の山荘脱出作戦!ナイト2000殺しのバリケード大突破‼」の締め括り場面となる「マイケルとデボンとジェーンの3人がレストランの駐車場でK.I.T.T.が自分で駐車枠へ入れるシーン」でマイケルの笑い声が地上波放送時に吹替版(=ささきいさお)が存在していたが、ブルーレイ版には存在せず原語版(=ハッセルホフ)のままである。</ref>。追加収録では声優陣のみならずスタッフの方も、演出に壺井正、翻訳に平田勝茂と、当時のスタッフが再結集<ref>[https://www.excite.co.jp/news/article/Dramanavi_025540/ やっぱり『ナイトライダー』は最高! 完全版ブルーレイBOX発売イベントにナイト2000が蘇る!!]</ref>している。 ゲスト側は基本的に追加吹替<ref group="注">アフレコ収録は発売(2014年11月)の約半年前(2014年4月-6月)頃に行われていた。</ref>用にキャスティングされた数名の役者([[宮崎敦吉]]、[[西島麻紘]]、他)が持ち回りで代役を行っており、[[有川博]]、[[大久保正信]]、[[内海賢二]]、[[石田太郎]]、[[小林勝彦]]、[[北村弘一]]、[[小林修 (声優)|小林修]]、[[富山敬]]、[[仁内建之]]など、すでに故人となっているキャスト及び、[[藤田淑子]](この頃には療養中で活動休止状態であり、2018年12月に逝去)、[[家弓家正]](発売同年の2014年9月に逝去)、[[飯塚昭三]]、[[納谷六朗]](発売同年の2014年11月に逝去)、[[大塚周夫]]、(発売翌年の2015年1月に逝去)、[[柴田秀勝]]、[[平野文]]、[[大塚明夫]]、[[若本規夫]]、[[千葉繁]]などは当該シーンのみ代役となっている。その一方で[[上田みゆき (声優)|上田みゆき]]、[[弥永和子]](発売同年の2014年11月に逝去<ref group="注">先述通り、発売の約半年前頃に収録済みで遺作となっている。</ref>)といった往年のキャストが当時と同じ役で追加収録に参加している。 全エピソードを詳細に網羅した40ページの完全版ブックレットや、DVD版シーズン1に収録されていた「新ナイトライダー2000」と今回初となる「ナイトライダー2010」が特典としてそれぞれDVD各1枚ずつに収録されたものが同梱されている。ただし、字幕表示は「日本語」字幕のみで、またオープニング前のティーザーは今回全てカットされている。さらに初回生産分では限定特典として、1984年12月16日にテレビ朝日「日曜洋画劇場」で日本初放送された「ナイトライダー」(『電子頭脳スーパーカー誕生』)の吹替台本の復刻版が同梱されている。 この他、「ナイトライダーNEXT」の全19話を収録したDVD(9枚組)およびブルーレイ(6枚組)が[[2012年]][[7月3日]]にリリースされた。こちらも放映当時にカットされていたシーンにも新規に吹き替えが行われており、完全ノーカット版となっている。 [[2016年]][[10月11日]]にはアメリカのインディーズレーベル ミルクリークエンターテイメントから 「knight rider Complete Series Blu-ray」が発売された。日本のブルーレイではティーザーが全てカットされていたがこのアメリカ版Blu-rayでは全てティーザーが収録されている。なお同時にComplete Series のDVD版も発売されている。 == サウンドトラック == ; [[超音速攻撃ヘリ エアーウルフ]]・ナイトライダー : [[キングレコード]]/1987年10月21日発売 : 日本国内で同時期にシリーズ放映され人気を二分していた『エアーウルフ』とのカップリング盤で、日本独自の企画によるもの。メインテーマと劇中BGMが数曲収録されているが両作品ともにオリジナル音源は一切使用されておらず、[[川井憲次]]らの編曲により新規制作されている。厳密にはサウンドトラックではなくカバーアルバムである。[[CD]]の他に[[LPレコード]]と[[カセット・テープ]]も同時に発売された。 ; Original Television Soundtrack Recordings:'KNIGHT RIDER' Volume 1 : HI-TECH RECORDS/2000年発売 : ドン・ピークが手掛けた6エピソードの劇中BGMを収録。ドン・ピークが直接携わっていないメインテーマは未収録だが、劇中で使用されたテーマアレンジ曲は多数収録されている。2009年4月にタイトルを変更し再発売された(後述)。 ; 'KNIGHT RIDER' The Best of DON PEAKE Volume 1 : Hitchcock Media/2004年発売 : ドン・ピークが手掛けた4エピソードの劇中BGMを収録。2004年のファンイベント向けに制作された限定盤。2009年4月のVol.2のリリース時にパッケージを変更し再発売された。 ; Original Television Soundtrack 'KNIGHT RIDER' : Film Score Monthly/2005年発売 : 公式なものとしては初となるサウンドトラック。パイロット版を含めたステュー・フィリップス担当の劇中BGMをエピソード毎に抜粋し収録。プロデューサーのグレン・A・ラーソンとの共作によるメインテーマも収録されている。マスター音源からステュー・フィリップス本人の手によりリミックスが行われ、3,000枚限定でリリースされた。 ; 'KNIGHT RIDER': Best of Don Peake Vol.2 : Hitchcock Media/2009年4月発売 : 2エピソードの劇中BGMの他、ドン・ピークが新たにリミックスしたメインテーマ"Knight Rider Theme (Rockin' new treatment)"が収録されている。 ; 'KNIGHT RIDER': Best of Don Peake Vol.3 : Hitchcock Media/2009年4月発売 : "Original Television Soundtrack Recordings:'KNIGHT RIDER' Volume 1"のリイシュー盤で同内容。Vol.2のリリースに合わせ、一連の作品としてタイトルを変更し再発売された。 == ゲームソフト == ; ナイトライダー([[パック・イン・ビデオ]]/[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]版) : 発売日:1988年9月30日/ジャンル:レース/媒体:[[ロムカセット]] ; ナイトライダースペシャル(パック・イン・ビデオ/[[PCエンジン]]版) : 発売日:1989年12月22日/ジャンル:レース/媒体:[[HuCARD]] ; KNIGHT RIDER THE GAME/KNIGHT RIDER 2 THE GAME(Davilex Game/[[PlayStation 2]]、[[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]、[[ニンテンドーゲームキューブ]]、PC版) : 発売日:2002年11月22日(ヨーロッパ)、2003年2月12日(北アメリカ)/ジャンル:レース、アクション/媒体:CD-ROM : オランダのDavilex Game社から発売。第1作「KNIGHT RIDER THE GAME」は日本でも輸入販売されたが、第2作「KNIGHT RIDER 2 THE GAME」は日本未発売のようである。 : 3DCGで構成された世界でナイト2000を操り、ターボブースト、スキーモード、マイクロジャム、スーパー追跡モードといった機能を駆使して敵の追跡や建物の調査、敵車両との戦闘等を行う、ミッションクリア型のレースゲーム。各ステージをクリアしていくうちに、死んだ(あるいは破壊された)と思われていたとある敵の陰謀が次第に明らかになっていく。 : 第1作では、ナイト2000には武装は装備されておらず、敵車両との戦闘は劇中同様体当たりのみで行っていたが、第2作ではレーザー、プラズマガン、ミサイルの3種類の武器を内蔵している設定となり、状況に応じて自由に選択できる。 * その他、アメリカの[[アクレイム・エンタテインメント|アクレイム]]社から「KNIGHT RIDER」([[電子ゲーム|LCDゲーム]])が発売されている。 * [[スーパー大戦略]] - 「Kidd」の名でユニットとして登場する(裏技を使い「The near future」という生産タイプを選択することで生産可能)。 == 関連商品 == * ケー・ディー・システム 携帯充電器「ナイトライダー」(携帯電話をスタンドに差し込んでコネクタを装着するとテーマソングが流れて電飾が光る。充電中の着信時にはボイスインジケーターが点滅、フロントスキャナーも点灯、吹替版K.I.T.T.=野島昭生の声で着信を通知。セリフは13種。2002年7月発売) * セルオート ユニバーサル・スタジオ正規プレミアムレーザー探知機「KNIGHT2000」(ナイトライダーの世界観を彷彿させるデザイン、オープニングムービーと警告画面、吹替版K.I.T.T.=野島昭生の声による完全オリジナル音声案内、2007年発売) * [[銀座 (企業)|銀座]]「パチスロ ナイトライダー」(2008年4月稼動) : 3Dポリゴンを駆使したグラフィックで演出がなされている。声優キャストは日本放映版と同じ。 ;: ;: マイケル・ナイト(ささきいさお) ;: K.I.T.T.(野島昭生) ;: デボン・シャイアー(中村正) ;: ボニー・バーストウ(小山茉美) ;: K.A.R.R.(麦人) ;: ガース・ナイト(有川博) ;: ナレーション(小林清志) * [[ゲームブック]]「ナイトライダー・無人兵器ゴリアテの挑戦」(作:[[千葉暁]]、発行:1987年10月5日、刊:[[勁文社]]) : RC3が登場することからシーズン4以降の設定であるが、設定資料で紹介されたナイト2000のダッシュボードは2モニター仕様の前期型であり、またスーパー追跡モード、緊急ブレーキシステムおよびコンバーチブルモードは搭載されていない(シカゴでナイト2000が大破した際、RC3がより機能の高いボディの製作に協力したという記述があるのみ)。 : 本来K.I.T.T.は「Knight Industries Two Thousand」の略であるが、本書では「Knight Industry Total Think-system」と紹介されている。 : 深夜をナイト2000で走行中のマイケル(プレーヤー)が、謎の無人車に追跡される女性、コニー・ブライトンと遭遇する所から物語が始まる。コニーを助け調査を進めていくうちに、マイケルとK.I.T.T.は、ヘリコプターや戦車といった無人兵器を従える巨大武装トレーラー「ゴリアテ」の存在を知る事となるが、ゴリアテの正体は数年前に破壊したはずのK.A.R.R.であり、三度マイケルとK.I.T.T.に戦いを挑む。 : マイケルがゴリアテの分析をK.I.T.T.に指示する際、以前戦ったゴライアスと比較させる場面がある。 : ゴリアテを破壊すればハッピーエンドとなるが、ストーリーの分岐・展開次第では、マイケルが死亡したりK.I.T.T.が破壊されたりといったバッドエンドも存在する。 * テレ朝コミックス「ナイトライダー」(作画・城久人、発行・1987年8月15日) : パイロット版のエピソード『ナイトライダー誕生の謎』、シーズン2 第5話のエピソード『海底に眠る黄金像を追え!』、シーズン2 第8話のエピソード『盗まれたナイト2000』の3話を収録。ドラマと比べて駆け足で物語が進んでいく。2話目以降はK.I.T.Tがドラマ吹き替え版の丁寧口調ではなく、原語版に近い友達口調である。犯人に捕まっているヒロイン・ジェニファーが下着姿になっていたり、アンジェラがマイケルに裸で色仕掛けをしたりと、細かい所で雰囲気が異なる。『海底に眠る黄金像を追え!』では、フィン・クエスト号を追ってナイト2000が海上を走行する場面はドラマと同じであるが、船を止めるためボンネット右前方のミサイルランチャーからミサイルを発射している。移動本部トレーラーがGMC・ジェネラルではなくどちらかと言えばゴライアスのベース車両であるピータービルト352 ペースメーカーよりのトレーラーとなっている。 * テレ朝コミックス「ナイトライダー2 爆走!ナイト2000」(作画・城久人、発行・1987年12月15日) : シーズン2 第3話のエピソード『殺人ヘリ出現!攻撃ミサイルの恐怖』、シーズン2 第12話のエピソード『隠された秘宝の謎!格闘技大対決』、シーズン3 第5話のエピソード『復讐の空中大勝負!2台のナイト2000』の3話を収録。ドラマと違って殺人ヘリ(SX-411)が本来の丸い形のヘリではなく角ばった形のヘリになっており、倒し方も本来のマイクロジャムで着陸させないで体当たりで墜落させ倒している。K.A.R.R再登場のエピソードは本来メカニックがボニーなのにエイプリルになっている。 * 小説「ナイトライダー」(原作・グレン・ラーソン&ロジャー・ヒル、訳・高村明良、発行・1987年9月5日) : パイロット版『電子頭脳スーパーカー誕生(Knight Rider The Movie, "Knight of the Phoenix")』の小説版。 * 小説「ナイトライダー2 目の赤い殺人車」(原作・グレン・ラーソン&ロジャー・ヒル、訳・図師千鶴、発行・1988年1月30日) : シーズン1 第8話『激闘!善と悪2台のナイト2000(Trust Doesn't Rust)』の小説版。前作の後日談となっていて、マイケルがボニーと初めて顔を合わせるシーンがある。ドラマでは威圧的な話し方だったK.A.R.Rが丁寧口調になっている。 * 小説「ナイトライダー3 レーザーガン奪回作戦」(原作・グレン・ラーソン&ロジャー・ヒル、訳・小笠原成子、発行・1988年5月12日) : シーズン1 第13話『闇の武器商人を追え!マイケル決死の潜入捜査!(Hearts of stone)』の小説版。ドラマでは本エピソードの次の第14話目のエピソードである『爆殺!狙撃!事故続出!恐怖のサバイバルレースに勝て!!(Give Me Liberty... or Give Me Death)』で知り合うはずのリバティ・コックスと以前に知り合っていると記載されている。 * 「ナイトライダー・コンプリートブック」(ジョー・フート4世/リッチー・F・レバイン著、白倉三紀子/杉本しのぶ訳、2010年5月30日発行、株式会社イースト・プレス刊) : 2002年にアメリカで発売された洋書「KNIGHT RIDER LEGACY」の日本語訳版。 * 「DMCプレミアムEV knight2000Ev」(2012年発売、販売:株式会社[[デロリアン]]・モーター・カンパニー、販売価格12,190,000円[税別]) * 「DMC Knight2000GS」(2014年7月9日発売、販売:株式会社デロリアン・モーター・カンパニー、販売価格8,800,000円[税別]) * 「Knight3000」(2014年9月25日発売、販売:株式会社デロリアン・モーター・カンパニー、販売価格11,300,000[税別]) == 脚注 == === 注釈 === {{Reflist|group=注}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[超音速攻撃ヘリ エアーウルフ]] - 同時代にユニバーサル・テレビジョンによるスーパーマシン・アクションTVドラマ。 * [[驚異のスーパー・バイク ストリートホーク]] - 同時代にユニバーサル・テレビジョンによるスーパーマシン・アクションTVドラマ。 * [[ハイテク武装車バイパー]] - [[NBC]]ネットワークで放送されたスーパーマシン・アクションTVドラマ。 * [[宇宙空母ギャラクティカ|宇宙空母ギャラクチカ]] - 製作者であるグレン・A・ラーソンが手がけたSFテレビドラマ。 * [[母さんは28年型]] - 車が喋るTVドラマ。 * [[仮面ライダードライブ]] - 企画段階から本作が意識されている。 == 外部リンク == *[http://www.knightriderheroes.com/ Knight Rider Heroes] * [http://knightrider-tv.jp 「KNIGHT RIDER/ナイトライダー」コンプリートブルーレイBOX] * [http://www.universalpictures.jp/tv/knightrider/main.html ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン] * [https://dramanavi.net/articles/137293 【貴重映像】『ナイトライダー コンプリート ブルーレイBOX』発売記念 ささきいさお&野島昭生 生アフレコ&記者会見 ]海外ドラマNAVI * [https://dramanavi.net/articles/147230 『ナイトライダー ネクスト』壺井正監督に突撃インタビュー!]海外ドラマNAVI * [https://dramanavi.net/articles/147345 『ナイトライダー ネクスト』ささきいさお&野島昭生のコメント入手!! ]海外ドラマNAVI * [https://dramanavi.net/articles/146937 『ナイトライダー ネクスト』KARR登場! 麦人さんに突撃インタビュー]海外ドラマNAVI * {{Wayback|url=http://www.fujitv.co.jp/knight_rider_next/ |title=ナイトライダーNEXT - フジテレビ |date=20120118171140}} * [http://knightrideronline.com/ knight rider online] * {{IMDb 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将軍
将軍(しょうぐん)は、比較的大きな軍隊の指揮官に与えられる官職および称号の一つ、また軍閥の指導者の地位でもある。称号としての将軍を将軍号ともいう。 古くから東洋における軍隊の指揮官の役職名の一つであった。外交上または軍隊内の敬称としては閣下が用いられる。なお、古代中国では「将軍は皇帝に任命された官職」「将は王侯や地方領主に任命された官職」と区別されている。 将軍は中国において発祥した語であるが、その意味は文字通り、「軍を将()いる」ことであり、軍勢を指揮する司令官の官名として使用されたのがはじまりである。その用例は古くは春秋時代にまで確認することができる。後に「司馬」に代わって軍隊の指揮官の名称として用いられるようになる。漢では将軍職は常設ではなく、臨時の官として任ぜられた。 4世紀〜6世紀には、高句麗・百済・新羅・倭などの諸国が中国王朝(南朝宋ほか)と外交を結び、より位階の高い将軍号を求めて競い合った。 武官への将軍号の加官は前漢以降に顕著となる。秦代以前は大将軍、前将軍、左将軍、右将軍、後将軍、偏将軍、稗将軍程度であった。前漢の武帝以降に驃騎将軍、車騎将軍、衛将軍といった高い地位をもつ「重号将軍(中国語版)」と、役割や軍事的功績を示す称号を付けた「雑号将軍」が現れた。重号将軍は将軍府を開府し、さらに政治に関与することもあった。漢代には大・驃騎・車騎・衛・四方(前左右後)だけだったが、三国時代以降は四征将軍(中国語版)・四鎮将軍(中国語版)・四安将軍(中国語版)・四平将軍(中国語版)が重号将軍に加わった。前者を朝廷にあって政治に参加する中朝廷将軍、後者を外征や任地にあって治安を担当する外朝廷将軍とする分類方法(中国語版)がある。これらは各王朝によって制度に差異があり、また後世が便宜的に分類したものであり一律ではない。 上段の称号ほど、また左側の称号ほど、格上となる。 3世紀〜7世紀に中国王朝と外交交渉を持った東アジア諸国は、国主に対して「王」号とともに、(1)軍事指揮官としての管轄領域の広さ、(2)将軍号の格付けなどに関して、より上位の称号を求めてせめぎ合った。 (1)管轄領域について: 「都督◯◯諸軍事」 ◯◯に管轄する地域名称が入る。 (2)3世紀〜7世紀の中国歴代政権は、中国の軍事指揮官に授与するのと同一カテゴリーの将軍号を、近隣諸国・諸民族の君主たちに授与した。 4世紀〜6世紀、中国の周辺諸国では、君主の代替わりごとに中国に使者を派遣し、君主に所属する「王号・軍事指揮官としての管轄領域・将軍号」等のセットについて更新し、また配下の豪族・官僚のための「将軍の称号」と「幕府(=将軍府)に所属する文官の称号」を求め、それを配下に分配することにより、国内を統制しようとした。(→府官制) 倭・百済・高句麗・新羅等が中国に送った国書の中には「仮授〜」または「私署〜」と称して、君主とその配下に授与を希望する称号が列挙提示されているのを確認できるものが見られる。中国王朝の側では、称号のランクアップを出ししぶり、先代君主の称号を踏襲するのが通例であった。中国王朝が、近隣諸国の君主・臣下の称号を認定することを「除正」と称する。 「仮授」は、受封側が希望する称号、「除正」は中国側が実際に授与した称号。 近代以降の軍隊では、陸軍・空軍・海兵隊の将官の階級としては、准将 (Brigadier General) 、少将 (Major General) 、中将 (Lieutenant General) 、大将 (General) が存在する(英語表記はアメリカ軍の場合)。また将官の上に元帥(アメリカ陸軍の場合は General of the Army)が存在する。ただし呼びかけや表記の際の呼称としては、准将から大将、元帥までひっくるめて General が用いられる。この将官をひっくるめた呼称(佐官ではないが詳細な階級が不明な場合)としての General の和訳語として将軍が用いられる。具体的には、XXXX なる名前の将官を、XXXX 将軍 等と表記する。たとえばダグラス・マッカーサーの階級は陸軍元帥 (General of the Army) であり、日本語では「マッカーサー元帥」と呼称される事が多いが、英語の呼称では General MacArthur であり、これをそのまま訳した場合は「マッカーサー将軍」となる。アメリカのテレビ作品の邦題として「パットン将軍」「将軍アイク」なる言葉が使われている(ただしこれはアメリカ軍の場合であり、元帥に関してはヨーロッパ各国では Marshall の語を使っている国も多い。そういった国では大将から准将までをひっくるめた呼称が将軍であり、元帥は将軍とは別個の物として扱われる)。 海軍における将官の呼称は Admiral であり、これの和訳語は「提督」であるが、日本では海軍の場合も准将・少将・中将・大将と陸軍などと同じ階級を用いるため、海軍における将官の呼称としても「将軍」を用いる場合がある。例えば上村彦之丞(日本海軍の軍人・最終階級は海軍大将)の渾名は「船乗り将軍」である。 日本では日本書紀の記述する時代から使われている。中国の南北朝時代の史書には、倭の五王が南朝の皇帝から安東大将軍などの将軍号を受けたり、自称したという記録がある。なお、将軍を和語で訓ずる場合は「いくさのかみ」である。 日本の律令制では、軍防令24条に将軍の規定がある。それによれば、将帥が出征するとき兵一万人以上なら将軍一人、副将軍二人を置く。また、三軍ごとに大将軍一人を置く。しかし実際の任命はこの兵数には基づかず、特に大将軍の下に複数の将軍を置くという形態は一度もとられなかった。将軍は原則として臨時任命であり、任命された事態は、東の蝦夷に対する遠征、南西の隼人や外国に対する遠征、天皇の行幸の護衛、都に来た外国使節や蝦夷・隼人の迎接の四つである。各将軍はそれぞれ異なる称号を冠し、単なる「将軍」だけの官名はなかった。例示すれば、対蝦夷戦では陸奥鎮東将軍・征越後蝦夷将軍・征狄将軍・征東将軍・征夷将軍など、対隼人戦では討卑賊将軍・征隼人持節度大将軍、外国には征新羅大将軍など、行幸と迎接では左将軍・右将軍・御前騎兵将軍・御後騎兵将軍・騎兵大将軍などである。唯一常設されたのが鎮守将軍(後に鎮守府将軍)で、蝦夷に対する防備についた。 常置された武官には近衛府・兵衛府があり、特に顕官である近衛大将は「将軍」と呼ばれた。唐名には「親衛大将軍・羽林大将軍・千牛大将軍・唐牙大将軍」がある。また兵衛府の次官である兵衛佐の唐名も「武衛将軍」である。 東国に武家政権を築いた源頼朝は、右近衛大将を辞任してから後、「大将軍」の地位を望んだ。頼朝の要請を受けた朝廷は先例を調査し、1192年に征夷大将軍に任じた。頼朝の継承者である鎌倉幕府将軍は代々征夷大将軍の職にあり、他の将軍職は任じられなかったため、将軍は征夷大将軍の略称として通用されるようになった。将軍は武士の頂点にある存在として認識されるようになり、御所と尊称されるようになっていった。 南北朝時代には鎮守府将軍が復活する。南朝方の北畠親房はわが子、北畠顕家が陸奥守・鎮守府将軍に任ぜられるにあたり、三位以上の将軍は鎮守大将軍とするように奏請。これにより顕家は鎮守大将軍として記録されている。しかし南朝方の勢力減退に伴い、室町時代においては征夷大将軍である室町幕府将軍の存在のみとなった。この頃から将軍を指して公方と呼称されるようになり、鎌倉公方などの呼称も派生している。 江戸時代における将軍は征夷大将軍である江戸幕府将軍のみであった。外交呼称として対外的に「日本国王」「日本国大君」を称した場合もある。 しかし、1867年(慶応3年)に江戸幕府の15代将軍徳川慶喜が大政奉還を行い、王政復古の大号令により征夷大将軍の職を廃止された。その後、仁和寺宮嘉彰法親王が征討大将軍に任ぜられたが、短期間で廃止されている。西欧語に借用された shogun は、特に日本の征夷大将軍を指す言葉であり、江戸幕府は英語: Tokugawa shogunateと呼称される。 明治時代になって近代軍制が敷かれると、士官は将佐尉の三等に大別され、その最上位の将には大将・中将・少将の三階級が置かれた。この職にあった軍人はときに将軍とも呼称された。三浦梧楼を指す「観樹将軍」、林銑十郎を指す「越境将軍」などがある。また外国の当該階級にある軍人に対しても「将軍」の呼称を使う例が現れた。自衛隊においては幕僚長たる将・将・将補の将官が存在するが、通常将軍とは呼称されない。 漢代に於ける将軍は軍の指揮官として必要な時に皇帝により置かれたもので、最上級の大将軍は三公にも匹敵する重職であった。その下に驃騎将軍・衛将軍・車騎将軍があり、その下に上将軍・伏波将軍など臨時に任命される雑号将軍がある。後に戦乱などによって将軍号が増加し、南朝梁の武帝が将軍号を整理した際には12班で合わせて125号に分類整理されたという。唐の時代には、官職としての将軍の他に武散官の称号としての将軍も並存した。北宋では、武散官の称号としてのみ残され、それも神宗の時代に廃されて「大夫」「郎」と改称された。元の時代に武散官の称号として復活し、続く明の時代には総兵官及びその麾下である軍指揮官の官職名としても復活した。清の時代には臨時の官職として大将軍が設置されたことがあるものの、常設官においては総兵官としての将軍の称号は再び廃されて、副将以下の軍指揮官及び駐防八旗兵の司令官の称号として残り近代に至る。 国際的には、軍事政権や一党独裁国家において最高権力者が、政権掌握当時の階級を意図的に名乗ったり国民の間に流布したりしている例がある。あるいは政権獲得後に軍人としてのキャリアの有無にかかわらず将官の階級を自らに与えるケースもある。 例をあげるとパナマのマヌエル・ノリエガ、イラクのサダム・フセイン、北朝鮮の金日成・金正日父子なども「将軍」と呼ばれていた。存命人物では北朝鮮の金正恩がそう呼ばれている。このうちフセインと金正日・金正恩父子は職業軍人としての経歴を持たない。金日成は、朝鮮人民革命軍の司令官として抗日パルチザン活動を繰り広げたが、階級は無かった。また、金日成の階級は朝鮮民主主義人民共和国大元帥、金正日と金正恩は共和国元帥(金正日は死後に大元帥追贈)であり、将官ではなく軍事的指導者の意味で将軍と称されていた。 金正日は「将軍様」(장군님、チャングンニム)とも呼ばれるが、朝鮮半島(北朝鮮・韓国)では上司や上位者に対しては肩書きの下に「様」(님、ニム)をつける習慣があり、朝鮮語では社長様(サジャンニム)、部長様(ブジャンニム)、先生様(ソンセンニム)などの言葉は一般的に使用されている。それ故金正日もまた、その延長線上で「将軍様」と呼ばれているだけであり、日本語でそのまま将軍様とするのは適訳ではないという意見もある。
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であり、これをそのまま訳した場合は「マッカーサー将軍」となる。アメリカのテレビ作品の邦題として「パットン将軍」「将軍アイク」なる言葉が使われている(ただしこれはアメリカ軍の場合であり、元帥に関してはヨーロッパ各国では Marshall の語を使っている国も多い。そういった国では大将から准将までをひっくるめた呼称が将軍であり、元帥は将軍とは別個の物として扱われる)。", "title": "近代以降の軍隊における将軍" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "海軍における将官の呼称は Admiral であり、これの和訳語は「提督」であるが、日本では海軍の場合も准将・少将・中将・大将と陸軍などと同じ階級を用いるため、海軍における将官の呼称としても「将軍」を用いる場合がある。例えば上村彦之丞(日本海軍の軍人・最終階級は海軍大将)の渾名は「船乗り将軍」である。", "title": "近代以降の軍隊における将軍" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "日本では日本書紀の記述する時代から使われている。中国の南北朝時代の史書には、倭の五王が南朝の皇帝から安東大将軍などの将軍号を受けたり、自称したという記録がある。なお、将軍を和語で訓ずる場合は「いくさのかみ」である。", "title": "日本" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "日本の律令制では、軍防令24条に将軍の規定がある。それによれば、将帥が出征するとき兵一万人以上なら将軍一人、副将軍二人を置く。また、三軍ごとに大将軍一人を置く。しかし実際の任命はこの兵数には基づかず、特に大将軍の下に複数の将軍を置くという形態は一度もとられなかった。将軍は原則として臨時任命であり、任命された事態は、東の蝦夷に対する遠征、南西の隼人や外国に対する遠征、天皇の行幸の護衛、都に来た外国使節や蝦夷・隼人の迎接の四つである。各将軍はそれぞれ異なる称号を冠し、単なる「将軍」だけの官名はなかった。例示すれば、対蝦夷戦では陸奥鎮東将軍・征越後蝦夷将軍・征狄将軍・征東将軍・征夷将軍など、対隼人戦では討卑賊将軍・征隼人持節度大将軍、外国には征新羅大将軍など、行幸と迎接では左将軍・右将軍・御前騎兵将軍・御後騎兵将軍・騎兵大将軍などである。唯一常設されたのが鎮守将軍(後に鎮守府将軍)で、蝦夷に対する防備についた。", "title": "日本" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "常置された武官には近衛府・兵衛府があり、特に顕官である近衛大将は「将軍」と呼ばれた。唐名には「親衛大将軍・羽林大将軍・千牛大将軍・唐牙大将軍」がある。また兵衛府の次官である兵衛佐の唐名も「武衛将軍」である。", "title": "日本" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "東国に武家政権を築いた源頼朝は、右近衛大将を辞任してから後、「大将軍」の地位を望んだ。頼朝の要請を受けた朝廷は先例を調査し、1192年に征夷大将軍に任じた。頼朝の継承者である鎌倉幕府将軍は代々征夷大将軍の職にあり、他の将軍職は任じられなかったため、将軍は征夷大将軍の略称として通用されるようになった。将軍は武士の頂点にある存在として認識されるようになり、御所と尊称されるようになっていった。", "title": "日本" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "南北朝時代には鎮守府将軍が復活する。南朝方の北畠親房はわが子、北畠顕家が陸奥守・鎮守府将軍に任ぜられるにあたり、三位以上の将軍は鎮守大将軍とするように奏請。これにより顕家は鎮守大将軍として記録されている。しかし南朝方の勢力減退に伴い、室町時代においては征夷大将軍である室町幕府将軍の存在のみとなった。この頃から将軍を指して公方と呼称されるようになり、鎌倉公方などの呼称も派生している。", "title": "日本" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "江戸時代における将軍は征夷大将軍である江戸幕府将軍のみであった。外交呼称として対外的に「日本国王」「日本国大君」を称した場合もある。", "title": "日本" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "しかし、1867年(慶応3年)に江戸幕府の15代将軍徳川慶喜が大政奉還を行い、王政復古の大号令により征夷大将軍の職を廃止された。その後、仁和寺宮嘉彰法親王が征討大将軍に任ぜられたが、短期間で廃止されている。西欧語に借用された shogun は、特に日本の征夷大将軍を指す言葉であり、江戸幕府は英語: Tokugawa shogunateと呼称される。", "title": "日本" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "明治時代になって近代軍制が敷かれると、士官は将佐尉の三等に大別され、その最上位の将には大将・中将・少将の三階級が置かれた。この職にあった軍人はときに将軍とも呼称された。三浦梧楼を指す「観樹将軍」、林銑十郎を指す「越境将軍」などがある。また外国の当該階級にある軍人に対しても「将軍」の呼称を使う例が現れた。自衛隊においては幕僚長たる将・将・将補の将官が存在するが、通常将軍とは呼称されない。", "title": "日本" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "漢代に於ける将軍は軍の指揮官として必要な時に皇帝により置かれたもので、最上級の大将軍は三公にも匹敵する重職であった。その下に驃騎将軍・衛将軍・車騎将軍があり、その下に上将軍・伏波将軍など臨時に任命される雑号将軍がある。後に戦乱などによって将軍号が増加し、南朝梁の武帝が将軍号を整理した際には12班で合わせて125号に分類整理されたという。唐の時代には、官職としての将軍の他に武散官の称号としての将軍も並存した。北宋では、武散官の称号としてのみ残され、それも神宗の時代に廃されて「大夫」「郎」と改称された。元の時代に武散官の称号として復活し、続く明の時代には総兵官及びその麾下である軍指揮官の官職名としても復活した。清の時代には臨時の官職として大将軍が設置されたことがあるものの、常設官においては総兵官としての将軍の称号は再び廃されて、副将以下の軍指揮官及び駐防八旗兵の司令官の称号として残り近代に至る。", "title": "前近代中国における将軍" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "国際的には、軍事政権や一党独裁国家において最高権力者が、政権掌握当時の階級を意図的に名乗ったり国民の間に流布したりしている例がある。あるいは政権獲得後に軍人としてのキャリアの有無にかかわらず将官の階級を自らに与えるケースもある。", "title": "国家指導者の敬称としての将軍" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "例をあげるとパナマのマヌエル・ノリエガ、イラクのサダム・フセイン、北朝鮮の金日成・金正日父子なども「将軍」と呼ばれていた。存命人物では北朝鮮の金正恩がそう呼ばれている。このうちフセインと金正日・金正恩父子は職業軍人としての経歴を持たない。金日成は、朝鮮人民革命軍の司令官として抗日パルチザン活動を繰り広げたが、階級は無かった。また、金日成の階級は朝鮮民主主義人民共和国大元帥、金正日と金正恩は共和国元帥(金正日は死後に大元帥追贈)であり、将官ではなく軍事的指導者の意味で将軍と称されていた。", "title": "国家指導者の敬称としての将軍" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "金正日は「将軍様」(장군님、チャングンニム)とも呼ばれるが、朝鮮半島(北朝鮮・韓国)では上司や上位者に対しては肩書きの下に「様」(님、ニム)をつける習慣があり、朝鮮語では社長様(サジャンニム)、部長様(ブジャンニム)、先生様(ソンセンニム)などの言葉は一般的に使用されている。それ故金正日もまた、その延長線上で「将軍様」と呼ばれているだけであり、日本語でそのまま将軍様とするのは適訳ではないという意見もある。", "title": "国家指導者の敬称としての将軍" } ]
将軍(しょうぐん)は、比較的大きな軍隊の指揮官に与えられる官職および称号の一つ、また軍閥の指導者の地位でもある。称号としての将軍を将軍号ともいう。 古くから東洋における軍隊の指揮官の役職名の一つであった。外交上または軍隊内の敬称としては閣下が用いられる。なお、古代中国では「将軍は皇帝に任命された官職」「将は王侯や地方領主に任命された官職」と区別されている。
{{Otheruses}} '''将軍'''(しょうぐん)は、比較的大きな[[軍隊]]の[[指揮官]]に与えられる[[官職]]および[[称号]]の一つ、また[[軍閥]]の[[指導者]]の[[地位]]でもある。称号としての将軍を'''将軍号'''ともいう。 古くから[[東洋]]における軍隊の指揮官の役職名の一つであった。外交上または軍隊内の敬称としては[[閣下]]が用いられる。なお、古代中国では「将軍は皇帝に任命された官職」「将は王侯や地方領主に任命された官職」と区別されている。 == 語源 == 将軍は[[中国]]において発祥した語であるが、その意味は文字通り、「[[軍隊|軍]]を{{読み仮名|将|ひき}}いる」ことであり、軍勢を指揮する司令官の官名として使用されたのがはじまりである。その用例は古くは[[春秋時代]]にまで確認することができる。後に「[[司馬]]」に代わって軍隊の指揮官の名称として用いられるようになる。[[漢]]では将軍職は常設ではなく、臨時の官として任ぜられた。 4世紀〜6世紀には、[[高句麗]]・[[百済]]・[[新羅]]・[[倭]]などの諸国が中国王朝([[南朝 (中国)|南朝]][[宋 (南朝)|宋]]ほか)と外交を結び、より位階の高い将軍号を求めて競い合った。 === 中国歴代王朝における将軍号の序列 === 武官への将軍号の加官は[[前漢]]以降に顕著となる。[[秦]]代以前は[[大将軍]]、[[前後左右将軍|前将軍]]、[[前後左右将軍|左将軍]]、[[前後左右将軍|右将軍]]、[[前後左右将軍|後将軍]]、偏将軍、稗将軍程度であった。前漢の[[武帝 (漢)|武帝]]以降に[[驃騎将軍]]、[[車騎将軍]]、[[衛将軍]]といった高い地位をもつ「{{仮リンク|重号将軍|zh|重號將軍}}」と、役割や軍事的功績を示す称号を付けた「[[雑号将軍]]」が現れた。重号将軍は将軍府を開府し、さらに政治に関与することもあった。漢代には大・驃騎・車騎・衛・四方(前左右後)だけだったが、[[三国時代 (中国)|三国時代]]以降は{{仮リンク|四征将軍|zh|四征將軍}}・{{仮リンク|四鎮将軍|zh|四鎮將軍}}・{{仮リンク|四安将軍|zh|四安將軍}}・{{仮リンク|四平将軍|zh|四平將軍}}が重号将軍に加わった。前者を朝廷にあって政治に参加する中朝廷将軍、後者を外征や任地にあって治安を担当する外朝廷将軍とする{{仮リンク|分類方法|zh|將軍 (東亞古代)}}がある。これらは各王朝によって制度に差異があり、また後世が便宜的に分類したものであり一律ではない。 上段の称号ほど、また左側の称号ほど、格上となる<ref>{{Harvnb|河内|2018|p=63}}</ref>。 {| class="wikitable" |+ [[宋 (南朝)|南朝宋]]における将軍号の序列(五品まで) !品秩 !! 将軍号 |- ! 一品 | 大将軍 |- ! 二品 | 驃騎・車騎・衛、諸大将軍 |- ! 三品 | 四征(征東・征南・征西・征北)<br>四鎮(鎮東・鎮南・鎮西・鎮北)<br>中軍・鎮軍・撫軍<br>四安(安東・安南・安西・安北)<br>四平(平東・平南・平西・平北)<br>前・左・右・後<br>征虜・冠軍・輔国・龍驤 |- ! 四品 | 左衛・右衛・驍騎・遊撃<br>左軍・右軍・前軍・後軍<br>寧朔<br>建威・振威・奮威・揚威・広威<br>建武・振武・奮武・揚武・広武 |- ! 五品 | 積射・彊弩<br>鷹揚・折衝・軽車・揚烈・寧遠・材官・伏波・凌江<br> |} === 3世紀〜7世紀東アジア諸国による中国王朝授与の将軍号の序列 === 3世紀〜7世紀に中国王朝と外交交渉を持った東アジア諸国は、国主に対して「王」号とともに、(1)軍事指揮官としての管轄領域の広さ、(2)将軍号の格付けなどに関して、より上位の称号を求めてせめぎ合った。<br> (1)管轄領域について: '''「都督◯◯諸軍事」''' ◯◯に管轄する地域名称が入る。<br> :「都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事」(「倭の五王」の一部が「仮授」(=自称)した管轄領域)<br> :「都督百済諸軍事」(歴代百済王が除正された管轄領域)<br> :「都督営州諸軍事」(高句麗長寿王が413年に宋から「除正」された管轄領域)<br> (2)3世紀〜7世紀の中国歴代政権は、中国の軍事指揮官に授与するのと同一カテゴリーの将軍号を、近隣諸国・諸民族の君主たちに授与した。<br> {| class="wikitable" |+ 東アジア各国における将軍号のランク上昇の事例 !国名 !! 将軍号の上昇 |- ! 高句麗 |(南朝授与)征東将軍→征東大将軍→車騎大将軍→撫軍(東)大将軍→寧東将軍<br>(北朝授与)征東将軍→車騎大将軍→安東将軍→驃騎大将軍→大将軍 |- ! 百済 | 鎮東将軍→鎮東大将軍 |- ! 倭 | 安東将軍→安東大将軍→鎮東大将軍→征東大将軍 |- ! [[加羅]] | 輔国将軍 |- ! [[吐谷渾]] | 征西将軍 |} === 4世紀〜7世紀に倭・百済・高句麗・新羅・渤海の王と臣下たちが受けた将軍号 === 4世紀〜6世紀、中国の周辺諸国では、君主の代替わりごとに中国に使者を派遣し、君主に所属する「王号・軍事指揮官としての管轄領域・将軍号」等のセットについて更新し、また配下の豪族・官僚のための「将軍の称号」と「幕府(=将軍府)に所属する文官の称号」を求め、それを配下に分配することにより、国内を統制しようとした<ref name="河内">{{Harvnb|河内|2018|p=}}</ref>。(→[[府官制]]) 倭・百済・高句麗・新羅等が中国に送った国書の中には「'''仮授'''〜」または「'''私署'''〜」と称して、君主とその配下に授与を希望する称号が列挙提示されているのを確認できるものが見られる。中国王朝の側では、称号のランクアップを出ししぶり、先代君主の称号を踏襲するのが通例であった。中国王朝が、近隣諸国の君主・臣下の称号を認定することを「除正」と称する<ref name="河内"/>。 {| class="wikitable" |+ [[倭の五王]]とその臣下が授かった将軍号 !西暦 !! 王名(臣下名) !! 将軍号([[仮授]])!!将軍号(南朝[[除正]])!!備考 |- ! 421年 | [[讃|倭讃]] || ||安東将軍<ref>{{Harvnb|河内|2018|p=58-59}}</ref>|| |- ! 438年 | [[珍|倭珍]] ||安東大将軍 || 安東将軍<ref>{{Harvnb|河内|2018|p=73-79}}</ref>|| |- ! 〃 | 倭隋(王族) || ||平西将軍<ref name="名前なし-2">{{Harvnb|河内|2018|p=82-84}}</ref>|| |- ! 〃 | (倭隋を含む臣下13人に) | | colspan="2" |平西将軍・征虜将軍・冠軍将軍・輔国将軍など<ref name="名前なし-2"/> |- ! 443年 | [[済|倭済]] || || 安東将軍<ref>{{Harvnb|河内|2018|p=93}}</ref>|| |- ! 451年 | 倭済 ||安東大将軍|| (昇格せず)<ref>{{Harvnb|河内|2018|p=103-106}}</ref>|| |- ! 462年 | [[興|倭興]](世子) || ||安東将軍<ref>{{Harvnb|河内|2018|p=114-119}}</ref>|| |- ! 478年 | [[武 (倭王)|倭武]] ||安東大将軍||安東大将軍<ref>{{Harvnb|河内|2018|p=127-135}}</ref>|| |- ! 479年 | 倭武 || ||鎮東大将軍<ref>{{Harvnb|河内|2018|p=210-211}}</ref>||[[斉 (南朝)|斉]]による一方的な陞爵の可能性。<ref>{{Harvnb|河内|2018|p=210-215}}</ref> |- ! 502年 | 倭武 || ||征東大将軍<ref name="名前なし-3">{{Harvnb|河内|2018|p=211}}</ref>||[[梁 (南朝)|梁]]による一方的な陞爵の可能性<ref name="名前なし-3"/>。 |- |} {| class="wikitable" |+ [[百済]]王とその臣下が授かった将軍号 !西暦 !! 王名(臣下名) !! 将軍号([[仮授]])!!将軍号(南朝[[除正]])!!備考 |- ! 372年 | [[近肖古王|餘句]] || ||鎮東将軍<ref>{{Harvnb|河内|2018|p=10}}</ref>|| |- ! 416年 | [[腆支王|餘映]] || || 鎮東将軍<ref>{{Harvnb|河内|2018|p=47}}</ref>|| |- ! 421年 | 餘映 || || 鎮東大将軍<ref name="名前なし-4">{{Harvnb|河内|2018|p=48}}</ref>|| |- !457年 | [[蓋鹵王|餘慶]] || || 鎮東大将軍<ref>{{Harvnb|河内|2018|p=79-80}}</ref>|| |- !458年 | 餘紀(王族) ||行冠軍将軍 || 冠軍将軍<ref name="名前なし-5">{{Harvnb|河内|2018|p=80}}</ref>|| |- !〃 | 餘昆(王族) ||行征虜将軍 || 征虜将軍<ref name="名前なし-5"/>|| |- !〃 | 餘暈(王族) ||行征虜将軍|| 征虜将軍<ref name="名前なし-5"/>|| |- !〃 | 餘都(王族) ||行輔国将軍|| 輔国将軍<ref name="名前なし-5"/>|| |- !〃 | 餘乂(王族) ||行輔国将軍||輔国将軍<ref name="名前なし-5"/>|| |- !〃 | 沐衿 ||行龍驤将軍|| 龍驤将軍<ref name="名前なし-6">{{Harvnb|河内|2018|p=79-80}}</ref>|| |- !〃 | 餘爵(王族) ||行龍驤将軍||龍驤将軍<ref name="名前なし-6"/>|| |- !〃 | 餘流(王族) ||行寧朔将軍|| 寧朔将軍<ref name="名前なし-6"/>|| |- !〃 | 糜貴 ||行寧朔将軍|| 寧朔将軍<ref name="名前なし-6"/>|| |- !〃 | 于西 ||行建武将軍|| 建武将軍<ref name="名前なし-6"/>|| |- !〃 | 餘婁(王族) ||行建武将軍||建武将軍<ref name="名前なし-2"/>|| |- ! 502年 | [[東城王|餘大]] || ||征東大将軍<ref name="名前なし-3"/>||[[梁 (南朝)|梁]]による一方的な陞爵の可能性<ref name="名前なし-3"/>。 |- ! 521年 | [[武寧王|餘隆]] || ||寧東大将軍|| |- ! 524年 | [[聖王|餘明]] || ||綏東大将軍|| |- ! 570年 | [[威徳王 (百済)|餘昌]] || ||車騎大将軍|| |- |} {| class="wikitable" |+ [[高句麗]]王とその臣下が授かった将軍号 !西暦 !! 王名(臣下名) !! 将軍号([[仮授]])!!将軍号(南朝[[除正]]) !将軍号(北朝除正)!!備考 |- ! 413年 | [[長寿王|高璉]] || ||征東将軍<ref>{{Harvnb|河内|2018|p=33}}</ref> | ||[[東晋]]より。 |- ! 417年 | 高璉 || ||征東大将軍<ref name="名前なし-4"/> | ||[[宋 (南朝)|宋]]より。 |- ! 435年 | 高璉 || || |征東将軍<ref>{{Harvnb|河内|2018|p=87}}</ref>||[[北魏]]より。 |- ! 463年 | [[長寿王|高巨連]] || ||車騎大将軍<ref>{{Harvnb|河内|2018|p=122}}</ref> | ||宋より。 |- ! 492年 | [[文咨明王|高羅雲]] || || |征東将軍・領護東夷中郎将||北魏より。 |- !492年 |高羅雲 | |征東大将軍 | |[[梁 (南朝)|梁]]より。 |- ! 502年 | 高羅雲|| ||車騎大将軍<ref name="名前なし-3"/> | ||梁より。 |- ! 508年 | 高羅雲|| ||撫軍(東)大将軍 | ||梁より。 |- ! 520年 | 高羅雲|| || |車騎大将軍||北魏より、死後追贈。 |- ! 520年 | [[安臧王|高興安]]|| || |安東将軍・領護東夷校尉||北魏より |- !520年 |高興安 | |寧東将軍 | |梁より |- ! 534年 | [[安原王|高宝延]]|| || |領護東夷校尉||北魏より |- !534年 |高宝延 | |寧東将軍 | |梁より |- ! 550年 | [[陽原王|高平成]]|| || |驃騎大将軍・領護東夷校尉||[[北斉]]より |- ! 560年 | [[平原王|高陽成]]|| || |領護東夷校尉||北斉による。 |- ! 562年 |高陽成|| ||寧東将軍 | ||[[陳]]による。 |- ! 577年 |高陽成|| || |大将軍||[[北周]]による。 |- ! 581年 |高陽成|| || |大将軍||[[隋]]による。 |- |} {| class="wikitable" |+ [[新羅]]王とその臣下が授かった将軍号 !西暦 !! 王名(臣下名) !! 将軍号([[仮授]])!!将軍号([[除正]])!!備考 |- ! 648年 | [[金文王]]  || ||左武衛将軍||[[唐]]による。[[金春秋]]の子。 |- ! 674年 | [[金仁文]] || ||右驍衛員外大将軍||唐による。王弟。 |- ! 675年 | [[文武王|金法敏]] || ||右驍衛員外大将軍|||唐による。王。金仁文の兄。 |- ! 687年 | [[孝昭王|金理洪]]  || ||輔国大将軍・行左豹韜尉大将軍||[[武周]]による。 |- ! 702年 | [[聖徳王|金興光]] || ||輔国大将軍・行左豹韜尉大将軍||唐による。 |- ! 713年 | 金興光 || ||驃騎将軍・特進行左威衛大将軍軍||唐による。 |- ! | || ||||以降の歴代は将軍号を受けず。 |- |} {| class="wikitable" |+ [[渤海 (国)|渤海]]王とその臣下が授かった将軍号 !西暦 !! 王名(臣下名) !! 将軍号([[仮授]])!!将軍号([[除正]])!!備考 |- ! 692年 | [[大祚栄]] || ||左驍衛大将軍||[[唐]]による。 |- ! 719年 | [[大門芸]] || ||左驍衛将軍||唐による。王弟。唐に亡命。 |- ! 737年 | [[大欽茂]] || ||左驍衛大将軍||唐による。 |- ! 794年 | [[大嵩璘]] || ||右驍衛大将軍||唐による。 |- ! | || ||||大嵩璘の時、君主の称号が「郡王」から「国王」へ<br>と進み、それに伴い付随する官職、爵位、都督職な<br>ども格上げされ、以降の歴代「国王」は「将軍」号<br>に変わり文官職を授かるようになった。 |- |} 「仮授」は、受封側が希望する称号、「除正」は中国側が実際に授与した称号。 == 近代以降の軍隊における将軍 == [[近代]]以降の軍隊では、[[陸軍]]・[[空軍]]・[[海兵隊]]の[[将官]]の階級としては、[[准将]] (Brigadier General) 、[[少将]] (Major General) 、[[中将]] (Lieutenant General) 、[[大将]] (General) が存在する(英語表記は[[アメリカ軍]]の場合)。また将官の上に[[元帥]]([[アメリカ陸軍]]の場合は General of the Army)が存在する。ただし呼びかけや表記の際の呼称としては、准将から大将、元帥までひっくるめて '''General''' が用いられる。この将官をひっくるめた呼称(佐官ではないが詳細な階級が不明な場合)としての '''General''' の和訳語として'''将軍'''が用いられる。具体的には、XXXX なる名前の将官を、XXXX 将軍 等と表記する。たとえば[[ダグラス・マッカーサー]]の階級は[[元帥 (アメリカ合衆国)#元帥 (五つ星元帥)|陸軍元帥]] (General of the Army) であり、日本語では「マッカーサー元帥」と呼称される事が多いが、英語の呼称では ''General MacArthur'' であり、これをそのまま訳した場合は「マッカーサー将軍」となる。アメリカのテレビ作品の邦題として「[[ジョージ・パットン|パットン将軍]]」「[[ドワイト・D・アイゼンハワー|将軍アイク]]」なる言葉が使われている(ただしこれはアメリカ軍の場合であり、元帥に関してはヨーロッパ各国では '''Marshall''' の語を使っている国も多い。そういった国では大将から准将までをひっくるめた呼称が'''将軍'''であり、元帥は将軍とは別個の物として扱われる)。 {{main|軍隊の階級}} [[海軍]]における将官の呼称は '''Admiral''' であり、これの和訳語は「[[提督]]」であるが、日本では海軍の場合も准将・少将・中将・大将と陸軍などと同じ階級を用いるため、海軍における将官の呼称としても「将軍」を用いる場合がある。例えば[[上村彦之丞]](日本海軍の軍人・最終階級は海軍大将)の渾名は「船乗り将軍」である。 == 日本 == === 古代 === [[日本]]では[[日本書紀]]の記述する時代から使われている。[[南北朝時代 (中国)|中国の南北朝時代の史書]]には、[[倭の五王]]が南朝の皇帝から安東大将軍などの将軍号を受けたり、自称したという記録がある。なお、将軍を[[和語]]で訓ずる場合は「いくさのかみ」である。 日本の[[律令制]]では、[[軍防令]]24条に将軍の規定がある。それによれば、将帥が出征するとき兵一万人以上なら将軍一人、[[副将軍]]二人を置く。また、三軍ごとに[[大将軍]]一人を置く。しかし実際の任命はこの兵数には基づかず、特に大将軍の下に複数の将軍を置くという形態は一度もとられなかった。将軍は原則として臨時任命であり、任命された事態は、東の[[蝦夷]]に対する遠征、南西の[[隼人]]や[[外国]]に対する遠征、天皇の行幸の護衛、都に来た外国使節や蝦夷・隼人の[[迎接]]の四つである。各将軍はそれぞれ異なる称号を冠し、単なる「将軍」だけの官名はなかった。例示すれば、対蝦夷戦では[[鎮守府将軍|陸奥鎮東将軍]]・[[征越後蝦夷将軍]]・[[征狄将軍]]・[[征東将軍]]・[[征夷将軍]]など、対隼人戦では[[討卑賊将軍]]・[[征隼人持節度大将軍]]、外国には[[征新羅大将軍]]など、行幸と迎接では[[左将軍]]・[[右将軍]]・御前騎兵将軍・御後騎兵将軍・[[騎兵大将軍]]などである。唯一常設されたのが鎮守将軍(後に[[鎮守府将軍]])で、蝦夷に対する防備についた。 常置された武官には[[近衛府]]・[[兵衛府]]があり、特に顕官である[[近衛大将]]は「将軍」と呼ばれた<ref name="sugihashi">{{Cite book|和書|author=杉橋隆夫|authorlink=杉橋隆夫|date=2012-01|title=鎌倉右大将家と征夷大将軍・補考|series=立命館文學 624|publisher=[[立命館大学]]|url=https://cir.nii.ac.jp/crid/1570572702946809600}}</ref>。[[唐名]]には「親衛大将軍・羽林大将軍・千牛大将軍・唐牙大将軍」がある。また[[兵衛府]]の次官である[[兵衛佐]]の唐名も「武衛将軍」である<ref name="sugihashi" />。 === 中世 === 東国に武家政権を築いた[[源頼朝]]は、右近衛大将を辞任してから後、「大将軍」の地位を望んだ<ref name="sugihashi" />。頼朝の要請を受けた朝廷は先例を調査し、[[1192年]]に[[征夷大将軍]]に任じた。頼朝の継承者である[[源氏|鎌倉幕府将軍]]は代々征夷大将軍の職にあり、他の将軍職は任じられなかったため、将軍は征夷大将軍の略称として通用されるようになった。将軍は武士の頂点にある存在として認識されるようになり、御所と尊称されるようになっていった。 [[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には鎮守府将軍が復活する。[[南朝 (日本)|南朝]]方の[[北畠親房]]はわが子、[[北畠顕家]]が陸奥守・鎮守府将軍に任ぜられるにあたり、三位以上の将軍は鎮守大将軍とするように奏請。これにより顕家は鎮守大将軍として記録されている。しかし南朝方の勢力減退に伴い、[[室町時代]]においては征夷大将軍である[[足利家|室町幕府将軍]]の存在のみとなった。この頃から将軍を指して[[公方]]と呼称されるようになり、[[鎌倉公方]]などの呼称も派生している。 === 近世 === [[ファイル:Tokugawa Ieyasu2.JPG|thumb|江戸幕府初代将軍・[[徳川家康]]]] [[江戸時代]]における将軍は征夷大将軍である[[江戸幕府将軍]]のみであった。外交呼称として対外的に「[[日本国王]]」「[[日本国大君]]」を称した場合もある。 しかし、[[1867年]]([[慶応 (元号)|慶応]]3年)に江戸幕府の15代将軍[[徳川慶喜]]が[[大政奉還]]を行い、[[王政復古の大号令]]により征夷大将軍の職を廃止された。その後、[[小松宮彰仁親王|仁和寺宮嘉彰法親王]]が[[征討大将軍]]に任ぜられたが、短期間で廃止されている。西欧語に借用された ''[[:en:shogun|shogun]]'' は、特に日本の征夷大将軍を指す言葉であり、[[江戸幕府]]は{{lang-en|Tokugawa shogunate}}と呼称される。 ===近現代=== [[明治時代]]になって近代軍制が敷かれると、士官は将佐尉の三等に大別され、その最上位の将には[[大将]]・[[中将]]・[[少将]]の三階級が置かれた。この職にあった軍人はときに将軍とも呼称された。[[三浦梧楼]]を指す「観樹将軍」、[[林銑十郎]]を指す「越境将軍」などがある。また外国の当該階級にある軍人に対しても「将軍」の呼称を使う例が現れた。[[自衛隊]]においては[[幕僚長たる将]]・[[将]]・[[将補]]の将官が存在するが、通常将軍とは呼称されない。 == 前近代中国における将軍 == [[漢]]代に於ける将軍は軍の指揮官として必要な時に[[皇帝 (中国)|皇帝]]により置かれたもので、最上級の[[大将軍]]は[[三公]]にも匹敵する重職であった。その下に[[驃騎将軍]]・[[衛将軍]]・[[車騎将軍]]があり、その下に上将軍・伏波将軍など臨時に任命される[[雑号将軍]]がある。後に戦乱などによって将軍号が増加し、[[梁 (南朝)|南朝梁]]の[[蕭衍|武帝]]が将軍号を整理した際には12班で合わせて125号に分類整理されたという。[[唐]]の時代には、官職としての将軍の他に[[散官|武散官]]の称号としての将軍も並存した。[[北宋]]では、武散官の称号としてのみ残され、それも[[神宗 (宋)|神宗]]の時代に廃されて「大夫」「郎」と改称された。[[元 (王朝)|元]]の時代に武散官の称号として復活し、続く[[明]]の時代には総兵官及びその麾下である軍指揮官の官職名としても復活した。[[清]]の時代には臨時の官職として大将軍が設置されたことがあるものの、常設官においては総兵官としての将軍の称号は再び廃されて、副将以下の軍指揮官及び駐防[[八旗]]兵の司令官の称号として残り近代に至る。 == 国家指導者の敬称としての将軍 == 国際的には、軍事政権や一党独裁国家において最高権力者が、政権掌握当時の階級を意図的に名乗ったり国民の間に流布したりしている例がある。あるいは政権獲得後に軍人としてのキャリアの有無にかかわらず将官の階級を自らに与えるケースもある。 例をあげると[[パナマ]]の[[マヌエル・ノリエガ]]、[[イラク]]の[[サッダーム・フセイン|サダム・フセイン]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[金日成]]・[[金正日]]父子なども「'''将軍'''」と呼ばれていた。存命人物では北朝鮮の[[金正恩]]がそう呼ばれている。このうちフセインと金正日・金正恩父子は職業軍人としての経歴を持たない。金日成は、朝鮮人民革命軍の司令官として抗日パルチザン活動を繰り広げたが、階級は無かった。また、金日成の階級は朝鮮民主主義人民共和国[[大元帥]]、金正日と金正恩は[[共和国元帥]](金正日は死後に大元帥追贈)であり、将官ではなく軍事的指導者の意味で将軍と称されていた。 金正日は「'''将軍様'''」({{lang|ko|장군님}}、チャングンニム)とも呼ばれるが、[[朝鮮半島]](北朝鮮・[[大韓民国|韓国]])では上司や上位者に対しては肩書きの下に「様」({{lang|ko|님}}、ニム)をつける習慣があり、朝鮮語では社長様(サジャンニム)、部長様(ブジャンニム)、先生様(ソンセンニム)などの言葉は一般的に使用されている。それ故金正日もまた、その延長線上で「将軍様」と呼ばれているだけであり、日本語でそのまま将軍様とするのは適訳ではないという意見もある。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=河内春人|authorlink=河内春人|date=2018-01-19|title=倭の五王 - 王位継承と五世紀の東アジア|series=[[中公新書]]|publisher=[[中央公論新社]]|ISBN=4121024702|ref={{Harvid|河内|2018}}}} == 関連項目 == {{Wiktionary}} * [[幕府]] * [[大将軍]] * [[副将軍]] * [[雑号将軍]] * [[武将]] * [[元帥]] * [[将官]] * [[中郎将]] * [[校尉]] * [[司馬]] * [[都尉]] {{DEFAULTSORT:しようくん}} [[Category:軍人]] [[Category:軍事史]] [[Category:将軍| ]] [[Category:政治史]] [[Category:爵位|*しようくん]] [[Category:領主・貴族の称号]] [[Category:政治家・官僚の称号]] [[Category:軍人・戦士の称号]]
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蝦夷
蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東国(現在の関東地方と東北地方)や、北方(現在の北海道や樺太)などに住む人々の呼称である。 大きく、「エミシ(蝦夷)」と「エゾ(蝦夷)」という2つの呼称に大別される。 大和朝廷の支配に服した東国の蝦夷(エミシ)は、俘囚と呼ばれた。 蝦夷は古くは愛瀰詩と書き(神武東征記)、次に毛人と表され、ともに「えみし」と読んだ。後に「えびす」とも呼ばれ、「えみし」からの転訛と言われる。「えぞ」が使われ始めたのは11世紀か12世紀である。 えみし、毛人・蝦夷の語源については、以下に紹介する様々な説が唱えられているものの、いずれも確たる証拠はないが、エミシ(愛瀰詩)の初見は神武東征記であり、神武天皇によって滅ぼされた畿内の先住勢力とされている。「蝦夷」表記の初出は、日本書紀の景行天皇条である。そこでは、武内宿禰が北陸及び東方諸国を視察して、「東の夷の中に、日高見国有り。その国の人、男女並に椎結け身を文(もどろ)けて、人となり勇みこわし。是をすべて蝦夷という。また土地沃壌えて広し、撃ちて取りつべし」と述べており、5世紀頃とされる景行期には、蝦夷が現在の東北地方だけではなく関東地方を含む広く東方にいたこと、蝦夷は「身を文けて」つまり、邪馬台国の人々と同じく、入れ墨(文身)をしていたことが分かっている。 古歌で「えみしを 一人 百な人 人は言へども 手向かいもせず」(えみしは一人で百人と人は言うが、我が軍には手向かいもしない) と歌われたこと、蘇我蝦夷、小野毛人、佐伯今毛人、鴨蝦夷のように大和朝廷側の貴族の名に使われたこと、平安時代後期には権威付けのために蝦夷との関連性を主張する豪族(安倍氏や清原氏)が登場していることから、「えみし」には強さや勇敢さという語感があったと推測されている。そこから、直接その意味で用いられた用例はないものの、本来の意味は「田舎の(辺境の)勇者」といったものではないかという推測もある。 他方でアイヌ語に語源があると考えた金田一京助は、アイヌ語の雅語に人を「エンチュ (enchu, enchiu)」というのが、日本語で「えみし」になったか、あるいはアイヌ語の古い形が「えみし」であったと説いた。 文献的に最古の例は毛人で、5世紀の倭王武から宋への上表文に「東に毛人を征すること五十五国。西に衆夷を服せしむこと六十六国」とある。蝦夷の字をあてたのは、斉明天皇5年(659年)の遣唐使派遣の頃ではないかと言われる。後代に人名に使う場合、ほとんど毛人の字を使った。蘇我蝦夷は『日本書紀』では蝦夷だが、『上宮聖徳法王帝説』では蘇我豊浦毛人と書かれている。毛人の毛が何を指しているかについても諸説あるが、一つは体毛が多いことをいったのだとして、後のアイヌとの関連性をみる説である。また、中国の地理書『山海経』に出てくる毛民国を意識して、中華の辺境を表すように字を選んだという説もある。 人名に使った場合であっても、佐伯今毛人が勤務評定で今蝦夷(正確には夷の字に虫偏がつく蛦)と書かれた例がある。蝦夷の蝦の字については、あごひげが長いのをエビに見たてて付けたのだとする説がある。夷の字を分解すると「弓人」、上代日本語で(ユミシ)になり、これが蝦夷の特徴なのだという説もある。 喜田貞吉は、意味ではなく音「かい」が蝦夷の自称民族名だったのではないかと説いた。アイヌ人はモンゴル人など中国東北部の民族からは「骨嵬(クギ、クイ)」、ロシア人からは「クリル」と呼ばれた。千島列島のロシア語名はクリル諸島である。斉明天皇5年の遣使の際に、聞き取った唐人が蝦夷の字をあて、それを日本が踏襲したという。秋田藩の藩士であった人見蕉雨によって1798年(寛政10年)頃に著された黒甜瑣語には、蝦夷(夷は大と弓の上下の合字になっている)のルビを「かい」としている。そこでは「ダケカンバと思える植物をタッチラと唱える」という記述からも、これがアイヌの事を指している事がわかる。明治政府は開拓使の設置に伴い蝦夷地の名称の変更を検討。1869年(明治2年)蝦夷地探査やアイヌとの交流を続けていた松浦武四郎は政府に建白書を提出し、「日高見道」「北加伊道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6案を提示した。明治政府は「北加伊道」を基本とし「加伊」を「海」に改めた「北海道」とすることを決定。明治2年8月15日太政官布告により「蝦夷地自今北海道ト被稱 十一ヶ国ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出候事」と周知された。松浦は建白書において「北加伊道」案はアイヌが自らを「カイ」と呼んでいることから考案したと説明している。青森県の伝承を集めた中道等の『奥隅奇譚』では「蝦夷崎」のルビを「かいざき」としている。 金田一京助は喜田らの説を批判し、「えび」の古い日本語「えみ」が「えみし」に通じるとして付けたとする説を唱えた。 諸説ある中で唯一定まっているのは、「夷」が東の異民族(東夷)を指す字で、中華思想を日本中心にあてはめたものだということである。「夷」単独なら『古事記』などにも普通にあるが、その場合古訓で「ひな」と読む。多くの学者は用字の変化を異族への蔑視の表れとし、蘇我毛人を蘇我蝦夷としたのも『日本書紀』編者が彼を卑しめたものとする。だが、佐伯今毛人や小野毛人の例を引いてこれに反対する意見もある。 用字については、『日本書紀』では蝦夷の夷の字に虫偏をつけた箇所も散見される。蝦夷の字の使用とほぼ同じ頃から、北の異民族を現す「狄」の字も使われた。「蝦狄」と書いて「えみし」と読んだらしい。毛人と結合して「毛狄」と書かれた例もある。一字で「夷」と「狄」を使い分けることもよくあった。これは管轄する国(令制国)による人工的区分で、越後国(後に出羽国)所轄の日本海側と北海道のえみしを蝦狄・狄、陸奥国所轄の太平洋側のえみしを蝦夷・夷としたのである。 古代の蝦夷(えみし)は、本州東部とそれ以北に居住し、政治的・文化的に、大和朝廷やその支配下に入った地域への帰属や同化を拒否していた集団を指した。統一した政治勢力をなさず、積極的に朝廷に接近する集団や敵対した集団が記録に残っている。しかし、次第に影響力を増大させていく大和朝廷により、征服・吸収されていった。 「えみし」は朝廷側からの他称であり、蝦夷側の民族集団としての自覚の有無に触れた史料はない。蝦夷に統一なアイデンティティーは無かったと解するか、朝廷側との交渉の中で民族意識が形成されたであろうと想定するかは、研究者の間で意見が分かれている。 蝦夷「えみし」についての形式上最も古い言及は『日本書紀』神武東征紀中に詠まれている来目歌の一つに愛濔詩として登場する。 しかし、この来目歌がどの程度史実を反映するものかどうかは判然とせず、またここで登場する「えみし」が後の「蝦夷」を意味するかどうかも判然としないため、古い時代の蝦夷の民族的性格や居住範囲については諸説があり確かなことはわかっていない。概ね関東地方から東北地方、北海道にかけて、広く日本列島の東方に住んでいたと考えられている。 東北地方北部へも水田・稲作が一時的に伝わったが放棄され、狩猟・採集文化が伝統として続いた。 5世紀の中国の歴史書『宋書』倭国伝に、478年(順帝昇明2年)倭王武が宋 (南朝)に届けた上表文として以下の記述がある。 「昔より祖彌(そでい)躬(みずか)ら甲冑(かっちゅう)を環(つらぬ)き、山川(さんせん)を跋渉(ばっしょう)し、寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国。」 これにより既にこの時代には蝦夷の存在とその支配が進んでいた様子を確認することが出来る。 『日本書紀』景行天皇条には、武内宿禰が北陸及び東方諸国を視察した際の記述とし「東の夷(あずまえびす)の中に、日高見国有り。その国の人、男女並に椎結け身を文けて、人となり勇みこわし。是をすべて蝦夷という」とあり、荒々しく勇猛な者、情を理解せず教養や文化に欠ける者としている。40年条には、天皇が日本武尊に東夷の征討を命じる際、蝦夷の特徴として「冬は穴居、夏は樹上家屋の生活」「山に登るときは飛ぶ鳥のように速く、草原を走るときは逃げる獣のように速い」「束ねた髪の中に矢を隠し、刀は衣の中に隠し持つ」「攻撃すると草原に隠れてしまい、追いかけると山中に逃げてしまう」と記述がある。 蝦夷は、その優れた弓術(和人の伝統の長弓に比べると短弓を用いた)に、古墳時代に日本へもたらされた馬を和人から取り入れ組合せ、飛鳥時代・奈良時代には騎射の技を磨き狩猟に用いた。また騎乗武器(蕨手刀を和人から取り入れた)を改良・発達させた。 古墳の分布は和人文化の範囲を示し、蝦夷との境界が北限となる。これまでの発掘調査により、古墳時代前期における最古級の前方後円墳の北限は、現在の新潟県・越後平野中部、福島県・会津盆地、宮城県・仙台平野であったと考えられている。同時代の終末期までに北限は、日本海側沿岸ではほとんど北進せずむしろ中越地方に後退するが、日本海側内陸では山形県・村山地方中部まで、太平洋側では岩手県・北上盆地南部まで北進した。 飛鳥時代(7世紀)頃には、蝦夷は現在の宮城県中部から山形県以北の東北地方と、北海道の大部分に及ぶ広範囲に住んでいた。平時には和人と交易を行い、昆布・馬・毛皮・羽根などの特産物と引き換えに、米・布・鉄器・工芸品を得ていた。大和政権が支配領域を北に拡大するにつれて、しばしば防衛のために戦い、反乱を起こし、また和人の築いた城柵を襲撃したため、日本書紀には襲撃や討伐の記録が記録されている。大和に帰順した蝦夷の集団は俘囚と呼ばれ、関東地方へ移住させられたり、西日本で兵隊集団を勤めるなどした。 蝦夷と接する地域(陸奥国・出羽国・越後国)では、国内の行政・司法・軍事を管掌する国司の守と介が饗給(慰撫)、征討、斥候などの外交・軍事も担当していた。特に陸奥国は面積が広く軍事的衝突が頻繁におきるため、陸奥国司には大宝律令が定める特例が多く、自らの判断で征討に出ることも許されていた。なお同じ辺境でも西国の国司は、征討のかわりに防守、饗給ではなく蕃客(外国使節の接待)と帰化が任務であった(鎮西府)。 当初は大和側では秋田城などの城柵で儀礼的な会食(饗応)や物資の提供を行い服属を促していたが、蝦夷には中央政権が無いため恭順する集団と支配に抵抗し襲撃を行う集団が混在し、長期間にわたり交易と征伐が並行して行われる事態となった。 『日本書紀』斉明天皇元年(655年)7月11日条には、難波朝(難波京の朝廷)で北蝦夷99人と東蝦夷95人を饗応したとある。そこでは「北」と「東」にそれぞれ「北越」「東陸奥」と注があり、北は越の方面、東は陸奥の方面と解せる。このうち越国は陸奥国の西に位置するが、越(高志)は都からみて北に位置するので北蝦夷としている。これらの語は当時の蝦夷が二大集団に分かれていたという意ではなく、応対する国(令制国)の管轄によって朝廷が用いた分類であると考えられている。この区別は後に出羽国と陸奥国の管轄になって平安時代まで踏襲されたが、字は北の異民族を指す「狄」に変わり「蝦狄」とも書かれるようになった。 『日本書紀』斉明天皇4年(658年)4月には阿倍比羅夫が水軍180隻を率いて蝦夷を討伐している。また日付は不明であるが同年には渡島に渡り粛慎の討伐とヒグマの献上を受けた記録がある。この渡島(渡嶋)とは外が浜(陸奥湾沿岸の一部)から海を渡った先にある島(北海道)と推定される。粛慎と呼ばれる集団の詳細は不明であり本州以外に住んでいる蝦夷の別称という説もあるが、後には蝦夷と粛慎が別の集団であるかのような記述も登場する。 『日本書紀』斉明天皇5年(659年)には朝廷に従った蝦夷が遣唐使に同行し唐の高宗に紹介されている。ここで引用された『伊吉連博徳書』によると、熟蝦夷(にきえみし、にぎえみし。おとなしい蝦夷)が最も近く、麁蝦夷(あらえみし。荒々しい蝦夷)がそれより遠く、最遠方に都加留(つかる、つがる。津軽)がおり、連れてきたのは毎年入貢している熟蝦夷であること、蝦夷は肉食で五穀を食べず、家を建てずに樹の下に住んでいるなどを説明したところ、高宗は珍しく思ったと感想を述べたとしている。しかしこのような生活は他の史料にある記述や現在の考古学的知見とも矛盾し、蝦夷を野蛮人と誇張しこれを従える大和の力を誇示するための創作と思われる。信憑性に欠けるこの説明から推測されるのは、稲作を行わず狩猟を中心とした食生活、北に行くほど恭順しない勢力が強く、都加留が固有名をあげられるほどの有力集団として存在したことである。続けて引用された『難波吉士男人書』では遣唐使の蝦夷の頭上に瓢を乗せ、40歩離れた位置から別の蝦夷が射るという実演をしたところ、百発百中で瓢を射貫いたという記述があり、弓術に優れていたことがうかがえる。また齶田(あきた、あぎた。秋田)蝦夷の長であった恩荷は阿倍比羅夫に降伏した際、弓矢は武器ではなく狩猟の道具だと証言している。 『日本書紀』斉明天皇6年3月には、阿倍臣が粛慎を討伐する際、陸奥の蝦夷を自分の船に乗せて河を越え渡島に渡ったが、到着後に渡島に住む蝦夷から粛慎の水軍が多数襲来するので、河を渡って朝廷に仕えたいと申し出る記述があり、この時代には熟蝦夷の一部が朝廷軍として働いていたと見られている。また13世紀半ばから14世紀初頭にかけてモンゴル帝国は樺太のアイヌを攻撃しているが関連は不明である。 蝦夷は、産馬、産金の地である陸奥で経済力および戦闘力を付けていったのに対し、朝廷は産出物に依存する形となるなど、次第にその王権外の存在が問題視され、完全に大和化する政策に次第に舵が切られていった(蝦夷征討)。 『扶桑略記』養老2年(718年)8月14日、出羽と渡嶋の蝦夷が78人が馬1000頭を献納したので位と録を授けた記録がある。 光仁天皇以降、蝦夷征討政策が本格化した。蝦夷も組織的に朝廷軍と戦うようになっていった。 宝亀11年(780年)には多賀城を一時陥落させた宝亀の乱の伊治呰麻呂、延暦8年(789年)に巣伏の戦いで遠征軍を壊滅させた阿弖流為(アテルイ)らの名がその指導者として伝わる。 延暦6年(787年)の記録に「蝦夷に横流しされた綿で敵が綿冑を作っている」という記述 があり、不正な交易が行われていたことがうかがえる。 延暦20年(801年)には征夷大将軍坂上田村麻呂が遠征し勝利した。延暦21年(802年)に胆沢城を築き、その周辺の蝦夷との戦いは記録に残っている中でも最大である。延暦22年(803年)には志波城を築城し、蝦夷征討の目的がほぼ達成されたと見なされた。 その後、朝廷は蝦夷に対する積極的な征服政策を転じ、民衆の負担を減らすことととし、朝廷の支配領域の拡大は現在の岩手県と秋田県のそれぞれ中部付近を北限として停止する。延暦24年(805年)、藤原緒嗣から蝦夷征討と平安京の造営の一時中止を奏上され、桓武天皇は蝦夷への遠征を中止した。また軍団を廃止し健児制へと移行したが、陸奥・出羽のみ蝦夷対策として軍団が維持された。 その後は、現地の朝廷官僚や、大和に帰順した俘囚の長たちが蝦夷の部族紛争に関与することなどにより、徐々に大和化が進行していったものと思われる。 その後、前九年の役、後三年の役などが勃発し、平安後期の東北北部は戦乱の時代であったが、当事者のうち安倍氏や清原氏は俘囚の長を自称し蝦夷との系譜的関連性を主張しているが、他方、源氏は蝦夷の系譜とは関係なく東北に乗り込んでいる。平安末期になると、蝦夷との血縁的・系譜的関係を主張する奥州藤原氏の支配が東北北端まで及ぶことになる。 藤原氏3代は中尊寺金色堂でミイラになっている。「東夷之遠酋」や「俘囚之上頭」を自称する藤原氏のミイラの調査は注目された。調査の結果、このミイラには指紋には渦紋が多く頭は丸顔で歯のかみ合わせも日本人的であり、藤原氏の骨格は日本人の骨格であるとされた。また、ミイラには内臓や脳漿は全く無く、腹部は湾曲状に切られ後頭部に穴が開いていた。ただ、裂け目にネズミの歯形が付いており、長谷部言人はミイラは自然発生したと主張し藤原3代は日本人であったとした。それに対し、古畑種基はミイラの人工加工説を主張した。木棺3個とも後頭部と肛門にあたる板に穴が開けられていたが、切り口は綺麗で汚物が流出した跡は無く、また男性生殖器は切断されており、加工の跡は歴然だとした。これは極めてアイヌ的な慣行で、樺太アイヌは偉大な酋長が死ぬと近親者は遺体の脳漿と内臓を除去し、何度か塩水を付けて天日で乾かしウフイ(ミイラ)を作る。森嘉兵衛は、和人との何代かにわたる婚姻で骨格は日本人化していたが、精神や葬祭の慣行はアイヌ的なものが変わらず残っていたのではないかとしている。 奥州藤原氏が源頼朝率いる関東地方の鎌倉政権によって滅ぼされると、幕府は東北地方各地に東国武士を派遣し、ここに蝦夷の系譜ではなく、朝廷の系譜による鎌倉幕府(関東政権)による支配がはじめて東北北端にまで及び、大和化が成ったことになる。相前後して蝦夷、俘囚などと言った民族的諸概念は文献から姿を消し、次項に述べる「エゾ」に置き換わる。 東北地方の蝦夷(えみし)の民族系統については、後のアイヌとの関係を中心に、江戸時代から二種類の学説に分かれている。蝦夷をアイヌ人とする蝦夷アイヌ説と、蝦夷を和人の一部とする蝦夷辺民説である。 日本列島の縄文人が朝鮮半島からの渡来人との混血が進み、北九州から始まり本州全域まで及んだ弥生文化を生んだのが、弥生人・和人だが、縄文人・縄文文化は、その後も日本列島に残った。弥生人・和人との混血の度合いも、北海道を除く日本列島内では地理的に連続的だった。 弥生人は弥生時代に東北地方北部へ達したが、古墳時代の寒冷化に伴い南へ退き、そこへ、北海道の道央や道南地方を中心に栄えていた続縄文文化の担い手(のちのアイヌ民族)が東北地方北部を南下して仙台平野付近にまで達し、西南日本から北上して来た古墳文化の担い手(和人)と接触・交流を行なったことが、考古学的に明らかとなっている。なお、東北地方に到来した続縄文文化の担い手は、その後再び北海道へ退いたが、東北地方の和人との接触・交流自体は続いた。 蝦夷アイヌ説では、続縄文文化の担い手が東北地方に残り蝦夷(えみし)となったと考えられている。この理論は、考古学からする文化圏の検討と、北東北にアイヌ語で説明できる地名が集中していることから、少なくとも飛鳥時代(7世紀)以降の蝦夷について、アイヌとの連続性を認める説が有力である。 蝦夷と日本の他の民族群との正確な民族関係については多くの学説が存在するが、そのうちの一つは蝦夷がアイヌ民族と関連しているとするものである。しかし、この理論は議論の的となっている。なぜなら、多くの蝦夷の部族は優れた騎馬弓兵や戦士として知られている一方で、アイヌもまた弓兵として知られているものの、彼らは馬を使用せず、戦闘スタイルは明らかに異なっていたためである。また、文化的な面でも彼らは異なっていた。 中央政府側に通訳がついていたことから蝦夷の言語が日本語と相当異なっていたことが分かり、前述の通りアイヌ語系の地名が東北北部に数多く残っていることから、アイヌ語系統の言葉を話していたと推定される。 縄文人は歴史的変遷の中で蝦夷とアイヌの両方の祖先と考えられており、蝦夷(えみし)と蝦夷(えぞ)の名前は同じ漢字で表される。すでに、'蝦夷'の名前が中世初期に津軽半島の人々を指すために使われ、北海道の縄文人が直接アイヌの祖先であったことが知られているため、この理論によれば、これは論理的な進行である。北本州の恵山文化はこの人々と関連しており、後に北海道の現代アイヌ民族を形成する上で重要な役割を果たした擦文文化に発展した。蝦夷は馬に乗り、鉄を扱う人々であった(アイヌとは異なり)。農業(キビと米)の証拠がある一方で、彼らは主に馬に乗り、狩り、漁業、交易を行っていた。 最近の研究では、アイヌ語を話す人々が地元の日本語を話す人々と連携してヤマト王権の拡大に抵抗したことを示唆している。マタギは、これらのアイヌ語話者の子孫であり、彼らは地元の日本語話者に地理や彼らが狩猟した森や水の動物に関連した地名と借用語を提供したとされている。 縄文文化の人々の骨格特徴の研究は、先住民族の間に非均質性を示し、複数の起源と多様な民族群を示唆している。2014年の人類学的・遺伝学的研究では、「この点で、縄文時代の人々の生物学的なアイデンティティは非均質であり、それは多様な人々が存在し、それらはおそらく共通の文化、縄文文化に所属していたことを示している」と結論付けている。 これに対し蝦夷辺民説では、上記の西南日本から北上して来て接触・交流を行なった古墳文化の担い手(和人)が東北地方に住み蝦夷(えみし)となったと考える。遺伝子特徴の研究では、蝦夷は、アイヌよりも和人(特に出雲地方の古代人)に近いとの研究もある。また日本語の「ズーズー弁」(現在の東北方言の始祖)を話す和人とする説もある 。特に東北方言と出雲方言の類似性から、古代出雲系の民族のうち国譲り後も大和王権に従わなかった勢力が蝦夷となったとする見方もある。最近の研究、例えばBoerらの2020年の研究では、蝦夷は主に出雲方言に密接に関連した日本語を話していたと結論付けている。さらに、蝦夷による稲作の証拠と馬の使用は、古代の出雲日本人と蝦夷との間の結びつきを強化している。この理論によれば、蝦夷は大和日本人から追い出された出雲日本人であり、彼らは天皇の統治に対して同調することを受け入れなかった。 出雲弁とツングース諸語の類似 などから、蝦夷はもともと日本にいなかった馬を引き連れて大陸から来た北方新モンゴロイドの騎馬民族とする説もある。アムール地域の騎馬遊牧民、特にツングース諸族と蝦夷との間に顕著な類似性を指摘している歴史学者もいる。蝦夷の起源はツングース系住民であり、後に日本語を話す出雲系住民と同化したと提唱されている。 蝦夷を半遊牧の靺鞨と関連付ける説がある。また、本州の蝦夷と北海道の渡島蝦夷との間には区別があった。歴史的な証拠は、本州の蝦夷と渡島蝦夷との間の頻繁な戦闘を示している。渡島蝦夷は本州の蝦夷とプロトアイヌ語話者から成っていたと主張されている。蝦夷は主にツングース起源で、一部は同化した日本語群(出雲人)であったと結論付ける説がある。 以前アイヌ語であると考えられていた地名は、アムール地域のツングースの基層によってプロトアイヌ語に説明できるとされている。また、マタギ猟師は実際には蝦夷の子孫であり、特定の狩猟語彙はアイヌ語ではなくツングース語由来であるという説がある。菊池俊彦は、北本州と北海道の先住民族が形成した擦文文化とオホーツク文化と、ロシア極東のツングースと古アジア諸族との間には、特にアムール川流域や満州平原で多くの接触があったと主張している。 しかし、蝦夷ツングース説は空想の域を出ないという批判もある。。 中世以後の蝦夷(えぞ)は、アイヌを指すとの意見が主流である。鎌倉時代後期(13世紀から14世紀)頃には、現在アイヌと呼ばれる人々と同一とみられる「蝦夷」が存在していたことが文献史料上から確認される。アイヌの大部分が居住していた北海道は蝦夷が島、蝦夷地などと呼ばれ、欧米でも「Yezo」 の名で呼ばれた。「エゾ」の語源についてはアイヌ語で人を意味する「エンチュ (enchu, enchiu)」が東北方言式の発音により「Ezo」となったとする説がある。 アイヌ文化は、前代の擦文文化を継承しつつオホーツク文化(担い手はシベリア大陸系民族の一つであるニヴフといわれる)と融合し、本州の文化を摂取して生まれたと考えられている。その成立時期は上記「えぞ」の初見と近い鎌倉時代後半(13世紀)と見られており、また擦文文化とアイヌ文化の生活体系の最も大きな違いは、本州や大陸など道外からの移入品(特に鉄製品)の量的増大にあり、アイヌ文化は交易に大きく依存していたことから、アイヌ文化を生んだ契機に和人との交渉の増大があると考えられている。具体的には奥州藤原氏政権の盛衰との関係が指摘されている。 鎌倉時代後期(14世紀)には、「渡党」、「日の本」、「唐子」に分かれ、「日の本」と「唐子」は農耕をせず言葉も通じず、「渡党」は多毛だが姿は似ていて和人と言葉が通じ、本州との交易に従事したという文献(『諏訪大明神絵詞』)が残っている。また、鎌倉時代には陸奥国の豪族である安東氏が、幕府の執権北条氏より蝦夷管領(または蝦夷代官)に任ぜられ、これら3種の蝦夷を統括していたとする記録もある。 室町時代(15世紀から16世紀にかけて)、和人とアイヌの抗争の時代を生き抜き、和人勢力を糾合して渡島半島南部の領主に成長していった蠣崎氏は豊臣秀吉・徳川家康から蝦夷地の支配権、交易権を公認され、名実共に安東氏から独立し、江戸時代になると蠣崎氏は松前氏と改名して大名に列した。 蝦夷全体をクリル(ロシア語: курил)としているものもある。現在、ロシア連邦では千島列島や歯舞諸島や色丹島を指しているとされているが、また日本領土北海道を指す用語としてという説もあり、北海道全体や東北地方や関東などの北東日本をさす用語としても使用されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東国(現在の関東地方と東北地方)や、北方(現在の北海道や樺太)などに住む人々の呼称である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "大きく、「エミシ(蝦夷)」と「エゾ(蝦夷)」という2つの呼称に大別される。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "大和朝廷の支配に服した東国の蝦夷(エミシ)は、俘囚と呼ばれた。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "蝦夷は古くは愛瀰詩と書き(神武東征記)、次に毛人と表され、ともに「えみし」と読んだ。後に「えびす」とも呼ばれ、「えみし」からの転訛と言われる。「えぞ」が使われ始めたのは11世紀か12世紀である。", "title": "語源と用字" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "えみし、毛人・蝦夷の語源については、以下に紹介する様々な説が唱えられているものの、いずれも確たる証拠はないが、エミシ(愛瀰詩)の初見は神武東征記であり、神武天皇によって滅ぼされた畿内の先住勢力とされている。「蝦夷」表記の初出は、日本書紀の景行天皇条である。そこでは、武内宿禰が北陸及び東方諸国を視察して、「東の夷の中に、日高見国有り。その国の人、男女並に椎結け身を文(もどろ)けて、人となり勇みこわし。是をすべて蝦夷という。また土地沃壌えて広し、撃ちて取りつべし」と述べており、5世紀頃とされる景行期には、蝦夷が現在の東北地方だけではなく関東地方を含む広く東方にいたこと、蝦夷は「身を文けて」つまり、邪馬台国の人々と同じく、入れ墨(文身)をしていたことが分かっている。", "title": "語源と用字" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "古歌で「えみしを 一人 百な人 人は言へども 手向かいもせず」(えみしは一人で百人と人は言うが、我が軍には手向かいもしない) と歌われたこと、蘇我蝦夷、小野毛人、佐伯今毛人、鴨蝦夷のように大和朝廷側の貴族の名に使われたこと、平安時代後期には権威付けのために蝦夷との関連性を主張する豪族(安倍氏や清原氏)が登場していることから、「えみし」には強さや勇敢さという語感があったと推測されている。そこから、直接その意味で用いられた用例はないものの、本来の意味は「田舎の(辺境の)勇者」といったものではないかという推測もある。", "title": "語源と用字" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "他方でアイヌ語に語源があると考えた金田一京助は、アイヌ語の雅語に人を「エンチュ (enchu, enchiu)」というのが、日本語で「えみし」になったか、あるいはアイヌ語の古い形が「えみし」であったと説いた。", "title": "語源と用字" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "文献的に最古の例は毛人で、5世紀の倭王武から宋への上表文に「東に毛人を征すること五十五国。西に衆夷を服せしむこと六十六国」とある。蝦夷の字をあてたのは、斉明天皇5年(659年)の遣唐使派遣の頃ではないかと言われる。後代に人名に使う場合、ほとんど毛人の字を使った。蘇我蝦夷は『日本書紀』では蝦夷だが、『上宮聖徳法王帝説』では蘇我豊浦毛人と書かれている。毛人の毛が何を指しているかについても諸説あるが、一つは体毛が多いことをいったのだとして、後のアイヌとの関連性をみる説である。また、中国の地理書『山海経』に出てくる毛民国を意識して、中華の辺境を表すように字を選んだという説もある。", "title": "語源と用字" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "人名に使った場合であっても、佐伯今毛人が勤務評定で今蝦夷(正確には夷の字に虫偏がつく蛦)と書かれた例がある。蝦夷の蝦の字については、あごひげが長いのをエビに見たてて付けたのだとする説がある。夷の字を分解すると「弓人」、上代日本語で(ユミシ)になり、これが蝦夷の特徴なのだという説もある。", "title": "語源と用字" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "喜田貞吉は、意味ではなく音「かい」が蝦夷の自称民族名だったのではないかと説いた。アイヌ人はモンゴル人など中国東北部の民族からは「骨嵬(クギ、クイ)」、ロシア人からは「クリル」と呼ばれた。千島列島のロシア語名はクリル諸島である。斉明天皇5年の遣使の際に、聞き取った唐人が蝦夷の字をあて、それを日本が踏襲したという。秋田藩の藩士であった人見蕉雨によって1798年(寛政10年)頃に著された黒甜瑣語には、蝦夷(夷は大と弓の上下の合字になっている)のルビを「かい」としている。そこでは「ダケカンバと思える植物をタッチラと唱える」という記述からも、これがアイヌの事を指している事がわかる。明治政府は開拓使の設置に伴い蝦夷地の名称の変更を検討。1869年(明治2年)蝦夷地探査やアイヌとの交流を続けていた松浦武四郎は政府に建白書を提出し、「日高見道」「北加伊道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6案を提示した。明治政府は「北加伊道」を基本とし「加伊」を「海」に改めた「北海道」とすることを決定。明治2年8月15日太政官布告により「蝦夷地自今北海道ト被稱 十一ヶ国ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出候事」と周知された。松浦は建白書において「北加伊道」案はアイヌが自らを「カイ」と呼んでいることから考案したと説明している。青森県の伝承を集めた中道等の『奥隅奇譚』では「蝦夷崎」のルビを「かいざき」としている。", "title": "語源と用字" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "金田一京助は喜田らの説を批判し、「えび」の古い日本語「えみ」が「えみし」に通じるとして付けたとする説を唱えた。", "title": "語源と用字" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "諸説ある中で唯一定まっているのは、「夷」が東の異民族(東夷)を指す字で、中華思想を日本中心にあてはめたものだということである。「夷」単独なら『古事記』などにも普通にあるが、その場合古訓で「ひな」と読む。多くの学者は用字の変化を異族への蔑視の表れとし、蘇我毛人を蘇我蝦夷としたのも『日本書紀』編者が彼を卑しめたものとする。だが、佐伯今毛人や小野毛人の例を引いてこれに反対する意見もある。", "title": "語源と用字" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "用字については、『日本書紀』では蝦夷の夷の字に虫偏をつけた箇所も散見される。蝦夷の字の使用とほぼ同じ頃から、北の異民族を現す「狄」の字も使われた。「蝦狄」と書いて「えみし」と読んだらしい。毛人と結合して「毛狄」と書かれた例もある。一字で「夷」と「狄」を使い分けることもよくあった。これは管轄する国(令制国)による人工的区分で、越後国(後に出羽国)所轄の日本海側と北海道のえみしを蝦狄・狄、陸奥国所轄の太平洋側のえみしを蝦夷・夷としたのである。", "title": "語源と用字" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "古代の蝦夷(えみし)は、本州東部とそれ以北に居住し、政治的・文化的に、大和朝廷やその支配下に入った地域への帰属や同化を拒否していた集団を指した。統一した政治勢力をなさず、積極的に朝廷に接近する集団や敵対した集団が記録に残っている。しかし、次第に影響力を増大させていく大和朝廷により、征服・吸収されていった。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "「えみし」は朝廷側からの他称であり、蝦夷側の民族集団としての自覚の有無に触れた史料はない。蝦夷に統一なアイデンティティーは無かったと解するか、朝廷側との交渉の中で民族意識が形成されたであろうと想定するかは、研究者の間で意見が分かれている。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "蝦夷「えみし」についての形式上最も古い言及は『日本書紀』神武東征紀中に詠まれている来目歌の一つに愛濔詩として登場する。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "しかし、この来目歌がどの程度史実を反映するものかどうかは判然とせず、またここで登場する「えみし」が後の「蝦夷」を意味するかどうかも判然としないため、古い時代の蝦夷の民族的性格や居住範囲については諸説があり確かなことはわかっていない。概ね関東地方から東北地方、北海道にかけて、広く日本列島の東方に住んでいたと考えられている。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "東北地方北部へも水田・稲作が一時的に伝わったが放棄され、狩猟・採集文化が伝統として続いた。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "5世紀の中国の歴史書『宋書』倭国伝に、478年(順帝昇明2年)倭王武が宋 (南朝)に届けた上表文として以下の記述がある。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "「昔より祖彌(そでい)躬(みずか)ら甲冑(かっちゅう)を環(つらぬ)き、山川(さんせん)を跋渉(ばっしょう)し、寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国。」", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "これにより既にこの時代には蝦夷の存在とその支配が進んでいた様子を確認することが出来る。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "『日本書紀』景行天皇条には、武内宿禰が北陸及び東方諸国を視察した際の記述とし「東の夷(あずまえびす)の中に、日高見国有り。その国の人、男女並に椎結け身を文けて、人となり勇みこわし。是をすべて蝦夷という」とあり、荒々しく勇猛な者、情を理解せず教養や文化に欠ける者としている。40年条には、天皇が日本武尊に東夷の征討を命じる際、蝦夷の特徴として「冬は穴居、夏は樹上家屋の生活」「山に登るときは飛ぶ鳥のように速く、草原を走るときは逃げる獣のように速い」「束ねた髪の中に矢を隠し、刀は衣の中に隠し持つ」「攻撃すると草原に隠れてしまい、追いかけると山中に逃げてしまう」と記述がある。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "蝦夷は、その優れた弓術(和人の伝統の長弓に比べると短弓を用いた)に、古墳時代に日本へもたらされた馬を和人から取り入れ組合せ、飛鳥時代・奈良時代には騎射の技を磨き狩猟に用いた。また騎乗武器(蕨手刀を和人から取り入れた)を改良・発達させた。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "古墳の分布は和人文化の範囲を示し、蝦夷との境界が北限となる。これまでの発掘調査により、古墳時代前期における最古級の前方後円墳の北限は、現在の新潟県・越後平野中部、福島県・会津盆地、宮城県・仙台平野であったと考えられている。同時代の終末期までに北限は、日本海側沿岸ではほとんど北進せずむしろ中越地方に後退するが、日本海側内陸では山形県・村山地方中部まで、太平洋側では岩手県・北上盆地南部まで北進した。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "飛鳥時代(7世紀)頃には、蝦夷は現在の宮城県中部から山形県以北の東北地方と、北海道の大部分に及ぶ広範囲に住んでいた。平時には和人と交易を行い、昆布・馬・毛皮・羽根などの特産物と引き換えに、米・布・鉄器・工芸品を得ていた。大和政権が支配領域を北に拡大するにつれて、しばしば防衛のために戦い、反乱を起こし、また和人の築いた城柵を襲撃したため、日本書紀には襲撃や討伐の記録が記録されている。大和に帰順した蝦夷の集団は俘囚と呼ばれ、関東地方へ移住させられたり、西日本で兵隊集団を勤めるなどした。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "蝦夷と接する地域(陸奥国・出羽国・越後国)では、国内の行政・司法・軍事を管掌する国司の守と介が饗給(慰撫)、征討、斥候などの外交・軍事も担当していた。特に陸奥国は面積が広く軍事的衝突が頻繁におきるため、陸奥国司には大宝律令が定める特例が多く、自らの判断で征討に出ることも許されていた。なお同じ辺境でも西国の国司は、征討のかわりに防守、饗給ではなく蕃客(外国使節の接待)と帰化が任務であった(鎮西府)。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "当初は大和側では秋田城などの城柵で儀礼的な会食(饗応)や物資の提供を行い服属を促していたが、蝦夷には中央政権が無いため恭順する集団と支配に抵抗し襲撃を行う集団が混在し、長期間にわたり交易と征伐が並行して行われる事態となった。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "『日本書紀』斉明天皇元年(655年)7月11日条には、難波朝(難波京の朝廷)で北蝦夷99人と東蝦夷95人を饗応したとある。そこでは「北」と「東」にそれぞれ「北越」「東陸奥」と注があり、北は越の方面、東は陸奥の方面と解せる。このうち越国は陸奥国の西に位置するが、越(高志)は都からみて北に位置するので北蝦夷としている。これらの語は当時の蝦夷が二大集団に分かれていたという意ではなく、応対する国(令制国)の管轄によって朝廷が用いた分類であると考えられている。この区別は後に出羽国と陸奥国の管轄になって平安時代まで踏襲されたが、字は北の異民族を指す「狄」に変わり「蝦狄」とも書かれるようになった。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "『日本書紀』斉明天皇4年(658年)4月には阿倍比羅夫が水軍180隻を率いて蝦夷を討伐している。また日付は不明であるが同年には渡島に渡り粛慎の討伐とヒグマの献上を受けた記録がある。この渡島(渡嶋)とは外が浜(陸奥湾沿岸の一部)から海を渡った先にある島(北海道)と推定される。粛慎と呼ばれる集団の詳細は不明であり本州以外に住んでいる蝦夷の別称という説もあるが、後には蝦夷と粛慎が別の集団であるかのような記述も登場する。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "『日本書紀』斉明天皇5年(659年)には朝廷に従った蝦夷が遣唐使に同行し唐の高宗に紹介されている。ここで引用された『伊吉連博徳書』によると、熟蝦夷(にきえみし、にぎえみし。おとなしい蝦夷)が最も近く、麁蝦夷(あらえみし。荒々しい蝦夷)がそれより遠く、最遠方に都加留(つかる、つがる。津軽)がおり、連れてきたのは毎年入貢している熟蝦夷であること、蝦夷は肉食で五穀を食べず、家を建てずに樹の下に住んでいるなどを説明したところ、高宗は珍しく思ったと感想を述べたとしている。しかしこのような生活は他の史料にある記述や現在の考古学的知見とも矛盾し、蝦夷を野蛮人と誇張しこれを従える大和の力を誇示するための創作と思われる。信憑性に欠けるこの説明から推測されるのは、稲作を行わず狩猟を中心とした食生活、北に行くほど恭順しない勢力が強く、都加留が固有名をあげられるほどの有力集団として存在したことである。続けて引用された『難波吉士男人書』では遣唐使の蝦夷の頭上に瓢を乗せ、40歩離れた位置から別の蝦夷が射るという実演をしたところ、百発百中で瓢を射貫いたという記述があり、弓術に優れていたことがうかがえる。また齶田(あきた、あぎた。秋田)蝦夷の長であった恩荷は阿倍比羅夫に降伏した際、弓矢は武器ではなく狩猟の道具だと証言している。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "『日本書紀』斉明天皇6年3月には、阿倍臣が粛慎を討伐する際、陸奥の蝦夷を自分の船に乗せて河を越え渡島に渡ったが、到着後に渡島に住む蝦夷から粛慎の水軍が多数襲来するので、河を渡って朝廷に仕えたいと申し出る記述があり、この時代には熟蝦夷の一部が朝廷軍として働いていたと見られている。また13世紀半ばから14世紀初頭にかけてモンゴル帝国は樺太のアイヌを攻撃しているが関連は不明である。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "蝦夷は、産馬、産金の地である陸奥で経済力および戦闘力を付けていったのに対し、朝廷は産出物に依存する形となるなど、次第にその王権外の存在が問題視され、完全に大和化する政策に次第に舵が切られていった(蝦夷征討)。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "『扶桑略記』養老2年(718年)8月14日、出羽と渡嶋の蝦夷が78人が馬1000頭を献納したので位と録を授けた記録がある。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "光仁天皇以降、蝦夷征討政策が本格化した。蝦夷も組織的に朝廷軍と戦うようになっていった。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "宝亀11年(780年)には多賀城を一時陥落させた宝亀の乱の伊治呰麻呂、延暦8年(789年)に巣伏の戦いで遠征軍を壊滅させた阿弖流為(アテルイ)らの名がその指導者として伝わる。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "延暦6年(787年)の記録に「蝦夷に横流しされた綿で敵が綿冑を作っている」という記述 があり、不正な交易が行われていたことがうかがえる。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "延暦20年(801年)には征夷大将軍坂上田村麻呂が遠征し勝利した。延暦21年(802年)に胆沢城を築き、その周辺の蝦夷との戦いは記録に残っている中でも最大である。延暦22年(803年)には志波城を築城し、蝦夷征討の目的がほぼ達成されたと見なされた。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "その後、朝廷は蝦夷に対する積極的な征服政策を転じ、民衆の負担を減らすことととし、朝廷の支配領域の拡大は現在の岩手県と秋田県のそれぞれ中部付近を北限として停止する。延暦24年(805年)、藤原緒嗣から蝦夷征討と平安京の造営の一時中止を奏上され、桓武天皇は蝦夷への遠征を中止した。また軍団を廃止し健児制へと移行したが、陸奥・出羽のみ蝦夷対策として軍団が維持された。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "その後は、現地の朝廷官僚や、大和に帰順した俘囚の長たちが蝦夷の部族紛争に関与することなどにより、徐々に大和化が進行していったものと思われる。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "その後、前九年の役、後三年の役などが勃発し、平安後期の東北北部は戦乱の時代であったが、当事者のうち安倍氏や清原氏は俘囚の長を自称し蝦夷との系譜的関連性を主張しているが、他方、源氏は蝦夷の系譜とは関係なく東北に乗り込んでいる。平安末期になると、蝦夷との血縁的・系譜的関係を主張する奥州藤原氏の支配が東北北端まで及ぶことになる。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "藤原氏3代は中尊寺金色堂でミイラになっている。「東夷之遠酋」や「俘囚之上頭」を自称する藤原氏のミイラの調査は注目された。調査の結果、このミイラには指紋には渦紋が多く頭は丸顔で歯のかみ合わせも日本人的であり、藤原氏の骨格は日本人の骨格であるとされた。また、ミイラには内臓や脳漿は全く無く、腹部は湾曲状に切られ後頭部に穴が開いていた。ただ、裂け目にネズミの歯形が付いており、長谷部言人はミイラは自然発生したと主張し藤原3代は日本人であったとした。それに対し、古畑種基はミイラの人工加工説を主張した。木棺3個とも後頭部と肛門にあたる板に穴が開けられていたが、切り口は綺麗で汚物が流出した跡は無く、また男性生殖器は切断されており、加工の跡は歴然だとした。これは極めてアイヌ的な慣行で、樺太アイヌは偉大な酋長が死ぬと近親者は遺体の脳漿と内臓を除去し、何度か塩水を付けて天日で乾かしウフイ(ミイラ)を作る。森嘉兵衛は、和人との何代かにわたる婚姻で骨格は日本人化していたが、精神や葬祭の慣行はアイヌ的なものが変わらず残っていたのではないかとしている。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "奥州藤原氏が源頼朝率いる関東地方の鎌倉政権によって滅ぼされると、幕府は東北地方各地に東国武士を派遣し、ここに蝦夷の系譜ではなく、朝廷の系譜による鎌倉幕府(関東政権)による支配がはじめて東北北端にまで及び、大和化が成ったことになる。相前後して蝦夷、俘囚などと言った民族的諸概念は文献から姿を消し、次項に述べる「エゾ」に置き換わる。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "東北地方の蝦夷(えみし)の民族系統については、後のアイヌとの関係を中心に、江戸時代から二種類の学説に分かれている。蝦夷をアイヌ人とする蝦夷アイヌ説と、蝦夷を和人の一部とする蝦夷辺民説である。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "日本列島の縄文人が朝鮮半島からの渡来人との混血が進み、北九州から始まり本州全域まで及んだ弥生文化を生んだのが、弥生人・和人だが、縄文人・縄文文化は、その後も日本列島に残った。弥生人・和人との混血の度合いも、北海道を除く日本列島内では地理的に連続的だった。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "弥生人は弥生時代に東北地方北部へ達したが、古墳時代の寒冷化に伴い南へ退き、そこへ、北海道の道央や道南地方を中心に栄えていた続縄文文化の担い手(のちのアイヌ民族)が東北地方北部を南下して仙台平野付近にまで達し、西南日本から北上して来た古墳文化の担い手(和人)と接触・交流を行なったことが、考古学的に明らかとなっている。なお、東北地方に到来した続縄文文化の担い手は、その後再び北海道へ退いたが、東北地方の和人との接触・交流自体は続いた。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "蝦夷アイヌ説では、続縄文文化の担い手が東北地方に残り蝦夷(えみし)となったと考えられている。この理論は、考古学からする文化圏の検討と、北東北にアイヌ語で説明できる地名が集中していることから、少なくとも飛鳥時代(7世紀)以降の蝦夷について、アイヌとの連続性を認める説が有力である。 蝦夷と日本の他の民族群との正確な民族関係については多くの学説が存在するが、そのうちの一つは蝦夷がアイヌ民族と関連しているとするものである。しかし、この理論は議論の的となっている。なぜなら、多くの蝦夷の部族は優れた騎馬弓兵や戦士として知られている一方で、アイヌもまた弓兵として知られているものの、彼らは馬を使用せず、戦闘スタイルは明らかに異なっていたためである。また、文化的な面でも彼らは異なっていた。 中央政府側に通訳がついていたことから蝦夷の言語が日本語と相当異なっていたことが分かり、前述の通りアイヌ語系の地名が東北北部に数多く残っていることから、アイヌ語系統の言葉を話していたと推定される。 縄文人は歴史的変遷の中で蝦夷とアイヌの両方の祖先と考えられており、蝦夷(えみし)と蝦夷(えぞ)の名前は同じ漢字で表される。すでに、'蝦夷'の名前が中世初期に津軽半島の人々を指すために使われ、北海道の縄文人が直接アイヌの祖先であったことが知られているため、この理論によれば、これは論理的な進行である。北本州の恵山文化はこの人々と関連しており、後に北海道の現代アイヌ民族を形成する上で重要な役割を果たした擦文文化に発展した。蝦夷は馬に乗り、鉄を扱う人々であった(アイヌとは異なり)。農業(キビと米)の証拠がある一方で、彼らは主に馬に乗り、狩り、漁業、交易を行っていた。 最近の研究では、アイヌ語を話す人々が地元の日本語を話す人々と連携してヤマト王権の拡大に抵抗したことを示唆している。マタギは、これらのアイヌ語話者の子孫であり、彼らは地元の日本語話者に地理や彼らが狩猟した森や水の動物に関連した地名と借用語を提供したとされている。 縄文文化の人々の骨格特徴の研究は、先住民族の間に非均質性を示し、複数の起源と多様な民族群を示唆している。2014年の人類学的・遺伝学的研究では、「この点で、縄文時代の人々の生物学的なアイデンティティは非均質であり、それは多様な人々が存在し、それらはおそらく共通の文化、縄文文化に所属していたことを示している」と結論付けている。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "これに対し蝦夷辺民説では、上記の西南日本から北上して来て接触・交流を行なった古墳文化の担い手(和人)が東北地方に住み蝦夷(えみし)となったと考える。遺伝子特徴の研究では、蝦夷は、アイヌよりも和人(特に出雲地方の古代人)に近いとの研究もある。また日本語の「ズーズー弁」(現在の東北方言の始祖)を話す和人とする説もある 。特に東北方言と出雲方言の類似性から、古代出雲系の民族のうち国譲り後も大和王権に従わなかった勢力が蝦夷となったとする見方もある。最近の研究、例えばBoerらの2020年の研究では、蝦夷は主に出雲方言に密接に関連した日本語を話していたと結論付けている。さらに、蝦夷による稲作の証拠と馬の使用は、古代の出雲日本人と蝦夷との間の結びつきを強化している。この理論によれば、蝦夷は大和日本人から追い出された出雲日本人であり、彼らは天皇の統治に対して同調することを受け入れなかった。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "出雲弁とツングース諸語の類似 などから、蝦夷はもともと日本にいなかった馬を引き連れて大陸から来た北方新モンゴロイドの騎馬民族とする説もある。アムール地域の騎馬遊牧民、特にツングース諸族と蝦夷との間に顕著な類似性を指摘している歴史学者もいる。蝦夷の起源はツングース系住民であり、後に日本語を話す出雲系住民と同化したと提唱されている。 蝦夷を半遊牧の靺鞨と関連付ける説がある。また、本州の蝦夷と北海道の渡島蝦夷との間には区別があった。歴史的な証拠は、本州の蝦夷と渡島蝦夷との間の頻繁な戦闘を示している。渡島蝦夷は本州の蝦夷とプロトアイヌ語話者から成っていたと主張されている。蝦夷は主にツングース起源で、一部は同化した日本語群(出雲人)であったと結論付ける説がある。 以前アイヌ語であると考えられていた地名は、アムール地域のツングースの基層によってプロトアイヌ語に説明できるとされている。また、マタギ猟師は実際には蝦夷の子孫であり、特定の狩猟語彙はアイヌ語ではなくツングース語由来であるという説がある。菊池俊彦は、北本州と北海道の先住民族が形成した擦文文化とオホーツク文化と、ロシア極東のツングースと古アジア諸族との間には、特にアムール川流域や満州平原で多くの接触があったと主張している。 しかし、蝦夷ツングース説は空想の域を出ないという批判もある。。", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "", "title": "蝦夷(えみし)" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "中世以後の蝦夷(えぞ)は、アイヌを指すとの意見が主流である。鎌倉時代後期(13世紀から14世紀)頃には、現在アイヌと呼ばれる人々と同一とみられる「蝦夷」が存在していたことが文献史料上から確認される。アイヌの大部分が居住していた北海道は蝦夷が島、蝦夷地などと呼ばれ、欧米でも「Yezo」 の名で呼ばれた。「エゾ」の語源についてはアイヌ語で人を意味する「エンチュ (enchu, enchiu)」が東北方言式の発音により「Ezo」となったとする説がある。", "title": "えぞ" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "アイヌ文化は、前代の擦文文化を継承しつつオホーツク文化(担い手はシベリア大陸系民族の一つであるニヴフといわれる)と融合し、本州の文化を摂取して生まれたと考えられている。その成立時期は上記「えぞ」の初見と近い鎌倉時代後半(13世紀)と見られており、また擦文文化とアイヌ文化の生活体系の最も大きな違いは、本州や大陸など道外からの移入品(特に鉄製品)の量的増大にあり、アイヌ文化は交易に大きく依存していたことから、アイヌ文化を生んだ契機に和人との交渉の増大があると考えられている。具体的には奥州藤原氏政権の盛衰との関係が指摘されている。", "title": "えぞ" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "鎌倉時代後期(14世紀)には、「渡党」、「日の本」、「唐子」に分かれ、「日の本」と「唐子」は農耕をせず言葉も通じず、「渡党」は多毛だが姿は似ていて和人と言葉が通じ、本州との交易に従事したという文献(『諏訪大明神絵詞』)が残っている。また、鎌倉時代には陸奥国の豪族である安東氏が、幕府の執権北条氏より蝦夷管領(または蝦夷代官)に任ぜられ、これら3種の蝦夷を統括していたとする記録もある。", "title": "えぞ" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "室町時代(15世紀から16世紀にかけて)、和人とアイヌの抗争の時代を生き抜き、和人勢力を糾合して渡島半島南部の領主に成長していった蠣崎氏は豊臣秀吉・徳川家康から蝦夷地の支配権、交易権を公認され、名実共に安東氏から独立し、江戸時代になると蠣崎氏は松前氏と改名して大名に列した。", "title": "えぞ" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "蝦夷全体をクリル(ロシア語: курил)としているものもある。現在、ロシア連邦では千島列島や歯舞諸島や色丹島を指しているとされているが、また日本領土北海道を指す用語としてという説もあり、北海道全体や東北地方や関東などの北東日本をさす用語としても使用されている。", "title": "クリル" } ]
蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東国(現在の関東地方と東北地方)や、北方(現在の北海道や樺太)などに住む人々の呼称である。 大きく、「エミシ(蝦夷)」と「エゾ(蝦夷)」という2つの呼称に大別される。 大和朝廷の支配に服した東国の蝦夷(エミシ)は、俘囚と呼ばれた。
{{Otheruses|集団としての蝦夷}} [[File:Monument to Aterui and More2.jpg|thumb|right|[[アテルイ]]、モレの顕彰碑<br>([[京都市]][[清水寺]])]] '''蝦夷'''(えみし、えびす、えぞ)は、[[ヤマト王権|大和朝廷]]から続く歴代の中央政権から見て、[[日本列島]]の[[東国]](現在の[[関東地方]]と[[東北地方]])や、北方(現在の[[北海道]]や[[樺太]])などに住む人々の呼称である<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kyoiku/e-kyodokan/files/2010-0604-1449.pdf|title=「エミシ」と「エゾ」|accessdate=2021/04/05|publisher=青森県立郷土館}}</ref>。 大きく、「エミシ(蝦夷)」と「エゾ(蝦夷)」という2つの呼称に大別される。 大和朝廷の支配に服した東国の蝦夷(エミシ)は、[[俘囚]]と呼ばれた。 == 語源と用字 == 蝦夷は古くは'''愛瀰詩'''と書き([[神武東征|神武東征記]])、次に'''毛人'''と表され、ともに「えみし」と読んだ。後に「えびす」とも呼ばれ、「えみし」からの転訛と言われる{{Sfn|高橋|1974|p=33}}。「えぞ」が使われ始めたのは11世紀か12世紀である{{sfnm|高橋|1986|1pp=25-26|工藤|2001|2p=26}}。 えみし、毛人・蝦夷の語源については、以下に紹介する様々な説が唱えられているものの、いずれも確たる証拠はないが、エミシ(愛瀰詩)の初見は神武東征記であり、[[神武天皇]]によって滅ぼされた畿内の先住勢力とされている。「蝦夷」表記の初出は、[[日本書紀]]の[[景行天皇]]条である。そこでは、[[武内宿禰]]が北陸及び東方諸国を視察して、「[[東夷|東の夷]]の中に、[[日高見国]]有り。その国の人、男女並に椎結け身を文(もどろ)けて、人となり勇みこわし。是をすべて蝦夷という。また土地沃壌えて広し、撃ちて取りつべし」と述べており、5世紀頃とされる景行期には、蝦夷が現在の東北地方だけではなく関東地方を含む広く東方にいたこと、蝦夷は「身を文けて」つまり、[[邪馬台国]]の人々と同じく、[[入れ墨]](文身)をしていたことが分かっている。 古歌で「えみしを 一人 百な人 人は言へども 手向かいもせず」(えみしは一人で百人と人は言うが、我が軍には手向かいもしない)<ref>『日本書紀』神武天皇即位前紀。</ref> と歌われたこと、[[蘇我蝦夷]]、[[小野毛人]]、[[佐伯今毛人]]、[[鴨蝦夷]]のように大和朝廷側の貴族の名に使われたこと、[[平安時代#平安後期|平安時代後期]]には権威付けのために蝦夷との関連性を主張する[[豪族]]([[安倍氏 (奥州)|安倍氏]]や[[出羽清原氏|清原氏]])が登場していることから、「えみし」には強さや勇敢さという語感があったと推測されている{{Sfnm|高橋|1974|1p=23|高橋|1969|2p=49|工藤|2001|3p=33}}。そこから、直接その意味で用いられた用例はないものの、本来の意味は「田舎の(辺境の)[[勇者]]」といったものではないかという推測もある{{Sfnm|高橋|1974|1p=23|高橋|1969|2pp=49-50}}。 他方で[[アイヌ語]]に語源があると考えた[[金田一京助]]は、アイヌ語の雅語に人を「エンチュ (enchu, enchiu)」というのが、日本語で「えみし」になったか、あるいはアイヌ語の古い形が「えみし」であったと説いた{{Sfn|金田一|2004|pp=64-65, 110-116, 126}}。 文献的に最古の例は毛人で、5世紀の[[倭王武]]から[[宋 (南朝)|宋]]への上表文に「東に毛人を征すること五十五国。西に衆夷を服せしむこと六十六国」とある。蝦夷の字をあてたのは、[[斉明天皇]]5年([[659年]])の[[遣唐使]]派遣の頃ではないかと言われる{{Sfnm|高橋|1974|1pp=27-28|高橋|1969|2pp=52-53}}。後代に人名に使う場合、ほとんど毛人の字を使った。[[蘇我蝦夷]]は『[[日本書紀]]』では蝦夷だが、『[[上宮聖徳法王帝説]]』では蘇我豊浦毛人と書かれている。毛人の毛が何を指しているかについても諸説あるが、一つは体毛が多いことをいったのだとして、後の[[アイヌ]]との関連性をみる説である。また、中国の地理書『[[山海経]]』に出てくる毛民国を意識して、中華の辺境を表すように字を選んだという説もある<ref>『山海経』第9海外東経(平凡社ライブラリー 132-133頁)。{{Full citation needed |date=2019-06-03 |title=刊行年、訳者など不明。}}</ref>{{Sfn|工藤|2001|pp=46-47}}。 人名に使った場合であっても、[[佐伯今毛人]]が勤務評定で今蝦夷(正確には夷の字に虫偏がつく'''蛦''')と書かれた例がある{{Sfn|高橋|1986|p=16}}。蝦夷の蝦の字については、あごひげが長いのをエビに見たてて付けたのだとする説がある{{Sfn|高橋|1974|pp=32-33}}。夷の字を分解すると「弓人」、上代日本語で(ユミシ)になり、これが蝦夷の特徴なのだという説もある{{Sfnm|高橋|1974|1pp=32-33|高橋|1969|2p=50}}。 [[喜田貞吉]]は、意味ではなく音「かい」が蝦夷の自称民族名だった<ref>松浦武四郎『天塩日記』</ref>のではないかと説いた。アイヌ人はモンゴル人など中国東北部の民族からは「骨嵬(クギ、クイ)」、ロシア人からは「[[千島アイヌ|クリル]]」と呼ばれた。[[千島列島]]のロシア語名はクリル諸島である。斉明天皇5年の遣使の際に、聞き取った唐人が蝦夷の字をあて、それを日本が踏襲したという{{efn2|高橋崇は蝦夷の自称とは言わないが、中国側が呼んだものとしてこの説に傾く{{sfn|高橋|1986|pp=20-21}}。}}。[[秋田藩]]の藩士であった[[人見蕉雨]]によって[[1798年]](寛政10年)頃に著された黒甜瑣語には、蝦夷(夷は大と弓の上下の合字になっている)のルビを「かい」としている。そこでは「[[ダケカンバ]]と思える植物をタッチラと唱える」という記述からも、これがアイヌの事を指している事がわかる<ref>人見蕉雨『[{{NDLDC|898467/15}} 黒甜瑣語. 第3編]』、人見寛吉、明治29年</ref>。明治政府は[[開拓使]]の設置に伴い蝦夷地の名称の変更を検討。[[1869年]](明治2年)蝦夷地探査やアイヌとの交流を続けていた[[松浦武四郎]]は政府に建白書を提出し、「日高見道」「北加伊道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6案を提示した<ref name="faq02">{{Cite web|和書|url=http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/mnj/d/faq/faq02.htm|title=北海道の名前について|publisher=北海道立文書館|accessdate=2020-01-20}}</ref>。明治政府は「北加伊道」を基本とし「加伊」を「海」に改めた「'''北海道'''」とすることを決定<ref name="faq02" />。明治2年8月15日太政官布告により「蝦夷地自今北海道ト被稱 十一ヶ国ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出候事」と周知された<ref name="faq02" />。松浦は建白書において「北加伊道」案はアイヌが自らを「カイ」と呼んでいることから考案したと説明している<ref name="faq02" />。[[青森県]]の伝承を集めた[[中道等]]の『奥隅奇譚』では「蝦夷崎」のルビを「かいざき」としている<ref>中道等『[{{NDLDC|1464158/11}} 奥隅奇譚]』、郷土研究社、昭和4年、p.3</ref>。 金田一京助は喜田らの説を批判し、「えび」の古い日本語「えみ」が「えみし」に通じるとして付けたとする説を唱えた{{Sfn|金田一|2004|pp=116, 127}}{{efn2|工藤雅樹もこれを支持する{{Sfn|工藤|2001|pp=117-118}}。}}。 諸説ある中で唯一定まっているのは、「夷」が東の異民族([[東夷]])を指す字で、[[中華思想]]を日本中心にあてはめたものだということである。「夷」単独なら『古事記』などにも普通にあるが、その場合古訓で「ひな」と読む。多くの学者は用字の変化を異族への蔑視の表れとし、蘇我毛人を蘇我蝦夷としたのも『日本書紀』編者が彼を卑しめたものとする{{Sfn|高橋|1969|p=53}}。だが、佐伯今毛人や[[小野毛人]]の例を引いてこれに反対する意見もある{{Sfn|高橋|1986|pp=22-24}}。 用字については、『日本書紀』では蝦夷の夷の字に[[むしへん|虫偏]]をつけた箇所も散見される{{Sfn|高橋|1986|ps=(81例中14)|pp=12-13}}。蝦夷の字の使用とほぼ同じ頃から、北の異民族を現す「狄」の字も使われた。「'''蝦狄'''」と書いて「えみし」と読んだらしい。毛人と結合して「毛狄」と書かれた例もある<ref>『日本後紀』延暦16年2月己巳(13日)条。</ref>。一字で「夷」と「狄」を使い分けることもよくあった。これは管轄する国([[令制国]])による人工的区分で、[[越後国]](後に[[出羽国]])所轄の日本海側と北海道のえみしを'''<u>蝦狄・狄</u>'''、[[陸奥国]]所轄の太平洋側のえみしを'''<u>蝦夷・夷</u>'''としたのである{{sfn|熊田|1986|pp=162-165}}。 == 蝦夷(えみし) == 古代の蝦夷(えみし)は、本州東部とそれ以北に居住し、政治的・文化的に、大和朝廷やその支配下に入った地域への帰属や同化を拒否していた集団を指した<ref name=":0" />。統一した政治勢力をなさず、積極的に朝廷に接近する集団や敵対した集団が記録に残っている。しかし、次第に影響力を増大させていく大和朝廷により、征服・吸収されていった。 「えみし」は朝廷側からの他称であり、蝦夷側の民族集団としての自覚の有無に触れた史料はない。蝦夷に統一な[[自己同一性|アイデンティティー]]は無かったと解するか、朝廷側との交渉の中で民族意識が形成されたであろうと想定するかは、研究者の間で意見が分かれている。 === 歴史 === ==== 弥生時代 ==== 蝦夷「えみし」についての形式上最も古い言及は『[[日本書紀]]』[[神武東征]]紀中に詠まれている[[久米歌|来目歌]]の一つに'''愛濔詩'''として登場する。 : '' '''えみし'''を ひたりももなひと ひとはいへども たむかひもせず'' : ''(訳:''えみし''を、1人で100人に当たる強い兵だと、人はいうけれど、抵抗もせず負けてしまった)'' :: 「愛瀰詩烏 <span style="text-decoration:underline;">毗</span><span style="text-decoration:underline;">儾</span>利 毛々那比苔 比苔破易陪廼毛 多牟伽<span style="text-decoration:underline;">毗</span>毛勢儒」<ref group="注">下線部「「<span style="text-decoration:underline;">毗</span>」は[[田部 (部首)|田へん]]に「比」の一文字、「<span style="text-decoration:underline;">儾</span>」は「{{lang|zh|亻}}」([[人部|にんべん]])に「嚢」の一文字。</ref> しかし、この来目歌がどの程度史実を反映するものかどうかは判然とせず、またここで登場する「'''えみし'''」が後の「'''蝦夷'''」を意味するかどうかも判然としないため、古い時代の蝦夷の民族的性格や居住範囲については諸説があり確かなことはわかっていない。概ね[[関東地方]]から[[東北地方]]、[[北海道]]にかけて、広く日本列島の東方に住んでいたと考えられている。 [[東北地方]]北部へも水田・稲作が一時的に伝わったが放棄され、狩猟・採集文化が伝統として続いた。 ==== 古墳時代 ==== [[5世紀]]の中国の歴史書『[[宋書]]』倭国伝に、[[478年]]([[順帝 (南朝宋)|順帝]][[昇明]]2年)倭王武が[[宋 (南朝)]]に届けた上表文として以下の記述がある。 ''「昔より祖彌(そでい)躬(みずか)ら甲冑(かっちゅう)を環(つらぬ)き、山川(さんせん)を跋渉(ばっしょう)し、寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。'''東は毛人を征すること、五十五国。'''西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国。」'' : 「自昔祖禰躬環甲冑跋渉山川不遑寧處 東征毛人五十五國西服衆夷六十六國渡平海北九十五國」 これにより既にこの時代には蝦夷の存在とその支配が進んでいた様子を確認することが出来る。 『[[日本書紀]]』[[景行天皇]]条には、[[武内宿禰]]が北陸及び東方諸国を視察した際の記述とし「[[東夷|東の夷]](あずまえびす)の中に、[[日高見]]国有り。その国の人、男女並に椎結け身を文けて、人となり勇みこわし。是をすべて蝦夷という」とあり、荒々しく勇猛な者、情を理解せず教養や文化に欠ける者としている。40年条には、天皇が[[日本武尊]]に[[東夷]]の征討を命じる際、蝦夷の特徴として「冬は穴居、夏は樹上家屋の生活」「山に登るときは飛ぶ鳥のように速く、草原を走るときは逃げる獣のように速い」「束ねた髪の中に矢を隠し、刀は衣の中に隠し持つ」「攻撃すると草原に隠れてしまい、追いかけると山中に逃げてしまう」と記述がある。 蝦夷は、その優れた[[弓術]](和人の伝統の[[長弓]]に比べると[[短弓]]を用いた)に、古墳時代に日本へもたらされた[[ウマ|馬]]を和人から取り入れ組合せ、飛鳥時代・奈良時代には[[騎射]]の技を磨き狩猟に用いた<ref>蝦夷は、[[倭・高句麗戦争]]直後から日本へもたらされた[[ウマ|馬]]および[[騎射]]の技を、和人よりも高度に習得し磨いた。</ref>。また騎乗武器([[蕨手刀]]を和人から取り入れた)を改良・発達させた。 ===== 古墳の分布 ===== 古墳の分布は和人文化の範囲を示し、蝦夷との境界が北限となる。これまでの発掘調査により、[[古墳時代]]前期における最古級の[[前方後円墳]]の北限は、現在の[[新潟県]]・[[越後平野]]中部、[[福島県]]・[[会津盆地]]、[[宮城県]]・[[仙台平野]]であったと考えられている。同時代の終末期までに北限は、日本海側沿岸ではほとんど北進せずむしろ[[中越地方]]に後退するが、日本海側内陸では[[山形県]]・[[村山地方]]中部まで、太平洋側では[[岩手県]]・[[北上盆地]]南部まで北進した。 {|class="wikitable" |+[[前方後円墳]]の北限<ref>{{Cite web|和書|format=PDF |author=滝沢規朗 |url=http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Article/864/789/H25-1300kirokusyu-3t.pdf |title=概説2 新潟県の弥生時代後期~古墳時代前期 |publisher=[[新潟県]] |accessdate=2019-06-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書|format=PDF |url=http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Article/913/677/H25-1300kirokusyu-9k.pdf |title=概説3 新潟県の古墳時代中期~後期 |author=春日真実 |publisher=新潟県 |accessdate=2019-06-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書|format=PDF |url=http://www.lib.niigata-u.ac.jp/Zuroku/63-112.pdf|title=Ⅱ-2 考古学 |publisher=[[新潟大学]]附属図書館 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160306040511/http://www.lib.niigata-u.ac.jp/Zuroku/63-112.pdf |archivedate=2016-03-06 |accessdate=2019-06-02}}</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.city.niigata.lg.jp/kanko/rekishi/maibun/kuni_furutsuhachiman/seminar/sinpojiumu.files/kinenkouen2.pdf 記念講演2「東北からみた古津八幡山古墳」 菊地芳朗(福島大学)]}}{{リンク切れ|date=2019-06-02}}, {{Cite web|和書|url=http://www.city.niigata.lg.jp/kanko/rekishi/maibun/kuni_furutsuhachiman/seminar/sinpojiumu.html |title=シンポジウム「蒲原平野の王墓古津八幡山古墳を考える‐1600年の時を越えて‐」を開催しました |publisher=新潟市 |archiveurl=https://archive.is/QgmO3 |archivedate=2014-10-19 |accessdate=2019-06-02}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=藤澤敦 |title=小規模墳の消長に基づく古墳時代政治・社会構造の研究 |issue=平成15年度-平成17年度科学研究費補助金(基盤研究(C))研究成果報告書,課題番号:15520473 |date=2006-03 |url=https://hdl.handle.net/10097/39724 |accessdate=2021-10-01}}</ref> !rowspan="3"|<br /> !colspan="3"|日本海側 !rowspan="2"|太平洋側 |- ![[島嶼]] !沿岸 !内陸 |- ![[佐渡市|佐渡]] ![[新潟県]](佐渡除く) ![[山形県]]([[庄内地方|庄内]]除く)<br />[[福島県]][[会津]] ![[岩手県]]<br />[[宮城県]] |- !最北端 |align="center" rowspan="3" |なし |[[菖蒲塚古墳]]({{Coord|37|46|3.7|N|138|51|57.5|E|region:JP|name=菖蒲塚古墳(4世紀後半)}})<ref name="Ayamezuka">{{Cite web|和書|url=http://www.city.niigata.lg.jp/kanko/rekishi/maizobunka/shiseki/ayameduka.html |title=国指定史跡 菖蒲塚古墳 |publisher=新潟市 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170324103922/http://www.city.niigata.lg.jp/kanko/rekishi/maizobunka/shiseki/ayameduka.html |archivedate=2017-03-24 |accessdate=2019-06-02}}</ref> |[[坊主窪古墳群]]第1号墳<br />({{Coord|38|18|40.9|N|140|15|10.5|E|region:JP|name=坊主窪古墳群第1号墳(6世紀後半)}})<ref>{{Cite web|和書|format=PDF |url=http://www.town.yamanobe.yamagata.jp/yakuba/05_chiiki/pdf/200607.pdf |title=山辺 歴史散歩 第293話 |publisher=山辺町 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141025052631/http://www.town.yamanobe.yamagata.jp/yakuba/05_chiiki/pdf/200607.pdf |archivedate=2014-10-25 |accessdate=2019-06-02}}</ref> |[[角塚古墳]]({{Coord|39|8|29.2|N|141|5|37.4|E|region:JP|name=角塚古墳(5世紀後半)}})<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.bunka.pref.iwate.jp/archive/bp6 |title=胆沢のクニの始まり |website= いわての文化情報大事典 |publisher=岩手県 |accessdate=2019-06-02}}</ref> |- !最大 |菖蒲塚古墳({{Coord|37|46|3.7|N|138|51|57.5|E|region:JP|name=菖蒲塚古墳(全長:53m)}})<br />全長:53m<!--新潟県最大--><ref name="Ayamezuka"/> |[[亀ヶ森・鎮守森古墳|亀ヶ森古墳]]({{Coord|37|35|34.8|N|139|49|44.8|E|region:JP|name=亀ヶ森古墳(全長:127m)}})<br />全長:127m<!--福島県および山形県最大--><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2014/pdf/no04_03.pdf |format=PDF|title=福島県喜多方市 灰塚山古墳第3次発掘調査報告 |publisher=[[東北学院大学]] |accessdate=2019-06-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/river/enc/material/hearing/pdf/inf17_03.pdf |format=PDF|title= 最上川流域における古墳の出現と展開 |author=川崎利夫 |publisher=国土交通省東北整備局山形河川国道事務所 |accessdate=2019-06-02}}</ref> |[[雷神山古墳]]({{Coord|38|9|4.1|N|140|52|46.9|E|region:JP|name=雷神山古墳(全長:168m)}})<br />全長:168m<!--東北地方最大--><ref>{{Cite journal|和書|author=大塚初重 |title=東北日本における古墳文化の成立と展開:とくに福島・宮城・山形県を中心として |journal=駿台史学 |ISSN=05625955 |publisher=駿台史学会 |date=1986-03 |volume=67 |pages=90-118 |naid=120001442149 |url=https://hdl.handle.net/10291/6067}}</ref> |- !最古級 |[[稲場塚古墳]]({{Coord|37|41|14.8|N|138|50|31.4|E|region:JP|name=稲場塚古墳(前期)}}) |[[杵ガ森古墳]]({{Coord|37|33|58.8|N|139|48|35.1|E|region:JP|name=杵ガ森古墳(前期)}}) |[[かめ塚古墳]]({{Coord|38|7|17.6|N|140|52|9.9|E|region:JP|name=かめ塚古墳(前期)}}) |} {{座標一覧}} ==== 飛鳥時代 ==== [[飛鳥時代]]([[7世紀]])頃には、蝦夷は現在の[[宮城県]]中部から[[山形県]]以北の[[東北地方]]と、[[北海道 (地方公共団体)|北海道]]の大部分に及ぶ広範囲に住んでいた。平時には和人と交易を行い、[[コンブ|昆布]]・[[ウマ|馬]]・[[毛皮]]・羽根などの特産物と引き換えに、[[米]]・[[布]]・鉄器・工芸品を得ていた。大和政権が支配領域を北に拡大するにつれて、しばしば防衛のために戦い、反乱を起こし、また和人の築いた[[城柵]]を襲撃したため、[[日本書紀]]には襲撃や討伐の記録が記録されている。大和に帰順した蝦夷の集団は[[俘囚]]と呼ばれ、関東地方へ移住させられたり、西日本で兵隊集団を勤めるなどした。 蝦夷と接する地域([[陸奥国]]・[[出羽国]]・[[越後国]])では、国内の行政・司法・軍事を管掌する[[国司]]の守と介が饗給(慰撫)、征討、斥候などの外交・軍事も担当していた。特に陸奥国は面積が広く軍事的衝突が頻繁におきるため、[[陸奥国司]]には[[大宝律令]]が定める特例が多く、自らの判断で征討に出ることも許されていた。なお同じ辺境でも[[西国]]の国司は、征討のかわりに防守、饗給ではなく蕃客(外国使節の接待)と帰化が任務であった([[鎮西府]])。 当初は大和側では[[秋田城]]などの[[城柵]]で儀礼的な会食(饗応)や物資の提供を行い服属を促していたが、蝦夷には中央政権が無いため恭順する集団と支配に抵抗し襲撃を行う集団が混在し、長期間にわたり交易と征伐が並行して行われる事態となった。 『日本書紀』斉明天皇元年([[655年]])7月11日条には、難波朝([[難波京]]の朝廷)で北蝦夷99人と東蝦夷95人を饗応したとある。そこでは「北」と「東」にそれぞれ「北越」「東陸奥」と注があり、北は越の方面、東は陸奥の方面と解せる。このうち[[越国]]は[[陸奥国]]の西に位置するが、越(高志)は都からみて北に位置するので北蝦夷としている{{Sfn|熊谷|1986|p=90}}。これらの語は当時の蝦夷が二大集団に分かれていたという意ではなく、応対する国([[令制国]])の管轄によって朝廷が用いた分類であると考えられている。この区別は後に[[出羽国]]と[[陸奥国]]の管轄になって[[平安時代]]まで踏襲されたが、字は北の異民族を指す「[[狄]]」に変わり「蝦狄」とも書かれるようになった{{Sfn|熊谷|1986|pp=87-90}}。 『日本書紀』斉明天皇4年([[658年]])4月には[[阿倍比羅夫]]が水軍180隻を率いて蝦夷を討伐している。また日付は不明であるが同年には[[渡島]]に渡り[[粛慎 (日本)|粛慎]]の討伐と[[ヒグマ]]の献上を受けた記録がある。この渡島(渡嶋)とは[[外が浜]]([[陸奥湾]]沿岸の一部)から海を渡った先にある島([[北海道]])と推定される。粛慎と呼ばれる集団の詳細は不明であり本州以外に住んでいる蝦夷の別称という説もあるが、後には蝦夷と粛慎が別の集団であるかのような記述も登場する。 『日本書紀』斉明天皇5年([[659年]])には朝廷に従った蝦夷が[[遣唐使]]に同行し[[唐 (王朝)|唐]]の[[高宗 (唐)|高宗]]に紹介されている。ここで引用された『伊吉連博徳書』によると、熟蝦夷(にきえみし、にぎえみし。おとなしい蝦夷)が最も近く、麁蝦夷(あらえみし。荒々しい蝦夷)がそれより遠く、最遠方に都加留(つかる、つがる。[[津軽]])がおり、連れてきたのは毎年入貢している熟蝦夷であること、蝦夷は肉食で[[五穀]]を食べず、家を建てずに樹の下に住んでいるなどを説明したところ、高宗は珍しく思ったと感想を述べたとしている。しかしこのような生活は他の史料にある記述や現在の考古学的知見とも矛盾し、蝦夷を野蛮人と誇張しこれを従える大和の力を誇示するための創作と思われる。信憑性に欠けるこの説明から推測されるのは、稲作を行わず狩猟を中心とした食生活、北に行くほど恭順しない勢力が強く、都加留が固有名をあげられるほどの有力集団として存在したことである。続けて引用された『難波吉士男人書』では遣唐使の蝦夷の頭上に[[瓢]]を乗せ、40歩離れた位置から別の蝦夷が射るという実演をしたところ、百発百中で瓢を射貫いたという記述があり、弓術に優れていたことがうかがえる。また[[土崎港|齶田]](あきた、あぎた。[[秋田]])蝦夷の長であった[[恩荷]]は阿倍比羅夫に降伏した際、弓矢は武器ではなく狩猟の道具だと証言している。 『日本書紀』斉明天皇6年3月には、阿倍臣が[[粛慎 (日本)|粛慎]]を討伐する際、陸奥の蝦夷を自分の船に乗せて河を越え渡島に渡ったが、到着後に渡島に住む蝦夷から粛慎の水軍が多数襲来するので、河を渡って朝廷に仕えたいと申し出る記述があり、この時代には熟蝦夷の一部が朝廷軍として働いていたと見られている。また13世紀半ばから14世紀初頭にかけて[[モンゴル帝国]]は[[樺太]]の[[アイヌ]]を[[モンゴルの樺太侵攻|攻撃している]]が関連は不明である。 蝦夷は、産馬、産金の地である陸奥で経済力および戦闘力を付けていったのに対し、朝廷は産出物に依存する形となるなど、次第にその王権外の存在が問題視され、完全に大和化する政策に次第に舵が切られていった([[蝦夷征討]])。 ==== 奈良時代 ==== <!--[[奈良時代]]になると[[平城京]]の造営や[[軍団 (古代日本)|軍団]]の整備により財政が悪化したことから、それまで支配の外と考えていた蝦夷を取り込んで徴税するために大規模な侵略を行ったことで戦いが激化した<ref name=":0" />。--> 『[[扶桑略記]]』[[養老]]2年([[718年]])8月14日、出羽と渡嶋の蝦夷が78人が馬1000頭を献納したので位と録を授けた記録がある<ref>ただし渡嶋については、北海道南西部は、考古学的に古代の馬の骨は発見されておらず詳細は不明である。</ref>。 [[光仁天皇]]以降、[[蝦夷征討]]政策が本格化した。蝦夷も組織的に朝廷軍と戦うようになっていった。 [[宝亀]]11年([[780年]])には[[多賀城]]を一時陥落させた[[宝亀の乱]]の[[伊治呰麻呂]]、[[延暦]]8年([[789年]])に[[巣伏の戦い]]で遠征軍を壊滅させた阿弖流為([[アテルイ]])らの名がその指導者として伝わる。 [[延暦]]6年([[787年]])の記録に「蝦夷に横流しされた綿で敵が[[綿襖甲|綿冑]]を作っている」という記述<ref>『[[類聚三代格]]』巻19</ref> があり、不正な交易が行われていたことがうかがえる。 ==== 平安時代以降 ==== [[延暦]]20年(801年)には[[征夷大将軍]][[坂上田村麻呂]]が遠征し勝利した。延暦21年(802年)に[[胆沢城]]を築き、その周辺の蝦夷との戦いは記録に残っている中でも最大である。延暦22年(803年)には[[志波城]]を築城し、[[蝦夷征討]]の目的がほぼ達成されたと見なされた。 その後、朝廷は蝦夷に対する積極的な征服政策を転じ、民衆の負担を減らすことととし、朝廷の支配領域の拡大は現在の[[岩手県]]と[[秋田県]]のそれぞれ中部付近を北限として停止する。[[延暦]]24年(805年)、藤原緒嗣から蝦夷征討と[[平安京]]の造営の一時中止を奏上され、[[桓武天皇]]は蝦夷への遠征を中止した。また[[軍団 (古代日本)|軍団]]を廃止し[[健児]]制へと移行したが、陸奥・出羽のみ蝦夷対策として軍団が維持された。 その後は、現地の朝廷官僚や、大和に帰順した俘囚の長たちが蝦夷の部族紛争に関与することなどにより、徐々に大和化が進行していったものと思われる。 その後、[[前九年の役]]、[[後三年の役]]などが勃発し、[[平安時代#平安後期|平安後期]]の[[北東北|東北北部]]は戦乱の時代であったが、当事者のうち[[安倍氏 (奥州)|安倍氏]]や[[出羽清原氏|清原氏]]は俘囚の長を自称し蝦夷との系譜的関連性を主張しているが、他方、[[源氏]]は蝦夷の系譜とは関係なく東北に乗り込んでいる。平安末期になると、蝦夷との血縁的・系譜的関係を主張する[[奥州藤原氏]]の支配が東北北端まで及ぶことになる。 藤原氏3代は[[中尊寺金色堂]]でミイラになっている。「東夷之遠酋」や「俘囚之上頭」を自称する藤原氏のミイラの調査は注目された。調査の結果、このミイラには指紋には渦紋が多く頭は丸顔で歯のかみ合わせも日本人的であり、藤原氏の骨格は日本人の骨格であるとされた。また、ミイラには内臓や脳漿は全く無く、腹部は湾曲状に切られ後頭部に穴が開いていた。ただ、裂け目にネズミの歯形が付いており、[[長谷部言人]]はミイラは自然発生したと主張し藤原3代は日本人であったとした。それに対し、[[古畑種基]]はミイラの人工加工説を主張した。木棺3個とも後頭部と肛門にあたる板に穴が開けられていたが、切り口は綺麗で汚物が流出した跡は無く、また男性生殖器は切断されており、加工の跡は歴然だとした。これは極めてアイヌ的な慣行で、樺太アイヌは偉大な酋長が死ぬと近親者は遺体の脳漿と内臓を除去し、何度か塩水を付けて天日で乾かしウフイ(ミイラ)を作る。[[森嘉兵衛]]は、和人との何代かにわたる婚姻で骨格は日本人化していたが、精神や葬祭の慣行はアイヌ的なものが変わらず残っていたのではないかとしている<ref>{{Cite book |和書|title=県史シリーズ |volume=3 |author=森嘉兵衛 |publisher=山川出版社 |date=1972 |pages=38-41}}内容:岩手県の歴史。</ref>。 奥州藤原氏が[[源頼朝]]率いる[[関東地方]]の[[鎌倉政権]]によって滅ぼされると、幕府は東北地方各地に東国[[武士]]を派遣し、ここに蝦夷の系譜ではなく、朝廷の系譜による鎌倉幕府(関東政権)による支配がはじめて東北北端にまで及び、大和化が成ったことになる。相前後して蝦夷、俘囚などと言った民族的諸概念は文献から姿を消し、次項に述べる「エゾ」に置き換わる。 === 民族系統 === 東北地方の蝦夷(えみし)の民族系統については、後のアイヌとの関係を中心に、[[江戸時代]]から二種類の学説に分かれている。蝦夷をアイヌ人とする蝦夷アイヌ説と、蝦夷を[[和人]]の一部とする蝦夷辺民説である。 日本列島の[[縄文人]]が朝鮮半島からの渡来人との混血が進み、北九州から始まり本州全域まで及んだ[[弥生文化]]を生んだのが、[[弥生人]]・[[和人]]だが、[[縄文人]]・[[縄文文化]]は、その後も日本列島に残った。[[弥生人]]・[[和人]]との混血の度合いも、北海道を除く日本列島内では地理的に連続的だった。 [[弥生人]]は[[弥生時代]]に東北地方北部へ達したが、[[古墳時代]]の[[寒冷化]]に伴い南へ退き、そこへ、[[北海道]]の[[道央]]や[[道南]]地方を中心に栄えていた[[続縄文文化]]の担い手(のちの[[アイヌ民族]])が東北地方北部を南下して[[仙台平野]]付近にまで達し<ref>この頃、[[オホーツク人]]が南下し、道北・道東へ居住した。</ref>、[[西南日本]]から北上して来た[[古墳文化]]の担い手([[和人]])と接触・交流を行なったことが、考古学的に明らかとなっている。なお、東北地方に到来した[[続縄文文化]]の担い手は、その後再び北海道へ退いたが、東北地方の和人との接触・交流自体は続いた。 ==== 蝦夷アイヌ説 ==== 蝦夷アイヌ説では、[[続縄文文化]]の担い手が東北地方に残り蝦夷(えみし)となったと考えられている。この理論は、[[考古学]]からする[[文化圏]]の検討と、[[北東北]]にアイヌ語で説明できる地名が集中していることから、少なくとも飛鳥時代(7世紀)以降の蝦夷について、アイヌとの連続性を認める説が有力である<ref name="Uno">{{Cite book |和書 |editor=宇野俊一ほか|editor-link=宇野俊一|title=日本全史(ジャパン・クロニック) |publisher=[[講談社]] |date=1991 |page=141 |isbn=4-06-203994-X}}</ref>。 蝦夷と日本の他の民族群との正確な民族関係については多くの学説が存在するが、そのうちの一つは蝦夷が[[アイヌ民族]]と関連しているとするものである。しかし、この理論は議論の的となっている。なぜなら、多くの蝦夷の部族は優れた騎馬弓兵や戦士として知られている一方で、アイヌもまた弓兵として知られているものの、彼らは馬を使用せず、戦闘スタイルは明らかに異なっていたためである。また、文化的な面でも彼らは異なっていた<ref name="Takahashi, Tomio 1982">Aston, W.G., trans. Nihongi: Chronicles of Japan from the Earliest Times to AD 697. Tokyo: Charles E.Tuttle Co., 1972 (reprint of two volume 1924 edition), VII 18. Takahashi, Tomio. ''"Hitakami.''" In Egami, Namio ed. ''Ainu to Kodai Nippon''. Tokyo: Shogakukan, 1982.</ref>。 [[朝廷|中央政府]]側に通訳がついていたことから蝦夷の言語が日本語と相当異なっていたことが分かり、前述の通りアイヌ語系の地名が東北北部に数多く残っていることから、アイヌ語系統の言葉を話していたと推定される<ref name="Uno" />。 [[縄文人]]は歴史的変遷の中で蝦夷とアイヌの両方の祖先と考えられており、蝦夷(えみし)と蝦夷(えぞ)の名前は同じ漢字で表される。すでに、'蝦夷'の名前が中世初期に津軽半島の人々を指すために使われ、北海道の縄文人が直接アイヌの祖先であったことが知られているため、この理論によれば、これは論理的な進行である。北本州の恵山文化はこの人々と関連しており、後に北海道の現代アイヌ民族を形成する上で重要な役割を果たした[[擦文文化]]に発展した。蝦夷は馬に乗り、鉄を扱う人々であった(アイヌとは異なり)。農業(キビと米)の証拠がある一方で、彼らは主に馬に乗り、狩り、漁業、交易を行っていた<ref name=":1">{{Cite book |last=Yiengpruksawan |first=Mimi Hall |url=https://books.google.com/books?id=8tTaDwAAQBAJ&dq=emishi+tungusic&pg=PA17 |title=Hiraizumi: Buddhist Art and Regional Politics in Twelfth-Century Japan |date=2020-03-31 |publisher=BRILL |isbn=978-1-68417-313-6 |pages=17 |language=en}}</ref>。 最近の研究では、アイヌ語を話す人々が地元の日本語を話す人々と連携してヤマト王権の拡大に抵抗したことを示唆している<ref name="Tjeerd de Graaf">Tjeerd de Graaf "''Documentation and Revitalisation of two Endangered Languages in Eastern Asia: Nivkh and Ainu"'' 18 March 2015</ref>。[[マタギ]]は、これらのアイヌ語話者の子孫であり、彼らは地元の日本語話者に地理や彼らが狩猟した森や水の動物に関連した[[地名学|地名]]と借用語を提供したとされている<ref name="Tjeerd de Graaf" /><ref>{{Cite journal|last1=Boer|first1=Elisabeth de|last2=Yang|first2=Melinda A.|last3=Kawagoe|first3=Aileen|last4=Barnes|first4=Gina L.|date=2020|title=Japan considered from the hypothesis of farmer/language spread|journal=Evolutionary Human Sciences|language=en|volume=2|doi=10.1017/ehs.2020.7|issn=2513-843X|doi-access=free}}</ref>。 縄文文化の人々の骨格特徴の研究は、先住民族の間に非均質性を示し、複数の起源と多様な民族群を示唆している。2014年の人類学的・遺伝学的研究では、「この点で、縄文時代の人々の生物学的なアイデンティティは非均質であり、それは多様な人々が存在し、それらはおそらく共通の文化、縄文文化に所属していたことを示している」と結論付けている<ref>{{Cite web|last=Schmidt, Seguchi|year=2014|title=Jōmon culture and the peopling of the Japanese archipelago|url=http://www.jjarchaeology.jp/contents/pdf/vol002/2-1_034-059.pdf | access-date=2023-06-30 |quote=These results suggest a level of inter-regional heterogeneity not expected among Jomon groups. This observation is further substantiated by the studies of Kanzawa-Kiriyama et al. (2013) and Adachi et al. (2013). Kanzawa-Kiriyama et al. (2013) analysed craniometrics and extracted aDNA from museum samples that came from the Sanganji shell mound site in Fukushima Prefecture dated to the Final Jomon Period. They tested for regional differences and found the Tokoku Jomon (northern Honshu) were more similar to Hokkaido Jomon than to geographically adjacent Kanto Jomon (central Honshu).{{pb}}Adachi et al. (2013) described the craniometrics and aDNA sequence from a Jomon individual from Nagano (Yugora cave site) dated to the middle of the initial Jomon Period (7920–7795 cal BP). This individual carried ancestry, which is widelydistributed among modern East Asians (Nohira et al. 2010; Umetsu et al. 2005) and resembled modern Northeast Asian comparison samples rather than geographical close Urawa Jomon sample.}}</ref>。 ==== 蝦夷辺民説 ==== これに対し蝦夷辺民説では、上記の[[西南日本]]から北上して来て接触・交流を行なった[[古墳文化]]の担い手([[和人]])が東北地方に住み蝦夷(えみし)となったと考える。遺伝子特徴の研究では、蝦夷は、[[アイヌ]]よりも[[和人]](特に出雲地方の古代人)に近いとの研究もある。また日本語の「[[ズーズー弁]]」(現在の[[東北方言]]の始祖)を話す和人とする説もある<ref name="小泉1998">{{Cite book |和書 |author=小泉保 |date=1998|title=縄文語の発見 |publisher=青土社 |isbn=4791756312 |page=}}{{要ページ番号|date=2019-06-02}}</ref> 。特に[[東北方言]]と[[出雲方言]]の類似性から、[[古代出雲]]系の民族のうち[[国譲り]]後も[[ヤマト王権|大和王権]]に従わなかった勢力が蝦夷となったとする見方もある<ref>{{Cite book |和書 |author=高橋克彦 |date=2013|title=東北・蝦夷の魂 |publisher=現代書館 |isbn=9784768457009 |page=}}{{要ページ番号|date=2019-06-02}}</ref>。最近の研究、例えばBoerらの2020年の研究では、蝦夷は主に出雲方言に密接に関連した日本語を話していたと結論付けている。さらに、蝦夷による[[稲作]]の証拠と馬の使用は、古代の出雲日本人と蝦夷との間の結びつきを強化している。この理論によれば、蝦夷は大和日本人から追い出された出雲日本人であり、彼らは天皇の統治に対して同調することを受け入れなかった<ref>{{Cite journal|last1=Boer|first1=Elisabeth de|last2=Yang|first2=Melinda A.|last3=Kawagoe|first3=Aileen|last4=Barnes|first4=Gina L.|date=2020|title=Japan considered from the hypothesis of farmer/language spread|journal=Evolutionary Human Sciences|language=en|volume=2|doi=10.1017/ehs.2020.7|issn=2513-843X|doi-access=free}}</ref>。 ==== ツングース説 ==== 出雲弁と[[ツングース諸語]]の類似<ref>{{Cite book |和書|title=古代に真実を求めて |volume=第7集 |series=古田史学論集 |date=2004 |editor=古田史学の会 |publisher=明石書店 |isbn=4750318981 |page=}}{{要ページ番号|date=2019-06-02}}</ref> などから、蝦夷はもともと日本にいなかった馬を引き連れて大陸から来た北方[[新モンゴロイド]]の[[騎馬民族]]とする説もある。[[アムール]]地域の騎馬遊牧民、特に[[ツングース諸族]]と蝦夷との間に顕著な類似性を指摘している歴史学者もいる。蝦夷の起源はツングース系住民であり、後に日本語を話す出雲系住民と同化したと提唱されている<ref name="Oishi">{{cite book |last1=直正 |first1=大石 |last2=秀人 |first2=辻 |last3=公男 |first3=熊谷 |last4=進 |first4=榎森 |last5=嘉美 |first5=守屋 |date=1998 |title=歴史のなかの東北―日本の東北・アジアの東北 |publisher=河出書房新社 |isbn=978-4309223254}}</ref>。 蝦夷を半遊牧の[[靺鞨]]と関連付ける説がある。また、本州の蝦夷と北海道の渡島蝦夷との間には区別があった。歴史的な証拠は、本州の蝦夷と渡島蝦夷との間の頻繁な戦闘を示している。渡島蝦夷は本州の蝦夷とプロトアイヌ語話者から成っていたと主張されている。蝦夷は主にツングース起源で、一部は同化した日本語群(出雲人)であったと結論付ける説がある<ref name="Kitakamae">{{cite book |last=保男 |first=北構 |date=1993 |title=古代蝦夷の研究 |publisher=雄山閣出版 |isbn=9784639010319}}</ref>。 以前アイヌ語であると考えられていた地名は、アムール地域のツングースの基層によってプロトアイヌ語に説明できるとされている。また、マタギ猟師は実際には蝦夷の子孫であり、特定の狩猟語彙はアイヌ語ではなくツングース語由来であるという説がある。菊池俊彦は、北本州と北海道の先住民族が形成した擦文文化とオホーツク文化と、ロシア極東のツングースと古アジア諸族との間には、特にアムール川流域や満州平原で多くの接触があったと主張している<ref name=":1" />。 しかし、蝦夷ツングース説は空想の域を出ないという批判もある。<ref>『[[吾妻鏡]]』[[貞応]]3年([[1224年]])2月29日条にある難破した[[高麗]]船の荷物の調査記録では、高麗の弓について「(本朝の弓と比べて)短く、夷弓(蝦夷の弓)に似ていて、皮製の弦である」と記されており、[[長弓]]を用いる和人に対し、[[短弓]]を使用していた。このような蝦夷の武器([[短弓]]、毒矢)や戦術(騎射、軽装甲)はモンゴル系民族と類似している。なおアイヌも短弓と毒矢を使用する。しかし、北方系の[[騎馬民族]]には[[刺青]]の風習はなく、[[日本在来馬]]の起源も[[蒙古馬]]から[[対州馬]]を経て、拡散されたものであり、この説は空想の域を出ない。北米の[[ネイティブ・アメリカン]]の例でもある様に、渡来した集団(この場合[[白人]])から[[馬]]を手に入れ、[[文化]]に組みこまれたものと思われる。</ref>。 == えぞ == [[中世]]以後の蝦夷(えぞ)は、アイヌを指すとの意見が主流である{{efn2|ただし中世の蝦夷に含まれる[[渡党]]という集団は、文化的には近世アイヌに酷似しているが、その実体については諸説あり、[[青苗文化]]人の後裔とも、和人が土着化したものとの説もある。渡党の出自が何であれ、かれらは道南で和人の支配体制に取り込まれ、次第に和人化していったとも言われる。}}。[[鎌倉時代]]後期([[13世紀]]から[[14世紀]])頃には、現在アイヌと呼ばれる人々と同一とみられる「蝦夷」が存在していたことが文献史料上から確認される。アイヌの大部分が居住していた北海道は蝦夷が島、[[蝦夷地]]などと呼ばれ、欧米でも「''Yezo''」 の名で呼ばれた。「エゾ」の語源についてはアイヌ語で人を意味する「エンチュ (enchu, enchiu)」が[[東北方言]]式の発音により「Ezo」となったとする説がある<ref name="小泉1998"/>。 アイヌ文化は、前代の[[擦文時代|擦文文化]]を継承しつつ[[オホーツク文化]](担い手はシベリア大陸系民族の一つである[[ニヴフ]]といわれる<ref>{{Citenews |url=http://www.okhotsk.org/news/oho-tukujin.html |title=オホーツク人のDNA解読に成功ー北大研究グループー |newspaper=[[北海道新聞]] |date=2012年6月18日}}</ref>)と融合し、本州の文化を摂取して生まれたと考えられている。その成立時期は上記「えぞ」の初見と近い鎌倉時代後半(13世紀)と見られており、また擦文文化とアイヌ文化の生活体系の最も大きな違いは、本州や大陸など道外からの移入品(特に鉄製品)の量的増大にあり、アイヌ文化は交易に大きく依存していたことから、アイヌ文化を生んだ契機に和人との交渉の増大があると考えられている。具体的には[[奥州藤原氏]]政権の盛衰との関係が指摘されている。 鎌倉時代後期([[14世紀]])には、「'''[[渡党]]'''」{{efn2|北海道[[渡島半島]]の住民で、津軽海峡を往来する交易集団。}}、「'''日の本'''」{{efn2|[[北海道 (地方公共団体)|北海道]][[太平洋]]側(近世の東蝦夷)の住民で、[[千島]]方面の産物をもたらした交易集団と推定される。}}、「'''唐子'''」{{efn2|北海道[[日本海]]側(近世の西蝦夷)の住民で、[[樺太]](唐太)とつながり、中国の産品をもたらした交易集団と推定される。}}に分かれ、「日の本」と「唐子」は農耕をせず言葉も通じず、「渡党」は多毛だが姿は似ていて和人と言葉が通じ、本州との交易に従事したという文献(『[[諏方大明神画詞|諏訪大明神絵詞]]』)が残っている<ref>福崎孝雄[https://chisan.or.jp/wp-content/uploads/2019/11/user-pdfD-gendaimikkyo-1112pdf-08.pdf 「エミシ」とは何か](現代密教第11・12合併号)</ref>。また、[[鎌倉時代]]には[[陸奥国]]の豪族である[[安東氏]]が、[[鎌倉幕府|幕府]]の[[執権]][[北条氏]]より[[蝦夷管領]](または蝦夷代官)に任ぜられ、これら3種の蝦夷を統括していたとする記録もある。 [[室町時代]]([[15世紀]]から[[16世紀]]にかけて)、和人とアイヌの抗争の時代を生き抜き、和人勢力を糾合して渡島半島南部の領主に成長していった[[蠣崎氏]]は[[豊臣秀吉]]・[[徳川家康]]から蝦夷地の支配権、交易権を公認され、名実共に安東氏から独立し、[[江戸時代]]になると蠣崎氏は松前氏と改名して[[大名]]に列した。 {{main|アイヌ}} == クリル == {{出典の明記|date=2022年9月|section=1}} 蝦夷全体を'''クリル'''({{lang-ru|курил}})としているものもある。現在、ロシア連邦では千島列島や[[歯舞諸島]]や色丹島を指しているとされているが、また日本領土北海道を指す用語としてという説もあり、北海道全体や東北地方や関東などの北東日本をさす用語としても使用されている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == <!-- 「参考文献」節には、本記事の出典として実際に使われている文献のみをご記入下さい。--> {{参照方法|date=2019年6月3日 (月) 11:34 (UTC)|section=1}} * {{Cite book|和書|author=海保嶺夫 |title=エゾの歴史 : 北の人びとと「日本」 |publisher=講談社 |year=1996 |series=講談社選書メチエ |issue=69 |NCID=BN13884071 |ISBN=4062580691 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002480455-00 |ref=harv}} * {{Cite journal|和書|author=河内春人 |title=唐から見たエミシ : 中国史料の分析を通して |journal=史学雑誌 |ISSN=0018-2478 |publisher=史学会 |year=2004 |volume=113 |issue=1 |pages=43-61 |naid=110002365962 |doi=10.24471/shigaku.113.1_43 |url=https://doi.org/10.24471/shigaku.113.1_43 |ref=harv}} *{{Cite book |和書 |author=金田一京助|authorlink=金田一京助 |editor=工藤雅樹|title=古代蝦夷とアイヌ |series=平凡社ライブラリー |publisher=平凡社 |date=2004 |isbn=4582-76503-3 |ref={{SfnRef|金田一|2004}} }}<!--初出は『國學院雑誌』46巻2号、1940年。 * 金田一京助「本州アイヌの歴史的展開」、工藤編『古代蝦夷とアイヌ』所収。初出は『日本民俗学体系』第2巻、平凡社、1958年 * 金田一京助「蝦夷名義考」、工藤編『古代蝦夷とアイヌ』所収。初出は『國學院雑誌』61巻12号、1960年。--> * {{Cite book |和書 |author=工藤雅樹|authorlink=工藤雅樹|title=蝦夷の古代史 |series=平凡社新書 |publisher=平凡社 |isbn=4-582-85071-5 |date=2001-01 |ref={{SfnRef|工藤|2001}} }} * {{Cite book |和書 |author=熊谷公男 |chapter=阿倍比羅夫北征記事に関する基礎的考察 |editor=高橋富雄|title=東北古代史の研究 |publisher=吉川弘文館 |date=1986 |isbn=4642022074 |ref={{SfnRef|熊谷|1986}} }} * {{Cite book |和書 |author=熊田亮介|chapter=蝦夷と蝦狄 古代の北方問題についての覚書 |editor=高橋富雄|title=東北古代史の研究 |publisher=吉川弘文館 |date=1986 |isbn=4642022074 |ref={{SfnRef|熊田|1986}} }} * 児島恭子『エミシ・エゾからアイヌへ』[[吉川弘文館]][歴史文化ライブラリー]273、2009年。ISBN 9784642056731 * {{Cite book |和書 |author=高橋崇|title=蝦夷――古代東北人の歴史 |publisher=中央公論社 |series=中公新書 |date=1986-05 |isbn=4121008049 |ncid=BN00181986 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001803705-00 |ref={{SfnRef|高橋|1986}} }} * 高橋崇『蝦夷の末裔――前九年・後三年の役の実像』、中央公論新社[中公新書]、1991年。ISBN 4121010418 * {{Cite book |和書 |author=高橋富雄|authorlink=高橋富雄|title=県史シリーズ 4 : 宮城県の歴史|publisher=山川出版社 |date=1969 |ref={{SfnRef|高橋|1969}} }} * {{Cite book |和書 |author=高橋富雄|title=古代蝦夷 |publisher=学生社 |date=1974 |ref={{SfnRef|高橋|1974}} }} * [[新野直吉]]『古代東北の兵乱』、吉川弘文館、1989年、ISBN 4-642-06627-6 * {{cite book |url=https://archive.org/details/acrossamericaan00pumpgoog |title=Across America and Asia |author=Raphael Pumpelly |date=1870 |publisher=Leypoldt & Holt}} - アメリカ人冒険家による1861-1863年の蝦夷調査記録収録 == 関連項目 == * [[アラハバキ]](荒覇吐) * [[雷神山古墳]]、[[遠見塚古墳]]、[[末期古墳]]、[[つぼのいしぶみ]] * [[応神天皇]]、[[仁徳天皇]]、[[光仁天皇]]、[[桓武天皇]] * [[鎮守府 (古代)]]、[[国府]]、[[郡山遺跡]]、[[紫波城]] * [[蝦夷征討]]、[[別所 (地名解釈)|別所]] * [[熊襲]]、[[隼人]] * [[道南十二館]] * [[出羽柵]]、[[鼠ヶ関]] * [[東北熊襲発言]] * [[貞観地震]] * [[もののけ姫]] - 物語の主人公であるアシタカが蝦夷出身という設定。蝦夷特有の武器である[[蕨手刀]]を使用している。 * [[砂沢遺跡]] - [[青森県]][[弘前市]]にある弥生時代の遺跡。発見された水田の遺構は、紀元前5~4世紀における東北地方北部への稲作への伝播を示すが、縄文文化を特徴づける[[土偶]]も発見されているために、この遺跡を、弥生時代の遺跡の一つとみなす説と、弥生時代の遺跡に含めない説がある。 * [[荒蝦夷]] - 仙台市の出版社 * [[坂上田村麻呂夷人説]] * [[日本の古代東北経営]] == 外部リンク == {{Commonscat}} * [https://www.japanserve.com/nihonshi/n-reki-050-ezochi.html 蝦夷地ってなんのこと? ] - 日本史用語集 * {{Wayback|url=http://www.donan.info/modules/pukiwiki/26.html |title=道南ミュージアム - 古代国家と蝦夷-文書庫|date=20041215185920}} {{リンク切れ|date=2017年9月}} * {{Wayback|url=http://www7.plala.or.jp/t-aterui/ |title=蝦夷 陸奥 歌枕|date=20020611194632}} {{リンク切れ|date=2017年9月}} *[https://1000ya.isis.ne.jp/1413.html 高橋崇「蝦夷」古代東北人の歴史]松岡正剛の千夜千冊 {{日本の民族|state=expanded}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:えそ}} [[Category:飛鳥時代]] [[Category:奈良時代]] [[Category:平安時代]] [[Category:蝦夷|*]] [[Category:古代日本の部族]] [[Category:鬼]]
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高橋葉介
高橋 葉介(たかはし ようすけ、1956年(昭和31年)3月15日 - )は、日本の漫画家、漫画原作者。本名 高橋庸介。代表作に怪奇幻想マンガ『夢幻紳士』シリーズや学園ホラーマンガ『学校怪談』や『もののけ草紙』などがある。 母の実家のある長野県で出生し、幼少期は東京都青梅市で育ち、建築業の父とともに、武蔵野市武蔵境、豊島区池袋、神奈川県相模原市に移る。小学生の頃からマンガを描き始め、高校時代から集英社や小学館に投稿を始める。 駒澤大学時代に水野流転が主宰する同人誌『楽書館』に参加、秋田書店の『少年チャンピオン』編集部にストーリー漫画を書いて持ち込んだが、担当編集者の綿引勝美が辞めたため、朝日ソノラマに『無題』『ここに愛の手を』を持ち込み、担当編集者の原田利康に認められ、1977年大学4年の時に『マンガ少年』8月号掲載の「江帆波()博士の診療室」でデビュー。その後は同誌に多く作品を発表する。 デビュー当時は毛筆とGペンを併用した特徴的な線と絵柄で知られ、『マンガ少年』に連載中はそのスタイルを通していたが、『マンガ少年』休刊後は意識的に作風を変えていった。1980年前後には漫画界のニューウェーブの旗手と目され、従来の少年漫画や少女漫画の影響を受けつつ、それらのいずれとも異なる独特な表現で漫画ファンの注目を集めた。 作品は、基本的に猟奇要素の強い幻想怪奇漫画が多いが、「明朗怪奇」(吾妻ひでお)とも言われ、シニカルなブラックジョーク、コメディ、冒険活劇など多岐にわたる。独特なグロテスク描写について米澤嘉博は、「筆、あるいはGペンのタッチの強弱を強調した独自のスタイルは、ぬめぬめとした光沢をもちながらもドライ」なことで生理的嫌悪感を生まず、「リアルさ、あるいは世界の中のリアリティを求めて動いてきたマンガとは逆のベクトルを持つ高橋のマンガは、あくまで絵を基調とした異世界として、形状の面白さを求めていく。」と評している。藤田和日郎も、高橋作品に強い影響を受けたと語っている。 『マンガ少年』休刊後は、後継誌『Duo』に初のラブコメ『真琴♥グッドバイ』を連載。筑紫女学園大学非常勤講師の竹内美帆は「高橋マンガ独特の線描を特徴づける筆ではなく、サインペンを主線に使用し、人物や背景も描き込みが少なくポップで明るい雰囲気を印章づけている」と解説している。1983年からは『夢幻紳士』冒険活劇編を連載。次いで『メディウム』誌で1984年から『夢幻紳士』怪奇編、『ネムキ』で1992年から『夢幻外伝』を掲載、この作品はライフワーク的位置付けとなる。 荒俣宏『帝都物語』映画化の第2弾『帝都大戦』公開の1989年にマンガ版『帝都物語』を書き下ろし。1995年からは「学校の怪談」ブームを背景に『週刊少年チャンピオン』で『学校怪談』を2000年まで連載。この登場人物達も夢幻一族の子孫という設定になっている。 2006年、近藤豪志の作画による『私は加護女()』で初めて原作を手がける。 2005年、怪奇篇の流れを汲む『夢幻紳士』幻想篇を『ミステリマガジン』に連載し、幻想篇のカバー用にカラーを描く時からパステル調の淡いタッチの絵柄を使い始めた。2007年に逢魔篇のスピンオフとなる『もののけ草紙』を『ホラーM』に連載。以降は早川書房とぶんか社での執筆が多くなっている。 2021年7月、『夢幻紳士』40周年を記念して、高橋初の画集『にぎやかな悪夢』を刊行。その刊行と高橋のデビュー45周年を記念して、東京にあるリベストギャラリー創にて原画展が開催された。2022年2月から福岡県にて、その巡回展が行われる。同年8月、その凱旋展として行われた「デビュー45周年 高橋葉介原画展 〜『にぎやかな悪夢』(河出書房新社)出版記念〜」では、伊藤潤二とコラボレートし、作品が描きおろされている。 各巻の収録作品については高橋葉介ウヱブサイトの高橋葉介著作リストを参照。書誌情報に関しては穴沢 編 2021, pp. 331–366, 367–373を参照。
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高橋 葉介は、日本の漫画家、漫画原作者。本名 高橋庸介。代表作に怪奇幻想マンガ『夢幻紳士』シリーズや学園ホラーマンガ『学校怪談』や『もののけ草紙』などがある。
{{JIS2004|説明=[[ハート (シンボル)|ハートマーク]]}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 高橋 葉介 | ふりがな = たかはし ようすけ | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = {{ruby|高橋 庸介|たかはし ようすけ}} | 生地 = [[日本]]、[[長野県]] | 国籍 = <!-- [[日本]] 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1956|3|15}} | 没年 = | ジャンル = [[ホラー漫画]]<br />[[冒険活劇]]<br />[[ブラックジョーク]]<br />[[ラブコメディ]] | 活動期間 = [[1977年]] - | 代表作 = 『[[夢幻紳士]]』シリーズ{{R|natalie20220205}}<br />『[[学校怪談 (高橋葉介の漫画)|学校怪談]]』{{R|natalie20220205}}<br />『[[もののけ草紙]]』{{R|natalie20220205}}<br />『怪盗ミルク』{{sfn|諸星 ほか|2021|p=43}} | 受賞 = | 公式サイト = {{URL|http://blog.livedoor.jp/planet_of_blackness/}} }} '''高橋 葉介'''(たかはし ようすけ、[[1956年]](昭和31年)[[3月15日]]<ref name="FPD">『Fusion Product 創刊号』ふゅーじょんぷろだくと、1981年7月。PP174-175。</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]<ref name="FPD"/>、[[漫画原作者]]。本名 高橋庸介<ref name="FPD"/>。代表作に怪奇幻想マンガ『[[夢幻紳士]]』シリーズや学園ホラーマンガ『[[学校怪談 (高橋葉介の漫画)|学校怪談]]』や『[[もののけ草紙]]』などがある{{sfn|諸星 ほか|2021|p=43}}。 == 経歴・作風 == 母の実家のある[[長野県]]で出生し、幼少期は[[東京都]][[青梅市]]で育ち、建築業の父とともに、[[武蔵野市]][[武蔵境]]、[[豊島区]][[池袋]]、[[神奈川県]][[相模原市]]に移る。小学生の頃からマンガを描き始め{{Sfn|穴沢 編|2021|p=189}}、高校時代から[[集英社]]や[[小学館]]に投稿を始める{{Sfn|穴沢 編|2021|p=192}}。 [[駒澤大学]]時代に水野流転が主宰する同人誌『楽書館』に参加{{Sfn|穴沢 編|2021|p=192}}、[[秋田書店]]の『[[週刊少年チャンピオン|少年チャンピオン]]』編集部にストーリー漫画を書いて持ち込んだが、担当編集者の綿引勝美が辞めたため{{Sfn|穴沢 編|2021|pp=175f}}、[[朝日ソノラマ]]に『無題』『ここに愛の手を』を持ち込み、担当編集者の原田利康に認められ、1977年大学4年の時に『[[マンガ少年]]』8月号掲載の「{{読み仮名|江帆波|えほば}}博士の診療室」でデビュー{{Sfn|穴沢 編|2021|pp=176f}}。その後は同誌に多く作品を発表する。 デビュー当時は毛筆とGペンを併用した特徴的な線と絵柄で知られ、『マンガ少年』に連載中はそのスタイルを通していた<ref name="FPD"/>が、『マンガ少年』休刊後は意識的に作風を変えていった{{Sfn|穴沢 編|2021|p=28}}。[[1980年]]前後には漫画界の[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]]の旗手と目され{{Sfn|穴沢 編|2021|p=26}}、{{要出典範囲|date=2022年7月15日 (金) 11:52 (UTC)|従来の[[少年漫画]]や[[少女漫画]]の影響を受けつつ、それらのいずれとも異なる独特な表現で漫画ファンの注目を集めた}}。 作品は、基本的に猟奇要素の強い幻想怪奇漫画が多いが、「明朗怪奇」([[吾妻ひでお]]<ref name="FPD" />)とも言われ、シニカルな[[ブラックジョーク]]、コメディ、冒険活劇など多岐にわたる。独特なグロテスク描写について[[米澤嘉博]]は、「筆、あるいはGペンのタッチの強弱を強調した独自のスタイルは、ぬめぬめとした光沢をもちながらもドライ」なことで生理的嫌悪感を生まず、「リアルさ、あるいは世界の中のリアリティを求めて動いてきたマンガとは逆のベクトルを持つ高橋のマンガは、あくまで絵を基調とした異世界として、形状の面白さを求めていく。」と評している<ref>『[[美術手帖]]』1982年11月号「二次元的見世物小屋-高橋葉介」</ref>。[[藤田和日郎]]も、高橋作品に強い影響を受けたと語っている<ref>{{Harvnb|穴沢 編|2013}}、{{Harvnb|穴沢 編|2021|pp=54-56}}</ref><!--<ref>[http://jumpsq.shueisha.co.jp/contents/topic-hujita/index2.html]</ref>-->。 『マンガ少年』休刊後は、後継誌『[[DUO (マンガ雑誌)|Duo]]』に初の[[ラブコメディ|ラブコメ]]『真琴♥グッドバイ』を連載。[[筑紫女学園大学]]非常勤講師の竹内美帆は「高橋マンガ独特の線描を特徴づける筆ではなく、サインペンを主線に使用し、人物や背景も描き込みが少なくポップで明るい雰囲気を印章づけている」と解説している{{Sfn|穴沢 編|2021|p=338}}。1983年からは『夢幻紳士』冒険活劇編を連載。次いで『[[メディウム (漫画)|メディウム]]』誌で1984年から『夢幻紳士』怪奇編、『[[ネムキ]]』で1992年から『夢幻外伝』を掲載、{{要出典範囲|date=2022年7月15日 (金) 11:52 (UTC)|この作品はライフワーク的位置付けとなる}}。 [[荒俣宏]]『[[帝都物語]]』映画化の第2弾『[[帝都大戦]]』公開の1989年にマンガ版『帝都物語』を書き下ろし。1995年からは「[[学校の怪談]]」ブームを背景に『[[週刊少年チャンピオン]]』で『学校怪談』を2000年まで連載。この登場人物達も夢幻一族の子孫という設定になっている。 2006年、[[近藤豪志]]の作画による『私は{{読み仮名|加護女|かごめ}}』で初めて原作を手がける。 2005年、怪奇篇の流れを汲む『夢幻紳士』幻想篇を『[[エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン|ミステリマガジン]]』に連載し、幻想篇のカバー用にカラーを描く時からパステル調の淡いタッチの絵柄を使い始めた{{Sfn|穴沢 編|2021|pp=182f}}。2007年に逢魔篇のスピンオフとなる『[[もののけ草紙]]』を『[[ホラーM]]』に連載。以降は[[早川書房]]と[[ぶんか社]]での執筆が多くなっている。 2021年7月、『夢幻紳士』40周年を記念して、高橋初の画集『[[#CITEREF高橋2021|にぎやかな悪夢]]』を刊行<ref name="natalie20210720">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/437635|title=「夢幻紳士」高橋葉介の初画集「にぎやかな悪夢」に300点以上収録、原画展も開催中|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-07-20|accessdate=2021-07-20}}</ref>。その刊行と高橋のデビュー45周年を記念して、東京にあるリベストギャラリー創にて原画展が開催された{{R|natalie20210720|natalie20220205}}。2022年2月から福岡県にて、その巡回展が行われる<ref name="natalie20220205">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/464527|title=高橋葉介の原画展が明日福岡でスタート、直筆のイラストコメントが到着|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-02-05|accessdate=2022-02-05}}</ref>。同年8月、その凱旋展として行われた「デビュー45周年 高橋葉介原画展 〜『にぎやかな悪夢』(河出書房新社)出版記念〜」では、[[伊藤潤二]]とコラボレートし、作品が描きおろされている<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/488046|title=高橋葉介と伊藤潤二のコラボ原画2作品を展示、「高橋葉介原画展」今日吉祥寺で開幕|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-08-03|accessdate=2022-08-03}}</ref>。 == 作品リスト == 各巻の収録作品については高橋葉介ウヱブサイトの高橋葉介著作リスト<ref>{{Cite web|和書|author=鈴木輝彦|url=http://yousuke.mysterious.jp/yousuketyosakulist_hyousi.html|title=高橋葉介著作リスト(表紙画像アリ)|publisher=高橋葉介ウヱブサイト|accessdate=2021-09-04}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=鈴木輝彦|url=http://yousuke.mysterious.jp/yousuketyosakulist.html|title=高橋葉介著作リスト(表紙画像ナシ)|publisher=高橋葉介ウヱブサイト|accessdate=2021-09-04}}</ref>を参照。書誌情報に関しては{{Harvnb|穴沢 編|2021|pp=331-366, 367-373}}を参照。 === 夢幻紳士シリーズ === * [[夢幻紳士#夢幻紳士 マンガ少年版|夢幻紳士 マンガ少年版]] (1983年、サンコミックス、『マンガ少年』連載、1981年2月号 - 5月号、[[朝日ソノラマ]])ISBN 4-257-90043-1 * [[夢幻紳士#夢幻紳士 冒険活劇篇|夢幻紳士 冒険活劇篇]](冒険・活劇・痛快・熱血・旋風・怒濤・電光・爆烈・飛翔・回天編)全10巻(『月刊ベティ』・『[[リュウ (雑誌)|リュウ]]』・『[[少年キャプテン]]』連載、1983年1月号 - 1988年、[[徳間書店]])ISBN 4-19-774511-7 他 * [[夢幻紳士#夢幻紳士 怪奇篇|夢幻紳士 怪奇篇]] 全3巻(『[[メディウム (漫画)|メディウム]]』・『少年キャプテン』連載、1984年Vol.1 - 1988年12月号、徳間書店)ISBN 4-19-776612-2 他 * [[夢幻紳士#夢幻紳士 夢幻外伝篇|夢幻外伝]] 全3巻(『[[ネムキ]]』連載、1992年 - 1996年、朝日ソノラマ)ISBN 978-4-257-90213-3 他 * [[夢幻紳士#夢幻紳士 幻想篇 / 逢魔篇 / 迷宮篇|夢幻紳士 幻想篇]] (2005年7月、『ミステリマガジン』連載、2004年3月号 - 2005年2月号、[[早川書房]])ISBN 978-4-15-208629-7 * [[夢幻紳士#夢幻紳士 幻想篇 / 逢魔篇 / 迷宮篇|夢幻紳士 逢魔篇]] (2006年4月、『ミステリマガジン』連載、2005年3月号 - 2006年2月号、早川書房)ISBN 978-4-15-208716-4 * [[夢幻紳士#夢幻紳士 幻想篇 / 逢魔篇 / 迷宮篇|夢幻紳士 迷宮篇]] (2007年6月、『ミステリマガジン』連載、2006年3月号 - 2007年2月号、早川書房)ISBN 978-4-15-208820-8 * 夢幻紳士 回帰篇 (2009年10月、『ミステリマガジン』連載、2008年9月号 - 2009年9月号、早川書房)ISBN 978-4-15-209079-9 * 夢幻紳士 新・怪奇篇 (2013年9月、『ミステリマガジン』連載、2012年9月号 - 2013年8月号、早川書房)ISBN 978-4-15-209399-8 === 学校怪談 === * [[学校怪談 (高橋葉介の漫画)|学校怪談]] 全15巻(『週刊少年チャンピオン』連載、1995年06+07号 - 2000年26号、[[秋田書店]])ISBN 978-4-253-05374-7 他 === KUROKO-黒衣- === * [[KUROKO-黒衣-]] 全4巻(『週刊少年チャンピオン』連載、2000年43号 - 2001年35号、秋田書店)ISBN 978-4-253-05991-6 他 === もののけ草紙 === * [[もののけ草紙]] 壱 (2008年10月、ホラーMシリーズ、『[[ホラーM]]』連載、2007年3月号 - 2008年4月号、[[ぶんか社]])ISBN 978-4-8211-8681-5 * もののけ草紙 弐 (2009年10月、ホラーMシリーズ 5、『ホラーM』連載、2008年6月号 - 2009年6月号、ぶんか社)ISBN 978-4-8211-8855-0 * もののけ草紙 参 (2010年9月、ホラーMシリーズ、『ホラーM』連載、2009年8月号 - 2010年6月号、ぶんか社)ISBN 978-4-8211-7057-9 * もののけ草紙 四 (2011年3月、ホラーMシリーズ、『ホラーM』、2010年8月号、『[[デジタルホラーM]]』連載、001号 (2010年9月) - 006号、ぶんか社)ISBN 978-4-8211-7128-6 === 怪談少年 === * 怪談少年 (2014年3月、BUNKASHA COMICS、『[[まんがグリム童話]]』連載、2013年4月号 - 、ぶんか社)ISBN 978-4-8211-7543-7 * 怪談少年 妖ノ巻 (2015年12月、BUNKASHA COMICS、『まんがグリム童話』連載、ぶんか社)ISBN 978-4-8211-7779-0 * 怪談少年 乱ノ巻 (2017年3月、BUNKASHA COMICS、『まんがグリム童話』連載、ぶんか社)ISBN 978-4-8211-7976-3 === 短編集など === * 腹話術 (1979年4月20日、サンコミックス 511、『[[マンガ少年]]』連載、[[朝日ソノラマ]])ISBN 978-4-257-91511-9 * 仮面少年 (1979年12月25日、サンコミックス 549、『マンガ少年』連載、朝日ソノラマ)ISBN 978-4-257-91549-2 * ライヤー教授の午後 (1980年5月31日、サンコミックス 574、『マンガ少年』連載、朝日ソノラマ)ISBN 978-4-257-91574-4 * 宵闇通りのブン (1980年12月15日、サンコミックス 611、『マンガ少年』連載、朝日ソノラマ)ISBN 978-4-257-91611-6 * 真琴♥グッドバイ (1982年7月22日、サンコミックス、『[[DUO (マンガ雑誌)|DUO]]』連載、朝日ソノラマ)ISBN 978-4-257-91700-7 * 腸詰工場の少女 (1982年8月10日、マイコミックス、『マンガ宝島』掲載、1982年3月号、[[東京三世社]])ISBN 4-88570-435-9 * クレイジーピエロ (1983年7月20日、マイコミックス、『少年/少女SFマンガ競作大全集』連載、東京三世社)ISBN 4-88570-449-9 * 海から来たドール (1985年2月2日、ジェッツコミックス、『[[月刊コミコミ]]』連載、1984年8月号・1985年2月号、[[白泉社]])ISBN 978-4-592-13044-4 * WOMEN'S ISLAND (1985年10月、ジェッツコミックス、白泉社)ISBN 978-4-592-13067-3 * Uボート・レディ (1985年11月5日、ウィングスコミックス、『[[月刊ウィングス]]』連載、1983年8月号 - 1984年4月号、[[新書館]])ISBN 978-4-403-61089-9 * [[荒俣宏]]/原作 [[帝都物語]] TOKIO WARS (1989年9月20日、ドラゴンコミックス、[[角川書店]])ISBN 978-4-04-926014-4 * 怪談 KWAIDAN (1991年12月、『S&Mスナイパー』連載、1990年2月号 - 1991年1月号、朝日ソノラマ)ISBN 978-4-257-90139-6 * 金目童子 (1993年1月20日、ハロウィン少女コミック館、『[[ハロウィン (雑誌)|ハロウィン]]』連載、1991年11月号 - 1992年8月号、朝日ソノラマ)ISBN 978-4-257-98245-6 * {{読み仮名|猟鬼博士|りょうきはかせ}} (1995年4月20日、ハロウィン少女コミック館、『[[眠れぬ夜の奇妙な話]]』連載、1991年9月号 - 1992年7月号、朝日ソノラマ)ISBN 978-4-257-98561-7 * マンイーター (1997年7月、ぶんか社コミックスホラーMDXシリーズ、『[[ホラーM]]』連載、ぶんか社)ISBN 978-4-8211-9588-6 * 手つなぎ鬼 (2000年2月1日、ぶんか社コミックス 105、『ホラーM』連載、ぶんか社)ISBN 978-4-8211-9799-6 * 恐怖症博士 ドクター・フォービア (2003年3月5日、[[少年チャンピオンコミックス]]、『[[週刊少年チャンピオン]]』連載、[[秋田書店]])ISBN 978-4-253-20133-9 * 悪夢交渉人 ナイトメア・ネゴシエーター (2004年6月30日、『ホラーM』連載、ぶんか社)ISBN 978-4-257-90505-9 * {{読み仮名|街童子|まちわらし}} (2004年9月30日、眠れぬ夜の奇妙な話コミックス、『ネムキ』連載、朝日ソノラマ)ISBN 978-4-257-90507-3 * 夜姫さま (2007年4月、『ホラーM』連載、ぶんか社)ISBN 978-4-8211-8406-4 ** 夜姫さま (2012年4月20日、『ホラーM』連載、ぶんか社)ISBN 978-4-8211-7274-0 * 顔のない女 (2011年1月、『ミステリマガジン』連載、[[早川書房]])ISBN 978-4-15-209186-4 * 怪盗ミルク (2012年1月、『ミステリマガジン』連載、早川書房)ISBN 978-4-15-209269-4 * ストーリィ・テラー (2012年11月、BUNKASHA COMICS、『ホラーM』連載、ぶんか社)ISBN 978-4-8211-7378-5 * ヘビ女はじめました (2013年11月22日、幽COMICS、『[[幽]]』連載、2004年7月 - 2013年8月号、[[KADOKAWA]])ISBN 978-4-04-066105-6 * 人外な彼女 Phantom Girls (2015年3月、『ミステリマガジン』連載、早川書房)ISBN 978-4-15-209527-5 * マジカル・高橋葉介・ツアー Magical Takahashi Yosuke Tour (2015年5月25日、[[復刊ドットコム]])ISBN 978-4-8354-5214-2 * マリッジ・ミーティング Marriage Meeting(2018年4月、『ミステリマガジン』連載、早川書房)ISBN 978-4-15-209761-3 * 拝む女(2020年8月、『幽』連載、KADOKAWA)ISBN 978-4-04-109316-0 === 文庫・新装版 === * 腸詰工場の少女(1985年、ソフトカバー版、[[東京三世社]])ISBN 978-4-88570-481-9 * 夢幻紳士 マンガ少年版(1985年7月25日、デュオ・セレクション 10、ソフトカバー版、朝日ソノラマ)ISBN 978-4-257-90062-7 * 夢幻紳士 冒険活劇篇 1-7(1998年、[[スコラ]]漫画文庫、スコラ)ISBN 978-4-7962-0505-4 他 * クレイジーピエロ(2001年7日、Paper comics、日本エディターズ)ISBN 978-4-930787-23-1 * 手つなぎ鬼(2005年9月、ホラーMコミック文庫、ぶんか社)ISBN 978-4-8211-8201-5 * 学校怪談 1-8(2006年 - 2008年、秋田文庫)ISBN 978-4-253-17782-5 他 * 夢幻紳士 冒険活劇篇 1-5(2006年、ハヤカワコミック文庫、早川書房)ISBN 978-4-15-030844-5 他 * 夢幻紳士 マンガ少年版(2006年12月、朝日ソノラマ文庫、朝日ソノラマ)ISBN 978-4-257-72401-8 ** 夢幻紳士 マンガ少年版(2007年10月、ソノラマコミック文庫 た48-1、朝日新聞社)ISBN 978-4-02-267025-0 * 夢幻外伝 1・2(2007年、朝日ソノラマ文庫、朝日ソノラマ)ISBN 978-4-257-72407-0 他 ** 夢幻外伝 1・2(2007年10月、ソノラマコミック文庫 た48-2、朝日新聞社)ISBN 978-4-02-267026-7 他 * 怪談 KWAIDAN(2007年3月、朝日ソノラマ文庫、朝日ソノラマ)ISBN 978-4-257-72419-3 ** 怪談 KWAIDAN(2007年10月、ソノラマコミック文庫 た48-4、朝日新聞社)ISBN 978-4-02-267028-1 * 腹話術(2007年4月、朝日ソノラマ文庫、朝日ソノラマ)ISBN 978-4-257-72425-4 ** 腹話術(2007年10月、ソノラマコミック文庫 た48-5、朝日新聞社)ISBN 978-4-02-267029-8 * {{読み仮名|我楽多街奇譚|がらくたまちきたん}}(2007年5月、ソノラマコミック文庫、朝日ソノラマ)ISBN 978-4-257-72431-5 ** {{読み仮名|我楽多街奇譚|がらくたまちきたん}}(2007年10月、ソノラマコミック文庫 た48-6、朝日新聞社)ISBN 978-4-02-267030-4 * 悪夢交渉人 ナイトメア・ネゴシエーター (2007年10月、ソノラマコミックス、朝日新聞社)ISBN 978-4-02-213028-0 * {{読み仮名|街童子|まちわらし}} (2007年10月、ソノラマコミックス 眠れぬ夜の奇妙な話コミックス、『ネムキ』連載、朝日新聞社)ISBN 978-4-02-213029-7 * 夢幻紳士 怪奇編(2007年5月、ハヤカワコミック文庫)ISBN 978-4-15-030889-6 === 作品集 === * 高橋葉介作品集 1-20(1987年 - 1993年、朝日ソノラマ) *# ミルクがねじを回す時 ISBN 978-4-257-90150-1 *# 仮面少年 ISBN 978-4-257-90151-8 *# ライヤー教授の午後 ISBN 978-4-257-90152-5 *# 宵闇通りのブン ISBN 978-4-257-90153-2 *# 海から来たドール ISBN 978-4-257-90154-9 *# 猫夫人 ISBN 978-4-257-90155-6 *# 夢幻紳士 1 ISBN 978-4-257-90156-3 *# 夢幻紳士 2 ISBN 978-4-257-90157-0 *# クレイジーピエロ ISBN 978-4-257-90158-7 *# 腸詰工場の少女 ISBN 978-4-257-90159-4 *# 夢幻紳士 怪奇編 1 ISBN 978-4-257-90168-6 *# 夢幻紳士 怪奇編 2 ISBN 978-4-257-90171-6 *# 夢幻紳士 痛快熱血篇 1 ISBN 978-4-257-90174-7 *# 夢幻紳士 痛快熱血篇 2 ISBN 978-4-257-90177-8 *# 夢幻紳士 旋風怒涛編 1 ISBN 978-4-257-90184-6 *# 夢幻紳士 旋風怒涛編 2 ISBN 978-4-257-90186-0 *# 夢幻紳士 電光爆烈編 1 ISBN 978-4-257-90189-1 *# 夢幻紳士 電光爆烈編 2 ISBN 978-4-257-90190-7 *# 夢幻紳士 飛翔回天編 ISBN 978-4-257-90194-5 *# 荒俣宏/原作 帝都物語 ISBN 978-4-257-90197-6 * ヨウスケの奇妙な世界 1-20(1998年 - 2000年、朝日ソノラマ文庫) *# 夢幻紳士 マンガ少年版 ISBN 978-4-257-72021-8 *# 夢幻紳士 怪奇編 1 ISBN 978-4-257-72022-5 *# 夢幻紳士 怪奇編 2 ISBN 978-4-257-72023-2 *# 夢幻外伝 1 死者の宴 ISBN 978-4-257-72024-9 *# 夢幻外伝 2 夜の劇場 ISBN 978-4-257-72025-6 *# 夢幻外伝 3 目隠し鬼 ISBN 978-4-257-72026-3 *# 怪談 KWAIDAN ISBN 978-4-257-72027-0 *# 仮面少年 ISBN 978-4-257-72028-7 *# ミルクがねじを回す時 ISBN 978-4-257-72029-4 *# ライヤー教授の午後 ISBN 978-4-257-72030-0 *# 宵闇通りのブン ISBN 978-4-257-72031-7 *# 海から来たドール ISBN 978-4-257-72032-4 *# 猫夫人 ISBN 978-4-257-72033-1 *# クレイジーピエロ ISBN 978-4-257-72034-8 *# 腸詰工場の少女 ISBN 978-4-257-72035-5 *# 猟鬼博士 ISBN 978-4-257-72036-2 *# ここに愛の手を ISBN 978-4-257-72037-9 *# 双子の恋 ISBN 978-4-257-72038-6 *# 金目童子 ISBN 978-4-257-72039-3 *# 帝都物語 荒俣宏「帝都物語」より ISBN 978-4-257-72040-9 * 高橋葉介ベストセレクション 1-6(2008年、[[宙出版]]) *# 荒俣宏/原作 帝都物語 ワイド版 ISBN 978-4-7767-9414-1 *# ここに愛の手を ワイド版 ISBN 978-4-7767-9464-6 *# 真琴♥グッドバイ ワイド版 ISBN 978-4-7767-9479-0 *# 海から来たドール ワイド版 ISBN 978-4-7767-9486-8 *# Uボート・レディ ワイド版 ISBN 978-4-7767-9498-1 *# 影一号指令 ワイド版 ISBN 978-4-7767-9507-0 * 高橋葉介セレクション(2011年、あさひコミックス、朝日新聞出版) *# 夢幻紳士 マンガ少年版 ISBN 978-4-02-214048-7 *# 夢幻外伝 1 ISBN 978-4-02-214077-7 *# 夢幻外伝 2 ISBN 978-4-02-214080-7 *# {{読み仮名|我楽多街奇譚|がらくたまちきたん}} ISBN 978-4-02-214081-4 * 高橋葉介傑作集(2014年 - 、ぶんか社) *# 手つなぎ鬼 ISBN 978-4-8211-7523-9 *# マンイーター ISBN 978-4-8211-7539-0 *# もののけ草紙 一ノ巻 ISBN 978-4-8211-7776-9 *# もののけ草紙 二ノ巻 ISBN 978-4-8211-7777-6 *# もののけ草紙 三ノ巻 ISBN 978-4-8211-7778-3 *# 海から来たドール ISBN 978-4-8211-7974-9 *# Uボート・レディ ISBN 978-4-8211-7975-6 === 画集 === *{{Cite book|和書 |editor=穴沢優子 |others=倉田わたる 協力 |date=2021-07-20 |title=にぎやかな悪夢 Cheerful nightmare |publisher=河出書房新社 |isbn=978-4-309-72852-0 |ref={{Harvid|高橋|2021}} }} - 注釈:『夢幻紳士』40周年記念、初の画集。 === 漫画原作 === * [[私は加護女|私は{{読み仮名|加護女|かごめ}}]](作画:[[近藤豪志]]、『週刊少年チャンピオン』連載、2006年51号 - 2007年43号) * [[押入れの少年]](作画:[[みもり]]、『[[プリンセスGOLD]]』掲載、2012年7月号、『[[月刊プリンセス]]』掲載、2013年1月号 - 2017年11月号) * ガラガラポン(作画:みもり、『[[チャンピオンRED]]』掲載、2024年1月号 - ) === アニメーション・キャラクター設定 === * [[星くず兄弟の伝説 (映画)|星くず兄弟の伝説]](1985年) * [[ゆめだまや奇談]](2007年) - キャラクター原案 === OVA === *『夢幻紳士 ~冒険活劇編~』時間:49分(発売・販売元:ビクター音産{現・日本ビクター株式会社}:1987年:VHSビデオ:廃盤) *『学校怪談 呪われた記憶』時間:90分(製作:吉本興業株式会社、丸紅株式会社:1998年9月:VHSビデオ:廃盤) === ドラマCD === *『学校怪談』(発売:バンダイ・ミュージックエンタテインメント:1997年5月:CD:廃盤) === 映画 === *『夢幻紳士 人形地獄』時間:90分(監督:海上ミサコ、製作:ミカタ・エンタテインメント/DCP:2018年)<ref>{{Cite web|和書 |url=https://mugenshinshi.wixsite.com/movie/blank-2 |title=映画「夢幻紳士 人形地獄」公式サイト |publisher= |accessdate=2021-09-11 }}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://jackandbetty.net/cinema/detail/2649/ |title=夢幻紳士 人形地獄 |publisher=JACK & BETTY CINEMAS |accessdate=2021-09-11 }}</ref> === その他 === * 角川文庫 江戸川乱歩作品集 表紙・口絵(1987年) * 大槻ケンヂ「キラキラと輝くもの」(ユニバーサル・ミュージックジャパン)のCDジャケットイラストに上記の角川文庫版 江戸川乱歩著書「パノラマ島奇談」の表紙絵を流用している。 * 「[[妖怪ハンター]] [[アマビエ]] 対 王冠獣([[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|コロナ]])」(『諸星大二郎 デビュー50周年記念 トリビュート』収録<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/444103|title=浦沢直樹、萩尾望都、星野之宣、山岸凉子らが描き下ろし「諸星大二郎トリビュート」|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-09-07|accessdate=2021-09-07}}</ref>{{sfn|諸星 ほか|2021|pp=43-60}}、2021年) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 参考文献 == *{{Cite book|和書 |editor=穴沢優子 |date=2013-06-30 |title=高橋葉介 総特集 怪奇幻想マンガの第一人者 |series=文藝別冊 KAWADE夢ムック |publisher=河出書房新社 |isbn=978-4-309-97802-4 |url=https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309978024/ |ref={{Harvid|穴沢 編|2013}} }} - 注釈:デビュー36年、初の総力特集ムック本。作品目録あり。 **{{Cite book|和書 |editor=穴沢優子 |date=2021-06-30 |title=総特集 高橋葉介 『夢幻紳士』40周年記念 |edition=大増補新版 |series=文藝別冊 KAWADE夢ムック |publisher=河出書房新社 |isbn=978-4-309-98030-0 |url=https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309980300/ |ref={{Harvid|穴沢 編|2021}} }} - 注釈:デビュー44年&『夢幻紳士』40周年記念、総力特集ムック本。 *{{Cite book|和書 |author=[[諸星大二郎]] ほか |editor=穴沢優子 |date=2021-09-30 |title=諸星大二郎 デビュー50周年記念 トリビュート |publisher=河出書房新社 |isbn=978-4-309-29162-8 |url=https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309291628/ |ref={{Harvid|諸星 ほか|2021}} }} == 関連項目 == {{div col}}<!--項目の50音順--> *[[異形コレクション]] *[[月刊コミコミ]] *[[週刊少年チャンピオン]] *[[御神楽少女探偵団|続・御神楽少女探偵団 〜完結編〜]](外伝「八角邸事件」のキャラクターデザインを担当) *[[田島昭宇]](アシスタント) *[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]] *[[ネムキ]] *[[松本剛 (漫画家)|松本剛]](アシスタント) *[[マンガ少年]] {{div col end}} == 外部リンク == *[http://blog.livedoor.jp/planet_of_blackness/ 高橋葉介ウヱブサイト] - 本人のWebサイト *[https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309980300/ 総特集 高橋葉介 『夢幻紳士』40周年記念] *[https://mangapedia.com/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E8%91%89%E4%BB%8B-21p8ztz2n 高橋葉介] - [[マンガペディア]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:たかはし ようすけ}} [[Category:駒澤大学出身の人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本の漫画原作者]] [[Category:ホラーに関連する人物]] [[Category:1956年生]] [[Category:存命人物]]
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数学
数学(すうがく)とは、数・量・図形などに関する学問であり、理学の一種。「算術・代数学・幾何学・解析学・微分法・積分法などの総称」とされる。 数学は自然科学の一種にも、自然科学ではない「形式科学」の一種にも分類され得る。 現代の日本語における「数学」は、直接的には英語の mathematics の訳語ないし同義語とされる。英語の mathematics ないしその単数形 mathematic の直接の語源は、古フランス語 mathematique であり、これはラテン語の (ars) mathematica、またギリシア語の μαθηματικὴ (τέχνη) に由来し、原義は「学ぶこと」である。 mathematics の訳語として「数学(數學)」を用いている例として、東京数学会社(現、日本数学会)訳語会による訳語が挙げられる。それ以前にも「数学」という語は使われていたが、mathematics の定訳ではなかった。例えば1814年の『諳厄利亜語林大成』では「数学」は arithmetic の訳語に用いられ、mathematics には「測度數之学」が当てられている。 数学の定義については、数学者や哲学者の間で様々な見解がある。 冒頭では「数・量・図形などに関する学問」としたが、数学の研究対象は、量(数)・構造・空間・変化など多岐にわたる。 19世紀のヨーロッパで集合論が生まれてからは「数学とは何か」ということがあらためて問い直されるようになり(数学基礎論)、数学の対象・方法・文化史的な価値などについて研究する数理科学も生まれた。 「数学の起源は人類が農耕を始めたこととの関連が大きい」とも。農作物の分配管理や商取引のための計算、農地管理のための測量、そして農作業の時期を知る暦法のための天文現象の周期性の解明などである。これら三つの必要性は、そのまま数学の大きな三つの区分、構造・空間・変化のそれぞれの研究に大体対応しているといえよう。この時点では、例えば土木工事などの経験から辺の比が 3 : 4 : 5である三角形が直角三角形になることは知られていても、一般に直角三角形の辺の長さの比が c = a + b (c, b, a は辺の長さ)になること(ピタゴラスの定理)は知られていなかった。数学が独立した学問でなく純粋な実用数学であった時代には、あたかも自然科学におけるデータのようにこれらの関係を扱い、例を多数挙げることで正しさを主張するといった手法でもさして問題視されなかった。しかし数は無限に存在するため、沢山の数を調べても完全に証明することはできない。数学が一つの学問として研究されるようになって以降は、論理を用いて真偽を判定する「数学的証明」が発達した。現代の数学でも数学的証明は非常に重視されている。 現代における純粋数学の研究は主に代数学・幾何学・解析学の三分野に大別される。また、これらの数学を記述するのに必要な道具を与える論理を研究する学問を数学基礎論という。 以下の分野や項目の一覧は、数学に対する一つの有機的な見方を反映している。 便宜上の分類 ヴィンチェンツォ・ガリレイは音楽(音程学・音響学)の研究に数学的手法を導入し、その息子ガリレオ・ガリレイは、父の影響を受け、物体の運動の研究(物理学)に数学的手法を導入し、物理学に大きな変革をもたらした。以後、(アイザック・ニュートンの『自然哲学の数学的諸原理』でも、「数学的原理」としており、書物名、タイトルにも顕著にあらわれているが)数学の発展と物理学の発展は密接な関係にある。 このほかの自然科学においても数学的な手法は基礎的な要素となっている。 数理モデルは数理モデルは理想化されており、往々にして実際との間には「ずれ」が生じる、という問題はあるが、それでも、そうした分野の研究に、俯瞰的な視点を与え、研究に大きな進歩や高い次元からの洞察をもたらすこともある。 工学の他、社会学や言語学など幅広い分野に応用されている。 数学教育により抽象的な考えを養うことができるとされ、他分野への恩恵があるという。ドイツの学生は台湾の学生と比較して、モデリングにおける熟考能力が強みとされている。 初等教育では「算数」、中等教育では「数学」と表記されている。 学習する分野は、10年ごとに文部科学省から学習指導要領が告示され、その基準に基づいて決定される。 ※「ノーベル数学賞」というものは存在しない。数学に関する賞としては(一般に)フィールズ賞が最高峰とされている。
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数学(すうがく)とは、数・量・図形などに関する学問であり、理学の一種。「算術・代数学・幾何学・解析学・微分法・積分法などの総称」とされる。 数学は自然科学の一種にも、自然科学ではない「形式科学」の一種にも分類され得る。
{{WikipediaPage|「'''Math'''」はここに[[Wikipedia:リダイレクト|転送]]されてます。mathタグでウィキペディアの記事に数式を執筆する方法については、[[m:Help:Displaying a formula/ja]] を、その表示設定については[[Help:個人設定#数式]]をご覧ください。}} {{混同|数字}} {{Otheruses}}{{複数の問題 | 独自研究 = 2015年4月11日 (土) 13:30 (UTC(UTC) | 参照方法 = 2020年1月27日 (月) 17:49 (UTC) }} {{ページ番号|date=2020年1月27日 (月) 17:49 (UTC)}} '''数学'''(すうがく)とは、[[数]]・[[量]]・[[図形]]などに関する[[学問]]であり<ref>ニッポニカ「数学」</ref>、[[理学]]の一種<ref name="『大学事典』「理学部」">[https://kotobank.jp/word/%E7%90%86%E5%AD%A6%E9%83%A8-2092387#E5.A4.A7.E5.AD.A6.E4.BA.8B.E5.85.B8 『大学事典』「理学部」]</ref>{{Efn2|『大学事典』の原文:{{Quote|'''理学部'''<br>'''りがくぶ'''<br>[理学と理学部] … <ins>[[理学]]</ins>を構成する<ins>数学</ins>・物理学・化学・生物学・地学等に関する知識,研究方法,自然観などは人類の文化・文明の豊かさの基盤になっている。 … 一般に「科学的方法」といわれる理学の研究方法は自然科学にとどまらず,人文・社会科学の研究にも導入され,専門知識の体系化において根幹的な役割を果たしている。<ref name="『大学事典』「理学部」"/>}} 『精選版 日本国語大辞典』の原文:{{Quote|'''しぜん‐かがく ‥クヮガク【自然科学】'''<br> 〘[[名詞|名]]〙 (natural science の訳語) 自然現象を対象とする学問の総称。<ins>狭義</ins>には自然現象そのものの法則を探求する<ins>数学</ins>、物理学、天文学、化学、生物学、地学などをさし、広義にはそれらの実生活への応用を目的とする工学、農学、医学などを含むこともある。<ref name="『精選版 日本国語大辞典』「自然科学」"/>}}}}。「[[算術]]・[[代数学]]・[[幾何学]]・[[解析学]]・[[微分法]]・[[積分法]]などの[[:wikt:総称#名詞|総称]]」とされる<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%95%B0%E5%AD%A6-83255#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 『デジタル大辞泉』「数学」]</ref>。 数学は[[自然科学]]の一種にも<ref name="『精選版 日本国語大辞典』「自然科学」">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%A7%91%E5%AD%A6-73562#E7.B2.BE.E9.81.B8.E7.89.88.20.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.9B.BD.E8.AA.9E.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E5.85.B8|title=『精選版 日本国語大辞典』「自然科学」|publisher=コトバンク|accessdate=2021-07-04}}</ref>、自然科学ではない「[[形式科学]]」の一種にも分類され得る<ref name="dictionarydotcom">{{Cite dictionary|url=https://www.dictionary.com/browse/natural-science#|title=natural science|publisher=Dictionary.com}}</ref>。 == 語源 == {{wiktionary|数学|數學|mathematics}} 現代の日本語における「数学」は、直接的には英語の {{en|mathematics}} の訳語ないし同義語とされる。英語の {{en|mathematics}} ないしその単数形 {{en|mathematic}} の直接の語源は、古フランス語 {{fr|mathematique}} であり、これはラテン語の {{la|(ars) mathematica}}、また[[ギリシア語]]の {{el|μαθηματικὴ (τέχνη)}} に由来し、原義は「学ぶこと」である<ref>{{cite web2 |title=Definition of mathematics |website=lexico.com |url=https://www.lexico.com/definition/mathematics |publisher=Oxford University Press |accessdate=2022-06-21 |date=2022-06-21<!-- see: https://www.lexico.com/about --> |ref={{sfnref|Lexico.com|2022}} }}</ref>。 {{en|mathematics}} の訳語として「数学(數學)」を用いている例として、東京数学会社(現、[[日本数学会]])訳語会による訳語{{sfn|東京數學會社雑誌 第51号|1882|pp=3&ndash;8}}が挙げられる。それ以前にも「数学」という語は使われていたが、{{en|mathematics}} の定訳ではなかった。例えば1814年の『[[諳厄利亜語林大成]]』では「数学」は {{en|arithmetic}}{{efn2|『[[諳厄利亜語林大成]]』における読み仮名は「アリトメテイーク」。}} の訳語に用いられ{{efn2|『[[諳厄利亜語林大成]]』では「算術<sub>又</sub>數学」の意とされている。}}{{sfn|諳厄利亜語林大成 巻之一|1814|p=62}}、{{en|mathematics}}{{efn2|『[[諳厄利亜語林大成]]』では {{en|mathematicks}} と綴られている。また読み仮名として「マテイマテイツキ」が当てられている。}} には「測度數之学」が当てられている{{sfn|諳厄利亜語林大成 巻之七|1814|p=50}}。 == 定義と対象 == 数学の[[定義]]については、[[数学者]]や[[哲学者]]の間で様々な見解がある<ref name="Mura">{{Cite journal |title=Images of Mathematics Held by University Teachers of Mathematical Sciences |author=Mura, Roberta |journal=Educational Studies in Mathematics |date=Dec 1993 |volume=25 |issue=4 |pages=[http://www.jstor.org/stable/10.2307/3482762 375–385] |ref=harv}}</ref><ref name="Runge">{{Cite book |title=[[Iris Runge]]: A Life at the Crossroads of Mathematics, Science, and Industry |publisher=Springer |author=Tobies, Renate and Helmut Neunzert |year=2012 |pages=[https://books.google.co.jp/books?id=EDm0eQqFUQ4C&pg=PA9&redir_esc=y&hl=ja 9] |isbn=3-0348-0229-3 |quote=It is first necessary to ask what is meant by ''mathematics'' in general. Illustrious scholars have debated this matter until they were blue in the face, and yet no consensus has been reached about whether mathematics is a natural science, a branch of the humanities, or an art form.}}</ref>。 冒頭では「数・量・図形などに関する学問」としたが、数学の研究対象は、[[量]]([[数]])<ref name="OED">{{Cite web |url=http://oed.com/view/Entry/114974 |title= mathematics, n. : Oxford English Dictionary|accessdate=June 17, 2015 |quote=The science of space, number, quantity, and arrangement, whose methods involve logical reasoning and usually the use of symbolic notation, and which includes geometry, arithmetic, algebra, and analysis.|deadlinkdate=2020年1月}}</ref>・[[構造]]<ref name="Kneebone">{{Cite book |title=Mathematical Logic and the Foundations of Mathematics: An Introductory Survey |publisher=Dover |author=Kneebone, G.T. |year=1963 |pages=[https://books.google.co.jp/books?id=tCXxf4vbXCcC&pg=PA4&redir_esc=y&hl=ja 4] |isbn=0-486-41712-3 |quote=Mathematics&nbsp;... is simply the study of abstract structures, or formal patterns of connectedness.}}</ref>・[[空間]]{{R|OED}}・変化<ref name="LaTorre">{{Cite book |title=Calculus Concepts: An Informal Approach to the Mathematics of Change |publisher=Cengage Learning |author=LaTorre, Donald R., John W. Kenelly, Iris B. Reed, Laurel R. Carpenter, and Cynthia R Harris |year=2011 |pages=[https://books.google.co.jp/books?id=1Ebu2Tij4QsC&pg=PA2&redir_esc=y&hl=ja 2] |isbn=1-4390-4957-2 |quote=Calculus is the study of change—how things change, and how quickly they change.}}</ref><ref name="Ramana">{{Cite book |title=Applied Mathematics |publisher=Tata McGraw–Hill Education |author=Ramana |year=2007 |page=[https://books.google.co.jp/books?id=XCRC6BeKhIIC&pg=SA2%E2%80%93PA10&redir_esc=y&hl=ja 2.10] |isbn=0-07-066753-5 |quote=The mathematical study of change, motion, growth or decay is calculus.}}</ref><ref name="Ziegler">{{Cite book |title=An Invitation to Mathematics: From Competitions to Research |publisher=Springer |author=Ziegler, Günter M. |authorlink=Günter M. Ziegler |year=2011 |pages=[https://books.google.co.jp/books?id=9TATfteVeVYC&pg=PR7&redir_esc=y&hl=ja 7] |isbn=3-642-19532-6 |chapter=What Is Mathematics?}}</ref>など多岐にわたる。 19世紀のヨーロッパで[[集合論]]が生まれてからは「数学とは何か」ということがあらためて問い直されるようになり([[数学基礎論]])、数学の対象・方法・[[文化史]]的な価値などについて研究する[[数理科学]]も生まれた。 == 歴史 == {{Main|数学史}} 「[[数学史|数学の起源]]は人類が[[農耕]]を始めたこととの関連が大きい」とも。農作物の分配管理や商取引のための[[計算]]、農地管理のための[[測量]]、そして農作業の時期を知る[[暦]]法のための[[天文現象]]の周期性の解明などである。これら三つの必要性は、そのまま数学の大きな三つの区分、構造・空間・変化のそれぞれの研究に大体対応しているといえよう。この時点では、例えば土木工事などの経験から辺の比が 3 : 4 : 5である三角形が直角三角形になることは知られていても、一般に直角三角形の辺の長さの比が ''c''{{Sup|2}} = ''a''{{Sup|2}} + ''b''{{Sup|2}} (''c'', ''b'', ''a'' は辺の長さ)になること([[ピタゴラスの定理]])は知られていなかった。数学が独立した学問でなく純粋な実用数学であった時代には、あたかも自然科学におけるデータのようにこれらの関係を扱い、例を多数挙げることで正しさを主張するといった手法でもさして問題視されなかった。しかし数は無限に存在するため、沢山の数を調べても完全に証明することはできない。数学が一つの学問として研究されるようになって以降は、論理を用いて真偽を判定する「数学的証明」が発達した。現代の数学でも数学的証明は非常に重視されている。 {{Seealso|数学の年表}} ;各国での歴史 * [[ユークリッド原論]](古代エジプト) / [[アラビア数学]] / [[インドの数学]] / [[中国の数学]] / [[中国の剰余定理]] / [[和算]] / == 分類・分野 == {{出典の明記|date=2015年4月11日 (土) 13:28 (UTC)|section=1}} 現代における純粋数学の研究は主に[[代数学]]・[[幾何学]]・[[解析学]]の三分野に大別される。また、これらの数学を記述するのに必要な道具を与える[[論理]]を研究する学問を[[数学基礎論]]という。 ;基礎付け :数学の基礎を明確にすること、あるいは数学そのものを研究することのために、[[集合論]]や[[数理論理学]]そして[[モデル理論]]は発展してきた。フランスの数学者グループである[[ニコラ・ブルバキ]]は、集合論による数学の基礎付けを行い、その巨大な体系を『[[数学原論]]』として著した。彼らのスタイルはブルバキ主義とよばれ、現代数学の発展に大きな影響をあたえた。個々の対象の持つ性質を中心とする研究方法である集合論とは別の体系として、対象同士の関係性が作る[[システム]]に主眼を置くことにより対象を研究する方法として[[圏論]]がある。これはシステムという具体性から[[コンピュータネットワーク]]などに応用される一方で、極めて高い抽象性を持つ議論を経て極めて具体的な結果を得るような[[アブストラクト・ナンセンス]]などと呼ばれる形式性も持ち合わせている。 ;構造 :[[数]]や[[関数 (数学)|関数]]・[[図形]]の中の[[点 (数学)|点]]などの数学的対象の間に成り立つさまざまな関係を形式化・[[公理]]化して調べるという立場が[[ダフィット・ヒルベルト]]やニコラ・ブルバキによって追求された。数の大小関係や演算、点の近さ遠さなどの関係がそれぞれ[[順序集合]]や[[群 (数学)|群]]の構造、[[位相空間]]などの概念として公理化され、その帰結が研究される。特に、様々な代数的構造の性質を研究する[[抽象代数学]]は20世紀に大きく発展した。現代数学で取り扱われる構造は上のような基本的な構造にとどまらず、異なった種類の構造を併せて考える[[線型位相空間]]や[[双曲群]]などさまざまなものがある。 ;空間 :'''空間'''の研究は[[幾何学]]と共に始まる。初めは、それは身近な三次元における[[ユークリッド幾何学]]や[[三角法]]であるが、後にはやはり、[[一般相対性理論]]で中心的な役割を演ずる[[非ユークリッド幾何学]]に一般化される。長い間未解決だった[[定規とコンパスによる作図]]の問題は、最終的に[[ガロア理論]]によって決着が付いた。現代的な分野である[[微分幾何学]]や[[代数幾何学]]は幾何学を異なる方向に発展させた:微分幾何学では、[[座標]]や滑らかさ、それに向きの概念が強調されるが、一方で代数幾何学では、[[代数方程式]]の解となるような集合を幾何学的な対象とする。集合は数学の基礎を成す重要な概念であるが、幾何学的な側面を強調する場合、集合を[[空間]]と言い、その集合の元を点と呼ぶ。[[群論]]では対称性という概念を抽象的に研究し、空間と代数構造の研究の間に関連を与える。[[位相幾何学]]は[[連続 (数学)|連続]]という概念に着目することで、空間と変化の双方の研究に関係する。 ;解析 :測る量についての'''変化'''を理解し、記述することは[[自然科学]]の共通の主題であり、[[微分積分学]]はまさにそのための最も有用な道具として発展してきた。変化する量を記述するのに使われる中心的な道具は[[関数 (数学)|関数]]である。多くの問題は、とても自然に量とその変化の割合との関係になり、そのような問題を解くための手法は[[微分方程式]]の分野で研究される。連続的な量を表すのに使われる数が[[実数]]であり、実数の性質や実数に値をとる関数の性質の詳しい研究は[[実解析]]として知られる。いくつかの理由から、[[複素数]]に拡張する方が便利であり、それは[[複素解析]]において研究される。[[関数解析学]]は[[関数空間]](関数の集合に位相構造を持たせたもの)が興味の中心であり、この分野は[[量子力学]]やその他多くの学問の基盤となっている。自然の多くの現象は[[力学系]]によって記述され、[[カオス理論]]では、多くの系が決定可能であるにもかかわらず予測不可能な現れ方をする、という事実を扱う。 ;計算機 :人類が[[コンピュータ]]を最初に思いついたとき(それは実際に作られるより遥かに前のことだが)、いくつかの重要な理論的概念は[[数学者]]によってかたち作られ、[[計算可能性理論]]・[[計算複雑性理論]]・[[情報理論]]、そして[[アルゴリズム情報理論]]の分野に発展した。これらの問題の内の多くは[[計算機科学]]において研究されている。[[離散数学]]は計算機科学において有用な数学の分野の総称である。[[数値解析]]は、丸め誤差を考慮に入れて、幅広い数学の問題について効率的にコンピュータの上で数値解を求める方法を研究する。また1950年代から2000年代<ref>{{Cite web|和書|title=第1回「科学技術の第3の柱『計算科学』」(岩崎洋一 氏 / 筑波大学学長) |url=https://scienceportal.jst.go.jp/explore/interview/20071126_01/ |website=Science Portal - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」 |accessdate=2022-02-16 |language=ja-jp}}</ref>にかけて、計算機科学を駆使して自然科学上の問題を解決する[[計算科学]]が急速に発展した。 ;統計 :[[応用数学]]において、重要な分野に[[統計学]]が挙げられる。統計学はランダムな現象の記述や解析や予測を可能にし、全ての科学において、利用されている。 {{独自研究|section=1|date=2016-10-19}} {{See also|数学の諸分野 |{{日本語版にない記事リンク|数学の諸分野の語彙の一覧|en|Glossary of areas of mathematics}} }} 以下の分野や項目の一覧は、数学に対する一つの有機的な見方を反映している。 便宜上の分類 * [[代数学]] * [[幾何学]] * [[解析学]] * [[集合論]] * [[情報科学]] * [[確率論]] * [[統計学]] * [[論理学]] ;量 :[[数]]—[[自然数]]—[[整数]]—[[偶数]]—[[奇数]]—[[小数]]—[[分数]]—[[素数]]—[[有理数]]—[[無理数]]—[[実数]]—[[虚数]]—[[複素数]]—[[四元数]]—[[八元数]]—[[十六元数]]—[[超実数]]—[[順序数]]—[[基数]]—[[濃度 (数学)|濃度]]—[[p進数]]—[[巨大数]]—[[整数列]]—[[数学定数]]—[[数の名称]]—[[無限]] ;変化 :[[算術]]—[[微積分学]]—[[ベクトル解析]]—[[解析学]]—[[微分方程式]]—[[力学系]]—[[カオス理論]]—[[関数一覧]] ;構造 :[[抽象代数学]]—[[数論]]—[[代数幾何学]]—[[群論]]—[[モノイド]]—[[解析学]]—[[位相幾何学]]—[[線型代数学]]—[[グラフ理論]]<!--[[普遍代数]]-->—[[圏論]] ;空間 :[[解析幾何学]]—[[位相幾何学]]—[[幾何学]]—[[三角法]]—[[代数幾何学]]—[[微分幾何学]]<!--[[微分位相幾何学 ]]—[[代数的位相幾何学]]—[[組合せ論的位相幾何学]]-->—[[線型代数学]]—[[フラクタル幾何]]—[[図形]]—[[図形の一覧]]—[[ベクトル解析]] ;有限数学 :[[組合せ論]]—[[素朴集合論]]—[[確率論]]—[[統計学]]—[[計算理論]]—[[離散数学]]—[[暗号法]]—[[暗号理論]]—[[グラフ理論]] ;数理科学 :[[計算科学]]—[[数値解析]]—[[確率論]]—[[逆問題]]—[[数理物理学]]—[[数理経済学]]—[[ゲーム理論]]<ref>{{Citation |和書 |first=道宏 |last=神取 |title=追悼 ジョン・ナッシュ : 数学者、そして数理科学者として |publisher=日本評論社 |periodical=経済セミナー |vol=2015年7・8月号 |year=2015 |page={{要ページ番号|date=2020年1月}}}}</ref>—[[数理生物学]]—[[数理心理学]]—[[保険数理]]—[[数理工学]] ;有名な定理と予想 :[[フェルマーの最終定理]]—[[リーマン予想]]—[[連続体仮説]]—[[P≠NP予想]]—[[ゴールドバッハの予想]]—[[双子素数の予想]]—[[ゲーデルの不完全性定理]]—[[ポアンカレ予想]]—[[カントールの対角線論法]]—[[ピタゴラスの定理]]—[[中心極限定理]]—[[微積分学の基本定理]]—[[代数学の基本定理]]—[[四色定理]]—[[ツォルンの補題]]—[[オイラーの等式]]—[[コラッツの予想]]—[[合同数の問題]]—[[バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想]]—[[ヒルベルトの23の問題]]—[[スメイルの問題]]—[[ソファ問題]] ;基礎と方法 :[[数理哲学]]—[[直観主義 (数学の哲学)|直観主義]]—[[構成主義 (数学)|数学的構成主義]]—[[数学基礎論]]—[[集合論]]—[[数理論理学]]—[[モデル理論]]—[[圏論]]—[[数学的証明]]—[[数学記号の表]]—[[逆数学]] == 数学の応用 == === 自然科学 === [[ヴィンチェンツォ・ガリレイ]]は音楽(音程学・音響学)の研究に数学的手法を導入し、その息子[[ガリレオ・ガリレイ]]は、父の影響を受け、物体の運動の研究([[物理学]])に数学的手法を導入し、物理学に大きな変革をもたらした。以後、([[アイザック・ニュートン]]の『[[自然哲学の数学的諸原理]]』でも、「数学的原理」としており、書物名、タイトルにも顕著にあらわれているが)数学の発展と物理学の発展は密接な関係にある。 このほかの自然科学においても数学的な手法は基礎的な要素となっている。 === 数理モデル === [[数理モデル]]は数理モデルは理想化されており、往々にして実際との間には「ずれ」が生じる、という問題はあるが、それでも、そうした分野の研究に、俯瞰的な視点を与え、研究に大きな進歩や高い次元からの洞察をもたらすこともある。 工学の他、社会学や言語学など幅広い分野に応用されている。 === 思考力の養成 === 数学教育により抽象的な考えを養うことができるとされ、他分野への恩恵があるという<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=駐日ウクライナ大使 セルギー・コルスンスキー/伊藤羊一|IT大国ウクライナの強さと現状【前編】 |url=https://sogyotecho.jp/ukraine_korsunsky_ito/ |website=起業・創業・資金調達の創業手帳 |access-date=2022-05-25 |language=ja |last=創業手帳編集部}}</ref>。ドイツの学生は台湾の学生と比較して、モデリングにおける熟考能力が強みとされている<ref>{{Cite journal|last=Chang|first=Yu-Ping|last2=Krawitz|first2=Janina|last3=Schukajlow|first3=Stanislaw|last4=Yang|first4=Kai-Lin|date=2020-04|title=Comparing German and Taiwanese secondary school students’ knowledge in solving mathematical modelling tasks requiring their assumptions|url=http://link.springer.com/10.1007/s11858-019-01090-4|journal=ZDM|volume=52|issue=1|pages=59–72|language=en|doi=10.1007/s11858-019-01090-4|issn=1863-9690}}</ref>。 == 学会・会議 == {{Main|国際数学連合|ヨーロッパ数学会|アメリカ数学会|日本数学会}} {{Seealso|国際数学者会議|:en:European Congress of Mathematics|アジア数学会議|EASIAM}} == 数学教育 == {{main|算数・数学教育|数学 (教科)}} === 日本 === [[初等教育]]では「[[算数]]」、[[中等教育]]では「数学」と表記されている。 学習する分野は、10年ごとに[[文部科学省]]から[[学習指導要領]]が[[告示]]され、その基準に基づいて決定される。 == 数学に関する賞 == *[[フィールズ賞]]([[国際数学連合]]) *[[ネヴァンリンナ賞]](国際数学連合) *[[ガウス賞]](国際数学連合) *[[チャーン賞]](国際数学連合) *[[アーベル賞]](アーベル記念基金) *[[春季賞]]([[日本数学会]]) *[[ヴェブレン賞]]([[アメリカ数学会]]) *[[コール賞|フランク・ネルソン・コール賞]](アメリカ数学会) *[[ヨーロッパ数学会賞]]([[ヨーロッパ数学会]]) *[[ウルフ賞数学部門]]([[ウルフ財団]]) ※「[[ノーベル賞#ノーベル数学賞|ノーベル数学賞]]」というものは存在しない。数学に関する賞としては(一般に)フィールズ賞が最高峰とされている。 == 競技 == {{Main|数学の競技}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == {{No footnotes|section=1|date=2020年1月27日 (月) 17:49 (UTC)}} * {{cite book|和書 |last=佐藤 |first=泰夫 |last2=佐藤 |first2=純 |author2-link=佐藤純 |title=数学とは何だろう—文化としての数学 |publisher=[[森北出版]] |date=1998年 |ref=harv }} * {{cite book|和書 |last=川崎 |first=薩男 |title=数学の序説 |publisher=[[共立出版]] |date=1980 |isbn=978-4-320-01293-6 |ref=harv }} * {{cite book|和書 |last=本木 |first=正栄 |last2=楢林 |first2=高美 |last3=吉雄 |first3=永保 |title=諳厄利亜語林大成 |volume=巻之一 |date=1814 |pages=76 |ref={{sfnref|諳厄利亜語林大成 巻之一|1814}} }} * {{cite book|和書 |last=本木 |first=正栄 |last2=楢林 |first2=高美 |last3=吉雄 |first3=永保 |title=諳厄利亜語林大成 |volume=巻之七 |date=1814 |pages=80 |ref={{sfnref|諳厄利亜語林大成 巻之七|1814}} }} * {{cite 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食文化
食文化(しょくぶんか)は、食(食事)にまつわる文化のこと。 食文化には、食材の選び方、献立の立て方、調理法といったことから、食器の選び方、また誰と、どのように食べるのか、といったことや、作法・マナーなどに至るまで多くのことが含まれる。 食の頻度、摂取する時刻、なども食文化の要素の一つである。普段は何を食べるか、暦の上で特別な日には何を食べるのか、ということもある。 現代社会のグローバリズムの中で、それぞれの食文化は均一化の方向へ向かっている面もある。欧米企業を主体にしたファストフード店が、世界各国に展開していたり、インスタント食品やスナック菓子などが流通している。とは言うものの、世界各国の各家庭では、親から子へと伝統的な家庭料理が伝授されつづけているし、郷土料理の再評価や、地元の食材を用いた料理の評価(地産地消)、「スローフード運動」も起きている。また、跡継ぎ問題もあって家庭料理だけでなく地域固有の郷土料理に詳しい継承者を育てる動きもある。 くらしき作陽大学に、日本初の「食文化学部」が設置されている。 民族や宗教、地域、国家等々によってそれぞれの多様な食文化が存在する。固有のものがある一方で、麺類のように地域・国境を越えて食文化が伝播している場合もある。 たとえばユダヤ教には「カシュルート」や「コーシェル」と呼ばれる食物規定がある。これはもとをたどれば旧約聖書において、食べてよいもの、食べていけないもの、一緒に食べてはいけないものの組み合わせ、動物の屠り方、調理法などに関すること細かに記述・規定されていることによる。厳格な教派においては現在でもこれを厳格に守っているユダヤ教徒が多い。Pesaḥ(ペサハ。過越祭、すぎこしのまつり、ニサン月14日の夜。太陽暦の3月か4月の移動日に始まり一週間つづく)には、先祖がエジプト人の奴隷であった時代にモーセに率いられエジプトを脱出しようとした際、神はエジプト中の赤子を殺したが、小羊の血を家の入口に塗ったヘブライ人の家だけは「過ぎ越した」(殺さなかった)という故事を思い起こし、過越祭の最初の晩には「セーデル」と呼ばれる正餐を催す。小羊・苦菜・マッツァー(種なしパン、膨らますための酵母を入れないパン)を食べる。そして「ハガダー」という、出エジプトに関する物語・詩篇を読み、先祖がエジプトでの奴隷の身分から救出されたことを記念する。 ムスリム(イスラーム教徒)は、豚肉は不浄のものとして食べない。豚、血、アルコールを含むものは口にしない。鶏、羊などは食べることができるが、さばき方が決められており、神(アッラー)の名を唱えながら鋭利な刃物でさばく、と定められている。イスラム法にかなっている食べ物を「ハラール」という。中東では、ハラールに関して寛容になっているムスリムも増えたが、インドネシアのムスリムの中にはハラールに関して厳密な人も多い。 ムスリムはラマダーン月(イスラム暦の月のひとつ)には、日の出から日没まで断食を行う(また、飲むこと、喫煙、性交、みだらなことを考えること、嘘をつくこと、人を騙すこと、等々も禁じられている)。こうした断食はイスラム教の信仰の中でも最重要なもののひとつである。断食によって神が命じたことを行い、逆に禁止された全ての行いを遠ざけることでタクワ(神を意識すること)を増やす。断食を行うムスリムは多くの罪から助けられ、ジャハナム(地獄)から守られる、とされる。断食をすることによって、貧しくて食べるものもない人々の苦しみを感じることができ、そうした人々の気持ちに寄り添うことができるようになる。ラマダーン月になるとイスラーム教徒は皆、仕事を終えるとまっすぐ帰宅し、日没後に家族・親族が集い、一緒にイフタール(断食明けの食事)を仲良く楽しく食べる。それ故、ラマダーン月には街の料理店にはお客はまったくいなくなるという。ラマダーン月には世界中のイスラーム教徒はひとつになっていると実感し、信仰心が高まる。 (インドに多い)ヒンドゥー教徒は牛は聖なるものと考えており、牛肉は食べない(代わりに鶏肉などをよく食べる)。 西ヨーロッパでは中世までキリスト教のカトリックの影響が特に強く、キリスト教はユダヤ教やイスラームのような聖典を根拠にした食物関連の禁止事項は特にはなかった(キリスト教では現在でも、聖書を根拠に特定の食物を禁止するような規則は無い)。ただし、ある修道院で修道院長が禁欲的な生活を好み制定した厳格な規則があり、その修道院が影響力が(たまたま)強かったので、修道院の外の一般信徒の食習慣にまで影響を及ぼす面はあった。具体的には、530年ころにヌルシアの聖ベネディクトゥスによってベネディクト修道会が創始され、ベネディクトゥスは断食を好み、節度ある食事を修道士に求めて基本的に肉を食べない食事を採用した。ベネディクト会の規範が多くのキリスト教会派の基礎として広まった結果、14世紀の(西)ヨーロッパの国々では魚を食べることが一般的になった(その結果、西ヨーロッパで漁業が大産業となった)。当時は淡水魚が贅沢品で、日常的に食べられる海の魚のニシンとタラがヨーロッパ人の蛋白源となっていた。ニシンは脂が多く腐りやすいのであまり保存食にはされなかったが、タイセイヨウダラは脂が少なく淡泊な味の白身魚なので干物に向いており、しっかり塩漬けにし干物に加工されたタラは5年以上保存ができた。中世ではヨーロッパ各地で頭を落とした <<タラの干物>> が日常の食べ物になっており、ストックフィッシュ(保存魚)と呼ばれていた。15世紀にニシンとタラの干物の貿易がハンザ同盟に独占されてしまったため、イングランドの漁師は新たなタラの漁場を求めて、それまで漁をおこなっていた海域から遠く離れたアイスランド南部沖にまで出かけてタラをとるようになった(その結果、北の冬の荒れた海で漁をし、しばしば遭難することにもなった。) その << タラの干物 >>は(上でも説明したが、しっかりと塩漬けしたうえで干物にすれば5年以上も保存できるほど保存性が良いわけなので)腐ることなく赤道を越えることのできる数少ない蛋白源であったので、大航海時代を支える食べ物となった(つまり逆の言い方をすると、西ヨーロッパ人にはたまたま << タラの干物 >>という食品がありそれを食べる食習慣を持っていたから、たとえ旅の途中でタンパク質を全然調達できない場合でも自分たちはタンパク質不足という切迫した状況に陥ることは無いと分かっていたから、長期の大航海に挑戦することができたわけである)。そうして大航海時代に突入すると、「地理上の発見」をしたり(つまり北米大陸・南米大陸を「発見」したり)北米・南米・アジア・アフリカなどに植民地を得たことで、北米・南米・アジア・アフリカなどの植物の種子や香辛料が西ヨーロッパにもたらされることになり、ヨーロッパの食文化はそれの影響も大いに受けた(たとえば南米原産のジャガイモやトマトなどの種子を持ち帰りヨーロッパの地で栽培するようになったことで、それらがヨーロッパの料理の(基本的な)食材として組み込まれてゆくことになった。たとえばスペイン人が持ち帰ったトマトはイタリア料理には欠かせない食材になっており、ジャガイモのほうはヨーロッパ全域で一般的な食材となり特にベルギーではフリッツ(フライドポテト)は主食扱いにまでなっている。) こうして様々な食文化がある。航空機の国際線などでは様々な食文化の人が乗客となりうるので、ユダヤ教徒向け、イスラーム向け、ヒンドゥー教徒向けなど、典型的な人を想定していくつか機内食の献立が用意されていることも多く、予約時にそれを指定すればそれを食べられるようになっている。 広大な国土をもつ中国では地方ごとに傾向が異なる。小麦やトウモロコシの生産の多い地方では、饅頭、餃子、小麦粉の麺などを主に食す。それに対してインディカ米の生産が多い南部では、米飯やビーフンなどを主食にしている。沿岸部では魚料理をよく食べる。 なお、中華料理のステレオタイプのイメージが中国の食文化の歴史を理解するうえで誤解の原因となりうることに注意が必要である。具体例を挙げるとすれば、フカヒレ料理の歴史はたかだか300年であるし、北京ダックの歴史はたかだか100年しかない。それ以前はそういうものは食べていなかった。 なお、中国では食べ物にまつわる宗教的な制約はないので、近年経済発展してきたのにともない、中国の人々は外国の味を抵抗なく受け入れている。たとえば食肉に関しても、世界各国のレストラン系列やマクドナルドのハンバーガー、ケンタッキーフライドチキン、吉野家の牛丼 等々等々が中国でも多数出店して、世界の多様な食文化が急速に浸透している。 食事内容の統計を見てみると、1985年を境にして米の量が減り始め、さらに近年では小麦の量も減ってきている。それに代わって、畜産物が特に増えてきている。それとともに供給熱量も、1985年に2,572kcalだったのが、2003年には2,872kcalにまで増えた。食生活が肉や油を多用する欧米の食文化に向かって変化してきていると言ってよい。USDAのデータで見ても中国の牛肉の消費量は1989年に101万5,000トンだったが、2008年には621万トンと、約6倍に伸びた。一人当たりの年間消費量で見ても0.9キログラム(1989年)→ 4.7キログラム(2008年)と約5倍となっている。 台湾の食文化は、日本や中国(中華民国)の統治下に置かれた歴史を持っていることから、両国の影響を受けている。 原住民・日本・中国大陸という多くの文化が融合しているのが台湾の文化の特徴であり、食文化もその傾向がある。 中華民国政府の上層部の人々の地元である江浙の料理が、台湾の食文化において「上品な料理」という位置づけになった。もともとは伝統的で庶民に人気の高い文化であった飲茶が、香港を経由して台湾に伝わったときに地位が上がり、上流階級と富裕階級だけの、「上流階級」のための「新しい料理」のシンボルとなった。飲茶や点心を食べることは、家族揃って食事をするという文化的習慣にも合った。さまざまな経緯を経て「台湾の香港風飲茶」は台湾固有のものとなっていった。 また、台湾の文化は仏教・道教・一貫道の影響も受けている。それらはどれも殺生を禁止しており、その結果、ベジタリアンやヴィーガンの人々が多く、台湾素食も知られている。 韓国の食文化の基本は、「五味五色」と言われる。「五味」は、辛・甘・酸・献(しよっばい)・苦のことで、「五色」は青・赤・黄・白・黒のこと。 朝鮮半島南部の気候と地理的特性が韓国の食べ物を豊かにし、韓国食文化の特徴の一つである主食と副食を明確に分ける習慣を作り出した。 儒教が朝鮮民族の伝統を育んでおり、その食文化にも影響を与えている。 儒教は年長者や年配者を大切にすることを重視し、それを食事の場において言葉や動作でも表現する。乾杯のときには、年長者や目上の人の前では、グラスは(同じ高さに差し出すのではなく)目上の人よりも少し下げて合わせるものとされており、年長者からお酌をされた場合には両手で受ける。飲むときは年長者の視線を避け、年長者から見て横向きになって(少し身を縮めるようにして)目立たないように飲まなければならないとされている。 儒教は韓国の焼肉の文化も育んだ。ニンニクの多用に関しても、李盛雨(イソンウ 『韓国料理文化史』の著者)は、「我国(=韓国)は、崇儒・廃仏主義であったため、仏教で教える「ニンニク食禁忌」を受け入れず、どんな抵抗感も無くニンニクを喜んで食べてきた」と述べた。 日本においては、仏教僧侶の献立(特に精進料理)や、平安時代の貴族の酒宴における大饗料理、さらに大饗料理の系譜を受け継いで武士社会における酒宴において儀式的な料理となった本膳料理などが成立した。本膳料理は客個別の卓上に膳部が配膳される銘々膳で、一汁三菜のように「汁」と「菜」で構成され、後々の日本人の食文化に大きな影響を与えた。また、本膳料理を簡略化した袱紗料理も誕生した。その後、明治維新に伴う文明開化にともなって牛肉などを食べる食肉文化が流入。他にも、太平洋戦争中の食糧不足、連合国軍最高司令官総司令部の占領下の日本での食糧援助、高度経済成長などでも食文化が急速に変化した。
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"西ヨーロッパでは中世までキリスト教のカトリックの影響が特に強く、キリスト教はユダヤ教やイスラームのような聖典を根拠にした食物関連の禁止事項は特にはなかった(キリスト教では現在でも、聖書を根拠に特定の食物を禁止するような規則は無い)。ただし、ある修道院で修道院長が禁欲的な生活を好み制定した厳格な規則があり、その修道院が影響力が(たまたま)強かったので、修道院の外の一般信徒の食習慣にまで影響を及ぼす面はあった。具体的には、530年ころにヌルシアの聖ベネディクトゥスによってベネディクト修道会が創始され、ベネディクトゥスは断食を好み、節度ある食事を修道士に求めて基本的に肉を食べない食事を採用した。ベネディクト会の規範が多くのキリスト教会派の基礎として広まった結果、14世紀の(西)ヨーロッパの国々では魚を食べることが一般的になった(その結果、西ヨーロッパで漁業が大産業となった)。当時は淡水魚が贅沢品で、日常的に食べられる海の魚のニシンとタラがヨーロッパ人の蛋白源となっていた。ニシンは脂が多く腐りやすいのであまり保存食にはされなかったが、タイセイヨウダラは脂が少なく淡泊な味の白身魚なので干物に向いており、しっかり塩漬けにし干物に加工されたタラは5年以上保存ができた。中世ではヨーロッパ各地で頭を落とした <<タラの干物>> が日常の食べ物になっており、ストックフィッシュ(保存魚)と呼ばれていた。15世紀にニシンとタラの干物の貿易がハンザ同盟に独占されてしまったため、イングランドの漁師は新たなタラの漁場を求めて、それまで漁をおこなっていた海域から遠く離れたアイスランド南部沖にまで出かけてタラをとるようになった(その結果、北の冬の荒れた海で漁をし、しばしば遭難することにもなった。)", "title": "各国の食文化" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "その << タラの干物 >>は(上でも説明したが、しっかりと塩漬けしたうえで干物にすれば5年以上も保存できるほど保存性が良いわけなので)腐ることなく赤道を越えることのできる数少ない蛋白源であったので、大航海時代を支える食べ物となった(つまり逆の言い方をすると、西ヨーロッパ人にはたまたま << タラの干物 >>という食品がありそれを食べる食習慣を持っていたから、たとえ旅の途中でタンパク質を全然調達できない場合でも自分たちはタンパク質不足という切迫した状況に陥ることは無いと分かっていたから、長期の大航海に挑戦することができたわけである)。そうして大航海時代に突入すると、「地理上の発見」をしたり(つまり北米大陸・南米大陸を「発見」したり)北米・南米・アジア・アフリカなどに植民地を得たことで、北米・南米・アジア・アフリカなどの植物の種子や香辛料が西ヨーロッパにもたらされることになり、ヨーロッパの食文化はそれの影響も大いに受けた(たとえば南米原産のジャガイモやトマトなどの種子を持ち帰りヨーロッパの地で栽培するようになったことで、それらがヨーロッパの料理の(基本的な)食材として組み込まれてゆくことになった。たとえばスペイン人が持ち帰ったトマトはイタリア料理には欠かせない食材になっており、ジャガイモのほうはヨーロッパ全域で一般的な食材となり特にベルギーではフリッツ(フライドポテト)は主食扱いにまでなっている。)", "title": "各国の食文化" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "こうして様々な食文化がある。航空機の国際線などでは様々な食文化の人が乗客となりうるので、ユダヤ教徒向け、イスラーム向け、ヒンドゥー教徒向けなど、典型的な人を想定していくつか機内食の献立が用意されていることも多く、予約時にそれを指定すればそれを食べられるようになっている。", "title": "各国の食文化" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "広大な国土をもつ中国では地方ごとに傾向が異なる。小麦やトウモロコシの生産の多い地方では、饅頭、餃子、小麦粉の麺などを主に食す。それに対してインディカ米の生産が多い南部では、米飯やビーフンなどを主食にしている。沿岸部では魚料理をよく食べる。", "title": "中国の食文化" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "なお、中華料理のステレオタイプのイメージが中国の食文化の歴史を理解するうえで誤解の原因となりうることに注意が必要である。具体例を挙げるとすれば、フカヒレ料理の歴史はたかだか300年であるし、北京ダックの歴史はたかだか100年しかない。それ以前はそういうものは食べていなかった。", "title": "中国の食文化" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "なお、中国では食べ物にまつわる宗教的な制約はないので、近年経済発展してきたのにともない、中国の人々は外国の味を抵抗なく受け入れている。たとえば食肉に関しても、世界各国のレストラン系列やマクドナルドのハンバーガー、ケンタッキーフライドチキン、吉野家の牛丼 等々等々が中国でも多数出店して、世界の多様な食文化が急速に浸透している。", "title": "中国の食文化" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "食事内容の統計を見てみると、1985年を境にして米の量が減り始め、さらに近年では小麦の量も減ってきている。それに代わって、畜産物が特に増えてきている。それとともに供給熱量も、1985年に2,572kcalだったのが、2003年には2,872kcalにまで増えた。食生活が肉や油を多用する欧米の食文化に向かって変化してきていると言ってよい。USDAのデータで見ても中国の牛肉の消費量は1989年に101万5,000トンだったが、2008年には621万トンと、約6倍に伸びた。一人当たりの年間消費量で見ても0.9キログラム(1989年)→ 4.7キログラム(2008年)と約5倍となっている。", "title": "中国の食文化" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "台湾の食文化は、日本や中国(中華民国)の統治下に置かれた歴史を持っていることから、両国の影響を受けている。", "title": "台湾の食文化" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "原住民・日本・中国大陸という多くの文化が融合しているのが台湾の文化の特徴であり、食文化もその傾向がある。", "title": "台湾の食文化" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "中華民国政府の上層部の人々の地元である江浙の料理が、台湾の食文化において「上品な料理」という位置づけになった。もともとは伝統的で庶民に人気の高い文化であった飲茶が、香港を経由して台湾に伝わったときに地位が上がり、上流階級と富裕階級だけの、「上流階級」のための「新しい料理」のシンボルとなった。飲茶や点心を食べることは、家族揃って食事をするという文化的習慣にも合った。さまざまな経緯を経て「台湾の香港風飲茶」は台湾固有のものとなっていった。", "title": "台湾の食文化" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "また、台湾の文化は仏教・道教・一貫道の影響も受けている。それらはどれも殺生を禁止しており、その結果、ベジタリアンやヴィーガンの人々が多く、台湾素食も知られている。", "title": "台湾の食文化" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "韓国の食文化の基本は、「五味五色」と言われる。「五味」は、辛・甘・酸・献(しよっばい)・苦のことで、「五色」は青・赤・黄・白・黒のこと。", "title": "韓国の食文化" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "朝鮮半島南部の気候と地理的特性が韓国の食べ物を豊かにし、韓国食文化の特徴の一つである主食と副食を明確に分ける習慣を作り出した。", "title": "韓国の食文化" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "儒教が朝鮮民族の伝統を育んでおり、その食文化にも影響を与えている。", "title": "韓国の食文化" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "儒教は年長者や年配者を大切にすることを重視し、それを食事の場において言葉や動作でも表現する。乾杯のときには、年長者や目上の人の前では、グラスは(同じ高さに差し出すのではなく)目上の人よりも少し下げて合わせるものとされており、年長者からお酌をされた場合には両手で受ける。飲むときは年長者の視線を避け、年長者から見て横向きになって(少し身を縮めるようにして)目立たないように飲まなければならないとされている。", "title": "韓国の食文化" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "儒教は韓国の焼肉の文化も育んだ。ニンニクの多用に関しても、李盛雨(イソンウ 『韓国料理文化史』の著者)は、「我国(=韓国)は、崇儒・廃仏主義であったため、仏教で教える「ニンニク食禁忌」を受け入れず、どんな抵抗感も無くニンニクを喜んで食べてきた」と述べた。", "title": "韓国の食文化" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "日本においては、仏教僧侶の献立(特に精進料理)や、平安時代の貴族の酒宴における大饗料理、さらに大饗料理の系譜を受け継いで武士社会における酒宴において儀式的な料理となった本膳料理などが成立した。本膳料理は客個別の卓上に膳部が配膳される銘々膳で、一汁三菜のように「汁」と「菜」で構成され、後々の日本人の食文化に大きな影響を与えた。また、本膳料理を簡略化した袱紗料理も誕生した。その後、明治維新に伴う文明開化にともなって牛肉などを食べる食肉文化が流入。他にも、太平洋戦争中の食糧不足、連合国軍最高司令官総司令部の占領下の日本での食糧援助、高度経済成長などでも食文化が急速に変化した。", "title": "日本の食文化" } ]
食文化(しょくぶんか)は、食(食事)にまつわる文化のこと。
'''食文化'''(しょくぶんか)は、食([[食事]])にまつわる[[文化_(代表的なトピック)|文化]]のこと。 == 概要 == 食文化には、[[食材]]の選び方、[[献立]]の立て方、[[調理法]]といったことから、[[食器]]の選び方、また誰と、どのように食べるのか、といったことや、[[作法]]・[[マナー]]などに至るまで多くのことが含まれる。 食の頻度、摂取する時刻、なども食文化の要素の一つである。普段は何を食べるか、暦の上で特別な日には何を食べるのか、ということもある。 [[現代社会]]の[[グローバリズム]]の中で、それぞれの食文化は均一化の方向へ向かっている面もある。[[欧米]][[企業]]を主体にした[[ファストフード]]店が、[[世界]]各国に展開していたり、[[インスタント食品]]や[[スナック菓子]]などが流通している。とは言うものの、世界各国の各家庭では、親から子へと伝統的な家庭料理が伝授されつづけているし、[[郷土料理]]の再評価や、地元の食材を用いた料理の評価([[地産地消]])、「[[スローフード]]運動」も起きている。また、跡継ぎ問題もあって家庭料理だけでなく地域固有の郷土料理に詳しい継承者を育てる動きもある。 [[くらしき作陽大学]]に、日本初の「食文化[[学部]]」が設置されている。 == 各国の食文化 == [[民族]]や[[宗教]]、[[地域]]、[[国家]]等々によってそれぞれの多様な食文化が存在する。固有のものがある一方で、[[麺類]]のように地域・国境を越えて食文化が伝播している場合もある。 たとえば[[ユダヤ教]]には「[[カシュルート]]」や「[[コーシェル]]」と呼ばれる食物規定がある。これはもとをたどれば[[旧約聖書]]において、食べてよいもの、食べていけないもの、一緒に食べてはいけないものの組み合わせ、動物の屠り方、調理法などに関すること細かに記述・規定されていることによる。厳格な教派においては現在でもこれを厳格に守っているユダヤ教徒が多い。Pesaḥ(ペサハ。[[過越祭]]、すぎこしのまつり、ニサン月14日の夜。太陽暦の3月か4月の移動日に始まり一週間つづく)には、先祖がエジプト人の奴隷であった時代にモーセに率いられエジプトを脱出しようとした際、神はエジプト中の赤子を殺したが、小羊の血を家の入口に塗ったヘブライ人の家だけは「過ぎ越した」(殺さなかった)という故事を思い起こし、過越祭の最初の晩には「[[セーデル・シェル・ペサハ|セーデル]]」と呼ばれる正餐を催す。小羊・苦菜・[[マッツァー]](種なしパン、膨らますための酵母を入れないパン)を食べる。そして「[[ハッガーダー|ハガダー]]」という、出エジプトに関する物語・詩篇を読み、先祖がエジプトでの奴隷の身分から救出されたことを記念する。 [[ムスリム]](イスラーム教徒)は、豚肉は不浄のものとして食べない。豚、血、アルコールを含むものは口にしない。鶏、羊などは食べることができるが、さばき方が決められており、神(アッラー)の名を唱えながら鋭利な刃物でさばく、と定められている。[[イスラム法]]にかなっている食べ物を「[[ハラール]]」という。中東では、ハラールに関して寛容になっているムスリムも増えたが、インドネシアのムスリムの中にはハラールに関して厳密な人も多い。 ムスリムは[[ラマダーン|ラマダーン月]](イスラム暦の月のひとつ)には、日の出から日没まで[[断食]]を行う(また、飲むこと、喫煙、性交、みだらなことを考えること、嘘をつくこと、人を騙すこと、等々も禁じられている)。こうした断食はイスラム教の信仰の中でも最重要なもののひとつである。断食によって神が命じたことを行い、逆に禁止された全ての行いを遠ざけることでタクワ(神を意識すること)を増やす。断食を行うムスリムは多くの罪から助けられ、ジャハナム(地獄)から守られる、とされる。断食をすることによって、貧しくて食べるものもない人々の苦しみを感じることができ、そうした人々の気持ちに寄り添うことができるようになる。ラマダーン月になるとイスラーム教徒は皆、仕事を終えるとまっすぐ帰宅し、日没後に家族・親族が集い、一緒に[[イフタール]](断食明けの食事)を仲良く楽しく食べる。それ故、ラマダーン月には街の料理店にはお客はまったくいなくなるという。ラマダーン月には世界中のイスラーム教徒はひとつになっていると実感し、信仰心が高まる。 (インドに多い)[[ヒンドゥー教|ヒンドゥー教徒]]は牛は聖なるものと考えており、牛肉は食べない(代わりに[[鶏肉]]などをよく食べる)。 [[西ヨーロッパ]]では中世までキリスト教の[[カトリック]]の影響が特に強く、キリスト教はユダヤ教やイスラームのような聖典を根拠にした食物関連の禁止事項は特にはなかった(キリスト教では現在でも、聖書を根拠に特定の食物を禁止するような規則は無い)。ただし、ある[[修道院]]で修道院長が禁欲的な生活を好み制定した厳格な規則があり、その修道院が影響力が(たまたま)強かったので、修道院の外の一般信徒の食習慣にまで影響を及ぼす面はあった。具体的には、[[530年]]ころに[[ヌルシアのベネディクトゥス|ヌルシアの聖ベネディクトゥス]]によって[[ベネディクト修道会]]が創始され<ref name="Fagan">ブライアン・フェイガン [[:en:Brian M. Fagan]]『海を渡った人類の遥かな歴史 古代海洋民の航海』河出書房新社(2018)</ref>、ベネディクトゥスは断食を好み、節度ある食事を修道士に求めて基本的に肉を食べない食事を採用した。ベネディクト会の規範が多くのキリスト教会派の基礎として広まった結果、[[14世紀]]の(西)ヨーロッパの国々では魚を食べることが一般的になった<ref name="Fagan" />(その結果、西ヨーロッパで漁業が大産業となった)。当時は淡水魚が贅沢品で、日常的に食べられる海の魚の[[ニシン]]と[[タラ]]がヨーロッパ人の蛋白源となっていた<ref name="Fagan" />。ニシンは脂が多く腐りやすいのであまり保存食にはされなかったが<ref name="Fagan" />、[[タイセイヨウダラ]]は脂が少なく淡泊な味の白身魚なので[[干物]]に向いており、<u>しっかり塩漬けにし干物に加工されたタラは5年以上保存ができた</u><ref name="Fagan" />。[[中世]]ではヨーロッパ各地で頭を落とした <<タラの干物>> が日常の食べ物になっており、ストックフィッシュ(保存魚)と呼ばれていた<ref name="Fagan" />。15世紀にニシンとタラの干物の[[貿易]]が[[ハンザ同盟]]に独占されてしまったため、[[イングランド]]の漁師は新たなタラの漁場を求めて、それまで漁をおこなっていた海域から遠く離れた[[アイスランド]]南部沖にまで出かけてタラをとるようになった<ref name="Fagan" />(その結果、北の冬の荒れた海で漁をし、しばしば遭難することにもなった。) その << タラの干物 >>は(上でも説明したが、しっかりと塩漬けしたうえで干物にすれば5年以上も保存できるほど保存性が良いわけなので)腐ることなく赤道を越えることのできる数少ない[[たんぱく質|蛋白]]源であったので、[[大航海時代]]を支える食べ物となった<ref>[http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/208246.html 視点・論点 「世界史におけるタラとニシン」](NHK)</ref>(つまり逆の言い方をすると、西ヨーロッパ人にはたまたま << タラの干物 >>という食品がありそれを食べる食習慣を持っていたから、たとえ旅の途中でタンパク質を全然調達できない場合でも自分たちはタンパク質不足という切迫した状況に陥ることは無いと分かっていたから、長期の大航海に挑戦することができたわけである)。そうして[[大航海時代]]に突入すると、「地理上の発見」をしたり(つまり北米大陸・南米大陸を「発見」したり)北米・南米・アジア・アフリカなどに[[植民地]]を得たことで、北米・南米・アジア・アフリカなどの植物の種子や[[香辛料]]が西ヨーロッパにもたらされることになり、[[:category:ヨーロッパの食文化|ヨーロッパの食文化]]はそれの影響も大いに受けた(たとえば南米原産のジャガイモやトマトなどの種子を持ち帰りヨーロッパの地で栽培するようになったことで、それらがヨーロッパの料理の(基本的な)食材として組み込まれてゆくことになった。たとえばスペイン人が持ち帰ったトマトは[[イタリア料理]]には欠かせない食材になっており、ジャガイモのほうはヨーロッパ全域で一般的な食材となり特にベルギーでは[[フリッツ]]([[フライドポテト]])は主食扱いにまでなっている。) こうして様々な食文化がある。航空機の国際線などでは様々な食文化の人が乗客となりうるので、ユダヤ教徒向け、イスラーム向け、ヒンドゥー教徒向けなど、典型的な人を想定していくつか[[機内食]]の献立が用意されていることも多く、予約時にそれを指定すればそれを食べられるようになっている。 == 中国の食文化 == 広大な国土をもつ中国では地方ごとに傾向が異なる<ref name="oikawa">及川忠『図解入門ビジネス最新食糧問題の基本とカラクリがよーくわかる本』秀和システム、 2009年。p.116.</ref>。[[小麦]]や[[トウモロコシ]]の生産の多い地方では、[[饅頭 (中国)|饅頭]]、[[餃子]]、小麦粉の[[麺]]などを主に食す<ref name="oikawa" />。それに対して[[インディカ米]]の生産が多い南部では、[[米飯]]や[[ビーフン]]などを主食にしている<ref name="oikawa" />。沿岸部では魚料理をよく食べる<ref name="oikawa" />。 なお、[[中華料理]]の[[ステレオタイプ]]のイメージが中国の食文化の歴史を理解するうえで誤解の原因となりうることに注意が必要である。具体例を挙げるとすれば、フカヒレ料理の歴史はたかだか300年であるし<ref name="choukyou">張競『中華料理の文化史』筑摩書房、2013年</ref>、北京ダックの歴史はたかだか100年しかない<ref name="choukyou" />。それ以前はそういうものは食べていなかった<ref name="choukyou" />。 なお、中国では食べ物にまつわる宗教的な制約はないので、近年経済発展してきたのにともない、中国の人々は外国の味を抵抗なく受け入れている。たとえば食肉に関しても、世界各国のレストラン系列や[[マクドナルド]]の[[ハンバーガー]]、[[KFCコーポレーション|ケンタッキー]]フライドチキン、[[吉野家]]の牛丼 等々等々が中国でも多数出店して、世界の多様な食文化が急速に浸透している<ref name="oikawa" />。 食事内容の統計を見てみると、1985年を境にして米の量が減り始め、さらに近年では小麦の量も減ってきている<ref name="oikawa" />。それに代わって、畜産物が特に増えてきている。それとともに供給熱量も、1985年に2,572kcalだったのが、2003年には2,872kcalにまで増えた<ref name="oikawa" />。食生活が肉や油を多用する欧米の食文化に向かって変化してきていると言ってよい<ref name="oikawa" />。[[USDA]]のデータで見ても中国の[[牛肉]]の消費量は1989年に101万5,000トンだったが、2008年には621万トンと、約6倍に伸びた<ref name="oikawa" />。一人当たりの年間消費量で見ても0.9キログラム(1989年)→ 4.7キログラム(2008年)と約5倍となっている<ref name="oikawa" />。 == 台湾の食文化 == 台湾の食文化は、[[日本]]や[[中国]]([[中華民国]])の統治下に置かれた歴史を持っていることから、両国の影響を受けている。 [[台湾原住民|原住民]]・日本・[[中国大陸]]という多くの文化が融合しているのが[[台湾の文化]]の特徴であり、食文化もその傾向がある<ref name="yamaori" />。 中華民国政府の上層部の人々の地元である江浙の料理が、台湾の食文化において「上品な料理」という位置づけになった<ref name="yamaori">山折哲雄『アジアの環境・文明・人間』1998、pp.123-126</ref>。もともとは伝統的で庶民に人気の高い文化であった飲茶が、香港を経由して台湾に伝わったときに地位が上がり、上流階級と富裕階級だけの、「上流階級」のための「新しい料理」のシンボルとなった<ref name="yamaori" />。飲茶や点心を食べることは、家族揃って食事をするという文化的習慣にも合った<ref name="yamaori" />。さまざまな経緯を経て「台湾の香港風[[飲茶]]」は台湾固有のものとなっていった<ref name="yamaori" />。 また、台湾の文化は[[仏教]]・[[道教]]・[[一貫道]]の影響も受けている。それらはどれも殺生を禁止しており、その結果、[[ベジタリアン]]や[[ヴィーガン]]の人々が多く、台湾素食も知られている<ref>[https://toyokeizai.net/articles/-/276993 台湾に行ったら「ベジタリアン」料理が凄すぎた - ヴィーガンではない人も満足する台湾素食]</ref>。 == 韓国の食文化 == 韓国の食文化の基本は、「五味五色」と言われる<ref name="kankokugohan">重信初江『おうちでおいしい韓国ごはん』p.13.</ref>。「五味」は、[[辛味|辛]]・[[甘味|甘]]・[[酸味|酸]]・[[塩味|献]](しよっばい)・[[苦味|苦]]のことで、「五色」は青・赤・黄・白・黒のこと<ref name="kankokugohan" />。 朝鮮半島南部の気候と地理的特性が韓国の食べ物を豊かにし、韓国食文化の特徴の一つである主食と[[副食]]を明確に分ける習慣を作り出した<ref name="asia_yugaku">アジア遊学(第91~94号合本)、p.114</ref>。 [[儒教]]が[[朝鮮民族]]の伝統を育んでおり、その食文化にも影響を与えている<ref name="chousenhantou_no_shokutosake">鄭大聲『朝鮮半島の食と酒:儒教文化が育んだ民族の伝統』中央公論社、1998年</ref>。 儒教は年長者や年配者を大切にすることを重視し、それを食事の場において言葉や動作でも表現する。[[乾杯]]のときには、年長者や目上の人の前では、グラスは(同じ高さに差し出すのではなく)目上の人よりも少し下げて合わせるものとされており、年長者からお酌をされた場合には両手で受ける。飲むときは年長者の視線を避け、年長者から見て横向きになって(少し身を縮めるようにして)目立たないように飲まなければならないとされている。 儒教は韓国の[[焼肉]]の文化も育んだ<ref name="chousenhantou_no_shokutosake" />。[[ニンニク]]の多用に関しても、李盛雨(イソンウ 『韓国料理文化史』の著者)は、「我国(=韓国)は、崇[[儒教|儒]]・廃[[仏教|仏]]主義であったため、仏教で教える「ニンニク食禁忌」を受け入れず、どんな抵抗感も無くニンニクを喜んで食べてきた」と述べた<ref name="">佐々木道雄『朝鮮の食と文化: 日本・中国との比較から見えてくるもの』むくげ叢書(4)、1996。 p.13</ref>。 == 日本の食文化 == [[日本]]においては、[[仏教]]僧侶の[[献立]](特に[[精進料理]])や、[[平安時代]]の[[貴族]]の[[酒宴]]における[[大饗]]料理、さらに大饗料理の系譜を受け継いで武士社会における酒宴において儀式的な料理となった[[本膳料理]]などが成立した。本膳料理は客個別の卓上に膳部が配膳される[[銘々膳]]で、[[一汁三菜]]のように「汁」と「菜」で構成され、後々の日本人の食文化に大きな影響を与えた。また、本膳料理を簡略化した[[袱紗料理]]も誕生した。その後、[[明治維新]]に伴う[[文明開化]]にともなって[[牛肉]]などを食べる食肉文化が流入。他にも、[[太平洋戦争]]中の食糧不足、[[連合国軍最高司令官総司令部]]の占領下の日本での食糧援助、[[高度経済成長]]などでも食文化が急速に変化した。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == {{参照方法|date=2018年4月|section=1}} *『食文化入門』石毛直道、鄭大声 編集 [[講談社]] ISBN 4061397729 *『食と文化の謎』 マーヴィン ハリス ([[w:Marvin Harris|Marvin Harris]])、板橋作美 訳 岩波現代文庫 岩波書店 ISBN 4006030460 *『食の文化を知る事典』 岡田哲 東京堂出版 ISBN 449010507X *『食の世界地図』 21世紀研究会 編集 文春新書 文藝春秋 ISBN 4166603787 *『世界地図から食の歴史を読む方法―料理や食材の伝播に秘められた意外な事実とは?』 辻原康夫 KAWADE夢新書 *『食の歴史1』 J‐L.フランドラン、M.モンタナーリ、菊地 祥子、末吉 雄二、鶴田 知佳子 宮原信、北代 美和子 訳 藤原書店 ISBN 4894344890 *『食の歴史2』 J‐L.フランドラン、M.モンタナーリ、菊地 祥子、末吉 雄二、鶴田 知佳子 宮原信、北代 美和子 訳 藤原書店 ISBN 4894344904 *『勘違いだらけの通説世界の食文化』 巨椋修 リイド社 ISBN 4845837519 == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|食}} *[[食のタブー]] *[[料理]] - 各地の料理の一覧 *[[食事]] *[[食品]] *[[酒|アルコール飲料]] *[[調理]] *[[栄養学]] *[[ソフトドリンクの一覧]] *[[ハーブの一覧]] *[[野菜の一覧]] *[[魚料理の一覧]] *[[海鮮料理の一覧]] *[[昆虫食]] *[[食器]] *[[犬食文化]] *[[猫食文化]] * [[飽食の時代]] == 外部リンク == * {{Cite web|和書|author=濱田武士([[北海学園大学]]教授) |date=2017年1月26日 |url=https://web.archive.org/web/20170130182103/https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/261715.html |title=「危機に立つ日本の魚食文化」([[視点・論点]]) - 解説アーカイブス |work=[[NHK解説委員室|解説委員室]] |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |accessdate=2018-04-09 |ref=視論-20170126 }} * [https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/index.html 食文化のポータルサイト] 農林水産省Webサイト {{DEFAULTSORT:しよくふんか}} [[Category:食文化|*]]
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飲む
飲む(のむ、呑むとも表記)とは、動物が口から水や他の液体を摂取する行為である。 人は、開いた口に液体が注がれると、嚥下過程によって、食道の蠕動により液体が胃へ送られる。ただし、重力によって液体は自然に胃の方へ向かうため、固形物の嚥下の場合よりは蠕動は抑制されている。コップなどの食器から液体を飲むほか、手から液体を注いで飲むこともある。 熱い液体を飲むときや、スプーン、ストローなどで飲む場合には、空気を吸引することで液体を口に入れる。乳児が母乳を飲む場合は、唇を乳腺にきつく押し付けて吸引する。呼吸と舌の動きの組み合わせにより、口腔内の気圧を低下させて液体を口に引き込む 。 「噛む」行為が必要ないため、歯のない乳幼児や歯の弱った老人には、栄養を摂取する方法として適している。また、消化器官が弱っている病人などには、消化しやすいように流動食を与えることもある。 水分補給のため、又は嗜好品として液体状の物体を摂取する行為について用いられることが普通だが、薬品(液体、固体、粉末)を服用する場合も飲むという。 淡水に生息する両生類や水生動物は飲む必要はなく、浸透によって皮膚を通して水分を安定して吸収する。それに対し、海水魚は泳ぐときに口から海水を飲み、余分な塩分は鰓から出す。 飼育下の陸上動物(英語版)は水を飲むことに慣れるようになるが、ほとんどの野生の動物は食べ物の中の水分や液体によって水分補給を行う。水を飲まなければならない状態になった場合、水の飲み方や動きは種によって大きく異なる。砂漠の動物の多くは、水が利用可能であってもそれを飲まず、多肉植物を食べて水分補給を行っている。 猫、犬、反芻動物は、首を下げて、舌で水を舐める。猫と犬はスプーンのような形をした舌で水を包み込む。反芻動物やほとんどの草食動物は、舌を真っ直ぐにしたまま突っ込む動作によって水中に引き込むために、口の先端を部分的に水没させる。捕食の危険に直面する反芻動物と比べて、猫はかなり遅いペースで水を飲む。象は鼻で水を吸い込み、口に噴き出す。ほとんどの鳥は嘴の頬側の領域に水をすくい取るか、吸い込み、頭を上げて傾けて飲む。例外的に、カワラバトは吸入によって直接水を吸うことができる。 「飲む」という用語は、酒(アルコール飲料)の摂取(飲酒)および、飲酒を伴う宴会の同義語としてよく使用される。歴史的にほとんどの文化で、食事、祝い事、儀式、乾杯やその他の機会に多種多様な酒を取り入れてきた。人間文化における発酵飲料の痕跡は新石器時代にまで遡り、最初の絵画的な証拠は紀元前4000年頃のエジプトで見られる。 飲酒は、世界中で様々な飲酒文化(英語版)へと発展してきた。その一方で、アルコール摂取は重大な健康上のリスクをもたらす。アルコール乱用やアルコール依存症は、世界中の先進国で一般的な病気である。高頻度の飲酒は、肝硬変、胃炎、痛風、膵炎、高血圧、癌など、様々な病気を引き起こす可能性がある。
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飲む(のむ、呑むとも表記)とは、動物が口から水や他の液体を摂取する行為である。
[[File:Nordkirchen-100415-12272-Trinkender.jpg|thumb|300px|革袋から水を飲む行為を表した彫像]] '''飲む'''(のむ、'''呑む'''とも表記)とは、[[動物]]が[[口]]から[[水]]や他の[[液体]]を摂取する行為である。 ==方法== ===人の場合=== 人は、開いた口に液体が注がれると、[[嚥下]]過程によって、[[食道]]の[[蠕動]]により液体が胃へ送られる。ただし、重力によって液体は自然に胃の方へ向かうため、固形物の嚥下の場合よりは蠕動は抑制されている。[[コップ]]などの[[食器]]から液体を飲むほか、手から液体を注いで飲むこともある。 熱い液体を飲むときや、[[スプーン]]、[[ストロー]]などで飲む場合には、空気を吸引することで液体を口に入れる。乳児が[[母乳]]を飲む場合は、唇を乳腺にきつく押し付けて吸引する。[[呼吸]]と舌の動きの組み合わせにより、口腔内の気圧を低下させて液体を口に引き込む<ref name=Flint137>Flint, pp. 137–138.</ref> 。 「[[噛む]]」行為が必要ないため、[[歯]]のない[[乳幼児]]や歯の弱った[[老人]]には、栄養を摂取する方法として適している。また、[[消化器官]]が弱っている病人などには、消化しやすいように[[流動食]]を与えることもある。 [[水分]]補給のため、又は[[嗜好品]]として[[液体]]状の[[物体]]を摂取する行為について用いられることが普通だが、[[薬品]](液体、固体、粉末)を服用する場合も飲むという。 ===水生動物の場合=== [[淡水]]に生息する[[両生類]]や{{仮リンク|水生動物|en|aquatic animal}}は飲む必要はなく、[[浸透]]によって皮膚を通して水分を安定して吸収する<ref name=Broom105/><ref name=Curtis569>Curtis, p. 569.</ref>。それに対し、[[海水魚]]は泳ぐときに口から海水を飲み、余分な塩分は[[鰓]]から出す<ref name=Curtis569/>。 ===陸上動物の場合=== [[File:Cat_lapping_water_off_ground_in_slow_motion.gk.webm|thumb|猫が水を飲む様子のスロー動画]] 飼育下の{{仮リンク|陸上動物|en|terrestrial animal}}は水を飲むことに慣れるようになるが、ほとんどの野生の動物は食べ物の中の水分や液体によって水分補給を行う<ref name=Mayer59>Mayer, p. 59.</ref>。水を飲まなければならない状態になった場合、水の飲み方や動きは種によって大きく異なる<ref name=Broom105>Broom, p. 105.</ref>。砂漠の動物の多くは、水が利用可能であってもそれを飲まず、[[多肉植物]]を食べて水分補給を行っている<ref name=Broom105/>。 [[猫]]、[[犬]]、[[反芻動物]]は、首を下げて、[[舌]]で水を舐める<ref name=Broom105/>。猫と犬はスプーンのような形をした舌で水を包み込む<ref name=Smith238>Smith, p. 238.</ref>。反芻動物やほとんどの[[草食動物]]は、舌を真っ直ぐにしたまま突っ込む動作によって水中に引き込むために、口の先端を部分的に水没させる<ref name=Smith237>Smith, p. 237.</ref>。捕食の危険に直面する反芻動物と比べて、猫はかなり遅いペースで水を飲む<ref name=Broom105/>。[[象]]は鼻で水を吸い込み、口に噴き出す<ref name=Broom105/>。ほとんどの[[鳥]]は[[嘴]]の頬側の領域に水をすくい取るか、吸い込み、頭を上げて傾けて飲む。例外的に、[[カワラバト]]は吸入によって直接水を吸うことができる<ref name=Broom105/>。 ==飲酒== 「飲む」という用語は、[[酒]](アルコール飲料)の摂取(飲酒)および、飲酒を伴う[[宴会]]の[[同義語]]としてよく使用される。歴史的にほとんどの文化で、[[食事]]、祝い事、儀式、[[乾杯]]やその他の機会に多種多様な酒を取り入れてきた<ref>Gately, pp. 1–14.</ref>。人間文化における発酵飲料の痕跡は[[新石器時代]]にまで遡り<ref>Patrick, Clarence Hodges. ''Alcohol, Culture, and Society''. AMS Press, 1952, p. 13.</ref>、最初の絵画的な証拠は紀元前4000年頃の[[古代エジプト|エジプト]]で見られる<ref>{{cite web|last1=Hanson|first1=David|title=Ancient Period|url=http://www2.potsdam.edu/alcohol/Controversies/1114796842.html#.VICKF9xH1FI|website=History of Alcohol and Drinking around the World|publisher=State University of New York|accessdate=4 December 2014}}</ref>。 飲酒は、世界中で様々な{{仮リンク|飲酒文化|en|Drinking culture}}へと発展してきた。その一方で、アルコール摂取は重大な健康上のリスクをもたらす。[[アルコール乱用]]や[[アルコール依存症]]は、世界中の先進国で一般的な病気である<ref>{{cite web|title=Global Status Report on Alcohol and Health|url=http://www.who.int/substance_abuse/publications/global_alcohol_report/msbgsruprofiles.pdf|website=World Health Organization|publisher=World Health Organization|accessdate=4 December 2014}}</ref>。高頻度の飲酒は、[[肝硬変]]、[[胃炎]]、[[痛風]]、[[膵炎]]、[[高血圧]]、[[癌]]など、様々な病気を引き起こす可能性がある<ref>Fiebach, p. 387.</ref>。 ==脚注== {{Div col}} {{Reflist}} {{Div col end}} ==参考文献== *{{Cite book |title=Biology of Behaviour: Mechanisms, Functions and Applications |last=Broom |first=Donald M. |authorlink=Donald M. Broom |year=1981 |publisher=Cambridge University Press |location=Cambridge |isbn=0-521-29906-3 |url=https://books.google.com/books?id=5kI5AAAAIAAJ&pg=PA105#v=onepage&q&f=false |accessdate=31 August 2013 }} *{{Cite book |title=Invitation to Biology |last=Curtis |first=Helena |author2=Barnes, N. Sue |year=1994 |publisher=Macmillan |location= |isbn=0879016795 |url=https://books.google.com/books?id=uF7RZN5LjRQC |accessdate=31 August 2013 }} *{{Cite book |title=Principles of Ambulatory Medicine |editor=Fiebach, Nicholas H. |year=2007 |publisher=Lippincott Williams & Wilkins |location= |isbn=0-7817-6227-8 |url=https://books.google.com/books?id=UGVylX6g4i8C&pg=PA387#v=onepage&q&f=false |accessdate=31 August 2013 }} *{{Cite book |title=The Physiology of Man |last=Flint |first=Austin |authorlink=Austin Flint |year=1875 |publisher=D. Appleton and Co. |location=New York |isbn= |oclc=5357686 |url=https://books.google.com/books?id=10YLAQAAIAAJ&pg=PA137#v=onepage&q&f=false |accessdate=31 August 2013 }} *{{Cite book |title=Drink: A Cultural History of Alcohol |last=Gately |first=Iain |year=2008 |publisher=Penguin |location=New York |isbn=1-59240-464-2 |pages=1–14 |url=https://books.google.com/books?id=0FpnqTGxykIC&printsec=frontcover#v=onepage&q&f=false |accessdate=31 August 2013 }} *{{Cite book |title=Physiological Mammalogy |volume=II |last=Mayer |first=William |year=2012 |publisher=Elsevier |location= |isbn=9780323155250 |url=https://books.google.com/books?id=D_651i7oc4gC&pg=PA59 |accessdate=31 August 2013 }} *{{Cite book |title=Oxford Handbook of Clinical and Laboratory Investigation |last=Provan |first=Drew |year=2010 |publisher=Oxford University Press |location=Oxford |isbn=0-19-923371-3 |url=https://books.google.com/books?id=m1XRXTbCihEC&pg=PA129#v=onepage&q&f=false |accessdate=31 August 2013 }} *{{Cite book |title=The Physiology of the Domestic Animals |last=Smith |first=Robert Meade |year=1890 |publisher=F.A. Davis |location=Philadelphia, London |isbn= |url=https://books.google.com/books?id=fRBmnI94js0C&printsec=frontcover |accessdate=31 August 2013 }} == 関連項目 == {{Div col}} * [[ラッパ飲み]] * [[飲料]] - [[飲料水]] * [[食]] - [[食事]] * [[口渇]](のどの渇き) - [[浸透圧調節]] * [[脱水 (医療)]] * {{仮リンク|水飲み場|en|drinking fountain}} - [[蛇口]] - [[給水設備]] * [[飲水思源]] {{Div col end}} ==外部リンク== {{wiktionary}} {{Commonscat}} * [https://web.archive.org/web/20110611031528/http://www.europeanhydrationinstitute.org/hydration_tools.html "Are You Drinking Enough?"], recommendations by the European Hydration Institute(Madrid) *{{kotobank}} *{{kotobank|飲水}} *{{kotobank|飲水行動}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:のむ}} [[Category:水]] [[Category:飲食]] [[Category:動詞]] [[Category:飲酒文化]] [[Category:動物行動学]] [[Category:生理学]]
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ペンシルベニアドイツ語
ペンシルベニアドイツ語(標準ドイツ語:Pennsylvania-Dutch, Pennsilfaani-Deitsch、アレマン語:Pennsylvania-Ditsch、英語:Pennsylvania-German)は、北アメリカのカナダおよびアメリカ中西部でおよそ15万から25万人の人びとに話されているドイツ語の系統である。高地ドイツ語のうち上部ドイツ語の一派アレマン語の一方言である。ペンシルベニアアレマン語(Pennsilfaani-Alemanisch, Pennsylvania-Alemannic)とも呼ばれる。 この言語を主に使用するのは、アメリカ合衆国のペンシルベニア州東部から発生し、中西部、モンタナ州、アイダホ州、ワイオミング州、ワシントン州、オレゴン州、それにカナダのオンタリオ州に住んでいる大部分のゲルマン・ドイツ系アメリカ人である。 話し手の多くはアーミッシュかオールド・オーダー・メノナイト派である。ただし、数世代前は全く違う状態にあった。これについては以下の#継承の節を参照のこと。またメノナイト派の内アメリカ北部や南部に住む人びとは、低地ドイツ語の諸語(ニーダーザクセン語および低地フランク語)を話すことがあるが、これはまた全く異なるグループの言語である。 ペンシルベニア・ダッチ(Pennsylvania-Dutch)とも呼ばれるが、いわゆるオランダ語と直接の関係はない。英語のダッチ(Dutch)は現代ではオランダ語やオランダ人の意味で使われるが、古くはドイツ語およびドイツ人を指す言葉であった。この語とDeutschは同語源である。元来オランダはドイツ文化圏の一部とみなされていたが、後に意味が狭義化した。この紛らわしい呼び名は、その古い語義を保つ形になっている。 同時にアシュケナジム(ユダヤ系)が使用するイディッシュ語とも系統が異なるグループの言語である。 ペンシルベニアドイツ語は、ドイツ中西部のプファルツ地域の言語である中部ドイツ語に属するフランケン諸語(中部フランケン方言)に最もよく似ている。しかし、アメリカやカナダに見出されるペンシルベニアドイツ語の話し手は、中欧南西部のドイツ語圏(アレマン諸語)のさまざまな地域からの移民から構成される。これはアルザス(Alsace)、スイス(Swiss)を含む南西部のバーデン(Baden)、バイエルン・シュヴァーベン(Bayerisch Schwaben)を含む南中部のシュヴァーベン(Schwaben)、フランケン地方南西部を含む中南部のヴュルテンベルク(Württemberg)など、移民がやって来てから最初の数世代の間に各種の方言が融合し、現在のようなものになったという。 ペンシルベニアドイツ語は、大衆文化のなかではアーミッシュと結び付けられることが多い。ペンシルベニア・ジャーマン訛りの英語を話す人は、v と w の発音をすり替えてしまうことなどが典型的である。たとえば「ワンダフルなヴァイオリン」と言うべきところを「ヴォンダフルなウィオリン」と言ってしまう、などとされる。ただし、現実のペンシルベニアドイツ語の話し手が英語を話す際には、非常にわずかな訛りしかない。上のようなイメージは観光のために誇張されているものという色合いが濃い。 現在、ペンシルベニアドイツ語には、2つの競合する表記の方法が存在している。 例えば「主の祈り」は、次のように2通りに表記され得る。 Unsah Faddah im Himmel, dei nohma loss heilich sei, Dei Reich loss kumma. Dei villa loss gedu sei, uf di eaht vi im Himmel. Unsah tayklich broht gebb uns heit, Un fagebb unsah shulda, vi miah dee fagevva vo uns shuldich sinn. Un fiah uns naett in di fasuchung, avvah hald uns fu'm eevila. Fa dei is es Reich, di graft, un di hallichkeit in ayvichkeit. Amen. Unser Fadder im Himmel, dei Naame loss heilich sei, Dei Reich loss kumme. Dei Wille loss gedu sei, uff die Erd wie im Himmel. Unser deeglich Brot gebb uns heit, Un vergebb unser Schulde, wie mir die vergewwe wu uns schuldich sinn. Un fiehr uns net in die Versuchung, awwer hald uns vum Iewile. Fer dei is es Reich, die Graft, un die Hallichkeit in Ewichkeit. Amen. 参考までに、現代の標準的ドイツ語による表記は、次のようになる。 Vater unser im Himmel, geheiligt werde dein Name. dein Reich komme, dein Wille geschehe wie im Himmel, so auf Erden. Unser tägliches Brot gib uns heute, und vergib uns unsere Schuld, wie auch wir vergeben unseren Schuldigern. Und führe uns nicht in Versuchung, sondern erlöse uns von dem Bösen. Denn Dein ist das Reich und die Kraft und die Herrlichkeit in Ewigkeit Amen. ペンシルベニアドイツ語は、少なくとも2つの意味で絶滅の危機に直面している。ひとつには、この言語はペンシルベニア州南東部でかつて日常的に話されていたのだが、今日ではそのような使われ方はされていない。今日でも高年齢層のなかにはペンシルベニアドイツ語を話す人々が多い。だが、彼らの孫の世代は英語のみしか知らないのが普通である。もうひとつ、今日でもペンシルベニアドイツ語を日常的に使っているアーミッシュについては、そこに多くの英単語が混ざるようになったことが指摘できる。一部の関係者は、この変化が進展するとやがてペンシルベニアドイツ語は消え去ってしまうのではないか、と危惧している。また、この変化が加速しつつあることも指摘されている。これは多くのアーミッシュの大規模な共同体にとって土地が稀少になりつつあり、それに伴って農業以外の職業に就く必要性が出てきているためである。工場などで働く場合、英語との接触がかなり増えることになるケースがある。 また、アーミッシュとオールド・オーダー・メノナイト派は、かつてはペンシルベニアドイツ語の話し手のごく少数を占めるに過ぎなかったが、現在ではかれらだけが世代間の言語の継承をおこなっているため、話し手の大多数を占めるようになった。ジョンズ・ホプキンズ大学の社会学者でペンシルベニア・ダッチ人のジョン・A・ホステトラー(John A Hostetler)によれば、当初これら2つの集団は話し手全体の人口の10%以下であったという。 しかしながら、この2集団がペンシルベニアドイツ語の使用をやめる兆候はない。かれらの文化では、言語は従順さ、謙譲の証として扱われ、外部の世界に対するバリアーとして機能している。また、アーミッシュは一般に多産であるため、短期的には若い世代の話し手がいなくなる可能性は低い。 カナダでは、次の3つの集団がペンシルベニアドイツ語を話す。 一般に、カナダ国内のペンシルベニアドイツ語の話し手はアメリカ国内の話し手の数と比べて非常に少ない。だが、少なくともカナダのメノナイト派の内の1集団は、ペンシルベニアドイツ語の使用を中止する率がアメリカの同様の集団と比べて低いことがわかっている。具体的には自動車(automobile)オールド・オーダー・メノナイト派がそうである。アメリカでは自動車を利用するオールド・オーダー・メノナイト派の人々は、英語に切り替えてしまうけれども、カナダではこうした人びとは家庭内で依然としてペンシルベニアドイツ語を使い続けている。 アメリカ国内では、次の各集団がペンシルベニアドイツ語を話す。 これらの内、最後の一連の諸集団が、かつてペンシルベニアドイツ語の使い手の主流派をなしていた。また、今日では夜間学校で言語を教える試みなどもおこなわれている。しかしながら、これらの集団内での話し手の数は年々減少する傾向にある。ほかに、こうした人々を主な対象とした週に一度のラジオ番組があり、ルター派と改革派教会の内、以前ドイツ語を使っていた支部の多くは、ペンシルベニアドイツ語による毎年一回のミサをおこなっている。また、ペンシルベニアドイツ語の母語話者と商取引を頻繁に行う人々のなかには、この言語を話すようになる人もいる。 今日の話し手の人口は、15万(非常に慎重な見積り)から25万の間であると思われる。但し、学術出版物も含め、これよりもさらに低い数字を提供する者もいる。これは上に挙げたさまざまな集団の存在に気づかないために起こる誤認による。 全人口の内、アーミッシュは15万から20万人を占める。オールド・オーダー・メノナイトは数万人、その他のメノナイト派の話し手が数千人、アーミッシュでもメノナイト派でもない話し手が数千人いる。たとえば、ペンシルベニア南東部にあるペンシルベニアドイツ語の話し手のための組織であるGrundsau Lodgeの会員数は、6千人にのぼるとされる。 これらの内、アーミッシュの人口は見積りがやや困難である。アーミッシュの人口として統計上報告されるものは、しばしば洗礼を受けた人の数である。ここには20代なかばと、それ以下の人口を含まない。教区の数と教区ひとつ当たりの平均人口に基づいた推計の方がより正確である。さらに、ペンシルベニア州、オハイオ州、インディアナ州の各州には大きな話し手の集団がいることがわかっているが、これら以外の地域の話し手は、英語の話し手の間に散在しているために把握が困難である。 アーミッシュの人口の公式な統計は、現在のところ存在しない。また、ペンシルベニアドイツ語を話す人びとは、カナダやアメリカの国勢調査ではドイツ語を話す者としてカウントされる。これは回答用紙にある選択肢のなかでドイツ語が一番近いためである。
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Denn Dein ist das Reich und die Kraft und die Herrlichkeit in Ewigkeit Amen.", "title": "文字表記" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ペンシルベニアドイツ語は、少なくとも2つの意味で絶滅の危機に直面している。ひとつには、この言語はペンシルベニア州南東部でかつて日常的に話されていたのだが、今日ではそのような使われ方はされていない。今日でも高年齢層のなかにはペンシルベニアドイツ語を話す人々が多い。だが、彼らの孫の世代は英語のみしか知らないのが普通である。もうひとつ、今日でもペンシルベニアドイツ語を日常的に使っているアーミッシュについては、そこに多くの英単語が混ざるようになったことが指摘できる。一部の関係者は、この変化が進展するとやがてペンシルベニアドイツ語は消え去ってしまうのではないか、と危惧している。また、この変化が加速しつつあることも指摘されている。これは多くのアーミッシュの大規模な共同体にとって土地が稀少になりつつあり、それに伴って農業以外の職業に就く必要性が出てきているためである。工場などで働く場合、英語との接触がかなり増えることになるケースがある。", "title": "継承" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "また、アーミッシュとオールド・オーダー・メノナイト派は、かつてはペンシルベニアドイツ語の話し手のごく少数を占めるに過ぎなかったが、現在ではかれらだけが世代間の言語の継承をおこなっているため、話し手の大多数を占めるようになった。ジョンズ・ホプキンズ大学の社会学者でペンシルベニア・ダッチ人のジョン・A・ホステトラー(John A Hostetler)によれば、当初これら2つの集団は話し手全体の人口の10%以下であったという。", "title": "継承" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "しかしながら、この2集団がペンシルベニアドイツ語の使用をやめる兆候はない。かれらの文化では、言語は従順さ、謙譲の証として扱われ、外部の世界に対するバリアーとして機能している。また、アーミッシュは一般に多産であるため、短期的には若い世代の話し手がいなくなる可能性は低い。", "title": "継承" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "カナダでは、次の3つの集団がペンシルベニアドイツ語を話す。", "title": "話し手の人口" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "一般に、カナダ国内のペンシルベニアドイツ語の話し手はアメリカ国内の話し手の数と比べて非常に少ない。だが、少なくともカナダのメノナイト派の内の1集団は、ペンシルベニアドイツ語の使用を中止する率がアメリカの同様の集団と比べて低いことがわかっている。具体的には自動車(automobile)オールド・オーダー・メノナイト派がそうである。アメリカでは自動車を利用するオールド・オーダー・メノナイト派の人々は、英語に切り替えてしまうけれども、カナダではこうした人びとは家庭内で依然としてペンシルベニアドイツ語を使い続けている。", "title": "話し手の人口" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "アメリカ国内では、次の各集団がペンシルベニアドイツ語を話す。", "title": "話し手の人口" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "これらの内、最後の一連の諸集団が、かつてペンシルベニアドイツ語の使い手の主流派をなしていた。また、今日では夜間学校で言語を教える試みなどもおこなわれている。しかしながら、これらの集団内での話し手の数は年々減少する傾向にある。ほかに、こうした人々を主な対象とした週に一度のラジオ番組があり、ルター派と改革派教会の内、以前ドイツ語を使っていた支部の多くは、ペンシルベニアドイツ語による毎年一回のミサをおこなっている。また、ペンシルベニアドイツ語の母語話者と商取引を頻繁に行う人々のなかには、この言語を話すようになる人もいる。", "title": "話し手の人口" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "今日の話し手の人口は、15万(非常に慎重な見積り)から25万の間であると思われる。但し、学術出版物も含め、これよりもさらに低い数字を提供する者もいる。これは上に挙げたさまざまな集団の存在に気づかないために起こる誤認による。", "title": "話し手の人口" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "全人口の内、アーミッシュは15万から20万人を占める。オールド・オーダー・メノナイトは数万人、その他のメノナイト派の話し手が数千人、アーミッシュでもメノナイト派でもない話し手が数千人いる。たとえば、ペンシルベニア南東部にあるペンシルベニアドイツ語の話し手のための組織であるGrundsau Lodgeの会員数は、6千人にのぼるとされる。", "title": "話し手の人口" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "これらの内、アーミッシュの人口は見積りがやや困難である。アーミッシュの人口として統計上報告されるものは、しばしば洗礼を受けた人の数である。ここには20代なかばと、それ以下の人口を含まない。教区の数と教区ひとつ当たりの平均人口に基づいた推計の方がより正確である。さらに、ペンシルベニア州、オハイオ州、インディアナ州の各州には大きな話し手の集団がいることがわかっているが、これら以外の地域の話し手は、英語の話し手の間に散在しているために把握が困難である。", "title": "話し手の人口" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "アーミッシュの人口の公式な統計は、現在のところ存在しない。また、ペンシルベニアドイツ語を話す人びとは、カナダやアメリカの国勢調査ではドイツ語を話す者としてカウントされる。これは回答用紙にある選択肢のなかでドイツ語が一番近いためである。", "title": "話し手の人口" } ]
ペンシルベニアドイツ語は、北アメリカのカナダおよびアメリカ中西部でおよそ15万から25万人の人びとに話されているドイツ語の系統である。高地ドイツ語のうち上部ドイツ語の一派アレマン語の一方言である。ペンシルベニアアレマン語(Pennsilfaani-Alemanisch, Pennsylvania-Alemannic)とも呼ばれる。
{{Infobox Language|name=ペンシルベニアドイツ語 |nativename=Pennsilfaani-Deitsch |familycolor=インド・ヨーロッパ |states=[[カナダ]]・[[オンタリオ州]]、[[アメリカ合衆国]][[ペンシルベニア州]]、[[アメリカ中西部|中西部]]など |region=[[北アメリカ]] |speakers=25~30万人 |rank=100位以下 |fam1=[[インド・ヨーロッパ語族]] |fam2=[[ゲルマン語派]] |fam3=[[西ゲルマン語群]] |fam4=[[ドイツ語|高地ドイツ語]] |fam5=[[上部ドイツ語]] |fam6=[[アレマン語]] |nation= |agency= |iso1=なし |iso2=gem |iso3=pdc |map=[[File:Pennsylvania German distribution.png|250px|center|thumb|青:最も話者の割合が高い郡<br />赤:最も話者数の多い郡]] }} {{wikipedia|pdc}} '''ペンシルベニアドイツ語'''(標準[[ドイツ語]]:Pennsylvania-Dutch, Pennsilfaani-Deitsch、[[アレマン語]]:Pennsylvania-Ditsch、[[英語]]:Pennsylvania-German)は、[[北アメリカ]]の[[カナダ]]および[[アメリカ中西部]]でおよそ15万から25万人の人びとに話されている[[ドイツ語]]の系統である。[[高地ドイツ語]]のうち[[上部ドイツ語]]の一派[[アレマン語]]の一方言である。'''ペンシルベニアアレマン語'''(Pennsilfaani-Alemanisch, Pennsylvania-Alemannic)とも呼ばれる。 == 概要 == この言語を主に使用するのは、[[アメリカ合衆国]]の[[ペンシルベニア州]]東部から発生し、[[アメリカ中西部|中西部]]、[[モンタナ州]]、[[アイダホ州]]、[[ワイオミング州]]、[[ワシントン州]]、[[オレゴン州]]、それに[[カナダ]]の[[オンタリオ州]]に住んでいる大部分の[[ゲルマン人|ゲルマン]]・[[ドイツ系アメリカ人]]である。 話し手の多くは[[アーミッシュ]]か[[オールド・オーダー・メノナイト派]]である。ただし、数世代前は全く違う状態にあった。これについては以下の[[#継承]]の節を参照のこと。また[[メノナイト]]派の内アメリカ北部や南部に住む人びとは、[[低地ドイツ語]]の諸語([[低ザクセン語|ニーダーザクセン語]]および[[低地フランク語]])を話すことがあるが、これはまた全く異なるグループの言語である。 '''[[ペンシルベニア・ダッチ]]'''(Pennsylvania-Dutch)とも呼ばれるが、いわゆる[[オランダ語]]と直接の関係はない。[[英語]]のダッチ(''Dutch'')は現代ではオランダ語や[[オランダ]]人の意味で使われるが、古くはドイツ語および[[ドイツ人]]を指す言葉であった。この語と''Deutsch''は同語源である。元来[[オランダ]]はドイツ文化圏の一部とみなされていたが、後に意味が狭義化した。この紛らわしい呼び名は、その古い語義を保つ形になっている。 同時に[[アシュケナジム]]([[ユダヤ人|ユダヤ系]])が使用する[[イディッシュ語]]とも系統が異なるグループの言語である。 == ヨーロッパにおける起源 == ペンシルベニアドイツ語は、[[ドイツ]]中西部の[[プファルツ地方|プファルツ地域]]の言語である[[中部ドイツ語]]に属する[[フランケン語|フランケン諸語]]([[中部フランケン語|中部フランケン方言]])に最もよく似ている。しかし、アメリカやカナダに見出されるペンシルベニアドイツ語の話し手は、[[中欧]]南西部の[[ドイツ語|ドイツ語圏]]([[アレマン語|アレマン諸語]])のさまざまな地域からの移民から構成される。これは[[アルザス地域圏|アルザス]](Alsace)、[[スイス]](Swiss)を含む南西部の[[バーデン=ヴュルテンベルク州|バーデン]](Baden)、[[シュヴァーベン行政管区|バイエルン・シュヴァーベン]](Bayerisch Schwaben)を含む南中部の[[シュヴァーベン]](Schwaben)、[[フランケン地方]]南西部を含む中南部の[[ヴュルテンベルク]](Württemberg)など、移民がやって来てから最初の数世代の間に各種の[[方言]]が融合し、現在のようなものになったという。 == 発音 == ペンシルベニアドイツ語は、大衆文化のなかではアーミッシュと結び付けられることが多い。ペンシルベニア・ジャーマン訛りの英語を話す人は、v と w の発音をすり替えてしまうことなどが典型的である。たとえば「ワンダフルな[[ヴァイオリン]]」と言うべきところを「ヴォンダフルなウィオリン」と言ってしまう、などとされる。ただし、現実のペンシルベニアドイツ語の話し手が英語を話す際には、非常にわずかな訛りしかない。上のようなイメージは観光のために誇張されているものという色合いが濃い。 == 文字表記 == 現在、ペンシルベニアドイツ語には、2つの競合する表記の方法が存在している。 例えば「[[主の祈り]]」は、次のように2通りに表記され得る。 <blockquote> Unsah Faddah im Himmel,<br /> dei nohma loss heilich sei,<br /> Dei Reich loss kumma.<br /> Dei villa loss gedu sei,<br /> uf di eaht vi im Himmel.<br /> Unsah tayklich broht gebb uns heit,<br /> Un fagebb unsah shulda,<br /> vi miah dee fagevva vo uns shuldich sinn.<br /> Un fiah uns naett in di fasuchung,<br /> avvah hald uns fu'm eevila.<br /> Fa dei is es Reich, di graft,<br /> un di hallichkeit in ayvichkeit.<br /> Amen. </blockquote> <blockquote> Unser Fadder im Himmel, <br /> dei Naame loss heilich sei, <br /> Dei Reich loss kumme. <br /> Dei Wille loss gedu sei, <br /> uff die Erd wie im Himmel. <br /> Unser deeglich Brot gebb uns heit, <br /> Un vergebb unser Schulde, <br /> wie mir die vergewwe wu uns schuldich sinn. <br /> Un fiehr uns net in die Versuchung, <br /> awwer hald uns vum Iewile. <br /> Fer dei is es Reich, die Graft, <br /> un die Hallichkeit in Ewichkeit. <br /> Amen. </blockquote> 参考までに、現代の標準的ドイツ語による表記は、次のようになる。 <blockquote> Vater unser im Himmel, <br /> geheiligt werde dein Name. <br /> dein Reich komme, <br /> dein Wille geschehe <br /> wie im Himmel, so auf Erden. <br /> Unser tägliches Brot gib uns heute, <br /> und vergib uns unsere Schuld, <br /> wie auch wir vergeben unseren Schuldigern. <br /> Und führe uns nicht in Versuchung, <br /> sondern erlöse uns von dem Bösen. <br /> Denn Dein ist das Reich <br /> und die Kraft und die Herrlichkeit <br /> in Ewigkeit<br /> Amen. </blockquote> == 継承 == ペンシルベニアドイツ語は、少なくとも2つの意味で絶滅の危機に直面している。ひとつには、この言語は[[ペンシルベニア州]]南東部でかつて日常的に話されていたのだが、今日ではそのような使われ方はされていない。今日でも高年齢層のなかにはペンシルベニアドイツ語を話す人々が多い。だが、彼らの孫の世代は英語のみしか知らないのが普通である。もうひとつ、今日でもペンシルベニアドイツ語を日常的に使っている[[アーミッシュ]]については、そこに多くの英単語が混ざるようになったことが指摘できる。一部の関係者は、この変化が進展するとやがてペンシルベニアドイツ語は消え去ってしまうのではないか、と危惧している。また、この変化が加速しつつあることも指摘されている。これは多くの[[アーミッシュ]]の大規模な共同体にとって土地が稀少になりつつあり、それに伴って農業以外の職業に就く必要性が出てきているためである。工場などで働く場合、英語との接触がかなり増えることになるケースがある。 また、[[アーミッシュ]]とオールド・オーダー・メノナイト派は、かつてはペンシルベニアドイツ語の話し手のごく少数を占めるに過ぎなかったが、現在ではかれらだけが世代間の言語の継承をおこなっているため、話し手の大多数を占めるようになった。[[ジョンズ・ホプキンズ大学]]の社会学者でペンシルベニア・ダッチ人の[[ジョン・A・ホステトラー]](John A Hostetler)によれば、当初これら2つの集団は話し手全体の人口の10%以下であったという。 しかしながら、この2集団がペンシルベニアドイツ語の使用をやめる兆候はない。かれらの文化では、言語は従順さ、謙譲の証として扱われ、外部の世界に対するバリアーとして機能している。また、アーミッシュは一般に多産であるため、短期的には若い世代の話し手がいなくなる可能性は低い。 == 話し手の人口 == [[カナダ]]では、次の3つの集団がペンシルベニアドイツ語を話す。 *[[アーミッシュ]]([[フルドリッヒ・ツヴィングリ|ツヴィングリ派]]) *オールド・オーダー・メノナイト派 *他のメノナイト派の人々の内、中年や高年齢で先祖が[[ペンシルベニア州]]からの移民である人々が多い。 一般に、カナダ国内のペンシルベニアドイツ語の話し手はアメリカ国内の話し手の数と比べて非常に少ない。だが、少なくともカナダのメノナイト派の内の1集団は、ペンシルベニアドイツ語の使用を中止する率がアメリカの同様の集団と比べて低いことがわかっている。具体的には自動車(automobile)オールド・オーダー・メノナイト派がそうである。アメリカでは自動車を利用するオールド・オーダー・メノナイト派の人々は、英語に切り替えてしまうけれども、カナダではこうした人びとは家庭内で依然としてペンシルベニアドイツ語を使い続けている。 アメリカ国内では、次の各集団がペンシルベニアドイツ語を話す。 *全てのオールド・オーダー・アーミッシュ *全てのニュー・アーミッシュ *ホース・アンド・バギー・オールド・オーダー・メノナイト **(ただし、Shenandoah Valley のオールド・オーダー・メノナイトの中には、英語しか話さない一家もある) *ビーチー・アーミッシュの一部 **(かれらの多くは英語へ切り替えつつある) *以下の諸集団の一部、主に高年齢者層: **[[ルター派]] **[[改革派]] **[[モラヴィアン]]=[[モラヴィア兄弟団]](Moravian) **[[シュヴェンクフェルダー派]](Schwenkfelder) **[[ブレザレン教会]](Church of the Brethren) **[[カトリック教会|カトリック]] **[[ユダヤ教徒]]([[イディッシュ語]]) これらの内、最後の一連の諸集団が、かつてペンシルベニアドイツ語の使い手の主流派をなしていた。また、今日では夜間学校で言語を教える試みなどもおこなわれている。しかしながら、これらの集団内での話し手の数は年々減少する傾向にある。ほかに、こうした人々を主な対象とした週に一度のラジオ番組があり、ルター派と改革派教会の内、以前ドイツ語を使っていた支部の多くは、ペンシルベニアドイツ語による毎年一回のミサをおこなっている。また、ペンシルベニアドイツ語の母語話者と商取引を頻繁に行う人々のなかには、この言語を話すようになる人もいる。 今日の話し手の人口は、15万(非常に慎重な見積り)から25万の間であると思われる。但し、学術出版物も含め、これよりもさらに低い数字を提供する者もいる。これは上に挙げたさまざまな集団の存在に気づかないために起こる誤認による。 全人口の内、アーミッシュは15万から20万人を占める。オールド・オーダー・メノナイトは数万人、その他のメノナイト派の話し手が数千人、アーミッシュでもメノナイト派でもない話し手が数千人いる。たとえば、ペンシルベニア南東部にあるペンシルベニアドイツ語の話し手のための組織であるGrundsau Lodgeの会員数は、6千人にのぼるとされる。 これらの内、アーミッシュの人口は見積りがやや困難である。アーミッシュの人口として統計上報告されるものは、しばしば洗礼を受けた人の数である。ここには20代なかばと、それ以下の人口を含まない。教区の数と教区ひとつ当たりの平均人口に基づいた推計の方がより正確である。さらに、[[ペンシルベニア州]]、[[オハイオ州]]、[[インディアナ州]]の各州には大きな話し手の集団がいることがわかっているが、これら以外の地域の話し手は、英語の話し手の間に散在しているために把握が困難である。 アーミッシュの人口の公式な統計は、現在のところ存在しない。また、ペンシルベニアドイツ語を話す人びとは、[[カナダ]]や[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の国勢調査では[[ドイツ語]]を話す者としてカウントされる。これは回答用紙にある選択肢のなかでドイツ語が一番近いためである。 == 関連項目 == * [[アメリカのドイツ語|アメリカドイツ語]] * [[ペンシルベニア・ダッチ]] * [[アーミッシュ]] ==外部リンク== *[http://www.pgs.org The Pennsylvania German Society] *[http://www.dpak.de Deutsch-Pennsylvanischer Arbeitskreis / German-Pennsylvanian Association] *[http://www.hiwwe-wie-driwwe.de Hiwwe wie Driwwe - The Pennsylvania German Newspaper] *[http://www.mammana.org/pgto/ Pennsylvania German texts online] *[http://www.deitscherei.org Deitscherei.org - Fer der Deitsch Wandel] *[http://www.amisch.de Amisch.de - Pennsylvaniadeutsch Board] *[http://www.ot.com/skew/four/deitsch.html アーミッシュ、メノナイト派以外のペンシルベニアドイツ語の話し手について] *[http://www.mhsc.ca/encyclopedia/contents/D5351ME.html カナダ・メノナイト・ヒストリカル・ソサエティより] *[http://www.township.wellesley.on.ca/deitsch.htm Wellesley Township] *[http://www.kerchner.com/padutch.htm 名称の混乱についての様々な理由] {{ゲルマン語派}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:へんしるはにあといつこ}} [[category:ドイツ語の方言]] [[category:ドイツ語]] [[Category:アレマン語]] [[category:アメリカ合衆国の言語]] [[category:カナダの言語]] [[Category:ペンシルベニア・ドイツ文化| ]] [[Category:アーミッシュ]] [[Category:ペンシルベニア州の文化]] [[Category:ペンシルベニア州の歴史]]
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アーミッシュ
アーミッシュ(英語: Amish、ドイツ語: Amische)は、アメリカ合衆国のペンシルベニア州や中西部、カナダのオンタリオ州などに居住するドイツ系移民(ペンシルベニア・ダッチも含まれる)の宗教集団である。アメリカのキリスト教者共同体であり、 移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって自給自足生活をしていることで知られる。原郷はスイス、アルザス、シュワーベンなど。2020年時点での推定人口は約35万人とされている。 アーミッシュとメノナイトはルーテル派(ルター派)とツヴィングリ派の新教再組織から分かれてスイスのチューリッヒで生まれた一派で、宗教的迫害を受けたのちにドイツ南西部やフランスのアルザス地方に移住した。キリスト教と共同体に忠実である厳格な規則のある派で、創始者のメノ・シモンズの名前をとってメノナイトと呼ばれた。そのメノナイトの一員であったヤコブ・アマン(英語版)は、教会の純粋さを保つために、ほかのグループから離れて暮らすことを考え、更に保守的な一派を作った。アーミッシュという呼称は彼の名に由来する。ライフスタイルは少し違うが、メノナイトもアーミッシュも基本的信条は同じで、ひとくくりにアーミッシュと呼ばれている。 アーミッシュには「オルドゥヌング(英語版)」という戒律があり、原則として快楽を感じることは禁止される。なお、オルドゥヌングは各地のコミュニティーごとに合議によって定められるので各地で差異がある 。 以下のような規則を破った場合、懺悔や奉仕活動の対象となる。改善が見られない場合はアーミッシュを追放され、家族から絶縁される。 政治的には、「神が正しい人物を大統領に選ぶ」との信条から積極的に有権者として関わることはなかった。しかし、2004年アメリカ合衆国大統領選挙では激戦州となったペンシルベニア州やオハイオ州のアーミッシュに共和党が宗教的紐帯を根拠とし支持を広げたという。 彼らは専用の教会をその集落に持たず、普通の家に持ち回りで集い神に祈る。これは教会が宗教を核とした権威の場となることを嫌って純粋な宗教儀式のみに徹するためである。学校教育はすべてコミュニティ内だけで行われ、教育期間は8年間である。1972年に連邦最高裁において独自学校と教育をすることが許可された。教師はそのコミュニティで育った未婚女性が担当する。教育期間が8年間だけなのは、それ以上の教育を受けると知識が先行し、謙虚さを失い、神への感謝を失うからだとされる。教育内容はペンシルベニアドイツ語と英語と算数のみである。 アーミッシュは移民当時の生活様式を守るため電気を使用せず、現代の一般的な通信機器(電話など)も家庭内にはない。原則として現代の技術による機器を生活に導入することを拒み、近代以前と同様の生活様式を基本に農耕や牧畜を行い、自給自足の生活を営んでいる。自分たちの信仰生活に反すると判断した新しい技術・製品・考え方は拒否するのである。一部では観光客向け商品の販売などが行われている(アーミッシュの周辺に住む一般人が、アーミッシュのキルトや蜂蜜などを販売したり、アーミッシュのバギーを用いて観光客を有料で乗せたりする例もある)。 基本的に大家族主義であり、ひとつのコミュニティは深く互助的な関係で結ばれている。新しい家を建てるときには親戚・隣近所が集まって取り組む。服装は極めて質素。子供は多少色のあるものを着るが、成人は決められた色のものしか着ない。洗濯物を見ればその家の住人がアーミッシュかどうかわかる。 アーミッシュの日常生活では近代以前の伝統的な技術しか使わない。そのため、自動車は運転しない。商用電源は使用せず、わずかに、風車、水車によって蓄電池に充電した電気を利用する程度である。移動手段は馬車によっているものの、ウィンカーをつけることが法規上義務付けられているため、充電した蓄電池を利用しているとされる。 アーミッシュは現代文明を完全に否定しているわけではなく、自らのアイデンティティを喪失しないかどうか慎重に検討したうえで必要なものだけを導入しているのである。 アーミッシュがあまり生活について語らないため謎に包まれている部分もある。写真撮影は宗教上の理由から拒否されることが多い。ただし、これらの宗教上の制限は成人になるまでは猶予される。 アーミッシュの子供は、16歳になると一度親元を離れて俗世で暮らす「ラムスプリンガ(英語版)」(発音は、時に「ルームスプリンガ」ないし「リュームスプリンガ」)という期間に入る。ラムスプリンガでは、アーミッシュの掟から完全に解放され、時間制限もない。子供達はその間に酒・タバコ・ドラッグなどを含む、多くの快楽を経験する。そして、18歳成人になる(ラムスプリンガを終える)際に、一年の間、アーミッシュのコミュニティから離れた後にアーミッシュのコミュニティに戻るか、アーミッシュと絶縁して俗世で暮らすかを選択する事が認められているが、ほとんどのアーミッシュの新成人はそのままアーミッシュであり続けることを選択するといわれる。この模様は『Devil's Playground』というドキュメンタリー映画の中で語られている。ただし、2004年のアメリカのテレビ番組『アーミッシュ・イン・ザ・シティ』の中で、アーミッシュの子供達をアーミッシュの居住地域から離れた、大都会であるロサンゼルスに連れて行き大学生の生活をさせると、自分の人生の可能性に気付き、彼らの内9割以上が、俗世に出ることを選択したという出来事もある。 アーミッシュの言語はドイツ古語(初期新高ドイツ語)の一派が第二次子音推移を経た高地ドイツ語のうち上部ドイツ語に属するアレマン諸語やその一方言であるスイスアレマン語およびアルザス語などがアメリカドイツ語と融合したペンシルベニアアレマン語を基本とする。 しかし、現在のドイツ南西部にいるアレマン人の言語はペンシルベニア・アレマン語の話者にとって、きわめて困難かつ理解できない言語である。前述のとおり、ペンシルベニア・アレマン語はアメリカ内で上部ドイツ諸語およびアメリカドイツ語などが複雑に融合して形成された言語であり、従来のアレマン諸語のシュヴァーベン方言、スイスアレマン方言(ドイツ語圏)、アルザス語などの話者と会話をしても、標準ドイツ語の影響を受けたこれらの言語は、まったく通じない言語である。 そのため、彼らは「外の世界」とのコミュニケーションのためにアメリカ英語の言語を使用する傾向がある。 アーミッシュキルトが有名で、着古した服の端切れを集めて作られる。スイスを離れ、北米に移住する前に一時期隠遁生活を送っていたフランスのアルザス地方にあるかつて銀が採れたボージュ山脈の谷間の村、Sainte-Marie-aux-Mines(サント・マリー・オ・ミン)は、現在でもパッチワークの発祥地として有名で、構図がアーミッシュキルトの構図に似ているものがあることも興味深い。 アーミッシュの人形も、古切れを縫い合わせた丁寧な作りである。顔に目・鼻・口などが描かれることはないが、アーミッシュの少女は、人形を我が身の分身のように大切にするという。 音楽は、楽器を所有したり演奏したりすることが禁じられている。理由は、個人を引き立て、虚栄心をあおる可能性があるからである。歌は斉唱である。これも個人を引き立たせることを禁じているからである。1曲歌い終わるのに15分くらいかかるものが多い。アーミッシュは「速い」よりも「遅い」ことに価値を見出しているからである。 アーミッシュでは独自の農業を行いほぼ完全な自給自足の生活を送っている。農業は農薬や化学肥料を全く使わずアーミッシュの農作物は市場では高値で売られ一部の高級ホテルや高級レストランで重宝されている。 2015年時点でオハイオ州、インディアナ州、ペンシルヴァニア州の3州にはアーミッシュ人口の3分の2(63%)、つまり約20万人が住んでいる。 アーミッシュは世界で最も急速に成長している集団の1つであり、家族あたり平均6.8人の子供の子供を生む 。 アーミッシュの独特の生活様式は、1985年のアメリカ映画『刑事ジョン・ブック 目撃者』で取り上げられ、広く知られることとなった。 ハリソン・フォード演じる主人公の刑事が、偶然殺人事件を目撃したアーミッシュの子供を守るため、アーミッシュの家庭に身を寄せるうちにその母親と恋に落ちるという物語である。しかし、必ずしも事実に忠実に描かれているわけではないため、アーミッシュの人々の中では必ずしも好意的に受け止められておらず、実際は共同体外部の異性と恋愛をすることは現在でも皆無だと言われる。 ジャーナリストのサラ・マクルーアは2020年、記事「The Amish Keep to Themselves. And They’re Hiding a Horrifying Secret」(閉ざされたアーミッシュ社会、彼らが隠してきた「恐るべき秘密」)の中で、アーミッシュの女児が近親相姦や性的虐待の被害者となった実例をあげ、「アーミッシュのコミュニティにおける性的虐待が、世代を超えて保たれてきた公然の秘密であるということだ」「加害者はすべて、被害者自身の家族であり、隣人であり、教会の指導者たちだった」「過去20年の間、アメリカの7つの州にあるアーミッシュのコミュニティで、子供が被害者となった性的暴行事件は報告されているだけで52件。恐ろしいことに、この数字は氷山の一角にすぎないのだ」と指摘した。 アーミッシュが多く居住するランカスターはスリーマイル島から南東に40キロメートルほどに位置しており、スリーマイル島原子力発電所事故(結果的には健康被害はなかったとされる事故)のような技術災害が、技術自体を好む好まずに関係なく社会全体に影響することの代表例として知られている。 2006年10月、ランカスター郡の小学校に「神を憎む」という男が闖入し児童や教員を銃で殺傷する事件が発生し、13歳のアーミッシュの少女が、自分より小さな子供に銃口が向けられた際に身代わりとなって射殺され、その妹も銃撃された。その後彼女らの祖父は犯人に恨みを抱いていないことを表明し、犯人の家族を葬儀に招いた。(West Nickel Mines School shooting参照)
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アーミッシュは、アメリカ合衆国のペンシルベニア州や中西部、カナダのオンタリオ州などに居住するドイツ系移民(ペンシルベニア・ダッチも含まれる)の宗教集団である。アメリカのキリスト教者共同体であり、 移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって自給自足生活をしていることで知られる。原郷はスイス、アルザス、シュワーベンなど。2020年時点での推定人口は約35万人とされている。
{{otheruses||日本の企業|アーミッシュ (企業)}} {{Infobox Religious group | group = アーミッシュ | image = [[File:Lancaster County Amish 03.jpg|300px|alt=An Amish family in a horse-drawn square buggy passes a farmhouse, barn and granary; more farms and forest in the distance.]] | caption = 伝統的なアーミッシュ馬車に乗るアーミッシュの家族([[ペンシルベニア州]][[ランカスター郡 (ペンシルベニア州)|ランカスター郡]]) | poptime = 318,000+<br>(2017年、オールド・オーダー・アーミッシュ)<ref name="Elizabethtown College, the Young Center for Anabaptist and Pietist Studies">{{cite web |url= https://groups.etown.edu/amishstudies/statistics/amish-population-profile-2017/ |title=Amish Population Profile, 2017 | work= Elizabethtown College, the Young Center for Anabaptist and Pietist Studies| accessdate= 23 August 2017}}</ref> | popplace = {{USA}} (特に[[ペンシルベニア州]]、[[オハイオ州]]、[[インディアナ州]])<br />{{CAN}} (特に[[オンタリオ州]]) | founder = {{仮リンク|ヤコブ・アマン|en|Jacob Amman}} | rels = [[アナバプテスト]] | scrips = [[聖書]] | langs = [[ペンシルベニアドイツ語]]、{{仮リンク|ベルンドイツ語|en|Bernese German}}、{{仮リンク|低アレマンドイツ語|en|Low Alemannic German}}、[[アルザス語]]、{{仮リンク|標準ドイツ語|en|Standard German|label=アーミッシュ・ハイドイツ語}}{{enlink|Standard German|en}}、英語}} {{アナバプテスト}} '''アーミッシュ'''({{lang-en|Amish}}<ref group="註釈">{{IPA-en|ˈɑːmɪʃ}}('''アー'''ミシュ)、{{IPA-en|ˈæmɪʃ|}}('''ア'''ミシュ)。</ref>、{{lang-de|Amische}}<ref group="註釈">[[アレマン語]]も同様の[[綴り字|スペル]]である。</ref>)は、[[アメリカ合衆国]]の[[ペンシルベニア州]]や[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]<ref group="註釈">アーミッシュの人口が多い郡の例としては、[[ペンシルベニア州]][[ランカスター郡 (ペンシルベニア州)|ランカスター郡]]、[[オハイオ州]][[ホームズ郡 (オハイオ州)|ホームズ郡]]、[[インディアナ州]][[エルクハート郡 (インディアナ州)|エルクハート郡]]・[[ラグレンジ郡 (インディアナ州)|ラグレンジ郡]]などが挙げられる。</ref>、[[カナダ]]の[[オンタリオ州]]などに居住する[[ドイツ系アメリカ人|ドイツ系移民]]([[ペンシルベニア・ダッチ]]も含まれる)の宗教集団である。アメリカの[[キリスト教]]者共同体であり、 移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって[[自給自足]]生活をしていることで知られる。原郷は[[スイス]]、[[アルザス]]、[[シュワーベン]]など。2020年時点での推定人口は約35万人とされている<ref>{{Cite web|title=Amish Population Profile, 2020|url=https://groups.etown.edu/amishstudies/statistics/amish-population-profile-2020/|website=Amish Studies|date=2020-08-14|accessdate=2022-01-05|language=en-US}}</ref>。 == 歴史 == === 発祥 === アーミッシュと[[メノナイト]]は[[ルーテル教会|ルーテル派]](ルター派)と[[ツヴィングリ派]]の新教再組織から分かれてスイスの[[チューリッヒ]]で生まれた一派で、宗教的迫害を受けたのちにドイツ南西部やフランスの[[アルザス地域圏|アルザス地方]]に移住した。キリスト教と共同体に忠実である厳格な規則のある派で、創始者の[[メノ・シモンズ]]の名前をとってメノナイトと呼ばれた。そのメノナイトの一員であった{{仮リンク|ヤコブ・アマン|en|Jakob Ammann}}は、教会の純粋さを保つために、ほかのグループから離れて暮らすことを考え、更に保守的な一派を作った<ref>『人類は「宗教」に勝てるか』 161頁。</ref><ref>『アーミッシュの人びと』 pp. 84-87頁。</ref>。アーミッシュという呼称は彼の名に由来する。ライフスタイルは少し違うが、メノナイトもアーミッシュも基本的信条は同じで、ひとくくりにアーミッシュと呼ばれている。 == 教義 == === 規律 === アーミッシュには「{{仮リンク|オルドゥヌング|en|Ordnung}}<ref group="註釈">{{lang-de-short|Ordnung}}、「秩序」を意味する。</ref>」という戒律があり、原則として快楽を感じることは禁止される。なお、オルドゥヌングは各地のコミュニティーごとに合議によって定められるので各地で差異がある <ref name="名前なし-1">Emma Gingerich 『Runaway Amish Girl: The Great Escape』</ref>。 以下のような規則を破った場合、懺悔や奉仕活動の対象となる<ref name="名前なし-1"/>。改善が見られない場合はアーミッシュを追放され、家族から[[絶縁 (人間関係)|絶縁]]される。 * 屋根付きの[[馬車]]は大人にならないと使えない。子供、青年には許されていない。 * 交通手段は馬車([[馬車#様々なタイプ|バギー]])を用いる。これはアーミッシュの唯一の交通手段である<ref name="jinrui"/>。(自動車の行き交う道をこれで走るために[[交通事故]]が多い)。 * アーミッシュの家庭においては、家族のいずれかがアーミッシュから離脱した場合、たとえ親兄弟の仲でも絶縁され、互いの交流が疎遠になる。 * [[怒り|怒って]]はいけない。 * [[喧嘩]]をしてはいけない。 * [[読書]]をしてはいけない([[聖書]]と、聖書を学ぶための参考書のみ許可される)。 * [[賛美歌]]以外の[[音楽]]を聴いてはいけない。 * [[避雷針]]を立ててはいけない([[雷]]は神の怒りであり、それを避けることは神への反抗と見なされるため)。 * [[義務教育]]以上の[[高等教育]]を受けてはいけない([[大学]]への進学など)<ref name="hitobito">『アーミッシュの人びと』 p. 114</ref><ref group="註釈">これに対し、メノナイトはインディアナ州[[ゴーシェン (インディアナ州)|ゴーシェン]]の[[ゴーシェン大学]]、[[カンザス州]]ノースニュートンの[[べセル大学 (カンザス州)|べセル大学]]、[[バージニア州]][[ハリソンバーグ (バージニア州)|ハリソンバーグ]]の[[東メノナイト大学]]などの大学を有し、聖書以外の高等教育も行っている点が、アーミッシュとの大きな違いの1つである。<br />参考: [https://www.mennoniteeducation.org/Pages/default.aspx Mennonite Education Home]. Mennonite Education Agency. 2021年10月13日閲覧.</ref>。 * [[化粧]]をしてはいけない<ref name="hitobito"/>。 * 派手な服を着てはいけない。 * [[保険]]に加入してはいけない([[予定説]]に反するから)。 * [[離婚]]してはいけない。 * 男性は[[口ひげ]]を生やしてはいけない(歴史的に口ひげは男性の魅力の象徴とされることがあったため)。ただし、顎[[ひげ]]や頬ひげは許される。 == 信仰 == 政治的には、「神が正しい人物を大統領に選ぶ」との信条から積極的に[[有権者]]として関わることはなかった。しかし、[[2004年アメリカ合衆国大統領選挙]]では激戦州となった[[ペンシルベニア州]]や[[オハイオ州]]のアーミッシュに[[共和党 (アメリカ)|共和党]]が宗教的紐帯を根拠とし支持を広げたという。 彼らは専用の[[教会]]をその集落に持たず、普通の家に持ち回りで集い神に祈る<ref name="jinrui2">『人類は「宗教」に勝てるか』 164頁。</ref>。これは教会が宗教を核とした権威の場となることを嫌って純粋な宗教儀式のみに徹するためである。学校教育はすべてコミュニティ内だけで行われ、教育期間は8年間である。[[1972年]]に連邦最高裁において独自学校と教育をすることが許可された。教師はそのコミュニティで育った未婚女性が担当する。教育期間が8年間だけなのは、それ以上の教育を受けると知識が先行し、謙虚さを失い、神への感謝を失うからだとされる<ref name="jinrui"/>。教育内容は[[ペンシルベニアドイツ語]]と英語と算数のみである。 == 生活 == アーミッシュは移民当時の生活様式を守るため電気を使用せず、現代の一般的な通信機器(電話など)も家庭内にはない。原則として現代の技術による機器を生活に導入することを拒み、[[近代]]以前と同様の生活様式を基本に農耕や牧畜を行い、自給自足の生活を営んでいる<ref name="jinrui">『人類は「宗教」に勝てるか』 162頁。</ref>。自分たちの信仰生活に反すると判断した新しい技術・製品・考え方は拒否するのである。一部では観光客向け商品の販売などが行われている(アーミッシュの周辺に住む一般人が、アーミッシュの[[キルト]]や[[蜂蜜]]などを販売したり、アーミッシュのバギーを用いて観光客を有料で乗せたりする例もある)。 基本的に大家族主義であり、ひとつのコミュニティは深く互助的な関係で結ばれている。新しい家を建てるときには親戚・隣近所が集まって取り組む。服装は極めて質素。子供は多少色のあるものを着るが、成人は決められた色のものしか着ない。洗濯物を見ればその家の住人がアーミッシュかどうかわかる。 アーミッシュの日常生活では近代以前の伝統的な技術しか使わない。そのため、[[自動車]]は運転しない。[[商用電源]]は使用せず、わずかに、[[風車]]、[[水車]]によって蓄電池に充電した電気を利用する程度である。移動手段は[[馬車]]によっているものの<ref name="jinrui"/>、[[ウィンカー]]をつけることが法規上義務付けられているため、充電した[[蓄電池]]を利用しているとされる<ref>『アーミッシュの人びと』 112頁。</ref>。 アーミッシュは現代文明を完全に否定しているわけではなく、自らのアイデンティティを喪失しないかどうか慎重に検討したうえで必要なものだけを導入しているのである<ref>『アーミッシュの人びと』 199-201頁。</ref>。 アーミッシュがあまり生活について語らないため謎に包まれている部分もある。写真撮影は宗教上の理由から拒否されることが多い。ただし、これらの宗教上の制限は成人になるまでは猶予される。 アーミッシュの子供は、16歳になると一度親元を離れて俗世で暮らす「{{仮リンク|ラムスプリンガ|en|Rumspringa}}」(発音は、時に「ルームスプリンガ」ないし「リュームスプリンガ」)という期間に入る。ラムスプリンガでは、アーミッシュの掟から完全に解放され、時間制限もない。子供達はその間に[[酒]]・[[タバコ]]・[[薬物乱用|ドラッグ]]などを含む、多くの快楽を経験する。そして、18歳成人になる(ラムスプリンガを終える)際に、一年の間、アーミッシュのコミュニティから離れた後にアーミッシュのコミュニティに戻るか、アーミッシュと絶縁して俗世で暮らすかを選択する事が認められているが、ほとんどのアーミッシュの新成人はそのままアーミッシュであり続けることを選択するといわれる<ref>『アーミッシュの人びと』 p. 190</ref>。この模様は『[[:en:Devil's_Playground_(2002_film)|Devil's Playground]]』というドキュメンタリー映画の中で語られている。ただし、2004年のアメリカのテレビ番組『アーミッシュ・イン・ザ・シティ』の中で、アーミッシュの子供達をアーミッシュの居住地域から離れた、大都会である[[ロサンゼルス]]に連れて行き大学生の生活をさせると、自分の人生の可能性に気付き、彼らの内9割以上が、俗世に出ることを選択したという出来事もある<ref>{{Cite book|和書|author=町山智浩|authorlink=町山智浩|title=キャプテン・アメリカはなぜ死んだか 超大国の悪夢と夢|edition=第1版第1刷|date=2009-01-19|publisher=[[太田出版]]|language=日本語|isbn=978-4778311520|page=12|chapter=chapter 1 アーミッシュのセックス、ドラッグ、ロックンロール体験|location=[[東京都]][[新宿区]][[荒木町 (新宿区)|荒木町]]|origdate=2009-01-19|id=}}</ref>。 == 言語 == アーミッシュの[[言語]]は[[古ドイツ語|ドイツ古語]]([[初期新高ドイツ語]])の一派が[[第二次子音推移]]を経た[[ドイツ語|高地ドイツ語]]のうち[[上部ドイツ語]]に属する[[アレマン語|アレマン諸語]]やその一方言である[[スイスドイツ語|スイスアレマン語]]および[[アルザス語]]などが[[アメリカのドイツ語|アメリカドイツ語]]と融合した[[ペンシルベニアドイツ語|ペンシルベニアアレマン語]]を基本とする。 しかし、現在のドイツ南西部にいる[[アレマン語|アレマン人]]の言語はペンシルベニア・アレマン語の話者にとって、きわめて困難かつ理解できない言語である。前述のとおり、ペンシルベニア・アレマン語はアメリカ内で上部ドイツ諸語およびアメリカドイツ語などが複雑に融合して形成された言語であり、従来のアレマン諸語の[[シュヴァーベン]]方言、スイスアレマン方言([[ドイツ語|ドイツ語圏]])、アルザス語などの話者と会話をしても、標準ドイツ語の影響を受けたこれらの言語は、まったく通じない言語である。 そのため、彼らは「外の世界」との[[コミュニケーション]]のために[[アメリカ英語]]の言語を使用する傾向がある。 == 芸術 == [[キルト#アーミッシュキルト|アーミッシュキルト]]が有名で、着古した服の端切れを集めて作られる。スイスを離れ、北米に移住する前に一時期隠遁生活を送っていたフランスのアルザス地方にあるかつて銀が採れたボージュ山脈の谷間の村、[[:fr:Sainte-Marie-aux-Mines|Sainte-Marie-aux-Mines]](サント・マリー・オ・ミン)は、現在でもパッチワークの発祥地として有名で、構図がアーミッシュキルトの構図に似ているものがあることも興味深い。 アーミッシュの人形も、古切れを縫い合わせた丁寧な作りである。顔に目・鼻・口などが描かれることはないが、アーミッシュの少女は、人形を我が身の分身のように大切にするという<ref name="jinrui2"/>。 音楽は、楽器を所有したり演奏したりすることが禁じられている。理由は、個人を引き立て、虚栄心をあおる可能性があるからである<ref>『アーミッシュの人びと』 177頁。</ref>。歌は[[斉唱]]である。これも個人を引き立たせることを禁じているからである<ref>『アーミッシュの人びと』 130頁。</ref>。1曲歌い終わるのに15分くらいかかるものが多い。アーミッシュは「速い」よりも「遅い」ことに価値を見出しているからである<ref>『アーミッシュの人びと』 176頁。</ref>。 == 農業 == アーミッシュでは独自の農業を行いほぼ完全な自給自足の生活を送っている。農業は農薬や化学肥料を全く使わずアーミッシュの農作物は市場では高値で売られ一部の高級ホテルや高級レストランで重宝されている。 ==分布・人口・出生率== 2015年時点でオハイオ州、インディアナ州、ペンシルヴァニア州の3州にはアーミッシュ人口の3分の2(63%)、つまり約20万人が住んでいる<ref>{{Cite web|和書|title=アーミッシュはどこに住んでいる? {{!}} アーミッシュの暮らし Down to Earth {{!}} アーミッシュ文化体験記 |url=https://dte-amish.com/246 |website=dte-amish.com |access-date=2023-09-25}}</ref>。 アーミッシュは世界で最も急速に成長している集団の1つであり、家族あたり平均6.8人の子供の子供を生む <ref>{{Cite journal|last=Ericksen|first=Julia A|last2=Ericksen|first2=Eugene P|last3=Hostetler|first3=John A|last4=Huntington|first4=Gertrude E|date=July 1979|title=Fertility Patterns and Trends among the Old Order Amish|journal=Population Studies|volume=33|issue=2|pages=255–76|DOI=10.2307/2173531|ISSN=0032-4728|JSTOR=2173531|OCLC=39648293|PMID=11630609}}</ref> 。 == その他 == === 映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」 === アーミッシュの独特の生活様式は、[[1985年]]のアメリカ映画『[[刑事ジョン・ブック 目撃者]]』で取り上げられ、広く知られることとなった。 [[ハリソン・フォード]]演じる主人公の刑事ジョン・ブック(題名にもなっている)が、偶然殺人事件を目撃したアーミッシュの子供を守るため、アーミッシュの家庭に身を寄せるうちにその母親と恋に落ちるという物語である。しかし、必ずしも事実に忠実に描かれているわけではないため、アーミッシュの人々の中では必ずしも好意的に受け止められておらず、実際は共同体外部の異性と恋愛をすることは現在でも皆無だと言われる。 === 性的虐待 === ジャーナリストの[http://www.sarahymcclure.com/ サラ・マクルーア]は2020年、記事「[https://www.cosmopolitan.com/lifestyle/a30284631/amish-sexual-abuse-incest-me-too/ The Amish Keep to Themselves. And They’re Hiding a Horrifying Secret]」(閉ざされたアーミッシュ社会、彼らが隠してきた「恐るべき秘密」)の中で、アーミッシュの女児が近親相姦や性的虐待の被害者となった実例をあげ、「アーミッシュのコミュニティにおける性的虐待が、世代を超えて保たれてきた公然の秘密であるということだ」「加害者はすべて、被害者自身の家族であり、隣人であり、教会の指導者たちだった」「過去20年の間、アメリカの7つの州にあるアーミッシュのコミュニティで、子供が被害者となった性的暴行事件は報告されているだけで52件。恐ろしいことに、この数字は氷山の一角にすぎないのだ」<ref>「[https://www.cosmopolitan.com/jp/trends/society/g30559443/amish-abuse-incest-200117-hns/ 閉ざされたアーミッシュ社会、彼らが隠してきた「恐るべき秘密」]」2020/01/17</ref>と指摘した。 === 技術災害 === アーミッシュが多く居住するランカスターはスリーマイル島から南東に40キロメートルほどに位置しており、[[スリーマイル島原子力発電所事故]](結果的には健康被害はなかったとされる事故)のような技術災害が、技術自体を好む好まずに関係なく社会全体に影響することの代表例として知られている。 === 銃撃事件 === 2006年10月、[[ランカスター郡 (ペンシルベニア州)|ランカスター郡]]の小学校に「神を憎む」という男が闖入し児童や教員を銃で殺傷する事件が発生し、13歳のアーミッシュの少女が、自分より小さな子供に銃口が向けられた際に身代わりとなって射殺され、その妹も銃撃された。その後彼女らの祖父は犯人に恨みを抱いていないことを表明し、犯人の家族を葬儀に招いた。([[:en:West_Nickel_Mines_School_shooting|West Nickel Mines School shooting]]参照) == 画像 == <gallery> File:Amish man.jpg|アーミッシュの男性 File:AmishFamilyNiagaraFalls.jpg|アーミッシュの家族 ファイル:Amish vs modern transportation.jpg|現代的な交通手段(写真左)とアーミッシュの一頭立て四輪[[馬車]](写真右)との対比。 ファイル:DSCN4624 holmescountyamishbuggy e.jpg|一頭立て四輪馬車(バギー)に乗るアーミッシュの夫婦(オハイオ州 [[2004年]]9月) ファイル:Lancaster County Amish 02.jpg|アーミッシュの女性 </gallery> == アーミッシュを題材とする作品 == === 映画 === * 『[[刑事ジョン・ブック 目撃者|刑事ジョン・ブック/目撃者]]』1985年/アメリカ * 『[[キングピン/ストライクへの道]]』1996年/アメリカ * 『[[大富豪、大貧民]]』[[1997年]]/アメリカ * 『[[ジーパーズ・クリーパーズ]]』[[2001年]]/アメリカ * 『[[:en:Devil's_Playground_(2002_film)|Devil's Playground]]』[[2002年]]/アメリカ * 『[[ヒューマン・キャッチャー/ジーパーズ・クリーパーズ2]]』[[2003年]]/アメリカ * 『[[ヴィレッジ (映画)|ヴィレッジ]]』[[2004年]]/アメリカ * 『[[コラムニスト・サラの選択]]』 [[2007年]]/アメリカ * 『ゴースト・ヴィレッジ 憑依村』 2018年/アメリカ === ドラマ === * 『[[冒険野郎マクガイバー]]』(シーズン4 第3話「アーミッシュの村で」) [[1988年]]/アメリカ *『[[ER緊急救命室]]』(シーズン10 第9話「去りし者 (原題) Missing」) [[2003年]]/アメリカ *『[[グレイズ・アナトミー 恋の解剖学]]』(シーズン3 第13話「大いなる期待」) [[2007年]]/アメリカ * 『[[コールドケース 迷宮事件簿|コールドケース]]』(シーズン5 第3話「儀式」) [[2008年]]/アメリカ * 『[[BONES -骨は語る-|ボーンズ]]』(シーズン5 第3話「The Plain On The Prodigy」) [[2009年]]/アメリカ * 『[[マイネーム・イズ・アール]]』(シーズン3 第21話「夫婦円満の極意(原題)Camdenites - Part 1」) [[2009年]]/アメリカ * 『[[マイネーム・イズ・アール]]』(シーズン3 第22話「ビリーとカルマ(原題)Camdenites - Part 2」) [[2009年]]/アメリカ * 『[[私はラブ・リーガル]]』(シーズン5 エピソード13「ヒミツの終わり」)[[2013年]]/アメリカ * Banshee シーズン1,2 [[2013年]]〜/日本未公開 * オレンジ・イズ・ニューブラック(シーズン3 第9話「カルト教祖」) === 漫画 === * 『[[アメリカなんて大きらい!]]』 *『[[ゴルゴ13]]』(第391話「パッチワークの蜜蜂たち」;134巻収録) * 『[[ラムスプリンガの情景]]』 * 『親愛なるジーンへ1.2』 === 書籍 === * 『ペンシルバニア・ダッチ・カントリー〜アーミッシュの贈り物』 ジョセフ・リー・ダンクル 著、 主婦の友社、1995年 * 『アーミッシュの赦し―なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか』 ドナルド B.クレイビル著、亜紀書房、2008年 * 『アーミッシュの謎―宗教・社会・生活』 ドナルド B.クレイビル著、 論創社 、1996年 * 『アーミッシュに生まれてよかった』ミルドレッド・ジョーダン 著、評論社、1992年 * 『Crossing Over: One Woman's Escape from Amish Life』Ruth Irene Garrett、Rick Farrant著、HarperOne、2003年 * 『アーミッシュ―もう一つのアメリカ』菅原 千代志 著、 丸善ブックス、1997年 * 『アーミッシュの食卓』菅原 千代志 著、 丸善ブックス、1999年 * 『アーミッシュ・キルトと畑の猫』菅原 千代志 著、 丸善ブックス、2001年 * 『アーミッシュへの旅 私たちのなくした世界』菅原 千代志 著、 ピラールプレス2010年 * 『法廷の中のアーミッシュ 国家は法で闘い、アーミッシュは聖書で闘う』大河原眞美著、明石書店2014年 *『アメリカ史のなかのアーミッシュ』大河原眞美著、明石書店2018年 == 音楽 == * 『[[:en:Amish Paradise|Amish Paradise]]』[[アル・ヤンコビック]] * [http://www.jordibusque.com/Index/Stories/AmishJungle/AmishJungle_01.html Amish in the jungle] == 脚註 == {{脚注ヘルプ}} === 註釈 === {{reflist|group="註釈"}} === 出典 === {{reflist}} == 参考文献 == *{{Cite book|和書|author=町田宗鳳|authorlink=町田宗鳳|title=人類は「宗教」に勝てるか…一神教文明の終焉|origdate=2007-05-30|accessdate=2009-08-04|edition=初版|publisher=[[日本放送出版協会]]|series=[[NHKブックス]]|isbn=9784140910856}} *{{Cite book|和書|author=池田智|authorlink=池田智|title=アーミッシュの人びと…「従順」と「簡素」の文化|origdate=1995-10|accessdate=2010-08-18|edition=初版|publisher=サイマル出版会|isbn=9784377310559}} *ジョセフ・リー・ダンクル『アーミッシュの贈り物』([[主婦の友社]] 1995年) *菅原千代志『アーミッシュの食卓』([[丸善ブックス]] 1999年) *堤純子『アーミッシュ』([[未知谷]] 2010年) *堤純子『アーミッシュホームにようこそ』(未知谷 2012年) *堤純子『アーミッシュ料理』(未知谷 2013年) == 関連項目 == {{Commonscat|Amish}} * [[メノナイト]] * [[ペンシルベニアドイツ語|ペンシルベニアアレマン語]]([[アメリカのドイツ語|アメリカドイツ語]]) * [[ペンシルベニア・ダッチ]]([[ドイツ系アメリカ人]]) * [[ブリコラージュ]] * [[ペンシルベニア州]] * [[アメリカ合衆国中西部]] * [[アンナミラーズ]] * [[超正統派 (ユダヤ教)|超正統派]] - 教義や生活様式が類似するユダヤ教の一派。 * [[フッター派]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ああみつしゆ}} [[Category:アーミッシュ|*ああみつしゆ]] [[Category:プロテスタントの教派]] [[Category:アメリカ合衆国のプロテスタント]] [[Category:アメリカ合衆国の民族]] [[Category:ドイツ系アメリカ人|*ああみつしゆ]] [[Category:ドイツ系人|*ああみつしゆ]] [[Category:民族集団]] [[Category:平和教会]] [[Category:少数民族]] [[Category:シンプルライフ]]
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イラストレーター
イラストレーター(英: Illustrator)とは、情報や概念の視覚化、図解、娯楽化など、何らかのコミュニケーションを主目的とした絵=イラストレーション(イラスト)を描くことを生業としている人のこと。挿絵、表紙、絵本、広告、パッケージ、ポスターなどを主な活動範囲とする。日本のポップカルチャーにおいては絵師と呼ぶこともある。 注文や要請に的確に応じる必要性のため、イラストレーターには画力やセンスのみならず、対象事物への理解力や専門知識も求められる。このため、科学、医療、料理、ファンタジー、ファッションなどの専門イラストレーター、工業デザイン、インフォグラフィック、コンセプトアート、キャラクターデザインを得意とするイラストレーター、あるいはパステル、エアブラシ、コンピュータグラフィックスを用いるイラストレーターなどのように、細分化された専門分野が存在する。 (絵画や漫画などに対する)イラストレーションの定義と同様、イラストレーターの定義にも曖昧さが残る。 画家が自らの創作意欲に基づいて独自の色合いや筆使いで絵画を描き、絵画を販売する職業であるのに対して、イラストレーターは商業的な用途などから目的となる事物やスケジュールを指定されて図絵を描き始める職業である点が異なる。例えば、書籍の表紙のために新しく絵を描き下ろす者は大抵イラストレーターと呼ばれる。専業のイラストレーターも多い一方、ポスターや商業デザインの分野ではグラフィックデザイナーが、日本の雑誌や小説のイラストでは漫画家・アニメーターが兼業していることも多い。アルフォンス・ミュシャはその仕事のどの部分を捉えるかにより画家ともグラフィックデザイナーともイラストレーターとも呼ばれる。今日ではイラストレーターも画集を出し、画家も表紙を描いたりするので両者の境界はますます曖昧となってきている。 イラストレーションを描くという意味において漫画家・キャラクターデザイナー・絵本作家・挿絵画家・工業デザイナー・ウェブデザイナーなどとの明確な区分は難しいが、例えば漫画にあっては原作が漫画家独自のものであれば創作意欲や独自性から扱いとしては漫画家になり、発案したキャラクターを用いた商品広告などの場合にはイラストレーターに準じた扱いになって対価も異なる。同様に絵本にあってはストーリーや図絵を一人で行う場合はイラストレーターとは呼ばず絵本作家となり、挿絵画家とは異なる位置付けになる。 イラストレーターはフリーランスが多く、画家と同じく認定資格もなく、1件毎に発注を受けることが多い職種のため、プロの定義も曖昧である。初期のイラストレーターの職業団体としては1902年2月1日にアメリカ合衆国で設立され、ハワード・パイルとその弟子のブランデーワイン派のイラストレーターたちが参加したソサエティ・オブ・イラストレーターズ(英語版)があり、イラストレーターの地位を向上させた。 欧米の美術大学ではイラストレーション専門の学科が開設されていることもあるが、日本国内ではイラストレーション科を持つ美術大学は存在せず、デザイン学科の中にコースが設けられている(京都嵯峨芸術大学など)、グラフィックデザインやインダストリアルデザインの専攻科などで学ぶこともできる。一方、専門学校ではイラストレーション科も存在する場合があり、より実践的な内容が教えられている。いずれにしても、そうした機関で教育を受けたからといって仕事が得られるとは限らない。編集者などへの売り込み、個展の開催、コンペティションへの応募、斡旋エージェントへの登録、Webサイトでの宣伝などを通し、自力で仕事を獲得する必要がある。
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イラストレーターとは、情報や概念の視覚化、図解、娯楽化など、何らかのコミュニケーションを主目的とした絵=イラストレーション(イラスト)を描くことを生業としている人のこと。挿絵、表紙、絵本、広告、パッケージ、ポスターなどを主な活動範囲とする。日本のポップカルチャーにおいては絵師と呼ぶこともある。
{{Otheruses||ソフトウェア|Adobe Illustrator}} [[Image:Ciruelo2007.jpg|thumb|right|200px|[[フランクフルト・ブックフェア]]で[[イラストレーション|イラスト]]を描くイラストレーター([[シルエロ・カブラル]])]] '''イラストレーター'''({{lang-en-short|Illustrator}})とは、[[情報]]や概念の[[可視化|視覚化]]、[[図解]]、娯楽化など、何らかの[[コミュニケーション]]を主目的とした絵='''[[イラストレーション]]'''(イラスト)を描くことを[[職業|生業]]としている人のこと。[[挿絵]]、[[表紙]]、[[絵本]]、[[広告]]、[[パッケージデザイン|パッケージ]]、[[ポスター]]などを主な活動範囲とする。<!-- 詳細に定義すると[[イラストレーション]]とかぶるため端折ります -->[[日本]]のポップカルチャーにおいては'''[[絵師#現代のサブカルチャーにおける「絵師」|絵師]]'''と呼ぶこともある<ref>{{cite news |title=ポップカルチャーの“聖地”、大阪・日本橋で「絵師100人展04」開幕 |newspaper=[[産経新聞]] |date=2014-08-19 |url=http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140819/wlf14081922100018-n1.htm |accessdate=2014-08-19 }}</ref>。 == 概要 == {{出典の明記|date=2021年8月|section=1}} [[File:Lautrec moulin rouge, la goulue (poster) 1891.jpg|thumb|right|200px|[[アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック|ロートレック]]の[[ポスター]]]] 注文や要請に的確に応じる必要性のため、イラストレーターには画力やセンスのみならず、対象事物への理解力や専門知識も求められる。このため、[[科学]]、[[医療]]、[[料理]]、[[ファンタジー]]、[[ファッション]]などの専門イラストレーター、[[インダストリアルデザイン|工業デザイン]]、[[インフォグラフィック]]、[[コンセプトアート]]、[[キャラクターデザイン]]を得意とするイラストレーター、あるいは[[パステル]]、[[エアブラシ]]、[[コンピュータグラフィックス]]を用いるイラストレーターなどのように、細分化された専門分野が存在する。 == 画家とイラストレーター == [[File:Wendy_Binks_piirt%C3%A4%C3%A4_C241_C.JPG|thumb|[[ボローニャ国際児童図書展]]で展示を行うイラストレーター・[[絵本作家]](Wendy Binks)]] ([[絵画]]や[[漫画]]などに対する)[[イラストレーション]]の定義と同様、イラストレーターの定義にも曖昧さが残る。 [[画家]]が自らの創作意欲に基づいて独自の色合いや筆使いで絵画を描き、絵画を販売する職業であるのに対して、イラストレーターは[[商業]]的な用途などから目的となる事物やスケジュールを指定されて図絵を描き始める職業である点が異なる。例えば、[[書籍]]の[[表紙]]のために新しく絵を描き下ろす者は大抵イラストレーターと呼ばれる。専業のイラストレーターも多い一方、[[ポスター]]や[[商業デザイン]]の分野では[[グラフィックデザイナー]]が、日本の[[雑誌]]や[[小説]]のイラストでは[[漫画家]]・[[アニメーター]]が兼業していることも多い。[[アルフォンス・ミュシャ]]はその仕事のどの部分を捉えるかにより[[画家]]とも[[グラフィックデザイナー]]ともイラストレーターとも呼ばれる。今日ではイラストレーターも画集を出し、画家も表紙を描いたりするので両者の境界はますます曖昧となってきている<ref>{{Harvnb|須長|2003|pp=62-65}}</ref>。 イラストレーションを描くという意味において漫画家・キャラクターデザイナー・[[絵本作家]]・[[挿絵]]画家・[[インダストリアルデザイナー|工業デザイナー]]・[[ウェブデザイナー]]などとの明確な区分は難しいが、例えば漫画にあっては原作が漫画家独自のものであれば創作意欲や独自性から扱いとしては漫画家になり、発案した[[キャラクター]]を用いた商品[[広告]]などの場合にはイラストレーターに準じた扱いになって対価も異なる。同様に[[絵本]]にあっては[[ストーリー]]や図絵を一人で行う場合はイラストレーターとは呼ばず[[絵本作家]]となり、挿絵画家とは異なる位置付けになる<ref>{{Harvnb|須長|2003|p=71}}<!-- この出典のカバーは絵本のみ --></ref>。 イラストレーターは[[フリーランス]]が多く、画家と同じく認定[[資格]]もなく、1件毎に発注を受けることが多い職種のため<ref>{{Cite web|和書| title= 設立趣意書(一般版) | url= http://www.jilla.org/info/about/j.html | publisher=日本イラストレーション協会 | accessdate = 2010-01-16 }}</ref>、[[プロフェッショナル|プロ]]の定義も曖昧である。初期のイラストレーターの職業団体としては[[1902年]][[2月1日]]に[[アメリカ合衆国]]で設立され、[[ハワード・パイル]]とその弟子の[[ブランデーワイン派]]のイラストレーターたちが参加した{{仮リンク|ソサエティ・オブ・イラストレーターズ|en|Society of Illustrators}}があり、イラストレーターの地位を向上させた<ref name="VJ-world">{{Harvnb|日本グラフィックデザイナー協会 教育委員会|2000|p=103}}</ref><ref>{{Cite web | title=FAQ | url=http://societyillustrators.org/about/faq/index.cms | publisher=Society of Illustrators | language=英語 | accessdate = 2010-01-16 }}</ref>。 == 教育 == 欧米の[[美術大学]]ではイラストレーション専門の学科が開設されていることもあるが、日本国内ではイラストレーション科を持つ美術大学は存在せず、デザイン学科の中にコースが設けられている([[京都嵯峨芸術大学]]など)、[[グラフィックデザイン]]やインダストリアルデザインの専攻科などで学ぶこともできる。一方、[[専門学校]]ではイラストレーション科も存在する場合があり、より実践的な内容が教えられている。いずれにしても、そうした機関で教育を受けたからといって仕事が得られるとは限らない<ref>{{Harvnb|須長|2003|pp=120-127}}</ref>。編集者などへの売り込み、個展の開催、コンペティションへの応募、斡旋エージェントへの登録、Webサイトでの宣伝などを通し、自力で仕事を獲得する必要がある<ref>{{Harvnb|須長|2003|pp=128-131}}</ref>。<!-- この記述とイラストレーターとの関連性は必ずしも高くない気もしますが。 --> == イラストレーター一覧 == {{See also|:Category:各国のイラストレーター}} * [[日本のイラストレーター一覧]] * [[イラストレーター一覧]] - 日本以外のイラストレーター == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation |last= 須長 |first= 千夏 |year= 2003 |date= 2003-11-25 |title= イラストレーターになるには |place= 東京 |language= |publisher= [[ぺりかん社]] |isbn= 4-8315-1052-1 }} * {{Citation |editor= イラストノート編集部 |year= 2009 |date= 2009-05-31 |title= プロとして知っておきたいノウハウ イラストレーターの仕事 |place= 東京 |language= |publisher= [[誠文堂新光社]] |isbn= 978-4-416-80960-0 }} <!-- こういう文献だけだとJPOVになってしまうかもしれません --> * {{Citation |editor= 日本グラフィックデザイナー協会 教育委員会 |year= 2000 |date= 2000-04-10 |title= VISUAL DESIGN3 イラストレーション 改訂新版 |place= 東京 |language= |publisher= [[六耀社]] |isbn= 4-89737-374-3 }} == 関連項目 == {{Commonscat|illustrators}} * [[イラストレーション]] *[[デザイナー]] * [[グラフィックデザイナー]] - 商業デザイン全般を行う職業の包括的名称。 * [[インダストリアルデザイナー]] - 工業製品を[[デザイン]]する職業。イラストレーションには限らない。 * [[キャラクターデザイン|キャラクターデザイナー]] - [[映画]]・[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]・[[ゲーム]]・[[マスコット]]などの[[キャラクター]]をデザインする職業。 {{イラストレーション}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:いらすとれえたあ}} [[Category:イラストレーター|*]] [[Category:美術関連の職業]]
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風邪
風邪(かぜ、common cold, nasopharyngitis, rhinopharyngitis, acute coryza, a cold)とは、原因の80 - 90 %がウイルスの上気道感染症であり、主な影響は鼻に現れる。咽喉、副鼻腔、喉頭も影響を受ける可能性がある。症状はたいてい感染後2日以内に発生する。症状としては、咳、咽頭痛、くしゃみ、鼻水、鼻閉、頭痛、発熱、嗄声などが現れる。患者の多くは回復まで大抵7 - 10日間を要し、一部の症状は3週間まで継続しうる。他に健康に問題がある患者は、肺炎に進行する可能性がある。 多くの場合、単に風邪と言えば急性上気道炎(普通感冒)を指し、西洋医学あるいは日本の医学で厳密には「かぜ症候群」と呼ばれ、日本でも症状を指す言葉である。俗称として、消化器のウイルス感染によって、嘔吐・下痢・腹痛など、腹部症状と上記全身症を来した状態を、「感冒性胃腸炎」「お腹の風邪」(もしくは胃腸かぜ、一部地方では腸感冒、ガストロ)と呼ぶこともある。 成人は平均して年間2 - 3回の風邪にかかり、児童ではそれ以上である。風邪に対してワクチンはない。最も一般的な予防法は、手洗いの実施、洗っていない手で目・鼻・口を触らない、病人と同じ空間にいないことである。いくつかの根拠は、マスクの使用を支持している。 風邪の直接的な治療法は存在せず、罹患期間を短縮させる方法もないが、不快な症状は対症療法で緩和可能であり、イブプロフェンなどの非ステロイド性抗炎症薬 (NSAIDs) は治療の助けとなる。病原がウイルスで細菌の二次感染が無い場合は、抗生物質を使用せず、総合感冒薬の使用も支持されない。 症状は、咳嗽(咳、症例の50 %)、咽頭痛 (40 %)、鼻汁・鼻詰まりなど局部症状(カタル症状)、および発熱、倦怠感、頭痛、筋肉痛 (50 %) など。 鼻汁は通常、風邪の初期はさらさらとした水様で、徐々に粘々とした膿性に変化する。 高齢者では、肺炎に至っても発熱は微熱程度のこともある。 抗体を持たない者に風邪ウイルスを鼻投与する、ある実験で、25 %の者がほぼ無症状で終わった例がある。これが無症候性感染/不顕性感染と呼ばれる現象であり、風邪をめぐる未解明の謎の一つである 。 原因の7 - 8割がウイルスである。日本の研究ではかぜ症候群の原因は8 - 9割がウイルスとも言われ、一方で非感染性因子によるものも少数ではあるが挙げられている。 アメリカ疾病予防管理センター (CDC) は、以下のケースでは医療機関に受診すべきと勧告している。 風邪の多様な症状は、様々な病因によって発生し、稀に淋病が喉粘膜に発生することでも、風邪によく似た症状が出る。この他にも風邪と紛らわしい初期症状を示す病気は数多くあり、これらを風邪として扱ってしまいがちなことが、普通感冒の重症化の場合に加えて、「風邪は万病のもと」と言われる所以となっている。 なお、情報源がアメリカの場合に発熱が「まれ」とされることについては、英語での用法も参照のこと。 風疹、麻疹、流行性耳下腺炎などは、症状が非常に特徴的であり、疾患名が特定しやすいので、風邪には含めない(ただし流行性耳下腺炎は、俗に『おたふくかぜ』と称する)。 他にもあらゆるウイルス、マイコプラズマ、クラミジア、細菌が風邪の原因となり、その数は200種類以上といわれる。風邪となる病原は非常に多く、またライノウイルスを例に挙げると、数百種類の型が存在するためワクチンを作ることは事実上不可能であり、どのウイルスまたは細菌が原因なのか診断するのも困難である。 逆に言えば、病原となるウイルスまたは細菌が特定できた場合は、それらはそれぞれの疾患名で呼ぶべきであり、風邪という症状名で呼ぶのは適切ではないということになる。例えばインフルエンザウイルスによる風邪に関しては、特に症状が重いことと、検査方法が確立していることから、原因が特定され、その場合は「インフルエンザ」という疾患名で呼ばれることとなる。 細菌性の感染かウイルス性の感染かは血液検査を行い、CRP値と白血球数を参考にする。 風邪の原因となるウイルス・細菌の種類は極めて多く、原因が特定されない場合が多いが、原因が特定できた場合においては、その原因によって疾患名が確定する。また「風邪は万病の元」と言われるが、あらゆる疾患の初期症状は「風邪」として片づけられることも多く見られる。そして疾患が進むと、風邪症状の範疇には収まらない、その疾患の特有の症状が発現することになる。 このため、数日で軽快しない場合は、「あらゆる疾患」が鑑別にあがる。 以下にあるのはその一部分である。 過労を避け睡眠を十分にとり、健康的な生活を送ることが防御機構のはたらきに重要である。 ハーバード大学医学部からの2021年1月の報告によると、ビタミンA、ビタミンD、およびビタミンEは、風邪、喘息、慢性閉塞性肺疾患などの呼吸器疾患の軽減と予防に関連している。 2014年のシステマティック・レビューでは、手洗い、消毒用アルコールによる手指の消毒、マスク、また亜鉛のサプリメントにて有益である可能性があったが、研究報告にバイアス(偏り)がある可能性もあった。プロバイオティクス(乳酸菌など)も有益である可能性があり、6つのランダム化比較試験の結果には矛盾があったが、プール解析(結合解析)は風邪の減少を示していた。マスクの着用、水やポビドンヨードによるうがい、朝鮮人参、週5日の運動、ニンニク、ホメオパシー、ビタミンC (0.2 - 3 g)、ビタミンD、エキナセアでは、予防の利益は判明しなかった。 2013年のコクランレビューでは、1日200mg以上のビタミンCは、風邪の発症率に変化はないが、重症度を下げ、罹患期間が成人で8 %、小児では14 %短縮し、マラソン選手など極度に肉体疲労する人々では予防効果はあった。2014年のコクランレビューは、3か月毎日のニンニクは風邪の発症率を低下させており、罹患期間に差はなかった。ビタミンCの摂取量が低い人々に対する1000mgのビタミンCは、偽薬に比較して、風邪の発症率を減らし風邪の期間を59 %減少させていた。 ウイルスの鼻投与153人で、2週間の(寝具にいるが眠っていないと下がる)睡眠効率の悪さは発症率を上昇させていた。同じく鼻投与164人で、睡眠状態を計測するアクチグラフ(英語版)によって計測し、7日間の睡眠時間の短さは風邪の発症率を増加させていた。その理解のための調査では、52人を睡眠不足にさせると、免疫応答の低下を示す測定値が減少し、7日後に正常化し元に戻った。 社会と交流を持ったり、社交的支援があったり社会性が高い方が、風邪の発症リスクが低下するという研究が過去に行われてきた。客観的な社会指数と主観的な孤独感を計測した鼻投与213人では、主観的な孤独感の方が風邪を予測していた(問題は社会的な役割の数である)。また社会性が高い人は、実際にウイルスに感染した際に撒き散らすウイルス量も少ないという結果になった。 795人に風邪ウイルスを鼻投与した研究において、24歳までの親では差がなかったが、それ以上の年齢で、子を持つ親の方が風邪への抵抗性が高く、子供の数が1-2人より3人以上で高く、また同居しているほど高かった。139名に同様にウイルスを鼻投与し、不安、敵対的、抑うつ的な感情様式の人々よりも活気があり穏やかといった健康的な感情様式の場合にライノウイルスやインフルエンザウイルスに感染しにくかった。 幼児期に保育施設に通っていた場合、後年あまり風邪を引かない、という相関があるとされているが、詳しい要因・機序は不明である。 一般に7日から10日で治癒する。快癒させる薬はない。2009年の350人でのランダム化比較試験では、医師が共感的に対応した方が重症度が低く風邪の期間が0.9日短く、2011年の719人での追試も似たような結果となった。 西洋医学でも東洋医学でも、安静にして睡眠をしっかり摂ることは、風邪の治療に一番良い。発熱に対しては体力の問題や脱水が危惧される場合のみ冷却し、脱水には注意するが過剰にカロリーを摂取する必要はない。早期にこれらの適切な一般療法を施し、悪化させないことが重要である。 西洋医学系の医師は、個々が訴える辛い症状を緩和する薬(対症療法)を採用し、総合感冒薬・解熱薬・鎮痛薬・鎮咳去痰薬を、複数処方することが多い。 アメリカ家庭医学会(英語版) (AAFP) ガイドラインは、成人の風邪に対し、以下の治療は効果を示さない (Not effective) としている。 成人の風邪に対して効果を示さない治療 (AAFP, 2012) しかし、2020年11月、ハーバード大学付属のベスイスラエルディーコネスメディカルセンターの老年医学の副主任であるスザンヌサラモン博士によると。ビタミンC、亜鉛ロゼンジ、チキンスープが役立つかもしれないと示唆した。風邪の症状の発症を感じたら、毎日のビタミンC摂取量を1,000mgから2,000mgの範囲に増やすことで風邪の症状を大幅に軽減する可能性がある。 抗生物質(狭義の抗菌薬)は、抗細菌作用しか持たないため、風邪の約9割を占めるウイルス感染には効果がない。基本的に風邪は自然軽快し、抗生物質は副作用や耐性菌出現の原因となるためみだりに用いるべきでないとされる。一方で、世界保健機関の2015年調査では、抗生物質を風邪やインフルエンザの治療に使用できると誤答した人は64%にのぼった。 ただし「風邪」と呼ばれる状態は、患者の思い込みを含めて多様な病態を含みうる概念であり、基礎疾患の有無や鑑別によっては抗生物質を投与すべき場面もある。 コクランのシステマティック・レビューでは、普通感冒および化膿性鼻炎への抗生物質の投与に有意な効果はなく、有害作用のリスクが有意に高まることが報告されている(アメリカ家庭医学会によるエビデンス評価は最良A)。 抗ウイルス薬の処方は、風邪の原因ウイルスが多種に及ぶため現実的な効果はないが、いくつかの予備試験ではベネフィットが示されている。 発熱は一種の生体防御反応であり、微生物の侵入による外因性・内因性発熱物質の産生により、深部体温が上昇すると免疫機能が亢進し、病原体に対する抵抗力が高くなることが示されている。また発熱がウイルスの増殖を抑制するともいわれ、高熱の場合を除き解熱薬の安易な投与は控えるべきである。解熱鎮痛剤の一種であるロキソプロフェンは有意ではないものの、炎症を押さえ、平均で風邪の治癒を1日遅らせる。 体温の上昇が極端に激しい場合、体力の消耗や脱水の危険回避のために医師が解熱鎮痛剤を使用することは正しい。小児は体温調節中枢(視床下部)による体温調節機能の発達が未熟であり、高体温となりやすい。乳幼児の場合は、体温の上昇は熱性けいれんの危険性があるため、大人以上に注意を払う必要がある。しかし受診せずに解熱剤を使うことは厳禁で、小児科医にとって「熱さましは親の敵」と言われる。小児に限らず、医師の関与なき解熱剤の使用は危険である。 アメリカ胸部医学会 (ACCP) による、2017年のシステマティック・レビューは、風邪の咳を緩和する治療を調査し、ハチミツでは1歳以上の場合に有効性を示す複数の研究があり(1歳以下の乳児は、乳児ボツリヌス症になるため禁止)、亜鉛トローチでは有効とする弱い証拠があり、抗ヒスタミン薬や鎮痛薬、NSAIDsでは効果を裏付けるデータはなかったため、咳のためには、市販薬は推奨できないとした。2018年にBMJが掲載した調査によると、システマティック・レビューを検索した結果からは充血除去薬は効果が小さいが鼻症状に有効性があることが示された。 第二世代抗ヒスタミン薬(鎮静作用がない)では効果なしか不明で、鼻症状に効果が確認されているのは第一世代抗ヒスタミン薬(鎮静作用あり)である。特に充血除去薬と解熱鎮痛薬を併用した場合、副作用の可能性があり、不眠、眠気、頭痛、胃腸症状が起こりえる。 よく知られていない副作用では、充血除去薬の長期使用が薬物性鼻炎を起こすことがあり、薬によって安全な使用期間は異なるが最大3 - 7日が推奨される。錠剤と鼻スプレーのどちらが効果的かを示す研究は見つからない。エキナセア、ビタミンC 、亜鉛ロズンジ/ロゼンジ(トローチ)は鼻の症状に効果はない。 2014年のシステマティック・レビューでは、抗ヒスタミン単独では意味のある恩恵はなく、充血除去薬では大人で小さな利益であり、充血除去薬との併用では大人では有益であり、抗生物質では利益はないが有害事象を増加させていた。 2013年のコクランによるシステマティック・レビューでは、治療のためのビタミンCでは結果が一貫していなかった。ビタミンC 1,000 mgと亜鉛10 mgの併用では、2つのランダム化比較試験の合計94人から症状緩和のために偽薬より有効であった。2018年の9研究のメタアナリシスは、両方のグループで発症前からビタミンCを服用しており、風邪の発症後に日に1から6グラムをさらに追加して服用したグループでは、平均10時間の風邪の期間の短縮がみられた。 加湿器についての2018年のコクランのレビューは、研究は少なく限られた結果からは、利益も害もないとした。 東洋医学において風邪にもっともしばしば用いられる、漢方処方の流れを以下に示す。 急性期・亜急性期には西洋医薬との併用が有効である。 東洋医学において、小児がかぜをひきにくくなる、というのは、体の免疫機能が高められていることを意味する。かぜをひきにくくする、ということは虚弱体質の改善と関係があると考え、次のような漢方処方が代表的なものだとも言われている。 アメリカ家庭医学会 (AAFP) ガイドラインでは、4歳以下の児童に対してはOTC風邪薬(総合感冒薬)を用いてはならないとしている(Should not be used, エビデンスレベルB) またAAFPは、児童の風邪に対し以下の介入は効果を示さない (Not Effective) としている。 児童の風邪に対して効果を示さない治療 (AAFP, 2012) 2018年にBMJが掲載した調査によると、システマティック・レビューを検索した結果からは子供で効果を確認したものはなく、注意を要することが示された。6歳未満には推奨できない。 風邪に対する民間療法には様々なものがあり、中には相矛盾するものもある。一般的には免疫活動を活発化させると良いと考えられているが、必ずしもそれに繋がらないものもある。 日本語の「風邪」の語源は定かではない。俳句では冬の季語として扱われる。 日本はもともと予防のためにマスクをする人が多いが、これは他の国の人々には奇妙に思われていた。 英語の cold は「発熱がない病状」と認識されることが多いため、日本人が発熱時に cold と伝えると軽症に見られ、また日本の医療で cold に対して投薬されることが日本以外から見て過剰診療とされることもある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "風邪(かぜ、common cold, nasopharyngitis, rhinopharyngitis, acute coryza, a cold)とは、原因の80 - 90 %がウイルスの上気道感染症であり、主な影響は鼻に現れる。咽喉、副鼻腔、喉頭も影響を受ける可能性がある。症状はたいてい感染後2日以内に発生する。症状としては、咳、咽頭痛、くしゃみ、鼻水、鼻閉、頭痛、発熱、嗄声などが現れる。患者の多くは回復まで大抵7 - 10日間を要し、一部の症状は3週間まで継続しうる。他に健康に問題がある患者は、肺炎に進行する可能性がある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "多くの場合、単に風邪と言えば急性上気道炎(普通感冒)を指し、西洋医学あるいは日本の医学で厳密には「かぜ症候群」と呼ばれ、日本でも症状を指す言葉である。俗称として、消化器のウイルス感染によって、嘔吐・下痢・腹痛など、腹部症状と上記全身症を来した状態を、「感冒性胃腸炎」「お腹の風邪」(もしくは胃腸かぜ、一部地方では腸感冒、ガストロ)と呼ぶこともある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "成人は平均して年間2 - 3回の風邪にかかり、児童ではそれ以上である。風邪に対してワクチンはない。最も一般的な予防法は、手洗いの実施、洗っていない手で目・鼻・口を触らない、病人と同じ空間にいないことである。いくつかの根拠は、マスクの使用を支持している。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "風邪の直接的な治療法は存在せず、罹患期間を短縮させる方法もないが、不快な症状は対症療法で緩和可能であり、イブプロフェンなどの非ステロイド性抗炎症薬 (NSAIDs) は治療の助けとなる。病原がウイルスで細菌の二次感染が無い場合は、抗生物質を使用せず、総合感冒薬の使用も支持されない。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "症状は、咳嗽(咳、症例の50 %)、咽頭痛 (40 %)、鼻汁・鼻詰まりなど局部症状(カタル症状)、および発熱、倦怠感、頭痛、筋肉痛 (50 %) など。", "title": "症状" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "鼻汁は通常、風邪の初期はさらさらとした水様で、徐々に粘々とした膿性に変化する。", "title": "症状" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "高齢者では、肺炎に至っても発熱は微熱程度のこともある。", "title": "症状" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "抗体を持たない者に風邪ウイルスを鼻投与する、ある実験で、25 %の者がほぼ無症状で終わった例がある。これが無症候性感染/不顕性感染と呼ばれる現象であり、風邪をめぐる未解明の謎の一つである 。", "title": "症状" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "原因の7 - 8割がウイルスである。日本の研究ではかぜ症候群の原因は8 - 9割がウイルスとも言われ、一方で非感染性因子によるものも少数ではあるが挙げられている。", "title": "病原体" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "アメリカ疾病予防管理センター (CDC) は、以下のケースでは医療機関に受診すべきと勧告している。", "title": "診断" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "風邪の多様な症状は、様々な病因によって発生し、稀に淋病が喉粘膜に発生することでも、風邪によく似た症状が出る。この他にも風邪と紛らわしい初期症状を示す病気は数多くあり、これらを風邪として扱ってしまいがちなことが、普通感冒の重症化の場合に加えて、「風邪は万病のもと」と言われる所以となっている。", "title": "診断" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "なお、情報源がアメリカの場合に発熱が「まれ」とされることについては、英語での用法も参照のこと。", "title": "診断" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "風疹、麻疹、流行性耳下腺炎などは、症状が非常に特徴的であり、疾患名が特定しやすいので、風邪には含めない(ただし流行性耳下腺炎は、俗に『おたふくかぜ』と称する)。", "title": "診断" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "他にもあらゆるウイルス、マイコプラズマ、クラミジア、細菌が風邪の原因となり、その数は200種類以上といわれる。風邪となる病原は非常に多く、またライノウイルスを例に挙げると、数百種類の型が存在するためワクチンを作ることは事実上不可能であり、どのウイルスまたは細菌が原因なのか診断するのも困難である。", "title": "診断" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "逆に言えば、病原となるウイルスまたは細菌が特定できた場合は、それらはそれぞれの疾患名で呼ぶべきであり、風邪という症状名で呼ぶのは適切ではないということになる。例えばインフルエンザウイルスによる風邪に関しては、特に症状が重いことと、検査方法が確立していることから、原因が特定され、その場合は「インフルエンザ」という疾患名で呼ばれることとなる。", "title": "診断" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "細菌性の感染かウイルス性の感染かは血液検査を行い、CRP値と白血球数を参考にする。", "title": "診断" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "風邪の原因となるウイルス・細菌の種類は極めて多く、原因が特定されない場合が多いが、原因が特定できた場合においては、その原因によって疾患名が確定する。また「風邪は万病の元」と言われるが、あらゆる疾患の初期症状は「風邪」として片づけられることも多く見られる。そして疾患が進むと、風邪症状の範疇には収まらない、その疾患の特有の症状が発現することになる。", "title": "診断" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "このため、数日で軽快しない場合は、「あらゆる疾患」が鑑別にあがる。", "title": "診断" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "以下にあるのはその一部分である。", "title": "診断" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "過労を避け睡眠を十分にとり、健康的な生活を送ることが防御機構のはたらきに重要である。", "title": "予防" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ハーバード大学医学部からの2021年1月の報告によると、ビタミンA、ビタミンD、およびビタミンEは、風邪、喘息、慢性閉塞性肺疾患などの呼吸器疾患の軽減と予防に関連している。", "title": "予防" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2014年のシステマティック・レビューでは、手洗い、消毒用アルコールによる手指の消毒、マスク、また亜鉛のサプリメントにて有益である可能性があったが、研究報告にバイアス(偏り)がある可能性もあった。プロバイオティクス(乳酸菌など)も有益である可能性があり、6つのランダム化比較試験の結果には矛盾があったが、プール解析(結合解析)は風邪の減少を示していた。マスクの着用、水やポビドンヨードによるうがい、朝鮮人参、週5日の運動、ニンニク、ホメオパシー、ビタミンC (0.2 - 3 g)、ビタミンD、エキナセアでは、予防の利益は判明しなかった。", "title": "予防" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "2013年のコクランレビューでは、1日200mg以上のビタミンCは、風邪の発症率に変化はないが、重症度を下げ、罹患期間が成人で8 %、小児では14 %短縮し、マラソン選手など極度に肉体疲労する人々では予防効果はあった。2014年のコクランレビューは、3か月毎日のニンニクは風邪の発症率を低下させており、罹患期間に差はなかった。ビタミンCの摂取量が低い人々に対する1000mgのビタミンCは、偽薬に比較して、風邪の発症率を減らし風邪の期間を59 %減少させていた。", "title": "予防" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ウイルスの鼻投与153人で、2週間の(寝具にいるが眠っていないと下がる)睡眠効率の悪さは発症率を上昇させていた。同じく鼻投与164人で、睡眠状態を計測するアクチグラフ(英語版)によって計測し、7日間の睡眠時間の短さは風邪の発症率を増加させていた。その理解のための調査では、52人を睡眠不足にさせると、免疫応答の低下を示す測定値が減少し、7日後に正常化し元に戻った。", "title": "予防" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "社会と交流を持ったり、社交的支援があったり社会性が高い方が、風邪の発症リスクが低下するという研究が過去に行われてきた。客観的な社会指数と主観的な孤独感を計測した鼻投与213人では、主観的な孤独感の方が風邪を予測していた(問題は社会的な役割の数である)。また社会性が高い人は、実際にウイルスに感染した際に撒き散らすウイルス量も少ないという結果になった。", "title": "予防" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "795人に風邪ウイルスを鼻投与した研究において、24歳までの親では差がなかったが、それ以上の年齢で、子を持つ親の方が風邪への抵抗性が高く、子供の数が1-2人より3人以上で高く、また同居しているほど高かった。139名に同様にウイルスを鼻投与し、不安、敵対的、抑うつ的な感情様式の人々よりも活気があり穏やかといった健康的な感情様式の場合にライノウイルスやインフルエンザウイルスに感染しにくかった。", "title": "予防" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "幼児期に保育施設に通っていた場合、後年あまり風邪を引かない、という相関があるとされているが、詳しい要因・機序は不明である。", "title": "予防" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "一般に7日から10日で治癒する。快癒させる薬はない。2009年の350人でのランダム化比較試験では、医師が共感的に対応した方が重症度が低く風邪の期間が0.9日短く、2011年の719人での追試も似たような結果となった。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "西洋医学でも東洋医学でも、安静にして睡眠をしっかり摂ることは、風邪の治療に一番良い。発熱に対しては体力の問題や脱水が危惧される場合のみ冷却し、脱水には注意するが過剰にカロリーを摂取する必要はない。早期にこれらの適切な一般療法を施し、悪化させないことが重要である。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "西洋医学系の医師は、個々が訴える辛い症状を緩和する薬(対症療法)を採用し、総合感冒薬・解熱薬・鎮痛薬・鎮咳去痰薬を、複数処方することが多い。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "アメリカ家庭医学会(英語版) (AAFP) ガイドラインは、成人の風邪に対し、以下の治療は効果を示さない (Not effective) としている。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "成人の風邪に対して効果を示さない治療 (AAFP, 2012)", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "しかし、2020年11月、ハーバード大学付属のベスイスラエルディーコネスメディカルセンターの老年医学の副主任であるスザンヌサラモン博士によると。ビタミンC、亜鉛ロゼンジ、チキンスープが役立つかもしれないと示唆した。風邪の症状の発症を感じたら、毎日のビタミンC摂取量を1,000mgから2,000mgの範囲に増やすことで風邪の症状を大幅に軽減する可能性がある。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "抗生物質(狭義の抗菌薬)は、抗細菌作用しか持たないため、風邪の約9割を占めるウイルス感染には効果がない。基本的に風邪は自然軽快し、抗生物質は副作用や耐性菌出現の原因となるためみだりに用いるべきでないとされる。一方で、世界保健機関の2015年調査では、抗生物質を風邪やインフルエンザの治療に使用できると誤答した人は64%にのぼった。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ただし「風邪」と呼ばれる状態は、患者の思い込みを含めて多様な病態を含みうる概念であり、基礎疾患の有無や鑑別によっては抗生物質を投与すべき場面もある。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "コクランのシステマティック・レビューでは、普通感冒および化膿性鼻炎への抗生物質の投与に有意な効果はなく、有害作用のリスクが有意に高まることが報告されている(アメリカ家庭医学会によるエビデンス評価は最良A)。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "抗ウイルス薬の処方は、風邪の原因ウイルスが多種に及ぶため現実的な効果はないが、いくつかの予備試験ではベネフィットが示されている。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "発熱は一種の生体防御反応であり、微生物の侵入による外因性・内因性発熱物質の産生により、深部体温が上昇すると免疫機能が亢進し、病原体に対する抵抗力が高くなることが示されている。また発熱がウイルスの増殖を抑制するともいわれ、高熱の場合を除き解熱薬の安易な投与は控えるべきである。解熱鎮痛剤の一種であるロキソプロフェンは有意ではないものの、炎症を押さえ、平均で風邪の治癒を1日遅らせる。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "体温の上昇が極端に激しい場合、体力の消耗や脱水の危険回避のために医師が解熱鎮痛剤を使用することは正しい。小児は体温調節中枢(視床下部)による体温調節機能の発達が未熟であり、高体温となりやすい。乳幼児の場合は、体温の上昇は熱性けいれんの危険性があるため、大人以上に注意を払う必要がある。しかし受診せずに解熱剤を使うことは厳禁で、小児科医にとって「熱さましは親の敵」と言われる。小児に限らず、医師の関与なき解熱剤の使用は危険である。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "アメリカ胸部医学会 (ACCP) による、2017年のシステマティック・レビューは、風邪の咳を緩和する治療を調査し、ハチミツでは1歳以上の場合に有効性を示す複数の研究があり(1歳以下の乳児は、乳児ボツリヌス症になるため禁止)、亜鉛トローチでは有効とする弱い証拠があり、抗ヒスタミン薬や鎮痛薬、NSAIDsでは効果を裏付けるデータはなかったため、咳のためには、市販薬は推奨できないとした。2018年にBMJが掲載した調査によると、システマティック・レビューを検索した結果からは充血除去薬は効果が小さいが鼻症状に有効性があることが示された。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "第二世代抗ヒスタミン薬(鎮静作用がない)では効果なしか不明で、鼻症状に効果が確認されているのは第一世代抗ヒスタミン薬(鎮静作用あり)である。特に充血除去薬と解熱鎮痛薬を併用した場合、副作用の可能性があり、不眠、眠気、頭痛、胃腸症状が起こりえる。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "よく知られていない副作用では、充血除去薬の長期使用が薬物性鼻炎を起こすことがあり、薬によって安全な使用期間は異なるが最大3 - 7日が推奨される。錠剤と鼻スプレーのどちらが効果的かを示す研究は見つからない。エキナセア、ビタミンC 、亜鉛ロズンジ/ロゼンジ(トローチ)は鼻の症状に効果はない。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2014年のシステマティック・レビューでは、抗ヒスタミン単独では意味のある恩恵はなく、充血除去薬では大人で小さな利益であり、充血除去薬との併用では大人では有益であり、抗生物質では利益はないが有害事象を増加させていた。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "2013年のコクランによるシステマティック・レビューでは、治療のためのビタミンCでは結果が一貫していなかった。ビタミンC 1,000 mgと亜鉛10 mgの併用では、2つのランダム化比較試験の合計94人から症状緩和のために偽薬より有効であった。2018年の9研究のメタアナリシスは、両方のグループで発症前からビタミンCを服用しており、風邪の発症後に日に1から6グラムをさらに追加して服用したグループでは、平均10時間の風邪の期間の短縮がみられた。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "加湿器についての2018年のコクランのレビューは、研究は少なく限られた結果からは、利益も害もないとした。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "東洋医学において風邪にもっともしばしば用いられる、漢方処方の流れを以下に示す。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "急性期・亜急性期には西洋医薬との併用が有効である。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "東洋医学において、小児がかぜをひきにくくなる、というのは、体の免疫機能が高められていることを意味する。かぜをひきにくくする、ということは虚弱体質の改善と関係があると考え、次のような漢方処方が代表的なものだとも言われている。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "アメリカ家庭医学会 (AAFP) ガイドラインでは、4歳以下の児童に対してはOTC風邪薬(総合感冒薬)を用いてはならないとしている(Should not be used, エビデンスレベルB)", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "またAAFPは、児童の風邪に対し以下の介入は効果を示さない (Not Effective) としている。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "児童の風邪に対して効果を示さない治療 (AAFP, 2012)", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2018年にBMJが掲載した調査によると、システマティック・レビューを検索した結果からは子供で効果を確認したものはなく、注意を要することが示された。6歳未満には推奨できない。", "title": "治療" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "風邪に対する民間療法には様々なものがあり、中には相矛盾するものもある。一般的には免疫活動を活発化させると良いと考えられているが、必ずしもそれに繋がらないものもある。", "title": "民間療法" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "日本語の「風邪」の語源は定かではない。俳句では冬の季語として扱われる。 日本はもともと予防のためにマスクをする人が多いが、これは他の国の人々には奇妙に思われていた。", "title": "社会的状況" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "英語の cold は「発熱がない病状」と認識されることが多いため、日本人が発熱時に cold と伝えると軽症に見られ、また日本の医療で cold に対して投薬されることが日本以外から見て過剰診療とされることもある。", "title": "社会的状況" } ]
風邪とは、原因の80 - 90 %がウイルスの上気道感染症であり、主な影響は鼻に現れる。咽喉、副鼻腔、喉頭も影響を受ける可能性がある。症状はたいてい感染後2日以内に発生する。症状としては、咳、咽頭痛、くしゃみ、鼻水、鼻閉、頭痛、発熱、嗄声などが現れる。患者の多くは回復まで大抵7 - 10日間を要し、一部の症状は3週間まで継続しうる。他に健康に問題がある患者は、肺炎に進行する可能性がある。 多くの場合、単に風邪と言えば急性上気道炎(普通感冒)を指し、西洋医学あるいは日本の医学で厳密には「かぜ症候群」と呼ばれ、日本でも症状を指す言葉である。俗称として、消化器のウイルス感染によって、嘔吐・下痢・腹痛など、腹部症状と上記全身症を来した状態を、「感冒性胃腸炎」「お腹の風邪」(もしくは胃腸かぜ、一部地方では腸感冒、ガストロ)と呼ぶこともある。 成人は平均して年間2 - 3回の風邪にかかり、児童ではそれ以上である。風邪に対してワクチンはない。最も一般的な予防法は、手洗いの実施、洗っていない手で目・鼻・口を触らない、病人と同じ空間にいないことである。いくつかの根拠は、マスクの使用を支持している。 風邪の直接的な治療法は存在せず、罹患期間を短縮させる方法もないが、不快な症状は対症療法で緩和可能であり、イブプロフェンなどの非ステロイド性抗炎症薬 (NSAIDs) は治療の助けとなる。病原がウイルスで細菌の二次感染が無い場合は、抗生物質を使用せず、総合感冒薬の使用も支持されない。
{{for|ウイルス以外を原因とする風邪症状|気道感染}} {{Infobox medical condition (new) | Name = 風邪 | Image = [[File:Rhinovirus.PNG|190px]] | Caption = ヒト[[ライノウイルス]]の表面分子構造 | ICD10 = {{ICD10|J|00|0|j|00}} | ICD9 = {{ICD9|460}} | DiseasesDB = 31088 | MedlinePlus = 000678 | eMedicineSubj = | eMedicineTopic = | eMedicine_mult = {{EMedicine2|med|2339}} | MeshID = D003139 }} '''風邪'''(かぜ、{{en|common cold, nasopharyngitis, rhinopharyngitis, acute coryza, a cold}})とは、原因の80 - 90 [[パーセント|%]]が[[ウイルス]]の[[気道感染|上気道感染症]]であり、主な影響は[[鼻]]に現れる<ref name="PMH">{{Cite report|publisher=[[アメリカ国立医学図書館]] |title=PubMedHealth - Common colds: Overview |date=2014-04-23 |url=http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmedhealth/PMH0072727/ }}</ref><ref name=CE11>{{cite journal | last=Arroll |first=B | title=Common cold | journal=Clinical evidence | volume=2011 | issue=3 | page=1510 | date=March 2011 | pmid=21406124 | doi=| pmc=3275147|quote=Common colds are defined as upper respiratory tract infections that affect the predominantly nasal part of the respiratory mucosa }} {{open access}}</ref>。[[咽喉]]、[[副鼻腔]]、[[喉頭]]も影響を受ける可能性がある{{r|CMAJ2014}}。[[症候学|症状]]はたいてい感染後2日以内に発生する<ref name=CMAJ2014>{{cite journal|last1=Allan|first1=GM|last2=Arroll|first2=B|title=Prevention and treatment of the common cold: making sense of the evidence.|journal=CMAJ : Canadian Medical Association |date=18 February 2014|volume=186|issue=3|pages=190-9|pmid=24468694|doi=10.1503/cmaj.121442|pmc=3928210}}</ref>。症状としては、[[咳嗽|咳]]、[[咽頭痛]]、[[くしゃみ]]、[[鼻水]]、鼻閉、[[頭痛]]、[[発熱]]、[[耳鼻咽喉科学#喉頭科学|嗄声]]などが現れる<ref name=CDC2015>{{cite web|title=Common Colds: Protect Yourself and Others|url=http://www.cdc.gov/features/rhinoviruses/ |publisher=[[アメリカ疾病予防管理センター]] |accessdate=2016-02-04|date=2015-10-06}}</ref><ref name=Eccles2005>{{cite journal | author=Eccles R | title=Understanding the symptoms of the common cold and influenza | journal=Lancet Infect Dis | volume=5 | issue=11 | pages=718-25 | date=November 2005 | pmid=16253889 | doi=10.1016/S1473-3099(05)70270-X }}</ref>。患者の多くは回復まで大抵7 - 10日間を要し{{r|CDC2015}}、一部の症状は3週間まで継続しうる<ref name=Heik2003>{{cite journal |author=Heikkinen T, Järvinen A | title=The common cold | journal=Lancet | volume=361 | issue=9351 | pages=51-9 | date=January 2003 | pmid=12517470 | doi=10.1016/S0140-6736(03)12162-9 }}</ref>。他に健康に問題がある患者は、[[肺炎]]に進行する可能性がある{{r|CDC2015}}。 多くの場合、単に風邪と言えば[[気道感染|急性上気道炎]]('''普通感冒''')を指し、[[西洋医学]]あるいは日本の医学で厳密には{{sfn|加地正郎|2003|p=43}}「'''かぜ[[症候群]]'''」と呼ばれ、日本でも症状を指す言葉である{{sfn|加地正郎|1985|p=296}}。[[通称|俗称]]として、[[消化器]]のウイルス感染によって、[[嘔吐]]・[[下痢]]・[[腹痛]]など、腹部症状と上記全身症を来した状態を、「感冒性[[胃腸炎]]」「お腹の風邪」(もしくは胃腸かぜ、一部地方では腸感冒、ガストロ)と呼ぶこともある。 <!-- Prevention and treatment --> [[成年|成人]]は平均して年間2 - 3回の風邪にかかり、[[児童]]ではそれ以上である{{r|CDC2015}}。風邪に対して[[ワクチン]]はない。最も一般的な予防法は、[[手洗い]]の実施、洗っていない手で目・鼻・口を触らない、病人と同じ空間にいないことである{{r|CDC2015}}。いくつかの根拠は、[[マスク]]の使用を支持している{{Sfn|Eccles|2009|p=209}}。 風邪の直接的な治療法は存在せず、罹患期間を短縮させる方法もないが{{r|PMH|CDC2015}}、不快な症状は[[対症療法]]で緩和可能であり、[[イブプロフェン]]などの[[非ステロイド性抗炎症薬]] (NSAIDs) は治療の助けとなる<ref>{{cite journal|last1=Kim|first1=SY|last2=Chang|first2=YJ|last3=Cho|first3=HM|last4=Hwang|first4=YW|last5=Moon|first5=YS|title=Non-steroidal anti-inflammatory drugs for the common cold.|journal=The Cochrane database of systematic reviews|date=21 September 2015|volume=9|pages=CD006362|pmid=26387658|doi=10.1002/14651858.CD006362.pub4}}</ref>。病原がウイルスで[[細菌]]の[[感染#特殊な感染|二次感染]]が無い場合は、[[抗生物質]]を使用せず{{r|AAFP}}<ref>{{cite journal|last1=Harris|first1=AM|last2=Hicks|first2=LA|last3=Qaseem|first3=A|last4=High Value Care Task Force of the American College of Physicians and for the Centers for Disease Control and|first4=Prevention|title=Appropriate Antibiotic Use for Acute Respiratory Tract Infection in Adults: Advice for High-Value Care From the American College of Physicians and the Centers for Disease Control and Prevention.|journal=Annals of Internal Medicine|date=19 January 2016|pmid=26785402|doi=10.7326/M15-1840}}</ref>、[[総合感冒薬]]の使用も支持されない{{r|CMAJ2014}}{{sfn|順天堂大学医学部|2006|p=49}}。 == 症状 == 症状は、[[咳嗽]](咳、症例の50 %{{r|CE11}}){{r|PMH|NIAID}}、[[咽頭痛]] (40 %{{r|CE11}})<ref name=PMH />、[[鼻水|鼻汁]]・[[鼻詰まり]]{{r|NIAID}}など局部症状([[カタル]]症状)、および[[発熱]]{{r|NIAID}}、[[倦怠感]]{{r|NIAID}}、[[頭痛]]{{r|NIAID}}、[[筋肉痛]] (50 %{{r|Eccles2005}}) など。 鼻汁は通常、風邪の初期はさらさらとした水様で、徐々に粘々とした[[膿]]性に変化する。 高齢者では、肺炎に至っても発熱は微熱程度のこともある{{sfn|松永貞一|2007|p=65}}。 === 不顕性感染 === 抗体を持たない者に風邪ウイルスを鼻投与する、ある実験で、25 %の者がほぼ無症状で終わった例がある。これが無症候性感染/[[不顕性感染]]と呼ばれる現象であり、風邪をめぐる未解明の謎の一つである {{sfn|ジェニファー・アッカーマン|2011|p=23}} 。 == 病原体 == 原因の7 - 8割がウイルスである{{r|pmid30069463}}。日本の研究ではかぜ症候群の原因は8 - 9割がウイルスとも言われ、一方で非感染性因子によるものも少数ではあるが挙げられている{{sfn|加地正郎|2003|p=43}}。 === ウイルス === ; [[ライノウイルス]] (30 % - 80 %)<ref>{{cite journal |author=Palmenberg AC, Spiro D, Kuzmickas R, Wang S, Djikeng A, Rathe JA, Fraser-Liggett CM, Liggett SB |title=Sequencing and Analyses of All Known Human Rhinovirus Genomes Reveals Structure and Evolution |journal=Science |volume=324 |issue=5923 |pages=55-9 |year=2009 |pmid=19213880 |doi=10.1126/science.1165557 |pmc=3923423}}</ref>{{Sfn|Eccles|2009|p=77}}<ref>中込治・神谷茂 共著『標準微生物学』医学書院、2016年1月15日 第12版 第2刷、441ページ</ref> : 普通感冒の原因ウイルスのひとつである。 : くしゃみ、鼻水、鼻づまりなどが主症状で、年齢を選ばない。「普通感冒」とは、この症状のこと。つまり、いわゆる鼻かぜ、のど風邪のことを普通感冒という。 ; [[ヒトコロナウイルス|コロナウイルス]] (15 %)<ref>{{cite book|last=Pelczar|title=Microbiology: Application Based Approach|year=2010|isbn=978-0-07-015147-5|page=656|url=https://books.google.com/books?id=xnClBCuo71IC&pg=PA656}}</ref><ref>{{cite book|last=medicine|first=s cecil|title=Goldman|publisher=Elsevier Saunders|location=Philadelphia|isbn=978-1-4377-2788-3|page=2103|url=https://books.google.com/books?id=Qd-vvNh0ee0C&pg=PA2103|edition=24th}}</ref> : 1960年代に最初に発見された、冬に感染しやすいウイルス。[[重症急性呼吸器症候群|SARS]]や[[中東呼吸器症候群|MERS]]、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|COVID-19]]([[SARSコロナウイルス2|'''新型'''コロナウイルス]])の[[症候群]]は風邪(普通感冒)と区別される。 ; [[インフルエンザウイルス]] (10 % - 15 %)<ref name=Medscape>{{cite web|title=Rhinovirus Infection|url=http://emedicine.medscape.com/article/227820-overview#a0101|publisher=Medscape Reference|accessdate=19 March 2013|author1=Michael Rajnik|author2=Robert W Tolan|date=13 Sep 2013}} {{open access}}</ref><ref>中込治・神谷茂 共著『標準微生物学』医学書院、2016年1月15日 第12版 第2刷、469ページ、</ref> : 英語では "flu" とされる。風邪として扱われないことが多い。 ; [[アデノウイルス]] (5 %) {{r|Medscape}} : 夏に流行。プールで感染する[[咽頭結膜熱]](プール熱)として知られる。 ; [[パラインフルエンザウイルス]] : インフルエンザという名称が入っているが、[[インフルエンザウイルス]]とは別のウイルスである。 : 喉頭と下気道に感染しやすい。子供がかかる場合が多い。 ; [[RSウイルス]] : 小児発症の原因病原体として最多であり、気管支炎や肺炎を起こしやすい。[[乳幼児]]は重症になる場合もある。冬の感染が多い。 ; エコーウイルス ; [[エンテロウイルス]] : [[下痢]]を起こしやすい。夏に流行する。 == 診断 == {| class="wikitable floatright" style="font-size:85%; margin-left:1em; text-align:center" |+ 風邪とインフルエンザの違い<ref name="NIAID">{{Cite report|title=Is It a Cold or the Flu? |publisher=[[アメリカ国立アレルギー感染症研究所]] |date=2015-04-06 |url=https://www.niaid.nih.gov/media/it-cold-or-flu }}</ref> ! !! 風邪(Cold) !! [[インフルエンザ|インフル]] (Flu) |- |{{rh}}| [[発熱]] || まれ || 頻出 (37-38℃) |- |{{rh}}| [[頭痛]] || まれ || 頻出 |- |{{rh}}| [[疼痛]] || わずか || 大部分、重度となりえる |- |{{rh}}| 疲労・脱力 || 時々 || 大部分、2-3週続く |- |{{rh}}| 極度の疲労 || なし || 大部分 |- |{{rh}}| 鼻汁 || 頻出 || 時々 |- |{{rh}}| くしゃみ || 頻出 || 時々 |- |{{rh}}| のどの痛み || 頻出 || 時々 |} [[アメリカ疾病予防管理センター]] (CDC) は、以下のケースでは医療機関に受診すべきと勧告している。 * [[体温]]が摂氏38度以上の場合{{r|CDC2015}} * 症状が10日以上継続する場合{{r|CDC2015}} * 症状が深刻か、普通でない場合{{r|CDC2015}} 風邪の多様な症状は、様々な病因によって発生し、稀に[[淋病]]が喉粘膜に発生することでも、風邪によく似た症状が出る。この他にも風邪と紛らわしい初期症状を示す病気は数多くあり、これらを風邪として扱ってしまいがちなことが、普通感冒の重症化の場合に加えて{{sfn|岡部信彦|2008|p=2}}、「風邪は万病のもと」と言われる所以となっている<ref>『国民百科事典2』平凡社、p70、1961年4月30日初版</ref>。 なお、情報源がアメリカの場合に発熱が「まれ」とされることについては、[[#英語での用法|英語での用法]]も参照のこと。 [[風疹]]、[[麻疹]]、[[流行性耳下腺炎]]などは、症状が非常に特徴的であり、疾患名が特定しやすいので、風邪には含めない(ただし流行性耳下腺炎は、俗に『おたふく'''かぜ'''』と称する)。 === 鑑別疾患 === {{Seealso|気道感染#有名な急性気道感染}} 他にもあらゆるウイルス、[[マイコプラズマ]]、[[クラミジア科|クラミジア]]、[[細菌]]が風邪の原因となり{{sfn|加地正郎|2003|p=43}}、その数は200種類以上といわれる。風邪となる病原は非常に多く、またライノウイルスを例に挙げると、数百種類の型が存在するため[[ワクチン]]を作ることは事実上不可能であり、どのウイルスまたは細菌が原因なのか[[診断]]するのも困難である。 逆に言えば、病原となるウイルスまたは細菌が特定できた場合は、それらはそれぞれの疾患名で呼ぶべきであり、風邪という症状名で呼ぶのは適切ではないということになる。例えばインフルエンザウイルスによる風邪に関しては、特に症状が重いことと、検査方法が確立していることから、原因が特定され、その場合は「インフルエンザ」という疾患名で呼ばれることとなる。 細菌性の感染かウイルス性の感染かは血液検査を行い、CRP値と白血球数を参考にする。 風邪の原因となるウイルス・細菌の種類は極めて多く、原因が特定されない場合が多いが、原因が特定できた場合においては、その原因によって疾患名が確定する。また「風邪は万病の元」と言われるが、あらゆる疾患の初期症状は「風邪」として片づけられることも多く見られる。そして疾患が進むと、風邪症状の範疇には収まらない、その疾患の特有の症状が発現することになる。 このため、数日で軽快しない場合は、「あらゆる疾患」が鑑別にあがる。 以下にあるのはその一部分である。 * 経過が短いもの(経過が短いものは急速に増悪し、治療が間に合わないこともある) ** [[インフルエンザ]] ** [[急性喉頭蓋炎]] ** [[咽頭後壁膿瘍]]・[[口底蜂窩織炎]] ** [[髄膜炎]]・[[脳炎]] ** [[心筋炎]] ** [[レミエール症候群]](細菌性頸[[静脈]]炎) ** [[慢性骨髄性白血病]]急性転化 ** [[糖尿病性ケトアシドーシス]] * 経過が長いもの(正しい診断に至るまで時間がかかることがある) ** [[マイコプラズマ]]感染症 ** [[クラミジア科|クラミジア]]感染症 ** [[結核#肺結核|肺結核]]・[[非結核性抗酸菌症]] ** [[百日咳]] ** [[伝染性単核球症]] ** [[扁桃周囲膿瘍]] ** [[組織球性壊死性リンパ節炎]](菊池病) ** [[感染性心内膜炎]] ** [[心不全]]→[[心臓性喘息]] ** [[気管支喘息]] ** [[アレルギー性気管支肺アスペルギルス症]] (ABPA)・[[夏型過敏性肺臓炎]] ** [[慢性閉塞性肺疾患]] (COPD) ** [[リウマチ性多発筋痛症]]・[[RS3PE]] ** [[巨細胞性動脈炎]]…原因不明の発熱、頭痛など感冒類似の症状がみられる。 ** [[原田病]]…感冒様症状に続き[[ぶどう膜炎]]を発症する。 == 予防 == 過労を避け睡眠を十分にとり、健康的な生活を送ることが防御機構のはたらきに重要である{{sfn|加地正郎|2003|p=194}}。 [[ハーバード大学]]医学部からの2021年1月の報告によると、[[ビタミンA]]、[[ビタミンD]]、および[[ビタミンE]]は、風邪、喘息、慢性閉塞性肺疾患などの呼吸器疾患の軽減と予防に関連している<ref>{{Cite web|title=Vitamins A, E, and D tied to fewer colds, lung disorders|url=https://www.health.harvard.edu/staying-healthy/vitamins-a-e-and-d-tied-to-fewer-colds-lung-disorders|website=Harvard Health|accessdate=2020-12-31|first=Harvard Health|last=Publishing}}</ref>。 2014年の[[システマティック・レビュー]]では、[[手洗い]]、[[消毒用アルコール]]による手指の消毒、[[マスク]]、また[[亜鉛]]のサプリメントにて有益である可能性があったが、研究報告にバイアス(偏り)がある可能性もあった{{r|pmid24468694}}。[[プロバイオティクス]]([[乳酸菌]]など)も有益である可能性があり、6つのランダム化比較試験の結果には矛盾があったが、プール解析(結合解析)は風邪の減少を示していた{{r|pmid24468694}}。マスクの着用、[[水]]や[[ポビドンヨード]]による[[うがい]]、[[オタネニンジン|朝鮮人参]]、週5日の運動、[[ニンニク]]、[[ホメオパシー]]、[[ビタミンC]] (0.2 - 3 g)、[[ビタミンD]]、[[ムラサキバレンギク|エキナセア]]では、予防の利益は判明しなかった{{r|pmid24468694}}。 * '''手洗い''' - 自宅でも外出時でも、他の人が触れたものに触れた場合は、手を[[石鹸]]で洗い、水で30秒以上すすぐ{{r|CDC2015}}。また、手で自分の目や鼻や口に触れないようにする{{r|CDC2015}}。ライノウイルスについては感染経路に対して有効なことが確認されている{{sfn|加地正郎|2003|p=194}}。 * '''病人と同室に滞在しない'''{{r|CDC2015}} * '''乾燥を防ぐ''' - 部屋の[[湿度]]を50 %以上に保つことは、喉の保湿に役立ち、喉でのウイルスの活動を抑える。 * '''マスク''' - 病原体の侵入を防ぐほか、喉の保湿に有益で、また保菌者が他者に感染させる可能性を減らす{{sfn|岡部信彦|2008|p=47}}{{sfn|松永貞一|2007|p=72}}。 2013年の[[コクラン共同計画|コクラン]]レビューでは、1日200mg以上のビタミンCは、風邪の発症率に変化はないが、重症度を下げ、罹患期間が成人で8 %、小児では14 %短縮し、マラソン選手など極度に肉体疲労する人々では予防効果はあった<ref name="pmid23440782">{{cite journal|author=Hemilä H, Chalker E|title=Vitamin C for preventing and treating the common cold|journal=Cochrane Database Syst Re|issue=1|pages=CD000980|date=January 2013|pmid=23440782|doi=10.1002/14651858.CD000980.pub4}} [http://www.cochrane.org/ja/CD000980/bitamincniyorufeng-xie-noyu-fang-oyobizhi-liao ビタミンCによる風邪の予防および治療]</ref>。2014年のコクランレビューは、3か月毎日のニンニクは風邪の発症率を低下させており、罹患期間に差はなかった<ref name="pmid25386977">{{cite journal|author=Lissiman E, Bhasale AL, Cohen M|title=Garlic for the common cold|journal=Cochrane Database Syst Re|issue=11|pages=CD006206|date=November 2014|pmid=25386977|doi=10.1002/14651858.CD006206.pub4}} [http://www.cochrane.org/ja/CD006206/feng-xie-nidui-surugarituku 風邪に対するガーリック]</ref>。ビタミンCの摂取量が低い人々に対する1000mgのビタミンCは、偽薬に比較して、風邪の発症率を減らし風邪の期間を59 %減少させていた<ref name="pmid25010554">{{cite journal|author=Johnston CS, Barkyoumb GM, Schumacher SS|title=Vitamin C supplementation slightly improves physical activity levels and reduces cold incidence in men with marginal vitamin C status: a randomized controlled trial|journal=Nutrients|issue=7|pages=2572-83|date=July 2014|pmid=25010554|pmc=4113757|doi=10.3390/nu6072572|url=https://doi.org/10.3390/nu6072572}}</ref>。 ウイルスの鼻投与153人で、2週間の(寝具にいるが眠っていないと下がる)睡眠効率の悪さは発症率を上昇させていた<ref name="pmid19139325">{{cite journal|author=Cohen S, Doyle WJ, Alper CM, Janicki-Deverts D, Turner RB|title=Sleep habits and susceptibility to the common cold|journal=Arch. Intern. Med.|issue=1|pages=62-7|date=January 2009|pmid=19139325|pmc=2629403|doi=10.1001/archinternmed.2008.505}}</ref>。同じく鼻投与164人で、睡眠状態を計測する{{仮リンク|アクチグラフ|en|Actigraphy}}によって計測し、7日間の睡眠時間の短さは風邪の発症率を増加させていた<ref name="pmid26118561">{{cite journal|author=Prather AA, Janicki-Deverts D, Hall MH, Cohen S|title=Behaviorally Assessed Sleep and Susceptibility to the Common Cold|journal=Sleep|issue=9|pages=1353-9|date=September 2015|pmid=26118561|pmc=4531403|doi=10.5665/sleep.4968}}</ref>。その理解のための調査では、52人を睡眠不足にさせると、免疫応答の低下を示す測定値が減少し、7日後に正常化し元に戻った<ref name="pmid23993876">{{cite journal|author=Wilder-Smith A, Mustafa FB, Earnest A, Gen L, Macary PA|title=Impact of partial sleep deprivation on immune markers|journal=Sleep Med.|issue=10|pages=1031-4|date=October 2013|pmid=23993876|doi=10.1016/j.sleep.2013.07.001}}</ref>。 社会と交流を持ったり、社交的支援があったり社会性が高い方が、風邪の発症リスクが低下するという研究が過去に行われてきた<ref name="pmid12930466">{{cite journal|author=Cohen S, Doyle WJ, Turner R, Alper CM, Skoner DP|title=Sociability and susceptibility to the common cold|journal=Psychol Sci|issue=5|pages=389-95|date=September 2003|pmid=12930466|doi=10.1111/1467-9280.01452}}</ref>。客観的な社会指数と主観的な孤独感を計測した鼻投与213人では、主観的な孤独感の方が風邪を予測していた(問題は社会的な役割の数である)<ref name="pmid26397938">{{cite journal|author=Cohen S, Janicki-Deverts D, Doyle WJ|title=Self-Rated Health in Healthy Adults and Susceptibility to the Common Cold|journal=Psychosom Med|issue=9|pages=959-68|date=2015|pmid=26397938|pmc=4643389|doi=10.1097/PSY.0000000000000232|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/pmid/26397938/}}</ref>{{sfn|ジェニファー・アッカーマン|2011|p=149}}。また社会性が高い人は、実際にウイルスに感染した際に撒き散らすウイルス量も少ないという結果になった{{sfn|ジェニファー・アッカーマン|2011|p=149}}。 795人に風邪ウイルスを鼻投与した研究において、24歳までの親では差がなかったが、それ以上の年齢で、子を持つ親の方が風邪への抵抗性が高く、子供の数が1-2人より3人以上で高く、また同居しているほど高かった<ref name="pmid22773866">{{cite journal|author=Sneed RS, Cohen S, Turner RB, Doyle WJ|title=Parenthood and host resistance to the common cold|journal=Psychosom Med|issue=6|pages=567-73|date=2012|pmid=22773866|pmc=3746028|doi=10.1097/PSY.0b013e31825941ff}}</ref>。139名に同様にウイルスを鼻投与し、不安、敵対的、抑うつ的な感情様式の人々よりも活気があり穏やかといった健康的な感情様式の場合にライノウイルスやインフルエンザウイルスに感染しにくかった<ref name="pmid17101814">{{cite journal|author=Cohen S, Alper CM, Doyle WJ, Treanor JJ, Turner RB|title=Positive emotional style predicts resistance to illness after experimental exposure to rhinovirus or influenza a virus|journal=Psychosom Med|issue=6|pages=809-15|date=2006|pmid=17101814|doi=10.1097/01.psy.0000245867.92364.3c}}</ref>。 幼児期に保育施設に通っていた場合、後年あまり風邪を引かない、という相関があるとされているが、詳しい要因・機序は不明である{{sfn|ジェニファー・アッカーマン|2011|p=167}}。 == 治療 == 一般に7日から10日で治癒する。快癒させる薬はない{{r|pmid30305295}}。2009年の350人でのランダム化比較試験では、医師が共感的に対応した方が重症度が低く風邪の期間が0.9日短く<ref name="pmid19582635">{{cite journal|author=Rakel DP, Hoeft TJ, Barrett BP, Chewning BA, Craig BM, Niu M|title=Practitioner empathy and the duration of the common cold|journal=Fam Med|issue=7|pages=494-501|date=2009|pmid=19582635|pmc=2720820|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/pmid/19582635/}}</ref>、2011年の719人での追試も似たような結果となった<ref name="pmid21300514">{{cite journal|author=Rakel D, Barrett B, Zhang Z, et al.|title=Perception of empathy in the therapeutic encounter: effects on the common cold|journal=Patient Educ Couns|issue=3|pages=390-7|date=December 2011|pmid=21300514|pmc=3107395|doi=10.1016/j.pec.2011.01.009|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/pmid/21300514/}}</ref>。 [[西洋医学]]でも[[東洋医学]]でも、安静にして[[睡眠]]をしっかり摂ることは、風邪の治療に一番良い。発熱に対しては体力の問題や脱水が危惧される場合のみ冷却し、脱水には注意するが過剰にカロリーを摂取する必要はない。早期にこれらの適切な一般療法を施し、悪化させないことが重要である{{sfn|加地正郎|2003|p=120}}。 === 西洋医学の治療法 === [[西洋医学]]系の医師は、個々が訴える辛い症状を緩和する薬([[対症療法]])を採用し、[[総合感冒薬]]・[[解熱薬]]・[[鎮痛剤|鎮痛薬]]・[[鎮咳去痰薬]]を、複数処方することが多い。{{要出典|date=2023年3月}} * [[非ステロイド性抗炎症薬]] (NSAIDs) は、成人の風邪による痛みを改善しうる(エビデンスレベルA){{r|AAFP}} * [[充血除去薬]]、[[抗ヒスタミン薬]]と充血除去薬の組み合わせ、および鼻腔内[[イプラトロピウム]]は、成人の風邪症状を改善しうる(エビデンスレベルB){{r|AAFP}}。 {{仮リンク|アメリカ家庭医学会|en|American Academy of Family Physicians}} (AAFP) ガイドラインは、成人の風邪に対し、以下の治療は効果を示さない ({{en|Not effective}}) としている{{r|AAFP}}。 {{Quotation| 成人の風邪に対して効果を示さない治療 (AAFP, 2012) {{Columns-list|2| * [[抗生物質]] * [[抗ヒスタミン薬]]の単剤療法 * [[コデイン]] * エキナセア・アングスティフォリア * 鼻腔内[[副腎皮質ホルモン]] * 生理食塩水での鼻洗浄(通常の手段による) * [[ビタミンC]] }} }}しかし、2020年11月、[[ハーバード大学]]付属のベスイスラエルディーコネスメディカルセンターの老年医学の副主任であるスザンヌサラモン博士によると。'''ビタミンC'''、亜鉛ロゼンジ、チキンスープが役立つかもしれないと示唆した。風邪の症状の発症を感じたら、毎日のビタミンC摂取量を1,000mgから2,000mgの範囲に増やすことで風邪の症状を大幅に軽減する可能性がある<ref>{{Cite web|title=Common ways to fight the common cold|url=https://www.health.harvard.edu/staying-healthy/common-ways-to-fight-the-common-cold|website=Harvard Health|accessdate=2020-11-03|first=Harvard Health|last=Publishing}}</ref>。 ==== 抗生物質の投与 ==== [[File:CDC Get Smart poster healthy adult.png|thumb|米国CDCの"Get Smart"キャンペーンポスター。抗生物質は風邪などのウイルス感染症には効かないことを警告している。]] '''[[抗生物質]]'''(狭義の[[抗菌薬]])は、抗[[細菌]]作用しか持たないため、風邪の約9割を占める[[ウイルス]]感染には効果がない。基本的に風邪は自然軽快し、抗生物質は副作用や耐性菌出現の原因となるためみだりに用いるべきでないとされる<ref name="MHLW2019">{{Cite book|和書|title=抗微生物薬適正使用の手引き 第二版|publisher=厚生労働省健康局結核感染症課|date=2019|url=https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000573655.pdf}}</ref>。一方で、[[世界保健機関]]の2015年調査では、抗生物質を風邪やインフルエンザの治療に使用できると誤答した人は64%にのぼった<ref>{{Cite web|url=https://www.who.int/news/item/16-11-2015-who-multi-country-survey-reveals-widespread-public-misunderstanding-about-antibiotic-resistance|title=WHO multi-country survey reveals widespread public misunderstanding about antibiotic resistance|publisher=WHO|date=2015-11-16|accessdate=2023-3-19}}</ref>。<!--【冗長につき保留】日本の[[国立国際医療研究センター]]の2022年調査では、抗生物質が風邪に有効と誤答した人は45.5%にのぼった<ref>{{Cite web|url=https://amr.ncgm.go.jp/pdf/20220930_report_press.pdf|title=抗菌薬意識調査レポート 2022|publisher=国立国際医療研究センター病院 AMR臨床リファレンスセンター|date=2022|accessdate=2023-3-19}}</ref>。--> ただし「風邪」と呼ばれる状態は、患者の思い込みを含めて多様な病態を含みうる概念であり、基礎疾患の有無や鑑別によっては抗生物質を投与すべき場面もある<ref name="MHLW2019"/>。 [[コクラン (組織)|コクラン]]の[[システマティック・レビュー]]では、普通感冒および化膿性[[鼻炎]]への抗生物質の投与に[[有意]]な効果はなく、有害作用のリスクが有意に高まることが報告されている(アメリカ家庭医学会による[[エビデンス (医学)|エビデンス]]評価は最良A)<ref name="Kenealy2013">{{cite journal |author=Tim Kenealy; Bruce Arroll |title=Antibiotics for the common cold and acute purulent rhinitis |journal=Cochrane Database Syst Rev |issue=6 |pages=CD000247 |year=2013 |pmid=23733381 |doi=10.1002/14651858.CD000247.pub3 }}</ref><ref name="AAFP">{{cite journal |author=Fashner J, Ericson K, Werner S |title=Treatment of the common cold in children and adults |journal=Am Fam Physician |volume=86 |issue=2 |pages=153-9 |year=2012 |pmid=22962927 |doi= |url=http://www.aafp.org/afp/2012/0715/p153.html }}</ref>。 ==== 抗ウイルス薬 ==== [[抗ウイルス薬]]の処方は、風邪の原因ウイルスが多種に及ぶため現実的な効果はないが、いくつかの予備試験ではベネフィットが示されている<ref name=AFP07>{{cite journal | author=Simasek M, Blandino DA | title=Treatment of the common cold | journal=American Family Physician | volume=75 | issue=4 | pages=515-20 | year=2007 | pmid=17323712 | url=http://www.aafp.org/afp/20070215/515.html}}</ref>{{Sfn|Eccles|2009|p=218}}。 ==== 解熱剤 ==== [[発熱]]は一種の生体防御反応であり{{sfn|加地正郎|2003|p=115}}、微生物の侵入による外因性・内因性発熱物質の産生により、深部体温が上昇すると免疫機能が亢進し、病原体に対する抵抗力が高くなることが示されている{{sfn|岡部信彦|2008|p=38}}。また発熱がウイルスの増殖を抑制するともいわれ、高熱の場合を除き[[解熱薬]]の安易な投与は控えるべきである{{sfn|加地正郎|2003|p=115}}。解熱鎮痛剤の一種である[[ロキソプロフェン]]は有意ではないものの、炎症を押さえ、平均で風邪の治癒を1日遅らせる<ref>{{cite journal |author=Goto M, Kawamura T, Shimbo T, Takahashi O, Ando M, Miyaki K, Nohara T, Watanabe H, Suzuki I, Aono M |title=Influence of loxoprofen use on recovery from naturally acquired upper respiratory tract infections: a randomized controlled trial |journal=Intern. Med. |volume=46 |issue=15 |pages=1179-86 |year=2007 |pmid=17675766 |doi= |url=}}</ref>。 体温の上昇が極端に激しい場合、体力の消耗や脱水の危険回避のために医師が解熱鎮痛剤を使用することは正しい{{sfn|加地正郎|2003|p=115}}。小児は体温調節中枢([[視床下部]])による体温調節機能の発達が未熟であり、高体温となりやすい。乳幼児の場合は、体温の上昇は[[熱性けいれん]]の危険性があるため、大人以上に注意を払う必要がある。しかし受診せずに解熱剤を使うことは厳禁で、小児科医にとって「熱さましは親の敵」と言われる{{sfn|松永貞一|2007|p=56}}。小児に限らず、医師の関与なき解熱剤の使用は危険である{{sfn|松永貞一|2007|p=166}}{{sfn|順天堂大学医学部|2006|p=49}}。 ==== 有効性の調査 ==== アメリカ胸部医学会 (ACCP) による、2017年のシステマティック・レビューは、風邪の咳を緩和する治療を調査し、[[蜂蜜|ハチミツ]]では1歳以上の場合に有効性を示す複数の研究があり(1歳以下の[[赤ちゃん|乳児]]は、[[ボツリヌス菌#乳児ボツリヌス症|乳児ボツリヌス症]]になるため禁止)、亜鉛トローチでは有効とする弱い証拠があり、抗ヒスタミン薬や鎮痛薬、NSAIDsでは効果を裏付けるデータはなかったため、咳のためには、市販薬は推奨できないとした<ref name="care2017">{{cite news |title=「風邪による咳に効く薬はない」米学会が見解 |url=https://www.carenet.com/news/general/hdn/45060 |date=2017-12-08 |newspaper=CareNet |accessdate=2018-06-01}}</ref>。2018年に''[[ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル|BMJ]]''が掲載した調査によると、システマティック・レビューを検索した結果からは[[充血除去薬]]は効果が小さいが鼻症状に有効性があることが示された{{r|pmid30305295}}。 [[第二世代抗ヒスタミン薬]](鎮静作用がない)では効果なしか不明で、鼻症状に効果が確認されているのは[[第一世代抗ヒスタミン薬]](鎮静作用あり)である{{r|pmid30305295}}。特に充血除去薬と解熱鎮痛薬を併用した場合、副作用の可能性があり、不眠、眠気、頭痛、胃腸症状が起こりえる{{r|pmid30305295}}。 よく知られていない副作用では、充血除去薬の長期使用が[[反跳作用#薬物性鼻炎|薬物性鼻炎]]を起こすことがあり、薬によって安全な使用期間は異なるが最大3 - 7日が推奨される{{r|pmid30305295}}。錠剤と鼻スプレーのどちらが効果的かを示す研究は見つからない{{r|pmid30305295}}。[[ムラサキバレンギク|エキナセア]]、[[ビタミンC]] 、亜鉛[[トローチ|ロズンジ/ロゼンジ(トローチ)]]は鼻の症状に効果はない{{r|pmid30305295}}。 2014年のシステマティック・レビューでは、抗ヒスタミン単独では意味のある恩恵はなく、充血除去薬では大人で小さな利益であり、充血除去薬との併用では大人では有益であり、抗生物質では利益はないが有害事象を増加させていた<ref name="pmid24468694">{{cite journal|author=Allan GM, Arroll B|title=Prevention and treatment of the common cold: making sense of the evidence|journal=CMAJ|issue=3|pages=190-9|date=February 2014|pmid=24468694|pmc=3928210|doi=10.1503/cmaj.121442|url=https://doi.org/10.1503%2Fcmaj.121442}}</ref>。 2013年のコクランによるシステマティック・レビューでは、治療のためのビタミンCでは結果が一貫していなかった{{r|pmid23440782}}。ビタミンC 1,000 mgと亜鉛10 mgの併用では、2つのランダム化比較試験の合計94人から症状緩和のために偽薬より有効であった<ref name="pmid22429343">{{cite journal|author=Maggini S, Beveridge S, Suter M|title=A combination of high-dose vitamin C plus zinc for the common cold|journal=J. Int. Med. Res.|issue=1|pages=28-42|date=2012|pmid=22429343|doi=10.1177/147323001204000104}}</ref>。2018年の9研究のメタアナリシスは、両方のグループで発症前からビタミンCを服用しており、風邪の発症後に日に1から6グラムをさらに追加して服用したグループでは、平均10時間の風邪の期間の短縮がみられた<ref name="pmid30069463">{{cite journal|author=Ran L, Zhao W, Wang J, et al.|title=Extra Dose of Vitamin C Based on a Daily Supplementation Shortens the Common Cold: A Meta-Analysis of 9 Randomized Controlled Trials|journal=Biomed Res Int|pages=1837634|date=2018|pmid=30069463|pmc=6057395|doi=10.1155/2018/1837634|url=https://doi.org/10.1155/2018/1837634}}</ref>。 [[加湿器]]についての2018年のコクランのレビューは、研究は少なく限られた結果からは、利益も害もないとした<ref name="pmid28849871">{{cite journal|author=Singh M, Singh M, Jaiswal N, Chauhan A|title=Heated, humidified air for the common cold|journal=Cochrane Database Syst Re|pages=CD001728|date=August 2017|pmid=28849871|doi=10.1002/14651858.CD001728.pub6|url=https://www.cochranelibrary.com/cdsr/doi/10.1002/14651858.CD001728.pub5/full}}</ref>。 === 東洋医学の治療法 === {| class="wikitable floatright" style="font-size:90%; margin-left:1em" |+ 漢方薬の使い分けの基本{{r|kampo}} ! !! 急性期 !! 亜急性期 !! 回復期 |- ! 丈夫 | colspan="2" | 西洋薬 || (自然治癒が多い) |- ! ふつう | colspan="2" rowspan="2" | 西洋・漢方を併用 || rowspan="2" |漢方薬 |- ! 虚弱 |} 東洋医学において風邪にもっともしばしば用いられる、[[漢方医学|漢方]]処方の流れを以下に示す<ref name="kampo">{{Cite |和書|author=日本医師会|authorlink=日本医師会 |title=漢方治療のABC |date=1992 |publisher=医学書院 |isbn=4260175076 |series=生涯教育シリーズ28 }}</ref>。 * 急性期(原則は発汗療法){{r|kampo}} ** 悪寒・発熱・頭痛があり、汗が出ていない/急性喉頭炎・急性扁桃炎の初期:[[葛根湯]]([[マオウ属|麻黄]]を含む薬剤中心)(ある程度体力のある人向けであり、画一処方は慎む{{r|kampo}}) ** 鼻炎で鼻水・くしゃみ・鼻閉:[[小青竜湯]] ** インフルエンザで高熱があり、頭痛・倦怠・筋肉痛などが顕著: 西洋医療を優先{{r|kampo}} ** 軽度の鼻炎・喉頭炎の症状があり、悪寒で顔面蒼白、元から虚弱冷え性体質:麻黄附子細辛湯{{r|kampo}} ** 口渇があるような明らかな熱証の場合の処方:[[銀翹散]] * 亜急性期 ** 熱が上下して悪寒と発熱が交互に現れてきた場合は発汗療法を打ち切る{{r|kampo}} <!--** 最も一般的な処方:[[小柴胡湯]](柴胡を含む薬剤中心){{r|kampo}}--> ** 鼻詰まりの改善を目的とする場合や副鼻腔炎を併発している場合の処方:[[辛夷清肺湯]] * 回復期 ** [[補中益気湯]]{{r|kampo}} ** [[黄耆建中湯]] 急性期・亜急性期には西洋医薬との併用が有効である{{r|kampo}}。 ==== 小児の場合 ==== 東洋医学において、小児がかぜをひきにくくなる、というのは、体の免疫機能が高められていることを意味する。かぜをひきにくくする、ということは虚弱体質の改善と関係があると考え、次のような漢方処方が代表的なものだとも言われている{{Sfn|大塚恭男|1996|p=176}}。 <!--* '''[[小柴胡湯]]'''(しょうさいことう){{Sfn|大塚恭男|1996|p=176}}。漢方で「和剤」と呼ばれるもののひとつで、口の粘り、食欲不振、疲れやすさ、熱っぽさなどの、([[西洋医学]]で言うところの、いわゆる)「不定愁訴」に対してよく用いられる{{Sfn|大塚恭男|1996|p=176}}。--> * '''[[葛根湯]]'''(かっこんとう){{Sfn|大塚恭男|1996|p=176}}。薬方中の[[麻黄]]は[[エフェドリン]]を含み、ときに消化器障害、興奮などをおこすことがあるが、小児の場合、成人にくらべて麻黄によく耐えるということが経験的に知られており、(成人に比べれば)神経質に考えなくてもよい。ただし、あまりに胃腸の弱い小児には使用しないほうがよい。 ==== 高齢者の場合 ==== * '''[[葛根湯]]'''{{Sfn|大塚恭男|1996|p=158}} <!--* '''[[小柴胡湯]]'''{{Sfn|大塚恭男|1996|p=159}}--> * '''[[香蘇散]]'''(こうそさん){{Sfn|大塚恭男|1996|p=159}}。医師の[[大塚恭男]]は、元来、虚弱体質の人の風邪が適応だが、老人の場合一見頑強に見えても抵抗力は低下していることが普通なので、60歳以上であれば、体質を選ばず使用してよいと思われ、いつも風邪をひいていると訴える人や、鬱状態をともなっている人には、平素から服用してもらうことで風邪の予防になると述べている{{Sfn|大塚恭男|1996|p=159}}。 * '''[[真武湯]]'''(しんぶとう)。風邪をひいても、あまり高熱が出ず、たかだか微熱程度で、悪寒があり、体がだるくて起きていられないような場合に使用する{{Sfn|大塚恭男|1996|p=160}}。 * '''[[竹筎温胆湯]]'''(ちくじょうおんたんとう)。比較的体力の低下した人の長引いた呼吸器症状が対象であるが、老人の呼吸器疾患には一般に使用してよいと思われる、と大塚恭男は述べている{{Sfn|大塚恭男|1996|p=160}}。さらに、この薬方(処方)には温肝湯のニュアンスもあるので、不安・不眠といった精神症状の要素も対象となっている{{Sfn|大塚恭男|1996|p=160}}。 === 児童の風邪 === アメリカ家庭医学会 (AAFP) ガイドラインでは、4歳以下の児童に対してはOTC風邪薬([[総合感冒薬]])を用いてはならないとしている({{en|Should not be used,}} エビデンスレベルB){{r|AAFP}} またAAFPは、児童の風邪に対し以下の介入は効果を示さない ({{en|Not Effective}}) としている{{r|AAFP}}。 {{Quotation| 児童の風邪に対して効果を示さない治療 (AAFP, 2012) {{Columns-list|2| * 抗生物質 * カルボシステイン * デキストロメトルファン * ジフェンヒドラミン * エキナセアプルプレア * 低用量の吸入コルチコステロイド * 経口プレドニゾロン * OTC抗ヒスタミン薬 * OTC抗ヒスタミン薬([[充血除去薬]]を含むもの) * OTC[[鎮咳去痰薬|鎮咳薬]] * OTC鎮咳薬、気管支拡張薬 }} }} 2018年に''[[ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル|BMJ]]''が掲載した調査によると、システマティック・レビューを検索した結果からは子供で効果を確認したものはなく、注意を要することが示された<ref name="pmid30305295">{{cite journal|author=an Driel ML, Scheire S, Deckx L, Gevaert P, De Sutter A|title=What treatments are effective for common cold in adults and children?|journal=BMJ|pages=k3786|date=October 2018|pmid=30305295}} [https://www.bmj.com/content/bmj/363/bmj.k3786/F1.large.jpg?width=800&height=600 Figure 1]に図形式で鼻症状のまとめ。</ref>。6歳未満には推奨できない{{r|pmid30305295}}。 == 民間療法 == {{複数の問題|section=1 |出典の明記=2021年2月|独自研究=2021年2月}} 風邪に対する[[民間療法]]には様々なものがあり、中には相矛盾するものもある。一般的には免疫活動を活発化させると良いと考えられているが、必ずしもそれに繋がらないものもある。 ; 蕎麦蜂蜜 : 児童の症状を減少させうる(エビデンスレベルB){{r|AAFP}}。 ; [[牛乳]]や[[豆乳]]を取る : 栄養をつけるためなどである。 ; 水分を取る : 発熱による発汗が増えることもあるので水分を十分に取る{{sfn|野口晴哉|1987|p=135}}。風邪をひくと体温が上がり、目に見える形での汗は減少するが、皮膚からの水分喪失の主体である不感蒸泄は増加する。電解質を補いながらの水分補給は必要である。ただし心不全や腎不全を持つ危険のある高齢者の場合は、過剰にならないように注意する必要がある。 ; [[粥|おかゆ]] : 米飯より消化が良いだけではなく水分が同時に摂取できる。また柔らかいので喉に対する刺激が少ない。サッパリしているために食べやすく、栄養素として[[鶏卵]]を入れたり梅干しを入れることも多い。 ; [[梅干し]] : おかゆを食べるときの定番のおかずだが、風邪に対する効果もある。ベンズアルデヒドは痛みを軽減し、[[クエン酸]]が食欲を増進させると共に、消化器官に刺激を与えることにより消化を助ける。 ; [[ネギ]] : 食べやすいように切ってから生で食べる。体を温める。辛味成分には発汗作用があり、食用としても効果がある。 : 縦に切り込みを入れ、軽く焼き、暖かいうちに手ぬぐいなどにくるんで喉に巻いて首を暖め、臭いなどの揮発成分を吸入して粘膜に刺激を与え、呼吸を整える。なお、「有効成分は皮膚から吸収されない」と指摘されることがあるが、そもそも有効成分を摂取する目的で首に巻くわけではない。 ; [[生姜湯|しょうが湯]] : お湯を注いですぐに作れるタイプも市販されている。体を温め、喉の痛みや咳に効果を発揮する。[[蜂蜜|ハチミツ]][[レモン]]しょうが湯 (ginger tea with lemon and honey) は、風邪のときに海外{{どこ|date=2022年1月}}では、よく利用され市販されているタイプもある。 ; カリン : 喉の症状を緩和させる。陰干しにしたものを煎じるなどして使用し、[[天明]]7年([[1787年]])に発行された「食品国歌」には、すでにカリンが痰に効能があることが記されている<ref>本山荻舟『飲食事典』平凡社、p124、昭和33年12月25日発行</ref>。 ; [[ニラ]] : 栄養価が高く、主に雑炊の具などに利用する。 ; [[葛湯]] : [[葛粉]]を水に溶いて加熱して飲む。風邪の[[漢方薬]]の代表である「[[葛根湯]](かっこんとう)」は[[クズ|葛]]の根が主成分であるが、市販の葛粉は馬鈴薯でんぷんである場合が多い。 ; 蜂蜜大根 : さいの目に切った[[ダイコン]]を[[蜂蜜]]に一晩程度漬け、そのシロップを飲む。喉の症状を抑える。 ; 果物 : ビタミンと水分の補給としての効果。ビタミンCが多いみかんや[[レモン]]。また栄養源として[[バナナ]]。またそのジュースなど。高熱でつらい状況を緩和する。 :; [[リンゴジュース]] :: リンゴジュースが果糖や各種ビタミン・ミネラルを含有することから。大日本果汁株式会社(現在の[[ニッカウヰスキー]]株式会社)が、国産初の果汁100%リンゴジュースを生産したが、あまり売れなかったため、その栄養価を宣伝したことによる。その価格ゆえに日常の飲料としては普及しなかったが、風邪の民間療法としてリンゴジュースの飲用が普及し、家庭で[[リンゴ]]を絞って手作りする場合もあった。ちなみに実際にはリンゴジュースは、少なくともビタミンの含有量はさほど大きいわけではない。 :; [[キンカン]]の甘露煮 :: 数個を湯に漬け、飲用する。 :; モモ缶 :: モモの果肉をシロップに漬けた缶詰を食べる。療法というよりも、見舞い品として多く用いられることから。 ; [[卵酒]] : 有名な民間療法だが、[[アルコール]]は炎症を増悪させるので、症状を悪化させる。また、[[酒]]を市販の風邪薬と併用してはならない。特に、多くの市販薬に含まれている解熱鎮痛成分である[[アセトアミノフェン]]は、[[エタノール]]と併用すると、[[肝臓]]に強い毒性を示す。長期間に渡って併用した結果、死亡した事例もあるため使用しない(詳しくは[[アセトアミノフェン]]を参照)。 : 日本酒、卵、砂糖をかき混ぜ、湯煎にかけて卵が固まらない程度に温める。手軽に作るには、燗をつけた酒に溶き卵を加えながらかき混ぜる。生姜の絞り汁を加えると、体の保温効果が高まり、より有効であるとされる。日本国外でも、ワインやホットウィスキーに卵を加え、蜂蜜などを使った『[[エッグノッグ]]』という飲み物が、風邪を引いた際に用いられている所がある。 ; [[ミルクセーキ]] : 生卵と牛乳をよくかき混ぜて作るミルクセーキは、卵の良質なタンパク質やビタミンを美味しく手軽に摂取できる。とくに解熱剤などによって胃腸が弱ったときの重要な栄養源となる。場合によって砂糖などで調味する。 ; [[陳皮]] : みかんの皮を十分に乾燥させたもので漢方薬として用いられる。自宅でもよく洗ったみかんの皮を十分に乾燥させて作ることができる。それを細かくして煎じて飲む。喉から来る症状によく効く。また、みかんの中身は水分とビタミンCが豊富なので、捨てずに食べる。薄皮は消化機能が低下している場合は、消化不良となってしまうこともあるので、注意する。 ; [[入浴]](日本) : [[免疫系|抵抗力]]が低くなる状態において体を清潔に保ち、汗を流し去ることにより精神的にも清涼感を与える。初期において、体温を上げて免疫を強くする。体力を消耗させぬよう短時間にとどめ、すぐ布団に入って安静にすることにより体力を集中させる。 ; 風呂に入らない(日本) : 日本の家庭医学書では、風邪のときに入浴は控えるよう書かれていることがある<ref>「病気を治す医学事典」p351 主婦の生活社 1999年12月6日1刷</ref><ref>『最新 家庭の医学百科』p405 主婦と生活社、2003年</ref>。最新医療では、発熱が無ければ風呂に入っても良いとされる。ただし、湯冷めを避けるため、浴室及び脱衣室の十分な保温が必要である。また、長時間の入浴は体力を消耗するので、短時間にとどめるべきである。 ; 体を温める(日本) : 悪寒を感じたときには特に温める。体感に見合った対応が必要で、暑く感じているときまで無理に温める必要はないが、体温を上げるために体力を消耗させないようにすることが良い。発汗はタオルで拭い、冷やして汗を止めない{{sfn|野口晴哉|1987|p=135}}。そして発汗後に熱が下がった時期を最も慎重に心身を弛めて過ごすこと{{sfn|野口晴哉|1987|p=94-101}}。 ; 体を冷やす(西洋) : 解熱鎮痛を目的とし、氷を浮かべた水風呂に入ると効果的とされるが、全身を冷やすことは体力の低下に繋がる。高熱が続くようなら腋下、内股などを冷やすと効果的。ただし、頸動脈を冷やすと冷やされた血が脳に流れ込み悪影響を与える可能性があるので、注意が必要である。 ; [[ビタミンC]]サプリメント : ビタミンCが風邪を予防するという説をはじめて大々的に広めたのは、ノーベル化学賞を受賞した[[ライナス・ポーリング]]であった。1970年に出版されたポーリングの著書『ビタミンCと感冒 (''Vitamin C and the Common Cold'')』はベストセラーとなった。 : ビタミンCは、とりわけ子供や疲労した大人の風邪の予防に一定の効果があることがわかっているが、万人に効果があるわけではない。また一部の科学者からは、ビタミンCは体内で[[シュウ酸]]を発生させるため、過剰摂取すると[[胆石]]や[[尿路結石]]の罹患につながる危険性が指摘されている。 ; [[チキンスープ]] : 欧米では鶏肉と野菜を煮込んで作ったチキンスープが風邪に効果があると信じられており、いまでも[[民間医療]]としてよく用いられる。この説は古く、12世紀にはすでにユダヤ人の[[モーシェ・ベン=マイモーン]]によって記されていた。チキンスープはまだ科学的に効果が立証されたわけではないが、温かく栄養に富んだスープは患者に体力をつけるのに役立つとされている。 ; [[ムラサキバレンギク|エキナセア]] ; [[センシンレン]](穿心蓮)やペラルゴニウム・シドイデス : 成人の風邪の持続期間や重症度を改善しうる{{r|AAFP}}。 ; 自然な経過に従い、症状の期間を短くしようとせずに静養する : 風邪というものは、疲労の潜在による現象であり、治療するべきものではなく、経過に合わせて静養すべきものである、という考え方{{sfn|野口晴哉|1987|p=28-33}}。 ; 自然な経過で治ることに、潜在意識が従うようにする : 潜在意識で、風邪を引くという考えが入ると、風邪の現象が起き、潜在意識が治ることに反抗すると、治らずに悪くなる、という心理面([[精神神経免疫学]])についての指摘がある{{sfn|野口晴哉|1987|p=135-145}}。 == 社会的状況 == 日本語の「風邪」の語源は定かではない。俳句では[[冬]]の[[季語]]として扱われる。 日本はもともと予防のためにマスクをする人が多いが、これは他の国の人々には奇妙に思われていた{{sfn|順天堂大学医学部|2006|p=48}}。 === 英語での用法 === [[英語]]の {{en|cold}} は「発熱がない病状」と認識されることが多いため、日本人が発熱時に {{en|cold}} と伝えると軽症に見られ、また日本の医療で {{en|cold}} に対して投薬されることが日本以外から見て[[過剰診療]]とされることもある{{sfn|加地正郎|2003|p=151}}。 == 関連項目 == * [[気道感染]] * [[インフルエンザ]] * [[日和見感染]] * [[総合感冒薬]] * [[トローチ]] * [[スペインかぜ]] - 日本ではインフルエンザを「流行性感冒」と訳したため、風邪(普通感冒)程度であると防疫が軽視された。 * [[新型コロナウイルス感染症 (2019年)]] - [[SARSコロナウイルス2|新型コロナウイルス]]により引き起こされる風邪の一種<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000596861.pdf|format=PDF|title=新型コロナウイルスを防ぐには|work=[[厚生労働省]]|accessdate=2020-08-02}}</ref>であるが、重症化しやすい。[[感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律#感染症の分類|指定感染症]]。 **[[ロシアかぜ]] - 19世紀末に流行した、上記のCOVID-19と類似する感染症。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <!--=== 注釈 === {{Notelist}}--> === 出典 === {{reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=大塚恭男 |title=東洋医学 |series=岩波新書 |publisher=岩波書店 |date=1996-06 |isbn=4004304482 |ref=harv}} * {{cite |last=Ronald Eccles|first=Olaf Weber (eds)|title=Common cold|year=2009|publisher=Birkhäuser|location=Basel|isbn=978-3764398941|url=https://books.google.ca/books?id=rRIdiGE42IEC&hl=en|edition=Online-Ausg |ref={{SfnRef|Eccles|2009}} }} * {{Cite journal|和書| author=古西満 | year=2004 | title=日本呼吸器学会成人気道感染症診療の基本的考え方 | periodical=日本胸部臨床 | volume=63 | naid=50000083366 |ref=harv}} * {{Cite report |author=玉置淳 |title=急性上気道感染症 治療法ガイドライン|publisher=特定非営利活動法人 標準医療情報センター|url=http://www.ebm.jp/disease/breath/01jokido/guide.html }} * {{Cite book |和書 |author = ジェニファー・アッカーマン |others= 鍛原多惠子(訳) |date = 2011-02-01 |title = かぜの科学−もっとも身近な病の生態 |publisher = 早川書房 |ISBN = 4152091940 |ref = harv }} * {{Cite book |和書 |author = 加地正郎 |authorlink = 加地正郎 |year = 1985 |title = 現代「家庭医学」大事典 |edition = 三訂版 |publisher = 講談社 |isbn =4062018810 |ref = harv }} * {{Cite book |和書 |author = 野口晴哉 |authorlink = 野口晴哉 |year = 1987 |title = 風邪の効用 |edition = 改訂12版 |publisher = 株式会社 全生 |ref = harv }} * {{Cite book |和書 |editor = 加地正郎 |date = 2003-11-04 |title = インフルエンザとかぜ症候群 |edition = 改訂2版 |publisher = 南山堂 |ref = harv}} * {{Cite book |和書 |author = 岡部信彦 |date = 2008-11-15 |title = かぜとインフルエンザ |publisher = 少年写真新聞社 | ISBN = 4879812757 |ref = harv}} * {{Cite book |和書 |author = 松永貞一 |date = 2007-03-10 |title = 風邪の話―たかが風邪、されど風邪、風邪対策の知恵とヒント |publisher = 日本医学館 |ISBN = 4890440054 |ref = harv }} * {{Cite book |和書 |editor = 順天堂大学医学部 |date = 2006-04-10 |title = かぜとインフルエンザ―日常生活の注意、予防、治療 (順天堂のやさしい医学) |publisher = 学生社 |ISBN = 4311700636 |ref = harv}} ==外部リンク== * [https://www.cdc.gov/ncird/rhinoviruses-common-cold.html Rhinoviruses: Common Colds] - CDC {{en icon}} * {{PaulingInstitute|mic/health-disease/common-cold Common Cold}} * [http://amr.ncgm.go.jp/general/1-6-1.html 風邪に抗菌薬は効きません] - [[国立国際医療研究センター]]AMR臨床リファレンスセンター * [https://www.msdmanuals.com/ja-jp/ホーム/16-感染症/呼吸器系ウイルス/かぜ-感冒 かぜ(感冒)] - [[MSDマニュアル]] * {{Kotobank}} * {{Kotobank|感冒}} {{気道感染}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:かせ}} [[Category:風邪|*]] [[Category:症候]] [[Category:冬の季語]] [[category:熟字訓]] [[Category:呼吸器疾患]] [[Category:ウイルス感染症]] [[Category:小児科学]] [[Category:耳鼻咽喉科学]]
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政治学
政治学(せいじがく)は、政治を対象とする学問分野。政治学の研究者を政治学者と呼ぶ。 日本では主に法学部で研究、教育が行われているが、法学部とは別に学部を立てて政治経済学部で教えている大学もある。 大別すると広義の政治哲学と広義の政治過程論の二領域にわたるが、狭義には政治過程論のみを指す。 日本では政治学の名称が定着している。中国語や朝鮮語でも同様である。 フランス語やドイツ語などの「politologie」は、漢語の「政治学」にほぼ対応する。英語にも「politology」という単語があるが、殆ど全く使用されない。従って、英語には相当の表現が存在しないが、主に「political science」(直訳では政治科学)と訳される他、「political studies」や単に「politics」とも訳される。政治学が科学なのかについては英語圏ですら見解が分かれており(後述)、現在でも一部には「political science」という表現を避ける向きもある。フランス語でも「Science politique」、ドイツ語でも「Politikwissenschaft」という表現が存在する。 政治とは、人間集団、とくに国家や国家間における権力(パワー)の配分やその行使のされ方をめぐる事象であるという見解が20世紀以降、とくにアメリカ合衆国を中心に有力なものとなっている。このような見方の代表例として、デイヴィッド・イーストンによる、政治とは「社会に対する希少価値の権威的配分」という著名な定義がある。ここでいう「価値」とは富(貨幣)や天然資源、名誉、食糧など、広く誰もが必要としておりながら、全員に等しく、必要としている分だけ配分できるほどには量のない(これを「希少性」という)ものの総称であり、権力そのものも希少な価値に含まれる。 他方で、政治とは、対立する利害を調停し、人々の集合体における取り決め、決定を行うことであるとも定義される。すなわち権力と利害対立は政治学の中心的なテーマである。しかし、これら(権力および利害対立)の概念については必ずしも明確でない部分がある。 政治については2つの主要な見解がある。 また政治の基本的性質については2つの主要な見解がある。 政治研究としての政治学は、さまざまな公共政策の内容とその目的を対象としており、個々の具体的政策の検討から、それらが含まれている一連の包括的政策、政策プロセスなどを研究するものである。 サイモンによれば、このような公共政策の構造は一般に政策の目的と手段の連鎖からなるピラミッド構造で把握される。このピラミッド構造において、その頂点に近づくにつれ、より漠然として抽象的な価値の領域、すなわち政治の道徳的基礎や倫理的当為を必然的に考察の対象とするようになる。したがって政治学の下位領域として政治思想も主要な対象として成立する。 政治学が一つの学問領域(ディシプリン)として認識された19世紀末以降、政治学は科学的手法を採り入れ科学化してきたと言える。それまでの政治に関わる研究の手法は、哲学や歴史学、或いは法学といった他の学問領域に由来するものであった。そこでは政治史の研究に見られるように政治現象を記述することや、政治哲学もしくは制度論に見られるように政治の望ましいあり方を研究することに重点が置かれた。このようなアプローチは多分に規範的であり、また価値判断を伴うものであった。 政治学の科学化は、政治学の研究において記述することもしくは価値判断を行うことから政治現象を観察の上で説明し分析することへの力点の変化をもたらした。すなわち現代の政治学では或る政治現象が何故起こったのか、政治において何故特定の変化が起こったか(例えば政権交代や政府の政策の転換)或いは当然Aという帰結が予測されるはずなのに何故Bというまったく異なる結果となったかを説明・分析することが求められる。 もっと言えば、政治学とは、特定の政治現象についてその因果関係を割り出し、その現象の起こるメカニズムを解明することを目的とする学問といえる。そこでは起こった政治現象が望ましいものかそうでないかというような価値判断は要求されないし、むしろ可能な限り排除されることが求められる。すなわち、政治学の研究にはある程度の価値中立性が前提となる。 政治学は政治現象もしくは一般に政治といわれる概念を研究するという、研究対象によって規定される学問である。従ってどのように研究を行うかという、方法によって規定される学問ではない。すなわち、政治学に独自かつ固有の方法論または政治学的方法論というのは存在しないとされる。このことは他の社会科学、端的には経済学と対照的である。このため政治学における方法論や分析のための理論的枠組・モデルといったものは、隣接する学問領域からの借り物であるという印象をしばしば与える。 現代政治学は政治学の科学化を推進してきた。そのことは伝統的な規範的で価値判断を含む研究の重要性を損なうわけではなく、特に政治に関わる倫理的基盤を考察する政治哲学は、政治の原理的・本質的な研究と言えると捉えられている。ただし、政治哲学の側からの政治科学への批判、また、その反対は厳然として存在する。「政治学」が科学(サイエンス)と言えるかについては、知識社会学者カール・マンハイムの議論などがある。 政治学の方法は次のように大別される。 なお、科学的方法においては社会選択理論やゲーム理論といった数学的方法および統計学的な手法がしばしばとられる。 また政治学の研究対象は以下の3つに大別される。 なお、このような方法論的多様性からしばしば政治学の名称に関する問題が浮上する。 日本語において政治に関する研究を指す語としては「政治学」しか存在しないが、英語などの他言語ではいくつかの語が政治学に対応するものとして挙げられるからである。 特に英語のケースを例とする。政治に関する研究を指す語として最も一般的なのは、political science(政治科学)である。この名称は現代政治学において科学的方法が主流であるという事実に基づく。しかしながら政治学が本当に科学的であるかに関しては常に論争がある上に、概観したように政治学の方法は科学的手法に収まらない。このことからより幅広いアプローチを含むことを意識して、political studies(政治研究)という呼び方を好む向きもある。特にこの問題がクロースアップされたのは、イギリス政治学会が設立された1950年であった。設立に当たってイギリスの主要な政治学者の間で、学会の名称を巡る論争が展開されたからである。当初political scienceの語を名称に入れるのが有力であったが、ハロルド・ラスキらの強硬な反対でPolitical Studies Associationという名称に落ち着いた。大学及び大学院教育では、主にDepartment of Political Science(政治学科)のようにpolitical scienceの語を入れたものを政治学教育のための機関の名称として採用しているが、コーネル大学、ダートマス大学、ジョージタウン大学、ハーバード大学或いはロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)では政治学科をDepartment of Governmentと呼称している。 なお、国際連合教育科学文化機関では1948年9月に政治学会議を開催して政治学の範疇について定めた。その際に政治学を「政治理論」・「政治制度」・「政党・団体及び世論」・「国際関係」の4分野から構成されるものとされ、「政治史」は含まれていない。近代的な議会・行政制度を外国から導入した日本では政治史は政治学を理解するために必要なものとして常に関連付けられ、大学では政治学部・学科に設置される場合が多かったが、そうした背景のないイギリス・アメリカでは政治学は純粋な歴史学の一分野として扱われ、オックスフォード・ケンブリッジ大学をはじめとしてイギリスやアメリカの大学では政治史は歴史学部・学科の範疇と考えられているからである。 政治についての認識は個人によって異なり、政治は必然的に党派性を帯びるものであるから、政治思想はつねにイデオロギー化する傾向がある。今日の政治思想がまずイデオロギー論として語られるのはこのためである。イデオロギー研究では、イデオロギーの思想そのものよりも、それが現実の社会でどのような影響力、機能を持つかを研究することが重要視されている。 政治を対象とする学問は政治学だけではない。社会学・経済学など多くの社会科学が政治を主要な対象領域の一つとしており、政治学自体も法・経済・道徳・宗教・教育・人間心理などを研究対象として含む。また、政治学から主に経営学に影響されて独立した学問分野として行政学があり、現在では別個の学問分野として扱われるのが一般的である。 ここでは政治学で特に頻出される用語について、政治学上の定義・命題を簡単に示す。 政治現象または政治という概念に関する研究と政治学を定義した場合、その歴史は古代ギリシアにまで遡れる。古代ギリシアにおける政治学研究の代表格が、プラトンとアリストテレスによる著作である。しかしプラトン以前にも政治学の萌芽と考えられる著作は存在する。ホメロス、ヘシオドス、エウリピデス、アリストパネスらの詩作には政治に関する記述が見受けられるからだ。さらにトゥキディデスの『ペロポネソス戦争史』等の歴史記述は、プラトンに先立つ政治学的な文献としては最も重要なものの一つである。これらの歴史記述にはトゥキディデス自身の政治思想が反映されており、その思想は後の現実主義の系譜につながり国際政治学に影響を与えることとなる。プラトンとアリストテレスは政治を扱う際に哲学的な方法を持ち込んだという点で、政治学の歴史に大きな転機をもたらした。この後政治学は倫理学(道徳哲学)と分かち難い連関を持ちつつ発展することになるが、こうした伝統的な政治学のあり方はプラトン及びアリストテレスに多くを負っている。さらにアリストテレスは、当時ギリシアのポリスで見られた様々な政治体制もしくは制度を分類し比較することを試みている。これは後のモンテスキューの体制の分類など法学的・制度的アプローチに多大な影響を与えたといえる。 古代ローマにおいては、政治学も他の学問の例に漏れず古代ギリシアの影響を受けた。そのため理論的な部分では古代ギリシアの政治学を継承したという側面が強く、顕著な進展が見られたというわけではない。しかしローマの政治体制の変遷を記述したポリュビオス、リウィウスら歴史家の著作は大変示唆に富んでいる。特にポリュビオスの政体循環論はローマ時代を代表する知見であると言える。さらにローマ時代は多くの哲学者が政治家として政治に関わり、哲学者ではない政治家も積極的に自らの政治思想・信条に関する文献を残した時代である。特に共和政末期のマルクス・トゥッリウス・キケロとユリウス・カエサルはその最も顕著な例である。キケロは共和政を擁護し、正当化するための哲学的著作を残した。一方でカエサルは共和政の改革者として現れ、活発な活動を行った。このように古代ローマにおける政治学は理論的な発展というよりも、実践的な発展を遂げたといえる。ローマは都市国家からいわゆる世界帝国へと拡大する中で政治体制の複雑な変遷を経験したため、その多様な政治体制の経験、体制を正当化する理論、さらにその変遷の記述は後代に多大な影響を与えた。特に共和政の経験はルネサンス以降の政治学に強い影響を与えた。 西洋古典古代における政治学の誕生、発展に対して東洋でもやはり古代に同様な政治に関する考察が見られる。ここでも政治に関わる研究は哲学とりわけ道徳哲学と密接に結びついていた。特に中国では規範論的な政治論が盛んで、諸子百家と呼ばれる一連の哲学の学派は様々な形で政治を論じてきた。そのなかでも後世に影響を与えたものとしては、孔子・孟子・荀子らの儒学と荀子に影響を受けた韓非の法家が挙げられる。 ヨーロッパの中世にあっては、教会権力の世俗の権力に対する優位が確立された。一方で教皇と皇帝を頂点に、封建制が成立した時代でもある。キリスト教が社会全体に強い影響を与えていたため、政治に関わる研究においてもキリスト教の影響が濃厚であった。すなわちキリスト教の神学が、古代における道徳哲学に代わって政治に関する考察の方法論的基礎を与えていた。 中世の政治学は古代に引き続いて正義に適う政治のあり方を考察するものであった。しかし、人間世界における世俗的な政治社会では正義は実現されないとするのが神学の立場である。すなわち、「神の国」においてこそ正義が実現すると主張するわけである。そこで問題になるのは、「神の国」に対する「地の国」すなわち世俗的政治社会でありながら「神の国」の入り口であり、従って「神の国」に最も近いものとしての教会である。つまり中世における政治学は教会と他の世俗的政治社会、或いは世俗的権力との関係に最大の焦点が置かれる。このような中世の政治理論の基礎を成したのがヒッポのアウグスティヌスと彼の著作『神の国』である。 古代・中世の政治理論の継承・発展の末、近代的な政治理論と呼ばれうるものがやがて登場した。近代的政治理論が初めてはっきりと形を現したのは、ニッコロ・マキャヴェッリとトマス・ホッブズの著作においてであった。 マキャヴェッリは古代ローマの共和政の伝統に影響を受けつつ、次第に現実主義的な思想を形成していった。彼は政治においては何よりも現実認識が重要であることを説いた。すなわち政治的な目的のためには現実に最も適合した手段がとられなければならず、場合によっては道徳が犠牲にされることもありうるという主張である。これまで政治学は倫理学と不可分に発展してきたため、政治と道徳もまた不可分であった。政治においては常に道徳的に正しい手段がとられなければならなかったわけである。マキアヴェッリは政治を道徳から解放し、政治学と倫理学が峻別される可能性を示したといえる。 一方のホッブズは、自由で自立した個人から如何にして政治的な共同体が成立しうるか、もしくはこのような個人の集合としての政治的共同体のあり方はどのようなものが相応しいかを考察した。ホッブズの理論は方法論的にはプラトン以来の哲学的方法を継承し、政治学と倫理学の密接な関わりに疑問を投げかけたわけではない。彼の理論の斬新さは、個人に着目しその個人間の契約として社会の成立を捉えた事にある。これがいわゆる社会契約論であり、ホッブズの理論はジョン・ロックの批判的継承を経て近代政治の背景思想を提供した自由主義に影響を与えることになる。 この他16世紀以降の概念で後世の政治理論に大きな影響を与えたものとして、フーゴー・グロティウスの自然法がある。自然法自体は古代の哲学やキリスト教神学にも存在する概念であるが、グロティウスは古来の自然法から近代自然法の理論枠組を生み出した。またモンテスキューは、各国の諸制度をモデル化してそれらを通じて体制の分類を行った。その上で理想の政治制度についての考察を行い、いわゆる三権分立論を展開した。これ以降、憲法・法制度・政治制度を中心に政治の制度的側面の研究すなわち法学的・制度的アプローチが盛んになった。 このような近代的な理論もしくは概念の影響下に、ドイツの国家学や英米の伝統的政治学のような近代の政治学が19世紀まで展開された。 19世紀半ば以降、20世紀初頭にかけて政治学は独立した学問領域として最終的に確立されたといえる。1880年には政治学の専門教育機関として、世界初の「政治学部」(政治学大学院)がアメリカのコロンビア大学に設置された。さらに1903年には初の政治学の学術団体としてアメリカ政治学会が誕生している。この時期に政治学には新たな動きが見られた。実際にどのように政治が作動しているかという点に関する動学的な研究の登場である。これを以って現代政治学が成立したとされる。これまでの政治学の研究は哲学的・歴史学的・法学的(制度的)のいずれのアプローチを取るにせよ、政治の枠組がどのようになっているか、或いはどのような枠組が望ましいかという静態的・形式的な研究に留まっていた。新しい政治学のアプローチにおいては、政治の枠組の中で生起する現象のメカニズムを観察し解明するというよりダイナミックな研究が求められた。このような新しいアプローチは主にアメリカやイギリスで提唱された。主な提唱者としてはアーサー・F・ベントリー、グレアム・ウォーラスが挙げられる。 こうした政治学の新しいアプローチの流れから、1920年代に政治学の科学化が始まった。科学化の初期の推進者は、チャールズ・メリアム、ハロルド・ラズウェルらいわゆるシカゴ学派の人々である。とりわけシカゴ学派の創始者としてのメリアムは、政治学と心理学・統計学などの「隣接諸科学との重婚」を主張しこれらの学問の方法を政治学に導入した。第二次世界大戦後、このシカゴ学派の系譜から社会学や行動科学の影響を受けが成立した。この行動科学アプローチは「行動科学革命」と呼ばれるほどの衝撃を学会に与え、政治学における主流の方法論となった。 行動科学政治学(行動論政治学)の担い手は、デイヴィッド・イーストン、ガブリエル・アーモンド、ロバート・ダールらであった。行動科学政治学は政治学の科学化の一つの帰結であった。 また1950年代以降にはアンソニー・ダウンズらにより経済学的方法の政治学への導入が本格化し、合理的選択理論が政治学において台頭し始めた。合理的選択理論は、ウィリアム・ライカーによるゲーム理論などのフォーマル・セオリー、数理的分析の導入により精緻化され主要な方法論の座を占めるに至った。このように現代において政治学の方法はさらなる多様化の様相を見せている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "政治学(せいじがく)は、政治を対象とする学問分野。政治学の研究者を政治学者と呼ぶ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "日本では主に法学部で研究、教育が行われているが、法学部とは別に学部を立てて政治経済学部で教えている大学もある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "大別すると広義の政治哲学と広義の政治過程論の二領域にわたるが、狭義には政治過程論のみを指す。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "日本では政治学の名称が定着している。中国語や朝鮮語でも同様である。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "フランス語やドイツ語などの「politologie」は、漢語の「政治学」にほぼ対応する。英語にも「politology」という単語があるが、殆ど全く使用されない。従って、英語には相当の表現が存在しないが、主に「political science」(直訳では政治科学)と訳される他、「political studies」や単に「politics」とも訳される。政治学が科学なのかについては英語圏ですら見解が分かれており(後述)、現在でも一部には「political science」という表現を避ける向きもある。フランス語でも「Science politique」、ドイツ語でも「Politikwissenschaft」という表現が存在する。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "政治とは、人間集団、とくに国家や国家間における権力(パワー)の配分やその行使のされ方をめぐる事象であるという見解が20世紀以降、とくにアメリカ合衆国を中心に有力なものとなっている。このような見方の代表例として、デイヴィッド・イーストンによる、政治とは「社会に対する希少価値の権威的配分」という著名な定義がある。ここでいう「価値」とは富(貨幣)や天然資源、名誉、食糧など、広く誰もが必要としておりながら、全員に等しく、必要としている分だけ配分できるほどには量のない(これを「希少性」という)ものの総称であり、権力そのものも希少な価値に含まれる。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "他方で、政治とは、対立する利害を調停し、人々の集合体における取り決め、決定を行うことであるとも定義される。すなわち権力と利害対立は政治学の中心的なテーマである。しかし、これら(権力および利害対立)の概念については必ずしも明確でない部分がある。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "政治については2つの主要な見解がある。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "また政治の基本的性質については2つの主要な見解がある。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "政治研究としての政治学は、さまざまな公共政策の内容とその目的を対象としており、個々の具体的政策の検討から、それらが含まれている一連の包括的政策、政策プロセスなどを研究するものである。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "サイモンによれば、このような公共政策の構造は一般に政策の目的と手段の連鎖からなるピラミッド構造で把握される。このピラミッド構造において、その頂点に近づくにつれ、より漠然として抽象的な価値の領域、すなわち政治の道徳的基礎や倫理的当為を必然的に考察の対象とするようになる。したがって政治学の下位領域として政治思想も主要な対象として成立する。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "政治学が一つの学問領域(ディシプリン)として認識された19世紀末以降、政治学は科学的手法を採り入れ科学化してきたと言える。それまでの政治に関わる研究の手法は、哲学や歴史学、或いは法学といった他の学問領域に由来するものであった。そこでは政治史の研究に見られるように政治現象を記述することや、政治哲学もしくは制度論に見られるように政治の望ましいあり方を研究することに重点が置かれた。このようなアプローチは多分に規範的であり、また価値判断を伴うものであった。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "政治学の科学化は、政治学の研究において記述することもしくは価値判断を行うことから政治現象を観察の上で説明し分析することへの力点の変化をもたらした。すなわち現代の政治学では或る政治現象が何故起こったのか、政治において何故特定の変化が起こったか(例えば政権交代や政府の政策の転換)或いは当然Aという帰結が予測されるはずなのに何故Bというまったく異なる結果となったかを説明・分析することが求められる。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "もっと言えば、政治学とは、特定の政治現象についてその因果関係を割り出し、その現象の起こるメカニズムを解明することを目的とする学問といえる。そこでは起こった政治現象が望ましいものかそうでないかというような価値判断は要求されないし、むしろ可能な限り排除されることが求められる。すなわち、政治学の研究にはある程度の価値中立性が前提となる。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "政治学は政治現象もしくは一般に政治といわれる概念を研究するという、研究対象によって規定される学問である。従ってどのように研究を行うかという、方法によって規定される学問ではない。すなわち、政治学に独自かつ固有の方法論または政治学的方法論というのは存在しないとされる。このことは他の社会科学、端的には経済学と対照的である。このため政治学における方法論や分析のための理論的枠組・モデルといったものは、隣接する学問領域からの借り物であるという印象をしばしば与える。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "現代政治学は政治学の科学化を推進してきた。そのことは伝統的な規範的で価値判断を含む研究の重要性を損なうわけではなく、特に政治に関わる倫理的基盤を考察する政治哲学は、政治の原理的・本質的な研究と言えると捉えられている。ただし、政治哲学の側からの政治科学への批判、また、その反対は厳然として存在する。「政治学」が科学(サイエンス)と言えるかについては、知識社会学者カール・マンハイムの議論などがある。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "政治学の方法は次のように大別される。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "なお、科学的方法においては社会選択理論やゲーム理論といった数学的方法および統計学的な手法がしばしばとられる。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "また政治学の研究対象は以下の3つに大別される。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "なお、このような方法論的多様性からしばしば政治学の名称に関する問題が浮上する。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "日本語において政治に関する研究を指す語としては「政治学」しか存在しないが、英語などの他言語ではいくつかの語が政治学に対応するものとして挙げられるからである。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "特に英語のケースを例とする。政治に関する研究を指す語として最も一般的なのは、political science(政治科学)である。この名称は現代政治学において科学的方法が主流であるという事実に基づく。しかしながら政治学が本当に科学的であるかに関しては常に論争がある上に、概観したように政治学の方法は科学的手法に収まらない。このことからより幅広いアプローチを含むことを意識して、political studies(政治研究)という呼び方を好む向きもある。特にこの問題がクロースアップされたのは、イギリス政治学会が設立された1950年であった。設立に当たってイギリスの主要な政治学者の間で、学会の名称を巡る論争が展開されたからである。当初political scienceの語を名称に入れるのが有力であったが、ハロルド・ラスキらの強硬な反対でPolitical Studies Associationという名称に落ち着いた。大学及び大学院教育では、主にDepartment of Political Science(政治学科)のようにpolitical scienceの語を入れたものを政治学教育のための機関の名称として採用しているが、コーネル大学、ダートマス大学、ジョージタウン大学、ハーバード大学或いはロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)では政治学科をDepartment of Governmentと呼称している。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "なお、国際連合教育科学文化機関では1948年9月に政治学会議を開催して政治学の範疇について定めた。その際に政治学を「政治理論」・「政治制度」・「政党・団体及び世論」・「国際関係」の4分野から構成されるものとされ、「政治史」は含まれていない。近代的な議会・行政制度を外国から導入した日本では政治史は政治学を理解するために必要なものとして常に関連付けられ、大学では政治学部・学科に設置される場合が多かったが、そうした背景のないイギリス・アメリカでは政治学は純粋な歴史学の一分野として扱われ、オックスフォード・ケンブリッジ大学をはじめとしてイギリスやアメリカの大学では政治史は歴史学部・学科の範疇と考えられているからである。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "政治についての認識は個人によって異なり、政治は必然的に党派性を帯びるものであるから、政治思想はつねにイデオロギー化する傾向がある。今日の政治思想がまずイデオロギー論として語られるのはこのためである。イデオロギー研究では、イデオロギーの思想そのものよりも、それが現実の社会でどのような影響力、機能を持つかを研究することが重要視されている。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "政治を対象とする学問は政治学だけではない。社会学・経済学など多くの社会科学が政治を主要な対象領域の一つとしており、政治学自体も法・経済・道徳・宗教・教育・人間心理などを研究対象として含む。また、政治学から主に経営学に影響されて独立した学問分野として行政学があり、現在では別個の学問分野として扱われるのが一般的である。", "title": "定義と特徴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ここでは政治学で特に頻出される用語について、政治学上の定義・命題を簡単に示す。", "title": "主要な用語" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": 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"古代ローマにおいては、政治学も他の学問の例に漏れず古代ギリシアの影響を受けた。そのため理論的な部分では古代ギリシアの政治学を継承したという側面が強く、顕著な進展が見られたというわけではない。しかしローマの政治体制の変遷を記述したポリュビオス、リウィウスら歴史家の著作は大変示唆に富んでいる。特にポリュビオスの政体循環論はローマ時代を代表する知見であると言える。さらにローマ時代は多くの哲学者が政治家として政治に関わり、哲学者ではない政治家も積極的に自らの政治思想・信条に関する文献を残した時代である。特に共和政末期のマルクス・トゥッリウス・キケロとユリウス・カエサルはその最も顕著な例である。キケロは共和政を擁護し、正当化するための哲学的著作を残した。一方でカエサルは共和政の改革者として現れ、活発な活動を行った。このように古代ローマにおける政治学は理論的な発展というよりも、実践的な発展を遂げたといえる。ローマは都市国家からいわゆる世界帝国へと拡大する中で政治体制の複雑な変遷を経験したため、その多様な政治体制の経験、体制を正当化する理論、さらにその変遷の記述は後代に多大な影響を与えた。特に共和政の経験はルネサンス以降の政治学に強い影響を与えた。", "title": "政治学史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "西洋古典古代における政治学の誕生、発展に対して東洋でもやはり古代に同様な政治に関する考察が見られる。ここでも政治に関わる研究は哲学とりわけ道徳哲学と密接に結びついていた。特に中国では規範論的な政治論が盛んで、諸子百家と呼ばれる一連の哲学の学派は様々な形で政治を論じてきた。そのなかでも後世に影響を与えたものとしては、孔子・孟子・荀子らの儒学と荀子に影響を受けた韓非の法家が挙げられる。", "title": "政治学史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": 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行動科学政治学(行動論政治学)の担い手は、デイヴィッド・イーストン、ガブリエル・アーモンド、ロバート・ダールらであった。行動科学政治学は政治学の科学化の一つの帰結であった。 また1950年代以降にはアンソニー・ダウンズらにより経済学的方法の政治学への導入が本格化し、合理的選択理論が政治学において台頭し始めた。合理的選択理論は、ウィリアム・ライカーによるゲーム理論などのフォーマル・セオリー、数理的分析の導入により精緻化され主要な方法論の座を占めるに至った。このように現代において政治学の方法はさらなる多様化の様相を見せている。", "title": "政治学の科学化・行動科学政治学の登場以降" } ]
政治学(せいじがく)は、政治を対象とする学問分野。政治学の研究者を政治学者と呼ぶ。 日本では主に法学部で研究、教育が行われているが、法学部とは別に学部を立てて政治経済学部で教えている大学もある。 大別すると広義の政治哲学と広義の政治過程論の二領域にわたるが、狭義には政治過程論のみを指す。
{{Otheruses||アリストテレスの著書|政治学 (アリストテレス)}} {{redirect|政治論|ジョン・ロックの著書|統治二論}}{{国際化|領域=日本|date=2023年12月11日 (月) 09:57 (UTC)}}{{出典の明記|date=2017年1月}} [[ファイル:politics_area.gif|right|thumb|300px|政治学の領域<br>図は''Modern Political Analysis''(ロバート・ダール著、1963年)に基づくもの。政治学は関連する3つの対象領域をもつ。図は3つの対象領域の関係性を表したものである。ある一定の権力(青部分)から見ると、この権力はある一定の価値(赤部分)に基づいて、ある一定の領域(黄部分)に影響を及ぼしていることを表している]] [[ファイル:Shihaikankei.png|300px|right|thumb|社会関係<br>図は[[池田義祐]]の研究に基づく。政治が成立する社会の基礎にはさまざまな関係が存在している。とくに政治と関連が深いのは図でいう上下関係の部分である]] {{政治}} '''政治学'''(せいじがく)は、[[政治]]を対象とする[[学問]]分野。政治学の研究者を'''[[政治学者]]'''と呼ぶ。 [[日本]]では主に[[法学部]]で研究、教育が行われているが、法学部とは別に学部を立てて[[政治経済学部]]で教えている大学もある。 大別すると広義の[[政治哲学]]と広義の[[政治過程論]]の二領域にわたるが、狭義には政治過程論のみを指す。 == 名称 == [[日本語]]では'''政治学'''の名称が定着している。[[中国語]]や[[朝鮮語]]でも同様である。 [[フランス語]]や[[ドイツ語]]などの「politologie」は、漢語の「政治学」にほぼ対応する。[[英語]]にも「politology」という単語があるが、殆ど全く使用されない。従って、英語には相当の表現が存在しないが、主に「political science」(直訳では'''政治科学''')と訳される他、「political studies」や単に「politics」とも訳される。政治学が科学なのかについては英語圏ですら見解が分かれており([[政治学#研究方法とその対象|後述]])、現在でも一部には「political science」という表現を避ける向きもある。フランス語でも「Science politique」、ドイツ語でも「Politikwissenschaft」という表現が存在する。 == 定義と特徴 == 政治とは、[[人間]]集団、とくに[[国家]]や国家間における'''[[権力]]'''(パワー)の配分やその行使のされ方をめぐる事象であるという見解が[[20世紀]]以降、とくに[[アメリカ合衆国]]を中心に有力なものとなっている。このような見方の代表例として、[[デイヴィッド・イーストン]]による、政治とは「社会に対する希少価値の権威的配分」という著名な定義がある<ref name="kai12">[[#甲斐|甲斐(2008)pp.12-13]]</ref>。ここでいう「価値」とは富([[貨幣]])や[[天然資源]]、名誉、食糧など、広く誰もが必要としておりながら、全員に等しく、必要としている分だけ配分できるほどには量のない(これを「希少性」という)ものの総称であり、権力そのものも希少な価値に含まれる<ref name="kai12" />。 他方で、政治とは、対立する利害を調停し、人々の集合体における取り決め、決定を行うことであるとも定義される。すなわち権力と利害対立は政治学の中心的なテーマである。しかし、これら(権力および利害対立)の概念については必ずしも明確でない部分がある<ref group="注釈">[[甲斐信好]]によれば、権力とは「あなたがしたくないことをさせることができるか、または、したいことをやめさせることのできる力」(強制力)のことである。[[政治学#甲斐|甲斐(2008)pp.8-9]]</ref>。 政治については2つの主要な見解がある。 #国家などの機構の働きとして政治を捉える見方('''機構現象説''') #社会的または集団的行動による機能的行為現象とする見方('''機能現象説''') また政治の基本的性質については2つの主要な見解がある。 #正義の実現や市民的自由の保証、福祉の増進などといった政治の目的に着目する立場([[ゲオルグ・イェリネック|イェリネック]]に代表される[[ドイツ]]国家学やアメリカ合衆国の制度論的政治学が古典的である。) #権力闘争や「支配-被支配」の関係といった政治的意志決定や合意の形成に不可避に伴う力の契機に着目する立場(主に[[社会学]]的観点から、政治を影響力として捉える説があり、[[マックス・ヴェーバー|ウェーバー]]や[[ハロルド・ラスウェル|ラスウェル]]に代表される。) === 科学としての政治学 === 政治研究としての政治学は、さまざまな公共政策の内容とその目的を対象としており、個々の具体的政策の検討から、それらが含まれている一連の包括的政策、政策プロセスなどを研究するものである。 [[ハーバート・サイモン|サイモン]]によれば、このような公共政策の構造は一般に政策の目的と手段の連鎖からなるピラミッド構造で把握される。このピラミッド構造において、その頂点に近づくにつれ、より漠然として抽象的な価値の領域、すなわち政治の道徳的基礎や倫理的当為を必然的に考察の対象とするようになる。したがって政治学の下位領域として政治思想も主要な対象として成立する。 政治学が一つの学問領域(ディシプリン)として認識された19世紀末以降、政治学は[[科学的方法|科学的手法]]を採り入れ[[科学]]化してきたと言える。それまでの政治に関わる研究の手法は、[[哲学]]や[[歴史学]]、或いは[[法学]]といった他の学問領域に由来するものであった。そこでは政治史の研究に見られるように政治現象を記述することや、[[政治哲学]]もしくは制度論に見られるように政治の望ましいあり方を研究することに重点が置かれた。このようなアプローチは多分に規範的であり、また価値判断を伴うものであった。 政治学の科学化は、政治学の研究において記述することもしくは価値判断を行うことから政治現象を観察の上で説明し分析することへの力点の変化をもたらした。すなわち現代の政治学では或る政治現象が何故起こったのか、政治において何故特定の変化が起こったか(例えば政権交代や政府の政策の転換)或いは当然Aという帰結が予測されるはずなのに何故Bというまったく異なる結果となったかを説明・分析することが求められる。 もっと言えば、政治学とは、特定の政治現象についてその因果関係を割り出し、その現象の起こるメカニズムを解明することを目的とする学問といえる。そこでは起こった政治現象が望ましいものかそうでないかというような価値判断は要求されないし、むしろ可能な限り排除されることが求められる。すなわち、政治学の研究にはある程度の価値中立性が前提となる。 ==== 研究方法とその対象 ==== 政治学は政治現象もしくは一般に政治といわれる概念を研究するという、'''研究対象によって規定される学問である'''。従ってどのように研究を行うかという、'''方法によって規定される学問ではない'''。すなわち、政治学に独自かつ固有の方法論または政治学的方法論というのは存在しないとされる。このことは他の[[社会科学]]、端的には[[経済学]]と対照的である。このため政治学における[[方法論]]や分析のための理論的枠組・モデルといったものは、隣接する学問領域からの借り物であるという印象をしばしば与える。 現代政治学は政治学の科学化を推進してきた。そのことは伝統的な規範的で価値判断を含む研究の重要性を損なうわけではなく、特に政治に関わる倫理的基盤を考察する政治哲学は、政治の原理的・本質的な研究と言えると捉えられている。ただし、政治哲学の側からの政治科学への批判、また、その反対は厳然として存在する。「政治学」が科学(サイエンス)と言えるかについては、知識社会学者[[カール・マンハイム]]の議論などがある。 政治学の方法は次のように大別される。 * 哲学的方法([[政治哲学]]、political philosophy) * 歴史学的方法([[政治史]]、political history) * 法学的方法(制度論) * 科学的方法(政治科学、political science) ** 社会学的方法 ** 経済学的方法([[合理的選択理論]]、[[実証政治理論]]) ** 心理学的方法 なお、科学的方法においては[[社会選択理論]]や[[ゲーム理論]]といった[[数学]]的方法および[[統計学]]的な手法がしばしばとられる。 また政治学の研究対象は以下の3つに大別される。 # 政治行動としての人間行動 # 政治社会の構造・機能 # 社会集団と政治過程 なお、このような方法論的多様性からしばしば政治学の名称に関する問題が浮上する。 [[日本語]]において政治に関する研究を指す語としては「政治学」しか存在しないが、[[英語]]などの他言語ではいくつかの語が政治学に対応するものとして挙げられるからである。 特に英語のケースを例とする。政治に関する研究を指す語として最も一般的なのは、'''political science'''(政治科学)である。この名称は現代政治学において科学的方法が主流であるという事実に基づく。しかしながら政治学が本当に科学的であるかに関しては常に論争がある上に、概観したように政治学の方法は科学的手法に収まらない。このことからより幅広いアプローチを含むことを意識して、'''political studies'''(政治研究)という呼び方を好む向きもある。特にこの問題がクロースアップされたのは、[[イギリス政治学会]]が設立された[[1950年]]であった。設立に当たってイギリスの主要な政治学者の間で、学会の名称を巡る論争が展開されたからである。当初political scienceの語を名称に入れるのが有力であったが、[[ハロルド・ラスキ]]らの強硬な反対で'''Political Studies Association'''という名称に落ち着いた。[[大学]]及び[[大学院]]教育では、主に'''Department of Political Science'''(政治学科)のようにpolitical scienceの語を入れたものを政治学教育のための機関の名称として採用しているが、[[コーネル大学]]、[[ダートマス大学]]、[[ジョージタウン大学]]、[[ハーバード大学]]或いは[[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]](LSE)では政治学科を'''Department of Government'''と呼称している。 なお、[[国際連合教育科学文化機関]]では[[1948年]]9月に政治学会議を開催して政治学の範疇について定めた。その際に政治学を「政治理論」・「政治制度」・「政党・団体及び世論」・「国際関係」の4分野から構成されるものとされ、「政治史」は含まれていない。近代的な議会・行政制度を外国から導入した日本では政治史は政治学を理解するために必要なものとして常に関連付けられ、大学では政治学部・学科に設置される場合が多かったが、そうした背景のないイギリス・アメリカでは政治学は純粋な歴史学の一分野として扱われ、[[オックスフォード大学|オックスフォード]]・[[ケンブリッジ大学]]をはじめとしてイギリスやアメリカの大学では政治史は歴史学部・学科の範疇と考えられているからである。 ==== 政治哲学・政治思想の研究 ==== 政治についての認識は個人によって異なり、政治は必然的に党派性を帯びるものであるから、政治思想はつねに[[イデオロギー]]化する傾向がある。今日の政治思想がまずイデオロギー論として語られるのはこのためである。イデオロギー研究では、イデオロギーの思想そのものよりも、それが現実の社会でどのような影響力、機能を持つかを研究することが重要視されている。 ===関係諸科学=== 政治を対象とする学問は政治学だけではない。社会学・[[経済学]]など多くの社会科学が政治を主要な対象領域の一つとしており、政治学自体も[[法 (法学)|法]]・[[経済]]・道徳・[[宗教]]・[[教育]]・人間[[心理]]などを研究対象として含む。また、政治学から主に[[経営学]]に影響されて独立した学問分野として[[行政学]]があり、現在では別個の学問分野として扱われるのが一般的である<ref group="注釈">行政学が政治学から分離した背景には、政治が必然的に内包する価値対立に対して行政組織は中立的であるべきだという考えがあった。政治学がイデオロギーなどの価値体系も研究対象としているのに対して、行政学はそれとは関係がなく独立した不変な行政サービスを対象とする学問分野であるという考え方である。したがって行政学は経営的な管理面での研究を中心に発展してきた。しかし最近では各国の行政を横断する比較行政学が発達し、それに伴って政治と行政の関連性も再び重視されるようになっている。</ref>。 ==主要な用語== <!--分量が充実したら「政治学の用語一覧」などとして独立した記事にしたい--> ここでは政治学で特に頻出される用語について、政治学上の定義・命題を簡単に示す。 ;[[イデオロギー]] : 政治社会を制約する信条体系。現状の政治学においては政治思想の研究はほぼイデオロギーの研究と同義である。イデオロギーの定義・命題自体が個々の研究の成果でもあるため、さまざまな定義があるが[[カール・マンハイム|マンハイム]]によれば、すべての人間がその社会内の位置によって思想を制約される「存在拘束性」である。(詳細は[[イデオロギー]]参照) ;[[権力]] : 政治現象を解決するための影響力。政治学では権力を実体概念とする立場と関係概念とする立場がある。実体概念とする立場に基づけば、ある人格が権力を行使できるのはその背景に暴力や絶対的な法的拘束力、絶対的な権威などが存在するためであるとされる。それに対し、関係概念とする立場に基づけば、権力は行為者間の間の影響力の一種で、被支配者が積極的であれ消極的であれ、それを権力と認めるところに存在するという見方である。権力の背景となっている暴力や法的拘束力、権威などを基底価値というが、実体概念説ではこの基底価値(資源)がただちに権力を生じさせ、支配関係を形成するとされるのに対し、関係概念説では基底価値を保持しているだけでは権力は生ぜず、それを利用して他者との支配関係を形成してから初めて権力関係が生ずるのである。 ;権力の資源 : 権力はそれ自体では成り立たず、必ず背景に基底価値(資源)を持つ。政治学においては、何らの資源も持たずに強制力を発揮する権力は存在しない。ラスウェルはこの資源の実例として、健康・富・知識・技能・社会的地位・愛情・高潔(徳の高さ、人徳)などをあげている。もちろんもっとも直接的に強制力を発揮するのは暴力であるが、現実の法治国家では[[暴力の独占|暴力装置を基本的に国家が独占]]しており、通常の人間関係で個人がこれを行使した場合、ほとんどすべての事例において非合法とされる。また国家が暴力を「最終的手段」(ultima ratio)として独占していることは、国家が権力関係において主要な位置にあることを示している。 ;支配の三類型 : ウェーバーによって示された権力を裏付ける正統性(Legitimacy)の基礎に関する三つの[[理念型]]が「支配の正統性」である<ref name=kai10>[[#甲斐|甲斐(2008)pp.10-12]]</ref>。ウェーバーは、この正統性のパターンとして、カリスマ的正統性・伝統的正統性・合法的正統性の3つを挙げた<ref name=kai10/>。カリスマ的正統性とは、支配者個人の超人間的・超自然的資質やそれに基づく[[啓示]]などの指導原理に被支配者が個人的に帰依するときに生ずる正統性で、宗教的指導者の権力などがこれにあたる<ref group="注釈">カリスマの語は、ギリシア語の「神の賜物」に由来する。[[#甲斐|甲斐(2008)p.11]]</ref>。伝統的正統性とは、血統・家系・古来からの伝習・しきたりなどに基づいて被支配者を服従させる正統性で、古くから存在する秩序と神聖性による支配である。伝統が重んじられ、一般的に、変化に乏しい停滞的な社会にみられるといわれる。王権神授説を根拠とする絶対王政などは、この典型的な事例である<ref name=kai10/>。合法的正統性とは、秩序・制度・地位など合法性にもとづく正統性で、法をその基礎としているために、ほかの2つの正統性に比べて安定している。合法的正統性を他にもまして重視する国家は「法治国家」と称せられる。これら3つの類型はあくまで把握のためのツールとしての理念型であり、現実社会にそのまま存在しているわけでなく、実際の支配は、多くの場合、この3つの正統性が相互に影響しあって総合的に権力を基礎づけている(形式的にはデモクラシーのかたちを採用しながら実態はカリスマ的支配という例も少なくない)。 ;社会統制 : 社会統制は社会学において成立した用語であるが、政治学でも用いられている。広義においては「社会化」と同一の内容を持つが、狭義においては「なんらかの制裁によって、個人の行動を一定の期待された型に合致させる過程」を意味する。現実の政治社会に存在する社会統制はさまざまな角度から分類可能であるが、まず統制の手段としての制裁が物理的であるか経済的であるか、心理的であるかによって分類される。物理的な統制には死刑、懲役・禁固などの自由刑、体罰などがあげられる。経済的なものにはボイコットや解雇、心理的なものには嘲笑や非難などがある。次に統制の目的が自覚的であるか無自覚的であるかによって分類され、法による統制、叱責、刑罰、村八分などは前者、嘲笑やゴシップなどは後者に分類される。最後に制度的な統制と非制度的な統制に分類できる。前者は統制の主体、手続き、効果などが明確に定められており、制度として統制が運用されている。後者は嘲笑、賞賛、非難など特定の形式によらないものである。 ;少数支配の原理/[[寡頭制の鉄則]] : 政治学において、政治権力を持つ者は必ず政治社会において少数者である。[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]は多数者が少数者を支配するのは自然の摂理に反すると言っており、ウェーバーも政治権力は常に少数者が物理強制力を独占し、多数者を支配するところに存在すると主張した。[[ロベルト・ミヒェルス|ミヒェルス]]はとくに政党政治が民主主義に不可欠なものであるにもかかわらず、政党組織が発展すると指導者に権力が集中し、寡頭支配が行われるようになると述べた。政治社会の代表である国家においては、立法・行政の能率的遂行の要請と権力者の権力欲求から、組織的な専門分化と少数者による管理体制が生じるのは必然であるとされている。 ;[[政府]] : 政治学においては、国家と政府は厳密に区別される。近代政治学では、国家を主権を持つ法人格で、その政治社会において暴力および道徳的価値・法規範を独占すると捉えられた。政府はその国家の手段として存在する統治機構のこと。[[ジョン・ロック|ロック]]以前の革命理論においては政府転覆とは国家の転覆であると捉えられていたが、ルソーにおいては国民の集合体としての国家と立法によって形成される政府が区別されており、政府転覆はひとつの法規範に基づく政府の転覆を意味しても国家の転覆を意味しない。また[[フランシス・リーバー|リーバー]]は国家は政府の形態とは無縁に存在する政治社会とし、政府はその目的のための手段であるとした。 ==政治学史== {{Main|政治学史}} [[ファイル:Raffael 061.jpg|サムネイル|149x149ピクセル|アリストテレスは、彼の著作『[[政治学 (アリストテレス)|政治学]]』と『[[アテナイ人の国制]]』のなかで政治について論じた。]] 政治現象または政治という概念に関する研究と政治学を定義した場合、その歴史は[[古代ギリシア]]にまで遡れる。古代ギリシアにおける政治学研究の代表格が、[[プラトン]]と[[アリストテレス]]による著作である。しかしプラトン以前にも政治学の萌芽と考えられる著作は存在する。[[ホメロス]]、[[ヘシオドス]]、[[エウリピデス]]、[[アリストパネス]]らの詩作には政治に関する記述が見受けられるからだ。さらに[[トゥキディデス]]の『[[戦史 (トゥキディデス)|ペロポネソス戦争史]]』等の歴史記述は、プラトンに先立つ政治学的な文献としては最も重要なものの一つである。これらの歴史記述にはトゥキディデス自身の政治思想が反映されており、その思想は後の[[現実主義]]の系譜につながり[[国際政治学]]に影響を与えることとなる。プラトンとアリストテレスは政治を扱う際に[[哲学]]的な方法を持ち込んだという点で、政治学の歴史に大きな転機をもたらした。この後政治学は[[倫理学]](道徳哲学)と分かち難い連関を持ちつつ発展することになるが、こうした伝統的な政治学のあり方はプラトン及びアリストテレスに多くを負っている。さらにアリストテレスは、当時ギリシアの[[ポリス]]で見られた様々な政治体制もしくは制度を分類し比較することを試みている。これは後の[[シャルル・ド・モンテスキュー|モンテスキュー]]の体制の分類など法学的・制度的アプローチに多大な影響を与えたといえる。 [[ファイル:Bust of Cicero (1st-cent. BC) - Palazzo Nuovo - Musei Capitolini - Rome 2016.jpg|サムネイル|180x180ピクセル|哲学理論と政治実践の統合を目指していたキケロは、プラトンによる『[[国家 (対話篇)|国家]]』に倣いながら『[[国家について]]』を著した。]] [[古代ローマ]]においては、政治学も他の学問の例に漏れず古代ギリシアの影響を受けた。そのため理論的な部分では古代ギリシアの政治学を継承したという側面が強く、顕著な進展が見られたというわけではない。しかしローマの政治体制の変遷を記述した[[ポリュビオス]]、[[リウィウス]]ら[[歴史家]]の著作は大変示唆に富んでいる。特にポリュビオスの政体循環論はローマ時代を代表する知見であると言える。さらにローマ時代は多くの[[哲学者]]が[[政治家]]として政治に関わり、哲学者ではない政治家も積極的に自らの政治思想・信条に関する文献を残した時代である。特に共和政末期の[[マルクス・トゥッリウス・キケロ]]と[[ユリウス・カエサル]]はその最も顕著な例である。キケロは共和政を擁護し、正当化するための哲学的著作を残した。一方でカエサルは共和政の改革者として現れ、活発な活動を行った。このように古代ローマにおける政治学は理論的な発展というよりも、[[実践]]的な発展を遂げたといえる。ローマは都市国家からいわゆる世界帝国へと拡大する中で政治体制の複雑な変遷を経験したため、その多様な政治体制の経験、体制を正当化する理論、さらにその変遷の記述は後代に多大な影響を与えた。特に[[共和政ローマ|共和政]]の経験は[[ルネサンス]]以降の政治学に強い影響を与えた。 [[西洋]][[古典古代]]における政治学の誕生、発展に対して[[東洋]]でもやはり古代に同様な政治に関する考察が見られる。ここでも政治に関わる研究は哲学とりわけ道徳哲学と密接に結びついていた。特に[[中国]]では規範論的な政治論が盛んで、[[諸子百家]]と呼ばれる一連の哲学の学派は様々な形で政治を論じてきた。そのなかでも後世に影響を与えたものとしては、[[孔子]]・[[孟子]]・[[荀子]]らの[[儒学]]と荀子に影響を受けた[[韓非]]の[[法家]]が挙げられる。 [[ファイル:Saint Augustine Portrait.jpg|サムネイル|163x163ピクセル|ヒッポのアウグスティヌスは、キリスト教に基づく政治社会だけが正義を十分に実現できる国家であるとした。]] ヨーロッパの[[中世]]にあっては、[[カトリック教会|教会]]権力の世俗の権力に対する優位が確立された。一方で[[ローマ教皇|教皇]]と[[皇帝]]を頂点に、[[封建制]]が成立した時代でもある。[[キリスト教]]が社会全体に強い影響を与えていたため、政治に関わる研究においてもキリスト教の影響が濃厚であった。すなわちキリスト教の[[神学]]が、古代における道徳哲学に代わって政治に関する考察の方法論的基礎を与えていた。 中世の政治学は古代に引き続いて正義に適う政治のあり方を考察するものであった。しかし、人間世界における世俗的な政治社会では正義は実現されないとするのが神学の立場である。すなわち、「[[神の王国|神の国]]」においてこそ正義が実現すると主張するわけである。そこで問題になるのは、「神の国」に対する「地の国」すなわち世俗的政治社会でありながら「神の国」の入り口であり、従って「神の国」に最も近いものとしての教会である。つまり中世における政治学は教会と他の世俗的政治社会、或いは世俗的権力との関係に最大の焦点が置かれる。このような中世の政治理論の基礎を成したのが[[アウグスティヌス|ヒッポのアウグスティヌス]]と彼の著作『[[神の国 (アウグスティヌス)|神の国]]』である。 古代・中世の政治理論の継承・発展の末、近代的な政治理論と呼ばれうるものがやがて登場した。近代的政治理論が初めてはっきりと形を現したのは、[[ニッコロ・マキャヴェッリ]]と[[トマス・ホッブズ]]の著作においてであった。 [[ファイル:Portrait of Niccolò Machiavelli by Santi di Tito.jpg|サムネイル|154x154ピクセル|ニコロ・マキャヴェリ]] マキャヴェッリは古代ローマの共和政の伝統に影響を受けつつ、次第に現実主義的な思想を形成していった。彼は政治においては何よりも現実認識が重要であることを説いた。すなわち政治的な目的のためには現実に最も適合した手段がとられなければならず、場合によっては[[道徳]]が犠牲にされることもありうるという主張である。これまで政治学は倫理学と不可分に発展してきたため、政治と道徳もまた不可分であった。政治においては常に道徳的に正しい手段がとられなければならなかったわけである。マキアヴェッリは政治を道徳から解放し、政治学と倫理学が峻別される可能性を示したといえる。 [[ファイル:Thomas Hobbes (portrait).jpg|サムネイル|126x126ピクセル|トマス・ホッブス]] 一方のホッブズは、自由で自立した[[個人]]から如何にして政治的な共同体が成立しうるか、もしくはこのような個人の集合としての政治的共同体のあり方はどのようなものが相応しいかを考察した。ホッブズの理論は方法論的にはプラトン以来の哲学的方法を継承し、政治学と倫理学の密接な関わりに疑問を投げかけたわけではない。彼の理論の斬新さは、個人に着目しその個人間の契約として社会の成立を捉えた事にある。これがいわゆる[[社会契約]]論であり、ホッブズの理論は[[ジョン・ロック]]の批判的継承を経て近代政治の背景思想を提供した[[自由主義]]に影響を与えることになる<ref group="注釈">ただし、一方でホッブズ自身はこのような個人からなる共同体の帰結として、絶対主義を擁護したのは有名な事実である。</ref>。 この他16世紀以降の概念で後世の政治理論に大きな影響を与えたものとして、[[フーゴー・グロティウス]]の[[自然法]]がある。自然法自体は古代の哲学やキリスト教神学にも存在する概念であるが、グロティウスは古来の自然法から近代自然法の理論枠組を生み出した。また[[シャルル・ド・モンテスキュー|モンテスキュー]]は、各国の諸制度をモデル化してそれらを通じて体制の分類を行った。その上で理想の政治制度についての考察を行い、いわゆる[[三権分立]]論を展開した。これ以降、[[憲法]]・法制度・政治制度を中心に政治の制度的側面の研究すなわち法学的・制度的アプローチが盛んになった。 このような近代的な理論もしくは概念の影響下に、ドイツの{{仮リンク|国家学|de|Staatswissenschaft}}({{Lang-de-short|Staatswissenschaften}})や英米の伝統的政治学のような近代の政治学が[[19世紀]]まで展開された。 19世紀半ば以降、20世紀初頭にかけて政治学は独立した学問領域として最終的に確立されたといえる。[[1880年]]には政治学の専門教育機関として、世界初の「政治学部」(政治学大学院)がアメリカの[[コロンビア大学]]に設置された<ref group="注釈">[[1876年]]には[[ジョンズ・ホプキンス大学]]に歴史学と政治学研究のための大学院が設置されているが、政治学を単独で教授する機関としてはコロンビア大が初めてである。</ref>。さらに[[1903年]]には初の政治学の[[学術団体]]として[[アメリカ政治学会]]が誕生している。この時期に政治学には新たな動きが見られた。実際にどのように政治が作動しているかという点に関する動学的な研究の登場である。これを以って現代政治学が成立したとされる。これまでの政治学の研究は哲学的・歴史学的・法学的(制度的)のいずれのアプローチを取るにせよ、政治の枠組がどのようになっているか、或いはどのような枠組が望ましいかという静態的・形式的な研究に留まっていた。新しい政治学のアプローチにおいては、政治の枠組の中で生起する現象のメカニズムを観察し解明するというよりダイナミックな研究が求められた。このような新しいアプローチは主にアメリカやイギリスで提唱された。主な提唱者としては[[アーサー・F・ベントリー]]、[[グレーアム・ウォーラス]]が挙げられる。 === 政治学の科学化・行動科学政治学の登場以降 === こうした政治学の新しいアプローチの流れから、1920年代に政治学の科学化が始まった。科学化の初期の推進者は、[[チャールズ・メリアム]]、[[ハロルド・ラズウェル]]らいわゆる[[シカゴ学派 (政治学)|シカゴ学派]]の人々である。とりわけシカゴ学派の創始者としてのメリアムは、政治学と[[心理学]]・[[統計学]]などの「隣接諸科学との重婚」を主張しこれらの学問の方法を政治学に導入した。[[第二次世界大戦]]後、このシカゴ学派の系譜から[[社会学]]や[[行動科学]]の影響を受けが成立した。この行動科学アプローチは「行動科学革命」と呼ばれるほどの衝撃を学会に与え、政治学における主流の方法論となった。 [[行動科学政治学]](行動論政治学)の担い手は、[[デイヴィッド・イーストン]]、[[ガブリエル・アーモンド]]、[[ロバート・ダール]]らであった。行動科学政治学は政治学の科学化の一つの帰結であった。 また[[1950年代]]以降には[[アンソニー・ダウンズ]]らにより経済学的方法の政治学への導入が本格化し、合理的選択理論が政治学において台頭し始めた。合理的選択理論は、[[ウィリアム・ライカー]]による[[ゲーム理論]]などの[[フォーマル・セオリー]]、数理的分析の導入により精緻化され主要な方法論の座を占めるに至った。このように現代において政治学の方法はさらなる多様化の様相を見せている。 == 政治学を教えている大学 == === 日本 === ==== 政治学科を置く大学 ==== * [[北海学園大学]] 法学部 政治学科 * [[東海大学]] 政治経済学部 政治学科 * [[中央大学]] 法学部 政治学科 * [[早稲田大学]] 政治経済学部 政治学科 * [[明治学院大学]] 法学部 政治学科 * [[慶應義塾大学]] 法学部 政治学科 * [[法政大学]] 法学部 政治学科 * [[学習院大学]] 法学部 政治学科 * [[成蹊大学]] 法学部 政治学科 * [[明治大学]] 政治経済学部 政治学科 * [[立教大学]] 法学部 政治学科 * [[国士舘大学]] 政経学部 政治学科 * [[大東文化大学]] 法学部 政治学科 * [[専修大学]] 法学部 政治学科 * [[関西学院大学]] 法学部 政治学科 * [[駒澤大学]] 法学部 政治学科 * [[同志社大学]] 法学部 政治学科 ==== ○○政治学科、政治○○学科、等を置く大学 ==== * [[聖学院大学]] 政治経済学部 政治経済学科 * 早稲田大学 政治経済学部 国際政治経済学科 * [[青山学院大学]] 国際政治経済学部 国際政治学科 * [[拓殖大学]] 政経学部 法律政治学科 * [[武蔵野大学]] 政治経済学部 政治経済学科 * [[日本大学]] 法学部 政治経済学科 * [[法政大学]] 法学部 国際政治学科 * [[名古屋大学]] 法学部 法律・政治学科 * [[関西大学]] 法学部 法学政治学科 * [[久留米大学]] 法学部 国際政治学科 * [[広島修道大学]] 法学部 国際政治学科 * [[東京大学]] 法学部 第3類 政治コース == 関連項目 == === 政治の全体 === *[[政体]] **[[国家]] - [[国民]] **[[主権国家体制|主権国家]] ***[[国民国家]] **[[都市国家]] *[[政治システム]] *[[政治体制]] **[[民主主義|民主主義体制]] **[[権威主義|権威主義体制]] **[[全体主義体制]] **[[君主制|君主政]] **[[貴族制|貴族政]] **[[共和制|共和政]] ===政治制度=== *機関 **[[元首]] **[[大統領]] **[[首相]] **[[議会]] **[[行政]] **[[立法]] **[[司法]] *制度 **[[選挙]] **[[議院内閣制]] **[[大統領制]] **[[半大統領制]] ===政治団体、運動=== *政党システム([[政党制]]) *[[政党]] *[[利益団体]](圧力団体) ===政治思想=== *[[共和主義]] *[[自由主義]] *[[社会主義]] *[[社会民主主義]] *[[国家社会主義]] *[[共産主義]] *[[アナキズム]] *[[リバタリアニズム]] *[[共同体主義|コミュニタリアニズム]] *[[ナチズム]] *[[権威主義]] *[[全体主義]] ===政治学者=== 詳細は[[政治学者の一覧]]を参照。 === その他 === *[[国際関係論]] *[[国際政治学]] *[[比較政治学]] *[[政治史]] *[[政治哲学#概要|政治思想史]] *[[行政学]] *[[地方自治]] *[[政治文化]] *[[政治的リーダーシップ]] *[[日本の政治]] *[[情報政治学]] *[[計量政治学]] *[[社会選択理論]] *[[政策科学]] *[[政治過程論]] *[[日本政治学会]] == 脚注 == {{脚注の使い方}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=甲斐信好|authorlink=甲斐信好|chapter=|editor=渡辺利夫/シリーズ監修|year=2008|month=4|title=プレステップ 政治学|publisher=[[弘文堂]]|series=|ref=甲斐}} ==関連文献== ===政治学一般=== *堀豊彦著『政治学原論』東京大学出版会、1956年。 *[[堀江湛]]編『現代政治学』法学書院、1982年。 *喜多靖郎著『政治学の基本問題』晃洋書房、1974年。 *[[加藤秀治郎]]著『スタンダード政治学』芦書房、1991年。 *[[河田潤一]]著『現代政治学入門』ミネルヴァ書房、1992年。 *奥原唯弘著『政治学講義』成文堂、1981年。 *[[蠟山政道]]著『政治学原理』岩波全書、1966年。 *[[日下喜一]]著『現代政治学概説』剄草書房、1992年。 *北山俊哉、[[真渕勝]]、[[久米郁男]]著『はじめて出会う政治学』有斐閣、1997年。 *久米郁男、[[川出良枝]]、[[古城佳子]]、[[田中愛治]]、真渕勝著『政治学』有斐閣、2003年。 *[[バーナード・クリック]]著、[[添谷育志]]・[[金田耕一]]訳『現代政治学入門』講談社(講談社学術文庫)、2003年。 ===学説史=== *[[南原繁]]著『政治理論史』東京大学出版会、1980年。 *南原繁著『政治哲学序説』東京大学出版会、1988年。 *[[福田歓一]]著『[[政治学史 (福田歓一)|政治学史]]』東京大学出版会、1985年。 *福田歓一著『近代政治学原理成立史序説』岩波書店、1998年。 *福田歓一著『ホッブスにおける近代政治理論の形成』岩波書店、1998年。 *[[碧海純一]]著『法と社会』中公新書、1967年。 *吉富重夫著『理論政治学』剄草書房、1973年。 *日下喜一著『現代政治思想史』剄草書房、1977年。 *[[レオポルト・フォン・ランケ]]著、村川堅固訳『世界史論進講録』興亡史論刊行会、1918年。 *[[ヘルマン・ヘラー]]著、安世舟訳『ドイツ現代政治思想史』御茶の水書房、1989年。 *[[ジョン・ガネル]]著、[[中谷義和]]訳『アメリカ政治理論の系譜』ミネルヴァ書房、2001年。 *[[テリー・イーグルトン]]著、[[大橋洋一 (文学研究者)|大橋洋一]]訳『イデオロギーとは何か』平凡社、1999年。 ===その他=== *[[長尾龍一]]著『法哲学批判』信山社、1999年。 *[[堀米庸三]]著『中世国家の構造』日本評論社、1948年。 *青井和夫著『社会学原理』サイエンス社、1987年。 *[[古在由重]]著『マルクス主義の思想と方法』剄草書房、1964年。 *日本政治学会編『政治学と隣接諸科学の間』岩波書店、1982年。 *Kenneth A. Shepsle and Mark S. Bonchek ''Analyzing Politics: Rationality, Behavior, and Institutions'' New York: W W Norton, 1997 ==外部リンク== {{ウィキポータルリンク|政治学}} {{Wikiversity|School:政治学|政治学}} {{Wikibooks}} *[http://www.kh-web.org/links/ 政治学リンク] **[http://www.kh-web.org/links/scholars_j.htm 日本の政治学者・研究者] **[http://www.kh-web.org/links/scholars_os.htm 海外の政治学者・研究者] *[http://www.powi.at www.powi.at](ドイツ語) * {{Kotobank}} {{社会科学のフッター}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:せいしかく}} [[Category:社会科学]] [[Category:政治学|*]] [[Category:政治]]
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内閣総理大臣の一覧
内閣総理大臣の一覧(ないかくそうりだいじんのいちらん)は、日本の行政府の長である内閣総理大臣を務めた人物の一覧である。 日本の歴代内閣の一覧については、「日本国歴代内閣」を参照。 一覧はこの下にあります。 内閣総理大臣官邸が公表している内閣総理大臣一覧表に基づく。 2019年(令和元年)11月29日に中曽根康弘が死去したことで、存命中の総理大臣経験者は全員平成以降に就任した人物のみとなった。1924年(大正13年)生まれの村山富市以外、全員昭和生まれである。 2022年(令和4年)7月8日現在、安倍晋三の死去に伴い、現職者の岸田文雄を除く存命中の内閣総理大臣経験者は、以下の10名である。
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|[[第1次伊藤内閣]] |1885年12月22日{{語中改行}}- 1888年4月30日 | style="text-align:right" | 861日 | style="text-align:right" | 861日 |{{Bulleted list|'''[[藩閥|藩閥政権]]'''|[[長州藩]]|[[枢密院 (日本)|枢密院]]議長就任のため辞任{{efn2|憲法制定に専念するため。}}}} |{{Bulleted list|<ref name="itou1">[https://kotobank.jp/word/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87-15413 コトバンク「伊藤博文」]</ref>|<ref>{{Cite web|和書|title=伊藤博文内閣とは |url=https://kotobank.jp/word/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87%E5%86%85%E9%96%A3-818110 |website=コトバンク |accessdate=2022-02-24 |language=ja |first=日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,旺文社日本史事典 |last=三訂版}}</ref>}} |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{00}}2''' |{{none|クロタ}}{{ruby|'''[[黒田清隆|黑田清隆]]'''|くろだ きよたか}} |[[ファイル:Kiyotaka Kuroda formal cropped.jpg|80px|黒田清隆]] |[[黒田内閣|黑田内閣]] |1888年4月30日{{語中改行}}- 1889年10月25日 | style="text-align:right" | 544日 | style="text-align:right" | 544日 |{{Bulleted list|'''[[藩閥|藩閥政権]]'''|[[薩摩藩]]|条約改正交渉反対運動で辞任}} |<ref name="kuroda">[https://kotobank.jp/word/%E9%BB%92%E7%94%B0%E6%B8%85%E9%9A%86-16423 コトバンク「黑田清隆」]</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}-''' |{{none|サンシ}}{{ruby|'''[[三条実美|三條實美]]'''|さんじょう さねとみ}} |[[ファイル:Sanetomi Sanjo formal cropped.jpg|80px|三條実美]] |[[黒田内閣|三條暫定内閣]] | style="white-space:nowrap" |1889年10月25日{{語中改行}}- 1889年12月24日 | style="text-align:right" | ({{age in days|1889|10|25|1889|12|24}}日) | style="text-align:right" | - |{{Bulleted list|'''[[藩閥|藩閥政権]]'''|[[公家]]|'''内閣総理大臣兼任'''([[内大臣]]){{efn2|現在の政府解釈では三條實美は代数に含まれない。}}}} |<ref>{{アジア歴史資料センター|A15111667700|内大臣公爵三条実美内閣総理大臣ニ兼任シ内閣総理大臣伯爵黒田清隆枢密顧問官ニ任セラル}}</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{00}}3''' |{{none|ヤマカ}}{{ruby|'''[[山縣有朋]]'''|やまがた ありとも}} |[[ファイル:Yamagata Aritomo cropped.jpg|80px|山縣有朋]] |[[第1次山縣内閣]] |1889年12月24日{{語中改行}}- 1891年5月6日 | style="text-align:right" | 499日 | style="text-align:right" | 499日 ||{{Bulleted list|'''[[藩閥|藩閥政権]]'''|長州藩|'''衆議院総選挙([[第1回衆議院議員総選挙|第1回]])'''|第1回[[帝国議会]]会期終了後に辞任}} |<ref name="yamagatanaikaku">[https://kotobank.jp/word/%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E6%9C%89%E6%9C%8B-22066 コトバンク「山縣有朋内閣」]</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{00}}4''' |{{none|マツカ}}{{ruby|'''[[松方正義]]'''|まつかた まさよし}} |[[ファイル:4 MatsukataM(cropped).jpg|80px|松方正義]] |[[第1次松方内閣]] |1891年5月6日{{語中改行}}- 1892年8月8日 | style="text-align:right" | 461日 | style="text-align:right" | 461日 <!--|薩摩国--> <!--|[[造士館]]{{Efn2|name=":0"|[[藩校]]。}}--> <!--|{{Bulleted list|従二位勲一等伯爵|[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員(伯爵)|[[財務大臣 (日本)|大蔵大臣]]}}--> |{{Bulleted list|'''[[藩閥|藩閥政権]]'''|薩摩藩|'''衆議院解散([[第2回衆議院議員総選挙|第2回]])'''|選挙干渉追及により辞任}} |<ref name="matukatanaikaku">[https://kotobank.jp/word/%E6%9D%BE%E6%96%B9%E6%AD%A3%E7%BE%A9%E5%86%85%E9%96%A3-871003 コトバンク「松方正義内閣」]</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{00}}5''' |{{none|イトヒ}}{{ruby|'''伊藤博文'''|いとう ひろぶみ}} |[[File:ITŌ Hirobumi.jpg|80px|伊藤博文]] |[[第2次伊藤内閣]] |1892年8月8日{{語中改行}}- 1896年8月31日 | style="text-align:right" | 1,485日 | style="text-align:right" | 2,346日 |{{Bulleted list|'''[[藩閥|藩閥政権]]'''([[自由党 (日本 1890-1898)|自由党]]協力)|長州藩|'''衆議院解散([[第3回衆議院議員総選挙|第3回]])'''|'''衆議院解散([[第4回衆議院議員総選挙|第4回]])'''|閣内不一致により辞任}} |<ref name="itounaikaku">[https://kotobank.jp/word/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87%E5%86%85%E9%96%A3-818110 コトバンク 「伊藤博文内閣」]</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}-''' |{{none|クロタ}}{{ruby|'''黑田清隆'''|くろだ きよたか}} |[[ファイル:Kiyotaka Kuroda formal cropped.jpg|80px|黒田清隆]] |[[第2次伊藤内閣]] |(1896年8月31日{{語中改行}}- 1896年9月18日) | style="text-align:right" | ({{age in days|1896|8|31|1896|9|18}}日) | style="text-align:right" | 544日 |{{Bulleted list|'''[[藩閥|藩閥政権]]'''|薩摩藩|'''[[内閣総理大臣臨時代理|内閣総理大臣臨時兼任]]'''([[枢密院 (日本)|枢密院]]議長){{efn2|伊藤が単独で総理を辞任したため。}}}} | |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{00}}6''' |{{none|マツカ}}{{ruby|'''松方正義'''|まつかた まさよし}} |[[ファイル:4 MatsukataM(cropped).jpg|80px|松方正義]] |[[第2次松方内閣]] |1896年9月18日{{語中改行}}- 1898年1月12日 | style="text-align:right" | {{0}}482日 | style="text-align:right" | {{0}}943日 |{{Bulleted list|'''[[藩閥|藩閥政権]]'''([[進歩党 (日本 1896-1898)|進歩党]]協力)|薩摩藩|地租増徴で対立し辞任}} |<ref name="matukatanaikaku" /> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{00}}7''' |{{none|イトヒ}}{{ruby|'''伊藤博文'''|いとう ひろぶみ}} |[[File:ITŌ Hirobumi.jpg|80px|伊藤博文]] |[[第3次伊藤内閣]] |1898年1月12日{{語中改行}}- 1898年6月30日 | style="text-align:right" | 170日 | style="text-align:right" | 2,516日 |{{Bulleted list|'''[[藩閥|藩閥政権]]'''|長州藩|'''衆議院解散([[第5回衆議院議員総選挙|第5回]])'''|新党結成に関する元老間の不一致により辞任}} |<ref name="itounaikaku"/> |- | style="background:#F1BB93" | '''{{00}}8''' |{{none|オオク}}{{ruby|'''[[大隈重信]]'''|おおくま しげのぶ}} |[[File:Ōkuma Shigenobu.jpg|80px|大隈重信]] |[[第1次大隈内閣]] |1898年6月30日{{語中改行}}- 1898年11月8日 | style="text-align:right" | 132日 | style="text-align:right" | 132日 |{{Bulleted list|'''[[憲政党]]政権'''|憲政党総裁|'''衆議院解散([[第6回衆議院議員総選挙|第6回]])'''|憲政党と[[憲政本党]]分裂により辞任}} |<ref name="okumanaikaku">[https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E9%9A%88%E9%87%8D%E4%BF%A1%E5%86%85%E9%96%A3-822017 コトバンク 「大隈重信内閣」]</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{00}}9''' |{{none|ヤマカ}}{{ruby|'''山縣有朋'''|やまがた ありとも}} |[[ファイル:Yamagata Aritomo cropped.jpg|80px|山縣有朋]] |[[第2次山縣内閣]] |1898年11月8日{{語中改行}}- 1900年10月19日 | style="text-align:right" | 711日 | style="text-align:right" | 1,210日 |{{Bulleted list|'''[[藩閥|藩閥政権]]'''|長州藩|第14回帝国議会終了後に辞任}} |<ref name="yamagatanaikaku" /> |- | style="background:#4dc4ff" | '''{{0}}10''' |{{none|イトヒ}}{{ruby|'''伊藤博文'''|いとう ひろぶみ}} |[[File:ITŌ Hirobumi.jpg|80px|伊藤博文]] |[[第4次伊藤内閣]] |1900年10月19日{{語中改行}}- 1901年5月10日 | style="text-align:right" | 204日 | style="text-align:right" | 2,720日 |{{Bulleted list|'''[[立憲政友会]]政権'''|立憲政友党総裁|[[予算]]問題の閣内不一致により辞任}} |<ref name="itounaikaku"/> |- | style="background:#4dc4ff" | '''{{0}}-''' |{{none|サイオ}}{{ruby|'''[[西園寺公望]]'''|さいおんじ きんもち}} |[[ファイル:Kinmochi Saionji formal.jpg|80px|西園寺公望]] |[[第4次伊藤内閣]] |1901年5月10日{{語中改行}}- 1901年6月2日 | style="text-align:right" | ({{age in days|1901|5|10|1901|6|2}}日) | style="text-align:right" | - |'''内閣総理大臣臨時兼任'''(枢密院議長){{efn2|伊藤が単独で総理を辞任したため。}} | |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}11''' |{{none|カツラ}}{{ruby|'''[[桂太郎]]'''|かつら たろう}} |[[ファイル:Tarō Katsura cropped.jpg|80px|桂太郎]] |[[第1次桂内閣]] |1901年6月2日{{語中改行}}- 1906年1月7日 | style="text-align:right" | 1,681日 | style="text-align:right" | 1,681日 |{{Bulleted list|[[日英同盟]]|[[日露戦争]]と[[ポーツマス条約]]|[[桂・タフト協定]]|[[日比谷焼き討ち事件]]等騒擾事件により辞職}} |{{Bulleted list|<ref name="katura">[https://kotobank.jp/word/%E6%A1%82%E5%A4%AA%E9%83%8E-15685 コトバンク 「桂太郎」]</ref>|<ref name="katuranaikaku">[https://kotobank.jp/word/%E6%A1%82%E5%A4%AA%E9%83%8E%E5%86%85%E9%96%A3-825423 コトバンク 「桂太郎内閣」]</ref>}} |- | style="background:#4dc4ff" | '''{{0}}12''' |{{none|サイオ}}{{ruby|'''[[西園寺公望]]'''|さいおんじ きんもち}} |[[ファイル:Kinmochi Saionji formal.jpg|80px|西園寺公望]] |[[第1次西園寺内閣]] |1906年1月7日{{語中改行}}- 1908年7月14日 | style="text-align:right" | 920日 | style="text-align:right" | 920日 |{{Bulleted list|立憲政友会総裁|第一次~第三次[[日韓協約]]|[[日本の財政問題|財政問題]]を巡る[[元老]]との対立で辞職}} |<ref name="saionji">[https://kotobank.jp/word/%E8%A5%BF%E5%9C%92%E5%AF%BA%E5%85%AC%E6%9C%9B%E5%86%85%E9%96%A3-836940 コトバンク 「西園寺公望内閣」]</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}13''' |{{none|カツラ}}{{ruby|'''桂太郎'''|かつら たろう}} |[[ファイル:Tarō Katsura cropped.jpg|80px|桂太郎]] |[[第2次桂内閣]] |1908年7月14日{{語中改行}}- 1911年8月30日 | style="text-align:right" | 1,143日 | style="text-align:right" | 2,824日 |{{Bulleted list|[[戊申詔書]]・[[地方改良運動]]|[[韓国併合]]([[日本統治時代の朝鮮|日本の朝鮮領有]])|[[恩賜財団済生会]]設立|[[工場法]]制定|人心低下による閣内不一致により辞任}} |<ref name="katuranaikaku"/> |- | style="background:#4dc4ff" | '''{{0}}14''' |{{none|サイオ}}{{ruby|'''西園寺公望'''|さいおんじ きんもち}} |[[ファイル:Kinmochi Saionji formal.jpg|80px|西園寺公望]] |[[第2次西園寺内閣]] |1911年8月30日{{語中改行}}- 1912年12月21日 | style="text-align:right" | 480日 | style="text-align:right" | 1,400日 |{{Bulleted list|立憲政友会総裁行財政整理|第122代[[明治天皇]][[大喪の礼]]|2個師団増設案を巡る[[大日本帝国陸軍|陸軍]]との対立により辞任}} |<ref name="saionji" /> |- style="background:#FFFFFF" !colspan="9"| === [[大正]]時代(1912年 - 1926年) === |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}15''' |{{none|カツラ}}{{ruby|'''桂太郎'''|かつら たろう}} |[[ファイル:Tarō Katsura cropped.jpg|80px|桂太郎]] |[[第3次桂内閣]] |{{Bulleted list|1912年12月21日{{語中改行}}- 1913年2月20日|}} | style="text-align:right" | 62日 | style="text-align:right" | 2,886日 |{{Bulleted list|[[立憲同志会]]結党|[[憲政擁護運動]]により辞任}} |<ref name="katuranaikaku"/> |- | style="background:#4dc4ff" | '''{{0}}16''' |{{none|ヤマモ}}{{ruby|'''[[山本権兵衛|山本權兵衞]]'''|やまもと ごんべえ}} |[[ファイル:Gonbee Yamamoto later years cropped.jpg|80px|山本権兵衛]] |[[第1次山本内閣]] |1913年2月20日{{語中改行}}- 1914年4月16日 | style="text-align:right" | 421日 | style="text-align:right" | 421日 |{{Bulleted list|[[立憲政友会]]と連携の内閣|[[シーメンス事件]]により辞任}} |<ref name="yamamoto">[https://kotobank.jp/word/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%A8%A9%E5%85%B5%E8%A1%9B%E5%86%85%E9%96%A3-875287 コトバンク 「山本権兵衛内閣」]</ref> |- | style="background:#F1BB93" | '''{{0}}17''' |{{none|オオク}}{{ruby|'''大隈重信'''|おおくま しげのぶ}} |[[File:Ōkuma Shigenobu.jpg|80px|大隈重信]] |[[第2次大隈内閣]] |1914年4月16日{{語中改行}}- 1916年10月9日 | style="text-align:right" | 908日 | style="text-align:right" | 1,040日 |{{Bulleted list|[[立憲同志会]]総裁|[[第一次世界大戦]]参戦|[[対華21カ条要求]]|第123代[[大正天皇]][[即位の礼]]|三党首会談等の倒閣運動により辞任}} |<ref name="okumanaikaku"/> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}18''' |{{none|テラウ}}{{ruby|'''[[寺内正毅]]'''|てらうち まさたけ}} |[[ファイル:Masatake Terauchi uniform.jpg|80px|寺内正毅]] |[[寺内内閣]] |1916年10月9日{{語中改行}}- 1918年9月29日 | style="text-align:right" | 721日 | style="text-align:right" | 721日 |{{Bulleted list|[[シベリア出兵]]|[[日支共同防敵軍事協定]]|[[米騒動]]により引責辞任}} |<ref name="terauti">[https://kotobank.jp/word/%E5%AF%BA%E5%86%85%E6%AD%A3%E6%AF%85%E5%86%85%E9%96%A3-854015 コトバンク 「寺内正毅内閣」]</ref> |- | style="background:#4dc4ff" | '''{{0}}19''' |{{none|ハラタ}}{{ruby|'''[[原敬]]'''|はら たかし}} |[[File:Rekidai-index-19-hara.jpg|80px|原敬]] |[[原内閣]] |1918年9月29日{{語中改行}}- 1921年11月4日 | style="text-align:right" | 1,133日 | style="text-align:right" | 1,133日 |{{Bulleted list|立憲政友会総裁|衆議院議員選挙法改正で選挙権資格引き下げ<ref name="hara"/>|在任中に[[原敬暗殺事件|暗殺]]}} |<ref name="hara">[https://kotobank.jp/word/%E5%8E%9F%E6%95%AC%E5%86%85%E9%96%A3-861864 コトバンク 「原敬内閣」]</ref> |- | style="background:#4dc4ff" | '''{{0}}-''' |{{none|ウチタ}}{{ruby|'''[[内田康哉]]'''|うちだ こうさい}} |[[ファイル:Kosai Uchida.jpg|80px|内田康哉]] |[[原内閣]] |1921年11月4日{{語中改行}}- 1921年11月13日 | style="text-align:right" | ({{age in days|1921|11|4|1921|11|13}}日) | style="text-align:right" | - |{{Bulleted list|'''内閣総理大臣臨時兼任'''([[外務大臣 (日本)|外務大臣]])}} | |- | style="background:#4dc4ff" | '''{{0}}20''' |{{none|タカハ}}{{ruby|'''[[高橋是清]]'''|たかはし これきよ}} |[[ファイル:Korekiyo Takahashi formal.jpg|80px|高橋是清]] |[[高橋内閣]] |1921年11月13日{{語中改行}}- 1922年6月12日 | style="text-align:right" | 212日 | style="text-align:right" | 212日 |{{Bulleted list|立憲政友会総裁|閣内不一致により辞任}} |<ref name="takahasi">[https://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%98%AF%E6%B8%85%E5%86%85%E9%96%A3-849609 コトバンク 「高橋是清内閣」]</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}21''' |{{none|カトト}}{{ruby|'''[[加藤友三郎]]'''|かとう ともさぶろう}} |[[ファイル:Admiral Kato Tomosaburo cropped.jpg|80px|加藤友三郎]] |[[加藤友三郎内閣|加藤内閣]] |1922年6月12日{{語中改行}}- 1923年8月24日 | style="text-align:right" | 439日 | style="text-align:right" | 439日 |{{Bulleted list|立憲政友会が閣外協力|シベリア撤兵|[[山梨軍縮]]|在任中に病死}} |<ref name="katoutomosaburo">[https://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%98%AF%E6%B8%85%E5%86%85%E9%96%A3-849609 コトバンク 「加藤友三郎内閣」]</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}-''' |{{none|ウチタ}}{{ruby|'''内田康哉'''|うちだ こうさい}} |[[ファイル:Kosai Uchida.jpg|80px|内田康哉]] | style="white-space:nowrap" |[[加藤友三郎内閣|加藤内閣]] |1923年8月24日{{語中改行}}- 1923年9月2日 | style="text-align:right" | ({{age in days|1923|8|24|1923|9|2}}日) | style="text-align:right" | - |加藤の死去に伴う臨時兼任(外務大臣) | |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}22''' |{{none|ヤマモ}}{{ruby|'''山本權兵衞'''|やまもと ごんべえ}} |[[ファイル:Gonbee Yamamoto later years cropped.jpg|80px|山本権兵衛]] |[[第2次山本内閣]] |1923年9月2日{{語中改行}}- 1924年1月7日 |style="text-align:right" | 128日 |style="text-align:right" | 549日 |{{Bulleted list|[[関東大震災]]復興諸対策|[[虎ノ門事件]]により引責辞任}} |<ref name="yamamoto"/> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}23''' |{{none|キヨウ}}{{ruby|'''[[清浦奎吾]]'''|きようら けいご}} |[[ファイル:Keigo Kiyoura 3x4.jpg|80px|清浦奎吾]] |[[清浦内閣]] |1924年1月7日{{語中改行}}- 1924年6月11日 | style="text-align:right" | 157日 | style="text-align:right" | 157日 |{{Bulleted list|[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員中心の内閣|[[第二次護憲運動]]で[[第15回衆議院議員総選挙|解散総選挙]]。[[護憲三派]]に敗北して退陣}} |<ref name="kiyoura">[https://kotobank.jp/word/%E6%B8%85%E6%B5%A6%E5%A5%8E%E5%90%BE%E5%86%85%E9%96%A3-829565 コトバンク 「清浦奎吾内閣」]</ref> |- | style="background:#C0C0C0" | '''{{0}}24''' |{{none|カトタ}}{{ruby|'''[[加藤高明]]'''|かとう たかあき}} |[[ファイル:Takaaki Kato suit.jpg|80px|加藤高明]] |[[加藤高明内閣|加藤内閣]] |1924年6月11日{{語中改行}}- 1926年1月28日 | style="text-align:right" | 597日 | style="text-align:right" | 597日 |{{Bulleted list|[[憲政会]]総裁。[[護憲三派]]連立内閣|[[憲政の常道]]確立|25歳以上男子[[普通選挙法]]制定|[[治安維持法]]制定|在任中に病死}} |<ref name="katoutakaaki">[https://kotobank.jp/word/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E9%AB%98%E6%98%8E%E5%86%85%E9%96%A3-825504 コトバンク 「加藤高明内閣」]</ref> |- | style="background:#C0C0C0" | '''{{0}}-''' | rowspan="2" |{{none|ワカツ}}{{ruby|'''[[若槻禮次郎]]'''|わかつき れいじろう}} | rowspan="2" |[[ファイル:Reijiro Wakatsuki posing cropped.jpg|80px|若槻禮次郎]] |[[加藤高明内閣|加藤内閣]] |1926年1月28日{{語中改行}}- 1926年1月30日 | style="text-align:right" | ({{age in days|1926|1|28|1926|1|30}}日) | style="text-align:right" | - |加藤の死去に伴う臨時兼任([[内務大臣 (日本)|内務大臣]]) | |- | style="background:#C0C0C0" | '''{{0}}25''' |[[第1次若槻内閣]] |1926年1月30日{{語中改行}}- 1927年4月20日 | style="text-align:right" | 446日 | style="text-align:right" | 446日 |{{Bulleted list|憲政会総裁|[[幣原外交]]など協調外交|第123代[[大正天皇]][[大喪の礼]]|[[台湾銀行]]救済の緊急勅令案の[[枢密院 (日本)|枢密院]]否決により辞任}} |<ref name="wakatuki">[https://kotobank.jp/word/%E6%B8%85%E6%B5%A6%E5%A5%8E%E5%90%BE%E5%86%85%E9%96%A3-829565 コトバンク 「若槻礼次郎内閣」]</ref> |- style="background:#FFFFFF" !colspan="9"| === [[昭和]]時代(1926年 - 1989年) === |- | style="background:#4dc4ff" | '''{{0}}26''' |{{none|タナキ}}{{ruby|'''[[田中義一]]'''|たなか ぎいち}} |[[ファイル:Giichi Tanaka posing cropped.jpg|80px|田中義一]] |[[田中義一内閣|田中内閣]] |1927年4月20日{{語中改行}}- 1929年7月2日 | style="text-align:right" | 805日 | style="text-align:right" | 805日 |{{Bulleted list|'''立憲政友会政権'''|立憲政友会総裁|[[張作霖爆殺事件]]処理の引責辞任}} |<ref name="tanakagiti">[https://kotobank.jp/word/%E6%B8%85%E6%B5%A6%E5%A5%8E%E5%90%BE%E5%86%85%E9%96%A3-829565 コトバンク 「田中義一内閣」]</ref> |- | style="background:#005aff; color:#FFFFFF;" | '''{{0}}27''' |{{none|ハマク}}{{ruby|'''[[濱口雄幸]]'''|はまぐち おさち}} |[[ファイル:Hamaguchi Osachi 1-1.jpg|80px|濱口雄幸]] |[[濱口内閣]] |1929年7月2日{{語中改行}}- 1931年4月14日 | style="text-align:right" | 652日 | style="text-align:right" | 652日 |{{Bulleted list|'''[[立憲民政党]]政権'''|立憲民政党総裁|[[ロンドン海軍軍縮会議#ロンドン海軍軍縮条約|ロンドン海軍軍縮条約]]締結|在任中に[[濱口雄幸#濱口首相遭難事件|遭難]]|執務不能により外務大臣[[幣原喜重郎]]が[[内閣総理大臣臨時代理|臨時代理]]|銃撃による症状悪化を受け辞任}} |<ref name="hamaguti">[https://kotobank.jp/word/%E6%B5%9C%E5%8F%A3%E9%9B%84%E5%B9%B8%E5%86%85%E9%96%A3-861653 コトバンク 「浜口雄幸内閣」]</ref> |- | style="background:#005aff; color:#FFFFFF;" | '''{{0}}28''' |{{none|ワカツ}}{{ruby|'''若槻禮次郎'''|わかつき れいじろう}} |[[ファイル:Reijiro Wakatsuki posing cropped.jpg|80px|若槻禮次郎]] |[[第2次若槻内閣]] |1931年4月14日{{語中改行}}- 1931年12月13日 | style="text-align:right" | 244日 | style="text-align:right" | 690日 |{{Bulleted list|立憲民政党総裁|[[挙国一致内閣]]論が強まり辞職}} |<ref name="wakatuki"/> |- | style="background:#4dc4ff" | '''{{0}}29''' |{{none|イヌカ}}{{ruby|'''[[犬養毅]]'''|いぬかい つよし}} |[[ファイル:Inukai Tsuyoshi (cropped).jpg|80px|犬養毅]] |[[犬養内閣]] |1931年12月13日{{語中改行}}- 1932年5月16日{{Efn2|犬養は5月15日に死去。}} | style="text-align:right" | 156日 | style="text-align:right" | 156日 <!--|[[備中国]]--> <!--|[[慶應義塾]]{{Efn2|name=":1"}}中退--> <!--|{{Bulleted list|正三位勲一等|衆議院議員(第17期、[[岡山県第2区 (中選挙区)|岡山県第2区]]選出)}}--> |{{Bulleted list|立憲政友会総裁|[[金本位制]]を離脱し[[管理通貨制度]]へ移行|在任中に[[五・一五事件|暗殺]]}} |<ref name="inukai">[https://kotobank.jp/word/%E7%8A%AC%E9%A4%8A%E6%AF%85%E5%86%85%E9%96%A3-818222 コトバンク 「犬養毅内閣」]</ref> |- | style="background:#4dc4ff" | '''{{0}}-''' |{{none|タカハ}}{{ruby|'''[[高橋是清]]'''|たかはし これきよ}} |[[ファイル:Korekiyo Takahashi formal.jpg|80px|高橋是清]] |[[犬養内閣]] |1932年5月16日{{語中改行}}- 1932年5月26日 | style="text-align:right" | ({{age in days|1932|5|16|1932|5|26}}日) | style="text-align:right" | - |犬養の死去に伴う臨時兼任([[財務大臣 (日本)|大蔵大臣]]) | |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}30''' |{{none|サイト}}{{ruby|'''[[斎藤実|齋藤實]]'''|さいとう まこと}} |[[ファイル:Makoto Saito 2.jpg|80px|齋藤実]] |[[齋藤内閣]] |1932年5月26日{{語中改行}}- 1934年7月8日 | style="text-align:right" | 774日 | style="text-align:right" | 774日 |{{Bulleted list|[[挙国一致内閣]]|[[日満議定書]]で[[満洲国]]承認|[[国際連盟]]脱退|[[帝人事件]]により引責辞任}} |<ref name="saitou">[https://kotobank.jp/word/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%AE%9F%E5%86%85%E9%96%A3-837193 コトバンク 「斎藤実内閣」]</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}31''' |{{none|オカタ}}{{ruby|'''[[岡田啓介]]'''|おかだ けいすけ}} |[[ファイル:Keisuke Okada 2 cropped.jpg|80px|岡田啓介]] |[[岡田内閣]] |1934年7月8日{{語中改行}}- 1936年3月9日 | style="text-align:right" | 611日 | style="text-align:right" | 611日 |{{Bulleted list|挙国一致内閣(後に立憲政友会が離脱)|[[重臣会議]]の推挙による初の首相|[[二・二六事件]]により辞任|消息不明により内務大臣[[後藤文夫]]が臨時代理}} |<ref name="okada">[https://kotobank.jp/word/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E5%95%93%E4%BB%8B%E5%86%85%E9%96%A3-822437 コトバンク 「岡田啓介内閣」]</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}32''' |{{none|ヒロタ}}{{ruby|'''[[広田弘毅|廣田弘毅]]'''|ひろた こうき}} |[[ファイル:Kohki Hirota suit cropped.jpg|80px|廣田弘毅]] |[[廣田内閣]] |1936年3月9日{{語中改行}}- 1937年2月2日 | style="text-align:right" | 331日 | style="text-align:right" | 331日 |{{Bulleted list|挙国一致内閣|[[日独伊防共協定]]|[[腹切り問答]]を巡る軍と政党の対立により辞任}} |<ref name="hirota">[https://kotobank.jp/word/%E5%BA%83%E7%94%B0%E5%BC%98%E6%AF%85%E5%86%85%E9%96%A3-864451 コトバンク 「広田弘毅内閣」]</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}33''' |{{none|ハヤシ}}{{ruby|'''[[林銑十郎]]'''|はやし せんじゅうろう}} |[[ファイル:Senjuro Hayashi suit.jpg|80px|林銑十郎]] |[[林内閣]] |1937年2月2日{{語中改行}}- 1937年6月4日 | style="text-align:right" | 123日 | style="text-align:right" | 123日 |{{Bulleted list|[[昭和会]]、[[国民同盟]]閣外協力|'''[[衆議院解散|食い逃げ解散]]([[第20回衆議院議員総選挙|第20回]])'''|衆院選敗北により辞任}} |<ref name="hayasi">[https://kotobank.jp/word/%E6%9E%97%E9%8A%91%E5%8D%81%E9%83%8E%E5%86%85%E9%96%A3-861781 コトバンク 「林銑十郎内閣」]</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}34''' |{{none|コノエ}}{{ruby|'''[[近衛文麿|近衞文麿]]'''|このえ ふみまろ}} |[[File:Konoe Humimaro (cropped).jpg|80px|近衞文麿]] |[[第1次近衛内閣|第1次近衞内閣]] |1937年6月4日{{語中改行}}- 1939年1月5日 | style="text-align:right" | 581日 | style="text-align:right" | 581日 |{{Bulleted list|挙国一致内閣|[[盧溝橋事件]]後不拡大方針表明も[[日中戦争]]([[支那事変]])|[[国家総動員法]]など[[国家総力戦]]体制構築||日独軍事同盟締結に関して陸軍と対立し、辞任}} |<ref name="konoe">[https://kotobank.jp/word/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E6%96%87%E9%BA%BF%E5%86%85%E9%96%A3-836020 コトバンク 「近衛文麿内閣」]</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}35''' |{{none|ヒラヌ}}{{ruby|'''[[平沼騏一郎]]'''|ひらぬま きいちろう}} |[[ファイル:Kiichiro Hiranuma.jpg|80px|平沼騏一郎]] |[[平沼内閣]] |1939年1月5日{{語中改行}}- 1939年8月30日 | style="text-align:right" | 238日 | style="text-align:right" | 238日 |{{Bulleted list|'''挙国一致内閣'''|[[独ソ不可侵条約]]を受けて辞任}} |<ref name="hiranuma">[https://kotobank.jp/word/%E5%B9%B3%E6%B2%BC%E9%A8%8F%E4%B8%80%E9%83%8E%E5%86%85%E9%96%A3-864276 コトバンク 「平沼騏一郎内閣」]</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}36''' |{{none|アヘノ}}{{ruby|'''[[阿部信行]]'''|あべ のぶゆき}} |[[ファイル:Abe Nobuyuki (cropped).jpg|80px|阿部信行]] |[[阿部内閣]] |1939年8月30日{{語中改行}}- 1940年1月16日 | style="text-align:right" | 140日 | style="text-align:right" | 140日 |{{Bulleted list|'''挙国一致内閣'''{{efn2|しかし、政党からの閣僚が少数で政党との繋がりが弱く、陸軍の支持を中心とする}}|米価引上の混乱により辞任}} |<ref name="abenobuyuki">[https://kotobank.jp/word/%E9%98%BF%E9%83%A8%E4%BF%A1%E8%A1%8C%E5%86%85%E9%96%A3-815785 コトバンク 「阿部信行内閣」]</ref> |- | style="background:#FFFFFF" | '''{{0}}37''' |{{none|ヨナイ}}{{ruby|'''[[米内光政]]'''|よない みつまさ}} |[[File:Mitsumasa Yonai cropped to 3x4.jpg|80px|米内光政]] |[[米内内閣]] |1940年1月16日{{語中改行}}- 1940年7月22日 | style="text-align:right" | 189日 | style="text-align:right" | 189日 |{{Bulleted list|'''挙国一致内閣'''|陸軍との対立により辞任{{efn2|日独同盟と近衞[[新体制運動]]を巡り。}}}} |<ref name="yonai">[https://kotobank.jp/word/%E7%B1%B3%E5%86%85%E5%85%89%E6%94%BF%E5%86%85%E9%96%A3-876438 コトバンク 「米内光政内閣」]</ref> |- | style="background:#990099; color:#FFFFFF;" | '''{{0}}38''' |rowspan="2"|{{none|コノエ}}{{ruby|'''近衞文麿'''|このえ ふみまろ}} |rowspan="2"|[[File:Konoe Humimaro (cropped).jpg|80px|近衞文麿]] |[[第2次近衛内閣|第2次近衞内閣]] |1940年7月22日{{語中改行}}- 1941年7月18日 | style="text-align:right" | 362日 | style="text-align:right" | 943日 |{{Bulleted list|'''挙国一致内閣'''|[[大政翼賛会]]総裁|内閣改造のため辞任{{efn2|外相[[松岡洋右]]更迭のため。}}}} |rowspan="2"|<ref name="konoe"/> |- | style="background:#990099; color:#FFFFFF;" | '''{{0}}39''' |[[第3次近衛内閣|第3次近衞内閣]] |1941年7月18日{{語中改行}}- 1941年10月18日 | style="text-align:right" | 93日 | style="text-align:right" | 1,035日 |{{Bulleted list|'''挙国一致内閣'''|[[大政翼賛会]]総裁|閣内不一致のため辞任{{efn2|[[東條英機]]陸相の[[日米交渉]]打切り要求を巡る。}}}} |- | style="background:#990099; color:#FFFFFF;" | '''{{0}}40''' |{{none|トウシ}}{{ruby|'''[[東條英機]]'''|とうじょう ひでき}} ||[[File:Hideki Tojo 2 (cropped 2).jpg|80px|東條英機]] |[[東條内閣]] |1941年10月18日{{語中改行}}- 1944年7月22日 | style="text-align:right" | 1,009日 | style="text-align:right" | 1,009日 |{{Bulleted list|'''挙国一致内閣'''|大政翼賛会総裁|'''衆議院任期満了([[第21回衆議院議員総選挙|第21回]])'''|[[サイパンの戦い|サイパン島陥落]]により辞任}} |{{Bulleted list|<ref name="abenobuyuki"/>|<ref name="tojyo">[https://kotobank.jp/word/%E6%9D%B1%E6%9D%A1%E8%8B%B1%E6%A9%9F%E5%86%85%E9%96%A3-855119 コトバンク 「東条英機内閣」]</ref>}} |- | style="background:#990099; color:#FFFFFF;" | '''{{0}}41''' |{{none|コイソ}}{{ruby|'''[[小磯國昭]]'''|こいそ くにあき}} |[[ファイル:Kuniaki Koiso.jpg|80px|小磯國昭]] |[[小磯内閣]] |1944年7月22日{{語中改行}}- 1945年4月7日 | style="text-align:right" | 260日 | style="text-align:right" | 260日 |{{Bulleted list|'''挙国一致内閣'''|大政翼賛会総裁|閣内不一致のため辞任{{efn2|中国和平工作を巡る閣内不一致。}}}} |<ref name="koiso">[https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E7%A3%AF%E5%9B%BD%E6%98%AD%E5%86%85%E9%96%A3-833517 コトバンク 「小磯国昭内閣」]</ref> |- | style="background:#990099; color:#FFFFFF;" | '''{{0}}42''' |{{none|ススカ}}{{ruby|'''[[鈴木貫太郎]]'''|すずき かんたろう}} |[[ファイル:Kantaro Suzuki suit.jpg|80px|鈴木貫太郎]] |[[鈴木貫太郎内閣|鈴木内閣]] |1945年4月7日{{語中改行}}- 1945年8月17日 | style="text-align:right" | 133日 | style="text-align:right" | 133日 |{{Bulleted list|'''挙国一致内閣'''|大政翼賛会総裁|[[ポツダム宣言]]受諾に伴い辞任}} |<ref name="suzuki">[https://kotobank.jp/word/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%B2%AB%E5%A4%AA%E9%83%8E%E5%86%85%E9%96%A3-845136 コトバンク 「鈴木貫太郎内閣」]</ref> |- | '''{{0}}43''' |{{none|ヒカシ}}{{ruby|'''[[東久邇宮稔彦王]]'''|ひがしくにのみや なるひこおう}} |[[ファイル:HIH Prince Naruhiko of Higashikuni.jpg|80px|東久邇宮稔彦王]] |[[東久邇宮内閣]] |1945年8月17日{{語中改行}}- 1945年10月9日 | style="text-align:right" |54日 | style="text-align:right" |54日 |{{Bulleted list|'''[[連合国軍占領下の日本|主権喪失下(連合国軍占領下)]]'''|'''挙国一致内閣<br />([[皇族]]内閣)'''|[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]指令を拒否し辞任}} |<ref name="higasikuni">[https://kotobank.jp/word/%E6%9D%B1%E4%B9%85%E9%82%87%E7%A8%94%E5%BD%A6%E5%86%85%E9%96%A3-862954 コトバンク 「東久邇稔彦内閣」]</ref> |- | style="background:#8a7420; color:#FFFFFF;" | '''{{0}}44''' |{{none|シテハ}}{{ruby|'''[[幣原喜重郎]]'''|しではら きじゅうろう}} |[[ファイル:Prime Minister Kijūrō Shidehara.jpg|80px|幣原喜重郎]] |[[幣原内閣]] |1945年10月9日{{語中改行}}- 1946年5月22日 | style="text-align:right" |226日 | style="text-align:right" |226日 |{{Bulleted list|'''主権喪失下(連合国軍占領下)'''|'''挙国一致内閣'''|[[日本進歩党]]総裁|'''衆議院解散([[第22回衆議院議員総選挙|第22回]])'''|衆院選の結果を受け辞任}} |<ref>{{Cite web|和書|title=幣原喜重郎内閣とは |url=https://kotobank.jp/word/%E5%B9%A3%E5%8E%9F%E5%96%9C%E9%87%8D%E9%83%8E%E5%86%85%E9%96%A3-840300 |website=コトバンク |accessdate=2022-02-24 |language=ja |first=日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,旺文社日本史事典 |last=三訂版,世界大百科事典内言及}}</ref> |- | style="background:#EB6EA5" | '''{{0}}45''' |{{none|ヨシタ}}{{ruby|'''[[吉田茂]]'''|よしだ しげる}} |[[ファイル:Shigeru Yoshida suit.jpg|80px|吉田茂]] |[[第1次吉田内閣]] |1946年5月22日{{語中改行}}- 1947年5月24日 | style="text-align:right" |368日 | style="text-align:right" |368日 |{{Bulleted list|'''主権喪失下(連合国軍占領下)'''|'''[[日本自由党 (1945-1948)|日本自由党政権]]'''|日本自由党総裁|'''衆議院解散([[第23回衆議院議員総選挙|第23回]])'''|衆院選敗北により辞任}} |<ref name="yosida" /> |- | style="background:#745399; color:#FFFFFF;" | '''{{0}}46''' |{{none|カタヤ}}{{ruby|'''[[片山哲]]'''|かたやま てつ}} |[[File:片山哲.jpg|80px|片山哲]] |[[片山内閣]] |1947年5月24日{{語中改行}}- 1948年3月10日 | style="text-align:right" |292日 | style="text-align:right" |292日 |{{Bulleted list|'''主権喪失下(連合国軍占領下)'''|'''社会・民主・国協連立政権'''<br />(日本社会党、[[民主党 (日本 1947-1950)|民主党]]、[[国民協同党]])|[[日本社会党]][[日本社会党委員長|委員長]]|社会党の党内対立により辞任}} |<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=片山哲内閣とは |url=https://kotobank.jp/word/%E7%89%87%E5%B1%B1%E5%93%B2%E5%86%85%E9%96%A3-825197 |website=コトバンク |accessdate=2022-02-24 |language=ja |first=日本大百科全書(ニッポニカ),旺文社日本史事典 |last=三訂版,百科事典マイペディア,世界大百科事典内言及}}</ref> |- | style="background:#03af7a" | '''{{0}}47''' |{{none|アシタ}}{{ruby|'''[[芦田均]]'''|あしだ ひとし}} |[[File:Hitoshi Ashida.jpg|80px|芦田均]] |[[芦田内閣]] |1948年3月10日{{語中改行}}- 1948年10月15日 | style="text-align:right" |220日 | style="text-align:right" |220日 |{{Bulleted list|'''主権喪失下(連合国軍占領下)'''|'''社会・民主・国協連立政権'''<br />(日本社会党、民主党、国民協同党)|民主党総裁|[[昭電疑獄事件]]により辞任}} |{{Bulleted list|<ref name=":2">{{Cite web|和書|title=芦田均とは |url=https://kotobank.jp/word/%E8%8A%A6%E7%94%B0%E5%9D%87-25287 |website=コトバンク |accessdate=2022-02-24 |language=ja |first=日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,旺文社日本史事典 三訂版,デジタル版 日本人名大辞典+Plus,百科事典マイペディア,精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,世界大百科事典 |last=第2版,世界大百科事典内言及}}</ref>|<ref name=":3">{{Cite web|和書|title=芦田均内閣とは |url=https://kotobank.jp/word/%E8%8A%A6%E7%94%B0%E5%9D%87%E5%86%85%E9%96%A3-815043 |website=コトバンク |accessdate=2022-02-24 |language=ja |last=日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,世界大百科事典内言及}}</ref>}} |- | style="background:#EB6EA5" | '''{{0}}48''' |rowspan="4"|{{none|ヨシタ}}{{ruby|'''吉田茂'''|よしだ しげる}} |rowspan="4"|[[ファイル:Shigeru Yoshida suit.jpg|80px|吉田茂]] |[[第2次吉田内閣]] |1948年10月15日{{語中改行}}- 1949年2月16日 | style="text-align:right" |125日 | style="text-align:right" |493日 |{{Bulleted list|'''主権喪失下(連合国軍占領下)'''|'''[[民主自由党 (日本)|民主自由党]]政権'''|民主自由党総裁|'''衆議院解散([[第24回衆議院議員総選挙|第24回]])'''}} |rowspan="4"|<ref name="yosida">[https://kotobank.jp/word/%E5%90%89%E7%94%B0%E8%8C%82%E5%86%85%E9%96%A3-876303 コトバンク 「吉田茂内閣」]</ref> |- | style="background:#EB6EA5" | '''{{0}}49''' |[[第3次吉田内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第3次吉田内閣 (第1次改造)|第1次改造内閣]]|[[第3次吉田内閣 (第2次改造)|第2次改造内閣]]|[[第3次吉田内閣 (第3次改造)|第3次改造内閣]]}} |1949年2月16日{{語中改行}}- 1952年10月30日 | style="text-align:right" |1,353日 | style="text-align:right" |1,845日 |{{Bulleted list|'''主権喪失下(連合国軍占領下)'''|'''民自・民主連立政権'''<br />(民主自由党、民主党連立派)<br />→'''自由党政権'''|民主自由党総裁→[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]総裁|'''衆議院解散([[第25回衆議院議員総選挙|第25回]])'''}} |- | style="background:#EB6EA5" | '''{{0}}50''' |[[第4次吉田内閣]] |1952年10月30日{{語中改行}}- 1953年5月21日 | style="text-align:right" |204日 | style="text-align:right" |2,048日 |{{Bulleted list|'''自由党政権'''|自由党総裁|'''衆議院解散([[第26回衆議院議員総選挙|第26回]])'''}} |- | style="background:#EB6EA5" | '''{{0}}51''' |[[第5次吉田内閣]] |1953年5月21日{{語中改行}}- 1954年12月10日 | style="text-align:right" |569日 | style="text-align:right" |2,616日 |{{Bulleted list|'''自由党政権'''|自由党総裁|[[造船疑獄]]により辞任}} |- | style="background:#EB6EA5" | '''{{0}}52''' |rowspan="3"|{{none|ハトイ}}{{ruby|'''[[鳩山一郎]]'''|はとやま いちろう}} |rowspan="3"|[[File:Hatoyama Ichirō (cropped).jpg|80px|鳩山一郎]] |[[第1次鳩山一郎内閣|第1次鳩山内閣]] |1954年12月10日{{語中改行}}- 1955年3月19日 | style="text-align:right" |100日 | style="text-align:right" |100日 |{{Bulleted list|'''[[日本民主党]]政権'''|日本民主党総裁|'''衆議院解散([[第27回衆議院議員総選挙|第27回]])'''}} |rowspan="3"|<ref name="hatoyamaitiro">[https://kotobank.jp/word/%E9%B3%A9%E5%B1%B1%E4%B8%80%E9%83%8E%E5%86%85%E9%96%A3-861308 コトバンク 「鳩山一郎内閣」]</ref> |- | style="background:#EB6EA5" | '''{{0}}53''' |[[第2次鳩山一郎内閣|第2次鳩山内閣]] |1955年3月19日{{語中改行}}- 1955年11月22日 | style="text-align:right" |249日 | style="text-align:right" |348日 |{{Bulleted list|'''日本民主党政権'''→'''自由民主党政権'''|日本民主党総裁→[[自由民主党 (日本)|自由民主党]][[自由民主党総裁|総裁代行委員]]|自由民主党結成を受け辞任}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}54''' |[[第3次鳩山一郎内閣|第3次鳩山内閣]] |1955年11月22日{{語中改行}}- 1956年12月23日 | style="text-align:right" |398日 | style="text-align:right" |745日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁代行委員→自由民主党[[自由民主党総裁|総裁]]|日ソ国交回復を花道に辞任}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}55''' |{{none|イシハ}}{{ruby|'''[[石橋湛山]]'''|いしばし たんざん}} |[[ファイル:Tanzan Ishibashi 1953.jpg|80px|石橋湛山]] |[[石橋内閣]] |1956年12月23日{{語中改行}}- 1957年2月25日 | style="text-align:right" |65日 | style="text-align:right" |65日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|病気のため辞任}} |<ref name="isibasi">[https://kotobank.jp/word/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%B9%9B%E5%B1%B1%E5%86%85%E9%96%A3-817511 コトバンク 「石橋湛山内閣」]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}-''' |rowspan="3"|{{none|キシN}}{{ruby|'''[[岸信介]]'''|きし のぶすけ}} |rowspan="3"|[[ファイル:Kishi-Nobusuke-1 (cropped).jpg|80px|岸信介]] |[[石橋内閣]] |1957年1月31日{{語中改行}}- 1957年2月25日 | style="text-align:right" |25日 | style="text-align:right" |25日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|'''内閣総理大臣臨時代理'''<br />([[外務大臣 (日本)|外務大臣]])}} | |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}56''' |[[第1次岸内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第1次岸内閣 (改造)|改造内閣]]}} |1957年2月25日{{語中改行}}- 1958年6月12日 | style="text-align:right" |473日 | style="text-align:right" |473日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第28回衆議院議員総選挙|第28回]])'''}} |rowspan="2"|<ref name="kisi">[https://kotobank.jp/word/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B%E5%86%85%E9%96%A3-828133 コトバンク 「岸信介内閣」]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}57''' |[[第2次岸内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第2次岸内閣 (改造)|改造内閣]]}} |1958年6月12日{{語中改行}}- 1960年7月19日 | style="text-align:right" |769日 | style="text-align:right" |1,241日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|日米安保条約承認に伴う辞任}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}58''' |rowspan="3"|{{none|イケタ}}{{ruby|'''[[池田勇人]]'''|いけだ はやと}} |rowspan="3"|[[ファイル:JFKWHP-KN-C18157 in Hayato Ikeda (cropped) restored.jpg|80px|池田勇人]] |[[第1次池田内閣]] |1960年7月19日{{語中改行}}- 1960年12月8日 | style="text-align:right" |143日 | style="text-align:right" |143日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第29回衆議院議員総選挙|第29回]])'''}} |rowspan="3"|<ref name="ikeda">[https://kotobank.jp/word/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%8B%87%E4%BA%BA-30297 コトバンク 「池田勇人内閣」]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}59''' |[[第2次池田内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第2次池田内閣 (第1次改造)|第1次改造内閣]]|[[第2次池田内閣 (第2次改造)|第2次改造内閣]]|[[第2次池田内閣 (第3次改造)|第3次改造内閣]]}} |1960年12月8日{{語中改行}}- 1963年12月9日 | style="text-align:right" |1,097日 | style="text-align:right" |1,239日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第30回衆議院議員総選挙|第30回]])'''}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}60''' |[[第3次池田内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第3次池田内閣 (改造)|改造内閣]]}} |1963年12月9日{{語中改行}}- 1964年11月9日 | style="text-align:right" |337日 | style="text-align:right" |1,575日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|病気のため辞任}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}61''' |rowspan="3"|{{none|サトウ}}{{ruby|'''[[佐藤栄作]]'''|さとう えいさく}} |rowspan="3"|[[File:Eisaku Sato 19641109.jpg|80px|佐藤栄作]] |[[第1次佐藤内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第1次佐藤内閣 (第1次改造)|第1次改造内閣]]|[[第1次佐藤内閣 (第2次改造)|第2次改造内閣]]|[[第1次佐藤内閣 (第3次改造)|第3次改造内閣]]}} |1964年11月9日{{語中改行}}- 1967年2月17日 | style="text-align:right" |831日 | style="text-align:right" |831日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第31回衆議院議員総選挙|第31回]])'''}} |rowspan="3"|{{Bulleted list|<ref name="satou">[https://kotobank.jp/word/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%A0%84%E4%BD%9C%E5%86%85%E9%96%A3-837899 コトバンク 「佐藤栄作内閣」]</ref>|<ref>{{Cite web|和書|title=佐藤栄作とは |url=https://kotobank.jp/word/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%A0%84%E4%BD%9C-18026 |website=コトバンク |accessdate=2022-02-24 |language=ja |first=日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,百科事典マイペディア,デジタル版 日本人名大辞典+Plus,精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,世界大百科事典 |last=第2版,世界大百科事典内言及}}</ref>}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}62''' |[[第2次佐藤内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第2次佐藤内閣 (第1次改造)|第1次改造内閣]]|[[第2次佐藤内閣 (第2次改造)|第2次改造内閣]]}} |1967年2月17日{{語中改行}}- 1970年1月14日 | style="text-align:right" |1,063日 | style="text-align:right" |1,893日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第32回衆議院議員総選挙|第32回]])'''}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}63''' |[[第3次佐藤内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第3次佐藤内閣 (改造)|改造内閣]]}} |1970年1月14日{{語中改行}}- 1972年7月7日 | style="text-align:right" |906日 | style="text-align:right" |2,798日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|沖縄返還を花道に辞任}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}64''' |rowspan="2"|{{none|タナカ}}{{ruby|'''[[田中角栄]]'''|たなか かくえい}} |rowspan="2"|[[File:Kakuei Tanaka 19720707.jpg|80px|田中角栄]] |[[第1次田中角栄内閣|第1次田中内閣]] |1972年7月7日{{語中改行}}- 1972年12月22日 | style="text-align:right" |169日 | style="text-align:right" |169日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第33回衆議院議員総選挙|第33回]])'''}} |rowspan="2"|<ref name="tanakakakuei">[https://kotobank.jp/word/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%A7%92%E6%A0%84%E5%86%85%E9%96%A3-850238 コトバンク 「田中角栄内閣」]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}65''' |[[第2次田中角栄内閣|第2次田中内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第2次田中角栄内閣 (第1次改造)|第1次改造内閣]]|[[第2次田中角栄内閣 (第2次改造)|第2次改造内閣]]}} |1972年12月22日{{語中改行}}- 1974年12月9日 | style="text-align:right" |718日 | style="text-align:right" |886日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|[[田中金脈問題]]により辞任}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}66''' |{{none|ミキタ}}{{ruby|'''[[三木武夫]]'''|みき たけお}} |[[File:Takeo Miki 19741209.jpg|80px|三木武夫]] |[[三木内閣]]<br />{{Bulleted list|[[三木内閣 (改造)|改造内閣]]}} |1974年12月9日{{語中改行}}- 1976年12月24日 | style="text-align:right" |747日 | style="text-align:right" |747日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|'''衆議院任期満了([[第34回衆議院議員総選挙|第34回]])'''|総選挙敗北・党内対立により辞任}} |<ref name="miki">[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E6%AD%A6%E5%A4%AB%E5%86%85%E9%96%A3-871861 コトバンク 三木武夫内閣]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}67''' |{{none|フクタ}}{{ruby|'''[[福田赳夫]]'''|ふくだ たけお}} |[[File:Takeo Fukuda 19761224.jpg|80px|福田赳夫]] |[[福田赳夫内閣|福田内閣]]<br />{{Bulleted list|[[福田赳夫内閣 (改造)|改造内閣]]}} |1976年12月24日{{語中改行}}- 1978年12月7日 | style="text-align:right" |714日 | style="text-align:right" |714日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|[[1978年自由民主党総裁選挙|総裁選]]敗北により辞任}} |<ref name="fukudatakeo">[https://kotobank.jp/word/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E8%B5%B3%E5%A4%AB%E5%86%85%E9%96%A3-865337 コトバンク 「福田赳夫内閣」]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}68''' |rowspan="2"|{{none|オオヒ}}{{ruby|'''[[大平正芳]]'''|おおひら まさよし}} |rowspan="2"|[[ファイル:Masayoshi Ohira 19781207.jpg|80px|大平正芳]] |[[第1次大平内閣]] |1978年12月7日{{語中改行}}- 1979年11月9日 | style="text-align:right" |338日 | style="text-align:right" |338日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第35回衆議院議員総選挙|第35回]])'''}} |rowspan="2"|<ref name="ohira">[https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E6%AD%A3%E8%8A%B3%E5%86%85%E9%96%A3-822300 コトバンク 「大平正芳内閣」]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}69''' |[[第2次大平内閣]] |1979年11月9日{{語中改行}}- 1980年6月12日 | style="text-align:right" |217日 | style="text-align:right" |554日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第36回衆議院議員総選挙|第36回]])'''|在任中に死去}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}-''' |{{none|イトマ}}{{ruby|[[伊東正義]]|いとう まさよし}} |[[ファイル: Masayoshi Ito (cropped).jpg|80px|伊東正義]] |[[第2次大平内閣]] |1980年6月12日{{語中改行}}- 1980年7月17日 | style="text-align:right" | ({{age in days|1980|6|12|1980|7|17}}日) | style="text-align:right" | - |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|'''内閣総理大臣臨時代理'''<br />([[内閣官房長官]])}} | |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}70''' |{{none|ススセ}}{{ruby|'''[[鈴木善幸]]'''|すずき ぜんこう}} |[[ファイル:Zenkō Suzuki 19800717.jpg|80px|鈴木善幸]] |[[鈴木善幸内閣|鈴木内閣]]<br />{{Bulleted list|[[鈴木善幸内閣 (改造)|改造内閣]]}} |1980年7月17日{{語中改行}}- 1982年11月27日 | style="text-align:right" |864日 | style="text-align:right" |864日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|総裁任期満了により退任}} |<ref name="suzukizenko">[https://kotobank.jp/word/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%96%84%E5%B9%B8%E5%86%85%E9%96%A3-845142 コトバンク 「鈴木善幸内閣」]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}71''' |rowspan="3"|{{none|ナカソ}}{{ruby|'''[[中曽根康弘|中曾根康弘]]'''|なかそね やすひろ}} |rowspan="3"|[[File:Yasuhiro Nakasone 19821127.jpg|80px|中曽根康弘]] |[[第1次中曽根内閣|第1次中曾根内閣]] |1982年11月27日{{語中改行}}- 1983年12月27日 | style="text-align:right" |396日 | style="text-align:right" |396日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第37回衆議院議員総選挙|第37回]])'''}} |rowspan="3"|{{Bulleted list|<ref name="nakasone">[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E6%9B%BD%E6%A0%B9%E5%BA%B7%E5%BC%98%E5%86%85%E9%96%A3-1571661 コトバンク 「中曽根康弘内閣」]</ref>|<ref>{{Cite web|和書|title=中曽根康弘とは |url=https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E6%9B%BD%E6%A0%B9%E5%BA%B7%E5%BC%98-17275 |website=コトバンク |accessdate=2022-02-24 |language=ja |first=日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,デジタル大辞泉,デジタル版 |last=日本人名大辞典+Plus}}</ref>}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}72''' |[[第2次中曽根内閣|第2次中曾根内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第2次中曽根内閣 (第1次改造)|第1次改造内閣]]|[[第2次中曽根内閣 (第2次改造)|第2次改造内閣]]}} |1983年12月27日{{語中改行}}- 1986年7月22日 | style="text-align:right" |939日 | style="text-align:right" |1,334日 |{{Bulleted list|'''自由民主党連立政権'''<br />(自由民主党、[[新自由クラブ]])|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第38回衆議院議員総選挙|第38回]])'''}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}73''' |[[第3次中曽根内閣|第3次中曾根内閣]] |1986年7月22日{{語中改行}}- 1987年11月6日 | style="text-align:right" |473日 | style="text-align:right" |1,806日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|総裁任期満了により退任}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}74''' |{{none|タケシ}}{{ruby|'''[[竹下登]]'''|たけした のぼる}} |[[File:Noboru Takeshita 19871106.jpg|80px]] |[[竹下内閣]]<br />{{Bulleted list|[[竹下内閣 (改造)|改造内閣]]}} |1987年11月6日{{語中改行}}- 1989年6月3日 | style="text-align:right" | 576日 | style="text-align:right" | 576日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|[[リクルート事件]]により辞任}} |<ref name="takesita">[https://kotobank.jp/word/%E7%AB%B9%E4%B8%8B%E7%99%BB%E5%86%85%E9%96%A3-849808 コトバンク 「竹下登内閣」]</ref> |- ! colspan="9" | === [[平成]]時代(1989年 - 2019年) === |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}75''' |{{none|ウノソ}}{{ruby|'''[[宇野宗佑]]'''|うの そうすけ}} |[[ファイル:Sosuke Uno 19890603.jpg|80px|宇野宗佑]] |[[宇野内閣]] |1989年6月3日{{語中改行}}- 1989年8月10日 | style="text-align:right" | 69日 | style="text-align:right" | 69日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|参院選敗北により辞任}} |<ref name="uno">[https://kotobank.jp/word/%E5%AE%87%E9%87%8E%E5%AE%97%E4%BD%91%E5%86%85%E9%96%A3-819832 コトバンク 「宇野宗佑内閣」]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}76''' |rowspan="2"|{{none|カイフ}}{{ruby|'''[[海部俊樹]]'''|かいふ としき}} |rowspan="2"|[[ファイル:Toshiki Kaifu 19890810.jpg|80px|海部俊樹]] |[[第1次海部内閣]] |1989年8月10日{{語中改行}}- 1990年2月28日 | style="text-align:right" | 203日 | style="text-align:right" | 203日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第39回衆議院議員総選挙|第39回]])'''}} |rowspan="2"|<ref name="kaifu">[https://kotobank.jp/word/%E6%B5%B7%E9%83%A8%E4%BF%8A%E6%A8%B9%E5%86%85%E9%96%A3-824080 コトバンク 「海部俊樹内閣」]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}77''' |[[第2次海部内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第2次海部内閣 (改造)|改造内閣]]}} |1990年2月28日{{語中改行}}- 1991年11月5日 | style="text-align:right" | 616日 | style="text-align:right" | 818日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|党内対立により辞任}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}78''' |{{none|ミヤサ}}{{ruby|'''[[宮澤喜一]]'''|みやざわ きいち}} |[[File:Kiichi Miyazawa 19911105.jpg|80px]] |[[宮澤内閣]]<br />{{Bulleted list|[[宮澤内閣 (改造)|改造内閣]]}} |1991年11月5日{{語中改行}}- 1993年8月9日 | style="text-align:right" | 644日 | style="text-align:right" | 644日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''|自由民主党総裁|'''解散総選挙([[第40回衆議院議員総選挙|第40回]])'''|衆院選敗北により辞任}} |{{Bulleted list|<ref name="miyazawa">[https://kotobank.jp/word/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E5%96%9C%E4%B8%80%E5%86%85%E9%96%A3-872649 コトバンク 「宮沢喜一内閣」]</ref>|<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E8%AB%87%E8%A9%B1-894157 コトバンク「河野談話」]</ref>}} |- | style="background:#fff100" | '''{{0}}79''' |{{none|ホソカ}}{{ruby|'''[[細川護熙]]'''|ほそかわ もりひろ}} |[[File:Morihiro Hosokawa 19930809.jpg|80px|細川護煕]] |[[細川内閣]] |1993年8月9日{{語中改行}}- 1994年4月28日 | style="text-align:right" | 263日 | style="text-align:right" | 263日 |{{Bulleted list|'''[[非自民・非共産連立政権]]'''{{efn2|日本新党、日本社会党、[[新生党]]、[[公明党]]、[[民社党]]、[[新党さきがけ]]、[[社会民主連合]]の7党と、参院会派の[[民主改革連合]]による連立政権。}}|[[日本新党]]代表|[[東京佐川急便事件]]により辞任}} |<ref name="hosokawa">[https://kotobank.jp/word/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E8%AD%B7%E7%86%99%E5%86%85%E9%96%A3-1592420 コトバンク 「細川護熙内閣」]</ref> |- | style="background:#f6aa00" | '''{{0}}80''' |{{none|ハタツ}}{{ruby|'''[[羽田孜]]'''|はた つとむ}} |[[ファイル:Tsutomu Hata 19940428.jpg|80px|羽田孜]] |[[羽田内閣]] |1994年4月28日{{語中改行}}- 1994年6月30日 | style="text-align:right" | 64日 | style="text-align:right" | 64日 |{{Bulleted list|'''非自民・非共産連立政権'''{{efn2|新生党、公明党、日本新党、民社党、[[自由党 (日本 1994)|自由党]]の5党と、衆院会派の[[改革の会]]、参院会派の民主改革連合による閣内与党と、新党さきがけ、新党みらい、社会民主連合が閣外協力。}}|[[新生党]]党首|内閣不信任不可避のため辞任}} |<ref name="hata">[https://kotobank.jp/word/%E7%BE%BD%E7%94%B0%E5%AD%9C%E5%86%85%E9%96%A3-860908 コトバンク 「羽田孜内閣」]</ref> |- | style="background:#745399; color:#FFFFFF;" | '''{{0}}81''' |{{none|ムラヤ}}{{ruby|'''[[村山富市]]'''|むらやま とみいち}} |[[ファイル:Tomiichi Murayama 19940630.jpg|80px|村山富市]] |{{Bulleted list|[[村山内閣]]|[[村山内閣 (改造)|改造内閣]]}} |1994年6月30日{{語中改行}}- 1996年1月11日 | style="text-align:right" | 561日 | style="text-align:right" | 561日 |{{Bulleted list|'''[[自社さ連立政権]]'''{{efn2|日本社会党、自由民主党、新党さきがけによる連立政権。}}|日本社会党委員長|予算審議前に辞任}} |<ref name="murayama">[https://kotobank.jp/word/%E6%9D%91%E5%B1%B1%E5%AF%8C%E5%B8%82%E5%86%85%E9%96%A3-873361 コトバンク 「村山富市内閣」]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}82''' |rowspan="2"|{{none|ハシモ}}{{ruby|'''[[橋本龍太郎]]'''|はしもと りゅうたろう}} |rowspan="2"|[[File:Ryutaro Hashimoto 19960111.jpg|80px]] |[[第1次橋本内閣]] |1996年1月11日{{語中改行}}- 1996年11月7日 | style="text-align:right" | 302日 | style="text-align:right" | 302日 |{{Bulleted list|'''自社さ連立政権'''{{efn2|自由民主党、日本社会党(1996年に[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]に改称)、新党さきがけによる連立政権。}}|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第41回衆議院議員総選挙|第41回]]''')}} |rowspan="2"|<ref name="hasimotoryutaro">[https://kotobank.jp/word/%E6%A9%8B%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E5%A4%AA%E9%83%8E%E5%86%85%E9%96%A3-860697 コトバンク 「橋本龍太郎内閣」]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}83''' |[[第2次橋本内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第2次橋本内閣 (改造)|改造内閣]]}} |1996年11月7日{{語中改行}}- 1998年7月30日 | style="text-align:right" | 631日 | style="text-align:right" | 932日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''{{efn2|社会民主党、新党さきがけが閣外協力、第18回参院選前に閣外協力解消。}}|自由民主党総裁|[[第18回参議院議員通常選挙|参院選]]敗北により辞任}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}84''' |{{none|オフチ}}{{ruby|'''[[小渕恵三]]'''|おぶち けいぞう}} |[[ファイル:Keizo Obuchi 19980730.jpg|80px|小渕恵三]] |[[小渕内閣]]<br />{{Bulleted list|[[小渕内閣 (第1次改造)|第1次改造内閣]]|[[小渕内閣 (第2次改造)|第2次改造内閣]]}} |1998年7月30日{{語中改行}}- 2000年4月5日 | style="text-align:right" | 616日 | style="text-align:right" | 616日 |{{Bulleted list|'''自由民主党政権'''<br />→'''[[小渕内閣 (第1次改造)|自自連立政権]]'''{{efn2|自由民主党、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]による連立政権。}}<br />→'''[[自公連立政権|自自公連立政権]]'''{{efn2|自由民主党、自由党、[[公明党]]による連立政権。}}<br />→'''[[自公連立政権|自公保連立政権]]'''{{efn2|name="jikouho1"|自由民主党、公明党、[[保守新党|保守党]]による連立政権。}}|自由民主党総裁|病気のため辞任{{efn2|脳梗塞発症により、2000年4月3日より執務不能。}}}} |<ref name="obuti">[https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E6%B8%95%E6%81%B5%E4%B8%89%E5%86%85%E9%96%A3-823188 コトバンク 「小渕恵三内閣」]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}-''' |{{none|アオキ}}{{ruby|'''[[青木幹雄]]'''|あおき みきお}} |[[ファイル:Mikio Aoki.jpg|80px]] |小渕第2次改造内閣 |2000年4月3日{{語中改行}}- 2000年4月5日 | style="text-align:right" | (3日) | style="text-align:right" | - |{{Bulleted list|'''自公保連立政権'''{{efn2|name="jikouho1"}}|'''内閣総理大臣臨時代理'''<br />([[内閣官房長官]])}} |<ref name="obuti"/> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}85''' |rowspan="2"|{{none|モリヨ}}{{ruby|'''[[森喜朗]]'''|もり よしろう}} |rowspan="2"|[[ファイル:Yoshiro Mori 20000405.jpg|80px|森喜朗]] |[[第1次森内閣]] |2000年4月5日{{語中改行}}- 2000年7月4日 | style="text-align:right" | 91日 | style="text-align:right" | 91日 |{{Bulleted list|'''[[自公連立政権|自公保連立政権]]'''{{efn2|name="jikouho1"}}|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第42回衆議院議員総選挙|第42回]])'''}} |rowspan="2"|<ref name="mori">[https://kotobank.jp/word/%E6%A3%AE%E5%96%9C%E6%9C%97%E5%86%85%E9%96%A3-874382 コトバンク 「森喜朗内閣」]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}86''' |[[第2次森内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編前)|改造内閣(再編前)]]|[[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)|改造内閣(再編後)]]}} |2000年7月4日{{語中改行}}- 2001年4月26日 | style="text-align:right" | 297日 | style="text-align:right" | 387日 |{{Bulleted list|'''自公保連立政権'''{{efn2|name="jikouho1"}}|自由民主党総裁|内閣支持率の低下を受け辞任}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}87''' |rowspan="3" style="white-space:nowrap"|{{none|コイス}}{{ruby|'''[[小泉純一郎]]'''|こいずみ じゅんいちろう}} |rowspan="3"|[[File:Junichiro Koizumi 20010426 (cropped).jpg|80px|小泉純一郎]] |[[第1次小泉内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第1次小泉内閣 (第1次改造)|第1次改造内閣]]|[[第1次小泉内閣 (第2次改造)|第2次改造内閣]]}} |2001年4月26日{{語中改行}}- 2003年11月19日 | style="text-align:right" | 938日 | style="text-align:right" | 938日 |{{Bulleted list|'''自公保連立政権'''{{efn2|name="jikouho2"|自由民主党、公明党、保守党([[保守新党]]に改称)による連立政権。}}|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第43回衆議院議員総選挙|第43回]])'''}} |rowspan="3"|{{Bulleted list|<ref name="koizumi">[https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E7%B4%94%E4%B8%80%E9%83%8E%E5%86%85%E9%96%A3-833510 コトバンク 「小泉純一郎内閣」]</ref>|<ref name="abedanwa"/>}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}88''' |[[第2次小泉内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第2次小泉内閣 (改造)|改造内閣]]}} |2003年11月19日{{語中改行}}- 2005年9月21日 | style="text-align:right" | 673日 | style="text-align:right" | 1,610日 |{{Bulleted list|'''自公保連立政権'''{{efn2|name="jikouho2"}}<br/>→'''[[自公連立政権]]'''{{efn2|name="jikou"|自由民主党、公明党による連立政権。}}|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第44回衆議院議員総選挙|第44回]])'''}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}89''' |[[第3次小泉内閣]]<br />{{Bulleted list||[[第3次小泉内閣 (改造)|改造内閣]]}} |2005年9月21日{{語中改行}}- 2006年9月26日 | style="text-align:right" | 371日 | style="text-align:right" | 1,980日 |{{Bulleted list|'''自公連立政権'''{{efn2|name="jikou"}}|自由民主党総裁|総裁任期満了で退任}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}90''' |{{none|アヘシ}}{{ruby|'''[[安倍晋三]]'''|あべ しんぞう}} |[[ファイル:Shinzō Abe 20060926.jpg|80px|安倍晋三]] |[[第1次安倍内閣]]<br />{{Bulleted list||[[第1次安倍内閣 (改造)|改造内閣]]}} |2006年9月26日{{語中改行}}- 2007年9月26日 | style="text-align:right" | 366日 | style="text-align:right" | 366日 |{{Bulleted list|'''自公連立政権'''{{efn2|name="jikou"}}|自由民主党総裁|[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]敗北により辞任}} |<ref name="abesinzo">[https://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89%E5%86%85%E9%96%A3-815767 コトバンク 「安倍晋三内閣」]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}91''' |{{none|フクヤ}}{{ruby|'''[[福田康夫]]'''|ふくだ やすお}} |[[ファイル:Yasuo Fukuda 200709.jpg|80px|福田康夫]] |[[福田康夫内閣|福田内閣]]<br />{{Bulleted list||[[福田康夫内閣 (改造)|改造内閣]]}} |2007年9月26日{{語中改行}}- 2008年9月24日 | style="text-align:right" | 365日 | style="text-align:right" | 365日 |{{Bulleted list|'''自公連立政権'''{{efn2|name="jikou"}}|自由民主党総裁|内閣支持率の低下を受け辞任}} |<ref name="fukudayasuo">[https://kotobank.jp/word/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E5%BA%B7%E5%A4%AB%E5%86%85%E9%96%A3-865343 コトバンク 「福田康夫内閣」]</ref> |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}92''' |{{none|アソウ}}{{ruby|'''[[麻生太郎]]'''|あそう たろう}} |[[ファイル:Tarō Asō 20100714.jpg|80px|麻生太郎]] |[[麻生内閣]] |2008年9月24日{{語中改行}}- 2009年9月16日 | style="text-align:right" | 358日 | style="text-align:right" | 358日 |{{Bulleted list|'''自公連立政権'''{{efn2|name="jikou"}}|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第45回衆議院議員総選挙|第45回]])'''|衆院選敗北により辞任}} |<ref name="asou">[https://kotobank.jp/word/%E9%BA%BB%E7%94%9F%E5%A4%AA%E9%83%8E%E5%86%85%E9%96%A3-815253 コトバンク 「麻生太郎内閣」]</ref> |- | style="background:#03af7a" | '''{{0}}93''' |{{none|ハトユ}}{{ruby|'''[[鳩山由紀夫]]'''|はとやま ゆきお}} |[[ファイル:Yukio Hatoyama 20070824.jpg|80px|鳩山由紀夫]] |[[鳩山由紀夫内閣|鳩山内閣]] |2009年9月16日{{語中改行}}- 2010年6月8日 | style="text-align:right" | 266日 | style="text-align:right" | 266日 |{{Bulleted list|'''[[民社国連立政権]]'''{{efn2|[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]、[[国民新党]]、[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]による連立政権。}}<br/>→'''[[民国連立政権]]'''{{efn2|name="minkoku"|民主党、国民新党による連立政権。}}|[[民主党代表]]|内閣支持率の低下を受け辞任}} |<ref name="hatoyamayukio">[https://kotobank.jp/word/%E9%B3%A9%E5%B1%B1%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB%E5%86%85%E9%96%A3-861311 コトバンク 「鳩山由紀夫内閣」]</ref> |- | style="background:#03af7a" | '''{{0}}94''' |{{none|カンナ}}{{ruby|'''[[菅直人]]'''|かん なおと}} |[[ファイル:Naoto Kan 20071221.jpg|80px|菅直人]] |[[菅直人内閣|菅内閣]]<br />{{Bulleted list|[[菅直人内閣 (第1次改造)|第1次改造内閣]]|[[菅直人内閣 (第2次改造)|第2次改造内閣]]}} |2010年6月8日{{語中改行}}- 2011年9月2日 | style="text-align:right" | 452日 | style="text-align:right" | 452日 |{{Bulleted list|'''民国連立政権'''{{efn2|name="minkoku"}}|民主党代表|予算・関連法成立に伴い辞任}} |{{Bulleted list|<ref name="kan">[https://kotobank.jp/word/%E8%8F%85%E7%9B%B4%E4%BA%BA%E5%86%85%E9%96%A3-1520936 コトバンク 「菅直人内閣」]</ref>|<ref>{{Cite web|和書|title=菅直人内閣とは |url=https://kotobank.jp/word/%E8%8F%85%E7%9B%B4%E4%BA%BA%E5%86%85%E9%96%A3-1520936 |website=コトバンク |accessdate=2022-02-24 |language=ja |last=日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア}}</ref>}} |- | style="background:#03af7a" | '''{{0}}95''' |{{none|ノタヨ}}{{ruby|'''[[野田佳彦]]'''|のだ よしひこ}} |[[ファイル:Yoshihiko Noda 20110902.jpg|80px|野田佳彦]] |[[野田内閣]]<br />{{Bulleted list|[[野田内閣 (第1次改造)|第1次改造内閣]]|[[野田内閣 (第2次改造)|第2次改造内閣]]|[[野田内閣 (第3次改造)|第3次改造内閣]]}} |2011年9月2日{{語中改行}}- 2012年12月26日 | style="text-align:right" | 482日 | style="text-align:right" | 482日 |{{Bulleted list|'''民国連立政権'''{{efn2|name="minkoku"}}|民主党代表|'''衆議院解散([[第46回衆議院議員総選挙|第46回]])'''|衆議選敗北により辞任}} |{{Bulleted list|<ref name="kan" />|<ref name="noda">[https://kotobank.jp/word/%E9%87%8E%E7%94%B0%E4%BD%B3%E5%BD%A6%E5%86%85%E9%96%A3-1576051 コトバンク 「野田佳彦内閣」]</ref>}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}96''' |rowspan="3"|{{none|アヘシ}}{{ruby|'''安倍晋三'''|あべ しんぞう}} |rowspan="3"|[[ファイル:Shinzō Abe 20120501 (cropped).jpg|80px|安倍晋三]] |[[第2次安倍内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第2次安倍内閣 (改造)|改造内閣]]}} |2012年12月26日{{語中改行}}- 2014年12月24日 | style="text-align:right" | 729日 | style="text-align:right" | 1,095日 |{{Bulleted list|'''[[自公連立政権]]'''{{efn2|name="jikou"}}|[[自由民主党総裁]]|'''衆議院解散([[第47回衆議院議員総選挙|第47回]])'''}} |rowspan="3"|{{Bulleted list|<ref name="abedanwa">[https://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E5%80%8D%E8%AB%87%E8%A9%B1-1718855 コトバンク「安倍談話」]</ref>|<ref name="abesinzo"/>|<ref>[https://kotobank.jp/word/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%BF%97%E6%91%A9%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88-1719520 コトバンク「伊勢志摩サミット」]</ref>}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}97''' |[[第3次安倍内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第3次安倍内閣 (第1次改造)|第1次改造内閣]]|[[第3次安倍内閣 (第2次改造)|第2次改造内閣]]|[[第3次安倍内閣 (第3次改造)|第3次改造内閣]]}} |2014年12月24日{{語中改行}}- 2017年11月1日 | style="text-align:right" | 1,044日 | style="text-align:right" | 2,138日 |{{Bulleted list|'''自公連立政権'''{{efn2|name="jikou"}}|自由民主党総裁|'''衆議院解散([[第48回衆議院議員総選挙|第48回]])'''}} |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}98''' |[[第4次安倍内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第4次安倍内閣 (第1次改造)|第1次改造内閣]]|[[第4次安倍内閣 (第2次改造)|第2次改造内閣]]}} |2017年11月1日<br / >- 2020年9月16日 | style="text-align:right" | 1,051日 | style="text-align:right" | 3,188日 |{{Bulleted list|'''自公連立政権'''{{efn2|name="jikou"}}|自由民主党総裁|病気のため辞任}} |- ! colspan="9" | === [[令和]]時代(2019年 - 現在) === |- | style="background:#F15A22" | '''{{0}}99''' |{{none|スカヨ}}{{ruby|'''[[菅義偉]]'''|すが よしひで}} |[[ファイル:Yoshihide Suga 20200924.jpg|80px|菅義偉]] |[[菅義偉内閣|菅内閣]] |2020年9月16日{{語中改行}}- 2021年10月4日 | style="text-align:right" | 384日 | style="text-align:right" | 384日 |{{Bulleted list|'''自公連立政権'''{{efn2|name="jikou"}}|自由民主党総裁|総裁任期満了で退任}} |{{Bulleted list|<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=政治学者が見た菅内閣の“功罪” |url=https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/68686.html |website=NHK政治マガジン |accessdate=2022-02-03 |language=ja |last=日本放送協会}}</ref>|<ref>{{Cite web|和書|title=菅政権、携帯料金引き下げ実現 大手も月2000円台プラン:時事ドットコム |url=https://web.archive.org/web/20210911220026/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021091100385&g=eco |website=時事ドットコム |accessdate=2022-02-03 |language=ja}}</ref>|<ref>{{Cite web|和書|title=22年度予算案、社保・国債費が6割 成長支出の余地狭く |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA241NU0U1A221C2000000/ |website=日本経済新聞 |date=2021-12-25 |accessdate=2022-02-03 |language=ja}}</ref>|<ref>{{Cite web|和書|title=改正国民投票法が成立 改憲手続き整備、論議環境整う |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA101760Q1A610C2000000/ |website=日本経済新聞 |date=2021-06-11 |accessdate=2022-02-03 |language=ja}}</ref>|<ref>{{Cite news|title=菅首相、自民党総裁選に不出馬 月末に退任へ|url=https://www.bbc.com/japanese/58430649|work=BBCニュース|accessdate=2022-02-03|language=ja}}</ref>}} |- | style="background:#F15A22" | '''100''' |rowspan="2"|{{none|キシタ}}{{ruby|'''[[岸田文雄]]'''|きしだ ふみお}} |rowspan="2"|[[ファイル:Fumio Kishida 20211005.jpg|80px|岸田文雄]] |[[第1次岸田内閣]] |2021年10月4日{{語中改行}}- 2021年11月10日 | style="text-align:right" | 38日 | style="text-align:right" | 38日 |{{Bulleted list|'''自公連立政権'''{{efn2|name="jikou"}}|自由民主党総裁|'''解散総選挙([[第49回衆議院議員総選挙|第49回]])'''}} | |- | style="background:#F15A22" | '''{{Anchors|現在}}101''' |[[第2次岸田内閣]]<br />{{Bulleted list|[[第2次岸田内閣 (第1次改造)|第1次改造内閣]]|[[第2次岸田内閣 (第2次改造)|第2次改造内閣]]}} |2021年11月10日{{語中改行}}- (現職) | style="text-align:right" | {{sum2|{{age in days|2021|11|10}}|1}}日<!-- 就任日を1日目とするため --> | style="text-align:right" | {{age in days|2021|10|04}}日<!--|衆議院議員(第10期、[[広島県第1区]]選出)--> |{{Bulleted list|'''自公連立政権'''{{efn2|name="jikou"}}|自由民主党総裁}} | |- |} <!--{{色}}--> *'''代'''は、[[内閣 (日本)|内閣]](内閣総理大臣)の代数を表す。 *'''期間、日数'''は、在職期間と在職日数を表す。ただし、在職期間が連続していない場合は、各次の在職日数を挙げ、最終次の在職日数の後に通算の在職日数を記載した。 *[[内閣総理大臣臨時代理]]、内閣総理大臣臨時兼任等も含める。 <!--*'''出生地'''は、その人物が出生した場所であり、出身地や選挙区とは必ずしも一致しない。なお、出生地と選挙区が異なる場合には注を付した。--> <!--*名前の下にある括弧には生誕年と死没年を記載している。--> <!--色のみに依存する情報法表現は不適切。音声読み上げ式ユーザーエージェントやテキスト型ユーザーエージェントやモノクローム印刷した場合に伝わらないため--> == 内閣総理大臣の年表 == {{#tag:timeline| ImageSize = width:1200 height:auto barincrement:12 PlotArea = top:10 bottom:50 right:100 left:20 AlignBars = late DateFormat = dd/mm/yyyy Period = from:22/12/1885 till:{{#time:d/m/Y|+9 hours}} TimeAxis = orientation:horizontal ScaleMajor = unit:year increment:5 start:01/01/1890 Colors = id:ind value:rgb(0.8,0.8,0.8) BarData = barset:PM PlotData = width:5 align:left fontsize:S shift:(5,-4) anchor:till barset:PM from:22/12/1885 till:30/07/1912 color:Purple text:"[[明治|Meiji]]" fontsize:10 from:22/12/1885 till:30/04/1888 color:pink text:"[[伊藤博文|Ito]]" fontsize:10 from:30/04/1888 till:24/12/1889 color:pink text:"[[黒田清隆|Kuroda]]" fontsize:10 from:24/12/1889 till:06/05/1891 color:pink text:"[[山縣有朋|Yamagata]]" fontsize:10 from:06/05/1891 till:08/08/1892 color:pink text:"[[松方正義|Matsukata]]" fontsize:10 from:08/08/1892 till:18/09/1896 color:pink text:"[[伊藤博文|Ito]]" fontsize:10 from:18/09/1896 till:12/01/1898 color:pink text:"[[松方正義|Matsukata]]" fontsize:10 from:12/01/1898 till:30/06/1898 color:pink text:"[[伊藤博文|Ito]]" fontsize:10 from:30/06/1898 till:08/11/1898 color:pink text:"[[大隈重信|Okuma]]" fontsize:10 from:08/11/1898 till:19/10/1900 color:pink text:"[[山縣有朋|Yamagata]]" fontsize:10 from:19/10/1900 till:02/06/1901 color:red text:"[[伊藤博文|Ito]]" fontsize:10 from:02/06/1901 till:07/01/1906 color:pink text:"[[桂太郎|Katsura]]" fontsize:10 from:07/01/1906 till:14/07/1908 color:red text:"[[西園寺公望|Saionji]]" fontsize:10 from:14/07/1908 till:30/08/1911 color:pink text:"[[桂太郎|Katsura]]" fontsize:10 from:30/07/1912 till:25/12/1926 color:Purple text:"[[大正|Taishō]]" fontsize:10 from:30/08/1911 till:21/12/1912 color:red text:"[[西園寺公望|Saionji]]" fontsize:10 from:21/12/1912 till:20/02/1913 color:green text:"[[桂太郎|Katsura]]" fontsize:10 from:20/02/1913 till:16/04/1914 color:green text:"[[山本権兵衛|Yamamoto]]" fontsize:10 from:16/04/1914 till:09/10/1916 color:pink text:"[[大隈重信|Okuma]]" fontsize:10 from:09/10/1916 till:29/09/1918 color:green text:"[[寺内正毅|Terauchi]]" fontsize:10 from:29/09/1918 till:13/11/1921 color:red text:"[[原敬|Hara]]" fontsize:10 from:13/11/1921 till:12/06/1922 color:red text:"[[高橋是清|Takahashi]]" fontsize:10 from:12/06/1922 till:02/09/1923 color:green text:"[[加藤友三郎|Tomosaburo Kato]]" fontsize:10 from:02/09/1923 till:07/01/1924 color:green text:"[[山本権兵衛|Yamamoto]]" fontsize:10 from:07/01/1924 till:11/06/1924 color:green text:"[[清浦奎吾|Kiyoura]]" fontsize:10 from:11/06/1924 till:30/01/1926 color:blue text:"[[加藤高明|Takaaki Kato]]" fontsize:10 from:25/12/1926 till:07/01/1989 color:Purple text:"[[昭和|Shōwa]]" fontsize:10 from:30/01/1926 till:20/04/1927 color:blue text:"[[若槻禮次郎|Wakatsuki]]" fontsize:10 from:20/04/1927 till:02/07/1929 color:red text:"[[田中義一|G. Tanaka]]" fontsize:10 from:02/07/1929 till:14/04/1931 color:blue text:"[[濱口雄幸|Hamaguchi]]" fontsize:10 from:14/04/1931 till:13/12/1931 color:blue text:"[[若槻禮次郎|Wakatsuki]]" fontsize:10 from:13/12/1931 till:26/05/1932 color:red text:"[[犬養毅|Inukai]]" fontsize:10 from:26/05/1932 till:08/07/1934 color:green text:"[[斎藤実|Saito]]" fontsize:10 from:08/07/1934 till:09/03/1936 color:green text:"[[岡田啓介|Okada]]" fontsize:10 from:09/03/1936 till:02/02/1937 color:green text:"[[廣田弘毅|Hirota]]" fontsize:10 from:02/02/1937 till:04/06/1937 color:green text:"[[林銑十郎|Hayashi]]" fontsize:10 from:04/06/1937 till:05/01/1939 color:green text:"[[近衛文麿|Konoe]]" fontsize:10 from:05/01/1939 till:30/08/1939 color:green text:"[[平沼騏一郎|Hiranuma]]" fontsize:10 from:30/08/1939 till:16/01/1940 color:green text:"[[阿部信行|N. Abe]]" fontsize:10 from:16/01/1940 till:22/07/1940 color:green text:"[[米内光政|Yonai]]" fontsize:10 from:22/07/1940 till:18/10/1941 color:red text:"[[近衛文麿|Konoe]]" fontsize:10 from:18/10/1941 till:22/07/1944 color:red text:"[[東條英機|Tojo]]" fontsize:10 from:22/07/1944 till:07/04/1945 color:red text:"[[小磯國昭|Koiso]]" fontsize:10 from:07/04/1945 till:17/08/1945 color:red text:"[[鈴木貫太郎|K. Suzuki]]" fontsize:10 from:17/08/1945 till:09/10/1945 color:blue text:"[[東久邇宮稔彦王|Higashikuninomiya]]" fontsize:10 from:09/10/1945 till:22/05/1946 color:green text:"[[幣原喜重郎|Shidehara]]" fontsize:10 from:22/05/1946 till:24/05/1947 color:blue text:"[[吉田茂|Yoshida]]" fontsize:10 from:24/05/1947 till:10/03/1948 color:pink text:"[[片山哲|Katayama]]" fontsize:10 from:10/03/1948 till:15/10/1948 color:blue text:"[[芦田均|Ashida]]" fontsize:10 from:15/10/1948 till:10/12/1954 color:blue text:"[[吉田茂|Yoshida]]" fontsize:10 from:10/12/1954 till:23/12/1956 color:green text:"[[鳩山一郎|I. Hatoyama]]" fontsize:10 from:23/12/1956 till:25/02/1957 color:green text:"[[石橋湛山|Ishibashi]]" fontsize:10 from:25/02/1957 till:19/07/1960 color:green text:"[[岸信介|Kishi]]" fontsize:10 from:19/07/1960 till:09/11/1964 color:green text:"[[池田勇人|Ikeda]]" fontsize:10 from:09/11/1964 till:07/07/1972 color:green text:"[[佐藤栄作|Sato]]" fontsize:10 from:07/07/1972 till:09/12/1974 color:green text:"[[田中角栄|K. Tanaka]]" fontsize:10 from:09/12/1974 till:24/12/1976 color:green text:"[[三木武夫|Miki]]" fontsize:10 from:24/12/1976 till:07/12/1978 color:green text:"[[福田赳夫|T. Fukuda]]" fontsize:10 from:07/12/1978 till:12/06/1980 color:green text:"[[大平正芳|Ohira]]" fontsize:10 from:17/07/1980 till:27/11/1982 color:green text:"[[鈴木善幸|Z. Suzuki]]" fontsize:10 from:27/11/1982 till:06/11/1987 color:green text:"[[中曽根康弘|Nakasone]]" fontsize:10 from:08/01/1989 till:30/04/2019 color:Purple text:"[[平成|Heisei]]" fontsize:10 from:06/11/1987 till:03/06/1989 color:green text:"[[竹下登|Takeshita]]" fontsize:10 from:03/06/1989 till:10/08/1989 color:green text:"[[宇野宗佑|Uno]]" fontsize:10 from:10/08/1989 till:05/11/1991 color:green text:"[[海部俊樹|Kaifu]]" fontsize:10 from:05/11/1991 till:09/08/1993 color:green text:"[[宮沢喜一|Miyazawa]]" fontsize:10 from:09/08/1993 till:28/04/1994 color:red text:"[[細川護煕|Hosokawa]]" fontsize:10 from:28/04/1994 till:30/06/1994 color:red text:"[[羽田孜|Hata]]" fontsize:10 from:30/06/1994 till:11/01/1996 color:pink text:"[[村山富市|Murayama]]" fontsize:10 from:11/01/1996 till:30/07/1998 color:green text:"[[橋本龍太郎|Hashimoto]]" fontsize:10 from:30/07/1998 till:05/04/2000 color:green text:"[[小渕恵三|Obuchi]]" fontsize:10 from:05/04/2000 till:26/04/2001 color:green text:"[[森喜朗|Mori]]" fontsize:10 from:26/04/2001 till:26/09/2006 color:green text:"[[小泉純一郎|Koizumi]]" fontsize:10 from:26/09/2006 till:26/09/2007 color:green text:"[[安倍晋三|S. Abe]]" fontsize:10 from:26/09/2007 till:24/09/2008 color:green text:"[[福田康夫|Y. Fukuda]]" fontsize:10 from:24/09/2008 till:16/09/2009 color:green text:"[[麻生太郎|Aso]]" fontsize:10 from:16/09/2009 till:08/06/2010 color:red text:"[[鳩山由紀夫|Y. Hatoyama]]" fontsize:10 from:08/06/2010 till:02/09/2011 color:red text:"[[菅直人|Kan]]" fontsize:10 from:02/09/2011 till:26/12/2012 color:red text:"[[野田佳彦|Noda]]" fontsize:10 from:01/05/2019 till:{{#time:d/m/Y|+9 hours}} color:Purple text:"[[令和|Reiwa]]" fontsize:10 from:26/12/2012 till:16/09/2020 color:green text:"[[安倍晋三|S. Abe]]" fontsize:10 from:16/09/2020 till:04/10/2021 color:green text:"[[菅義偉|Suga]]" fontsize:10 from:04/10/2021 till:{{#time:d/m/Y|+9 hours}} color:green text:"[[岸田文雄|Kishida]]" fontsize:10 }} == 存命中の内閣総理大臣経験者 == [[2019年]]([[令和]]元年)[[11月29日]]に[[中曽根康弘]]が死去したことで、存命中の総理大臣経験者は全員[[平成]]以降に就任した人物のみとなった。[[1924年]]([[大正]]13年)生まれの[[村山富市]]以外、全員[[昭和]]生まれである。 [[2022年]](令和4年)[[7月8日]]現在、[[安倍晋三]]の死去に伴い、現職者の[[岸田文雄]]を除く存命中の内閣総理大臣経験者は、以下の10名である。 {|class="wikitable" style="text-align: center;" !class="unsortable"|氏名!!在任期間!!生年月日!!現所属政党!!現在の政治活動!!写真 |- |[[細川護熙]] |1993年 ー 1994年 |{{生年月日と年齢|1938|1|14}} |無所属 |([[1998年]]に議員を辞職し、政界引退。)<br>([[2014年東京都知事選挙]]に出馬、結果は落選。) |[[File:Morihiro Hosokawa 2014.jpg|100px]] |- |[[村山富市]] |1994年 ー 1996年 |{{生年月日と年齢|1924|3|3}} |[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]] |([[2000年]]の[[衆議院解散]]により議員を退任、政界引退。) |[[File:Tomiichi Murayama (2015) (cropped).jpg|100px]] |- |[[森喜朗]] |2000年 ー 2001年 |{{生年月日と年齢|1937|7|14}} |[[自由民主党 (日本)|自由民主党]] |([[2012年]]の[[衆議院解散]]により議員を退任、政界引退。) |[[ファイル:Yoshirō Mori (2019).jpg|131x131ピクセル]] |- |[[小泉純一郎]] |2001年 ー 2006年 |{{生年月日と年齢|1942|1|8}} |自由民主党 |([[2009年]]の[[衆議院解散]]により議員を退任、政界引退。) |[[ファイル:Koizumi 2010 cropped.png|138x138ピクセル]] |- |[[福田康夫]] |2007年 ー 2008年 |{{生年月日と年齢|1936|7|16}} |自由民主党 |([[2012年]]の[[衆議院解散]]により議員を退任、政界引退。) |[[File:Joseph Young and Former PM Yasuo Fukuda 2021 (cropped).jpg|100px]] |- |[[麻生太郎]] |2008年 ー 2009年 |{{生年月日と年齢|1940|9|20}} |自由民主党 |衆議院議員<br>自由民主党副総裁 | [[ファイル:Tarō Asō 20170920 (cropped).jpg|100px]] |- |[[鳩山由紀夫]] |2009年 ー 2010年 |{{生年月日と年齢|1947|2|11}} |[[共和党 (日本)|共和党]] |([[2012年]]の[[衆議院解散]]により議員を退任、政界引退。)<br />(2022年6月10日の記者会見にて次期衆議院選挙で政界復帰を目指すと表明。) |[[File:Yukio Hatoyama 20220224 (cropped 2).jpg|100px]] |- |[[菅直人]] |2010年 ー 2011年 |{{生年月日と年齢|1946|10|10}} |[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]] |衆議院議員<br>立憲民主党最高顧問 |[[File:Kan Naoto (2016).jpg|100px]] |- |[[野田佳彦]] |2011年 ー 2012年 |{{生年月日と年齢|1957|5|20}} |立憲民主党 |衆議院議員<br>立憲民主党最高顧問 |[[File:Noda Yoshihiko (2015).jpg|100px]] |- |[[菅義偉]] |2020年 ー 2021年 |{{生年月日と年齢|1948|12|6}} |自由民主党 |衆議院議員 |[[ファイル:Yoshihide Suga 20220330.jpg|100px]] |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|3}} == 関連項目 == *[[内閣総理大臣]] *[[内閣総理大臣夫人]](内閣総理大臣配偶者) *[[内閣 (日本)]] *[[日本国歴代内閣]] *[[首相足]] == 外部リンク == *[https://www.kantei.go.jp/jp/rekidainaikaku/ 歴代内閣 | 首相官邸ホームページ] {{日本国歴代内閣総理大臣}} {{日本の内閣}} {{中央省庁}} {{日本関連の項目}} {{デフォルトソート:ないかくそうりたいしんのいちらん}} [[Category:日本の内閣総理大臣|*いちらん]] [[Category:日本の国務大臣|歴]] [[Category:日本の政治家一覧]] [[Category:首相の一覧|にほん]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
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赤松健
赤松 健(あかまつ けん、1968年〈昭和43年〉7月5日 - )は、日本の漫画家、実業家、政治家、創作関連ロビイスト。自由民主党所属の参議院議員(1期)、参議院文教科学委員会理事。赤松スタジオ代表、株式会社Jコミックテラス取締役会長、日本漫画家協会常務理事、表現の自由を守る会最高顧問。 愛知県名古屋市生まれ。その後、父の転勤で山形県、東京都北区、熊本県、東京都東久留米市、川崎市に転居。1993年に漫画家デビューし、主に『週刊少年マガジン』(講談社)にて作品を発表していた。自作品のコミックス累計発行部数は全世界で5000万部を超えている。2022年7月に行われた第26回参議院議員通常選挙で当選し、漫画家として初めての国会議員となった。 1968年7月5日、愛知県名古屋市生まれ。農林水産省の官僚だった父の転勤で山形県、東京都北区、熊本県、東京都東久留米市、川崎市に在住した。 海城高等学校を経て、中央大学文学部文学科国文学専攻を卒業。高校時代はマイコン部(部長)に所属。マイコン部在籍時の1985年には、PC-8801向けにアクションRPG『パラディン』を制作した(発売元はボーステック)。大学ではアニメーション研究会、漫画研究会、映画研究会に所属した。 1993年、『ひと夏のKIDSゲーム』で第50回週刊少年マガジン新人漫画賞入選。審査員特別賞を受賞し、漫画家生活に入る。 『A・Iが止まらない!』・『ラブひな』(第25回講談社漫画賞受賞)で人気を確立。美少女ラブコメディものに本領を示し、その成果は『魔法先生ネギま!』に結晶。アニメやCD化などのメディアミックスがされている。2013年より、週刊少年マガジン→別冊少年マガジン誌上にて『UQ HOLDER!』を連載し、2022年に完結した。 また、ユニクロから『週刊少年マガジン』と『週刊少年サンデー』創刊50周年を記念した「サンデー・マガジン コラボグラフィックTシャツ」の一枚として『ラブひな』と『魔法先生ネギま!』のコラボTシャツが2種類発売された。 2021年12月16日、翌年7月に行われる予定の参議院議員選挙に自由民主党から立候補する意向を自身のツイッターで発表し、同年12月22日に自民党から第26回参議院議員選挙の第2次公認候補(比例代表)として正式発表された。 2022年7月10日実施の参院選で、自民党は比例区に特定枠2人を含め計33人の候補者を擁立し、18議席を獲得した。漫画・アニメ・ゲームなどの創作物に対する反表現規制を掲げて立候補した赤松は、比例区の全候補者中トップの得票数(52万8053票)を得て、初当選。漫画家初の国会議員となった。 2010年、絶版漫画の電子書籍を無料、DRMフリーの広告モデルで配信する企業Jコミを設立、代表取締役社長に就任した。絶版になった漫画は中古で売買されているが、漫画家の利益にならない。また、ファイル共有ソフトやスキャンレーションなどによる違法流通も止められない状況になっていた。このような状況でも漫画家が利益が得られるよう、「絶版マンガの図書館」を作る意向である。設立の際、週刊少年マガジン(講談社)との専属契約を解除した。また、実験として『ラブひな』全14巻を無料公開し、1週間で170万ダウンロードされたという。 二次創作や権利関係を円滑にするための模索・講義も行っており、その一つとして2013年に二次創作同人誌作成や同人誌即売会での無断配布を有償・無償問わず原作者が許可する意思を示すための同人マークという新たなライセンスがコモンズスフィアによって公開された。 これは環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉で非親告罪化される可能性が言及され、実際に非親告罪化された場合に第三者による告発などで権利者が黙認したいケースでも訴訟に発展するなどの事態を防ぐことを目的に赤松が発案したもので、自身の作品で『週刊少年マガジン』2013年39号(同年8月28日発売)より連載開始の『UQ HOLDER!』で採用している。 漫画の海賊版サイト「漫画村」に広告料を支払い出稿していた広告代理店2社に対し、著作権侵害を助長したとして損害賠償を求める訴訟を起こした。2021年12月21日、東京地方裁判所は赤松の主張を認め、請求通り1100万円の支払いを命じる判決を言い渡した。2022年6月29日、知的財産高等裁判所は1審東京地裁判決を支持し、広告代理店側の控訴を棄却した。 漫画家として活動していた傍ら、創作物の表現が規制される可能性のある児童ポルノ禁止法の改正や著作権侵害の非親告罪化が浮上した際には、表現の自由を求めてロビー活動を行っていた。 2010年11月29日、東京都青少年健全育成条例の改正にあたって、いわゆる非実在青少年が問題になった際には、ニコニコ動画の討論配信に現役漫画家として参加し、非実在青少年や児童ポルノを漫画業界がどのように受け止めているか意見を述べた。 2013年5月30日には、漫画家のちばてつやと松本零士を伴って議員会館を訪れ、当時民主党の代表であった海江田万里を含む与野党の議員と面会し、児童ポルノ禁止法の対象に漫画やアニメなどの創作物を含めることを規定した附則第2条の文言の削除を求めた。この文言はその後、削除された。 表現の自由を守るため、赤松と同じく表現規制反対派議員である山田太郎が結成した「表現の自由を守る会」の最高顧問に就任し、表現規制に対して反対活動を続けている。 血液型はB型。 実弟である赤松智は、旧スクウェア(現・スクウェア・エニックス)の社員で、『デュープリズム』や『FFX』や『FFX-2』や『キングダム ハーツ』、PS2の『半熟英雄』などの音楽プログラムをしていた。 『魔法先生ネギま!』の頃まで『Level-X』(レベルテン)という同人サークルを主宰していたが、プロとしての仕事が忙しくなったのでやめた。大学入学まで、同人誌即売会参加経験は無かった。逆に他の作家が自分の作品の同人誌を執筆する事はたとえ成人向け表現を含むものであっても歓迎するスタンス。また、同人誌上ではあるが『ドージンワーク』のヒロユキと対談したこともある。また、大暮維人とも仲が良く、『マガジン』で対談したり、大暮作の『エアギア』では『ネギま!』のエピソードがまるまるコピーで使用され、キャラの心を変えるというコラボともとれるものを描いた。また、サンデー・マガジン50周年期間ではサンデーで「ハヤテのごとく!」を連載している畑健二郎とも対談し、コラボイラストを共に描いた(これがきっかけで友好関係になり、2011年8月に公開された両者の劇場版アニメが史上初の同時上映を果たすことになる)。 妻は赤松佳音で、長女・次女を持つ二児の父である。長女は小学校を四年間以上不登校であり、長女が漫画作品に救われたこと、不登校家庭の当事者であることも政治家としての表現規制反対や不登校支援につながっている。
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赤松 健は、日本の漫画家、実業家、政治家、創作関連ロビイスト。自由民主党所属の参議院議員(1期)、参議院文教科学委員会理事。赤松スタジオ代表、株式会社Jコミックテラス取締役会長、日本漫画家協会常務理事、表現の自由を守る会最高顧問。 愛知県名古屋市生まれ。その後、父の転勤で山形県、東京都北区、熊本県、東京都東久留米市、川崎市に転居。1993年に漫画家デビューし、主に『週刊少年マガジン』(講談社)にて作品を発表していた。自作品のコミックス累計発行部数は全世界で5000万部を超えている。2022年7月に行われた第26回参議院議員通常選挙で当選し、漫画家として初めての国会議員となった。
{{別人|赤松謙|x1=サッカー選手の}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 赤松 健 | ふりがな = あかまつ けん | 画像 = Ken Akamatsu at Japan Expo 20150705 (cropped).jpg | 画像サイズ = 200px | 脚注 = [[Japan Expo]]2015にて | 本名 = | 生地 = {{JPN}}・[[愛知県]][[名古屋市]] | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1968|7|5}} | 没年 = | 職業 = [[漫画家]]<br />[[実業家]]<br />[[政治家]] | 活動期間 = [[1993年]] - | ジャンル = [[少年漫画]] | 代表作 = 『[[ラブひな]]』<br />『[[魔法先生ネギま!]]』<br />『[[UQ HOLDER!]]』 | 受賞 = 第25回:[[講談社漫画賞]]少年部門 <br />(『ラブひな』) | 公式サイト = {{Wayback |url=http://www.ailove.net/ |title=AI Love Network |date=19990421124556}} }} {{政治家 | 人名 = 赤松 健 | 各国語表記 = あかまつ けん | 画像 = 赤松健氏の街頭演説 (52194580997) (cropped).jpg | 画像サイズ = 200px | 画像説明 = [[2022年]]7月撮影 | 国略称 = {{JPN}} | 生年月日 = {{生年月日と年齢|1968|7|5}} | 出生地 = {{JPN}}・[[愛知県]][[名古屋市]]<ref name="ドリームゲーム">{{Cite web|和書|url=https://www.dreamgate.gr.jp/contents/case/interview/35867|title=第153回 株式会社Jコミ 代表取締役社長/漫画家 赤松 健|date=2012-10-05|accessdate=2022-07-15|website=DREAM GATE|publisher=プロジェクトニッポン}}</ref> | 没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> | 死没地 = | 出身校 = [[中央大学]][[文学部]]卒業 | 前職 = [[漫画家]] | 現職 = | 所属政党 = [[自由民主党 (日本)|自由民主党]](無派閥) | 称号・勲章 = | 配偶者 = [[赤松佳音]] | 親族(政治家) = | サイン = Akamatsu Ken sign.svg | ウェブサイト = https://kenakamatsu.jp/ | サイトタイトル = 赤松健 公式サイト | 国旗 = JPN | 職名 = [[日本の国会議員#参議院議員|参議院議員]] | 選挙区 = [[参議院比例区|比例区]] | 当選回数 = 1回 | 就任日 = [[2022年]][[7月26日]] | 退任日 = 現職 }} '''赤松 健'''(あかまつ けん、[[1968年]]〈[[昭和]]43年〉[[7月5日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[実業家]]、[[政治家]]、創作関連[[ロビイスト]]。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の[[日本の国会議員#参議院議員|参議院議員]](1期)、[[参議院]][[文教科学委員会]]理事<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/konkokkai/current/list/l0068.htm|title=今国会情報 参議院文教科学委員会|accessdate=2023-11-19|website=参議院ホームページ|publisher=[[参議院事務局]]庶務部広報課}}</ref>。赤松スタジオ代表、株式会社[[Jコミックテラス]]取締役会長、[[日本漫画家協会]]常務理事、[[表現の自由を守る会]]最高顧問。 [[愛知県]][[名古屋市]]生まれ<ref name="ドリームゲーム"/>。その後、父の転勤で[[山形県]]、[[東京都]][[北区 (東京都)|北区]]、[[熊本県]]、東京都[[東久留米市]]、[[川崎市]]に転居<ref name="ドリームゲーム"/>。1993年に漫画家デビューし、主に『[[週刊少年マガジン]]』([[講談社]])にて作品を発表していた。自作品のコミックス累計発行部数は全世界で5000万部を超えている<ref 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赤松健|work = AI Love Network|accessdate = 2013-06-21}}</ref>。高校時代はマイコン部(部長)に所属<ref name="profile" />。マイコン部在籍時の[[1985年]]には、[[PC-8800シリーズ|PC-8801]]向けに[[アクションロールプレイングゲーム|アクションRPG]]『パラディン』を制作した(発売元は[[ボーステック]])<ref name="profile" />。大学では[[アニメーション]]研究会、漫画研究会、映画研究会に所属した<ref name="profile" />。 === 漫画家 === [[1993年]]、『[[ひと夏のKIDSゲーム]]』で第50回[[週刊少年マガジン新人漫画賞]]入選。審査員特別賞を受賞し、漫画家生活に入る。 『[[A・Iが止まらない!]]』・『[[ラブひな]]』(第25回[[講談社漫画賞]]受賞)で人気を確立。美少女[[ラブコメディ]]ものに本領を示し、その成果は『[[魔法先生ネギま!]]』に結晶。アニメやCD化などの[[メディアミックス]]がされている。2013年より、[[週刊少年マガジン]]→[[別冊少年マガジン]]誌上にて『[[UQ HOLDER!]]』を連載し、2022年に完結した。 また、[[ユニクロ]]から『[[週刊少年マガジン]]』と『[[週刊少年サンデー]]』創刊50周年を記念した「サンデー・マガジン コラボグラフィックTシャツ」の一枚として『ラブひな』と『魔法先生ネギま!』のコラボTシャツが2種類発売された。 === 政治家 === [[2021年]][[12月16日]]、翌年7月に行われる予定の[[第26回参議院議員通常選挙|参議院議員選挙]]に[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]から立候補する意向を自身のツイッターで発表し<ref>{{Cite tweet|user=KenAkamatsu|number=1471457701758922757|title=一部報道にあるように、自民党本部で面談をさせて頂きました。私は表現の自由を守るために、来夏の参院選への立候補の意志を固めています。|date=2021-12-16|accessdate=2021-12-17}}</ref><ref>{{Cite news|author=|date=2021-12-16|url=https://www.chunichi.co.jp/article/384987|title=自民「ラブひな」作者擁立へ 参院比例、若年層の集票狙い|newspaper=[[中日新聞]]Web|accessdate=2021-12-26}}</ref>、同年[[12月22日]]に自民党から第26回参議院議員選挙の第2次公認候補(比例代表)として正式発表された<ref>{{Cite news |title=自民・赤松健氏が初当選確実 マンガ「ラブひな」作者 |url=https://www.asahi.com/articles/ASQ6X6DK7Q6WUTFK00T.html |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2022-07-10 |accessdate=2022-07-11}}</ref>。 2022年7月10日実施の参院選で、自民党は[[参議院比例区|比例区]]に[[特定枠]]2人を含め計33人の候補者を擁立し、18議席を獲得した。[[漫画]]・[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]・[[ゲーム]]などの創作物に対する[[反表現規制]]を掲げて立候補した赤松<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=「表現の自由守る」自民・赤松健氏、当選確実。ネットで支持伸ばす(BuzzFeed Japan) |url=https://news.yahoo.co.jp/articles/b0077ac025eb5d41f7764bb8189e313538fa8063 |website=Yahoo!ニュース |access-date=2022-07-11 |language=ja}}</ref>は、比例区の全候補者中トップの得票数(52万8053票)を得て、初当選<ref name="nhk-senkyo2022">{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/sangiin/00/hmb12_1.html | title=比例代表 自由民主党 参議院選挙結果・開票速報 |website=参議院選挙2022特設サイト | publisher=NHK | date= | accessdate=2022-7-11 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=人気漫画「ラブひな」作者がトップ53万票…比例自民の個人名票、業界団体の集票力に衰えも(読売新聞オンライン) |url=https://news.yahoo.co.jp/articles/78c30e9dfaba2b153bdf712ad3bbd44273edba6e |website=Yahoo!ニュース |access-date=2022-07-12 |language=ja}}</ref><ref name="yomiuri">{{Cite web|和書|title=参院選当選者 自民比例名簿・候補者 選挙・開票結果:読売新聞オンライン |url=https://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/YB00001XXX000|website=読売新聞オンライン |access-date=2022-07-11 |language=ja}}</ref>。漫画家初の国会議員となった<ref>{{Cite tweet|user=KenAkamatsu|number=1546099560933904384 |title=20時すぐ、参議院議員普通選挙にて報道各社から当選確実が出ました… |date=2022-07-10 |accessdate=2022-07-11}}</ref>{{Efn2|日本における漫画家出身の議員は、地方議会議員を含めると杉浦茂([[杉柾夫]])、[[安藤泰作]]の前例がある。また、漫画家が国会議員を目指していた例として、[[本宮ひろ志]]が1982年に参議院全国区に立候補を宣言していたものの全国区が参議院比例区に変更されたこともあって断念した例、[[やまだ紫]]が[[第15回参議院議員通常選挙|1989年参院選]]に比例区から[[ちきゅうクラブ]]候補として立候補して落選した例、[[中山蛙]]が[[第16回参議院議員通常選挙|1992年参院選]]に比例区から[[モーター新党]]候補として立候補して落選した例、[[高信太郎]]が[[第18回参議院議員通常選挙|1998年参院選]]や[[第42回衆議院議員総選挙|2000年衆院選]]に東京都の選挙区から[[自由連合 (日本)|自由連合]]候補として立候補して落選した例、[[貴志元則]]が1998年参院選に和歌山県選挙区から自由連合候補として立候補して落選した例、[[さとうふみや]]が[[第45回衆議院議員総選挙|2009年衆院選]]に福岡8区から[[幸福実現党]]候補として立候補して落選した例がある。}}。 == 著作権関連の活動 == === 絶版漫画の配信事業 === [[2010年]]、絶版漫画の[[電子書籍]]を無料、[[デジタル著作権管理|DRM]]フリーの広告モデルで配信する企業[[Jコミ]]を設立<ref>{{Cite news|author=三柳英樹|url=https://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/407499.html|title=赤松健氏、絶版漫画を広告付き電子書籍で無料配信する「Jコミ」設立|newspaper=INTERNET Watch |publisher=Impress Watch Corporation|date=2010-11-17|accessdate=2010-11-17}}</ref>、代表取締役社長に就任した。絶版になった漫画は中古で売買されているが、漫画家の利益にならない。また、[[ファイル共有ソフト]]や[[スキャンレーション]]などによる違法流通も止められない状況になっていた。このような状況でも漫画家が利益が得られるよう、「絶版マンガの図書館」を作る意向である<ref>{{Cite web|和書|author=赤松健|date=2010-11-10|url=http://d.hatena.ne.jp/KenAkamatsu/20101110/p1|title=(1) はじめに|work=(株)Jコミの中の人|accessdate=2010-11-17}}</ref>。設立の際、週刊少年マガジン(講談社)との専属契約を解除した<ref name="itmedia101208">{{Cite news|author=山口真弘|date=2010-12-08|url=https://www.itmedia.co.jp/ebook/articles/1012/08/news020.html|title=「ラブひな」170万ダウンロード突破の衝撃 Jコミで扉を開けた男“漫画屋”赤松健――その現在、過去、未来(前編)|newspaper=ITmedia|accessdate=2010-12-08}}</ref>。また、実験として『ラブひな』全14巻を無料公開し、1週間で170万ダウンロードされたという<ref name="itmedia101208" />。 === 同人マーク === [[File:Doujin Mark first usage on UQ Holder! title 20130831.jpg|thumb|[[UQ HOLDER!]]のタイトルロゴの左下に配置された[[同人マーク]]。|215x215ピクセル]] [[二次創作]]や権利関係を円滑にするための模索・講義も行っており、その一つとして2013年に二次創作[[同人誌]]作成や[[同人誌即売会]]での無断配布を有償・無償問わず原作者が許可する意思を示すための[[同人マーク]]という新たなライセンスがコモンズスフィアによって公開された<ref>{{cite news|url=https://news.mynavi.jp/techplus/article/20130818-a050/|title=二次創作の同人活動を認める意思を示す「同人マーク」のデザインが決定|publisher=マイナビ|date=2013-08-18|accessdate=2013-09-01}}</ref>。 これは[[環太平洋戦略的経済連携協定]](TPP)交渉で非親告罪化される可能性が言及され<ref>{{Cite web|和書|title=「TPPで同人誌は消えるのか?」シンポジウムで激論|url=http://blogos.com/article/23889/|publisher=BLOGOS|date=2011-11-07|accessdate=2013-09-01}}</ref>、実際に非親告罪化された場合に第三者による告発などで権利者が黙認したいケースでも訴訟に発展するなどの事態を防ぐことを目的に赤松が発案したもので<ref>{{cite news|title=「警察の萎縮効果狙う」 赤松健さん、2次創作同人守るための「黙認」ライセンス提案|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1303/28/news093.html|date=2013-03-28|accessdate=2013-09-01|publisher=ITmedia}}</ref>、自身の作品で『週刊少年マガジン』2013年39号(同年8月28日発売)より連載開始の『[[UQ HOLDER!]]』で採用している<ref>{{cite news|url=http://news.mynavi.jp/news/2013/08/29/121/|title=二次創作OKの意思を示す「同人マーク」運用開始 - 許諾範囲も公開|date=2013-08-29|accessdate=2013-09-01|publisher=マイナビ}}</ref>。 === 広告代理店を提訴 === 漫画の[[海賊版]]サイト「[[漫画村]]」に広告料を支払い出稿していた[[広告代理店]]2社に対し、著作権侵害を助長したとして損害賠償を求める訴訟を起こした。[[2021年]][[12月21日]]、[[東京地方裁判所]]は赤松の主張を認め、請求通り1100万円の支払いを命じる判決を言い渡した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20211224-EMZB5M2NMZLDZNF3LIUQ36PVD4/ |title=海賊版サイト広告に賠償 赤松健さん「全ての漫画家にとって画期的」 |publisher=サンスポ |date=2021-12-24 |accessdate=2021-12-24}}</ref>。[[2022年]][[6月29日]]、[[知的財産高等裁判所]]は1審東京地裁判決を支持し、広告代理店側の控訴を棄却した<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20220629-MZICKNUF6JM65PWKSNIVXUOFDA/|title=「漫画村」への広告配信 2審も代理店に賠償命令|newspaper=朝日新聞|date=2019-11-07|accessdate=2022-06-29}}</ref>。 == 表現規制反対活動 == [[ファイル:Ken Akamatsu addressing the public on the street.jpg|サムネイル|322x322ピクセル|[[第26回参議院議員通常選挙]]にあたり[[博多駅]]前で街頭演説する赤松健]] 漫画家として活動していた傍ら、創作物の表現が規制される可能性のある[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律|児童ポルノ禁止法]]の改正や著作権侵害の非親告罪化が浮上した際には、[[表現の自由]]を求めて[[ロビー活動]]を行っていた<ref name="news-postseven">{{Cite web|和書|url=https://www.news-postseven.com/archives/20220421_1745980.html?DETAIL|title=参院選出馬の漫画家・赤松健氏 政策ビラはイラストいっぱいの“同人誌風”|publisher=[[NEWSポストセブン]]|date=2022-04-21|accessdate=2022-06-12}}</ref>。 2010年11月29日、[[東京都青少年の健全な育成に関する条例|東京都青少年健全育成条例]]の改正にあたって、いわゆる非実在青少年が問題になった際には、ニコニコ動画の討論配信に現役漫画家として参加し、非実在青少年や児童ポルノを漫画業界がどのように受け止めているか意見を述べた<ref>{{Cite web|和書|url=https://live.nicovideo.jp/watch/lv33251220 |title=マンガ・アニメの危機!? 徹底検証「都青少年育成条例」 |access-date=2010/11/29 |publisher=ニコニコ動画(ドワンゴ)}}</ref>。 2013年5月30日には、漫画家の[[ちばてつや]]と[[松本零士]]を伴って[[議員会館]]を訪れ、当時[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の[[民主党代表|代表]]であった[[海江田万里]]を含む与野党の議員と面会し、児童ポルノ禁止法の対象に漫画やアニメなどの創作物を含めることを規定した附則第2条の文言の削除を求めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.huffingtonpost.jp/2013/06/02/story_n_3373446.html|title=児童ポルノ禁止法改正案がクールジャパンを殺す? 漫画家、赤松健さんにその問題点を聞く【争点:クール・ジャパン】|publisher=[[ハフポスト]]|date=2013-06-02|accessdate=2022-06-12}}</ref>。この文言はその後、削除された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/170553|title=山田太郎氏が漫画家・赤松健氏のアキバ街宣に飛び入り参加 実績を聴衆に訴え|publisher=[[東京スポーツ]]|date=2022-04-08|accessdate=2022-06-12}}</ref>。 表現の自由を守るため、赤松と同じく表現規制反対派議員である[[山田太郎 (参議院議員)|山田太郎]]が結成した「表現の自由を守る会」の最高顧問に就任し、表現規制に対して反対活動を続けている<ref>{{Cite web|和書| url = https://hyogen.jp/about-us/| title = 表現の自由を守る会とは?| publisher = 表現の自由を守る会公式サイト| accessdate = 2022-07-02}}</ref>。 == 政策・主張 == === 憲法 === * [[日本国憲法|憲法]][[憲法改正論議|改正]]について、2022年のNHKのアンケートで「賛成」と回答<ref name="NHK2022">{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/sangiin/survey/hirei.html?kohoId=52920 | title=比例代表 赤松健 | website=候補者アンケート - 参院選2022 |publisher=NHK | date= | accessdate=2022-6-27 }}</ref>。 * [[日本国憲法第9条|9条]]改憲について、2022年の毎日新聞社のアンケートで「改正して、自衛隊の存在を明記すべきだ」と回答<ref name="mainichi2022">{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/senkyo/26san/meikan/?mid=C00001004004 | title=赤松健 自民 比例 |website=第26回参院選 | publisher=毎日新聞社 | date= | accessdate=2022-6-28 }}</ref>。9条への[[自衛隊]]の明記について、2022年のNHKのアンケートで「賛成」と回答<ref name="NHK2022"/>。 * 憲法を改正し[[国家緊急権|緊急事態条項]]を設けることについて、2022年のNHKのアンケートで「どちらともいえない」と回答<ref name="NHK2022"/>。 === 外交・安全保障 === * [[敵基地攻撃能力]]を持つことについて、2022年のNHKのアンケートで「どちらかといえば賛成」と回答<ref name="NHK2022"/>。 * [[普天間基地移設問題|普天間基地]]の[[辺野古]]移設について、2022年の毎日新聞社のアンケートで「どちらかといえば賛成」と回答<ref name="mainichi2022"/>。 * ロシアは2022年2月24日、[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ウクライナへの全面的な軍事侵攻]]を開始した<ref>{{Cite web|和書|author= |url=https://jp.reuters.com/article/ukraine-russia-invasion-kuleba-idJPKBN2KT0DR | date=2022-2-24 |title=ロシアが全面侵攻開始、ウクライナは自国を防衛=クレバ外相 |publisher=[[ロイター]] | accessdate=2022-2-28 }}</ref>。日本政府が行ったロシアに対する制裁措置についてどう考えるかとの問いに対し、2022年のNHKのアンケートで「適切だ」と回答<ref name="NHK2022"/>。同年の毎日新聞社のアンケートで「今の制裁で妥当だ」と回答<ref name="mainichi2022"/>。 * 2022年6月7日、政府は経済財政運営の指針「骨太方針」を[[閣議 (日本)|閣議]]決定した。[[北大西洋条約機構|NATO]]加盟国が[[軍事費|国防費]]の目標としている「GDP比2%以上」が例示され、防衛力を5年以内に抜本的に強化する方針が明記された<ref>{{cite news |author=川田篤志、柚木まり |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/182147 | title=防衛費や子ども関連費倍増も 財源検討は参院選後に先送り 政府が「骨太方針」閣議決定 | newspaper=東京新聞 | date=2022-6-8 | accessdate=2022-6-27 }}</ref>。「防衛費を今後どうしていくべきだと考えるか」との問いに対し、2022年のNHKのアンケートで「ある程度増やすべき」と回答<ref name="NHK2022"/>。 * [[徴用工訴訟問題]]や[[日本の慰安婦問題|慰安婦問題]]などをめぐり[[日韓関係|日韓]]の対立が続くなか、関係改善についてどう考えるかとの問いに対し、2022年の毎日新聞社のアンケートで「互いに譲歩すべきだ」と回答<ref name="mainichi2022"/>。 === ジェンダー === * 選択的[[夫婦別姓]]制度の導入について、2022年のNHK、毎日新聞社のアンケートで「賛成」と回答<ref name="NHK2022"/><ref name="mainichi2022"/>。 * [[同性結婚|同性婚]]を可能とする法改正について、2022年のNHK、毎日新聞社のアンケートで「賛成」と回答<ref name="NHK2022"/><ref name="mainichi2022"/>。 * [[クオータ制]]の導入について、2022年のNHKのアンケートで「反対」と回答<ref name="NHK2022"/>。 === その他 === * [[アベノミクス]]について、2022年の毎日新聞社のアンケートで「評価するが、修正すべきだ」と回答<ref name="mainichi2022"/>。 * 「[[原子力発電]]への依存度を今後どうするべきか」との問題提起に対し、2022年のNHKのアンケートで「下げるべき」と回答<ref name="NHK2022"/>。 * 国会議員の[[被選挙権]]年齢の引き下げについて、2022年の毎日新聞社のアンケートで「賛成」と回答<ref name="mainichi2022"/>。 * [[インボイス制度]]の反対<ref>[https://kenakamatsu.jp/cat-expression/post-22060/ インボイス制度に反対です] 赤松健 - 公式サイト 2022年6月22日</ref>。 * アニメ・漫画等の創作物の表現規制に反対<ref name="bunshun">{{Cite web|和書|url=https://bunshun.jp/articles/-/52455?page=6|title=「なんでよりによって自民党から出るんですか?」『ラブひな』『ネギま!』…ヒットメーカー赤松健を決心させたもの|publisher=[[文春オンライン]]|date=2022-03-06|accessdate=2022-06-12}}</ref>。 * アニメ・漫画等を活用して外交を行う<ref name="bunshun"/>{{Efn2|フランスの[[エマニュエル・マクロン]]大統領が来日の際に[[大友克洋]]や[[真島ヒロ]]と面会して喜んでいたという例を引き合いにしている。}}。 * [[フリーランス]]への支援強化<ref name="basic-policy">{{Cite web|和書|url=https://kenakamatsu.jp/basic-policy|title=5つの基本政策 - 赤松健 - 公式サイト|accessdate=2022-06-12}}</ref>。 == 人物 == [[ABO式血液型|血液型]]はB型。 === 実弟 === 実弟である赤松智<!-- FFXやキングダムハーツのエンディングのスタッフロールに名前が載っているので公表します。 -->は、旧スクウェア(現・[[スクウェア・エニックス]])の社員で、『[[デュープリズム]]』や『[[ファイナルファンタジーX|FFX]]』や『[[ファイナルファンタジーX-2|FFX-2]]』や『[[キングダム ハーツ]]』、PS2の『[[半熟英雄]]』などの音楽プログラムをしていた。<!--公式ホームページのAI Love Networkの2002年5月8日の日記に書いている--> === 同人活動 === 『[[魔法先生ネギま!]]』の頃まで『Level-X』(レベルテン)という同人サークルを主宰していたが、プロとしての仕事が忙しくなったのでやめた。大学入学まで、同人誌即売会参加経験は無かった。逆に他の作家が自分の作品の同人誌を執筆する事はたとえ成人向け表現を含むものであっても歓迎するスタンス。また、同人誌上ではあるが『[[ドージンワーク]]』の[[ヒロユキ]]と対談したこともある。また、[[大暮維人]]とも仲が良く、『マガジン』で対談したり、大暮作の『[[エアギア]]』では『ネギま!』のエピソードがまるまるコピーで使用され、キャラの心を変えるというコラボともとれるものを描いた。また、サンデー・マガジン50周年期間ではサンデーで「[[ハヤテのごとく!]]」を連載している[[畑健二郎]]とも対談し、コラボイラストを共に描いた(これがきっかけで友好関係になり、2011年8月に公開された両者の劇場版アニメが史上初の同時上映を果たすことになる)。 === 家庭 === 妻は[[赤松佳音]]で、長女・次女を持つ二児の父である<ref>{{Cite web|和書|url=https://kenakamatsu.jp/profile|title=プロフィール - 赤松健 - 公式サイト|accessdate=2022-07-03}}</ref>。長女は小学校を四年間以上不登校であり、長女が漫画作品に救われたこと、不登校家庭の当事者であることも政治家としての表現規制反対や不登校支援につながっている<ref>{{Twitter status|KenAkamatsu|1544522886857117697}} - 2022年7月6日12:25</ref>。 == アシスタント == * [[綾永らん]](元アシスタントだが、上記の通りデザイン協力をしたりヘルパー参加することがある) * まぎぃ * MAX * みのる * 山下 * みつはし == 作品一覧 == === ゲーム === * パラディン(1985年、ボーステック、PC-8801版) === 漫画 === * [[ひと夏のKIDSゲーム]](1993年、マガジンFRESH、読み切り) * [[A・Iが止まらない!]](1994年 - 1997年、[[週刊少年マガジン]]→[[マガジンSPECIAL]]) * [[いつだってMyサンタ!]](1998年、週刊少年マガジン、読み切り) * [[ラブひな]](1998年 - 2001年、週刊少年マガジン) * [[魔法先生ネギま!]](2003年 - 2012年、週刊少年マガジン) ** [[ネギま!%3F#ネギま!?neo]](2006年 - 2009年、[[コミックボンボン]]および[[マガジンSPECIAL]]、原作) ** [[ネギほ(幼)文]](2010年 - 2011年、[[別冊少年マガジン]]、原作) * [[UQ HOLDER!]](2013年 - 2022年、週刊少年マガジン→別冊少年マガジン) === テレビアニメ === * [[陸上防衛隊まおちゃん]](2002年、原作) * [[寄宿学校のジュリエット]] 第10話(2018年、エンドカード) * [[かくしごと]] 第3話(2020年、素材協力) * [[16bitセンセーション|16bitセンセーション ANOTHER LAYER]] 第1話(2023年、エンドカード) === 書籍 === * {{Cite book |和書 |author1=桑野雄一郎 |author2=赤松健 |editor=[[福井健策]]編 |title=出版・マンガビジネスの著作権 |edition=第2版 |date=2018-01 |publisher=[[著作権情報センター]] |series=エンタテインメントと著作権 ―初歩から実践まで― 4 |isbn=9784885260865}} * {{Cite book |和書 |author1=[[山田太郎 (参議院議員)|山田太郎]]|author2=赤松健 |title=「表現の自由」の闘い方 |date=2022-03-24 |publisher=[[星海社]] |isbn=9784065270844}} == 出演 == * ラブひな(2000年、[[TXNネットワーク|テレビ東京系]]) - 赤松先生 役<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20170826235621/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/7176 |title=ラブひな |work=メディア芸術データベース |accessdate=2017-03-09}}</ref> * ラブひなクリスマスSPECIAL! 〜サイレント・イブ〜(2000年、テレビ東京系) - 赤松先生 役<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20180228161631/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/7303| title = ラブひな クリスマス・スペシャル ~サイレント・イヴ~| publisher = メディア芸術データベース| accessdate = 2017-03-12}}</ref> * ラブひな春スペシャル 〜キミサクラチルナカレ!!〜(2001年、テレビ東京系) - 赤松先生 役<ref>{{Cite web|和書| url =https://web.archive.org/web/20180117131443/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/7484| title = ラブひな 春スペシャル ~キミ サクラチルナカレ!!~| publisher = メディア芸術データベース| accessdate = 2017-03-12}}</ref> == その他の活動 == * [[講談社漫画賞]]・選考委員 - 第40回(2016年)から第44回(2020年)まで == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == * {{Official website|https://kenakamatsu.jp/|公式サイト}} * {{Wayback |url=http://www.ailove.net/ |title=AI Love Network(旧公式サイト) |date=19990421124556}} * {{マンガ図書館Z作家|1|赤松健}} {{赤松健}} {{比例区選出参議院議員(1983-)}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あかまつ けん}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:表現の自由を求める活動家]] [[Category:自由民主党の参議院議員]] [[Category:比例区選出の参議院議員]] [[Category:令和時代の参議院議員]] [[Category:中央大学出身の人物]] [[Category:海城中学校・高等学校出身の人物]] [[Category:名古屋市出身の人物]] [[Category:神奈川県出身の人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1968年生]] [[Category:存命人物]]
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麻宮騎亜
麻宮 騎亜(あさみや きあ、1963年3月9日 - )は、日本の漫画家・アニメーター。男性。本名およびアニメーターでの名義は菊池 通隆(きくち みちたか)。岩手県北上市出身。アーティストクルー所属。 『宇宙戦艦ヤマト』でアニメファンになり、東京デザイナー学院アニメ科(現東京ネットウエイブ)を卒業。21歳で菊池名義でのフリーのアニメーターとして独立し、1986年に『コンプティーク』(角川書店)に掲載された『神星記ヴァグランツ』で、漫画家としてデビューする。ペンネームの由来は、菊池がファンであった斉藤由貴が演じる麻宮サキから。 菊池とは長らく別人ということになっていたが、後年には同一人物であることを認めた。また、菊池とは別人とするため、麻宮の誕生日を1963年1月28日としていた。あとがき(『サイレントメビウス』では「プロダクションノート」)やコメント欄に描く自画像は、麻宮名義の際には顔の部分が「Now Printing」と書かれたボード、菊池名義の際にはエビの握り寿司になっている。カタカナのキクチミチタカを使う場合もある。 2000年以降、菊池名義での仕事はほぼ皆無となっていたが、2012年には『宇宙戦艦ヤマト2199』で原画へ復帰している。同作品ではテレビ放送版エンディング(第9話 - 第17話)のレイアウト構成も担当しているが、そちらは漫画家としての参加ゆえ、麻宮名義である。 2017年5月1日より、芸能事務所のアーティストクルーに所属。その理由については、「絵を描く仕事にメリハリをつけるため」と明かしている。 2019年4月から、日本SF作家クラブ会員となる。
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麻宮 騎亜は、日本の漫画家・アニメーター。男性。本名およびアニメーターでの名義は菊池 通隆。岩手県北上市出身。アーティストクルー所属。
{{存命人物の出典明記|date=2013年10月}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 麻宮 騎亜 |ふりがな = あさみや きあ | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = 菊池 通隆<br/>(きくち みちたか) | 生地 = {{JPN}}・[[岩手県]][[北上市]] | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1963|3|9}} | 没年 = <!--| 没年 = {{死亡年月日と没年齢|1977|7|6|||}} --> | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1986年]] - | ジャンル = | 代表作 =『[[サイレントメビウス]]』<br/>『[[快傑蒸気探偵団]]』 | 受賞 = | 公式サイト = [http://www.tron.co.jp/ スタジオトロン 公式ホームページ] }} '''麻宮 騎亜'''(あさみや きあ、[[1963年]][[3月9日]]{{R|完全超悪335}} - )は、[[日本]]の[[漫画家]]・[[アニメーター]]。男性。本名およびアニメーターでの名義は'''菊池 通隆'''(きくち みちたか)。[[岩手県]][[北上市]]出身。[[アーティストクルー]]所属。 == 経歴 == 『[[宇宙戦艦ヤマト]]』でアニメファンになり、[[東京デザイナー学院]]アニメ科(現[[専門学校東京ネットウエイブ|東京ネットウエイブ]])を卒業。21歳で菊池名義でのフリーの[[アニメーター]]として独立し、[[1986年]]に『[[コンプティーク]]』([[角川書店]])に掲載された『[[神星記ヴァグランツ]]』で、漫画家としてデビューする{{R|完全超悪335}}。[[ペンネーム]]の由来は、菊池がファンであった[[斉藤由貴]]が演じる[[麻宮サキ]]から。 菊池とは長らく別人ということになっていたが、後年には同一人物であることを認めた<ref>[[2001年]][[8月31日]]の[[オフ会]]で本人が公式に認めた。[http://www.tron.co.jp/express/Expressold/0109_1.html 公式サイトのTron Express 7th Issue オフ会レポート]に記述あり。理由は「アニメーターが漫画家になったという先入観をなくしたかった」とのこと。</ref>。また、菊池とは別人とするため、麻宮の誕生日を1963年[[1月28日]]としていた。あとがき(『サイレントメビウス』では「プロダクションノート」)やコメント欄に描く自画像は、麻宮名義の際には顔の部分が「Now Printing」と書かれたボード、菊池名義の際には[[エビ]]の[[握り寿司]]になっている。カタカナの'''キクチミチタカ'''を使う場合もある。 [[2000年]]以降、菊池名義での仕事はほぼ皆無となっていたが、[[2012年]]には『[[宇宙戦艦ヤマト2199]]』で原画へ復帰している。同作品ではテレビ放送版エンディング(第9話 - 第17話)のレイアウト構成も担当しているが、そちらは漫画家としての参加ゆえ、麻宮名義である。 [[2017年]]5月1日より、芸能事務所の[[アーティストクルー]]に所属<ref>{{Cite tweet|author=麻宮騎亜|user=kia_asamiya|number=858697955406000128|title=【ご報告】この度、5月1日より声優・タレント事務所の「株式会社アーティストクルー」の所属となりました。|date=2017-05-01|accessdate=2021-07-27}}</ref>。その理由については、「絵を描く仕事にメリハリをつけるため」と明かしている<ref>{{Cite tweet|author=麻宮騎亜|user=kia_asamiya|number=858700478430887936|title=いいご縁がありました。(^^)更に絵を描くという仕事に、メリハリをつけるためです。|date=2017-05-01|accessdate=2021-07-27}}</ref>。 2019年4月から、[[日本SF作家クラブ]]会員となる<ref>https://twitter.com/sfwj/status/1117616380231045120</ref>。 == 作品リスト == === 漫画 === * [[神星記ヴァグランツ]] * [[サイレントメビウス]] ** メビウスクライン - 後に加筆修正して『サイレントメビウス』の0巻となっている。 ** サイレントメビウス テイルズ ** サイレントメビウスQD(クアドリガ) * [[ガンヘッド]] * [[聖獣伝承ダークエンジェル]] * PHOENIX RESURRECTION:DARK ANGEL * [[快傑蒸気探偵団]] ** 真・快傑蒸気探偵団 ** 少年怪盗ル・ブレッド(作画:[[金村連]]) * [[遊撃宇宙戦艦ナデシコ]] - 『[[機動戦艦ナデシコ]]』の漫画版。 * [[Compiler]](コンパイラ) ** [[Assembler 0X]](アセンブラ0X) - 『Compiler』の続編。 ** Compiler FINAL(検討中) - 読切。 * カラプリ * D-Divine(デュプレックス ディバイン) * [[BATMAN CHILD OF DREAMS]] * [[スター・ウォーズのスピンオフ一覧|スターウォーズ エピソード1 ファントム・メナス]] * [[ガチャガチャファミリー えびるクン]] * COLORS SIDE-A ** COLORS SIDE-K - '''キクチミチタカ'''名義で執筆。 * [[コレクター・ユイ]] * 冴 - 読切。 * 東京タイムパラドックス - 読切。 * アナザー・ニッポン黄金世代 - カラー読切。 * [[JUNK -RECORD OF THE LAST HERO-]] - 『[[チャンピオンRED]]』([[秋田書店]])にて連載。 * [[彼女のカレラ My Favorite Carrera]] - 『[[週刊プレイボーイ]]』([[集英社]])にて連載(当初は隔週連載だったが、2007年より毎週連載へ変更→2011年5月よりウェブサイト『週プレNEWS』での無料配信へ移行)。 ** 彼女のカレラRS - →2013年1月より『[[コミックバーズ]]』〈[[幻冬舎]]〉でへ移行。 ** 彼女のカレラGT3 - リイド社の無料Webまんが『リイドカフェ』にて2018年4月より連載開始<ref>[https://minkara.carview.co.jp/userid/518151/blog/41412610/ 「彼女のカレラGT3」いよいよ配信スタート!] 本人のブログでの配信スタートの告知記事</ref>。 * [[アンキャニィX-MEN]] - #416から#420までの作画を担当。 * 姫神ガジェット - 『[[FlexComixネクスト]]』にて連載→同サイトの『[[COMIC メテオ]]』への吸収により終了。 * ゼロ エンジェル〜爽碧の堕天使〜 ** 愛華が奔る * 太陽系SF冒険大全 スペオペ! - 『ヤングキングアワーズ』(少年画報社)にて、2019年5月号から2024年1月号まで連載。 === アニメ === <!-- 全て'''菊池通隆'''名義(一部'''きくち通隆'''、'''きくちみちたか'''、'''麻宮騎亜'''名義あり)。 --> * [[風の谷のナウシカ]]([[動画 (アニメーション)|動画]]) * [[ルパン三世 PARTIII]](動画) * [[県立地球防衛軍]]([[原画]]) * [[ドリームハンター麗夢]](原画) ** NEWドリームハンター麗夢 夢の騎士達(原画) * [[重戦機エルガイム]](原画) * [[戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー]](原画) * [[機動戦士Ζガンダム]](原画) * [[北斗の拳 (テレビアニメ)|北斗の拳]](原画) * [[魔法の天使クリィミーマミ]](原画) * [[魔法のスターマジカルエミ]](原画) * [[魔法のアイドルパステルユーミ]]([[作画監督]]) * [[プロジェクトA子]](原画) * [[エルフ・17]](原画) * [[トワイライトQ|トワイライトQ 時の結び目 REFLECTION]](原画) * [[天空戦記シュラト]](作画監督) * [[まんがはじめて面白塾]]([[キャラクターデザイン]]) * [[超音戦士ボーグマン]] シリーズ(キャラクターデザイン) * [[冒険!イクサー3]](第1話・第6話絵コンテ) * [[DETONATORオーガン]](キャラクターデザイン) * [[源氏 (漫画)|源氏]](キャラクターデザイン) * [[Good Morningアルテア]](キャラクターデザイン) * [[冥王計画ゼオライマー (OVA)|冥王計画ゼオライマー]](キャラクターデザイン・絵コンテ・演出・作画監督) * [[聖ミカエラ学園漂流記]](キャラクターデザイン) * [[宇宙戦艦ヤマト2199]](原画) * [[境界戦機]](第16話絵コンテ) * [[風都探偵]](第7話画コンテ) * [[ノケモノたちの夜]](第10話絵コンテ) * [[機動戦士ガンダム 水星の魔女]](第23話絵コンテ)<ref>{{Cite web|和書|url=https://g-witch.net/story/23/|title=譲れない優しさ|website=機動戦士ガンダム 水星の魔女 公式サイト|accessdate=2023-06-25}}</ref> === ゲーム === * [[サークII]](Xak II)(キャラクターデザイン・パッケージイラスト) ** [[ガゼルの塔|サーク(Xak) -ガゼルの塔-]](イメージイラストレーション) ** [[サーク]]I・II(Xak I・II) [[PCエンジン]][[SUPER CD-ROM2|SUPER CD-ROM<sup>2</sup>]]版(イラスト全般) * [[サイレントメビウス|サイレントメビウス ケース:タイタニック]](キャラクターデザイン) * [[電脳学園|電脳学園2 HIGHWAY BUSTER]](菊池通隆名義、キャラクターデザイン・原画) * WhiteDiamond(メインキャラクター原案、パッケージイラスト) * [[ゼノブレイド2]](レアブレイドデザイン) * [[Death end re;Quest]](モンスターデザイン) * [[千年戦争アイギス]](DMM Game) === 挿絵 === * ジェラルディン・サーガI 人外魔境コブの秘密(松枝蔵人著、[[富士見ファンタジア文庫]]) * [[ドラゴンクエストIV]] 知られざる伝説([[エニックス]])- 表紙イラストと本文挿絵の一部(※菊池通隆名義)。 * [[マップス#マップス・シェアードワールド|マップス・シェアードワールド―翼あるもの―]]([[ソフトバンククリエイティブ]]・[[GA文庫]]) === ジャケットイラスト === * [[CDシアター ドラゴンクエスト#CDシアター ドラゴンクエストII|CDシアター ドラゴンクエストII]] (1991年12月13日発売) - ブックレットの全イラストも含む。 * [[ウルトラマンG]] 劇場版 LD(1991年に発売、全2巻) - 各巻の表面、全2枚を描く。 * [[ウルトラマンA]] LDシリーズ(1992年に[[ケイエスエス|KSS]]より発売、全13巻) - 各巻の表面、全13枚を描く。 === デザイン === * [[地球防衛少女イコちゃん|地球防衛少女イコちゃん3 大江戸大作戦]](監督:河崎実) - デザイン協力 * [[仮面ライダーフォーゼ]](クリーチャーデザイン) ** [[仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦MEGA MAX]] ** [[仮面ライダー×スーパー戦隊×宇宙刑事 スーパーヒーロー大戦Z]] ** [[仮面ライダーフォーゼ THE MOVIE みんなで宇宙キターッ!]] ** [[仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム]] * [[地球防衛未亡人]](監督:河崎実)- 怪獣デザイン * [[遊星王子|遊星王子2021]](監督:河崎実)- コスチュームデザイン === ラジオ === * Webラジオ「談話室オヤカタ」 - [[池田憲章]]と[[大沼弘幸]]によるトーク番組。麻宮は何度もゲスト出演。この時にWebラジオに興味を持つようになり、自分でも番組を始めることになった。 * Webラジオ「アメコミット」(メインパーソナリティー、2017年5月7日 - 2017年7月31日)<ref>[https://www.facebook.com/amecommit/?ref=page_internal Webラジオ「アメコミット」]</ref> * FMアメコミット!(メインパーソナリティ、[[エフエム浦安|市川うららFM]]:2017年8月6日 - 2018年12月16日) * Webラジオ「ラヂヲコンプレックス 帝都電詠ラヂヲ局」 * Webラジオ「麻宮騎亜拡張計画」 * Webラジオ「太陽系放送局 -SSBC-」(2021年3月-) === 作詞 === * 「夢なら…愛なら…」 - 菊池通隆名義。『サイレントメビウス』劇場版の挿入歌。歌は岡本麻弥と松井菜桜子。 === 連載記事 === * 超道楽散在日記([[月刊OUT|月刊MEGU]]) - 1997年1月号から掲載誌休刊の1997年5月号まで、全5回。副題「楽シイマニア道ノススメ」が付く。キクチミチタカ名義。 === その他 === * [[あいまいみー#テレビアニメ|あいまいみー〜妄想カタストロフ〜]](第10話 Special Thanks アヴェンタドール収録協力<ref>この回に登場する[[ランボルギーニ・アヴェンタドール]]走行音収録のため、実車稼働に協力した({{Twitter status|kia_asamiya|512602919275749376}})。</ref>) * 舞台「くるくると死と嫉妬2018」(メインビジュアル)<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/stage/news/283949|title=秦建日子脚本「くるくると死と嫉妬」に鳳恵弥ら、総合演出は中野敦之|work=ステージナタリー|date=2018年5月27日|accessdate=2021年2月23日}}</ref> * 「宇宙戦艦ヤマト」関連商品のイラスト ** 2199の全巻収納ボックスのパッケージ ** バンダイのプラモデルのボックスアート - ヤマト(2202版)、アンドロメダ、銀河、アスカなど == 画集 == * '''麻宮騎亜'''名義 ** 『麻宮騎亜画集 (Volume 1)』 {{ISBN2|4-0730-4600-4}} ** 『麻宮騎亜画集 (Volume 2)』 {{ISBN2|4-8402-1522-7}} ** 『麻宮騎亜 仮面ライダーフォーゼ デザインワークス』 {{ISBN2|978-4-7986-0499-2}}(2012年12月24日、[[ホビージャパン]]刊) *** テレビシリーズから最新映画『[[MOVIE大戦アルティメイタム]]』まで、麻宮騎亜による『仮面ライダーフォーゼ』デザインワークをすべて収録。 ** 『麻宮騎亜画集 Réunion』{{ISBN2|978-4-7683-1478-4}}(2022年4月、[[玄光社]]) - 画業35年を記念。 * '''菊池通隆'''名義 ** 『The NEXT GENERATON』 {{ISBN2|4-8291-9104-X}} ** 『Zwei』 {{ISBN2|4-8291-9116-3}} ** 『ULTRAMAN in the REAL』(2001年、メディアワークス) - ウルトラマンや怪獣のフィギュアと実景を合成したCG画集。 ** 『ULTRAMAN in the REAL REBOOT』(2013年、エンターブレイン) * '''麻宮騎亜'''・'''菊池通隆'''共同名義 ** 『STUDIO TRON ART BOOK 1993』 {{ISBN2|4-8291-7254-1}} ** 『聖獣幻想絵巻 DARK ANGEL』(1997年、角川書店) - 「聖獣伝承ダークエンジェル」の扉絵を収録した画集。 == 関連人物 == * [[河崎実]] - 「サイレントメビウス外伝 幕末闇婦始末記」実写ビデオの監督。また麻宮は複数の河崎作品のデザインを手掛けている。 * [[大沼弘幸]] - 「サイレントメビウス外伝 幕末闇婦始末記」のノベライズを担当。また麻宮は大沼のWebラジオに出演している。 * [[松井菜桜子]] - 「サイレントメビウス」アニメ版などに出演。また麻宮の単行本の帯にコメントを提供。 * [[岡本麻弥]] - 「サイレントメビウス」アニメ版などに出演。また麻宮は岡本のアルバムジャケットのデザインなどを手掛けている。 * [[生頼範義]] - 麻宮が尊敬するイラストレーター。2015年12月に開催された生頼の回顧展では追悼イラストを提供した。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist |refs= <ref name="完全超悪335">{{Harvnb|完全超悪|2020|p=335|loc=「デザイナー紹介/あとがき」}}</ref> }} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|date = 2020-12-24<!--奥付表記-->|title = 平成仮面ライダー怪人デザイン大鑑 完全超悪|publisher = ホビージャパン|isbn = 978-4-7986-2338-2|ref = {{SfnRef|完全超悪|2020}}}} == 外部リンク == * [http://www.tron.co.jp/ スタジオトロン公式サイト] * [http://minkara.carview.co.jp/userid/518151/blog/ Asamiya's Portfolio -カノカレな非日常-] * {{Twitter|kia_asamiya|麻宮騎亜}} * [https://artist-crew.net/artist/m_asamiya_kia/ 麻宮騎亜|アーティストクルー] {{Normdaten}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=菊池通隆 |1-1=日本のアニメーター |1-2=日本のキャラクターデザイナー |1-3=アニメのキャラクターデザイナー }} {{DEFAULTSORT:あさみや きあ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:SF漫画家]] [[Category:日本のキャラクターデザイナー]] [[Category:岩手県出身の人物]] [[Category:1963年生]] [[Category:存命人物]]
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あずまきよひこ
あずま きよひこ(本名:東 清彦、1968年5月27日 - )は、日本の漫画家。男性。よつばスタジオ社員。兵庫県高砂市出身。 主な作品に『あずまんが大王』、『よつばと!』などがある。アニメ風の人物でのんびりとした日常を描く作風の作家である。『あずまんが大王』はTVアニメ化もされた。 自画像は『あずまんが』ではオヤジ魎皇鬼、『あずまんが大王』執筆以降はちよ父を使う。 小学生の頃は野球をしたりスイミングクラブに通うスポーツ少年だった。中学3年生のとき友人の影響で漫画、アニメに傾き、高校2年のときに同人サークルに入りここで初めて漫画を描く。当時は『うる星やつら』のパロディ漫画などを描いていた。この頃よりアニメーターを志望するようになり、兵庫県立加古川東高等学校卒業後に大阪芸術大学芸術学部映像学科に入学、しかしすぐにアニメ熱が冷めてしまい、1年で中退する。 アニメ熱は冷めたものの絵は好きだったため、中退後2年ほど美術系の専門学校に通う。その後神戸芸術工科大学芸術工学部視覚情報デザイン学科に入学、この大学では「謙遜でなく」遊んでばかりだったという。入学後1年ほどして『A-ZONE』という個人誌で同人活動をはじめ、『セーラームーン』などのパロディ漫画を描く。大学卒業の時期に漫画家を目指して投稿、佳作を取るもデビューには繋がらず、その後はゲームの原画やアンソロジーコミック、イラストなどで活動していた。また『ふぁんろ~ど』の投稿者でもあった。大学卒業に伴い、学士(芸術工学)の学位を取得。 1999年から『月刊コミック電撃大王』に連載された4コマ漫画『あずまんが大王』で一躍有名漫画家となった。しかし「コアな世界で閉じちゃうのは嫌」との思いから同作品終了後あえて経験の乏しいストーリー漫画に挑戦し、2003年より『よつばと!』を連載、こちらもその優れた日常描写などにより高い評価を得ており、2020年現在も連載中で長期連載となっている。『あずまんが大王』・『よつばと!』は共に2006年の日本のメディア芸術100選マンガ部門に選出される。 2000年5月に東京都練馬区によつばスタジオを里見英樹と共に設立。 現在のプライベートはあまり語られないが、2011年に執筆されたブログには、資料用に使い気に入った子供用の椅子を購入することを「子どもがいない」ことから躊躇していると書いている。 (下記作品の多くは『あずまんが』に収録)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "あずま きよひこ(本名:東 清彦、1968年5月27日 - )は、日本の漫画家。男性。よつばスタジオ社員。兵庫県高砂市出身。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "主な作品に『あずまんが大王』、『よつばと!』などがある。アニメ風の人物でのんびりとした日常を描く作風の作家である。『あずまんが大王』はTVアニメ化もされた。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "自画像は『あずまんが』ではオヤジ魎皇鬼、『あずまんが大王』執筆以降はちよ父を使う。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "小学生の頃は野球をしたりスイミングクラブに通うスポーツ少年だった。中学3年生のとき友人の影響で漫画、アニメに傾き、高校2年のときに同人サークルに入りここで初めて漫画を描く。当時は『うる星やつら』のパロディ漫画などを描いていた。この頃よりアニメーターを志望するようになり、兵庫県立加古川東高等学校卒業後に大阪芸術大学芸術学部映像学科に入学、しかしすぐにアニメ熱が冷めてしまい、1年で中退する。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "アニメ熱は冷めたものの絵は好きだったため、中退後2年ほど美術系の専門学校に通う。その後神戸芸術工科大学芸術工学部視覚情報デザイン学科に入学、この大学では「謙遜でなく」遊んでばかりだったという。入学後1年ほどして『A-ZONE』という個人誌で同人活動をはじめ、『セーラームーン』などのパロディ漫画を描く。大学卒業の時期に漫画家を目指して投稿、佳作を取るもデビューには繋がらず、その後はゲームの原画やアンソロジーコミック、イラストなどで活動していた。また『ふぁんろ~ど』の投稿者でもあった。大学卒業に伴い、学士(芸術工学)の学位を取得。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1999年から『月刊コミック電撃大王』に連載された4コマ漫画『あずまんが大王』で一躍有名漫画家となった。しかし「コアな世界で閉じちゃうのは嫌」との思いから同作品終了後あえて経験の乏しいストーリー漫画に挑戦し、2003年より『よつばと!』を連載、こちらもその優れた日常描写などにより高い評価を得ており、2020年現在も連載中で長期連載となっている。『あずまんが大王』・『よつばと!』は共に2006年の日本のメディア芸術100選マンガ部門に選出される。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2000年5月に東京都練馬区によつばスタジオを里見英樹と共に設立。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "現在のプライベートはあまり語られないが、2011年に執筆されたブログには、資料用に使い気に入った子供用の椅子を購入することを「子どもがいない」ことから躊躇していると書いている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "(下記作品の多くは『あずまんが』に収録)", "title": "作品リスト" } ]
あずま きよひこは、日本の漫画家。男性。よつばスタジオ社員。兵庫県高砂市出身。 主な作品に『あずまんが大王』、『よつばと!』などがある。アニメ風の人物でのんびりとした日常を描く作風の作家である。『あずまんが大王』はTVアニメ化もされた。 自画像は『あずまんが』ではオヤジ魎皇鬼、『あずまんが大王』執筆以降はちよ父を使う。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = あずま きよひこ | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = 東 清彦 | 生地 = {{flagicon|Japan}} [[兵庫県]]・[[高砂市]] | 国籍 = {{JPN}} | 職業 = [[漫画家]] | 生年 = {{生年月日と年齢|1968|5|27}} | 没年 = <!--| 没年 = {{死亡年月日と没年齢|1968|5|27|****|**|**}} --> | ジャンル = <!--特定し難いため未記入--> | 活動期間 = [[1994年]] - | 代表作 = 『[[あずまんが大王]]』<br />『[[よつばと!]]』 | 受賞 = * [[日本のメディア芸術100選]]マンガ部門(『あずまんが大王』、『よつばと!』) * 第10回[[文化庁メディア芸術祭]]優秀賞(『よつばと!』) * 第20回[[手塚治虫文化賞]]大賞(『よつばと!』) * [[Amazon.com|Amazonランキング大賞]]2016上半期コミック部門(『よつばと!』) | 公式サイト = [https://web.archive.org/web/20140221060518/http://azumakiyohiko.com/ あずまきよひこ.com] }} '''あずま きよひこ'''(本名:'''東 清彦'''、[[1968年]][[5月27日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。男性。[[よつばスタジオ]]社員。[[兵庫県]][[高砂市]]出身。 主な作品に『[[あずまんが大王]]』、『[[よつばと!]]』などがある。アニメ風の人物でのんびりとした日常を描く作風の作家である。『あずまんが大王』はTVアニメ化もされた。 自画像は『あずまんが』ではオヤジ魎皇鬼、『あずまんが大王』執筆以降は'''ちよ父'''を使う。 == 経歴 == 小学生の頃は野球をしたりスイミングクラブに通うスポーツ少年だった。中学3年生のとき友人の影響で漫画、アニメに傾き、高校2年のときに同人サークルに入りここで初めて漫画を描く。当時は『[[うる星やつら]]』のパロディ漫画などを描いていた。この頃よりアニメーターを志望するようになり、[[兵庫県立加古川東高等学校]]卒業後に[[大阪芸術大学]]芸術学部映像学科に入学、しかしすぐにアニメ熱が冷めてしまい、1年で中退する。 アニメ熱は冷めたものの絵は好きだったため、中退後2年ほど美術系の専門学校に通う。その後[[神戸芸術工科大学]]芸術工学部視覚情報デザイン学科に入学、この大学では「謙遜でなく」遊んでばかりだったという。入学後1年ほどして『A-ZONE』という個人誌で同人活動をはじめ、『[[美少女戦士セーラームーン|セーラームーン]]』などのパロディ漫画を描く。大学卒業の時期に漫画家を目指して投稿、佳作を取るもデビューには繋がらず、その後はゲームの原画やアンソロジーコミック、イラストなどで活動していた。また『[[ファンロード|ふぁんろ~ど]]』の投稿者でもあった。大学卒業に伴い、[[学士(芸術工学)]]の[[学位]]を取得<ref>神戸芸術工科大学学則第40条。</ref>。 [[1999年]]から『[[月刊コミック電撃大王]]』に連載された[[4コマ漫画]]『[[あずまんが大王]]』で一躍有名漫画家となった。しかし「コアな世界で閉じちゃうのは嫌」との思いから同作品終了後あえて経験の乏しいストーリー漫画に挑戦し<ref>『[[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]]』2008年3月号、[[メディアファクトリー]]、p.34。</ref>、[[2003年]]より『[[よつばと!]]』を連載、こちらも{{要出典範囲|date=2019年9月|その優れた日常描写などにより高い評価を得ており}}、2020年現在も連載中<ref>2020年4月号に第105話が掲載された。</ref>で長期連載となっている。『あずまんが大王』・『よつばと!』は共に[[2006年]]の[[日本のメディア芸術100選]]マンガ部門に選出される。 [[2000年]][[5月]]に[[東京都]][[練馬区]]によつばスタジオを[[里見英樹]]と共に設立。 現在のプライベートはあまり語られないが、2011年に執筆されたブログには、資料用に使い気に入った子供用の椅子を購入することを「子どもがいない」ことから躊躇していると書いている<ref>http://azumakiyohiko.com/archives/2011/11/27_222056.php</ref>。 <!--ノートを参照のこと--> == 作品リスト == === 漫画 === * [[あずまんが大王]](1999年 - 2002年、全4巻、[[月刊コミック電撃大王]]、[[メディアワークス]]) ** あずまんが大王 補習編(2009年、[[ゲッサン]]、[[小学館]]) * [[わらびー]](1998年 - 2000年、[[げーむじん]]、[[ティーツー出版]] あずまんが2収録) * [[よつばと#Try! Try! Try!|Try! Try! Try!]](1998年(トライアスロンのウェブサイト上で連載)、2001年(「あずまんが2」に描き下ろし) * [[よつばと!]](2003年 - 、既刊15巻、月刊コミック電撃大王、メディアワークス) ** 短編だった「Try! Try! Try!」を、登場人物などの設定を変更した上で長期連載化した作品。 ==== アンソロジー ==== * 4コマランド続・餓狼伝説(1994年11月、[[ケイブンシャ]]) * 4コマランドサムライスピリッツ(1994年12月、ケイブンシャ) * 4コマランド豪血寺一族2(1995年3月、ケイブンシャ) * 4コマランド真サムライスピリッツ(「よしっ!」、1995年4月、ケイブンシャ) * ゲームアイドルコレクション花小路クララのすべて(1995年5月、ケイブンシャ) * [[スーパードンキーコング]] 4コマランド(1995年6月、勁文社) * [[スーパーリアル麻雀]]PVパラダイス―オールスター4人打ち(1996年1月、[[ソフトバンククリエイティブ]]) * [[豪血寺一族|豪血寺一族2]]ちょっとだけ最強伝説アンソロジーコミック(「決戦!豪血寺の女たち」、1996年2月、ソフトバンククリエイティブ) * [[闘神伝|闘神伝2]]アンソロジーコミック(「炸裂!超力エリス砲」、1996年5月、ソフトバンククリエイティブ) * こねこCLUB(「ボールよりもネズミよりも」、1996年5月、[[桜桃書房]]) * ゴッズインヒズヘブン[[新世紀エヴァンゲリオン]]アンソロジーコミック(「天使たちの休息」、1996年7月、[[ムービック]]) * ヴァンパイアハンターDarkstalker's Revengeアンソロジーコミック(「ある日森の中」、1996年8月、ソフトバンククリエイティブ) * 笑いのツボ [[風来のシレン]]4コママンガ集(1997年4月、[[チュンソフト]]) * All's Right with the World 新世紀エヴァンゲリオンアンソロジーコミック(「綾波の一族」、1997年1月、ムービック) * ドキドキプリティリーグ設定資料集(4コマ漫画、1997年7月、ムービック) * [[キングオブファイターズ]]'96 アンソロジーコミック(「アテナ・デビュー」、1997年8月、ムービック) * コミック[[ドキドキプリティリーグ]]カーニバル(1997年9月、コーエー) * [[ストリートファイター (ゲーム)|ストリートファイター]]アンソロジーコミック(「また会う日まで」、1998年4月、ムービック) * [[バトルアスリーテス大運動会]]アンソロジーコミック(1998年9月、ブロッコリー) * リーフファイトトレーディングカード公式ガイドブック(「あずまんがファイト」、1999年4月、メディアワークス) * [[To Heart]]アンソロジー+α(1999年8月、ティーツー出版) * トゥハートビジュアルファンブック(「それいけ!To Heart」、1999年9月、メディアワークス) * リーフファイトトレーディングカードゲーム公式ガイドブック2000(「帰ってきた!! あずまんがファイト」、2000年4月、メディアワークス) * リーフファイトトレーディングカードゲームビジュアルファンブック(2000年5月、メディアワークス) * [[こみっくパーティー]] ビジュアルファンブック(2002年6月、メディアワークス) * よりぬき[[苺ましまろ]](無題1pマンガ、月刊コミック電撃大王2005年10月号増刊) === その他 === * あずまんが(1998年、[[パイオニアLDC]]) - 宣伝漫画やカットイラストの作品集。CD-ROMを省いたものが2001年6月にメディアワークスから「あずまんがリサイクル」として再版された。 * あずまんが2(2001年、パイオニアLDC) - 作品集、[[CD-ROM]]付き * よつばと♪(CD、2005年4月、[[ジェネオン エンタテインメント]]):『よつばと!』イメージアルバム * よつばと♪ 組曲 冬将軍(CD、2006年11月、ジェネオン エンタテインメント) * よつばとしろとくろのどうぶつ(絵本、2006年12月、メディアワークス) * [[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]]「ヒヨコノアルキカタ」挿絵を担当(2012年7月号 - ) === キャラクターデザイン === * [[魔法遊戯]](2001年放映 キャラクターデザインは1998年頃に完了) * クイーン・オブ・デュエリスト外伝α+(1994年、舞野舞担当、デビュー作) === イラスト、紹介漫画などの関連作品 === (下記作品の多くは『あずまんが』に収録) * [[神秘の世界エルハザード]](OVA、テレビアニメなど) * [[デュアル!ぱられルンルン物語]](テレビアニメなど) * [[天地無用!]](OVA、テレビアニメ、劇場アニメ、ゲームなど) * [[バトルアスリーテス大運動会]](OVA、テレビアニメ、ゲームなど) * [[魔法少女プリティサミー]](テレビアニメなど) * [[トゥハート]]4コママンガ劇場(1999年、エニックス) * [[トゥハート]] ハート&ハート:ポストカードギャラリー(2000年、エニックス) * [[リーフファイトTCG]]([[トレーディングカードゲーム]]) * [[アクエリアンエイジ]](トレーディングカードゲーム)<ref> 双児宮の鏡 E.G.O. 216 チアリーダー 221 応援団員 獅子の戦旗 E.G.O. 433 ゴーストバスター 452 ローラーブレード 獅子の戦旗 阿羅耶識 479 剣舞姫 506 剣舞姫 560 鬼娘“温羅” 天蠍宮の宿命 ダークロア 738 ソーサラー 776 禍又“温羅” 悠久の処女宮 1004 ミスリルダガー 夢幻の天秤宮 磨羯宮の女神 ダークロア 1528 デビルモービル プロモーションカード PR19 見習い巫女“春日 梓”</ref> * [[電撃萌王]]2002年3月創刊号(表紙、テレホンカード、ポスターイラスト) * [[アフタヌーン]]2004年2月号(アフタヌーンオールスターCD-ROM イラスト) * [[リアライズ (ゲーム)|リアライズ]](2004年4月23日、タイトルデザイン) * [[ぱにぽにだっしゅ!]](16話エンドカードイラスト) * [[うる星やつら]]新装版31巻(イラスト) * アニメ版[[かんなぎ (漫画)|かんなぎ]](第十二幕エンドイラスト) * [[赤毛のアン]](2011年限定、カバーイラスト、[[角川文庫]]) * [[こちら葛飾区亀有公園前派出所]](第175巻) * [[ワンダーフェスティバル]]マスコットキャラクター「ワンダ&リセット」(2014年夏〜)<ref>オリジナルデザイナーの[[水玉螢之丞]]が、病気療養で休業(後に死去)に入って以降、水玉のデザインを踏襲しつつデザインを書き継いでいる。</ref> * [[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]]2014年10月号 『[[進撃の巨人]]』アルミン・アルレルトのイラスト<ref>{{Cite web|和書|url=https://ddnavi.com/news/206485/2/|title=【イラスト公開!】『ダ·ヴィンチ』10月号 で夢のコラボ! 豪華作家11名が『進撃の巨人』キャラクターを描く|work=ダ・ヴィンチニュース |publisher=[[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]]|date=2014-09-05|accessdate=2019-10-21}}</ref> * [[3月のライオン]](13話エンドカードイラスト) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * おしぐちたかし『漫画魂』(インタビュー。2003年、白夜書房。初出「まんがの森」無料配布小冊子) * 大城房美ほか『マンガは越境する!』(インタビュー。2010年、世界思想社、{{ISBN2|978-4-7907-1461-3}}) == 外部リンク == * {{Wayback |url=http://www.geocities.jp/azyotuba/ |title=A-ZONE |date=20041215042916}} * {{Wayback |url=http://azumakiyohiko.com/ |title=あずまきよひこ.com |date=20140221060518}} * [http://www.yotuba.com/ よつばスタジオ] * [http://bonklers.web.fc2.com/ Sekai no AZUMANGA] * {{Twitter|azumakiyohiko|あずまきよひこ}} * {{Instagram|azumakiyohiko|あずまきよひこ}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あすま きよひこ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:学士(芸術工学)取得者]] [[Category:神戸芸術工科大学出身の人物]] [[Category:兵庫県出身の人物]] [[Category:1968年生]] [[Category:存命人物]]
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岡田芽武
岡田 芽武(おかだ めぐむ、1971年3月15日 - )は、日本の漫画家、漫画原作者。東京都出身。 企画デザイン会社・スタジオレスポンス代表。 1992年に『コミックガンマ』(竹書房)において連載開始した「SHADOW SKILL」でデビューし、代表作に。主に青年誌で作品を発表している。デビュー作である「SHADOW SKILL 」は、ラジオドラマ、OVAなどのメディアミックスを経て、1998年にテレビアニメが放映された。 2003年『チャンピオンRED』において、自身初となる原作付きの漫画「聖闘士星矢EPISODE.G」の連載を開始する 。『聖闘士星矢』関連の原作者以外が漫画を担当する外伝作品の先駆けとなる 。続編として、「聖闘士星矢EPISODE.G アサシン」を連載し、現在は「聖闘士星矢EPISODE.Gレクイエム」 を『マンガクロス』にて連載中である。 また、漫画家としての活動と並行して、画業30周年を記念した実写映画を自身が所属する『Team BLOCKHEADS』のメンバーと共に撮影していたが、新型コロナウイルスが流行し撮影が中断されたため、ソーシャルディスタンスなどに配慮したアニメ「女優エイガトル」を発案、制作している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "岡田 芽武(おかだ めぐむ、1971年3月15日 - )は、日本の漫画家、漫画原作者。東京都出身。 企画デザイン会社・スタジオレスポンス代表。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1992年に『コミックガンマ』(竹書房)において連載開始した「SHADOW SKILL」でデビューし、代表作に。主に青年誌で作品を発表している。デビュー作である「SHADOW SKILL 」は、ラジオドラマ、OVAなどのメディアミックスを経て、1998年にテレビアニメが放映された。 2003年『チャンピオンRED』において、自身初となる原作付きの漫画「聖闘士星矢EPISODE.G」の連載を開始する 。『聖闘士星矢』関連の原作者以外が漫画を担当する外伝作品の先駆けとなる 。続編として、「聖闘士星矢EPISODE.G アサシン」を連載し、現在は「聖闘士星矢EPISODE.Gレクイエム」 を『マンガクロス』にて連載中である。 また、漫画家としての活動と並行して、画業30周年を記念した実写映画を自身が所属する『Team BLOCKHEADS』のメンバーと共に撮影していたが、新型コロナウイルスが流行し撮影が中断されたため、ソーシャルディスタンスなどに配慮したアニメ「女優エイガトル」を発案、制作している。", "title": "来歴" } ]
岡田 芽武は、日本の漫画家、漫画原作者。東京都出身。 企画デザイン会社・スタジオレスポンス代表。
{{存命人物の出典皆無|date=2012年8月}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 岡田 芽武 | 画像 = <!-- 画像ファイル名 --> | 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px --> | 脚注 = <!-- 画像の説明文 --> | 本名 = <!-- 必ず出典を付ける --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1971|3|15}} | 生地 = {{JPN}}・[[東京都]] | 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> | 没地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 --> | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 職業 = [[漫画家]]<br>[[漫画原作者]]<br>[[映像作家]] | 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 --> | 活動期間 = <!-- XXXX年 - YYYY年 --> | ジャンル = [[青年漫画]] | 代表作 = 『[[SHADOW SKILL]]』 | 受賞 = <!-- 出版社の賞など --> | サイン = <!-- 画像ファイル名 --> | 公式サイト = [http://studio-response.main.jp MEGUMU OKADA OFFICIAL HOMEPAGE] }} '''岡田 芽武'''(おかだ めぐむ、[[1971年]][[3月15日]]<ref name=":0">まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、{{ISBN2|4-8169-1760-8}}、81頁</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[漫画原作者]]。[[東京都]]出身<ref name=":0" />。 企画デザイン会社・スタジオレスポンス代表<ref name=":0" />。 == 来歴 == [[1992年]]に『[[コミックガンマ]]』([[竹書房]])において連載開始した「[[SHADOW SKILL]]」でデビューし、代表作に。主に[[青年漫画|青年誌]]で作品を発表している。デビュー作である「[[SHADOW SKILL]] 」は、ラジオドラマ、OVAなどのメディアミックスを経て、[[1998年]]にテレビアニメが放映された。 [[2003年]]『[[チャンピオンRED]]』において、自身初となる原作付きの漫画「[[聖闘士星矢EPISODE.G]]」の連載を開始する<ref>{{Cite book|title=聖闘士星矢EPISODE.G 1巻 あとがき|date=2003年6月19日|year=2003|publisher=秋田書房 チャンピオンREDコミックス}}</ref> 。『[[聖闘士星矢]]』関連の原作者以外が漫画を担当する外伝作品の先駆けとなる<ref>{{Cite web|和書|title=岡田芽武先生が語る車田正美先生とのエピソード|url=https://togetter.com/li/922927|website=Togetter|accessdate=2020-09-04|language=ja}}</ref> 。続編として、「[[聖闘士星矢EPISODE.G アサシン]]」を連載し、現在は「聖闘士星矢EPISODE.Gレクイエム」 を『[[マンガクロス]]』にて連載中である。 また、漫画家としての活動と並行して、画業30周年を記念した実写映画を自身が所属する『Team BLOCKHEADS』のメンバーと共に撮影していた<ref>{{Cite web|和書|title=映像製作 {{!}} TeamBLOCKHEADS「チームブロックヘッズ」|url=https://www.teamblockheads.com/|website=Team BLOCKHEADS|accessdate=2020-07-20|language=ja}}</ref>が、新型コロナウイルスが流行し撮影が中断されたため、[[ソーシャルディスタンス]]などに配慮したアニメ「[[女優エイガトル]]」を発案、制作している<ref>{{Cite web|和書|title=https://twitter.com/meguzou1303/status/1305061107669712896|url=https://twitter.com/meguzou1303/status/1305061107669712896|website=Twitter|accessdate=2020-10-18|language=ja}}</ref>。 == 作画、特徴、作風 == *[[スクリーントーン]]を多用した絵柄、見開きを使った派手な画面効果が特徴。 *漫画の作画中に吹き出しを使用せずに巨大写植を絵の上に載せ、技を表現する技法を考案した初めての作家<ref>{{Cite web|和書|title=巨大写植を使った漫画の必殺技表現、元祖は「影技 SHADOW SKILL」? Twitter議論に作者が降臨|url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1701/30/news095.html|website=ねとらぼ|accessdate=2020-07-20|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=漫画の技名をフキダシを用いず、巨大な写植で表現する手法の元祖は何か?|url=https://togetter.com/li/1075020|website=Togetter|accessdate=2020-07-20|language=ja}}</ref>。 *「[[聖闘士星矢EPISODE.G アサシン]]」の連載開始後数話でのWEB雑誌への移行に伴いフルカラー漫画の連載を開始する。 *「[[SHADOW SKILL|SHADOWSKILL]]」などの原作と作画を共に担当する漫画のみではなく、[[小池一夫]]や[[車田正美]]などの他の作家との共作による作品も多い。また「[[聖闘士星矢 Golden Age|聖闘士星矢Golden Age]]」では、小説も執筆している。 == 作品リスト == === 漫画作品 === *[[SHADOW SKILL]] *:商業誌デビュー作であり、代表作。最初の掲載誌『[[コミックガンマ]]』が休刊、次の雑誌『[[月刊ドラゴンジュニア|ドラゴンジュニア]]』では原稿を紛失されるアクシデントにより掲載中止。後に『[[アフタヌーンシーズン増刊]]』で連載再開。『ニライカナイ 〜遥かなる根の国〜』掲載終了後は『[[月刊アフタヌーン]]』にて掲載。2006年2月号にて一時休載するも、2009年9月号より再開し2014年5月号まで不定期連載。 *:講談社から出版されている単行本(アフタヌーン掲載分)は、巻数に一度リセットがかかっている(詳しくは[[SHADOW SKILL]]を参照)。 *朧(『[[月刊コミックドラゴン]]』)全2巻 *ニライカナイ 〜遥かなる根の国〜(『[[月刊アフタヌーン]]』 1999年 - 2003年)全6巻 *幻想世界英雄烈伝 忍ザード(『[[コミックガンマ]]』 1994年 - 1995年)全1巻(2巻は発売されなかった) *[[幻想世界魔法烈伝 WIZバスター]](『[[月刊少年ガンガン]]』 1996年)全3巻 *[[幻想世界英雄烈伝 フェアプレイズ]](『[[コミックボンボン]]』 2001年 - 2002年)全3巻 *[[聖闘士星矢EPISODE.G]](原作:[[車田正美]]、『[[チャンピオンRED]]』 2003年 - 2013年)全20巻 **[[聖闘士星矢EPISODE.G アサシン]](原作:車田正美、『[[チャンピオンRED いちご]]』→『[[チャンピオンクロス]]』→『[[マンガクロス]]』 2014年 - 2019年)全16巻 **聖闘士星矢EPISODE.Gレクイエム(原作:車田正美、『[[マンガクロス]]』 2020年 - 連載中 )既刊5巻 *木偶 〜Block Head〜(原作:[[小池一夫]]、『チャンピオンRED』 2013年12月号 - 2014年3月号) *萌えの大地(『[[チャンピオンRED いちご]]』)単行本未収録 *[[セイバーマリオネット#SMガールズ外伝 セイバーマリオネットZ|SMガールズ外伝 セイバーマリオネットZ]](原作:[[あかほりさとる]]・[[ねぎしひろし]]、『[[アニメV]]』1995年 - 1996年、STUDIO RESPONSEメンバーとの共同執筆作。岡田はストーリー脚本と統括を担当) === 小説(挿絵) === *「心・影技」 (竹書房ガンマ文庫、著:関島眞頼) *「業・影技」(竹書房ガンマ文庫、著:渡辺大祐) * SHADOW SKILL APOCRYPHA -影技-外典1“FIRE FOX”(富士見ファンタジア文庫、著:富永浩史) * SHADOW SKILL APOCRYPHA -影技-外典2“ETENDERD”(富士見ファンタジア文庫、著:富永浩史) * マジカル・シティ・ナイト(スーパークエスト文庫、著:朝松健) === その他 === * [[SDガンダム]] - CDジャケット担当 * [[三国志大戦]] - SR馬超などのイラストを担当 * [[女優エイガトル]] - 原作・作画・監督    ([[モキュメンタリー]]アニメーション)   「アートにエールを!東京プロジェクト」選出<ref>{{Cite web|和書|title=アートにエールを!東京プロジェクト(個人型)|url=https://cheerforart.jp/detail/916|website=cheerforart.jp|accessdate=2020-07-23|language=ja|publisher=}}</ref> == 脚注 == {{reflist}} == 外部リンク == * [https://www.teamblockheads.com/studioresponse MEGUMU OKADA OFFICIAL HOMEPAGE] * {{Twitter|meguzou1303}} * [https://www.teamblockheads.com/ Team BLOCKHEADS HOMEPAGE] * [https://web.archive.org/web/20000503221010/http://www.linkclub.or.jp/~mcb/index.html MIND CONTROL BOMB] {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:おかた めくむ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本の漫画原作者]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1971年生]] [[Category:存命人物]]
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桂正和
桂 正和(かつら まさかず、本名同じ、1962年〈昭和37年〉12月10日 - )は、日本の漫画家。プロダクション名は STUDIO K2R。福井県生まれの千葉県育ち。阿佐ヶ谷美術専門学校中退。血液型はA型。2015年(平成27年)から嵯峨美術大学客員教授。 1981年(昭和56年)に『週刊少年ジャンプ』(集英社)32号掲載の「転校生はヘンソウセイ!?」でデビューし、1983年(昭和58年)に同誌5・6合併号から連載を開始した『ウイングマン』で連載デビュー。主に『週刊少年ジャンプ』で活躍し、その後『週刊ヤングジャンプ』(同)に移籍。代表作に『ウイングマン』『電影少女』『I"s』など。 評価は日本国内に留まらず香港・台湾・アメリカ・フランスなど様々な国や地域のファンから支持されている。 1962年(昭和37年)福井県に生まれ、小学生の時に千葉県千葉市村田町へ引っ越し、さらに中学生になるころに同県市原市八幡へ移り20歳ごろまでを過ごす。子供の頃から絵は得意で受賞などもしていたが、アニメや漫画にはさほど惹かれておらず、ウルトラシリーズや仮面ライダーシリーズといった特撮ヒーロー物に夢中になっていた。 中学時に V55 (Technics) という50万円のコンポーネントステレオが欲しくて、当時50万円だった賞金目当てに手塚賞への応募を始める。最初の道具は手塚治虫の入門書を読んで小遣いで揃えたものだった。それまでは漫画家を目指していたわけでもない上に漫画もほとんど読んでおらず、当初は賞金だけが目的であった。目的のコンポは賞金を手に入れる前に買ってもらったが、漫画を描き続ける中で描く面白さを覚える。 高校時には授業中にペン入れをするなどして漫画に没頭する。そして1980年(昭和55年)の高校卒業間際にフレッシュジャンプ賞に投稿した作品が選外ながらも編集者・鳥嶋和彦の目に止まり、また同時期に手塚賞に応募していた「ツバサ」が佳作に入選する。 高校時代には『電子戦隊デンジマン』をきっかけとし東映の特撮テレビドラマにのめり込む(詳細は趣味の節で後述)。こうした特撮ヒーロー物のファンゆえ、そのトレースしただけのようなSF作品ばかりを描いていたが、担当となった鳥嶋にラブコメディ作品を描くように薦められ「転校生はヘンソウセイ!?」を執筆する。同作は初めてのラブコメであったにもかかわらず手塚賞準入選に入賞して『週刊少年ジャンプ』 (以下『WJ』)に掲載され、専門学校在籍中に漫画家としてのデビューを果たす。 その後『WJ』で『ウイングマン』の連載を開始し多忙となったこと、そして3年への進級に失敗したことから専門学校を中退。同作は自身の好きなヒーロー物にラブコメディ要素を取り入れたことによりヒットし、アニメ化もされた。 『ウイングマン』終了後は『超機動員ヴァンダー』『プレゼント・フロム LEMON』と短期終了の連載が2作続き、不遇の時代を迎える。再び担当となった鳥嶋のサポートから「恋愛モノ」に取りかかり、『ウイングマン』とは逆に恋愛にSF要素を取り入れた読切「ビデオガール」を1989年(平成元年)に発表、同年さらにこれを基にした『電影少女』の連載を開始する。 『電影少女』は単行本巻数としては『WJ』時代最長となる15巻まで続き、OVA化・実写映画化など様々なメディアミックス展開が行われるヒット作となった。両作は桂にとって漫画家としてのターニングポイントとなっており、作風に様々な変化をもたらした(詳細は作風の節で後述)。 また、1989年(平成元年)に公開された映画『バットマン』をきっかけに桂は『バットマン』のファンとなり、以降の作品に影響を与えた(詳細は趣味の節で後述)。 『電影少女』終了後、1992年(平成4年)からは鳥嶋が創刊編集長を務めた『週刊少年ジャンプ特別編集増刊 V JUMP』において『SHADOW LADY』【VJ版】を連載、その後『WJ』に戻り1994年(平成6年)から『D・N・A2 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜』、1995年(平成7年)からは『SHADOW LADY』【WJ版】とアクション色の強い作品を続けて発表する。『D・N・A2 』の連載は単行本5巻分と比較的短期間だったが、テレビアニメ化されている。 1996年(平成8年)には初の青年誌向け作品として『エム』を『MANGAオールマン』にて発表する。 そして翌1997年(平成9年)にはWJ編集部の意向に沿う形で、SF要素を一切排した恋愛漫画『I"s』の連載を開始する。同作は『WJ』時代最長の作品となり、連載終了後にもメディアミックスが行われるヒット作となった。 2000年(平成12年)の『I"s』連載終了と同年に掲載された読切「Dr.チャンバリー」を最後に、桂は長年活動の場として来た『WJ』を離れる。そして2002年(平成14年)に発表された『M 完全版』以降は活動の場を『週刊ヤングジャンプ』に移し、同年より『ZETMAN』の連載を開始する。5年以上にわたって連載が継続されており、桂最長の作品となっている。 移籍後に発売された『I"s』の完全版は『WJ』連載作品でありながら、ヤングジャンプ・コミックスレーベルからの発売となっている。 ※ 連載誌の記載がないものは『週刊少年ジャンプ』において連載。 同じく漫画家で友人の鳥山明は桂の作風について「(桂は)感動させたくてしょうがない」と評している。「作風が真逆なくらい違う」鳥山が人間味を表現するのを嫌い、明るくくだらないやり取りを好むのに対し、桂はやや暗く感動を誘うような描写を好む。こうした自身の作風について桂は、あすなひろしの“哀しい”作品の影響を述べている。 『コミッカーズ』1997年10月号では「美少女とヒーローをカラーで描かせたら右に出る者はいない」との形容によって、桂の作品の特徴を端的に表している。こうした特徴から初のイラスト集である『4C』も、恋愛作品のイラストを中心とした「L-side ‹LOVERS-side›」とヒーロー物を中心とした「R-side ‹HEROES-side›」 という構成になっている。 手塚賞佳作受賞作である「ツバサ」から長期連載の『ZETMAN』に至るまで、変身ヒーローを扱った作品が多い。上述の通り高校時代には特撮ヒーローに夢中となってそのトレースのような作品ばかりを書いていたこともあり、初期の作品には特撮ヒーロー物の影響が強い。また、『バットマン』公開以降の作品については同作の影響を自身で述べている(特撮ヒーロー・バットマンについては趣味の節で後述)。 桂自身はヒーロー物に対してはこだわりがあり、『ZETMAN』については物語の構想としては変身ヒーローである意味が無いことを認識しながらも、「僕がやる限りヒーローだよな」との思いから変身ヒーロー物として描いている。 「少年誌でやってる限り、......『ラブコメ』が向いているらしくて」と桂自身が述べるように、『電影少女』『I"s』とヒットし長期連載となった作品には恋愛要素が強い作品が列び、また恋愛を主題とはしていない変身ヒーロー物であっても『WJ』時代の連載作品には必ず恋愛要素と性的なサービスカットが含まれている。同じく鳥嶋にラブコメを求め続けられながらも頑なに拒否した鳥山明とは対極的に、桂はその要望を受け入れたことによって作品が時代とマッチし、ヒット作を生み出していった。 しかしこうした恋愛要素はコメディ要素と共にあくまで編集の意向を汲んで描かれたものであり、初のラブコメディ作品「転校生はヘンソウセイ!?」も担当のアイデアを取り入れることで執筆された作品であった。桂は恋愛作品について自身の趣味とは全く異なるものではあるが、嫌ではない旨を述べ、最初のラブコメを苦痛無く悩まず描けたことがその後へと繋がっていったと懐述している。 ただし、「(『電影少女』の開始時には)恋愛モノなんて、イヤでイヤでしようがなかったし、連載で描き続ける自信など、まるでなかった」や、「自分に求められている物を意識しすぎて、......恋愛やエロを入れなきゃとか」、などのより消極的な発言も見られ、『ウイングマン』に登場する女性戦隊ウイングガールズについては、ストイックな特撮ヒーロー物をやりたかったため本心としては出したくなかったが、編集の意向に合わせて仕事と割り切り登場させた旨を懐述している。 なお、恋愛物についてはラッセ・ハルストレムの映画『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』の影響を自身で述べている。 鳥山は桂との対談で「(桂は)エッチなのが武器」と述べており、性的な描写は桂の作品の魅力の一つとなっている。サービスカットは『ウイングマン』初期より登場していたが、『電影少女』の連載中に性的な表現に対する大きな転機が訪れる。 当初、恋愛物の執筆にあまり乗り気ではなかった桂は、せめてもの抵抗として少年誌にありがちな恋愛漫画を避けようとリアリティ(現実感)ある描写を求めていく。そして男女交際の帰結としてベッドシーンなどにも踏み込んでいくが、「キスまで」という少年誌的な制約は厳しく、桂はこの制約の中で「裸を出さずにエッチに描く」ことにより、際どくリアリティのある描写を目指していく。 とはいえその限界の見極めは難しく、『電影少女』では単行本に収録される際の修正・単行本発行後の修正・山口県での第3巻の有害図書指定と、当時強まっていた漫画に対する表現規制のあおりを直接受けることとなった。こうした際どい表現方法は、以降も桂の作品の特徴となっており、後の『エム』や『I"s』などにも受け継がれていく。 「美少女とヒーローをカラーで描かせたら右に出る者はいないスーパーテクニシャン」と称されるように、画力の高さには定評がある。しかし桂自身はあまり自分の画力を評価しておらず、絵柄の変更に抵抗を持たずに作品に合わせて意図的に変化させている。 大きな転機となったのは『電影少女』の原型となった読切「ビデオガール」のころで、それまでの絵柄を壊しリアリティのある絵柄を模索し始める。これは『電影少女』の連載前の漫画を描けない入院生活によって手が自分の絵を忘れてしまったことも転機とはなっているが、その他にも自分のキャラクターのルックスに飽きたこと、アイドル好きが加熱していたこともあり自分の絵よりも現実の女の子の方が可愛いと思っていることなどが理由として挙げられている。 その後の『D・N・A2』ではコミックらしさにこだわって描き、『ZETMAN』ではシリアスなストーリーに合わせ劇画にしている。鳥山明との合作『さちえちゃんグー!!』では好きでありながら自分で封印しているデフォルメにも挑戦している。 上述の通り桂の描く美少女には定評があるが、『ウイングマン』の連載中には担当編集より「色気がない」との指摘を受けていた。この指摘から桂は女の子の可愛らしい仕草や多彩な表情、色気などを意識して描くようになったが、その結果として女の子を主人公にした作品の依頼しか来なくなったと語っている。 ただし、早い時期から美少女の描写は評価されており、『ウイングマン』連載中のファンレターや『超機動員ヴァンダー』の巻末にコメントを寄せた土居孝幸からは共に「女の子が可愛い」との評価を受けている。少女の描写の中でも特に尻の描写は評価が高く、鳥山は「桂君と言えばお尻」との理由によって『さちえちゃんグー!!』の主人公さちえの痣を尻に設定している。また同じく漫画家の河下水希も、「桂正和先生の描かれるお尻なんて物凄い」と評している。 美少女を描くのに当たり桂は、グラビアなどからイメージをする程度にとどめ、特定のモデルを決めずに描いている。これは特定のモデルを決めて描くと目の大きさなどのバランスが絵としては悪くなり、修正を加えていっても良い作品にならないためという。 趣味は映画鑑賞とグッズのコレクション。また高校時代には特撮ヒーローにも夢中になっていた。 映画鑑賞のために自宅地下にはバットマングッズのコレクションルームも兼ねたAVルームを設けており、かなりの予算を掛けている。好きな映画監督としてはサム・ライミを挙げており、『死霊のはらわた』からの熱心なファン。2002年(平成14年)の『スパイダーマン』公開に当たりライミが訪日した際には、『週刊ヤングジャンプ』の企画で対談を果たしている。 コレクションの対象としては、バットマングッズ、アンティークウォッチ、スニーカーが挙げられている。 特撮変身ヒーローのファンであり、好きな作品としてはスーパー戦隊シリーズの『電子戦隊デンジマン』、宇宙刑事シリーズの『宇宙刑事シャイダー』、ウルトラシリーズの『ウルトラマン』を挙げている。中でも高校時代に出会った『デンジマン』は特撮ヒーローに夢中となるきっかけとなった作品であり、「エポック」であり「僕の中で戦隊物であれを越えられる物はない」と語っている。特撮に対する熱意は作品鑑賞には留まらず、専門学校時代には自主制作映画の中で『太陽戦隊サンバルカン』のコスプレを行い、学園祭には『大戦隊ゴーグルファイブ』のレッドのコスプレで参加していた。 そして特撮は単なる趣味に留まらずに作品にも多大な影響を与えており、中でも東映作品は桂がヒーロー物を描くようになった原点となっている。デビュー時期に執筆された短編「学園部隊3パロかん」とその続編「学園部隊3パロかんII」は、戦隊物の自己紹介アクションを漫画で表現することを目的として執筆されたものであり、『サンバルカン』や『バトルフィーバーJ』といった戦隊物のパロディ作品となっている。そして同シリーズに先立ち執筆され、デビューのきっかけとなった短編「ツバサ」は『デンジマン』に熱中していた時に描かれた作品であり、本作を基として描かれた連載デビュー作『ウイングマン』も様々な面で特撮の影響下にある作品となっている。そもそもとして同作は「東映の特撮物を、自分で動かしてやってみたい」という動機で描かれた作品であり、作中ヒーローであるウイングマンのデザインは鳥を基本とした上で、「デンジマンの目がないところ」と「胸から腕までの白いライン」を基とし、デンジマンのシンプルさを目指してデザインされた物である。また『ウイングマン』という名称もウルトラマンに字数と「ウ」から始まり「マン」で終わるところを合わせて命名されたものである。連載開始後にはウイングマンの衣装をオーダーメイドで製作。自らの体型に合わせた特注品であり制作費用は100万円以上であった。その衣装を纏い、単行本各巻の目次背景に写真を掲載、さらに単行本ではおまけページにおいて変身アクションの解説も作成している。『ファンロード』1984年4月号においてもウイングマンの衣装を携え「桂正和先生コスプレ対談」(P.12・13、29 - 34)を行い、ファンロード側が手配した当時の女性コスプレイヤーの"小川美紅"と誌面を飾った。また、『週刊少年ジャンプ』1985年6月17日号(No.27)で連載100回を迎えた記念として、新コスチュームを制作(レインボー造型企画製)、桂自らが着用して巻頭グラビアで披露した。 桂はバットマングッズのコレクターとしても有名で、1997年(平成9年)の『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』および2012年(平成24年)の『ダークナイト ライジング』ではパンフレットにコメントを寄稿、2008年(平成20年)にバンダイより発売される『ダークナイト』のアクションフィギュア『MOVIE REALIZATION BATMAN&BAT-POD』ではスーパーバイザーを務め、デザインアレンジとパッケージイラストを担当している。ファンとなったきっかけは1989年の映画『バットマン』(ティム・バートン)で、同作によって『ウイングマン』の連載終了後には飽きていたヒーロー物に対する情熱が再燃した旨を語っている。 映画自体については「好きな映画ではあるが一番おもしろい映画ではない」と述べており、桂にとってのバットマンの魅力はバットマンのキャラクター性にある。誰も見ていないところでコウモリの格好をしてどちらが悪人だか分からないような対応でチンピラに脅しをかけるといった行動や、怖い容姿をして常に怒っている正義の味方バットマンと馬鹿みたいに笑っている悪役ジョーカーの両方が同じくらいに狂気に満ちていることが、東映特撮によって作られた桂にとってのヒーロー像とは異なり新鮮であったこと、そして自分がヒーローであることを見て欲しい自己中心的な性格が『ウイングマン』の健太とシンクロしたことをその魅入られた理由として挙げている。また一番好きな敵キャラクターとしてはジョーカーを挙げ、敵がジョーカーであったこともバットマンに没頭した理由の一つである旨を述べている。 『バットマン&ロビン』特集号の『S.M.H.』VOL.8 では自作のバットマン胸像が表紙を飾り、「自他ともに認める強度のバットマニア」との形容と共にバットマングッズのコレクターとしての取材を受けた他、『フィギュア王』NO.27でも「漫画界きってのバットマニア」として取材を受けており、これらの取材ではバットマングッズのコレクションルームを兼ねた自宅地下のAVルームを公開している。 バットマンは桂の作品にも影響を与えており、特に『SHADOW LADY』と読切「ZETMAN」はバットマンの世界へのオマージュ作品となっている。より直接的な描写としては、頭の「とがった耳」をバットに変えたパロディキャラクター「ばっとマン」が『電影少女』の作中に登場している。 なお、愛犬はバットマン登場キャラクターのアルフレッドに因み、雌であるため「アルフレッコ」と名付けられている。 また、『WJ』連載時の自画像にも、バットマンの絵を使用していた。 OVA『電影少女 -VIDEO GIRL AI-』のサウンドトラックCD(どちらも発売はビクター音楽産業)において、歌・作詞・作曲に一部参加している。 鳥山と桂は鳥嶋和彦によって才能を見出された友人同士であり、数少ない漫画家の友人の中で最も親交の深い人物として互いに互いを挙げている。またアシスタント経験の無い桂は鳥山に漫画の相談をすることもあり、鳥山との関係について「師匠と言ってもいいかも」や「学校の先生のようなもの」と表現している。 初期には共に田舎出身であることから、鳥山が『Dr.スランプ』に田舎者として桂を登場させ、桂が『ウイングマン』に都会者であるかのように振る舞う「生徒会トリヤマ」や「Mr.マヤリト」として鳥山を登場させるなどと、互いに相手の方が田舎者であると冗談でけなし合うやり取りを『ジャンプ』誌上で行っていた。また、桂が病気療養のために『ウイングマン』を一時休載した際には、応援コーナー「がんばれ! がんばれ! 桂くん!」に「イナカ友だち」として鳥山がタイトルとイラストを寄稿している。また、1983年 - 1984年当時の桂は鳥山に「鳥嶋和彦似」であることを指摘されていたことから、『Dr.スランプ』の中で則巻千兵衛に「Dr.マシリト」と言われる場面がある。 互いの作品に影響を与えている場合もあり、『ドラゴンボール』において孫悟空が界王を笑わせるために使ったギャグは桂が考えたものであり、フュージョンのポーズの考案にも関わっている。一方、「すず風のパンテノン」は鳥山との雑談の中から生まれ、『D・N・A2』で主人公が髪の色を変えて変身するのは鳥山のアドバイスによるものである、桂から「スーパーサイヤ人に似るのでは」との問いに、鳥山は「大丈夫、わかりゃしないよ」の応答から作品を発表するも、読者からは「パクるな!」との批判の声が多かった。 また『ZETMAN』では車のデザインを行っている。 2008年には原作:鳥山明・漫画:桂正和で『ジャンプスクエア』において読切『さちえちゃんグー!!』を共作。また2009年末からは、同じ分担で『JIYA -ジヤ-』を『週刊ヤングジャンプ』において全3話の短期集中連載を行う。
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"しかしこうした恋愛要素はコメディ要素と共にあくまで編集の意向を汲んで描かれたものであり、初のラブコメディ作品「転校生はヘンソウセイ!?」も担当のアイデアを取り入れることで執筆された作品であった。桂は恋愛作品について自身の趣味とは全く異なるものではあるが、嫌ではない旨を述べ、最初のラブコメを苦痛無く悩まず描けたことがその後へと繋がっていったと懐述している。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ただし、「(『電影少女』の開始時には)恋愛モノなんて、イヤでイヤでしようがなかったし、連載で描き続ける自信など、まるでなかった」や、「自分に求められている物を意識しすぎて、......恋愛やエロを入れなきゃとか」、などのより消極的な発言も見られ、『ウイングマン』に登場する女性戦隊ウイングガールズについては、ストイックな特撮ヒーロー物をやりたかったため本心としては出したくなかったが、編集の意向に合わせて仕事と割り切り登場させた旨を懐述している。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "なお、恋愛物についてはラッセ・ハルストレムの映画『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』の影響を自身で述べている。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "鳥山は桂との対談で「(桂は)エッチなのが武器」と述べており、性的な描写は桂の作品の魅力の一つとなっている。サービスカットは『ウイングマン』初期より登場していたが、『電影少女』の連載中に性的な表現に対する大きな転機が訪れる。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "当初、恋愛物の執筆にあまり乗り気ではなかった桂は、せめてもの抵抗として少年誌にありがちな恋愛漫画を避けようとリアリティ(現実感)ある描写を求めていく。そして男女交際の帰結としてベッドシーンなどにも踏み込んでいくが、「キスまで」という少年誌的な制約は厳しく、桂はこの制約の中で「裸を出さずにエッチに描く」ことにより、際どくリアリティのある描写を目指していく。", 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"上述の通り桂の描く美少女には定評があるが、『ウイングマン』の連載中には担当編集より「色気がない」との指摘を受けていた。この指摘から桂は女の子の可愛らしい仕草や多彩な表情、色気などを意識して描くようになったが、その結果として女の子を主人公にした作品の依頼しか来なくなったと語っている。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "ただし、早い時期から美少女の描写は評価されており、『ウイングマン』連載中のファンレターや『超機動員ヴァンダー』の巻末にコメントを寄せた土居孝幸からは共に「女の子が可愛い」との評価を受けている。少女の描写の中でも特に尻の描写は評価が高く、鳥山は「桂君と言えばお尻」との理由によって『さちえちゃんグー!!』の主人公さちえの痣を尻に設定している。また同じく漫画家の河下水希も、「桂正和先生の描かれるお尻なんて物凄い」と評している。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "美少女を描くのに当たり桂は、グラビアなどからイメージをする程度にとどめ、特定のモデルを決めずに描いている。これは特定のモデルを決めて描くと目の大きさなどのバランスが絵としては悪くなり、修正を加えていっても良い作品にならないためという。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "趣味は映画鑑賞とグッズのコレクション。また高校時代には特撮ヒーローにも夢中になっていた。", "title": "趣味" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "映画鑑賞のために自宅地下にはバットマングッズのコレクションルームも兼ねたAVルームを設けており、かなりの予算を掛けている。好きな映画監督としてはサム・ライミを挙げており、『死霊のはらわた』からの熱心なファン。2002年(平成14年)の『スパイダーマン』公開に当たりライミが訪日した際には、『週刊ヤングジャンプ』の企画で対談を果たしている。", "title": "趣味" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "コレクションの対象としては、バットマングッズ、アンティークウォッチ、スニーカーが挙げられている。", "title": "趣味" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "特撮変身ヒーローのファンであり、好きな作品としてはスーパー戦隊シリーズの『電子戦隊デンジマン』、宇宙刑事シリーズの『宇宙刑事シャイダー』、ウルトラシリーズの『ウルトラマン』を挙げている。中でも高校時代に出会った『デンジマン』は特撮ヒーローに夢中となるきっかけとなった作品であり、「エポック」であり「僕の中で戦隊物であれを越えられる物はない」と語っている。特撮に対する熱意は作品鑑賞には留まらず、専門学校時代には自主制作映画の中で『太陽戦隊サンバルカン』のコスプレを行い、学園祭には『大戦隊ゴーグルファイブ』のレッドのコスプレで参加していた。", "title": "趣味" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "そして特撮は単なる趣味に留まらずに作品にも多大な影響を与えており、中でも東映作品は桂がヒーロー物を描くようになった原点となっている。デビュー時期に執筆された短編「学園部隊3パロかん」とその続編「学園部隊3パロかんII」は、戦隊物の自己紹介アクションを漫画で表現することを目的として執筆されたものであり、『サンバルカン』や『バトルフィーバーJ』といった戦隊物のパロディ作品となっている。そして同シリーズに先立ち執筆され、デビューのきっかけとなった短編「ツバサ」は『デンジマン』に熱中していた時に描かれた作品であり、本作を基として描かれた連載デビュー作『ウイングマン』も様々な面で特撮の影響下にある作品となっている。そもそもとして同作は「東映の特撮物を、自分で動かしてやってみたい」という動機で描かれた作品であり、作中ヒーローであるウイングマンのデザインは鳥を基本とした上で、「デンジマンの目がないところ」と「胸から腕までの白いライン」を基とし、デンジマンのシンプルさを目指してデザインされた物である。また『ウイングマン』という名称もウルトラマンに字数と「ウ」から始まり「マン」で終わるところを合わせて命名されたものである。連載開始後にはウイングマンの衣装をオーダーメイドで製作。自らの体型に合わせた特注品であり制作費用は100万円以上であった。その衣装を纏い、単行本各巻の目次背景に写真を掲載、さらに単行本ではおまけページにおいて変身アクションの解説も作成している。『ファンロード』1984年4月号においてもウイングマンの衣装を携え「桂正和先生コスプレ対談」(P.12・13、29 - 34)を行い、ファンロード側が手配した当時の女性コスプレイヤーの\"小川美紅\"と誌面を飾った。また、『週刊少年ジャンプ』1985年6月17日号(No.27)で連載100回を迎えた記念として、新コスチュームを制作(レインボー造型企画製)、桂自らが着用して巻頭グラビアで披露した。", "title": "趣味" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "桂はバットマングッズのコレクターとしても有名で、1997年(平成9年)の『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』および2012年(平成24年)の『ダークナイト ライジング』ではパンフレットにコメントを寄稿、2008年(平成20年)にバンダイより発売される『ダークナイト』のアクションフィギュア『MOVIE REALIZATION BATMAN&BAT-POD』ではスーパーバイザーを務め、デザインアレンジとパッケージイラストを担当している。ファンとなったきっかけは1989年の映画『バットマン』(ティム・バートン)で、同作によって『ウイングマン』の連載終了後には飽きていたヒーロー物に対する情熱が再燃した旨を語っている。", "title": "趣味" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "映画自体については「好きな映画ではあるが一番おもしろい映画ではない」と述べており、桂にとってのバットマンの魅力はバットマンのキャラクター性にある。誰も見ていないところでコウモリの格好をしてどちらが悪人だか分からないような対応でチンピラに脅しをかけるといった行動や、怖い容姿をして常に怒っている正義の味方バットマンと馬鹿みたいに笑っている悪役ジョーカーの両方が同じくらいに狂気に満ちていることが、東映特撮によって作られた桂にとってのヒーロー像とは異なり新鮮であったこと、そして自分がヒーローであることを見て欲しい自己中心的な性格が『ウイングマン』の健太とシンクロしたことをその魅入られた理由として挙げている。また一番好きな敵キャラクターとしてはジョーカーを挙げ、敵がジョーカーであったこともバットマンに没頭した理由の一つである旨を述べている。", "title": "趣味" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "『バットマン&ロビン』特集号の『S.M.H.』VOL.8 では自作のバットマン胸像が表紙を飾り、「自他ともに認める強度のバットマニア」との形容と共にバットマングッズのコレクターとしての取材を受けた他、『フィギュア王』NO.27でも「漫画界きってのバットマニア」として取材を受けており、これらの取材ではバットマングッズのコレクションルームを兼ねた自宅地下のAVルームを公開している。", "title": "趣味" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "バットマンは桂の作品にも影響を与えており、特に『SHADOW LADY』と読切「ZETMAN」はバットマンの世界へのオマージュ作品となっている。より直接的な描写としては、頭の「とがった耳」をバットに変えたパロディキャラクター「ばっとマン」が『電影少女』の作中に登場している。", "title": "趣味" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "なお、愛犬はバットマン登場キャラクターのアルフレッドに因み、雌であるため「アルフレッコ」と名付けられている。", "title": "趣味" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "また、『WJ』連載時の自画像にも、バットマンの絵を使用していた。", "title": "趣味" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "OVA『電影少女 -VIDEO GIRL AI-』のサウンドトラックCD(どちらも発売はビクター音楽産業)において、歌・作詞・作曲に一部参加している。", "title": "作品リスト" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "鳥山と桂は鳥嶋和彦によって才能を見出された友人同士であり、数少ない漫画家の友人の中で最も親交の深い人物として互いに互いを挙げている。またアシスタント経験の無い桂は鳥山に漫画の相談をすることもあり、鳥山との関係について「師匠と言ってもいいかも」や「学校の先生のようなもの」と表現している。", "title": "関連人物" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "初期には共に田舎出身であることから、鳥山が『Dr.スランプ』に田舎者として桂を登場させ、桂が『ウイングマン』に都会者であるかのように振る舞う「生徒会トリヤマ」や「Mr.マヤリト」として鳥山を登場させるなどと、互いに相手の方が田舎者であると冗談でけなし合うやり取りを『ジャンプ』誌上で行っていた。また、桂が病気療養のために『ウイングマン』を一時休載した際には、応援コーナー「がんばれ! がんばれ! 桂くん!」に「イナカ友だち」として鳥山がタイトルとイラストを寄稿している。また、1983年 - 1984年当時の桂は鳥山に「鳥嶋和彦似」であることを指摘されていたことから、『Dr.スランプ』の中で則巻千兵衛に「Dr.マシリト」と言われる場面がある。", "title": "関連人物" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "互いの作品に影響を与えている場合もあり、『ドラゴンボール』において孫悟空が界王を笑わせるために使ったギャグは桂が考えたものであり、フュージョンのポーズの考案にも関わっている。一方、「すず風のパンテノン」は鳥山との雑談の中から生まれ、『D・N・A2』で主人公が髪の色を変えて変身するのは鳥山のアドバイスによるものである、桂から「スーパーサイヤ人に似るのでは」との問いに、鳥山は「大丈夫、わかりゃしないよ」の応答から作品を発表するも、読者からは「パクるな!」との批判の声が多かった。", "title": "関連人物" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "また『ZETMAN』では車のデザインを行っている。", "title": "関連人物" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2008年には原作:鳥山明・漫画:桂正和で『ジャンプスクエア』において読切『さちえちゃんグー!!』を共作。また2009年末からは、同じ分担で『JIYA -ジヤ-』を『週刊ヤングジャンプ』において全3話の短期集中連載を行う。", "title": "関連人物" } ]
桂 正和は、日本の漫画家。プロダクション名は STUDIO K2R。福井県生まれの千葉県育ち。阿佐ヶ谷美術専門学校中退。血液型はA型。2015年(平成27年)から嵯峨美術大学客員教授。 1981年(昭和56年)に『週刊少年ジャンプ』(集英社)32号掲載の「転校生はヘンソウセイ!?」でデビューし、1983年(昭和58年)に同誌5・6合併号から連載を開始した『ウイングマン』で連載デビュー。主に『週刊少年ジャンプ』で活躍し、その後『週刊ヤングジャンプ』(同)に移籍。代表作に『ウイングマン』『電影少女』『I"s』など。 評価は日本国内に留まらず香港・台湾・アメリカ・フランスなど様々な国や地域のファンから支持されている。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Infobox 漫画家 |名前 = 桂 正和 |ふりがな = かつら まさかず |画像 = Masakazu Katsura - Lucca Comics & Games 2014.JPG |画像サイズ = 200px |脚注 = ルッカコミック&ゲームにて<br />([[2014年]]〈[[平成]]26年〉) |本名 = 同じ |生年 = {{生年月日と年齢|1962|12|10}}<ref name ="wmjc2">桂正和「ポドリムス通信」『[[ウイングマン]]』2巻〈JC〉[[1983年]](昭和58年)[[10月15日]]、{{ISBN2|4-08-851372-X}}、188頁。</ref> |生地 = {{JPN}}・[[福井県]]<ref name ="wmjc2" /> |没年 = |没地 = |国籍 = {{JPN}} |職業 = |活動期間 = [[1981年]] - |ジャンル = [[少年漫画]]<br />[[青年漫画]]<br />[[SF漫画]]<br />[[ラブコメディ]] |代表作 = * [[ウイングマン]] * [[電影少女]] * [[I"s]]<ref name="figp11">『フィギュア王』NO.27、11頁。</ref> * [[TIGER & BUNNY]](原案) |受賞 = * 第19回[[手塚賞]]佳作(「[[桂正和コレクション#ツバサ|ツバサ]]」) * 第21回手塚賞準入選(「[[桂正和コレクション#転校生はヘンソウセイ!?|転校生はヘンソウセイ!?]]」) |サイン = |公式サイト = [http://k2r.main.jp/ 桂正和 公式サイト K2R村] {{ja icon}} }} '''桂 正和'''(かつら まさかず、[[諱|本名]]同じ<ref>桂正和「ポドリムス通信」『ウイングマン』3巻〈JC〉[[1983年]](昭和58年)12月15日、{{ISBN2|4-08-851373-8}}、187頁。</ref>、[[1962年]]〈[[昭和]]37年〉{{R|完全超悪335}}[[12月10日]]<ref name ="wmjc2" /> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。プロダクション名は STUDIO K2R。[[福井県]]生まれ<ref name ="wmjc2" />{{R|完全超悪335}}の[[千葉県]]育ち<ref name="istyle1">{{Cite web|和書|last = |authorlink = iStyle|date = 2002-04|url = http://www.city.ichihara.chiba.jp/graph/0204/face/face001.html|title= iStyle インタビュー 漫画家 桂 正和 その1|work = [https://web.archive.org/web/20090202120807/http://www.city.ichihara.chiba.jp/graph/0204/index.html 市民クラブ市原 iStyle 2002-4 / Spring VOL.103]|publisher = [[市原市]]|accessdate = 2009-02-07|deadlink = 2013-01-01|archiveurl = https://web.archive.org/web/20090210223622/http://www.city.ichihara.chiba.jp/graph/0204/face/face001.html|archivedate = 2009年2月10日}}</ref>。[[阿佐ヶ谷美術専門学校]]<ref name="oni2">『Making of Game Graphics vol.2 鬼武者2』71頁。</ref>中退<ref name="istyle1" />。[[ABO式血液型|血液型]]は[[ABO式血液型|A型]]<ref name ="wmjc2" />。[[2015年]]([[平成]]27年)から[[嵯峨美術大学]][[客員教授]]。 [[1981年]]([[昭和]]56年)に『[[週刊少年ジャンプ]]』([[集英社]])32号掲載の「[[桂正和コレクション#転校生はヘンソウセイ!?|転校生はヘンソウセイ!?]]」でデビューし、[[1983年]](昭和58年)に同誌5・6合併号から連載を開始した『[[ウイングマン]]』で連載デビュー<ref name="4crp76">『4C R-side』76頁。</ref>。主に『週刊少年ジャンプ』で活躍し、その後『[[週刊ヤングジャンプ]]』(同)に移籍。代表作に『ウイングマン』『[[電影少女]]』『[[I"s]]』など<ref name="figp11" />。 評価は日本国内に留まらず[[香港]]<ref name="dna2jc4">桂正和『[[D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜]]』4巻〈JC〉1994年(平成6年)10月4日、{{ISBN2|4-08-871759-7}}、表紙そで。</ref>・[[台湾]]<ref name="dna2jc4" />・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]<ref>桂正和『[[SHADOW LADY]]』2巻〈JC〉1996年(平成8年)5月15日、{{ISBN2|978-4-08-872042-5}}、表紙そで。</ref>・[[フランス]]<ref>桂正和「I"s CLUB 4」『[[I"s]]』5巻〈JC〉1998年(平成10年)5月6日、{{ISBN2|978-4-08-872553-6}}、193頁。</ref>など様々な[[国]]や[[地域]]の[[ファン]]から支持されている<ref name="mrbatman">{{Cite web|author = バンダイ|authorlink = バンダイ|date = 不明|url=http://www.tamashii.jp/special/mr_batman/|title = MOVIE REALIZATION BATMAN&BAT-POD|work = [http://www.tamashii.jp/ 魂ウェブ]|publisher = [[バンダイ]]|accessdate = 2009-02-07|archiveurl = https://web.archive.org/web/20090221031909/http://www.tamashii.jp/special/mr_batman/ |archivedate=2009-02-21}}</ref>。 == 来歴 == [[ファイル:Nov06MasakazuKatsura.JPG|thumb|200px|right|バルセロナのイベントにて([[2006年]]〈平成18年〉)]] === 生い立ち === [[1962年]]([[昭和]]37年)[[福井県]]に生まれ、[[小学校|小学生]]の時に[[千葉県]][[千葉市]]村田町へ引っ越し、さらに[[中学校|中学生]]になるころに同県[[市原市]]八幡へ移り20歳ごろまでを過ごす。子供の頃から絵は得意で受賞などもしていたが、[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]や[[漫画]]にはさほど惹かれておらず、[[ウルトラシリーズ]]や[[仮面ライダーシリーズ]]といった[[特撮]]ヒーロー物に夢中になっていた<ref name="istyle1p">この段落は「{{Cite web|和書|author = iStyle|date = 2002-04|url=http://www.city.ichihara.chiba.jp/graph/0204/face/face001.html|title = iStyle インタビュー 漫画家 桂 正和 その1|work = [https://web.archive.org/web/20090202120807/http://www.city.ichihara.chiba.jp/graph/0204/index.html 市民クラブ市原 iStyle 2002-4 / Spring VOL.103]|publisher = [[市原市]]|accessdate = 2009-02-07|deadlink = 2013-01-01|archiveurl = https://web.archive.org/web/20090210223622/http://www.city.ichihara.chiba.jp/graph/0204/face/face001.html|archivedate = 2009年2月10日}}」を参照。</ref>。 中学時に V55 ([[Technics]]) という50万円の[[コンポーネントステレオ]]が欲しくて、当時50万円だった賞金目当てに[[手塚賞]]への応募を始める。最初の道具は[[手塚治虫]]の入門書を読んで小遣いで揃えたものだった<ref>{{Cite web|和書|author = 桂正和|date = 不明|url = http://www.shueisha.co.jp/fantasy-taishou/katsura/|title = ファンタジーコミック大賞特別企画第2弾 桂正和先生インタビュー|work = [http://www.shueisha.co.jp/fantasy-taishou/index.html ファンタジーコミック大賞]|publisher = [[集英社]]|accessdate = 2009-10-17}}</ref>。それまでは漫画家を目指していたわけでもない上に漫画もほとんど読んでおらず<ref name="asabi">{{Cite web|和書|author = 桂正和・松岡和彦|date = 2007-1-20|url=http://www.asabi.ac.jp/topics/katsura_matsuoka_taidan2006.php|title = 桂正和×本校教員松岡和彦対談|work = [http://www.asabi.ac.jp/ 阿佐ヶ谷美術専門学校]|publisher = [[阿佐ヶ谷美術専門学校]]|accessdate = 2013-01-01}}</ref>、当初は賞金だけが目的であった。目的のコンポは賞金を手に入れる前に買ってもらったが、漫画を描き続ける中で描く面白さを覚える<ref name="asabi" />。 === デビュー前後 === [[高等学校|高校]]時には授業中に[[ペン入れ]]をするなどして漫画に没頭する。そして[[1980年]](昭和55年)の高校卒業間際に[[週刊少年ジャンプ#新人漫画家の募集企画|フレッシュジャンプ賞]]に投稿した作品が選外ながらも[[編集者]]・[[鳥嶋和彦]]の目に止まり、また同時期に手塚賞に応募していた「[[桂正和コレクション#ツバサ|ツバサ]]」が佳作に入選する<ref name="4crp71p">この段落は『4C R-side』71頁 を参照。</ref>{{R|完全超悪335}}。 高校時代には『[[電子戦隊デンジマン]]』をきっかけとし[[東映]]の[[特撮テレビ番組一覧|特撮テレビドラマ]]にのめり込む<ref name="cm14p14">『コミッカーズ』1995年夏号、14頁。</ref>(詳細は[[#趣味|趣味の節]]で[[#特撮ヒーロー|後述]])。こうした特撮ヒーロー物のファンゆえ、そのトレースしただけのような[[サイエンス・フィクション|SF]]作品ばかりを描いていたが、担当となった鳥嶋に[[ラブコメディ]]作品を描くように薦められ「[[桂正和コレクション#転校生はヘンソウセイ!?|転校生はヘンソウセイ!?]]」を執筆する。同作は初めてのラブコメであったにもかかわらず手塚賞準入選に入賞して『[[週刊少年ジャンプ]]』 (以下『WJ』)に掲載され、[[専修学校|専門学校]]在籍中に漫画家としてのデビューを果たす。 その後『WJ』で『[[ウイングマン]]』の連載を開始し多忙となったこと、そして3年への進級に失敗したこと<ref name="asabi" />から専門学校を中退<ref name="istyle1" />。同作は自身の好きなヒーロー物にラブコメディ要素を取り入れたことによりヒットし、アニメ化もされた<ref name="4crp71p" />。 === 恋愛作品のヒット === 『ウイングマン』終了後は『[[超機動員ヴァンダー]]』『[[プレゼント・フロム LEMON]]』と短期終了の連載が2作続き、不遇の時代を迎える。再び担当となった鳥嶋のサポートから「恋愛モノ」に取りかかり、『ウイングマン』とは逆に恋愛にSF要素を取り入れた読切「[[電影少女#ビデオガール|ビデオガール]]」を[[1989年]]([[平成]]元年)に発表、同年さらにこれを基にした『[[電影少女]]』の連載を開始する。 『電影少女』は単行本巻数としては『WJ』時代最長となる15巻まで続き、[[OVA]]化・[[実写]]映画化など様々な[[メディアミックス]]展開が行われるヒット作となった。両作は桂にとって漫画家としてのターニングポイントとなっており、作風に様々な変化をもたらした(詳細は[[#作風|作風の節で後述]])。 また、[[1989年]](平成元年)に公開された[[映画]]『[[バットマン (映画)|バットマン]]』をきっかけに桂は『[[バットマン]]』のファンとなり<ref name="#1">『フィギュア王』NO.27、10頁。</ref>、以降の作品に影響を与えた<ref name ="cdb4p2">『キャラクター・デザイン・バイブル vol.4』2頁。</ref>(詳細は[[#趣味|趣味の節]]で[[#バットマン|後述]])<ref name="4crp71p" />。 === SF作品〜恋愛作品 === 『電影少女』終了後、[[1992年]](平成4年)からは鳥嶋が創刊編集長を務めた『[[Vジャンプ|週刊少年ジャンプ特別編集増刊 V JUMP]]』<ref group="注" name="wvj">『[[週刊少年ジャンプ|WJ]]』の増刊号として発行された『[[Vジャンプ]]』の前身。</ref>において『[[SHADOW LADY]]』【VJ版】を連載<ref group="注" name="vj">正確には第4話までが『WJ増刊 V JUMP』に掲載され、最終話(第5話)は『WJ』から独立し月刊誌となった『Vジャンプ』創刊号に掲載された。</ref>、その後『WJ』に戻り[[1994年]](平成6年)から『[[D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜]]』、[[1995年]](平成7年)からは『SHADOW LADY』【WJ版】とアクション色の強い作品を続けて発表する。『D・N・A² 』の連載は単行本5巻分と比較的短期間だったが、テレビアニメ化されている<ref>この段落は『4C R-side』72頁 を参照。</ref>。 [[1996年]](平成8年)には初の青年誌向け作品<ref group="注" name="young">青年誌初掲載作品はWJ増刊時代の『[[スーパージャンプ]]』に掲載された「[[桂正和コレクション#小さな灯り|小さな灯り]]」(1988年)。</ref>として『[[M エム|エム]]』を『[[MANGAオールマン]]』にて発表する。 そして翌[[1997年]](平成9年)にはWJ編集部の意向に沿う形で、SF要素を一切排した恋愛漫画『[[I"s]]』の連載を開始する<ref name="4crp72">『4C R-side』72頁。</ref>。同作は『WJ』時代最長の作品<ref group="注">単行本巻数は『電影少女』と同じ15巻だが、話数では本作の方が13話長い。</ref>となり、連載終了後にもメディアミックスが行われるヒット作となった。 === ヤングジャンプへの移籍 === [[2000年]](平成12年)の『I"s』連載終了と同年に掲載された読切「Dr.チャンバリー」を最後に、桂は長年活動の場として来た『WJ』を離れる。そして[[2002年]](平成14年)に発表された『[[M エム|M 完全版]]』以降は活動の場を『[[週刊ヤングジャンプ]]』に移し、同年より『[[ZETMAN]]』の連載を開始する。5年以上<ref group="注" name="span">ただし、2006年6月よりおよそ1年に渡る長期休載を挟んでいる。</ref>にわたって連載が継続されており、桂最長の作品となっている。 移籍後に発売された『I"s』の[[完全版コミックス|完全版]]は『WJ』連載作品でありながら、[[ヤングジャンプ・コミックス]]レーベルからの発売となっている。 == 年表 == {{Small|[[※]] 連載誌の記載がないものは『[[週刊少年ジャンプ]]』において連載。}} * [[1962年]]([[昭和]]37年) - [[福井県]]で生まれる<ref name ="wmjc2" />。 * 197?年(昭和4?年) - [[小学校|小学生]]のころに[[千葉市]]に引っ越す。[[中学校|中学]]に入学するころに[[市原市]]へ引っ越し、20歳ごろまでを過ごす<ref name="istyle1p" />。 * [[1980年]](昭和55年) - [[高等学校|高校]]卒業間際に[[週刊少年ジャンプ#新人漫画家の募集企画|フレッシュジャンプ賞]]に応募していた作品が[[鳥嶋和彦]]の目に留まる。また「[[桂正和コレクション#ツバサ|ツバサ]]」で第19回[[手塚賞]]佳作受賞。4月、阿佐ヶ谷美術専門学校<ref name="oni2" />に入学<ref name="4crp71p" />。 * [[1981年]](昭和56年) - [[専修学校|専門学校]]在籍中に「[[桂正和コレクション#転校生はヘンソウセイ!?|転校生はヘンソウセイ!?]]」で第21回手塚賞準入選を受賞。漫画家としてデビューする<ref name="4crp76" />。 * [[1983年]](昭和58年) - 「[[ウイングマン]]」で連載デビュー( - [[1985年]]〈昭和60年〉)<ref name="4crp71">『4C R-side』71頁。</ref>。初の[[単行本]]となる『ウイングマン』1巻が8月に発売。 * [[1984年]](昭和59年) - 『ウイングマン』がテレビアニメ化(タイトルは『夢戦士ウイングマン』)。桂にとって初のアニメ化作品となる。8月1日、初の短編集『[[桂正和コレクション]]』1巻を発売。 * [[1985年]](昭和60年) - 「[[超機動員ヴァンダー]]」連載開始( - [[1986年]]〈昭和61年〉)。 * [[1987年]](昭和62年) - 「[[プレゼント・フロム LEMON]]」連載開始(同年終了)。 * [[1988年]](昭和63年) - 「[[桂正和コレクション#小さな灯り|小さな灯り]]」を『[[スーパージャンプ|週刊少年ジャンプ特別編集 スーパージャンプ]]』<ref group="注" name="sj">『WJ』の増刊号として発行された『[[スーパージャンプ]]』の前身。</ref>に掲載。初の[[青年漫画|青年誌]]掲載。 * [[1989年]]([[平成]]元年) - 「[[電影少女]]」連載開始( - [[1992年]]〈平成4年〉)。 * [[1991年]](平成3年) - 『[[電影少女#映画|電影少女 -VIDEO GIRL AI-]]』として『電影少女』が初の[[実写]][[映画]]化。 * [[1992年]](平成4年) - 『[[電影少女#OVA|電影少女 -VIDEO GIRL AI-]]』として『電影少女』が初の[[OVA]]化。『[[Vジャンプ|週刊少年ジャンプ特別編集増刊 V JUMP]]』<ref group="注" name="wvj" />において「[[SHADOW LADY#VJ版|SHADOW LADY]]」【VJ版】連載開始( - [[1993年]]〈平成5年〉)<ref group="注" name="vj" />。 * [[1993年]](平成5年) - 「[[D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜]]」連載開始( - [[1994年]]〈平成6年〉)。 * [[1994年]](平成6年) - [[OVA]]『[[I・R・I・A ZEIRAM THE ANIMATION|I・Я・I・A ZЁIЯAM THE ANIMATION]]』の[[キャラクターデザイン]]を担当。 * [[1995年]](平成7年) - 「[[SHADOW LADY#WJ版|SHADOW LADY]]」【WJ版】連載開始( - [[1996年]]〈平成8年〉)。 * [[1996年]](平成8年) - 「[[M エム|エム]]」を『[[MANGAオールマン]]』に掲載。初の青年向け漫画。 * [[1997年]](平成9年) - 「[[I"s]]」連載開始( - [[2000年]]〈平成12年〉)。 * [[1998年]](平成10年) - 初の[[イラストレーション|イラスト]]集『'''4C'''』を発売。 * [[1999年]](平成11年) - [[テレビゲーム|ゲーム]]『[[LOVE&DESTROY|LOVE &amp; DESTROY]]』のキャラクターデザインを担当。 * [[2002年]](平成14年) - 「[[M エム|M 完全版]]」より活動の場を『[[週刊ヤングジャンプ]]』に移し、『[[ZETMAN]]』を連載開始。本人曰く、これ以降は長編漫画を描いておらず、キャラクター原案に軸足を移して現在に至る。 * [[2011年]](平成23年) - [[テレビアニメ]]『[[TIGER & BUNNY]]』のキャラクター原案を担当。 * [[2014年]](平成26年) - 4月、[[鳥山明]]との共作短編集『カツラアキラ』発売。7月、12年もの長期連載となった連載版『ZETMAN』の''第一幕''が完結<ref group="注" name="dainimaku" >第二幕が再開するかは不明。</ref>。 * [[2022年]]([[令和]]4年) - 画業40周年を記念した展覧会『40th Anniversary 桂正和〜キャラクターデザインの世界展〜』を4月27日から5月8日まで東京・サンシャインシティ、10月5日から16日まで大阪・あべのハルカス近鉄本店にて開催した<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/475423|title=桂正和40周年展が明日開幕!「タイバニ」の“丸投げ”っぷりを赤裸々に、次回作の構想も|website=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-04-27|accessdate=2023-10-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://katsura-masakazu-sekaiten.jp/index.html|title=桂正和〜キャラクターデザインの世界展〜|website=40th Anniversary 桂正和〜キャラクターデザインの世界展〜|publisher=「桂正和の世界展」実行委員会|date=2022-03-12|accessdate=2023-10-06}}</ref>。 == 作風 == 同じく漫画家で友人の[[鳥山明]]は桂の作風について「(桂は)感動させたくてしょうがない」と評している。「作風が真逆なくらい違う」鳥山が人間味を表現するのを嫌い、明るくくだらないやり取りを好むのに対し、桂はやや暗く<ref name="asabi" />感動を誘うような描写を好む<ref name="sq0805">『ジャンプスクエア』2008年5月号、8 - 11頁。</ref>。こうした自身の作風について桂は、[[あすなひろし]]の“哀しい”作品の影響を述べている<ref name="asabi" />。 『コミッカーズ』1997年10月号では「[[美少女]]と[[ヒーロー]]をカラーで描かせたら右に出る者はいない<ref name="cm12p151">『コミッカーズ』1997年10月号、151頁。</ref>」との形容によって、桂の作品の特徴を端的に表している。こうした特徴から初のイラスト集である『4C』も、恋愛作品のイラストを中心とした「L-side ‹L{{Small|OVERS}}-side›」とヒーロー物を中心とした「R-side ‹{{Small|HE}}R{{Small|OES}}-side›」 という構成になっている。 === ヒーロー物 === [[手塚賞]]佳作受賞作である「[[桂正和コレクション#ツバサ|ツバサ]]」から長期連載の『[[ZETMAN]]』に至るまで、[[変身 (ヒーロー)|変身]]ヒーローを扱った作品が多い<ref group="注" name="ratio">連載作品で9作中6作品、書籍化されている読切作品で20作中7作品が変身ヒーローを扱っている。</ref>。[[#連載デビューまで|上述]]の通り高校時代には[[特撮]]ヒーローに夢中となってそのトレースのような作品ばかりを書いていたこともあり、初期の作品には特撮ヒーロー物の影響が強い。また、『[[バットマン (映画)|バットマン]]』公開以降の作品については同作の影響を自身で述べている<ref name="cdb4p2" />(特撮ヒーロー・バットマンについては[[#趣味|趣味の節で後述]])。 桂自身はヒーロー物に対してはこだわりがあり、『ZETMAN』については物語の構想としては変身ヒーローである意味が無いことを認識しながらも、「僕がやる限りヒーローだよな」との思いから変身ヒーロー物として描いている<ref>『季刊エス』14号、39頁。</ref>。 === 恋愛物 === 「[[少年雑誌|少年誌]]でやってる限り、……『[[ラブコメディ|ラブコメ]]』が向いているらしくて<ref name="cm12p151" />」と桂自身が述べるように、『[[電影少女]]』『[[I"s]]』とヒットし長期連載となった作品には[[恋愛]]要素が強い作品が列び、また恋愛を主題とはしていない変身ヒーロー物であっても『WJ』時代の連載作品には必ず恋愛要素と性的な[[サービスカット]]が含まれている。同じく鳥嶋にラブコメを求め続けられながらも頑なに拒否した鳥山明<ref>[[集英社]]『鳥山明ザ・ワールド アニメスペシャル』、同『ドラゴンボール大全集』。</ref>とは対極的に、桂はその要望を受け入れたことによって作品が時代とマッチし、ヒット作を生み出していった<ref name="HH">「TAMASHII NATIONS CRAZY」『ハイパーホビー』2010年1月号 (VOL.136) 、[[徳間書店]]、[[2010年]](平成22年)1月1日発行、31頁</ref>。 しかしこうした恋愛要素はコメディ要素と共にあくまで編集の意向を汲んで描かれたものであり<ref name="4crp72" />、初の[[ラブコメディ]]作品「[[桂正和コレクション#転校生はヘンソウセイ!?|転校生はヘンソウセイ!?]]」も担当のアイデアを取り入れることで執筆された作品であった<ref name="4crp71" />。桂は恋愛作品について自身の[[趣味]]とは全く異なるものではあるが、嫌ではない旨を述べ<ref name="Isjc12">桂正和『I"s』12巻〈JC〉[[1999年]](平成11年)11月9日 {{ISBN2|978-4-08-872791-2}}、表紙そで。</ref>、最初のラブコメを苦痛無く悩まず描けたことがその後へと繋がっていったと懐述している<ref name="4crp71" />。 ただし、「(『電影少女』の開始時には)恋愛モノなんて、イヤでイヤでしようがなかったし、連載で描き続ける自信など、まるでなかった<ref>桂正和「GOKURAKU CLUB 6」『[[電影少女]]』13巻〈JC〉[[1992年]](平成4年)9月9日、{{ISBN2|4-08-871703-1}}、191頁。</ref>」や、「自分に求められている物を意識しすぎて、……恋愛や[[エッチ|エロ]]を入れなきゃとか<ref name="sq0805p267">『ジャンプスクエア』2008年5月号、267頁。</ref>」、などのより消極的な発言も見られ、『ウイングマン』に登場する女性戦隊ウイングガールズについては、ストイックな特撮ヒーロー物をやりたかったため本心としては出したくなかったが、編集の意向に合わせて仕事と割り切り登場させた旨を懐述している<ref name="HH" />。 なお、恋愛物については[[ラッセ・ハルストレム]]の映画『[[マイライフ・アズ・ア・ドッグ]]』の影響を自身で述べている<ref name="oni2" />。 ==== 性的描写 ==== 鳥山は桂との対談で「(桂は)エッチなのが武器」と述べており<ref>『ジャンプスクエア』2008年5月号、268頁。</ref>、性的な描写は桂の作品の魅力の一つとなっている。サービスカットは『ウイングマン』初期より登場していた<ref>桂正和「目撃! の巻」『ウイングマン』1巻〈JC〉1983年8月15日初版発行 {{ISBN2|4-08-851371-1}}、43頁など。</ref>が、『電影少女』の連載中に性的な表現に対する大きな転機が訪れる。 当初、恋愛物の執筆にあまり乗り気ではなかった桂は、せめてもの抵抗として少年誌にありがちな恋愛漫画を避けようとリアリティ(現実感)ある描写を求めていく<ref name="4crp72" /><ref name="vg13">桂正和「GOKURAKU CLUB 6」『電影少女』13巻〈JC〉191頁。</ref>。そして男女交際の帰結としてベッドシーンなどにも踏み込んでいくが、「[[接吻|キス]]まで」という少年誌的な制約は厳しく<ref name="vg13" />、桂はこの制約の中で「[[裸]]を出さずに[[エッチ]]に描く」ことにより、際どくリアリティのある描写を目指していく<ref name="4crp72" />。 とはいえその限界の見極めは難しく、『電影少女』では単行本に収録される際の修正<ref>「CHAPTER52 死の口づけ」(『週刊少年ジャンプ』1990年53号、集英社・『電影少女』6巻〈JC〉[[1991年]](平成3年)6月15日発行 {{ISBN2|4-08-871806-2}})など</ref>・単行本発行後の修正<ref>「CHAPTER37 VIDEO GIRL MAI」(『電影少女』5巻〈JC〉)の初版と2版以降など。</ref>・山口県での第3巻の[[有害図書]]指定<ref>『「有害」コミック問題を考える』 創出版、1991年8月、15頁。</ref><ref>「ランドセルSEX白書」『[[NONFIX]]』[[フジテレビジョン|フジテレビ]]、1991年(平成3年)9月17日の深夜放送。</ref>と、当時強まっていた[[有害コミック騒動|漫画に対する表現規制]]のあおりを直接受けることとなった。こうした際どい表現方法は、以降も桂の作品の特徴となっており、後の『[[M エム|エム]]』や『[[I"s]]』などにも受け継がれていく<ref name="4crp74">『4C R-side ‹HEROES-side› Katsura Masakazu Illustrations 3』74頁。</ref>。 === 画風 === 「美少女とヒーローをカラーで描かせたら右に出る者はいないスーパーテクニシャン<ref name="cm12p151" />」と称されるように、画力の高さには定評がある。しかし桂自身はあまり自分の画力を評価しておらず<ref name="4crp76" /><ref name="asabi" />、絵柄の変更に抵抗を持たずに作品に合わせて意図的に変化させている<ref name="cm14p12">『コミッカーズ』1995年夏号、12頁。</ref>。 大きな転機となったのは『[[電影少女]]』の原型となった読切「[[電影少女#ビデオガール|ビデオガール]]」のころで、それまでの絵柄を壊しリアリティのある絵柄を模索し始める<ref name="vgjc2">桂正和『電影少女』2巻〈JC〉[[1990年]](平成2年)9月15日、{{ISBN2|4-08-871802-X}}、表紙そで。</ref>。これは『電影少女』の連載前の漫画を描けない入院生活によって手が自分の絵を忘れてしまったことも転機とはなっているが<ref name="cm14p12" />、その他にも自分のキャラクターのルックスに飽きたこと、[[アイドル]]好きが加熱していたこともあり<ref>『コミッカーズ』1995年夏号、11-12頁。</ref>自分の絵よりも現実の女の子の方が可愛いと思っていることなどが理由として挙げられている<ref name="vgjc2" />。 その後の『[[D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜|D・N・A²]]』ではコミックらしさにこだわって描き<ref name="cm14p12" />、『[[ZETMAN]]』ではシリアスなストーリーに合わせ[[劇画]]にしている<ref>『季刊エス』14号、43頁。</ref>。鳥山明との合作『[[さちえちゃんグー!!]]』では好きでありながら自分で封印している[[デフォルメ]]にも挑戦している<ref name="sq0805p267" />。 ==== 美少女 ==== 上述の通り桂の描く美少女には定評があるが、『ウイングマン』の連載中には担当編集より「[[色気]]がない」との指摘を受けていた<ref name="4crp71" />。この指摘から桂は女の子の可愛らしい仕草や多彩な表情、色気などを意識して描くようになったが、その結果として女の子を主人公にした作品の依頼しか来なくなったと語っている<ref name="4crp71" />。 ただし、早い時期から美少女の描写は評価されており、『ウイングマン』連載中のファンレターや『[[超機動員ヴァンダー]]』の巻末にコメントを寄せた[[土居孝幸]]からは共に「女の子が可愛い」との評価を受けている<ref>桂正和「ポドリムス通信」『ウイングマン』4巻〈JC〉1984年4月15日、{{ISBN2|4-08-851374-6}}、187頁。</ref><ref>[[土居孝幸]]「桂サンの描く女の子大好きになったボク!!」『[[超機動員ヴァンダー]]』2巻〈JC〉1987年6月15日、{{ISBN2|4-08-851074-7}}、200・201頁。</ref>。少女の描写の中でも特に[[尻]]の描写は評価が高く、鳥山は「桂君と言えばお尻」との理由によって『さちえちゃんグー!!』の主人公さちえの[[痣]]を尻に設定している<ref name="sq0805p10">『ジャンプスクエア』2008年5月号、10頁。</ref>。また同じく漫画家の[[河下水希]]も、「桂正和先生の描かれるお尻なんて物凄い」と評している<ref>[[村田雄介]]「[[ヘタッピマンガ研究所R]]」『週刊少年ジャンプ』41巻44号(通巻2000号、2008年48号、11月10日号)350頁。</ref>。 美少女を描くのに当たり桂は、[[グラビア雑誌|グラビア]]などからイメージをする程度にとどめ、特定のモデルを決めずに描いている<ref>桂正和「I"s CLUB 1」『I"s』2巻〈JC〉1997年11月9日、{{ISBN2|978-4-08-872412-6}}、184頁。</ref>。これは特定のモデルを決めて描くと目の大きさなどのバランスが絵としては悪くなり、修正を加えていっても良い作品にならないためという<ref>『4C R-side』75頁。</ref>。 == 趣味 == [[趣味]]は映画鑑賞<ref>桂正和『電影少女』3巻〈JC〉1990年11月15日、{{ISBN2|4-08-871803-8}}、表紙そで。</ref>とグッズの[[コレクション]]<ref name="cm12p151" />。また高校時代には特撮ヒーローにも夢中になっていた<ref name="cm14p14" />。 映画鑑賞のために自宅地下にはバットマングッズのコレクションルームも兼ねた[[オーディオ・ビジュアル|AV]]ルームを設けており、かなりの予算を掛けている<ref>桂正和『I"s』13巻〈JC〉2000年2月7日 {{ISBN2|978-4-08-872821-6}}、表紙そで。</ref>。好きな[[映画監督]]としては[[サム・ライミ]]を挙げており、『[[死霊のはらわた]]』からの熱心なファン<ref>『コミッカーズ』1995年夏号、13頁。</ref>。[[2002年]](平成14年)の『[[スパイダーマン (2002年の映画)|スパイダーマン]]』公開に当たりライミが訪日した際には、『[[週刊ヤングジャンプ]]』の企画で対談を果たしている<ref>「映画「[[スパイダーマン (2002年の映画)|スパイダーマン]]」監督[[サム・ライミ]]×桂正和対談」『週刊ヤングジャンプ』2002年24号、集英社、2002年5月30日、238 - 240頁。</ref>。 コレクションの対象としては、バットマングッズ、[[骨董品|アンティーク]][[腕時計|ウォッチ]]、[[スニーカー]]が挙げられている<ref name="Isjc12" /><ref>『キャラクター・デザイン・バイブル vol.4』3頁。</ref>。 === 特撮ヒーロー === 特撮変身ヒーローのファンであり、好きな作品としては[[スーパー戦隊シリーズ]]の『[[電子戦隊デンジマン]]』、[[宇宙刑事シリーズ]]の『[[宇宙刑事シャイダー]]』、[[ウルトラシリーズ]]の『[[ウルトラマン]]』を挙げている<ref name="HH" />。中でも高校時代<ref name="cm14p14" />に出会った『デンジマン』は特撮ヒーローに夢中となるきっかけとなった作品であり、「[[紀元|エポック]]」であり「僕の中で[[スーパー戦隊シリーズ|戦隊物]]であれを越えられる物はない」と語っている<ref name="cdb4p2" />。特撮に対する熱意は作品鑑賞には留まらず、専門学校時代には自主制作映画の中で『[[太陽戦隊サンバルカン]]』の[[コスプレ]]を行い<ref name="asabi" />、学園祭には『[[大戦隊ゴーグルファイブ]]』のレッドのコスプレで参加していた<ref name="4crp93">『4C R-side』93頁。</ref>。 そして特撮は単なる趣味に留まらずに作品にも多大な影響を与えており、中でも[[東映]]作品は桂がヒーロー物を描くようになった原点となっている<ref name="4crp71" />。デビュー時期に執筆された短編「[[桂正和コレクション#学園部隊3パロかん|学園部隊3パロかん]]」とその続編「学園部隊3パロかんII」は、戦隊物の自己紹介アクションを漫画で表現することを目的として執筆されたものであり<ref name="3paro">桂正和『[[桂正和コレクション]] VOL.1』発行:創美社、販売:集英社〈ジャンプスーパーエース〉1989年4月15日、 {{ISBN2|4-420-13717-7}}、140頁。</ref>、『サンバルカン』や『[[バトルフィーバーJ]]』といった戦隊物の[[パロディ]]作品となっている。そして同シリーズに先立ち執筆され、デビューのきっかけとなった短編「[[桂正和コレクション#ツバサ|ツバサ]]」は『デンジマン』に熱中していた時に描かれた作品であり<ref name="3paro" />、本作を基として描かれた連載デビュー作『ウイングマン』も様々な面で特撮の影響下にある作品となっている。そもそもとして同作は「東映の特撮物を、自分で動かしてやってみたい」という動機で描かれた作品であり、作中ヒーローであるウイングマンのデザインは[[鳥類|鳥]]を基本とした上で、「デンジマンの目がないところ」と「胸から腕までの白いライン」を基とし、デンジマンのシンプルさを目指してデザインされた物である<ref name="HH" />。また『ウイングマン』という名称もウルトラマンに字数と「ウ」から始まり「マン」で終わるところを合わせて命名されたものである<ref name="HH" />。連載開始後にはウイングマンの衣装を[[オーダーメイド]]で製作。自らの体型に合わせた特注品であり制作費用は100万円以上であった。その衣装を纏い、単行本各巻の目次背景に写真を掲載<ref>桂正和「おにいさんは怒ってるんだぞ! のコーナー」『ウイングマン』4巻〈JC〉、24頁。</ref>、さらに単行本ではおまけページにおいて変身アクションの解説も作成している<ref>桂正和「アクションをおぼえて、キミもウイングマンになろう!」『ウイングマン』2巻〈JC〉87・148頁。</ref>。『[[ファンロード]]』1984年4月号においてもウイングマンの衣装を携え「桂正和先生コスプレ対談」(P.12・13、29 - 34)を行い、ファンロード側が手配した当時の女性コスプレイヤー<!--筒井雪世-->の"小川美紅"と誌面を飾った。また、『週刊少年ジャンプ』1985年6月17日号(No.27)で連載100回を迎えた記念として、新コスチュームを制作([[レインボー造型企画]]製)、桂自らが着用して巻頭グラビアで披露した。 === バットマン === 桂はバットマングッズのコレクターとしても有名で、[[1997年]](平成9年)の『[[バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲|バットマン&amp;ロビン Mr.フリーズの逆襲]]』および[[2012年]](平成24年)の『[[ダークナイト ライジング]]』ではパンフレットにコメントを寄稿<ref name="cm12p151" />、[[2008年]](平成20年)に[[バンダイ]]より発売される『[[ダークナイト]]』の[[アクションフィギュア]]『[[S.I.C.#派生商品|MOVIE REALIZATION]] BATMAN&amp;BAT-POD』では[[スーパーバイザー]]を務め、デザインアレンジとパッケージイラストを担当している<ref name="mrbatman" /><ref>「DARK KNIGHT COME....」『[[月刊ホビージャパン]]』第40巻第 9号(2008年9月号)[[ホビージャパン]]、213頁。</ref><ref name="tamashii">{{Cite web|和書|author = バンダイ|authorlink = バンダイ|date = 2008-06-13|url = http://tamashii.jp/staff_diary/diary.php?eid=00059&level=01|title = スタッフの魂日記 バットマン!!|work = [http://www.tamashii.jp/ 魂ウェブ]|publisher = [[バンダイ]]|accessdate = 2009-02-07|archiveurl = https://web.archive.org/web/20140221170759/http://archive.tamashii.jp/staff_diary/diary.php?eid=00059&level=01 |archivedate=2014-02-21}}</ref>。ファンとなったきっかけは[[1989年]]の映画『バットマン』([[ティム・バートン]])で<ref name="cm12p150">『コミッカーズ』1997年10月号、150頁。</ref><ref>桂正和『I"s』3巻〈JC〉1999年6月8日、{{ISBN2|978-4-08-872727-1}}、表紙そで。</ref><ref name="#1"/>、同作によって『ウイングマン』の連載終了後には飽きていたヒーロー物に対する情熱が再燃した旨を語っている<ref name="asabi" />。 映画自体については「好きな映画ではあるが一番おもしろい映画ではない」と述べており、桂にとってのバットマンの魅力は[[バットマン (架空の人物)|バットマン]]のキャラクター性にある<ref name="cm12p150" />。誰も見ていないところで[[コウモリ]]の格好をしてどちらが悪人だか分からないような対応でチンピラに脅しをかけるといった行動や、怖い容姿をして常に怒っている正義の味方バットマンと馬鹿みたいに笑っている悪役[[ジョーカー (バットマン)|ジョーカー]]の両方が同じくらいに狂気に満ちていることが、東映特撮によって作られた桂にとってのヒーロー像とは異なり新鮮であったこと<ref name="cdb4p2" /><ref name="cm12p150" /><ref>『フィギュア王』NO.27、11 - 12頁。</ref>、そして自分がヒーローであることを見て欲しい自己中心的な性格が『ウイングマン』の健太とシンクロしたこと<ref name="cm12p150" />をその魅入られた理由として挙げている。また一番好きな敵キャラクターとしてはジョーカーを挙げ、敵がジョーカーであったこともバットマンに没頭した理由の一つである旨を述べている<ref name="figp11" />。 『バットマン&amp;ロビン』特集号の『S.M.H.』VOL.8 では自作のバットマン[[胸像]]<ref group="注" name="batman">『[[バットマン フォーエヴァー|バットマン・フォーエヴァー]]』のトラディショナルスーツを模したもの。</ref>が表紙を飾り、「自他ともに認める強度のバットマニア<ref>『S.M.H.』VOL.8、19頁。</ref>」との形容と共にバットマングッズのコレクターとしての取材を受けた<ref>『S.M.H.』VOL.8、16 - 19頁。</ref>他、『フィギュア王』NO.27でも「漫画界きってのバットマニア<ref name="figp11" />」として取材を受けており<ref>『フィギュア王』NO.27、10 - 12頁。</ref>、これらの取材ではバットマングッズのコレクションルームを兼ねた自宅地下のAVルームを公開している。 バットマンは桂の作品にも影響を与えており<ref name="cdb4p2" />、特に『[[SHADOW LADY]]』と読切「[[ZETMAN#ZETMAN(読切)|ZETMAN]]」はバットマンの世界への[[オマージュ]]作品となっている<ref name="4crp72" /><ref>『コミッカーズ』1995年夏号、11頁。</ref>。より直接的な描写としては、頭の「とがった耳」を[[バット (野球)|バット]]に変えたパロディキャラクター「ばっとマン」が『[[電影少女]]』の作中に登場している<ref>桂正和「CHAPTER5 ヨータがくれた服を着て初めてデートした記念日」『電影少女』1巻〈JC〉1990年7月15日発行、{{ISBN2|4-08-871801-1}}、129・130頁。</ref>。 なお、[[イヌ|愛犬]]はバットマン登場キャラクターの[[アルフレッド・ペニーワース|アルフレッド]]に因み、[[雌]]であるため「アルフレッコ」と名付けられている<ref>桂正和『I"s』8巻〈JC〉1998年12月8日、{{ISBN2|978-4-08-872639-7}}、表紙そで。</ref><ref>桂正和『I"s』10巻〈JC〉1997年12月29日、{{ISBN2|978-4-08-872506-2}}、表紙そで。</ref>。 また、『WJ』連載時の自画像にも、バットマンの絵を使用していた。 == 作品リスト == === 漫画作品 === <div style="font-size:small;"> * 2020年5月現在。 * デフォルトでの表記は発表順。雑誌未掲載作品については執筆年で代用している。他列でのソート後に再度発表順でソートするには、最左列を利用する。 * 「種」欄は連載か読切かで2種に大別。 * 発行出版社のうちグラフィック社については「G社」と略記。 * 「掲載」欄は初出を記載。雑誌の場合は掲載誌名と号数、書籍については『書籍名』と発行年を記載。 ** 掲載誌のうち『週刊少年ジャンプ』の増刊については冒頭に「WJ増刊」と略記。 ** 掲載誌のソートは刊行頻度(週刊 etc.)を除いた名称で行う。WJ増刊については個別の誌名を無視し「しょうねんじゃんぷぞうかん」+「発行順」でソートする。 * 「収」欄は収録単行本またはイラスト集を「略号x-y」の形で示す。 ** 〈略号〉'''4C''':イラスト集『4C』、'''TB''':『桂正和×TIGER & BUNNY 原画&ラフ画集成』、'''未''':単行本未収録、この他の漫画単行本の略号対応は[[#漫画単行本]]を参照。 ** 「x」は収録巻、「y」は各単行本内での収録順を示す。 </div> {|style="font-size:smaller" |style="background-color:#fdd;width:1em;border:1px solid gray"| |連載作品 |style="background-color:#ddf;width:1em;border:1px solid gray"| |読切作品 |} {|class="wikitable sortable" style="font-size:smaller;background-color:#ddf" ! !!作品名!!種!!発行!!掲載!!収!!備考 |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |{{Display none|0}}||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}}1980年代||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}} |- !1 |{{Display none|つはさ/}}[[桂正和コレクション#ツバサ|ツバサ]]|| rowspan="6" |読切||— ||雑誌未掲載([[1980年]]執筆)||短1-7||変身ヒーロー作品。第19回[[手塚賞]]佳作。 |- !2 |{{Display none|てんこうせいはへんそうせい/}}[[桂正和コレクション#転校生はヘンソウセイ!?|転校生はヘンソウセイ!?]]|| rowspan="2" |{{Display none|S}}集英社||{{Display none|シヨウネンシヤンフ/}}[[週刊少年ジャンプ]] 1981年32号||短1-4||恋愛作品。デビュー作であり、第21回[[手塚賞]]準入選作。 |- !3 |{{Display none|かくえんふたいさんはろかん1/}}[[桂正和コレクション#学園部隊3パロかん|学園部隊3パロかん]]||{{Display none|シヨウネンシヤンフソウカン1}} WJ増刊 少年ジャンプ 1981年8月増刊号||短1-5||変身ヒーローのパロディ作品。続編に「II」がある。 |- !4 |{{Display none|かくえんふたいさんはろかん2/}}[[桂正和コレクション#学園部隊3パロかん|学園部隊3パロかんII]]||—||雑誌未掲載([[1981年]]執筆) || 短1-6 || 変身ヒーローのパロディ作品。「学園部隊3パロかん」の続編。 |- !5 |{{Display none|なつにすすみ/}} 夏にすずみ!|| rowspan="2" |{{Display none|S}}集英社||[[フレッシュジャンプ]] 1982年2号||短1-2||恋愛作品。「[[桂正和コレクション#すずみシリーズ|すずみシリーズ]]」第1作。 |- !6 |{{Display none|あきにすすみ/}} 秋にすずみ…||[[フレッシュジャンプ]] 1982年3号||短1-3|| 恋愛作品。「[[桂正和コレクション#すずみシリーズ|すずみシリーズ]]」第2作。 |-style="background-color:#fdd" !7 |{{Display none|ういんくまん/}}[[ウイングマン]]||{{Display none|1}}連載||{{Display none|S}}集英社||{{Display none|シヨウネンシヤンフ/}}[[週刊少年ジャンプ]] 1983年5・6合併号 - 1985年39号||W||変身ヒーロー作品。連載デビュー作。<br />TVアニメ・ゲーム化されている。<br />1984年20号 - 40号まで休載。 |- !8 |{{Display none|うおおくまん/}}[[桂正和コレクション#ヴォーグマン|ヴォーグマン]]||読切||{{Display none|S}}集英社||{{Display none|シヨウネンシヤンフソウカン2}}WJ増刊 少年ジャンプ 1985年スプリングスペシャル||短2-5||変身ヒーロー作品。 |-style="background-color:#fdd" !9 |{{Display none|ちようきとういんうあんたあ/}}[[超機動員ヴァンダー]]||{{Display none|1}}連載||{{Display none|S}}集英社||{{Display none|シヨウネンシヤンフ/}}[[週刊少年ジャンプ]] 1985年52号 - 1986年21号||Va||変身ヒーロー作品。 |- !10 |{{Display none|すすかせのはんてのん/}}[[桂正和コレクション#すず風のパンテノン|すず風のパンテノン]]|| rowspan="2" |読切|| rowspan="2" |{{Display none|S}}集英社||{{Display none|シヨウネンシヤンフソウカン3}}WJ増刊 少年ジャンプ 1986年サマースペシャル||短2-4||変身ヒーロー作品。 |- !11 |{{Display none|かな/}}[[桂正和コレクション#KANA|KANA]]||{{Display none|シヨウネンシヤンフ/}}[[週刊少年ジャンプ]] 1986年48号||短2-3||恋愛作品。 |-style="background-color:#fdd" !12 |{{Display none|ふれせんとふろむれもん/}}[[プレゼント・フロム LEMON]]||{{Display none|1}}連載||{{Display none|S}}集英社||{{Display none|シヨウネンシヤンフ/}}[[週刊少年ジャンプ]] 1987年33号 - 51号||P||アイドル作品。 |- !13 |{{Display none|ちいさなあかり/}}[[桂正和コレクション#小さな灯り|小さな灯り]]|| rowspan="4" |読切|| rowspan="4" |{{Display none|S}}集英社||{{Display none|シヨウネンシヤンフソウカン4}}WJ増刊 スーパージャンプ 1988年5号||短1-1<br /><ref group="注" name="akari">ワイド版のみへの収録で、新書版には未収録。また短編集の他イラスト集『4C』「L-side」にも収録されている。</ref>||恋愛作品。初の青年誌掲載。 |- !14 |{{Display none|えとらんせ/}}[[桂正和コレクション#エトランゼ|エトランゼ]]||{{Display none|シヨウネンシヤンフソウカン5}}WJ増刊 少年ジャンプ 1988年ウィンタースペシャル||短2-2||恋愛作品。[[原案]]・大場ひろし。 |- !15 |{{Display none|しんのしん/}}[[ZETMAN 桂正和短編集#SHIN-NO-SHIN|SHIN-NO-SHIN 愛と憎しみのタイムスリップ]]||{{Display none|シヨウネンシヤンフ/}}[[週刊少年ジャンプ]] 1989年31号||短3-2|| rowspan="2" |恋愛作品 (SF)。 |- !16 |{{Display none|ひておかある/}}[[電影少女#ビデオガール|ビデオガール]]||{{Display none|シヨウネンシヤンフソウカン6}}WJ増刊 少年ジャンプ 1989年ウインタースペシャル||短2-1<br /><ref group="注" name="vg">短編集の他『電影少女』15巻〈JC〉にも収録されている。</ref> |-style="background-color:#fdd" !17 |{{Display none|てんえいしようしよ/}}[[電影少女]]||{{Display none|1}}連載||{{Display none|S}}集英社||{{Display none|シヨウネンシヤンフ/}}[[週刊少年ジャンプ]] 1989年51号 - 1992年31号<br />WJ増刊 1992年ウインタースペシャル||Vi||恋愛作品 (SF)。<br />OVA・小説・ゲーム・実写映画・ラジオドラマ化されている。 |-style="text-align:center;background-color:#aaa" |{{Display none|17.5}}||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}}1990年代||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}} |-style="background-color:#fdd" !18 |{{Display none|しやとうれてい1/}}[[SHADOW LADY#VJ版|SHADOW LADY【VJ版】]]||{{Display none|1}}連載||{{Display none|S}}集英社||{{Display none|シヨウネンシヤンフソウカン7}}WJ増刊 V JUMP 1992年11月22日号 - 1993年4月4日号<br />[[Vジャンプ]] 1993年7月号||4C3||変身ヒーロー作品。 |- !19 |{{Display none|ううまんいんさまん/}}[[ZETMAN 桂正和短編集#WOMAN IN THE MAN|WOMAN IN THE MAN -男の中の女-]]||読切||{{Display none|S}}集英社||{{Display none|シヨウネンシヤンフ/}}[[週刊少年ジャンプ]] 1993年5・6合併号||短3-3||恋愛作品 ([[TSF (ジャンル)|TSF]]) 。 |-style="background-color:#fdd" !20 |{{Display none|ていえぬええとこかてなくしたあいつのあいつ/}}[[D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜]]||{{Display none|1}}連載||{{Display none|S}}集英社||{{Display none|シヨウネンシヤンフ/}}[[週刊少年ジャンプ]] 1993年36・37合併号 - 1994年29号||D||変身ヒーロー作品。<br />TVアニメ化されている。 |- !21 |{{Display none|せつとまん1/}}[[ZETMAN#ZETMAN(読切)|ZETMAN【読切版】]]|| rowspan="2" |読切|| rowspan="2" |{{Display none|S}}集英社||{{Display none|シヨウネンシヤンフソウカン8}}WJ増刊 少年ジャンプ 1994年オータムスペシャル||短3-1|| rowspan="2" |変身ヒーロー作品。 |- !22 |{{Display none|しやとうれてい2/}}[[SHADOW LADY#読切版|SHADOW LADY【読切版】]]||{{Display none|シヨウネンシヤンフ/}}[[週刊少年ジャンプ]] 1995年3・4合併号||短3-4<br /><ref group="注" name="sl">短編集の他『SHADOW LADY』3巻〈JC〉にも収録されている。</ref> |-style="background-color:#fdd" !23 |{{Display none|しやとうれてい3/}}[[SHADOW LADY#WJ版|SHADOW LADY【WJ版】]] ||{{Display none|1}}連載||{{Display none|S}}集英社||{{Display none|シヨウネンシヤンフ/}}[[週刊少年ジャンプ]] 1995年31号 - 1996年2号||S||変身ヒーロー作品。 |- !24 |{{Display none|えむ/}}[[M エム|エム]]||読切||{{Display none|S}}集英社||{{Display none|マンカオオルマン}}[[MANGAオールマン]] 1996年4月号||4C1<br /><ref group="注" name="m">カラーページのみ『4C』「L-side」に収録。また加筆された「M 完全版」は『M エム』に収録されている。</ref>||恋愛作品。初の青年向け。後に加筆され「M 完全版」に。 |-style="background-color:#fdd" !25 |{{Display none|あいす/}}[[I"s]]||{{Display none|1}}連載 ||{{Display none|S}}集英社||{{Display none|シヨウネンシヤンフ/}}[[週刊少年ジャンプ]] 1997年19号 - 2000年24号||I||恋愛作品。OVA(2度)・ゲーム・小説・実写TVドラマ化されている。 |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |{{Display none|25.5}}||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}}2000年代||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}} |- !26 |{{Display none|とくたあちやんはりい/}} Dr.チャンバリー|| rowspan="4" |読切||{{Display none|S}}集英社||{{Display none|シヨウネンシヤンフ/}}[[週刊少年ジャンプ]] 2001年3・4合併号||未||全39頁、冒頭4頁カラー。<br />[[吸血鬼]]にされた医者を主人公としたSFファンタジー作品。 |- !27 |{{Display none|あはあしん/}}[[M エム#a virgin|a virgin]]||G社||{{Display none|ヒツチスライフ}}『Bitch's Life Illustration FIle』(2001年)||M||[[韮沢靖]]のイラスト集に掲載されたエロティックイラスト。 |- !28 |{{Display none|えむかんせんはん/}}[[M エム|M 完全版]]|| rowspan="2" |{{Display none|S}}集英社||{{Display none|ヤンクシヤンフ}}[[週刊ヤングジャンプ]] 2002年5・6合併号||M||恋愛作品。「エム」に加筆した作品。 |- !29 |{{Display none|きおくのめいきゆう/}}[[M エム#記憶の迷宮|記憶の迷宮]]||{{Display none|ヤンクシヤンフ}}[[週刊ヤングジャンプ]] 2002年5・6合併号||M||「M 完全版」関連作品。 |-style="background-color:#fdd" !30 |{{Display none|せつとまん2/}}[[ZETMAN|ZETMAN【連載版】]]||{{Display none|1}}連載||{{Display none|S}}集英社||{{Display none|ヤンクシヤンフ}}[[週刊ヤングジャンプ]] 2002年48号 - 2014年34号||Z||変身ヒーロー作品。<br />TVアニメ・ラジオドラマ化されている。 |- !31 |{{Display none|さちえちやんくう/}}[[桂正和×鳥山明共作短編集 カツラアキラ#さちえちゃんグー!!|さちえちゃんグー!!]]||読切||{{Display none|S}}集英社||[[ジャンプスクエア]] 2008年5月号||短KA||ヒーロー作品。[[漫画原作者|原作]]・[[鳥山明]]。 |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |{{Display none|31.5}}||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}}2010年代||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}} |- !32 |{{Display none|しや/}}[[桂正和×鳥山明共作短編集 カツラアキラ#JIYA -ジヤ-|JIYA -ジヤ-]]|| rowspan="3" |読切|| rowspan="3" |{{Display none|S}}集英社||{{Display none|ヤンクシヤンフ}}[[週刊ヤングジャンプ]] 2010年2・3合併号 - 6号||短KA||ヒーロー作品。原作・鳥山明。 |- !32 |{{Display none|たいかああんとはにい1/}}[[TIGER & BUNNY]]【1作目】||{{Display none|ヤンクシヤンフ}}[[週刊ヤングジャンプ]] 2011年36・37合併号||TB|| rowspan="2" |ヒーロー作品。作:[[西田征史]]。 |- !33 |{{Display none|たいかああんとはにい2/}}[[TIGER & BUNNY]]【2作目】||{{Display none|ヤンクシヤンフ}}[[週刊ヤングジャンプ]]2012年43号||未 |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |{{Display none|33.5}}||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}}2020年代||{{Display none|Z}}||{{Display none|Z}} |- !34 |{{Display none|おかえり/}}おかえり||読切||{{Display none|S}}集英社||{{Display none|ヤンクシヤンフ}}[[週刊ヤングジャンプ]] 2020年26号||未||恋愛作品。 |} === 書籍 === ==== 漫画単行本 ==== <div style="font-size:small;"> * 2011年12月現在。 * 書名が同じ物は【 】内の注記で区分を付けている。 * デフォルトでの表記は作品毎にまとめて初巻の発行順とし、短編集については最後にまとめた。他列でのソート後にデフォルトの順へと戻すには、最左列を利用する。 * 「判」欄はその書籍の判型を示し、ハードカバー本については「H」を付記する。 * 「略」欄は上記[[#漫画作品]]の収録欄で用いている略号を示す。 </div> {|style="font-size:smaller" |style="background-color:#fcc;width:1em;border:1px solid gray"| |オリジナル |style="background-color:#fee;width:1em;border:1px solid gray"| |再出版 |style="background-color:#ccf;width:1em;border:1px solid gray"| |短編集 |} {|class="wikitable sortable" style="font-size:smaller; background-color:#fee" ! !!書名!!発行!!レーベル!!判!!発行年!!巻!!注記!!略 |-style="background-color:#fcc" !1 |{{Display none|ういんくまん1}}[[ウイングマン]]【JC版】||[[集英社]]||[[ジャンプ・コミックス]]||{{Display none|02<br />}} 新書||[[1983年]] - [[1986年]]||style="text-align:right"|13|| ||W |- !2 |{{Display none|ういんくまん2}}[[ウイングマン]]【愛蔵版】||{{Display none|B}}[[一ツ橋グループ#国内|ホーム社]]||-||{{Display none|05}} B6H||[[1992年]]||style="text-align:right"|7||愛蔵版としてハードカバーでの再出版。||W |- !3 |{{Display none|ういんくまん3}}[[ウイングマン]]【文庫版】||[[集英社]]||{{Display none|ジュ4}}集英社文庫コミック版||{{Display none|01}} 文庫||[[1998年]]||style="text-align:right"|7||文庫での再出版。||W |-style="background-color:#fcc" !4 |{{Display none|ちようきとういんうあんたあ1}}[[超機動員ヴァンダー]]【JC版】||[[集英社]]||[[ジャンプ・コミックス]] || {{Display none|02<br />}} 新書||[[1987年]] ||style="text-align:right"|2|| ||Va |- !5 |{{Display none|ちようきとういんうあんたあ2}}[[超機動員ヴァンダー]]【ワイド版】||{{Display none|B}}[[一ツ橋グループ#国内|ホーム社]]||{{Display none|ジュ1}}ジャンプ コミック セレクション||{{Display none|03}} B6||[[1995年]]{{Display none|01月}}||style="text-align:right"|2||ワイド版での再出版。||Va |- !6 |{{Display none|ちようきとういんうあんたあ3}}[[超機動員ヴァンダー]]【文庫版】||[[集英社]]||{{Display none|ジュ4}}集英社文庫コミック版||{{Display none|01}}文庫||[[2001年]]||style="text-align:right"|1||文庫での再出版。||Va |-style="background-color:#fcc" !7 |{{Display none|ふれせんとふろむれもん1}}[[プレゼント・フロム LEMON]]【JC版】||[[集英社]]||[[ジャンプ・コミックス]]||{{Display none|02<br />}} 新書||[[1988年]] ||style="text-align:right"|2|| ||P |- !8 |{{Display none|ふれせんとふろむれもん2}}[[プレゼント・フロム LEMON]] 【ワイド版】||{{Display none|B}}[[一ツ橋グループ#国内|ホーム社]]|| {{Display none|ジュ1}}ジャンプ コミック セレクション||{{Display none|03}} B6||[[1994年]]||style="text-align:right"|2||ワイド版での再出版。||P |- !9 |{{Display none|ふれせんとふろむれもん3}}[[プレゼント・フロム LEMON]]【文庫版】||[[集英社]]||{{Display none|ジュ4}}集英社文庫コミック版||{{Display none|01}} 文庫||[[2001年]]||style="text-align:right"|1||文庫での再出版。||P |-style="background-color:#fcc" !10 |{{Display none|てんえいしようしよ1}}[[電影少女]]【JC版】||[[集英社]]||[[ジャンプ・コミックス]]||{{Display none|02<br />}} 新書||[[1990年]] - [[1993年]]|| style="text-align:right"|15|| ||Vi |- !11 |{{Display none|てんえいしようしよ2}}[[電影少女]]【愛蔵版】||{{Display none|B}}[[一ツ橋グループ#国内|ホーム社]] || - || {{Display none|05}} B6H || [[1997年]]{{Display none|04月}} - [[1998年]] || style="text-align:right;" | 9 || 愛蔵版としてハードカバーでの再出版。|| Vi |- !12 |{{Display none|てんえいしようしよ3}}[[電影少女]]【文庫版】||[[集英社]]||{{Display none|ジュ4}}集英社文庫コミック版||{{Display none|01}} 文庫 ||[[2003年]]{{Display none|01月}}||style="text-align:right"|9||文庫での再出版。||Vi |-style="background-color:#fcc" !13 |{{Display none|ていいえぬええつう1}}[[D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜]] || [[集英社]]||[[ジャンプ・コミックス]]||{{Display none|02<br />}} 新書 || [[1993年]] - [[1995年]]||style="text-align:right"|5|| ||D |- !14 |{{Display none|ていいえぬええつう2}}[[D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜]] 【文庫版】||[[集英社]]||{{Display none|ジュ4}}集英社文庫コミック版||{{Display none|01}} 文庫 ||[[2012年]]{{Display none|10月〜11月}}||style="text-align:right"|3||文庫での再出版。||D |- style="background-color:#fcc" !15 |{{Display none|しやとうれてい1}}[[SHADOW LADY]]||[[集英社]]||[[ジャンプ・コミックス]]||{{Display none|02<br />}} 新書||[[1996年]]||style="text-align:right"|3|| ||S |- !16 |{{Display none|しやとうれてい2}}[[SHADOW LADY]]【文庫版】||[[集英社]]||{{Display none|ジュ4}}集英社文庫コミック版||{{Display none|01}} 文庫 ||[[2012年]]{{Display none|09月}}||style="text-align:right"|2||文庫での再出版。||S |-style="background-color:#fcc" !17 |{{Display none|あいす1}}[[I"s]]【JC版】||[[集英社]]||[[ジャンプ・コミックス]]||{{Display none|02<br />}} 新書||[[1997年]]{{Display none|09月}} - [[2000年]]||style="text-align:right"|15|| ||I |- !18 |{{Display none|あいす2}} [[I"s]]【[[完全版コミックス|完全版]]】||[[集英社]] || [[ヤングジャンプ・コミックス]] || {{Display none|06}} A5 || [[2005年]]{{Display none|12月}} - [[2006年]]||style="text-align:right"|12||[[完全版コミックス|完全版]]での再出版。||I |- !19 |{{Display none|あいす3}} [[I"s]]【文庫版】||[[集英社]]||{{Display none|ジュ4}}集英社文庫コミック版||{{Display none|01}} 文庫||[[2012年]] - [[2013年]]||style="text-align:right"|9||文庫での再出版。||I |-style="background-color:#fcc" !20 |{{Display none|せつとまん}}[[ZETMAN]]||[[集英社]]||[[ヤングジャンプ・コミックス]] || {{Display none|03}}B6||[[2003年]] - [[2014年]] ||style="text-align:right"|20||||Z |-style="background-color:#fcc" !21 |{{Display none|えむ}}[[M エム]]||[[集英社]]||[[ヤングジャンプ・コミックス]]||{{Display none|08}} B5H||[[2005年]]{{Display none|01月}}||style="text-align:right"|1||ハードカバー愛蔵版。限定特装版あり。||M |-style="background-color:#ccf" !22 |{{Display none|かつらまさかすこれくしよん1}}[[桂正和コレクション]]【JSC版】||{{Display none|A}}[[創美社]]||{{Display none|ジュ3}}ジャンプスーパーコミックス||{{Display none|02<br />}} 新書||[[1984年]]||style="text-align:right"|1||短編集。||短1 |-style="background-color:#ccf" !23 |{{Display none|かつらまさかすこれくしよん2}}[[桂正和コレクション]]【ワイド版】|| {{Display none|A}}[[創美社]]||{{Display none|ジュ2}}ジャンプスーパーエース||{{Display none|06}} A5||[[1989年]]||style="text-align:right"|2||短編集。1巻は新書版に1作追加した再出版。||短1/2 |- style="background-color:#ccf" !24 |{{Display none|せつとまんかつらまさかすたんへんしゆう}}[[ZETMAN 桂正和短編集]]||[[集英社]]||[[ジャンプ・コミックス]]||{{Display none|02<br />}} 新書||[[1995年]]{{Display none|07月}}||style="text-align:right"|1||短編集。||短3 |- style="background-color:#ccf" !25 |{{Display none|かつらあきら}}[[桂正和×鳥山明共作短編集 カツラアキラ|カツラアキラ 桂正和×鳥山明共作短編集]]||[[集英社]]||[[ジャンプ・コミックス]]||{{Display none|02<br />}} 新書||[[2014年]]{{Display none|04月}}||style="text-align:right"|1||短編集。||短KA |} ==== イラスト集 ==== * 『4C』 [[集英社]]、[[1998年]]8月9日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-08-782762-3}} - 『I"s』初期までのカラーイラストなどを収録。3冊組。タイトルは[[プロセスカラー|'''4'''色カラー ('''c'''olor)]] 原稿に由来するが、イラスト集自体は[[特色 (印刷)|特色]]を加えた5色での[[印刷]]となっている<ref name="4crp76" />。 ** L-side ‹L{{Small|OVERS}}-side› Katsura Masakazu Illustrations 1 - 恋愛作品のイラストなどを収録。 ** R-side ‹{{Small|HE}}R{{Small|OES}}-side› Katsura Masakazu Illustrations 2 - ヒーロー作品や短編のイラスト、インタビュー、作品リスト、ゲストメッセージを収録。 ** SHADOW LADY Katsura Masakazu Illustrations 3 - 「SHADOW LADY」【VJ版】を収録。 * 『I"s ILLUSTRATIONS』 集英社、[[1999年]]12月9日初版第1刷発行 - [[I"s#I"s BOX|I"s BOX]] の一部。名前の通り『I"s』のカラーイラストのみを収録。 * 『桂大全』[[集英社]]、2011年6月30日第1刷発行、{{ISBN2|978-4-08-782365-3}} - 画業30周年記念本。3冊組。 ** 桂図録 - イラスト集。 ** 桂特録 - グラビア、寄稿イラスト、作品解説。 ** 桂事録 - ドキュメンタリー。 * 『桂正和×[[TIGER & BUNNY]] 原画&ラフ画集成』集英社〈YJ愛蔵版〉2011年10月31日第1刷発行、{{ISBN2|978-4-08-782392-9}} ** 限定版 2012年2月15日第1刷発行、{{ISBN2|978-4-08-908153-2}}、ワイルドタイガーの [[S.H.Figuarts]] 付き * 『桂図録 exteded version』[[集英社]]、2012年3月31日第1刷発行、{{ISBN2|978-4-08-782449-0}} -『桂大全』収録の「桂図録」を単独で発売。一部収録作品が異なっている。 * 『桂正和×TIGER & BUNNY 2 原画&ラフ画集成』集英社〈YJ愛蔵版〉2014年2月13日第1刷発行、{{ISBN2|978-4-08-782748-4}} === その他 === ==== イラスト ==== * [[ジュール・ヴェルヌ]](著)・[[横塚光雄]](訳)『[[十五少年漂流記]]』[[集英社]]〈[[集英社文庫]]〉2009年4月8日改訂版第1刷、{{ISBN2|978-4-08-760572-3}} 【表紙イラスト】 * [[古橋秀之]](著)『ALPHAS -ZETMAN ANOTHER STORY-』集英社〈JUMP j BOOKS〉2012年3月29日、{{ISBN2|978-4-08-703260-4}} 【表紙イラスト】 *: ヤングジャンプ増刊の『[[ミラクルジャンプ]]』2011年2号から2012年7号に掲載されたものに加筆修正されたもの。連載時のイラストは[[こちも]]で一部巻末に収録されている。 ==== キャラクターデザイン ==== * [[I・R・I・A ZEIRAM THE ANIMATION|I・Я・I・A ZЁIЯAM THE ANIMATION]]【[[OVA]]】([[1994年]]) * [[LOVE&DESTROY]]【[[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]用[[ゲームソフト]]】([[1999年]]) * [[TIGER & BUNNY]]【[[MBSテレビ|MBS]]・[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]・[[日本BS放送|BS11]]放送[[テレビアニメ]]】(キャラクター原案、[[2011年]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/101120/|title=TIGER & BUNNY:作品情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-08-16}}</ref> * [[TIGER & BUNNY#The Beginning|劇場版 TIGER & BUNNY -The Beginning-]]【[[アニメーション映画|劇場アニメ]]】(キャラクター原案・ヒーローデザイン、[[2012年]]) * [[TIGER & BUNNY#The Rising|劇場版 TIGER & BUNNY -The Rising-]]【[[アニメーション映画|劇場アニメ]]】(キャラクター原案・ヒーローデザイン、[[2014年]]) * Scarlet Blade【[[ネクソン]]、[[MMORPG]]】(ゲーム内イベント用オリジナルキャラクターデザイン、[[2014年]]) * [[牙狼 -紅蓮ノ月-]]【テレビアニメ】メインキャラクターデザイン([[2015年]]) * [[劇場版 仮面ライダードライブ サプライズ・フューチャー]](パラドックスロイミュードキャラクターデザイン、[[2015年]]) * [[あかねさす少女]](キャラクター原案、[[2018年]]) * [[DOUBLE DECKER! ダグ&キリル]](メインキャラクターデザイン、2018年) * [[プラスティック・スマイル]](劇中漫画のキャラクターデザイン、2018年) * [[ASTRAL CHAIN]]【[[Nintendo Switch]]用ゲームソフト】([[2019年]]) * [[X-Large|X-Girl]](アパレルブランドとのコラボ。既存のキャラクター使用の他にオリジナルキャラクター描きおろし、[[2021年]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fashionsnap.com/article/2021-08-24/xgirl-masakazukatsura/|title=エックスガールが漫画家の桂正和とコラボ、電影少女やI”sなど90年代の作品にフォーカス |publisher=FASHIONSNAP.COM|date=2021-08-24|accessdate=2021-08-27}}</ref> * [[TIGER & BUNNY 2]]【[[Netflix]]配信アニメ】(キャラクターデザイン・ヒーローデザイン、[[2022年]])<ref>{{Cite web|url=http://www.tigerandbunny.net/TB2/|title=TIGER & BUNNY 2|work=TIGER & BUNNY Portal Site|accessdate=2021-11-09}}</ref> ==== フィギュア ==== * [[アクションフィギュア]] [[S.I.C.#派生商品|MOVIE REALIZATION]] BATMAN&BAT-POD【スーパーバイザー、イラストも担当】(2008年9月27日発売) * スーパーバイズドフィギュア [[I"s#I"s Pure|I"s Pure]]【完全監修<ref>{{Cite web|和書|date = 2009-05-23|url = http://natalie.mu/comic/news/show/id/16769|title = 桂正和が全力投球した伊織といつきフィギュア、7月発売|work = [[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]]|publisher = 株式会社ナターシャ|accessdate = 2009-06-16}}</ref>】葦月伊織・秋葉いつき(2009年7月発売) ==== 曲 ==== OVA『[[電影少女#OVA|電影少女 -VIDEO GIRL AI-]]』の[[サウンドトラック]][[コンパクトディスク|CD]](どちらも発売は[[ビクターエンタテインメント|ビクター音楽産業]])において、歌・作詞・作曲に一部参加している。 * 『電影少女 オリジナル・サウンドトラック』(1992年3月27日)収録曲 ** あの日に…(歌:木村真紀、'''作詞:桂正和'''、作曲:[[松浦有希]]) ** 明日は明日('''歌:桂正和'''、作詞:田口俊、作曲:[[岡田徹]]) * 『「電影少女 2nd」イメージ・サウンドトラック -Memories-』(1992年3月27日)収録曲 ** 心の水たまり('''歌:桂正和'''、作詞:泉水敏郎、作曲:岡田徹・鶴来正基) ** まだ見ぬ夢('''歌:桂正和'''、作詞:[[覚和歌子]]、'''作曲:桂正和''') == メディア出演 == ; 映画 * 電影少女 -VIDEO GIRL AI-(1991年6月公開) - 謎の?<!-- ?マークまでクレジット--> 役([[カメオ出演]]) * [[ゼイラム]](1991年12月公開、監督:[[雨宮慶太]]) - 通行人 役 ; テレビドラマ * [[実験刑事トトリ]] 第4話(2012年11月24日、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]) - 酒屋の店主 役<ref group="注">『[[TIGER & BUNNY]]』の脚本担当、[[西田征史]]の脚本作品。</ref> * [[牙狼-GARO- -魔戒ノ花-]] 第10話(2014年6月6日、[[テレビ東京]]) - 似顔絵画家 役 * [[99.9-刑事専門弁護士-]] 第7話(2016年5月29日、TBS) - 桂正和(本人) 役 <ref>{{cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/05/31/kiji/K20160531012692020.html|title=「99.9」に漫画家・桂正和氏出演で騒然「重版出来!」とコラボも|newspaper=スポニチアネックス|date=2016-05-31|accessdate=2016-05-31}}</ref> ** 99.9 -刑事専門弁護士- SEASON II 第3話(2018年1月28日) - 桂正和(本人) 役 ** 99.9 -刑事専門弁護士- 完全新作SP新たな出会い篇(2021年12月29日) - 桂正和(本人) 役 * [[とと姉ちゃん]] 第88回(2016年7月15日、NHK総合) - 闇市の男 役<ref group="注">「実験刑事トトリ」と同じく西田征史の脚本作品。</ref><ref>{{cite news|url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160713-00000031-mantan-ent|title=<とと姉ちゃん>「電影少女」マンガ家・桂正和が登場三姉妹イラストも「タイバニ」つながり? |newspaper=Yahoo!ニュース |agency=まんたんウェブ |publisher=Yahoo Japan |accessdate=2016-07-14 |archiveurl=https://archive.is/20160713235033/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160713-00000031-mantan-ent |archivedate=2016-07-13}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.nhk.or.jp/totone-chan/special/topix06/|title=漫画家の桂正和さんが描いた「とと姉ちゃん」の似顔絵が完成しました!ドラマ出演も果たした、桂さんのコメントも合わせてお楽しみください。 |publisher=日本放送協会 |accessdate=2016-07-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160714040702/http://www.nhk.or.jp/totone-chan/special/topix06/ |archivedate=2016-07-14}}</ref>。 * [[電影少女|電影少女 - VIDEO GIRL AI 2018 -]] 第5話(2018年2月11日、テレビ東京) - アフロ正和 役(カメオ出演)<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20180210dog00m200022000c.html|title=電影少女:原作者・桂正和がカメオ出演 アフロ正和として“お尻”描く |publisher=MANTANWEB|date=2018-02-11|accessdate=2021-08-27}}</ref> ; バラエティ * [[漫道コバヤシ]] 第6回「桂正和 全仕事」(2013年11月16日、[[フジテレビONE]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/103009|title=桂正和、CS番組でケンコバとヒーローや絶対領域を語り合う|publisher=コミックナタリー|date=2013-11-07|accessdate=2021-08-27}}</ref> * [[もう!バカリズムさんのドH!]](第6回:2014年9月29日、第8回:2014年11月24日、第22回:2016年1月25日、[[NOTTV]]) - ゲスト講師 * 牙狼〈GARO〉金狼感謝祭2016生放送(2016年11月23日、[[ファミリー劇場|ファミリー劇場HD]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://animeanime.jp/article/2016/11/24/31476.html|title=「金狼感謝祭2016」雨宮慶太をはじめキャスト・スタッフが登壇 新シリーズも発表|publisher=アニメ!アニメ!|date=2016-11-24|accessdate=2021-08-27}}</ref> * [[もう!バカリズムさんの超H!]](第2回:2017年3月24日、第3回:2018年5月6日、第6回:2019年3月26日、第26回:2021年8月29日、第30回:2021年12月26日、第33回:2022年3月27日、第35回:2022年7月31日、[[フジテレビONE]]) * [[怪談のシーハナ聞かせてよ。]] 第参章 第10回(2022年3月1日、[[エンタメ〜テレ☆シネドラバラエティ]]) - 怪談「挨拶まわり」「ねずみ」の2話披露 * [[北野誠のおまえら行くな。]] 恐怖の呪物SP(2022年8月6日、8月20日、9月3日〈全3回〉、エンタメ〜テレ☆シネドラバラエティ) * [[怪談好きが集まるBAR REQUIEM]] 第弐章 第6回(2022年8月22日、エンタメ〜テレ☆シネドラバラエティ) - 怪談「ある女優の体験…」 * [[超人女子戦士 ガリベンガーV#謎解き戦士!ガリベンガーV|謎解き戦士!ガリベンガーV]] 第17話・18話「漫画家・桂正和SP」(2023年10月5日・12日、[[テレビ朝日]]) ; テレビアニメ * [[牙狼-GARO- -炎の刻印-|牙狼〈GARO〉 -炎の刻印-]] 第15話(2015年1月24日、テレビ東京) - ブルーノ 役{{Refnest|group="注"|美術専門学校の同窓生という縁もあり、原作者の雨宮慶太から強引に出演を依頼されたことが発端となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.mynavi.jp/article/20150123-a534/|title=TVアニメ『牙狼』漫画家・桂正和がゲスト声優に!雨宮慶太の無茶ぶりで出演|publisher=マイナビ|date=2015-01-23|accessdate=2022-02-15}}</ref>}} ; 劇場アニメ * [[劇場版 TIGER & BUNNY -The Rising-]](2014年2月8日公開) - 応援する男 役 ; ゲーム * [[セガサターン]]『おまかせ!退魔業(セイバーズ)』(1996年発売) - 農協の青年団員 役(友情出演) ; ラジオ * [[TOKYO M.A.A.D SPIN]]「ゆう坊とマシリトのKosoKoso放送局」(2023年8月1日〈7月31日深夜〉、[[J-WAVE]]) - ゲスト<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001383.000025404.html|title=『ドラゴンクエスト』生みの親・堀井雄二と漫画編集者・鳥嶋和彦による新コーナーが『TOKYO M.A.A.D SPIN』内でスタート!初回は、『ウイングマン』『電影少女』の桂正和ら豪華ゲストが集結! website=PR TIMES|publisher=PRTINES|date=2023-07-21|accessdate=2023-10-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/533806|title=鳥嶋和彦と堀井雄二が作品の秘話を語り尽くすラジオ、初回ゲストに桂正和ら|website=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-07-21|accessdate=2023-10-06}}</ref> == 関連人物 == === 鳥山明 === 鳥山と桂は[[鳥嶋和彦]]によって才能を見出された友人同士であり、数少ない[[漫画家]]の友人の中で最も親交の深い人物として互いに互いを挙げている<ref>『4C R-side』86頁。</ref><ref>『コミッカーズ』1995年夏号、12 - 13頁。</ref>。また[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]経験の無い<ref>『コミッカーズ』1995年夏号、15頁。</ref>桂は鳥山に漫画の相談をすることもあり<ref name="ildb">「I LOVE DRAGON BALL 第七回」『[[ドラゴンボール]] 大全集』7 付録 神龍通信第7号、集英社、1996年2月、{{ISBN2|978-4-08-782757-6}}、6頁。</ref>、鳥山との関係について「[[師弟|師匠]]と言ってもいいかも<ref name="kmc2">桂正和『桂正和コレクション VOL.2』発行:創美社、販売:集英社〈ジャンプ スーパー エース〉1989年4月15日発行、{{ISBN2|4-420-13718-5}}、186頁。</ref>」や「[[教員|学校の先生]]のようなもの<ref name ="cdb4p2" />」と表現している。 初期には共に[[田舎]]出身であることから、鳥山が『[[Dr.スランプ]]』に田舎者として桂を登場させ<ref name="slump17">鳥山明「とめすぎちゃってこまるの…の巻」『[[Dr.スランプ]]』17巻〈JC〉1985年3月15日、{{ISBN2|4-08-851197-2}}、108・109頁。</ref>、桂が『[[ウイングマン]]』に[[都市|都会]]者であるかのように振る舞う「生徒会トリヤマ<ref>桂正和「アオリンゴの奇跡の巻」『ウイングマン』7巻〈JC〉1985年1月15日、{{ISBN2|4-08-851377-0}}、80・81頁。</ref>」や「Mr.マヤリト<ref>桂正和「クエスションの巻」『ウイングマン』7巻〈JC〉174頁。</ref>」として鳥山を登場させるなどと、互いに相手の方が田舎者であると冗談でけなし合うやり取りを『ジャンプ』誌上で行っていた。また、桂が病気療養のために『ウイングマン』を一時休載した際には、応援コーナー「がんばれ! がんばれ! 桂くん!」に「イナカ友だち」として鳥山がタイトルとイラストを寄稿している<ref>「がんばれ! がんばれ! 桂くん!」『週刊少年ジャンプ』17巻22号(通巻811号、1984年24号、5月28日号)集英社、290頁。</ref>。また、1983年 - 1984年当時の桂は鳥山に「鳥嶋和彦似」であることを指摘されていたことから、『Dr.スランプ』の中で[[則巻千兵衛]]に「[[Dr.スランプの登場人物#Dr.マシリト家|Dr.マシリト]]」と言われる場面がある<ref name="slump17"/>。 互いの作品に影響を与えている場合もあり、『[[ドラゴンボール]]』において[[孫悟空 (ドラゴンボール)|孫悟空]]が[[界王#北の界王|界王]]を笑わせるために使ったギャグは桂が考えたものであり、[[融合 (ドラゴンボール)|フュージョン]]のポーズの考案にも関わっている<ref>鳥山明「鳥山明超会見」『ドラゴンボール 大全集』6巻、集英社。</ref>。一方、「[[桂正和コレクション#すず風のパンテノン|すず風のパンテノン]]」は鳥山との雑談の中から生まれ<ref name="kmc2"/>、『[[D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜|D・N・A²]]』で主人公が髪の色を変えて変身するのは鳥山のアドバイスによるものである<ref name="ildb" />、桂から「スーパーサイヤ人に似るのでは」との問いに、鳥山は「大丈夫、わかりゃしないよ」の応答から作品を発表するも、読者からは「パクるな!」との批判の声が多かった。 また『[[ZETMAN]]』では車のデザインを行っている<ref name="s14">『季刊エス』14号、42頁。</ref>。 2008年には原作:鳥山明・漫画:桂正和で『ジャンプスクエア』において読切『さちえちゃんグー!!』を共作。また2009年末からは、同じ分担で『[[JIYA -ジヤ-]]』を『[[週刊ヤングジャンプ]]』において全3話の短期集中連載を行う<ref name="nata091203">{{Cite web|和書|date = 2009-12-03|url = http://natalie.mu/comic/news/show/id/24656|title = 鳥山明と桂正和がタッグで挑む、ヤンジャン記念作品|work = [[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]]|publisher = 株式会社ナターシャ|accessdate = 2009-12-05}}</ref><ref name = "mantan091203">{{Cite web|和書|date = 2009-12-03|url = http://mainichi.jp/enta/mantan/news/20091203mog00m200002000c.html|title = 鳥山明:桂正和とSFアクション「JIYA」共作 ヤングジャンプで短期連載へ|work = [[MANTANWEB]]|publisher = [[毎日新聞社]]|accessdate = 2009-12-03|deadlink = 2013-01-01|archiveurl = https://web.archive.org/web/20091204032753/http://mainichi.jp/enta/mantan/news/20091203mog00m200002000c.html|archivedate = 2009年12月4日}}</ref><ref name="YJ201001">「新連載連弾攻勢のお知らせ」『週刊ヤングジャンプ』2010年1号(1月1日号、第32巻第1号、通巻1468号)、集英社、2009年12月3日発売、223頁</ref><ref name="nata091210">{{Cite web|和書|date = 2009-12-10|url = http://natalie.mu/comic/news/show/id/24980|title = 鳥山・桂タッグの記念連載、本日発売のヤンジャンから開始|work = [[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]]|publisher = 株式会社ナターシャ|accessdate = 2009-12-19}}</ref>。 * [[桂正和×鳥山明共作短編集 カツラアキラ]] === 漫画関係者 === ; [[鳥嶋和彦]] : 元担当[[編集者]]で、桂を漫画家としての成功へと導いた功労者。月例新人賞に応募してきた桂の作品を見て、「一コマだけいい顔あったから」と声をかけて担当となり<ref>「ファンタジーコミック大賞特別企画第2弾 桂正和先生インタビュー」『[[ウルトラジャンプ]]』2009年8月号、集英社、36頁</ref>デビューへと導いた。またターニングポイントとなった「[[電影少女#ビデオガール|ビデオガール]]」・『[[電影少女]]』も鳥嶋の協力のもとで誕生している(詳しくは[[#来歴|来歴]]の節で上述)。なお「ビデオガール」の完成後、桂は鳥嶋が担当から外れたこともあり好評だった別の読切「[[ZETMAN 桂正和短編集#SHIN-NO-SHIN|SHIN-NO-SHIN]]」での連載を考えていたが、副編集長となった鳥嶋の推しにより「ビデオガール」を基とした連載を開始することとなった<ref name="4crp72" />。また「SHADOW LADY」の名付け親でもある<ref name="4crp72" />。 ; [[黒岩よしひろ]] : 元[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]<ref>「ウイングマン通信 / がんばれ! がんばれ! 桂くん!」『週刊少年ジャンプ 』17巻25号(通巻814号、1984年27号、6月18日号)集英社、282頁。</ref>。病気で休載した時期も併せて2年近くアシスタントを経験した<ref>「漫画家リレー訪問記・黒岩よしひろ先生」『漫画新聞』日本漫画学院、1993年9月、5頁</ref>。[[渡辺満里奈]]のファンであったことから、桂と渡辺の対談について行っている<ref>桂正和「渡辺満里奈VS桂正和 世紀の対談!!」『[[プレゼント・フロム LEMON]]』SIDE-A〈JC〉1988年7月15日発行、{{ISBN2|4-08-871062-2}}、215頁。</ref>。 ; [[稲田浩司]] : 元チーフアシスタントであり、桂のアシスタント時代にデビューしている<ref>「ウイングマンが最高に翔んだ日………」『[[ファンロード]]』1985年6月号、[[ラポート]]、26頁。</ref>。1年半ほどアシスタントを経験した<ref>「漫画家リレー訪問記・稲田浩司先生」『漫画新聞』日本漫画学院、1993年8月、5頁</ref>。 ; [[古味慎也]] : 元アシスタント。古味初の単行本となる『EX-VITA』1巻の付帯に桂が推薦文を寄稿している<ref>この段落は、『EX-VITA」』1巻、[[集英社]]〈[[ヤングジャンプ・コミックス]]〉2012年8月22日第1刷発行、{{ISBN2|978-4-08-879393-1}}、付帯および表紙そでを参照。</ref>。 === 専門学校の同窓生 === ; [[雨宮慶太]] : 専門学校の2年先輩<ref>『4C R-side』87頁。</ref>。雨宮の監督映画『[[ゼイラム]]』(1991年12月公開)をはじめとして、雨宮作品の端役として数作に出演経験がある。他、ゼイラムのアニメ化作品『[[I・R・I・A ZEIRAM THE ANIMATION|I・Я・I・A ZЁIЯAM THE ANIMATION]]』の[[キャラクターデザイン]]を担当。2015年には同じく雨宮原作による『[[牙狼-GARO-|牙狼〈GARO〉]]』シリーズのアニメ版第2シリーズ『[[牙狼 -紅蓮ノ月-]]』メインキャラクターデザインも担当。 : 雨宮監督作品の一つである『[[未来忍者 慶雲機忍外伝]]』に触発され、桂は和風をコンセプトとした読切「[[ZETMAN 桂正和短編集#SHIN-NO-SHIN|SHIN-NO-SHIN]]」を描いている<ref name="4crp72" />。 ; [[寺田克也]] : 専門学校の1年後輩<ref>『4C R-side』91頁。</ref><ref name="4crp93" />。「SHADOW LADY」【VJ版】第1回の背景を描いている<ref name="4crp72" />。 ; [[竹谷隆之]] : 専門学校の1年後輩<ref name="4crp93" />。『ZETMAN』のキャラクターデザインに協力<ref name="s14" />。また竹谷が造形を担当している[[S.I.C.#派生商品|MOVIE REALIZATION]]シリーズ<ref>{{Cite web|author = バンダイ|authorlink = バンダイ|date = 不明|url = http://archive.tamashii.jp/item/item.php?eid=00944&pref=125|title = MOVIE REALIZATION BATMAN & BAT-POD|work = [http://www.tamashii.jp/ 魂ウェブ]|publisher = [[バンダイ]]|accessdate = 2009-02-07|archiveurl = https://web.archive.org/web/20140203212351/http://archive.tamashii.jp/item/item.php?eid=00944&pref=125 |archivedate=2014-02-03}}</ref>において、桂がバットマンのスーパーバイザーを務める<ref name="tamashii" />。また、関連シリーズである MANGA REALIZATION の第1弾としてウイングマンを造形制作している<ref>「桂正和×竹谷隆之 MANGA REALIZATION 始動!」『[[月刊ホビージャパン]]』2009年8月号(第41巻第8号通巻482号)[[ホビージャパン]]、2009年6月25日、319頁</ref>。 === その他 === ; [[韮沢靖]] : 『ZETMAN』のキャラクターデザインに協力<ref name="s14" />。また桂は韮沢による[[オムニバス]]イラスト集『[[Bitch's Life Illustration FIle]]』に「[[M エム#a virgin|a virgin]]」を寄稿している<ref>桂正和「Fresh Bitch - a virgin」『Bitch's Life Illustration FIle』グラフィック社 2001年1月25日、4766112091、6 - 9頁。</ref>。 ; [[金田龍]] : 寺田を介して知り合う<ref>『Making of Game Graphics vol.2 鬼武者2』68・71頁。</ref>。実写映画『[[電影少女#映画|電影少女 -VIDEO GIRL AI-]]』の[[映画監督|監督]]を務めた。また実現はされなかったが、金田を監督に『D・N・A²』を実写映画化する企画もあった<ref name="4crp72" />。 ; [[酒井法子]] : 桂が酒井のファン<ref>桂正和『電影少女』10巻〈JC〉1992年2月15日、{{ISBN2|4-08-871810-0}}、表紙そで。</ref>。コミック巻末において2度の対談を行っており<ref>桂正和「酒井法子VS桂正和 究極の対談!!」『プレゼント・フロム LEMON』SIDE-B〈JC〉1988年7月15日、{{ISBN2|4-08-871062-2}}、207-212頁。</ref><ref>桂正和「SPECIAL TALK 桂正和&酒井法子」『電影少女』12巻〈JC〉1992年7月8日、{{ISBN2|4-08-871702-3}}、182-189頁。</ref>、OVA『[[電影少女#OVA|電影少女 -VIDEO GIRL AI-]]』のサウンドトラックCDにも参加している。また『電影少女』13巻表紙の天野あいは、酒井をモデルに描かれている<ref>桂正和「GOKURAKU CLUB 7」『電影少女』15巻〈JC〉1993年3月8日発行 {{ISBN2|4-08-871705-8}}、215頁。</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Small|[[集英社]]刊行の[[ジャンプ・コミックス]]については〈JC〉の形で記述。}} === 注釈 === {{Reflist|colwidth=30em|group=注}} === 出典 === {{Reflist|colwidth=30em |refs= <ref name="完全超悪335">{{Harvnb|完全超悪|2020|p=335|loc=「デザイナー紹介/あとがき」}}</ref> }} == 参考文献 == 主要参考文献のみを記載。この他の参考文献については個別脚注方式で[[#出典]]に記載している。 === 書籍・雑誌 === {{Refbegin}} * 野上タカヒロ「コミックをもっと²おもしろく!!〈コミッカーズ・インタビュー〉桂正和」『[[コミッカーズ]]』1995年夏号、[[美術出版社]]〈別冊美術手帖〉14号、1995年6月15日発行、8 - 15頁。 * 小田切博「アメコミのある風景 第4回 桂正和」『コミッカーズ』 12号(1997年10月号)美術出版社〈別冊美術手帖〉25号、1997年10月1日発行、150 - 151頁。 * 「バット・フィギュア&バット・モデル BATMAN&ROBIN &OTHER BAT CHARACTERS APPENDIX(2) 桂 正和特別寄稿&スタジオK2R特別公開」『S.M.H.』VOL.8、[[ホビージャパン]]〈月刊ホビージャパン〉10月号別冊、1997年10月1日、表紙・16 - 19頁。 * 桂正和『4C R-side ‹{{Small|HE}}R{{Small|OES}}-side› Katsura Masakazu Illustrations 2』[[集英社]]、[[1998年]]8月9日発行、{{ISBN2|4-08-782762-3}}。 ** 「桂正和インタビュー」69 - 84頁。 ** 「Guest Message」85 - 99頁。 * [[韮沢靖]]「桂正和氏が語る[[バットマン]]に魅かれる理由」『[[フィギュア王]]』NO.27、[[ワールドフォトプレス]]、1999年11月30日、{{ISBN2|4-8465-2229-6}}、10 - 12頁。 * 「[[金田龍]]×桂正和 対談」『Making of Game Graphics vol.2 [[鬼武者|鬼武者2]]』[[ワークスコーポレーション|株式会社ワークスコーポレーション]]〈CGWORLD〉別冊、2002年8月10日、68 - 71頁。 * 「巻頭インタビュー 桂正和」『キャラクター・デザイン・バイブル vol.4 ネオ・ヒーロー』[[グラフィック社]]、2004年7月25日、2 - 3頁。 * 「桂正和インタビュー」『[[季刊エス]]』14号(第4巻第2号通巻14号)、[[飛鳥新社]]、2006年4月1日、38 - 43頁。 * 「[[鳥山明]]×桂正和 コラボレーション対談」『[[ジャンプスクエア]]』2008年5月号(第2巻第5号)集英社、2008年5月1日、8 - 10・267 - 269頁。 * 「ファンタジーコミック大賞特別企画第2弾 桂正和先生インタビュー」『[[ウルトラジャンプ]]』2009年8月号(第11巻第8号)、集英社、2009年8月25日、36頁 * {{Cite book|和書|date = 2020-12-24<!--奥付表記-->|title = 平成仮面ライダー怪人デザイン大鑑 完全超悪|publisher = ホビージャパン|isbn = 978-4-7986-2338-2|ref = {{SfnRef|完全超悪|2020}}}} {{Refend}} === Web === {{Refbegin}} * {{Cite web|和書|last = |authorlink = iStyle|date = 2002-04|url = http://www.city.ichihara.chiba.jp/graph/0204/face/index.html|title = iStyle インタビュー 漫画家 桂 正和|work = [https://web.archive.org/web/20090202120807/http://www.city.ichihara.chiba.jp/graph/0204/index.html 市民クラブ市原 iStyle 2002-4 / Spring VOL.103]|publisher = [[市原市]]|accessdate = 2009-02-07|deadlink = 2012-08-25|archiveurl = https://web.archive.org/web/20090202041435/http://www.city.ichihara.chiba.jp/graph/0204/face/index.html|archivedate = 2009年2月2日}} * {{Cite web|和書|author = 桂正和・松岡和彦|date = 2007-1-20|url = http://www.asabi.ac.jp/topics/katsura_matsuoka_taidan2006.php|title = 桂正和×本校教員松岡和彦対談|work = [http://www.asabi.ac.jp/ 阿佐ヶ谷美術専門学校のサイト]|publisher = [[阿佐ヶ谷美術専門学校]]|accessdate = 2009-02-07|archiveurl = https://web.archive.org/web/20140201145547/http://www.asabi.ac.jp/topics/katsura_matsuoka_taidan2006.php |archivedate=2014-02-01}} * {{Cite web|和書|author = 桂正和|date = 不明|url = http://www.shueisha.co.jp/fantasy-taishou/katsura/|title = ファンタジーコミック大賞特別企画第2弾 桂正和先生インタビュー|work = [http://www.shueisha.co.jp/fantasy-taishou/index.html ファンタジーコミック大賞]|publisher = [[集英社]]|accessdate = 2009-10-17}} {{Refend}} == 外部リンク == {{Commonscat|Masakazu Katsura}}<!-- 出典としても使われているのでコメントアウトしつつ掲載 * [http://www.city.ichihara.chiba.jp/graph/0204/face/index.html iStyleインタビュー] - 市民クラブ市原のインタビュー記事 * [http://www.mandarake.co.jp/tv/contents/tdn/ 東京デンジャラスnight] {{リンク切れ|date=2009年11月}} ** [http://www.mandarake.co.jp/tv/movie/tdn/070313.html 第27回] {{リンク切れ|date=2009年11月}} ** [http://www.mandarake.co.jp/tv/movie/tdn/071106_2.html 第60回] {{リンク切れ|date=2009年11月}} --> * {{Wayback |url=http://www.asabi.ac.jp/topics/katsura_matsuoka_taidan2006.php |title=桂正和×本校教員松岡和彦対談 |date=20140201145547}} {{ja icon}} - 母校[http://www.asabi.ac.jp/ 阿佐ヶ谷美術専門学校のサイト]内の対談記事 * {{Wayback |url=http://archive.tamashii.jp/special/mr_batman/ |title=MOVIE REALIZATION BATMAN&BAT-POD |date=20140221170421}} {{ja icon}} {{鳥山明}} {{Featured article}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:かつら まさかす}} [[Category:木更津総合高等学校出身の人物]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:SF漫画家]] [[Category:嵯峨美術大学の教員]] [[Category:福井県出身の人物]] [[Category:千葉県出身の人物]] [[Category:1962年生]] [[Category:存命人物]]
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こいおみなと
こいお みなと(1968年5月12日 - )は、日本の漫画家。岐阜県岐阜市出身。男性。旧名、恋緒みなと。 1989年、『キャンディータイム』掲載の「トマト倶楽部」でデビュー。 1994年、『ヤングマガジン増刊ダッシュ』掲載の「めぐみ(火)白書」で一般誌デビュー。 Windows 95が発売されたことにより、一般家庭からもパソコンが注目・普及し始めた1996年、パソコン通信を舞台にした恋愛漫画「オレ通AtoZ」(『週刊ヤングマガジン』掲載)を連載。まだパソコンに詳しくない読者が多い中、チャットやBBSなど、パソコン・コンピュータ用語が多用されており、巻末に用語集が掲載されている。後に続編となる読み切り作品も発表されている。 1997年にはテレビゲーム業界を舞台にした恋愛漫画「RiNGO」(『週刊ヤングマガジン』掲載)を発表。当時としては珍しかったインターネットを使ったネットワークゲームを登場させている。 1998年にはゲーム『スターオーシャン セカンドストーリー』のキャラクターデザインを担当。 2007年には『月刊少年シリウス』で「アルト」を連載。これを機にペンネームを「こいおみなと」と改名。 近年は新作を発表しておらず、表だった活動が確認出来ないため、事実上の引退状態にある。
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こいお みなとは、日本の漫画家。岐阜県岐阜市出身。男性。旧名、恋緒みなと。
{{Infobox 漫画家 |名前 = こいおみなと |画像 = <!-- 画像ファイル名 --> |画像サイズ = |脚注 = |本名 = |生年 = {{生年月日と年齢|1968|5|12}} |生地 = [[岐阜県]][[岐阜市]] |没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> |没地 = |国籍 = <!-- {{JPN}} --> |職業 = [[漫画家]] |称号 = |活動期間 = 1989年 - |ジャンル = |代表作 = 『[[トマト倶楽部]]』<br />『[[魔法の詩保ちゃん]]』<br />『イオ』<br />『[[オレ通AtoZ]]』<br />『RiNGO』<br /><ref name="著者紹介" /> |受賞 = |サイン = |公式サイト = }} '''こいお みなと'''([[1968年]][[5月12日]]<ref name="shitsumon">{{Cite web|和書|url=http://www.manga-gai.net/column/shitumon/shitumon_koio.html|title=プロのマンガ家さんに聞く30の質問/恋緒みなと|work=漫画街|accessdate=2014-05-02}}</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[岐阜県]][[岐阜市]]出身<ref name="著者紹介">{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000043807|title=『アルト(1)』(こいおみなと)|講談社コミックプラス|publisher=講談社|accessdate=2016-09-25}}</ref>。男性。旧名、'''恋緒みなと'''<ref name="著者紹介"/>。 == 略歴 == [[1989年]]、『[[キャンディータイム]]』掲載の「トマト倶楽部」でデビュー<ref name="shitsumon" />。 1994年、『[[週刊ヤングマガジン|ヤングマガジン増刊ダッシュ]]』掲載の「めぐみ(火)白書」で一般誌デビュー<ref name="shitsumon" />。 [[Microsoft Windows 95|Windows 95]]が発売されたことにより、一般家庭からもパソコンが注目・普及し始めた[[1996年]]、[[パソコン通信]]を舞台にした恋愛漫画「オレ通AtoZ」(『[[週刊ヤングマガジン]]』掲載)を連載。まだパソコンに詳しくない読者が多い中、[[チャット]]や[[電子掲示板|BBS]]など、パソコン・コンピュータ用語が多用されており、巻末に用語集が掲載されている。後に続編となる読み切り作品も発表されている。 [[1997年]]にはテレビゲーム業界を舞台にした恋愛漫画「RiNGO」(『週刊ヤングマガジン』掲載)を発表。当時としては珍しかった[[インターネット]]を使ったネットワークゲームを登場させている。 [[1998年]]にはゲーム『[[スターオーシャン セカンドストーリー]]』のキャラクターデザインを担当。 [[2007年]]には『[[月刊少年シリウス]]』で「アルト」を連載。これを機にペンネームを「こいおみなと」と改名<ref name="著者紹介"/>。 近年は新作を発表しておらず、表だった活動が確認出来ないため、事実上の引退状態にある。 == 作品リスト == === 漫画 === ==== 連載 ==== *[[トマト倶楽部]](『[[キャンディータイム]]』1989年) *[[魔法の詩保ちゃん]](『[[COMICペンギンクラブ]]』1989年) *[[MONOほんモノロジィ]](『COMICペンギンクラブ』1992年) *[[オレ通AtoZ]](『[[週刊ヤングマガジン]]』1996年第12号 - 第24号) *[[RiNGO]](『週刊ヤングマガジン』1997年第16号 - 1998年) *[[イオ (漫画)|イオ]](『[[月刊ヤングマガジン|別冊ヤングマガジン]]』1999年 - 2004年) *[[アルト (漫画)|アルト]](『[[月刊少年シリウス]]』2007年6月号 - 2008年8月号) ==== 読切 ==== *めぐみ(火)白書(『ヤングマガジン増刊ダッシュ』1994年) - 『RiNGO』第3巻に収録 ==== アンソロジーコミック ==== *赤味噌沈没!?(『[[日本ふるさと沈没]]』2006年) ==== 書籍 ==== *『トマト倶楽部』 **[[辰巳出版|富士美出版]] 〈富士美コミックス〉 1991年、1巻 **[[茜新社]] 〈にんじんコミックス〉 1994年、全2巻 *『魔法の詩保ちゃん』 **同人誌 1990年、全1巻 **富士美出版 〈富士美コミックス〉 1992年、全1巻 **茜新社 〈にんじんコミックス〉 1995年、全2巻 *『いけないマジカルハート!』、[[フランス書院]] 〈[[フランス書院コミック文庫]]〉 1993年、全1巻 *『オレ通AtoZ』、[[講談社]] 〈ヤングマガジンKC〉 1996年、全1巻 *『RiNGO』、講談社 〈ヤングマガジンKC〉 1997年 - 1998年、全3巻 *『MONOほんモノロジィ』、茜新社 〈にんじんコミックス〉 1998年、全3巻 *『イオ』、講談社 〈ヤングマガジンKCスペシャル〉 2000年 - 2005年、全10巻 *『アルト』、講談社 〈シリウスKC〉 2007年 - 2008年、全2巻 === ゲーム === *[[スターオーシャン セカンドストーリー]](1998年)キャラクターデザイン == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://web.archive.org/web/20010124055900/http://www.luvnet.com/~koio/ MK MINATO ni KOIyO] * {{マンガ図書館Z作家|4320|こいおみなと}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:こいお みなと}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:同人作家]] [[Category:岐阜県出身の人物]] [[Category:1968年生]] [[Category:存命人物]]
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ここまひ
ここまひ(3月8日 - )は、漫画家、イラストレーター。東京都大田区出身、血液型O型。表記は「ここまひ」ではあるが、「ここまい」と読む。他のペンネームは、ししまひ、金物昌人、かなものまさと。デフォルメキャラを描く事が多い。『赤い靴CLUB』というサークル名で同人活動も行っている。 アニメーターを目指して専門学校のビジュアルデザイン科に通い、卒業後1989年にデザイン会社「レイアップ」に入社。入社後「甲竜伝説ヴィルガスト」のキャラクターデザインなどをつとめる。しかしその後多忙を極め体調を崩し入院、1992年の秋に退社し、以降はフリーとなる。デザイン会社所属時は""金物昌人""名義で発表されていたが、退社後は"ここまひ"名義での発表となっている。 もともとはここまひ自身の個人サークル名であったが、デザイン会社を退職後に個人で受ける仕事について使用していた名義。現在は、サスカッチ円空がPC/CG周りのデザインワークスとしてメンバーに入っており、同人誌やガレージキットの作成などの同人活動を行っている。
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ここまひは、漫画家、イラストレーター。東京都大田区出身、血液型O型。表記は「ここまひ」ではあるが、「ここまい」と読む。他のペンネームは、ししまひ、金物昌人、かなものまさと。デフォルメキャラを描く事が多い。『赤い靴CLUB』というサークル名で同人活動も行っている。
{{存命人物の出典明記|date=2015年8月6日 (木) 11:32 (UTC)}} '''ここまひ'''([[3月8日]] - )は、漫画家、イラストレーター。東京都大田区<ref>[http://akaikutsu-club.cside.com/profile.html 公式サイト] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20160104231030/http://akaikutsu-club.cside.com/profile.html |date=2016年1月4日 }}</ref>出身、血液型O型。表記は「'''ここまひ'''」ではあるが、「ここまい」と読む。他のペンネームは、'''ししまひ'''、'''金物昌人'''、'''かなものまさと'''。デフォルメキャラを描く事が多い。『赤い靴CLUB』というサークル名で同人活動も行っている。 == 略歴 == アニメーターを目指して専門学校のビジュアルデザイン科に通い、卒業後1989年にデザイン会社「レイアップ」に入社。入社後「甲竜伝説ヴィルガスト」のキャラクターデザインなどをつとめる。しかしその後多忙を極め体調を崩し入院、1992年の秋に退社し、以降はフリーとなる。デザイン会社所属時は""金物昌人""名義で発表されていたが、退社後は"ここまひ"名義での発表となっている。 == デザインワークス == * [[甲竜伝説ヴィルガスト]]([[ガシャポン]] / [[バンダイ]])※第1期シリーズのキャラクターデザインを担当 * [[フレイ (ゲーム)|フレイ(「サーク」シリーズ)]](PCソフト、[[PCエンジン]] / [[マイクロキャビン]])※パソコン版はパッケージデザインのみ * [[クライムクラッカーズ]]、[[クライムクラッカーズ2]]([[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]] / [[ソニー・コンピュータエンタテインメント]])※キャラクターデザイン担当 * [[マスターオブモンスターズ|マスモンKIDS]](PlayStation / [[ハムスター (ゲーム会社)|ハムスター]])※キャラクターデザイン担当 * [[センチメンタルジャーニー (アニメ)#ゲーム|センチメンタルジャーニー]](PlayStation / [[バンプレスト]])※キャラクターデザイン担当 * [[クイーン・オブ・デュエリスト外伝α+]](PCソフト / [[アグミックス]])※金城エルザのキャラクターデザイン担当 * [[亀有信用金庫]]※オリジナルのマスコットキャラクター、夢叶(ゆめか)のデザイン担当 * [[超ヒロイン戦記]] (PlayStation 3&PlayStation Vita / [[バンダイナムコエンターテインメント|バンダイナムコゲームス]]) ※キャラクターデザイン * やどかり衛星放送局 BS-896(PC-9801、アレックス)原画、脱衣麻雀 * [[必殺仕事人 (ファミリーコンピュータ)]] ([[ファミリーコンピュータ]] / [[バンプレスト]] 1990年)※キャラクターデザイン * 他 == コミック == * ドラゴンバスターライ([[コミックボンボン増刊号]] / [[講談社]])※読み切り * とらぶるしてぃ([[コミックパピポ]] / [[フランス書院]]) * 超光世紀スター・クラッカーズ([[月刊少年キャプテン]] / [[徳間書店]]) * クライム・クラッカーズ2([[プレイステーションマガジン]] / 徳間書店) * クライム・クラッカーズ外伝(著:[[中井紀夫]]、[[ファミ通ゲーム文庫]] / [[アスキー (企業)|アスキー]])※イラスト ISBN 4-89366-487-5 * 海底王女(マリンセス)マナティーネ([[AX (アニメ雑誌)|AX]]付録:コミックGIGAX / [[ソニーマガジンズ]]) * ぴゅあ☆ぴゅあCLUB([[コミックぴゅあ]] / [[童夢社]]) * 守護天使日和([[メガミマガジン]] / [[学研ホールディングス|学研]]) *甲竜伝説ゔぃるがすと -おまけ版- ([[模型情報]]連載 / バンダイ) ※画集「甲竜伝説ヴィルガスト画集」に収録(ISBN 4891891815) * [[どきどきVAMPIRE]] I([[タツミコミックス]] / [[辰巳出版]])雑誌コード 51811-74 ** 第1巻のみの発行。続きは同人誌で頒布された。 * ぷよぷよRPGまんが魔導物語([[徳間書店インターメディア]] / 徳間書店)※ここまひwith赤い靴くらぶ名義での発表 * 他 == 画集 == * カニカニCLUBコレクション[ここまひ画集](クリエイティブシリーズ5 / [[彩文館出版]])ISBN 4-916115-10-4 [1998年] * KANI KANI LUNCH BOX ここまひ自選作品集 ([[ムービック]]) ISBN 4-89601-441-3 [1999年] == CD-ROM == * ここまひカット・イラスト壁紙集 電脳(デジタル)カニカニ倶楽部 (ヘキサ) [1997年] == 赤い靴CLUB == もともとはここまひ自身の個人サークル名であったが、デザイン会社を退職後に個人で受ける仕事について使用していた名義。現在は、[[サスカッチ円空]]がPC/CG周りのデザインワークスとしてメンバーに入っており、同人誌やガレージキットの作成などの同人活動を行っている。 ==脚注== {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Facebook|100010437947343|ここまひ 赤い靴くらぶ}} * {{Twitter|kokomahi|ここまひ}} * {{マンガ図書館Z作家|416}} {{Normdaten}} {{Anime-people-stub}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:ここまひ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本のイラストレーター]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:存命人物]]
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桜野みねね
桜野 みねね(さくらの みねね、1973年11月29日 - )は、日本の漫画家。女性。東京都生まれ、宮城県仙台市育ち。 1995年、『マザードール』(短編集に収録)で第1回エニックス21世紀マンガ大賞準大賞を受賞し、同作にてデビュー。1996年、『月刊少年ガンガン』で『まもって守護月天!』の連載を開始。この作品は藤咲あゆなによって小説化され、東映アニメーションによってテレビアニメ化・OVA化もされた。 デビュー以来、エニックス刊行の雑誌で連載していたが、2001年のエニックスお家騒動によりマッグガーデンへ移籍。『月刊コミックブレイド』誌上で『まもって守護月天! 再逢』を連載開始する。同作品では体調の問題により、途中から「STUDIO TWO WINGS」が制作に携わるようになった。また『ひなぎく見参!〈一本桜花町編〉』では「STUDIO 縁」が制作に携わる(雑誌連載やコミックスで作者名とともに記されていた)が、『フェアリアルガーデン』からは桜野みねねのみの名前で表記されるようになっている。前述の騒動および掲載誌の休刊の影響で、これまでの連載作品はほとんどが打ち切りという形で終了している。 現在は、『月刊コミックガーデン』(マッグガーデン)で『まもって守護月天! 解封の章』を連載中。毎月20日には、同社のWEB漫画配信サイト『MAGCOMI』でも公開している。近年、作品を続編や書き下ろしなどで完結させている。
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桜野 みねねは、日本の漫画家。女性。東京都生まれ、宮城県仙台市育ち。
{{存命人物の出典明記|date=2021年8月29日 (日) 07:06 (UTC)}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = <!-- 姓と名がある場合は間に半角スペースを入れる -->桜野 みねね | 画像 = <!-- 画像ファイル名 --> | 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px --> | 脚注 = <!-- 画像の説明文 --> | 本名 = <!-- 必ず出典を付ける --> | 生年 = <!-- {{生年月日と年齢|YYYY|MM|DD}} -->{{生年月日と年齢|1973|11|29}} | 生地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 -->[[東京都]]生まれ、[[宮城県]][[仙台市]]育ち | 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> | 没地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 --> | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 職業 = <!-- [[漫画家]] -->[[漫画家]] | 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 --> | 活動期間 = <!-- XXXX年 - YYYY年 -->1995年 - | ジャンル = <!-- [[少年漫画]] [[少女漫画]] [[青年漫画]] [[成人向け漫画]] [[女性漫画]]など --> | 代表作 = <!-- 「代表作を挙げた出典」に基づき記載 -->『[[まもって守護月天!]]』<ref name="アニメハック">{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/news/104631/ |title=OVA「伝心 まもって守護月天!」ブルーレイボックス発売決定 HDリマスタリングで高画質化 : ニュース |website=アニメハック |publisher=[[映画.com|エイガ・ドット・コム]] |date=2017-06-01 |accessdate=2021-11-15}}</ref> | 受賞 = <!-- 出版社の賞など -->第1回[[エニックス#エニックス_マンガ大賞|エニックス21世紀マンガ大賞]] 準大賞 | サイン = <!-- 画像ファイル名 --> | 公式サイト = <!-- {{Official website|https://www.example.org}}や[https://www.example.org/ 公式ページ名] など -->[https://ameblo.jp/minene-momofive/ オフィシャルブログ] }} '''桜野 みねね'''(さくらの みねね、[[1973年]][[11月29日]]<ref name="アメブロプロフィール">{{Cite web|和書|author=桜野みねね |url=https://profile.ameba.jp/ameba/minene-momofive/ |title=桜野みねねさんのプロフィールページ |website=[[Ameba (ネットサービス)|Ameba]] |accessdate=2021-11-15}}</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。女性<ref name="アメブロプロフィール" /><ref name="100の質問ひろば">{{Cite web|和書|author=桜野みねね |date=2011-06-03 |url=http://100mon.jp/a/1168210 |title=自己紹介したいなーって桜野みねねさんに100の質問 |website=100の質問ひろば |archiveurl=https://archive.ph/ejfN |archivedate=2012-07-12 |accessdate=2021-11-15}}</ref>。[[東京都]]生まれ、[[宮城県]][[仙台市]]育ち<ref name="100の質問ひろば" />。 == 経歴 == 1995年、『マザードール』(短編集に収録)で第1回[[エニックス#エニックス_マンガ大賞|エニックス21世紀マンガ大賞]]準大賞を受賞し、同作にてデビュー。1996年、『[[月刊少年ガンガン]]』で『[[まもって守護月天!]]』の連載を開始。この作品は[[藤咲あゆな]]によって[[小説]]化され、[[東映アニメーション]]によって[[テレビアニメ]]化・[[OVA]]化もされた。 デビュー以来、[[エニックス]]刊行の雑誌で連載していたが、2001年の[[エニックスお家騒動]]により[[マッグガーデン]]へ移籍。『[[月刊コミックブレイド]]』誌上で『[[まもって守護月天!|まもって守護月天! 再逢]]』を連載開始する。同作品では体調の問題により、途中から「STUDIO TWO WINGS」が制作に携わるようになった。また『[[常習盗賊改め方 ひなぎく見参!|ひなぎく見参!〈一本桜花町編〉]]』では「STUDIO 縁」が制作に携わる(雑誌連載やコミックスで作者名とともに記されていた)が、『[[フェアリアルガーデン]]』からは桜野みねねのみの名前で表記されるようになっている。前述の騒動および掲載誌の休刊の影響で、これまでの連載作品はほとんどが打ち切りという形で終了している。 {{いつ範囲|現在は|date=2021年11月}}、『[[月刊コミックブレイド|月刊コミックガーデン]]』(マッグガーデン)で『[[まもって守護月天!|まもって守護月天! 解封の章]]』を連載中。毎月20日には、同社のWEB漫画配信サイト『[[MAGCOMI]]』でも公開している<ref name="アニメハック" />。{{いつ範囲|近年|date=2021年11月}}、作品を続編や書き下ろしなどで完結させている。 == 作品リスト == * [[まもって守護月天!]] *: 単行本:1996年 - 2000年、[[月刊少年ガンガン]]、全11巻 *: 新装版:2003年、ブレイドコミックス([[マッグガーデン]])、全10巻 - 描き下ろしの第67話・第68話を収録。 *: 英語版1:2003年、Gustoon Entertainment、全4巻 - ガンガンコミックス版を英訳したもので、北米版『[[RAIJIN COMICS]]』でタイトルを『Guardian Angel Getten』として連載。北米地域で発売。 *: 英語版2:2005年 - 2009年、[[TOKYOPOP]]、全5巻 - ブレイドコミックス版を英訳したもので、タイトルを『Mamotte Syugogetten』として北米地域で発売。 ** まもって守護月天! 再逢(2002年 - 2005年、[[月刊コミックブレイド]]、全6巻) ** まもって守護月天! ちっちゃいシャオとでっかい離珠のお料理教室(2010年、自主制作、[[パブー]]) ** まもって守護月天! 〜初めてあなたに逢ったとき私が思っていたこと〜(2011年、自主制作、パブー) ** まもって守護月天! 解封の章(2015年 - 連載中、[[月刊コミックブレイド|月刊コミックガーデン]]・ウェブコミックサイト『[[MAGCOMI]]』、既刊8巻) * ショーウィンドウのエミリー 桜野みねね短編集 *: 単行本:1997年、[[月刊少年ガンガン#ガンガンコミックス|ガンガンコミックス]]、全1巻 *: 電子書籍: 2019年、[[Jコミックテラス]] * [[常習盗賊改め方 ひなぎく見参!]] *: 単行本:1999年 - 2001年、[[月刊ガンガンWING]]、全3巻 *: 新装版:2004年、ブレイドコミックス、全3巻 *: 電子書籍:2019年、Jコミックテラス、全3巻 ** ひなぎく見参!〈一本桜花町編〉 **: 単行本:2006年 - 2007年、[[コミックブレイドMASAMUNE]]、全2巻 **: 電子書籍:2019年、Jコミックテラス、全2巻 ** ひなぎく見参! 〜誓いの桜編〜 **: ダウンロード販売:2015年、Jコミ、全1巻 **: 電子書籍:2019年、Jコミックテラス、全1巻 * [[ヒーリング・プラネット]] *: 単行本:2000年 - 2001年、月刊少年ガンガン、全1巻 ISBN 4-7575-0492-6 *: 新装版:2004年、ブレイドコミックス(マッグガーデン)、全1巻 ISBN 4-86127-070-7 *: 電子書籍:2019年、Jコミックテラス、全1巻 * マドロミャーナの子守歌(2004年、コミックブレイドMASAMUNE) * ユグドラシル・ライブライン(2004年 - 2005年、コミックブレイドMASAMUNE) * [[フェアリアルガーデン]](2007年 - 2010年、月刊コミックブレイド、全5巻) * [[大江戸花魁黄表紙 あらん]](2010年、[[ヤングチャンピオン烈]] No.09) * 星の大サーカス(2010年 - 、月刊コミックブレイド、既刊1巻 ISBN 978-4-86127-917-1) === 画集 === * 支天輪(1999年、エニックス、ISBN 4-7575-0014-9) * Days of Moonlight Limited(2003年、マッグガーデン、ISBN 4-901926-95-0) * Days of Moonlight(2003年、マッグガーデン、ISBN 4-901926-97-7) === アンソロジー === * [[スーパーコミック劇場]] Vol.1 [[闘神伝|闘神伝2]]「エリス再び…」(1996年、エニックス、ISBN 4-87025-905-2) * スーパーコミック劇場 Vol.2 [[ファイアーエムブレム]]「大地の剣」(1996年、エニックス、ISBN 4-87025-918-4) * 猫あんそろじー「猫が飼いたいかもと思わせた猫の話」(2008年、マッグガーデン、ISBN 978-4-86127-492-3) * ブラコンアンソロジー Liqueur ―リキュール―「ハッピードッグライフ!」(2011年、[[フレックスコミックス]]/[[SBクリエイティブ|ソフトバンク クリエイティブ]]、ISBN 978-4-7973-6428-6) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Wayback |url=http://www.mag-garden.co.jp/officialwebc/sakuranosono/ |title=MOMO FIVE |date=20030608041324}} * {{Wayback |url=http://momofiblog.momofarm.moo.jp/ |title=ももふぁいぶろぐ 〜桜野みねね公式ブログ〜 |date=20120904003322}}:2012年6月9日までのオフィシャルブログのアーカイブ。 * {{Ameba ブログ|minene-momofive|MomoFive}}:2015年3月4日からのオフィシャルブログ。 * {{Twitter|minenefive|桜野みねね}} * {{Instagram|minenefive|桜野みねね}} * {{Pixiv|1654813|みねね}} * {{Archive.today |url=http://p.booklog.jp/users/hinagi934 |title=桜野みねねさんの公開中の本 {{!}} ブクログのパブー}} * {{マンガ図書館Z作家|99}} * {{Mediaarts-db|id=C59159|name=桜野みねね}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:さくらの みねね}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:仙台市出身の人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1973年生]] [[Category:存命人物]]
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高屋良樹
高屋 良樹(たかや よしき、1960年2月21日 - )は日本の漫画家。秋田県出身、千葉県柏市在住。血液型はA型。旧ペンネームはちみもりを。「高屋良樹」もペンネームであり、本名ではない。 ちみもりを名義で『レモンピープル』(あまとりあ社)1983年1月号にて「明日なき世界・♂なき人類」でデビュー。『漫画ブリッコ』(白夜書房)や『プチアップルパイ』(徳間書店)などにも作品を発表していた。 代表作である『強殖装甲ガイバー』の連載開始以降は、同作の執筆にほぼ専念しており、結果として寡作な作家になっている。
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高屋 良樹は日本の漫画家。秋田県出身、千葉県柏市在住。血液型はA型。旧ペンネームはちみもりを。「高屋良樹」もペンネームであり、本名ではない。 ちみもりを名義で『レモンピープル』(あまとりあ社)1983年1月号にて「明日なき世界・♂なき人類」でデビュー。『漫画ブリッコ』(白夜書房)や『プチアップルパイ』(徳間書店)などにも作品を発表していた。 代表作である『強殖装甲ガイバー』の連載開始以降は、同作の執筆にほぼ専念しており、結果として寡作な作家になっている。
{{存命人物の出典明記|date=2015-03-13}} {{Infobox 漫画家 |名前 = 高屋 良樹<br />(旧ペンネーム:ちみもりを) |画像 = |画像サイズ = |脚注 = |本名 = |生年 = {{生年月日と年齢|1960|2|21}} |生地 = {{JPN}} [[秋田県]] |没年 = |没地 = |国籍 = {{JPN}} |職業 = [[漫画家]] |活動期間 = [[1982年]] - 現在 |ジャンル = [[SF漫画]]、[[成人向け漫画]] |代表作 = 『[[冥王計画ゼオライマー]]』<br />(ちみもりを名義)<br />『[[強殖装甲ガイバー]]』<br />(高屋良樹名義) |受賞 = |サイン = |公式サイト = }} '''高屋 良樹'''(たかや よしき、[[1960年]][[2月21日]] - )は[[日本]]の[[漫画家]]。[[秋田県]]出身、[[千葉県]][[柏市]]在住。[[ABO式血液型|血液型]]はA型。旧[[ペンネーム]]は'''ちみもりを'''。「高屋良樹」もペンネームであり、本名ではない。 ちみもりを名義で『[[レモンピープル]]』([[久保書店|あまとりあ社]])[[1983年]]1月号にて「明日なき世界・♂なき人類」でデビュー。『[[漫画ブリッコ]]』([[白夜書房]])や『[[プチアップルパイ]]』([[徳間書店]])などにも作品を発表していた。 代表作である『[[強殖装甲ガイバー]]』の連載開始以降は、同作の執筆にほぼ専念しており、結果として寡作な作家になっている。 == 作品リスト == ; 『[[冥王計画ゼオライマー]]』 : ちみもりを名義。高屋初のロボット漫画でもある。成人向け漫画誌『[[レモンピープル]]』([[久保書店|あまとりあ社]])に連載。連載期間は1983年10月号 - 1984年11月号。一般誌でガイバーの連載を始めるために成人向け漫画誌での活動を停止し、この連載も物語途中でいわゆる「第一部・完」という形で終了した。単行本化される際に一部内容が変更されている。1988年 - 1990年にかけて[[冥王計画ゼオライマー (OVA)|同名タイトルのOVA]]としてアニメ化された。 : [[OVA]]版が家庭用[[シミュレーションRPG]]『[[スーパーロボット大戦シリーズ]]』に登場したことを受け、23年のブランクの後に『[[月刊COMICリュウ]]』2007年6月 - 8月号に完結編が連載された。生誕25周年として『月刊COMICリュウ』[[2008年]]11月号から2017年4月号まで、新シリーズ『[[冥王計画ゼオライマーΩ]]』(原作:ちみもりを、作画:ワタリユウ)が連載された。 ; 『[[強殖装甲ガイバー]]』 : 高屋良樹名義。徳間書店『[[月刊少年キャプテン]]』1985年創刊号から連載開始。その後は[[角川書店]]の『[[月刊エースネクスト]]』を経て『[[月刊少年エース]]』に移籍し、連載中(但し2016年7月号より休載中)。 : 1986年に[[スタジオライブ]]が劇場版アニメとして初アニメ化。1989年 - 1990年にかけて[[バンダイビジュアル]]にて、OVAとして再びアニメ化されている。また1991年に『ガイバー』(''{{Interlang|en|The Guyver}}'')、1994年に続編である『ガイバー/ダークヒーロー』(''{{Interlang|en|Guyver: Dark Hero}}'') と二度にわたり、ハリウッドで実写映画化されている。ただし日本資本による映画であり、厳密な意味での[[ハリウッド映画]]ではない。また、2005年にテレビアニメ化されている。 == 単行本 == * クロス・ファイア(久保書店・短篇集) 1985年3月 * 冥王計画ゼオライマー(久保書店) 1986年3月 * 強殖装甲ガイバー(徳間書店) 1-15巻(雑誌休刊にて未完) * 強殖装甲ガイバー(角川書店)1-32巻(休載中) * 冥王計画ゼオライマー 完全版(徳間書店) 2007年11月20日 == 関連人物 == * [[沖由佳雄]] - 知人作家 * [[早見裕司]] - 知人作家 * [[みやもと留美]] - 知人作家。1994年に刊行された、みやもとのコミックス「淋しがりやの小猫達」に「ちみもりを」の名義でゲスト原稿を描いており、みやもとが学生だったデビュー前に知り合ったという描写をしている。 {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:たかや よしき}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:秋田県出身の人物]] [[Category:1960年生]] [[Category:存命人物]]
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344
田中久仁彦
田中 久仁彦(たなか くにひこ、1970年8月12日 - )は日本の漫画家、イラストレーター。神奈川県川崎市出身。 ゲームソフト制作会社の日本ファルコムに入社。同社の従業員としてゲームのイラストやキャラクターデザインを手掛けるようになる。退社後フリーに。1991年に商業誌デビュー。
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田中 久仁彦は日本の漫画家、イラストレーター。神奈川県川崎市出身。
{{Infobox 漫画家 |名前 = 田中 久仁彦 |画像 = <!-- 画像ファイル名 --> |画像サイズ = |脚注 = |本名 = |生年 = {{生年月日と年齢|1970|8|12}} |生地 = {{JPN}} [[神奈川県]][[川崎市]] |没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> |没地 = |国籍 = <!-- {{JPN}} --> |職業 = [[漫画家]]、[[イラストレーター]] |称号 = |活動期間 = [[1991年]] - |ジャンル = |代表作 = 『[[秘境探検ファム&イーリー]]』 |受賞 = |サイン = |公式サイト = [http://netonevisions.c.ooco.jp/ NET ONEVISIONS] }} '''田中 久仁彦'''(たなか くにひこ、[[1970年]][[8月12日]]<ref>{{Cite web |author=田中久仁彦|url=http://netonevisions.c.ooco.jp/prof/plof.htm|title=PROFILE|work=NET ONEVISIONS|accessdate=2016-10-12}}</ref> - )は[[日本]]の[[漫画家]]、[[イラストレーター]]。[[神奈川県]][[川崎市]]出身。 == 人物 == ゲームソフト制作会社の[[日本ファルコム]]に入社。同社の従業員としてゲームの[[イラストレーション|イラスト]]や[[キャラクターデザイン]]を手掛けるようになる。退社後[[フリーランス|フリー]]に。1991年に[[商業誌]]デビュー。 == 主要作品リスト == === 漫画 === * 超絶聖剣ブッタギレイヤー - [[コミックマスター]]連載 * [[秘境探検ファム&イーリー]](ISBN 4894250365、ISBN 978-4894250369) * [[一撃殺虫!!ホイホイさん]] 全1巻(ISBN 4840227683、ISBN 978-4840227681) * [[一撃殺虫!!ホイホイさん]]NEW EDITION(新装版) 全1巻 (ISBN 4049126524、ISBN 978-4049126525) * まったりさん * 猫耳のナクザ - イラストストーリー * [[一撃殺虫!!ホイホイさん]]LEGACY - [[電撃マオウ]]連載。2013年に単行本が発売される予定だったが、特装版特典となるはずの30分アニメが2012年にイベント上映されたにもかかわらず、単行本自体が発売中止になってしまった。 * でんわのクロちゃん - 4コマ漫画 * だらだら * 魔法女まほな - [[電撃マオウ]]短期集中連載 ([[一撃殺虫!!ホイホイさん]]NEW EDITION 収録) * MiMiMies === イラスト === * [[〈卵王子〉カイルロッドの苦難]]([[冴木忍]])- 表紙/挿絵 * [[ソード・ワールドRPGアドベンチャー]]([[山本弘 (作家)|山本弘]])- 表紙/挿絵 * [[ヴァルツァーの紋章|魔獣創世紀ヴァーズ]] ([[新木伸]]) * [[モンスターコレクション]] - カードイラスト * [[エンドセクター]] - カードイラスト * ハイスクール・オブ・ブリッツ - カードイラスト * ビーストロード 覇王への道 - パッケージイラスト * [[オーラバトラー戦記]]([[富野由悠季]])- 9巻口絵イラスト1点([[角川スニーカー文庫]]版) * [[真SAMURAI SPIRITS 覇王丸地獄変|真サムライスピリッツ]] アンソロジーコミック - 表紙イラスト * 日本の情景シリーズ複製原画集・日本酒と娘 - イラスト * 第8回[[電撃大賞|電撃ゲーム3大賞]] - イメージイラスト * [[週刊わたしのおにいちゃん]] (1 - 3号・各2ページ) * [[電撃「マ)王]] - イメージキャラクター2種 (雑誌イメージキャラクター・イラスト1点) * DVD「[[苺ましまろ]] vol.5」初回特典特製カード用イラスト * [[霜月はるか]]†[[Revo]]『[[霧の向こうに繋がる世界]]』 - ジャケットイラスト * 月刊Novel JAPAN - 表紙イラスト (2006年 10月号/2007年 01月号/2007年 07月号) * [[民安ともえ]]アルバム『たみうた』『TECHNO RIDER TAMMY』『SMILEBIT-TECHNO RIDER TAMMY 2』 - ジャケットイラスト * [[電撃ホビーマガジン]] MMBOXカット (2005年7月号 - 2008年7月号) * [[ワールド・デストラクション]]([[セガ]]) - パッケージ/イメージイラスト各1点 * [[一撃殺虫!!ホイホイさん]]LEGACY - (プラモデル/超合金) - ボックスアート * [[ゼノブレイド]] - サウンドトラック早期購入特典イラストカード * 東日本大震災チャリティマンガ.イラスト集『春色〜ハルイロ〜』- イラスト寄稿 * フィギュアの作り方01 3Dプリンタのためのデジタル造形術 - 表紙イラスト * ptimo [[初音ミク]](プラモデル) - ボックスアート/ディフォルメデザイン/シリーズ名 * [[KOS-MOS]] ver.1(プラモデル) - ボックスアート * [[ラストクロニクル]] 天空編Ⅰ - カードイラスト2点 * [[とある魔術の禁書目録]]外伝 とある科学の超電磁砲 - 13巻イラスト寄稿 * ジラフとアンニカ - [[PlayStation 4|PS4]]版ジャケット中面イラスト/店頭ポスター用イラスト * [[KOS-MOS]] Re:(1/7スケールフィギュア) - ボックスアート === 画集 === * 龍骨(ISBN 4829176717、ISBN 978-4829176719) * 龍骨:碧瑠璃(誌上通販限定品) * 龍骨:紅琥珀(誌上通販限定品) === キャラクターデザイン === ==== 日本ファルコム ==== * ワンダラーズフロムイース([[イースIII]]) * [[ぽっぷるメイル]] * [[ドラゴンスレイヤー英雄伝説]] * [[ダイナソア]] ==== フリーランス ==== * [[ゼノギアス]]([[スクウェア (ゲーム会社)|スクウェア]]) * [[ゼノサーガ エピソードI[力への意志]]]([[モノリスソフト]]、[[バンダイナムコゲームス|ナムコ]]) * [[KEY THE METAL IDOL]] * ガール・ザ・ギャザリング([[ホビージャパン]]) - 『[[ゲームぎゃざ|月刊ゲームぎゃざ]]』のマスコット・キャラクターである12人の美少女を担当 * [[ワールド・デストラクション]]([[セガ]]) - サブキャラクター2点 *アンチェインブレイズ エクシヴ - キャラ1点 * [[ゼノブレイドクロス]]([[モノリスソフト]]、[[任天堂]]) * [[ゼノブレイド2]]([[モノリスソフト]]、[[任天堂]]) - レアブレイドデザイン ==脚注== {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://netonevisions.c.ooco.jp/ NET ONEVISIONS] - 公式サイト * [http://www.fujimishobo.co.jp/sp/ryu-kotsu/ 龍骨]{{リンク切れ|date=2018年4月}} - 特設サイト * {{twitter|netonevisions}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:たなか くにひこ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本のイラストレーター]] [[Category:ゲームのグラフィッカー・原画家]] [[Category:川崎市出身の人物]] [[Category:日本ファルコムの人物]] [[Category:1970年生]] [[Category:存命人物]]
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鶴田洋久
鶴田 洋久(つるた ひろひさ、1964年 - )は、日本の漫画家。埼玉県出身。東京デザイナー学院卒業。代表作はアニメ化もされた「なつきクライシス」。漫画家の円英智 は小学5年生から、萩原一至 は専門学校から、それぞれ親交を持つ。
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鶴田 洋久は、日本の漫画家。埼玉県出身。東京デザイナー学院卒業。代表作はアニメ化もされた「なつきクライシス」。漫画家の円英智 は小学5年生から、萩原一至 は専門学校から、それぞれ親交を持つ。
'''鶴田 洋久'''(つるた ひろひさ、[[1964年]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[埼玉県]]出身。[[東京デザイナー学院]]卒業。代表作はアニメ化もされた「[[なつきクライシス]]」。漫画家の[[円英智]]<ref>「なつきクライシス」単行本第3巻カバートビラ円英智による推薦文より。</ref> は小学5年生から、[[萩原一至]]<ref>「なつきクライシス」単行本第1巻カバートビラ萩原一至による推薦文より。</ref> は専門学校から、それぞれ親交を持つ。 == 経歴 == *[[1985年]]、[[ダーティー松本]]のアシスタントを1988年頃まで務める。 *[[1989年]]、[[集英社]]月刊『ベアーズクラブ』にて「[[なつきクライシス]]」<ref>この作品の第1話(クラッシュ1)は本来、新人賞応募用の読切短編だったが、そのまま連載化した(単行本第3巻カバートビラ、第18巻巻末「お詫びだらけのあとがき」)。</ref> でデビュー。 *[[1991年]]、集英社月刊『[[ビジネスジャンプ]]』にて「風牙(フーガ)」連載(全11話)。「なつきクライシス」、『ベアーズクラブ』での連載終了(全18話)。 *[[1992年]]、『ビジネスジャンプ』にて「なつきクライシス」連載再開。 *[[1993年]]、鳴海丈の小説「完殺者真魅(ジェノサイダーマミ)」第1巻(集英社[[ジャンプ ジェイ ブックス]])の挿絵を担当。 *[[1994年]]、[[マッドハウス]]制作の[[OVA]]「なつきクライシス」([[キングレコード]])発売(全2巻)。 *[[1995年]]、[[スーパーファミコン]]用[[対戦型格闘ゲーム]]「なつきクライシスバトル」(エンジェル)発売。 *[[1997年]]、「なつきクライシス」完結(全117話、2誌通算では全135話)。 *[[1998年]]、『ビジネスジャンプ』にて「弁天様には言わないで」連載開始。 *[[1999年]]、「弁天様には言わないで」35話をもって『ビジネスジャンプ』本誌での連載終了。以降、増刊にて継続。 *[[2000年]]、集英社『エクストラ・ビージャン』(ビジネスジャンプ増刊)にて「弁天様には言わないで」完結(全41話)。 *[[2001年]]、[[コンビニコミック]]「なつきクライシス/なつきにノックアウト編」出版(全5巻)。 *[[2003年]]、集英社『[[ウルトラジャンプ]]』にて「Bリアクション!」連載開始<ref>読み切り作「恋撃ビバップ」の設定をほぼそのまま引き継ぎ連載化した。</ref>(2004年11月号にて連載終了)。 == 作品リスト == *[[なつきクライシス]](全18巻) *[[風牙]](全1巻) *[[完殺者真魅]](ジェノサイダーマミ)([[鳴海丈]]の小説)(全2巻のうち第1巻挿絵)ISBN 9784087030075 * [[弁天様には言わないで]](全5巻) *[[Bリアクション!]](1巻)<ref>第9話から最終18話まで未単行本化。</ref> *鉄心爛漫!!ゴージャス武士道(読み切り、エクストラ・ビージャン1996年10月10日号) * VS.~バトルめもりーず~(2回連続読み切り、[[週刊ヤングジャンプ]]2000年1月31日号、2000年2月3日号) *恋撃ビバップ(読み切り、別冊ヤングジャンプ2000年12月31日増刊号) * ネコカン(読み切り、エクストラ・ビージャン2001年4月10日号) == 脚注 == <references /> {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:つるた ひろひさ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:埼玉県出身の人物]] [[Category:1964年生]] [[Category:存命人物]]
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内藤泰弘
内藤 泰弘(ないとう やすひろ、ローマ字表記:Yasuhiro Nightow、1967年4月8日 - )は、日本の漫画家。神奈川県横浜市出身。法政大学社会学部卒業。トイトライブ主宰の一人。作品に『トライガン』などがある。 幼少期よりインドア派で、幼稚園ではスヌーピーのマンガを描いていた。 大学2年生の頃に初めて描いたストーリー漫画は「サンディと迷いの森の仲間たち(1989年5月発行)」。500部刷った後鴨葱スウィッチブレイドというサークルで同人誌即売会まんが ギャラリー&マーケットに初参加した際は持って行った100部が完売し、コミティア代表の中村公彦からも絶賛を受けている。大学卒業後は住宅会社にて営業職を3年あまり経験し、専業作家となる。 1990年ふゅーじょんぷろだくと『リトルボーイ』1990年夏号に同人誌「サンディと迷いの森の仲間たち」が再録される。1994年3月、集英社『スーパージャンプ』に「CALL XXXX」が掲載される。徳間書店『ファミリーコンピュータMagazine』でゲーム『サムライスピリッツ』の漫画化作品を連載。 1995年から『トライガン』を徳間書店『月刊少年キャプテン』で連載開始。同作品は1997年1月の『キャプテン』の廃刊によって中断したものの、増刊と単行本描き下ろしでひとまず完結。同年10月に掲載誌を少年画報社『ヤングキングアワーズ』に移し、『トライガン・マキシマム』として連載再開。2007年に10年に及ぶ連載を終結した。2009年には『トライガン・マキシマム』で星雲賞を受賞。 初めて買ってもらった漫画の単行本は『天才バカボン』。中学生時代に高橋留美子の『うる星やつら』、細野不二彦の『さすがの猿飛』などの洗礼を受け、中学2年生で大友克洋の『さよならにっぽん』に衝撃を受ける。大学生時代には『ドラゴンボール』で鳥山明にはまる。 好きなアニメは『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』、『機動戦士ガンダム』、『獣兵衛忍風帖』など。 相当のアメコミファンであり、スポーンのフィギュアをわざわざアメリカのトイザらスまで買い付けにいくほど熱心なコレクター。フィギュア収集としては、S.I.C.等も集めている。また海外の新進気鋭のアメコミのイラストレーター達とも親交が深く、度々パーティに招かれ、出向いている。 絵柄はアメコミから強い影響を受けており、大ゴマや見開きを使った大胆な構図と視線誘導を特徴とする。 アクションフィギュアのリボルテックに使用される「リボルバージョイント」の開発者の1人でもある。 『ヤングキングアワーズ』の同僚作家の平野耕太や六道神士とは、言わば戦友の仲。
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内藤 泰弘は、日本の漫画家。神奈川県横浜市出身。法政大学社会学部卒業。トイトライブ主宰の一人。作品に『トライガン』などがある。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 内藤 泰弘 | ふりがな = ないとう やすひろ | 画像 = Yasuhiro Nightow - Lucca Comics & Games 2015.JPG | 画像サイズ = 220px | 脚注 = <small>2015年{{仮リンク|ルッカ・コミック&ゲームズ|en|Lucca Comics & Games}}にて</small> | 本名 = | 生地 = | 国籍 = <!-- [[日本]] 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1967|4|8}} | 没年 = | ジャンル = [[青年漫画]] | 活動期間 = [[1990年]] - | 代表作 = <!-- 「代表作を挙げた出典」に基づき記載 --> | }} '''内藤 泰弘'''(ないとう やすひろ、[[ローマ字]]表記:'''Yasuhiro Nightow'''、[[1967年]][[4月8日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[神奈川県]][[横浜市]]出身。[[法政大学]][[社会学部]]卒業。トイトライブ主宰の一人。作品に『[[トライガン]]』などがある。 == 略歴 == 幼少期よりインドア派で、幼稚園ではスヌーピーのマンガを描いていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/pp/yasuhironightow|title=「S.Flight 内藤泰弘作品集」内藤泰弘インタビュー - コミックナタリー 特集・インタビュー|accessdate=令和2年9月6日|publisher=}}</ref>。 大学2年生の頃に初めて描いたストーリー漫画は「サンディと迷いの森の仲間たち(1989年5月発行)」。500部刷った後鴨葱スウィッチブレイドというサークルで同人誌即売会[[まんが ギャラリー&マーケット]]に初参加した際は持って行った100部が完売し、コミティア代表の中村公彦からも絶賛を受けている<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/column/394626|title=コミティアの歴史 {{!}} コミティア―マンガの未来のために今できること 第2回 - コミックナタリー|accessdate=令和2年9月6日|publisher=}}</ref>。大学卒業後は住宅会社にて営業職を3年あまり経験し、専業作家となる。 1990年[[ふゅーじょんぷろだくと]]『リトルボーイ』1990年夏号に同人誌「サンディと迷いの森の仲間たち」が再録される。[[1994年]]3月、[[集英社]]『[[スーパージャンプ]]』に「CALL XXXX」が掲載される。[[徳間書店]]『[[ファミリーコンピュータMagazine]]』でゲーム『[[サムライスピリッツ]]』の[[漫画化]]作品を連載。 [[1995年]]から『[[トライガン]]』を徳間書店『[[月刊少年キャプテン]]』で連載開始。同作品は[[1997年]]1月の『キャプテン』の廃刊によって中断したものの、増刊と単行本描き下ろしでひとまず完結。同年10月に掲載誌を[[少年画報社]]『[[ヤングキングアワーズ]]』に移し、『トライガン・マキシマム』として連載再開。2007年に10年に及ぶ連載を終結した。[[2009年]]には『トライガン・マキシマム』で[[星雲賞]]を受賞。 初めて買ってもらった漫画の単行本は『[[天才バカボン]]』<ref name="sqinterview">[http://jumpsq.shueisha.co.jp/contents/m_int_naito/index2.html ジャンプスクエア マンガ家 直撃インタビュー第21回 内藤泰弘先生のモノガタリ02]</ref>。中学生時代に[[高橋留美子]]の『[[うる星やつら]]』<ref name="sqinterview" />、[[細野不二彦]]の『[[さすがの猿飛]]』<ref name="sqinterview" />などの洗礼を受け、中学2年生で[[大友克洋]]の『[[大友克洋傑作集#さよならにっぽん|さよならにっぽん]]』<ref name="sqinterview" />に衝撃を受ける。大学生時代には『[[ドラゴンボール]]』で[[鳥山明]]にはまる<ref name="sqinterview" />。 好きなアニメは『[[宇宙戦艦ヤマト]]』<ref name="sqinterview" />、『[[銀河鉄道999 (アニメ)|銀河鉄道999]]』<ref name="sqinterview" />、『[[機動戦士ガンダム]]』<ref name="sqinterview" />、『[[獣兵衛忍風帖]]』<ref name="trigunblog">[http://trigun.at.webry.info/201003/article_8.html 『TRIGUN』オフィシャルブログ トライガン・TVアニメ裏話(2)]</ref>など。 相当の[[アメリカン・コミックス|アメコミ]]ファンであり、[[スポーン]]のフィギュアをわざわざアメリカの[[トイザらス]]まで買い付けにいくほど熱心なコレクター。フィギュア収集としては、[[S.I.C.]]等も集めている。また海外の新進気鋭のアメコミのイラストレーター達とも親交が深く、度々パーティに招かれ、出向いている。 絵柄はアメコミから強い影響を受けており、大ゴマや見開きを使った大胆な構図と視線誘導を特徴とする。 [[アクションフィギュア]]の[[リボルテック]]に使用される「リボルバージョイント」の開発者の1人でもある。 『ヤングキングアワーズ』の同僚作家の[[平野耕太]]や[[六道神士]]とは、言わば戦友の仲<!--単に「交遊がある」という以上の「戦友」と表現すべき根拠の例示を要請--><!--対象となる2名の記事には「内藤泰弘」との関連性は記述ナシ:2011年5月-->。 == 作品リスト == * [[トライガン]] ** トライガン・マキシマム * [[血界戦線]] ** 血界戦線 Back 2 Back ** 血界戦線 Beat 3 Peat * 双葉社 コミティア30thクロニクル・1 「サンディと迷いの森の仲間たち」を収録。 * KADOKAWA S.Flight 内藤泰弘作品集 === コミカライズ === * [[女神異聞録ペルソナ]] 楽園の扉 - アンソロジーコミック * [[サムライスピリッツ]] - ゲームのコミカライズ == キャラクターデザイン == * [[エナジーブレイカー]] * [[サムライスピリッツ]]シリーズ([[妖怪腐れ外道]]を担当) * [[ガングレイヴ]]シリーズ(原作も担当) * [[大江戸ロケット]](ゲストキャラクターデザイン<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.madhouse.co.jp/works/2007-2006/works_tv_ooedorocket.html| title = 大江戸ロケット| publisher = マッドハウス| accessdate = 2016-05-22}}</ref>) * [[カゴメ|バランス戦隊ベジレンジャー]](コスチュームデザイン<ref>[https://www.walkerplus.com/article/30523/ AKB48が謎の“戦隊コスプレ”!「バランス戦隊ベジレンジャー」に変身 - ウォーカープラス]</ref>) == イラスト == * [[ミルナの禁忌]] サウンド・ストーリー - [[白倉由美]]著の小説を音声化したCD * DT覇王ドマイナー - ジャンプJブックス刊。著者は仙波千広。 * [[LORD of VERMILION III|LORD of VERMILION IV]]([[スクウェア・エニックス]]) - ヴァン・ヘルシング(カードイラスト)<ref>[http://dengekionline.com/elem/000/001/540/1540887/ 『LoV4』9周年記念番組にて『ニーア オートマタ』や『サガ スカーレットグレイス』とのコラボ発表!]</ref> == テレビ出演 == * [[マッスル牧場classic]] - イラストレーターの近藤ゆたからと共に、SMDK(さいたま未確認動物研究会)西川口支部のメンバー役として出演。 * [[MAG・ネット]]([[NHK衛星第2テレビジョン|BS2]]、2010年6月6日、特集『トライガン』) == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == {{Commonscat|Yasuhiro Nightow}} * {{Twitter|nightow}} {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ないとう やすひろ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:法政大学出身の人物]] [[Category:横浜市出身の人物]] [[Category:1967年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:SF漫画家]]
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萩原一至
萩原 一至(はぎわら かずし、1963年4月4日 - )は、日本の漫画家、同人作家。血液型はO型。代表作は『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』等。 東京都中野区白鷺に生まれ、千葉県千葉市に転居。高校1年生を3回繰り返し(留年、退学、再入学、留年)、17歳で家出。アパートを借りてアルバイト生活。同年のひと夏、50ccバイクで北海道を半周する一人旅に出て、高校を中退。 数年後実家に戻り東京デザイナー学院デザイン科に入学、後にアニメーション科に編入。学内向けに募集されたダーティ・松本のアシスタントに応募。学校に通いながら約2年間のアシスタント修行を始める。東デ2年生の時、アニメーション科のクラスメートであった鶴田洋久、由美もりおと共に合作マンガ企画「MADE GENIUS」を始め、最初の漫画を描く。 東京デザイナー学院を卒業したのち22歳の時、『週刊少年ジャンプ』(以下、WJと表記)の募集広告を見てまつもと泉のアシスタントとなる。同じアシスタントとして本多将、岡崎武士、当時まつもと泉の担当で後に『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』(以下、BASTARD!!と表記)の初代担当として同作品に多大な影響を与える事となる高橋俊昌と出会う。この時、まつもとが倒れた週にアシスタント達だけでまるまる作画してしまったという逸話を残す。 24歳の時、アシスタントの仕事の合間をぬって『パロディーコミック プロジェクトA子 2』(1987年8月・ラポート株式会社刊)に、『プロジェクトA子』のパロディー漫画「GOOD WEATHER」(全14ページ)を執筆。『プロジェクトA子』とほぼ同時期、『週刊少年ジャンプ Summer Special』(週刊少年ジャンプ増刊、1987年)に公式的なデビュー作品となる「微熱口紅(びねつるーじゅ)」を掲載。同作は読者アンケートにて好評を博し、ジャンプ本誌で2作目の読み切りを描くことが決定する。この〆切のため直近に迫っていた『きまぐれオレンジ☆ロード』の最終回に参加する事なく、まつもと泉のスタジオを退所した。 『WJ』1987年47号に2作目の読切「WIZARD!!〜爆炎の征服者〜」発表。『週刊少年ジャンプ Winter Special』(週刊少年ジャンプ増刊、1988年・年初)に掲載された読切「VIRGIN・TYRANT(ヴァージン・タイラント)」をはさんで、『WJ』1988年14号より『BASTARD!!』の連載を開始。 左利きで、作画に非常にこだわりを持ち高いクオリティと緻密な画面を好む漫画家。スクリーントーンを多用したその作風は、1980年代から1990年なかばにかけて日本のコミック業界に影響を与え、今でも現在の角川・電撃系列のコミックにその影響を見ることが出来る。 制作にこだわるあまり、遅筆なことで知られる。1988年〜1989年の『WJ』の『BASTARD!!』の連載にて、週刊連載を経験しているが、その当時から休載することがしばしばあった。2001年以降は不定期にて『ウルトラジャンプ』(以下、UJと表記)で同作を連載しているが、そこでも未完成原稿が掲載されることが目立っている。 また商業誌で連載を持つプロの漫画家でありながら、同人作家としても活躍し、定期的に同人活動を行うことも知られている。 過去から現在を通して、描いている連載作品は『BASTARD!!』のみである。好きな漫画家は永井豪と手塚治虫と答えており、youtubeでも「三つ目がとおるの続編が同人誌で出たら欲しい」と答えている。
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萩原 一至は、日本の漫画家、同人作家。血液型はO型。代表作は『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』等。
{{存命人物の出典明記|date=2008年7月26日 (土) 01:20 (UTC)}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 萩原 一至 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{flagicon|Japan}} [[東京都]][[中野区]][[白鷺 (中野区)|白鷺]]<ref name="mangaseek" /><ref name="ILLUSTRATIONS">『BASTARD!!GUARDRESS 萩原一至 ILLUSTRATIONS』</ref> | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1963|4|4}}<ref name="mangaseek">まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、ISBN 4-8169-1760-8、293頁</ref> | 没年 = | ジャンル = [[少年漫画]] | 活動期間 = [[1987年]] - | 代表作 = 『[[BASTARD!! -暗黒の破壊神-]]』 | 受賞 = }} '''萩原 一至'''(はぎわら かずし、[[1963年]][[4月4日]] - <ref name="mangaseek">まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、ISBN 4-8169-1760-8、293頁</ref>)は、[[日本]]の[[漫画家]]、同人作家。[[ABO式血液型|血液型]]はO型<ref name="ILLUSTRATIONS" />。代表作は『[[BASTARD!! -暗黒の破壊神-]]』等。 == 来歴 == 東京都中野区白鷺に生まれ、[[千葉県]][[千葉市]]に転居。高校1年生を3回繰り返し(留年、退学、再入学、留年)、17歳で家出。アパートを借りてアルバイト生活。同年のひと夏、50cc[[オートバイ|バイク]]で北海道を半周する一人旅に出て、高校を中退。 数年後実家に戻り[[専門学校東京デザイナー学院|東京デザイナー学院]]デザイン科に入学、後にアニメーション科に編入。学内向けに募集された[[ダーティ・松本]]のアシスタントに応募。学校に通いながら約2年間のアシスタント修行を始める。東デ2年生の時、アニメーション科のクラスメートであった[[鶴田洋久]]、由美もりおと共に合作マンガ企画「MADE GENIUS」を始め、最初の漫画を描く<ref>後に未完成のまま[[1990年]]冬コミにて同人誌として頒布。</ref>。 東京デザイナー学院を卒業したのち22歳の時、『[[週刊少年ジャンプ]]』(以下、WJと表記)の募集広告を見て[[まつもと泉]]のアシスタントとなる。同じアシスタントとして[[本多将]]、[[岡崎武士]]、当時まつもと泉の担当で後に『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』(以下、BASTARD!!と表記)の初代担当として同作品に多大な影響を与える事となる[[高橋俊昌]]と出会う。この時、まつもとが倒れた週にアシスタント達だけでまるまる作画してしまったという逸話を残す<ref>『[[きまぐれオレンジ☆ロード]]』の終盤は萩原一至が描いていたという噂は、この話が一人歩きしたものと思われる。</ref>。 24歳の時、アシスタントの仕事の合間をぬって『パロディーコミック プロジェクトA子 2』([[1987年]]8月・[[ラポート]]株式会社刊)に、『[[プロジェクトA子]]』の[[パロディー]]漫画「GOOD WEATHER」(全14ページ)を執筆<ref>ほぼ完成した原稿が没となった全18ページの第一稿「見つけて壊せ!!」は同年冬コミにて同人誌『激バカとろろいも』に収録。</ref>。『プロジェクトA子』とほぼ同時期、『週刊少年ジャンプ Summer Special』([[週刊少年ジャンプの増刊号|週刊少年ジャンプ増刊]]、1987年)に公式的なデビュー作品となる「微熱口紅(びねつるーじゅ)」を掲載。同作は読者アンケートにて好評を博し、ジャンプ本誌で2作目の読み切りを描くことが決定する。この[[〆]]切のため直近に迫っていた『きまぐれオレンジ☆ロード』の最終回に参加する事なく、まつもと泉のスタジオを退所した。 『WJ』1987年47号に2作目の読切「WIZARD!!〜爆炎の征服者〜」<ref>後に『BASTARD!!』の序章としてコミックス1巻の巻頭に収録。</ref>発表。『週刊少年ジャンプ Winter Special』(週刊少年ジャンプ増刊、[[1988年]]・年初)に掲載された読切「VIRGIN・TYRANT(ヴァージン・タイラント)」をはさんで、『WJ』1988年14号より『BASTARD!!』の連載を開始。 == 活動 == [[左利き]]で、作画に非常にこだわりを持ち高いクオリティと緻密な画面を好む漫画家。[[スクリーントーン]]を多用したその作風は、1980年代から1990年なかばにかけて日本のコミック業界に影響を与え、今でも現在の角川・電撃系列のコミックにその影響を見ることが出来る。 制作にこだわるあまり、遅筆なことで知られる。1988年〜1989年の『WJ』の『BASTARD!!』の連載にて、週刊連載を経験しているが、その当時から休載することがしばしばあった。2001年以降は不定期にて『[[ウルトラジャンプ]]』(以下、UJと表記)で同作を連載しているが、そこでも未完成原稿が掲載されることが目立っている。 また商業誌で連載を持つプロの漫画家でありながら、同人作家としても活躍し、定期的に[[同人誌|同人]]活動を行うことも知られている。 過去から現在を通して、描いている連載作品は『BASTARD!!』のみである。好きな漫画家は永井豪と手塚治虫と答えており、youtubeでも「三つ目がとおるの続編が同人誌で出たら欲しい」と答えている。 == 『BASTARD!!』連載をめぐる変遷 == {{独自研究|section=1|date=2008年10月}} {{see also|BASTARD!! -暗黒の破壊神-}} ; 週刊少年ジャンプ増刊への移籍 : 1988年14号より『WJ』で連載されていた『BASTARD!!』は連載開始翌年の[[1989年]]36号にて、腰痛を理由に突然連載が中断。その翌年の[[1990年]]に、季刊(年に4回発行)の『[[週刊少年ジャンプの増刊号|週刊少年ジャンプ増刊]]』へと連載が移動され再開される。季刊は掲載ページ数がまとまっていること(60〜80ページ)や制作作業過程のスパンが長いことから、より作画のクオリティを追求する傾向となりつつも、ストーリーの展開は滞り話数が重ねられた。また連載時にラフ原稿で掲載されることはあったものの、加筆修正を施した単行本のおよそ年2冊のペースでの出版は保たれていた。それは『週刊少年ジャンプ増刊』での連載期間の1990年〜[[1996年]]、単行本9巻〜18巻が出版された約6年に亘っている。 : 1992年には「最終章」と銘打たれた「罪と罰編」がスタートした<ref>{{Cite web|和書|title=https://mobile.twitter.com/tiyu12sai/status/1489240529217146880 |url=https://mobile.twitter.com/tiyu12sai/status/1489240529217146880 |website=Twitter |accessdate=2022-02-26 |language=ja}}</ref>ものの、上記のストーリーの停滞により4年経過した1996年夏(『週刊少年ジャンプ増刊』連載最終回)時点でも「罪と罰編」の終了・作品そのものの完結ともに叶わないままだった。 ; 週刊少年ジャンプでの再連載 : [[1997年|1996年]]、[[少年誌]]のうちで発行部数のトップを独走していた『WJ』が、発行部数2位だった『[[週刊少年マガジン]]』に肉薄され翌1997年49号にて逆転。危機感を抱いた編集部は、[[テコ入れ]]のため「黄金期」と呼ばれた時代の作家陣への様々な働きかけの一つとして、『BASTARD!!』を『週刊少年ジャンプ増刊』から『WJ』に呼び戻した。当作にとっては週刊本誌である『WJ』への返り咲きともなったが、『週刊少年ジャンプ増刊』での連載は「罪と罰編」のクライマックスを前にして中断、ストーリーが途切れることとなる。<!-- 上記の佳境に入ったストーリーの中断など『WJ』への呼び戻しに至る経緯は萩原も納得しかねており、単行本18巻改訂版<ref>『BASTARD!!』は裸体描写のあった9巻は、版の改訂により表紙イラストが差し替えられている。18巻も同様であるが、内容においても書き下ろしによる加筆や、修正が行われている。</ref>でのあとがきにおける「あたしゃ気持ちの整理がつかなくって…」などという愚痴などからうかがい知ることが出来る。 出典を明記されたし --> : 再度の『BASTARD!!』の『WJ』における連載は、週刊誌上でありながら「月イチ連載」と称して4週に一度のペースで24〜30ページ掲載、という異例の措置が取られた。また掲載誌移動にあたっては作中での時間が「罪と罰編」から4年経過した「背徳の掟編」を新規にスタートするという形となり、上記の“「罪と罰編」が最終章”という予告は撤回に至った。『WJ』で再開された連載は当初、「背徳の掟編」に2、3回で区切りをつけた後「罪と罰編」の続きに戻ることが予定されていた。しかし<!-- 、季刊の連載にて『BASTARD!!』は作画のクオリティが向上されており、それは実質月刊の制作ペースであっても保つのが難しかったことが覗える事態となる。出典を明記されたし -->連載2回目にして8ページ(すべて見開きの作画)が未完成の原稿で掲載される。その後もストーリーの展開は間延びを見せ始め、作画も未完成の原稿で埋められる号が続くなど破綻をきたす事となる。 : 最終的に月刊ペースの連載を維持することさえ困難となり、『WJ』での連載ラスト3回は1999年30号→約3ヶ月後の同年41号→約11ヶ月後の翌[[2000年]]36・37合併号と不定期掲載に移行<ref>{{Cite web|和書|title=『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』少年ジャンプ掲載データ |url=https://www.jajanken.net/sakuhins/Ym78R4Awax/ |website=www.jajanken.net |accessdate=2022-02-26 |language=ja}}</ref>。『WJ』での連載期間は約3年の長きにわたるが「背徳の掟編」終了・「罪と罰編」への復帰はいずれも実現せず、「背徳の掟編」中途で『WJ』誌上から去ることとなった。単行本では19巻から22巻途中までの収録分に相当する。 : また同時期に萩原は、自身の公式サイトの質問[[電子掲示板|掲示板]]において読者から休載の多さについて指摘された際、別名義のハンドルネームを用いて別人を装い反論。口論となった上、本人ということが発覚し、萩原は一切掲示板上から姿を消す、といった事件も起こっている。単行本のあとがきでは「ネット上でマジギレしてました(笑)」と説明されていた。 ; ウルトラジャンプでの連載 : [[2001年]]、『UJ』での連載再開のニュースとともに『[[BASTARD!! -暗黒の破壊神-#完全版|BASTARD!! -暗黒の破壊神- 完全版]]』(以下、完全版と表記)の刊行が告知された。しかし、『UJ』での連載は休載が連続し、鉛筆描きのままの原稿がそのまま掲載される事が続くなど、最も不安定なものとなる。また『完全版』の2巻より[[コンピューター]]を導入してのデジタル作画へと移行。同巻は大幅な加筆・修正(ほぼ全面描き直し)がなされている。<br> : しかし、作画環境の大幅な変化は更なる作品制作の遅延をもたらすこととなってしまい、2010年6月号を最後に『UJ』での掲載は途絶えている。長い執筆活動による不摂生な生活が祟って[[糖尿病]]になり、執筆する事が困難になっているという説もある。 == 作品リスト == === 漫画 === * 微熱口紅 * VIRGIN TYRANT * [[爆炎CAMPUSガードレス]](原作) * [[BASTARD!! -暗黒の破壊神-]] === 画集 === * BASTARD!!GUARDRESS 萩原一至 ILLUSTRATIONS(1995年) : 『BASTARD!!』関連のイラストレーションと、作品の設定集や、長期連載以前に書かれた読切2作品が収録されている。 * 萩原一至第二画集 裸2(2011年) : とらのあな専売による同人画集。『BASTARD!!』関連、ゲーム用イラスト等が収録されている。なお、「裸」の読みは「ヌード」。 === キャラクターデザイン === *[[アンチェインブレイズ レクス]](クリューネア) *[[ファイナルファンタジーXI]]拡張データディスク『アドゥリンの魔境』(風水士、魔法剣士) *[[LORD of VERMILION]] III(ハデス) *[[大戦乱!!三国志バトル]](王桃、関索、鮑三娘) *[[エンドライド]](キャラクター原案) == 関連人物 == === 師匠 === * [[ダーティ・松本]]<ref> ダーティのアシスタントをした時の背景画を『背景画の進化の過程』としてダーティ・松本のサークルであるDCプロジェクトの同人誌『FUCK OFF!3』に収録した際に、自ら当時のエピソード(パースが下手、汚しのテクニックがイマイチなどの)をコメントとして書き込んだ。マンガの背景画の資料としてかなり貴重な記録である。また『バスタード』の初期の冒頭のコマ外に書いた「竜騎兵さん」という名前は、ダーティも参加した『[[レモンピープル]]』に印象的な竜の漫画を書いた竜騎兵氏で、萩原の描く竜にその影響が伺える。</ref> * [[まつもと泉]]<ref name="mangaseek" /> === アシスタント === * [[いのうえたくや]]<ref>『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』13巻</ref> * [[山根和俊]]<ref>『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』15巻</ref> * [[小林瑞代]]<ref>『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』19巻</ref> * [[森小太郎]]<ref>『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』21巻</ref> * [[小林拓己]] === その他 === * [[あかほりさとる]](爆炎CAMPUSガードレス・共同原作者) == その他 == * 週刊誌 [[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]] 2015年12月22日号の「お色気マンガベスト10」に『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』がランクインし、コメントした。当時は連載が中断中で、今後の抱負についても述べた。 * 以前は[[淡路島]]にあった[[断食療法|断食道場]]([[五色県民健康村健康道場]]?)へ仕事の合間を見つけては通い滞在しており、BASTARD!!の単行本には時々、この断食道場でのエピソードがエッセイ漫画の形態で掲載されていた。[[久我山リカコ]]はこの断食道場で萩原と出会ったことがきっかけとなり、漫画家となった。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://hagipageshop.stores.jp/ SHOPPAGE] - 本人公認のオンラインショップ。読みは「ショップページ」ではなく「ショッパゲ」。 * {{Twitter|v007hag}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はきわら かすし}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:同人作家]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:1963年生]] [[Category:存命人物]]
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舞井武依
舞井 武依(ぶい ぶい、4月29日 - )は、日本の漫画家。代表作に『魔王の子供達』、『怪獣王女』など。 SF、ファンタジー、ホラーを自己流に換骨奪胎し、意表を突くギミック、ディテールに富んだ世界観、テンションの高いラブコメなどを4ページ程度の狭い誌面に詰め込むスタイルで人気を博す。 『ペンギンクラブ』や『漫画ホットミルク』といった成人向け漫画雑誌の巻末に黒・赤2色刷り4ページで連載されることが多かった。当初はオマケ的存在だったが、オリジナリティの高い作品にファンが付き、巻末が舞井武依の定位置となった。 1回を4ページに収める必要があるため必然的に作品は高密度になり、物語もハイペースで進む。細かくオチを付けたり、登場人物が割とすぐに極端な行動に走りやすいといったスタイルも、4ページ漫画という環境が育んだと言える。 背景として凝った世界設定を行なっている事が窺えるが、それを説明するような誌面の余裕が無いため、本編は物語に集中している。しかし、これは作品としてはむしろ望ましいバランスと言える。単行本には設定の解説を収録しているものがある。 デビュー当時は極めて健全な作風だったが、発表媒体の影響か、または読者層への配慮か、次第にきわどいネタが出てくるようになる。基本的に冗談の範囲内ではあるが、人造人間ゾンビーナの博士が口走る奇言に至っては成年向けフィクションに慣れ親しんだ読者以外には理解が困難かも知れない。 あかほりさとるが舞井作品のファンだったことから、1997年に二人の共同企画という形でラジオドラマ『超々学園アカデミニャン』が放送された。 一つの作品が複数の単行本に分散して収録されている場合があるため、注意が必要。
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舞井 武依は、日本の漫画家。代表作に『魔王の子供達』、『怪獣王女』など。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 舞井 武依<br/>(ぶい ぶい) | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{JPN}} | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = [[4月29日]] | 没年 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1973年]] - | ジャンル = [[ギャグ漫画|ギャグ]]、[[少女漫画|少女]] | 代表作 = 『[[魔王の子供達]]』 | 受賞 = | サイン = | 公式サイト = <!-- 公式ホームページのURLと名称を記入。 --> }} '''舞井 武依'''(ぶい ぶい、[[4月29日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。代表作に『[[魔王の子供達]]』、『怪獣王女』など。 == 概要 == [[サイエンス・フィクション|SF]]、[[ファンタジー]]、[[ホラー漫画|ホラー]]を自己流に換骨奪胎し、意表を突くギミック、ディテールに富んだ世界観、テンションの高い[[ラブコメ]]などを4ページ程度の狭い誌面に詰め込むスタイルで人気を博す。 『[[ペンギンクラブ]]』や『[[漫画ホットミルク]]』といった[[成人向け漫画]]雑誌の巻末に黒・赤2色刷り4ページで連載されることが多かった。<!--これは当時主流の中綴じ雑誌において巻頭カラーに続いて2色刷りを4ページ与える慣習があり、中綴じの構造上、自動的に巻末にも2色刷りが4ページ発生することに起因する。-->当初はオマケ的存在だったが、オリジナリティの高い作品にファンが付き、巻末が舞井武依の定位置となった。 1回を4ページに収める必要があるため必然的に作品は高密度になり、物語もハイペースで進む。細かくオチを付けたり、登場人物が割とすぐに極端な行動に走りやすいといったスタイルも、4ページ漫画という環境が育んだと言える。 背景として凝った世界設定を行なっている事が窺えるが、それを説明するような誌面の余裕が無いため、本編は物語に集中している。しかし、これは作品としてはむしろ望ましいバランスと言える。単行本には設定の解説を収録しているものがある。 デビュー当時は極めて健全な作風だったが、発表媒体の影響か、または読者層への配慮か、次第にきわどいネタが出てくるようになる。基本的に冗談の範囲内ではあるが、人造人間ゾンビーナの博士が口走る奇言に至っては成年向けフィクションに慣れ親しんだ読者以外には理解が困難かも知れない。 [[あかほりさとる]]が舞井作品のファンだったことから、1997年に二人の共同企画という形でラジオドラマ『超々学園アカデミニャン』が放送された。 == 作品リスト == * [[魔王の子供達]] * THE U スピリット * 魔法少女大作戦! * 怪獣王女 * 人造人間ゾンビーナ * 超々学園アカデミニャン * 超伝説民族コロボックルズ * 子虎怪獣大戦争 == 単行本 == 一つの作品が複数の単行本に分散して収録されている場合があるため、注意が必要。 <!--なるべく分かる範囲での実際の発売日を記載しています。もしいわゆる巻末に記載されている発行日の方で統一したいというご意見がありましたら、ノートで合意を形成の上、まとめて変更しましょう。--> {| |-align=left !単行本名!!出版社!!発売日!!ISBN!!収録内容(表題作は除く) |- |魔王の子供達||[[大洋図書]]||1990-11||ISBN 4-88672-528-7|| |- |魔王の子供達の逆襲||[[辰巳出版]]||1991-01||ISBN || |- |魔王の子供達PLUS||辰巳出版||1991-09||ISBN || |- |怪獣王女||[[白夜書房]]||1993-10||ISBN 4-89367-362-9||THE U スピリット #1-11、魔法少女大作戦! #1-11、表題作は描き下ろし16ページのみ |- |魔王の子供達ヴィクトリー||辰巳出版||1994-05||ISBN 4-88641-107-X||途中からまくします編 |- |真・怪獣王女||白夜書房||1995-07||ISBN 4-89367-481-1|| |- |超々学園アカデミニャン||白夜書房||1997-04||ISBN 4-89367-529-X||人造人間ゾンビーナ #1-20 |- |魔王の子供達COMPLETE||白夜書房||1998-05||ISBN 4-89367-560-5||既刊の再録、カラー復活 |- |nowrap|魔王の子供達<small>ザ・ネクスト・ミレニアム</small>||nowrap|[[コアマガジン]]||nowrap|1999-07||nowrap|ISBN 4-87734-279-6||超伝説民族コロボックルズ #1-6、人造人間ゾンビーナ #21-26、子虎怪獣大戦争 #1-5 |- |怪獣王女Chronicle||コアマガジン||2002-02||ISBN 4-87734-497-7|| |} == 関連項目 == * [[日本の漫画家一覧]] == 外部リンク == * {{Wayback|url=http://www.h7.dion.ne.jp/~rodimus/ |title=V2AVOBE&BEYOND |date=20030905215404}} - 本人のページ。 * [https://ameblo.jp/rodimus2o1o エイジア州HQ] - ブログ。 {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:ふい ふい}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:存命人物]]
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幻超二
幻超二(まぼろしちょうじ、1969年3月16日 - )は、日本の漫画家。岡山県出身。代表作に『ゴルゴーン』、『辺境自警隊』などがある。 陰影のはっきりした画風が特色。東京アニメーター学院時代に電光石火轟に学ぶ。1990年代からサルコイドーシスという難病に罹り、網膜剥離により片目はほぼ失明状態になって作品の発表はごく少なくなっている。同人誌活動が主体であるが、作品水準は極めて高いと評価される。2006年冬コミのペーパーでコミケ参加休止を宣言している。 山本弘によるソードワールド小説『サーラの冒険』シリーズ本編では挿絵を担当した。
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幻超二は、日本の漫画家。岡山県出身。代表作に『ゴルゴーン』、『辺境自警隊』などがある。 陰影のはっきりした画風が特色。東京アニメーター学院時代に電光石火轟に学ぶ。1990年代からサルコイドーシスという難病に罹り、網膜剥離により片目はほぼ失明状態になって作品の発表はごく少なくなっている。同人誌活動が主体であるが、作品水準は極めて高いと評価される。2006年冬コミのペーパーでコミケ参加休止を宣言している。 山本弘によるソードワールド小説『サーラの冒険』シリーズ本編では挿絵を担当した。
'''幻超二'''(まぼろしちょうじ、[[1969年]][[3月16日]]<ref name="名前なし-1">http://genchoulist.web.fc2.com/frame/gen-profile.html</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[岡山県]]出身<ref name="名前なし-1"/>。代表作に『[[ゴルゴーン (漫画)|ゴルゴーン]]』、『[[辺境自警隊]]』などがある。 陰影のはっきりした画風が特色。[[東京アニメーター学院]]時代に[[電光石火轟]]に学ぶ。1990年代から[[サルコイドーシス]]という難病に罹り、[[網膜剥離]]により片目はほぼ失明状態になって作品の発表はごく少なくなっている。同人誌活動が主体であるが、作品水準は極めて高いと評価される。2006年冬コミのペーパーでコミケ参加休止を宣言している。 [[山本弘 (作家)|山本弘]]による[[ソード・ワールドRPG|ソードワールド]]小説『サーラの冒険』シリーズ本編では挿絵を担当した。 == 作品 == * [[ゴルゴーン (漫画)|ゴルゴーン]] * [[辺境自警隊]] * 試考錯誤(初期の作品を集めた短編集) * [[大唐騎士]] * [[NARCIS3]] * [[D-1 DEVASTATOR]](アニメ、ゲーム) - キャラクターデザインを担当 == 脚注 == {{reflist}} == 外部リンク == * [http://genchoulist.web.fc2.com/gencholist2-2.html F4E 別館] - 詳しいプロフィールや作品一覧などがある。 {{Normdaten}} {{デフォルトソート:まほろしちようし}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:岡山県出身の人物]] [[Category:1969年生]] [[Category:存命人物]]
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美衣暁
美衣 暁(みい あきら、1963年4月26日 -)は、日本の男性漫画家。三重県津市出身。三重高田高校出身。主に成人向けのストーリー漫画など執筆していた。 高校入学後、美術部に入部した後に漫画同好会を設立し初代会長となったとのこと。高校卒業後、上京し東京デザイナー学院に入学したが中退した。その後アシスタントやデザイナーなどの仕事を経て、一般向けの雑誌では佐江明名義にて秋田書店のヤングチャンピオンなどで執筆していた。成人向けでは美衣暁名義にてメディアックスやフランス書院、久保書店などの各成人向け雑誌にて2000年頃まで作品を発表していた。その後しばらくは同人活動を行っていたが、現在は本人HPのプロフィールや日記などによると三重県の実家に戻り療養中で、漫画の執筆活動は行っていないとの事。 代表作である『LUNATIC NIGHT』は1996年~1997年頃ビデオアニメ化(計3作)された。
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美衣 暁は、日本の男性漫画家。三重県津市出身。三重高田高校出身。主に成人向けのストーリー漫画など執筆していた。
{{Infobox 漫画家 |名前 = 美衣 暁(みい あきら) |画像 = |画像サイズ = |脚注 = |本名 = |生年 = {{生年月日と年齢|1963|4|26}} |生地 = {{JPN}}[[三重県]] |没年 = |没地 = |血液型 = |国籍 = [[日本]] |職業 = [[漫画家]] |活動期間 = [[1988年]]頃 - |ジャンル = [[成人向け漫画]] |代表作 = [[LUNATIC NIGHT]]<br>夢幻境館<br>封印都市(佐江明名義) |受賞 = |サイン = |公式サイト = }} '''美衣 暁'''(みい あきら、[[1963年]][[4月26日]] -)は、[[日本]]の[[男性]][[漫画家]]。[[三重県]][[津市]]出身。三重[[高田中学校・高等学校|高田高校]]出身。主に成人向けの[[ストーリー漫画]]など執筆していた。 == 概要 == 高校入学後、美術部に入部した後に漫画同好会を設立し初代会長となったとのこと<ref>出身校である高田高校のHPによると現在は漫画アニメ部として正式な部となっている。</ref>。高校卒業後、上京し[[東京デザイナー学院]]に入学したが中退した。その後[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]や[[デザイナー]]などの仕事を経て、一般向けの雑誌では'''佐江明'''名義にて[[秋田書店]]の[[ヤングチャンピオン]]などで執筆していた。成人向けでは'''美衣暁'''名義にて[[メディアックス]]や[[フランス書院]]、[[久保書店]]などの各成人向け雑誌にて2000年頃まで作品を発表していた。その後しばらくは[[同人]]活動を行っていたが、現在は本人HPのプロフィールや日記などによると三重県の実家に戻り療養中で、漫画の執筆活動は行っていないとの事。 代表作である『[[LUNATIC NIGHT]]』は[[1996年]]~[[1997年]]頃ビデオアニメ化(計3作)された。 == 主な作品 == === 一般向け作品リスト === * 封印都市([[秋田書店]])※[[佐江明]]名義 ISBN 9784253144131(1989年8月) * 夢幻境館([[ホビージャパン]])全2巻 # ISBN 9784894250864(1995年10月) # ISBN 9784894251441(1996年12月) === 成人向け作品リスト === <!-- 初巻発売時期の順でソートしています --> * NO STEP([[久保書店]])全1巻 ISBN 9784765902472(1989年3月) * ナイトメア([[白夜書房]])全1巻 ※新装版として[[茜新社]]よりタイトル『NIGHTMARE』にて発行 # ISBN 9784893671493(1989年8月) 新装版 ISBN 9784871821162(1994年9月) * 言霊([[日本出版社]])全1巻 ※同名にて新装版が茜新社より発行 # ISBN 9784890482627(1990年7月) 新装版 ISBN 9784871822411(1996年12月) * ハイスクールランダー(久保書店)全1巻 ISBN 9784765902939(1991年1月) * 黒翼の天使([[富士美出版]])全1巻 ※新装版としてフランス書院よりタイトル『ゆうわく光線ドキッ!』にて発行 # <!-- ISBNコード不明 -->(1991年4月) 新装版 ISBN 9784829672341(1992年8月) * 木霊戦士伝(久保書店)全1巻 ISBN 9784765903370 (1992年7月) * [[LUNATIC NIGHT]]([[メディアックス]])全3巻 # ISBN 9784896132021(1992年11月) # ISBN 9784896132137(1993年6月) # ISBN 9784896132281(1994年3月) * リリス(日本出版社)全1巻 ※同名にて新装版が茜新社より発行 # ISBN 9784890482894(1993年2月) 新装版 ISBN 9784871822695(1997年6月) * ANECDOTE(メディアックス)全1巻 ISBN 9784896132465 (1995年1月) * プリアプスの檻([[オークラ出版]])全1巻 ISBN 9784756720368(2000年1月) * 閉ざされた扉([[蒼竜社]])全1巻 ISBN 9784883861347(2000年6月) === 小説挿絵担当作品など === * 俺はオンナだ!?([[フランス書院]])原作:山際遥 * その夢はミステリー(フランス書院)原作:紅くりす == 出典・注釈 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://www.ztv.ne.jp/mii/ AKA暁TUKI] - 公式ページ * {{Twitter|miiakira2017}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:みい あきら}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:三重県出身の人物]] [[Category:1963年生]] [[Category:存命人物]]
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三浦建太郎
三浦 建太郎(みうら けんたろう、1966年〈昭和41年〉7月11日 - 2021年〈令和3年〉5月6日)は、日本の漫画家。千葉県出身、日本大学藝術学部美術学科卒。代表作はダーク・ファンタジー作品『ベルセルク』。本名は非公表。 日芸入学後、第34回少年マガジン新人漫画賞入選作となった『再び』(『週刊少年マガジン』1985年8月21日号/第36号掲載)、及び『NOA』(『フレッシュマガジン』1985年第3号掲載)で商業誌デビューを果たした。 漫画家の森恒二、技来静也は高校の同級生であり、森とは高校時代に合作で漫画を描いており、『週刊少年サンデー』の最終選考に残ったことがあるという。技来は高校では漫画を描いてなかったため当時はあまり交流は無かったが、大学の学園祭をきっかけに親しくなり初期の三浦のアシスタントを務めた。 1984年、漫画家の森川ジョージのもとに臨時のアシスタントとして入るも、持参していた『ベルセルク』のアイディアスケッチを見た森川は既に自分以上の実力を備え三浦自身の作品を作るべきと判断し、1日で帰らされている。森川の作品『一矢NOW』第1話で描かれている学校はこの時の三浦の手によるものである。 1988年、大学在学中にプロトタイプの短編『ベルセルク』を『コミコミ』11月号に投稿し(単行本14巻に収録)、翌年の卒業後に本格的に漫画家として活動を始めた。『月刊アニマルハウス』(『ヤングアニマル』の前身)で武論尊原作の『王狼』『王狼伝』『ジャパン』を、並行して『ベルセルク』を連載開始した。1992年以降は『ベルセルク』を『ヤングアニマル』で不定期に連載していたが、完結の見通しは立っておらず、自身でも「死ぬまでに頭の中の全てを出せるのか」と語っていた。2021年に技来静也と対談した際には「これから畳もうかな」と、ストーリーが終盤に差し掛かっていることを示唆した発言をしていた。 2021年5月6日、急性大動脈解離のため死去。54歳没。訃報は同月20日に白泉社公式サイトで公表された。 未完となった『ベルセルク』は2022年6月24日発売のヤングアニマル13号から、三浦の親友で生前に最終回までの展開を聞かされていた森恒二が監修を行い、弟子が所属するスタジオ我画の手により連載が再開された。 両親は共にデザイナーであり、高校時代から漫画を描き続けていた三浦に対して理解を示していた。 音楽家の平沢進の熱狂的なファンで、執筆中には必ず聴いていたとのこと。これがきっかけでアニメ及びゲーム版『ベルセルク』の音楽は平沢が担当している(劇場版は主題歌のみ担当)。平沢は三浦と親交の深いミュージシャンである。平沢は三浦が亡くなった当日、自身の公式ホームページ「三浦建太郎先生の訃報に接して」と追悼文を届けた。 学生時代、柔道を始めたばかりで初段の相手を吹っ飛ばしたというほど腰が強かった。 永井豪の『バイオレンスジャック』や武論尊(原作)、原哲夫(作画)の『北斗の拳』、特に栗本薫の大河小説『グイン・サーガ』のファンであり、栗本薫追悼コメントでは「最後の恐竜」という題で画一的な"細身・聖剣 / 魔剣・空中戦"といった美少女ファンタジーが溢れていることに時代的な観点と日本の特性から理解を示しつつも、過去のものとされつつあるグイン・サーガに見られるような「重力と距離」を簡単に手放したくないとし、「グイン・サーガを血肉に育った者の一人として、八〇年代発の数少ない現存のファンタジー作品「ベルセルク」を描ききりたい」と公言していた。 他にも少年時代から少女漫画を愛読しており、『ベルセルク』に影響を及ぼしていると発言していた(藤本由香里『少女まんが魂』での対談より)。 『スター・ウォーズ』からも多大な影響を受けていた。高校の時に映画館で『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』の予告編が流れた際に、前の席で騒いでいた観客を叱責したことがあったが、温厚な三浦が怒ったのを森恒二が見たのは後にも先にもその一度きりだったという エロゲーマーであることを自認しており、尚且つ『真・恋姫†無双 〜乙女繚乱☆三国志演義〜』にはまっていた(巻末コメントより)。 ニコニコ動画のヘビーユーザーであると『ヤングアニマル』誌の巻末コメントに寄せていた。それを知った株式会社インターネットは、同サービスの時報を利用して自社商品のVOCALOIDソフト『がくっぽいど』のパッケージイラストの依頼をかけた。三浦はこれに応えて同製品のイメージキャラクター「神威がくぽ」を無償でデザインした。 シミュレーションゲーム『THE IDOLM@STER』のファンで、好きなキャラは如月千早。休載の際にXbox 360を購入した。 緻密な画風のためアシスタントには高い画力、集中力が要求されていた。尚、アシスタントで現在『ヤングアニマル』で執筆中の技来静也は高校の同級生であった。
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三浦 建太郎は、日本の漫画家。千葉県出身、日本大学藝術学部美術学科卒。代表作はダーク・ファンタジー作品『ベルセルク』。本名は非公表。
{{Infobox 漫画家 |名前 = 三浦 建太郎 |画像 = |画像サイズ = |脚注 = |本名 = |生年 = [[1966年]][[7月11日]] |生地 = {{JPN}}・[[千葉県]] |没年 = {{死亡年月日と没年齢|1966|7|11|2021|5|6}} |没地 = |国籍 = {{JPN}} |職業 = |活動期間 = [[1985年]] - [[2021年]] |ジャンル = [[青年漫画]] |代表作 = 『[[ベルセルク (漫画)|ベルセルク]]』 |受賞 = 第34回:少年マガジン新人漫画賞(『再び』)<br />第6回:[[手塚治虫文化賞]]マンガ優秀賞(『ベルセルク』) |サイン = |公式サイト = }} '''三浦 建太郎'''(みうら けんたろう、[[1966年]]〈[[昭和]]41年〉[[7月11日]] - [[2021年]]〈[[令和]]3年〉[[5月6日]])は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[千葉県]]出身、[[日本大学芸術学部・大学院芸術学研究科|日本大学藝術学部]][[美術科 (学科)|美術学科]]卒。代表作は[[ダーク・ファンタジー]]作品『[[ベルセルク (漫画)|ベルセルク]]』。本名は非公表。 == 略歴 == 日芸入学後、第34回少年マガジン新人漫画賞入選作となった『再び』(『[[週刊少年マガジン]]』1985年8月21日号/第36号掲載)、及び『NOA』(『フレッシュマガジン』1985年第3号掲載)で商業誌デビューを果たした。 漫画家の[[森恒二]]、[[技来静也]]は高校の同級生であり、森とは高校時代に合作で漫画を描いており、『[[週刊少年サンデー]]』の最終選考に残ったことがあるという<ref>[https://natalie.mu/comic/pp/berserk02/page/2 「ベルセルク」特集 三浦建太郎×鳥嶋和彦対談 森恒二とマンガを磨いた高校時代(三浦)] [[コミックナタリー]](2016年7月)</ref><ref name="chikara">{{Cite web|和書|url=http://manganohi.com/interview/11/4979.html |title=まんがのチカラ『森恒二先生』その1 - まんが☆天国 |accessdate=2012年1月31日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090907103608/http://manganohi.com/interview/11/4979.html |archivedate=2009年9月7日}}</ref>。技来は高校では漫画を描いてなかったため当時はあまり交流は無かったが、大学の学園祭をきっかけに親しくなり初期の三浦のアシスタントを務めた<ref>[https://mantan-web.jp/article/20210406dog00m200068000c.html 技来静也×三浦建太郎:高校の同級生「セスタス」「ベルセルク」作者が対談 高校時代、デビュー当時、マンガへの思い] [[まんたんウェブ]](2021年4月)</ref>。 1984年、漫画家の[[森川ジョージ]]のもとに臨時のアシスタントとして入るも、持参していた『ベルセルク』のアイディアスケッチを見た森川は既に自分以上の実力を備え三浦自身の作品を作るべきと判断し、1日で帰らされている<ref>[https://web.archive.org/web/20220819152012/http://www.moae.jp/comic/howtobeamangaartist/18 漫画家になるための戦略教室/門倉紫麻 【11限目】 特別インタビュー「僕が“森川ジョージ”になるためにやってきたこと」(4/4)] - 2016年10月11日モーニング・アフタヌーン・イブニング合同Webコミックサイト モアイ(アーカイブ)</ref><ref>[https://twitter.com/WANPOWANWAN/status/1395221303401934852 森川ジョージ公式ツイッターより 三浦健太郎追悼コメント1]</ref><ref>[https://twitter.com/WANPOWANWAN/status/1395239580937252868 森川ジョージ公式ツイッターより 三浦健太郎追悼コメント2]</ref>。森川の作品『一矢NOW』第1話で描かれている学校はこの時の三浦の手によるものである<ref name="YamadaYouTube20221001">{{YouTube|qz6jHlen1Gg|【中編】森川ジョージのアシスタントをした若き日の三浦建太郎が天才すぎる…【山田玲司/切り抜き】}} - 2022年10月1日 [[山田玲司]]公式YouTubeチャンネル 2023年8月29日閲覧。動画の3:36から森川ジョージによる証言がある。 </ref>。 1988年、大学在学中にプロトタイプの短編『ベルセルク』を『コミコミ』11月号に投稿し(単行本14巻に収録)、翌年の卒業後に本格的に漫画家として活動を始めた。『月刊アニマルハウス』(『ヤングアニマル』の前身)で[[武論尊]]原作の『[[王狼伝|王狼]]』『[[王狼伝]]』『ジャパン』を、並行して『ベルセルク』を連載開始した。1992年以降は『ベルセルク』を『ヤングアニマル』で不定期に連載していたが、完結の見通しは立っておらず、自身でも「死ぬまでに頭の中の全てを出せるのか」と語っていた<ref>ヤングアニマル1999年12号</ref>。2021年に技来静也と対談した際には「これから畳もうかな」と、ストーリーが終盤に差し掛かっていることを示唆した発言をしていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1618282886&p=2 |title=『セスタス』技来静也先生×『ベルセルク』三浦建太郎先生 同級生対談|ロングラン作品を描く二人、両作品の気になるラストのイメージとは |publisher=アニメイトタイムズ |date=2021-04-14 |accessdate=2021-05-20}}</ref>。 [[2021年]][[5月6日]]、[[大動脈解離|急性大動脈解離]]のため死去<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2193995/full/ |title=漫画家・三浦建太郎さんが死去 54歳 『ベルセルク』『ドゥルアンキ』など |website=ORICON NEWS |publisher=oricon ME |date=2021-05-20 |accessdate=2021-05-20}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/428955|title=「ベルセルク」三浦建太郎が急性大動脈解離で死去、54歳|website=コミックナタリー |publisher=ナターシャ |date=2021-05-20|accessdate=2021-05-20}}</ref>。{{没年齢|1966|7|11|2021|5|6}}。訃報は同月20日に[[白泉社]]公式サイトで公表された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/information/60696/ |title=訃報 三浦建太郎先生が逝去されました |website=白泉社 |date=2021-05-20 |accessdate=2021-05-20}}</ref>。 未完となった『ベルセルク』は2022年6月24日発売のヤングアニマル13号から、三浦の親友で生前に最終回までの展開を聞かされていた森恒二が監修を行い、弟子が所属するスタジオ我画の手により連載が再開された<ref>{{Cite web|和書|title=https://twitter.com/younganimalhaku/status/1534022339595321344/photo/2 |url=https://twitter.com/younganimalhaku/status/1534022339595321344/photo/2 |website=Twitter |access-date=2022-06-07 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2237630/full/|title=『ベルセルク』24日発売号より連載再開へ 構想メモなど見つかり親友の森恒二氏が監修|website=ORICON NEWS|publisher=ORICON|date=2022-06-07|accessdate=2022-06-07}}</ref>。 == 人物 == 両親は共にデザイナーであり、高校時代から漫画を描き続けていた三浦に対して理解を示していた<ref name="chikara" />。 音楽家の[[平沢進]]の熱狂的なファンで、執筆中には必ず聴いていたとのこと。これがきっかけでアニメ及びゲーム版『ベルセルク』の音楽は平沢が担当している(劇場版は主題歌のみ担当)。平沢は三浦と親交の深いミュージシャンである<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/444267|title=「大ベルセルク展」開催直前、三浦建太郎と親交の深かった平沢進のメッセージ動画公開|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-09-08|accessdate=2021-09-08}}</ref>。平沢は三浦が亡くなった当日、自身の公式ホームページ「三浦建太郎先生の訃報に接して」と追悼文を届けた<ref>{{Cite web|和書|title=三浦建太郎先生の訃報に接して – 平沢進・公式サイト|information|url=https://susumuhirasawa.com/information/archives/1431|website=susumuhirasawa.com|accessdate=2021-11-27}}</ref>。 学生時代、柔道を始めたばかりで初段の相手を吹っ飛ばしたというほど腰が強かった。 [[永井豪]]の『[[バイオレンスジャック]]』や[[武論尊]](原作)、[[原哲夫]](作画)の『[[北斗の拳]]』、特に[[栗本薫]]の大河小説『[[グイン・サーガ]]』のファンであり、栗本薫追悼コメントでは「最後の恐竜」という題で画一的な"細身・聖剣 / 魔剣・空中戦"といった美少女ファンタジーが溢れていることに時代的な観点と日本の特性から理解を示しつつも、過去のものとされつつあるグイン・サーガに見られるような「重力と距離」を簡単に手放したくないとし、「グイン・サーガを血肉に育った者の一人として、八〇年代発の数少ない現存のファンタジー作品「ベルセルク」を描ききりたい」と公言していた。 他にも少年時代から[[少女漫画]]を愛読しており、『ベルセルク』に影響を及ぼしていると発言していた([[藤本由香里]]『少女まんが魂』での対談より)。 『[[スター・ウォーズ]]』からも多大な影響を受けていた<ref>{{Cite news|title=『ベルセルク』三浦建太郎が受けた『スター・ウォーズ』の衝撃!<1> {{!}} ダ・ヴィンチニュース|url=https://ddnavi.com/news/276358/a/|accessdate=2018-06-07|language=ja|work=ダ・ヴィンチニュース}}</ref>。高校の時に映画館で『[[スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還]]』の予告編が流れた際に、前の席で騒いでいた観客を叱責したことがあったが、温厚な三浦が怒ったのを[[森恒二]]が見たのは後にも先にもその一度きりだったという [[アダルトゲーム|エロゲーマー]]であることを自認しており、尚且つ『[[真・恋姫†無双 〜乙女繚乱☆三国志演義〜]]』にはまっていた(巻末コメントより)。 [[ニコニコ動画]]のヘビーユーザーであると『ヤングアニマル』誌の巻末コメントに寄せていた。それを知った[[インターネット (企業)|株式会社インターネット]]は、同サービスの時報を利用して自社商品の[[VOCALOID]]ソフト『[[がくっぽいど]]』のパッケージイラストの依頼をかけた。三浦はこれに応えて同製品のイメージキャラクター「神威がくぽ」を無償でデザインした。 シミュレーションゲーム『[[THE IDOLM@STER]]』のファンで、好きなキャラは[[如月千早]]。休載の際に[[Xbox 360]]を購入した。 == アシスタント == 緻密な画風のため[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]には高い画力、集中力が要求されていた。尚、アシスタントで現在『[[ヤングアニマル]]』で執筆中の[[技来静也]]は高校の同級生であった<ref name="chikara" />。 == 作品 == * [[ベルセルク (漫画)|ベルセルク]] - 2002年:第6回[[手塚治虫文化賞]]マンガ優秀賞 * [[王狼]] * [[王狼伝]] * ジャパン * ギガントマキア * ガーディアン・オブ・チルドレン キモ☆タクくん ヤングアニマル2010年6月25日号掲載 * ドゥルアンキ - 原作・プロデュース担当。 == 注釈 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[武論尊]] - 過去『王狼』『王狼伝』『ジャパン』の原作で三浦とコンビを組んでおり、「三浦の絵は[[原哲夫]]([[北斗の拳]])と同じくマッチョ系」という共通性を認める内容のコメントを出している。 * [[グイン・サーガ]] - 作家・[[栗本薫]]の大長編ファンタジー小説。三浦が熱心なファンであることを公言。また、「グイン・サーガ・ワールド 8」({{ISBN2|978-4-15-031114-8}})の表紙画を描いている。 * [[羽海野チカ]] - オールモノクロ版「異世界の童話33・ベルセルク」カバーイラスト(絵と文 三浦建太郎)白泉社。 * [[3月のライオン]] - 2巻 特製カバー、カバーイラスト。テレビアニメ第1話、第23話エンドカード。また、登場人物の土橋健司は三浦がモデルの一人となっている。 * [[平沢進]] - 先述にもあるように三浦がファンと公言するミュージシャン。 * [[マップス]] - 長谷川裕一著のスペースオペラ漫画。三浦がファンで,「マップス」最終回後に発売されたヤングアニマル巻末で「マップスが終わってしまった」と発言しているほか、複数作家による執筆企画本「マップス シェアードワールド」にはイラストを描いている。 * [[ダーク・ファンタジー]] * [[BSマンガ夜話]] - 1999年3月8日の回で「ベルセルク」を扱う。ゲストは[[馳星周]]。2000年に出た同番組のムックには三浦のインタビュー記事が載った。 == 文献 == * {{Cite book|和書|author=藤本由香里|authorlink=藤本由香里|title=少女まんが魂 現在を映す少女まんが完全ガイド&インタビュー集|publisher=[[白泉社]]|date=2000-12|isbn=4-592-73178-6}} ** 少女マンガ評論家・藤本由香里による特別インタビューを掲載 {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:みうら けんたろう}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本大学出身の人物]] [[Category:千葉県出身の人物]] [[Category:本名非公開の人物]] [[Category:1966年生]] [[Category:2021年没]]
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皆川亮二
皆川 亮二(みながわ りょうじ、1964年7月5日 - )(本名同じ)は、日本の漫画家。東京都墨田区出身。 高校時代に、同級生だった神崎将臣に誘われ漫画を描き始める(後に神崎のアシスタントも経験)。 1988年、「HEAVEN」(小学館『週刊少年サンデー』に掲載)が第22回小学館新人コミック大賞少年部門に入選しデビュー。 代表作は、アニメ化もされた『スプリガン』、第44回小学館漫画賞を受賞した『ARMS』など。 デビューから一貫して『週刊少年サンデー』など小学館の雑誌で執筆活動を続けてきたが、『D-LIVE!!』連載終了後は小学館以外にも、集英社や講談社、スクウェア・エニックスなど、他の出版社でも執筆するようになり、ゲームのキャラクターデザインなども手がけたりしている。 影響を受けた漫画家は、高橋留美子・望月三起也・大友克洋。とくに高橋留美子の影響が大きく、高校時代、高橋の漫画が好きで、高橋の絵の模写ばかりしていた。その絵を同級生だった神崎将臣に褒めてもらい、その縁で漫画を描き始めたことから、高橋留美子のことを「漫画家になる道筋を間接的に作ってくれた恩人」「僕の世界を変えてくれた人」と語っている。ちなみに、漫画を描き始めた頃は、高橋留美子の劣化コピーのような作品ばかり描いていたという。 漫画家の藤田和日郎とはデビューが同期であり、新人コミック大賞の授賞式でも隣同士で座っていたこと、またお互いに高橋留美子が好きだったことから仲が良い。
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皆川 亮二(本名同じ)は、日本の漫画家。東京都墨田区出身。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 皆川 亮二 | ふりがな = みながわ りょうじ | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{JPN}}・[[東京都]][[墨田区]]<ref name="mangaseek" /> | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1964|7|5}} | 没年 = | 没地 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = [[1988年]] - | ジャンル = [[少年漫画]]<br />[[青年漫画]] | 代表作 = 『[[スプリガン (漫画)|スプリガン]]』<br />『[[ARMS]]』 | 受賞 = * 第22回[[小学館新人コミック大賞]]少年部門入選『HEAVEN』 * 第44回[[小学館漫画賞]]『ARMS』 | 公式サイト = }} '''皆川 亮二'''(みながわ りょうじ、[[1964年]][[7月5日]] - )(本名同じ<ref>{{Cite web|和書|url=https://omny.fm/shows/manganoradio/vol-57-1?in_playlist=manga |title=マンガのラジオ Vol.57 皆川亮二さん(その1)「王道と同級生のスター」 |publisher=マンガのラジオ |date= |accessdate=2022-7-5 }}</ref>)は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[東京都]][[墨田区]]出身<ref name="mangaseek">{{Cite book|和書|漫画家人名事典|publisher= [[日外アソシエーツ]]|year=2003|page=362|ISBN=978-4-8169-1760-8}}</ref>。 == 概要 == 高校時代に、同級生だった[[神崎将臣]]に誘われ漫画を描き始める(後に神崎のアシスタントも経験)<ref name="mangaseek" /><ref name="rumiko">『漫画家本vol.14 高橋留美子本』対談 藤田和日郎 × 皆川亮二 より。</ref>。 [[1988年]]、「HEAVEN」([[小学館]]『[[週刊少年サンデー]]』に掲載)が第22回[[小学館新人コミック大賞]]少年部門に入選しデビュー。 代表作は、[[アニメ化]]もされた『[[スプリガン (漫画)|スプリガン]]』、第44回[[小学館漫画賞]]を受賞した『[[ARMS]]』など。 デビューから一貫して『週刊少年サンデー』など小学館の雑誌で執筆活動を続けてきたが、『[[D-LIVE!!]]』連載終了後は小学館以外にも、[[集英社]]や[[講談社]]、[[スクウェア・エニックス]]など、他の[[出版社]]でも執筆するようになり、ゲームのキャラクターデザインなども手がけたりしている。 影響を受けた漫画家は、[[高橋留美子]]・[[望月三起也]]・[[大友克洋]]<ref name="rumiko" />。とくに高橋留美子の影響が大きく、高校時代、高橋の漫画が好きで、高橋の絵の模写ばかりしていた<ref name="rumiko" />。その絵を同級生だった神崎将臣に褒めてもらい、その縁で漫画を描き始めたことから、高橋留美子のことを「漫画家になる道筋を間接的に作ってくれた恩人」「僕の世界を変えてくれた人」と語っている<ref name="rumiko" />。ちなみに、漫画を描き始めた頃は、高橋留美子の劣化コピーのような作品ばかり描いていたという<ref name="rumiko" />。 漫画家の[[藤田和日郎]]とはデビューが同期であり、[[新人コミック大賞]]の授賞式でも隣同士で座っていたこと、またお互いに高橋留美子が好きだったことから仲が良い<ref name="rumiko" />。 == 作品リスト == === 長編 === * 『[[スプリガン (漫画)|スプリガン]]』(原作:[[たかしげ宙]]、『週刊少年サンデー』 1989年10号 - 51号→『[[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊]]』 1992年8月号 - 1996年2月号、全11巻、保存版・文庫版全8巻) * 『[[KYŌ]]』(原作:たかしげ宙、『[[小学館の学年別学習雑誌|小学五年生]]』 1995年3月号<ref>単行本では掲載誌が『小学六年生』1995年4月号 - 1996年3月号とされているが誤りであり、実際は『小学五年生』1995年3月号から連載が始まっている。</ref>、『小学六年生』 1995年4月号 - 1996年3月号、全1巻) * 『[[ARMS]]』(原案協力:[[七月鏡一]]、『週刊少年サンデー』 1997年16号 - 2002年20号、全22巻、ワイド版全12巻) * 『[[D-LIVE!!]]』(脚本/原案/協力:横溝邦彦・氷室勲・横田直幸・七月鏡一・高野真吾・たかしげ宙・森竹ひろこ・木村恵之・東上克、『週刊少年サンデー』 2002年44号 - 2006年18号、全15巻、ワイド版全8巻) * 『[[PEACE MAKER (漫画)|PEACE MAKER]]』(『[[ウルトラジャンプ]]』 2007年7月号 - 2016年6月号、全17巻) * 『[[ADAMAS]]』(脚本:[[岡エリ]]、『[[イブニング]]』 2007年8号 - 2014年18号、不定期連載、全11巻) * 『[[海王ダンテ]]』(原作:[[泉福朗]]、『[[ゲッサン]]』 2016年1月号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/169059|title=皆川亮二が描く海洋ロマン活劇「海王ダンテ」始動!「MIX」着せ替えカバーも|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2015-12-12|accessdate=2021-08-12}}</ref> - 2021年9月号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/436482|title=「てのひら創世記」小川麻衣子のシリーズ連載開幕、次号「海王ダンテ」完結|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-07-12|accessdate=2021-08-12}}</ref>、全13巻) * 『ヘルハウンド』(『[[月刊アフタヌーン]]』2022年8月号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/482884|title=「スプリガン」皆川亮二がアフタヌーンで初連載、傭兵になった少年描くアクション|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-06-24|accessdate=2022-06-24}}</ref> - 、既刊3巻) === 短編 === * 「HEAVEN」『週刊少年サンデー』1988年28号 pp.331-368 - デビュー読切、第22回小学館新人コミック大賞少年部門入選作。交通事故で亡くなり天国で目覚めたバンドマンの青年が、神様と一人の少女に出会う。 *「転送者 THE INTRUDER」{{信頼性要検証範囲|『サンデー超』1996年1月号-2月号|date=2020-01}}<!--国会図書館で確認したが、『週刊少年サンデー超』1996年1月5日増刊号(38(3)通号2130)および2月5日増刊号(38(8)通号2135)には掲載されていなかった。--> - 気弱ないじめられっ子の少年に「転送者」を名乗る男の精神が乗り移る。計68ページ。『週刊少年サンデーR』1997・9・11号(少年サンデー特別増刊, 通号2234)にもカラーページをモノクロ化して全編再録(pp. 247-314)。 *「S.O.L -strong old lady-」『ビッグコミックスピリッツ』2007年No.1(pp. 17-40) - No.2(pp. 161-186) - 何者かに追われる青年を謎のおばちゃんが救出する。 * 「the Killing Pawn」『週刊少年マガジン』2014年36・37合併号 pp.213-232 - 原作=[[諫山創]]。異色の将棋バトル漫画。 * 「PERFECT SOLDIER」『[[月刊アフタヌーン]]』2015年5月号 - [[岩明均]]『[[寄生獣]]』トリビュート企画の1本で、「寄生生物」の軍事利用を描いた話。アンソロジー単行本『ネオ寄生獣』({{ISBN2|978-4-06-388156-1}})に収録。 * 「奪還 -Zurückeroberung-」『[[月刊ビッグガンガン]]』 2016 Vol.02(2/23号) - 1945年(WWII直後)のドイツで重戦車[[ティーガーI]]を題材にしたサイレント漫画。 === ゲーム === * 『[[ライブ・ア・ライブ]]』([[スクウェア_(ゲーム会社)|スクウェア]], 1994) - 現代編のキャラクターデザイン。 * 『幻影闘技 SHADOW STRUGGLE』([[バンプレスト]], 1996) - キャラクターデザイン。 * 『CRITICAL BLOW』(バンプレスト, 1997) - キャラクターデザイン。『幻影闘技 SHADOW STRUGGLE』の続編。 * 『SPRIGGAN -LUNAR VERSE-』([[フロム・ソフトウェア]], 1999) - 『スプリガン』のゲーム化。原作本編の終了後、スプリガンの新人候補生となった少年・大槻達樹が主人公。 * 『PROJECT ARMS』([[バンダイ]], 2002) - 『ARMS』のゲーム化。 * 『ツキヨニサラバ』([[タイトー]], 2004) - キャラクターデザイン。 * 『[[鉄拳5]]』([[ナムコ]], 2005) - 李超狼(リー・チャオラン)、マーシャル・ロウのエクストラコスチュームデザイン。 * 『[[鉄拳6]]』([[バンダイナムコゲームス]], 2009) - ロジャー.Jrのエクストラコスチュームデザイン。 * 『[[鉄拳タッグトーナメント2]]』(バンダイナムコゲームス,2012) - ミゲル・カバジェロ・ロホのエクストラコスチュームデザイン。 * 『[[戦国大戦]]』([[セガ・インタラクティブ]]) - SS[[滝川一益]]のカードイラスト。 *『[[戦国大戦|戦国炎舞 -KIZNA-]]』(株式会社サムザップ) - [月鬼忍王][[服部半蔵]]、[修羅忍鬼神][[服部半蔵]]のイラスト。 * 『[[スターオーシャン:アナムネシス]]』([[スクウェア・エニックス]], 2018) - ラジオ『スターラジオーシャン』とのコラボキャラクター、ユーイチ・オークヴィル及びスティーブ・K・マフィアのラッシュ時イラスト。 === その他 === * [[キディ・グレイド]] - 第14話のアイキャッチイラストを担当。 * [[ヒーロークロスライン#サンデー×マガジン クロスライン|サンデー×マガジン クロスライン]] - キャラクターデザインで参加。 == アシスタント経験者 == * [[夏目義徳]] * [[森尾正博]] * [[並木洋美]]<ref>{{Cite web|和書|author=並木洋美 |url=http://namiture.jugem.jp/?eid=86 |title=傷ついちゃった &#124; なみつとつれづれ |date=2011-03-14 |accessdate=2016-10-26}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references/> == 外部リンク == * [https://web.archive.org/web/20210510015842/https://websunday.net/backstage/minagawa/ まんが家BACKSTAGE 皆川亮二]リンク切れ * [https://web.archive.org/web/20170131090345/http://www.shueisha.co.jp/fantasy-taishou/minagawa/ ファンタジーコミック大賞:皆川亮二先生インタビュー - 集英社]リンク切れ * {{twitter|minagawa_ryouji}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:みなかわ りようし}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:SF漫画家]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:1964年生]] [[Category:存命人物]]
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秋田県
秋田県(あきたけん、旧字体・異体字:秋田縣・穐田縣・龝田縣)は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は秋田市。 秋田県の海岸は、遠浅で上陸しやすく、海岸付近には身を隠せる防風林が多いため、密入を図る工作員にとって、絶好の場所である。夜間は人が少なく、近隣住民に見られ無い上、八峰町には無人島である雄島が海岸近くにあり、北朝鮮の工作員に中継点として使われているという。 秋田県は日本海に面しており、気候区分は日本海側気候に分類される。日本海側気候の中でも秋田県の特徴として沿岸部の冬季の降水量はそれほど多くないが、日照時間が極端に少ないことが挙げられる。 内陸部では低温のため、同じ日本海側の山形県や新潟県と同様に県内陸部のおよそ90%の地域が特別豪雪地帯に指定されており、雪が多く降り積もりやすい県である。冬季間の日照時間は全都道府県の中で最も少ない。そのため、朝晩の放射冷却現象が起こらず(鹿角市と仙北市などの内陸部を除く)、特に日本海側沿岸部などは北関東よりも朝の気温が高いことも多いなど緯度の割には温暖であり日較差が非常に小さいのが特徴である。内陸部の一部はケッペンの気候区分による亜寒帯湿潤気候(Dfa,Dfb)となり、寒さが厳しい。また、秋田沖付近に発生する暖流の突発的な大気潮汐によって生み出された寒冷渦や極低気圧からもたらされる暴風雪や「ドカ雪」と呼ばれる豪雪がしばし見られることもある。 一方で、夏季は高温多湿でどんよりとしており梅雨明けのないまま秋を迎えることも珍しくない。しかしながら、太平洋側から吹く季節風は奥羽山脈の山々に遮られ、フェーン現象が発生することがある。太平洋側に冷害をもたらすと言われるやませも高温乾燥した風となり、県内陸部中央から県内陸南部では気温が上昇し真夏日や猛暑日になることもある。特に仙北市周辺では、この風が豊作をもたらすとして「宝風」と吟われる(生保内節)。 県下には、以下の13市6郡9町3村がある。秋田県では、美郷町、三種町、八峰町が「ちょう」である以外は、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む(対等合併によって誕生した町が「ちょう」を名乗る傾向がある。平成の大合併以前は、すべて「まち」と読んだ)。人口は2023年11月1日現在。 都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷 県の地域振興局の管轄地域により、県内は8つの地域圏に区分されている。それらは「県北」「中央」「県南」の3つに大別されている。由利地域振興局管内(旧由利郡地域)を県南とすることもある。ただし、衆議院選挙・小選挙区の区割りでは、秋田市(1区)・県北(2区)・県南(3区)とされている(この区分では、いわゆる男鹿潟上南秋地区が、県北部の扱い)。 地域圏の名称は目的に応じて多少違いがあり、振興局の名称は旧郡名、地域の名称は平成の大合併前の中心市名と旧郡名、都市計画における広域都市圏の名称は平成の大合併前の中心市名となっている。 以下に記載する人口は、2006年(平成18年)8月1日現在の推計人口。秋田県の総人口は1,135,156人。 現在の秋田県は、令制国での出羽国と陸奥国の各一部(明治初年にそれぞれ分割されたうちの羽後国と陸中国の各一部)からなる。「秋田」の名前の由来は、飛鳥時代の斉明天皇4年(658年)に阿倍比羅夫の日本海遠征において、この地を訪れ地名を「齶田(あぎた)」と報告したことから始まる。「齶田(あぎた)」はアゴに似た地形から付けられたものだともいわれており、雄物川河口部の古地形のことを示している可能性がある。 その後、天平5年12月26日(734年2月4日)に庄内地方にあったとされる出羽柵が高清水の岡に移し置かれ、後に天平宝字年間ごろには、「秋田城」と呼ばれるようになり、「秋田」の表記で定着した。中世後期には日本最古の海洋法規集「廻船式目(廻船大法)」には三津七湊の一つとして「秋田湊」と呼ばれ重要な湊の一つに数えられた。 秋田県にも旧石器時代から人が住んでいた証拠として多くの遺跡が発掘されている。それらの遺跡から人の手によって加工された石器が多数出土している。製作技術からナイフ形石器、細石刃などと命名されている。このうち細石刃は木や骨などに溝を彫ってそこに埋め込み、鋭利な刃物として使用したと推測され、旧石器時代終末から縄文時代草創期にかけて使用されたと考えられている。 遺跡発掘としては、1969年(昭和44年)から5次にわたって発掘された大仙市協和の米ヶ森遺跡がはじめである。この遺跡からは石器・石核・石片などおよそ1,000点が出土している。この後は工業団地や自動車道などの建設工事で多くの遺跡が発掘調査されている。 今からおよそ1万2000年前になると土器が製作されはじめ、定住生活も始まった。縄文時代である。縄文人によって、現在の秋田県域にも縄文文化が栄えた。縄文後期の墓地遺跡であるストーン・サークル(環状列石・石籬;せきり)が1931年(昭和6年)に確認された。1951年(昭和26年)と翌年の1952年(昭和27年)にも考古学研究の国営事業として発掘調査が行われたので全国的に知られるようになった。その遺跡は鹿角市の大湯にあり、同規模の2つの環状列石で、西側が万座遺跡、東側が野中堂遺跡である。やや大きい万座遺跡は、環状部分が直径46メートルある。太平洋戦争中は「神代」(かみよ)の遺跡として扱われた。 西日本では、この縄文人に加え弥生時代ごろから弥生人と呼ばれるユーラシア大陸東部からの移住民が増えた。雑多な民族は次第に統一され、ヤマト民族としての統一国家が近畿地方を中心に形成された。これが後に朝廷と呼ばれるようになる。朝廷は8世紀に国号を「日本」と改めた。現在の秋田県を含む東北地方北部はこの時点で、朝廷に属していなかった。そのため朝廷はこの地方への征服活動を進めた。 8世紀前半の奈良時代に出羽の秋田地域は、朝廷によって日本海沿岸の北辺地域の交易や征服などの拠点とされた。出羽柵が現在の山形県庄内地方に設置されるが、天平5年12月26日(734年2月4日)、出羽柵は秋田村高清水岡(現在の秋田市寺内)へ移設された(続日本紀)。出羽柵は760年ごろに秋田城に改称される。このころから「秋田」の表記で定着している。780年には出羽国府が秋田に移されたが、エミシ民族(蝦夷:縄文人の末裔とも、朝廷に属さないヤマト民族ともいわれる)の反撃によって秋田城が陥落し、出羽国府は再び移されることになった。秋田城はこの後朝廷側によって再建され、北東北日本海側征服の一大拠点となる。このころになると墾田の私有が認められ、地方豪族の勢力はいっそう発展した。9世紀ごろの平安時代には太政官の命令で、勝手に開墾地を私有し農民を困らせてはならぬとの規則が出るほどになる。 元慶2年(878年)元慶の乱が起こった。これは重い税や労役の苦しみに耐えかねた蝦夷の秋田城司に対する反抗であった。秋田城や民家は焼き払われ、多くの物資や兵を失った。朝廷は急いで陸奥国から五千人の援軍を派遣したが平定に失敗し、新任出羽守の藤原保則を派遣した。保則は反乱の平定に蝦夷をもって当たらせることで成功した。この後、城の修復や兵力の増強をはかったが、天慶2年に再び天慶の乱が発生した。当時はこのように蝦夷に対する朝廷の力は絶対的なものではなく、「俘囚の長」と呼ばれたヤマトに服属するエミシ民族の地方豪族の力は加速度的に強大になっていった。 中央の律令政治が衰えるとともに、私有地の占領が次第に増え、農民は有力豪族の保護を求めるようになり、蝦夷地の各所には豪族を中心とする武士の集まりができた。豪族は更に、重要地点に分家を配して勢力を拡げて団結を強固にした。その中の有力だったものが陸奥の安倍氏、出羽の清原氏である。 北上川中流以北に勢力を広げていた安部氏は朝廷に対する貢租・徴役を怠り、横暴な態度であるというので朝廷は討伐を行った。これが前九年の役(永承6年(1051年) - 康平5年(1062年))である。しかし、当時の陸奥守や秋田城介の力では討伐ができず、新興武士であった源頼義が陸奥守として向けられ、七年以上にわたり戦いを繰り広げた。頼義も自軍のみで討伐できずに横手付近に根拠をおいた豪族清原光頼に臣下の礼の形を取り参戦を依頼した。光頼は弟の武則を大将とする一万余の兵を出し、遂に討伐に成功した。源頼義、義家の兵力はわずか三千であったが、この清原氏が出した兵力だけでもその武力を伺い得る。 しかしこの後、武則の孫の代にいたって一族争いが起こり、家衡が出羽国、沼柵(現在の横手市雄物川町沼館)に立てこもる。家衡はここを源義家に攻められ、金沢柵(横手市金沢中野)に移ったが、遂に敗れた。これが後三年の役(永保3年(1083年) - 応徳4年/寛治元年(1087年))である。この戦の後に、清衡が奥州藤原氏として栄えた。 奥州藤原氏は初代の清衡から二代基衡、三代秀衡を経て四代泰衡に至るまでのおよそ一世紀(11世紀末 - 12世紀末)にわたって栄え、東北の天地は完全に豪族の支配下になった。藤原氏の支配原理は、代々押領使を世襲することで軍事指揮権を公的に行使し、併せて荘園の管理も請け負うというものであり、当時の秋田では比内郡の河田氏、秋田郡の大河氏、由利地方の由利氏が藤原氏の支配下にあったと言われているが、近年の研究では出羽国に奥州合戦後も御家人として在地支配を許された豪族が多いことおよび渥美・常滑焼が広まった平泉付近を中心とする太平洋側と珠洲焼の出土が多い秋田郡近辺の陶器文化圏が異なることから、在地領主の家人化が進んだ陸奥国と押領使としての軍事指揮権に留まった出羽国の差を指摘する見解もある。特に出羽北部である秋田地方には荘園が存在せず、公領制一色の世界であったため、どの程度まで奥州藤原氏の支配が及んだかは疑問であるとされている。 隆盛を極めた藤原氏も、鎌倉幕府を創設した源頼朝が平泉の藤原氏にのがれた弟義経を追討することによって打ちくだかれる。頼朝は文治5年(1189年)、19万の軍勢を率いて奥州合戦を行った。藤原泰衡は平泉から蝦夷地への逃亡を始めたが、途中立ち寄った河田氏の元で裏切りに遭い、河田次郎によって討ち取られる。同年12月に挙兵した大河氏の大河兼任も挙兵3か月で討ち取られた。 数世紀にわたった豪族の天下も、この藤原氏の滅亡で幕を閉じ、東北は完全に鎌倉幕府の支配下となった。藤原氏を倒した頼朝は、御家人、地頭職を新たに東北各地に配し、東北における大きな政治的転換点となった。頼朝が秋田に配した御家人は成田氏、安保氏、秋元氏、奈良氏、橘氏、浅利氏、平賀氏、小野寺氏などであった。また由利氏は藤原氏に仕えていたが、そのまま由利地方を治めることとなった。これらの豪族はほぼそのまま藩政以前までその地を治めることとなる。 その後、日本海北部に勢力を持った安東氏(安藤氏ともいう)が津軽地方から南下し、戦国時代になると檜山安東氏と湊安東氏の一族抗争があったものの、安東愛季の時代に統一し最盛期を迎えた。横手盆地には戸沢氏、前田氏、本堂氏、六郷氏、小野寺氏などが勢力を持っていた。由利郡は由利氏の一族と地頭であった小笠原氏の子孫などが中小の豪族に分かれ、由利十二頭と呼ばれる勢力になった。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍を破った徳川家康は征夷大将軍に任ぜられ、幕府を江戸に開いて天下の実権を握った。秋田県下の諸大名は西軍についた小野寺氏以外は所領安堵されたが、慶長7年から慶長8年の期間にかけてほとんどの大名が常陸国に転封され、鎌倉時代以来となる長年の領主と住民のつながりは切れた。 慶長7年(1602年)、秋田郡を領有していた秋田実季(安東氏から改姓)などと入れ替わりで、関ヶ原の戦いで西軍に内通していた佐竹義宣が常陸国から転封され、久保田藩を立藩する。義宣ははじめ秋田氏の居城であった湊城(現在の秋田市土崎港)に本拠を置いたが、まもなく神明山(秋田市千秋公園)に久保田城を築いて居を移した。また、一国一城令の例外として、横手城・大館城が支城として存続した(檜山城・角館城などは破却)。組織としては、領内統治を担当する家老の下に財政担当の勘定奉行、城下支配の久保田奉行、そのほか能代奉行、各郡の郡奉行、鉱山支配の銅方奉行、山林支配の木山奉行などを配した。このような藩の組織機構の下、直接生産を営む農民と、その中間の商人・職人が位置づけられ、新たな時代の生活が始まった。 常陸時代には54万石の大身大名であった佐竹氏は、明治まで表高20万石の久保田藩を治めることになった。実高は新田開発などで田地が増し、40万石くらいであったとされる。領内に存在した院内銀山や阿仁銅山などの諸鉱山、および全国的に著名な秋田杉なども久保田藩の収入源となったが、常陸時代以来の過大な家臣団が財政を圧迫し、幾度も財政改革を行う必要に迫られた。 久保田藩からは思想家の佐藤信淵・平田篤胤・安藤昌益や、秋田蘭画を切り開いた佐竹義敦(曙山)・小田野直武らが出ている。「エレキテル」で知られる博物学者の平賀源内は、久保田藩の依頼で技術指導のため阿仁鉱山を訪れ、途中立ち寄った角館で小田野直武に遠近法を伝えたといわれる。享保年間には鈴木定行と加藤政貞の2名が古来の観音信仰にもとづき、秋田六郡三十三観音霊場の古跡をたずね、巡礼歌を添えた巡礼記をのこした。 元和8年(1622年)、山形藩主最上氏が改易され、旧最上領は幕府領と中小の大名領に分割された。このうち由利郡には、関ヶ原の戦い後に転封ないし改易されていた六郷政乗(2万石)、岩城吉隆(2万石)、仁賀保挙誠(1万石)、打越光久(3,000石)などが入部し、それぞれ本荘藩、亀田藩、仁賀保藩、旗本になった。後に仁賀保氏と打越氏は改易され(仁賀保氏は分家2家が旗本として存続)、代わって讃岐国高松藩主だったがお家騒動で改易された生駒高俊(1万石)が転封され、矢島藩となっている。 本荘藩領にあった象潟は全国的に著名な景勝地であったため、松尾芭蕉・雷電爲右エ門らがこの地を訪れている。文化元年(1804年)の象潟地震で隆起し、潟湖から陸地へ、そして農地へと変わったが、蚶満寺住職の覚林による自然保護運動により、かつての小島であり景観の基である丘が残された。 明治維新時点で後の秋田県下に政庁を置いていた藩は以下の5つ(石高は戊辰戦争直前の値)。この他に盛岡藩領と旗本領(仁賀保二千石家・千石家=旧仁賀保藩主の分家、生駒伊勢居地家=矢島藩主の分家、六郷氏=本荘藩主の分家)があった。 慶応4年(1868年)に起こった戊辰戦争で、久保田藩ら出羽諸藩は朝敵扱いされた会津藩・庄内藩の赦免嘆願のため奥羽越列藩同盟に加わる。しかし、久保田藩内の勤皇派がクーデターを起こして久保田藩は新政府側へ転向したため(前後して久保田新田藩=後の岩崎藩、本荘藩、矢島藩および現山形県の新庄藩も転向)、他の奥州諸侯の標的とされて秋田戦争が勃発した。佐賀藩や鹿児島藩などの救援を受けて最終的に勝利したものの、大館城・横手城・本荘城と矢島陣屋・仁賀保陣屋は落城し、広範囲の土地が荒廃した。 また、亀田藩も久保田藩に同調して新政府軍へ転向したが、山口藩から派遣された監軍の横暴な振る舞いに堪えかね、新政府軍が本荘・亀田を見捨てた際に同盟軍へ再加入して久保田方面の新政府軍を攻撃した。しかし新政府軍の反撃で亀田城も焼失することになった。 ※以下特記しないものは2018年 秋田県の人口は96万9462人(2019年6月現在)で、全国38位。人口増減率は6年連続全国最下位で、全国的にも最も人口減少が進んでいる地域の一つである。出生から死亡を引いた自然増減率、転入者から転出者を引いた社会増減率共に全国最下位だった。 1956年には135万人いた人口が、2017年に100万人を割りこんだ。1955年から2015年にかけての人口増減率は-19.5%で、-22.9%の島根県に次ぐ全国46位である。国立社会保障・人口問題研究所は、2045年にかけ人口が更に41.2%減少すると予測している。これは次点で37.0%の減少が予測されている青森県や、減少率1位だった島根県の23.8%減少よりかなり大きい。 死亡率は7年連続全国1位と高い反面、出生率は24年連続全国最下位である。高齢化率が全国1位で、年少人口比率も全国最下位と、少子高齢化が進んでいる。婚姻率も24年連続最下位、乳児死亡率は全国2位、周産期死亡率も全国3位。自殺率も2017年は全国1位だったが、2018年は改善して1位を返上した。しかし、2019年には再び全国1位となっている。 1人の女性が生涯で産む子供の数を比較した合計特殊出生率は1.33で全国42位となっている。この数値は通常都市部で低く、地方で高い傾向にあるが、秋田県はこれに当てはまっていない。大都市圏の大阪府、千葉県、埼玉県よりも低く、神奈川県に並んでいる。秋田県の合計特殊出生率は複雑な経過を辿っており、1925年時点では6.12と全国トップレベルの高さだったが、高度経済成長期に急速に低下し、1970年には1.88と全国最下位に転落した(同年の東京都は1.96)。その後1990年代には全国水準よりやや高い程度で安定したが、2000年代以降は全国的な回復傾向に乗れず、2010年に1.30と過去最低を記録し、全国40位となった。以後も低い状態が続いており、2015年は1.35で東京都と北海道に次いで低かった。2019年も1.33と低水準になっている。 人口あたりの刑法犯発生(警察による認知)率が日本で最も低い都道府県である。人口10万人あたりの犯罪件数は最少である。この理由については犯罪が発生しにくい街の構造(近年における商店街の空洞化など)であることや少子高齢化、および人口減少、過疎化が他県に比べて進んでいることなども影響しているという。また、高齢化の影響で人口10万人あたりの自殺率が平成7年から平成26年の19年間(1995年~2014年)で最下位の状態が続いていたが、県・市町村のレベルでそれぞれ対策を行った結果、平成26年度にワースト1位を脱却した。 衆議院の小選挙区が3。参議院では、全県で1区を構成。 携帯電話やPC、タブレットなどの通信機器に不可欠な固定コンデンサの出荷額は1712億円で全国1位。あきたこまちの名産地であり、米の産出額は新潟県、北海道に次いで全国3位。日本酒の生産高は、兵庫県、京都府、新潟県、埼玉県、愛知県に次いで全国6位である。1人当たりの県民所得は全国34位(平成21年度)。また、2020年代の今日ではエダマメの出荷量が全国1位になったり、風力発電を中心とした新エネルギー産業に力を入れている。 樹齢200年をこえる天然秋田杉は木曽のヒノキ、津軽のヒバと並び、日本三大美林のひとつであり、木材生産量は全国4位。 1982年、首都圏における秋田杉の需要拡大を名目として秋田銀行、北都銀行、秋田県木材産業協同組合連合会などと秋田県木造住宅株式会社を第三セクターとして設立、秋田県が25パーセントを出資し、副知事を取締役に据え県職員も出向させるなど実質的に支配した。ところが、千葉県を中心に分譲された住宅で地盤沈下により基礎が浮き上がったり秋田杉を建築材としてほとんど使用していないなど欠陥が頻発し、住人らから損害賠償請求訴訟を起こされ、最終的に170億円ほどの負債を抱えて破産した。住宅の販売に際しては当時の県知事である佐々木喜久治がパンフレットにコメントを寄せたり「秋田県庁が設立した第三セクターならではの質と価格」などと銘打っていた。 国立 公立 私立 私立 私立 国立 デジタルテレビ・県域FM局・補完FM局の親局送信所は、いずれも秋田市の大森山に置かれている。 民間放送局の本社はいずれも秋田市に置かれている。 秋田県はビデオリサーチによる視聴率調査が行われている都道府県の中で唯一JNN系列の放送対象地域外である。県境に近い地域で隣県の電波を受信できる地域、およびケーブルテレビの区域外再放送で隣県のJNN系列局を視聴している世帯がある。 NHK受信料支払率は、平成23年度末の初公表において全国トップの94.6%であった。 ※秋田県にはJNN系列局がないため、同県の同系列局による報道取材は主にIBC岩手放送が行っている(かつて、取材拠点として秋田支局を設置していた)。IBCが対応できない場合、宮城県の東北放送(TBC)が対応する。 各ケーブルテレビ局では地域密着の独自番組を放送しているほか、隣県のJNN系列を再送信している。 秋田方言は一般的には本土方言-東日本方言-東北方言-北奥羽方言に含められ、金田一春彦による案では、外輪方言に含められている。 秋田方言の語彙中で、共通語と異なるものは、かつて中央語で使われていたものが古語として残存したものと、中央以外で独自の発展をしたものがある。周辺の県と連続する分布のものも多い。現在では共通語と異なる語彙は衰退が激しく、急激に共通語に置き換えられつつある。 秋田方言の母音音素は、共通語より1つ多い、/a/ 、/i/ 、/u/ 、/e/ 、/ɛ/ 、/o/ の6つが認められる。子音音素は、共通語と同じであるが、共通語のカ行にあたる /k/ 、タ・テ・トにあたる /t/ 、チ・ツにあたる /c/ は語中で有声化(濁音化)して、それぞれ [ɡ] 、[d] 、[z] と発音される。サ行にあたる /s/ やパ行にあたる /p/ は有声化しない。 米どころであり、酒どころである。特に日本酒の消費量が多く、酒の飲み過ぎが多い。また雪国のため漬け物などの保存食が発達した一方、濃い味が好まれる影響もあり、ガンの死亡率は全国上位となっている。 秋田県名誉県民の称号は、1981年(昭和56年)3月13日に制定された秋田県名誉県民条例(昭和56年3月13日秋田県条例第1号)に基づき、「秋田県の発展に卓絶した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「政治経済の発展、学術文化の振興、地方自治の振興、社会福祉の向上その他県民の福祉の増進に広く貢献した者」であり(秋田県名誉県民条例施行規則第2条)、秋田県知事が秋田県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)。名誉県民に選定された者には、秋田県名誉県民称号記と秋田県名誉県民章が贈呈される(条例第3条)。 スポーツ・文化などの分野で顕著な業績をあげた個人・団体に秋田県県民栄誉章が贈られており、2018年10月までに19個人3団体が顕彰されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "秋田県(あきたけん、旧字体・異体字:秋田縣・穐田縣・龝田縣)は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は秋田市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "秋田県の海岸は、遠浅で上陸しやすく、海岸付近には身を隠せる防風林が多いため、密入を図る工作員にとって、絶好の場所である。夜間は人が少なく、近隣住民に見られ無い上、八峰町には無人島である雄島が海岸近くにあり、北朝鮮の工作員に中継点として使われているという。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "秋田県は日本海に面しており、気候区分は日本海側気候に分類される。日本海側気候の中でも秋田県の特徴として沿岸部の冬季の降水量はそれほど多くないが、日照時間が極端に少ないことが挙げられる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "内陸部では低温のため、同じ日本海側の山形県や新潟県と同様に県内陸部のおよそ90%の地域が特別豪雪地帯に指定されており、雪が多く降り積もりやすい県である。冬季間の日照時間は全都道府県の中で最も少ない。そのため、朝晩の放射冷却現象が起こらず(鹿角市と仙北市などの内陸部を除く)、特に日本海側沿岸部などは北関東よりも朝の気温が高いことも多いなど緯度の割には温暖であり日較差が非常に小さいのが特徴である。内陸部の一部はケッペンの気候区分による亜寒帯湿潤気候(Dfa,Dfb)となり、寒さが厳しい。また、秋田沖付近に発生する暖流の突発的な大気潮汐によって生み出された寒冷渦や極低気圧からもたらされる暴風雪や「ドカ雪」と呼ばれる豪雪がしばし見られることもある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "一方で、夏季は高温多湿でどんよりとしており梅雨明けのないまま秋を迎えることも珍しくない。しかしながら、太平洋側から吹く季節風は奥羽山脈の山々に遮られ、フェーン現象が発生することがある。太平洋側に冷害をもたらすと言われるやませも高温乾燥した風となり、県内陸部中央から県内陸南部では気温が上昇し真夏日や猛暑日になることもある。特に仙北市周辺では、この風が豊作をもたらすとして「宝風」と吟われる(生保内節)。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "県下には、以下の13市6郡9町3村がある。秋田県では、美郷町、三種町、八峰町が「ちょう」である以外は、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む(対等合併によって誕生した町が「ちょう」を名乗る傾向がある。平成の大合併以前は、すべて「まち」と読んだ)。人口は2023年11月1日現在。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "県の地域振興局の管轄地域により、県内は8つの地域圏に区分されている。それらは「県北」「中央」「県南」の3つに大別されている。由利地域振興局管内(旧由利郡地域)を県南とすることもある。ただし、衆議院選挙・小選挙区の区割りでは、秋田市(1区)・県北(2区)・県南(3区)とされている(この区分では、いわゆる男鹿潟上南秋地区が、県北部の扱い)。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "地域圏の名称は目的に応じて多少違いがあり、振興局の名称は旧郡名、地域の名称は平成の大合併前の中心市名と旧郡名、都市計画における広域都市圏の名称は平成の大合併前の中心市名となっている。 以下に記載する人口は、2006年(平成18年)8月1日現在の推計人口。秋田県の総人口は1,135,156人。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "現在の秋田県は、令制国での出羽国と陸奥国の各一部(明治初年にそれぞれ分割されたうちの羽後国と陸中国の各一部)からなる。「秋田」の名前の由来は、飛鳥時代の斉明天皇4年(658年)に阿倍比羅夫の日本海遠征において、この地を訪れ地名を「齶田(あぎた)」と報告したことから始まる。「齶田(あぎた)」はアゴに似た地形から付けられたものだともいわれており、雄物川河口部の古地形のことを示している可能性がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "その後、天平5年12月26日(734年2月4日)に庄内地方にあったとされる出羽柵が高清水の岡に移し置かれ、後に天平宝字年間ごろには、「秋田城」と呼ばれるようになり、「秋田」の表記で定着した。中世後期には日本最古の海洋法規集「廻船式目(廻船大法)」には三津七湊の一つとして「秋田湊」と呼ばれ重要な湊の一つに数えられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "秋田県にも旧石器時代から人が住んでいた証拠として多くの遺跡が発掘されている。それらの遺跡から人の手によって加工された石器が多数出土している。製作技術からナイフ形石器、細石刃などと命名されている。このうち細石刃は木や骨などに溝を彫ってそこに埋め込み、鋭利な刃物として使用したと推測され、旧石器時代終末から縄文時代草創期にかけて使用されたと考えられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "遺跡発掘としては、1969年(昭和44年)から5次にわたって発掘された大仙市協和の米ヶ森遺跡がはじめである。この遺跡からは石器・石核・石片などおよそ1,000点が出土している。この後は工業団地や自動車道などの建設工事で多くの遺跡が発掘調査されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "今からおよそ1万2000年前になると土器が製作されはじめ、定住生活も始まった。縄文時代である。縄文人によって、現在の秋田県域にも縄文文化が栄えた。縄文後期の墓地遺跡であるストーン・サークル(環状列石・石籬;せきり)が1931年(昭和6年)に確認された。1951年(昭和26年)と翌年の1952年(昭和27年)にも考古学研究の国営事業として発掘調査が行われたので全国的に知られるようになった。その遺跡は鹿角市の大湯にあり、同規模の2つの環状列石で、西側が万座遺跡、東側が野中堂遺跡である。やや大きい万座遺跡は、環状部分が直径46メートルある。太平洋戦争中は「神代」(かみよ)の遺跡として扱われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "西日本では、この縄文人に加え弥生時代ごろから弥生人と呼ばれるユーラシア大陸東部からの移住民が増えた。雑多な民族は次第に統一され、ヤマト民族としての統一国家が近畿地方を中心に形成された。これが後に朝廷と呼ばれるようになる。朝廷は8世紀に国号を「日本」と改めた。現在の秋田県を含む東北地方北部はこの時点で、朝廷に属していなかった。そのため朝廷はこの地方への征服活動を進めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "8世紀前半の奈良時代に出羽の秋田地域は、朝廷によって日本海沿岸の北辺地域の交易や征服などの拠点とされた。出羽柵が現在の山形県庄内地方に設置されるが、天平5年12月26日(734年2月4日)、出羽柵は秋田村高清水岡(現在の秋田市寺内)へ移設された(続日本紀)。出羽柵は760年ごろに秋田城に改称される。このころから「秋田」の表記で定着している。780年には出羽国府が秋田に移されたが、エミシ民族(蝦夷:縄文人の末裔とも、朝廷に属さないヤマト民族ともいわれる)の反撃によって秋田城が陥落し、出羽国府は再び移されることになった。秋田城はこの後朝廷側によって再建され、北東北日本海側征服の一大拠点となる。このころになると墾田の私有が認められ、地方豪族の勢力はいっそう発展した。9世紀ごろの平安時代には太政官の命令で、勝手に開墾地を私有し農民を困らせてはならぬとの規則が出るほどになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "元慶2年(878年)元慶の乱が起こった。これは重い税や労役の苦しみに耐えかねた蝦夷の秋田城司に対する反抗であった。秋田城や民家は焼き払われ、多くの物資や兵を失った。朝廷は急いで陸奥国から五千人の援軍を派遣したが平定に失敗し、新任出羽守の藤原保則を派遣した。保則は反乱の平定に蝦夷をもって当たらせることで成功した。この後、城の修復や兵力の増強をはかったが、天慶2年に再び天慶の乱が発生した。当時はこのように蝦夷に対する朝廷の力は絶対的なものではなく、「俘囚の長」と呼ばれたヤマトに服属するエミシ民族の地方豪族の力は加速度的に強大になっていった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "中央の律令政治が衰えるとともに、私有地の占領が次第に増え、農民は有力豪族の保護を求めるようになり、蝦夷地の各所には豪族を中心とする武士の集まりができた。豪族は更に、重要地点に分家を配して勢力を拡げて団結を強固にした。その中の有力だったものが陸奥の安倍氏、出羽の清原氏である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "北上川中流以北に勢力を広げていた安部氏は朝廷に対する貢租・徴役を怠り、横暴な態度であるというので朝廷は討伐を行った。これが前九年の役(永承6年(1051年) - 康平5年(1062年))である。しかし、当時の陸奥守や秋田城介の力では討伐ができず、新興武士であった源頼義が陸奥守として向けられ、七年以上にわたり戦いを繰り広げた。頼義も自軍のみで討伐できずに横手付近に根拠をおいた豪族清原光頼に臣下の礼の形を取り参戦を依頼した。光頼は弟の武則を大将とする一万余の兵を出し、遂に討伐に成功した。源頼義、義家の兵力はわずか三千であったが、この清原氏が出した兵力だけでもその武力を伺い得る。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "しかしこの後、武則の孫の代にいたって一族争いが起こり、家衡が出羽国、沼柵(現在の横手市雄物川町沼館)に立てこもる。家衡はここを源義家に攻められ、金沢柵(横手市金沢中野)に移ったが、遂に敗れた。これが後三年の役(永保3年(1083年) - 応徳4年/寛治元年(1087年))である。この戦の後に、清衡が奥州藤原氏として栄えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "奥州藤原氏は初代の清衡から二代基衡、三代秀衡を経て四代泰衡に至るまでのおよそ一世紀(11世紀末 - 12世紀末)にわたって栄え、東北の天地は完全に豪族の支配下になった。藤原氏の支配原理は、代々押領使を世襲することで軍事指揮権を公的に行使し、併せて荘園の管理も請け負うというものであり、当時の秋田では比内郡の河田氏、秋田郡の大河氏、由利地方の由利氏が藤原氏の支配下にあったと言われているが、近年の研究では出羽国に奥州合戦後も御家人として在地支配を許された豪族が多いことおよび渥美・常滑焼が広まった平泉付近を中心とする太平洋側と珠洲焼の出土が多い秋田郡近辺の陶器文化圏が異なることから、在地領主の家人化が進んだ陸奥国と押領使としての軍事指揮権に留まった出羽国の差を指摘する見解もある。特に出羽北部である秋田地方には荘園が存在せず、公領制一色の世界であったため、どの程度まで奥州藤原氏の支配が及んだかは疑問であるとされている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "隆盛を極めた藤原氏も、鎌倉幕府を創設した源頼朝が平泉の藤原氏にのがれた弟義経を追討することによって打ちくだかれる。頼朝は文治5年(1189年)、19万の軍勢を率いて奥州合戦を行った。藤原泰衡は平泉から蝦夷地への逃亡を始めたが、途中立ち寄った河田氏の元で裏切りに遭い、河田次郎によって討ち取られる。同年12月に挙兵した大河氏の大河兼任も挙兵3か月で討ち取られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "数世紀にわたった豪族の天下も、この藤原氏の滅亡で幕を閉じ、東北は完全に鎌倉幕府の支配下となった。藤原氏を倒した頼朝は、御家人、地頭職を新たに東北各地に配し、東北における大きな政治的転換点となった。頼朝が秋田に配した御家人は成田氏、安保氏、秋元氏、奈良氏、橘氏、浅利氏、平賀氏、小野寺氏などであった。また由利氏は藤原氏に仕えていたが、そのまま由利地方を治めることとなった。これらの豪族はほぼそのまま藩政以前までその地を治めることとなる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "その後、日本海北部に勢力を持った安東氏(安藤氏ともいう)が津軽地方から南下し、戦国時代になると檜山安東氏と湊安東氏の一族抗争があったものの、安東愛季の時代に統一し最盛期を迎えた。横手盆地には戸沢氏、前田氏、本堂氏、六郷氏、小野寺氏などが勢力を持っていた。由利郡は由利氏の一族と地頭であった小笠原氏の子孫などが中小の豪族に分かれ、由利十二頭と呼ばれる勢力になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍を破った徳川家康は征夷大将軍に任ぜられ、幕府を江戸に開いて天下の実権を握った。秋田県下の諸大名は西軍についた小野寺氏以外は所領安堵されたが、慶長7年から慶長8年の期間にかけてほとんどの大名が常陸国に転封され、鎌倉時代以来となる長年の領主と住民のつながりは切れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "慶長7年(1602年)、秋田郡を領有していた秋田実季(安東氏から改姓)などと入れ替わりで、関ヶ原の戦いで西軍に内通していた佐竹義宣が常陸国から転封され、久保田藩を立藩する。義宣ははじめ秋田氏の居城であった湊城(現在の秋田市土崎港)に本拠を置いたが、まもなく神明山(秋田市千秋公園)に久保田城を築いて居を移した。また、一国一城令の例外として、横手城・大館城が支城として存続した(檜山城・角館城などは破却)。組織としては、領内統治を担当する家老の下に財政担当の勘定奉行、城下支配の久保田奉行、そのほか能代奉行、各郡の郡奉行、鉱山支配の銅方奉行、山林支配の木山奉行などを配した。このような藩の組織機構の下、直接生産を営む農民と、その中間の商人・職人が位置づけられ、新たな時代の生活が始まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "常陸時代には54万石の大身大名であった佐竹氏は、明治まで表高20万石の久保田藩を治めることになった。実高は新田開発などで田地が増し、40万石くらいであったとされる。領内に存在した院内銀山や阿仁銅山などの諸鉱山、および全国的に著名な秋田杉なども久保田藩の収入源となったが、常陸時代以来の過大な家臣団が財政を圧迫し、幾度も財政改革を行う必要に迫られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "久保田藩からは思想家の佐藤信淵・平田篤胤・安藤昌益や、秋田蘭画を切り開いた佐竹義敦(曙山)・小田野直武らが出ている。「エレキテル」で知られる博物学者の平賀源内は、久保田藩の依頼で技術指導のため阿仁鉱山を訪れ、途中立ち寄った角館で小田野直武に遠近法を伝えたといわれる。享保年間には鈴木定行と加藤政貞の2名が古来の観音信仰にもとづき、秋田六郡三十三観音霊場の古跡をたずね、巡礼歌を添えた巡礼記をのこした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "元和8年(1622年)、山形藩主最上氏が改易され、旧最上領は幕府領と中小の大名領に分割された。このうち由利郡には、関ヶ原の戦い後に転封ないし改易されていた六郷政乗(2万石)、岩城吉隆(2万石)、仁賀保挙誠(1万石)、打越光久(3,000石)などが入部し、それぞれ本荘藩、亀田藩、仁賀保藩、旗本になった。後に仁賀保氏と打越氏は改易され(仁賀保氏は分家2家が旗本として存続)、代わって讃岐国高松藩主だったがお家騒動で改易された生駒高俊(1万石)が転封され、矢島藩となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "本荘藩領にあった象潟は全国的に著名な景勝地であったため、松尾芭蕉・雷電爲右エ門らがこの地を訪れている。文化元年(1804年)の象潟地震で隆起し、潟湖から陸地へ、そして農地へと変わったが、蚶満寺住職の覚林による自然保護運動により、かつての小島であり景観の基である丘が残された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "明治維新時点で後の秋田県下に政庁を置いていた藩は以下の5つ(石高は戊辰戦争直前の値)。この他に盛岡藩領と旗本領(仁賀保二千石家・千石家=旧仁賀保藩主の分家、生駒伊勢居地家=矢島藩主の分家、六郷氏=本荘藩主の分家)があった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "慶応4年(1868年)に起こった戊辰戦争で、久保田藩ら出羽諸藩は朝敵扱いされた会津藩・庄内藩の赦免嘆願のため奥羽越列藩同盟に加わる。しかし、久保田藩内の勤皇派がクーデターを起こして久保田藩は新政府側へ転向したため(前後して久保田新田藩=後の岩崎藩、本荘藩、矢島藩および現山形県の新庄藩も転向)、他の奥州諸侯の標的とされて秋田戦争が勃発した。佐賀藩や鹿児島藩などの救援を受けて最終的に勝利したものの、大館城・横手城・本荘城と矢島陣屋・仁賀保陣屋は落城し、広範囲の土地が荒廃した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "また、亀田藩も久保田藩に同調して新政府軍へ転向したが、山口藩から派遣された監軍の横暴な振る舞いに堪えかね、新政府軍が本荘・亀田を見捨てた際に同盟軍へ再加入して久保田方面の新政府軍を攻撃した。しかし新政府軍の反撃で亀田城も焼失することになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "※以下特記しないものは2018年", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "秋田県の人口は96万9462人(2019年6月現在)で、全国38位。人口増減率は6年連続全国最下位で、全国的にも最も人口減少が進んでいる地域の一つである。出生から死亡を引いた自然増減率、転入者から転出者を引いた社会増減率共に全国最下位だった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "1956年には135万人いた人口が、2017年に100万人を割りこんだ。1955年から2015年にかけての人口増減率は-19.5%で、-22.9%の島根県に次ぐ全国46位である。国立社会保障・人口問題研究所は、2045年にかけ人口が更に41.2%減少すると予測している。これは次点で37.0%の減少が予測されている青森県や、減少率1位だった島根県の23.8%減少よりかなり大きい。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "死亡率は7年連続全国1位と高い反面、出生率は24年連続全国最下位である。高齢化率が全国1位で、年少人口比率も全国最下位と、少子高齢化が進んでいる。婚姻率も24年連続最下位、乳児死亡率は全国2位、周産期死亡率も全国3位。自殺率も2017年は全国1位だったが、2018年は改善して1位を返上した。しかし、2019年には再び全国1位となっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "1人の女性が生涯で産む子供の数を比較した合計特殊出生率は1.33で全国42位となっている。この数値は通常都市部で低く、地方で高い傾向にあるが、秋田県はこれに当てはまっていない。大都市圏の大阪府、千葉県、埼玉県よりも低く、神奈川県に並んでいる。秋田県の合計特殊出生率は複雑な経過を辿っており、1925年時点では6.12と全国トップレベルの高さだったが、高度経済成長期に急速に低下し、1970年には1.88と全国最下位に転落した(同年の東京都は1.96)。その後1990年代には全国水準よりやや高い程度で安定したが、2000年代以降は全国的な回復傾向に乗れず、2010年に1.30と過去最低を記録し、全国40位となった。以後も低い状態が続いており、2015年は1.35で東京都と北海道に次いで低かった。2019年も1.33と低水準になっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "人口あたりの刑法犯発生(警察による認知)率が日本で最も低い都道府県である。人口10万人あたりの犯罪件数は最少である。この理由については犯罪が発生しにくい街の構造(近年における商店街の空洞化など)であることや少子高齢化、および人口減少、過疎化が他県に比べて進んでいることなども影響しているという。また、高齢化の影響で人口10万人あたりの自殺率が平成7年から平成26年の19年間(1995年~2014年)で最下位の状態が続いていたが、県・市町村のレベルでそれぞれ対策を行った結果、平成26年度にワースト1位を脱却した。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区が3。参議院では、全県で1区を構成。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "携帯電話やPC、タブレットなどの通信機器に不可欠な固定コンデンサの出荷額は1712億円で全国1位。あきたこまちの名産地であり、米の産出額は新潟県、北海道に次いで全国3位。日本酒の生産高は、兵庫県、京都府、新潟県、埼玉県、愛知県に次いで全国6位である。1人当たりの県民所得は全国34位(平成21年度)。また、2020年代の今日ではエダマメの出荷量が全国1位になったり、風力発電を中心とした新エネルギー産業に力を入れている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "樹齢200年をこえる天然秋田杉は木曽のヒノキ、津軽のヒバと並び、日本三大美林のひとつであり、木材生産量は全国4位。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "1982年、首都圏における秋田杉の需要拡大を名目として秋田銀行、北都銀行、秋田県木材産業協同組合連合会などと秋田県木造住宅株式会社を第三セクターとして設立、秋田県が25パーセントを出資し、副知事を取締役に据え県職員も出向させるなど実質的に支配した。ところが、千葉県を中心に分譲された住宅で地盤沈下により基礎が浮き上がったり秋田杉を建築材としてほとんど使用していないなど欠陥が頻発し、住人らから損害賠償請求訴訟を起こされ、最終的に170億円ほどの負債を抱えて破産した。住宅の販売に際しては当時の県知事である佐々木喜久治がパンフレットにコメントを寄せたり「秋田県庁が設立した第三セクターならではの質と価格」などと銘打っていた。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "国立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "公立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "国立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "デジタルテレビ・県域FM局・補完FM局の親局送信所は、いずれも秋田市の大森山に置かれている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "民間放送局の本社はいずれも秋田市に置かれている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "秋田県はビデオリサーチによる視聴率調査が行われている都道府県の中で唯一JNN系列の放送対象地域外である。県境に近い地域で隣県の電波を受信できる地域、およびケーブルテレビの区域外再放送で隣県のJNN系列局を視聴している世帯がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "NHK受信料支払率は、平成23年度末の初公表において全国トップの94.6%であった。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "※秋田県にはJNN系列局がないため、同県の同系列局による報道取材は主にIBC岩手放送が行っている(かつて、取材拠点として秋田支局を設置していた)。IBCが対応できない場合、宮城県の東北放送(TBC)が対応する。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "各ケーブルテレビ局では地域密着の独自番組を放送しているほか、隣県のJNN系列を再送信している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "秋田方言は一般的には本土方言-東日本方言-東北方言-北奥羽方言に含められ、金田一春彦による案では、外輪方言に含められている。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "秋田方言の語彙中で、共通語と異なるものは、かつて中央語で使われていたものが古語として残存したものと、中央以外で独自の発展をしたものがある。周辺の県と連続する分布のものも多い。現在では共通語と異なる語彙は衰退が激しく、急激に共通語に置き換えられつつある。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "秋田方言の母音音素は、共通語より1つ多い、/a/ 、/i/ 、/u/ 、/e/ 、/ɛ/ 、/o/ の6つが認められる。子音音素は、共通語と同じであるが、共通語のカ行にあたる /k/ 、タ・テ・トにあたる /t/ 、チ・ツにあたる /c/ は語中で有声化(濁音化)して、それぞれ [ɡ] 、[d] 、[z] と発音される。サ行にあたる /s/ やパ行にあたる /p/ は有声化しない。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "米どころであり、酒どころである。特に日本酒の消費量が多く、酒の飲み過ぎが多い。また雪国のため漬け物などの保存食が発達した一方、濃い味が好まれる影響もあり、ガンの死亡率は全国上位となっている。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "秋田県名誉県民の称号は、1981年(昭和56年)3月13日に制定された秋田県名誉県民条例(昭和56年3月13日秋田県条例第1号)に基づき、「秋田県の発展に卓絶した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「政治経済の発展、学術文化の振興、地方自治の振興、社会福祉の向上その他県民の福祉の増進に広く貢献した者」であり(秋田県名誉県民条例施行規則第2条)、秋田県知事が秋田県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)。名誉県民に選定された者には、秋田県名誉県民称号記と秋田県名誉県民章が贈呈される(条例第3条)。", "title": "秋田県名誉県民" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "スポーツ・文化などの分野で顕著な業績をあげた個人・団体に秋田県県民栄誉章が贈られており、2018年10月までに19個人3団体が顕彰されている。", "title": "秋田県県民栄誉章受章者" } ]
秋田県は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は秋田市。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 秋田県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Hiru kanto 1.jpg{{!}}秋田竿燈まつり | photo2a = Lake Towada from Ohanabe 2008.jpg{{!}}十和田湖 | photo2b = Sirakami santi.JPG{{!}}白神山地 | photo3a = 大会提供花火(2014).JPG{{!}}大曲の花火 | photo3b = Gate of Aoyagi Samurai House 20161106b.jpg{{!}}角館の武家屋敷 | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center |space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[竿燈|秋田竿燈まつり]]</tr><tr><td style="width:50%">[[十和田湖]]<td style="width:50%">[[白神山地]]</tr><tr><td style="width:50%">[[全国花火競技大会|大曲の花火]]<td style="width:50%">[[角館]]の武家屋敷</tr></table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|秋田県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[秋田県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Akita Prefecture.svg|90px|秋田県章]] | 都道府県章の説明 = 秋田県章 | 区分 = 県 | コード = 05000-8 | ISO 3166-2 = JP-05 | 隣接都道府県 = {{flag|青森県}}<br/>{{flag|岩手県}}<br/>{{flag|宮城県}}<br/>{{flag|山形県}} | 木 = [[秋田杉]] | 花 = [[フキノトウ]] | 鳥 = [[ヤマドリ]] | シンボル名 = 県の魚<br />県の歌<br />マスコット | 歌など = [[ハタハタ]]<br />[[秋田県民歌]]、[[県民の歌 (秋田県)|県民の歌]]<br />[[んだッチ]] | 郵便番号 = 010-8570 | 所在地 = 秋田市山王四丁目1番1号(本庁)<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-05|display=inline,title}}<br />{{〒}}010-8572<br />秋田県秋田市山王三丁目1番1号(第二庁舎)<br />[[ファイル:Akita Prefectural Government Office building No.1 20180520n.jpg|220px|秋田県庁]] | 外部リンク = {{Official website|name=美の国あきたネット}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 05 Akita prefecture.svg|320px|秋田県の位置]]{{基礎自治体位置図|05|000|image=Map of Akita Prefecture, Ja.svg}} | 特記事項 = }} '''秋田県'''(あきたけん、[[旧字体]]・[[異体字]]:'''秋田縣'''・'''穐田縣'''・'''龝田縣'''<ref>戦前の裁判書類に「龝田縣」および「穐田縣」の表記が確認できる。また、「秋」の本字体は左右を入れ替えた「秌」という字だが「秌田県」という表記はみられない。</ref>)は、[[日本]]の[[東北地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[秋田市]]。 == 地理・地域 == === 位置 === * [[日本]]、[[東北地方]]の北西部に位置する * '''隣接都道府県''': [[青森県]] - [[岩手県]] - [[山形県]] - [[宮城県]] === 地形 === * '''山地''':[[奥羽山脈]]([[八幡平]]、[[秋田駒ヶ岳]]、[[栗駒山]])、[[出羽山地]]、[[真昼山地]]([[和賀山塊]])、[[太平山地]]([[太平山 (秋田県)|太平山]])、[[白神山地]]、笹森丘陵、([[鳥海山]]) * '''平野''':[[秋田平野]]、[[能代平野]]、[[本荘平野]] * '''盆地''':[[大館盆地]]、[[鷹巣盆地]]、[[花輪盆地]]、[[横手盆地]] * '''半島''':[[男鹿半島]] * '''河川''':[[米代川]]、[[雄物川]]、[[子吉川]] * '''湖沼''':[[十和田湖]]、[[田沢湖]]、[[八郎潟]]残存湖、太平湖 秋田県の海岸は、遠浅で上陸しやすく、海岸付近には身を隠せる防風林が多いため、密入を図る工作員にとって、絶好の場所である。夜間は人が少なく、近隣住民に見られ無い上、八峰町には無人島である雄島が海岸近くにあり、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の工作員に中継点として使われているという<ref>{{cite news|title=【北朝鮮拉致】北工作員の関連事件が頻発した秋田県北部の海岸線を調査会が現場検証した 「ここならどこからでも入れる…」(3/4ページ)|newspaper=産経新聞|date=2016-06-28|url=https://www.sankei.com/article/20160628-XNYFBO3POJK7HLUAFX5LPQDT4Q/3/|accessdate=2016-11-22}}</ref><ref>{{cite news|title=【北朝鮮船漂着】かつては工作員が侵入繰り返す 秋田の海岸、蓮池薫さん拉致実行犯も(2/2ページ)|newspaper=産経新聞|date=2017-11-24|url=https://www.sankei.com/article/20171124-M7PO7KTXBBI5PIEP5BXJ3GTTIQ/2/|accessdate=2017-01-18}}</ref>。 === 自然公園 === * [[国立公園]]:[[十和田八幡平国立公園]] * [[国定公園]]:[[男鹿国定公園]]、[[鳥海国定公園]]、[[栗駒国定公園]] * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]]:[[真木真昼県立自然公園]](大仙市、美郷町)、[[田代岳県立自然公園]](大館市)、[[きみまち阪県立自然公園]](能代市)、[[八森岩館県立自然公園]](八峰町)、[[秋田白神県立自然公園]](八峰町、藤里町)、[[田沢湖抱返り県立自然公園]](仙北市)、森吉山県立自然公園(北秋田市)、[[太平山県立自然公園 (秋田県)|太平山県立自然公園]](秋田市、上小阿仁村、五城目町) === 気候 === 秋田県は[[日本海]]に面しており、[[気候区分]]は[[日本海側気候]]に分類される。日本海側気候の中でも秋田県の特徴として沿岸部の冬季の降水量はそれほど多くないが、日照時間が極端に少ないことが挙げられる。 内陸部では低温のため、同じ日本海側の[[山形県]]や[[新潟県]]と同様に県内陸部のおよそ90[[パーセント|%]]の地域が[[豪雪地帯|特別豪雪地帯]]に指定されており、<!--新潟県や山形県に次いで-->雪が多く降り積もりやすい県である。冬季間の[[日照時間]]は全都道府県の中で最も少ない。そのため、朝晩の[[放射冷却]]現象が起こらず([[鹿角市]]と[[仙北市]]などの内陸部を除く)、特に日本海側沿岸部などは北関東よりも朝の気温が高いことも多いなど緯度の割には温暖であり日較差が非常に小さいのが特徴である。内陸部の一部は[[ケッペンの気候区分]]による[[亜寒帯湿潤気候]](Dfa,Dfb)となり、寒さが厳しい。また、秋田沖付近に発生する[[暖流]]の突発的な[[大気潮汐]]によって生み出された[[寒冷渦]]や[[極低気圧]]からもたらされる[[吹雪|暴風雪]]や「ドカ雪」と呼ばれる豪雪がしばし見られることもある。 一方で、[[夏季]]は高温多湿でどんよりとしており[[梅雨明け]]のないまま秋を迎えることも珍しくない。しかしながら、太平洋側から吹く[[季節風]]は[[奥羽山脈]]の山々に遮られ、[[フェーン現象]]が発生することがある。太平洋側に[[冷害]]をもたらすと言われる[[やませ]]も高温乾燥した風となり、県内陸部中央から県内陸南部では気温が上昇し[[気温#気温に関する用語|真夏日]]や[[猛暑日]]になることもある。特に[[仙北市]]周辺では、この風が豊作をもたらすとして「宝風」と吟われる([[生保内節]])。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:right; white-space:nowrap" |+ 秋田県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2" | 平年値<br />(月単位) !colspan="12"|日本海側沿岸部 !colspan="4"|北東部内陸 |- ! [[八峰町]]<br />[[八森町|八森]] !! [[能代市|能代]] !! [[大潟村|大潟]] !! [[男鹿市|男鹿]] !! [[五城目町|五城目]] !! [[秋田市|秋田]] !! [[秋田市]]<br />[[岩見三内村|岩見三内]] !! [[秋田市]]<br />[[雄和町|雄和]] !! [[秋田市]]<br />大正寺 !! [[由利本荘市]]<br />[[本荘市|本荘]] !! [[由利本荘市]]<br />[[矢島町|矢島]] !! [[にかほ市]]<br />[[象潟町|象潟]] !! [[北秋田市]]<br />[[鷹巣町|鷹巣]] !! [[北秋田市]]<br />[[大館能代空港|脇神]] !! [[北秋田市]]<br />[[阿仁合町|阿仁合]] !! [[大館市|大館]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|℃]]) !最暖月 | 23.9<br />(8月) || 24.1<br />(8月) | 23.6<br />(8月) || 23.5<br />(8月) | 23.7<br />(8月) || 24.5<br />(8月) || 23.7<br />(8月) || | 23.6<br />(8月) || 24.1<br />(8月) || 24.5<br />(8月) | 24.9<br />(8月) || 23.5<br />(8月) | || 23.0<br />(8月) || 23.2<br />(8月) |- !最寒月 | 0.4<br />(1月) || -0.2<br />(2月) | -0.3<br />(1月) || -0.5<br />(1月) | -1.1<br />(1月) || 0.0<br />(1月) || -1.5<br />(1月) || | -1.2<br />(1月) || 0.5<br />(1月) || -0.4<br />(1月) | 2.1<br />(1,2月) || -1.2<br />(1月) | || -2.4<br />(1月) || -2.5<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 | 167.3<br />(7月) || 161.9<br />(6月) | 161.5<br />(8月) || 170.4<br />(8月) | 175.9<br />(8月) || 183.5<br />(11月) || 233.4<br />(7月) || | 209.4<br />(11月) || 211.7<br />(12月) || 270.6<br />(11月) | 188.5<br />(7月) || 203.5<br />(7月) | || 236.1<br />(8月) || 210.5<br />(7月) |- !最少月 | 58.3<br />(2月) || 76.0<br />(3月) | 62.5<br />(2月) || 72.0<br />(2月) | 78.8<br />(3月) || 84.0<br />(2月) || 111.7<br />(3月) || | 101.9<br />(3月) || 101.0<br />(3月) || 117.5<br />(5月) | 93.9<br />(3月) || 86.5<br />(2月) | || 111.3<br />(3月) || 72.5<br />(2月) |- !rowspan="2" colspan="2" | 平年値<br />(月単位) !colspan="3"|北東部内陸 !colspan="7"|仙北・南東部内陸 |- ! [[鹿角市|鹿角]] !! [[鹿角市]]<br />[[湯瀬温泉|湯瀬]] !! [[鹿角市]]<br />八幡平 !! [[仙北市]]<br />[[田沢湖町|田沢湖]] !! [[仙北市]]<br />[[角館町|角館]] !! [[大仙市]]<br />[[大曲市|大曲]] !! [[横手市|横手]] !! [[由利本荘市]]<br />[[東由利町|東由利]] !! [[湯沢市|湯沢]] !! [[湯沢市]]<br />[[秋ノ宮温泉郷|湯ノ岱]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|℃]]) !最暖月 | 22.8<br />(8月) || 22.1<br />(8月) | 19.9<br />(8月) || 23.0<br />(8月) | 24.0<br />(8月) || 24.0<br />(8月) | 24.4<br />(8月) || 23.7<br />(8月) | 23.7<br />(8月) || 22.4<br />(8月) |- !最寒月 | -3.1<br />(1月) || -3.0<br />(2月) | -5.1<br />(1月) || -3.0<br />(1月) | -2.0<br />(1月) || -2.0<br />(1月) | -1.8<br />(1月) || -1.4<br />(1月) | -1.8<br />(1月) || -2.4<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 | 165.8<br />(7月) || 167.0<br />(8月) | 209.8<br />(8月) || 266.8<br />(7月) | 234.4<br />(7月) || 187.2<br />(11月) | 167.8<br />(12月)|| 251.4<br />(12月) | 172.2<br />(8月) || 214.8<br />(8月) |- !最少月 | 58.9<br />(2月) || 72.8<br />(3月) | 94.0<br />(2月) || 94.2<br />(2月) | 120.5<br />(3月) || 90.1<br />(3月) | 79.4<br />(3月) || 121.5<br />(4月) | 70.5<br />(3月) || 116.8<br />(3月) |- |} === 自治体 === 県下には、以下の13市6郡9町3村がある。秋田県では、美郷町、三種町、八峰町が「ちょう」である以外は、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む(対等合併によって誕生した町が「ちょう」を名乗る傾向がある。平成の大合併以前は、すべて「まち」と読んだ)。人口は{{自治体人口/秋田県|date}}現在。 {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=秋田県|float=right}} ; [[秋田広域都市圏|秋田周辺地域]]({{Formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/秋田県|秋田市}} + {{自治体人口/秋田県|男鹿市}} + {{自治体人口/秋田県|潟上市}} + {{自治体人口/秋田県|八郎潟町}} + {{自治体人口/秋田県|五城目町}} + {{自治体人口/秋田県|井川町}} + {{自治体人口/秋田県|大潟村}} round 0}}}}人) * 市 ** [[秋田市]](県庁所在地) ** [[男鹿市]] ** [[潟上市]] * [[南秋田郡]] ** [[五城目町]] ** [[八郎潟町]] ** [[井川町]] ** [[大潟村]] ; 大曲・仙北地域({{Formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/秋田県|大仙市}} + {{自治体人口/秋田県|仙北市}} + {{自治体人口/秋田県|美郷町}} round 0}}}}人) * 市 ** [[大仙市]] ** [[仙北市]] * [[仙北郡]] ** [[美郷町 (秋田県)|美郷町]] ; 大館・北秋田地域({{Formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/秋田県|大館市}} + {{自治体人口/秋田県|北秋田市}} + {{自治体人口/秋田県|上小阿仁村}} round 0}}}}人) * 市 ** [[大館市]] ** [[北秋田市]] * [[北秋田郡]] ** [[上小阿仁村]] ; 本荘・由利地域({{Formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/秋田県|由利本荘市}} + {{自治体人口/秋田県|にかほ市}} round 0}}}}人) * 市 ** [[由利本荘市]] ** [[にかほ市]] ; 横手・平鹿地域({{Formatnum:{{自治体人口/秋田県|横手市}}}}人) * 市 ** [[横手市]] ; 能代・山本地域({{Formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/秋田県|能代市}} + {{自治体人口/秋田県|藤里町}} + {{自治体人口/秋田県|三種町}} + {{自治体人口/秋田県|八峰町}} round 0}}}}人) * 市 ** [[能代市]] * [[山本郡]] ** [[藤里町]] ** [[三種町]] ** [[八峰町]] ; 湯沢・雄勝地域({{Formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/秋田県|湯沢市}} + {{自治体人口/秋田県|羽後町}} + {{自治体人口/秋田県|東成瀬村}} round 0}}}}人) * 市 ** [[湯沢市]] * [[雄勝郡]] ** [[羽後町]] ** [[東成瀬村]] ; 鹿角地域({{Formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/秋田県|鹿角市}} + {{自治体人口/秋田県|小坂町}} round 0}}}}人) * 市 ** [[鹿角市]] * [[鹿角郡]] ** [[小坂町]] ==== 県内の消滅した郡の一覧 ==== * [[河辺郡]]([[2005年]](平成17年)[[1月11日]]、秋田市との合併で消滅) * [[由利郡]](2005年(平成17年)[[3月22日]]の由利本荘市誕生、[[10月1日]]のにかほ市誕生にともなって消滅) * [[平鹿郡]](2005年(平成17年)[[10月1日]]、旧横手市との合併で消滅。[[2015年]]9月30日までは、旧町村部は[[地域自治区]]として各地域局を置く) === 都市圏 === [[都市雇用圏]](10%通勤圏)の変遷<ref name="data">{{Cite web|和書| author = 金本良嗣 | title = 都市雇用圏-Urban Employment Area- | publisher = 東京大学 空間情報科学研究センター | url = https://www.csis.u-tokyo.ac.jp/UEA/uea_code.htm | accessdate = 2017年3月25日}}</ref> * [[秋田新幹線]]の駅が設置された[[都市圏]]は'''太字'''。 {| class="wikitable" style="text-align:center;" |-style="border-bottom:solid 3px #666;" !style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em;"|1980年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em;"|1990年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em;"|1995年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em;"|2000年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em;"|2005年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em;"|2010年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em;"|2015年 |- |style="background-color:#{{都市圏Color|黄緑}};"|{{都市圏|秋田|38|4718|秋田都市圏}} |style="background-color:#{{都市圏Color|黄緑}};"|{{都市圏|秋田|43|5144}} |style="background-color:#{{都市圏Color|黄緑}};"|{{都市圏|秋田|45|0274}} |style="background-color:#{{都市圏Color|黄緑}};"|{{都市圏|'''秋田'''|45|2316}} |style="background-color:#{{都市圏Color|黄緑}};"|{{都市圏|'''秋田'''|42|9178}} |style="background-color:#{{都市圏Color|黄緑}};"|{{都市圏|'''秋田'''|41|2968}} |style="background-color:#{{都市圏Color|黄緑}};"|{{都市圏|'''秋田'''|39|7801}} |- |style="background-color:#{{都市圏Color|青}};"|{{都市圏|大館|9|5521|大館市}} |style="background-color:#{{都市圏Color|赤}};"|{{都市圏|能代|10|2767}} |style="background-color:#{{都市圏Color|緑}};"|{{都市圏|横手|11|1887}} |style="background-color:#{{都市圏Color|緑}};"|{{都市圏|横手|10|8286}} |style="background-color:#{{都市圏Color|桃}};"|{{都市圏|'''大仙'''|14|8258}} |style="background-color:#{{都市圏Color|緑}};"|{{都市圏|横手|16|8880}} |style="background-color:#{{都市圏Color|緑}};"|{{都市圏|横手|15|6739}} |- |style="background-color:#{{都市圏Color|赤}};"|{{都市圏|能代|9|0847|能代都市圏}} |style="background-color:#{{都市圏Color|青}};"|{{都市圏|大館|9|0069}} |style="background-color:#{{都市圏Color|赤}};"|{{都市圏|能代|9|9720}} |style="background-color:#{{都市圏Color|桃}};"|{{都市圏|'''大曲'''|10|4840}} |style="background-color:#{{都市圏Color|紫}};"|{{都市圏|由利本荘|11|8527}} |style="background-color:#{{都市圏Color|桃}};"|{{都市圏|'''大仙'''|13|9543}} |style="background-color:#{{都市圏Color|桃}};"|{{都市圏|'''大仙'''|13|0585}} |- |style="background-color:#{{都市圏Color|緑}};"|{{都市圏|横手|7|2708|横手盆地}} 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|style="background-color:#{{都市圏Color|青}};"|{{都市圏|大館|8|6246}} |style="background-color:#{{都市圏Color|青}};"|{{都市圏|大館|8|2504}} |style="background-color:#{{都市圏Color|青}};"|{{都市圏|大館|7|8946}} |style="background-color:#{{都市圏Color|青}};"|{{都市圏|大館|7|9514}} |- |style="background-color:#{{都市圏Color|橙}};"|{{都市圏|湯沢|4|9612|湯沢市}} |style="background-color:#{{都市圏Color|橙}};"|{{都市圏|湯沢|6|8421}} |style="background-color:#{{都市圏Color|橙}};"|{{都市圏|湯沢|8|1476}} |style="background-color:#{{都市圏Color|橙}};"|{{都市圏|湯沢|7|7989}} |style="background-color:#{{都市圏Color|橙}};"|{{都市圏|湯沢|7|3557}} |colspan="2"|- |} * [[横手市]]で[[秋田自動車道]]と[[湯沢横手道路]]が接続する地形で横手市付近から[[奥羽山脈]]を越えて[[東北自動車道]]へと繋がる。2010年の横手都市圏は横手市と湯沢市を中心都市とする。 * [[1991年]](平成3年) - 秋田自動車道との供用が開始される。 * [[1997年]](平成9年) - [[ミニ新幹線]]の秋田新幹線が開業する。 === 地域圏(広域都市圏) === [[ファイル:秋田県地域区分図.svg|thumb|250px|right|秋田県 地域区分図]] 県の[[支庁|地域振興局]]の管轄地域により、県内は8つの地域圏に区分されている。それらは「県北」「中央」「県南」の3つに大別されている。由利地域振興局管内(旧[[由利郡]]地域)を県南とすることもある。ただし、衆議院選挙・小選挙区の区割りでは、秋田市(1区)・県北(2区)・県南(3区)とされている(この区分では、いわゆる男鹿潟上南秋地区が、県北部の扱い)。 地域圏の名称は目的に応じて多少違いがあり、振興局の名称は旧郡名、地域の名称は[[平成の大合併]]前の中心市名と旧郡名、都市計画における広域都市圏の名称は平成の大合併前の中心市名となっている。 以下に記載する人口は、2006年(平成18年)8月1日現在の推計人口。秋田県の総人口は1,135,156人。 * '''県北'''(沿岸北部・内陸北部) ** 鹿角地域振興局(鹿角地域<ref group="注釈" name="reigaichiiki">仙北市のうち八幡平頂上付近の県道などは、仙北地域振興局ではなく、鹿角地域振興局が管理する。</ref>、鹿角広域都市圏) 42,885人 ** 北秋田地域振興局(大館・北秋田地域、大館広域都市圏) 124,354人 ** 山本地域振興局(能代・山本地域、能代広域都市圏) 95,491人 * '''中央'''(沿岸中部・南部) ** 秋田地域振興局(秋田周辺地域、[[秋田広域都市圏]]) 429,987人 ** 由利地域振興局(由利本荘・にかほ地域、本荘広域都市圏) 117,451人 * '''県南'''(内陸中部・南部) ** 仙北地域振興局(大仙・仙北地域<ref group="注釈" name="reigaichiiki" />、[[大曲広域都市圏]]) 146,617人 ** 平鹿地域振興局(横手地域、[[横手広域都市圏]]) 102,663人 ** 雄勝地域振興局(湯沢・雄勝地域、[[湯沢広域都市圏]]) 75,715人 {{-}} == 歴史 == 現在の秋田県は、[[令制国]]での[[出羽国]]と[[陸奥国]]の各一部(明治初年にそれぞれ分割されたうちの[[羽後国]]と[[陸中国]]の各一部)からなる。「秋田」の名前の由来は、飛鳥時代の[[斉明天皇]]4年([[658年]])に阿倍比羅夫の日本海遠征において、この地を訪れ地名を「齶田(あぎた)」と報告したことから始まる。「齶田(あぎた)」はアゴに似た地形から付けられたものだともいわれており、雄物川河口部の古地形のことを示している可能性がある<ref>平川南2014「古代交流の結節点・秋田」『第29回国民文化祭・あきた2014シンポジウム「古代秋田に集った人々」-古代交流の結節点・秋田-』第29回 国民文化祭 秋田市実行委員会シンポジウム「古代秋田に集った人々」企画委員会</ref>。 その後、[[天平]]5年[[12月26日 (旧暦)|12月26日]]([[734年]]2月4日)に庄内地方にあったとされる出羽柵が高清水の岡に移し置かれ、後に[[天平|天平宝字]]年間ごろには、「[[秋田城]]」と呼ばれるようになり、「秋田」の表記で定着した。中世後期には日本最古の海洋法規集「廻船式目(廻船大法)」には三津七湊の一つとして「秋田湊」と呼ばれ重要な湊の一つに数えられた。 === 先史時代 === 秋田県にも[[旧石器時代]]から人が住んでいた証拠として多くの遺跡が発掘されている。それらの遺跡から人の手によって加工された石器が多数出土している。製作技術から[[ナイフ形石器]]、[[細石刃]]などと命名されている。このうち細石刃は木や骨などに溝を彫ってそこに埋め込み、鋭利な刃物として使用したと推測され、旧石器時代終末から縄文時代草創期にかけて使用されたと考えられている。 遺跡発掘としては、[[1969年]]([[昭和]]44年)から5次にわたって発掘された[[大仙市]][[協和町 (秋田県)|協和]]の米ヶ森遺跡がはじめである。この遺跡からは石器・石核・石片などおよそ1,000点が出土している。この後は工業団地や自動車道などの建設工事で多くの遺跡が発掘調査されている<ref>冨樫泰時「あきたのあけぼの」10-14ページ(塩谷順耳・冨樫泰時・熊田亮介・渡辺英夫・古内龍夫『秋田県の歴史』山川出版社 2001年5月)</ref>。 今からおよそ1万2000年前になると土器が製作されはじめ、定住生活も始まった。[[縄文時代]]である。[[縄文人]]によって、現在の秋田県域にも縄文文化が栄えた。縄文後期の墓地遺跡である[[ストーン・サークル]]([[環状列石]]・石籬;せきり)が[[1931年]](昭和6年)に確認された。[[1951年]](昭和26年)と翌年の[[1952年]](昭和27年)にも[[考古学]]研究の国営事業として発掘調査が行われたので全国的に知られるようになった。その遺跡は鹿角市の大湯にあり、同規模の2つの環状列石で、西側が万座遺跡、東側が野中堂遺跡である。やや大きい万座遺跡は、環状部分が直径46メートルある。太平洋戦争中は「神代」(かみよ)の遺跡として扱われた。 西日本では、この縄文人に加え[[弥生時代]]ごろから[[弥生人]]と呼ばれる[[ユーラシア大陸]]東部からの移住民が増えた。雑多な民族は次第に統一され、[[大和民族|ヤマト民族]]としての統一国家が近畿地方を中心に形成された。これが後に[[朝廷 (日本)|朝廷]]と呼ばれるようになる。朝廷は8世紀に国号を「[[日本]]」と改めた。現在の秋田県を含む東北地方北部はこの時点で、朝廷に属していなかった。そのため朝廷はこの地方への征服活動を進めた。 === 古代 === [[8世紀]]前半の[[奈良時代]]に出羽の秋田地域は、朝廷によって[[日本海]]沿岸の北辺地域の交易や征服などの拠点とされた。[[出羽柵]]が現在の[[山形県]][[庄内地方]]に設置されるが、天平5年12月26日(734年2月4日)、出羽柵は秋田村高清水岡(現在の[[秋田市]][[寺内 (秋田市)|寺内]])へ移設された([[続日本紀]])。出羽柵は760年ごろに[[秋田城]]に改称される。このころから「秋田」の表記で定着している。780年には出羽国府が秋田に移されたが、エミシ民族([[蝦夷]]:縄文人の末裔とも、朝廷に属さないヤマト民族ともいわれる)の反撃によって秋田城が陥落し、出羽国府は再び移されることになった。秋田城はこの後朝廷側によって再建され、北東北日本海側征服の一大拠点となる。このころになると[[墾田]]の私有が認められ、地方豪族の勢力はいっそう発展した。[[9世紀]]ごろの[[平安時代]]には[[太政官]]の命令で、勝手に開墾地を私有し農民を困らせてはならぬとの規則が出るほどになる。 [[元慶]]2年([[878年]])[[元慶の乱]]が起こった。これは重い税や労役の苦しみに耐えかねた蝦夷の秋田城司に対する反抗であった。秋田城や民家は焼き払われ、多くの物資や兵を失った。朝廷は急いで陸奥国から五千人の援軍を派遣したが平定に失敗し、新任出羽守の[[藤原保則]]を派遣した。保則は反乱の平定に蝦夷をもって当たらせることで成功した。この後、城の修復や兵力の増強をはかったが、天慶2年に再び[[天慶の乱 (出羽国)|天慶の乱]]が発生した。当時はこのように蝦夷に対する朝廷の力は絶対的なものではなく、「[[俘囚]]の長」と呼ばれたヤマトに服属するエミシ民族の地方豪族の力は加速度的に強大になっていった<ref>『日本の特別地域 特別編集68 これでいいのか秋田県』40頁 - 41頁 (地域批評シリーズ)</ref>。 === 前九年の役と後三年の役 === 中央の[[律令政治]]が衰えるとともに、私有地の占領が次第に増え、農民は有力豪族の保護を求めるようになり、蝦夷地の各所には豪族を中心とする武士の集まりができた。豪族は更に、重要地点に分家を配して勢力を拡げて団結を強固にした。その中の有力だったものが陸奥の安倍氏、出羽の清原氏である。 [[北上川]]中流以北に勢力を広げていた安部氏は朝廷に対する貢租・徴役を怠り、横暴な態度であるというので朝廷は討伐を行った。これが'''[[前九年の役]]'''([[永承]]6年([[1051年]]) - [[康平]]5年([[1062年]]))である。しかし、当時の陸奥守や秋田城介の力では討伐ができず、新興武士であった[[源頼義]]が陸奥守として向けられ、七年以上にわたり戦いを繰り広げた。頼義も自軍のみで討伐できずに横手付近に根拠をおいた[[豪族]][[清原光頼]]に臣下の礼の形を取り参戦を依頼した。光頼は弟の[[清原武則|武則]]を大将とする一万余の兵を出し、遂に討伐に成功した。源頼義、[[源義家|義家]]の兵力はわずか三千であったが、この清原氏が出した兵力だけでもその武力を伺い得る。 しかしこの後、武則の孫の代にいたって一族争いが起こり、[[清原家衡|家衡]]が出羽国、沼柵(現在の[[横手市]][[雄物川町沼館]])に立てこもる。家衡はここを[[源義家]]に攻められ、[[金沢柵]]([[横手市]][[金沢中野]])に移ったが、遂に敗れた。これが'''[[後三年の役]]'''([[永保]]3年([[1083年]]) - [[応徳]]4年/[[寛治]]元年([[1087年]]))である。この戦の後に、[[藤原清衡|清衡]]が[[奥州藤原氏]]として栄えた<ref>『日本の特別地域 特別編集68 これでいいのか秋田県』42頁 - 43頁 (地域批評シリーズ)</ref>。 === 中世 === 奥州藤原氏は初代の清衡から二代[[藤原基衡|基衡]]、三代[[藤原秀衡|秀衡]]を経て四代[[藤原泰衡|泰衡]]に至るまでのおよそ一世紀([[11世紀]]末 - [[12世紀]]末)にわたって栄え、東北の天地は完全に豪族の支配下になった。藤原氏の支配原理は、代々[[押領使]]を[[世襲]]することで軍事指揮権を公的に行使し、併せて[[荘園 (日本)|荘園]]の管理も請け負うというものであり、当時の秋田では[[比内郡]]の河田氏、[[秋田郡]]の大河氏、由利地方の由利氏が藤原氏の支配下にあったと言われているが、近年の研究では[[出羽国]]に[[奥州合戦]]後も[[御家人]]として在地支配を許された豪族が多いことおよび渥美・常滑焼が広まった[[平泉]]付近を中心とする太平洋側と珠洲焼の出土が多い秋田郡近辺の[[陶磁器|陶器]]文化圏が異なることから、在地領主の[[家人]]化が進んだ陸奥国と押領使としての軍事指揮権に留まった出羽国の差を指摘する見解もある。特に出羽北部である秋田地方には荘園が存在せず、公領制一色の世界であったため、どの程度まで奥州藤原氏の支配が及んだかは疑問であるとされている。 隆盛を極めた藤原氏も、[[鎌倉幕府]]を創設した[[源頼朝]]が平泉の藤原氏にのがれた弟[[源義経|義経]]を追討することによって打ちくだかれる。頼朝は[[文治]]5年([[1189年]])、19万の軍勢を率いて[[奥州合戦]]を行った。藤原泰衡は平泉から[[蝦夷地]]への逃亡を始めたが、途中立ち寄った河田氏の元で裏切りに遭い、[[河田次郎]]によって討ち取られる。同年12月に挙兵した大河氏の[[大河兼任]]も挙兵3か月で討ち取られた。 数世紀にわたった豪族の天下も、この藤原氏の滅亡で幕を閉じ、東北は完全に鎌倉幕府の支配下となった。藤原氏を倒した頼朝は、[[御家人]]、[[地頭]]職を新たに東北各地に配し、東北における大きな政治的転換点となった。頼朝が秋田に配した御家人は[[成田氏]]、[[安保氏]]、[[秋元氏]]、[[奈良氏]]、橘氏、[[浅利氏]]、[[平賀氏]]、[[小野寺氏]]などであった。また由利氏は藤原氏に仕えていたが、そのまま由利地方を治めることとなった。これらの豪族はほぼそのまま藩政以前までその地を治めることとなる。 その後、日本海北部に勢力を持った[[安東氏]](安藤氏ともいう)が[[津軽地方]]から南下し、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]になると檜山安東氏と湊安東氏の一族抗争があったものの、[[安東愛季]]の時代に統一し最盛期を迎えた。[[横手盆地]]には[[戸沢氏]]、[[前田氏]]、[[本堂氏]]、[[六郷氏]]、小野寺氏などが勢力を持っていた。由利郡は由利氏の一族と地頭であった小笠原氏の子孫などが中小の豪族に分かれ、[[由利十二頭]]と呼ばれる勢力になった。 === 近世 === [[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]で西軍を破った[[徳川家康]]は[[征夷大将軍]]に任ぜられ、[[江戸幕府|幕府]]を[[江戸]]に開いて天下の実権を握った。秋田県下の諸大名は西軍についた小野寺氏以外は所領安堵されたが、慶長7年から慶長8年の期間にかけてほとんどの大名が[[常陸国]]に転封され、鎌倉時代以来となる長年の領主と住民のつながりは切れた。 ==== 久保田藩 ==== 慶長7年([[1602年]])、[[秋田郡]]を領有していた[[秋田実季]](安東氏から改姓)などと入れ替わりで、関ヶ原の戦いで西軍に内通していた[[佐竹義宣 (右京大夫)|佐竹義宣]]が常陸国から転封され、[[久保田藩]]を立藩する。義宣ははじめ秋田氏の居城であった[[湊城]](現在の秋田市[[土崎港]])に本拠を置いたが、まもなく神明山(秋田市[[千秋 (秋田市)|千秋公園]])に[[久保田城]]を築いて居を移した。また、[[一国一城令]]の例外として、[[横手城]]・[[大館城]]が支城として存続した([[檜山城]]・[[角館城]]などは破却)。組織としては、領内統治を担当する家老の下に財政担当の勘定奉行、城下支配の久保田奉行、そのほか能代奉行、各郡の郡奉行、鉱山支配の銅方奉行、山林支配の木山奉行などを配した。このような藩の組織機構の下、直接生産を営む農民と、その中間の商人・職人が位置づけられ、新たな時代の生活が始まった<ref>『日本の特別地域 特別編集68 これでいいのか秋田県』pp.46-47 (地域批評シリーズ)</ref>。 常陸時代には54万石の大身大名であった佐竹氏は、明治まで[[表高]]20万石の久保田藩を治めることになった。実高は新田開発などで田地が増し、40万石くらいであったとされる。領内に存在した[[院内銀山]]や[[阿仁鉱山|阿仁銅山]]などの諸鉱山、および全国的に著名な[[天然秋田杉|秋田杉]]なども久保田藩の収入源となったが、常陸時代以来の過大な家臣団が財政を圧迫し、幾度も財政改革を行う必要に迫られた。 久保田藩からは思想家の[[佐藤信淵]]・[[平田篤胤]]・[[安藤昌益]]や、[[秋田蘭画]]を切り開いた[[佐竹義敦]](曙山)・[[小田野直武]]らが出ている。「[[エレキテル]]」で知られる博物学者の[[平賀源内]]は、久保田藩の依頼で技術指導のため阿仁鉱山を訪れ、途中立ち寄った角館で小田野直武に遠近法を伝えたといわれる。[[享保]]年間には鈴木定行と加藤政貞の2名が古来の観音信仰にもとづき、[[秋田六郡三十三観音霊場]]の古跡をたずね、巡礼歌を添えた巡礼記をのこした。 ==== 由利郡諸藩 ==== [[元和 (日本)|元和]]8年([[1622年]])、[[山形藩]]主[[最上氏]]が[[改易]]され、旧最上領は幕府領と中小の大名領に分割された。このうち[[由利郡]]には、関ヶ原の戦い後に転封ないし改易されていた[[六郷政乗]](2万石)、[[佐竹義隆|岩城吉隆]](2万石)、[[仁賀保挙誠]](1万石)、[[打越光久]](3,000石)などが入部し、それぞれ[[本荘藩]]、[[亀田藩]]、[[仁賀保藩]]、[[旗本]]になった。後に仁賀保氏と打越氏は改易され(仁賀保氏は分家2家が旗本として存続)、代わって[[讃岐国]][[高松藩]]主だったがお家騒動で改易された[[生駒高俊]](1万石)が転封され、[[矢島藩]]となっている。 [[本荘藩]]領にあった[[象潟]]は全国的に著名な景勝地であったため、[[松尾芭蕉]]・[[雷電爲右エ門]]らがこの地を訪れている。[[文化 (元号)|文化]]元年([[1804年]])の[[象潟地震]]で隆起し、潟湖から陸地へ、そして農地へと変わったが、[[蚶満寺]]住職の覚林による自然保護運動により、かつての小島であり景観の基である丘が残された。 ==== 明治維新 ==== [[明治維新]]時点で後の秋田県下に政庁を置いていた藩は以下の5つ(石高は戊辰戦争直前の値)。この他に[[盛岡藩]]領と旗本領([[由利十二頭#仁賀保氏|仁賀保二千石家・千石家]]=旧[[仁賀保藩]]主の分家、[[生駒氏|生駒伊勢居地家]]=矢島藩主の分家、[[六郷氏]]=本荘藩主の分家<!-- 家名未確認 -->)があった。 * [[久保田藩]] - 藩主は[[佐竹氏|佐竹右京大夫家(佐竹宗家)]]。205,800石。うち5,800石は[[下野国]]にあった飛び地の分。戊辰戦争後に賞典20,000石を下賜された。 * [[久保田藩#岩崎藩|岩崎藩]] - 藩主は[[佐竹氏|佐竹壱岐守家]]。20,000石。久保田藩の支藩で「久保田新田藩」と呼ばれ、江戸時代を通じて領地を持たず本藩から蔵米を支給されていた。幕末に[[河辺郡]]椿台付近を久保田藩から割譲され「椿台藩」を自称したが、直後に戊辰戦争が勃発し椿台付近は激戦地となったため、実際には領地支配はほとんどできなかった。終戦後、[[雄勝郡]]岩崎へ移転して岩崎藩と改称した。 * [[本荘藩]] - 藩主は[[六郷氏]]。20,000石(戊辰戦争後に賞典10,000石を下賜)。戦国時代には[[仙北郡|山本郡]][[六郷町 (秋田県)|六郷]]付近を支配していた国人領主で、唯一中世から県下に由来を持つ大名である。 * [[亀田藩]] - 藩主は[[岩城氏]]。20,000石(戊辰戦争後に2,000石を減封)。当初は佐竹氏の親族で、検地など初期の藩政に久保田藩が協力していたが、その後も藩政干渉を受けたため久保田藩との関係は良くなかった。五代藩主の[[岩城隆韶]]と六代藩主の[[岩城隆恭]]は[[仙台藩]][[伊達氏]]一門から迎えた養子であり、以後佐竹氏との血縁関係はなくなった。 * [[矢島藩]] - 藩主は[[生駒氏]]。8,000石。立藩時点では10,000石だったが、二代藩主[[生駒高清]]が弟の俊明に領地を分知したため大名と見なされなくなり、以後は江戸時代を通じて旗本。戊辰戦争後の明治元年(1868年)に15,200石へ高直しを受けて再度立藩、更に賞典1,000石を下賜された。 [[慶応]]4年([[1868年]])に起こった[[戊辰戦争]]で、久保田藩ら出羽諸藩は朝敵扱いされた[[会津藩]]・[[庄内藩]]の赦免嘆願のため[[奥羽越列藩同盟]]に加わる。しかし、久保田藩内の勤皇派がクーデターを起こして久保田藩は新政府側へ転向したため(前後して久保田新田藩=後の岩崎藩、本荘藩、矢島藩および現山形県の[[新庄藩]]も転向)、他の奥州諸侯の標的とされて[[秋田戦争]]が勃発した。[[佐賀藩]]や[[薩摩藩|鹿児島藩]]などの救援を受けて最終的に勝利したものの、大館城・横手城・本荘城と矢島陣屋・仁賀保陣屋は落城し<!-- 岩崎陣屋は戦後の設置 -->、広範囲の土地が荒廃した。 また、亀田藩も久保田藩に同調して新政府軍へ転向したが、[[長州藩|山口藩]]から派遣された監軍の横暴な振る舞いに堪えかね、新政府軍が本荘・亀田を見捨てた際に同盟軍へ再加入して久保田方面の新政府軍を攻撃した。しかし新政府軍の反撃で亀田城も焼失することになった。 === 近・現代の年表 === ==== 明治初期の久保田藩・岩崎藩 ==== * 明治2年(1869年) ** [[6月17日 (旧暦)|6月17日]]([[7月25日]]) - 久保田藩主[[佐竹義堯]]が[[版籍奉還]]し、久保田藩[[知藩事|知事]]に就任する。久保田城は陸軍省の管理下に置かれ、政庁は三ノ丸下中城の[[渋江厚光|渋江内膳]]邸(後に新築された佐竹義堯邸)へ移る<ref name="akitasisi4-p9">「秋田市史 第四集」9頁。</ref>。 ** 6月 - 久保田新田藩が岩崎藩へ移転改称。 ** 10月 - 岩崎藩が久保田藩保証の下で、[[高知藩]]を通じオランダ・アテリアン商会から15万5千両を借り受け、蒸気船「八坂丸」を購入し国際貿易に着手しようとする。八坂丸が回航中に難破したこともあってこの事業は失敗し、最終的に久保田藩が33万4千両の不渡りを出して国際問題になる(八坂丸外債事件)<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.akita.lg.jp/uploads/public/archive_0000000396_00/kenkyuukiyou008.pdf 秋田県公文書館研究紀要 第八号]|14.2&nbsp;[[メビバイト|MiB]]}}</ref>。 * 明治3年([[1870年]])[[2月24日 (旧暦)|2月24日]]([[3月25日]]) - 岩崎藩主[[佐竹義理]]が版籍奉還し、岩崎藩知事に就任する。 * 明治4年([[1871年]]) ** [[1月9日 (旧暦)|1月9日]]([[2月27日]]) - 久保田藩が政府へ藩名変更の願書を提出する。理由は、当地方は古来「秋田」と呼ばれたものであり、「久保田」は300年来の称とはいえ一小村の俗称に過ぎないことから<ref name="akitasisi4-p7">「秋田市史 第四巻」7頁。</ref>。 ** [[1月13日 (旧暦)|1月13日]]([[3月3日]]) - 久保田藩を秋田藩と改名<ref name="akitasisi4-p7" />。 ** 4月 - 岩崎藩が[[岩崎藩陣屋]]を建立。 ==== 明治初期の由利郡 ==== * 明治2年(1869年) ** [[6月22日 (旧暦)|6月22日]]([[7月30日]]) - 本荘藩主[[六郷政鑑]]、亀田藩主[[岩城隆彰]]、矢島藩主[[生駒親敬]]が版籍奉還し、各藩知事に就任する。 ** [[7月26日 (旧暦)|7月26日]]([[9月2日]]) - [[酒田県]]が発足し、由利郡の旗本領および亀田藩の減封分を管轄。 * 明治3年([[1870年]])[[9月28日 (旧暦)|9月28日]]([[10月17日]]) - 酒田県が[[山形県]]に移転改称する。 ==== 明治初期の鹿角郡 ==== * [[明治]]元年[[12月7日 (旧暦)|12月7日]]([[1869年]][[1月19日]]) - 鹿角郡が盛岡藩から没収され、弘前藩取締地になる。 * 明治2年(1869年) ** [[2月8日 (旧暦)|2月8日]]([[3月20日]]) - 鹿角郡が黒羽藩取締地に変更され、北奥県を称する。 ** [[8月7日 (旧暦)|8月7日]]([[9月12日]]) - 北奥県の区域をもって九戸県を設置。 ** [[9月13日 (旧暦)|9月13日]]([[10月17日]]) - 九戸県が八戸県に改称。 ** [[9月19日 (旧暦)|9月19日]]([[10月23日]]) - 八戸県が八戸藩との混同を避けるため三戸県に改称。 ** [[11月28日 (旧暦)|11月28日]]([[12月30日]]) - 三戸県が[[会津藩|斗南藩]]と[[江刺県]]に分割され、鹿角郡は江刺県管轄となる。 ==== 明治(廃藩置県以後) ==== * 明治4年([[1871年]]) ** [[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[8月29日]]) - [[廃藩置県]]に伴い、秋田県・本荘県・岩崎県・亀田県・矢島県を設置(これを記念して8月29日は県の記念日となっている)。 ** [[11月2日 (旧暦)|11月2日]]([[12月13日]]) - 第1次府県統合に伴い、上記5県と江刺県のうち鹿角郡全域、および由利郡の山形県管轄分を併せて秋田県(第2次)を設置。県令・権令の発令はなく、江刺県大参事の村上光雄が秋田県参事に任じられる<ref name="akitasisi4-8">「秋田市史 第四巻」8頁。</ref>。 ** [[11月2日 (旧暦)|11月14日]]([[12月21日]]) - 久保田藩の飛び地からそのまま秋田県管下となっていた、[[下野国]][[河内郡]]の7ヶ村が[[宇都宮県]]へ、同[[都賀郡]]の4ヶ村が[[栃木県]]へ移管される。これにより、[[十和田湖]]上の境界未定箇所を除き現在の県域が確定(十和田湖上の確定は2008年)。 ** [[12月26日 (旧暦)|12月26日]](1872年[[2月4日]]) - 初代秋田県権令に侍従の[[島義勇]]が就任。当面は東京築地新富町の秋田県支庁にて勤務<ref>「秋田市史 第四集」8頁。</ref>。 * 明治5年([[1872年]]) ** [[2月26日 (旧暦)|2月26日]]([[4月3日]]) - 島権令、秋田長野町の旧佐竹北家邸に入る<ref name="akitasisi4-p9" />。 ** [[3月13日 (旧暦)|3月13日]]([[4月20日]]) - 久保田城本丸に秋田県庁を開庁。 ** [[7月20日 (旧暦)|7月20日]]([[8月23日]]) - 第2代秋田県令に宮内大丞の[[杉孫七郎]]が任命される<ref name="akitasisi4-10">「秋田市史 第四集」10頁。</ref><ref name="akitasisi4-81">「秋田市史 第四集」81頁。</ref>。 ** [[10月12日 (旧暦)|10月12日]]([[11月12日]]) - 県庁を秋田東根小屋町の本部学校(旧[[明徳館 (久保田藩)|明徳館]])へ移す<ref name="akitasisi4-10" /><ref name="akitasisi4-107">「秋田市史 第四巻」107頁。</ref>。 * [[1873年]](明治6年) ** [[2月18日]] - 秋田東根小屋町に秋田県初の公立小学校(変則小学校、後の日新学校)が設立される<ref name="akitasisi4-84">「秋田市史 第四巻」84頁。</ref>。 ** 5月? - 第3代秋田県権令に[[木更津県]]参事の[[国司仙吉]]が任命される<ref name="akitasisi4-11">「秋田市史 第四巻」11頁。</ref>。 ** [[8月24日]] - 県庁聴訟課より出火し庁舎全焼。下中城の渋江邸に県庁を移す<ref name="akitasisi4-12">「秋田市史 第四巻」12頁。</ref><ref name="akitasisi4-38">「秋田市史 第四巻」38頁。</ref>。 ** [[9月10日]] - 日新学校内に洋学科を増設、洋学校([[秋田県立秋田高等学校]]の前身)として開校。 ** [[10月1日]] - 秋田上中城町に教員養成のための伝習学校([[秋田大学]]教育文化学部の前身)を設立<ref name="akitasisi4-84" />。 ** [[11月27日]] - 秋田長野町の空き官舎(旧佐竹北家邸、初代島権令の離任後は使われていなかった)を改築して県庁とする<ref name="akitasisi4-107" /><ref name="akitasisi4-12" />。 ** 12月 - 秋田五丁目横町に聴訟課監視掛付属屯所を設立し「巡邏逮捕之事務取扱」を発令。[[秋田中央警察署]]の起源とされる<ref name="akitasisi4-13">「秋田市史 第四巻」13頁。</ref>。 * [[1874年]](明治7年) ** [[1月22日]] - 県病院を開設。 ** [[2月2日]] - 遐邇新聞([[秋田魁新報]]の前身)が創刊。 ** [[3月25日]] - 秋田郵便取扱所を開設。 ** [[5月12日]] - 秋田東根小屋町の旧県庁跡<ref group="注釈">かつて明徳館の所在地だったことから教育と縁のある地として選ばれた。</ref>に、伝習学校と洋学校を併せた太平学校の校舎が新築落成<ref name="akitasisi4-97">「秋田市史 第四巻」97頁</ref>。 ** [[7月1日]] - 太平学校が開校<ref name="akitasisi4-97" />。 ** 8月 - [[羽州街道]]・[[雄物川]]・[[米代川]]を二等道路・河川(県費で維持管理する道路・河川)とする<ref name="akitasisi4-64">「秋田市史 第四巻」64頁</ref>。 * [[1875年]](明治8年) - 県庁内に警察署を、秋田町・[[大館町]]・横手町に警察出張所を、県内35か所に分屯所を設立<ref name="akitasisi4-13" />。 ** [[3月5日]] - 北国街道([[羽州浜街道|酒田街道]])が二等道路に昇格する<ref name="akitasisi4-64" />。 ** [[5月19日]] - 第4代秋田県権令に工部省記録局長の[[石田英吉]]が任命される<ref name="akitasisi4-12" /><ref name="akitasisi4-102">「秋田市史 第四巻」102頁。</ref>。 * [[1876年]](明治9年) ** [[2月29日]] - 秋田県聴訟課を秋田県裁判所と改め県庁内に開設する<ref name="akitasisi4-14">「秋田市史 第四巻」14頁</ref>。 ** 3月 *** 秋田土手谷地町の[[佐竹義純]]邸を県が購入し秋田博物館とする<ref name="akitasisi4-58">「秋田市史 第四巻」58頁。</ref>。 *** 八橋村の官有地3,888坪を県が確保し、八橋植物園を創設する<ref name="akitasisi4-61">「秋田市史 第四巻」61頁</ref>。 ** 4月 *** 県庁警察署内にあった第一警察出張所が秋田大町三丁目に庁舎新築し、秋田警察署となる<ref name="akitasisi4-14"/>。 *** [[広小路 (秋田市)|広小路]]が二等道路に昇格する<ref name="akitasisi4-64" />。 ** 12月 - 秋田県裁判所を青森裁判所秋田支庁とし、秋田区裁判所と共に県庁内で事務を行う<ref name="akitasisi4-14" />。 * [[1877年]](明治10年) ** 1月 - 秋田東根小屋町に裁判所庁舎を新築し、青森裁判所秋田支庁・秋田区裁判所とも移転<ref name="akitasisi4-14" />。 ** [[1月15日]] - 太平学校が焼失する<ref name="akitasisi4-98">「秋田市史 第四巻」98頁。</ref>。 ** 4月 - 青森裁判所の[[弘前市|弘前]]移転を受けて、青森裁判所秋田支庁を弘前裁判所秋田支庁に改める<ref name="akitasisi4-14" />。 ** [[5月15日]] - 秋田博物館にて第1回秋田博覧会を開催する<ref name="akitasisi4-58">「秋田市史 第四巻」58頁。</ref>。 * [[1878年]](明治11年) ** [[4月12日]] - 太平学校を同地に再建する<ref name="akitasisi4-98" />。 ** [[4月17日]] *** 太平学校を秋田県師範学校と改称する<ref name="akitasisi4-98" />。 *** 県内の区長・戸長・町村総代人、計36人を集めて県会を設立<ref name="akitasisi4-118">「秋田市史 第四巻」118頁。</ref>。 ** 8月 - 八橋植物園に秋田博物館を新築移転<ref name="akitasisi4-61" />。 ** [[8月10日]]-[[10月8日]] - 八橋植物園にて第2回秋田博覧会を開催<ref name="akitasisi4-61" />。 ** [[11月29日]] - 第1回種子交換会(秋田県種苗交換会の前身)開催。 ** [[12月10日]] - 秋田電信分局が開局。 ** [[12月23日]] - [[郡区町村編制法]]施行にともない、[[秋田郡]]を分割して[[北秋田郡]]と[[南秋田郡]]を設置。 * [[1879年]](明治12年) ** [[1月4日]] - 秋田茶町菊ノ丁に第四十八国立銀行([[秋田銀行]]の前身)が開業<ref name="akitasisi4-35">「秋田市史 第四巻」35頁。</ref>。 ** 2月下旬 - 第1回県会議員選挙が行われ、33人が選出される<ref name="akitasisi4-118">「秋田市史 第四巻」118頁。</ref>。 ** [[3月20日]] - 第1回秋田県議会が秋田東根小屋町の秋田県師範学校にて開会<ref name="akitasisi4-119">「秋田市史 第四巻」119頁。</ref>。 * [[1880年]](明治13年)[[4月19日]] - 秋田土手長町に県庁新庁舎が落成。昭和32年に全焼するまで使用された<ref name="akitasisi4-120">「秋田市史 第四巻」120頁。</ref>。 * [[1889年]](明治22年) ** [[4月1日]] - [[市制]]・[[町村制]]施行により[[日本の市町村の廃置分合#明治の大合併|明治の大合併]]が行われる。県内では[[南秋田郡]]秋田町が唯一市制施行し、'''[[秋田市]]'''となる。 ** [[7月3日]] - 秋田馬車鉄道([[秋田市電]]の前身)、秋田・土崎間で運行開始。 * [[1895年]](明治28年)[[5月3日]] - 増田銀行([[北都銀行]]の前身)が開業。 * [[1898年]](明治31年)[[9月20日]] - [[歩兵第17連隊]]が[[仙台市|仙台]]から秋田への移駐を完了。 * [[1899年]](明治32年)[[6月21日]] - [[陣場駅]]・[[白沢駅 (秋田県)|白沢駅]](県内初の鉄道駅)が開業。 * [[1901年]](明治34年)[[11月14日]] - 近江谷発電所が秋田市、南秋田郡[[土崎港町]]に電力供給を開始。 * [[1902年]](明治35年)[[10月21日]] - [[秋田駅]]が開業。 * [[1905年]](明治38年) - [[和井内貞行]]が[[ヒメマス]]養殖に成功。 ** [[9月14日]] - [[奥羽本線]]全線開通。 * [[1907年]](明治40年)[[12月26日]] - 秋田郵便局にて秋田[[市内通話|市内電話交換業務]]を開始(加入数201名)。 * [[1910年]](明治43年)[[8月11日]] - 大水害、死者25名。 * [[1911年]](明治44年)[[4月30日]] - [[秋田鉱山専門学校]](秋田大学国際資源学部・理工学部の前身)が開校。 * [[1912年]](明治45年)[[1月28日]] - [[白瀬矗]]が[[南極]]に[[日本の国旗|日章旗]]を掲揚。 ==== 大正 ==== * [[1912年]]([[大正]]元年)[[9月23日]] - [[大正元年の台風|台風]]により死者23名。 * [[1914年]](大正3年) ** [[3月15日]] - [[強首地震]]、死者94名。 ** [[5月26日]] - [[新日本石油|日本石油]]黒川油田でロータリー式五号井が大噴油。 * [[1916年]](大正5年)[[12月16日]] - 船川軽便線(現在の[[男鹿線]])全線開通。 * [[1917年]](大正6年)[[8月1日]] - [[日本銀行]]秋田支店を開設。 * [[1919年]](大正8年)[[8月24日]] - [[小坂鉱山]]労働争議。 * [[1921年]](大正10年)[[2月25日]] - 『[[種蒔く人]]』発行。 * [[1924年]](大正13年) ** [[7月31日]] - [[羽越本線]]全線開通。 ** [[11月12日]] - 横黒線(現在の[[北上線]])全線開通。 * [[1926年]](大正15年)[[3月8日]] - 小坂鉱山煙害賠償労働争議。 ==== 昭和 ==== * [[1928年]](昭和3年)[[12月21日]] - 県議会で[[近代公娼制|公娼]]廃止決議案が可決<ref>秋田県会も廃止建議案を可決『東京日日新聞』昭和3年12月22日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p602 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1929年]]([[昭和]]4年)[[11月27日]] - [[前田村 (秋田県)|前田村]]争議が和解。 * [[1931年]](昭和6年)[[10月17日]] - [[花輪線]]全線開通。 * [[1932年]](昭和7年)[[7月5日]] - [[NHK秋田放送局]]が放送開始。 * [[1935年]](昭和10年)[[3月20日]] - [[ジャパンエナジー|日本鉱業]][[八橋油田]]で上総式四号井が大噴油。 * [[1936年]](昭和11年) ** [[7月30日]] - [[五能線]]全線開通。 ** [[11月20日]] - [[尾去沢鉱山]]鉱滓ダム決壊、死者・行方不明者380名。 * [[1938年]](昭和13年) ** [[4月27日]] - [[雄物川]]放水路の掘削工事完成。 ** [[10月21日]] - [[由利高原鉄道鳥海山ろく線|矢島線]]全線開通。 * [[1939年]](昭和14年)[[5月1日]] - [[男鹿地震]]、死者26名。 * [[1940年]](昭和15年)[[9月26日]] - [[山本郡]][[能代港町]]・[[東雲村 (秋田県)|東雲村]]・[[榊村 (秋田県)|榊村]]が合併・市制施行し、'''[[能代市]]'''となる。 * [[1941年]](昭和16年)[[10月20日]] - 秋田・第四十八・湯沢の各銀行が合併して[[秋田銀行]]となる。 * [[1944年]](昭和19年) ** [[5月9日]] - [[花岡鉱山]]で落盤、遭難22名。 ** [[9月18日]] - 台風により死傷者5名。 * [[1945年]](昭和20年) ** [[7月5日]] - 第1次[[横手空襲]]。 ** [[8月10日]] - 第2次横手空襲。 ** [[8月14日]] - [[土崎空襲]]。 * [[1949年]](昭和24年)[[5月31日]] - 秋田師範学校、秋田青年師範学校および秋田鉱山専門学校を母体として、[[秋田大学]]が発足。 * [[1951年]](昭和26年) ** [[1月19日]] - [[秋田港]]を[[重要港湾]]に指定。 ** 4月1日 - 旧'''[[横手市]]'''、'''[[大館市]]'''発足。 * [[1954年]](昭和29年) ** [[3月31日]] - 旧'''[[男鹿市]]'''、旧'''[[湯沢市]]'''、'''[[本荘市]]'''発足。 ** [[5月3日]] - '''[[大曲市]]'''発足。 * [[1957年]](昭和32年)[[8月12日]] - 県庁全焼<ref name="akitasisi4-120" />。 * [[1959年]](昭和34年)12月 - 秋田市川尻町字八千刈(現在の山王四丁目)に新築した県庁新庁舎へ移転<ref name="akitasisi4-120" />。 * [[1961年]](昭和36年) ** [[9月26日]] - [[秋田空港]]が開港。 ** [[10月8日]]-[[10月13日|13日]] - [[第16回国民体育大会]](秋田国体(民泊国体、まごころ国体))秋季大会を開催。 * [[1964年]](昭和39年)[[9月15日]] - 八郎潟干陸式、[[大潟村]]発足。 * [[1965年]](昭和40年)[[11月1日]] - 秋田湾地域を[[新産業都市]]に指定。 * [[1966年]](昭和41年)[[10月20日]] - [[田沢湖線]]全線開通。 * [[1970年]](昭和45年)4月1日 - 秋田大学に[[医学部]]を設置。 * [[1972年]](昭和47年) **4月1日 - '''[[鹿角市]]'''発足。 **「切浜事件」が発生。兵庫県の海岸から密入国した北朝鮮の工作員が、秋田県[[にかほ市]]の海岸において、秋田県警に逮捕された<ref>{{cite news|title=【北朝鮮船漂着】かつては工作員が侵入繰り返す 秋田の海岸、蓮池薫さん拉致実行犯も(1/2ページ)|newspaper=産経新聞|date=2017-11-24|url=https://www.sankei.com/article/20171124-M7PO7KTXBBI5PIEP5BXJ3GTTIQ/|accessdate=2018-11-22}}</ref>。 * [[1978年]](昭和53年)[[11月15日]] - [[大沢郷郵便局]]および強首郵便局の電話交換業務廃止。秋田県内の電話通話が完全自動化。 * [[1981年]](昭和56年) ** [[6月26日]] - 新[[秋田空港]]が[[河辺郡]][[雄和町]](現:秋田市)に開港。 ** [[8月5日]]  - [[男鹿脇本事件]]が発生。北朝鮮工作員が逮捕された<ref>{{cite news|title=【戦後70年 東北の記憶】男鹿脇本事件(上)水際で捕まった北の工作員|newspaper=産経新聞|date=2015-07-07|url=https://www.sankei.com/article/20150707-WFZAIG63EFI75O5ZMGLZF6XBJQ/|accessdate=2018-11-21}}</ref>。 * [[1982年]](昭和57年)[[8月4日]] - 秋田市、河辺郡[[河辺町]]、雄和町がテクノポリス開発構想策定地域に指定。 * [[1983年]](昭和58年)[[5月26日]] - [[日本海中部地震]]が発生、県内で死者83名。 * [[1984年]](昭和59年)[[7月31日]]-[[8月20日]] - 昭和59年度[[全国高校総合体育大会]]を開催。 * [[1986年]](昭和61年) ** [[7月30日]] - [[東北自動車道]]の秋田県区間が開通し、[[青森インターチェンジ|青森IC]]-[[浦和インターチェンジ|浦和IC]]間が開通する。 ** [[11月20日]] - 鹿角市がテレトピア構想モデル都市に選定。 ==== 平成 ==== * [[1989年]]([[平成]]元年)4月1日 - [[秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線|秋田内陸線]]全線開通。 * [[1993年]](平成5年)4月1日 - 羽後銀行と秋田あけぼの銀行が合併し、北都銀行が発足。 * [[1997年]](平成9年) ** 3月22日 - [[秋田新幹線]]開業。 ** 4月1日 - 秋田市が[[中核市]]へ移行。 ** [[11月13日]] - [[秋田自動車道]]全線開通。 * [[1998年]](平成10年)[[7月18日]] - [[大館能代空港]]開港。 * [[1999年]](平成11年)[[7月9日]] - 秋田港に定期[[フェリー]]便就航([[新日本海フェリー]]:[[苫小牧港|苫小牧]] - 秋田 - [[新潟港|新潟]] - [[敦賀港|敦賀]])。 * [[2000年]](平成12年)[[8月22日]]-[[8月25日|25日]] - 「2000年[[国際連合|国連]]軍縮秋田会議」を開催。 * [[2001年]](平成13年) ** [[8月16日]]-[[8月26日|26日]] - [[ワールドゲームズ2001]]秋田大会を開催。 ** [[10月29日]] - [[秋田空港]]に国際定期便就航([[大韓航空]]:秋田 - [[仁川国際空港|ソウル]])。 * [[2005年]](平成17年) ** [[3月22日]] - 男鹿市・[[若美町]]が合併し、新たに'''[[男鹿市]]'''となる。湯沢市と雄勝郡2町1村が合併し、新たに'''[[湯沢市]]'''となる。'''[[由利本荘市]]'''、'''[[潟上市]]'''、'''[[大仙市]]'''、'''[[北秋田市]]'''発足。 ** [[9月20日]] - '''[[仙北市]]'''発足。 ** [[10月1日]] - 横手市と平鹿郡5町2村が合併し、新たに'''[[横手市]]'''となる。'''[[にかほ市]]'''発足。 * [[2006年]](平成18年)[[3月21日]] - 能代市と[[二ツ井町]]が合併し、新たに'''[[能代市]]'''となる。 * [[2007年]](平成19年) ** [[1月27日]]-[[10月9日]] - [[第62回国民体育大会]](秋田わか杉国体)を開催。 ** [[10月13日]]-[[10月15日|15日]] - 第7回[[全国障害者スポーツ大会]](秋田わか杉大会)を開催。 * [[2008年]](平成20年)[[12月25日]] - 廃藩置県以来境界未定のままであった、十和田湖上の秋田県・青森県境が確定する。 * [[2017年]](平成29年)[[4月1日]] - 県全体の推計人口が100万人を下回る。 == 人口 == [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Akita prefecture, Japan, 2.svg|thumb|200px|秋田県市町村の人口増加率分布図(2015年度と2020年度国勢調査から算出) {{Multicol}} 増加 {{legend|#66FF00|5.0 - 7.49 %}} 減少 {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]] ※以下特記しないものは2018年 * 人口(2022年8月時点での推定) 93万2227人(38位) * 人口増減率 -1.47%(47位)<ref name="zinnko2018" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20170421/k00/00e/040/253000c |title=秋田県 人口100万人割れ 減少率4年連続トップ |publisher=毎日新聞社 |date=2017-04-21 |accessdate=2017-05-09}}</ref> ** 自然増減率 -1.03%(47位) ** 社会増減率 -0.44%(47位) * 死亡率 人口1000対15.8人(1位)<ref name="zinnkoZG2018">{{Cite web|和書|url=https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai18/dl/h9.pdf |title=平成30年(2018)人口動態統計月報年計(概数)の概況 |publisher=厚生労働省人口動態・保健社会統計室|date=平成31年 |accessdate=2019-07-31}}</ref> * 出生率 人口1000対5.2人(47位)<ref name="zinnkoZG2018"/> ** 合計特殊出生率 1.33(42位)<ref name="zinnkoZG2018"/> ** 周産期死亡率 1000対4.5人(3位) ** 乳児死亡率 1000対2.6人(2位) * 高齢化率 36.4%(1位)<ref name="zinnko2018">{{Cite web|和書|url=https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2018np/pdf/gaiyou.pdf |title=人口推計 2018年(平成30年)10月1日現在 概要 |publisher=総務省統計局|date=平成31年4月12日公表 |accessdate=2019-07-31}}</ref><ref name="Z2">https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2018np/index.html</ref> **75歳以上高齢化率 19.7%(1位) * 年少人口比率 10.0%(47位)<ref name="Z2"/> * 婚姻率 人口1000対3.1(47位)<ref name="tokei2">ファイル:///C:/Users/ASAI/Downloads/uploads_public_archive_0000042814_00_H30%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%8B%95%E6%85%8B%E7%B5%B1%E8%A8%88%E3%81%AE%E6%A6%82%E6%B3%81%EF%BC%88%E6%A6%82%E6%95%B0%EF%BC%89.pdf</ref> 秋田県の人口は96万9462人(2019年6月現在)で、全国38位。人口増減率は6年連続全国最下位で<ref group="注釈">それ以前も[[阪神・淡路大震災]](特に[[兵庫県]])や[[東日本大震災]](特に[[福島県]])の特殊事情によって、人口増減率が全国46位だった年がある。</ref>、全国的にも最も人口減少が進んでいる地域の一つである。出生から死亡を引いた自然増減率、転入者から転出者を引いた社会増減率共に全国最下位だった。 1956年には135万人いた人口が、2017年に100万人を割りこんだ<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkei.com/article/DGXLASFB21HH2_R20C17A4L01000/ |title=秋田県人口100万人割れ 東北6県で初、止まらぬ社会減 |publisher=日本経済新聞社 |date=2017-04-22 |accessdate=2017-05-09}}</ref>。1955年から2015年にかけての人口増減率は-19.5%で、-22.9%の[[島根県]]に次ぐ全国46位である。国立社会保障・人口問題研究所は、2045年にかけ人口が更に41.2%減少すると予測している<ref>https://www.ipss.go.jp/pp-shicyoson/j/shicyoson18/1kouhyo/gaiyo.pdf</ref>。これは次点で37.0%の減少が予測されている[[青森県]]や、減少率1位だった島根県の23.8%減少よりかなり大きい<ref group="注釈">島根県も人口減少に歯止めはかかっていないものの、高い合計特殊出生率(2018年で1.74)と社会増減率(2018年で+0.01%)を背景に減少速度が秋田県ほどは加速しないと予測されている。</ref>。 死亡率は7年連続全国1位と高い反面、出生率は24年連続全国最下位である。高齢化率が全国1位で、年少人口比率も全国最下位と、少子高齢化が進んでいる。婚姻率も24年連続最下位<ref name="tokei2"/>、乳児死亡率は全国2位、周産期死亡率も全国3位<ref name="tokei2"/>。自殺率も2017年は全国1位だったが、2018年は改善して1位を返上した。しかし、2019年には再び全国1位となっている。 1人の女性が生涯で産む子供の数を比較した合計特殊出生率は1.33で全国42位となっている<ref name="zinnkoZG2018" />。この数値は通常都市部で低く、地方で高い傾向にあるが、秋田県はこれに当てはまっていない。大都市圏の[[大阪府]]、[[千葉県]]、[[埼玉県]]よりも低く、[[神奈川県]]に並んでいる<ref name="zinnkoZG2018" />。秋田県の合計特殊出生率は複雑な経過を辿っており、1925年時点では6.12と全国トップレベルの高さだったが、高度経済成長期に急速に低下し、1970年には1.88と全国最下位に転落した(同年の[[東京都]]は1.96)<ref>[https://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Data/Popular2004/12-33.HTM 都道府県別合計特殊出生率:1925~2002年(国立社会保障・人口問題研究所ホームページ)]</ref>。その後1990年代には全国水準よりやや高い程度で安定したが、2000年代以降は全国的な回復傾向に乗れず、2010年に1.30と過去最低を記録し、全国40位となった。以後も低い状態が続いており、2015年は1.35で東京都と[[北海道]]に次いで低かった。2019年も1.33と低水準になっている<ref>[https://www.pref.akita.lg.jp/pages/archive/50268 令和元年人口動態統計月報年計(概数)  秋田県の概況 | 美の国あきたネット] "令和元年人口動態統計の概況(秋田県分).pdf"</ref>。 {{人口統計|code=05000|name=秋田県|image=Demography05000.svg}} == 政治 == === 県政 === {{Main|秋田県議会}}{{Main2|歴代の県知事については[[秋田県知事一覧]]を}} * [[都道府県知事|知事]]:[[佐竹敬久]](さたけ のりひさ、4期目) ==== 財政 ==== ; 平成19年度 : [[財政力指数]] 0.29 - IVグループ(財政力指数0.3未満)6自治体中2位 ; 平成18年度 : 財政力指数 0.28 - IVグループ(財政力指数0.3未満)10自治体中6位 ; 平成17年度 : 財政力指数 0.25 - IVグループ(財政力指数0.3未満)14自治体中10位 ; 平成16年度 : 財政力指数 0.24 - IVグループ(財政力指数0.3未満)15自治体中11位 ==== 犯罪 ==== {{Main|厳罰化#日本における厳罰化・重罰化の背景|認知件数}} 人口あたりの刑法犯発生(警察による認知)率が日本で最も低い都道府県である。人口10万人あたりの犯罪件数は最少である。この理由については犯罪が発生しにくい街の構造(近年における商店街の[[空洞化]]など)であることや少子高齢化、および人口減少、過疎化が他県に比べて進んでいることなども影響しているという<ref>[http://www.news-postseven.com/archives/20110530_21783.html 人口10万人あたり犯罪件数 最多の大阪は最少・秋田の5倍] - NEWSポストセブン([[小学館]]) 2011年5月30日。</ref>。また、高齢化の影響で人口10万人あたりの自殺率が平成7年から平成26年の19年間([[1995年]]~[[2014年]])で最下位の状態が続いていたが、県・市町村のレベルでそれぞれ対策を行った結果、平成26年度にワースト1位を脱却した<ref>[http://www.sankei.com/life/news/150605/lif1506050027-n1.html 産経ニュース]</ref>。 === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#秋田県|秋田県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が3。[[参議院]]では、全県で1区を構成。 === 司法 === * [[仙台高等裁判所秋田支部]](秋田市) * [[秋田地方裁判所]](秋田市) * [[秋田家庭裁判所]](秋田市) * 秋田[[簡易裁判所]](秋田市) * 大館簡易裁判所(大館市) * [[横手簡易裁判所]](横手市) * [[仙台高等検察庁秋田支部]](秋田市) * [[秋田地方検察庁]](秋田市) * [[秋田刑務所]](秋田市) * 秋田[[少年鑑別所]](秋田市) * 秋田保護観察所(秋田市) == 経済・産業 == === 産業 === [[携帯電話]]や[[パーソナルコンピュータ|PC]]、[[タブレット (コンピュータ)|タブレット]]などの[[通信機器]]に不可欠な[[コンデンサ|固定コンデンサ]]の出荷額は1712億円で全国1位<ref>『朝日小学生新聞』2011年2月7日</ref>。[[あきたこまち]]の名産地であり、米の産出額は[[新潟県]]、[[北海道]]に次いで全国3位<ref>[http://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/nougyou_sansyutu/pdf/shotoku_kenbetsu_13.pdf 平成25年農業産出額 - 農林水産省]</ref>。[[日本酒]]の生産高は、[[兵庫県]]、[[京都府]]、新潟県、[[埼玉県]]、[[愛知県]]に次いで全国6位である<ref>http://www.nta.go.jp/shiraberu/senmonjoho/sake/shiori-gaikyo/seishu/2010/pdf/18.pdf 製成・移出入数量および集中度(都道府県別)</ref>。1人当たりの県民所得は全国34位(平成21年度)<ref>[https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kenmin/files/contents/pdf/gaiyou2_1.pdf 都道府県別1人当たり県民所得 - 内閣府]</ref>。また、[[2020年代]]の今日では[[エダマメ]]の出荷量が全国1位になったり、[[風力発電]]を中心とした[[新エネルギー]]産業に力を入れている。 ==== 農業 ==== {{節スタブ}} {{出典の明記|section=1|date=2021年2月18日 (木) 08:31 (UTC)}} * [[ダリア]]栽培 * [[稲作]]([[あきたこまち]]など) * [[大豆]]栽培([[枝豆]]用含む) * [[スイカ|すいか]]栽培 * [[リンゴ|りんご]]栽培 * [[ブドウ]]栽培 * [[サクランボ|さくらんぼ]]栽培 * [[ホップ]]栽培 * [[シイタケ|しいたけ]]栽培 * [[エリンギ]]栽培 * [[ジュンサイ|じゅんさい]]栽培 * [[ソバ]]栽培 * [[漢方薬]]の原料栽培 ==== 畜産業 ==== {{節スタブ}} {{出典の明記|section=1|date=2021年2月19日 (金) 05:47 (UTC)}} * [[肥育牛]] ** 秋田県内の肉用牛としては[[黒毛和種]]が大部分を占めている。主な銘柄として秋田錦牛、三梨牛(湯沢市)、由利牛(由利本荘・にかほ市)、羽後牛(羽後町)が挙げられる。また[[2011年]](平成23年)現在、正式な商標ブランドではないものの、鹿角市では[[日本短角種]]である「かづの牛」の飼育が盛んである<ref>秋田魁新報社(編)『秋田大百科事典』 秋田魁新報社、1981年9月、108頁。</ref>。 * [[養豚]] ** 「桃豚」や「八幡平ポーク」、「[[杜仲]]豚」、「シルクポーク」などのブランド豚が存在している。 * [[養鶏]] ** [[比内地鶏]] ==== 林業 ==== {{節スタブ}} {{出典の明記|section=1|date=2021年2月19日 (金) 05:47 (UTC)}} 樹齢200年をこえる[[天然秋田杉]]は[[木曾谷|木曽]]の[[ヒノキ]]、[[津軽]]の[[アスナロ|ヒバ]]と並び、日本三大美林のひとつであり、木材生産量は全国4位。 1982年、首都圏における秋田杉の需要拡大を名目として[[秋田銀行]]、[[北都銀行]]、秋田県木材産業協同組合連合会などと'''秋田県木造住宅株式会社'''を[[第三セクター]]として設立、秋田県が25パーセントを出資し、副知事を取締役に据え県職員も出向させるなど実質的に支配した。ところが、[[千葉県]]を中心に分譲された住宅で[[地盤沈下]]により基礎が浮き上がったり秋田杉を建築材としてほとんど使用していないなど欠陥が頻発し、住人らから損害賠償請求訴訟を起こされ、最終的に170億円ほどの負債を抱えて破産した。住宅の販売に際しては当時の県知事である[[佐々木喜久治]]がパンフレットにコメントを寄せたり「秋田県庁が設立した第三セクターならではの質と価格」などと銘打っていた。 * [[秋田杉]] ==== 漁業 ==== {{節スタブ}} {{出典の明記|section=1|date=2021年2月19日 (金) 05:47 (UTC)}} * [[ハタハタ]]漁 ==== 第二次産業 ==== * [[鉱業]] ** [[高度経済成長期]]以前は内陸地域で銀山・銅山などの[[非鉄金属]]鉱業が、秋田平野などの沿岸地域で[[油田]]などの[[石油]]・[[天然ガス]]鉱業がそれぞれ栄えた{{要出典|date=2020年9月}}。生産額も伸びていたが、1970年代半ば以降、資源の枯渇が見られるようになり、[[プラザ合意|円高や国際相場の暴落]]などにより採算性も合わなくなったことから、[[1994年]](平成6年)にはすべての鉱山が閉山となった。一方で石油に関しては、現在も[[申川油田]]・[[八橋油田]]などで少ないながらも採掘されており、<ref>[http://www.pref.akita.lg.jp/www/contents/1136350052610/files/plan.pdf 平成17年秋田県工業振興アクションプラン(秋田県公式サイト)]</ref><ref>[http://www.bic-akita.or.jp/magazine/vol.302/tok01.html ビックあきたvol.302(財団法人あきた企業活性化センター)]</ref>[[2014年]](平成26年)[[由利本荘市]]の鮎川油ガス田において国内初となる[[シェールオイル]]の商業生産を開始している<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD0704N_X00C14A4TJ1000/ シェールオイル、秋田で生産開始 石油資源開発(日本経済新聞)]</ref>。 * [[清酒]](酒造業。[[秋田県のワイン]]も参照のこと。) * [[丹前]] === 秋田県に本社を置く主な企業 === {{Main|Category:秋田県の企業}} ;上場企業 * [[秋田銀行]]([[指定金融機関]]・東証プライム上場) * [[インスペック]] (東証スタンダード上場) ;主な県内企業 * [[秋田魁新報|秋田魁新報社]] * 秋田木工(家具製造。[[2006年]](平成18年)末に[[大塚家具]]のグループ企業となった) * [[秋田製錬]] * [[小坂製錬]] * [[イオン東北]] * [[佐野薬品]] * [[三傳商事]] * [[ソユー]] * [[たけや製パン]] * TDKエレクトロニクスファクトリーズ * [[伏見屋ホールディングス]] * [[北都銀行]] * [[ヤマダフーズ]] * [[伊徳ホールディングス]] * [[タカヤナギ]] * 光ガラス * [[UMNファーマ]] * [[リミックス (電子部品メーカー)|リミックス]] * [[秋田テレビ]] * [[秋田放送]] * [[秋田マシナリー]] == 金融機関 == ; 秋田県内に本店を置く金融機関 ; [[銀行]] * [[秋田銀行]]([[指定金融機関]]) * [[北都銀行]]([[収納代理金融機関]]・[[公営企業]]収納代理店) ; [[信用金庫]] * [[秋田信用金庫]] * [[羽後信用金庫]] ; [[信用組合]] * [[秋田県信用組合]] ; [[農業協同組合]] * [[:Category:秋田県の農業協同組合|秋田県内13農業協同組合]] ; [[指定金融機関]]・[[収納代理金融機関]]など * [[指定金融機関]]及び[[出納取扱金融機関]]は、[[秋田銀行]]を指定(取りまとめ店は[[秋田県庁舎|県庁]]支店。収納は全国の拠点が対象)。 * 収納代理金融機関 ** 国内全店舗対象とする金融機関 *** [[北都銀行]] *** [[みずほ銀行]] ** 東北6県の店舗(仙台[[貯金事務センター]]が新規の貯金および振替口座に関する貯金簿を管掌する拠点で、[[銀行代理店]]を含む)と全国での自動振替を対象 *** [[ゆうちょ銀行]]([[銀行代理店]]は、[[日本郵便]]が運営する[[郵便局]]の貯金窓口。) ** 秋田県内の拠点のみを対象(口座振替は、特記を除き、一部の収納内容により県外本支店も対象となる) *** [[青森銀行]] *** [[みちのく銀行]] *** [[山形銀行]] *** [[岩手銀行]] *** [[東北銀行]] *** [[七十七銀行]] *** [[きらやか銀行]] *** [[北日本銀行]] *** [[秋田信用金庫]] *** [[羽後信用金庫]] *** [[あすか信用組合]] *** [[秋田県信用組合]] *** [[東北労働金庫]] *** [[JAバンク]]あきた([[:Category:秋田県の農業協同組合|県内13JA]]の[[信用事業]]各拠点) * 公営企業収納代理店 ** [[北都銀行]](本店営業部に限る) ; その他 * [[商工組合中央金庫]]...[[2020年]]4月に、[[収納代理金融機関]]を返上 * [[農林中央金庫]] ; 株式仲買人 * [[野村證券]] * [[SMBC日興証券]] * [[大和証券]] * [[みずほ証券]] * [[荘内証券]] : 県内に本拠を置く株式仲買人はない。荘内証券以外は秋田市に、荘内証券は横手市と由利本荘市に拠点がある。 == 生活・交通 == === 警察 === * [[秋田県警察]] === 交通 === {{Col-begin}} {{Col-break}} ==== 鉄道 ==== ほとんどの区間は単線であり、秋田市内の一部区間<ref group="注釈">奥羽本線の[[秋田駅]] - [[追分駅 (秋田県)|追分駅]]は[[男鹿線]]の乗り入れもあるため日中は毎時2本程度。</ref>を除いて毎時1本以下である。秋田市内の区間によっては並行している[[秋田中央交通]]の路線バスが本数的に圧倒的優位となっている。 * [[東日本旅客鉄道]] ** [[秋田新幹線]] ** [[奥羽本線]] ** [[羽越本線]] ** [[北上線]] ** [[五能線]] ** [[男鹿線]] ** [[田沢湖線]] ** [[花輪線]] * [[秋田内陸縦貫鉄道]] ** [[秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線|秋田内陸線]] * [[由利高原鉄道]] ** [[由利高原鉄道鳥海山ろく線|鳥海山ろく線]] * [[秋田臨海鉄道]](貨物) ** 南線 ** 北線 ===== かつて存在した鉄道 ===== * [[小坂製錬]] ** [[小坂製錬小坂線|小坂線]] * [[DOWAホールディングス|同和鉱業]] ** [[同和鉱業花岡線|花岡線]] * 秋田営林局秋田営林署 ** [[仁別森林鉄道]] * [[羽後交通]] ** [[羽後交通横荘線|横荘線]] ** [[羽後交通雄勝線|雄勝線]] * [[秋田中央交通]] ** [[秋田中央交通線|五城目軌道線]] * [[秋田市交通局]] ** [[秋田市電]] ==== 路線バス ==== * [[羽後交通]] * [[秋北バス]] * [[秋田中央交通]] かつては[[秋田市交通局]]も路線バスを運行していたが、秋田中央交通への移管により廃止された。 {{Col-break}} ==== 道路 ==== ===== 高速道路 ===== * {{Ja Exp Route Sign|E4}} [[東北自動車道]] * {{Ja Exp Route Sign|E46}} / {{Ja Exp Route Sign|E7}} [[秋田自動車道]] * {{Ja Exp Route Sign|E7}} [[日本海東北自動車道]] * {{Ja Exp Route Sign|E7}} [[日本海沿岸東北自動車道]](秋田自動車道と一部重複) ** 国道7号[[二ツ井バイパス]](国道7号現道を高速道路に変更する予定・再事業予定) ** 国道7号[[二ツ井今泉道路]](事業中) ** [[秋田県道325号大館能代空港西線]]・鷹巣西道路(事業中) ** 国道7号[[鷹巣大館道路]](事業中) * {{Ja Exp Route Sign|E13}} [[湯沢横手道路]]([[東北中央自動車道]]) ===== 一般国道 ===== * [[国道7号]](秋田自動車道の一部になっている区間がある) * [[国道13号]] * [[国道46号]] ** [[盛岡秋田道路]](一部[[角館バイパス]]として供用済み) * [[国道101号]] * [[国道103号]] * [[国道104号]] * [[国道105号]] * [[国道107号]] * [[国道108号]] * [[国道282号]] * [[国道285号]] * [[国道341号]] * [[国道342号]] * [[国道397号]] * [[国道398号]] * [[国道454号]] ===== 県道 ===== {{See|秋田県の県道一覧}} ==== 空港 ==== * [[秋田空港]]([[秋田市]]) **国内線 *** [[日本航空]](JAL)<ref group="注釈">[[ジェイエア]]による運航便含む。</ref> **** [[東京国際空港]] **** [[大阪国際空港]] **** [[新千歳空港]] *** [[全日本空輸]](ANA)<ref group="注釈">[[ANAウイングス]]による運航便含む。</ref> ****東京国際空港 ****大阪国際空港 **** [[中部国際空港]] ****新千歳空港 **国際線 *** [[大韓航空]](KE)<ref group="注釈">日本航空及び[[デルタ航空]]とコードシェア。</ref> **** [[仁川国際空港]]<ref group="注釈">現在運休中。尚、再開の目処はたっていない。</ref> * [[大館能代空港]]([[北秋田市]]) ** [[全日本空輸]](ANA) *** [[東京国際空港]] {{Col-end}} === 医療・福祉 === {{Main|Category:秋田県の医療機関}} ; [[災害拠点病院]] * [[秋田県災害拠点病院]] ; [[保育所]] * [[秋田県保育所一覧]] === 教育 === ; [[大学]] [[国立大学|国立]] * [[秋田大学]] [[公立大学|公立]] * [[秋田県立大学]] * [[秋田公立美術大学]] * [[国際教養大学]] [[私立大学|私立]] * [[秋田看護福祉大学]] * [[日本赤十字秋田看護大学]] * [[ノースアジア大学]] ; [[短期大学]] 私立 * [[秋田栄養短期大学]] * [[聖霊女子短期大学]] * [[日本赤十字秋田短期大学]] * [[聖園学園短期大学]] ; [[通信制大学]] 私立 * [[放送大学|放送大学 秋田学習センター]] ; [[高等専門学校]] 国立 * [[秋田工業高等専門学校]] ; [[専修学校]] * [[秋田県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] * [[秋田県特別支援学校一覧]] ; [[高等学校]] * [[秋田県高等学校一覧]] ; 学校施設など * [[2004年]](平成16年)から高等学校の一学区制が導入された。 * かつて私立高校だった[[北秋田市立合川高等学校|秋田経済大学附属合川高等学校]]が組合立に移管され、北秋田市発足と同時に北秋田市立になる。[[2011年]](平成23年)には秋田県に移管したあとに、北秋田市地区の4校を[[秋田県立秋田北鷹高等学校]]に統合した。 * [[公立高校]]([[県立]]・[[市立]])は52校、[[私立高校]]は5校あり、私立のうち1校が[[男女別学|女子校]]である。[[2000年代]]中盤より、他県では見られない『前期』『一般』『後期』の3つの選抜日程がある<ref>{{Cite web|和書|title=秋田県内の高等学校一覧|url=https://www.pref.akita.lg.jp/pages/archive/49957|website=美の国あきたネット|accessdate=2021-09-16|language=ja}}</ref>。 ; [[中学校]] * [[秋田県中学校一覧]] ; [[小学校]] * [[秋田県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] * [[秋田県幼稚園一覧]] ; その他教育機関 ; [[職業能力開発短期大学校]] * [[秋田職業能力開発短期大学校]] === マスメディア === ==== 新聞 ==== ; 地方紙 * [[秋田魁新報]](県域) * [[北鹿新聞]](鹿角市・鹿角郡・大館市・北秋田市・北秋田郡) * [[秋北新聞]](北秋田市・北秋田郡) * [[北羽新報]](能代市・山本郡) * [[秋田民報]](大仙市・仙北市・仙北郡) ; ブロック紙 * [[河北新報]](本社 : 仙台市)も青森・岩手との北東北版で発行され、取材拠点もある。 ; 全国紙 * [[読売新聞]] * [[朝日新聞]] * [[毎日新聞]] ; ホームページで提供 * 秋田県南日々新聞(大仙市)<ref>[http://www.kennichi.com/ 秋田県南日々新聞]</ref> * あきた北新聞(大館市)<ref>[http://nihon1.jp あきた北新聞]</ref> ==== テレビ局 ==== デジタルテレビ・県域FM局・補完FM局の親局送信所は、いずれも秋田市の[[大森山公園|大森山]]に置かれている。 民間放送局の本社はいずれも秋田市に置かれている。 秋田県は[[ビデオリサーチ]]による視聴率調査が行われている都道府県の中で唯一[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列の放送対象地域外である。県境に近い地域で隣県の電波を受信できる地域、およびケーブルテレビの[[区域外再放送]]で隣県のJNN系列局を視聴している世帯がある。{{See also|秋田朝日放送#秋田県でのANN系列の変遷とAAB開局前後の動き}} NHK受信料支払率は、平成23年度末の初公表において全国トップの94.6%であった。{{See also|NHK受信料#受信契約・受信料#受信契約・支払い率}} * [[NHK秋田放送局]] * [[秋田放送]](ABS、[[日本ニュースネットワーク|NNN]]/[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]系列) **通常時終夜放送実施 * [[秋田テレビ]](AKT、[[フジニュースネットワーク|FNN]]/[[フジネットワーク|FNS]]系列) * [[秋田朝日放送]](AAB、[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]系列) ※秋田県にはJNN系列局がないため、同県の同系列局による報道取材は主に[[IBC岩手放送]]<ref group="注釈">大館市は[[青森テレビ]](ATV)が、由利本荘市は[[テレビユー山形]](TUY)が担当する場合あり。</ref>が行っている(かつて、取材拠点として[[IBC岩手放送秋田支局|秋田支局]]を設置していた)。IBCが対応できない場合、宮城県の[[東北放送]](TBC)が対応する。 ==== CATV局 ==== 各ケーブルテレビ局では地域密着の独自番組を放送しているほか、隣県のJNN系列を再送信している。 * [[秋田ケーブルテレビ]] (CNA)(秋田市など)…IBC岩手放送の再送信 * [[大館ケーブルテレビ]](大館市)…[[青森テレビ]]の再送信 * [[由利本荘市CATVセンター]] (ONT)(由利本荘市)…[[テレビユー山形]]の再送信 ==== ラジオ局 ==== * NHK秋田放送局(FM/AM) * ABS秋田放送 (AM) * [[エフエム秋田]]([[全国FM放送協議会|JFN]]系列) ==== コミュニティ放送局 ==== * [[秋田コミュニティー放送|FM765 秋田コミュニティー放送]](秋田市) * [[秋田椿台エフエム放送|エフエム椿台]](秋田市) * [[FMゆーとぴあ]](湯沢市) * [[横手コミュニティFM放送|横手かまくらFM]](横手市) * [[鹿角コミュニティFM|鹿角きりたんぽFM]](鹿角市) * [[TMO大曲|FMはなび]](大仙市) * [[大館放送|ラジオおおだて]](大館放送・大館市) == 文化 == === 方言 === {{特殊文字|対象=節|説明=発音記号(2文字)}} {{Main|秋田弁}} 秋田方言は一般的には本土方言-東日本方言-[[東北方言]]-北奥羽方言に含められ、[[金田一春彦]]による案では、外輪方言に含められている<ref>[[柴田武]]ほか編『岩波講座 日本語11 方言』岩波書店、[[1977年]](昭和52年)、57-73頁。</ref>。 秋田方言の語彙中で、共通語と異なるものは、かつて中央語で使われていたものが古語として残存したものと、中央以外で独自の発展をしたものがある。周辺の県と連続する分布のものも多い。現在では共通語と異なる語彙は衰退が激しく、急激に共通語に置き換えられつつある。 秋田方言の[[母音]]音素は、共通語より1つ多い、{{Ipa|a}} 、{{Ipa|i}} 、{{Ipa|u}} 、{{Ipa|e}} 、{{Ipa|ɛ}} 、{{Ipa|o}} の6つが認められる。[[子音]]音素は、共通語と同じであるが、共通語のカ行にあたる {{Ipa|k}} 、タ・テ・トにあたる {{Ipa|t}} 、チ・ツにあたる {{Ipa|c}} は語中で有声化(濁音化)して、それぞれ {{IPA|ɡ}} 、{{IPA|d}} 、{{IPA|z}} と発音される。サ行にあたる {{Ipa|s}} やパ行にあたる {{Ipa|p}} は有声化しない。 === 食文化 === {{See also|Category:秋田県の食文化}} {{Main|日本の郷土料理一覧#秋田県}} [[米]]どころであり、[[日本酒|酒]]どころである。特に[[日本酒]]の消費量が多く、酒の飲み過ぎが多い<ref>『47都道府県うんちく事典』265頁出版社-PHP文庫・執筆者-八幡和郎</ref>。また雪国のため[[漬け物]]などの[[保存食]]が発達した一方、濃い味が好まれる影響もあり、[[悪性腫瘍|ガン]]の死亡率は全国上位となっている<ref>[http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/age-adjusted.html がん登録・統計]</ref>。 * [[きりたんぽ]]は、もともと県北の食文化であるが、現在は秋田の代名詞として有名となり、全県で食べられるようになった。きりたんぽ鍋の出汁の多くは[[比内地鶏]]([[天然記念物]][[比内鶏]]の改良品種)で取っている。 * [[魚]]は[[ハタハタ]]を大量に消費し、一時は絶滅寸前まで追い込んだが(1980年代後半ごろ - 2000年代前半ごろ)、禁漁や漁獲制限などを経て現在では[[資源]]が回復しつつあり、再び食卓に並ぶようになった。ハタハタの卵を'''[[ブリコ]]'''という。また、ハタハタの[[魚醤]]を[[しょっつる]]といい、鍋料理が有名。ハタハタをすしにした[[鰰寿司]]も祝の席などで食べられている。 * ほかに、[[とんぶり]]や[[じゅんさい]]などの珍しい[[野菜]]も食べられている。一部の地域では[[納豆]]に[[砂糖]]を入れたり、[[赤飯]]にも多く[[砂糖]]を入れて作るなど甘みの多い味付けをする所もある(特に県南部で顕著である{{要出典|date=2018年4月}})。ひきわり納豆の消費も多い。[[イナゴ]]を[[佃煮]]などにして食べる食習慣もある。 * [[だまこもち]] * [[稲庭うどん]] - 日本三大うどんの1つ。 * 金萬 - [[蜂蜜]]と卵を使用した[[白あん]]のまんじゅう。「株式会社 金萬」が製造。([[都まんじゅう]]を参照) * [[ババヘラ]] - 主に露店販売される氷菓。夏になると、幹線道路沿いなどでババヘラの露店を多数見かけることができる。 * さしぼ - [[イタドリ]]の新芽。[[山菜]]。水煮の缶詰も販売されている。 * [[さなづら]] * [[もろこし]] * [[バター餅]] === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[川連漆器]](漆器、[[1976年]]) * [[樺細工]](木工品、1976年) * [[大館曲げわっぱ]](木工品、[[1980年]]) * [[秋田杉桶樽]](木工品、[[1984年]]) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#秋田県}} === 民俗芸能 === * [[大日堂舞楽]]([[鹿角市]]) [[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]][[無形文化遺産]] * [[秋田民謡]] * 秋田万歳 === 祭り === {{Multicol}} * [[なまはげ]]([[男鹿市]]) * [[竿燈]]([[秋田市]]) * ヤートセ秋田祭(秋田市) * [[横手の雪まつり]]([[横手市]]) ** [[かまくら]] * [[アメッコ市]]([[大館市]]) * [[犬っこまつり]]([[湯沢市]]) * [[綴子大太鼓]]([[北秋田市]]) {{Multicol-break}} * [[七夕絵どうろうまつり]](湯沢市) * [[能代役七夕]]([[能代市]]) * [[西馬音内の盆踊]]([[羽後町]]) * [[花輪ばやし]]([[鹿角市]]) * [[毛馬内の盆踊]](鹿角市) * [[刈和野]]の大綱引き([[大仙市]]) * 梵天まつり (秋田県)(県内各地) * [[土崎神明社祭の曳山行事|土崎港曳山まつり]](秋田市) {{Multicol-break}} * [[送り盆まつり]](横手市) * [[全国花火競技大会]](大仙市) * [[角館のお祭り]]([[仙北市]]) * [[上桧木内の紙風船上げ]](仙北市) * [[かまくら|六郷のカマクラ行事]]([[美郷町 (秋田県)|美郷町]] 国の[[重要無形民俗文化財]]) * ドンパン祭り(大仙市) * へそまつり(秋田市) {{Multicol-end}} === スポーツ === {{See also|Category:秋田県のスポーツチーム}} * [[ブラウブリッツ秋田]] 男子[[サッカー]]([[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]) * [[秋田ノーザンハピネッツ]] 男子[[バスケットボール]]([[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]]) * [[プレステージ・インターナショナル アランマーレ (バスケットボール)|プレステージ・インターナショナル アランマーレ]] 女子バスケットボール([[バスケットボール女子日本リーグ]]) * [[秋田ノーザンブレッツラグビーフットボールクラブ|秋田ノーザンブレッツ]] [[ラグビーフットボール|ラグビー]]([[トップイーストリーグ]]1部) ** 秋田ノーザンブレッツプレアデス 女子[[7人制ラグビー]] * [[TDK硬式野球部]] * 北都銀行女子バドミントン部 == 観光 == {{main|秋田県の観光地}} {{also|北海道・東北地方の史跡一覧#秋田県}} === 有形文化財建造物 === {{see|秋田県指定文化財一覧}} ; 重要伝統的建造物群保存地区 * [[角館]] (仙北市) * [[横手市増田伝統的建造物群保存地区|増田]] (横手市) == 対外関係 == * [[1982年]] {{CHN}} [[甘粛省]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.pref.akita.lg.jp/pages/archive/785 |title=交流の経緯と概要(中国甘粛省)|work=美の国あきたネット|accessdate=2020-9-12}}</ref>。 * [[2010年]] {{RUS}} [[沿海州]]<ref>[https://www.pref.akita.lg.jp/pages/archive/789 美の国あきたネット]</ref> == 秋田県出身の人物 == {{see|秋田県出身の人物一覧}} == 秋田県名誉県民 == 秋田県名誉県民の称号は、1981年(昭和56年)3月13日に制定された秋田県名誉県民条例(昭和56年3月13日秋田県条例第1号)に基づき、「秋田県の発展に卓絶した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)<ref name=meiyojorei>[https://www1.g-reiki.net/pref_akita/reiki_honbun/u600RG00000057.html 秋田県名誉県民条例] - 秋田県、2019年7月29日閲覧。</ref>。対象者は「政治経済の発展、学術文化の振興、地方自治の振興、社会福祉の向上その他県民の福祉の増進に広く貢献した者」であり(秋田県名誉県民条例施行規則第2条)<ref>[https://www1.g-reiki.net/pref_akita/reiki_honbun/u600RG00000058.html 秋田県名誉県民条例施行規則] - 秋田県、2019年7月29日閲覧。</ref>、秋田県知事が秋田県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)<ref name=meiyojorei/>。名誉県民に選定された者には、秋田県名誉県民称号記と秋田県名誉県民章が贈呈される(条例第3条)<ref name=meiyojorei/>。 {| class="wikitable" !受賞者氏名 !職業 !選定年月日 !備考 !出典 |- |[[小畑勇二郎]] |[[政治家]] |1981年3月25日 |元秋田県知事 |<ref name=meiyogaiyo>[https://www.pref.akita.lg.jp/pages/archive/1934 「秋田県名誉県民顕彰制度の概要」及び「これまでの名誉県民顕彰者」について ] - 秋田県、2019年7月29日閲覧。</ref> |- |[[山崎貞一]] |[[科学者]]・[[実業家]] |1989年9月25日 |元[[TDK]]会長 |<ref name=meiyogaiyo/> |- |[[日沼頼夫]] |[[医学者]] |1989年9月25日 |[[ウイルス]]研究での業績 |<ref name=meiyogaiyo/> |- |[[明石康]] |[[国際連合]]職員 |1993年9月30日 |元[[国際連合事務次長]] |<ref name=meiyogaiyo/> |- |[[遠藤章 (農芸化学者)|遠藤章]] |[[農芸化学者]] |2006年12月20日 |[[文化功労者]] |<ref name=meiyogaiyo/> |} == 秋田県県民栄誉章受章者 == スポーツ・文化などの分野で顕著な業績をあげた個人・団体に[[秋田県県民栄誉章]]が贈られており、2018年10月までに19個人3団体が顕彰されている。 == 秋田県を舞台とした作品 == {{see|秋田県を舞台とした作品一覧}} === 文芸 === * [[青い山脈]](著:[[石坂洋次郎]]){{要検証|date=2022年5月}} * [[若い人]](著:石坂洋次郎) * 山と川のある町(著:石坂洋次郎) * それぞれの終楽章(著:[[阿部牧郎]]) * 秋田新幹線「こまち」殺人事件(著:[[西村京太郎]]) * 医学生(著:[[南木佳士]]) * 新幹線秋田「こまち」殺人事件(著:[[吉村達也]]) * 秋田殺人事件(著:[[内田康夫]]) * 鄙の記憶(著:[[内田康夫]]) * こまち田沢湖殺人事件(著:[[中津文彦]]) * 夢の碑(著:[[高井有一]]) * 相剋の森(著:[[熊谷達也]]) * [[邂逅の森]](著:熊谷達也) * 黄色い牙(著:[[志茂田景樹]]) === 映画 === {{Multicol}} * 馬([[1941年]](昭和16年)) * 若い先生(1941年(昭和16年)) * [[そよかぜ (映画)|そよかぜ]]([[1945年]](昭和20年)、主題歌は「[[リンゴの唄]]」) * 山と川のある町([[1956年]](昭和31年)) * [[人間の條件 (映画)|人間の條件]](1956年(昭和31年)) * 若い豹のむれ([[1959年]](昭和34年)) * 男が命を賭ける時(1959年(昭和34年)) * 雪の降る町に([[1962年]](昭和37年)) * 民謡の旅 秋田おばこ([[1963年]](昭和38年)) * 十七才は一度だけ([[1964年]](昭和39年)) * [[フランケンシュタイン対地底怪獣]]([[1965年]](昭和40年)) * [[少年]]([[1969年]](昭和44年)) * [[砂の器]]([[1974年]](昭和49年)) * [[超能力だよ全員集合!!]](1974年(昭和49年)) * [[思えば遠くへ来たもんだ]]([[1980年]](昭和55年)) * [[マタギ (映画)|マタギ]]([[1982年]](昭和57年)) * [[男はつらいよ 寅次郎恋愛塾]]([[1985年]](昭和60年)) {{Multicol-break}} * [[ひとひらの雪#映画|ひとひらの雪]](1985年(昭和60年)) * [[君は裸足の神を見たか]]([[1986年]](昭和61年)) * [[イタズ 熊]] ([[1987年]](昭和62年)) * [[ハチ公物語]](1987年(昭和62年)) * [[オーロラの下で]]([[1990年]](平成2年)) * [[大往生]]([[1998年]](平成10年)) * アカシアの町([[2000年]](平成12年)) * [[たそがれ清兵衛]] ([[2002年]](平成14年)) * [[釣りバカ日誌15 ハマちゃんに明日はない!?]]([[2004年]](平成16年)) * [[隠し剣鬼の爪]](2004年(平成16年)) * [[好きだ、]]([[2006年]](平成18年)) * [[デコトラの鷲#シリーズ|デコトラの鷲 愛と涙の男鹿半島]]([[2007年]](平成19年)) * [[コドモのコドモ]]([[2008年]](平成20年)) * [[釣りキチ三平]]([[2009年]](平成21年)) * [[ハナばあちゃん!!〜わたしのヤマのカミサマ〜]]([[2011年]](平成23年)) * [[デイアンドナイト]]([[2019年]](平成31年)) {{Multicol-end}} === ドラマ === * [[雲のじゅうたん]]([[1976年]](昭和51年)、NHK、[[連続テレビ小説]]) * [[まんさくの花]]([[1981年]](昭和56年)、NHK、連続テレビ小説) * [[炎立つ (NHK大河ドラマ)|炎立つ]]([[1993年]](平成5年)、NHK、[[大河ドラマ]]) * [[ウルトラマンティガ]]([[1997年]](平成9年)、[[円谷プロダクション]]、[[MBSテレビ|毎日放送]]、第1話) * [[砂の器]] ([[2004年]](平成16年)、[[TBSテレビ]]、[[日曜劇場]]) : 秋田県にTBS系列はないが、ABS(秋田放送)で放送された。 * [[超神ネイガー]]([[2007年]](平成19年)、ABS(秋田放送)ローソン提供のミニ番組) * [[IRIS-アイリス-|アイリス]]([[2009年]](平成21年)、[[韓国ドラマ]])主演:[[イ・ビョンホン]] * [[ザ・ラスト・ショット]](2014年〈平成26年〉、[[NHK BSプレミアム]]、[[NHK秋田放送局|秋田]]発[[地域発ドラマ|地域ドラマ]]) * [[金色の海]](2021年〈令和3年〉、NHK BSプレミアム、秋田発地域ドラマ) === 歌謡 === * [[リンゴの唄]]([[1945年]](昭和20年)、[[並木路子]]) * 男鹿半島([[1991年]](平成3年)、[[大和さくら]]) * 秋田は濡れて([[1992年]](平成4年)、[[栗本慎一郎]]) * おばこ巡礼歌([[1996年]](平成8年)、[[藤あや子]]) * きみまちざか([[1999年]](平成11年)、草飼洋幸&石成彩) * 恋する城下町([[2001年]](平成13年)、[[小桜舞子]]) * 大きな古時計(ZuZuバージョン)([[2003年]](平成15年)、[[伊藤秀志]]) * [[五能線 (水森かおりの曲)|五能線]]([[2005年]](平成17年)、[[水森かおり]]) * 豪石(ごうしゃく)! [[超神ネイガー]] 〜見だが おめだぢ〜([[2006年]](平成18年)、[[水木一郎]]) * 角館哀歌(2006年(平成18年)、[[水田竜子]]) * 秋田ポンポン節([[2007年]](平成19年)、[[香西かおり]]) * つばさのドンパン節(2007年(平成19年)、[[つばさ (歌手)|つばさ]]) * 男鹿半島(2007年(平成19年)、[[北山たけし]]) * 超神ネイガー 〜正義ノ稲穂〜([[2009年]](平成21年)、[[水木一郎]]) * 秋田HATA☆HATA☆ROCK&SAMBA!!([[2011年]](平成23年)、渡部絢也) * 竿燈カラー([[2015年]](平成27年)、[[臼澤みさき]]) === 漫画 === * [[釣りキチ三平]]([[1973年]](昭和48年)-、[[矢口高雄]]) *: 「釣りキチ」少年三平が、日本中、世界中で様々な魚釣りに挑戦する姿を描いた作品。 * [[クレヨンしんちゃん]]([[1990年]](平成2年) - 、[[臼井儀人]]) *: 主要登場人物の[[野原ひろし]]が大曲市(現・大仙市)出身という設定。 * 雪の峠([[1999年]](平成11年)、[[岩明均]]) *: 『[[雪の峠・剣の舞]]』([[2001年]](平成13年)、講談社KCデラックス)所収。[[久保田城]](現・[[千秋公園]])築城と[[久保田藩|佐竹氏]]御家騒動を題材とする。 * [[ザ・ワールド・イズ・マイン]]([[1997年]](平成9年) - 2001年(平成13年)、[[新井英樹]]) *: 主に東北地方各地を舞台とするが、[[大館市]]や[[秋田市]]などは特に重要な場面に登場する。 * [[D-LIVE!!]]([[2002年]](平成14年) - [[2006年]](平成18年)、[[皆川亮二]]) *: [[井川町]]の[[井川さくら駅]]と[[日本国花苑]]が登場。 * [[いとしのムーコ]]([[2011年]](平成23年) - 、[[みずしな孝之]]) *: 秋田市[[太平八田]]にある[[ガラス]]工房をモデルに描いた作品、[[イブニング]]([[講談社]])連載中。 * [[干物妹!うまるちゃん#秋田妹!えびなちゃん(あきたいもっこ えびなちゃん)|秋田妹!えびなちゃん]]([[2015年]](平成27年) - [[2017年]](平成29年)、[[サンカクヘッド]]) *: [[干物妹!うまるちゃん]]のサブキャラクターである海老名菜々を主人公にしたスピンオフ作品。 * めんけぇなぁ えみちゃん(2018年 - 2019年、沼ちよ子) === アニメ === * 「[[いとしのムーコ]]」シリーズ ** ラブリームービー いとしのムーコ([[2013年]]〈[[平成]]25年〉7月 - 12月、フジテレビ) ** ラブリームービー いとしのムーコ Season2([[2014年]]〈平成26年〉4月 - 10月、BSフジ) ** テレビアニメ いとしのムーコ([[2015年]]〈平成27年〉10月 - [[2016年]]〈平成28年〉3月、テレビ東京) :※ 上記の3作品とも秋田テレビで放送した。 * [[新幹線変形ロボ シンカリオン THE ANIMATION]]([[2018年]]〈平成30年〉1月 - [[2019年]]〈[[令和]][[元年]]〉6月、TBSテレビ、第3話・第4話<ref group="注釈">これらエピソードは共に、大仙市が舞台の中心(主に大曲駅周辺)となっている。</ref>) :※ この作品は秋田放送で放送された。 === ゲーム === * [[1/2 summer]] - [[田沢湖]]([[仙北市]])付近(旧[[田沢湖町]])が舞台{{要出典|date=2019年11月}} * [[North Wind]] - [[能代市]]二ツ井が舞台{{要出典|date=2019年11月}} * 秋田・男鹿ミステリー案内 凍える銀鈴花([[2020年]](令和2年)) - 秋田市と男鹿市が舞台。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == <!-- 関連するウィキリンク、ウィキ間リンク --> * [[:Category:秋田県]] * [[羽後国]] * [[陸中国]] * [[秋田県の山の一覧]] * [[:Category:秋田県の自然景勝地|秋田県の自然景勝地]] * [[:Category:秋田県の歴史|秋田県の歴史]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/秋田県}} {{Multimedia|秋田県の画像}} {{Sisterlinks|wikt=|b=|q=|s=|commons=Akita prefecture|commonscat=Akita prefecture|n=Category:秋田県|v=no|voy=秋田県|d=Q81863|species=Akita prefecture}} * {{Osmrelation|3791413}} ; 行政 * [https://www.pref.akita.lg.jp/ 秋田県ホームページ 美の国あきたネット] ; 観光 * [https://www.akitafan.com/ 秋田県観光総合ガイド あきたファンドッとコム] - 秋田県産業経済労働部観光課・秋田県観光連盟 {{S-start}} {{S-bef|before=[[久保田藩|秋田藩]]<hr />[[岩崎県]]・[[本荘県]]・[[亀田県]]・[[矢島県]]|表記=前}} {{S-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1871年]] -|years2=}} {{S-aft|after=-----|表記=次}} {{S-end}} {{日本の都道府県}} {{秋田県の自治体}} {{秋田県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:あきたけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:秋田県|*]]
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石川県
石川県(いしかわけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は金沢市。 本州の中央部、日本海側の北陸地方に位置する。県域は令制国の加賀国と能登国に当たる。 石川県の名称は加賀地方にあった石川郡に由来し、さらに石川郡との命名は本県最大の河川手取川の古名である「石川」に由来する。1872年(明治5年)、金沢県庁が石川郡美川町(現:白山市)に移転した際、その郡名により石川県と改名された。翌年、県庁が再び金沢に移転した後も県名はそのままで現在に至っている。なお、金沢も市制施行前である当時は石川郡に属していたため、県庁所在地と県名に不整合はなかったといえる。 形状は、東西約100km、南北約200kmと南北に細長い。県南部の加賀地方は西側に日本海の直線的な海岸線が続き、東側に両白山地の山々が連なる。南東部には県内で最高峰の白山(2,702m)がそびえる。県北部の能登地方は日本海に向かって北東方向に突き出た半島(能登半島)となっている。このため県全体の海岸線の総延長は約580kmに及ぶ。これはJR東海道本線の東京駅・神戸駅間(589.5 km)に相当する距離である。 気候は日本海側気候型である。西寄りの風が日本海を流れる対馬暖流の上で水蒸気を蓄えて雷雲となり、両白山地に当たって降水をもたらすことが多い。都道府県別の年間降水量は5番目に多い。特に冬は北西からの季節風が続くため降水量が多く、山間部は豪雪地帯となっている。降雪時に雷鳴を伴うことが多く、この現象は鰤(ブリ)が獲れる時期と重なることからブリ起こしと呼ばれている。 県民人口は約110万人である。都市別では金沢市が最多の約46万人と約40%を占める。次いで多いところは白山市と小松市のそれぞれ約11万人であり、金沢市を中心に県南部の加賀地方に人口が偏在している。金沢市の人口は、北陸地方では新潟市に次いで2番目(北陸3県に限れば 1番目)であり、北陸経済の中心地の一つとなっている。 2005年(平成17年)の従業者数約60万人のうち約65%が第三次産業に、約30%が第二次産業に従事している。特徴としては、第二次産業の中では製造業の割合が高く、また製造業の中でも従業者の過半数が一般機械や電気機械などの機械関連で働いていることが挙げられる。1人当たりの生産用機械器具製造業出荷額では全国1位となっている。 中世には、権門体制から幕藩体制への過渡期に寺社勢力(一向宗:浄土真宗)による自治が行われ経済的に非常に発展していた。そして加賀藩は浄土真宗への懐柔政策により自治を行ったことが発展に重要に機能した(詳細は金沢市の項参照)。江戸時代に加賀国、能登国、越中国を領地としていた加賀藩は学問や文芸を奨励したことから、城下町の金沢を中心にして伝統文化が興隆し、今に受け継がれている。金沢市では能楽の加賀宝生、織物の染色技法である加賀友禅、蒔絵を施した金沢漆器、茶道具に用いられる大樋焼などが伝わる。その他、輪島市の輪島塗、加賀地方の九谷焼など芸術性の高い伝統技術が継承されている。人口当たりで見た日展(日本美術展覧会)や日本伝統工芸展の入選者数は全国1位となっている。 石川県を訪れる観光客は2010年(平成22年)で約2,150万人と見られ、このうち約820万人が金沢市周辺、約680万人が能登地方、約660万人が(金沢市周辺を除く)加賀地方を訪れたとされる。主要観光地で利用者数が多いのは、金沢市では兼六園、金沢城公園、金沢21世紀美術館、ひがし茶屋街、能登地方では輪島市の輪島朝市、七尾市の和倉温泉、能登食祭市場、羽咋市の気多大社、同市と宝達志水町に跨る千里浜、加賀地方では加賀市の山代温泉、山中温泉、片山津温泉、小松市の粟津温泉、木場潟公園、白山市の白山比咩神社などである。 全国47都道府県で唯一、太平洋戦争で空襲を受けていない。 日本の本州中央部の日本海側にある。全国8地方区分では中部地方に当たり、日本海側の北陸地方に位置している。県域は、東西100.9 km、南北198.4 km、面積4,185.66kmを有し、海岸線の総延長は581.0kmに及ぶ。南北に細長く、中央部がくびれた砂時計や、アルファベットのFのような形状をしている。西側、北側、北東側は日本海に面しており、南西側は福井県に、東側は富山県に、南東側は岐阜県に隣接している。なお、日本の領海を確定するために設定されている基線は輪島市舳倉島北東端から(富山県を経ず)新潟県佐渡市ネイ島西端まで直線基線が引かれている。 石川県の地形は、県北部の能登地方と県南部の加賀地方とで対照的な特徴を有している。 能登地方は日本海に向かって北東方向に突き出た半島(能登半島)である。第三紀に形成された火山岩や堆積岩からなる丘陵状の山地が広がっている。一級河川はなく、町野川、大海川などの二級河川が54水系指定されている。半島沖の海底は舳倉島付近まで大陸棚が続いており、その先も白山瀬や大和堆などの中深度海域が見られる。 半島北部は、概ね標高300m以下の低山地と丘陵地帯が連なる準平原で、全体として富山湾側に下降する背斜構造をしている。このため北西側の外浦(そとうら)は急峻な海食崖が形成され、海岸段丘が発達しているのに対して、南東側の内浦(うちうら)は沈降性の入り組んだ海岸線をしている。また、内浦の最深部に能登島があり、七尾湾が島を取り囲んでいる。半島中央部には、眉丈山南麓の断層が落ち込んで形成された帯状の低地帯(邑知潟地溝帯)が半島を横切っている。半島南部は宝達山を中心とする低い山地(宝達丘陵)が南北に連なり、西側の海岸線は長い砂浜海岸(千里浜)となっている。 加賀地方は南東部に白山(2,702m)を最高峰とする山地帯(両白山地)が発達し、北西に流れる河川によって形成された沖積平野(加賀平野、金沢平野)が南北に広がっている。白山は中国山地を経て九州北部に延びる白山火山帯に属しており、一帯には火山岩や凝灰岩が分布している。加賀地方の中央部を流れる手取川は白山を水源に日本海に注ぐ、長さ72km、流域面積809kmの一級河川で、石川県最大の川である。流域の90%が山地であり、平均勾配が約27分の1という日本有数の急流河川である。上流部は川の浸食作用で渓谷となり、中流部には河岸段丘が発達している。下流域は白山市鶴来地区(旧・鶴来町)を扇頂とし、中心角120度、半径12〜13kmの扇状地(手取川扇状地)を形成している。梯川は加賀地方南西部の白山山系大日山連峰の鈴ヶ岳を源流とする一級河川で、長さ42km、流域面積は271.2 kmである。加賀地方北部に当たる金沢市内を流れる犀川と浅野川はいずれも二級河川である。流域には河岸段丘が発達している。加賀地方の海岸部は単調な砂浜海岸であり、北部には内灘砂丘がある。また、海沿いの平野部に木場潟、柴山潟、河北潟などの潟湖が点在している。 国立公園が1か所(白山国立公園)、国定公園が2か所(能登半島国定公園、越前加賀海岸国定公園)、県立自然公園が5か所(山中・大日山県立自然公園、獅子吼・手取県立自然公園、碁石ケ峰県立自然公園、白山一里野県立自然公園、医王山県立自然公園)存在する。 白山国立公園は白山を中心とした両白山地の主要な山々を指定区域とする国立公園である。石川県、富山県、福井県、岐阜県の4県にまたがる。原生地域が区域の80%以上を占め、特にブナの原生林を広域に保有している。また、森林限界を越える高山帯としては日本最西端に当たるため、西限・南限とする貴重な動植物がみられる。 能登半島国定公園は能登半島の海岸一帯を主体とする国定公園である。石川県と富山県に跨る。能登金剛や禄剛崎など外浦の勇壮な海食景観と七尾湾や能登島など内浦の柔和な沈水景観の対比が特徴とされる。越前加賀海岸国定公園は加賀市から福井県敦賀市まで続く海岸一帯の国定公園である。石川県内では柴山潟や雁、鴨の飛来地 である片野鴨池が含まれている。片野鴨池はラムサール条約の登録湿地となっている。 石川県の気候は比較的日照時間の短い日本海側気候型である。その特徴は冬に顕著で、北西からの季節風によって気温が低く雪の降る日が多くなる。地元でブリ起こしと呼ばれる冬の雷 の発生数は日本で一番多い。降雪と雷が同時に起こることは世界的にも珍しく、ノルウェー西海岸やアメリカ合衆国の五大湖から東海岸にかけて見られる程度であるとされる。 発達した低気圧が日本海を通過するときに南東からの強い風が両白山地を越えてフェーン現象を起こすことがある。また、同じ中部地方でも太平洋側の東海地方に比べて梅雨が顕著ではないという特徴がある。 能登地方中部から加賀地方にかけての平野部の気候は比較的温和だが、能登地方北部では年平均気温がやや低く、加賀地方山間部は気温が低く多雨豪雪であるといった地域差が見られる。 能登地方は日本海に大きく突き出しているため寒暖の季節風の影響を受けやすい。北陸地方の他の都市に比べ、夏はやや涼しく、冬は雪も少なめである。年平均気温は13〜14°Cではあるが、能登地方北部はやや低め。年降水量は1,700〜2,100mm、年日照時間は1,500〜1,700時間、最深積雪の平均は 20〜60cmである。 加賀地方の平野部は比較的温和で年平均気温は13〜15°Cである。年降水量は2,100〜3,100mm、年日照時間は1,400〜1,700時間、最深積雪の平均は40〜50cmである。金沢市で年間200cmを超える降雪を観測した年は、1960年代 8回、1970年代 6回、1980年代 9回、1990年代 0回、2000年代 3回となっており、1990年代以降減少が顕著である。冬の日照時間が極端に少ないことが特徴で、夏は月平均約180時間に対し、冬は月平均約70時間である。加賀地方の山間部(標高500m以上)は最深積雪の平均が220cmと平野部の4倍以上になる豪雪地帯である。白山市白峰地区(旧・白峰村)では最深積雪682cmの記録がある。この地域が大雪となる理由はシベリアからの乾いた冷たい季節風が日本海を流れる対馬暖流の上を通る時に水蒸気を蓄え雲となり、両白山地にぶつかって斜面を上昇すると断熱膨張によって冷やされ雪となるためである。 県北部を能登地方、県南部を加賀地方という。それぞれ令制国の能登国、加賀国の範囲に相当する。加賀地方は、かほく市以南を、能登地方は宝達志水町以北を指すことが多い。 石川県庁の出先機関では4地域または5地域に区分されることがある。たとえば、保健福祉センターは「能登北部、能登中部、石川中央、南加賀」の4区分である。 県営の看護士求人では「能登北部、能登中部、石川中央北部、石川中央南部、南加賀」の5区分である。 県の都市計画では「奥能登、中能登、県央、南加賀」の4区分である。 農林総合事務所や土木総合事務所では「奥能登、中能登、県央、石川、南加賀」の5区分である。 気象庁の天気予報では県域を北から南へ「能登北部、能登南部、加賀北部、加賀南部」と4区分される。 市町別では11市 5郡 8町となっている。石川県では、町は「まち」と読むが、鳳珠郡能登町および羽咋郡宝達志水町は「ちょう」と読む。石川県内の市町では、一部の小字地番にイロハや甲乙丙などを組み合わせたものが使用されている(白山市松任地区および野々市市を除く)。これは明治時代に行われた土地区画整理事業の名残で、石川県の多くの地域では2017年現在も使用されている。このため住居表示制度の導入割合は隣県の富山県や福井県より低い。 域内推計人口 : 942,743 人(全県比:85%)(2023年11月1日) 石川県庁の出先機関の圏域名である県央は金沢市、かほく市、河北郡の区域、石川は白山市、野々市市の区域(石川中央は左記2域を足し合わせた区域)、南加賀は小松市、加賀市、能美市、能美郡の区域を指す。 加賀地方には平成の大合併前に4市4郡13町5村あったが、2004年(平成16年)3月1日に河北郡3町(高松町、七塚町、宇ノ気町)がかほく市に、2005年(平成17年)2月1日に松任市と石川郡2町5村(美川町、鶴来町、河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村)が白山市に、同日能美郡3町(根上町、寺井町、辰口町)が能美市に、同年10月1日旧加賀市と江沼郡1町(山中町)が加賀市(これにより江沼郡は消滅) となり、また2011年(平成23年)11月11日に野々市町が単独市制で野々市市に移行(これにより石川県の県名の由来となる石川郡が消滅)した。このほか、市町間で行政サービスを共同で行うため次の一部事務組合が設立されている。 域内推計人口 : 166,518 人(全県比:15%)(2023年11月1日) 石川県庁の出先機関の圏域名である能登中部・中能登は七尾市、羽咋市、羽咋郡、鹿島郡の圏域、能登北部・奥能登は輪島市、珠洲市、鳳珠郡の圏域を指す。 能登地方には平成の大合併前に4市4郡14町1村あったが、2004年(平成16年)10月1日に旧七尾市と鹿島郡3町(田鶴浜町、中島町、能登島町)が七尾市に、2005年(平成17年)3月1日に羽咋郡2町(志雄町、押水町)が宝達志水町に、同日鹿島郡3町(鳥屋町、鹿島町、鹿西町)が中能登町に、同日鳳至郡1町1村(能都町、柳田村)と珠洲郡1町(内浦町)が鳳珠郡能登町(これにより鳳至郡と珠洲郡は消滅)に、同年9月1日に羽咋郡2町(志賀町、富来町)が志賀町、2006年(平成18年)2月1日に旧輪島市と鳳珠郡1町(門前町)が輪島市となった。このほか、市町間で行政サービスを共同で行うため次の一部事務組合が設立されている。 県内で発見された旧石器時代の遺跡は能美市の灯台笹遺跡など極めて少ない。 縄文時代の遺跡では草創・早期の遺跡は少なく、中期と晩期にピークがある。 能登町の真脇遺跡は縄文時代の前期から晩期まで約4,000年続く長期定住遺跡である。 縄文時代後期から晩期の遺跡としては金沢市のチカモリ遺跡、野々市市の御経塚遺跡 がある。 1980年(昭和55年)チカモリ遺跡からクリの巨木を縦に半分に割り円形に並べた環状木柱列が見つかった。 環状木柱列はその後真脇遺跡でも発見されている。環状木柱列の用途・機能は「儀礼の場」や「特殊な建物」など様々な考えがあり不明である。羽咋市の吉崎・次場遺跡は北陸地方でも規模が大きい弥生時代の遺跡で近畿、東北、山陰などとの交流が認められる。 4世紀には大和王権の支配が及び、能登国には能等国造と羽咋国造が、加賀国には加我国造と江沼国造が設置された。 能美市には60数基の古墳が点在する能美古墳群がある。その中心に位置する和田山・末寺山古墳群からは武器・武具など大量の副葬品が出土している。 また、同じ能美古墳群の一角にある秋常山1号墳は全長約140mの前方後円墳である。 中能登町の雨の宮古墳群には北陸最大級の前方後方墳である雨の宮1号墳がある。 また、七尾市の能登島にある須曽蝦夷穴古墳はドーム型の墓室を持ち朝鮮半島の古墳にも通じるものとされる。 県域は飛鳥時代には越国あるいは三越分割後の越前国に含まれていた。奈良時代に入り、718年に羽咋・能登・鳳至・珠洲の4郡を割いて能登国が立てられた。 能登国は741年越中国に併合され、このころ大伴家持が越中国の国司として赴任している。757年には越中国から分離し、再び能登国が立てられた。 平安時代初期の823年になって越前国から加賀・江沼2郡を割いて加賀国が立てられた。これは令制上最後の立国である。 七尾市にある能登国分寺跡は、能登地方を支配した能登臣(のとのおみ)一族が白鳳時代に建てた寺院を843年に国分寺としたものである。法起寺式伽藍配置を持ち、約400年にわたり能登の仏教の場として栄えたとされる。奈良時代から平安時代には、能登半島には渤海の使節がたびたび到着し交易が行われていた。 志賀町の福浦港では渤海使が船の修理や宿泊をしたと伝えられており、平安時代初めに渤海使接待のため能登国に建てられた能登客院はこの地にあったと考えられている。 野々市市の末松廃寺跡は加賀地方北部に本拠を置く有力氏族道君(みちのきみ)が7世紀後半に創ったとされる寺院である。法起寺式伽藍配置をしており、屋根瓦の一部は能美市辰口地区(旧:辰口町)で焼かれたものであることが分かっている。 奈良・平安時代、北陸地方には東大寺、西大寺などの荘園が多くあった。 白山市から金沢市に跨る東大寺領横江荘もそうした荘園の一つである。平安時代に修験道が活発になると白山を山岳信仰の対象とする白山信仰が広まり、山頂への登山道(禅定道)の起点の一つとなった白山比咩神社は信仰の拠点となった。 平安時代末期の治承・寿永の乱(源平合戦)では、源義仲(木曾義仲)が倶利伽羅峠の戦い(津幡町)で数で圧倒する平家の義仲追討軍を破り、さらに篠原の戦い(加賀市)で逃げる平家を追撃し、京都に進んだとされる。 鎌倉時代、新たに設けられた守護は加賀国、能登国とも比企氏、北条氏、室町時代に入ると加賀国は斯波氏、冨樫氏、能登国は吉見氏、畠山氏であった。 加賀国では、権門体制から幕藩体制への過渡期の時代、応仁の乱のころ浄土真宗が広まり、やがて寺社勢力に帰依した者を中心とした加賀一向一揆が起きた。守護大名冨樫一族の内紛に、地元武士、浄土真宗本願寺派と髙田派の内部抗争が入り混じった紛争が起き、さらに、これに勝利した富樫正親と本願寺派勢力が内部対立を起こし、本願寺派勢力が勝利したことで、戦国大名化した寺社勢力による自治が始まり、武士の支配を脱却した統治が約100年にわたって行われた。これが、加賀地方が「百姓の持ちたる国」と呼ばれた 所以である。その際、富樫政親を滅ぼした洲崎慶覚坊が金沢の台地上にあった本源寺の棟梁を謀殺しており、後に本源寺を、尾山御坊(金沢御坊)と定めて、ここを拠点にして支配した。本願寺の一向宗(浄土真宗)勢力による自治により石山本願寺の財政基盤として機能していた。中世の幕府は内紛により権威が弱く、世の中は治安が悪く、戦乱による財政難から度重なる徳政令で金融も麻痺していた。一方、本願寺の寺内町(門前町)だけは、支那との交流による銭貨を背景とした大量のマネタリーベースが供給され、規制緩和による自由な商売が出来、軍事組織もあったため治安も良く、徳政令からも免れて経済的に繁栄していた。従って、安心した暮らしを求めて帰依する者が多かったと考えられる。本願寺と敵対する織田信長は、柴田勝家らを派遣してここを平定し、能登国を前田利家に、加賀国を佐久間盛政に与えた。織田信長の死後、豊臣秀吉が実権を握ると、利家は加賀国も領して、尾山御坊跡の尾山城(金沢城)に入り城下町の建設を始めた。 能登国では、正長年間(1428年 - 1429年)ごろに初代当主畠山満慶が七尾城を築城し、畠山氏の領国支配の拠点となる。7代目当主畠山義総の時代に最盛期を迎えるが、義総の死後は畠山七人衆が実権を握り、大名権力を傀儡化する。1560年(永禄3年)、9代当主畠山義綱が実権を取り戻すが、1566年(永禄9年)に永禄九年の政変で能登国から追放される。1577年(天正5年)、上杉謙信が能登国へ侵攻し七尾城の戦いが起こり、畠山氏は滅亡する。 前田利家の長男・前田利長は関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍につき、戦後越中国を与えられた。 利長は江戸幕府の幕藩体制のもと加賀国、能登国、越中国の3国を治める加賀藩の藩主となった。加賀藩前田家は外様大名でありながら大名の中で最大石高である約120万石を領した。 第 2代藩主前田利常は、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の娘・珠姫を娶った徳川の大名として大坂の陣を戦い、戦後の大坂城改修の普請では通常の大名の負担分より多い負担を敢えてするなど、外様大名として取り潰しを避けることに意を用いたとされる。 利常は1639年に家督を長男前田光高に譲り、次男の前田利次に富山藩を、三男の前田利治に大聖寺藩を分封した。 しかし、1645年に光高が急死し、第4代藩主となった光高の長男前田綱紀がまだ幼かったため、利常が後見人として藩政を補佐した。 利常が綱紀を後見した時代には、貧農の救済、年貢納入の徹底などを目的とした改作法と呼ばれる農政改革が実施された。 これは、農民の借金を帳消しにした上で、農具、種籾の購入資金や当座の食料を貸し付けて農業生産性を高めるとともに、各地の有力豪農などから選任した十村(とむら)に農民の監督や徴税を委ねるものである。改作法は所期した成果を挙げ、藩政の安定に寄与した。 このころから加賀藩は蔵米を日本海から関門海峡、瀬戸内海を通り大坂まで運ぶ船輸送を始め、後の西廻海運の基となった。 なお、1659年に白山が噴火(最も新しい噴火)。1668年と1671年には手取川の洪水で多数の死者が出ている。 加賀藩は産業の振興に力を入れ、かつ学問や文芸を奨励したことから、城下町の金沢を中心として今に続く伝統文化が興隆した。 金沢城内に設けた御細工所は初め武器・武具の修理などを行う組織であったが、利常は茶の湯道具や掛幅など美術工芸品の製作・修理をさせ、綱紀は塗物・蒔絵細工、象嵌細工など20を越える職種を扱わせた。 綱紀は学問の奨励のため木下順庵、室鳩巣、稲生若水といった学者の招聘につとめた。 綱紀が収集した古今東西の図書は尊経閣文庫として受け継がれている。 能楽も盛んで、利家は金春流を好み、その後の藩主達にも受け継がれたが、綱紀が宝生流を取り入れ加賀宝生を成立させると、後者が主流となり栄えた。 兼六園は綱紀による蓮池庭と御殿の建設が始まりとされ、現在の姿が完成するのは江戸時代後期である。 輪島塗は江戸時代に輪島で下地塗りの漆に混ぜる珪藻土が見つかったことで堅牢な漆器となり、日用食器として盛んに生産されるようになった。 北前船が寄港する輪島港の海運の利を活かして全国に販路を広げた。 また江戸時代後期には沈金や蒔絵の技法が加わり美術工芸品としても発展した。 大聖寺藩では江戸時代初めに殖産興業の一環として鉱山開発に取り組み九谷村(現:加賀市)で磁鉱が発見されたことから窯を築き色絵磁器(九谷焼)の製造が始まった。 一旦廃窯されるが九谷焼は加賀藩により再興され、明治期には海外への輸出品となった。 江戸時代後期、加賀藩は1792年に藩校の文学校明倫堂と武学校経武館を文武ごとに別けて設立した。 明倫堂では儒学のほか易学、医学、本草学、暦学、算学などを、経武館では馬術、剣術などを教えた。 また幕末には洋式兵学校の壮猶館や航海、測量の実習のための軍艦所を作り、ヨーロッパから洋式艦船を購入するなど海防に力を注いだ。 1869年(明治2年)版籍奉還で加賀藩は金沢藩となり、14代藩主前田慶寧は金沢藩知事に任命された。しかし、1871年(明治4年)7月14日には廃藩置県が行われ、金沢藩域は金沢県(第1次)、大聖寺藩域は大聖寺県となった。同年11月20日に両県を廃止し、旧・金沢県より射水郡以外の越中国新川郡、婦負郡、礪波郡を分けて新川県(当時は新川郡魚津が県庁所在地)を設置、能登国と越中国射水郡に七尾県を、加賀地方に金沢県(第2次)を置いた。明けて1872年(明治5年)2月2日、金沢県庁を石川郡美川町(現:白山市美川南町)に移し、この郡名より石川県と改称した。現在の県名はこれに由来する。なお、石川は古くから氾濫を繰り返し、石ころ河原だった手取川の別名という説がある。県庁の移設は、旧加賀藩の影響力を弱めるための時の政府の方策等諸説あるが、公式には金沢では県域の北に寄りすぎであるためという理由であった。なお、金沢市も市制施行前は石川郡に属していた。同年9月25日に射水郡を除く七尾県を石川県に併合(射水郡は新川県に併合)、11月に足羽県より白山麓18か村を併合し、現在の石川県と同じ県域となった。これにより、先の県庁移転の根拠が消滅し、翌1873年(明治6年)に再び県庁は金沢に移転したが、県名はその後も石川県のままとされた。その後、1876年(明治9年)、当時の新川県(現在の富山県域にほぼ相当)と敦賀県(現在の福井県域にほぼ相当)の嶺北地域を編入し、富山と福井に支庁を置いた(現在の石川県と区別する意味で「大石川県」と呼ぶことがある)。 しかし、1878年(明治11年)に紀尾井坂の変が発生したのを切っ掛けに、大石川県は政府から「大県および不平士族の多い故の難治県」と警戒されるようになり、政府は大石川県の力を弱めるためおよび政府が軍備補完のために設立した「共同運輸会社」に伏木港の海運業者・藤井能三が有力出資者であることに考慮し、大石川県の分県を承認。1881年(明治14年)に福井県が、1883年(明治16年)に富山県がそれぞれ分離して現在の県域となる。特に富山県については、加賀側と能登側が「越中は藩政期に加賀藩の庇護を受け、さんざん迷惑をかけやっかいになり続けたのに今更分県などけしからん」と強く反発し阻止に暗躍していたが、最終的に越中側の熱意と政府による金沢市族への弾圧や自由民権運動の北陸ブロック形成の阻止という意図により独立する結果となった。 明治維新により武士は無職となり明治時代初期には士族の9割は金沢市外県外などに転出していった。そもそも武士の大半は貧乏であったため同時に農工商を営んでおり、士族業が失業しても影響が少なく、中には残った者もいたが、いわゆる上級武士ほど影響が大きかった。1874年(明治7年)、没落した士族を救うために旧・金沢藩士長谷川準也(後の金沢市長)らにより金沢製糸場が創設された。官営模範工場の富岡製糸場に倣ったもので、県下の殖産興業の先駆けとなった。1887年(明治20年)4月、金沢に旧制第四高等中学校(現在の金沢大学の前身)が設置された。また1898年(明治31年)10月、金沢城内に旧陸軍第九師団司令部が設けられた。それまで人口減少などにより経済的に落ち込んでいたが、これにより金沢は北陸地域での学問的、軍事的な拠点として発展していく。 鉄道は、1897年(明治30年)9月、北陸線が福井駅から小松駅まで延伸。翌1898年(明治31年)4月に金沢駅まで、同年11月に高岡駅まで延伸された。また同年4月には七尾鉄道が津幡仮停車場(現:本津幡駅付近)から矢田新駅(後の七尾港駅)まで開通し、1907年(明治40年)国有化された。1925年(大正14年)和倉駅まで延伸し、1935年(昭和10年)までに輪島駅まで開業した。 金沢製糸場の施工にあたった津田吉之助の子津田米次郎は織機の機械化に取り組み、1900年(明治33年)日本初の力織機を発明した。当時、羽二重生産で出遅れていた金沢はこの力織機による工場制大量生産で大正期にかけて生産量を伸ばした。同年、金沢では電気の送電が開始され、翌1901年(明治34年)に市内電話が開通。1908年(明治41年)にはガスの供給が始まっている。 1918年(大正7年)富山県魚津町で発生した米騒動は石川県でも高浜町・堀松村(いずれも現:志賀町)から金沢市、宇出津町(現:能登町)、松任町(現:白山市)、穴水町へと波及した。翌1919年(大正8年)に金沢で市内電車が運転を始める とこれを契機に都市化が進み、カフェ・映画などの大衆文化が広がった。1925年(大正14年)内灘村(現:内灘町)に開園した粟崎遊園にも人気が集まった。金沢では1930年(昭和5年)に犀川を水源とする末浄水場が完成して水道が通水し、同年ラジオ放送が始まった。 1896年(明治29年)および1934年(昭和9年)には手取川で大洪水があり、多数の死者が発生した。特に1934年(昭和9年)の災害は上流で大規模な土砂崩れ(別当崩れ)が発生するなど上流から河口まで流域の全域にわたって被害が発生し、死者97人、行方不明者15人に上る未曾有の大災害であった。 石川県は戦争中空襲などによって焦土となることを免れたため(全国で唯一、太平洋戦争での空襲が無かった県である)、戦後も様々な社会資本を引き続き使用することができた。1947年(昭和22年)の第2回国民体育大会が石川県を中心として開催されたのは一つの例である。これは各都道府県持ち回りとなる最初の大会となった。 戦後、アメリカ軍が内灘村(現:内灘町)で接収した砲弾試射場に対する反対運動(内灘闘争)が起こり、1952年(昭和27年)から翌年にかけて激しさを増した。その後1957年(昭和32年)に撤収されたため事態は次第に収束していった。旧海軍の小松飛行場は戦後アメリカ軍に接収されていたが、1955年(昭和30年)に不定期の大阪便が就航した。1958年(昭和33年)にアメリカ軍の接収が解除されると航空自衛隊が駐屯。1961年(昭和36年)に航空自衛隊小松基地が開庁し、正式に自衛隊と民間航空との共用飛行場となった。 1957年(昭和32年)NHK がテレビ放送を開始。翌年、民間放送の北陸放送もテレビ放送を始めた。1962年(昭和37年)からはテレビカラー放送が始まった。同年12月末から翌1963年(昭和38年)2月初めにかけて北陸地方を中心に広い範囲で降雪が続いた。最深積雪は金沢で181cmを記録。交通障害、通信障害、停電のほか家屋の倒壊も相次いだ(三八豪雪)。 1963年(昭和38年)北陸本線福井駅・金沢駅間が電化。翌年金沢駅・富山駅間も電化される。国鉄能登線は1959年(昭和34年)に穴水駅から鵜川駅まで開業し、1964年(昭和39年)までに蛸島駅まで全線開通した。一方、1967年(昭和42年)金沢の市内電車が廃止された。 1972年(昭和47年)県内初の高速道路となる北陸自動車道金沢西IC・小松IC間が開通。その後1978年(昭和53年)までに県内の北陸自動車道は全線が開通した。能登方面は、1973年(昭和48年)能登海浜道路高松IC・柳田IC間が開通し、1982年(昭和57年)までに粟崎IC・此木IC(現:穴水IC)間の能登有料道路全線が開通している。なお1977年(昭和52年)に尾口村(現:白山市)と岐阜県白川村を結ぶ白山スーパー林道(現:白山白川郷ホワイトロード)が開通した。 1980年(昭和55年)には治水、都市用水の供給、発電を目的とした手取川ダムが完成。水道用水として北は七尾市能登島から南は加賀市まで県内給水人口の7割以上を賄う。また1993年(平成5年)志賀町で 志賀原子力発電所(北陸電力)が営業運転を開始した。一方で2003年(平成15年)には珠洲市で建設計画のあった珠洲原子力発電所(北陸電力・中部電力・関西電力)の計画凍結が発表された。 昭和末期以降、能登地方の交通体系は鉄道中心から道路・空港に大きく変わった。1988年(昭和63年)JR能登線が廃止され、第三セクター鉄道ののと鉄道に引き継がれた(のと鉄道能登線)。1991年(平成3年)にはJR七尾線津幡駅・和倉温泉駅間が電化される一方、和倉温泉駅・輪島駅間がのと鉄道に経営移管された(のと鉄道七尾線)。2001年(平成13年)のと鉄道七尾線穴水駅・輪島駅間 が、2005年(平成17年)のと鉄道能登線が廃止された。 2003年(平成15年)石川県で2番目となる能登空港が開港。能登空港には石川県の出先機関が入るほか、隣接地に日本航空学園が誘致された。また道の駅としても登録されている。能越自動車道は能登有料道路と共用する徳田大津JCT・穴水IC間に続き、1998年(平成10年)田鶴浜IC・徳田大津JCT間が供用を開始。2006年(平成18年)(平成19年)に穴水IC・能登空港IC(現:のと里山空港IC)間(穴水道路)が開通した。 2007年(平成19年)3月25日 能登半島沖を震源とするマグニチュード6.9の地震(能登半島地震)が発生。最大震度は輪島市、七尾市、穴水町で震度 6強。死者1人、重軽傷者338人のほか、2,426棟の住家が全半壊し、能登有料道路の一部が大規模に崩落するなどの被害が出た。2008年(平成20年)7月28日 未明からの降雨により浅野川が55年ぶりに氾濫し、金沢市内で2,000棟を超える家屋の被害が出た。浅野川流域の最大3時間雨量は金沢地方気象台の過去最大雨量を記録し、約200年に一度の豪雨となった。 2009年(平成21年) 金沢市がユネスコ・創造都市ネットワークのクラフト分野に登録された。また同年能登地方北部の伝統的な祭礼奥能登のあえのことがユネスコの無形文化遺産代表一覧表に記載され、2011年(平成23年)には能登の里山里海が佐渡島と同時に日本で初めて国連食糧農業機関 (FAO) の世界農業遺産に認定された。 2015年(平成28年)3月14日、北陸新幹線が金沢駅まで開業したほか、輪島市を舞台にしたNHK連続テレビ小説まれの放送などで県内が沸いた。 2020年(令和2年)4月14日、新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからず、知事は県独自の緊急事態宣言を出した。記者会見で知事は「地域医療が危機的な状況に陥りかねない」と危機感を表明した。 石川県の人口は、2011年(平成23年)11月1日現在で1,166,177人となっている。このうち能登地方が207,673人、加賀地方が958,504人と82%が加賀地方に集中している。市町別では、金沢市が462,897人と最も多く、県人口の40%を占めている。次いで、白山市110,109人、小松市108,107人、加賀市70,830人、七尾市56,989人、野々市町(現・野々市市)53,066人などとなっている。 2010年(平成22年)の高齢化率は23.7%で、全国の23.1%を上回っている。地域別に見ると加賀地方が21.5%であるのに対し、能登地方は29.6%と高くなっている。市町別では野々市町(現・野々市市)の15.0%が最も低く、珠洲市の41.8%が最も高い。 平均寿命は2005年(平成17年)で男性79.3歳、女性86.5歳となっており、それぞれ全国(男性78.8歳、女性85.6歳)よりも長い。合計特殊出生率は2010年(平成22年)で1.44人と、全国の1.39人を上回っている。 2008年(平成20年)の県内総生産は4兆6,114億円(名目)で、国内総生産に対する割合は0.93%となっている。一人当たり県民所得は281万8千円で、一人当たり国民所得(275万4千円)を2.3%上回っている。 2005年(平成17年)の就業者数は596,324人であり、このうち第一次産業は23,237人 (3.9%)、第二次産業は176,786人 (29.6%)、第三次産業は389,749人 (65.4%) となっている。戦後間もない1950年(昭和25年)には第一次産業に52.6%が従事しており、産業構造は大きく変化している。石川県の産業構造は、第二次産業の中でも製造業の割合が高く、また製造業の中でも従業者の過半数が一般機械や電気機械などの機械関連で働いていることが特徴である。1人当たりの生産用機械器具製造業出荷額では全国1位となっている。 農業産出額は2008年(平成20年)で583億円 であり、1985年(昭和60年)の1,087億円の54%に相当する水準まで減少している。作付面積では2004年(平成16年)で水稲72%、野菜9%、豆類5%、果樹3%となっており、稲作が中心である。米の品種別ではコシヒカリが70%強を占めている。野菜では販売額の16%を占めるスイカが最も多く、次いでダイコンの13%となっている。果樹ではナシが販売額の50%を占め、ブドウの24%が次に多い。乳牛、肉牛、豚、採卵鶏の飼育頭数は減少傾向にあるが、農家1戸当たりでみると乳牛は全国4番目、豚は全国6番目に多い。 地域の特徴を活かした農産物のブランド化が図られている。加賀野菜は金沢地区で戦前から栽培されていると認められた野菜である。金時草、加賀太きゅうり、加賀れんこん、源助だいこん、打木赤皮甘栗かぼちゃなど15品目が認定されている。能登野菜は能登地方の風土を活かして生産された伝統野菜、特産野菜のことで中島菜、沢野ごぼう、金糸瓜など13品目が認定されている。果樹では、石川県農業総合研究センターが開発した新種のブドウがルビーロマンと命名され、高級ブドウとして販売されている。県内で飼育された黒毛和種の肉牛のうち品質の高いものは能登牛と認定する制度が設けられている。このほか、コメの新品種ひゃくまん穀、フリージアの新品種エアリーフローラ、梨の新品種加賀しずくがいずれも石川県によって開発され、新たな特産品となっている。 林業産出額は2008年(平成20年)で28.6億円となっており、1985年(昭和60年)の69.2億円の41%まで減少している。このうち木材生産は16.5億円、特用林産物は12.1億円である。一方で木材供給量に占める県産材の割合は1975年(昭和50年)の18%から、2009年(平成21年)の39%に上昇している。樹種別原木の生産量では、2009年(平成21年)でスギが全生産量の84%を占め、次いで能登ヒバ8%、マツ4%となっている。なお能登ヒバは能登地方で産出されるアテ(ヒノキアスナロの地方名)のブランド名である。2009年(平成21年)の特用林産物の生産量は生シイタケが853トンと最も多く、次いでエノキタケ208トン、ナメコ169トンなどとなっている。1975年(昭和50年)に約2,000トンを生産した木炭は113トンにまで減少している。 海面漁業・養殖業の生産は、2005年(平成17年)で60,306トン、219億円である。これは本州日本海側の12府県では生産量で3番目、生産金額で1番目に多い。2010年(平成22年)の魚種別の漁獲量ではカタクチイワシが最も多く、次いでスルメイカ、ブリ、マアジ、ハタハタ、カレイ、ズワイガニ(ベニズワイガニを含む)、サワラ、マダラなどが多い。2008年(平成20年)のブリの漁獲量は都道府県別で最多である。海面養殖業の生産量は2005年(平成17年)で2,560トンとなっており、七尾湾でのカキ養殖がほとんどを占めている。内水面漁業では、アユが主だが、渓流でヤマメ、イワナ、カジカ、湖沼でコイ、フナが生産されている。また、水産加工品の生産量は、2009年(平成21年)でかまぼこ類が13,942トン、生鮮冷凍水産物が6,136トン、水産物つくだ煮類が1,267トンなどとなっている。 水産物のブランド化に向けた取組も見られる。毎年11月から2月にかけて能登半島沿岸域の定置網で水揚げされる7kg以上のブリは天然能登寒ブリとして出荷される。また、石川県で水揚げされる雄のズワイガニのうち品質が良いものは加能ガニとされ、専用のタグが取り付けられる。なお、石川県ではメスのズワイガニは香箱ガニと呼ばれている。石川県漁業協同組合が定める「石川の四季のさかな」は、春はカレイ、サヨリ、夏はイカ、秋はアマエビ、冬はブリ、ズワイガニ、香箱ガニである。輪島市は、日本で最もふぐの漁獲量が多いことから、同市が能登ふぐとブランド化し、知名度向上などに力を注いでいる。 石川県の製造品出荷額等は2010年(平成22年)で2兆3,558億円となっている。同年以前20年間で最高だった2007年(平成19年)の2兆8,743億円に比べると18%減少している。産業別では電子部品が5,112億円と22%を占めて一番多い。次いで生産用機械が4,307億円 (18%)、情報通信機器1,931億円 (8%)、繊維1,806億円 (8%)、食料品1,340億円 (6%) などとなっている。市町別にみると、小松市が4,874億円で最も多く、白山市4,118億円、金沢市3,585億円、能美市2,197億円、川北町2,096億円など加賀地方に集中している。 建設機械では小松市を創業地とするコマツがある。建設機械の国内シェアで1位、世界シェアではキャタピラーに次いで2位を誇る。市内にはコマツの工場やその関連企業も多く、企業城下町を形成している。 電気機器分野では白山市の EIZO はコンピュータ用ディスプレイ、金沢市のアイ・オー・データ機器はコンピュータの周辺機器の生産を行っている。かほく市に本社を置く PFU はリコー傘下のシステムインテグレーターであり、イメージスキャナの生産では世界トップシェアである。また、金沢村田製作所など村田製作所の関連企業も多く、電子部品の生産が盛んである。 石川県の企業はニッチ市場で活躍する製造業が多いのが特色である。金沢市内に本社を置く津田駒工業は織機で世界シェア1位、澁谷工業は飲料の瓶詰め装置で国内シェア1位、石野製作所も回転寿司コンベアの国内シェアの大半を生産している。また、加賀市の大同工業は二輪車後輪駆動用チェーン、月星製作所は二輪車用スポークで、いずれも国内シェアの大部分を占める。 伝統工芸が盛んであることも特徴である。金沢市で生産されている金沢箔は金箔の国内シェアの98%以上を占めている(銀箔の国内シェアは100%)。地域ブランドとして知名度の高い輪島市の輪島塗 は、国が伝統工芸品として指定する漆器の中で生産量が最大である。この他にも、加賀地方で作られる九谷焼、加賀市の山中塗、金沢市の金沢漆器、金沢仏壇、加賀友禅、白山市の牛首紬、美川仏壇、七尾市の七尾仏壇、輪島市の能州紬、珠洲市の珠洲焼などが生産されている。 商業年間商品販売額は2007年(平成19年)で4兆1,576億円である。このうち卸売業が2兆8,182億円、小売業が1兆3,394億円となっている。卸売業では飲食料品卸売業(8,082億円)、機械器具卸売業(7,667億円)が多い。小売業では各種食料品小売業(1,763億円)、百貨店・総合スーパー(1,402億円)などの生活関連のほか、自動車小売業(1,861億円)、燃料小売業(1,700億円)といった自動車関連が多くなっている。 市町別では金沢市が67%(2兆7,869億円)を占めている。次いで野々市町(現・野々市市。以下同)10%(2,662億円)、白山市9%(2,530億円)、小松市9%(2,384億円)となっており、金沢市を中心に加賀地方に偏在している。能登地方で最も多い地域は七尾市5%(1,477億円)である。商業集積地別では香林坊商店街(414億円)、武蔵商店街(237億円)、近江町市場商店街(118億円)など金沢市中心部への集積が顕著であるが、車社会を反映して近郊の国道沿いに位置する金沢市の諸江地区商店街(120億円)、杜の里商店会(119億円)、野々市町の御経塚サティ(その後イオン御経塚を経て2021年に閉店)周辺商店街(156億円)、白山市のフェアモール松任周辺商店街(153億円)などの販売額が多い点も特徴の一つである。また、2006年(平成18年)にJR金沢駅前に開業した金沢フォーラス周辺商店街の販売額が65億円となっており、既存の金沢百番街(96億円)、ポルテ金沢周辺商店街(19億円)などと合わせ、JR金沢駅前が新たな商業集積地となっている。 その反面、能登地方を中心に、商店街の空き店舗などが目立ち、商店街の衰退などが問題視されている。 2003年(平成15年)度のサービス業事業所(民営)の収入額は1兆221億円となっている。業種別では映画館、劇場、遊園地などの娯楽業(2,220億円)が最も多く、次いでホテル、旅館などの宿泊業(1,227億円)、一般飲食店(1,091億円)となっている。北陸新幹線開業後は、市街地を中心にホテルの開発ラッシュが進んでいる。 石川県を訪れた観光客は2010年(平成22年)で2,150万人、観光消費額は2,717億円と見込まれている。県内を金沢地域、白山地域、加賀地域、能登地域に区分した場合、それぞれ金沢地域は815万人585億円、白山地域は99万人73億円、加賀地域は557万人874億円、能登地域は683万人1,185億円となっている。金沢地域は県内客の割合 (47%) や日帰り客の割合 (69%) が比較的高いことが特徴である。また関東からの県外客が多くなっている。能登地域は58%が県外客で関東、近畿、中京から同程度の入り込みがある。加賀地域は県外客の割合 (69%) や宿泊客の割合 (45%) が高い。特に関西からの入り込みが多いという特徴が見られる。宿泊地別で多いところは、金沢市内の宿泊施設228万人、加賀地域では山代温泉85万人、山中温泉53万人、片山津温泉44万人、粟津温泉30万人、能登地域では和倉温泉89万人などである。また、観光客の利用が多い施設は、金沢地域では兼六園170万人、金沢21世紀美術館158万人、金沢城公園107万人、白山地域では白山比咩神社67万人、加賀地域では木場潟公園59万人、いしかわ動物園33万人、能登地域では能登食祭市場80万人、気多大社72万人、輪島朝市71万人、千里浜69万人、のとじま臨海公園水族館45万人などである。 2015年3月14日に、開業した北陸新幹線の開業によって、県内の観光客は大きく増加した。特に関東地区からの客層がほとんどであるが、これにより金沢市のメディア露出が増えたことなどから、関西や中京などからも増加している。増加している地域は金沢地区が中心であるが、能登地区や加賀地区にもその影響は及んでいる。兼六園や金沢21世紀美術館などでは、新幹線効果で過去最大の入園・入館者数を記録した。 電力 上水道 都市ガス 空港と港湾が加賀地方と能登地方にそれぞれ整備されている。鉄道と道路が県庁所在地の金沢市を中心として、加賀地方を東西に、また能登地方に向けて北方に延びている。 県内の普通列車の本数は金沢市近郊以外は、日中毎時1本以下となっている。 三次救急医療機関 救急指定病院 保育所 大学 通信制大学 短期大学 高等専門学校 専修学校 特別支援学校 高等学校 中学校 小学校 幼稚園 大学校 職業訓練施設 石川県は、北陸3県の中で唯一TXN系列局を除く4系列の民放テレビ局がある。また、県内のケーブルテレビ局では他県の放送局の区域外再放送を行っていない。そのためか、ケーブルテレビ普及率は3県で最も低い。 石川県内の方言は北陸方言に分類され、富山県の方言と共通点が多い。加賀方言と能登方言に二分され、県都金沢市で話される金沢弁は加賀方言に含まれる。また白山麓の方言には独特の表現が多く、言語島の例に挙げられる(白峰弁)。 石川県名誉県民の称号は、1992年(平成4年)7月10日に制定された石川県名誉県民条例(石川県条例第28号)に基づき、「社会の発展、学術文化の振興に卓絶した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は、石川県知事が石川県議会の同意を得て選定することが定められ(条例第2条)、諮問機関として石川県名誉県民選考委員会が選定のつど組織される。名誉県民に選定された者には、石川県名誉県民称号記や石川県名誉県民章のほか、記念品も贈られるほか(条例第3条)、知事が定める礼遇や特典を受けられる(条例第4条)。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "石川県(いしかわけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は金沢市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "本州の中央部、日本海側の北陸地方に位置する。県域は令制国の加賀国と能登国に当たる。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "石川県の名称は加賀地方にあった石川郡に由来し、さらに石川郡との命名は本県最大の河川手取川の古名である「石川」に由来する。1872年(明治5年)、金沢県庁が石川郡美川町(現:白山市)に移転した際、その郡名により石川県と改名された。翌年、県庁が再び金沢に移転した後も県名はそのままで現在に至っている。なお、金沢も市制施行前である当時は石川郡に属していたため、県庁所在地と県名に不整合はなかったといえる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "形状は、東西約100km、南北約200kmと南北に細長い。県南部の加賀地方は西側に日本海の直線的な海岸線が続き、東側に両白山地の山々が連なる。南東部には県内で最高峰の白山(2,702m)がそびえる。県北部の能登地方は日本海に向かって北東方向に突き出た半島(能登半島)となっている。このため県全体の海岸線の総延長は約580kmに及ぶ。これはJR東海道本線の東京駅・神戸駅間(589.5 km)に相当する距離である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "気候は日本海側気候型である。西寄りの風が日本海を流れる対馬暖流の上で水蒸気を蓄えて雷雲となり、両白山地に当たって降水をもたらすことが多い。都道府県別の年間降水量は5番目に多い。特に冬は北西からの季節風が続くため降水量が多く、山間部は豪雪地帯となっている。降雪時に雷鳴を伴うことが多く、この現象は鰤(ブリ)が獲れる時期と重なることからブリ起こしと呼ばれている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "県民人口は約110万人である。都市別では金沢市が最多の約46万人と約40%を占める。次いで多いところは白山市と小松市のそれぞれ約11万人であり、金沢市を中心に県南部の加賀地方に人口が偏在している。金沢市の人口は、北陸地方では新潟市に次いで2番目(北陸3県に限れば 1番目)であり、北陸経済の中心地の一つとなっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2005年(平成17年)の従業者数約60万人のうち約65%が第三次産業に、約30%が第二次産業に従事している。特徴としては、第二次産業の中では製造業の割合が高く、また製造業の中でも従業者の過半数が一般機械や電気機械などの機械関連で働いていることが挙げられる。1人当たりの生産用機械器具製造業出荷額では全国1位となっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "中世には、権門体制から幕藩体制への過渡期に寺社勢力(一向宗:浄土真宗)による自治が行われ経済的に非常に発展していた。そして加賀藩は浄土真宗への懐柔政策により自治を行ったことが発展に重要に機能した(詳細は金沢市の項参照)。江戸時代に加賀国、能登国、越中国を領地としていた加賀藩は学問や文芸を奨励したことから、城下町の金沢を中心にして伝統文化が興隆し、今に受け継がれている。金沢市では能楽の加賀宝生、織物の染色技法である加賀友禅、蒔絵を施した金沢漆器、茶道具に用いられる大樋焼などが伝わる。その他、輪島市の輪島塗、加賀地方の九谷焼など芸術性の高い伝統技術が継承されている。人口当たりで見た日展(日本美術展覧会)や日本伝統工芸展の入選者数は全国1位となっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "石川県を訪れる観光客は2010年(平成22年)で約2,150万人と見られ、このうち約820万人が金沢市周辺、約680万人が能登地方、約660万人が(金沢市周辺を除く)加賀地方を訪れたとされる。主要観光地で利用者数が多いのは、金沢市では兼六園、金沢城公園、金沢21世紀美術館、ひがし茶屋街、能登地方では輪島市の輪島朝市、七尾市の和倉温泉、能登食祭市場、羽咋市の気多大社、同市と宝達志水町に跨る千里浜、加賀地方では加賀市の山代温泉、山中温泉、片山津温泉、小松市の粟津温泉、木場潟公園、白山市の白山比咩神社などである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "全国47都道府県で唯一、太平洋戦争で空襲を受けていない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "日本の本州中央部の日本海側にある。全国8地方区分では中部地方に当たり、日本海側の北陸地方に位置している。県域は、東西100.9 km、南北198.4 km、面積4,185.66kmを有し、海岸線の総延長は581.0kmに及ぶ。南北に細長く、中央部がくびれた砂時計や、アルファベットのFのような形状をしている。西側、北側、北東側は日本海に面しており、南西側は福井県に、東側は富山県に、南東側は岐阜県に隣接している。なお、日本の領海を確定するために設定されている基線は輪島市舳倉島北東端から(富山県を経ず)新潟県佐渡市ネイ島西端まで直線基線が引かれている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "石川県の地形は、県北部の能登地方と県南部の加賀地方とで対照的な特徴を有している。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "能登地方は日本海に向かって北東方向に突き出た半島(能登半島)である。第三紀に形成された火山岩や堆積岩からなる丘陵状の山地が広がっている。一級河川はなく、町野川、大海川などの二級河川が54水系指定されている。半島沖の海底は舳倉島付近まで大陸棚が続いており、その先も白山瀬や大和堆などの中深度海域が見られる。 半島北部は、概ね標高300m以下の低山地と丘陵地帯が連なる準平原で、全体として富山湾側に下降する背斜構造をしている。このため北西側の外浦(そとうら)は急峻な海食崖が形成され、海岸段丘が発達しているのに対して、南東側の内浦(うちうら)は沈降性の入り組んだ海岸線をしている。また、内浦の最深部に能登島があり、七尾湾が島を取り囲んでいる。半島中央部には、眉丈山南麓の断層が落ち込んで形成された帯状の低地帯(邑知潟地溝帯)が半島を横切っている。半島南部は宝達山を中心とする低い山地(宝達丘陵)が南北に連なり、西側の海岸線は長い砂浜海岸(千里浜)となっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "加賀地方は南東部に白山(2,702m)を最高峰とする山地帯(両白山地)が発達し、北西に流れる河川によって形成された沖積平野(加賀平野、金沢平野)が南北に広がっている。白山は中国山地を経て九州北部に延びる白山火山帯に属しており、一帯には火山岩や凝灰岩が分布している。加賀地方の中央部を流れる手取川は白山を水源に日本海に注ぐ、長さ72km、流域面積809kmの一級河川で、石川県最大の川である。流域の90%が山地であり、平均勾配が約27分の1という日本有数の急流河川である。上流部は川の浸食作用で渓谷となり、中流部には河岸段丘が発達している。下流域は白山市鶴来地区(旧・鶴来町)を扇頂とし、中心角120度、半径12〜13kmの扇状地(手取川扇状地)を形成している。梯川は加賀地方南西部の白山山系大日山連峰の鈴ヶ岳を源流とする一級河川で、長さ42km、流域面積は271.2 kmである。加賀地方北部に当たる金沢市内を流れる犀川と浅野川はいずれも二級河川である。流域には河岸段丘が発達している。加賀地方の海岸部は単調な砂浜海岸であり、北部には内灘砂丘がある。また、海沿いの平野部に木場潟、柴山潟、河北潟などの潟湖が点在している。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "国立公園が1か所(白山国立公園)、国定公園が2か所(能登半島国定公園、越前加賀海岸国定公園)、県立自然公園が5か所(山中・大日山県立自然公園、獅子吼・手取県立自然公園、碁石ケ峰県立自然公園、白山一里野県立自然公園、医王山県立自然公園)存在する。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "白山国立公園は白山を中心とした両白山地の主要な山々を指定区域とする国立公園である。石川県、富山県、福井県、岐阜県の4県にまたがる。原生地域が区域の80%以上を占め、特にブナの原生林を広域に保有している。また、森林限界を越える高山帯としては日本最西端に当たるため、西限・南限とする貴重な動植物がみられる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "能登半島国定公園は能登半島の海岸一帯を主体とする国定公園である。石川県と富山県に跨る。能登金剛や禄剛崎など外浦の勇壮な海食景観と七尾湾や能登島など内浦の柔和な沈水景観の対比が特徴とされる。越前加賀海岸国定公園は加賀市から福井県敦賀市まで続く海岸一帯の国定公園である。石川県内では柴山潟や雁、鴨の飛来地 である片野鴨池が含まれている。片野鴨池はラムサール条約の登録湿地となっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "石川県の気候は比較的日照時間の短い日本海側気候型である。その特徴は冬に顕著で、北西からの季節風によって気温が低く雪の降る日が多くなる。地元でブリ起こしと呼ばれる冬の雷 の発生数は日本で一番多い。降雪と雷が同時に起こることは世界的にも珍しく、ノルウェー西海岸やアメリカ合衆国の五大湖から東海岸にかけて見られる程度であるとされる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "発達した低気圧が日本海を通過するときに南東からの強い風が両白山地を越えてフェーン現象を起こすことがある。また、同じ中部地方でも太平洋側の東海地方に比べて梅雨が顕著ではないという特徴がある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "能登地方中部から加賀地方にかけての平野部の気候は比較的温和だが、能登地方北部では年平均気温がやや低く、加賀地方山間部は気温が低く多雨豪雪であるといった地域差が見られる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "能登地方は日本海に大きく突き出しているため寒暖の季節風の影響を受けやすい。北陸地方の他の都市に比べ、夏はやや涼しく、冬は雪も少なめである。年平均気温は13〜14°Cではあるが、能登地方北部はやや低め。年降水量は1,700〜2,100mm、年日照時間は1,500〜1,700時間、最深積雪の平均は", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "20〜60cmである。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "加賀地方の平野部は比較的温和で年平均気温は13〜15°Cである。年降水量は2,100〜3,100mm、年日照時間は1,400〜1,700時間、最深積雪の平均は40〜50cmである。金沢市で年間200cmを超える降雪を観測した年は、1960年代 8回、1970年代 6回、1980年代 9回、1990年代 0回、2000年代 3回となっており、1990年代以降減少が顕著である。冬の日照時間が極端に少ないことが特徴で、夏は月平均約180時間に対し、冬は月平均約70時間である。加賀地方の山間部(標高500m以上)は最深積雪の平均が220cmと平野部の4倍以上になる豪雪地帯である。白山市白峰地区(旧・白峰村)では最深積雪682cmの記録がある。この地域が大雪となる理由はシベリアからの乾いた冷たい季節風が日本海を流れる対馬暖流の上を通る時に水蒸気を蓄え雲となり、両白山地にぶつかって斜面を上昇すると断熱膨張によって冷やされ雪となるためである。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "県北部を能登地方、県南部を加賀地方という。それぞれ令制国の能登国、加賀国の範囲に相当する。加賀地方は、かほく市以南を、能登地方は宝達志水町以北を指すことが多い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "石川県庁の出先機関では4地域または5地域に区分されることがある。たとえば、保健福祉センターは「能登北部、能登中部、石川中央、南加賀」の4区分である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "県営の看護士求人では「能登北部、能登中部、石川中央北部、石川中央南部、南加賀」の5区分である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "県の都市計画では「奥能登、中能登、県央、南加賀」の4区分である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "農林総合事務所や土木総合事務所では「奥能登、中能登、県央、石川、南加賀」の5区分である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "気象庁の天気予報では県域を北から南へ「能登北部、能登南部、加賀北部、加賀南部」と4区分される。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "市町別では11市 5郡 8町となっている。石川県では、町は「まち」と読むが、鳳珠郡能登町および羽咋郡宝達志水町は「ちょう」と読む。石川県内の市町では、一部の小字地番にイロハや甲乙丙などを組み合わせたものが使用されている(白山市松任地区および野々市市を除く)。これは明治時代に行われた土地区画整理事業の名残で、石川県の多くの地域では2017年現在も使用されている。このため住居表示制度の導入割合は隣県の富山県や福井県より低い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "域内推計人口 : 942,743 人(全県比:85%)(2023年11月1日)", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "石川県庁の出先機関の圏域名である県央は金沢市、かほく市、河北郡の区域、石川は白山市、野々市市の区域(石川中央は左記2域を足し合わせた区域)、南加賀は小松市、加賀市、能美市、能美郡の区域を指す。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "加賀地方には平成の大合併前に4市4郡13町5村あったが、2004年(平成16年)3月1日に河北郡3町(高松町、七塚町、宇ノ気町)がかほく市に、2005年(平成17年)2月1日に松任市と石川郡2町5村(美川町、鶴来町、河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村)が白山市に、同日能美郡3町(根上町、寺井町、辰口町)が能美市に、同年10月1日旧加賀市と江沼郡1町(山中町)が加賀市(これにより江沼郡は消滅) となり、また2011年(平成23年)11月11日に野々市町が単独市制で野々市市に移行(これにより石川県の県名の由来となる石川郡が消滅)した。このほか、市町間で行政サービスを共同で行うため次の一部事務組合が設立されている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "域内推計人口 : 166,518 人(全県比:15%)(2023年11月1日)", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "石川県庁の出先機関の圏域名である能登中部・中能登は七尾市、羽咋市、羽咋郡、鹿島郡の圏域、能登北部・奥能登は輪島市、珠洲市、鳳珠郡の圏域を指す。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "能登地方には平成の大合併前に4市4郡14町1村あったが、2004年(平成16年)10月1日に旧七尾市と鹿島郡3町(田鶴浜町、中島町、能登島町)が七尾市に、2005年(平成17年)3月1日に羽咋郡2町(志雄町、押水町)が宝達志水町に、同日鹿島郡3町(鳥屋町、鹿島町、鹿西町)が中能登町に、同日鳳至郡1町1村(能都町、柳田村)と珠洲郡1町(内浦町)が鳳珠郡能登町(これにより鳳至郡と珠洲郡は消滅)に、同年9月1日に羽咋郡2町(志賀町、富来町)が志賀町、2006年(平成18年)2月1日に旧輪島市と鳳珠郡1町(門前町)が輪島市となった。このほか、市町間で行政サービスを共同で行うため次の一部事務組合が設立されている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "県内で発見された旧石器時代の遺跡は能美市の灯台笹遺跡など極めて少ない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "縄文時代の遺跡では草創・早期の遺跡は少なく、中期と晩期にピークがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "能登町の真脇遺跡は縄文時代の前期から晩期まで約4,000年続く長期定住遺跡である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "縄文時代後期から晩期の遺跡としては金沢市のチカモリ遺跡、野々市市の御経塚遺跡 がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "1980年(昭和55年)チカモリ遺跡からクリの巨木を縦に半分に割り円形に並べた環状木柱列が見つかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "環状木柱列はその後真脇遺跡でも発見されている。環状木柱列の用途・機能は「儀礼の場」や「特殊な建物」など様々な考えがあり不明である。羽咋市の吉崎・次場遺跡は北陸地方でも規模が大きい弥生時代の遺跡で近畿、東北、山陰などとの交流が認められる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "4世紀には大和王権の支配が及び、能登国には能等国造と羽咋国造が、加賀国には加我国造と江沼国造が設置された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "能美市には60数基の古墳が点在する能美古墳群がある。その中心に位置する和田山・末寺山古墳群からは武器・武具など大量の副葬品が出土している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "また、同じ能美古墳群の一角にある秋常山1号墳は全長約140mの前方後円墳である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "中能登町の雨の宮古墳群には北陸最大級の前方後方墳である雨の宮1号墳がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "また、七尾市の能登島にある須曽蝦夷穴古墳はドーム型の墓室を持ち朝鮮半島の古墳にも通じるものとされる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "県域は飛鳥時代には越国あるいは三越分割後の越前国に含まれていた。奈良時代に入り、718年に羽咋・能登・鳳至・珠洲の4郡を割いて能登国が立てられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "能登国は741年越中国に併合され、このころ大伴家持が越中国の国司として赴任している。757年には越中国から分離し、再び能登国が立てられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "平安時代初期の823年になって越前国から加賀・江沼2郡を割いて加賀国が立てられた。これは令制上最後の立国である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "七尾市にある能登国分寺跡は、能登地方を支配した能登臣(のとのおみ)一族が白鳳時代に建てた寺院を843年に国分寺としたものである。法起寺式伽藍配置を持ち、約400年にわたり能登の仏教の場として栄えたとされる。奈良時代から平安時代には、能登半島には渤海の使節がたびたび到着し交易が行われていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "志賀町の福浦港では渤海使が船の修理や宿泊をしたと伝えられており、平安時代初めに渤海使接待のため能登国に建てられた能登客院はこの地にあったと考えられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "野々市市の末松廃寺跡は加賀地方北部に本拠を置く有力氏族道君(みちのきみ)が7世紀後半に創ったとされる寺院である。法起寺式伽藍配置をしており、屋根瓦の一部は能美市辰口地区(旧:辰口町)で焼かれたものであることが分かっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "奈良・平安時代、北陸地方には東大寺、西大寺などの荘園が多くあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "白山市から金沢市に跨る東大寺領横江荘もそうした荘園の一つである。平安時代に修験道が活発になると白山を山岳信仰の対象とする白山信仰が広まり、山頂への登山道(禅定道)の起点の一つとなった白山比咩神社は信仰の拠点となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "平安時代末期の治承・寿永の乱(源平合戦)では、源義仲(木曾義仲)が倶利伽羅峠の戦い(津幡町)で数で圧倒する平家の義仲追討軍を破り、さらに篠原の戦い(加賀市)で逃げる平家を追撃し、京都に進んだとされる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "鎌倉時代、新たに設けられた守護は加賀国、能登国とも比企氏、北条氏、室町時代に入ると加賀国は斯波氏、冨樫氏、能登国は吉見氏、畠山氏であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "加賀国では、権門体制から幕藩体制への過渡期の時代、応仁の乱のころ浄土真宗が広まり、やがて寺社勢力に帰依した者を中心とした加賀一向一揆が起きた。守護大名冨樫一族の内紛に、地元武士、浄土真宗本願寺派と髙田派の内部抗争が入り混じった紛争が起き、さらに、これに勝利した富樫正親と本願寺派勢力が内部対立を起こし、本願寺派勢力が勝利したことで、戦国大名化した寺社勢力による自治が始まり、武士の支配を脱却した統治が約100年にわたって行われた。これが、加賀地方が「百姓の持ちたる国」と呼ばれた 所以である。その際、富樫政親を滅ぼした洲崎慶覚坊が金沢の台地上にあった本源寺の棟梁を謀殺しており、後に本源寺を、尾山御坊(金沢御坊)と定めて、ここを拠点にして支配した。本願寺の一向宗(浄土真宗)勢力による自治により石山本願寺の財政基盤として機能していた。中世の幕府は内紛により権威が弱く、世の中は治安が悪く、戦乱による財政難から度重なる徳政令で金融も麻痺していた。一方、本願寺の寺内町(門前町)だけは、支那との交流による銭貨を背景とした大量のマネタリーベースが供給され、規制緩和による自由な商売が出来、軍事組織もあったため治安も良く、徳政令からも免れて経済的に繁栄していた。従って、安心した暮らしを求めて帰依する者が多かったと考えられる。本願寺と敵対する織田信長は、柴田勝家らを派遣してここを平定し、能登国を前田利家に、加賀国を佐久間盛政に与えた。織田信長の死後、豊臣秀吉が実権を握ると、利家は加賀国も領して、尾山御坊跡の尾山城(金沢城)に入り城下町の建設を始めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "能登国では、正長年間(1428年 - 1429年)ごろに初代当主畠山満慶が七尾城を築城し、畠山氏の領国支配の拠点となる。7代目当主畠山義総の時代に最盛期を迎えるが、義総の死後は畠山七人衆が実権を握り、大名権力を傀儡化する。1560年(永禄3年)、9代当主畠山義綱が実権を取り戻すが、1566年(永禄9年)に永禄九年の政変で能登国から追放される。1577年(天正5年)、上杉謙信が能登国へ侵攻し七尾城の戦いが起こり、畠山氏は滅亡する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "前田利家の長男・前田利長は関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍につき、戦後越中国を与えられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "利長は江戸幕府の幕藩体制のもと加賀国、能登国、越中国の3国を治める加賀藩の藩主となった。加賀藩前田家は外様大名でありながら大名の中で最大石高である約120万石を領した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "第 2代藩主前田利常は、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の娘・珠姫を娶った徳川の大名として大坂の陣を戦い、戦後の大坂城改修の普請では通常の大名の負担分より多い負担を敢えてするなど、外様大名として取り潰しを避けることに意を用いたとされる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "利常は1639年に家督を長男前田光高に譲り、次男の前田利次に富山藩を、三男の前田利治に大聖寺藩を分封した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "しかし、1645年に光高が急死し、第4代藩主となった光高の長男前田綱紀がまだ幼かったため、利常が後見人として藩政を補佐した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "利常が綱紀を後見した時代には、貧農の救済、年貢納入の徹底などを目的とした改作法と呼ばれる農政改革が実施された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "これは、農民の借金を帳消しにした上で、農具、種籾の購入資金や当座の食料を貸し付けて農業生産性を高めるとともに、各地の有力豪農などから選任した十村(とむら)に農民の監督や徴税を委ねるものである。改作法は所期した成果を挙げ、藩政の安定に寄与した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "このころから加賀藩は蔵米を日本海から関門海峡、瀬戸内海を通り大坂まで運ぶ船輸送を始め、後の西廻海運の基となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "なお、1659年に白山が噴火(最も新しい噴火)。1668年と1671年には手取川の洪水で多数の死者が出ている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "加賀藩は産業の振興に力を入れ、かつ学問や文芸を奨励したことから、城下町の金沢を中心として今に続く伝統文化が興隆した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "金沢城内に設けた御細工所は初め武器・武具の修理などを行う組織であったが、利常は茶の湯道具や掛幅など美術工芸品の製作・修理をさせ、綱紀は塗物・蒔絵細工、象嵌細工など20を越える職種を扱わせた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "綱紀は学問の奨励のため木下順庵、室鳩巣、稲生若水といった学者の招聘につとめた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "綱紀が収集した古今東西の図書は尊経閣文庫として受け継がれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "能楽も盛んで、利家は金春流を好み、その後の藩主達にも受け継がれたが、綱紀が宝生流を取り入れ加賀宝生を成立させると、後者が主流となり栄えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "兼六園は綱紀による蓮池庭と御殿の建設が始まりとされ、現在の姿が完成するのは江戸時代後期である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "輪島塗は江戸時代に輪島で下地塗りの漆に混ぜる珪藻土が見つかったことで堅牢な漆器となり、日用食器として盛んに生産されるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "北前船が寄港する輪島港の海運の利を活かして全国に販路を広げた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "また江戸時代後期には沈金や蒔絵の技法が加わり美術工芸品としても発展した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "大聖寺藩では江戸時代初めに殖産興業の一環として鉱山開発に取り組み九谷村(現:加賀市)で磁鉱が発見されたことから窯を築き色絵磁器(九谷焼)の製造が始まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "一旦廃窯されるが九谷焼は加賀藩により再興され、明治期には海外への輸出品となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "江戸時代後期、加賀藩は1792年に藩校の文学校明倫堂と武学校経武館を文武ごとに別けて設立した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "明倫堂では儒学のほか易学、医学、本草学、暦学、算学などを、経武館では馬術、剣術などを教えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "また幕末には洋式兵学校の壮猶館や航海、測量の実習のための軍艦所を作り、ヨーロッパから洋式艦船を購入するなど海防に力を注いだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "1869年(明治2年)版籍奉還で加賀藩は金沢藩となり、14代藩主前田慶寧は金沢藩知事に任命された。しかし、1871年(明治4年)7月14日には廃藩置県が行われ、金沢藩域は金沢県(第1次)、大聖寺藩域は大聖寺県となった。同年11月20日に両県を廃止し、旧・金沢県より射水郡以外の越中国新川郡、婦負郡、礪波郡を分けて新川県(当時は新川郡魚津が県庁所在地)を設置、能登国と越中国射水郡に七尾県を、加賀地方に金沢県(第2次)を置いた。明けて1872年(明治5年)2月2日、金沢県庁を石川郡美川町(現:白山市美川南町)に移し、この郡名より石川県と改称した。現在の県名はこれに由来する。なお、石川は古くから氾濫を繰り返し、石ころ河原だった手取川の別名という説がある。県庁の移設は、旧加賀藩の影響力を弱めるための時の政府の方策等諸説あるが、公式には金沢では県域の北に寄りすぎであるためという理由であった。なお、金沢市も市制施行前は石川郡に属していた。同年9月25日に射水郡を除く七尾県を石川県に併合(射水郡は新川県に併合)、11月に足羽県より白山麓18か村を併合し、現在の石川県と同じ県域となった。これにより、先の県庁移転の根拠が消滅し、翌1873年(明治6年)に再び県庁は金沢に移転したが、県名はその後も石川県のままとされた。その後、1876年(明治9年)、当時の新川県(現在の富山県域にほぼ相当)と敦賀県(現在の福井県域にほぼ相当)の嶺北地域を編入し、富山と福井に支庁を置いた(現在の石川県と区別する意味で「大石川県」と呼ぶことがある)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "しかし、1878年(明治11年)に紀尾井坂の変が発生したのを切っ掛けに、大石川県は政府から「大県および不平士族の多い故の難治県」と警戒されるようになり、政府は大石川県の力を弱めるためおよび政府が軍備補完のために設立した「共同運輸会社」に伏木港の海運業者・藤井能三が有力出資者であることに考慮し、大石川県の分県を承認。1881年(明治14年)に福井県が、1883年(明治16年)に富山県がそれぞれ分離して現在の県域となる。特に富山県については、加賀側と能登側が「越中は藩政期に加賀藩の庇護を受け、さんざん迷惑をかけやっかいになり続けたのに今更分県などけしからん」と強く反発し阻止に暗躍していたが、最終的に越中側の熱意と政府による金沢市族への弾圧や自由民権運動の北陸ブロック形成の阻止という意図により独立する結果となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "明治維新により武士は無職となり明治時代初期には士族の9割は金沢市外県外などに転出していった。そもそも武士の大半は貧乏であったため同時に農工商を営んでおり、士族業が失業しても影響が少なく、中には残った者もいたが、いわゆる上級武士ほど影響が大きかった。1874年(明治7年)、没落した士族を救うために旧・金沢藩士長谷川準也(後の金沢市長)らにより金沢製糸場が創設された。官営模範工場の富岡製糸場に倣ったもので、県下の殖産興業の先駆けとなった。1887年(明治20年)4月、金沢に旧制第四高等中学校(現在の金沢大学の前身)が設置された。また1898年(明治31年)10月、金沢城内に旧陸軍第九師団司令部が設けられた。それまで人口減少などにより経済的に落ち込んでいたが、これにより金沢は北陸地域での学問的、軍事的な拠点として発展していく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "鉄道は、1897年(明治30年)9月、北陸線が福井駅から小松駅まで延伸。翌1898年(明治31年)4月に金沢駅まで、同年11月に高岡駅まで延伸された。また同年4月には七尾鉄道が津幡仮停車場(現:本津幡駅付近)から矢田新駅(後の七尾港駅)まで開通し、1907年(明治40年)国有化された。1925年(大正14年)和倉駅まで延伸し、1935年(昭和10年)までに輪島駅まで開業した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "金沢製糸場の施工にあたった津田吉之助の子津田米次郎は織機の機械化に取り組み、1900年(明治33年)日本初の力織機を発明した。当時、羽二重生産で出遅れていた金沢はこの力織機による工場制大量生産で大正期にかけて生産量を伸ばした。同年、金沢では電気の送電が開始され、翌1901年(明治34年)に市内電話が開通。1908年(明治41年)にはガスの供給が始まっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "1918年(大正7年)富山県魚津町で発生した米騒動は石川県でも高浜町・堀松村(いずれも現:志賀町)から金沢市、宇出津町(現:能登町)、松任町(現:白山市)、穴水町へと波及した。翌1919年(大正8年)に金沢で市内電車が運転を始める とこれを契機に都市化が進み、カフェ・映画などの大衆文化が広がった。1925年(大正14年)内灘村(現:内灘町)に開園した粟崎遊園にも人気が集まった。金沢では1930年(昭和5年)に犀川を水源とする末浄水場が完成して水道が通水し、同年ラジオ放送が始まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "1896年(明治29年)および1934年(昭和9年)には手取川で大洪水があり、多数の死者が発生した。特に1934年(昭和9年)の災害は上流で大規模な土砂崩れ(別当崩れ)が発生するなど上流から河口まで流域の全域にわたって被害が発生し、死者97人、行方不明者15人に上る未曾有の大災害であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "石川県は戦争中空襲などによって焦土となることを免れたため(全国で唯一、太平洋戦争での空襲が無かった県である)、戦後も様々な社会資本を引き続き使用することができた。1947年(昭和22年)の第2回国民体育大会が石川県を中心として開催されたのは一つの例である。これは各都道府県持ち回りとなる最初の大会となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "戦後、アメリカ軍が内灘村(現:内灘町)で接収した砲弾試射場に対する反対運動(内灘闘争)が起こり、1952年(昭和27年)から翌年にかけて激しさを増した。その後1957年(昭和32年)に撤収されたため事態は次第に収束していった。旧海軍の小松飛行場は戦後アメリカ軍に接収されていたが、1955年(昭和30年)に不定期の大阪便が就航した。1958年(昭和33年)にアメリカ軍の接収が解除されると航空自衛隊が駐屯。1961年(昭和36年)に航空自衛隊小松基地が開庁し、正式に自衛隊と民間航空との共用飛行場となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "1957年(昭和32年)NHK がテレビ放送を開始。翌年、民間放送の北陸放送もテレビ放送を始めた。1962年(昭和37年)からはテレビカラー放送が始まった。同年12月末から翌1963年(昭和38年)2月初めにかけて北陸地方を中心に広い範囲で降雪が続いた。最深積雪は金沢で181cmを記録。交通障害、通信障害、停電のほか家屋の倒壊も相次いだ(三八豪雪)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "1963年(昭和38年)北陸本線福井駅・金沢駅間が電化。翌年金沢駅・富山駅間も電化される。国鉄能登線は1959年(昭和34年)に穴水駅から鵜川駅まで開業し、1964年(昭和39年)までに蛸島駅まで全線開通した。一方、1967年(昭和42年)金沢の市内電車が廃止された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "1972年(昭和47年)県内初の高速道路となる北陸自動車道金沢西IC・小松IC間が開通。その後1978年(昭和53年)までに県内の北陸自動車道は全線が開通した。能登方面は、1973年(昭和48年)能登海浜道路高松IC・柳田IC間が開通し、1982年(昭和57年)までに粟崎IC・此木IC(現:穴水IC)間の能登有料道路全線が開通している。なお1977年(昭和52年)に尾口村(現:白山市)と岐阜県白川村を結ぶ白山スーパー林道(現:白山白川郷ホワイトロード)が開通した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "1980年(昭和55年)には治水、都市用水の供給、発電を目的とした手取川ダムが完成。水道用水として北は七尾市能登島から南は加賀市まで県内給水人口の7割以上を賄う。また1993年(平成5年)志賀町で 志賀原子力発電所(北陸電力)が営業運転を開始した。一方で2003年(平成15年)には珠洲市で建設計画のあった珠洲原子力発電所(北陸電力・中部電力・関西電力)の計画凍結が発表された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "昭和末期以降、能登地方の交通体系は鉄道中心から道路・空港に大きく変わった。1988年(昭和63年)JR能登線が廃止され、第三セクター鉄道ののと鉄道に引き継がれた(のと鉄道能登線)。1991年(平成3年)にはJR七尾線津幡駅・和倉温泉駅間が電化される一方、和倉温泉駅・輪島駅間がのと鉄道に経営移管された(のと鉄道七尾線)。2001年(平成13年)のと鉄道七尾線穴水駅・輪島駅間 が、2005年(平成17年)のと鉄道能登線が廃止された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "2003年(平成15年)石川県で2番目となる能登空港が開港。能登空港には石川県の出先機関が入るほか、隣接地に日本航空学園が誘致された。また道の駅としても登録されている。能越自動車道は能登有料道路と共用する徳田大津JCT・穴水IC間に続き、1998年(平成10年)田鶴浜IC・徳田大津JCT間が供用を開始。2006年(平成18年)(平成19年)に穴水IC・能登空港IC(現:のと里山空港IC)間(穴水道路)が開通した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "2007年(平成19年)3月25日 能登半島沖を震源とするマグニチュード6.9の地震(能登半島地震)が発生。最大震度は輪島市、七尾市、穴水町で震度 6強。死者1人、重軽傷者338人のほか、2,426棟の住家が全半壊し、能登有料道路の一部が大規模に崩落するなどの被害が出た。2008年(平成20年)7月28日 未明からの降雨により浅野川が55年ぶりに氾濫し、金沢市内で2,000棟を超える家屋の被害が出た。浅野川流域の最大3時間雨量は金沢地方気象台の過去最大雨量を記録し、約200年に一度の豪雨となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "2009年(平成21年) 金沢市がユネスコ・創造都市ネットワークのクラフト分野に登録された。また同年能登地方北部の伝統的な祭礼奥能登のあえのことがユネスコの無形文化遺産代表一覧表に記載され、2011年(平成23年)には能登の里山里海が佐渡島と同時に日本で初めて国連食糧農業機関 (FAO) の世界農業遺産に認定された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "2015年(平成28年)3月14日、北陸新幹線が金沢駅まで開業したほか、輪島市を舞台にしたNHK連続テレビ小説まれの放送などで県内が沸いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "2020年(令和2年)4月14日、新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからず、知事は県独自の緊急事態宣言を出した。記者会見で知事は「地域医療が危機的な状況に陥りかねない」と危機感を表明した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "石川県の人口は、2011年(平成23年)11月1日現在で1,166,177人となっている。このうち能登地方が207,673人、加賀地方が958,504人と82%が加賀地方に集中している。市町別では、金沢市が462,897人と最も多く、県人口の40%を占めている。次いで、白山市110,109人、小松市108,107人、加賀市70,830人、七尾市56,989人、野々市町(現・野々市市)53,066人などとなっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "2010年(平成22年)の高齢化率は23.7%で、全国の23.1%を上回っている。地域別に見ると加賀地方が21.5%であるのに対し、能登地方は29.6%と高くなっている。市町別では野々市町(現・野々市市)の15.0%が最も低く、珠洲市の41.8%が最も高い。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "平均寿命は2005年(平成17年)で男性79.3歳、女性86.5歳となっており、それぞれ全国(男性78.8歳、女性85.6歳)よりも長い。合計特殊出生率は2010年(平成22年)で1.44人と、全国の1.39人を上回っている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "2008年(平成20年)の県内総生産は4兆6,114億円(名目)で、国内総生産に対する割合は0.93%となっている。一人当たり県民所得は281万8千円で、一人当たり国民所得(275万4千円)を2.3%上回っている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "2005年(平成17年)の就業者数は596,324人であり、このうち第一次産業は23,237人 (3.9%)、第二次産業は176,786人 (29.6%)、第三次産業は389,749人 (65.4%) となっている。戦後間もない1950年(昭和25年)には第一次産業に52.6%が従事しており、産業構造は大きく変化している。石川県の産業構造は、第二次産業の中でも製造業の割合が高く、また製造業の中でも従業者の過半数が一般機械や電気機械などの機械関連で働いていることが特徴である。1人当たりの生産用機械器具製造業出荷額では全国1位となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "農業産出額は2008年(平成20年)で583億円 であり、1985年(昭和60年)の1,087億円の54%に相当する水準まで減少している。作付面積では2004年(平成16年)で水稲72%、野菜9%、豆類5%、果樹3%となっており、稲作が中心である。米の品種別ではコシヒカリが70%強を占めている。野菜では販売額の16%を占めるスイカが最も多く、次いでダイコンの13%となっている。果樹ではナシが販売額の50%を占め、ブドウの24%が次に多い。乳牛、肉牛、豚、採卵鶏の飼育頭数は減少傾向にあるが、農家1戸当たりでみると乳牛は全国4番目、豚は全国6番目に多い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "地域の特徴を活かした農産物のブランド化が図られている。加賀野菜は金沢地区で戦前から栽培されていると認められた野菜である。金時草、加賀太きゅうり、加賀れんこん、源助だいこん、打木赤皮甘栗かぼちゃなど15品目が認定されている。能登野菜は能登地方の風土を活かして生産された伝統野菜、特産野菜のことで中島菜、沢野ごぼう、金糸瓜など13品目が認定されている。果樹では、石川県農業総合研究センターが開発した新種のブドウがルビーロマンと命名され、高級ブドウとして販売されている。県内で飼育された黒毛和種の肉牛のうち品質の高いものは能登牛と認定する制度が設けられている。このほか、コメの新品種ひゃくまん穀、フリージアの新品種エアリーフローラ、梨の新品種加賀しずくがいずれも石川県によって開発され、新たな特産品となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "林業産出額は2008年(平成20年)で28.6億円となっており、1985年(昭和60年)の69.2億円の41%まで減少している。このうち木材生産は16.5億円、特用林産物は12.1億円である。一方で木材供給量に占める県産材の割合は1975年(昭和50年)の18%から、2009年(平成21年)の39%に上昇している。樹種別原木の生産量では、2009年(平成21年)でスギが全生産量の84%を占め、次いで能登ヒバ8%、マツ4%となっている。なお能登ヒバは能登地方で産出されるアテ(ヒノキアスナロの地方名)のブランド名である。2009年(平成21年)の特用林産物の生産量は生シイタケが853トンと最も多く、次いでエノキタケ208トン、ナメコ169トンなどとなっている。1975年(昭和50年)に約2,000トンを生産した木炭は113トンにまで減少している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "海面漁業・養殖業の生産は、2005年(平成17年)で60,306トン、219億円である。これは本州日本海側の12府県では生産量で3番目、生産金額で1番目に多い。2010年(平成22年)の魚種別の漁獲量ではカタクチイワシが最も多く、次いでスルメイカ、ブリ、マアジ、ハタハタ、カレイ、ズワイガニ(ベニズワイガニを含む)、サワラ、マダラなどが多い。2008年(平成20年)のブリの漁獲量は都道府県別で最多である。海面養殖業の生産量は2005年(平成17年)で2,560トンとなっており、七尾湾でのカキ養殖がほとんどを占めている。内水面漁業では、アユが主だが、渓流でヤマメ、イワナ、カジカ、湖沼でコイ、フナが生産されている。また、水産加工品の生産量は、2009年(平成21年)でかまぼこ類が13,942トン、生鮮冷凍水産物が6,136トン、水産物つくだ煮類が1,267トンなどとなっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "水産物のブランド化に向けた取組も見られる。毎年11月から2月にかけて能登半島沿岸域の定置網で水揚げされる7kg以上のブリは天然能登寒ブリとして出荷される。また、石川県で水揚げされる雄のズワイガニのうち品質が良いものは加能ガニとされ、専用のタグが取り付けられる。なお、石川県ではメスのズワイガニは香箱ガニと呼ばれている。石川県漁業協同組合が定める「石川の四季のさかな」は、春はカレイ、サヨリ、夏はイカ、秋はアマエビ、冬はブリ、ズワイガニ、香箱ガニである。輪島市は、日本で最もふぐの漁獲量が多いことから、同市が能登ふぐとブランド化し、知名度向上などに力を注いでいる。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "石川県の製造品出荷額等は2010年(平成22年)で2兆3,558億円となっている。同年以前20年間で最高だった2007年(平成19年)の2兆8,743億円に比べると18%減少している。産業別では電子部品が5,112億円と22%を占めて一番多い。次いで生産用機械が4,307億円 (18%)、情報通信機器1,931億円 (8%)、繊維1,806億円 (8%)、食料品1,340億円 (6%) などとなっている。市町別にみると、小松市が4,874億円で最も多く、白山市4,118億円、金沢市3,585億円、能美市2,197億円、川北町2,096億円など加賀地方に集中している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "建設機械では小松市を創業地とするコマツがある。建設機械の国内シェアで1位、世界シェアではキャタピラーに次いで2位を誇る。市内にはコマツの工場やその関連企業も多く、企業城下町を形成している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "電気機器分野では白山市の EIZO はコンピュータ用ディスプレイ、金沢市のアイ・オー・データ機器はコンピュータの周辺機器の生産を行っている。かほく市に本社を置く PFU はリコー傘下のシステムインテグレーターであり、イメージスキャナの生産では世界トップシェアである。また、金沢村田製作所など村田製作所の関連企業も多く、電子部品の生産が盛んである。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "石川県の企業はニッチ市場で活躍する製造業が多いのが特色である。金沢市内に本社を置く津田駒工業は織機で世界シェア1位、澁谷工業は飲料の瓶詰め装置で国内シェア1位、石野製作所も回転寿司コンベアの国内シェアの大半を生産している。また、加賀市の大同工業は二輪車後輪駆動用チェーン、月星製作所は二輪車用スポークで、いずれも国内シェアの大部分を占める。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "伝統工芸が盛んであることも特徴である。金沢市で生産されている金沢箔は金箔の国内シェアの98%以上を占めている(銀箔の国内シェアは100%)。地域ブランドとして知名度の高い輪島市の輪島塗 は、国が伝統工芸品として指定する漆器の中で生産量が最大である。この他にも、加賀地方で作られる九谷焼、加賀市の山中塗、金沢市の金沢漆器、金沢仏壇、加賀友禅、白山市の牛首紬、美川仏壇、七尾市の七尾仏壇、輪島市の能州紬、珠洲市の珠洲焼などが生産されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "商業年間商品販売額は2007年(平成19年)で4兆1,576億円である。このうち卸売業が2兆8,182億円、小売業が1兆3,394億円となっている。卸売業では飲食料品卸売業(8,082億円)、機械器具卸売業(7,667億円)が多い。小売業では各種食料品小売業(1,763億円)、百貨店・総合スーパー(1,402億円)などの生活関連のほか、自動車小売業(1,861億円)、燃料小売業(1,700億円)といった自動車関連が多くなっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "市町別では金沢市が67%(2兆7,869億円)を占めている。次いで野々市町(現・野々市市。以下同)10%(2,662億円)、白山市9%(2,530億円)、小松市9%(2,384億円)となっており、金沢市を中心に加賀地方に偏在している。能登地方で最も多い地域は七尾市5%(1,477億円)である。商業集積地別では香林坊商店街(414億円)、武蔵商店街(237億円)、近江町市場商店街(118億円)など金沢市中心部への集積が顕著であるが、車社会を反映して近郊の国道沿いに位置する金沢市の諸江地区商店街(120億円)、杜の里商店会(119億円)、野々市町の御経塚サティ(その後イオン御経塚を経て2021年に閉店)周辺商店街(156億円)、白山市のフェアモール松任周辺商店街(153億円)などの販売額が多い点も特徴の一つである。また、2006年(平成18年)にJR金沢駅前に開業した金沢フォーラス周辺商店街の販売額が65億円となっており、既存の金沢百番街(96億円)、ポルテ金沢周辺商店街(19億円)などと合わせ、JR金沢駅前が新たな商業集積地となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "その反面、能登地方を中心に、商店街の空き店舗などが目立ち、商店街の衰退などが問題視されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "2003年(平成15年)度のサービス業事業所(民営)の収入額は1兆221億円となっている。業種別では映画館、劇場、遊園地などの娯楽業(2,220億円)が最も多く、次いでホテル、旅館などの宿泊業(1,227億円)、一般飲食店(1,091億円)となっている。北陸新幹線開業後は、市街地を中心にホテルの開発ラッシュが進んでいる。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "石川県を訪れた観光客は2010年(平成22年)で2,150万人、観光消費額は2,717億円と見込まれている。県内を金沢地域、白山地域、加賀地域、能登地域に区分した場合、それぞれ金沢地域は815万人585億円、白山地域は99万人73億円、加賀地域は557万人874億円、能登地域は683万人1,185億円となっている。金沢地域は県内客の割合 (47%) や日帰り客の割合 (69%) が比較的高いことが特徴である。また関東からの県外客が多くなっている。能登地域は58%が県外客で関東、近畿、中京から同程度の入り込みがある。加賀地域は県外客の割合 (69%) や宿泊客の割合 (45%) が高い。特に関西からの入り込みが多いという特徴が見られる。宿泊地別で多いところは、金沢市内の宿泊施設228万人、加賀地域では山代温泉85万人、山中温泉53万人、片山津温泉44万人、粟津温泉30万人、能登地域では和倉温泉89万人などである。また、観光客の利用が多い施設は、金沢地域では兼六園170万人、金沢21世紀美術館158万人、金沢城公園107万人、白山地域では白山比咩神社67万人、加賀地域では木場潟公園59万人、いしかわ動物園33万人、能登地域では能登食祭市場80万人、気多大社72万人、輪島朝市71万人、千里浜69万人、のとじま臨海公園水族館45万人などである。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "2015年3月14日に、開業した北陸新幹線の開業によって、県内の観光客は大きく増加した。特に関東地区からの客層がほとんどであるが、これにより金沢市のメディア露出が増えたことなどから、関西や中京などからも増加している。増加している地域は金沢地区が中心であるが、能登地区や加賀地区にもその影響は及んでいる。兼六園や金沢21世紀美術館などでは、新幹線効果で過去最大の入園・入館者数を記録した。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "電力", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "上水道", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "都市ガス", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "空港と港湾が加賀地方と能登地方にそれぞれ整備されている。鉄道と道路が県庁所在地の金沢市を中心として、加賀地方を東西に、また能登地方に向けて北方に延びている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "県内の普通列車の本数は金沢市近郊以外は、日中毎時1本以下となっている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "三次救急医療機関", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "救急指定病院", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "保育所", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "大学", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "通信制大学", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "短期大学", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "高等専門学校", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "専修学校", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "特別支援学校", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "高等学校", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "中学校", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "小学校", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "幼稚園", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "大学校", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "職業訓練施設", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "石川県は、北陸3県の中で唯一TXN系列局を除く4系列の民放テレビ局がある。また、県内のケーブルテレビ局では他県の放送局の区域外再放送を行っていない。そのためか、ケーブルテレビ普及率は3県で最も低い。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "石川県内の方言は北陸方言に分類され、富山県の方言と共通点が多い。加賀方言と能登方言に二分され、県都金沢市で話される金沢弁は加賀方言に含まれる。また白山麓の方言には独特の表現が多く、言語島の例に挙げられる(白峰弁)。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "石川県名誉県民の称号は、1992年(平成4年)7月10日に制定された石川県名誉県民条例(石川県条例第28号)に基づき、「社会の発展、学術文化の振興に卓絶した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は、石川県知事が石川県議会の同意を得て選定することが定められ(条例第2条)、諮問機関として石川県名誉県民選考委員会が選定のつど組織される。名誉県民に選定された者には、石川県名誉県民称号記や石川県名誉県民章のほか、記念品も贈られるほか(条例第3条)、知事が定める礼遇や特典を受けられる(条例第4条)。", "title": "人物" } ]
石川県(いしかわけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は金沢市。 本州の中央部、日本海側の北陸地方に位置する。県域は令制国の加賀国と能登国に当たる。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Redirect|金沢県|1871年の第1次府県統合前の金沢県|加賀藩}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 石川県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Stone lantern Kenrokuen.jpg | photo2a = Mount Haku from Onanjimine 2011-07-17.jpg | photo2b = 金沢21世紀美術館001.jpg | photo3a = Kanazawa-C-3073.jpg | photo3b = Mitsukejima_(Ishikawa)_1.jpg | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center | space = 2 | border = 0 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px; margin:2px auto; border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan ="2">[[兼六園]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[白山]]<td style="width:50%">[[金沢21世紀美術館|21世紀美術館]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[金沢駅]]・鼓門<td style="width:50%">[[見附島 (石川県)|見附島]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|石川県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[石川県旗]]<ref group="注釈">石川県では他の都道府県と異なり県章を定める告示が無いため、県旗のデザイン部分を「県旗標章」として代用している。標章として使用する際の配色は特に定められていないが、慣例的にセルリアンブルーや金色が使用される。</ref> | 都道府県章の説明 = 石川県章(慣例) | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Ishikawa Prefecture.svg|100px|石川県章]] | ISO 3166-2 = JP-17 | コード = 17000-3 | 区分 = 県 | 花 = [[クロユリ]]<ref group="注釈">「県の花」でなく「郷土の花」の呼称を使用している。</ref> | 歌など = 県の歌:[[石川県民の歌]]<br />マスコット:[[ひゃくまんさん]] | シンボル名 = 他のシンボル | 鳥 = [[イヌワシ]] | 木 = [[アスナロ|アテ]] | 所在地 = 金沢市鞍月一丁目1番地<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-17|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Ishikawa Prefectural Office.jpg|180px|石川県庁]] | 郵便番号 = 920-8580 | 外部リンク = {{Official website}} | 隣接都道府県 = {{flag|富山県}}<br/>{{flag|岐阜県}}<br/>{{flag|福井県}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 17 Ishikawa prefecture.svg|320px|石川県の位置]]{{基礎自治体位置図|17|000|image=Map of Ishikawa Prefecture Ja.svg}} | 特記事項= }} '''石川県'''(いしかわけん)は、[[日本]]の[[中部地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[金沢市]]。 [[本州]]の中央部、[[日本海]]側の[[北陸地方]]に位置する。県域は[[令制国]]の[[加賀国]]と[[能登国]]に当たる。 == 概要 == 石川県の名称は[[加賀地方]]にあった[[石川郡 (石川県)|石川郡]]に由来し、さらに石川郡との命名は本県最大の河川[[手取川]]の古名である「石川」に由来する。[[1872年]]([[明治]]5年)、[[#近・現代|金沢県庁]]が石川郡[[美川町 (石川県)|美川町]](現:[[白山市]])に移転した際、その郡名により石川県と改名された。翌年、県庁が再び金沢に移転した後も県名はそのままで現在に至っている<ref>[http://www.shiinoki-geihinkan.jp/about/index.html 「しいのき迎賓館のご案内」石川県政記念しいのき迎賓館]</ref>。なお、金沢も市制施行前である当時は石川郡に属していたため、県庁所在地と県名に不整合はなかったといえる。 形状は、東西約100km、南北約200kmと南北に細長い。県南部の加賀地方は西側に[[日本海]]の直線的な海岸線が続き、東側に[[両白山地]]の山々が連なる。南東部には県内で最高峰の[[白山]](2,702m)がそびえる。県北部の[[能登地方]]は日本海に向かって北東方向に突き出た[[半島]]([[能登半島]])となっている。このため県全体の海岸線の総延長は約580kmに及ぶ<ref name="gaiyou">[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kensei/koho/gaiyo/p0.html 石川県の概要(位置、魅力、自然)(石川県)]</ref>。これは[[東海道本線|JR東海道本線]]の[[東京駅]]・[[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]]間(589.5&nbsp;km)に相当する距離である。 気候は[[日本海側気候]]型である。西寄りの風が日本海を流れる[[対馬暖流]]の上で水蒸気を蓄えて雷雲となり、両白山地に当たって降水をもたらすことが多い<ref name="kisyoudai">[https://www.jma-net.go.jp/kanazawa/mame/tokusei/tokusei.html 「石川県の気象特性」金沢地方気象台]</ref>。都道府県別の年間降水量は5番目に多い<ref name="sihyou">[http://toukei.pref.ishikawa.jp/dl/2202/h23-all.pdf 「平成23年版石川100の指標」(石川県)]</ref>。特に冬は北西からの[[季節風]]が続くため降水量が多く、山間部は豪雪地帯となっている<ref name="tikei">[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/sizen/kankyo/2.html 「石川の地形、地質、気象」石川県]</ref>。降雪時に雷鳴を伴うことが多く<ref name="kisyoudai"/>、この現象は[[ブリ|鰤(ブリ)]]が獲れる時期と重なることから'''ブリ起こし'''と呼ばれている<ref name="buri1">[http://www.jma.go.jp/jma/kishou/jma-magazine/0911/index.html#b 「12月の気象〜冬の雷〜」気象庁]</ref><ref name="buri2">[http://www.hokkoku.co.jp/subpage/TR20101210701.htm 「冬到来 ブリ起こしに金沢で初雪」『北國新聞』 2010年12月10日]</ref>。 県民人口は約110万人である。都市別では金沢市が最多の約46万人と約40%を占める。次いで多いところは白山市と[[小松市]]のそれぞれ約11万人であり、金沢市を中心に県南部の加賀地方に人口が偏在している<ref name="22kokusei">[http://toukei.pref.ishikawa.jp/dl/2201/h22ishikawakennojinkoutosetai.pdf 『平成22年国勢調査人口等基本集計結果(石川県関係分)』石川県]</ref>。金沢市の人口は、北陸地方では[[新潟市]]に次いで2番目(北陸3県に限れば 1番目)であり、北陸経済の中心地の一つとなっている。 [[2005年]]([[平成]]17年)の従業者数約60万人のうち約65%が[[第三次産業]]に、約30%が[[第二次産業]]に従事している<ref name="heisei17kokusei">[http://toukei.pref.ishikawa.jp/dl/1269/gaiyozenbun.pdf 「平成17年国勢調査第2次基本集計結果の概要(就業状態別人口、産業別就業者数など)」石川県]</ref>。特徴としては、第二次産業の中では[[製造業]]の割合が高く、また製造業の中でも従業者の過半数が一般機械や電気機械などの機械関連で働いていることが挙げられる<ref name="jinzai">[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/keikaku/shigoto/documents/honbun.pdf 「石川県産業人材プラン(平成19年2月)」石川県]</ref>。1人当たりの生産用機械器具製造業出荷額では全国1位となっている<ref name="syuyou2312">[http://toukei.pref.ishikawa.jp/dl/2344/syuyou2312.pdf 「主要データ集 平成23年12月号」石川県]</ref>。 中世には、[[権門体制]]から[[幕藩体制]]への過渡期に寺社勢力(一向宗:浄土真宗)による自治が行われ経済的に非常に発展していた。そして[[加賀藩]]は浄土真宗への懐柔政策により自治を行ったことが発展に重要に機能した(詳細は[[金沢市]]の項参照)。[[江戸時代]]に[[加賀国]]、[[能登国]]、[[越中国]]を領地としていた加賀藩は学問や文芸を奨励したことから、[[城下町]]の金沢を中心にして伝統文化が興隆し、今に受け継がれている<ref name="fuuti">[http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11201/rekishitoshi/fuuti.html 「金沢市歴史的風致維持向上計画」(金沢市)]</ref>。金沢市では[[能楽]]の[[加賀宝生]]、[[織物]]の[[染色]]技法である[[加賀友禅]]、[[蒔絵]]を施した[[金沢漆器]]、[[茶道具]]に用いられる[[大樋焼]]などが伝わる。その他、[[輪島市]]の[[輪島塗]]、加賀地方の[[九谷焼]]など芸術性の高い伝統技術が継承されている。人口当たりで見た[[日展]](日本美術展覧会)や[[日本伝統工芸展]]の入選者数は全国1位となっている<ref name="sihyou"/>。 石川県を訪れる観光客は[[2010年]](平成22年)で約2,150万人と見られ、このうち約820万人が金沢市周辺、約680万人が能登地方、約660万人が(金沢市周辺を除く)加賀地方を訪れたとされる。主要観光地で利用者数が多いのは、金沢市では[[兼六園]]、[[金沢城公園]]、[[金沢21世紀美術館]]、[[東山ひがし|ひがし茶屋街]]、能登地方では輪島市の[[輪島朝市]]、[[七尾市]]の[[和倉温泉]]、[[能登食祭市場]]、[[羽咋市]]の[[気多大社]]、同市と[[宝達志水町]]に跨る[[千里浜]]、加賀地方では[[加賀市]]の[[山代温泉]]、[[山中温泉]]、[[片山津温泉]]、小松市の[[粟津温泉]]、[[木場潟公園]]、白山市の[[白山比咩神社]]などである<ref name="kankou22">[http://toukei.pref.ishikawa.jp/dl/2331/kankoutoukei22.pdf 「統計からみた石川県の観光 平成22年」石川県]</ref>。 全国47都道府県で唯一、[[第二次世界大戦|太平洋戦争]]で空襲を受けていない<ref name="airraid">[http://wararchive.yahoo.co.jp/airraid/ 空襲の記憶と記録 - 未来に残す 戦争の記憶]</ref>。 <!-- また、北陸3県の中で唯一[[エコステーション|水素ステーション]]がなく、[[トヨタ・MIRAI|MIRAI]]の購入は2021年11月現在できなくなっている。--特筆性に疑問--> == 地理・地域 == === 位置 === 日本の本州中央部の日本海側にある。[[日本の地域|全国8地方区分]]では[[中部地方]]に当たり、日本海側の北陸地方に位置している。県域は、東西100.9&nbsp;km、南北198.4&nbsp;km、面積4,185.66[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]を有し、海岸線の総延長は581.0kmに及ぶ<ref name="gaiyou"/>。南北に細長く、中央部がくびれた[[砂時計]]や、[[アルファベット]]の[[F]]のような形状をしている。西側、北側、北東側は日本海に面しており、南西側は'''福井県'''に、東側は'''富山県'''に、南東側は[[岐阜県]]に隣接している。なお、日本の[[領海]]を確定するために設定されている[[領海#基線|基線]]は輪島市[[舳倉島]]北東端から(富山県を経ず)[[新潟県]][[佐渡市]]ネイ島西端まで'''直線基線'''が引かれている<ref>[https://www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/ryokai/kakudai/nih_idx.html 「直線基線十二区域/本州北西岸北部」海上保安庁]</ref>。 {|class="wikitable" |-style="text-align:center;vertical-align:middle" |+石川県の位置<ref name="gaiyou"/> !style="width:12em"|県庁所在地 !style="width:12em"|東端 !style="width:12em"|西端 !style="width:12em"|南端 !style="width:12em"|北端 |- style="text-align:center;vertical-align:middle" |金沢市<br />[[鞍月]]1丁目1番地 |[[珠洲市]]<br />三崎町小泊(長手崎) |加賀市<br />塩屋町(塩屋漁港) |白山市<br /> [[赤兎山]][[山頂]] |輪島市<br />舳倉島 |-style="text-align:center;vertical-align:middle" |{{ウィキ座標2段度分秒|36|35|40|N|136|37|32|E|}} |{{ウィキ座標2段度分秒|37|30|33|N|137|21|55|E|}} |{{ウィキ座標2段度分秒|36|17|44|N|136|14|39|E|}} |{{ウィキ座標2段度分秒|36|4|1|N|136|40|26|E|}} |{{ウィキ座標2段度分秒|37|51|19|N|136|55|19|E|}} |} === 自然地理 === [[ファイル:Japan Ishikawa Map Chikei.png|thumb|left|180px|能登地方と加賀地方の地形は対照的]] {{main|石川県の自然地理一覧}} 石川県の地形は、県北部の能登地方と県南部の加賀地方とで対照的な特徴を有している<ref name="dosya">[http://sabo.pref.ishikawa.jp/ishikawa.html 「石川県の地形・地質」石川県土砂災害情報システム]</ref>。 [[ファイル:NotoCoast.jpg|thumb|200px|外浦の[[能登金剛]]([[志賀町]])]] '''能登地方'''は日本海に向かって北東方向に突き出た半島('''能登半島''')である。[[第三紀]]に形成された[[火山岩]]や[[堆積岩]]からなる丘陵状の山地が広がっている<ref name="dosya"/>。[[一級河川]]はなく、[[町野川]]、[[大海川]]などの[[二級河川]]が54[[水系]]指定されている<ref name="keikaku">[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/shinkou/hantou/documents/keikaku.pdf 「能登地域半島振興計画」平成17年12月21日 石川県・富山県]</ref>。半島沖の海底は舳倉島付近まで[[大陸棚]]が続いており、その先も[[白山瀬]]や[[大和堆]]などの中深度海域が見られる<ref>[http://www.data.kishou.go.jp/db/maizuru/knowledge/tikei.html 「日本海の海底地形」(気象庁)]</ref><ref>{{Cite journal|和書 |author = 田口広 |author2 = 永野真男 |author3 = 佐藤任弘 |author4 = 桜井操 |author5 = 内田摩利夫 |title = 日本海白山瀬付近の構造発達史 |date = 1973-04-15 |publisher = 日本地質学会 |journal = 地質學雜誌 |volume = 79 |number = 4 |naid = 110003022440 |pages = 287-298 |ref = harv }}</ref>。 半島北部は、概ね標高300m以下の低山地と丘陵地帯が連なる[[準平原]]で、全体として[[富山湾]]側に下降する[[褶曲#向斜・背斜|背斜]]構造をしている。このため北西側の'''外浦(そとうら)'''は急峻な[[海食崖]]が形成され、[[海岸段丘]]が発達しているのに対して、南東側の'''内浦(うちうら)'''は[[隆起と沈降|沈降]]性の入り組んだ海岸線をしている。また、内浦の最深部に[[能登島]]があり、[[七尾湾]]が島を取り囲んでいる<ref name="tikei"/><ref name="keikaku"/>。半島中央部には、[[眉丈山]]南麓の断層が落ち込んで形成された帯状の低地帯([[邑知潟]][[地溝帯]])が半島を横切っている<ref name="dosya"/>。半島南部は[[宝達山]]を中心とする低い山地([[宝達丘陵]])が南北に連なり、西側の海岸線は長い[[砂浜海岸]]([[千里浜]])となっている<ref name="keikaku"/><ref name="keikan">[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/toshi/keikan/documents/02.pdf 「石川県の景観」石川県]</ref>。 [[ファイル:Hakusan from aburazaka 2003 5 5.jpg|thumb|200px|県最高峰の白山(白山市)]] '''加賀地方'''は南東部に'''白山'''(2,702m)を最高峰とする山地帯('''両白山地''')が発達し、北西に流れる河川によって形成された[[沖積平野]]('''加賀平野'''、[[金沢平野]])が南北に広がっている<ref name="keikan"/>。白山は[[中国山地]]を経て[[九州]]北部に延びる[[白山火山帯]]に属しており、一帯には火山岩や[[凝灰岩]]が分布している<ref name="dosya"/>。加賀地方の中央部を流れる[[手取川]]は白山を水源に日本海に注ぐ、長さ72km、流域面積809km<sup>2</sup>の一級河川で、石川県最大の川である<ref>[https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/river/t_pamph/p1.html 「手取川流域の概要」国土交通省北陸地方整備局金沢河川国道事務所]</ref>。流域の90%が山地であり、平均勾配が約27分の1という日本有数の急流河川である<ref>[https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/mb2_jigyo/river/tedoconf/cnf02/mat02_2.pdf 「平成19年度手取川事業概要」国土交通省北陸地方整備局金沢河川国道事務所]</ref>。上流部は川の[[浸食]]作用で渓谷となり、中流部には[[河岸段丘]]が発達している。下流域は白山市鶴来地区(旧・[[鶴来町]])を[[扇状地|扇頂]]とし、中心角120度、半径12〜13kmの[[扇状地]]('''手取川扇状地''')を形成している<ref name="dosya"/><ref name="keikan"/>。[[梯川]]は加賀地方南西部の白山山系[[大日山]]連峰の鈴ヶ岳を源流とする一級河川で、長さ42km、流域面積は271.2&nbsp;km<sup>2</sup>である<ref>[https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/mb2_jigyo/river/jigyo/kake1.html 「梯川のあらまし」国土交通省北陸地方整備局金沢河川国道事務所]</ref>。加賀地方北部に当たる金沢市内を流れる[[犀川 (石川県)|犀川]]と[[浅野川]]はいずれも二級河川である。流域には河岸段丘が発達している<ref name="tikei"/>。加賀地方の海岸部は単調な砂浜海岸であり、北部には[[内灘砂丘]]がある<ref>[http://www.hot-ishikawa.jp/search-detail.php?id=900-sz000122 「内灘砂丘」『ほっと石川旅ねっと』石川県観光連盟]</ref>。また、海沿いの平野部に[[加賀三湖#木場潟|木場潟]]、[[加賀三湖#柴山潟|柴山潟]]、[[河北潟]]などの[[潟湖]]が点在している<ref name="tikei"/>。 === 自然公園 === [[ファイル:Fritillaria camschatcensis Kuroyuri in hakusan 2002-7-25.jpg|thumb|200px|白山の[[高山植物]][[クロユリ]]。石川県の「郷土の花」である<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/hakusan/kuroyuri/index.html 「郷土の花 クロユリ」石川県]</ref>。]] [[国立公園]]が1か所('''[[白山国立公園]]''')、[[国定公園]]が2か所('''[[能登半島国定公園]]'''、'''[[越前加賀海岸国定公園]]''')、[[都道府県立自然公園|県立自然公園]]が5か所([[山中・大日山県立自然公園]]、[[獅子吼・手取県立自然公園]]、[[碁石ケ峰県立自然公園]]、[[白山一里野県立自然公園]]、[[医王山県立自然公園]])存在する<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/sizen/kankyo/5.html 「石川の自然公園等」石川県]</ref>。 '''白山国立公園'''は白山を中心とした両白山地の主要な山々を指定区域とする国立公園である。石川県、富山県、福井県、岐阜県の4県にまたがる<ref>[https://www.env.go.jp/park/hakusan/intro/index.html 「白山国立公園」環境省]</ref>。[[原生地域]]が区域の80%以上を占め、特に[[ブナ]]の[[原生林]]を広域に保有している。また、[[森林限界]]を越える高山帯としては日本最西端に当たるため、西限・南限とする貴重な動植物がみられる<ref name="kokuritukokutei">[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/sizen/kankyo/7.html 「石川県の国立・国定公園」石川県]</ref>。 '''能登半島国定公園'''は能登半島の海岸一帯を主体とする国定公園である。石川県と富山県に跨る。[[能登金剛]]や[[禄剛崎]]など外浦の勇壮な海食景観と七尾湾や能登島など内浦の柔和な[[隆起と沈降|沈水]]景観の対比が特徴とされる<ref name="kokuritukokutei"/><ref>[http://www.biodic.go.jp/jpark/qnp/noto.html 「能登半島国定公園」環境省]</ref>。'''越前加賀海岸国定公園'''は加賀市から福井県[[敦賀市]]まで続く海岸一帯の国定公園である。石川県内では柴山潟や[[雁]]、[[鴨]]の飛来地<ref name="keikan"/> である[[片野鴨池]]が含まれている。片野鴨池は[[ラムサール条約]]の登録[[湿地]]となっている<ref name="kokuritukokutei"/><ref>[http://www.biodic.go.jp/jpark/qnp/etizen.html 「越前加賀海岸国定公園」環境省]</ref>。 === 気象 === [[ファイル:Kenrokuen in winter 01.jpg|thumb|left|200px|雪の兼六園(金沢市)]] 石川県の気候は比較的[[日照時間]]の短い[[日本海側気候]]型である。その特徴は冬に顕著で、北西からの季節風によって気温が低く雪の降る日が多くなる<ref name="kisyoudai"/>。地元で'''ブリ起こし'''と呼ばれる冬の雷<ref name="buri1"/><ref name="buri2"/> の発生数は日本で一番多い<ref name="kisyoudai"/>。降雪と雷が同時に起こることは世界的にも珍しく、[[ノルウェー]]西海岸や[[アメリカ合衆国]]の[[五大湖]]から東海岸にかけて見られる程度であるとされる<ref name="buri1"/>。 発達した低気圧が[[日本海]]を通過するときに南東からの強い風が両白山地を越えて[[フェーン現象]]を起こすことがある。また、同じ[[中部地方]]でも[[太平洋]]側の[[東海地方]]に比べて[[梅雨]]が顕著ではないという特徴がある<ref name="kisyoudai"/>。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap;float:right" |+石川県内各地の平年値(統計期間:1981年 - 2010年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="5"|能登地方 !colspan="5"|加賀地方 |- ![[珠洲市|珠洲]]!![[輪島市|輪島]]!![[志賀町|志賀]]!![[七尾市|七尾]]!![[羽咋市|羽咋]] ![[かほく市|かほく]]!![[金沢市|金沢]]!![[小松市|小松]]!![[白山市]]<br />白山吉野!![[加賀市]]<br />栢野 |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |25.2<br />(8月)||25.7<br />(8月)||26.0<br />(8月)||26.0<br />(8月)||26.3<br />(8月) |25.9<br />(8月)||27.0<br />(8月)||26.5<br />(8月)||25.0<br />(8月)||25.4<br />(8月) |- !最寒月 |2.4<br />(2月)||3.1<br />(2月)||3.2<br />(2月)||2.6<br />(1月)||3.3<br />(1月) |3.1<br />(1月)||3.8<br />(1月)||3.4<br />(1月)||1.4<br />(1月)||1.9<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |256.9<br />(12月)||253.6<br />(12月)||208.7<br />(7月)||235.1<br />(7月)||238.1<br />(12月) |244.7<br />(12月)||282.1<br />(12月)||256.6<br />(12月)||334.5<br />(1月)||381.8<br />(12月) |- !最少月 |103.9<br />(4月)||113.2<br />(4月)||101.5<br />(4月)||117.3<br />(4月)||114.1<br />(4月) |115.4<br />(4月)||136.9<br />(4月)||119.5<br />(4月)||154.8<br />(4月)||170.8<br />(4月) |} 能登地方中部から加賀地方にかけての平野部の気候は比較的温和だが、能登地方北部では年平均気温がやや低く、加賀地方山間部は気温が低く多雨豪雪であるといった地域差が見られる<ref name="tikei"/>。 '''能登地方'''は日本海に大きく突き出しているため寒暖の季節風の影響を受けやすい。北陸地方の他の都市に比べ、夏はやや涼しく、冬は雪も少なめである。年平均気温は13〜14°Cではあるが、能登地方北部はやや低め。年降水量は1,700〜2,100mm、年日照時間は1,500〜1,700時間、最深積雪の平均は 20〜60cmである<ref name="kisyoudai" />。 '''加賀地方'''の平野部は比較的温和で年平均気温は13〜15°Cである。年降水量は2,100〜3,100mm、年日照時間は1,400〜1,700時間、最深積雪の平均は40〜50cmである<ref name="kisyoudai"/>。金沢市で年間200cmを超える降雪を観測した年は、[[1960年代]] 8回、[[1970年代]] 6回、[[1980年代]] 9回、[[1990年代]] 0回、[[2000年代]] 3回となっており、[[1990年代]]以降減少が顕著である<ref>[https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/annually_s.php?prec_no=56&prec_ch=%90%CE%90%EC%8C%A7&block_no=47605&block_ch=%8B%E0%91%F2&year=&month=&day=&elm=annually&view= 「気象統計情報(金沢 毎年の値)」気象庁]</ref>。冬の日照時間が極端に少ないことが特徴で、夏は月平均約180時間に対し、冬は月平均約70時間である。加賀地方の山間部(標高500m以上)は最深積雪の平均が220cmと平野部の4倍以上になる豪雪地帯である。[[白山市]]白峰地区(旧・[[白峰村]])では最深積雪682cmの記録がある。この地域が大雪となる理由は[[シベリア]]からの乾いた冷たい季節風が日本海を流れる対馬暖流の上を通る時に水蒸気を蓄え雲となり、両白山地にぶつかって斜面を上昇すると[[断熱過程|断熱]]膨張によって冷やされ雪となるためである<ref name="kisyoudai"/>。 === 地域区分 === {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=石川県|float=right}} 県北部を'''能登地方'''、県南部を'''加賀地方'''という。それぞれ[[令制国]]の[[能登国]]、[[加賀国]]の範囲に相当する。加賀地方は、かほく市以南を、能登地方は宝達志水町以北を指すことが多い。 [[石川県庁]]の出先機関では4地域または5地域に区分されることがある。たとえば、保健福祉センターは「'''能登北部'''、'''能登中部'''、'''石川中央'''、'''南加賀'''」の4区分である。 県営の看護士求人では「'''能登北部'''、'''能登中部'''、'''石川中央北部'''、'''石川中央南部'''、'''南加賀'''」の5区分である<ref>[https://ishikawa-nursenavi.com/search/ 石川ナースナビ ─石川県運営の看護師求人情報]</ref>。 県の都市計画では「'''奥能登'''、'''中能登'''、'''県央'''''、'''南加賀'''」の4区分である<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/toshi/masterplan/top.html 石川県/石川県都市計画マスタープラン]</ref>。 農林総合事務所や土木総合事務所では「'''奥能登'''、'''中能登'''、'''県央'''、'''石川'''、'''南加賀'''」の5区分である<ref name="gyouseikikan">[http://www1.g-reiki.net/ishikawa/reiki_honbun/ai10100871.html 「知事の権限に属する行政機関設置条例」石川県]</ref>。 [[File:気象庁の石川県の区分.jpg|thumb|気象庁の石川県の区分]] [[気象庁]]の[[天気予報]]では県域を北から南へ「'''能登北部'''、'''能登南部'''、'''加賀北部'''、'''加賀南部'''」と4区分される<ref>[https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/saibun/ishikawa.pdf 気象庁 Japan Meteorological Agency]</ref>。 市町別では11市 5郡 8町となっている。石川県では、町は「まち」と読むが<ref group="注釈">各市町村内の町名には「ちょう」と読むものもある。例:金沢市[[南町 (金沢市)|南町]](みなみちょう)</ref>、[[鳳珠郡]][[能登町]]および[[羽咋郡]][[宝達志水町]]は「ちょう」と読む。石川県内の市町では、一部の[[小字]][[地番]]に[[いろは順|イロハ]]や[[十干|甲乙丙]]などを組み合わせたものが使用されている(白山市松任地区および野々市市を除く)。これは[[明治|明治時代]]に行われた[[土地区画整理事業]]の名残で<ref>『[[秘密のケンミンSHOW]]』([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]制作) [[2011年]](平成23年)[[3月3日]]放送分</ref>、石川県の多くの地域では[[2017年]]現在も使用されている。このため[[住居表示]]制度の導入割合は隣県の[[富山県]]や[[福井県]]より低い。 ==== 加賀地方 ==== [[ファイル:Hakusan city office.jpg|thumb|left|200px|1市2町5村の大規模合併で誕生した白山市]] 域内[[推計人口]] : '''{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/石川県|金沢市}} + {{自治体人口/石川県|白山市}} + {{自治体人口/石川県|小松市}} + {{自治体人口/石川県|加賀市}} + {{自治体人口/石川県|野々市市}} + {{自治体人口/石川県|能美市}} + {{自治体人口/石川県|かほく市}} + {{自治体人口/石川県|津幡町}} + {{自治体人口/石川県|内灘町}} + {{自治体人口/石川県|川北町}} }}}}''' 人(全県比:{{formatnum:{{#expr:({{自治体人口/石川県|金沢市}} + {{自治体人口/石川県|白山市}} + {{自治体人口/石川県|小松市}} + {{自治体人口/石川県|加賀市}} + {{自治体人口/石川県|野々市市}} + {{自治体人口/石川県|能美市}} + {{自治体人口/石川県|かほく市}} + {{自治体人口/石川県|津幡町}} + {{自治体人口/石川県|内灘町}} + {{自治体人口/石川県|川北町}}) *100 / {{自治体人口/石川県|石川県}} round 1}}}}%)({{自治体人口/石川県|date}}) : '''市部''' - [[金沢市]](県庁所在地)、[[白山市]]、[[小松市]]、[[加賀市]]、[[野々市市]]、[[能美市]]、[[かほく市]] : '''郡部''' - [[河北郡]]([[津幡町]]、[[内灘町]])、[[能美郡]]([[川北町]]) 石川県庁の出先機関の圏域名である'''県央'''は金沢市、かほく市、河北郡の区域、'''石川'''は白山市、野々市市の区域('''石川中央'''は左記2域を足し合わせた区域)、'''南加賀'''は小松市、加賀市、能美市、能美郡の区域を指す<ref name="gyouseikikan"/><ref group="注釈">南加賀土木総合事務所の所管区域は、能美郡および能美市のうち手取川河川区域が除かれ、石川土木総合事務所の所管区域とされている。</ref>。 加賀地方には[[平成の大合併]]前に4市4郡13町5村あったが、[[2004年]](平成16年)[[3月1日]]に河北郡3町([[高松町]]、[[七塚町]]、[[宇ノ気町]])がかほく市に、[[2005年]](平成17年)[[2月1日]]に[[松任市]]と[[石川郡 (石川県)|石川郡]]2町5村([[美川町 (石川県)|美川町]]、[[鶴来町]]、[[河内村 (石川県)|河内村]]、[[吉野谷村]]、[[鳥越村]]、[[尾口村]]、[[白峰村]])が白山市に、同日[[能美郡]]3町([[根上町]]、[[寺井町]]、[[辰口町]])が能美市に、同年10月1日旧加賀市と[[江沼郡]]1町([[山中町]])が加賀市(これにより江沼郡は消滅)<ref name="gappei">[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/tihou/koiki/torikumijyoukyou.html 「合併市町一覧表」石川県]</ref> となり、また[[2011年]](平成23年)11月11日に野々市町が[[単独市制]]で野々市市に移行(これにより石川県の県名の由来となる石川郡が消滅)した。このほか、市町間で行政サービスを共同で行うため次の[[一部事務組合]]が設立されている。 * [[白山野々市広域事務組合]](白山市・[[野々市市]]・[[川北町]]<ref>[http://hn-kouiki.jp/gaiyou.html 「白山野々市広域事務組合の概要」白山野々市広域事務組合]</ref>) - ごみ処理・広域消防・[[火葬場]](火葬場業務は川北町・白山市[[松任市|松任地域]]<!-- 白山市公式サイトの地域名称に準ずる -->・[[美川町 (石川県)|美川地域]]<!-- 白山市公式サイトの地域名称に準ずる -->を除く) * 南加賀広域圏事務組合([[小松市]]・[[加賀市]]・[[能美市]]・川北町) - [[市場|公設市場]]・救急医療 * 小松加賀環境衛生事務組合(小松市・加賀市) - し尿処理・火葬場 * 手取郷広域事務組合(能美市・川北町・白山市美川地域<!-- 白山市公式サイトの地域名称に準ずる -->) - 火葬場 * 河北郡市広域事務組合([[かほく市]]・[[津幡町]]・[[内灘町]]) - ごみ処理・し尿処理・斎場 ==== 能登地方 ==== [[ファイル:NotoAirport Building.JPG|thumb|left|200px|[[奥能登]]の広域行政機関が入る[[能登空港]](輪島市)]] {{see also|能登半島}} 域内推計人口 : '''{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/石川県|七尾市}} + {{自治体人口/石川県|輪島市}} + {{自治体人口/石川県|羽咋市}} + {{自治体人口/石川県|珠洲市}} + {{自治体人口/石川県|志賀町}} + {{自治体人口/石川県|宝達志水町}} + {{自治体人口/石川県|能登町}} + {{自治体人口/石川県|穴水町}} + {{自治体人口/石川県|中能登町}} }}}}''' 人(全県比:{{formatnum:{{#expr:({{自治体人口/石川県|七尾市}} + {{自治体人口/石川県|輪島市}} + {{自治体人口/石川県|羽咋市}} + {{自治体人口/石川県|珠洲市}} + {{自治体人口/石川県|志賀町}} + {{自治体人口/石川県|宝達志水町}} + {{自治体人口/石川県|能登町}} + {{自治体人口/石川県|穴水町}} + {{自治体人口/石川県|中能登町}}) *100 / {{自治体人口/石川県|石川県}} round 1}}}}%)({{自治体人口/石川県|date}}) : '''市部''' - [[七尾市]]、[[輪島市]]、[[羽咋市]]、[[珠洲市]] : '''郡部''' - [[羽咋郡]]([[志賀町]]、[[宝達志水町]])、[[鳳珠郡]]([[能登町]]、[[穴水町]])、[[鹿島郡]]([[中能登町]]) 石川県庁の出先機関の圏域名である'''能登中部'''・'''中能登'''は七尾市、羽咋市、羽咋郡、鹿島郡の圏域、'''能登北部'''・'''奥能登'''は輪島市、珠洲市、鳳珠郡の圏域を指す<ref name="gyouseikikan"/>。 能登地方には平成の大合併前に4市4郡14町1村あったが、[[2004年]](平成16年)10月1日に旧七尾市と鹿島郡3町([[田鶴浜町]]、中島町、能登島町)が七尾市に、[[2005年]](平成17年)3月1日に羽咋郡2町(志雄町、押水町)が宝達志水町に、同日鹿島郡3町(鳥屋町、鹿島町、[[鹿西町]])が中能登町に、同日[[鳳至郡]]1町1村([[能都町]]、[[柳田村]])と[[珠洲郡]]1町([[内浦町]])が鳳珠郡能登町(これにより鳳至郡と珠洲郡は消滅)に、同年[[9月1日]]に羽咋郡2町(志賀町、[[富来町 (石川県)|富来町]])が志賀町、[[2006年]](平成18年)2月1日に旧輪島市と鳳珠郡1町([[門前町 (石川県)|門前町]])が輪島市となった<ref name="gappei"/><ref group="注釈">なお、鳳至郡2町(穴水町、門前町)を鳳町とする合併協議は白紙撤回されている。</ref>。このほか、市町間で行政サービスを共同で行うため次の一部事務組合が設立されている。<!-- 七尾鹿島消防本部は七尾市の部局であり、一部事務組合ではない --> * [[奥能登広域圏事務組合]]([[輪島市]]・[[珠洲市]]・[[能登町]]・[[穴水町]]) - 広域消防・[[能登空港]](ターミナルビル設置・利用促進) * [[羽咋郡市広域圏事務組合]]([[羽咋市]]・[[志賀町]]・[[宝達志水町]]) - 環境衛生(ごみ処理・し尿処理・斎場・[[千里浜なぎさドライブウェイ|なぎさ環境保全]])・広域消防・病院(なぎさ環境保全事業は志賀町を除く) * 輪島市穴水町環境衛生施設組合(輪島市・穴水町) - ごみ処理・[[火葬場]] == 歴史 == === 原始 === [[ファイル:Okyozuka.jpg|thumb|left|200px|御経塚遺跡([[野々市市]])]] 県内で発見された[[日本の旧石器時代|旧石器時代]]の[[遺跡]]は[[能美市]]の灯台笹遺跡<ref group="注釈">発見したのは、[[土器]]や[[石器]]を集めるのが趣味だった高校生。 彼が住む灯台笹(とだしの)の丘陵で土器や石器約20点を採取した中に打製の旧石器が含まれていた。 その石器は木の葉状に整形された槍先に用いる尖頭器1点とナイフ形石器5点であった。 これを旧石器と見分けたのは当時の高校教諭。 その後この遺跡が発掘され、片刃石器や掻器が発掘されている。</ref>{{Sfn|高澤裕一|河村好光|東四柳史明|本康宏史|2000|loc=河村好光「加賀・能登の誕生」p10-11}}など極めて少ない。 [[縄文時代]]の遺跡では草創・早期の遺跡は少なく、中期と晩期にピークがある。 [[能登町]]の[[真脇遺跡]]は縄文時代の前期から晩期まで約4,000年続く長期定住遺跡である<ref name="maizou">[http://www.ishikawa-maibun.or.jp/sanpo.html 「いしかわ遺跡散歩」財団法人石川県埋蔵文化センター]</ref>。 縄文時代後期から晩期の遺跡としては[[金沢市]]の[[チカモリ遺跡]]<ref name="maizou"/><ref>[http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11104/bunkazaimain/shiteibunkazai/kinenbutsu/tikamori.html 「チカモリ遺跡」金沢市]</ref>、[[野々市市]]の[[御経塚遺跡]]<ref name="maizou"/><ref>[http://www.city.nonoichi.lg.jp/sangyoshinko/kanko_map_okyodukaiseki.html 「野々市市観光マップ 御経塚遺跡」野々市市]</ref> がある。 [[1980年]]([[昭和]]55年)チカモリ遺跡から[[クリ属|クリ]]の巨木を縦に半分に割り円形に並べた'''環状木柱列'''が見つかった。 環状木柱列はその後真脇遺跡でも発見されている。環状木柱列の用途・機能は「儀礼の場」や「特殊な建物」など様々な考えがあり不明である<ref name="maizou"/>。[[羽咋市]]の[[吉崎・次場遺跡]]は北陸地方でも規模が大きい[[弥生時代]]の遺跡で[[近畿地方|近畿]]、[[東北地方|東北]]、[[山陰地方|山陰]]などとの交流が認められる<ref name="maizou"/>。 === 古代 === [[ファイル:Ketataisya.jpg|thumb|200px|[[大伴家持]]も参詣した[[気多大社]]<ref>[http://www.ishikawa-c.ed.jp/content/m-media/rekishi/rekishiSOZAI/ketajinja/ketajinja.html 「大伴家持もお参りした気多大社」石川県教育センター]</ref>(羽咋市)]] [[4世紀]]には[[ヤマト王権|大和王権]]の支配が及び、[[能登国]]には[[能等国造]]と[[羽咋国造]]が、[[加賀国]]には[[加我国造]]と[[江沼国造]]が設置された。 能美市には60数基の[[古墳]]が点在する能美古墳群がある。その中心に位置する和田山・末寺山古墳群からは武器・武具など大量の副葬品が出土している。 また、同じ能美古墳群の一角にある[[秋常山1号墳]]は全長約140mの[[前方後円墳]]である。 [[中能登町]]の[[雨の宮古墳群]]には北陸最大級の[[前方後方墳]]である雨の宮1号墳がある。 また、[[七尾市]]の能登島にある[[須曽蝦夷穴古墳]]はドーム型の墓室を持ち[[朝鮮半島]]の[[古墳]]にも通じるものとされる<ref name="maizou"/>。 県域は[[飛鳥時代]]には[[越国]]あるいは三越分割後の[[越前国]]に含まれていた。[[奈良時代]]に入り、[[718年]]に羽咋・能登・鳳至・珠洲の4郡を割いて能登国が立てられた。 能登国は[[741年]][[越中国]]に併合され、このころ[[大伴家持]]が越中国の[[国司]]として赴任している。[[757年]]には越中国から分離し、再び能登国が立てられた。 [[平安時代]]初期の[[823年]]になって越前国から加賀・江沼2郡を割いて加賀国が立てられた。これは令制上最後の立国である。 七尾市にある[[能登国分寺]]跡は、能登地方を支配した'''能登臣(のとのおみ)'''一族が[[白鳳時代]]に建てた寺院を[[843年]]に[[国分寺]]としたものである。[[法起寺]]式[[伽藍配置]]を持ち<ref>[https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/210060 「能登国分寺跡附建物群跡」文化遺産オンライン(文化庁)]</ref>、約400年にわたり能登の仏教の場として栄えたとされる<ref name="maizou"/>。奈良時代から平安時代には、能登半島には[[渤海 (国)|渤海]]の使節がたびたび到着し[[交易]]が行われていた。 [[志賀町]]の[[福浦港]]では[[渤海使]]が船の修理や宿泊をしたと伝えられており、平安時代初めに[[渤海使]]接待のため能登国に建てられた'''能登客院'''はこの地にあったと考えられている<ref>[http://www.ishikawa-c.ed.jp/content/m-media/rekishi/rekishiSOZAI/fukuura/fukuura.html 「大陸との貿易の窓口 富来福浦港」石川県教育センター]</ref>。 [[野々市市]]の末松廃寺跡は加賀地方北部に本拠を置く有力[[氏族]]'''道君(みちのきみ)'''が7世紀後半に創ったとされる寺院である。法起寺式伽藍配置をしており、屋根瓦の一部は能美市辰口地区(旧:[[辰口町]])で焼かれたものであることが分かっている<ref name="maizou"/>。 [[奈良時代|奈良]]・平安時代、[[北陸地方]]には[[東大寺]]、[[西大寺 (奈良市)|西大寺]]などの[[荘園 (日本)|荘園]]が多くあった。 白山市から金沢市に跨る[[横江荘|東大寺領横江荘]]もそうした荘園の一つである<ref name="maizou"/>。平安時代に[[修験道]]が活発になると白山を山岳信仰の対象とする[[白山信仰]]が広まり、山頂への登山道([[禅定道]])の起点の一つとなった[[白山比咩神社]]は信仰の拠点となった<ref>[https://www.pref.ishikawa.lg.jp/hakusan/publish/sizen/documents/sizen21.pdf 「白山の自然誌21 白山の禅定道」2001年3月石川県白山自然保護センター]</ref>。 平安時代末期の[[治承・寿永の乱]](源平合戦)では、[[源義仲]](木曾義仲)が[[倶利伽羅峠の戦い]]([[津幡町]])で数で圧倒する[[平家]]の義仲追討軍を破り<ref>[http://www.town.tsubata.ishikawa.jp/midokoro/kurikara.html 「倶利伽羅」津幡町]</ref>、さらに[[篠原の戦い]](加賀市)で逃げる平家を追撃し、[[京都]]に進んだとされる。 === 中世 === [[鎌倉時代]]、新たに設けられた[[守護]]は加賀国、能登国とも[[比企朝宗|比企氏]]、[[北条朝時|北条氏]]、[[室町時代]]に入ると加賀国は[[斯波氏]]、[[富樫氏|冨樫氏]]、能登国は[[吉見氏]]、[[畠山氏#平姓畠山家|畠山氏]]であった。 [[ファイル:Torigoe01.jpg|thumb|200px|加賀一向一揆が抵抗の拠点として築城した[[鳥越城]](白山市)<ref name="maizou"/>]] 加賀国では、[[権門体制]]から[[幕藩体制]]への過渡期の時代、[[応仁の乱]]のころ[[浄土真宗]]が広まり、やがて寺社勢力に帰依した者を中心とした[[加賀一向一揆]]が起きた。守護大名[[富樫氏|冨樫]]一族の内紛に、地元武士、浄土真宗本願寺派と髙田派の内部抗争が入り混じった紛争が起き、さらに、これに勝利した[[富樫政親|富樫正親]]と本願寺派勢力が内部対立を起こし、本願寺派勢力が勝利したことで、戦国大名化した寺社勢力による自治が始まり、武士の支配を脱却した統治が約100年にわたって行われた。これが、加賀地方が「'''[[百姓]]の持ちたる国'''」と呼ばれた<ref group="注釈">[[蓮如]]の10男[[実悟]]の「実悟記拾遺」に「'''泰高ヲ守護トシテヨリ百姓トリ立テ富樫ニテ候アヒダ百姓等ノウチツヨク成テ近年ハ百姓ノ持タル国ノヤウニナリ行キ候'''」と記されている。「泰高」は加賀一向一揆で自害した[[富樫政親]]の子で守護を継いだ[[富樫泰高]]のこと。</ref> 所以である。その際、富樫政親を滅ぼした洲崎慶覚坊が金沢の台地上にあった本源寺の棟梁を謀殺しており、後に本源寺を、[[尾山御坊]]('''金沢御坊''')と定めて、ここを拠点にして支配した<ref>[http://www.ishikawa-c.ed.jp/content/m-media/rekishi/rekishiSOZAI/ikkoikki/ikkoikki.html 「百姓ノ持チタル国〜加賀一向一揆〜」石川県教育センター]</ref>。本願寺の一向宗(浄土真宗)勢力による自治により石山本願寺の財政基盤として機能していた。中世の幕府は内紛により権威が弱く、世の中は治安が悪く、戦乱による財政難から度重なる徳政令で金融も麻痺していた。一方、本願寺の寺内町(門前町)だけは、支那との交流による銭貨を背景とした大量のマネタリーベースが供給され、規制緩和による自由な商売が出来、軍事組織もあったため治安も良く、徳政令からも免れて経済的に繁栄していた。従って、安心した暮らしを求めて帰依する者が多かったと考えられる。[[本願寺]]と敵対する[[織田信長]]は、[[柴田勝家]]らを派遣してここを平定し、能登国を[[前田利家]]に、加賀国を[[佐久間盛政]]に与えた。織田信長の死後、[[豊臣秀吉]]が実権を握ると、利家は加賀国も領して、尾山御坊跡の[[尾山城]]('''金沢城''')に入り城下町の建設を始めた<ref name="fuuti" />。 [[能登国]]では、[[正長]]年間([[1428年]] - [[1429年]])ごろに初代当主[[畠山満慶]]が[[七尾城]]を築城し、畠山氏の領国支配の拠点となる。7代目当主[[畠山義総]]の時代に最盛期を迎えるが、義総の死後は[[畠山七人衆]]が実権を握り、[[大名]]権力を傀儡化する。[[1560年]]([[永禄]]3年)、9代当主[[畠山義綱]]が実権を取り戻すが、[[1566年]](永禄9年)に[[永禄九年の政変]]で能登国から追放される。[[1577年]]([[天正]]5年)、[[上杉謙信]]が能登国へ侵攻し[[七尾城の戦い]]が起こり、畠山氏は滅亡する。 === 近世 === [[ファイル:Kanazawa Castle Gate.JPG|thumb|left|200px|金沢城石川門(金沢市)]] 前田利家の[[長男]]・[[前田利長]]は[[関ヶ原の戦い]]では[[徳川家康]]の東軍につき、戦後[[越中国]]を与えられた。 利長は[[江戸幕府]]の[[幕藩体制]]のもと加賀国、能登国、越中国の3国を治める[[加賀藩]]の藩主となった。加賀藩前田家は[[外様大名]]でありながら[[大名]]の中で最大[[石高]]である約120万石を領した。 第 2代藩主[[前田利常]]は、江戸幕府2代将軍[[徳川秀忠]]の娘・[[珠姫]]を娶った徳川の[[大名]]として[[大坂の陣]]を戦い、戦後の[[大坂城]]改修の[[普請]]では通常の[[大名]]の負担分より多い負担を敢えてするなど、[[外様大名]]として取り潰しを避けることに意を用いたとされる<ref name="sandai">見瀬和雄『利家・利長・利常 前田三代の人と政治』([[北國新聞|北國新聞社]]、[[2002年]])ISBN 4-8330-1204-9</ref>。 利常は[[1639年]]に家督を長男[[前田光高]]に譲り、次男の[[前田利次]]に[[富山藩]]を、三男の[[前田利治]]に[[大聖寺藩]]を分封した。 しかし、[[1645年]]に光高が急死し、第4代藩主となった光高の長男[[前田綱紀]]がまだ幼かったため、利常が[[後見人]]として藩政を補佐した。 利常が綱紀を後見した時代には、貧農の救済、[[年貢]]納入の徹底などを目的とした'''[[改作法]]'''と呼ばれる農政改革が実施された。 これは、農民の借金を帳消しにした上で、農具、種籾の購入資金や当座の食料を貸し付けて農業生産性を高めるとともに、各地の有力豪農などから選任した'''[[十村制|十村]](とむら)'''に農民の監督や徴税を委ねるものである。改作法は所期した成果を挙げ、藩政の安定に寄与した<ref name="sandai"/>。 このころから加賀藩は[[蔵米]]を[[日本海]]から[[関門海峡]]、[[瀬戸内海]]を通り[[大坂]]まで運ぶ船輸送を始め、後の[[西廻海運]]の基となった<ref>[http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/kitamae/mirai/oitati/oitati_2.htm 「北前船の生い立ち」石川新情報書府]</ref>。 なお、[[1659年]]に白山が[[噴火]](最も新しい噴火)。[[1668年]]と[[1671年]]には[[手取川]]の洪水で多数の死者が出ている<ref name="sabou">[https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/hakusansabo/03history/saigai01.html 「手取川災害略史」金沢河川国道事務所]</ref>。 [[ファイル:KUTANI Ewer.JPG|thumb|200px|江戸時代前期の[[九谷焼#古九谷|古九谷]]の銚子]] 加賀藩は産業の振興に力を入れ、かつ学問や文芸を奨励したことから、[[城下町]]の金沢を中心として今に続く伝統文化が興隆した。 金沢城内に設けた'''御細工所'''は初め武器・武具の修理などを行う組織であったが、利常は[[茶の湯]]道具や[[掛幅]]など美術工芸品の製作・修理をさせ、綱紀は塗物・[[蒔絵]]細工、[[象嵌]]細工など20を越える職種を扱わせた。 綱紀は学問の奨励のため[[木下順庵]]、[[室鳩巣]]、[[稲生若水]]といった学者の招聘につとめた。 綱紀が収集した古今東西の図書は[[尊経閣文庫]]として受け継がれている。 [[能楽]]も盛んで、利家は[[金春流]]を好み、その後の藩主達にも受け継がれたが、綱紀が[[宝生流]]を取り入れ[[加賀宝生]]を成立させると、後者が主流となり栄えた。 [[兼六園]]は綱紀による蓮池庭と御殿の建設が始まりとされ、現在の姿が完成するのは[[江戸時代]]後期である<ref name="fuuti"/><ref name="yukari">[https://web.archive.org/web/20170202022815/http://shofu.pref.ishikawa.jp/inpaku/toshiie/frame/n5.html 「利家とまつ ゆかりの人物事典」石川新情報書府]</ref>。 [[輪島塗]]は江戸時代に輪島で下地塗りの漆に混ぜる[[珪藻土]]が見つかったことで堅牢な漆器となり、日用食器として盛んに生産されるようになった。 [[北前船]]が寄港する[[輪島港]]の海運の利を活かして全国に販路を広げた。 また江戸時代後期には[[沈金]]や蒔絵の技法が加わり美術工芸品としても発展した<ref>[http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/intro/HTML/H_S50202.html 「輪島塗の歴史」石川新情報書府]</ref><ref>[http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/kitamae/kikou/isikawa/isikawa_7.htm 「北前船紀行 輪島市」石川新情報書府]</ref>。 大聖寺藩では江戸時代初めに殖産興業の一環として鉱山開発に取り組み九谷村(現:[[加賀市]])で磁鉱が発見されたことから窯を築き色絵磁器([[九谷焼]])の製造が始まった。 一旦廃窯されるが九谷焼は加賀藩により再興され、明治期には海外への輸出品となった<ref>[http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/kutani/ 「九谷焼」石川新情報書府]</ref>。 江戸時代後期、加賀藩は[[1792年]]に[[藩校]]の文学校[[明倫堂#加賀金沢藩の明倫堂|明倫堂]]と武学校経武館を文武ごとに別けて設立した<ref name="yukari"/>。 明倫堂では[[儒学]]のほか[[易学]]、医学、[[本草学]]、[[暦学]]、[[和算|算学]]などを、経武館では[[馬術]]、[[剣術]]などを教えた。 また幕末には洋式兵学校の壮猶館や航海、測量の実習のための軍艦所を作り、[[ヨーロッパ]]から洋式艦船を購入するなど海防に力を注いだ<ref name="yukari"/><ref>[http://www.pref.ishikawa.jp/muse/rekihaku/gizyutu/gizyutu2.html 「近世・近代の科学と技術1 科学史」石川県立歴史博物館]</ref>。 === 近代 === [[ファイル:Shiinoki Geihinkan.jpg|thumb|left|200px|大正時代に竣工した旧・石川県庁(現:[[石川県政記念しいのき迎賓館]])(金沢市)]] [[1869年]](明治2年)[[版籍奉還]]で加賀藩は金沢藩となり、14代藩主[[前田慶寧]]は金沢[[藩知事]]に任命された<ref name="yukari"/>。しかし、[[1871年]](明治4年)[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]には[[廃藩置県]]が行われ、金沢藩域は[[加賀藩|金沢県]](第1次)、大聖寺藩域は[[大聖寺県]]となった。同年[[11月20日 (旧暦)|11月20日]]に両県を廃止し、旧・金沢県より[[射水郡]]以外の[[越中国]][[新川郡]]、[[婦負郡]]、[[礪波郡]]を分けて'''[[新川県]]'''(当時は新川郡[[魚津市|魚津]]が県庁所在地)を設置、能登国と越中国[[射水郡]]に'''[[七尾県]]'''を、加賀地方に'''金沢県'''(第2次)を置いた。明けて[[1872年]](明治5年)[[2月2日 (旧暦)|2月2日]]、金沢県庁を[[石川郡 (石川県)|石川郡]][[美川町 (石川県)|美川町]](現:白山市美川南町)に移し、この郡名より'''石川県'''と改称した。現在の県名はこれに由来する。なお、石川は古くから氾濫を繰り返し、石ころ河原だった手取川の別名という説がある。県庁の移設は、旧加賀藩の影響力を弱めるための時の政府の方策等諸説あるが、公式には金沢では県域の北に寄りすぎであるためという理由であった。なお、金沢市も市制施行前は石川郡に属していた。同年[[9月25日 (旧暦)|9月25日]]に射水郡を除く七尾県を石川県に併合(射水郡は新川県に併合)、11月に[[足羽県]]より白山麓18か村を併合し、現在の石川県と同じ県域となった。これにより、先の県庁移転の根拠が消滅し、翌[[1873年]](明治6年)に再び県庁は金沢に移転したが、県名はその後も石川県のままとされた。その後、[[1876年]](明治9年)、当時の新川県(現在の[[富山県]]域にほぼ相当)と[[敦賀県]](現在の[[福井県]]域にほぼ相当)の[[嶺北地域]]を編入し、富山と福井に支庁を置いた(現在の石川県と区別する意味で「大石川県」と呼ぶことがある)。 しかし、[[1878年]](明治11年)に[[紀尾井坂の変]]が発生したのを切っ掛けに、大石川県は政府から「大県および不平士族の多い故の難治県」と警戒されるようになり、政府は大石川県の力を弱めるためおよび政府が軍備補完のために設立した「共同運輸会社」に[[伏木港]]の海運業者・藤井能三が有力出資者であることに考慮し、大石川県の分県を承認<ref>『富山新聞』2020年1月21日付28面『お隣さん17 第2章 分かれる・7 分県認めた政府』より。</ref>。[[1881年]](明治14年)に福井県が、[[1883年]](明治16年)に富山県がそれぞれ分離して現在の県域となる。特に富山県については、加賀側と能登側が「越中は藩政期に加賀藩の庇護を受け、さんざん迷惑をかけやっかいになり続けたのに今更分県などけしからん」と強く反発し阻止に暗躍していたが、最終的に越中側の熱意と政府による金沢市族への弾圧や自由民権運動の北陸ブロック形成の阻止という意図により独立する結果となった<ref>『富山県民とともに 北日本新聞百年史』(1984年10月5日、北日本新聞社発行)10ページより。</ref><ref>『富山県の誕生』(2019年5月9日、浦田正吉著、楓工房発行)45頁。</ref>。 明治維新により武士は無職となり明治時代初期には士族の9割は金沢市外県外などに転出していった。そもそも武士の大半は貧乏であったため同時に農工商を営んでおり、士族業が失業しても影響が少なく、中には残った者もいたが、いわゆる上級武士ほど影響が大きかった。[[1874年]](明治7年)、没落した士族を救うために旧・金沢[[藩士]]長谷川準也(後の金沢市長)らにより[[金沢製糸場]]が創設された。[[官営模範工場]]の[[富岡製糸場]]に倣ったもので、県下の[[殖産興業]]の先駆けとなった<ref>[http://www.pref.ishikawa.jp/muse/rekihaku/gizyutu/gizyutu4.html 「近世・近代の科学と技術3 技術史」石川県立歴史博物館]</ref>。[[1887年]](明治20年)4月、金沢に[[第四高等学校 (旧制)|旧制第四高等中学校]](現在の[[金沢大学]]の前身)が設置された<ref>[http://web.kanazawa-u.ac.jp/~shiryo/50th/genryu/shikou_history.html 「第四高等学校の足跡」金沢大学]</ref><ref>[http://www.ad.kanazawa-u.ac.jp/fifty_years/ts01-p13-24.pdf 「金沢大学50年史」金沢大学]</ref>。また[[1898年]](明治31年)10月、金沢城内に[[大日本帝国陸軍|旧陸軍]][[第9師団 (日本軍)|第九師団]]司令部が設けられた<ref name="fuuti"/>。それまで人口減少などにより経済的に落ち込んでいたが、これにより金沢は北陸地域での学問的、軍事的な拠点として発展していく。 [[ファイル:Kanazawa Station in Meiji era.JPG|thumb|220px|明治期の金沢駅舎および駅前広場(金沢市)]] 鉄道は、[[1897年]](明治30年)9月、[[北陸本線|北陸線]]が[[福井駅 (福井県)|福井駅]]から[[小松駅]]まで延伸。翌1898年(明治31年)4月に[[金沢駅]]まで、同年11月に[[高岡駅]]まで延伸された。また同年4月には[[七尾線|七尾鉄道]]が津幡仮停車場(現:[[本津幡駅]]付近)から矢田新駅(後の[[七尾港駅]])まで開通し、[[1907年]](明治40年)国有化された。[[1925年]](大正14年)[[和倉温泉駅|和倉駅]]まで延伸し、[[1935年]](昭和10年)までに[[輪島駅]]まで開業した。 金沢製糸場の施工にあたった津田吉之助の子津田米次郎は[[織機]]の機械化に取り組み、[[1900年]](明治33年)日本初の[[織機#力織機|力織機]]を発明した。当時、[[羽二重]]生産で出遅れていた金沢はこの力織機による工場制大量生産で大正期にかけて生産量を伸ばした<ref>[http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/kikai/kanazawa-history.html 「金沢産業勃興期」石川新情報書府]</ref>。同年、金沢では電気の送電が開始され、翌[[1901年]](明治34年)に市内電話が開通。[[1908年]](明治41年)にはガスの供給が始まっている<ref name="tuusi">[http://www4.city.kanazawa.lg.jp/13003/rekishi/tsuushi.html 「金沢の歴史(通史)」金沢市]</ref>。 [[1918年]](大正7年)富山県[[魚津町]]で発生した[[1918年米騒動|米騒動]]は石川県でも[[高浜町 (石川県)|高浜町]]・[[堀松村]](いずれも現:志賀町)から金沢市、[[宇出津町]](現:[[能登町]])、[[松任市|松任町]](現:白山市)、[[穴水町]]へと波及した<ref>橋本哲哉、「[https://hdl.handle.net/2297/10828 第5章 米騒動]」『近代石川県地域の研究』 経済学部研究叢書 1986年 p.137-178, 金沢大学経済学部</ref>。翌[[1919年]](大正8年)に[[北陸鉄道金沢市内線|金沢で市内電車が運転]]を始める<ref name="tuusi"/> とこれを契機に都市化が進み、カフェ・映画などの[[大衆文化]]が広がった。[[1925年]](大正14年)内灘村(現:[[内灘町]])に開園した[[粟崎遊園]]にも人気が集まった<ref>[http://www.pref.ishikawa.jp/muse/rekihaku/kingen/kingen02.html 「大正デモクラシーと民衆文化」石川県立歴史博物館]</ref>。金沢では[[1930年]](昭和5年)に犀川を水源とする[[末浄水場]]が完成して水道が通水し<ref>[http://www2.city.kanazawa.ishikawa.jp/web/about/about_info_01.html 「企業局のあゆみ」金沢市企業局]</ref>、同年ラジオ放送が始まった<ref name="nhk">[http://www.nhk.or.jp/kanazawa/station_info/ayumi/index.html 「金沢放送局のあゆみ」NHK金沢放送局]</ref>。 [[1896年]](明治29年)および[[1934年]](昭和9年)には[[手取川]]で[[手取川大水害|大洪水]]があり、多数の死者が発生した<ref name="sabou"/>。特に1934年(昭和9年)の災害は上流で大規模な土砂崩れ([[手取川#災害|別当崩れ]])が発生するなど上流から河口まで流域の全域にわたって被害が発生し、死者97人、行方不明者15人に上る未曾有の大災害であった<ref>[https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/hakusansabo/03history/saigai02.html 「昭和9年災害概要」金沢河川国道事務所]</ref>。 === 現代 === [[ファイル:Komatsu airport terminal building.jpg|thumb|left|200px|自衛隊と民間航空の共用空港である通称「小松空港」([[小松飛行場]]、[[小松市]])]] 石川県は戦争中空襲などによって焦土となることを免れたため(全国で唯一、[[太平洋戦争]]での空襲が無かった県である<ref name="airraid" />)、戦後も様々な社会資本を引き続き使用することができた。[[1947年]](昭和22年)の[[第2回国民体育大会]]が石川県を中心として開催されたのは一つの例である。これは各都道府県持ち回りとなる最初の大会となった<ref name="sengo">[http://www.pref.ishikawa.jp/muse/rekihaku/kingen/kingen04.html 「戦後の復興と高度成長」石川県立歴史博物館]</ref>。 戦後、[[アメリカ軍]]が内灘村(現:内灘町)で接収した砲弾試射場に対する反対運動([[内灘闘争]])が起こり、[[1952年]](昭和27年)から翌年にかけて激しさを増した<ref name="sengo"/>。その後[[1957年]](昭和32年)に撤収されたため事態は次第に収束していった<ref>[http://www.town.uchinada.lg.jp/webapps/www/info/detail.jsp?id=115 「内灘闘争」内灘町]</ref>。[[大日本帝国海軍|旧海軍]]の[[小松飛行場]]は戦後アメリカ軍に接収されていたが、[[1955年]](昭和30年)に不定期の大阪便が就航した。[[1958年]](昭和33年)にアメリカ軍の接収が解除されると[[航空自衛隊]]が駐屯。[[1961年]](昭和36年)に航空自衛隊小松基地が開庁し、正式に自衛隊と民間航空との共用飛行場となった<ref>[http://www.komatsuairport.jp/komatsusypher/www/info/detail.jsp?id=267 「沿革」小松空港協議会]</ref><ref>[http://www.city.komatsu.lg.jp/kankou/enkaku.html 「小松の歴史」小松市]</ref>。 1957年(昭和32年)[[日本放送協会|NHK]] がテレビ放送を開始<ref name="nhk"/>。翌年、[[民間放送]]の[[北陸放送]]もテレビ放送を始めた<ref>[http://www.mro.co.jp/mro-info/gaiyo.html 「会社概要」北陸放送株式会社]</ref>。[[1962年]](昭和37年)からはテレビカラー放送が始まった<ref name="nhk"/>。同年12月末から翌[[1963年]](昭和38年)2月初めにかけて北陸地方を中心に広い範囲で降雪が続いた。最深積雪は金沢で181cmを記録。交通障害、通信障害、停電のほか家屋の倒壊も相次いだ([[昭和38年1月豪雪|三八豪雪]])<ref>[https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/bosai/report/1963/196301/196301.html 「昭和38年1月豪雪」気象庁]</ref>。 1963年(昭和38年)北陸本線福井駅・金沢駅間が電化<ref name="kensei3839">[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/38-39.html 「県政の主なあゆみ昭和38年〜昭和39年」石川県]</ref>。翌年金沢駅・[[富山駅]]間も電化される<ref>[http://www.city.takaoka.toyama.jp/kikaku/0204/toukei/toukeisyo/17.nennpyouf.pdf 「年表」高岡市]</ref>。[[日本国有鉄道|国鉄]][[のと鉄道能登線|能登線]]は[[1959年]](昭和34年)に[[穴水駅]]から[[鵜川駅]]まで開業し、[[1964年]](昭和39年)までに[[蛸島駅]]まで全線開通した<ref name="kensei3839"/>。一方、[[1967年]](昭和42年)[[北陸鉄道金沢市内線|金沢の市内電車]]が廃止された<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/42-43.html 「県政の主なあゆみ昭和42年〜昭和43年」石川県]</ref>。 [[1972年]](昭和47年)県内初の[[日本の高速道路|高速道路]]となる[[北陸自動車道]][[金沢西インターチェンジ|金沢西IC]]・[[小松インターチェンジ|小松IC]]間が開通<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/46-47.html 「県政の主なあゆみ昭和46年〜昭和47年」石川県]</ref>。その後[[1978年]](昭和53年)までに県内の北陸自動車道は全線が開通した<ref name="kensei5253">[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/52-53.html 「県政の主なあゆみ昭和52年〜昭和53年」石川県]</ref>。能登方面は、[[1973年]](昭和48年)能登海浜道路[[高松インターチェンジ|高松IC]]・[[柳田インターチェンジ|柳田IC]]間が開通し<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/48-49.html 「県政の主なあゆみ昭和48年〜昭和49年」石川県]</ref>、[[1982年]](昭和57年)までに[[粟崎インターチェンジ|粟崎IC]]・[[穴水インターチェンジ|此木IC]](現:穴水IC)間の[[のと里山海道|能登有料道路]]全線が開通している<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/57.html 「県政の主なあゆみ昭和57年」石川県]</ref>。なお[[1977年]](昭和52年)に[[尾口村]](現:白山市)と岐阜県[[白川村]]を結ぶ[[白山白川郷ホワイトロード|白山スーパー林道]](現:白山白川郷ホワイトロード)が開通した<ref name="kensei5253"/>。 [[1980年]](昭和55年)には治水、都市用水の供給、発電を目的とした[[手取川ダム]]が完成。水道用水として北は七尾市能登島から南は加賀市まで県内給水人口の7割以上を賄う<ref>[https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/mb2_jigyo/river/jigyo/dam.html 「手取川ダムの概要」金沢河川国道事務所]</ref>。また[[1993年]](平成5年)志賀町で [[志賀原子力発電所]]([[北陸電力]])が営業運転を開始した<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/h5-2.html 「県政の主なあゆみ平成5年後期」石川県]</ref>。一方で[[2003年]](平成15年)には珠洲市で建設計画のあった[[珠洲原子力発電所]](北陸電力・[[中部電力]]・[[関西電力]])の計画凍結が発表された<ref>[http://www.rikuden.co.jp/press/attach/03120501.pdf 「珠洲原子力発電所計画の凍結について」北陸電力]</ref>。 [[ファイル:Shiroyone Senmaida 200906.jpg|thumb|200px|[[白米千枚田]](輪島市)。能登の里山里海は世界農業遺産に認定された。]] 昭和末期以降、能登地方の交通体系は鉄道中心から道路・空港に大きく変わった。[[1988年]](昭和63年)[[西日本旅客鉄道|JR]]能登線が廃止され、[[第三セクター鉄道]]の[[のと鉄道]]に引き継がれた([[のと鉄道能登線]])<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/63.html 「県政の主なあゆみ昭和63年」石川県]</ref>。[[1991年]](平成3年)にはJR七尾線[[津幡駅]]・和倉温泉駅間が電化される一方、和倉温泉駅・輪島駅間がのと鉄道に経営移管された([[のと鉄道七尾線]])<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/h3-2.html 「県政の主なあゆみ平成3年後期」石川県]</ref>。[[2001年]](平成13年)のと鉄道七尾線穴水駅・輪島駅間<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/chiji/gikai/h12_9_18/11_noto.html 「県議会の議案説明要旨 9月補正予算の概要について」石川県]</ref> が、[[2005年]](平成17年)のと鉄道能登線が廃止された<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/h17-1.html 「県政の主なあゆみ平成17年前期」石川県]</ref>。 2003年(平成15年)石川県で2番目となる[[能登空港]]が開港。能登空港には石川県の出先機関が入るほか、隣接地に[[学校法人日本航空学園|日本航空学園]]が誘致された。また[[能登空港#道の駅のと里山空港|道の駅]]としても登録されている<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/h15-1.html 「県政の主なあゆみ平成15年前期」石川県]</ref><ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/h15-2.html 「県政の主なあゆみ平成15年後期」石川県]</ref>。[[能越自動車道]]は能登有料道路と共用する[[徳田大津ジャンクション|徳田大津JCT]]・穴水IC間に続き、[[1998年]](平成10年)[[田鶴浜インターチェンジ|田鶴浜IC]]・徳田大津JCT間が供用を開始<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/h10-1.html 「県政の主なあゆみ平成10年前期」石川県]</ref>。[[2006年]](平成18年)(平成19年)に穴水IC・能登空港IC(現:[[のと里山空港インターチェンジ|のと里山空港IC]])間(穴水道路)が開通した<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/h18-1.html 「県政の主なあゆみ平成18年前期」石川県]</ref>。 [[2007年]](平成19年)[[3月25日]] [[能登半島]]沖を震源とする[[マグニチュード]]6.9の地震([[能登半島地震]])が発生。最大震度は[[輪島市]]、[[七尾市]]、[[穴水町]]で震度 6強。死者1人、重軽傷者338人のほか、2,426棟の住家が全半壊し、能登有料道路の一部が大規模に崩落するなどの被害が出た<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/bousai/bousai_g/notohanto_eq/kirokushi/index.html 「平成19年能登半島地震災害記録誌」石川県]</ref>。[[2008年]](平成20年)[[7月28日]] 未明からの降雨により浅野川が55年ぶりに氾濫し、金沢市内で2,000棟を超える家屋の被害が出た。浅野川流域の最大3時間雨量は[[金沢地方気象台]]の過去最大雨量を記録し、約200年に一度の豪雨となった<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kasen/sansha-i/documents/hokoku.pdf 局所的豪雨に対応した新たな河川管理検討委員会『局所的豪雨に対応した新たな河川管理検討委員会報告書〜浅野川における豪雨災害を受けて〜』2009年2月 石川県]</ref>。 [[2009年]](平成21年) 金沢市が[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]・[[創造都市ネットワーク]]のクラフト分野に登録された<ref>[http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11001/souzoutoshi/torikumi/index.html 「ユネスコ・クラフト創造都市」金沢市]</ref>。また同年能登地方北部の伝統的な祭礼'''[[アエノコト|奥能登のあえのこと]]'''がユネスコの[[無形文化遺産]]代表一覧表に記載され<ref name="aenokoto">[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/mukeibunkaisan/index.html 「「奥能登のあえのこと」ユネスコ無形文化遺産の「代表一覧表」に記載」石川県]</ref>、[[2011年]](平成23年)には'''能登の里山里海'''が佐渡島と同時に日本で初めて[[国連食糧農業機関]] (FAO) の[[世界重要農業資産システム|世界農業遺産]]に認定された<ref>[http://www.fao.org/fileadmin/templates/giahs/PDF/GIAHS_Noto_proporsal_17_Dec.pdf "Noto's Satoyama and Satoumi" Globally Important Agricultural Heritage Systems(GIAHS) Initiative SUMMARY INFORMATION]</ref><ref>[http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1109/spe1_03.html 「特集1 世界農業遺産(3) 能登の里山里海」農林水産省]</ref>。 [[2015年]](平成28年)[[3月14日]]、北陸新幹線が[[金沢駅]]まで開業したほか、輪島市を舞台にした[[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説]][[まれ]]の放送などで県内が沸いた。 [[2020年]]([[令和]]2年)[[4月14日]]、新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからず、知事は県独自の[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置|緊急事態宣言]]を出した。記者会見で知事は「地域医療が危機的な状況に陥りかねない」と危機感を表明した<ref>{{Cite web|和書|date=2020-04-15|url=https://www.yomiuri.co.jp/local/ishikawa/news/20200413-OYTNT50096/|title=県と金沢市、独自「緊急宣言」 新型コロナ|publisher=読売新聞|accessdate=2020-04-15}}</ref>。 == 人口 == 石川県の人口は、2011年(平成23年)11月1日現在で1,166,177人となっている。このうち能登地方が207,673人、加賀地方が958,504人と82%が加賀地方に集中している。市町別では、金沢市が462,897人と最も多く、県人口の40%を占めている。次いで、[[白山市]]110,109人、[[小松市]]108,107人、[[加賀市]]70,830人、[[七尾市]]56,989人、野々市町(現・[[野々市市]])53,066人などとなっている<ref name="syuyou2312"/>。 [[2010年]](平成22年)の[[高齢化率]]は23.7%で、全国の23.1%を上回っている。地域別に見ると加賀地方が21.5%であるのに対し、能登地方は29.6%と高くなっている。市町別では野々市町(現・野々市市)の15.0%が最も低く、[[珠洲市]]の41.8%が最も高い<ref name="22kokusei"/>。 [[平均寿命]]は2005年(平成17年)で男性79.3歳、女性86.5歳となっており、それぞれ全国(男性78.8歳、女性85.6歳)よりも長い<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/ansin/plan/2009/documents/plan2009-2.pdf 「石川県長寿社会プラン2009」石川県]</ref>。[[合計特殊出生率]]は2010年(平成22年)で1.44人と、全国の1.39人を上回っている<ref>[https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei10/dl/07_h3-2.pdf 「平成22年(2010)人口動態統計(確定数)の概況」厚生労働省]</ref>。 [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Ishikawa prefecture, Japan_2015-2020.svg|thumb|300px|石川県市町村人口増減率分布図(2015年度と2020年度[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=17000|name=石川県|image=Demography17000.svg}} ===都市=== ;石川県内 市別人口ランキング {| class="infobox" style="text-align:center; width:100%; margin-right:10px; font-size:100%" |- ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[石川県#地域区分|地域区分]] ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[石川県#地域区分|地域区分]] ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口 |- |----- |align="center"| '''1''' |align="center"| '''[[金沢市]]''' |align="center"| [[加賀地方]] |align="right"|451,817人 |align="center"| '''6''' |align="center"| '''<u>野々市市</u>''' |align="center"|[[加賀地方]] |align="right"|52,469人 |----- |align="center"| '''2''' |align="center"| '''[[白山市]]''' |align="center"|[[加賀地方]] |align="right"|113,459人 |align="center"| '''7''' |align="center"| '''[[能美市]]''' |align="center"|[[加賀地方]] |align="right"|50,053人 |----- |align="center"| '''3''' |align="center"| '''小松市''' |align="center"|[[加賀地方]] |align="right"|108,259人 |align="center"| '''8''' |align="center"| '''かほく市''' |align="center"|[[加賀地方]] |align="right"|35,439人 |----- |align="center"| '''4''' |align="center"| '''加賀市''' |align="center"|[[加賀地方]] |align="right"|66,869人 |align="center"| '''9''' |align="center"| '''輪島市''' |align="center"|[[能登地方]] |align="right"|26,718人 |----- |align="center"| '''5''' |align="center"|'''[[七尾市]]''' |align="center"|[[能登地方]] |align="right"|52,578人 |align="center"| '''10''' |align="center"| '''[[羽咋市]]''' |align="center"|[[能登地方]] |align="right"|21,561人 |----- | colspan="11" align=center style="background:#f5f5f5;" |[[2019年]] 4月現在 |} {{-}} <gallery> Kohrinbo crossing.jpg|1.金沢市(中核市) JR Mikawa station 01.jpg|2.白山市 JA8991 (24643740539).jpg|3.小松市 Hadutiwo gakudou.jpg|4.加賀市 横宮交差点 - panoramio.jpg|5.野々市市 Nanao Station 4.jpg|6.七尾市 JAIST.JPG|7.能美市 Takamatsu station 20150328.JPG|8.かほく市 Wajima Asaichi ac (11).jpg|9.[[輪島市]] Hakui Station east 20160529.jpg|10.羽咋市 </gallery> ; 石川県内市別人口密度ランキング(2016年(平成28年)現在) # 野々市市(4,070人/km<sup>2</sup>) # 金沢市(994人/km<sup>2</sup>) # 能美市(582人/km<sup>2</sup>) # かほく市(531人/km<sup>2</sup>) # 小松市(288人/km<sup>2</sup>) <gallery> Okyozuka.jpg|野々市市 Higashiyama-higashi Kanazawa Ishikawa03n3200.jpg|金沢市(県都・[[中核市]]) Matsui-Hideki-Baseball-Museum.jpg|能美市 Kahoku City Hall 2020.jpg|かほく市 Komatsu Station West 2020.jpg|小松市 </gallery> == 政治 == {{Main|石川県庁|石川県知事一覧|石川県議会}} * 知事:[[馳浩]](2022年(令和4年)3月27日 - 、1期目) === 財政 === ; 2007年(平成19年)度 * [[財政力指数]] 0.45 - IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中3位 ; 2006年(平成18年)度 * 財政力指数 0.42153 - IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)9自治体中5位 * 標準財政規模 2761億円 * 普通会計歳入 5094億円 * 普通会計歳出 5014億円 * 経常収支比率 92.8 * 実質公債費比率 13.4% * 人口 1人当たりの地方債現在高 94万2178円 普通会計分のみ * [[ラスパイレス指数]] 100.9 * 地方債等の残高 1兆2480億円 (連結会計) # 普通会計分の地方債 1兆1016億円 # 上記以外の特別会計分の地方債 661億円 # 第三セクター等の債務保証等に係る債務 803億円 ; [[2005年]](平成17年)度 * 財政力指数 0.40 - IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中1位 ; [[2004年]](平成16年)度 * 財政力指数 0.38 - IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中2位 == 経済・産業 == {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap; float:right" |+石川県の産業( 3部門)別就業者数の推移(1950年 - 2005年)<ref name="heisei17kokusei"/> !rowspan="2"|年次 !colspan="4"|就業者数(人) !colspan="3"|構成比 (%) |- !総数!!第一次<br />産業!!第二次<br />産業!!第三次<br />産業 !第一次<br />産業!!第二次<br />産業!!第三次<br />産業 |- !style="text-align:left"|1950年(昭和25年) |450,593||236,845||93,715||119,786||52.6||20.8||26.6 |- !style="text-align:left"|1960年(昭和35年) |496,132||184,668||140,981||170,399||37.2||28.4||34.3 |- !style="text-align:left"|1970年(昭和45年) |545,127||120,003||184,535||240,275||22.0||33.9||44.1 |- !style="text-align:left"|1980年(昭和55年) |567,684||62,602||193,667||311,169||11.0||34.1||54.8 |- !style="text-align:left"|1990年(平成2年) |606,265||39,104||212,034||354,325||6.4||35.0||58.4 |- !style="text-align:left"|2000年(平成12年) |614,694||24,572||197,578||388,073||4.0||32.1||63.1 |- !style="text-align:left"|2005年(平成17年) |596,324||23,237||176,786||389,749||3.9||29.6||65.4 |} 2008年(平成20年)の[[県民経済計算|県内総生産]]は4兆6,114億円(名目)で、[[国内総生産]]に対する割合は0.93%となっている。[[県民経済計算#一人当たり県民所得|一人当たり県民所得]]は281万8千円で、一人当たり[[国民所得]](275万4千円)を2.3%上回っている<ref>[http://toukei.pref.ishikawa.jp/search/detail.asp?d_id=2161 「石川県県民経済計算年報(平成20年度)」石川県]</ref>。 2005年(平成17年)の就業者数は596,324人であり、このうち[[第一次産業]]は23,237人 (3.9%)、[[第二次産業]]は176,786人 (29.6%)、[[第三次産業]]は389,749人 (65.4%) となっている。戦後間もない1950年(昭和25年)には第一次産業に52.6%が従事しており、産業構造は大きく変化している<ref name="heisei17kokusei"/>。石川県の産業構造は、第二次産業の中でも[[製造業]]の割合が高く、また製造業の中でも従業者の過半数が一般機械や電気機械などの機械関連で働いていることが特徴である<ref name="jinzai"/>。1人当たりの生産用機械器具製造業出荷額では全国1位となっている<ref name="syuyou2312"/>。 === 農林水産業 === 農業産出額は2008年(平成20年)で583億円<ref name="syuyou2312"/> であり、1985年(昭和60年)の1,087億円の54%に相当する水準まで減少している。作付面積では2004年(平成16年)で[[イネ|水稲]]72%、[[野菜]]9%、[[豆|豆類]]5%、[[果物|果樹]]3%となっており、[[稲作]]が中心である。[[米]]の品種別では[[コシヒカリ]]が70%強を占めている。野菜では販売額の16%を占める[[スイカ]]が最も多く、次いで[[ダイコン]]の13%となっている。果樹では[[ナシ]]が販売額の50%を占め、[[ブドウ]]の24%が次に多い。[[乳牛]]、[[肉牛]]、[[豚]]、[[ニワトリ#採卵鶏|採卵鶏]]の飼育頭数は減少傾向にあるが、農家1戸当たりでみると乳牛は全国4番目、豚は全国6番目に多い<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/nousei/vision/documents/2s.pdf 「いしかわの食と農業・農村ビジョン」石川県(2006年)]</ref>。 [[ファイル:20090621金沢平野白山市周辺.jpg|thumb|left|200px|水田が減少している金沢平野(白山市)]] 地域の特徴を活かした農産物のブランド化が図られている。[[加賀野菜]]は金沢地区で戦前から栽培されていると認められた野菜である。[[スイゼンジナ|金時草]]、加賀太きゅうり、加賀れんこん、源助だいこん、打木赤皮甘栗かぼちゃなど15品目が認定されている<ref>[http://www.kanazawa-kagayasai.com/kagayasai/index.html 「加賀野菜について」金沢市農産物ブランド協会]</ref>。能登野菜は能登地方の風土を活かして生産された伝統野菜、特産野菜のことで中島菜、沢野ごぼう、[[金糸瓜]]など13品目が認定されている<ref>[http://www.is-ja.jp/wakaba/notu/about/index.html 「能登野菜とは?」能登野菜振興協議会]</ref>。果樹では、石川県農業総合研究センターが開発した新種のブドウが[[ルビーロマン]]と命名され、高級ブドウとして販売されている<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/noken/kenkyu_syoukai/kazyu/ruby.html 「赤色系大粒品種「ルビーロマン」の開発」石川県]</ref><ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/noken/kynkyuuhoukoku/documents/kenhou27_k04.pdf 「ブドウ新品種ルビーロマン」石川県農業総合研究センター研究報告(2006)]</ref>。県内で飼育された黒毛和種の肉牛のうち品質の高いものは[[能登牛]]と認定する制度が設けられている<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/nousan/chikusan/chikusann/notoushi.html 「能登牛について」石川県]</ref>。このほか、コメの新品種[[ひゃくまん穀]]、[[フリージア]]の新品種エアリーフローラ、梨の新品種[[加賀しずく]]がいずれも石川県によって開発され、新たな特産品となっている。 林業産出額は2008年(平成20年)で28.6億円となっており、1985年(昭和60年)の69.2億円の41%まで減少している。このうち木材生産は16.5億円、特用林産物は12.1億円である。一方で木材供給量に占める県産材の割合は1975年(昭和50年)の18%から、2009年(平成21年)の39%に上昇している。樹種別原木の生産量では、2009年(平成21年)で[[スギ]]が全生産量の84%を占め、次いで能登ヒバ8%、[[マツ]]4%となっている<ref name="ringyou">[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/shinrin/kikaku/documents/forestvision2011_p59-p83.pdf 「いしかわ森林・林業・木材産業振興ビジョン2011」石川県]</ref>。なお'''能登ヒバ'''は能登地方で産出されるアテ([[ヒノキアスナロ]]の地方名)のブランド名である<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/ringyo/ate/documents/notonoate.pdf 「能登のあて」石川県農林水産部]</ref>。2009年(平成21年)の特用林産物の生産量は生[[シイタケ]]が853トンと最も多く、次いで[[エノキタケ]]208トン、[[ナメコ]]169トンなどとなっている。1975年(昭和50年)に約2,000トンを生産した[[木炭]]は113トンにまで減少している<ref name="ringyou"/>。 [[ファイル:OMC01.jpg|thumb|200px|地物の海産物が並ぶ[[近江町市場]](金沢市)]] 海面漁業・養殖業の生産は、2005年(平成17年)で60,306トン、219億円である。これは本州日本海側の12府県では生産量で3番目、生産金額で1番目に多い<ref name="suisan">[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/suisanka/newvision/documents/virsion1.pdf 「石川県新水産振興ビジョン2007」石川県]</ref>。2010年(平成22年)の魚種別の漁獲量では[[カタクチイワシ]]が最も多く、次いで[[スルメイカ]]、[[ブリ]]、[[マアジ]]、[[ハタハタ]]、[[カレイ]]、[[ズワイガニ]](ベニズワイガニを含む)、[[サワラ]]、[[マダラ]]などが多い<ref>[http://www.maff.go.jp/hokuriku/stat/data/pdf/23_05_16h.pdf 「平成22年海面漁業・養殖業生産統計(概数・北陸)」北陸農政局]</ref>。2008年(平成20年)のブリの漁獲量は都道府県別で最多である<ref>[http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001069811 平成20年漁業・養殖業生産統計年報「2-2 大海区都道府県支庁別統計 魚種別漁獲量」政府統計の総合窓口]</ref>。海面養殖業の生産量は2005年(平成17年)で2,560トンとなっており、七尾湾での[[カキ (貝)|カキ]]養殖がほとんどを占めている。内水面漁業では、[[アユ]]が主だが、渓流で[[ヤマメ]]、[[イワナ]]、[[カジカ (魚)|カジカ]]、湖沼で[[コイ]]、[[フナ]]が生産されている<ref name="suisan"/>。また、水産加工品の生産量は、2009年(平成21年)で[[蒲鉾|かまぼこ]]類が13,942トン、生鮮冷凍水産物が6,136トン、水産物[[佃煮|つくだ煮]]類が1,267トンなどとなっている<ref>[http://toukei.pref.ishikawa.jp/dl/2216/21-07.pdf 「平成21年石川県統計表抜粋(水産業)」石川県]</ref>。 水産物のブランド化に向けた取組も見られる。毎年11月から2月にかけて能登半島沿岸域の定置網で水揚げされる7kg以上のブリは天然能登寒ブリとして出荷される<ref>[http://www.jf-net.ne.jp/ikgyoren/tnkanburi.html 「天然能登寒ぶり」石川県漁業協同組合]</ref>。また、石川県で水揚げされる[[雄]]のズワイガニのうち品質が良いものは[[加能ガニ]]とされ、専用のタグが取り付けられる。なお、石川県では[[雌|メス]]のズワイガニは[[香箱ガニ]]と呼ばれている<ref>[http://www.jf-net.ne.jp/ikgyoren/kkkani.html 「加能ガニ」石川県漁業協同組合]</ref>。石川県漁業協同組合が定める「石川の四季のさかな」は、春はカレイ、[[サヨリ]]、夏はイカ、秋は[[アマエビ]]、冬はブリ、ズワイガニ、香箱ガニである<ref>[http://www.jf-net.ne.jp/ikgyoren/fish.html 「石川の四季のさかな」石川県漁業協同組合]</ref>。輪島市は、日本で最もふぐの漁獲量が多いことから、同市が能登ふぐとブランド化し、知名度向上などに力を注いでいる。 === 製造業 === [[ファイル:Hydraulic excavator.jpg|thumb|left|200px|コマツ製の油圧シャベル]] 石川県の製造品出荷額等は2010年(平成22年)で2兆3,558億円となっている。同年以前20年間で最高だった2007年(平成19年)の2兆8,743億円に比べると18%減少している。産業別では[[電子部品]]が5,112億円と22%を占めて一番多い。次いで生産用機械が4,307億円 (18%)、[[情報通信機器]]1,931億円 (8%)、[[繊維]]1,806億円 (8%)、[[食料品]]1,340億円 (6%) などとなっている。市町別にみると、小松市が4,874億円で最も多く、白山市4,118億円、金沢市3,585億円、能美市2,197億円、川北町2,096億円など加賀地方に集中している<ref name="kougyoutoukei">[http://toukei.pref.ishikawa.jp/dl/2324/H22kougyous.pdf 「平成22年工業統計調査結果-速報-(平成22年12月31日)」石川県]</ref>。 [[建設機械]]では小松市を創業地とする[[小松製作所|コマツ]]がある。[[建設機械]]の国内シェアで1位、世界シェアでは[[キャタピラー (企業)|キャタピラー]]に次いで2位を誇る。市内にはコマツの工場やその関連企業も多く、[[企業城下町]]を形成している。 [[電気機器]]分野では白山市の [[EIZO]] は[[ディスプレイ (コンピュータ)|コンピュータ用ディスプレイ]]、金沢市の[[アイ・オー・データ機器]]はコンピュータの[[周辺機器]]の生産を行っている。かほく市に本社を置く [[PFU]] は[[リコー]]傘下の[[システムインテグレーター]]であり、[[イメージスキャナ]]の生産では世界トップシェアである。また、[[金沢村田製作所]]など[[村田製作所]]の関連企業も多く、電子部品の生産が盛んである。 石川県の企業は[[ニッチ市場]]で活躍する製造業が多いのが特色である。金沢市内に本社を置く[[津田駒工業]]は[[織機]]で世界シェア1位、[[澁谷工業]]は飲料の瓶詰め装置で国内シェア1位、[[石野製作所]]も[[回転寿司#コンベア|回転寿司コンベア]]の国内シェアの大半を生産している。また、加賀市の[[大同工業]]は二輪車後輪駆動用[[ローラーチェーン|チェーン]]、[[月星製作所]]は二輪車用[[スポーク]]で、いずれも国内シェアの大部分を占める。 [[伝統工芸]]が盛んであることも特徴である。金沢市で生産されている[[金沢箔]]は[[金箔]]の国内シェアの98%以上を占めている([[銀箔]]の国内シェアは100%)。地域ブランドとして知名度の高い輪島市の[[輪島塗]]<ref>{{リンク切れ|date=2023年2月}}{{Cite web|和書|url=http://www.hokkoku.co.jp/_today/E20070131002.htm |title=「地域ブランド」といえば何? 「輪島塗」首位 |accessdate=2017-09-29 |archiveurl=https://archive.fo/52Ib#selection-81.2-81.24 |archivedate=2012-08-01}}</ref> は、国が伝統工芸品として指定する漆器の中で生産量が最大である<ref>[http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/wajima/asu/asu.html 「輪島塗 地場産業としての現状」石川新情報書府]</ref>。この他にも、加賀地方で作られる[[九谷焼]]、加賀市の[[山中塗]]、金沢市の[[金沢漆器]]、金沢仏壇、[[加賀友禅]]、白山市の[[牛首紬]]、美川仏壇、七尾市の[[七尾仏壇]]、輪島市の能州紬、珠洲市の[[珠洲焼]]などが生産されている。 <div style="margin:0 8em 0 8em"> {|class="wikitable" |+'''石川県内19市町の製造品出荷額等(2010年)'''<ref name="kougyoutoukei"/> |style="text-align:right"|<small>単位:億円</small> {|style="background-color:#dfd" |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:97px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:82px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:72px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:44px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:42px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:33px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:27px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:15px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:12px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:11px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:8px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:8px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:5px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:5px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:4px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:2px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:2px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:1px;width:16px"></div> |valign="bottom"|<div style="background-color:#8080c0;height:1px;width:16px"></div> |-style="font-size:smaller; text-align:center" |4,874||4,118||3,585||2,197||2,096||1,679||1,364||756||590||555 |407||381||242||233||181||102||92||71||35 |-style="font-size:smaller; text-align:center; vertical-align:top" !小松市!!白山市!!金沢市!!能美市!!川北町!!加賀市!!かほく市!!宝達志水町 !志賀町!!七尾市!!羽咋市!!津幡町!!中能登町!!野々市町※!!輪島市!!珠洲市 !能登町!!穴水町!!内灘町 |} |- |<small>※現・野々市市</small> |} </div> {{-}} === 商業・サービス業 === {{更新|date=2020年4月|section=1}} [[ファイル:Kohrinbo ATRIO.JPG|thumb|left|200px|商業の中心である香林坊(金沢市)]] [[日本の年間商品販売額一覧|商業年間商品販売額]]は2007年(平成19年)で4兆1,576億円である。このうち[[卸売|卸売業]]が2兆8,182億円、[[小売|小売業]]が1兆3,394億円となっている。卸売業では飲食料品卸売業(8,082億円)、機械器具卸売業(7,667億円)が多い。小売業では各種食料品小売業(1,763億円)、[[百貨店]]・[[総合スーパー]](1,402億円)などの生活関連のほか、自動車小売業(1,861億円)、燃料小売業(1,700億円)といった自動車関連が多くなっている<ref name="syougyou">[http://toukei.pref.ishikawa.jp/dl/1821/gaiyou.pdf 「石川県の商業(卸売業・小売業)-平成19年商業統計調査結果報告書-」石川県]</ref>。 市町別では金沢市が67%(2兆7,869億円)を占めている。次いで野々市町(現・野々市市。以下同)10%(2,662億円)、白山市9%(2,530億円)、小松市9%(2,384億円)となっており、金沢市を中心に加賀地方に偏在している。能登地方で最も多い地域は七尾市5%(1,477億円)である。商業集積地別では[[香林坊]]商店街(414億円)、武蔵商店街(237億円)、[[近江町市場]]商店街(118億円)など金沢市中心部への集積が顕著であるが、車社会を反映して近郊の国道沿いに位置する金沢市の諸江地区商店街(120億円)、[[杜の里]]商店会(119億円)、野々市町の御経塚サティ(その後[[イオン御経塚]]を経て2021年に閉店)周辺商店街(156億円)、白山市の[[フェアモール松任]]周辺商店街(153億円)などの販売額が多い点も特徴の一つである。また、[[2006年]](平成18年)にJR[[金沢駅]]前に開業した[[金沢フォーラス]]周辺商店街の販売額が65億円となっており、既存の[[金沢百番街]](96億円)、[[ポルテ金沢]]周辺商店街(19億円)などと合わせ、JR金沢駅前が新たな商業集積地となっている<ref name="syougyou"/>。 その反面、[[能登地方]]を中心に、商店街の空き店舗などが目立ち、商店街の衰退などが問題視されている。 [[ファイル:Yamanaka-Kikunoyu & Yamanakaza.jpg|thumb|200px|山中温泉(加賀市)]] 2003年(平成15年)度のサービス業事業所(民営)の収入額は1兆221億円となっている。業種別では[[映画館]]、[[劇場]]、[[遊園地]]などの娯楽業(2,220億円)が最も多く、次いで[[ホテル]]、[[旅館]]などの宿泊業(1,227億円)、一般飲食店(1,091億円)となっている<ref>[http://toukei.pref.ishikawa.jp/dl/1110/service.pdf 「平成16年サービス業基本調査 石川県のサービス業」石川県]</ref>。北陸新幹線開業後は、市街地を中心にホテルの開発ラッシュが進んでいる。 石川県を訪れた観光客は2010年(平成22年)で2,150万人、観光消費額は2,717億円と見込まれている。県内を金沢地域、白山地域、加賀地域、能登地域に区分した場合、それぞれ金沢地域は815万人585億円、白山地域は99万人73億円、加賀地域は557万人874億円、能登地域は683万人1,185億円となっている。金沢地域は県内客の割合 (47%) や日帰り客の割合 (69%) が比較的高いことが特徴である。また[[関東地方|関東]]からの県外客が多くなっている。能登地域は58%が県外客で関東、[[近畿地方|近畿]]、[[中京地方|中京]]から同程度の入り込みがある。加賀地域は県外客の割合 (69%) や宿泊客の割合 (45%) が高い。特に関西からの入り込みが多いという特徴が見られる。宿泊地別で多いところは、金沢市内の宿泊施設228万人、加賀地域では[[山代温泉]]85万人、[[山中温泉]]53万人、[[片山津温泉]]44万人、[[粟津温泉]]30万人、能登地域では[[和倉温泉]]89万人などである。また、観光客の利用が多い施設は、金沢地域では[[兼六園]]170万人、[[金沢21世紀美術館]]158万人、[[金沢城公園]]107万人、白山地域では[[白山比咩神社]]67万人、加賀地域では[[木場潟公園]]59万人、[[いしかわ動物園]]33万人、能登地域では[[能登食祭市場]]80万人、[[気多大社]]72万人、[[輪島朝市]]71万人、[[千里浜]]69万人、[[のとじま臨海公園水族館]]45万人などである<ref name="kankou22"/>。 2015年3月14日に、開業した北陸新幹線の開業によって、県内の観光客は大きく増加した。特に関東地区からの客層がほとんどであるが、これにより金沢市のメディア露出が増えたことなどから、関西や中京などからも増加している。増加している地域は金沢地区が中心であるが、能登地区や加賀地区にもその影響は及んでいる。兼六園や金沢21世紀美術館などでは、新幹線効果で過去最大の入園・入館者数を記録した。 === 県内の主要企業 === {{main2|石川県に本社を置く企業については[[:Category:石川県の企業]]を}} * 金沢市 - [[アイ・オー・データ機器]]、[[アール・ビー・コントロールズ]]、[[澁谷工業]]、[[石野製作所]]、[[コマツ産機]]、[[倉庫精練]]、[[大和 (百貨店)|大和]]、[[金沢丸越百貨店]]、[[津田駒工業]]、[[日成ビルド工業]]、[[三谷産業]]、[[ハチバン]]、[[福島印刷]]、[[北陸電話工事]]、[[北國フィナンシャルホールディングス|北國フィナンシャルHD]]、[[カナカン]]、[[示野薬局]]、[[金沢まいもん寿司]]、[[今村証券]]、[[北國新聞|北國新聞社]]、[[ニュー三久]]、[[北陸鉄道]]、[[米沢電気工事]]、[[真柄建設]]、 [[ゴーゴーカレーグループ]] *野々市市 - [[大日製作所]] * 白山市 - [[EIZO]]、[[高松機械工業]]、[[石川製作所]]、[[オリエンタルチエン工業]]、[[北日本紡績]]、[[クスリのアオキ]]、[[ニッコー (洋食器)|ニッコー]]、[[ウイルコホールディングス]]、[[トランテックス]]、[[中村留精密工業]]、[[コメヤ薬局]]、[[マルエー]]、[[ヨシオ工業]] * 小松市 - [[共和工業所]]、[[ジェイ・バス]]、[[小松ウオール工業]]、[[コマニー]]、[[コマツ]] * 能美市 - [[小松マテーレ]]、[[タケダ機械]]、[[加賀東芝エレクトロニクス]]、[[アイ・ミルク北陸]] * 加賀市 - [[大同工業]]、[[ソディックプラステック]]、[[DMM.com]]、[[江沼チェーン]]、[[ジャパンドーム]] * かほく市 - [[PFU]]、[[富士通ITプロダクツ]] * 七尾市 - [[加賀屋]]、[[スギヨ]]、[[どんたく (スーパーマーケット)|どんたく]] * 珠洲市 - [[アステナホールディングス]] * 中能登町 - [[丸井織物]] === 石川県発祥の企業 === * [[アパグループ]](金沢市が創業地、現在の本店所在地) * [[かがつう]](金沢市が創業地) * [[福音館書店]](金沢市が創業地) * [[プリマハム]](金沢市が創業地) * [[小松製作所]](小松市が創業地) * [[DMM.com]](加賀市が創業地、創業者が同市出身) === 工場を置く主要企業 === * [[新家工業]](加賀市) * [[ABCマート]](志賀町) * [[NTN]](羽咋市、宝達志水町、志賀町) * [[大阪有機化学工業]](白山市) * [[コマツNTC]](小松市) * [[三協マテリアル]](宝達志水町) * [[サンケン電気]](志賀町) * [[参天製薬]](宝達志水町) * [[ジャパンディスプレイ]](川北町、能美市) * [[シャープ|SHARP]](白山市)<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOHD0147C0R00C21A2000000/ シャープ、石川県内の液晶工場を稼働]( 2021年2月1日、日本経済新聞)2023年2月22日閲覧</ref> * [[積水樹脂]](能美市) * [[デクセリアルズ]](能美市) * [[タカラスタンダード]](津幡町) * [[DIC (企業)|DIC]](白山市) * [[東レ]](能美市) * [[東レ・ダウコーニング]](小松市) * [[日機装]](金沢市) * [[日本ガイシ]](能美市) * [[ピーエス三菱]](七尾市) * [[不二製油]](中能登町) * [[村田製作所]](七尾市、羽咋市、白山市、小松市) * [[モンベル]](羽咋市) * [[横河電機]](金沢市) == 生活・交通 == [[ファイル:Ishikawa prefectural police headquarters.jpg|thumb|200px|石川県警察本部(金沢市)]] === 警察 === * [[石川県警察]] {{-}} === 消防 === {{Columns-start|num=2}} * [[地方公共団体]]が設置するもの ** [[金沢市消防局]] ** [[小松市消防本部]] ** [[加賀市消防本部]] ** [[かほく市消防本部]] ** [[七尾鹿島広域圏事務組合|七尾鹿島消防本部]] ** [[能美市消防本部]] ** [[内灘町消防本部]] ** [[津幡町消防本部]] {{Column}} * [[一部事務組合]]が設置するもの ** [[白山野々市広域事務組合|白山野々市広域消防本部]] ** [[羽咋郡市広域圏事務組合|羽咋郡市広域圏事務組合消防本部]] ** [[奥能登広域圏事務組合|奥能登広域圏事務組合消防本部]] * [[石川県消防防災航空隊]] ** 消防防災ヘリ「はくさん」 {{Columns-end}} === ライフライン === [[電力]] * [[北陸電力送配電]] ([[商用電源周波数|60Hz]]) - 県内全域に送配電 * [[金沢市企業局]] - 犀川水系に5か所の[[水力発電|水力発電所]]を有している。日本で唯一の市営の発電事業者。 [[上水道]] * 石川県環境部水道企業課 - [[能登島]]以南の7市5町(能美市・[[川北町]]を除く)に水道用水を供給。 * 金沢市企業局 - 金沢市内に供給 [[都市ガス]] * 金沢市企業局 (13A) - 金沢市内に供給 * 小松ガス (13A) - 小松市内に供給 === 交通 === 空港と[[港湾]]が加賀地方と能登地方にそれぞれ整備されている。[[鉄道]]と[[道路]]が県庁所在地の金沢市を中心として、加賀地方を東西に、また能登地方に向けて北方に延びている。 ==== 空港 ==== {|class="wikitable" style="font-size:smaller;float:right" |style="vertical-align:top"|[[ファイル:20080916KomatsuAirport.jpg|180px]]<br />小松空港(小松市) |style="vertical-align:top"|[[ファイル:NotoAirport.jpg|180px]]<br />能登空港(輪島市) |} * [[小松飛行場]](小松空港) * [[能登空港]](のと里山空港) ==== 港湾 ==== [[ファイル:Kanazawa Port.jpg|right|thumb|200px|金沢港の石油岸壁(金沢市)]] ; [[重要港湾]] * [[金沢港]] * [[七尾港]] ; 地方港湾 * [[輪島港]] * 穴水港 * 宇出津港 * [[小木港]] * 飯田港 * [[福浦港]] * 滝港 * 塩屋港 * 和倉港 * 半ノ浦港 ==== 鉄道 ==== [[ファイル:Kanazawa-STA Kanazawako-entrance.jpg|thumb|200px|金沢駅(金沢市)]] 県内の普通列車の本数は金沢市近郊以外は、日中毎時1本以下となっている<ref group="注釈">JR小松駅 - 金沢駅間および北鉄浅野川線は日中毎時2本、IR金沢駅 - 津幡駅間は同毎時2 - 3本</ref>。 * [[西日本旅客鉄道]](JR西日本) ** [[北陸新幹線]] ** [[北陸本線]] ** [[七尾線]] * [[北陸鉄道]] ** [[北陸鉄道石川線|石川線]] ** [[北陸鉄道浅野川線|浅野川線]] * [[IRいしかわ鉄道]] ** [[IRいしかわ鉄道線]] * [[のと鉄道]] ** [[のと鉄道七尾線]] ==== 道路 ==== {{main|Category:石川県の道路}} [[ファイル:Sotokanjo-daimonzan.jpg|right|thumb|200px|[[金沢外環状道路]]の山側幹線(金沢市)]] ; [[高速自動車国道]](高速道路) * {{Ja Exp Route Sign|E8}} [[北陸自動車道]] ; [[自動車専用道路]] * {{Ja Exp Route Sign|E41}} [[能越自動車道]] * {{Ja Exp Route Sign|E86}} [[のと里山海道]](起点 - [[徳田大津ジャンクション|徳田大津JCT]]) * {{Ja Exp Route Sign|E41}} のと里山海道(徳田大津JCT - [[穴水インターチェンジ|穴水IC]]) ; 一般国道 * [[国道8号]] * [[国道157号]] * [[国道159号]] * [[国道160号]] * [[国道249号]] * [[国道304号]] * [[国道305号]] * [[国道359号]] * [[国道360号]] * [[国道364号]] * [[国道365号]] * [[国道415号]] * [[国道416号]] * [[国道471号]] ; 有料道路 * [[白山白川郷ホワイトロード]] ; 石川県道 * [[石川県の県道一覧]] ==== バス ==== {{main|中部地方の乗合バス事業者#石川県|日本のコミュニティバス一覧#石川県}} [[ファイル:Hokutetsu Bus 14-641.jpg|thumb|200px|北陸鉄道の路線バス]] ; [[路線バス]] * [[北陸鉄道]] ** [[北鉄金沢バス]] ** [[北鉄白山バス]] ** [[北鉄加賀バス]] ** [[北鉄能登バス]] ** [[北鉄奥能登バス]] * [[西日本ジェイアールバス]] * [[能登島交通]] === 医療・福祉 === [[ファイル:Noto Hospital.jpg|thumb|200px|能登地方の救急医療を担う公立能登総合病院<ref>[http://www.pref.ishikawa.lg.jp/iryou/iryoukeikaku/iryoukeikaku-kakutei.html 「石川県医療計画」石川県]</ref>(七尾市)]] {{Columns-start|num=2}} [[救急医療#三次救急医療|三次救急医療機関]] * [[金沢大学附属病院]] * [[金沢医科大学病院]] * [[石川県立中央病院]] * [[公立能登総合病院]] [[救急指定病院]] * [[石川県救急指定病院一覧]] {{Column}} [[保育所]] * [[石川県保育所一覧]] {{Columns-end}} === 教育 === {{Columns-start|num=3}} [[大学]] * [[国立大学|国立]](2校) ** [[金沢大学]] ** [[北陸先端科学技術大学院大学]] * [[公立大学|公立]](4校) ** [[金沢美術工芸大学]] ** [[石川県立看護大学]] ** [[石川県立大学]] ** [[公立小松大学]] * [[私立大学|私立]](8校) ** [[金沢医科大学]] ** [[金沢学院大学]] ** [[金沢工業大学]] ** [[金沢星稜大学]] ** [[金城大学]] ** [[北陸大学]] ** [[北陸学院大学]] ** [[かなざわ食マネジメント専門職大学]] [[通信制大学]] * 私立(1校) ** [[放送大学]] 石川学習センター {{Column}} [[短期大学]] * 私立(5校) ** [[金沢学院短期大学]] ** [[金城大学短期大学部]] ** [[金沢星稜大学女子短期大学部]] ** [[北陸学院大学短期大学部]] [[高等専門学校]] * [[国立高等専門学校機構|国立]](1校) ** [[石川工業高等専門学校]] * 私立(1校) ** [[国際高等専門学校]] {{Column}} [[専修学校]] * [[石川県専修学校一覧]] [[特別支援学校]] * [[石川県特別支援学校一覧]] [[高等学校]] * [[石川県高等学校一覧]] [[中学校]] * [[石川県中学校一覧]] [[小学校]] * [[石川県小学校一覧]] [[幼稚園]] * [[石川県幼稚園一覧]] ; その他 [[大学校]] * [[金沢農業大学校]][https://www4.city.kanazawa.lg.jp/sangyo_business/sangyoshinko/nogyo_ringyo_suisangyo/4/3/11057.html] * [[金沢林業大学校]][https://www4.city.kanazawa.lg.jp/soshikikarasagasu/shinrinsaiseika/gyomuannai/2/1/2/6647.html] [[職業訓練施設]] * [[石川職業能力開発短期大学校]][https://www3.jeed.go.jp/ishikawa/college/index.html] {{Columns-end}} [[ファイル:Kanazawa Univ. Kakuma campus Central-area.JPG|thumb|right|200px|[[金沢大学]](金沢市)]] === マスメディア === ==== 新聞 ==== * [[北國新聞]] * [[北陸中日新聞]]([[中日新聞北陸本社]]) * [[読売新聞]]、[[朝日新聞]]([[朝日新聞大阪本社]])、[[毎日新聞]]([[毎日新聞大阪本社]])、[[日本経済新聞]]は県内に支局・総局を置いている。読売新聞は、[[読売新聞東京本社|東京本社]]傘下の[[読売新聞北陸支社|北陸支社]](富山県[[高岡市]])で発行されたものを販売。それ以外の[[全国紙]]は大阪本社で発行されたものを販売している。なお、[[産経新聞]]は石川県内に取材拠点を置いておらず<ref>[https://www.sankei.jp/company/branch 産経新聞社 国内外総支局]</ref>、県域版も発行していない。 ==== テレビ局 ==== * [[NHK金沢放送局]] * [[北陸放送]](MROテレビ、[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列) * [[石川テレビ放送]]([[フジニュースネットワーク|FNN]]系列) * [[テレビ金沢]](愛称・テレ金、[[日本ニュースネットワーク|NNN]]系列) **平常時終夜放送実施局 * [[北陸朝日放送]](HAB、[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]系列) ==== ケーブルテレビ ==== * [[:Category:石川県のケーブルテレビ局|石川県のケーブルテレビ局]](参照) 石川県は、北陸3県の中で唯一[[TXNネットワーク|TXN]]系列局を除く4系列の民放テレビ局がある。また、県内のケーブルテレビ局では他県の放送局の[[区域外再放送]]を行っていない<ref group="注釈">かつては一部のCATVで行っていたが2011年7月24日の地デジ完全移行までにすべて終了した。</ref>。そのためか、[[ケーブルテレビ]]普及率は3県で最も低い<ref>[https://www.soumu.go.jp/main_content/000504511.pdf ケーブルテレビの現状] - [[総務省]] 2020年8月(15ページ参照)</ref>。 ==== ラジオ局 ==== * [[中波放送|AM放送]] ** [[NHK金沢放送局]] ** [[北陸放送]](MROラジオ、[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列)※ * [[超短波放送|FM放送]] ** [[NHK金沢放送局]] ** [[エフエム石川]]([[全国FM放送協議会|JFN]]系列) ** [[えふえむ・エヌ・ワン]]([[コミュニティ放送]]) ** [[FMかほく]](コミュニティ放送) ** [[ラジオかなざわ]](コミュニティ放送) ** [[ラジオこまつ]](コミュニティ放送) ** [[ラジオななお]](コミュニティ放送) :※[[FM補完中継局]]。 ==== 情報誌 ==== * [[月刊北國アクタス]](北國新聞社) * Zouss(ザウスマガジン社) * 學都(都市環境マネジメント研究所) ** なお、福井県のタウン情報誌『[[月刊URALA]]』(ウララコミュニケーションズ)も一部地域で流通している。 ==== フリーペーパー ==== * [[ホットペッパー (フリーペーパー)|ホットペッパー]]金沢版([[リクルートホールディングス|リクルート]]) * 金沢情報([[カラフルカンパニー]]) == 文化・スポーツ == === 方言 === 石川県内の方言は[[北陸方言]]に分類され、[[富山弁|富山県の方言]]と共通点が多い。[[加賀弁|加賀方言]]と[[能登弁|能登方言]]に二分され、県都金沢市で話される[[金沢弁]]は加賀方言に含まれる。また白山麓の方言には独特の表現が多く、[[言語島]]の例に挙げられる([[白峰弁]])。 === 食文化 === {{See also|Category:石川県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#石川県}} === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[牛首紬]](織物、1988年) * [[加賀友禅]](染色品、1975年) * 加賀繍(その他繊維製品、1991年) * [[九谷焼]](陶磁器、1975年) * [[輪島塗]](漆器、1975年) * [[山中塗|山中漆器]](漆器、1975年) * [[金沢漆器]](漆器、1980年) * 金沢仏壇(仏壇・仏具、1976年) * [[七尾仏壇]](仏壇・仏具、1978年) * [[金沢箔]](工芸用具・材料、1977年) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#石川県}} <gallery> Kanazawa Gold Factory.jpg|[[金沢箔]](金沢市) KUTANI Ewer.JPG|[[九谷焼]](加賀地方) Wajimanurie.JPG|[[輪島塗]](輪島市) </gallery> === スポーツ === {{See also|Category:石川県のスポーツチーム}} ; [[サッカー]] * [[ツエーゲン金沢]] - [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]] * [[テイヘンズFC]] - [[北信越フットボールリーグ]]2部 ; [[野球]] * [[石川ミリオンスターズ]] - [[日本海リーグ]] * [[Hard Ball Club 金沢]](金沢市) - [[社会人野球]] ; [[バスケットボール]] * [[金沢武士団]](金沢市) - [[ジャパン・バスケットボールリーグ|B3.LEAGUE]] ; フットサル * [[ヴィンセドール白山フットサルクラブ]] - [[Fリーグ準会員リーグ]] === 音楽・演劇 === * [[オーケストラアンサンブル金沢]] * 石川フィルハーモニー交響楽団 * 金沢混声合唱団 * 金沢メンネルコール * MOR児童合唱団 * 劇団羅針盤 * シアタースカイ == 観光 == {{main|石川県の観光地}} {{also|石川県指定文化財一覧|中部地方の史跡一覧#石川県}} ; 世界農業遺産 <gallery> Senmaida.jpg|[[白米千枚田|白米の千枚田]](輪島市) </gallery> ; 国の名勝 <gallery> Yukitsuri.jpg|[[兼六園]](金沢市) Ishikawa Kanazawa Seisonkaku00.jpg|[[成巽閣]](金沢市) NATA DERA 001.JPG|[[那谷寺]](小松市) Tarumi Fall & Yasenodomon.jpg|[[曽々木海岸]]の垂水の滝(珠洲市) </gallery> ; 重要伝統的建造物群保存地区 (日本最多) <gallery> Kanazawa higashi yama 2006 03 03.JPG|[[東山ひがし]](金沢市) Kazuemachi Kanazawa Ishikawa Pref Japan01s3s4095.jpg|[[主計町 (金沢市)|主計町]](金沢市) Ishikawa Kaga Kagahashidate00.jpg|[[加賀橋立]](加賀市) Wajima-shi Kuroshima-chiku, Ishikawa,Japan.JPG|[[門前町黒島町|黒島地区]](輪島市) </gallery> ; 国の重要文化財 <gallery> Kanazawa Castle Gate.JPG|[[重要文化財]] [[金沢城|金沢城石川門]](金沢市) Kanazawa-C-2860.jpg|重要文化財 [[尾山神社|尾山神社神門]](金沢市) Ketataisyasinmon.jpg|重要文化財 [[気多大社|気多大社神門]](羽咋市) Myojoji.jpg|重要文化財 [[妙成寺|妙成寺五重塔]](羽咋市) </gallery> ; 国の史跡 <gallery> 131109 Kanazawa Castle Kanazawa Ishikawa pref Japan01s5.jpg|国[[史跡]] [[金沢城]](金沢市) Matsune Castle.jpg|国史跡 [[加越国境城跡群及び道]](金沢市) Nanaojo-tyoudomaru.JPG|国史跡 [[七尾城]]跡(七尾市) Torigoe01.jpg|国史跡 [[鳥越城]]跡(白山市) Futougejou001.jpg|国史跡 [[二曲城]]跡(白山市) </gallery> ; 名所・旧跡 <gallery> Nagamachi Bukeyashiki.jpg|[[長町武家屋敷跡]](金沢市) Atakanoseki.JPG|[[安宅の関]](小松市) Chirihama nagisa driveway.jpg|[[千里浜なぎさドライブウェイ]](羽咋市、宝達志水町) Wajima Asaichi.jpg|[[輪島朝市]](輪島市) </gallery> ; 文化施設 <gallery> 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa011.jpg|[[金沢21世紀美術館]](金沢市) The Forth High School Memorial Museum of Cultural Exchange Ishikawa01s5s4110.jpg|[[四高記念文化交流館]](金沢市) Ishikawa-ken History Museum03s3s4272b.jpg|[[石川県立歴史博物館]](金沢市) Jinbe Zame a.jpg|[[のとじま臨海公園水族館]]のジンベイザメ館(七尾市) </gallery> ; 国立・国定公園など <gallery> Hakusan01.JPG|[[白山国立公園]](白山、白山市) Mitsukejima (Ishikawa) 2.jpg|[[能登半島国定公園]]([[見附島 (石川県)|見附島]]、珠洲市) Sotoura.jpg|[[能登半島国定公園]]([[能登金剛]]、志賀町) </gallery> ; 祭事・行事 <gallery> OTABI MATSURI FESTIVAL KOMATSU 001.JPG|[[お旅まつり]](小松市) Dekayama.JPG|[[青柏祭]](七尾市) Noto Yosakoi Wakura 01.jpg|[[能登キリコ祭り]](能登地方) </gallery> ; 温泉 <gallery> Wakura Onsen 01.jpg|[[和倉温泉]](七尾市) Yamahiro Onsen 01.jpg|[[山代温泉]](加賀市) Yuwakuonsen Spa 001.JPG|[[湯涌温泉]](金沢市) Siramine spa tenbou no yu.jpg|[[白峰温泉]](白山市) </gallery> == 対外関係 == * {{Flagicon|香川県}}[[香川県]] ** 2012年(平成24年)7月20日提携<ref>[http://www.pref.kagawa.lg.jp/content/dir5/dir5_1/dir5_1_4/whsd1r151117155854.shtml 今度の旅は○川県へ!石川県・香川県合同PRイベントを開催します。] {{ja icon}} - 香川県公式サイト</ref> == 石川県を舞台とした作品 == {{Main|石川県を舞台とした作品一覧}} == 人物 == {{Main|石川県出身の人物一覧}} === 石川県名誉県民 === 石川県名誉県民の称号は、1992年(平成4年)7月10日に制定された石川県名誉県民条例(石川県条例第28号)に基づき、「社会の発展、学術文化の振興に卓絶した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)<ref name=meiyoa>[https://www1.g-reiki.net/ishikawa/reiki_honbun/i101RG00000006.html#e000000047 石川県名誉県民条例] - 石川県、2020年4月17日閲覧。</ref>。対象者は、石川県知事が石川県議会の同意を得て選定することが定められ(条例第2条)、諮問機関として石川県名誉県民選考委員会が選定のつど組織される<ref name=meiyob>[https://www1.g-reiki.net/ishikawa/reiki_honbun/i101RG00000007.html 石川県名誉県民条例施行規則] - 石川県、2020年4月17日閲覧。</ref>。名誉県民に選定された者には、石川県名誉県民称号記や石川県名誉県民章のほか、記念品も贈られるほか(条例第3条)、知事が定める礼遇や特典を受けられる(条例第4条)<ref name=meiyoa/><ref name=meiyob/>。 {| class="wikitable" !贈呈番号 !受賞者氏名 !職業 !選定年月日 !備考 !出典 |- |1 |[[勝木保次]] |[[生理学者]] |1992年11月 |[[文化勲章]]受章 |<ref name=meiyoh4>[https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/h4-1.html 県政の主なあゆみ平成4年 前期] - 石川県、2020年4月17日閲覧。</ref> |- |2 |[[蓮田修吾郎]] |金工家 |1992年11月 |文化勲章受章 |<ref name=meiyoh4/> |- |3 |[[中西陽一]] |[[政治家]] |1994年4月9日追贈 |石川県知事 |<ref>[https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/h6-1.html 県政の主なあゆみ平成6年 前期] - 石川県、2020年4月17日閲覧。</ref> |- |4 |[[浅蔵五十吉]] |[[陶芸家]] |1997年4月30日 |文化勲章受章 |<ref>[https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/kouhou/nenpyo/h9-1.html 県政の主なあゆみ平成9年 前期] - 石川県、2020年4月17日閲覧。</ref> |- |5 |[[大樋長左衛門|10代目大樋長左衛門]] |陶芸家 |2012年1月30日 |文化勲章受章 |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.ishikawa.lg.jp/soumu/koho/1201/documents/24013112462.pdf 石川県公報 平成24年1月31日]}} - 石川県、2020年4月17日閲覧。</ref> |- |6 |[[森喜朗]] |政治家 |2013年3月29日 |内閣総理大臣 |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.ishikawa.lg.jp/soumu/koho/1304/documents/25041612587.pdf 石川県公報 平成25年4月16日]}} - 石川県、2020年4月17日閲覧。</ref> |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == * 『金沢の町家』[[島村昇]]編、[[鹿島出版会]]、1983年 * 『古九谷と石川県立美術館』朝日新聞社、1983年11月 * 『特別名勝兼六園(江戸町跡推定地9発掘調査報告』'''石川県'''立埋蔵文化財センター、1992年3月 * {{Cite|和書 |author = 高澤裕一 |author2 = 河村好光 |author3 = 東四柳史明 |author4 = 本康宏史 |author5 = 橋本哲哉 |title = 石川県の歴史 |date = 2000 |edition = 新 |publisher = 山川出版社 |isbn = 463432170X |series = 県史, 17 |ref = harv }} * 『日本工芸会石川支部記念誌 : 第40回石川の伝統工芸展を記念して』日本工芸会石川支部記念誌編集委員会編、[[日本工芸会]]石川支部、2000年3月 * 『石川県白峰地方の方言特徴と方言テキストの語法』新田哲夫著、[[金沢大学]]文学部、2005年3月 == 関連項目 == * [[:Category:石川県の自然景勝地|石川県の自然景勝地]] * [[石川県出身の人物一覧]] * [[石川県の廃止市町村一覧]] * [[石川県指定文化財一覧]] * [[加賀藩]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/石川県}} {{Multimedia|石川県の画像}} {{Commons&cat|Ishikawa Prefecture|Ishikawa prefecture}} {{Wiktionary}} {{Wikiquote}} {{Wikinewscat}} {{Wikivoyage|ja:石川県}} {{osm box|r|3794726}} ; 行政 * {{Official website}} ; 観光 * [https://www.hot-ishikawa.jp/ ほっと石川旅ねっと] - 石川県観光連盟 {{s-start}} {{s-bef|before=[[加賀藩|金沢藩]]<hr>[[大聖寺県]]<hr>[[七尾県]]の一部([[能登国]])<hr>[[新川県]]([[越中国]])<hr>[[敦賀県]]の一部([[嶺北]])|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1871年]] -|years2=金沢県→石川県}} {{s-aft|after=-----<hr>[[福井県]](嶺北)<hr>[[富山県]](越中国)|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{石川県の自治体}} {{石川県の郡}} {{大学コンソーシアム石川}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:いしかわけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:石川県|*]]
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愛媛県
愛媛県(えひめけん)は、日本の四国地方に位置する県。四国地方では最も人口が多い県。県庁所在地は中核市指定の松山市。都市規模は、計量特定市指定の今治市・新居浜市が続く。令制国の伊予国に当たる。 国土地理院地理情報 によると愛媛県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは155.99 km、南北の長さは157.16kmである。また、国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、愛媛県の面積は5676.23平方キロメートルである。 などほか多数。 瀬戸内海側(中予・東予)と宇和海に面した地域(南予)とで大きく異なる。 瀬戸内海側は温暖少雨であり、大きな河川や湖がないため渇水に見舞われやすい。松山などでは給水制限が設けられることが多い。なお、内陸部の久万高原では冷涼であり、高原野菜などが栽培されている。 宇和海側は、黒潮の影響を受けて総じて温暖ながら台風の関係もあり、暖候期の降水量は概して多い。 南国ではあるが、冬季には降雪も年に1 - 2回ある。特に関門海峡上空を通過した北西の湿潤な季節風が伊予灘をわたり、陸地に当たる地域である佐田岬半島から宇和島市にかけての南予は平野部でも20cm近い大雪に見舞われることもある。以上のように冬型の気圧配置下では瀬戸内側よりも宇和海側のほうが雪が多いのが特徴である。いっぽう南岸低気圧での積雪は南側に山があり寒気を溜め込みやすい東予中心となる。また、久万高原町など内陸部は冬場は寒くスキー場もある。 台風の直撃は高知県などに比べると少ない。ただ、台風が中国地方や日本海を抜けたりする場合、つまり台風の東半分に入った場合、強風で被害が生じやすい。過去、何度か、強風による柑橘類の落果被害や塩害などが発生している。また、県の東部四国中央市や新居浜市ではやまじ風などの現象も観察される。 北西の季節風の影響で、冬季の降水日数が太平洋岸気候に属する地域に比べると多いが、日本海側ほどではない。 冬でも暖かい日が続くが、小雨や小雪の降る日もあり、冬から春に掛けては快晴日数は少ない。 太平洋高気圧に覆われる夏季には瀬戸内海沿岸特有の「凪」が発生し、日中の気温は35度を超える猛暑・酷暑となり熱帯夜になることも多い。 県域を三分し、東予、中予、南予と呼ぶことが多い。この場合、東予とは、今治市、西条市以東の地域を指す。南予とは、大洲市、内子町以西を指す。中予はこれ以外の地域である。ちなみに、明治期には喜多郡(現在の大洲市、内子町)も中予に含まれていたとの説もある。県民の間では3区分がなじまれており、市町村で表示することが多くなった現在も、放送局によっては天気予報も3区分で表示される。 行政区分では、愛媛県の地方局(東から西条、今治、松山、八幡浜、宇和島の5箇所)の管轄区分も用いられるが、使用者は行政関係者にほぼ限られる。2008年(平成20年)4月には、東予(西条)、中予(松山)、南予(宇和島)の3局体制に再編され、今治、八幡浜は支局となっている。 県庁によって、以下の6つの圏域が設定されている。人口は2006年(平成18年)6月1日現在の推計人口。 県下には以下の11市7郡9町がある。町はすべて「ちょう」と読む。村は2005年(平成17年)1月16日の合併をもって消滅している。地方区分は、上記の県庁による区分とは異なる。 「えひめ」の地名は、『古事記』上巻のイザナギとイザナミによる国生みの段に見られる。国生みにより「伊予之二名島」(四国)が生まれたが、この島の4つの顔にはそれぞれ名があり、「伊豫國謂愛比賣」(伊予国は愛比売と謂ひ)とある。「えひめ」は「うるわしい女神」といった意味合いの神名である。江戸時代幕末期、今治藩医で国学者の半井梧庵が伊予一国を扱った地誌『愛媛面影』を編纂したが、これが「えひめ」に「愛媛」という漢字を宛てた最初の例とされる。 全国で唯一の神名をつけた県である。県名選定の経緯ははっきりとはわからないが、神名を採用したことは明治時代の王政復古の風潮と合致していたものと見られる。 県内では2万2000年以上も前から人々が生活していた。1995年(平成7年)伊予市の旧双海町の東峰遺跡・高見I遺跡でAT火山灰(姶良・胆沢火山灰)の下から石器が出土している。 現在の愛媛県は令制国での伊予国に当たる。 松山市の久米地域は、久米国造の支配地域であり、その中心地でもあった。久米地域の堀越川と小野川にはさまれた来住(きし)台地とその周辺に7 - 8世紀代の諸官衙遺構が集中して分布しており、発掘調査が進められている。台地北辺に政庁、中央に「回廊北方官衙」、南南東部に「回廊状遺構」、その南東外部に来住廃寺塔基壇、西に「久米郡衙正倉院」がある。来住廃寺は、7世紀の終わりに回廊状遺構が壊された後、東半分に重なるように建てられた寺である。 1600年の関ヶ原の戦いののち、伊予国40万石は加藤嘉明と藤堂高虎によって両分された。加藤嘉明は松山城を築き、藤堂高虎は今治城を築いて、それぞれ領国支配の拠点とした。ただし、17世紀前半に両家は伊予国から転出して大規模な藩領は分割された。17世紀後半までには、松山藩(15万石)を最大の藩として、西条藩(紀州藩支藩)、小松藩、今治藩、大洲藩、新谷藩(大洲藩支藩)、宇和島藩、吉田藩(宇和島藩支藩)のいわゆる「伊予八藩」が成立し、以後廃藩置県まで藩主家の交代もなく安定した体制となった。 江戸時代、阿波国は徳島藩、土佐国は高知藩という大藩による一国支配が行われていたのに対し、伊予国が8つの藩によって分け治められていた歴史は、小規模な平地・盆地が散在するという地理的条件とともに、愛媛県において地域ごとに多様な文化が発展したこと、あるいは県域の一体感が薄いと言われることと結び付けて語られる。 愛媛県は、第二次世界大戦が終わると人口が急増し、1955年に約154万人でピークを迎えた。高度経済成長期(1950年代後半 - 1970年代前半)には、大規模な人口流出(社会減)が起こり、減少傾向に入った。1970年代後半から1980年代前半までは人口流出が少なく、再び回復基調になる。1985年の約153万人を境に再び減少傾向に入る。2019年の合計特殊出生率は1.46であり、人口は自然減となっている。 年齢別にみると、1950年の55.8万人をピークに年少人口(15歳未満)が減少している(少子化)。その後、第2次ベビーブーム(団塊ジュニア世代の誕生)により人口が維持された時期はあったが、長期減少傾向は続いている。生産年齢人口(15 - 64歳)も1985年の100.6万人をピークに減少に転じている。老年人口(65歳以上)は、生産年齢人口が老年期に入っていることと、平均寿命の延長による増加(高齢化)が続いており、2010年時点で26.5%となっている。 人口の流出先としては、東京圏・関西(大阪・神戸方面)広島県、岡山県が多い。また、県内では東予・南予から中予へ人口が移動する傾向がある。 市町村別でみると、県内に増加の自治体はない。松山市とそのベッドタウンの人口は減少が緩やかである。南予は減少が急速に進んでおり、より効果的な対策が求められている。 県の出先機関として5市(西条・今治・松山・宇和島・八幡浜)に地方局が設置されていたが、近年の財政難や市町村合併により、東予・中予・南予の3県域ごとに再編され東予地方局が西条、中予地方局が松山、南予地方局が宇和島に設置され、今治には東予地方局の支局、八幡浜には南予地方局の支局が設置されている。 出先機関は バブル景気時の大型観光施設整備やバブル不況期の景気対策で、県債の発行残高が増加し、県の財政が悪化。三位一体改革による補助金減少でさらに悪化している。そのため県は大型公共事業の凍結・見直し・先送り、県職員の給料カット、知事公舎などの売却、行政機関の再編などで財政再建を進めている。 地方債残高 長く自由民主党が選挙区を独占していたが、第45回衆議院議員総選挙では愛媛3区で民主党公認の白石洋一が当選した。第46回衆議院議員総選挙では再び小選挙区で自由民主党が選挙区を独占した。比例四国ブロック2区の西岡新、4区の桜内文城(両氏とも日本維新の会公認)が復活当選した。第48回衆議院議員総選挙では、白石洋一が議席を取り戻した。 衆議院と同様に自由民主党が独占していたが、第21回参議院議員選挙では現職の自由民主党候補を破り民主党・社会民主党などが推薦する無所属の友近聡朗が(その後民主党を経て国民の生活が第一に入党)が当選した。2013年の第23回参議院選挙では自由民主党新人で元四国中央市長の井原巧が他の新人候補を破って当選し、再び自民党が議席を独占することとなった。 愛媛県選挙区 陸上自衛隊が松山駐屯地に駐屯する。治安出動および防衛出動が下令された場合、愛媛県内の発電所、変電所、空港、重要港湾、重要橋梁、石油関連施設、重要生産工場などに展開する。敵対勢力から急迫不正の攻撃が予測される場合には、対象目標を迅速に撃破する。また、山林火災や渇水、洪水時などの災害派遣も担当する。 愛媛県は、前述したように、各地が山で隔てられているため、都市圏が孤立している。以下に愛媛県が定めた中央圏域区分を記す。 松山都市圏は、松山市とその周辺の都市のみで構成している。山がちな高縄半島と四国山地、とりわけ石鎚山脈の影響で愛媛県の主要都市である今治市や新居浜市、宇和島市などと隔絶されている。そのため、県全体で都市圏を構成している高松都市圏や徳島都市圏のようにはいかず、四国で3位の都市圏となる。しかし、これは10%都市圏の話である。総務省統計局の定義する都市圏 (総務省)(1.5%都市圏)には四国で唯一掲載されている。定義によって松山都市圏の規模の見方は変わってくる。 愛媛県は地理的に東予・中予・南予に三分されるが、産業においてもこれら地域によって大きく様相が異なる。 県下各地で、柑橘類が生産され、みかん・いよかんが有名。キウイフルーツ・栗なども有名である。そのうちみかんは2003年(平成15年度)まで、僅差ではあるが日本一の座を守ってきた。しかし2004年(平成16年度)には34年ぶりに和歌山県に日本一の座を明け渡し、2017年(平成29年度)まで2位、2018年(平成30年度)には静岡県に抜かれ3位となった。 林業産出額は57億6千万円(2010年)となっており、木材生産が41億円と全産出額の71.2%を占めている。全国の林業産出額の割合では木材生産の割合は45.1%で全国と比べ愛媛県では木材生産の割合が高くなっている。品目別の木材生産では檜が22億3千万円と最も多く、次いで杉が18億1千万円である。 1980年には林業産出額は254億7千万円であったが、外国材の流入による価格低下や林業従事者の減少などによって大幅に激減している。 燧灘、伊予灘、宇和海という性質の異なる3つの海域に面し、それぞれ独自の漁業が営まれている。 製造品出荷額等(2010年)は、3兆7,924億円であり、非鉄金属が6,044億円(全体の15.9%)と最も高く、次いでパルプが5,211億円 (13.7%)、輸送用機械が5,112億円 (13.5%)、化学が4,231億円 (11.2%)、石油・石炭が3,936億円 (10.4%) などとなっている。 事業所数(2010年)は全体では2,434事業所で、産業別に見ると食料が460事業所 (18.9%) と最も高く、次いで繊維が333事業所で (13.7%)、パルプが225事業所 (9.2%) などとなっている。従業員数(2010年)では全体が76,347人で食料が13,574人 (17.8%) と最も高く、次いでパルプが9,769人 (12.8%)、「繊維」が7,647人 (10.0%) などとなっている。 市町村別の製造業出荷額等では、今治市が8,871億円が最も多く、西条市が8,113億円、新居浜市が6,150億円、四国中央市が6,068億円、松山市が4,237億円などとなっている。上位4位は東予地方の市が占めており、上島町を含めると愛媛県全体の製造業出荷額等の7割以上 (78.5%) を東予地方の市町が占めている。 電子部品工場や自動車部品工場などが撤退し地元では雇用の減少に頭を悩ませている。ただ水産業が盛んであるため飼料などの工場は複数立地している。 かつては、新居浜市(旧別子山村)の別子銅山などの鉱山があったが次々と閉山し、現在は今治市の大島で大島石を採掘するぐらいになっている。 バブル崩壊後は景気対策の一環として次々と公共事業が行われ建設業は栄えたが、後に県財政の悪化や三位一体改革で公共事業が減少し現在、県内の建設会社が倒産したり、会社分割など再建を図る企業も出てきている。建設業の不振で工場や事業所の撤退が相次ぐ南予地方は大きなダメージを受けている。 百貨店では、松山市に伊予鉄髙島屋、松山三越がある。閉店した店舗としては主に大丸(今治市・新居浜市)、髙島屋(今治市)がある。なお、今治大丸は、2008年(平成20年)12月に閉店した。 総合スーパーマーケットは、以下のような店舗がある。 かつてはニチイ(松山、今治、新居浜など)、ダイエー(松山、新居浜、西条など)、イズミ(松山)なども進出していたが2013年1月現在それらの店舗はない。 また近年では、岡山勢で24時間オープンのスーパーである大黒天物産(ラ・ムー、ディオ、2005年以降)やハローズ(2010年以降)による出店攻勢もある。(2020年1月7日現在、大黒天:7、ハローズ:7) 県内の電力は四国電力によって供給されているが、今治市の一部島嶼部、上島町では中国電力、新居浜市の別子山地区では住友共同電力によって供給されている。 主な発電所は 他、県内にはいくつかの水力・風力発電所がある。 県内には四国唯一の原子力発電所である伊方原子力発電所がある。四国電力の原子力本部は本店のある高松市に設置されていたが、2011年(平成23年)6月末に原子力燃料部など一部部門を除き松山市に移転する予定である。 都市ガスは四国ガスによって松山市・今治市・宇和島市など一部の地域のみに整備されている。そのためほとんどの地域はプロパンガスによってガスが供給されている。 愛媛県では、コールセンター誘致に補助金を交付していて、南予地方や松山市へのコールセンター誘致に成功している。また松山市には、コールセンター以外にも大手保険会社の集中事務センターが設置されたり、サイボウズの開発拠点設置が計画されるなど多くの新規雇用が生まれている。 愛媛県の観光客数は延べ2450万9千人(2011年)で、観光客消費総額は1049億円(2011年)となっている。 地域別では、松山圏域(中予地方)が最も多く延べ1010万4千人、今治圏域(今治市・上島町)が延べ436万1千人、八幡浜・大洲圏域(八幡浜市・大洲市・西予市・内子町・伊方町)が延べ402万3千人(2011年)、東予東部圏域(四国中央市・新居浜市・西条市)が延べ335万0千人、宇和島圏域(宇和島市・松野町・鬼北町・愛南町)が延べ267万1千人となっている。 県外観光客は尾道市と今治市を結ぶしまなみ海道が開通し、開通した1999年には県外観光客延べ数は1100万人を超え「しまなみブーム」と呼ばれる程、観光客が大幅に増加した。2000年にはブームの収束で県外観光客は減少したが、その後は800万人から1000万人で推移している。2011年の県外観光客数は延べ9,396千人で観光客消費総額は931億円である。 ミシュランガイド日本編で2つ星にそれぞれ選定された、3000年の歴史を有する道後温泉や四国最大の平山城である松山城、また、東・中・南予地方特有の自然や文化施設などの観光資源があり、毎年、県内各地で数多くのイベントが行われている。 製造業(機械・電機) 製造業(造船) 製造業(石油・化学) 製造業(製紙・パルプ) 製造業(金属) 製造業(食品) 製造業(繊維) 建設業・エンジニアリング業 電力・ガス業 金融業 卸売・小売業 運輸業 情報通信業 サービス業 放送・新聞・出版業 愛媛県警察本部の管轄にある。以下16警察署が置かれている。 第六管区海上保安本部の管轄にある。 現在、愛媛県内にある空港は松山空港のみである。国内線では、東京・成田・大阪・中部・福岡・鹿児島・那覇、国際線では上海/浦東・ソウル/仁川・台北/桃園への定期便が就航している。1959年から1965年までは新居浜市の黒島地区に海上空港があり、大阪・大分へ定期便が就航していた。 JR線に関しては、予讃線の川之江駅から伊予市駅の区間が電化されており、日中の普通列車の本数は県内全域に亘り毎時1本以下である。またJR線を保有しない沖縄県を除く46都道府県では唯一、4番線以上の旅客用のホームを保有するJR線の駅が存在しない(2022年現在。県内のJR線の駅の番線数は全て3以下である)。 県内の一部、特に南予地方の公立中学校において、生徒への部活強制加入制度、所謂部活強制の問題が残存している。 国立 私立 私立 県立 私立 国立 県立 愛媛県ではテレビ東京系列を除く4大キー局系列局が視聴できる。ただし、平成新局であるあいテレビと愛媛朝日テレビは先発局と比べて中継局の数が少なくなっている。 デジタルテレビの親局送信所は伊予市の行道山に置かれている。 愛媛県では1957年(昭和32年)5月29日にNHK松山放送局が、翌1958年(昭和33年)12月1日に南海放送がそれぞれVHF波によるテレビ放送を開始した。4年後の1962年(昭和37年)6月1日にはNHK松山がそれまでの総合テレビに加えて教育テレビ(Eテレ)の放送を開始し、結果的にはこれが愛媛県における最後のVHF局となる。そして全国的にUHF局が開局していった1969年(昭和44年)12月10日、愛媛県にとって初のUHF局である愛媛放送(現・テレビ愛媛)が開局した。以降、平成に入るまではテレビ事情に変化は無く、23年間は NHK、日テレ系、フジ系の3局4波時代が続いていた。ところが平成に入ると1992年(平成4年)10月1日にあいテレビが、1995年(平成7年)4月1日に愛媛朝日テレビが開局し、民放の数が一気にそれまでの倍になったことでテレビ環境が著しく変化・向上した。その後2006年(平成18年)10月1日、全局一斉に地上デジタルテレビ放送(通称:地デジ)を開始、5年間のアナ・デジ共存期間を経て2011年(平成23年)7月24日にそれまでのアナログ放送を終了し現在に至る。 エフエム愛媛の親局送信所と南海放送のFM補完放送のメイン中継局はデジタルテレビ親局と同じ行道山であるが、NHK-FMの送信所は松山市街地の城山に置かれている。 日本アマチュア無線連盟 (JARL) を免許人とするアマチュア無線用中継局が県内各所に設置されており、運営・管理はJARL直轄局である JR5WA を除きJARL愛媛県支部と密接な関係にある愛媛レピータ研究会がボランティアで行っている。愛媛県の地形は西日本最高峰の石鎚山を有するなど急峻な山が多く、かつ、南予のリアス式海岸など都市・集落間の通信を妨げる要因が多彩に存在するため、それらをカバーするように設置されているところに特色がある。 江戸時代に、伊予八藩と呼ばれるように、多くの藩が分立したため、地域ごとに微妙に異なる文化が息づいている。この点、同じ四国内でも一藩であった高知県(土佐、土佐藩)や徳島県(阿波、徳島藩)、三藩(高松藩、丸亀藩、多度津藩)であった香川県(讃岐)と状況を異にしている。 明治時代以降の地理的区分である、東予、中予、南予という三区分も文化的背景を語るには欠かせない要素となっている。 愛媛の人の気質は、端的にいえば保守的である。 古くから山の幸、海の幸が豊富であったため、郷土料理といえるものが少なくない。 住民の気質も、今日ではかなり薄まったといわれるが、東予、中予、南予で若干異なる。 たとえ話で、100万円あったら、東予の人はそれを元手に商売を始め、2倍3倍に増やそうとする、中予の人はそれを預けて金利を趣味に充て、温泉三昧の生活を夢見る、南予の人は一晩で使い切るような大散財をする(特に酒宴)、と評される(同様の話は、四国四県にもあり、高知県の喩えは南予に似ている) 愛媛県内の方言は伊予弁と呼ばれるが、地域によって違いがある。夏目漱石の小説『坊っちゃん』などの影響で「ぞなもし」が有名だが、これは松山市の方言であり、しかも現在の松山市では一部の年配者が使う「ぞな」にかろうじて形跡を感じられる程度で、一般には使われない。伊予弁はアクセントの地域差が大きく、東予・中予では京阪式アクセント、南予では東京式アクセント、大洲では崩壊アクセントである。語彙・表現では東予東部は讃岐弁、東予西部は広島弁、中予は関西弁、南予は幡多弁との関係が窺える。 道後温泉郷に代表されるように古くから天然温泉が親しまれている。 毎年10月16・17・18日。 総勢50台の太鼓台が町を練り歩く祭り。明治時代に町の発展と共に大きく豪華になり、市外の太鼓台にも影響を与えている。 市内5つの地区ごとに集まりかきくらべが行われ、毎年数十万人という観光客が訪れるほど人気を誇っていたが、現在は10万人程度に落ちている。 16日早朝の内宮神社宮出しの大階段かき上げはまだ夜が明けない内の行事だが、多くの観客で神社が埋めつくされる。 17日午前の国領川河川敷、17日午後の山根グラウンド、17日夕方の工場前、17日夕方の多喜浜駅前、18日午前の大江浜、18日午後の一宮神社、18日午後の八旛神社などで行われるかきくらべは多くの観客で賑わう。 隔年の18日午前に川西地区の新居浜港で行われる船御幸は一宮神社の神輿の船渡御に合わせて、太鼓台を台船に乗せてお供をする行事。近年では川東地区の新居浜東港においても川西地区の翌年に船御幸が行われるようになった。 阿波踊り、よさこいに並ぶ『四国三大祭』の1つである。 毎年10月13・14・15日。 14日にふるさと広場で行われる、総勢14台の太鼓台による寄せ担きが見所 15日に関川地区で行われる鉢合せと呼ばれる太鼓台同士の喧嘩も見応えがある。 開催日は神社によって異なり、嘉母神社では毎年10月体育の日の前々日・前日、石岡神社では毎年10月14・15日、伊曽乃神社では毎年10月15・16日となっている。 山車は京都の祇園祭に通ずるところがあり、だんじりや太鼓台や神輿などによる練り廻しや担き比べが見所 毎年7月22・23・24日。 牛鬼パレードがある。 愛媛県は、大江健三郎(1994年ノーベル文学賞)、中村修二(2014年ノーベル物理学賞)、真鍋淑郎(2021年ノーベル物理学賞)の3人のノーベル賞受賞者を輩出している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "愛媛県(えひめけん)は、日本の四国地方に位置する県。四国地方では最も人口が多い県。県庁所在地は中核市指定の松山市。都市規模は、計量特定市指定の今治市・新居浜市が続く。令制国の伊予国に当たる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "国土地理院地理情報 によると愛媛県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは155.99 km、南北の長さは157.16kmである。また、国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、愛媛県の面積は5676.23平方キロメートルである。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "などほか多数。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "瀬戸内海側(中予・東予)と宇和海に面した地域(南予)とで大きく異なる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "瀬戸内海側は温暖少雨であり、大きな河川や湖がないため渇水に見舞われやすい。松山などでは給水制限が設けられることが多い。なお、内陸部の久万高原では冷涼であり、高原野菜などが栽培されている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "宇和海側は、黒潮の影響を受けて総じて温暖ながら台風の関係もあり、暖候期の降水量は概して多い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "南国ではあるが、冬季には降雪も年に1 - 2回ある。特に関門海峡上空を通過した北西の湿潤な季節風が伊予灘をわたり、陸地に当たる地域である佐田岬半島から宇和島市にかけての南予は平野部でも20cm近い大雪に見舞われることもある。以上のように冬型の気圧配置下では瀬戸内側よりも宇和海側のほうが雪が多いのが特徴である。いっぽう南岸低気圧での積雪は南側に山があり寒気を溜め込みやすい東予中心となる。また、久万高原町など内陸部は冬場は寒くスキー場もある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "台風の直撃は高知県などに比べると少ない。ただ、台風が中国地方や日本海を抜けたりする場合、つまり台風の東半分に入った場合、強風で被害が生じやすい。過去、何度か、強風による柑橘類の落果被害や塩害などが発生している。また、県の東部四国中央市や新居浜市ではやまじ風などの現象も観察される。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "北西の季節風の影響で、冬季の降水日数が太平洋岸気候に属する地域に比べると多いが、日本海側ほどではない。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "冬でも暖かい日が続くが、小雨や小雪の降る日もあり、冬から春に掛けては快晴日数は少ない。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "太平洋高気圧に覆われる夏季には瀬戸内海沿岸特有の「凪」が発生し、日中の気温は35度を超える猛暑・酷暑となり熱帯夜になることも多い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "県域を三分し、東予、中予、南予と呼ぶことが多い。この場合、東予とは、今治市、西条市以東の地域を指す。南予とは、大洲市、内子町以西を指す。中予はこれ以外の地域である。ちなみに、明治期には喜多郡(現在の大洲市、内子町)も中予に含まれていたとの説もある。県民の間では3区分がなじまれており、市町村で表示することが多くなった現在も、放送局によっては天気予報も3区分で表示される。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "行政区分では、愛媛県の地方局(東から西条、今治、松山、八幡浜、宇和島の5箇所)の管轄区分も用いられるが、使用者は行政関係者にほぼ限られる。2008年(平成20年)4月には、東予(西条)、中予(松山)、南予(宇和島)の3局体制に再編され、今治、八幡浜は支局となっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "県庁によって、以下の6つの圏域が設定されている。人口は2006年(平成18年)6月1日現在の推計人口。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "県下には以下の11市7郡9町がある。町はすべて「ちょう」と読む。村は2005年(平成17年)1月16日の合併をもって消滅している。地方区分は、上記の県庁による区分とは異なる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "「えひめ」の地名は、『古事記』上巻のイザナギとイザナミによる国生みの段に見られる。国生みにより「伊予之二名島」(四国)が生まれたが、この島の4つの顔にはそれぞれ名があり、「伊豫國謂愛比賣」(伊予国は愛比売と謂ひ)とある。「えひめ」は「うるわしい女神」といった意味合いの神名である。江戸時代幕末期、今治藩医で国学者の半井梧庵が伊予一国を扱った地誌『愛媛面影』を編纂したが、これが「えひめ」に「愛媛」という漢字を宛てた最初の例とされる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "全国で唯一の神名をつけた県である。県名選定の経緯ははっきりとはわからないが、神名を採用したことは明治時代の王政復古の風潮と合致していたものと見られる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "県内では2万2000年以上も前から人々が生活していた。1995年(平成7年)伊予市の旧双海町の東峰遺跡・高見I遺跡でAT火山灰(姶良・胆沢火山灰)の下から石器が出土している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "現在の愛媛県は令制国での伊予国に当たる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "松山市の久米地域は、久米国造の支配地域であり、その中心地でもあった。久米地域の堀越川と小野川にはさまれた来住(きし)台地とその周辺に7 - 8世紀代の諸官衙遺構が集中して分布しており、発掘調査が進められている。台地北辺に政庁、中央に「回廊北方官衙」、南南東部に「回廊状遺構」、その南東外部に来住廃寺塔基壇、西に「久米郡衙正倉院」がある。来住廃寺は、7世紀の終わりに回廊状遺構が壊された後、東半分に重なるように建てられた寺である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1600年の関ヶ原の戦いののち、伊予国40万石は加藤嘉明と藤堂高虎によって両分された。加藤嘉明は松山城を築き、藤堂高虎は今治城を築いて、それぞれ領国支配の拠点とした。ただし、17世紀前半に両家は伊予国から転出して大規模な藩領は分割された。17世紀後半までには、松山藩(15万石)を最大の藩として、西条藩(紀州藩支藩)、小松藩、今治藩、大洲藩、新谷藩(大洲藩支藩)、宇和島藩、吉田藩(宇和島藩支藩)のいわゆる「伊予八藩」が成立し、以後廃藩置県まで藩主家の交代もなく安定した体制となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "江戸時代、阿波国は徳島藩、土佐国は高知藩という大藩による一国支配が行われていたのに対し、伊予国が8つの藩によって分け治められていた歴史は、小規模な平地・盆地が散在するという地理的条件とともに、愛媛県において地域ごとに多様な文化が発展したこと、あるいは県域の一体感が薄いと言われることと結び付けて語られる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "愛媛県は、第二次世界大戦が終わると人口が急増し、1955年に約154万人でピークを迎えた。高度経済成長期(1950年代後半 - 1970年代前半)には、大規模な人口流出(社会減)が起こり、減少傾向に入った。1970年代後半から1980年代前半までは人口流出が少なく、再び回復基調になる。1985年の約153万人を境に再び減少傾向に入る。2019年の合計特殊出生率は1.46であり、人口は自然減となっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "年齢別にみると、1950年の55.8万人をピークに年少人口(15歳未満)が減少している(少子化)。その後、第2次ベビーブーム(団塊ジュニア世代の誕生)により人口が維持された時期はあったが、長期減少傾向は続いている。生産年齢人口(15 - 64歳)も1985年の100.6万人をピークに減少に転じている。老年人口(65歳以上)は、生産年齢人口が老年期に入っていることと、平均寿命の延長による増加(高齢化)が続いており、2010年時点で26.5%となっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "人口の流出先としては、東京圏・関西(大阪・神戸方面)広島県、岡山県が多い。また、県内では東予・南予から中予へ人口が移動する傾向がある。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "市町村別でみると、県内に増加の自治体はない。松山市とそのベッドタウンの人口は減少が緩やかである。南予は減少が急速に進んでおり、より効果的な対策が求められている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "県の出先機関として5市(西条・今治・松山・宇和島・八幡浜)に地方局が設置されていたが、近年の財政難や市町村合併により、東予・中予・南予の3県域ごとに再編され東予地方局が西条、中予地方局が松山、南予地方局が宇和島に設置され、今治には東予地方局の支局、八幡浜には南予地方局の支局が設置されている。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "出先機関は", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "バブル景気時の大型観光施設整備やバブル不況期の景気対策で、県債の発行残高が増加し、県の財政が悪化。三位一体改革による補助金減少でさらに悪化している。そのため県は大型公共事業の凍結・見直し・先送り、県職員の給料カット、知事公舎などの売却、行政機関の再編などで財政再建を進めている。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "地方債残高", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "長く自由民主党が選挙区を独占していたが、第45回衆議院議員総選挙では愛媛3区で民主党公認の白石洋一が当選した。第46回衆議院議員総選挙では再び小選挙区で自由民主党が選挙区を独占した。比例四国ブロック2区の西岡新、4区の桜内文城(両氏とも日本維新の会公認)が復活当選した。第48回衆議院議員総選挙では、白石洋一が議席を取り戻した。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "衆議院と同様に自由民主党が独占していたが、第21回参議院議員選挙では現職の自由民主党候補を破り民主党・社会民主党などが推薦する無所属の友近聡朗が(その後民主党を経て国民の生活が第一に入党)が当選した。2013年の第23回参議院選挙では自由民主党新人で元四国中央市長の井原巧が他の新人候補を破って当選し、再び自民党が議席を独占することとなった。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "愛媛県選挙区", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "陸上自衛隊が松山駐屯地に駐屯する。治安出動および防衛出動が下令された場合、愛媛県内の発電所、変電所、空港、重要港湾、重要橋梁、石油関連施設、重要生産工場などに展開する。敵対勢力から急迫不正の攻撃が予測される場合には、対象目標を迅速に撃破する。また、山林火災や渇水、洪水時などの災害派遣も担当する。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "愛媛県は、前述したように、各地が山で隔てられているため、都市圏が孤立している。以下に愛媛県が定めた中央圏域区分を記す。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "松山都市圏は、松山市とその周辺の都市のみで構成している。山がちな高縄半島と四国山地、とりわけ石鎚山脈の影響で愛媛県の主要都市である今治市や新居浜市、宇和島市などと隔絶されている。そのため、県全体で都市圏を構成している高松都市圏や徳島都市圏のようにはいかず、四国で3位の都市圏となる。しかし、これは10%都市圏の話である。総務省統計局の定義する都市圏 (総務省)(1.5%都市圏)には四国で唯一掲載されている。定義によって松山都市圏の規模の見方は変わってくる。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "愛媛県は地理的に東予・中予・南予に三分されるが、産業においてもこれら地域によって大きく様相が異なる。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "県下各地で、柑橘類が生産され、みかん・いよかんが有名。キウイフルーツ・栗なども有名である。そのうちみかんは2003年(平成15年度)まで、僅差ではあるが日本一の座を守ってきた。しかし2004年(平成16年度)には34年ぶりに和歌山県に日本一の座を明け渡し、2017年(平成29年度)まで2位、2018年(平成30年度)には静岡県に抜かれ3位となった。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "林業産出額は57億6千万円(2010年)となっており、木材生産が41億円と全産出額の71.2%を占めている。全国の林業産出額の割合では木材生産の割合は45.1%で全国と比べ愛媛県では木材生産の割合が高くなっている。品目別の木材生産では檜が22億3千万円と最も多く、次いで杉が18億1千万円である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "1980年には林業産出額は254億7千万円であったが、外国材の流入による価格低下や林業従事者の減少などによって大幅に激減している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "燧灘、伊予灘、宇和海という性質の異なる3つの海域に面し、それぞれ独自の漁業が営まれている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "製造品出荷額等(2010年)は、3兆7,924億円であり、非鉄金属が6,044億円(全体の15.9%)と最も高く、次いでパルプが5,211億円 (13.7%)、輸送用機械が5,112億円 (13.5%)、化学が4,231億円 (11.2%)、石油・石炭が3,936億円 (10.4%) などとなっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "事業所数(2010年)は全体では2,434事業所で、産業別に見ると食料が460事業所 (18.9%) と最も高く、次いで繊維が333事業所で (13.7%)、パルプが225事業所 (9.2%) などとなっている。従業員数(2010年)では全体が76,347人で食料が13,574人 (17.8%) と最も高く、次いでパルプが9,769人 (12.8%)、「繊維」が7,647人 (10.0%) などとなっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "市町村別の製造業出荷額等では、今治市が8,871億円が最も多く、西条市が8,113億円、新居浜市が6,150億円、四国中央市が6,068億円、松山市が4,237億円などとなっている。上位4位は東予地方の市が占めており、上島町を含めると愛媛県全体の製造業出荷額等の7割以上 (78.5%) を東予地方の市町が占めている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "電子部品工場や自動車部品工場などが撤退し地元では雇用の減少に頭を悩ませている。ただ水産業が盛んであるため飼料などの工場は複数立地している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "かつては、新居浜市(旧別子山村)の別子銅山などの鉱山があったが次々と閉山し、現在は今治市の大島で大島石を採掘するぐらいになっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "バブル崩壊後は景気対策の一環として次々と公共事業が行われ建設業は栄えたが、後に県財政の悪化や三位一体改革で公共事業が減少し現在、県内の建設会社が倒産したり、会社分割など再建を図る企業も出てきている。建設業の不振で工場や事業所の撤退が相次ぐ南予地方は大きなダメージを受けている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "百貨店では、松山市に伊予鉄髙島屋、松山三越がある。閉店した店舗としては主に大丸(今治市・新居浜市)、髙島屋(今治市)がある。なお、今治大丸は、2008年(平成20年)12月に閉店した。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "総合スーパーマーケットは、以下のような店舗がある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "かつてはニチイ(松山、今治、新居浜など)、ダイエー(松山、新居浜、西条など)、イズミ(松山)なども進出していたが2013年1月現在それらの店舗はない。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "また近年では、岡山勢で24時間オープンのスーパーである大黒天物産(ラ・ムー、ディオ、2005年以降)やハローズ(2010年以降)による出店攻勢もある。(2020年1月7日現在、大黒天:7、ハローズ:7)", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "県内の電力は四国電力によって供給されているが、今治市の一部島嶼部、上島町では中国電力、新居浜市の別子山地区では住友共同電力によって供給されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "主な発電所は", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "他、県内にはいくつかの水力・風力発電所がある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "県内には四国唯一の原子力発電所である伊方原子力発電所がある。四国電力の原子力本部は本店のある高松市に設置されていたが、2011年(平成23年)6月末に原子力燃料部など一部部門を除き松山市に移転する予定である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "都市ガスは四国ガスによって松山市・今治市・宇和島市など一部の地域のみに整備されている。そのためほとんどの地域はプロパンガスによってガスが供給されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "愛媛県では、コールセンター誘致に補助金を交付していて、南予地方や松山市へのコールセンター誘致に成功している。また松山市には、コールセンター以外にも大手保険会社の集中事務センターが設置されたり、サイボウズの開発拠点設置が計画されるなど多くの新規雇用が生まれている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "愛媛県の観光客数は延べ2450万9千人(2011年)で、観光客消費総額は1049億円(2011年)となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "地域別では、松山圏域(中予地方)が最も多く延べ1010万4千人、今治圏域(今治市・上島町)が延べ436万1千人、八幡浜・大洲圏域(八幡浜市・大洲市・西予市・内子町・伊方町)が延べ402万3千人(2011年)、東予東部圏域(四国中央市・新居浜市・西条市)が延べ335万0千人、宇和島圏域(宇和島市・松野町・鬼北町・愛南町)が延べ267万1千人となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "県外観光客は尾道市と今治市を結ぶしまなみ海道が開通し、開通した1999年には県外観光客延べ数は1100万人を超え「しまなみブーム」と呼ばれる程、観光客が大幅に増加した。2000年にはブームの収束で県外観光客は減少したが、その後は800万人から1000万人で推移している。2011年の県外観光客数は延べ9,396千人で観光客消費総額は931億円である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "ミシュランガイド日本編で2つ星にそれぞれ選定された、3000年の歴史を有する道後温泉や四国最大の平山城である松山城、また、東・中・南予地方特有の自然や文化施設などの観光資源があり、毎年、県内各地で数多くのイベントが行われている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "製造業(機械・電機)", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "製造業(造船)", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "製造業(石油・化学)", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "製造業(製紙・パルプ)", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "製造業(金属)", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "製造業(食品)", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "製造業(繊維)", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "建設業・エンジニアリング業", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "電力・ガス業", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "金融業", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "卸売・小売業", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "運輸業", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "情報通信業", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "サービス業", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "放送・新聞・出版業", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "愛媛県警察本部の管轄にある。以下16警察署が置かれている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "第六管区海上保安本部の管轄にある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "現在、愛媛県内にある空港は松山空港のみである。国内線では、東京・成田・大阪・中部・福岡・鹿児島・那覇、国際線では上海/浦東・ソウル/仁川・台北/桃園への定期便が就航している。1959年から1965年までは新居浜市の黒島地区に海上空港があり、大阪・大分へ定期便が就航していた。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "JR線に関しては、予讃線の川之江駅から伊予市駅の区間が電化されており、日中の普通列車の本数は県内全域に亘り毎時1本以下である。またJR線を保有しない沖縄県を除く46都道府県では唯一、4番線以上の旅客用のホームを保有するJR線の駅が存在しない(2022年現在。県内のJR線の駅の番線数は全て3以下である)。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "県内の一部、特に南予地方の公立中学校において、生徒への部活強制加入制度、所謂部活強制の問題が残存している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "国立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "県立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "国立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "県立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "愛媛県ではテレビ東京系列を除く4大キー局系列局が視聴できる。ただし、平成新局であるあいテレビと愛媛朝日テレビは先発局と比べて中継局の数が少なくなっている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "デジタルテレビの親局送信所は伊予市の行道山に置かれている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "愛媛県では1957年(昭和32年)5月29日にNHK松山放送局が、翌1958年(昭和33年)12月1日に南海放送がそれぞれVHF波によるテレビ放送を開始した。4年後の1962年(昭和37年)6月1日にはNHK松山がそれまでの総合テレビに加えて教育テレビ(Eテレ)の放送を開始し、結果的にはこれが愛媛県における最後のVHF局となる。そして全国的にUHF局が開局していった1969年(昭和44年)12月10日、愛媛県にとって初のUHF局である愛媛放送(現・テレビ愛媛)が開局した。以降、平成に入るまではテレビ事情に変化は無く、23年間は NHK、日テレ系、フジ系の3局4波時代が続いていた。ところが平成に入ると1992年(平成4年)10月1日にあいテレビが、1995年(平成7年)4月1日に愛媛朝日テレビが開局し、民放の数が一気にそれまでの倍になったことでテレビ環境が著しく変化・向上した。その後2006年(平成18年)10月1日、全局一斉に地上デジタルテレビ放送(通称:地デジ)を開始、5年間のアナ・デジ共存期間を経て2011年(平成23年)7月24日にそれまでのアナログ放送を終了し現在に至る。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "エフエム愛媛の親局送信所と南海放送のFM補完放送のメイン中継局はデジタルテレビ親局と同じ行道山であるが、NHK-FMの送信所は松山市街地の城山に置かれている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "日本アマチュア無線連盟 (JARL) を免許人とするアマチュア無線用中継局が県内各所に設置されており、運営・管理はJARL直轄局である JR5WA を除きJARL愛媛県支部と密接な関係にある愛媛レピータ研究会がボランティアで行っている。愛媛県の地形は西日本最高峰の石鎚山を有するなど急峻な山が多く、かつ、南予のリアス式海岸など都市・集落間の通信を妨げる要因が多彩に存在するため、それらをカバーするように設置されているところに特色がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "江戸時代に、伊予八藩と呼ばれるように、多くの藩が分立したため、地域ごとに微妙に異なる文化が息づいている。この点、同じ四国内でも一藩であった高知県(土佐、土佐藩)や徳島県(阿波、徳島藩)、三藩(高松藩、丸亀藩、多度津藩)であった香川県(讃岐)と状況を異にしている。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "明治時代以降の地理的区分である、東予、中予、南予という三区分も文化的背景を語るには欠かせない要素となっている。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "愛媛の人の気質は、端的にいえば保守的である。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "古くから山の幸、海の幸が豊富であったため、郷土料理といえるものが少なくない。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "住民の気質も、今日ではかなり薄まったといわれるが、東予、中予、南予で若干異なる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "たとえ話で、100万円あったら、東予の人はそれを元手に商売を始め、2倍3倍に増やそうとする、中予の人はそれを預けて金利を趣味に充て、温泉三昧の生活を夢見る、南予の人は一晩で使い切るような大散財をする(特に酒宴)、と評される(同様の話は、四国四県にもあり、高知県の喩えは南予に似ている)", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "愛媛県内の方言は伊予弁と呼ばれるが、地域によって違いがある。夏目漱石の小説『坊っちゃん』などの影響で「ぞなもし」が有名だが、これは松山市の方言であり、しかも現在の松山市では一部の年配者が使う「ぞな」にかろうじて形跡を感じられる程度で、一般には使われない。伊予弁はアクセントの地域差が大きく、東予・中予では京阪式アクセント、南予では東京式アクセント、大洲では崩壊アクセントである。語彙・表現では東予東部は讃岐弁、東予西部は広島弁、中予は関西弁、南予は幡多弁との関係が窺える。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "道後温泉郷に代表されるように古くから天然温泉が親しまれている。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "毎年10月16・17・18日。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "総勢50台の太鼓台が町を練り歩く祭り。明治時代に町の発展と共に大きく豪華になり、市外の太鼓台にも影響を与えている。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "市内5つの地区ごとに集まりかきくらべが行われ、毎年数十万人という観光客が訪れるほど人気を誇っていたが、現在は10万人程度に落ちている。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "16日早朝の内宮神社宮出しの大階段かき上げはまだ夜が明けない内の行事だが、多くの観客で神社が埋めつくされる。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "17日午前の国領川河川敷、17日午後の山根グラウンド、17日夕方の工場前、17日夕方の多喜浜駅前、18日午前の大江浜、18日午後の一宮神社、18日午後の八旛神社などで行われるかきくらべは多くの観客で賑わう。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "隔年の18日午前に川西地区の新居浜港で行われる船御幸は一宮神社の神輿の船渡御に合わせて、太鼓台を台船に乗せてお供をする行事。近年では川東地区の新居浜東港においても川西地区の翌年に船御幸が行われるようになった。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "阿波踊り、よさこいに並ぶ『四国三大祭』の1つである。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "毎年10月13・14・15日。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "14日にふるさと広場で行われる、総勢14台の太鼓台による寄せ担きが見所", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "15日に関川地区で行われる鉢合せと呼ばれる太鼓台同士の喧嘩も見応えがある。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "開催日は神社によって異なり、嘉母神社では毎年10月体育の日の前々日・前日、石岡神社では毎年10月14・15日、伊曽乃神社では毎年10月15・16日となっている。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "山車は京都の祇園祭に通ずるところがあり、だんじりや太鼓台や神輿などによる練り廻しや担き比べが見所", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "毎年7月22・23・24日。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "牛鬼パレードがある。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "愛媛県は、大江健三郎(1994年ノーベル文学賞)、中村修二(2014年ノーベル物理学賞)、真鍋淑郎(2021年ノーベル物理学賞)の3人のノーベル賞受賞者を輩出している。", "title": "出身者" } ]
愛媛県(えひめけん)は、日本の四国地方に位置する県。四国地方では最も人口が多い県。県庁所在地は中核市指定の松山市。都市規模は、計量特定市指定の今治市・新居浜市が続く。令制国の伊予国に当たる。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{特殊文字|説明=[[Microsoftコードページ932]]([[はしご高]])}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 愛媛県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Dōgo Onsen.jpg | photo2a = Iyokan on tree.jpg | photo2b = Imabari_castle.JPG | photo3a = Niihamataikomatsuri001.jpg | photo3b = Tenshaen.jpg | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center |space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[道後温泉本館]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[伊予柑]]<td style="width:50%">[[今治城]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[新居浜太鼓祭り]]<td style="width:50%">[[天赦園]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|愛媛県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[愛媛県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Ehime prefecture.svg|65px|愛媛県章]] | 都道府県章の説明 = [[愛媛県章]]<ref group="注釈">現在の県章は1989年制定。現在も県章を定める公告は有効であるがほとんど使用されず、県旗のみが紹介されることが多い。</ref> | 区分 = 県 | コード = 38000-8 | ISO 3166-2 = JP-38 | 隣接都道府県 = {{flag|徳島県}}<br/>{{flag|香川県}}<br/>{{flag|高知県}}<br/>{{flag|広島県}}<ref group="注釈">海上を隔てて隣接。ただし、架橋がなされているので自動車が両県間を通行可能</ref><br/>{{flag|山口県}}<ref group="注釈">海上を隔てて隣接</ref><br/>{{flag|大分県}}<ref group="注釈">海上を隔てて隣接</ref> | 木 = [[マツ]] | 花 = [[ミカン|みかんの花]] | 鳥 = [[コマドリ]] | シンボル名 = 他のシンボル | 歌など = 県の魚: [[マダイ]]<br />県の獣: [[ニッポンカワウソ]]<br />県の歌: [[愛媛の歌]]<br />県民の日: [[2月20日]](県政発足記念日)<br />マスコットキャラクター: [[みきゃん]] | 郵便番号 = 790-8570 | 所在地 = 松山市一番町四丁目4番地2<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-38|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=7|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=220|frame-height=200|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}}<br />[[ファイル:Ehime pref. Main building,Matsuyama-city,Japan.JPG|220px|愛媛県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 38 Ehime prefecture.svg|320px|愛媛県の位置]]{{基礎自治体位置図|38|000|image=Map of Ehime Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} '''愛媛県'''(えひめけん)は、[[日本]]の[[四国地方]]に位置する[[都道府県|県]]。四国地方では最も人口が多い県。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[中核市]]指定の[[松山市]]。都市規模は、[[計量特定市]]指定の[[今治市]]・[[新居浜市]]が続く。[[令制国]]の[[伊予国]]に当たる。 == 地理・地域 == === 位置 === * [[日本]]、[[四国|四国地方]]の北西に位置し、[[瀬戸内海]]に面している。 * 瀬戸内海を挟んだ[[広島県]]との文化的・経済的結びつきが強い。 * '''隣接都道府県:'''陸上で[[香川県]] - [[徳島県]] - [[高知県]] - [[広島県]](鳶小島、[[瓢箪島]](ひょうたん島))、海上で[[山口県]] - [[大分県]] と接している。また広島県とは、[[多々羅大橋]]([[西瀬戸自動車道]])、[[岡村大橋]]([[大崎下島広域農道]])の2か所で接続している。 * 北部は瀬戸内海西部沿岸だが[[佐田岬]]以南は[[豊予海峡]]を経て[[太平洋]]に通ずる。 === 広袤 === {{座標一覧|section=広袤(こうぼう)}} [http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/tyugheso.htm 国土地理院地理情報] によると愛媛県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは155.99&nbsp;km、南北の長さは157.16kmである。また、国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、愛媛県の面積は{{自治体面積/愛媛県|愛媛県}}平方キロメートルである<ref>[https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO-title.htm 全国都道府県市区町村別面積調] 国土地理院 2013年11月28日閲覧</ref>。 {|border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="0" style="font-size:small;text-align:center" | ||北端<br />{{ウィキ座標度分秒|34|18|6|N|133|16|29|E|type:landmark_region:JP-38|name=愛媛県最北端}}<br />↑||重心<br />{{ウィキ座標度分秒|33|37|31|N|132|51|12|E|type:landmark_region:JP-38|name=愛媛県重心}} |- |西端<br />{{ウィキ座標度分秒|33|20|40|N|132|0|45|E|type:landmark_region:JP-38|name=愛媛県最西端}}←||中心点<br />{{ウィキ座標度分秒|33|35|35.5|N|132|51|10|E|type:landmark_region:JP-38|name=愛媛県中心点}}||東端<br />→{{ウィキ座標度分秒|33|56|50|N|133|41|35|E|type:landmark_region:JP|name=愛媛県最東端}} |- | ||↓<br />南端<br />{{ウィキ座標度分秒|32|53|5|N|132|27|11|E|type:landmark_region:JP-38|name=愛媛県最南端}}|| |} === 地形 === [[ファイル:Isidutisan20220336 1.jpg|thumb|right|450px|西日本最高峰の石鎚山]] [[ファイル:佐田岬.jpg|thumb|right|250px|佐田岬]] [[ファイル:Kurushimakaikyou ohashi01.jpg|thumb|right|250px|瀬戸内海国立公園に架かる[[来島海峡大橋]]]] * [[山地]]: [[四国山地]]、[[石鎚山]]([[石鎚山系]])、[[高縄半島#高縄山地|高縄山地]] * [[平野]]: [[道後平野]]、[[道前平野]]、[[今治平野]]、[[新居浜平野]] * [[盆地]]: [[宇和盆地]]、[[大洲盆地]] * [[高原]]: [[久万高原町|久万高原]]、[[塩塚高原]]、[[天狗高原]] * [[峠]]: [[法華津峠]]、[[近永峠]]、[[犬寄峠]]、[[三坂峠]] * [[半島]]: [[佐田岬半島]]、[[高縄半島]]、[[由良半島]]、[[三浦半島 (愛媛県)|三浦半島]]、 * [[川]]: [[重信川]]、[[肱川]]、[[加茂川 (愛媛県)|加茂川]]、[[銅山川 (四国)|銅山川]]、[[石手川]]、[[蒼社川]] * [[海域]]: [[瀬戸内海]]、[[宇和海]]、[[豊後水道]]、[[伊予灘]]、[[斎灘]]、[[燧灘]]、[[堀江湾]]、[[法華津湾]]、[[吉田湾]]、[[御荘湾]]、[[宇和島湾]] * [[島嶼]]部: [[防予諸島]]、[[芸予諸島]]、[[忽那諸島]] * [[島]]: [[伯方島]]、[[大三島]]、[[大島 (愛媛県今治市)|大島]]、[[青島 (愛媛県)|青島]]、[[中島 (愛媛県)|中島]]、[[弓削島]]、[[二神島]]、[[興居島]]、[[九島]]、[[日振島]]、[[御五神島]]、[[高島 (愛媛県宇和島市)|高島]]、[[戸島 (愛媛県)|戸島]]、[[嘉島 (宇和島市)|嘉島]]、[[横島 (愛媛県宇和島市)]]、[[横島 (愛媛県愛南町)]]、[[北条鹿島|鹿島]]([[松山市|愛媛県松山市]]([[北条市|旧北条市]])) などほか多数。 === 自然公園 === ; [[国立公園]] : [[瀬戸内海国立公園]]、[[足摺宇和海国立公園]] ; [[国定公園]] : [[石鎚国定公園]] ; [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] : [[四国カルスト県立自然公園]]、[[皿ヶ嶺連峰県立自然公園]]、[[佐田岬半島宇和海県立自然公園]]、[[肱川県立自然公園]]、[[金砂湖県立自然公園]]、[[奥道後玉川県立自然公園]]、[[篠山県立自然公園]] === 気候 === [[瀬戸内海]]側(中予・東予)と[[宇和海]]に面した地域(南予)とで大きく異なる。 瀬戸内海側は温暖少雨であり、大きな[[河川]]や[[湖]]がないため渇水に見舞われやすい。松山などでは給水制限が設けられることが多い。なお、内陸部の[[久万高原]]では冷涼であり、高原野菜などが栽培されている。 宇和海側は、[[黒潮]]の影響を受けて総じて温暖ながら[[台風]]の関係もあり、暖候期の降水量は概して多い。 南国ではあるが、冬季には降雪も年に1 - 2回ある。特に[[関門海峡]]上空を通過した北西の湿潤な[[季節風]]が[[伊予灘]]をわたり、陸地に当たる地域である[[佐田岬半島]]から[[宇和島市]]にかけての南予は平野部でも20cm近い大雪に見舞われることもある。以上のように[[冬型の気圧配置]]下では瀬戸内側よりも宇和海側のほうが雪が多いのが特徴である。いっぽう[[南岸低気圧]]での積雪は南側に山があり寒気を溜め込みやすい東予中心となる。また、[[久万高原町]]など内陸部は冬場は寒くスキー場もある。 台風の直撃は[[高知県]]などに比べると少ない。ただ、台風が[[中国地方]]や[[日本海]]を抜けたりする場合、つまり台風の東半分に入った場合、強風で被害が生じやすい。過去、何度か、強風による[[柑橘類]]の落果被害や[[塩害]]などが発生している。また、県の東部[[四国中央市]]や[[新居浜市]]では[[やまじ風]]などの現象も観察される。 北西の[[季節風]]の影響で、[[冬季]]の降水日数が[[太平洋岸気候]]に属する[[地域]]に比べると多いが、[[日本海]]側ほどではない。 冬でも暖かい日が続くが、[[雨|小雨]]や[[雪|小雪]]の降る日もあり、冬から[[春]]に掛けては[[快晴]]日数は少ない。 [[太平洋高気圧]]に覆われる[[夏季]]には瀬戸内海沿岸特有の「[[凪]]」が発生し、日中の気温は35度を超える[[猛暑]]・[[猛暑|酷暑]]となり[[熱帯夜]]になることも多い。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+愛媛県各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="6"|[[南予地方]] !colspan="3"|[[中予地方]] !colspan="5"|[[東予地方]] |- ![[伊方町]]<br />瀬戸!![[大洲市]]<br />[[長浜町 (愛媛県)|長浜]]!![[大洲市|大洲]]!![[西予市]]<br />[[宇和町|宇和]]!![[鬼北町]]<br />近永!![[宇和島市|宇和島]]!![[松山市|松山]]!![[松山市]]<br />[[松山空港|松山南吉田]]!![[久万高原町]]<br />[[久万町|久万]]!![[今治市]]<br />[[大三島町|大三島]]!![[今治市|今治]]!![[西条市|西条]]!![[新居浜市|新居浜]]!![[四国中央市|四国中央]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 | ||25.8<br />(8月) |26.8<br />(8月)||25.9<br />(8月) |25.8<br />(8月)||27.1<br />(8月) |27.3<br />(8月)|| |23.8<br />(8月)||26.7<br />(8月) |27.0<br />(8月)||26.7<br />(8月) |27.6<br />(8月)||27.3<br />(8月) |- !最寒月 | ||6.2<br />(1,2月) |4.9<br />(1月)||3.7<br />(1月) |4.0<br />(1月)||6.7<br />(1月) |5.8<br />(1月)|| |1.4<br />(1,2月)||4.0<br />(2月) |5.8<br />(2月)||5.5<br />(1,2月) |6.1<br />(1,2月)||5.8<br />(1,2月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 | ||245.5<br />(6月) |279.5<br />(6月)||323.8<br />(6月) |328.0<br />(6月)||281.6<br />(6月) |240.5<br />(9月)|| |291.6<br />(6月)||199.1<br />(6月) |188.3<br />(6月)||211.1<br />(6月) |212.2<br />(9月)||215.4<br />(9月) |- !最少月 | ||42.3<br />(12月) |70.0<br />(12月)||68.6<br />(12月) |54.1<br />(12月)||52.9<br />(12月) |38.8<br />(12月)|| |82.4<br />(12月)||28.3<br />(12月) |33.0<br />(12月)||36.4<br />(12月) |31.8<br />(12月)||37.1<br />(12月) |} === 地域区分 === ==== 東予・中予・南予==== 県域を三分し、[[東予地方|東予]]、[[中予地方|中予]]、[[南予地方|南予]]と呼ぶことが多い。この場合、東予とは、[[今治市]]、[[西条市]]以東の地域を指す。南予とは、[[大洲市]]、[[内子町]]以西を指す。中予はこれ以外の地域である。ちなみに、[[明治]]期には[[喜多郡]](現在の大洲市、内子町)も中予に含まれていたとの説もある。県民の間では3区分がなじまれており、市町村で表示することが多くなった現在も、放送局によっては[[天気予報]]も3区分で表示される。 ==== 5地方局 ==== 行政区分では、愛媛県の地方局(東から西条、今治、松山、八幡浜、宇和島の5箇所)の管轄区分も用いられるが、使用者は行政関係者にほぼ限られる。[[2008年]](平成20年)[[4月]]には、東予(西条)、中予(松山)、南予(宇和島)の3局体制に再編され、今治、八幡浜は支局となっている。 ==== 6都市圏 ==== 県庁によって、以下の6つの圏域が設定されている。人口は[[2006年]](平成18年)[[6月1日]]現在の推計人口。 * [[宇摩圏]]域 - 92,423人 * [[新居浜・西条圏]]域 - 236,714人 * [[今治圏]]域 - 180,848人 * [[松山圏]]域 - 653,164人 * [[八幡浜・大洲圏]]域 - 166,576人 * [[宇和島圏]]域 - 131,574人 === 市町村 === {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=愛媛県|float=right}} 県下には以下の11市7郡9町がある。[[町]]はすべて「ちょう」と読む。[[村]]は[[消滅した愛媛県の市町村#2005年1月16日|2005年(平成17年)1月16日]]の[[日本の市町村の廃置分合|合併]]をもって消滅している。地方区分は、上記の県庁による区分とは異なる。 * [[東予地方]](東部) ** [[新居浜市]] ** [[四国中央市]] ** [[西条市]] ** [[今治市]] ** [[越智郡]]:[[上島町]] * [[中予地方]](中部) ** [[松山市]](県庁所在地) ** [[伊予市]] ** [[東温市]] ** [[上浮穴郡]]:[[久万高原町]] ** [[伊予郡]]:[[松前町 (愛媛県)|松前町]] - [[砥部町]] * [[南予地方]](南部) ** [[宇和島市]] ** [[八幡浜市]] ** [[大洲市]] ** [[西予市]] ** [[喜多郡]]:[[内子町]] ** [[西宇和郡]]:[[伊方町]] ** [[北宇和郡]]:[[松野町]] - [[鬼北町]] ** [[南宇和郡]]:[[愛南町]] {|class="wikitable" style="font-size:90%" |+ 地方/圏域の所轄市町村 ! 地方 !! 圏域 !! 市町村 |- | rowspan="3" | [[東予地方]] |[[宇摩圏]] |[[四国中央市]] |- |[[新居浜・西条圏]] |{{Flatlist| *[[新居浜市]] *[[西条市]]}} |- |[[今治圏]] |{{Flatlist| *[[今治市]] *[[上島町]]}} |- |[[中予地方]] |[[松山圏]] |{{Flatlist| *[[松山市]] *[[東温市]] *[[伊予市]] *[[松前町 (愛媛県)|松前町]] *[[砥部町]] *[[久万高原町]]}} |- | rowspan="2" | [[南予地方]] |[[八幡浜・大洲圏]] |{{Flatlist| *[[八幡浜市]] *[[大洲市]] *[[西予市]] *[[内子町]] *[[伊方町]]}} |- |[[宇和島圏]] |{{Flatlist| *[[宇和島市]] *[[松野町]] *[[鬼北町]] *[[愛南町]]}} |} == 歴史 == === 由来 === 「えひめ」の地名は、『[[古事記]]』上巻の[[イザナギ]]と[[イザナミ]]による[[国産み|国生み]]の段に見られる。国生みにより「伊予之二名島」([[四国]])が生まれたが、この島の4つの顔にはそれぞれ名があり、「伊豫國謂愛比賣」(伊予国は愛比売と謂ひ)とある<ref>{{Cite web|和書|url=http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/iyonofutananoshima/|title=伊予之二名島|work=神名データベース|publisher=國學院大學|accessdate=2023-8-7}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/52/view/6815|title=一 伊予(伊豫) |work=愛媛県史 文 学(昭和59年3月31日発行)|accessdate=2023-8-6}}</ref><ref name="ehimekenshi_6816">{{Cite web|和書|url=https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/52/view/6816|title=二 愛媛|work=愛媛県史 文 学(昭和59年3月31日発行)|accessdate=2023-8-6}}</ref>。「えひめ」は「うるわしい女神」といった意味合いの神名である<ref name="ehime_1383">{{Cite web|和書|url=https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/7/view/1383|title=(2)愛媛の「姫」づくり|work=愛媛の技と匠(平成9年度)|accessdate=2023-8-6}}</ref>。[[江戸時代]][[幕末]]期、[[今治藩]]医で国学者の[[半井梧庵]]が伊予一国を扱った地誌『愛媛面影』を編纂したが、これが「えひめ」に「愛媛」という漢字を宛てた最初の例とされる<ref name="ehimekenshi_6816"/><ref name="bunka_245971">{{Cite web|和書|url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/245971|title=愛媛面影|work=文化遺産オンライン|accessdate=2023-8-6}}</ref><ref name="i-rekihaku_245971">{{Cite web|和書|url=https://www.i-rekihaku.jp/research/monogatari/article/047.html|title=調査・研究 えひめの歴史文化モノ語り 第47回 伊予国全域網羅の地誌「愛媛面影」|publisher=愛媛県歴史文化博物館|date=2019-6-14|accessdate=2023-8-6}}</ref>。 全国で唯一の神名をつけた県である。県名選定の経緯ははっきりとはわからないが、神名を採用したことは明治時代の[[王政復古]]の風潮と合致していたものと見られる<ref name="ehime_1383"/>。 === 先史 === 県内では2万2000年以上も前から人々が生活していた。[[1995年]](平成7年)伊予市の旧双海町の東峰遺跡・高見I遺跡{{Refnest|group="注釈"|両遺跡は標高約300メートルの地点にある。東峰遺跡ではAT火山灰の下から[[磨製石器|局部磨製石斧]]・台形様石器・安山岩大型石核が、高見I遺跡でもチャート製の剥片と推奨製の破片が出土している。なお高見I遺跡のAT火山灰の上から[[ナイフ形石器]]や石核などが出土している<ref>寺内浩「愛媛のあけぼの」『[[#愛媛県の歴史|愛媛県の歴史]]』 13-14ページ。</ref>。}}で[[姶良Tn火山灰|AT火山灰]](姶良・胆沢火山灰)の下から石器が出土している。 === 古代 === 現在の愛媛県は[[令制国]]での[[伊予国]]に当たる。 [[松山市]]の久米地域は、久米[[国造]]の支配地域であり、その中心地でもあった。久米地域の堀越川と小野川にはさまれた来住(きし)台地とその周辺に7 - 8世紀代の諸[[官衙]]遺構が集中して分布しており、発掘調査が進められている。台地北辺に政庁、中央に「回廊北方官衙」、南南東部に「回廊状遺構」、その南東外部に来住廃寺塔基壇、西に「久米郡衙正倉院」がある<ref>寺内浩「古代国家と伊予国」」『[[#愛媛県の歴史|愛媛県の歴史]]』43-44ページ。</ref>。来住廃寺は、7世紀の終わりに回廊状遺構が壊された後、東半分に重なるように建てられた寺である。 === 中世 === [[ファイル:Yuzuki Castle Ruins1(Matsuyama City).JPG|thumb|right|250px|河野氏の居城であった湯築城]] * [[藤原純友]](藤原純友の乱) * [[河野通有]](元寇と対峙した水軍大将) * [[脇屋義助]]([[南朝 (日本)|南朝]]) * [[村上通康]]([[村上水軍]]) * [[村上武吉]](村上水軍) * [[河野通宣 (左京大夫)|河野通宣]]([[河野氏]]) * [[河野通直 (伊予守)|河野通直]] * [[金子元宅]]([[金子氏#伊予金子氏|伊予金子氏]]) * [[宇都宮豊綱]]([[伊予宇都宮氏]]) * [[西園寺公広]]([[西園寺家|伊予西園寺氏]]) * [[戸田勝隆]]([[織豊政権|織豊大名]]) * [[加藤嘉明]](織豊大名) * [[藤堂高虎]](織豊大名)<ref>『[[#これでいいのか愛媛県|日本の特別地域特別編集64 これでいいのか愛媛県]]』42、43頁。</ref> === 江戸時代 === {{main|伊予八藩}} [[1600年]]の[[関ヶ原の戦い]]ののち、伊予国40万石は[[加藤嘉明]]と[[藤堂高虎]]によって両分された。加藤嘉明は[[松山城 (伊予国)|松山城]]を築き、藤堂高虎は[[今治城]]を築いて、それぞれ領国支配の拠点とした。ただし、17世紀前半に両家は伊予国から転出して大規模な藩領は分割された。17世紀後半までには、[[伊予松山藩|松山藩]](15万石)を最大の藩として、[[西条藩]](紀州藩支藩)、[[小松藩]]、[[今治藩]]、[[大洲藩]]、[[新谷藩]](大洲藩支藩)、[[宇和島藩]]、[[伊予吉田藩|吉田藩]](宇和島藩支藩)のいわゆる「伊予八藩」が成立し、以後[[廃藩置県]]まで藩主家の交代もなく安定した体制となった<ref name="ehime_8163">{{Cite web|和書|url=https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/65/view/8163|title=伊予八県の成立/愛媛県史 近代 上(昭和61年3月31日発行)|work=データベース『えひめの記憶』|publisher=愛媛県生涯学習センター|accessdate=2021-9-15}}</ref>{{efn|ほかに2万石ほどの[[天領|幕府領]]もあり、[[川之江代官所]]が置かれている。}}。 江戸時代、[[阿波国]]は[[徳島藩]]、[[土佐国]]は[[高知藩]]という大藩による一国支配が行われていたのに対し、伊予国が8つの藩によって分け治められていた{{efn|国別の総石高では伊予国が四国最大である(正保郷帳によれば伊予国40万石、土佐国24万石余、阿波国18万石余、讃岐国17万石余。[[旧国郡別石高の変遷]]参照)。}}歴史は、小規模な平地・盆地が散在するという地理的条件とともに<ref name="ehime_6648">{{Cite web|和書|url=https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/51/view/6648|title=海と峠の風土/愛媛県史 県政(昭和63年11月30日発行)|work=データベース『えひめの記憶』|publisher=愛媛県生涯学習センター|accessdate=2021-9-15}}</ref>、愛媛県において地域ごとに多様な文化が発展したこと<ref name="ehime_6648"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://ehime-c.esnet.ed.jp/bunkazai/rekishitobunka/rekishitobunka.htm|title=愛媛県の歴史と文化|publisher=愛媛県教育委員会文化財保護課|accessdate=2021-9-18}}</ref>、あるいは県域の一体感が薄いと言われること<ref name="ehime_6648"/>と結び付けて語られる。 === 近代 === * [[1871年]](明治4年) ** 7月 - 廃藩置県により8藩がそのまま県となる。旧幕府領は[[倉敷県]]に分属。 ** 9月 - 旧幕府領が丸亀県に移管。 ** 11月 - 丸亀県の一部と西条・小松・今治・松山の各県が合併して松山県に、大洲・新谷・吉田・宇和島の各県が合併して宇和島県となる。 * [[1872年]](明治5年) - 松山県は[[石鉄県]](いしづちけん)、宇和島県は[[神山県 (日本)|神山県]](かみやまけん)となる。 * [[1873年]](明治6年) - 石鉄県、神山県が合併し、愛媛県となる([[太政官]]布告第60号)。 * [[1876年]](明治9年) - 香川県と合併、「愛媛県」となる。 * [[1886年]](明治19年) - [[歩兵第22連隊]]が創設される。 * [[1888年]](明治21年) ** 香川県が分離、今日の愛媛県となる。 ** [[伊予鉄道]]の松山駅(現在の[[松山市駅]]) - [[三津駅]]間路線開通(四国初の鉄道路線)。 * [[1891年]](明治24年) ** [[児島惟謙]](旧宇和島藩士)が[[大津事件]]裁判で無期徒刑判決を下す。 ** 女性宣教師[[コーネリア・ジャドソン|ジャジソン]]らが松山市三番町に[[松山学院高等学校|普通夜学会]]を創立。 * [[1893年]](明治26年) - [[二宮忠八]]は、玉虫型飛行機完成。世界初の動力航空機を創り上げる。 * [[1894年]](明治27年) - 歩兵第22連隊、[[日清戦争]]で[[平壌直轄市|平壌]]から[[清王朝|清]]を排除。 * [[1899年]](明治32年) - [[別子大水害]]発生。 * [[1904年]](明治37年) - 歩兵第22連隊、[[日露戦争]]の[[旅順要塞]]攻略で4,300名以上の死傷者を出す。 * [[1905年]](明治38年) - [[四阪島]]製錬所の煙害が東予地方ほぼ全域に拡大。 * [[1906年]](明治39年) - 高浜港開港式を挙行。 * [[1907年]](明治40年) - 別子大暴動発生。軍隊が出動する騒ぎとなる。 * [[1909年]](明治42年) - 三津浜築港疑獄事件で政友会県支部幹事長ら逮捕。 * [[1918年]](大正7年) - [[郡中町]]で発生した[[1918年米騒動|米騒動]]が県内各地に飛び火する。 * [[1919年]](大正8年) - [[松山高等学校 (旧制)|松山高等学校]]開校。 * [[1927年]](昭和2年) - 讃予線[[松山駅 (愛媛県)|松山駅]]開業(沖縄県を除く都道府県庁所在地の国鉄駅で最遅)。 * [[1933年]](昭和8年) - [[愛媛鉄道]]と[[宇和島鉄道]]が国有化される。 * [[1940年]](昭和15年) - [[大政翼賛会]]県支部発足。 * [[1941年]](昭和16年) ** 日本放送協会松山放送局開局。 ** [[新聞統廃合令]]により海南新聞、南予時事新聞、伊予新報が愛媛合同新聞に統合(1944年[[愛媛新聞]]と改題)。 * [[1942年]](昭和17年) - [[松山空港|松山海軍航空基地]]建設により吉田浜一帯の農地が強制接収される。 * [[1944年]](昭和19年) - [[太平洋戦争]]の戦局悪化に伴い[[神風特別攻撃隊]]が初出撃。参加パイロット5名のうち2名が[[関行男|愛媛県人]]で、[[セント・ロー (護衛空母)|敵空母]]を撃沈する。 * [[1945年]](昭和20年) ** 歩兵第22連隊、[[沖縄戦]]で[[玉砕]]。 ** 松山市、[[今治市]]、[[宇和島市]]などへの[[日本本土空襲|空襲]]で死傷者多数。 ** [[アメリカ軍]]が愛媛県下に進駐し、接収された[[愛媛県立図書館|県立図書館]]、[[萬翠荘]]、[[城山公園 (松山市)|第22連隊兵営跡]]に[[星条旗]]が翻る。 === 戦後・昭和後期 === * [[1946年]](昭和21年) ** [[南海大地震]]が発生し、県内で26人が死亡。 ** 県下の軍国主義者230名が[[公職追放]]処分を受ける。 * [[1948年]](昭和23年) - 新制高等学校発足。 * [[1949年]](昭和24年) - 新制[[愛媛大学]]、[[松山商科大学]]が発足。 * [[1950年]](昭和25年) - 県下各企業で[[レッドパージ]]が始まる。 * [[1951年]](昭和26年) - 松山市が[[国際観光文化都市]]に指定。 * [[1953年]](昭和28年) ** 第8回国民体育大会(四国国体)開催。 ** 県内初の民放[[南海放送]]が開局。 * [[1957年]](昭和32年) - [[NHK松山放送局]]がテレビ放送を開始。 * [[1964年]](昭和39年) ** [[東予地方]]が[[新産業都市]]に指定される。 ** [[全国学力・学習状況調査|学力テスト]]反対闘争(~1966年)。 * [[1971年]](昭和46年) - 全国自然保護連合、[[石鎚スカイライン]]による環境破壊で愛媛県知事を告発。 * [[1973年]](昭和48年) - [[別子銅山]]閉山。 * [[1977年]](昭和52年) - [[四国電力]][[伊方原子力発電所]]稼動開始。 * [[1982年]](昭和57年) - 四国初の[[超短波放送|FM放送]]局として[[エフエム愛媛|FM愛媛]]が開局。 * [[1983年]](昭和58年) - [[テクノポリス]]地域に指定される。 * [[1985年]](昭和60年) - 四国初の高速道路として[[松山自動車道]]の[[三島川之江インターチェンジ|三島川之江IC]] - [[土居インターチェンジ|土居IC]]が開通。 * 昭和の合併 : [[1955年]](昭和30年)を境として、全国的な動きではあったが、市町村合併が急速に進み、[[1954年]](昭和29年)2月1日時点で、6市41町186村、計233市町村であったのが、[[1958年]](昭和33年)4月1日には、10市42町29村となった。 : ほとんどの合併は[[1956年]](昭和31年)度中に成就した。その後[[1963年]](昭和38年)ごろまでは五月雨式に合併が続いた。昭和40年代に入ってからは、[[壬生川町]]・[[三芳町 (愛媛県)|三芳町]]の合併(東予町の誕生、翌年[[東予市]]に昇格)、[[久谷村]]の松山市への編入、[[宇和海村]]の宇和島市への編入があったのみである。 === 平成 === * [[1993年]](平成5年) - JR予讃線[[伊予市駅]] - [[高松駅 (香川県)|高松駅]]間の電化工事が完了。 * [[1997年]](平成9年) - [[愛媛県靖国神社玉串料訴訟]]で[[違憲]]判決。 * [[1999年]](平成11年) - [[西瀬戸自動車道]]が全面開通(島部の一部は未開通)。 * [[2000年]](平成12年) - 松山市が[[中核市]]に昇格。 * [[2001年]](平成13年) - [[芸予地震]]が起こる。 * [[2005年]](平成17年) - [[プロ野球]][[独立リーグ]]四国アイランドリーグ(現:[[四国アイランドリーグplus]])発足と同時に[[愛媛マンダリンパイレーツ]]が創設される。 * [[2006年]](平成18年) ** 西瀬戸自動車道の一部未開通部分が完成し、1本の道路として繋がる。 ** [[愛媛FC]]が[[日本フットボールリーグ|JFL]]から[[J2リーグ|J2]]に昇格。 * [[2017年]](平成29年) - [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の弾道ミサイル発射予告に伴い、[[陸上自衛隊]][[松山駐屯地]]に迎撃用[[パトリオットミサイル]]PAC3が初展開する。 == 人口 == 愛媛県は、[[第二次世界大戦]]が終わると人口が急増し、1955年に約154万人でピークを迎えた。[[高度経済成長]]期(1950年代後半 - 1970年代前半)には、大規模な人口流出(社会減)が起こり、減少傾向に入った。1970年代後半から1980年代前半までは人口流出が少なく、再び回復基調になる。1985年の約153万人を境に再び減少傾向に入る<ref name=vision>{{Cite news|url=https://www.pref.ehime.jp/h12100/jinnkoumonndai/documents/271027zinkoubijon.pdf|title=愛媛県人口ビジョン|accessdate=2017-01-05}}</ref>。2019年の[[合計特殊出生率]]は1.46であり、人口は自然減となっている。 年齢別にみると、1950年の55.8万人をピークに[[年少人口]](15歳未満)が減少している([[少子化]])。その後、[[第2次ベビーブーム]]([[団塊ジュニア世代]]の誕生)により人口が維持された時期はあったが、長期減少傾向は続いている。[[生産年齢人口]](15 - 64歳)も1985年の100.6万人をピークに減少に転じている。[[老年人口]](65歳以上)は、生産年齢人口が老年期に入っていることと、平均寿命の延長による増加([[高齢化]])が続いており、2010年時点で26.5%となっている<ref name="vision" />。 人口の流出先としては、[[東京圏]]・[[関西]](大阪・神戸方面)[[広島県]]、[[岡山県]]が多い。また、県内では[[東予]]・[[南予]]から[[中予]]へ人口が移動する傾向がある<ref name="vision" />。 市町村別でみると、県内に増加の自治体はない。[[松山市]]とそのベッドタウンの人口は減少が緩やかである。南予は減少が急速に進んでおり、より効果的な対策が求められている。 [[ファイル:愛媛県人口増加率.jpg|サムネイル|300x300ピクセル|愛媛県市町村人口増減率分布図(2016年度と2021年度愛媛県統計から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}} ]] {{人口統計|code=38000|name=愛媛県|image=Demography38000.svg}} == 政治 == === 県政 === ==== 歴代県知事(公選) ==== * 初代 青木重臣([[1947年]](昭和22年)4月16日 - [[1951年]](昭和26年)4月4日、1期) * 2代 [[久松定武]]([[1951年]](昭和26年)5月4日 - [[1971年]](昭和46年)1月27日、5期) * 3代 [[白石春樹]]([[1971年]](昭和46年)1月28日 - [[1987年]](昭和62年)1月27日、4期) * 4代 [[伊賀貞雪]]([[1987年]](昭和62年)1月28日 - [[1999年]](平成11年)1月27日、3期) * 5代 [[加戸守行]]([[1999年]](平成11年)1月28日 - [[2010年]](平成22年)11月30日、3期) * 6代 [[中村時広]] ([[2010年]](平成22年)12月1日 - 現職、4期目) ==== 行政機関 ==== 県の出先機関として5市(西条・今治・松山・宇和島・八幡浜)に地方局が設置されていたが、近年の財政難や市町村合併により、東予・中予・南予の3県域ごとに再編され東予地方局が西条、中予地方局が松山、南予地方局が宇和島に設置され、今治には東予地方局の支局、八幡浜には南予地方局の支局が設置されている。 出先機関は * [[東予地方局]]([[西条市]]) ** [[東予地方局今治支局|今治支局]]([[今治市]]) * [[中予地方局]]([[松山市]]) * [[南予地方局]]([[宇和島市]]) ** [[南予地方局八幡浜支局|八幡浜支局]]([[八幡浜市]]) ==== 県議会 ==== {{see|愛媛県議会}} ==== 財政 ==== [[バブル景気]]時の大型観光施設整備や[[バブル不況]]期の景気対策で、県債の発行残高が増加し、県の財政が悪化。三位一体改革による補助金減少でさらに悪化している。そのため県は大型公共事業の凍結・見直し・先送り、県職員の給料カット、知事公舎などの売却、行政機関の再編などで財政再建を進めている。 ===== 平成18年度 ===== * 標準財政規模 3233億1400万円 * [[財政力指数]] 0.37232(都道府県平均 0.46)。愛媛県は[[財政力指数]]0.3 - 0.4のIIIグループ(11自治体)に分類されている。 * 経常収支比率 89.8%(都道府県平均 92.6) * 実質収支比率 0.6% * 人口一人当たり人件費・物件費 13万0046円(都道府県平均 12万4759円) * 人口一人当たりの地方債現在高 65万6826万円(都道府県平均 62万2416円) 注意 上記は普通会計分の地方債のみを計算している。 * 実質公債費比率 14.6%(都道府県平均 14.7%) * 人口100,000人当たり職員数 1,388.25人(都道府県平均 1,173.11人)。定員適正化計画に沿って職員数削減を進めている。 * [[ラスパイレス指数]] 97.1(都道府県平均 99.6) 地方債残高 * 普通会計の地方債現在高 9719億5500万円 * 上記以外の特別会計の企業債(地方債)残高 415億8200万円 ** 主な内訳 病院事業会計分 約213億円 * 第3セクター等の地方債等残高 2億2600万円 * 地方債等の合計 1兆0137億6300万円(連結会計) * 愛媛県民一人当たりの地方債等残高 70万1401円(連結会計) ===== 平成17年度 ===== * 財政力指数:0.34(平成17年度)の財政力指数) === 国政 === ==== 衆議院 ==== 長く[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]が選挙区を独占していたが、[[第45回衆議院議員総選挙]]では愛媛3区で民主党公認の[[白石洋一]]が当選した。[[第46回衆議院議員総選挙]]では再び小選挙区で自由民主党が選挙区を独占した。[[比例四国ブロック]]2区の[[西岡新]]、4区の[[桜内文城]](両氏とも[[日本維新の会 (2012-2014)|日本維新の会]]公認)が復活当選した。[[第48回衆議院議員総選挙]]では、白石洋一が議席を取り戻した。 * [[愛媛県第1区]] -{{衆議院小選挙区当選者|愛媛県第1区}} * [[愛媛県第2区]] - {{衆議院小選挙区当選者|愛媛県第2区}} * [[愛媛県第3区]] - {{衆議院小選挙区当選者|愛媛県第3区}} * [[愛媛県第4区]] - {{衆議院小選挙区当選者|愛媛県第4区}} ==== 参議院 ==== 衆議院と同様に[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]が独占していたが、[[第21回参議院議員選挙]]では現職の自由民主党候補を破り[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]などが推薦する無所属の[[友近聡朗]]が(その後民主党を経て[[国民の生活が第一]]に入党)が当選した。[[2013年]]の[[第23回参議院選挙]]では自由民主党新人で元[[四国中央市]]長の[[井原巧]]が他の新人候補を破って当選し、再び自民党が議席を独占することとなった。 [[愛媛県選挙区]] * 2022年改選 ** {{参議院選挙区当選者偶数開催|愛媛県選挙区}} * 2025年改選 ** {{参議院選挙区当選者奇数開催|愛媛県選挙区}} ==== 法務局 ==== * 松山[[地方法務局]]([[松山市]]) ** 砥部出張所([[砥部町]]) ==== 裁判所 ==== {{Multicol}} * [[松山地方裁判所]](松山市) ** 大洲支部([[大洲市]]) ** 西条支部([[西条市]]) ** 今治支部([[今治市]]) ** 宇和島支部([[宇和島市]]) * [[松山家庭裁判所]](松山市) ** 大洲支部(大洲市) ** 西条支部(西条市) ** 今治支部(今治市) ** 宇和島支部(宇和島市) ** 愛南出張所([[愛南町]]) {{Multicol-break}} * [[簡易裁判所]] ** [[松山簡易裁判所]](松山市) ** 大洲簡易裁判所(大洲市) ** 西条簡易裁判所(西条市) ** [[今治簡易裁判所]](今治市) ** 宇和島簡易裁判所(宇和島市) ** [[八幡浜簡易裁判所]]([[八幡浜市]]) ** [[新居浜簡易裁判所]]([[新居浜市]]) ** 四国中央簡易裁判所([[四国中央市]]) ** 愛南簡易裁判所(愛南町) {{Multicol-end}} ==== 自衛隊 ==== [[陸上自衛隊]]が[[松山駐屯地]]に駐屯する。[[治安出動]]および[[防衛出動]]が下令された場合、愛媛県内の発電所、変電所、空港、重要港湾、重要橋梁、石油関連施設、重要生産工場などに展開する。敵対勢力から急迫不正の攻撃が予測される場合には、対象目標を迅速に撃破する。また、山林火災や渇水、洪水時などの[[災害派遣]]も担当する。 == 経済・産業 == === 経済 === 愛媛県は、前述したように、各地が山で隔てられているため、都市圏が孤立している。以下に愛媛県が定めた中央圏域区分を記す。 * [[宇和島圏]](宇和島都市圏) * [[今治圏]](今治都市圏) * [[新居浜・西条圏]](新居浜都市圏) * [[宇摩圏]](四国中央都市圏) * [[八幡浜・大洲圏]](八幡浜都市圏) [[松山都市圏]]は、[[松山市]]とその周辺の都市のみで構成している。山がちな[[高縄半島]]と[[四国山地]]、とりわけ[[石鎚山脈]]の影響で愛媛県の主要都市である[[今治市]]や[[新居浜市]]、[[宇和島市]]などと隔絶されている。そのため、県全体で都市圏を構成している[[高松都市圏]]や[[徳島都市圏]]のようにはいかず、四国で3位の都市圏となる。しかし、これは[[10%都市圏]]の話である。[[総務省統計局]]の定義する[[都市圏 (総務省)]](1.5%都市圏)には四国で唯一掲載されている。定義によって[[松山都市圏]]の規模の見方は変わってくる。 === 産業 === 愛媛県は地理的に東予・中予・南予に三分されるが、産業においてもこれら地域によって大きく様相が異なる。 * 東予は、[[四国中央市]]の紙関係、[[新居浜市]]・[[西条市]]の化学工業、非鉄金属、産業機械、電機関係、[[今治市]]の造船とタオルといった製造業が中心で、[[瀬戸内工業地域]]の一角ある。[[別子銅山]]があった新居浜市は旧[[住友財閥]]発祥の地であり、現在でも[[住友グループ]]の企業が工場を構えている。 * 中予は、[[松山市]]を中心とした地域で、松山市だけで愛媛県の人口の3分の1を占めており、政治・経済、商業活動の中心として第三次産業が主力ながら、臨海部には化学工業も発達している。 * 南予は、柑橘類や養殖漁業を中心に第一次産業に特化している。その反面、製造業の集積が貧弱であり、経済基盤も脆弱である。そのため県や南予の自治体はコールセンターなどの誘致に補助金を支給するようにして企業の誘致を図っている。 ==== 農業 ==== [[ファイル:Iyokan_on_tree.jpg|thumb|right|200px|イヨカン]] 県下各地で、[[柑橘類]]が生産され、[[ウンシュウミカン|みかん]]・[[イヨカン|いよかん]]が有名。[[キウイフルーツ]]・[[クリ|栗]]なども有名である。そのうちみかんは[[2003年]](平成15年度)まで、僅差ではあるが日本一の座を守ってきた。しかし[[2004年]](平成16年度)には34年ぶりに[[和歌山県]]に日本一の座を明け渡し、2017年(平成29年度)まで2位、2018年(平成30年度)には[[静岡県]]に抜かれ3位となった。 * [[裸麦]] - 生産量日本一。 * キウイフルーツ - 生産量日本一、全国シェア約2割。 * [[いよかん]] - 生産量日本一、全国シェア約8割。 * みかん - 生産量全国3位、全国シェア約15%。 * [[ポンカン]] - 生産量全国1位、全国シェア約35%。 * [[ハッサク]] - 生産量全国3位、全国シェア約1割。 * 栗 - 生産量全国3位、全国シェア約1割。 * [[ネーブルオレンジ]] - 生産量全国4位、全国シェア約1割。 ==== 林業 ==== 林業産出額は57億6千万円([[2010年]])となっており、木材生産が41億円と全産出額の71.2%を占めている<ref name="ringyo">農林水産省統計部 (2010) 『生産林業所得統計』</ref>。全国の林業産出額の割合では木材生産の割合は45.1%で全国と比べ愛媛県では木材生産の割合が高くなっている<ref name="ringyo" />。品目別の木材生産では[[檜]]が22億3千万円と最も多く、次いで[[杉]]が18億1千万円である<ref name="ringyo" />。 [[1980年]]には林業産出額は254億7千万円<ref>愛媛県農林水産部森林局『愛媛の森林・林業について(平成22年度実績版)』</ref>であったが、外国材の流入による価格低下や林業従事者の減少などによって大幅に激減している。 ==== 漁業 ==== 燧灘、伊予灘、宇和海という性質の異なる3つの海域に面し、それぞれ独自の漁業が営まれている。 * [[燧灘]]では、小型漁船による漁業が行われている。かつては、鰯などの好漁場であったが、資源が枯渇しつつあり、漁獲高も多くない。沿岸部では、海苔などの養殖が小規模ながら行われている。また、来島海峡などの海峡部ではタイ、デベラなども獲れる。しかし、養殖は盛んではない。 * [[伊予灘]]では、漁船漁業が中心である。小魚中心。 * [[豊後水道|宇和海]]では[[真珠]]や[[ブリ|ハマチ]]([[ブリ]])の[[養殖]]が盛んで、[[鯛|タイ]]の養殖では日本一となっている。真珠養殖も長らく日本一であったが、大量斃死の影響で、日本一の座から滑り落ちてしまった。 ==== 製造業 ==== 製造品出荷額等(2010年)は、3兆7,924億円であり、[[非鉄金属]]が6,044億円(全体の15.9%)と最も高く、次いで[[パルプ]]が5,211億円 (13.7%)、[[輸送用機械]]が5,112億円 (13.5%)、[[化学]]が4,231億円 (11.2%)、石油・石炭が3,936億円 (10.4%) などとなっている<ref name="kou">愛媛県企画振興部管理局統計課経済統計係 (2010) 『平成22年工業統計調査』</ref>。 事業所数(2010年)は全体では2,434事業所で、産業別に見ると[[食料]]が460事業所 (18.9%) と最も高く、次いで[[繊維]]が333事業所で (13.7%)、パルプが225事業所 (9.2%) などとなっている<ref name="kou" />。従業員数(2010年)では全体が76,347人で食料が13,574人 (17.8%) と最も高く、次いでパルプが9,769人 (12.8%)、「繊維」が7,647人 (10.0%) などとなっている<ref name="kou" />。 市町村別の製造業出荷額等では、[[今治市]]が8,871億円が最も多く、[[西条市]]が8,113億円、[[新居浜市]]が6,150億円、[[四国中央市]]が6,068億円、[[松山市]]が4,237億円などとなっている。上位4位は[[東予地方]]の市が占めており、[[上島町]]を含めると愛媛県全体の製造業出荷額等の7割以上 (78.5%) を東予地方の市町が占めている<ref name="kou" />。 ===== 東予地方 ===== ; 繊維関係 : [[タオル]]([[今治市]]) : 縫製業 ; 紙製品関係 : [[四国中央市]]に[[大王製紙]]が本社を置いている。一般的な製紙業(新聞紙・印刷用紙・包装用紙・衛生用紙など)のほか、[[祝儀用品]]・[[書道]]用紙などの日用品の生産が活発である。 ; 化学・金属 : [[新居浜市]]、[[西条市]]など。[[住友グループ]]([[住友金属鉱山]]、[[住友化学]]、[[住友重機械工業]]、SEN)、鉄鋼([[日本製鉄]])、[[メカトロニクス]]など ; 石油化学 : 今治市。[[太陽石油]] ; 電機・機械 : 新居浜市、西条市、今治市。[[ルネサス エレクトロニクス]]、[[住友重機械工業]]、[[ハリソン東芝ライティング]]など ; 造船 : 今治市。[[今治造船]]および[[新来島どっく]]グループ。 ; 食品 : 今治市、西条市。[[日本食研ホールディングス]]、[[アサヒビール]]など。 ===== 中予地方 ===== ; 繊維関係 : [[化学繊維]]・[[縫製業]] : [[東レ]]([[松前町 (愛媛県)|松前町]])、[[帝人]]([[松山市]])などの関連工場がある。 ; 石油化学 : 松山市。[[コスモ松山石油]]、[[三菱化学]]など。 ; 機械・電気関係 : 松山市、[[東温市]]など。電気・電子部品、農業機械、繊維機械などおよびその部品。[[井関農機]]、[[三浦工業]]、[[PHCホールディングス|PHC]]など。 ; 食料品 : 松山市。[[果実飲料]]、[[削り節]]([[伊予市]])など [[えひめ飲料]]、[[ヤマキ]]、[[マルトモ]]など。 ===== 南予地方 ===== 電子部品工場や自動車部品工場などが撤退し地元では雇用の減少に頭を悩ませている。ただ水産業が盛んであるため飼料などの工場は複数立地している。 ; 食品関係 : [[宇和島市]]など。[[メルシャン]]、[[日清丸紅飼料]]など。 ; 魚肉練製品 : ([[じゃこ天]]・[[蒲鉾]]・[[削りかまぼこ]])[[八幡浜市]]など。八水蒲鉾など。 ==== 鉱業 ==== かつては、新居浜市(旧[[別子山村]])の[[別子銅山]]などの鉱山があったが次々と閉山し、現在は今治市の大島で[[大島石]]を採掘するぐらいになっている。 ==== 建設業 ==== [[バブル崩壊]]後は景気対策の一環として次々と公共事業が行われ建設業は栄えたが、後に県財政の悪化や[[三位一体の改革|三位一体改革]]で公共事業が減少し現在、県内の建設会社が倒産したり、会社分割など再建を図る企業も出てきている。建設業の不振で工場や事業所の撤退が相次ぐ南予地方は大きなダメージを受けている。 === 小売業 === [[ファイル:松山市駅ターミナル.jpg|thumb|[[松山市駅]]の駅ビルでもある「いよてつ高島屋」]] [[ファイル:Ichiban-cho Street (Matsuyama City).JPG|thumb|「三越」などがある松山市一番町]] 百貨店では、松山市に[[伊予鉄髙島屋]]、[[松山三越]]がある。閉店した店舗としては主に[[大丸]]([[今治大丸|今治市]]・[[新居浜大丸|新居浜市]])、[[髙島屋]](今治市)がある。なお、[[今治大丸]]は、[[2008年]](平成20年)12月に閉店した。 総合スーパーマーケットは、以下のような店舗がある。 ; [[フジ・リテイリング]] : フジグラン:[[フジグラン松山]]、[[フジグラン重信]]、[[エミフルMASAKI]]ほか計9店舗 ; [[イオングループ]] :; [[イオン (店舗ブランド)|イオン]] :: 旧[[ジャスコ]]:[[イオンスタイル松山|松山市]]、四国中央市、[[イオンモール新居浜|新居浜市]] :: 旧[[サティ (チェーンストア)|サティ]]:[[イオン今治店|今治市]] :: 統合以降:[[イオンモール今治新都市|今治市]] : [[マックスバリュ]]:松山市、新居浜市、今治市 : [[ザ・ビッグ]]:新居浜市、松山市、今治市 : [[マルナカ (チェーンストア)|マルナカ]]:東予・中予エリアを中心に県内全域に27店舗 かつてはニチイ([[ショッピングセンタGET|松山]]、今治、新居浜など)、[[ダイエー]]([[ジョー・プラ|松山]]、新居浜、西条など)、[[イズミ]]([[ラフォーレ原宿・松山|松山]])なども進出していたが2013年1月現在それらの店舗はない。 また近年では、岡山勢で24時間オープンのスーパーである[[大黒天物産]](ラ・ムー、ディオ、2005年以降)や[[ハローズ]](2010年以降)による出店攻勢もある。(2020年1月7日現在、大黒天:7、ハローズ:7) {{clear}} ==== 電力・ガス業 ==== 県内の電力は[[四国電力]]によって供給されているが、今治市の一部島嶼部、[[上島町]]では[[中国電力]]、新居浜市の別子山地区では[[住友共同電力]]によって供給されている。 主な発電所は * [[四国電力]]西条発電所 * 四国電力[[伊方原子力発電所]]([[伊方町]]) * [[住友共同電力]]壬生川火力発電所 * 住友共同電力新居浜東火力発電所 * 住友共同電力新居浜西火力発電所 他、県内にはいくつかの水力・風力発電所がある。 県内には四国唯一の原子力発電所である伊方原子力発電所がある。四国電力の原子力本部は本店のある[[高松市]]に設置されていたが、[[2011年]](平成23年)6月末に原子力燃料部など一部部門を除き松山市に移転する予定である<ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/news/110413/ehm11041317380000-n1.htm 【放射能漏れ】四国電力、原子力本部を愛媛に移転へ] - MSN産経ニュース 2011年4月13日{{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>。 都市ガスは[[四国ガス]]によって松山市・今治市・宇和島市など一部の地域のみに整備されている。そのためほとんどの地域はプロパンガスによってガスが供給されている。 ==== 情報通信業 ==== 愛媛県では、コールセンター誘致に補助金を交付していて、[[南予地方]]や松山市へのコールセンター誘致に成功している。また松山市には、コールセンター以外にも大手保険会社の集中事務センターが設置されたり、[[サイボウズ]]の開発拠点設置が計画されるなど多くの新規雇用が生まれている。 ==== 観光業 ==== [[ファイル:Dogo Onsen Station1(Matsuyama City).JPG|thumb|道後温泉駅前]] 愛媛県の観光客数は延べ2450万9千人(2011年)で、観光客消費総額は1049億円(2011年)となっている<ref>愛媛県 (2011) 『平成23年 観光客数とその消費額』、2頁</ref>。 地域別では、松山圏域([[中予地方]])が最も多く延べ1010万4千人<ref name="tiikibetu">愛媛県 (2011) 『平成23年 観光客数とその消費額』、3頁</ref>、今治圏域([[今治市]]・[[上島町]])が延べ436万1千人、八幡浜・大洲圏域([[八幡浜市]]・[[大洲市]]・[[西予市]]・[[内子町]]・[[伊方町]])が延べ402万3千人(2011年)、東予東部圏域([[四国中央市]]・[[新居浜市]]・[[西条市]])が延べ335万0千人、宇和島圏域([[宇和島市]]・[[松野町]]・[[鬼北町]]・[[愛南町]])が延べ267万1千人となっている<ref name="tiikibetu" />。 県外観光客は[[尾道市]]と[[今治市]]を結ぶ[[しまなみ海道]]が開通し、開通した[[1999年]]には県外観光客延べ数は1100万人を超え「しまなみブーム」と呼ばれる程、観光客が大幅に増加した<ref name="kanko">愛媛県 (2011) 『平成23年 観光客数とその消費額』、5頁</ref>。[[2000年]]にはブームの収束で県外観光客は減少したが、その後は800万人から1000万人で推移している<ref name="kanko"/>。2011年の県外観光客数は延べ9,396千人で観光客消費総額は931億円である<ref>愛媛県 (2011)『平成23年 観光客数とその消費額』、4頁</ref>。 [[ミシュランガイド]]日本編で2つ星にそれぞれ選定された、3000年の歴史を有する[[道後温泉]]や[[四国]]最大の[[平山城]]である[[松山城 (伊予国)|松山城]]、また、東・中・南予地方特有の自然や文化施設などの観光資源があり、毎年、県内各地で数多くのイベントが行われている。 {{clear}} === 県内に本社を置く主要企業 === ==== 上場企業 ==== * [[アザース]] * [[アドメテック]] * [[ありがとうサービス]] * [[井関農機]] * [[伊予銀行]] * [[愛媛銀行]] * [[セキ (愛媛県)|セキ]] * [[大王製紙]] * [[ダイキアクシス]] * [[ファインデックス]] * [[フジ・リテイリング]] * [[マルク (企業)|マルク]] * [[ベルグアース]] * [[三浦工業]] * [[ユニ・チャーム]] * [[ヨンキュウ]] ==== 非上場企業 ==== [[ファイル:Headquarters of Ishizaki-kisen(Matsuyama City).JPG|thumb|right|250px|[[木子七郎]]設計による国の[[登録有形文化財]]:石崎汽船本社]] {{col| 製造業(機械・電機) * [[潮冷熱]] * [[BEMAC]](旧渦潮電機) * [[PHCホールディングス|PHC]] 製造業(造船) * [[浅川造船]] * [[今治造船]] * [[新来島どっく]] * [[檜垣造船]] * [[村上秀造船]] * [[山中造船]] 製造業(石油・化学) * [[コスモ松山石油]] * [[日泉化学]] * [[日東ライフテック]] 製造業(製紙・パルプ) * [[カミ商事]] * [[新タック化成]] * [[福助工業]] * [[丸住製紙]] * [[リブドゥコーポレーション]] 製造業(金属) * [[イワキテック]] * [[田窪工業所]] | 製造業(食品) * [[あわしま堂]] * [[一六本舗]] * [[えひめ飲料]] * [[サンタ (製菓)|サンタ]] * [[四国乳業]] * [[西南開発]] * [[日本食研ホールディングス]] * [[伯方塩業]] * [[ハタダ]] * [[母恵夢]] * [[ビージョイ]] * [[マルトモ]] * [[ヤマキ]] 製造業(繊維) * [[一広]] * [[クラレ西条]] * [[丸三産業]] 建設業・エンジニアリング業 * [[四国通建]] * [[ジョー・コーポレーション (愛媛)|ジョー・コーポレーション]] * [[フジケンエンジニアリング]] * [[堀田建設]] | 電力・ガス業 * [[住友共同電力]] * [[四国ガス]] 金融業 * [[宇和島信用金庫]] * [[愛媛信用金庫]] * [[川之江信用金庫]] * [[東予信用金庫]] 卸売・小売業 * [[アスティス]] * [[いよてつ高島屋]] * [[サークルケイ四国]] * [[サンクス西四国]] * [[DCMダイキ]] * [[大屋]] * [[太陽石油販売]] * [[西日本セイムス]] * [[パワーアップ (企業)|パワーアップ]] * [[明屋書店]] * [[ビッグウッド]] * [[フジファミリーフーズ]] * [[松山三越]] * [[よんやく]] * [[レデイ薬局]] | 運輸業 * [[石崎汽船]] * [[一宮運輸]] * [[伊予商運]] * [[伊予鉄道]] * [[宇和島自動車]] * [[四国開発フェリー]] * [[四国西濃運輸]] * [[四国名鉄運輸]] * [[瀬戸内運輸]] * [[合田運送]] 情報通信業 * [[NTTデータ]]四国 * [[DIOジャパン]] サービス業 * [[寺小屋グループ]] * [[ファーム (愛媛県)|ファーム]] 放送・新聞・出版業 * [[あいテレビ]] * [[愛媛朝日テレビ]] * [[愛媛新聞社]] * [[エフエム愛媛]] * [[テレビ愛媛]] * [[南海放送]] }} === 県内に拠点事業所・工場を置く主要企業 === * [[住友化学]] - 新居浜市 * [[住友金属鉱山]] - 新居浜市、今治市 * [[住友重機械工業]] - 新居浜市、西条市 * [[ルネサス エレクトロニクス]] - 西条市 * [[アサヒビール]] - 西条市 * [[日本製鉄]] - 西条市 * [[コカ・コーラボトラーズジャパン]] - 西条市 * [[帝人]] - 松山市 * [[東レ]] - 松前町 * [[太陽石油]] - 今治市 * [[東芝ライテック]] - 今治市 === 県内に工場・事業所を置く主要企業(上の項目を除く) === * [[三菱化学]] - 松山市 * [[倉敷紡績]] - 松山市 * [[ジャストシステム]] - 新居浜市 * [[大日本住友製薬]] - 新居浜市 * [[シャディ]] - 新居浜市 * [[小林製薬]]([[愛媛小林製薬]]) - 新居浜市 * [[吉野石膏]] - 今治市 * [[東レ|東レ・ファインケミカル]] - 松山市 * [[帝人|帝人化成]] - 松山市 * [[帝人|帝人ファイバー]] - 松山市 * [[大阪ソーダ]] - 松山市 * [[日本フーズデリカ]] - 西条市 * [[レンゴー]] - 松山市 * [[リンテック]] - 四国中央市 * [[メルシャン]] - 宇和島市 * [[日清丸紅飼料]] - 宇和島市 === 金融機関 === ==== 銀行 ==== [[ファイル:Iyo-Bank Headquarters (Matuyama City).JPG|thumb|伊予銀行本店]] * [[伊予銀行]] * [[愛媛銀行]] {{clear}} ==== 信用金庫 ==== * [[愛媛信用金庫]] * [[東予信用金庫]] * [[川之江信用金庫]] * [[宇和島信用金庫]] ==== 郵便局 ==== [[ファイル:Matsuyama-chuo post-office.jpg|thumb|松山中央郵便局]] * [[松山中央郵便局]] * [[松山西郵便局]] * [[伊予郵便局]] * [[北条郵便局 (愛媛県)|北条郵便局]] * [[松山南郵便局]] * [[松前郵便局]] * [[重信郵便局]] * [[新居浜郵便局]] * [[今治郵便局]] * [[西条郵便局]] * [[伊予三島郵便局]] * [[川之江郵便局]] * [[東予郵便局]] * [[宇和島郵便局]] * [[大洲郵便局]] * [[八幡浜郵便局]] * [[宇和郵便局]] * [[内子郵便局]] {{clear}} === 県人会 === * [[関東愛媛県人会]] (本部:[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]) * [[近畿愛媛県人会]] (本部:[[大阪府]][[大阪市]][[西区 (大阪市)|西区]]) == 生活・交通 == === 警察 === [[愛媛県警察]]本部の管轄にある。以下16警察署が置かれている。 {{Multicol}} * [[松山東警察署]]([[松山市]]) * [[松山西警察署]](松山市) * [[松山南警察署]](松山市) * [[四国中央警察署]]([[四国中央市]]) * [[新居浜警察署]]([[新居浜市]]) * [[西条警察署]]([[西条市]]) {{Multicol-break}} * [[西条西警察署]](西条市) * [[今治警察署]]([[今治市]]) * [[伯方警察署]](今治市) * [[伊予警察署]]([[伊予市]]) * [[大洲警察署]]([[大洲市]]) * [[八幡浜警察署]]([[八幡浜市]]) {{Multicol-break}} * [[西予警察署]]([[西予市]]) * [[宇和島警察署]]([[宇和島市]]) * [[久万高原警察署]]([[上浮穴郡]][[久万高原町]]) * [[愛南警察署]]([[南宇和郡]][[愛南町]]) {{Multicol-end}} === 海上保安庁 === [[第六管区海上保安本部]]の管轄にある。 * 松山海上保安部(松山市) * 今治海上保安部(今治市) ** 新居浜海上保安署(新居浜市) ** 三島川之江分室(四国中央市) * 宇和島海上保安部(宇和島市) * [[来島海峡海上交通センター]](今治市) === 交通 === ==== 航空 ==== [[ファイル:Matsuyama Airport2(MYJ).JPG|thumb|松山空港(MYJ)]] 現在、愛媛県内にある空港は[[松山空港]]のみである。国内線では、[[東京国際空港|東京]]・[[成田国際空港|成田]]・[[大阪国際空港|大阪]]・[[中部国際空港|中部]]・[[福岡空港|福岡]]・[[鹿児島空港|鹿児島]]・[[那覇空港|那覇]]、国際線では[[上海浦東国際空港|上海/浦東]]・[[仁川国際空港|ソウル/仁川]]・[[桃園国際空港|台北/桃園]]への定期便が就航している。[[1959年]]から[[1965年]]までは[[新居浜市]]の黒島地区に海上空港があり、大阪・[[大分空港|大分]]へ定期便が就航していた。 * [[松山空港]]([[日本の空港#国管理空港|国管理空港]]) ==== 国内線 ==== {{Airport-dest-list |[[日本航空]](JAL)<ref group="注釈">[[ジェイエア]]、[[日本エアコミューター]]の機材・乗務員で運航する便あり。</ref> |[[東京国際空港|東京/羽田]]、[[大阪国際空港|大阪/伊丹]]、[[福岡空港|福岡]]、[[鹿児島空港|鹿児島]] |[[全日本空輸]](ANA)<ref group="注釈">[[ANAウイングス]]の機材・乗務員で運航する便あり。</ref> |東京/羽田、[[中部国際空港|名古屋/中部]]、大阪/伊丹、[[那覇空港|沖縄/那覇]] |[[ジェットスター・ジャパン]](JJP)<ref group="注釈">[[日本航空]](JAL)とのコードシェア(JAL国際線との乗継時のみ)。</ref> |[[成田国際空港|東京/成田]] }} ==== 国際線 ==== {{Airport-dest-list | 1 = {{Flagicon|CHN}} [[中国東方航空]] (MU)<ref group="注釈">日本航空(JL)との共同運航便。</ref> | 2 = [[中華人民共和国|中国]]・[[上海浦東空港|上海/浦東]](月・金)<ref group="注釈">就航時、週2便(月・金)。 2012年4月18日から週3便(月・水・金)、2012年10月29日以降 4便(月・水・金・土)に増便されたが、2013年10月27日から週2便(月・金)に減便。エアバスA319型機。</ref> | 3 = {{Flagicon|KOR}}[[チェジュ航空]](7C) | 4 = [[大韓民国|韓国]]・[[仁川国際空港|ソウル/仁川]](火・木・日)<ref group="注釈">2017年11月2日から週3便(火・木・日)で就航。ボーイング737-800型機。 2018年7月・8月および冬ダイヤ期間中は週5便に(月・火・木・金・日)に増便された。2019年冬ダイヤは増便検討も日韓関係悪化に伴い中止。</ref> | 5 = {{Flagicon|ROC}}[[エバー航空]](BR)<ref group="注釈">全日本航空(NH)・[[ニュージーランド航空]](NZ)との共同運航便。</ref> | 6 = [[中華民国|中華民国(台湾)]]・[[桃園国際空港|台北/桃園]](水・木・土・日)<ref group="注釈">2019年7月18日より週2便(木・日)で就航。エアバスA321型機。 2020年4月10日より週4便(水・木・土・日)に増便。</ref> }} ==== 鉄道 ==== [[ファイル:JR-Matsuyama Station1(Matsuyama City).JPG|thumb|JR四国の特急車両]] [[ファイル:Matsuyama castle(Iyo)8.JPG|thumb|[[松山城 (伊予国)|松山城]]を背景に運行される「[[坊っちゃん列車]]」(伊予鉄道松山市内線)]] JR線に関しては、予讃線の[[川之江駅]]から[[伊予市駅]]の区間が電化されており、日中の普通列車の本数は県内全域に亘り毎時1本以下である。またJR線を保有しない[[沖縄県]]を除く46都道府県では唯一、4番線以上の旅客用のホームを保有するJR線の駅が存在しない(2022年現在。県内のJR線の駅の番線数は全て3以下である)。 * [[四国旅客鉄道]](JR四国) ** [[予讃線]] ** [[予土線]] ** [[内子線]] * [[伊予鉄道]] ** [[伊予鉄道郡中線|郡中線]] ** [[伊予鉄道高浜線|高浜線]] ** [[伊予鉄道横河原線|横河原線]] ** [[伊予鉄道#路線|松山市内線]] * 廃線となった路線 ** 伊予鉄道 [[森松線]] ** [[住友別子鉱山鉄道]] 上部鉄道・[[住友金属鉱山下部鉄道|下部鉄道]] {{clear}} ==== バス ==== [[ファイル:Uwajimajidosya2020.JPG|thumb|宇和島自動車特急バス]] * 一般路線バス ** [[ジェイアール四国バス]] ** [[伊予鉄バス]]・[[伊予鉄南予バス]] ** [[瀬戸内運輸]]・[[瀬戸内海交通]]・[[せとうち周桑バス]] ** [[中島汽船]] ** [[瀬戸内しまなみリーディング]] ** [[肱南観光バス]] ** [[西予市バス]]([[野村ツーリスト]]) ** [[宇和島自動車]] ** [[黒岩観光]]バス([[久万高原町]]に乗り入れている) ** [[四国交通]]([[四国中央市]]新宮地区に乗り入れている) * [[自治体バス]] ** [[愛南町コミュニティバス]] ** [[伊予市福祉バス]] ** [[上島町有バス]] ** [[鬼北町営バス]] ** [[久万高原町営バス]] ** [[別子山地域バス]] ** [[松前町ひまわりバス]] ** [[松野町コミュニティバス]] ** [[四国中央市福祉バス]] ** [[大洲市営バス]] ** [[内子町営バス]] {{clear}} ==== 航路 ==== [[ファイル:Matsuyama port (KANKO port) Ehime,JAPAN.jpg|thumb|松山観光港高速艇桟橋]] * 港湾 ** [[川之江港]] ** [[新居浜港]] ** [[東予港]] ** [[今治港]] ** [[松山港]] ** [[八幡浜港]] ** [[三崎港 (愛媛県)|三崎港]] ** [[宇和島港]] * 定期旅客航路 ** [[青島海運]]:[[長浜港 (愛媛県)|長浜港]] - [[青島 (愛媛県)|青島]] ** [[石崎汽船]]・[[瀬戸内海汽船]]:[[松山観光港]] - [[呉港]] - [[広島港]] ** [[今治市営フェリー]]:[[今治港]] - [[関前諸島]]、[[大島 (愛媛県今治市)|大島]] - [[津島 (今治市)|津島]] ** [[宇和島運輸フェリー]] - [[八幡浜港]] - [[別府港]]、八幡浜港 - [[臼杵港]] ** [[えひめ南汽船]]:[[宇和島港]] - [[九島]] ** [[大三島フェリー]]:[[盛港]] - [[忠海港]] ** [[大三島ブルーライン]]:[[今治港]] - [[芸予諸島]]、[[大三島]] - [[岡村島]] ** [[上島町営フェリー]]:[[上島諸島]] - [[土生港]]、[[立石港 (愛媛県)|立石港]] - 土生港 ** [[家老渡フェリー汽船]]:[[弓削島]] - [[因島]] ** [[協和汽船]]:今治港 - 大島 ** [[くるしま]]:[[波止浜港]] - [[来島]] - [[小島 (愛媛県)|小島]] - [[馬島 (愛媛県)|馬島]] ** [[ごごしま]]:高浜港 - [[興居島]] ** [[国道九四フェリー]]:[[三崎港 (愛媛県)|三崎港]] - [[佐賀関港]] ** [[芸予フェリー]]:[[今治港]] - [[芸予諸島]] - [[上島諸島]] ** [[三光汽船 (尾道市)|三光汽船]]:上島諸島 - [[金山港]] ** [[シーセブン]] - 大島:[[鵜島 (今治市)|鵜島]] - [[伯方島]] ** [[四国開発フェリー]]:[[東予港]] - [[大阪南港]]、[[新居浜港|新居浜東港]] - [[神戸港]] ** [[盛運汽船]] - 宇和島港:[[日振島]] - [[戸島 (愛媛県)|戸島]] - [[嘉島 (宇和島市)|嘉島]] ** [[九四オレンジフェリー]]:八幡浜港 - 臼杵港 ** [[長江フェリー]]・[[岩城汽船]]:長江港 - 土生港 ** [[中島汽船]]:[[三津浜港]] - [[忽那諸島]]、[[高浜港]] - 忽那諸島 ** [[新居浜市営渡海船]]:[[新居浜港]] - [[新居大島]] ** [[土生商船]]:[[生名島]] - 因島 - [[佐木港]] - [[三原港]] ** [[防予フェリー]]・[[周防大島 松山フェリー]]:[[三津浜港]] - [[伊保田港]] - [[柳井港]] ==== 道路 ==== [[ファイル:Mitsu-no-watashi(Matsuyama City).JPG|thumb|[[三津の渡し]](松山市道:高浜2号線)]] * '''[[有料道路]]''' ** [[松山自動車道]] ** [[高松自動車道]] ** [[徳島自動車道]] ** [[高知自動車道]] ** [[西瀬戸自動車道]] ** [[今治小松自動車道]] * '''[[一般国道]]''' *: (以下の国道は[[国土交通省]]四国地方整備局管理) ** [[国道11号]] ** [[国道33号]] ** [[国道56号]] ** [[国道192号]] ** [[国道196号]] *: (以下の国道は愛媛県管理) ** [[国道194号]] ** [[国道197号]] ** [[国道317号]] ** [[国道319号]] ** [[国道320号]] ** [[国道378号]] ** [[国道379号]] ** [[国道380号]] ** [[国道381号]] ** [[国道437号]] ** [[国道440号]] ** [[国道441号]] ** [[国道494号]] * '''[[都道府県道|県道]]''' ** [[愛媛県の県道一覧]] * '''広域農道'''・'''農免農道''' ** [[大洲南部広域農道]] ** [[越智広域農道]] ** [[周桑今治広域農道]] ** [[大崎下島広域農道]](広島県と接続) === 医療・福祉 === {{Main|Category:愛媛県の医療機関}} ; [[災害拠点病院]] : [[愛媛県災害拠点病院]] ; [[保育所]] : [[愛媛県保育所一覧]] === 教育 === 県内の一部、特に[[南予地方]]の公立中学校において、生徒への部活強制加入制度、所謂部活強制の問題が残存している。 ; [[大学]] [[国立大学|国立]] * [[愛媛大学]](松山市) * [[愛媛県立医療技術大学]](伊予郡砥部町) [[私立大学|私立]] * [[岡山理科大学]]今治キャンパス(今治市) * [[聖カタリナ大学]](松山市) * [[松山大学]](松山市) * [[松山東雲女子大学]](松山市) * [[人間環境大学]]松山キャンパス(松山市) ; [[短期大学]] 私立 * [[今治明徳短期大学]](今治市) * [[環太平洋大学短期大学部]](宇和島市) * [[聖カタリナ大学短期大学部]](松山市) * [[松山短期大学]](松山市) * [[松山東雲短期大学]](松山市) ; [[通信制大学]] * [[放送大学|放送大学 愛媛学習センター]](松山市) ; [[高等専門学校]] * [[新居浜工業高等専門学校]](新居浜市) * [[弓削商船高等専門学校]](越智郡上島町) ; [[中等教育学校]] 県立 * [[愛媛県立松山西中等教育学校]] * [[愛媛県立宇和島南中等教育学校]] * [[愛媛県立今治東中等教育学校]] 私立 * [[済美平成中等教育学校]] * [[新田青雲中等教育学校]] ; [[専修学校]] * [[愛媛県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] * [[愛媛県特別支援学校一覧]] ; [[高等学校]] * [[愛媛県高等学校一覧]] ; [[中学校]] * [[愛媛県中学校一覧]] ; [[小学校]] * [[愛媛県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] * [[愛媛県幼稚園一覧]] ; その他教育機関 ; [[農業大学校]] * [[愛媛県立農業大学校]](松山市) ; [[海上技術短期大学校]] 国立 * [[国立波方海上技術短期大学校]](今治市) ; [[職業能力開発校]] 県立 * [[愛媛県立愛媛中央産業技術専門校]](松山市、今治市) * [[愛媛県立新居浜産業技術専門校]](新居浜市) * [[愛媛県立宇和島産業技術専門校]](宇和島市) === マスメディア === ==== 新聞 ==== * 地方紙 ** [[愛媛新聞]] * 全国紙 ** [[読売新聞]] ** [[朝日新聞]] ** [[毎日新聞]] ** [[産経新聞]] ** [[日本経済新聞]] ==== テレビ局 ==== ===== 概況 ===== * [[NHK松山放送局]]([[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送]][[リモコンキーID|リモコン番号]]:総合=1、教育(Eテレ)=2) * [[南海放送]] (RNB)([[日本テレビ系列]]、リモコン番号=4) * [[テレビ愛媛]] (EBC)([[フジテレビ系列]]、リモコン番号=8) * [[あいテレビ]] (ITV)([[TBS系列]]、リモコン番号=6) * [[愛媛朝日テレビ]] (eat)([[テレビ朝日系列]]、リモコン番号=5) 愛媛県では[[TXNネットワーク|テレビ東京系列]]を除く4大キー局系列局が視聴できる。ただし、[[平成新局]]であるあいテレビと愛媛朝日テレビは先発局と比べて中継局の数が少なくなっている。 デジタルテレビの親局送信所は伊予市の[[行道山]]に置かれている。 <gallery caption="テレビ局舎外観" widths="108px" heights="108px" perrow="5"> NHK Matsuyama Area Broadcasting Station (Matsuyama-City).JPG|NHK松山放送局<br />([[松山市]]) RNB Hon-machi.jpg|南海放送 (RNB)<br />(松山市) Ehime EBC.jpg|テレビ愛媛 (EBC)<br />(松山市) Ug081220 itv syaoku2.jpg|あいテレビ (ITV)<br />(松山市) Ug081220 eat syaoku1.jpg|愛媛朝日テレビ (eat)<br />(松山市) </gallery> ===== 変遷 ===== 愛媛県では[[1957年]](昭和32年)[[5月29日]]に[[NHK松山放送局]]が、翌[[1958年]](昭和33年)[[12月1日]]に[[南海放送]]がそれぞれVHF波によるテレビ放送を開始した。4年後の[[1962年]](昭和37年)[[6月1日]]にはNHK松山がそれまでの総合テレビに加えて教育テレビ(Eテレ)の放送を開始し、結果的にはこれが愛媛県における最後のVHF局となる。そして全国的にUHF局が開局していった[[1969年]](昭和44年)[[12月10日]]、愛媛県にとって初のUHF局である愛媛放送(現・[[テレビ愛媛]])が開局した。以降、平成に入るまではテレビ事情に変化は無く、23年間は NHK、日テレ系、フジ系の3局4波時代が続いていた。ところが平成に入ると[[1992年]](平成4年)[[10月1日]]に[[あいテレビ]]が、[[1995年]](平成7年)[[4月1日]]に[[愛媛朝日テレビ]]が開局し、民放の数が一気にそれまでの倍になったことでテレビ環境が著しく変化・向上した。その後[[2006年]](平成18年)[[10月1日]]、全局一斉に[[地上デジタルテレビ放送]](通称:[[日本の地上デジタルテレビ放送|地デジ]])を開始、5年間のアナ・デジ共存期間を経て[[2011年]](平成23年)[[7月24日]]にそれまでのアナログ放送を終了し現在に至る。 ==== ラジオ局 ==== エフエム愛媛の親局送信所と南海放送のFM補完放送のメイン中継局はデジタルテレビ親局と同じ[[行道山]]であるが、NHK-FMの送信所は松山市街地の[[城山 (松山市)|城山]]に置かれている。 * AMラジオ局 **[[NHK松山放送局]] ** [[南海放送]]([[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列、2014年12月1日に、[[FM補完中継局|FM放送]]開始。) * FMラジオ局 ** NHK松山放送局 ** [[エフエム愛媛]]([[全国FM放送協議会|JFN]]系列) ==== コミュニティラジオ局 ==== * [[FMラヂオバリバリ]]([[今治コミュニティ放送]]) * FMがいや([[宇和島ケーブルテレビ]]が兼営) * Hello!NEW新居浜FM([[ハートネットワーク]]) ==== ケーブルテレビ局 ==== * [[愛媛シーエーティヴィ]]([[松山市]]、サービスエリアは松山市、[[東温市]]、[[松前町 (愛媛県)|松前町]]、[[砥部町]]、[[伊予市]]、[[久万高原町]]、[[愛南町]]) * [[今治シーエーティーブィ]]([[今治市]]) * [[上島町CATV]]([[上島町]]) * [[宇和島ケーブルテレビ]]([[宇和島市]]) * [[ケーブルネットワーク西瀬戸]]([[大洲市]]) * [[四国中央テレビ]]([[四国中央市]]) * [[西予CATV]]([[西予市]]) * [[ハートネットワーク]]([[新居浜市]]、サービスエリアは新居浜市、[[西条市]]) * [[八西CATV]]([[伊方町]]、サービスエリアは伊方町、[[八幡浜市]]) === アマチュア無線FM中継局(レピータ)設置場所・周波数 === ; JR5WA([[松山市]][[高縄山]])439.40&nbsp;MHz、1291.38&nbsp;MHz、2426.22&nbsp;MHz : 西瀬戸内海に四国側から突き出している高縄半島、標高約1000mの高縄山山頂に設置され、愛媛県第一、第二の人口を持つ松山と今治を中継するとともに、西瀬戸内海沿岸地域など広範囲なサービスエリアを有する計画レピータ ; JR5WC([[久万高原町]]陣ヶ森)439.82&nbsp;MHz、1292.82&nbsp;MHz : [[皿ヶ嶺連峰県立自然公園]]内、標高1,200mの陣ヶ森に設置され、県内最高峰に位置している。松山平野と久万高原町を中継するとともに、岡山県西部・広島県・山口県・大分県の瀬戸内海沿岸部もサービスエリアに含めている実質的な広域レピータ<ref group="注釈">開局当時は計画レピータの制度がなく広域レピータ周波数の割り当てがなかったため。</ref>。 ; JR5WK([[宇和島市]]小岩道)439.76&nbsp;MHz、1292.36&nbsp;MHz : 標高約450mの小岩道(旧津島町)にあり南予の中心都市宇和島と南宇和郡とを中継するレピータ。南予は平地が少なく、また、リアス式海岸のため、都市間の電波伝搬状況が悪く、中継局が不可欠である。 ; JR5WO([[四国中央市]]呉石高原)439.64&nbsp;MHz、1292.74&nbsp;MHz : 標高800mの呉石高原にあり、東予の新居浜・四国中央・香川県の西部地域と山村である旧[[新宮村 (愛媛県)|新宮村]]・[[別子山村]]を中継するレピータ。海上伝搬により岡山県西部や広島県東部の沿岸部もサービスエリアに含めている。 ; JR5WR([[大洲市]]神南山)439.88&nbsp;MHz、1292.22&nbsp;MHz、2425.44&nbsp;MHz : [[パラグライダー]]の基地などがある標高710mの神南山にあり、大洲市と西予市・肱川町・内子町などその周辺部を中継するレピータ。久万高原町の一部などもサービスエリアに含めている。 ; JR5WS(宇和島市泉ヶ森)439.56&nbsp;MHz、1292.60&nbsp;MHz、2425.38&nbsp;MHz : 標高約750mの宇和島地域のテレビ送信塔などがある泉ヶ森にあり、宇和島市と鬼北町・松野町などを中継するレピータ。その標高から対岸の大分県南部の沿岸部もサービスエリアに含めている。 ; JR5WW([[西条市]][[横峰寺]])439.96&nbsp;MHz : 標高約780mの横峰寺の上にあり、西条・今治を中継するレピータ。その標高から[[燧灘]]方面もサービスエリアに含めている。 ; JR5WX([[伊方町]]見晴山)439.52&nbsp;MHz、1292.66&nbsp;MHz : 佐田岬の中間点、見晴山(標高約400メートル)にあり、佐田岬半島の各町と八幡浜市や伊予灘・宇和海沿岸の市町とを中継するレピータ。そのロケーションから松山や大分県東沿岸地域もサービスエリアに含めている。 ; JR5WY([[愛南町]]御荘中浦)439.62&nbsp;MHz : 標高約200mの旧御荘町中浦にあり、リアス式海岸のため電波状況が悪い愛南地域一帯を中継する局部レピータ ; JR5VL([[伊予市]]秦皇山)439.20&nbsp;MHz、1291.56&nbsp;MHz : 標高約870mの中山地区のテレビ送信塔などがある秦皇山にあり、松山平野と旧中山町・旧広田村・内子町など山村を中継する計画レピータ。そのロケーションから久万高原町の一部や広島県西部・山口県・大分県瀬戸内海沿岸地域もサービスエリアに含めている。 ; JP5YCF(松山市大峰ヶ台)439.62&nbsp;MHz、1292.62&nbsp;MHz : 愛媛県の人口の3分の1以上を有する松山平野間の中継を担う局部レピータ。[[四国旅客鉄道|JR]][[松山駅 (愛媛県)|松山駅]]の西側にある標高130メートルの大峰ヶ台に設置されている。 ; JP5YCG([[上島町]]魚島城山)439.90&nbsp;MHz、1292.56&nbsp;MHz : 瀬戸内海燧灘のほぼ中央にある孤島で、釣り客が訪れる[[魚島]]の城山展望塔(標高150メートル)に設置されており、魚島の集落は広島県側に向いているため、旧魚島村と愛媛県東予全域を中継するレピータ。標高はあまりないものの強力な海上伝搬のため、香川県西部や[[西瀬戸自動車道|しまなみ海道]]もサービスエリアに含めている。 ; JP5YCI([[西予市]]金剛岩)439.70&nbsp;MHz : 野村地域のテレビ送信塔がある金剛岩(標高約500メートル)にあり、山間部の野村地域と大洲市などを中継するレピータ。その標高から肱川町の一部などもサービスエリアに含めている。 ; JP5YCJ([[八幡浜市]]郷)1292.02&nbsp;MHz : 八幡浜市の西部の標高約300メートルの郷(峠)にあり、八幡浜市と大洲市を中継する局部レピータ。 [[日本アマチュア無線連盟]] (JARL) を免許人とする[[アマチュア無線]]用中継局が県内各所に設置されており、運営・管理はJARL直轄局である JR5WA を除きJARL愛媛県支部と密接な関係にある愛媛レピータ研究会がボランティアで行っている。愛媛県の地形は西日本最高峰の[[石鎚山]]を有するなど急峻な山が多く、かつ、南予のリアス式海岸など都市・集落間の通信を妨げる要因が多彩に存在するため、それらをカバーするように設置されているところに特色がある<ref>モービルハム 1985年5月・1986年1月号 電波実験社、CQ ham radio 2008年10月号 CQ出版社、JARL愛媛県支部報 1983年 - 1998年号</ref>。 == 文化・スポーツ == === 県民気質と文化的背景 === [[江戸時代]]に、[[伊予八藩]]と呼ばれるように、多くの[[藩]]が分立したため、地域ごとに微妙に異なる文化が息づいている。この点、同じ[[四国]]内でも一藩であった高知県(土佐、[[土佐藩]])や徳島県(阿波、[[徳島藩]])、三藩([[高松藩]]、[[丸亀藩]]、多度津藩)であった香川県(讃岐)と状況を異にしている。 [[明治|明治時代]]以降の地理的区分である、東予、中予、南予という三区分も文化的背景を語るには欠かせない要素となっている。 愛媛の人の気質は、端的にいえば保守的である。 古くから山の幸、海の幸が豊富であったため、郷土料理といえるものが少なくない。 住民の気質も、今日ではかなり薄まったといわれるが、東予、中予、南予で若干異なる。 たとえ話で、100万円あったら、東予の人はそれを元手に商売を始め、2倍3倍に増やそうとする、中予の人はそれを預けて金利を趣味に充て、温泉三昧の生活を夢見る、南予の人は一晩で使い切るような大散財をする(特に酒宴)、と評される(同様の話は、四国四県にもあり、高知県の喩えは南予に似ている) {{Main2|それぞれの気質は、[[東予地方]]、[[中予地方]]、[[南予地方]]を}} === 方言 === 愛媛県内の方言は'''[[伊予弁]]'''と呼ばれるが、地域によって違いがある。[[夏目漱石]]の小説『[[坊っちゃん]]』などの影響で「ぞなもし」が有名だが、これは松山市の方言であり、しかも現在の松山市では一部の年配者が使う「ぞな」にかろうじて形跡を感じられる程度で、一般には使われない。伊予弁はアクセントの地域差が大きく、東予・中予では[[京阪式アクセント]]、南予では[[東京式アクセント]]、大洲では[[崩壊アクセント]]である。{{要出典範囲|語彙・表現では東予東部は[[讃岐弁]]、東予西部は[[広島弁]]、中予は[[関西弁]]、南予は[[幡多弁]]との関係が窺える。|date=2017年3月}} === 食文化 === {{See also|Category:愛媛県の食文化}} ==== 郷土料理 ==== {{Main|日本の郷土料理一覧#愛媛県}} * [[麦味噌]] - 愛媛県は全国の[[裸麦]]の生産の4割を占め、特に[[松山平野]]で[[水稲]]の[[裏作]]として作付される。こうした麦を用いた麦味噌の工場30か所余が愛媛県内各地に分布している。麦を多量に用いるため、含まれる麹の量もやや多くなり、発酵が進み、独特の甘みを持った味となる。製造所によって独特の味があるが、一般的に県内でも南になるほど、甘みが増すといわれる。[[伊予さつま]]など、味噌を使った[[郷土料理]]もある。 * [[醤油]] - 味噌同様、南になるほど甘みが増す傾向にあり、他県の人が「砂糖醤油」と評することもあるほどである(実際作る過程で砂糖を入れることがある) ==== 特産品・名産品 ==== [[ファイル:Taimeshi at Nanyo.JPG|thumb|南予の鯛めしの一例]] {{表2列| * [[五色素麺|五色そうめん]] * [[うどん]] * [[鯛めし]] * [[ふぐざく]] * [[えび天 (魚肉練り製品)|えび天]] * [[唐揚げ|せんざんき]] * [[焼き鳥|鉄板焼き鳥]] * [[じゃこ天]]・[[蒲鉾|かまぼこ]] * [[ポンジュース]] * [[いもたき]] * [[タルト (郷土菓子)|タルト]] | * [[薄墨羊羹]] * [[ガンス]] * [[坊っちゃん団子]] * [[醤油餅]] * [[母恵夢]] * [[別子飴]] * [[梅錦]] * [[伊予牛絹の味]] * [[ウンシュウミカン|みかん]] * [[いよかん]] * [[削りかまぼこ]] }} {{clear}} === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] : [[砥部焼]](陶磁器、[[1976年]]) : [[大洲和紙]](和紙、[[1977年]]) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#愛媛県}} === スポーツ === {{See also|Category:愛媛県のスポーツチーム}} * [[愛媛FC]](サッカー・[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]) * [[愛媛FCレディース]](サッカー・[[日本女子サッカーリーグ|なでしこリーグ]]) * [[FC今治]](サッカー・Jリーグ) * [[愛媛マンダリンパイレーツ]]([[独立リーグ]][[野球]]・[[四国アイランドリーグplus]]) * [[新国際空手道連盟]] [[芦原会館]] * [[愛媛オレンジバイキングス]]([[バスケットボール]]・[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ]]) * [[愛媛プロレス]] == 観光 == {{Main|愛媛県の観光地}} === 有形文化財建造物 === {{main|愛媛県指定文化財一覧}} * 国宝 ** [[石手寺]] - 二王門 ** [[太山寺 (松山市)|太山寺]] - 本堂 ** [[大宝寺 (松山市)|大宝寺]] - 本堂 * 重要伝統的建造物群保存地区 ** [[八日市護国]] (内子町) ** [[宇和町卯之町]] (西予市) === 史跡・旧跡 === {{main|四国地方の史跡一覧#愛媛県}} [[ファイル:Matsuyama castle(Iyo)6.JPG|thumb|松山城(国の史跡・重要文化財)]] [[ファイル:Uwajima Castle the keep.jpg|thumb|180x180px|宇和島城(国の史跡・重要文化財)]] ; [[松山城 (伊予国)|松山城]] : [[豊臣秀吉]]の[[文禄・慶長の役|朝鮮出兵]]の際に[[水軍]]の将であった[[加藤嘉明]]が、[[1602年]](慶長7年)に築城を開始した広大な[[日本三大一覧#城|平山城]]であり、[[松山城山公園|城山公園]]全体は国の[[史跡]]で、建造物21棟は国の[[重要文化財]]に指定されている。[[黒船来航]]の翌年に当たる[[1854年]](安政元年)に、15万石の[[親藩]][[松平氏|松平家]]により[[曲輪#天守丸|本壇]]の[[天守]]群が再建されたため、代表紋章は[[三つ葉葵|葵の御紋]]。[[城山 (松山市)|城山]]の樹叢(樹林)は、県指定[[天然記念物]]。登城客の利便のため、[[松山城ロープウェイ|城山索道]]が設置されている。[[日本100名城]]、[[美しい日本の歴史的風土100選]]([[道後温泉本館|道後温泉]]とともに)、[[日本さくら名所100選]]、[[日本の歴史公園100選]]などの指定も受け、標高150mの松山城[[天守]]からの眺望も素晴らしく、[[松山市]]の[[ランドマーク]]であるとともに愛媛県を代表する[[観光]][[名所]]である。日本に12か所しかない[[現存天守]]の一つ。 ; [[宇和島城]] : [[伊達家]]10万石の居城。[[日本100名城]]。[[大名庭園]]の[[天赦園]]も現存。日本に12か所しかない[[現存天守]]の一つ。 ; [[今治城]] : [[藤堂高虎]]が築いた[[日本三大一覧#城|日本三大水城]]で、[[日本100名城]]。 ; [[大洲城]] : [[日本100名城]] ; [[湯築城]] : [[道後温泉]]近くの[[中世#日本|中世]]の[[城#構造|城郭]]の[[曲輪|縄張り]]が残る、[[日本100名城]] ; [[大山祇神社]] : {{clear}} === 名所 === [[ファイル:Shikokukarusuto01.jpg|thumb|四国カルスト]] * [[四国カルスト]](西予市・久万高原町・内子町) * [[面河渓]](久万高原町) * [[天赦園]](宇和島市) * [[せと風の丘パーク]](伊方町) * [[内子座]](内子町) * [[開明学校]](西予市) * [[滑床渓谷]](松野町) * [[滑川渓谷]](東温市) * [[来島海峡展望館]](今治市) [[File:Kondou tokuzan 20230528 5.jpg|thumb|県史跡近藤篤山旧邸]] * [[近藤篤山#史跡近藤篤山旧邸|県史跡近藤篤山(とくざん)旧邸]](西条市) * [[具定展望台]](四国中央市) === 温泉 === [[道後温泉郷]]に代表されるように古くから[[天然温泉]]が親しまれている。 * [[道後温泉]](松山市) ** [[日本三古湯]]の1つであり3000年以上の歴史を持つと言われている。 * [[湯ノ浦温泉]](今治市) ** [[国民保養温泉地]]の1つ * [[鈍川温泉]](今治市) * [[本谷温泉]](西条市) === 祭事・催事 === [[ファイル:Dogo Hot Spring1(Matsuyama City).JPG|thumb|道後温泉本館(重要文化財)]] * [[道後温泉まつり]] (毎年4月19・20・21日)道後温泉おどり、時代絵巻パレードなどが見所 * [[松山まつり]] (毎年8月11・12・13日)野球拳を基にした野球拳おどり、野球拳サンバが松山市街を練り歩く * [[松山春まつり]] (毎年4月第一週目の金・土・日曜日)桜が満開のこの季節に、松山城周辺で行われる。大名行列や茶会、本家[[野球拳]]全国大会、地元学生らによる催し物が見所。 ==== 新居浜太鼓祭り ==== [[ファイル:Niihamataikomaturi 20191017 01.jpg|thumb|[[新居浜太鼓祭り]]]] {{main|新居浜太鼓祭り}} 毎年10月16・17・18日。 総勢50台の[[太鼓台]]が町を練り歩く祭り。[[明治|明治時代]]に町の発展と共に大きく豪華になり、市外の太鼓台にも影響を与えている。 市内5つの地区ごとに集まりかきくらべが行われ、毎年数十万人という観光客が訪れるほど人気を誇っていたが、現在は10万人程度に落ちている。 16日早朝の内宮神社宮出しの大階段かき上げはまだ夜が明けない内の行事だが、多くの観客で神社が埋めつくされる。 17日午前の[[国領川]][[河川敷]]、17日午後の山根グラウンド、17日夕方の工場前、17日夕方の多喜浜駅前、18日午前の大江浜、18日午後の[[一宮神社 (西予市)|一宮神社]]、18日午後の[[八旛神社]]などで行われるかきくらべは多くの観客で賑わう。 隔年の18日午前に川西地区の[[新居浜港]]で行われる船御幸は一宮神社の[[神輿]]の[[船渡御]]に合わせて、太鼓台を台船に乗せてお供をする行事。近年では川東地区の[[新居浜東港]]においても川西地区の翌年に船御幸が行われるようになった。 阿波踊り、よさこいに並ぶ『四国三大祭』の1つである。 ==== 土居太鼓祭り ==== {{main|土居太鼓祭り}} 毎年10月13・14・15日。 14日にふるさと広場で行われる、総勢14台の太鼓台による寄せ担きが見所 15日に関川地区で行われる鉢合せと呼ばれる太鼓台同士の喧嘩も見応えがある。 ==== 西条祭り ==== {{main|西条祭り}} 開催日は神社によって異なり、[[嘉母神社]]では毎年10月[[体育の日]]の前々日・前日、[[石岡神社]]では毎年10月14・15日、[[伊曽乃神社]]では毎年10月15・16日となっている。 山車は京都の[[祇園祭]]に通ずるところがあり、[[だんじり]]や太鼓台や神輿などによる練り廻しや担き比べが見所 ==== うわじま牛鬼まつり ==== {{main|和霊大祭}} 毎年7月22・23・24日。 [[牛鬼]][[パレード]]がある。 === 観光スポット・テーマパーク === * [[愛媛県立とべ動物園]](砥部町) * [[えひめこどもの城]](松山市) * [[萬翠荘]](久松伯爵家別邸)・[[愚陀仏庵]]([[夏目漱石]]旧居跡)(松山市) * [[マイントピア別子]](新居浜市) * [[新居浜マリーナ]](マリンパーク新居浜、新居浜市) * [[野間馬ハイランド]](今治市) * [[坊ちゃん電車]](松山市) === 博物館・美術館 === [[ファイル:Prefectual Museum of Art1 (Matuyama City).JPG|thumb|愛媛県美術館]] [[ファイル:Shiden-kai-front3, 2007.jpg|thumb|紫電改展示館]] * [[愛媛県総合科学博物館]]([[新居浜市]]) 世界第2位のプラネタリウムがある<ref group="注釈">[[名古屋市科学館]]が竣工する2010年までは総合科学博物館は世界1だった。</ref>。 * [[鉄道歴史パーク in SAIJO]]([[西条市]]) * [[愛媛県歴史文化博物館]]([[西予市]]) * [[松山市立子規記念博物館]]([[松山市]]) * [[坂の上の雲ミュージアム]](松山市) * [[広瀬歴史記念館]](新居浜市) * [[愛媛県美術館]](松山市) * [[タオル美術館ICHIHIRO]]([[今治市]]) * [[伊丹十三記念館]](松山市) * [[道後ぎやまんガラス美術館]](松山市) * [[セキ美術館]](松山市) * 三浦美術館「[[ミウラート・ヴィレッジ]]」(松山市) * [[エリエール美術館]](松山市) * [[紫電改]]展示館([[愛南町]]) {{clear}} === スポーツ施設 === [[ファイル:EhimeBudokan.jpg|thumb|愛媛県武道館]] * [[坊っちゃんスタジアム]](松山市) * [[ニンジニアスタジアム]](旧称・愛媛県総合運動公園陸上競技場)(松山市) * [[ありがとうサービス. 夢スタジアム]](今治市) * [[松山競輪場]](松山市) * [[愛媛県武道館]](松山市) * 松山中央公園屋内運動場(松山市) * [[アクアパレットまつやま]](松山市) * [[イヨテツスポーツセンター]](松山市) * [[松山市総合コミュニティセンター]](松山市) * [[乙亥会館]](西予市) {{clear}} == 対外関係 == * {{Flagicon|USA}}[[アメリカ合衆国]][[ハワイ州]] ** [[2003年]](平成15年)[[11月21日]]姉妹提携締結。 ** [[2001年]](平成13年)の[[えひめ丸事故]]の後、県とハワイ州に交流が生まれ、姉妹提携に至った。 * {{Flagicon|CHN}}[[中華人民共和国]][[大連市]] ** 経済交流提携。愛媛県内企業の進出が多い。 * {{Flagicon|AUS}}[[オーストラリア連邦]] [[ニューサウスウェールズ州]] ** [[1999年]](平成11年)姉妹州提携。 == 愛媛県を舞台とした作品 == {{main|愛媛県を舞台とした作品一覧}} === 文芸 === * [[坊っちゃん]](1906年、[[夏目漱石]]) * [[てんやわんや]](1948 - 49年、[[獅子文六]]) * [[草の陰刻]](1964 - 65年、[[松本清張]]) * [[おはなはん]](1966年、[[林謙一]]) * [[坂の上の雲]](1968 - 72年、[[司馬遼太郎]]) * [[薄化粧]](1980年、[[西村望]]) * [[ダウンタウン・ヒーローズ]](1986年、[[早坂暁]]) * [[流転の海]] 第二部「地の星」(1990年、[[宮本輝]]) * [[きみの知らないところで世界は動く]](1995年、[[片山恭一]]) * [[がんばっていきまっしょい]](1996年、[[敷村良子]]) * [[永遠の仔]](1999年、[[天童荒太]]) * [[世界の中心で、愛をさけぶ]](2001年、片山恭一) === 映画 === * [[坊つちやん (映画)|坊つちゃん]] * [[てんやわんや#映画版|てんやわんや]](1950年) * [[仮面ライダーV3対デストロン怪人]](1973年) * [[トラック野郎・天下御免]](1976年) * [[男はつらいよ 寅次郎と殿様]](1977年) * [[薄化粧]](1985年) * [[ダウンタウン・ヒーローズ#映画|ダウンタウン・ヒーローズ]](1988年) * [[がんばっていきまっしょい#映画版|がんばっていきまっしょい]](1998年) * [[船を降りたら彼女の島]](2003年) * [[ホーム・スイートホーム#第2作「ホーム・スイートホーム2 日傘の来た道」|ホーム・スイートホーム2 日傘の来た道]](2003年) * [[世界の中心で、愛をさけぶ#映画『世界の中心で、愛をさけぶ』|世界の中心で、愛をさけぶ]](2004年) * [[ロード88 出会い路、四国へ]](2004年) * [[恋は五・七・五!]](2005年) * [[恋まち物語]](2005年) * [[女の子ものがたり#映画|女の子ものがたり]](2009年) * [[書道ガールズ!! わたしたちの甲子園]](2010年) * [[へっぽこエスパーなごみ!]](2012年) * [[瀬戸内海賊物語]](2014年) * [[海すずめ]](2016年) * [[ディストラクション・ベイビーズ]](2016年) * [[ソローキンの見た桜]](2019年) === ドラマ === * [[坊つちやん (テレビドラマ)|坊つちゃん]] * [[おはなはん]](1966年、[[日本放送協会|NHK]]) * [[東京ラブストーリー]](1991年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) * [[君といた夏]](1994年、フジテレビ) * [[草の陰刻#テレビドラマ|松本清張三回忌特別企画・草の陰刻]](1994年、フジテレビ) * [[永遠の仔#テレビドラマ|永遠の仔]](2000年、[[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]) * [[世界の中心で、愛をさけぶ#金曜ドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』|世界の中心で、愛をさけぶ]](2004年、[[TBSテレビ|TBS]]) * [[がんばっていきまっしょい#テレビドラマ版|がんばっていきまっしょい]](2005年、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]) * [[きみの知らないところで世界は動く#テレビドラマ|きみの知らないところで世界は動く]](2005年、[[NHK松山放送局|NHK松山]]) * [[坂の上の雲 (テレビドラマ)|坂の上の雲]](2009年、NHK) === アニメ === * [[舞-HiME]](松山市) * [[猫も、オンダケ]](松山市) === 漫画 === * [[紫電改のタカ]](原作:[[ちばてつや]]) * [[アパッチ野球軍]](原作:[[花登筺]]、作画:[[梅本さちお]]) * [[東京ラブストーリー]](原作:[[柴門ふみ]]) * [[世界の中心で、愛をさけぶ#漫画『世界の中心で、愛をさけぶ』|世界の中心で、愛をさけぶ]](原作:片山恭一、作画:[[一井かずみ]]) * [[ドカベン スーパースターズ編]](原作:[[水島新司]]) * [[女の子ものがたり]](原作:[[西原理恵子]]) * [[ナツメキッ!!]](原作:[[七島佳那]]) * [[猫も、オンダケ]](原作:[[和田ラヂヲ]]) * [[放課後ミンコフスキー]](原作:[[青柳碧人]]、作画:[[帯屋ミドリ]]) * [[マネーフットボール]](原作:[[能田達規]]) * [[アオアシ]](原作:[[小林有吾]]) == 出身者 == {{Main|愛媛県出身の人物一覧}} 愛媛県は、[[大江健三郎]](1994年[[ノーベル文学賞]])、[[中村修二]](2014年[[ノーベル物理学賞]])、[[真鍋淑郎]](2021年ノーベル物理学賞)の3人の[[ノーベル賞受賞者]]を輩出している。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === <!-- 文献参照ページ --> {{Reflist|2}} == 参考文献 == <!-- 実際に参考にした文献一覧 --> * {{Cite |和書 |author = 内田九州男 |author2 = 寺内浩 |author3 = 川岡勉 |author4 = 矢野達雄 |title = 愛媛県の歴史 |date = 2003 |publisher = 山川出版社 |isbn = 978-4-634-32380-3 |ref = 愛媛県の歴史 }} * {{Cite |和書 |author = |title = 日本の特別地域特別編集64 これでいいのか愛媛県 |date = 2014 |publisher = マイクロマガジン社 |isbn = 978-4-89637-487-2 |ref = これでいいのか愛媛県 }} == 関連項目 == * [[愛媛県の観光地]] * [[:Category:愛媛県の画像|愛媛県の画像]] * [[:Category:愛媛県の自然景勝地|愛媛県の自然景勝地]] * [[愛媛 (小惑星)]] * [[愛媛閃石]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/愛媛県|[[ファイル:Emblem of Ehime prefecture.svg|35px|Portal:日本の都道府県/愛媛県]]}} {{Multimedia|愛媛県の画像}} {{Commons&cat|Ehime prefecture|Ehime prefecture}} {{Wikivoyage|ja:愛媛県}} {{Wiktionary}} {{Wikiquote}} {{Wikinewscat}} {{osm box|r|3795063}} * {{Official website}} * [https://iyokannet.jp/ いよ観ネット] - 愛媛県観光協会 {{s-start}} {{s-bef|before=[[石鉄県]]・[[神山県 (日本)|神山県]]<hr />[[香川県]](第2次)|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1873年]] -|years2=}} {{s-aft|after=-----<hr />香川県(第3次)|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{愛媛県の自治体}} {{愛媛県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:えひめけん}} [[Category:日本の都道府県]] 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大分県
大分県(おおいたけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は大分市。 全国的に知名度が高い別府温泉や由布院温泉をはじめとする多くの温泉を有し、源泉数(4,445か所)、湧出量(279,253リットル/分)ともに日本一であり 、「日本一のおんせん県おおいた」をキャッチフレーズに温泉をアピールしている。 山地の占める割合が大きく、西部には九重連山、南部には祖母山・傾山がそびえる。このうち九重連山の中岳は九州本土の最高峰である。平野部は北部の中津平野、中部の大分平野、南部の佐伯平野など限られた地域に分布している。海岸部は、北部から西部で瀬戸内海(西部は周防灘(豊前海)と呼ばれる)に面する。中部では豊後水道を挟んで四国地方に接しており、その最狭部の豊予海峡の幅は10キロメートルほどである。南部の日豊海岸にはリアス式海岸が発達しており、日豊海岸国定公園に指定された景観が楽しめる。 江戸時代に編纂された『豊後国志』(1803年)は最初の総合的地誌として名高い。 瀬戸内海の西端に位置しており、気候区分上は瀬戸内海式気候から他の型への遷移域に当たる。 気候の区分にはいくつかの考え方がある。 気象庁では、予警報細分区域を以下の4区域に分けている。 降水量の年平均値、及び、降水日数の年変化の2つの観点から、以下の4区域に分ける考え方もある。 大分県には、14市3郡3町1村を合わせて18市町村がある。現存するすべての町村名で、町は「まち」、村は「むら」と読む。 2005年(平成17年)から2006年(平成18年)にかけて、いわゆる「平成の大合併」により別府市、津久見市、姫島村、日出町、九重町、玖珠町を除くすべての市町村が合併し、市町村の数は2004年(平成16年)12月31日までの58から、姫島村を除く東国東郡4町が合併して国東市が発足した2006年(平成18年)3月31日時点で、18へと大幅に減少した。これは九州で最も少なく、全国でも4番目に少ない。なお、町の数(3町) および町村の数(4町村)は47都道府県で最も少ない。 以下、6つの地域振興局の管轄ごとに市町村を記述する。 「平成の大合併」により消滅した郡町村。郡自体が消滅している場合は、郡名にリンクを付した。 大野町(現豊後大野市)の代ノ払遺跡で1981年(昭和56年)に発掘されたナウマンゾウの牙などの化石が、鋭い刃物のようなもので切断されており、人と動物が遭遇したことを示していると推測された。このため、人々が住み始めたのは、3万7000年前であると考えられている。 2001年(平成13年)5月には、大分市の横尾遺跡から約6,000年前から7,000年前(縄文時代早期)の加工された角柱状の材木(長さ3.4メートル、一辺18センチメートル)が出土した。この材木は日本最古の建築部材と考えられている。 現在の大分県の県名は、古来国府が置かれていた大分郡(おおきたのこおり)に由来し「おおいた」という読みはイ音便の一種で、「おおきた」が転訛したものである。さらに、大分郡の名の由来については『豊後国風土記』では、景行天皇がこの地を訪れた際に「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国(おおきたのくに)と名づくべし」と感嘆して名づけ、これが後に「大分」と書かれたとされる。しかし大分平野は広大とは言えないため、実際には狭く入り組んだ地形に多くの田が造られている様子を形容した「多き田」が転じて「大分」になったとする説が近年の定説である。 古代には県の全部と福岡県の東部は豊国と呼ばれ、7世紀末ごろに豊前国と豊後国に分けられた。律令制のもとで、豊前国及び豊後国はともに上国・遠国とされた。 鎌倉時代に大友氏が豊後国の守護となった。室町時代にも守護に任じられた大友氏は大友氏時が九州探題斯波氏経を高崎山城に迎え助力するも南朝の勢力に押され当初は苦戦した。南北朝の統一により勢力を弱めた南朝を制し守護大名そして戦国大名へと大友氏は発展していった。 大友氏は、戦国時代の21代当主大友義鎮(宗麟)の代に最盛期を迎えた。宗麟は九州6ヶ国の守護及び九州探題に任じられ、九州の大半を支配した。また、清やポルトガルなどとの交易を盛んに行い、府内(現在の大分市)などでは南蛮文化が花開いた。キリスト教を積極的に保護し、豊後国の信者は3万人を超えたとされる。宗麟自身も晩年に洗礼を受けてキリシタン大名となった。 しかし、大友氏は1586年(天正14年)の島津氏の侵攻(豊薩合戦)などにより衰退し1593年(文禄2年)に22代当主の大友義統が改易されて、大友氏による統治は終焉を迎えた。 江戸時代、当県にあたる地域には中津、杵築、日出、府内(大分)、臼杵、佐伯、岡(竹田)、森(玖珠)の八藩が分立するとともに、日田には九州の幕府領を管轄する西国筋郡代の代官所が置かれ、各地には肥後、延岡、島原藩の飛び領も点在した。このため、大きな都市は形成されなかったものの、代わりに各地に特色ある文化が生まれた。各藩の城下町だった地域には、現在も武家屋敷などが残っている所が多い。 享和3年(1803年)に完成した地誌『豊後国志』は国東郡、速見郡、大分郡、海部郡、大野郡、直入郡、玖珠郡、日田郡の8郡について、古代から近世までの歴史・地理を簡明に記載する。 大分県の総人口は1,107,823人(2022年7月1日現在)で、47都道府県中石川県に次ぐ第33位である。また、沖縄県を除く九州7県では第5位に位置する。県庁所在地の大分市に総人口の42.7%が集中している。 衆議院の小選挙区は、第1区、第2区、第3区の3区。参議院の選挙区は、全県で1区の大分県選挙区(一人区)を構成。 平成26年度(2014年度)の県内総生産は4兆1426億円である。これは世界の過半数の国の国内総生産 (GDP) よりも規模が大きい。県内総生産の内訳は、第一次産業 910億円(2.2%)、第二次産業 1兆1974億円(28.9%)、第三次産業 2兆8154億円(68.0%)。一人当たり県民所得は258.3万円である。 平松守彦が県知事時代に提唱した一村一品運動によって、各地で特産品を産み出す試みがなされている。 農産物では、干し椎茸及びかぼすが生産量日本一で特産として知られる。干し椎茸のうちでも特に、高級品として珍重される身が厚く表層に星型の亀裂が入る冬菇(どんこ)が名産。野菜の産出額は、白ねぎ(39.0億円)、こねぎ(31.0億円)、トマト(28.0億円)、いちご(26.0億円)、果樹の生産額はナシ(30.4億円)、ブドウ(22.8億円)、ハウスみかん(16.6億円)、かぼす(11.3億円)の順である(2014年度)。 水産業は中高級魚介類が中心で、そのため海面生産量が全国23位であるのに対して海面生産額が10位と高くなっている。特に関あじ、関さばや城下かれいはブランド魚として知られる。リアス式海岸を有する県南部では養殖も盛んであり、ブリ(15,668トン、全国2位)、カンパチ(3,488トン、全国3位)、クロマグロ(1,656トン、全国3位)、ヒラメ(660トン、全国2位)などが生産されている。 畜産では久住高原をはじめとする地域で酪農が行われており、時期によっては放牧されている様を高速道路からでも見ることができる。牛乳及びその加工品も流通している。ブランド牛として豊後牛がある。 高度成長期に大分市が新産業都市の指定を受けて大分臨海工業地帯が形成された。また近年は、大分市や大分空港周辺に電子工業などの立地が進む一方、県北部では、隣接する福岡県東部とともに、自動車関連企業が集積している。このため、全国平均に比べ第二次産業の占める割合が高い。 大分県の自然エネルギー自給率は、30.1%で全国の都道府県で最も高い。八丁原発電所をはじめ3か所の商用地熱発電所が立地するなど、地熱利用が進んでおり、地熱発電の発電量が全国一であることが主な要因である。 JR線4路線がある。私鉄や第三セクター鉄道は存在しないが、別府市に近畿日本鉄道(近鉄)グループの近鉄別府ロープウェイが運営するロープウェイ別府ロープウェイ線と、岡本製作所が運営するケーブルカー別府ラクテンチケーブル線の2路線がある。また、九州地方で新幹線が通らない県は当県と宮崎県だけである。 県内の普通列車の本数は別大都市圏を除いて毎時1本以下となっている。 過去の鉄道路線(廃線) 大分市を中心として別府市・中津市など県北部は大分交通(連結子会社含む)・亀の井バス、佐伯市・竹田市など県南部は大分バス(連結子会社含む)、日田市など県西部は日田バスが路線網を持っている。これらの会社は西日本鉄道と資本的関係がある。また、県外の事業者では、熊本県の九州産交バス(九州横断バスなど)、福岡県の西鉄バス(日田市周辺。以前は中津市にも)が路線を有している。 県の北側から東側にかけては海に面しており、多くの港が設置されている。また、豊後水道を横断し九州と四国を結ぶ航路や、瀬戸内海を通り九州と本州を結ぶ航路が発着している。有人離島も県内には点在しており、定期船が行き来している。 NHK-FMの親局送信所は別府市の十文字原であるが、FM大分の親局およびOBSラジオのFM補完放送のメイン中継局は、大分市街地を挟んだ大分市の横江山に設置されている。 デジタルテレビの親局送信所は、NHK-FMと同じ十文字原に設置されている。 大分県は、民放テレビ局3社のうちOBSとOABに出資している。OABは中継局が整備されていない地域があるが、その中にはケーブルテレビで再放送が行われている地域もある。 県の大半の地域では豊日方言に属する大分弁が話される。大分弁は東北海岸方言、南部海岸方言、西部方言、北部方言、南部方言の5つに区分され、北部方言のうち旧中津市近辺の方言は中津弁、西部方言のうち日田市近辺の方言は日田弁と呼ばれる。中津弁は福岡県豊前方言である北九州弁との境界が曖昧であり、日田弁を含む西部方言は肥筑方言の影響が大きい。 一部シーンに登場した作品を含む。
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"気象庁では、予警報細分区域を以下の4区域に分けている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "降水量の年平均値、及び、降水日数の年変化の2つの観点から、以下の4区域に分ける考え方もある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "大分県には、14市3郡3町1村を合わせて18市町村がある。現存するすべての町村名で、町は「まち」、村は「むら」と読む。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "2005年(平成17年)から2006年(平成18年)にかけて、いわゆる「平成の大合併」により別府市、津久見市、姫島村、日出町、九重町、玖珠町を除くすべての市町村が合併し、市町村の数は2004年(平成16年)12月31日までの58から、姫島村を除く東国東郡4町が合併して国東市が発足した2006年(平成18年)3月31日時点で、18へと大幅に減少した。これは九州で最も少なく、全国でも4番目に少ない。なお、町の数(3町) および町村の数(4町村)は47都道府県で最も少ない。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "以下、6つの地域振興局の管轄ごとに市町村を記述する。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "「平成の大合併」により消滅した郡町村。郡自体が消滅している場合は、郡名にリンクを付した。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "大野町(現豊後大野市)の代ノ払遺跡で1981年(昭和56年)に発掘されたナウマンゾウの牙などの化石が、鋭い刃物のようなもので切断されており、人と動物が遭遇したことを示していると推測された。このため、人々が住み始めたのは、3万7000年前であると考えられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "2001年(平成13年)5月には、大分市の横尾遺跡から約6,000年前から7,000年前(縄文時代早期)の加工された角柱状の材木(長さ3.4メートル、一辺18センチメートル)が出土した。この材木は日本最古の建築部材と考えられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "現在の大分県の県名は、古来国府が置かれていた大分郡(おおきたのこおり)に由来し「おおいた」という読みはイ音便の一種で、「おおきた」が転訛したものである。さらに、大分郡の名の由来については『豊後国風土記』では、景行天皇がこの地を訪れた際に「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国(おおきたのくに)と名づくべし」と感嘆して名づけ、これが後に「大分」と書かれたとされる。しかし大分平野は広大とは言えないため、実際には狭く入り組んだ地形に多くの田が造られている様子を形容した「多き田」が転じて「大分」になったとする説が近年の定説である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "古代には県の全部と福岡県の東部は豊国と呼ばれ、7世紀末ごろに豊前国と豊後国に分けられた。律令制のもとで、豊前国及び豊後国はともに上国・遠国とされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "鎌倉時代に大友氏が豊後国の守護となった。室町時代にも守護に任じられた大友氏は大友氏時が九州探題斯波氏経を高崎山城に迎え助力するも南朝の勢力に押され当初は苦戦した。南北朝の統一により勢力を弱めた南朝を制し守護大名そして戦国大名へと大友氏は発展していった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "大友氏は、戦国時代の21代当主大友義鎮(宗麟)の代に最盛期を迎えた。宗麟は九州6ヶ国の守護及び九州探題に任じられ、九州の大半を支配した。また、清やポルトガルなどとの交易を盛んに行い、府内(現在の大分市)などでは南蛮文化が花開いた。キリスト教を積極的に保護し、豊後国の信者は3万人を超えたとされる。宗麟自身も晩年に洗礼を受けてキリシタン大名となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "しかし、大友氏は1586年(天正14年)の島津氏の侵攻(豊薩合戦)などにより衰退し1593年(文禄2年)に22代当主の大友義統が改易されて、大友氏による統治は終焉を迎えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "江戸時代、当県にあたる地域には中津、杵築、日出、府内(大分)、臼杵、佐伯、岡(竹田)、森(玖珠)の八藩が分立するとともに、日田には九州の幕府領を管轄する西国筋郡代の代官所が置かれ、各地には肥後、延岡、島原藩の飛び領も点在した。このため、大きな都市は形成されなかったものの、代わりに各地に特色ある文化が生まれた。各藩の城下町だった地域には、現在も武家屋敷などが残っている所が多い。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "享和3年(1803年)に完成した地誌『豊後国志』は国東郡、速見郡、大分郡、海部郡、大野郡、直入郡、玖珠郡、日田郡の8郡について、古代から近世までの歴史・地理を簡明に記載する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "大分県の総人口は1,107,823人(2022年7月1日現在)で、47都道府県中石川県に次ぐ第33位である。また、沖縄県を除く九州7県では第5位に位置する。県庁所在地の大分市に総人口の42.7%が集中している。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区は、第1区、第2区、第3区の3区。参議院の選挙区は、全県で1区の大分県選挙区(一人区)を構成。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "平成26年度(2014年度)の県内総生産は4兆1426億円である。これは世界の過半数の国の国内総生産 (GDP) よりも規模が大きい。県内総生産の内訳は、第一次産業 910億円(2.2%)、第二次産業 1兆1974億円(28.9%)、第三次産業 2兆8154億円(68.0%)。一人当たり県民所得は258.3万円である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "平松守彦が県知事時代に提唱した一村一品運動によって、各地で特産品を産み出す試みがなされている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "農産物では、干し椎茸及びかぼすが生産量日本一で特産として知られる。干し椎茸のうちでも特に、高級品として珍重される身が厚く表層に星型の亀裂が入る冬菇(どんこ)が名産。野菜の産出額は、白ねぎ(39.0億円)、こねぎ(31.0億円)、トマト(28.0億円)、いちご(26.0億円)、果樹の生産額はナシ(30.4億円)、ブドウ(22.8億円)、ハウスみかん(16.6億円)、かぼす(11.3億円)の順である(2014年度)。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "水産業は中高級魚介類が中心で、そのため海面生産量が全国23位であるのに対して海面生産額が10位と高くなっている。特に関あじ、関さばや城下かれいはブランド魚として知られる。リアス式海岸を有する県南部では養殖も盛んであり、ブリ(15,668トン、全国2位)、カンパチ(3,488トン、全国3位)、クロマグロ(1,656トン、全国3位)、ヒラメ(660トン、全国2位)などが生産されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "畜産では久住高原をはじめとする地域で酪農が行われており、時期によっては放牧されている様を高速道路からでも見ることができる。牛乳及びその加工品も流通している。ブランド牛として豊後牛がある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "高度成長期に大分市が新産業都市の指定を受けて大分臨海工業地帯が形成された。また近年は、大分市や大分空港周辺に電子工業などの立地が進む一方、県北部では、隣接する福岡県東部とともに、自動車関連企業が集積している。このため、全国平均に比べ第二次産業の占める割合が高い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "大分県の自然エネルギー自給率は、30.1%で全国の都道府県で最も高い。八丁原発電所をはじめ3か所の商用地熱発電所が立地するなど、地熱利用が進んでおり、地熱発電の発電量が全国一であることが主な要因である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "JR線4路線がある。私鉄や第三セクター鉄道は存在しないが、別府市に近畿日本鉄道(近鉄)グループの近鉄別府ロープウェイが運営するロープウェイ別府ロープウェイ線と、岡本製作所が運営するケーブルカー別府ラクテンチケーブル線の2路線がある。また、九州地方で新幹線が通らない県は当県と宮崎県だけである。 県内の普通列車の本数は別大都市圏を除いて毎時1本以下となっている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "過去の鉄道路線(廃線)", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "大分市を中心として別府市・中津市など県北部は大分交通(連結子会社含む)・亀の井バス、佐伯市・竹田市など県南部は大分バス(連結子会社含む)、日田市など県西部は日田バスが路線網を持っている。これらの会社は西日本鉄道と資本的関係がある。また、県外の事業者では、熊本県の九州産交バス(九州横断バスなど)、福岡県の西鉄バス(日田市周辺。以前は中津市にも)が路線を有している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "県の北側から東側にかけては海に面しており、多くの港が設置されている。また、豊後水道を横断し九州と四国を結ぶ航路や、瀬戸内海を通り九州と本州を結ぶ航路が発着している。有人離島も県内には点在しており、定期船が行き来している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "NHK-FMの親局送信所は別府市の十文字原であるが、FM大分の親局およびOBSラジオのFM補完放送のメイン中継局は、大分市街地を挟んだ大分市の横江山に設置されている。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "デジタルテレビの親局送信所は、NHK-FMと同じ十文字原に設置されている。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "大分県は、民放テレビ局3社のうちOBSとOABに出資している。OABは中継局が整備されていない地域があるが、その中にはケーブルテレビで再放送が行われている地域もある。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "県の大半の地域では豊日方言に属する大分弁が話される。大分弁は東北海岸方言、南部海岸方言、西部方言、北部方言、南部方言の5つに区分され、北部方言のうち旧中津市近辺の方言は中津弁、西部方言のうち日田市近辺の方言は日田弁と呼ばれる。中津弁は福岡県豊前方言である北九州弁との境界が曖昧であり、日田弁を含む西部方言は肥筑方言の影響が大きい。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "一部シーンに登場した作品を含む。", "title": "大分県を舞台とした作品" } ]
大分県(おおいたけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は大分市。 全国的に知名度が高い別府温泉や由布院温泉をはじめとする多くの温泉を有し、源泉数(4,445か所)、湧出量(279,253リットル/分)ともに日本一であり 、「日本一のおんせん県おおいた」をキャッチフレーズに温泉をアピールしている。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 大分県 | 画像 = {{multiple image | border = infobox | total_width = 270 | image_style = border:1; | perrow = 1/2/2 | image1 = Beppu Umi-jigoku04n4272.jpg | image2 = Handakogen.jpg | image3 = Usa Shrine Nanchu Romon.JPG | image4 = Yuhudake.jpg | image5 = Takasakiyama_saru.jpg }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[別府温泉]]・[[別府地獄めぐり#海地獄|海地獄]]</tr><tr><td style="width:50%">[[飯田高原]]<td style="width:50%">[[宇佐神宮]]</tr><tr><td style="width:50%">[[由布岳]]<td style="width:50%">[[高崎山自然動物園]]</tr></table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|大分県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[大分県旗]]<ref name="symbol01">[https://www.pref.oita.jp/soshiki/10400/symbol01.html 大分県の県徽章・県旗について] 大分県</ref> | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Oita Prefecture.svg|70px|大分県徽章]] | 都道府県章の説明 = [[大分県章|大分県徽章]]<ref name="symbol01" /> | 区分 = 県 | コード = 44000-1 | ISO 3166-2 = JP-44 | 隣接都道府県 = {{flag|福岡県}}<br />{{flag|熊本県}}<br />{{flag|宮崎県}}<br />{{flag|愛媛県}}<ref group="注釈" name="rinsetsu">海を挟んで隣接。</ref><br />{{flag|山口県}}<ref group="注釈" name="rinsetsu" /> | 木 = [[ウメ|豊後梅]]<ref name="symbol">[https://www.pref.oita.jp/site/kids/symbol.html 大分県のシンボル] 大分県</ref> | 花 = 豊後梅<ref name="symbol" /> | 鳥 = [[メジロ|めじろ]]<ref name="symbol" /> | シンボル名 = 他のシンボル | 歌など = 県の歌:未制定<ref>[https://www.excite.co.jp/news/article/E1358961906076/?p=3 ゆるキャラだけが県じゃない。県民手帳は何を考えているのか〈沖縄県〜山口県編〉] - [[excite|エキレビ!]] 2013年1月24日</ref><br />県民の日:[[11月14日]]<ref name="shizuokafaq">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.shizuoka.jp/kikaku/ki-110a/qanda.html |title=県民の日に関するQ&A |publisher=静岡県 |date=2015-09-23 |accessdate=2017-04-08 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://j-town.net/ibaraki/event/topics/011381.html?p=all |title=「県民の日」埼玉・茨城は休みで大分は「何もなし」この違いって… |publisher=[[ジェイ・キャスト|Jタウンネット 茨城県]] |date=2013-11-14 |accessdate=2017-04-08 }}</ref> | 郵便番号 = 870-8501 | 所在地 = 大分市大手町3丁目1番1号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-44|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=7|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=220|frame-height=180|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}}<br />[[ファイル:OitaPrefOffice1.jpg|220px|大分県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 44 Oita prefecture.svg|320px|大分県の位置]]{{基礎自治体位置図|44|000|image=Map of Oita Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} '''大分県'''(おおいたけん)は、[[日本]]の[[九州|九州地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[大分市]]。 全国的に知名度が高い[[別府温泉]]や[[由布院温泉]]をはじめとする多くの[[温泉]]を有し、源泉数(4,445か所)、湧出量(279,253リットル/分)ともに日本一であり<ref>{{Cite web|和書|title=温泉データ|url=https://www.pref.oita.jp/site/onsen/onsen-date.html|website=大分県ホームページ|accessdate=2021-03-05|language=ja}}</ref> 、「'''日本一のおんせん県おおいた'''」をキャッチフレーズに温泉をアピールしている<ref>[http://www.pref.oita.jp/soshiki/10820/onsenken.html 大分県による「おんせん県」商標登録申請について] 大分県、2012年11月15日</ref>。 == 地理・地域 == [[ファイル:Makinoto Pass - 01.jpg|thumb|right|九重連山]] [[ファイル:Oita sekizaki hoyo strait.jpg|thumb|right|豊予海峡(画像手前が大分側の[[関崎]]、左手奥が愛媛側の[[佐田岬]])]] [[ファイル:Yufuin Basin 11.jpg|thumb|right|由布院盆地(画像奥の山群は九重連山)]] 山地の占める割合が大きく、西部には[[九重山|九重連山]]、南部には[[祖母山]]・[[傾山]]がそびえる。このうち九重連山の[[中岳 (九重山)|中岳]]は九州本土の最高峰である。平野部は北部の[[中津平野]]、中部の[[大分平野]]、南部の[[佐伯平野]]など限られた地域に分布している<ref>[http://www.pref.oita.jp/10400/guide-o/shizen01_new.htm 大分県の自然と風土 地形・地質] 大分県</ref>。海岸部は、北部から西部で[[瀬戸内海]](西部は[[周防灘]]([[豊前海]])と呼ばれる)に面する。中部では[[豊後水道]]を挟んで[[四国|四国地方]]に接しており、その最狭部の[[豊予海峡]]の幅は10キロメートルほどである。南部の[[日豊海岸]]には[[リアス式海岸]]が発達しており、[[日豊海岸国定公園]]に指定された景観が楽しめる。 [[江戸時代]]に編纂された『[[豊後国志]]』([[1803年]])は最初の総合的地誌として名高い。 === 隣接都道府県 === * [[福岡県]]、[[熊本県]]、[[宮崎県]]、※[[愛媛県]] 、{{要出典範囲|※[[山口県]]|date=2021年8月5日 (木) 06:50 (UTC)}}<br />※は海を挟んで隣接 === 地形 === * '''山''':[[大分百山]]のうち、記事があるものを挙げる。 ** [[久住山]]、[[中岳 (九重山)|中岳]](九州本土及び県内最高峰)、[[稲星山]]、[[星生山]]、[[三俣山 (大分県)|三俣山]]、[[大船山 (大分県)|大船山]]、[[黒岳 (大分県)|黒岳]]、[[涌蓋山]]、[[崩平山]] ** [[由布岳]]、[[鶴見岳]]、[[内山 (大分県)|内山]]、[[伽藍岳]]、[[大平山 (大分県)|大平山]]、[[高崎山]]、[[平家山]] ** [[両子山]]、[[千灯岳]]、[[猪群山]]、[[田原山]](鋸山)、[[矢筈岳]] ** [[八面山 (大分県)|八面山]]、[[英彦山]]、[[岳滅鬼山]] ** [[万年山]]、[[伐株山]]、[[大岩扇山]]、[[月出山岳]] ** [[釈迦岳 (大分県・福岡県)|釈迦ケ岳]]、[[御前岳 (福岡県・大分県)|御前岳]]、[[渡神岳]]、[[酒呑童子山]] ** [[霊山 (大分県)|霊山]]、[[障子岳 (大分県大分市)|障子岳]] ** [[彦岳 (大分県)|彦岳]]、[[尺間山]]、[[元越山]]、[[龍王山]] ** [[祖母山]]、[[障子岳 (大分県・宮崎県)|障子岳]]、[[古祖母山]]、[[傾山]] ** [[佩楯山]]、[[御岳山]]、[[椿山 (大分県)|椿山]] * '''[[平野]]''':[[中津平野]]、[[宇佐平野]]、[[大分平野]]、[[臼杵平野]]、[[佐伯平野]] * '''[[盆地]]''':[[安心院盆地]]、[[由布院盆地]]、[[玖珠盆地]]、[[日田盆地]] * '''[[一級河川]]''':[[山国川]]、[[大分川]]、[[大野川]]、[[筑後川]]([[三隈川]]・[[大山川]])、[[番匠川]] * '''[[湾]]''':[[守江湾]]、[[別府湾]]、[[臼杵湾]]、[[津久見湾]]、[[佐伯湾]]、[[米水津湾]]、[[元猿湾]]、[[猪串湾]]、[[名護屋湾]] * '''有人[[島]]''':[[姫島 (大分県)|姫島]]、[[黒島 (大分県臼杵市)|黒島]]、[[津久見島]]、[[地無垢島]]、[[保戸島]]、[[大入島]]、[[大島 (大分県佐伯市)|大島]]、[[屋形島]]、[[深島]] * '''[[半島]]''':[[国東半島]]、[[佐賀関半島]]、[[長目半島]]、[[四浦半島]]、[[鶴見半島]] === 自然公園 === * [[国立公園]] : [[瀬戸内海国立公園]]、[[阿蘇くじゅう国立公園]] * [[国定公園]] : [[耶馬日田英彦山国定公園]]、[[祖母傾国定公園]]、[[日豊海岸国定公園]] * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] : [[国東半島県立自然公園]]、[[豊後水道県立自然公園]]、[[神角寺芹川県立自然公園]]、[[津江山系県立自然公園]]、[[祖母傾県立自然公園 (大分県)|祖母傾県立自然公園]] === 気候 === 瀬戸内海の西端に位置しており、気候区分上は[[瀬戸内海式気候]]から他の型への遷移域に当たる<ref name="reddata">{{PDFlink|[http://www.pref.oita.jp/10550/reddata/data/kikou.pdf レッドデータブックおおいた2011 大分県の自然について 大分県の気候・水文]}} 大分県</ref>。 気候の区分にはいくつかの考え方がある。 気象庁では、予警報細分区域を以下の4区域に分けている<ref name="jma">[https://www.jma-net.go.jp/oita/oita-kikou.htm 大分県の気候特性] 大分地方気象台</ref>。 * '''北部'''(中津市・宇佐市・豊後高田市・国東市・姫島村) - 瀬戸内海式気候に属するが、冬季は[[関門海峡]]からの北西の[[季節風]]の影響を受け曇りの日が多い。 * '''中部'''(杵築市・日出町・別府市・大分市・由布市・臼杵市・津久見市) - 北西部にある山地の影響で、冬季は北部や西部に比べて天気がよい。 * '''西部'''(日田市・玖珠町・九重町・竹田市) - 内陸部に位置するため夏季は[[雷雨]]が多い。秋から初冬にかけて盆地で[[霧]]が発生する。 * '''南部'''(豊後大野市・佐伯市) - 県内では最も温暖多雨で、夏季に大雨が降ることがある。冬季は晴天が多い。 降水量の年平均値、及び、降水日数の年変化の2つの観点から、以下の4区域に分ける考え方もある<ref name="reddata" />。 * '''瀬戸内型(I)'''(中津平野、国東半島及び別府市沿岸部) - 年間降水量が1,800ミリメートル (mm)以下。冬季は曇りがちで、しばしば積雪する。夏季には[[旱魃]]が起きやすい。 * '''瀬戸内型(II)'''(大分市、大野川中流域、臼杵市) - 年間降水量が1,800mm以下。冬季の天候は比較的よい。 * '''九州山地型'''(県西部から北西部にかけての内陸部) - 年間降水量が1,800mm以上。山岳地域では3,000mmを超える。梅雨期に豪雨が降りやすいが、夏季の台風による雨量は比較的少ない。冬季には降水日数が多く、しばしば積雪する。 * '''南海型'''(津久見市以南の佐伯市、豊後大野市) - 年間降水量が1,800mm以上。山岳地域では3,000mmを超える。特に夏季は多雨で、台風による大雨が降りやすい。冬季は乾燥し晴天が続く。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+大分県各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/report.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="4"|北部沿岸部 !colspan="2"|中部沿岸部 !colspan="2"|南部沿岸部 !colspan="7"|内陸部 |- ![[中津市|中津]]!![[豊後高田市|豊後高田]]!![[国東市]]<br />[[国見町 (大分県)|国見]]!![[国東市]]<br />[[武蔵町|武蔵]]!![[杵築市|杵築]]!![[大分市|大分]]!![[佐伯市|佐伯]]!![[佐伯市|佐伯]]<br />[[蒲江町|蒲江]]!![[日田市|日田]]!![[玖珠町|玖珠]]!![[宇佐市]]<br />[[院内町 (大分県)|院内]]!![[由布市]]<br />[[湯布院町|湯布院]]!![[竹田市|竹田]]!![[豊後大野市]]<br />[[犬飼町|犬飼]]!![[佐伯市]]<br />[[宇目町|宇目]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |26.9<br />(8月)||26.7<br />(8月) |26.5<br />(8月)|| |25.9<br />(8月)||26.8<br />(8月) |26.6<br />(8月)||26.6<br />(8月) |26.7<br />(8月)||25.2<br />(8月) |25.6<br />(8月)||24.0<br />(8月) |25.0<br />(8月)||26.0<br />(8月) |24.9<br />(8月) |- !最寒月 |5.3<br />(1月)||5.1<br />(1月) |5.8<br />(1月)|| |3.7<br />(1月)||6.0<br />(1月) |6.4<br />(1月)||7.3<br />(1月) |3.8<br />(1月)||2.4<br />(1月) |3.9<br />(1月)||2.1<br />(1月) |3.9<br />(1月)||4.2<br />(1月) |3.5<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |296.9<br />(6月)||278.2<br />(6月) |283.0<br />(6月)|| |287.2<br />(6月)||294.2<br />(6月) |304.4<br />(9月)||359.5<br />(6月) |379.3<br />(6月)||391.8<br />(6月) |315.8<br />(6月)||370.0<br />(6月) |336.8<br />(7月)||294.1<br />(7月) |376.8<br />(8月) |- !最少月 |30.7<br />(12月)||29.0<br />(12月) |34.5<br />(12月)|| |30.0<br />(12月)||28.1<br />(12月) |33.9<br />(12月)||39.7<br />(12月) |48.0<br />(12月)||43.1<br />(12月) |35.2<br />(12月)||35.3<br />(12月) |27.5<br />(12月)||27.0<br />(12月) |31.7<br />(12月) |} === 自治体 === {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=大分県|float=right}} 大分県には、14市3郡3町1村を合わせて18市町村がある。現存するすべての町村名で、町は「まち」、村は「むら」と読む{{refnest|group="注釈"|なお、「平成の大合併」で消滅した町村のうち、香々地町(現豊後高田市)、国見町(現国東市)、庄内町、湯布院町(以上、現由布市)、蒲江町(現佐伯市)は「ちょう」、直川村(現佐伯市)は「そん」と読み、それ以外は、町は「まち」、村は「むら」と読んでいた<ref>角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 44 大分県』[[角川書店]]、1980年1月</ref>。}}。 [[2005年]](平成17年)から[[2006年]](平成18年)にかけて、いわゆる「[[平成の大合併]]」により別府市、津久見市、姫島村、日出町、九重町、玖珠町を除くすべての市町村が合併し、市町村の数は[[2004年]](平成16年)12月31日までの58から、姫島村を除く東国東郡4町が合併して国東市が発足した2006年(平成18年)3月31日時点で、18へと大幅に減少した。これは九州で最も少なく、全国でも4番目に少ない<ref>[https://www.soumu.go.jp/kouiki/kouiki.html 地方自治制度|広域行政・市町村合併] 総務省</ref>。なお、町の数(3町) および町村の数(4町村)は47都道府県で最も少ない<ref>[https://www.nactva.gr.jp/html/search/count_list.html 都道府県毎の町村数] 全国町村議会議長会</ref>。 以下、6つの地域振興局の管轄ごとに市町村を記述する。 ; 中部地域 * [[大分市]](県庁所在地・[[中核市]]) * [[臼杵市]] * [[津久見市]] * [[由布市]] ; 東部地域 * [[別府市]]([[国際観光文化都市|国際観光温泉文化都市]]) * [[杵築市]] * [[国東市]] * [[東国東郡]] ** [[姫島村]] * [[速見郡]] ** [[日出町]] ; 北部地域 * [[中津市]] * [[豊後高田市]] * [[宇佐市]] ; 西部地域 * [[日田市]] * [[玖珠郡]] ** [[玖珠町]] ** [[九重町]] ; 南部地域 * [[佐伯市]](九州最大の面積、九州最東端) ; 豊肥地域 * [[竹田市]] * [[豊後大野市]] === 消滅した郡町村 === 「平成の大合併」により消滅した郡町村。郡自体が消滅している場合は、郡名にリンクを付した。 * [[西国東郡]] [[大田村 (大分県)|大田村]] - [[真玉町]] - [[香々地町]] * 東国東郡 [[国見町 (大分県)|国見町]] - [[国東町]] - [[武蔵町]] - [[安岐町]] * 速見郡 [[山香町]] * [[大分郡]] [[野津原町]] - [[挾間町]] - [[庄内町 (大分県)|庄内町]] - [[湯布院町]] * [[北海部郡]] [[佐賀関町]] * [[南海部郡]] [[上浦町 (大分県)|上浦町]] - [[弥生町]] - [[本匠村]] - [[宇目町]] - [[直川村 (大分県)|直川村]] - [[鶴見町 (大分県)|鶴見町]] - [[米水津村]] - [[蒲江町]] * [[大野郡 (大分県)|大野郡]] [[野津町]] - [[三重町]] - [[清川村 (大分県)|清川村]] - [[緒方町]] - [[朝地町]] - [[大野町 (大分県)|大野町]] - [[千歳村 (大分県)|千歳村]] - [[犬飼町]] * [[直入郡]] [[荻町]] - [[久住町]] - [[直入町]] * [[日田郡]] [[前津江村]] - [[中津江村]] - [[上津江村]] - [[大山町 (大分県)|大山町]] - [[天瀬町]] * [[下毛郡]] [[三光村]] - [[本耶馬渓町]] - [[耶馬溪町]] - [[山国町]] * [[宇佐郡]] [[院内町 (大分県)|院内町]] - [[安心院町]] == 歴史 == === 先史時代 === 大野町(現豊後大野市)の代ノ払遺跡で[[1981年]](昭和56年)に発掘された[[ナウマンゾウ]]の牙などの[[化石]]が、鋭い刃物のようなもので切断されており、人と動物が遭遇したことを示していると推測された。このため、人々が住み始めたのは、3万7000年前であると考えられている<ref>後藤宗俊「豊国の形成と展開」 豊田寛三・後藤宗俊・飯沼賢司・末廣利人『大分県の歴史』山川出版社、[[2002年]]、10ページ</ref>。 [[2001年]](平成13年)5月には、大分市の[[横尾遺跡]]から約6,000年前から7,000年前([[縄文時代]]早期)の加工された角柱状の材木(長さ3.4メートル、一辺18センチメートル)が出土した。この材木は日本最古の建築部材と考えられている<ref>[https://ci.nii.ac.jp/naid/110006345930 ホゾ穴か[[キツツキ]]の穴か?日本最古の「建築部材」の謎に迫る:大分市横尾貝塚周辺の発掘調査より(遺跡漫遊 第6回)] 建築雑誌 117(1495), 058, 2002-11-20、日本建築学会</ref>。 === 古代 === 現在の大分県の県名は、古来[[国府]]が置かれていた大分郡(おおきたのこおり)に由来し「おおいた」という読みは[[音便#イ音便|イ音便]]の一種で、「おおきた」が転訛したものである。さらに、大分郡の名の由来については『[[豊後国風土記]]』では、[[景行天皇]]がこの地を訪れた際に「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国(おおきたのくに)と名づくべし」と感嘆して名づけ、これが後に「大分」と書かれたとされる。しかし[[大分平野]]は広大とは言えないため、実際には狭く入り組んだ地形に多くの田が造られている様子を形容した「多き田」が転じて「大分」になったとする説が近年の定説である<ref>[http://www.pref.oita.jp/soshiki/10400/symbol04.html 県名の由来] 大分県</ref><ref>[http://library.pref.oita.jp/kento/reference/case/oita/a_049.html レファレンス事例集 > 大分県関係のレファレンス > 「大分県」の県名の由来を知りたい。] 大分県立図書館</ref>。 古代には県の全部と福岡県の東部は[[豊国]]と呼ばれ、7世紀末ごろに[[豊前国]]と[[豊後国]]に分けられた。[[律令制]]のもとで、豊前国及び豊後国はともに[[上国]]・[[遠国]]とされた。 === 中世 === [[鎌倉時代]]に[[大友氏]]が豊後国の[[守護]]となった。[[室町時代]]にも守護に任じられた大友氏は[[大友氏時]]が[[九州探題]][[斯波氏経]]を高崎山城に迎え助力するも南朝の勢力に押され当初は苦戦した。南北朝の統一により勢力を弱めた南朝を制し守護大名そして戦国大名へと大友氏は発展していった。 大友氏は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の21代当主[[大友義鎮|大友義鎮(宗麟)]]の代に最盛期を迎えた。宗麟は九州6ヶ国の守護及び[[九州探題]]に任じられ、九州の大半を支配した。また、[[清]]や[[ポルトガル]]などとの[[交易]]を盛んに行い、[[府内 (豊後国)|府内]](現在の大分市)などでは[[南蛮]]文化が花開いた。キリスト教を積極的に保護し、豊後国の信者は3万人を超えたとされる<ref>[http://oita-catholic.jp/publics/index/130/ 豊後キリシタン小史] カトリック大分司教区</ref>。宗麟自身も晩年に洗礼を受けて[[キリシタン大名]]となった。 しかし、大友氏は[[1586年]](天正14年)の島津氏の侵攻([[豊薩合戦]])などにより衰退し[[1593年]](文禄2年)に22代当主の[[大友義統]]が改易されて、大友氏による統治は終焉を迎えた。 === 近世 === [[江戸時代]]、当県にあたる地域には[[中津藩|中津]]、[[杵築藩|杵築]]、[[日出藩|日出]]、[[府内藩|府内]](大分)、[[臼杵藩|臼杵]]、[[佐伯藩|佐伯]]、[[岡藩|岡]](竹田)、[[森藩|森]](玖珠)の'''八藩が分立'''するとともに、日田には九州の[[天領|幕府領]]を管轄する[[西国筋郡代]]の[[代官|代官所]]が置かれ、各地には[[熊本藩|肥後]]、[[延岡藩|延岡]]、[[島原藩|島原]]藩の飛び領も点在した。このため、大きな都市は形成されなかったものの、代わりに各地に特色ある[[文化 (代表的なトピック)|文化]]が生まれた。各藩の城下町だった地域には、現在も武家屋敷などが残っている所が多い。 享和3年([[1803年]])に完成した地誌『[[豊後国志]]』は[[国東郡]]、[[速見郡]]、[[大分郡]]、[[海部郡 (豊後国)|海部郡]]、[[大野郡]]、[[直入郡]]、[[玖珠郡]]、[[日田郡]]の8郡について、古代から近世までの歴史・地理を簡明に記載する。 === 近代 === [[ファイル:1931_Map_of_Oita_Prefecture.jpg|thumb|300px|1931年には、[[宇佐郡]]、[[下毛郡]]、[[東国東郡]]、[[西国東郡]]、[[日田郡]]、[[玖珠郡]]、[[速見郡]]、[[大分郡]]、[[直入郡]]、[[大野郡]]、[[北海部郡]]、[[南海部郡]]がある。[[大分駅]]から[[豊後森駅]]まで[[久大線|鉄道]]が開通している。]] * [[1871年]]([[明治]]4年)11月14日 (旧暦) - 旧豊後国内に置かれていた[[杵築藩|杵築県]]、[[日出藩|日出県]]、[[府内藩|府内県]]、[[臼杵藩|臼杵県]]、[[日田県]]、[[森藩|森県]]、[[岡藩|岡県]]、[[佐伯藩|佐伯県]]の8県などを併合・成立した。 * [[1872年]](明治5年)1月23日 (旧暦) - 大分郡南勢家(現在の大分市都町)に県庁が設置された。 * [[1876年]](明治9年)8月21日 - [[宇佐郡|宇佐]]、[[下毛郡|下毛]]両郡が[[福岡県]]より編入され、現在の県域がほぼ確定した{{refnest|group="注釈"|その後、[[1896年]](明治29年)[[3月29日]]に福岡県[[上毛郡]][[高浜村 (福岡県)|高浜村]]大字小祝のうち山国川支流以東が下毛郡中津村に編入され、現在の県域となった<ref>[http://www.pref.oita.jp/uploaded/attachment/106723.xls 付録1 本県管轄地の沿革] 大分県</ref>。}}。 * [[1943年]](昭和18年)[[9月19日]] - 九州・西日本一帯に集中豪雨。県内は死者169人、行方不明者66人、家屋全壊406戸、家屋流失302戸、家屋浸水24202戸、橋梁流失74ヶ所などの被害<ref>「九州・四国。中国地方に豪雨禍」『毎日新聞』1943年9月21日大阪版・夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p.225 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1945年]](昭和20年)[[10月8日]] - 県内で暴風雨。33人が死亡、68人が負傷。流失家屋110戸、全壊家屋2368戸などの被害<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=65 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1966年]](昭和41年)- [[第21回国民体育大会]](「剛健国体」、夏季大会・秋季大会)開催。天皇杯を獲得した。 * [[1971年]](昭和46年)10月16日 - 新大分空港(現[[大分空港]])開港。 * [[1972年]](昭和47年)4月19日 - 新日鐵大分製鐵所(現[[新日鐵住金大分製鐵所]])第1号高炉火入れ。 * [[1996年]](平成8年) 3月28日 - [[大分自動車道]] 玖珠IC - 湯布院ICが開通。大分市 - [[福岡市]]間が高速道路で直結した。 * [[2002年]](平成14年)6月 - [[大分スポーツ公園総合競技場]](ビッグアイ)が[[2002 FIFAワールドカップ]]の会場のひとつとなり、一次リーグ2試合及び決勝トーナメント[[スウェーデン]]対[[セネガル]]戦が開催された。 * [[2008年]](平成20年)- [[第63回国民体育大会]](「チャレンジ!おおいた国体」、本大会、2順目)開催。天皇杯、皇后杯を獲得した。 * [[2015年]](平成27年)3月21日 - [[東九州自動車道]]の県内区間が全線開通。大分市 - [[宮崎市]]間が高速道路で直結した。 * [[2016年]](平成28年) ** 4月16日 - 未明に発生した[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]の本震([[マグニチュード|Mj]]7.3)により、県中部を震源とする誘発地震(Mj5.7)が発生、由布市と別府市で県内観測史上初となる震度6弱を観測した。大分自動車道 [[湯布院インターチェンジ|湯布院IC]] - [[日出ジャンクション|日出JCT]]間で土砂崩れが発生し、同年5月9日午後まで通行止めとなった。 ** 4月24日 - 東九州自動車道 大分市 - [[北九州市]]間が直結。 * [[2020年]](令和2年) ** 7月 - 『[[令和2年7月豪雨]]』により、大分市、由布市の一部で大分川が氾濫し久大本線の鉄橋が流出。[[湯平温泉]]花合野川の濁流により「砂湯」が流失。[[天ヶ瀬温泉]]玖珠川の氾濫により温泉街が浸水し、橋2本が流失するなど大きな被害を受けた。 == 人口 == 大分県の総人口は1,107,823人(2022年7月1日現在)で、47都道府県中[[石川県]]に次ぐ第33位である。また、[[沖縄県]]を除く九州7県では第5位に位置する。県庁所在地の大分市に総人口の42.7%が集中している。 [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Oita prefecture, Japan.svg|thumb|300px|大分県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=44000|name=大分県|image=Demography44000.svg}} === 都市 === ; 市町村別人口({{自治体人口/大分県|source}}、{{自治体人口/大分県|date}}現在) {| class="sortable wikitable" style="text-align:left" !順位!!市町村!!人口(人)!!自治体種別!!class="unsortable"|備考 |- |1||[[大分市]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|大分市}}}}||data-sort-value="1"|市||[[中核市]] |- |2||[[別府市]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|別府市}}}}||data-sort-value="1"|市||[[国際観光文化都市]] |- |3||[[中津市]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|中津市}}}}||data-sort-value="1"|市|| |- |4||[[佐伯市]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|佐伯市}}}}||data-sort-value="1"|市|| |- |5||[[日田市]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|日田市}}}}||data-sort-value="1"|市|| |- |6||[[宇佐市]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|宇佐市}}}}||data-sort-value="1"|市|| |- |7||[[臼杵市]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|臼杵市}}}}||data-sort-value="1"|市|| |- |8||[[豊後大野市]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|豊後大野市}}}}||data-sort-value="1"|市|| |- |9||[[由布市]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|由布市}}}}||data-sort-value="1"|市|| |- |10||[[杵築市]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|杵築市}}}}||data-sort-value="1"|市|| |- |11||[[日出町]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|日出町}}}}||data-sort-value="2"|町|| |- |12||[[国東市]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|国東市}}}}||data-sort-value="1"|市|| |- |13||[[豊後高田市]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|豊後高田市}}}}||data-sort-value="1"|市|| |- |14||[[竹田市]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|竹田市}}}}||data-sort-value="1"|市|| |- |15||[[津久見市]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|津久見市}}}}||data-sort-value="1"|市|| |- |16||[[玖珠町]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|玖珠町}}}}||data-sort-value="2"|町|| |- |17||[[九重町]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|九重町}}}}||data-sort-value="2"|町|| |- |18||[[姫島村]]||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/大分県|姫島村}}}}||data-sort-value="3"|村|| |} == 政治 == === 県政 === {{Main|大分県知事一覧|大分県庁|大分県議会}} [[ファイル:Oita oita kenchosha 2.jpg|thumb|right|upright|大分県庁舎新館]] * [[都道府県知事|知事]]: [[佐藤樹一郎]](2023年4月28日~、1期目) ==== 歴代県知事(公選) ==== * 初代 [[細田徳寿]](1947年4月12日~1955年4月27日、2期) * 2代 [[木下郁]](1955年4月28日~1971年4月27日、4期) * 3代 [[立木勝]](1971年4月28日~1979年4月27日、2期) * 4代 [[平松守彦]](1979年4月28日~2003年4月27日、6期) * 5代 [[広瀬勝貞]](2003年4月28日~2023年4月27日、5期) ==== 特色のある施策 ==== ; 小児救急電話相談事業 : 小児救急の電話相談「小児救急電話相談事業」の夜間受付を翌朝8時半まで受け付けている。これは同事業を実施している31都道府県の内、大阪府と並んで最も遅い時間である([[2006年]](平成18年)7月11日現在)。 === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#大分県|大分県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]は、[[大分県第1区|第1区]]、[[大分県第2区|第2区]]、[[大分県第3区|第3区]]の3区。[[参議院]]の選挙区は、全県で1区の[[大分県選挙区]]([[参議院一人区|一人区]])を構成。 == 経済・産業 == 平成26年度([[2014年]]度)の県内総生産は4兆1426億円である<ref name="keizan_keisan">[http://www.pref.oita.jp/uploaded/attachment/129039.pdf 平成26年度県民経済計算]</ref>。これは世界の過半数の国の[[国内総生産]] (GDP) よりも規模が大きい<ref>[http://ecodb.net/ranking/imf_ngdpd.html 世界の名目GDP(USドル)ランキング]</ref>。県内総生産の内訳は、第一次産業 910億円(2.2%)、第二次産業 1兆1974億円(28.9%)、第三次産業 2兆8154億円(68.0%)。一人当たり県民所得は258.3万円である<ref name="keizan_keisan" />。 === 農林水産業 === [[平松守彦]]が県知事時代に提唱した[[一村一品運動]]によって、各地で特産品を産み出す試みがなされている<ref>八幡和郎『47都道府県うんちく事典』219頁</ref>。 農産物では、[[シイタケ#干ししいたけ|干し椎茸]]及び[[カボス|かぼす]]が生産量日本一で特産として知られる<ref>[http://www.pref.oita.jp/site/kids/best.html 大分県の日本一] 大分県</ref>。干し椎茸のうちでも特に、高級品として珍重される身が厚く表層に星型の亀裂が入る冬菇(どんこ)が名産<ref>[http://shun-gate.com/roots/backnumber/roots_15.html 風土と人が作り出す美しい日本の椎茸] SHUN GATE</ref>。野菜の産出額は、白ねぎ(39.0億円)、こねぎ(31.0億円)、トマト(28.0億円)、いちご(26.0億円)、果樹の生産額は[[ナシ]](30.4億円)、[[ブドウ]](22.8億円)、[[ウンシュウミカン|ハウスみかん]](16.6億円)、かぼす(11.3億円)の順である(2014年度)<ref name="nousuisan">{{PDFlink|[http://www.pref.oita.jp/uploaded/life/1040814_1306392_misc.pdf 大分県の農林水産業]}} 大分県</ref>。 水産業は中高級魚介類が中心で、そのため海面生産量が全国23位であるのに対して海面生産額が10位と高くなっている。特に[[関あじ]]、[[関さば]]や[[城下かれい]]はブランド魚として知られる。リアス式海岸を有する県南部では養殖も盛んであり、[[ブリ]](15,668トン、全国2位)、[[カンパチ]](3,488トン、全国3位)、[[クロマグロ]](1,656トン、全国3位)、[[ヒラメ]](660トン、全国2位)などが生産されている<ref name="nousuisan" />。 畜産では久住高原をはじめとする地域で酪農が行われており、時期によっては放牧されている様を高速道路からでも見ることができる。牛乳及びその加工品も流通している。ブランド牛として[[豊後牛]]がある。 === 工業 === 高度成長期に大分市が[[新産業都市]]の指定を受けて[[大分臨海工業地帯]]が形成された。また近年は、大分市や大分空港周辺に[[電子工業]]などの立地が進む一方、県北部では、隣接する福岡県東部とともに、自動車関連企業が集積している。このため、全国平均に比べ'''第二次産業の占める割合が高い'''{{refnest|group="注釈"|国内総生産26.2%(2015年)<ref>[https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/menu.html 国民経済計算(GDP統計)] 内閣府</ref> に対し、28.9%(2014年度)<ref name="keizan_keisan" />。}}。 === エネルギー === 大分県の[[自然エネルギー]]自給率は、30.1%で全国の都道府県で最も高い<ref>[https://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1604/11/news028.html 自然エネルギー:電力の自給率100%超の市町村が100カ所に、都道府県別では大分県が1位] スマートジャパン、2016年4月11日</ref>。[[八丁原発電所]]をはじめ3か所の商用[[地熱発電|地熱発電所]]が立地するなど、地熱利用が進んでおり、[[地熱発電]]の発電量が全国一であることが主な要因である。 === 県内に拠点のある主要企業 === ==== 県内に本社を置く主要企業 ==== ===== 建設業 ===== * [[梅林建設]](大分市) - 総合建設、売上高県内24位<ref>[https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2017/10/06/JD0056213592 100億企業 3社増 16年度 ] 大分合同新聞、2017年10月6日(以下同様)</ref> ===== 製造業 ===== * [[江藤酸素]](大分市) - 工業用酸素製造、売上高県内27位 * [[大分キヤノン]](国東市・大分市) - デジタルカメラ・ビデオ製造、売上高県内3位 * [[大分キヤノンマテリアル]](杵築市・大分市) - 事務用機器製造、売上高県内6位 * [[川澄化学工業]](臼杵市) - 医療機器製造、売上高県内20位 * [[河西工業#連結子会社|九州河西]](宇佐市) - 自動車部品製造、売上高県内22位 * [[九州乳業]](大分市) * [[佐伯重工業]](佐伯市) - 造船 * [[三和酒類]](宇佐市) - 酒類業、売上高県内9位 * [[マレリ九州]](宇佐市) - 自動車部品製造、売上高県内4位 * [[ジェイデバイス]](臼杵市) - LSIパッケージ組み立て、売上高県内5位 * [[ダイハツ九州]](中津市) - 自動車製造、売上高県内2位 * [[TOTO (企業)#グループ会社|TOTOサニテクノ]](中津市) - 衛生陶器製造、売上高県内15位 * [[二階堂酒造]](日出町) * [[西日本電線]](大分市) - 電練製造、売上高県内18位 * [[日田天領水]](日田市) * [[南日本造船]](臼杵市) - 造船、売上高県内23位 * [[ヨロズ#グループ会社|ヨロズ大分]](中津市) - 自動車部品製造、売上高県内28位 ===== 電気・ガス・熱供給・水道業 ===== * [[大分共同火力]](大分市) - 電力供給、売上高県内12位 * [[鶴崎共同動力]](大分市) - 電力供給、売上高県内29位 ===== 卸売業 ===== * [[アステム]](大分市) - 医薬品卸、売上高県内1位 * [[伊藤忠エネクス#子会社および関連会社|九州エナジー]](旧 大分九石販売) - 石油卸、売上高県内26位 * [[サン・ダイコー]](大分市) - 特殊薬品卸、売上高県内16位 * [[東九州石油]](大分市) - 石油卸、売上高県内19位 * [[cotta]](津久見市) - 食品卸 ===== 小売業 ===== * [[トキハ]](大分市) - 百貨店、売上高県内10位 * [[トキハインダストリー]](大分市) - スーパー、売上高県内14位 * [[ホームインプルーブメントひろせ]](大分市) - ホームセンター、売上高県内11位 * [[マルショク]](大分市) - スーパー、売上高県内8位 * [[マルミヤストア]](佐伯市) - スーパー、売上高県内17位 ===== 宿泊業・飲食店 ===== * [[ジョイフル]](大分市) - 持ち株会社、売上高県内13位 ===== 金融業 ===== * [[オーシー]](大分市) - 総合信販、売上高県内7位 * [[大分カード]](大分市) - クレジットカード、売上高県内21位 * [[ジェイリース]](大分市) - 家賃債務保証、東証一部上場 ===== 運輸業 ===== * [[臼杵運送]](臼杵市) - 陸上運送、売上高県内30位 ===== その他 ===== * [[FIG (企業)|FIG]](大分市) - [[モバイルクリエイト]]などを傘下に置く持株会社、東証一部上場 ==== 県内に拠点事業所のある主要企業 ==== * [[昭和電工]] - [[昭和電工大分コンビナート|大分コンビナート]](大分市) * [[日本製鉄]] - [[日本製鉄九州製鉄所#大分地区|九州製鉄所大分地区]](大分市) * [[ENEOS]](旧[[九州石油]]→[[新日本石油精製]]) - [[ENEOS大分製油所|大分製油所]](大分市) * [[ジャパンセミコンダクター]] - 大分事業所(旧東芝大分工場、大分市) * [[住友化学]] - 大分工場(大分市) * [[ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング]] - 大分テクノロジーセンター(大分市)<!--旧東芝大分工場の一部--> * [[パンパシフィック・カッパー]](旧[[日鉱製錬]]) - [[パンパシフィック・カッパー佐賀関製錬所|佐賀関製錬所]](大分市) * [[キヤノン]] - 大分事業所(大分市) * [[TOTO (企業)|TOTO]] - 中津第二工場(中津市)、大分工場(大分市) * [[ルネサス セミコンダクタ パッケージ&テスト ソリューションズ]] - 大分工場(中津市) * [[サッポロビール]] - 九州日田工場(日田市) * [[TDK]] - 三隈川工場(日田市) * [[太平洋セメント]] - 大分工場(津久見市) * [[セイコーエプソン]] - 大分ソフトセンター(別府市) *[[三井E&Sホールディングス|三井E&Sマシナリー(旧三井造船)]](大分事業所) - ガントリークレーン、建設用金属製品、一般機械器具 == 生活・交通 == === 警察 === * [[大分県警察]] === 交通 === ==== 航空 ==== * [[大分空港]](第2種空港) - 大分市からは別府湾を挟んで国東半島の東端に位置するため、[[大分ホーバーフェリー]]による全国で唯一の[[ホバークラフト]]定期航路が開設されていた。 * [[大分県央飛行場]](その他) ==== 鉄道路線 ==== [[JR線]]4路線がある。[[私鉄]]や[[第三セクター鉄道]]は存在しないが、別府市に[[近畿日本鉄道]](近鉄)グループの近鉄別府ロープウェイが運営する[[索道|ロープウェイ]]別府ロープウェイ線と、岡本製作所が運営する[[ケーブルカー]]別府ラクテンチケーブル線の2路線がある。また、九州地方で[[新幹線]]が通らない県は当県と[[宮崎県]]だけである。 県内の普通列車の本数は別大都市圏を除いて毎時1本以下となっている。 * [[九州旅客鉄道]](JR九州) ** [[日豊本線]]、[[久大本線]]、[[豊肥本線]]、[[日田彦山線]] * [[ラクテンチ]] ** [[別府ラクテンチケーブル線]] * [[別府ロープウェイ]] ** [[別府ロープウェイ線]] '''過去の鉄道路線([[廃線]])''' * [[日本国有鉄道]](国鉄) ** [[宮原線]](1984年(昭和59年)廃止) ** 日豊本線[[大分港臨港線]](1984年(昭和59年)廃止) * [[大分交通]] ** [[大分交通耶馬渓線]](1975年(昭和50年)廃止) ** [[大分交通別大線]](1972年(昭和47年)廃止) **大分交通別大線別府駅前支線(1956年(昭和31年)廃止)<!--別大線の中で記述を--> ** [[大分交通国東線]](1966年(昭和41年)廃止) ** [[大分交通宇佐参宮線]](1965年(昭和40年)廃止) ** [[大分交通豊州線]](1953年(昭和28年)廃止) * [[日鉱金属|日本鉱業]] ** [[日本鉱業佐賀関鉄道]](1963年(昭和38年)廃止) * [[筑後軌道]](1929年(昭和4年)廃止) ==== バス事業者 ==== 大分市を中心として別府市・中津市など県北部は大分交通(連結子会社含む)・[[亀の井バス]]、佐伯市・竹田市など県南部は[[大分バス]](連結子会社含む)、日田市など県西部は[[日田バス]]が路線網を持っている。これらの会社は[[西日本鉄道]]と資本的関係がある。また、県外の事業者では、熊本県の[[九州産交バス]]([[九州横断バス]]など)、福岡県の[[西鉄バス]](日田市周辺。以前は中津市にも)が路線を有している。 * [[九州地方の乗合バス事業者#大分県|大分県内の乗合バス事業者一覧]] * [[九州地方の貸切バス事業者#大分県|大分県内の貸切バス事業者一覧]] ==== 道路 ==== ; 高規格幹線道路 : [[大分自動車道]]、[[東九州自動車道]]([[宇佐別府道路]]) ; 地域高規格道路 : [[中津日田道路]]、[[大分空港道路]]([[日出バイパス]])、[[大分中央幹線道路]]、[[中九州横断道路]] ; 国道 : [[国道10号]]、[[国道57号]]、[[国道197号]]、[[国道210号]]、[[国道211号]]、[[国道212号]]、[[国道213号]]、[[国道217号]]、[[国道326号]]、[[国道386号]]、[[国道387号]]、[[国道388号]]、[[国道442号]]、[[国道496号]]、[[国道500号]]、[[国道502号]] ; 県道 : [[大分県の県道一覧]]を参照 ==== 海上 ==== 県の北側から東側にかけては海に面しており、多くの港が設置されている。また、[[豊後水道]]を横断し九州と四国を結ぶ航路や、瀬戸内海を通り九州と本州を結ぶ航路が発着している。有人離島も県内には点在しており、定期船が行き来している。 * '''[[重要港湾]]''' ** [[中津港]] ** [[別府港]] ** [[大分港]] ** [[津久見港]] ** [[佐伯港]] * '''定期旅客航路''' ** [[周防灘フェリー]]([[竹田津港]] - [[徳山港]]) ** [[フェリーさんふらわあ]]([[別府港]] - [[大阪港]]、[[大分港]] - [[神戸港]]) ** [[宇和島運輸]](別府港 - [[八幡浜港]]、[[臼杵港]] - 八幡浜港) ** [[国道九四フェリー]]([[佐賀関港]] - [[三崎港 (愛媛県)|三崎港]]) ** [[九四オレンジフェリー]](臼杵港 - 八幡浜港) ** [[宿毛フェリー]]([[佐伯港]] - [[宿毛湾港|宿毛港]]) ** 大入島観光フェリー(佐伯港葛地区(葛港) -大入島石間港) ** 佐伯市大島航路(佐伯港葛地区(葛港) - 大島地下港 - 大島田の浦港) ** 蒲江交通(蒲江港 - 屋形島漁港 - 深島漁港) === 医療・福祉 === {{main|Category:大分県の医療機関}} ; [[災害拠点病院]] : [[大分県災害拠点病院]] ; [[保育所]] : [[大分県保育所一覧]] === 教育 === {{Multicol}} ; [[大学]] [[国立大学|国立]] :* [[大分大学]] :* [[九州大学]] 別府キャンパス [[公立大学|公立]] :* [[大分県立看護科学大学]] [[私立大学|私立]] :* [[別府大学]] :* [[日本文理大学]] (NBU) :* [[立命館アジア太平洋大学]] (APU) ; [[通信制大学]] :* [[放送大学]] 大分学習センター ; [[短期大学]] 公立 :* [[大分県立芸術文化短期大学]] 私立 :* [[大分短期大学]] :* [[東九州短期大学]] :* [[別府溝部学園短期大学]] :* [[別府大学短期大学部]] {{Multicol-break}} ; [[高等専門学校]] :* [[大分工業高等専門学校]] ; [[農業大学校]] :* [[大分県立農業大学校]] ; [[専修学校]] :* [[大分県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] :* [[大分県特別支援学校一覧]] ; [[高等学校]] :* [[大分県高等学校一覧]] ; [[中学校]] :* [[大分県中学校一覧]] ; [[小学校]] :* [[大分県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] :* [[大分県幼稚園一覧]] {{Multicol-end}} ; 学校教育以外の施設 :* [[大分県立工科短期大学校]](中津市)([[職業能力開発促進法]]に基づく[[職業能力開発短期大学校]]) :* 大分県立大分高等技術専門校(大分市)(職業能力開発促進法に基づく[[職業能力開発校]]) :* 大分県立佐伯高等技術専門校(佐伯市)(職業能力開発促進法に基づく職業能力開発校) :* 大分県立日田高等技術専門校(日田市)(職業能力開発促進法に基づく職業能力開発校) :* [[大分県竹工芸・訓練支援センター]](別府市)(職業能力開発促進法に基づく職業能力開発校) :* [[大分県マリンカルチャーセンター]] :* 大分県立九重青少年の家<ref>[http://www.pref.oita.jp/site/kokonoe/ 九重青少年の家] 大分県教育委員会</ref> :* 大分県立香々地青少年の家<ref>[http://www.pref.oita.jp/site/kakaji/ 香々地青少年の家] 大分県教育委員会</ref> :* [[京都大学]][[京都大学大学院理学研究科附属地球熱学研究施設|大学院理学研究科附属地球熱学研究施設]] == マスメディア == ; 新聞 :* [[大分合同新聞|大分合同新聞社]] :* [[読売新聞]]大分支局 :* [[朝日新聞]]大分総局 :* [[毎日新聞]]大分支局 :* [[日本経済新聞]]大分支局 :* [[西日本新聞]]大分総局 :* [[今日新聞]](別府市) ; ラジオ局 NHK-FMの親局送信所は別府市の[[十文字原テレビ・FM放送所|十文字原]]であるが、FM大分の親局およびOBSラジオのFM補完放送のメイン中継局は、大分市街地を挟んだ大分市の[[横江山]]に設置されている。 :* AM放送局 :** [[NHK大分放送局]] :** [[大分放送]](OBSラジオ)([[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列) :* FM放送局 :** [[エフエム大分]] (Air-Radio・FM88)([[全国FM放送協議会|JFN]]系列) :**NHK大分放送局 :* [[コミュニティ放送|コミュニティFM局]] :** [[エフエムなかつ|NOAS FM]](エフエムなかつ) :** [[ゆふいんラヂオ局]](ゆふいんエフエム) :** [[さいき市民放送]](FMさいき) ; テレビ局 デジタルテレビの親局送信所は、NHK-FMと同じ十文字原に設置されている。 :* [[NHK大分放送局]] :* [[大分放送]] (OBS)([[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列) :* [[テレビ大分]] (TOS)([[日本ニュースネットワーク|NNN]]・[[フジニュースネットワーク|FNN]]系列([[クロスネット局]])) :** 通常時終夜放送実施局 :* [[大分朝日放送]](OAB)([[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]系列) 大分県は、民放テレビ局3社のうちOBSとOABに出資している。OABは中継局が整備されていない地域があるが、その中には[[大分県のケーブルテレビ局一覧|ケーブルテレビ]]で再放送が行われている地域もある。 ; ケーブルテレビ局 :{{See|大分県のケーブルテレビ局一覧}} == 文化・スポーツ == === 方言 === 県の大半の地域では[[豊日方言]]に属する[[大分弁]]が話される。大分弁は東北海岸方言、南部海岸方言、西部方言、北部方言、南部方言の5つに区分され<ref>『日本方言の記述的研究』国立国語研究所編、1959年、pp.241-242</ref>、北部方言のうち旧中津市近辺の方言は[[中津弁]]、西部方言のうち日田市近辺の方言は[[日田弁]]と呼ばれる。中津弁は[[福岡県豊前方言]]である[[北九州弁]]との境界が曖昧であり、日田弁を含む西部方言は[[肥筑方言]]の影響が大きい。 === 食文化 === {{See also|Category:大分県の食文化}} ; 郷土料理 :{{Main|日本の郷土料理一覧#大分県}} === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] : [[別府竹細工]](竹工品、[[1979年]]) ; 伝統工芸品 : {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#大分県}} === スポーツ === {{See also|Category:大分県のスポーツチーム}} ; 野球 * [[大分B-リングス]]([[九州アジアリーグ]]) ; サッカー * [[大分トリニータ]] - ([[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]) * [[ヴェルスパ大分]] - ([[日本フットボールリーグ|JFL]]) ; ラグビー * [[横浜キヤノンイーグルス]] - ([[JAPAN RUGBY LEAGUE ONE|リーグワン]])'''※セカンドホストエリア扱い''' ; バスケットボール * [[デビルズ大分]] - (大分県社会人連盟) ; バレーボール * [[大分三好ヴァイセアドラー]] - ([[V.LEAGUE]]) ; フットサル * [[バサジィ大分]] - ([[日本フットサルリーグ|Fリーグ]]) ; 自転車ロードレース * [[スパークルおおいたレーシングチーム]] - ([[ジャパンサイクルリーグ|JCL]]) ; プロレス * [[プロレスリングFTO]] ; 過去に大分県を本拠地としていたスポーツクラブ * [[愛媛オレンジバイキングス]] - 2005-06~2015-16シーズンにかけて「'''大分ヒートデビルズ'''→'''大分・愛媛ヒートデビルズ'''(2015-16シーズンのみ。愛媛県とのダブルフランチャイズ制)」として大分県に拠点を置き、[[日本プロバスケットボールリーグ|bjリーグ]]に参加していた。 ==== 定期開催されるスポーツイベント ==== * [[別府大分毎日マラソン]](大分市、別府市) * [[大分国際車いすマラソン]](大分市) * [[ツール・ド・国東]](杵築市、国東市、豊後高田市) * [[ツール・ド・佐伯]](佐伯市) ==== 過去に開催されたスポーツイベント ==== * [[第21回国民体育大会]](剛健国体、1966年) * [[キリンカップサッカー]](2001年) * [[2002 FIFAワールドカップ]](2002年) * [[サッカー日本代表の国際親善試合|キリンチャレンジカップ]](2003年、2006年、2007年、2010年、2015年、2018年) * [[Jリーグオールスターサッカー]](2005年) * [[全日本実業団対抗陸上競技選手権大会]](2006年) * [[第63回国民体育大会]](チャレンジ!おおいた国体、2008年) * [[第8回全国障害者スポーツ大会]](チャレンジ!おおいた大会、2008年) * [[平成25年度全国高等学校総合体育大会]](北部九州総体、2013年) * [[ラグビーワールドカップ2019]](2019年) ==== その他 ==== * 日本の[[車いすバスケットボール]]発祥の地 * 日本の[[車いすマラソン]]発祥の地 === 公営競技 === * [[別府競輪場]] * [[サテライト宇佐]]([[競輪]]場外車券売り場) * [[ドリームなかつ]]([[地方競馬]]場外馬券売り場) == 観光 == <!--50音順--> [[ファイル:Beppu Chinoike-jigoku01n4272.jpg|thumb|right|名勝 別府の地獄 [[血の池地獄]]]] [[ファイル:Kokonoe Dream Big Suspension Bridge Oita,JAPAN.jpg|thumb|right|[[九重"夢"大吊橋]](日本一長い人道吊橋)]] [[ファイル:Kyoshuho.jpg|thumb|right|名勝 耶馬溪]] [[ファイル:West gate of Usa Shrine.jpg|thumb|right|国宝 宇佐神宮]] [[ファイル:Usuki sekibutsu furuzono dainichi 2.jpg|thumb|right|upright|国宝・特別史跡 臼杵磨崖仏]] [[ファイル:Kumano-magaibutsu.jpg|thumb|right|upright|重要文化財 熊野磨崖仏]] {{main|大分県の観光地}} {{also|大分県指定文化財一覧}} === 名所・旧跡 === {{main|九州・沖縄地方の史跡一覧#大分県}} * [[稲積水中鍾乳洞]](豊後大野市) * [[臼杵城]](臼杵市)- [[続日本100名城]] * [[うみたま体験パーク「つくみイルカ島」]](津久見市) * [[大分マリーンパレス水族館]](うみたまご)(大分市) * [[岡城 (豊後国)|岡城]](竹田市) - 国の史跡、[[日本100名城]] * [[小半鍾乳洞]](佐伯市)- 国の天然記念物 * [[咸宜園]](日田市) - 国の史跡 * [[北川ダム (大分県)|北川ダム湖]](佐伯市)- [[ダム湖百選]] * [[九州自然動物公園アフリカンサファリ]](宇佐市) * [[九重山]](九重連山、久住山)(玖珠郡九重町、竹田市) - [[日本百名山]] * [[九重"夢"大吊橋]](玖珠郡九重町) - 日本一高い歩行者専用橋 * [[黒島 (大分県臼杵市)|黒島海水浴場]](臼杵市) - [[快水浴場百選]] * [[佐伯城]](佐伯市)- 続日本100名城 * [[釈迦岳 (大分県・福岡県)|釈迦岳]](日田市) * [[震動の滝]](九重町) - [[日本の滝百選]] * [[瀬会海水浴場]](佐伯市) - 快水浴場百選、[[日本の水浴場88選]](日豊海岸国定公園) * [[鯛生金山]](日田市) * [[高崎山自然動物園]](大分市) - 瀬戸内海国立公園 * [[角牟礼城]](玖珠町)- 続日本100名城 * [[中津城]](中津市)- 続日本100名城 * [[奈多海岸 (大分県)|奈多・狩宿海水浴場]](杵築市) - 快水浴場百選、日本の水浴場88選 * [[西椎屋の滝]](玖珠町) - 日本の滝百選 * [[波当津海岸]](佐伯市)- [[日本の白砂青松100選]](日豊海岸国定公園) * [[原尻の滝]](豊後大野市) - 日本の滝百選 * [[飯田高原]](九重町) * [[東椎屋の滝]](宇佐市) - 日本の滝百選 * [[風連鍾乳洞]](臼杵市) - 国の天然記念物 * [[府内城]](大分市) - 日本100名城 * [[豊後二見ヶ浦]](佐伯市)- しめ縄長さ日本一(1994年ギネスブック掲載) * [[福澤諭吉旧居]](中津市) - 国の史跡 * [[別府地獄めぐり]](別府市) - 国の[[名勝]](別府の地獄) * [[豆田町]] (日田市) - [[重要伝統的建造物群保存地区]] * [[水ノ子島灯台]](佐伯市)- [[日本の灯台50選]](日豊海岸国定公園) * [[明正井路一号幹線一号橋]](豊後大野市) - 土木学会選奨土木遺産、日本一長い水路橋(石積アーチ橋) * [[耶馬渓]](中津市) - 国の名勝、[[新日本三景]] ** [[青の洞門]](中津市) * [[由布岳]](由布市) ==== 神社仏閣・仏像 ==== {{main|Category:大分県の神社|Category:大分県の寺}} * [[宇佐神宮]](宇佐市) - [[国宝]](本殿) * [[臼杵磨崖仏]](臼杵市) - 国宝、国の[[特別史跡]] * [[扇森稲荷神社]](竹田市) * [[熊野磨崖仏]](豊後高田市) - 国の[[重要文化財]] * [[菅尾磨崖仏]](豊後大野市) - 国の重要文化財 * [[高塚愛宕地蔵尊]](日田市) * [[富貴寺]](豊後高田市) - 国宝(富貴寺大堂) * [[豊前善光寺]](宇佐市) - 国の重要文化財(本堂) * [[両子寺]](国東市) * [[真木大堂]](豊後高田市) - 国の重要文化財の仏像9体を収蔵 * [[羅漢寺 (中津市)|羅漢寺]](中津市) * [[豊後国分寺]](大分市) * [[大分縣護國神社]](大分市) * [[西寒田神社]](大分市)- 藤の名所 ==== 温泉 ==== {{main|Category:大分県の温泉}} * [[天ヶ瀬温泉]](日田市) * [[筋湯温泉]](九重町) * [[長湯温泉]](竹田市) * [[別府温泉]](別府市) - 源泉数全国1位、湧出量全国1位 * [[湯平温泉]](由布市) * [[由布院温泉]](由布市) - 源泉数全国2位、湧出量全国3位 * [[:Category:大分県の温泉|大分県の温泉]] === 祭事 === {{main|Category:大分県の祭り}} * [[中津祇園|中津祇園祭]](中津市) * [[日田祇園祭]](日田市) * [[ホーランエンヤ (大分県)|ホーランエンヤ]](豊後高田市) * [[大分県の盆踊り]] == 大分県を舞台とした作品 == {{main|大分県を舞台とした作品一覧}} 一部シーンに登場した作品を含む。 === 映画 === * ただいま零匹(1957年(昭和32年)) * [[続・社長漫遊記]](1963年(昭和38年)) * [[男はつらいよ 私の寅さん]](1973年(昭和48年)) * [[男はつらいよ 寅次郎紙風船]](1981年(昭和56年)) * [[男はつらいよ 花も嵐も寅次郎]](1982年(昭和57年)) * [[乱 (映画)|乱]](1985年(昭和60年) * 国東物語(1985年(昭和60年)) - {{要出典範囲|サレルノ国際映画祭グランプリを受賞|date=2017年4月}}<!-- グランプリを受賞したのは同じ村野鐵太郎監督の『遠野物語』では? --> * [[ムッちゃんの詩]](1985年(昭和60年)) * [[男はつらいよ 寅次郎の休日]](1990年(平成2年)) * [[ゴジラvsスペースゴジラ]](1994年(平成6年)) - 別府市 * [[顔 (2000年の映画)|顔]](2000年(平成12年)) * [[難波金融伝・ミナミの帝王]] 劇場版partXII「逆転相続」(1999年(平成11年)) * [[なごり雪 (映画)|なごり雪]](2002年(平成14年)) - 臼杵市など * 悲しき天使(2006年(平成18年)) * [[22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語]](2007年(平成19年)) - 津久見市など * [[恋空]](2007年(平成19年)) - 大分市など * [[釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様]](2008年(平成20年)) - 佐伯市など * [[種まく旅人〜みのりの茶〜]](2012年(平成24年)) - 臼杵市など * [[綱引いちゃった!]](2012年(平成24年)) - 女子[[綱引き]]チーム「[[大分コスモレディースTC]]」を題材とした映画。 * [[カラアゲ☆USA]](2014年(平成26年)) - 宇佐市 * [[100年ごはん]](2014年(平成26年)) - 臼杵市 * [[蜩ノ記]](2014年(平成26年)) - 国東市、杵築市 * [[サブイボマスク]](2016年(平成28年)) - 中津市など * [[ナミヤ雑貨店の奇蹟]] (2017年 (平成29年) ) - 豊後高田市 * 栞(2018年(平成30年))-別府市など === ドラマ === * [[小京都ミステリー|小京都ミステリー26 豊後一子相伝殺人事件]](1999年(平成11年)) - 日田市 * [[大友宗麟〜心の王国を求めて]](2004年(平成16年)、[[NHK正月時代劇]]) * [[風のハルカ]](2005年(平成17年) [[連続テレビ小説|NHK朝の連続テレビ小説]]) - 大分県が舞台となったシリーズ初の作品でもあった。 * [[陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜]](2007年(平成19年) - 2010年(平成22年)) * [[あっこと僕らが生きた夏]](2011年(平成23年)) * 太陽を愛したひと~1964 あの日のパラリンピック(2018年(平成30年)) === 小説 === * [[恩讐の彼方に]]([[菊池寛]]、1919年(大正8年)) * ただいま零匹([[火野葦平]]、1956年(昭和31年)) * [[西海道談綺]]([[松本清張]]、1976年(昭和51年)) * [[生命燃ゆ]]([[高杉良]]、1983年(昭和58年)) * [[十角館の殺人]]([[綾辻行人]]、1987年(昭和62年)) * 断崖の女(石川真介 、2000年(平成12年))犬飼~大分駅 * [[王の挽歌]]([[遠藤周作]]、1992年(平成4年)) * [[レジンキャストミルク]]([[ライトノベル]]、[[藤原祐]]、2005年(平成17年) - 2007年(平成19年)) * 九年前の祈り ([[小野正嗣]]、2014年 (平成26年) ) === 音楽 === * [[荒城の月]]([[瀧廉太郎]]、1901年(明治34年)) * [[大分県行進曲]]([[中野忠晴]]、1935年(昭和10年)) * ひとりきり([[かぐや姫 (フォークグループ)|かぐや姫]]、1972年(昭和47年)) * [[坊がつる讃歌]]([[芹洋子]]、1978年(昭和53年)) * 国東半島ぶらり旅([[佐良直美]]、1979年(昭和54年)) * 男の港([[鳥羽一郎]]、1986年(昭和61年)) * 豊後水道([[川中美幸]]、1988年(昭和63年)) * 臼杵川を渡れば(ひ・ま・わ・り、1990年(平成2年)) * 霧の湯布院([[宮史郎]]、2001年(平成13年)) === 漫画・アニメ === * [[あたしンち]]([[けらえいこ]]) - [[あたしンちの登場人物#立花一家|立花一家]]の父母が県出身という設定。映画では、県内で母の同窓会が開かれた。 * [[県立地球防衛軍]]([[安永航一郎]]) - 作中では「九州某県」と記されているが、当県がモデルとされる * [[チューロウ]]([[盛田賢司]]) - 大分市内がモデルとなっている * [[デトロイト・メタル・シティ]]([[若杉公徳]]) - 主人公が出身という設定 * [[かたるし ~ののかの国東不思議探訪~]]([[アキヨシカズタカ]]) * [[number24]](森慶)-主人公はじめ登場人物が多数大分県の出身で、劇中大分県内を旅行をするシーンも描かれている。 === ゲーム === * [[ド田舎ちゃんねる5 〜こちら鈴音学園放送部〜]] * [[とらかぷっ!]]-[[PULLTOP]]制作のアダルトゲーム。メインの舞台である四方山町に関する描写に[[別府市]]を想起させるものが複数存在する * [[時を紡ぐ約束]](由布市、大分市) * [[大分・別府ミステリー案内 歪んだ竹灯篭]](別府市、由布市、玖珠町)[[Nintendo Switch]]などで発売されたゲーム。 == 出身人物 == {{Main|大分県出身の人物一覧}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == <!-- この項目に関連するウィキリンク、ウィキ間リンク --> * [[:Category:大分県]] * [[大分県出身の人物一覧]] * [[一村一品運動]] * [[:Category:大分県の自然景勝地|大分県の自然景勝地]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] == 参考文献 == *市町村IDインデックス [https://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/?%E5%A4%A7%E5%88%86%E7%9C%8C 『大分県』] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/大分県|[[ファイル:Flag map of Oita Prefecture.svg|38px|Portal:日本の都道府県/大分県]]}} {{Multimedia|大分県の画像}} {{Sisterlinks|commons=Oita prefecture|commonscat=Oita prefecture|n=Category:大分県|v=no|voy=Oita_(prefecture)|d=Q133924|species=Oita prefecture}} * {{Osmrelation|356911}} * {{Official website|name=大分県ホームページ トップページ}} {{s-start}} {{s-bef|before=[[杵築県]]・[[日出県]]・[[府内県]]・[[佐伯県]]・<br />[[臼杵県]]・[[岡県]]・[[森県]]<br />[[日田県]]の一部([[豊後国]])<hr>[[福岡県]]の一部<br />([[豊前国]][[下毛郡]]・[[宇佐郡]])|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1871年]] -|years2=}} {{s-aft|after=-----|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{大分県の自治体}} {{大分県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:おおいたけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:大分県|*]]
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岡山県
岡山県(おかやまけん)は、日本の中国地方に位置する県。県庁所在地は岡山市。 県庁所在地の岡山市は2009年(平成21年)4月1日、全国で18番目の政令指定都市に移行した。山陽本線、山陽新幹線、中国自動車道、1997年(平成9年)全線開通した山陽自動車道をはじめとして西日本の交通の大動脈が県を横断している。本州と四国を結ぶ瀬戸大橋も1988年(昭和63年)に開通した。 古代、沿岸域から内陸地域にかけては「吉備国」として、現在の広島県東部に位置する備後地方や香川県島嶼部などと併せて大和朝廷に並ぶほどの勢力を持っていた。江戸時代初期には岡山に池田氏、津山に森氏が外様大名として入封し、城下町を形成した。特に池田綱政は日本三名園の後楽園を造成し、閑谷学校を開くなど、文化・教育面に多大な功績を残した。笠岡、井原は徳川家康の従兄弟で有力譜代大名の水野勝成氏の領地となり広大な新田開発が行われたほか、灌漑事業、産業育成により地勢が大きく変貌した。倉敷には寛永19年(1642年)に代官所が置かれ、江戸幕府直轄の物資集積地として船舶輸送中継も担う天領として発展した。 県内を南北に流れる3つの一級河川(高梁川・旭川・吉井川)による潤沢な水源、温暖で長い日照時間、江戸時代から昭和戦後期にかけて瀬戸内海の大規模な干拓で広い農地が形成されたことから、水稲や麦、果樹の生産が盛んである。特に白桃、マスカット・オブ・アレキサンドリア、ピオーネなどは生産量日本一であり、品質の高さから国内外に向けて高値で出荷されている。県北の標高1,200メートルに位置する蒜山高原では、ジャージー牛の大規模な放牧が行われており、チーズ、ヨーグルト、アイスクリームなどに加工されている。 県南西部の井笠地方(井原市、笠岡市など)は明治の府県統合までは、県内の大部分とは異なった歴史を持つ地域である。現在でも両市は県境を越えた広島県福山市のベッドタウンであり、通学通勤に加え日常的な買い物や通院による越境が多く見られ、県域を越えた結びつきが非常に強い。なお井笠地方は岡山県内にありながら経済圏、生活圏は広島県東部と一体的であり福山都市圏を構成する。 戦前までは一次産業と紡績などの軽工業が県の主要産業であった。戦後は水島地区の川崎製鉄(後に合併によりJFEスチール倉敷地区となる)、笠岡地区の日本鋼管(後のJFEスチール福山地区)と県内に大規模な二つの銑鋼一貫製鉄所が建造されるなど臨海部を中心に重工業化が進み工業県へと変貌した。両製鉄所はいずれも世界有数の生産量を誇り、特に福山地区の年間粗鉄生産能力は1200万トン規模と国内最大であり単独の製鉄工場としては世界上位である。水島臨海工業地帯は全国総合開発計画(全総)に合わせて指定された新産業都市「岡山県南地域」の中核となり県を挙げて開発が進み国際コンテナターミナル、石油化学コンビナートが整備され、自動車などの加工組立型の企業群も進出した。笠岡地区は全国総合開発計画において備後工業整備特別地域に指定され、沿岸部の埋立により大規模な国際港湾、製鉄を含む工場群が建造された。港湾輸出入額では水島港が中四国1位、福山港が2位と中四国の上位2港を岡山県の港湾が占めている。なお笠岡港は港則法・関税法・検疫法・入国管理法・港湾運送事業法の各法上福山港に含まれ、JFE福山製鉄所の敷地は県境を跨ぎ笠岡市から福山市にかけて広がっている。 近年では瀬戸内市で2018年(平成30年)10月に運転を開始した「瀬戸内 Kirei 太陽光発電所建設プロジェクト」、2019年(令和元年)12月に運転を開始した日本最大の257.7メガワットの太陽光発電所となる作東メガソーラー発電所、真庭市の木質バイオマス発電事業など自然エネルギーを活用する再生可能エネルギーの推進が県下全域で進められている。 県庁所在地における快晴日数の多さや降水量1ミリ未満の日数が全国最多であることから、1989年(平成元年)から「晴れの国 おかやま」を県のキャッチフレーズとしている。 県北部には、三本の一級河川(旭川・高梁川・吉井川)の県内源流ともなっている中国山地の山岳地帯がそびえている。標高500 - 1,000メートルの中央部には鍾乳洞などのカルスト地形が見られる吉備高原の高地が連続的に広がり、南部には三大河川によって形成された裾野の広い岡山平野が広がっている。岡山平野にはかつて瀬戸内海に浮かんでいた小さな島が丘陵地として残り、干拓で江戸時代につながった児島半島が県の南端部にある。県南西部には国営笠岡湾干拓事業として1650haと全国有数の規模の大干拓地域が造成された。 おもな山地としては蒜山(標高1,122メートル)や後山(標高1,345メートル)などがあり、おもな湖沼としては、奥津湖、恩原湖、湯原湖、児島湾奥の締切堤防化によって人工的に造られた児島湖などがある。 兵庫県とは山地および備前市の取揚島で、鳥取県とは山地で、広島県とは山地および市街地で、香川県とは海上および玉野市の井島(石島)で隣接している。 国土地理院地理情報によると岡山県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは104.87キロ、南北の長さは116.98キロである。 中国山地と瀬戸内海に挟まれた南部の平野地帯は典型的な瀬戸内海式気候を示し温暖少雨であり雪は極稀である。一方、北部の中国山地沿いは日本海側気候に属し、豪雪地帯に指定されている。真庭市蒜山では冬季に1メートルを超える積雪となるほか、-10°C以下まで下がることもある。県北部山間域には4か所のスキー場がある。中国山地と瀬戸内海の中間に位置する吉備高原や和気町は両者を折衷した気候を呈し、南部より多少冷涼で雨量も多く、冬季の寒さは厳しい。 日本列島に来襲する台風やその影響による風雨は中国山地・四国山地によって弱められることが多く、それに加えて夏には瀬戸内海で発生する「凪」や山地越えのフェーン現象の影響もあって、都市部や内陸の盆地を中心に猛暑日になる日が多い。県庁所在地の岡山市は、吉備高原に属する旧建部町・御津町地域を除いて日照時間が年間約2,100時間と長く、年間降水量は1,100ミリ程度であり、日本有数の降水の少ない土地である。降水量1ミリ以上の日数が日本で最少であることが岡山県のキャッチフレーズでもある「晴れの国おかやま」の根拠となっている。 県内を震源とする地震は、1711年(宝永8年/正徳元年)に鳥取県との県境付近を震源とした、M6.5~6.8の地震が記録されている。県内に大きな被害を出した例は868年の播磨国地震・1927年(昭和2年)北丹後地震・1946年(昭和21年)の昭和南海地震などが挙げられる。 2004年(平成16年)以降、岡山県内でも平成の大合併が進められ、2011年(平成23年)現在、以下の15市・10郡・10町・2村がある。町はすべて「ちょう」、村はすべて「そん」と読む。 県庁所在地の岡山市は2009年(平成21年)4月に政令指定都市に移行し、 北区・中区・東区・南区の各4行政区が設置された。 かつては備前、備中、備後、美作地方は吉備国と呼ばれる同一文化圏であったが現在では備後地方のみ広島県に所属している。岡山県と広島県の境は山・川などで地形的に分断されるところがなく、今でも両地方の経済・文化的な関係は強くみられ倉敷市の西部を流れる高梁川以西が備後圏、井笠地方(井原市・笠岡市)は福山圏と認識されることがある。 岡山県の広域行政圏は旧地方振興局単位で分けられる。 県南東部に位置し、旭川と吉井川の流域には、西日本屈指の広大で肥沃な岡山平野が広がっている。人口は約92万人で県全体の約5割を占め、医療、交通、教育、大規模商業施設など様々な都市機能を備えて拠点性が高い岡山市とその周辺は人口集積が見られるが、北部、東部の中山間地域や離島では過疎化が進んでいる。 平野部での県内最大規模の米麦栽培や、モモ、ブドウなどの果物の他にも、ナス、黄ニラ、カキなど競争力のある農林水産物が生産されるとともに、備前焼などの工芸品が作られている。 観光面では、後楽園、岡山城などを核とした岡山カルチャーゾーンや、日本遺産である旧閑谷学校、吉備津神社などの歴史ある観光資源を有するほか、西大寺会陽や加茂大祭などの個性豊かな伝統行事に加え、瀬戸内海を舞台として開催される瀬戸内国際芸術祭や、岡山市中心部で開催の岡山芸術交流など現代アートを活用した魅力も創出されている。 県のほぼ西半分を占め、高梁川が貫流する多様な自然環境の中、約77万人が暮らしている。 平成30年7月豪雨や令和元年9月集中豪雨で大きな被害を受けた倉敷市真備地区をはじめとする地域では、被災者の生活再建、河川等公共施設の復旧と改良、土砂災害対策、地域経済の再生など、復旧・復興に向けた取組が進められている。高速道路や鉄道網、国際拠点港湾水島港などの広域交通基盤に恵まれ、水島コンビナートの製造業、県総合流通センターや早島インターチェンジ・岡山総社インターチェンジ付近の物流業の集積は、県経済に大きな比重を占めている。また、水島コンビナートでは、IoTやAIを活用した取組も進められている。 児島・井原の繊維業や各地の醸造業など、伝統ある産業活動が展開されており、モモ、ブドウ、トマト、和牛、タコ、カキなど優れた農林水産物にも恵まれている。これらの特産品を加工・販売する事業者も多く、新製品の開発や販路開拓が進められている。 吉備高原から中国山地にかけての県北東部に位置し、面積は県の4割を占め、そのうち約93%が中山間地域となっている。地域の人口約23万人のうち、65歳以上の高齢者が約34%を占める一方、若い世代は、多くが進学や就職を機に地域外に転出する傾向にある。 農林業が盛んな地域であり、ピオーネをはじめ、黒大豆やジャージー牛などの特色のある産品が生産され、米や麦などによる土地利用型農業も行われるとともに、高品質なヒノキなどを産出し、西日本有数の木材加工産地を形成している。 商工業では、事務所数は減少しているものの、化学工業や食料品、木材・木製品、機械器具製造業などを中心に製造品出荷額は増加している。 都道府県知事が関係市町村との協議を経たうえ、およそ10万人以上の人口を有し、一定の要件を具備する日常生活圏を形成すると認められる地域について設定する圏域である。 岡山市など大都市周辺地域については、1978年(昭和53年)からこれとは別に大都市周辺地域広域行政圏が設定されている。 2014年(平成26年)12月に閣議決定された「まち・ひと・しごと創生総合戦略」において地域の広域連携に関し、一定要件を満たす都市が「連携中枢都市」となり、周辺市町村と連携協約(地方自治法252条の2第1項)を締結することで、「連携中枢都市圏」を形成するものである。 経済的に笠岡市・井原市は広島県福山市を中心とした福山都市圏に含まれる。 県内には山陽自動車道、山陽新幹線、山陽本線、国道2号など中国地方の交通の大動脈が東西に貫通し、人や物の往来は多い。 県名は県庁所在地の岡山市に由来する。「岡山」とは、もともと現在の岡山城のある場所に存在した小高い丘のことを指して呼んだものであったが、戦国時代に宇喜多秀家が「岡山」に城を築き、その後形成された城下町を含めて岡山と呼ぶようになったことに由来する。なお、秀家の書状から「岡山」が城下町の地名として呼ばれ始めたのは文禄3年(1594年)ごろからであると推測される。 現在の岡山県の地域には、鷲羽山遺跡(倉敷市)などの原始からの遺跡が存在しており、旧石器時代から人々が居住していたことがうかがえる。県の最北端上斎原村(現・鏡野町)に旧石器時代の恩原遺跡がある。その遺跡の下層(約2万5000年前の土層)からナイフ形石器が出土しており、その上層から約1万年前の細石刃も出土している。恩原遺跡では2基の炉跡が検出されている。うち1基は10個ほどの小石を半円形に並べており、焚き口幅40センチ、奥行35センチの小規模な炉で、石組みの中に木炭塊があり、炉の周辺に灰土が広がっていて、2万2000年前の旧石器時代人の生活痕跡を示す珍しい遺構である。 地球の温暖化による海面上昇で瀬戸内海が出現した。そのことを示すのが瀬戸内市牛窓町の黄島貝塚である。その後は、人々は狩猟・採集・漁労の自然からの贈りもので生活し、豊かになっていった。縄文時代も後期になり、津雲貝塚で170体以上の人骨が発掘されている。晩期には岡山市北区の津島江道遺跡では水田遺構そのものが検出されている。縄文時代の終わりごろには、狩猟・採集活動をしながら水稲耕作も行われた。 また、彦崎貝塚(岡山市南区)では縄文時代前期の土層からイネのプラント・オパールが大量に出土し、朝寝鼻遺跡(岡山市北区)でも同様の発見があり、縄文時代前期には畑作によるイネの栽培が始まっていたとみられる。 古代には吉備国といわれ、畿内地域や北九州地域、出雲地域などとともに、日本列島の中心地のひとつとして栄えていた地域である。吉備国は畿内勢力と同盟関係を築いて日本列島の統一期(4世紀中葉)に影響を与えた。優れた鉄製技術を持ち、その支配地域は現在の岡山県・広島県中東部・香川県島嶼部・兵庫県播磨地方に及び、加古川を境界とし、さらには四国や芸予諸島にも至っていたと推定されている。また、大きさが全国の古墳の中で第4位、一般人でも立ち入れる古墳としては全国第1位の規模を持つ造山古墳(岡山市北区)や全国第9位の作山古墳(総社市)、両宮山古墳(赤磐市)などの大型古墳が岡山県内に残されている。 6世紀前半に大和朝廷への臣従したのち、吉備国は勢力抑圧のために備前国、備中国、備後国の3国に分割され、さらには備前国から美作国が分国された。国府は現在の岡山市(備前国)、総社市(備中国)、津山市(美作国)にそれぞれ置かれた。 旧吉備国からは奈良時代に中央政権で権勢を振るった吉備真備や道鏡の天皇位簒奪を阻んだ和気清麻呂らの優れた人材を輩出した。 平安時代には備前・備中は受領にとって実入りの多い「上国」のひとつとされており、農業生産力が高かった。またこの時代に各地に荘園が拓かれた。特に鹿田荘は藤原氏の氏の長者が受け継ぐ4つの荘園(殿下渡領)のひとつであった。その他に大安寺荘(岡山市北区)など。平安時代末期には平氏の勢力圏に置かれ、寿永2年(1183年)には県の南東部、倉敷市玉島地区で、翌年には藤戸地区で源平合戦が繰り広げられた(水島の戦い・藤戸の戦い)。 鎌倉時代に入ると元来東国を拠点としていた那須氏・松田氏・三村氏・庄氏・赤木氏などの有力御家人が地頭職などを得て移住・土着した(東国から西国に移った鎌倉幕府御家人という意味で西遷御家人と呼ばれる)。 南北朝時代、後醍醐天皇が隠岐に流される際の通り道になったことで、児島高徳など宮方に与同する武士が現れ、隠岐脱出後は最初に拠点を構えた伯耆船上山が近隣であったため多くの武士が宮方として活動した。観応の擾乱で室町幕府が分裂すると山陰に勢力を持つ山名氏が侵攻し、北部美作を中心に山名氏の勢力下に置かれる。しかし、山名氏は明徳の乱で衰退した。 室町時代には鎌倉幕府倒幕に活躍した播磨の豪族・赤松則村(円心)が播磨・備前・美作3国の守護職に任ぜられ、以後赤松氏が代々三国の守護職を受け継ぎ、この三国はほぼ連動した歴史を展開する。赤松満祐が嘉吉の乱で時の将軍足利義教を討ったため、赤松氏は一時衰亡し、その後は赤松氏と地域の覇権を争っていた山名氏が三国を領有した。紆余曲折の末、復活した赤松氏は応仁の乱で東軍に組みし、管領細川勝元より三国守護職を約束され、赤松政則が西軍の山名氏の勢力を追い払うことで再び三国守護職に返り咲く。しかし、戦国時代に守護代であった三石城城主・浦上村宗によって政則の子が殺され赤松氏は衰退の一途を辿る。赤松氏に取って代わり備前を中心に勢力を伸ばした浦上氏であったが、宗景の代に家臣であった宇喜多直家の下剋上によって滅ぼされ、備前と美作では宇喜多氏が勢力を伸ばした。 備中では室町期は守護細川氏が、戦国時代は出雲から侵攻した尼子氏が庄氏ら有力国人を従えていた。その後、毛利氏の支援を得た三村家親が備中の大部分を統一し、美作・備前の一部も勢力下に治め三国を制する勢いであったが、永禄9年(1566年)三村家親が籾村の佛頂山興善寺に在陣中宇喜多直家の手の者により暗殺され、さらに後を継いだ三村元親が翌年宇喜多氏との明善寺合戦に敗退した。その後、織田氏の誘いを受けて毛利氏と争うに至り、三村氏は滅亡した(備中兵乱)。一方で、備中の南西笠岡などは村上水軍(能島村上氏)の支配地となり村上隆重により笠岡城が築かれた。 このように現在の岡山県域では多数の戦国武将が群雄割拠の様相を呈し、戦国期を通じ、現在の岡山県域を統一する一大勢力はついに出なかった。これは、岡山県が戦国前期には尼子氏・大内氏らの草刈場と化し、後期においては羽柴秀吉の水攻めで有名な備中高松城の戦いに代表されるように東の織田氏と西の毛利氏の衝突地点となったためである。備前の宇喜多氏や備中の三村氏などを除き、戦国期の在地国人勢力に顕著な活躍は見られなかった。しかし、その宇喜多氏・三村氏にしても東西勢力の代理戦争を演じていた面がないわけではない。秀吉との縁を得て後述のように戦国末期(近世初期)まで家を保持・成長させた宇喜多氏は在地勢力の例外といえる。 現在の岡山の地は「岡山」「石山」「天神山(天満山)」と呼ばれていた3つの小高い丘のある備前国西部の農村地帯の一角に過ぎなかったが、岡山の地の利に目をつけた直家は「石山」に小規模な城を築いていた金光氏の当主・金光宗高を謀略により切腹させて開城ののち、岡山の地に入封した。直家の子宇喜多秀家は備前・備中・美作3国守護の座に就き、秀吉の許しを得て「岡山」に築城し、商人を備前福岡から呼び寄せるなど、城下町が形成されていった。秀家はその後、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、豊臣家五大老のひとつの地位を占めていた宇喜多氏は所領没収のうえに八丈島に流された。 戦勝側である小早川秀秋が3国51万石を領有したが2年で後継ぎなく死去、断絶となり、慶長8年(1603年)、西国将軍と称された姫路藩藩主・池田輝政の次男、池田忠継が分家として備前38万石に入った。忠継・忠雄のあとに池田本家の鳥取藩から領地の交換で岡山に31万5,000石で入封した池田光政(輝政の孫)が備前岡山藩の基礎を築き、以後、明治維新を迎えるまで光政の家系が藩政を担った。また、領内には池田家の家老の陣屋が各地に所在し、伊木家3万3,000石の虫明陣屋を筆頭に、池田家3万2,000石の天城陣屋、池田家2万2,000石の周匝(すさい)陣屋、日置(へき)家1万6,000石の金川陣屋、池田家1万4,000石の建部陣屋、土倉家1万1,000石の佐伯陣屋があった。城下町・岡山は発展を続け、第4代池田綱政の治世の宝永4年(1707年)には町方人口が3万635人(武家・寺社方を含めた総人口は推定4万人から5万人)に達し、国内でも十指に入る経済力を持つ城下町となった。現在では日本三名園のひとつに数えられる御後園(後楽園)が造成されたのもこの時期である。19世紀に入り岡山藩の財政状況が悪化すると藩は被差別部落への差別を強化した。その結果、安政3年(1856年)に備前一国を巻き込む強訴(渋染一揆)が発生した。 備中には小早川氏改易のあと、一国を管轄する藩が置かれず幕領と大名領・旗本領が錯綜した。備中松山藩を筆頭に、足守藩・庭瀬藩・新見藩、岡田藩、浅尾藩・岡山藩の支藩である岡山新田藩(鴨方藩)および岡山新田藩(生坂藩)が成立した。現井笠地域の大部分は備後福山藩領であり備後と一体的に扱われ、福山藩主導の新田開発により干拓が進められる。また、交代寄合の山崎家の成羽陣屋(幕末に成羽藩となる)、交代寄合の戸川家の撫川陣屋が置かれ、戸川家は旗本としても早島・帯江・妹尾・中島(中庄)にそれぞれ陣屋を構えた。倉敷は天領(幕府の直轄)となり、備中のみならず伊予、讃岐など周辺諸国の幕領を管轄統治する幕府陣屋が置かれ、その繁栄は岡山以上とも言われた。 美作には森家が18万6,000石で入封。4代で断絶ののち、越前松平家の宗家筋の津山藩10万石、三浦家の勝山藩2万3,000石が成立した。 幕末期になり薩摩藩や長州藩による倒幕の動きが広がると、外様であった岡山藩は勤皇派に、親藩・譜代であった津山藩・備中松山藩は佐幕派に分かれ、明治元年(1868年)に勃発した戊辰戦争の際には当時の藩主である板倉勝静が老中職にあった備中松山藩を朝敵として岡山藩などが攻撃を加えた。 明治4年7月14日(1871年8月29日)、明治新政府による廃藩置県により岡山藩を受け継いで、岡山県が備前国を範囲として設けられた。当初、現在の岡山県域には14県が設置されたが、同年12月には岡山県、深津県、北条県の3県に再編された。その後、1875年(明治8年)12月10日に備中国と備後国にあたる小田県(旧深津県)を編入し、1876年(明治9年)4月18日には、備後国6郡を広島県に移管、美作国にあたる北条県を併せた。岡山県の境域はこれ以後1896年(明治29年)に吉野郡石井村を兵庫県佐用郡へ編入、同郡讃甘村大字中山を兵庫県佐用郡江川村へ編入。戦後には1963年(昭和38年)、和気郡日生町(現・備前市)東部の福浦地区(寺山を除く)を兵庫県赤穂市へ編入、後に笠岡市で広島県側への編入の動きも出るが阻止されその後現在まで特に大きな変更はない。 県の政庁は岡山市に置かれ、鉄道網の整備や旧制第六高等学校・旧制岡山医科大学(岡山藩医学館を文部省が引き継ぐ)などの教育機関の設立も相まって山陽地方の拠点として発展を見せた。また、政財界に優れた人材を輩出した。特に、自由民権運動では片山潜、のちに首相となる犬養毅や平沼騏一郎をはじめとして多くの運動家・政治家を、経済界では第一生命創業者の矢野恒太らを世に送り出した。 戦前の産業は農業が主であり、南部では児島湾干拓によって稲作面積を拡大して生産性を向上させ、イグサ・綿花栽培や丘陵地での果樹栽培が行われる一方、北部では養蚕が盛んに行われた。瀬戸内海に面した児島地区(倉敷市)では塩田開発が江戸末期から明治にかけて盛んになり、地元の名家である野崎家が財をなした。 1870年代以降になると近代工業として製糸工場が県内に次々と立地した。倉敷紡績(略称:クラボウ)は全国有数の製糸企業に成長し、また倉敷紡績の大原孫三郎によって倉敷絹織(現在のクラレ)、紡績を支える中国水力電気会社(現在の中国電力)なども設立された。この時代の繊維産業の発展が現在の倉敷市のジーンズ、学生服の隆盛の元になっている。大原は実業のかたわら、大原美術館、倉敷中央病院、農業や社会問題の研究所などを設立したり、石井十次の孤児養育事業を支援したりするなど、現在でいうメセナ事業を行った。 1891年(明治24年)に山陽鉄道(現在のJR山陽線)が岡山を経由して広島県尾道まで開通し、その後もいくつかの私鉄路線が開通した(鉄道の項参照)。これらのうち主要なものはのちに国鉄に組み入れられた。 1920年(大正9年)7月、県下で腸チフスの大流行が発生。患者1,322人、死者291人。 第一次大戦後には重化学工業が発達し、柵原では鉱山が開かれ、玉野では造船業が活況を呈するようになった。 経済の発展で中間市民層が厚みを増したことから、その求めにより中等教育・高等教育の充実が図られた。特に公立・私立の女学校が次々に設立され、全国的に見ても女子の中等教育の盛んな県となった。 こうした地勢より、社会福祉分野においても先見性が高い人材を数多く輩出しており、社会福祉学上において近代福祉事業発祥の地とされることもある。特に1917年(大正6年)に自県にて発足した済世顧問制度は大阪府の方面委員制度と並んでのちの民生委員制度につながるものとされ、先述の片山潜も貧困層のために日本最初の隣保館を設立している。他にも救世軍において廃娼運動を繰り広げ、女性の権利と生活の向上に足跡を残した山室軍平や、児童自立支援施設の先駆けとなった家庭学校を設立した留岡幸助、岡山博愛会病院を設立し地域医療に寄与したアリス・ペティ・アダムス、日本最初の孤児院(児童養護施設)を作り上げた石井十次などが岡山県にてその活動の発起を行った。そのため山室、留岡、アダムス、石井の4名は社会福祉の歴史上に多大なる功績を遺したことにより「岡山四聖人」と称される。 しかしながら第二次世界大戦が勃発し、戦争末期の1945年(昭和20年)6月には航空機工場のあった倉敷市水島地区と岡山市がアメリカ軍による大規模な空襲を受けた。岡山市では空襲により中心部がほとんど壊滅し、1,700人以上の市民が犠牲となった。 戦後は児島湾、笠岡湾など大規模の干拓事業が引き続いて行われ、臨海部に巨大な農業地、工業地が出現する。 また三木知事時代の1960年代、全国総合開発計画に合わせて水島地区に大型船が入港可能な港湾と石油コンビナートを造成して製鉄、石油化学および自動車などの工場を誘致された。また同時期に笠岡市は備後工業整備特別地域に指定され、日本鋼管福山製鉄所をはじめとした製鉄関連産業が進出する。このように県南部の臨海地帯を中心に重工業化が進み、農業中心の県から工業中心の県へと変貌を遂げた。他方では、1970年代には大気汚染、瀬戸内海への石油流出事故、赤潮、児島湖の水質悪化などに悩まされた。 1970年代以降は山陽新幹線の開業や瀬戸大橋の開通による高速道路・鉄道網の整備、県が管理する空港としては全国で唯一3,000メートル滑走路を持つ岡山空港の開港による航空網の整備が行われ、交通の結節点としての地位を高めた。南部では人口の増加が見られ、岡山市や倉敷市などが150万都市圏を形成している(岡山都市圏)。岡山インターチェンジから車で2時間圏の範囲の人口は約1,640万人で、東京都の人口よりも多い。その範囲の総生産額は約97兆円でカナダを上回る規模ともなっている。 2000年代には紡績工場跡地などを転用したイオンモール倉敷などの郊外・準郊外型のショッピングモールが大小含め県内各地に建設された。一方で、商店街がシャッター通りとなり、ダイエー岡山店・三越倉敷店といった市街地中心部の大型店が相次いで撤退したことに象徴される中心市街地の空洞化(ドーナツ化)が深刻な問題となっている。 2020年12月20日。県と県医師会は新型コロナウイルス感染症の急速な拡大に対し、医療非常事態宣言を発表した。 岡山県の人口は戦後の165万人から一貫して増加を続け、2002年には最大値約195万人に達した。しかし、その後は一貫して県全体では減少が続いている。2020年国勢調査によると、岡山県の人口増加率は-1.8%となっており、データのある1925年以降の国勢調査では最低の値となっている。 広島市に次いで中国・四国地方第2の都市である岡山市(約72万人)や第3位の倉敷市(約47万人)を擁する南部は岡山都市圏を中心に人口増加が堅調である。ただ、岡山市とともに岡山都市圏の中心を担う倉敷市がついに2019年から減少に転じた。一方、総社市は年々人口増加している。吉備高原や中国山地の山々に囲まれた地域では高齢化が進行し、人口の減少が顕著になってきている。県全体では1990年(平成2年)ごろから人口はほぼ横ばいであった。社会動態においては、1998年(平成10年)以降転出超過の社会減となっていた。2011年(平成23年)の東日本大震災以降から移住者の増加で一時転入超過に転じたが、2013年(平成25年度)に再び社会減となった。 NPO法人ふるさと回帰センターが毎年発表している「田舎暮らし希望地域ランキング」にて、岡山県は2012年(平成24年)度に2位、2013年(平成25年)度に3位にランクインしている。 婚姻関係では、男女の初婚年齢が香川県とともに全国屈指の早さとなっている。 岡山県によると、2018年での合計特殊出生率は1.53となっている。 (公選知事を特に列記する) 岡山県の行政機関の本庁として、岡山県庁が同市北区内山下に所在している。岡山県内に備前・美作・備中の各県民局が置かれ、その下部組織として各地域事務所が設置されている。かつては地方振興局が設置されていたが統合・再編されて現在に至る。 2008年(平成20年)6月2日の定例記者会見で2011年(平成23年)度にも、2009年(平成21年)度から新たに施行された自治体財政健全化法に基づいて起債制限など国に管理される財政再生団体に転落する可能性があるとして、財政危機宣言を発した。このため、構造的に見込まれる400億円規模の財源不足を解消するため、2008年(平成20年)8月に「岡山県財政構造改革プラン(素案)」を公表した。その際に、歳出削減や県有施設の統廃合について、市町村、県民からさまざまな意見が表明されたことを踏まえ、同年11月に「岡山県行財政構造改革大綱2008」が策定された。この行革大綱の具体的な枠組みは、(1)職員数の削減、(2)組織体制の再構築、(3)職員の意識改革と人事制度、(4)事務事業の削減、(5)公共事業の削減、(6)歳入確保、(7)公の施設の閉鎖・譲渡・集約化、(8)市町村の事務・権限移譲、(9)外郭団体等の抜本的な見直し、(10)効果的な行政評価システムの構築の10分野に及び、これらの取組を2012年(平成24年)度(職員数は2013年(平成25年)度)までに実施することにより、一般財源で396億円の収支不足を解消し、歳入と歳出のバランスが取れた持続可能な財政構造を確立することを目標としている。また、今後の財政運営の目標として、「収入にあわせた予算を組みます」・「県債残高をこれ以上増やしません(プライマリーバランスの黒字化)」・「同規模県と比較してもっともスリムな体制を目指します」・「行革推進債などの緊急避難的な対策による財政運営と決別します」・「今後4年間で改革の総仕上げを行います」との5つの目標を掲げ、この目標に沿った財政運営に取り組むこととされている。 地方債残高 都市化が進み工業の発展する県南部の大部分の市町村は井原市、笠岡市、里庄町を除き岡山市を中心とする岡山都市圏に属する。県北部は山地が広がり人口は比較的まばらである。県南西部の西備地方(ただし矢掛町と浅口市は含まれず、岡山都市圏に属する)は広島県福山市を中心とする福山都市圏である。 農業生産額の割合では、鶏(鶏卵・ブロイラー)が全生産額の23.7%で最も多く、米が22.8%、果実が17.5%、野菜が15.3%と成っている。 岡山県南部に広がる児島湾干拓地を中心とした岡山平野や北部の津山盆地などでは、古来よりコメの栽培が盛んで、現在に至るまで農産物の中心をコメが占めており、コシヒカリや朝日米、ヒノヒカリなどの品種が栽培されている。また、南部では岡山市灘崎地区のナスや倉敷市連島地区のレンコンをはじめ大都市向けに出荷される花卉、全国的にも珍しい黄ニラなどが生産されている。 国内産のマスカットの約9割は岡山県で生産されており、明治時代以降は岡山市津高地域・栢谷地区などの丘陵地においてブドウやモモの温室栽培が行われるようになった。全都道府県における出荷量で見れば、ブドウは4位(西日本1位)、モモは6位(和歌山県に次ぐ西日本2位)で全体シェアの5パーセントにも満たないものの、一部の品種に限れば、ブドウのマスカット・オブ・アレキサンドリア、ニューピオーネや黒大豆の作州黒の生産量は全国トップクラスであり、現在では岡山県の主要な名産品となっている。県内では他にも岡山市東区でお歳暮シーズンの愛宕梨(あたご梨)や鴨梨(ヤーリー)などの果物が全国シェアトップで栽培されており、高い生産技術と穏やかな気候に恵まれ、高品質な商品を生産している。近年、これらの農産物を中国や台湾など海外に輸出し、販売する試みがなされている。 畜産においては中国山地沿いを中心に行われ、特に新見市千屋地区で肉牛の「千屋牛」などの和牛が飼育されている。酪農においては蒜山高原(真庭市)ではジャージー牛の放牧が行われ、脂肪分を多く含んだ濃厚な乳を用いた牛乳などを出荷しており、吉備中央町では気候に合わせたブラウンスイス品種の乳を用いて吉田牧場が高品質のチーズを生産している。その他、山田養蜂場を中心として養蜂も行われている。 かつてはイグサやコンニャク、タバコの生産も盛んであったが、戦後の産業構造の転換により次第に生産量を減らしている。北部を中心とする中山間地域では若者の都市部への流出や高齢化による過疎化が進行しており、農業の担い手不足が課題となっている。 国有林は少なく民有林が9割を占める。温暖で乾燥した気候を好む高級木材のヒノキが多いが、湿潤気候を好むスギは少ない。民有林面積の7割弱がヒノキ林とされている。ヒノキ丸太の生産量は高知県、愛媛県、熊本県などと並んで上位の常連で1位の年度も多い。 かつては同じような気候を好むアカマツが多く、現在も県の木にも指定されている。これは調理、製塩、たたら製鉄などでの薪の過剰利用により植生遷移が退行しマツ類が優勢になった結果であり、岡山に限らず古くから人が住んでいた西日本ではしばしば見られた光景と考えられている。このような環境は高温で燃えるアカマツ材で焼き上げる備前焼などの陶磁器文化にも影響した。致死的な伝染病であるマツ材線虫病(松くい虫)の蔓延に伴い、1970年代以降アカマツ林は減少し一部はヒノキ林へと転換された。 かつてはアカマツと共生するマツタケの大産地でもあり年間500t以上を生産していたが、1960年以降生産量が激減した。2010年代以降は2大産地である長野県と岩手県には大きく差を付けられているが、全国生産量は3位に入る年が多い。 瀬戸内海に面する岡山県では児島湾などで、浅瀬を利用した沿岸漁業が行われており、かつてはサワラやタイの中型魚がおもに獲れていたが、明治から昭和にかけての干拓事業による漁場の縮小と都市化の影響による瀬戸内海の水質汚濁が発生し、以前ほどの豊かな漁場は失われてしまった。 しかしながら、現在でも倉敷市下津井港をはじめとしてメバルやイイダコ、カレイなどの好漁場となっており、瀬戸内市邑久町・牛窓町などでは複雑に入り組んだ海岸を利用した海苔やカキの養殖が盛んに行われている。カキの生産量は全国第2位である。瀬戸内海で獲れる海の幸を用いた郷土料理として、ばら寿司(まつり寿司として駅弁販売)や、たこめし、ままかり(サッパの酢漬け)などがある。 また、備前市日生町などでは蛎をお好み焼きに入れた「カキオコ」を新たな名物として岡山県内や他県にPRしており、水産資源を町おこしの契機につなげる新しい取り組みも見られる。 近年の新たな取り組みとして、岡山理科大学の研究で陸上でのハタなどの海水魚の養殖も行われている。 第二次大戦以前は農業県であった。大規模な港湾がなかった岡山県の第二次産業は倉敷紡績などの製糸・紡績業などの軽工業がその中心であったが、戦後は県によって、それまで中国・四国地方の他県に後れを取っていた工業化に重点を置いた政策がとられ、水島コンビナート(倉敷市)の埋め立て造成と石油精製所・大手製鉄所・自動車工場などの誘致が行われ、工業的に急速な発展を遂げた。県内にはJFEスチールの倉敷地区、福山地区(笠岡市域を含むため)二つの銑鋼一貫製鉄所が立地する。 総社市などの内陸部にも工業団地が次々と立地し、自動車の関連部品の製造や電子機器の工場が誕生した。そのほか、岡山市では食品や印刷など市場指向型、軽工業系の工場が岡南地区や西大寺地区などに所在し、倉敷市では児島地区にジーンズや学生服など縫製業が立地している。学生服の出荷額は岡山県が全国第1位となっている。 県西部の笠岡市へは広島県のJFEスチール西日本製鉄所福山製鉄所の関連企業など広島県からの企業の進出が多く見られる。JFEスチール福山製鉄所の敷地自体も笠岡市域にまたがっている。 1980年代以降は吉備高原などの内陸地域を新たな産業ゾーンとするために高速道路の整備や岡山空港の郊外移転などの開発が行われ、IT関連企業やICなどの電子デバイス工場の誘致が県によって進められた。しかし、開発から数十年が経過した現在でも立地した工場は多くなく、当初の見込み通りには事業が進んでいない。 こうした県主導の工業化のためのハード面での積極的な整備によって工業県への変貌に成功したものの、反面、これらの事業によって増大した借金が昨今、県の財政を圧迫している。 近年の岡山県の第三次産業は、バイオテクノロジーを活用した医薬品や、IT情報通信などの産業などの特色を持つ。独自の精密加工生産を支える技術企業や、食品・健康・医療・環境・福祉やバイオ関連の企業・研究機関などが産学官連携で新たな雇用産業づくりに取り組み続けている。平成15年度には全国に先駆け、高速大容量の基幹光ファィバ網を県内全域を8の字型に結び、全国ギガビットネットワークとも接続された岡山情報ハイウェイが整備された。サービス業や小売業、金融業などは本社や事業所をおもに岡山市を中心とした県南部に構えている。 1960年代までは伝統的な個人経営の小売店舗が多数を占めていた。1970年代以降、都市化やモータリゼーションの進行、大量消費社会の浸透により、全国や中国・四国地方規模で展開するスーパーマーケットやコンビニ、電器店などのチェーン店舗が郊外の幹線道路沿いに多数開店した。生活するうえでの利便性が増した一方で、中心市街地の空洞化を招いた。バブル経済の崩壊後以降は、都市部の地価の下落が進行。近年は中心市街地への高層マンションの建設が相次いでいる。また、小売店舗の中心市街地への新規出店や再開発事業が活発に展開されている。人口の増加も見られており、現在では再び地価が上昇している。 岡山市では、江戸時代の城下町に由来する表町地区と、1972年(昭和47年)の山陽新幹線開業後に発展したJR岡山駅周辺地区が2大商業地区となっている。岡山県南都市圏は現在人口150万人を擁し、地方都市としては数少ない、成長が見込まれる都市圏のひとつである。岡山市の政令指定都市移行を契機として、今後も再開発などの活性化が期待されている。 県南西部の井原市・笠岡市は江戸時代に備後福山藩領であったなど歴史的にも広島県東部との商業的な一体感が大きく、相対的に県内他市町村(岡山市など)とのつながりが小さい。これらの地域は現在でも完全に福山都市圏に属し、多くの住民が日常的な買い物などを福山市に依存している。 一方で、その他の地域では人口の流出・減少を伴った過疎化によって商業施設の撤退・閉鎖、大型商業施設の郊外出店によるスポンジ化現象が見られ、地域活性化が大きな課題となっている。 他県に登記上の本店を置いている企業を含む。 岡山県警察本部の管轄にあり、以下の22警察署が置かれている。ここ数年の市町村合併にともない、2006年(平成18年)4月1日に警察署管轄地域の見直しが行われた。また、2009年(平成21年)4月1日からは、岡山市の政令指定都市移行にともない岡山東警察署が岡山中央警察署に、西大寺警察署が岡山東警察署にそれぞれ名称変更された。 鉄道は1891年(明治24年)に山陽鉄道(現在のJR山陽本線)が三石駅から岡山駅まで開通したのを皮切りに、中国鉄道・西大寺鉄道・片上鉄道・下津井電鉄などが次々と開通した。一方で戦後にはモータリゼーションの進行や利用者の減少により多くの私鉄路線が廃止された。1972年(昭和47年)には国鉄山陽新幹線新大阪・岡山間が、3年後には岡山・博多間が開業し、1988年(昭和63年)には瀬戸大橋開通にともないJR瀬戸大橋線が開業。以来、JR岡山駅は本州と九州、および山陰と四国を結ぶ一大ターミナルとなっている。現在、以下の路線が存在しており、岡山市では全国的に数少なくなった路面電車も運行されている。 岡山駅には新幹線の花形のぞみの全列車が停車する。 山陰地方と四国の中間に位置し、古くから主要街道の山陽道が通っていた岡山県は道路網が充実しており、特に2007年(平成19年)度の高速道路延長(面積1,000km2当たり延長)は41キロと全国第5位になっている。 岡山県は隣接する広島県とともにバス事業者の多い県である。岡山市内では多数の会社が乗り入れ、一時期は事業者間での激しい競合が発生する問題も起きていたが、調整が進むなど改善している。高速バスは京阪神、山陰、広島、東京、福岡、四国各県などに伸びる。都市圏が県境を跨ぐ県西部では井笠バスカンパニー、北振バスが地方部では非常に稀な路線バスが県境を越える越境路線を運行している。 県内の主要空港は岡山空港である。岡山市北区日応寺に所在し、県が管理する第三種空港、準国際空港である。国内線では東京・札幌・那覇の3都市へ、国際線ではソウル、上海がデイリー運行、北京・大連へ定期便が就航する。もとより東京行きの便が距離的・料金的に航空機と新幹線との間で競争が激しい地区であり、また、空港内の駐車場が無料(一部は有料)であることから、同じ中国地方で第二種空港の広島空港には大きく水を空けられているものの、近年利用者が増大しており、他の地方第三種空港が経営に苦しんでいる中で高い収益を上げている。広島空港は広島県の中央に立地しているため、県西部の井笠地方は広島空港と岡山空港のほぼ中間にある。1988年(昭和63年)の岡山空港開港まで主要空港であった岡南飛行場(岡山市南区)は、現在セスナ機などの小型機の飛行場として運営されている。笠岡ふれあい空港は全国初の農道空港として開港したが、利用が振るわず旅客便が就航したことはなく、現在では定期便の運航はない。 昭和期までは長距離航路を含む多くの旅客船が寄港していたが、新幹線、高速道路など陸上交通の整備により長距離航路は全廃され、瀬戸内海の島嶼を結ぶ短距離航路のみ存続する。宇野港は高松港へ向かう宇高連絡船が発着し、四国地方への玄関口として機能していたが、2019年(平成31年/令和元年)に宇高連絡船は廃止された。 藩政時代末期の1870年(明治3年)、西洋医学を推進する目的で藩の御典医らにより岡山藩医学館が設立され、官立大学の岡山医科大学を経て後の岡山大学医学部となった。また1970年(昭和45年)には私立川崎医科大学が開校し現在は県内に2つの医学部がある。岡山大学病院、岡山東部脳神経外科、川崎医科大学付属病院、倉敷中央病院、心臓病センター榊原病院などが大規模、高度な設備を備える県内の主要病院。県内の主要医療機関は岡山市、倉敷市に偏在しており県北部、西部との医療格差が問題となっている。医師不足の深刻な笠岡市では救急患者が常態的に広島県福山市内の医療機関へ搬送されるために負担にえかねた福山市側から搬送先情報の提供拒否が行われたことがある。一方で、2021年には新型コロナウイルス感染症の拡大を受け県境の井原市や笠岡市を含む備後地域で医療が逼迫しているとして広島県の湯崎英彦知事が岡山県に患者受け入れの協力を要請するなど県境を越えた医療の連携が進んでいる。 災害拠点病院は「岡山県災害拠点病院」を、保育所は「岡山県保育所一覧」を参照。 主要診療科の中で特に産婦人科は県内で1996年には37病院・39診療所だったものが2017年には13病院・24診療所と大きく減少しており、特に減少の深刻な県北西部では最寄りの分娩施設まで車で60分以上かかるエリアや、万一の際にいずれかの周産期母子医療センターまで60分以上かかるエリアが目立つ。県南西部においては産婦人科医の常勤する病院は高梁川以西から既に消失し、井原・笠岡地域では地域の分娩機能の中心的役割は県境を越えた広島県福山市内の医療機関が担っている。 岡山県では県域放送のNHKおよび電波相互乗り入れによる5つの民放テレビ局が視聴可能となっている。民放5局のうち3局は岡山県に、2局は香川県に本社を置いており、1970年代から相互乗り入れを実施している。 岡山県では2006年(平成18年)12月1日より地上デジタル放送が本格的に開始された。岡山・玉野市境の金甲山送信所を親局とし、県内に78か所の中継局が整備されている。リモコン番号はリモコンキーIDの記事の岡山県部分を参照。テレビ東京系のテレビせとうちが全国の地方都市では唯一存在しているため、独立UHF局がないことを除けば関東広域圏と同じとなっている。ただし、ケーブルテレビの契約によって、在神の独立UHF局サンテレビが視聴できる。NHKと民放在京キー局5局に属する準キー局もしくはローカル局があるのは北海道、首都圏、中京圏、関西圏、福岡県と岡山、香川の13都道府県に限られており、かなりレアである。 テレビ中継局は県内に78か所所在するが、全ての個所で全局を送信しているのではなく局によって異なっている。岡山県内ではNHK総合・Eテレ>RSK>OHK>RNC>KSB>TSCで、最も少ないTSCは25か所の設置となっている。 県域FM局の親局及びRSKのFM補完放送局送信所も、デジタルテレビ各局と同じく金甲山に置かれている。 ※ インターネットにおけるサイマルラジオ放送は、コミュニティ放送のつやまコミュニティFMを皮切りに各放送局で実施している。県域民放局が実施しているradikoにはRSK山陽放送と岡山エフエム放送(FM岡山)共に参加している。 岡山県では県紙で1889年(明治22年)創刊の山陽新聞を中心に購読されている。また、全国紙では各紙が大阪本社の管轄下にあり、県内に支局を設置している。読売・毎日・日経・産経の各紙は県内に印刷工場を設け、朝日新聞は香川県内の印刷工場から輸送する体制をとっている。ただいずれの全国紙も岡山県での夕刊の販売はしておらず、朝刊のみである。夕刊紙の岡山日日新聞も存在したが、2011年(平成23年)11月10日をもって廃刊した。 一般送配電事業者 江戸時代に備前国を治めた岡山藩は、池田光政の代である1669年(寛文9年)に全国初の藩校である花畠教場を、続いて世界最古の庶民学校である閑谷学校を開くなど、教育の面では古くから先進的な取り組みがなされてきた。特に閑谷学校は領民だけでなく他藩の藩士にも門戸開放し、さらには藩主の転封や改易などの不測の事態でも学校を存続できるように学校領を設けて藩財政から独立させた。岡山藩が教育を重視していたことがうかがえる。また、幕府の薦める朱子学ではなく儒学(陽明学)を学ばせ、頼山陽ら著名人も来訪したことで知られている。江戸時代の岡山県内の寺子屋数は長野県、山口県に次ぐ第3位(1,031校)で、私塾数は第1位(144か所)であった。 明治時代になると1870年(明治3年)に岡山藩医学館が設置され、1900年(明治33年)には第六高等学校が、1922年(大正11年)には岡山藩医学館を継承した官立岡山医科大学が開校するなど高等教育が活発に行われ、当時の就学率は全国トップクラスであった。 ただし、女子教育については明治の初めまで、ほとんどの地域において初等教育(いわゆる市井の寺子屋や女紅場・裁縫所)以上の教育はなされなかった。上記の各学校においても中等教育以上は男子教育の場でしかなかった。そのため岡山における女子の中等教育は日本全国の他地域と同様、明治以降にキリスト教系の信徒・思想者によって、分野開拓が行われている。岡山県内において、その嚆矢となったのが1885年(明治18年)に高梁向町(現在の高梁市向町)において福西志計子が開いた順正女学校(現・岡山県立高梁高等学校)とされる。さらに、その源流として福西の幼少期の師であり私塾の牛麓舎にて、男女の別を問わず漢学を授けた山田方谷の存在を指摘する声もある。順正女学校の設立を皮切りに、翌1886年(明治19年)には岡山市内で山陽英和女学校(現在の山陽学園大学)および岡山女学校(現在のノートルダム清心女子大学)などの女学校が開校した。 現在、岡山県には3つの国公立大学、15の私立大学が設置されている。2007年(平成19年)現在、人口10万人当たりの大学・短大設置数は全国第6位となっている。 2006年(平成18年)度からは、岡山県と岡山経済同友会を中心に、県内15の4年制大学が参加する大学コンソーシアム岡山が開始され、産・学・官の連携による地域社会の活性化や時代に合った高等教育の創造を目指している。 国立 公立 私立 公立 私立 私立 国立 島嶼を多く抱える岡山県では公営の通学船(スクールボート)の運航が見られる。 岡山市を中心とする備前地域(旧備前岡山藩)は池田光政の儒教尊重が家風となり、近代以後も教育熱心な地域と言われる。古今和歌集において「真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川の音のさやけさ」と謳われ、吉備を表す枕詞が「真金吹く」であるように、古くから岡山(旧国名は吉備)は古代吉備から連綿と受け継いできた優れた鉄製技術を持っていた。そのため平安時代の古備前派に端を発し、福岡千軒(現在の瀬戸内市長船町)では福岡一文字や備前長船、そして吉岡一文字、国宗派、また備中国の青江貞次らの青江派などといった有力な刀匠の一派が数々生まれて栄えた。さらに、備前・美濃・相模・山城・大和の5か国の作刀方式を「五箇伝」と呼び、その五箇伝のうち備前伝と美濃伝の刀が傑出して大量に生産されるに至った。また質の面では備前刀があらゆる流派の中でもっとも多く、国宝に指定されている。現在でも備前では刀匠によって刀が生産されている。 一方で陶器の備前焼は日本六古窯のひとつであり、古墳時代の須恵器から発展したもので釉薬をまったくつけずに焼かれる。また何も塗られることもない素朴さと力強さ、炎と火の粉、薪の灰から生じる窯変の味わい、そのわびさびを体現した風貌から千利休や古田織部などといった茶人に愛された。1250度の高温で約2週間焼き締めるため「投げても割れない」と言われ、茶人や公家、武家以外の一般庶民にも広く流通した。鎌倉時代初期までの作品は「古備前」と呼ばれ特に珍重される。金重陶陽といった人間国宝などの活躍もあり、また戦後にも再び脚光を浴びて一躍全国的に有名となった。 津山市を中心とする美作地域では、江戸後期から幕末にかけて宇田川家、箕作家などの洋学の人材を輩出した。 主に東京式アクセントの岡山弁が用いられる。県内の方言は旧国ごとに「備前弁」・「備中弁」・「美作弁(作州弁・津山弁)」の3種に分類されることあるが互いに対立して分布しているという事象は、必ずしも多いとは言えない。笠岡市・井原市などは旧備中国であるが備後福山藩領であったなど歴史的な背景から広島県側と共通の方言(福山弁・備後弁)が用いられる。このため県内では井笠地域のみに広島県からの連続分布により独自の事象分布が認められ、倉敷市などの備中弁とは語彙など多くの差異がある。笠岡市の真鍋島などでは特有のアクセントが用いられる。 古代以来の農業の盛んな地域で、農産物・水産物は豊富である。主要なものは以下の通り。 など など など 岡山県は、プロ野球とJリーグの球団の両方が本拠を構えている兵庫県と広島県に挟まれ、地元に拠点を置くスポーツに対する関心が低い。1995年(平成7年)には倉敷市を本拠としていた川崎製鉄サッカー部(現・ヴィッセル神戸)がJリーグ誘致を目指していた神戸市に本拠を移すなど、長年にわたって本県に本拠を置くプロスポーツチームができず、「プロスポーツ不毛の地」と揶揄されることもあった。しかし、2001年(平成13年)11月に女子バレーボール・Vリーグに所属するシーガルズが岡山市に本拠を移転。美作町(現・美作市)に女子サッカークラブ・岡山湯郷Belleが設立された。その後、2005年(平成17年)には晴れの国おかやま国体が開催され、県全体でスポーツに対する関心が高まった。国体開催の機運に乗じてJリーグを目指すサッカークラブとしてファジアーノ岡山FCが設立され、好成績を収め続けたファジアーノは岡山県リーグから中国リーグ、JFLと次々と昇格し、2009年(平成21年)シーズンからはJ2に昇格した。また2017年には県西部の井笠地方をホームタウンとする福山シティFCが結成された。こうした市民クラブに対するスポンサーやボランティアなどの支援の輪が広がっており、プロスポーツが県民にとって身近な存在になりつつある。 その他、女子マラソンに関しては岡山市に本店がある天満屋の女子陸上競技部から2000年(平成12年)シドニーオリンピックに山口衛里が、2004年(平成16年)アテネオリンピックに坂本直子、さらに2008年(平成20年)の北京オリンピックでも中村友梨香が出場している。さらに、1992年(平成4年)のバルセロナオリンピック、1996年(平成8年)のアトランタオリンピックの2大会でメダルを獲得した有森裕子は岡山県出身であり、オリンピックに5大会連続で岡山県の関係者が出場している。 高校野球においては1965年(昭和40年)の選抜高等学校野球大会で優勝し、平松政次や八木裕らを輩出した岡山東商業高校、星野仙一らを輩出した倉敷商業高校や倉敷工業高校をはじめとした古豪がある。また、1999年(平成11年)の全国高等学校野球選手権大会で準優勝した岡山理科大学附属高校、関西高校などの私立校が台頭している。近年では、2011年のセンバツに春夏通じて甲子園史上初となる創部1年目の出場を果たした創志学園高校や、甲子園3回の出場を果たしている岡山学芸館高校、2017年夏に甲子園初出場を果たし、2023年夏には甲子園で8強入りを果たしたおかやま山陽高校なども甲子園に進出している。 岡山県名誉県民の称号は、1981年(昭和56年)3月25日に制定された岡山県名誉県民条例(岡山県条例第24号)に基づき、「岡山県の発展に功績があり、県民の誇りとしてひとしく敬愛を受ける者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「本県に居住し、又は居住していた者で、社会福祉の向上、経済の発展又は学術文化の振興に卓絶した功績があり、もつて県民福祉の増進に貢献し、又は本県の名声を著しく高め、県民が郷土の誇りとしてひとしく敬愛するもの」であり(条例第2条)、岡山県知事が岡山県議会の同意を得て選定することが定められる(条例第2条第2項)。名誉県民に選定された者には、顕彰状や徽章、記念品も併せて贈られるほか(条例第3条)、知事が定める礼遇や特典を受けられる(条例第4条)。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "岡山県(おかやまけん)は、日本の中国地方に位置する県。県庁所在地は岡山市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "県庁所在地の岡山市は2009年(平成21年)4月1日、全国で18番目の政令指定都市に移行した。山陽本線、山陽新幹線、中国自動車道、1997年(平成9年)全線開通した山陽自動車道をはじめとして西日本の交通の大動脈が県を横断している。本州と四国を結ぶ瀬戸大橋も1988年(昭和63年)に開通した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "古代、沿岸域から内陸地域にかけては「吉備国」として、現在の広島県東部に位置する備後地方や香川県島嶼部などと併せて大和朝廷に並ぶほどの勢力を持っていた。江戸時代初期には岡山に池田氏、津山に森氏が外様大名として入封し、城下町を形成した。特に池田綱政は日本三名園の後楽園を造成し、閑谷学校を開くなど、文化・教育面に多大な功績を残した。笠岡、井原は徳川家康の従兄弟で有力譜代大名の水野勝成氏の領地となり広大な新田開発が行われたほか、灌漑事業、産業育成により地勢が大きく変貌した。倉敷には寛永19年(1642年)に代官所が置かれ、江戸幕府直轄の物資集積地として船舶輸送中継も担う天領として発展した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "県内を南北に流れる3つの一級河川(高梁川・旭川・吉井川)による潤沢な水源、温暖で長い日照時間、江戸時代から昭和戦後期にかけて瀬戸内海の大規模な干拓で広い農地が形成されたことから、水稲や麦、果樹の生産が盛んである。特に白桃、マスカット・オブ・アレキサンドリア、ピオーネなどは生産量日本一であり、品質の高さから国内外に向けて高値で出荷されている。県北の標高1,200メートルに位置する蒜山高原では、ジャージー牛の大規模な放牧が行われており、チーズ、ヨーグルト、アイスクリームなどに加工されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "県南西部の井笠地方(井原市、笠岡市など)は明治の府県統合までは、県内の大部分とは異なった歴史を持つ地域である。現在でも両市は県境を越えた広島県福山市のベッドタウンであり、通学通勤に加え日常的な買い物や通院による越境が多く見られ、県域を越えた結びつきが非常に強い。なお井笠地方は岡山県内にありながら経済圏、生活圏は広島県東部と一体的であり福山都市圏を構成する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "戦前までは一次産業と紡績などの軽工業が県の主要産業であった。戦後は水島地区の川崎製鉄(後に合併によりJFEスチール倉敷地区となる)、笠岡地区の日本鋼管(後のJFEスチール福山地区)と県内に大規模な二つの銑鋼一貫製鉄所が建造されるなど臨海部を中心に重工業化が進み工業県へと変貌した。両製鉄所はいずれも世界有数の生産量を誇り、特に福山地区の年間粗鉄生産能力は1200万トン規模と国内最大であり単独の製鉄工場としては世界上位である。水島臨海工業地帯は全国総合開発計画(全総)に合わせて指定された新産業都市「岡山県南地域」の中核となり県を挙げて開発が進み国際コンテナターミナル、石油化学コンビナートが整備され、自動車などの加工組立型の企業群も進出した。笠岡地区は全国総合開発計画において備後工業整備特別地域に指定され、沿岸部の埋立により大規模な国際港湾、製鉄を含む工場群が建造された。港湾輸出入額では水島港が中四国1位、福山港が2位と中四国の上位2港を岡山県の港湾が占めている。なお笠岡港は港則法・関税法・検疫法・入国管理法・港湾運送事業法の各法上福山港に含まれ、JFE福山製鉄所の敷地は県境を跨ぎ笠岡市から福山市にかけて広がっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "近年では瀬戸内市で2018年(平成30年)10月に運転を開始した「瀬戸内 Kirei 太陽光発電所建設プロジェクト」、2019年(令和元年)12月に運転を開始した日本最大の257.7メガワットの太陽光発電所となる作東メガソーラー発電所、真庭市の木質バイオマス発電事業など自然エネルギーを活用する再生可能エネルギーの推進が県下全域で進められている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "県庁所在地における快晴日数の多さや降水量1ミリ未満の日数が全国最多であることから、1989年(平成元年)から「晴れの国 おかやま」を県のキャッチフレーズとしている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "県北部には、三本の一級河川(旭川・高梁川・吉井川)の県内源流ともなっている中国山地の山岳地帯がそびえている。標高500 - 1,000メートルの中央部には鍾乳洞などのカルスト地形が見られる吉備高原の高地が連続的に広がり、南部には三大河川によって形成された裾野の広い岡山平野が広がっている。岡山平野にはかつて瀬戸内海に浮かんでいた小さな島が丘陵地として残り、干拓で江戸時代につながった児島半島が県の南端部にある。県南西部には国営笠岡湾干拓事業として1650haと全国有数の規模の大干拓地域が造成された。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "おもな山地としては蒜山(標高1,122メートル)や後山(標高1,345メートル)などがあり、おもな湖沼としては、奥津湖、恩原湖、湯原湖、児島湾奥の締切堤防化によって人工的に造られた児島湖などがある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "兵庫県とは山地および備前市の取揚島で、鳥取県とは山地で、広島県とは山地および市街地で、香川県とは海上および玉野市の井島(石島)で隣接している。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "国土地理院地理情報によると岡山県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは104.87キロ、南北の長さは116.98キロである。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "中国山地と瀬戸内海に挟まれた南部の平野地帯は典型的な瀬戸内海式気候を示し温暖少雨であり雪は極稀である。一方、北部の中国山地沿いは日本海側気候に属し、豪雪地帯に指定されている。真庭市蒜山では冬季に1メートルを超える積雪となるほか、-10°C以下まで下がることもある。県北部山間域には4か所のスキー場がある。中国山地と瀬戸内海の中間に位置する吉備高原や和気町は両者を折衷した気候を呈し、南部より多少冷涼で雨量も多く、冬季の寒さは厳しい。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "日本列島に来襲する台風やその影響による風雨は中国山地・四国山地によって弱められることが多く、それに加えて夏には瀬戸内海で発生する「凪」や山地越えのフェーン現象の影響もあって、都市部や内陸の盆地を中心に猛暑日になる日が多い。県庁所在地の岡山市は、吉備高原に属する旧建部町・御津町地域を除いて日照時間が年間約2,100時間と長く、年間降水量は1,100ミリ程度であり、日本有数の降水の少ない土地である。降水量1ミリ以上の日数が日本で最少であることが岡山県のキャッチフレーズでもある「晴れの国おかやま」の根拠となっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "県内を震源とする地震は、1711年(宝永8年/正徳元年)に鳥取県との県境付近を震源とした、M6.5~6.8の地震が記録されている。県内に大きな被害を出した例は868年の播磨国地震・1927年(昭和2年)北丹後地震・1946年(昭和21年)の昭和南海地震などが挙げられる。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "2004年(平成16年)以降、岡山県内でも平成の大合併が進められ、2011年(平成23年)現在、以下の15市・10郡・10町・2村がある。町はすべて「ちょう」、村はすべて「そん」と読む。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "県庁所在地の岡山市は2009年(平成21年)4月に政令指定都市に移行し、 北区・中区・東区・南区の各4行政区が設置された。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "かつては備前、備中、備後、美作地方は吉備国と呼ばれる同一文化圏であったが現在では備後地方のみ広島県に所属している。岡山県と広島県の境は山・川などで地形的に分断されるところがなく、今でも両地方の経済・文化的な関係は強くみられ倉敷市の西部を流れる高梁川以西が備後圏、井笠地方(井原市・笠岡市)は福山圏と認識されることがある。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "岡山県の広域行政圏は旧地方振興局単位で分けられる。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "県南東部に位置し、旭川と吉井川の流域には、西日本屈指の広大で肥沃な岡山平野が広がっている。人口は約92万人で県全体の約5割を占め、医療、交通、教育、大規模商業施設など様々な都市機能を備えて拠点性が高い岡山市とその周辺は人口集積が見られるが、北部、東部の中山間地域や離島では過疎化が進んでいる。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "平野部での県内最大規模の米麦栽培や、モモ、ブドウなどの果物の他にも、ナス、黄ニラ、カキなど競争力のある農林水産物が生産されるとともに、備前焼などの工芸品が作られている。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "観光面では、後楽園、岡山城などを核とした岡山カルチャーゾーンや、日本遺産である旧閑谷学校、吉備津神社などの歴史ある観光資源を有するほか、西大寺会陽や加茂大祭などの個性豊かな伝統行事に加え、瀬戸内海を舞台として開催される瀬戸内国際芸術祭や、岡山市中心部で開催の岡山芸術交流など現代アートを活用した魅力も創出されている。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "県のほぼ西半分を占め、高梁川が貫流する多様な自然環境の中、約77万人が暮らしている。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "平成30年7月豪雨や令和元年9月集中豪雨で大きな被害を受けた倉敷市真備地区をはじめとする地域では、被災者の生活再建、河川等公共施設の復旧と改良、土砂災害対策、地域経済の再生など、復旧・復興に向けた取組が進められている。高速道路や鉄道網、国際拠点港湾水島港などの広域交通基盤に恵まれ、水島コンビナートの製造業、県総合流通センターや早島インターチェンジ・岡山総社インターチェンジ付近の物流業の集積は、県経済に大きな比重を占めている。また、水島コンビナートでは、IoTやAIを活用した取組も進められている。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "児島・井原の繊維業や各地の醸造業など、伝統ある産業活動が展開されており、モモ、ブドウ、トマト、和牛、タコ、カキなど優れた農林水産物にも恵まれている。これらの特産品を加工・販売する事業者も多く、新製品の開発や販路開拓が進められている。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "吉備高原から中国山地にかけての県北東部に位置し、面積は県の4割を占め、そのうち約93%が中山間地域となっている。地域の人口約23万人のうち、65歳以上の高齢者が約34%を占める一方、若い世代は、多くが進学や就職を機に地域外に転出する傾向にある。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "農林業が盛んな地域であり、ピオーネをはじめ、黒大豆やジャージー牛などの特色のある産品が生産され、米や麦などによる土地利用型農業も行われるとともに、高品質なヒノキなどを産出し、西日本有数の木材加工産地を形成している。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "商工業では、事務所数は減少しているものの、化学工業や食料品、木材・木製品、機械器具製造業などを中心に製造品出荷額は増加している。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "都道府県知事が関係市町村との協議を経たうえ、およそ10万人以上の人口を有し、一定の要件を具備する日常生活圏を形成すると認められる地域について設定する圏域である。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "岡山市など大都市周辺地域については、1978年(昭和53年)からこれとは別に大都市周辺地域広域行政圏が設定されている。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2014年(平成26年)12月に閣議決定された「まち・ひと・しごと創生総合戦略」において地域の広域連携に関し、一定要件を満たす都市が「連携中枢都市」となり、周辺市町村と連携協約(地方自治法252条の2第1項)を締結することで、「連携中枢都市圏」を形成するものである。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "経済的に笠岡市・井原市は広島県福山市を中心とした福山都市圏に含まれる。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "県内には山陽自動車道、山陽新幹線、山陽本線、国道2号など中国地方の交通の大動脈が東西に貫通し、人や物の往来は多い。", "title": "災害" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "県名は県庁所在地の岡山市に由来する。「岡山」とは、もともと現在の岡山城のある場所に存在した小高い丘のことを指して呼んだものであったが、戦国時代に宇喜多秀家が「岡山」に城を築き、その後形成された城下町を含めて岡山と呼ぶようになったことに由来する。なお、秀家の書状から「岡山」が城下町の地名として呼ばれ始めたのは文禄3年(1594年)ごろからであると推測される。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "現在の岡山県の地域には、鷲羽山遺跡(倉敷市)などの原始からの遺跡が存在しており、旧石器時代から人々が居住していたことがうかがえる。県の最北端上斎原村(現・鏡野町)に旧石器時代の恩原遺跡がある。その遺跡の下層(約2万5000年前の土層)からナイフ形石器が出土しており、その上層から約1万年前の細石刃も出土している。恩原遺跡では2基の炉跡が検出されている。うち1基は10個ほどの小石を半円形に並べており、焚き口幅40センチ、奥行35センチの小規模な炉で、石組みの中に木炭塊があり、炉の周辺に灰土が広がっていて、2万2000年前の旧石器時代人の生活痕跡を示す珍しい遺構である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "地球の温暖化による海面上昇で瀬戸内海が出現した。そのことを示すのが瀬戸内市牛窓町の黄島貝塚である。その後は、人々は狩猟・採集・漁労の自然からの贈りもので生活し、豊かになっていった。縄文時代も後期になり、津雲貝塚で170体以上の人骨が発掘されている。晩期には岡山市北区の津島江道遺跡では水田遺構そのものが検出されている。縄文時代の終わりごろには、狩猟・採集活動をしながら水稲耕作も行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "また、彦崎貝塚(岡山市南区)では縄文時代前期の土層からイネのプラント・オパールが大量に出土し、朝寝鼻遺跡(岡山市北区)でも同様の発見があり、縄文時代前期には畑作によるイネの栽培が始まっていたとみられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "古代には吉備国といわれ、畿内地域や北九州地域、出雲地域などとともに、日本列島の中心地のひとつとして栄えていた地域である。吉備国は畿内勢力と同盟関係を築いて日本列島の統一期(4世紀中葉)に影響を与えた。優れた鉄製技術を持ち、その支配地域は現在の岡山県・広島県中東部・香川県島嶼部・兵庫県播磨地方に及び、加古川を境界とし、さらには四国や芸予諸島にも至っていたと推定されている。また、大きさが全国の古墳の中で第4位、一般人でも立ち入れる古墳としては全国第1位の規模を持つ造山古墳(岡山市北区)や全国第9位の作山古墳(総社市)、両宮山古墳(赤磐市)などの大型古墳が岡山県内に残されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "6世紀前半に大和朝廷への臣従したのち、吉備国は勢力抑圧のために備前国、備中国、備後国の3国に分割され、さらには備前国から美作国が分国された。国府は現在の岡山市(備前国)、総社市(備中国)、津山市(美作国)にそれぞれ置かれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "旧吉備国からは奈良時代に中央政権で権勢を振るった吉備真備や道鏡の天皇位簒奪を阻んだ和気清麻呂らの優れた人材を輩出した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "平安時代には備前・備中は受領にとって実入りの多い「上国」のひとつとされており、農業生産力が高かった。またこの時代に各地に荘園が拓かれた。特に鹿田荘は藤原氏の氏の長者が受け継ぐ4つの荘園(殿下渡領)のひとつであった。その他に大安寺荘(岡山市北区)など。平安時代末期には平氏の勢力圏に置かれ、寿永2年(1183年)には県の南東部、倉敷市玉島地区で、翌年には藤戸地区で源平合戦が繰り広げられた(水島の戦い・藤戸の戦い)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "鎌倉時代に入ると元来東国を拠点としていた那須氏・松田氏・三村氏・庄氏・赤木氏などの有力御家人が地頭職などを得て移住・土着した(東国から西国に移った鎌倉幕府御家人という意味で西遷御家人と呼ばれる)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "南北朝時代、後醍醐天皇が隠岐に流される際の通り道になったことで、児島高徳など宮方に与同する武士が現れ、隠岐脱出後は最初に拠点を構えた伯耆船上山が近隣であったため多くの武士が宮方として活動した。観応の擾乱で室町幕府が分裂すると山陰に勢力を持つ山名氏が侵攻し、北部美作を中心に山名氏の勢力下に置かれる。しかし、山名氏は明徳の乱で衰退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "室町時代には鎌倉幕府倒幕に活躍した播磨の豪族・赤松則村(円心)が播磨・備前・美作3国の守護職に任ぜられ、以後赤松氏が代々三国の守護職を受け継ぎ、この三国はほぼ連動した歴史を展開する。赤松満祐が嘉吉の乱で時の将軍足利義教を討ったため、赤松氏は一時衰亡し、その後は赤松氏と地域の覇権を争っていた山名氏が三国を領有した。紆余曲折の末、復活した赤松氏は応仁の乱で東軍に組みし、管領細川勝元より三国守護職を約束され、赤松政則が西軍の山名氏の勢力を追い払うことで再び三国守護職に返り咲く。しかし、戦国時代に守護代であった三石城城主・浦上村宗によって政則の子が殺され赤松氏は衰退の一途を辿る。赤松氏に取って代わり備前を中心に勢力を伸ばした浦上氏であったが、宗景の代に家臣であった宇喜多直家の下剋上によって滅ぼされ、備前と美作では宇喜多氏が勢力を伸ばした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "備中では室町期は守護細川氏が、戦国時代は出雲から侵攻した尼子氏が庄氏ら有力国人を従えていた。その後、毛利氏の支援を得た三村家親が備中の大部分を統一し、美作・備前の一部も勢力下に治め三国を制する勢いであったが、永禄9年(1566年)三村家親が籾村の佛頂山興善寺に在陣中宇喜多直家の手の者により暗殺され、さらに後を継いだ三村元親が翌年宇喜多氏との明善寺合戦に敗退した。その後、織田氏の誘いを受けて毛利氏と争うに至り、三村氏は滅亡した(備中兵乱)。一方で、備中の南西笠岡などは村上水軍(能島村上氏)の支配地となり村上隆重により笠岡城が築かれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "このように現在の岡山県域では多数の戦国武将が群雄割拠の様相を呈し、戦国期を通じ、現在の岡山県域を統一する一大勢力はついに出なかった。これは、岡山県が戦国前期には尼子氏・大内氏らの草刈場と化し、後期においては羽柴秀吉の水攻めで有名な備中高松城の戦いに代表されるように東の織田氏と西の毛利氏の衝突地点となったためである。備前の宇喜多氏や備中の三村氏などを除き、戦国期の在地国人勢力に顕著な活躍は見られなかった。しかし、その宇喜多氏・三村氏にしても東西勢力の代理戦争を演じていた面がないわけではない。秀吉との縁を得て後述のように戦国末期(近世初期)まで家を保持・成長させた宇喜多氏は在地勢力の例外といえる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "現在の岡山の地は「岡山」「石山」「天神山(天満山)」と呼ばれていた3つの小高い丘のある備前国西部の農村地帯の一角に過ぎなかったが、岡山の地の利に目をつけた直家は「石山」に小規模な城を築いていた金光氏の当主・金光宗高を謀略により切腹させて開城ののち、岡山の地に入封した。直家の子宇喜多秀家は備前・備中・美作3国守護の座に就き、秀吉の許しを得て「岡山」に築城し、商人を備前福岡から呼び寄せるなど、城下町が形成されていった。秀家はその後、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、豊臣家五大老のひとつの地位を占めていた宇喜多氏は所領没収のうえに八丈島に流された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "戦勝側である小早川秀秋が3国51万石を領有したが2年で後継ぎなく死去、断絶となり、慶長8年(1603年)、西国将軍と称された姫路藩藩主・池田輝政の次男、池田忠継が分家として備前38万石に入った。忠継・忠雄のあとに池田本家の鳥取藩から領地の交換で岡山に31万5,000石で入封した池田光政(輝政の孫)が備前岡山藩の基礎を築き、以後、明治維新を迎えるまで光政の家系が藩政を担った。また、領内には池田家の家老の陣屋が各地に所在し、伊木家3万3,000石の虫明陣屋を筆頭に、池田家3万2,000石の天城陣屋、池田家2万2,000石の周匝(すさい)陣屋、日置(へき)家1万6,000石の金川陣屋、池田家1万4,000石の建部陣屋、土倉家1万1,000石の佐伯陣屋があった。城下町・岡山は発展を続け、第4代池田綱政の治世の宝永4年(1707年)には町方人口が3万635人(武家・寺社方を含めた総人口は推定4万人から5万人)に達し、国内でも十指に入る経済力を持つ城下町となった。現在では日本三名園のひとつに数えられる御後園(後楽園)が造成されたのもこの時期である。19世紀に入り岡山藩の財政状況が悪化すると藩は被差別部落への差別を強化した。その結果、安政3年(1856年)に備前一国を巻き込む強訴(渋染一揆)が発生した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "備中には小早川氏改易のあと、一国を管轄する藩が置かれず幕領と大名領・旗本領が錯綜した。備中松山藩を筆頭に、足守藩・庭瀬藩・新見藩、岡田藩、浅尾藩・岡山藩の支藩である岡山新田藩(鴨方藩)および岡山新田藩(生坂藩)が成立した。現井笠地域の大部分は備後福山藩領であり備後と一体的に扱われ、福山藩主導の新田開発により干拓が進められる。また、交代寄合の山崎家の成羽陣屋(幕末に成羽藩となる)、交代寄合の戸川家の撫川陣屋が置かれ、戸川家は旗本としても早島・帯江・妹尾・中島(中庄)にそれぞれ陣屋を構えた。倉敷は天領(幕府の直轄)となり、備中のみならず伊予、讃岐など周辺諸国の幕領を管轄統治する幕府陣屋が置かれ、その繁栄は岡山以上とも言われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "美作には森家が18万6,000石で入封。4代で断絶ののち、越前松平家の宗家筋の津山藩10万石、三浦家の勝山藩2万3,000石が成立した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "幕末期になり薩摩藩や長州藩による倒幕の動きが広がると、外様であった岡山藩は勤皇派に、親藩・譜代であった津山藩・備中松山藩は佐幕派に分かれ、明治元年(1868年)に勃発した戊辰戦争の際には当時の藩主である板倉勝静が老中職にあった備中松山藩を朝敵として岡山藩などが攻撃を加えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "明治4年7月14日(1871年8月29日)、明治新政府による廃藩置県により岡山藩を受け継いで、岡山県が備前国を範囲として設けられた。当初、現在の岡山県域には14県が設置されたが、同年12月には岡山県、深津県、北条県の3県に再編された。その後、1875年(明治8年)12月10日に備中国と備後国にあたる小田県(旧深津県)を編入し、1876年(明治9年)4月18日には、備後国6郡を広島県に移管、美作国にあたる北条県を併せた。岡山県の境域はこれ以後1896年(明治29年)に吉野郡石井村を兵庫県佐用郡へ編入、同郡讃甘村大字中山を兵庫県佐用郡江川村へ編入。戦後には1963年(昭和38年)、和気郡日生町(現・備前市)東部の福浦地区(寺山を除く)を兵庫県赤穂市へ編入、後に笠岡市で広島県側への編入の動きも出るが阻止されその後現在まで特に大きな変更はない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "県の政庁は岡山市に置かれ、鉄道網の整備や旧制第六高等学校・旧制岡山医科大学(岡山藩医学館を文部省が引き継ぐ)などの教育機関の設立も相まって山陽地方の拠点として発展を見せた。また、政財界に優れた人材を輩出した。特に、自由民権運動では片山潜、のちに首相となる犬養毅や平沼騏一郎をはじめとして多くの運動家・政治家を、経済界では第一生命創業者の矢野恒太らを世に送り出した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "戦前の産業は農業が主であり、南部では児島湾干拓によって稲作面積を拡大して生産性を向上させ、イグサ・綿花栽培や丘陵地での果樹栽培が行われる一方、北部では養蚕が盛んに行われた。瀬戸内海に面した児島地区(倉敷市)では塩田開発が江戸末期から明治にかけて盛んになり、地元の名家である野崎家が財をなした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "1870年代以降になると近代工業として製糸工場が県内に次々と立地した。倉敷紡績(略称:クラボウ)は全国有数の製糸企業に成長し、また倉敷紡績の大原孫三郎によって倉敷絹織(現在のクラレ)、紡績を支える中国水力電気会社(現在の中国電力)なども設立された。この時代の繊維産業の発展が現在の倉敷市のジーンズ、学生服の隆盛の元になっている。大原は実業のかたわら、大原美術館、倉敷中央病院、農業や社会問題の研究所などを設立したり、石井十次の孤児養育事業を支援したりするなど、現在でいうメセナ事業を行った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "1891年(明治24年)に山陽鉄道(現在のJR山陽線)が岡山を経由して広島県尾道まで開通し、その後もいくつかの私鉄路線が開通した(鉄道の項参照)。これらのうち主要なものはのちに国鉄に組み入れられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "1920年(大正9年)7月、県下で腸チフスの大流行が発生。患者1,322人、死者291人。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "第一次大戦後には重化学工業が発達し、柵原では鉱山が開かれ、玉野では造船業が活況を呈するようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "経済の発展で中間市民層が厚みを増したことから、その求めにより中等教育・高等教育の充実が図られた。特に公立・私立の女学校が次々に設立され、全国的に見ても女子の中等教育の盛んな県となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "こうした地勢より、社会福祉分野においても先見性が高い人材を数多く輩出しており、社会福祉学上において近代福祉事業発祥の地とされることもある。特に1917年(大正6年)に自県にて発足した済世顧問制度は大阪府の方面委員制度と並んでのちの民生委員制度につながるものとされ、先述の片山潜も貧困層のために日本最初の隣保館を設立している。他にも救世軍において廃娼運動を繰り広げ、女性の権利と生活の向上に足跡を残した山室軍平や、児童自立支援施設の先駆けとなった家庭学校を設立した留岡幸助、岡山博愛会病院を設立し地域医療に寄与したアリス・ペティ・アダムス、日本最初の孤児院(児童養護施設)を作り上げた石井十次などが岡山県にてその活動の発起を行った。そのため山室、留岡、アダムス、石井の4名は社会福祉の歴史上に多大なる功績を遺したことにより「岡山四聖人」と称される。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "しかしながら第二次世界大戦が勃発し、戦争末期の1945年(昭和20年)6月には航空機工場のあった倉敷市水島地区と岡山市がアメリカ軍による大規模な空襲を受けた。岡山市では空襲により中心部がほとんど壊滅し、1,700人以上の市民が犠牲となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "戦後は児島湾、笠岡湾など大規模の干拓事業が引き続いて行われ、臨海部に巨大な農業地、工業地が出現する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "また三木知事時代の1960年代、全国総合開発計画に合わせて水島地区に大型船が入港可能な港湾と石油コンビナートを造成して製鉄、石油化学および自動車などの工場を誘致された。また同時期に笠岡市は備後工業整備特別地域に指定され、日本鋼管福山製鉄所をはじめとした製鉄関連産業が進出する。このように県南部の臨海地帯を中心に重工業化が進み、農業中心の県から工業中心の県へと変貌を遂げた。他方では、1970年代には大気汚染、瀬戸内海への石油流出事故、赤潮、児島湖の水質悪化などに悩まされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "1970年代以降は山陽新幹線の開業や瀬戸大橋の開通による高速道路・鉄道網の整備、県が管理する空港としては全国で唯一3,000メートル滑走路を持つ岡山空港の開港による航空網の整備が行われ、交通の結節点としての地位を高めた。南部では人口の増加が見られ、岡山市や倉敷市などが150万都市圏を形成している(岡山都市圏)。岡山インターチェンジから車で2時間圏の範囲の人口は約1,640万人で、東京都の人口よりも多い。その範囲の総生産額は約97兆円でカナダを上回る規模ともなっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "2000年代には紡績工場跡地などを転用したイオンモール倉敷などの郊外・準郊外型のショッピングモールが大小含め県内各地に建設された。一方で、商店街がシャッター通りとなり、ダイエー岡山店・三越倉敷店といった市街地中心部の大型店が相次いで撤退したことに象徴される中心市街地の空洞化(ドーナツ化)が深刻な問題となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "2020年12月20日。県と県医師会は新型コロナウイルス感染症の急速な拡大に対し、医療非常事態宣言を発表した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "岡山県の人口は戦後の165万人から一貫して増加を続け、2002年には最大値約195万人に達した。しかし、その後は一貫して県全体では減少が続いている。2020年国勢調査によると、岡山県の人口増加率は-1.8%となっており、データのある1925年以降の国勢調査では最低の値となっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "広島市に次いで中国・四国地方第2の都市である岡山市(約72万人)や第3位の倉敷市(約47万人)を擁する南部は岡山都市圏を中心に人口増加が堅調である。ただ、岡山市とともに岡山都市圏の中心を担う倉敷市がついに2019年から減少に転じた。一方、総社市は年々人口増加している。吉備高原や中国山地の山々に囲まれた地域では高齢化が進行し、人口の減少が顕著になってきている。県全体では1990年(平成2年)ごろから人口はほぼ横ばいであった。社会動態においては、1998年(平成10年)以降転出超過の社会減となっていた。2011年(平成23年)の東日本大震災以降から移住者の増加で一時転入超過に転じたが、2013年(平成25年度)に再び社会減となった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "NPO法人ふるさと回帰センターが毎年発表している「田舎暮らし希望地域ランキング」にて、岡山県は2012年(平成24年)度に2位、2013年(平成25年)度に3位にランクインしている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "婚姻関係では、男女の初婚年齢が香川県とともに全国屈指の早さとなっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "岡山県によると、2018年での合計特殊出生率は1.53となっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "(公選知事を特に列記する)", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "岡山県の行政機関の本庁として、岡山県庁が同市北区内山下に所在している。岡山県内に備前・美作・備中の各県民局が置かれ、その下部組織として各地域事務所が設置されている。かつては地方振興局が設置されていたが統合・再編されて現在に至る。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "2008年(平成20年)6月2日の定例記者会見で2011年(平成23年)度にも、2009年(平成21年)度から新たに施行された自治体財政健全化法に基づいて起債制限など国に管理される財政再生団体に転落する可能性があるとして、財政危機宣言を発した。このため、構造的に見込まれる400億円規模の財源不足を解消するため、2008年(平成20年)8月に「岡山県財政構造改革プラン(素案)」を公表した。その際に、歳出削減や県有施設の統廃合について、市町村、県民からさまざまな意見が表明されたことを踏まえ、同年11月に「岡山県行財政構造改革大綱2008」が策定された。この行革大綱の具体的な枠組みは、(1)職員数の削減、(2)組織体制の再構築、(3)職員の意識改革と人事制度、(4)事務事業の削減、(5)公共事業の削減、(6)歳入確保、(7)公の施設の閉鎖・譲渡・集約化、(8)市町村の事務・権限移譲、(9)外郭団体等の抜本的な見直し、(10)効果的な行政評価システムの構築の10分野に及び、これらの取組を2012年(平成24年)度(職員数は2013年(平成25年)度)までに実施することにより、一般財源で396億円の収支不足を解消し、歳入と歳出のバランスが取れた持続可能な財政構造を確立することを目標としている。また、今後の財政運営の目標として、「収入にあわせた予算を組みます」・「県債残高をこれ以上増やしません(プライマリーバランスの黒字化)」・「同規模県と比較してもっともスリムな体制を目指します」・「行革推進債などの緊急避難的な対策による財政運営と決別します」・「今後4年間で改革の総仕上げを行います」との5つの目標を掲げ、この目標に沿った財政運営に取り組むこととされている。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "地方債残高", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "都市化が進み工業の発展する県南部の大部分の市町村は井原市、笠岡市、里庄町を除き岡山市を中心とする岡山都市圏に属する。県北部は山地が広がり人口は比較的まばらである。県南西部の西備地方(ただし矢掛町と浅口市は含まれず、岡山都市圏に属する)は広島県福山市を中心とする福山都市圏である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "農業生産額の割合では、鶏(鶏卵・ブロイラー)が全生産額の23.7%で最も多く、米が22.8%、果実が17.5%、野菜が15.3%と成っている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "岡山県南部に広がる児島湾干拓地を中心とした岡山平野や北部の津山盆地などでは、古来よりコメの栽培が盛んで、現在に至るまで農産物の中心をコメが占めており、コシヒカリや朝日米、ヒノヒカリなどの品種が栽培されている。また、南部では岡山市灘崎地区のナスや倉敷市連島地区のレンコンをはじめ大都市向けに出荷される花卉、全国的にも珍しい黄ニラなどが生産されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "国内産のマスカットの約9割は岡山県で生産されており、明治時代以降は岡山市津高地域・栢谷地区などの丘陵地においてブドウやモモの温室栽培が行われるようになった。全都道府県における出荷量で見れば、ブドウは4位(西日本1位)、モモは6位(和歌山県に次ぐ西日本2位)で全体シェアの5パーセントにも満たないものの、一部の品種に限れば、ブドウのマスカット・オブ・アレキサンドリア、ニューピオーネや黒大豆の作州黒の生産量は全国トップクラスであり、現在では岡山県の主要な名産品となっている。県内では他にも岡山市東区でお歳暮シーズンの愛宕梨(あたご梨)や鴨梨(ヤーリー)などの果物が全国シェアトップで栽培されており、高い生産技術と穏やかな気候に恵まれ、高品質な商品を生産している。近年、これらの農産物を中国や台湾など海外に輸出し、販売する試みがなされている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "畜産においては中国山地沿いを中心に行われ、特に新見市千屋地区で肉牛の「千屋牛」などの和牛が飼育されている。酪農においては蒜山高原(真庭市)ではジャージー牛の放牧が行われ、脂肪分を多く含んだ濃厚な乳を用いた牛乳などを出荷しており、吉備中央町では気候に合わせたブラウンスイス品種の乳を用いて吉田牧場が高品質のチーズを生産している。その他、山田養蜂場を中心として養蜂も行われている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "かつてはイグサやコンニャク、タバコの生産も盛んであったが、戦後の産業構造の転換により次第に生産量を減らしている。北部を中心とする中山間地域では若者の都市部への流出や高齢化による過疎化が進行しており、農業の担い手不足が課題となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "国有林は少なく民有林が9割を占める。温暖で乾燥した気候を好む高級木材のヒノキが多いが、湿潤気候を好むスギは少ない。民有林面積の7割弱がヒノキ林とされている。ヒノキ丸太の生産量は高知県、愛媛県、熊本県などと並んで上位の常連で1位の年度も多い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "かつては同じような気候を好むアカマツが多く、現在も県の木にも指定されている。これは調理、製塩、たたら製鉄などでの薪の過剰利用により植生遷移が退行しマツ類が優勢になった結果であり、岡山に限らず古くから人が住んでいた西日本ではしばしば見られた光景と考えられている。このような環境は高温で燃えるアカマツ材で焼き上げる備前焼などの陶磁器文化にも影響した。致死的な伝染病であるマツ材線虫病(松くい虫)の蔓延に伴い、1970年代以降アカマツ林は減少し一部はヒノキ林へと転換された。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "かつてはアカマツと共生するマツタケの大産地でもあり年間500t以上を生産していたが、1960年以降生産量が激減した。2010年代以降は2大産地である長野県と岩手県には大きく差を付けられているが、全国生産量は3位に入る年が多い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "瀬戸内海に面する岡山県では児島湾などで、浅瀬を利用した沿岸漁業が行われており、かつてはサワラやタイの中型魚がおもに獲れていたが、明治から昭和にかけての干拓事業による漁場の縮小と都市化の影響による瀬戸内海の水質汚濁が発生し、以前ほどの豊かな漁場は失われてしまった。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "しかしながら、現在でも倉敷市下津井港をはじめとしてメバルやイイダコ、カレイなどの好漁場となっており、瀬戸内市邑久町・牛窓町などでは複雑に入り組んだ海岸を利用した海苔やカキの養殖が盛んに行われている。カキの生産量は全国第2位である。瀬戸内海で獲れる海の幸を用いた郷土料理として、ばら寿司(まつり寿司として駅弁販売)や、たこめし、ままかり(サッパの酢漬け)などがある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "また、備前市日生町などでは蛎をお好み焼きに入れた「カキオコ」を新たな名物として岡山県内や他県にPRしており、水産資源を町おこしの契機につなげる新しい取り組みも見られる。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "近年の新たな取り組みとして、岡山理科大学の研究で陸上でのハタなどの海水魚の養殖も行われている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "第二次大戦以前は農業県であった。大規模な港湾がなかった岡山県の第二次産業は倉敷紡績などの製糸・紡績業などの軽工業がその中心であったが、戦後は県によって、それまで中国・四国地方の他県に後れを取っていた工業化に重点を置いた政策がとられ、水島コンビナート(倉敷市)の埋め立て造成と石油精製所・大手製鉄所・自動車工場などの誘致が行われ、工業的に急速な発展を遂げた。県内にはJFEスチールの倉敷地区、福山地区(笠岡市域を含むため)二つの銑鋼一貫製鉄所が立地する。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "総社市などの内陸部にも工業団地が次々と立地し、自動車の関連部品の製造や電子機器の工場が誕生した。そのほか、岡山市では食品や印刷など市場指向型、軽工業系の工場が岡南地区や西大寺地区などに所在し、倉敷市では児島地区にジーンズや学生服など縫製業が立地している。学生服の出荷額は岡山県が全国第1位となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "県西部の笠岡市へは広島県のJFEスチール西日本製鉄所福山製鉄所の関連企業など広島県からの企業の進出が多く見られる。JFEスチール福山製鉄所の敷地自体も笠岡市域にまたがっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "1980年代以降は吉備高原などの内陸地域を新たな産業ゾーンとするために高速道路の整備や岡山空港の郊外移転などの開発が行われ、IT関連企業やICなどの電子デバイス工場の誘致が県によって進められた。しかし、開発から数十年が経過した現在でも立地した工場は多くなく、当初の見込み通りには事業が進んでいない。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "こうした県主導の工業化のためのハード面での積極的な整備によって工業県への変貌に成功したものの、反面、これらの事業によって増大した借金が昨今、県の財政を圧迫している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "近年の岡山県の第三次産業は、バイオテクノロジーを活用した医薬品や、IT情報通信などの産業などの特色を持つ。独自の精密加工生産を支える技術企業や、食品・健康・医療・環境・福祉やバイオ関連の企業・研究機関などが産学官連携で新たな雇用産業づくりに取り組み続けている。平成15年度には全国に先駆け、高速大容量の基幹光ファィバ網を県内全域を8の字型に結び、全国ギガビットネットワークとも接続された岡山情報ハイウェイが整備された。サービス業や小売業、金融業などは本社や事業所をおもに岡山市を中心とした県南部に構えている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "1960年代までは伝統的な個人経営の小売店舗が多数を占めていた。1970年代以降、都市化やモータリゼーションの進行、大量消費社会の浸透により、全国や中国・四国地方規模で展開するスーパーマーケットやコンビニ、電器店などのチェーン店舗が郊外の幹線道路沿いに多数開店した。生活するうえでの利便性が増した一方で、中心市街地の空洞化を招いた。バブル経済の崩壊後以降は、都市部の地価の下落が進行。近年は中心市街地への高層マンションの建設が相次いでいる。また、小売店舗の中心市街地への新規出店や再開発事業が活発に展開されている。人口の増加も見られており、現在では再び地価が上昇している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "岡山市では、江戸時代の城下町に由来する表町地区と、1972年(昭和47年)の山陽新幹線開業後に発展したJR岡山駅周辺地区が2大商業地区となっている。岡山県南都市圏は現在人口150万人を擁し、地方都市としては数少ない、成長が見込まれる都市圏のひとつである。岡山市の政令指定都市移行を契機として、今後も再開発などの活性化が期待されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "県南西部の井原市・笠岡市は江戸時代に備後福山藩領であったなど歴史的にも広島県東部との商業的な一体感が大きく、相対的に県内他市町村(岡山市など)とのつながりが小さい。これらの地域は現在でも完全に福山都市圏に属し、多くの住民が日常的な買い物などを福山市に依存している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "一方で、その他の地域では人口の流出・減少を伴った過疎化によって商業施設の撤退・閉鎖、大型商業施設の郊外出店によるスポンジ化現象が見られ、地域活性化が大きな課題となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "他県に登記上の本店を置いている企業を含む。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "岡山県警察本部の管轄にあり、以下の22警察署が置かれている。ここ数年の市町村合併にともない、2006年(平成18年)4月1日に警察署管轄地域の見直しが行われた。また、2009年(平成21年)4月1日からは、岡山市の政令指定都市移行にともない岡山東警察署が岡山中央警察署に、西大寺警察署が岡山東警察署にそれぞれ名称変更された。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "鉄道は1891年(明治24年)に山陽鉄道(現在のJR山陽本線)が三石駅から岡山駅まで開通したのを皮切りに、中国鉄道・西大寺鉄道・片上鉄道・下津井電鉄などが次々と開通した。一方で戦後にはモータリゼーションの進行や利用者の減少により多くの私鉄路線が廃止された。1972年(昭和47年)には国鉄山陽新幹線新大阪・岡山間が、3年後には岡山・博多間が開業し、1988年(昭和63年)には瀬戸大橋開通にともないJR瀬戸大橋線が開業。以来、JR岡山駅は本州と九州、および山陰と四国を結ぶ一大ターミナルとなっている。現在、以下の路線が存在しており、岡山市では全国的に数少なくなった路面電車も運行されている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "岡山駅には新幹線の花形のぞみの全列車が停車する。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "山陰地方と四国の中間に位置し、古くから主要街道の山陽道が通っていた岡山県は道路網が充実しており、特に2007年(平成19年)度の高速道路延長(面積1,000km2当たり延長)は41キロと全国第5位になっている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "岡山県は隣接する広島県とともにバス事業者の多い県である。岡山市内では多数の会社が乗り入れ、一時期は事業者間での激しい競合が発生する問題も起きていたが、調整が進むなど改善している。高速バスは京阪神、山陰、広島、東京、福岡、四国各県などに伸びる。都市圏が県境を跨ぐ県西部では井笠バスカンパニー、北振バスが地方部では非常に稀な路線バスが県境を越える越境路線を運行している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "県内の主要空港は岡山空港である。岡山市北区日応寺に所在し、県が管理する第三種空港、準国際空港である。国内線では東京・札幌・那覇の3都市へ、国際線ではソウル、上海がデイリー運行、北京・大連へ定期便が就航する。もとより東京行きの便が距離的・料金的に航空機と新幹線との間で競争が激しい地区であり、また、空港内の駐車場が無料(一部は有料)であることから、同じ中国地方で第二種空港の広島空港には大きく水を空けられているものの、近年利用者が増大しており、他の地方第三種空港が経営に苦しんでいる中で高い収益を上げている。広島空港は広島県の中央に立地しているため、県西部の井笠地方は広島空港と岡山空港のほぼ中間にある。1988年(昭和63年)の岡山空港開港まで主要空港であった岡南飛行場(岡山市南区)は、現在セスナ機などの小型機の飛行場として運営されている。笠岡ふれあい空港は全国初の農道空港として開港したが、利用が振るわず旅客便が就航したことはなく、現在では定期便の運航はない。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "昭和期までは長距離航路を含む多くの旅客船が寄港していたが、新幹線、高速道路など陸上交通の整備により長距離航路は全廃され、瀬戸内海の島嶼を結ぶ短距離航路のみ存続する。宇野港は高松港へ向かう宇高連絡船が発着し、四国地方への玄関口として機能していたが、2019年(平成31年/令和元年)に宇高連絡船は廃止された。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "藩政時代末期の1870年(明治3年)、西洋医学を推進する目的で藩の御典医らにより岡山藩医学館が設立され、官立大学の岡山医科大学を経て後の岡山大学医学部となった。また1970年(昭和45年)には私立川崎医科大学が開校し現在は県内に2つの医学部がある。岡山大学病院、岡山東部脳神経外科、川崎医科大学付属病院、倉敷中央病院、心臓病センター榊原病院などが大規模、高度な設備を備える県内の主要病院。県内の主要医療機関は岡山市、倉敷市に偏在しており県北部、西部との医療格差が問題となっている。医師不足の深刻な笠岡市では救急患者が常態的に広島県福山市内の医療機関へ搬送されるために負担にえかねた福山市側から搬送先情報の提供拒否が行われたことがある。一方で、2021年には新型コロナウイルス感染症の拡大を受け県境の井原市や笠岡市を含む備後地域で医療が逼迫しているとして広島県の湯崎英彦知事が岡山県に患者受け入れの協力を要請するなど県境を越えた医療の連携が進んでいる。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "災害拠点病院は「岡山県災害拠点病院」を、保育所は「岡山県保育所一覧」を参照。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "主要診療科の中で特に産婦人科は県内で1996年には37病院・39診療所だったものが2017年には13病院・24診療所と大きく減少しており、特に減少の深刻な県北西部では最寄りの分娩施設まで車で60分以上かかるエリアや、万一の際にいずれかの周産期母子医療センターまで60分以上かかるエリアが目立つ。県南西部においては産婦人科医の常勤する病院は高梁川以西から既に消失し、井原・笠岡地域では地域の分娩機能の中心的役割は県境を越えた広島県福山市内の医療機関が担っている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "岡山県では県域放送のNHKおよび電波相互乗り入れによる5つの民放テレビ局が視聴可能となっている。民放5局のうち3局は岡山県に、2局は香川県に本社を置いており、1970年代から相互乗り入れを実施している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "岡山県では2006年(平成18年)12月1日より地上デジタル放送が本格的に開始された。岡山・玉野市境の金甲山送信所を親局とし、県内に78か所の中継局が整備されている。リモコン番号はリモコンキーIDの記事の岡山県部分を参照。テレビ東京系のテレビせとうちが全国の地方都市では唯一存在しているため、独立UHF局がないことを除けば関東広域圏と同じとなっている。ただし、ケーブルテレビの契約によって、在神の独立UHF局サンテレビが視聴できる。NHKと民放在京キー局5局に属する準キー局もしくはローカル局があるのは北海道、首都圏、中京圏、関西圏、福岡県と岡山、香川の13都道府県に限られており、かなりレアである。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "テレビ中継局は県内に78か所所在するが、全ての個所で全局を送信しているのではなく局によって異なっている。岡山県内ではNHK総合・Eテレ>RSK>OHK>RNC>KSB>TSCで、最も少ないTSCは25か所の設置となっている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "県域FM局の親局及びRSKのFM補完放送局送信所も、デジタルテレビ各局と同じく金甲山に置かれている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "※ インターネットにおけるサイマルラジオ放送は、コミュニティ放送のつやまコミュニティFMを皮切りに各放送局で実施している。県域民放局が実施しているradikoにはRSK山陽放送と岡山エフエム放送(FM岡山)共に参加している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "岡山県では県紙で1889年(明治22年)創刊の山陽新聞を中心に購読されている。また、全国紙では各紙が大阪本社の管轄下にあり、県内に支局を設置している。読売・毎日・日経・産経の各紙は県内に印刷工場を設け、朝日新聞は香川県内の印刷工場から輸送する体制をとっている。ただいずれの全国紙も岡山県での夕刊の販売はしておらず、朝刊のみである。夕刊紙の岡山日日新聞も存在したが、2011年(平成23年)11月10日をもって廃刊した。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "一般送配電事業者", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "江戸時代に備前国を治めた岡山藩は、池田光政の代である1669年(寛文9年)に全国初の藩校である花畠教場を、続いて世界最古の庶民学校である閑谷学校を開くなど、教育の面では古くから先進的な取り組みがなされてきた。特に閑谷学校は領民だけでなく他藩の藩士にも門戸開放し、さらには藩主の転封や改易などの不測の事態でも学校を存続できるように学校領を設けて藩財政から独立させた。岡山藩が教育を重視していたことがうかがえる。また、幕府の薦める朱子学ではなく儒学(陽明学)を学ばせ、頼山陽ら著名人も来訪したことで知られている。江戸時代の岡山県内の寺子屋数は長野県、山口県に次ぐ第3位(1,031校)で、私塾数は第1位(144か所)であった。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "明治時代になると1870年(明治3年)に岡山藩医学館が設置され、1900年(明治33年)には第六高等学校が、1922年(大正11年)には岡山藩医学館を継承した官立岡山医科大学が開校するなど高等教育が活発に行われ、当時の就学率は全国トップクラスであった。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "ただし、女子教育については明治の初めまで、ほとんどの地域において初等教育(いわゆる市井の寺子屋や女紅場・裁縫所)以上の教育はなされなかった。上記の各学校においても中等教育以上は男子教育の場でしかなかった。そのため岡山における女子の中等教育は日本全国の他地域と同様、明治以降にキリスト教系の信徒・思想者によって、分野開拓が行われている。岡山県内において、その嚆矢となったのが1885年(明治18年)に高梁向町(現在の高梁市向町)において福西志計子が開いた順正女学校(現・岡山県立高梁高等学校)とされる。さらに、その源流として福西の幼少期の師であり私塾の牛麓舎にて、男女の別を問わず漢学を授けた山田方谷の存在を指摘する声もある。順正女学校の設立を皮切りに、翌1886年(明治19年)には岡山市内で山陽英和女学校(現在の山陽学園大学)および岡山女学校(現在のノートルダム清心女子大学)などの女学校が開校した。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "現在、岡山県には3つの国公立大学、15の私立大学が設置されている。2007年(平成19年)現在、人口10万人当たりの大学・短大設置数は全国第6位となっている。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "2006年(平成18年)度からは、岡山県と岡山経済同友会を中心に、県内15の4年制大学が参加する大学コンソーシアム岡山が開始され、産・学・官の連携による地域社会の活性化や時代に合った高等教育の創造を目指している。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "国立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "公立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "私立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "公立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "私立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "私立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "国立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "島嶼を多く抱える岡山県では公営の通学船(スクールボート)の運航が見られる。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "岡山市を中心とする備前地域(旧備前岡山藩)は池田光政の儒教尊重が家風となり、近代以後も教育熱心な地域と言われる。古今和歌集において「真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川の音のさやけさ」と謳われ、吉備を表す枕詞が「真金吹く」であるように、古くから岡山(旧国名は吉備)は古代吉備から連綿と受け継いできた優れた鉄製技術を持っていた。そのため平安時代の古備前派に端を発し、福岡千軒(現在の瀬戸内市長船町)では福岡一文字や備前長船、そして吉岡一文字、国宗派、また備中国の青江貞次らの青江派などといった有力な刀匠の一派が数々生まれて栄えた。さらに、備前・美濃・相模・山城・大和の5か国の作刀方式を「五箇伝」と呼び、その五箇伝のうち備前伝と美濃伝の刀が傑出して大量に生産されるに至った。また質の面では備前刀があらゆる流派の中でもっとも多く、国宝に指定されている。現在でも備前では刀匠によって刀が生産されている。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "一方で陶器の備前焼は日本六古窯のひとつであり、古墳時代の須恵器から発展したもので釉薬をまったくつけずに焼かれる。また何も塗られることもない素朴さと力強さ、炎と火の粉、薪の灰から生じる窯変の味わい、そのわびさびを体現した風貌から千利休や古田織部などといった茶人に愛された。1250度の高温で約2週間焼き締めるため「投げても割れない」と言われ、茶人や公家、武家以外の一般庶民にも広く流通した。鎌倉時代初期までの作品は「古備前」と呼ばれ特に珍重される。金重陶陽といった人間国宝などの活躍もあり、また戦後にも再び脚光を浴びて一躍全国的に有名となった。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "津山市を中心とする美作地域では、江戸後期から幕末にかけて宇田川家、箕作家などの洋学の人材を輩出した。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "主に東京式アクセントの岡山弁が用いられる。県内の方言は旧国ごとに「備前弁」・「備中弁」・「美作弁(作州弁・津山弁)」の3種に分類されることあるが互いに対立して分布しているという事象は、必ずしも多いとは言えない。笠岡市・井原市などは旧備中国であるが備後福山藩領であったなど歴史的な背景から広島県側と共通の方言(福山弁・備後弁)が用いられる。このため県内では井笠地域のみに広島県からの連続分布により独自の事象分布が認められ、倉敷市などの備中弁とは語彙など多くの差異がある。笠岡市の真鍋島などでは特有のアクセントが用いられる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "古代以来の農業の盛んな地域で、農産物・水産物は豊富である。主要なものは以下の通り。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "など", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "など", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "など", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "岡山県は、プロ野球とJリーグの球団の両方が本拠を構えている兵庫県と広島県に挟まれ、地元に拠点を置くスポーツに対する関心が低い。1995年(平成7年)には倉敷市を本拠としていた川崎製鉄サッカー部(現・ヴィッセル神戸)がJリーグ誘致を目指していた神戸市に本拠を移すなど、長年にわたって本県に本拠を置くプロスポーツチームができず、「プロスポーツ不毛の地」と揶揄されることもあった。しかし、2001年(平成13年)11月に女子バレーボール・Vリーグに所属するシーガルズが岡山市に本拠を移転。美作町(現・美作市)に女子サッカークラブ・岡山湯郷Belleが設立された。その後、2005年(平成17年)には晴れの国おかやま国体が開催され、県全体でスポーツに対する関心が高まった。国体開催の機運に乗じてJリーグを目指すサッカークラブとしてファジアーノ岡山FCが設立され、好成績を収め続けたファジアーノは岡山県リーグから中国リーグ、JFLと次々と昇格し、2009年(平成21年)シーズンからはJ2に昇格した。また2017年には県西部の井笠地方をホームタウンとする福山シティFCが結成された。こうした市民クラブに対するスポンサーやボランティアなどの支援の輪が広がっており、プロスポーツが県民にとって身近な存在になりつつある。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "その他、女子マラソンに関しては岡山市に本店がある天満屋の女子陸上競技部から2000年(平成12年)シドニーオリンピックに山口衛里が、2004年(平成16年)アテネオリンピックに坂本直子、さらに2008年(平成20年)の北京オリンピックでも中村友梨香が出場している。さらに、1992年(平成4年)のバルセロナオリンピック、1996年(平成8年)のアトランタオリンピックの2大会でメダルを獲得した有森裕子は岡山県出身であり、オリンピックに5大会連続で岡山県の関係者が出場している。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "高校野球においては1965年(昭和40年)の選抜高等学校野球大会で優勝し、平松政次や八木裕らを輩出した岡山東商業高校、星野仙一らを輩出した倉敷商業高校や倉敷工業高校をはじめとした古豪がある。また、1999年(平成11年)の全国高等学校野球選手権大会で準優勝した岡山理科大学附属高校、関西高校などの私立校が台頭している。近年では、2011年のセンバツに春夏通じて甲子園史上初となる創部1年目の出場を果たした創志学園高校や、甲子園3回の出場を果たしている岡山学芸館高校、2017年夏に甲子園初出場を果たし、2023年夏には甲子園で8強入りを果たしたおかやま山陽高校なども甲子園に進出している。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "岡山県名誉県民の称号は、1981年(昭和56年)3月25日に制定された岡山県名誉県民条例(岡山県条例第24号)に基づき、「岡山県の発展に功績があり、県民の誇りとしてひとしく敬愛を受ける者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「本県に居住し、又は居住していた者で、社会福祉の向上、経済の発展又は学術文化の振興に卓絶した功績があり、もつて県民福祉の増進に貢献し、又は本県の名声を著しく高め、県民が郷土の誇りとしてひとしく敬愛するもの」であり(条例第2条)、岡山県知事が岡山県議会の同意を得て選定することが定められる(条例第2条第2項)。名誉県民に選定された者には、顕彰状や徽章、記念品も併せて贈られるほか(条例第3条)、知事が定める礼遇や特典を受けられる(条例第4条)。", "title": "人物" } ]
岡山県(おかやまけん)は、日本の中国地方に位置する県。県庁所在地は岡山市。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Otheruses|日本の都道府県としての岡山県|岡山県の[[行政機関]]|岡山県庁}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 岡山県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Okayama Korakuen Garden01.jpg | photo2a = Kurashikikahan10nt3200.jpg | photo2b = Fukiya01s3200.jpg | photo3a = Hiruzen_01.jpg | photo3b = Kibitsu_Jinja_10_cropped.jpg | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center |space = 2 }} |画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[後楽園]]と[[岡山城]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[倉敷美観地区]]<td style="width:50%">[[吹屋]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[蒜山高原]]<td style="width:50%">[[吉備津神社]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|岡山県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[岡山県旗]] | 都道府県章 = [[File:Emblem of Okayama Prefecture.svg|80px|岡山県章]] | 都道府県章の説明 = 岡山県章 | 区分 = 県 | コード = 33000-1 | ISO 3166-2 = JP-33 | 隣接都道府県 = {{flag|兵庫県}}<br/>{{flag|鳥取県}}<br/>{{flag|広島県}}<br/>{{flag|香川県}} | 木 = [[アカマツ]] | 花 = [[モモ|ももの花]] | 鳥 = [[キジ]] | シンボル名 = 他のシンボル | 歌など = 晴れの国 おかやま<br />県歌:[[岡山県の歌]]([[1957年]]([[昭和]]32年)制定)<br />県民愛唱歌:[[みんなのこころに]]([[1982年]](昭和57年)発表)<br />マスコット:[[ももっち]] | 郵便番号 = 700-8570 | 所在地 = [[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]][[内山下]]2丁目4番6号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-27|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=7|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=220|frame-height=180|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}}<br />[[ファイル:Okayama Prefectural government.JPG|250px|岡山県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 33 Okayama prefecture.svg|320px|岡山県の位置]]{{基礎自治体位置図|33|000|image=Map of Okayama Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} '''岡山県'''(おかやまけん)は、[[日本]]の[[中国地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[岡山市]]。 == 概要 == 県庁所在地の岡山市は[[2009年]]([[平成]]21年)[[4月1日]]、全国で18番目の[[政令指定都市]]に移行した。[[山陽本線]]、[[山陽新幹線]]、[[中国自動車道]]、[[1997年]](平成9年)全線開通した[[山陽自動車道]]をはじめとして西日本の交通の大動脈が県を横断している。本州と四国を結ぶ[[瀬戸大橋]]も[[1988年]](昭和63年)に開通した。 古代、沿岸域から内陸地域にかけては「[[吉備国]]」として、現在の広島県東部に位置する[[備後]]地方や香川県島嶼部などと併せて[[大和朝廷]]に並ぶほどの勢力を持っていた。[[江戸時代]]初期には[[岡山市|岡山]]に[[池田氏]]、[[津山市|津山]]に[[森氏]]が外様大名として入封し、城下町を形成した。特に[[池田綱政]]は[[日本三名園]]の[[後楽園]]を造成し、[[閑谷学校]]を開くなど、文化・教育面に多大な功績を残した。[[笠岡市|笠岡]]、[[井原市|井原]]は[[徳川家康]]の従兄弟で有力[[譜代大名]]の[[水野勝成]]氏の領地となり広大な[[新田|新田開発]]が行われたほか、灌漑事業、産業育成により地勢が大きく変貌した。[[倉敷市|倉敷]]には[[寛永]]19年([[1642年]])に代官所が置かれ、江戸幕府直轄の物資集積地として船舶輸送中継も担う[[天領]]として発展した。 県内を南北に流れる3つの一級河川([[高梁川]]・[[旭川 (岡山県)|旭川]]・[[吉井川]])による潤沢な水源、温暖で長い日照時間、[[江戸時代]]から昭和[[戦後]]期にかけて[[瀬戸内海]]の大規模な[[干拓]]で広い農地<ref>[https://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/m_izin/okayama_02/ 近代の児島湾干拓計画を策定したムルデル] 農林水産省、2023年1月9日 </ref>が形成されたことから、水稲や麦、果樹の生産が盛んである。特に[[白桃]]、[[マスカット・オブ・アレキサンドリア]]、[[ピオーネ]]などは生産量日本一であり、品質の高さから国内外に向けて高値で出荷されている。県北の標高1,200メートルに位置する[[蒜山高原]]では、[[ジャージー種|ジャージー牛]]の大規模な放牧が行われており、[[チーズ]]、[[ヨーグルト]]、[[アイスクリーム]]などに加工されている<ref>[http://www.hiruraku.com/ 蒜山酪農農業協同組合] 2023年1月9日閲覧</ref>。 県南西部の井笠地方(井原市、笠岡市など)は[[廃藩置県|明治の府県統合]]までは、県内の大部分とは異なった歴史を持つ地域である。現在でも両市は県境を越えた[[広島県]][[福山市]]の[[ベッドタウン]]であり、通学通勤に加え日常的な買い物や通院による越境が多く見られ、県域を越えた結びつきが非常に強い。なお井笠地方は岡山県内にありながら経済圏、生活圏は広島県東部と一体的であり[[備後都市圏|福山都市圏]]を構成する。 戦前までは一次産業と紡績などの軽工業が県の主要産業であった。戦後は水島地区の[[川崎製鉄]](後に合併により[[JFEスチール西日本製鉄所|JFEスチール]]倉敷地区となる)、笠岡地区の[[日本鋼管]](後のJFEスチール福山地区)と県内に大規模な二つの[[銑鋼一貫製鉄所]]が建造されるなど臨海部を中心に重工業化が進み工業県へと変貌した。両製鉄所はいずれも世界有数の生産量を誇り、特に福山地区の年間粗鉄生産能力は1200万トン規模と国内最大であり単独の製鉄工場としては世界上位である。[[水島臨海工業地帯]]は[[全国総合開発計画|全国総合開発計画(全総)]]に合わせて指定された[[新産業都市]]「岡山県南地域」の中核となり県を挙げて開発が進み国際コンテナターミナル、[[コンビナート|石油化学コンビナート]]が整備され、自動車などの加工組立型の企業群も進出した<ref>岡山県産業振興財団 | Facebook https://ja-jp.facebook.com/okayamazaidan/</ref>。笠岡地区は[[全国総合開発計画]]において[[工業整備特別地域|備後工業整備特別地域]]に指定され、沿岸部の埋立により大規模な国際港湾、製鉄を含む工場群が建造された。港湾輸出入額では[[水島港]]が中四国1位<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.okayama.jp/page/269518.html|title=水島臨海工業地帯の概要|accessdate=2022.09.22}}</ref>、[[福山港]]が2位と中四国の上位2港を岡山県の港湾が占めている<ref>{{Cite journal|author=国土交通省|year=|title=港湾取扱貨物量などの現状<平成27年>|journal=|volume=|page=}}</ref>。なお笠岡港は港則法・関税法・検疫法・入国管理法・港湾運送事業法の各法上福山港に含まれ、[[JFEスチール西日本製鉄所|JFE福山製鉄所]]の敷地は県境を跨ぎ笠岡市から福山市にかけて広がっている。 近年では瀬戸内市で[[2018年]](平成30年)10月に運転を開始した「[http://www.setouchimegasolar.com 瀬戸内 Kirei 太陽光発電所建設プロジェクト]」<ref>{{Cite web|和書|author= 金子憲治|authorlink= |coauthors= |date= 2018-11-12|url=https://xtech.nikkei.com/dm/atcl/news/16/111211679/|title=瀬戸内市の塩田跡地に235MWのメガソーラー完成、稼働済みで日本最大|format= |doi= |work=クリーンテックラボ|publisher= 日経BP総研|page= |pages= |language=ja|archiveurl= |archivedate= |accessdate=2021-06-15}}</ref>、2019年([[令和]]元年)12月に運転を開始した日本最大の257.7メガワットの太陽光発電所となる作東メガソーラー発電所<ref>{{Cite web|和書|author= 金子憲治 |date= 2020-07-21|url=https://project.nikkeibp.co.jp/ms/atcl/19/feature/00001/00053/?ST=msb|title= 日本最大・260MWのメガソーラー、美作市に稼働|format= |doi= |work= クリーンテックラボ|publisher=日経BP総研|page= |pages= |language=ja|archiveurl= |archivedate= |accessdate=2021-06-15}}</ref>、真庭市の木質バイオマス発電事業など自然エネルギーを活用する再生可能エネルギーの推進が県下全域で進められている<ref>{{Cite web|和書|title=「おかやま新エネルギービジョン」の策定について|publisher=岡山県|url=http://www.pref.okayama.jp/page/detail-98424.html|accessdate=2020-8-20}}</ref>。 県庁所在地における快晴日数の多さや降水量1ミリ未満の日数が全国最多であることから、[[1989年]](平成元年)から「'''晴れの国 おかやま'''」を県のキャッチフレーズとしている<ref>{{Cite web|和書|url=https://miryoku-harenokuni-okayama.jp/|title=岡山ってどんなところ?|accessdate=2022.09.22|publisher=大好き!晴れの国おかやま}}</ref><ref name="harenokuni">{{Cite web|和書|url=http://www.pref.okayama.jp/page/detail-99639.html|title=「晴れの国おかやま」が引き続き統計的に裏付けられました|accessdate=2016-01-30|date=2011-05-26|publisher=岡山県総合政策局統計分析課}}</ref>。 == 地理・地域 == === 概略 === 県北部には、三本の一級河川([[旭川 (岡山県)|旭川]]・[[高梁川]]・[[吉井川]])の県内源流ともなっている[[中国山地]]の[[山岳地帯]]がそびえている。標高500 - 1,000メートルの中央部には[[鍾乳洞]]などの[[カルスト地形]]が見られる[[吉備高原]]の[[高地]]が連続的に広がり、南部には三大河川によって形成された裾野の広い[[岡山平野]]が広がっている。岡山平野にはかつて[[瀬戸内海]]に浮かんでいた小さな島が丘陵地として残り、[[干拓]]で[[江戸時代]]につながった[[児島半島]]が県の南端部にある。県南西部には国営笠岡湾干拓事業として1650haと全国有数の規模の[[笠岡湾干拓地|大干拓地域]]が造成された。 おもな山地としては[[蒜山]]([[標高]]1,122メートル)や[[後山]](標高1,345メートル)などがあり、おもな湖沼としては、奥津湖、恩原湖、湯原湖、[[児島湾]]奥の締切堤防化によって人工的に造られた[[児島湖]]などがある。 兵庫県とは山地および[[備前市]]の[[取揚島]]で、鳥取県とは[[山地]]で、広島県とは山地および市街地で、香川県とは海上および[[玉野市]]の[[井島]](石島)で隣接している。 === 広袤(こうぼう) === {{座標一覧|節=広袤(こうぼう)}} [https://web.archive.org/web/20060707165625/http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/tyugheso.htm 国土地理院地理情報]によると岡山県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは104.87キロ、南北の長さは116.98キロである。 {|border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="0" style="font-size:small;text-align:center" |重心<br />{{ウィキ座標度分秒|34|54|15|N|133|48|45|E|type:landmark_region:JP|name=岡山県重心}} || 北端<br />{{ウィキ座標度分秒|35|21|10|N|133|59|52|E|type:landmark_region:JP|name=岡山県最北端}}<br />↑|| |- |西端<br />{{ウィキ座標度分秒|35|3|11|N|133|16|0|E|type:landmark_region:JP|name=岡山県最西端}}←||中心点<br />{{ウィキ座標度分秒|34|49|32|N|133|50|23.5|E|type:landmark_region:JP|name=岡山県中心点}}||東端<br />→{{ウィキ座標度分秒|35|9|30|N|134|24|47|E|type:landmark_region:JP|name=岡山県最東端}} |- | ||↓<br />南端<br />{{ウィキ座標度分秒|34|17|54|N|133|32|1|E|type:landmark_region:JP|name=岡山県最南端}}|| |} === 気候 === [[中国山地]]と[[瀬戸内海]]に挟まれた南部の平野地帯は典型的な[[瀬戸内海式気候]]を示し温暖少雨であり雪は極稀である。一方、北部の中国山地沿いは[[日本海側気候]]に属し、[[豪雪地帯]]に指定されている。真庭市蒜山では冬季に1メートルを超える積雪となるほか、-10℃以下まで下がることもある<ref group="注釈">真庭市蒜山上長田(標高430m)では、[[1981年]](昭和56年)2月28日に[[西日本]](近畿以西)の平地における最低気温(&minus;20.2℃)を記録したほか、[[2011年]](平成23年)1月には最深積雪137cmを記録した。</ref><ref>[https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/rank_a.php?prec_no=66&block_no=1328&year=&month=&day=&view= 上長田(岡山県) 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)] - 気象庁</ref>。県北部山間域には4か所のスキー場がある。中国山地と瀬戸内海の中間に位置する[[吉備高原]]や和気町は両者を折衷した気候を呈し、南部より多少冷涼で雨量も多く<ref>[http://yappari-okayama.com/danchi/kibichuo.html 吉備中央町:市町村紹介:工業団地紹介:やっぱり岡山!企業立地ガイド:岡山県産業労働部企業立地推進課]を玉野市・倉敷市といった吉備高原を含まない自治体と比較。</ref>、冬季の寒さは厳しい<ref>「昔から吉備高原と呼ばれている一角にあり、気候はやや内陸性で県南部と比較して冷涼な地域です。」[http://www.town.kibichuo.lg.jp/?page_iにd=173まちの概要 - 吉備中央町ホームページ]</ref>。 [[日本列島]]に来襲する[[台風]]やその影響による風雨は中国山地・[[四国山地]]によって弱められることが多く、それに加えて夏には瀬戸内海で発生する「[[凪]]」や山地越えの[[フェーン現象]]の影響もあって、都市部や内陸の盆地を中心に[[猛暑日]]になる日が多い。県庁所在地の岡山市は、吉備高原に属する旧建部町・御津町地域を除いて[[日照時間]]が年間約2,100時間と長く、年間降水量は1,100ミリ程度であり、[[日本]]有数の降水の少ない[[土地]]である。降水量1ミリ以上の日数が日本で最少であることが岡山県のキャッチフレーズでもある「晴れの国おかやま」の根拠となっている<ref name="harenokuni" />。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+岡山県内各地の平年値(統計期間:[[1981年]](昭和56年)(日応寺は[[2003年]](平成15年)) - [[2010年]](平成22年)、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="5"|南部(瀬戸内海沿岸部) !colspan="4"|中部(瀬戸内海側内陸部) !colspan="7"|北部(中国山地・吉備高原) |- ![[岡山市|岡山]]!![[倉敷市|倉敷]]!![[玉野市|玉野]]!![[笠岡市|笠岡]]!![[瀬戸内市]]<br />虫明 ![[和気町|和気]]!![[高梁市|高梁]]!![[北区 (岡山市)|岡山市北区]]<br />[[福渡町|福渡]]!![[北区 (岡山市)|岡山市北区]]<br />[[岡山空港|日応寺]] ![[新見市|新見]]!![[新見市]]<br />千屋!![[真庭市]]<br />[[久世町|久世]]!![[真庭市]]<br />上長田!![[津山市|津山]]!![[奈義町|奈義]]!![[美作市]]<br />今岡 |- !rowspan="2"|平均<br />[[気温]]<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |28.9<br />(8月)||27.9<br />(8月) |27.8<br />(8月)||28.1<br />(8月) |27.0<br />(8月)||27.1<br />(8月) |27.1<br />(8月)||27.2<br />(8月) |26.9<br />(8月)||24.2<br />(8月)||22.8<br />(8月)||26.1<br />(8月) |23.4<br />(8月)||26.0<br />(8月) |25.5<br />(8月)||25.3<br />(8月) |- !最寒月 |5.4<br />(1月)||5.0<br />(1月) |5.4<br />(1月)||4.3<br />(1月) |3.0<br />(1月)||2.8<br />(1月) |2.9<br />(1月)||3.1<br />(1月) |3.7<br />(1月)||0.9<br />(1月)||&minus;0.1<br />(1月)||2.0<br />(1月) |1.0<br />(1月)||3.6<br />(1月) |1.9<br />(1月)||1.7<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |161.5<br />(6月)||153.2<br />(6月) |145.1<br />(6月)||158.6<br />(6月) |155.8<br />(6月)||179.1<br />(7月) |190.0<br />(7月)||191.5<br />(7月) |216.3<br />(7月)||234.8<br />(7月)||261.9<br />(7月)||248.2<br />(7月) |270.1<br />(7月)||247.3<br />(7月) |264.3<br />(7月)||265.1<br />(7月) |- !最少月 |29.0<br />(12月)||30.5<br />(12月) |30.8<br />(12月)||29.4<br />(12月) |32.7<br />(12月)||34.9<br />(12月) |36.1<br />(12月)||36.0<br />(12月) |27.8<br />(1月)||42.9<br />(12月)||91.1<br />(12月)||52.8<br />(1月) |140.9<br />(12月)||46.3<br />(12月) |53.4<br />(12月)||66.5<br />(12月) |} == 災害 == === 地震 === 県内を震源とする地震は、[[1711年]]([[宝永]]8年/[[正徳]]元年)に鳥取県との県境付近を震源とした、M6.5~6.8の地震が記録<ref>[https://www.jishin.go.jp/regional_seismicity/rs_chugoku-shikoku/p33_okayama/ 岡山県の地震活動の特徴]</ref>されている。県内に大きな被害を出した例は[[868年]]の[[播磨国地震]]・[[1927年]]([[昭和]]2年)[[北丹後地震]]・[[1946年]](昭和21年)の[[昭和南海地震]]などが挙げられる。 === 自然公園 === [[ファイル:Shimotsui Castle 6.jpg|thumb|right|240px|瀬戸内海国立公園]] * [[国立公園]] :[[瀬戸内海国立公園]]、[[大山隠岐国立公園]] * [[国定公園]] :[[氷ノ山後山那岐山国定公園]] * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] :高梁川上流県立自然公園、吉備史跡県立自然公園、湯原奥津県立自然公園、吉備路風土記の丘県立自然公園、備作山地県立自然公園、吉備清流県立自然公園、吉井川中流県立自然公園 === 県域の変化([[越県合併]]) === * [[1896年]](明治29年)3月30日‐岡山県[[吉野郡 (岡山県)|吉野郡]]石井村全域が兵庫県佐用郡に移管。吉野郡讃甘村の一部(中山)が兵庫県佐用郡江川村に編入<ref>{{Cite journal|author=|year=明治29年3月30日|title=岡山県兵庫県境界変更並福岡県大分県境界変更法律(明治29年3月30日法律第56号)|journal=|volume=|page=}}</ref>。 * [[1963年]](昭和38年)[[9月1日]] - 岡山県[[和気郡]][[日生町]]の大字福浦の一部および大字福浦地先海面のうち、真尾鼻突端から綱崎突端まで引いた線以内の区域が[[兵庫県]][[赤穂市]]に移行。 * [[1966年]](昭和41年) - [[11月1日]]、広島県福山市大門町野々浜字カチヤ坂の区域の一部を岡山県笠岡市へ編入、笠岡市茂平字堂面及び坂里の区域の各一部を福山市へ分離<ref>{{Cite journal|author=|year=昭和41年10月28日|title=昭和41年10月28日 自治省告示第158号|journal=|volume=|page=}}</ref>。(境界変更) ==== 実行されなかったもの ==== * [[1963年]](昭和38年)ごろ - 岡山県[[笠岡市]]旧茂平村地区、用之江地区が[[広島県]][[福山市]]との越県合併を模索する。[[福山市]]に合併嘆願書を提出するも岡山県などの反対により実行されなかった([[笠岡市#茂平村越県合併騒動]])。<ref>{{Cite journal|author=中野正雄、吉備鶴雄、佐々木幸人、伊香厚雄|year=1963/12|title=広島県備後臨海工業地帯を中心として|journal=瀬戸内臨海工業の発展が農業経営におよぼす影響に関する研究(第2報)|volume=10|page=109|publisher=}}</ref> === 自治体 === {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=岡山県|float=right}} {{Double image aside|right|OkayamaKenMap.png|200|OkayamaPrf.2007.1.22.png|200|新旧市町村境界図<br />左・2004年9月30日以前、右・2007年1月21日以降}} [[ファイル:Bizen,_Bitchū,_Mimasaka_in_Okayama_Prefecture.svg|thumb|right|300px|水色が備前県民局、黄緑色が備中県民局、桃色が美作県民局の管轄区域。<br />点線は旧・備前国、備中国、美作国の明治維新時点における国境。]] {{main|Template:岡山県の自治体}} {{see also|岡山県の廃止市町村一覧}} [[2004年]](平成16年)以降、岡山県内でも[[平成の大合併]]が進められ、[[2011年]](平成23年)現在、以下の15[[市]]・10[[郡]]・10[[町]]・2[[村]]がある。町はすべて「ちょう」、村はすべて「そん」と読む。<!--かつては「むら」と読む村もあったが、こちらは昭和の大合併で消滅している。--> 県庁所在地の岡山市は[[2009年]](平成21年)4月に政令指定都市に移行し、 [[北区 (岡山市)|北区]]・[[中区 (岡山市)|中区]]・[[東区 (岡山市)|東区]]・[[南区 (岡山市)|南区]]の各4行政区が設置された。 === 地域圏 === かつては[[備前国|備前]]、[[備中国|備中]]、[[備後国|備後]]、[[美作国|美作]]地方は[[吉備国]]と呼ばれる同一文化圏であったが現在では備後地方のみ[[広島県]]に所属している。岡山県と広島県の境は山・川などで地形的に分断されるところがなく、今でも両地方の経済・文化的な関係は強くみられ[[倉敷市]]の西部を流れる[[高梁川]]以西が備後圏、井笠地方(井原市・笠岡市)は福山圏と認識されることがある。<ref>{{Cite journal|author=無漏田芳信・黒原義晶・片本武志|year=1994|title=備後・備中地方における通勤移動圏域の構造的変容に関する研究|journal=福山大学紀要|volume=第18号|page=45}}</ref> ==== 広域行政圏 ==== 岡山県の広域行政圏は旧地方振興局単位で分けられる。 =====備前地域===== 県南東部に位置し、旭川と吉井川の流域には、西日本屈指の広大で肥沃な岡山平野が広がっている。人口は約92万人で県全体の約5割を占め、医療、交通、教育、大規模商業施設など様々な都市機能を備えて拠点性が高い岡山市とその周辺は人口集積が見られるが、北部、東部の[[中山間地域]]や離島では[[過疎化]]が進んでいる。 平野部での県内最大規模の米麦栽培や、[[モモ]]、[[ブドウ]]などの果物の他にも、[[ナス]]、[[黄ニラ#食材|黄ニラ]]、[[カキ (貝)|カキ]]など競争力のある農林水産物が生産されるとともに、[[備前焼]]などの工芸品が作られている。 観光面では、後楽園、[[岡山城]]などを核とした岡山カルチャーゾーンや、[[日本遺産]]である旧閑谷学校、[[吉備津神社]]などの歴史ある観光資源を有するほか、[[西大寺 (岡山市)|西大寺]][[裸祭り#西大寺会陽(岡山県岡山市)|会陽]]や[[総社 (吉備中央町)|加茂大祭]]などの個性豊かな[[伝統行事]]に加え、瀬戸内海を舞台として開催される[[瀬戸内国際芸術祭]]や、岡山市中心部で開催の岡山芸術交流など[[現代アート]]を活用した魅力も創出されている。 * 岡山圏 - [[岡山市]]、[[玉野市]]、[[加賀郡]][[吉備中央町]](旧[[御津郡]][[加茂川町]]) * 東備圏 - [[備前市]]、[[瀬戸内市]]、[[赤磐市]]、[[和気郡]][[和気町]] =====備中地域===== 県のほぼ西半分を占め、高梁川が貫流する多様な自然環境の中、約77万人が暮らしている。 [[平成30年7月豪雨]]や令和元年9月集中豪雨で大きな被害を受けた倉敷市[[真備町|真備地区]]をはじめとする地域では、被災者の生活再建、河川等公共施設の復旧と改良、土砂災害対策、地域経済の再生など、復旧・復興に向けた取組が進められている。高速道路や鉄道網、[[国際拠点港湾]][[水島港]]などの広域交通基盤に恵まれ、[[水島コンビナート]]の製造業、県総合流通センターや[[早島インターチェンジ]]・[[岡山総社インターチェンジ]]付近の物流業の集積は、県経済に大きな比重を占めている。また、水島コンビナートでは、[[IoT]]や[[人工知能|AI]]を活用した取組も進められている。 [[児島]]・[[井原市|井原]]の[[アパレル産業|繊維業]]や各地の醸造業など、伝統ある産業活動が展開されており、モモ、ブドウ、[[トマト]]、[[和牛]]、[[タコ]]、カキなど優れた農林水産物にも恵まれている。これらの特産品を加工・販売する事業者も多く、新製品の開発や販路開拓が進められている。 * 倉敷圏 - [[倉敷市]]、[[総社市]]、[[都窪郡]][[早島町]] * 井笠圏 - [[笠岡市]]、[[井原市]]、[[浅口市]]、[[浅口郡]][[里庄町]]、[[小田郡]][[矢掛町]] * 高梁圏 - [[高梁市]]、真庭市(旧[[上房郡]][[北房町]])、加賀郡吉備中央町(旧上房郡[[賀陽町]]) * 阿新圏 - [[新見市]] =====美作地域===== 吉備高原から中国山地にかけての県北東部に位置し、面積は県の4割を占め、そのうち約93%が中山間地域となっている。地域の人口約23万人のうち、65歳以上の高齢者が約34%を占める一方、若い世代は、多くが進学や就職を機に地域外に転出する傾向にある。 農林業が盛んな地域であり、ピオーネをはじめ、[[黒大豆]]や[[ジャージー牛]]などの特色のある産品が生産され、米や麦などによる土地利用型農業も行われるとともに、高品質な[[ヒノキ]]などを産出し、西日本有数の木材加工産地を形成している。 商工業では、事務所数は減少しているものの、[[化学工業]]や食料品、木材・木製品、機械器具製造業などを中心に製造品出荷額は増加している。 * 津山圏 - [[津山市]](旧勝田郡勝北町を除く)、[[苫田郡]][[鏡野町]]、[[久米郡]][[美咲町]]、久米郡[[久米南町]] * 真庭圏 - [[真庭市]](旧上房郡北房町を除く)、[[真庭郡]][[新庄村]] * 勝英圏 - [[美作市]]、津山市(旧勝田郡[[勝北町]])、[[勝田郡]][[勝央町]]、[[勝田郡]][[奈義町]]、[[英田郡]][[西粟倉村]] ==== 商工会連合会地区 ==== * 岡山地区 - 岡山市 * 備南地区 - 総社市、玉野市、倉敷市(真備、庄、茶屋町)、岡山市(灘崎) * 備西地区 - 倉敷市、笠岡市、浅口市、井原市、矢掛町、 * 御津・東備地区 - 備前市、瀬戸内市、赤磐市、岡山市(御津、上道)、和気町、吉備中央町(加茂川) * 備北・阿哲地区 - 新見市、高梁市、吉備中央町(賀陽) * 真庭地区 - 真庭市、新庄村 * 苫田・久米地区 - 津山市、鏡野町、美咲町、久米南町 * 勝英地区 - 津山市(勝北)、美作市、奈義町、勝央町、西粟倉村 ==== 広域市町村圏 ==== 都道府県知事が関係市町村との協議を経たうえ、およそ10万人以上の人口を有し、一定の要件を具備する日常生活圏を形成すると認められる地域について設定する圏域である。 * 津山広域市町村圏 - 津山市、鏡野町、美咲町、久米南町、勝央町、奈義町 * 真庭広域市町村圏 - 真庭市、新庄村 * 井笠広域市町村圏 - 井原市、笠岡市、浅口市、矢掛町、里庄町 * 英田広域市町村圏 - 美作市、西粟倉村 * 新見市(広域的市)- 新見市 * 高梁市(広域的市)- 高梁市 岡山市など大都市周辺地域については、[[1978年]](昭和53年)からこれとは別に大都市周辺地域広域行政圏が設定されている。 ==== 連携中枢都市圏 ==== [[2014年]](平成26年)12月に閣議決定された「まち・ひと・しごと創生総合戦略」において[[地域]]の広域連携に関し、一定要件を満たす都市が「連携中枢都市」となり、周辺市町村と連携協約(地方自治法252条の2第1項)を締結することで、「連携中枢都市圏」を形成するものである。 * 倉敷市・高梁川流域圏(連携中枢都市:倉敷市)- 倉敷市・笠岡市・井原市・総社市・高梁市・新見市・浅口市・早島町・里庄町・矢掛町 * 福山市・備後圏域(連携中枢都市:広島県福山市)- 笠岡市・井原市・広島県福山市・三原市・尾道市・府中市・世羅町・神石高原町 経済的に笠岡市・井原市は広島県[[福山市]]を中心とした[[備後都市圏|福山都市圏]]に含まれる。 === 近隣県との関係 === * [[香川県]]:[[瀬戸内海]]を挟んで対岸に位置する。[[瀬戸大橋]]で結ばれ、JR瀬戸大橋線の快速マリンライナーが岡山~高松間を約60分で頻発して、相互に通勤通学圏となっており、地上波放送が相互乗り入れるなど結びつきが大きい。 * [[広島県]]:特に井笠地方([[井原市]]・[[笠岡市]])は広島県東部の備後地域との結びつきが強く福山都市圏を構成し、井笠地方は広島県福山市のベッドタウンとなっている。また井原市、笠岡市は広島県と市街地が連続している部分がある。 * [[鳥取県]]:隣接するものの間には[[中国山地]]があり、交通や物流の障壁となっている。しかし、[[米子自動車道]]の開通や[[伯備線]]の特急[[やくも]]が運行されるなど、交通は確保されている。観光、出張などでの行き来もある。 * [[兵庫県]]:隣接している県境にかけては[[山陽本線]]・[[赤穂線]]・[[姫新線]]の便数は非常に少ないことからみるように、地域間の交流は少ない。ただし、備前市日生町・三石地区は赤穂市と、美作市大原地区・東粟倉地区と西粟倉村は佐用町と結びつきが強い。備前県民局管内と美作県民局管内が兵庫県西播磨県民局管内と観光で連携している<ref>兵庫・岡山県際交流事業 https://www.pref.okayama.jp/page/731868.html </ref>。また姫路・岡山・鳥取の3都市は江戸時代の池田家の国替えなどに歴史的に深い縁で結びついており、3都市が一体となって市民交流を促進し、各都市が持つさまざまな資源を結びつけた情報発信を行うことで地域の発展をめざしている<ref>姫路・岡山・鳥取城下町物語推進協議会 (HOTトライアングル) https://www.city.tottori.lg.jp/hottriangle/top.html</ref>。 県内には[[山陽自動車道]]、[[山陽新幹線]]、[[山陽本線]]、[[国道2号]]など[[中国地方]]の交通の[[大動脈]]が東西に貫通し、人や物の往来は多い。 == 歴史 == === 県名の由来 === [[File:Okayama Origin.jpg|thumb|岡山城下 岡山の名由来の碑]] 県名は県庁所在地の[[岡山市]]に由来する。「岡山」とは、もともと現在の[[岡山城]]のある場所に存在した小高い丘のことを指して呼んだものであったが、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に[[宇喜多秀家]]が「岡山」に城を築き、その後形成された[[城下町]]を含めて岡山と呼ぶようになったことに由来する。なお、秀家の書状から「岡山」が城下町の地名として呼ばれ始めたのは[[文禄]]3年([[1594年]])ごろからであると推測される。 === 原始・先史 === ; [[旧石器時代]] 現在の岡山県の地域には、[[鷲羽山遺跡]]([[倉敷市]])などの原始からの[[遺跡]]が存在しており、[[日本の旧石器時代|旧石器時代]]から人々が居住していたことがうかがえる。県の最北端上斎原村(現・鏡野町)に旧石器時代の恩原遺跡がある。その遺跡の下層(約2万5000年前の[[土層 (考古学)|土層]])から[[ナイフ形石器]]が出土しており、その上層から約1万年前の[[細石刃]]も出土している。恩原遺跡では2基の[[炉]]跡が検出されている。うち1基は10個ほどの小石を半円形に並べており、焚き口幅40センチ、奥行35センチの小規模な炉で、石組みの中に[[木炭]]塊があり、炉の周辺に灰土が広がっていて、2万2000年前の旧石器時代人の生活痕跡を示す珍しい遺構である<ref>狩野久「吉備の国づくり」 藤井学・狩野久・竹林栄一・倉地克直・前田昌義『岡山県の歴史』山川出版社 [[2000年]](平成12年) 10 - 11ページ</ref>。 ; [[縄文時代]] [[地球]]の[[温暖化]]による海面上昇で瀬戸内海が出現した。そのことを示すのが[[瀬戸内市]]牛窓町の黄島貝塚である。その後は、人々は狩猟・採集・漁労の自然からの贈りもので生活し、豊かになっていった。[[縄文時代]]も後期になり、[[津雲貝塚]]で170体以上の人骨が発掘されている。晩期には岡山市北区の津島江道遺跡では[[水田]]遺構そのものが検出されている。縄文時代の終わりごろには、狩猟・採集活動をしながら[[水稲耕作]]も行われた。 ; [[弥生時代]] また、彦崎[[貝塚]](岡山市[[南区 (岡山市)|南区]])では[[縄文時代]]前期の[[土層 (考古学)|土層]]から[[イネ]]の[[プラント・オパール]]が大量に出土し、朝寝鼻遺跡(岡山市[[北区 (岡山市)|北区]])でも同様の発見があり、縄文時代前期には畑作による[[イネ]]の栽培が始まっていたとみられる。 [[ファイル:Tsukuriyama Kofun, Okayama air.jpg|thumb|right|180px|[[造山古墳]]]] ; [[古墳時代]] [[古代]]には[[吉備国]]といわれ、[[畿内]]地域や[[北部九州|北九州]]地域、[[出雲]]地域などとともに、[[日本列島]]の中心地のひとつとして栄えていた地域である。[[吉備国]]は[[畿内]]勢力と同盟関係を築いて日本列島の統一期([[古墳時代#古墳時代中期|4世紀中葉]])に影響を与えた。優れた鉄製技術を持ち、その支配地域は現在の岡山県・[[広島県]]中東部・香川県島嶼部・兵庫県[[播磨国|播磨]]地方に及び、[[加古川]]を境界とし、さらには[[四国]]や[[芸予諸島]]にも至っていたと推定されている。また、大きさが全国の古墳の中で第4位、一般人でも立ち入れる古墳としては全国第1位の規模を持つ[[造山古墳]](岡山市北区)や全国第9位の[[作山古墳]]([[総社市]])、[[両宮山古墳]]([[赤磐市]])などの大型[[古墳]]が岡山県内に残されている。 === 古代 === [[6世紀]]前半に大和朝廷への臣従したのち、吉備国は勢力抑圧のために[[備前国]]、[[備中国]]、[[備後国]]の3国に分割され、さらには備前国から[[美作国]]が分国された。国府は現在の岡山市(備前国)、総社市(備中国)、[[津山市]](美作国)にそれぞれ置かれた。 旧吉備国からは[[奈良時代]]に中央政権で権勢を振るった[[吉備真備]]や[[道鏡]]の[[天皇]]位簒奪を阻んだ[[和気清麻呂]]らの優れた人材を輩出した。 [[平安時代]]には備前・備中は[[受領]]にとって実入りの多い「上国」のひとつとされており、農業生産力が高かった。またこの時代に各地に荘園が拓かれた。特に[[鹿田荘]]は藤原氏の氏の長者が受け継ぐ4つの荘園([[殿下渡領]])のひとつであった。その他に大安寺荘(岡山市北区)など。平安時代末期には[[平氏]]の勢力圏に置かれ、[[寿永]]2年([[1183年]])には県の南東部、倉敷市[[玉島地域|玉島]]地区で、翌年には藤戸地区で[[治承・寿永の乱|源平合戦]]が繰り広げられた([[水島の戦い]]・[[藤戸の戦い]])。 === 中世 === [[鎌倉時代]]に入ると元来東国を拠点としていた[[那須氏]]・[[松田氏]]・[[三村氏]]・[[庄氏]]・[[赤木氏]]などの有力御家人が[[地頭]]職などを得て移住・土着した(東国から西国に移った[[鎌倉幕府]][[御家人]]という意味で西遷御家人と呼ばれる)。 [[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]、[[後醍醐天皇]]が隠岐に流される際の通り道になったことで、[[児島高徳]]など宮方に与同する武士が現れ、隠岐脱出後は最初に拠点を構えた伯耆船上山が近隣であったため多くの武士が宮方として活動した。[[観応の擾乱]]で[[室町幕府]]が分裂すると山陰に勢力を持つ[[山名氏]]が侵攻し、北部美作を中心に山名氏の勢力下に置かれる。しかし、山名氏は[[明徳の乱]]で衰退した。 [[室町時代]]には[[鎌倉幕府]]倒幕に活躍した播磨の豪族・[[赤松則村]](円心)が[[播磨国|播磨]]・[[備前国|備前]]・[[美作国|美作]]3国の守護職に任ぜられ、以後[[赤松氏]]が代々三国の[[守護職]]を受け継ぎ、この三国はほぼ連動した歴史を展開する。[[赤松満祐]]が[[嘉吉の乱]]で時の将軍[[足利義教]]を討ったため、赤松氏は一時衰亡し、その後は赤松氏と地域の覇権を争っていた[[山名氏]]が三国を領有した。紆余曲折の末、復活した赤松氏は[[応仁の乱]]で東軍に組みし、管領[[細川勝元]]より三国守護職を約束され、[[赤松政則]]が西軍の山名氏の勢力を追い払うことで再び三国守護職に返り咲く。しかし、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に[[守護代]]であった三石城城主・浦上村宗によって政則の子が殺され赤松氏は衰退の一途を辿る。赤松氏に取って代わり備前を中心に勢力を伸ばした[[浦上氏]]であったが、宗景の代に家臣であった[[宇喜多直家]]の下剋上によって滅ぼされ、備前と美作では[[宇喜多氏]]が勢力を伸ばした。 [[備中国|備中]]では室町期は守護[[細川氏]]が、戦国時代は出雲から侵攻した[[尼子氏]]が[[庄氏]]ら有力国人を従えていた。その後、毛利氏の支援を得た[[三村家親]]が備中の大部分を統一し、美作・備前の一部も勢力下に治め三国を制する勢いであったが、[[永禄]]9年([[1566年]])三村家親が籾村の佛頂山興善寺に在陣中[[宇喜多直家]]の手の者により暗殺され、さらに後を継いだ[[三村元親]]が翌年宇喜多氏との[[明善寺合戦]]に敗退した。その後、[[織田氏]]の誘いを受けて毛利氏と争うに至り、三村氏は滅亡した([[備中兵乱]])。一方で、備中の南西笠岡などは[[村上水軍]](能島村上氏)の支配地となり村上隆重により笠岡城が築かれた。 このように現在の岡山県域では多数の戦国武将が群雄割拠の様相を呈し、戦国期を通じ、現在の岡山県域を統一する一大勢力はついに出なかった。これは、岡山県が戦国前期には尼子氏・大内氏らの草刈場と化し、後期においては[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]の水攻めで有名な[[備中高松城の戦い]]に代表されるように東の織田氏と西の毛利氏の衝突地点となったためである。備前の宇喜多氏や備中の三村氏などを除き、戦国期の在地[[国人]]勢力に顕著な活躍は見られなかった。しかし、その宇喜多氏・三村氏にしても東西勢力の代理戦争を演じていた面がないわけではない。秀吉との縁を得て後述のように戦国末期(近世初期)まで家を保持・成長させた宇喜多氏は在地勢力の例外といえる。 === 近世 === [[ファイル:Okayama Castle 03.jpg|thumb|right|230px|[[岡山城]](国の史跡)]] [[ファイル:Bitchu Matsuyama Castle 5.JPG|thumbnail|230px|right|[[松山城 (備中国)|備中松山城]](国の史跡・重要文化財)]] [[ファイル:Kurashikikahan06bs4592.jpg|thumb|right|230px|倉敷美観地区]] 現在の岡山の地は「岡山」「石山」「天神山(天満山)」と呼ばれていた3つの小高い丘のある備前国西部の農村地帯の一角に過ぎなかったが、岡山の地の利に目をつけた直家は「石山」に小規模な城を築いていた[[金光氏]]の当主・[[金光宗高]]を謀略により[[切腹]]させて開城ののち、岡山の地に入封した。直家の子[[宇喜多秀家]]は備前・備中・美作3国守護の座に就き、秀吉の許しを得て「岡山」に築城し、商人を備前福岡から呼び寄せるなど、城下町が形成されていった。秀家はその後、[[慶長]]5年([[1600年]])、[[関ヶ原の戦い]]で西軍が敗れ、豊臣家五大老のひとつの地位を占めていた宇喜多氏は所領没収のうえに[[八丈島]]に流された。 戦勝側である[[小早川秀秋]]が3国51万石を領有したが2年で後継ぎなく死去、断絶となり、慶長8年([[1603年]])、西国将軍と称された[[姫路藩]]藩主・[[池田輝政]]の次男、[[池田忠継]]が分家として備前38万石に入った。忠継・忠雄のあとに池田本家の[[鳥取藩]]から領地の交換で岡山に31万5,000石で入封した[[池田光政]](輝政の孫)が備前[[岡山藩]]の基礎を築き、以後、明治維新を迎えるまで光政の家系が藩政を担った。また、領内には池田家の[[家老]]の[[陣屋]]が各地に所在し、[[伊木氏|伊木家]]3万3,000石の虫明陣屋を筆頭に、池田家3万2,000石の天城陣屋、池田家2万2,000石の周匝(すさい)陣屋、日置(へき)家1万6,000石の金川陣屋、池田家1万4,000石の建部陣屋、土倉家1万1,000石の佐伯陣屋があった。城下町・岡山は発展を続け、第4代池田綱政の治世の[[宝永]]4年([[1707年]])には町方人口が3万635人(武家・寺社方を含めた総人口は推定4万人から5万人)に達し、国内でも十指に入る経済力を持つ城下町となった。現在{{いつ|date= 2021年2月24日 (水) 16:39 (UTC)}}では日本三名園のひとつに数えられる御後園([[後楽園]])が造成されたのもこの時期である。19世紀に入り岡山藩の財政状況が悪化すると藩は被差別部落への差別を強化した。その結果、[[安政]]3年([[1856年]])に備前一国を巻き込む強訴([[渋染一揆]])が発生した。 備中には[[小早川氏]]改易のあと、一国を管轄する藩が置かれず幕領と大名領・旗本領が錯綜した。[[備中松山藩]]を筆頭に、[[足守藩]]・[[庭瀬藩]]・[[新見藩]]、[[岡田藩]]、[[浅尾藩]]・岡山藩の支藩である[[岡山藩#鴨方藩領|岡山新田藩(鴨方藩)]]および[[岡山藩#生坂藩領|岡山新田藩(生坂藩)]]が成立した。現井笠地域の大部分は[[備後福山藩]]領であり備後と一体的に扱われ、福山藩主導の新田開発により干拓が進められる。また、[[交代寄合]]の山崎家の成羽陣屋([[幕末]]に[[成羽藩]]となる)、交代寄合の[[戸川氏|戸川家]]の[[撫川陣屋]]が置かれ、戸川家は[[旗本]]としても[[早島町|早島]]・帯江・妹尾・中島(中庄)にそれぞれ陣屋を構えた。[[倉敷市|倉敷]]は[[天領]](幕府の直轄)となり、備中のみならず[[伊予国|伊予]]、[[讃岐国|讃岐]]など周辺諸国の幕領を管轄統治する幕府陣屋が置かれ、その繁栄は岡山以上とも言われた。 美作には[[森氏|森家]]が18万6,000石で入封。4代で断絶ののち、[[越前松平家]]の宗家筋の[[津山藩]]10万石、三浦家の[[美作勝山藩|勝山藩]]2万3,000石が成立した。 幕末期になり[[薩摩藩]]や[[長州藩]]による倒幕の動きが広がると、[[外様]]であった岡山藩は[[勤皇派]]に、[[親藩]]・[[譜代]]であった津山藩・備中松山藩は[[佐幕派]]に分かれ、[[明治]]元年([[1868年]])に勃発した[[戊辰戦争]]の際には当時の藩主である[[板倉勝静]]が老中職にあった備中松山藩を[[朝敵]]として岡山藩などが攻撃を加えた。 === 近代 - 太平洋戦争期 === [[ファイル:Haihantiken okayama.PNG|thumb|250px|岡山県成立の変遷]] [[明治4年]][[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[1871年]][[8月29日]])、明治新政府による[[廃藩置県]]により[[岡山藩]]を受け継いで、岡山県が[[備前国]]を範囲として設けられた。当初、現在の岡山県域には14県が設置されたが、同年12月には岡山県、[[小田県|深津県]]、[[北条県]]の3県に再編された。その後、[[1875年]]([[明治]]8年)12月10日に[[備中国]]と[[備後国]]にあたる小田県(旧深津県)を編入し、[[1876年]](明治9年)4月18日には、備後国6郡を[[広島県]]に移管、[[美作国]]にあたる北条県を併せた。岡山県の境域はこれ以後[[1896年]](明治29年)に[[吉野郡 (岡山県)|吉野郡]][[石井村 (兵庫県)|石井村]]を[[兵庫県]][[佐用郡]]へ編入、同郡[[讃甘村]]大字中山を兵庫県佐用郡[[江川村 (兵庫県)|江川村]]へ編入。戦後には[[1963年]](昭和38年)、[[和気郡]][[日生町]](現・[[備前市]])東部の[[備前福河駅|福浦地区]](寺山を除く)を兵庫県[[赤穂市]]へ編入、後に[[笠岡市]]で広島県側への編入の動きも出るが阻止されその後現在まで特に大きな変更はない。 県の政庁は岡山市に置かれ、鉄道網の整備や旧制[[第六高等学校 (旧制)|第六高等学校]]・旧制[[岡山医科大学]](岡山藩医学館を文部省が引き継ぐ)などの教育機関の設立も相まって[[山陽地方]]の拠点として発展を見せた。また、政財界に優れた人材を輩出した。特に、[[自由民権運動]]では[[片山潜]]、のちに[[内閣総理大臣|首相]]となる[[犬養毅]]や[[平沼騏一郎]]をはじめとして多くの運動家・政治家を、経済界では[[第一生命]]創業者の[[矢野恒太]]らを世に送り出した。 戦前の産業は[[農業]]が主であり、南部では[[児島湾]]干拓によって稲作面積を拡大して生産性を向上させ、[[イグサ]]・[[綿花]]栽培や[[丘陵地]]での[[果樹]]栽培が行われる一方、北部では[[養蚕]]が盛んに行われた。瀬戸内海に面した[[児島地域|児島]]地区(倉敷市)では[[塩田]]開発が江戸末期から明治にかけて盛んになり、地元の名家である野崎家が財をなした。 1870年代以降になると近代工業として製糸工場が県内に次々と立地した。[[倉敷紡績]](略称:クラボウ)は全国有数の製糸企業に成長し、また倉敷紡績の[[大原孫三郎]]によって倉敷絹織(現在の[[クラレ]])、紡績を支える中国水力電気会社(現在の[[中国電力]])なども設立された。この時代の繊維産業の発展が現在の[[倉敷市]]の[[ジーンズ]]、[[学生服]]の隆盛の元になっている。大原は実業のかたわら、[[大原美術館]]、[[倉敷中央病院]]、農業や社会問題の研究所などを設立したり、[[石井十次]]の孤児養育事業を支援したりするなど、現在でいう[[メセナ]]事業を行った。 [[1891年]](明治24年)に[[山陽鉄道]](現在のJR山陽線)が岡山を経由して広島県[[尾道]]まで開通し、その後もいくつかの私鉄路線が開通した(鉄道の項参照)。これらのうち主要なものはのちに[[国鉄]]に組み入れられた。 [[1920年]](大正9年)7月、県下で[[腸チフス]]の大流行が発生。患者1,322人、死者291人<ref>下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p338 河出書房新社 2003年11月30日刊 {{全国書誌番号|20522067}}</ref>。 [[第一次世界大戦|第一次大戦]]後には[[重化学工業]]が発達し、[[柵原町|柵原]]では[[鉱山]]が開かれ、[[玉野市|玉野]]では[[造船]]業が活況を呈するようになった。 経済の発展で中間市民層が厚みを増したことから、その求めにより中等教育・高等教育の充実が図られた。特に公立・私立の女学校が次々に設立され、全国的に見ても女子の中等教育の盛んな県となった。 こうした地勢より、[[社会福祉]]分野においても先見性が高い人材を数多く輩出しており、[[社会福祉学]]上において近代福祉事業発祥の地とされることもある。特に[[1917年]]([[大正]]6年)に自県にて発足した[[済世顧問制度]]は[[大阪府]]の[[方面委員|方面委員制度]]と並んでのちの[[民生委員]]制度につながるものとされ、先述の片山潜も貧困層のために日本最初の[[隣保館]]を設立している。他にも[[救世軍]]において廃[[娼婦|娼]]運動を繰り広げ、女性の権利と生活の向上に足跡を残した[[山室軍平]]や、[[児童自立支援施設]]の先駆けとなった[[北海道家庭学校|家庭学校]]を設立した[[留岡幸助]]、[[岡山博愛会病院]]を設立し地域医療に寄与した[[アリス・ペティ・アダムス]]、日本最初の孤児院([[児童養護施設]])を作り上げた[[石井十次]]などが岡山県にてその活動の発起を行った。そのため山室、留岡、アダムス、石井の4名は社会福祉の歴史上に多大なる功績を遺したことにより「岡山四聖人」と称される。 しかしながら[[第二次世界大戦]]が勃発し、戦争末期の[[1945年]]([[昭和]]20年)[[6月]]には航空機工場のあった倉敷市[[水島地域|水島]]地区と岡山市が[[アメリカ軍]]による大規模な[[空襲]]を受けた。岡山市では空襲により中心部がほとんど壊滅し、1,700人以上の市民が犠牲となった。 === 戦後 === 戦後は児島湾、笠岡湾など大規模の干拓事業が引き続いて行われ、臨海部に巨大な農業地、工業地が出現する。 また[[三木行治|三木知事]]時代の1960年代、[[全国総合開発計画]]に合わせて水島地区に大型船が入港可能な港湾と石油[[コンビナート]]を造成して[[製鉄]]、[[石油化学]]および[[自動車]]などの工場を誘致された。また同時期に笠岡市は[[工業整備特別地域|備後工業整備特別地域]]に指定され、[[JFEスチール西日本製鉄所|日本鋼管福山製鉄所]]をはじめとした製鉄関連産業が進出する。このように県南部の臨海地帯を中心に重工業化が進み、農業中心の県から工業中心の県へと変貌を遂げた。他方では、[[1970年代]]には大気汚染、瀬戸内海への[[石油流出事故]]、[[赤潮]]、児島湖の水質悪化などに悩まされた。 1970年代以降は[[山陽新幹線]]の開業や[[瀬戸大橋]]の開通による[[高速道路]]・鉄道網の整備、県が管理する空港としては全国で唯一3,000メートル滑走路を持つ[[岡山空港]]の開港による航空網の整備が行われ、[[交通結節点|交通の結節点]]としての地位を高めた。<br>南部では人口の増加が見られ、岡山市や倉敷市などが150万[[都市圏]]を形成している([[岡山都市圏]])。岡山インターチェンジから車で2時間圏の範囲の人口は約1,640万人で、東京都の人口よりも多い。その範囲の総生産額は約97兆円でカナダを上回る規模ともなっている。 === 21世紀 === 2000年代には紡績工場跡地などを転用した[[イオンモール倉敷]]などの郊外・準郊外型のショッピングモールが大小含め県内各地に建設された。一方で、商店街が[[シャッター通り]]となり、[[ダイエー]]岡山店・[[三越]]倉敷店といった市街地中心部の大型店が相次いで撤退したことに象徴される中心市街地の空洞化(ドーナツ化)が深刻な問題となっている。 2020年12月20日。県と県医師会は[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症]]の急速な拡大に対し、[[医療非常事態宣言]]を発表した<ref>[[中国新聞]]2020年12月21日付 [https://www.sanyonews.jp/article/1083321 「岡山県が「医療非常事態」宣言 県医師会長は「現場から悲鳴」」]</ref>。 == 人口 == 岡山県の人口は戦後の165万人から一貫して増加を続け、2002年には最大値約195万人に達した。しかし、その後は一貫して県全体では減少が続いている。2020年[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]によると、岡山県の人口増加率は-1.8%となっており、データのある1925年以降の国勢調査では最低の値となっている。 [[広島市]]に次いで中国・四国地方第2の都市である岡山市(約72万人)や第3位の倉敷市(約47万人)を擁する南部は岡山都市圏を中心に人口増加が堅調である。ただ、[[岡山市]]とともに[[岡山都市圏]]の中心を担う[[倉敷市]]がついに2019年から減少に転じた。一方、[[総社市]]は年々人口増加している。<ref>{{Cite web|和書|title=令和2年国勢調査 人口速報集計が総務省から公表されました - 岡山県ホームページ(統計分析課)|url=https://www.pref.okayama.jp/page/725738.html|website=www.pref.okayama.jp|accessdate=2021-09-14}}</ref>吉備高原や中国山地の山々に囲まれた地域では高齢化が進行し、人口の減少が顕著になってきている。県全体では[[1990年]](平成2年)ごろから人口はほぼ横ばいであった。社会動態においては、[[1998年]](平成10年)以降転出超過の社会減となっていた。[[2011年]](平成23年)の[[東日本大震災]]以降から移住者の増加で一時転入超過に転じた<ref name="immigration-01">[https://news.yahoo.co.jp/articles/2c51864507ba8c998b44af90bda11b2d5c9787e7 震災以降、移住先として急浮上した岡山県とは?(上)]、[[THE PAGE]]、2014年7月20日、2022年8月7日閲覧。</ref><ref name="immigration-02">[https://news.yahoo.co.jp/articles/7d5476371d4ce3ee58fbd10418ebd140d5447e1c 震災以降、移住先として急浮上した岡山県とは?(下)]、THE PAGE、2014年7月27日、2022年8月7日閲覧。</ref>が、[[2013年]](平成25年度)に再び社会減となった。 NPO法人ふるさと回帰センターが毎年発表している「田舎暮らし希望地域ランキング」にて、岡山県は[[2012年]](平成24年)度に2位、[[2013年]](平成25年)度に3位にランクインしている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.furusatokaiki.net/wp/wp-content/uploads/2014/02/504e911a562bd913760b1da08475b7a6.pdf|title=ふるさと暮らし希望地域ランキング|publisher=ふるさと回帰ランキング|date=2013-2-26|accessdate=2020-08-20}}</ref>。 婚姻関係では、男女の初婚年齢が[[香川県]]とともに全国屈指の早さとなっている。 岡山県によると、2018年での[[合計特殊出生率]]は1.53となっている。 [[ファイル:岡山県 人口増加率.jpg|サムネイル|300x300ピクセル|岡山県市町村人口増減率分布図(2016年(平成28年)度と2021年(令和3年)度8月1日岡山県統計から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}}{{Legend|#99FF55|2.50-4.99%}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}}{{Legend|#550000|10.0%以上}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=33000|name=岡山県|image=Demography33000.svg}} {|class="wikitable" style="margin:1em 0.2em" |-style="background:#ddd" !colspan="5"|岡山県の市町村の人口、面積、人口密度({{自治体人口/岡山県|date}})<br /><small>※自治体の順番は、[[全国地方公共団体コード]]の順</small> |- ! !市町村 !人口 !面積 !人口密度 |- |1 |[[岡山市]] |style="text-align:right"|'''{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|岡山市}}}}人''' |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|岡山市}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|岡山市}} / {{自治体面積/岡山県|岡山市}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |2 |[[倉敷市]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|倉敷市}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|倉敷市}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|倉敷市}} / {{自治体面積/岡山県|倉敷市}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |3 |[[津山市]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|津山市}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|津山市}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|津山市}} / {{自治体面積/岡山県|津山市}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |4 |[[玉野市]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|玉野市}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|玉野市}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|玉野市}} / {{自治体面積/岡山県|玉野市}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |5 |[[笠岡市]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|笠岡市}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|笠岡市}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|笠岡市}} / {{自治体面積/岡山県|笠岡市}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |6 |[[井原市]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|井原市}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|井原市}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|井原市}} / {{自治体面積/岡山県|井原市}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |7 |[[総社市]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|総社市}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|総社市}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|総社市}} / {{自治体面積/岡山県|総社市}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |8 |[[高梁市]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|高梁市}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|高梁市}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|高梁市}} / {{自治体面積/岡山県|高梁市}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |9 |[[新見市]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|新見市}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|新見市}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|新見市}} / {{自治体面積/岡山県|新見市}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |10 |[[備前市]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|備前市}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|備前市}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|備前市}} / {{自治体面積/岡山県|備前市}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |11 |[[瀬戸内市]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|瀬戸内市}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|瀬戸内市}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|瀬戸内市}} / {{自治体面積/岡山県|瀬戸内市}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |12 |[[赤磐市]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|赤磐市}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|赤磐市}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|赤磐市}} / {{自治体面積/岡山県|赤磐市}} 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{{自治体人口/岡山県|和気町}} / {{自治体面積/岡山県|和気町}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |17 |[[早島町]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|早島町}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|早島町}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|'''{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|早島町}} / {{自治体面積/岡山県|早島町}} round 0}}}}人/km{{sup|2}}''' |- |18 |[[里庄町]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|里庄町}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|里庄町}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|里庄町}} / {{自治体面積/岡山県|里庄町}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |19 |[[矢掛町]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|矢掛町}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|矢掛町}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|矢掛町}} / {{自治体面積/岡山県|矢掛町}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |20 |[[新庄村]] |style="text-align:right;" |{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|新庄村}}}}人 |style="text-align:right;" |{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|新庄村}}}}km{{sup|2}} 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|style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|西粟倉村}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|西粟倉村}} / {{自治体面積/岡山県|西粟倉村}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |25 |[[久米南町]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|久米南町}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|久米南町}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|久米南町}} / {{自治体面積/岡山県|久米南町}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |26 |[[美咲町]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|美咲町}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|美咲町}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|美咲町}} / {{自治体面積/岡山県|美咲町}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |- |27 |[[吉備中央町]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/岡山県|吉備中央町}}}}人 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/岡山県|吉備中央町}}}}km{{sup|2}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/岡山県|吉備中央町}} / {{自治体面積/岡山県|吉備中央町}} round 0}}}}人/km{{sup|2}} |} == 政治 == === 歴代知事 === {{see|岡山県知事一覧}} (公選知事を特に列記する) {|class="wikitable" !style="width:50px"|代 !style="width:150px"|氏名 !在任期間 |- |1 |西岡広吉 |1947年(昭和22年)4月16日 - 1951年(昭和26年)3月30日 |- |2 |[[三木行治]](4期) |1951年(昭和26年)5月3日 - 1964年(昭和39年)9月21日 |- |3 |[[加藤武徳]](2期) |1964年(昭和39年)11月12日 - 1972年(昭和47年)11月11日 |- |4 |[[長野士郎]](6期) |1972年(昭和47年)11月12日 - 1996年(平成8年)11月11日 |- |5 |[[石井正弘]](4期) |1996年(平成8年)11月12日 - 2012年(平成24年)11月11日 |- |6 |[[伊原木隆太]](3期目) |2012年(平成24年)11月12日 - 現職 |} === 県議会 === {{Main|岡山県議会}} === 行政機関 === {{main|岡山県庁}} 岡山県の行政機関の本庁として、[[岡山県庁]]が同市北区内山下に所在している。岡山県内に備前・美作・備中の各県民局が置かれ、その下部組織として各地域事務所が設置されている。かつては地方振興局が設置されていたが統合・再編されて現在に至る。 === 財政 === [[2008年]](平成20年)6月2日の定例記者会見で2011年(平成23年)度にも、2009年(平成21年)度から新たに施行された自治体財政健全化法に基づいて起債制限など国に管理される[[財政再生団体]]に転落する可能性があるとして、財政危機宣言を発した。このため、構造的に見込まれる400億円規模の財源不足を解消するため、[[2008年]](平成20年)8月に「岡山県財政構造改革プラン(素案)」<ref>[http://ilovit.up.seesaa.net/image/B2ACBBB3B8A9BAE2C0AFB9BDC2A4B2FEB3D7A5D7A5E9A5F3_080827.pdf 岡山県財政構造改革プラン(素案)],[http://www.pref.okayama.jp/page/detail-26885.html 財政構造改革について - 岡山県ホームページ]</ref>を公表した。その際に、歳出削減や県有施設の統廃合について、市町村、県民からさまざまな意見が表明されたことを踏まえ、同年11月に「岡山県行財政構造改革大綱2008」が策定された。この行革大綱の具体的な枠組みは、(1)職員数の削減、(2)組織体制の再構築、(3)職員の意識改革と人事制度、(4)事務事業の削減、(5)[[公共事業]]の削減、(6)歳入確保、(7)公の施設の閉鎖・譲渡・集約化、(8)市町村の事務・権限移譲、(9)外郭団体等の抜本的な見直し、(10)効果的な行政評価システムの構築の10分野に及び、これらの取組を[[2012年]](平成24年)度(職員数は[[2013年]](平成25年)度)までに実施することにより、一般財源で396億円の収支不足を解消し、歳入と歳出のバランスが取れた持続可能な財政構造を確立することを目標としている。また、今後の財政運営の目標として、「'''収入にあわせた予算を組みます'''」・「'''県債残高をこれ以上増やしません'''('''[[基礎的財政収支|プライマリーバランス]]の黒字化)'''」・「'''同規模県と比較してもっともスリムな体制を目指します'''」・「'''行革推進債などの緊急避難的な対策による財政運営と決別します'''」・「'''今後4年間で改革の総仕上げを行います'''」との5つの目標を掲げ、この目標に沿った財政運営に取り組むこととされている。 ==== 2007年度(平成19年度) ==== * [[財政力指数]] 0.54 ** Iグループ(財政力指数0.5以上、1.04未満)17自治体中15位 ==== 2006年度(平成18年度) ==== * 標準財政規模 3,978億円 * 一般会計歳入 6,975億円 * 一般会計歳出 6,951億円 * 財政力指数 0.49 ** IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)9自治体中1位 * 経常収支比率 97.8%(都道府県平均:92.8% 財政硬直化が進んでいる) * 実質収支比率 0.3 * 人口一人当たり人件費・物件費等決算額 13万379円 (都道府県平均:12万4,759円) * 実質公債費比率 17.8%(都道府県平均:14.7% 18%を超えると起債に制限) * 人口100,000人当たり職員数 1,237.10人(都道府県平均:1,173.11人) ** 2005年度(平成17年度)に対して2010年度(平成22年度)の総定員数を1,400人程度削減予定 * [[ラスパイレス指数]] 96.2 (都道府県平均:99.6) 地方債残高 * 普通会計分の地方債現在高 1兆2,170億円 * 上記以外の特別会計分の地方債現在高 1,092億円 ** 上記以外に第3セクターなど(財団法人含む)に対する債務保証にかかわる債務残高がある。 ==== 2005年度(平成17年度) ==== * 財政力指数 0.42 ** IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)8自治体中8位 ==== 2004年度(平成16年度) ==== * 財政力指数 0.40 ** IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中10位 == 経済・産業 == 都市化が進み工業の発展する県南部の大部分の市町村は井原市、笠岡市、里庄町を除き岡山市を中心とする[[岡山都市圏]]に属する。県北部は山地が広がり人口は比較的まばらである。県南西部の西備地方(ただし矢掛町と浅口市は含まれず、岡山都市圏に属する)は広島県福山市を中心とする[[備後都市圏|福山都市圏]]である。 === 第一次産業 === ; 農業 農業生産額の割合では、[[ニワトリ|鶏]](鶏卵・ブロイラー)が全生産額の23.7%で最も多く、[[米]]が22.8%、[[果実]]が17.5%、[[野菜]]が15.3%と成っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00500206&tstat=000001015617&cycle=7&year=20180&month=0&tclass1=000001019794&tclass2=000001138686|title=平成30年生産農業所得統計|accessdate=2020年4月20日|publisher=}}</ref>。[[ファイル:Hiruzen Jersey Land 01.jpg|thumb|right|230px|蒜山高原で飼育されているジャージー牛]] 岡山県南部に広がる[[児島湾]][[干拓]]地を中心とした[[岡山平野]]や北部の[[津山盆地]]などでは、古来より[[コメ]]の栽培が盛んで、現在に至るまで農産物の中心をコメが占めており、[[コシヒカリ]]や[[朝日米]]、[[ヒノヒカリ]]などの品種が栽培されている。また、南部では[[岡山市]][[灘崎町|灘崎]]地区の[[ナス]]や[[倉敷市]]連島地区の[[レンコン]]をはじめ大都市向けに出荷される[[花卉]]、全国的にも珍しい黄[[ニラ]]などが生産されている。 国内産のマスカットの約9割は岡山県で生産されており、[[明治時代]]以降は岡山市[[津高地域]]・栢谷地区などの丘陵地においてブドウやモモの[[温室]]栽培が行われるようになった。全都道府県における出荷量で見れば、ブドウは4位(西日本1位)、モモは6位([[和歌山県]]に次ぐ西日本2位)で全体シェアの5パーセントにも満たないものの<ref>平成25年 農林水産統計より</ref>、一部の品種に限れば、ブドウの[[マスカット・オブ・アレキサンドリア]]、[[ニューピオーネ]]や[[黒豆|黒大豆]]の作州黒の生産量は全国トップクラスであり<ref name="a">[http://www.pref.okayama.jp/chiji/kocho/daisuki/ 県のプロフィール・統計(岡山県)]</ref>、現在では岡山県の主要な名産品となっている。県内では他にも[[岡山市東区]]でお歳暮シーズンの[[愛宕梨]](あたご梨)や[[鴨梨]](ヤーリー)などの果物が全国シェアトップで栽培されており、高い生産技術と穏やかな気候に恵まれ、高品質な商品を生産している。近年、これらの農産物を[[中華人民共和国|中国]]や[[中華民国|台湾]]など海外に輸出し、販売する試みがなされている。 畜産においては[[中国山地]]沿いを中心に行われ、特に[[新見市]]千屋地区で肉牛の「千屋牛」などの[[和牛]]が飼育されている。酪農においては蒜山高原([[真庭市]])では[[ジャージー牛]]の放牧が行われ、脂肪分を多く含んだ濃厚な乳を用いた[[牛乳]]などを出荷しており、[[吉備中央町]]では気候に合わせた[[ブラウンスイス]]品種の乳を用いて[[吉田牧場 (岡山県)|吉田牧場]]が高品質の[[チーズ]]を生産している。その他、[[山田養蜂場]]を中心として[[養蜂]]も行われている。 かつては[[イグサ]]や[[コンニャク]]、[[タバコ]]の生産も盛んであったが、戦後の産業構造の転換により次第に生産量を減らしている。北部を中心とする中山間地域では若者の都市部への流出や[[高齢化]]による[[過疎化]]が進行しており、農業の担い手不足が課題となっている。 * おもな品種 *; ブドウ ** [[マスカット・オブ・アレキサンドリア]] ** [[シャインマスカット]] ** [[ニューピオーネ]] ** 瀬戸ジャイアンツ(桃太郎ぶどう) ** [[オーロラブラック]] ** [[紫苑 (ブドウ)|紫苑]] *; モモ ** [[清水白桃]] ** [[川中島白桃]] ** [[白鳳 (桃)|白鳳]] *; 梨 ** [[愛宕梨]](あたご梨) ** [[鴨梨]](ヤーリー) *; 黒大豆 ** [[作州黒]] ; 林業 国有林は少なく民有林が9割を占める。温暖で乾燥した気候を好む高級木材の[[ヒノキ]]が多いが、湿潤気候を好む[[スギ]]は少ない。民有林面積の7割弱がヒノキ林とされている<ref>岡山県林業統計</ref>。ヒノキ丸太の生産量は[[高知県]]、[[愛媛県]]、[[熊本県]]などと並んで上位の常連で1位の年度も多い。 かつては同じような気候を好む[[アカマツ]]が多く、現在も県の木にも指定されている。これは調理、[[製塩]]、[[たたら製鉄]]などでの薪の過剰利用により[[遷移 (生物学)|植生遷移]]が退行しマツ類が優勢になった結果であり、岡山に限らず古くから人が住んでいた西日本ではしばしば見られた光景と考えられている。このような環境は高温で燃えるアカマツ材で焼き上げる[[備前焼]]などの[[陶磁器]]文化にも影響した。致死的な伝染病である[[マツ材線虫病]](松くい虫)の蔓延に伴い、1970年代以降アカマツ林は減少し一部はヒノキ林へと転換された。 かつてはアカマツと共生する[[マツタケ]]の大産地でもあり年間500t以上を生産していたが、1960年以降生産量が激減した<ref>岡山県農林水産部林政課(2020)令和2年次岡山県特用林産物生産流通統計</ref>。2010年代以降は2大産地である[[長野県]]と[[岩手県]]には大きく差を付けられているが、全国生産量は3位に入る年が多い。 ; 水産業 [[瀬戸内海]]に面する岡山県では児島湾などで、浅瀬を利用した[[沿岸漁業]]が行われており、かつては[[サワラ]]や[[鯛|タイ]]の中型魚がおもに獲れていたが、明治から[[昭和]]にかけての干拓事業による漁場の縮小と都市化の影響による瀬戸内海の[[水質汚濁]]が発生し、以前ほどの豊かな漁場は失われてしまった。 しかしながら、現在でも倉敷市下津井港をはじめとして[[メバル]]や[[イイダコ]]、[[カレイ]]などの好漁場となっており、[[瀬戸内市]][[邑久町]]・[[牛窓町]]などでは複雑に入り組んだ海岸を利用した[[海苔]]や[[カキ (貝)|カキ]]の[[養殖]]が盛んに行われている。カキの生産量は全国第2位である。瀬戸内海で獲れる海の幸を用いた郷土料理として、ばら寿司(まつり寿司として駅弁販売)や、たこめし、[[ままかり]]([[サッパ]]の酢漬け)などがある。 また、[[備前市]][[日生町]]などでは蛎を[[お好み焼き]]に入れた「[[カキオコ]]」を新たな名物として岡山県内や他県にPRしており、水産資源を町おこしの契機につなげる新しい取り組みも見られる。 近年の新たな取り組みとして、[[岡山理科大学]]の研究で陸上での[[ハタ (魚類)|ハタ]]などの海水魚の養殖も行われている<ref name="b">[https://www.ohk.co.jp/data/5470/pages/ 陸で育った海水魚出荷へ…岡山理科大が養殖ハタを初出荷【岡山・岡山市】]</ref>。 === 第二次産業 === [[ファイル:Kurashiki city mizushima industrial area.JPG|thumb|right|230px|水島コンビナート]] [[第二次世界大戦|第二次大戦]]以前は農業県であった。大規模な港湾がなかった岡山県の[[第二次産業]]は倉敷紡績などの製糸・[[紡績]]業などの軽工業がその中心であったが、戦後は県によって、それまで[[中国・四国地方]]の他県に後れを取っていた工業化に重点を置いた政策がとられ、[[水島地域|水島コンビナート]](倉敷市)の埋め立て造成と[[石油]]精製所・大手[[製鉄]]所・[[自動車]]工場などの誘致が行われ、工業的に急速な発展を遂げた。県内にはJFEスチールの倉敷地区、福山地区(笠岡市域を含むため)二つの銑鋼一貫製鉄所が立地する。 [[総社市]]などの内陸部にも工業団地が次々と立地し、自動車の関連部品の製造や電子機器の工場が誕生した。そのほか、岡山市では食品や印刷など市場指向型、軽工業系の工場が[[岡南]]地区や[[西大寺 (旧市域)|西大寺]]地区などに所在し、倉敷市では[[児島地域|児島]]地区に[[ジーンズ]]や[[学生服]]など縫製業が立地している。学生服の出荷額は岡山県が全国第1位となっている。 県西部の笠岡市へは広島県の[[JFEスチール西日本製鉄所]]福山製鉄所の関連企業など広島県からの企業の進出が多く見られる。JFEスチール福山製鉄所の敷地自体も笠岡市域にまたがっている。 [[1980年代]]以降は吉備高原などの内陸地域を新たな産業ゾーンとするために[[高速道路]]の整備や[[岡山空港]]の郊外移転などの開発が行われ、IT関連企業やICなどの[[電子デバイス]]工場の誘致が県によって進められた。しかし、開発から数十年が経過した現在でも立地した工場は多くなく、当初の見込み通りには事業が進んでいない。 こうした県主導の工業化のためのハード面での積極的な整備によって工業県への変貌に成功したものの、反面、これらの事業によって増大した借金が昨今、県の財政を圧迫している。 === 第三次産業 === 近年の岡山県の[[第三次産業]]は、バイオテクノロジーを活用した医薬品や、IT情報通信などの産業などの特色を持つ。独自の精密加工生産を支える技術企業や、食品・健康・医療・環境・福祉やバイオ関連の企業・研究機関などが産学官連携で新たな雇用産業づくりに取り組み続けている。平成15年度には全国に先駆け、高速大容量の基幹光ファィバ網を県内全域を8の字型に結び、全国ギガビットネットワークとも接続された岡山情報ハイウェイが整備された。[[サービス業]]や小売業、[[金融業]]などは本社や事業所をおもに岡山市を中心とした県南部に構えている。 [[1960年代]]までは[[伝統|伝統的]]な[[個人]]経営の小売店舗が多数を占めていた。1970年代以降、都市化や[[モータリゼーション]]の進行、大量消費社会の浸透により、全国や中国・四国地方規模で展開する[[スーパーマーケット]]や[[コンビニ]]、電器店などの[[チェーン店舗]]が郊外の幹線道路沿いに多数開店した。生活するうえでの利便性が増した一方で、[[中心市街地]]の[[空洞化]]を招いた。[[バブル経済]]の崩壊後以降は、都市部の[[地価]]の下落が進行。近年は中心市街地への高層[[マンション]]の建設が相次いでいる。また、小売店舗の中心市街地への新規出店や[[都市再開発|再開発]]事業が活発に展開されている。[[人口]]の増加<ref name="immigration-01" /><ref name="immigration-02" />も見られており、現在では再び地価が上昇している<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASG9D4F5QG9DPPZB008.html 岡山)基準地価、上昇は50地点 昨年より倍増]{{リンク切れ|date=2020-8}}</ref>。 岡山市では、[[江戸時代]]の[[城下町]]に由来する[[岡山表町商店街|表町]]地区と、[[1972年]](昭和47年)の[[山陽新幹線]]開業後に発展した[[西日本旅客鉄道|JR]][[岡山駅]]周辺地区が2大商業地区となっている。[[岡山都市圏|岡山県南都市圏]]は現在人口150万人を擁し、地方都市としては数少ない、成長が見込まれる都市圏のひとつである。岡山市の[[政令指定都市]]移行を契機として、今後も再開発などの活性化が期待されている。 県南西部の井原市・笠岡市は江戸時代に[[備後福山藩]]領であったなど歴史的にも広島県東部との商業的な一体感が大きく、相対的に県内他市町村(岡山市など)とのつながりが小さい。これらの地域は現在でも完全に福山都市圏に属し、多くの住民が日常的な買い物などを福山市に依存している。 一方で、その他の地域では人口の流出・減少を伴った過疎化によって商業施設の撤退・閉鎖、大型商業施設の郊外出店によるスポンジ化現象が見られ、地域活性化が大きな課題となっている。 === 岡山県に本社を置く主要企業 === ==== 上場企業 ==== {| class="sortable wikitable" ! 企業名 !! 本社所在地 !! 上場する市場 |- | [[アルファ (POP)|アルファ]] | 岡山市中区 | [[スタンダード市場|スタンダード]] |- | [[E・Jホールディングス]] | 岡山市北区 | [[プライム市場|プライム]] |- | [[ウエスコ (建設コンサルタント)|ウエスコホールディングス]] | 岡山市北区 | スタンダード |- | [[大本組]] | 岡山市北区 | スタンダード |- | [[岡山県貨物運送]] | 岡山市北区 | スタンダード |- | [[岡山製紙]] | 岡山市南区 | スタンダード |- | [[オルバヘルスケアホールディングス]] | 岡山市北区 | スタンダード |- | [[KG情報]] | 岡山市北区 | スタンダード |- | [[倉敷紡績]] | 倉敷市 | プライム |- | [[クラレ]] | 倉敷市 | プライム |- | [[サンマルクホールディングス]] | 岡山市北区 | プライム |- | [[大黒天物産]] | 倉敷市 | プライム |- | [[TAKISAWA]] | 岡山市北区 | スタンダード |- | [[タツモ]] | 岡山市北区 | プライム |- | [[中国銀行 (日本)|中国銀行]] | 岡山市北区 | プライム |- | [[テイツー]] | 岡山市北区 | スタンダード |- | [[天満屋ストア]] |岡山市北区 | スタンダード |- | [[トマト銀行]] | 岡山市北区 | スタンダード |- | [[萩原工業]] | 倉敷市 | プライム |- | [[はるやま商事|はるやまホールディングス]] | 岡山市北区 | スタンダード |- | [[ハローズ]] | 都窪郡早島町 | プライム |- | [[ベネッセコーポレーション|ベネッセホールディングス]] | 岡山市北区 | プライム |- |} 他県に登記上の本店を置いている企業を含む<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.okayama.jp/uploaded/life/656357_5695810_misc.pdf |title=おかやま業界地図 |publisher=岡山県 | |year=2020 |format=PDF |accessdate=2021-06-09}} </ref>。 ==== 非上場企業 ==== {{Col-begin}} {{Col-break}} ; 金融機関 * [[おかやま信用金庫]] * [[吉備信用金庫]] * [[玉島信用金庫]] * [[津山信用金庫]] * [[備前日生信用金庫]] * [[備北信用金庫]] * [[水島信用金庫]] * [[笠岡信用組合]] ; 電力・ガス * [[岡山ガス]] * [[津山ガス|津山瓦斯]] * [[水島ガス|水島瓦斯]] ; 化学 * [[旭化成酸素]] * [[岡山化工]] * [[カモ井加工紙]] * [[大和酸素]] * [[中国化工]] * [[中国精油]] * [[DOWA IPクリエイション]] * [[DOWAエフテック]] * [[ドレンシー]] * [[ナガオ (岡山県)|ナガオ]] * [[水島合金鉄]] * [[メイト (岡山県)|メイト]] ; 金属製品製造 * [[ナカシマプロペラ]] * [[光軽金属工業]] ; 各種産業機械製造 * [[カーツ]] * [[ニッカリ]] * [[みのる産業]] ; 飲食料品製造 * [[アサヒブレッド]] * [[岡山木村屋]] * [[オハヨー乳業]] * [[梶原乳業]] * [[カバヤ食品]] * [[嘉美心酒造]] * [[カモ井食品工業]] * [[橘香堂 (倉敷市)|橘香堂]] * [[キミセ醤油]] * [[三光正宗]] * [[サンラヴィアン]] * [[中国フジパン]] * [[豊島屋 (岡山県)|豊島屋]] * [[ナイカイ塩業]] * [[林原グループ|林原]] * [[丸本酒造]] * [[三好野本店]] * [[山田養蜂場]] <!-- 繊維工業--> ; 衣料品製造 * [[明石スクールユニフォームカンパニー]] * [[アン・ドゥー]] * [[菅公学生服]] * [[ジョンブル (アパレル)|ジョンブル]] * [[寅壱]] * [[トンボ (企業)|トンボ]] * [[ビッグジョン]]<!-- 窯業・土石・コンクリート--> ; 機械部品製造 * [[オーエム産業]] * [[住友電工焼結合金]] * [[タカヤ]] * [[タグチ工業]] * [[ローム・ワコー]]<!-- 紙製品製造--> ; プラスチック製品製造 * [[シーピー化成]] ; ゴム製品製造 * [[倉敷化工]] * [[日進ゴム]] * [[丸五ゴム工業]]<!-- 自動車・農機具部品製造--> {{Col-break}} ; その他製造 * [[岡山大鵬薬品]] * [[ダイシン電機]] * [[徳永こいのぼり]] * [[日本ティーエス]] * [[ペガサスキャンドル]] * [[山佐]] ; 出版・広告・放送・印刷他 * [[RSKホールディングス]] * [[RSK山陽放送]] * [[テレビせとうち]] * [[岡山放送]] * [[井原放送]] * [[エクセルパック・カバヤ]] * [[エフエムくらしき]] * [[岡山エフエム放送]] * [[岡山シティエフエム]] * [[岡山ネットワーク]] * [[笠岡放送]] * [[吉備ケーブルテレビ]] * [[倉敷ケーブルテレビ]] * [[山陽新聞|山陽新聞社]] * [[玉島テレビ放送]] * [[津山朝日新聞|津山朝日新聞社]] * [[テレビ津山]] * [[内外プロセス]] * [[日本文教出版 (岡山県)|日本文教出版]] * [[ビザビグループ]] * [[日生有線テレビ]] * [[備北民報社]] * [[矢掛放送]] ; バス・タクシー他 * [[有本観光バス]] * [[井笠鉄道]] * [[井原鉄道]] * [[宇野自動車]] * [[岡山交通]] * [[岡山タクシー]] * [[岡山電気軌道]] * [[下津井電鉄]] * [[下電観光バス]] * [[総社バス]] * [[中鉄バス]] * [[中鉄美作バス]] * [[津山タクシー]] * [[野村交通]] * [[備北バス]] * [[平和タクシー (岡山県)|平和タクシー]] * [[水島臨海鉄道]] * [[両備ホールディングス]] ; 運輸 * [[瀬戸内観光汽船]] * [[ナカウン]] * [[日生運輸]] * [[日の出運輸|日之出運輸]] ; 倉庫 * [[岡山臨港鉄道|岡山臨港]] ; 建築・土木 * [[岩水開発]] * [[エス・バイ・エル・カバヤ]] * [[ヘルシーホーム]] * [[ミサワホーム中国]] ; 職域工事 * [[日本植生]] ; 設計・測量・調査 * [[エイト日本技術開発]] ; 不動産売買・賃貸 * [[宇野不動産]] * [[岡山コンベンションセンター]] {{Col-break}} ; 飲食・ホテル・レジャー他 * [[あずまや (岡山県)|あずまや]] * [[岡山国際サーキット]] * [[おもちゃ王国]] * [[木下大サーカス|木下サーカス]] * [[倉敷アイビースクエア]] * [[ケイコーポレーション]] * [[サンエイ・ジャンボグループ|三永]] * [[全秦グループ|全秦通商]] * [[ナショナルフーズ (岡山県)|ナショナルフーズ]] * [[バーク・ジャパン]] * [[ピアーサーティー]] * [[風来坊 (岡山県)|風来坊]] * [[ふるいち]] * [[フレスカ (岡山県の企業)|フレスカ]] * [[ペブルフードオペレーション]] * [[マリンポリス]] * [[ヨコヤマコーポレーション]] ; 飲食料品販売 * [[赤沢食品]] * [[天仁製茶]] * [[白十字 (菓子メーカー)|白十字]] * [[藤徳物産]] * [[源吉兆庵]] ; 衣料品販売 * [[キャピタル (アパレル)|キャピタル]] ; 日用品・雑貨販売 * [[金光薬品]] * [[ザグザグ]] * [[サンヨープレジャー]] * [[ラブドラッグス]] ; 百貨店・スーパー * [[共栄商事 (岡山県)|共栄商事]] * [[グランドマート]] * [[タイム (小売業)|タイム]] * [[玉屋 (岡山県)|玉屋]] * [[天満屋]] * [[東久ストア]] * [[ナンバ (ホームセンター)|ナンバ]] * [[ニシナ百貨店|仁科百貨店]] * [[マツサカ]] * [[わたなべ生鮮館]] ; 自動車他耐久消費財販売 * [[岡山日産自動車]] * [[岡山三菱ふそう自動車販売]] * [[タカハシカメラ]] * [[トヨタカローラ岡山]] * [[日産サティオ岡山]] ; <!--- 建築資材販売 ---> ; <!--- 燃料販売 ---> ; 書籍・新聞販売 * [[オサダ文昭堂]] * [[ブックランドあきば]] * [[万歩書店]] * [[山田快進堂]] ; その他販売 * [[クラブン]] * [[ケーアイツー]] * [[サンワサプライ]] * [[中原三法堂]] ; 教育 * [[アミティー]] * [[イーオン]] ; 金融 * [[全日信販]] * [[中銀証券]] ; ソフトウエア開発 * [[シックス (企業)|シックス]] * [[セリオ東洋グループ|セリオ]] * [[ソフィア (ソフトウェア)|ソフィア]] * [[トライエス]] * [[両備システムズ]] <!-- 車両整備--><!-- 各種リース--><!-- 各種メンテナンス--><!-- 清掃・ビルメンテナンス--><!-- 浄化槽・産業廃棄物--><!-- 冠婚葬祭--> ; その他 * [[グロップ]] * [[三洋ホールディングス]] * [[JR西日本岡山メンテック]] * [[ダイヤクリーニング]] <!-- 農協・漁協--> {{Col-end}} <ref>分類は、『岡山企業年報』の掲載業種別。</ref> === 岡山県で創業し拠点事業所を置く主要企業 === * [[クラレ]] - [[倉敷市]]で[[起業|創業]]。現在の[[本社]]は東京(ただし登記上の本店は現在も倉敷市)。現在も倉敷事業所、岡山事業所を置いている。 * [[倉敷紡績]](クラボウ) - 倉敷市で創業。現在の本社は大阪(ただし登記上の本店は現在も倉敷市)。現在も岡山工場を置いている。工場跡地にホテル[[倉敷アイビースクエア]]や[[倉敷中央病院]]を設立し、[[2021年]]([[令和]]3年)[[現在]]でも倉敷とつながりの深い[[企業]]である。 * [[三井造船]]([[三井E&Sホールディングス]]) - 玉野市で創業。現在の本社は東京。現在でも創業の地である玉野市に玉野事業所を置いている。 === 岡山県に拠点事業所を置く主要企業 === <!-- ※ 原則として、Wikipedia日本語版内に記事が存在する企業の中から、上場有無、売り上げ規模、事業所・店舗展開の規模などを鑑み、代表的なものを例示する。 --> * [[三菱自動車工業]] * [[JFEスチール]] * [[東京製鐵]] * [[ENEOS]](旧[[新日本石油精製]]・[[ジャパンエナジー]]) * [[旭化成]] * [[三菱ガス化学]] * [[三菱ケミカル]] * [[住友化学]] * [[NTN]] * [[村田製作所]](岡山村田製作所) * [[ローム]]([[ローム・ワコー]]) * [[パナソニックエレクトロニックデバイス]](パナソニック エレクトロニックデバイス津山) * [[シャープ]](シャープタカヤ電子工業) * [[サノヤスホールディングス]](サノヤス造船) * [[品川リフラクトリーズ]] * [[北興化学工業]] * [[荒川化学工業]] * [[大阪ソーダ]] * [[日本ゼオン]] * [[日本農産工業]] * [[西日本放送]]([[高松市|香川]]本拠の放送局。岡山本社中国総支社、倉敷支社を設置。) * [[瀬戸内海放送]](香川本拠のテレビ局。岡山本社並びに広島・九州地区統括営業グループを設置。) === 岡山県が発祥とされる商品・サービス === {{Multicol}} * [[青汁]] * [[カラオケボックス]] * セルフ式うどん店 * [[卵かけご飯]] {{Multicol-break}} * [[点字ブロック]] * [[ぶっかけうどん]] * ミルク金時 * [[民生委員]] {{Multicol-end}} == 生活・交通 == === 警察 === [[岡山県警察]]本部の管轄にあり、以下の22警察署が置かれている。ここ数年の[[市町村合併]]にともない、[[2006年]](平成18年)[[4月1日]]に警察署管轄地域の見直しが行われた。また、[[2009年]](平成21年)4月1日からは、岡山市の政令指定都市移行にともない岡山東警察署が岡山中央警察署に、西大寺警察署が岡山東警察署にそれぞれ名称変更された。 * [[岡山中央警察署]](岡山市中区): [[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]の東部と[[中区 (岡山市)|中区]] * [[岡山東警察署]](岡山市東区): 岡山市[[東区 (岡山市)|東区]][[西大寺 (旧市域)|西大寺]]・上道地区 * [[岡山西警察署]](岡山市北区): 岡山市北区北西部と[[南区 (岡山市)|南区]]の一部 * [[岡山南警察署]](岡山市南区): 岡山市南区の大半と北区の一部 * [[岡山北警察署]](岡山市北区): 岡山市北区[[御津町|御津]]・[[建部町|建部]]地区・[[吉備中央町]] * [[赤磐警察署]](岡山市東区): 岡山市東区[[瀬戸町|瀬戸]]地区・[[赤磐市]] * [[備前警察署]](備前市): [[備前市]]・[[和気町]] * [[瀬戸内警察署 (岡山県)|瀬戸内警察署]](瀬戸内市): [[瀬戸内市]] * [[玉野警察署]](玉野市): [[玉野市]] * [[児島警察署]](倉敷市): 倉敷市[[児島地域|児島]]地区 * [[倉敷警察署]](倉敷市): [[倉敷市]][[倉敷地域|倉敷]]地区・岡山市北区の一部・[[早島町]] * [[水島警察署]](倉敷市): 倉敷市[[水島地域|水島]]地区 * [[玉島警察署]](倉敷市): 倉敷市[[玉島地域|玉島]]・[[船穂町|船穂]]・[[真備町|真備]]地区・[[浅口市]]・[[里庄町]] * [[笠岡警察署]](笠岡市): [[笠岡市]] * [[井原警察署]](井原市): [[井原市]]・[[矢掛町]] * [[総社警察署]](総社市): [[総社市]] * [[高梁警察署]](高梁市): [[高梁市]] * [[新見警察署]](新見市): [[新見市]] * [[真庭警察署]](真庭市): [[真庭市]]・[[新庄村]] * [[津山警察署]](津山市): [[津山市]]・[[鏡野町]] * [[美作警察署]](美作市): [[美作市]]・[[勝央町]]・[[奈義町]]・[[西粟倉村]] * [[美咲警察署]](美咲町): [[美咲町]]・[[久米南町]] === 交通 === ==== 鉄道 ==== 鉄道は[[1891年]](明治24年)に[[山陽鉄道]](現在のJR山陽本線)が三石駅から岡山駅まで開通したのを皮切りに、[[中鉄バス|中国鉄道]]・[[西大寺鉄道]]・[[同和鉱業片上鉄道|片上鉄道]]・[[下津井電鉄]]などが次々と開通した。一方で戦後にはモータリゼーションの進行や利用者の減少により多くの私鉄路線が廃止された。[[1972年]](昭和47年)には[[日本国有鉄道|国鉄]]山陽新幹線[[新大阪駅|新大阪]]・岡山間が、3年後には岡山・[[博多駅|博多]]間が開業し、[[1988年]](昭和63年)には瀬戸大橋開通にともないJR瀬戸大橋線が開業。以来、JR岡山駅は[[本州]]と[[九州]]、および[[山陰地方|山陰]]と[[四国]]を結ぶ一大[[ターミナル駅|ターミナル]]となっている。現在、以下の路線が存在しており、岡山市では全国的に数少なくなった[[路面電車]]も運行されている。  [[岡山駅]]には[[新幹線]]の花形[[のぞみ (列車)|のぞみ]]の全列車が停車する。 {{see also|岡山県の鉄道駅一覧}} [[ファイル:岡山駅 東口 2022.jpg|thumb|right|230px|JR岡山駅(東口)]] ; [[西日本旅客鉄道]](JR西日本) * [[File:Shinkansen jrw.svg|17px]] '''[[山陽新幹線]]''' - [[岡山駅]](岡山市[[北区 (岡山市)|北区]])・[[新倉敷駅]](倉敷市) * {{JR西路線記号|O|S}} {{JR西路線記号|O|W}} '''[[山陽本線]]''' - [[三石駅]](備前市) - [[笠岡駅]](笠岡市) * {{JR西路線記号|O|V}} '''[[伯備線]]''' - [[倉敷駅]](※岡山駅まで直通) - [[新郷駅 (岡山県)|新郷駅]](新見市) * {{JR西路線記号|O|U}} '''[[吉備線]]''' 愛称→(桃太郎線)- 岡山駅 - [[総社駅]](総社市) * {{JR西路線記号|O|N}} '''[[赤穂線]]''' - [[寒河駅]](備前市) - [[東岡山駅]](岡山市[[中区 (岡山市)|中区]])(※岡山駅まで直通) * {{JR西路線記号|O|T}} '''[[津山線]]''' - 岡山駅 - [[津山駅]](津山市) * {{JR西路線記号|O|M}} {{JR西路線記号|O|L}} '''[[宇野線]]'''愛称→(宇野みなと線) - 岡山駅 - [[宇野駅]](玉野市) * {{JR西路線記号|O|M}} '''[[本四備讃線]](瀬戸大橋線)''' - [[茶屋町駅]](倉敷市)(※岡山駅まで直通) - [[児島駅]](倉敷市) * {{JR西路線記号|H|P}} '''[[芸備線]]''' - [[備中神代駅]](新見市)(※[[新見駅]]まで直通) - [[野馳駅]](新見市) * {{JR西路線記号|K|K}} '''[[姫新線]]''' - [[美作土居駅]](美作市) - 新見駅 * {{JR西路線記号|S|B}} '''[[因美線]]''' - [[美作河井駅]](津山市) - 津山駅 ; [[四国旅客鉄道]](JR四国) * {{Color|#33c|■}} '''本四備讃線(瀬戸大橋線)'''- 児島駅 - 下津井[[瀬戸大橋]] ; [[智頭急行]] * {{Color|deeppink|■}} '''[[智頭急行智頭線|智頭線]]''' - [[宮本武蔵駅]](美作市) - [[あわくら温泉駅]](西粟倉村) ; [[井原鉄道]] * {{Color|yellowgreen|■}} '''[[井原鉄道井原線|井原線]]''' - 総社駅 - [[子守唄の里高屋駅]](井原市) ; [[水島臨海鉄道]] * {{Color|blue|■}} '''[[水島臨海鉄道水島本線|水島本線]]''' - [[倉敷市駅]] - [[三菱自工前駅]](倉敷市) ; [[岡山電気軌道]] * {{Color|mediumblue|■}}'''[[岡山電気軌道東山本線|東山本線]]''' - [[岡山駅前駅|岡山駅前電停]] - [[東山・おかでんミュージアム駅停留場|東山・おかでんミュージアム駅電停]](岡山市[[中区 (岡山市)|中区]]) * {{Color|green|■}}'''[[岡山電気軌道清輝橋線|清輝橋線]]''' - [[柳川停留場|柳川電停]](※岡山駅前電停まで直通) - [[清輝橋停留場|清輝橋電停]](岡山市[[北区 (岡山市)|北区]]) ==== 道路 ==== 山陰地方と四国の中間に位置し、古くから主要[[街道]]の[[山陽道]]が通っていた岡山県は[[道路]]網が充実しており、特に2007年(平成19年)度の高速道路延長(面積1,000km²当たり延長)は41キロと全国第5位になっている。 ; [[高速道路]](高速自動車国道・高規格幹線道路) * [[山陽自動車道]]([[備前インターチェンジ (山陽自動車道)|備前IC]] - [[笠岡インターチェンジ|笠岡IC]]、[[倉敷ジャンクション|倉敷JCT]] - [[早島インターチェンジ|早島IC]]) * [[中国自動車道]]([[作東インターチェンジ|作東IC]] - [[新見インターチェンジ|新見IC]]) * [[鳥取自動車道]]([[大原インターチェンジ (岡山県)|大原IC]] - [[坂根インターチェンジ|坂根交差点]]) * [[岡山自動車道]]([[岡山ジャンクション|岡山JCT]] - [[北房ジャンクション|北房JCT]]) * [[米子自動車道]]([[落合ジャンクション|落合JCT]] - [[蒜山インターチェンジ|蒜山IC]]) * [[瀬戸中央自動車道]]([[早島インターチェンジ|早島IC]] - [[児島インターチェンジ|児島IC]]) ; [[一般国道]] * [[国道2号]] [[大阪府]][[大阪市]] - [[福岡県]][[北九州市]] * [[国道30号]] [[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]・[[南区 (岡山市)|南区]] - [[香川県]][[高松市]] * [[国道53号]] 岡山市[[北区 (岡山市)|北区]] - [[鳥取県]][[鳥取市]] * [[国道179号]] [[兵庫県]][[姫路市]] - 鳥取県[[東伯郡]][[湯梨浜町]] * [[国道180号]] 岡山市[[北区 (岡山市)|北区]] - [[島根県]][[松江市]] * [[国道181号]] 岡山県[[津山市]] - 鳥取県[[米子市]] * [[国道182号]] 岡山県[[新見市]] - [[広島県]][[福山市]] * [[国道250号]] 兵庫県[[神戸市]] - 岡山県岡山市[[北区 (岡山市)|北区]] * [[国道313号]] 広島県福山市 - 鳥取県東伯郡[[北栄町]] * [[国道373号]] 兵庫県[[赤穂市]] - 鳥取県鳥取市 * [[国道374号]] 岡山県[[備前市]] - 岡山県津山市 * [[国道429号]] 岡山県[[倉敷市]] - [[京都府]][[福知山市]] * [[国道430号]] 岡山県倉敷市 - 岡山県[[玉野市]] * [[国道482号]] 京都府[[宮津市]] - 鳥取県米子市 * [[国道484号]] 岡山県備前市 - 岡山県[[高梁市]] * [[国道486号]] 岡山県総社市 - 広島県[[東広島市]] ; [[都道府県道|県道]] {{see|岡山県の県道一覧}} ==== バス ==== 岡山県は隣接する[[広島県]]とともにバス事業者の多い県である。岡山市内では多数の会社が乗り入れ、一時期は事業者間での激しい競合が発生する問題も起きていたが、調整が進むなど改善している。高速バスは京阪神、山陰、広島、東京、福岡、四国各県などに伸びる。都市圏が県境を跨ぐ県西部では井笠バスカンパニー、北振バスが地方部では非常に稀な路線バスが県境を越える越境路線を運行している。 * 岡山市・倉敷市周辺 ** [[両備ホールディングス]](「愛称→両備バス」岡山市内・倉敷市内および玉野市など) *** [[東備バス]](岡山市西大寺地区・瀬戸内市、両備ホールディングスの分社子会社) ** [[岡山電気軌道]](「愛称→岡電バス」岡山市内中心。両備グループ) ** [[中国鉄道]](「愛称→中鉄バス」岡山市内および総社市など) *** 子会社数社が県北部に路線網を持つ(下記記載) ** [[下津井電鉄]](「愛称→下電バス」岡山市内・倉敷市内など) ** [[宇野自動車]](「愛称→宇野バス」岡山市内および、赤磐市、瀬戸内市など) ** [[中国ジェイアールバス]](現在は高速バスのみ) ** [[八晃運輸]](「愛称→岡山市内循環バス めぐりん」岡山市内) ** [[中国バス]](高速バスが岡山県内に停留所設置。本社:広島県福山市。両備グループ) * 県西部 **[[井笠バスカンパニー]](旧[[井笠鉄道]](愛称→井笠バス)、笠岡市、井原市および広島県福山市など、両備グループ) ** [[北振バス]](矢掛町、井原市、高梁市および広島県福山市など) * 県北部 ** [[備北バス]](備北グループ)(高梁市、真庭市、新見市など) ** [[中鉄北部バス]](津山市など、中鉄バスの子会社) ** [[中鉄美作バス]](真庭市など、中鉄バスの子会社) ==== 航空 ==== 県内の主要空港は岡山空港である。岡山市北区日応寺に所在し、県が管理する[[第三種空港]]、準国際空港である。国内線では[[東京]]・[[札幌市|札幌]]・[[那覇市|那覇]]の3都市へ、国際線では[[ソウル特別市|ソウル]]、[[上海市|上海]]がデイリー運行、[[北京市|北京]]・[[大連市|大連]]へ定期便が就航する。もとより東京行きの便が距離的・料金的に航空機と新幹線との間で競争が激しい地区であり、また、空港内の駐車場が無料(一部は有料)であることから、同じ中国地方で[[第二種空港]]の[[広島空港]]には大きく水を空けられているものの、近年利用者が増大しており、他の地方第三種空港が経営に苦しんでいる中で高い収益を上げている。広島空港は広島県の中央に立地しているため、県西部の井笠地方は広島空港と岡山空港のほぼ中間にある。[[1988年]](昭和63年)の岡山空港開港まで主要空港であった岡南飛行場([[岡山市]][[南区 (岡山市)|南区]])は、現在セスナ機などの小型機の飛行場として運営されている。笠岡ふれあい空港は全国初の農道空港として開港したが、利用が振るわず旅客便が就航したことはなく、現在では定期便の運航はない。 * [[岡山空港]] (「愛称→岡山桃太郎空港」)- [[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]] * [[岡南飛行場]](旧岡山空港) - [[岡山市]][[南区 (岡山市)|南区]] * [[笠岡ふれあい空港]] ==== 港湾・船舶 ==== 昭和期までは長距離航路を含む多くの旅客船が寄港していたが、新幹線、高速道路など陸上交通の整備により長距離航路は全廃され、瀬戸内海の島嶼を結ぶ短距離航路のみ存続する。[[宇野港]]は[[高松港]]へ向かう[[宇高連絡船]]が発着し、[[四国地方]]への玄関口として機能していたが、2019年(平成31年/令和元年)に宇高連絡船は廃止された。 * [[宇野港]] - [[玉野市]] **[[直島町|直島]]へのフェリー([[四国汽船]]) **[[小豆島]]への[[フェリー]]([[小豆島豊島フェリー]]) * [[岡山港]] - 岡山市南区 ** 小豆島へのフェリー([[両備フェリー]]、[[四国フェリー]]) * [[日生港]] - [[備前市]] ** 小豆島へのフェリー([[瀬戸内観光汽船]]) * [[笠岡港]] - [[笠岡市]] ** [[笠岡諸島]](さらに笠岡諸島から香川県多度津)への航路([[三洋汽船]]、[[白石フェリー]]など) === 医療・福祉 === {{main|Category:岡山県の医療機関}} 藩政時代末期の[[1870年]]([[明治3年]])、西洋医学を推進する目的で藩の御典医らにより岡山藩医学館が設立され、官立大学の[[岡山医科大学 (旧制)|岡山医科大学]]を経て後の岡山大学医学部となった。また[[1970年]]([[昭和45年]])には私立[[川崎医科大学]]が開校し現在は県内に2つの医学部がある。[[岡山大学病院]]、[[岡山東部脳神経外科]]、[[川崎医科大学付属病院]]、[[倉敷中央病院]]、[[心臓病センター榊原病院]]などが大規模、高度な設備を備える県内の主要病院。県内の主要医療機関は岡山市、倉敷市に偏在しており県北部、西部との[[医療格差]]が問題となっている。医師不足の深刻な笠岡市では救急患者が常態的に広島県福山市内の医療機関へ搬送されるために負担にえかねた福山市側から搬送先情報の提供拒否が行われたことがある<ref>{{Cite web|和書|title=医療連携へ模索続く岡山県境 共通課題は医師不足|url=http://medica.sanyonews.jp/article/2661/|website=岡山の医療健康ガイド MEDICA|accessdate=2020-05-31|language=ja}}</ref>。一方で、2021年には[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症]]の拡大を受け県境の井原市や笠岡市を含む備後地域で医療が逼迫しているとして広島県の湯崎英彦知事が岡山県に患者受け入れの協力を要請<ref>{{Cite web|和書|title=知事「ここで止めないと」 特措法の早期改正も要望:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/ASP176W47P17PPZB001.html|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2021-03-18|language=ja}}</ref>するなど県境を越えた医療の連携が進んでいる<ref>{{Cite journal|title=中国地方5県ドクターヘリ広域連携に係る基本協定書}}</ref>。 [[災害拠点病院]]は「[[岡山県災害拠点病院]]」を、[[保育所]]は「[[岡山県保育所一覧]]」を参照。 主要診療科の中で特に産婦人科は県内で1996年には37病院・39診療所だったものが2017年には13病院・24診療所と大きく減少しており、特に減少の深刻な県北西部では最寄りの分娩施設まで車で60分以上かかるエリアや、万一の際にいずれかの周産期母子医療センターまで60分以上かかるエリアが目立つ。<ref>{{Cite web|和書|title=(39)安心の産婦人科医療 岡山市立市民病院 平松祐司マタニティセンター長|url=http://medica.sanyonews.jp/article/8228/|website=岡山の医療健康ガイド MEDICA|accessdate=2021-04-29|language=ja}}</ref>県南西部においては産婦人科医の常勤する病院は高梁川以西から既に消失し、井原・笠岡地域では地域の分娩機能の中心的役割は県境を越えた広島県福山市内の医療機関が担っている<ref>{{Cite journal|author=広島県|year=2013.03|title=福山・府中二次保健医療圏|journal=広島県保健医療計画 地域計画|page=27}}</ref>。 === マスメディア === {{Main|岡山県・香川県の放送}} ==== テレビ局 ==== 岡山県では県域放送のNHKおよび[[電波相互乗り入れ]]による5つの民放テレビ局が視聴可能となっている。民放5局のうち3局は岡山県に、2局は香川県に本社を置いており、1970年代から相互乗り入れを実施している。 岡山県では[[2006年]](平成18年)12月1日より[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]が本格的に開始された。岡山・玉野市境の[[金甲山送信所]]を親局とし、県内に78か所の中継局が整備されている。リモコン番号は[[日本のリモコンキーID#リモコンキーID一覧|リモコンキーID]]の記事の岡山県部分を参照。[[テレビ東京]]系の[[テレビせとうち]]が全国の地方都市では唯一存在しているため、独立UHF局がないことを除けば関東広域圏と同じとなっている。ただし、ケーブルテレビの契約によって、在神の独立UHF局サンテレビが視聴できる。NHKと民放在京キー局5局に属する準キー局もしくはローカル局があるのは北海道、首都圏、中京圏、関西圏、福岡県と岡山、香川の13都道府県に限られており、かなりレアである。 テレビ中継局は県内に78か所所在するが、全ての個所で全局を送信しているのではなく局によって異なっている。岡山県内ではNHK総合・Eテレ>RSK>OHK>RNC>KSB>TSCで、最も少ないTSCは25か所の設置となっている。 {| class="wikitable" style="font-size:small" border="1" |- |+テレビ放送 |- !チャンネル番号!!放送局名!!放送系列!!略称!!備考 |- |1・2||[[NHK岡山放送局]]||[[日本放送協会|NHK]]||NHK|| |- |6||[[RSKテレビ|RSK山陽放送]]||[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]||RSK||[[RSKホールディングス]]傘下 |- |7||[[テレビせとうち]]||[[TXNネットワーク|TXN]]||TSC|| 山陽新聞傘下 中継局が少ない関係で、山間部などでは受信できない地域がある(地上デジタル放送で視聴できない世帯は約14,000世帯) |- |8||[[岡山放送]]||[[フジニュースネットワーク|FNN]]||OHK|| |- | colspan="5" style="background-color:#e6e16e6" |次の2社は香川県高松市に本社を置くが、放送対象地域を相互補完する目的から、送信所(親局)を金甲山送信所(岡山市南区・玉野市両市境)に設置している。なおかつ事業所の拠点性が高いことから、2社ともに岡山市にも本社(事実上の支社)を置いている。 |- |4||[[西日本放送テレビ|西日本放送]]||[[日本ニュースネットワーク|NNN]]||RNC||四国新聞傘下 |- |5||[[瀬戸内海放送]]||[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]||KSB|| |} {{Gallery |title="テレビ局舎外観" |height=90 |ファイル:Lit City BLD.,Okayama 2.jpg|[[日本放送協会]](NHK)[[NHK岡山放送局|岡山放送局]]<br />([[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]) |ファイル:RSK INNOVATIVE MEDIA CENTER.jpg|[[RSK山陽放送]](RSK)<br />(岡山市北区) |ファイル:Morinomachi Grace Office Square 20210912.jpg|[[岡山放送]](OHK)<br />(岡山市北区) |ファイル:SANYO SIMBUN head office building.jpg|[[テレビせとうち]](TSC)<br />(岡山市北区) |ファイル:RNC Okayama office.jpg|[[西日本放送]](RNC)岡山本社<br />(岡山市北区) |ファイル:KSB Hall.jpg|[[瀬戸内海放送]](KSB)岡山本社<br />(岡山市北区) }} ==== ラジオ局 ==== ; 県域放送 * NHK岡山放送局 - AMラジオ第一放送・第二放送・NHK-FM * RSK山陽放送([[RSKラジオ]]、[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列) * [[岡山エフエム放送]](FM岡山、[[全国FM放送協議会|JFN]]系列) 県域FM局の親局及びRSKのFM補完放送局送信所も、デジタルテレビ各局と同じく金甲山に置かれている。 ; コミュニティFM * [[岡山シティエフエム]](岡山市・赤磐市、[[ミュージックバード]]配信) * [[エフエムくらしき]](倉敷市・総社市、[[J-WAVE]]、ミュージックバード配信) * [[笠岡放送]]([[エフエムゆめウェーブ]]、笠岡市・里庄町・浅口市、ミュージックバード配信) * [[つやまコミュニティFM]](津山市) ※ [[インターネット]]におけるサイマルラジオ放送は、コミュニティ放送のつやまコミュニティFMを皮切りに各放送局で実施している。県域民放局が実施している[[radiko]]にはRSK山陽放送と岡山エフエム放送(FM岡山)共に参加している。 ==== ケーブルテレビ局 ==== {{see|Category:岡山県のケーブルテレビ局}} ==== 新聞 ==== 岡山県では県紙で[[1889年]](明治22年)創刊の山陽新聞を中心に購読されている。また、[[全国紙]]では各紙が大阪本社の管轄下にあり、県内に支局を設置している。読売・毎日・日経・産経の各紙は県内に印刷工場を設け、朝日新聞は香川県内の印刷工場から輸送する体制をとっている。ただいずれの全国紙も岡山県での夕刊の販売はしておらず、朝刊のみである。夕刊紙の[[岡山日日新聞]]も存在したが、[[2011年]](平成23年)[[11月10日]]をもって廃刊した。 ; 地方紙 * [[山陽新聞]] * [[津山朝日新聞]] * [[備北民報社|備北民報]] * [[中国新聞]](本社:[[広島市]])-中国地方唯一のブロック紙 ; 全国紙 * [[読売新聞]] * [[朝日新聞]] * [[毎日新聞]] * [[日本経済新聞]] * [[産経新聞]] ; スポーツ紙 * [[デイリースポーツ]] * [[スポーツニッポン]] * [[サンケイスポーツ]] * [[スポーツ報知]] * [[日刊スポーツ]] * [[大阪スポーツ]] === 生活インフラ === ==== 電気 ==== [[一般送配電事業者]] * [[中国電力ネットワーク]](岡山県の全域、旧岡山県域の兵庫県赤穂市福浦など) ==== 都市ガス ==== * [[岡山ガス]](岡山市、倉敷市北東部、赤磐市、玉野市、総社市、都窪郡早島町の一部など) * [[水島ガス]](倉敷市水島地区、玉島地区、西阿知地区) * [[津山ガス]](津山市中心部など) * [[福山ガス]](本社:広島県福山市。笠岡市西部など) == 教育 == [[ファイル:Shizutani school the hall and shosai.JPG|250px|thumb|right|旧・閑谷学校講堂(国宝)]] [[江戸時代]]に[[備前国]]を治めた[[岡山藩]]は、[[池田光政]]の代である[[1669年]]([[寛文]]9年)に全国初の[[藩校]]である花畠教場を、続いて世界最古の庶民学校である[[閑谷学校]]を開くなど、教育の面では古くから先進的な取り組みがなされてきた。特に閑谷学校は領民だけでなく他藩の藩士にも門戸開放し、さらには藩主の[[転封]]や[[改易]]などの不測の事態でも学校を存続できるように学校領を設けて藩財政から独立させた。岡山藩が教育を重視していたことがうかがえる。また、幕府の薦める[[朱子学]]ではなく[[儒学]](陽明学)を学ばせ、[[頼山陽]]ら著名人も来訪したことで知られている。江戸時代の岡山県内の[[寺子屋]]数は[[長野県]]、[[山口県]]に次ぐ第3位(1,031校)で、私塾数は第1位(144か所)であった<ref name="a"/>。 [[明治時代]]になると[[1870年]](明治3年)に岡山藩医学館が設置され、[[1900年]](明治33年)には[[第六高等学校 (旧制)|第六高等学校]]が、[[1922年]](大正11年)には岡山藩医学館を継承した官立[[岡山医科大学]]が開校するなど[[高等教育]]が活発に行われ、当時の就学率は全国トップクラスであった。 [[ファイル:Junsei ryo.JPG|thumb|right|250px|[[順正寮跡]](順正女学校跡。[[岡山県指定文化財一覧|県指定史跡]])]] ただし、[[女子教育]]については明治の初めまで、ほとんどの地域において[[初等教育]](いわゆる市井の[[寺子屋]]や[[女紅場|女紅場・裁縫所]])以上の教育はなされなかった。上記の各学校においても[[中等教育]]以上は男子教育の場でしかなかった。そのため岡山における女子の中等教育は日本全国の他地域と同様、明治以降に[[キリスト教]]系の信徒・思想者によって、分野開拓が行われている。岡山県内において、その嚆矢となったのが[[1885年]](明治18年)に高梁向町(現在の[[高梁市]]向町)において[[福西志計子]]が開いた[[順正高等女学校|順正女学校]](現・[[岡山県立高梁高等学校]])とされる<ref group="注釈">女学校の前身となる[[女紅場|裁縫所]]は[[1881年]](明治14年)設立。高梁高校では裁縫所の設立年を創立年としている。なお同地に所在する[[吉備国際大学]]を筆頭とする学校法人順正学園は福西死後の新設校であるため、直接の関連は無い。(設立時における間接的な関連はあるため、順正学園は福西を準学祖としている。詳細は当該校の項目を参照)</ref><ref name="junsei">『福西志計子と順正女学校 -山田方谷・留岡幸助・伊吹岩五郎との交友-』[[倉田和四生]]著、吉備人出版刊。[[2006年]](平成18年)。{{ISBN2| 4-86069-143-1}}</ref>。さらに、その源流として福西の幼少期の師であり私塾の牛麓舎にて、男女の別を問わず漢学を授けた[[山田方谷]]の存在を指摘する声もある<ref name="junsei"></ref>。順正女学校の設立を皮切りに、翌[[1886年]](明治19年)には岡山市内で山陽英和女学校(現在の[[山陽学園大学]])および岡山女学校(現在の[[ノートルダム清心女子大学]])などの[[女学校]]が開校した。 ; [[大学]] {{main|Category:岡山県の大学}} 現在、岡山県には3つの[[国公立大学]]、15の[[私立大学]]が設置されている。[[2007年]](平成19年)現在、人口10万人当たりの[[大学]]・[[短期大学|短大]]設置数は全国第6位となっている<ref name="a"/>。 [[2006年]](平成18年)度からは、岡山県と岡山経済同友会を中心に、県内15の4年制大学が参加する'''大学コンソーシアム岡山'''が開始され、産・学・官の連携による地域社会の活性化や[[時代]]に合った高等教育の創造を目指している。 [[ファイル:岡山大学附属図書館中央館.jpg|thumb|right|200px|岡山大学]] [[ファイル:Kawasaki idai01.JPG|thumb|right|230px|川崎医科大学]] 国立 * [[岡山大学]] 公立 * [[岡山県立大学]] * [[新見公立大学]] 私立 * [[岡山商科大学]] * [[岡山理科大学]] * [[岡山学院大学]] * [[川崎医科大学]] * [[川崎医療福祉大学]] * [[吉備国際大学]] * [[倉敷芸術科学大学]] * [[くらしき作陽大学]] * [[山陽学園大学]] * [[就実大学]] * [[中国学園大学]] * [[ノートルダム清心女子大学]] * [[美作大学]] * [[環太平洋大学]] * [[岡山医療専門職大学]] ; [[短期大学]] 公立 * [[倉敷市立短期大学]] 私立 * [[山陽学園短期大学]] * [[就実短期大学]] * [[中国短期大学]] * [[川崎医療短期大学]] * [[岡山短期大学]] * [[美作大学短期大学部]] * [[作陽短期大学]] ; [[通信制大学]] 私立 * [[放送大学]] 岡山学習センター ; [[高等専門学校]] 国立 * [[津山工業高等専門学校]] ; [[専修学校]] * [[岡山県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] * [[岡山県特別支援学校一覧]] ; [[高等学校]] * [[岡山県高等学校一覧]] ; [[中学校]] * [[岡山県中学校一覧]] ; [[小学校]] * [[岡山県小学校一覧]] 島嶼を多く抱える岡山県では公営の[[通学船]](スクールボート)の運航が見られる。 ; [[幼稚園]] * [[岡山県幼稚園一覧]] ; 越境通学 * [[広島県]][[福山市立野々浜小学校]]:笠岡市茂平地区。「福山市と笠岡市との間の事務の委託に関する規約」により居住する児童の小学校教育事務の管理及び執行を広島県福山市に委託している。該当児童は徒歩で県境を越え福山市立野々浜小学校に通学する。茂平地区、野々浜小学校はいずれも県境に接し距離が近く住宅地域は県境を越え連続している。通学距離の短縮および児童の安全管理上の措置である。<ref>{{Cite journal|author=笠岡市|year=昭和57年4月1日|title=福山市と笠岡市との間の事務の委託に関する規約|journal=|volume=|page=}}</ref> * [[兵庫県立佐用高等学校]]:美作市大原地区及び東粟倉地区、英田郡西粟倉村を学区に含む<ref>兵庫県立高等学校の通学区域に関する規則取扱規程 第5条</ref>。2006年(平成18年)に[[岡山県立大原高等学校]]が閉校して以降、最寄り高校までの通学時間が増大しており生徒の負担軽減のため[[2019年]]度より岡山県側の生徒の受け入れが始まった。 * [[鳥取県立智頭農林高等学校]]:津山市阿波及び加茂町、美作市大原地区及び東粟倉地区、英田郡西粟倉村<ref name="鳥取県">鳥取県立高等学校学則 別表(第13条関係)(平23教委規則4・追加)</ref> * [[鳥取県立日野高等学校]]:真庭郡新庄村、新見市千屋花見、千屋井原、千屋実及び千屋<ref name="鳥取県"/> * [[広島県立東城高等学校]]:新見市哲西町及び哲多町・高梁市備中町に居住し、当校以外の公立高等学校に出願しない旨の中学校長意見書を所持する者の受験を認めている。 == 文化・スポーツ == === 概略 === {{出典の明記|date=2023年9月|section=1}} 岡山市を中心とする[[備前国|備前]]地域(旧備前[[岡山藩]])は[[池田光政]]の儒教尊重が家風となり、近代以後も教育熱心な地域と言われる。古今和歌集において「真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川の音のさやけさ」と謳われ、吉備を表す枕詞が「真金吹く」であるように、古くから岡山(旧国名は吉備)は古代[[吉備]]から連綿と受け継いできた優れた鉄製技術を持っていた。そのため[[平安時代]]の[[古備前派]]に端を発し、[[福岡 (瀬戸内市)|福岡千軒]](現在の瀬戸内市長船町)では[[福岡一文字]]や[[長船派|備前長船]]、そして[[吉岡一文字]]、[[国宗]]派、また備中国の青江貞次らの[[青江派]]などといった有力な[[刀匠]]の一派が数々生まれて栄えた。さらに、備前・美濃・相模・山城・大和の5か国の作刀方式を「五箇伝」と呼び、その五箇伝のうち備前伝と美濃伝の刀が傑出して大量に生産されるに至った。また質の面では備前刀があらゆる流派の中でもっとも多く、国宝に指定されている。現在でも備前では刀匠によって刀が生産されている。 一方で陶器の[[備前焼]]は[[日本六古窯]]のひとつであり、古墳時代の須恵器から発展したもので釉薬をまったくつけずに焼かれる。また何も塗られることもない素朴さと力強さ、炎と火の粉、薪の灰から生じる窯変の味わい、その[[わびさび]]を体現した風貌から[[千利休]]や[[古田重然|古田織部]]などといった茶人に愛された。1250度の高温で約2週間焼き締めるため「投げても割れない」と言われ、茶人や公家、武家以外の一般庶民にも広く流通した。[[鎌倉時代]]初期までの作品は「古備前」と呼ばれ特に珍重される。[[金重陶陽]]といった[[人間国宝]]などの活躍もあり、また戦後にも再び脚光を浴びて一躍全国的に有名となった。 [[津山市]]を中心とする[[美作国|美作]]地域では、[[江戸時代|江戸]][[wikt:後期|後期]]から[[幕末]]にかけて[[宇田川氏#宇田川氏(美作国・蘭学)|宇田川家]]、[[箕作家]]などの[[洋学]]の人材を輩出した。 === 方言 === 主に[[東京式アクセント]]の[[岡山弁]]が用いられる。県内の方言は旧国ごとに「備前弁」・「備中弁」・「美作弁(作州弁・津山弁)」の3種に分類されることあるが互いに対立して分布しているという事象は、必ずしも多いとは言えない。[[笠岡市]]・[[井原市]]などは旧[[備中国]]であるが[[備後福山藩]]領であったなど[[歴史|歴史的]]な背景から広島県側と共通の方言([[福山弁]]・[[備後弁]])が用いられる。<ref>{{Cite journal|author=無漏田芳信・黒原義晶・片本武志|year=1994|title=備後・備中地方における通勤移動圏域の構造的変容に関する研究|journal=福山大学工学部紀要|volume=第18号|page=46}}</ref>このため県内では井笠地域のみに広島県からの連続分布により独自の事象分布が認められ、[[倉敷市]]などの備中弁とは語彙など多くの差異がある。[[笠岡市]]の真鍋島などでは特有のアクセントが用いられる。<ref>{{Cite journal|author=吉田則夫|title=岡山県下の方言分布について ―分布パターンの諸相―|journal=}}</ref> === 食文化 === {{See also|Category:岡山県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#岡山県}} 古代以来の農業の盛んな地域で、農産物・水産物は豊富である。主要なものは以下の通り。 * [[寿司|ばらずし(駅弁では、まつり寿司として)]] * [[サッパ|ままかり]]料理 * [[サワラ]]料理 * [[備中手延べ麺]] * [[鮒飯]] * [[鯖寿司]] など ; ご当地B級グルメ * [[カキオコ|日生カキオコ(牡蠣入りお好み焼き)]] * [[ホルモン焼きうどん]] * [[ひるぜん焼そば]] * [[倉敷バーガー]] * [[ドミグラスソースカツ丼]](デミカツ丼) * [[えびめし]] * [[おかやま中華そば]](岡山市内でのラーメンの名称) * [[トンカツラーメン]] * [[笠岡ラーメン]] * [[ぶっかけうどん]] など ; 郷土菓子 * [[吉備団子]] * [[大手まんぢゅう]] * [[藤戸まんじゅう]] * [[むらすずめ]] * [[落合羊羹]] * [[ゆべし#高梁のゆべし|ゆべし(高梁市)]] * [[ゆべし#矢掛のゆべし|ゆべし(矢掛町)]] など === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[備前焼]](陶磁器、[[1982年]](昭和57年)) * [[勝山竹細工]](竹工品、[[1979年]](昭和54年)) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#岡山県}} === スポーツ === 岡山県は、[[日本プロ野球|プロ野球]]と[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]の球団の両方が本拠を構えている[[兵庫県]]と[[広島県]]に挟まれ、地元に拠点を置くスポーツに対する関心が低い。[[1995年]](平成7年)には[[倉敷市]]を本拠としていた[[川崎製鉄水島サッカー部|川崎製鉄サッカー部]](現・[[ヴィッセル神戸]])がJリーグ誘致を目指していた[[神戸市]]に本拠を移すなど、長年にわたって本県に本拠を置くプロスポーツチームができず、「プロスポーツ不毛の地」と揶揄されることもあった<ref>[http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/soccer/fagi/2009/2009/02/15/20090215115655.html &lt;飛翔 J元年ファジアーノ&gt;(4)胎動] - [[山陽新聞]] [[2009年]](平成21年)2月15日</ref>。しかし、[[2001年]](平成13年)11月に女子[[バレーボール]]・[[日本バレーボールリーグ機構|Vリーグ]]に所属する[[岡山シーガルズ|シーガルズ]]が[[岡山市]]に本拠を移転<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.vleague.or.jp/team_timeline/id=263&season_id=650|title=チーム沿革|author=日本バレーボールリーグ機構|accessdate=2014-06-17}}</ref>。[[美作町]](現・[[美作市]])に女子サッカークラブ・[[岡山湯郷Belle]]が設立された。その後、[[2005年]](平成17年)には[[第60回国民体育大会|晴れの国おかやま国体]]が開催され、県全体でスポーツに対する関心が高まった。国体開催の機運に乗じてJリーグを目指すサッカークラブとして[[ファジアーノ岡山FC]]が設立され、好成績を収め続けたファジアーノは岡山県リーグから中国リーグ、[[日本フットボールリーグ|JFL]]と次々と昇格し、[[2009年]](平成21年)シーズンからはJ2に昇格した。また2017年には県西部の井笠地方をホームタウンとする[[福山シティFC]]が結成された。こうした市民クラブに対するスポンサーや[[ボランティア]]などの支援の輪が広がっており、プロスポーツが県民にとって身近な存在になりつつある。 その他、[[女子マラソン]]に関しては岡山市に本店がある[[天満屋]]の女子陸上競技部から[[2000年]](平成12年)[[シドニーオリンピック]]に[[山口衛里]]が、[[2004年]](平成16年)[[2004年アテネオリンピック|アテネオリンピック]]に[[坂本直子 (陸上選手)|坂本直子]]、さらに[[2008年]](平成20年)の[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]でも[[中村友梨香]]が出場している。さらに、[[1992年]](平成4年)の[[バルセロナオリンピック]]、[[1996年]](平成8年)の[[アトランタオリンピック]]の2大会でメダルを獲得した[[有森裕子]]は岡山県出身であり、[[近代オリンピック|オリンピック]]に5大会連続で岡山県の関係者が出場している<ref group="注釈">古くは、[[1928年]](昭和3年)の[[アムステルダムオリンピック]]の[[人見絹枝]]、[[1964年]](昭和39年)の[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]の[[木原美知子]]などがいる。</ref>。 [[高校野球]]においては[[1965年]](昭和40年)の[[選抜高等学校野球大会]]で優勝し、[[平松政次]]や[[八木裕]]らを輩出した[[岡山県立岡山東商業高等学校|岡山東商業高校]]、[[星野仙一]]らを輩出した[[岡山県立倉敷商業高等学校|倉敷商業高校]]や[[岡山県立倉敷工業高等学校|倉敷工業高校]]をはじめとした古豪がある。また、[[1999年]](平成11年)の[[全国高等学校野球選手権大会]]で準優勝した[[岡山理科大学附属中学校・高等学校|岡山理科大学附属高校]]、[[関西高等学校|関西高校]]などの[[私立学校|私立校]]が台頭している。近年では、[[第83回選抜高等学校野球大会|2011年のセンバツ]]に春夏通じて[[高校野球|甲子園]]史上初となる創部1年目の出場を果たした<ref group="注釈">学校側は学校創立1年目と主張しているが、ここには疑問を持つ人もいる。また、大会上は創部2年目の扱いをしている。詳しくは[[岡山県の高校野球#歴史]]と[[第83回選抜高等学校野球大会]]を参照のこと。</ref>[[創志学園高等学校|創志学園高校]]や、甲子園3回の出場を果たしている[[岡山学芸館高等学校|岡山学芸館高校]]、[[第99回全国高等学校野球選手権大会|2017年夏]]に甲子園初出場を果たし、[[第105回全国高等学校野球選手権大会|2023年夏]]には甲子園で8強入りを果たした<ref group="注釈">甲子園大会で岡山県勢が3回勝利したのは2011年(第93回大会)以来で、令和初。</ref>[[おかやま山陽高等学校|おかやま山陽高校]]なども甲子園に進出している。 {{see|岡山県の高校野球}} ; 岡山県内に本拠を置く主なスポーツチーム {{See also|Category:岡山県のスポーツチーム}} * [[ファジアーノ岡山FC]]([[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]) * [[岡山湯郷Belle]]([[日本女子サッカーリーグ]]) * [[FC吉備国際大学Charme]](日本女子サッカーリーグ) * [[岡山シーガルズ]]([[プレミアリーグ (バレーボール)|バレーボール・Vプレミアリーグ]]) * [[セリオスタンディングベアーズ]]([[アメリカンフットボール]]・[[Xリーグ]]) * [[天満屋]]女子陸上競技部 * [[シティライト岡山硬式野球部]]([[社会人野球]]) * [[三菱自動車倉敷オーシャンズ]](社会人野球) * [[岡山リベッツ]]([[卓球]]・[[Tリーグ (卓球)|Tリーグ]]) * [[トライフープ岡山]]([[B3リーグ]]) *[[福山シティFC]](本社は広島県福山市。井原市・笠岡市をホームタウンとする)<!-- Jリーグでは、Jクラブの本拠地を「ホームタウン」と呼んでいるため。 --> == 観光 == {{Main|岡山県の観光地}} [[ファイル:Kibitsu Jinja 10.JPG|thumb|吉備津神社本殿(国宝)]] [[ファイル:Kurashikikahan10nt3200.jpg|thumb|倉敷美観地区]] [[ファイル:Bitchu Kokubunji 3.JPG|thumb|備中国分寺]] [[ファイル:Cherry Blossom Picnic.JPG|thumb|津山城跡(鶴山公園)]] [[ファイル:Bitchu Matsuyama Casle observatory202111-1.jpg|thumb|備中松山城]] === 有形文化財建造物 === {{main|岡山県指定文化財一覧}} ; 国宝 * [[吉備津神社]]([[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]])- 本殿および拝殿 * [[閑谷学校|旧閑谷学校]] ([[備前市]])- 講堂 ; 重要伝統的建造物群保存地区 * [[吹屋]]([[高梁市]]) * [[倉敷美観地区|倉敷川畔]](倉敷美観地区)([[倉敷市]]) * [[城東町並み保存地区|城東]]([[津山市]]) * [[城西町並み保存地区|城西]](津山市) * [[矢掛|矢掛宿]]([[矢掛町]]) === 史跡・旧跡 === {{main|中国地方の史跡一覧#岡山県|岡山県の神社一覧|岡山県の城}} * [[後楽園]](岡山市北区) * [[岡山城]](岡山市北区) * [[備中高松城]]跡(岡山市北区) * [[最上稲荷]](岡山市北区) * [[曹源寺 (岡山市)|曹源寺]](岡山市中区) * [[西大寺 (岡山市)|西大寺観音院]](岡山市東区) * [[倉敷美観地区]](倉敷川畔)(倉敷市) ** [[大原美術館]] ** [[倉敷民藝館]] ** [[倉敷考古館]] ** [[井上家住宅]] ** [[大橋家住宅]] ** [[旧大原家住宅]] ** [[倉敷アイビースクエア]] * [[藤戸寺]](倉敷市) * [[鴻八幡宮]](倉敷市)- [[岡山三大だんじり祭り]]として有名。 * [[吉備路]] ** [[吉備津神社]](岡山市北区) ** [[吉備津彦神社]](岡山市北区) ** [[造山古墳]](岡山市北区) ** [[作山古墳]](総社市) ** [[備中国分寺]](総社市) * [[津山城]]跡(鶴山公園)(津山市) * [[衆楽園]](津山市) * [[鬼ノ城]](総社市) * [[宝福寺 (総社市)|宝福寺]](総社市) * [[神明神社 (総社市)|神明神社]](総社市) * [[備中松山城]](高梁市) * [[岩山神社 (新見市上熊谷寺元)|岩山神社]](新見市) * [[本蓮寺]](瀬戸内市) * [[熊山遺跡]](赤磐市) * [[両宮山古墳]](赤磐市) * [[旧矢掛本陣石井家|矢掛本陣]](矢掛町) * [[誕生寺 (岡山県久米南町)|誕生寺]](久米南町) * [[和気神社]](和気町) * [[亀石まつり|亀石神社]](岡山市東区) - [[神武天皇]]東征時に、水先案内を行った[[珍彦]]が乗る大亀を祀る。 === その他の名所 === [[ファイル:Former Nozaki House 2021-08 ac.jpg|thumb|野崎家旧宅]] [[ファイル:Fukiya02s3200.jpg|thumb|吹屋ふるさと村]] [[ファイル:Asahi river(Okayama) Yubara-spa.jpg|thumb|湯原温泉]] * [[足守地域|足守]]町並み保存地区(岡山市北区) ** [[旧足守藩侍屋敷]] ** [[近水園]] * [[犬島]](岡山市東区) * [[野崎家旧宅]](倉敷市) * [[鷲羽山]](倉敷市) * [[下津井]]町並み保存地区(倉敷市) * [[玉島]]町並み保存地区(倉敷市) * [[城東町並み保存地区]](津山市) * [[瀬戸内温泉 たまの湯]](玉野市) * [[みやま公園]](玉野市) * [[渋川海岸|渋川海水浴場]](玉野市) * [[豪渓]](総社市) * [[井倉洞]](新見市) * [[閑谷学校]](備前市) * [[牛窓]](瀬戸内市) * [[竹久夢二生家]](瀬戸内市) * [[吹屋ふるさと村]](高梁市) * [[勝山 (真庭市)|勝山]]町並み保存地区(真庭市) * [[蒜山高原]](真庭市) * [[旧遷喬尋常小学校校舎]](真庭市) * 美作三湯 ** [[湯原温泉]](真庭市) ** [[湯郷温泉]](美作市) ** [[奥津温泉]](鏡野町) * [[大原宿]](古町町並み保存地区)(美作市) * [[奥津渓]](鏡野町) * [[宇甘渓]](吉備中央町) === 公園・テーマパークなど === * [[池田動物園]](岡山市北区) * [[RSKバラ園]](岡山市北区) * [[岡山市半田山植物園]](岡山市北区) * [[たけべの森公園]](岡山市北区) * [[やはたの里]](岡山市北区) * [[石原果樹園]](岡山市東区) * [[おかやまファーマーズマーケットサウスビレッジ]](岡山市南区) * [[鷲羽山ハイランド]](倉敷市) * [[酒津公園]](倉敷市) * [[おもちゃ王国]](玉野市) * [[渋川動物公園]](玉野市) * [[おかやまフォレストパーク ドイツの森|おかやまフォレストパークドイツの森]](赤磐市) * [[ヒルゼン高原センター]](真庭市) * [[おかやまファーマーズマーケットノースビレッジ]](勝央町) * [[まきばの館]](美咲町) * [[牛窓オリーブ園]](瀬戸内市) * [[藤公園]](和気町) * 蒜山ジョイフルパーク(真庭市) === 祭事・イベント === ; 国の重要無形民俗文化財 * [[白石踊]](笠岡市) * [[備中神楽]](井原市・総社市・高梁市・新見市) * [[大宮踊]](真庭市) ; 県指定重要無形民俗文化財 * [[吉備津彦神社の御田植祭|吉備津彦神社御田植祭]](岡山市北区) * [[西大寺会陽]](岡山市東区) * [[鴻八幡宮#鴻八幡宮例大祭|鴻八幡宮祭りばやし]](倉敷市) * [[松山踊り]](高梁市) * [[唐人おどり|唐子踊]](瀬戸内市) * [[横仙歌舞伎]](奈義町) * [[誕生寺二十五菩薩練供養]](久米南町) * [[二上山護法祭]](美咲町) * [[加茂大祭]](吉備中央町) ; 祭事・イベント * [[岡山さくらカーニバル]](岡山市北区・中区) * [[おかやま桃太郎まつり]]・[[うらじゃ]](岡山市北区) * [[岡山国際音楽祭]](岡山市) * [[倉敷天領夏祭り]](倉敷市) * [[津山さくらまつり]](津山市) * [[津山納涼ごんごまつり]](津山市) * [[津山まつり]](津山市) * [[御神幸武器行列|御神輿武器行列(土下座まつり)]](新見市) * [[新見ふるさとまつり]](新見市) * [[久世祭り]](真庭市) * [[勝山喧嘩だんじり]](真庭市) * [[鴻八幡宮#鴻八幡宮例大祭|鴻八幡宮例大祭]](倉敷市) * [[牛窓秋祭り]](瀬戸内市) * [[岩山神社 (新見市上熊谷寺元)|岩山神社大祭]](新見市) * [[藤まつり|清麻呂の里藤まつり]](和気町) === 文化施設 === [[ファイル:Kurashiki Ohara Art Museum02nt3200.jpg|thumb|180px|大原美術館]] ; 博物館・美術館 * [[岡山県立博物館]] * [[岡山県立美術館]] * [[岡山市立オリエント美術館]] * [[林原美術館]] * [[岡山市デジタルミュージアム]](以上岡山市北区) * [[夢二郷土美術館]](岡山市中区) * [[大原美術館]] * [[倉敷民藝館]] * [[倉敷考古館]] * [[倉敷市立美術館]](以上倉敷市) * [[津山郷土博物館]](津山市) * [[玉野市立玉野海洋博物館]](玉野市) * [[笠岡市立カブトガニ博物館]] * [[笠岡市立竹喬美術館]] * [[ワコーミュージアム]](以上笠岡市) * [[美星天文台]] * [[井原市立平櫛田中美術館]](以上井原市) * [[高梁市成羽美術館]] * [[吉備川上ふれあい漫画美術館]](以上高梁市) * [[岡山県備前陶芸美術館]] * [[BIZEN中南米美術館]](以上備前市) * [[備前長船刀剣博物館]](瀬戸内市) * [[岡山天文博物館]](浅口市) * [[奈義町現代美術館]](奈義町) * [[津山まなびの鉄道館]](津山市) ; コンベンション・コンサート [[ファイル:Okayama symphony hall01s3s3300.jpg |thumb|岡山シンフォニーホール]] * 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[[2009年]](平成21年)[[10月17日]]友好交流協定締結 == 岡山県を舞台とした作品 == {{Main|岡山県を舞台とした作品一覧}} == 人物 == {{Main|岡山県出身の人物一覧}} === 岡山県名誉県民 === 岡山県名誉県民の称号は、1981年(昭和56年)3月25日に制定された岡山県名誉県民条例(岡山県条例第24号)に基づき、「岡山県の発展に功績があり、県民の誇りとしてひとしく敬愛を受ける者」へ贈られる(条例第1条)<ref name=meiyoa>[http://reiki.pref.okayama.jp/reiki/Li05_Hon_Main_Frame.exe?UTDIR=C:\efserv2\ss00002DF4\GUEST&TID=1&SYSID=73 岡山県名誉県民条例] - 岡山県例規集、[[2020年]](令和2年)4月17日[[閲覧]]。</ref>。対象者は「本県に居住し、又は居住していた者で、社会福祉の向上、経済の発展又は学術文化の振興に卓絶した功績があり、もつて県民福祉の増進に貢献し、又は本県の名声を著しく高め、県民が郷土の誇りとしてひとしく敬愛するもの」であり(条例第2条)、岡山県知事が岡山県議会の同意を得て選定することが定められる(条例第2条第2項)<ref name=meiyoa/>。[[名誉市民#名誉県民|名誉県民]]に選定された者には、顕彰状や徽章、記念品も併せて贈られるほか(条例第3条)、知事が定める礼遇や特典を受けられる(条例第4条)<ref name=meiyoa/>。 {| class="wikitable" !贈呈番号 !受賞者氏名 !職業 !選定年月日 !備考 !出典 |- |1 |高畑浅次郎 |[[教育者]] |1981年(昭和56年)9月29日 |岡山県教育長・[[高畑勲]]の[[父親|父]] |<ref name=meiyo>[http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2004090621135937620 岡山県初の名誉県民に土光敏夫、高畑浅次郎、藤原啓] {{リンク切れ|date= 2021年2月}} - デジタル岡山大百科、[[2021年]](令和3年)2月26日閲覧。</ref> |- |2 |[[土光敏夫]] |[[実業家]] |1981年(昭和56年)9月29日 |[[第二次臨時行政調査会]]長 |<ref name=meiyo/> |- |3 |[[藤原啓]] |[[陶芸家]] |1981年(昭和56年)9月29日 |[[人間国宝]] |<ref name=meiyo/> |- |4 |[[岡崎嘉平太]] |実業家 |1985年(昭和60年) |[[全日本空輸]]社長 |<ref>[https://www.okazaki-kaheita.jp/about/ 岡崎嘉平太とは] - 岡崎嘉平太記念館、2021年(令和3年)2月26日閲覧。</ref> |- |5 |[[川崎祐宣|川﨑祐宣]] |[[医師]] |1985年(昭和60年) |[[川崎医科大学]]創設者 |<ref>[https://k.kawasaki-m.ac.jp/data/founders_index/ 創設者 川﨑祐宣] - 川崎医科大学、2021年(令和3年)2月26日閲覧。</ref> |- |6 |[[谷口澄夫]] |[[歴史学者]] |2001年(平成13年)1月15日 |[[岡山大学]]学長 |<ref>[https://edu.okayama-u.ac.jp/~dousoukai/enkaku.html 沿革] - 岡山大学教育学部、2021年(令和3年)2月26日閲覧。</ref> |- |7 |[[江草安彦]] |医師 |2015年(平成27年)11月10日[[追贈]]・ |[[旭川荘]]理事長 |<ref>[https://www.pref.okayama.jp/site/syashinkensei/450236.html 岡山県名誉県民顕彰式を開催] - 岡山県、2021年(令和3年)2月26日閲覧。</ref> |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == <!-- 関連するウィキリンク、ウィキ間リンク --> {{See also|Category:岡山県}} * [[岡山県の観光地]] * [[岡山弁]] * [[太平洋ベルト]] * [[山陽地方]] * [[瀬戸内海]] * [[瀬戸大橋]] * [[日本の地方公共団体一覧]] * [[日本の地理]] * [[日本の地域]] * [[水島臨海工業地帯]] * [[水島コンビナート]] * [[岡山県出身の人物一覧]] * [[岡山県庁舎]] * [[岡山県庁]] * [[岡山県議会]] * [[岡山県警察]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/岡山県|[[画像:Flag map of Okayama Prefecture.svg|36px|Portal:日本の都道府県/岡山県]]}} {{Multimedia|岡山県の画像}} {{Commons&cat|Okayama_prefecture|Okayama_prefecture}} {{Wiktionary}} {{Wikiquote}} {{osm box|r|3794962}} {{Wikivoyage|ja:岡山県}} * 行政 ** {{Official website}} * 観光 ** [https://www.okayama-kanko.jp/ 岡山県観光総合サイト おかやま旅ネット] - 公益社団法人 岡山県観光連盟 * 地図 ** {{Osmrelation|3794962}} ** [http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/code/?岡山県 岡山県 | 歴史的行政区域データセットβ版] - Geoshapeリポジトリ(<small>左側基準年月日のチェック操作で</small>行政区域の変遷を見ることができる) ** {{Googlemap|岡山県}} {{s-start}} {{s-bef|before= [[岡山藩]] ---- [[小田県]] ---- [[北条県]]|表記=前}} {{s-ttl|title= 行政区の変遷 |years= [[1871年]] -|years2= }} {{s-aft|after =----- ---- [[広島県]]<br />(旧・小田県のうち[[備後国]])|表記= 次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{岡山県の自治体}} {{岡山県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:おかやまけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:岡山県|*おかやまけん]]
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沖縄県
沖縄県(おきなわけん、沖縄語: ウチナー /ʔucinaa/、英語: Okinawa Prefecture)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は那覇市。 鹿児島県の薩南諸島を除く南西諸島の島々(沖縄諸島、先島諸島、大東諸島)から構成されており、東シナ海と太平洋に挟まれている。面積は2,281平方キロメートルで、日本の都道府県では小さい順に香川県、大阪府、東京都に次いで第4位であり、人の居住する日本最南端の地域を含む県でもある。又、八重山郡与那国町は日本の最西端にある地方自治体であり、与那国島の北北西端にあるトゥイシが日本最西端の地点である。 県民人口の約9割が沖縄本島に集中しており、さらに本島中南部に県人口の8割が集中している。那覇市中心部は三大都市圏に匹敵する人口密度がある。 ほぼ全域が亜熱帯気候であり、一部は熱帯に属する。年間を通して温暖な気候であり、最低気温が氷点下以下になる事はほとんどない。 海上輸送路(シーレーン)及び軍事的要地(第一列島線)として重要な場所に位置し、多数の在日米軍基地が存在する。主な米軍施設として、嘉手納飛行場、普天間飛行場、キャンプ・バトラーなどが存在する。 歴史的経緯(後述)から、宗教、文化並びに風習、人名や方言、料理や食文化及び産業、人口構成ならびに所得格差に至るまで日本列島主要四島との差異が大きい。俗に沖縄「県外」のことを「内地(ナイチ)」、沖縄県外の日本人を「内地人(ナイチャー)」と呼び分ける場合がある。 日本では数少ない南の島であるため、日本屈指のリゾート地となり、日本人の夏の観光先として定番化した。特に2001年のテレビドラマ「ちゅらさん」の放送以後は、県外でも沖縄文化がブームを超えて身近なものとして定着し、県外からの観光客や移住者も大幅に増加した。沖縄県としても文化体験、沖縄料理、レジャー、マリンスポーツや戦争遺跡などを強みに観光分野に特に力を入れている。沖縄全体で見た場合の世界的な知名度は、高いとはいえないが、座間味島のみは、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン二つ星を獲得し、国定公園になったことで、海外でも日本の観光名所として大きく紹介されるようになり、一定の知名度を獲得している。 沖縄県内の産業割合を見ると観光業を含む第三次産業が79.2%を占めている一方で第一次産業は5.4%、第二次産業は15.4%と低調である。沖縄は太平洋高気圧の南側に位置し、熱帯低気圧が発生する海域に近いため、台風発生シーズンの9月上旬から11月上旬までは沖縄の天候が荒れやすく、沖縄発着の旅客機が欠航しやすい。しかし、9月は気温が高いにもかかわらずオフシーズンとなるため、夏と殆ど同じ条件で安価に旅行する事が可能となる。 格闘技界においては空手の発祥の地(琉球唐手)として世界的に有名であり、多数の外国人門下生が県内の空手道場に入門し稽古している。ボクシングにおいては石垣市出身の具志堅用高を始めとして数多くの世界王者、名選手を輩出している。 淡海三船が著した779年成立の鑑真の伝記『唐大和上東征伝』では、天平勝宝5年(753年)11月21日に遣唐使一行が阿児奈波嶋(あこなはしま/あこなわじま)に到着したと記述されており、この島は沖縄本島のことを指していたという。後に中国側からの呼称による「流求」「琉球」と呼ばれるようになった。 琉球処分の際、明治政府内では「琉球県」の名称も検討された。これは1879年(明治12年)、琉球藩を廃して沖縄県が設置される際に俎上に上っていたものである。内務卿の伊藤博文から太政大臣の三条実美に提出した同年3月1日付の琉球処分に関する文章には「琉球藩ヲ廃シ、更ニ琉球県ヲ被置候、此旨布告候事但県庁ハ首里ニ被置候事」とあり、琉球県の名称が使われていたが採用には至らなかった。この間の経緯は不明であるが、中国語由来の琉球に対し、沖縄のほうがより日本帰属の意思が明確になるため選ばれたと推察できる。また、旧信濃国が長野県、旧上野国が群馬県となったように、旧国名などの広範な地域名は都道府県の名前として使用しないという原則があったのも理由の一つだと考えられる。用語としての「沖縄」は元々は沖縄本島を指す言葉であったが、沖縄県設置により奄美群島が正式に日本に編入、さらに沖縄諸島・先島諸島全域が「沖縄」と呼ばれるようになり、より広義に解釈されるようにもなった。 国土交通省による日本の14地域区分の1つである沖縄は、沖縄県1県のみから成る。なお、「九州地方」の一部または「九州・沖縄地方」と呼ぶ場合もある(「九州#近現代の「九州」」を参照)。国土交通省は、「沖縄本島」を、「本土」5島の一つとしている。 国土地理院によると、沖縄県は691の島から成っている。49の有人島と多数の無人島から成り、0.01km以上の面積を有する島は160島存在する。最東端から最西端までは約1,000km、最北端から最南端までは約400kmと、広大な県域を持つ。 南西諸島は鹿児島県から台湾近くまで長く延びており、地理的分布では北のトカラ列島までと、奄美群島と沖縄諸島および先島諸島の3つに大きく分けられる。 沖縄本島と宮古島の間は宮古海峡と呼ばれ最狭区間でも約145海里(約270km)の距離があり、そのうち約48海里(約89km)が領海と接続水域になっており、残りの約97海里(約180km)が排他的経済水域になっている。 与那国島と台湾の間は約54海里(約100km)である。 離島が多いものの、離島の医療は人材的あるいは経済的理由から不足気味であり、病院がなく診療所のみという島も多い。そのため、離島で治療できない急患患者の沖縄本島への空輸を陸上自衛隊や海上保安庁が行っている。なお、宮古島、石垣島には県立の総合病院が設置されているため、それらの島の周辺離島での急患は沖縄本島ではなく宮古島や石垣島に搬送される場合もある。 県庁所在地である那覇市の半径1,000km圏内には九州島全域や下関市、上海、福州や台湾島全域が含まれ、1,500km圏内には大阪、南京、ソウル、平壌、マニラ、香港などが位置する。2000km圏内には東京、仙台、北京、瀋陽、海南省海口市、長春、ウラジオストクなどが存在し、2500km圏内には稚内、成都、重慶、ハノイ、グアム、北マリアナ諸島、パラオが収まるなど、まさに東アジア・東南アジアと日本との接点とも言える位置にある。 沖縄本島の中南部は那覇市や沖縄市を中心として都市化や人口集中が進んでおり、全面積の約5分の1に110万人以上が居住している(沖縄本島#中南部都市圏 も参照)。その上、治外法権の米軍基地が多数存在しており、利用できる面積はさらに限られる。そのため人口密度は全国で第9位であり、三大都市圏の都府県を除くと福岡県に次いで2番目に高い。 琉球諸島は太平洋側の琉球海溝と東シナ海側の沖縄トラフに挟まれる。琉球海溝はフィリピン海プレートがユーラシアプレートに潜り込むことによりできたもので、これは南海トラフと同様の成因である。また背海盆沖縄トラフはユーラシアプレートが新しい時代に引き裂かれて陥没した1000〜2000mの窪みであり熱水鉱床などがみられる。地質的には琉球列島(諸島)のうち沖縄島と奄美大島はケラマ海裂とトカラ海峡とに挟まれた中琉球と呼ばれ、島は海洋地殻の上に海洋地殻の付加体(海洋地殻の陸側斜面となるユーラシア・プレートの下にフィリピン海プレートが沈み込むときに、海溝の陸側斜面ユーラシアプレートの端に押し付けられて隆起した海洋地殻の上の堆積物)で構成され、さらに3億〜5000万年前の古い付加堆積物で作られる沖縄島北側と、500万年前に作られた現地性堆積物により構成される沖縄島南側に大きく分けられる。 日本国内における気候区分では南日本気候に属する。 宮古島、多良間島、石垣島、西表島、与那国島、波照間島および沖大東島は熱帯性気候でケッペンの気候区分では熱帯雨林気候 (Af) に、北大東島および南大東島は同じく熱帯性気候で熱帯モンスーン気候(Am)、それ以外の地域は亜熱帯性で温暖湿潤気候 (Cfa) に属する。沖縄県各地方ともに高温多湿で年間降水量は2,000mm以上で、年間平均気温は約22°Cとなっている。しかし、最高気温が35°Cを超える猛暑日になることはほとんど無い。これは、沖縄は陸地面積が狭く周りを海に囲まれていること(海洋性気候)から、フェーン現象や晴天弱風と都市化がもたらす大規模なヒートアイランド現象のような要因がないためである(但し都市部での小規模なヒートアイランド現象の研究報告はある)。また沖縄は台風銀座と呼ばれており、毎年多くの台風が接近する。月別で注目すると、降水量は梅雨入りの平均期間である5月と台風が多く接近する8月に多い。また、日照時間は7月に長く、冬期の1月・2月では短い。冬季は北からの季節風の影響で雨や曇りの日が多い。梅雨明けころには、夏至南風(沖縄本島ではカーチーベー、宮古・八重山周辺ではカーチーバイ)と呼ばれる秒速10m以上の南寄りの強い風が吹き、夏の到来を告げる季節風として知られている。 冬期に降雪があることはごくまれであるが、1977年(昭和52年)2月17日に久米島で、2016年(平成28年)1月24日に久米島と名護市でそれぞれみぞれ(気象記録上は雪と同じ扱い)が観測された 。気象庁が公式に発表した沖縄県での降雪記録はこの2例のみで、久米島での降雪は日本における降雪の南限記録である。 観測開始以前においては、琉球王国の正史とされる『球陽』によると、1774年、1816年、1843年、1845年、1857年にそれぞれ現在の沖縄県の領域で降雪があったことを記録している。 なお、昭和38年1月豪雪では県内各地で霜、あられ、ひょうなどが観測されており農作物への被害も発生している。 1999年(平成11年)12月20日とその前後に那覇市などで「雪が降った」という目撃談が複数報告され、NHK沖縄放送局でその「雪らしきもの」の映像を放送したが、気温が高かったことなどから気象台は否定的で、公式な降雪記録とはなっていない。 本県の河川の特徴としては、急勾配でかつ、河川延長が短く、流域面積が小さいことが挙げられる。その為、河川流量の変動が顕著で、大雨による増水、少雨による水不足に陥りやすい。またマングローブ林など県外と異なる亜熱帯特有の自然環境を形成している。現在、沖縄本島北部では赤土の流出、中南部では畜舎からの排水などの影響による河川汚染が問題となっている。 本県には国内で唯一、一級河川が存在しない。二級河川の開発は知事の要請に基づき沖縄振興特別措置法により、日本政府の直轄事業として改良・修繕工事を行っている。 2019年現在、沖縄県には11市、5郡、11町、19村があり、町は全て「ちょう」、村は全て「そん」と読む。 現代(2020年)において沖縄県の地域は北部地域、中部地域、南部地域(南部離島地域)、宮古・八重山地域に大分される。 南部離島地域は、南部地域に包含される場合があるが、沖縄本島と、伊江島、伊平屋島および伊是名島を除く沖縄諸島と大東諸島の島々の町村を含んだ概念である。 また、伊江島、伊平屋島、伊是名島の村域は北部地域に包含される(「北部離島地域」と言う呼び方は公式ではない)。 ただし、本島周囲の離島であって国頭村、大宜味村、今帰仁村、本部町、名護市、恩納村、うるま市、豊見城市、糸満市、南城市に属する小島嶼はこれら離島地域には含まれない。 1896年(明治29年)4月1日の郡制施行(沖縄県区制)に伴い、那覇区、首里区と、国頭郡、中頭郡、島尻郡、宮古郡、八重山郡の5郡が設置された(2区5郡)。この時点では沖縄県発足以来継続していた旧慣温存政策により琉球王国時代の間切制が残存していた。これは、1908年(明治41年)4月1日に沖縄県独自の島嶼町村制施行により、間切→村(そん)に移管されるまで続いた。 この1896年沖縄県区制施行当時の郡区分を特に「旧郡制」と言う事があり、この境界をもって5地域(5地区)に分ける慣例が制度上も残っている。 この歴史的経緯により、旧郡制当初から現代まで、伊平屋村・伊是名村は島尻郡に属しているがその一方で現代行政区分としては北部地域に組み入れられている。ほか、沖縄本島と伊江島を除く沖縄諸島と、大東諸島の島々の市町村も同様に島尻郡に属しており、必ずしも南部とは言えない南部地域(南部離島地域)に組み入れられている。 行政による地域区分は上記のほか、沖縄本島(周辺離島を含む)における広域行政圏として北部広域市町村圏、中部広域市町村圏、南部広域市町村圏を持つ。 これら広域行政圏は、沖縄都市圏や那覇都市圏の影響を受けており、行政機能的、商業的にもより実態に即した圏域を構成している。そのため、中部地域に属する浦添市は南部広域市町村圏に組み入れられている。西原町は公式にも中部広域市町村圏だが、より実態に即して南部扱いされる場合も一部にある。 2017年現在、在日米軍の専用施設は沖縄本島の総面積の15%を占めている。 古代 『続日本紀』には、文武天皇2年(698年)に朝廷の命により、務広弐文忌寸博士が南島(なんとう)(南西諸島)に派遣されたとある。このときの文忌寸博士の任務は屋久島、種子島、奄美大島の朝貢関係を確認することにあり、文武天皇3年(699年)に多褹・掖玖・菴美・度感から朝廷に来貢があり位階を授けたと記載がある。これ以降、朝廷は種子島に国司を派遣するとともに、久米島や石垣島にも服属を求める使者を派遣している。和銅8年(715年)には南島の奄美・夜久・度感・信覚・球美の島民が来朝し貢上したという記載があり、蝦夷の人々とともに南島の人々に位階を授けたとある。他にも養老4年(720年)に南島人232人に位を授け、また神亀4年(727年)に南島人132人に位階を授けた、などの記載がある。 琉球王国時代に編纂された「中山世鑑」によると、保元の乱で敗れ伊豆に流された源為朝が追手から逃れるため沖縄本島(運天港)に渡り、その子が初代琉球国王舜天になったとされており、正史として扱われていた。14世紀後半には三山王国(北山、中山、南山)が勃興するグスク時代に突入し、中国(明)に朝貢し冊封を受け琉球貿易を行っていた。1429年に中山王尚巴志が南山と北山を滅ぼし琉球を統一、琉球王国を建国した(第一尚氏)。グスク時代の城跡遺跡は『琉球王国のグスク及び関連遺産群』としてユネスコの世界遺産に登録されている。1469年に尚徳王の家臣であった金丸が王位を簒奪し、自らを尚円王と号し即位した(第二尚氏)。周辺の先島諸島や奄美群島にも版図を拡げるが、1609年(慶長14年)に薩摩藩の侵攻を受け尚寧王は降伏、当時王国の支配下にあった奄美群島は薩摩藩に割譲、王国は薩摩藩の支配下におかれた(琉球侵攻)。薩摩による侵攻以降も王国は中国の冊封を受け続け、日本の薩摩藩と清国に『両属』する体制となっていたが鎖国体制下の両国の中継貿易地としての役割を担い、交易を通じて独自の文化と自治を保っていた。この当時の日本本土と沖縄の関わりが、現代まで続く日本の南洋幻想の発端となった。 近代に入り、1853年(嘉永6年)マシュー・ペリー率いる黒船艦隊が琉球に来航し首里城を訪問。翌1854年(嘉永7年)琉米修好条約を締結するのを皮切りにフランスやオランダとも修好条約を締結した。一方、日本本土では明治維新がおこり開国したことを受け、1871年(明治4年)9月に日清修好条規が締結され清との間に外交関係が樹立された。しかし、その約1ヶ月後となる同年10月に宮古島島民遭難事件が発生、明治政府は外交対処のために中央集権国家の確立を急ぎ、1872年(明治5年)、琉球藩が設置され、琉球国王の尚泰を「琉球藩王」に封じて東京に藩邸を置いた。福島外務卿による清との交渉後、1874年(明治7年)に台湾出兵となり、日本の航客に危害を加えないなどの統括権などがイギリス大使の調停による事後処理条約で確認され、清との外交事件が帰着した。1879年3月27日(明治12年)、明治政府は琉球藩を廃して沖縄県を設置、尚泰は東京の藩邸に居を移し華族となる。明治初期に琉球が日本に編入される一連の過程を琉球処分と言う。 1945年(昭和20年)、太平洋戦争では『国内最大の地上戦』と呼ばれる沖縄戦の戦場となった。米軍は4月1日に沖縄本島の読谷村の海岸に上陸、瞬く間に島の北半分を制圧、日本軍は米軍の総攻撃を受け南部に追い込まれ、総司令部が置かれていた首里城も焼け落ち、6月23日に沖縄守備軍最高指揮官の牛島満中将らが摩文仁で自決したことで組織的戦闘は終結した。約3カ月に及ぶ激戦により県民の4人に1人が犠牲になり土地も荒廃した。現在、摩文仁は沖縄戦跡国定公園に指定されており、6月23日は慰霊の日として沖縄県の休日となっている。 沖縄戦後、GHQのSCAPIN - 677指令により南西諸島は米軍軍政下となり、日本の施政権は停止、行政実体(内務省知事下)としての沖縄県は一旦消滅した(アメリカ合衆国による沖縄統治)。米軍統治下で基地建設のため集落や農地を大規模に接収し、右側通行の道路を整備し、通貨としてB円、後に米ドルを使用させ、日本本土への渡航にパスポートが必要になるなど、米国流のやり方で戦後復興が進められていった。1952年(昭和27年)にGHQの占領下にあった日本が主権回復した後も沖縄は引き続き米軍の統治下におかれた。同年、米軍政が終了、米国主導で新たに琉球政府を設置、本格的な琉球統治と復興に乗り出す。 1950年代以降になると朝鮮戦争やベトナム戦争が勃発し、沖縄は米軍の前線補給基地として重要度を増し、数多くの米軍人が駐留、B-52などの戦略爆撃機や枯葉剤や核兵器といった大量破壊兵器が多数配備され、ベトナムからは『悪魔の島』と恐れられた。経済は基地に大きく依存していた一方で、当時ドル高円安の固定相場制の影響もあり物価は安く生活は安定しており、人口は終戦直後の約50万人から本土に復帰するまでのわずか27年間で約100万人に倍増した。しかし米軍による強権的かつ差別的な施政に島民は強い反感を抱き、本土への復帰を求める大規模な反基地運動が各地で展開されていった(島ぐるみ闘争)。1971年(昭和46年)に佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン大統領との間で沖縄返還協定が締結され、翌1972年(昭和47年)に沖縄は日本に施政権が返還され沖縄県が復活した(沖縄返還)。米軍統治時代から続く基地問題や不発弾の問題、日米地位協定の問題は県の主要な政治課題となっている(「普天間基地移設問題」を参照)。 2015年度の国勢調査結果より前回の2010年度と比較して、沖縄県の人口は約4万人(2.9%)増加し、都道府県別で東京都(2.7%)を抜き全国で最も人口増加率が高くなった。人口別では初めて65歳以上人口が15歳未満人口を上回った。地域別で見ると沖縄本島の中部と南部で増加し、沖縄本島北部と石垣島を除く離島の大部分で減少している。国立社会保障・人口問題研究所は、2025年に143万3千人まで増加すると予測している。2010年の自然増加率は人口千人あたり5.0人増と全国最高であるが、社会増加率は各年により増減が変動する。また2010年度の合計特殊出生率は1.87人と1975年度以来連続で全国1位を維持している。2015年度国勢調査によれば、65歳以上の人口比率 (19.6%) が、調査開始以来、15歳未満 (17.4%) を上回った。粗死亡率は男女ともに全国で最も低いが、年齢調整死亡率は全国平均に近く、特に成人男性は全国3位以上の年齢調整死亡率となっている。沖縄県在住の外国人は、国籍別で2010年現在アメリカ(米軍とその関係者は含まれない。)が最も多いが、中国・韓国籍の外国人も増加傾向にある。2015年度の国勢調査で、県内の外国人は11,020人となり、2010年度より3,369人 (44%) 増加している。 なお人口統計には含まれない在沖米軍人と軍属およびその家族数は2013年度現在47,300人にのぼる。 2016年度の沖縄県への入域観光客統計は年間8,613,100人で過去最高を記録し一日平均で約23,500人になる。 また県外から赴任した自衛官や国の出先機関の出向公務員も多数存在するために、これらを含めると見かけ上の人口は統計よりも7〜10万人も多い。 沖縄県議会議員選挙は統一地方選挙では実施されない数少ない都道府県議会議員選挙の1つである(他は東京都、茨城県、岩手県、宮城県、福島県)。これは、日本復帰後の選挙が1972年(昭和47年)6月25日に行われたことによるためで、東京と茨城は議会の解散、岩手、宮城と福島は東日本大地震による延期のためであり、事情が異なる。 沖縄県は日本屈指の観光立県でありサービス業が発達していて県経済の中心になっている。また在日米軍基地が生み出す経済(軍雇用者所得、軍用賃借料、米兵向け商店・飲食店など)に依存している側面があり、経済依存度は、1972年の15.5%から1982年度には7.4%にまで低下し、ここ30年は5%前後で推移している。米軍基地内には、オフィスや病院、ショッピングセンターなどの施設があり、約9,000人前後の県民が基地施設に勤務していて、沖縄県庁に次ぐ大口の就職先になっている。「観光」「公共事業」「基地収入」に依存する「3K経済」とも称されている。 沖縄県の産業構造は、全国に比べて第2次産業のウエイトが低く、第3次産業のウエイトが高いことが特徴である。平成25年度の県内総生産に占める第2次産業及び第3次産業の割合は、それぞれ13.9%及び84.4%となっており、全国の24.4%及び73.9%と比べその差異は明らかである。特に、製造業の割合は、全国が18.4%に対し沖縄県は4.2%とその差異は極めて大きい。また、政府サービス生産者(公的な電気・ガス・水道業や公務などの経済活動)の割合が沖縄県(平成25年度)では16.0%と高い。これらの要因として、アメリカ統治下の沖縄では円よりも価値の高い軍票やドルが用いられ外国製品が安く手に入るため製造業が育たなかったこと、本土復帰後は大規模な公共事業に重点的に取り組むも地元企業は下請けに回ることが多く、その結果雇用が見込める大規模工場が少なく、非正規雇用者が多い要因の一つとなっている。2017年の非正規従業員の割合は43.1%と全国で最も高い。 2014年(平成26年)度の県内総生産は4兆1749億円で、前年度と比較した経済成長率は、1.5%増加した。名目は3.5%増の4兆511億円で、それぞれ6年連続のプラス成長だった。平成26年度の一人あたり県民所得は212万9000円(全国平均は286万8000円)である。失業率は日本一高いが2016年には沖縄の完全失業率は23年ぶり3%台に低下した。 県外の日本国内で生産または供給される商品に関しては、輸送距離の関係から時間・費用が嵩み、輸送費の分だけ県外に比べ割高となってしまう。そのため、県内生産品を除き、県外の地方と比べて、平均小売価格は特段低くはない。食品や携帯電話サービスでは全国的なブランドの商品生産・提供を沖縄独自の法人(沖縄ビバレッジ、沖縄セルラー電話など)が一括して担っていたり、オキコやオリオンビールやブルーシールなど、沖縄独自のブランドが特定ジャンルのシェアを占めている場合もある。 農業では日本有数の亜熱帯性気候を生かし、マンゴー、アセロラ、パインアップル、ドラゴンフルーツなどのトロピカルフルーツや、サトウキビ、タバコ、ゴーヤー(ニガウリ)といった農作物が生産されている。また、伊平屋島などでは稲作が盛んである。 漁業ではマグロ、イカ、ブリ、タカサゴ、アジ、アカハタなどの他クルマエビ、モズクの養殖も盛んである。 畜産業では、養豚が古くから盛んに行われ沖縄固有品種アグーが有名。またヤギやウシも生産されている。 本土復帰後は付加価値の高い品目に移り変わりつつある。マンゴーや石垣牛などは産出額を大きく増やしているのに対し、サトウキビやパイナップルは栽培・収穫面積を大きく減らしている。 製糖業、飲食料品製造業や、セメント製造を中心とした窯業・土石製品製造業があるがいずれも小規模である。 沖縄本島の本部半島には良質な石灰岩が存在し、セメントの原料や砕石・砕砂の原料として採掘されている。沖大東島や北大東島にはかつて燐鉱山が経営されていたが、北大東島は良鉱石が枯渇しており、沖大東島は戦後、米軍射爆撃場に指定されたたままである。 沖縄本島沖の海底には国内最大規模の熱水鉱床が広がっており、銅、亜鉛などのほか、ガリウムやビスマスなどレアメタルを含むため、次世代の海洋資源として試掘調査が活発化している。 東シナ海の海底には推定埋蔵量約1000億バレルに上る天然ガスや石油が眠っており、日中中間線周辺では中国との領有権争い(東シナ海ガス田問題を参照のこと)が生じている。 植物資源を燃料に充てられるバイオエタノールが脚光を浴び、県産サトウキビが原料として注目され試験操業も行われたが、結局採算が取れず撤退した。 本県の主な産業として、伝統、歴史、自然、食文化や国際色を生かした観光業が挙げられる。ただし、これらの観光業は景気に左右されやすい。 沖縄本島のリゾートホテル付設や公営の海水浴場の多くは、ワイキキビーチと同様に人工海浜であり、観光資源ではあるが「沖縄の自然」ではない。2009年観光客数は国内外合わせて5,690,000人(国内:5,443,800人、海外:246,200人)である。2019年の訪れる外国人観光客数は1,951,150人に達し、台湾 (40.00%)、韓国 (22.99%)、中国 (18.38%)、香港 (10.26%)、米国 (3.51%) という比率になっている。米国からの観光客は、米軍基地関係者が多く含まれる。 2000年(平成12年)に主要国首脳会議が行われたのをきっかけに、国際会議、コンベンションといったイベント開催地としての体勢作りを進めている。また県はスポーツアイランド構想を掲げエコツーリズムも活発化している。一方2020年(令和2年)以降のコロナ禍では観光頼みの沖縄経済のもろさが露呈した。2020年度の観光客数は258万人にまで落ち込み、海外客は復帰後初のゼロを記録した。 1998年(平成10年)から「沖縄県マルチメディアアイランド構想」に基づき、海底ケーブルの陸揚げ本数が多いことから IX (Internet Exchange) の語に掛けて IT Exchange などの呼びかけを行いコールセンターやIT企業の優遇策による誘致を活発に行っている。その一方で内外から施設は立派であるが内容が伴わないとして箱物行政といった批判も多い。 2010年代ごろからスマートフォンアプリの開発業も盛んになっている。 経済振興のため、数々の特例が設定されている。 県内では、本州などで展開している企業の地域会社が多数存在する。 島嶼県であるという事情から、県外への移動や県内離島間の移動は空路が主に利用されている。特に、宮古列島、および八重山列島については、域外との定期旅客航路が休止または廃止となっており、原則として航空路線での移動が必須となっている。県内には、以下の表の空港と伊是名場外離着陸場があるほか、在日米軍が基地として利用する嘉手納飛行場、普天間飛行場などがある。 大正時代、沖縄本島に沖縄県営鉄道、沖縄電気(路面電車)、沖縄軌道、糸満馬車軌道が相次いで開業したが、沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道はバスの台頭により太平洋戦争以前の1930年代に廃止され、残った沖縄県営鉄道と沖縄軌道も沖縄戦で破壊され消滅した。戦後は長らく鉄道路線が存在しなかったが、2003年(平成15年)に沖縄都市モノレール線(ゆいレール)那覇空港 - 首里間が開業した。ゆいレールは2019年10月には首里から浦添市のてだこ浦西まで延長され、那覇空港 - てだこ浦西間17.0kmの路線となっている。 2013年現在、2006年(平成18年)に明らかになった那覇 - 名護間に鉄道を建設する沖縄鉄軌道構想は、建設費を政府が一部(または全部)負担することを除き、建設や運営の主体や手法などについて調査、検討段階にある。また南大東村では、観光客の増加を図ることが目的に、1983年までサトウキビを運搬するために島内を運行していた鉄道「シュガートレイン」の復活を計画している。 全都道府県の中で唯一、JR各社の路線が敷設されていない。これは歴史上でも樺太を含む内地48都庁府県で唯一、国有の交通機関が存在したことがなく、鉄道小荷物については琉球海運などとの連絡運輸により取り扱いが行われていた。なお、かつては那覇市に九州旅客鉄道(JR九州)沖縄支店が設置されていたが、2017年3月17日をもって閉店したためJRの営業拠点が全く存在しなくなった。 このほか、鉄道事業法に準拠する索道としては2016年4月1日に宮古島のシギラリゾート内にリフトが設置されている。 沖縄県には陸続きで接する都道府県がなく、他県につながる海底トンネルや橋もないため、沖縄県では全国47都道府県で唯一、他県につながる鉄道路線が一つもない。 沖縄本島では那覇市・浦添市内の沖縄都市モノレール(ゆいレール)以外に鉄道がないため、都市内および都市間を結ぶ交通機関として、島内各地にバス路線網が展開されている。また、石垣島や宮古島でも島内の交通機関としてバス路線網がある。 ほかに、島の港、空港、中心集落や観光地を結ぶ交通手段として、小規模な路線バスの運行が行われている島も多い。 また、沖縄県は、前述のとおり日本で唯一、国鉄バスと後身のJRバスの定期旅客営業路線が歴史上において存在したことのない都道府県である。 航空機を使うまでもない近接離島間の移動には、船舶が広く利用されている。 2007年度より開始された小学6年生および中学3年生を対象にした全国学力・学習状況調査では、2011年度、沖縄県は全ての科目で最下位 となったが、2014年度の調査では沖縄県は小学6年生算数で全国2位となった。 国立 公立 私立 私立 私立 国立 2大県紙のシェアが合わせて約7割弱に達し、全国紙(一般紙)は下記の事情もあり、他県と比べシェアが極めて低い。また、先島諸島では独自の地域紙が発行されている。 西日本新聞も沖縄県の官公庁や図書館、および九州に本社を置く企業・法人の出先機関(沖縄支店など)に向けた事実上の「業務用」として新聞を発行していたが、2009年(平成21年)に発行を停止した。同新聞は1967年(昭和42年)-1977年(昭和52年)と2000年(平成12年)-2009年(平成21年)に那覇支局を設けていた。 読売新聞、毎日新聞、朝日新聞、日本経済新聞、産経新聞の各社が県に総局・支局を設置している。2008年(平成20年)11月1日より日経が琉球新報社への委託による現地印刷を開始し、全国紙では唯一、朝夕刊(2018年1月からは朝刊のみで、夕刊は廃止した。)とも地元紙と同時に配達を行っている。なお、読売、毎日、朝日は東京本社版および西部本社版を、産経と、世界日報は東京本社版を取り扱う販売店が存在する。これらの一般紙はいずれも発行地より空輸されるため、配達は当日の午後にずれ込む(前日の夕刊と同時配達)。また先島諸島や大東諸島については、全国紙だけでなく地方県域新聞2紙も印刷後空輸や船便で配送されるため、本島などから比べて朝刊の配達が遅れてしまう。 スポーツ新聞は、日刊スポーツとスポーツニッポン(新報スポニチ)が県で現地印刷を行っているが、両紙とも本州などで発行される新聞とは異なり、10〜12ページで発行されている(沖縄県には公営競技の施設がないため公営競技面は掲載されていないほか、番組表も非掲載)。なお、那覇空港内や那覇市内の一部のコンビニでは、東京本社版の各紙が発行日当日に空輸され販売されているが、価格は定価より50円上乗せした180円となっている。 デジタルテレビの親局送信所は、NHKと沖縄テレビが豊見城市高安に共用し、RBCとQABは1kmほど離れた豊見城市嘉数に共用している。NHK-FMの親局とRBCのFM補完放送のメイン中継局は、それぞれ兼営するデジタルテレビ送信所に設置。単独局のFM沖縄は南風原町の新川に単独で、ラジオ沖縄のFM補完放送のメイン中継局はそこに近接するおきなわTOWERに設置されている。 アメリカ合衆国の施政権下では KSxx を用いていたが、本土復帰(1972年(昭和47年))以降は JOxx を用いている。 琉球王国成立以前から日本本土の影響を受けつつ、中国大陸や東アジアの文化も受け入れ、混ざり合う文化を築き上げてきた。また太平洋戦争後から沖縄返還に至るまで、長期間米軍に統治されていたため、アメリカ合衆国の文化も多岐にわたって浸透している。 アニミズムを基本としており、日本本土の神道の原形(古神道)に近いと言われる。琉球神道とも言われ、県外の神社に当たるものとして御嶽がある。また、祖先崇拝の風も強く残る。 仏教は、王族や一部の上層階級が信仰するのみで、一般の農民にはほとんど浸透しておらず、葬式の儀礼の一部に用いられるにとどまった。現在でも仏教信徒(檀家)の数は、県外に比べると極端に少ない。近年葬儀は一応仏式で行われるようになったが、県外のように宗派別の僧侶ではなく、無宗派の僧によって執り行われる場合が多い。また、僧とは別にユタを呼ぶ事例もある。 墓は、自然のほら穴などを使った岩陰墓や崖を掘り込んだ掘込墓から、中国の影響を受けた亀甲墓へと変わり、現在では破風墓が一般的である。また、遺骨の処理方法も風葬や洗骨をする独特の風習があったが、近年では保健所などの指導や婦人運動の結果、多くの地域で火葬が実施されるようになった。 戦後は、米軍の影響でキリスト教信仰も盛んである。その多くはプロテスタント派に属する。県内には約210か所のキリスト教会が存在し、全国で最もクリスチャン人口の比率が高い。 沖縄県で使われている言葉は大まかに以下の三つに区分できる。県民の中でも、団塊の世代より後に生まれた世代では、共通語化が著しく、平成以降(特に2000年以降)に生まれた世代になると、琉球語だけでなく沖縄弁(ウチナーヤマトグチ)でさえも衰退が著しいが、特別な保護政策などはとられていない。 人種的には先史時代から10世紀にかけて九州以北の本土住民が沖縄の地に移住したとされる。分子生物学の研究では、沖縄県民の遺伝的構成は、東アジア大陸部の主要集団とは異なり、日本列島人種(大和人)の遺伝的構成に近く、同じ祖先を持つことが確かめられている。沖縄の地に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降であり、考古学などの研究を含めると大東諸島民を除く沖縄県民の先祖は、比較的新しい時期(10世紀から12世紀ごろ)に農耕をする人々が九州南部から沖縄の地に南下して定住したとされる。 沖縄の地に先祖を持つ人々は、地理的、歴史的および文化的な経緯から「琉球民族」であるとする立場がある。日本政府は琉球民族を沖縄の「先住民族」とは認定していないが、2014年8月に人種差別撤廃委員会は「国連教育科学文化機関が琉球・沖縄について特有の民族性、歴史、文化、伝統を認めている」と言う理由で「先住民族」であるとした。これに対して、日本政府は撤回を働きかけるとし、自民党系議員は「民族分断工作」であると反発した。 沖縄の名字の多くは、地名に由来する。琉球王国時代では、王族、士族らは現在の名字に相当する家名を名乗り、領地が変わるたびにそれも変化した。薩摩藩による侵攻以降、薩摩藩の政策と琉球王府の施策により、日本風の二字姓家名からいわゆる沖縄風の三文字姓に改名した家系が多い。琉球処分後、一般庶民にも姓を名乗ることが許され、また明治以降は琉球語読みの名字の多くは日本語読みに改まった。 沖縄県の伝統的な建築技術は、主に琉球王国時代後期(近世)に発展した。多くの建造物は、建築様式や素材、技術などの面で周辺地域の建築様式(主に日本建築・中国建築)との類似点が多く見られるが、資源の状況や風土などが異なるため沖縄独自の発展が見られる。 王朝時代において、琉球士族などを中心に瓦葺きの木造建築である貫木屋(ヌチジャー)、庶民は主に穴屋(アナヤー)と呼ばれる掘立小屋に住居を構えていた。また住居以外には、城壁や橋梁などの石造建築物に琉球石灰岩が多く使用されたが、沖縄戦により失われた建築物も多い。戦争により多くの木造住宅だけでなく山林が消失し、大量の職人と資材が失われ、復興をアメリカ軍が主導するかたちでツーバイフォー構造の建物が多く建てられた。 現在では、台風やシロアリに強い鉄筋コンクリート構造に給水タンク(大きな河川がなく幾度と水不足を経験したため)を設置した住宅が一般的になっている。 在日米軍の軍人軍属およびその家族が居住する目的で基地外に建築された外人住宅も多数存在しており、県外の基地縮小とは裏腹に復帰後も戸数は拡大していった。増加する米軍人員を収容するための住宅需要が高まり、民間投資によるアメリカ人向けの大規模な土地造成と住宅地建築が行われた。現在も宜野湾市、北中城村、沖縄市、うるま市、北谷町などに「外人住宅街」が存在し、独特の街並みを形成している。 エイサーは浄土宗の念仏が基となり形成された伝統芸能であり、近年では宗教色のない創作エイサーへも発展している。 アメリカ統治時代に、コザ市(現沖縄市)では、朝鮮戦争やベトナム戦争に明け暮れた米軍人向けにクラブやライブハウスが流行し、多数のハードロックミュージシャン達が活躍した。戦争の終結、米ドルの相対価値の下落、Aサインバーの閉鎖など、環境の変化に伴い衰えたものの、現在でも全国に進出して活動しているミュージシャンは多い。 現代では沖縄県出身の芸能人も盛んに活躍し、沖縄アクターズスクールの卒業生を筆頭に数多くの歌手、アイドル、タレントの輩出している。 伝統的衣装である琉装のほか、近年ではアロハシャツに似たかりゆしウェアも見られる。 戦後は収容所で生活していた住民らに米軍から放出された衣類が支給された。収容所が解体された後も耐久性や利便性から米軍放出品の衣類が利用され、現在に至るまで販売されている。 以前から存在していた沖縄固有の武術「手(ティー)」と、琉球王国時代に伝来した中国武術により融合して誕生したのが、唐手(からて、トゥーディー)であり、後の空手道に発展した。戦後、空手を習得したアメリカ軍人や、日本から海外へ渡った空手家により、次第に世界へと普及した。 広義の琉球古武術は、徒手空拳術(空手)と武器術から成る。一般的に古武術は後者を指すが、空手と武器術は互いに密接な関係にある。棒術、トンファー術など様々だが、中でもヌンチャクを用いた武器術は世界的にも有名である。 速さではなく、美しさを競う古式競馬。琉球競馬(ンマハラシー)は300-500年ほど前から行われ、明治以降は全県民的な催事となり太平洋戦争中までは琉球競馬が盛んに行われていた。 2013年から琉球競馬の復活事業として沖縄こどもの国にて行われる。 日本本土においては7世紀以降、稲作を神聖視する一方で、肉食は穢れとみなされ、表向き禁忌とされた。しかし沖縄はこの思想がなく、早くから肉料理が発達した。中国の影響からか特に豚肉料理が伝統的に発達している。牛、馬、猪、鳥の肉を食べるが、祝いの席などで山羊の刺身、山羊汁、チーイリチーをふるまうことが多い、山羊の肉と血液を調理するチーイリチャーは、沖縄ならではのものといえる。海洋交易立国の伝統から、琉球料理には、遠い北海道産の昆布も古くから使われる。 かつては国内有数の長寿地域であった理由に健康的な伝統的食文化があるのでは無いかと考えられている。他方、米軍統治時代に発展したファーストフードやアメリカ料理も根付いており、食の欧米化も進んでいる。 また、アメリカ占領時の食文化も今日に受け継がれている。 琉球王国時代、中山王府(琉球王国王府)の管轄下にあったニンブチャー(念仏者、チョンダラー:京太郎)以外には被差別民がいなかったため、大和の部落差別にあたるものはないものの、王族や士族と庶民(農奴)の格差が甚だしく大きい身分制度社会であった。また都市部以外ではシマ社会の旧習が今も色濃く残っており、男尊女卑や、部外者排斥の傾向が見られる。「シマ」とは「島嶼」のほかに「村落」や「分領」をも意味する。日本本土の村社会に似た構図がある。 日本本土ではかつて、沖縄出身者が異質な存在として差別的に扱われることが多かった。1903年には展覧会で沖縄出身の遊女をアイヌや台湾原住民などとともに異民族として「展示」し、沖縄県民の反発を招く事件が起こった(詳細は人類館事件を参照)。大正から昭和初期にかけて沖縄から県外への出稼ぎが増加した際には、県外の言語や慣習、例えば標準語や時間感覚などに不慣れな者が多かったことなどを背景に、求人告知や商店の入口で「琉球人お断り」と但し書きされる事例があった。 戦後のアメリカ統治時代に、米軍は銃剣とブルドーザーによって強権的に土地を接収し、米軍兵による強盗、強姦や殺人などの事件が相次ぎ、沖縄人の間に反米感情が高まった。特にポール・W・キャラウェイ琉球列島高等弁務官時代には非常に強権的な態度で沖縄人を抑圧した(キャラウェイ旋風)。1970年12月には、米軍人による交通事故を発端にコザ暴動にまで発展した。 地理的、文化的に近い奄美群島は、琉球王国の侵略を受け15世紀から17世紀初頭にかけて服属していたが、その琉球王国が薩摩藩の間接支配を受け幕藩体制下に入り、明治維新から琉球処分を経て併合された後もなお、沖縄との人的交流が盛んな地域であった。しかし、太平洋戦争後のアメリカ占領軍の施政下から奄美群島が先に祖国復帰を果たすと、「日本国民」に戻った奄美出身者の公職追放、参政権剥奪、財産権の制限など基本的人権を大幅に制限する施策が、沖縄本島住民の陳情により次々と導入された。また、民間に差別感情が広まった。沖縄マスコミもこれらを煽る報道を行った。 琉球王国時代に服属した先島諸島に対して中山王府(琉球王国王府)は過酷な人頭税を導入し圧政を強いた。薩摩藩、および王府に加え、先島諸島の現地支配層による農民の二重搾取、強制賦役、弾圧や迫害の歴史は琉球王国の滅亡まで連綿と続き、さらに明治維新を経て琉球処分後も旧慣温存政策に基づいた現地支配層による強制的な搾取構造は20世紀まで連綿と続いた。薩摩や王府の権威による圧政に、王府や支配層による農民の強制移住、干魃や暴風雨による不作、さらに大津波などの自然災害、疫病の流行や飢饉の発生が追い打ちをかけ人口の大減少をもたらした(詳細は「八重山地震」参照)。 先島諸島の人頭税は1637年から制度化され、重税であり収穫が少ない年でも徴収され島民を苦しめたと言われる。人頭税は琉球処分後も旧琉球王国の既得権益層への懐柔のために執られた旧慣温存策により存続した。1893年(明治26年)に中村十作、城間正安、平良真牛、西里蒲ら4人により、沖縄本島の官憲や士族らの妨害を乗り越えて、国会請願書が当時内務大臣であった井上馨に届けられた。中村の同郷(新潟県)の読売新聞記者である増田義一の記事で国民に周知されるところとなり、世論の後押しも受け第8回帝国議会において1903年(明治36年)廃止され、日本本土と同様の地租に切り替えられた。 アメリカ人とアジア人、特にアジア地域へ来たアメリカ軍人と現地の女性との間にできた子どもはアメラジアンと呼ばれる。沖縄には今日でもアメリカ軍の軍人や軍属が多く居住し、多くのアメラジアンが生まれ続けているが、差別も根深い。米軍基地とテレビで目にすることが、沖縄で育ったアメラジアンが知っているアメリカ文化の全てということが多く、そういう点では一般の沖縄県民と何ら変わる面はない。にもかかわらず外見でアメリカ人と決めつけられ、商店からつまみ出される、公共のプールに入れさせてもらえないといった差別を受けている。特にアフリカ系アメリカ人との混血児に対してはその傾向が強い。慰霊の日の前後に公立校では反米的な学習が展開されるため、「ヤンキー・ゴー・ホーム」と迫害されるいじめを浴びる。さらに、アメラジアン自身だけではなくその母親にまで、反米意識に基づく差別、偏見のまなざしが向けられている。また、アメラジアンの多くが集まっていたオキナワ・クリスチャン・スクール・インターナショナルの新校舎建設地が産廃の投棄跡であったため生徒に吐き気や皮膚炎症いった健康被害が多発した時には、沖縄県はダイオキシンやPCBの検査をせずに「安全宣言」を出して済ませてしまい、結局約80名が退学する事態となった。 沖縄県はハンセン病が多く発生してきた地域であり、20世紀末には日本人の新規発症者の6割から7割を沖縄県出身者が占めているが、沖縄社会のハンセン病に対する差別や迫害は厳しいものであった。シマではハンセン病者(「クンチャー」と呼ばれ、これは乞食を意味する琉球方言である)をガマ、崖地、ゴミ捨て場などに隔離し、シマに戻ることを禁じる文化があった。亡くなっても一族の墓には入れず、逆さまにして埋め、二度と生まれてこないよう呪いをかけた。昭和50年代に火葬場が増えてから沖縄にも県外式の葬儀が広まったが、その下でも遺骨に炒り豆を置く呪い(「これが芽吹いたら生き返ってこい」という意味だが、炒ってあるので絶対に芽は出ない)が行われている。 近代医学的なハンセン病医療の場を作る動きに、沖縄県民は激しく抵抗した。国立ハンセン病療養所設置を阻止するための暴動(嵐山事件)が起きたり、療養所設置を求めた青木恵哉ら、ハンセン病患者が焼き討ちにあったりもしている。その青木らにより、ようやく開園にこぎつけた沖縄県立国頭愛楽園(現在の国立療養所沖縄愛楽園)は、地域社会との交流が他の療養所以上に乏しかった。 感染性への誤解も根強く、琉球新報は投薬治療中の教員から児童へ感染が広がっているという誤った考え方を主張し(後に他紙記者により「沖縄戦後ジャーナリズム最大の汚点」と指弾される)、またらい予防法廃止(1996年)の前に行われた世論調査では住民の87%がハンセン病患者の全員隔離に賛成という結果が出ている。 復帰前の調査では、沖縄は精神障害の有病率が県外の2倍との結果が得られ、近年でも精神的疾病、性暴力、家族内暴力、学校内暴力、自殺などが全国トップレベルである。 その沖縄で特徴的なのは、西洋医学とは整合しない土着の信仰や旧習に基づく障害観である。精神障害者を家族が座敷牢に閉じこめる私宅監置は、県外では1950年に禁止されたが、沖縄では復帰後もなお障害者の座敷牢状態が続き、また家族は地域社会から疎外され見捨てられる有様であった。精神障害は悪霊(マジムン)によって起こされているという理解もあり、これを迷信として否定するよう呼びかける精神科医がいる一方で、ユタ信仰の影響を受け土着化したキリスト教である沖縄キリスト教福音はその主張自体が悪霊に言わされているものだと批判し、統合失調症やてんかんには悪霊払いを行っている。「医者半分、ユタ半分」ということわざがあり、精神科医が精神病の患者にユタを勧める例もある。 一方、ユタは精神障害者に近いというとらえ方から、精神障害者が社会の役に立っているという認識をしている人も多い。精神異常を来した者のうち、神や先祖とのコンタクトや憑依体験に至った者はカミダーリと呼ばれ、社会に受けいれられる「肯定的な狂気」として存在できる。 職業差別として、自衛官に対する差別がある。本土復帰に伴い自衛隊が沖縄に配置されると、自衛官たちは人殺し呼ばわりされ、自衛隊員の子供は半年以上も学校に通うことが出来なかったほどである。また様々な行事から閉めだされた上に、参加が許可されても自衛隊を名乗ることを許されなかった。自治体は自衛官やその家族の住民登録を拒否し、ゴミの処理を受け付けなかった事例もあった。那覇ハーリーで自衛隊を名乗って参加することが許されたのは2001年のことであった。 2017年3月9日には宮古島市の市議である石嶺香織が、自身のFacebookに「(アメリカ)海兵隊から訓練を受けた陸上自衛隊が宮古島に来たら、米軍が来なくても絶対に婦女暴行事件が起こる」などと投稿し炎上したため、「自衛隊全体を批判しているわけではない」と謝罪し「戦争のための軍隊という仕組みに対して(批判した)」などと言及したところ、再度炎上する事態となり、石嶺は2つの投稿をFacebookから削除した。宮古島市議会は「投稿は自衛隊員、米海兵隊員に対する職業的差別であり、断じて許すことができない暴言と言わざるを得ず、市議会の品位を著しく傷つけるものだ」などとして石嶺に対する辞職勧告決議(賛成20、反対3、欠席1)を可決した。石嶺は「私は議会が選んだ議員ではない」などとして辞職を拒否している。 雪が降らないため、プロ野球の春季キャンプ地が沖縄県に集中しており、2011年(平成23年)は、12球団中10球団(1軍のみ)が県内でキャンプを行った。以下に主な運動公園および野球場を挙げた。 沖縄県名誉県民の称号は、2003年(平成15年)3月31日に制定された沖縄県名誉県民条例(平成15年3月31日沖縄県条例第1号)に基づき、「社会の発展に卓越した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「沖縄県の出身者、沖縄県に居住したことがある者又は沖縄県にゆかりのある者で、社会福祉の向上、学術文化若しくはスポーツ又は産業経済の振興その他の社会の発展に貢献したもの」であり、沖縄県知事が沖縄県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)。名誉県民に選定された者には、沖縄県名誉県民称号記と沖縄県名誉県民章および記念品が贈呈される(条例第3条)。 沖縄県県民栄誉賞は、1999年(平成11年)4月8日に制定された沖縄県県民栄誉賞表彰規則(平成11年4月8日沖縄県規則第45号)に基づき、「広く県民に敬愛され、県民に明るい希望と活力を与える顕著な功績があったもの」へ、沖縄県知事から贈られる(規則第1条・第2条)。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "沖縄県(おきなわけん、沖縄語: ウチナー /ʔucinaa/、英語: Okinawa Prefecture)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は那覇市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "鹿児島県の薩南諸島を除く南西諸島の島々(沖縄諸島、先島諸島、大東諸島)から構成されており、東シナ海と太平洋に挟まれている。面積は2,281平方キロメートルで、日本の都道府県では小さい順に香川県、大阪府、東京都に次いで第4位であり、人の居住する日本最南端の地域を含む県でもある。又、八重山郡与那国町は日本の最西端にある地方自治体であり、与那国島の北北西端にあるトゥイシが日本最西端の地点である。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "県民人口の約9割が沖縄本島に集中しており、さらに本島中南部に県人口の8割が集中している。那覇市中心部は三大都市圏に匹敵する人口密度がある。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ほぼ全域が亜熱帯気候であり、一部は熱帯に属する。年間を通して温暖な気候であり、最低気温が氷点下以下になる事はほとんどない。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "海上輸送路(シーレーン)及び軍事的要地(第一列島線)として重要な場所に位置し、多数の在日米軍基地が存在する。主な米軍施設として、嘉手納飛行場、普天間飛行場、キャンプ・バトラーなどが存在する。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "歴史的経緯(後述)から、宗教、文化並びに風習、人名や方言、料理や食文化及び産業、人口構成ならびに所得格差に至るまで日本列島主要四島との差異が大きい。俗に沖縄「県外」のことを「内地(ナイチ)」、沖縄県外の日本人を「内地人(ナイチャー)」と呼び分ける場合がある。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "日本では数少ない南の島であるため、日本屈指のリゾート地となり、日本人の夏の観光先として定番化した。特に2001年のテレビドラマ「ちゅらさん」の放送以後は、県外でも沖縄文化がブームを超えて身近なものとして定着し、県外からの観光客や移住者も大幅に増加した。沖縄県としても文化体験、沖縄料理、レジャー、マリンスポーツや戦争遺跡などを強みに観光分野に特に力を入れている。沖縄全体で見た場合の世界的な知名度は、高いとはいえないが、座間味島のみは、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン二つ星を獲得し、国定公園になったことで、海外でも日本の観光名所として大きく紹介されるようになり、一定の知名度を獲得している。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "沖縄県内の産業割合を見ると観光業を含む第三次産業が79.2%を占めている一方で第一次産業は5.4%、第二次産業は15.4%と低調である。沖縄は太平洋高気圧の南側に位置し、熱帯低気圧が発生する海域に近いため、台風発生シーズンの9月上旬から11月上旬までは沖縄の天候が荒れやすく、沖縄発着の旅客機が欠航しやすい。しかし、9月は気温が高いにもかかわらずオフシーズンとなるため、夏と殆ど同じ条件で安価に旅行する事が可能となる。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "格闘技界においては空手の発祥の地(琉球唐手)として世界的に有名であり、多数の外国人門下生が県内の空手道場に入門し稽古している。ボクシングにおいては石垣市出身の具志堅用高を始めとして数多くの世界王者、名選手を輩出している。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "淡海三船が著した779年成立の鑑真の伝記『唐大和上東征伝』では、天平勝宝5年(753年)11月21日に遣唐使一行が阿児奈波嶋(あこなはしま/あこなわじま)に到着したと記述されており、この島は沖縄本島のことを指していたという。後に中国側からの呼称による「流求」「琉球」と呼ばれるようになった。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "琉球処分の際、明治政府内では「琉球県」の名称も検討された。これは1879年(明治12年)、琉球藩を廃して沖縄県が設置される際に俎上に上っていたものである。内務卿の伊藤博文から太政大臣の三条実美に提出した同年3月1日付の琉球処分に関する文章には「琉球藩ヲ廃シ、更ニ琉球県ヲ被置候、此旨布告候事但県庁ハ首里ニ被置候事」とあり、琉球県の名称が使われていたが採用には至らなかった。この間の経緯は不明であるが、中国語由来の琉球に対し、沖縄のほうがより日本帰属の意思が明確になるため選ばれたと推察できる。また、旧信濃国が長野県、旧上野国が群馬県となったように、旧国名などの広範な地域名は都道府県の名前として使用しないという原則があったのも理由の一つだと考えられる。用語としての「沖縄」は元々は沖縄本島を指す言葉であったが、沖縄県設置により奄美群島が正式に日本に編入、さらに沖縄諸島・先島諸島全域が「沖縄」と呼ばれるようになり、より広義に解釈されるようにもなった。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "国土交通省による日本の14地域区分の1つである沖縄は、沖縄県1県のみから成る。なお、「九州地方」の一部または「九州・沖縄地方」と呼ぶ場合もある(「九州#近現代の「九州」」を参照)。国土交通省は、「沖縄本島」を、「本土」5島の一つとしている。 国土地理院によると、沖縄県は691の島から成っている。49の有人島と多数の無人島から成り、0.01km以上の面積を有する島は160島存在する。最東端から最西端までは約1,000km、最北端から最南端までは約400kmと、広大な県域を持つ。 南西諸島は鹿児島県から台湾近くまで長く延びており、地理的分布では北のトカラ列島までと、奄美群島と沖縄諸島および先島諸島の3つに大きく分けられる。 沖縄本島と宮古島の間は宮古海峡と呼ばれ最狭区間でも約145海里(約270km)の距離があり、そのうち約48海里(約89km)が領海と接続水域になっており、残りの約97海里(約180km)が排他的経済水域になっている。 与那国島と台湾の間は約54海里(約100km)である。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "離島が多いものの、離島の医療は人材的あるいは経済的理由から不足気味であり、病院がなく診療所のみという島も多い。そのため、離島で治療できない急患患者の沖縄本島への空輸を陸上自衛隊や海上保安庁が行っている。なお、宮古島、石垣島には県立の総合病院が設置されているため、それらの島の周辺離島での急患は沖縄本島ではなく宮古島や石垣島に搬送される場合もある。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "県庁所在地である那覇市の半径1,000km圏内には九州島全域や下関市、上海、福州や台湾島全域が含まれ、1,500km圏内には大阪、南京、ソウル、平壌、マニラ、香港などが位置する。2000km圏内には東京、仙台、北京、瀋陽、海南省海口市、長春、ウラジオストクなどが存在し、2500km圏内には稚内、成都、重慶、ハノイ、グアム、北マリアナ諸島、パラオが収まるなど、まさに東アジア・東南アジアと日本との接点とも言える位置にある。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "沖縄本島の中南部は那覇市や沖縄市を中心として都市化や人口集中が進んでおり、全面積の約5分の1に110万人以上が居住している(沖縄本島#中南部都市圏 も参照)。その上、治外法権の米軍基地が多数存在しており、利用できる面積はさらに限られる。そのため人口密度は全国で第9位であり、三大都市圏の都府県を除くと福岡県に次いで2番目に高い。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "琉球諸島は太平洋側の琉球海溝と東シナ海側の沖縄トラフに挟まれる。琉球海溝はフィリピン海プレートがユーラシアプレートに潜り込むことによりできたもので、これは南海トラフと同様の成因である。また背海盆沖縄トラフはユーラシアプレートが新しい時代に引き裂かれて陥没した1000〜2000mの窪みであり熱水鉱床などがみられる。地質的には琉球列島(諸島)のうち沖縄島と奄美大島はケラマ海裂とトカラ海峡とに挟まれた中琉球と呼ばれ、島は海洋地殻の上に海洋地殻の付加体(海洋地殻の陸側斜面となるユーラシア・プレートの下にフィリピン海プレートが沈み込むときに、海溝の陸側斜面ユーラシアプレートの端に押し付けられて隆起した海洋地殻の上の堆積物)で構成され、さらに3億〜5000万年前の古い付加堆積物で作られる沖縄島北側と、500万年前に作られた現地性堆積物により構成される沖縄島南側に大きく分けられる。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "日本国内における気候区分では南日本気候に属する。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "宮古島、多良間島、石垣島、西表島、与那国島、波照間島および沖大東島は熱帯性気候でケッペンの気候区分では熱帯雨林気候 (Af) に、北大東島および南大東島は同じく熱帯性気候で熱帯モンスーン気候(Am)、それ以外の地域は亜熱帯性で温暖湿潤気候 (Cfa) に属する。沖縄県各地方ともに高温多湿で年間降水量は2,000mm以上で、年間平均気温は約22°Cとなっている。しかし、最高気温が35°Cを超える猛暑日になることはほとんど無い。これは、沖縄は陸地面積が狭く周りを海に囲まれていること(海洋性気候)から、フェーン現象や晴天弱風と都市化がもたらす大規模なヒートアイランド現象のような要因がないためである(但し都市部での小規模なヒートアイランド現象の研究報告はある)。また沖縄は台風銀座と呼ばれており、毎年多くの台風が接近する。月別で注目すると、降水量は梅雨入りの平均期間である5月と台風が多く接近する8月に多い。また、日照時間は7月に長く、冬期の1月・2月では短い。冬季は北からの季節風の影響で雨や曇りの日が多い。梅雨明けころには、夏至南風(沖縄本島ではカーチーベー、宮古・八重山周辺ではカーチーバイ)と呼ばれる秒速10m以上の南寄りの強い風が吹き、夏の到来を告げる季節風として知られている。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "冬期に降雪があることはごくまれであるが、1977年(昭和52年)2月17日に久米島で、2016年(平成28年)1月24日に久米島と名護市でそれぞれみぞれ(気象記録上は雪と同じ扱い)が観測された 。気象庁が公式に発表した沖縄県での降雪記録はこの2例のみで、久米島での降雪は日本における降雪の南限記録である。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "観測開始以前においては、琉球王国の正史とされる『球陽』によると、1774年、1816年、1843年、1845年、1857年にそれぞれ現在の沖縄県の領域で降雪があったことを記録している。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "なお、昭和38年1月豪雪では県内各地で霜、あられ、ひょうなどが観測されており農作物への被害も発生している。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1999年(平成11年)12月20日とその前後に那覇市などで「雪が降った」という目撃談が複数報告され、NHK沖縄放送局でその「雪らしきもの」の映像を放送したが、気温が高かったことなどから気象台は否定的で、公式な降雪記録とはなっていない。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "本県の河川の特徴としては、急勾配でかつ、河川延長が短く、流域面積が小さいことが挙げられる。その為、河川流量の変動が顕著で、大雨による増水、少雨による水不足に陥りやすい。またマングローブ林など県外と異なる亜熱帯特有の自然環境を形成している。現在、沖縄本島北部では赤土の流出、中南部では畜舎からの排水などの影響による河川汚染が問題となっている。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "本県には国内で唯一、一級河川が存在しない。二級河川の開発は知事の要請に基づき沖縄振興特別措置法により、日本政府の直轄事業として改良・修繕工事を行っている。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2019年現在、沖縄県には11市、5郡、11町、19村があり、町は全て「ちょう」、村は全て「そん」と読む。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "現代(2020年)において沖縄県の地域は北部地域、中部地域、南部地域(南部離島地域)、宮古・八重山地域に大分される。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "南部離島地域は、南部地域に包含される場合があるが、沖縄本島と、伊江島、伊平屋島および伊是名島を除く沖縄諸島と大東諸島の島々の町村を含んだ概念である。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "また、伊江島、伊平屋島、伊是名島の村域は北部地域に包含される(「北部離島地域」と言う呼び方は公式ではない)。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "ただし、本島周囲の離島であって国頭村、大宜味村、今帰仁村、本部町、名護市、恩納村、うるま市、豊見城市、糸満市、南城市に属する小島嶼はこれら離島地域には含まれない。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "1896年(明治29年)4月1日の郡制施行(沖縄県区制)に伴い、那覇区、首里区と、国頭郡、中頭郡、島尻郡、宮古郡、八重山郡の5郡が設置された(2区5郡)。この時点では沖縄県発足以来継続していた旧慣温存政策により琉球王国時代の間切制が残存していた。これは、1908年(明治41年)4月1日に沖縄県独自の島嶼町村制施行により、間切→村(そん)に移管されるまで続いた。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "この1896年沖縄県区制施行当時の郡区分を特に「旧郡制」と言う事があり、この境界をもって5地域(5地区)に分ける慣例が制度上も残っている。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "この歴史的経緯により、旧郡制当初から現代まで、伊平屋村・伊是名村は島尻郡に属しているがその一方で現代行政区分としては北部地域に組み入れられている。ほか、沖縄本島と伊江島を除く沖縄諸島と、大東諸島の島々の市町村も同様に島尻郡に属しており、必ずしも南部とは言えない南部地域(南部離島地域)に組み入れられている。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "行政による地域区分は上記のほか、沖縄本島(周辺離島を含む)における広域行政圏として北部広域市町村圏、中部広域市町村圏、南部広域市町村圏を持つ。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "これら広域行政圏は、沖縄都市圏や那覇都市圏の影響を受けており、行政機能的、商業的にもより実態に即した圏域を構成している。そのため、中部地域に属する浦添市は南部広域市町村圏に組み入れられている。西原町は公式にも中部広域市町村圏だが、より実態に即して南部扱いされる場合も一部にある。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "2017年現在、在日米軍の専用施設は沖縄本島の総面積の15%を占めている。", "title": "地理・地域・公海" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "古代 『続日本紀』には、文武天皇2年(698年)に朝廷の命により、務広弐文忌寸博士が南島(なんとう)(南西諸島)に派遣されたとある。このときの文忌寸博士の任務は屋久島、種子島、奄美大島の朝貢関係を確認することにあり、文武天皇3年(699年)に多褹・掖玖・菴美・度感から朝廷に来貢があり位階を授けたと記載がある。これ以降、朝廷は種子島に国司を派遣するとともに、久米島や石垣島にも服属を求める使者を派遣している。和銅8年(715年)には南島の奄美・夜久・度感・信覚・球美の島民が来朝し貢上したという記載があり、蝦夷の人々とともに南島の人々に位階を授けたとある。他にも養老4年(720年)に南島人232人に位を授け、また神亀4年(727年)に南島人132人に位階を授けた、などの記載がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "琉球王国時代に編纂された「中山世鑑」によると、保元の乱で敗れ伊豆に流された源為朝が追手から逃れるため沖縄本島(運天港)に渡り、その子が初代琉球国王舜天になったとされており、正史として扱われていた。14世紀後半には三山王国(北山、中山、南山)が勃興するグスク時代に突入し、中国(明)に朝貢し冊封を受け琉球貿易を行っていた。1429年に中山王尚巴志が南山と北山を滅ぼし琉球を統一、琉球王国を建国した(第一尚氏)。グスク時代の城跡遺跡は『琉球王国のグスク及び関連遺産群』としてユネスコの世界遺産に登録されている。1469年に尚徳王の家臣であった金丸が王位を簒奪し、自らを尚円王と号し即位した(第二尚氏)。周辺の先島諸島や奄美群島にも版図を拡げるが、1609年(慶長14年)に薩摩藩の侵攻を受け尚寧王は降伏、当時王国の支配下にあった奄美群島は薩摩藩に割譲、王国は薩摩藩の支配下におかれた(琉球侵攻)。薩摩による侵攻以降も王国は中国の冊封を受け続け、日本の薩摩藩と清国に『両属』する体制となっていたが鎖国体制下の両国の中継貿易地としての役割を担い、交易を通じて独自の文化と自治を保っていた。この当時の日本本土と沖縄の関わりが、現代まで続く日本の南洋幻想の発端となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "近代に入り、1853年(嘉永6年)マシュー・ペリー率いる黒船艦隊が琉球に来航し首里城を訪問。翌1854年(嘉永7年)琉米修好条約を締結するのを皮切りにフランスやオランダとも修好条約を締結した。一方、日本本土では明治維新がおこり開国したことを受け、1871年(明治4年)9月に日清修好条規が締結され清との間に外交関係が樹立された。しかし、その約1ヶ月後となる同年10月に宮古島島民遭難事件が発生、明治政府は外交対処のために中央集権国家の確立を急ぎ、1872年(明治5年)、琉球藩が設置され、琉球国王の尚泰を「琉球藩王」に封じて東京に藩邸を置いた。福島外務卿による清との交渉後、1874年(明治7年)に台湾出兵となり、日本の航客に危害を加えないなどの統括権などがイギリス大使の調停による事後処理条約で確認され、清との外交事件が帰着した。1879年3月27日(明治12年)、明治政府は琉球藩を廃して沖縄県を設置、尚泰は東京の藩邸に居を移し華族となる。明治初期に琉球が日本に編入される一連の過程を琉球処分と言う。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "1945年(昭和20年)、太平洋戦争では『国内最大の地上戦』と呼ばれる沖縄戦の戦場となった。米軍は4月1日に沖縄本島の読谷村の海岸に上陸、瞬く間に島の北半分を制圧、日本軍は米軍の総攻撃を受け南部に追い込まれ、総司令部が置かれていた首里城も焼け落ち、6月23日に沖縄守備軍最高指揮官の牛島満中将らが摩文仁で自決したことで組織的戦闘は終結した。約3カ月に及ぶ激戦により県民の4人に1人が犠牲になり土地も荒廃した。現在、摩文仁は沖縄戦跡国定公園に指定されており、6月23日は慰霊の日として沖縄県の休日となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "沖縄戦後、GHQのSCAPIN - 677指令により南西諸島は米軍軍政下となり、日本の施政権は停止、行政実体(内務省知事下)としての沖縄県は一旦消滅した(アメリカ合衆国による沖縄統治)。米軍統治下で基地建設のため集落や農地を大規模に接収し、右側通行の道路を整備し、通貨としてB円、後に米ドルを使用させ、日本本土への渡航にパスポートが必要になるなど、米国流のやり方で戦後復興が進められていった。1952年(昭和27年)にGHQの占領下にあった日本が主権回復した後も沖縄は引き続き米軍の統治下におかれた。同年、米軍政が終了、米国主導で新たに琉球政府を設置、本格的な琉球統治と復興に乗り出す。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "1950年代以降になると朝鮮戦争やベトナム戦争が勃発し、沖縄は米軍の前線補給基地として重要度を増し、数多くの米軍人が駐留、B-52などの戦略爆撃機や枯葉剤や核兵器といった大量破壊兵器が多数配備され、ベトナムからは『悪魔の島』と恐れられた。経済は基地に大きく依存していた一方で、当時ドル高円安の固定相場制の影響もあり物価は安く生活は安定しており、人口は終戦直後の約50万人から本土に復帰するまでのわずか27年間で約100万人に倍増した。しかし米軍による強権的かつ差別的な施政に島民は強い反感を抱き、本土への復帰を求める大規模な反基地運動が各地で展開されていった(島ぐるみ闘争)。1971年(昭和46年)に佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン大統領との間で沖縄返還協定が締結され、翌1972年(昭和47年)に沖縄は日本に施政権が返還され沖縄県が復活した(沖縄返還)。米軍統治時代から続く基地問題や不発弾の問題、日米地位協定の問題は県の主要な政治課題となっている(「普天間基地移設問題」を参照)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2015年度の国勢調査結果より前回の2010年度と比較して、沖縄県の人口は約4万人(2.9%)増加し、都道府県別で東京都(2.7%)を抜き全国で最も人口増加率が高くなった。人口別では初めて65歳以上人口が15歳未満人口を上回った。地域別で見ると沖縄本島の中部と南部で増加し、沖縄本島北部と石垣島を除く離島の大部分で減少している。国立社会保障・人口問題研究所は、2025年に143万3千人まで増加すると予測している。2010年の自然増加率は人口千人あたり5.0人増と全国最高であるが、社会増加率は各年により増減が変動する。また2010年度の合計特殊出生率は1.87人と1975年度以来連続で全国1位を維持している。2015年度国勢調査によれば、65歳以上の人口比率 (19.6%) が、調査開始以来、15歳未満 (17.4%) を上回った。粗死亡率は男女ともに全国で最も低いが、年齢調整死亡率は全国平均に近く、特に成人男性は全国3位以上の年齢調整死亡率となっている。沖縄県在住の外国人は、国籍別で2010年現在アメリカ(米軍とその関係者は含まれない。)が最も多いが、中国・韓国籍の外国人も増加傾向にある。2015年度の国勢調査で、県内の外国人は11,020人となり、2010年度より3,369人 (44%) 増加している。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "なお人口統計には含まれない在沖米軍人と軍属およびその家族数は2013年度現在47,300人にのぼる。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "2016年度の沖縄県への入域観光客統計は年間8,613,100人で過去最高を記録し一日平均で約23,500人になる。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "また県外から赴任した自衛官や国の出先機関の出向公務員も多数存在するために、これらを含めると見かけ上の人口は統計よりも7〜10万人も多い。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "沖縄県議会議員選挙は統一地方選挙では実施されない数少ない都道府県議会議員選挙の1つである(他は東京都、茨城県、岩手県、宮城県、福島県)。これは、日本復帰後の選挙が1972年(昭和47年)6月25日に行われたことによるためで、東京と茨城は議会の解散、岩手、宮城と福島は東日本大地震による延期のためであり、事情が異なる。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "沖縄県は日本屈指の観光立県でありサービス業が発達していて県経済の中心になっている。また在日米軍基地が生み出す経済(軍雇用者所得、軍用賃借料、米兵向け商店・飲食店など)に依存している側面があり、経済依存度は、1972年の15.5%から1982年度には7.4%にまで低下し、ここ30年は5%前後で推移している。米軍基地内には、オフィスや病院、ショッピングセンターなどの施設があり、約9,000人前後の県民が基地施設に勤務していて、沖縄県庁に次ぐ大口の就職先になっている。「観光」「公共事業」「基地収入」に依存する「3K経済」とも称されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "沖縄県の産業構造は、全国に比べて第2次産業のウエイトが低く、第3次産業のウエイトが高いことが特徴である。平成25年度の県内総生産に占める第2次産業及び第3次産業の割合は、それぞれ13.9%及び84.4%となっており、全国の24.4%及び73.9%と比べその差異は明らかである。特に、製造業の割合は、全国が18.4%に対し沖縄県は4.2%とその差異は極めて大きい。また、政府サービス生産者(公的な電気・ガス・水道業や公務などの経済活動)の割合が沖縄県(平成25年度)では16.0%と高い。これらの要因として、アメリカ統治下の沖縄では円よりも価値の高い軍票やドルが用いられ外国製品が安く手に入るため製造業が育たなかったこと、本土復帰後は大規模な公共事業に重点的に取り組むも地元企業は下請けに回ることが多く、その結果雇用が見込める大規模工場が少なく、非正規雇用者が多い要因の一つとなっている。2017年の非正規従業員の割合は43.1%と全国で最も高い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "2014年(平成26年)度の県内総生産は4兆1749億円で、前年度と比較した経済成長率は、1.5%増加した。名目は3.5%増の4兆511億円で、それぞれ6年連続のプラス成長だった。平成26年度の一人あたり県民所得は212万9000円(全国平均は286万8000円)である。失業率は日本一高いが2016年には沖縄の完全失業率は23年ぶり3%台に低下した。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "県外の日本国内で生産または供給される商品に関しては、輸送距離の関係から時間・費用が嵩み、輸送費の分だけ県外に比べ割高となってしまう。そのため、県内生産品を除き、県外の地方と比べて、平均小売価格は特段低くはない。食品や携帯電話サービスでは全国的なブランドの商品生産・提供を沖縄独自の法人(沖縄ビバレッジ、沖縄セルラー電話など)が一括して担っていたり、オキコやオリオンビールやブルーシールなど、沖縄独自のブランドが特定ジャンルのシェアを占めている場合もある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "農業では日本有数の亜熱帯性気候を生かし、マンゴー、アセロラ、パインアップル、ドラゴンフルーツなどのトロピカルフルーツや、サトウキビ、タバコ、ゴーヤー(ニガウリ)といった農作物が生産されている。また、伊平屋島などでは稲作が盛んである。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "漁業ではマグロ、イカ、ブリ、タカサゴ、アジ、アカハタなどの他クルマエビ、モズクの養殖も盛んである。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "畜産業では、養豚が古くから盛んに行われ沖縄固有品種アグーが有名。またヤギやウシも生産されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "本土復帰後は付加価値の高い品目に移り変わりつつある。マンゴーや石垣牛などは産出額を大きく増やしているのに対し、サトウキビやパイナップルは栽培・収穫面積を大きく減らしている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "製糖業、飲食料品製造業や、セメント製造を中心とした窯業・土石製品製造業があるがいずれも小規模である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "沖縄本島の本部半島には良質な石灰岩が存在し、セメントの原料や砕石・砕砂の原料として採掘されている。沖大東島や北大東島にはかつて燐鉱山が経営されていたが、北大東島は良鉱石が枯渇しており、沖大東島は戦後、米軍射爆撃場に指定されたたままである。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "沖縄本島沖の海底には国内最大規模の熱水鉱床が広がっており、銅、亜鉛などのほか、ガリウムやビスマスなどレアメタルを含むため、次世代の海洋資源として試掘調査が活発化している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "東シナ海の海底には推定埋蔵量約1000億バレルに上る天然ガスや石油が眠っており、日中中間線周辺では中国との領有権争い(東シナ海ガス田問題を参照のこと)が生じている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "植物資源を燃料に充てられるバイオエタノールが脚光を浴び、県産サトウキビが原料として注目され試験操業も行われたが、結局採算が取れず撤退した。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "本県の主な産業として、伝統、歴史、自然、食文化や国際色を生かした観光業が挙げられる。ただし、これらの観光業は景気に左右されやすい。 沖縄本島のリゾートホテル付設や公営の海水浴場の多くは、ワイキキビーチと同様に人工海浜であり、観光資源ではあるが「沖縄の自然」ではない。2009年観光客数は国内外合わせて5,690,000人(国内:5,443,800人、海外:246,200人)である。2019年の訪れる外国人観光客数は1,951,150人に達し、台湾 (40.00%)、韓国 (22.99%)、中国 (18.38%)、香港 (10.26%)、米国 (3.51%) という比率になっている。米国からの観光客は、米軍基地関係者が多く含まれる。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "2000年(平成12年)に主要国首脳会議が行われたのをきっかけに、国際会議、コンベンションといったイベント開催地としての体勢作りを進めている。また県はスポーツアイランド構想を掲げエコツーリズムも活発化している。一方2020年(令和2年)以降のコロナ禍では観光頼みの沖縄経済のもろさが露呈した。2020年度の観光客数は258万人にまで落ち込み、海外客は復帰後初のゼロを記録した。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "1998年(平成10年)から「沖縄県マルチメディアアイランド構想」に基づき、海底ケーブルの陸揚げ本数が多いことから IX (Internet Exchange) の語に掛けて IT Exchange などの呼びかけを行いコールセンターやIT企業の優遇策による誘致を活発に行っている。その一方で内外から施設は立派であるが内容が伴わないとして箱物行政といった批判も多い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "2010年代ごろからスマートフォンアプリの開発業も盛んになっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "経済振興のため、数々の特例が設定されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "県内では、本州などで展開している企業の地域会社が多数存在する。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "島嶼県であるという事情から、県外への移動や県内離島間の移動は空路が主に利用されている。特に、宮古列島、および八重山列島については、域外との定期旅客航路が休止または廃止となっており、原則として航空路線での移動が必須となっている。県内には、以下の表の空港と伊是名場外離着陸場があるほか、在日米軍が基地として利用する嘉手納飛行場、普天間飛行場などがある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "大正時代、沖縄本島に沖縄県営鉄道、沖縄電気(路面電車)、沖縄軌道、糸満馬車軌道が相次いで開業したが、沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道はバスの台頭により太平洋戦争以前の1930年代に廃止され、残った沖縄県営鉄道と沖縄軌道も沖縄戦で破壊され消滅した。戦後は長らく鉄道路線が存在しなかったが、2003年(平成15年)に沖縄都市モノレール線(ゆいレール)那覇空港 - 首里間が開業した。ゆいレールは2019年10月には首里から浦添市のてだこ浦西まで延長され、那覇空港 - てだこ浦西間17.0kmの路線となっている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "2013年現在、2006年(平成18年)に明らかになった那覇 - 名護間に鉄道を建設する沖縄鉄軌道構想は、建設費を政府が一部(または全部)負担することを除き、建設や運営の主体や手法などについて調査、検討段階にある。また南大東村では、観光客の増加を図ることが目的に、1983年までサトウキビを運搬するために島内を運行していた鉄道「シュガートレイン」の復活を計画している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "全都道府県の中で唯一、JR各社の路線が敷設されていない。これは歴史上でも樺太を含む内地48都庁府県で唯一、国有の交通機関が存在したことがなく、鉄道小荷物については琉球海運などとの連絡運輸により取り扱いが行われていた。なお、かつては那覇市に九州旅客鉄道(JR九州)沖縄支店が設置されていたが、2017年3月17日をもって閉店したためJRの営業拠点が全く存在しなくなった。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "このほか、鉄道事業法に準拠する索道としては2016年4月1日に宮古島のシギラリゾート内にリフトが設置されている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "沖縄県には陸続きで接する都道府県がなく、他県につながる海底トンネルや橋もないため、沖縄県では全国47都道府県で唯一、他県につながる鉄道路線が一つもない。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "沖縄本島では那覇市・浦添市内の沖縄都市モノレール(ゆいレール)以外に鉄道がないため、都市内および都市間を結ぶ交通機関として、島内各地にバス路線網が展開されている。また、石垣島や宮古島でも島内の交通機関としてバス路線網がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "ほかに、島の港、空港、中心集落や観光地を結ぶ交通手段として、小規模な路線バスの運行が行われている島も多い。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "また、沖縄県は、前述のとおり日本で唯一、国鉄バスと後身のJRバスの定期旅客営業路線が歴史上において存在したことのない都道府県である。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "航空機を使うまでもない近接離島間の移動には、船舶が広く利用されている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "2007年度より開始された小学6年生および中学3年生を対象にした全国学力・学習状況調査では、2011年度、沖縄県は全ての科目で最下位 となったが、2014年度の調査では沖縄県は小学6年生算数で全国2位となった。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "国立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "公立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "国立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "2大県紙のシェアが合わせて約7割弱に達し、全国紙(一般紙)は下記の事情もあり、他県と比べシェアが極めて低い。また、先島諸島では独自の地域紙が発行されている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "西日本新聞も沖縄県の官公庁や図書館、および九州に本社を置く企業・法人の出先機関(沖縄支店など)に向けた事実上の「業務用」として新聞を発行していたが、2009年(平成21年)に発行を停止した。同新聞は1967年(昭和42年)-1977年(昭和52年)と2000年(平成12年)-2009年(平成21年)に那覇支局を設けていた。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "読売新聞、毎日新聞、朝日新聞、日本経済新聞、産経新聞の各社が県に総局・支局を設置している。2008年(平成20年)11月1日より日経が琉球新報社への委託による現地印刷を開始し、全国紙では唯一、朝夕刊(2018年1月からは朝刊のみで、夕刊は廃止した。)とも地元紙と同時に配達を行っている。なお、読売、毎日、朝日は東京本社版および西部本社版を、産経と、世界日報は東京本社版を取り扱う販売店が存在する。これらの一般紙はいずれも発行地より空輸されるため、配達は当日の午後にずれ込む(前日の夕刊と同時配達)。また先島諸島や大東諸島については、全国紙だけでなく地方県域新聞2紙も印刷後空輸や船便で配送されるため、本島などから比べて朝刊の配達が遅れてしまう。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "スポーツ新聞は、日刊スポーツとスポーツニッポン(新報スポニチ)が県で現地印刷を行っているが、両紙とも本州などで発行される新聞とは異なり、10〜12ページで発行されている(沖縄県には公営競技の施設がないため公営競技面は掲載されていないほか、番組表も非掲載)。なお、那覇空港内や那覇市内の一部のコンビニでは、東京本社版の各紙が発行日当日に空輸され販売されているが、価格は定価より50円上乗せした180円となっている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "デジタルテレビの親局送信所は、NHKと沖縄テレビが豊見城市高安に共用し、RBCとQABは1kmほど離れた豊見城市嘉数に共用している。NHK-FMの親局とRBCのFM補完放送のメイン中継局は、それぞれ兼営するデジタルテレビ送信所に設置。単独局のFM沖縄は南風原町の新川に単独で、ラジオ沖縄のFM補完放送のメイン中継局はそこに近接するおきなわTOWERに設置されている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国の施政権下では KSxx を用いていたが、本土復帰(1972年(昭和47年))以降は JOxx を用いている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "琉球王国成立以前から日本本土の影響を受けつつ、中国大陸や東アジアの文化も受け入れ、混ざり合う文化を築き上げてきた。また太平洋戦争後から沖縄返還に至るまで、長期間米軍に統治されていたため、アメリカ合衆国の文化も多岐にわたって浸透している。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "アニミズムを基本としており、日本本土の神道の原形(古神道)に近いと言われる。琉球神道とも言われ、県外の神社に当たるものとして御嶽がある。また、祖先崇拝の風も強く残る。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "仏教は、王族や一部の上層階級が信仰するのみで、一般の農民にはほとんど浸透しておらず、葬式の儀礼の一部に用いられるにとどまった。現在でも仏教信徒(檀家)の数は、県外に比べると極端に少ない。近年葬儀は一応仏式で行われるようになったが、県外のように宗派別の僧侶ではなく、無宗派の僧によって執り行われる場合が多い。また、僧とは別にユタを呼ぶ事例もある。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "墓は、自然のほら穴などを使った岩陰墓や崖を掘り込んだ掘込墓から、中国の影響を受けた亀甲墓へと変わり、現在では破風墓が一般的である。また、遺骨の処理方法も風葬や洗骨をする独特の風習があったが、近年では保健所などの指導や婦人運動の結果、多くの地域で火葬が実施されるようになった。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "戦後は、米軍の影響でキリスト教信仰も盛んである。その多くはプロテスタント派に属する。県内には約210か所のキリスト教会が存在し、全国で最もクリスチャン人口の比率が高い。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "沖縄県で使われている言葉は大まかに以下の三つに区分できる。県民の中でも、団塊の世代より後に生まれた世代では、共通語化が著しく、平成以降(特に2000年以降)に生まれた世代になると、琉球語だけでなく沖縄弁(ウチナーヤマトグチ)でさえも衰退が著しいが、特別な保護政策などはとられていない。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "人種的には先史時代から10世紀にかけて九州以北の本土住民が沖縄の地に移住したとされる。分子生物学の研究では、沖縄県民の遺伝的構成は、東アジア大陸部の主要集団とは異なり、日本列島人種(大和人)の遺伝的構成に近く、同じ祖先を持つことが確かめられている。沖縄の地に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降であり、考古学などの研究を含めると大東諸島民を除く沖縄県民の先祖は、比較的新しい時期(10世紀から12世紀ごろ)に農耕をする人々が九州南部から沖縄の地に南下して定住したとされる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "沖縄の地に先祖を持つ人々は、地理的、歴史的および文化的な経緯から「琉球民族」であるとする立場がある。日本政府は琉球民族を沖縄の「先住民族」とは認定していないが、2014年8月に人種差別撤廃委員会は「国連教育科学文化機関が琉球・沖縄について特有の民族性、歴史、文化、伝統を認めている」と言う理由で「先住民族」であるとした。これに対して、日本政府は撤回を働きかけるとし、自民党系議員は「民族分断工作」であると反発した。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "沖縄の名字の多くは、地名に由来する。琉球王国時代では、王族、士族らは現在の名字に相当する家名を名乗り、領地が変わるたびにそれも変化した。薩摩藩による侵攻以降、薩摩藩の政策と琉球王府の施策により、日本風の二字姓家名からいわゆる沖縄風の三文字姓に改名した家系が多い。琉球処分後、一般庶民にも姓を名乗ることが許され、また明治以降は琉球語読みの名字の多くは日本語読みに改まった。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "沖縄県の伝統的な建築技術は、主に琉球王国時代後期(近世)に発展した。多くの建造物は、建築様式や素材、技術などの面で周辺地域の建築様式(主に日本建築・中国建築)との類似点が多く見られるが、資源の状況や風土などが異なるため沖縄独自の発展が見られる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "王朝時代において、琉球士族などを中心に瓦葺きの木造建築である貫木屋(ヌチジャー)、庶民は主に穴屋(アナヤー)と呼ばれる掘立小屋に住居を構えていた。また住居以外には、城壁や橋梁などの石造建築物に琉球石灰岩が多く使用されたが、沖縄戦により失われた建築物も多い。戦争により多くの木造住宅だけでなく山林が消失し、大量の職人と資材が失われ、復興をアメリカ軍が主導するかたちでツーバイフォー構造の建物が多く建てられた。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "現在では、台風やシロアリに強い鉄筋コンクリート構造に給水タンク(大きな河川がなく幾度と水不足を経験したため)を設置した住宅が一般的になっている。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "在日米軍の軍人軍属およびその家族が居住する目的で基地外に建築された外人住宅も多数存在しており、県外の基地縮小とは裏腹に復帰後も戸数は拡大していった。増加する米軍人員を収容するための住宅需要が高まり、民間投資によるアメリカ人向けの大規模な土地造成と住宅地建築が行われた。現在も宜野湾市、北中城村、沖縄市、うるま市、北谷町などに「外人住宅街」が存在し、独特の街並みを形成している。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "エイサーは浄土宗の念仏が基となり形成された伝統芸能であり、近年では宗教色のない創作エイサーへも発展している。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "アメリカ統治時代に、コザ市(現沖縄市)では、朝鮮戦争やベトナム戦争に明け暮れた米軍人向けにクラブやライブハウスが流行し、多数のハードロックミュージシャン達が活躍した。戦争の終結、米ドルの相対価値の下落、Aサインバーの閉鎖など、環境の変化に伴い衰えたものの、現在でも全国に進出して活動しているミュージシャンは多い。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "現代では沖縄県出身の芸能人も盛んに活躍し、沖縄アクターズスクールの卒業生を筆頭に数多くの歌手、アイドル、タレントの輩出している。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "伝統的衣装である琉装のほか、近年ではアロハシャツに似たかりゆしウェアも見られる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "戦後は収容所で生活していた住民らに米軍から放出された衣類が支給された。収容所が解体された後も耐久性や利便性から米軍放出品の衣類が利用され、現在に至るまで販売されている。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "以前から存在していた沖縄固有の武術「手(ティー)」と、琉球王国時代に伝来した中国武術により融合して誕生したのが、唐手(からて、トゥーディー)であり、後の空手道に発展した。戦後、空手を習得したアメリカ軍人や、日本から海外へ渡った空手家により、次第に世界へと普及した。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "広義の琉球古武術は、徒手空拳術(空手)と武器術から成る。一般的に古武術は後者を指すが、空手と武器術は互いに密接な関係にある。棒術、トンファー術など様々だが、中でもヌンチャクを用いた武器術は世界的にも有名である。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "速さではなく、美しさを競う古式競馬。琉球競馬(ンマハラシー)は300-500年ほど前から行われ、明治以降は全県民的な催事となり太平洋戦争中までは琉球競馬が盛んに行われていた。 2013年から琉球競馬の復活事業として沖縄こどもの国にて行われる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "日本本土においては7世紀以降、稲作を神聖視する一方で、肉食は穢れとみなされ、表向き禁忌とされた。しかし沖縄はこの思想がなく、早くから肉料理が発達した。中国の影響からか特に豚肉料理が伝統的に発達している。牛、馬、猪、鳥の肉を食べるが、祝いの席などで山羊の刺身、山羊汁、チーイリチーをふるまうことが多い、山羊の肉と血液を調理するチーイリチャーは、沖縄ならではのものといえる。海洋交易立国の伝統から、琉球料理には、遠い北海道産の昆布も古くから使われる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "かつては国内有数の長寿地域であった理由に健康的な伝統的食文化があるのでは無いかと考えられている。他方、米軍統治時代に発展したファーストフードやアメリカ料理も根付いており、食の欧米化も進んでいる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "また、アメリカ占領時の食文化も今日に受け継がれている。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "琉球王国時代、中山王府(琉球王国王府)の管轄下にあったニンブチャー(念仏者、チョンダラー:京太郎)以外には被差別民がいなかったため、大和の部落差別にあたるものはないものの、王族や士族と庶民(農奴)の格差が甚だしく大きい身分制度社会であった。また都市部以外ではシマ社会の旧習が今も色濃く残っており、男尊女卑や、部外者排斥の傾向が見られる。「シマ」とは「島嶼」のほかに「村落」や「分領」をも意味する。日本本土の村社会に似た構図がある。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "日本本土ではかつて、沖縄出身者が異質な存在として差別的に扱われることが多かった。1903年には展覧会で沖縄出身の遊女をアイヌや台湾原住民などとともに異民族として「展示」し、沖縄県民の反発を招く事件が起こった(詳細は人類館事件を参照)。大正から昭和初期にかけて沖縄から県外への出稼ぎが増加した際には、県外の言語や慣習、例えば標準語や時間感覚などに不慣れな者が多かったことなどを背景に、求人告知や商店の入口で「琉球人お断り」と但し書きされる事例があった。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "戦後のアメリカ統治時代に、米軍は銃剣とブルドーザーによって強権的に土地を接収し、米軍兵による強盗、強姦や殺人などの事件が相次ぎ、沖縄人の間に反米感情が高まった。特にポール・W・キャラウェイ琉球列島高等弁務官時代には非常に強権的な態度で沖縄人を抑圧した(キャラウェイ旋風)。1970年12月には、米軍人による交通事故を発端にコザ暴動にまで発展した。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "地理的、文化的に近い奄美群島は、琉球王国の侵略を受け15世紀から17世紀初頭にかけて服属していたが、その琉球王国が薩摩藩の間接支配を受け幕藩体制下に入り、明治維新から琉球処分を経て併合された後もなお、沖縄との人的交流が盛んな地域であった。しかし、太平洋戦争後のアメリカ占領軍の施政下から奄美群島が先に祖国復帰を果たすと、「日本国民」に戻った奄美出身者の公職追放、参政権剥奪、財産権の制限など基本的人権を大幅に制限する施策が、沖縄本島住民の陳情により次々と導入された。また、民間に差別感情が広まった。沖縄マスコミもこれらを煽る報道を行った。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "琉球王国時代に服属した先島諸島に対して中山王府(琉球王国王府)は過酷な人頭税を導入し圧政を強いた。薩摩藩、および王府に加え、先島諸島の現地支配層による農民の二重搾取、強制賦役、弾圧や迫害の歴史は琉球王国の滅亡まで連綿と続き、さらに明治維新を経て琉球処分後も旧慣温存政策に基づいた現地支配層による強制的な搾取構造は20世紀まで連綿と続いた。薩摩や王府の権威による圧政に、王府や支配層による農民の強制移住、干魃や暴風雨による不作、さらに大津波などの自然災害、疫病の流行や飢饉の発生が追い打ちをかけ人口の大減少をもたらした(詳細は「八重山地震」参照)。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "先島諸島の人頭税は1637年から制度化され、重税であり収穫が少ない年でも徴収され島民を苦しめたと言われる。人頭税は琉球処分後も旧琉球王国の既得権益層への懐柔のために執られた旧慣温存策により存続した。1893年(明治26年)に中村十作、城間正安、平良真牛、西里蒲ら4人により、沖縄本島の官憲や士族らの妨害を乗り越えて、国会請願書が当時内務大臣であった井上馨に届けられた。中村の同郷(新潟県)の読売新聞記者である増田義一の記事で国民に周知されるところとなり、世論の後押しも受け第8回帝国議会において1903年(明治36年)廃止され、日本本土と同様の地租に切り替えられた。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "アメリカ人とアジア人、特にアジア地域へ来たアメリカ軍人と現地の女性との間にできた子どもはアメラジアンと呼ばれる。沖縄には今日でもアメリカ軍の軍人や軍属が多く居住し、多くのアメラジアンが生まれ続けているが、差別も根深い。米軍基地とテレビで目にすることが、沖縄で育ったアメラジアンが知っているアメリカ文化の全てということが多く、そういう点では一般の沖縄県民と何ら変わる面はない。にもかかわらず外見でアメリカ人と決めつけられ、商店からつまみ出される、公共のプールに入れさせてもらえないといった差別を受けている。特にアフリカ系アメリカ人との混血児に対してはその傾向が強い。慰霊の日の前後に公立校では反米的な学習が展開されるため、「ヤンキー・ゴー・ホーム」と迫害されるいじめを浴びる。さらに、アメラジアン自身だけではなくその母親にまで、反米意識に基づく差別、偏見のまなざしが向けられている。また、アメラジアンの多くが集まっていたオキナワ・クリスチャン・スクール・インターナショナルの新校舎建設地が産廃の投棄跡であったため生徒に吐き気や皮膚炎症いった健康被害が多発した時には、沖縄県はダイオキシンやPCBの検査をせずに「安全宣言」を出して済ませてしまい、結局約80名が退学する事態となった。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "沖縄県はハンセン病が多く発生してきた地域であり、20世紀末には日本人の新規発症者の6割から7割を沖縄県出身者が占めているが、沖縄社会のハンセン病に対する差別や迫害は厳しいものであった。シマではハンセン病者(「クンチャー」と呼ばれ、これは乞食を意味する琉球方言である)をガマ、崖地、ゴミ捨て場などに隔離し、シマに戻ることを禁じる文化があった。亡くなっても一族の墓には入れず、逆さまにして埋め、二度と生まれてこないよう呪いをかけた。昭和50年代に火葬場が増えてから沖縄にも県外式の葬儀が広まったが、その下でも遺骨に炒り豆を置く呪い(「これが芽吹いたら生き返ってこい」という意味だが、炒ってあるので絶対に芽は出ない)が行われている。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "近代医学的なハンセン病医療の場を作る動きに、沖縄県民は激しく抵抗した。国立ハンセン病療養所設置を阻止するための暴動(嵐山事件)が起きたり、療養所設置を求めた青木恵哉ら、ハンセン病患者が焼き討ちにあったりもしている。その青木らにより、ようやく開園にこぎつけた沖縄県立国頭愛楽園(現在の国立療養所沖縄愛楽園)は、地域社会との交流が他の療養所以上に乏しかった。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "感染性への誤解も根強く、琉球新報は投薬治療中の教員から児童へ感染が広がっているという誤った考え方を主張し(後に他紙記者により「沖縄戦後ジャーナリズム最大の汚点」と指弾される)、またらい予防法廃止(1996年)の前に行われた世論調査では住民の87%がハンセン病患者の全員隔離に賛成という結果が出ている。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "復帰前の調査では、沖縄は精神障害の有病率が県外の2倍との結果が得られ、近年でも精神的疾病、性暴力、家族内暴力、学校内暴力、自殺などが全国トップレベルである。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "その沖縄で特徴的なのは、西洋医学とは整合しない土着の信仰や旧習に基づく障害観である。精神障害者を家族が座敷牢に閉じこめる私宅監置は、県外では1950年に禁止されたが、沖縄では復帰後もなお障害者の座敷牢状態が続き、また家族は地域社会から疎外され見捨てられる有様であった。精神障害は悪霊(マジムン)によって起こされているという理解もあり、これを迷信として否定するよう呼びかける精神科医がいる一方で、ユタ信仰の影響を受け土着化したキリスト教である沖縄キリスト教福音はその主張自体が悪霊に言わされているものだと批判し、統合失調症やてんかんには悪霊払いを行っている。「医者半分、ユタ半分」ということわざがあり、精神科医が精神病の患者にユタを勧める例もある。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "一方、ユタは精神障害者に近いというとらえ方から、精神障害者が社会の役に立っているという認識をしている人も多い。精神異常を来した者のうち、神や先祖とのコンタクトや憑依体験に至った者はカミダーリと呼ばれ、社会に受けいれられる「肯定的な狂気」として存在できる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "職業差別として、自衛官に対する差別がある。本土復帰に伴い自衛隊が沖縄に配置されると、自衛官たちは人殺し呼ばわりされ、自衛隊員の子供は半年以上も学校に通うことが出来なかったほどである。また様々な行事から閉めだされた上に、参加が許可されても自衛隊を名乗ることを許されなかった。自治体は自衛官やその家族の住民登録を拒否し、ゴミの処理を受け付けなかった事例もあった。那覇ハーリーで自衛隊を名乗って参加することが許されたのは2001年のことであった。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "2017年3月9日には宮古島市の市議である石嶺香織が、自身のFacebookに「(アメリカ)海兵隊から訓練を受けた陸上自衛隊が宮古島に来たら、米軍が来なくても絶対に婦女暴行事件が起こる」などと投稿し炎上したため、「自衛隊全体を批判しているわけではない」と謝罪し「戦争のための軍隊という仕組みに対して(批判した)」などと言及したところ、再度炎上する事態となり、石嶺は2つの投稿をFacebookから削除した。宮古島市議会は「投稿は自衛隊員、米海兵隊員に対する職業的差別であり、断じて許すことができない暴言と言わざるを得ず、市議会の品位を著しく傷つけるものだ」などとして石嶺に対する辞職勧告決議(賛成20、反対3、欠席1)を可決した。石嶺は「私は議会が選んだ議員ではない」などとして辞職を拒否している。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "雪が降らないため、プロ野球の春季キャンプ地が沖縄県に集中しており、2011年(平成23年)は、12球団中10球団(1軍のみ)が県内でキャンプを行った。以下に主な運動公園および野球場を挙げた。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "沖縄県名誉県民の称号は、2003年(平成15年)3月31日に制定された沖縄県名誉県民条例(平成15年3月31日沖縄県条例第1号)に基づき、「社会の発展に卓越した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「沖縄県の出身者、沖縄県に居住したことがある者又は沖縄県にゆかりのある者で、社会福祉の向上、学術文化若しくはスポーツ又は産業経済の振興その他の社会の発展に貢献したもの」であり、沖縄県知事が沖縄県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)。名誉県民に選定された者には、沖縄県名誉県民称号記と沖縄県名誉県民章および記念品が贈呈される(条例第3条)。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "沖縄県県民栄誉賞は、1999年(平成11年)4月8日に制定された沖縄県県民栄誉賞表彰規則(平成11年4月8日沖縄県規則第45号)に基づき、「広く県民に敬愛され、県民に明るい希望と活力を与える顕著な功績があったもの」へ、沖縄県知事から贈られる(規則第1条・第2条)。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "", "title": "人物" } ]
沖縄県は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は那覇市。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Otheruses|日本の都道府県としての沖縄県|沖縄県の[[行政機関]]|沖縄県庁}} {{Redirect|沖縄}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 沖縄県 | 画像 = {{multiple image | border = infobox | total_width = 280 | image_style = border:1; | perrow = 1/2/2 | image1 = Naha Shuri Castle16s5s3200.jpg | image2 = 平和の礎2.JPG | image3 = 万座毛.jpg | image4 = Kabira-Bay-Kabira-park-2019.jpg | image5 = Miyako_higashi_hennazaki.JPG }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[首里城|首里城正殿]]<ref group="注釈">2019年の首里城火災で焼失。</ref></tr><tr><td style="width:50%">[[平和の礎]]<td style="width:50%">[[万座毛]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[石垣島]]・[[川平湾]]<td style="width:50%">[[宮古島]]・[[東平安名岬]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|沖縄県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[沖縄県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Okinawa Prefecture.svg|65px|沖縄県章]] | 都道府県章の説明 = 沖縄県章 | 区分 = 県 | コード = 47000-7 | ISO 3166-2 = JP-47 | 隣接都道府県 = {{flag|鹿児島県}} | 木 = [[リュウキュウマツ]] | 花 = [[デイゴ]] | 鳥 = [[ノグチゲラ]] | シンボル名 = 県の魚<br>県の歌<br>県民愛唱歌<br>[[沖縄返還|本土復帰]]記念日<br>[[慰霊の日]] | 歌など = [[タカサゴ]](グルクン)<br>[[沖縄県民の歌]]<br>[[てぃんさぐぬ花]]<br>[[5月15日]]<br> [[6月23日]] | 郵便番号 = 900-8570 | 所在地 = 那覇市[[泉崎 (那覇市)|泉崎]]一丁目2番地2号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-27|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Okinawa Prefectural Government Headquarters01ss3200.jpg|220px|沖縄県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 47 Okinawa prefecture.svg|320px|沖縄県の位置]]<br />{{Maplink2|zoom=5|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=270|frame-height=200|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|frame-latitude=25.35|frame-longitude=126.40}} {{基礎自治体位置図|47|000|image=Map of Okinawa Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} '''沖縄県'''(おきなわけん、[[沖縄語]]: {{lang|ryu-kana|ウチナー}} {{IPA|/ʔucinaa/}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN03451|title=ウチナー|website=首里・那覇方言音声データベース|language=ja|accessdate=2020-06-09}}</ref><ref>国立国語研究所(2001)『国立国語研究所資料集 5 沖縄語辞典』財務省印刷局、538頁。</ref>、{{lang-en|Okinawa Prefecture}})は、[[日本]]の[[九州|九州地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[那覇市]]。 == 概説 == [[鹿児島県]]の[[薩南諸島]]を除く[[南西諸島]]の島々([[沖縄諸島]]、[[先島諸島]]、[[大東諸島]])から構成されており、[[東シナ海]]と[[太平洋]]に挟まれている。面積は2,281平方キロメートルで、日本の都道府県では小さい順に[[香川県]]、[[大阪府]]、[[東京都]]に次いで第4位であり、人の居住する日本最南端の地域を含む県でもある<ref group="注釈">日本最南端は[[東京都]]に属する[[沖ノ鳥島]]であるが、人は住んでおらず民間人が自由に立ち入ることはできない。</ref>。又、[[八重山郡]][[与那国町]]は日本の最西端にある[[地方公共団体|地方自治体]]であり、[[与那国島]]の北北西端にある[[トゥイシ]]が日本最西端の地点である<ref name="kyodo">[https://ryukyushimpo.jp/kyodo/entry-933982.html 日本最西端、260m北北西へ 沖縄県・与那国島の岩を地形図に] 琉球新報、2019年6月11日閲覧。{{リンク切れ|date=2021年5月}}</ref>。 県民人口の約9割が[[沖縄本島]]に集中しており、さらに本島中南部に県人口の8割が集中している。那覇市中心部は[[三大都市圏]]に匹敵する[[人口密度]]がある。 ほぼ全域が[[亜熱帯]]気候であり、一部は[[熱帯]]に属する。年間を通して温暖な気候であり、最低気温が氷点下以下になる事はほとんどない。 海上輸送路([[シーレーン]])及び軍事的要地([[第一列島線]])として重要な場所に位置し、多数の[[在日米軍|在日米軍基地]]が存在する。主な米軍施設として、[[嘉手納飛行場]]、[[普天間飛行場]]、[[キャンプ・バトラー]]などが存在する。 歴史的経緯(後述)から、宗教、文化並びに風習、人名や方言、料理や[[食文化]]及び産業、人口構成ならびに所得格差に至るまで日本列島主要[[四島]]との差異が大きい。俗に沖縄「県外」のことを「[[内地]](ナイチ)」、沖縄県外の日本人を「内地人(ナイチャー)」と呼び分ける場合がある。 日本では数少ない南の島であるため、日本屈指の[[リゾート]]地となり、日本人の夏の観光先として定番化した。特に[[2001年]]の[[テレビドラマ]]「[[ちゅらさん]]」の放送以後は、県外でも沖縄文化がブームを超えて身近なものとして定着し、県外からの観光客や移住者も大幅に増加した。沖縄県としても文化体験、[[沖縄料理]]、[[レジャー]]、[[マリンスポーツ]]や[[戦争遺跡]]などを強みに[[観光]]分野に特に力を入れている。沖縄全体で見た場合の世界的な知名度は、高いとはいえないが、[[座間味島]]のみは、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン二つ星を獲得し、国定公園になったことで、海外でも日本の観光名所として大きく紹介されるようになり、一定の知名度を獲得している<ref>{{Cite web|和書|title=【島旅Topic】外国人にも大人気!日本の離島5選♪ {{!}} 島日より、旅日より|url=https://shimatabibiyori.com/2016/12/19/1158/|website=shimatabibiyori.com|accessdate=2021-05-04|language=ja}}</ref>。 沖縄県内の産業割合を見ると観光業を含む[[第三次産業]]が79.2%を占めている一方で[[第一次産業]]は5.4%、[[第二次産業]]は15.4%と低調である<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/kodomo/sangyo/c1_uchiw.html 沖縄の産業/産業のうちわけ] - 2014-12-4閲覧</ref>。沖縄は[[太平洋高気圧]]の南側に位置し、[[熱帯低気圧]]が発生する海域に近いため、台風発生シーズンの9月上旬から11月上旬までは沖縄の天候が荒れやすく、沖縄発着の[[旅客機]]が欠航しやすい。しかし、9月は気温が高いにもかかわらずオフシーズンとなるため、夏と殆ど同じ条件で安価に旅行する事が可能となる。 格闘技界においては[[空手]]の発祥の地(琉球唐手)として世界的に有名であり、多数の外国人門下生が県内の空手道場に入門し稽古している。ボクシングにおいては石垣市出身の[[具志堅用高]]を始めとして数多くの世界王者、名選手を輩出している。 == 名称 == {{See also|沖縄県の歴史#琉球と沖縄の名称}} [[淡海三船]]が著した779年成立の[[鑑真]]の伝記『[[唐大和上東征伝]]』では、[[天平勝宝]]5年(753年)11月21日に遣唐使一行が阿児奈波嶋(あこなはしま/あこなわじま)に到着したと記述されており<ref group="注釈">なお「漂着」とする説が見られるが、文献、研究書で漂着と解しているものは見られず、原文も単に『同到阿児奈波』としているだけである。</ref><ref>山里(2004)</ref>、この島は沖縄本島のことを指していたという<ref>「沖縄コンパクト事典」阿児奈波島(あこなはじま) 琉球新報社発行2003年3月1日</ref>。後に中国側からの呼称による「流求」「琉球」と呼ばれるようになった。 [[琉球処分]]の際、[[明治|明治政府]]内では「'''琉球県'''」の名称も検討された。これは[[1879年]](明治12年)、[[琉球藩]]を廃して沖縄県が設置される際に俎上に上っていたものである。内務卿の[[伊藤博文]]から太政大臣の[[三条実美]]に提出した同年3月1日付の琉球処分に関する文章には「琉球藩ヲ廃シ、更ニ琉球県ヲ被置候、此旨布告候事但県庁ハ首里ニ被置候事」とあり、琉球県の名称が使われていたが採用には至らなかった。この間の経緯は不明であるが、[[中国語]]由来の琉球に対し、沖縄のほうがより日本帰属の意思が明確になるため選ばれたと推察できる。また、旧[[信濃国]]が[[長野県]]、旧[[上野国]]が[[群馬県]]となったように、旧国名などの広範な地域名は都道府県の名前として使用しないという原則があったのも理由の一つだと考えられる。用語としての「沖縄」は元々は[[沖縄本島]]を指す言葉であったが、沖縄県設置により奄美群島が正式に日本に編入、さらに[[沖縄諸島]]・[[先島諸島]]全域が「沖縄」と呼ばれるようになり、より広義に解釈されるようにもなった<ref>『琉球史辞典』中山盛茂 著、琉球文教図書、1969年</ref>。 == 地理・地域・公海 == [[ファイル:Okinawakenchizu.png|thumb|right|沖縄県の地図]] [[国土交通省]]による日本の14地域区分の1つである沖縄は、沖縄県1県のみから成る{{refnest| group="注釈"|name="yougo"|14地域:北海道、東北、関東内陸、関東臨海、東海、北陸、近畿内陸、近畿臨海、中国山陰、中国山陽、四国、九州北九州、九州南九州、沖縄<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/term/file000005.html#shi|title=用語集|publisher=国土交通省|accessdate=2013-06-01}}</ref>。}}。なお、「九州地方」の一部または「九州・沖縄地方」と呼ぶ場合もある(「[[九州#近現代の「九州」]]」を参照)。[[国土交通省]]は、「[[沖縄本島]]」を、「[[本土]]」5島の一つとしている{{refnest| group="注釈"|国土交通省では、[[島国]]([[領土]]がすべて[[島]]から成る国)である日本を構成する6,852島を、本土5島と[[離島]]6,847島に区分している<ref>『国土交通省』サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識)[http://www.mlit.go.jp/crd/chirit/ritoutoha.html] 2009年11月27日閲覧</ref>。ただし、島について地理学上はこのような分類・区分けはない。}}{{refnest| group="注釈"|日本の[[島]]の面積順上位10島:[[本州]]、[[北海道]]、[[九州]]、[[四国]]、[[択捉島]]、[[国後島]]、[[沖縄本島]]、[[佐渡島]]、[[奄美大島]]、[[対馬]]<ref>[[国立天文台]] (編)[[理科年表]] 平成19年版 P565 ISBN 4621077635</ref>。}}。 [[国土地理院]]によると、沖縄県は691の島から成っている<ref name="国土構成島数">{{Cite web |和書 |title=日本の島の数 |url=https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/islands_index.html |work=地理に関する情報 |publisher=[[国土地理院]] |accessdate=2023-11-29}}</ref>。49の有人島と多数の[[無人島]]から成り、0.01km<sup>2</sup>以上の面積を有する島は160島存在する<ref name="160islands">[http://www.pref.okinawa.jp/site/kikaku/tochitai/tousho.html 沖縄県の島しょ別面積一覧] (沖縄県を構成する160の[[島]]の名称と面積の一覧表) 沖縄県土地対策課。</ref>。最東端から最西端までは約1,000[[キロメートル|km]]、最北端から最南端までは約400kmと、広大な県域を持つ<ref>{{Cite web |url = http://www3.pref.okinawa.jp/site/contents/attach/12017/P1-7.pdf |title = NATURE in OKINAWA |format = PDF |publisher = 沖縄県文化環境部 自然保護課 |accessdate = 2012-06-28 }}</ref>。 南西諸島は鹿児島県から台湾近くまで長く延びており、地理的分布では北の[[トカラ列島]]までと、[[奄美群島]]と[[沖縄諸島]]および[[先島諸島]]の3つに大きく分けられる。 [[沖縄本島]]と[[宮古島]]の間は[[宮古海峡]]と呼ばれ最狭区間でも約145[[海里]](約270km)の距離があり、そのうち約48海里(約89km)が[[領海]]と[[接続水域]]になっており、残りの約97海里(約180km)が[[排他的経済水域]]になっている。 与那国島と台湾の間は約54海里(約100km)である。 {| class="wikitable" style="white-space:nowrap; text-align:center" |+沖縄県の端<span style="font-weight:normal"><ref>{{Cite web|和書 |url = http://www.pref.okinawa.jp/tochi/toukeide%20tisei.html |title = 統計データ 沖縄の東西南北端 |publisher = 沖縄県企画部土地対策課 |accessdate = 2012-08-02 }}</ref></span> ! !島 !所属自治体 !備考 !位置 |- !最北端 |[[硫黄鳥島]] |[[久米島町]] |有人島に限れば[[伊平屋島]]<ref>{{Cite web|和書 |url = http://www.pref.okinawa.jp/chiiki_ritou/simajima/iheya.html |title = 知・旅・住 離島総合情報サイト 沖縄のしまじま 伊平屋島 / 野甫島 |publisher = 沖縄県企画部地域離島課 |accessdate = 2012-08-02 }}</ref> | rowspan="4" style="width:252px;padding:auto" |{{Location map many|Japan Ryukyu Islands |width = 250 |label = 硫黄鳥島 |pos = right |mark1size = 8 |lat1_deg = 27|lat1_min = 52.45 |lon1_deg = 128|lon1_min = 13.6 |label2 = 波照間島 |pos2 = bottom |mark2size = 8 |lat2_deg = 24|lat2_min = 2.4 |lon2_deg = 123|lon2_min = 47.25 |label3 = 北大東島 |pos3 = bottom |mark3size = 8 |lat3_deg = 25|lat3_min = 56.7 |lon3_deg = 131|lon3_min = 18.4 |label4 = 与那国島 |pos4 = top |mark4size = 8 |lat4_deg = 24|lat4_min = 28.1 |lon4_deg = 123|lon4_min = 0.3 |label5 = 那覇市 |mark5 = Blue 000080 pog.svg |pos5 = bottom |mark5size = 8 |lat5_deg = 26|lat5_min = 12.7 |lon5_deg = 127|lon5_min = 40.8 |label6 = 伊平屋島 |label6_size = 80 |pos6 = left |mark6size = 5 |lat6_deg = 27|lat6_min = 2.4 |lon6_deg = 127|lon6_min = 58.1 }} |- !最南端 |[[波照間島]] |[[竹富町]] |日本最南端の有人島<ref>{{Cite web|和書 |url = http://www.town.taketomi.lg.jp/islands/index.php?content_id=6 |title = 美しき島々 波照間島 |publisher = 竹富町 |accessdate = 2012-08-02 }}</ref> |- !最東端 |[[北大東島]] |[[北大東村]] | |- !最西端 |[[与那国島]] |[[与那国町]] |日本最西端の島<ref>{{Cite web|和書 |url = https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/center.htm |title = 日本の東西南北端点の経度緯度 |publisher = [[国土地理院]] |accessdate = 2012-08-02 }}</ref> |} 離島が多いものの、離島の医療は人材的あるいは経済的理由から不足気味であり、[[病院]]がなく[[診療所]]のみという島も多い。そのため、離島で治療できない急患患者の[[沖縄本島]]への空輸を[[陸上自衛隊]]や[[海上保安庁]]が行っている。なお、[[宮古島]]、[[石垣島]]には県立の総合病院が設置されているため、それらの島の周辺離島での急患は沖縄本島ではなく宮古島や石垣島に搬送される場合もある。 県庁所在地である那覇市の半径1,000km圏内には[[九州|九州島]]全域や[[下関市]]、[[上海市|上海]]、[[福州市|福州]]や[[台湾|台湾島]]全域が含まれ、1,500km圏内には[[大阪市|大阪]]、[[南京市|南京]]、[[ソウル特別市|ソウル]]、[[平壌直轄市|平壌]]、[[マニラ]]、[[香港]]などが位置する。2000km圏内には[[東京]]、[[仙台市|仙台]]、[[北京市|北京]]、[[瀋陽市|瀋陽]]、[[海口市|海南省海口市]]、[[長春市|長春]]、[[ウラジオストク]]などが存在し、2500km圏内には[[稚内]]、[[成都市|成都]]、[[重慶市|重慶]]、[[ハノイ]]、[[グアム]]、[[北マリアナ諸島]]、[[パラオ]]が収まるなど、まさに[[東アジア]]・[[東南アジア]]と[[日本]]との接点とも言える位置にある。 沖縄本島の中南部は[[那覇市]]や[[沖縄市]]を中心として都市化や人口集中が進んでおり、全面積の約5分の1に110万人以上が居住している(''[[沖縄本島#中南部都市圏]]'' も参照)。その上、[[治外法権]]の米軍基地が多数存在しており、利用できる面積はさらに限られる。そのため[[人口密度]]は全国で第9位であり、[[三大都市圏]]の都府県を除くと[[福岡県]]に次いで2番目に高い。 === 地質 === 琉球諸島は太平洋側の[[琉球海溝]]と東シナ海側の[[沖縄トラフ]]に挟まれる。琉球海溝は[[フィリピン海プレート]]が[[ユーラシアプレート]]に潜り込むことによりできたもので、これは[[南海トラフ]]と同様の成因である。また背海盆沖縄トラフはユーラシアプレートが新しい時代に引き裂かれて陥没した1000〜2000[[メートル|m]]の窪みであり熱水鉱床などがみられる。地質的には琉球列島(諸島)のうち沖縄島と奄美大島はケラマ海裂とトカラ海峡とに挟まれた中琉球と呼ばれ、島は海洋地殻の上に海洋地殻の付加体(海洋地殻の陸側斜面となるユーラシア・プレートの下にフィリピン海プレートが沈み込むときに、海溝の陸側斜面ユーラシアプレートの端に押し付けられて隆起した海洋地殻の上の堆積物)で構成され、さらに3億〜5000万年前の古い付加堆積物で作られる沖縄島北側と、500万年前に作られた現地性堆積物により構成される沖縄島南側に大きく分けられる。 === 自然 === ;[[生物]] :[[亜熱帯]]地帯で[[生物]]に好適な気候に恵まれ、貴重な動植物が多い。沖縄本島北部には[[山原]]と呼ばれる[[森林]]が広がっており、[[ノグチゲラ]]、[[ヤンバルクイナ]]、[[ヤンバルテナガコガネ]]といった[[天然記念物]]など貴重な生物が生息している。山原と沖縄本島の海岸線の一部、[[慶良間諸島]]などが[[沖縄海岸国定公園]]に指定されている。西表島一帯および石垣島の一部が[[西表石垣国立公園]]に指定されており、[[マングローブ]]林が広がるほか、[[イリオモテヤマネコ]]などの貴重な生物が生息している。なお、[[環境省]]が指定する[[日本の重要湿地500]]のうち、55ヶ所が沖縄県内にある。これは、[[北海道]](61ヶ所)に次いで日本で2番目に多い。 ;[[大雨]]と[[水不足]] :[[2005年]](平成17年)から[[2007年]](平成19年)各年の[[6月]]に[[梅雨前線]]の影響で大雨と[[雷]]が沖縄本島を襲い、各地で冠水、[[土砂崩れ]]、[[崖崩れ]]などが相次いだ。平年値では年間を通じて降水量が多いが、[[梅雨]]と[[台風]]による降雨が多いこと、年による変動が大きいこと、大きな河川がなくすぐに海に流出してしまうことなどから、気候および地形的に水不足に陥りやすい<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/kodomo/sugata/a2_kikou.html 沖縄の気候 沖縄こどもランド]</ref>。また、1946年に約51万人だった人口が、本土復帰の[[1972年]](昭和47年)に約96万人と増加し、需給関係から[[1990年代]]前半までしばしば水不足による[[断水]]が行われた<ref>[http://www.eb.pref.okinawa.jp/museum/gallon/seigen/ 給水制限の記録(沖縄県企業局)]</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.eb.pref.okinawa.jp/jigyou/gaiyou/H18/pdf/p1.pdf 沖縄県企業局概要 沖縄の水]}}</ref>。特に[[昭和56-57年沖縄渇水|1981-1982年の渇水]]では日本最長の326日間にわたって給水制限が実施された。そのため、屋根の上などに給水タンクを設置している家が多い。しかし、沖縄本島北部から南部への導水が進み、また[[1997年]](平成9年)に気候に左右されず安定して水の供給が可能な[[海水淡水化]]施設が[[北谷町]]に完成したことで<ref>[http://www.eb.pref.okinawa.jp/sisetu/suigen/kaisui/index.html 海水淡水化施設(沖縄県企業局)]</ref>、[[2005年]](平成17年)に県人口が約136万人と増加したものの、断水に見舞われることは減った。 ;[[地震]] {{Main|南西諸島近海地震}} : 「地震大国」と言われる日本において、[[九州]]などと同じく、一年あたりの(有感)地震回数が少ない。しかし、[[損害保険料率算出機構]]の最新の統計集では2等地となっており、特段リスクが低い地域と見なされなくなった。過去には[[1771年]]の[[八重山地震]]による[[巨大津波|大津波]]で、[[先島諸島]]に多大な被害が生じている。最近では[[2010年]](平成22年)の[[沖縄本島近海地震|沖縄本島近海で発生した地震]]で約100年ぶりに沖縄本島で震度5以上を観測し、[[勝連城跡]]の城壁の一部が崩壊した<ref>[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-158365-storytopic-1.html 沖縄本島近海地震 糸満で震度5弱 本島99年ぶり 勝連城跡一部崩落] - 琉球新報(2010年2月28日付の報道)</ref>。 === 気候 === <div style="font-size:smaller"> {{Climate chart|[[那覇市]] |14|19|107 |15|20|120 |17|22|161 |19|24|166 |22|27|232 |25|29|247 |27|32|141 |27|32|241 |26|30|261 |23|28|153 |20|25|110 |16|21|103 |float = right |clear = both |source = [https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_sfc_ym.php?prec_no=91&prec_ch=%89%AB%93%EA%8C%A7&block_no=47936&block_ch=%93%DF%94e&year=&month=&day=&elm=normal&view= 気象庁 那覇(1981年 - 2010年の平均値)] }}</div> 日本国内における気候区分では[[南日本気候]]に属する。 [[宮古島]]、[[多良間島]]、[[石垣島]]、[[西表島]]、[[与那国島]]、[[波照間島]]および[[沖大東島]]は[[熱帯]]性気候で[[ケッペンの気候区分]]では[[熱帯雨林気候]] (Af) に、[[北大東島]]および[[南大東島]]は同じく熱帯性気候で[[熱帯モンスーン気候]](Am)、それ以外の地域は[[亜熱帯]]性で[[温暖湿潤気候]] (Cfa) に属する。沖縄県各地方ともに高温多湿で年間降水量は2,000[[ミリメートル|mm]]以上で、年間平均気温は約22[[°C]]となっている。しかし、最高気温が35℃を超える[[猛暑日]]になることはほとんど無い<ref>{{Cite web|和書 |title = 報道発表資料 夏(6 - 8月)の天候 |url = https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/stat/tenko100608.pdf |pages = 17 |publisher = [[気象庁]] |date = 2010-09-01 |accessdate = 2011-07-18 }}</ref>。これは、沖縄は陸地面積が狭く周りを海に囲まれていること([[海洋性気候]])から、[[フェーン現象]]や晴天弱風と都市化がもたらす大規模な[[ヒートアイランド現象]]のような要因がないためである(但し都市部での小規模なヒートアイランド現象の研究報告はある)。また沖縄は[[台風銀座]]と呼ばれており、毎年多くの[[台風]]が接近する。月別で注目すると、降水量は[[梅雨]]入りの平均期間である5月と台風が多く接近する8月に多い。また、日照時間は7月に長く、冬期の1月・2月では短い。冬季は北からの季節風の影響で雨や曇りの日が多い。梅雨明けころには、[[夏至南風]](沖縄本島ではカーチーベー、宮古・八重山周辺ではカーチーバイ<ref>{{Cite web|和書 |url = http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-94538-storytopic-86.html |date = 1999-06-22 |title = きょう夏至/サルスベリ鮮やか |publisher = [[琉球新報]] |accessdate = 2012-06-28 }}</ref>)と呼ばれる秒速10m以上の南寄りの強い風が吹き、夏の到来を告げる[[季節風]]として知られている<ref>{{Cite web|和書 |url = http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-40850-storytopic-121.html |date = 2003-03-01 |title = 沖縄コンパクト事典 カーチーベー |publisher = 琉球新報 |accessdate = 2012-06-28 }}</ref>。 ==== 降雪 ==== 冬期に降雪があることはごくまれであるが、[[1977年]](昭和52年)[[2月17日]]に[[久米島]]で、[[2016年]](平成28年)[[1月24日]]に久米島と名護市でそれぞれ[[霙|みぞれ]](気象記録上は[[雪]]と同じ扱い)が観測された<ref>{{Cite news|url=https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=151170|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160224055907/https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=151170|title=沖縄で雪を観測 39年ぶり史上2回目|newspaper=沖縄タイムス|date=2016-01-24|accessdate=2021-03-12|archivedate=2016-02-24}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://ryukyushimpo.jp/movie/entry-209803.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210312062410/https://ryukyushimpo.jp/movie/entry-209803.html|title=名護、久米島でみぞれ 39年ぶり、本島は初の「雪」|newspaper=琉球新報|date=2016-01-25|accessdate=2021-03-12|archivedate=2021-03-12}}</ref> <ref>{{Cite web|和書|url= https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/0189e1b1fe23a45f93871ca9ebc6d43e7fdd31bf|title= 沖縄の「初雪」は本当に初雪だったのか|author=片平敦|work=yahoo|accessdate=2022/05/13}}</ref>。[[気象庁]]が公式に発表した沖縄県での降雪記録はこの2例のみで、久米島での降雪は日本における降雪の南限記録である<ref>[https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq1.html 「沖縄で雪が降ったことはありますか?」] 気象庁、2022年5月13日閲覧</ref>。 観測開始以前においては、[[琉球王国]]の正史とされる『球陽』によると、[[1774年]]、[[1816年]]、[[1843年]]、[[1845年]]、[[1857年]]にそれぞれ現在の沖縄県の領域で降雪があったことを記録している<ref>[http://homepage2.nifty.com/ho-/kisyou/nahasnow/nahasnow.htm 「高気温時の降雪 〜限界と可能性・沖縄に雪は降ったか?〜」]</ref>。 なお、[[昭和38年1月豪雪]]では県内各地で[[霜]]、[[霰|あられ]]、[[雹|ひょう]]などが観測されており農作物への被害も発生している<ref>{{PDFlink|[http://www.jma-net.go.jp/okinawa/menu/news/2016/20160124teion.pdf 強い寒気に伴う低温について]}} - 沖縄気象台、2016年1月24日</ref>。 [[1999年]](平成11年)[[12月20日]]とその前後に那覇市などで「雪が降った」という目撃談が複数報告され、[[NHK沖縄放送局]]でその「雪らしきもの」の映像を放送したが、気温が高かったことなどから気象台は否定的で<ref>朝日新聞 2000年1月26日 朝刊1面「天声人語」。(朝日新聞縮刷版 平成12年1月、1277頁)</ref><ref>{{Cite news |title = え〜っ!沖縄で雪? 宮原さんがビデオ撮影 |url = http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-113837-storytopic-86.html |date = 2000-01-18 |accessdate = 2011-08-10 |newspaper = 琉球新報 |pages = 朝刊・23 (本紙) |quote=12月20日18時40分頃、沖縄県庁近く、[[パレットくもじ]]前広場での目撃談}}</ref>、公式な降雪記録とはなっていない。 {| class="wikitable" style="width:90%;margin:0 auto;font-size:small;text-align:center;white-space:nowrap" |+沖縄県内各地の気象データ<ref>{{Cite web|和書 |url = https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/select/prefecture.php?prec_no=91&prec_ch=%89%AB%93%EA%8C%A7&block_no=&block_ch=&year=&month=&day=&view= |title = 気象統計情報 |publisher = 気象庁 |accessdate = 2012-01-09 }}</ref> ! colspan="2" rowspan="3" |平年値<br />(月単位) ! colspan="8" |[[沖縄諸島]] ![[大東諸島|大東<br />諸島]] ! colspan="2" |[[宮古列島|宮古諸島]] ! colspan="6" |[[八重山諸島]] |- ! colspan="5" |[[沖縄本島]] ! rowspan="2" |[[伊是名島|伊<br />是<br />名<br />島]] ! rowspan="2" |[[渡嘉敷島|渡<br />嘉<br />敷<br />島]] ! rowspan="2" |[[久米島|久<br />米<br />島]] ! rowspan="2" |[[南大東島|南<br />大<br />東<br />島]] ! rowspan="2" |[[宮古島|宮<br />古<br />島]] ! rowspan="2" |[[多良間島|多<br />良<br />間<br />島]] ! colspan="2" |[[石垣島]] ! colspan="2" |[[西表島]] ! rowspan="2" |[[波照間島|波<br />照<br />間<br />島]] ! rowspan="2" |[[与那国島|与<br />那<br />国<br />島]] |- ![[国頭村]]<br />奥 ![[名護市]] ![[金武町]] ![[那覇市]] ![[南城市]]<br />糸数 !登野城 !伊原間 ![[祖納 (竹富町)|祖納]] ![[大原 (竹富町)|大原]] |- ! colspan="2" |[[ケッペンの気候区分|気候区分]] |[[温暖湿潤気候|Cfa]] |Cfa |Cfa |Cfa |Cfa |Cfa |Cfa |Cfa |Cfa |[[熱帯雨林気候|Af]] |Af |Af |Af |Af |Af |Af |Af |- ! rowspan="2" |[[気温|平均<br />気温]]<br />([[セルシウス度|℃]]) !最暖<br />月 |26.7<br />(7月) |28.8<br />(7月) |28.6<br />(7月) |28.9<br />(7月) |27.1<br />(7月) |28.3<br />(7月) |26.7<br />(7月) |28.8<br />(7月) |28.5<br />(7月) |28.7<br />(7月) |29.0<br />(7月) |29.5<br />(7月) |28.8<br />(7月) |28.9<br />(7月) |28.9<br />(7月) |28.9<br />(7月) |28.8<br />(7月) |- !最寒<br />月 |14.5<br />(1月) |16.3<br />(1月) |16.2<br />(1月) |17.0<br />(1月) |15.2<br />(1月) |16.1<br />(1月) |15.3<br />(1月) |16.7<br />(1月) |17.7<br />(1月) |18.0<br />(1月) |18.4<br />(1月) |18.6<br />(1月) |18.3<br />(1月) |18.3<br />(1月) |18.0<br />(1月) |18.8<br />(1月) |18.4<br />(1月) |- ! rowspan="2" |[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多<br />月 |309.5<br />(6月) |248.2<br />(8月) |228.8<br />(5月) |260.5<br />(9月) |253.3<br />(6月) |269.9<br />(6月) |268.8<br />(5月) |263.9<br />(6月) |200.6<br />(5月) |262.5<br />(8月) |249.6<br />(8月) |261.6<br />(8月) |250.6<br />(9月) |273.6<br />(8月) |284.1<br />(8月) |197.7<br />(9月) |293.2<br />(9月) |- !最少<br />月 |138.3<br />(12月) |96.2<br />(12月) |78.3<br />(12月) |102.8<br />(12月) |111.7<br />(1月) |97.5<br />(12月) |124.1<br />(12月) |119.0<br />(7月) |84.7<br />(1月) |130.8<br />(1,7月) |127.2<br />(12月) |126.3<br />(12月) |122.3<br />(7月) |141.6<br />(7月) |137.6<br />(3月) |106.2<br />(12月) |138.5<br />(7月) |- ! rowspan="2" |[[日照時間|日照<br />時間]]<br />([[時間]]) !最長<br />月 |239.2<br />(7月) |245.7<br />(7月) |218.1<br />(7月) |238.8<br />(7月) |210.1<br />(7月) |289.8<br />(7月) |230.5<br />(7月) |255.4<br />(7月) |278.8<br />(7月) |246.7<br />(7月) |199.1<br />(7月) |264.5<br />(7月) |245.6<br />(7月) |253.2<br />(7月) |245.4<br />(7月) |259.3<br />(7月) |258.9<br />(7月) |- !最短<br />月 |78.3<br />(1月) |86.2<br />(2月) |88.3<br />(2月) |87.1<br />(2月) |93.0<br />(2月) |91.5<br />(1月) |87.8<br />(1月) |77.4<br />(2月) |114.5<br />(2月) |82.6<br />(2月) |73.9<br />(1月) |82.1<br />(2月) |70.5<br />(1月) |74.5<br />(1月) |86.5<br />(2月) |91.9<br />(1月) |55.7<br />(1月) |- | colspan="19" style="text-align:left" | * 1981年から2010年まで(ただし金武町、多良間島は1971年から2000年まで)の平均値 |} === 島嶼 === {| class="infobox" style="text-align:center; float:left; width:60%; font-size:90%" |+沖縄県に属する島嶼の面積上位20島 |- ! style="background:#6fc;" | ! style="background:#6fc;" | 島嶼名 ! style="background:#6fc;" | 面積 (km<sup>2</sup>) ! style="background:#6fc;" | ! style="background:#6fc;" | 島嶼名 ! style="background:#6fc;" | 面積 (km<sup>2</sup>) |- |----- | style="background:#f5f5f5;" |'''1''' ||'''[[沖縄本島]]''' || 1,206.98 | style="background:#f5f5f5;" |'''11''' ||'''[[多良間島]]''' ||{{0|00}}19.81 |----- | style="background:#f5f5f5;" |'''2''' ||'''[[西表島]]''' ||{{0}}289.61 | style="background:#f5f5f5;" |'''12''' ||'''[[渡嘉敷島]]''' ||{{0|00}}15.31 |----- | style="background:#f5f5f5;" |'''3''' ||'''[[石垣島]]''' ||{{0}}222.25 | style="background:#f5f5f5;" |'''13''' ||'''[[伊是名島]]''' ||{{0|00}}14.12 |----- | style="background:#f5f5f5;" |'''4''' ||'''[[宮古島]]''' ||{{0}}158.87 | style="background:#f5f5f5;" |'''14''' ||'''[[波照間島]]''' ||{{0|00}}12.73 |----- | style="background:#f5f5f5;" |'''5''' ||'''[[久米島]]''' ||{{0|00}}59.53 | style="background:#f5f5f5;" |'''15''' ||'''[[北大東島]]''' ||{{0|00}}11.93 |----- | style="background:#f5f5f5;" |'''6''' ||'''[[南大東島]]''' ||{{0|00}}30.53 | style="background:#f5f5f5;" |'''16''' ||'''[[黒島 (沖縄県竹富町)|黒島]]''' ||{{0|00}}10.02 |----- | style="background:#f5f5f5;" |'''7''' ||'''[[伊良部島]]''' ||{{0|00}}29.06 | style="background:#f5f5f5;" |'''17''' ||'''[[下地島]]''' ||{{0|000}}9.68 |----- | style="background:#f5f5f5;" |'''8''' ||'''[[与那国島]]''' ||{{0|00}}28.95 | style="background:#f5f5f5;" |'''18''' ||'''[[小浜島]]''' ||{{0|000}}7.86 |----- | style="background:#f5f5f5;" |'''9''' ||'''[[伊江島]]''' ||{{0|00}}22.76 | style="background:#f5f5f5;" |'''19''' ||'''[[屋我地島]]''' ||{{0|000}}7.82 |----- | style="background:#f5f5f5;" |'''10''' ||'''[[伊平屋島]]''' ||{{0|00}}20.66 | style="background:#f5f5f5;" |'''20''' ||'''[[粟国島]]''' ||{{0|000}}7.62 |----- | colspan="6" align="center" style="background:#6fc;" |'''出典''':[[国土地理院]](2016年10月1日現在)<ref name="island-area">{{Cite web|和書|date=2016-10-01|url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201610/f3_shima.pdf|title=平成28年全国都道府県市区町村別面積調 島面積|format=PDF|publisher=[[国土地理院]]|accessdate=2017-02-27}}</ref> |} <div class="thumb tright"> <div class="thumbinner" style="width:302px"> <div style="width:300px;padding:auto">{{Ryukyu Islands Labelled Map}} </div> <div class="thumbcaption">南西諸島の位置。</div> </div> </div> {{沖縄諸島}} {{宮古諸島}} {{八重山諸島}} {{尖閣諸島}} {{大東諸島}} === 自然公園 === [[ファイル:万座毛.jpg|thumb|right|沖縄海岸国定公園([[万座毛]])]] {{div col}} * [[国立公園]] ** [[西表石垣国立公園]] ** [[慶良間諸島国立公園]](2014年3月5日指定<ref>[https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/37382 慶良間諸島国立公園が誕生 きょう指定] - 沖縄タイムス(2014年3月5日付、同日閲覧)</ref>) ** [[やんばる国立公園]](2016年9月15日指定<ref>{{Cite news |title=やんばる国立公園が誕生 |newspaper=[[沖縄タイムス]] |date=2016-09-16 |page=1}}</ref>) * [[国定公園]] ** [[沖縄海岸国定公園]] ** [[沖縄戦跡国定公園]] * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] ** 久米島県立自然公園 ** 伊良部県立自然公園 ** 渡名喜県立自然公園 ** 多良間県立自然公園(2015年3月29日指定<ref>{{Cite web|和書| title = 多良間県立自然公園| publisher = 沖縄県| url = http://www.pref.okinawa.jp/site/kankyo/shizen/koen/tarama_kenritu_sizenkouen.html| accessdate = 2018-08-25}}</ref>) {{div col end}} === 地形 === ; 山岳 * [[於茂登岳]] (526m) - 沖縄県の最高峰。 * [[与那覇岳]] (503m) - 沖縄本島最高峰。 * [[古見岳]] (470m) * [[城山 (沖縄県)|城山]] (177m) ; 河川 本県の河川の特徴としては、急勾配でかつ、河川延長が短く、[[流域面積]]が小さいことが挙げられる<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/kasen/con02/02kasen.html 沖縄の河川] - 沖縄県土木建築部河川課</ref>。その為、河川流量の変動が顕著で、大雨による増水、少雨による水不足に陥りやすい。また[[マングローブ]]林など県外と異なる亜熱帯特有の自然環境を形成している<ref>[http://www.dc.ogb.go.jp/kaiken/mizu/kaiken_mizu_genkyou.html 沖縄の地形・地質と河川・砂防・海岸等] - 沖縄総合事務局 開発建設部</ref>。現在、沖縄本島北部では[[赤土]]の流出、中南部では畜舎からの[[排水]]などの影響による河川[[汚染]]が問題となっている<ref>[http://www.ule.co.jp/biofit74.pdf 琉球大学 沖縄の河川の特徴と魚類の生活史]</ref><ref>[http://www.okiu.ac.jp/Language/contest/02/03/group8/group8.htm 沖縄国際大学 沖縄の川]</ref>。 本県には国内で唯一、[[一級河川]]が存在しない。[[二級河川]]の開発は知事の要請に基づき[[沖縄振興特別措置法]]により、日本政府の直轄事業として改良・修繕工事を行っている<ref>[http://www.dc.ogb.go.jp/kaiken/mizu/kaiken_mizu_genkyou.html 沖縄の河川行政] - 沖縄総合事務局 開発建設部</ref>。 * [[浦内川]] - 沖縄県最長の川でマリユドゥの滝などを有する。 [[ファイル:01マリヨドの瀧IMG 3858.jpg|thumb|マリユドゥの滝]] * [[塩川 (沖縄県)|塩川]] - 日本で唯一塩分濃度が高い川 * [[源河川]] * [[国場川]] * [[比謝川]] * [[羽地大川]] * [[宮良川]] *報得川 ; 湖沼・干潟など * [[大池 (沖縄県)|大池]] - 沖縄県最大の自然湖 * [[福上湖]] - 沖縄県最大の[[人造湖]] * [[漫湖]] * [[泡瀬干潟]] * [[池間湿原]] * [[名蔵アンパル]] * [[八重干瀬]] === 地域区分 === 2019年現在、沖縄県には11市、5郡、11町、19村があり、町は全て「ちょう」、村は全て「そん」と読む。 現代(2020年)において沖縄県の地域は'''北部地域'''、'''中部地域、南部地域(南部離島地域)、宮古・八重山地域'''に大分される<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=中部地域/沖縄県|url=https://www.pref.okinawa.lg.jp/site/doboku/kaibo/sichousonrenrakusakinaka.html|website=www.pref.okinawa.lg.jp|accessdate=2020-11-14}}</ref><ref name=":1">https://www.pref.okinawa.lg.jp/site/doboku/kowan/keikaku/documents/documents/p1~10.pdf</ref>。 南部離島地域は、南部地域に包含される場合があるが、沖縄本島と、伊江島、伊平屋島および伊是名島を除く[[沖縄諸島]]と[[大東諸島]]の島々の町村を含んだ概念である。 また、伊江島、伊平屋島、伊是名島の村域は北部地域に包含される(「北部離島地域」と言う呼び方は公式ではない)。 ただし、本島周囲の離島であって国頭村、大宜味村、今帰仁村、本部町、名護市、恩納村、うるま市、豊見城市、糸満市、南城市に属する小島嶼<ref group="注釈">次の「沖縄本島に属する市町村の位置」図に掲載。</ref>はこれら離島地域には含まれない。 {{Okinawa Island Labelled Map}} *;北部地域(通称・[[山原|山原(やんばる)地域]]) ** [[名護市]] ** [[国頭郡]] *** [[国頭村]] - [[大宜味村]] - [[今帰仁村]] - [[本部町]] - [[恩納村]] - [[宜野座村]] - [[金武町]] - [[東村]] ** [[伊江島]]([[国頭郡]]) - [[伊江村]] ** [[伊平屋島]]([[島尻郡]]) - [[伊平屋村]] ** [[伊是名島]](島尻郡) - [[伊是名村]] *;中部地域 ** [[沖縄市]] ** [[うるま市]] ** [[宜野湾市]] ** [[浦添市]] ** [[中頭郡]] *** [[北谷町]] - [[嘉手納町]] - [[西原町]] - [[読谷村]] - [[北中城村]] - [[中城村]] *;南部地域 ** [[那覇市]] ** [[豊見城市]] ** [[糸満市]] ** [[南城市]] ** [[島尻郡]] *** [[与那原町]] - [[南風原町]] - [[八重瀬町]] *;南部離島地域(すべて島尻郡に属する) ** [[久米島]] - [[久米島町]] ** [[慶良間諸島]] *** [[渡嘉敷島]] - [[渡嘉敷村]] *** [[座間味島]] - [[座間味村]] ** [[粟国諸島]] *** [[粟国島]] - [[粟国村]] *** [[渡名喜島]] - [[渡名喜村]] ** [[大東諸島]] *** [[北大東島]] - [[北大東村]] *** [[南大東島]] - [[南大東村]] *;宮古・八重山地域 ** [[宮古島市]] ** [[宮古郡]] *** [[多良間村]] ** [[石垣市]] ** [[八重山郡]] *** [[竹富町]] - [[与那国町]] {{div col end}} ==== 歴史的な地域区分 ==== {{see also|国頭|国頭郡|中頭|中頭郡|島尻|島尻郡|宮古郡|八重山郡}} [[1896年]](明治29年)[[4月1日]]の[[郡制]]施行(沖縄県区制)に伴い、[[那覇区]]、[[首里区]]と、[[国頭郡]]、[[中頭郡]]、[[島尻郡]]、[[宮古郡]]、[[八重山郡]]の5郡が設置された(2区5郡)。この時点では沖縄県発足以来継続していた[[旧慣温存政策]]により琉球王国時代の間切制が残存していた<ref group="注釈">すなわち、この時点の間切制が琉球王国時代末期(最終)の間切制をほぼ継承していたと考えられる。</ref><ref group="注釈">なお、この間切制の大きな区分として、沖縄本島は「国頭方」「中頭方」「島尻方」の3つに大分されていた。これは[[古琉球]]14 - 15世紀の[[三山時代]]の国界に由来している(多少の相違はある)。「地下三方諸離(じじさんぽーしゅはなり)」の「地下三方」が国頭方・中頭方・島尻方を指す。「諸離」は本島の周囲離島、周辺離島を概ね指す。</ref>。これは、1908年(明治41年)4月1日に沖縄県独自の島嶼町村制施行により、間切→村(そん)に移管されるまで続いた。 この1896年沖縄県区制施行当時の郡区分を特に「'''旧[[郡制]]'''」と言う事があり<ref group="注釈">[[郡役所]]などにより行政実体として機能していた時代を指す。郡制廃止以降、郡は単なる地理的名称と残っている。沖縄県外でも同様だが、沖縄県では時代的経緯は異なる。</ref>、この境界をもって5地域(5地区)に分ける慣例が制度上も残っている。 この歴史的経緯により、旧郡制当初から現代まで、[[伊平屋村]]・[[伊是名村]]は島尻郡に属しているがその一方で現代行政区分としては北部地域に組み入れられている。ほか、沖縄本島と伊江島を除く[[沖縄諸島]]と、[[大東諸島]]の島々の市町村も同様に島尻郡に属しており、必ずしも南部とは言えない南部地域(南部離島地域)に組み入れられている。 === その他の行政区分および都市圏 === 行政による地域区分は上記のほか、沖縄本島(周辺離島を含む)における'''広域行政圏'''として'''北部広域市町村圏'''、'''中部広域市町村圏'''、'''南部広域市町村圏'''を持つ。 これら広域行政圏は、沖縄都市圏や那覇都市圏の影響を受けており、行政機能的、商業的にもより実態に即した圏域を構成している。そのため、中部地域に属する浦添市は南部広域市町村圏に組み入れられている。西原町は公式にも中部広域市町村圏だが、より実態に即して南部扱いされる場合も一部にある。 ==== 沖縄本島(本島周囲離島及び伊平屋島、伊是名島、伊江島を含む) ==== ; 北部広域市町村圏 :(旧)国頭郡の範囲に、島尻郡の伊平屋島と伊是名島を加えた範囲。郡の名称から「国頭地区」とも呼ばれる。 * [[名護市]] * [[国頭郡]] ** [[国頭村]] - [[大宜味村]] - [[今帰仁村]] - [[本部町]] - [[恩納村]] - [[宜野座村]] - [[金武町]] - [[東村]] * [[伊江島]]([[国頭郡]]) - [[伊江村]] * [[伊平屋島]]([[島尻郡]]) - [[伊平屋村]] * [[伊是名島]](島尻郡) - [[伊是名村]] ; 中部広域市町村圏 :(旧)中頭郡の範囲から浦添市を除いた範囲。 {{See also|沖縄都市圏}} * [[沖縄市]] * [[うるま市]] * [[宜野湾市]] * [[中頭郡]] ** [[北谷町]] - [[嘉手納町]] - [[西原町]] - [[読谷村]] - [[北中城村]] - [[中城村]] ; 南部広域市町村圏 :(旧)島尻郡および旧[[那覇区]]、旧[[首里区]]<ref group="注釈">ただし首里区は旧郡制下の一時期、中頭郡役所が置かれるなど中頭の一部として機能した時代もあった。沖縄戦後に那覇市に編入された。</ref>と、これに中部地域の浦添市を含めた範囲(ここでは沖縄本島部分を扱う)。 :なお、西原町は中部地域かつ中部広域市町村圏に属するが、一部の事務組合については南部と合同になることもある。 {{See also|那覇都市圏}} * [[浦添市]] * [[那覇市]] * [[豊見城市]] * [[糸満市]] * [[南城市]] * [[島尻郡]] ** [[与那原町]] - [[南風原町]] - [[八重瀬町]] ==== 沖縄諸島(伊平屋島、伊是名島、伊江島を除く) ==== ; 南部広域市町村圏(離島) :いずれも(旧)島尻郡、南部広域市町村圏に属している。南部離島地域と同様の概念で「南部離島」などとも呼ばれる。 {{Okinawa Prefecture Labelled Map}} * [[久米島]] - [[久米島町]] * [[慶良間諸島]] ** [[渡嘉敷島]] - [[渡嘉敷村]] ** [[座間味島]] - [[座間味村]] * [[粟国諸島]] ** [[粟国島]] - [[粟国村]] ** [[渡名喜島]] - [[渡名喜村]] * [[大東諸島]] ** [[北大東島]] - [[北大東村]] ** [[南大東島]] - [[南大東村]] ==== 先島諸島 ==== ;宮古地区 :旧宮古支庁、(旧)宮古郡の範囲 * [[宮古島市]] * [[宮古郡]] ** [[多良間村]] ;八重山地区 :旧八重山支庁、(旧)八重山郡の範囲 * [[石垣市]] * [[八重山郡]] ** [[竹富町]] - [[与那国町]] === 米軍基地 === [[ファイル:US military bases in Okinawa.svg|thumb|沖縄の米軍基地|150px]] {{Main|在日米軍|普天間基地移設問題|台湾関係法}} * 主な米軍基地 - [[嘉手納基地]]、[[普天間基地]]など。 2017年現在、在日米軍の専用施設は沖縄本島の総面積の15%を占めている<ref>nippon.com [http://www.nippon.com/ja/features/h00008/ 【日本の安全保障】沖縄の米軍基地沖縄本島の面積の18%] 2014年9月閲覧</ref><ref>[http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/97464 【沖縄復帰45年】依然、米軍専用施設の70%が集中 本島の15%占める]</ref>。 == 歴史 == {{Main|沖縄県の歴史|沖縄県の年表|アメリカ合衆国による沖縄統治|沖縄返還|南洋幻想}} === 概略 === 古代 『[[続日本紀]]』には、[[文武天皇]]2年([[698年]])に朝廷の命により、務広弐文忌寸博士が南島(なんとう)(南西諸島)に派遣されたとある。このときの文忌寸博士の任務は屋久島、種子島、奄美大島の朝貢関係を確認することにあり、文武天皇3年([[699年]])に多褹・掖玖・菴美・度感から朝廷に来貢があり位階を授けたと記載がある。これ以降、朝廷は種子島に国司を派遣するとともに、久米島や石垣島にも服属を求める使者を派遣している。[[和銅]]8年([[715年]])には南島の奄美・夜久・度感・信覚・球美の島民が来朝し貢上したという記載があり、蝦夷の人々とともに南島の人々に位階を授けたとある。他にも[[養老]]4年([[720年]])に南島人232人に位を授け、また[[神亀]]4年([[727年]])に南島人132人に位階を授けた、などの記載がある。 [[琉球王国]]時代に編纂された「[[中山世鑑]]」によると、[[保元の乱]]で敗れ[[伊豆]]に流された[[源為朝]]が追手から逃れるため沖縄本島([[運天港]])に渡り、その子が初代琉球国王[[舜天]]になったとされており、正史として扱われていた。14世紀後半には[[三山時代|三山]]王国([[北山王国|北山]]、[[中山王国|中山]]、[[南山王国|南山]])が勃興する[[グスク時代]]に突入し、中国([[明]])に[[朝貢]]し[[冊封]]を受け[[琉球貿易]]を行っていた。1429年に中山王[[尚巴志王|尚巴志]]が南山と北山を滅ぼし琉球を統一、琉球王国を建国した([[第一尚氏]])。グスク時代の城跡遺跡は『[[琉球王国のグスク及び関連遺産群]]』として[[ユネスコ]]の[[世界遺産]]に登録されている。[[1469年]]に[[尚徳王]]の家臣であった金丸が王位を[[簒奪]]し、自らを[[尚円王]]と号し即位した([[第二尚氏]])。周辺の先島諸島や奄美群島にも版図を拡げるが、[[1609年]]([[慶長]]14年)に[[薩摩藩]]の侵攻を受け[[尚寧王]]は降伏、当時王国の支配下にあった[[奄美群島]]は薩摩藩に割譲<ref group="注釈">ただし名目上は琉球の一部とされた。詳細は[[奄美群島の歴史]]を参照。</ref>、王国は薩摩藩の支配下におかれた([[琉球侵攻]])。薩摩による侵攻以降も王国は中国の冊封を受け続け、日本の薩摩藩と清国に『両属』する体制となっていたが[[鎖国]]体制下の両国の[[中継貿易]]地としての役割を担い、交易を通じて独自の文化と自治を保っていた。この当時の日本本土と沖縄の関わりが、現代まで続く日本の[[南洋幻想]]の発端となった{{要出典|date=2020年10月}}。 近代に入り、[[1853年]]([[嘉永]]6年)[[マシュー・ペリー]]率いる[[黒船]]艦隊が琉球に来航し首里城を訪問。翌[[1854年]]([[嘉永]]7年)[[琉米修好条約]]を締結するのを皮切りに[[フランス]]や[[オランダ]]とも修好条約を締結した。一方、日本本土では[[明治維新]]がおこり[[開国]]したことを受け、[[1871年]](明治4年)9月に[[日清修好条規]]が締結され[[清]]との間に外交関係が樹立された。しかし、その約1ヶ月後となる同年10月に[[宮古島島民遭難事件]]が発生、[[明治政府]]は外交対処のために[[中央集権]]国家の確立を急ぎ、[[1872年]](明治5年)、[[琉球藩]]が設置され、琉球国王の[[尚泰王|尚泰]]を「琉球藩王」に封じて東京に藩邸を置いた。[[副島種臣|福島外務卿]]による清との交渉後、[[1874年]](明治7年)に[[台湾出兵]]となり、日本の航客に危害を加えないなどの統括権などが[[イギリス]]大使の調停による事後処理条約で確認され、清との外交事件が帰着した。[[1879年]][[3月27日]]([[明治]]12年)<ref>{{Cite web|和書|title=1879年3月27日「沖縄県」の設置|url=https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4631|publisher=[[沖縄県公文書館]]|website=あの日の沖縄|accessdate=2022-5-14}}なお、太政官布告は同年4月4日付けで出されている。</ref>、明治政府は琉球藩を廃して'''沖縄県'''を設置、[[尚泰王|尚泰]]は東京の藩邸に居を移し[[華族]]となる。明治初期に琉球が日本に編入される一連の過程を[[琉球処分]]と言う。 [[1945年]]([[昭和]]20年)、[[第二次世界大戦|太平洋戦争]]では『国内最大の地上戦』と呼ばれる{{refnest|group="注釈"|当時、[[内地]](非植民地である日本本土)であった[[樺太庁]]及び[[根室支庁|千島]]でも[[赤軍|ソ連軍]]と激戦が繰り広げられたため、「唯一の地上戦」ではない<ref>[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162452-storytopic-3.html 沖縄地上戦 国内唯一→国内最大 政府が閣議決定](琉球新報)</ref>。}}[[沖縄戦]]の戦場となった。米軍は[[4月1日]]に沖縄本島の[[読谷村]]の海岸に上陸、瞬く間に島の北半分を制圧、日本軍は米軍の総攻撃を受け南部に追い込まれ、総司令部が置かれていた首里城も焼け落ち、[[6月23日]]に沖縄守備軍最高指揮官の[[牛島満]]中将らが[[摩文仁村|摩文仁]]で自決したことで組織的戦闘は終結した。約3カ月に及ぶ激戦により県民の4人に1人が犠牲になり土地も荒廃した。現在、摩文仁は[[沖縄戦跡国定公園]]に指定されており、6月23日は[[慰霊の日]]として沖縄県の休日となっている。 沖縄戦後、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の[[SCAPIN|SCAPIN - 677]]指令により南西諸島<ref group="注釈">[[大隅諸島]]および[[上三島]]を除く。</ref>は米軍軍政下となり、日本の施政権は停止、行政実体(内務省知事下)としての沖縄県は一旦消滅した([[アメリカ合衆国による沖縄統治]])。米軍統治下で基地建設のため集落や農地を大規模に接収し、[[730 (交通)|右側通行の道路]]を整備し、通貨として[[B円]]、後に[[米ドル]]を使用させ、日本本土への渡航に[[パスポート]]が必要になるなど、米国流のやり方で戦後復興が進められていった。[[1952年]](昭和27年)にGHQの占領下にあった日本が[[日本国との平和条約|主権回復]]した後も沖縄は引き続き米軍の統治下におかれた。同年、米軍政が終了、米国主導で新たに[[琉球政府]]を設置、本格的な琉球統治と復興に乗り出す。 [[1950年代]]以降になると[[朝鮮戦争]]や[[ベトナム戦争]]が勃発し、沖縄は米軍の前線補給基地として重要度を増し、数多くの米軍人が駐留、[[B-52 (航空機)|B-52]]などの[[戦略爆撃機]]や[[枯葉剤]]や[[核兵器]]といった[[大量破壊兵器]]が多数配備され、ベトナムからは『悪魔の島』と恐れられた<ref>「1962年・沖縄 「核兵器庫」の嘉手納」毎日新聞2016年2月20日 東京夕刊</ref>。経済は基地に大きく依存していた一方で、当時ドル高円安の[[固定相場制]]の影響もあり物価は安く生活は安定しており、人口は終戦直後の約50万人から本土に復帰するまでのわずか27年間で約100万人に倍増した。しかし米軍による強権的かつ差別的な施政に島民は強い反感を抱き、本土への復帰を求める大規模な反基地運動が各地で展開されていった([[島ぐるみ闘争]])。[[1971年]](昭和46年)に[[佐藤栄作]]首相と[[リチャード・ニクソン]]大統領との間で[[沖縄返還協定]]が締結され、翌[[1972年]](昭和47年)に沖縄は日本に施政権が返還され沖縄県が復活した([[沖縄返還]])<ref group="注釈">「[[沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律]]」では、形式上、戦前の沖縄県および戦前の県内の市町村制から、戦後の[[地方自治法]]に基づく沖縄県および市町村に継承されるものとした。あくまでも法律上の形式的継承の問題である。</ref><ref group="注釈">なお復帰に際して日本は米国に対し総額3億2000万ドルを支払っている(現在の為替レート(2016年10月時点)で約5000億円)。</ref>。米軍統治時代から続く基地問題や[[不発弾]]の問題、[[日米地位協定]]の問題は県の主要な政治課題となっている(「[[普天間基地移設問題]]」を参照)。 === 年表 === * [[1879年]](明治12年)3月27日 - 琉球藩を廃止し、沖縄県を設置<ref>{{Cite web|和書|title=1879年3月27日「沖縄県」の設置|url=https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4631|publisher=[[沖縄県公文書館]]|website=あの日の沖縄|accessdate=2022-5-14}}</ref>(なお、太政官布告は同年4月4日付けで出されている<ref>「法令全書」明治12年 太政官布告第14号</ref>)、4月5日、[[鍋島直彬]]が初代県令に就任<ref>{{Cite web|和書|title=琉球藩ヲ廃シ沖縄県ヲ被置ノ件|url=https://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m12_1879_01.html|website=公文書による日本のあゆみ|publisher=[[国立公文書館]]|accessdate=2022-5-16}}</ref>([[琉球処分]])<ref>劉傑/三谷博/揚大慶 編著「国境を超える歴史認識」12p 東京大学出版会 ISBN 4-13-023053-0</ref>。 * [[1896年]](明治29年)- [[陸軍省]]臨時台湾電信建設部が大浜(現在の鹿児島県[[南大隅町]] )- 奄美 - 沖縄本島(現在の[[読谷村]]渡具知)間に電信用の[[海底ケーブル]]を敷設。翌年[[石垣島]]を経て[[基隆市|基隆]]八尺門([[台湾]])に延伸<ref>[http://www.nttwem.co.jp/knowledge/history/chronological_table.html 『海底線百年の歩み』より・日本での海底通信ケーブル年表/NTTワールドエンジニアリングマリンH.P]</ref><ref>明治30年[[台湾総督府]]告示第63号</ref>。 * [[1936年]](昭和11年)12月21日 - 沖縄-鹿児島間で無線電話が開通<ref>鹿児島-沖縄間の無線電話が開通『大阪毎日新聞』昭和11年12月22日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p98 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1945年]]([[昭和]]20年)4月 - [[沖縄戦]]勃発。同年6月23日、戦闘終結。沖縄県全土が[[アメリカ軍]]の占領下に置かれる。同年9月20日、沖縄本島の収容所で行われた市会議員選挙で、[[女性参政権]]が認められ普通選挙実施<ref>http://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/2012/09/post-93.html</ref>。 * [[1946年]](昭和21年)1月 - [[SCAPIN]]677により連合国よりアメリカ軍政へ移管。 * [[1946年]](昭和21年)4月 - 米軍主導の元、[[沖縄民政府]]発足。[[沖縄諮詢会]]で互選された[[志喜屋孝信]]が知事に就任。旧県会議員を主体に議会を設立。 * [[1948年]](昭和23年)10月 - 「米国の対日政策に関する勧告に対する国家安全保障会議の諸勧告(NSC/2,3)」により米軍の沖縄の恒久保持、基地の開発の方針を掲示。 * [[1950年]](昭和25年)12月 - [[琉球列島米国民政府]](United States Civil Administration of the Ryukyu Islands)とアメリカ軍政の沖縄統治機関の名称を変更。大規模な基地建設の開始。 * [[1952年]](昭和27年)4月1日 - [[琉球政府]]設立。 * [[1957年]](昭和32年)[[9月18日]] - 台風14号が接近。死者52人、行方不明者79人、倒壊家屋約2万戸<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=123|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1960年]](昭和35年)4月28日 - [[沖縄県祖国復帰協議会]]設立。 * [[1970年]](昭和45年)12月20日 - [[コザ暴動]]発生。 * [[1972年]](昭和47年)5月15日 - 日本に復帰し沖縄県再設置([[沖縄返還]])。 * [[1975年]](昭和50年)7月 - [[沖縄国際海洋博覧会]]開催。その際皇太子明仁親王(当時)夫妻の沖縄訪問時に[[ひめゆりの塔事件|テロ事件]]が発生。 * [[1978年]](昭和53年)7月30日 - [[730 (交通)|対面交通の変更]]。車両が右側通行から左側通行へ変更。(「''[[730 (交通)|730]]」'')。 * [[1981年]](昭和56年) 7月 - 日本最長の326日間にわたる給水制限を実施。(''[[昭和56-57年沖縄渇水]]'') * [[1987年]](昭和62年) - [[第42回国民体育大会]]開催。 * [[1992年]]([[平成]]4年) 11月2日 - 首里城正殿などを復元、[[首里城公園]]開園。 *1995年(平成7年)9月4日 - [[沖縄米兵少女暴行事件]]が発生し、[[普天間基地移設問題]]に波及。 * [[1997年]](平成9年) - 日米間で[[普天間飛行場]]の返還を含む基地移転案に基本合意。 * [[2000年]](平成12年) **7月21日 - [[第26回主要国首脳会議|九州・沖縄サミット]]が開催され、それを記念して[[二千円紙幣]]を発行。 **11月30日 - 首里城などの各グスク、[[玉陵]]、[[識名園]]、[[斎場御嶽]]などが「[[琉球王国のグスク及び関連遺産群]]」として[[世界遺産]]に登録される。 * [[2002年]](平成14年)11月1日 - [[沖縄美ら海水族館]]が開園。大水槽および水槽のパネルは当時世界最大規模であった。 * [[2003年]](平成15年)8月10日 - [[ゆいレール|沖縄都市モノレール線]]が開通。 * 2004年(平成16年) **1月 - [[明仁天皇]](当時)、宮古島を初訪問。 ** [[8月13日]] - [[沖縄国際大学]]に米軍[[ヘリコプター]]が墜落する (''[[沖国大米軍ヘリ墜落事件]]'')。[[普天間基地移設問題|普天間基地返還]]の要求が強まる * [[2012年]](平成23年)9月11日 - [[尖閣諸島国有化]]。 * [[2013年]](平成25年)12月27日 - [[仲井眞弘多]]知事が米軍[[普天間飛行場]]の名護市[[辺野古]]移設に向けた埋め立てを承認。 * [[2014年]](平成26年) - [[2014年沖縄県知事選挙|知事選挙]]で仲井眞弘多が敗れ、[[翁長雄志]]が知事に当選。 * [[2015年]](平成27年) - 普天間飛行場の辺野古移設を巡り県と国が法廷闘争を繰り広げる。工事を一時停止して協議するが9月に決裂し工事再開。 * [[2016年]](平成28年) - 裁判所の和解案に基づき政府と協議。9月16日、福岡高裁で辺野古移設に関して県の敗訴が確定。 * [[2018年]](平成30年)8月8日 - 翁長雄志知事が死去(本土復帰後公選知事初の現職没)<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASL886HNML88TIPE02Y.html 沖縄・翁長雄志知事が死去、67歳 9月にも知事選] - 朝日新聞デジタル 2018年8月8日</ref>。 * [[2019年]](平成31年)2月24日 - 辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う[[辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票|県民投票]]が実施され、投票者の7割超、有権者の4分の1超が反対に投票。 *2019年([[令和]]元年) 10月31日 - 火災により首里城正殿、北殿、南殿などが焼け落ちる。 *2022年([[令和]]4年) 1月27日 - [[沖縄県警察]]が暴徒に襲撃される事件が発生。 == 人口 == {{Main|沖縄県の人口統計}} 2015年度の[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]結果より前回の2010年度と比較して、沖縄県の人口は約4万人(2.9%)増加し、[[都道府県]]別で[[東京都]](2.7%)を抜き全国で最も人口増加率が高くなった<ref name="census">{{Cite web|和書 |date = 2016-02-26 |url = https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2015/kekka/pdf/youyaku.pdf |title = 平成27年国勢調査 人口等基本集計結果 |format = PDF |publisher = [[総務省]] |accessdate = 2016-11-18 }}</ref>。人口別では初めて65歳以上人口が15歳未満人口を上回った。地域別で見ると[[沖縄本島]]の中部と南部で増加し、沖縄本島北部と[[石垣島]]を除く離島の大部分で減少している。[[国立社会保障・人口問題研究所]]は、2025年に143万3千人まで増加すると予測している<ref>{{Cite web|和書 |year = 2012 |month = 02 |url = http://www.pref.okinawa.jp/toukeika/so/topics/topics_400-1.pdf |title = 統計トピックス 平成60年に1億人割れ! |format = PDF |publisher = 沖縄県企画部統計課 管理資料班 |accessdate = 2012-06-28 }}</ref>。2010年の自然増加率は人口千人あたり5.0人増と全国最高である<ref name="demo">{{Cite web|和書 |date = 2011-12-07 |url = http://www3.pref.okinawa.jp/site/contents/attach/25979/P122-124kakuteisuu.pdf |format = PDF |title = 沖縄県の人口動態統計の概要 |publisher = 沖縄県 |accessdate = 2012-06-28 }}</ref>が、社会増加率は各年により増減が変動する<ref name="ryu">{{Cite web|和書 |date = 2011-09-01 |url = http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-181128-storytopic-1.html |title = 県人口140万突破 12年余で10万人増 |publisher = [[琉球新報]] |accessdate=2012-06-28 }}</ref>。また2010年度の[[合計特殊出生率]]は1.87人<ref name="demo" />と1975年度以来連続で全国1位を維持している<ref>{{Cite web|和書 |url = http://www.pref.okinawa.jp/kenzou/sukoyaka/pdf/09p_21p_bosi1.pdf |title = 健やか親子沖縄2010 第2章 母子保健の現状 |format = PDF |publisher = 沖縄県福祉保健部 健康増進課 |accessdate = 2012-06-28 }}</ref>。2015年度国勢調査によれば、65歳以上の人口比率 (19.6%) が、調査開始以来、15歳未満 (17.4%) を上回った<ref name="ryukyushimpo-20161112-06">{{Cite news |title=国勢調査 県人口 143万3566人 |newspaper=[[琉球新報]] |date=2016-11-12 |page=6}}</ref>。[[粗死亡率]]は男女ともに全国で最も低いが<ref name="deathrates">{{Cite web|和書 |date = 2012-03-01 |url = https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/other/10sibou/dl/gaikyou.pdf |title = 都道府県別にみた死亡の状況 -平成22年都道府県別年齢調整死亡率- |format = PDF |publisher = 厚生労働省 |accessdate = 2012-06-28 }}</ref>、[[年齢調整死亡率]]は全国平均に近く<ref name="deathrates" />、特に成人男性は全国3位以上の年齢調整死亡率となっている<ref name="kuwae">{{Cite web|和書 |author = 桑江なおみ他 |year = 2006 |url = http://plaza.umin.ac.jp/phnet/kj121-128.pdf |title = 沖縄県における平均寿命、年齢調整死亡率、年齢階級別死亡率の推移 (1973-2002) |format = PDF |work = 沖縄県衛生環境研究所報 第40号 |publisher = 大学病院医療情報ネットワーク研究センター |accessdate = 2012-06-28 }}</ref>。沖縄県在住の[[外国人]]は、[[国籍]]別で2010年現在[[アメリカ合衆国|アメリカ]]([[在日米軍|米軍]]とその関係者は含まれない。)が最も多いが、[[中華人民共和国|中国]]・[[大韓民国|韓国]]籍の外国人も増加傾向にある<ref name="demography">{{Cite web|和書 |date = 2011-10-28 |url = http://www.pref.okinawa.jp/toukeika/kokutyou22/H22kakuhou.pdf |title = 沖縄県の人口、世帯、住居 |format = PDF |publisher = 沖縄県企画部統計課 |accessdate = 2012-06-28 }}</ref>。2015年度の国勢調査で、県内の外国人は11,020人となり、2010年度より3,369人 (44%) 増加している<ref name="ryukyushimpo-20161112-06" />。 なお人口統計には含まれない在沖米軍人と軍属およびその家族数は2013年度現在47,300人にのぼる{{要出典|date=2020年10月}}。 2016年度の沖縄県への入域観光客統計は年間8,613,100人で過去最高を記録し一日平均で約23,500人になる{{要出典|date=2020年10月}}。 また県外から赴任した[[自衛官]]や国の[[出先機関]]の出向公務員も多数存在するために、これらを含めると見かけ上の人口は統計よりも7〜10万人も多い{{要出典|date=2020年10月}}。 [[ファイル:2010-2015 population growth rate map of municipalities of Okinawa prefecture, Japan.svg|thumb|350px|沖縄県に属する地方自治体の人口増加率分布図。2010年度国勢調査結果から2015年度を比較。 {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#296400|10.0 %以上}} {{legend|#50c800|5.0 - 10.0 %}} {{legend|#81ff2d|3.0 - 5.0 %}} {{legend|#bdff91|0.0 - 3.0 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{legend|#ffcdcd|0.0 - 3.0 %}} {{legend|#ff6969|3.0 - 5.0 %}} {{legend|#ff0505|5.0 - 10.0 %}} {{legend|#b40000|10.0 %以上}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=47000|name=沖縄県|image=Demography47000.svg}} == 政治 == :''※ [[沖縄返還]]以前の沖縄における統治機構は、「[[琉球政府]]」および「[[琉球列島米国民政府]]」を参照。'' === 知事 === {{Main|沖縄県知事一覧}} {|class="wikitable" style="text-align:center" border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="3" | bgcolor="#99ffff" colspan="8" |'''沖縄県公選知事''' |- !代 !氏名 !style="width:8em"|在職期間 !期 !出身地 !最終学歴 |- !style="background:#eee"|1 |[[屋良朝苗]]<br /><small>やら ちょうびょう</small> |[[1972年]](昭和47年)[[5月15日]]<br />- [[1976年]](昭和51年)[[6月24日]] |2 |[[中頭郡]][[読谷村]] |[[広島高等師範学校]]卒業<br />(現・[[広島大学]]) |- !style="background:#eee"|2 |[[平良幸市]]<br /><small>たいら こういち</small> |[[1976年]](昭和51年)[[6月25日]]<br />- [[1978年]](昭和53年)[[11月23日]] |1 |中頭郡[[西原町]] |[[沖縄師範学校]]卒業 |- !style="background:#eee"|3 |[[西銘順治]]<br /><small>にしめ じゅんじ</small> |[[1978年]](昭和53年)[[12月13日]]<br />- [[1990年]](平成2年)[[12月9日]] |3 |[[島尻郡]][[知念村]]<br />(現・[[南城市]]) |[[東京大学]][[法学部]]卒業 |- !style="background:#eee"|4 |[[大田昌秀]]<br /><small>おおた まさひで</small> |[[1990年]](平成2年)[[12月10日]]<br />- [[1998年]](平成10年)[[12月9日]] |2 |島尻郡[[具志川村]]<br />(現・[[久米島町]]) |[[アメリカ合衆国|米国]][[シラキューズ大学]]大学院修了 |- !style="background:#eee"|5 |[[稲嶺恵一]]<br /><small>いなみね けいいち</small> |[[1998年]](平成10年)[[12月10日]]<br />- [[2006年]](平成18年)[[12月9日]] |2 |[[関東州]][[大連市|大連]]<br />(現・[[中華人民共和国|中国]][[遼寧省]][[大連市]]) |[[慶應義塾大学]][[経済学部]]卒業 |- !style="background:#eee"|6 |[[仲井眞弘多]]<br /><small>なかいま ひろかず</small> |[[2006年]](平成18年)[[12月10日]]<br />- [[2014年]](平成26年)[[12月9日]] |2 |[[大阪府]][[大阪市]] |東京大学[[工学部]]卒業 |- !style="background:#eee"|7 |[[翁長雄志]]<br /><small>おなが たけし</small> |[[2014年]](平成26年)[[12月10日]]<br />- [[2018年]](平成30年)[[8月8日]] |1 |[[真和志村]](現:那覇市) |[[法政大学]][[法学部]]卒業 |- !style="background:#eee"|8 |[[玉城デニー]]<br /><small>たまき デニー</small> |[[2018年]](平成30年)[[10月4日]] - |1 |中頭郡[[与那城町|与那城村]](現:[[うるま市]]) |[[上智社会福祉専門学校]]卒業 |} === 組織・庁舎 === {{Main|沖縄県庁|沖縄県庁舎}} === 議会 === [[ファイル:Okinawa Prefectural Assembly02bs3200.jpg|thumb|right|沖縄県議会議事堂([[那覇市]])]] {{Main|沖縄県議会}} * [[議員定数]] 48人 * 任期 2020年(令和2年)6月25日 - 2024年(令和6年)6月24日 沖縄県議会議員選挙は[[統一地方選挙]]では実施されない数少ない都道府県議会議員選挙の1つである(他は[[東京都]]、[[茨城県]]、[[岩手県]]、[[宮城県]]、[[福島県]])。これは、日本復帰後の選挙が[[1972年]](昭和47年)[[6月25日]]に行われたことによるためで、東京と茨城は議会の解散、岩手、宮城と福島は[[東日本大地震]]による延期のためであり、事情が異なる。 === 財政 === ==== 2015年度 ==== * 標準財政規模 3567億9084万円 * [[財政力指数]] 0.29(都道府県平均 0.47) ** 財政力指数が0.3未満のEグループ(11自治体)に分類されている * 経常収支比率 95.1%(都道府県平均 94.6%) ** 財政の硬直化が進んでいることを示す指標である * 将来負担比率 81.3%(都道府県平均 210.5%) * [[実質公債費比率]] 12.2%(都道府県平均 14.1%) * 人口100,000人当たりの職員数 1,412.52人(都道府県平均1,110.90人) * [[ラスパイレス指数]] 107.0(都道府県平均 107.4) ; 地方債残高 * 普通会計分の地方債現在高 6829億9400万円 * 上記以外の特別会計分の地方債(企業債)現在高 1541億800万円 == 経済・産業 == [[ファイル:Minnajima beach, Okinawa.jpg|thumb|right|水納ビーチ([[水納島 (沖縄県本部町)|水納島]])<br />沖縄県は日本で最も有名な[[リゾート|マリンリゾート地]]の一つであり、重要な観光資源となっている。]] === 産業 === 沖縄県は日本屈指の観光立県であり[[サービス業]]が発達していて県経済の中心になっている。また[[在日米軍]]基地が生み出す経済(軍雇用者所得、軍用賃借料、米兵向け商店・飲食店など)に依存している側面があり、経済依存度は、1972年の15.5%から1982年度には7.4%にまで低下し、ここ30年は5%前後で推移している。米軍基地内には、オフィスや病院、[[ショッピングセンター]]などの施設があり、約9,000人前後の県民が基地施設に勤務していて、[[沖縄県庁]]に次ぐ大口の就職先になっている。「観光」「公共事業」「基地収入」に依存する「'''3K経済'''」とも称されている<ref name="yomi0409">「基礎からわかる沖縄復帰50年」読売新聞2022年4月9日付朝刊特別面</ref>。 沖縄県の産業構造は、全国に比べて第2次産業のウエイトが低く、第3次産業のウエイトが高いことが特徴である。平成25年度の県内総生産に占める第2次産業及び第3次産業の割合は、それぞれ13.9%及び84.4%となっており、全国の24.4%及び73.9%と比べその差異は明らかである。特に、製造業の割合は、全国が18.4%に対し沖縄県は4.2%とその差異は極めて大きい。また、政府サービス生産者(公的な電気・ガス・水道業や公務などの経済活動)の割合が沖縄県(平成25年度)では16.0%と高い。これらの要因として、アメリカ統治下の沖縄では円よりも価値の高い[[軍票]]やドルが用いられ外国製品が安く手に入るため製造業が育たなかったこと、本土復帰後は大規模な公共事業に重点的に取り組むも地元企業は下請けに回ることが多く、その結果[[雇用]]が見込める大規模工場が少なく、[[非正規雇用]]者が多い要因の一つとなっている。2017年の非正規従業員の割合は43.1%と全国で最も高い<ref name="yomi0409"/>。 [[2014年]]([[平成]]26年)度の県内総生産は4兆1749億円で、前年度と比較した経済成長率は、1.5%増加した。名目は3.5%増の4兆511億円で、それぞれ6年連続のプラス成長だった<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.okinawa.jp/toukeika/accounts/2014/acc_all.pdf 平成26年度 県民経済計算]}}</ref>。平成26年度の一人あたり県民所得は212万9000円(全国平均は286万8000円)である。[[失業率]]は日本一高いが2016年には沖縄の完全失業率は23年ぶり3%台に低下した。 県外の日本国内で生産または供給される商品に関しては、輸送距離の関係から時間・費用が嵩み、輸送費の分だけ県外に比べ割高となってしまう。そのため、県内生産品を除き、県外の[[地方]]と比べて、平均小売価格は特段低くはない。食品や携帯電話サービスでは全国的なブランドの商品生産・提供を沖縄独自の法人([[沖縄ビバレッジ]]、[[沖縄セルラー電話]]など)が一括して担っていたり、[[オキコ]]や[[オリオンビール]]や[[ブルーシールアイスクリーム|ブルーシール]]など、沖縄独自のブランドが特定ジャンルのシェアを占めている場合もある。 ==== 農業・漁業 ==== 農業では日本有数の亜熱帯性気候を生かし、[[マンゴー]]、[[アセロラ]]、[[パイナップル|パインアップル]]、[[ドラゴンフルーツ]]などのトロピカルフルーツや、[[サトウキビ]]、[[タバコ]]、[[ツルレイシ|ゴーヤー]](ニガウリ)といった農作物が生産されている。また、伊平屋島などでは稲作が盛んである。 漁業では[[マグロ]]、[[イカ]]、[[ブリ]]、[[タカサゴ]]、[[アジ]]、アカハタなどの他[[クルマエビ]]、[[モズク]]<ref>[http://www.pride-fish.jp/JPF/pref/detail.php?pk=1432119585 沖縄モズク]</ref>の養殖も盛んである<ref>生活情報センター編集部編 『さかなの漁獲・養殖・加工・輸出入・流通・消費データ集2005』 生活情報センター、2005年</ref>。 畜産業では、養豚が古くから盛んに行われ沖縄固有品種[[アグー]]が有名。また[[ヤギ]]や[[ウシ]]も生産されている。 本土復帰後は付加価値の高い品目に移り変わりつつある。マンゴーや[[石垣牛]]などは産出額を大きく増やしているのに対し、サトウキビやパイナップルは栽培・収穫面積を大きく減らしている<ref name="yomi0409"/>。 ==== 工業・鉱業 ==== 製糖業、飲食料品製造業や、セメント製造を中心とした窯業・土石製品製造業があるがいずれも小規模である。 沖縄本島の[[本部半島]]には良質な石灰岩が存在し、セメントの原料や砕石・砕砂の原料として採掘されている。[[沖大東島]]や[[北大東島]]にはかつて燐鉱山が経営されていたが、北大東島は良鉱石が枯渇しており、沖大東島は戦後、米軍射爆撃場に指定されたたままである。 沖縄本島沖の海底には国内最大規模の[[熱水鉱床]]が広がっており、[[銅]]、[[亜鉛]]などのほか、[[ガリウム]]や[[ビスマス]]など[[レアメタル]]を含むため、次世代の海洋資源として試掘調査が活発化している。 東シナ海の海底には推定埋蔵量約1000億バレルに上る天然ガスや石油が眠っており、[[日中中間線]]周辺では[[中華人民共和国|中国]]との領有権争い([[東シナ海ガス田問題]]を参照のこと)が生じている。 植物資源を燃料に充てられる[[バイオエタノール]]が脚光を浴び、県産サトウキビが原料として注目され試験操業も行われたが、結局採算が取れず撤退した。 ==== 観光業 ==== 本県の主な産業として、伝統、歴史、自然、食文化や国際色を生かした[[観光業]]が挙げられる。ただし、これらの観光業は景気に左右されやすい。 沖縄本島のリゾートホテル付設や公営の[[海水浴場]]の多くは、[[ワイキキビーチ]]と同様に[[人工海浜]]であり、観光資源ではあるが「沖縄の自然」ではない。2009年観光客数は国内外合わせて5,690,000人(国内:5,443,800人、海外:246,200人)<ref>[http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=233&id=21613&page=1 2009年度入域観光客統計概況(沖縄県観光企画課)]</ref>である。2019年の訪れる外国人観光客数は1,951,150人に達し、[[中華民国|台湾]] (40.00%)、[[大韓民国|韓国]] (22.99%)、[[中華人民共和国|中国]] (18.38%)、[[香港]] (10.26%)、[[アメリカ合衆国|米国]] (3.51%) という比率になっている<ref>{{Cite web|和書|title=沖縄県のインバウンド需要|url=https://honichi.com/areas/kyushuokinawa/okinawa/|website=訪日ラボ|accessdate=2020-06-29|language=ja}}</ref>。米国からの観光客は、米軍基地関係者が多く含まれる。 [[2000年]](平成12年)に[[主要国首脳会議]]が行われたのをきっかけに、国際会議、コンベンションといったイベント開催地としての体勢作りを進めている。また県はスポーツアイランド構想を掲げ[[エコツーリズム]]も活発化している。一方[[2020年]](令和2年)以降の[[コロナ禍]]では観光頼みの沖縄経済のもろさが露呈した。2020年度の観光客数は258万人にまで落ち込み、海外客は復帰後初のゼロを記録した<ref name="yomi0409"/>。 ==== 情報 ==== [[1998年]](平成10年)から「沖縄県マルチメディアアイランド構想」に基づき、[[海底ケーブル]]の陸揚げ本数が多いことから IX (Internet Exchange) の語に掛けて IT Exchange などの呼びかけを行い[[コールセンター]]やIT企業の優遇策による誘致を活発に行っている。その一方で内外から施設は立派であるが内容が伴わないとして[[箱物行政]]といった批判も多い。 [[2010年代]]ごろからスマートフォンアプリの開発業も盛んになっている。 === 優遇税制・特例 === [[ファイル:DFS GALLERIA OKINAWA01.JPG|thumb|right|[[DFSギャラリア・沖縄]]]] 経済振興のため、数々の特例<ref>[https://www.cao.go.jp/yosan/soshiki/h19/zei/zei_okinawa.html 平成19年度税制改正要望 5.沖縄の振興] - 内閣府(2010年10月5日閲覧)</ref>が設定されている。 * [[ガソリン税]](県外<!--のどこ?-->より1[[リットル]]当たり7円引き)や、[[沖縄自動車道]]の通行料金(県外より[[沖縄自動車道#料金|約4割引]])などが軽減されている。 * 沖縄県発着の航空便に関しては、[[航空機燃料税]]が50%減免されていることもあり、県外の同一距離路線に比べて5000円程度安くなっている<ref>{{PDFlink|[http://www.teikokyo.gr.jp/pdf/2006_yobo.pdf 平成19年度税制改正に関する要望]}}</ref>ため、結果として観光客誘致にも寄与している。 * 観光においては、[[沖縄の観光戻税制度|観光戻税制度]]、のちの[[特定免税店制度 (沖縄)|特定免税店制度]]が他県にはない特徴的な優遇税制である。 * [[酒税]]の軽減措置がある(→[[泡盛#公正競争規約|泡盛]]、[[オリオンビール#沿革|オリオンビール]]参照)。 * [[2002年]](平成14年)4月に施行された沖縄振興特別措置法により、IT関連企業、金融関連企業の誘致を行っている。税制上の優遇([[法人税]]の控除、[[特別土地保有税]]の非課税、[[事業所税]]の課税標準の特例)と大地震などの災害の可能性の低さを理由に、いくつかの企業が特別地区への移動を行っている。 === 企業 === 県内では、本州などで展開している[[企業]]の地域会社が多数存在する。 ; 電気通信事業者 : [[電気通信事業者]]では、携帯電話の [[Au (携帯電話)|au]] のサービスを提供する地域会社として[[沖縄セルラー電話]]がある。この会社は沖縄県の経済振興を目的として設立された企業であることから、同社の過半数株式を所有する [[KDDI]] だけでなく、地元企業の[[沖縄電力]]のほか県内の財界、有力企業なども出資している。沖縄県独自のサービスも展開していることもあり、県内では他県での[[市場占有率]]が首位の[[NTTドコモ]]を抑えている([[2005年]](平成17年)現在の市場占有率は49%)。なお、同社は政治的な配慮により[[ドミナント規制]]対象外だったが、のちに au 本体 ([[KDDI]]) が対象となっている。 : また、[[アステル]]グループの[[PHS]]サービスを提供していた沖縄電力グループの旧[[アステル沖縄]]を引継ぎ、[[2005年]](平成17年)[[1月25日]]に事業を開始した[[ウィルコム沖縄]]([[本州]]などでPHSサービスを提供する[[ウィルコム]](旧DDIポケット)の子会社として設立。のちに[[ソフトバンク]]の子会社となり[[Y!mobile]]ブランドを展開)があった。(2022年4月にソフトバンクに吸収合併され解散、事業はソフトバンクが承継。) ; 酒類 : [[ビール]]メーカーとして県内で大きな市場占有率を持つ[[オリオンビール]]が存在する。なお、同社は県内における酒税減免措置にのった県内市場の高い占有率を成しているが、日本全体で見た場合の市場占有率は1%程度であるため[[私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律|独占禁止法]]に抵触しないとされる。 ; 新聞 : 新聞は輸送事情の関係から、現地印刷を行う[[日本経済新聞]]、県内[[地方紙]]と提携のうえ印刷・発行している[[スポーツニッポン]]・[[日刊スポーツ]]を除き、当日の朝に配送することが不可能なため(県外における夕刊配達の時間帯に朝刊が配達される状態)、地方紙である[[沖縄タイムス]]および[[琉球新報]]が購読率の大半を占めている。また石垣島・宮古島には主に島内や周辺離島を販売域とする新聞がそれぞれ2紙づつ発行されている。 ; 金融 : 金融機関は、県内に本店を置く[[地方銀行]]3行のほか[[コザ信用金庫]]、[[郵便局]]([[ゆうちょ銀行]])や[[JAバンク]]([[沖縄県農業協同組合|JAおきなわ]])などの店舗が多い。県外の地方銀行は[[鹿児島銀行]]の沖縄支店が[[2015年]]に設置され、那覇市に2店体制で営業している。 : [[都市銀行]]については、[[みずほ銀行]]那覇支店が存在し、[[三菱UFJ銀行]]は法人営業のみを行う那覇支社を置いている。[[三井住友銀行]]は2015年に沖縄進出を検討していると報じられたが<ref>[https://www.ryukyushimpo.jp/news/prentry-249625.html 三井住友銀行、沖縄進出を検討 年度内に是非判断] 琉球新報デジタル</ref>、具体化していない。 : 県の[[指定金融機関]]は、[[沖縄銀行]]と[[琉球銀行]]2行による輪番制。 : 公的金融機関としては[[沖縄振興開発金融公庫]](沖縄公庫)が、本土における[[日本政策金融公庫]]、[[住宅金融支援機構]]及び[[福祉医療機構]]に相当する業務を実施している<ref>[https://www8.cao.go.jp/okinawa/3/36.html 沖縄振興開発金融公庫の概要 : 沖縄政策 - 内閣府]</ref>。[[商工組合中央金庫]]は那覇支店が存在する。 ;上場企業 : 県内に本社を置く上場企業は、[[サンエー (沖縄県)|サンエー]]([[東京証券取引所|東証プライム]])、[[おきなわフィナンシャルグループ]]・[[琉球電力]]・[[沖縄電力]](東証プライムと[[福岡証券取引所|福証]])、[[沖縄セルラー電話]](東証スタンダード)の5社である。 : [[TOKYO PRO Market]]に上場している企業は、[[碧 (那覇市の企業)]]と[[琉球アスティーダスポーツクラブ]]の2社である。[[WBFリゾート沖縄]]は上場廃止となっている。[[沖縄振興開発金融公庫]]、[[沖縄県産業振興公社]]や地元の金融機関・企業が出資する[[OKINAWA J-Adviser]](現OJAD)が「OKINAWA型上場モデル」<ref>[https://www.okinawakouko.go.jp/case/1677/2203 株式会社OKINAWA J-Adviser | 沖縄振興開発金融公庫]</ref>の展開を掲げてTOKYO PRO Marketに係る指定アドバイザー(J-Adviser)を務めていたが、2019年に資格を返納している<ref>[https://www.jpx.co.jp/news/1071/20190425-01.html 株式会社OKINAWA J-AdviserのJ-Adviser資格の喪失申請について | 日本取引所グループ]</ref>。 ==== 沖縄県に本社を置く主要企業 ==== {{div col}} ; 製造業 * [[沖縄コカ・コーラボトリング]]([[浦添市]]) * [[オリオンビール]]([[豊見城市]]) * [[ヘリオス酒造]]([[名護市]]) * [[琉球セメント]](浦添市) * [[コーラルバイオテック]]([[那覇市]]) * [[ブルーシールアイスクリーム|フォーモスト・ブルーシール]](浦添市) * [[おっぱ乳業]]([[今帰仁村]]) * [[沖縄製粉]](那覇市) * [[沖縄ハム総合食品|沖縄ハム]]([[読谷村]]) * [[沖縄ホーメル]]([[中城村]]) * 沖縄食糧(浦添市) ; 小売業 * [[サンエー (沖縄県)|サンエー]]([[宜野湾市]]) * [[ジミー (小売店)|ジミー]]([[宜野湾市]]) * [[金秀商事]](西原町) * [[イオン琉球]]([[南風原町]]) * [[リウボウインダストリー]](那覇市) * [[沖縄ファミリーマート]](那覇市) * [[ローソン沖縄]](浦添市) * [[メイクマン]](浦添市) * ホームセンタータバタ([[うるま市]]) * [[南西石油]]([[西原町]]) * [[りゅうせき]](浦添市) ; 一般電気事業 * [[沖縄電力]](浦添市) ; 都市ガス事業 * [[沖縄ガス]](那覇市) ; 卸売業 * [[ジーマ (企業)|GIMA]](浦添市) * [[琉薬]](浦添市) ; 情報通信業 * [[沖縄セルラー電話]](那覇市) * [[CSKコミュニケーションズ]](那覇市) * [[プロトソリューション]](宜野湾市) ; 新聞業 * [[琉球新報]](那覇市) * [[沖縄タイムス]](那覇市) * [[宮古毎日新聞]](宮古島市) * [[宮古新報]](宮古島市) * [[八重山毎日新聞]](石垣市) * [[八重山日報]](石垣市) ; 放送業 * [[琉球放送]](那覇市) * [[沖縄テレビ放送]](那覇市) * [[琉球朝日放送]](那覇市) * [[ラジオ沖縄]](那覇市) * [[エフエム沖縄]](浦添市) ; 金融業 * [[琉球銀行]](那覇市) * [[沖縄銀行]](那覇市) * [[沖縄海邦銀行]](那覇市) * [[コザ信用金庫]]([[沖縄市]]) * [[おきぎん証券]](那覇市) * [[OCS (信販)|OCS]](那覇市) ; 運輸業 : ''※[[バス会社]]については[[#バス]]を参照。'' * [[日本トランスオーシャン航空]](那覇市) * [[琉球エアーコミューター]](那覇市) * [[沖縄岡崎運輸]](那覇市) * [[沖縄交通]](那覇市) ; 建設業 * [[國場組]](那覇市) * [[沖電工]](那覇市) ; 観光業 * [[かりゆし (企業)|かりゆし]](那覇市) * [[ザ・テラスホテルズ]](名護市) * [[沖縄ツーリスト]](那覇市) ; 飲食業 * [[A&W沖縄]](宜野湾市) ; サービス業 * [[FC琉球|琉球フットボールクラブ]](沖縄市) {{div col end}} == 交通 == === 空港 === [[ファイル:Naha Airport13s3s4410.jpg|thumb|right|[[那覇空港]](那覇市)]] 島嶼県であるという事情から、県外への移動や県内離島間の移動は空路が主に利用されている。特に、宮古列島、および八重山列島については、域外との定期旅客航路が休止または廃止となっており、原則として[[航空路|航空路線]]での移動が必須となっている。県内には、以下の表の空港と[[伊是名場外離着陸場]]があるほか、[[在日米軍]]が[[基地]]として利用する[[嘉手納基地|嘉手納飛行場]]、[[普天間基地|普天間飛行場]]などがある。 {|class="wikitable" |+style="font-weight:bold"|2017年度旅客数<ref>{{Cite web|和書|date=2018-08-29 |url=http://www.mlit.go.jp/common/001250435.xlsx |title=平成29年度(年度)空港別順位表 |work= |format=EXCEL |publisher=[[国土交通省]]航空局 |accessdate=2019-02-24}}</ref> |- !rowspan="2" style="background:#fc9"|[[空港]] !rowspan="2" style="background:#f96"|旅客合計 !colspan="3" style="background:#a4aaf9"|国内線 !colspan="2" style="background:#ccf"|国際線 |-style="text-align:center" |style="background:#ccc"|旅客数 |colspan="2" | 定期便 |style="background:#ccc"|旅客数 | 定期便 |- |rowspan="2" style="text-align:center;background:#fff"|[[那覇空港|那覇]] |rowspan="2" style="text-align:right;background:#ffc"|21,161,683人 |rowspan="2" style="text-align:right"|17,524,761人 |span style="font-size:80%;"|[[本土|県外]] |span style="font-size:80%; width:12em"|[[新千歳空港|新千歳]]・[[仙台空港|仙台]]・[[百里飛行場|茨城]]・'''[[東京国際空港|羽田]]'''・'''[[成田国際空港|成田]]'''・([[新潟空港|新潟]])・[[小松飛行場|小松]]・[[静岡空港|静岡]]・'''[[中部国際空港|中部]]'''・'''[[大阪国際空港|伊丹]]'''・'''[[関西国際空港|関西]]'''・'''[[神戸空港|神戸]]'''・[[岡山空港|岡山]]・[[広島空港|広島]]・[[岩国飛行場|岩国]]・[[高松空港|高松]]・[[松山空港|松山]]・[[高知空港|高知]]・[[北九州空港|北九州]]・[[福岡空港|福岡]]・[[熊本空港|熊本]]・[[長崎空港|長崎]]・[[宮崎空港|宮崎]]・[[鹿児島空港|鹿児島]]・[[奄美空港|奄美]]・[[徳之島空港|徳之島]]・[[沖永良部空港|沖永良部]]・[[与論空港|与論]] |rowspan="2" style="text-align:right"|3,636,922人 |rowspan="2" style="font-size:80%; width:12em"|[[仁川国際空港|ソウル]]・[[金海国際空港|釜山]]・[[大邱国際空港|大邱]]・[[北京首都国際空港|北京]]・[[上海浦東国際空港|上海]]・[[天津浜海国際空港|天津]]・[[杭州蕭山国際空港|杭州]]・[[南京禄口国際空港|南京]]・[[香港国際空港|香港]]・[[台湾桃園国際空港|台北]]・[[台中国際空港|台中]]・[[高雄国際空港|高雄]]・[[スワンナプーム国際空港|バンコク]]・[[シンガポール・チャンギ国際空港|シンガポール]] |- |style="font-size:80%;"|県内 |style="font-size:80%;"|[[北大東空港|北大東]]・[[南大東空港|南大東]]・[[久米島空港|久米島]]・[[宮古空港|宮古]]・[[新石垣空港|石垣]]・[[与那国空港|与那国]] |- | rowspan="2" style="text-align:center" | [[新石垣空港|石垣]] |rowspan="2" style="text-align:right;background:#ffc"|2,497,171人 |rowspan="2" style="text-align:right"|2,411,480人 |style="font-size:80%;"|県外 |style="font-size:80%;"|'''羽田'''・'''成田'''・'''関西'''・'''中部'''・福岡 |rowspan="2" style="text-align:right"|85,691人 |rowspan="2" style="font-size:80%"|台北 |- |style="font-size:80%;"|県内 |style="font-size:80%;"|那覇・宮古・与那国 |- |rowspan="2" style="text-align:center"|[[宮古空港|宮古]] |rowspan="2" style="text-align:right;background:#ffc"|1,700,590人 |rowspan="2" style="text-align:right"|1,699,901人 |style="font-size:80%;"|県外 |style="font-size:80%;"|'''羽田'''・'''関西'''・'''中部'''・(福岡) |rowspan="2" style="text-align:right"|689人 |rowspan="2"| - |- |style="font-size:80%;"|県内 |style="font-size:80%;"|那覇・石垣・[[多良間空港|多良間]] |- |rowspan="2" style="text-align:center"|[[久米島空港|久米島]] |rowspan="2" style="text-align:right;background:#ffc"|258,640人 |rowspan="2" style="text-align:right"|258,640人 |style="font-size:80%;"|県外 |style="font-size:80%;"|('''羽田''') |rowspan="2" style="text-align:right"|0人 |rowspan="2"| - |- |style="font-size:80%;"|県内 |style="font-size:80%;"|那覇 |- |style="text-align:center"|[[与那国空港|与那国]] |style="text-align:right;background:#ffc"|105,302人 |style="text-align:right"|105,302人 |style="font-size:80%;"|県内 |style="font-size:80%;"|那覇・石垣 |style="text-align:right"|0人 | - |- | style="text-align:center;"|[[南大東空港|南大東]] |style="text-align:right;background:#ffc"|48,418人 |style="text-align:right"|48,418人 |style="font-size:80%;"|県内 |style="font-size:80%;"|那覇・北大東 |style="text-align:right"|0人 | - |- |style="text-align:center"|[[多良間空港|多良間]] |style="text-align:right;background:#ffc"|45,186人 |style="text-align:right"|45,186人 |style="font-size: 80%;"|県内 |style="font-size:80%;"|宮古 |style="text-align:right"|0人 | - |- |style="text-align:center"|[[北大東空港|北大東]] |style="text-align:right;background:#ffc"|19,303人 |style="text-align:right"|19,303人 |style="font-size:80%;"|県内 |style="font-size:80%;"|那覇・南大東 |style="text-align:right"|0人 | - |- |style="text-align:center"|[[粟国空港|粟国]] |style="text-align:right;background:#ffc"|3,794人 |style="text-align:right"|3,794人 |style="font-size:80%;"|県内 |style="font-size:80%;"|那覇 |style="text-align:right"|0人 | - |- |style="text-align:center"|[[慶良間空港|慶良間]] |style="text-align:right;background:#ffc"|490人 |style="text-align:right"|490人 |style="font-size:80%;"| - |style="font-size:80%;"| - |style="text-align:right"|0人 | - |- |style="text-align:center"|[[伊江島空港|伊江島]] |style="text-align:right;background:#ffc"|0人 |style="text-align:right"|0人 |style="font-size:80%;"| - |style="font-size:80%;"| - |style="text-align:right"|0人 | - |- |style="text-align:center"|[[下地島空港|下地島]] |style="text-align:right; background:#ffc"|0人 |style="text-align:right"|0人 |style="font-size: 80%;"| - |style="font-size: 80%;"| - |style="text-align:right"|0人 | - |- |style="text-align:center"|[[波照間空港|波照間]] |style="text-align:right;background:#ffc"|0人 |style="text-align:right"|0人 |style="font-size:80%;"| - |style="font-size:80%;"| - |style="text-align:right"|0人 | - |} * 就航先は[[2019年]]1月1日現在 * [[チャーター便]]の旅客数含む * 括弧は通年運航ではない(季節運航もしくは運休期間がある)路線を示す * [[三大都市圏]]への航空路は'''太字'''で表記 === 鉄道路線 === {{Main|沖縄県の鉄道}} [[ファイル:Okinawa City Monorail.jpg|thumb|right|[[沖縄都市モノレール線]]]] 大正時代、沖縄本島に[[沖縄県営鉄道]]、[[沖縄電気]]([[路面電車]])、[[沖縄軌道]]、[[糸満馬車軌道]]が相次いで開業したが、沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道はバスの台頭により太平洋戦争以前の1930年代に廃止され、残った沖縄県営鉄道と沖縄軌道も[[沖縄戦]]で破壊され消滅した。戦後は長らく鉄道路線が存在しなかったが、2003年(平成15年)に[[沖縄都市モノレール線]](ゆいレール)那覇空港 - 首里間が開業した。ゆいレールは2019年10月には首里から[[浦添市]]の[[てだこ浦西駅|てだこ浦西]]まで延長され、那覇空港 - てだこ浦西間17.0kmの路線となっている。 2013年現在、2006年(平成18年)に明らかになった那覇 - 名護間に鉄道を建設する[[沖縄鉄軌道]]構想は、建設費を政府が一部(または全部)負担することを除き、建設や運営の主体や手法などについて調査、検討段階にある<ref>{{Cite news |title=政府、沖縄鉄道構想の支援を検討 普天間跡地に駅 |newspaper=[[産経新聞|MSN産経ニュース]] |agency=産業経済新聞社 |date=2013-08-21 |author= |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130821/plc13082101370001-n1.htm |accessdate= }}</ref>。また[[南大東村]]では、観光客の増加を図ることが目的に、1983年までサトウキビを運搬するために島内を運行していた鉄道「シュガートレイン」の復活を計画している<ref>{{Cite news |title=南大東村が鉄道“シュガートレイン”の復活を計画 |newspaper=琉球新報 |date=2013-09-22 |author= |url=http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-212834-storytopic-5.html |accessdate= }}</ref>。 全都道府県の中で唯一、[[JR]]各社の路線が敷設されていない。これは歴史上でも[[樺太庁|樺太]]を含む[[内地]]48都庁府県で唯一、国有の交通機関が存在したことがなく、[[鉄道小荷物]]については[[琉球海運]]などとの連絡運輸により取り扱いが行われていた<ref>[http://www.geocities.jp/kikuuj/zatugaku/chiri-zatu1.htm 沖縄地理雑学](同リンク中では「国鉄那覇港駅」と紹介されているが、正確には国鉄と連絡運輸を行っていた[[琉球海運]]の駅である)</ref>。なお、かつては那覇市に[[九州旅客鉄道]](JR九州)[[九州旅客鉄道沖縄支店|沖縄支店]]が設置されていたが、2017年3月17日をもって閉店したためJRの営業拠点が全く存在しなくなった。 このほか、[[鉄道事業法]]に準拠する[[索道]]としては2016年4月1日に宮古島のシギラリゾート内にリフトが設置されている<ref>[http://www.unimat.co.jp/news/647 沖縄初のペアリフト「ザ シギラリフト オーシャンスカイ」] - [[ユニマットホールディング|ユニマットグループ]]、2016年4月6日</ref><ref>{{PDFlink|[http://ogb.go.jp/okiunyu/info/260822-2.pdf 沖縄県初の索道事業を認可]}} - 内閣府[[沖縄総合事務局]]、2014年8月22日</ref>。 沖縄県には陸続きで接する都道府県がなく、他県につながる海底トンネルや橋もないため、沖縄県では全国47都道府県で唯一、他県につながる鉄道路線が一つもない。 === バス === 沖縄本島では那覇市・浦添市内の[[沖縄都市モノレール]](ゆいレール)以外に鉄道がないため、都市内および都市間を結ぶ交通機関として、島内各地にバス路線網が展開されている<ref>バス事業者の一覧については、{{PDFlink|[http://ogb.go.jp/okiunyu/survey/H19unyuyoran.pdf 沖縄総合事務局運輸部 平成19年度運輸要覧]}} より抜粋。</ref>。また、石垣島や宮古島でも島内の交通機関としてバス路線網がある。 ほかに、島の港、空港、中心集落や観光地を結ぶ交通手段として、小規模な路線バスの運行が行われている島も多い。 また、沖縄県は、前述のとおり日本で唯一、[[国鉄バス]]と後身の[[JRバス]]の定期旅客営業路線が歴史上において存在したことのない都道府県である。 ; 一般乗合・一般貸切兼業 {{col| * 沖縄本島 ** [[琉球バス交通]] ** [[沖縄バス]] ** [[那覇バス]] ** [[東陽バス]] ** [[カリー観光]](八重山諸島でも同業を展開) ** やんばる急行バス ** 沖縄エアポートシャトル ** [[中央交通 (沖縄県)|中央交通]](沖縄本島では一般貸切専業、宮古諸島でのみ兼業。) | * 宮古諸島 ** [[宮古協栄バス]] ** [[八千代バス・タクシー]] ** [[共和バス]] | * 八重山諸島 ** [[東運輸]] ** [[西表島交通]] }} ; 一般貸切専業 {{col| * 沖縄本島 ** [[中部観光バス]] ** 大東交通 ** ワールドトランス ** 平安座総合開発 ** 沖宮観光バス ** 結 ** サクシードプランニング ** 美ら島 ** 國和第一ハイヤー ** 翔陽 ** 沖縄南観光 | ** ハイウエイ沖縄 ** 太陽交通 ** [[カリー観光]] ** ロケーションファースト ** アンドインディー ** フジさくら観光 ** Island Limousines ** タワダロケーションサービス ** ダイトウ ** 沖縄ツーリスト | * 伊江島 ** [[伊江島観光バス]] * 久米島 ** 久米島交通 * 八重山諸島 ** [[平田観光]] ** かびら観光交通 ** [[竹富島交通]] ** [[コハマ交通]] ** ちゅら島交通 ** いりおもて観光 ** [[最西端観光]] }} ; 特定 * 沖縄本島 ** 那覇空港グランドサービス ** [[那覇バス]]<!--那覇空港にてスカイマークのランプバスを運行。--> * 八重山諸島 ** [[東運輸]] ** かびら観光交通 === 道路 === * 本土復帰後、[[1978年]](昭和53年)[[7月29日]]までは、車輌は右側通行だった。''※ [[730 (交通)]]も参照。'' * 沖縄本島、特に[[那覇都市圏]]では[[渋滞]]が激しく、県内の1km当たりの渋滞損失額は[[三大都市圏]]の都府県に次いで大きい<ref>[http://www.mlit.go.jp/road/ir/data/jutai/juni-hyo/itiran.html 都道府県別1km当たり渋滞損失額(国土交通省)]</ref>。 * 他の都道府県と比べ県の特性上、レンタカーを示す「わ」ナンバーや「れ」ナンバー、米軍関係者の使用車であることを示す「Y」ナンバーや「A」ナンバーの車が非常に多い。 * 県の自動車保有台数は約100万台である。 ; 高速道路 * [[沖縄自動車道]] * [[那覇空港自動車道]] ; 一般国道 * [[国道58号]] * [[国道329号]] * [[国道330号]] * [[国道331号]] * [[国道332号]] * [[国道390号]] * [[国道449号]] * [[国道505号]] * [[国道506号]] * [[国道507号]] ; 県道 {{Main|沖縄県の県道一覧}} === 港湾 === 航空機を使うまでもない近接離島間の移動には、船舶が広く利用されている。 ; [[重要港湾]] * [[那覇港]] * [[運天港]] * 金武湾港 * 中城湾港 * [[平良港]] * [[石垣港]] == 生活 == === 警察 === * [[沖縄県警察]] === 医療・福祉 === {{main|Category:沖縄県の医療機関}} ; [[災害拠点病院]] * [[沖縄県災害拠点病院]] ; [[保育所]] * [[沖縄県保育所一覧]] === 教育 === [[ファイル:University of the Ryukyus in 1960s.JPG|thumb|right|[[1960年代]]の琉球大学。開学当初から[[1980年代]]前半まで、のちに復元された[[首里城]]跡に位置していた。]] 2007年度より開始された小学6年生および中学3年生を対象にした[[全国学力・学習状況調査]]では、2011年度、沖縄県は全ての科目で最下位<ref>{{Cite news |url = http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-195444-storytopic-11.html |title = 学力テスト最下位 学びの環境づくりが重要 |newspaper = 琉球新報 |date = 2012-08-10 |accessdate = 2012-10-08 }}</ref> となったが、2014年度の調査では沖縄県は小学6年生算数で全国2位となった。 ; [[大学]] [[国立大学|国立]] * [[琉球大学]](本部は[[西原町]]であるが、キャンパスの敷地は西原町、[[中城村]]及び[[宜野湾市]]の3[[市町村]]にまたがっている) <!--バグ回避用--> [[公立大学|公立]] * [[沖縄県立看護大学]]([[那覇市]]) * [[沖縄県立芸術大学]](那覇市) * [[名桜大学]]([[名護市]]。[[1994年]](平成6年)の開学から[[2010年]](平成22年)3月まで私立大学であった) <!--バグ回避用--> [[私立大学|私立]] * [[沖縄大学]](那覇市) * [[沖縄国際大学]]([[宜野湾市]]) * [[沖縄キリスト教学院大学]](西原町) * [[沖縄科学技術大学院大学]]([[国頭郡]][[恩納村]]。2011年設立) ; [[短期大学]] * [[沖縄女子短期大学]](与那原町) 私立 * [[沖縄キリスト教短期大学]](西原町) ; [[通信制大学]] 私立 * [[放送大学]] 沖縄学習センター(西原町) ; [[高等専門学校]] [[国立高等専門学校機構|国立]] * [[沖縄工業高等専門学校]](名護市) ; [[特別支援学校]] * [[沖縄県特別支援学校一覧]] ; [[専修学校]] * [[沖縄県専修学校一覧]] ; [[高等学校]] * [[沖縄県高等学校一覧]] ; [[中学校]] * [[沖縄県中学校一覧]] ; [[小学校]] * [[沖縄県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] * [[沖縄県幼稚園一覧]] ; [[外国人学校]] * [[沖縄県英語学校一覧]] ; その他教育機関 ; [[農業大学校]] * [[沖縄県立農業大学校]] ; [[職業能力開発大学校]] * [[沖縄職業能力開発大学校]] === マスメディア === ==== 新聞 ==== 2大[[地方紙#県紙|県紙]]のシェアが合わせて約7割弱に達し、[[全国紙]](一般紙)は下記の事情もあり、他県と比べシェアが極めて低い<ref>[http://adv.yomiuri.co.jp/yomiuri/busu/busu09.html 読売新聞広告ガイド] 2010年下半期の県別平均販売部数(2011年9月5日閲覧)</ref>。また、[[先島諸島]]では独自の[[地方紙#地域紙(地域新聞)|地域紙]]が発行されている。 ; 県紙 * [[沖縄タイムス]] * [[琉球新報]] ; 先島諸島の地域紙 * [[宮古毎日新聞]]、[[宮古新報]]([[宮古列島]]) * [[八重山毎日新聞]]、[[八重山日報]]{{refnest|group="注釈"|八重山日報は[[2017年]]4月1日に沖縄本島で沖縄本島版の発行と朝刊配達を開始したが、2019年2月末を以て八重山版と統合するとともに配達を中止して郵送に切り替えた<ref>{{Cite press release|和書 | url = http://www.yaeyama-nippo.co.jp/archives/news/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%9C%AC%E5%B3%B6%E7%89%88-%E6%9C%9D%E5%88%8A%E9%85%8D%E9%81%94%E4%B8%AD%E6%AD%A2%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B | title = 沖縄本島版 朝刊配達中止のお知らせ | publisher = 八重山日報 | date = 2019-02-01}}</ref>。}}([[八重山列島]]) ; 地方紙その他 [[西日本新聞]]も沖縄県の官公庁や図書館、および九州に本社を置く企業・法人の出先機関(沖縄支店など)に向けた事実上の「業務用」として新聞を発行していたが、[[2009年]](平成21年)に発行を停止した。同新聞は[[1967年]](昭和42年)-[[1977年]](昭和52年)と[[2000年]](平成12年)-2009年(平成21年)に那覇支局を設けていた。 ; 全国紙 [[読売新聞]]、[[毎日新聞]]、[[朝日新聞]]、[[日本経済新聞]]、[[産経新聞]]の各社が県に総局・支局を設置している。[[2008年]](平成20年)[[11月1日]]より日経が琉球新報社への委託による現地印刷を開始し、[[全国紙]]では唯一、朝夕刊(2018年1月からは朝刊のみで、夕刊は廃止した。)とも地元紙と同時に配達を行っている。なお、読売、毎日、朝日は東京本社版および西部本社版を、産経と、[[世界日報 (日本)|世界日報]]<ref group="注釈">[[大韓民国]]の「[[家庭連合]]」(世界平和統一家庭連合=旧統一教会)系[[世界日報|全国紙]]の日本語版。</ref>は東京本社版を取り扱う販売店が存在する。<!--沖タイの購読者は「朝日新聞デジタル」の提携新聞コースで紙面ビューアを利用して読むことも可能。-->これらの一般紙はいずれも発行地より空輸されるため、配達は当日の午後にずれ込む(<!--本土新聞事業開発(社名の通り、県内での本土新聞の販売を引き受ける専門の会社)の各販売店が、-->前日の夕刊<!--現地が月曜日および休日の翌日など(前日が「夕刊不発行日」)の場合を除く。-->と同時配達)。また先島諸島や[[大東諸島]]については、全国紙だけでなく地方県域新聞2紙も印刷後空輸や船便で配送されるため、本島などから比べて朝刊の配達が遅れてしまう。 ; スポーツ紙 [[スポーツ新聞]]は、[[日刊スポーツ]]と[[スポーツニッポン]]([[新報スポニチ]])が県で現地印刷を行っているが、両紙とも[[本州]]などで発行される新聞とは異なり、10〜12ページで発行されている(沖縄県には<!--ウインズ(競馬)やボートピア(競艇)・サテライト(競輪)などの場外売り場を含め-->[[公営競技]]の施設がないため公営競技面は掲載されていないほか、[[番組表]]も非掲載)。なお、那覇空港内や那覇市内の一部のコンビニでは、東京本社版の各紙が発行日当日に空輸され販売されているが、価格は定価より<!--事実上の送料(航空貨物運賃相当)にあたる-->50円上乗せした180円となっている。 ==== 放送局 ==== デジタルテレビの親局送信所は、NHKと沖縄テレビが豊見城市高安に共用し、RBCとQABは1kmほど離れた豊見城市嘉数に共用している。NHK-FMの親局とRBCのFM補完放送のメイン中継局は、それぞれ兼営するデジタルテレビ送信所に設置。単独局のFM沖縄は南風原町の新川に単独で、ラジオ沖縄のFM補完放送のメイン中継局はそこに近接する[[おきなわTOWER]]に設置されている。 * [[NHK沖縄放送局]] - 旧[[沖縄放送協会]] * [[琉球放送]] (RBC)(テレビ:[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]] ラジオ:[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]) **通常時終夜放送実施局 * [[沖縄テレビ放送]] (OTV) ([[フジニュースネットワーク|FNN]]/[[フジネットワーク|FNS]]) * [[琉球朝日放送]] (QAB) ([[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]) **一部業務を琉球放送に委託 **通常時終夜放送実施局 * [[ラジオ沖縄]] (ROK) ([[全国ラジオネットワーク|NRN]]) * [[エフエム沖縄]] ([[全国FM放送協議会|JFN]]) * [[AFN]] - 在日米軍放送。本州や長崎県にある各局と違い、中波 (AM) ラジオだけでなくテレビおよびFMラジオでも番組を制作し放送している。 ===== テレビ放送における特記事項 ===== ; 先島諸島・大東諸島における特記事項 : [[大東諸島]]では長らく県内のテレビ放送が受信できなかったため、アナログ放送では[[関東地方|関東広域圏]]を放送対象とするテレビ局のうち[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[テレビ東京]]を除く各局の放送を、[[小笠原諸島]]向けに送信されている衛星回線を使用し中継していた(このほか、[[NHK衛星第1テレビジョン|NHK衛星第1]]・[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK衛星第2]]テレビも地上波で中継)。なお、県内の話題については電話回線を利用した字幕情報が必要に応じて挿入されていた。その後、[[2011年]](平成23年)初頭から敷設工事が進められた海底光ケーブルで送られてくる信号で沖縄本島からのテレビ放送波を送ることができるようになり、同年7月のNHK沖縄放送局・民放各局のデジタル中継局の開局によって、RBC は本島のテレビ放送開始から51年、OTV は本島の開局から52年、QAB は本島の開局から16年でようやく視聴可能になった(詳細は[[大東諸島#テレビ放送]]を参照)。 : [[先島諸島]]に関しても、テレビ放送の開始当初は先発3社4局(NHK・民放2チャンネルずつ)の中継局が整備されておらず、那覇本局からの電波を直接受信、ないしはケーブルテレビの中継回線を介した受信も技術的に不可能であったので、[[1993年]][[12月]]の中継局開設までは在那地上波の受信が全くできなかった。そのため、[[宮古テレビ]]、[[石垣ケーブルテレビ]]の自主放送で、在那局、及び三大都市圏のいわゆる[[キー局]]などからの[[番組販売]]を独自に購入した番組をネットするという状態が続いた。 : なお、琉球朝日放送 (QAB) は、[[1995年]]に開局後も先島諸島での中継局が整備されなかったため、宮古・石垣では引き続きケーブルテレビの自主放送により[[テレビ朝日]]の番組を時差放送していたが、[[2009年]](平成21年)10月21日にデジタル新局として QAB の中継局が設置され、本島の開局から14年でようやく視聴可能になった。これに伴い、宮古・石垣のケーブルテレビにおいても、中継局非設置の代替として、[[デジアナ変換]]<ref group="注釈">宮古・石垣のケーブルテレビでは先発3社・4局もアナログ放送を配信していたが、4:3の通常画質だったそれらとは異なりQABははじめから[[レターボックス (映像技術)|レターボックス16:9]]を使っていた。</ref>による補完再放送を行っていた。 ; ネットワーク系列局の空白 : 県内には、日本テレビ・テレビ東京両系列の放送局が置かれていない(佐賀県と並び、クロスネット局を含めた日本テレビ系列が放送対象地域外となっている都道府県でもある)が、これらの系列各局により制作された番組の一部は県内の他系列に属する放送局で、ローカル枠で放送されている他、OTVでは、日本テレビ系列が主催する毎年夏放送の『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]』、『[[全国高等学校クイズ選手権|高校生クイズ]]』および[[年末年始]]の『[[全国高等学校サッカー選手権大会]]』の中継(沖縄県大会および全国大会の沖縄県代表絡みの試合)にも参加している他、日本テレビ系が放送権を獲得した[[FIFAワールドカップ]]の[[サッカー日本代表|日本代表]]戦や[[夏季オリンピック]]の[[マラソン|女子マラソン]]競技の中継の沖縄県でのネットを担当する。(放送時間がフジテレビ系列の全国放送番組の時間帯に被った場合、その番組については臨時にネット返上するか後日振替放送を行う。) : 日本テレビでは、系列局のない県内におけるニュース取材を行う目的で[[日本テレビ那覇支局]]を設置している。なお、同局系列の放送局については1990年代に[[南西放送]]が開局予定だったが実現しなかった。 ; 他県と隔絶しているゆえの事象 : 県内の全ての[[ケーブルテレビ局]]では、アナログ・デジタルとも地形や技術上などの問題もあり、[[区域外再放送|県外民放の再配信]]は一切行われていなかったが、2019年8月1日からは[[沖縄ケーブルネットワーク]]の自主放送「テレビにらい」で、2022年10月1日からは宮古テレビの自主放送で、[[鹿児島讀賣テレビ|鹿児島読売テレビ]](日本テレビ系列)の一部番組のネットを開始した。2020年10月3日から「日テレ系ライブ配信」(現・[[日テレ系リアルタイム配信]])で時間帯限定であるが日本テレビ系列の番組が視聴可能になる<ref>{{Cite web|和書|title=【日本テレビ・読売テレビ・中京テレビ】TVerで地上波プライムタイムのライブ配信にトライアル10月3日(土)よる7時スタート!|url=https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/20200917.html|website=日本テレビ放送網株式会社・讀賣テレビ放送株式会社・中京テレビ放送株式会社|accessdate=2020-09-21|publisher=|date=2020-09-17}}</ref>。また[[琉球新報]]・[[沖縄タイムス]]の[[番組表]]も鹿児島県を含めた県外民放はラジオを含め一切掲載されていない<ref group="注釈">以前は他地域での経営上の理由(ケーブルテレビ局側における設備上のコストや県内既存局の圧力)などで再送信されなかったケースもたびたびあったが本土の県庁所在地の中心部のケーブルテレビ局は4大系列とも再送信されることが一般的である。なお2紙では県内の主要ケーブルテレビの独自チャンネルの番組表を掲載しているため、前記鹿児島読売テレビを一部再送信している「テレビにらい」の番組表は掲載されている</ref>。 ===== AMラジオ局について ===== * [[沖縄本島]]北部、[[先島諸島]]および大東諸島では夜間〜早朝を中心に近隣国の混信をまともに受けやすいため、[[FM補完中継局|FM電波を使って]]中継放送が行われている。 * FM沖縄は[[1984年]]に転換するまではAMラジオ局[[極東放送 (沖縄)|極東放送]]として放送されていた。 * 沖縄返還後もしばらく民間放送による英語放送が続けられ、琉球放送による放送([[KSBK]]→返還時にJORO)が[[1973年]]まで、Far East Broadcasting Company(アメリカ法人。日本語放送は1972年12月に上記極東放送へ引き継ぎ)による放送が[[1977年]]まで続けられた。 ===== FMラジオ局について ===== * FM沖縄は、現在先島諸島の多良間島以南、大東諸島では中継局がないため直接受信不可<ref group="注釈">2019年1月に伊良部島に中継局が開局し、宮古島とその周辺の離島ではFM沖縄が受信可能になった。</ref>。NHK-FM は現在大東諸島では中継局がないため直接受信不可である<ref group="注釈">ただし、NHK-FM は[[2011年]](平成23年)9月からラジオ第1・第2とともにインターネットを通じた同時配信により聴取可能となったが、すべて東京からの放送となるため本来の沖縄県域および九州・沖縄ブロックの番組と権利上の理由で同時配信されない番組がある場合は中継局が整備されない限り聴取不可。なお、2012年度に[[東京都]][[小笠原諸島]]の父島・母島両中継局が開設されたが、大東諸島では依然として開局のめどが立たず、全国で唯一 NHK-FM のラジオ放送による直接受信ができない地域となった。なお、後述のインターネットラジオの配信サービス(radiko・らじるらじる)で聴取可能であるが、条件や特記事項がある</ref>。 * また[[コミュニティ放送局|コミュニティFM局]]は県下全ての市にあり、2020年8月現在で計19局が放送を行う<ref group="注釈">沖縄本島に16局(那覇市・沖縄市・宜野湾市に2局、浦添市・豊見城市・糸満市・南城市・うるま市・名護市・与那原町・北谷町・本部町・読谷村に1局)、久米島(久米島町)・宮古島(宮古島市)・石垣島(石垣市)にそれぞれ1局設置。</ref>。 ===== インターネットラジオでの再放送 ===== * [[radiko]]では、沖縄県内の無料配信、及びそれ以外の県での有料会員制「radiko.jpプレミアム(エリアフリー聴取)」のサービスでは、RBC iラジオ、ラジオ沖縄、FM沖縄を配信している。 * [[NHKネットラジオ らじる★らじる]]では、東京・名古屋・大阪・札幌・福岡・仙台・広島・松山の各放送局の県域放送を選択してラジオ第1・2、FMが聴取できるが、沖縄県の県域ローカル放送は選択できないため同アプリでは聴取できない(2018年からradikoでも提供しているが、ラジオ第1は福岡局、FMは東京本部局のみ聴取可能。タイムフリー聴取不可=番組ごとの聞き逃し配信サービスは一部を除きらじるらじるにて聴取可能)。 ===== コールサインについて ===== [[アメリカ合衆国]]の施政権下では '''KSxx''' を用いていたが、本土復帰([[1972年]](昭和47年))以降は '''JOxx''' を用いている。 ==== ケーブルテレビ ==== * [[:Category:沖縄県のケーブルテレビ局|沖縄県のケーブルテレビ局]]を参照。なお[[大東諸島]]にはケーブルテレビ局が現状{{いつ|date=2015年1月}}ない。 == 文化・スポーツ == [[琉球王国]]成立以前から[[日本]][[本土]]の影響を受けつつ、[[中国大陸]]や[[東アジア]]の文化も受け入れ、混ざり合う[[文化 (代表的なトピック)|文化]]を築き上げてきた<ref>[http://rca.open.ed.jp/city-2000/outline/index.html 琉球文化の概要 琉球文化アーカイブ]</ref>。また[[太平洋戦争]]後から[[沖縄返還]]に至るまで、長期間[[アメリカによる沖縄統治|米軍に統治]]されていたため、[[アメリカ合衆国]]の文化も多岐にわたって浸透している。 === 宗教 === [[ファイル:Sefautaki.jpg|right|thumb|upright|[[斎場御嶽]]([[南城市]])]] {{Main|琉球神道|琉球における信仰}} [[アニミズム]]を基本としており、日本本土の[[神道]]の原形([[古神道]])に近いと言われる。[[琉球神道]]とも言われ、県外の[[神社]]に当たるものとして[[御嶽 (宗教)|御嶽]]がある。また、[[祖先崇拝]]の風も強く残る。 [[仏教]]は、王族や一部の上層階級が信仰するのみで、一般の農民にはほとんど浸透しておらず、[[葬式]]の儀礼の一部に用いられるにとどまった。現在でも仏教信徒(檀家)の数は、県外に比べると極端に少ない。近年葬儀は一応仏式で行われるようになったが、県外のように宗派別の僧侶ではなく、無宗派の僧によって執り行われる場合が多い。また、僧とは別に[[ユタ]]を呼ぶ事例もある。 [[墓]]は、自然のほら穴などを使った岩陰墓や崖を掘り込んだ掘込墓から、中国の影響を受けた[[亀甲墓]]へと変わり、現在では[[破風墓]]が一般的である。また、遺骨の処理方法も[[風葬]]や[[洗骨]]をする独特の風習があったが、近年では保健所などの指導や婦人運動の結果、多くの地域で[[火葬]]が実施されるようになった。 {{要出典範囲|date=2021年1月|戦後は、米軍の影響で[[キリスト教]]信仰も盛んである。その多くは[[プロテスタント]]派に属する。県内には約210か所の[[教会 (キリスト教)|キリスト教会]]が存在し、全国で最もクリスチャン人口の比率が高い。}} === 言語・方言 === {{Main|琉球語|ウチナーヤマトグチ}} 沖縄県で使われている言葉は大まかに以下の三つに区分できる。県民の中でも、[[団塊の世代]]より後に生まれた世代では、共通語化が著しく、[[平成]]以降(特に[[2000年]]以降)に生まれた世代になると、琉球語だけでなく沖縄弁(ウチナーヤマトグチ)でさえも衰退が著しいが、特別な保護政策などはとられていない。 * [[琉球語]] - 日本政府の立場としては、日本語の方言である琉球方言として扱われることが多いものの、[[ユネスコ]]などの国際機関の間では日本語とは異なる[[日琉語族]]に属した独立した言語であるとされる。伝統的な沖縄の言語であるが、日常的な使用はほぼ高齢者層に限られる。明治から昭和中期まで[[方言札]]を使った強力な標準語普及運動が推進されたことに加え、本土復帰運動や戦後のマスメディアや学校教育の発展に伴いそれらを通じて、[[琉球語]]を軽視する反面、[[標準語]]に接する機会が圧倒的に増えたため、琉球語が使われることは非常に少なくなっている。特に平成以降に生まれた世代では大半が理解することすら難しいほど衰退している。おおまかに、[[沖永良部与論沖縄北部諸方言|国頭語]](国頭方言)、[[沖縄語]](沖縄方言)、[[宮古語]](宮古方言)、[[八重山語]](八重山方言)、[[与那国語]](与那国方言)に区分される。それら諸言語(諸方言)の間でもそれぞれ別言語とされることがあるほどの違いがあり、いずれもユネスコにより[[消滅危機言語の一覧|絶滅危機言語]]とされている。 * [[ウチナーヤマトグチ]] - 沖縄県民の大半が日常的に使用する言葉であり、日本語の共通語を基盤に琉球語や英語の要素を混合させた[[新方言]]とされる。沖縄弁とも言われる。しかし、ウチナーヤマトグチと言えども、平成以降に生まれた世代でも年齢が下がるほどに衰退傾向が著しい(特に2000年生まれ以降はその傾向が強い)。[[日本語の方言のアクセント|アクセント]]面で影響が残る程度となっており、語彙面では[[共通語]]や[[首都圏方言]]と差異がほとんどみられない場合も少なくない。 * [[共通語|日本語共通語]] - マスメディア・学校教育や公的機関などで使われている。昭和初期まで(概ね1930年代まで)に生まれた高齢者層では琉球語、沖縄弁、共通語との[[トライリンガル]]、戦後から昭和末期まで(概ね1940年代から1980年代まで)に生まれた世代では沖縄弁と共通語の[[二言語話者|バイリンガル]]が大半であり使い分けができる。一方、平成以降(概ね1990年代以降)の生まれの世代においては共通語(もしくは首都圏方言)とほぼ変わらない言葉を話す傾向が強く、ほぼ共通語のみのモノリンガルに近い。また年々その傾向も年齢が下がるにつれて強くなりつつある<ref>[http://www.ninjal.ac.jp/archives/jalic/group5/95.2.25p9.pdf 日本語の国際化と沖縄の言語状況] [[東京外国語大学]] [[井上史雄]]</ref>。このように、[[北日本]]や[[東日本]]の諸地域と同様、日本国内でも特に共通語化(首都圏方言化)が進みつつある地域とされており、危惧されている。 * [[英語]] - [[アメリカ合衆国による沖縄統治|アメリカの統治下にあった沖縄]]では英語が事実上{{refnest| group="注釈"|琉球政府章典や各種法令で公用語は定められていないが、琉球政府章典や各種法令には日本語、米軍からの布令布告には英語が使用されている<ref>[http://www.archives.pref.okinawa.jp 沖縄県公文書館] 参照</ref>。}}の第二[[公用語]]であった。現在でも英語教育を受けた高齢者や、復帰後に生まれた世代でも、米軍基地雇用員や米軍や兵士相手の商売をしている者や、米国人と結婚した者など英語を解す人は多い。また、前述のウチナーヤマトグチにも英語からの影響は少なからずみられる。 === 人種・民族 === {{See also|琉球民族|日本人|大和民族}} 人種的には先史時代から10世紀にかけて九州以北の本土住民が沖縄の地に移住したとされる。[[分子生物学]]の研究では、沖縄県民の遺伝的構成は、東アジア大陸部の主要集団とは異なり、日本列島人種(大和人)の遺伝的構成に近く、同じ祖先を持つことが確かめられている<ref>{{Cite news|author=[[篠田謙一]]|url=http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/dai5/5siryou.pdf|title=自然人類学から見たアイヌ民族|newspaper=|publisher=[[内閣総理大臣官邸]]|format=PDF|date=2009-02-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090414025044/http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/dai5/5siryou.pdf|archivedate=2009-04-14}}</ref><ref>{{Cite news|author=|url=http://idoushi.jp/?page_id=86|title=人類の移動誌|newspaper=|publisher=[[国立民族学博物館共同研究会]]|date=2010-09-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130514213710/http://idoushi.jp/?page_id=86|archivedate=2013-05-14}}</ref>。沖縄の地に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降であり、[[考古学]]などの研究を含めると大東諸島民を除く沖縄県民の先祖は、比較的新しい時期(10世紀から12世紀ごろ)に農耕をする人々が九州南部から沖縄の地に南下して定住したとされる<ref>{{Cite news|author=|url=http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274.html|title=ルーツ解明 沖縄に注目|newspaper=[[朝日新聞]]|publisher=|date=2010-04-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100420201708/http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274.html|archivedate=2010-04-20}}</ref><ref>{{Cite news|author=|url=http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274_01.html|title=ルーツ解明 沖縄に注目|newspaper=[[朝日新聞]]|publisher=|date=2010-04-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110629171640/http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274_01.html|archivedate=2011-06-29}}</ref>。 沖縄の地に先祖を持つ人々は、地理的、歴史的および文化的な経緯から「[[琉球民族]]」であるとする立場がある。日本政府は琉球民族を沖縄の「[[先住民族]]」とは認定していないが、2014年8月に[[人種差別撤廃委員会]]は「[[国際連合教育科学文化機関|国連教育科学文化機関]]が琉球・沖縄について特有の民族性、歴史、文化、伝統を認めている」と言う理由で「先住民族」であるとした<ref>{{Cite news|title=沖縄の民意尊重を 国連人種差別撤廃委が日本に勧告 |url=https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-230843.html |newspaper=琉球新報|| date = 2014-08-30 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20160331132405/http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-230843.html | archivedate = 2016-03-31}}</ref>。これに対して、日本政府は撤回を働きかけるとし、自民党系議員は「民族分断工作」であると反発した<ref>{{Cite news|title=国連見解「沖縄の人々は先住民族」に自民議員が猛反発「民族分断工作だ」 政府も「撤回働きかける」|url=https://www.sankei.com/article/20160427-7FA2LXXNXNOJHAYUJ7HJVNGYQA/ |newspaper=産経ニュース | date = 2016-04-27 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20220110231246/https://www.sankei.com/article/20160427-7FA2LXXNXNOJHAYUJ7HJVNGYQA/ | archivedate = 2022-01-10}}</ref>。 === 名字 === {{Main|沖縄県の名字}} 沖縄の名字の多くは、地名に由来する。琉球王国時代では、王族、士族らは現在の名字に相当する'''家名'''を名乗り、[[領地]]が変わるたびにそれも変化した。[[薩摩藩]]による侵攻以降、薩摩藩の[[政策]]と[[琉球王府]]の[[施策]]により、日本風の二字姓家名からいわゆる沖縄風の三文字姓に改名した家系が多い。琉球処分後、一般庶民にも姓を名乗ることが許され、また明治以降は琉球語読みの名字の多くは日本語読みに改まった。 === 建築 === [[ファイル:Nakamura House Kitanakagusuku01n3104.jpg|thumb|right|[[中村家住宅 (沖縄県)|中村家住宅]]([[北中城村]])]] {{See also|琉球建築}} 沖縄県の伝統的な建築技術は、主に琉球王国時代後期(近世)に発展した。多くの建造物は、建築様式や素材、技術などの面で周辺地域の建築様式(主に[[日本建築]]・中国建築)との類似点が多く見られるが、資源の状況や風土などが異なるため沖縄独自の発展が見られる。 王朝時代において、琉球士族などを中心に瓦葺きの木造建築である貫木屋(ヌチジャー)、庶民は主に穴屋(アナヤー)と呼ばれる掘立[[小屋]]に住居を構えていた。また住居以外には、[[城壁]]や[[橋梁]]などの石造建築物に[[琉球石灰岩]]が多く使用されたが、沖縄戦により失われた建築物も多い。戦争により多くの木造住宅だけでなく山林が消失し、大量の職人と資材が失われ、復興をアメリカ軍が主導するかたちで[[ツーバイフォー]]構造の建物が多く建てられた。 現在では、台風やシロアリに強い[[鉄筋コンクリート構造]]に給水タンク(大きな河川がなく幾度と[[水不足]]を経験したため)を設置した住宅が一般的になっている<ref>[http://www-edu.pref.okinawa.jp/bunka/jp_okinawa/jpn54.htm 沖縄県教育委員会 沖縄の歴史と文化]</ref><ref>[http://rca.open.ed.jp/city-2000/house/index.html 沖縄の住まい]</ref>。 在日米軍の軍人軍属およびその家族が居住する目的で基地外に建築された[[米軍住宅|外人住宅]]も多数存在しており、県外の基地縮小とは裏腹に復帰後も戸数は拡大していった。増加する米軍人員を収容するための住宅需要が高まり、民間投資によるアメリカ人向けの大規模な土地造成と住宅地建築が行われた。現在も宜野湾市、北中城村、沖縄市、うるま市、北谷町などに「外人住宅街」が存在し、独特の街並みを形成している。 * [[重要伝統的建造物群保存地区]] ** [[渡名喜島]](渡名喜村) ** [[竹富島]](竹富町) === 伝統工芸 === {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#沖縄県}} ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] {{div col}} * [[久米島紬]](織物、[[1975年]]) * [[宮古上布]](織物、1975年) * 読谷山花織(織物、[[1976年]]) * [[ミンサー織り|読谷山ミンサー]](織物、1976年) * 琉球絣(織物、[[1983年]]) * 首里織(織物、1983年) * 与那国織(織物、[[1987年]]) * [[喜如嘉の芭蕉布]](織物、[[1988年]]) * [[八重山ミンサー]](織物、[[1989年]]) * [[八重山上布]](織物、1989年) * [[紅型|琉球びんがた]](染色品、[[1984年]]) * [[壺屋焼]](陶磁器、1976年) * [[琉球漆器]](漆器、[[1986年]]) * 知花花織(織物、[[2012年]]) {{div col end}} === 芸能など === {{See also|沖縄音楽|琉球古典音楽}} [[エイサー]]は[[浄土宗]]の[[念仏]]が基となり形成された伝統芸能であり、近年では宗教色のない[[創作エイサー]]へも発展している。 アメリカ統治時代に、[[コザ市]](現[[沖縄市]])では、[[朝鮮戦争]]や[[ベトナム戦争]]に明け暮れた米軍人向けにクラブやライブハウスが流行し、多数のハードロックミュージシャン達が活躍した。戦争の終結、[[米ドル]]の相対価値の下落、[[Aサイン]]バーの閉鎖など、環境の変化に伴い衰えたものの、現在でも全国に進出して活動しているミュージシャンは多い。 現代では沖縄県出身の芸能人も盛んに活躍し、[[沖縄アクターズスクール]]の卒業生を筆頭に数多くの歌手、アイドル、タレントの輩出している。 === 衣装 === 伝統的衣装である[[琉装]]のほか、近年では[[アロハシャツ]]に似た[[かりゆしウェア]]も見られる。 戦後は収容所で生活していた住民らに米軍から放出された衣類が支給された。収容所が解体された後も耐久性や利便性から米軍放出品の衣類が利用され、現在に至るまで{{要出典|date=2020年10月}}販売されている。 === 武術 === {{Main|琉球古武術|空手道}} 以前から存在していた沖縄固有の武術「[[手 (沖縄武術)|手(ティー)]]」と、琉球王国時代に伝来した[[中国武術]]により融合して誕生したのが、[[手 (沖縄武術)|唐手]](からて、トゥーディー)であり、後の[[空手道]]に発展した<ref>[http://www.wonder-okinawa.jp/023/001/001/index.html 沖縄の伝統 空手・古武術]</ref>。戦後、空手を習得したアメリカ軍人や、日本から海外へ渡った[[空手家]]により、次第に世界へと普及した。 広義の[[琉球古武術]]は、徒手空拳術(空手)と武器術から成る。一般的に古武術は後者を指すが、空手と武器術は互いに密接な関係にある<ref>[http://www.paw.hi-ho.ne.jp/ryukyu-kbujut/index2.html 琉球古武術の歴史]</ref><ref>[http://kodenkarate.jp/ryukyukobu.html 古伝空手・琉球古武術のすすめ]</ref>。[[棒術]]、[[トンファー]]術など様々だが、中でも[[ヌンチャク]]を用いた武器術は世界的にも有名である。 === 馬術 === {{Main|琉球競馬}} 速さではなく、美しさを競う[[古式競馬]]。琉球競馬(ンマハラシー)は300-500年ほど前から行われ、明治以降は全県民的な催事となり太平洋戦争中までは[[琉球競馬]]が盛んに行われていた。 2013年から琉球競馬の復活事業として[[沖縄こどもの国]]にて行われる。 === 料理 === {{Main|沖縄料理}} 日本本土においては[[7世紀]]以降、[[稲作]]を神聖視する一方で、[[肉食]]は[[穢れ]]とみなされ、表向き禁忌とされた。しかし沖縄はこの思想がなく、早くから肉料理が発達した。中国の影響からか特に[[豚肉]]料理が伝統的に発達している。[[牛]]、[[馬]]、[[猪]]、[[鳥]]の肉を食べるが、祝いの席などで山羊の刺身、山羊汁、チーイリチーをふるまうことが多い、山羊の肉と血液を調理するチーイリチャーは、沖縄ならではのものといえる。海洋交易立国の伝統から、琉球料理には、遠い[[北海道]]産の[[コンブ|昆布]]も古くから使われる<ref>『47都道府県うんちく事典』235頁出版社-PHP文庫・執筆者-八幡和郎</ref>。 かつては国内有数の[[長寿]]地域であった理由に健康的な伝統的[[食文化]]があるのでは無いかと考えられている。他方、米軍統治時代に発展した[[ファーストフード]]や[[アメリカ料理]]も根付いており、食の欧米化も進んでいる。 [[ファイル:Awase soba by ayustety in Okinawa city.jpg|thumb|right|沖縄そば]] * [[ゴーヤーチャンプルー]] * [[沖縄そば]] * [[泡盛]] * [[アバサー]]([[ハリセンボン]]) * [[グルクン]](県魚) また、アメリカ占領時の食文化も今日に受け継がれている<ref>[http://www.wonder-okinawa.jp/026/his_8.html 終戦後のアメリカ食文化]</ref>。 * [[タコライス]] * [[ポーク玉子]] * [[コンビーフ]] * [[ハンバーガー]] * [[アイスクリーム]] * [[キャンベルスープ]] * [[スパム]] * [[ルートビア]] === 差別、圧政 === {{NPOV|date=2019年12月|section=1}} <!-- 歴史的な観点から、全体的に非常に偏った不適切な記述です。特にハンセン氏病についての項目はこのような記述が二重三重の差別を乱すものです。どなたが書かれたか存じ上げませんが、学術的な観点からは容認できません。ごっそり書き直す必要があります。 -->{{独自研究|date=2019年12月30日 (月) 06:42 (UTC)|section=1}} ==== 琉球人による差別 ==== 琉球王国時代、中山王府(琉球王国王府)の管轄下にあったニンブチャー(念仏者、チョンダラー:[[京太郎 (沖縄の芸能)|京太郎]])以外には[[被差別民]]がいなかった<ref>赤坂憲雄「沖縄に被差別民は存在したか(下)」『部落解放』554号, 2005年, p.55</ref>ため、大和の[[部落差別]]にあたるものはないものの、王族や士族と庶民(農奴)の格差が甚だしく大きい身分制度社会であった。<!-- 王府時代の身分制度の影響が、近代、現代までどのように影響を残しているのか詳述が必要 -->また都市部以外では[[シマ社会]]の旧習が今も色濃く残っており、[[男尊女卑]]や、部外者排斥の傾向が見られる。「シマ」とは「[[島嶼]]」のほかに「[[村落]]」や「分領」をも意味する。日本本土の[[ムラ社会|村社会]]に似た構図がある。 ==== 大和人による差別 ==== 日本本土ではかつて、沖縄出身者が異質な存在として差別的に扱われることが多かった。1903年には展覧会で沖縄出身の遊女を[[アイヌ]]や[[台湾原住民]]などとともに異民族として「展示」し、沖縄県民の反発を招く事件が起こった(詳細は[[人類館事件]]を参照)。大正から昭和初期にかけて沖縄から県外への出稼ぎが増加した際には、県外の言語や慣習、例えば標準語や時間感覚などに不慣れな者が多かったことなどを背景に、求人告知や商店の入口で「琉球人お断り」と但し書きされる事例があった。 ==== 在沖米軍による圧政 ==== <!-- 差別と言うよりは圧政では? -->戦後のアメリカ統治時代に、米軍は銃剣とブルドーザーによって強権的に土地を接収し、米軍兵による強盗、強姦や殺人などの事件が相次ぎ、沖縄人の間に反米感情が高まった。特に[[ポール・W・キャラウェイ]][[琉球列島高等弁務官]]時代には非常に強権的な態度で沖縄人を抑圧した([[キャラウェイ旋風]])。[[1970年]]12月には、米軍人による交通事故を発端に[[コザ暴動]]にまで発展した。 ==== 奄美出身者への差別 ==== {{See also|沖縄の奄美差別}} 地理的、文化的に近い[[奄美群島]]は、琉球王国の侵略を受け15世紀から17世紀初頭にかけて服属していたが、その琉球王国が薩摩藩の[[間接統治|間接支配]]を受け[[幕藩体制]]下に入り、明治維新から琉球処分を経て併合された後もなお、沖縄との人的交流が盛んな地域であった。しかし、[[太平洋戦争]]後のアメリカ占領軍の施政下から奄美群島が先に祖国復帰を果たすと、「日本国民」に戻った奄美出身者の公職追放、参政権剥奪、財産権の制限など基本的人権を大幅に制限する施策が、沖縄本島住民の陳情により次々と導入された。また、民間に差別感情が広まった。沖縄マスコミもこれらを煽る報道を行った。 ==== 先島諸島民への圧政 ==== {{See also|先島諸島#先島諸島の人頭税}} 琉球王国時代に服属した先島諸島に対して中山王府(琉球王国王府)は過酷な[[人頭税]]を導入し圧政を強いた。薩摩藩、および王府に加え、先島諸島の現地支配層による農民の二重搾取、強制賦役、弾圧や迫害の歴史は琉球王国の滅亡まで連綿と続き、さらに明治維新を経て琉球処分後も[[旧慣温存政策]]に基づいた現地支配層による強制的な搾取構造は20世紀まで連綿と続いた<ref name=":03">{{Cite web|和書|url=http://k-aiser.kokugakuin.ac.jp/webopac/eizaigaku0640203._?key=QVEUMF|title=琉球八重山の人頭税を吟味する|accessdate=2018-05-27|website=K-aiser 蔵書検索|publisher=[[國學院大学]]|archiveurl=https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:B09uLEqsEx0J:k-aiser.kokugakuin.ac.jp/webopac/bdyview.do%3Fbodyid%3DTC01600526%26elmid%3DBody%26lfname%3Dlink/keizaigaku0640203.pdf+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp|archivedate=2018-05-27|deadlinkdate=2018-05-27}}</ref>。薩摩や王府の権威による圧政に、王府や支配層による農民の強制移住、干魃や暴風雨による不作、さらに[[八重山地震|大津波]]などの自然災害、疫病の流行や飢饉の発生が追い打ちをかけ人口の大減少をもたらした(詳細は「[[八重山地震]]」参照)。 先島諸島の人頭税は[[1637年]]から制度化され、重税であり収穫が少ない年でも徴収され島民を苦しめたと言われる。人頭税は琉球処分後も旧琉球王国の既得権益層への懐柔のために執られた[[旧慣温存]]策により存続した。[[1893年]]([[明治]]26年)に[[中村十作]]、[[城間正安]]、平良真牛、西里蒲ら4人により、[[沖縄本島]]の官憲や士族らの妨害を乗り越えて、国会請願書が当時[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]であった[[井上馨]]に届けられた。中村の同郷([[新潟県]])の[[読売新聞]]記者である[[増田義一]]の記事で国民に周知されるところとなり、世論の後押しも受け第8回[[帝国議会]]<ref>『沖縄県宮古島島費軽減及島政改革請願書』(明治28年(1895年)第八帝國議会可決)</ref>において[[1903年]](明治36年)廃止され、日本[[本土]]と同様の[[地租]]に切り替えられた<ref>高良倉吉「人頭税」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9)</ref>。 ==== 混血児への差別 ==== {{単一の出典|date=2019年12月|section=1}} アメリカ人とアジア人、特にアジア地域へ来たアメリカ軍人と現地の女性との間にできた子どもは[[アメラジアン]]と呼ばれる。沖縄には今日でもアメリカ軍の軍人や軍属が多く居住し、多くのアメラジアンが生まれ続けているが、差別も根深い。米軍基地とテレビで目にすることが、沖縄で育ったアメラジアンが知っているアメリカ文化の全てということが多く、そういう点では一般の沖縄県民と何ら変わる面はない<ref>[http://www.jsdf.org/usmc-okinawa/1024.html 地元の子どもたちが海兵隊員と交流 - JSDF.ORG]</ref>。にもかかわらず外見でアメリカ人と決めつけられ、商店からつまみ出される、公共のプールに入れさせてもらえない<ref>[http://kangaerukai.net/173zadankai.htm 李京愛・豊住マルシア・野入直美・葉映蘭・秋辺得平・榎井縁「日本社会に暮らす『在日』と『新渡日』の思い」]『むくげ』173号, 2003年</ref>といった差別を受けている。特に[[アフリカ系アメリカ人]]との混血児に対してはその傾向が強い。慰霊の日の前後に公立校では[[反米]]的な学習が展開されるため、「[[ヤンキー]]・ゴー・ホーム」と迫害される[[いじめ]]を浴びる<ref>上里和美『アメラジアン もうひとつの沖縄』かもがわ出版, 1998年, p.28, 46</ref>。さらに、アメラジアン自身だけではなくその母親にまで、反米意識に基づく差別、偏見のまなざしが向けられている<ref>野呂浩「「アメラジアン・スクール・イン・オキナワ」一考察」『東京工芸大学紀要 人文・社会編』27巻2号, 2004年, p.28</ref>。また、アメラジアンの多くが集まっていたオキナワ・クリスチャン・スクール・インターナショナルの新校舎建設地が[[産業廃棄物|産廃]]の投棄跡であったため生徒に吐き気や皮膚炎症いった健康被害が多発した時には、沖縄県は[[ダイオキシン]]や[[ポリ塩化ビフェニル|PCB]]の検査をせずに「安全宣言」を出して済ませてしまい、結局約80名が退学する事態となった<ref>上里和美『アメラジアン もうひとつの沖縄』かもがわ出版, 1998年, p.15</ref><ref>野呂浩「「アメラジアン・スクール・イン・オキナワ」一考察」『東京工芸大学紀要 人文・社会編』27巻2号, 2004年, p.27</ref>。 ==== ハンセン病者への差別 ==== 沖縄県は[[ハンセン病]]が多く発生してきた地域であり、20世紀末には日本人の新規発症者の6割から7割を沖縄県出身者が占めている<ref>日本ハンセン病学会ハンセン病新患調査班「ハンセン病新規患者の統計解析(1993年―2000年)『日本ハンセン病学会雑誌』71巻, 2002年, p.224</ref><ref>石井則久・杉田泰之・中嶋弘「ハンセン病新患動向: 1993年から1997年まで」『日本皮膚科学会雑誌』109巻, 1999年, p.763</ref>が、沖縄社会のハンセン病に対する差別や迫害は厳しいものであった<ref>日弁連法務研究財団ハンセン病問題に関する検証会議『ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書』2005年, p.697</ref>。[[シマ社会|シマ]]ではハンセン病者(「クンチャー」と呼ばれ、これは[[乞食]]を意味する琉球方言である)を[[ガマ (洞窟)|ガマ]]、崖地、ゴミ捨て場などに隔離し、シマに戻ることを禁じる文化があった<ref>中村文哉「ハンセン病罹患者の<居場所>―沖縄社会と<隔離所>―」『山口県立大学社会福祉学部紀要』14号, 2008年, p.42, 44</ref>。亡くなっても一族の墓には入れず、逆さまにして埋め、二度と生まれてこないよう[[呪い]]をかけた<ref>中村文哉「沖縄社会の二つの葬祭儀礼―沖縄のハンセン病問題と「特殊葬法」―」『山口県立大学社会福祉学部紀要』11号, 2005年, p.44-46</ref>。昭和50年代に[[火葬場]]が増えてから沖縄にも県外式の葬儀が広まった<ref>塩月亮子「沖縄における死の現在―火葬の普及・葬儀社の利用・僧侶への依頼―」『日本橋学館大学紀要』7号, 2008年, p.52, 61</ref>が、その下でも遺骨に炒り豆を置く呪い(「これが芽吹いたら生き返ってこい」という意味だが、炒ってあるので絶対に芽は出ない)が行われている<ref>中村文哉「沖縄社会の二つの葬祭儀礼―沖縄のハンセン病問題と「特殊葬法」―」『山口県立大学社会福祉学部紀要』11号, 2005年, p.24</ref>。 近代医学的なハンセン病医療の場を作る動きに、沖縄県民は激しく抵抗した<ref>Koba, A., Ishii, N., Mori, S., & Fine, P.E.M. (2009). "The decline of leprosy in Japan: patterns and trends 1964-2008". ''Leprosy Review'': '''80''', p.439</ref>。[[国立ハンセン病療養所]]設置を阻止するための暴動(嵐山事件)が起きたり、療養所設置を求めた[[青木恵哉]]ら、ハンセン病患者が焼き討ちにあったりもしている。その青木らにより、ようやく開園にこぎつけた沖縄県立国頭愛楽園(現在の[[国立療養所沖縄愛楽園]])は、地域社会との交流が他の療養所以上に乏しかった。 感染性への誤解も根強く、[[琉球新報]]は投薬治療中の教員から児童へ感染が広がっているという誤った考え方を主張し(後に他紙記者により「沖縄戦後ジャーナリズム最大の汚点」と指弾される)、また[[らい予防法]]廃止([[1996年]])の前に行われた世論調査では住民の87%がハンセン病患者の全員隔離に賛成という結果が出ている<ref>日弁連法務研究財団ハンセン病問題に関する検証会議『ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書』2005年, p.698</ref>。 ==== 精神障害者への差別 ==== 復帰前の調査では、沖縄は精神障害の有病率が県外の2倍との結果が得られ<ref>謝花直美「沈黙の声 沖縄戦の精神障害者」『季刊 戦争責任研究』52号, 2006年, p.9</ref>、近年でも精神的疾病、性暴力、家族内暴力、学校内暴力、自殺などが全国トップレベルである<ref>{{PDFlink|[http://okinawasympo.files.wordpress.com/2011/12/panel-29.pdf 沖縄戦の後遺症とトラウマ的記憶]}} 復帰40年沖縄国際シンポジウム「これまでの沖縄学 これからの沖縄学」</ref>。 その沖縄で特徴的なのは、西洋医学とは整合しない土着の信仰や旧習に基づく障害観である。精神障害者を家族が[[座敷牢]]に閉じこめる[[私宅監置]]は、県外では1950年に禁止されたが、沖縄では復帰後もなお障害者の座敷牢状態が続き、また家族は地域社会から疎外され見捨てられる有様であった<ref>島成郎「社会の変化と精神障害者の処遇―沖縄での経験から―」『精神神経学雑誌』77巻, 1975年, p.450</ref><ref>[http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n220/n220_02-02.html 内藤喜和子「沖縄・伊江島から思うこと」]『月刊ノーマライゼーション』1999年11月号</ref>。精神障害は悪霊([[マジムン]])によって起こされているという理解もあり、これを迷信として否定するよう呼びかける[[精神科医]]がいる一方で、[[ユタ]]信仰の影響を受け土着化したキリスト教である[[沖縄キリスト教福音]]はその主張自体が悪霊に言わされているものだと批判し、[[統合失調症]]や[[てんかん]]には[[悪霊ばらい|悪霊払い]]を行っている<ref>池上良正『悪霊と聖霊の舞台 沖縄の民衆キリスト教に見る救済世界』どうぶつ社, 1991年, p.84, 138</ref><ref>[http://homepage3.nifty.com/jwil-helpcult/karuto/k0808.html 「キリスト教会の「カルト化」」]『AERA』2008年7月28日号</ref>。「医者半分、ユタ半分」ということわざがあり、精神科医が精神病の患者にユタを勧める例もある<ref>野村恭代「施設と地域との「共生」への課題―沖縄県精神障害者施設における調査から―」『関西福祉科学大学紀要』14巻, 2010年, p.92</ref>。 一方、ユタは精神障害者に近いというとらえ方から、精神障害者が社会の役に立っているという認識をしている人も多い<ref>野村恭代「施設と地域との「共生」への課題―沖縄県精神障害者施設における調査から―」『関西福祉科学大学紀要』14巻, 2010年, p.90</ref>。精神異常を来した者のうち、神や先祖とのコンタクトや憑依体験に至った者はカミダーリと呼ばれ、社会に受けいれられる「肯定的な狂気」として存在できる<ref>[http://homepage2.nifty.com/RYOKO/seinaru%20kyouki.htm 塩月亮子「聖なる狂気 沖縄シャマニズムにおける憑依現象」] 立川武蔵(編)『癒しと救い アジアの宗教的伝統に学ぶ』玉川大学出版部, 2001年</ref>。 ==== 自衛官への差別 ==== [[職業差別]]として、[[自衛官]]に対する差別がある。[[本土復帰]]に伴い[[自衛隊]]が沖縄に配置されると、自衛官たちは人殺し呼ばわりされ、[[自衛隊員]]の子供は半年以上も学校に通うことが出来なかったほどである。また様々な行事から閉めだされた上に、参加が許可されても自衛隊を名乗ることを許されなかった。自治体は自衛官やその家族の住民登録を拒否し、ゴミの処理を受け付けなかった事例もあった。[[那覇ハーリー]]で自衛隊を名乗って参加することが許されたのは2001年のことであった<ref>{{Cite news |url = http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/qanational/20120516-OYT8T00845.htm |title = 沖縄では自衛隊の基地も迷惑施設なの? |publisher = 読売新聞 |date = 2012-05-16 |archiveurl = https://archive.fo/2SRRS |archivedate = 2013-05-01 |accessdate = 2017-03-22 }}</ref>。 2017年3月9日には[[宮古島市#市議会|宮古島市の市議]]である石嶺香織が、自身の[[Facebook]]に「[[アメリカ海兵隊|(アメリカ)海兵隊]]から訓練を受けた[[陸上自衛隊]]が[[宮古島]]に来たら、[[アメリカ軍|米軍]]が来なくても絶対に[[強姦|婦女暴行]]事件が起こる」などと投稿し[[炎上 (ネット用語)|炎上]]したため、「自衛隊全体を批判しているわけではない」と謝罪し「戦争のための軍隊という仕組みに対して(批判した)」などと言及したところ、再度炎上する事態となり、石嶺は2つの投稿をFacebookから削除した<ref name="sankei20170312">[https://www.sankei.com/article/20170312-47GX6AE3XZKDFIY2COGDQSVUWQ/ 宮古島市議のフェイスブックが炎上 「米軍に訓練された自衛隊が来たら婦女暴行事件が起きる」] [[産経新聞]] 2017.3.12</ref>。宮古島市議会は「投稿は自衛隊員、米海兵隊員に対する職業的差別であり、断じて許すことができない暴言と言わざるを得ず、市議会の品位を著しく傷つけるものだ」などとして石嶺に対する辞職勧告決議(賛成20、反対3、欠席1)を可決した。石嶺は「私は議会が選んだ議員ではない」などとして辞職を拒否している<ref>{{Cite news |url = https://www.sankei.com/article/20170321-YAJNXW77SZKRJD443DDBRPYZX4/ |title = 「自衛隊が来たら婦女暴行事件起きる」FBに投稿した石嶺香織・宮古島市議に辞職勧告 宮古島市議会、賛成多数で可決 |publisher = [[産経新聞]] |date = 2017-03-21 }}</ref>。 === スポーツ === ==== スポーツチーム ==== {{See also|Category:沖縄県のスポーツチーム}} * [[クリード安仁屋ベースボールクラブ]]([[野球]]) * [[FC琉球]]([[サッカー]] [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]) * [[琉球ゴールデンキングス]]([[バスケットボール]] [[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]]) * [[琉球コラソン]]([[ハンドボール]] [[日本ハンドボールリーグ]]) * [[琉球アスティーダ]]([[卓球]] [[Tリーグ (卓球)|Tリーグ]]) * [[琉球ボクシングジム]]([[ボクシング]]) ==== 主なスポーツイベント ==== * [[おきなわマラソン]] * [[全日本トライアスロン宮古島大会]] * [[ツール・ド・おきなわ]] * [[NAHAマラソン]] * [[ジャパンウィンターリーグ]](野球) ==== スポーツ施設 ==== 雪が降らないため、[[日本野球機構|プロ野球]]の[[キャンプ (日本プロ野球)|春季キャンプ]]地が沖縄県に集中しており、[[2011年]](平成23年)は、12球団中10球団(1軍のみ)が県内でキャンプを行った。以下に主な運動公園および[[野球場]]を挙げた。 {{div col}} * [[沖縄県営奥武山公園]] ** [[那覇市営奥武山野球場]] * [[沖縄県総合運動公園]] ** [[沖縄県総合運動公園陸上競技場]] * [[沖縄市総合運動場]] ** [[沖縄市野球場]] ** [[沖縄市体育館]] ** [[沖縄アリーナ]] * [[浦添運動公園]] ** [[浦添市民球場]] * [[宜野湾市立野球場]] * [[北谷公園野球場]] * [[宜野座村野球場]] * [[名護市営球場]] * [[久米島野球場]] * [[宮古島市民球場]] * [[石垣市営球場]] {{div col end}} == 観光 == {{Main|沖縄県の観光地}} {{also|沖縄県指定文化財一覧|九州・沖縄地方の史跡一覧#沖縄県|沖縄県の神社一覧}} == 沖縄県を舞台とした作品 == {{main|沖縄県を舞台とした作品一覧}} {{see also|Category:沖縄県を舞台とした作品}} <!-- 網羅するとえらい分量になりそうですので、将来的には分割する事になる可能性が高そうです。舞台の大部分が沖縄であるものだけでお願いします。沖縄がちょっとだけ出てくる、なんてもののご加筆はどうかご勘弁を。--> ; 映画 {{div col}} * [[ひめゆりの塔 (1953年の映画)|ひめゆりの塔]] ([[1953年の日本公開映画|1953年]]、[[東映]]) * [[電光空手打ち]]([[1956年]]、[[東映]]) * [[狼やくざ 殺しは俺がやる]] ([[1971年の日本公開映画|1971年]]、東映) * [[激動の昭和史 沖縄決戦]] ([[1971年の日本公開映画|1971年]]、[[東宝]]) * [[夏の妹]] ([[1972年の日本公開映画|1972年]]、[[日本アート・シアター・ギルド|日本ATG]]) * [[ゴジラ対メカゴジラ]]([[1974年の日本公開映画|1974年]]、[[東宝]]) * [[沖縄やくざ戦争]]([[1976年の日本公開映画|1976年]]、東映) * [[空手バカ一代 (映画)|空手バカ一代]] ([[1977年の日本公開映画|1977年]]、東映) * [[男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花]] ([[1980年の日本公開映画|1980年]]、[[松竹]]) * [[友よ、静かに瞑れ]]([[1985年の日本公開映画|1985年]]、[[東映セントラルフィルム]]) * [[ベスト・キッド#ベスト・キッド2|ベスト・キッド2]]([[1986年の日本公開映画|1986年]]) * [[マリリンに逢いたい]]([[1988年の日本公開映画|1988年]]、[[松竹富士]]) * [[Aサインデイズ]] ([[1989年の日本公開映画|1989年]]、[[大映]]) * [[3-4X10月]]([[1990年の日本公開映画|1990年]]、松竹) * [[ソナチネ (映画)|ソナチネ]]([[1993年の日本公開映画|1993年]]、松竹) * [[モスラ2 海底の大決戦]]([[1997年の日本公開映画|1997年]]、東宝) * [[釣りバカ日誌イレブン]]([[2000年の日本公開映画|2000年]]、松竹) * [[ニライカナイからの手紙]]([[2005年の日本公開映画|2005年]]、IMJエンタテインメント=ザナドゥー=エルゴ・ブレインズ=ビジュアルアート研究所配給) * [[涙そうそう (映画)|涙そうそう]]([[2006年の日本公開映画|2006年]]、東宝) * [[カフーを待ちわびて]]([[2009年の日本公開映画|2009年]]、[[エイベックス]]) * [[てぃだかんかん]]([[2010年の日本公開映画|2010年]]) * 絶壁の上のトランペット([[2016年の日本公開映画|2016年]]) * [[僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫#映画|返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す]](2018年) * [[劇場版 のんのんびより ばけーしょん]]([[2018年]]、[[KADOKAWA]]) {{div col end}} ; テレビドラマ * [[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]] ([[1978年のテレビ (日本)|1978年]]、[[日本放送協会|NHK]]) * [[大河ドラマ]] [[琉球の風 (NHK大河ドラマ)|琉球の風]](1993年、NHK) * [[連続テレビ小説]](NHK) ** [[ちゅらさん]](2001年) ** [[純と愛]]([[2012年のテレビ (日本)|2012年]] - [[2013年のテレビ (日本)|2013年]]) ** [[ちむどんどん]](2022年)<ref name="okinawatimes20210303">{{Cite news|url=https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/715598|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210304053001/https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/715598|title=NHK朝の連ドラヒロイン『あさイチ』で発表 次の舞台は沖縄|newspaper=沖縄タイムス|date=2021-03-03|accessdate=2021-03-09|archivedate=2021-03-04}}</ref><ref name="ryukyu20210303">{{Cite news|url=https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1280224.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210303012628/https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1280224.html|title=NHK朝ドラ主演に黒島結菜さん 故郷の沖縄舞台「ちむどんどん」来春放送|newspaper=琉球新報|date=2021-03-03|accessdate=2021-03-09|archivedate=2021-03-03}}</ref> * [[さとうきび畑の唄]]([[2003年のテレビ (日本)|2003年]]、[[TBSテレビ|TBS]]) * [[僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫#テレビドラマ|返還交渉人 -いつか、沖縄を取り戻す-]](2017年、[[NHK BSプレミアム]]) ; 文芸 * [[消えたタンカー]]([[西村京太郎]]、1975年) * [[風車祭]]([[池上永一]]、1997年) * [[カフーを待ちわびて]] ([[原田マハ]]、2006年) * 風のマジム(原田マハ、2010年) ; アニメ {{div col}} * [[対馬丸 —さようなら沖繩—]]([[1982年]]、対馬丸製作委員会) * 白旗の少女 琉子([[1988年]]、共同映画全国系列会議) * かんからさんしん([[1989年]]、かんからさんしん製作委員会) * [[ストラトス・フォー]]([[2003年]]、[[UHFアニメ]]) * [[BLOOD+]]([[2005年]]、[[MBSテレビ|MBS]]) * [[スティッチ!]](2008年、テレビ東京) * [[あそびにいくヨ!]]([[2010年]]) * [[エウレカセブンAO]]([[2012年]]、[[MBSテレビ|MBS]]) * [[はいたい七葉]]([[2012年]]、[[QAB]]) * [[ラブライブ! (テレビアニメ)|ラブライブ!(2期)]]([[2014年]]、那覇市・恩納村・本部町) * [[生徒会役員共|生徒会役員共*(第2期)]]([[2014年]]、那覇市・竹富町) *[[白い砂のアクアトープ]]([[2021年]]、[[南城市]]他) * [[はるかなレシーブ]]([[2018年]]、[[琉球放送|RBC]]、那覇市・うるま市) {{div col end}} ; ゲーム * [[夏空カナタ]]([[与那国島]]) * [[Dolphin Divers]]([[波照間島]]) * 南の島に降る雪 * MaYA 〜微睡島ノ眠姫〜 * [[龍が如く3]] *ぼくは航空管制官 エアポートヒーロー3D 那覇 PREMIUM *ぼくは航空管制官 4 那覇 == 人物 == {{Main|沖縄県出身の人物一覧}} === 沖縄県名誉県民 === 沖縄県名誉県民の称号は、2003年(平成15年)3月31日に制定された沖縄県名誉県民条例(平成15年3月31日沖縄県条例第1号)に基づき、「社会の発展に卓越した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)<ref name=meiyojorei>[https://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/hisho/4825.html 沖縄県名誉県民条例] - 沖縄県、2019年7月28日閲覧。</ref>。対象者は「沖縄県の出身者、沖縄県に居住したことがある者又は沖縄県にゆかりのある者で、社会福祉の向上、学術文化若しくはスポーツ又は産業経済の振興その他の社会の発展に貢献したもの」であり、沖縄県知事が沖縄県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)<ref name=meiyojorei/>。名誉県民に選定された者には、沖縄県名誉県民称号記と沖縄県名誉県民章および記念品が贈呈される(条例第3条)<ref name=meiyojorei/>。 {| class="wikitable" !受賞者氏名 !職業 !選定年月日 !備考 !出典 |- |[[山中貞則]] |[[政治家]] |2003年12月17日 |初代[[沖縄振興局|沖縄開発庁]]長官 |<ref>[https://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/hisho/4824.html 名誉県民として選定された者] - 沖縄県、2019年5月8日閲覧。</ref> |} === 沖縄県県民栄誉賞受賞者 === 沖縄県県民栄誉賞は、1999年(平成11年)4月8日に制定された沖縄県県民栄誉賞表彰規則(平成11年4月8日沖縄県規則第45号)に基づき、「広く県民に敬愛され、県民に明るい希望と活力を与える顕著な功績があったもの」へ、沖縄県知事から贈られる(規則第1条・第2条)<ref>[https://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/hisho/4834.html 沖縄県県民栄誉賞表彰規則] - 沖縄県、2019年7月28日閲覧。</ref>。 {| class="wikitable sortable" !受賞者氏名 !職業 !授賞式開催年月日 !備考 !出典 |- |colspan=2|[[沖縄尚学高等学校・附属中学校|沖縄尚学高等学校]]野球部 |1999年4月19日 |[[第71回選抜高等学校野球大会]]において沖縄県勢初の[[日本の高校野球|甲子園]]優勝。 |<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/hisho/4830.html 県民栄誉賞を受章したもの] - 沖縄県知事公室秘書課、2012年11月29日更新</ref> |- |[[上与那原寛和]] |[[車いす]]レース選手 |2008年10月23日 |[[2008年北京パラリンピック|北京パラリンピック]][[車いすマラソン]]で[[銀メダル]]獲得。 |<ref>[http://www.qab.co.jp/news/20081023983.html 北京“銀”上与那原さんに県民栄誉賞] - 琉球朝日放送Qプラス、2008年10月23日</ref> |- |colspan=2|[[興南中学校・高等学校|興南高等学校]]野球部 |2010年9月13日 |[[第82回選抜高等学校野球大会]]および[[第92回全国高等学校野球選手権大会]]で優勝。史上6校目の甲子園春夏連覇。 |<ref>[http://miyakoshinpo.com/news.cgi?no=1951 興南高校野球部に「県民栄誉賞」授与] - 宮古新報、2010年9月14日</ref> |- |[[宮里藍]] |[[プロゴルファー]] |2010年12月27日 |同年の米女子ゴルフツアーで5勝をあげる。 |<ref>[https://www.nikkansports.com/sports/golf/news/p-sp-tp1-20101228-718455.html 藍に沖縄県民栄誉賞「希望と元気」] - 日刊スポーツ、2010年12月28日</ref> |- |[[仲里進]] |[[ウィルチェアーラグビー|車いすラグビー]]選手 |2016年11月22日 |[[リオデジャネイロパラリンピック]][[ウィルチェアーラグビー]][[リオデジャネイロパラリンピック日本選手団|日本代表]]選手。チームの[[銅メダル]]獲得に貢献。 |<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/site/chiji/gallery/back/h2805/20161122_2.html 沖縄県県民栄誉賞表彰式(11月22日)] - 沖縄県知事公室秘書課、2017年2月20日更新</ref> |- |[[安室奈美恵]] |[[歌手]] |2018年5月23日 |25年間にわたり日本を代表するアーティストとして活躍。 |<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/site/chiji/gallery/back/h2805/20180607.html 安室奈美恵さんへの沖縄県県民栄誉賞表彰式(5月23日)] - 沖縄県知事公室秘書課、2018年6月7日更新</ref> |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == <!-- 本文記事を理解する上での補足として役立つ、関連性のある項目へのウィキ間リンク、ウィキリンク。可能なら本文内に埋め込んで下さい。 --> {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/沖縄県|[[画像:Shadow_picture_of_Okinawa_prefecture_2.png|40px|Portal:日本の都道府県/沖縄県]]}} * [[:Category:沖縄県]] * [[沖縄慰霊の日]] - 条例によって沖縄戦の慰霊の日と定められた沖縄県の休日。 * [[沖縄県の観光地]] * [[日本の地方公共団体一覧]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] * [[日本列島]]、[[南西諸島]]、[[琉球諸島]] * [[本土]]、[[離島]] * [[島]]、[[島国]]、[[島の一覧]] * [[大正区]] - [[大阪府]][[大阪市]]の区。沖縄県からの移住者が多い地域であり、沖縄料理や食材が多く扱われている事から「リトル沖縄」と呼ばれている。 * [[鶴見区 (横浜市)]] - [[神奈川県]][[横浜市]]の区。大阪市大正区と同様沖縄県からの移住者が多い地域で、[[鶴見駅]]の南東にある[[仲通]]地区は「リトル沖縄」と呼ばれる。 * [[オキナワ移住地]](コロニア・オキナワ、西: Colonia Okinawa) - [[ボリビア]][[サンタクルス県|サンタ・クルス県]]にある沖縄県からの移住者によって設けられた入植地。 * [[incubator:Wp/ryu/沖縄県|沖縄県]]([[incubator:Wp/ryu/Main Page|琉球語版ウィキペディア]]) == 外部リンク == {{Multimedia|沖縄県の画像}} {{Sisterlinks|wikt=|b=|q=|s=|commons=沖縄県|commonscat=Okinawa prefecture|n=Category:沖縄県|v=|voy=ja:沖縄県|d=Q766445|species=Okinawa prefecture}} * {{Osmrelation|3795635}} * {{Official website}} * [https://www.okinawastory.jp/ 沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語] - 沖縄観光コンベンションビューロー * [https://www.pref.okinawa.jp/site/kikaku/tochitai/tousho.html 沖縄県の島しょ別面積一覧] 沖縄県を構成する160の[[島]]の名称と面積の一覧表 - 沖縄県土地対策課 {{s-start}} {{s-bef|before=[[琉球藩]]|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1879年]] - [[1945年]]|years2=第1次沖縄県}} {{s-aft|after=[[File:Seal of High Commissioner of the Ryukyu Islands.svg|25px]] [[琉球列島米国軍政府]]|表記=次}} {{s-bef|before=[[File:Seal of High Commissioner of the Ryukyu Islands.svg|25px]]琉球列島米国民政府 <br />[[file:Civil Ensign of the Ryukyus (1967).svg|25px]] [[琉球政府]]|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1972年]] -|years2=第2次沖縄県}} {{s-aft|after=-----|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{日本の地域}} {{沖縄県の自治体}} {{沖縄県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:おきなわけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:沖縄県|*]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C
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香川県
香川県(かがわけん)は、日本の四国地方に位置する県。県庁所在地は高松市。 令制国の讃岐国に当たる。県名は旧讃岐国のほぼ中央に存在し、かつて高松が属していた古代以来の郡である香川郡から採られた。面積は47都道府県で一番小さく、1945年~1972年にかけてアメリカの統治下であった沖縄県を除くと最も遅く独立した県である。都市の利便性と豊かな自然が調和した生活環境を持つ。 日本で最も面積が狭い都道府県である。かつては大阪府の面積を上回り46位であったが、1988年10月1日に国土地理院が算定法を見直し、岡山県玉野市との間に境界未定部分がある香川郡直島町の面積(14.2km)を県全体の面積に算入しないことになったため面積が減少し、大阪府と逆転した。その後、大阪府では関西国際空港(関空)の開港や大阪市西部の開発などで埋め立てが進められたため、現在では直島町を含めた参考値よりも大阪府のほうが面積が大きくなっている。県全体の面積は日本一面積の大きい市町村である岐阜県高山市よりも狭い。また、平野が県土のほぼ半分を占めている。 人口密度は全国11位で、四大都市圏に属する9都府県(一都三県・愛知県・京都府・大阪府・兵庫県・福岡県)と沖縄県に次いで高い。可住地面積比率は全国10位、居住室畳数は全国9位、誘導居住面積水準以上世帯割合は全国11位、自然災害は少ない方から全国3位である(2008年統計)。 県庁所在地である高松市は、四国の玄関口であり、四国を統轄する国の出先機関のほとんどや、多くの全国的規模の企業の四国支社や支店、また四国電力やJR四国といった、四国を代表するような企業の本社などが置かれ、四国の政治経済における中心拠点である。高松市の人口41万人は四国内では、愛媛県松山市の50万人を下回るものの、高松都市圏の人口規模は松山都市圏を上回り、四国最大である。 古来より雨量、河川の流水量ともに少なく旱魃に備えて県内各地に14,000を超える数のため池が点在している。 北部に広がる瀬戸内海には、小豆島など多くの島々が点在している。本州の岡山県とは島々を伝う形で架けられた瀬戸大橋により、道路・鉄路で結ばれている。岡山駅と高松駅は快速「マリンライナー」で約1時間程度でアクセスが可能である。瀬戸内海を越えた岡山県との結びつきは強く、民間テレビ放送局が同一のエリアになる程である(「岡高地区」を参照)。 麺のコシがしっかりとした讃岐うどんや、こんぴらさんの愛称で親しまれる金刀比羅宮、空海の生誕地としても知られる善通寺(四国八十八箇所の一つ)、寛永通宝の銭形砂絵で知られる観音寺、対岸の倉敷市児島から坂出市にかけて海上に架けられた瀬戸大橋などが有名である。うどんの消費量は全国一であり、香川県も「うどん県」として押し出している。 正月には、餡餅の入った白味噌仕立の雑煮「餡餅雑煮」を食べる風習が東部を中心とする一部にある。江戸時代、讃岐の国では塩・木綿そして香川県東部を領有した高松藩が奨励した砂糖が特産で、「讃岐三白」と呼ばれていた。このうち砂糖は幕府への献上品として多くが用いられ、庶民の口には滅多に入らなかったことから「せめて正月ぐらいは砂糖を使った餡の入った甘い餅を食べたい」という思いから餡餅雑煮が誕生したと言われている。ただ、食べる県民と食べない県民の比率は半々であり、好みが分かれる。 香川県庁舎の設計者は丹下健三であり、この他にも丹下は香川県立体育館や県営一宮団地も設計している。 救急病院数は全国2位、救急車搬送所要時間は全国3位、介護老人保健施設普及率は全国8位、看護師数は全国14位、医師数は全国12位である。また、2009年度と2010年度の有効求人倍数はそれぞれ全国1位、2位である。 県内を供給区域とする電力会社は四国電力であるが、岡山県に隣接した島嶼部である香川郡直島町および小豆郡の全域は、海底地形の理由から四国電力ではなく中国電力の供給区域となっている。 香川県は四国の北東部に位置し、北部には瀬戸内海に面して讃岐平野が広がる。南部は山がちで、讃岐山脈が連なる。最高峰は竜王山で1059.9mあるが、丘陵部は500 - 800mで各地峠越えに行き来が行われた。 多島海である瀬戸内海には小豆島をはじめ、塩飽諸島や直島諸島など約110余りの島々が存在する。 川が少なく、またどれも33 - 38kmぐらいで短いため、昔から渇水対策に手を焼いてきた。このため、道守朝臣(みちのかみあそん)が造り、空海が修築したことで知られる満濃池をはじめとするため池が県内に14,000余あり、国内有数の数である。 国土地理院地理情報によると香川県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは92.15km、南北の長さは61.29kmである。 瀬戸内海式気候で晴天の日が多く雨量が少ないのが特徴である。日照時間が長いことが塩の生産・発展に役立ち、「塩田王国香川」と言われた。 積雪も一冬に1 - 2回程度は起こるが、大雪は少ない。また夏は瀬戸内海の「凪」や四国山地越えのフェーン現象などの影響で、猛暑日や熱帯夜になる日も少なくない。 地域区分は広義・狭義とも県民生活の基盤にもなっており、この区分によって気候・風土・方言(讃岐弁参照)なども異なっている。香川県は江戸時代、歴史的な背景から東は高松藩が治める東讃、西は丸亀藩が治める西讃に二分されていた。しかし、地方行政や住民の生活感覚などから自然的に実際は5つに大別するものと考えられるが近年は交通手段の発達により地域区分も薄らいでいる。 東西に長い香川県を分けて考える場合、最も多く用いられるのが五色台を境に東部を「東讃」(とうさん)、西部を「西讃」(せいさん)とする概念である。この名称は香川県が旧讃岐国の範囲と合致しているため、旧国名である「讃岐」に東・西を冠した言い方である。このスケールは県民の会話上でも西讃のことを「西の方」や単に「西」、東讃のことを「東の方」や単に「東」と呼ぶことで通用するほど定着した概念である。 この方式に沿った言い方に「中讃」(ちゅうさん)があるが、こちらはより狭い範囲を表すものであり、このスケールでは同じ「西讃」といった場合でも指し示す範囲が異なる。同じように「東讃」も高松地域・小豆地域を除いた範囲を指す狭義が存在する。小豆地域は狭義の東讃にも含むとする概念もあるが、小豆島は航路で結ばれているのがすべて高松であるため、直接の結びつきがない香川県東部とは分けて小豆地域、あるいは単に小豆島とする場合が多い。 その他にも、東讃に高松市を含んだ上で残りの西部を中讃、西讃の計3つで分ける概念もあるが、この場合では県都の位置する地域が中讃であると捉えられる場合があるため、あえて県都の高松市を別格として「高松地域」とする場合がほとんどである。 行政区分や天気予報、県立高校の学区などでも用いられるこの区分は自治体ごとに区切られているため、市町村合併により所属地域が変化する例が多く見られた。特に平成の大合併では高松市へ合併した綾歌郡国分寺町の所属地域が西讃から東讃へ変わったほか、木田郡庵治町と牟礼町が同じく高松市への合併により、狭義の東讃から高松地域へ所属地域が変わった。 8市5郡9町を含む。香川県では、地方公共団体としての町はすべて「ちょう」と読む。なお、村は1970年に消滅している。 約2万年前の旧石器時代人が永く住み着いた国分台遺跡群が知られている。同遺跡群は、高松市と坂出市の境に南北にのびる標高400メートルの台地上および斜面上に立地し、高松市(旧綾歌郡国分寺町)に所在する。そこからは、サヌカイト製のナイフ形石器、尖頭器、楕円形石器、舟底形石器、錐などの生活必需石器が大量に出土した。 縄文時代晩期後半の林防城遺跡(高松市)で、当時の土器と木製諸手狭鍬が出土しているなどから、県下にも稲作が伝播し、水田耕作が行われたと推定されるが、他に水稲耕作に直接かかわる道具や同時に伝播するはずの文化要素が見当たっていない。また、水稲耕作に従事したムラの形跡がない。 『日本書紀』などには讃岐国は洪水や旱魃、地震などの自然災害が多い土地であると記されており、讃岐ではため池の開発や雨乞い儀式などが行われていた。大宝年間から工事が開始され、弘法大師空海が修築工事を指導したとされる満濃池のほか多くのため池が開発され、それより耕地は灌漑された。菅原道真も、一時は讃岐国国司となっている。 平安時代には関東地方での平将門の乱に乗じて藤原純友が伊予国で蜂起し、純友は讃岐国の国府を陥落させた。朝廷が追捕使として小野好古を派遣すると讃岐国の武士も乱の平定のために戦う。保元の乱で敗れた崇徳上皇は讃岐国に流刑され、讃岐国で死んだ。平安時代後期には源平合戦の1つである屋島の戦いが行われる。一ノ谷の戦いで源義経に敗れた平氏は屋島の戦いにおいても義経軍の背後からの急襲で敗北し、以後平氏は瀬戸内海における制海権を失った。 鎌倉新仏教派の法然も流刑されたことで有名。足利尊氏らの活躍で鎌倉幕府が滅亡して、後醍醐天皇の建武の新政が始まると、讃岐国には足利氏の一門である細川定禅が入った。以後、南北朝時代を経て室町時代を通じて、細川氏が守護大名として讃岐国を支配した。室町幕府内での政争に敗れて南朝に与した細川清氏は、従弟の細川頼之と戦い、敗れた(白峰合戦、現宇多津町・坂出市)。 讃岐国では、管領を務めた細川京兆家が室町期を通じて守護職を執った。このため阿波国人と同様に讃岐国人も中央へ出る機会が多く、香西氏、香川氏、安富氏、奈良氏の四氏は細川四天王と称されたという(南海通紀)。戦国時代初期には讃岐国人と思われる香西氏が山城国守護代を務めるなど重職にも就いた。 戦国時代には讃岐国の分郡守護代である安富氏と香川氏が東西で大きな勢力を擁し、両者中間の香西氏、阿野氏、鵜足郡に長尾氏、奈良氏、羽床氏など中小豪族が乱立していた。しかし安富氏は細川・三好氏の援助を受けた三木郡の十河氏に臣従し、若干の抵抗があったが讃岐国は三好氏の支配下に入った。三好氏は三好長慶の弟である十河一存に讃岐国を任せた。真偽は不明だが、この時期に毛利氏が讃岐に攻め入った元吉合戦があったとされる。 土佐国を統一した長宗我部氏が三好・織田氏の内乱に乗じて讃岐へ侵攻する、これにより織田信長による四国攻めを招くことになった。豊臣秀吉が四国平定に取りかかると讃岐へは宇喜多秀家を総大将とする豊臣軍が侵攻し、長宗我部元親が秀吉に屈服すると讃岐は仙石秀久に与えられ、その後は尾藤知宣、生駒氏が相次いで封ぜられる。当初は宇多津聖通寺城に拠点が置かれたが、手狭のため高松に新城が築かれ拠点とされた。 生駒氏が生駒騒動によって出羽国へ移されると、水戸徳川家の嫡流である松平頼重が高松に入って東讃高松藩12万石を、京極氏が丸亀に入って西讃丸亀藩5万1千石を領する。途中、京極丸亀藩は支藩として多度津藩1万石を分立させたため、江戸時代の讃岐国には3つの藩が並立することになった。高松藩からは平賀源内が出ている。 このころには、讃岐国の小農家と阿波国北部の山間農家の間で借耕牛の交流が始まっていた。なお、吉備国から古代に分立された備前国より、直島諸島と小豆島が讃岐国に移されたのは江戸年間のことと思われる。幕末には高杉晋作を匿った日柳燕石が出ている。 災害としては、宝永4年(1707年)10月に西日本を襲った宝永地震(東海・東南海・南海連動型地震)の被害は讃岐国にも及び、牟礼・庵治の五剣山の一角が崩れ落ち、各地の家や堤防も崩れたところに1 - 2メートルの高さの津波が押し寄せた。 徳川時代の讃岐国には、高松藩、丸亀藩、多度津藩の3藩と、徳川幕府の直轄地である天領、津山藩の飛地が分立していた。 1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の廃藩置県により、高松藩は高松県、丸亀藩は丸亀県、多度津藩と天領は倉敷県、津山藩の飛地はそのまま津山県となった。 その直後に、倉敷県の管轄地が丸亀県へと移された後に、同年に高松県と丸亀県が合併されて香川県(1873年2月19日以前)が設置され、1872年(明治5年)に小豆島西部を編入して、現在の香川県(1888年12月3日以後)と同じ管轄範囲(行政区画は1888年12月3日に分割)となる。 しかし、1873年2月20日には名東県(後の徳島県)に編入されるも、2年後の1875年9月5日に香川県(1875年9月5日〜1876年8月20日)として分離されたが、翌年1876年8月21日には愛媛県に編入された。度重なる編入の度に、地理的要因や地域文化や住民意識などで食い違いが発生し、香川県として単独の県の設置を望む声が再び高まり、12年後の1888年12月3日に香川県が復活して、現在に至る。なお、1888年の香川県の分離独立を最後に、東京府と東京市の合併(1943年7月1日)や、第二次世界大戦後にアメリカの統治下に置かれた沖縄県の日本再編入(1972年5月15日)などの特殊な事例を除いて、新しい県の設置はなく、この1888年12月3日に現在の47都道府県体制がほぼ確立したことになる。 「香川県」の名称は、高松市が所属していた香川郡から取ったもので、いわば郡名を県名にしたものである。 明治から大正にかけて香川県で鉄道敷設競争が起こり、讃岐鉄道(のちの国鉄)、琴平参宮電鉄、琴平電鉄(後の高松琴平電気鉄道)、琴平急行電鉄の4社が高松 - 丸亀 - 琴平間で競って鉄道を敷設した。 2010年(平成22年)国勢調査速報によると、香川県の総人口は前回調査より1.6%減少し、30年ぶりに100万人を下回った。2019年の合計特殊出生率は1.59であり、四国トップかつ全国平均を超えている。しかし人口維持に必要な2.07には届いておらず、他の多くの都道府県と同様に自然減となっている。 社会動態においても、香川県は四国の中心地として社会増の時期もあったが、2016年からは転出が転入を上回り、社会減に転換した。転入者の出身地は、2020年で1位愛媛県(2114人・11.4%)、2位大阪府(1568人・8.4%)、3位東京都(1495人・8.0%)となっている。転出先は、1位大阪府(2,208人・10.8%)、2位東京都(2,031人・9.9%)、3位愛媛県となっている。 傾向として、四国のほかの県から流入し、首都圏や関西に人口が流出するという特徴がある。交通や経済、文化の面で結びつきの強い岡山県との人口の転出入割合も大きい。 市町別でみると、2021年7月1日時点では、人口が増えている自治体は1つもない。社会増となっているのは、丸亀市、土庄町、宇多津町、直島町の1市3町で、そのほかはすべて社会減である。 香川県は他の四国の県に比べて鉄道網が充実しているため、高松市のベットタウンとして予讃線沿線は人口減少が控えめとなっている。 人口首位の高松市は中核市に含まれている。人口2位の丸亀市は、県庁所在地を除くと人口10万を超える四国では数少ない都市である。 高松都市圏は四国最大の都市圏であり、西讃と島しょ部を除いた全ての地域で構成している。瀬戸大橋を挟んだ先の岡山都市圏との経済的結びつきが強いことから東瀬戸経済圏と呼ばれることもある。 「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」が2020年3月18日に可決され、同年4月1日に施行された。 条例では18歳未満のコンピューターゲームの使用は1日60分(休日は90分)まで、スマートフォンにおいては中学生以下は午後9時、18歳未満は午後10時以降の使用を控えると言った“目安”を設けている。 なお、学習や家族との連絡のためのスマートフォンなどの使用は対象とならない。 また条例に違反しても罰則などの規定はないとしている。このため、実効性には疑問の声もある。 2020年1月23日から同年2月6日までの15日間、県民から条例に関するパブリックコメントを募集し、期間内に合計2613人の県民から意見を得た。 意見を寄せた県民のおよそ9割にあたる2268人から同条例に関する賛成票を、333人からは反対票だった。 その一方で、意見を寄せた県内外の69の団体と事業者のうち、賛成は1団体にとどまり、反対は68団体/事業者になった。 条例ではゲーム開発企業など事業者に対し、課金システムなどゲーム依存症を進行させる恐れのある事業への自主的な規制を求めており、団体/事業者から反対票を得ることとなった。 また、パブリックコメントの募集期間が極端に短かったこと、通常は公表されるパブリックコメントの内容が公表されない事などが問題点として指摘されている。 県内の高校生がこの条例に対し幸福追求権や自己決定権などの基本的人権を侵害しており違憲であるとして県に対し損害賠償を求める訴えを起こしている。 現職 池田豊人 地方債残高 情報公開について都道府県と全市を対象に実施された2011年度全国情報公開度調査では、香川県は80満点中62点だった。県内の市で最高は高松市の80点、最低は東かがわ市の30点だった。 中選挙区時代は2区体制だったが小選挙区になってからは3区体制となる。かつては自民党と社会党と半々だったが、1990年代以降は3区すべてで自民党公認または推薦の候補が当選していた。2009年(平成21年)の総選挙で1区・2区を民主党が制し、オール自民党体制は幕を下ろした。また、2012年(平成24年)の総選挙では民主党が2区を制したが、これは中国・四国・九州地方で唯一民主党が議席を獲得した小選挙区となった。 10数年自民党が議席を独占した後に、2007年(平成19年)の選挙で民主党公認の女性候補である植松恵美子が当選した。さらに2010年(平成22年)に自民党所属の山内俊夫が離党し、改革クラブに入党したため、自民党所属の議員がゼロとなったが、同年の選挙で自民党の公募による新人の磯﨑仁彦が初当選し、再び自民党所属の議員が復活した。 香川県は山岳地帯が少なく全域にわたって平地が多くを占めているため、県内全域に稲作を中心とした農地が広がっている。また、それらはほぼすべてが古来より続く小規模農地であり、農業目的の干拓地のような計画的な大規模農業はほとんど行われていない。 米の作付面積はヒノヒカリが全体の45.9%と最も多く、次いでコシヒカリ37.4%となっており、この2品種で全体の8割以上を占めている。これら主食用うるち米の6割は県内で消費され、残り3割は大阪府、1割は兵庫県に向けて出荷されている。麦の作付面積はさぬきの夢2000が68.5%、イチバンボシが31.2%でこの2品種でほぼすべてを構成している。野菜の生産量で最も多いのはレタスで、次いでたまねぎ、ブロッコリー、きゅうり、ねぎ、いちごの順となっている。 2004年(平成16年)には高松市、丸亀市、坂出市、宇多津町に設定されていた市街化調整区域(いわゆる線引き)が全廃されたため、急速に開発が進み農地が次々と宅地に転用されている。特に丸亀市では線引き廃止後の3年間でそれまでの134倍もの面積が開発許可を受けている。 香川県の形状は讃岐山脈のある南側を弦に見立てた弓なりになっているため、北・西・東すべてが瀬戸内海に面し、そのほか瀬戸内海には漁業が主要産業となっているような離島も多く抱えているため県として水産業は重要な産業の一つでもある。 そのような主要産業であるが瀬戸内海特有の赤潮の発生は香川県の水産業に大打撃を与えるため、県によって赤潮研究所が置かれているほどである。 坂出市には瀬戸内工業地域の一翼を担う番の州臨海工業団地があり、造船、石油などの企業が立地している。また、四国地方に対する物資の集散地となっている高松市には運輸、卸売を主とした企業が朝日町、福岡町、木太町北部、郷東町、香西地区などの沿岸部に集積し、食品や印刷など市場指向型、軽工業系の工場もその周辺に位置している。 工業の製造品出荷額等は番の州を擁する坂出市が県内で突出して多く7685億円、次いで高松市の3296億円、三菱マテリアル製錬所がある直島町の2392億円と続いている。 建設業では穴吹工務店といった大企業の本社があるものの、産業全体に占める従事者数の率は中国・四国地方各県では広島県に次いで2番目に低く、土建屋が産業構造に幅を利かせるといった地方に特有の性格は薄い。逆に製造業従事者が占める率は四国最大であるほか、中四国でも広島県、岡山県に次いで3番目に多い。 面積の大部分が平地で占められている香川県は全域に人口が分布しているため、その需要に対応して最寄品を取り扱う大型商業施設などのロードサイド店が県内の広い範囲に分布している。特に高松市は四国最大規模の高松都市圏の中心都市であり、周辺からの圧倒的な集客力を有している。そのため情報通信業や金融保険業は大部分が高松市に集中しており、日用買回品を販売する小売業も多くが高松市に本社あるいは事業所を置いている。高松市では日本一長いアーケードを有する高松中央商店街周辺が一大商業地区となっているほか、それに準じてゆめタウン高松も県内外に対して大きな集客吸引力を持っている。大型小売店舗数は全国第6位、飲食店数は全国第12位と全国一小さい県にしては数多い。 1980年代までは伝統的な個人経営の小売店舗が多数を占めていたが、1990年代以降、都市化やモータリゼーションの進行、大量消費社会の浸透により、全国や中国・四国地方で展開するスーパーマーケットやコンビニ、電器店などのチェーン店舗が郊外の幹線道路沿いに多数開店し、生活する上での利便性が増した一方、バブル経済の崩壊もあいまって各市ともほぼ例外なく中心市街地がドーナツ化現象により空洞化し、都市部の地価の下落が進んだ。その反動で特に高松市では2000年代に中心市街地周辺への高層マンションの建設が相次ぎ、複数の再開発事業など公共投資が活発に展開された結果、小売店舗の中心市街地への新規出店などにより活気や人通りが戻りつつある。 第三次産業が香川県の産業に占める割合は大きく、情報通信業、卸売・小売業、サービス業それぞれの従事者数の割合は四国各県で最高であるほか、中国四国地方でも広島県に次いで2番目に高くなっている。 ※太字は上場企業 県庁所在地の高松市には四国地方4つの県警察を監督する中国四国管区警察局四国警察支局が置かれている。そのうち香川県内を管轄するのは香川県警察本部以下12の警察署である。 2014年(平成26年)の香川県内の刑法犯認知件数は8,802件。人口1000人当りに換算すると8.71件であり、国内第16位と全国平均(9.44件)を下回っていた。また、件数は減少傾向が続いている。 地域別に見ると高松地域が9.70件、東讃・小豆島地域が5.74件、中讃地域が10.16件、西讃地域が5.28件となっている。警察署別に見ると数値の高かったのは高松北署13.28件、丸亀署11.07件、坂出署10.58件の順であった。数値の低かったのは小豆署4.42件、観音寺署4.60件、高松西署4.76件の順であった。 香川県警は丸亀署と善通寺署を統合して新署を設置するにあたって、現在高松市に置かれている交通機動隊を分散させて、中讃分駐隊を同新署に新設し、治安の回復を図ろうとしている。 香川県内の唯一の空港は高松空港である。高松市香南町由佐に所在する国管理空港で、国内線では東京、成田、那覇の3都市へ、国際線ではソウル、上海、台北、香港の4都市へ定期便が運行している。上海便は格安航空会社によって2011年(平成23年)3月末に就航する予定であったが、東日本大震災や福島第一原発の事故の影響(主に風評被害)で就航が延期され、同年7月15日から週2回で運航が開始された。成田、台北への路線は2013年(平成25年)に運航が開始されたものである。 利用客は香川県のほか一部徳島県にも及び、徳島県を放送エリアとする四国放送では高松空港発着のツアーCMが流されることがある。 香川県は四国の鉄道の集中点であり、予讃線と高徳線は高松駅から、土讃線は多度津駅から四国各県へ鉄道路線を延ばしている。四国で唯一、四国全県の県庁所在地と優等列車で直結されている県であり、その全列車が発着している列車運用上の集中点である高松駅は、一大ターミナル駅としてJR四国で最大の利用客数を有する。また、県内のJRの路線は神奈川県・大阪府・滋賀県と同じく四国内で唯一、すべて幹線で、地方交通線は存在しない。 なお、香川県では、平成の大合併により鉄道が通っていない市町村と鉄道が通る市町村が合併したことで、2020年現在、離島部を除く四国本土部のすべての市町村に鉄道が通っている。 香川県で最初の鉄道は1889年(明治22年)5月23日に讃岐鉄道によって開通した丸亀 - 多度津(現駅とは別の場所) - 琴平(現・予讃線、土讃線)間であり、県庁所在地の高松ではなかった。その高松には8年後の1897年(明治30年)2月21日に丸亀から順延する形で開通した。その後、讃岐鉄道は山陽鉄道に買収されるものの、直後に国有化される。国鉄はその後順次路線を拡大していき、1925年(大正14年)8月1日には高徳線を開業させるに至った。一方、私鉄は1911年(明治44年)11月18日には東讃電気軌道(現・ことでん志度線)、1912年(明治45年)4月30日には高松電気軌道(現・ことでん長尾線)、1926年(大正15年)12月21日には琴平電鉄(現・ことでん琴平線)が相次いで開業している。他にも大正から昭和にかけて、琴平参宮電鉄、琴平急行電鉄、塩江温泉鉄道などの私鉄が開業したが、いずれも経営不振や太平洋戦争への資材供出などにより廃止されている。また、1917年(大正6年)5月20日には高松市内を走る路面電車(市内線)が開通し、市民の足として盛況していたが、1945年(昭和20年)7月4日の高松空襲による戦災で復興されずに廃止されている。 戦後は県内の鉄道に関して大きな変化は無かったが、1988年(昭和63年)4月10日に瀬戸大橋が開通すると本四備讃線(瀬戸大橋線)が開業し、本州の鉄道と直結されることによって県内はもとより四国各県の鉄道事情は大きく変化、向上した。 四国新幹線の計画があるが、実現の見通しは全く立っていない。このため2016年3月の北海道新幹線開業により、四国は日本の主要4島で唯一高速鉄道の存在しない島となっている。 香川県に事業拠点を置く路線バス事業者。 東西に長い香川県を高松自動車道が貫通し、対岸の本州とは瀬戸大橋(瀬戸中央自動車道)で結ばれている。一般国道は高松道と平行する国道11号が県内の最重要動脈になっており、南の讃岐山脈を越える幹線道路も多数存在する。 平地の多い香川県は国内でも特に道路事情が良く、すべての主要国道は4車線以上のバイパスが完備されているほか、幹線道路として機能する県道や市町道もほぼすべてが4車線以上の規格の高い道路で構成されている。この道路事情は数値にも表れており、国道・県道において道路改良率は86.8%、歩道設置率は44.7%であるほか、道路舗装率は99.9%で国内3位となっている。また、それ以下の市町村道においても改良率60.0%、舗装率94.0%、歩道設置率5.4%と水準が極めて高い。 以下の国道は国土交通省四国地方整備局管理 以下の国道は香川県管理(将来は国土交通省四国地方整備局管理になる予定) 香川県は瀬戸内海に特に多くの離島を抱えていたり、四国自体が本州に対しての島であることから海上交通は非常に重要な交通手段の一つである。その中には坂出港や丸亀港など臨海工業地帯に重要な役割を果たしている港や、土庄港など旅客輸送に特化した港、その両方の性格を有する高松港などさまざまな性格を持つ港が存在する。 香川県内における公的病院はいずれも隣県の岡山大学と徳島大学の医局が大きな影響力を占めており、県内唯一の大学病院である香川大学医学部はこの二大学閥に及んでいない。主な病院としては香川県立中央病院・香川労災病院・三豊総合病院が岡山大学、高松市立みんなの病院・四国こどもとおとなの医療センターが徳島大学であり、坂出市立病院は例外的に香川大学の医局が占める公的病院であるが、ここも経営再建以前は岡山大学の影響下にあった。そもそも香川大学医学部(旧香川医科大学)も開学時から教授の出身が岡山大学に偏っているほか、関連病院の少なさもあって卒業生が県内に定着しないといった風潮も特徴的である。 香川県内では公立小学校・中学校の通学区域を指す通称を、東日本を中心とした広い範囲で用いられる「学区」ではなく「校区」と呼ぶ。学区は主に県立高校の通学区域を指す場合にのみ用いられるため、県内で単に「学区」といった場合にはより広域的な意味合いを持つ。ただし、「学区」は県内の小中学校のそれを指す通称としては通用しないが、対岸の岡山県南部では小中学校の通学区域を指して広く使われており、また香川県と岡山県は同一の放送エリアであるためテレビのローカルニュースなどでは「学区」を耳にすることがある(香川県内の小中学校を指すときは通常通り「校区」と呼称する)。 国立の香川大学教育学部附属小学校が2校(高松・坂出)あり、私立の小学校は1校もない。 国立の香川大学教育学部附属中学校が2校(高松・坂出)あり、県立中学としては高松北中学校(高松北高校に併設)がある。また、私立の中高一貫校は4校。 県立高校の学区は東と西で2つに分かれており、東では高松高校、西では丸亀高校を頂点として、各学区内にて受験生の間で序列化されている。私立は一部の進学校を除いて主に滑り止め扱いであり、公立の人気が根強い。2003年(平成15年)ごろに高松高校が定員割れしたり、新設校である三木高校、高松桜井高校などの人気が上昇したり、新しい動きも出ているものの、学区内トップ校である高松高校、丸亀高校の人気の高さは変わっていない。二学区を一学区にすることも検討されたが、高松市の高校に対して県下全域から人気が集中する可能性があり、高松市内に居住する者が競争率の影響で学力に関係無く近隣の高校に進学しにくくなるなどの弊害が指摘されたため、各方面からの強い反発を受けて見送られた。 公立、私立はなく、国立のみ1校だけ存在する。(2009年(平成21年)10月1日に高松工業高等専門学校と詫間電波工業高等専門学校が統合されて香川高等専門学校となった。) 民放テレビ局においては、岡山県・香川県は同一のエリアとして扱われており、民放テレビの送信所親局は岡山県金甲山に置かれている。NHK総合・Eテレは香川県域の放送で、親局は前田山。前田山には民放の中継局も設置されている。 テレビ中継局数は27か所あるが、各局の中継局数が統一されているわけではない。香川県内ではNHK総合・Eテレ>RNC>KSB>RSK=OHK>TSCの順であり、TSCは7か所の設置である。 県域FM局及びRNCのFM補完放送の中継局は、デジタルテレビとは異なり五色台に設置されている。 日本アマチュア無線連盟 (JARL) を免許人とするアマチュア無線用中継局が県内7箇所に設置されている。 香川県のほぼ全域で讃岐弁が話されており、県内では西と東で違いがあり、大まかに東讃弁と西讃弁に区別されるが、現在は、東西の差も少なくなっており、メディアの発達に伴い、若い世代を中心に共通語化が進んでいる。瀬戸内海の島々では独特の方言や岡山弁に近い方言が使われているところもある。 2007年(平成19年) - 2009年(平成21年)家計調査によれば県庁所在地の高松市では全国平均と比較して以下のような特徴が見られた。特筆すべきは家庭内・外食ともうどんの消費が国内1位であるばかりか、全国平均や直近の2位と比べても圧倒的大量なことである。逆に大衆食品と目される食品のうちスパゲッティやハンバーグ、緑茶、ビールは香川県が日本で最も消費されていない都道府県である。さらに特徴的なのは、雨が降らず日照時間も長い気候を反映してティッシュペーパーやトイレットペーパーの紙類の消費が最低な点である。 うどんの生産量が日本一であり、オリーブ・金時人参・マーガレット・レタス、ニンニクなどの生産も盛んである。中でも、オリーブの日本での栽培は、小豆島で1907年(明治40年)に初めて成功したとされる。 2011年(平成23年)10月11日、県観光協会の特設サイトが開設された。内容は、県名を「うどん県」に改名するという架空の設定のもと、県出身の俳優、要潤を副知事役に配するとともに、その他の県出身有名人を出演させた動画の閲覧を主とするものである。これは、県の広報活動の一環として、県名物のうどんをきっかけに県の魅力を内外にPRしようとする趣旨のもので、同日の公開開始後、一時アクセスが集中してサーバーがダウンするなど、インターネットを中心に反響を呼んでいる。さらに観光振興課が「うどん県。それだけじゃない香川県」プロジェクトをスタートさせ、うどん以外の瀬戸内海・食・アートなど「それだけじゃない香川県」の魅力の情報発信にも取り組んでいる。2012年6月には源平合戦を題材に全員が女性配役の「かがわ源平紅白キャラバン隊」が発足した(かがわ源平紅白キャラバン隊)。 キャラクターはうどん健(声は同県出身の声優中村悠一)である。 2012年(平成24年)11月8日『現代用語の基礎知識』選 ユーキャン新語・流行語大賞の候補語50語にノミネートされたが、入賞にはならなかった。ポケットモンスターのキャラクター「ヤドン」を「うどん県PR団」に任命しており香川県の観光に一役買っている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "香川県(かがわけん)は、日本の四国地方に位置する県。県庁所在地は高松市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "令制国の讃岐国に当たる。県名は旧讃岐国のほぼ中央に存在し、かつて高松が属していた古代以来の郡である香川郡から採られた。面積は47都道府県で一番小さく、1945年~1972年にかけてアメリカの統治下であった沖縄県を除くと最も遅く独立した県である。都市の利便性と豊かな自然が調和した生活環境を持つ。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "日本で最も面積が狭い都道府県である。かつては大阪府の面積を上回り46位であったが、1988年10月1日に国土地理院が算定法を見直し、岡山県玉野市との間に境界未定部分がある香川郡直島町の面積(14.2km)を県全体の面積に算入しないことになったため面積が減少し、大阪府と逆転した。その後、大阪府では関西国際空港(関空)の開港や大阪市西部の開発などで埋め立てが進められたため、現在では直島町を含めた参考値よりも大阪府のほうが面積が大きくなっている。県全体の面積は日本一面積の大きい市町村である岐阜県高山市よりも狭い。また、平野が県土のほぼ半分を占めている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "人口密度は全国11位で、四大都市圏に属する9都府県(一都三県・愛知県・京都府・大阪府・兵庫県・福岡県)と沖縄県に次いで高い。可住地面積比率は全国10位、居住室畳数は全国9位、誘導居住面積水準以上世帯割合は全国11位、自然災害は少ない方から全国3位である(2008年統計)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "県庁所在地である高松市は、四国の玄関口であり、四国を統轄する国の出先機関のほとんどや、多くの全国的規模の企業の四国支社や支店、また四国電力やJR四国といった、四国を代表するような企業の本社などが置かれ、四国の政治経済における中心拠点である。高松市の人口41万人は四国内では、愛媛県松山市の50万人を下回るものの、高松都市圏の人口規模は松山都市圏を上回り、四国最大である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "古来より雨量、河川の流水量ともに少なく旱魃に備えて県内各地に14,000を超える数のため池が点在している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "北部に広がる瀬戸内海には、小豆島など多くの島々が点在している。本州の岡山県とは島々を伝う形で架けられた瀬戸大橋により、道路・鉄路で結ばれている。岡山駅と高松駅は快速「マリンライナー」で約1時間程度でアクセスが可能である。瀬戸内海を越えた岡山県との結びつきは強く、民間テレビ放送局が同一のエリアになる程である(「岡高地区」を参照)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "麺のコシがしっかりとした讃岐うどんや、こんぴらさんの愛称で親しまれる金刀比羅宮、空海の生誕地としても知られる善通寺(四国八十八箇所の一つ)、寛永通宝の銭形砂絵で知られる観音寺、対岸の倉敷市児島から坂出市にかけて海上に架けられた瀬戸大橋などが有名である。うどんの消費量は全国一であり、香川県も「うどん県」として押し出している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "正月には、餡餅の入った白味噌仕立の雑煮「餡餅雑煮」を食べる風習が東部を中心とする一部にある。江戸時代、讃岐の国では塩・木綿そして香川県東部を領有した高松藩が奨励した砂糖が特産で、「讃岐三白」と呼ばれていた。このうち砂糖は幕府への献上品として多くが用いられ、庶民の口には滅多に入らなかったことから「せめて正月ぐらいは砂糖を使った餡の入った甘い餅を食べたい」という思いから餡餅雑煮が誕生したと言われている。ただ、食べる県民と食べない県民の比率は半々であり、好みが分かれる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "香川県庁舎の設計者は丹下健三であり、この他にも丹下は香川県立体育館や県営一宮団地も設計している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "救急病院数は全国2位、救急車搬送所要時間は全国3位、介護老人保健施設普及率は全国8位、看護師数は全国14位、医師数は全国12位である。また、2009年度と2010年度の有効求人倍数はそれぞれ全国1位、2位である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "県内を供給区域とする電力会社は四国電力であるが、岡山県に隣接した島嶼部である香川郡直島町および小豆郡の全域は、海底地形の理由から四国電力ではなく中国電力の供給区域となっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "香川県は四国の北東部に位置し、北部には瀬戸内海に面して讃岐平野が広がる。南部は山がちで、讃岐山脈が連なる。最高峰は竜王山で1059.9mあるが、丘陵部は500 - 800mで各地峠越えに行き来が行われた。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "多島海である瀬戸内海には小豆島をはじめ、塩飽諸島や直島諸島など約110余りの島々が存在する。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "川が少なく、またどれも33 - 38kmぐらいで短いため、昔から渇水対策に手を焼いてきた。このため、道守朝臣(みちのかみあそん)が造り、空海が修築したことで知られる満濃池をはじめとするため池が県内に14,000余あり、国内有数の数である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "国土地理院地理情報によると香川県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは92.15km、南北の長さは61.29kmである。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "瀬戸内海式気候で晴天の日が多く雨量が少ないのが特徴である。日照時間が長いことが塩の生産・発展に役立ち、「塩田王国香川」と言われた。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "積雪も一冬に1 - 2回程度は起こるが、大雪は少ない。また夏は瀬戸内海の「凪」や四国山地越えのフェーン現象などの影響で、猛暑日や熱帯夜になる日も少なくない。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "地域区分は広義・狭義とも県民生活の基盤にもなっており、この区分によって気候・風土・方言(讃岐弁参照)なども異なっている。香川県は江戸時代、歴史的な背景から東は高松藩が治める東讃、西は丸亀藩が治める西讃に二分されていた。しかし、地方行政や住民の生活感覚などから自然的に実際は5つに大別するものと考えられるが近年は交通手段の発達により地域区分も薄らいでいる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "東西に長い香川県を分けて考える場合、最も多く用いられるのが五色台を境に東部を「東讃」(とうさん)、西部を「西讃」(せいさん)とする概念である。この名称は香川県が旧讃岐国の範囲と合致しているため、旧国名である「讃岐」に東・西を冠した言い方である。このスケールは県民の会話上でも西讃のことを「西の方」や単に「西」、東讃のことを「東の方」や単に「東」と呼ぶことで通用するほど定着した概念である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "この方式に沿った言い方に「中讃」(ちゅうさん)があるが、こちらはより狭い範囲を表すものであり、このスケールでは同じ「西讃」といった場合でも指し示す範囲が異なる。同じように「東讃」も高松地域・小豆地域を除いた範囲を指す狭義が存在する。小豆地域は狭義の東讃にも含むとする概念もあるが、小豆島は航路で結ばれているのがすべて高松であるため、直接の結びつきがない香川県東部とは分けて小豆地域、あるいは単に小豆島とする場合が多い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "その他にも、東讃に高松市を含んだ上で残りの西部を中讃、西讃の計3つで分ける概念もあるが、この場合では県都の位置する地域が中讃であると捉えられる場合があるため、あえて県都の高松市を別格として「高松地域」とする場合がほとんどである。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "行政区分や天気予報、県立高校の学区などでも用いられるこの区分は自治体ごとに区切られているため、市町村合併により所属地域が変化する例が多く見られた。特に平成の大合併では高松市へ合併した綾歌郡国分寺町の所属地域が西讃から東讃へ変わったほか、木田郡庵治町と牟礼町が同じく高松市への合併により、狭義の東讃から高松地域へ所属地域が変わった。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "8市5郡9町を含む。香川県では、地方公共団体としての町はすべて「ちょう」と読む。なお、村は1970年に消滅している。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "約2万年前の旧石器時代人が永く住み着いた国分台遺跡群が知られている。同遺跡群は、高松市と坂出市の境に南北にのびる標高400メートルの台地上および斜面上に立地し、高松市(旧綾歌郡国分寺町)に所在する。そこからは、サヌカイト製のナイフ形石器、尖頭器、楕円形石器、舟底形石器、錐などの生活必需石器が大量に出土した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "縄文時代晩期後半の林防城遺跡(高松市)で、当時の土器と木製諸手狭鍬が出土しているなどから、県下にも稲作が伝播し、水田耕作が行われたと推定されるが、他に水稲耕作に直接かかわる道具や同時に伝播するはずの文化要素が見当たっていない。また、水稲耕作に従事したムラの形跡がない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "『日本書紀』などには讃岐国は洪水や旱魃、地震などの自然災害が多い土地であると記されており、讃岐ではため池の開発や雨乞い儀式などが行われていた。大宝年間から工事が開始され、弘法大師空海が修築工事を指導したとされる満濃池のほか多くのため池が開発され、それより耕地は灌漑された。菅原道真も、一時は讃岐国国司となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "平安時代には関東地方での平将門の乱に乗じて藤原純友が伊予国で蜂起し、純友は讃岐国の国府を陥落させた。朝廷が追捕使として小野好古を派遣すると讃岐国の武士も乱の平定のために戦う。保元の乱で敗れた崇徳上皇は讃岐国に流刑され、讃岐国で死んだ。平安時代後期には源平合戦の1つである屋島の戦いが行われる。一ノ谷の戦いで源義経に敗れた平氏は屋島の戦いにおいても義経軍の背後からの急襲で敗北し、以後平氏は瀬戸内海における制海権を失った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "鎌倉新仏教派の法然も流刑されたことで有名。足利尊氏らの活躍で鎌倉幕府が滅亡して、後醍醐天皇の建武の新政が始まると、讃岐国には足利氏の一門である細川定禅が入った。以後、南北朝時代を経て室町時代を通じて、細川氏が守護大名として讃岐国を支配した。室町幕府内での政争に敗れて南朝に与した細川清氏は、従弟の細川頼之と戦い、敗れた(白峰合戦、現宇多津町・坂出市)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "讃岐国では、管領を務めた細川京兆家が室町期を通じて守護職を執った。このため阿波国人と同様に讃岐国人も中央へ出る機会が多く、香西氏、香川氏、安富氏、奈良氏の四氏は細川四天王と称されたという(南海通紀)。戦国時代初期には讃岐国人と思われる香西氏が山城国守護代を務めるなど重職にも就いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "戦国時代には讃岐国の分郡守護代である安富氏と香川氏が東西で大きな勢力を擁し、両者中間の香西氏、阿野氏、鵜足郡に長尾氏、奈良氏、羽床氏など中小豪族が乱立していた。しかし安富氏は細川・三好氏の援助を受けた三木郡の十河氏に臣従し、若干の抵抗があったが讃岐国は三好氏の支配下に入った。三好氏は三好長慶の弟である十河一存に讃岐国を任せた。真偽は不明だが、この時期に毛利氏が讃岐に攻め入った元吉合戦があったとされる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "土佐国を統一した長宗我部氏が三好・織田氏の内乱に乗じて讃岐へ侵攻する、これにより織田信長による四国攻めを招くことになった。豊臣秀吉が四国平定に取りかかると讃岐へは宇喜多秀家を総大将とする豊臣軍が侵攻し、長宗我部元親が秀吉に屈服すると讃岐は仙石秀久に与えられ、その後は尾藤知宣、生駒氏が相次いで封ぜられる。当初は宇多津聖通寺城に拠点が置かれたが、手狭のため高松に新城が築かれ拠点とされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "生駒氏が生駒騒動によって出羽国へ移されると、水戸徳川家の嫡流である松平頼重が高松に入って東讃高松藩12万石を、京極氏が丸亀に入って西讃丸亀藩5万1千石を領する。途中、京極丸亀藩は支藩として多度津藩1万石を分立させたため、江戸時代の讃岐国には3つの藩が並立することになった。高松藩からは平賀源内が出ている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "このころには、讃岐国の小農家と阿波国北部の山間農家の間で借耕牛の交流が始まっていた。なお、吉備国から古代に分立された備前国より、直島諸島と小豆島が讃岐国に移されたのは江戸年間のことと思われる。幕末には高杉晋作を匿った日柳燕石が出ている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "災害としては、宝永4年(1707年)10月に西日本を襲った宝永地震(東海・東南海・南海連動型地震)の被害は讃岐国にも及び、牟礼・庵治の五剣山の一角が崩れ落ち、各地の家や堤防も崩れたところに1 - 2メートルの高さの津波が押し寄せた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "徳川時代の讃岐国には、高松藩、丸亀藩、多度津藩の3藩と、徳川幕府の直轄地である天領、津山藩の飛地が分立していた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の廃藩置県により、高松藩は高松県、丸亀藩は丸亀県、多度津藩と天領は倉敷県、津山藩の飛地はそのまま津山県となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "その直後に、倉敷県の管轄地が丸亀県へと移された後に、同年に高松県と丸亀県が合併されて香川県(1873年2月19日以前)が設置され、1872年(明治5年)に小豆島西部を編入して、現在の香川県(1888年12月3日以後)と同じ管轄範囲(行政区画は1888年12月3日に分割)となる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "しかし、1873年2月20日には名東県(後の徳島県)に編入されるも、2年後の1875年9月5日に香川県(1875年9月5日〜1876年8月20日)として分離されたが、翌年1876年8月21日には愛媛県に編入された。度重なる編入の度に、地理的要因や地域文化や住民意識などで食い違いが発生し、香川県として単独の県の設置を望む声が再び高まり、12年後の1888年12月3日に香川県が復活して、現在に至る。なお、1888年の香川県の分離独立を最後に、東京府と東京市の合併(1943年7月1日)や、第二次世界大戦後にアメリカの統治下に置かれた沖縄県の日本再編入(1972年5月15日)などの特殊な事例を除いて、新しい県の設置はなく、この1888年12月3日に現在の47都道府県体制がほぼ確立したことになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "「香川県」の名称は、高松市が所属していた香川郡から取ったもので、いわば郡名を県名にしたものである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "明治から大正にかけて香川県で鉄道敷設競争が起こり、讃岐鉄道(のちの国鉄)、琴平参宮電鉄、琴平電鉄(後の高松琴平電気鉄道)、琴平急行電鉄の4社が高松 - 丸亀 - 琴平間で競って鉄道を敷設した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2010年(平成22年)国勢調査速報によると、香川県の総人口は前回調査より1.6%減少し、30年ぶりに100万人を下回った。2019年の合計特殊出生率は1.59であり、四国トップかつ全国平均を超えている。しかし人口維持に必要な2.07には届いておらず、他の多くの都道府県と同様に自然減となっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "社会動態においても、香川県は四国の中心地として社会増の時期もあったが、2016年からは転出が転入を上回り、社会減に転換した。転入者の出身地は、2020年で1位愛媛県(2114人・11.4%)、2位大阪府(1568人・8.4%)、3位東京都(1495人・8.0%)となっている。転出先は、1位大阪府(2,208人・10.8%)、2位東京都(2,031人・9.9%)、3位愛媛県となっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "傾向として、四国のほかの県から流入し、首都圏や関西に人口が流出するという特徴がある。交通や経済、文化の面で結びつきの強い岡山県との人口の転出入割合も大きい。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "市町別でみると、2021年7月1日時点では、人口が増えている自治体は1つもない。社会増となっているのは、丸亀市、土庄町、宇多津町、直島町の1市3町で、そのほかはすべて社会減である。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "香川県は他の四国の県に比べて鉄道網が充実しているため、高松市のベットタウンとして予讃線沿線は人口減少が控えめとなっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "人口首位の高松市は中核市に含まれている。人口2位の丸亀市は、県庁所在地を除くと人口10万を超える四国では数少ない都市である。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "高松都市圏は四国最大の都市圏であり、西讃と島しょ部を除いた全ての地域で構成している。瀬戸大橋を挟んだ先の岡山都市圏との経済的結びつきが強いことから東瀬戸経済圏と呼ばれることもある。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」が2020年3月18日に可決され、同年4月1日に施行された。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "条例では18歳未満のコンピューターゲームの使用は1日60分(休日は90分)まで、スマートフォンにおいては中学生以下は午後9時、18歳未満は午後10時以降の使用を控えると言った“目安”を設けている。 なお、学習や家族との連絡のためのスマートフォンなどの使用は対象とならない。 また条例に違反しても罰則などの規定はないとしている。このため、実効性には疑問の声もある。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2020年1月23日から同年2月6日までの15日間、県民から条例に関するパブリックコメントを募集し、期間内に合計2613人の県民から意見を得た。 意見を寄せた県民のおよそ9割にあたる2268人から同条例に関する賛成票を、333人からは反対票だった。 その一方で、意見を寄せた県内外の69の団体と事業者のうち、賛成は1団体にとどまり、反対は68団体/事業者になった。 条例ではゲーム開発企業など事業者に対し、課金システムなどゲーム依存症を進行させる恐れのある事業への自主的な規制を求めており、団体/事業者から反対票を得ることとなった。 また、パブリックコメントの募集期間が極端に短かったこと、通常は公表されるパブリックコメントの内容が公表されない事などが問題点として指摘されている。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "県内の高校生がこの条例に対し幸福追求権や自己決定権などの基本的人権を侵害しており違憲であるとして県に対し損害賠償を求める訴えを起こしている。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "現職 池田豊人", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "地方債残高", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "情報公開について都道府県と全市を対象に実施された2011年度全国情報公開度調査では、香川県は80満点中62点だった。県内の市で最高は高松市の80点、最低は東かがわ市の30点だった。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "中選挙区時代は2区体制だったが小選挙区になってからは3区体制となる。かつては自民党と社会党と半々だったが、1990年代以降は3区すべてで自民党公認または推薦の候補が当選していた。2009年(平成21年)の総選挙で1区・2区を民主党が制し、オール自民党体制は幕を下ろした。また、2012年(平成24年)の総選挙では民主党が2区を制したが、これは中国・四国・九州地方で唯一民主党が議席を獲得した小選挙区となった。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "10数年自民党が議席を独占した後に、2007年(平成19年)の選挙で民主党公認の女性候補である植松恵美子が当選した。さらに2010年(平成22年)に自民党所属の山内俊夫が離党し、改革クラブに入党したため、自民党所属の議員がゼロとなったが、同年の選挙で自民党の公募による新人の磯﨑仁彦が初当選し、再び自民党所属の議員が復活した。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "香川県は山岳地帯が少なく全域にわたって平地が多くを占めているため、県内全域に稲作を中心とした農地が広がっている。また、それらはほぼすべてが古来より続く小規模農地であり、農業目的の干拓地のような計画的な大規模農業はほとんど行われていない。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "米の作付面積はヒノヒカリが全体の45.9%と最も多く、次いでコシヒカリ37.4%となっており、この2品種で全体の8割以上を占めている。これら主食用うるち米の6割は県内で消費され、残り3割は大阪府、1割は兵庫県に向けて出荷されている。麦の作付面積はさぬきの夢2000が68.5%、イチバンボシが31.2%でこの2品種でほぼすべてを構成している。野菜の生産量で最も多いのはレタスで、次いでたまねぎ、ブロッコリー、きゅうり、ねぎ、いちごの順となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "2004年(平成16年)には高松市、丸亀市、坂出市、宇多津町に設定されていた市街化調整区域(いわゆる線引き)が全廃されたため、急速に開発が進み農地が次々と宅地に転用されている。特に丸亀市では線引き廃止後の3年間でそれまでの134倍もの面積が開発許可を受けている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "香川県の形状は讃岐山脈のある南側を弦に見立てた弓なりになっているため、北・西・東すべてが瀬戸内海に面し、そのほか瀬戸内海には漁業が主要産業となっているような離島も多く抱えているため県として水産業は重要な産業の一つでもある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "そのような主要産業であるが瀬戸内海特有の赤潮の発生は香川県の水産業に大打撃を与えるため、県によって赤潮研究所が置かれているほどである。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "坂出市には瀬戸内工業地域の一翼を担う番の州臨海工業団地があり、造船、石油などの企業が立地している。また、四国地方に対する物資の集散地となっている高松市には運輸、卸売を主とした企業が朝日町、福岡町、木太町北部、郷東町、香西地区などの沿岸部に集積し、食品や印刷など市場指向型、軽工業系の工場もその周辺に位置している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "工業の製造品出荷額等は番の州を擁する坂出市が県内で突出して多く7685億円、次いで高松市の3296億円、三菱マテリアル製錬所がある直島町の2392億円と続いている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "建設業では穴吹工務店といった大企業の本社があるものの、産業全体に占める従事者数の率は中国・四国地方各県では広島県に次いで2番目に低く、土建屋が産業構造に幅を利かせるといった地方に特有の性格は薄い。逆に製造業従事者が占める率は四国最大であるほか、中四国でも広島県、岡山県に次いで3番目に多い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "面積の大部分が平地で占められている香川県は全域に人口が分布しているため、その需要に対応して最寄品を取り扱う大型商業施設などのロードサイド店が県内の広い範囲に分布している。特に高松市は四国最大規模の高松都市圏の中心都市であり、周辺からの圧倒的な集客力を有している。そのため情報通信業や金融保険業は大部分が高松市に集中しており、日用買回品を販売する小売業も多くが高松市に本社あるいは事業所を置いている。高松市では日本一長いアーケードを有する高松中央商店街周辺が一大商業地区となっているほか、それに準じてゆめタウン高松も県内外に対して大きな集客吸引力を持っている。大型小売店舗数は全国第6位、飲食店数は全国第12位と全国一小さい県にしては数多い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "1980年代までは伝統的な個人経営の小売店舗が多数を占めていたが、1990年代以降、都市化やモータリゼーションの進行、大量消費社会の浸透により、全国や中国・四国地方で展開するスーパーマーケットやコンビニ、電器店などのチェーン店舗が郊外の幹線道路沿いに多数開店し、生活する上での利便性が増した一方、バブル経済の崩壊もあいまって各市ともほぼ例外なく中心市街地がドーナツ化現象により空洞化し、都市部の地価の下落が進んだ。その反動で特に高松市では2000年代に中心市街地周辺への高層マンションの建設が相次ぎ、複数の再開発事業など公共投資が活発に展開された結果、小売店舗の中心市街地への新規出店などにより活気や人通りが戻りつつある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "第三次産業が香川県の産業に占める割合は大きく、情報通信業、卸売・小売業、サービス業それぞれの従事者数の割合は四国各県で最高であるほか、中国四国地方でも広島県に次いで2番目に高くなっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "※太字は上場企業", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "県庁所在地の高松市には四国地方4つの県警察を監督する中国四国管区警察局四国警察支局が置かれている。そのうち香川県内を管轄するのは香川県警察本部以下12の警察署である。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "2014年(平成26年)の香川県内の刑法犯認知件数は8,802件。人口1000人当りに換算すると8.71件であり、国内第16位と全国平均(9.44件)を下回っていた。また、件数は減少傾向が続いている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "地域別に見ると高松地域が9.70件、東讃・小豆島地域が5.74件、中讃地域が10.16件、西讃地域が5.28件となっている。警察署別に見ると数値の高かったのは高松北署13.28件、丸亀署11.07件、坂出署10.58件の順であった。数値の低かったのは小豆署4.42件、観音寺署4.60件、高松西署4.76件の順であった。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "香川県警は丸亀署と善通寺署を統合して新署を設置するにあたって、現在高松市に置かれている交通機動隊を分散させて、中讃分駐隊を同新署に新設し、治安の回復を図ろうとしている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "香川県内の唯一の空港は高松空港である。高松市香南町由佐に所在する国管理空港で、国内線では東京、成田、那覇の3都市へ、国際線ではソウル、上海、台北、香港の4都市へ定期便が運行している。上海便は格安航空会社によって2011年(平成23年)3月末に就航する予定であったが、東日本大震災や福島第一原発の事故の影響(主に風評被害)で就航が延期され、同年7月15日から週2回で運航が開始された。成田、台北への路線は2013年(平成25年)に運航が開始されたものである。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "利用客は香川県のほか一部徳島県にも及び、徳島県を放送エリアとする四国放送では高松空港発着のツアーCMが流されることがある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "香川県は四国の鉄道の集中点であり、予讃線と高徳線は高松駅から、土讃線は多度津駅から四国各県へ鉄道路線を延ばしている。四国で唯一、四国全県の県庁所在地と優等列車で直結されている県であり、その全列車が発着している列車運用上の集中点である高松駅は、一大ターミナル駅としてJR四国で最大の利用客数を有する。また、県内のJRの路線は神奈川県・大阪府・滋賀県と同じく四国内で唯一、すべて幹線で、地方交通線は存在しない。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "なお、香川県では、平成の大合併により鉄道が通っていない市町村と鉄道が通る市町村が合併したことで、2020年現在、離島部を除く四国本土部のすべての市町村に鉄道が通っている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "香川県で最初の鉄道は1889年(明治22年)5月23日に讃岐鉄道によって開通した丸亀 - 多度津(現駅とは別の場所) - 琴平(現・予讃線、土讃線)間であり、県庁所在地の高松ではなかった。その高松には8年後の1897年(明治30年)2月21日に丸亀から順延する形で開通した。その後、讃岐鉄道は山陽鉄道に買収されるものの、直後に国有化される。国鉄はその後順次路線を拡大していき、1925年(大正14年)8月1日には高徳線を開業させるに至った。一方、私鉄は1911年(明治44年)11月18日には東讃電気軌道(現・ことでん志度線)、1912年(明治45年)4月30日には高松電気軌道(現・ことでん長尾線)、1926年(大正15年)12月21日には琴平電鉄(現・ことでん琴平線)が相次いで開業している。他にも大正から昭和にかけて、琴平参宮電鉄、琴平急行電鉄、塩江温泉鉄道などの私鉄が開業したが、いずれも経営不振や太平洋戦争への資材供出などにより廃止されている。また、1917年(大正6年)5月20日には高松市内を走る路面電車(市内線)が開通し、市民の足として盛況していたが、1945年(昭和20年)7月4日の高松空襲による戦災で復興されずに廃止されている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "戦後は県内の鉄道に関して大きな変化は無かったが、1988年(昭和63年)4月10日に瀬戸大橋が開通すると本四備讃線(瀬戸大橋線)が開業し、本州の鉄道と直結されることによって県内はもとより四国各県の鉄道事情は大きく変化、向上した。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "四国新幹線の計画があるが、実現の見通しは全く立っていない。このため2016年3月の北海道新幹線開業により、四国は日本の主要4島で唯一高速鉄道の存在しない島となっている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "香川県に事業拠点を置く路線バス事業者。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "東西に長い香川県を高松自動車道が貫通し、対岸の本州とは瀬戸大橋(瀬戸中央自動車道)で結ばれている。一般国道は高松道と平行する国道11号が県内の最重要動脈になっており、南の讃岐山脈を越える幹線道路も多数存在する。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "平地の多い香川県は国内でも特に道路事情が良く、すべての主要国道は4車線以上のバイパスが完備されているほか、幹線道路として機能する県道や市町道もほぼすべてが4車線以上の規格の高い道路で構成されている。この道路事情は数値にも表れており、国道・県道において道路改良率は86.8%、歩道設置率は44.7%であるほか、道路舗装率は99.9%で国内3位となっている。また、それ以下の市町村道においても改良率60.0%、舗装率94.0%、歩道設置率5.4%と水準が極めて高い。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "以下の国道は国土交通省四国地方整備局管理", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "以下の国道は香川県管理(将来は国土交通省四国地方整備局管理になる予定)", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "香川県は瀬戸内海に特に多くの離島を抱えていたり、四国自体が本州に対しての島であることから海上交通は非常に重要な交通手段の一つである。その中には坂出港や丸亀港など臨海工業地帯に重要な役割を果たしている港や、土庄港など旅客輸送に特化した港、その両方の性格を有する高松港などさまざまな性格を持つ港が存在する。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "香川県内における公的病院はいずれも隣県の岡山大学と徳島大学の医局が大きな影響力を占めており、県内唯一の大学病院である香川大学医学部はこの二大学閥に及んでいない。主な病院としては香川県立中央病院・香川労災病院・三豊総合病院が岡山大学、高松市立みんなの病院・四国こどもとおとなの医療センターが徳島大学であり、坂出市立病院は例外的に香川大学の医局が占める公的病院であるが、ここも経営再建以前は岡山大学の影響下にあった。そもそも香川大学医学部(旧香川医科大学)も開学時から教授の出身が岡山大学に偏っているほか、関連病院の少なさもあって卒業生が県内に定着しないといった風潮も特徴的である。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "香川県内では公立小学校・中学校の通学区域を指す通称を、東日本を中心とした広い範囲で用いられる「学区」ではなく「校区」と呼ぶ。学区は主に県立高校の通学区域を指す場合にのみ用いられるため、県内で単に「学区」といった場合にはより広域的な意味合いを持つ。ただし、「学区」は県内の小中学校のそれを指す通称としては通用しないが、対岸の岡山県南部では小中学校の通学区域を指して広く使われており、また香川県と岡山県は同一の放送エリアであるためテレビのローカルニュースなどでは「学区」を耳にすることがある(香川県内の小中学校を指すときは通常通り「校区」と呼称する)。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "国立の香川大学教育学部附属小学校が2校(高松・坂出)あり、私立の小学校は1校もない。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "国立の香川大学教育学部附属中学校が2校(高松・坂出)あり、県立中学としては高松北中学校(高松北高校に併設)がある。また、私立の中高一貫校は4校。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "県立高校の学区は東と西で2つに分かれており、東では高松高校、西では丸亀高校を頂点として、各学区内にて受験生の間で序列化されている。私立は一部の進学校を除いて主に滑り止め扱いであり、公立の人気が根強い。2003年(平成15年)ごろに高松高校が定員割れしたり、新設校である三木高校、高松桜井高校などの人気が上昇したり、新しい動きも出ているものの、学区内トップ校である高松高校、丸亀高校の人気の高さは変わっていない。二学区を一学区にすることも検討されたが、高松市の高校に対して県下全域から人気が集中する可能性があり、高松市内に居住する者が競争率の影響で学力に関係無く近隣の高校に進学しにくくなるなどの弊害が指摘されたため、各方面からの強い反発を受けて見送られた。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "公立、私立はなく、国立のみ1校だけ存在する。(2009年(平成21年)10月1日に高松工業高等専門学校と詫間電波工業高等専門学校が統合されて香川高等専門学校となった。)", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "民放テレビ局においては、岡山県・香川県は同一のエリアとして扱われており、民放テレビの送信所親局は岡山県金甲山に置かれている。NHK総合・Eテレは香川県域の放送で、親局は前田山。前田山には民放の中継局も設置されている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "テレビ中継局数は27か所あるが、各局の中継局数が統一されているわけではない。香川県内ではNHK総合・Eテレ>RNC>KSB>RSK=OHK>TSCの順であり、TSCは7か所の設置である。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "県域FM局及びRNCのFM補完放送の中継局は、デジタルテレビとは異なり五色台に設置されている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "日本アマチュア無線連盟 (JARL) を免許人とするアマチュア無線用中継局が県内7箇所に設置されている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "香川県のほぼ全域で讃岐弁が話されており、県内では西と東で違いがあり、大まかに東讃弁と西讃弁に区別されるが、現在は、東西の差も少なくなっており、メディアの発達に伴い、若い世代を中心に共通語化が進んでいる。瀬戸内海の島々では独特の方言や岡山弁に近い方言が使われているところもある。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "2007年(平成19年) - 2009年(平成21年)家計調査によれば県庁所在地の高松市では全国平均と比較して以下のような特徴が見られた。特筆すべきは家庭内・外食ともうどんの消費が国内1位であるばかりか、全国平均や直近の2位と比べても圧倒的大量なことである。逆に大衆食品と目される食品のうちスパゲッティやハンバーグ、緑茶、ビールは香川県が日本で最も消費されていない都道府県である。さらに特徴的なのは、雨が降らず日照時間も長い気候を反映してティッシュペーパーやトイレットペーパーの紙類の消費が最低な点である。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "うどんの生産量が日本一であり、オリーブ・金時人参・マーガレット・レタス、ニンニクなどの生産も盛んである。中でも、オリーブの日本での栽培は、小豆島で1907年(明治40年)に初めて成功したとされる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "2011年(平成23年)10月11日、県観光協会の特設サイトが開設された。内容は、県名を「うどん県」に改名するという架空の設定のもと、県出身の俳優、要潤を副知事役に配するとともに、その他の県出身有名人を出演させた動画の閲覧を主とするものである。これは、県の広報活動の一環として、県名物のうどんをきっかけに県の魅力を内外にPRしようとする趣旨のもので、同日の公開開始後、一時アクセスが集中してサーバーがダウンするなど、インターネットを中心に反響を呼んでいる。さらに観光振興課が「うどん県。それだけじゃない香川県」プロジェクトをスタートさせ、うどん以外の瀬戸内海・食・アートなど「それだけじゃない香川県」の魅力の情報発信にも取り組んでいる。2012年6月には源平合戦を題材に全員が女性配役の「かがわ源平紅白キャラバン隊」が発足した(かがわ源平紅白キャラバン隊)。 キャラクターはうどん健(声は同県出身の声優中村悠一)である。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "2012年(平成24年)11月8日『現代用語の基礎知識』選 ユーキャン新語・流行語大賞の候補語50語にノミネートされたが、入賞にはならなかった。ポケットモンスターのキャラクター「ヤドン」を「うどん県PR団」に任命しており香川県の観光に一役買っている。", "title": "観光" } ]
香川県(かがわけん)は、日本の四国地方に位置する県。県庁所在地は高松市。 令制国の讃岐国に当たる。県名は旧讃岐国のほぼ中央に存在し、かつて高松が属していた古代以来の郡である香川郡から採られた。面積は47都道府県で一番小さく、1945年~1972年にかけてアメリカの統治下であった沖縄県を除くと最も遅く独立した県である。都市の利便性と豊かな自然が調和した生活環境を持つ。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{基礎情報 都道府県 |都道府県名 = 香川県 | 画像 = {{multiple image | border = infobox | total_width = 270 | image_style = border:1; | perrow = 2/2 | image1 = Kama-age_sanuki_udon_by_sekido_in_Takamatsu,_Kagawa.jpg | image2 = 瀬戸大橋記念公園.JPG | image3 = Shodoshima_Olive_Park_Shodo_Island_Japan21bs3.jpg | image4 = Kotohira-gu01s.jpg }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:50%">[[讃岐うどん]]<td style="width:50%">[[瀬戸大橋記念公園]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[小豆島オリーブ公園]]<td style="width:50%">[[金刀比羅宮]]</tr> </table> |都道府県旗 = {{Flagicon|香川県|size=100px}} |都道府県旗の説明 = [[香川県旗]] |都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Kagawa Prefecture.svg|80px|香川県章]] |都道府県章の説明 = 香川県章 |区分 = 県 |コード = 37000-2 |ISO 3166-2 = JP-37 |隣接都道府県 = {{flag|岡山県}}<br />{{flag|徳島県}}<br />{{flag|愛媛県}}<br/>{{flag|兵庫県}}<ref name="kaijo" group="注釈">海上を隔てて隣接</ref><br />{{flag|広島県}}<ref name="kaijo" group="注釈" /> |木 = [[オリーブ]] |花 = オリーブ |鳥 = [[ホトトギス]] |シンボル名 = 県の魚<hr>県の獣<hr>県の歌 |歌など = [[ブリ|ハマチ]]<hr>[[シカ]]<hr>[[香川県民歌]](1954年制定) |知事 = [[浜田恵造]] |郵便番号 = 760-8570 |所在地 = [[高松市]][[番町 (高松市)|番町]]四丁目1番10号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-27|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=8|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=200|frame-height=180|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}}<br />[[ファイル:Kagawa-Pref-Office-main.jpg|180px|香川県庁]] |外部リンク = {{Official website}} |位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 37 Kagawa prefecture.svg|320px|香川県の位置]]{{基礎自治体位置図|37|000|image=Map of Kagawa Prefecture Ja.svg}} |特記事項 = }} '''香川県'''(かがわけん)は、[[日本]]の[[四国地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[高松市]]。 [[令制国]]の[[讃岐国]]に当たる。県名は旧讃岐国のほぼ中央に存在し、かつて高松が属していた古代以来の郡である[[香川郡]]から採られた。面積は47都道府県で一番小さく、1945年~1972年にかけてアメリカの統治下であった[[沖縄県]]を除くと最も遅く独立した県である。[[都市]]の利便性と豊かな[[自然]]が調和した生活環境を持つ<ref name="kagawagurashi">かがわ暮らしガイドブック(香川県発行)</ref>。 == 概要 == [[File:JP-Kagawa-Great-Seto-Bridge-Minami Bisan-Seto-Bridge.jpg|250px|right|thumb|[[瀬戸大橋]]]] 日本で最も面積が狭い[[都道府県]]である。かつては[[大阪府]]の面積を上回り46位であったが、[[1988年]]10月1日に[[国土地理院]]が算定法を見直し、[[岡山県]][[玉野市]]との間に境界未定部分がある[[香川郡]][[直島町]]の面積(14.2km<sup>2</sup>)を県全体の面積に算入しないことになったため面積が減少し、大阪府と逆転した<ref>{{PDFlink|[http://www.gsi.go.jp/common/000050920.pdf 昭和63年面積調]}} - 国土地理院</ref><ref>[http://kids.tokyo-shoseki.co.jp/kidsap/downloadfr1/htm/jsd38797.htm 香川県] - 東京書籍</ref>。その後、大阪府では[[関西国際空港]](関空)の開港や大阪市西部の開発などで埋め立てが進められたため、現在では直島町を含めた参考値よりも大阪府のほうが面積が大きくなっている<ref>{{PDFlink|[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201310/opening.htm 平成25年10月1日現在の面積]}} - 国土地理院</ref>。県全体の面積は日本一面積の大きい市町村である[[岐阜県]][[高山市]]よりも狭い。また、[[平野]]が県土のほぼ半分を占めている。 [[人口密度]]は全国11位で、[[四大都市圏]]に属する9都府県([[南関東|一都三県]]・[[愛知県]]・[[京都府]]・大阪府・[[兵庫県]]・[[福岡県]])と[[沖縄県]]に次いで高い。[[可住地面積]]比率は全国10位、居住室畳数は全国9位、誘導居住面積水準以上世帯割合は全国11位、[[自然災害]]は少ない方から全国3位である(2008年統計)<ref name="kagawagurashi" />。 県庁所在地である[[高松市]]は、四国の玄関口であり、四国を統轄する国の[[出先機関]]のほとんどや、多くの全国的規模の[[企業]]の四国支社や[[支店]]、また[[四国電力]]や[[四国旅客鉄道|JR四国]]といった、四国を代表するような企業の本社などが置かれ、四国の政治経済における中心拠点である。高松市の人口41万人は四国内では、[[愛媛県]][[松山市]]の50万人を下回るものの、[[高松都市圏]]の人口規模は[[松山圏|松山都市圏]]を上回り、四国最大である。 古来より雨量、[[河川]]の流水量ともに少なく[[旱魃]]に備えて県内各地に14,000を超える数の[[ため池]]が点在している。{{要出典|date=2023年9月}} 北部に広がる[[瀬戸内海]]には、[[小豆島]]など多くの島々が点在している。[[本州]]の岡山県とは島々を伝う形で架けられた[[瀬戸大橋]]により、[[道路]]・[[鉄道|鉄路]]で結ばれている。[[岡山駅]]と[[高松駅 (香川県)|高松駅]]は[[快速列車|快速]]「[[マリンライナー]]」で約1時間程度でアクセスが可能である。瀬戸内海を越えた岡山県との結びつきは強く、民間テレビ放送局が同一のエリアになる程である(「[[岡山県・香川県の放送|岡高地区]]」を参照)。 [[麺]]のコシがしっかりとした[[讃岐うどん]]や、こんぴらさんの愛称で親しまれる[[金刀比羅宮]]、[[空海]]の生誕地としても知られる[[善通寺]]([[四国八十八箇所]]の一つ)、[[寛永通宝]]の[[銭形砂絵]]で知られる[[観音寺市|観音寺]]、対岸の[[倉敷市]][[児島地域|児島]]から[[坂出市]]にかけて海上に架けられた瀬戸大橋などが有名である。[[うどん]]の消費量は全国一であり、香川県も「うどん県」として押し出している。 [[正月]]には、餡餅の入った白味噌仕立の雑煮「[[餡餅雑煮]]」を食べる風習が東部を中心とする一部にある。江戸時代、讃岐の国では[[塩]]・[[木綿]]そして香川県東部を領有した高松藩が奨励した[[砂糖]]が特産で、「[[讃岐三白]]」と呼ばれていた。このうち砂糖は幕府への献上品として多くが用いられ、庶民の口には滅多に入らなかったことから「せめて正月ぐらいは砂糖を使った餡の入った甘い餅を食べたい」という思いから餡餅雑煮が誕生したと言われている。ただ、食べる県民と食べない県民の比率は半々であり、好みが分かれる<ref>[https://www.shikoku-np.co.jp/bl/digital_news/article.aspx?id=K2016010100000008300 アンケートでみるうどん県民の「素顔」=雑煮「あん餅派」52% 島しょ部は「あんなし」優勢 うどんは「週1以上」9割 マンバ、女性の7割超]四国新聞 2016年1月1日</ref>。 [[香川県庁舎]]の設計者は[[丹下健三]]であり、この他にも丹下は香川県立体育館や県営一宮団地も設計している。 [[救急病院]]数は全国2位、救急車搬送所要時間は全国3位、介護老人保健施設普及率は全国8位、[[看護師]]数は全国14位、[[医師]]数は全国12位である。また、2009年度と2010年度の有効求人倍数はそれぞれ全国1位、2位である<ref name="kagawagurashi" />。 県内を供給区域とする電力会社は[[四国電力]]であるが、岡山県に隣接した島嶼部である香川郡直島町および[[小豆郡]]の全域は、海底地形の理由から四国電力ではなく[[中国電力]]の供給区域となっている。 == 地理・地域 == [[ファイル:Sanuki-heiya view from Izutama-jinja Kotohira-gu01s5s4200.jpg|thumb|250px|讃岐平野と讃岐富士]] 香川県は四国の北東部に位置し、北部には[[瀬戸内海]]に面して[[讃岐平野]]が広がる。南部は山がちで、[[讃岐山脈]]が連なる。最高峰は[[竜王山 (讃岐山脈)|竜王山]]で1059.9mあるが、丘陵部は500 - 800mで各地峠越えに行き来が行われた。 [[多島海]]である瀬戸内海には[[小豆島]]をはじめ、[[塩飽諸島]]や[[直島諸島]]など約110余り<!--四国を除く-->の島々が存在する。 [[川]]が少なく、またどれも33 - 38kmぐらいで短いため、昔から[[渇水]]対策に手を焼いてきた。このため、道守朝臣(みちのかみあそん)が造り、[[空海]]が修築したことで知られる[[満濃池]]をはじめとする[[ため池]]が県内に14,000余あり、国内有数の数である。 * 行政区分:[[日本]]、[[四国|四国地方]] * 川と平野:[[湊川 (香川県)|湊川]]と鴨部川の[[大川平野]]、[[新川 (香川県)|新川]]・[[春日川 (高松市)|春日川]]と[[香東川]]の[[高松平野]]、[[綾川]]と大東川の[[坂出平野]]、[[土器川]]と金倉川の[[丸亀平野]]、[[高瀬川 (香川県)|高瀬川]]と[[財田川]]の[[三豊平野]]、他に[[詰田川]]、[[御坊川]]がある * ため池:[[満濃池]]は日本最大規模 * 用水:[[香川用水]] === 広袤(こうぼう) === {{座標一覧|節=広袤(こうぼう)}} [https://web.archive.org/web/20060707165625/http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/tyugheso.htm 国土地理院地理情報]によると香川県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは92.15km、南北の長さは61.29kmである。 {|border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="0" style="font-size:small;text-align:center" | ||北端<br />{{ウィキ座標度分秒|34|33|53|N|134|20|48|E|type:landmark_region:JP|name=香川県最北端}}<br />↑|| |- |西端<br />{{ウィキ座標度分秒|34|6|28|N|133|26|48|E|type:landmark_region:JP|name=香川県最西端}}←||中心点<br />{{ウィキ座標度分秒|34|17|18.5|N|133|56|49.5|E|type:landmark_region:JP|name=香川県中心点}}||東端<br />→{{ウィキ座標度分秒|34|14|24|N|134|26|51|E|type:landmark_region:JP|name=香川県最東端}} |- | ||↓<br />南端<br />{{ウィキ座標度分秒|34|0|44|N|133|41|17|E|type:landmark_region:JP|name=香川県最南端}}||重心<br />{{ウィキ座標度分秒|34|14|47|N|133|59|38|E|type:landmark_region:JP|name=香川県重心}} |} === 自然公園 === * [[国立公園]] ** [[瀬戸内海国立公園]](元濱崎公園) * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] ** [[大滝大川県立自然公園]](元圭公園) === 気候 === [[瀬戸内海式気候]]で晴天の日が多く雨量が少ないのが特徴である。日照時間が長いことが塩の生産・発展に役立ち、「[[塩田]]王国香川」と言われた。 [[積雪]]も一冬に1 - 2回程度は起こるが、大雪は少ない。また[[夏]]は瀬戸内海の「[[凪]]」や[[四国山地]]越えの[[フェーン現象]]などの影響で、[[猛暑日]]や[[熱帯夜]]になる日も少なくない。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+香川県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="4"|東讃 !colspan="3"|西讃 |- ![[小豆島町]]<br />[[内海町 (香川県)|内海]]!![[東かがわ市]]<br />[[引田町|引田]] ![[高松市|高松]]!![[高松市]]<br />[[香南町|香南]] ![[綾川町]]<br />滝宮!![[多度津町]] ![[三豊市]]<br />[[財田町 (香川県)|財田]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |26.6<br />(8月)||26.8<br />(8月) |27.4<br />(8月)|| |26.6<br />(8月)||27.7<br />(8月) |26.5<br />(8月) |- !最寒月 |5.1<br />(2月)||5.1<br />(2月) |5.3<br />(1月)|| |4.3<br />(1月)||5.8<br />(1、2月) |4.4<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |170.5<br />(6月)||158.2<br />(6月) |158.5<br />(6月)|| |171.6<br />(6月)||164.3<br />(6月) |177.0<br />(6月) |- !最少月 |24.7<br />(12月)||25.4<br />(12月) |33.8<br />(12月)|| |34.7<br />(12月)||31.7<br />(12月) |39.0<br />(12月) |} === 地域区分 === 地域区分は広義・狭義とも県民生活の基盤にもなっており、この区分によって[[気候]]・[[風土]]・[[方言]]([[讃岐弁]]参照)なども異なっている。香川県は江戸時代、歴史的な背景から東は高松藩が治める東讃、西は丸亀藩が治める西讃に二分されていた。しかし、地方行政や住民の生活感覚などから自然的に実際は5つに大別するものと考えられるが近年は交通手段の発達により地域区分も薄らいでいる。 {| class="wikitable" style="float:left" !colspan="2"|地域名||rowspan="2"|自治体||rowspan="2"|香川県広域水道企業団 |- !広義!!狭義 |- |rowspan="3"|[[東讃]] |小豆地域 |[[小豆郡]] |小豆郡 |- |東讃 |[[さぬき市]]、[[東かがわ市]] |さぬき市、東かがわ市 |- |高松地域||[[高松市]]、[[木田郡]]、[[綾歌郡]]、[[香川郡]] |高松市、木田郡三木町、綾歌郡綾川町、香川郡直島町 |- |rowspan="2"|[[西讃]] |[[中讃]] |[[丸亀市]]、[[坂出市]]、[[善通寺市]]、[[仲多度郡]]、綾歌郡 |丸亀市、坂出市、善通寺市、仲多度郡多度津町、まんのう町、琴平町、綾歌郡宇多津町 |- |西讃||[[観音寺市]]、[[三豊市]] |観音寺市、三豊市 |}{{-}} {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=香川県|float=right}} ; 高松地域 : 人口423,553人 面積389.37km<sup>2</sup> : 高松市は一般的に東讃地域に含められることが多いが、実際は狭義の東讃とは少し違う地域というのが実情である。高松市と直島町が該当する。香川県広域水道企業団の区分では三木町と綾川町を含み直島町を含まない。高松市は県庁所在地で四国の中心都市でもある。直島町は瀬戸内国際芸術祭の発祥地で賑わいを見せている。 ; 小豆地域 : 人口29,949人 面積170.02km<sup>2</sup> : 淡路島に次ぐ瀬戸内海の中で2番目に大きい島である小豆島とその周辺の島々からなる地域で、土庄町と小豆島町が該当する。オリーブ、そうめん、醤油など、数々の特産品がある小豆島は香川県本土とは違った独自の文化圏が育まれてきた。 ; 東讃地域 : 人口111,834人 面積388.03km<sup>2</sup> : 高松市より東の地域で、さぬき市、東かがわ市、三木町が該当する。三木町は香川県広域水道企業団の区分では高松地域に含まれる。平成の大合併まで市が一つもなかったものの、古くから東讃の商都として栄えた東かがわ市三本松やハマチの養殖で有名な東かがわ市引田、手袋生産で名を馳せた東かがわ市白鳥など、これまた特色のある地域である。過疎化が進むものの、高松市に近い三木町、さぬき市志度町などでは高松市のベッドタウンとなり、地域内でも人口増減の差が激しい。 ; 中讃地域 : 人口292,603人 面積589km<sup>2</sup> : 中讃地域は県下第2の都市である丸亀市を中心とした地域で丸亀市、坂出市、善通寺市、宇多津町、綾川町、多度津町、琴平町、まんのう町が含まれる。綾川町は香川県広域水道企業団の区分では高松地域に含まれる。讃岐うどんは事実上この中讃地域から始まりブームを牽引する超有名なうどん店もこの中讃地域が圧倒的に多い。また、丸亀城、四国の新玄関である瀬戸大橋、善通寺、金刀比羅宮、ゴールドタワー、少林寺拳法など香川県を代表する観光地を各市町が持っており、特色のある地域である。 ; 西讃地域 : 人口128,668人 面積340.13km<sup>2</sup> : 中讃地域よりも西の地域で、観音寺市、三豊市が該当する。観音寺市は西讃の商都として昔は栄えた。寛永通宝の砂絵で有名な琴弾公園がある。また、LOTO7で16億円が当たったのもこの街である。三豊市は銘菓「[[茶のしずく (饅頭)|茶のしずく]]」の原料としても知られる高瀬茶の産地であり、田園地帯であったが、近年は大型商業施設が挙って進出している。父母ヶ浜が有名な市である。 東西に長い香川県を分けて考える場合、最も多く用いられるのが[[五色台]]を境に東部を「[[東讃]]」(とうさん)、西部を「[[西讃]]」(せいさん)とする概念である。この名称は香川県が旧[[讃岐国]]の範囲と合致しているため、旧国名である「讃岐」に東・西を冠した言い方である。このスケールは県民の会話上でも西讃のことを「西の方」や単に「西」、東讃のことを「東の方」や単に「東」と呼ぶことで通用するほど定着した概念である。 この方式に沿った言い方に「[[中讃]]」(ちゅうさん)があるが、こちらはより狭い範囲を表すものであり、このスケールでは同じ「西讃」といった場合でも指し示す範囲が異なる。同じように「東讃」も高松地域・小豆地域を除いた範囲を指す狭義が存在する。小豆地域は狭義の東讃にも含むとする概念もあるが、小豆島は航路で結ばれているのがすべて高松であるため、直接の結びつきがない香川県東部とは分けて小豆地域、あるいは単に小豆島とする場合が多い。 その他にも、東讃に高松市を含んだ上で残りの西部を中讃、西讃の計3つで分ける概念もあるが、この場合では県都の位置する地域が中讃であると捉えられる場合があるため、あえて県都の高松市を別格として「高松地域」とする場合がほとんどである。 行政区分や天気予報、県立高校の学区などでも用いられるこの区分は自治体ごとに区切られているため、市町村合併により所属地域が変化する例が多く見られた。特に平成の大合併では高松市へ合併した[[綾歌郡]][[国分寺町 (香川県)|国分寺町]]の所属地域が西讃から東讃へ変わったほか、[[木田郡]][[庵治町]]と[[牟礼町]]が同じく高松市への合併により、狭義の東讃から高松地域へ所属地域が変わった。 === 自治体 === 8市5郡9町を含む。香川県では、地方公共団体としての町はすべて「ちょう」と読む。なお、村は1970年に消滅している。 {{Multicol}} * '''東讃''' ** [[高松市]](県庁所在地) ** [[さぬき市]] ** [[東かがわ市]] ** [[小豆郡]] *** [[土庄町]] *** [[小豆島町]] ** [[木田郡]] *** [[三木町]] ** [[香川郡]] *** [[直島町]] {{Multicol-break}} * '''中讃''' ** [[丸亀市]] ** [[坂出市]] ** [[善通寺市]] ** [[綾歌郡]] *** [[宇多津町]] *** [[綾川町]] ** [[仲多度郡]] *** [[琴平町]] *** [[多度津町]] *** [[まんのう町]] {{Multicol-break}} * '''西讃''' ** [[観音寺市]] ** [[三豊市]] {{Multicol-end}} == 歴史 == {{See|讃岐国}} === 原始・古代 === 約2万年前の[[日本列島の旧石器時代|旧石器時代]]人が永く住み着いた国分台遺跡群が知られている。同遺跡群は、高松市と坂出市の境に南北にのびる標高400メートルの台地上および斜面上に立地し、高松市(旧綾歌郡国分寺町)に所在する。そこからは、[[サヌカイト]]製の[[ナイフ形石器]]、[[尖頭器]]、楕円形石器、舟底形石器、錐などの生活必需石器が大量に出土した<ref name="kagawarekisi">木原薄幸・丹羽佑一・田中健二・和田仁『香川県の歴史』山川出版 1997年</ref>。 [[縄文時代]]晩期後半の林防城遺跡([[高松市]])で、当時の[[土器]]と木製諸手狭鍬が出土しているなどから、県下にも[[稲作]]が伝播し、水田耕作が行われたと推定されるが、他に水稲耕作に直接かかわる道具や同時に伝播するはずの文化要素が見当たっていない。また、水稲耕作に従事したムラの形跡がない<ref>丹羽佑一「讃岐の夜明け」 木原溥幸・丹羽佑一・田中健二・和田仁『香川県の歴史』山川出版社 1997年 27ページ</ref>。 『[[日本書紀]]』などには讃岐国は[[洪水]]や旱魃、地震などの自然災害が多い土地であると記されており、讃岐では[[ため池]]の開発や雨乞い儀式などが行われていた。[[大宝 (日本)|大宝]]年間から工事が開始され、弘法大師[[空海]]が修築工事を指導したとされる[[満濃池]]のほか多くのため池が開発され、それより耕地は灌漑された。[[菅原道真]]も、一時は讃岐国国司となっている。 [[平安時代]]には[[関東地方]]での[[平将門]]の乱に乗じて[[藤原純友]]が[[伊予国]]で蜂起し、純友は讃岐国の国府を陥落させた。[[朝廷 (日本)|朝廷]]が追捕使として[[小野好古]]を派遣すると讃岐国の[[武士]]も乱の平定のために戦う。[[保元の乱]]で敗れた[[崇徳天皇|崇徳上皇]]は讃岐国に流刑され、讃岐国で死んだ。平安時代後期には[[治承・寿永の乱|源平合戦]]の1つである[[屋島の戦い]]が行われる。[[一ノ谷の戦い]]で[[源義経]]に敗れた[[平氏]]は[[屋島]]の戦いにおいても義経軍の背後からの急襲で敗北し、以後平氏は[[瀬戸内海]]における制海権を失った。 === 中世 === 鎌倉新仏教派の[[法然]]も流刑されたことで有名。[[足利尊氏]]らの活躍で[[鎌倉幕府]]が滅亡して、[[後醍醐天皇]]の[[建武の新政]]が始まると、讃岐国には[[足利氏]]の一門である[[細川定禅]]が入った。以後、南北朝時代を経て[[室町時代]]を通じて、[[細川氏]]が[[守護大名]]として讃岐国を支配した。室町幕府内での政争に敗れて南朝に与した[[細川清氏]]は、従弟の[[細川頼之]]と戦い、敗れた(白峰合戦、現[[宇多津町]]・[[坂出市]])。 讃岐国では、[[管領]]を務めた[[細川京兆家]]が室町期を通じて[[守護職]]を執った。このため阿波国人と同様に讃岐国人も中央へ出る機会が多く、[[香西氏]]、[[香川氏]]、[[安富氏]]、[[奈良氏]]の四氏は[[細川四天王]]と称されたという([[南海通紀]])。戦国時代初期には讃岐国人と思われる香西氏が山城国守護代を務めるなど重職にも就いた。 戦国時代には讃岐国の分郡守護代である安富氏と香川氏が東西で大きな勢力を擁し、両者中間の香西氏、阿野氏、鵜足郡に長尾氏、奈良氏、羽床氏など中小豪族が乱立していた。しかし安富氏は細川・[[三好氏]]の援助を受けた[[三木郡]]の[[十河氏]]に臣従し、若干の抵抗があったが讃岐国は三好氏の支配下に入った。三好氏は[[三好長慶]]の弟である[[十河一存]]に讃岐国を任せた。真偽は不明だが、この時期に毛利氏が讃岐に攻め入った[[元吉合戦]]があったとされる。 [[土佐国]]を統一した[[長宗我部氏]]が三好・織田氏の内乱に乗じて讃岐へ侵攻する、これにより[[織田信長]]による[[四国攻め]]を招くことになった。[[豊臣秀吉]]が[[四国平定]]に取りかかると讃岐へは[[宇喜多秀家]]を総大将とする豊臣軍が侵攻し、[[長宗我部元親]]が秀吉に屈服すると讃岐は[[仙石秀久]]に与えられ、その後は[[尾藤知宣]]、[[生駒氏]]が相次いで封ぜられる。当初は宇多津[[聖通寺]]城に拠点が置かれたが、手狭のため高松に新城が築かれ拠点とされた。 === 江戸時代 === [[ファイル:Marugame Castle, Tenshu 002.jpg|thumb|[[丸亀城]](国の史跡・重要文化財)]] 生駒氏が生駒騒動によって[[出羽国]]へ移されると、[[水戸徳川家]]の嫡流である[[松平頼重]]が高松に入って[[東讃]][[高松藩]]12万石を、[[京極氏]]が丸亀に入って[[西讃]][[丸亀藩]]5万1千石を領する。途中、京極丸亀藩は支藩として[[多度津藩]]1万石を分立させたため、江戸時代の讃岐国には3つの藩が並立することになった。高松藩からは[[平賀源内]]が出ている。 このころには、讃岐国の小農家と阿波国北部の山間農家の間で[[讃岐山脈#借耕牛|借耕牛]]の交流が始まっていた。なお、[[吉備国]]から古代に分立された[[備前国]]より、[[直島]]諸島と[[小豆島]]が讃岐国に移されたのは江戸年間のことと思われる。幕末には高杉晋作を匿った[[日柳燕石]]が出ている。 災害としては、[[宝永]]4年(1707年)10月に西日本を襲った[[宝永地震]]([[東海・東南海・南海連動型地震]])の被害は讃岐国にも及び、牟礼・庵治の[[五剣山 (高松市の山)|五剣山]]の一角が崩れ落ち、各地の家や堤防も崩れたところに1 - 2メートルの高さの津波が押し寄せた<ref>菊池黄山/翁媼夜話など。</ref>。 === 近代 === ==== 香川県発足 ==== 徳川時代の讃岐国には、高松藩、丸亀藩、多度津藩の3藩と、[[徳川幕府]]の直轄地である[[天領]]、[[津山藩]]の飛地が分立していた。 [[1871年]][[8月29日]](明治4年旧暦7月14日)の[[廃藩置県]]により、高松藩は高松県、丸亀藩は丸亀県、多度津藩と天領は[[倉敷県]]、津山藩の飛地はそのまま津山県となった。 その直後に、倉敷県の管轄地が丸亀県へと移された後に、同年に高松県と丸亀県が合併されて'''香川県([[1873年]][[2月19日]]以前)'''が設置され、[[1872年]](明治5年)に[[小豆島]]西部を編入して、現在の'''香川県([[1888年]][[12月3日]]以後)'''と同じ管轄範囲([[行政区画]]は[[1888年]]12月3日に分割)となる。 しかし、[[1873年]][[2月20日]]には'''[[名東県]]'''(後の[[徳島県]])に編入されるも、2年後の[[1875年]][[9月5日]]に'''香川県(1875年9月5日〜1876年8月20日)'''として分離されたが、翌年[[1876年]][[8月21日]]には[[愛媛県]]に編入された。度重なる編入の度に、地理的要因や地域文化や住民意識などで食い違いが発生し、香川県として単独の県の設置を望む声が再び高まり、12年後の[[1888年]][[12月3日]]に'''香川県'''が復活して、現在に至る。なお、1888年の香川県の分離独立を最後に、[[東京府]]と[[東京市]]の合併([[1943年]]7月1日)や、第二次世界大戦後にアメリカの統治下に置かれた沖縄県の日本再編入([[1972年]]5月15日)などの特殊な事例を除いて、新しい県の設置はなく、この1888年12月3日に現在の47都道府県体制がほぼ確立したことになる。 「香川県」の名称は、[[高松市]]が所属していた[[香川郡]]から取ったもので、いわば[[郡]]名を県名にしたものである。 [[明治]]から[[大正]]にかけて香川県で鉄道敷設競争が起こり、[[讃岐鉄道]](のちの国鉄)、[[琴平参宮電鉄]]、琴平電鉄(後の[[高松琴平電気鉄道]])、[[琴平急行電鉄線|琴平急行電鉄]]の4社が高松 - 丸亀 - 琴平間で競って鉄道を敷設した。 === 現代 === * [[1970年]](昭和45年)当時の財田村が町制施行して[[財田町]]に移行する。[[兵庫県]]に続いて村が消滅した。平成の大合併まで村のない県がこの両県のみという状態が長く続いた。 * [[1978年]](昭和53年) - [[瀬戸中央自動車道]]工事が着工する。 * [[1987年]](昭和62年) - JR予讃線[[高松駅 (香川県)|高松駅]] - [[観音寺駅 (香川県)|観音寺駅]]間で全線電化がされて開業。 * [[1988年]](昭和63年) - [[瀬戸中央自動車道]]が開通。JR[[本四備讃線]](愛称 [[瀬戸大橋線]])が開業する。 * [[1989年]](平成元年) - [[高松空港]]が開港する。(大型ジェット機対応) * [[1995年]](平成7年) - [[1月17日]]に[[阪神淡路大震災]]が発生し、震度4を記録した。一部地域で水道管が壊れる被害があった。 * [[1999年]](平成11年) - 高松市が[[中核市]]に昇格する(この年の人口が約103万人になり翌2000年以降は減少である)。 * [[2003年]](平成15年) - [[高松自動車道]]が全線開通する。(高松中央IC-高松西IC開通による) ==== 平成の大合併 ==== * [[2002年]](平成14年)[[4月1日]] [[さぬき市]]が成立 - [[津田町 (香川県)|津田町]]、[[大川町 (香川県)|大川町]]、[[志度町]]、[[寒川町 (香川県)|寒川町]]、[[長尾町 (香川県)|長尾町]]の合併による。 * [[2003年]](平成15年)4月1日 [[東かがわ市]]が成立 - [[引田町]]、[[白鳥町 (香川県)|白鳥町]]、[[大内町 (香川県)|大内町]]の合併による。 * [[2005年]](平成17年)[[3月22日]] [[丸亀市]]が成立 - 丸亀市と[[飯山町 (香川県)|飯山町]]、[[綾歌町]]の合併による。 * 2005年(平成17年)[[9月26日]] [[高松市]]に[[塩江町]]が編入される。 * 2005年(平成17年)[[10月11日]] [[観音寺市]]が成立 - 観音寺市と[[大野原町]]、[[豊浜町 (香川県)|豊浜町]]の合併による。 * [[2006年]](平成18年)[[1月1日]] [[三豊市]]が成立 - [[高瀬町 (香川県)|高瀬町]]、[[山本町 (香川県)|山本町]]、[[三野町 (香川県)|三野町]]、[[豊中町 (香川県)|豊中町]]、[[詫間町]]、[[仁尾町]]、[[財田町 (香川県)|財田町]]の合併による。 * 2006年(平成18年)[[1月10日]] 高松市に[[牟礼町]]、[[庵治町]]、[[香川町]]、[[香南町]]、[[国分寺町 (香川県)|国分寺町]]の編入による。 * 2006年(平成18年)[[3月20日]] [[まんのう町]]が成立 - [[満濃町]]、[[仲南町]]、[[琴南町]]の合併による。 * 2006年(平成18年)[[3月21日]] [[小豆島町]]が成立 - [[内海町 (香川県)|内海町]]、[[池田町 (香川県)|池田町]]の合併による。[[綾川町]]が成立 - [[綾南町]]、[[綾上町]]の合併による。 === 讃岐の大地震 === * [[715年]] -霊亀大地震。 * [[887年]](172年後)-[[仁和地震]]。 * [[976年]](89年後)-[[貞元地震]]。 * [[1185年]](209年後)-[[文治地震]]。 * {{要出典範囲|[[永正]]10年([[1513年]])(328年後)-[[天文地震]]。|date=2020年4月}} * [[1605年]](92年後)-[[慶長地震]]。 * [[1707年]](102年後)-[[宝永地震]]。 * [[1854年]](147年後)-[[安政南海地震]]。 * [[1946年]](昭和21年)(92年後)-[[昭和南海地震]]。 == 人口 == [[ファイル:香川県 人口増加率.jpg|サムネイル|300x300ピクセル|香川県市町村人口増減率分布図(2016年度と2021年度7月1日 香川県統計から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#66FF00|5.0 - 7.49 %}} {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Multicol-end}} ]] [[2010年]](平成22年)[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]速報によると、香川県の総人口は前回調査より1.6%減少し、30年ぶりに100万人を下回った。2019年の[[合計特殊出生率]]は1.59であり、四国トップかつ全国平均を超えている。しかし人口維持に必要な2.07には届いておらず、他の多くの都道府県と同様に自然減となっている。 社会動態においても、香川県は四国の中心地として社会増の時期もあったが、2016年からは転出が転入を上回り、社会減に転換した。転入者の出身地は、2020年で1位[[愛媛県]](2114人・11.4%)、2位[[大阪府]](1568人・8.4%)、3位[[東京都]](1495人・8.0%)となっている。転出先は、1位[[大阪府]](2,208人・10.8%)、2位[[東京都]](2,031人・9.9%)、3位[[愛媛県]]となっている。 傾向として、四国のほかの県から流入し、首都圏や関西に人口が流出するという特徴がある。交通や経済、文化の面で結びつきの強い[[岡山県]]との人口の転出入割合も大きい。 市町別でみると、2021年7月1日時点では、人口が増えている自治体は1つもない。社会増となっているのは、[[丸亀市]]、[[土庄町]]、[[宇多津町]]、[[直島町]]の1市3町で、そのほかはすべて社会減である。 香川県は他の四国の県に比べて鉄道網が充実しているため、[[高松市]]のベットタウンとして[[予讃線]]沿線は人口減少が控えめとなっている。 人口首位の[[高松市]]は[[中核市]]に含まれている。人口2位の[[丸亀市]]は、県庁所在地を除くと人口10万を超える四国では数少ない都市である。 [[高松都市圏]]は四国最大の都市圏であり、[[西讃]]と島しょ部を除いた全ての地域で構成している。[[瀬戸大橋]]を挟んだ先の[[岡山都市圏]]との経済的結びつきが強いことから[[東瀬戸経済圏]]と呼ばれることもある。 {{人口統計|code=37000|name=香川県|image=Demography37000.svg}} == 政治 == === 県政 === ====条例==== 「[[香川県ネット・ゲーム依存症対策条例]]」が2020年3月18日に可決され、同年4月1日に施行された。 条例では18歳未満のコンピューターゲームの使用は1日60分(休日は90分)まで、スマートフォンにおいては中学生以下は午後9時、18歳未満は午後10時以降の使用を控えると言った“目安”を設けている。 なお、学習や家族との連絡のためのスマートフォンなどの使用は対象とならない。 また条例に違反しても罰則などの規定はないとしている。このため、実効性には疑問の声もある。 2020年1月23日から同年2月6日までの15日間、県民から条例に関するパブリックコメントを募集し、期間内に合計2613人の県民から意見を得た。 意見を寄せた県民のおよそ9割にあたる2268人から同条例に関する賛成票を、333人からは反対票だった。 その一方で、意見を寄せた県内外の69の団体と事業者のうち、賛成は1団体にとどまり、反対は68団体/事業者になった。 条例ではゲーム開発企業など事業者に対し、課金システムなどゲーム依存症を進行させる恐れのある事業への自主的な規制を求めており、団体/事業者から反対票を得ることとなった。 また、パブリックコメントの募集期間が極端に短かったこと、通常は公表されるパブリックコメントの内容が公表されない事などが問題点として指摘されている。 県内の高校生がこの条例に対し[[幸福追求権]]や[[自己決定権]]などの基本的人権を侵害しており違憲であるとして県に対し損害賠償を求める訴えを起こしている。 ==== 知事 ==== 現職 池田豊人 {{Main|香川県知事一覧}} ==== 県議会 ==== {{Main|香川県議会}} ==== 財政 ==== ===== 直近の財政指標 ===== {| class="sortable wikitable" |+ 財政指標<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.soumu.go.jp/iken/shihyo_ichiran.html |title = 総務省|地方財政状況調査関係資料|地方公共団体の主要財政指標一覧 |publisher = [[総務省]] |accessdate = 2015-05-04 }}</ref> |- !style="width:2em;"|年度 !! style="width:5em;"|[[財政力指数]] !! style="width:5em;"|[[経常収支比率]]!! style="width:5em;" |[[実質公債費比率]] !! style="width:5em;"|[[将来負担比率]]!! style="width:5em;" |[[ラスパイレス指数]] !! style="width:5em;"|ラスパイレス指数<br />参考値※ |- style="text-align:right" !H25 |0.43260||93.4||14.7||198.5||105.9||97.9 |- style="text-align:right" !H24 |0.43059||93.9||15.2||201.3||106.0||97.9 |- style="text-align:right" !H23 |0.44550||92.7||15.5||206.9||97.9||- |- style="text-align:right" !H22 |0.46740||90.2||15.2||209.8||97.0||- |- style="text-align:right" !H21 |0.48693||94.9||15.1||231.0||96.9||- |- style="text-align:right" !H20 |0.48497||97.3||14.8||234.8||97.5||- |- class="sortbottom" | colspan="7" | ※「参考値」は、「国家公務員の給与の改定及び臨時特例に関する法律」(平成24年法律第2号)による措置が無いとした場合の値。 |} ; 2006年度(平成18年度)の財政指標 * 標準財政規模 2281億0900万円 * 一般会計歳入 4458億8100万円 * 一般会計歳出 4390億7500万円 * [[財政力指数]] 0.42532 (47都道府県平均 0.46) ** 財政力指数が0.400 - 0.500のIIグループ(9自治体)に分類されている * 経常収支比率 94.3% (47都道府県平均 92.6%) * 実質公債費比率 15.0% (47都道府県平均 14.7%) * 実質収支比率 2.4 * 人口一人当たり人件費・物件費 14万5329円 (47都道府県平均 12万4759円) * ラスパイレス指数 97.5 (47都道府県平均と同じ) 地方債残高 * 普通会計の地方債現在高 7533億9800万円 * 上記普通会計以外の特別会計の企業債(地方債)現在高 570億6100万円 ** 主な内訳 水道事業分 約147億円 病院事業分 約81億円 宅地造成事業分 約54億円 * 第3セクター等の債務保証にかかわる債務残高等 77億6600万円 ** 主な内訳 香川土地開発公社 約74億円 * 香川県の地方債等の合計 8182億2500万円 (連結会計) * 香川県民一人当たりの地方債等残高 81万5635円 (連結会計) ; 2005年度(平成17年度)の財政指標 * 財政力指数:0.39 * 経常収支比率 92.8% ==== 情報公開 ==== [[情報公開]]について都道府県と全市を対象に実施された2011年度全国情報公開度調査では、香川県は80満点中62点だった<ref name="全国市民オンブズマン連絡会議 2012">[https://www.ombudsman.jp/rank/2012rank.pdf] "2011 年度全国情報公開度調査について"</ref>。県内の市で最高は高松市の80点、最低は東かがわ市の30点だった<ref name="全国市民オンブズマン連絡会議 2012" />。 === 国政 === ==== 衆議院 ==== 中選挙区時代は2区体制だったが小選挙区になってからは3区体制となる。かつては自民党と社会党と半々だったが、1990年代以降は3区すべてで自民党公認または推薦<!--平井卓也は初当選時無所属-->の候補が当選していた。[[2009年]](平成21年)の総選挙で1区・2区を民主党が制し、オール自民党体制は幕を下ろした。また、[[2012年]](平成24年)の総選挙では民主党が2区を制したが、これは中国・四国・九州地方で唯一民主党が議席を獲得した小選挙区となった。<!--以下2013年5月31日現在--> ; [[香川県第1区|香川1区]] : [[小川淳也]] ; [[香川県第2区|香川2区]] : [[玉木雄一郎]] ; [[香川県第3区|香川3区]] : [[大野敬太郎]] ==== 参議院 ==== {{Main|香川県選挙区}} 10数年[[自由民主党 (日本)|自民党]]が議席を独占した後に、[[2007年]](平成19年)の選挙で[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]公認の女性候補である[[植松恵美子]]が当選した<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin2007/kaihyou/ye37.htm |title = 選挙区 香川県 : 開票結果 : 参院選2007 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) |publisher = [[読売新聞]] |accessdate = 2015-05-05 }}</ref>。さらに[[2010年]](平成22年)に自民党所属の[[山内俊夫]]が離党し、[[新党改革|改革クラブ]]に入党したため、自民党所属の議員がゼロとなったが、同年の選挙で自民党の公募による新人の[[磯﨑仁彦]]が初当選し<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2010/kaihyou/ye37.htm |title = 選挙区 香川県 : 開票結果 : 参院選2010 : 参院選 : 選挙 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) |publisher = 読売新聞 |accessdate = 2015-05-05 }}</ref>、再び自民党所属の議員が復活した。 * [[磯﨑仁彦]](自民党) * [[三宅伸吾]](自民党) == 経済・産業 == === 第一次産業 === ; 農業 :[[コメ|米]]を始めとして[[レタス]]や[[ウンシュウミカン|みかん]]などの栽培が多く、[[さぬきの夢2000]]や[[オリーブ]]、讃岐三畜([[讃岐牛]]、[[讃岐夢豚]]、[[讃岐コーチン]])など[[瀬戸内海式気候]]の香川県特有の農産物も多く存在する。 香川県は山岳地帯が少なく全域にわたって平地が多くを占めているため、県内全域に[[稲作]]を中心とした[[農地]]が広がっている。また、それらはほぼすべてが古来より続く小規模農地であり、農業目的の干拓地のような計画的な大規模農業はほとんど行われていない。 米の作付面積は[[ヒノヒカリ]]が全体の45.9%と最も多く、次いで[[コシヒカリ]]37.4%となっており、この2品種で全体の8割以上を占めている。これら主食用[[うるち米]]の6割は県内で消費され、残り3割は[[大阪府]]、1割は[[兵庫県]]に向けて出荷されている。麦の作付面積は[[さぬきの夢2000]]が68.5%、[[ハダカムギ#主な品種|イチバンボシ]]が31.2%でこの2品種でほぼすべてを構成している。野菜の生産量で最も多いのは[[レタス]]で、次いで[[たまねぎ]]、[[ブロッコリー]]、[[きゅうり]]、[[ねぎ]]、[[いちご]]の順となっている<ref>[http://www.pref.kagawa.jp/nousui/toukei/h22/2/1-3.pdf 統計から見た香川の農業・水産業・3.農産物の生産と出荷状況]</ref>。 [[2004年]](平成16年)には高松市、丸亀市、坂出市、宇多津町に設定されていた[[市街化調整区域]](いわゆる線引き)が全廃されたため、急速に開発が進み農地が次々と宅地に転用されている。特に丸亀市では線引き廃止後の3年間でそれまでの134倍もの面積が開発許可を受けている<ref>[http://news.shikoku-np.co.jp/kagawa/administration/200806/20080601000052.htm 四国新聞・開発許可面積7倍に - 香川県内旧市街化調整区域]</ref>。 ; 水産業 :[[イワシ]]や[[シラス (魚)|シラス]]、[[タコ]]や[[イカナゴ]]などの海面漁業のほか[[ハマチ]]や[[海苔|ノリ]]、[[マダイ]]などの[[養殖漁業]]も盛んである。特にハマチの養殖は香川県が全国で初めて成功し、[[2009年]](平成21年)の県の漁業全体の生産額でも17%を占める主要産業になっている<ref>[http://www.pref.kagawa.jp/nousui/toukei/h22/2/2.pdf 統計から見た香川の農業・水産業・II 水産業]</ref>。 香川県の形状は[[讃岐山脈]]のある南側を[[弦 (弓)|弦]]に見立てた[[弓 (武器)|弓]]なりになっているため、北・西・東すべてが[[瀬戸内海]]に面し、そのほか瀬戸内海には漁業が主要産業となっているような離島も多く抱えているため県として水産業は重要な産業の一つでもある。 そのような主要産業であるが瀬戸内海特有の[[赤潮]]の発生は香川県の水産業に大打撃を与えるため、県によって赤潮研究所が置かれているほどである。 === 第二次産業 === 坂出市には[[瀬戸内工業地域]]の一翼を担う[[番の州臨海工業団地]]があり、[[造船]]、[[石油]]などの企業が立地している。また、四国地方に対する物資の集散地となっている高松市には[[運輸]]、[[卸売]]を主とした企業が[[朝日町 (高松市)|朝日町]]、[[福岡町 (高松市)|福岡町]]、[[木太|木太町]]北部、[[弦打|郷東町]]、[[香西 (高松市)|香西地区]]などの沿岸部に集積し、食品や印刷など市場指向型、軽工業系の工場もその周辺に位置している。 工業の製造品出荷額等は番の州を擁する坂出市が県内で突出して多く7685億円、次いで高松市の3296億円、[[三菱マテリアル]]製錬所がある直島町の2392億円と続いている<ref>[http://www.pref.kagawa.lg.jp/toukei/zuiji/kougyou/sokuhou/h21kougyou00.pdf 香川県・香川県の工業(平成21年度版)]</ref>。 [[建設業]]では[[穴吹工務店]]といった大企業の本社があるものの、産業全体に占める従事者数の率は中国・四国地方各県では広島県に次いで2番目に低く、[[土工|土建屋]]が産業構造に幅を利かせるといった地方に特有の性格は薄い。逆に[[製造業]]従事者が占める率は四国最大であるほか、中四国でも広島県、岡山県に次いで3番目に多い<ref name="産業統計">[http://www.stat.go.jp/naruhodo/dl/zuhyou/c1s_origin/syuyou.xls 総務省・産業分類]</ref>。 === 第三次産業 === 面積の大部分が平地で占められている香川県は全域に人口が分布しているため、その需要に対応して最寄品を取り扱う大型商業施設などの[[ロードサイド店]]が県内の広い範囲に分布している。特に高松市は四国最大規模の高松都市圏の中心都市であり、周辺からの圧倒的な集客力を有している。そのため情報通信業や金融保険業は大部分が高松市に集中しており、日用買回品を販売する小売業も多くが高松市に本社あるいは事業所を置いている。高松市では日本一長い[[アーケード (建築物)|アーケード]]を有する[[高松中央商店街]]周辺が一大商業地区となっているほか、それに準じて[[ゆめタウン高松]]も県内外に対して大きな集客吸引力を持っている<ref>[http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/file/8171_L12_H21.3kihonkeikaku2.pdf 高松市総合計画]</ref>。大型小売店舗数は全国第6位、飲食店数は全国第12位と全国一小さい県にしては数多い<ref name="kagawagurashi" />。 [[1980年代]]までは伝統的な個人経営の小売店舗が多数を占めていたが、[[1990年代]]以降、都市化や[[モータリゼーション]]の進行、大量消費社会の浸透により、全国や中国・四国地方で展開する[[スーパーマーケット]]や[[コンビニ]]、[[電器店]]などの[[チェーン店舗]]が郊外の幹線道路沿いに多数開店し、生活する上での利便性が増した一方、[[バブル経済]]の崩壊もあいまって各市ともほぼ例外なく中心[[市街地]]が[[ドーナツ化現象]]により[[空洞化]]し、都市部の[[地価]]の下落が進んだ。その反動で特に高松市では[[2000年代]]に中心市街地周辺への高層[[マンション]]の建設が相次ぎ、複数の[[都市再開発|再開発]]事業など公共投資が活発に展開された結果、小売店舗の中心市街地への新規出店などにより活気や人通りが戻りつつある。 <!--他県と比較しても←具体性がない-->第三次産業が香川県の産業に占める割合は大きく、[[情報通信業]]、[[卸売]]・[[小売|小売業]]、[[サービス|サービス業]]それぞれの従事者数の割合は四国各県で最高であるほか、中国四国地方でも広島県に次いで2番目に高くなっている<ref name="産業統計" />。 === 拠点事業所を置く主要企業 === ※太字は[[上場企業]] {{Col-begin}} {{Col-break}} ; 製造 * '''[[アオイ電子]]''' * [[イヅツみそ]] * [[讃陽食品工業]] * [[四国計測工業]] * '''[[タダノ]]''' * '''[[南海プライウッド]]''' * [[中央食品 (香川県)|中央食品]] * [[ずゞや]] * [[テーブルマーク]] * '''[[四国化成工業]]''' * [[キャスコ]] * [[日プラ]] * '''[[日本興業]]''' * '''[[大倉工業]]''' * [[帝國製薬]] * [[富士産業 (健康食品業)|富士産業]] * [[トモクニ]] * [[四国物産]] * [[四国電線]] {{Col-break}} ; 建設 * '''[[穴吹興産]]''' * [[穴吹工務店]] * [[カナック (企業)|カナック]] * '''[[四電工]]''' ; 電気・ガス * '''[[四国電力]]''' ; 情報通信 * [[STNet]] * [[西日本放送]] * [[瀬戸内海放送]] * [[エフエム高松コミュニティ放送|エフエム高松]] ; 運輸 * [[カトーレック]] * [[四国フェリー|四国フェリーグループ]] * [[四国汽船]] * [[国際両備フェリー]] * [[ジャンボフェリー]] * [[小豆島豊島フェリー]] * [[四国旅客鉄道]] * [[高松エクスプレス]] * [[高松琴平電気鉄道]] * [[ことでんバス]] * [[小豆島オリーブバス]] * [[琴平バス]] * [[琴参バス]] * [[大川自動車]] {{Col-break}} ; 卸売・小売 * [[アイジェイホールディングス]] * [[小野 (企業)|小野]] * [[幸燿]] * [[光洋プロダック]] * [[四国アルフレッサ]] * [[セカンドストリート]] * [[セシール]] * [[ビッグ・エス]] * '''[[マルヨシセンター]]''' * [[マルナカ (チェーンストア)|マルナカ]] * [[宮脇書店]] * [[西村ジョイ]] * [[大洋水産]] * [[ダイナマイトコーポレーション]] * [[オーシャンローズ]] {{Col-break}} ; 金融・保険 * [[香川銀行]] * [[香川県信用組合]] * [[香川証券]] * [[サンライフ]] * [[四国労働金庫]] * [[高松信用金庫]] * '''[[トモニホールディングス]]''' * '''[[百十四銀行]]''' ; サービス * [[クリエアナブキ]] * [[国方防虫化学]] * '''[[セーラー広告]]''' * [[トーカイ (四国)|トーカイ]] * [[ティーネットジャパン]] * [[東宝物産]] * [[高松ファイブアローズ]] * [[オークラホテル]] {{Col-end}} === 香川県で創業した主要企業 === * [[パナソニック ヘルスケア|パナソニック ヘルスケア(旧社名・松下寿電子工業)]] - [[2002年]](平成14年)に[[愛媛県]][[温泉郡]][[川内町 (愛媛県)|川内町]](現・[[東温市]])へ移転 * [[KG情報]] - [[1993年]](平成5年)に[[岡山市]]へ移転。登記上の本店は現在も高松市。 * [[サンフローラ]] - [[1999年]](平成11年)に会社合併により[[東京都]][[練馬区]]へ移転 * [[セカンドストリート]] - [[2006年]](平成18年)に子会社の吸収により[[さいたま市]]に移転後[[春日井市]]へ移転。登記上の本店は現在も高松市。 * [[はなまるうどん]] - [[2005年]](平成17年)に東京都[[中央区 (東京都)|中央区]]へ移転 * [[テーブルマーク]](旧社名・加ト吉) - [[2011年]](平成23年)10月1日に本店を東京都中央区に移転 * [[かどや製油]] - [[1957年]] 本社を小豆島土庄町から東京都[[品川区]]に移転。工場は[[土庄町]]にある。 == 生活・交通 == === 警察 === {{Location map many | Japan Kagawa | width = 350 | float = right | caption = 県内の警察署位置図(警察署:[[File:Red pog.svg|8px]]、市:{{color|#f6bad3|■}}、町:{{color|#ece3b4|■}}) | label = [[東かがわ警察署]] | label_size = 70 | pos = bottom | coordinates = {{Coord2|34|14|54.54|N|134|20|24.17|E}} | label2 = [[さぬき警察署]] | label2_size = 70 | pos2 = top | coordinates2 = {{Coord2|34|19|14.26|N|134|10|56.42|E}} | label3 = [[高松東警察署]] | label3_size = 70 | pos3 = bottom | coordinates3 = {{Coord2|34|16|13.4|N|134|7|43.7|E}} | label4 = [[小豆警察署]] | label4_size = 70 | pos4 = bottom | coordinates4 = {{Coord2|34|28|9.92|N|134|19|14.07|E}} | label5 = [[高松北警察署]] | label5_size = 70 | pos5 = top | coordinates5 = {{Coord2|34|20|54|N|134|2|2.50|E}} | label6 = [[高松南警察署]] | label6_size = 70 | pos6 = left | coordinates6 = {{Coord2|34|17|39|N|134|3|20|E}} | label7 = [[坂出警察署]] | label7_size = 70 | pos7 = top | coordinates7 = {{Coord2|34|19|1.8|N|133|52|19.2|E}} | label8 = [[高松西警察署]] | label8_size = 70 | pos8 = bottom | coordinates8 = {{Coord2|34|15|5|N|133|55|12|E}} | label9 = [[丸亀警察署]] | label9_size = 70 | pos9 = left | coordinates9 = {{Coord2|34|15|58.75|N|133|47|26.21|E}} | label10 = [[琴平警察署]] | label10_size = 70 | pos10 = bottom | coordinates10 = {{Coord2|34|11|20.1|N|133|49|46.2|E}} | label11 = [[三豊警察署]] | label11_size = 70 | pos11 = left | coordinates11 = {{Coord2|34|10|44.2|N|133|42|59.6|E}} | label12 = [[観音寺警察署]] | label12_size = 70 | pos12 = bottom | coordinates12 = {{Coord2|34|7|18.94|N|133|39|27.29|E}} }} 県庁所在地の高松市には[[四国地方]]4つの[[警察本部|県警察]]を監督する中国四国管区警察局[[四国警察支局]]が置かれている。そのうち香川県内を管轄するのは[[香川県警察]]本部以下12の[[警察署]]である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.kagawa.jp/police/kenkei/renrakusaki.html |title=警察署の所在地と電話番号 | 県警について | 香川県警察 |publisher=[[香川県警察]] |accessdate=2015-08-01}}</ref>。 [[2014年]](平成26年)の香川県内の[[刑法]]犯[[認知件数]]は8,802件。人口1000人当りに換算すると8.71件であり、国内第16位と全国平均(9.44件)を下回っていた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.kagawa.jp/police/kenkei/toukei/pdf/keihou/keihou_18_nintikensuu.pdf |title=香川県警察の統計資料 第2編各種統計 第2刑法犯関係 18刑法犯認知件数(人口千人当たり) |format=PDF |publisher=[[香川県警察]] |accessdate=2015-08-01}}</ref>。また、件数は減少傾向が続いている。 地域別に見ると高松地域が9.70件、[[東讃]]・[[小豆島]]地域が5.74件、[[中讃]]地域が10.16件、[[西讃]]地域が5.28件となっている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.kagawa.jp/police/kenkei/toukei/pdf/keihou/keihou_27_sityoubetu.pdf |title=香川県警察の統計資料 第2編各種統計 第2刑法犯関係 27市町別・警察署別刑法犯認知状況 |format=PDF |publisher=[[香川県警察]] |accessdate=2015-08-01}}</ref>。警察署別に見ると数値の高かったのは[[高松北警察署|高松北署]]13.28件、[[丸亀警察署|丸亀署]]11.07件、[[坂出警察署|坂出署]]10.58件の順であった。数値の低かったのは[[小豆警察署|小豆署]]4.42件、[[観音寺警察署|観音寺署]]4.60件、[[高松西警察署|高松西署]]4.76件の順であった。 香川県警は丸亀署と[[善通寺警察署|善通寺署]]を統合して新署を設置するにあたって、現在高松市に置かれている[[交通機動隊]]を分散させて、中讃分駐隊を同新署に新設し、治安の回復を図ろうとしている<ref>[https://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/administration/article.aspx?id=20091127000127&ref=rss 四国新聞・県警、来年度中に用地選定/丸亀・善通寺統合署]</ref><ref>[http://www.pref.kagawa.lg.jp/kohosi/1503/kensei.html 新「丸亀警察署」4月1日から運用開始 中讃の拠点署として機能充実]</ref>。 === 交通 === ==== 航空 ==== [[ファイル:TakamatsuKukou01.jpg|thumb|高松空港]] 香川県内の唯一の空港は[[高松空港]]である。高松市香南町由佐に所在する国管理空港で、国内線では[[東京国際空港|東京]]、[[成田国際空港|成田]]、[[那覇空港|那覇]]の3都市へ、国際線では[[ソウル]]、[[上海]]、[[台北]]、[[香港]]の4都市へ定期便が運行している。上海便は[[格安航空会社]]によって[[2011年]](平成23年)3月末に就航する予定であったが、東日本大震災や福島第一原発の事故の影響(主に風評被害)で就航が延期され、同年7月15日から週2回で運航が開始された。成田、台北への路線は2013年(平成25年)に運航が開始されたものである。 利用客は香川県のほか一部徳島県にも及び、徳島県を放送エリアとする[[四国放送]]では高松空港発着のツアーCMが流されることがある。 * [[高松空港]] - 高松市 ==== 鉄道 ==== {{出典の明記|date=2015年8月}} 香川県は[[四国]]の鉄道の集中点であり、[[予讃線]]と[[高徳線]]は[[高松駅 (香川県)|高松駅]]から、[[土讃線]]は[[多度津駅]]から四国各県へ鉄道路線を延ばしている。四国で唯一、四国全県の県庁所在地と[[優等列車]]で直結されている県であり、その全列車が発着している列車運用上の集中点である高松駅は、一大[[ターミナル駅]]として[[四国旅客鉄道|JR四国]]で最大の利用客数を有する。また、県内のJRの路線は[[神奈川県]]・[[大阪府]]・[[滋賀県]]と同じく四国内で唯一、すべて[[幹線]]で、[[地方交通線]]は存在しない。 なお、香川県では、[[平成の大合併]]により鉄道が通っていない市町村と鉄道が通る市町村が合併したことで、2020年現在、離島部を除く四国本土部のすべての市町村に鉄道が通っている。 香川県で最初の鉄道は[[1889年]](明治22年)[[5月23日]]に[[讃岐鉄道]]によって開通した丸亀 - 多度津(現駅とは別の場所) - 琴平(現・[[予讃線]]、[[土讃線]])間であり、県庁所在地の高松ではなかった。その高松には8年後の[[1897年]](明治30年)[[2月21日]]に丸亀から順延する形で開通した。その後、讃岐鉄道は山陽鉄道に買収されるものの、直後に[[鉄道国有法|国有化]]される。国鉄はその後順次路線を拡大していき、[[1925年]](大正14年)[[8月1日]]には[[高徳線]]を開業させるに至った。一方、私鉄は[[1911年]](明治44年)[[11月18日]]には東讃電気軌道(現・[[高松琴平電気鉄道|ことでん]][[高松琴平電気鉄道志度線|志度線]])、[[1912年]](明治45年)[[4月30日]]には高松電気軌道(現・ことでん[[高松琴平電気鉄道長尾線|長尾線]])、[[1926年]](大正15年)[[12月21日]]には琴平電鉄(現・ことでん[[高松琴平電気鉄道琴平線|琴平線]])が相次いで開業している。他にも大正から昭和にかけて、[[琴平参宮電鉄]]、[[琴平急行電鉄線|琴平急行電鉄]]、[[琴平電鉄塩江線|塩江温泉鉄道]]などの私鉄が開業したが、いずれも経営不振や[[太平洋戦争]]への資材供出などにより廃止されている。また、[[1917年]](大正6年)[[5月20日]]には高松市内を走る[[路面電車]]([[高松琴平電気鉄道市内線|市内線]])が開通し、市民の足として盛況していたが、[[1945年]](昭和20年)[[7月4日]]の[[高松空襲]]による戦災で復興されずに廃止されている。 戦後は県内の鉄道に関して大きな変化は無かったが、[[1988年]](昭和63年)[[4月10日]]に[[瀬戸大橋]]が開通すると[[本四備讃線]]([[瀬戸大橋線]])が開業し、本州の鉄道と直結されることによって県内はもとより四国各県の鉄道事情は大きく変化、向上した。 [[四国新幹線]]の計画があるが、実現の見通しは全く立っていない。このため2016年3月の[[北海道新幹線]]開業により、四国は日本の主要4島で唯一[[高速鉄道]]の存在しない島となっている。 [[ファイル:150504 Takamatsu Station Takamatsu Kagawa pref Japan02s3.jpg|thumb|高松駅]] [[ファイル:Kotoden-Kotohira-station1.jpg|thumb|琴電琴平駅]] ; [[四国旅客鉄道]](JR四国) * {{Color|#fbaf18|■}} '''[[予讃線]]''' - [[高松駅 (香川県)|高松駅]](高松市) - [[箕浦駅]]([[観音寺市]]) * {{Color|#e25885|■}} '''[[土讃線]]''' - [[多度津駅]]([[多度津町]]) - [[讃岐財田駅]]([[三豊市]]) * {{Color|#9ACD32|■}} '''[[高徳線]]''' - 高松駅(高松市) - [[讃岐相生駅]]([[東かがわ市]]) * {{Color|#33c|■}} '''[[本四備讃線]]([[瀬戸大橋線]])''' - [[宇多津駅]]([[宇多津町]]) - 下津井[[瀬戸大橋]] ; [[高松琴平電気鉄道]](ことでん) * {{Color|#ffd400|■}} '''[[高松琴平電気鉄道琴平線|琴平線]]''' - [[高松築港駅]](高松市) - [[琴電琴平駅]]([[琴平町]]) * {{Color|#ff3366|■}} '''[[高松琴平電気鉄道志度線|志度線]]''' - [[瓦町駅]](高松市) - [[琴電志度駅]]([[さぬき市]]) * {{Color|#009966|■}} '''[[高松琴平電気鉄道長尾線|長尾線]]''' - 瓦町駅(高松市) - [[長尾駅 (香川県)|長尾駅]](さぬき市) ==== バス事業者 ==== 香川県に事業拠点を置く路線バス事業者。 * [[ことでんバス]] * [[大川自動車]] ** [[琴参バス]](大川自動車の子会社) * [[小豆島オリーブバス]] ==== 道路 ==== 東西に長い香川県を[[高松自動車道]]が貫通し、対岸の本州とは[[瀬戸大橋]]([[瀬戸中央自動車道]])で結ばれている。一般国道は高松道と平行する[[国道11号]]が県内の最重要動脈になっており、南の[[讃岐山脈]]を越える幹線道路も多数存在する。 平地の多い香川県は国内でも特に道路事情が良く、すべての主要国道は4車線以上の[[バイパス道路|バイパス]]が完備されているほか、幹線道路として機能する[[都道府県道|県道]]や[[市町村道|市町道]]もほぼすべてが4車線以上の規格の高い道路で構成されている。この道路事情は数値にも表れており、国道・県道において[[道路改良率]]は86.8%、[[歩道]]設置率は44.7%であるほか、道路[[舗装]]率は99.9%で国内3位<ref>[http://www.pref.kagawa.lg.jp/kigyoritti/kagawa_intro/kurasi.html 香川県の紹介]</ref>となっている。また、それ以下の市町村道においても改良率60.0%、舗装率94.0%、歩道設置率5.4%と水準が極めて高い<ref>[http://www.pref.kagawa.jp/douro/home/genkyohyo/genkyo.html 香川県土木部道路課・香川県道路現況表]</ref>。 [[ファイル:Takamatsu Expressway.jpg|thumb|高松自動車道]] [[ファイル:Route 11 in Mimaya view east.jpg|thumb|国道11号 高松市郊外]] ; [[高速道路]] * [[高松自動車道]] * [[瀬戸中央自動車道]] ; [[一般国道]] 以下の国道は[[国土交通省]]四国地方整備局管理 * [[国道11号]] * [[国道30号]] * [[国道32号]] * [[国道319号]] 以下の国道は香川県管理(将来は国土交通省四国地方整備局管理になる予定) * [[国道193号]] * [[国道318号]] * [[国道377号]] * [[国道436号]] * [[国道438号]] * ([[国道492号]]) - 香川県内は全区間が国道11号・国道193号との重複区間となっている ; [[都道府県道|県道]] * [[香川県の県道一覧]] を参照 ==== 海上 ==== [[ファイル:Ferries on the Utaka line.jpg|thumb|高松港内にて行き違う四国フェリーと宇高国道フェリー。背景は小豆島]] 香川県は瀬戸内海に特に多くの離島を抱えていたり、四国自体が本州に対しての島であることから海上交通は非常に重要な交通手段の一つである。その中には[[坂出港]]や[[丸亀港]]など臨海工業地帯に重要な役割を果たしている港や、[[土庄港]]など旅客輸送に特化した港、その両方の性格を有する[[高松港]]などさまざまな性格を持つ港が存在する。 * [[港湾]] ** [[重点港湾]]:[[高松港]]、[[坂出港]] ** 主な[[地方港湾]]:[[丸亀港]]、[[多度津港]]、[[詫間港]]、[[引田港]]、[[土庄港]]、[[池田港 (香川県)|池田港]]、[[草壁港]]、[[坂手港]]、[[宮浦港 (直島町)|宮浦港]]など * [[海運会社]] ** [[四国汽船]] ** [[国際両備フェリー]] ** [[四国フェリー|小豆島フェリー]] ** [[小豆島豊島フェリー]] ** [[雌雄島海運]] ** [[ジャンボフェリー]] ** [[本島汽船]] ** [[六口丸海運]] ** [[備讃フェリー]] ** [[三洋汽船]] === 医療・福祉 === {{Main|Category:香川県の医療機関}} 香川県内における公的病院はいずれも隣県の[[岡山大学]]と[[徳島大学]]の[[医局]]が大きな影響力を占めており、県内唯一の大学病院である[[香川大学医学部附属病院|香川大学医学部]]はこの二大学閥に及んでいない。主な病院としては[[香川県立中央病院]]・[[香川労災病院]]・[[三豊総合病院]]が岡山大学、[[高松市立みんなの病院]]・[[四国こどもとおとなの医療センター]]が徳島大学であり、[[坂出市立病院]]は例外的に香川大学の医局が占める公的病院であるが、ここも経営再建以前は岡山大学の影響下にあった。そもそも香川大学医学部(旧香川医科大学)も開学時から教授の出身が岡山大学に偏っているほか、関連病院の少なさもあって卒業生が県内に定着しないといった風潮も特徴的である<ref>{{Cite news |title= シリーズ追跡「医大生の定着度」|newspaper= 四国新聞|date= 2000-05-22|url= https://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/093/|accessdate=2015-02-06}}</ref>。 ; [[災害拠点病院]] * [[香川県災害拠点病院]] ; [[保育所]] * [[香川県保育所一覧]] === 教育 === 香川県内では公立小学校・中学校の[[通学区域]]を指す通称を、東日本を中心とした広い範囲で用いられる{{efn|[[日本放送協会|NHK]]では学区に統一している<ref>[http://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/kotoba_qa_01030101.html NHK放送文化研究所]</ref>。}}「学区」ではなく「'''校区'''」と呼ぶ。学区は主に県立高校の通学区域を指す場合にのみ用いられるため、県内で単に「学区」といった場合にはより広域的な意味合いを持つ。ただし、「学区」は県内の小中学校のそれを指す通称としては通用しないが、対岸の岡山県南部では小中学校の通学区域を指して広く使われており、また香川県と岡山県は同一の放送エリアであるためテレビの[[ローカルニュース]]などでは「学区」を耳にすることがある(香川県内の小中学校を指すときは通常通り「校区」と呼称する)。 ==== 小学校 ==== {{See|香川県小学校一覧}} 国立の香川大学教育学部附属小学校が2校(高松・坂出)あり、私立の[[小学校]]は1校もない。 ==== 中学校 ==== {{See|香川県中学校一覧}} 国立の香川大学教育学部附属中学校が2校(高松・坂出)あり、<!--それに丸亀南中学校や紫雲中学校、桜町中学校といったマンモス校が追随している。-->県立中学としては高松北中学校(高松北高校に併設)がある。また、私立の中高一貫校は4校。 ==== 高等学校 ==== [[ファイル:High school district of Kagawa prefecture.svg|thumb|270px|赤色が第1学区、青色が第2学区、点線内の地域についてはどちらの学区の高校へも出願可能]] {{See|香川県高等学校一覧}} 県立高校の学区は東と西で2つに分かれており、東では[[香川県立高松高等学校|高松高校]]、西では[[香川県立丸亀高等学校|丸亀高校]]を頂点として、各学区内にて受験生の間で序列化されている。私立は一部の進学校を除いて主に[[併願受験#滑り止め|滑り止め]]扱いであり、公立の人気が根強い。[[2003年]](平成15年)ごろに高松高校が定員割れしたり、新設校である[[香川県立三木高等学校|三木高校]]、高松桜井高校などの人気が上昇したり、新しい動きも出ているものの、学区内トップ校である高松高校、丸亀高校の人気の高さは変わっていない。二学区を一学区にすることも検討されたが、高松市の高校に対して県下全域から人気が集中する可能性があり、高松市内に居住する者が競争率の影響で学力に関係無く近隣の高校に進学しにくくなるなどの弊害が指摘されたため、各方面からの強い反発を受けて見送られた。 * 私立[[英明高等学校]]の共学化により、公立・私立ともすべての高等学校が男女共学となった。 * [[高松北高等学校]]に県立中学が併設され、中高一貫教育が行われている。 ==== 特別支援学校 ==== {{See|香川県特別支援学校一覧}} ==== 高等専門学校 ==== [[ファイル:Takamatsukousen.jpg|thumb|香川高専]] 公立、私立はなく、国立のみ1校だけ存在する。([[2009年]](平成21年)10月1日に[[高松工業高等専門学校]]と[[詫間電波工業高等専門学校]]が統合されて香川高等専門学校となった。) * 国立 ** [[香川高等専門学校]] ==== 大学・短期大学 ==== [[ファイル:Kagawa Univ. Saiwai-chō Cumpas.jpg|thumb|香川大学]] * 国立 ** [[香川大学]] * 公立 ** [[香川県立保健医療大学]](前身は[[香川県立医療短期大学]]) * 私立 ** [[四国学院大学]] ** [[高松大学]]・[[高松短期大学]] ** [[徳島文理大学]]香川校 ** [[香川短期大学]] ** [[せとうち観光専門職短期大学]] ==== 専修学校 ==== * 県立 ** [[香川県立農業大学校]]([[農業改良助長法]]に基づく[[農業者研修教育施設]])([[専修学校]]専門課程) * 私立 {{main|[[香川県専修学校一覧]]}} ==== 学校教育以外の施設 ==== * [[独立行政法人]][[高齢・障害・求職者雇用支援機構]]立 ** [[四国職業能力開発大学校]]([[職業能力開発促進法]]に基づく[[職業能力開発大学校]]) * 県立 ** [[香川県立高等技術学校]]高松校・丸亀校(職業能力開発促進法に基づく[[職業能力開発校]]。高松市と丸亀市に独立したキャンパスを持つ) === マスメディア === ==== 新聞 ==== * [[四国新聞]]([[地方紙]]) * [[朝日新聞]] * [[毎日新聞]] * [[読売新聞]] * [[日本経済新聞]] * [[産経新聞]] * [[日本タイムズ]] * [[山陽新聞]] - 本県に支局を持っている。[[全国紙]]は香川県で夕刊を出しておらず、四国新聞も現在は夕刊を廃止しているため、山陽新聞は香川県で読める唯一の夕刊となっていたが、[[2011年]](平成23年)[[11月30日]]をもって香川県での発行が廃止されることが同年[[10月25日]]に発表された。なお、岡山県と交流の深い直島町では引き続き販売される。 * 読売新聞と朝日新聞は、県内に印刷工場がある ==== タウン情報誌 ==== * 『NICE TOWN』(ナイスタウン出版) * 『香川こまち』(香川こまち編集部) * 『小豆島クーポンフリーペーパーEedee!』(「Eedee!事業部) ==== テレビ局 ==== 民放テレビ局においては、岡山県・香川県は同一のエリアとして扱われており、民放テレビの送信所親局は岡山県[[金甲山]]に置かれている。NHK総合・Eテレは香川県域の放送で、親局は[[前田山 (高松市)|前田山]]。前田山には民放の中継局も設置されている。 テレビ中継局数は27か所あるが、各局の中継局数が統一されているわけではない。香川県内ではNHK総合・Eテレ>RNC>KSB>RSK=OHK>TSCの順であり、TSCは7か所の設置である。 {{Main|岡山県・香川県の放送}} * 香川県に本社 ** [[NHK高松放送局]] ** [[西日本放送]] ([[西日本放送テレビ|RNC]])([[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]・[[日本ニュースネットワーク|NNN]]系列。四国新聞傘下) ** [[瀬戸内海放送]] (KSB)([[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]系列。[[加藤汽船]]傘下) * 岡山県に本社…香川県・岡山県は放送対象地域を相互補完のため、掲載 ** [[RSK山陽放送]] ([[RSKテレビ|RSK]]) ([[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列。[[RSKホールディングス]]傘下) ** [[テレビせとうち]] (TSC) ([[TXNネットワーク|TXN]]系列。山陽新聞傘下) ** [[岡山放送]] (OHK)([[フジネットワーク|FNS]]・[[フジニュースネットワーク|FNN]]系列。) <gallery widths="90px" heights="90px" perrow="6" caption="テレビ局舎外観"> ファイル:NHK-Takamatsu Headquarters.jpg|[[日本放送協会]] (NHK) [[NHK高松放送局|高松放送局]]<br />([[高松市]]) ファイル:Nishinippon Broadcasting Company Headquarters.jpg|[[西日本放送]] (RNC)<br />(高松市) ファイル:KSB_FMKAGAWA_202101.jpeg|[[瀬戸内海放送]] (KSB)<br />(高松市) ファイル:Tohmay Building.jpg|[[RSK山陽放送]] (RSK) 四国支社<br />(高松市) ファイル:Shikoku Panasonic Building.jpg|[[岡山放送]] (OHK) 四国支社<br />(高松市) ファイル:AsahiSeimei-AigoGaisha Building.JPG|[[テレビせとうち]] (TSC) 四国支社<br />(高松市) </gallery> ==== ラジオ局 ==== 県域FM局及びRNCのFM補完放送の中継局は、デジタルテレビとは異なり[[五色台]]に設置されている。 * NHK高松放送局 * 西日本放送 ([[西日本放送ラジオ|RNC]]) ([[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列) * [[エフエム香川]]([[全国FM放送協議会|JFN]]系列) ; コミュニティFM局 * [[エフエム高松コミュニティ放送]](通称:まんでがん815、[[ミュージックバード]]配信・インターネット放送実施局) - 高松市を対象エリアとする * [[エフエムサン|エフエム・サン]]([[J-WAVE]]・ミュージックバード配信局) - 坂出市・宇多津町を対象エリアとする : 一時期は[[高松シティエフエム|エフエムマリノ]](KSB関連)や[[FMこんぴら|エフエムこんぴら]](琴平町を対象エリアとする)もあったが、いずれも廃局となった。さらに、[[エフエムセト]](丸亀市を対象エリアとする)が[[2008年]](平成20年)に廃局となった。 ==== ケーブルテレビ局 ==== * [[さぬき市ケーブルネットワーク]] (SCN) - 平成26年3月末閉局。コミュニティ放送はCMSにて放送中 * [[香川テレビ放送網]] (KBN) - 坂出市、宇多津町を対象エリアとする * [[ケーブルメディア四国]] (CMS) - 高松市、東かがわ市、さぬき市、三木町の一部を対象エリアとする * [[中讃ケーブルビジョン]](通称:中讃テレビ) (CVC) - 丸亀市、多度津町、まんのう町、琴平町を対象エリアとする * [[三豊ケーブルテレビ放送]] (MCB) - 観音寺市、三豊市の一部を対象エリアとする ==== その他 ==== [[日本アマチュア無線連盟]] (JARL) を免許人とする[[アマチュア無線]]用中継局が県内7箇所に設置されている。 == 文化・スポーツ == <br /> === 方言 === 香川県のほぼ全域で[[讃岐弁]]が話されており、県内では西と東で違いがあり、大まかに東讃弁と西讃弁に区別されるが、現在は、東西の差も少なくなっており、メディアの発達に伴い、若い世代を中心に共通語化が進んでいる。瀬戸内海の島々では独特の方言や[[岡山弁]]に近い方言が使われているところもある。 === 生活特性 === [[2007年]](平成19年) - [[2009年]](平成21年)[[家計調査]]<ref>[https://www.stat.go.jp/data/kakei/5.html 総務省統計局・家計調査(二人以上の世帯) 都道府県庁所在市及び政令指定都市別ランキング(平成19〜21年平均)]</ref>によれば県庁所在地の高松市では全国平均と比較して以下のような特徴が見られた。特筆すべきは家庭内・外食とも[[うどん]]の消費が国内1位であるばかりか、全国平均や直近の2位と比べても圧倒的大量なことである。逆に大衆食品と目される食品のうち[[スパゲッティ]]や[[ハンバーグ]]、[[緑茶]]、[[ビール]]は香川県が日本で最も消費されていない都道府県である。さらに特徴的なのは、雨が降らず日照時間も長い気候を反映して[[ティッシュペーパー]]や[[トイレットペーパー]]の紙類の消費が最低な点である。 * 県庁所在地である高松市の指標 * ()内は全国平均 * 上位は最多消費を降順で、下位は最低消費を昇順でそれぞれ10位までを記載 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;" !穀類!!魚介類!!肉類 |- | ; 上位 1位:麺類 - 50,952g (36,000g)<br /> 1位:生うどん・そば - 22,979g (11,265g)<br /> 1位:乾うどん・そば - 10,448g (4,501g)<br /> 10位:食パン - 23,126g (19,503g) ; 下位 3位:スパゲッティ - 2,514g (3,167g)<br /> 4位:米 - 86.33kg (72.67kg)<br /> 4位:即席めん - 1,973g (2,442g)<br /> 8位:カップめん - 2,434g (2,941g)<br /> 10位:中華めん - 7,969g (9,367g) | ; 上位 2位:たこ - 1,179g (778g)<br /> 2位:揚げかまぼこ - 5,231円(2,631円)<br /> 4位:えび - 2,622g (2,006g)<br /> 5位:かき - 823g (607g)<br /> 5位:煮干し - 480g (265g)<br /> 9位:たい - 1,437g (737g) ; 下位 2位:塩干魚介 - 6,459g (9,793g)<br /> 3位:干しあじ - 407g (1,085g)<br /> 3位:他の塩干魚介 - 3,778g (5,088g)<br /> 4位:いか - 2,003g (3,059g)<br /> 5位:魚介加工品のその他 - 1,992円(2,828円)<br /> 6位:たらこ - 363g (810g)<br /> 8位:いわし - 464g (804g)<br /> 8位:魚介の缶詰 - 1,708g (2,397g)<br /> 9位:さけ - 2,346g (3,091g)<br /> 9位:塩さけ - 869g (1,729g)<br /> 9位:干しいわし - 237g (331g)<br /> 10位:魚介類 - 80,640円(88,758円)<br /> 10位:他の魚肉練製品 - 1,013円(1,561円)<br /> | ; 上位 5位:豚肉 - 14,771g (18,224g) ; 下位 4位:他の加工肉 - 941円(1,710円) |- !乳卵類!!生鮮野菜!!乾物・海藻、大豆加工食品など |- | ; 上位 ; 下位 8位:他の乳製品 - 529円(636円) | ; 上位 ; 下位 1位:他の野菜のその他 - 2,714g (5,337g)<br /> 2位:トマト - 8,764g (11,564g)<br /> 3位:根菜 - 61,087g (68,101g)<br /> 3位:他の野菜 - 42,069g (49,067g)<br /> 4位:他の根菜 - 4,103g (5,803g)<br /> 6位:野菜・海藻 - 87,241円(101,855円)<br /> 6位:生鮮野菜 - 161,528g (178,839g)<br /> 4位:もやし - 4,833g (6,060g)<br /> 5位:レタス - 4,734g (5,709g)<br /> 5位:だいこん - 12,616g (15,409g)<br /> 6位:きゅうり - 7,115g (8,768g)<br /> 6位:ピーマン - 2,165g (2,471g)<br /> 7位:さといも - 1,678g (2,426g)<br /> 10位:たまねぎ - 14,886g (15,791g)<br /> | ; 上位 ; 下位 4位:乾物・海藻 - 8,086円(9,447円)<br /> 6位:干しのり - 2,076円(2,691円)<br /> 6位:納豆 - 2,442円(3,693円)<br /> 8位:こんぶつくだ煮 - 530g (716g)<br /> 8位:梅干し - 1,061g (793g)<br /> 10位:豆腐 - 68.84丁(74.89丁) |- !果物!!油脂・調味料!!菓子類 |- | ; 上位 3位:みかん - 19,035g (14,467g)<br /> 5位:オレンジ - 2,069g (1,475g)<br /> 6位:もも - 3,607g (2,144g)<br /> 7位:かき - 3,967g (3,139g)<br /> 8位:他の柑きつ類 - 7,067g (5,482g) ; 下位 3位:果物加工品 - 1183円(1718円)<br /> 6位:グレープフルーツ - 879g (2,844g) | ; 上位 ; 下位 4位:油脂 - 8,258g (9,903g)<br /> 4位:食用油 - 7,103g (8,614g)<br /> 4位:マヨネーズ・ドレッシング - 4,004g (4,760g)<br /> 5位:調味料 - 33,874円(35,607円)<br /> 9位:風味調味料 - 1,742g (1,961g)<br /> 10位:みそ - 5,283g (7,062g) | ; 上位 9位:ケーキ - 8,331円(7,467円) ; 下位 4位:ようかん - 443円(813円)<br /> 8位:他の洋生菓子 - 5,339円(6,059円)<br /> 10位:チョコレート - 4,145円(4,432円) |- !調理食品!!飲料!!酒類 |- | ; 上位 ; 下位 1位:ハンバーグ - 631円(980円)<br /> 4位:天ぷら・フライ - 6,969円(8,573円)<br /> 5位:他の調理食品 - 49,687円(58,325円)<br /> 7位:やきとり - 1,194円(1,833円)<br /> 8位:調理食品 - 89,029円(99,315円)<br /> 9位:しゅうまい - 549円(972円) | ; 上位 7位:紅茶 - 327g (225g)<br /> 8位:果実・野菜ジュース - 9,972円(8,823円)<br /> 10位:他の茶葉 - 1,269g (1,084g) ; 下位 2位:緑茶 - 541g (986g)<br /> 6位:茶類 - 10,004円(12,912円)<br /> 7位:乳酸菌飲料 - 2,605円(3,344円) | ; 上位 7位:他の酒 - 5,743円(4,308円) ; 下位 2位:ビール - 21.56l (30.90l)<br /> 5位:酒類 - 35,912円(44,477円)<br /> 8位:清酒 - 6,210ml (8,620ml) |- !外食!!食料以外 |- | ; 上位 1位:日本そば・うどん - 12,925円(5,300円)<br /> 4位:ハンバーガー - 5,219円(4,061円)<br /> 5位:学校給食 - 17,295円(11,866円)<br /> 6位:和食 - 32,299円(円)<br /> 7位:他のめん類(外食) - 3,069円(1,849円)<br /> 7位:中華食 - 7,289円(4,809円)<br /> 7位:中華そば - 3,882円(5,568円) ; 下位 | ; 上位 4位:殺虫・防虫剤 - 2,790円(2,261円)<br /> 10位:切り花 - 12,080円(10,430円) ; 下位 1位:ティッシュペーパー - 1,730円(2,147円)<br /> 2位:トイレットペーパー - 2,819円(3,233円)<br /> 7位:洗濯用洗剤 - 3,305円(3,801円)<br /> 9位:タオル - 1,410円(1,808円) |} === 食文化 === {{See also|Category:香川県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#香川県}} [[ファイル:Shoyuudon.jpg|200px|right|thumb|讃岐うどんの一例]]<!-- [[四国地方]]から移動しました--> ; ご当地グルメ * [[讃岐うどん]] * [[灸まん]] * [[名物かまど]] * [[いかなご醤油]] * [[和三盆|和三盆糖]] * [[素麺|手延べそうめん]] * [[おいり]] * [[しょうゆ豆]] * [[オリーブ]] * [[瓦せんべい]] * [[観音寺 (銘菓)]] * [[西野金陵|金陵]] * [[香川本鷹]](香川で栽培されている唐辛子の品種) * [[マーガレット (植物)|マーガレット]] * [[こんにゃく]] * [[骨付鳥]] [[うどん]]の生産量が日本一であり、[[オリーブ]]・[[金時人参]]・[[マーガレット (植物)|マーガレット]]・[[レタス]]、[[ニンニク]]などの生産も盛んである。中でも、オリーブの日本での栽培は、[[小豆島]]で[[1907年]](明治40年)に初めて成功したとされる。 === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[香川漆器]](漆器、[[1976年]]) * [[丸亀うちわ]](その他工芸品、[[1997年]]) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#香川県}} * 瀬地場産業の[[手袋]]・[[下駄|桐下駄]]・[[うちわ]]は日本一の生産量を占め、[[盆栽|松盆栽]]などの生産も盛んである。 === スポーツ === {{See also|Category:香川県のスポーツチーム}} * プロフェッショナル ** [[香川ファイブアローズ]] - ([[バスケットボール]]:[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|B.LEAGUE]]) ** [[香川オリーブガイナーズ]] - ([[野球]]:[[四国アイランドリーグplus]]) ** [[カマタマーレ讃岐]] - ([[サッカー]]:[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]) * アマチュア ** [[香川アイスフェローズ]]([[アイスホッケー]]・[[Jアイス・ウエスト・ディビジョン]]) ** [[四国Eighty 8 Queen]] - ([[バレーボール]]:[[チャレンジリーグ (バレーボール)|チャレンジリーグ(Vリーグ2部)]])2011年チーム名を変更して[[仙台市]]へ移転 ** [[アルヴェリオ高松]] - ([[サッカー]]:[[四国サッカーリーグ]]) ** [[多度津FC]] - (サッカー:四国サッカーリーグ) ** [[南クラブ]] - (サッカー:[[香川県サッカーリーグ]]) ** [[JR四国硬式野球部]] - ([[社会人野球]]) ** [[アークバリア硬式野球部]] - ([[社会人野球]]) ** [[善通寺駐屯地|善通寺自衛隊]]([[ラグビーフットボール|ラグビー]]・[[トップウェスト]]) ** [[高松大学]]([[ハンドボール]]・[[チャレンジ・ディビジョン]]) ** [[香川銀行チームハンド]]([[ハンドボール]]) ** [[四国電力#スポーツ|四国電力陸上競技部]]([[陸上競技]]) ** [[四国電力#スポーツ|四国電力バスケットボール部]]([[バスケットボール]]・[[地域リーグ (バスケットボール)|中国・四国・九州リーグ]]) ** 小豆島ストーンズ(バスケットボール・中国・四国・九州リーグ) ** [[百十四銀行]]([[バドミントン日本リーグ|バドミントン女子日本リーグ]]2部) ** [[タダノ]]([[バドミントン日本リーグ|バドミントン男子日本リーグ]]2部) == 観光 == {{Main|香川県の観光地}} {{also|香川県指定文化財一覧}} === うどん県 === [[2011年]](平成23年)10月11日、県観光協会の特設サイトが開設された。内容は、県名を「うどん県」に改名するという架空の設定のもと、県出身の俳優、[[要潤]]を[[副知事 (日本)|副知事]]役に配するとともに、その他の県出身有名人を出演させた動画の閲覧を主とするものである。これは、県の広報活動の一環として、県名物のうどんをきっかけに県の魅力を内外にPRしようとする趣旨のもので、同日の公開開始後、一時アクセスが集中してサーバーがダウンするなど<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20111013-OYT8T00892.htm 「香川はうどん県に改名」サーバーダウンの人気(読売新聞 2011年10月13日)」]</ref>、インターネットを中心に反響を呼んでいる。さらに観光振興課が「うどん県。それだけじゃない香川県」プロジェクトをスタートさせ、うどん以外の瀬戸内海・食・アートなど「それだけじゃない香川県」の魅力の情報発信にも取り組んでいる。2012年6月には源平合戦を題材に全員が女性配役の「[[かがわ源平紅白キャラバン隊]]」が発足した([http://www.my-kagawa.jp/kiyomori/caravan.html かがわ源平紅白キャラバン隊])。 キャラクターはうどん健(声は同県出身の声優[[中村悠一]])である。 [[2012年]](平成24年)11月8日『現代用語の基礎知識』選 ユーキャン新語・流行語大賞の候補語50語にノミネートされたが、入賞にはならなかった<ref>[https://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/social/20121204000155 「うどん県」入賞ならず/流行語大賞(四国新聞 2012年12月4日)」]</ref>。ポケットモンスターのキャラクター「[[ヤドン]]」を「うどん県PR団」に任命しており香川県の観光に一役買っている<ref>[https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1812/18/news098.html うどん県がヤドン県に!? ポケモン「ヤドン」が香川県の「うどん県PR団」に任命]</ref>。 === 史跡・名勝 === {{main|四国地方の史跡一覧#香川県|香川県の城}} [[ファイル:Ritsurin.JPG|thumb|[[特別名勝]]・栗林公園]] [[ファイル:201211Kankakei Shodoshima Kagawa pref Japan07st.jpg|thumb|寒霞渓]] [[ファイル:Zenigata sunae.jpg|thumb|観音寺銭形砂絵]] ; 観光地化されているもの * [[高松城 (讃岐国)|高松城]](高松市) * [[丸亀城]]([[丸亀市]]) * [[讃岐国分寺]](高松市) * [[屋島]](高松市) * [[塩飽勤番所]](丸亀市) * [[栗林公園]](高松市) * 神懸山([[寒霞渓]])(小豆島町) * [[琴弾公園]](観音寺市) - [[銭形砂絵]]として知られる * [[五色台]](坂出市、高松市) ; その他 * [[富田茶臼山古墳]](さぬき市) * [[石清尾山古墳群]](高松市) * [[府中・山内瓦窯跡]](坂出市・高松市) * [[城山 (香川県)|城山]](坂出市・丸亀市) * [[快天山古墳]](丸亀市) * [[天霧城]]跡(善通寺市) * [[有岡古墳群]](善通寺市) * 中寺廃寺跡(まんのう町) * [[二ノ宮窯跡]](三豊市) * [[宗吉瓦窯跡]](三豊市) * [[喜兵衛島製塩遺跡]](直島町) * [[大坂城石垣石切丁場跡]](小豆島町) * [[大坂城残石記念公園]](土庄町) === その他の名所・観光スポット === [[ファイル:Kotohira-gu04n4500.jpg|thumb|[[金刀比羅宮]]]] [[ファイル:Shikokumura06s3200.jpg|thumb|[[四国村]](四国民家博物館)]] * 琴平([[琴平町]]) ** [[金刀比羅宮]] ** [[旧金毘羅大芝居]] ** [[こんぴら温泉郷]] ** [[海の科学館]] * [[笠島 (丸亀市)|笠島]]([[重要伝統的建造物群保存地区]]) * [[四国村]] * [[サンポート高松]] ** [[高松シンボルタワー]] ** [[マリタイムプラザ高松]] ** 高松拉麺築港 * [[四国八十八箇所]] - 以下は[[国宝]]または[[重要文化財]]を所有する寺院 ** [[観音寺 (観音寺市)|観音寺]](観音寺市) ** [[本山寺 (三豊市)|本山寺]](三豊市) ** [[弥谷寺]](三豊市) ** [[善通寺]](善通寺市) ** [[金倉寺]](善通寺市) ** [[讃岐国分寺]](高松市) ** [[白峯寺]](坂出市) ** [[根香寺]](高松市) ** [[屋島寺]](高松市) ** [[志度寺]](さぬき市) ** [[長尾寺]](さぬき市) * [[神谷神社]](坂出市) * [[引田]](東かがわ市) * [[塩江温泉]](高松市) * [[銚子渓]](土庄町) * [[エンジェルロード]](土庄町) * [[醤の郷]](小豆島町) *高永山本門寺(讃岐本門寺・三豊市) === 公園・テーマパークなど === [[ファイル:Gold tower01s3872.jpg|thumb|ゴールドタワー]] [[ファイル:Toramaru park04ds3872.jpg|thumb|とらまる公園]] [[File:Itinomiyapark20230718 1.jpg|thumb|一の宮公園]] [[File:Tokiwakouen20230718 1.jpg|thumb|常盤公園([[聖通寺山]]展望台)]] * [[ニューレオマワールド]](丸亀市) * [[ゴールドタワー]](宇多津町) * [[国営讃岐まんのう公園]](まんのう町) * [[満濃池森林公園]](まんのう町) * [[公渕森林公園]](以下高松市) * [[高松市立中央公園]] * [[仏生山公園]] * [[さぬき空港公園]] * [[さぬきこどもの国]] * [[丸亀市蓮池公園]](丸亀市) * [[瀬戸大橋記念公園]](坂出市) * [[とらまる公園]](東かがわ市) * [[琴弾公園]](観音寺市) * [[一の宮公園]](観音寺市) * [[二十四の瞳映画村]](小豆島町) * [[小豆島オリーブ公園]](小豆島町) * [[道の駅恋人の聖地 うたづ臨海公園]](宇多津町) * 常盤公園・[[聖通寺山]]展望台(宇多津町) * [[道の駅空の夢もみの木パーク]](まんのう町) * [[長柄ダム (香川県)|香川県立長柄ダム公園]](以下綾川町) * [[田万ダム|香川県立田万ダム公園]] * [[高山航空公園|綾川町立高山航空公園]] * [[桃陵公園|香川県立桃陵公園]](多度津町) * [[銚子渓|銚子渓お猿の国自然動物園]](土庄町) === 祭事・イベント === [[ファイル:Hiketa Hinamatsuri 05.JPG|thumb|引田ひなまつり]] ; 重要無形民俗文化財(国指定) * [[綾子踊]](まんのう町) * [[滝宮の念仏踊]](綾川町) ; 県指定重要無形民俗文化財 * [[家浦二頭獅子舞]](三豊市) * [[北条念仏踊]](坂出市) * [[南鴨念仏踊]](多度津町) * [[彌与苗踊]]・[[八千歳踊]](三豊市) * 櫃石[[ももて祭り]](坂出市) ; 祭事・イベント * [[さぬき高松まつり]](高松市) * [[高松秋のまつり・仏生山大名行列]](高松市) * [[ひょうげ祭り]](高松市) * [[むれ源平 石あかりロード]](高松市) * [[さかいで大橋まつり]](坂出市) * [[さかいで塩まつり]](坂出市) * [[総本山善通寺大会陽]](善通寺市) * [[柞田秋祭り]](観音寺市) * [[琴弾八幡宮大祭]](観音寺市) * [[豊浜ちょうさ祭|さぬき豊浜ちょうさ祭]](観音寺市) * [[引田ひなまつり]](東かがわ市) * [[三木町いけのべ七夕まつり]](三木町) === 文化施設 === [[ファイル:I石の民族資料館1007.jpg|thumb|石の民俗資料館]] [[ファイル:MIMOCA06s3s4592.jpg|thumb|丸亀市猪熊弦一郎現代美術館]] [[ファイル:150505 Benesse House Museum Naoshima Kagawa pref Japan01b3s5.jpg|thumb|ベネッセアートサイト直島]] ; 博物館・美術館<!--県立施設は全て記載しその他は存在する記事を記載--> * [[香川県立ミュージアム]](高松市) * [[香川県立東山魁夷せとうち美術館]](坂出市) * [[香川県立亀鶴公園]](さぬき市) * [[高松市美術館]](以下高松市) * サンクリスタル高松 ** [[高松市図書館]] ** [[菊池寛記念館]] ** [[高松市歴史資料館]] * [[新屋島水族館]] * [[四国村]] ** [[四国村ギャラリー]] * [[石の民俗資料館]] * [[ジョージナカシマ記念館]] * [[瀬戸内海歴史民俗資料館]] * [[高松平家物語歴史館]] * [[イサム・ノグチ庭園美術館]] * [[丸亀市立資料館]](以下丸亀市) * [[丸亀市うちわの港ミュージアム]] * [[中津万象園|丸亀美術館]] * [[丸亀市猪熊弦一郎現代美術館]] * [[丸亀平井美術館]] * [[塩飽勤番所]] * [[瀬戸大橋記念館]](以下坂出市) * [[鎌田共済会郷土博物館]] * [[瀬戸内海国立公園]] [[五色台]]ビジターセンター * [[しろとり動物園]](以下東かがわ市) * [[とらまる人形劇ミュージアム]] * [[四国水族館]](宇多津町) * [[壺井栄文学館]](以下小豆島町) * マルキン醤油記念館 * [[家プロジェクト]](以下直島町) * [[地中美術館]] * [[ベネッセアートサイト直島]] * [[ベネッセハウス]] ; コンベンション・コンサート * [[香川県産業交流センター]](愛称:サンメッセ香川) * [[サンポートホール高松]] * [[香川県県民ホール]] * [[高松オリーブホール]] * [[高松市民会館]] * [[高松市民文化センター]] * [[高松テルサホール]] * [[丸亀市民会館]] * [[丸亀市綾歌総合文化会館アイレックス]] * [[坂出市民ホール]] * [[さぬき市野外音楽広場テアトロン]] * [[マリンウェーブ]] * [[志度音楽ホール]] * [[多度津町民会館]] [[ファイル:サーパス2008.JPG|thumb|香川県営野球場(レクザムスタジアム)]] [[ファイル:Marugame Stadium 01.jpg|thumb|香川県立丸亀競技場]] ; スポーツ施設<!--県立施設は全て記載しその他は主要な施設を記載--> * [[香川県総合運動公園]](高松市) ** [[香川県営サッカー・ラグビー場]] ** [[香川県営野球場]] * [[香川県立武道館]](高松市) * [[香川県立総合水泳プール]](高松市) * [[香川県青年センター体育館]](高松市) * [[香川県立丸亀競技場]](丸亀市) * [[とらまる公園体育館]](東かがわ市) * [[高松市総合体育館]](以下高松市) * [[高松市香川総合体育館]] * [[高松市屋島競技場]] * [[高松市民文化センター]] * [[丸亀市総合運動公園]](丸亀市) ** 丸亀市スポーツセンター ** [[丸亀市民球場]] ** [[丸亀市民体育館]] * [[坂出市番の州球場]](坂出市) * [[坂出市立体育館]] * 観音寺市総合運動公園(観音寺市) ** [[観音寺市総合運動公園野球場|野球場]] ** [[観音寺市総合運動公園陸上競技場|陸上競技場]] * [[さぬき市志度総合運動公園野球場]](以下さぬき市) * [[ツインパルながお]] * [[とらまる公園]](東かがわ市) * [[トレスタ白山アイスアリーナ]](三木町) * [[綾川町総合運動公園]](綾川町) ** [[綾川町総合運動公園陸上競技場|陸上競技場]] * [[高松競輪場]](高松市) * [[丸亀競艇場]](丸亀市) * [[土庄町総合会館]](土庄町) ==対外関係== ===姉妹提携=== ; 海外 * {{Flagicon|CHN}}[[中華人民共和国]]・[[陝西省]] ** [[1994年]](平成6年)[[4月22日]]提携 * {{Flagicon|ROC}}[[中華民国]]([[台湾]])・[[桃園市]] ** [[2016年]](平成28年)[[7月18日]]提携 ; 国内 * {{Flagicon|石川県}}[[石川県]] ** [[2012年]](平成24年)[[7月20日]]提携<ref>[http://www.pref.kagawa.lg.jp/content/dir5/dir5_1/dir5_1_4/whsd1r151117155854.shtml 今度の旅は○川県へ!石川県・香川県合同PRイベントを開催します。] - 香川県公式ホームページ</ref> === 交流提携 === * {{Flagicon|ITA}}[[イタリア|イタリア共和国]]・[[パルマ|パルマ市]] ** [[2015年]](平成27年)[[8月27日]]提携<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/local/action/pdfs/except_world04.pdf |title=姉妹友好都市以外の提携リスト |year=2016 |work= |publisher=外務省地方連携推進室 |accessdate=2020-02-20}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2015-09-11 |url=https://www.pref.kagawa.lg.jp/content/chijipage/chijiblog/wv3db0150911180156.shtml |title=イタリア・パルマ市と交流提携を締結しました |work= |publisher=香川県 |accessdate=2020-02-20}}</ref> == 香川県を舞台とした作品 == {{main|香川県を舞台とした作品一覧}} <!--公開年月日が古い順。同年月日は50音順。--> === 映画 === * [[二十四の瞳 (映画)|二十四の瞳]](1954年) * 静と義経(1956年) * [[喜びも悲しみも幾歳月]](1957年) * なつかしき笛や太鼓 (1967年) * [[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]](1975年) - [[千葉真一]][[主演]]。[[少林寺拳法]]発祥の地・[[多度津町]]を舞台。 * [[瀬戸内少年野球団]](1984年) - 小手島([[丸亀市]]) * [[空海#映画|空海]](1984年) - 小手島(丸亀市) * [[二十四の瞳 (映画)|二十四の瞳]](1987年){{fontsize|smaller|※リメイク}} * [[釣りバカ日誌]](1988年) * [[ゴジラvsキングギドラ]](1991年) * [[男はつらいよ 寅次郎の縁談]](1992年) * [[青春デンデケデケデケ]](1992年) * [[機関車先生]](1997年){{fontsize|smaller|※アニメ}} * [[死国]](1999年) * [[世界の中心で、愛をさけぶ]](2004年) * [[機関車先生]](2004年){{fontsize|smaller|※実写。舞台設定は志々島であるが、ロケは同じ[[塩飽諸島]]の本島。}} * [[ロード88 出会い路、四国へ]](2004年)- [[村川絵梨]]デビュー作。[[四国八十八箇所]]の名所が登場する。 * [[UDON]](2006年) * [[青空ポンチ]](2008年) * [[ぼくとママの黄色い自転車]](2009年) * [[めおん (映画)|めおん]](2009年) - 香川出身の[[木内晶子]]が出演。 * Give and Go(2010年) - [[橋本愛 (1996年生)|橋本愛]]デビュー作。全編香川で撮影され、香川限定で先行公開。 * [[きな子〜見習い警察犬の物語〜]](2010年)- 実在する香川の警察犬、[[きな子]]の実話を基にした作品。 * [[八日目の蝉 (映画)|八日目の蝉]](2011年) * [[花子の日記]](2011年) * [[百年の時計]](2013年)- 香川出身の木内晶子が出演。香川県では2012年に先行公開 * [[紲〜庵治石の味〜]](2013年) ; [[ロケーション撮影|ロケ]]をした作品 * 渡り鳥 故郷へ帰る(1962年) * [[エデンの海]](1963年) * [[衝動殺人 息子よ]](1979年) * [[草迷宮 (映画)|草迷宮]](1979年) * 化石の荒野(1982年) * [[犬死にせしもの]](1986年) * [[写楽 (映画)|写楽]](1995年) * [[Dolls (映画)|Dolls]](2002年) * [[阿修羅城の瞳]](2005年) * 恋するイノセントマン(2005年) * [[サマータイムマシン・ブルース]](2005年) * [[春の雪 (映画)|春の雪]](2005年) * [[県庁の星]](2006年) * [[曲がれ!スプーン]](2009年) * [[魔女の宅急便]](実写版、2014年) === テレビドラマ === ; 連続ドラマ * [[あしたの風]](1963年、NHK) * [[西部警察 PART-III]] 「激突!! 壇ノ浦攻防戦-岡山、香川篇-」(1984年、[[テレビ朝日]]) - [[高松市]]、[[塩江町]](高松市塩江町)、[[観音寺市]]、山本町([[三豊市]]山本町) * [[特捜最前線]] 「倉敷 - 高松 - 観音寺・瀬戸内に消えた時効!」(1985年、テレビ朝日) - 高松市、観音寺市 * [[さすらい刑事旅情編]] (テレビ朝日) ** パート2・第1話「寝台特急“瀬戸”・海峡の花嫁」(1989年10月11日) ** パート4・第19話「瀬戸大橋・断崖に立つ女・消された記憶」(1992年2月25日) * [[仮面ライダーBLACK RX]] ([[毎日放送]]) ** 第33話「瀬戸大橋の大決戦」(1989年6月18日) ** 第34話「四国空母化計画!!」(1989年6月25日) * [[特警ウインスペクター]] (テレビ朝日) ** 第40話「瀬戸大橋の怪人I」(1990年11月11日) ** 第41話「瀬戸大橋の怪人II」(1990年11月18日) * [[刑事貴族|刑事貴族3]] 第?話 (1992年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) - [[琴平町]]・[[満濃町]] * [[四国R-14]] ([[2000年]]、[[北海道テレビ放送|北海道テレビ]]) * [[仮面ライダーアギト]] (2001年、テレビ朝日) * [[ラブレター (2008年のテレビドラマ)|ラブレター]] (2008年、[[TBSテレビ]]) - [[土庄町]]、[[小豆島町]] * [[東京全力少女]](2012年、日本テレビ) - 主人公([[武井咲]])が琴平町出身。[[琴平駅]]の他、[[金比羅山]]も登場する。 * [[女の戦争〜バチェラー殺人事件〜]] (2021年、テレビ東京) - ニューレオマワールドなどが登場する。 ; 単発ドラマ * [[保険調査員 しがらみ太郎の事件簿|保険調査員 しがらみ太郎の事件簿3・讃岐殺人事件]] (1997年4月28日、TBS) - 高松市、他 * [[高橋英樹の船長シリーズ|高松 - 神戸ジャンボフェリー殺人海峡]] (1996年9月14日、テレビ朝日) * [[弁護士・高林鮎子|弁護士・高林鮎子25 瀬戸内を渡る死者]](1999年11月23日、日本テレビ) - 高松市、琴平町 * [[西村京太郎トラベルミステリー|西村京太郎トラベルミステリー・夜行列車の女]] (2003年11月22日、テレビ朝日) * [[温泉名物女将!湯の町事件簿|温泉名物女将!湯の町事件簿 讃岐こんぴらさんの門前町で起きた連続殺人]] (2006年6月23日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) * [[さすらい署長 風間昭平]] (2007年4月4日、[[テレビ東京]]) - 高松市、琴平町、小豆島町 * [[浅見光彦シリーズ (フジテレビのテレビドラマ)|浅見光彦シリーズ・鐘]] (2010年1月8日、フジテレビ) ; 放送年月日不明 * [[温泉若おかみの殺人推理]] (テレビ朝日) - 琴平町 * [[ラーメン刑事「龍」の殺人推理|ラーメン刑事vsさぬきうどん]] ([[朝日放送テレビ|朝日放送]]) - 高松市、琴平町 ; 海外ドラマ * [[ハチミツとクローバー]] ([[中華民国|台湾]]版、[[2008年]]5月) - [[坂出市]]、[[高松市]]、[[直島町]] * [[フルハウスTAKE2]] (韓国 2012年) === 小説 === * [[青春デンデケデケデケ]](1990年) * [[バトル・ロワイアル]](1999年) * [[007]] [[赤い刺青の男]](2002年) * [[海辺のカフカ]](2002年) * 野に咲け、あざみ(2008年) * [[神の一球]](2011年)[[英明高校]] * [[丸亀ナイト]](2013年) * [[西尾維新|悲痛伝]](2013年) * [[鷲尾須美は勇者である]](2014年)大橋市([[坂出市]]) * [[乃木若葉は勇者である]](2015 - 2017年)[[丸亀市]] * [[楠芽吹は勇者である]](2017年)[[宇多津町]] === 漫画・アニメ・ゲーム === * [[天地無用!]](1995年) * [[モンキーターン (漫画)|モンキーターン]](1996年 - 2005年) * [[センチメンタルジャーニー (アニメ)|センチメンタルジャーニー]](第4話「杉原真奈美〜微熱少女〜」)(1998年、テレビ東京) * [[少女少年#少女少年III -YUZUKI-|少女少年III -YUZUKI-]](1999年) * [[カナリア 〜この想いを歌に乗せて〜]]([[OVA]]、2000年) - [[フロントウイング]]制作の原作ゲームでは[[琴平町]]{{要出典|date=2021年9月}}。 * [[そらうた]](フロントウイング、2004年) - [[観音寺市]]。作中の登場人物が観音寺が舞台と明言している。 * [[瀬戸の花嫁 (漫画)|瀬戸の花嫁]](2002年 - )観音寺市および観音寺ビーチ * [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](第452話「こんぴら座の怪人」)(2006年9月11日、[[讀賣テレビ放送|ytv]]) * [[桜の温度]](2011年、[[ufotable CINEMA]]にて上映) * [[うどんの国の金色毛鞠]](2012年 - ) * 上連雀の旅 - [[成人向け漫画]]のため具体的な地名は伏字になっているが、香川県の食文化に関することなどで垣間見える。 * [[結城友奈は勇者である]](2014年、2017年 MBS他)[[観音寺市]]、[[坂出市]]、[[丸亀市]] * [[ちびまる子ちゃん#テレビアニメ|ちびまる子ちゃん]](「まる子、さぬきに行く」の巻)(2015年1月25日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])[[金比羅宮]] * [[からかい上手の高木さん (アニメ)|からかい上手の高木さん]](2018年 - 2022年) - [[小豆島]] * かがわ移住物語(2022年)<ref>{{Cite web|和書|title=かがわ移住物語 |url=https://www.kagawalife.jp/iju-monogatari/ |website=かがわ移住物語 |access-date=2022-08-05 |language=ja}}</ref> === 音楽 === * [[瀬戸の花嫁]] * 波止場しぐれ == 人物 == {{Main|香川県出身の人物一覧}} === 香川県名誉県民 === {{Main|香川県名誉県民}} == 注釈 == {{Notelist}} == 出典 == {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[香川県の観光地]] * [[香川県出身の人物一覧]] * [[瀬戸内海国立公園]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] * [[東京さぬき倶楽部]] -東京都港区三田に存在する香川県人のための倶楽部 * [[香川育英会東京学生寮]] -東京都港区三田に存在する香川県出身の四年制大学の学生のための学生寮 * [[香川県ネット・ゲーム依存症対策条例]] == 外部リンク == {{Wikisource|香川縣設置ノ件|香川県設置ノ件}} {{Multimedia|香川県の画像}} {{osm box|r|3795064}} {{Sisterlinks|commons=Kagawa_prefecture|commonscat=Kagawa_prefecture|voy=香川県|d=Q161454|species=Kagawa prefecture}} {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/香川県|[[画像:Kagawa-geo-stub.png|36px|Portal:日本の都道府県/香川県]]}} ; 行政 * {{Official website|name=香川県}} * {{Twitter|PrefKagawa|香川県(広聴広報課)}} * [https://www.pref.kagawa.lg.jp/chiji/blog/mokuji.shtml 浜田恵造(知事ブログ)] ; 観光 * [https://www.my-kagawa.jp/ Myトリップかがわ] - 香川県観光協会 ** [https://www.my-kagawa.jp/udon-ken/ うどん県 特設サイト] ** [https://www.pref.kagawa.lg.jp/kgwpub/pub/cms/detail.php?id=10543 PR映像制作に関する県の報道発表] {{S-start}} {{S-bef|before = [[高松県]]・[[丸亀県]]<br />[[倉敷県]]の一部([[讃岐国]])|表記=前}} {{S-ttl|title = 行政区の変遷 |years = [[1871年]] - [[1873年]]|years2 = 第1次香川県}} {{S-aft|after = [[名東県]]|表記 = 次}} {{S-bef|before = 名東県の一部(讃岐国)|表記 = 前}} {{S-ttl|title = 行政区の変遷 |years = [[1875年]] - [[1876年]]|years2 = 第2次香川県}} {{S-aft|after = [[愛媛県]]|表記=次}} {{S-bef|before = 愛媛県の一部(讃岐国)|表記=前}} {{S-ttl|title = 行政区の変遷 |years = [[1888年]] -|years2 = 第3次香川県}} {{S-aft|after = -----|表記 = 次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{香川県の自治体}} {{香川県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:かかわけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:香川県|*]]
2003-02-03T17:48:05Z
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岐阜県
岐阜県(ぎふけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は岐阜市。 日本の人口重心中央に位置し、その地形は変化に富んでいる。内陸県であり、五畿七道の東海道に含まれないものの、一般的には東海地方に属するとされ、愛知県や三重県とともに東海3県の一つである。岐阜市など県南部の濃尾平野一帯は、大都市の名古屋市に近いことから名古屋都市圏(中京圏)に含まれ、名古屋の衛星都市(ベッドタウン)でもある。県の北部から中部は飛騨山脈(北アルプス)、両白山地などが連なる山岳地帯である。 「岐阜」の名は諸説あり、一説には、織田信長の命名によるとされる。『信長公記』(太田牛一)によると、織田信長が美濃国を攻略した際に、稲葉山の城下の井口を岐阜と改めたと書かれている。 政秀寺の僧侶であった沢彦宗恩の案によって、「岐山」(殷が周の王朝へと移り変わる時に鳳凰が舞い降りた山とされ、周の文王はこの山で立ち上がり、八の基を築いた)の「岐」と、「曲阜」(学問の祖、孔子が生まれた集落があった魯国の首府にして儒学発祥の地)の「阜」を併せ持つ「岐阜」を選定して、太平と学問の地であれとの意味を込めて命名したとされる。 江戸時代中期の尾張藩の記録の『安土創業録』(名古屋市蓬左文庫蔵書、旧蓬左文庫所蔵・尾張徳川家蔵書)、『濃陽志略』(別名・濃州志略、国立公文書館所蔵)にも信長命名とあり、長瀬寛二『岐阜志略』(1885年)が『安土創業録』の記述を引用して信長が初めて岐阜と命名したとしている。 同時代史料を確認してみても、「言継卿記」永禄11年11月10日条に「三州徳川左京大夫所へ沢路隼人佑差下、予岐阜へ下向之次也」。また、ルイス・フロイスの日本耶蘇会年報にも、永禄12年5月、「我等は岐阜の町に著きたり、人口約一万なるべし」。という記述があり、信長命名以前に、岐阜という地名が確認できないことが分かる。 他にも、『細川両家記』や『多聞院日記』での岐阜の初見は永禄11年である。 一方、井口の地名の方は、永禄三年七月廿一日六角承禎の書状に、濃州井口。『歴代古案』、織田信長の書状に、(永錄七年)仍先月濃州相働、井口近所取出。このことから、信長公記にある1568年(永禄11年)に、信長が井口を岐阜と改めた以前に、岐阜であった事実は確認できない。 岐阜は信長命名以前にすでに使用されていたという異論もある。『岐阜市案内』(岐阜市教育会編、1915年)では、「一説には、古来、岐府、岐陽、岐山、岐下と書き、明応永正のころより旧記に岐阜と見えたれば、信長の命名にあらず」と記載。 『美濃国諸旧記』(寛永正保の作か?作者が不明である)には、稲葉山城があった稲葉山を岐山、里を岐阜と呼び、信長が岐阜・中節・井ノ口・今泉・桑田を合併して、岐府と称したとし、岐阜は古来の字で、信長は岐府と府の字を使ったと主張されている。 ただし、忠節・今泉は近世地名(江戸時代の地名)であり、岐阜を岐府と別称した文書はない。 また、仁岫録、東陽英朝の語録;少林無孔笛、明応8年孟夏日・土岐成頼画像;東陽英朝賛にいずれも岐阜鐘秀。万里集九の梅花無尽蔵に、岐陽という語句が頻出、岐下風流、雖退去于岐阜陽、とあるが、同書物中では岐陽とは何かについての具体的な説明はなく、梅花無尽蔵注釈;市木武雄において、岐蘇川(木曽川)の陽(北)に位置し、鵜沼・岐阜一帯を指すとするが、同書物中には、木曽川となっており、木曽陽あるいは木陽でないとおかしいし、岐蘇川としても岐蘇陽という表現がないのもおかしいという疑問もある。 ※木曽川(岐蘇川)由来説の最大の問題点は、承和2年の太政官符に、「尾張・美濃両国堺墨俣河」という記述があり、古来は墨俣川と呼ばれていることである。 当然、川の名前由来で、岐阜岐陽は、成り立たない。1586年(天正14年)6月24日に、織田家領内の木曽川の大洪水が起こり、古来の河道が大変化をした。ほぼ現状の河川地形となったのである。 また、信長は、井口を岐阜と改めたとしているのに、万里集九の『梅花無尽蔵』には、「濃之井口有祥雲院」という記述があり、井口を岐陽としていない。 さらに、「濃之革県、濃革手」という記述もあり、革手府を岐阜(岐陽)と呼んでいない。井口から相当離れた鵜沼(各務原市東端)を井口と一帯として岐陽と呼ぶのも無理がある。同書物中には、河陽=駿河国とする記述もあり、となると、岐陽=美濃国=濃陽という広範囲すぎる呼称となり、やはり、信長が井口を岐阜と改めたという事実と矛盾する。 なお、万里集九以前に、五山の学僧に岐陽方秀がおり、道号は初め岐山、のち岐陽と改めた、讃岐国出身であることから、岐山=岐陽=讃岐国を意味するか。岐阜県教育会編『濃飛両国通史』(1923年)、花見朔巳『安土桃山時代史』(1939年)にも、岐阜命名は信長以前説を唱えている。 阿部栄之助の『濃飛両国通史』を見ると、永禄4年に崇福寺の快川国師(紹喜)が斎藤義龍を「岐陽賢太守」と呼んだとするが、出典不明であり、永禄沙汰には「永祿3年12月24日美濃齋藤義龍、同国の禅家をして、伝燈寺に帰附せしむ、尋で、同国崇福寺紹喜(快川)等、之を憤り、国外に出奔す」という記述があり、永禄4年の段階で、美濃国外退去になりすでに崇福寺の住職ではなく、憤慨した相手の斎藤義龍を賢太守と褒めたとは疑問である。 『御湯殿上日記』には、天正9年9月6日正親町天皇が、前妙心寺住持快川(紹喜)に大通智勝国師の号を賜ふ、という記述があり、永禄4年の段階で国師であったはずがないなど、明らかにおかしな記述である。 県域のほとんどは旧美濃国と旧飛騨国とで構成される。近年には長野県から旧神坂村・旧山口村を越境編入して県域が変更された。国の境目だった一部村落の分離などの境界変更で一部に旧越前国、旧信濃国、旧尾張国、旧伊勢国だった地域も含まれている。 国土地理院によると2021年(令和3年)1月18日現在の岐阜県の広袤(こうぼう)は以下の通り。 北部の飛騨地方の大部分は、標高3,000m級の飛騨山脈をはじめとする山岳地帯で、平地は高山盆地などわずかしかない。 一方、南部の美濃地方は、愛知県の伊勢湾沿岸から続く濃尾平野が広がり、低地面積が広い。特に南西部の木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)合流域とその支流域には、水郷地帯が広がり、海抜0m以下の場所もある。この地域には水害から身を守るための輪中と呼ばれる堤防で囲まれた構造あるいはその集落があり、このような岐阜県の地形の特徴を表して、飛山濃水という言葉で表される。 各県との県境はほとんどが山地山脈である。ただし、愛知県の尾張地方との県境の大部分および三重県との県境の一部は、木曽川、長良川、揖斐川などの河川となっている。 岐阜県の河川は以下の6つの水系から構成される。 飛騨地方の大部分と美濃地方の一部は日本海側気候、美濃地方の大部分は太平洋側気候、飛騨地方・美濃地方の各一部は中央高地式気候となっており、標高差も大きいため同じ県内であっても気候差が大きい。県内全域で内陸性気候をあわせ持ち、一部地域は豪雪地帯・特別豪雪地帯でたびたび大雪に見舞われる。標高の高い地帯の西側に当たる為に雨雲が発達しやすく、年平均降水量は1700mm~2500mm程度と比較的多い。 冬は乾燥した晴天の日が多く、岐阜県西部では、伊吹おろしという乾燥した冷たい風が吹く。このため体感温度が北日本並みに一気に低下する日もある。強い冬型の気圧配置になると雪雲が流入し、岐阜県西部で局地的な大雪に見舞われることがある。 美濃地方は低い山に囲まれているということもあって、夏は暑く冬は寒いうえ、気温の日較差も大きい。特に東濃の多治見市では、その年の国内最高気温を記録することもある(2007年(平成19年)8月16日、埼玉県熊谷市と並び国内の過去最高気温となる40.9°Cを記録した)。夏期には内陸性の気候に加え、ヒートアイランド現象、さらに西風が吹いた際には、近畿地方の熱風が伊吹山系にぶつかりフェーン現象を起こす。こうして高温を記録することが多い。 飛騨地方は標高も高いこともあり、気温は美濃地方と比べると低いが、高山盆地では夏期に猛暑日を記録することもある。2018年(平成30年)8月6日午後2時2分には、下呂市でも南部に位置する金山地域(旧・益田郡金山町)のアメダス金山観測所において、高知県四万十市と並ぶ日本国内における最高気温歴代2位タイとなる気温41.0°Cを観測した。ただし、湿度が低いため比較的すごしやすい。冬期は内陸山間部では気温が低く、特に高山市荘川町六厩(むまや)は、亜寒帯湿潤気候で本州では寒い地域の1つとも言われており、1981年(昭和56年)2月28日には-25.4度を記録するなど-20°C以下まで下がる日も多い。 主な旧国名は、「飛騨国」「美濃国」。わずかに「越前国」「信濃国」「伊勢国」「尾張国」の区域も含む。 愛知県境にほど近い、県中南〜西南部の濃尾平野地域が岐阜県の可住地の大部分であり、県人口全体の半分を占める上位6市(岐阜市、大垣市、各務原市、多治見市、可児市、関市)は全て同エリアに集中する。一方で飛騨地方と県南東部(旧恵那郡・旧土岐郡)は小規模盆地が点在する地形となっており、人口10万人以上の都市が存在しない。 県南部を中心に、日系ブラジル人やフィリピン人などの外国人が数多く暮らしている。近年では在日中国人も増えている。特に美濃加茂市では人口の1割は外国人で、工場などで労働者として働いているケースが多い。1990年(平成2年)の入国管理法改正以降、急速に増えていった。彼らの最大の問題は子どもの教育で、日本語が理解できないなどのために不就学になる場合もある。ブラジル学校は県内に数校あるが、大半が無認可である。2008年(平成20年)の世界的経済危機を受けブラジル人が母国へ帰国するケースが少なからずあり、岐阜県は彼らの帰国旅行費用について支援している。 近年は中国人に対する日本入国の条件の緩和などにより、主に高山市や白川村など飛騨地方を中心とする県内の観光地では外国人観光客が大幅に増えている傾向がある。 5年ごとに実施される国勢調査の結果、日本の人口重心が決められるが、岐阜県内を東(東京方面)に移動中。 本県でも約3万年前に始まる後期旧石器時代には、濃尾平野北辺部の段丘上や台地(日野遺跡・寺田遺跡・椿洞遺跡)に人々が活動していた遺跡が確認されている。他にも山中の狭い細尾根にある遺跡(揖斐川町藤橋村徳山寺屋敷遺跡)や低湿地の遺跡(飛騨市宮川村宮ノ前遺跡)が確認されている。 それらの遺跡から石を割ってで切る剥片でつくった石器、例えばナイフ形石器・削器・細石刃・尖頭器など、また調理に使ったと考えられる礫郡、加工痕のある木片などの生活用具が確認されている。 4世紀の前期には、美濃西部が大和政権の勢力下に入り、4世紀後期には飛騨地方にまで支配が及んだ。開化朝に三野前国造が不破郡に設置され、次いで成務朝には三野後国造が各務郡に、額田国造が大野郡に、牟義都国造が武儀郡に、斐陀国造が大野郡に設置された。 その他本巣国造の記載も見られる(『先代旧事本紀』、『古事記』)。 律令制以降は上記の国造国が合併され、令制国の美濃国(18郡・131郷)と飛騨国(3郡・13郷)の二国になった(和名類聚抄)。美濃は「御野」(大宝2年:702の正倉院文書)、飛騨は「裴陀」(養老令)と書かれた。ヒダの国名の表記法が「飛騨」に定着したのは8世紀の前半である。 美濃と飛騨国は、東山道に属し、畿内からの本線は近江・美濃を通り、信濃上野へと向かうから美濃から飛騨へは東山道の支線であった。 この東山道は古くから利用された。ヤマトタケルの征服伝説にも登場する(『古事記』)。 美濃国は、日本のほぼ中心として、東国と畿内を結ぶ重要な軍事拠点であったので、日本の歴史上で重要な合戦が多く起こっている地域である。古くは大海人皇子がこの国を拠点に挙兵した壬申の乱(672年)があり、関ケ原町の藤古川付近で激戦が行われた。 8世紀には、国府が垂井町府中に置かれた。国分寺は大垣市青野町に国分尼寺は垂井町平尾に其々建てられた。一宮は南宮大社(現:垂井町宮代)となった。 中世に入ると、美濃国は土岐氏が、飛騨国は京極氏が守護を務める。戦国時代になると、美濃国は斎藤道三や織田信長の活躍の舞台となる。飛騨国は姉小路氏が支配し、その後羽柴秀吉に従った金森氏が支配した。 徳川家康と石田三成による関ヶ原の戦い(1600年)が関ケ原町、垂井町、大垣市の西濃地域で天下分け目の合戦が行われた。 江戸時代に入ると、先の関ヶ原の戦いによる論功行賞などにより藩の改易・転封などを含めながらも、美濃国は依然として戦略的に重要な地であり石高も多いことから幕府によりいくつかの小藩に分割された。幕府領としては笠松陣屋の美濃郡代が支配した。 美濃国内藩としては、最大でも大垣藩の10万石の他、苗木藩、岩村藩、郡上藩、高富藩、加納藩、大垣新田藩や尾張藩附家老の竹腰氏の今尾藩、尾張藩分家の高須藩が成立する。美濃国外藩としては尾張藩の12万石のほか、磐城平藩、備中岡田藩が領地を有した。 また、旗本知行地としては明知遠山氏や交代寄合の竹中氏陣屋など複数あった。飛騨国は当初飛騨高山藩があったが、元禄期に山林資源や鉱山資源に目をつけた幕府が藩主の金森氏を上山藩に転封し、その後は幕府領として高山陣屋の飛騨郡代が支配した。 また、律令時代から整備された東山道を元として、戦国時代に各地の戦国大名によって整備された道を繋ぎ、中山道が整備された。 当初の県庁は笠松陣屋。(この時点では美濃国のみ) 県令は長谷部佳恕連(元福井藩)、権参事は小崎利準(元亀山藩)。その後県庁舎が手狭になり、今泉村(岐阜市)八寺地内に新庁舎を建設。1874年(明治7年)6月21日に移転。 県全域で岐阜県選挙区を構成する。定員2、改選数1。 県の多くが山岳地のために林業が盛ん。ヒノキの産出量では国内有数の量で、県内には木材を扱う業者が多い。また、切り出した木を使用した木工品などの工芸品の生産に力を注いでいる。 長良川などの清流が県内を流れているため、県を挙げて日本酒・焼酎の生産の振興に乗り出している。 岐阜市では戦後、軍服や古着を売る繊維問屋街ができ、さらに布を仕入れて服を作って売るアパレル産業が盛んになり、全国的な産地となった。2000年代中ごろ以降は東京や名古屋に押されて問屋街は苦戦しており、ファッションの産地としての生き残りを図るには岐阜の個性ある特徴を打ち出すのが課題となっている。岐阜市には一般社団法人岐阜ファッション産業連合会などのファッション産地団体組織があり、定期的にファッションイベントを開催している。 ハイテクパークである大垣市ソフトピアジャパン、各務原市VRテクノジャパン(テクノプラザ)を設立し、ベンチャー企業の育成を図るなど、IT産業の育成に力を注いでいる。 恵那市で創業し、多治見市に本部があるバローホールディングスの子会社であるスーパーマーケットバローが県内に71店舗ある(全国では310店舗)。また、バローホールディングスの子会社である中部薬品が運営するV・drugが県内に156店舗存在する(全国では469店舗)。他にスポーツクラブ188店舗(全国)、ホームセンター156店舗(全国)、ペットショップ111店舗(全国)などを運営する(2021年時点)。バローグループは連結売上7,000億円を超える岐阜県を代表する流通企業である。 2010年代後半にはドラッグストアが多く出店し、激戦区となった。V・drugに加え、ゲンキー、クスリのアオキなど県外資本のドラッグストアも出店し、2018年末には店舗数が408店となった。人口10万人あたりの店舗数は約20店(2018年末)で全国最多である。 定期便が飛ぶ空港は県内に存在しない。近隣の空港は名古屋飛行場と中部国際空港(いずれも愛知県)、富山空港(富山県)がある。 国立 公立 私立 公立 私立 岐阜県には地元紙の岐阜新聞が存在するが、シェアは愛知県名古屋市に本社を置く中日新聞が圧倒的に強い。 岐阜新聞と中日新聞の仲の悪さは有名な話である。 名古屋市に本社を置く民放各局(県域局のテレビ愛知を除く)およびNHK名古屋Eテレ(教育テレビ)が本県に中継局を設けている。 美濃地方西部の大半や東濃地方の一部(可児市や土岐市以南)では愛知県の県域放送(NHK名古屋総合テレビ、FM放送とテレビ愛知、FM AICHI、ZIP-FM)や三重県の県域放送(三重テレビ、FM三重)が受信可能エリアになる。 お婆々どこへ行きゃるナーナーナー お婆々どこへ行きゃるナ 三升樽さげてソーラバエ ヒュルヒュルヒュードンドン 嫁の在所へナーナーナー 嫁の在所へナ ささ孫抱きにソーラバエ ヒュルヒュルヒュードンドン 郡上の八幡 出ていく時は 雨も降らぬに 袖しぼる 天のお月様 ツン丸こて丸て 丸て角のて そいよかろ 郡上の殿様 自慢なものは 金の弩標(どひょう)に 七家老 金が出る出る 畑佐の山で 銀と鉛と 赤がねと 向(むかい)小駄良の 牛の子を見やれ 親が黒けりゃ 子も黒い 唄も続くが 踊りも続く 月の明るい 夜も続く 泣いて分かれて 松原行けば 松の露やら 涙やら 忘れまいぞえ 愛宕の桜 縁を結んだ 花じゃもの 雪の降る夜は 来ないでおくれ かくし切れない 下駄の跡 岐阜県名誉県民の称号は、1958年(昭和33年)11月29日に制定された岐阜県名誉県民条例(昭和33年11月29日岐阜県条例第32号)に基づき、「社会文化の興隆に功績があつた者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「公共の福祉の増進又は学術、技芸の発展に寄与し、もつて県民の生活及び文化に貢献し、その功績が卓絶で県民の尊敬を受ける者」、「岐阜県に十年以上居住し、若しくは居住していた者で、広く社会文化の興隆に貢献し、その功績が卓絶で県民が郷土の誇りとしてひとしく尊敬する者」であることが定められているが(条例第2条)、後者の居住期間については特に必要があると認められるときには短縮することが可能である。名誉県民号の贈呈については、岐阜県知事が岐阜県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第3条)。名誉県民に選定された者には、表彰状と名誉県民き章が贈呈される(条例第4条)。
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"p", "text": "また、仁岫録、東陽英朝の語録;少林無孔笛、明応8年孟夏日・土岐成頼画像;東陽英朝賛にいずれも岐阜鐘秀。万里集九の梅花無尽蔵に、岐陽という語句が頻出、岐下風流、雖退去于岐阜陽、とあるが、同書物中では岐陽とは何かについての具体的な説明はなく、梅花無尽蔵注釈;市木武雄において、岐蘇川(木曽川)の陽(北)に位置し、鵜沼・岐阜一帯を指すとするが、同書物中には、木曽川となっており、木曽陽あるいは木陽でないとおかしいし、岐蘇川としても岐蘇陽という表現がないのもおかしいという疑問もある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "※木曽川(岐蘇川)由来説の最大の問題点は、承和2年の太政官符に、「尾張・美濃両国堺墨俣河」という記述があり、古来は墨俣川と呼ばれていることである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "当然、川の名前由来で、岐阜岐陽は、成り立たない。1586年(天正14年)6月24日に、織田家領内の木曽川の大洪水が起こり、古来の河道が大変化をした。ほぼ現状の河川地形となったのである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "また、信長は、井口を岐阜と改めたとしているのに、万里集九の『梅花無尽蔵』には、「濃之井口有祥雲院」という記述があり、井口を岐陽としていない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "さらに、「濃之革県、濃革手」という記述もあり、革手府を岐阜(岐陽)と呼んでいない。井口から相当離れた鵜沼(各務原市東端)を井口と一帯として岐陽と呼ぶのも無理がある。同書物中には、河陽=駿河国とする記述もあり、となると、岐陽=美濃国=濃陽という広範囲すぎる呼称となり、やはり、信長が井口を岐阜と改めたという事実と矛盾する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "なお、万里集九以前に、五山の学僧に岐陽方秀がおり、道号は初め岐山、のち岐陽と改めた、讃岐国出身であることから、岐山=岐陽=讃岐国を意味するか。岐阜県教育会編『濃飛両国通史』(1923年)、花見朔巳『安土桃山時代史』(1939年)にも、岐阜命名は信長以前説を唱えている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "阿部栄之助の『濃飛両国通史』を見ると、永禄4年に崇福寺の快川国師(紹喜)が斎藤義龍を「岐陽賢太守」と呼んだとするが、出典不明であり、永禄沙汰には「永祿3年12月24日美濃齋藤義龍、同国の禅家をして、伝燈寺に帰附せしむ、尋で、同国崇福寺紹喜(快川)等、之を憤り、国外に出奔す」という記述があり、永禄4年の段階で、美濃国外退去になりすでに崇福寺の住職ではなく、憤慨した相手の斎藤義龍を賢太守と褒めたとは疑問である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "『御湯殿上日記』には、天正9年9月6日正親町天皇が、前妙心寺住持快川(紹喜)に大通智勝国師の号を賜ふ、という記述があり、永禄4年の段階で国師であったはずがないなど、明らかにおかしな記述である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "県域のほとんどは旧美濃国と旧飛騨国とで構成される。近年には長野県から旧神坂村・旧山口村を越境編入して県域が変更された。国の境目だった一部村落の分離などの境界変更で一部に旧越前国、旧信濃国、旧尾張国、旧伊勢国だった地域も含まれている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "国土地理院によると2021年(令和3年)1月18日現在の岐阜県の広袤(こうぼう)は以下の通り。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "北部の飛騨地方の大部分は、標高3,000m級の飛騨山脈をはじめとする山岳地帯で、平地は高山盆地などわずかしかない。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "一方、南部の美濃地方は、愛知県の伊勢湾沿岸から続く濃尾平野が広がり、低地面積が広い。特に南西部の木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)合流域とその支流域には、水郷地帯が広がり、海抜0m以下の場所もある。この地域には水害から身を守るための輪中と呼ばれる堤防で囲まれた構造あるいはその集落があり、このような岐阜県の地形の特徴を表して、飛山濃水という言葉で表される。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "各県との県境はほとんどが山地山脈である。ただし、愛知県の尾張地方との県境の大部分および三重県との県境の一部は、木曽川、長良川、揖斐川などの河川となっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "岐阜県の河川は以下の6つの水系から構成される。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "飛騨地方の大部分と美濃地方の一部は日本海側気候、美濃地方の大部分は太平洋側気候、飛騨地方・美濃地方の各一部は中央高地式気候となっており、標高差も大きいため同じ県内であっても気候差が大きい。県内全域で内陸性気候をあわせ持ち、一部地域は豪雪地帯・特別豪雪地帯でたびたび大雪に見舞われる。標高の高い地帯の西側に当たる為に雨雲が発達しやすく、年平均降水量は1700mm~2500mm程度と比較的多い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "冬は乾燥した晴天の日が多く、岐阜県西部では、伊吹おろしという乾燥した冷たい風が吹く。このため体感温度が北日本並みに一気に低下する日もある。強い冬型の気圧配置になると雪雲が流入し、岐阜県西部で局地的な大雪に見舞われることがある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "美濃地方は低い山に囲まれているということもあって、夏は暑く冬は寒いうえ、気温の日較差も大きい。特に東濃の多治見市では、その年の国内最高気温を記録することもある(2007年(平成19年)8月16日、埼玉県熊谷市と並び国内の過去最高気温となる40.9°Cを記録した)。夏期には内陸性の気候に加え、ヒートアイランド現象、さらに西風が吹いた際には、近畿地方の熱風が伊吹山系にぶつかりフェーン現象を起こす。こうして高温を記録することが多い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "飛騨地方は標高も高いこともあり、気温は美濃地方と比べると低いが、高山盆地では夏期に猛暑日を記録することもある。2018年(平成30年)8月6日午後2時2分には、下呂市でも南部に位置する金山地域(旧・益田郡金山町)のアメダス金山観測所において、高知県四万十市と並ぶ日本国内における最高気温歴代2位タイとなる気温41.0°Cを観測した。ただし、湿度が低いため比較的すごしやすい。冬期は内陸山間部では気温が低く、特に高山市荘川町六厩(むまや)は、亜寒帯湿潤気候で本州では寒い地域の1つとも言われており、1981年(昭和56年)2月28日には-25.4度を記録するなど-20°C以下まで下がる日も多い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "主な旧国名は、「飛騨国」「美濃国」。わずかに「越前国」「信濃国」「伊勢国」「尾張国」の区域も含む。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "愛知県境にほど近い、県中南〜西南部の濃尾平野地域が岐阜県の可住地の大部分であり、県人口全体の半分を占める上位6市(岐阜市、大垣市、各務原市、多治見市、可児市、関市)は全て同エリアに集中する。一方で飛騨地方と県南東部(旧恵那郡・旧土岐郡)は小規模盆地が点在する地形となっており、人口10万人以上の都市が存在しない。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "県南部を中心に、日系ブラジル人やフィリピン人などの外国人が数多く暮らしている。近年では在日中国人も増えている。特に美濃加茂市では人口の1割は外国人で、工場などで労働者として働いているケースが多い。1990年(平成2年)の入国管理法改正以降、急速に増えていった。彼らの最大の問題は子どもの教育で、日本語が理解できないなどのために不就学になる場合もある。ブラジル学校は県内に数校あるが、大半が無認可である。2008年(平成20年)の世界的経済危機を受けブラジル人が母国へ帰国するケースが少なからずあり、岐阜県は彼らの帰国旅行費用について支援している。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "近年は中国人に対する日本入国の条件の緩和などにより、主に高山市や白川村など飛騨地方を中心とする県内の観光地では外国人観光客が大幅に増えている傾向がある。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "5年ごとに実施される国勢調査の結果、日本の人口重心が決められるが、岐阜県内を東(東京方面)に移動中。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "本県でも約3万年前に始まる後期旧石器時代には、濃尾平野北辺部の段丘上や台地(日野遺跡・寺田遺跡・椿洞遺跡)に人々が活動していた遺跡が確認されている。他にも山中の狭い細尾根にある遺跡(揖斐川町藤橋村徳山寺屋敷遺跡)や低湿地の遺跡(飛騨市宮川村宮ノ前遺跡)が確認されている。 それらの遺跡から石を割ってで切る剥片でつくった石器、例えばナイフ形石器・削器・細石刃・尖頭器など、また調理に使ったと考えられる礫郡、加工痕のある木片などの生活用具が確認されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "4世紀の前期には、美濃西部が大和政権の勢力下に入り、4世紀後期には飛騨地方にまで支配が及んだ。開化朝に三野前国造が不破郡に設置され、次いで成務朝には三野後国造が各務郡に、額田国造が大野郡に、牟義都国造が武儀郡に、斐陀国造が大野郡に設置された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "その他本巣国造の記載も見られる(『先代旧事本紀』、『古事記』)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "律令制以降は上記の国造国が合併され、令制国の美濃国(18郡・131郷)と飛騨国(3郡・13郷)の二国になった(和名類聚抄)。美濃は「御野」(大宝2年:702の正倉院文書)、飛騨は「裴陀」(養老令)と書かれた。ヒダの国名の表記法が「飛騨」に定着したのは8世紀の前半である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "美濃と飛騨国は、東山道に属し、畿内からの本線は近江・美濃を通り、信濃上野へと向かうから美濃から飛騨へは東山道の支線であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "この東山道は古くから利用された。ヤマトタケルの征服伝説にも登場する(『古事記』)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "美濃国は、日本のほぼ中心として、東国と畿内を結ぶ重要な軍事拠点であったので、日本の歴史上で重要な合戦が多く起こっている地域である。古くは大海人皇子がこの国を拠点に挙兵した壬申の乱(672年)があり、関ケ原町の藤古川付近で激戦が行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "8世紀には、国府が垂井町府中に置かれた。国分寺は大垣市青野町に国分尼寺は垂井町平尾に其々建てられた。一宮は南宮大社(現:垂井町宮代)となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "中世に入ると、美濃国は土岐氏が、飛騨国は京極氏が守護を務める。戦国時代になると、美濃国は斎藤道三や織田信長の活躍の舞台となる。飛騨国は姉小路氏が支配し、その後羽柴秀吉に従った金森氏が支配した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "徳川家康と石田三成による関ヶ原の戦い(1600年)が関ケ原町、垂井町、大垣市の西濃地域で天下分け目の合戦が行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "江戸時代に入ると、先の関ヶ原の戦いによる論功行賞などにより藩の改易・転封などを含めながらも、美濃国は依然として戦略的に重要な地であり石高も多いことから幕府によりいくつかの小藩に分割された。幕府領としては笠松陣屋の美濃郡代が支配した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "美濃国内藩としては、最大でも大垣藩の10万石の他、苗木藩、岩村藩、郡上藩、高富藩、加納藩、大垣新田藩や尾張藩附家老の竹腰氏の今尾藩、尾張藩分家の高須藩が成立する。美濃国外藩としては尾張藩の12万石のほか、磐城平藩、備中岡田藩が領地を有した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "また、旗本知行地としては明知遠山氏や交代寄合の竹中氏陣屋など複数あった。飛騨国は当初飛騨高山藩があったが、元禄期に山林資源や鉱山資源に目をつけた幕府が藩主の金森氏を上山藩に転封し、その後は幕府領として高山陣屋の飛騨郡代が支配した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "また、律令時代から整備された東山道を元として、戦国時代に各地の戦国大名によって整備された道を繋ぎ、中山道が整備された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "当初の県庁は笠松陣屋。(この時点では美濃国のみ) 県令は長谷部佳恕連(元福井藩)、権参事は小崎利準(元亀山藩)。その後県庁舎が手狭になり、今泉村(岐阜市)八寺地内に新庁舎を建設。1874年(明治7年)6月21日に移転。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "県全域で岐阜県選挙区を構成する。定員2、改選数1。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "県の多くが山岳地のために林業が盛ん。ヒノキの産出量では国内有数の量で、県内には木材を扱う業者が多い。また、切り出した木を使用した木工品などの工芸品の生産に力を注いでいる。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "長良川などの清流が県内を流れているため、県を挙げて日本酒・焼酎の生産の振興に乗り出している。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "岐阜市では戦後、軍服や古着を売る繊維問屋街ができ、さらに布を仕入れて服を作って売るアパレル産業が盛んになり、全国的な産地となった。2000年代中ごろ以降は東京や名古屋に押されて問屋街は苦戦しており、ファッションの産地としての生き残りを図るには岐阜の個性ある特徴を打ち出すのが課題となっている。岐阜市には一般社団法人岐阜ファッション産業連合会などのファッション産地団体組織があり、定期的にファッションイベントを開催している。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "ハイテクパークである大垣市ソフトピアジャパン、各務原市VRテクノジャパン(テクノプラザ)を設立し、ベンチャー企業の育成を図るなど、IT産業の育成に力を注いでいる。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "恵那市で創業し、多治見市に本部があるバローホールディングスの子会社であるスーパーマーケットバローが県内に71店舗ある(全国では310店舗)。また、バローホールディングスの子会社である中部薬品が運営するV・drugが県内に156店舗存在する(全国では469店舗)。他にスポーツクラブ188店舗(全国)、ホームセンター156店舗(全国)、ペットショップ111店舗(全国)などを運営する(2021年時点)。バローグループは連結売上7,000億円を超える岐阜県を代表する流通企業である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "2010年代後半にはドラッグストアが多く出店し、激戦区となった。V・drugに加え、ゲンキー、クスリのアオキなど県外資本のドラッグストアも出店し、2018年末には店舗数が408店となった。人口10万人あたりの店舗数は約20店(2018年末)で全国最多である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "定期便が飛ぶ空港は県内に存在しない。近隣の空港は名古屋飛行場と中部国際空港(いずれも愛知県)、富山空港(富山県)がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "国立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "公立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "私立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "公立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "私立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "岐阜県には地元紙の岐阜新聞が存在するが、シェアは愛知県名古屋市に本社を置く中日新聞が圧倒的に強い。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "岐阜新聞と中日新聞の仲の悪さは有名な話である。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "名古屋市に本社を置く民放各局(県域局のテレビ愛知を除く)およびNHK名古屋Eテレ(教育テレビ)が本県に中継局を設けている。 美濃地方西部の大半や東濃地方の一部(可児市や土岐市以南)では愛知県の県域放送(NHK名古屋総合テレビ、FM放送とテレビ愛知、FM AICHI、ZIP-FM)や三重県の県域放送(三重テレビ、FM三重)が受信可能エリアになる。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "お婆々どこへ行きゃるナーナーナー お婆々どこへ行きゃるナ 三升樽さげてソーラバエ ヒュルヒュルヒュードンドン", "title": "文化・名物" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "嫁の在所へナーナーナー 嫁の在所へナ ささ孫抱きにソーラバエ ヒュルヒュルヒュードンドン", "title": "文化・名物" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "郡上の八幡 出ていく時は 雨も降らぬに 袖しぼる 天のお月様 ツン丸こて丸て 丸て角のて そいよかろ 郡上の殿様 自慢なものは 金の弩標(どひょう)に 七家老 金が出る出る 畑佐の山で 銀と鉛と 赤がねと 向(むかい)小駄良の 牛の子を見やれ 親が黒けりゃ 子も黒い 唄も続くが 踊りも続く 月の明るい 夜も続く 泣いて分かれて 松原行けば 松の露やら 涙やら 忘れまいぞえ 愛宕の桜 縁を結んだ 花じゃもの 雪の降る夜は 来ないでおくれ かくし切れない 下駄の跡", "title": "文化・名物" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "岐阜県名誉県民の称号は、1958年(昭和33年)11月29日に制定された岐阜県名誉県民条例(昭和33年11月29日岐阜県条例第32号)に基づき、「社会文化の興隆に功績があつた者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「公共の福祉の増進又は学術、技芸の発展に寄与し、もつて県民の生活及び文化に貢献し、その功績が卓絶で県民の尊敬を受ける者」、「岐阜県に十年以上居住し、若しくは居住していた者で、広く社会文化の興隆に貢献し、その功績が卓絶で県民が郷土の誇りとしてひとしく尊敬する者」であることが定められているが(条例第2条)、後者の居住期間については特に必要があると認められるときには短縮することが可能である。名誉県民号の贈呈については、岐阜県知事が岐阜県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第3条)。名誉県民に選定された者には、表彰状と名誉県民き章が贈呈される(条例第4条)。", "title": "出身関連著名人" } ]
岐阜県(ぎふけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は岐阜市。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Otheruses|日本の都道府県としての岐阜県|岐阜県の[[行政機関]]|岐阜県庁}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 岐阜県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Shirakawago.jpg{{!}}白川郷 | photo2a = Gifu Castle - Gifu - Japan - 02 (47925952886).jpg{{!}}岐阜城 | photo2b = Gero spa hunsentou rotenburo.jpg{{!}}下呂温泉 | photo3a = Quartier Sanmachi Takayama.jpg{{!}}飛騨高山 | photo3b = Magome 2009 5.JPG{{!}}馬籠宿 | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center | space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><tr><td style="width:100%" colspan="2">[[白川郷]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[岐阜城]]<td style="width:50%">[[下呂温泉]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[飛騨高山]]<td style="width:50%">[[馬籠宿]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|岐阜県|size=110px}} | 都道府県旗の説明 = [[岐阜県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Gifu Prefecture.svg|70px|岐阜県章]] | 都道府県章の説明 = [[岐阜県徽章]] | 区分 = 県 | コード = 21000-5 | ISO 3166-2 = JP-21 | 隣接都道府県 = {{flag|富山県}}<br/>{{flag|石川県}}<br/>{{flag|福井県}}<br/>{{flag|長野県}}<br />{{flag|愛知県}}<br/>{{flag|三重県}}<br/>{{flag|滋賀県}} | 木 = [[イチイ]] | 花 = [[レンゲソウ]] | 鳥 = [[ライチョウ]] | シンボル名 = 県の魚<br />県の歌 | 歌など = [[アユ]]<br />[[岐阜県民の歌]] | 郵便番号 = 500-8570 | 所在地 = 岐阜市薮田南二丁目1番1号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-21|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=6|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=220|frame-height=200|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}}<br />[[ファイル:岐阜県庁.jpg|220px|岐阜県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 21 Gifu prefecture.svg|320px|岐阜県の位置]]{{基礎自治体位置図|21|000|image=Map of Gifu Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} '''岐阜県'''(ぎふけん)は、[[日本]]の[[中部地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[岐阜市]]。 ==概要== [[ファイル:Symbol_mark_of_Gifu_prefecture.svg|thumb|180px|岐阜県シンボルマーク]] 日本の[[人口重心]]中央{{efn|[[2010年|平成22年]][[国勢調査 (日本)|国勢調査]]時点で岐阜県[[関市]]富之保。}}に[[位置]]し、その[[地形]]は変化に富んでいる。[[内陸県]]であり、[[五畿七道]]の[[東海道]]に含まれないものの、一般的には[[東海地方]]に属するとされ<ref>{{Cite web|和書|title=気象庁|予報用語 地域名 |url=https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/tiikimei.html |website=www.jma.go.jp |access-date=2023-01-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=東海地区(静岡、愛知、岐阜、三重) {{!}} 事例集 {{!}} サービス・ソリューション {{!}} 日本通運 |url=https://www.nittsu.co.jp/casestudy/local/tokai.html |website=www.nittsu.co.jp |access-date=2023-01-05}}</ref>、[[愛知県]]や[[三重県]]とともに[[東海3県]]の一つである。[[岐阜市]]など県南部の[[濃尾平野]]一帯は、大都市の[[名古屋市]]に近いことから[[名古屋都市圏]]([[中京圏]])に含まれ、名古屋の[[衛星都市]]([[ベッドタウン]])でもある。県の北部から中部は[[飛騨山脈]](北アルプス)、[[両白山地]]などが連なる山岳地帯である。 ===名称=== 「岐阜」の名は諸説あり、一説には、[[織田信長]]の命名によるとされる。『[[信長公記]]』([[太田牛一]])によると、織田信長が[[美濃国]]を攻略した際に、[[金華山 (岐阜県)|稲葉山]]の城下の井口を'''岐阜'''と改めたと書かれている。 [[政秀寺]]の僧侶であった[[沢彦宗恩]]の案によって、「[[岐山]]」(殷が周の王朝へと移り変わる時に[[鳳凰]]が舞い降りた山とされ、周の文王はこの山で立ち上がり、八の基を築いた)の「岐」と、「[[曲阜]]」([[学問]]の祖、[[孔子]]が生まれた集落があった[[魯]]国の首府にして儒学発祥の地)の「阜」を併せ持つ「岐阜」を選定して、[[太平]]と[[学問]]の地であれとの意味を込めて命名したとされる。 [[江戸時代]]中期の[[尾張藩]]の記録の『[[安土創業録]]』(名古屋市蓬左文庫蔵書、旧蓬左文庫所蔵・尾張徳川家蔵書)、『濃陽志略』(別名・濃州志略、国立公文書館所蔵)にも信長命名とあり、長瀬寛二『岐阜志略』(1885年)が『安土創業録』の記述を引用して信長が初めて岐阜と命名したとしている。 同時代史料を確認してみても、「言継卿記」永禄11年11月10日条に「三州徳川左京大夫所へ沢路隼人佑差下、予岐阜へ下向之次也」。また、[[ルイス・フロイス]]の[[日本耶蘇会年報]]にも、[[永禄12年]][[5月]]、「我等は岐阜の町に著きたり、人口約一万なるべし」。という記述があり、信長命名以前に、岐阜という地名が確認できないことが分かる。 他にも、『[[細川両家記]]』や『[[多聞院日記]]』での岐阜の初見は[[永禄11年]]である。 一方、[[井口]]の地名の方は、永禄三年七月廿一日六角承禎の書状に、濃州井口。『歴代古案』、[[織田信長]]の書状に、(永錄七年)仍先月濃州相働、井口近所取出。このことから、[[信長公記]]にある1568年(永禄11年)に、信長が井口を岐阜と改めた以前に、岐阜であった事実は確認できない。 岐阜は信長命名以前にすでに使用されていたという異論もある。『岐阜市案内』(岐阜市教育会編、1915年)では、「一説には、古来、岐府、岐陽、岐山、岐下と書き、明応永正のころより旧記に岐阜と見えたれば、信長の命名にあらず」と記載。 『[[美濃国諸旧記]]』([[寛永正保]]の作か?作者が不明である)には、[[稲葉山城]]があった[[金華山 (岐阜県)|稲葉山]]を岐山、里を岐阜と呼び、信長が岐阜・中節・井ノ口・今泉・桑田を合併して、岐府と称したとし、岐阜は古来の字で、信長は岐府と府の字を使ったと主張されている。 ただし、忠節・今泉は[[近世]]地名([[江戸時代]]の[[地名]])であり、岐阜を岐府と別称した文書はない。 また、仁岫録、東陽英朝の語録;少林無孔笛、明応8年孟夏日・土岐成頼画像;東陽英朝賛にいずれも岐阜鐘秀。万里集九の梅花無尽蔵に、岐陽という語句が頻出、岐下風流、雖退去于岐阜陽、とあるが、同書物中では岐陽とは何かについての具体的な説明はなく、梅花無尽蔵注釈;市木武雄において、岐蘇川(木曽川)の陽(北)に位置し、鵜沼・岐阜一帯を指すとするが、同書物中には、木曽川となっており、木曽陽あるいは木陽でないとおかしいし、岐蘇川としても岐蘇陽という表現がないのもおかしいという疑問もある。 ※木曽川(岐蘇川)由来説の最大の問題点は、承和2年の太政官符に、「尾張・美濃両国堺墨俣河」という記述があり、古来は墨俣川と呼ばれていることである。 当然、川の名前由来で、岐阜岐陽は、成り立たない。[[1586年]](天正14年)[[6月24日]]に、[[織田家]]領内の[[木曽川]]の大洪水が起こり、古来の河道が大変化をした。ほぼ現状の河川地形となったのである。 また、信長は、井口を岐阜と改めたとしているのに、[[万里集九]]の『梅花無尽蔵』には、「濃之井口有祥雲院」という記述があり、井口を岐陽としていない。 さらに、「濃之革県、濃革手」という記述もあり、革手府を岐阜(岐陽)と呼んでいない。井口から相当離れた鵜沼(各務原市東端)を井口と一帯として岐陽と呼ぶのも無理がある。同書物中には、河陽=駿河国とする記述もあり、となると、岐陽=美濃国=濃陽という広範囲すぎる呼称となり、やはり、信長が井口を岐阜と改めたという事実と矛盾する。 なお、万里集九以前に、五山の学僧に岐陽方秀がおり、道号は初め岐山、のち岐陽と改めた、讃岐国出身であることから、岐山=岐陽=讃岐国を意味するか。岐阜県教育会編『濃飛両国通史』(1923年)、[[花見朔巳]]『安土桃山時代史』(1939年)にも、岐阜命名は信長以前説を唱えている。 [[阿部栄之助]]の『濃飛両国通史』を見ると、永禄4年に崇福寺の[[快川国師]]([[紹喜]])が[[斎藤義龍]]を「岐陽賢太守」と呼んだとするが、出典不明であり、永禄沙汰には「永祿3年12月24日美濃齋藤義龍、同国の禅家をして、伝燈寺に帰附せしむ、尋で、同国崇福寺紹喜(快川)等、之を憤り、国外に出奔す」という記述があり、永禄4年の段階で、美濃国外退去になりすでに崇福寺の住職ではなく、憤慨した相手の斎藤義龍を賢太守と褒めたとは疑問である。 『御湯殿上日記』には、[[天正]]9年9月6日正親町天皇が、前妙心寺住持快川(紹喜)に大通智勝国師の号を賜ふ、という記述があり、永禄4年の段階で国師であったはずがないなど、明らかにおかしな記述である。 ==地理・地域== 県域のほとんどは旧[[美濃国]]と旧[[飛騨国]]とで[[構成]]される。近年には[[長野県]]から旧[[神坂村]]・旧[[山口村 (長野県)|山口村]]を[[越境合併|越境編入]]して県域が変更された。国の境目だった一部村落の分離などの境界変更で一部に旧[[越前国]]、旧[[信濃国]]、旧[[尾張国]]、旧[[伊勢国]]だった地域も含まれている。 === 広袤 === [[国土地理院]]によると2021年(令和3年)1月18日現在の岐阜県の広袤(こうぼう)は以下の通り<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.gsi.go.jp/common/000230936.pdf | title = 都道府県の庁舎及び東西南北端点の経緯度(世界測地系) | publisher = 国土地理院 | date = 2021-02-25 | accessdate = 2021-07-01 | format = PDF}}</ref>。 * 岐阜県庁 - {{coord|35|23|28|N|136|43|20|E|region:JP-21_type:landmark|display=inline|name=岐阜県庁}}([[岐阜市]]薮田南) * 東端 - {{coord|36|18|17|N|137|39|11|E|region:JP-21_type:landmark|display=inline|name=岐阜県の東端}}([[高山市]]奥飛騨温泉郷神坂:[[穂高岳|北穂高岳]]) * 西端 - {{coord|35|39|11|N|136|16|35|E|region:JP-21_type:landmark|display=inline|name=岐阜県の西端}}([[揖斐郡]][[揖斐川町]]坂内川上) * 南端 - {{coord|35|08|02|N|136|40|10|E|region:JP-21_type:landmark|display=inline|name=岐阜県の南端}}([[海津市]]海津町油島付近:[[揖斐川]]中央部) * 北端 - {{coord|36|27|54|N|137|16|44|E|region:JP-21_type:landmark|display=inline|name=岐阜県の北端}}([[飛騨市]]神岡町横山:[[キラズ山]]) === 地形 === [[ファイル:Japan Gifu Map Chikei.png|right|200px|地形図]] 北部の[[飛騨地方]]の大部分は、[[標高]]3,000m級の[[飛騨山脈]]をはじめとする[[山|山岳]]地帯で、[[平地]]は[[高山盆地]]などわずかしかない。 一方、南部の[[美濃地方]]は、[[愛知県]]の[[伊勢湾]]沿岸から続く[[濃尾平野]]が広がり、[[低地]]面積が広い。特に南西部の[[木曽三川]]([[木曽川]]、[[長良川]]、[[揖斐川]])合流域とその支流域には、水郷地帯が広がり、[[海抜]]0m以下の場所もある。この地域には[[水害]]から身を守るための[[輪中]]と呼ばれる[[堤防]]で囲まれた構造あるいはその[[集落]]があり、このような岐阜県の地形の[[特徴]]を表して、[[飛山濃水]]という[[言葉]]で表される。 各県との[[県境]]はほとんどが山地山脈である。ただし、愛知県の[[尾張国|尾張地方]]との県境の大部分および[[三重県]]との県境の一部は、[[木曽川]]、[[長良川]]、[[揖斐川]]などの河川となっている。 ====山地==== ; 主な山 * [[飛騨山脈]](北アルプス) - [[穂高岳]]、[[槍ヶ岳]]、[[焼岳]]、[[乗鞍岳]]、[[笠ヶ岳]]、[[御嶽山]]など * [[木曽山脈]](中央アルプス) - [[恵那山]]など * [[両白山地]] - [[白山]]、[[大日ヶ岳]]、[[能郷白山]]、[[冠山 (岐阜・福井県境)|冠山]]など * [[飛騨高地]] - [[位山]]、[[籾糠山]]など * [[阿寺山地]] - [[小秀山]]、[[三国山 (岐阜県)#岐阜県・長野県境|三国山]](下呂市・中津川市)など * [[伊吹山地]] - [[伊吹山]]、[[金糞岳]]など * [[養老山地]] - [[養老山 (岐阜県)|養老山]]など * その他 [[金華山 (岐阜県)|金華山]]、[[百々ヶ峰]]、[[池田山 (岐阜県)|池田山]]、[[三国山 (岐阜県)#岐阜県・愛知県境|三国山]](土岐市)、[[三国山 (岐阜県)#岐阜県・長野県・愛知県境|三国山]](恵那市)など ==== 高原 ==== * 主な高原 : [[美濃三河高原]]、[[ひるがの高原]]、揖斐高原など ==== 河川 ==== 岐阜県の[[川|河川]]は以下の6つの[[水系]]から構成される。 ; [[太平洋]]へ注ぐ水系・河川 * [[木曽川]]水系:[[西濃]]、[[岐阜地区|岐阜]]、[[中濃]]地域のほとんど、[[東濃]]地域北部および飛騨地方南部 ** 木曽川 *** 主な支流:[[付知川]]、[[阿木川]]、[[飛騨川]]、[[可児川]] ** [[長良川]] *** 主な支流:[[吉田川 (郡上市)|吉田川]]、[[板取川]]、[[武儀川]]、[[津保川]]、[[伊自良川]]、[[境川 (岐阜県)|境川]] ** [[揖斐川]] *** 主な支流:[[坂内川]]、[[粕川 (岐阜県)|粕川]]、[[根尾川]]、[[牧田川]] * [[庄内川]]水系:東濃地域南部 ** 庄内川(岐阜県内では[[庄内川|土岐川]]と呼ばれている) * [[矢作川]]水系:東濃地域南部 ** 矢作川 *** 主な支流:[[上村川 (矢作川水系)|上村川]]、[[明智川]] ; [[日本海]]へ注ぐ水系・河川 * [[神通川]]水系:飛騨地方北部 ** 神通川(岐阜県内では[[宮川 (岐阜県)|宮川]]と呼ばれている) *** 主な支流:[[高原川]] * [[庄川]]水系:飛騨地方西部 ** 庄川 * [[九頭竜川]]水系:旧[[越前国]]である[[郡上市]][[白鳥町 (岐阜県)|白鳥町]][[石徹白村|石徹白地区]] ** [[石徹白川]] ====平地==== * 主な平地 : [[濃尾平野]]、[[高山盆地]]、[[古川国府盆地]]、東濃盆地など ====その他の地形==== * 主要な活断層 : [[根尾谷断層]]、[[阿寺断層]]、[[跡津川断層]]、養老断層など * 標高最高地点は[[奥穂高岳]](飛騨地方)で3,190m。標高最低地点は[[海津市]](美濃地方)の0m以下となっている。 === 自然公園 === ; [[国立公園]] : [[中部山岳国立公園]]、[[白山国立公園]] ; [[国定公園]] : [[飛騨木曽川国定公園]]、[[揖斐関ヶ原養老国定公園]] ; [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] : [[千本松原県立自然公園]]、[[揖斐県立自然公園]]、[[奥飛騨数河流葉県立自然公園]]、[[宇津江四十八滝県立自然公園]]、[[恵那峡県立自然公園]]、[[胞山県立自然公園]]、[[裏木曽県立自然公園]]、[[伊吹県立自然公園]]、[[土岐三国山県立自然公園]]、[[位山舟山県立自然公園]]、[[奥長良川県立自然公園]]、[[野麦県立自然公園]]、[[せせらぎ渓谷県立自然公園]]、[[天生県立自然公園]]、[[御嶽山県立自然公園]] === 気候 === [[飛騨地方]]の大部分と[[美濃地方]]の一部は[[日本海側気候]]、[[美濃地方]]の大部分は[[太平洋側気候]]、[[飛騨地方]]・[[美濃地方]]の各一部は[[中央高地式気候]]となっており、標高差も大きいため同じ県内であっても気候差が大きい。県内全域で[[内陸性気候]]をあわせ持ち、一部地域は[[豪雪地帯]]・[[特別豪雪地帯]]でたびたび大雪に見舞われる。標高の高い地帯の西側に当たる為に雨雲が発達しやすく、年平均降水量は1700mm~2500mm程度と比較的多い。 [[冬]]は乾燥した晴天の日が多く、岐阜県西部では、[[伊吹おろし]]という乾燥した冷たい風が吹く。このため体感温度が北日本並みに一気に低下する日もある。強い[[冬型の気圧配置]]になると[[雪雲]]が流入し、岐阜県西部で局地的な[[大雪]]に見舞われることがある。 [[美濃地方]]は低い山に囲まれているということもあって、夏は暑く冬は寒いうえ、気温の[[日較差]]も大きい。特に[[東濃]]の[[多治見市]]では、その年の国内[[最高気温]]を記録することもある([[2007年]](平成19年)8月16日、[[埼玉県]][[熊谷市]]と並び国内の過去最高気温となる40.9°Cを記録した)。[[夏期]]には[[内陸性]]の気候に加え、[[ヒートアイランド]]現象、さらに西風が吹いた際には、[[近畿地方]]の熱風が[[伊吹山]]系にぶつかり[[フェーン現象]]を起こす。こうして[[高温]]を記録することが多い。 [[飛騨地方]]は標高も高いこともあり、気温は[[美濃地方]]と比べると低いが、[[高山盆地]]では夏期に[[猛暑日]]を記録することもある。[[2018年]](平成30年)[[8月6日]]午後2時2分には、下呂市でも南部に位置する金山地域(旧・益田郡金山町)の[[アメダス]]金山観測所において、[[高知県]][[四万十市]]と並ぶ日本国内における最高気温歴代2位タイとなる気温41.0℃を観測した<ref>{{cite news|url=https://weathernews.jp/s/topics/201808/080195/ |title=岐阜県で今年三度目の41℃台 |publisher=ウェザーニュース|date=2018年8月6日|accessdate=2020-10-18}}</ref>。ただし、湿度が低いため比較的すごしやすい。[[冬期]]は[[内陸山間部]]では気温が低く、特に[[高山市]][[荘川村|荘川町]]六厩(むまや)は、[[亜寒帯湿潤気候]]で[[本州]]では寒い地域の1つとも言われており、[[1981年]](昭和56年)2月28日には-25.4度を記録するなど-20°C以下まで下がる日も多い。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right" |+岐阜県の気候(出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="3" colspan="2"| !colspan="10"|飛騨北部 !colspan="3"|飛騨南部 |- !colspan="2"|[[白川村]] !colspan="2"|[[飛騨市]] !colspan="6"|[[高山市]] !colspan="3"|[[下呂市]] |- !飯島!!御母衣 !河合!!神岡 !桐生町!!清見!!六厩!!栃尾!!丹生川!!宮之前 !萩原!!宮地!!金山 |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |23.3<br />(8月)|| |23.1<br />(8月)||23.9<br />(8月) |23.7<br />(8月)|| ||20.0<br />(8月)||22.0<br />(8月)|| ||20.9<br />(8月) |24.2<br />(8月)||24.0<br />(8月)||24.9<br />(8月) |- !最寒月 |−1.1<br />(2月)|| |−1.6<br />(1月)||−0.8<br />(1,2月) |−1.6<br />(1月)|| ||−5.2<br />(1月)||−2.2<br />(1月)|| ||−3.8<br />(1,2月) |0.5<br />(1月)||0.2<br />(1月)||1.5<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |270.6<br />(7月)||339.8<br />(7月) |255.0<br />(7月)||242.2<br />(9月) |257.8<br />(9月)||314.8<br />(9月)||352.5<br />(9月)||304.3<br />(7月)||254.4<br />(9月)||297.3<br />(7月) |396.4<br />(7月)||396.4<br />(7月)||346.1<br />(7月) |- !最少月 |140.0<br />(4月)||171.9<br />(4月) |119.5<br />(4月)||120.9<br />(12月) |79.3<br />(12月)||150.8<br />(10月)||120.7<br />(12月)||89.0<br />(1月)||95.8<br />(12月)||86.3<br />(12月) |67.6<br />(12月)||67.7<br />(12月)||59.4<br />(12月) |- !rowspan="2"|降水<br />日数<br />(日) !最多月 |22.8<br />(1月)||19.1<br />(1月) |22.4<br />(1月)||20.4<br />(1月) |14.7<br />(1月)||20.9<br />(1月)||20.5<br />(1月)||17.4<br />(1月)||18.4<br />(1月)||17.8<br />(1月) |16.6<br />(7月)||17.6<br />(7月)||16.4<br />(7月) |- !最少月 |10.9<br />(8月)||11.4<br />(8月) |11.3<br />(8月)||10.9<br />(8月) |10.5<br />(10月)||11.9<br />(8月)||11.9<br />(10月)||12.7<br />(10月)||12.0<br />(10月)||12.1<br />(10月) |9.0<br />(2月)||10.0<br />(12月)||8.8<br />(12月) |} {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right" !rowspan="3" colspan="2"| !colspan="4"|[[東濃]] !colspan="5"|[[中濃]] !colspan="2"|[[岐阜地区|岐阜]] !colspan="4"|[[西濃]] |- !colspan="2"|[[中津川市|中津川]] !rowspan="2"|[[恵那市|恵那]] !rowspan="2"|[[多治見市|多治見]] !colspan="3"|[[郡上市]] !rowspan="2"|[[美濃市|美濃]] !rowspan="2"|[[美濃加茂市|美濃加茂]] !rowspan="2"|[[岐阜市|岐阜]] !rowspan="2"|[[本巣市]]<br />樽見 !rowspan="2"|[[揖斐川町|揖斐川]] !rowspan="2"|[[関ケ原町|関ヶ原]] !colspan="2"|[[大垣市|大垣]] |- !駒場町!!付知 !長滝!!ひるがの!!八幡 !美和町!!上石津 |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |25.7<br />(8月)|| |25.1<br />(8月) |27.1<br />(8月) |23.6<br />(8月)|| ||24.7<br />(8月) |26.4<br />(8月)||26.7<br />(8月) |27.5<br />(8月) |24.5<br />(8月) |27.0<br />(8月) |26.1<br />(8月) |27.6<br />(8月)|| |- !最寒月 |1.5<br />(1月)|| |1.0<br />(1月) |2.9<br />(1月) |−0.3<br />(1月)|| ||0.6<br />(1月) |3.1<br />(1月)||2.7<br />(1月) |4.3<br />(1月) |1.4<br />(1月) |3.6<br />(1月) |3.0<br />(1月) |4.5<br />(1月)|| |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) ! 最多月 |277.5<br />(7月)||310.2<br />(9月) |263.1<br />(9月) |239.3<br />(7月) |445.9<br />(7月)||460.3<br />(9月)||378.2<br />(9月) |351.3<br />(7月)||257.8<br />(7月) |273.4<br />(7月) |458.6<br />(9月) |377.3<br />(6月) |286.3<br />(6月) |286.1<br />(6月)||269.5<br />(7月) |- !最少月 |48.0<br />(12月)||70.8<br />(12月) |47.7<br />(12月) |40.4<br />(12月) |149.1<br />(12月)||152.7<br />(12月)||84.7<br />(12月) |55.0<br />(12月)||40.0<br />(12月) |47.3<br />(12月) |151.3<br />(12月) |77.8<br />(12月) |100.5<br />(12月) |44.9<br />(12月)||84.3<br />(12月) |- !rowspan="2"|降水<br />日数<br />(日) !最多月 |16.1<br />(7月)||17.1<br />(7月) |15.0<br />(7月) |13.9<br />(7月) |18.4<br />(1月)||19.1<br />(1月)||16.3<br />(7月) |15.3<br />(7月)||14.1<br />(7月) |12.6<br />(7月) |18.2<br />(1月) |14.4<br />(7月) |15.5<br />(1月) |13.8<br />(7月)||14.5<br />(1月) |- !最少月 |7.5<br />(12月)||9.4<br />(10月) |7.6<br />(12月) |6.8<br />(12月) |11.7<br />(10月)||11.5<br />(10月)||11.1<br />(11月) |8.5<br />(12月)||6.8<br />(12月) |6.5<br />(12月) |11.5<br />(10月) |9.5<br />(10月) |10.0<br />(10月) |7.8<br />(11月)||9.4<br />(8月) |} === 行政区画 === [[ファイル:Regions of Gifu Prefecture.svg|thumb|200px|right|岐阜県 地域区分図<br />美濃地方 : 岐阜地域 {{Color sample|#6edf6e}}<br />{{pad|5em}}西濃地域 {{Color sample|#8d5bdf}}<br />{{pad|5em}}中濃地域 {{Color sample|#45aecc}}<br />{{pad|5em}}東濃地域 {{Color sample|#e05b8e}}<br />飛騨地方 : 飛騨地域 {{Color sample|#ccae45}}]] {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=岐阜県|float=right}} * [[都道府県庁所在地|県庁所在地]]の[[岐阜市]]は[[中核市]]に指定されている。 * 県北部には国内市町村の中では面積が日本一の[[高山市]](2,177.67km²、[[東京都]]とほぼ同じ面積)がある。 * 昭和時代に岐阜県内に多数の町村があり、[[1987年]](昭和62年)に[[藤橋村]](現・[[揖斐川町]])が[[徳山村 (岐阜県)|徳山村]]を編入合併するまでは100[[市町村]]あったが、[[平成の大合併]]により自治体数が減少して42市町村となっている。 * [[大垣市]]は[[平成の大合併]]により日本で唯一の二重[[飛び地]]を持つ市となった。 * [[2005年]](平成17年)、[[中津川市]]は[[長野県]][[木曽郡]][[山口村 (長野県)|山口村]]を編入合併し、平成の大合併で唯一の越県合併となった。 * 21[[市]]9[[郡]]19[[町]]2[[村]]がある。岐阜県では、県内を5つの地域に分け、それぞれに地域振興局を置いていたが、2015年(平成27年)に廃止した(ただし、県税事務所、保健所など一部の機関では地域単位での設置が続いている)。 * 以下、地域ごとに市町村名を記す。「町」の読み方は全て「ちょう」。「村」の読み方は2村とも「むら」。<!-- * 印は、合併により消滅する予定の自治体(官報告示済みのもの)--> ==== 美濃地方 ==== * 県南部。およそ旧[[美濃国]]部分に当たる。 * 美濃地方を[[西濃]]・[[岐阜地区|岐阜]]・[[中濃]]・[[東濃]]など4つの地域に区分する場合がある([[#行政区画]]参照)。 * [[流通]]、[[産業]]など[[愛知県]]との関係が深く、東濃地区は県内の他地区よりも愛知県の[[尾張]]地方との関係が深い。 ; [[岐阜地区|岐阜地域]] * [[岐阜市]]([[都道府県庁所在地|県庁所在地]]) * [[羽島市]] * [[各務原市]] * [[山県市]] * [[瑞穂市]] * [[本巣市]] * [[羽島郡]] - [[岐南町]]、[[笠松町]] * [[本巣郡]] - [[北方町]] ; [[西濃|西濃地域]] * [[大垣市]] * [[海津市]] * [[養老郡]] - [[養老町]] * [[不破郡]] - [[垂井町]]、[[関ケ原町]] * [[安八郡]] - [[安八町]]、[[神戸町]]、[[輪之内町]] * [[揖斐郡]] - [[揖斐川町]]、[[大野町]]、[[池田町 (岐阜県)|池田町]] ; [[中濃|中濃地域]] * [[関市]] * [[美濃市]] * [[美濃加茂市]] * [[可児市]] * [[郡上市]] * [[加茂郡]] - [[坂祝町]]、[[富加町]]、[[川辺町]]、[[七宗町]]、[[八百津町]]、[[白川町]]、[[東白川村]] * [[可児郡]] - [[御嵩町]] ; [[東濃|東濃地域]] * [[多治見市]] * [[中津川市]] * [[瑞浪市]] * [[恵那市]] * [[土岐市]] ==== 飛騨地方 ==== * 県北部。およそ旧[[飛騨国]]部分に当たる。[[中央高地]]に[[分類]]されることがある。 * 飛騨地方北部(高山市、飛騨市、大野郡)は[[分水嶺]]の北側([[日本海]]側)にあり、流通、産業などで[[富山県]]との関係が深い。 ; 飛騨地域 * [[高山市]] * [[飛騨市]] * [[下呂市]] * [[大野郡]] - [[白川村]] ==== 旧国名 ==== 主な旧国名は、「[[飛騨国]]」「[[美濃国]]」。わずかに「[[越前国]]」「[[信濃国]]」「[[伊勢国]]」「[[尾張国]]」の区域も含む。 * 旧伊勢国部分 ⇒ [[1883年]](明治16年)11月1日、[[三重県]][[桑名郡]][[金廻村]]・[[油島村 (岐阜県)|油島新田・江内村]]が[[下石津郡]]に[[編入]]される(後の[[海津郡]][[大江村 (岐阜県)|大江村]]→[[海津町]]、現・[[海津市]])。 * 旧尾張国部分 ⇒ [[1887年]](明治20年)7月12日、[[愛知県]][[海西郡 (愛知県)|海西郡]][[松山中島村 (岐阜県)|松山中島村]]が岐阜県海西郡に編入される(後の海津郡[[東江村]]→[[海津町]]、現・[[海津市]])。 * 旧美濃国部分 ⇒[[1955年]](昭和30年)4月1日 、[[恵那郡]][[三濃村]]の大部分(旧・[[野原村]]、[[浅谷町|浅谷村]])が愛知県[[東加茂郡]][[旭町 (愛知県東加茂郡)|旭村]]に編入される。 * 旧越前国部分 ⇒ [[1958年]](昭和33年)10月15日、[[福井県]][[大野郡 (福井県)|大野郡]][[石徹白村]]の一部が岐阜県[[郡上郡]][[白鳥町 (岐阜県)|白鳥町]](現・[[郡上市]])に編入される。 * 旧信濃国部分 ⇒ [[1958年]](昭和33年)10月15日、[[長野県]][[西筑摩郡]][[神坂村]]の一部が岐阜県[[中津川市]]に編入される([[馬籠宿|馬籠]]地区は[[山口村 (長野県)|山口村]]に編入)。 * 旧信濃国部分 ⇒ [[2005年]](平成17年)2月13日、[[長野県]][[木曽郡]]山口村が岐阜県[[中津川市]]に編入される。 ===地方区分分類=== * [[中部地方]] *: [[日本の地域#主な地域ブロック|八地方区分]]では、この地方に分類される。 * [[東海地方]] *: この場合、[[静岡県]]・[[愛知県]]・[[三重県]]とともに4県([[東海地方|東海4県]])または愛知県・三重県とともに3県([[東海3県]])を指す。 * [[東海地方|東海]][[北陸地方]] *: この場合、東海4県+北陸地方([[富山県]]、[[石川県]]、[[福井県]])と区分される場合もある。 *その他の分類 *: [[気象庁]]の予報用語においては「東日本太平洋側」に属している。 *: [[日本電信電話]](NTT)の地域会社は[[西日本電信電話]]株式会社、商用電源周波数は60Hzを使用。 == 人口 == 愛知県境にほど近い、県中南〜西南部の濃尾平野地域が岐阜県の可住地の大部分であり、県人口全体の半分を占める上位6市(岐阜市、大垣市、各務原市、多治見市、可児市、関市)は全て同エリアに集中する。一方で飛騨地方と県南東部(旧[[恵那郡]]・旧[[土岐郡]])は小規模盆地が点在する地形となっており、人口10万人以上の都市が存在しない。 [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Gifu prefecture, Japan_2015-2020.svg|thumb|300px|none|岐阜県市町村人口増減率分布図(2015年度と2020年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#66FF00|5.0 - 7.4 %}} {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=21000|name=岐阜県|image=Population distribution of Gifu, Japan.svg}} === 外国人 === ; 定住者 県南部を中心に、[[日系ブラジル人]]や[[フィリピン]]人などの外国人が数多く暮らしている。近年では在日中国人も増えている。特に[[美濃加茂市]]では人口の1割は外国人で、工場などで労働者として働いているケースが多い。[[1990年]](平成2年)の[[出入国管理及び難民認定法|入国管理法]]改正以降、急速に増えていった。彼らの最大の問題は子どもの教育で、日本語が理解できないなどのために[[不就学]]になる場合もある。[[ブラジル学校]]は県内に数校あるが、大半が無認可である。[[2008年]](平成20年)の世界的経済危機を受け[[在日ブラジル人|ブラジル人]]が母国へ帰国するケースが少なからずあり、岐阜県は彼らの帰国旅行費用について支援している。 ; 旅行者 近年は中国人に対する日本入国の条件の緩和などにより、主に[[高山市]]や[[白川村]]など飛騨地方を中心とする県内の観光地では外国人観光客が大幅に増えている傾向がある。 === 人口重心 === 5年ごとに実施される[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]の結果、日本の[[人口重心]]が決められるが、岐阜県内を東([[東京都|東京]]方面)に移動中。 * [[2015年]](平成27年)の国勢調査では、[[2010年]] (平成22年)の調査より南南東へ1.6km移動し、[[関市]](旧・[[武儀郡]][[武儀町]]中之保付近)内となった。 : ちなみに、[[郡上市]] (旧・[[美並村 (岐阜県)|美並村]]) に[[日本まん真ん中センター]]というのがあるが、[[1995年]]の国勢調査に基づいた人口中心に建設されている。 === 都市 === ;岐阜県内 市別人口ランキング {| class="infobox" style="text-align:center; width:100%; margin-right:10px; font-size:100%" |- ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[岐阜県#地理・地域|地域区分]] ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[岐阜県#地理・地域|地域区分]] ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口 |- |----- |align="center"| '''1''' |align="center"| '''[[岐阜市]]''' |align="center"| [[美濃国|美濃]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/岐阜県|岐阜市}}}}人 |align="center"| '''6''' |align="center"| '''[[関市]]''' |align="center"| [[美濃国|美濃]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/岐阜県|関市}}}}人 |----- |align="center"| '''2''' |align="center"| '''[[大垣市]]''' |align="center"| [[美濃国|美濃]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/岐阜県|大垣市}}}}人 |align="center"| '''7''' |align="center"| '''[[高山市]]''' |align="center"| [[飛騨]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/岐阜県|高山市}}}}人 |----- |align="center"| '''3''' |align="center"| '''[[各務原市]]''' |align="center"| [[美濃国|美濃]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/岐阜県|各務原市}}}}人 |align="center"| '''8''' |align="center"| '''[[中津川市]]''' |align="center"| [[美濃国|美濃]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/岐阜県|中津川市}}}}人 |----- |align="center"| '''4''' |align="center"| '''[[多治見市]]''' |align="center"| [[美濃国|美濃]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/岐阜県|多治見市}}}}人 |align="center"| '''9''' |align="center"| '''[[羽島市]]''' |align="center"| [[美濃国|美濃]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/岐阜県|羽島市}}}}人 |----- |align="center"| '''5''' |align="center"| '''[[可児市]]''' |align="center"| [[美濃国|美濃]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/岐阜県|可児市}}}}人 |align="center"| '''10''' |align="center"| '''[[美濃加茂市]]''' |align="center"| [[美濃国|美濃]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/岐阜県|美濃加茂市}}}}人 |----- | colspan="11" align=center style="background:#f5f5f5;" |[[2017年]]12月 現在 |} {{-}} <gallery> Gifu Castle.jpg|1.[[岐阜市]]([[中核市]]) 船町港跡.jpg|2.[[大垣市]] Ferris wheel and Gifu World Fresh Water Aquarium.jpg|3.[[各務原市]] 虎渓公園1.jpg|4.[[多治見市]] Flower Festival Commemorative Park02.jpg|5.[[可児市]] Soukyuji Seki07.jpg|6.[[関市]] Nakabashi Bridge, Hon-machi Takayama 2015.jpg|7.[[高山市]] Magome-juku(post town) , 馬籠宿 - panoramio (13).jpg|8.[[中津川市]] Takehana-Betsuin Fuji2008-1.jpg|9.[[羽島市]] 日本昭和村 - panoramio.jpg|10.[[美濃加茂市]] </gallery> ; 岐阜県内市別人口密度ランキング([[2016年]](平成28年)現在) # [[岐阜市]](1,990人/km<sup>2</sup>) # [[瑞穂市]](1,940人/km<sup>2</sup>) # [[各務原市]](1,650人/km<sup>2</sup>) # [[羽島市]](1,250人/km<sup>2</sup>) # [[多治見市]](1,200人/km<sup>2</sup>) <gallery> Gifu City Tower 43 and Gifu Sky Wing 37 from Twinarch138.jpg|[[岐阜市]]([[都道府県庁所在地|県都]]・[[中核市]]) JR穂積駅北口.jpg|[[瑞穂市]] View from Tenshu of Inuyama Castle (north).JPG|[[各務原市]] Gifu-Hashima Station 20100214.jpg|[[羽島市]] Tajimi station bus turminal.jpg|[[多治見市]] </gallery> === 隣接都道府県 === * {{Flagicon|富山県}}[[富山県]] * {{Flagicon|石川県}}[[石川県]] * {{Flagicon|福井県}}[[福井県]] * {{Flagicon|長野県}}[[長野県]] * {{Flagicon|愛知県}}[[愛知県]] * {{Flagicon|三重県}}[[三重県]] * {{Flagicon|滋賀県}}[[滋賀県]] == 歴史 == === 先史時代 === 本県でも約3万年前に始まる[[日本列島の旧石器時代|後期旧石器時代]]には、濃尾平野北辺部の段丘上や台地(日野遺跡・寺田遺跡・椿洞遺跡)に人々が活動していた遺跡が確認されている。他にも山中の狭い細尾根にある遺跡(揖斐川町藤橋村徳山寺屋敷遺跡)や低湿地の遺跡(飛騨市宮川村宮ノ前遺跡)が確認されている。  それらの遺跡から石を割ってで切る剥片でつくった[[石器]]、例えば[[ナイフ形石器]]・削器・[[細石刃]]・[[尖頭器]]など、また調理に使ったと考えられる礫郡、加工痕のある木片などの生活用具が確認されている<ref>谷口和人「日本の真ん中岐阜のあけぼの」[[#岐阜県の歴史 県史21|『岐阜県の歴史 県史21』2000年。]]10ページ</ref>。 === 古代 === [[4世紀]]の前期には、美濃西部が[[大和政権]]の勢力下に入り、4世紀後期には飛騨地方にまで支配が及んだ。[[開化天皇|開化朝]]に[[三野前国造]]が[[不破郡]]に設置され、次いで[[成務天皇|成務朝]]には[[三野後国造]]が[[各務郡]]に、[[額田国造]]が[[大野郡 (岐阜県)|大野郡]]に、[[牟義都国造]]が[[武儀郡]]に、[[斐陀国造]]が[[大野郡]]に設置された。 その他[[本巣国造]]の記載も見られる(『[[先代旧事本紀]]』、『[[古事記]]』)。 [[律令制]]以降は上記の国造国が合併され、[[令制国]]の美濃国(18郡・131郷)と飛騨国(3郡・13郷)の二国になった([[和名類聚抄]])。美濃は「御野」(大宝2年:702の正倉院文書)、飛騨は「裴陀」(養老令)と書かれた。ヒダの国名の表記法が「飛騨」に定着したのは[[8世紀]]の前半である。 美濃と飛騨国は、[[東山道]]に属し、畿内からの本線は近江・美濃を通り、信濃上野へと向かうから美濃から飛騨へは東山道の支線であった<ref>谷口和人「日本の真ん中岐阜のあけぼの」[[#岐阜県の歴史 県史21|『岐阜県の歴史 県史21』2000年。]]41-42ページ 。</ref>。 この東山道は古くから利用された。[[ヤマトタケル]]の征服伝説にも登場する(『古事記』)。 [[美濃国]]は、[[日本]]のほぼ中心として、[[東国]]と[[畿内]]を結ぶ重要な軍事拠点であったので、[[日本の歴史]]上で重要な[[合戦]]が多く起こっている地域である<ref>『これでいいのか岐阜県』11頁</ref>。古くは[[天武天皇|大海人皇子]]がこの国を拠点に挙兵した[[壬申の乱]]([[672年]])があり、[[関ケ原町]]の[[藤古川]]付近で激戦が行われた。 [[8世紀]]には、[[国府]]が[[垂井町]]府中に置かれた。[[国分寺]]は[[大垣市]]青野町に[[国分尼寺]]は[[垂井町]]平尾に其々建てられた。[[一宮]]は[[南宮大社]](現:[[垂井町]]宮代)となった。 === 中世 === [[中世]]に入ると、美濃国は[[土岐氏]]が、飛騨国は[[京極氏]]が[[守護]]を務める。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]になると、美濃国は[[斎藤道三]]や[[織田信長]]の活躍の舞台となる。飛騨国は[[姉小路氏]]が支配し、その後[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]に従った[[金森氏]]が支配した。 [[徳川家康]]と[[石田三成]]による[[関ヶ原の戦い]]([[1600年]])が[[関ケ原町]]、[[垂井町]]、[[大垣市]]の[[西濃]]地域で天下分け目の合戦が行われた。 === 近世 === [[江戸時代]]に入ると、先の[[関ヶ原の戦い]]による論功行賞などにより藩の[[改易]]・[[転封]]などを含めながらも、美濃国は依然として戦略的に重要な地であり[[石高]]も多いことから[[江戸幕府|幕府]]によりいくつかの小藩に分割された。[[幕府領]]としては[[笠松陣屋]]の[[美濃郡代]]が支配した。 美濃国内藩としては、最大でも[[大垣藩]]の10万石の他、[[苗木藩]]、[[岩村藩]]、[[郡上藩]]、[[高富藩]]、[[加納藩]]、[[大垣新田藩]]や[[尾張藩]]附[[家老]]の竹腰氏の[[今尾藩]]、[[尾張藩]]分家の[[高須藩]]が成立する。美濃国外藩としては[[尾張藩]]の12万石のほか、[[磐城平藩]]、[[岡田藩|備中岡田藩]]が領地を有した。 また、[[旗本]][[知行地]]としては[[明知遠山氏]]や[[交代寄合]]の[[竹中氏陣屋]]など複数あった。飛騨国は当初[[飛騨高山藩]]があったが、[[元禄]]期に山林資源や鉱山資源に目をつけた幕府が藩主の[[金森氏]]を[[上山藩]]に転封し、その後は[[幕府領]]として[[高山陣屋]]の[[飛騨郡代]]が支配した。 また、[[律令時代]]から整備された[[東山道]]を元として、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に各地の[[戦国大名]]によって整備された道を繋ぎ、[[中山道]]が整備された。 === 近・現代 === *1872年1月2日([[明治]]4年11月22日)[[笠松県]](1868年成立)と[[廃藩置県]](1871年旧暦7月)でできた[[今尾藩|今尾県]]、[[岩村藩|岩村県]]、[[大垣藩|大垣県]]、[[加納藩|加納県]]、[[郡上県]]、[[高富藩|高富県]]、[[苗木藩|苗木県]]、[[野村藩|野村県]]、及び、[[尾張藩|名古屋県]]、[[犬山藩|犬山県]]、[[岡田藩|岡田県]]の飛び地が[[日本の市町村の廃置分合|合併]]して岐阜県となる。 当初の県庁は[[笠松陣屋]]。(この時点では[[美濃国]]のみ) 県令は[[長谷部恕連|長谷部佳恕連]](元福井藩)、権参事は[[小崎利準]](元亀山藩)。その後県庁舎が手狭になり、今泉村(岐阜市)八寺地内に新庁舎を建設。[[1874年]](明治7年)6月21日に移転。 * [[1876年]](明治9年)8月21日[[筑摩県]]のうち、[[吉城郡]]、[[大野郡]]および[[益田郡]]の三郡を合併して[[飛騨国]]を含むほぼ現在の形となる。新政府は府県の統廃合に当たり、旧石高で60万石以上になるよう調整したので、美濃と飛騨の合併が実現した。 * [[1883年]](明治16年)11月1日[[下石津郡]]が[[三重県]][[桑名郡]][[金廻村]]・[[油島村 (岐阜県)|油島新田・江内村]]を編入する。 * [[1887年]](明治20年)7月12日[[海西郡 (岐阜県)|海西郡]]が[[愛知県]][[海西郡 (愛知県)|海西郡]][[松山中島村 (岐阜県)|松山中島村]]を編入する。 * [[1889年]](明治22年)7月1日[[市制]][[町村制]]施行。 * [[1891年]](明治24年)10月28日[[本巣郡]][[根尾村]](現・[[本巣市]])を震源としたM8.0の[[濃尾地震]]が起こり、大きな被害を受ける。 * [[1912年]]([[大正]]元年)9月22日暴風雨により、県内で死者114人、全壊家屋6,122戸、半壊家屋3,197戸の大惨事となった<ref>[http://www.geocities.jp/showahistory/history08/topics01.html 誰か昭和を思わざる 大正ラプソディー (大正元年)]{{出典無効|date=2023年5月 |title=ウェブサイト「誰か昭和を想わざる」(2014年2月ごろ消滅)は、詳しく書いてあるものの匿名の個人サイトで高次出典の提示もなく、[[Wikipedia:信頼できる情報源]]ではない。}} {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110125222134/http://www.geocities.jp/showahistory/history08/topics01.html |date=2011年1月25日 }}</ref>{{出典無効|date=2023年5月 |title=ウェブサイト「誰か昭和を想わざる」(2014年2月ごろ消滅)は、詳しく書いてあるものの匿名の個人サイトで高次出典の提示もなく、[[Wikipedia:信頼できる情報源]]ではない。}}。 * [[1918年]](大正7年)1月 飛騨地方に[[豪雪]]([[大正7年豪雪]])。[[坂下村 (岐阜県)|坂下村]]万波集落で約300人が[[餓死]]<ref>下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p325 河出書房新社 2003年11月30日刊 {{全国書誌番号|20522067}}</ref>。 * [[1955年]]([[昭和]]30年)4月1日「岐阜県民の歌」制定。 *1955年(昭和30年)4月1日[[恵那郡]][[三濃村]]の大部分が愛知県[[東加茂郡]][[旭町 (愛知県東加茂郡)|旭村]]に編入。 * [[1958年]](昭和33年)10月15日[[郡上郡]][[白鳥町 (岐阜県)|白鳥町]]が[[福井県]][[大野郡 (福井県)|大野郡]]石徹白村の大部分を編入。 *1958年(昭和33年)10月15日[[中津川市]]が[[長野県]][[西筑摩郡]][[神坂村]]の一部を編入。 * [[1959年]](昭和34年)9月26日[[伊勢湾台風]]が上陸。美濃地方を中心に被害を受ける。 * [[1965年]](昭和40年)9月 - 10月岐阜県で夏季および秋季[[国民体育大会]]([[第20回国民体育大会|岐阜国体]])が開催。 * [[1965年]](昭和40年)10月岐阜県で第1回[[全国身体障害者スポーツ大会]]が開催。 * [[1966年]](昭和41年)2月11日[[岐阜県庁舎|県庁舎]]が[[岐阜市]]薮田南に完成。岐阜市司町から移転。 * [[1969年]](昭和44年)9月19日[[郡上郡]][[明宝村|奥明方村]](現・[[郡上市]])を震源としたM6.6の[[岐阜県中部地震]]が発生、被害を受ける。 * [[1971年]](昭和46年)7月27日[[鹿児島県]]と姉妹県になる。 * [[1976年]](昭和51年)9月12日台風の影響による大雨で[[安八郡]][[安八町]]で[[長良川]]の堤防が決壊するなど、[[9.12水害]]が起こり、大きな被害を受ける。 * [[1988年]](昭和63年)6月21日[[中華人民共和国]]の[[江西省]]と友好提携締結。 *1988年(昭和63年)7月8日 - 9月18日岐阜市で[[ぎふ中部未来博|ぎふ中部未来博覧会]]が開催。 * [[1995年]]([[平成]]7年)4月26日 - 6月4日 可児市で[[花フェスタ'95ぎふ]]が開催。 * [[1996年]](平成8年)4月1日[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]である[[岐阜市]]が[[中核市]]に指定。 * [[2000年]](平成12年)9月11日 - 12日台風による前線の活動の活発化による大雨で、[[矢作川]]流域の[[恵南]]地域を中心に水害が起こり、被害を受ける([[東海豪雨|恵南豪雨]])。 *2000年(平成12年)10月21日 - 22日岐阜県で第9回[[全国知的障害者スポーツ大会]](ゆうあいぴっく岐阜大会)開催。 * [[2005年]](平成17年)2月13日中津川市が長野県[[木曽郡]][[山口村 (長野県)|山口村]]を編入。 *2005年(平成12年)3月1日 - 6月12日可児市で[[花フェスタ2005ぎふ]]が開催。 * [[2012年]](平成24年)1月 - 2月・9月 - 10月岐阜県で冬季および秋季国民体育大会([[東日本大震災]]復興支援[[第67回国民体育大会]] 愛称:ぎふ清流国体)が開催。 *2012年(平成24年)10月岐阜県で[[全国障害者スポーツ大会]](東日本大震災復興支援[[第12回全国障害者スポーツ大会]] 愛称:2012ぎふ清流大会)が開催。 * [[2014年]](平成26年)9月27日御嶽山噴火([[2014年の御嶽山噴火]]参照)。 * [[2015年]](平成27年)10月10日 -10月12日皇太子殿下([[徳仁]])の行幸。 * [[2017年]](平成29年)1月1日 - 12月31日[[岐阜市]]で岐阜市信長公450プロジェクト([[織田信長]]の岐阜入城・岐阜命名450周年記念事業)が開催。 == 政治 == === 行政 === ==== 県知事 ==== ; 歴代知事 {{See also|岐阜県知事一覧}} ; 公選知事 * 初代 [[武藤嘉門]](1947年4月12日 - 1959年10月16日、3期) * 2代 [[松野幸泰]](1959年10月17日 - 1967年10月16日、2期) * 3代 [[平野三郎]](1967年10月17日 - 1976年12月14日、3期) * 4代 [[上松陽助]](1977年2月8日 - 1989年2月5日、3期) * 5代 [[梶原拓]](1989年2月6日 - 2005年2月5日、4期) * 6代 [[古田肇]](2005年2月6日 - 在任中、5期目) ==== 財政 ==== {| class="wikitable" style="width:80%;font-size:90%" |+ ! 年度 !! 歳入額(単位:百万円)<br />[[一般会計]]と[[特別会計]]合算 !! [[財政力指数]] !!経常収支比率 !! 実質公社債比率 !! 将来負担比率 !! [[ラスパイレス指数]] !! 起債制限比率 |- ! [[平成]]16年 | style="text-align:right"| 932,813 || style="text-align:right"| 0.43425 || style="text-align:right"| 86.1 || style="text-align:right"| 未公表 || style="text-align:right"| 未公表 || style="text-align:right"| 99.5 || style="text-align:right" | 9.8 |- ! 平成17年 | style="text-align:right"| 923,189 || style="text-align:right"| 0.44358 || style="text-align:right"| 88.6 || style="text-align:right"| 13.0 || style="text-align:right"| 未公表 || style="text-align:right"| 99.4 || style="text-align:right" | 11.1 |- ! 平成18年 | style="text-align:right"| 925,960 || style="text-align:right"| 0.47663 || style="text-align:right"| 91.9 || style="text-align:right"| 14.4 || style="text-align:right"| 未公表 || style="text-align:right"| 99.3 || style="text-align:right" | 12.1 |- ! 平成19年 | style="text-align:right"| 878,060 || style="text-align:right"| 0.51345 || style="text-align:right"| 98.4 || style="text-align:right"| 16.1 || style="text-align:right"| 未公表 || style="text-align:right"| 99.3 || style="text-align:right" | 13.5 |- ! 平成20年 | style="text-align:right"| 882,135 || style="text-align:right"| 0.54638 || style="text-align:right"| 99.1 || style="text-align:right"| 17.6 || style="text-align:right"| 249.8|| style="text-align:right"| 99.4 || style="text-align:right" | 未公表 |- ! 平成21年 | style="text-align:right"| 1,005,740|| style="text-align:right"| 0.54865 || style="text-align:right"| 98.9 || style="text-align:right"| 19.1 || style="text-align:right"| 251.8 || style="text-align:right"| 95.7 || style="text-align:right" | 未公表 |- ! 平成22年 | style="text-align:right"| 918,712 || style="text-align:right"| 0.52140|| style="text-align:right"| 93.6 || style="text-align:right"| 19.6 || style="text-align:right"| 227.8 || style="text-align:right"| 92.8 || style="text-align:right" | 未公表 |- ! 平成23年 | style="text-align:right"| 859,050 || style="text-align:right"| 0.49305 || style="text-align:right"| 93.6 || style="text-align:right"| 19.7 || style="text-align:right"| 218.5 || style="text-align:right"| 94.5 || style="text-align:right" | 未公表 |- ! 平成24年 | style="text-align:right"| 870,096|| style="text-align:right"| 0.48486 || style="text-align:right"| 93.7 || style="text-align:right"| 18.4 || style="text-align:right"| 209.8 || style="text-align:right"| 95.0 || style="text-align:right" | 未公表 |- ! 平成25年 | style="text-align:right"| 919,029 || style="text-align:right"| 0.49879 || style="text-align:right"| 93.6 || style="text-align:right"| 17.0 || style="text-align:right"| 202.2|| style="text-align:right"| 98.3 || style="text-align:right" | 未公表 |- ! 平成26年 | style="text-align:right" | 890,748 || style="text-align:right" | 0.50989 || style="text-align:right" |92.5 || style="text-align:right" | 15.3 || style="text-align:right"| 195.0 || style="text-align:right" | 98.5 || style="text-align:right" | 未公表 |- ! 平成27年 | style="text-align:right" | 974,599 || style="text-align:right" | 0.52358 || style="text-align:right" |92.2 || style="text-align:right" | 13.6 || style="text-align:right"| 189.7 || style="text-align:right" | 98.7 || style="text-align:right" | 未公表 |- ! 平成28年 | style="text-align:right" | 927,643 || style="text-align:right" | 0.53444 || style="text-align:right" |94.2 || style="text-align:right" | 11.8 || style="text-align:right"| 195.8 || style="text-align:right" | 99.5 || style="text-align:right" | 未公表 |- ! 平成29年 | style="text-align:right" | 920,505 || style="text-align:right" | 0.54366 || style="text-align:right" |94.0 || style="text-align:right" | 10.0 || style="text-align:right"| 199.1 || style="text-align:right" | 99.5 || style="text-align:right" | 未公表 |- ! 平成30年 | style="text-align:right" | 1,117,624 || style="text-align:right" | 0.54901 || style="text-align:right" |93.0 || style="text-align:right" | 8.2 || style="text-align:right"| 206.1 || style="text-align:right" | 99.4 || style="text-align:right" | 未公表 |} ::* [[財政力指数]]のグループ分類及びグループ内順位は『[[財政力指数]] 都道府県の指数の変遷』を参照のこと。 ::*(注)平成24年と25年については「国家公務員の給与の改定及び臨時特例に関する法律」(平成24年法律第2号)による措置が無いとした場合の値を採用した。 ::*歳入額については岐阜県の公式ホームページより引用<ref> {{Cite web|和書 |url = http://www.pref.gifu.lg.jp/kensei/zaisei/kessan/11113/ |title = 岐阜県の決算状況 |publisher = '''岐阜県''' |accessdate = 2020-3-12 }} </ref> ::*その他の指標については総務省公式ホームページより引用<ref> {{Cite web|和書 |url = https://www.soumu.go.jp/iken/shihyo_ichiran.html |title = 地方公共団体の主要財政指標一覧 |publisher = [[総務省]] |accessdate = 2020-3-12 }} </ref> ==== 県有施設 ==== {{Col-begin}} {{Col-break}} * [[岐阜県庁舎]] * 岐阜県総合庁舎([[西濃総合庁舎|西濃]]・揖斐・中濃・郡上・[[可茂総合庁舎|可茂]]・[[東濃西部総合庁舎|東濃西部]]・恵那・下呂・[[飛騨総合庁舎|飛騨]]) * [[県民ふれあい会館 (岐阜県)|岐阜県県民ふれあい会館]](OKBふれあい会館)(サラマンカホール) * [[岐阜県シンクタンク庁舎]] * [[飛騨・世界生活文化センター]] * [[岐阜県防災交流センター]] * [[岐阜県美術館]] * [[セラミックパークMINO]]・[[岐阜県現代陶芸美術館]] * [[岐阜県図書館]] * [[岐阜県博物館]] * [[岐阜県歴史資料館]] * [[未来会館|ぎふ清流文化プラザ]] * [[岐阜県自動車税事務所]] * [[岐阜県消防学校]] * [[岐阜県広域防災センター]] * [[福祉・農業会館 (岐阜県)|福祉・農業会館]] * [[岐阜県総合教育センター]] * [[岐阜県健康科学センター|岐阜保健所・保健環境研究所]] * [[岐阜県障がい者総合相談センター]] * [[岐阜県立希望が丘こども医療福祉センター]] * [[ソフトピアジャパン]]センター * [[岐阜産業会館]] * [[情報科学芸術大学院大学]] * [[岐阜県産業技術総合センター]] * [[岐阜県食品科学研究所]] * [[岐阜県農業技術センター|農業技術センター・病害虫防除所]] * [[岐阜県水産研究所]] * [[岐阜県セラミックス研究所]] * [[岐阜県農業大学校]] {{Col-break}} * [[各務原公園]] * [[養老公園]] * [[ぎふワールド・ローズガーデン]](旧花フェスタ記念公園) * [[ぎふ清流里山公園]] * [[岐阜メモリアルセンター]] * [[長良川スポーツプラザ]] * [[岐阜アリーナ]](OKBぎふ清流アリーナ) * [[岐阜県グリーンスタジアム]](川崎重工ホッケースタジアム) * [[岐阜県川辺漕艇場]] * [[岐阜県文化財保護センター]] * [[アクア・トトぎふ|世界淡水魚園水族館アクア・トトぎふ]]([[河川環境楽園]]内) * [[ぎふ木遊館]] * [[岐阜県科学技術振興センター]] * 犀川管理事務所 * [[岐阜関ケ原古戦場記念館]] * [[岐阜県さぼう遊学館]] * [[エコミュージアム関ケ原|エコミュージアム関ケ原(関ケ原ビジターセンター)]] * [[岐阜県中央食肉衛生検査所]] * [[岐阜県飛騨食肉衛生検査所]] * [[岐阜県立わかあゆ学園]] * [[清流長良川あゆパーク]] * 東部広域水道事務所 * 東部広域水道事務所・山之上浄水場 * 東部広域水道事務所・川合浄水場 * 東部広域水道事務所・中津川浄水場 * [[岐阜県立国際たくみアカデミー]] * [[岐阜県立森林文化アカデミー]] * [[岐阜県動物愛護センター]] * [[岐阜県クリスタルパーク恵那スケート場]] * [[岐阜県先端科学技術体験センター]](サイエンスワールド) * [[岐阜県立多治見看護専門学校]] {{Col-break}} * [[南飛騨健康増進センター]] * [[高山陣屋]] * [[飛騨・世界生活文化センター]] * [[岐阜県立木工芸術スクール]] * [[御嶽濁河高地トレーニングセンター]] * 古川土木事務所 * [[岐阜県立下呂看護専門学校]] * [[岐阜県中山間農業研究所]] * [[岐阜県畜産研究所]] * [[岐阜県生活技術研究所]] {{Col-end}} ; 廃止 * [[岐阜県県政資料館]]:[[2009年]]廃止。現・[[山県市]]高富児童館 * 岐阜マリンスポーツセンター([[三重県]]):[[2011年]][[4月]]に閉鎖し、現在は民間施設[[三重マリンセンター海の学舎]] * [[岐阜総合庁舎]]:[[2013年]][[3月31日]]に閉庁 === 議会 === ==== 県議会 ==== {{see also|岐阜県議会}} ==== 衆議院 ==== ;衆議院議員選挙小選挙区の区割と現在の衆議院議員(小選挙区選出議員) {| class="wikitable" |- !選挙区!!区域!!議員名!!党派名 |- | [[岐阜県第1区]] || 岐阜市(旧柳津町の区域を除く) || [[野田聖子]] || [[自由民主党 (日本)|自由民主党]] |- | [[岐阜県第2区]] || 大垣市、海津市、養老郡、不破郡、安八郡、揖斐郡 || [[棚橋泰文]] || 自由民主党 |- | [[岐阜県第3区]] || 岐阜市(旧柳津町の区域に限る)、関市、美濃市、羽島市、各務原市、山県市、瑞穂市、本巣市、羽島郡、本巣郡 || [[武藤容治]] || 自由民主党 |- | [[岐阜県第4区]] || 高山市、美濃加茂市、可児市、飛騨市、郡上市、下呂市、加茂郡、可児郡、大野郡 || [[金子俊平]] || 自由民主党 |- | [[岐阜県第5区]] || 多治見市、中津川市、瑞浪市、恵那市、土岐市 || [[古屋圭司]] || 自由民主党 |} ==== 参議院 ==== 県全域で[[岐阜県選挙区]]を構成する。定員2、改選数1。 ;現在の参議院議員(選挙区選出議員) * [[渡辺猛之]](自由民主党) * [[大野泰正]](自由民主党)   == 経済 == === 第一次産業 === ==== 農業 ==== * [[野菜]] ** [[トマト]](夏秋出荷 - [[高山市]]など・冬春出荷 - [[海津市]]など) ** [[ホウレンソウ]]([[高山市]]、[[岐阜市]]など) ** [[枝豆]]([[岐阜市]]など) ** [[ニンジン]]([[各務原市]]など) ** 寒天(恵那市) * [[畜産|畜産品]] ** [[鶏卵]]([[瑞浪市]]、郡上市など) ** [[飛騨牛]]その他[[牛肉|肉牛]](高山市など) ** [[はちみつ]]([[垂井町]]など) * [[果物]] ** [[クリ|栗]]([[東濃|東濃地方]]など) ** [[富有柿]]その他[[カキノキ|柿]]([[本巣市]]や[[大野町]]など) ** 濃姫、美濃娘 ([[イチゴ]])(岐阜地域全域) * [[花き]]<!-- 出典:http://www.pref.gifu.lg.jp/pref/s11411/fukudo/02/02_09-1.html--> ==== 林業 ==== 県の多くが山岳地のために[[林業]]が盛ん。[[ヒノキ]]の産出量では国内有数の量で、県内には[[木材]]を扱う業者が多い。また、切り出した木を使用した木工品などの[[工芸品]]の生産に力を注いでいる。 ==== 酒造 ==== [[長良川]]などの[[清流]]が県内を流れているため、県を挙げて[[日本酒]]・[[焼酎]]の生産の振興に乗り出している。 === 第二次産業 === ==== 工業 ==== * [[各務原市]]では[[川崎重工業]]や[[三菱重工業]]などの航空産業や自動車産業に関連した[[金属加工]]などの[[製造業]]が盛んである。 * [[関市]]周辺では[[刀剣]]類の製造が盛んである。 * [[土岐市]]、[[多治見市]]、[[瑞浪市]]の[[東濃]]西部で作られる[[陶磁器]]は[[美濃焼]]と呼ばれ、全国シェア50%以上。中でも土岐市は陶磁器生産日本一である。 *明治以降、[[岐阜市]]周辺では[[繊維]]工業が盛んであったが、昭和40年代以降海外からの輸入による需要の減少で工場の多くが撤退し、衰退した。 *大規模な紡績工場の跡地([[トーア紡]]の繊維工場(東亜紡織大垣工場)の跡地)は大型商業施設や学校、公共施設、住宅団地などに利用された。 ==== 繊維工業 ==== ;アパレル産業 [[岐阜市]]では戦後、軍服や古着を売る繊維問屋街ができ、さらに布を仕入れて服を作って売る[[アパレル]]産業が盛んになり、全国的な産地となった。2000年代中ごろ以降は東京や名古屋に押されて問屋街は苦戦しており、[[ファッション]]の産地としての生き残りを図るには岐阜の個性ある特徴を打ち出すのが課題となっている。[[岐阜市]]には一般社団法人[[岐阜ファッション産業連合会]]などの[[ファッション]]産地団体組織があり、定期的にファッションイベントを開催している。 ==== IT産業 ==== [[ハイテクパーク]]である[[大垣市]][[ソフトピアジャパン]]、[[各務原市]][[テクノプラザ (岐阜県)|VRテクノジャパン]](テクノプラザ)を設立し、[[ベンチャー|ベンチャー企業]]の育成を図るなど、[[情報技術|IT]]産業の育成に力を注いでいる。 === 第三次産業 === ==== 商業 ==== [[恵那市]]で創業し、[[多治見市]]に本部がある[[バローホールディングス]]の子会社である[[スーパーマーケット]][[バロー (チェーンストア)|バロー]]が県内に71店舗ある(全国では310店舗)。また、バローホールディングスの子会社である[[中部薬品]]が運営するV・drugが県内に156店舗存在する(全国では469店舗)。他にスポーツクラブ188店舗(全国)、ホームセンター156店舗(全国)、ペットショップ111店舗(全国)などを運営する(2021年時点)。バローグループは連結売上7,000億円を超える岐阜県を代表する流通企業である。 2010年代後半には[[ドラッグストア]]が多く出店し、激戦区となった。V・drugに加え、[[ゲンキー]]、[[クスリのアオキ]]など県外資本のドラッグストアも出店し、2018年末には店舗数が408店となった。人口10万人あたりの店舗数は約20店(2018年末)で全国最多である<ref>{{Cite news | url = https://www.sankei.com/article/20190810-IWWWTSISIFKBXNWHXI3KETLAII/ | newspaper = 産経新聞 | title = ドラッグストア、岐阜で大増殖の理由 | date = 2019-08-10 | publisher = 産経新聞社 | accessdate = 2020-07-19 }}</ref>。 === 金融機関 === ==== 本店を置く金融機関 ==== <!-- 東海財務局 岐阜県内金融機関 http://tokai.mof.go.jp/kinyuu/tyuusyou/tyuusyou/suisin-rink-g.html より --> ; 地方銀行 * [[十六銀行]](岐阜市) * [[大垣共立銀行]](大垣市) ; 信用金庫 * [[岐阜信用金庫]] * [[大垣西濃信用金庫]] * [[高山信用金庫]] * [[東濃信用金庫]] * [[関信用金庫]] * [[八幡信用金庫]] ; 信用組合 * [[岐阜商工信用組合]] * [[イオ信用組合]] * [[岐阜県医師信用組合]] * [[飛騨信用組合]] * [[益田信用組合]] == 生活・交通 == === 警察 === * [[岐阜県警察]] === 交通 === ==== 鉄道 ==== {{Col-begin}} {{Col-break}} * [[東海旅客鉄道]] ** [[東海道新幹線]] ** [[東海道本線]] ** [[中央本線]] ** [[高山本線]] ** [[太多線]] {{Col-break}} * [[名古屋鉄道]] ** [[名鉄名古屋本線|名古屋本線]] ** [[名鉄各務原線|各務原線]] ** [[名鉄犬山線|犬山線]] ** [[名鉄羽島線|羽島線]] ** [[名鉄広見線|広見線]] ** [[名鉄竹鼻線|竹鼻線]] {{Col-break}} * [[養老鉄道]]([[養老鉄道養老線|養老線]]) * [[長良川鉄道]]([[長良川鉄道越美南線|越美南線]]) * [[樽見鉄道]]([[樽見鉄道樽見線|樽見線]]) * [[明知鉄道]]([[明知鉄道明知線|明知線]]) {{Col-end}} ====バス==== *名鉄系 **[[岐阜乗合自動車]] **[[濃飛乗合自動車]] **[[東濃鉄道]] **[[名鉄バス]] **[[北恵那交通]] *近鉄系 **[[名阪近鉄バス]] *その他(長距離路線各社など) **[[加越能バス]] **[[富山地方鉄道]] **[[ジェイアール東海バス]] **[[アルピコ交通]] **[[小田急ハイウェイバス]] **[[京王電鉄バス]] **[[近鉄バス]] **[[北陸鉄道]] **[[平成エンタープライズ]] **[[イルカ交通]] ==== 道路 ==== ;[[高速道路]] {{Col-begin}} {{Col-break}} * [[名神高速道路]] * [[中央自動車道]] {{Col-break}} * [[東海北陸自動車道]] * [[東海環状自動車道]]([[国道475号]]) * [[中部縦貫自動車道]] * [[濃飛横断自動車道]] {{Col-end}} ;[[国道]] {{Col-begin}} {{Col-break}} * [[国道19号]] * [[国道21号]] * [[国道22号]] * [[国道41号]] {{Col-break}} * [[国道156号]] * [[国道157号]] * [[国道158号]] * [[国道248号]] {{Col-break}} * [[国道256号]] * [[国道257号]] * [[国道258号]] * [[国道303号]] {{Col-break}} * [[国道360号]] * [[国道361号]] * [[国道363号]] * [[国道365号]] {{Col-break}} * [[国道417号]] * [[国道418号]] * [[国道419号]] * [[国道471号]] {{Col-break}} * [[国道472号]] * [[国道475号]] {{Col-end}} ; 主な[[有料道路]] * [[白山白川郷ホワイトロード]] * [[伊吹山ドライブウェイ]] * [[安房峠道路]]([[中部縦貫自動車道]]の一部) ==== 空港 ==== * [[岐阜基地]] - [[航空自衛隊]]の軍用飛行場(民間利用はなし)。 * [[飛騨エアパーク]] * [[大野滑空場]] * [[木曽川滑空場]] 定期便が飛ぶ空港は県内に存在しない。近隣の空港は[[名古屋飛行場]]と[[中部国際空港]](いずれも[[愛知県]])、[[富山空港]]([[富山県]])がある。 ==== 自動車登録番号標 ==== * 岐阜ナンバー - 美濃地方 * 飛騨ナンバー - 飛騨地方 === 発電所 === * [[奥美濃発電所]]<ref>[http://www.chuden.co.jp/corporate/company/officelist/cor_hatsudensho/ 中部電力の主な発電所所在地一覧]</ref> * [[高根第一発電所]] * [[馬瀬川第一発電所]] * [[馬瀬川第二発電所]] * [[横山発電所]] * [[新上麻生発電所]] * [[矢作第一発電所]] * [[徳山発電所]] * 名称未定([[メガソーラー]]建設中)<ref>[http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20150320/201503200922_24552.shtml 岐阜市にメガソーラー NTT系、東海4県最大級]</ref> === 医療・福祉 === {{main|Category:岐阜県の医療機関}} ; [[災害拠点病院]] * [[岐阜県災害拠点病院]] ; [[保育所]] * [[岐阜県保育所一覧]] == 教育 == === 教育機関 === [[File:Gifu University.jpg|thumb|200px|[[岐阜大学]]]] ; [[大学]] [[国立大学|国立]] * [[岐阜大学]] [[公立大学|公立]] * [[岐阜県立看護大学]] * [[岐阜薬科大学]] [[私立大学|私立]] * [[朝日大学]] * [[岐阜医療科学大学]] * [[岐阜協立大学]] * [[岐阜聖徳学園大学]] * [[岐阜女子大学]] * [[岐阜保健大学]] * [[中京学院大学]] * [[中部学院大学]] * [[東海学院大学]] ; [[通信制大学]] * [[放送大学|放送大学 岐阜学習センター]] ; [[短期大学]] 公立 * [[岐阜市立女子短期大学]] 私立 * [[大垣女子短期大学]] * [[岐阜聖徳学園大学短期大学部]] * [[正眼短期大学]] * [[高山自動車短期大学]] * [[中京学院大学短期大学部]] * [[中部学院大学短期大学部]] * [[東海学院大学短期大学部]] * [[中日本自動車短期大学]] * [[平成医療短期大学]] ; [[高等専門学校]] * [[岐阜工業高等専門学校]] ; [[専修学校]] * [[岐阜県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] * [[岐阜県特別支援学校一覧]] ; [[高等学校]] * [[岐阜県高等学校一覧]] ; [[中学校]] * [[岐阜県中学校一覧]] ; [[小学校]] * [[岐阜県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] * [[岐阜県幼稚園一覧]] ; その他教育機関 ; [[農業大学校]] * [[岐阜県農業大学校]] ; [[職業能力開発大学校]] * [[東海職業能力開発大学校]] === 学校登山 === : 本県は白山、乗鞍岳、木曾の御嶽山から流れでる「清流の国ぎふ」である。一方昭和29年9月に歌詞を募集し[[服部正]]が作曲した「岐阜県民の歌」<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.gifu.lg.jp/page/112.html|title=岐阜県民の歌|publisher=岐阜県|date=2015-08-20|accessdate=2023-07-21}}</ref>では、「岐阜は木の国山の国」と、岐阜県を歌っている。 : 本県内では環境保全意識やふるさと岐阜に対する誇りを育むことを目的として、7月8月に乗鞍山へ中学生の[[学校登山]](学校集団登山という事も多い。)を実施している。一方、岐阜県中部山岳国立公園活性化推進協議会でも、小中学校の児童生徒を対象に乗鞍山麓五色ヶ原の森で自然環境学習を行っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/341616.pdf|title=中学生に登山する乗鞍岳は活火山であることを伝える『中学生用P4』。みんなで学ぶ 防災・減災|publisher=岐阜県|date=|accessdate=2023-07-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.rinya.maff.go.jp/chubu/hida/attach/pdf/gaiyou-7.pdf|title=森林、林業の普及および自然保護について、小中学校登山や自然観察会のインストラクター、外来生物の除去活動等を地元関係者へ。飛騨森林管理署町方森林事務所|publisher=林野庁|date=|accessdate=2023-07-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hidatakayama.or.jp/|title=登山情報<支援対象小学校、中学校、高等学校|publisher=(一社)飛騨・高山観光コンベンション協会 電子公告|date=2023-05-18|accessdate=2023-07-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://hidasanmyaku-gifu.jp/info/202107-goshiki/|title=大自然を体感!「五色ヶ原の森で自然環境学習」|publisher=岐阜県中部山岳国立公園活性化推進協議会|date=2021-07-13|accessdate=2023-07-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://norikuradake.jp/%E2%97%86%E4%B9%97%E9%9E%8D%E7%A0%94%E4%BF%AE%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%88%E4%B8%B9%E7%94%9F%E5%B7%9D%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%EF%BC%93%E5%B9%B4%E7%94%9F%EF%BC%89%E5%B1%95%E7%A4%BA/|title=乗鞍研修レポート(丹生川中学校3年生)展示中!!<乗鞍岳 | 乗鞍スカイライン|publisher=岐阜県高山市 飛騨乗鞍観光協会|date=2018-12-07|accessdate=2023-07-21}}</ref>。高等学校においては、昭和43年に岐阜高等学校山の家(現友學館)が、奥飛騨温泉郷に建設されたが、1年生の乗鞍岳学校登山を実施している<ref>{{Cite web|和書|url=https://school.gifu-net.ed.jp/wordpress/gifu-hs/2017/08/01/%EF%BC%91%E5%B9%B4%E7%94%9F%E6%9E%97%E9%96%93%E5%AD%A6%E8%88%8E%E6%B4%BB%E5%8B%95722-81/|title=1年生林間学舎活動(7/22-8/1)|publisher=岐阜県立岐阜高等学校|date=2017-08-01|accessdate=2023-07-21}}</ref>。 == マスメディア == === 新聞 === 岐阜県には地元紙の[[岐阜新聞]]が存在するが、シェアは[[愛知県]][[名古屋市]]に本社を置く[[中日新聞]]が圧倒的に強い。 岐阜新聞と中日新聞の仲の悪さは有名な話である。 * [[岐阜新聞]] * [[中日新聞]]および、[[全国紙]]のうち、[[産経新聞]]を除く[[読売新聞]]・[[朝日新聞]]・[[毎日新聞]]・[[日本経済新聞]]の各新聞社の支局・通信局が県内にある。 === テレビジョン放送 === [[名古屋市]]に本社を置く民放各局(県域局の[[テレビ愛知]]を除く)およびNHK名古屋Eテレ(教育テレビ)が本県に中継局を設けている。 美濃地方西部の大半や東濃地方の一部(可児市や土岐市以南)では[[愛知県]]の[[県域放送]]([[NHK名古屋放送局|NHK名古屋]][[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]]<ref name="nagoyamain">[http://dpa-tv-area.jp/sp/map/?k=21&a=%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%E5%B2%90%E9%98%9C%E5%B8%82 Dpa放送エリアのめやす(岐阜県岐阜市)]</ref>、{{要出典|範囲=FM放送|date=2014年7月4日 (金) 03:16 (UTC)}}と[[テレビ愛知]]<ref name="nagoyamain"/>、[[エフエム愛知|FM AICHI]]<ref>[http://fma.co.jp/pc/11company/fmainfo/ (FM愛知会社概要)]</ref>、[[ZIP-FM]]<ref>{{Cite web|title=ZIP-FM POWER PROFILE|url=http://zip-fm.co.jp/eigyou/Files/areamap201103.pdf|format=PDF|publisher=ZIP-FM|accessdate=2014-07-07}}</ref>)や[[三重県]]の県域放送([[三重テレビ放送|三重テレビ]]<ref>[http://www.mietv.com/company/profile.html 会社概要(三重テレビ)]</ref>、[[三重エフエム放送|FM三重]]<ref>[http://www.fmmie.jp/company/ 会社概要(三重エフエム放送)]</ref>)が受信可能エリアになる。 ==== 地上波 ==== * 県域放送 ** [[NHK岐阜放送局]]([[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]]) ** [[岐阜放送]](ぎふチャン)([[全国独立放送協議会|JAITS]]、[[TXNネットワーク|TXN]]([[テレビ東京]])系列制作番組の放送が多い) * 広域放送 ** [[NHK名古屋放送局]]([[NHK教育テレビジョン|Eテレ]]) ** [[CBCテレビ]]([[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]・[[TBSテレビ|TBS]]系列) ** [[東海テレビ放送]]([[フジニュースネットワーク|FNN]]・[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列) ** [[名古屋テレビ放送]](メ〜テレ)([[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]・[[テレビ朝日]]系列) ** [[中京テレビ放送]]([[日本ニュースネットワーク|NNN]]・[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列) ==== ケーブルテレビ ==== {{Main|Category:岐阜県のケーブルテレビ局}} {{Col-begin}} {{Col-break}} === ラジオ放送 === ; AMラジオ局 * 県域放送 ** [[岐阜放送ラジオ|岐阜放送]](ぎふチャン)([[独立放送局]]) * 広域放送 ** NHK名古屋放送局([[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1]]・[[NHKラジオ第2放送|第2放送]]) ** [[CBCラジオ]]([[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]系列) ** [[東海ラジオ放送]]([[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列) {{Col-break}} ; FMラジオ局 * NHK岐阜放送局([[NHK-FM放送]]) * [[エフエム岐阜]](FM GIFU)([[全国FM放送協議会|JFN]]系列) {{Col-break}} ; コミュニティFM局 * [[シティエフエムぎふ|FMわっち]](岐阜市) * [[飛騨高山テレ・エフエム|Hits FM]](高山市) * [[エフエムたじみ|FM PiPi]](多治見市) * [[FMラインウェーブ|FMらら]](可児市) * [[かにかも放送|FMでんでん]](可児市)([[2010年]](平成22年)10月31日閉局) {{Col-end}} == 観光 == {{Main|岐阜県の観光地}} === 世界遺産 === * [[白川郷・五箇山の合掌造り集落|白川郷の合掌造り]]([[白川村]]) === 日本遺産 === *『「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜』 2015年4月24日認定(岐阜市) *『飛騨匠の技・こころ -木とともに、今に引き継ぐ1300年-』 2016年4月25日認定(高山市) === 有形文化財建造物 === {{main|岐阜県指定文化財一覧}} ==== 国宝 ==== * [[安国寺 (高山市)|安国寺]] - 経蔵 * [[永保寺]] - [[観音堂]]、開山堂 === 重要伝統的建造物群保存地区 === * [[三町 (高山市)|三町]] ([[高山市]]) * [[下二之町大新町]] (高山市) * [[美濃市美濃町伝統的建造物群保存地区|美濃町]] ([[美濃市]]) * [[郡上八幡北町]] ([[郡上市]]) * [[岩村町本通り]] ([[恵那市]]) * [[荻町 (白川村)|荻町]] ([[白川村]]) === 名所・旧跡 === {{main|中部地方の史跡一覧#岐阜県}} * 温泉地 ** [[下呂温泉]](日本三名湯)、[[奥飛騨温泉郷]]、[[長良川温泉]]、[[小坂温泉郷]]、[[うすずみ温泉]]など * 天然記念物の桜 ** [[淡墨桜]](日本三大桜)、[[臥龍桜]]、[[荘川桜]]、[[中将姫誓願桜]]、[[揖斐二度桜]]など * 山 ** [[飛騨山脈]]、[[白山]]、[[能郷白山]]など * 滝 ** [[宇津江四十八滝]]、[[平湯大滝]]、[[根尾の滝]]、[[阿弥陀ケ滝]]、[[養老の滝]]など * 名勝 ** [[鬼岩公園]]([[御嵩町]]、[[瑞浪市]]) * 峡谷美 ** [[日本ライン]]、[[恵那峡]]、[[付知峡]]、[[中山七里]]、[[揖斐峡]]など * ドライブスポット ** [[伊吹山ドライブウェイ]](関ケ原町・揖斐川町)、[[金華山ドライブウェイ]](岐阜市)、[[池田山 (岐阜県)|池田山]]([[池田町 (岐阜県)|池田町]])など * 古戦場跡 ** [[関ヶ原の戦い|関ヶ原古戦場]]、[[南宮山]]周辺([[関ケ原町]]、[[垂井町]]) * 岐阜県では、県内の[[サクラ|さくら]]と[[紅葉]]の名所を33箇所選出している。 ** [[飛騨・美濃さくら三十三選]] ** [[飛騨・美濃紅葉三十三選]] * 岐阜県では、美しい農村風景を代表する[[棚田]]を後世に伝えるため、[[ぎふの棚田21選]]を選出している。 ==== その他市町村別 ==== * [[岐阜城]]、[[岐阜公園]]、[[金華山 (岐阜県)|金華山]]、[[長良川]]([[岐阜市]]) * [[奥の細道]]結びの地、[[墨俣城]]([[大垣市]]) * [[国営木曽三川公園|木曽三川公園]]三派川地区、[[アクア・トトぎふ|岐阜県世界淡水魚園水族館]]、新境川堤、[[岐阜かかみがはら航空宇宙博物館]]、各務原市民公園、[[内藤記念くすり博物館]]([[各務原市]]) * [[セラミックパークMINO]]、多治見市モザイクタイルミュージアム([[多治見市]]) * [[花フェスタ記念公園]]([[可児市]]) * [[飛騨高山]]の古い町並み、[[高山陣屋]]、[[飛騨大鍾乳洞]]、乗鞍スカイライン、新穂高ロープウェイ([[高山市]]) * [[恵那峡ワンダーランド]]([[中津川市]]) * [[日本昭和村]]([[美濃加茂市]]) * [[日本大正村]]、恵那峡([[恵那市]]) * [[郡上八幡城]]([[郡上市]]) * [[木曽三川公園センター]]([[海津市]]) * [[養老天命反転地]]、[[養老の滝]]([[養老町]]) * [[南宮大社]]、[[真禅院|朝倉山真禅院]]([[垂井町]]) * [[神岡鉱山]]、[[スーパーカミオカンデ]]([[飛騨市]]) * [[藤橋城]]、[[徳山ダム]]、[[華厳寺]]、横蔵寺([[揖斐川町]]) * [[不破関]]跡([[関ケ原町]]) === 中山道関連 === * [[馬籠宿]]、[[落合宿]]、[[中津川宿]]([[中津川市]]) * [[大井宿]]([[恵那市]]) * [[大湫宿]]、[[細久手宿]]([[瑞浪市]]) * [[御嶽宿]]、[[伏見宿 (中山道)|伏見宿]]([[御嵩町]]) * [[太田の渡し]]、[[太田宿 (中山道)|太田宿]]([[美濃加茂市]]) * [[鵜沼宿]]([[各務原市]]) * [[加納宿]]、[[河渡宿]]([[岐阜市]]) * [[美江寺宿]]、[[小簾紅園#呂久の渡し|呂久の渡し]]([[瑞穂市]]) * [[赤坂宿 (中山道)|赤坂宿]]([[大垣市]]) * [[垂井宿]]、[[垂井一里塚]]、[[垂井追分]]([[垂井町]]) * [[関ヶ原宿]]、[[今須宿]]、[[寝物語の里]]([[関ケ原町]]) == 文化・名物 == === 祭事・催事 === * [[岐阜市]] - [[道三まつり]]、[[手力の火祭]]、[[池ノ上みそぎ祭|池ノ上みそぎ祭り]]、[[長良川鵜飼]]、[[ぎふ信長まつり]]、[[ぎふ長良川花火大会]](8月中旬)、[[こよみのよぶね]](冬至の夜) * [[大垣市]] - [[大垣祭]]([[無形文化遺産|ユネスコ無形文化遺産]])、すのまた桜まつり、[[大垣十万石まつり|十万石まつり]]、水まつり、[[七夕まつり]]、[[岐阜新聞大垣花火大会]](例年7月最終土曜日) *各務原市 - [[おがせ池夏まつり]]、[[かわしま燦々夏祭り]]、[[桜まつり20万人の広場]]、[[木曽川うかい]]、[[日本ライン夏まつりロングラン花火]](旧・日本ライン夏まつり納涼花火大会)、[[大安寺川ホタル祭り]] * [[多治見市]] - [[多治見陶器祭り]](4月)、多治見市制記念花火大会、たじみ茶碗まつり(10月)、多治見まつり * [[高山市]] - [[高山祭]]([[京都]]の[[祇園祭]]・[[秩父夜祭]]とともに日本三大美祭の一つ、ユネスコ世界文化遺産)、日本一かがり火祭り * [[関市]] - [[小瀬鵜飼]]、刃物祭り * [[中津川市]] - [[杵振り踊り]] * [[土岐市]] - 土岐[[美濃焼]]まつり(日本三大陶器祭の一つ)、[[駄知町|駄知]]どんぶりまつり、[[下石町|下石]]どえらええ陶器祭り * [[恵那市]] - みのじみのりの祭り * [[郡上市]] - 長滝の延年(六日祭)、[[郡上おどり]]、[[白鳥おどり]] * [[山県市]] - 山県市ふるさと栗まつり、いじら湖桜まつり、柿野まつり、いじら湖もみじ・野菜祭り、みやま川祭り * [[垂井町]] - 「[[南宮大社|南宮の神事芸能]]」(国の[[重要無形民俗文化財]])、[[垂井曳山祭り]](子供歌舞伎など)、ふれあい垂井ピア * [[飛騨市]] - [[古川祭]](起こし太鼓、[[日本三大一覧#祭り|日本三大裸祭り]]の一つ、国の重要無形民俗文化財、ユネスコ無形文化遺産) * [[池田町 (岐阜県)|池田町]] - みの池田ふるさと祭り * [[揖斐川町]] - [[谷汲踊り]] * [[美濃市]] - 美濃祭り * [[八百津町]] - 久田見祭り * [[白川村]] - どぶろく祭り(10月) === 方言 === * [[美濃弁]] ** [[京阪式アクセント]] ** [[垂井式アクセント]] ** [[東京式アクセント]](内輪、中輪) * [[飛騨弁]] ** 東京式アクセント(内輪) === 食文化 === {{See also|Category:岐阜県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#岐阜県}} === 名産・特産 === ==== 名物 ==== {{Col-begin}} {{Col-break}} ; 銘菓・甘味 * 柿羊羹(西濃) * 大垣せんべい(西濃) * [[からすみ (菓子)]](東濃) * [[栗きんとん]](東濃) * [[五平餅]](飛騨・東濃) * [[みだらしだんご]](飛騨) * 鮎菓子(岐阜) * [[みょうがぼち]](本巣) * [[げんこつ飴]](飛騨) * [[寒天]](恵那) * [[水まんじゅう]](大垣) {{Col-break}} ; 農・水産物・加工食品 * [[飛騨牛]](飛騨) * [[明方ハム]]・[[明宝ハム]](郡上) * [[揖斐茶]](揖斐) * [[不帰茶]](垂井) * [[白川茶]](可茂) * [[朴葉味噌]](飛騨) * 赤かぶ漬(飛騨) * [[菊ごぼう]](恵那・中津川) * [[高山ラーメン]](飛騨) * [[ベトコンラーメン]](岐阜) * [[美濃加茂やきそば]](美濃加茂) * [[鶏ちゃん]](飛騨・郡上) * [[マクワウリ]](本巣) * [[富有柿]](本巣・大野) * [[アユ|鮎]] * にんじんジュース(各務原) * [[各務原キムチ]](各務原) * [[はちみつ]](垂井) * [[ホーシューバーガー]](羽島) * [[高賀の森水]] * [[朴葉寿司]] {{Col-break}} ; その他 * 下呂膏(下呂) * [[さるぼぼ]](高山) {{Col-end}} ==== 伝統工芸 ==== ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[美濃焼]](陶磁器、[[1978年]]) * [[飛騨春慶]](漆器、[[1975年]]) * [[一位一刀彫]](木工品、1975年) * [[美濃和紙]](和紙、[[1985年]]) * [[岐阜提灯]](その他工芸品、[[1995年]]) ; [[岐阜県郷土工芸品]] * [[美濃和紙]]([[美濃市]]) * [[岐阜提灯]]([[岐阜市]]) * [[岐阜和傘]](岐阜市) * [[美濃焼]]([[多治見市]]、[[土岐市]]、[[瑞浪市]]) * [[刀剣]]類([[関市]]) * [[飛騨春慶]]([[高山市]]) * [[一位一刀彫]](高山市、[[飛騨市]]、[[下呂市]]) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#岐阜県}} === 民謡 === * 結婚式などめでたい席では、必ず謳われていたのが「おばば」である。若者の[[民謡]]離れと宴席がなくなったので謳われることはなくなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/gifu/20221102/3080010052.html|title=岐阜発祥の民謡“おばば”守るのは |publisher=NHK|date=|accessdate=2023-07-23}}</ref>が、発祥の地の揖斐川町では、小学校で今も受け継がれており、盆踊りで踊られている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/158843|title=「おばば」後世に 岐阜発祥の民謡、高齢男性らの会が踊り披露 |publisher=|date=2020-11-23|accessdate=2023-07-23}}</ref>。全国各地で歌われているが、揖斐川・長良川・木曽川の洪水対策として宝暦の治水工事などの大規模な治水工事が行われて,全国から“手伝普請”として人夫が故郷に持ち帰ってはやらせたといわれている<ref>{{Cite web|和書|url=https://zenmyouji.info/stories/index.html|title=おばば唄 |format=pdf |publisher=上善明寺|date=|accessdate=2023-07-23}}</ref>。 お婆々どこへ行きゃるナーナーナー お婆々どこへ行きゃるナ 三升樽さげてソーラバエ ヒュルヒュルヒュードンドン 嫁の在所へナーナーナー 嫁の在所へナ ささ孫抱きにソーラバエ ヒュルヒュルヒュードンドン * 盆踊りの定番と言われる郡上音頭は、郡上藩主・青山氏との別れを惜しんだ歌との解釈があるが、定かでない。どの説でも「雨も降らぬに 袖しぼる」が「涙の別れ」を意味しているという点は共通している。一晩のうちに何回も繰り返し踊られる「徹夜踊り」の郡上踊りで歌われる。 郡上の八幡 出ていく時は 雨も降らぬに 袖しぼる 天のお月様 ツン丸こて丸て 丸て角のて そいよかろ 郡上の殿様 自慢なものは  金の弩標(どひょう)に 七家老 金が出る出る 畑佐の山で  銀と鉛と 赤がねと 向(むかい)小駄良の 牛の子を見やれ 親が黒けりゃ 子も黒い 唄も続くが 踊りも続く 月の明るい 夜も続く 泣いて分かれて 松原行けば 松の露やら 涙やら 忘れまいぞえ 愛宕の桜 縁を結んだ 花じゃもの 雪の降る夜は 来ないでおくれ かくし切れない 下駄の跡 === スポーツ === {{See also|Category:岐阜県のスポーツチーム}} ==== サッカー ==== * [[FC岐阜]] - [[Jリーグ]] (J3) に加盟するプロサッカークラブ。 * [[FC岐阜BELTA]] - FC岐阜の女子サッカーチーム。[[1985年]](昭和60年)に「岐阜女子フットボールクラブ」として設立、[[2005年]](平成17年)にSSC加盟。 ==== バスケットボール ==== * [[岐阜スゥープス]] - [[ジャパン・バスケットボールリーグ|B3.LEAGUE]]に所属するバスケットボールチーム。 * [[岐阜セイリュウヒーローズ]] - [[カンファレンスゲーム]]に所属するバスケットボールチーム。 ====バレーボール==== * [[JAぎふリオレーナ]] - [[バレーボール]]・[[日本バレーボールリーグ機構|Vリーグ]]の女子チーム。 ====ハンドボール==== * [[飛騨高山ブラックブルズ岐阜]] - [[日本ハンドボールリーグ]]の女子チーム。 == 対外関係 == === 姉妹自治体・提携自治体 === ==== 海外 ==== ; 友好自治体 * {{Flagicon|CHN}}[[江西省]]([[中華人民共和国]]) *: [[1988年]] ([[昭和]]63年) [[6月21日]] - 友好省提携調印 ==== 国内 ==== ; 姉妹自治体 * {{Flagicon|鹿児島県}}[[鹿児島県]]([[日本国]] [[九州地方]]) *: [[1971年]]([[昭和]]46年)[[7月27日]] - 姉妹県盟約締結<ref>[http://www.pref.gifu.lg.jp/kensei/koho-kocho/kohoshi/11103/meiyaku.html 岐阜県:岐阜県と鹿児島県の姉妹県盟約締結] - 岐阜県、2016年1月13日閲覧。</ref><ref>[https://www.pref.kagoshima.jp/aa02/pr/gaiyou/shimaitoshi/gihu.html 岐阜県] - 鹿児島県、2016年1月13日閲覧。</ref> == 岐阜県を舞台とした作品 == {{Main|岐阜県を舞台とした作品一覧}} === CM === * [[聲の形]] * [[ひぐらしのなく頃に]] * [[十六銀行]] * [[大垣共立銀行]] * [[バロー (チェーンストア)|バロー]] == 出身関連著名人 == {{Main|岐阜県出身の人物一覧}} === 岐阜県名誉県民 === 岐阜県名誉県民の称号は、1958年(昭和33年)11月29日に制定された岐阜県名誉県民条例(昭和33年11月29日岐阜県条例第32号)に基づき、「社会文化の興隆に功績があつた者」へ贈られる(条例第1条)<ref name=meiyojorei>{{PDFlink|[https://www.pref.gifu.lg.jp/kensei/hyosho/meiyo-kenmin/11101/index.data/jyourei.pdf 岐阜県名誉県民条例]}} - 岐阜県、2019年7月29日閲覧。</ref>。対象者は「公共の福祉の増進又は学術、技芸の発展に寄与し、もつて県民の生活及び文化に貢献し、その功績が卓絶で県民の尊敬を受ける者」、「岐阜県に十年以上居住し、若しくは居住していた者で、広く社会文化の興隆に貢献し、その功績が卓絶で県民が郷土の誇りとしてひとしく尊敬する者」であることが定められているが(条例第2条)、後者の居住期間については特に必要があると認められるときには短縮することが可能である<ref name=meiyojorei/>。名誉県民号の贈呈については、岐阜県知事が岐阜県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第3条)<ref name=meiyojorei/>。名誉県民に選定された者には、表彰状と名誉県民き章が贈呈される(条例第4条)<ref name=meiyojorei/>。 {| class="wikitable" !受賞者氏名 !職業 !選定年月日 !備考 !出典 |- |[[武藤嘉門]] |[[政治家]] |1958年11月29日 |元岐阜県知事 |<ref name=meiyojorei/><ref>{{PDFlink|[https://www.pref.gifu.lg.jp/kensei/hyosho/meiyo-kenmin/11101/index.data/mutou.pdf 武藤嘉門]}} - 岐阜県、2019年7月29日閲覧。</ref> |- |古田好 |政治家 |1987年10月7日 |元岐阜県議会議長 |<ref name=meiyojorei/><ref>{{PDFlink|[https://www.pref.gifu.lg.jp/kensei/hyosho/meiyo-kenmin/11101/index.data/furuta.pdf 古田好]}} - 岐阜県、2019年7月29日閲覧。</ref> |- |[[上松陽助]] |政治家 |1989年12月19日 |元岐阜県知事 |<ref name=meiyojorei/><ref>{{PDFlink|[https://www.pref.gifu.lg.jp/kensei/hyosho/meiyo-kenmin/11101/index.data/uematu.pdf 上松陽助]}} - 岐阜県、2019年7月29日閲覧。</ref> |- |[[松野幸泰]] |政治家 |1996年3月13日 |元岐阜県知事 |<ref name=meiyojorei/><ref>{{PDFlink|[https://www.pref.gifu.lg.jp/kensei/hyosho/meiyo-kenmin/11101/index.data/matuno.pdf 松野幸泰]}} - 岐阜県、2019年7月29日閲覧。</ref> |- |土屋斉 |[[実業家]] |1996年7月4日 |岐阜県経済界における指導的役割 |<ref name=meiyojorei/><ref>{{PDFlink|[https://www.pref.gifu.lg.jp/kensei/hyosho/meiyo-kenmin/11101/index.data/tutiya.pdf 土屋斉]}} - 岐阜県、2019年7月29日閲覧。</ref> |- |[[加藤卓男]] |[[陶芸家]] |1996年7月4日 |[[人間国宝]] |<ref name=meiyojorei/><ref>{{PDFlink|[https://www.pref.gifu.lg.jp/kensei/hyosho/meiyo-kenmin/11101/index.data/katou.pdf 加藤卓男]}} - 岐阜県、2019年7月29日閲覧。</ref> |- |田口義嘉壽 |実業家 |2013年12月19日 |元[[セイノーホールディングス]]会長 |<ref name=meiyojorei/><ref>{{PDFlink|[https://www.pref.gifu.lg.jp/kensei/hyosho/meiyo-kenmin/11101/index.data/taguchi.pdf 田口義嘉壽]}} - 岐阜県、2019年7月29日閲覧。</ref> |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == <!-- 実際に参考にした文献一覧 --> * {{Cite book |和書 |author = 松田之利・谷口和人・筧敏生・所文隆・上村恵宏・黒田隆志 |title = 岐阜県の歴史 県史21 |date = 2000-10 |publisher = 山川出版社 |isbn = 978-4-634-32210-3 |ref = 岐阜県の歴史 県史21 }} == 関連項目 == <!-- 関連するウィキリンク、ウィキ間リンク --> {{See also|Category:岐阜県}} * [[岐阜県出身の人物一覧]] * [[岐阜県知事一覧]] * [[:Category:岐阜県の政治家|岐阜県の政治家]] * [[:Category:岐阜県の企業|岐阜県の企業]] * [[:Category:岐阜県の大学|岐阜県の大学]] * [[岐阜県高等学校一覧]] * [[岐阜県中学校一覧]] * [[岐阜県小学校一覧]] * [[岐阜県幼稚園一覧]] * [[岐阜県保育所一覧]] * [[岐阜県外国人学校一覧]] * [[岐阜県の県道一覧]] * [[岐阜県指定文化財一覧]] * [[:Category:岐阜県の自然景勝地|岐阜県の自然景勝地]] * [[:Category:岐阜県の建築物|岐阜県の建築物]] * [[:Category:岐阜県の観光地|岐阜県の観光地]] * [[日本まんなか共和国]] * [[岐阜新聞]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/岐阜県|[[画像:Gifu-geo-stub.png|36px|Portal:日本の都道府県/岐阜県]]}} {{Wikiquote}} {{Commons&cat|Gifu 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熊本県
熊本県(くまもとけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は熊本市。 令制国の肥後国に当たる。有明海、不知火海、東シナ海に面している。 熊本という地名は、古くは隈本と書いた。隈本の由来には諸説あるが、菊池則隆に因むとする伝承がある。「隈本」の名が文献に見られるのは南北朝時代以降で、これを加藤清正が「隈」の字が畏(おそれる、かしこまる)の字を含むため武将の居城の名に相応しくないとして「熊」の字を充てたと言われている。なお「来熊(らいゆう)」「訪熊(ほうゆう)」「帰熊(きゆう)」と1文字で略するときは「熊(雄と同じ「ゆう」と音読み)」を使用する。 九州本島の中央部に位置し、福岡、大分、宮崎、鹿児島の各県と境を接する。海上で有明海を隔て長崎県とも接する。東部の阿蘇地方に日本第2位(阿蘇カルデラを、最大級と表現するのはこの為)の阿蘇カルデラを持つ阿蘇山や九州山地の山々が聳え、西部は熊本平野が有明海に、八代平野および芦北地方のリアス式海岸が不知火海に面する。その間に宇土半島が突き出し天草諸島に続いている。中心都市である熊本市は、市域の70万人超の人口を支える水道水が全て地下水でまかなわれている世界でも稀有な都市である。 気候は県内全域が太平洋側気候に属し温暖だが、冬と夏で寒暑の差が激しい。冬の気温は緯度の割には寒冷である。(数値は気象庁1991 - 2020年の統計による) 隣接している県は、九州地方最多である。 熊本県は、県北・県央・県南の3つに大きく分けられ、さらに11の地域に区分される。 また、県内には14市9郡23町8村(計45市町村)がある。熊本県では、2003年(平成15年)以降に町村合併で誕生したあさぎり町・山都町・氷川町の3町が「ちょう」としている以外は、町はすべてが「まち」、村はすべて「むら」と読む。 (旧鹿本郡であった熊本市植木町域が含まれることもある) (旧下益城郡であった熊本市富合町・城南町域が含まれることもある) 県内で人々が狩猟・採集活動を開始し、生活し始めたのは今から3万年以上前である。現在、県内で確認された最古の石器は、熊本市平山町の石の本遺跡出土の石器群である。アカホヤ火山灰や姶良・胆沢火山灰(AT)堆積の土層の確認や放射性炭素年代測定から分かった。当該遺跡は旧石器時代に属し、石器製作地点としての性格を有するが、基本的にこのころは定住性の低い流動的な生活形態であった。 定住して集落をいとなみ、土器を製作するようになった縄文時代になると、遺跡の数が急増する。約1万年間にわたる当該時代、熊本県下にあっては約9000年前、縄文早期から生活の痕跡が認められる。同時期、鹿児島県を中心とする九州南部においては上野原遺跡にみられる先進的・独創的な土器型式を展開しているが、県下のそれは押型文土器・撚糸文土器など、西日本で広範的にみられる型式であり、南九州の影響は受けていないようである。 縄文前期に入ると、宇土市宮庄町の轟(とどろき)貝塚・同岩古曽(いわこそ)町の曽畑(そばた)貝塚などで特徴的な土器が出土し、それぞれ轟式土器・曽畑式土器の標式遺跡となっており、いずれも九州地方に広く分布するが、曽畑式土器は九州を超えて南西諸島にまで及ぶ。 縄文中期には、熊本市南区城南町の阿高(あだか)貝塚・黒橋(くろはし)貝塚などにおいて汽水域に生息する貝類が優位となるなど、海岸線の内陸進出が一気に進む。阿高貝塚は、当該時期における九州地方の土器型式を代表する阿高式土器の標式遺跡となった。 縄文後期には、菊池郡大津町のワクド石遺跡においてモミの圧痕のついた土器が出土するなど、農耕の痕跡が認められるようになる。熊本市南区城南町の御領貝塚・菊池市泗水町の三万田東原(みまんだひがしばる)遺跡などで出土した土器が、九州地方の土器型式を代表するとしてそれぞれ御領式土器・三万田式土器の標式遺跡となり、いずれも熊本県外にまで広く分布している。石器については、合志市の二子山遺跡から当時の石器製作拠点が確認されたほか、前述の三万田東原遺跡からはクロム白雲母製の装身具未製品が大量に出土し、同遺跡が装身具の製作拠点であったことが判明した。 縄文晩期になると、上益城郡益城町の古閑(こが)遺跡から出土した土器には器形の大型化への志向が認められ、当該時期における九州地方の土器型式を代表する古閑式土器の標式遺跡となる。 大陸からもたらされた稲作と金属加工技術によって生産性が急増した弥生時代に入ると、稲作に適した低地への進出がみられる。 もっとも早い弥生時代早期、熊本市東区の江津湖(えづこ)遺跡群(江津湖中ノ島遺跡)においては、縄文時代晩期の遺物と共伴している。 弥生前期になると、玉名市天水町の斎藤山(さいとやま)貝塚から、これまでのところ県内で最も古い鉄製の斧が出土する。集落の周りにはほりを巡らせるようになるが、そうした環濠集落は宇土市の宇土城城山(うとじょうしろやま)遺跡・熊本市中央区の新屋敷遺跡で確認されている。弥生時代を代表する墓制である甕棺墓は弥生早期には出現するが、熊本県下ではこの時期から、前述の江津湖遺跡群・熊本市南区城南町の沈目立山(しずめたてやま)遺跡・同西区の白藤町(しらふじまち)遺跡群などで確認されているほか、当該時期の支石墓が菊池郡大津町の岩坂樋ノ口(いわさかひのくち)遺跡から見つかっている。 続く弥生中期になると遺跡の数が急増する。環濠集落は玉名市岱明町(まいめいまち)の塚原(つかはら)遺跡・山鹿市の方保田東原(かとうだひがしばる)遺跡・菊池市七城町のうてな遺跡・宇土市境目町の境目・善道寺遺跡・阿蘇郡南阿蘇村・高森町の幅・津留遺跡などで確認され、環濠は判っていないが中央区神水(くわみず)の神水遺跡群・東区新南部(しんなべ)の新南部遺跡群・東区上南部(かんなべ)の上南部遺跡群、菊池郡菊陽町の梅ノ木遺跡などで大規模な集落が確認されている。この時期の甕棺墓は、前述の塚原遺跡・方保田東原遺跡・神水遺跡群・新南部遺跡群・上南部遺跡群・梅ノ木遺跡のほか、白藤町遺跡群・中央区黒髪町の黒髪町遺跡群などから見つかっているが、とりわけ白藤町遺跡からは200基以上が出土しており、規模においてきわだっている。上益城郡嘉島町においても、圃場整備事業に伴う発掘調査の結果多数の甕棺墓が確認されているが、幅・津留遺跡においては甕棺墓はひとつもない代わり、木棺墓が100基以上見つかるなど、異彩を放っている。 弥生後期に入ると環濠集落は増えるが、熊本市北区貢町の五丁中原(ごちょうなかばる)遺跡・菊池郡大津町の西弥護免(にしやごめん)遺跡・菊池市七城町の小野崎(おのざき)遺跡・玉名郡和水町の蒲生・上の原遺跡・上益城郡嘉島町の二子塚遺跡・球磨郡あさぎり町の本目(もとめ)遺跡など、海岸線を離れた内陸部にも出現する。 当該時期においては、中期の黒髪町遺跡が標式遺跡となったほか、本目遺跡から出土した土器が一時期免田式土器と特筆されるなど、独自性の高い個性的な土器型式を呈しているほか、阿蘇郡阿蘇市の小野原(このばる)遺跡群・下扇原(しもおおぎばる)遺跡などにみられる大規模な鍛冶・赤色顔料生産拠点の存在が確認されているものの、鏡・剣・勾玉を一緒に副葬する王墓はこれまでのところ見つかっておらず、王権が成立していたかどうかは判らない。 古墳時代に入ると、天神山(てんじんやま)古墳(宇土市、107m)が他に先駆けて4世紀前半に築かれる。宇土市にはその後、4世紀後半に摺鉢山(すりばちやま)古墳(96m)、迫ノ上(さこのうえ)古墳(56m)、4世紀末に向野田(むこうのだ)古墳(86m)などの前方後円墳がつぎつぎと築かれた。中でも、向野田古墳はその主体部から、おびただしい副葬品とともに女性の人骨が見つかっている。このころになると、長目塚(ながめづか)古墳(阿蘇市、111m)・竜王山(たつおうさん)古墳(山鹿市、不明)・松坂古墳(和水町、120m)など宇土市以外でも古墳が築かれるようになっていく。 5世紀に入ると、伝左山(でんざやま)古墳(玉名市)・江田船山古墳(和水町)・二子塚古墳(山鹿市)・楢崎古墳(宇土市)などが築かれていくが、中でも江田船山古墳は75文字の銀象嵌銘太刀をはじめとする副葬品で知られる。また、小田良(おだら)古墳(宇城市)にみられるような装飾古墳も出現する。装飾古墳は、6世紀に入るとチブサン古墳(山鹿市)・井寺(いでら)古墳(嘉島町)・釜尾(かまお)古墳(熊本市)・千金甲(せごんこう)古墳(熊本市)・横山古墳(熊本市、山鹿市へ移設)などさかんに築かれるようになる。 熊本県の古墳は、4世紀代は単独で築かれることもあるが、えてして一箇所に集まり古墳群を形成する。二子塚古墳のある岩原(いわばる)古墳群、長目塚古墳のある中通(なかどおり)古墳群、高速道路が下を通る塚原(つかわら)古墳群、氷川町の野津(のづ)古墳群などがある。同時期の墓制に横穴墓があるが、古墳と同様に4世紀から築かれはじめ、6世紀に入ると装飾を有するものもさかんに築かれた。古墳と異なる点ははじめから群をなして形成されていることで、鍋田(なべた)横穴群(山鹿市)・城(じょう)横穴群(山鹿市)・つつじが丘横穴群(熊本市)・大村(おおむら)横穴群(人吉市)などがある。 これらに加えて、墳丘上にもうけられた装飾品に土を焼いた埴輪だけでなく、石人・石馬と称される凝灰岩製の彫像を有しているものがある。発祥は筑紫君磐井の墓と伝えられる岩戸山古墳であり、福岡県南部・熊本県北部のほかには島根県に1例だけというきわめて特異的なものである。 熊本県の領域はかつての肥後国のそれとほぼ重なるが、肥後国を含む広範囲は古代においては火国(肥国)と呼ばれていた。この火国(肥国)の中心は八代郡肥伊郷(氷川流域)で、多氏と同系の有力豪族である火君(ひのきみ)がいた。肥国はやがて、現在の佐賀県・長崎県の地域をも含むようになるが、7世紀終わりごろに肥前国と肥後国に分けられた。 肥後国は生産力が高い豊かな土地で、地理的にも重要と判断されたため、律令体制下では大国の一つとされた。行政管区では西海道に属し、道内における大国は肥後国だけであった。 地方行政は国郡制をとり、国の行政拠点となった国府ははじめ益城に置かれ、次いで託麻へ、最後は飽田(二本木)に移った。国を細分した郡の行政単位は郡衙で、熊本県にあっては玉名郡衙だけが発掘調査により全貌が判明している。仏教の導入後は鎮護国家の理念の下、各地に官寺が建立される。熊本市南区城南町の陳内廃寺は所在が判明しているが、宇城市豊野町の浄水寺跡は、当時隆盛を誇っていた火(肥)君により建立された私寺であることが石碑により判明している。 律令体制化にあっては中央との人流・物流を円滑ならしめるために官道を整備し、人員・物資・情報往来の便宜を図るための拠点として駅を置いた。県内に比定される駅のうち、蚕養(こかい)・左色(さしき)については発掘調査により所在地が確認されている。これらの物流に資するべく、馬を飼育する牧が阿蘇郡(二重牧)と宇土郡(宇土牧)に設けられ、また国土防衛のために軍団が組織され、肥後国内には4個軍団からなる益城軍団が置かれていたとされているが、いずれも所在地は判明していない。白村江の戦い以降には古代山城が各地に築かれる。山鹿市菊鹿町にある鞠智(くくち)城跡は、他の山城と異なり行政拠点的な性格が強い点、大陸とは反対方向である南側の防御にすぐれている点が特徴的である。 中世には、阿蘇神社の神威を利用して勢力を拡大した多氏後裔の阿蘇氏、遠江国から地頭として下り球磨郡に土着した相良氏、大宰府の府官であった菊池氏といった豪族が勢力を伸ばした。 鎌倉時代、後鳥羽天皇の皇子である寒巖義尹が大慈寺を建立し、白川に初めて橋を架けた。 南北朝時代は、後醍醐天皇の皇子懐良親王を擁する菊池氏が九州における南朝勢力の中核として活躍したほか、宇土では、懐良親王を最初に受け入れた宇土氏が終始南朝方として活動し、南朝方の有力武将であった伯耆国の名和長年は、その子孫が領地のある八代へ移った。阿蘇神社の大宮司職を世襲していた阿蘇氏は、北朝を支持した一の宮神社派と、南朝を支持した甲佐神社派とに分かれ、球磨郡へ下向した相良氏も、南朝を支持した上相良氏・北朝を支持した下相良氏に分かれてそれぞれ対立した。 続く室町時代、肥後国守護となった菊池氏は筑後国守護を兼任し、全盛期を迎える。上下に分かれて争っていた相良氏は、台頭してきた山北相良氏によって統一され、葦北郡・八代郡を支配下に置いた。 戦国時代に至って、相良氏は名和氏を八代から追い払い、肥後国南部に加えて薩摩国大口にまで勢力を拡大するが、やがて薩摩国の島津氏に屈服した。北部では、守護大名だった菊池氏が家中の統制を取ることが出来ず、内紛の末ついに滅亡、国人が割拠する状態が続いた。八代を追われた名和氏は、菊池氏滅亡の後領主が不在となった宇土へ移り、阿蘇氏は、豊後国の守護大友氏と同盟を締結して命脈を保ったが、名将として知られる家老の甲斐宗運が亡くなると島津氏に滅ぼされ、肥後国全体が島津氏の支配するところとなった。 豊臣秀吉の九州征伐により佐々成政が肥後の国主を命じられるが、太閤検地に反対する国人たちによる一揆が起こった。秀吉は成政にその責任を負わせて切腹を命じる一方、一揆に参加した国人たちを徹底的に弾圧し、その勢力は一掃された。その後、秀吉は北半分を加藤清正、南半分を小西行長に分け与え、球磨郡においては相良氏の支配を認めた。 小西行長が関ヶ原の戦いで敗れ滅亡すると、加藤清正がその領地を併せ52万石の領主となった。清正は名城熊本城を築き、また河川・水路を改修して耕地を広げ生産力の向上に努めたため治水の名人として崇められた。しかし清正の死後、息子忠広の代に改易され、代わって細川氏が54万石の領主となった。(熊本藩)支藩として宇土藩、肥後新田藩がある。また、家老の松井家は八代城の城代として、3万石を与えられており、事実上の八代支藩の藩主であった。他に肥後国内には、相良氏が治める人吉藩があった。 天草は長崎に近く、また、キリシタン大名であった小西行長の領地になったこともあり、キリシタンの数が多かった。関ヶ原の戦い後、唐津藩12万石の領主である寺沢広高の領地となるが、寺沢はキリシタンを弾圧し、また過酷な徴税を行ったことから、寛永14年10月25日(1637年12月11日)に島原の乱が起こると、住民の半分がこれに参加し、全滅した。乱後、天草は天領となり、初代代官の鈴木重成の尽力によって天草は次第に復興していった。 明治4年(1871年)、肥後国には熊本県と八代県が設置された、熊本県はその後白川県と改められ、1873年(明治6年)、白川県と八代県が合併して白川県となった。1876年(明治9年)、再び熊本県に改名され、現在の熊本県が誕生した。 1916年(大正5年)、横浜港に入港した「ハワイ丸」の乗客から全国にコレラが拡大。熊本県内にもコレラ禍は飛び火し、死者は4100人を超える。 太平洋戦争末期までは熊本が九州の中心と見なされ、熊本鎮台・第五高等学校などが設置されたが、戦況が悪化すると連合国軍による本土上陸を恐れた政府が、九州統監府をより本州、帝都東京に近い福岡に設置したため戦後も九州の中心が福岡となった歴史を持つ。 第五高等学校教師として夏目漱石・小泉八雲が熊本市に住んでいたことがあり、森鷗外も第12師団軍医部長を務めていた時に、熊本市を訪れたことがあり短編小説『阿部一族』を書いた。これは江戸時代初期に肥後藩で実際に起きた、阿部一族が上意討ちで全滅した事件を題材にしている。 2012年(平成24年)4月1日、熊本市が20番目の政令指定都市に昇格した。 2016年(平成28年)4月14日以降相次いで熊本県で地震が発生し、震度7が2回観測された(熊本地震)。 熊本県の人口は戦後一貫して増加を続け、1995年(平成7年)には約186万人に達した。九州地方第三の都市である熊本市(約74万人)や熊本都市圏(人口約111万人で県人口の過半数を占める)に含まれる自治体は人口増加が堅調だが、他の市町村では人口の減少が顕著になってきている。そのため、県全体では2000年(平成12年)ごろから人口は減少に転じている。なお、2012年(平成24年)現在、政令指定都市が所在する都道府県では最も人口が少ない。また、県で最多の人口を抱える熊本市と、県で第2位の人口を抱える八代市との間には約61万人の差があり、熊本市とその周辺自治体への人口集中が顕著である。 人の流出先としては、関西や中京圏などが多い。 ※柔道家の内柴正人が2004年9月24日に県民栄誉賞、2008年9月16日に県民栄誉賞特別賞を受賞していたが、2011年の逮捕を受け取り消された。 衆議院の小選挙区が5。参議院では、全県で1区を構成。 2015年(平成27年)度の県内総生産は5兆5794億円である。およそ世界の3分の2の国よりも大きな経済規模を有している。一人当たり県民所得は226.5万円である。 農業産出額(2008年(平成20年))は全国7位(九州3位)。各品目の生産量を見ると、トマト・藺草(熊本県以外でい草の生産はほとんど行われていない)・葉煙草・宿根霞草・スイカが全国1位、栗・茄子・生姜・ユーストマ・オリーブが全国2位、苺・メロンが全国3位となっている。農水省統計で全国の主要農畜産物上位10品目(産出額ベース)について、熊本県は生乳・肉用牛・苺・蜜柑・トマトの5つでトップ5に入っている。他に、デコポン・夏蜜柑が名産。菊池および阿蘇地域では畜産が盛ん。 有明海や天草沿岸で車海老・のり・真珠などの養殖が行われている。 熊本空港(阿蘇くまもと空港)が、熊本県において主な空港である。また、熊本県天草市には、天草飛行場(天草空港)がある。 旅客輸送を行っている鉄道。 路線バスは、熊本都市圏では九州産交バス(産交)・熊本電気鉄道(電鉄)・熊本バス(赤バス)・熊本都市バス(都市)の4事業者が運行しているが、都市圏以外は産交バスが大部分の地域をカバーしている。高速バスも産交がほぼ独占し、一般道経由の長距離路線もいくつかある。路線網は熊本市中央区の熊本桜町バスターミナルをターミナルとして各方面へ伸びている。 県外からは西鉄バス大牟田(福岡県から)や南国交通(鹿児島県から)などの乗り入れがある。 九州自動車道・南九州西回り自動車道・熊本天草幹線道路・九州中央自動車道 国道3号・国道57号・国道208号・国道212号・国道218号・国道219号・国道265号・国道266号・国道267号・国道268号・国道324号・国道325号・国道387号・国道388号・国道389号・国道442号・国道443号・国道445号・国道501号・国道503号 国立 公立 私立 私立 国立 デジタルテレビの親局は、金峰山に置かれている。 FMラジオの親局とRKKラジオのFM補完放送のメイン中継局も、金峰山に置かれている。 過去にはエフエムたまな(コミュニティ放送局)も存在したが、2006年(平成18年)4月をもって閉局。また、福岡県大牟田市に所在する有明ねっとこむ(FMたんと)は、荒尾市も放送対象地域に含んでいる。 方言は熊本弁(八代弁、天草弁、球磨弁などを含む)が話される。 このほか、県内各地に数多くの温泉地がある。 姉妹(友好)交流地域は、以下の通り。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "熊本県(くまもとけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は熊本市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "令制国の肥後国に当たる。有明海、不知火海、東シナ海に面している。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "熊本という地名は、古くは隈本と書いた。隈本の由来には諸説あるが、菊池則隆に因むとする伝承がある。「隈本」の名が文献に見られるのは南北朝時代以降で、これを加藤清正が「隈」の字が畏(おそれる、かしこまる)の字を含むため武将の居城の名に相応しくないとして「熊」の字を充てたと言われている。なお「来熊(らいゆう)」「訪熊(ほうゆう)」「帰熊(きゆう)」と1文字で略するときは「熊(雄と同じ「ゆう」と音読み)」を使用する。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "九州本島の中央部に位置し、福岡、大分、宮崎、鹿児島の各県と境を接する。海上で有明海を隔て長崎県とも接する。東部の阿蘇地方に日本第2位(阿蘇カルデラを、最大級と表現するのはこの為)の阿蘇カルデラを持つ阿蘇山や九州山地の山々が聳え、西部は熊本平野が有明海に、八代平野および芦北地方のリアス式海岸が不知火海に面する。その間に宇土半島が突き出し天草諸島に続いている。中心都市である熊本市は、市域の70万人超の人口を支える水道水が全て地下水でまかなわれている世界でも稀有な都市である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "気候は県内全域が太平洋側気候に属し温暖だが、冬と夏で寒暑の差が激しい。冬の気温は緯度の割には寒冷である。(数値は気象庁1991 - 2020年の統計による)", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "隣接している県は、九州地方最多である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "熊本県は、県北・県央・県南の3つに大きく分けられ、さらに11の地域に区分される。 また、県内には14市9郡23町8村(計45市町村)がある。熊本県では、2003年(平成15年)以降に町村合併で誕生したあさぎり町・山都町・氷川町の3町が「ちょう」としている以外は、町はすべてが「まち」、村はすべて「むら」と読む。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "(旧鹿本郡であった熊本市植木町域が含まれることもある)", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "(旧下益城郡であった熊本市富合町・城南町域が含まれることもある)", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "県内で人々が狩猟・採集活動を開始し、生活し始めたのは今から3万年以上前である。現在、県内で確認された最古の石器は、熊本市平山町の石の本遺跡出土の石器群である。アカホヤ火山灰や姶良・胆沢火山灰(AT)堆積の土層の確認や放射性炭素年代測定から分かった。当該遺跡は旧石器時代に属し、石器製作地点としての性格を有するが、基本的にこのころは定住性の低い流動的な生活形態であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "定住して集落をいとなみ、土器を製作するようになった縄文時代になると、遺跡の数が急増する。約1万年間にわたる当該時代、熊本県下にあっては約9000年前、縄文早期から生活の痕跡が認められる。同時期、鹿児島県を中心とする九州南部においては上野原遺跡にみられる先進的・独創的な土器型式を展開しているが、県下のそれは押型文土器・撚糸文土器など、西日本で広範的にみられる型式であり、南九州の影響は受けていないようである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "縄文前期に入ると、宇土市宮庄町の轟(とどろき)貝塚・同岩古曽(いわこそ)町の曽畑(そばた)貝塚などで特徴的な土器が出土し、それぞれ轟式土器・曽畑式土器の標式遺跡となっており、いずれも九州地方に広く分布するが、曽畑式土器は九州を超えて南西諸島にまで及ぶ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "縄文中期には、熊本市南区城南町の阿高(あだか)貝塚・黒橋(くろはし)貝塚などにおいて汽水域に生息する貝類が優位となるなど、海岸線の内陸進出が一気に進む。阿高貝塚は、当該時期における九州地方の土器型式を代表する阿高式土器の標式遺跡となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "縄文後期には、菊池郡大津町のワクド石遺跡においてモミの圧痕のついた土器が出土するなど、農耕の痕跡が認められるようになる。熊本市南区城南町の御領貝塚・菊池市泗水町の三万田東原(みまんだひがしばる)遺跡などで出土した土器が、九州地方の土器型式を代表するとしてそれぞれ御領式土器・三万田式土器の標式遺跡となり、いずれも熊本県外にまで広く分布している。石器については、合志市の二子山遺跡から当時の石器製作拠点が確認されたほか、前述の三万田東原遺跡からはクロム白雲母製の装身具未製品が大量に出土し、同遺跡が装身具の製作拠点であったことが判明した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "縄文晩期になると、上益城郡益城町の古閑(こが)遺跡から出土した土器には器形の大型化への志向が認められ、当該時期における九州地方の土器型式を代表する古閑式土器の標式遺跡となる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "大陸からもたらされた稲作と金属加工技術によって生産性が急増した弥生時代に入ると、稲作に適した低地への進出がみられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "もっとも早い弥生時代早期、熊本市東区の江津湖(えづこ)遺跡群(江津湖中ノ島遺跡)においては、縄文時代晩期の遺物と共伴している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "弥生前期になると、玉名市天水町の斎藤山(さいとやま)貝塚から、これまでのところ県内で最も古い鉄製の斧が出土する。集落の周りにはほりを巡らせるようになるが、そうした環濠集落は宇土市の宇土城城山(うとじょうしろやま)遺跡・熊本市中央区の新屋敷遺跡で確認されている。弥生時代を代表する墓制である甕棺墓は弥生早期には出現するが、熊本県下ではこの時期から、前述の江津湖遺跡群・熊本市南区城南町の沈目立山(しずめたてやま)遺跡・同西区の白藤町(しらふじまち)遺跡群などで確認されているほか、当該時期の支石墓が菊池郡大津町の岩坂樋ノ口(いわさかひのくち)遺跡から見つかっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "続く弥生中期になると遺跡の数が急増する。環濠集落は玉名市岱明町(まいめいまち)の塚原(つかはら)遺跡・山鹿市の方保田東原(かとうだひがしばる)遺跡・菊池市七城町のうてな遺跡・宇土市境目町の境目・善道寺遺跡・阿蘇郡南阿蘇村・高森町の幅・津留遺跡などで確認され、環濠は判っていないが中央区神水(くわみず)の神水遺跡群・東区新南部(しんなべ)の新南部遺跡群・東区上南部(かんなべ)の上南部遺跡群、菊池郡菊陽町の梅ノ木遺跡などで大規模な集落が確認されている。この時期の甕棺墓は、前述の塚原遺跡・方保田東原遺跡・神水遺跡群・新南部遺跡群・上南部遺跡群・梅ノ木遺跡のほか、白藤町遺跡群・中央区黒髪町の黒髪町遺跡群などから見つかっているが、とりわけ白藤町遺跡からは200基以上が出土しており、規模においてきわだっている。上益城郡嘉島町においても、圃場整備事業に伴う発掘調査の結果多数の甕棺墓が確認されているが、幅・津留遺跡においては甕棺墓はひとつもない代わり、木棺墓が100基以上見つかるなど、異彩を放っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "弥生後期に入ると環濠集落は増えるが、熊本市北区貢町の五丁中原(ごちょうなかばる)遺跡・菊池郡大津町の西弥護免(にしやごめん)遺跡・菊池市七城町の小野崎(おのざき)遺跡・玉名郡和水町の蒲生・上の原遺跡・上益城郡嘉島町の二子塚遺跡・球磨郡あさぎり町の本目(もとめ)遺跡など、海岸線を離れた内陸部にも出現する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "当該時期においては、中期の黒髪町遺跡が標式遺跡となったほか、本目遺跡から出土した土器が一時期免田式土器と特筆されるなど、独自性の高い個性的な土器型式を呈しているほか、阿蘇郡阿蘇市の小野原(このばる)遺跡群・下扇原(しもおおぎばる)遺跡などにみられる大規模な鍛冶・赤色顔料生産拠点の存在が確認されているものの、鏡・剣・勾玉を一緒に副葬する王墓はこれまでのところ見つかっておらず、王権が成立していたかどうかは判らない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "古墳時代に入ると、天神山(てんじんやま)古墳(宇土市、107m)が他に先駆けて4世紀前半に築かれる。宇土市にはその後、4世紀後半に摺鉢山(すりばちやま)古墳(96m)、迫ノ上(さこのうえ)古墳(56m)、4世紀末に向野田(むこうのだ)古墳(86m)などの前方後円墳がつぎつぎと築かれた。中でも、向野田古墳はその主体部から、おびただしい副葬品とともに女性の人骨が見つかっている。このころになると、長目塚(ながめづか)古墳(阿蘇市、111m)・竜王山(たつおうさん)古墳(山鹿市、不明)・松坂古墳(和水町、120m)など宇土市以外でも古墳が築かれるようになっていく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "5世紀に入ると、伝左山(でんざやま)古墳(玉名市)・江田船山古墳(和水町)・二子塚古墳(山鹿市)・楢崎古墳(宇土市)などが築かれていくが、中でも江田船山古墳は75文字の銀象嵌銘太刀をはじめとする副葬品で知られる。また、小田良(おだら)古墳(宇城市)にみられるような装飾古墳も出現する。装飾古墳は、6世紀に入るとチブサン古墳(山鹿市)・井寺(いでら)古墳(嘉島町)・釜尾(かまお)古墳(熊本市)・千金甲(せごんこう)古墳(熊本市)・横山古墳(熊本市、山鹿市へ移設)などさかんに築かれるようになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "熊本県の古墳は、4世紀代は単独で築かれることもあるが、えてして一箇所に集まり古墳群を形成する。二子塚古墳のある岩原(いわばる)古墳群、長目塚古墳のある中通(なかどおり)古墳群、高速道路が下を通る塚原(つかわら)古墳群、氷川町の野津(のづ)古墳群などがある。同時期の墓制に横穴墓があるが、古墳と同様に4世紀から築かれはじめ、6世紀に入ると装飾を有するものもさかんに築かれた。古墳と異なる点ははじめから群をなして形成されていることで、鍋田(なべた)横穴群(山鹿市)・城(じょう)横穴群(山鹿市)・つつじが丘横穴群(熊本市)・大村(おおむら)横穴群(人吉市)などがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "これらに加えて、墳丘上にもうけられた装飾品に土を焼いた埴輪だけでなく、石人・石馬と称される凝灰岩製の彫像を有しているものがある。発祥は筑紫君磐井の墓と伝えられる岩戸山古墳であり、福岡県南部・熊本県北部のほかには島根県に1例だけというきわめて特異的なものである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "熊本県の領域はかつての肥後国のそれとほぼ重なるが、肥後国を含む広範囲は古代においては火国(肥国)と呼ばれていた。この火国(肥国)の中心は八代郡肥伊郷(氷川流域)で、多氏と同系の有力豪族である火君(ひのきみ)がいた。肥国はやがて、現在の佐賀県・長崎県の地域をも含むようになるが、7世紀終わりごろに肥前国と肥後国に分けられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "肥後国は生産力が高い豊かな土地で、地理的にも重要と判断されたため、律令体制下では大国の一つとされた。行政管区では西海道に属し、道内における大国は肥後国だけであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "地方行政は国郡制をとり、国の行政拠点となった国府ははじめ益城に置かれ、次いで託麻へ、最後は飽田(二本木)に移った。国を細分した郡の行政単位は郡衙で、熊本県にあっては玉名郡衙だけが発掘調査により全貌が判明している。仏教の導入後は鎮護国家の理念の下、各地に官寺が建立される。熊本市南区城南町の陳内廃寺は所在が判明しているが、宇城市豊野町の浄水寺跡は、当時隆盛を誇っていた火(肥)君により建立された私寺であることが石碑により判明している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "律令体制化にあっては中央との人流・物流を円滑ならしめるために官道を整備し、人員・物資・情報往来の便宜を図るための拠点として駅を置いた。県内に比定される駅のうち、蚕養(こかい)・左色(さしき)については発掘調査により所在地が確認されている。これらの物流に資するべく、馬を飼育する牧が阿蘇郡(二重牧)と宇土郡(宇土牧)に設けられ、また国土防衛のために軍団が組織され、肥後国内には4個軍団からなる益城軍団が置かれていたとされているが、いずれも所在地は判明していない。白村江の戦い以降には古代山城が各地に築かれる。山鹿市菊鹿町にある鞠智(くくち)城跡は、他の山城と異なり行政拠点的な性格が強い点、大陸とは反対方向である南側の防御にすぐれている点が特徴的である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "中世には、阿蘇神社の神威を利用して勢力を拡大した多氏後裔の阿蘇氏、遠江国から地頭として下り球磨郡に土着した相良氏、大宰府の府官であった菊池氏といった豪族が勢力を伸ばした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "鎌倉時代、後鳥羽天皇の皇子である寒巖義尹が大慈寺を建立し、白川に初めて橋を架けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "南北朝時代は、後醍醐天皇の皇子懐良親王を擁する菊池氏が九州における南朝勢力の中核として活躍したほか、宇土では、懐良親王を最初に受け入れた宇土氏が終始南朝方として活動し、南朝方の有力武将であった伯耆国の名和長年は、その子孫が領地のある八代へ移った。阿蘇神社の大宮司職を世襲していた阿蘇氏は、北朝を支持した一の宮神社派と、南朝を支持した甲佐神社派とに分かれ、球磨郡へ下向した相良氏も、南朝を支持した上相良氏・北朝を支持した下相良氏に分かれてそれぞれ対立した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "続く室町時代、肥後国守護となった菊池氏は筑後国守護を兼任し、全盛期を迎える。上下に分かれて争っていた相良氏は、台頭してきた山北相良氏によって統一され、葦北郡・八代郡を支配下に置いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "戦国時代に至って、相良氏は名和氏を八代から追い払い、肥後国南部に加えて薩摩国大口にまで勢力を拡大するが、やがて薩摩国の島津氏に屈服した。北部では、守護大名だった菊池氏が家中の統制を取ることが出来ず、内紛の末ついに滅亡、国人が割拠する状態が続いた。八代を追われた名和氏は、菊池氏滅亡の後領主が不在となった宇土へ移り、阿蘇氏は、豊後国の守護大友氏と同盟を締結して命脈を保ったが、名将として知られる家老の甲斐宗運が亡くなると島津氏に滅ぼされ、肥後国全体が島津氏の支配するところとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "豊臣秀吉の九州征伐により佐々成政が肥後の国主を命じられるが、太閤検地に反対する国人たちによる一揆が起こった。秀吉は成政にその責任を負わせて切腹を命じる一方、一揆に参加した国人たちを徹底的に弾圧し、その勢力は一掃された。その後、秀吉は北半分を加藤清正、南半分を小西行長に分け与え、球磨郡においては相良氏の支配を認めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "小西行長が関ヶ原の戦いで敗れ滅亡すると、加藤清正がその領地を併せ52万石の領主となった。清正は名城熊本城を築き、また河川・水路を改修して耕地を広げ生産力の向上に努めたため治水の名人として崇められた。しかし清正の死後、息子忠広の代に改易され、代わって細川氏が54万石の領主となった。(熊本藩)支藩として宇土藩、肥後新田藩がある。また、家老の松井家は八代城の城代として、3万石を与えられており、事実上の八代支藩の藩主であった。他に肥後国内には、相良氏が治める人吉藩があった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "天草は長崎に近く、また、キリシタン大名であった小西行長の領地になったこともあり、キリシタンの数が多かった。関ヶ原の戦い後、唐津藩12万石の領主である寺沢広高の領地となるが、寺沢はキリシタンを弾圧し、また過酷な徴税を行ったことから、寛永14年10月25日(1637年12月11日)に島原の乱が起こると、住民の半分がこれに参加し、全滅した。乱後、天草は天領となり、初代代官の鈴木重成の尽力によって天草は次第に復興していった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "明治4年(1871年)、肥後国には熊本県と八代県が設置された、熊本県はその後白川県と改められ、1873年(明治6年)、白川県と八代県が合併して白川県となった。1876年(明治9年)、再び熊本県に改名され、現在の熊本県が誕生した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "1916年(大正5年)、横浜港に入港した「ハワイ丸」の乗客から全国にコレラが拡大。熊本県内にもコレラ禍は飛び火し、死者は4100人を超える。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "太平洋戦争末期までは熊本が九州の中心と見なされ、熊本鎮台・第五高等学校などが設置されたが、戦況が悪化すると連合国軍による本土上陸を恐れた政府が、九州統監府をより本州、帝都東京に近い福岡に設置したため戦後も九州の中心が福岡となった歴史を持つ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "第五高等学校教師として夏目漱石・小泉八雲が熊本市に住んでいたことがあり、森鷗外も第12師団軍医部長を務めていた時に、熊本市を訪れたことがあり短編小説『阿部一族』を書いた。これは江戸時代初期に肥後藩で実際に起きた、阿部一族が上意討ちで全滅した事件を題材にしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2012年(平成24年)4月1日、熊本市が20番目の政令指定都市に昇格した。 2016年(平成28年)4月14日以降相次いで熊本県で地震が発生し、震度7が2回観測された(熊本地震)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "熊本県の人口は戦後一貫して増加を続け、1995年(平成7年)には約186万人に達した。九州地方第三の都市である熊本市(約74万人)や熊本都市圏(人口約111万人で県人口の過半数を占める)に含まれる自治体は人口増加が堅調だが、他の市町村では人口の減少が顕著になってきている。そのため、県全体では2000年(平成12年)ごろから人口は減少に転じている。なお、2012年(平成24年)現在、政令指定都市が所在する都道府県では最も人口が少ない。また、県で最多の人口を抱える熊本市と、県で第2位の人口を抱える八代市との間には約61万人の差があり、熊本市とその周辺自治体への人口集中が顕著である。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "人の流出先としては、関西や中京圏などが多い。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "※柔道家の内柴正人が2004年9月24日に県民栄誉賞、2008年9月16日に県民栄誉賞特別賞を受賞していたが、2011年の逮捕を受け取り消された。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区が5。参議院では、全県で1区を構成。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "2015年(平成27年)度の県内総生産は5兆5794億円である。およそ世界の3分の2の国よりも大きな経済規模を有している。一人当たり県民所得は226.5万円である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "農業産出額(2008年(平成20年))は全国7位(九州3位)。各品目の生産量を見ると、トマト・藺草(熊本県以外でい草の生産はほとんど行われていない)・葉煙草・宿根霞草・スイカが全国1位、栗・茄子・生姜・ユーストマ・オリーブが全国2位、苺・メロンが全国3位となっている。農水省統計で全国の主要農畜産物上位10品目(産出額ベース)について、熊本県は生乳・肉用牛・苺・蜜柑・トマトの5つでトップ5に入っている。他に、デコポン・夏蜜柑が名産。菊池および阿蘇地域では畜産が盛ん。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "有明海や天草沿岸で車海老・のり・真珠などの養殖が行われている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "熊本空港(阿蘇くまもと空港)が、熊本県において主な空港である。また、熊本県天草市には、天草飛行場(天草空港)がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "旅客輸送を行っている鉄道。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "路線バスは、熊本都市圏では九州産交バス(産交)・熊本電気鉄道(電鉄)・熊本バス(赤バス)・熊本都市バス(都市)の4事業者が運行しているが、都市圏以外は産交バスが大部分の地域をカバーしている。高速バスも産交がほぼ独占し、一般道経由の長距離路線もいくつかある。路線網は熊本市中央区の熊本桜町バスターミナルをターミナルとして各方面へ伸びている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "県外からは西鉄バス大牟田(福岡県から)や南国交通(鹿児島県から)などの乗り入れがある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "九州自動車道・南九州西回り自動車道・熊本天草幹線道路・九州中央自動車道", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "国道3号・国道57号・国道208号・国道212号・国道218号・国道219号・国道265号・国道266号・国道267号・国道268号・国道324号・国道325号・国道387号・国道388号・国道389号・国道442号・国道443号・国道445号・国道501号・国道503号", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "国立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "公立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "国立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "デジタルテレビの親局は、金峰山に置かれている。", "title": "メディア" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "FMラジオの親局とRKKラジオのFM補完放送のメイン中継局も、金峰山に置かれている。", "title": "メディア" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "過去にはエフエムたまな(コミュニティ放送局)も存在したが、2006年(平成18年)4月をもって閉局。また、福岡県大牟田市に所在する有明ねっとこむ(FMたんと)は、荒尾市も放送対象地域に含んでいる。", "title": "メディア" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "方言は熊本弁(八代弁、天草弁、球磨弁などを含む)が話される。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "このほか、県内各地に数多くの温泉地がある。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "姉妹(友好)交流地域は、以下の通り。", "title": "対外関係" } ]
熊本県(くまもとけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は熊本市。 令制国の肥後国に当たる。有明海、不知火海、東シナ海に面している。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{出典の明記| date = 2021年6月}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 熊本県 | 画像 = {{multiple image | border = infobox | total_width = 270 | image_style = border:1; | perrow = 1/2/2 | image1 = Mt.Aso and caldera01.jpg | image2 = Kumamoto_Castle_02n3200.jpg | image3 = Tsujyunkyo.jpg | image4 = Sakitsu.jpg | image5 = Kumagawa_River_from_Hitoyoshibashi_Bridge.jpg }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[阿蘇山]]と[[阿蘇カルデラ]]</tr><tr><td style="width:50%">[[熊本城]]<td style="width:50%">[[通潤橋]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[崎津集落]]<td style="width:50%">[[球磨川]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|熊本県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[熊本県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Kumamoto Prefecture.svg|85px]] | 都道府県章の説明 = 熊本県章 | 区分 = 県 | コード = 43000-5 | ISO 3166-2 = JP-43 | 隣接都道府県 = {{flag|福岡県}}<br />{{flag|大分県}}<br />{{flag|宮崎県}}<br />{{flag|鹿児島県}}<br />{{flag|長崎県}}{{efn|有明海を挟んで相接。}} | 木 = [[クスノキ]] | 花 = [[リンドウ]] | 鳥 = [[ヒバリ]] | シンボル名 = 他のシンボル | 歌など = 県の魚:[[クルマエビ]]<br />県の歌:[[熊本県民の歌]]<br />マスコット:[[くまモン]] | 郵便番号 = 862-8570 | 所在地 = 熊本市中央区水前寺6丁目18番1号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-43|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=7|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=220|frame-height=220|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}}<br />[[ファイル:Kumamoto Kencyo.jpg|220px|熊本県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 43 Kumamoto prefecture.svg|320px|熊本県の位置]]{{基礎自治体位置図|43|000|image=Map of Kumamoto Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} '''熊本県'''(くまもとけん)は、[[日本]]の[[九州|九州地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[熊本市]]。 [[令制国]]の[[肥後国]]に当たる。[[有明海]]、[[不知火海]]、[[東シナ海]]に面している。 == 名称 == 熊本という地名は、古くは'''隈本'''と書いた。隈本の由来には諸説あるが、[[菊池則隆]]に因むとする伝承がある。「隈本」の名が文献に見られるのは[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]以降で、これを[[加藤清正]]が「隈」の字が畏(おそれる、かしこまる)の字を含むため武将の居城の名に相応しくないとして「熊」の字を充てたと言われている。なお「来熊(らいゆう)」「訪熊(ほうゆう)」「帰熊(きゆう)」と1文字で略するときは「熊(雄と同じ「ゆう」と音読み)」を使用する。 == 地理・地域 == 九州本島の中央部に位置し、福岡、大分、宮崎、鹿児島の各県と境を接する。海上で[[有明海]]を隔て長崎県とも接する。東部の阿蘇地方に日本第2位(阿蘇カルデラを、最大級と表現するのはこの為)の[[阿蘇カルデラ]]を持つ[[阿蘇山]]や九州山地の山々が聳え、西部は熊本平野が有明海に、八代平野および芦北地方のリアス式海岸が不知火海に面する。その間に宇土半島が突き出し天草諸島に続いている。中心都市である[[熊本市]]は、市域の70万人超の人口を支える水道水が全て地下水でまかなわれている世界でも稀有な都市である。 === 気候 === [[気候]]は県内全域が[[太平洋側気候]]に属し温暖だが、冬と夏で寒暑の差が激しい。冬の気温は緯度の割には寒冷である。(数値は気象庁1991 - 2020年の統計による) ; 熊本地方 : [[熊本市]]の年平均気温は17.2℃である。[[有明海]]に面しているが、[[熊本平野]]は[[金峰山 (熊本県)|金峰山]]と[[阿蘇山]]との間で盆地を形成するため、[[内陸性気候]]に近い。夏場に5月から10月にかけての長い期間で[[真夏日]]を記録することが特徴であり、[[那覇市]]を除く県庁所在地では最も日数が多い。2005年には年間106日の真夏日を記録している。最高気温が35℃に達する[[猛暑#猛暑日|猛暑日]]になることも少なくなく、最高気温で度々騒がれる本州の内陸都市と比して[[相対湿度]]が高いため、[[不快指数]]はより高くなる。夕刻には『肥後の夕凪』と呼ばれる無風状態となるために非常に蒸し暑い。梅雨期の[[6月]]・[[7月]]には年平均[[降水量]]約2,000mmのうち約40%が集中し、県庁所在地では鹿児島市、宮崎市に次いで梅雨期の降水量が多い。冬は降雪や積雪は少ないが、朝方の冷え込みが厳しく、1月は平均10.5日が[[最低気温]]0℃以下の[[冬日]]となる。これは[[九州|九州地方]]では最も多く、[[中国・四国地方]]を加えても[[岡山市]]に次ぐ日数である。 ; 阿蘇地方 : [[高山気候|山地型気候]]で、[[九州]]の寒冷地である。冬場は阿蘇山周辺の山間部ではしばしば降雪がある。また、麓の平地([[阿蘇市]]など)でも、寒波が流れ込んだ際には積雪する。真冬の最低気温は氷点下まで下がる日があり(1月と2月のうち45.6日)、1月の平均最低気温は-2.7℃である。寒気が流れ込むと、阿蘇山上では稀に&minus;15℃程度まで気温が下がる。 夏場は九州地方においては冷涼であり、阿蘇山上(麓においては、30℃を超える事が有る)では、気温が30℃に達する事はない。降水量は多く年間を通して2000超㎜と多雨である。 ; [[天草諸島|天草]]・芦北地方 : [[海洋性気候]]で、寒暖の差が小さい。年平均気温が16 - 17℃、真冬でも平均最低気温が2 - 5℃前後と暖かい。年間を通した降水量は2,000mm程度である。 ; 球磨地方 : [[人吉盆地]]を中心とした内陸気候と[[山地]]型の気候であり、寒暖の差が激しい。年降水量も2,400mm程度と多いほか、夏は猛暑日になることもあり冬には最低気温が[[氷点下]]まで下がる冬日も多い。 {|class="wikitable" style="font-size:x-small;text-align:right;white-space:nowrap" |+熊本県各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/report.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2" | 平年値<br />(月単位) !colspan="4"|阿蘇地方 !colspan="8"|熊本地方 !colspan="3"|天草地方 !colspan="1"|芦北地方 !colspan="2"|球磨地方 |- ![[南小国町|南小国]]!![[阿蘇市]]<br />阿蘇乙姫!![[阿蘇市]]<br />[[阿蘇山]]!![[高森町 (熊本県)|高森]]!![[山鹿市]]<br />[[鹿北町|鹿北]]!![[菊池市|菊池]]!![[玉名市]]<br />[[岱明町|岱明]]!![[熊本市|熊本]]!![[益城町|益城]]!![[甲佐町|甲佐]]!![[八代市|八代]]!![[宇城市]]<br />[[三角町|三角]]!![[上天草市]]<br />[[松島町 (熊本県)|松島]]!![[天草市]]<br />[[本渡市|本渡]]!![[天草市]]<br />[[牛深市|牛深]]!![[水俣市|水俣]]!![[人吉市|人吉]]!![[あさぎり町]]<br />[[上村 (熊本県)|上]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|℃]]) !最暖月 |24.0<br />(8月)||23.7<br />(8月) |20.2<br />(8月)||23.9<br />(8月) |25.8<br />(8月)||26.8<br />(8月) |27.4<br />(8月)||27.7<br />(8月) | ||26.8<br />(8月) |27.3<br />(8月)||27.2<br />(8月) |26.9<br />(8月)||26.8<br />(8月) |27.7<br />(8月)||26.8<br />(8月) |26.0<br />(8月)||25.8<br />(8月) |- !最寒月 |1.6<br />(1月) || 1.8<br />(1月) |&minus;1.6<br />(1月)||2.0<br />(1月) |3.3<br />(1月)||4.1<br />(1月) | 5.1<br />(1月)||5.4<br />(1月) | ||5.1<br />(1月) |6.2<br />(1月)||6.6<br />(1月) |6.0<br />(1月)||6.0<br />(1月) |8.3<br />(1月)||6.6<br />(1月) |4.2<br />(1月)||3.8<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |530.0<br />(6月)||604.2<br />(6月) |672.4<br />(6月)||511.3<br />(6月) |495.2<br />(6月)||403.0<br />(6月) |387.5<br />(6月)||434.7<br />(8月) | ||439.6<br />(6月) |422.8<br />(6月)||386.2<br />(6月) |401.6<br />(7月)||397.0<br />(6月) |387.1<br />(6月)||417.5<br />(6月) |515.6<br />(6月)||522.0<br />(7月) |- !最少月 |52.4<br />(12月)||61.2<br />(12月) |75.6<br />(12月)||56.8<br />(12月) |46.8<br />(12月)||43.7<br />(12月) |39.8<br />(12月)||49.4<br />(12月) | ||52.9<br />(12月) |51.5<br />(12月)||44.3<br />(12月) |54.0<br />(12月)||65.1<br />(12月) |75.5<br />(12月)||52.6<br />(12月) |62.6<br />(12月)||48.5<br />(12月) |} === 自然公園 === ; [[国立公園]] : [[阿蘇くじゅう国立公園]]、[[雲仙天草国立公園]] ; [[国定公園]] : [[九州中央山地国定公園]]、[[耶馬日田英彦山国定公園]] ; [[都道府県立自然公園|県立公園]] : [[金峰山県立自然公園]]、小岱山県立自然公園、三角大矢野海辺県立自然公園、芦北海岸県立自然公園、矢部周辺県立自然公園、五木五家荘県立自然公園、奥球磨県立自然公園 === 隣接している自治体 === 隣接している県は、[[九州地方]]最多である。 * 隣接都道府県 : [[福岡県]] - [[大分県]] - [[宮崎県]] - [[鹿児島県]]、(海上)[[長崎県]] === 地域区分 === 熊本県は、県北・県央・県南の3つに大きく分けられ、さらに11の地域に区分される。 また、県内には14市9郡23町8村(計45市町村)がある。熊本県では、[[2003年]](平成15年)以降に町村合併で誕生したあさぎり町・山都町・氷川町の3町が「ちょう」としている以外は、町はすべてが「まち」、村はすべて「むら」と読む。 {{main2|消滅した市町村|熊本県の廃止市町村一覧}} {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=熊本県|align=right}} [[ファイル:Kumamoto Prefecture regions map.svg|thumb|220px|11地域/3地域区分]] ; 県北 * 玉名地域:2市1郡4町 {{Color sample|#8e5be0}} ** [[荒尾市]] ** [[玉名市]] ** [[玉名郡]] *** [[玉東町]]・[[南関町]]・[[長洲町]]・[[和水町]] * 鹿本地域:1市 {{Color sample|#ef6d8a}} ** [[山鹿市]] (旧鹿本郡であった熊本市[[植木町]]域が含まれることもある) * 菊池地域:2市1郡2町 {{Color sample|#6080e5}} **[[菊池市]] ** [[合志市]](県央に含まれることもある) ** [[菊池郡]](県央に含まれることもある) *** [[大津町]]・[[菊陽町]] * 阿蘇地域:1市1郡3町3村 {{Color sample|#adc934}} ** [[阿蘇市]] ** [[阿蘇郡]] *** [[南小国町]]・[[小国町 (熊本県)|小国町]]・[[産山村]]・[[高森町 (熊本県)|高森町]]・[[西原村]]・[[南阿蘇村]] ; 県央 * 熊本市:1市 {{Color sample|#6edf6e}} ** [[熊本市]](県庁所在地、[[政令指定都市]]) *** [[中央区 (熊本市)|中央区]]・[[東区 (熊本市)|東区]]・[[西区 (熊本市)|西区]]・[[南区 (熊本市)|南区]]・[[北区 (熊本市)|北区]] * 宇城地域:2市1郡1町 {{Color sample|#ccae45}} ** [[宇土市]] ** [[宇城市]] ** [[下益城郡]] *** [[美里町 (熊本県)|美里町]] (旧下益城郡であった熊本市[[富合町]]・[[城南町]]域が含まれることもある) * 上益城地域:1郡5町 {{Color sample|#c875c9}} ** [[上益城郡]] *** [[御船町]]・[[嘉島町]]・[[益城町]]・[[甲佐町]]・[[山都町]] ; 県南 * 八代地域:1市1郡1町 {{Color sample|#45aecc}} ** [[八代市]] ** [[八代郡]] *** [[氷川町]]. * 芦北地域:1市1郡2町 {{Color sample|#e97f4e}} ** [[水俣市]] ** [[葦北郡]] *** [[芦北町]]・[[津奈木町]] * 球磨地域:1市1郡4町5村 {{Color sample|#25b67d}} ** [[人吉市]] ** [[球磨郡]] *** [[錦町]]・[[多良木町]]・[[湯前町]]・[[水上村]]・[[相良村]]・[[五木村]]・[[山江村]]・[[球磨村]]・[[あさぎり町]] * 天草地域:2市1郡1町 {{Color sample|#e05b8e}} ** [[上天草市]] ** [[天草市]] ** [[天草郡]] *** [[苓北町]] == 歴史 == {{main|熊本県の歴史}} === 先史 === 県内で人々が狩猟・採集活動を開始し、生活し始めたのは今から3万年以上前である。現在、県内で確認された最古の石器は、熊本市平山町の[[石の本遺跡]]出土の石器群である。[[アカホヤ火山灰]]や姶良・胆沢火山灰([[姶良Tn火山灰|AT]])堆積の[[土層 (考古学)|土層]]の確認や[[放射性炭素年代測定]]から分かった<ref>板楠和子「火の国の形成」 松本寿三郎・板楠和子・工藤敬一・猪飼隆明『熊本県の歴史』山川出版社 1999年 10ページ</ref>。当該遺跡は旧石器時代に属し、石器製作地点としての性格を有するが、基本的にこのころは定住性の低い流動的な生活形態であった。 定住して集落をいとなみ、土器を製作するようになった縄文時代になると、遺跡の数が急増する。約1万年間にわたる当該時代、熊本県下にあっては約9000年前、縄文早期から生活の痕跡が認められる。同時期、鹿児島県を中心とする九州南部においては[[上野原遺跡]]にみられる先進的・独創的な土器型式を展開しているが、県下のそれは[[押型文土器]]・撚糸文土器など、西日本で広範的にみられる型式であり、南九州の影響は受けていないようである。 縄文前期に入ると、[[宇土市]]宮庄町の[[轟貝塚|轟(とどろき)貝塚]]・同岩古曽(いわこそ)町の曽畑(そばた)貝塚などで特徴的な土器が出土し、それぞれ[[轟B式土器|轟式土器]]・[[曽畑式土器]]の[[標式遺跡]]となっており、いずれも九州地方に広く分布するが、曽畑式土器は九州を超えて[[南西諸島]]にまで及ぶ。 縄文中期には、[[熊本市]]南区[[城南町]]の阿高(あだか)貝塚・黒橋(くろはし)貝塚などにおいて[[汽水域]]に生息する貝類が優位となるなど、海岸線の内陸進出が一気に進む。阿高貝塚は、当該時期における九州地方の土器型式を代表する阿高式土器の標式遺跡となった。 縄文後期には、菊池郡大津町の[[ワクド石遺跡]]においてモミの圧痕のついた土器が出土するなど、農耕の痕跡が認められるようになる。熊本市南区城南町の御領貝塚・菊池市泗水町の三万田東原(みまんだひがしばる)遺跡などで出土した土器が、九州地方の土器型式を代表するとしてそれぞれ御領式土器・三万田式土器の標式遺跡となり、いずれも熊本県外にまで広く分布している。石器については、合志市の二子山遺跡から当時の石器製作拠点が確認されたほか、前述の三万田東原遺跡からはクロム[[白雲母]]製の装身具未製品が大量に出土し、同遺跡が装身具の製作拠点であったことが判明した。 縄文晩期になると、[[上益城郡]][[益城町]]の古閑(こが)遺跡から出土した土器には器形の大型化への志向が認められ、当該時期における九州地方の土器型式を代表する古閑式土器の標式遺跡となる。 大陸からもたらされた稲作と金属加工技術によって生産性が急増した弥生時代に入ると、稲作に適した低地への進出がみられる。 もっとも早い弥生時代早期、熊本市東区の江津湖(えづこ)遺跡群(江津湖中ノ島遺跡)においては、縄文時代晩期の遺物と共伴している。 弥生前期になると、[[玉名市]][[天水町]]の斎藤山(さいとやま)貝塚から、これまでのところ県内で最も古い鉄製の斧が出土する。集落の周りにはほりを巡らせるようになるが、そうした[[環濠集落]]は[[宇土市]]の宇土城城山(うとじょうしろやま)遺跡・[[熊本市]]中央区の新屋敷遺跡で確認されている。弥生時代を代表する墓制である[[甕棺墓]]は弥生早期には出現するが、熊本県下ではこの時期から、前述の江津湖遺跡群・熊本市南区城南町の沈目立山(しずめたてやま)遺跡・同西区の白藤町(しらふじまち)遺跡群などで確認されているほか、当該時期の[[支石墓]]が菊池郡大津町の岩坂樋ノ口(いわさかひのくち)遺跡から見つかっている。 続く弥生中期になると遺跡の数が急増する。環濠集落は玉名市岱明町(まいめいまち)の塚原(つかはら)遺跡・山鹿市の方保田東原(かとうだひがしばる)遺跡・菊池市七城町のうてな遺跡・宇土市境目町の境目・善道寺遺跡・阿蘇郡南阿蘇村・高森町の幅・津留遺跡などで確認され、環濠は判っていないが中央区神水(くわみず)の神水遺跡群・東区新南部(しんなべ)の新南部遺跡群・東区上南部(かんなべ)の上南部遺跡群、菊池郡菊陽町の梅ノ木遺跡などで大規模な集落が確認されている。この時期の甕棺墓は、前述の塚原遺跡・方保田東原遺跡・神水遺跡群・新南部遺跡群・上南部遺跡群・梅ノ木遺跡のほか、白藤町遺跡群・中央区黒髪町の黒髪町遺跡群などから見つかっているが、とりわけ白藤町遺跡からは200基以上が出土しており、規模においてきわだっている。上益城郡嘉島町においても、圃場整備事業に伴う発掘調査の結果多数の甕棺墓が確認されているが、幅・津留遺跡においては甕棺墓はひとつもない代わり、木棺墓が100基以上見つかるなど、異彩を放っている。 弥生後期に入ると環濠集落は増えるが、熊本市北区貢町の五丁中原(ごちょうなかばる)遺跡・菊池郡大津町の西弥護免(にしやごめん)遺跡・菊池市七城町の小野崎(おのざき)遺跡・玉名郡和水町の蒲生・上の原遺跡・上益城郡嘉島町の二子塚遺跡・球磨郡あさぎり町の本目(もとめ)遺跡など、海岸線を離れた内陸部にも出現する。 当該時期においては、中期の黒髪町遺跡が標式遺跡となったほか、本目遺跡から出土した土器が一時期免田式土器と特筆されるなど、独自性の高い個性的な土器型式を呈しているほか、阿蘇郡阿蘇市の小野原(このばる)遺跡群・下扇原(しもおおぎばる)遺跡などにみられる大規模な鍛冶・赤色顔料生産拠点の存在が確認されているものの、鏡・剣・勾玉を一緒に副葬する王墓はこれまでのところ見つかっておらず、王権が成立していたかどうかは判らない。 古墳時代に入ると、天神山(てんじんやま)古墳(宇土市、107m)が他に先駆けて4世紀前半に築かれる。宇土市にはその後、[[4世紀]]後半に摺鉢山(すりばちやま)古墳(96m)、迫ノ上(さこのうえ)古墳(56m)、4世紀末に向野田(むこうのだ)古墳(86m)などの[[前方後円墳]]がつぎつぎと築かれた。中でも、向野田古墳はその主体部から、おびただしい副葬品とともに女性の人骨が見つかっている。このころになると、長目塚(ながめづか)古墳(阿蘇市、111m)・竜王山(たつおうさん)古墳(山鹿市、不明)・松坂古墳(和水町、120m)など宇土市以外でも古墳が築かれるようになっていく。 5世紀に入ると、伝左山(でんざやま)古墳(玉名市)・江田船山古墳(和水町)・二子塚古墳(山鹿市)・楢崎古墳(宇土市)などが築かれていくが、中でも江田船山古墳は75文字の銀象嵌銘太刀をはじめとする副葬品で知られる。また、小田良(おだら)古墳(宇城市)にみられるような装飾古墳も出現する。装飾古墳は、6世紀に入るとチブサン古墳(山鹿市)・井寺(いでら)古墳(嘉島町)・釜尾(かまお)古墳(熊本市)・千金甲(せごんこう)古墳(熊本市)・横山古墳(熊本市、山鹿市へ移設)などさかんに築かれるようになる。 熊本県の古墳は、4世紀代は単独で築かれることもあるが、えてして一箇所に集まり古墳群を形成する。二子塚古墳のある岩原(いわばる)古墳群、長目塚古墳のある中通(なかどおり)古墳群、高速道路が下を通る塚原(つかわら)古墳群、氷川町の野津(のづ)古墳群などがある。同時期の墓制に横穴墓があるが、古墳と同様に4世紀から築かれはじめ、6世紀に入ると装飾を有するものもさかんに築かれた。古墳と異なる点ははじめから群をなして形成されていることで、鍋田(なべた)横穴群(山鹿市)・城(じょう)横穴群(山鹿市)・つつじが丘横穴群(熊本市)・大村(おおむら)横穴群(人吉市)などがある。 これらに加えて、墳丘上にもうけられた装飾品に土を焼いた埴輪だけでなく、石人・石馬と称される凝灰岩製の彫像を有しているものがある。発祥は筑紫君磐井の墓と伝えられる岩戸山古墳であり、福岡県南部・熊本県北部のほかには島根県に1例だけというきわめて特異的なものである。 === 古代 === [[ファイル:Aso Miyaji Monzen-cho.JPG|thumb|200px|[[阿蘇神社]][[門前町]]<br />([[阿蘇市]])]] 熊本県の領域はかつての[[肥後国]]のそれとほぼ重なるが、肥後国を含む広範囲は[[古代]]においては[[火国|'''火国'''('''肥国''')]]と呼ばれていた。この火国(肥国)の中心は[[八代郡]][[肥伊郷]]([[氷川]]流域)で、[[多氏]]と同系の有力豪族である[[火氏|火君]](ひのきみ)がいた。肥国はやがて、現在の[[佐賀県]]・[[長崎県]]の地域をも含むようになるが、7世紀終わりごろに[[肥前国]]と肥後国に分けられた。 肥後国は生産力が高い豊かな土地で、地理的にも重要と判断されたため、律令体制下では大国の一つとされた。行政管区では[[西海道]]に属し、道内における大国は肥後国だけであった。 地方行政は国郡制をとり、国の行政拠点となった国府ははじめ益城に置かれ、次いで託麻へ、最後は飽田(二本木)に移った。国を細分した郡の行政単位は郡衙で、熊本県にあっては玉名郡衙だけが発掘調査により全貌が判明している。仏教の導入後は[[鎮護国家]]の理念の下、各地に官寺が建立される。熊本市南区城南町の陳内廃寺は所在が判明しているが、[[宇城市]][[豊野町 (熊本県)|豊野町]]の浄水寺跡は、当時隆盛を誇っていた火(肥)君により建立された私寺であることが石碑により判明している。 律令体制化にあっては中央との人流・物流を円滑ならしめるために官道を整備し、人員・物資・情報往来の便宜を図るための拠点として[[駅伝制|駅]]を置いた。県内に比定される駅のうち、蚕養(こかい)・左色(さしき)については発掘調査により所在地が確認されている。これらの物流に資するべく、馬を飼育する牧が阿蘇郡(二重牧)と宇土郡(宇土牧)に設けられ、また国土防衛のために[[軍団 (古代日本)|軍団]]が組織され、肥後国内には4個軍団からなる益城軍団が置かれていたとされているが、いずれも所在地は判明していない。[[白村江の戦い]]以降には[[古代山城]]が各地に築かれる。山鹿市菊鹿町にある[[鞠智城|鞠智(くくち)城]]跡は、他の山城と異なり行政拠点的な性格が強い点、大陸とは反対方向である南側の防御にすぐれている点が特徴的である。 === 中世 === 中世には、[[阿蘇神社]]の神威を利用して勢力を拡大した[[多氏]]後裔の[[阿蘇氏]]、[[遠江国]]から地頭として下り[[球磨郡]]に土着した[[相良氏]]、[[大宰府]]の府官であった[[菊池氏]]といった豪族が勢力を伸ばした。 鎌倉時代、後鳥羽天皇の皇子である寒巖義尹が大慈寺を建立し、白川に初めて橋を架けた。 [[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]は、[[後醍醐天皇]]の皇子[[懐良親王]]を擁する菊池氏が九州における南朝勢力の中核として活躍したほか、宇土では、懐良親王を最初に受け入れた宇土氏が終始南朝方として活動し、南朝方の有力武将であった伯耆国の[[名和長年]]は、その子孫が領地のある八代へ移った。阿蘇神社の大宮司職を世襲していた阿蘇氏は、北朝を支持した一の宮神社派と、南朝を支持した甲佐神社派とに分かれ、球磨郡へ下向した相良氏も、南朝を支持した上相良氏・北朝を支持した下相良氏に分かれてそれぞれ対立した。 続く室町時代、肥後国守護となった菊池氏は筑後国守護を兼任し、全盛期を迎える。上下に分かれて争っていた相良氏は、台頭してきた山北相良氏によって統一され、葦北郡・八代郡を支配下に置いた。 戦国時代に至って、相良氏は名和氏を八代から追い払い、肥後国南部に加えて薩摩国大口にまで勢力を拡大するが、やがて薩摩国の島津氏に屈服した。北部では、守護大名だった菊池氏が家中の統制を取ることが出来ず、内紛の末ついに滅亡、[[国人]]が割拠する状態が続いた。八代を追われた名和氏は、菊池氏滅亡の後領主が不在となった宇土へ移り、阿蘇氏は、豊後国の守護[[大友氏]]と同盟を締結して命脈を保ったが、名将として知られる家老の甲斐宗運が亡くなると島津氏に滅ぼされ、肥後国全体が島津氏の支配するところとなった。 === 近世 === [[ファイル:Small tenshu & Uto turret & Large tenshu in Kumamoto-Csl.jpg|thumb|200px|[[熊本城]]([[熊本市]][[中央区 (熊本市)|中央区]])]] [[ファイル:2018.06.21-蓮華院誕生寺本院の多宝塔・五重塔・本堂.jpg|thumb|right|[[蓮華院誕生寺]]]] [[豊臣秀吉]]の九州征伐により[[佐々成政]]が肥後の国主を命じられるが、[[太閤検地]]に反対する国人たちによる[[一揆]]が起こった。秀吉は成政にその責任を負わせて[[切腹]]を命じる一方、一揆に参加した国人たちを徹底的に弾圧し、その勢力は一掃された。その後、秀吉は北半分を[[加藤清正]]、南半分を[[小西行長]]に分け与え、球磨郡においては相良氏の支配を認めた。 小西行長が[[関ヶ原の戦い]]で敗れ滅亡すると、[[加藤清正]]がその領地を併せ52万石の領主となった。清正は名城[[熊本城]]を築き、また河川・水路を改修して耕地を広げ生産力の向上に努めたため治水の名人として崇められた。しかし清正の死後、息子忠広の代に改易され、代わって[[細川氏]]が54万石の領主となった。([[熊本藩]])支藩として[[宇土藩]]、[[肥後新田藩]]がある。また、家老の松井家は[[八代城]]の城代として、3万石を与えられており、事実上の八代支藩の藩主であった。他に肥後国内には、相良氏が治める[[人吉藩]]があった。<ref>『47都道府県うんちく事典』著者八幡和郎217頁</ref> [[天草諸島|天草]]は[[長崎市|長崎]]に近く、また、[[キリシタン大名]]であった[[小西行長]]の領地になったこともあり、キリシタンの数が多かった。関ヶ原の戦い後、[[唐津藩]]12万石の領主である[[寺沢広高]]の領地となるが、寺沢はキリシタンを弾圧し、また過酷な徴税を行ったことから、[[寛永]]14年[[10月25日 (旧暦)|10月25日]]([[1637年]][[12月11日]])に[[島原の乱]]が起こると、住民の半分がこれに参加し、全滅した。乱後、天草は[[天領]]となり、初代代官の[[鈴木重成]]の尽力によって天草は次第に復興していった。 === 近代 === [[ファイル:Minamata poat.JPG|thumb|200px|[[水俣港]]<br />([[水俣市]])]] [[明治]]4年<!-- 旧暦、西暦年と一致しない -->([[1871年]])、肥後国には熊本県と八代県が設置された、熊本県はその後白川県と改められ、[[1873年]](明治6年)、白川県と八代県が合併して白川県となった。[[1876年]](明治9年)、再び熊本県に改名され<!--明治9年太政官第19号布告-->、現在の熊本県が誕生した。 [[1916年]](大正5年)、横浜港に入港した「ハワイ丸」の乗客から全国に[[コレラ]]が拡大。熊本県内にもコレラ禍は飛び火し、死者は4100人を超える<ref>下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868 - 1926)』314頁 河出書房新社刊 2003年11月30日刊 {{全国書誌番号|20522067}}</ref>。 太平洋戦争末期までは熊本が九州の中心と見なされ、熊本鎮台・[[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]]などが設置されたが、戦況が悪化すると連合国軍による本土上陸を恐れた政府が、九州統監府をより本州、帝都東京に近い福岡に設置したため戦後も九州の中心が福岡となった歴史を持つ。 第五高等学校教師として[[夏目漱石]]・[[小泉八雲]]が熊本市に住んでいたことがあり、[[森鷗外]]も第12師団軍医部長を務めていた時に、熊本市を訪れたことがあり短編小説『[[阿部一族]]』を書いた。これは[[江戸時代]]初期に[[肥後藩]]で実際に起きた、阿部一族が上意討ちで全滅した事件を題材にしている。 [[1960年]](昭和35年)、全国的に[[急性灰白髄炎|ポリオ]]が流行する中で、県下でも集団発生。感染者は192人、うち死亡7人。5歳未満の幼児への無料予防接種が行われた<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=143|isbn=9784816922749}}</ref>。 === 現代 === {{節スタブ}} [[2012年]]([[平成]]24年)[[4月1日]]、熊本市が20番目の政令指定都市に昇格した。 [[2016年]](平成28年)[[4月14日]]以降相次いで熊本県で地震が発生し、震度7が2回観測された([[熊本地震 (2016年)|熊本地震]])。 == 人口 == 熊本県の[[人口]]は戦後一貫して増加を続け、[[1995年]](平成7年)には約186万人に達した。九州地方第三の都市である[[熊本市]](約74万人)や[[熊本都市圏]](人口約111万人で県人口の過半数を占める)に含まれる自治体は人口増加が堅調だが、他の市町村では人口の減少が顕著になってきている。そのため、県全体では[[2000年]](平成12年)ごろから人口は減少に転じている。なお、[[2012年]](平成24年)現在、政令指定都市が所在する都道府県では最も人口が少ない。また、県で最多の人口を抱える熊本市と、県で第2位の人口を抱える[[八代市]]との間には約61万人の差があり、熊本市とその周辺自治体への人口集中が顕著である。 [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Kumamoto prefecture, Japan.svg|thumb|300px|熊本県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#225500|10.0 % 以上}} {{legend|#44AA00|7.5 - 9.99 %}} {{legend|#66FF00|5.0 - 7.49 %}} {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=43000|name=熊本県|image=Demography43000.svg}} === 都市 === *熊本県内市別人口ランキング([[2022年|2021年]](令和3年)現在) *# [[熊本市]](73.5万人) *# [[八代市]](12.5万人) *# [[天草市]](7.8万人) *# [[玉名市]](6.5万人) *# [[合志市]](6.3万人) <gallery> Kumamoto Station east square 20150524.jpg|[[熊本市]]([[都道府県庁所在地|県都]]・[[政令指定都市]]) Shin-Yatsushiro Station 20170317.jpg|[[八代市]] Hondo Bus Center 3.JPG|[[天草市]] Tamana station front 1.jpg|[[玉名市]] Kumaden Miyoshi Station 4.JPG|[[合志市]] </gallery> *熊本県内市別人口密度ランキング([[2016年|2020年]](令和2年)現在) *# [[熊本市]](1,892人/km<sup>2</sup>) *# [[合志市]](1,161人/km<sup>2</sup>) *# [[荒尾市]](886人/km<sup>2</sup>) *# [[宇土市]](486人/km<sup>2</sup>) *# [[玉名市]](421人/km<sup>2</sup>) <gallery> Shower-st1.JPG|[[熊本市]](県都・[[政令指定都市]]) Takaba-jyou1.jpg|[[合志市]] Greenland-Kanransha.JPG|[[荒尾市]] Utojyoushi.jpg|[[宇土市]] Five-story pagoda and Niomon of Rengein Tanjo-ji Okunoin.jpg|[[玉名市]] </gallery> 人の流出先としては、[[関西]]や[[中京圏]]などが多い。 == 政治 == === 県政 === {{Main|熊本県知事一覧|熊本県庁|熊本県議会}} * [[都道府県知事|知事]]:[[蒲島郁夫]](かばしま いくお、4期目) ==== 歴代県知事(公選) ==== * 初代 [[桜井三郎]]([[1947年]]([[昭和]]22年)[[4月16日]]~[[1959年]](昭和34年)[[2月10日]]、3期) * 2代 [[寺本広作]]([[1959年]](昭和34年)[[2月11日]]~[[1971年]](昭和46年)[[2月10日]]、3期) * 3代 [[沢田一精]]([[1971年]](昭和46年)[[2月11日]]~[[1983年]](昭和58年)[[2月10日]]、3期) * 4代 [[細川護熙]]([[1983年]](昭和58年)[[2月11日]]~[[1991年]]([[平成]]3年)[[2月10日]]、2期) * 5代 [[福島譲二]]([[1991年]](平成3年)[[2月11日]]~[[2000年]](平成12年)[[2月25日]]、3期) * 6代 [[潮谷義子]]([[2000年]](平成12年)[[4月16日]]~[[2008年]](平成20年)[[4月15日]]、2期) * 7代 [[蒲島郁夫]]([[2008年]](平成20年)[[4月16日]]~) ==== 県民栄誉賞 ==== {|class="wikitable" !氏名!!職業!!受賞年月日!!備考 |- |style="text-align:center"|[[山下泰裕]]||style="text-align:center"|柔道家||1984年8月25日||ロサンゼルスオリンピック柔道無差別級で金メダル |- |style="text-align:center"|[[蟻田功]]||style="text-align:center"|医学者||1988年4月22日||WHO局員として天然痘の根絶に貢献 |- |style="text-align:center"|[[末續慎吾]]||style="text-align:center"|陸上選手||2003年10月8日||世界陸上パリ大会200mで銅メダル |- |[[チャーリー永谷]]||style="text-align:center"|カントリー歌手||2005年4月21日||50年にわたりカントリーミュージック一筋に音楽活動を展開 |- |style="text-align:center"|[[不動裕理]]||style="text-align:center"|プロゴルファー||2011年12月16日||史上最年少でツアー通算50勝達成 |- |style="text-align:center"|[[藤井瑞希]]||style="text-align:center"|バドミントン選手||2012年8月24日||ロンドンオリンピックバドミントン女子ダブルスで銀メダル |- |style="text-align:center"|[[垣岩令佳]]||style="text-align:center"|バドミントン選手||2012年8月24日||ロンドンオリンピックバドミントン女子ダブルスで銀メダル |- |style="text-align:center"|[[川上哲治]]||style="text-align:center"|プロ野球選手・監督||2013年12月12日||読売ジャイアンツの監督として9年連続で日本シリーズ優勝など |- |style="text-align:center"|[[秋山幸二]]||style="text-align:center"|プロ野球選手・監督||2015年2月23日||福岡ソフトバンクホークスの監督として2度の日本シリーズ優勝など |- |style="text-align:center"|[[尾田栄一郎]]||style="text-align:center"|漫画家||2018年4月4日||『[[ONE PIECE]]』累計発行部数のギネス記録、熊本地震復興事業への尽力<ref>{{Cite news|url=https://this.kiji.is/354113359077180513?c=92619697908483575|title=尾田栄一郎氏に熊本県民栄誉賞 10人目、漫画家で初|newspaper=[[熊本日日新聞]]|publisher=熊本日日新聞社|date=2018-04-04|accessdate=2018-04-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180405214447/https://this.kiji.is/354113359077180513?c=92619697908483575|archivedate=2018-04-04}}</ref> |} ※柔道家の[[内柴正人]]が2004年9月24日に県民栄誉賞、2008年9月16日に県民栄誉賞特別賞を受賞していたが、2011年の逮捕を受け取り消された。 === 国政 === ==== 国会 ==== {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#熊本県|熊本県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が5。[[参議院]]では、全県で1区を構成。 ==== 行政機関 ==== <ref>[https://www.soumu.go.jp/kanku/kyusyu/kumamoto/pdf/kuni_kikan_ichiran.pdf kuni_kikan_ichiran.pdf]:熊本県内の国の行政機関一覧(平成 24 年7月1日現在)</ref> * [[内閣府]] ** [[九州管区警察局]] 熊本県情報通信部 * [[総務省]] ** [[熊本行政評価事務所]] ** [[九州総合通信局]] * [[法務省]] ** [[熊本地方法務局]] *** 支局(阿蘇大津、宇土、玉名、山鹿、八代、人吉、天草) ** [[熊本保護観察所]] *** 八代駐在官事務所 ** [[福岡入国管理局]] 熊本出張所 ** [[熊本刑務所]] *** 拘置支所(京町、八代、天草) ** [[人吉農芸学院]] ** [[熊本少年鑑別所]] ** [[検察庁]] [[熊本地方検察庁]] *** 支部(玉名、山鹿、阿蘇、八代、人吉、天草) ** [[公安調査庁]] 熊本公安調査事務所 * [[財務省]] ** [[九州財務局]] ** [[長崎税関]] 八代税関支署 *** 出張所(熊本、水俣、三角、熊本空港) ** [[財務総合政策研究所]] 南九州研修支所 ** [[国税庁]] [[熊本国税局]] *** [[税務署]](阿蘇、天草、宇土、菊池、熊本西、熊本東、玉名、人吉、八代、山鹿) ** 国税庁 [[税務大学校]] 熊本研修所 ** 国税庁 熊本[[国税不服審判所]] * [[厚生労働省]] ** [[九州厚生局]] 熊本事務所 ** [[国立療養所菊池恵楓園]] ** [[熊本労働局]] *** [[労働基準監督署]](熊本、八代、玉名、人吉、天草、菊池) *** [[ハローワーク]](熊本、キャリアアップ熊本、上益城、八代、菊池、玉名、天草、球磨、宇城、阿蘇、水俣) ** 福岡[[検疫所]] 出張所(熊本空港、三角、水俣・八代) * [[農林水産省]] ** [[九州農政局]] *** 八代地域センター **** 天草支所 *** 北部九州土地改良調査管理事務所 熊本支所 *** 土地改良技術事務所 *** 玉名横島海岸保全事業所 *** 大野川上流農業水利事業所 ** 門司[[植物防疫所]] 鹿児島支所 八代出張所 ** [[林野庁]] [[九州森林管理局]] *** [[森林管理署]](熊本、熊本南部) * [[国土交通省]] ** [[九州地方整備局]] *** 熊本河川国道事務所 **** 出張所(山鹿維持、熊本維持、八代維持、阿蘇国道維持、白川、緑川上流) *** 八代河川国道事務所 **** 出張所(八代、人吉) *** 川辺川ダム砂防事務所 **** 砂防工事課 **** 出張所(ダム第一、ダム第二) *** 菊池川河川事務所 **** 出張所(玉名、山鹿) **** 竜門ダム管理支所 *** 立野ダム工事事務所 *** 筑後川ダム総合管理事務所 下筌ダム管理支所 *** 緑川ダム管理署 *** 熊本営繕事務所 *** 熊本港湾・空港整備事務所 **** 八代港分室 **** 有明・八代海海洋環境センター(熊本新港分室) ** [[九州運輸局]] 熊本運輸支局 ** [[大阪航空局]] 熊本空港事務所 ** [[気象庁]] [[熊本地方気象台]] ** [[気象庁]] [[福岡管区気象台]] 福岡航空測候所 熊本出張所 ** [[海上保安庁]] [[第十管区海上保安本部]] 熊本海上保安部 *** 天草海上保安署 *** 八代分室 * [[環境省]] ** [[九州地方環境事務所]] *** 事務所(阿蘇自然環境、天草自然保護官) ** [[国立水俣病総合研究センター]] ** [[水俣病情報センター]] * [[防衛省]] ** [[陸上自衛隊]] [[西部方面隊]]([[西部方面総監部]]) ** [[自衛隊熊本地方協力本部]] ** [[九州防衛局]] 熊本防衛支局 ** [[自衛隊病院|自衛隊熊本病院]] ** [[健軍駐屯地]] *** [[高遊原分屯地]] ** [[北熊本駐屯地]] ** [[熊本駐屯地]] ==== 裁判所 ==== <ref>{{Cite web|和書|url=https://www.courts.go.jp/kumamoto/about/syozai/index.html |publisher=裁判所|title=管内の裁判所の所在地|accessdate=2020-7-22}}</ref> * [[熊本地方裁判所]] ** 支部(玉名、山鹿、阿蘇、八代、人吉、天草) ** [[熊本地方裁判所#管内の簡易裁判所|簡易裁判所]](熊本、玉名、山鹿、阿蘇、八代、人吉、天草、宇城、荒尾、高森、御船、水俣、牛深) * [[熊本家庭裁判所]] ** 支部(玉名、山鹿、阿蘇、八代、人吉、天草、高森、御船、水俣、牛深) == 経済・産業 == === 産業 === [[2015年]](平成27年)度の県内総生産は5兆5794億円である<ref>[http://www.pref.kumamoto.jp/kiji_9030.html 平成27年度熊本県県民経済計算の概要]</ref>。およそ世界の3分の2の国よりも大きな経済規模を有している<ref>[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2010/02/weodata/index.aspx World Economic Outlook Database]</ref>。一人当たり県民所得は226.5万円である。 農業産出額([[2008年]](平成20年))は全国7位(九州3位)。各品目の[[生産量]]を見ると、[[トマト]]・[[イグサ|藺草]](熊本県以外でい草の生産はほとんど行われていない)・[[葉たばこ|葉煙草]]・[[シュッコンカスミソウ|宿根霞草]]・[[スイカ]]が全国1位、[[クリ|栗]]・[[なす|茄子]]・[[ショウガ|生姜]]・[[ユーストマ]]・[[オリーブ]]が全国2位、[[苺]]・[[メロン]]が全国3位となっている。農水省統計で全国の主要農畜産物上位10品目(産出額ベース)について、熊本県は[[生乳]]・[[肉用牛]]・苺・[[ウンシュウミカン|蜜柑]]・トマトの5つでトップ5に入っている。他に、[[デコポン]]・[[ナツミカン|夏蜜柑]]が名産。菊池および阿蘇地域では[[畜産]]が盛ん。 有明海や天草沿岸で[[車海老]]・[[海苔|のり]]・[[真珠]]などの養殖が行われている。 === 県内に拠点事業所のある主要企業 === ==== 製造拠点 ==== {{Multicol}} * [[パナソニック システムネットワークス]](玉名郡和水町) * [[富士フイルム]]九州(菊池郡菊陽町) * [[ルネサス セミコンダクタ マニュファクチュアリング]](熊本市) * [[ルネサス セミコンダクタ パッケージ&テスト ソリューションズ]](球磨郡錦町) * [[加賀コンポーネント]](球磨郡) * [[フランソア]](熊本市) * [[大阿蘇ハム]](熊本市) * [[興人]](八代市) * [[日本製紙]](八代市) * [[メルシャン]](八代市) * [[ヤマハ発動機|ヤマハ熊本プロダクツ]](八代市) * ヤマハ天草製造(上天草市) * [[YKK]](八代市) * [[双日|第一紡績]](荒尾市) * [[JNC]](水俣市) * [[ブリヂストン]](玉名市) * [[オムロン|オムロンリレーアンドデバイス]](山鹿市) * [[日本合成化学工業]](宇土市) * [[日本電子材料]](菊池市) * [[東京カソード研究所]](阿蘇郡西原村) * {{仮リンク|テラダイン|en|Teradyne}}(菊池郡大津町) * [[HOYA]] (菊池郡大津町) * [[NOK (企業)|NOK]](阿蘇市) {{Multicol-break}} * [[福留ハム]](菊池市) * [[大阪製鐵]](宇土市) * [[九州ツバメタオル]](下益城郡美里町) * [[九州フジパン]](宇城市) * [[フジデリカ]](宇城市) * [[山崎製パン]](宇城市) * [[ローツェ (企業)|ローツェ]](合志市) * [[三井ハイテック]](菊池郡大津町) * [[ジェイデバイス]](菊池郡大津町) * [[日本たばこ産業]](合志市) * [[三菱電機]](合志市) * [[富士電機システムズ]](玉名郡南関町) * [[リクシル]](玉名郡長洲町) * [[不二サッシ|九州不二サッシ]](玉名郡長洲町) * [[平田機工]](熊本市) * [[リョーユーパン]](熊本市) * [[本田技研工業]](菊池郡大津町) * [[サントリー|サントリー九州]](上益城郡嘉島町) * [[九州理化]](球磨郡多良木町) * [[ジャパン マリンユナイテッド]](玉名郡長洲町) * [[三和化学研究所]](宇土市) * [[コーアツ工業]](宇城市) * [[ハクゾウメディカルテクノス]](菊池市) {{Multicol-end}} ==== 営業拠点 ==== * [[ツバメタオル]](熊本市) * [[ハクゾウメディカル]](熊本市) === 県内に本社のある主要企業 === ==== 製造業 ==== {{Multicol}} * [[ソニーセミコンダクタ]](菊池郡菊陽町) * [[合志技研工業]](合志市) * [[熊本県酪農業協同組合連合会]](熊本市) * [[リバテープ製薬]](熊本市) * [[阿蘇製薬]](菊池郡菊陽町) * [[再春館製薬所]](上益城郡益城町) * [[東京エレクトロン九州]](合志市) * [[オガタ武道具工業]](熊本市) * [[ヤマックス]](熊本市) * [[マルキン食品]](熊本市) * [[お菓子の香梅]] (熊本市) * [[火乃国食品工業]](宇城市){{Multicol-break}} * [[丸美屋]](玉名郡和水町) * [[熊本酸素]](熊本市) * [[化学及血清療法研究所]](熊本市) * [[高橋酒造]](人吉市) * [[繊月酒造]](人吉市) * [[火の国酒造]](熊本市) * [[五木食品]](熊本市) * [[ヒライ (食品製造)|ヒライ]](熊本市) * [[日の出製粉]](宇城市) {{Multicol-break}} * [[熊本製粉]](熊本市) * [[双和食品工業]](熊本市) * [[堤酒造]](球磨郡あさぎり町) * [[花の香酒造]](玉名郡和水町) * [[湖東製作所]](熊本市) * [[深野酒造]](人吉市) * [[味千ラーメン|重光産業 (熊本市)]] {{Multicol-end}} ==== その他 ==== * [[カリーノ]](熊本市) * [[21世紀グループ]](熊本市) * [[中園化学]](熊本市) * [[九州産交運輸]](熊本市) *星山商店(熊本市) == 生活・交通 == === 警察 === * [[熊本県警察]] === 消防 === * [[熊本市消防局]] * [[山鹿市消防本部]] * [[人吉下球磨消防組合|人吉下球磨消防組合消防本部]] * [[上益城消防組合|上益城消防組合消防本部]] * [[上球磨消防組合|上球磨消防組合消防本部]] * [[八代広域行政事務組合#常備消防事務|八代広域行政事務組合消防本部]] * [[阿蘇広域行政事務組合#常備消防事務|阿蘇広域行政事務組合消防本部]] * [[有明広域行政事務組合|有明広域行政事務組合消防本部]] * [[水俣芦北広域行政事務組合|水俣芦北広域行政事務組合消防本部]] * [[宇城広域連合#常備消防事務|宇城広域連合消防本部]] * [[菊池広域連合#消防本部|菊池広域連合消防本部]] * [[天草広域連合#天草広域連合消防本部|天草広域連合消防本部]] === 交通 === ==== 空港 ==== '''[[熊本空港]]'''(阿蘇くまもと空港)が、熊本県において主な空港である。また、熊本県[[天草市]]には、[[天草飛行場]](天草空港)がある。 ==== 鉄道・軌道 ==== 旅客輸送を行っている鉄道。 {{Multicol}} * [[九州旅客鉄道]](JR九州) ** [[九州新幹線]] ** [[鹿児島本線]] ** [[豊肥本線]] ** [[肥薩線]] ** [[三角線]] * [[熊本市交通局]](熊本市電) ** [[熊本市電A系統]]([[熊本市電田崎線|田崎線]]・[[熊本市電幹線|幹線]]・[[熊本市電水前寺線|水前寺線]]・[[熊本市電健軍線|健軍線]]) ** [[熊本市電B系統]]([[熊本市電上熊本線|上熊本線]]・幹線・水前寺線・健軍線) {{Multicol-break}} * [[熊本電気鉄道]] ** [[熊本電気鉄道菊池線|菊池線]] ** [[熊本電気鉄道藤崎線|藤崎線]] * [[南阿蘇鉄道]] ** [[南阿蘇鉄道高森線|高森線]] * [[くま川鉄道]] ** [[くま川鉄道湯前線|湯前線]] * [[肥薩おれんじ鉄道]] ** [[肥薩おれんじ鉄道線]] {{Multicol-end}} ==== バス事業者 ==== 路線バスは、熊本都市圏では[[九州産交バス]](産交)・[[熊本電気鉄道]](電鉄)・[[熊本バス]](赤バス)・[[熊本都市バス]](都市)の4事業者が運行しているが、都市圏以外は[[九州産交バス|産交バス]]が大部分の地域をカバーしている。[[高速バス]]も産交がほぼ独占し、一般道経由の長距離路線もいくつかある。路線網は熊本市中央区の[[熊本桜町バスターミナル]]をターミナルとして各方面へ伸びている。 県外からは[[西鉄バス大牟田]](福岡県から)や[[南国交通]](鹿児島県から)などの乗り入れがある。 * [[九州地方の乗合バス事業者#熊本県|熊本県内の乗合バス事業者一覧]] * [[九州地方の貸切バス事業者#熊本県|熊本県内の貸切バス事業者一覧]] ==== 道路 ==== * 高速道路 [[九州自動車道]]・[[南九州西回り自動車道]]・[[熊本天草幹線道路]]・[[九州中央自動車道]] * 一般国道 [[国道3号]]・[[国道57号]]・[[国道208号]]・[[国道212号]]・[[国道218号]]・[[国道219号]]・[[国道265号]]・[[国道266号]]・[[国道267号]]・[[国道268号]]・[[国道324号]]・[[国道325号]]・[[国道387号]]・[[国道388号]]・[[国道389号]]・[[国道442号]]・[[国道443号]]・[[国道445号]]・[[国道501号]]・[[国道503号]] * 県道 {{see|熊本県の県道一覧}} ==== 航路 ==== * [[重要港湾]]:[[熊本港]]・[[八代港]]・[[三角港]] * 旅客航路 ** 熊本港~[[本渡港]]([[天草市]]):[[熊本フェリー]]([[2009年]](平成21年)[[3月31日]]に廃止) ** [[島原港]]~熊本港:[[九州商船]]・熊本フェリー ** 島原港~三角港:[[三角島原フェリー]]([[2006年]](平成18年)[[8月29日]]に廃止) ** 多比良港(長崎県[[雲仙市]]国見町)~[[長洲港]]:[[有明フェリー]] ** 茂木港([[長崎市]])~富岡港([[苓北町]]):[[安田産業汽船]] ** 口之津港~[[鬼池港]]([[天草市]]五和町):[[島原鉄道|島鉄フェリー]] ** 八代港~松島港([[上天草市]]):[[松島フェリー]]・[[天草フェリーライン]]([[2013年]](平成25年)[[4月1日]]に休止) ** 蔵之元港(鹿児島県[[長島町]])~牛深港([[天草市]]):[[三和商船|三和フェリー]] ** 諸浦港(鹿児島県[[長島町]])~[[中田港 (熊本県)|中田港]]([[天草市]]新和町):[[天長フェリー]] * 貨物航路 ** 熊本港~[[釜山港]]([[大韓民国]]・[[釜山広域市]]):[[高麗海運]] === 医療・福祉 === {{main|Category:熊本県の医療機関}} ; [[災害拠点病院]] * [[熊本県災害拠点病院]] ; [[保育所]] * [[熊本県保育所一覧]] === 教育 === ; [[大学]] [[国立大学|国立]] * [[熊本大学]]([[熊本市]][[中央区 (熊本市)|中央区]]) [[公立大学|公立]] * [[熊本県立大学]](熊本市[[東区 (熊本市)|東区]]) [[私立大学|私立]] * [[九州ルーテル学院大学]](熊本市中央区) * [[熊本学園大学]](熊本市中央区) * [[崇城大学]](熊本市[[西区 (熊本市)|西区]]) * [[尚絅大学]](熊本市中央区) * [[熊本保健科学大学]](熊本市[[北区 (熊本市)|北区]]) * [[九州看護福祉大学]]([[玉名市]]) * [[平成音楽大学]]([[上益城郡]][[御船町]]) * [[東海大学]] - 熊本キャンパス(熊本市東区)、阿蘇キャンパス([[阿蘇郡]][[南阿蘇村]]) ; [[通信制大学]] * [[放送大学]] - 熊本学習センター(熊本市中央区) ; [[短期大学]] 私立 * [[尚絅大学短期大学部]](熊本市中央区) * [[中九州短期大学]]([[八代市]]) ; [[高等専門学校]] 国立 * [[熊本高等専門学校]]([[合志市]]・八代市) ; [[専修学校]] * [[熊本県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] * [[熊本県特別支援学校一覧]] ; [[高等学校]] * [[熊本県高等学校一覧]] ; [[中学校]] * [[熊本県中学校一覧]] ; [[小学校]] * [[熊本県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] * [[熊本県幼稚園一覧]] ; その他教育機関 ; [[農業大学校]] * [[熊本県立農業大学校]](合志市) ; [[職業能力開発短期大学校]] * [[熊本県立技術短期大学校]]([[菊池郡]][[菊陽町]]) == メディア == === 新聞 === ; 地方紙 * [[熊本日日新聞]]([[朝刊]]単独紙) * [[日刊人吉新聞]]([[夕刊]]単独紙) * [[有明新報]] ** 有明新報の本社は[[福岡県]][[大牟田市]]だが、県内では[[荒尾市]]と[[玉名郡]][[南関町]]および[[長洲町]]を販売範囲としている。 ; ブロック紙 * [[西日本新聞]] ; 全国紙 * [[読売新聞]] * [[朝日新聞]] * [[毎日新聞]] * [[日本経済新聞]] * [[産経新聞]] ** 産経新聞は[[2009年]](平成21年)[[9月30日]]付までは、[[産経新聞大阪本社]]発行で午後6時(18時)締切の早版(6版)を委託販売(西日本新聞販売店からの委託)していたが、同年[[10月1日]]付より[[産経新聞西部本部]](旧・九州・山口本部)発行の「産経新聞九州・山口特別版」を販売(毎日新聞販売店からの委託)している。 === 雑誌 === * [[くまもと経済]] [http://www.kumamoto-keizai.co.jp/] === テレビ === デジタルテレビの親局は、[[金峰山 (熊本県)|金峰山]]に置かれている。 * [[NHK熊本放送局]] デジタルテレビ放送 NHK総合:1ch、NHKEテレ(教育):2ch * [[熊本放送]](RKKテレビ)([[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列) 3ch * [[テレビ熊本]](TKUテレビくまもと)([[フジネットワーク|FNS]]・[[フジニュースネットワーク|FNN]]系列) 8ch * [[熊本県民テレビ]](KKTくまもと県民テレビ)([[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]・[[日本ニュースネットワーク|NNN]]系列) 4ch * [[熊本朝日放送]](KAB)([[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]系列) 5ch === ラジオ === FMラジオの親局とRKKラジオのFM補完放送のメイン中継局も、金峰山に置かれている。 * NHK熊本放送局([[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1]]・[[NHKラジオ第2放送|ラジオ第2]]・[[NHK-FM放送|FM]]) * [[熊本放送]](RKKラジオ)1197kHz・91.4 MHz([[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列) * [[エフエム熊本]](FMK)77.4MHz([[全国FM放送協議会|JFN]]系列) === コミュニティFM === 過去には[[エフエムたまな]](コミュニティ放送局)も存在したが、[[2006年]](平成18年)4月をもって閉局。また、福岡県大牟田市に所在する[[FMたんと|有明ねっとこむ]](FMたんと)は、荒尾市も放送対象地域に含んでいる。 * [[熊本シティエフエム]](FM791)79.1 MHz * [[エフエムやつしろ]](愛称:かっぱFM)76.5 MHz * [[エフエム小国]](愛称:グリーンポケット)76.5 MHz * [[天草ケーブルネットワーク]](みつばちラジオ)88.8 MHz === ケーブルテレビ局 === {{Main|Category:熊本県のケーブルテレビ局}} == 文化 == === 方言 === 方言は[[熊本弁]](八代弁、天草弁、球磨弁などを含む)が話される。 === 食文化 === {{Main|Category:熊本県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧 #熊本県}} === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[小代焼]](陶磁器、[[2003年]]) * [[天草陶磁器]](陶磁器、2003年) * [[肥後象嵌]](金工品、2003年) * [[山鹿灯籠]](紙工品、[[2013年]]) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧 #熊本県}} === スポーツ === {{Main|Category:熊本県のスポーツチーム}} {{Main2|社会人サッカーリーグ|熊本県サッカーリーグ}} * [[ロアッソ熊本]]([[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]/[[サッカー]]) * [[熊本ヴォルターズ]]([[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]]/[[バスケットボール]]) * [[熊本ルネサンスフットボールクラブ]]([[九州女子サッカーリーグ|Qリーグ]]/[[女子サッカー]]) * [[フォレストリーヴズ熊本]]([[V.LEAGUE|Vリーグ]]/[[女子バレー]]) * [[火の国サラマンダーズ]]([[九州アジアリーグ|KAL]]/[[野球]]) == 観光 == {{main|熊本県の観光地}} {{also|熊本県指定文化財一覧|九州・沖縄地方の史跡一覧#熊本県|熊本県の神社一覧}} === 世界遺産 === ; [[明治日本の産業革命遺産]] * [[三角西港]] * [[三井三池炭鉱]]万田坑 === 名所旧跡 === {{Multicol}} * [[熊本城]] ([[三名城|日本三名城]]) * [[水前寺成趣園]] * [[通潤橋]] * [[田原坂]] {{Multicol-break}} * [[八千代座]] * [[菊池渓谷]] * [[阿蘇山]] * [[阿蘇山#米塚|米塚]]及び[[草千里ヶ浜]]([[名勝]][[天然記念物]]) * [[一心行の大桜]] {{Multicol-break}} * [[松浜軒]] * [[五家荘]] * [[天草諸島]]・[[天草五橋]] * [[青井阿蘇神社]]([[国宝]]) {{Multicol-break}} {{Multicol-end}} === 観光地・祭事・催事 === * [[球磨川|球磨川下り]] * [[藤崎八旛宮秋季例大祭]] * [[グリーンランド (遊園地)|グリーンランド]](旧 三井グリーンランド) * [[山鹿灯籠まつり]] このほか、県内各地に数多くの温泉地がある。 === その他 === ; [[くまもとアートポリス]] : 熊本県が[[1988年]](昭和63年)から進めている建築文化事業。[[安藤忠雄]]、[[葉祥栄]]、[[青木淳]]、[[伊東豊雄]]、[[山本理顕]]、[[妹島和世]]、[[レンゾ・ピアノ]]など多数の著名建築家による建物、構造物が県内67か所([[2008年]](平成20年)3月現在)に建設されている。 ; [[熊本県野外劇場]](アスペクタ) : 世界一のカルデラの村[[南阿蘇村]]にある世界最大級の野外コンサート場。有料イベントが開催されていない時は無料で入場できる。ピクニックをしたり BBQ やキャンプ、PV撮影など色々な使い方ができる。また、阿蘇の五岳を見ながらの野外結婚式も行われている。 ; [[くまモン]] : 県の公式キャラクター == 対外関係 == 姉妹(友好)交流地域は、以下の通り。 * {{CHN}}[[広西チワン族自治区|広西壮族自治区]] * {{USA}}[[モンタナ州]] * {{KOR}}[[忠清南道]] == 熊本県を舞台とした作品 == {{Main|熊本県を舞台とした作品一覧}} == 人物 == {{Main|熊本県出身の人物一覧}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[熊本県庁]] * [[熊本県議会]] * [[熊本県教育委員会]] * [[熊本県の歴史]] * [[熊本県出身の人物一覧]] * [[熊本県指定文化財一覧]] * [[:Category:熊本県の自然景勝地|熊本県の自然景勝地]] * [[肥後もっこす]] * [[肥後ずいき]] * [[くまモン]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/熊本県|[[画像:Flag map of Kumamoto Prefecture.svg|36px|Portal:日本の都道府県/熊本県]]}} {{Multimedia|熊本県の画像}} {{osm box|r|1842185}} {{Sisterlinks|commons=Kumamoto_prefecture|commonscat=Kumamoto_prefecture|voy=ja:熊本県|d=Q130308|species=Kumamoto prefecture}} '''行政''' * {{Official website}} * {{Twitter|KumamotoPre_koh|熊本県広報グループ}} '''観光''' * [https://kumamoto.guide/ なごみ紀行 くまもと] - 熊本県観光連盟 '''記録写真''' * [https://bp.kumanichi.com/photo/archives/index 熊日写真ライブラリー] - 熊本日日新聞社 {{s-start}} {{s-bef|before=[[熊本藩]] ---- [[八代県]]|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1871年]] -|years2=熊本県→白川県→熊本県}} {{s-aft|after=-----|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{熊本県の自治体}} {{熊本県の郡}} {{大学コンソーシアム熊本}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:くまもとけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:熊本県|*]]
2003-02-03T17:51:45Z
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高知県
高知県(こうちけん)は、日本の四国地方に位置する県。県庁所在地は高知市。 令制国では土佐国に当たり、県庁所在地の高知市の大半は土佐国の土佐郡に属していた。日本最後の清流といわれる四万十川(しまんとがわ)のほか、水辺利用率全国一の仁淀川、物部川、安田川など四国山地に源を発する清流が多く流れる。室戸岬・足摺岬・龍河洞・四国カルストなど多くの天然の観光資源を有する。 近年は、徳島県、宮崎県などの他の産地や、輸入野菜などに押されがちであるが、ピーマンやなすやトマトをはじめとする野菜類の促成栽培でも有名で、県中央部の沿岸部(土佐市〜芸西村付近)は、ビニールハウスが多く並んでいる。 高知県は東西に長い四国の南部、太平洋から四国山地の尾根までの範囲で「海の国」としてのイメージが強いが、高知市から香南市・香美市土佐山田町南部に至る高知平野、香長平野と南西部の四万十市周辺がやや広い平野となっているほかは、そのほとんどが海の近くまで山が迫る典型的な山国である。 山地率は89 %と全国一位で、全国平均の66 %と比べてもその険しさがよく分かる。最高峰は三嶺で(山頂が高知県単独の場合は手箱山)、地質的には四万十帯と呼ばれる堆積岩が多い地域でもあり、土砂災害がきわめて多い。その一方で県西部を流れる四万十川、石鎚山から土佐湾に南下する仁淀川、県北部から徳島県へと流れる吉野川など水量豊富な河川が多くあり、近年はカヌーでの川下りをする人が増えてきている。 水不足に悩まされることはほとんどないが、治水は古くからの課題となっており江戸時代初期の土佐藩奉行野中兼山による大規模な河川改修は県下主要河川のほとんどで実施されてきた。現在は全国有数の治水能力を有し、降雨量が多いにもかかわらず、全国的に見ると水害が少ない県でもある。 高知県沖の太平洋を黒潮が流れており、冬の朝などは海面から湯気が立っているのが見える。気候は黒潮の影響を受けて冬でも温暖であり、台風の襲来も多く、1951年(昭和26年)以降の台風上陸数は鹿児島県に次いで2番目に多い県である。特に「室戸台風」では、室戸岬上陸時の中心気圧が911.6hPaであり、日本本土に上陸した台風のなかで観測史上最も上陸時の中心気圧が低い台風だった。台風の正式な統計は1951年(昭和26年)から開始されたため、この記録は参考記録扱いとされているが、これは同緯度の台風における中心気圧の最低記録として、いまだに破られていない。太平洋に突き出た足摺岬、室戸岬は強風でも知られる。 県南西部の山間は大きく開発されることが無く、豊かな山林とダムの無い大きな川が残されている。四万十川は最後の清流として有名である。1980年代後半には四万十川河川敷に小規模なコミューター空港、2000年初頭に宿毛市と愛媛県愛南町(旧一本松町)の県境にまたがる2000m級の空港(仮称:高知西南空港)を建設する計画が浮上したがいずれも頓挫している。 高知県の東西南北それぞれの端、及び重心は以下の位置である。北端はちち山、南端は沖の島 (高知県)、東端は甲浦港沖に浮かぶ葛島、西端は鵜来島にある。また統計局の平成22年国勢調査によると、人口重心は土佐市新居付近にある。 高知県の年間日照時間は2000時間を越え、全国2-3位が定位置となっている一方、年間降水量も平野部で2500mm前後、山間部では3000mmを超え、東部山間部の魚梁瀬は4100mm程度と日本有数である。夏は蒸し暑く、熱帯夜が連日のように続くが、昼は猛暑になりにくい。その反面、西部側の地域は北西風が四国山地を超えてフェーンを起こし、本州内陸部にも匹敵する暑さとなることがある。四万十市江川崎では、2013年8月12日に日本の歴代最高気温記録(当時)である41.0°Cを観測している。 平野部での積雪はまれであるが、山間部や豊後水道側に開けた県西部の幡多地域平野部では大雪に見舞われることもあり、剣山系、石鎚山系の高い山では厳冬期に根雪が見られる地域も存在する。冬は晴れ間が多く、放射冷却によって朝などは高知市でも氷点下になることも多いが、日中は暖かい。その反面、室戸岬や足摺岬などの半島部や沿岸部では無霜地帯が存在する。その温暖な気候を求め、スポーツチームが多数キャンプを設置する。春は宇和島と並び、ソメイヨシノの開花前線が全国でも早く訪れることで知られるが、夏から秋は頻繁に台風の直撃を受けることがあるほか、台風本体が東シナ海から日本海側を通過する際も南からの温かい湿った風が、四国山地に遮られて大雨になることもある。室戸岬と足摺岬は「台風銀座」と呼ばれている。 以下の11市6郡17町6村がある。町はすべて「ちょう」、村は「むら」と読む。 以下、7つの広域市町村圏ごとに記述する。 高知県は、全国では鳥取県、島根県に次いで3番目に人口が少なく(全政令指定都市よりも人口が少ない)、四国地方では最下位である。人口密度は中部地方以西の府県では最も低い。 人口の分布としては県庁所在地の高知市に県民のほぼ半数が居住し、いわゆるプライメートシティとなっている。単独市制施行に必要な人口である5万人を上回る市は高知市のみであり、全都道府県中最も少ない。 県中部の高知平野の他に比較的まとまった人口が居住する地域は四万十市などごく僅かであり、県西部・東部は日本でも有数の人口密度が低い地域となっている。 現在の高知県の行政機構の最も古い時代の記録は、国造本紀の記録があり、幡多(県西部、後の幡多郡か)・都佐(県中東部)の二つの国造がおかれた。それぞれの初代の任命者は、幡多国造が崇神朝(紀元前1世紀ごろ)の天韓襲命、都佐国造が成務朝(2世紀後半ごろ)の小立足尼であり、幡多のほうが先であったことから、古来は幡多地方がはやくから大和朝廷の勢力と交渉があったものと思われる。 この時期の高知県域の詳細な文献記録は乏しいが、天韓襲命、小立足尼はいずれも三島溝杭(賀茂氏)の後裔を称しており、摂津国三嶋県(大阪府北部)を根拠とした賀茂氏の一族が阿波国を経て都佐・幡多に降り、土着した可能性がある。また、土佐神社(のちの土佐国一宮)の主祭神であるアヂスキタカヒコネは、賀茂氏の氏神とされる。 高知県域に国司が置かれた初見は、天武天皇13年(684年)の白鳳地震に際して、日本書紀に土佐国内での被害状況が「土左国司」からの報告として引用されたものが挙げられる、遅くともこの時期には高知県域にも国司が置かれ土佐国が成立、完全に律令体制下に組み込まれたことがわかる。個人名の分かる国司の初例は、天平15年(743年)任命の引田虫麻呂である。 律令制下での土佐の国制については、以下の通り。 土佐国司として任命されたのは、治承・寿永の乱(源平合戦)のころまでの五世紀弱の間に106名に及んでいるが、時代が下るにつれて、他の国の国司の例に漏れず、遥任の発生など、利権に与って蓄財に走る事例が定着した。延暦4年(785年)には、調の納入が遅れ、しかも届いた品が粗悪品であったため、守から目(さかん)に至るまで、国司税人が解任されている。 歴代の国司の中では、紀貫之(延長8年(930年)任命)が特に善政を行った事例として全国的に著名であり、また任期を終えての復命中の道中記「土佐日記」には、当時の土佐の風俗なども記されている。 また、土佐国は畿内から特に遠く離れた遠国とされたため、重罪人の配流が多かった。土佐へ配流されたものは、天武天皇5年(676年)の屋垣王を初例として、鎌倉時代までに約60人に及んだ。 12世紀末に鎌倉幕府が成立した時、土佐は源平合戦時において源氏と関係が強かったため、いち早く幕府の勢力下に入った。文治元年(1185年)、源頼朝が守護・地頭の設置を許されたのと前後して(文治の勅許)、梶原朝景(梶原景時の弟)が事実上の初代守護として派遣され、国内の鎮撫にあたった。 その後、建久3年(1192年)には佐々木経高、建仁元年(1200年)には豊島朝経、建仁3年(1202年)には三浦義村が守護となり、宝治元年(1247年)の三浦氏滅亡(宝治合戦)まで三浦氏が守護を務めた。時代が下ると執権北条氏の一族が守護を務め、大須賀氏や安藤氏が守護代として現地での任に当たった。 また、地頭には香宗我部氏・長曾我部氏・津野氏・安芸氏・大黒氏らが補任された。 鎌倉幕府滅亡後の建武3年(1336年)足利尊氏は豊島河原合戦に敗れ、九州に退いて体勢を立て直す途中、四国に細川氏の一族を配置して武士たちを統制させた。土佐国は細川顕氏が配され、以降の南北朝時代において、土佐の勢力争いは興国2年/暦応4年(1341年)の時点で北朝優位が確立した。 室町時代の間、四国一帯は、南北朝時代に細川頼之の地域平定の功により細川氏の両国となり、土佐国は一門の細川頼益の子孫(遠州家)が守護代として下向、統治にあたった。 遠州家の土佐統治は5代にわたって続いたが、4代勝益の代になると、豪族の反乱の討伐に手間取るなど、領内の統制がままならなくなった。応仁元年(1467年)、応仁の乱が勃発すると、勝益は乱の当事者となった細川勝元の命を受けて、豪族を引き連れて上洛、国元を長期間不在にすることにより、影響力を徐々に減退させる。 応仁の乱終結後も遠州家の土佐統治は、本家の細川政元の影響力のもと、曲がりなりにも継続していた。しかし、栄正4年(1507年)、政元の暗殺(永正の錯乱)が引き金となり、国人の抑えが効かなくなり、5代政益は土佐を脱出する。 この後、土佐国内は守護の勢力が及ばない動乱状態に陥り、土佐七雄(本山氏・吉良氏・安芸氏・津野氏・香宗我部氏・大平氏・長曾我部氏)に国司であるところの土佐一条氏の八勢力を中心にしのぎを削り、国内の城は最盛時には300を超えた。 土佐国は天正3年(1575年)、長曾我部元親の手によって統一される。元親は次いで四国平定に乗り出したが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国進出に敗れ、土佐一国の領主に収まった。 その後、元親の後を継いだ盛親は、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに西軍として参陣、これに敗れて、領地を改易された。土佐一国は、東軍に属した遠州掛川城主山内一豊に与えられた。 土佐国は山内一豊の入府以降、一度も転封を経ることなく、山内氏が16代にわたって、廃藩置県に至るまでこれを統治した。 山内氏の土佐入府にあたり、長曾我部遺臣の一領具足たちは頑強な抵抗を見せた(浦戸一揆)。最終的には、一揆中の裏切りによって、多くの旧臣が打ち取られる形でことは決着した。一豊が入府したのちも、滝山一揆など、数年間は散発的な反乱が続いた。 一豊は入府後、元親の居城を引き継いだ浦戸城にかわり、広域な城下町形成を企図して高知平野の大高坂山に新城を築城、慶長8年(1603年)にここへ移った。新城は慶長15年(1610年)に高知城と名付けられ、以降山内家代々の土佐経営の中心地となった。同時に城下町も碁盤目状に整備され、家臣や商人・職人などが定住した。 土佐藩の統治機構は以下の通りである。まず、家柄などをもととする身分の区別として、上士(家老・中老・馬廻・小姓組・留守居組)と下士(郷士・徒士・組外・足軽・奉公人)があり、大まかに分けて遠州時代からの山内家臣が上士、長曾我部旧臣が下士とされた。のちに、上士と下士の間で、白札(しろふだ)という特別の身分が出来た。 家臣のうち、領国統治に直接関わる部署は外官と称された。外官職のトップは奉行職(執政とも)と呼ばれ、家老のうちから任命された。実際に実務を指揮するのは仕置役(参政とも)であり、中老や馬廻から任命された。仕置役の下に各部署が設置されて職務を分担し、奉行がこれを統率した。裁判や警察に関する職務は大目付が担当し、奉行職に直属した。 藩主の家政に関わる部署は内官と称された。内官職のトップは近習家老と呼ばれ、山内家の私的な家政の管理のほか、江戸・京都・大坂の藩邸を通じて幕府や他大名との渉外なども統括した。 慶長10年(1605年)、一豊の甥、山内忠義が2代藩主に就任する。このころ、山内家は幕府から土木建築の助役(江戸城、名古屋城など)や大坂の陣への参陣などの要求により出費がかさみ、さらに忠義本人の浪費癖もあいまって、借金は最も多い時期では歳入米2、3年分にまで膨れ上がり、幕府から借財整理を勧告されるほどであった。 勧告を受けて元和7年(1621年)、仕置役・福岡丹波が中心となり、藩政改革が行われた。具体的には、領内の山林の伐採に農民を動員し(料木役)、伐採した檜などを大坂へ送って売却し、借財の返却に充てた。ほかに、緊縮政策による経費節約、家臣からの上米・借上(俸禄カット)、米の販売統制などをあわせて実施し、寛永2年(1625年)に借財の返済は完了した。 同時に、安定した年貢収入を得るべく、改めて検地を行うとともに、農民による土地の所有関係を明確化した。国内の田畑については、山間部を中心に、一領具足が同時に本百姓(名主)として土地を支配し、下層農民が被官としてこれに隷属していたのであるが、長曾我部氏の失脚によって一領具足、さらにその被官の地位が不安定化すると、被官たちが土地を捨てて逃げ出す事例(走り者)が多発した。藩当局は走り者の罪を赦して農地への復帰を進めるとともに、土地を公平に分けて耕作させる田地割替制度を始めたり、さらに年貢徴収の制度を定免法に改めることにより、年貢収入の安定化を図った。 寛永8年(1631年)、山内家の近親である野中兼山が奉行職に就任し、以降30年間にわたり、藩政改革をリードした。 兼山は藩収入の根幹である年貢米の収入を増加させるべく、新田開発、それに伴う灌漑開発や用水路の建設、そして港湾整備などの土木事業を主導した。 同時に、いまだに不平分子として燻っていた一領具足を救済すべく、新田開発や原野の開墾に功績のあったものを郷士として取り立てて知行を与え、才覚のあるものは奉行に取り立てるなど、国内の融和に努めた。 しかし、これらの兼山の施策は、農民の労働力の徴発を伴うものであったため農民の不満を招き、さらに百姓に対する生活指導や国産品の専売による経済統制、さらには飲酒に対する罰金制度まで出されたため、国内の反感を招いた。さらに、郷士を取り立てる方針が譜代の上士たちの不平を招いた。 寛文3年(1663年)、家臣より3代藩主忠豊に対して、兼山の弾劾状が出され、兼山は失脚する。兼山は程なく死去、一族は永く幽閉され、野中家は絶えた。 兼山失脚の後、藩政の方針は兼山時代から逆方向へ舵を切った。専売制をはじめとする経済統制を廃し、民衆の生活への介入なども留めたため、藩内は旧来の活気が戻った。これらの施策を「寛文の改替」という。 一方で、藩の基礎収入が年貢だよりであることには変わりなかったため、藩としては、民力の回復を待って、年貢収入を増加させることを想定していた。そのため、新田開発を引き続き奨励し、新田の年貢の負担を軽くするなどの措置をとった。 しかし、経済統制が解除されたことによって、商業経済がさらに発展し、相対的に武士の暮らし向きは悪くなった。さらに、新田開発によって本田の荒廃や移動を招き、山林開発も衰退するなど、藩財政は悪化した。藩はこの状態を改めるべく、「留物条例」を出して、牛馬・毛皮・漆など一部商品の移出を禁止するなど、新興の商業資本の発展に制限を加えた。同時に有力商人に運上銀を上納させるなどして、藩財政の安定を図った。 更に、年貢収入の不安定性を取り除くべく、貢租額を、年々の額を平均した値を定める"平等免"(ならしめん)に定め、さらに藩士の年貢収入を地方知行から蔵米知行に改めるなど、租税体系の整備が進んだ。しかし一方で、農民に対する生活統制が新たに定められるなど、兼山時代の生活統制の一部が復活したのもこの時期である。 4代藩主豊昌時代の元禄3年(1690年)、これらの土佐藩歴代の法令が集大成され、「元禄大定目」と名付けられた。 これ以降も、収入安定のため商業・生活への介入を行う藩庁と、それに対して抵抗する百姓との間の緊張的な対立関係は続いた。8代藩主豊敷時代の宝暦2年(1752年)、藩庁は国産方役所を設置した。これは藩内の生産商品を藩庁が指定した問屋が買い上げる制度で、藩庁は指定問屋から運上金を得ることで利益を得ていた。この時、一部の指定問屋の購入価格が安価であり、不当な利益を収奪しているとして、津野山の義民・中平善之丞を指導者に、一揆が起こった(津野山騒動)。結局、問屋制度は廃止された。 その後、明和3年(1766年)に再び問屋制度が定められたが、天明7年(1787年)、凶作に困窮した製糸業者らが伊予まで逃亡するという事件が起こった(池川紙一揆)。さらに同年、高知城下で米騒動が起こったのをはじめ、藩内各所で騒動が起こった。これらの騒動を受けて、問屋制度は再び廃止された。 天保14年(1843年)、13代藩主豊熈は進んで人材登用を行い、登用されたものはおこぜ組と呼ばれた。しかしこの流れは旧門閥らの反発を招き、1年足らずで頓挫することとなった。 幕末、土佐藩は15代藩主豊信(容堂)のもとで、土佐一国の大藩として深く関与する。 幕末維新の政局における土佐藩の態度については、変遷や対立はありつつも、容堂ら藩上層部は一貫して公武合体論の立場を堅持する。容堂は幕府大老井伊直弼と対立、安政の大獄で隠居に追い込まれるが、井伊大老が桜田門外の変で暗殺されると程なく復権し、参預会議・四侯会議・王政復古の大号令などで雄藩の一員としていずれもメンバーに含まれた。容堂の藩政を支えたのが馬廻格の吉田東洋で、藩論の策定や幕府への意見書の起草、軍備増強を行うにあたっての資金の用立てなどを推し進める。 一方で、藩内にあって、幕府と距離を置くことを主張する尊王攘夷派は、安政の大獄を機に顕在化し、文久元年(1861年)、武市瑞山を盟主に土佐勤皇党を結成。次第に藩上層部との間の階級対立の様相を呈し、翌文久2年(1862年)、東洋は勤皇党員によって暗殺された。 勤皇党は他藩の同志らと連携して広範に活動を行い、脱藩して京都や長州に赴く者も後を絶たなかった。「人斬り以蔵」と恐れられた岡田以蔵、天誅組の変を起こした吉村虎太郎などがいる。 しかし、文久3年(1863年)、八月十八日の政変をきっかけに尊王攘夷派の動きは頭打ちになり、土佐勤皇党も瑞山が投獄、切腹するなど、壊滅的な打撃を受けた。 その後、坂本龍馬らの活躍により薩長同盟が成立、第二次長州征伐で幕府軍が敗北するにつれ、藩内でも板垣退助らが積極的な討幕を訴え、幕府の大政奉還による安定的な政権交代を模索する後藤象二郎らと対立した。 王政復古の大号令後、小御所会議においても容堂は幕府を擁護していたが、慶応4年(1868年)、戊辰戦争が勃発。板垣が容堂の制止を無視して幕府軍に砲撃を加えたことで、土佐藩はなし崩し的に討幕の立場をとることになった。 戊辰戦争では、土佐藩は四国内の親藩である高松藩(水戸徳川家一門)・松山藩(久松松平家)の征討を命じられるが、両藩ともに戦わずして開城したため、高松へ出征した板垣が軍を率いてそのまま京都で編成中の東征軍に合流する。土佐藩兵2700余は征討軍参謀となった板垣とともに東国へ転戦し、最終的に会津若松城の攻城戦にまで従った。一連の戦闘で、土佐藩兵の戦死者は106、負傷者は168であった。 明治新政府成立後、土佐藩は板垣、後藤らを筆頭に多くの人材を送り込み、「薩長土肥」と通称されるように、新政府の一角を占めるにいたった。しかし、このころの土佐藩の負債は金100万両、銀345貫目におよび、封建制を維持することは不可能になっていた。 明治2年(1869年)、版籍奉還。16代藩主豊範が新たに藩知事に就任、大参事の板垣の下で藩政改革が試みられたものの、根本的な改革は困難であった。明治4年(1871年)、廃藩置県により藩は正式に配され、行政機構としての高知県が誕生した。 なお、明治9年(1876年)に名東県(旧阿波国)が高知県に編入されたが、明治13年(1880年)、徳島県として再度分離している。 明治維新におもなって急速な国内改革が推し進められることにより、県内各所では混乱が起こった。特に、生活の糧を失った士族は、官吏や軍人として登用されたもののほかは、自力で生計を立てねばならなかった。少なくない者はいわゆる士族の商法に手を出したが、多くは程なく行き詰まることとなった。旧藩主山内家も物流業界に手を出して"山一商会"を創業したが、うまくゆかなかった。 また、農民層にも動揺を巻き起こした。年貢米の減免や手放した田地の回復を求めて一揆が起こったほか、外国由来の風習(徴兵制など)に対する誤解に基づく反対運動も行われた。 明治6年(1873年)、明治六年政変にともない、板垣、後藤らは政府を離れた。板垣らは高知へ帰り、片岡健吉、林有造らとともに立志社を設立する。士族授産による没落士族の救済、学校設立などによる民生の安定を標榜、さらに、民選議院の設立を求めていた。 一方で、これらに対抗する団体として、静倹社(原茂胤社長)、嶺南社、猶興社などが設立された。 立志社の方針は政府と対立し、明治11年(1878年)、林、片岡らが拘束される。板垣や植木枝盛らはこれに対抗して独自の議会「土佐国州会」を設立、選挙を行い、政府の地方自治の方針を質すなどした。 明治14年(1881年)、明治十四年の政変により、一旦政府に戻っていた板垣は再び下野すると、自由党を結成。高知県人は党役員の多くを占めるなど、自由党の活動を指導する立場を占めた。 幕末から明治初期にかけて、土佐藩は藩の産物を独占販売する「土佐商会」を運営しており、利益を上げようとしていた。しかし、明治2年(1869年)、政府は府県藩による商会所の経営を禁止した。そこで、解散した土佐商会の事実上の後継組織として「九十九商会」が設立され、社長には土佐商会の経営に携わっていた藩の地下浪人出身の岩崎弥太郎が就任した。岩崎は東京・大阪・神戸と高知を回漕する運輸業を経営することにより藩財政の立て直しに寄与したあと、藩債のうち4万両の肩代わりと引き換えに旧藩船2隻を譲り受け、後に三菱財閥へと至る民間経営者としてのあゆみを始めた。 また、立志社が目指した士族授産についても、政府からの貸付金をもとに民立会社が続々と創業され、士族の雇用創出に貢献した。 農業については、明治以降は年貢米の納入が金納に改まったこともあり、米の品質が一時的に落ちた。これに対して、篤農家の吉川類次と式地亀七の研究によって、古来から行われていた二期作に適した品種衣笠早稲、相川が開発、明治末期から二期作の作付面積が増加した。 交通インフラについては、まず明治19年(1886年)、田辺良顕知事の主導で県内の主要な道路の整備が開始された。明治36年(1903年)には土佐電気鉄道が創業する。国鉄は、大正13年(1924年)に土讃線が県内(高知-須崎間)で開業し、昭和10年(1935年)に至ってようやく高松まで全通、県外と直接の連絡が成立した。 1934年(昭和9年)9月21日、室戸台風による暴風雨。9月26日の新聞報道時点の県内の被害は死者114人、負傷398人、家屋全壊・流失1203戸(1958棟)など。特に被害の大きかった室戸、吉良川、羽根、奈半利、田野、安田の海岸付近の集落は全て廃墟と化し、漁船の流失も約1100隻と、長期間にわたり地域経済に大きな打撃を与えることとなった。 アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)下では、昭和20年(1945年)7月4日、高知市は米軍の空襲を受け、市街地が全焼した。さらに翌昭和21年(1946年)、昭和南海地震によって沿岸部を中心に被災した。 昭和30年(1955年)、県下人口は史上最高の88万3000人に達したが、この時をピークとして以降は減少を続けている。 地方債残高 衆議院の小選挙区が2だが、2012年(平成24年)第46回衆議院議員総選挙以前は3だった。参議院では高知県選挙区として全県で1区を構成していたが、2016年(平成28年)の第24回参議院議員通常選挙より徳島県選挙区と合区され、徳島県とともに1区を構成する合同選挙区として徳島県・高知県選挙区が創設された。 平成21年度(2009年度)の県内総生産額は2兆1408億円(全国第46位)、1人当たり県民所得は約201.7万円で、全国最下位である(全国第47位)。経済規模の小さな自治体であり、財政力指数も全国最下位である。 温暖な気候を利用した早場米の産地で、大半の田が8月には刈り入れを終わる。特に早期なのはとさぴか、南国そだちなどの品種で7月20日ごろには収穫できる。ビニールハウスによる野菜や花木の栽培も盛んで「園芸王国」と称されることもある。昭和後期に栽培され始めた花きの「グロリオサ」は世界最大の花き品評会で金賞に輝くなど、園芸業界におけるブランドの価値が高まっている。近年では土佐赤牛や土佐ジローなどのブランドで知られる畜産も見られる。古くから愛玩鶏の産地として知られ、長尾鶏・東天紅鶏・土佐矮鶏などが挙げられる。 カツオの一本釣りが行われている。そうだがつお類の漁獲量は日本国内で1位である。カツオの他に、びんながまぐろやかじき類の漁獲量も上位を占めている。 日本三大美林の一つ魚梁瀬杉が有名で、森林率 (84%) は日本国内1位であるが林業従事者の減少により山地の荒廃が進んでいる。そのため、法定外目的税として森林環境税を導入し保全政策を行っているほか、企業との協働による環境先進企業との協働の森づくり事業を展開し県内外の27社と森づくりに取り組んでいる。 高知県は全般的に集積度が低いのが特徴であり、大規模な工業地帯などは皆無である。 高知県は「陸の孤島」と称されるほど長年にわたり交通機関が不便な土地であり、高速道路の整備が1990年代にまで遅れたことからその小売業者は県域で循環する性格が強い傾向にあった。 高知自動車道南国インターチェンジの開通後は、1994年(平成6年)のフジグラン高知、1999年(平成11年)のイオン高知ショッピングセンター(現・イオンモール高知)の出店やコンビニエンスストア(それまで県内にはSPARなどのコンビニエンスストアしかなかったが、1996年にサンクス (コンビニエンスストア)、1997年にローソン、1998年にサークルK、2015年にセブンイレブンが進出。)の急激な増加が見られるようになり、2003年(平成15年)ごろからは帯屋町をはじめとする中心市街地の衰退傾向が明らかとなりつつある。 2002年(平成14年)には、目抜き通りのはりまや交差点に接する高知西武が撤退し、2005年(平成17年)11月にはダイエーも撤退した。その後2009年(平成21年)をめどに高知西武跡地については商業系ビルの建設が予定され、2006年(平成18年)6月中旬までに解体作業も完了していた。しかし計画は個人消費低迷や原油高における資材高騰の影響により担当企業が白紙撤回を発表して撤退。その後敷地は2009年(平成21年)11月に大阪の不動産業者に転売され、パチンコ店が建設された。 なお、ダイエーショッパーズ高知店の跡地は長らく有料駐車場となっていたが2014年7月に跡地東端に装飾雑貨の「ほにや」及び「サークルK帯屋町2丁目店」がオープン、翌年の2015年7月31日には複合施設「帯屋町チェントロ」が完成した。 日中の普通列車の本数は高知市近郊区間を除いて毎時1本以下である。また、普通列車の運用は臨時列車を除いてすべて当日中に終了する。 とさでん交通は全線電化されている。残りの鉄道路線は非電化。 県内に本社、営業所を置く主な事業者 高知港からは、最近まで大阪高知特急フェリー(大阪南港行き)やマリンエキスプレス(川崎 / 宮崎)などの運航があった。原油価格の高騰に加えて、明石海峡大橋や高知自動車道などの開通の影響に伴う乗船者数の減少により、相次いで廃止。2018年10月には唯一運航していた宿毛フェリーが休止したため、現在県内に発着するフェリーは存在しない。 ※デジタルテレビの親局送信所はRKC・KUTVが烏帽子山、NHK・KSSが近接する柏尾山。エフエム高知の親局とRKCのFM補完放送のメイン中継局も烏帽子山であるが、NHK-FMの親局は高知港を挟んだ五台山である。なお五台山にはデジタルテレビ各局の中継局もおかれている。 ※ エフエム高知は、中継局の少なさから山間部では放送を受信できない地域が多い。また高知さんさんテレビも、これまでのアナログ放送においては山間部ではやはり中継局の少なさから放送を受信できない地域が多かった。デジタル新局で中継局を順次開局して2010年(平成22年)に先発局と並んで事実上県内全域カバーを果たしたことから、受信できない地域も大幅に減少した。 ※ 高知県にはANN及びTXN系列が存在しない。ANNに関しては四万十町、宿毛市、四万十市、大月町、黒潮町を除く全域を取材拠点として、大阪・朝日放送テレビ(ABC)が高知支局を設置しており、四万十町、宿毛市、四万十市、大月町、黒潮町に関しては愛媛朝日テレビが取材を担当している。 ※ 2019年ごろから高知県内全民放テレビ局において通常時終夜放送を行っている。 2022年現在下記のケーブルテレビに加入できる地域ではケーブルテレビを通じて高知県外のラジオ、テレビ放送が受信可能である。 日本アマチュア無線連盟 (JARL) を免許人とするアマチュア無線用中継局が県内各所に設置されている。高知県のレピータは山地率が高く、また、太平洋に向かって県土が開けている地形から、標高の高い箇所や海沿いの都市・集落間の通信確保のため設置されているところに特徴がある。 1949年から1961年まで、公立高校で高校全入が行われていた。1949年から1956年は無試験。また、1949年から1962年まで高知市内の3校で抽選を行なっていた。 私立中学校への進学率は高く、2020年度に行なわれた『私立中学に通う子どもの割合が多い都道府県ランキング』において第2位を記録している。 国立 公立 私立 私立 私立 国立 高知県では日本最後の清流として知られる四万十川や龍河洞、ホエールウォッチングなど自然を売り物にしたものが多く、近年はエコツーリズムにも力を入れつつある。 一方で大型の集客施設に乏しく、観光客数も年間約500万人(県外客のみ)とやや低位であるが重要文化財・高知城や古社寺の名所旧跡、室戸岬や足摺岬といった自然景勝地をはじめ、高知県立牧野植物園や高知県立坂本龍馬記念館などの充実した博物館群、黒潮本陣(中土佐町)やオーベルジュ土佐山(高知市)など小規模の特徴を生かした宿泊施設が多いのも特徴である。なお、全国へと波及したよさこい祭りは毎年2万人余りの踊り子が高知市内各地を乱舞する一大イベントとなっている。 ※発表年順 高知県名誉県民は、2011年(平成23年)10月11日に制定された高知県名誉県民顕彰要綱に基づき、「学芸、芸術、文化、スポーツ等の分野において輝かしい活躍をし、県民の誇りとふるさと意識を高め、県民に夢と希望、勇気、感動のすべてを与えた」個人や団体を顕彰する制度である(要綱第1条)。名誉県民に選定された者には、表彰状と高知県名誉県民章(副賞)が贈呈される。 名誉高知県人は、高知県名誉県民顕彰要綱が制定される前に運用されていた名誉称号で、高知県を日本全国に紹介する功績を挙げた者に対して高知県知事が贈呈していた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "高知県(こうちけん)は、日本の四国地方に位置する県。県庁所在地は高知市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "令制国では土佐国に当たり、県庁所在地の高知市の大半は土佐国の土佐郡に属していた。日本最後の清流といわれる四万十川(しまんとがわ)のほか、水辺利用率全国一の仁淀川、物部川、安田川など四国山地に源を発する清流が多く流れる。室戸岬・足摺岬・龍河洞・四国カルストなど多くの天然の観光資源を有する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "近年は、徳島県、宮崎県などの他の産地や、輸入野菜などに押されがちであるが、ピーマンやなすやトマトをはじめとする野菜類の促成栽培でも有名で、県中央部の沿岸部(土佐市〜芸西村付近)は、ビニールハウスが多く並んでいる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "高知県は東西に長い四国の南部、太平洋から四国山地の尾根までの範囲で「海の国」としてのイメージが強いが、高知市から香南市・香美市土佐山田町南部に至る高知平野、香長平野と南西部の四万十市周辺がやや広い平野となっているほかは、そのほとんどが海の近くまで山が迫る典型的な山国である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "山地率は89 %と全国一位で、全国平均の66 %と比べてもその険しさがよく分かる。最高峰は三嶺で(山頂が高知県単独の場合は手箱山)、地質的には四万十帯と呼ばれる堆積岩が多い地域でもあり、土砂災害がきわめて多い。その一方で県西部を流れる四万十川、石鎚山から土佐湾に南下する仁淀川、県北部から徳島県へと流れる吉野川など水量豊富な河川が多くあり、近年はカヌーでの川下りをする人が増えてきている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "水不足に悩まされることはほとんどないが、治水は古くからの課題となっており江戸時代初期の土佐藩奉行野中兼山による大規模な河川改修は県下主要河川のほとんどで実施されてきた。現在は全国有数の治水能力を有し、降雨量が多いにもかかわらず、全国的に見ると水害が少ない県でもある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "高知県沖の太平洋を黒潮が流れており、冬の朝などは海面から湯気が立っているのが見える。気候は黒潮の影響を受けて冬でも温暖であり、台風の襲来も多く、1951年(昭和26年)以降の台風上陸数は鹿児島県に次いで2番目に多い県である。特に「室戸台風」では、室戸岬上陸時の中心気圧が911.6hPaであり、日本本土に上陸した台風のなかで観測史上最も上陸時の中心気圧が低い台風だった。台風の正式な統計は1951年(昭和26年)から開始されたため、この記録は参考記録扱いとされているが、これは同緯度の台風における中心気圧の最低記録として、いまだに破られていない。太平洋に突き出た足摺岬、室戸岬は強風でも知られる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "県南西部の山間は大きく開発されることが無く、豊かな山林とダムの無い大きな川が残されている。四万十川は最後の清流として有名である。1980年代後半には四万十川河川敷に小規模なコミューター空港、2000年初頭に宿毛市と愛媛県愛南町(旧一本松町)の県境にまたがる2000m級の空港(仮称:高知西南空港)を建設する計画が浮上したがいずれも頓挫している。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "高知県の東西南北それぞれの端、及び重心は以下の位置である。北端はちち山、南端は沖の島 (高知県)、東端は甲浦港沖に浮かぶ葛島、西端は鵜来島にある。また統計局の平成22年国勢調査によると、人口重心は土佐市新居付近にある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "高知県の年間日照時間は2000時間を越え、全国2-3位が定位置となっている一方、年間降水量も平野部で2500mm前後、山間部では3000mmを超え、東部山間部の魚梁瀬は4100mm程度と日本有数である。夏は蒸し暑く、熱帯夜が連日のように続くが、昼は猛暑になりにくい。その反面、西部側の地域は北西風が四国山地を超えてフェーンを起こし、本州内陸部にも匹敵する暑さとなることがある。四万十市江川崎では、2013年8月12日に日本の歴代最高気温記録(当時)である41.0°Cを観測している。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "平野部での積雪はまれであるが、山間部や豊後水道側に開けた県西部の幡多地域平野部では大雪に見舞われることもあり、剣山系、石鎚山系の高い山では厳冬期に根雪が見られる地域も存在する。冬は晴れ間が多く、放射冷却によって朝などは高知市でも氷点下になることも多いが、日中は暖かい。その反面、室戸岬や足摺岬などの半島部や沿岸部では無霜地帯が存在する。その温暖な気候を求め、スポーツチームが多数キャンプを設置する。春は宇和島と並び、ソメイヨシノの開花前線が全国でも早く訪れることで知られるが、夏から秋は頻繁に台風の直撃を受けることがあるほか、台風本体が東シナ海から日本海側を通過する際も南からの温かい湿った風が、四国山地に遮られて大雨になることもある。室戸岬と足摺岬は「台風銀座」と呼ばれている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "以下の11市6郡17町6村がある。町はすべて「ちょう」、村は「むら」と読む。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "以下、7つの広域市町村圏ごとに記述する。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "高知県は、全国では鳥取県、島根県に次いで3番目に人口が少なく(全政令指定都市よりも人口が少ない)、四国地方では最下位である。人口密度は中部地方以西の府県では最も低い。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "人口の分布としては県庁所在地の高知市に県民のほぼ半数が居住し、いわゆるプライメートシティとなっている。単独市制施行に必要な人口である5万人を上回る市は高知市のみであり、全都道府県中最も少ない。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "県中部の高知平野の他に比較的まとまった人口が居住する地域は四万十市などごく僅かであり、県西部・東部は日本でも有数の人口密度が低い地域となっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "現在の高知県の行政機構の最も古い時代の記録は、国造本紀の記録があり、幡多(県西部、後の幡多郡か)・都佐(県中東部)の二つの国造がおかれた。それぞれの初代の任命者は、幡多国造が崇神朝(紀元前1世紀ごろ)の天韓襲命、都佐国造が成務朝(2世紀後半ごろ)の小立足尼であり、幡多のほうが先であったことから、古来は幡多地方がはやくから大和朝廷の勢力と交渉があったものと思われる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "この時期の高知県域の詳細な文献記録は乏しいが、天韓襲命、小立足尼はいずれも三島溝杭(賀茂氏)の後裔を称しており、摂津国三嶋県(大阪府北部)を根拠とした賀茂氏の一族が阿波国を経て都佐・幡多に降り、土着した可能性がある。また、土佐神社(のちの土佐国一宮)の主祭神であるアヂスキタカヒコネは、賀茂氏の氏神とされる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "高知県域に国司が置かれた初見は、天武天皇13年(684年)の白鳳地震に際して、日本書紀に土佐国内での被害状況が「土左国司」からの報告として引用されたものが挙げられる、遅くともこの時期には高知県域にも国司が置かれ土佐国が成立、完全に律令体制下に組み込まれたことがわかる。個人名の分かる国司の初例は、天平15年(743年)任命の引田虫麻呂である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "律令制下での土佐の国制については、以下の通り。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "土佐国司として任命されたのは、治承・寿永の乱(源平合戦)のころまでの五世紀弱の間に106名に及んでいるが、時代が下るにつれて、他の国の国司の例に漏れず、遥任の発生など、利権に与って蓄財に走る事例が定着した。延暦4年(785年)には、調の納入が遅れ、しかも届いた品が粗悪品であったため、守から目(さかん)に至るまで、国司税人が解任されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "歴代の国司の中では、紀貫之(延長8年(930年)任命)が特に善政を行った事例として全国的に著名であり、また任期を終えての復命中の道中記「土佐日記」には、当時の土佐の風俗なども記されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "また、土佐国は畿内から特に遠く離れた遠国とされたため、重罪人の配流が多かった。土佐へ配流されたものは、天武天皇5年(676年)の屋垣王を初例として、鎌倉時代までに約60人に及んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "12世紀末に鎌倉幕府が成立した時、土佐は源平合戦時において源氏と関係が強かったため、いち早く幕府の勢力下に入った。文治元年(1185年)、源頼朝が守護・地頭の設置を許されたのと前後して(文治の勅許)、梶原朝景(梶原景時の弟)が事実上の初代守護として派遣され、国内の鎮撫にあたった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "その後、建久3年(1192年)には佐々木経高、建仁元年(1200年)には豊島朝経、建仁3年(1202年)には三浦義村が守護となり、宝治元年(1247年)の三浦氏滅亡(宝治合戦)まで三浦氏が守護を務めた。時代が下ると執権北条氏の一族が守護を務め、大須賀氏や安藤氏が守護代として現地での任に当たった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "また、地頭には香宗我部氏・長曾我部氏・津野氏・安芸氏・大黒氏らが補任された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "鎌倉幕府滅亡後の建武3年(1336年)足利尊氏は豊島河原合戦に敗れ、九州に退いて体勢を立て直す途中、四国に細川氏の一族を配置して武士たちを統制させた。土佐国は細川顕氏が配され、以降の南北朝時代において、土佐の勢力争いは興国2年/暦応4年(1341年)の時点で北朝優位が確立した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "室町時代の間、四国一帯は、南北朝時代に細川頼之の地域平定の功により細川氏の両国となり、土佐国は一門の細川頼益の子孫(遠州家)が守護代として下向、統治にあたった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "遠州家の土佐統治は5代にわたって続いたが、4代勝益の代になると、豪族の反乱の討伐に手間取るなど、領内の統制がままならなくなった。応仁元年(1467年)、応仁の乱が勃発すると、勝益は乱の当事者となった細川勝元の命を受けて、豪族を引き連れて上洛、国元を長期間不在にすることにより、影響力を徐々に減退させる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "応仁の乱終結後も遠州家の土佐統治は、本家の細川政元の影響力のもと、曲がりなりにも継続していた。しかし、栄正4年(1507年)、政元の暗殺(永正の錯乱)が引き金となり、国人の抑えが効かなくなり、5代政益は土佐を脱出する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "この後、土佐国内は守護の勢力が及ばない動乱状態に陥り、土佐七雄(本山氏・吉良氏・安芸氏・津野氏・香宗我部氏・大平氏・長曾我部氏)に国司であるところの土佐一条氏の八勢力を中心にしのぎを削り、国内の城は最盛時には300を超えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "土佐国は天正3年(1575年)、長曾我部元親の手によって統一される。元親は次いで四国平定に乗り出したが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国進出に敗れ、土佐一国の領主に収まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "その後、元親の後を継いだ盛親は、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに西軍として参陣、これに敗れて、領地を改易された。土佐一国は、東軍に属した遠州掛川城主山内一豊に与えられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "土佐国は山内一豊の入府以降、一度も転封を経ることなく、山内氏が16代にわたって、廃藩置県に至るまでこれを統治した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "山内氏の土佐入府にあたり、長曾我部遺臣の一領具足たちは頑強な抵抗を見せた(浦戸一揆)。最終的には、一揆中の裏切りによって、多くの旧臣が打ち取られる形でことは決着した。一豊が入府したのちも、滝山一揆など、数年間は散発的な反乱が続いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "一豊は入府後、元親の居城を引き継いだ浦戸城にかわり、広域な城下町形成を企図して高知平野の大高坂山に新城を築城、慶長8年(1603年)にここへ移った。新城は慶長15年(1610年)に高知城と名付けられ、以降山内家代々の土佐経営の中心地となった。同時に城下町も碁盤目状に整備され、家臣や商人・職人などが定住した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "土佐藩の統治機構は以下の通りである。まず、家柄などをもととする身分の区別として、上士(家老・中老・馬廻・小姓組・留守居組)と下士(郷士・徒士・組外・足軽・奉公人)があり、大まかに分けて遠州時代からの山内家臣が上士、長曾我部旧臣が下士とされた。のちに、上士と下士の間で、白札(しろふだ)という特別の身分が出来た。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "家臣のうち、領国統治に直接関わる部署は外官と称された。外官職のトップは奉行職(執政とも)と呼ばれ、家老のうちから任命された。実際に実務を指揮するのは仕置役(参政とも)であり、中老や馬廻から任命された。仕置役の下に各部署が設置されて職務を分担し、奉行がこれを統率した。裁判や警察に関する職務は大目付が担当し、奉行職に直属した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "藩主の家政に関わる部署は内官と称された。内官職のトップは近習家老と呼ばれ、山内家の私的な家政の管理のほか、江戸・京都・大坂の藩邸を通じて幕府や他大名との渉外なども統括した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "慶長10年(1605年)、一豊の甥、山内忠義が2代藩主に就任する。このころ、山内家は幕府から土木建築の助役(江戸城、名古屋城など)や大坂の陣への参陣などの要求により出費がかさみ、さらに忠義本人の浪費癖もあいまって、借金は最も多い時期では歳入米2、3年分にまで膨れ上がり、幕府から借財整理を勧告されるほどであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "勧告を受けて元和7年(1621年)、仕置役・福岡丹波が中心となり、藩政改革が行われた。具体的には、領内の山林の伐採に農民を動員し(料木役)、伐採した檜などを大坂へ送って売却し、借財の返却に充てた。ほかに、緊縮政策による経費節約、家臣からの上米・借上(俸禄カット)、米の販売統制などをあわせて実施し、寛永2年(1625年)に借財の返済は完了した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "同時に、安定した年貢収入を得るべく、改めて検地を行うとともに、農民による土地の所有関係を明確化した。国内の田畑については、山間部を中心に、一領具足が同時に本百姓(名主)として土地を支配し、下層農民が被官としてこれに隷属していたのであるが、長曾我部氏の失脚によって一領具足、さらにその被官の地位が不安定化すると、被官たちが土地を捨てて逃げ出す事例(走り者)が多発した。藩当局は走り者の罪を赦して農地への復帰を進めるとともに、土地を公平に分けて耕作させる田地割替制度を始めたり、さらに年貢徴収の制度を定免法に改めることにより、年貢収入の安定化を図った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "寛永8年(1631年)、山内家の近親である野中兼山が奉行職に就任し、以降30年間にわたり、藩政改革をリードした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "兼山は藩収入の根幹である年貢米の収入を増加させるべく、新田開発、それに伴う灌漑開発や用水路の建設、そして港湾整備などの土木事業を主導した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "同時に、いまだに不平分子として燻っていた一領具足を救済すべく、新田開発や原野の開墾に功績のあったものを郷士として取り立てて知行を与え、才覚のあるものは奉行に取り立てるなど、国内の融和に努めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "しかし、これらの兼山の施策は、農民の労働力の徴発を伴うものであったため農民の不満を招き、さらに百姓に対する生活指導や国産品の専売による経済統制、さらには飲酒に対する罰金制度まで出されたため、国内の反感を招いた。さらに、郷士を取り立てる方針が譜代の上士たちの不平を招いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "寛文3年(1663年)、家臣より3代藩主忠豊に対して、兼山の弾劾状が出され、兼山は失脚する。兼山は程なく死去、一族は永く幽閉され、野中家は絶えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "兼山失脚の後、藩政の方針は兼山時代から逆方向へ舵を切った。専売制をはじめとする経済統制を廃し、民衆の生活への介入なども留めたため、藩内は旧来の活気が戻った。これらの施策を「寛文の改替」という。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "一方で、藩の基礎収入が年貢だよりであることには変わりなかったため、藩としては、民力の回復を待って、年貢収入を増加させることを想定していた。そのため、新田開発を引き続き奨励し、新田の年貢の負担を軽くするなどの措置をとった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "しかし、経済統制が解除されたことによって、商業経済がさらに発展し、相対的に武士の暮らし向きは悪くなった。さらに、新田開発によって本田の荒廃や移動を招き、山林開発も衰退するなど、藩財政は悪化した。藩はこの状態を改めるべく、「留物条例」を出して、牛馬・毛皮・漆など一部商品の移出を禁止するなど、新興の商業資本の発展に制限を加えた。同時に有力商人に運上銀を上納させるなどして、藩財政の安定を図った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "更に、年貢収入の不安定性を取り除くべく、貢租額を、年々の額を平均した値を定める\"平等免\"(ならしめん)に定め、さらに藩士の年貢収入を地方知行から蔵米知行に改めるなど、租税体系の整備が進んだ。しかし一方で、農民に対する生活統制が新たに定められるなど、兼山時代の生活統制の一部が復活したのもこの時期である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "4代藩主豊昌時代の元禄3年(1690年)、これらの土佐藩歴代の法令が集大成され、「元禄大定目」と名付けられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "これ以降も、収入安定のため商業・生活への介入を行う藩庁と、それに対して抵抗する百姓との間の緊張的な対立関係は続いた。8代藩主豊敷時代の宝暦2年(1752年)、藩庁は国産方役所を設置した。これは藩内の生産商品を藩庁が指定した問屋が買い上げる制度で、藩庁は指定問屋から運上金を得ることで利益を得ていた。この時、一部の指定問屋の購入価格が安価であり、不当な利益を収奪しているとして、津野山の義民・中平善之丞を指導者に、一揆が起こった(津野山騒動)。結局、問屋制度は廃止された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "その後、明和3年(1766年)に再び問屋制度が定められたが、天明7年(1787年)、凶作に困窮した製糸業者らが伊予まで逃亡するという事件が起こった(池川紙一揆)。さらに同年、高知城下で米騒動が起こったのをはじめ、藩内各所で騒動が起こった。これらの騒動を受けて、問屋制度は再び廃止された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "天保14年(1843年)、13代藩主豊熈は進んで人材登用を行い、登用されたものはおこぜ組と呼ばれた。しかしこの流れは旧門閥らの反発を招き、1年足らずで頓挫することとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "幕末、土佐藩は15代藩主豊信(容堂)のもとで、土佐一国の大藩として深く関与する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "幕末維新の政局における土佐藩の態度については、変遷や対立はありつつも、容堂ら藩上層部は一貫して公武合体論の立場を堅持する。容堂は幕府大老井伊直弼と対立、安政の大獄で隠居に追い込まれるが、井伊大老が桜田門外の変で暗殺されると程なく復権し、参預会議・四侯会議・王政復古の大号令などで雄藩の一員としていずれもメンバーに含まれた。容堂の藩政を支えたのが馬廻格の吉田東洋で、藩論の策定や幕府への意見書の起草、軍備増強を行うにあたっての資金の用立てなどを推し進める。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "一方で、藩内にあって、幕府と距離を置くことを主張する尊王攘夷派は、安政の大獄を機に顕在化し、文久元年(1861年)、武市瑞山を盟主に土佐勤皇党を結成。次第に藩上層部との間の階級対立の様相を呈し、翌文久2年(1862年)、東洋は勤皇党員によって暗殺された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "勤皇党は他藩の同志らと連携して広範に活動を行い、脱藩して京都や長州に赴く者も後を絶たなかった。「人斬り以蔵」と恐れられた岡田以蔵、天誅組の変を起こした吉村虎太郎などがいる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "しかし、文久3年(1863年)、八月十八日の政変をきっかけに尊王攘夷派の動きは頭打ちになり、土佐勤皇党も瑞山が投獄、切腹するなど、壊滅的な打撃を受けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "その後、坂本龍馬らの活躍により薩長同盟が成立、第二次長州征伐で幕府軍が敗北するにつれ、藩内でも板垣退助らが積極的な討幕を訴え、幕府の大政奉還による安定的な政権交代を模索する後藤象二郎らと対立した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "王政復古の大号令後、小御所会議においても容堂は幕府を擁護していたが、慶応4年(1868年)、戊辰戦争が勃発。板垣が容堂の制止を無視して幕府軍に砲撃を加えたことで、土佐藩はなし崩し的に討幕の立場をとることになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "戊辰戦争では、土佐藩は四国内の親藩である高松藩(水戸徳川家一門)・松山藩(久松松平家)の征討を命じられるが、両藩ともに戦わずして開城したため、高松へ出征した板垣が軍を率いてそのまま京都で編成中の東征軍に合流する。土佐藩兵2700余は征討軍参謀となった板垣とともに東国へ転戦し、最終的に会津若松城の攻城戦にまで従った。一連の戦闘で、土佐藩兵の戦死者は106、負傷者は168であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "明治新政府成立後、土佐藩は板垣、後藤らを筆頭に多くの人材を送り込み、「薩長土肥」と通称されるように、新政府の一角を占めるにいたった。しかし、このころの土佐藩の負債は金100万両、銀345貫目におよび、封建制を維持することは不可能になっていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "明治2年(1869年)、版籍奉還。16代藩主豊範が新たに藩知事に就任、大参事の板垣の下で藩政改革が試みられたものの、根本的な改革は困難であった。明治4年(1871年)、廃藩置県により藩は正式に配され、行政機構としての高知県が誕生した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "なお、明治9年(1876年)に名東県(旧阿波国)が高知県に編入されたが、明治13年(1880年)、徳島県として再度分離している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "明治維新におもなって急速な国内改革が推し進められることにより、県内各所では混乱が起こった。特に、生活の糧を失った士族は、官吏や軍人として登用されたもののほかは、自力で生計を立てねばならなかった。少なくない者はいわゆる士族の商法に手を出したが、多くは程なく行き詰まることとなった。旧藩主山内家も物流業界に手を出して\"山一商会\"を創業したが、うまくゆかなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "また、農民層にも動揺を巻き起こした。年貢米の減免や手放した田地の回復を求めて一揆が起こったほか、外国由来の風習(徴兵制など)に対する誤解に基づく反対運動も行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "明治6年(1873年)、明治六年政変にともない、板垣、後藤らは政府を離れた。板垣らは高知へ帰り、片岡健吉、林有造らとともに立志社を設立する。士族授産による没落士族の救済、学校設立などによる民生の安定を標榜、さらに、民選議院の設立を求めていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "一方で、これらに対抗する団体として、静倹社(原茂胤社長)、嶺南社、猶興社などが設立された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "立志社の方針は政府と対立し、明治11年(1878年)、林、片岡らが拘束される。板垣や植木枝盛らはこれに対抗して独自の議会「土佐国州会」を設立、選挙を行い、政府の地方自治の方針を質すなどした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "明治14年(1881年)、明治十四年の政変により、一旦政府に戻っていた板垣は再び下野すると、自由党を結成。高知県人は党役員の多くを占めるなど、自由党の活動を指導する立場を占めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "幕末から明治初期にかけて、土佐藩は藩の産物を独占販売する「土佐商会」を運営しており、利益を上げようとしていた。しかし、明治2年(1869年)、政府は府県藩による商会所の経営を禁止した。そこで、解散した土佐商会の事実上の後継組織として「九十九商会」が設立され、社長には土佐商会の経営に携わっていた藩の地下浪人出身の岩崎弥太郎が就任した。岩崎は東京・大阪・神戸と高知を回漕する運輸業を経営することにより藩財政の立て直しに寄与したあと、藩債のうち4万両の肩代わりと引き換えに旧藩船2隻を譲り受け、後に三菱財閥へと至る民間経営者としてのあゆみを始めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "また、立志社が目指した士族授産についても、政府からの貸付金をもとに民立会社が続々と創業され、士族の雇用創出に貢献した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "農業については、明治以降は年貢米の納入が金納に改まったこともあり、米の品質が一時的に落ちた。これに対して、篤農家の吉川類次と式地亀七の研究によって、古来から行われていた二期作に適した品種衣笠早稲、相川が開発、明治末期から二期作の作付面積が増加した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "交通インフラについては、まず明治19年(1886年)、田辺良顕知事の主導で県内の主要な道路の整備が開始された。明治36年(1903年)には土佐電気鉄道が創業する。国鉄は、大正13年(1924年)に土讃線が県内(高知-須崎間)で開業し、昭和10年(1935年)に至ってようやく高松まで全通、県外と直接の連絡が成立した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "1934年(昭和9年)9月21日、室戸台風による暴風雨。9月26日の新聞報道時点の県内の被害は死者114人、負傷398人、家屋全壊・流失1203戸(1958棟)など。特に被害の大きかった室戸、吉良川、羽根、奈半利、田野、安田の海岸付近の集落は全て廃墟と化し、漁船の流失も約1100隻と、長期間にわたり地域経済に大きな打撃を与えることとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)下では、昭和20年(1945年)7月4日、高知市は米軍の空襲を受け、市街地が全焼した。さらに翌昭和21年(1946年)、昭和南海地震によって沿岸部を中心に被災した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "昭和30年(1955年)、県下人口は史上最高の88万3000人に達したが、この時をピークとして以降は減少を続けている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "地方債残高", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区が2だが、2012年(平成24年)第46回衆議院議員総選挙以前は3だった。参議院では高知県選挙区として全県で1区を構成していたが、2016年(平成28年)の第24回参議院議員通常選挙より徳島県選挙区と合区され、徳島県とともに1区を構成する合同選挙区として徳島県・高知県選挙区が創設された。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "平成21年度(2009年度)の県内総生産額は2兆1408億円(全国第46位)、1人当たり県民所得は約201.7万円で、全国最下位である(全国第47位)。経済規模の小さな自治体であり、財政力指数も全国最下位である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "温暖な気候を利用した早場米の産地で、大半の田が8月には刈り入れを終わる。特に早期なのはとさぴか、南国そだちなどの品種で7月20日ごろには収穫できる。ビニールハウスによる野菜や花木の栽培も盛んで「園芸王国」と称されることもある。昭和後期に栽培され始めた花きの「グロリオサ」は世界最大の花き品評会で金賞に輝くなど、園芸業界におけるブランドの価値が高まっている。近年では土佐赤牛や土佐ジローなどのブランドで知られる畜産も見られる。古くから愛玩鶏の産地として知られ、長尾鶏・東天紅鶏・土佐矮鶏などが挙げられる。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "カツオの一本釣りが行われている。そうだがつお類の漁獲量は日本国内で1位である。カツオの他に、びんながまぐろやかじき類の漁獲量も上位を占めている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "日本三大美林の一つ魚梁瀬杉が有名で、森林率 (84%) は日本国内1位であるが林業従事者の減少により山地の荒廃が進んでいる。そのため、法定外目的税として森林環境税を導入し保全政策を行っているほか、企業との協働による環境先進企業との協働の森づくり事業を展開し県内外の27社と森づくりに取り組んでいる。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "高知県は全般的に集積度が低いのが特徴であり、大規模な工業地帯などは皆無である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "高知県は「陸の孤島」と称されるほど長年にわたり交通機関が不便な土地であり、高速道路の整備が1990年代にまで遅れたことからその小売業者は県域で循環する性格が強い傾向にあった。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "高知自動車道南国インターチェンジの開通後は、1994年(平成6年)のフジグラン高知、1999年(平成11年)のイオン高知ショッピングセンター(現・イオンモール高知)の出店やコンビニエンスストア(それまで県内にはSPARなどのコンビニエンスストアしかなかったが、1996年にサンクス (コンビニエンスストア)、1997年にローソン、1998年にサークルK、2015年にセブンイレブンが進出。)の急激な増加が見られるようになり、2003年(平成15年)ごろからは帯屋町をはじめとする中心市街地の衰退傾向が明らかとなりつつある。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "2002年(平成14年)には、目抜き通りのはりまや交差点に接する高知西武が撤退し、2005年(平成17年)11月にはダイエーも撤退した。その後2009年(平成21年)をめどに高知西武跡地については商業系ビルの建設が予定され、2006年(平成18年)6月中旬までに解体作業も完了していた。しかし計画は個人消費低迷や原油高における資材高騰の影響により担当企業が白紙撤回を発表して撤退。その後敷地は2009年(平成21年)11月に大阪の不動産業者に転売され、パチンコ店が建設された。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "なお、ダイエーショッパーズ高知店の跡地は長らく有料駐車場となっていたが2014年7月に跡地東端に装飾雑貨の「ほにや」及び「サークルK帯屋町2丁目店」がオープン、翌年の2015年7月31日には複合施設「帯屋町チェントロ」が完成した。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "日中の普通列車の本数は高知市近郊区間を除いて毎時1本以下である。また、普通列車の運用は臨時列車を除いてすべて当日中に終了する。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "とさでん交通は全線電化されている。残りの鉄道路線は非電化。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "県内に本社、営業所を置く主な事業者", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "高知港からは、最近まで大阪高知特急フェリー(大阪南港行き)やマリンエキスプレス(川崎 / 宮崎)などの運航があった。原油価格の高騰に加えて、明石海峡大橋や高知自動車道などの開通の影響に伴う乗船者数の減少により、相次いで廃止。2018年10月には唯一運航していた宿毛フェリーが休止したため、現在県内に発着するフェリーは存在しない。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "※デジタルテレビの親局送信所はRKC・KUTVが烏帽子山、NHK・KSSが近接する柏尾山。エフエム高知の親局とRKCのFM補完放送のメイン中継局も烏帽子山であるが、NHK-FMの親局は高知港を挟んだ五台山である。なお五台山にはデジタルテレビ各局の中継局もおかれている。 ※ エフエム高知は、中継局の少なさから山間部では放送を受信できない地域が多い。また高知さんさんテレビも、これまでのアナログ放送においては山間部ではやはり中継局の少なさから放送を受信できない地域が多かった。デジタル新局で中継局を順次開局して2010年(平成22年)に先発局と並んで事実上県内全域カバーを果たしたことから、受信できない地域も大幅に減少した。 ※ 高知県にはANN及びTXN系列が存在しない。ANNに関しては四万十町、宿毛市、四万十市、大月町、黒潮町を除く全域を取材拠点として、大阪・朝日放送テレビ(ABC)が高知支局を設置しており、四万十町、宿毛市、四万十市、大月町、黒潮町に関しては愛媛朝日テレビが取材を担当している。 ※ 2019年ごろから高知県内全民放テレビ局において通常時終夜放送を行っている。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "2022年現在下記のケーブルテレビに加入できる地域ではケーブルテレビを通じて高知県外のラジオ、テレビ放送が受信可能である。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "日本アマチュア無線連盟 (JARL) を免許人とするアマチュア無線用中継局が県内各所に設置されている。高知県のレピータは山地率が高く、また、太平洋に向かって県土が開けている地形から、標高の高い箇所や海沿いの都市・集落間の通信確保のため設置されているところに特徴がある。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "1949年から1961年まで、公立高校で高校全入が行われていた。1949年から1956年は無試験。また、1949年から1962年まで高知市内の3校で抽選を行なっていた。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "私立中学校への進学率は高く、2020年度に行なわれた『私立中学に通う子どもの割合が多い都道府県ランキング』において第2位を記録している。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "国立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "公立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "私立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "私立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "私立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "国立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "高知県では日本最後の清流として知られる四万十川や龍河洞、ホエールウォッチングなど自然を売り物にしたものが多く、近年はエコツーリズムにも力を入れつつある。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "一方で大型の集客施設に乏しく、観光客数も年間約500万人(県外客のみ)とやや低位であるが重要文化財・高知城や古社寺の名所旧跡、室戸岬や足摺岬といった自然景勝地をはじめ、高知県立牧野植物園や高知県立坂本龍馬記念館などの充実した博物館群、黒潮本陣(中土佐町)やオーベルジュ土佐山(高知市)など小規模の特徴を生かした宿泊施設が多いのも特徴である。なお、全国へと波及したよさこい祭りは毎年2万人余りの踊り子が高知市内各地を乱舞する一大イベントとなっている。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "※発表年順", "title": "高知県を舞台とした作品" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "高知県名誉県民は、2011年(平成23年)10月11日に制定された高知県名誉県民顕彰要綱に基づき、「学芸、芸術、文化、スポーツ等の分野において輝かしい活躍をし、県民の誇りとふるさと意識を高め、県民に夢と希望、勇気、感動のすべてを与えた」個人や団体を顕彰する制度である(要綱第1条)。名誉県民に選定された者には、表彰状と高知県名誉県民章(副賞)が贈呈される。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "名誉高知県人は、高知県名誉県民顕彰要綱が制定される前に運用されていた名誉称号で、高知県を日本全国に紹介する功績を挙げた者に対して高知県知事が贈呈していた。", "title": "人物" } ]
高知県(こうちけん)は、日本の四国地方に位置する県。県庁所在地は高知市。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{出典の明記|date=2021年4月}} {{基礎情報 都道府県 |都道府県名 = 高知県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Shimanto River And Iwama Bridge 1.JPG | photo1b = Kochi Katsurahama Daytime 2.JPG | photo2a = Yosaiko-shoutengai.jpg | photo2b = Cape-Muroto-20100526.jpg | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center |space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:50%">[[四万十川]]と岩間[[沈下橋]]<td style="width:50%">[[桂浜]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[よさこい祭り]]<td style="width:50%">[[室戸岬]]</tr> </table> |都道府県旗 = {{Flagicon|高知県|size=100px}} |都道府県旗の説明 = [[高知県旗]] |都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Kochi Prefecture.svg|70px|高知県章]] |都道府県章の説明 = 高知県章 |区分 = 県 |コード = 39000-3 |ISO 3166-2 = JP-39 |隣接都道府県 = {{flag|徳島県}}<br/>{{flag|愛媛県}} |木 = [[スギ|ヤナセスギ]] |花 = [[ヤマモモ]] |鳥 = [[ヤイロチョウ]] |シンボル名 = 他のシンボル |歌など = 県の魚:[[カツオ]]<br />県の歌:[[高知県民の歌]](1953年制定)<br />県のキャラクター : [[くろしおくん]] |知事 = [[浜田省司]] |郵便番号 = 780-8570 |所在地 = [[高知市]][[丸ノ内]]一丁目2番20号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-39|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Kochi prefectural office building03s3872.jpg|220px|高知県庁]]<br />{{Maplink2|zoom=7|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=210|frame-height=160|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|frame-latitude=33.25|frame-longitude=133.47|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}} |外部リンク = {{Official website}} |位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 39 Kochi prefecture.svg|320px|高知県の位置]]{{基礎自治体位置図|39|000|image=Map of Kochi Prefecture Ja.svg|村の色分け=yes}} |特記事項 = }} '''高知県'''(こうちけん)は、[[日本]]の[[四国地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[高知市]]。 == 概要 == [[令制国]]では[[土佐国]]に当たり、県庁所在地の高知市の大半は土佐国の[[土佐郡]]に属していた。日本最後の[[清流]]といわれる[[四万十川]](しまんとがわ)のほか、水辺利用率全国一の[[仁淀川]]、[[物部川]]、[[安田川]]など[[四国山地]]に源を発する清流が多く流れる。[[室戸岬]]・[[足摺岬]]・[[龍河洞]]・[[四国カルスト]]など多くの天然の観光資源を有する。 近年は、[[徳島県]]、[[宮崎県]]などの他の産地や、輸入野菜などに押されがちであるが、[[ピーマン]]や[[ナス|なす]]や[[トマト]]をはじめとする野菜類の[[促成栽培]]でも有名で、県中央部の沿岸部([[土佐市]]〜[[芸西村]]付近)は、[[ビニールハウス]]が多く並んでいる。 == 地理・地域 == 高知県は東西に長い四国の南部、太平洋から[[四国山地]]の尾根までの範囲で「海の国」としてのイメージが強いが、高知市から[[香南市]]・[[香美市]]土佐山田町南部に至る[[高知平野]]、[[香長平野]]と南西部の四万十市周辺がやや広い平野となっているほかは、そのほとんどが海の近くまで山が迫る典型的な山国である。 山地率は89 [[パーセント|%]]と全国一位で、全国平均の66 %と比べてもその険しさがよく分かる。最高峰は[[三嶺]]で(山頂が高知県単独の場合は[[手箱山]])、地質的には[[四万十帯]]と呼ばれる[[堆積岩]]が多い地域でもあり、[[土砂災害]]がきわめて多い。その一方で県西部を流れる四万十川、[[石鎚山]]から土佐湾に南下する[[仁淀川]]、県北部から徳島県へと流れる[[吉野川 (代表的なトピック)|吉野川]]など水量豊富な河川が多くあり、近年はカヌーでの川下りをする人が増えてきている。 [[水不足]]に悩まされることはほとんどないが、[[治水]]は古くからの課題となっており[[江戸時代]]初期の[[土佐藩]][[奉行]][[野中兼山]]による大規模な河川改修は県下主要河川のほとんどで実施されてきた。現在は全国有数の治水能力を有し、降雨量が多いにもかかわらず、全国的に見ると水害が少ない県でもある。 高知県沖の[[太平洋]]を[[黒潮]]が流れており、冬の朝などは海面から[[湯気]]が立っているのが見える。気候は黒潮の影響を受けて冬でも温暖であり、台風の襲来も多く、[[1951年]](昭和26年)以降の[[台風]]上陸数は[[鹿児島県]]に次いで2番目に多い県である。特に「[[室戸台風]]」では、室戸岬上陸時の中心気圧が911.6[[ヘクトパスカル|hPa]]であり、日本本土に上陸した台風のなかで観測史上最も上陸時の中心気圧が低い台風だった。台風の正式な統計は[[1951年]]([[昭和]]26年)から開始されたため、この記録は参考記録扱いとされているが、これは同緯度の台風における中心気圧の最低記録として、いまだに破られていない。太平洋に突き出た足摺岬、室戸岬は強風でも知られる。 県南西部の山間は大きく開発されることが無く、豊かな山林とダムの無い大きな川が残されている。四万十川は最後の[[清流]]として有名である。1980年代後半には四万十川河川敷に小規模なコミューター空港、2000年初頭に[[宿毛市]]と愛媛県[[愛南町]](旧[[一本松町]])の県境にまたがる2000m級の空港(仮称:高知西南空港)を建設する計画が浮上したがいずれも頓挫している。 === 広袤(こうぼう) === {{座標一覧|節=広袤(こうぼう)}} 高知県の東西南北それぞれの端、及び重心は以下の位置である<ref>[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/tyugheso.htm 中国・四国地方の東西南北端点と重心の経度緯度] 国土地理院 2013年9月26日閲覧</ref><ref>[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/kendata/kochi_heso.htm 高知県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系)] 国土地理院 2013年9月26日閲覧</ref>。北端は[[ちち山]]、南端は[[沖の島 (高知県)]]、東端は[[甲浦港]]沖に浮かぶ葛島、西端は[[鵜来島]]にある。また[[統計局]]の平成22年国勢調査によると、人口重心は[[土佐市]][[新居 (土佐市)|新居]]付近にある<ref>[https://www.stat.go.jp/data/kokusei/topics/topi61.html 我が国の人口重心 -平成22年国勢調査結果から-] 統計局 2013年9月26日閲覧</ref>。 {|border="1" frame="box" rules="all" cellspacin="0" cellpadding="0" style="font-size:small;text-align:center" |重心<br />{{ウィキ座標度分秒|33|25|28|N|133|21|51|E|type:landmark_region:JP|name=高知県重心}} ||<br />北端<br />{{ウィキ座標度分秒|33|53|00|N|133|38|39|E|type:landmark_region:JP|name=高知県最北端}}<br />↑||人口重心<br />{{ウィキ座標度分秒|33|27|27.21|N|133|27|46.77|E|type:landmark_region:JP|name=高知県人口重心}} |- |西端<br />{{ウィキ座標度分秒|32|47|59|N|132|28|47|E|type:landmark_region:JP|name=高知県最西端}}←||高知県庁舎所在地<br />{{ウィキ座標度分秒|33|33|35|N|133|31|52|E|type:landmark_region:JP|name=高知県庁}}||東端<br />→{{ウィキ座標度分秒|33|32|17|N|134|18|50|E|type:landmark_region:JP|name=高知県最東端}} |- | ||↓<br />南端<br />{{ウィキ座標度分秒|32|42|09|N|132|32|35|E|type:landmark_region:JP|name=高知県最南端}}|| |} === 地形 === ; 主な海 [[File:Kochi Katsurahama Daytime 1.JPG|thumb|250px|桂浜]] * [[太平洋]]([[土佐湾]]) * [[浦戸湾]] ; 主な河川 {{See also|高知県の水系一覧}} * [[四万十川]] * [[仁淀川]] * [[吉野川 (代表的なトピック)|吉野川]] * [[物部川]] * [[安田川]] * [[鏡川]] * [[松田川 (四国)|松田川]] * [[安芸川]] * [[伊尾木川]] * [[野根川]] * [[奈半利川]] ; 主な平野 * [[香長平野]] * [[高知平野]] * [[中村平野]] * 安芸平野 ; 主な山岳 * [[三嶺]] * [[笹ヶ峰]] * [[筒上山]] * [[手箱山]] * [[工石山]] ; 主な島 *[[鵜来島]] *[[大島 (高知県)|大島]] *[[沖の島 (高知県)|沖の島]] *[[柏島]] *[[中ノ島 (高知県)|中ノ島]] *[[二子島]] *[[戸島 (高知県)|戸島]] ===気候=== 高知県の年間日照時間は2000時間を越え、全国2-3位が定位置となっている一方、年間降水量も平野部で2500mm前後、山間部では3000mmを超え、東部山間部の魚梁瀬は4100mm程度と日本有数である<ref>[https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/select/prefecture.php?prec_no=74&prec_ch=%8D%82%92m%8C%A7&block_no=1281&block_ch=%8B%9B%97%C0%90%A3&year=&month=&day=&elm=&view= 気象庁/過去の気象データ検索/高知県]</ref>。夏は蒸し暑く、熱帯夜が連日のように続くが、昼は[[猛暑]]になりにくい。その反面、西部側の地域は北西風が四国山地を超えてフェーンを起こし、本州内陸部にも匹敵する暑さとなることがある。[[四万十市]][[江川崎]]では、2013年8月12日に日本の歴代最高気温記録(当時)である41.0℃を観測している。 平野部での積雪はまれであるが、山間部や[[豊後水道]]側に開けた県西部の[[幡多]]地域平野部では大雪に見舞われることもあり、剣山系、石鎚山系の高い山では厳冬期に根雪が見られる地域も存在する。冬は晴れ間が多く、[[放射冷却]]によって朝などは高知市でも氷点下になることも多いが、日中は暖かい。その反面、室戸岬や足摺岬などの半島部や沿岸部では無霜地帯が存在する。その温暖な気候を求め、スポーツチームが多数キャンプを設置する。春は宇和島と並び、ソメイヨシノの開花前線が全国でも早く訪れることで知られるが、夏から秋は頻繁に台風の直撃を受けることがあるほか、台風本体が東シナ海から日本海側を通過する際も南からの温かい湿った風が、四国山地に遮られて大雨になることもある。室戸岬と足摺岬は「[[台風銀座]]」と呼ばれている。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+高知県各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="5"|西部沿岸部 !colspan="4"|中部沿岸部 !colspan="2"|東部沿岸部 |- ![[宿毛市|宿毛]]!![[土佐清水市]]<br />清水!![[四万十市]]<br />[[中村市|中村]]!![[黒潮町]]<br />佐賀!![[四万十町]]<br />[[窪川町|窪川]]!![[須崎市|須崎]]!![[高知市|高知]]!![[南国市]]<br />後免!![[南国市]]<br />[[高知空港|南国日章]]!![[安芸市|安芸]] !![[室戸市]]<br />[[室戸岬]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |26.7<br />(8月)||27.2<br />(8月) |26.6<br />(8月)||26.3<br />(8月) |25.5<br />(8月)||26.7<br />(8月) |27.2<br />(8月)|| 26.5<br />(8月) | ||26.9<br />(8月) |25.8<br />(8月) |- !最寒月 |6.9<br />(1月)||8.6<br />(1月) |5.6<br />(1月)||6.1<br />(1月) |3.9<br />(1月)||6.5<br />(1月) |6.1<br />(1月)||5.5<br />(1月) | ||7.3<br />(1月) |7.5<br />(1,2月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |321.2<br />(6月)||346.8<br />(9月) |434.9<br />(9月)||386.9<br />(6月) |479.4<br />(9月)||379.5<br />(9月) |404.3<br />(9月)||335.0<br />(9月) | ||280.5<br />(6月) |331.0<br />(9月) |- !最少月 |55.3<br />(12月)||70.3<br />(12月) |61.5<br />(12月)||54.5<br />(12月) |59.0<br />(12月)||47.9<br />(12月) |52.0<br />(12月)||48.6<br />(12月) | || 47.3<br />(12月) |70.2<br />(12月) |} {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="5"|内陸部 |- !四万十市<br />[[江川崎]]!![[梼原町|梼原]]!![[いの町]]<br />本川!![[本山町|本山]]!![[香美市]]<br />大栃 |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |26.2<br />(8月)||23.9<br />(8月) |22.8<br />(8月)||24.8<br />(8月) |25.4<br />(8月) |- !最寒月 |4.6<br />(1月)||2.4<br />(1月) |1.3<br />(1月)||3.1<br />(1月) |4.2<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |343.0<br />(7月)||420.3<br />(8月) |534.2<br />(8月)||407.1<br />(9月) |408.8<br />(6月) |- !最少月 |54.8<br />(12月)||69.5<br />(12月) |62.8<br />(12月)||54.9<br />(12月) |65.7<br />(12月) |} === 自治体 === {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=高知県|float=right}} 以下の11市6郡17町6村がある。町はすべて「ちょう」、村は「むら」と読む。 以下、7つの広域市町村圏ごとに記述する。 {{Multicol}} 西部 ; 高幡地域 * [[須崎市]] * [[高岡郡]] ** [[中土佐町]] ** [[檮原町]] ** [[津野町]] ** [[四万十町]] ; 幡多地域 * [[四万十市]] * [[宿毛市]] * [[土佐清水市]] * [[幡多郡]] ** [[黒潮町]] ** [[大月町]] ** [[三原村]] {{Multicol-break}} 中部 * [[高知市]](県庁所在地) ; 嶺北地域 * [[長岡郡]] ** [[本山町]] ** [[大豊町]] * [[土佐郡]] ** [[土佐町]] ** [[大川村]] ; 物部川地域 * [[南国市]] * [[香美市]] * [[香南市]] ; 仁淀川地域 * [[土佐市]] * [[吾川郡]] ** [[いの町]] ** [[仁淀川町]] * [[高岡郡]] ** [[日高村]] ** [[佐川町]](高吾北地域に区分する場合もある) ** [[越知町]](高吾北地域に区分する場合もある) {{Multicol-break}} 東部 ; 安芸地域 * [[安芸市]] * [[室戸市]] * [[安芸郡 (高知県)|安芸郡]] ** [[東洋町]] ** [[奈半利町]] ** [[田野町]] ** [[安田町]] ** [[北川村]] ** [[馬路村]] ** [[芸西村]] {{Multicol-end}} ==人口== 高知県は、全国では[[鳥取県]]、[[島根県]]に次いで3番目に人口が少なく(全[[政令指定都市]]よりも人口が少ない)、四国地方では最下位である。人口密度は[[中部地方]]以西の府県では最も低い。 人口の分布としては県庁所在地の[[高知市]]に県民のほぼ半数が居住し、いわゆる[[プライメートシティ]]となっている。単独市制施行に必要な人口である5万人を上回る市は高知市のみであり、全都道府県中最も少ない。 県中部の[[高知平野]]の他に比較的まとまった人口が居住する地域は[[四万十市]]などごく僅かであり、県西部・東部は日本でも有数の人口密度が低い地域となっている。 [[ファイル:高知県人口増加率.jpg|サムネイル|300x300ピクセル|高知県市町村人口増減率分布図(2016年度と2021年度8月1日の高知県統計から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}} ]] {{人口統計|code=39000|name=高知県|image=Demography39000.svg}} ===都市=== * 高知県内市別人口ランキング:2021年(令和3年)現在 *# [[高知市]] :32.5万人 *# [[南国市]] :{{0}}4.6万人 *# [[四万十市]]:{{0}}3.2万人 *# [[香南市]] :{{0}}3.2万人 *# [[香美市]] :{{0}}2.6万人 <gallery> ファイル:Kochi Castle09.JPG|高知市(県庁所在地)<br>(中核市) ファイル:Tosa Kokubunji 02.JPG|南国市 ファイル:Shimanto History Museum 2.JPG|四万十市 ファイル:Noichi zoo.jpg|香南市 ファイル:Kami Kochi Ryugado West Entrance 1.JPG|香美市 </gallery> * 高知県内市別人口密度ランキング:2021年(令和3年)現在 *# 高知市:1,051人/[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]] *# 南国市:{{0}}371人/km<sup>2</sup> *# [[土佐市]]:{{0}}280人/km<sup>2</sup> *# 香南市:{{0}}253人/km<sup>2</sup> *# [[須崎市]]:{{0}}150人/km<sup>2</sup> <gallery> ファイル:080228 Kagami River Kochi Japan01bs.jpg|高知市(県庁所在地)<br>(中核市) ファイル:Tosa Electric Railway-Gomenmachi-station.jpg|南国市 ファイル:Tosa PA.JPG|土佐市 ファイル:TKT-NoichiStation-SouthSide.jpg|香南市 ファイル:Dosansen SusakiEkimae.JPG|須崎市 </gallery> ===隣接自治体=== ; {{Flagicon|徳島県}}[[徳島県]] * [[海部郡 (徳島県)|海部郡]][[海陽町]] * [[那賀郡]][[那賀町]] * [[三好市]] ; {{Flagicon|愛媛県}}[[愛媛県]] * [[四国中央市]] * [[新居浜市]] * [[西条市]] * [[上浮穴郡]][[久万高原町]] * [[西予市]] * [[北宇和郡]]([[鬼北町]]・[[松野町]]) * [[宇和島市]] * [[南宇和郡]][[愛南町]] ; == 歴史 == === 古代 === ==== 律令制以前 ==== [[File:Tosa-jinja haiden-2.JPG|thumb|200px|[[土佐神社]]<br>([[土佐国]][[一宮]])]] 現在の高知県の行政機構の最も古い時代の記録は、[[国造本紀]]の記録があり、[[幡多国造|幡多]](県西部、後の[[幡多郡]]か)・[[都佐国造|都佐]](県中東部)の二つの[[国造]]がおかれた。それぞれの初代の任命者は、幡多国造が[[崇神天皇|崇神朝]](紀元前1世紀ごろ)の[[天韓襲命]]、都佐国造が[[成務天皇|成務朝]](2世紀後半ごろ)の[[小立足尼]]{{Refnest|group="注釈"|[[三島溝杭]]の九世の子孫とされる。}}であり、幡多のほうが先であったことから、古来は幡多地方がはやくから大和朝廷の勢力と交渉があったものと思われる{{Sfn|山本|p=19}}。 この時期の高知県域の詳細な文献記録は乏しいが、天韓襲命、小立足尼はいずれも[[三島溝杭]]([[賀茂氏]])の後裔を称しており、[[摂津国]][[三嶋県主|三嶋県]](大阪府北部)を根拠とした賀茂氏の一族が阿波国を経て都佐・幡多に降り、土着した可能性がある。また、[[土佐神社]](のちの土佐国[[一宮]])の主祭神である[[アヂスキタカヒコネ]]は、賀茂氏の氏神とされる{{Sfn|山本|pp=19-21}}。 ==== 律令制下 ==== [[File:Tosakokuga-ato.JPG|thumb|200px|left|[[土佐国|土佐]][[国衙]]跡]] [[File:Tosakokubunji01.jpg|thumb|200px|left|[[土佐国分寺]]]] 高知県域に[[国司]]が置かれた初見は、天武天皇13年(684年)の[[白鳳地震]]に際して、[[日本書紀]]に土佐国内での被害状況が「土左国司」からの報告として引用されたものが挙げられる、遅くともこの時期には高知県域にも[[国司]]が置かれ[[土佐国]]が成立、完全に律令体制下に組み込まれたことがわかる。個人名の分かる国司の初例は、天平15年(743年)任命の[[引田虫麻呂]]である{{Sfn|山本|p=25}}。 律令制下での土佐の国制については、以下の通り。 * [[国府]]は、[[長岡郡]][[比江]](現・南国市比江)におかれた。 * [[郡]]は、当初は[[幡多郡|幡多]]、[[吾川郡|吾川]]・[[土佐郡|土佐]]・[[安芸郡 (高知県)|安芸]]の四郡が置かれたが、後に土佐郡から[[長岡郡]]・[[香美郡]]が、承和8年(841年)に吾川郡から[[高岡郡]]が分立し、その後、平成18年(2006年)に香美郡が消滅するまで、千年余りにわたって増減なく七郡で推移した。 * [[官道]]は、当初は[[紀淡海峡]]・[[鳴門海峡]]を渡って[[阿波国]]で四国に上陸してから、[[讃岐国]]・[[伊予国]]を経由するものであったが、大まわりであまりに非効率的であったため、国司側の要望によって養老2年(718年)に経路が変更され、阿波国から海岸伝いに直接土佐に入る道が開かれた。さらに時代が下って延暦15年(796年)になると、国府から北上して四国山脈を横断する、さらに短いルートが開かれた(北山越え)。しかし、険しい山越えが敬遠されたためか、利用頻度は乏しいまま廃れてしまった。都との行程は上り35日、下り18日、海路25日とされた。 * その他、[[軍団 (古代日本)|軍団]]として[[長岡団]]が、[[勅旨牧]]として[[沼山村]](所在地不明{{Refnest|group="注釈"|一説に[[須崎市]][[浦ノ内]]、または[[香長平野]]北部ともされる。}})がそれぞれ置かれた。 * [[租庸調|調]]の内、土佐国の名産品としては[[鰹]]や押鮎([[鮎]]の塩漬け)が指定されていた。 土佐国司として任命されたのは、[[治承・寿永の乱]](源平合戦)のころまでの五世紀弱の間に106名に及んでいるが、時代が下るにつれて、他の国の国司の例に漏れず、[[遥任]]の発生など、利権に与って蓄財に走る事例が定着した。延暦4年(785年)には、調の納入が遅れ、しかも届いた品が粗悪品であったため、守から目(さかん)に至るまで、国司税人が解任されている{{Sfn|山本|pp=25-26}}。 歴代の国司の中では、[[紀貫之]](延長8年(930年)任命)が特に善政を行った事例として全国的に著名であり、また任期を終えての復命中の道中記「[[土佐日記]]」には、当時の土佐の風俗なども記されている{{Sfn|山本|pp=27-29}}。 また、土佐国は畿内から特に遠く離れた[[遠国]]とされたため、重罪人の[[配流]]が多かった。土佐へ配流されたものは、天武天皇5年(676年)の[[屋垣王]]を初例として、鎌倉時代までに約60人に及んだ{{Sfn|山本|p=30}}。 === 中世 === {{Double image aside|left|Chosokabe.jpg|200|Okouzyou01.jpg|200|[[長宗我部元親]]|[[岡豊城]]}} ==== 鎌倉時代 ==== 12世紀末に鎌倉幕府が成立した時、土佐は源平合戦時において源氏と関係が強かったため、いち早く幕府の勢力下に入った。文治元年(1185年)、[[源頼朝]]が[[守護]]・[[地頭]]の設置を許されたのと前後して([[文治の勅許]])、[[梶原朝景]]([[梶原景時]]の弟)が事実上の初代守護として派遣され、国内の鎮撫にあたった{{Sfn|山本|p=48}}。 その後、建久3年(1192年)には[[佐々木経高]]、建仁元年(1200年)には[[豊島朝経]]、建仁3年(1202年)には[[三浦義村]]が守護となり、宝治元年(1247年)の三浦氏滅亡([[宝治合戦]])まで三浦氏が守護を務めた。時代が下ると執権北条氏の一族が守護を務め、[[大須賀氏]]や[[安藤氏]]が守護代として現地での任に当たった{{Sfn|山本|pp=48-49}}。 また、[[地頭]]には[[香宗我部氏]]・[[長宗我部氏|長曾我部氏]]・[[津野氏]]・[[安芸氏]]・[[大黒氏]]らが補任された{{Sfn|山本|p=49}}。 ==== 南北朝・室町時代 ==== 鎌倉幕府滅亡後の建武3年(1336年)[[足利尊氏]]は[[豊島河原合戦]]に敗れ、九州に退いて体勢を立て直す途中、四国に[[細川氏]]の一族を配置して武士たちを統制させた。土佐国は[[細川顕氏]]が配され、以降の[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]において、土佐の勢力争いは興国2年/暦応4年(1341年)の時点で北朝優位が確立した{{Sfn|山本|p=57}}。 室町時代の間、四国一帯は、南北朝時代に[[細川頼之]]の地域平定の功により細川氏の両国となり、土佐国は一門の[[細川頼益]]の子孫(遠州家)が守護代として下向、統治にあたった{{Sfn|山本|p=57}}。 ==== 戦国時代 ==== {{Double image aside|right|Ichijo Husaie.jpg|150|Shimanto History Museum 2.JPG|200|[[一条房家]]|[[中村城 (土佐国)|中村城]]}} 遠州家の土佐統治は5代にわたって続いたが、4代[[細川勝益|勝益]]の代になると、豪族の反乱の討伐に手間取るなど、領内の統制がままならなくなった。応仁元年(1467年)、[[応仁の乱]]が勃発すると、勝益は乱の当事者となった[[細川勝元]]の命を受けて、豪族を引き連れて上洛、国元を長期間不在にすることにより、影響力を徐々に減退させる{{Sfn|山本|p=59}}。 応仁の乱終結後も遠州家の土佐統治は、本家の[[細川政元]]の影響力のもと、曲がりなりにも継続していた。しかし、栄正4年(1507年)、政元の暗殺([[永正の錯乱]])が引き金となり、国人の抑えが効かなくなり、5代[[細川政益|政益]]は土佐を脱出する{{Sfn|山本|pp=59-60}}。 この後、土佐国内は守護の勢力が及ばない動乱状態に陥り、[[土佐七雄]]([[本山氏]]・[[吉良氏]]・[[安芸氏]]・[[津野氏]]・[[香宗我部氏]]{{Refnest|group="注釈"|一説には、香宗我部にかわって[[山田氏]]を入れる場合もある。}}・[[大平氏]]・[[長宗我部氏|長曾我部氏]])に国司であるところの[[土佐一条氏]]の八勢力を中心にしのぎを削り、国内の城は最盛時には300を超えた{{Sfn|山本|p=60}}。 ===近世=== {{Double image aside|left|Yamauchi Katsutoyo statue.jpg|200|Kochi Castle, Outemon-3.jpg|200|[[山内一豊]]|[[高知城]]}} ====安土桃山時代==== 土佐国は天正3年(1575年)、[[長宗我部元親|長曾我部元親]]の手によって統一される。元親は次いで四国平定に乗り出したが、天正13年(1585年)、[[豊臣秀吉]]の四国進出に敗れ、土佐一国の領主に収まった{{Sfn|山本|pp=76-79}}。 その後、元親の後を継いだ[[長宗我部盛親|盛親]]は、慶長5年(1600年)、[[関ヶ原の戦い]]に西軍として参陣、これに敗れて、領地を[[改易]]された。土佐一国は、東軍に属した遠州掛川城主[[山内一豊]]に与えられた{{Sfn|山本|pp=87-88}}。 土佐国は山内一豊の入府以降、一度も転封を経ることなく、山内氏が16代にわたって、廃藩置県に至るまでこれを統治した。 ==== 山内氏の入府 ==== 山内氏の土佐入府にあたり、長曾我部遺臣の[[一領具足]]たちは頑強な抵抗を見せた([[浦戸一揆]])。最終的には、一揆中の裏切りによって、多くの旧臣が打ち取られる形でことは決着した。一豊が入府したのちも、[[滝山一揆]]など、数年間は散発的な反乱が続いた{{Sfn|山本|pp=93-95}}。 一豊は入府後、元親の居城を引き継いだ[[浦戸城]]にかわり、広域な城下町形成を企図して高知平野の大高坂山に新城を築城、慶長8年(1603年)にここへ移った。新城は慶長15年(1610年)に'''[[高知城]]'''と名付けられ、以降山内家代々の土佐経営の中心地となった。同時に城下町も碁盤目状に整備され、家臣や商人・職人などが定住した{{Sfn|山本|pp=97-99}}。 土佐藩の統治機構は以下の通りである。まず、家柄などをもととする身分の区別として、上士(家老・中老・馬廻・小姓組・留守居組)と下士(郷士・徒士・組外・足軽・奉公人)があり、大まかに分けて遠州時代からの山内家臣が上士、長曾我部旧臣が下士とされた。のちに、上士と下士の間で、白札(しろふだ)という特別の身分が出来た{{Sfn|山本|pp=99-103}}。 家臣のうち、領国統治に直接関わる部署は'''外官'''と称された。外官職のトップは'''奉行職'''(執政とも)と呼ばれ、家老のうちから任命された。実際に実務を指揮するのは'''仕置役'''(参政とも)であり、中老や馬廻から任命された。仕置役の下に各部署が設置されて職務を分担し、'''奉行'''がこれを統率した。裁判や警察に関する職務は'''大目付'''が担当し、奉行職に直属した。 藩主の家政に関わる部署は'''内官'''と称された。内官職のトップは'''近習家老'''と呼ばれ、山内家の私的な家政の管理のほか、江戸・京都・大坂の藩邸を通じて幕府や他大名との渉外なども統括した。 ==== 経営危機と藩政改革 ==== 慶長10年(1605年)、一豊の甥、[[山内忠義]]が2代藩主に就任する。このころ、山内家は幕府から土木建築の助役(江戸城、名古屋城など)や[[大坂の陣]]への参陣などの要求により出費がかさみ、さらに忠義本人の浪費癖もあいまって、借金は最も多い時期では歳入米2、3年分にまで膨れ上がり、幕府から借財整理を勧告されるほどであった{{Sfn|山本|pp=106-107}}。 勧告を受けて元和7年(1621年)、仕置役・[[福岡丹波]]が中心となり、藩政改革が行われた。具体的には、領内の山林の伐採に農民を動員し(料木役)、伐採した檜などを大坂へ送って売却し、借財の返却に充てた。ほかに、緊縮政策による経費節約、家臣からの上米・借上(俸禄カット)、米の販売統制などをあわせて実施し、寛永2年(1625年)に借財の返済は完了した。 同時に、安定した年貢収入を得るべく、改めて検地を行うとともに{{Refnest|group="注釈"|検地を指揮した検知奉行[[村上八兵衛]]の名を借りて[[村上改め]]と呼称される。この際国内の総石高は33800石ほど増加した。土佐国の石高は"土佐二十四万石"と通称されるが、実際に24万石に達成したのはこの時である。}}、農民による土地の所有関係を明確化した。国内の田畑については、山間部を中心に、一領具足が同時に本百姓(名主)として土地を支配し、下層農民が被官としてこれに隷属していたのであるが、長曾我部氏の失脚によって一領具足、さらにその被官の地位が不安定化すると、被官たちが土地を捨てて逃げ出す事例([[走り者]])が多発した。藩当局は走り者の罪を赦して農地への復帰を進めるとともに、土地を公平に分けて耕作させる田地割替制度を始めたり、さらに年貢徴収の制度を[[定免法]]に改めることにより、年貢収入の安定化を図った。 寛永8年(1631年)、山内家の近親である[[野中兼山]]が奉行職に就任し、以降30年間にわたり、藩政改革をリードした。 兼山は藩収入の根幹である年貢米の収入を増加させるべく、新田開発、それに伴う灌漑開発や用水路の建設、そして港湾整備などの土木事業を主導した。 同時に、いまだに不平分子として燻っていた一領具足を救済すべく、新田開発や原野の開墾に功績のあったものを郷士として取り立てて知行を与え、才覚のあるものは奉行に取り立てるなど、国内の融和に努めた。 しかし、これらの兼山の施策は、農民の労働力の徴発を伴うものであったため農民の不満を招き、さらに百姓に対する生活指導や国産品の専売による経済統制、さらには飲酒に対する罰金制度まで出されたため、国内の反感を招いた。さらに、郷士を取り立てる方針が譜代の上士たちの不平を招いた。 寛文3年(1663年)、家臣より3代藩主[[山内忠豊|忠豊]]に対して、兼山の弾劾状が出され、兼山は失脚する。兼山は程なく死去、一族は永く幽閉され、野中家は絶えた{{Sfn|山本|pp=116-118}}。 ==== 藩政の推移 ==== 兼山失脚の後、藩政の方針は兼山時代から逆方向へ舵を切った。専売制をはじめとする経済統制を廃し、民衆の生活への介入なども留めたため、藩内は旧来の活気が戻った。これらの施策を「[[寛文の改替]]」という{{Sfn|山本|pp=118-119}}。 一方で、藩の基礎収入が年貢だよりであることには変わりなかったため、藩としては、民力の回復を待って、年貢収入を増加させることを想定していた。そのため、新田開発を引き続き奨励し、新田の年貢の負担を軽くするなどの措置をとった{{Sfn|山本|p=120}}。 しかし、経済統制が解除されたことによって、商業経済がさらに発展し、相対的に武士の暮らし向きは悪くなった。さらに、新田開発によって本田の荒廃や移動を招き、山林開発も衰退するなど、藩財政は悪化した。藩はこの状態を改めるべく、「留物条例」を出して、牛馬・毛皮・漆など一部商品の移出を禁止するなど、新興の商業資本の発展に制限を加えた。同時に有力商人に運上銀を上納させるなどして、藩財政の安定を図った{{Sfn|山本|p=120}}。 更に、年貢収入の不安定性を取り除くべく、貢租額を、年々の額を平均した値を定める"平等免"(ならしめん)に定め、さらに藩士の年貢収入を[[地方知行]]から[[蔵米知行]]に改めるなど、租税体系の整備が進んだ。しかし一方で、農民に対する生活統制が新たに定められるなど、兼山時代の生活統制の一部が復活したのもこの時期である{{Sfn|山本|pp=120-121}}。 4代藩主[[山内豊昌|豊昌]]時代の元禄3年(1690年)、これらの土佐藩歴代の法令が集大成され、「[[元禄大定目]]」と名付けられた{{Sfn|山本|p=121}}。 これ以降も、収入安定のため商業・生活への介入を行う藩庁と、それに対して抵抗する百姓との間の緊張的な対立関係は続いた。8代藩主[[山内豊敷|豊敷]]時代の宝暦2年(1752年)、藩庁は国産方役所を設置した。これは藩内の生産商品を藩庁が指定した問屋が買い上げる制度で、藩庁は指定問屋から運上金を得ることで利益を得ていた。この時、一部の指定問屋の購入価格が安価であり、不当な利益を収奪しているとして、津野山の義民・[[中平善之丞]]を指導者に、一揆が起こった([[津野山騒動]])。結局、問屋制度は廃止された{{Sfn|山本|p=125}}。 その後、明和3年(1766年)に再び問屋制度が定められたが、天明7年(1787年)、凶作に困窮した製糸業者らが伊予まで逃亡するという事件が起こった([[池川紙一揆]])。さらに同年、高知城下で米騒動が起こったのをはじめ、藩内各所で騒動が起こった。これらの騒動を受けて、問屋制度は再び廃止された{{Sfn|山本|p=127-130}}。 天保14年(1843年)、13代藩主[[山内豊熈|豊熈]]は進んで人材登用を行い、登用されたものは[[おこぜ組]]と呼ばれた。しかしこの流れは旧門閥らの反発を招き、1年足らずで頓挫することとなった{{Sfn|山本|pp=133-135}}。 ==== 幕末 ==== [[File:Sakamoto Ryoma.jpg|thumb|150px|[[坂本龍馬]]]] [[File:Yamauchi Toyoshige.jpg|thumb|150px|left|[[山内容堂]](豊信)]] 幕末、土佐藩は15代藩主[[山内容堂|豊信]](容堂)のもとで、土佐一国の大藩として深く関与する。 幕末維新の政局における土佐藩の態度については、変遷や対立はありつつも、容堂ら藩上層部は一貫して[[公武合体論]]の立場を堅持する。容堂は幕府大老[[井伊直弼]]と対立、[[安政の大獄]]で隠居に追い込まれるが、井伊大老が[[桜田門外の変]]で暗殺されると程なく復権し、[[参預会議]]・[[四侯会議]]・[[王政復古の大号令]]などで雄藩の一員としていずれもメンバーに含まれた。容堂の藩政を支えたのが馬廻格の[[吉田東洋]]で、藩論の策定や幕府への意見書の起草、軍備増強を行うにあたっての資金の用立てなどを推し進める{{Sfn|山本|pp=165-167}}。 一方で、藩内にあって、幕府と距離を置くことを主張する[[尊王攘夷]]派は、安政の大獄を機に顕在化し、文久元年(1861年)、[[武市瑞山]]を盟主に[[土佐勤皇党]]を結成。次第に藩上層部との間の階級対立の様相を呈し、翌文久2年(1862年)、東洋は勤皇党員によって暗殺された{{Sfn|山本|pp=167-168}}。 勤皇党は他藩の同志らと連携して広範に活動を行い、脱藩して京都や長州に赴く者も後を絶たなかった。「人斬り以蔵」と恐れられた[[岡田以蔵]]、[[天誅組の変]]を起こした[[吉村虎太郎]]などがいる。 しかし、文久3年(1863年)、[[八月十八日の政変]]をきっかけに尊王攘夷派の動きは頭打ちになり、土佐勤皇党も瑞山が投獄、切腹するなど、壊滅的な打撃を受けた。 その後、[[坂本龍馬]]らの活躍により[[薩長同盟]]が成立、[[第二次長州征伐]]で幕府軍が敗北するにつれ、藩内でも[[板垣退助]]らが積極的な討幕を訴え、幕府の大政奉還による安定的な政権交代を模索する[[後藤象二郎]]らと対立した。 [[王政復古の大号令]]後、[[小御所会議]]においても容堂は幕府を擁護していたが、慶応4年(1868年)、[[戊辰戦争]]が勃発。板垣が容堂の制止を無視して幕府軍に砲撃を加えたことで、土佐藩はなし崩し的に討幕の立場をとることになった{{Sfn|山本|p=178}}。 戊辰戦争では、土佐藩は四国内の親藩である[[高松藩]](水戸徳川家一門)・[[伊予松山藩|松山藩]](久松松平家)の征討を命じられるが、両藩ともに戦わずして開城したため、高松へ出征した板垣が軍を率いてそのまま京都で編成中の東征軍に合流する。土佐藩兵2700余は征討軍参謀となった板垣とともに東国へ転戦し、最終的に[[会津若松城]]の攻城戦にまで従った。一連の戦闘で、土佐藩兵の戦死者は106、負傷者は168であった{{Sfn|山本|pp=180-183}}。 === 近代 === ==== 廃藩置県 ==== 明治新政府成立後、土佐藩は板垣、後藤らを筆頭に多くの人材を送り込み、「[[薩長土肥]]」と通称されるように、新政府の一角を占めるにいたった。しかし、このころの土佐藩の負債は金100万両、銀345貫目におよび、封建制を維持することは不可能になっていた{{Sfn|山本|p=184}}。 明治2年(1869年)、[[版籍奉還]]。16代藩主[[徳川豊範|豊範]]が新たに藩知事に就任、大参事の板垣の下で藩政改革が試みられたものの、根本的な改革は困難であった。明治4年(1871年)、[[廃藩置県]]により藩は正式に配され、行政機構としての'''高知県'''が誕生した{{Sfn|山本|p=186}}。 なお、明治9年(1876年)に名東県(旧阿波国)が高知県に編入されたが、明治13年(1880年)、徳島県として再度分離している。 ==== 士族の困窮と県内の動揺 ==== 明治維新におもなって急速な国内改革が推し進められることにより、県内各所では混乱が起こった。特に、生活の糧を失った士族は、官吏や軍人{{Refnest|group="注釈"|土佐藩兵の一部は、廃藩置県に先だって[[御親兵]](政府の直轄軍)として徴用されており、これがのちの近衛兵になった。}}として登用されたもののほかは、自力で生計を立てねばならなかった。少なくない者はいわゆる[[士族の商法]]に手を出したが、多くは程なく行き詰まることとなった。旧藩主山内家も物流業界に手を出して"山一商会"を創業したが、うまくゆかなかった{{Sfn|山本|p=187}}。 また、農民層にも動揺を巻き起こした。年貢米の減免や手放した田地の回復を求めて一揆が起こったほか、外国由来の風習(徴兵制など)に対する誤解に基づく反対運動も行われた{{Sfn|山本|p=189}}。 === 自由民権運動 === [[File:ITAGAKI Taisuke.jpg|thumb|150px|[[板垣退助]]]] 明治6年(1873年)、[[明治六年政変]]にともない、板垣、後藤らは政府を離れた。板垣らは高知へ帰り、[[片岡健吉]]、[[林有造]]らとともに[[立志社]]を設立する。士族授産による没落士族の救済、学校設立などによる民生の安定を標榜、さらに、民選議院の設立を求めていた。 一方で、これらに対抗する団体として、[[静倹社]]([[原茂胤]]社長)、[[嶺南社]]、[[猶興社]]などが設立された。 立志社の方針は政府と対立し、明治11年(1878年)、林、片岡らが拘束される。板垣や[[植木枝盛]]らはこれに対抗して独自の議会「[[土佐国州会]]」を設立、選挙を行い、政府の地方自治の方針を質すなどした{{Sfn|山本|p=197}}。 明治14年(1881年)、[[明治十四年の政変]]により、一旦政府に戻っていた板垣は再び下野すると、[[自由党 (日本 1881-1884)|自由党]]を結成。高知県人は党役員の多くを占めるなど、自由党の活動を指導する立場を占めた{{Sfn|山本|p=198}}。 ==== 産業の発達 ==== [[File:Yataro Iwasaki Portrait Closeup 1874.png|thumb|150px|left|[[岩崎弥太郎]]]] 幕末から明治初期にかけて、土佐藩は藩の産物を独占販売する「[[土佐商会]]」を運営しており、利益を上げようとしていた。しかし、明治2年(1869年)、政府は府県藩による商会所の経営を禁止した。そこで、解散した土佐商会の事実上の後継組織として「[[九十九商会]]」が設立され、社長には土佐商会の経営に携わっていた藩の地下浪人出身の[[岩崎弥太郎]]が就任した。岩崎は東京・大阪・神戸と高知を回漕する運輸業を経営することにより藩財政の立て直しに寄与したあと、藩債のうち4万両の肩代わりと引き換えに旧藩船2隻を譲り受け、後に[[三菱財閥]]へと至る民間経営者としてのあゆみを始めた{{Sfn|山本|pp=206-207}}。 また、立志社が目指した[[士族授産]]についても、政府からの貸付金をもとに民立会社が続々と創業され、士族の雇用創出に貢献した{{Sfn|山本|p=209}}。 農業については、明治以降は年貢米の納入が金納に改まったこともあり、米の品質が一時的に落ちた。これに対して、篤農家の[[吉川類次]]と[[式地亀七]]の研究によって、古来から行われていた[[二期作]]に適した品種[[衣笠早稲]]、相川が開発、明治末期から二期作の作付面積が増加した{{Sfn|山本|pp=213-214}}。 交通インフラについては、まず明治19年(1886年)、[[田辺良顕]]知事の主導で県内の主要な道路の整備が開始された。明治36年(1903年)には[[土佐電気鉄道]]が創業する。国鉄は、大正13年(1924年)に[[土讃線]]が県内([[高知駅|高知]]-[[須崎駅|須崎]]間)で開業し、昭和10年(1935年)に至ってようやく高松まで全通、県外と直接の連絡が成立した{{Sfn|山本|p=217}}。 ==== 室戸台風 ==== [[1934年]](昭和9年)[[9月21日]]、[[室戸台風]]による暴風雨。9月26日の新聞報道時点の県内の被害は死者114人、負傷398人、家屋全壊・流失1203戸(1958棟)など。特に被害の大きかった室戸、吉良川、羽根、奈半利、田野、安田の海岸付近の集落は全て廃墟と化し、漁船の流失も約1100隻<ref>風速実に六十五メートル、室戸で観測『大阪毎日新聞』昭和9年9月26日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p235 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>と、長期間にわたり地域経済に大きな打撃を与えることとなった。 ==== 戦時下・戦後 ==== [[アジア・太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])下では、昭和20年(1945年)7月4日、高知市は米軍の空襲を受け、市街地が全焼した。さらに翌昭和21年(1946年)、[[昭和南海地震]]によって沿岸部を中心に被災した。 昭和30年(1955年)、県下人口は史上最高の88万3000人に達したが、この時をピークとして以降は減少を続けている。 ==政治== === 県政 === {{Main|高知県知事一覧|高知県議会}} * [[都道府県知事|知事]]:[[浜田省司]](はまだ せいじ、1期目) ==== 歴代公選知事 ==== * 初代 [[川村和嘉治]]:[[1947年]](昭和22年)[[4月21日]] - 1947年(昭和22年)[[11月11日]]・1期 * 第2代 [[桃井直美]] :[[1948年]](昭和23年)[[1月10日]] - [[1951年]](昭和26年)[[11月12日]]・1期 * 第3代 [[川村和嘉治]]:1951年(昭和26年)[[12月16日]] - [[1955年]](昭和30年)[[12月11日]]・1期 * 第4代 [[溝渕増巳]] :1955年(昭和30年)[[12月12日]] - 1975年(昭和50年)[[12月6日]]・5期 * 第5代 [[中内力]]  :[[1975年]](昭和50年)[[12月7日]] - [[1991年]](平成3年)12月6日・4期 * 第6代 [[橋本大二郎]]:1991年(平成3年)12月7日 - [[2004年]](平成16年)[[10月12日]]、2004年(平成16年)[[12月1日]] - [[2007年]](平成19年)12月6日・4期 * 第7代 [[尾﨑正直]] :2007年(平成19年)12月7日 - [[2019年]](令和元年)12月6日 * 第8代 [[浜田省司]] :2019年(令和元年)12月7日 - 現職 ==== 財政 ==== ; 平成19年度(2007年度) * [[財政力指数]] 0.24 ** IVグループ(財政力指数0.3未満)6自治体中5位 ; 平成18年度(2006年度) * 標準財政規模 2398億9600万円 * 財政力指数 0.23 ** IVグループ(財政力指数0.3未満)10自治体中9位 * 経常収支比率 97.4%(都道府県平均 92.6%) * 実質収支比率 1.3 * 実質公債費比率 16.9%(都道府県平均14.7%)注:平成16年度から平成18年度の3ヵ年平均値 * 人口一人当たり人件費・物件費 18万3023円(都道府県平均 12万4759円) * 人口100,000人当たり職員数 1,788.88人(都道府県平均 1,173.11人) * ラスパイレス指数 95.6(都道府県平均 99.6%) ** 財政力指数が0.300未満のIVグループ(10自治体)に分類されている。 地方債残高 * 普通会計分の地方債残高 7889億2800万円 * 上記普通会計以外の特別会計分の企業債(地方債残高) 547億4000万円 * 一部事務組合分の地方債 208億9700万円 * 第3セクター等の地方債(債務保証等にかかわる債務残高等) 214億3200万円 * 地方債等の合計 8859億9700万円 (連結会計) * 高知県民一人あたり地方債等残高 113万0666円 ; 平成17年度(2005年度) * 財政力指数 0.22 ** IVグループ(財政力指数0.3未満)14自治体中13位 ; 平成16年度(2004年度) * 財政力指数 0.21 ** IVグループ(財政力指数0.3未満)15自治体中14位 ==== 警察 ==== * [[高知県警察]] ==== 医療・福祉 ==== {{main|Category:高知県の医療機関}} ; [[災害拠点病院]] * [[高知県災害拠点病院]] ; [[保育所]] * [[高知県保育所一覧]] === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#高知県|高知県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が2だが、2012年(平成24年)[[第46回衆議院議員総選挙]]以前は3だった。[[参議院]]では[[高知県選挙区]]として全県で1区を構成していたが、2016年(平成28年)の[[第24回参議院議員通常選挙]]より[[徳島県選挙区]]と合区され、徳島県とともに1区を構成する[[参議院合同選挙区|合同選挙区]]として[[徳島県・高知県選挙区]]が創設された。 ==経済== [[File:Solanum_melongena_ja001.jpg|right|thumb|200px|四万十市でハウス栽培されたベイナス]] [[File:Kochi-City view from the Godaisan.jpg|thumb|200px|県内最大都市である高知市市街地]] [[File:080229 Obiyamachi Street Kochi Kochi pref Japan01s.jpg|thumb|200px|高知市繁華街の帯屋町]] 平成21年度(2009年度)の県内総生産額は2兆1408億円(全国第46位)、1人当たり県民所得は約201.7万円で、全国最下位である(全国第47位)。経済規模の小さな自治体であり、財政力指数も全国最下位である。 === 第一次産業 === ; 農業 温暖な気候を利用した[[早場米]]の産地で、<ref>『47都道府県うんちく事典』著者八幡和郎194頁</ref>大半の田が8月には刈り入れを終わる。特に早期なのは[[とさぴか]]、[[南国そだち]]などの品種で7月20日ごろには収穫できる。[[ビニールハウス]]による[[野菜]]や花木の栽培も盛んで「園芸王国」と称されることもある<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.maff.go.jp/chushi/nousei/kochi/gaiyo/g_nogyo03.html |title=中国四国農政局/高知県農林水産業の概要(農業-農業産出額-) |publisher=[[中国四国農政局]] |accessdate=2015-02-23}}</ref>。[[昭和]]後期に栽培され始めた花きの「[[グロリオサ]]」は世界最大の花き品評会で金賞に輝くなど<ref>中国四国農政局高知農政事務所「[http://www.kochi.info.maff.go.jp/genchi/gj02/gj02_204.html 世界一になったグロリオサ『ミサトレッド』]」、2002年12月11日</ref>、園芸業界におけるブランドの価値が高まっている。近年{{いつ|date=2015年2月}}では[[土佐赤牛]]や[[土佐ジロー]]などのブランドで知られる畜産も見られる。古くから[[愛玩鶏]]の産地として知られ、[[長尾鶏]]・[[東天紅鶏]]・[[土佐矮鶏]]などが挙げられる。 * [[ナス|なす]] 全国1位 * [[キュウリ|きゅうり]] 全国7位 * [[ピーマン]] 全国3位 * [[シシトウガラシ|ししとう]] 全国1位 * [[ニラ|にら]] 全国2位 * [[ショウガ|しょうが]] 全国1位 * [[ミョウガ|みょうが]] 全国1位 * [[ラッキョウ|らっきょう]] 全国6位 * [[シソ|大葉]] 全国3位 * [[ユズ|ゆず]] 全国1位 * [[ブンタン|文旦]]類 全国1位 * [[ポンカン]] 全国4位 * [[ユリ|ゆり]] 全国2位 * [[ハナハマサジ|スターチス]] 全国6位 * [[宿根かすみ草]] 全国4位 ; 漁業 [[カツオ]]の[[一本釣り]]が行われている。[[ソウダガツオ|そうだがつお類]]の漁獲量は日本国内で1位である<ref name="kaimen_gyosei">{{Cite web|和書|url=https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/kaimen_gyosei/index.html |title=農林水産省/海面漁業生産統計調査 |publisher=[[農林水産省]] |accessdate=2015-02-25}}</ref>。カツオの他に、[[ビンナガ|びんながまぐろ]]や[[カジキ|かじき類]]の漁獲量も上位を占めている<ref name="kaimen_gyosei" />。 ; 林業 [[日本三大美林]]の一つ[[魚梁瀬杉]]が有名で、森林率 (84%) は日本国内1位であるが林業従事者の減少により山地の荒廃が進んでいる。そのため、[[法定外目的税]]として森林環境税を導入し保全政策を行っているほか、企業との協働による[[環境先進企業との協働の森づくり事業]]を展開し県内外の27社と森づくりに取り組んでいる。 [[備長炭]]([[土佐備長炭]])の生産量は、2014年以降全国1位である。<ref>{{Cite web |url=https://www.e-stat.go.jp/dbview?sid=0003287529 |title=特用林産物生産統計調査 確報 特用林産基礎資料 |access-date=2023-12-26 |publisher=統計で見る日本}}</ref> === 第二次産業 === 高知県は全般的に集積度が低いのが特徴であり、大規模な工業地帯などは皆無である。 * 農産品加工業 : 馬路村の[[ユズ|ゆず]]飲料をはじめ、[[鰹節]]、[[すのこ]]、[[家具]]類など * 鉱業 : [[石灰岩]]の山が多く[[セメント]]産業が盛んで、鳥形山(仁淀川町)は日本最大級の露天掘り[[石灰]][[鉱山]]として知られる * 工業 : [[高知空港|高知龍馬空港]]周辺に、高知県ゆかりの企業である[[カシオ]]や[[三菱電機]]系の[[工場]]があるほか、高知市の[[浦戸湾]]内には[[長宗我部元親]]時代から続く[[造船所]]がある === 第三次産業 === ; 商業 [[File:AEON mall kochi.jpg|thumb|150px|left|イオンモール高知]] 高知県は「'''陸の孤島'''」と称されるほど長年にわたり[[交通機関]]が不便な土地であり、[[高速道路]]の整備が1990年代にまで遅れたことからその[[小売業者]]は県域で循環する性格が強い傾向にあった。 [[高知自動車道]]南国インターチェンジの開通後は、[[1994年]](平成6年)の[[フジ・リテイリング#ショッピングセンター|フジグラン]]高知<ref>{{Cite web|和書|title=高知県│全国都道府県別SC一覧│データ│一般社団法人 日本ショッピングセンター協会|url=http://www.jcsc.or.jp/data/popup/sclist2013_39.html|website=www.jcsc.or.jp|accessdate=2021-07-27}}</ref>、[[1999年]](平成11年)のイオン高知ショッピングセンター(現・[[イオンモール高知]])の出店や[[コンビニエンスストア]](それまで県内には[[SPAR]]などのコンビニエンスストアしかなかったが、1996年に[[サンクス (コンビニエンスストア)]]、1997年に[[ローソン]]、1998年に[[サークルK]]、2015年に[[セブンイレブン]]が進出{{Sfn|松山|遠藤|中村|2016|p=49}}。)の急激な増加が見られるようになり、[[2003年]](平成15年)ごろからは[[帯屋町 (高知市)|帯屋町]]をはじめとする[[中心市街地]]の衰退傾向が明らかとなりつつある。 [[2002年]](平成14年)には、目抜き通りの[[はりまや交差点]]に接する[[とでん西武|高知西武]]が撤退し、[[2005年]](平成17年)11月には[[ダイエー]]も撤退した。その後[[2009年]](平成21年)をめどに高知西武跡地については商業系ビルの建設が予定され、[[2006年]](平成18年)6月中旬までに解体作業も完了していた。しかし計画は個人消費低迷や原油高における資材高騰の影響により担当企業が白紙撤回を発表して撤退。その後敷地は[[2009年]](平成21年)11月に大阪の不動産業者に転売され、[[パチンコ店]]が建設された。 なお、ダイエーショッパーズ高知店の跡地は長らく有料駐車場となっていたが[[2014年]][[7月]]に跡地東端に装飾雑貨の「ほにや」及び「[[サークルK]]帯屋町2丁目店」がオープン、翌年の[[2015年]][[7月31日]]には複合施設「帯屋町チェントロ」が完成した。 === その他 === ; 県内の主要企業 * 食品業 ** [[旭食品]](高知市) ** [[ひまわり乳業]](南国市) ** [[久保田食品]](南国市) ** [[浜幸]](高知市) * 機械製造 ** [[技研製作所]](高知市・東証スタンダード上場) ** [[ミロク]](南国市・東証スタンダード上場) ** [[兼松エンジニアリング]](高知市・東証スタンダード上場) * その他製造 ** [[ニッポン高度紙工業]](高知市・東証スタンダード上場) ** [[金星製紙]](高知市) * 建設 ** [[大旺新洋]](高知市) *運送業 **四国運輸(高知市) **[[丸栄運輸]](高知市) * 金融業 ** [[四国銀行]](高知市・東証プライム上場) ** [[高知銀行]](高知市・東証スタンダード上場) ** [[高知信用金庫]](高知市) ** [[幡多信用金庫]](四万十市) * 卸売業 ** [[旭食品]](高知市) * サービス業(その他) ** [[現代企業社]](高知市) ** [[カメラのキタムラ|キタムラ]](高知市) ** [[マナベインテリアハーツ]](高知市) ** [[高知日産プリンス販売]](高知市) ** [[イチヤ]](高知市) ** [[サニーマート]](高知市) ** [[きさらぎ (コンビニエンスストア)|きさらぎ]](高知市) ** [[サンシャインチェーン|サンシャイン]](高知市) ** [[サンプラザ (スーパーマーケット・高知県)|サンプラザ]](土佐市) ** [[ナンコクスーパー]](南国市) ** [[福島屋]](安芸市) ** [[エースワン]](高知市) ; 県内に店舗 / 工場などがある主要企業 * [[オルタステクノロジー]]高知(南国市 / [[TFT液晶]]主力工場) * [[住友大阪セメント]]株式会社 高知工場(須崎市) * [[四国ガス]]高知工場(高知市) * 高知富士通テクノポート(南国市) == 交通 == [[File:Kochiryomaairport.jpg|thumb|200px|高知空港(南国市)]] [[File:Kochi station.JPG|thumb|200px|高知駅(高知市)]] [[File:SnapShot(6).jpg|thumb|200px|土佐インターチェンジ(土佐市)]] [[File:New ashizuri.jpg|thumb|200px|宿毛湾港(宿毛市)]] ===航空=== * [[高知空港]](高知龍馬空港) ** [[日本航空]](JAL) *** [[東京国際空港]](羽田空港) *** [[福岡空港]]<ref group="注釈">[[ジェイエア]]の機材・乗務員による運航。</ref> ** [[全日本空輸]](ANA) *** 東京国際空港(羽田空港) *** [[大阪国際空港]](伊丹空港)<ref group="注釈">[[ANAウイングス]]の機材・乗務員による運航。</ref> ** [[フジドリームエアラインズ]](FDA)<ref group="注釈">[[日本航空]](JAL)とコードシェア。</ref> *** [[名古屋飛行場|名古屋空港]] *** [[神戸空港]] ** [[ジェットスター・ジャパン]](JJP)<ref group="注釈">[[日本航空]](JAL)とコードシェア(JAL国際線との乗継時のみ)。</ref> *** [[成田国際空港]] ===鉄道・軌道=== ;鉄道 日中の普通列車の本数は高知市近郊区間<ref group="注釈">後免駅 - 高知駅 - 伊野駅間で毎時2本程度。</ref>を除いて毎時1本以下である。また、普通列車の運用は臨時列車を除いてすべて当日中に終了する。 * [[四国旅客鉄道]](JR四国) ** [[土讃線]] ** [[予土線]] * [[土佐くろしお鉄道]] ** [[土佐くろしお鉄道中村線|中村線]] ** [[土佐くろしお鉄道宿毛線|宿毛線]] ** [[土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線|ごめん・なはり線]] * [[阿佐海岸鉄道]] ** [[阿佐海岸鉄道阿佐東線|阿佐東線]] ;軌道 * [[とさでん交通]] ** [[とさでん交通桟橋線|桟橋線]] ** [[とさでん交通後免線|後免線]] ** [[とさでん交通伊野線|伊野線]] とさでん交通は全線電化されている。残りの鉄道路線は非電化。 ;過去の鉄道路線 * [[土佐電気鉄道]] ** [[土佐電気鉄道安芸線]] ** [[土佐電気鉄道新地線]] ===バス=== 県内に本社、営業所を置く主な事業者 * とさでん交通 ** [[高知西南交通]](四万十市) ** [[高知東部交通]](安芸市) * [[ジェイアール四国バス]] * [[高知駅前観光]] ===道路=== * 高速道路(高速自動車国道) ** [[高知自動車道]] * 高規格幹線道路 ** [[高知東部自動車道]]([[高知南国道路]]・[[南国安芸道路]]) ** [[須崎道路]] ** [[中村宿毛道路]] * 地域高規格道路 ** [[阿南安芸自動車道]](東洋道路 - 安芸道路の区間が高知県分) ** [[高知松山自動車道]]([[高知西バイパス]]・[[越知道路]]の区間が高知県部分) === 渡船 === :* [[高知県営渡船]] ===港湾=== 高知港からは、最近まで[[大阪高知特急フェリー]](大阪南港行き)や[[マリンエキスプレス]](川崎 / 宮崎)などの運航があった。[[原油価格]]の高騰に加えて、[[明石海峡大橋]]や高知自動車道などの開通の影響に伴う乗船者数の減少により、相次いで廃止。2018年10月には唯一運航していた[[宿毛フェリー]]が休止したため、現在県内に発着するフェリーは存在しない。 == マスメディア == === 新聞 === [[File:RKC01s3200.jpg|thumb|200px|高知新聞本社]] * [[高知新聞]] * 高知民報 * [[朝日新聞]]、[[毎日新聞]]、[[読売新聞]]、[[日本経済新聞]]、[[産経新聞]]も県内に総局・支局がある : ※産経新聞は、高知県下で発売されているものの県域版については非掲載である : ※各紙販売所、販売店における他紙・誌の配達・販売に関する取り扱いは以下のパターンが多い :: 高知新聞の販売所…[[デイリースポーツ]] :: 読売新聞の販売店…[[スポーツ報知]] :: 毎日新聞の販売店…[[日本経済新聞]]、[[スポーツニッポン]]、[[週刊将棋]] :: 産経新聞の販売店…[[競馬エイト]]、[[週刊Gallop]] === 放送 === ; 県域放送局 * [[NHK高知放送局]] * [[高知放送]](RKC:テレビ・AMラジオ兼営)- テレビは[[日本ニュースネットワーク|NNN]]/[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]系列、ラジオは[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]クロスネット局 * [[テレビ高知]](KUTV)- [[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列 * [[高知さんさんテレビ]](KSS)- [[フジニュースネットワーク|FNN]]/[[フジネットワーク|FNS]]系列 * [[エフエム高知]] - [[全国FM放送協議会|JFN]]系列。愛称「Hi-Six」。 * [[高知シティエフエムラジオ放送]] - 高知市の一部地域が放送対象地域の県内唯一のコミュニティ放送局 ※デジタルテレビの親局送信所はRKC・KUTVが[[高知親局送信所|烏帽子山]]、NHK・KSSが近接する柏尾山。エフエム高知の親局とRKCのFM補完放送のメイン中継局も烏帽子山であるが、NHK-FMの親局は高知港を挟んだ[[五台山 (高知市)|五台山]]である。なお五台山にはデジタルテレビ各局の中継局もおかれている。 ※ エフエム高知は、中継局の少なさから山間部では放送を受信できない地域が多い。また高知さんさんテレビも、これまでのアナログ放送においては山間部ではやはり中継局の少なさから放送を受信できない地域が多かった。デジタル新局で中継局を順次開局して[[2010年]](平成22年)に先発局と並んで事実上県内全域カバーを果たしたことから、受信できない地域も大幅に減少した。<br /> ※ 高知県には[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]及び[[TXNネットワーク|TXN]]系列が存在しない。ANNに関しては四万十町、宿毛市、四万十市、大月町、黒潮町を除く全域を取材拠点として、大阪・[[朝日放送テレビ]](ABC)が[[朝日放送テレビ高知支局|高知支局]]を設置しており、四万十町、宿毛市、四万十市、大月町、黒潮町に関しては[[愛媛朝日テレビ]]が取材を担当している。<br /> ※ 2019年ごろから高知県内全民放テレビ局において通常時終夜放送を行っている。 ; ケーブルテレビ * [[高知ケーブルテレビ]](高知市・南国市・いの町) * [[よさこいケーブルネット]](須崎市・土佐市・中土佐町) * [[西南地域ネットワーク]](宿毛市・四万十市・大月町) * [[土佐有線テレビ施設組合]](土佐町・本山町) * [[香南ケーブルテレビ]](香南市) * [[四万十町ケーブルネットワーク]](四万十町) * [[梼原あんしん光ネット]](檮原町) * [[黒潮町光ネットワーク]](黒潮町) * [[エフビットコミュニケーションズ]](室戸市) <gallery> ファイル:NHK-Kochi.png|NHK高知放送局 ファイル:RKC02s3200.jpg|高知放送南館 ファイル:Kochi UHF Television.png|テレビ高知局舎 ファイル:Kochi Sun Sun Broadcasting.png|高知さんさんテレビ局舎 ファイル:FM Kochi.jpg|エフエム高知 ファイル:KCB preview.jpg|高知ケーブルテレビ </gallery> ==== 高知県のケーブルテレビ ==== 2022年現在下記のケーブルテレビに加入できる地域ではケーブルテレビを通じて高知県外のラジオ、テレビ放送が受信可能である。 * 高知ケーブルテレビ(高知市、南国市、いの町) : [[瀬戸内海放送]]、[[エフエム大阪|FM大阪]]、[[FM802]]の区域外再放送を実施中。 * 香南ケーブルテレビ(香南市) : 瀬戸内海放送の区域外再放送を実施中。 * よさこいケーブルネット(須崎市、土佐市、中土佐町) : 瀬戸内海放送の区域外再放送を実施中。 * 四万十ケーブルテレビ(四万十町) : 愛媛朝日テレビの区域外再放送を実施中。 * 黒潮町光ネットワーク(黒潮町) : 愛媛朝日テレビの区域外再放送を実施中。 * 西南地域ネットワーク(宿毛市、四万十市、大月町) : 愛媛朝日テレビの区域外再放送を実施中。 === アマチュア無線FM中継局(レピータ)設置場所・周波数 === * JR5WN(土佐郡土佐町)439.84MHz, 1292.80MHz * JR5WM(吾川郡仁淀川町)439.94MHz * JR5WZ(須崎市桑田山)439.66MHz * JR5VA(室戸市室戸岬)439.70MHz * JR5VB(宿毛市貝ガ森)439.78MHz, 1292.78MHz * JR5VJ(吾川郡中津明神山)439.04MHz : 標高が約1,500mあり、四国において最高峰にある計画レピータ * JR5VM(安芸郡芸西村)439.88MHz * JR5VW(高岡郡津野町)439.72MHz, 1292.76MHz * JR5YCA(土佐清水市大柴山)439.64MHz [[日本アマチュア無線連盟]] (JARL) を免許人とする[[アマチュア無線]]用中継局が県内各所に設置されている。高知県のレピータは山地率が高く、また、太平洋に向かって県土が開けている地形から、標高の高い箇所や海沿いの都市・集落間の通信確保のため設置されているところに特徴がある<ref>モービルハム 1986年1月号 電波実験社</ref>。 ==教育== [[File:Kochi University.jpg|thumb|200px|高知大学朝倉キャンパス]] 1949年から1961年まで、公立高校で高校全入が行われていた。1949年から1956年は無試験。また、1949年から1962年まで高知市内の3校で[[総合選抜|抽選]]を行なっていた。 私立中学校への進学率は高く、2020年度に行なわれた『私立中学に通う子どもの割合が多い都道府県ランキング』において第2位を記録している<ref>{{Cite web|和書|url=https://magazine.aruhi-corp.co.jp/0000-4869/ |title=高知県民はなぜ「私立中学」を選ぶ? 四国・中国、九州地方の中学受験事情 |publisher=ARUHIマガジン |date=2022-01-06 |accessdate=2022-08-30}}</ref>。 ; [[大学]] [[国立大学|国立]] * [[高知大学]] [[公立大学|公立]] * [[高知工科大学]] * [[高知県立大学]] [[私立大学|私立]] * [[高知リハビリテーション専門職大学]] * [[高知学園大学]] ; [[通信制大学]] 私立 * [[放送大学]] 高知学習センター ; [[短期大学]] 私立 * [[高知学園短期大学]] * [[高知短期大学]] ; [[高等専門学校]] 国立 * [[高知工業高等専門学校]] ; [[専修学校]] * [[高知県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] * [[高知県特別支援学校一覧]] ; [[高等学校]] * [[高知県高等学校一覧]] ; [[中学校]] * [[高知県中学校一覧]] ; [[小学校]] * [[高知県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] * [[高知県幼稚園一覧]] ; その他教育機関 ; [[大学校]] * [[高知県立農業大学校]] * [[高知県立林業大学校]] ; [[職業能力開発短期大学校]] * [[四国職業能力開発大学校附属高知職業能力開発短期大学校|高知職業能力開発短期大学校]] == 文化・スポーツ == === 方言 === * 古来より[[四国地方]]は[[畿内]]との文化的繋がりが強く、[[四国方言]]は[[西日本方言]]の中でも特に[[近畿方言]]と近い特徴を持つ。その為、高知県中部東部で話されている[[土佐弁]]は独自性を強く保ちつつも古来の近畿方言の特徴を色濃く保持している。 * 高知県西部の幡多地域では[[幡多弁]]が話されており、[[土佐弁]]は[[近畿方言]]と同系統の[[京阪式アクセント]]を用いる一方で幡多弁は[[東京式アクセント]]を用いるなど大きく異なる特徴を持つ。また幡多弁は、愛媛県南部地域で話されている[[宇和島弁]]と近い関係にある。 === 食文化 === [[ファイル:KatsuoTataki.jpg|thumb|240px|鰹のたたき]] {{See also|Category:高知県の食文化}} {{Anchors|食品}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#高知県}} * [[土佐造り|鰹の土佐造り]] * [[鰹のタタキ]] * [[うつぼのタタキ]] * [[皿鉢料理]] ; B級グルメ * [[鍋焼きラーメン]] * [[リープル]] ; 名産品など {{See also|高知の名産}} * [[ごっくん馬路村]] (清涼飲料水) * [[文旦]] (ぶんたん) * [[中菓子]] ; 鶏 * [[愛玩鶏]]の産地として古くから有名で、[[オナガドリ|尾長鳥]]・[[東天紅鶏|東天紅]]をはじめ、[[2000年]](平成12年)には「プチコッコ」と言う愛玩鶏も誕生した。 * [[土佐ジロー]] (卵肉兼用の鶏) === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[土佐打刃物]](金工品、[[1998年]]) * [[土佐和紙]](和紙、[[1976年]]) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#高知県}} === 犬 === * [[土佐闘犬]] * [[四国犬|土佐犬]] * [[とさけんぴ]](マスコットキャラクター) === スポーツ === * [[高知ユナイテッドSC]](サッカー・[[日本サッカーリーグ|JFL]]) * [[高知ファイティングドッグス]](野球・[[四国アイランドリーグplus]]) === その他 === * [[しんじょう君]](マスコットキャラクター) == 観光 == {{main|高知県の観光地}} {{Vertical_images_list |幅= 220px |枠幅= 220px | 1=Kochi Castle04s3872.jpg | 2=高知城(国の史跡・重要文化財) | 3=Yosakoi performers.jpg | 4=よさこい祭り }} 高知県では日本最後の清流として知られる四万十川や龍河洞、[[ホエールウォッチング]]など自然を売り物にしたものが多く、近年は[[エコツーリズム]]にも力を入れつつある。 一方で大型の集客施設に乏しく、観光客数も年間約500万人(県外客のみ)とやや低位であるが[[重要文化財]]・[[高知城]]や古社寺の名所旧跡、[[室戸岬]]や[[足摺岬]]といった自然景勝地をはじめ、[[高知県立牧野植物園]]や[[高知県立坂本龍馬記念館]]などの充実した[[博物館]]群、黒潮本陣(中土佐町)やオーベルジュ土佐山(高知市)など小規模の特徴を生かした宿泊施設が多いのも特徴である。なお、全国へと波及した[[よさこい祭り]]は毎年2万人余りの踊り子が高知市内各地を乱舞する一大イベントとなっている。 === 有形文化財建造物 === {{main|高知県指定文化財一覧}} ; 国宝 * [[豊楽寺]] - 薬師堂 ; 重要文化財 * [[安岡家住宅]](香美市) * [[高知城]](高知市) * [[旧関川家住宅]](高知市) * [[旧山内家下屋敷長屋]](高知市) * [[吉福家住宅]](土佐清水市) * [[旧竹内家住宅]](四万十町) * [[旧立川番所書院]](大豊町) * [[金林寺薬師堂]](馬路村) ; 重要伝統的建造物群保存地区 * [[吉良川町]] (室戸市) === 自然公園 === {{main|Category:高知県の公園}} [[File:Tosashimizu Ashizuri Cape 1.jpg|thumbnail|240px|四国最南端足摺岬]] * [[国立公園]] : [[足摺宇和海国立公園]] * [[国定公園]] : [[石鎚国定公園]]、[[剣山国定公園]]、[[室戸阿南海岸国定公園]] * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] : 手結住吉県立自然公園、奥物部県立自然公園、白髪山県立自然公園、横倉山県立自然公園、横浪県立自然公園、入野県立自然公園、宿毛県立自然公園、龍河洞県立自然公園、中津渓谷県立自然公園、須崎湾県立自然公園、興津県立自然公園、[[安居渓谷県立自然公園]]、[[四国カルスト県立自然公園]]、北山県立自然公園、魚梁瀬県立自然公園、[[梶ヶ森県立自然公園]]、鷲尾山県立自然公園、工石山陣ヶ森県立自然公園 === 観光スポット === * 高知城(高知市) * 日曜市、木曜市(高知市) ; 寺院・神社 {{main|Category:高知県の寺|Category:高知県の神社}} * [[四国八十八箇所]]24から39番札所 : (土佐の霊場めぐりは'''修行'''の道場と呼ばれる難所が続く) : [[最御崎寺]](室戸市)(土佐東寺) - [[津照寺]](室戸市)(津寺) - [[金剛頂寺 (室戸市)|金剛頂寺]](室戸市)(土佐西寺) - [[神峯寺]](安田町) - [[大日寺 (香南市)|大日寺]](香南市) - [[土佐国分寺]](南国市) - [[善楽寺]](高知市) - [[竹林寺 (高知市)|竹林寺]](高知市、名勝庭園、よさこい節で簪を買った僧純信のいた寺) - [[禅師峰寺]](南国市) - [[雪蹊寺]](高知市) - [[種間寺]](春野町) - [[清瀧寺 (土佐市)|清瀧寺]](土佐市) - [[青龍寺 (土佐市)|青龍寺]](土佐市) - [[岩本寺]](四万十町) - [[金剛福寺]](土佐清水市) - [[延光寺]](宿毛市) * [[大善寺 (須崎市)|大善寺]](須崎市) - [[四国別格二十霊場]]5番霊場 * [[豊楽寺]](大豊町) - [[国宝]]薬師堂 * [[柳川神社]](香美市) * [[土佐神社]](高知市) - [[土佐国]][[一宮]]、旧[[国幣中社]] * [[朝倉神社 (高知市)|朝倉神社]](高知市) - 土佐国[[一宮|二宮]]、旧[[県社]] * [[潮江天満宮]](高知市) - 旧県社。 * [[山内神社]](高知市) - 旧[[別格官幣社]] ; 名勝 {{Vertical_images_list |幅= 220px |枠幅= 220px | 1=Kochi Katsurahama Sakamoto Ryoma Statue 3.jpg | 2=桂浜の坂本龍馬像 | 3=Shimanto-iwama.jpg | 4=四万十川 }} * [[室戸岬]](室戸市) * [[桂浜]](高知市) * [[足摺岬]](土佐清水市) * [[別府渓谷]](香美市) * [[龍河洞]](香美市) * [[安居渓谷]](仁淀川町) * [[中津渓谷]](仁淀川町) * [[四万十川]](四万十市ほか) [[File:Irino kaigan20220628 1.jpg|230px|thumb|入野海岸]] * 入野松原(黒潮町):入野海岸 ; 史跡 {{also|四国地方の史跡一覧#高知県}} : 高知市内:[[坂本龍馬]]、[[板垣退助]]、[[濱口雄幸]]、[[後藤象二郎]]、[[福岡孝弟]]、[[山内容堂]]、[[武市瑞山|武市半平太]]、[[植木枝盛]]、[[大町桂月]]ら幕末〜明治に活躍した人物の生誕地、邸宅跡など ; 博物館・美術館など {{main|Category:高知県の博物館|Category:高知県の美術館}} * 図書館等複合施設「[[オーテピア]]」 ** [[オーテピア#オーテピア高知図書館|オーテピア高知図書館]] *** (旧)[[高知県立図書館]](高知市) - 日本初の[[移動図書館]]([[1948年]](昭和23年)7月、自動車文庫)を始めた図書館として知られる。[[2017年]](平成29年)閉鎖。 ** [[オーテピア#オーテピア高知声と点字の図書館|オーテピア高知声と点字の図書館]] ** [[オーテピア#高知みらい科学館|高知みらい科学館]] * [[高知県立美術館]](高知市) * [[高知県立牧野植物園]](高知市) * [[高知県立文学館]](高知市) * [[高知県立高知城歴史博物館]](高知市) * [[高知県立坂本龍馬記念館]](高知市) * [[高知市立龍馬の生まれたまち記念館]](高知市) * [[高知市立自由民権記念館]](高知市) * [[横山隆一記念まんが館]](高知市) * [[高知市大川筋武家屋敷資料館]](高知市) * [[土佐山内家宝物資料館]](高知市) * [[高知市旧関川家住宅民家資料館]](高知市) * [[浜口雄幸生家記念館]](高知市) * [[寺田寅彦記念館]](高知市) * [[砂浜美術館]]([[黒潮町]]) * [[高知県立歴史民俗資料館]](南国市) * [[安芸市立歴史民俗資料館]](安芸市) * [[中岡慎太郎館]](北川村) * [[香美市立やなせたかし記念館]](香美市) * [[絵金蔵]]([[香南市]]) * [[龍馬歴史館]](香南市) - 現、創造広場アクトランド * [[いの町紙の博物館]](いの町) * [[土佐和紙工芸村]]くらうど(いの町) * [[佐川町立青山文庫]](佐川町) * [[横倉山自然の森博物館]](越知町) * [[四万十川学遊館]](四万十市) * [[ジョン万ハウス]](土佐清水市) * [[宿毛歴史館]](宿毛市) ; スポーツ施設 {{main|Category:高知県のスポーツ施設}} * [[高知県立武道館]] * [[高知県立春野運動公園野球場]] * [[高知県立春野総合運動公園陸上競技場]] * [[高知競馬場]] * [[高知競輪場]] ; 自然体験 * [[カヌー]]、[[キャンプ]]など(四万十川、仁淀川など) * [[ホエールウォッチング]](土佐市、黒潮町など) * [[スクーバダイビング|ダイビング]](大月町[[柏島]]など) ; その他 * [[集落活動センター]](県内全域) * [[高知県民文化ホール]](高知市) * [[高知市文化プラザかるぽーと]](高知市) * [[ひろめ市場]](高知市) * [[わんぱーくこうち]](高知市) * [[高知県立のいち動物公園]](香南市) * [[足摺海底館]](土佐清水市) * [[北川村モネの庭マルモッタン]]([[北川村]]) ===祭事・催事=== {{main|Category:高知県の祭り}} * [[よさこい祭り]](高知市) * [[まんが甲子園]](高知市) * [[秋葉祭 (仁淀川町)|秋葉祭]](仁淀川町) * [[一条大祭]](四万十市) * [http://www.mantentosa.com/sightseeing/try/kurehachi/index.html 久礼八幡宮大祭]([[中土佐町]]) * [http://www.mantentosa.com/sightseeing/try/katuomaturi/index.html かつお祭]([[中土佐町]]) * [[池川神楽]](仁淀川町) * [[安居神楽]](仁淀川町) * [[絵金祭り]](香南市) * [[冬の夏祭り]](香南市) * [[あしずりまつり]](土佐清水市) * [[宿毛まつり]](宿毛市) * [[ヤーサイ]](宿毛市平田) == 対外関係 == ===海外=== ; 姉妹友好提携<ref>[http://www.clair.or.jp/j/exchange/shimai/prefectures/detail/39 高知県の自治体間交流]</ref> * {{Flagicon|PHI}}[[ベンゲット州]]([[フィリピン共和国]]) ** [[1975年]]([[昭和]]50年)[[7月28日]] 姉妹県提携 * {{Flagicon|CHN}}[[安徽省]]([[中華人民共和国]]) ** [[1994年]]([[平成]]6年)[[11月8日]] 友好提携 * {{Flagicon|KOR}}[[全羅南道]]([[大韓民国]]) ** [[2016年]]([[平成]]28年)[[11月8日]] 姉妹交流提携 ===国内=== ; 提携自治体 * {{Flagicon|鳥取県}}[[鳥取県]] ** [[2013年]](平成25年)[[3月24日]] 提携<ref>[http://www.pref.tottori.lg.jp/238602.htm まんが王国とっとり公式ホームページ「まんが王国会議/高知県との連携」]</ref>。 * {{Flagicon|東京都}}[[品川区]]([[東京都]] [[東京都区部|都区部]]) ** [[2018年]](平成30年)8月 交流協定締結。[[土佐藩]][[江戸藩邸|下屋敷]]が区内にあった縁などにより、[[明治維新]]150年を記念<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO34370100Q8A820C1L92000/ 「維新150年記念 高知県と連携 品川区、地域振興など」]『日本経済新聞』朝刊2018年8月21日(首都圏経済面)2018年8月24日閲覧。</ref>。 == 高知県を舞台とした作品 == {{main|高知県を舞台とした作品一覧}} <small>※発表年順</small> === 文芸 === * [[土佐日記]](935年、[[紀貫之]]) * [[足摺岬 (小説)|足摺岬]](1949年、[[田宮虎彦]]) * [[婉という女]](1960年、[[大原富枝]]) * [[竜馬がゆく]](1962年、[[司馬遼太郎]]) * [[功名が辻]](1963年、司馬遼太郎) * [[「沖ノ島」よ私の愛と献身を 離島の保健婦荒木初子さんの十八年]](1967年、[[伊藤桂一]]) * [[櫂 (小説)|櫂]](1972年、[[宮尾登美子]]) * [[陽暉楼]](1976年、宮尾登美子) * [[寒椿 (宮尾登美子)|寒椿]](1977年、宮尾登美子) * [[一絃の琴]](1978年、宮尾登美子) * [[鬼龍院花子の生涯]](1980年、宮尾登美子) * [[海がきこえる]](1990年、[[氷室冴子]]) * [[双頭の悪魔]](1992年、[[有栖川有栖]]) * [[室戸岬へ]](1995年、[[西村賢太]]) * [[死国]](1996年、[[坂東眞砂子]]) * [[仁淀川]](2000年、宮尾登美子) * [[まぐろ土佐船]](2003年、[[斎藤健次]]) * [[空の中]](2004年、[[有川浩]]) * [[県庁おもてなし課]](2011年、有川浩) * 安芸市出身、高知市在住の推理作家[[西沢保彦]]の作品においては、二十冊以上において架空の県庁所在地「櫃洗市」が舞台となっている。具体的な位置説明、方言、名勝などは一切登場しないが、細かい描写で高知市を類推させるものが見られる。 === 映画 === * [[足摺岬 (映画)|足摺岬]](1954年) * [[南国土佐を後にして]](1959年) * [[私は貝になりたい]](1959年) * [[孤島の太陽]](1968年) * [[少年 (1969年の映画)|少年]](1969年) * [[ボクは五才]](1970年) * [[祭りの準備]](1975年) * [[土佐の一本釣り#1980年版映画|土佐の一本釣り]](1980年) * [[鬼龍院花子の生涯]](1982年) * [[陽暉楼]](1983年) * [[刑事物語#刑事物語4 くろしおの詩|刑事物語 くろしおの詩]](1985年) * [[櫂 (小説)|櫂]](1985年) * [[幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬]](1986年) * [[シャコタン☆ブギ]](1987年) * [[中島丈博|郷愁]](1988年) * [[鉄拳 (1990年の映画)|鉄拳]](1990年) * [[寒椿 (宮尾登美子)#映画|寒椿]](1992年) * [[絵の中のぼくの村]](1996年) * [[いさなのうみ]](1997年) * [[死国]](1999年) * [[狗神 INUGAMI]](2001年) * [[竜馬の妻とその夫と愛人#映画|竜馬の妻とその夫と愛人]](2002年) * [[釣りバカ日誌14 お遍路大パニック!]](2003年) * [[ロード88 出会い路、四国へ]](2004年) * [[ハルウララ#映画|ハルウララ]](2004年) * [[赤ぱっち]](2004年) * [[MAZE (映画)|MAZE マゼ]](2005年) * [[Sweet Dreams]](2006年) * [[The Harimaya Bridge はりまや橋]](2009年) * [[いけちゃんとぼく]](2009年) * [[パーマネント野ばら]](2010年) * [[君が踊る、夏]](2010年) * [[県庁おもてなし課#映画|県庁おもてなし課]](2013年) * [[土佐の一本釣り#2014年版映画|土佐の一本釣り 〜久礼発、17歳の旅立ち〜]](2014年) === テレビドラマ === * [[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]](1978年、[[日本放送協会|NHK]]) * [[ノンちゃんの夢]](1988年、NHK) * [[海がきこえる#テレビドラマ|海がきこえる〜アイがあるから〜]](1995年、[[テレビ朝日]]) * [[一絃の琴]](2000年、NHK) * [[功名が辻 (NHK大河ドラマ)|功名が辻]](2006年、NHK) * [[歌姫 (テレビドラマ)|歌姫]](2007年、[[TBSテレビ|TBS]]) * [[龍馬伝]](2010年、NHK) * [[遅咲きのヒマワリ〜ボクの人生、リニューアル〜]](2012年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) * [[連続テレビ小説]]「[[らんまん]]」(2023年、NHK) === 演劇 === * [[竜馬の妻とその夫と愛人]](2006年) === 音楽 === * [[南国土佐を後にして]](1959年/[[ペギー葉山]]) * [[暖流 (石川さゆりの曲)|暖流]](1977年/[[石川さゆり]]) * せられん(1978年/大野研二<ref>{{Cite web|和書|title=三山さんが往年ロック ♪せられん せられん いうたろう~ ネット公開 再ブームの兆し!?|url=https://www.kochinews.co.jp/article/detail/398631|website=高知新聞|accessdate=2020-10-09|language=ja}}</ref>、[[三山ひろし]]<ref>{{Cite web|和書|title=三山ひろしさん「せられん」生披露 高知市で公演|url=https://www.kochinews.co.jp/article/detail/403648|website=高知新聞|accessdate=2020-10-09|language=ja}}</ref>) === 漫画・アニメ === * [[侍ジャイアンツ]](1971年、[[梶原一騎]]・[[井上コオ]]) * [[土佐の一本釣り]](1975年、[[青柳裕介]]) * [[シャコタン☆ブギ]](1986年、[[楠みちはる]]) * [[お〜い!竜馬]](1986年、[[武田鉄矢]]・[[小山ゆう]]) * [[ツルモク独身寮]](1988年、[[窪之内英策]]) * [[海がきこえる#あらすじ|海がきこえる]](1993年、[[氷室冴子]]) * [[まぐろ土佐船]](2003年、[[斎藤健次]]・[[青柳裕介]]) * [[はるちゃん]] 高知県・久礼編(2005年、青柳プロダクション) * [[たいようのマキバオー]](2006年、[[つの丸]]) * [[竜馬へ]]([[むつ利之]]) * [[ポッピンQ]](2016年、[[東堂いづみ]]) * [[竜とそばかすの姫]](2021年) === ゲーム === * [[波の間に間に 〜さざなみ診療所〜]](2006年) * [[ものべの]](2012年) == 人物 == {{Main|高知県出身の人物一覧}} === 高知県名誉県民 === 高知県名誉県民は、2011年(平成23年)10月11日に制定された高知県名誉県民顕彰要綱に基づき、「学芸、芸術、文化、スポーツ等の分野において輝かしい活躍をし、県民の誇りとふるさと意識を高め、県民に夢と希望、勇気、感動のすべてを与えた」個人や団体を顕彰する制度である(要綱第1条)<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/110901/files/2011120600092/2011120600092_www_pref_kochi_lg_jp_uploaded_attachment_59648.pdf 高知県名誉県民顕彰要綱]}} - 高知県、2019年7月28日閲覧。</ref>。名誉県民に選定された者には、表彰状と高知県名誉県民章(副賞)が贈呈される<ref>[https://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/110901/meiyokenmin-medal.html 高知県名誉県民章] - 高知県、2019年7月28日閲覧。</ref>。 {| class="wikitable" !受賞者氏名 !職業 !選定年月日 !備考 !出典 |- |[[やなせたかし]] |[[漫画家]]、[[絵本作家]]、[[作詞家]]、[[詩人]] |2011年11月3日 |『[[アンパンマン]]』原作者 |<ref name="名前なし-1">[https://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/110901/meiyokenmin-list.html 名誉県民 やなせたかし] - 高知県、2019年7月28日閲覧。</ref> |- |[[奥谷博]] |[[洋画家]] |2018年3月21日 |[[日本芸術院賞]]受賞、[[文化勲章]]受章 |<ref name="名前なし-1"/> |} === 名誉高知県人 === 名誉高知県人は、高知県名誉県民顕彰要綱が制定される前に運用されていた名誉称号で、高知県を日本全国に紹介する功績を挙げた者に対して高知県知事が贈呈していた<ref>[https://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/110901/meiyokenmin.html 高知県名誉県民顕彰] - 高知県、2019年7月28日閲覧。</ref>。 {| class="wikitable" !受賞者氏名 !職業 !選定年月日 !備考 !出典 |- |[[司馬遼太郎]] |[[小説家]] |1968年11月15日 |土佐を舞台にした『[[竜馬がゆく]]』『[[功名が辻]]』『[[夏草の賦]]』を発表 |<ref name=meiyokenjin>[https://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/110901/meiyokenjin-list.html 名誉高知県人一覧(敬称略)] - 高知県、2019年7月28日閲覧。</ref> |- |[[ペギー葉山]] |[[歌手]] |1974年11月3日 |『[[南国土佐を後にして#ペギー葉山盤|南国土佐を後にして]]』を発表 |<ref name=meiyokenjin/> |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"|30em}} === 出典 === {{Reflist|18em}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=山本大|authorlink=山本大|title=高知県の歴史 |date=1970年1月1日 |publisher=[[山川出版社]] |ref={{SfnRef|山本}} }} * {{Cite journal|和書|url=https://doi.org/10.24677/riim.12.0_133 |title=高知県高知市におけるコンビニエンスストアの立地展開の特異性 |author=松山侑樹 |author2=遠藤尚 |author3=中村努 |publisher=[[日本地理学会]] |journal=E-journal GEO |volume=11 |issue=1 |year=2016 |pages=40-55 |doi=10.4157/ejgeo.11.40 |accessdate=2020-04-02|Sfnref={{SfnRef|松山|遠藤|中村|2016}}}} == 関連項目 == * [[:Category:高知県の自然景勝地|高知県の自然景勝地]] * [[高知県の県道一覧]] * [[高知県の記念物]] * [[:Category:高知県の企業|高知県の企業]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/高知県|[[画像:Kochi-geo-stub.png|36px|Portal:日本の都道府県/高知県]]}} {{Multimedia|高知県の画像}} {{osm box|r|3795031}} {{Sisterlinks|commons=Kochi_Prefecture|commonscat=Kochi_prefecture|voy=高知県|d=Q134093|species=Kochi prefecture}} '''行政''' * {{Official website|name=高知県}} * {{Twitter|pref_kochi|高知県広報広聴課}} '''観光''' * [https://www.attaka.or.jp/ よさこいネット] - 高知県観光コンベンション協会 * [https://www.shimanto.or.jp/ 清流・四万十川] - 財団法人四万十川財団 *ウィキボヤージュには、[[voy:高知県|高知県]]に関する旅行ガイドがあります。 '''自然保護''' * [https://twitter.com/Oyu_yairocho 大用ヤイロチョウを守る会(おおゆうやいろちょうをまもるかい)-]ヤイロチョウを会の象徴にかかげ、全く新しい自然保護活動を模索する、自然保護業界におけるサブカルチャー団体。 '''アンテナショップ''' * [https://www.marugotokochi.com/ まるごと高知] {{s-start}} {{s-bef|before=[[土佐藩|高知藩]]<hr />[[名東県]]の一部([[阿波国]])|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1871年]] -|years2=}} {{s-aft|after=-----<hr />[[徳島県]](阿波国)|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{高知県の自治体}} {{高知県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:こうちけん}} [[Category:日本の都道府県]] 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佐賀県
佐賀県(さがけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は佐賀市。 お茶や唐津・伊万里・有田などの古くからの陶磁器の産地として有名で、玄界灘と有明海の2つの海に接する。令制国の肥前国東部に相当する。明治の府県制成立の際、同国は佐賀県と長崎県の2県として分立した。九州地方の中では最も面積、経済規模が小さい県であり、人口は隣接する福岡県の2割以下であり、福岡市の半分程度に過ぎない。一方、人口密度は全国で16番目に高く、広島県の人口密度を上回っている。 佐賀県は、日本の中では西部(西日本)あるいは南部(南日本)に位置しており、九州地方の中では北部(北部九州)または西部(西九州)に位置している。人口・面積共に九州7県の中では最も少なく、また人口・面積ともに全47都道府県中42番目であるが、人口密度は全47都道府県中16番目と上から1/3であり、九州の中でも2番目に高い。 県内の地域区分は佐賀藩と唐津藩に二分されていた歴史的経緯から、唐津市を中心とした北部(北西部)と佐賀市を中心とした南部(南東部)に分ける2区分が最もよく用いられる。より細かく分ける場合は、北部・東部・西部の3区分や三神・佐城・杵藤・唐松・伊西の5区分が用いられる。 県名の認知度調査においては2002年(平成14年)の調査結果では(小学校4年生~小学6年生対象)第44位、2004年(平成16年)の調査結果では(中学生対象)で第30位となっている。 佐賀県の形は、凹凸のある逆三角形に近い。北西部はリアス式海岸と砂浜の玄界灘、南東部は干潟と干拓地の有明海という、海岸の様子が全く異なる2つの海に接している。有明海沿岸から筑後川沿いには県の面積の3割を占める佐賀平野が広がり、玄界灘から佐賀平野西部までは杵島丘陵などの丘陵地帯である。北東部に脊振山地、南西部に多良岳山系といういずれも1,000m級の山地があって丘陵地帯を挟んでいる。耕地が県面積の39%に上り、国内平均の2倍と高い割合である一方、森林・荒地は同49%と国内平均の7割に留まっている。 県の北東部を東西に連ねる脊振山地は唐津市浜玉町から鳥栖市までその稜線が福岡県との県境になっている。鳥栖市で山脈は途切れるが、その延長線上には福岡県の耳納山地が延びている。鳥栖市・基山町は隣接する久留米市とともに山地の合間にあり、北の福岡平野と南の筑紫平野を結ぶ道路網・鉄道網の分岐点となっている。交通の要所かつ工業地域で福岡都市圏のベッドタウンでもあるため、住宅開発が進んでおり人口減少が続く県内では例外的に人口増加率が高い。福岡、佐賀の両県に広がる筑紫平野を中心に有明海や筑後川を囲む筑後佐賀エリアの人口は100万人を超え、域内の総生産は北九州都市圏に迫る規模がある。山地は平野部の北側に広がっていて、県中央部に位置する天山まで連なっている。 脊振山地の南麓は緩やかな洪積台地からなる細長い丘陵地帯で、それより南側には幅の広い平坦な沖積平野である佐賀平野が東西に広がっていて県の東部から中央部を占める。佐賀平野は筑紫平野の西半分を指す別名で、古くより穀類の生産が多い穀倉地帯である。筑紫平野の中央を縦断する筑後川が福岡県筑後地方(筑後平野)との境である。平坦な低地が内陸まで広がり大小多数の河川が流れるため20世紀半ばまで洪水被害が頻発していたが、治水が進んだことにより現在は被害が大きく抑えられている。佐賀平野の南には有明海があり、遠浅の広い干潟が広がり干潟独特の生物相がみられる。沿岸には江戸時代以降の干拓により造成された地域が分布している。県内の干拓面積は江戸時代から累計100km前後に達しており、佐賀平野の1割・県面積の4%に達する。 北西部は、日本海と東シナ海の接続水域である玄界灘に面する。海に突き出た東松浦半島(上場台地)や北松浦半島は玄武岩で構成された溶岩台地であり、温暖で部分的に照葉樹林も分布する。リアス式海岸で半島や離島が点在、唐津湾や伊万里湾には砂浜が分布する。この一帯の海岸沿いは玄海国定公園に指定され、唐津城や呼子などの観光地がある。 玄界灘沿岸の河口低地より南側、県南西部には杵島丘陵が広がり、長崎県との県境をなす多良岳山系へと続く。杵島丘陵には芳ノ谷層(始新世)や佐世保層群(漸新世後期)の石炭を含む層(挟炭層)があり、かつて炭鉱として栄えたが閉山により急速な地域衰退と人口減少を経験した。また有田泉山で陶石が採れたことをきっかけに創始された伊万里焼(有田焼)は、佐賀県を代表するブランドである。武雄温泉や嬉野温泉などの温泉街も点在する。 活動していない火山の多良岳以外は、佐賀県内に火山はない。地震の被害を受けることは少ないが、梅雨などの大雨による洪水、台風の被害は多い。一方で、森林面積の3割強を占める自然林・二次林のほとんどが常緑広葉樹林で、玄界灘沿岸部には照葉樹林も見られる。残りの7割弱はスギとヒノキを中心とする人工林で、森林面積に占める人工林率66%(2002年)は日本の都道府県の中で最も高い。 佐賀県は、日本の中では比較的気候が温暖であるが、冬の寒さは緯度の割りには厳しく東京よりも寒い。2016年1月25日には、県内全観測地点で真冬日を観測した。日本を広域的に見た場合、県内全域が太平洋側気候に入る、北部の玄界灘沿岸部は曇が多いが、降水量の面で日本海側気候とは明確に異なる。台風の通過・被害が多いが、九州のほかの県と比べると少ない方である。県内の気候は、大きく3つに分かれている。 現在、佐賀県内には10市6郡10町、併せて20市町がある。2004年(平成16年)12月時点では7市8郡38町4村の計49市町村だったが、市町村合併により、最後の合併が行われた2007年(平成19年)10月1日に現在の数となって市町村数は半分以下に減少した。合併で廃止された市町村については、佐賀県の廃止市町村一覧を参照されたい。 なお、2006年(平成18年)3月20日に脊振村が神埼市になったのを最後に佐賀県内の村は全て消滅した。佐賀県では、江北町が「まち」としている他は「町」はすべて「ちょう」と読む。 都道府県別の面積順位が42位と小さな県であり県全体を一つの地域とすることも多いが、大きく分ければ佐賀平野を中心とした南部と東松浦半島を中心にした北部に分けられる。また、さらに細かい区分では佐城(佐賀市・小城市・多久市)三神(鳥栖市・神埼市・三養基郡・神埼郡)杵藤(武雄市・鹿島市・嬉野市・杵島郡・藤津郡)唐松(唐津市・東松浦郡)伊西(伊万里市・西松浦郡)の5地区に分けることが多い。 県内の都市を中心市とする都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷 県名である「佐賀」は、1871年(明治4年)の廃藩置県の際県庁所在地となった佐賀郡から採られた。古来は「佐嘉」と「佐賀」両方の表記が見られたが、1870年(明治3年)に「佐賀」に統一された。古い「佐嘉」の表記は佐嘉神社などに残されている。 佐賀郡の由来は諸説あり、奈良時代の『肥前国風土記』における楠樹にまつわる「栄の国」伝説や、同じく風土記の賢女(さかしめ)伝説によるものがしばしば挙げられる。朝廷に服従してなかった土蜘蛛の「大山田女」と「狭山田女」の2人の女性が、暴れ川の佐嘉川(嘉瀬川)を鎮めて崇められたことから賢女と呼ばれたことが地名に由来する。また、傾斜地を指す「坂(さか)」、潮汐作用などで水が逆流する「逆(さか)」、砂丘地を指す「洲処(すが)」の転訛説などもある。 クスノキは、県内各地に名木が所在し「県の木」に指定されるなど縁が深い。 旧石器時代の遺構がいくつか発見されている。多久市の三年山遺跡や茶園原遺跡などでは、近くの鬼ノ鼻山産のサヌカイトを用いた狩猟に特化した尖頭型の石器が出土している。伊万里市の腰岳遺跡群は黒曜石の産地で、ここから旧石器時代後期 - 縄文時代に産出された黒曜石が本州 - 沖縄 - 朝鮮半島南部にまで広がっていることが確認されている。また佐賀市の東名遺跡では縄文時代前期にあたる7,000年前の網籠、木製装身具、貝塚などの生活遺構がまとまって出土している。 県北西部の玄界灘に面した地域は、福岡県の北西部と並んで大陸方面から伝来した稲作の日本における発祥地域とされ、宇木汲田遺跡では縄文時代晩期の炭化籾、菜畑遺跡では縄文時代晩期の炭化米や水田跡が見つかっている。 『魏志倭人伝』に見える「末廬国(まつらのくに)」が現在の唐津地方にあったとされ、大陸由来の青銅器や銅器が多数出土する遺跡が点在する。また、吉野ヶ里町・神埼市の丘陵地帯には弥生時代の大規模環濠集落である吉野ヶ里遺跡があり、その近辺にも九州北部に特徴的な甕棺墓が多く見つかっている。 さらには、古墳時代初期の建造の前方後円墳である唐津市の久里双水古墳をはじめ、東松浦地区や佐賀平野北部には幅広い年代の古墳が分布している。665年には基山町と福岡県筑紫野市の境に古代山城の一つである基肄城が築かれ、防人を招集して大宰府防衛線の一角を担った。また同じころ、武雄市のおつぼ山神籠石や帯隈山神籠石などの山城と考えられる遺構も成立している。このころ(7世紀末まで)までには令制国として、今の長崎県本土と佐賀県全域を領域とする肥前国が成立し、現在、佐賀県内には基肄郡、養父郡、三根郡、神埼郡、佐賀郡、小城郡、松浦郡、杵島郡、藤津郡が存在した。 平安時代後期には神埼荘・長島荘などの荘園が形成されるようになる。 鎌倉時代から室町時代にかけて、百以上の氏族が地頭として配置されていたと考えられている。その中でも規模が大きかったのが、肥前守護の少弐氏、小城郡の九州千葉氏、佐賀郡の高木氏、杵島郡の後藤氏などであった。また、玄界灘沿岸は松浦党の一族の松浦氏、波多氏の影響力も強かった。この時代の代表的な山城は、鳥栖の勝尾城。また佐賀平野では、環濠集落が発展したに建造された大きな環濠(クリーク)を特徴とする平城があり、代表的遺構として現存するのは、神埼の姉川城がある。 戦国時代に入ると、龍造寺隆信が一気に勢力を伸ばし肥前を統一する。龍造寺隆信は最盛期には、肥後北部・筑後・筑前南部まで領地を広げた。このころ、戦国末期には島津氏の攻勢が強まり、沖田畷の戦いによって龍造寺隆信が戦死すると、その勢いを失い領地を少しずつ狭めていく。ただ、豊臣政権による1587年(天正15年)の九州国分によって、現在の佐賀県内のほとんどが龍造寺氏の領下に入り版図が決まる。 1591年(天正19年)には東松浦半島に名護屋城が築かれ、文禄・慶長の役の拠点とされた。同城は両戦役の後役目を終え、一部が唐津城築城時に利用されるなどして数年で解体された。一方龍造寺領内では隆信の没後、義弟の鍋島直茂が国政の代行を行うようになって徐々に勢力を増し1607年(慶長12年)には、龍造寺氏の支配領をほぼすべて鍋島氏が継承して佐賀藩主となった。この前後に両一族の確執があり、鍋島藩の化け猫騒動の話を生み出したともいわれている。 一方、唐津藩では波多氏が改易されて寺沢氏に換わり、唐津藩の初代藩主となった。 江戸時代には、佐賀藩、その支藩である蓮池藩、鹿島藩、小城藩の3藩、および、唐津藩が置かれていた。そのほか、現在の鳥栖市・基山町付近に対馬府中藩の田代領、唐津市浜玉町付近に同藩浜崎領があり、それぞれ対馬府中藩の飛地となっていた。また、現在の唐津市浜玉町海岸部や唐津市南東部などが幕府直轄領となっていた。 佐賀藩およびその支藩は鍋島氏とその庶流家、龍造寺氏の分家などによる支配が続き、政治的には比較的安定していた。しかし、長崎の警備費用がかさむなどして財政は当初から厳しく、享保の大飢饉や1828年(文政11年)のシーボルト台風による甚大な被害はそれに拍車を掛けた。ただ、広大な有明海の干拓によって農地を拡大できるという地の利を生かして江戸時代初期から盛んに干拓を行ったことで、1840年代には約67万石と、200年前の2倍近くにまで石高を伸ばすことに成功している。また、19世紀中ごろに入って鍋島直正は財政の建て直しに努め、役人の削減、伊万里焼や茶・石炭といった特産品の保護育成に努めた。また、地理的に長崎に近いことや長崎警備を担当していた関係などから海外の情報の入手が比較的容易であったため、反射炉や蒸気機関車模型といった先進的な科学技術の実験・研究も進んでいた。 一方の唐津藩は寺沢氏が島原の乱の影響を受けて改易され、その後も領主が大久保氏、大給松平氏、土井氏、水野氏、小笠原氏と目まぐるしく変わり、政治はあまり安定していなかった。寺沢広高は松浦川の改修を行うなどしたが、その後水野忠任の代の1771年(明和8年)には虹の松原一揆が起こるなどした。 佐賀藩は戊辰戦争以降、明治維新に尽力する人物を多く輩出した。明治維新期に活躍した大隈重信・副島種臣・大木喬任・江藤新平・佐野常民・島義勇の6人に、彼らを育てつつ幕末期に活躍した鍋島直正を加えて『佐賀の七賢人』と称することがある。幕末時に薩長土の志士たちが中心であった明治新政府は、戊辰戦争半ばから肥前有志を仲間入りさせ「薩長土肥」体制としたため肥前出身者も明治政府の主要官職を占め続けていたが、藩閥打倒を叫ぶ民権派の影響などもあり大正以降は薩長土同様に藩閥的な勢力ではなくなった。 1871年の大規模府県統合時、旧肥前国の範囲は伊万里県(のちの佐賀県)と長崎県に二分された。このような処分は全国でも2例だけで、他は旧武蔵国(埼玉県・東京都・神奈川県北東部)や旧摂津国(大阪府北西部・兵庫県南東部)である。これには、日米修好通商条約で開港の対象となった5港を管轄する県の領域をできるだけ狭く収める目的があったとされている。現在の佐賀県が成立するまで、明治初期には統廃合が繰り返され、1876年(明治9年)には全県が他県に併合される事態も起きた。全県併合の背景には、1874年の佐賀の乱への処分の意味があったと言われている。併合後の根強い復県運動によって、7年後の1883年(明治16年)に佐賀県が復活する。 明治時代には殖産興業の一環として杵島や唐津一帯の炭鉱では機械の導入による増産が進められ、鉄道の建設がそれを後押しした。1889年(明治22年)12月11日に現在の鹿児島本線にあたり県内区間を含む博多 - 千歳川(現在は廃止)間が開業。1891年(明治24年)8月20日には鳥栖 - 佐賀間、1895年(明治28年)5月5日には武雄まで、1897年(明治30年)7月10日に長崎県佐世保市早岐までそれぞれ延伸して現在の長崎本線・佐世保線に当たるルートができた。また1898年(明治31年)8月7日に九州鉄道西九州線有田 - 伊万里間に当たるルートが開業、1898年12月1日から1903年(明治36年)12月14日にかけて順次現在の唐津線に当たるルートが開業した。1916年(大正15年)には佐賀市に佐賀紡績(後の大和紡績佐賀工場)が設立、1920年には従業員1,500の工場へと拡大するなど、近代化により製造業が発展した。一方では、各地で労働環境の問題なども生じるようになった。 農村では近代化は顕著ではなかったが、1922年の電気灌漑導入をきっかけとして品種改良や肥料導入が急速に普及したことで米は大幅な増産となり、1933年(昭和8年) - 1935年(昭和10年)には1反(10a)当たり収量日本一を記録、「佐賀段階」と呼ばれ、主産業であった農業の発展とともに人口も増加した。 県内の都市は工業集積が進んでおらず、アメリカ軍の攻撃の優先順位が低かった上に太平洋戦争末期の空襲の被害は、県内最大の攻撃目標である県都佐賀市への誤爆も重なり近県に比べて少なかったが、戦災を免れた故に都市基盤が旧態依然で戦後の発展も著しいものではなかった。商業の発展があったものの、従事者や生産額ともに依然として第一次産業の比率が比較的高い農業県であった。このころ災害復旧費などの財政支出増加から県財政が悪化し1956年度から財政再建団体に転落、財政再建策としての大規模な教職員削減を背景に佐教組事件が発生するなどしている。1960年代には、治水・灌漑の進展と集落協働による農法改善を原動力とした「新佐賀段階」が起こり、1967年に10a当り収量542kg(全国平均403kg)を記録するなど農業は発展を見たのである。 だが、1960年代後半より減反が進んだことで米中心の農業は打撃を受け、加えて炭鉱の閉鎖が加速し多久・杵島・東松浦などの旧炭鉱地域を中心として、高度経済成長期に急速な過疎化が進んだ。これに対して1970年代以降、農業は米だけではない野菜や果実などへの多品目化に移行し、また佐賀平野では二毛作による麦の生産が浸透して農業の維持を図った。工業では高速道路の整備以降は高速周辺での工場誘致が各地で起こった。これによって、鳥栖市を中心とした県北東部では集積した製造業が基幹産業へと成長した。1990年代からは半導体や自動車部品産業が割合を高めている。 佐賀県の人口は2023年1月現在、約79万9千人で全都道府県中42位であり、九州・沖縄地方では最も人口が少ない。県人口は戦前の60万人台から第一次ベビーブームを経て1954年(昭和29年)ごろに977,000人とピークを迎えたが、高度経済成長の進展とともに急速に減少して1973年(昭和48年)には82万2,000人と底を打った。その後は緩やかに増加して80万人台の半ばを推移し、1990年代後半以降は減少し続けている。人口減少と少子高齢化が進行しているものの、合計特殊出生率は1.61(2020年)、年少人口(0 - 14歳)比率は13.45%(2020年)といずれも全国平均と比較してかなり高い。これに伴って、今後もその進行速度は非大都市圏の県としては比較的緩やかと予想される。 人口が多いのは佐賀市(約23万人)、唐津市(約13万人)、鳥栖市(約7万人)などであるが、中小規模の都市が多く点在し経済的・人口的に求心力の強い都市が無いという特徴がある。県面積の3分の1を占める南東部の佐賀平野に県人口の半数である40万人が暮らし、玄界灘沿岸や杵島丘陵の盆地にも人口集積がある。平地に偏っていることを除けば人口分布に大きな偏りはなく、2005年の国勢調査によれば総人口に占めるDID(人口集中地区)人口の比率が28.4%と島根県に次いで47都道府県中2番目に低く、人口が都市に偏らず比較的分散していることが読み取れる。 1920年~2010年の県人口の推移 総計 [単位 人] 山口祥義(やまぐち よしのり) 衆議院の小選挙区は第47回衆議院議員総選挙から1つ減らされ県全体で2に減らされた。参議院では、全県で1区を構成する。 2007年度(平成19年度)の県内総生産は、3兆115億円である。47都道府県では第43位であり、世界で85位前後の「国」に相当する経済規模を有している。 産業別就業者数では、他の都道府県に比べて第一次産業の割合が多いことから佐賀県は農業県と言われることも多い。 佐賀平野を中心に穀類を中心とした農業が、入り江の多い玄界灘に面する北西部では果樹農業や畜産、沿岸漁業が盛んである。有明海に面した県南地域では海苔の養殖が盛んである。 佐賀県は、県の面積に対する耕地の割合(耕地率)が24%、後述する二毛作の影響で耕地面積に対する作付面積の割合(耕地利用率)が133%(1986年(昭和61年)から20年以上連続で全国1位)と、ともに日本全国の中でも高く、農業が盛んな県である。 主要農産物の米は古くより、特に力が入れられている。1930年代には、耕地整理と電気による機械灌漑の導入によって1反当たりの収量(反収)が日本一となり、その原動力となった効率的な農業手法の改良は「佐賀段階」と呼ばれた。1953年(昭和28年)の大水害などを受けて治水と平行して利水が展開されたことで1950年代に大規模灌漑施設が整備され、さらに佐賀平野で古くから根付いていた集落共同を生かして農法の改良や統一を行ったことで、1960年代にも反収日本一となった。1970年代ごろまで米が県の農業生産額の半分以上を占めていたが、減反の流れなどから米を取り巻く環境は一変した。県などによる大規模な耕地整理により効率化が図られたものの、転作と多品目化が進み、2000年代には25%程度に減少した。一方で、野菜・果実・畜産物の占める割合は約6割に上昇した。また、米の生産額の割合は減っているが、依然佐賀県の耕地の4分の3は水田であり、米作りは盛んである。品種別ではヒノヒカリ、コシヒカリ、夢しずくなどが多い。近年は高温登熟障害による減収が頻発しているため、高温に強い「さがびより」の生産が拡大されている。また、ヒヨクモチを中心としたもち米の生産は非常に多く、生産量では全国1位(2002年(平成14年))となっている。 佐賀平野は、米だけではなく大豆や大麦など農産品に占める穀類の比率が高い穀倉地帯である。佐賀平野では、夏の表作として稲を栽培する一方、温暖なため冬でも早い生育が見込め、冬の適度な乾燥があることから、冬の裏作として小麦や大麦を栽培する二毛作を行っている。ビールや焼酎の原料などになる二条大麦の年間収穫量は34,000トン(2006年(平成18年))で全国最多。 近郊や西日本を中心とした大都市向けの野菜類の生産も多い。野菜では、タマネギ、レンコン、アスパラガスの生産が多い。塩害に強いため干拓地で多く栽培されるたまねぎの年間収穫量は162,400トン(2006年(平成18年))で全国2位。脊振山地(筑紫山地)では、標高が高いため降水量が多く冷涼な気候を生かして小規模ながら高原野菜の栽培も行われている。 果実ではイチゴ(主要品種は、さがほのか、とよのかなど)、ミカン、ナシなどの生産が多い。ミカンの収穫量は年々減少傾向にあるが、温室栽培で出荷期間が長いハウスみかんの年間収穫量は多い。 畜産では、九州の他県と同じように、鶏、肉牛、豚の飼育頭数は多い。肉牛に関しては、伊万里市を中心に生産される『佐賀牛』(「伊万里牛」)ブランドが近年広くPRされている。 嬉野市など県内各地で茶の生産も多い。嬉野茶ブランドで販売されている。 国内の農産物消費の頭打ちなどを考慮し、米や果実、牛肉などを「佐賀ブランド」で輸出する試みも行われている。 北西部の玄界灘(日本海)と南部の有明海とで、特徴が大きく異なる。 有明海では海苔の生産が特に多く、貝類の漁獲量も多い。板のりの生産も多く、特に贈答品として特化しており最高級品を『佐賀海苔 有明海一番』として販売している。ガザミという有明海でよく獲れるカニのうち太良町近海で獲れるものは『竹崎カニ』と呼ばれている。また、筑後川の下流域では初夏にエツ漁が行われ、本県南東部は福岡県筑後地方と並ぶ産地として知られる。 近年有明海は多くの海産物で収獲量変動が激しくなっており、就業者の減少も加わり、水産業の衰退が深刻化している。また1990年代以降、海苔の不作や魚介類の不漁が増加しており、諫早湾干拓事業の影響が指摘されていることから漁業者が反対運動を起こしている。 玄界灘では、アジ、サバなどの魚類やイカ、タコ、エビなどの漁獲量が多く、以上でこの海域の漁獲量の9割以上を占めている。呼子漁港、仮屋漁港、唐津港などで水揚げ量が多い。 県内では明治時代から本格的な石炭の採掘が始まった。杵島炭鉱や古賀山炭鉱、唐津炭田の諸炭鉱など、炭鉱は県中部や北西部に集中しており、最盛期には賑わいを見せた。しかし1950年代以降、埋蔵量・採掘量の減少やエネルギー政策の転換により規模は縮小し、1970年代までにすべての炭鉱は閉山した。 有田町の泉山では磁器の原料として、李参平が発見した陶石の採掘が行われていた。だが、明治中期から使用が始まった天草産の陶石に押され需要が低迷したため1992年(平成4年)で採掘は終了し、現在は一部で在庫が使用されているのみになっている。 佐賀県では日本全体の傾向と同様に重化学工業の比率も高いが、特に食品の出荷額が多い。また、窯業の出荷額が占める割合が大きい(下の項目参照)。 地域的には九州の交通の要衝である鳥栖市や、県庁所在地の佐賀市周辺で工業が盛ん。鳥栖市・基山町などには、特に多くの企業の工場が進出している。伊万里湾では、造船・半導体を軸として水産加工・食品・木材などの工場が並ぶ臨海工業地域が形成されている。 自動車部品、機械、半導体部品などの製造は比較的盛んであり、シリコンウェハーについては大規模工場が立地する関係で年間生産額が全国最多の1,320億円(2010年(平成22年))となっている。 雇用創出や税収増加、人口流出の抑制を狙って1980年代ごろから工場団地への工場誘致が盛んになった。現在も市町村や県が中心となって工場誘致を行っている。 有田町など県西部では陶磁器関係の産業が特に盛んで、有田焼(伊万里焼)、唐津焼などのブランドも多い。有田では17世紀に朝鮮から渡来した陶工の李参平が泉山で良質な陶石を発見したことで有田焼(近世には伊万里焼と呼ばれた)を創始し、古くは輸出もされたブランド品が生産され、近年は日用品も含めて様々なジャンルの陶磁器が生産されている。有田町は陶磁器の生産量で県の6割を占め、年間出荷額でも200億円-300億円を数える。このほか伊万里市などでも盛んである。 江戸時代に長崎街道(別名シュガーロード)を伝って砂糖が豊富に流通したため製菓業が盛ん。小城市の羊羹、佐賀市の丸ぼうろ、唐津市の松露饅頭など、各地に伝統的な菓子が残っているほか、江崎グリコの創業者の江崎利一、森永製菓の創業者の森永太一郎も共に佐賀県出身であるなど人材も輩出している。 全国でも有数の米どころであることもあり清酒の醸造が盛んで、鎌倉時代には「肥前酒」として幕府に献上していた。製造、消費共に清酒より焼酎が多い傾向が強い九州においては異色となっている。 佐賀県の商業は、人口規模や県民所得からして特に盛んという訳ではない。2000年代初頭から、郊外型の大規模ショッピングセンターの建設が相次ぐ一方で市街地の商店街の衰退が各地で進んでいる。他方では、交通の便がよく県内よりも大規模な福岡市の商業街へも客は流出しており、この傾向は現在も強い。 サービス業人口は多いが、他県と比べて大きな特徴は見られない。観光業については観光資源に乏しいとされることがあるが、その活用やPRがうまく進んでいないだけとも言われている。2005年(平成17年)からは知事が「ファミリーツーリズム」という考え方を提唱し、親・子・孫の三世代旅行を誘致する施策を展開している。 福岡や長崎といった運輸・貿易の集中地帯の中継地としての役割もあり、鳥栖ジャンクションを中心として高速道路沿いや幹線道路沿いに運輸業や倉庫業の事業所が多い。 なお、サガテレビが県内唯一の地上波民間テレビ放送局であり、地域(特に県西部の伊万里市・武雄市・嬉野市など)によっては同局とNHK(総合・教育(Eテレ))だけしか受信できない。それゆえ、ケーブルテレビを使う世帯が圧倒的に多い。 県東端部は国道・高速道路・鉄道が集まる九州の交通の分岐点であり、その利便性のため東部には物流や製造業の拠点が多い。県内道路は福岡県と長崎県を結ぶ北東-南西方向の幹線上にあって佐賀市や唐津市を基点としつつ網状に広がっている。 九州の道路交通の大動脈である国道3号が県東端部の基山町・鳥栖市東側を南北に通っている。そのさらに東側を福岡県との県境に並行して九州自動車道が南北に通っている。 県南部の平野部を北東から南西へ斜めに横断する国道34号は鳥栖市から佐賀市・神埼市・武雄市・嬉野市などを経由し長崎市に至る幹線で概して交通量が多い。これと並行して長崎自動車道が走っている。鳥栖市で国道34号と国道3号が接続、また長崎自動車道と九州自動車道・大分自動車道が鳥栖ジャンクションで接続している。 武雄市から佐世保市へ至る国道35号、福岡市方面から唐津市や伊万里市を経由して佐世保市へ至る国道202号、佐賀市と唐津市を結ぶ国道203号、佐賀市から佐賀平野・筑後平野を南東に進み大牟田市を経由して熊本市へ至る国道208号も主要幹線である。山地を越えて佐賀市と福岡市を結ぶ主要路線として川上峡や三瀬峠・三瀬トンネルを経由する国道263号があり、また国道385号は神埼市を経由して柳川市と福岡市を結ぶ国道で、国道34号などと併せて佐賀市と福岡市を結ぶルートを構成しており、山地を越えるが、2006年に東脊振トンネルが開通し利便性が向上した。 有料道路では、福岡市から国道202号と平行し平戸方面へ迂回して佐世保市を経由し武雄ジャンクションへ繋がる西九州自動車道が整備中で、武雄方面と唐津市東部の一部が開通している。国道203号のバイパスとして佐賀唐津道路が計画されており一部が厳木多久道路や厳木バイパスとして使用されている。また地域高規格道路として、大牟田から国道208号と平行して佐賀市を経由し、有明海沿岸を周回して鹿島へ至る有明海沿岸道路が整備・計画中で、県内の一部の区間が開通している。 県内の主なバスターミナルは佐賀駅バスセンター、唐津大手口バスセンター、鹿島バスセンター、嬉野バスセンターなど。 佐賀市営・昭和・西鉄・祐徳・西肥でnimocaをはじめとする交通系ICカードが利用できる。 ほか、自治体が貸し切りバス業者やタクシー会社に運行を委託するコミュニティバスが各地で運行されている。 佐賀平野と有明海沿岸の鳥栖・佐賀・鹿島の各都市を通るJR長崎本線、武雄や有田を経由し西部を横断する佐世保線は、特急リレーかもめ・かささぎ・みどり・ハウステンボスが運行し、幹線として利用されている。また短い距離であるが東端部を九州の大動脈である鹿児島本線と九州新幹線が南北に走る。そのほか、佐賀と唐津を結ぶ唐津線、福岡市方面から唐津を経由し伊万里へ至る筑肥線、有田から伊万里を経由し松浦方面へ至る松浦鉄道西九州線、基山と朝倉市甘木を結ぶ甘木鉄道甘木線がある。2022年9月には、武雄温泉駅から長崎駅方面へ西九州新幹線が開業した。 1998年に開港した佐賀空港は、全日本空輸による1日5往復の羽田便のほか、LCCの春秋航空が上海浦東便、ティーウェイ航空がソウル便、スプリング・ジャパンが成田便を運航している。旅客数は年間約66万人(2016年度) となっている。夜間貨物便の運行や、福岡・北九州とのマルチエアポート設定などが行われている。便数面や就航航空会社の選択性などの理由、また距離が近い地域では福岡空港(福岡市)や長崎空港(長崎県大村市)も利用される。 大型港湾は玄界灘沿岸に集中している。唐津港と伊万里港が重要港湾である。唐津港はセメント・砂利・砂・石油などの原材料系の受け入れ量が高い特徴がある。伊万里港は大連・青島航路(中国・民生輪船有限公司)、上海航路(日本・神原汽船株式会社)、華南ラウンド航路(韓国・興亜海運株式会社)など複数の海外航路がありコンテナ貨物の割合が高く、大型船に対応した水深13mの新岸壁・ガントリークレーンを備えた国際コンテナターミナルとして重点的に整備が進められている。地方港湾は、玄界灘側の呼子港(避難港)・仮屋港・星賀港、有明海側の住ノ江港・諸富港・鹿島港・大浦港の計7港である。 玄界灘では、離島と本土を結ぶ定期旅客航路が運航している。唐津東 - 印通寺港便(九州郵船)は唐津と壱岐と結ぶ。唐津港からは高島便(唐津市漁業協同組合高島支所)、湊港からは神集島便(唐津市漁業協同組合神集島支所・ユージングボート宇野)、呼子港からは小川島便(川口汽船)、加唐島便(加唐島汽船)、松島便 (新栄)、馬渡島便(郵正丸)の計4航路、星賀港からは向島便(向島丸)、浦ノ崎港からは福島港便(金子廻漕店)がある。有明海では定期航路はない。 佐賀県の大学進学率は43.6%(2020年(令和2年)高校卒業者)である。 佐賀県を放送対象地域としているテレビ局は2局であり、民放は1局のみとなっている(NHKと民放1局の都道府県は佐賀県と徳島県のみ)。親局送信所は鳥栖市の九千部山に置かれている。 しかし、県境付近では隣接する福岡・熊本の2県の県域テレビ局の放送エリアのめやすとなっている。直接受信が困難な地帯 向けにケーブルテレビ局も各地で整備されており、県内大半の地域ではサガテレビと同じフジテレビ系列であるテレビ西日本を含めた、福岡県の民放を視聴できる環境がある。FNN・FNS系列局のテレビ西日本(TNC)以外の福岡県の民放が佐賀県分の報道取材などを行っている。 地上デジタル放送の開始も遅れ、全国最後発となる2006年(平成18年)12月1日開始であった。佐賀県が音頭を取って事業者を組織し、佐賀デジタルネットワーク社を設立。デジタル放送の県内事業者向け配信を一手に担うとともに、インターネット接続プロバイダ業務も行うこととなった。ただ、県外民放の再配信は福岡県分に限られ、熊本放送については各事業者が個別に許可を得る方式とした。 県内でサービスを提供している(許可施設を有する)ケーブルテレビ事業者は2021年7月時点で15である。主な放送局は佐賀県のケーブルテレビ局を参照のこと。世帯普及率は2021年3月末時点で54.1%。 県域FM放送の親局送信所とNBCラジオ佐賀のFM補完放送のメイン中継局はいずれも唐津市の八幡岳。また、九千部山にも中継局を置いている。 放送対象地域外のRKBラジオKBCラジオ の放送エリアになっており、2021年12月6日から両局のradikoの配信エリアにもなった。。 外国語放送のラブエフエム国際放送(LOVE FM)が佐賀市のみ放送対象地域に、その他県内のほとんどの地域が放送エリアに、放送対象地域外のエフエム福岡、CROSS FM、エフエム熊本、エフエム長崎、が県内の一部の地域で放送エリアとなる。 県域局でもあるNBCラジオ佐賀及びエフエム佐賀の何れもが長らくradikoでの配信を実施しておらず、佐賀市を正式な放送対象地域としているLOVE FMも県内での基本サービス配信を行っていないため、県内でのradiko実施局はNHKラジオと全国放送のラジオNIKKEI及び放送大学のみという状態が続いていたが、2020年4月15日にエフエム佐賀がradikoの配信を開始したため、現在は解消している。2021年10月1日に長崎放送(NBCラジオ長崎本局)がradikoの配信エリアを佐賀県に拡大し、同日から長崎本局と佐賀局で異なっていた番組編成(地域向け番組・CMなど)を長崎本局に統合・集約するなどの大幅な改編を行った。 佐賀県は、地域区分局に当たる郵便局が県内に存在しない唯一の都道府県である。県内全域を指す郵便番号84(上2桁)の地域区分局は、福岡県の久留米東郵便局となっている。 震度4以上の記録が残っている地震の回数は、92年間でわずか7回と日本一地震が少ない県でもある。 一般的に佐賀の県民性として、「いひゅうもん(異風者)」あるいは「ふうけもん(風変者)」という言葉が代表的に使われることが多い。両者とも変わり者、頑固、融通が利かないといったニュアンスがある。ただし、現代の佐賀弁では「ふうけもん」は馬鹿者といった否定的な意味が強いので、あまりそぐわない。また、特に男性に関してしばしば葉隠の武士道精神とも結び付けられ、上下関係やしきたりを重んじる、几帳面、まじめとされる場合がある。また「佐賀んもんの通ったあとにはぺんぺん草も生えん(佐賀の人が通った後にはぺんぺん草も生えない)」などと揶揄・自嘲される場合があるが、佐賀藩時代の厳しい財政下で大名家(鍋島家)自らの倹約から受け継がれた主に藩士の倹約家気質がさまざまな形で受け止められ、当時の言い回しが現代まで残ったものである。 佐賀藩に当たる県東部-南部では佐賀弁が話され、同じ藩域だった長崎県諫早地方では似た言い回しが多い。唐津藩に当たる県北西部では唐津弁、対馬藩飛び地に当たる鳥栖市東部・基山町では田代弁が話される。 サッカー バレーボール バスケットボール ハンドボール ソフトボール男子西日本リーグ 九州サッカーリーグ 佐賀魂(佐賀市・社会人野球) 唐津市・東松浦郡は、虹の松原、屋形石の七ツ釜の海食洞、リアス式海岸、クジラのように急峻にせり出す形状の島々など、玄界灘・唐津湾に面した海沿いの自然景勝地として知られ、海水浴やサーフィン、ダイビングといったマリンスポーツなどが盛んである。鏡山や丘陵地帯・海岸部の棚田などの自然景勝が見られるほか、丘の上に建つ唐津城、名護屋城跡(博物館)などの文化財が観光地となっている。11月上旬には日本三大くんちの一つである唐津くんち(唐津市)、6月上旬には呼子大綱引(唐津市呼子町)が行われるほか、呼子の朝市も有名である。 伊万里湾も同様に、湾口部のいろは島やリアス式海岸が特徴的な景観で、海水浴地でもある。10月下旬には伊万里トンテントン祭りが行われる。伊万里市・有田町・武雄市の黒髪山周辺は奇岩のなす地形や豊富な植物、各種伝説などで知られる。有田町を中心とした地域には有田焼(伊万里焼)、唐津市・伊万里市・武雄市を中心とした地域に唐津焼の、それぞれ古い窯跡や現存する窯元が数多く分布していて陶磁器にまつわる名所が多い。九州陶磁文化館、有田陶磁美術館、有田ポーセリンパークなどの文化施設もあるほか、ゴールデンウィークには有田陶器市が開かれ多数の客で賑わう。 日本三大美肌の湯である嬉野温泉(嬉野市)は湯豆腐や嬉野茶でも有名で、武雄温泉(武雄市)は、楼門と武雄温泉新館が国の重要文化財に指定されており、それぞれ趣の異なった温泉街として賑わう。 一方で、県庁所在地の佐賀市は平坦な田園地帯の中にあり、城下町時代の名残のある込み入った街路や水路網などの景観が特徴的である。江戸-明治期の建物が残る佐賀市歴史民俗館、佐賀城跡と佐賀城本丸歴史館、佐嘉神社、反射炉跡などの歴史遺産が点在する。10月下旬から11月上旬には、佐賀インターナショナルバルーンフェスタが開かれ、熱気球が舞う光景が広がるほか、8月には佐賀城下栄の国まつりが開催される。 県南部一帯には泥質干潟の有明海が広がり、玄界灘や伊万里湾とは大きく異なった景観となる。ムツゴロウ、シオマネキなどの希少生物や、紅葉のように変化するシチメンソウなどが見られる。また5月ごろには鹿島ガタリンピック(鹿島市)が開催される。 県北部の北山ダム(佐賀市三瀬村)は避暑地となっており、どんぐり村などが観光地として整備されている。嘉瀬川を下って行くと古湯温泉や熊の川温泉(ともに佐賀市富士町)、川上峡などのスポットが点在する。 吉野ヶ里遺跡(吉野ヶ里町・神埼市)は、一部で発掘を継続しながら国営吉野ヶ里歴史公園として復元整備されている。 城跡・特別史跡 寺社 主な文化施設・観光施設 その他 重要伝統的建造物群保存地区 ユネスコ世界遺産 国宝 史跡 特別名勝 名勝
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "佐賀県(さがけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は佐賀市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "お茶や唐津・伊万里・有田などの古くからの陶磁器の産地として有名で、玄界灘と有明海の2つの海に接する。令制国の肥前国東部に相当する。明治の府県制成立の際、同国は佐賀県と長崎県の2県として分立した。九州地方の中では最も面積、経済規模が小さい県であり、人口は隣接する福岡県の2割以下であり、福岡市の半分程度に過ぎない。一方、人口密度は全国で16番目に高く、広島県の人口密度を上回っている。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "佐賀県は、日本の中では西部(西日本)あるいは南部(南日本)に位置しており、九州地方の中では北部(北部九州)または西部(西九州)に位置している。人口・面積共に九州7県の中では最も少なく、また人口・面積ともに全47都道府県中42番目であるが、人口密度は全47都道府県中16番目と上から1/3であり、九州の中でも2番目に高い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "県内の地域区分は佐賀藩と唐津藩に二分されていた歴史的経緯から、唐津市を中心とした北部(北西部)と佐賀市を中心とした南部(南東部)に分ける2区分が最もよく用いられる。より細かく分ける場合は、北部・東部・西部の3区分や三神・佐城・杵藤・唐松・伊西の5区分が用いられる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "県名の認知度調査においては2002年(平成14年)の調査結果では(小学校4年生~小学6年生対象)第44位、2004年(平成16年)の調査結果では(中学生対象)で第30位となっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "佐賀県の形は、凹凸のある逆三角形に近い。北西部はリアス式海岸と砂浜の玄界灘、南東部は干潟と干拓地の有明海という、海岸の様子が全く異なる2つの海に接している。有明海沿岸から筑後川沿いには県の面積の3割を占める佐賀平野が広がり、玄界灘から佐賀平野西部までは杵島丘陵などの丘陵地帯である。北東部に脊振山地、南西部に多良岳山系といういずれも1,000m級の山地があって丘陵地帯を挟んでいる。耕地が県面積の39%に上り、国内平均の2倍と高い割合である一方、森林・荒地は同49%と国内平均の7割に留まっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "県の北東部を東西に連ねる脊振山地は唐津市浜玉町から鳥栖市までその稜線が福岡県との県境になっている。鳥栖市で山脈は途切れるが、その延長線上には福岡県の耳納山地が延びている。鳥栖市・基山町は隣接する久留米市とともに山地の合間にあり、北の福岡平野と南の筑紫平野を結ぶ道路網・鉄道網の分岐点となっている。交通の要所かつ工業地域で福岡都市圏のベッドタウンでもあるため、住宅開発が進んでおり人口減少が続く県内では例外的に人口増加率が高い。福岡、佐賀の両県に広がる筑紫平野を中心に有明海や筑後川を囲む筑後佐賀エリアの人口は100万人を超え、域内の総生産は北九州都市圏に迫る規模がある。山地は平野部の北側に広がっていて、県中央部に位置する天山まで連なっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "脊振山地の南麓は緩やかな洪積台地からなる細長い丘陵地帯で、それより南側には幅の広い平坦な沖積平野である佐賀平野が東西に広がっていて県の東部から中央部を占める。佐賀平野は筑紫平野の西半分を指す別名で、古くより穀類の生産が多い穀倉地帯である。筑紫平野の中央を縦断する筑後川が福岡県筑後地方(筑後平野)との境である。平坦な低地が内陸まで広がり大小多数の河川が流れるため20世紀半ばまで洪水被害が頻発していたが、治水が進んだことにより現在は被害が大きく抑えられている。佐賀平野の南には有明海があり、遠浅の広い干潟が広がり干潟独特の生物相がみられる。沿岸には江戸時代以降の干拓により造成された地域が分布している。県内の干拓面積は江戸時代から累計100km前後に達しており、佐賀平野の1割・県面積の4%に達する。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "北西部は、日本海と東シナ海の接続水域である玄界灘に面する。海に突き出た東松浦半島(上場台地)や北松浦半島は玄武岩で構成された溶岩台地であり、温暖で部分的に照葉樹林も分布する。リアス式海岸で半島や離島が点在、唐津湾や伊万里湾には砂浜が分布する。この一帯の海岸沿いは玄海国定公園に指定され、唐津城や呼子などの観光地がある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "玄界灘沿岸の河口低地より南側、県南西部には杵島丘陵が広がり、長崎県との県境をなす多良岳山系へと続く。杵島丘陵には芳ノ谷層(始新世)や佐世保層群(漸新世後期)の石炭を含む層(挟炭層)があり、かつて炭鉱として栄えたが閉山により急速な地域衰退と人口減少を経験した。また有田泉山で陶石が採れたことをきっかけに創始された伊万里焼(有田焼)は、佐賀県を代表するブランドである。武雄温泉や嬉野温泉などの温泉街も点在する。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "活動していない火山の多良岳以外は、佐賀県内に火山はない。地震の被害を受けることは少ないが、梅雨などの大雨による洪水、台風の被害は多い。一方で、森林面積の3割強を占める自然林・二次林のほとんどが常緑広葉樹林で、玄界灘沿岸部には照葉樹林も見られる。残りの7割弱はスギとヒノキを中心とする人工林で、森林面積に占める人工林率66%(2002年)は日本の都道府県の中で最も高い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "佐賀県は、日本の中では比較的気候が温暖であるが、冬の寒さは緯度の割りには厳しく東京よりも寒い。2016年1月25日には、県内全観測地点で真冬日を観測した。日本を広域的に見た場合、県内全域が太平洋側気候に入る、北部の玄界灘沿岸部は曇が多いが、降水量の面で日本海側気候とは明確に異なる。台風の通過・被害が多いが、九州のほかの県と比べると少ない方である。県内の気候は、大きく3つに分かれている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "現在、佐賀県内には10市6郡10町、併せて20市町がある。2004年(平成16年)12月時点では7市8郡38町4村の計49市町村だったが、市町村合併により、最後の合併が行われた2007年(平成19年)10月1日に現在の数となって市町村数は半分以下に減少した。合併で廃止された市町村については、佐賀県の廃止市町村一覧を参照されたい。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "なお、2006年(平成18年)3月20日に脊振村が神埼市になったのを最後に佐賀県内の村は全て消滅した。佐賀県では、江北町が「まち」としている他は「町」はすべて「ちょう」と読む。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "都道府県別の面積順位が42位と小さな県であり県全体を一つの地域とすることも多いが、大きく分ければ佐賀平野を中心とした南部と東松浦半島を中心にした北部に分けられる。また、さらに細かい区分では佐城(佐賀市・小城市・多久市)三神(鳥栖市・神埼市・三養基郡・神埼郡)杵藤(武雄市・鹿島市・嬉野市・杵島郡・藤津郡)唐松(唐津市・東松浦郡)伊西(伊万里市・西松浦郡)の5地区に分けることが多い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "県内の都市を中心市とする都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "県名である「佐賀」は、1871年(明治4年)の廃藩置県の際県庁所在地となった佐賀郡から採られた。古来は「佐嘉」と「佐賀」両方の表記が見られたが、1870年(明治3年)に「佐賀」に統一された。古い「佐嘉」の表記は佐嘉神社などに残されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "佐賀郡の由来は諸説あり、奈良時代の『肥前国風土記』における楠樹にまつわる「栄の国」伝説や、同じく風土記の賢女(さかしめ)伝説によるものがしばしば挙げられる。朝廷に服従してなかった土蜘蛛の「大山田女」と「狭山田女」の2人の女性が、暴れ川の佐嘉川(嘉瀬川)を鎮めて崇められたことから賢女と呼ばれたことが地名に由来する。また、傾斜地を指す「坂(さか)」、潮汐作用などで水が逆流する「逆(さか)」、砂丘地を指す「洲処(すが)」の転訛説などもある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "クスノキは、県内各地に名木が所在し「県の木」に指定されるなど縁が深い。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "旧石器時代の遺構がいくつか発見されている。多久市の三年山遺跡や茶園原遺跡などでは、近くの鬼ノ鼻山産のサヌカイトを用いた狩猟に特化した尖頭型の石器が出土している。伊万里市の腰岳遺跡群は黒曜石の産地で、ここから旧石器時代後期 - 縄文時代に産出された黒曜石が本州 - 沖縄 - 朝鮮半島南部にまで広がっていることが確認されている。また佐賀市の東名遺跡では縄文時代前期にあたる7,000年前の網籠、木製装身具、貝塚などの生活遺構がまとまって出土している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "県北西部の玄界灘に面した地域は、福岡県の北西部と並んで大陸方面から伝来した稲作の日本における発祥地域とされ、宇木汲田遺跡では縄文時代晩期の炭化籾、菜畑遺跡では縄文時代晩期の炭化米や水田跡が見つかっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "『魏志倭人伝』に見える「末廬国(まつらのくに)」が現在の唐津地方にあったとされ、大陸由来の青銅器や銅器が多数出土する遺跡が点在する。また、吉野ヶ里町・神埼市の丘陵地帯には弥生時代の大規模環濠集落である吉野ヶ里遺跡があり、その近辺にも九州北部に特徴的な甕棺墓が多く見つかっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "さらには、古墳時代初期の建造の前方後円墳である唐津市の久里双水古墳をはじめ、東松浦地区や佐賀平野北部には幅広い年代の古墳が分布している。665年には基山町と福岡県筑紫野市の境に古代山城の一つである基肄城が築かれ、防人を招集して大宰府防衛線の一角を担った。また同じころ、武雄市のおつぼ山神籠石や帯隈山神籠石などの山城と考えられる遺構も成立している。このころ(7世紀末まで)までには令制国として、今の長崎県本土と佐賀県全域を領域とする肥前国が成立し、現在、佐賀県内には基肄郡、養父郡、三根郡、神埼郡、佐賀郡、小城郡、松浦郡、杵島郡、藤津郡が存在した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "平安時代後期には神埼荘・長島荘などの荘園が形成されるようになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "鎌倉時代から室町時代にかけて、百以上の氏族が地頭として配置されていたと考えられている。その中でも規模が大きかったのが、肥前守護の少弐氏、小城郡の九州千葉氏、佐賀郡の高木氏、杵島郡の後藤氏などであった。また、玄界灘沿岸は松浦党の一族の松浦氏、波多氏の影響力も強かった。この時代の代表的な山城は、鳥栖の勝尾城。また佐賀平野では、環濠集落が発展したに建造された大きな環濠(クリーク)を特徴とする平城があり、代表的遺構として現存するのは、神埼の姉川城がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "戦国時代に入ると、龍造寺隆信が一気に勢力を伸ばし肥前を統一する。龍造寺隆信は最盛期には、肥後北部・筑後・筑前南部まで領地を広げた。このころ、戦国末期には島津氏の攻勢が強まり、沖田畷の戦いによって龍造寺隆信が戦死すると、その勢いを失い領地を少しずつ狭めていく。ただ、豊臣政権による1587年(天正15年)の九州国分によって、現在の佐賀県内のほとんどが龍造寺氏の領下に入り版図が決まる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "1591年(天正19年)には東松浦半島に名護屋城が築かれ、文禄・慶長の役の拠点とされた。同城は両戦役の後役目を終え、一部が唐津城築城時に利用されるなどして数年で解体された。一方龍造寺領内では隆信の没後、義弟の鍋島直茂が国政の代行を行うようになって徐々に勢力を増し1607年(慶長12年)には、龍造寺氏の支配領をほぼすべて鍋島氏が継承して佐賀藩主となった。この前後に両一族の確執があり、鍋島藩の化け猫騒動の話を生み出したともいわれている。 一方、唐津藩では波多氏が改易されて寺沢氏に換わり、唐津藩の初代藩主となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "江戸時代には、佐賀藩、その支藩である蓮池藩、鹿島藩、小城藩の3藩、および、唐津藩が置かれていた。そのほか、現在の鳥栖市・基山町付近に対馬府中藩の田代領、唐津市浜玉町付近に同藩浜崎領があり、それぞれ対馬府中藩の飛地となっていた。また、現在の唐津市浜玉町海岸部や唐津市南東部などが幕府直轄領となっていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "佐賀藩およびその支藩は鍋島氏とその庶流家、龍造寺氏の分家などによる支配が続き、政治的には比較的安定していた。しかし、長崎の警備費用がかさむなどして財政は当初から厳しく、享保の大飢饉や1828年(文政11年)のシーボルト台風による甚大な被害はそれに拍車を掛けた。ただ、広大な有明海の干拓によって農地を拡大できるという地の利を生かして江戸時代初期から盛んに干拓を行ったことで、1840年代には約67万石と、200年前の2倍近くにまで石高を伸ばすことに成功している。また、19世紀中ごろに入って鍋島直正は財政の建て直しに努め、役人の削減、伊万里焼や茶・石炭といった特産品の保護育成に努めた。また、地理的に長崎に近いことや長崎警備を担当していた関係などから海外の情報の入手が比較的容易であったため、反射炉や蒸気機関車模型といった先進的な科学技術の実験・研究も進んでいた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "一方の唐津藩は寺沢氏が島原の乱の影響を受けて改易され、その後も領主が大久保氏、大給松平氏、土井氏、水野氏、小笠原氏と目まぐるしく変わり、政治はあまり安定していなかった。寺沢広高は松浦川の改修を行うなどしたが、その後水野忠任の代の1771年(明和8年)には虹の松原一揆が起こるなどした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "佐賀藩は戊辰戦争以降、明治維新に尽力する人物を多く輩出した。明治維新期に活躍した大隈重信・副島種臣・大木喬任・江藤新平・佐野常民・島義勇の6人に、彼らを育てつつ幕末期に活躍した鍋島直正を加えて『佐賀の七賢人』と称することがある。幕末時に薩長土の志士たちが中心であった明治新政府は、戊辰戦争半ばから肥前有志を仲間入りさせ「薩長土肥」体制としたため肥前出身者も明治政府の主要官職を占め続けていたが、藩閥打倒を叫ぶ民権派の影響などもあり大正以降は薩長土同様に藩閥的な勢力ではなくなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1871年の大規模府県統合時、旧肥前国の範囲は伊万里県(のちの佐賀県)と長崎県に二分された。このような処分は全国でも2例だけで、他は旧武蔵国(埼玉県・東京都・神奈川県北東部)や旧摂津国(大阪府北西部・兵庫県南東部)である。これには、日米修好通商条約で開港の対象となった5港を管轄する県の領域をできるだけ狭く収める目的があったとされている。現在の佐賀県が成立するまで、明治初期には統廃合が繰り返され、1876年(明治9年)には全県が他県に併合される事態も起きた。全県併合の背景には、1874年の佐賀の乱への処分の意味があったと言われている。併合後の根強い復県運動によって、7年後の1883年(明治16年)に佐賀県が復活する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "明治時代には殖産興業の一環として杵島や唐津一帯の炭鉱では機械の導入による増産が進められ、鉄道の建設がそれを後押しした。1889年(明治22年)12月11日に現在の鹿児島本線にあたり県内区間を含む博多 - 千歳川(現在は廃止)間が開業。1891年(明治24年)8月20日には鳥栖 - 佐賀間、1895年(明治28年)5月5日には武雄まで、1897年(明治30年)7月10日に長崎県佐世保市早岐までそれぞれ延伸して現在の長崎本線・佐世保線に当たるルートができた。また1898年(明治31年)8月7日に九州鉄道西九州線有田 - 伊万里間に当たるルートが開業、1898年12月1日から1903年(明治36年)12月14日にかけて順次現在の唐津線に当たるルートが開業した。1916年(大正15年)には佐賀市に佐賀紡績(後の大和紡績佐賀工場)が設立、1920年には従業員1,500の工場へと拡大するなど、近代化により製造業が発展した。一方では、各地で労働環境の問題なども生じるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "農村では近代化は顕著ではなかったが、1922年の電気灌漑導入をきっかけとして品種改良や肥料導入が急速に普及したことで米は大幅な増産となり、1933年(昭和8年) - 1935年(昭和10年)には1反(10a)当たり収量日本一を記録、「佐賀段階」と呼ばれ、主産業であった農業の発展とともに人口も増加した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "県内の都市は工業集積が進んでおらず、アメリカ軍の攻撃の優先順位が低かった上に太平洋戦争末期の空襲の被害は、県内最大の攻撃目標である県都佐賀市への誤爆も重なり近県に比べて少なかったが、戦災を免れた故に都市基盤が旧態依然で戦後の発展も著しいものではなかった。商業の発展があったものの、従事者や生産額ともに依然として第一次産業の比率が比較的高い農業県であった。このころ災害復旧費などの財政支出増加から県財政が悪化し1956年度から財政再建団体に転落、財政再建策としての大規模な教職員削減を背景に佐教組事件が発生するなどしている。1960年代には、治水・灌漑の進展と集落協働による農法改善を原動力とした「新佐賀段階」が起こり、1967年に10a当り収量542kg(全国平均403kg)を記録するなど農業は発展を見たのである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "だが、1960年代後半より減反が進んだことで米中心の農業は打撃を受け、加えて炭鉱の閉鎖が加速し多久・杵島・東松浦などの旧炭鉱地域を中心として、高度経済成長期に急速な過疎化が進んだ。これに対して1970年代以降、農業は米だけではない野菜や果実などへの多品目化に移行し、また佐賀平野では二毛作による麦の生産が浸透して農業の維持を図った。工業では高速道路の整備以降は高速周辺での工場誘致が各地で起こった。これによって、鳥栖市を中心とした県北東部では集積した製造業が基幹産業へと成長した。1990年代からは半導体や自動車部品産業が割合を高めている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "佐賀県の人口は2023年1月現在、約79万9千人で全都道府県中42位であり、九州・沖縄地方では最も人口が少ない。県人口は戦前の60万人台から第一次ベビーブームを経て1954年(昭和29年)ごろに977,000人とピークを迎えたが、高度経済成長の進展とともに急速に減少して1973年(昭和48年)には82万2,000人と底を打った。その後は緩やかに増加して80万人台の半ばを推移し、1990年代後半以降は減少し続けている。人口減少と少子高齢化が進行しているものの、合計特殊出生率は1.61(2020年)、年少人口(0 - 14歳)比率は13.45%(2020年)といずれも全国平均と比較してかなり高い。これに伴って、今後もその進行速度は非大都市圏の県としては比較的緩やかと予想される。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "人口が多いのは佐賀市(約23万人)、唐津市(約13万人)、鳥栖市(約7万人)などであるが、中小規模の都市が多く点在し経済的・人口的に求心力の強い都市が無いという特徴がある。県面積の3分の1を占める南東部の佐賀平野に県人口の半数である40万人が暮らし、玄界灘沿岸や杵島丘陵の盆地にも人口集積がある。平地に偏っていることを除けば人口分布に大きな偏りはなく、2005年の国勢調査によれば総人口に占めるDID(人口集中地区)人口の比率が28.4%と島根県に次いで47都道府県中2番目に低く、人口が都市に偏らず比較的分散していることが読み取れる。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "1920年~2010年の県人口の推移 総計 [単位 人]", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "山口祥義(やまぐち よしのり)", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区は第47回衆議院議員総選挙から1つ減らされ県全体で2に減らされた。参議院では、全県で1区を構成する。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2007年度(平成19年度)の県内総生産は、3兆115億円である。47都道府県では第43位であり、世界で85位前後の「国」に相当する経済規模を有している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "産業別就業者数では、他の都道府県に比べて第一次産業の割合が多いことから佐賀県は農業県と言われることも多い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "佐賀平野を中心に穀類を中心とした農業が、入り江の多い玄界灘に面する北西部では果樹農業や畜産、沿岸漁業が盛んである。有明海に面した県南地域では海苔の養殖が盛んである。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "佐賀県は、県の面積に対する耕地の割合(耕地率)が24%、後述する二毛作の影響で耕地面積に対する作付面積の割合(耕地利用率)が133%(1986年(昭和61年)から20年以上連続で全国1位)と、ともに日本全国の中でも高く、農業が盛んな県である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "主要農産物の米は古くより、特に力が入れられている。1930年代には、耕地整理と電気による機械灌漑の導入によって1反当たりの収量(反収)が日本一となり、その原動力となった効率的な農業手法の改良は「佐賀段階」と呼ばれた。1953年(昭和28年)の大水害などを受けて治水と平行して利水が展開されたことで1950年代に大規模灌漑施設が整備され、さらに佐賀平野で古くから根付いていた集落共同を生かして農法の改良や統一を行ったことで、1960年代にも反収日本一となった。1970年代ごろまで米が県の農業生産額の半分以上を占めていたが、減反の流れなどから米を取り巻く環境は一変した。県などによる大規模な耕地整理により効率化が図られたものの、転作と多品目化が進み、2000年代には25%程度に減少した。一方で、野菜・果実・畜産物の占める割合は約6割に上昇した。また、米の生産額の割合は減っているが、依然佐賀県の耕地の4分の3は水田であり、米作りは盛んである。品種別ではヒノヒカリ、コシヒカリ、夢しずくなどが多い。近年は高温登熟障害による減収が頻発しているため、高温に強い「さがびより」の生産が拡大されている。また、ヒヨクモチを中心としたもち米の生産は非常に多く、生産量では全国1位(2002年(平成14年))となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "佐賀平野は、米だけではなく大豆や大麦など農産品に占める穀類の比率が高い穀倉地帯である。佐賀平野では、夏の表作として稲を栽培する一方、温暖なため冬でも早い生育が見込め、冬の適度な乾燥があることから、冬の裏作として小麦や大麦を栽培する二毛作を行っている。ビールや焼酎の原料などになる二条大麦の年間収穫量は34,000トン(2006年(平成18年))で全国最多。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "近郊や西日本を中心とした大都市向けの野菜類の生産も多い。野菜では、タマネギ、レンコン、アスパラガスの生産が多い。塩害に強いため干拓地で多く栽培されるたまねぎの年間収穫量は162,400トン(2006年(平成18年))で全国2位。脊振山地(筑紫山地)では、標高が高いため降水量が多く冷涼な気候を生かして小規模ながら高原野菜の栽培も行われている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "果実ではイチゴ(主要品種は、さがほのか、とよのかなど)、ミカン、ナシなどの生産が多い。ミカンの収穫量は年々減少傾向にあるが、温室栽培で出荷期間が長いハウスみかんの年間収穫量は多い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "畜産では、九州の他県と同じように、鶏、肉牛、豚の飼育頭数は多い。肉牛に関しては、伊万里市を中心に生産される『佐賀牛』(「伊万里牛」)ブランドが近年広くPRされている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "嬉野市など県内各地で茶の生産も多い。嬉野茶ブランドで販売されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "国内の農産物消費の頭打ちなどを考慮し、米や果実、牛肉などを「佐賀ブランド」で輸出する試みも行われている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "北西部の玄界灘(日本海)と南部の有明海とで、特徴が大きく異なる。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "有明海では海苔の生産が特に多く、貝類の漁獲量も多い。板のりの生産も多く、特に贈答品として特化しており最高級品を『佐賀海苔 有明海一番』として販売している。ガザミという有明海でよく獲れるカニのうち太良町近海で獲れるものは『竹崎カニ』と呼ばれている。また、筑後川の下流域では初夏にエツ漁が行われ、本県南東部は福岡県筑後地方と並ぶ産地として知られる。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "近年有明海は多くの海産物で収獲量変動が激しくなっており、就業者の減少も加わり、水産業の衰退が深刻化している。また1990年代以降、海苔の不作や魚介類の不漁が増加しており、諫早湾干拓事業の影響が指摘されていることから漁業者が反対運動を起こしている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "玄界灘では、アジ、サバなどの魚類やイカ、タコ、エビなどの漁獲量が多く、以上でこの海域の漁獲量の9割以上を占めている。呼子漁港、仮屋漁港、唐津港などで水揚げ量が多い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "県内では明治時代から本格的な石炭の採掘が始まった。杵島炭鉱や古賀山炭鉱、唐津炭田の諸炭鉱など、炭鉱は県中部や北西部に集中しており、最盛期には賑わいを見せた。しかし1950年代以降、埋蔵量・採掘量の減少やエネルギー政策の転換により規模は縮小し、1970年代までにすべての炭鉱は閉山した。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "有田町の泉山では磁器の原料として、李参平が発見した陶石の採掘が行われていた。だが、明治中期から使用が始まった天草産の陶石に押され需要が低迷したため1992年(平成4年)で採掘は終了し、現在は一部で在庫が使用されているのみになっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "佐賀県では日本全体の傾向と同様に重化学工業の比率も高いが、特に食品の出荷額が多い。また、窯業の出荷額が占める割合が大きい(下の項目参照)。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "地域的には九州の交通の要衝である鳥栖市や、県庁所在地の佐賀市周辺で工業が盛ん。鳥栖市・基山町などには、特に多くの企業の工場が進出している。伊万里湾では、造船・半導体を軸として水産加工・食品・木材などの工場が並ぶ臨海工業地域が形成されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "自動車部品、機械、半導体部品などの製造は比較的盛んであり、シリコンウェハーについては大規模工場が立地する関係で年間生産額が全国最多の1,320億円(2010年(平成22年))となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "雇用創出や税収増加、人口流出の抑制を狙って1980年代ごろから工場団地への工場誘致が盛んになった。現在も市町村や県が中心となって工場誘致を行っている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "有田町など県西部では陶磁器関係の産業が特に盛んで、有田焼(伊万里焼)、唐津焼などのブランドも多い。有田では17世紀に朝鮮から渡来した陶工の李参平が泉山で良質な陶石を発見したことで有田焼(近世には伊万里焼と呼ばれた)を創始し、古くは輸出もされたブランド品が生産され、近年は日用品も含めて様々なジャンルの陶磁器が生産されている。有田町は陶磁器の生産量で県の6割を占め、年間出荷額でも200億円-300億円を数える。このほか伊万里市などでも盛んである。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "江戸時代に長崎街道(別名シュガーロード)を伝って砂糖が豊富に流通したため製菓業が盛ん。小城市の羊羹、佐賀市の丸ぼうろ、唐津市の松露饅頭など、各地に伝統的な菓子が残っているほか、江崎グリコの創業者の江崎利一、森永製菓の創業者の森永太一郎も共に佐賀県出身であるなど人材も輩出している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "全国でも有数の米どころであることもあり清酒の醸造が盛んで、鎌倉時代には「肥前酒」として幕府に献上していた。製造、消費共に清酒より焼酎が多い傾向が強い九州においては異色となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "佐賀県の商業は、人口規模や県民所得からして特に盛んという訳ではない。2000年代初頭から、郊外型の大規模ショッピングセンターの建設が相次ぐ一方で市街地の商店街の衰退が各地で進んでいる。他方では、交通の便がよく県内よりも大規模な福岡市の商業街へも客は流出しており、この傾向は現在も強い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "サービス業人口は多いが、他県と比べて大きな特徴は見られない。観光業については観光資源に乏しいとされることがあるが、その活用やPRがうまく進んでいないだけとも言われている。2005年(平成17年)からは知事が「ファミリーツーリズム」という考え方を提唱し、親・子・孫の三世代旅行を誘致する施策を展開している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "福岡や長崎といった運輸・貿易の集中地帯の中継地としての役割もあり、鳥栖ジャンクションを中心として高速道路沿いや幹線道路沿いに運輸業や倉庫業の事業所が多い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "なお、サガテレビが県内唯一の地上波民間テレビ放送局であり、地域(特に県西部の伊万里市・武雄市・嬉野市など)によっては同局とNHK(総合・教育(Eテレ))だけしか受信できない。それゆえ、ケーブルテレビを使う世帯が圧倒的に多い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "県東端部は国道・高速道路・鉄道が集まる九州の交通の分岐点であり、その利便性のため東部には物流や製造業の拠点が多い。県内道路は福岡県と長崎県を結ぶ北東-南西方向の幹線上にあって佐賀市や唐津市を基点としつつ網状に広がっている。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "九州の道路交通の大動脈である国道3号が県東端部の基山町・鳥栖市東側を南北に通っている。そのさらに東側を福岡県との県境に並行して九州自動車道が南北に通っている。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "県南部の平野部を北東から南西へ斜めに横断する国道34号は鳥栖市から佐賀市・神埼市・武雄市・嬉野市などを経由し長崎市に至る幹線で概して交通量が多い。これと並行して長崎自動車道が走っている。鳥栖市で国道34号と国道3号が接続、また長崎自動車道と九州自動車道・大分自動車道が鳥栖ジャンクションで接続している。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "武雄市から佐世保市へ至る国道35号、福岡市方面から唐津市や伊万里市を経由して佐世保市へ至る国道202号、佐賀市と唐津市を結ぶ国道203号、佐賀市から佐賀平野・筑後平野を南東に進み大牟田市を経由して熊本市へ至る国道208号も主要幹線である。山地を越えて佐賀市と福岡市を結ぶ主要路線として川上峡や三瀬峠・三瀬トンネルを経由する国道263号があり、また国道385号は神埼市を経由して柳川市と福岡市を結ぶ国道で、国道34号などと併せて佐賀市と福岡市を結ぶルートを構成しており、山地を越えるが、2006年に東脊振トンネルが開通し利便性が向上した。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "有料道路では、福岡市から国道202号と平行し平戸方面へ迂回して佐世保市を経由し武雄ジャンクションへ繋がる西九州自動車道が整備中で、武雄方面と唐津市東部の一部が開通している。国道203号のバイパスとして佐賀唐津道路が計画されており一部が厳木多久道路や厳木バイパスとして使用されている。また地域高規格道路として、大牟田から国道208号と平行して佐賀市を経由し、有明海沿岸を周回して鹿島へ至る有明海沿岸道路が整備・計画中で、県内の一部の区間が開通している。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "県内の主なバスターミナルは佐賀駅バスセンター、唐津大手口バスセンター、鹿島バスセンター、嬉野バスセンターなど。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "佐賀市営・昭和・西鉄・祐徳・西肥でnimocaをはじめとする交通系ICカードが利用できる。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "ほか、自治体が貸し切りバス業者やタクシー会社に運行を委託するコミュニティバスが各地で運行されている。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "佐賀平野と有明海沿岸の鳥栖・佐賀・鹿島の各都市を通るJR長崎本線、武雄や有田を経由し西部を横断する佐世保線は、特急リレーかもめ・かささぎ・みどり・ハウステンボスが運行し、幹線として利用されている。また短い距離であるが東端部を九州の大動脈である鹿児島本線と九州新幹線が南北に走る。そのほか、佐賀と唐津を結ぶ唐津線、福岡市方面から唐津を経由し伊万里へ至る筑肥線、有田から伊万里を経由し松浦方面へ至る松浦鉄道西九州線、基山と朝倉市甘木を結ぶ甘木鉄道甘木線がある。2022年9月には、武雄温泉駅から長崎駅方面へ西九州新幹線が開業した。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "1998年に開港した佐賀空港は、全日本空輸による1日5往復の羽田便のほか、LCCの春秋航空が上海浦東便、ティーウェイ航空がソウル便、スプリング・ジャパンが成田便を運航している。旅客数は年間約66万人(2016年度) となっている。夜間貨物便の運行や、福岡・北九州とのマルチエアポート設定などが行われている。便数面や就航航空会社の選択性などの理由、また距離が近い地域では福岡空港(福岡市)や長崎空港(長崎県大村市)も利用される。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "大型港湾は玄界灘沿岸に集中している。唐津港と伊万里港が重要港湾である。唐津港はセメント・砂利・砂・石油などの原材料系の受け入れ量が高い特徴がある。伊万里港は大連・青島航路(中国・民生輪船有限公司)、上海航路(日本・神原汽船株式会社)、華南ラウンド航路(韓国・興亜海運株式会社)など複数の海外航路がありコンテナ貨物の割合が高く、大型船に対応した水深13mの新岸壁・ガントリークレーンを備えた国際コンテナターミナルとして重点的に整備が進められている。地方港湾は、玄界灘側の呼子港(避難港)・仮屋港・星賀港、有明海側の住ノ江港・諸富港・鹿島港・大浦港の計7港である。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "玄界灘では、離島と本土を結ぶ定期旅客航路が運航している。唐津東 - 印通寺港便(九州郵船)は唐津と壱岐と結ぶ。唐津港からは高島便(唐津市漁業協同組合高島支所)、湊港からは神集島便(唐津市漁業協同組合神集島支所・ユージングボート宇野)、呼子港からは小川島便(川口汽船)、加唐島便(加唐島汽船)、松島便 (新栄)、馬渡島便(郵正丸)の計4航路、星賀港からは向島便(向島丸)、浦ノ崎港からは福島港便(金子廻漕店)がある。有明海では定期航路はない。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "佐賀県の大学進学率は43.6%(2020年(令和2年)高校卒業者)である。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "佐賀県を放送対象地域としているテレビ局は2局であり、民放は1局のみとなっている(NHKと民放1局の都道府県は佐賀県と徳島県のみ)。親局送信所は鳥栖市の九千部山に置かれている。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "しかし、県境付近では隣接する福岡・熊本の2県の県域テレビ局の放送エリアのめやすとなっている。直接受信が困難な地帯 向けにケーブルテレビ局も各地で整備されており、県内大半の地域ではサガテレビと同じフジテレビ系列であるテレビ西日本を含めた、福岡県の民放を視聴できる環境がある。FNN・FNS系列局のテレビ西日本(TNC)以外の福岡県の民放が佐賀県分の報道取材などを行っている。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "地上デジタル放送の開始も遅れ、全国最後発となる2006年(平成18年)12月1日開始であった。佐賀県が音頭を取って事業者を組織し、佐賀デジタルネットワーク社を設立。デジタル放送の県内事業者向け配信を一手に担うとともに、インターネット接続プロバイダ業務も行うこととなった。ただ、県外民放の再配信は福岡県分に限られ、熊本放送については各事業者が個別に許可を得る方式とした。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "県内でサービスを提供している(許可施設を有する)ケーブルテレビ事業者は2021年7月時点で15である。主な放送局は佐賀県のケーブルテレビ局を参照のこと。世帯普及率は2021年3月末時点で54.1%。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "県域FM放送の親局送信所とNBCラジオ佐賀のFM補完放送のメイン中継局はいずれも唐津市の八幡岳。また、九千部山にも中継局を置いている。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "放送対象地域外のRKBラジオKBCラジオ の放送エリアになっており、2021年12月6日から両局のradikoの配信エリアにもなった。。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "外国語放送のラブエフエム国際放送(LOVE FM)が佐賀市のみ放送対象地域に、その他県内のほとんどの地域が放送エリアに、放送対象地域外のエフエム福岡、CROSS FM、エフエム熊本、エフエム長崎、が県内の一部の地域で放送エリアとなる。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "県域局でもあるNBCラジオ佐賀及びエフエム佐賀の何れもが長らくradikoでの配信を実施しておらず、佐賀市を正式な放送対象地域としているLOVE FMも県内での基本サービス配信を行っていないため、県内でのradiko実施局はNHKラジオと全国放送のラジオNIKKEI及び放送大学のみという状態が続いていたが、2020年4月15日にエフエム佐賀がradikoの配信を開始したため、現在は解消している。2021年10月1日に長崎放送(NBCラジオ長崎本局)がradikoの配信エリアを佐賀県に拡大し、同日から長崎本局と佐賀局で異なっていた番組編成(地域向け番組・CMなど)を長崎本局に統合・集約するなどの大幅な改編を行った。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "佐賀県は、地域区分局に当たる郵便局が県内に存在しない唯一の都道府県である。県内全域を指す郵便番号84(上2桁)の地域区分局は、福岡県の久留米東郵便局となっている。 震度4以上の記録が残っている地震の回数は、92年間でわずか7回と日本一地震が少ない県でもある。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "一般的に佐賀の県民性として、「いひゅうもん(異風者)」あるいは「ふうけもん(風変者)」という言葉が代表的に使われることが多い。両者とも変わり者、頑固、融通が利かないといったニュアンスがある。ただし、現代の佐賀弁では「ふうけもん」は馬鹿者といった否定的な意味が強いので、あまりそぐわない。また、特に男性に関してしばしば葉隠の武士道精神とも結び付けられ、上下関係やしきたりを重んじる、几帳面、まじめとされる場合がある。また「佐賀んもんの通ったあとにはぺんぺん草も生えん(佐賀の人が通った後にはぺんぺん草も生えない)」などと揶揄・自嘲される場合があるが、佐賀藩時代の厳しい財政下で大名家(鍋島家)自らの倹約から受け継がれた主に藩士の倹約家気質がさまざまな形で受け止められ、当時の言い回しが現代まで残ったものである。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "佐賀藩に当たる県東部-南部では佐賀弁が話され、同じ藩域だった長崎県諫早地方では似た言い回しが多い。唐津藩に当たる県北西部では唐津弁、対馬藩飛び地に当たる鳥栖市東部・基山町では田代弁が話される。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "サッカー", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "バレーボール", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "バスケットボール", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "ハンドボール", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "ソフトボール男子西日本リーグ", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "九州サッカーリーグ", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "佐賀魂(佐賀市・社会人野球)", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "唐津市・東松浦郡は、虹の松原、屋形石の七ツ釜の海食洞、リアス式海岸、クジラのように急峻にせり出す形状の島々など、玄界灘・唐津湾に面した海沿いの自然景勝地として知られ、海水浴やサーフィン、ダイビングといったマリンスポーツなどが盛んである。鏡山や丘陵地帯・海岸部の棚田などの自然景勝が見られるほか、丘の上に建つ唐津城、名護屋城跡(博物館)などの文化財が観光地となっている。11月上旬には日本三大くんちの一つである唐津くんち(唐津市)、6月上旬には呼子大綱引(唐津市呼子町)が行われるほか、呼子の朝市も有名である。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "伊万里湾も同様に、湾口部のいろは島やリアス式海岸が特徴的な景観で、海水浴地でもある。10月下旬には伊万里トンテントン祭りが行われる。伊万里市・有田町・武雄市の黒髪山周辺は奇岩のなす地形や豊富な植物、各種伝説などで知られる。有田町を中心とした地域には有田焼(伊万里焼)、唐津市・伊万里市・武雄市を中心とした地域に唐津焼の、それぞれ古い窯跡や現存する窯元が数多く分布していて陶磁器にまつわる名所が多い。九州陶磁文化館、有田陶磁美術館、有田ポーセリンパークなどの文化施設もあるほか、ゴールデンウィークには有田陶器市が開かれ多数の客で賑わう。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "日本三大美肌の湯である嬉野温泉(嬉野市)は湯豆腐や嬉野茶でも有名で、武雄温泉(武雄市)は、楼門と武雄温泉新館が国の重要文化財に指定されており、それぞれ趣の異なった温泉街として賑わう。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "一方で、県庁所在地の佐賀市は平坦な田園地帯の中にあり、城下町時代の名残のある込み入った街路や水路網などの景観が特徴的である。江戸-明治期の建物が残る佐賀市歴史民俗館、佐賀城跡と佐賀城本丸歴史館、佐嘉神社、反射炉跡などの歴史遺産が点在する。10月下旬から11月上旬には、佐賀インターナショナルバルーンフェスタが開かれ、熱気球が舞う光景が広がるほか、8月には佐賀城下栄の国まつりが開催される。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "県南部一帯には泥質干潟の有明海が広がり、玄界灘や伊万里湾とは大きく異なった景観となる。ムツゴロウ、シオマネキなどの希少生物や、紅葉のように変化するシチメンソウなどが見られる。また5月ごろには鹿島ガタリンピック(鹿島市)が開催される。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "県北部の北山ダム(佐賀市三瀬村)は避暑地となっており、どんぐり村などが観光地として整備されている。嘉瀬川を下って行くと古湯温泉や熊の川温泉(ともに佐賀市富士町)、川上峡などのスポットが点在する。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "吉野ヶ里遺跡(吉野ヶ里町・神埼市)は、一部で発掘を継続しながら国営吉野ヶ里歴史公園として復元整備されている。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "城跡・特別史跡", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "寺社", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "主な文化施設・観光施設", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "その他", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "重要伝統的建造物群保存地区", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "ユネスコ世界遺産", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "国宝", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "史跡", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "特別名勝", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "名勝", "title": "観光" } ]
佐賀県(さがけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は佐賀市。 お茶や唐津・伊万里・有田などの古くからの陶磁器の産地として有名で、玄界灘と有明海の2つの海に接する。令制国の肥前国東部に相当する。明治の府県制成立の際、同国は佐賀県と長崎県の2県として分立した。九州地方の中では最も面積、経済規模が小さい県であり、人口は隣接する福岡県の2割以下であり、福岡市の半分程度に過ぎない。一方、人口密度は全国で16番目に高く、広島県の人口密度を上回っている。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Otheruses|九州地方の自治体|[[はなわ]]の楽曲|佐賀県 (曲)}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 佐賀県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Yoshinogari-iseki zenkei.JPG | photo2a = Saga_balloon_fiesta_sky_view_2009_2.jpg | photo2b = Arita_tokichi_200804.jpg | photo3a = Nijinomatsubara.jpg | photo3b = Flocks_of_waterfowls_in_Higashiyoka-higata_2018-02-03.jpg | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center | space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[吉野ヶ里遺跡]]</tr><tr><td style="width:50%">[[佐賀インターナショナルバルーンフェスタ]]<td style="width:50%">[[有田陶器市]]</tr><tr><td style="width:50%">[[虹の松原]]<td style="width:50%">[[東よか干潟]]</tr></table> | 都道府県旗 = [[ファイル:Flag of Saga Prefecture.svg|100px|border|佐賀県旗]] | 都道府県旗の説明 = [[佐賀県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Saga prefecture.svg|70px|佐賀県章]] | 都道府県章の説明 = [[佐賀県章|佐賀県紋章]] | 区分 = 県 | コード = 41000-4 | ISO 3166-2 = JP-41 | 隣接都道府県 = {{flag|福岡県}}<br />{{flag|長崎県}} | 木 = [[クスノキ]] | 花 = クスの花 | 鳥 = [[カササギ]](カチガラス) | シンボル名 = 県の歌 | 歌など = 県歌「[[佐賀県民の歌]]」<br />さが・ふるさとの歌「[[栄の国から]]」<br />佐賀県準県歌「[[風はみらい色]]」 | 郵便番号 = 840-8570 | 所在地 = 佐賀市[[城内 (佐賀市)|城内]]一丁目1番59号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-41|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=8|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=220|frame-height=200|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}}<br />[[ファイル:Saga prefucture office.JPG|220px|佐賀県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 41 Saga prefecture.svg|320px|佐賀県の位置]]{{基礎自治体位置図|41|000|image=Map of Saga Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} [[ファイル:Symbol mark of Saga prefecture.svg|150px|thumb|佐賀県シンボルマーク]] '''佐賀県'''(さがけん)は、[[日本]]の[[九州|九州地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[佐賀市]]。 [[緑茶|お茶]]や[[唐津市|唐津]]・[[伊万里市|伊万里]]・[[有田町|有田]]などの古くからの[[陶磁器]]の産地として有名で、[[玄界灘]]と[[有明海]]の2つの海に接する。[[令制国]]の[[肥前国]]東部に相当する。[[明治時代|明治]]の[[府県制]]成立の際、同国は佐賀県と[[長崎県]]の2県として分立した。九州地方の中では最も面積、経済規模が小さい県であり、人口は隣接する福岡県の2割以下であり、[[福岡市]]の半分程度に過ぎない。一方、人口密度は全国で16番目に高く、[[広島県]]の人口密度を上回っている。 == 地理・地域 == {{Location map+|Japan Saga|width=300|float=right|caption=佐賀県の主要地形|AlternativeMap=Saga géolocalisation relief.svg|places= {{Location map~|Japan Saga|lat_deg=33.25|lon_deg=130.22|position=right|marksize=0|label=[[佐賀平野]]}} {{Location map~|Japan Saga|lat_deg=33.18|lon_deg=129.93|position=right|marksize=0|label=[[杵島丘陵]]}} {{Location map~|Japan Saga|lat_deg=33.33|lon_deg=130.15|position=right|mark=Black triangle2.svg|label=[[天山 (佐賀県)|天山]]}} {{Location map~|Japan Saga|lat_deg=33.46|lon_deg=130.12|position=right|marksize=0|label=[[脊振山地]]}} {{Location map~|Japan Saga|lat_deg=33.44|lon_deg=130.35|position=right|mark=Black triangle2.svg|label=[[脊振山]]}} {{Location map~|Japan Saga|lat_deg=33.14|lon_deg=130.35|position=bottom|mark=Arrows 12x12 n.svg|label=[[筑後川]]}} {{Location map~|Japan Saga|lat_deg=32.98|lon_deg=130.08|position=right|mark=Black triangle2.svg|label=[[多良岳]]}} {{Location map~|Japan Saga|lat_deg=33.52|lon_deg=129.78|position=right|marksize=0|label=[[東松浦半島]]}} {{Location map~|Japan Saga|lat_deg=33.25|lon_deg=129.72|position=right|marksize=0|label=[[北松浦半島]]}} {{Location map~|Japan Saga|lat_deg=33.59|lon_deg=129.95|position=right|marksize=0|label=[[玄界灘]]}} {{Location map~|Japan Saga|lat_deg=33.05|lon_deg=130.20|position=right|marksize=0|label=[[有明海]]}} }}<!--地形図ここまで--> 佐賀県は、日本の中では西部([[西日本]])あるいは南部([[南日本]])に位置しており、[[九州|九州地方]]の中では北部([[北部九州]])または西部([[西九州]])に位置している。[[人口]]・[[面積]]共に九州7県の中では最も少なく、また人口・面積ともに全47都道府県中42番目であるが、人口密度は全47都道府県中16番目と上から1/3であり、九州の中でも2番目に高い。 県内の地域区分は[[佐賀藩]]と[[唐津藩]]に二分されていた歴史的経緯から、[[唐津市]]を中心とした'''北部'''(北西部)と佐賀市を中心とした'''南部'''(南東部)に分ける2区分が最もよく用いられる。より細かく分ける場合は、北部・東部・西部の3区分や三神・佐城・杵藤・唐松・伊西の5区分が用いられる。 県名の認知度調査においては[[2002年]](平成14年)の調査結果では(小学校4年生~小学6年生対象)第44位、[[2004年]](平成16年)の調査結果では([[中学生]]対象)で第30位となっている<ref>帝国書院 『[http://www.teikokushoin.co.jp/map/menu2/index.html 小学生の県名認知度]』『[http://www.teikokushoin.co.jp/map/menu2/index06.html 中学生の県名・国名認知度]』、2012年7月29日閲覧。</ref>。 === 地勢 === 佐賀県の形は、凹凸のある逆三角形に近い。北西部は[[リアス式海岸]]と[[砂浜]]の'''[[玄界灘]]'''、南東部は[[干潟]]と[[干拓地]]の'''[[有明海]]'''という、海岸の様子が全く異なる2つの海に接している。有明海沿岸から[[筑後川]]沿いには県の面積の3割を占める'''[[佐賀平野]]'''が広がり、玄界灘から佐賀平野西部までは'''[[杵島丘陵]]'''などの[[丘陵]]地帯である。北東部に'''[[脊振山地]]'''、南西部に'''[[多良岳]]'''山系といういずれも1,000m級の山地があって丘陵地帯を挟んでいる。[[耕地]]が県面積の39%に上り、国内平均の2倍と高い割合である一方、森林・荒地は同49%と国内平均の7割に留まっている。 県の北東部を東西に連ねる[[脊振山地]]は唐津市[[浜玉町]]から[[鳥栖市]]までその稜線が福岡県との県境になっている。鳥栖市で山脈は途切れるが、その延長線上には福岡県の[[耳納山地]]が延びている。鳥栖市・[[基山町]]は隣接する[[久留米市]]とともに山地の合間にあり、北の福岡平野と南の[[筑紫平野]]を結ぶ[[道路]]網・[[鉄道]]網の分岐点となっている。交通の要所かつ工業地域で[[福岡都市圏]]の[[ベッドタウン]]でもあるため、住宅開発が進んでおり人口減少が続く県内では例外的に人口増加率が高い。福岡、佐賀の両県に広がる筑紫平野を中心に有明海や筑後川を囲む筑後佐賀エリアの人口は100万人を超え、域内の総生産は[[北九州都市圏]]に迫る規模がある。山地は平野部の北側に広がっていて、県中央部に位置する[[天山 (佐賀県)|天山]]まで連なっている。 脊振山地の南麓は緩やかな[[洪積台地]]からなる細長い丘陵地帯で、それより南側には幅の広い平坦な[[沖積平野]]である[[佐賀平野]]が東西に広がっていて県の東部から中央部を占める。佐賀平野は筑紫平野の西半分を指す別名で、古くより[[穀物|穀類]]の生産が多い穀倉地帯である。筑紫平野の中央を縦断する[[筑後川]]が福岡県[[筑後地方]]([[筑後平野]])との境である。平坦な[[低地]]が内陸まで広がり大小多数の河川が流れるため[[20世紀]]半ばまで洪水被害が頻発していたが、治水が進んだことにより現在は被害が大きく抑えられている。佐賀平野の南には[[有明海]]があり、遠浅の広い[[干潟]]が広がり干潟独特の生物相がみられる。沿岸には江戸時代以降の[[干拓]]により造成された地域が分布している。県内の干拓面積は江戸時代から累計100[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]前後に達しており、佐賀平野の1割・県面積の4%に達する。 北西部は、[[日本海]]と[[東シナ海]]の接続水域である[[玄界灘]]に面する。海に突き出た[[東松浦半島]](上場台地)や[[北松浦半島]]は[[玄武岩]]で構成された[[溶岩台地]]であり、温暖で部分的に[[照葉樹林]]も分布する。[[リアス式海岸]]で[[半島]]や[[離島]]が点在、[[唐津湾]]や[[伊万里湾]]には[[砂浜海岸|砂浜]]が分布する。この一帯の海岸沿いは[[玄海国定公園]]に指定され、[[唐津城]]や[[呼子町|呼子]]などの観光地がある。 玄界灘沿岸の河口低地より南側、県南西部には杵島丘陵が広がり、[[長崎県]]との県境をなす[[多良岳]]山系へと続く。杵島丘陵には芳ノ谷層([[始新世]])や佐世保層群([[漸新世]]後期)の石炭を含む層(挟炭層)があり、かつて[[炭鉱]]として栄えたが閉山により急速な地域衰退と人口減少を経験した。また有田泉山で陶石が採れたことをきっかけに創始された[[伊万里焼]]([[有田焼]])は、佐賀県を代表するブランドである。[[武雄市|武雄]]温泉や[[嬉野市|嬉野]]温泉などの温泉街も点在する。 活動していない火山の多良岳以外は、佐賀県内に[[火山]]はない。[[地震]]の被害を受けることは少ないが、[[梅雨]]などの大雨による[[洪水]]、[[台風]]の被害は多い。一方で、森林面積の3割強を占める[[自然林]]・[[二次林]]のほとんどが[[常緑広葉樹林]]で、[[玄界灘]]沿岸部には[[照葉樹林]]も見られる。残りの7割弱は[[スギ]]と[[ヒノキ]]を中心とする[[人工林]]で、森林面積に占める人工林率66%([[2002年]])は日本の都道府県の中で最も高い。 [[ファイル:Nijinomatsubara.jpg|thumb|right|250px|国の[[特別名勝]]・[[虹の松原]]([[唐津市]])]] [[ファイル:Kashima Coast Saga Japan 01.jpg|thumb|right|250px|国内最大の[[干潟]]を有する[[有明海]]([[鹿島市]] 七浦海岸)]] ; 県内の主要地形・自然公園 * 平野: [[佐賀平野]]([[筑紫平野]]) * 山地 ** [[脊振山地]]([[筑紫山地]]):[[脊振山]] (1,056m)、[[天山 (佐賀県)|天山]] (1,046m)、井原山 (982m)、[[金山 (福岡県・佐賀県)|金山]] (967m)、[[雷山]] (955m)、[[羽金山]] (900m) ** 多良岳山地:[[経ヶ岳 (佐賀県・長崎県)|経ヶ岳]](県内最高地点、1,076m)、[[多良岳]] (996m) * 丘陵地:上場台地、杵島丘陵 * 河川:[[筑後川]](佐賀県内を流れる分は15.5km)、[[嘉瀬川]] (57.5km)、[[松浦川]] (45.3km)、[[六角川]] (43.6km) * 湖沼: [[北山ダム (佐賀県)|北山ダム]]、[[嘉瀬川ダム]] * 海 ** [[有明海]]:[[諫早湾]] ** [[玄界灘]]:[[唐津湾]]、[[伊万里湾]]、[[壱岐水道]]([[対馬海峡]]) * 半島:[[東松浦半島]]、[[北松浦半島]]の一部 * 島 ** 有明海側:[[竹崎島]](たけさきじま)、[[沖ノ島 (佐賀県)|沖ノ島]](おきのしま) ** 玄界灘側:[[高島 (佐賀県)|高島]](たかしま)、[[神集島]](かしわじま)、[[小川島]](おがわしま)、[[加部島]](かべしま)、[[加唐島]](かからしま)、[[松島 (佐賀県)|松島]](まつしま)、[[馬渡島]](まだらしま)、[[向島 (佐賀県)|向島]](むくしま) * [[自然公園]] ** [[国定公園]]:[[玄海国定公園]] ** [[都道府県立自然公園|県立自然公園]]:[[黒髪山県立自然公園]]、[[多良岳県立自然公園]]、[[天山県立自然公園]]、[[八幡岳県立自然公園]]、[[脊振北山県立自然公園]]、[[川上金立県立自然公園]] ; 県の領域 * 北端 [[唐津市]][[加唐島]]エヌオノ鼻 - 北緯33度36分57秒 * 東端 [[鳥栖市]]飯田町 - 東経130度32分31秒 * 南端 [[藤津郡]][[太良町]]大浦甲(竹崎) - 北緯32度57分1秒 * 西端 [[唐津市]][[馬渡島]]大瀬 - 東経129度44分12秒 ; 隣接する都道府県 * {{Flagicon|福岡県}}[[福岡県]] * {{Flagicon|長崎県}}[[長崎県]] * [[北海道]]、長崎県、[[沖縄県]]を除く全ての都府県には、陸上で隣接する県が2つ以上あるが、佐賀県はその隣接県同士が全く接していない唯一の県である。すなわち、福岡県から長崎県の間を陸上で移動する場合には必ず当県を通過する。 === 気候 === 佐賀県は、日本の中では比較的[[気候]]が温暖であるが、冬の寒さは緯度の割りには厳しく東京よりも寒い。[[2016年]]1月25日には、県内全観測地点で[[真冬日]]を観測した。日本を広域的に見た場合、県内全域が[[太平洋側気候]]に入る、北部の玄界灘沿岸部は曇が多いが、[[降水量]]の面で[[日本海側気候]]とは明確に異なる。台風の通過・被害が多いが、九州のほかの県と比べると少ない方である。県内の気候は、大きく3つに分かれている。 ;佐賀市を中心とした南部の平野部 :夏に降水量が多く冬も多い。年間を通してもかなりの降水量である。気温は[[熊本市]]などの[[盆地]]に近い傾向で、1日の気温差が大きい傾向にあり夏は暑さが厳しく猛暑日、熱帯夜が多い。平野部は海抜が低いため、水害(洪水)が多いほか有明海から吹き付ける塩分を含んだしぶきが、[[塩害]]を発生させることも多い。また内陸のため冬季を中心に乾燥しやすく、雪が何度も降ることもある。佐賀の冬は比較的極寒で、九州唯一の雪国である。 ;唐津市、伊万里市などの北部の玄界灘沿岸 :夏も降水量が多いが、冬も季節風の影響で降水量が比較的多く[[降雪]]も年に数回記録される。[[海洋性気候]]を呈し、1日の気温差が小さい傾向にあり猛暑日や冬日は少ない。 ;嬉野市嬉野地区、佐賀市三瀬地区などの山間部 :三瀬地区で年間降水量約2400mmとなっており、全体的に降水量は多く、特に夏に多い。1年の気温差、1日の気温差がともに大きい。冬は県内では特に低温となり、雪や[[霜]]の日数も多い。平年の[[天山 (佐賀県)|天山]]の初冠雪は[[12月4日]]<ref>詳しくは [http://www.fukuoka-jma.go.jp/saga/saga1.htm 佐賀地方気象台のホームページ] を参照。</ref>。 {| ||{{climate_graph|佐賀|47813 |57.2|77.5|123.2|166.1|188.0|362.8|331.8|204.3|182.7|85.7|66.4|42.4 |9.5|10.9|14.4|20.2|24.5|27.5|31.2|32.1|28.6|23.6|17.5|12.2 |0.8|2.0|4.9|9.5|13.8|19.2|23.3|23.7|19.4|13.2|7.9|2.6 }} ||{{climate_graph|伊万里| |78.2|94.0|158.5|186.1|213.4|361.3|359.7|212.6|222.0|88.8|94.7|63.8 |9.6|10.9|14.2|19.5|23.8|26.7|30.4|31.7|28.0|23.2|17.6|12.3 |1.0|1.5|4.3|8.7|13.4|18.2|23.1|23.3|19.4|12.7|7.4|2.7 }} ||{{climate_graph|嬉野| |75.9|97.0|164.7|192.0|234.2|402.7|390.9|232.3|225.8|95.3|97.3|61.8 |9.1|10.7|14.2|19.9|24.1|27.0|30.3|31.8|28.0|22.9|17.0|11.6 |-0.1|0.5|3.3|7.7|12.5|17.5|22.2|22.3|18.3|11.7|6.4|1.7 }} |style="font-size:smaller;vertical-align:bottom"|左記:1981-2010平年値 |} {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+佐賀県内各地の平年値(統計期間:[[1971年]]([[昭和]]46年) - [[2000年]]([[平成]]12年)、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="3"|北部 !colspan="4"|南部 |- ![[唐津市]]<br />枝去木!![[唐津市|唐津]] ![[伊万里市|伊万里]]!![[佐賀市|佐賀]] ![[佐賀市]]<br />[[佐賀空港|川副]]!![[白石町|白石]] ![[嬉野市|嬉野]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |25.4<br />(8月)|| |26.7<br />(8月)||27.4<br />(8月) | ||27.1<br />(8月) |26.1<br />(8月) |- !最寒月 |5.3<br />(1月)|| |5.1<br />(1月)||5.2<br />(1月) | ||4.7<br />(1月) |4.1<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |324.3<br />(7月)|| |389.3<br />(6月)||362.8<br />(6月) | ||369.7<br />(6月) |446.8<br />(6月) |- !最少月 |56.5<br />(12月)|| |53.9<br />(12月)||42.4<br />(12月) | ||43.0<br />(12月) |50.9<br />(12月) |} === 自治体 === {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=佐賀県|align=right}} [[ファイル:Saga Prefecture regions map.svg|thumb|200px|地域区分]] 現在、佐賀県内には10[[市]]6[[郡]]10[[町]]、併せて20市町がある。[[2004年]](平成16年)12月時点では7市8郡38町4村の計49市町村だったが、[[平成の大合併|市町村合併]]により、最後の合併が行われた[[2007年]](平成19年)[[10月1日]]に現在の数となって市町村数は半分以下に減少した。合併で廃止された市町村については、[[佐賀県の廃止市町村一覧]]を参照されたい。 なお、[[2006年]](平成18年)3月20日に脊振村が神埼市になったのを最後に佐賀県内の村は全て消滅した。佐賀県では、江北町が「まち」としている他は「町」はすべて「ちょう」と読む。 [[都道府県の面積一覧|都道府県別の面積順位]]が42位と小さな県であり県全体を一つの地域とすることも多いが、大きく分ければ[[佐賀平野]]を中心とした南部と[[東松浦半島]]を中心にした北部に分けられる。また、さらに細かい区分では'''佐城'''(佐賀市・小城市・多久市)'''三神'''(鳥栖市・神埼市・三養基郡・神埼郡)'''杵藤'''(武雄市・鹿島市・嬉野市・杵島郡・藤津郡)'''唐松'''(唐津市・東松浦郡)'''伊西'''(伊万里市・西松浦郡)の5地区に分けることが多い。 {|class="wikitable sortable" cellpadding="0" cellspacing="0" style="margin:0px" |+県内自治体の一覧と諸元 ![[全国地方公共団体コード|市町村<br />コード]] !市町村 !郡 !面積 (km<sup>2</sup>) ! !人口(人) !人口密度<br />(人/km<sup>2</sup>) |- |41201 |[[佐賀市]] | - |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|佐賀市}}}} |※ |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|佐賀市}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|佐賀市}} / {{自治体面積/佐賀県|佐賀市}} round 0}}}} |- |41202 |[[唐津市]] | - |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|唐津市}}}} | |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|唐津市}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|唐津市}} / {{自治体面積/佐賀県|唐津市}} round 0}}}} |- |41203 |[[鳥栖市]] | - |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|鳥栖市}}}} | |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|鳥栖市}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|鳥栖市}} / {{自治体面積/佐賀県|鳥栖市}} round 0}}}} |- |41204 |[[多久市]] | - |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|多久市}}}} |※ |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|多久市}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|多久市}} / {{自治体面積/佐賀県|多久市}} round 0}}}} |- |41205 |[[伊万里市]] | - |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|伊万里市}}}} | |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|伊万里市}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|伊万里市}} / {{自治体面積/佐賀県|伊万里市}} round 0}}}} |- |41206 |[[武雄市]] | - |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|武雄市}}}} |※ |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|武雄市}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|武雄市}} / {{自治体面積/佐賀県|武雄市}} round 0}}}} |- |41207 |[[鹿島市]] | - |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|鹿島市}}}} | |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|鹿島市}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|鹿島市}} / {{自治体面積/佐賀県|鹿島市}} round 0}}}} |- |41208 |[[小城市]] | - |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|小城市}}}} | |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|小城市}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|小城市}} / {{自治体面積/佐賀県|小城市}} round 0}}}} |- |41209 |[[嬉野市]] | - |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|嬉野市}}}} | |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|嬉野市}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|嬉野市}} / {{自治体面積/佐賀県|嬉野市}} round 0}}}} |- |41210 |[[神埼市]] | - |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|神埼市}}}} |※ |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|神埼市}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|神埼市}} / {{自治体面積/佐賀県|神埼市}} round 0}}}} |- |41327 |[[吉野ヶ里町]] |[[神埼郡]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|吉野ヶ里町}}}} | |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|吉野ヶ里町}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|吉野ヶ里町}} / {{自治体面積/佐賀県|吉野ヶ里町}} round 0}}}} |- |41341 |[[基山町]] |[[三養基郡]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|基山町}}}} | |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|基山町}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|基山町}} / {{自治体面積/佐賀県|基山町}} round 0}}}} |- |41345 |[[上峰町]] |三養基郡 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|上峰町}}}} |※ |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|上峰町}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|上峰町}} / {{自治体面積/佐賀県|上峰町}} round 0}}}} |- |41346 |[[みやき町]] |三養基郡 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|みやき町}}}} |※ |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|みやき町}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|みやき町}} / {{自治体面積/佐賀県|みやき町}} round 0}}}} |- |41387 |[[玄海町]] |[[東松浦郡]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|玄海町}}}} | |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|玄海町}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|玄海町}} / {{自治体面積/佐賀県|玄海町}} round 0}}}} |- |41401 |[[有田町]] |[[西松浦郡]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|有田町}}}} | |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|有田町}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|有田町}} / {{自治体面積/佐賀県|有田町}} round 0}}}} |- |41423 |[[大町町]] |[[杵島郡]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|大町町}}}} | |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|大町町}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|大町町}} / {{自治体面積/佐賀県|大町町}} round 0}}}} |- |41424 |[[江北町]] |杵島郡 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|江北町}}}} |※ |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|江北町}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|江北町}} / {{自治体面積/佐賀県|江北町}} round 0}}}} |- |41425 |[[白石町]] |杵島郡 |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|白石町}}}} | |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|白石町}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|白石町}} / {{自治体面積/佐賀県|白石町}} round 0}}}} |- |41441 |[[太良町]] |[[藤津郡]] |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体面積/佐賀県|太良町}}}} | |style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/佐賀県|太良町}}}} |style="text-align:right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/佐賀県|太良町}} / {{自治体面積/佐賀県|太良町}} round 0}}}} |} :面積は2014年10月1日時点の[[国土地理院]]『[https://archive.is/20120801220220/http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201110/opening.htm 全国都道府県市区町村別面積調]』による。なお、※は境界未定のある市町。人口は{{自治体人口/佐賀県|date}}時点の{{自治体人口/佐賀県|source}}。 ; 広域市町村圏 * 佐賀地区広域市町村圏 - 佐賀市、多久市、小城市、神埼市 * 唐津・東松浦広域市町村圏 - 唐津市、玄海町 * 鳥栖地区広域市町村圏 - 鳥栖市、上峰町、基山町、吉野ヶ里町、みやき町 * 伊万里・北松地域広域市町村圏 - 伊万里市、有田町 * 杵藤地区広域市町村圏 - 武雄市、鹿島市、嬉野市、白石町、大町町、江北町、太良町 ; 地方拠点都市地域 * 佐賀地方拠点都市地域 - 佐賀市、多久市、小城市、神埼市 * 唐津・東松浦地方拠点都市地域 - 唐津市、玄海町 === 都市圏 === 県内の都市を中心市とする[[都市雇用圏]](10%通勤圏)の変遷 {|class="wikitable" style="text-align:center" |-style="border-bottom:solid 3px #666" !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|1980年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|1990年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|1995年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|2000年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|2005年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|2010年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|2015年 |-style="background-color:#ccff99;" |{{都市圏|佐賀|36|6499|佐賀都市圏}} |{{都市圏|佐賀|37|4637}} |{{都市圏|佐賀|37|9865}} |{{都市圏|佐賀|41|0326}} |{{都市圏|佐賀|41|3320}} |{{都市圏|佐賀|40|5062}} |{{都市圏|佐賀|39|8217}} |-style="background-color:#ffffcc;" |{{都市圏|唐津|13|8271|唐津都市圏}} |{{都市圏|唐津|13|1376}} |{{都市圏|唐津|13|8829}} |{{都市圏|唐津|13|5305}} |{{都市圏|唐津|13|7854}} |{{都市圏|唐津|13|3305}} |{{都市圏|唐津|12|8687}} |- |style="background-color:#ffcccc"|{{都市圏|伊万里|7|4066|伊万里都市圏}} |style="background-color:#ffcccc"|{{都市圏|伊万里|7|4180}} |style="background-color:#ffcccc"|{{都市圏|伊万里|7|3483}} |style="background-color:#ffcccc"|{{都市圏|伊万里|7|1913}} |style="background-color:#ccffff"|{{都市圏|鳥栖|11|0769}} |style="background-color:#ccffff"|{{都市圏|鳥栖|11|3086}} |style="background-color:#ccffff"|{{都市圏|鳥栖|11|5681}} |- | - | - |style="background-color:#ccffff"|{{都市圏|鳥栖|6|6494|鳥栖都市圏}} |style="background-color:#ccffff"|{{都市圏|鳥栖|6|9790}} |style="background-color:#ffcccc"|{{都市圏|伊万里|7|0666}} |style="background-color:#ffcccc"|{{都市圏|伊万里|7|8090}} |style="background-color:#ffcccc"|{{都市圏|伊万里|7|5387}} |- |colspan="7" style="text-align:left;font-size:small"|出典:金本, 2020年1月時点の公表値<ref>金本良嗣「[https://www.csis.u-tokyo.ac.jp/UEA/uea_code.htm 都市雇用圏(Urban Employment Area)コード表]」、[[東京大学]]空間情報科学研究センター、2018年3月18日閲覧。</ref> による。<br />県内自治体が福岡県の自治体を中心市とする[[福岡都市圏]]や[[久留米都市圏]]に含まれていた年度もあるが、この表からは除外した。 |} == 歴史 == === 県名の由来 === {{main|佐賀郡#由来}} 県名である「佐賀」は、[[1871年]](明治4年)の廃藩置県の際県庁所在地となった[[佐賀郡]]から採られた。古来は「佐嘉」と「佐賀」両方の表記が見られたが、[[1870年]](明治3年)に「佐賀」に統一された。古い「佐嘉」の表記は[[佐嘉神社]]などに残されている。 佐賀郡の由来は諸説あり、[[奈良時代]]の『[[肥前国風土記]]』における[[クスノキ|楠樹]]にまつわる「栄の国」伝説や、同じく風土記の賢女(さかしめ)伝説によるものがしばしば挙げられる。朝廷に服従してなかった[[土蜘蛛]]の「大山田女」と「狭山田女」の2人の女性が、暴れ川の佐嘉川([[嘉瀬川]])を鎮めて崇められたことから賢女と呼ばれたことが地名に由来する。また、傾斜地を指す「坂(さか)」、潮汐作用などで水が逆流する「逆(さか)」、砂丘地を指す「洲処(すが)」の転訛説などもある。 クスノキは、県内各地に名木が所在し「県の木」に指定されるなど縁が深い。 === 古代 === [[ファイル:Yoshinogari Ancient Ruins 2008.jpg|thumb|right|300px|復元された吉野ヶ里遺跡の環濠集落]] 旧石器時代の遺構がいくつか発見されている。多久市の[[多久三年山遺跡|三年山遺跡]]や[[茶園原遺跡]]などでは、近くの鬼ノ鼻山産の[[讃岐岩|サヌカイト]]を用いた狩猟に特化した尖頭型の石器が出土している。伊万里市の[[腰岳]]遺跡群は[[黒曜石]]の産地で、ここから旧石器時代後期 - 縄文時代に産出された黒曜石が本州 - 沖縄 - 朝鮮半島南部にまで広がっていることが確認されている。また佐賀市の[[東名遺跡]]では縄文時代前期にあたる7,000年前の網籠、木製装身具、[[貝塚]]などの生活遺構がまとまって出土している。 県北西部の玄界灘に面した地域は、[[福岡県]]の北西部と並んで大陸方面から伝来した[[稲作]]の日本における発祥地域とされ、[[宇木汲田遺跡]]では縄文時代晩期の炭化籾、'''[[菜畑遺跡]]'''では縄文時代晩期の炭化米や水田跡が見つかっている。 『[[魏志倭人伝]]』に見える「[[末廬国]](まつらのくに)」が現在の唐津地方にあったとされ、大陸由来の[[青銅器]]や[[銅器]]が多数出土する遺跡が点在する。また、[[吉野ヶ里町]]・[[神埼市]]の丘陵地帯には弥生時代の大規模[[環濠集落]]である'''[[吉野ヶ里遺跡]]'''があり、その近辺にも九州北部に特徴的な[[甕棺墓]]が多く見つかっている。 さらには、古墳時代初期の建造の[[前方後円墳]]である唐津市の[[久里双水古墳]]をはじめ、東松浦地区や佐賀平野北部には幅広い年代の[[古墳]]が分布している。[[665年]]には基山町と福岡県筑紫野市の境に[[古代山城]]の一つである[[基肄城]]が築かれ、[[防人]]を招集して[[大宰府]]防衛線の一角を担った。また同じころ、武雄市の[[おつぼ山神籠石]]や[[帯隈山神籠石]]などの山城と考えられる遺構も成立している。このころ([[7世紀]]末まで)までには[[令制国]]として、今の[[長崎県]]本土と佐賀県全域を領域とする'''[[肥前国]]'''が成立し、現在、佐賀県内には[[基肄郡]]、[[養父郡 (佐賀県)|養父郡]]、[[三根郡]]、[[神埼郡]]、[[佐賀郡]]、[[小城郡]]、[[松浦郡]]、[[杵島郡]]、[[藤津郡]]が存在した。 [[平安時代]]後期には[[神埼荘]]・[[長島荘]]などの[[荘園 (日本)|荘園]]が形成されるようになる。 === 中世・近世・近代 === [[ファイル:Sagoyajo01.jpg|thumb|right|200px|名護屋城の配置図]] 鎌倉時代から室町時代にかけて、百以上の氏族が地頭として配置されていたと考えられている。その中でも規模が大きかったのが、[[肥前国|肥前]]守護の[[少弐氏]]、[[小城郡]]の[[九州千葉氏]]、[[佐賀郡]]の[[肥前高木氏|高木氏]]、[[杵島郡]]の[[後藤氏]]などであった。また、玄界灘沿岸は[[松浦党]]の一族の[[松浦氏]]、[[波多氏]]の影響力も強かった。この時代の代表的な山城は、[[鳥栖市|鳥栖]]の[[勝尾城]]。また佐賀平野では、[[環濠集落]]が発展したに建造された大きな環濠([[溝渠|クリーク]])を特徴とする[[平城]]があり、代表的遺構として現存するのは、[[神埼市|神埼]]の[[姉川城]]がある。 戦国時代に入ると、[[龍造寺隆信]]が一気に勢力を伸ばし肥前を統一する。龍造寺隆信は最盛期には、肥後北部・筑後・筑前南部まで領地を広げた。このころ、戦国末期には[[島津氏]]の攻勢が強まり、[[沖田畷の戦い]]によって[[龍造寺隆信]]が戦死すると、その勢いを失い領地を少しずつ狭めていく。ただ、[[豊臣政権]]による[[1587年]]([[天正]]15年)の[[九州国分]]によって、現在の佐賀県内のほとんどが龍造寺氏の領下に入り版図が決まる。 [[1591年]](天正19年)には東松浦半島に'''[[名護屋城]]'''が築かれ、[[文禄・慶長の役]]の拠点とされた。同城は両戦役の後役目を終え、一部が[[唐津城]]築城時に利用されるなどして数年で解体された。一方龍造寺領内では隆信の没後、義弟の[[鍋島直茂]]が国政の代行を行うようになって徐々に勢力を増し[[1607年]](慶長12年)には、龍造寺氏の支配領をほぼすべて[[鍋島氏]]が継承して佐賀藩主となった。この前後に両一族の確執があり、[[鍋島騒動|鍋島藩の化け猫騒動]]の話を生み出したともいわれている。 一方、唐津藩では波多氏が[[改易]]されて[[寺沢氏]]に換わり、唐津藩の初代藩主となった。 [[ファイル:Karatsu Castle.jpg|thumb|right|200px|唐津城]] 江戸時代には、[[佐賀藩]]、その支藩である[[蓮池藩]]、[[鹿島藩]]、[[小城藩]]の3藩、および、[[唐津藩]]が置かれていた。そのほか、現在の鳥栖市・基山町付近に[[対馬府中藩]]の田代領、唐津市浜玉町付近に同藩浜崎領があり、それぞれ対馬府中藩の飛地となっていた。また、現在の唐津市浜玉町海岸部や唐津市南東部などが[[天領|幕府直轄領]]となっていた。 佐賀藩およびその支藩は鍋島氏とその庶流家、龍造寺氏の分家などによる支配が続き、政治的には比較的安定していた。しかし、長崎の警備費用がかさむなどして財政は当初から厳しく、[[享保の大飢饉]]や[[1828年]](文政11年)の[[シーボルト台風]]による甚大な被害はそれに拍車を掛けた。ただ、広大な有明海の[[干拓]]によって農地を拡大できるという地の利を生かして江戸時代初期から盛んに干拓を行ったことで、1840年代には約67万石と、200年前の2倍近くにまで石高を伸ばすことに成功している。また、19世紀中ごろに入って[[鍋島直正]]は財政の建て直しに努め、役人の削減、[[伊万里焼]]や[[茶]]・[[石炭]]といった特産品の保護育成に努めた。また、地理的に長崎に近いことや長崎警備を担当していた関係などから海外の情報の入手が比較的容易であったため、[[反射炉]]や[[蒸気機関車]]模型といった先進的な科学技術の実験・研究も進んでいた。 一方の唐津藩は寺沢氏が[[島原の乱]]の影響を受けて改易され、その後も領主が[[大久保氏]]、[[大給松平氏]]、[[土井氏]]、[[水野氏]]、[[小笠原氏]]と目まぐるしく変わり、政治はあまり安定していなかった。[[寺沢広高]]は[[松浦川]]の改修を行うなどしたが、その後[[水野忠任]]の代の[[1771年]](明和8年)には[[虹の松原一揆]]が起こるなどした。 佐賀藩は[[戊辰戦争]]以降、[[明治維新]]に尽力する人物を多く輩出した。明治維新期に活躍した[[大隈重信]]・[[副島種臣]]・[[大木喬任]]・[[江藤新平]]・[[佐野常民]]・[[島義勇]]の6人に、彼らを育てつつ幕末期に活躍した[[鍋島直正]]を加えて『[[佐賀の七賢人]]』と称することがある。幕末時に[[薩長土]]の[[志士]]たちが中心であった明治新政府は、戊辰戦争半ばから肥前有志を仲間入りさせ「'''[[薩長土肥]]'''」体制としたため肥前出身者も明治政府の主要官職を占め続けていたが、藩閥打倒を叫ぶ民権派の影響などもあり大正以降は[[薩長土]]同様に藩閥的な勢力ではなくなった。 [[1871年]]の大規模府県統合時、旧肥前国の範囲は伊万里県(のちの佐賀県)と長崎県に二分された。このような処分は全国でも2例だけで、他は旧[[武蔵国]]([[埼玉県]]・[[東京都]]・[[神奈川県]]北東部)や旧[[摂津国]]([[大阪府]]北西部・[[兵庫県]]南東部)である。これには、[[日米修好通商条約]]で開港の対象となった5港を管轄する県の領域をできるだけ狭く収める目的があったとされている。現在の佐賀県が成立するまで、明治初期には統廃合が繰り返され、[[1876年]](明治9年)には全県が他県に併合される事態も起きた。全県併合の背景には、1874年の[[佐賀の乱]]への処分の意味があったと言われている。併合後の根強い復県運動によって、7年後の[[1883年]](明治16年)に佐賀県が復活する<ref>[http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/huken/k-kyusyu.htm 府県の変遷(九州地方)]</ref>。 ;佐賀県成立までの沿革 * [[1871年]]([[明治]]4年) **[[7月14日 (旧暦)|旧7月14日]] - [[廃藩置県]]により当時の藩がそのまま県となり、[[佐賀藩|佐賀県]](第1次)・[[蓮池県]]・[[小城県]]・[[鹿島県]]・[[唐津県]]・[[厳原県]]となる **[[9月4日 (旧暦)|旧9月4日]] - 厳原県が佐賀県(第1次)と合併し、'''伊万里県'''成立(県庁は[[松浦郡]][[伊万里町]]) **[[11月14日 (旧暦)|旧11月14日]] - 蓮池県・小城県・鹿島県・唐津県が伊万里県に合併する * [[1872年]](明治5年) **1月 - 伊万里県のうち、旧佐賀藩の諫早・神代・伊古・西郷・深堀の各地方が[[長崎県]]に編入 **[[5月29日 (旧暦)|旧5月29日]] - 伊万里県が'''佐賀県'''(第2次)に改称(県庁が[[佐賀郡]]佐賀に移転) **[[8月19日 (旧暦)|旧8月19日]] - 伊万里県のうち[[対馬]](旧厳原県)が長崎県に編入 * [[1876年]](明治9年) **[[4月18日]] - '''[[三潴県]]'''に合併 **[[5月24日]] - 三潴県の[[杵島郡]]・[[松浦郡]]の区域が長崎県に編入 **[[6月21日]] - 三潴県の[[藤津郡]]の区域が長崎県に編入 **[[8月21日]] - 三潴県が廃止され、佐賀郡・[[小城郡]]・[[神埼郡]]・[[基肄郡]]・[[養父郡 (佐賀県)|養父郡]]・[[三根郡]]が'''長崎県'''に合併 * [[1883年]](明治16年) [[5月9日]] - 長崎県の10郡(佐賀郡・[[小城郡]]・[[神埼郡]]・[[基肄郡]]・[[養父郡 (佐賀県)|養父郡]]・[[三根郡]]・杵島郡・藤津郡・[[東松浦郡]]・[[西松浦郡]])が分離独立し、現在の'''佐賀県'''(第3次)が成立([[s:富山佐賀宮崎三縣設置|明治16年太政官布告第15号]]により、[[富山県]]および[[宮崎県]]と同日に分県が成立した) [[明治|明治時代]]には[[殖産興業]]の一環として杵島や唐津一帯の炭鉱では機械の導入による増産が進められ、鉄道の建設がそれを後押しした。[[1889年]](明治22年)[[12月11日]]に現在の[[鹿児島本線]]にあたり県内区間を含む[[博多駅|博多]] - 千歳川(現在は廃止)間が開業。[[1891年]](明治24年)[[8月20日]]には[[鳥栖駅|鳥栖]] - [[佐賀駅|佐賀]]間、[[1895年]](明治28年)[[5月5日]]には[[武雄温泉駅|武雄]]まで、[[1897年]](明治30年)7月10日に長崎県佐世保市[[早岐駅|早岐]]までそれぞれ延伸して現在の[[長崎本線]]・[[佐世保線]]に当たるルートができた。また[[1898年]](明治31年)[[8月7日]]に[[九州鉄道西九州線]][[有田駅|有田]] - [[伊万里駅|伊万里]]間に当たるルートが開業、1898年[[12月1日]]から[[1903年]](明治36年)[[12月14日]]にかけて順次現在の[[唐津線]]に当たるルートが開業した。[[1916年]](大正15年)には佐賀市に佐賀紡績(後の[[ダイワボウホールディングス|大和紡績]]佐賀工場)が設立、1920年には従業員1,500の工場へと拡大するなど、近代化により製造業が発展した。一方では、各地で労働環境の問題なども生じるようになった。 農村では近代化は顕著ではなかったが、[[1922年]]の電気灌漑導入をきっかけとして[[品種改良]]や[[肥料]]導入が急速に普及したことで[[米]]は大幅な増産となり、[[1933年]](昭和8年) - [[1935年]](昭和10年)には1反(10[[アール (単位)|a]])当たり収量日本一を記録、「佐賀段階」と呼ばれ、主産業であった農業の発展とともに人口も増加した。 === 現代 === 県内の都市は工業集積が進んでおらず、[[アメリカ軍]]の攻撃の優先順位が低かった上に[[太平洋戦争]]末期の空襲の被害は、県内最大の攻撃目標である県都佐賀市への誤爆も重なり近県に比べて少なかったが、戦災を免れた故に都市基盤が旧態依然で戦後の発展も著しいものではなかった。商業の発展があったものの、従事者や生産額ともに依然として[[第一次産業]]の比率が比較的高い農業県であった。このころ災害復旧費などの財政支出増加から県財政が悪化し1956年度から[[財政再建団体]]に転落、財政再建策としての大規模な教職員削減を背景に[[佐教組事件]]が発生するなどしている。[[1960年代]]には、治水・灌漑の進展と集落協働による農法改善を原動力とした「新佐賀段階」が起こり、1967年に10a当り収量542kg(全国平均403kg)を記録するなど農業は発展を見たのである<ref>[http://suido-ishizue.jp/nihon/10/06.html 佐賀段階と新佐賀段階] 農業農村整備情報総合センター</ref>。 だが、1960年代後半より[[減反]]が進んだことで米中心の農業は打撃を受け、加えて炭鉱の閉鎖が加速し多久・杵島・東松浦などの旧炭鉱地域を中心として、[[高度経済成長]]期に急速な過疎化が進んだ。これに対して1970年代以降、農業は米だけではない野菜や果実などへの多品目化に移行し、また佐賀平野では二毛作による麦の生産が浸透して農業の維持を図った。工業では高速道路の整備以降は高速周辺での工場誘致が各地で起こった。これによって、鳥栖市を中心とした県北東部では集積した製造業が基幹産業へと成長した。1990年代からは[[半導体]]や[[自動車]]部品産業が割合を高めている。 === 沿革 === [[ファイル:Sagajyou shachinomon.jpg|thumb|right|200px|[[佐賀城]](鯱の門)。1602年築城、1874年[[佐賀の乱]]の際に戦闘が行われ建物の大半が失われた。]] [[ファイル:JNR Saga Line Chikugogawa Bridge.jpg|thumb|right|150px|[[佐賀線]]のディーゼルカーと筑後川橋梁([[筑後川昇開橋]])]] *紀元前3万3,000年ごろ([[更新世]]) [[犬塚山遺跡]]成立 * [[紀元前6世紀]]ごろ([[縄文時代]]晩期) [[菜畑遺跡]]成立 * [[紀元前1世紀]]ごろ([[弥生時代]]中期) 現在の[[吉野ヶ里遺跡]]にむらが栄える * [[665年]] - [[白村江の戦い]]の敗戦により[[大宰府]]防衛のため[[基肄城]]が築かれる * [[733年]](天平5年) - [[肥前国風土記]]が成立 * [[836年]](承和3年) - [[神埼荘]]が[[初期荘園]]として開墾、以後拡大し[[日宋貿易]]の拠点にもなったと見られている * [[1274年]](文永11年) - [[文永の役]] * [[1281年]](弘安4年) - [[弘安の役]] * [[1530年]](享禄3年)- [[田手畷の戦い]]…[[少弐氏]]が[[大内氏]]と戦う。少弐氏家臣の[[龍造寺家兼]]、[[鍋島清久]]らが活躍した。 * [[1570年]](元亀元年)- [[今山の戦い]]…[[龍造寺隆信]]が[[大友義鎮|大友宗麟]]と戦う。 * [[1584年]](天正12年)- [[沖田畷の戦い]]…、龍造寺隆信が、有馬氏・島津氏の連合軍に敗れて、隆信は討死した。 * [[1591年]](天正19年) - [[名護屋城]]普請、以降[[文禄・慶長の役]]を経て[[1598年]](慶長3年)に廃城。 * [[1602年]](慶長7年) - [[唐津城]]、[[佐賀城]]築城 * [[1607年]](慶長12年) - [[佐賀藩]]の実権が[[龍造寺氏]]から[[鍋島氏]]に移る * [[1732年]](享保17年) - [[享保の大飢饉]]。[[冷害]]とそれに伴う[[蝗害]]により穀物に大被害。餓死者は8万人で、当時の藩人口の2割に及んだと伝えられる<ref>[http://www.tokuzenin.net/rekishi.html 享保の飢饉] 寶樹山德善院</ref>。 * [[1771年]](明和8年) - [[虹の松原一揆]] * [[1781年]](天明元年) - 佐賀藩校[[弘道館 (佐賀藩)|弘道館]]成立 * [[1828年]](文政11年) - [[シーボルト台風]]により甚大な被害、[[有明海]]で[[高潮]]が発生するなど佐賀藩だけで死者1万人以上と推定 * [[1871年]]([[明治]]4年) ** [[7月14日 (旧暦)|旧7月14日]] - [[廃藩置県]]。現在の県域には6県が成立し、以後統廃合を繰り返す。 * [[1874年]](明治7年) - [[佐賀の乱]] * [[1876年]](明治9年)4月18日 - 佐賀の乱への懲罰として、佐賀県を[[三潴県]]へ編入(8月21日に[[長崎県]]へ編入) * [[1883年]](明治16年) ** [[5月9日]] - 現在の県域と一致する、最終的な佐賀県が成立(佐賀県復県) * [[1889年]](明治22年) ** [[4月1日]] - 佐賀市に市制施行 * [[1891年]](明治24年) - [[九州鉄道]][[長崎本線|長崎線]]、鳥栖-佐賀間開通。[[1895年]](明治28年)佐賀 - 武雄間、[[1897年]](明治30年)武雄 - 早岐間、[[1903年]](明治36年)佐賀 - 西唐津間開通。 * [[1932年]]([[昭和]]7年) ** [[1月1日]] - 唐津市に市制施行 * [[1933年]](昭和8年)・[[1934年]](昭和9年)・[[1935年]](昭和10年) - 10aあたりの[[米]]収穫高が日本一になる(佐賀段階) * [[1935年]](昭和10年) - [[日本国有鉄道|国鉄]][[佐賀線]]開通。 * [[1945年]](昭和20年) ** 3月25日 - 玄海町外津浦に[[震洋|第118震洋特別攻撃隊]]が編成。県内唯一の特攻基地。 ** 8月5日 - [[佐賀空襲]]。死者61名。 ** 8月11日 - [[鳥栖空襲]]。死者110名。 * [[1948年]](昭和23年)[[9月10日]] - 県内に集中豪雨。同じく豪雨に襲われた長崎県と合わせて死者166人、行方不明者67人。数日後には[[アイオン台風]]が県内を襲い、さらに死者数が増加した<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=70 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1949年]](昭和24年) - [[ジュディス台風]]通過により、期間降水量が493.9mmに達する。嘉瀬川や祇園川などが氾濫し死者89人、行方不明者6人 * [[1953年]](昭和28年) - [[昭和28年西日本水害]]発生。筑後川や嘉瀬川などが氾濫し、県内のみで死者59人。8万棟近くが浸水した。 * [[1954年]](昭和29年) - [[昭和の大合併]]により、鳥栖市、伊万里市、武雄市、鹿島市、多久市の5市が誕生(7市8郡18町35村) * [[1965年]](昭和40年)・[[1967年]](昭和42年) - 10aあたりの米収穫高が再び日本一になる(新佐賀段階) * [[1969年]](昭和44年) - 佐賀市で[[佐賀大博覧会]]開催 * [[1972年]](昭和47年) - [[西杵炭鉱]]の閉山により県内の炭鉱すべてが閉山 * [[1975年]](昭和50年) - [[玄海原子力発電所]]の営業運転開始 * [[1976年]](昭和51年) - [[第31回国民体育大会]](若楠国体)開催 * [[1980年]](昭和55年) ** 国営有明干拓事業完工により有明海沿岸の干拓が収束 ** 初の熱気球大会開催(後の[[佐賀インターナショナルバルーンフェスタ]]) * [[1987年]](昭和62年) - 国鉄佐賀線が廃止 * [[1989年]]([[平成]]元年) ** [[吉野ヶ里遺跡]]が日本最大の[[環濠集落]]であることが明らかになる ** 第34回スナイプ級ヨット世界選手権開催 ** 第9回[[熱気球世界選手権]]開催。アジア初開催 * [[1990年]](平成2年) - [[長崎自動車道]]の県内区間が全通 * [[1994年]](平成6年) ** [[静岡県]][[浜松市]]から[[ジャパンフットボールリーグ]]所属チーム[[PJMフューチャーズ]](翌年より[[鳥栖フューチャーズ]]に改称)が移転 ** [[第76回全国高等学校野球選手権大会]]で、[[佐賀県立佐賀商業高等学校]]が優勝 * [[1996年]](平成8年) ** JR鳥栖駅操車場跡地に[[鳥栖スタジアム]]が完成 ** 有田町・西有田町(両町とも現有田町)で[[世界・焱の博覧会]]開催 * [[1997年]](平成9年) ** 鳥栖フューチャーズが解散。実質的な後継チームとして[[サガン鳥栖]]発足 ** 第13回熱気球世界選手権開催 * [[1998年]](平成10年) - [[川副町]]に[[佐賀空港]]開港 * [[2001年]](平成13年) - [[国営吉野ヶ里歴史公園]]開園 * [[2004年]](平成16年) - 佐賀県立佐賀城本丸歴史館完成 * [[2005年]](平成17年) - [[平成の大合併|合併]]により1市1町が誕生。[[3月20日]]に[[福岡県西方沖地震]]が発生し、みやき町で県内観測史上最も強い震度6弱を観測。 * [[2006年]](平成18年) - 合併により2市1町が誕生 * [[2007年]](平成19年) ** 全国高校総体([[平成19年度全国高等学校総合体育大会|2007青春・佐賀総体]])開催 ** [[第89回全国高等学校野球選手権大会]]で、[[佐賀県立佐賀北高等学校]]が優勝 * [[2009年]](平成21年) ** 玄海原子力発電所で国内初の[[プルサーマル]]運転を開始 ** レーザーラジアルヨット世界選手権開催 * [[2011年]](平成23年) ** [[九州新幹線]]([[九州新幹線|鹿児島ルート]])県内区間が開通・全線全通 ** サガン鳥栖が[[2011年のJリーグ ディビジョン2|J2リーグ]]を2位で終了し、翌年のJ1初昇格を決める。 * [[2013年]](平成25年) - [[九州国際重粒子線がん治療センター]]開設 * [[2014年]](平成26年) - レーザー4.7級ヨットユース世界選手権2014開催 * [[2015年]](平成27年) - 420クラスヨット世界選手権2015開催 * [[2018年]](平成30年) - [[肥前さが幕末維新博覧会]]開催 * [[2019年]](令和元年) ** [[全国高等学校総合文化祭]] (2019さが総文)開催 ** [[令和元年8月の前線に伴う大雨]] == 人口 == 佐賀県の人口は2023年1月現在、約79万9千人で全都道府県中42位であり、[[九州|九州・沖縄地方]]では最も人口が少ない。県人口は戦前の60万人台から第一次[[ベビーブーム]]を経て[[1954年]]([[昭和]]29年)ごろに977,000人とピークを迎えたが、高度経済成長の進展とともに急速に減少して[[1973年]](昭和48年)には82万2,000人と底を打った。その後は緩やかに増加して80万人台の半ばを推移し、1990年代後半以降は減少し続けている<ref>[http://www.pref.saga.lg.jp/web/var/rev0/0007/9435/16zdo1.xls 平成16年人口動態統計-佐賀県- 第1表 人口動態総覧 年次推移] 佐賀県、2008年3月18日。excelファイル</ref>。人口減少と[[少子高齢化]]が進行しているものの、[[合計特殊出生率]]は1.61(2020年)、年少人口(0 - 14歳)比率は13.45%(2020年)といずれも全国平均と比較してかなり高い。これに伴って、今後もその進行速度は非大都市圏の県としては比較的緩やかと予想される。 人口が多いのは[[佐賀市]](約23万人)、[[唐津市]](約13万人)、[[鳥栖市]](約7万人)などであるが、中小規模の都市が多く点在し経済的・人口的に求心力の強い都市が無いという特徴がある。県面積の3分の1を占める南東部の佐賀平野に県人口の半数である40万人が暮らし、[[玄界灘]]沿岸や杵島丘陵の盆地にも人口集積がある。平地に偏っていることを除けば人口分布に大きな偏りはなく、2005年の国勢調査によれば総人口に占めるDID([[人口集中地区]])人口の比率が28.4%と[[島根県]]に次いで47都道府県中2番目に低く、人口が[[都市的地域|都市]]に偏らず比較的分散していることが読み取れる。 [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Saga prefecture, Japan.svg|thumb|300px|佐賀県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#66FF00|5.0 - 7.49 %}} {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=41000|name=佐賀県|image=Demography41000.svg}} === 総人口の推移 === {{佐賀県/人口の推移}} == 政治 == === 県政 === {{Main|佐賀県知事一覧|佐賀県庁|佐賀県議会}} ==== 県知事 ==== '''[[山口祥義]]'''(やまぐち よしのり) :[[2015年]](平成27年)[[1月14日]]<ref>{{Cite news |url=http://www.saga-s.co.jp/senkyo/governor/30301/144749 |title==知事選= 山口氏、14日公務スタート |newspaper=佐賀新聞 |publisher=佐賀新聞LIVE |date=2015-01-13 |accessdate=2015-01-13 }}</ref> - (1期目、第58代) ::前任の古川康が衆議院議員に転じ辞職したことに伴う2015年[[1月11日]]の選挙で初当選。13日までは副知事が職務代理。 ==== 県政の課題・主な政策 ==== * [[城原川ダム]]建設問題 - 建設賛成派と反対派の対立が続き、[[1979年]](昭和54年)の計画策定から30年以上経過した現在まで着工に至っていない。 * [[諫早湾干拓事業]]の漁業影響を巡る問題 - 干拓事業に伴う「潮受け堤防」閉め切りが有明海産の魚介類や養殖ノリの不漁の原因であるとして漁業者らが堤防開門を求める訴訟を起こし、佐賀地裁(2008年)・福岡高裁(2010年)で開門を命じる判決、[[菅直人|菅]]総理(当時)による国としての上告断念(2010年12月)により、2013年12月までに「5年間の開門」を行うこととなっている<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2011unity/saga/20110315/20110315_0001.shtml 統一地方選2011 佐賀県 【県政の課題】<1>有明海再生 開門へ丁寧な議論を] 西日本新聞、2011年3月15日。</ref>。しかし、干拓地の営農者や干拓地周辺住民による開門差し止め訴訟(2011年4月-)が提起されて対立構図が広がりつつあるほか、ほぼ同じ内容の別訴訟では長崎地裁(2011年6月)で開門を認めない判決が出るなど、混迷を極めている<ref>[http://www.pref.saga.lg.jp/web/kurashi/_1262/_33058/kan-ariake/isahayawan-kamontyousa/kaimontyousa-keii.html 中・長期開門調査を巡る経緯] 佐賀県、2012年6月1日。</ref>。 * [[佐賀空港]]問題 - [[1998年]]の開港以来続く赤字は累計30億円(2011年時点)に達しており、経営改善への取り組みが課題となっている<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2011unity/saga/20110320/20110320_0001.shtml 統一地方選2011 佐賀県 【県政の課題】<6>佐賀空港 地域浮揚の方策必要] 西日本新聞、2011年3月20日。</ref>。 * [[九州新幹線 (西九州ルート)]]問題 - 九州新幹線西九州ルートの[[武雄温泉駅|武雄温泉]] - [[諫早駅|諫早]]間の建設をめぐり、JRより経営分離される並行在来線と指定された[[長崎本線]]沿線の[[鹿島市]]・[[江北町]]が反対していたため、着工できない状態が続いていた。[[2007年]](平成19年)12月に並行在来線は経営分離をしないといういわゆる「三者合意」により2市町の反対の意思をいわば「無視」する形で着工が決まった。2008年4月着工、2018年に区間完成予定。『県民だより』の建設推進ありきの広報活動に対する批判も起きた。また、県も建設に疑問を持つ県民が多いことを認めており、今後理解を求める活動を行う、としている。2012年には諫早 - 長崎間の着工認可が下り、残る[[新鳥栖駅|新鳥栖]] - 武雄温泉間は[[狭軌]]とし[[フリーゲージトレイン]]を用いることとされているが、車両開発の難航、[[標準軌]](フル規格)への格上げの可能性などが課題となっている。 *ネットモニタリング - 2006年11月の報道により、危機管理・広報課が「佐賀」や「古川康」などのワードを含む書き込みについてチェックを行い、内容によってお礼や説明などの対応をとっていることが明らかになった。一部からは「ネット監視」との批判もあった<ref>http://www.saga-chiji.jp/kaiken/06-11-1/shitsumon14.html</ref>。 * [[玄海原子力発電所]]プルサーマル問題 - [[九州電力]]による導入発表後反対運動が展開されたが、地元と県の了解により[[2009年]](平成21年)[[12月]]から3号機で日本初の[[プルサーマル]]営業運転を開始した。が、依然として安全性などへの不安を理由とした反発の声が上がっている。 *玄海原子力発電所再稼働問題 - [[2011年]](平成23年)[[福島第一原子力発電所事故]]に伴う安全性不安により、定期検査後3月 - 4月に営業運転再開する予定だった2号機・3号機の運転が中止された<ref>[http://www.kyuden.co.jp/press_110324-1.html 玄海原子力発電所2、3号機の定期検査の状況について] 九州電力、2011年3月24日。</ref>。再開に際しての地元同意を形成する段階で[[九州電力やらせメール事件]]が発生し、関与が取り沙汰されている古川知事の責任問題も浮上したことから、議論が停滞している。 * [[九州国際重粒子線がん治療センター|サガハイマット]] - 国内4か所目の[[重粒子線がん治療]]施設として建設。1割弱が県、残りは民間という出資形態は国内初であり、利用の推移や資金運用が注目されている<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2011unity/saga/20110316/20110316_0001.shtml 統一地方選2011 佐賀県 【県政の課題】<2>がん治療施設 地域浮揚戦略も鍵に] 西日本新聞、2011年3月16日。</ref>。 === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#佐賀県|佐賀県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]は[[第47回衆議院議員総選挙]]から1つ減らされ県全体で2に減らされた。[[参議院]]では、全県で1区を構成する。 *衆議院 ** [[佐賀県第1区]]:[[原口一博]]([[立憲民主党 (日本 2020)|立憲]]) ** [[佐賀県第2区]]:[[大串博志]](立憲) **比例代表:[[今村雅弘]]([[自由民主党 (日本)|自民]])<ref>選挙区見直しに伴う候補者調整で比例九州ブロック単独候補に回り、自民党の末席(8人目)で当選した。</ref> **比例代表:[[岩田和親]](自民) **比例代表:[[古川康]](自民) *参議院 ** [[佐賀県選挙区]]:[[福岡資麿]](自民、[[2016年]](平成28年)改選)、[[山下雄平]](自民、[[2019年]](平成31年)改選) == 経済・産業 == {{bar box |title=産業別就業者数 2010年<ref name="佐賀県のすがた2012 土地、気象、工業、商業">「{{PDFLink|[http://www.pref.saga.lg.jp/web/var/rev0/0099/8299/2012323153549.pdf 佐賀県のすがた2012 土地、気象、工業、商業]}}」佐賀県、2012年5月16日、2013年1月13日閲覧</ref> |width=400px |titlebar=#ccc |float=right |barwidth=200px |bars= {{bar percent|[[第一次産業]]|green|9.3|37,838(9.3%)}} {{bar percent|[[第二次産業]]|blue|23.5|96,188(23.5%)}} {{bar percent|[[第三次産業]]|red|64.2|262,820(64.2%)}} {{bar percent|分類不能|gray|3.0|12,431(3.0%)}} }} {{bar box |title=産業別就業者数の比較<ref name="佐賀県のすがた2012 土地、気象、工業、商業">「{{PDFLink|[http://www.pref.saga.lg.jp/web/var/rev0/0099/8299/2012323153549.pdf 佐賀県のすがた2012 土地、気象、工業、商業]}}」佐賀県、2012年5月16日、2013年1月13日閲覧</ref><ref>「[https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?tclass=000001027635&cycle=0&layout=datalist 昭和30年国勢調査 産業(大分類),従業上の地位および男女別15才以上就業者数-全国・都道府県・6大都市]」e-Stat、2013年1月13日閲覧</ref><ref>「{{PDFLink|[https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo10/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2010/12/15/1299347_3.pdf]}}」経済産業省、2013年1月13日閲覧</ref><ref>「[http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5240.html 産業別就業者数の推移]」 社会実情データ図録、2013年1月13日閲覧</ref> |titlebar=#ccc |float=right |barwidth=200px |bars= {{bar percent 2|[[第一次産業]]|佐賀県|green|50.0|日本全体|#66ff66|41.1}} {{bar percent 2|[[第二次産業]]|佐賀県|blue|17.9|日本全体|#6666ff|23.4|1955年}} {{bar percent 2|[[第三次産業]]|佐賀県|red|32.1|日本全体|#ff6666|35.5}} {{bar percent 2|第一次産業|佐賀県|green|9.3|日本全体|#66ff66|4.0}} {{bar percent 2|第二次産業|佐賀県|blue|23.5|日本全体|#6666ff|24.8|2010年}} {{bar percent 2|第三次産業|佐賀県|red|64.2|日本全体|#ff6666|70.2}} }} [[ファイル:Fishing village Kariya Genkai Saga Japan up20060427.jpg|thumb|right|250px|玄界灘沿岸の漁村]] [[ファイル:Ariake sea nori poles.jpg|thumb|right|250px|太良町沿岸の[[海苔]]養殖網の支柱群]] [[ファイル:Shiroishi town Ariake kantaku.jpg|thumb|right|250px|干拓地では農業が盛んである。白石町にて、{{国土航空写真}}]] {{bar box |title=都道府県別国内シェアの高い農産物 2010年<ref>「{{PDFLink|[http://www.pref.saga.lg.jp/web/var/rev0/0099/8302/2012323153524.pdf 佐賀県のすがた2012 農業]}}」佐賀県、2012年5月16日、2013年1月13日閲覧</ref> |titlebar=#ccc |float=right |barwidth=100px |bars= {{bar percent|二条大麦|#ff9966|25.6|25.6%(2位)}} {{bar percent|大豆|#ffff66|8.1|8.1%(2位)}} {{bar percent|タマネギ|#66ccff|13.8|13.8%(2位)}} {{bar percent|レンコン|#cc99cc|6.7|6.7%(3位)}} {{bar percent|アスパラガス|#99cc66|10.4|10.4%(3位)}} }} 2007年度(平成19年度)の県内総生産は、3兆115億円である<ref>[https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/kenmin/h19/main.html 平成19年度県民経済計算] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20101220043131/http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/kenmin/h19/main.html |date=2010年12月20日 }}</ref>。47都道府県では第43位であり、世界で85位前後の「国」に相当する経済規模を有している<ref>[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2010/02/weodata/index.aspx World Economic Outlook Database]</ref>。 産業別就業者数では、他の都道府県に比べて第一次産業の割合が多いことから佐賀県は農業県と言われることも多い。 === 第一次産業 === [[佐賀平野]]を中心に[[穀類]]を中心とした[[農業]]が、[[入り江]]の多い[[玄界灘]]に面する北西部では[[果物|果樹農業]]や[[畜産]]、[[沿岸漁業]]が盛んである。[[有明海]]に面した県南地域では[[海苔]]の養殖が盛んである。 ==== 農業 ==== 佐賀県は、県の面積に対する耕地の割合(耕地率)が24%、後述する二毛作の影響で耕地面積に対する作付面積の割合(耕地利用率)が133%([[1986年]](昭和61年)から20年以上連続で全国1位){{要出典|date=2018年8月}}と、ともに日本全国の中でも高く、農業が盛んな県である。 主要農産物の[[米]]は古くより、特に力が入れられている。1930年代には、[[耕地整理]]と電気による機械[[灌漑]]の導入によって1反当たりの収量(反収)が日本一となり{{要出典|date=2018年8月}}、その原動力となった効率的な農業手法の改良は「'''佐賀段階'''」と呼ばれた。[[昭和28年西日本水害|1953年(昭和28年)の大水害]]などを受けて治水と平行して利水が展開されたことで1950年代に大規模灌漑施設が整備され、さらに佐賀平野で古くから根付いていた集落共同を生かして農法の改良や統一を行ったことで、1960年代にも反収日本一となった。1970年代ごろまで米が県の農業生産額の半分以上を占めていたが、[[減反]]の流れなどから米を取り巻く環境は一変した。県などによる大規模な耕地整理により効率化が図られたものの、[[転作]]と多品目化が進み、2000年代には25%程度に減少した{{要出典|date=2018年8月}}。一方で、野菜・果実・畜産物の占める割合は約6割に上昇した。また、米の生産額の割合は減っているが、依然佐賀県の耕地の4分の3は[[水田]]であり、米作りは盛んである。品種別では[[ヒノヒカリ]]、[[コシヒカリ]]、[[夢しずく]]などが多い。近年は高温登熟障害による減収が頻発しているため、高温に強い「[[さがびより]]」の生産が拡大されている。また、[[ヒヨクモチ]]を中心とした[[もち米]]の生産は非常に多く、生産量では全国1位([[2002年]](平成14年))となっている{{要出典|date=2018年8月}}。 [[佐賀平野]]は、米だけではなく[[ダイズ|大豆]]や[[オオムギ|大麦]]など農産品に占める[[穀物|穀類]]の比率が高い穀倉地帯である{{要出典|date=2018年8月}}。佐賀平野では、夏の表作として稲を栽培する一方、温暖なため冬でも早い生育が見込め、冬の適度な乾燥があることから、冬の裏作として[[コムギ|小麦]]や大麦を栽培する[[二毛作]]を行っている。[[ビール]]や[[焼酎]]の原料などになる[[二条大麦]]の年間収穫量は34,000トン([[2006年]](平成18年))で全国最多{{要出典|date=2018年8月}}。 近郊や西日本を中心とした大都市向けの[[野菜]]類の生産も多い。野菜では、[[タマネギ]]、[[レンコン]]、[[アスパラガス]]の生産が多い。[[塩害]]に強いため[[干拓地]]で多く栽培されるたまねぎの年間収穫量は162,400トン([[2006年]](平成18年))で全国2位{{要出典|date=2018年8月}}。[[脊振山地]]([[筑紫山地]])では、標高が高いため降水量が多く冷涼な気候を生かして小規模ながら[[高原野菜]]の栽培も行われている。 果実では[[イチゴ]](主要品種は、[[さがほのか]]、[[とよのか]]など)、[[ミカン]]、[[ナシ]]などの生産が多い。ミカンの収穫量は年々減少傾向にあるが、温室栽培で出荷期間が長い[[ウンシュウミカン|ハウスみかん]]の年間収穫量は多い。 畜産では、九州の他県と同じように、[[ニワトリ|鶏]]、[[ウシ|肉牛]]、[[ブタ|豚]]の飼育頭数は多い。肉牛に関しては、[[伊万里市]]を中心に生産される『[[佐賀牛]]』(「伊万里牛」)ブランドが近年広くPRされている。 [[嬉野市]]など県内各地で[[茶]]の生産も多い。[[嬉野茶]]ブランドで販売されている。 国内の農産物消費の頭打ちなどを考慮し、米や果実、牛肉などを「佐賀ブランド」で輸出する試みも行われている。 ==== 漁業 ==== 北西部の[[玄界灘]]([[日本海]])と南部の[[有明海]]とで、特徴が大きく異なる。 有明海では[[海苔]]の生産が特に多く、貝類の漁獲量も多い。板のりの生産も多く、特に贈答品として特化しており最高級品を『佐賀海苔 有明海一番』として販売している。ガザミという有明海でよく獲れるカニのうち太良町近海で獲れるものは『竹崎カニ』と呼ばれている。また、筑後川の下流域では初夏に[[エツ]]漁が行われ、本県南東部は福岡県[[筑後地方]]と並ぶ産地として知られる。 近年有明海は多くの海産物で収獲量変動が激しくなっており、就業者の減少も加わり、水産業の衰退が深刻化している。また1990年代以降、海苔の不作や魚介類の不漁が増加しており、[[諫早湾干拓]]事業の影響が指摘されていることから漁業者が反対運動を起こしている。 玄界灘では、[[アジ]]、[[サバ]]などの魚類や[[イカ]]、[[タコ]]、[[エビ]]などの漁獲量が多く、以上でこの海域の漁獲量の9割以上を占めている{{要出典|date=2018年8月}}。[[呼子漁港]]、[[仮屋漁港]]、[[唐津港]]などで水揚げ量が多い{{要出典|date=2018年8月}}。 === 第二次産業 === ==== 鉱業 ==== 県内では明治時代から本格的な[[石炭]]の採掘が始まった。[[杵島炭鉱]]や[[古賀山炭鉱]]、[[唐津炭田]]の諸炭鉱など、炭鉱は県中部や北西部に集中しており、最盛期には賑わいを見せた。しかし[[1950年代]]以降、埋蔵量・採掘量の減少やエネルギー政策の転換により規模は縮小し、1970年代までにすべての炭鉱は閉山した。 有田町の泉山では[[磁器]]の原料として、[[李参平]]が発見した陶石の採掘が行われていた。だが、明治中期から使用が始まった天草産の陶石に押され需要が低迷したため[[1992年]](平成4年)で採掘は終了し、現在は一部で在庫が使用されているのみになっている。 ==== 製造業 ==== 佐賀県では日本全体の傾向と同様に[[重化学工業]]の比率も高いが、特に食品の出荷額が多い{{要出典|date=2018年8月}}。また、[[窯業]]の出荷額が占める割合が大きい(下の項目参照)。 地域的には九州の交通の要衝である[[鳥栖市]]や、県庁所在地の[[佐賀市]]周辺で工業が盛ん。鳥栖市・基山町などには、特に多くの企業の工場が進出している。[[伊万里湾]]では、[[造船]]・[[半導体]]を軸として水産加工・食品・木材などの工場が並ぶ臨海工業地域が形成されている。 自動車部品、[[機械]]、半導体部品などの製造は比較的盛んであり、[[シリコンウェハー]]については大規模工場が立地する関係で年間生産額が全国最多の1,320億円([[2010年]](平成22年))となっている{{要出典|date=2018年8月}}。 雇用創出や税収増加、人口流出の抑制を狙って1980年代ごろから工場[[団地]]への工場誘致が盛んになった。現在も市町村や県が中心となって工場誘致を行っている。 ==== 窯業 ==== [[ファイル:Nabeshimayaki Okawachiyama Imari-shi Saga-ken PB110085.jpg|thumb|伊万里市大川内山、鍋島焼の窯元の風景。]] [[有田町]]など県西部では[[陶磁器]]関係の産業が特に盛んで、[[有田焼]]([[伊万里焼]])、[[唐津焼]]などのブランドも多い。有田では17世紀に[[朝鮮]]から渡来した陶工の[[李参平]]が泉山で良質な陶石を発見したことで有田焼(近世には伊万里焼と呼ばれた)を創始し、古くは輸出もされたブランド品が生産され、近年は日用品も含めて様々なジャンルの陶磁器が生産されている。有田町は陶磁器の生産量で県の6割を占め、年間出荷額でも200億円-300億円を数える。このほか伊万里市などでも盛んである。 ==== その他 ==== 江戸時代に[[長崎街道]](別名シュガーロード)を伝って砂糖が豊富に流通したため製菓業が盛ん。[[小城市]]の羊羹、[[佐賀市]]の丸ぼうろ、唐津市の[[松露饅頭]]など、各地に伝統的な菓子が残っているほか、[[江崎グリコ]]の創業者の[[江崎利一]]、[[森永製菓]]の創業者の[[森永太一郎]]も共に佐賀県出身であるなど人材も輩出している。 全国でも有数の米どころであることもあり[[清酒]]の醸造が盛んで、[[鎌倉時代]]には「肥前酒」として幕府に献上していた。製造、消費共に清酒より[[焼酎]]が多い傾向が強い九州においては異色となっている{{要出典|date=2018年8月}}。 === 第三次産業 === 佐賀県の商業は、人口規模や県民所得からして特に盛んという訳ではない。[[2000年代]]初頭から、郊外型の大規模[[ショッピングセンター]]の建設が相次ぐ一方で市街地の商店街の衰退が各地で進んでいる。他方では、交通の便がよく県内よりも大規模な[[福岡市]]の商業街へも客は流出しており、この傾向は現在も強い。 サービス業人口は多いが、他県と比べて大きな特徴は見られない。[[観光]]業については観光資源に乏しいとされることがあるが、その活用やPRがうまく進んでいないだけとも言われている{{要出典|date=2018年8月}}。[[2005年]](平成17年)からは知事が「[http://www.welcome-saga.jp/ ファミリーツーリズム]」という考え方を提唱し、親・子・孫の三世代旅行を誘致する施策を展開している。 福岡や長崎といった運輸・貿易の集中地帯の中継地としての役割もあり、[[鳥栖ジャンクション]]を中心として高速道路沿いや幹線道路沿いに運輸業や倉庫業の事業所が多い。 === 佐賀県内に本社を置く企業 === ==== 製造業 ==== {{Multicol}} * [[久光製薬]] * [[祐徳薬品工業]] * [[東亜工機]] * [[戸上電機製作所]] * [[サンポー食品]] * [[竹下製菓]] {{Multicol-break}} * [[村岡屋]] * [[森永デザート]] * [[ヤクルト食品工業]] * [[ヨコオ (佐賀県)|ヨコオ]] * [[理研農産化工]] * [[LIXIL|佐賀LIXIL製作所]] {{Multicol-break}} * [[パナソニック デバイス佐賀]] * [[トヨタ紡織九州]] * [[積水化学工業|九州積水工業]] * [[小糸製作所|小糸九州]] * [[深川製磁]] * [[香蘭社]] {{Multicol-end}} ==== 金融業 ==== * 銀行:[[佐賀銀行]]、[[佐賀共栄銀行]] * 信用金庫:[[佐賀信用金庫]]、[[唐津信用金庫]]、[[伊万里信用金庫]]、[[九州ひぜん信用金庫]] * 信用組合:[[佐賀東信用組合]]、[[佐賀西信用組合]]、[[佐賀県医師信用組合]] ==== 卸・小売業 ==== * [[ダイレックス (ディスカウントストア)|ダイレックス]] * [[スーパーモリナガ]] * [[佐賀玉屋]] * [[まいづる百貨店]] * [[ギャザー]] * [[鈴花]] ==== マスコミ ==== * [[佐賀新聞]] * [[サガテレビ]] * [[NBCラジオ佐賀]] * [[エフエム佐賀]] * [[佐賀デジタルネットワーク]] なお、サガテレビが県内唯一の地上波民間テレビ放送局であり、地域(特に県西部の伊万里市・武雄市・嬉野市など)によっては同局と[[NHK佐賀放送局|NHK]]([[NHK総合テレビジョン|総合]]・[[NHK教育テレビジョン|教育(Eテレ)]])だけしか受信できない。それゆえ、[[ケーブルテレビ]]を使う世帯が圧倒的に多い。 ==== その他 ==== * [[和多屋別荘]] === 県内に拠点事業所を置く企業 === * [[味の素]](佐賀市) * [[伊藤ハム]](基山町) * [[グリコマニュファクチャリングジャパン]](佐賀市) * [[大塚製薬]](吉野ヶ里町) * [[キユーピー]](鳥栖市) * [[コカ・コーラボトラーズジャパン]](鳥栖市・基山町) * [[王子マテリア]](佐賀市) * [[東洋製罐]](基山町) * [[大和製罐]](上峰町) * [[東洋新薬]](鳥栖市) * [[不二家]](吉野ヶ里町) * [[フランスベッド]](鳥栖市) * [[SUMCO]](伊万里市) * [[東和コーポレーション]](唐津市・上峰町) * [[ブリヂストン]](鳥栖市) * [[東洋水産|伊万里東洋]](伊万里市) * [[Amazon.co.jp|Amazon]]物流拠点(鳥栖市) * [[日本の生活協同組合一覧#主な組織|シーエックスカーゴ]]流通センター(鳥栖市) == 生活 == === 防衛・治安 === {{Multicol}} ; 自衛隊 * [[陸上自衛隊]][[西部方面隊]] ** [[目達原駐屯地]]([[吉野ヶ里町]]) ** [[鳥栖分屯地]]([[鳥栖市]]) * [[航空自衛隊]][[西部航空方面隊]] ** [[脊振山分屯基地]]([[神埼市]]) ; [[海上保安庁]] * [[第七管区海上保安本部]] ** 唐津海上保安部([[唐津市]]) ** 伊万里海上保安署([[伊万里市]]) ; [[消防]] * [[唐津市消防本部]] - 唐津市 * [[伊万里・有田消防本部]] - 伊万里市・有田町 * [[杵藤地区広域市町村圏組合#常備消防事務|杵藤地区広域市町村圏組合消防本部]] - 杵藤地区 * [[佐賀中部広域連合#常備消防事務|佐賀広域消防局]] - 佐賀・小城地区・神埼地区 * [[鳥栖・三養基地区消防事務組合|鳥栖・三養基地区消防事務組合消防本部]] - 鳥栖・三養基地区 {{Multicol-break}} ; [[警察]] * [[佐賀県警察]] ** 交通機動隊(佐賀市) ** 高速道路交通警察隊(佐賀市) ** 鉄道警察隊(佐賀市) ** 機動隊(佐賀市) ** 航空隊(佐賀市) ** 有明海機動警ら隊(白石町) ** 警察学校(佐賀市) ** 運転免許試験場(佐賀市) ** 運転免許センター(佐賀市) ** 警察署:[[佐賀北警察署|佐賀北]]、[[佐賀南警察署|佐賀南]]、[[神埼警察署|神埼]]、[[鳥栖警察署|鳥栖]]、[[小城警察署|小城]]、[[唐津警察署|唐津]]、[[伊万里警察署|伊万里]]、[[武雄警察署|武雄]]、[[白石警察署 (佐賀県)|白石]]、[[鹿島警察署|鹿島]] ; [[裁判所]] * [[佐賀地方裁判所]]・[[佐賀家庭裁判所]] ** 武雄支部 ** 唐津支部 ** [[簡易裁判所]] : [[佐賀簡易裁判所|佐賀]]・[[武雄簡易裁判所|武雄]]・[[唐津簡易裁判所|唐津]]・[[鳥栖簡易裁判所|鳥栖]]・[[鹿島簡易裁判所|鹿島]]・[[伊万里簡易裁判所|伊万里]] {{Multicol-end}} === ライフライン === ; [[電力]]事業者 :; [[一般送配電事業者|送配電]] :: [[九州電力送配電]]([[商用電源周波数|60Hz]])が県内全域に送配電。 :; 発電 :* 九州電力[[玄海原子力発電所]]:4基、総出力3,478,000kW :* 九州電力天山発電所(純[[揚水発電|揚水]]):出力600,000kW :* 九州電力厳木発電所([[水力発電|水力]]):出力5,230kW :* 肥前南風力発電所([[風力発電|風力]]):8基、出力18,000kW :* 吉野ヶ里メガソーラー発電所(仮称)([[太陽光発電|太陽光]]):出力12,077kW<ref>[http://symsolar.jp/summary/introduction/ 事業紹介] 佐嘉吉野ヶ里ソーラー合同会社。</ref> ; [[上水道]] * 佐賀東部水道企業団 - 神埼市、川副町、東与賀町、吉野ヶ里町、基山町、上峰町、みやき町に供給 * 佐賀西部広域水道企業団 - 多久市、武雄市、小城市、嬉野市、大町町、江北町、白石町、久保田町に供給 ** 西佐賀水道企業団 - 小城市南東部、久保田町、白石町東部に供給 : 佐賀市、鳥栖市、唐津市、伊万里市、玄海町、鹿島市、太良町は各市町の水道局などが供給。 ; [[都市ガス]] * 佐賀ガス (13A) - 佐賀市に供給 * 唐津ガス(13A) - 唐津市に供給 * 鳥栖ガス(13A) - 鳥栖市に供給 * 伊万里ガス(13A) - 伊万里市に供給 ; [[日本の市外局番|市外局番]] * 0942 - 鳥栖市、基山町、みやき町([[福岡県]]久留米[[単位料金区域|MA]]) * 0952 - 小城市、神埼市、佐賀市、多久市、吉野ヶ里町、大町町、江北町、白石町(※旧白石町・有明町)、上峰町 * 0954 ** 武雄[[単位料金区域|MA]] - 嬉野市(※嬉野町)、武雄市 ** 鹿島MA - 嬉野市(※塩田町)、鹿島市、白石町(※旧有明町)、太良町 * 0955 ** 唐津MA - 唐津市、玄海町 ** 伊万里MA - 伊万里市、有田町 : 市外局番が同一でも、MAが異なる場合市外通話となる。 ; [[日本の郵便番号|郵便番号]] : 上2桁は県内全域で84。以降は[[九州・沖縄地方の郵便番号#地域番号84(佐賀県)]]参照。 == 交通 == [[ファイル:Tosu JCT.jpg|thumb|right|250px|鳥栖ジャンクション]] [[ファイル:JRKyushu-Nagasaki-main-line-Saga-station-south-entrance-20091031.jpg|thumb|right|250px|佐賀駅南口]] [[ファイル:Saga airport.JPG|thumb|right|250px|佐賀空港]] === 道路 === 県東端部は国道・高速道路・鉄道が集まる九州の交通の分岐点であり、その利便性のため東部には物流や製造業の拠点が多い。県内道路は福岡県と長崎県を結ぶ北東-南西方向の幹線上にあって佐賀市や唐津市を基点としつつ網状に広がっている。 九州の道路交通の大動脈である'''[[国道3号]]'''が県東端部の基山町・鳥栖市東側を南北に通っている。そのさらに東側を福岡県との県境に並行して'''[[九州自動車道]]'''が南北に通っている。 県南部の平野部を北東から南西へ斜めに横断する'''[[国道34号]]'''は鳥栖市から佐賀市・神埼市・武雄市・嬉野市などを経由し長崎市に至る幹線で概して交通量が多い。これと並行して'''[[長崎自動車道]]'''が走っている。鳥栖市で国道34号と国道3号が接続、また長崎自動車道と[[九州自動車道]]・[[大分自動車道]]が[[鳥栖ジャンクション]]で接続している。 武雄市から佐世保市へ至る'''[[国道35号]]'''、福岡市方面から唐津市や伊万里市を経由して佐世保市へ至る'''[[国道202号]]'''、佐賀市と唐津市を結ぶ'''[[国道203号]]'''、佐賀市から佐賀平野・筑後平野を南東に進み[[大牟田市]]を経由して熊本市へ至る'''[[国道208号]]'''も主要幹線である。山地を越えて佐賀市と福岡市を結ぶ主要路線として[[川上峡]]や[[三瀬峠]]・[[三瀬トンネル有料道路|三瀬トンネル]]を経由する[[国道263号]]があり、また[[国道385号]]は神埼市を経由して柳川市と福岡市を結ぶ国道で、国道34号などと併せて佐賀市と福岡市を結ぶルートを構成しており、山地を越えるが、2006年に[[東脊振トンネル]]が開通し利便性が向上した。 有料道路では、福岡市から国道202号と平行し平戸方面へ迂回して佐世保市を経由し[[武雄ジャンクション]]へ繋がる[[西九州自動車道]]が整備中で、武雄方面と唐津市東部の一部が開通している。国道203号のバイパスとして[[佐賀唐津道路]]が計画されており一部が[[厳木多久道路]]や[[厳木バイパス]]として使用されている。また[[地域高規格道路]]として、大牟田から国道208号と平行して佐賀市を経由し、有明海沿岸を周回して鹿島へ至る[[有明海沿岸道路]]が整備・計画中で、県内の一部の区間が開通している。 *その他の主な[[一般国道]] : [[国道204号]]、[[国道207号]]、[[国道263号]]、[[国道264号]]、[[国道323号]]、[[国道382号]]、[[国道383号]]、[[国道385号]]、[[国道444号]]、[[国道498号]]、[[国道500号]] * [[都道府県道]] : [[佐賀県の県道一覧]]を参照 === バス === 県内の主な[[バスターミナル]]は[[佐賀駅バスセンター]]、[[唐津大手口バスセンター]]、[[鹿島バスセンター]]、[[嬉野バスセンター]]など。 * [[佐賀市交通局]] - 佐賀市内 * [[昭和自動車]] - 唐津市を中心として主に県北・中部 * [[祐徳自動車]] - 鹿島市を中心として主に県南部や有明海沿いの地域 * [[西日本鉄道]]グループ([[西鉄バス]]) - 主に県東部ならびに福岡県への越境路線 ** [[西鉄バス佐賀]] - 鳥栖市内ならびに、鳥栖・佐賀市内から福岡県への越境路線 ** [[西鉄バス久留米]] - 佐賀市から福岡県[[久留米市]]・[[大川市]]・[[柳川市]]への越境路線 * [[西肥自動車]] - 伊万里市内・有田町内などの県西部ならびに、長崎県北部への越境路線 * [[JR九州バス]] - 嬉野・武雄市内、長崎県との越境路線 * [[ジョイックス交通]] - 旧神埼町(神埼市)から旧背振村(神埼市)・旧三瀬村(佐賀市)への路線 佐賀市営・昭和・西鉄・祐徳・西肥で[[nimoca]]をはじめとする交通系ICカードが利用できる。 ほか、自治体が貸し切りバス業者やタクシー会社に運行を委託する[[コミュニティバス]]が各地で運行されている。 {{Main|日本のコミュニティバス一覧#佐賀県}} === 鉄道 === 佐賀平野と有明海沿岸の鳥栖・佐賀・鹿島の各都市を通る[[九州旅客鉄道|JR]]'''[[長崎本線]]'''、武雄や有田を経由し西部を横断する'''[[佐世保線]]'''は、特急[[かもめ (列車)|リレーかもめ・かささぎ]]・[[みどり (列車)|みどり]]・[[ハウステンボス (列車)|ハウステンボス]]が運行し、幹線として利用されている。また短い距離であるが東端部を九州の大動脈である[[鹿児島本線]]と[[九州新幹線]]が南北に走る。そのほか、佐賀と唐津を結ぶ[[唐津線]]、福岡市方面から唐津を経由し伊万里へ至る[[筑肥線]]、有田から伊万里を経由し松浦方面へ至る[[松浦鉄道]][[松浦鉄道西九州線|西九州線]]、基山と[[朝倉市]]甘木を結ぶ[[甘木鉄道]][[甘木鉄道甘木線|甘木線]]がある。2022年9月には、武雄温泉駅から長崎駅方面へ[[西九州新幹線]]が開業した。 === 空港 === [[1998年]]に開港した'''[[佐賀空港]]'''は、[[全日本空輸]]による1日5往復の[[東京国際空港|羽田]]便のほか、[[格安航空会社|LCC]]の[[春秋航空]]が[[上海浦東国際空港|上海浦東]]便、[[ティーウェイ航空]]が[[仁川国際空港|ソウル]]便、[[スプリング・ジャパン]]が[[成田国際空港|成田]]便を運航している。旅客数は年間約66万人(2016年度)<ref>[http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/422853 佐賀空港利用最多66万人 16年度、4年連続で更新] 佐賀新聞 - 2017年04月19日</ref> となっている。夜間貨物便の運行や、福岡・[[北九州空港|北九州]]との[[マルチエアポート]]設定などが行われている。便数面や就航[[航空会社]]の選択性などの理由、また距離が近い地域では[[福岡空港]](福岡市)や[[長崎空港]](長崎県[[大村市]])も利用される。 === 船舶 === 大型港湾は玄界灘沿岸に集中している。'''[[唐津港]]'''と'''[[伊万里港]]'''が[[重要港湾]]である。唐津港はセメント・砂利・砂・石油などの原材料系の受け入れ量が高い特徴がある。伊万里港は[[大連市|大連]]・[[青島市|青島]]航路([[中華人民共和国|中国]]・民生輪船有限公司)、[[上海市|上海]]航路(日本・神原汽船株式会社)、華南ラウンド航路([[大韓民国|韓国]]・興亜海運株式会社)など複数の海外航路がありコンテナ貨物の割合が高く、大型船に対応した水深13mの新岸壁・[[ガントリークレーン]]を備えた国際コンテナターミナルとして重点的に整備が進められている。[[地方港湾]]は、玄界灘側の[[呼子港]]([[避難港]])・[[仮屋港]]・[[星賀港]]、有明海側の[[住ノ江港]]・[[諸富港]]・[[鹿島港 (佐賀県)|鹿島港]]・[[大浦港 (佐賀県)|大浦港]]の計7港である。 玄界灘では、離島と本土を結ぶ定期旅客航路が運航している。[[唐津港#東港|唐津東]] - [[印通寺港]]便([[九州郵船]])は唐津と[[壱岐]]と結ぶ。唐津港からは[[高島 (佐賀県)|高島]]便(唐津市漁業協同組合高島支所)、湊港からは[[神集島]]便(唐津市漁業協同組合神集島支所・ユージングボート宇野)、呼子港からは[[小川島]]便(川口汽船)、[[加唐島]]便(加唐島汽船)、[[松島 (佐賀県)|松島]]便 (新栄)、[[馬渡島]]便(郵正丸)の計4航路、星賀港からは[[向島 (佐賀県)|向島]]便(向島丸)、浦ノ崎港からは[[福島 (長崎県)|福島]]港便(金子廻漕店)がある。[[有明海]]では定期航路はない。 == 医療・福祉 == {{Col-begin}} {{Col-break}} 三次救急医療機関([[救急救命センター]]) * [[佐賀県医療センター好生館]] * [[佐賀大学医学部附属病院]] * [[唐津赤十字病院]](地域救命救急センター) * [[国立病院機構嬉野医療センター]](地域救命救急センター) [[救急指定病院]] * [[佐賀県救急指定病院一覧]] [[災害拠点病院]] * [[佐賀県災害拠点病院]] {{Col-break}} [[老人福祉施設]] *参考外部リンク:[http://www.pref.saga.lg.jp/web/kurashi/_1257/kf-koureisya/sisetu.html 佐賀県 高齢者関係施設名簿] [[介護サービス事業者の種類|介護サービス事業者・施設]] *参考外部リンク:[http://www.pref.saga.lg.jp/web/kurashi/_1257/kf-kaigohoken/_33291/kaigojigyoitiran.html 佐賀県 介護サービス事業所一覧] [[障害者]]の更生・療護・授産施設 *参考外部リンク:[http://www.pref.saga.lg.jp/web/kurashi/_1257/kf-syoufuku/_27627/_15057.html 佐賀県 自立支援医療機関(育成医療・更生医療)指定一覧表] [[保育所]] * [[佐賀県保育所一覧]] {{Col-end}} == 教育 == 佐賀県の大学進学率は43.6%([[2020年]]([[令和]]2年)高校卒業者)である。 {{Col-begin}} {{Col-break}} ; [[大学]] * [[国立大学|国立]] ** [[佐賀大学]] * [[私立大学|私立]] ** [[西九州大学]] ; [[通信制大学]] * [[私立大学|私立]] ** [[放送大学]] 佐賀学習センター ; [[短期大学]] * [[私立大学|私立]] ** [[佐賀女子短期大学]] ** [[西九州大学短期大学部]] ** [[九州龍谷短期大学]] ; [[専修学校]] * [[佐賀県専修学校一覧]] {{Col-break}} ; [[高等専門学校]] * 九州・沖縄地方で唯一高等専門学校が所在しない<ref group="注釈">県内の高専進学希望者は主として[[久留米工業高等専門学校|久留米高専]]や[[佐世保工業高等専門学校|佐世保高専]]に進学する。</ref>。 ; [[特別支援学校]] * [[佐賀県特別支援学校一覧]] ;[[高等学校]] * [[佐賀県高等学校一覧]] ;[[中学校]] * [[佐賀県中学校一覧]] ; [[小学校]] * [[佐賀県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] * [[佐賀県幼稚園一覧]] {{Col-break}} ; その他教育機関 ; [[農業大学校]] * [[佐賀県農業大学校]]([[農業改良助長法]]に基づく[[農業者研修教育施設]]) ; [[海上技術学校]] * [[国立唐津海上技術学校]] {{Col-end}} == マスメディア == === 新聞 === ;地方紙 * [[佐賀新聞]] * [[西日本新聞]]も本県に総局・支局を置いている。 * [[唐津新聞]]([[2008年]](平成20年)1月1日廃刊。日刊夕刊紙) * [[鳥栖新聞]](隔週刊、無料配布) *夕刊佐賀(月2回発行) ;全国紙 * [[産経新聞]]以外の4紙(読売、[[朝日新聞|朝日]]、毎日、[[日本経済新聞|日経]])や専門紙の[[日刊工業新聞]]が県内に総局・支局を置いているほか、[[読売新聞]]、[[毎日新聞]]は鳥栖市に印刷工場がある([[福岡都市圏]]や九州各県へ輸送する新聞を印刷)。産経新聞は、毎日新聞九州センター鳥栖印刷工場で九州・[[山口県]]で[[産経新聞西部本部]]発行の「九州・山口特別版」を委託印刷する。※九州・山口特別版が創刊される前の[[2009年]](平成21年)[[9月30日]]付までは、[[産経新聞大阪本社]]発行で午後6時(18時)締切の早版(6版)を大阪から空輸して西日本新聞販売店(西日本新聞エリアセンター)より委託販売していたが、同年[[10月1日]]の九州・山口特別版創刊後の現在は、毎日新聞販売店より委託販売している。※佐賀市の一部では、[[朝日新聞]]・毎日新聞の販売店より委託販売していた。(※駅売店・コンビニエンスストアでも同日より販売している)が、[[2018年]](平成30年)[[3月]]より西日本新聞販売店(西日本新聞エリアセンター)に変更された。 *県内は日経のみ朝夕刊セットで、日経を除く[[全国紙]]5紙と西日本新聞は朝刊のみの統合版で発行されている。なお、西日本・読売・毎日は佐賀市中心部と鳥栖市・基山町の一部で夕刊を配達する地域が存在する。 === テレビ放送局 === 佐賀県を放送対象地域としているテレビ局は2局であり、民放は1局のみとなっている(NHKと民放1局の都道府県は佐賀県と[[徳島県]]のみ)。親局送信所は鳥栖市の[[九千部山]]に置かれている。 * [[日本放送協会|NHK]][[NHK佐賀放送局|佐賀放送局]] * [[サガテレビ]](略称:sts、[[フジニュースネットワーク|FNN]]・[[フジネットワーク|FNS]]系列) しかし、県境付近では隣接する[[福岡県|福岡]]<ref>[https://tv-area.jp/#/map/?lat=33.41994969094722&lng=130.43656399336496&id=313 放送エリアのめやす(久留米中継局・A-PAB)]</ref>・[[熊本県|熊本]]<ref>[https://tv-area.jp/#/map/?lat=32.81335598743128&lng=130.6379507348272&id=308 放送エリアのめやす(熊本局・A-PAB)]</ref>の2県の県域テレビ局の放送エリアのめやすとなっている。直接受信が困難な地帯<ref group="注釈">特に県西部の唐津市・伊万里市・武雄市・嬉野市など。</ref> 向けに[[:Category:佐賀県のケーブルテレビ局|ケーブルテレビ局]]も各地で整備されており、県内大半の地域ではサガテレビと同じフジテレビ系列であるテレビ西日本を含めた、福岡県の民放を視聴できる環境がある。FNN・FNS系列局の[[テレビ西日本]](TNC)以外の福岡県の民放<ref group="注釈">[[九州朝日放送]](KBC。[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]系列)、[[RKB毎日放送]](RKB。[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列)、[[福岡放送]](FBS。[[日本ニュースネットワーク|NNN]]・[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]系列)、[[TVQ九州放送]](TVQ・テレQ。[[TXNネットワーク|TXN]]系列)の4局であるが、TNCが応援に入る場合もある。</ref>が佐賀県分の報道取材などを行っている。 [[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送の開始]]も遅れ、全国最後発となる[[2006年]](平成18年)[[12月1日]]開始であった。佐賀県が音頭を取って事業者を組織し、[[佐賀デジタルネットワーク]]社を設立。デジタル放送の県内事業者向け配信を一手に担うとともに、インターネット接続プロバイダ業務も行うこととなった。ただ、県外民放の再配信は福岡県分に限られ、[[熊本放送]]については各事業者が個別に許可を得る方式とした。 県内でサービスを提供している(許可施設を有する)[[ケーブルテレビ]]事業者は2021年7月時点で15である<ref>[https://www.soumu.go.jp/main_content/000758013.pdf 各県ケーブルテレビの一覧] 九州総合通信局、2021年7月</ref>。主な放送局は[[:Category:佐賀県のケーブルテレビ局|佐賀県のケーブルテレビ局]]を参照のこと。世帯普及率は2021年3月末時点で54.1%<ref>[https://www.soumu.go.jp/main_content/000504511.pdf ケーブルテレビの現状] 総務省、2021年9月。</ref>。 === ラジオ放送局 === 県域FM放送の親局送信所とNBCラジオ佐賀のFM補完放送のメイン中継局はいずれも唐津市の[[八幡岳 (佐賀県)|八幡岳]]。また、九千部山にも中継局を置いている。 * [[振幅変調#放送|AM]] **NHK佐賀放送局([[NHKラジオ第1放送|第一放送]]のみ。[[NHKラジオ第2放送|第二放送]]は[[NHK熊本放送局|熊本放送局]]、[[NHK福岡放送局|福岡放送局]]のエリア<ref>[https://www.nhk.or.jp/saga/station_info/channel.html NHK佐賀放送局受信情報]</ref>) ** [[NBCラジオ佐賀]](正式名・[[長崎放送]]佐賀ラジオ放送局) [[放送対象地域]]外の[[RKBラジオ]]<ref>{{PDFlink|[http://blog.rkbr.jp/wp-content/uploads/2015/03/rkb1504_06aa.pdf RKBラジオタイムテーブル(4月、5月、6月)]}}</ref>[[KBCラジオ]]<ref>[http://www.kbc.co.jp/info/product/radio.html 企業情報(九州朝日放送)]</ref> の放送エリアになっており、2021年12月6日から両局のradikoの配信エリアにもなった。<ref>[https://rkb.jp/article/53207/ radiko配信エリアを【佐賀】にも拡大!]</ref><ref>[https://kbc.co.jp/r-radio/radiko_saga/ 佐賀県の災害・防災情報を発信!ラジオ放送のインターネット配信サービス「radiko(ラジコ)」で佐賀県でも配信開始 ~12月6日スタート~]</ref>。 * [[ラジオ#FMラジオ|FM]] **NHK佐賀[[NHK-FM放送|FM放送]] ** [[エフエム佐賀]] (FMS) * コミュニティFM ** [[FMからつ]](唐津市) ** [[えびすFM]](佐賀市) 外国語放送の[[ラブエフエム国際放送]](LOVE FM)が佐賀市のみ放送対象地域に<ref>[https://www.tele.soumu.go.jp/horei/law_honbun/00004690.html 放送普及基本計画第2の2の(1)のウの規定による一般放送事業者の行う超短波放送のうちの外国語放送を行う放送局の放送対象地域(総務省)]</ref>、その他県内のほとんどの地域が放送エリアに<ref>[http://lovefm.co.jp/img/company/area.gif LOVE FM放送エリア]</ref>、放送対象地域外の[[エフエム福岡]]<ref>[http://fmfukuoka.co.jp/company/main.html 会社概要 FM FUKUOKA]</ref>、[[CROSS FM]]<ref>[http://crossfm.co.jp/contents/imgsrc/w_content_1_20080925140139.jpg CROSS FM エリアマップ]</ref>、[[エフエム熊本]]<ref>[http://fmk.fm/guide/servicearea.php FM熊本サービスエリア]</ref>、[[エフエム長崎]]<ref>[http://www.fmnagasaki.co.jp/outline/ エフエム長崎会社概要]</ref>、が県内の一部の地域で放送エリアとなる。 県域局でもあるNBCラジオ佐賀及びエフエム佐賀の何れもが長らく[[radiko]]での配信を実施しておらず、佐賀市を正式な放送対象地域としているLOVE FMも県内での基本サービス配信を行っていないため、県内でのradiko実施局はNHKラジオと全国放送の[[日経ラジオ社|ラジオNIKKEI]]及び[[放送大学]]のみという状態が続いていたが、2020年4月15日にエフエム佐賀がradikoの配信を開始したため、現在は解消している<ref group="注釈">これは日本の都道府県では唯一の事例であった。</ref>。2021年10月1日に長崎放送(NBCラジオ長崎本局)がradikoの配信エリアを佐賀県に拡大し、同日から長崎本局と佐賀局で異なっていた番組編成(地域向け番組・CMなど)を長崎本局に統合・集約するなどの大幅な改編を行った。 === その他 === 佐賀県は、地域区分局に当たる[[郵便局]]が県内に存在しない唯一の都道府県である。県内全域を指す郵便番号84(上2桁)の[[普通郵便局#地域区分局・起点局・集中局|地域区分局]]は、福岡県の[[久留米東郵便局]]となっている。 震度4以上の記録が残っている地震の回数は、92年間でわずか7回と日本一地震が少ない県でもある。 == 文化・スポーツ == === 県民性 === 一般的に佐賀の[[県民性]]として、「[[いひゅうもん]](異風者)」あるいは「[[ふうけもん]](風変者)」という言葉が代表的に使われることが多い。両者とも変わり者、頑固、融通が利かないといったニュアンスがある。ただし、現代の佐賀弁では「ふうけもん」は馬鹿者といった否定的な意味が強いので、あまりそぐわない。また、特に男性に関してしばしば[[葉隠]]の[[武士道]]精神とも結び付けられ、上下関係やしきたりを重んじる、几帳面、まじめとされる場合がある。また「佐賀んもんの通ったあとにはぺんぺん草も生えん(佐賀の人が通った後にはぺんぺん草も生えない)」などと揶揄・自嘲される場合があるが、佐賀藩時代の厳しい財政下で大名家([[鍋島氏|鍋島家]])自らの倹約から受け継がれた主に藩士の倹約家気質がさまざまな形で受け止められ、当時の言い回しが現代まで残ったものである。 === 方言 === 佐賀藩に当たる県東部-南部では[[佐賀弁]]が話され、同じ藩域だった長崎県[[諫早市|諫早]]地方では似た言い回しが多い。唐津藩に当たる県北西部では[[唐津弁]]、[[対馬府中藩|対馬藩]]飛び地に当たる鳥栖市東部・基山町では[[田代弁]]が話される<!--田代弁は現在の鳥栖市田代を中心に発展した実在の方言です-->。 === 食文化 === {{Main|Category:佐賀県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#佐賀県}} === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[伊万里焼]]・[[有田焼]](陶磁器、[[1977年]]) * [[唐津焼]](陶磁器、[[1988年]]) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#佐賀県}} === 伝統産業・特産品 === [[ファイル:Marubōro.jpg|thumb|right|200px|丸ぼうろ]] [[ファイル:Saga nishiki 1.jpg|thumb|right|200px|佐賀錦(鹿島錦)]] * [[鳥栖市]]の[[医薬品]]産業、[[佐賀市]][[諸富町]]の[[家具]]産業は伝統産業が現代経済に取り入れられ成長した産業である * [[有田焼]]、[[唐津焼]]、[[志田焼]]、[[黒牟田焼]]、[[多々良焼]]、[[肥前吉田焼]]など、西部には歴史ある[[陶磁器|焼き物]]が多い。ただし、東部にも[[肥前尾崎焼]]や[[白石焼]]といった伝統的な焼き物が存続している。有田焼は特産品や地場産業、そのほかは伝統産業となっている所が多い。 * [[佐賀錦]]([[鹿島錦]])や[[鍋島緞通]]、[[肥前ビードロ]]などは伝統的な工芸品として継承されている * 玄界灘沿岸での[[捕鯨]]は[[安土桃山時代]]に始まり[[江戸時代]]中期に最盛期を迎えたが、近代以降は行われなくなった * [[有明海]]沿岸は日本一の[[海苔]]産地として知られ、贈答品向けの高級品が多い。同じく、有明海で獲れるムツゴロウ、ワラスボ、シオマネキなどは古くから[[郷土料理]]として食べられている。 * 神埼市神埼町の[[神埼そうめん]]、小城市小城町の[[小城羊羹]]などは、古くからの伝統産業を受け継いだ特産品である ** 小城羊羹をブランドとして複数の中小メーカーが販売を行っており、佐賀市の[[ようかん]]の年間購買金額は全国1位([[2005年]](平成17年)、全国49都市中)である * 上記の他に特有の食材・菓子としては[[嬉野茶]]、[[松露饅頭]]、[[丸ぼうろ]]、[[逸口香]]、[[けえらん]]、[[アカガイ|サルボウ]]、[[アカシタビラメ|クチゾコ]]などがある * [[鯛]]の消費量が年間1人当たり3,082g(2008年)、2,833g(佐賀市、2008-2010年)、2,601g(佐賀市、2004-2006年)という統計があり、いずれも全国平均の3倍程度と突出して多い。西日本では総じて多い傾向にあるが、近年の統計では佐賀県は全国最多となっている。 === スポーツ === ==== プロスポーツチーム・社会人スポーツチーム ==== {{See also|Category:佐賀県のスポーツチーム}} [[日本プロサッカーリーグ|サッカー]] * [[サガン鳥栖]]([[鳥栖市]]・[[日本プロサッカーリーグ|J1リーグ]]) [[V.LEAGUE|バレーボール]] * [[久光スプリングス]]([[神戸市]]=練習所=とのダブルホームタウン。加盟は佐賀県バレー連盟) バスケットボール * [[佐賀バルーナーズ]]([[佐賀市]]・[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|B2.LEAGUE]]) [[日本ハンドボールリーグ|ハンドボール]] * [[トヨタ紡織九州レッド・トルネード]]([[神埼市]]) [[ソフトボール]]男子西日本リーグ * [[ダイワアクト]]([[佐賀市]]) [[九州サッカーリーグ]] * [[佐賀LIXIL FC]]([[鹿島市]]) * [[川副クラブ]](佐賀市) [[佐賀魂]](佐賀市・[[社会人野球]]) ==== 過去に存在したスポーツチーム ==== * [[鳥栖フューチャーズ]](鳥栖市・サッカー[[ジャパンフットボールリーグ|旧JFL]]、[[1997年]](平成9年)解散) ==== スポーツ施設 ==== [[ファイル:Tosu stadium.JPG|thumb|right|250px|J1サガン鳥栖のホームグラウンドである駅前不動産スタジアム]] * [[鳥栖スタジアム|駅前不動産スタジアム]] * [[SAGAサンライズパーク|佐賀県総合運動場]](現名称:SAGAサンライズパーク) ** [[SAGAサンライズパーク陸上競技場|佐賀県総合運動場陸上競技場]](佐賀総合グラウンド→現名称:SAGAサンライズパーク陸上競技場、愛称:SAGAスタ) ** [[SAGAサンライズパーク体育館|佐賀県総合体育館]](現名称:SAGAサンライズパーク体育館、愛称:SAGAプラザ) ** [[SAGAアリーナ]](仮称、2022年10月完成予定) * [[佐賀県立森林公園野球場]](みどりの森県営球場) * [[佐賀市立野球場]](佐賀ブルースタジアム) * [[佐賀市立体育館]] * [[グラスコート佐賀テニスクラブ]](『ウィンブルドン九州』という名前で知られていたが、本家『[[オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ|ウィンブルドン]]』と混同するため改称) * [[市村記念体育館]] * [[体育の森公園]] === 公営競技 === * [[佐賀競馬場]] * [[唐津競艇場]] * [[武雄競輪場]] == 観光 == {{Main|佐賀県の観光地}} {{also|九州・沖縄地方の史跡一覧#佐賀県}} [[ファイル:La Montgorlfier Nocturne.JPG|thumb|[[佐賀インターナショナルバルーンフェスタ]]]] [[ファイル:Shachi.jpg|thumb|[[唐津くんち]]]] [[ファイル:Arita tokichi 200804.jpg|thumb|[[有田陶器市]]]] [[ファイル:Takeoonsen rohmon.jpg|thumb|[[武雄温泉]]・楼門]] [[ファイル:Yutoku inari Shrine-b.jpg|thumb|[[祐徳稲荷神社]]]] [[ファイル:Shiota-tsu, Saga, Japan.JPG|thumb|[[塩田津]]の町並み]] [[ファイル:Kunen'an kanzaki 1.jpg|thumb|220x220px|[[九年庵]]]] [[ファイル:Magpie pair on branch of Japanese persimmon Kono park.jpg|thumb|[[カササギ]]]] 唐津市・東松浦郡は、[[虹の松原]]、[[屋形石の七ツ釜]]の海食洞、[[リアス式海岸]]、クジラのように急峻にせり出す形状の島々など、[[玄界灘]]・[[唐津湾]]に面した海沿いの自然景勝地として知られ、[[海水浴]]や[[サーフィン]]、[[スクーバダイビング|ダイビング]]といった[[マリンスポーツ]]などが盛んである。[[鏡山 (佐賀県)|鏡山]]や丘陵地帯・海岸部の[[棚田]]などの自然景勝が見られるほか、丘の上に建つ[[唐津城]]、[[名護屋城]]跡([[佐賀県立名護屋城博物館|博物館]])などの文化財が観光地となっている。11月上旬には日本三大くんちの一つである[[唐津くんち]](唐津市)、6月上旬には[[呼子大綱引]](唐津市呼子町)が行われるほか、[[呼子朝市|呼子の朝市]]も有名である。 [[伊万里湾]]も同様に、湾口部の[[いろは島]]やリアス式海岸が特徴的な景観で、海水浴地でもある。10月下旬には[[伊万里トンテントン祭り]]が行われる。伊万里市・有田町・武雄市の[[黒髪山 (佐賀県)|黒髪山]]周辺は奇岩のなす地形や豊富な植物、各種伝説などで知られる。有田町を中心とした地域には[[有田焼]](伊万里焼)、唐津市・伊万里市・武雄市を中心とした地域に[[唐津焼]]の、それぞれ古い窯跡や現存する窯元が数多く分布していて陶磁器にまつわる名所が多い。九州陶磁文化館、[[有田陶磁美術館]]、有田ポーセリンパークなどの文化施設もあるほか、[[ゴールデンウィーク]]には[[有田陶器市]]が開かれ多数の客で賑わう。 [[日本三大美肌の湯]]である[[嬉野温泉]](嬉野市)は[[湯豆腐]]や[[嬉野茶]]でも有名で、[[武雄温泉]](武雄市)は、楼門と武雄温泉新館が国の[[重要文化財]]に指定されており、それぞれ趣の異なった[[温泉街]]として賑わう。 一方で、県庁所在地の佐賀市は平坦な田園地帯の中にあり、城下町時代の名残のある込み入った街路や水路網などの景観が特徴的である。江戸-明治期の建物が残る[[佐賀市歴史民俗館]]、[[佐賀城]]跡と[[佐賀城本丸歴史館]]、[[佐嘉神社]]、[[反射炉]]跡などの歴史遺産が点在する。10月下旬から11月上旬には、[[佐賀インターナショナルバルーンフェスタ]]が開かれ、[[熱気球]]が舞う光景が広がるほか、8月には[[佐賀城下栄の国まつり]]が開催される。 県南部一帯には泥質干潟の[[有明海]]が広がり、玄界灘や伊万里湾とは大きく異なった景観となる。[[ムツゴロウ]]、[[シオマネキ]]などの希少生物や、[[紅葉]]のように変化する[[シチメンソウ]]などが見られる。また5月ごろには[[鹿島ガタリンピック]](鹿島市)が開催される。 県北部の[[北山ダム (佐賀県)|北山ダム]](佐賀市三瀬村)は避暑地となっており、[[三瀬ルベール牧場 どんぐり村|どんぐり村]]などが観光地として整備されている。[[嘉瀬川]]を下って行くと[[古湯温泉]]や[[熊の川温泉]](ともに佐賀市富士町)、[[川上峡]]などのスポットが点在する。 [[吉野ヶ里遺跡]](吉野ヶ里町・神埼市)は、一部で発掘を継続しながら国営吉野ヶ里歴史公園として復元整備されている。 ;その他 [[城跡]]・[[史跡|特別史跡]] * [[基肄城]]跡(基山町) *[[吉野ヶ里遺跡]](神埼市) [[寺社]] * 与賀神社(佐賀市) * [[祐徳稲荷神社]](鹿島市) * [[多久聖廟]](多久市) * [[鎮西出雲大社]](佐賀市蓮池町) 主な文化施設・観光施設 * [[佐賀県立宇宙科学館]](武雄市) * [[佐賀県立博物館]]・[[佐賀県立美術館|美術館]](佐賀市) * マリンパル呼子(唐津市) * 玄海海中展望塔(唐津市[[波戸岬]]) * 玄海エネルギーパーク([[玄海町]]) * [[嬉野温泉]] [[肥前夢街道]]([[嬉野市]]) * 武雄・嬉野 メルヘン村([[武雄市]]) * 肥前大和巨石パーク([[佐賀市]]) * 天山スキー場([[佐賀市]]、県内唯一のスキー場) その他 * 炭鉱跡や[[ボタ山]](多久市周辺) * [[見帰りの滝]]や鵜殿石仏群(唐津市) * [[清水の滝]](小城市) === 有形文化財建造物 === [[重要伝統的建造物群保存地区]] * [[鹿島市浜庄津町浜金屋町|浜庄津町浜金屋町]](鹿島市) * [[鹿島市浜中町八本木宿|浜中町八本木宿]](鹿島市) * [[塩田津]](嬉野市) * [[有田町|有田内山]](有田町) === 文化財 === {{main|佐賀県指定文化財一覧}} '''[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]世界遺産''' * [[明治日本の産業革命遺産]][[三重津海軍所|三重津海軍所跡]](2015年登録) ==== 有形文化財 ==== [[国宝]] * [[催馬楽]]譜(佐賀市-鍋島報效会) [[史跡]] * [[吉野ヶ里遺跡]](神埼市) *[[金立銚子塚古墳|銚子塚古墳]](佐賀市) *西隈古墳(佐賀市) *[[東名遺跡]](佐賀市) * [[菜畑遺跡]](唐津市) *中原遺跡(唐津市) * [[久里双水古墳]](唐津市) *[[大隈重信]]旧宅(佐賀市) *[[肥前国庁跡]](佐賀市大和町) *[[三重津海軍所]](佐賀市川副町) [[特別名勝]] * [[虹ノ松原]](唐津市) [[名勝]] * [[九年庵]](神埼市) * [[御船山楽園]](武雄市) ==== 主な天然記念物 ==== * [[佐賀平野]]の[[カササギ]]生息地 * [[伊万里湾]]の[[カブトガニ]]生息地 * [[屋形石の七ツ釜]](唐津市) * 佐賀城址、与賀神社、白角折神社、稲佐神社、海童神社、青幡神社などの[[クスノキ|楠(クスノキ)群]] *[[エヒメアヤメ]]自生南限地帯 * 千石山[[サザンカ]]自生北限地帯 * 高串の[[アコウ (植物)|アコウ]]北限地帯 * [[嬉野の大チャノキ]](嬉野市) * [[川古のクス]](武雄市) * 下合瀬の大カツラ(佐賀市富士町) * [[加部島]]暖地性植物群落 * [[黒髪山 (佐賀県)|黒髪山]][[カネコシダ]]自生地 * 八藤丘陵の[[阿蘇山|阿蘇4]][[火砕流]]堆積物・埋没林 == 佐賀県を舞台とした作品 == {{main|佐賀県を舞台とした作品一覧}} ; 映画(※は県内ロケあり) {{Multicol}} * 怪猫佐賀の夜桜([[1936年]]) * [[次郎物語]]([[1941年]]) * [[海の花火]]([[1951年]]・[[松竹]])※ * [[怪談佐賀屋敷]]([[1953年]]・[[大映]]) * 次郎物語([[1955年]]・[[新東宝]]) * 柳生武芸帳([[1957年]]・[[東宝]]) * [[張込み]]([[1958年]]・[[松竹]])※ * [[にあんちゃん]]([[1959年]]・[[日活]])※ * [[人間の壁]](1959年・[[新東宝]])※ * 次郎物語([[1960年]]・松竹) * [[男はつらいよ 寅次郎子守唄]]([[1974年]]・[[松竹]])※ * [[トラック野郎・男一匹桃次郎]](1977年・[[東映]])※ * 次郎物語([[1987年]]・[[東宝]])※ * [[男はつらいよ ぼくの伯父さん]]([[1989年]]・[[松竹]])※ * [[水の旅人|水の旅人 侍KIDS]]([[1993年]]・東宝)※ * [[月光の夏]](1993年・ヘラルド=[[アスミック・エース|ヘラルド・エース]]=全国配給)※ * [[人間の翼 最後のキャッチボール]](シネマクラフト・1995年) {{Multicol-break}} * いのちの海 Closed Ward([[1999年]]・イーハーフィルムズ)※ * [[地雷を踏んだらサヨウナラ]](1999年・[[シネカノン]]配給)※ * [[親分はイエス様]]([[2001年]]・グルーヴコーポレーション)※ * 白神渡海([[2002年]]・日韓新世紀交流委員会)※ * [[佐賀のがばいばあちゃん]]([[2006年]]・[[ティ・ジョイ]])※ * [[春よこい (映画)|春よこい]]([[2008年]]・[[東映]]) * [[Blue Symphony ジャック・マイヨールの愛した海]](2008年・産学共同映像研究所有限責任事業組合)※ * [[ふうけもん]](2008年・金テレサ)(タイトルが佐賀弁、2009年公開予定中止で2014年一部公開) * [[島田洋七の佐賀のがばいばあちゃん]](2009年・ジョリー・ロジャー)※ * [[ソフトボーイ]](2010年・東映)※ * [[悪人 (小説)|悪人]](2010年・東宝)※ * 家門の災難(2011年・[[大韓民国|韓国]])※ * Timeline([[:en:Timeline 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滋賀県
滋賀県(しがけん)は、日本の近畿地方に位置する県。県庁所在地は大津市。かつての近江国に相当するが、1876年から1881年までは若狭国および越前国敦賀郡(嶺南)も含んでいた。 令制国の近江国(江州)と完全に一致する。県名は大津が属していた郡名「滋賀郡」から採用された。「滋賀」の発音は、共通語では「し」にアクセントを置く(頭高型アクセント)が、地元では「が」にアクセントを置く(尾高型アクセント)ことが多い。 「近江」が「近つ淡海」に由来し、現在も滋賀県が「湖国」と呼ばれるように、県の面積の6分の1を占める琵琶湖は県のシンボルである。産業用水、飲用水の源、観光資源としてその存在は大きく、地域性も琵琶湖を挟んで異なる。琵琶湖があるために内陸県で唯一漁港を持ち、その数も20港と多い。水運交易が盛んだった中世や近世には若狭湾と上方を繋ぐ中継地として、大津や堅田など内水系の重要港湾が数多く発展した。東海道・東山道(中山道)・北陸道が合流する陸上交通の要衝であり、「近江を制する者は天下を制す」としてたびたび戦乱の舞台となった。 交通利便の良さは人材の流出をもたらし、戦前まで滋賀県は流入人口よりも流出人口の方が多かった。中世から近代にかけては多くの出身者が近江商人として大坂や江戸など全国各地に進出し、「琵琶湖の鮎は外に出て大きくなる」という諺まで生まれた。太平洋戦争後、高速道路の整備やトラック流通の興隆に伴って交通利便のよさが再認識され、流通拠点や工場・研究開発施設が相次いで進出。近年はJR西日本の看板列車である新快速の拡大に伴って、琵琶湖線(東海道本線)沿いの大津市や草津市といった湖南地域は、京都市や大阪市といった大都市のベッドタウン・衛星都市としても注目されるようになり、首都圏以外の地方では数少ない人口増加県へと転じた。なお、開発が進むのは京都や大阪に近い南部であり、北部とは経済格差が起こっている。南部では新興住宅地が広がり、南草津駅などの駅前にはマンションが林立するなど賑わいがある一方で、北部や西部は田園風景が広がり、地域によって人口動態の開きが大きい。ただ人口が停滞している湖北・湖東地域であっても地域再生の議論や実践が活発である。また、滋賀県は西日本有数の工業県でもあり、県内総生産の48%を第二次産業が占める(全国1位)。 滋賀県は近畿地方に分類され、文化的・経済的に関西2府7県の一つとして京都・大阪との結び付きが強い。特に隣接する京都とは「京滋」と呼ばれるほど古くから密接なつながりを持ち、県庁所在地である大津市と京都市は隣接している。県南部を中心に京都府・大阪府に通勤通学する、いわゆる「滋賀府民」も多い。 また、地理的な立ち位置から中部地方との交流も盛んである。近畿圏整備法で定める「近畿圏」と中部圏開発整備法で定める「中部圏」の両方に含まれ、滋賀県知事は近畿ブロック知事会と中部圏知事会議の両方に出席している(福井県と三重県も同様)。また福井県・岐阜県・三重県とともに「日本まんなか共和国」を設立し、知事サミットや文化交流事業などを行っている。愛知万博では中部8県とともに「中部千年共生村」を共同出展した。北部は近畿・中京・北陸の交点であり、工場や物流センターの設置計画が進む。なお、NHK名古屋放送局で制作する東海3県(愛知県・岐阜県・三重県)向けの天気予報には常時滋賀県の予報が表示される。また、かつてテレビ東京系列で放送され滋賀のびわ湖放送でも放送された「メガTONニュースTODAY」の最後の天気予報 では、少なくとも1985年10月以降は、全国の天気予報の後各地の天気を報じる際「滋賀・東海地方」の区分で報じられ、次の「近畿・せとうち地方」には京都府・奈良県以西のみが表示されていた。 高度成長期に水質汚染の被害を受けた琵琶湖があることから、県民や行政の環境への意識が高く、また環境関連企業や人材が集積していることから全国でも屈指の「環境先進県」として知られている。 本県は琵琶湖及びそれを取り囲む山々(比叡山・比良山系・伊吹山・鈴鹿山系)を有し、早くから都が置かれ、古代・中世から交通における重要拠点であったことから日本史上の関わりが極めて強く、県全土にわたり自然・歴史・文化的資源が豊富に存在する(後述)。 周囲を山脈・山地が取り囲み、中央部に琵琶湖と近江盆地が広がる。面積は全国で10番目に狭い。面積の半分以上は山地、およそ6分の1は琵琶湖が占めており、可住地面積は大阪府よりも狭い。 全域が内陸性気候であるが、北部は北陸・山陰型の日本海側気候、南部は太平洋側気候および瀬戸内海式気候を併せ持つ。 他の地域のように日本海側気候と太平洋側気候の境目に山地があるわけではなく、湖岸に広がる同一の平地のなかで漸次的に気候が変化していくのが大きな特徴である。しかし、琵琶湖があるため他の盆地と比較すると、夏の暑さと冬の寒さは幾分穏やかである。湖西・湖北は大部分が特別豪雪地帯や豪雪地帯に指定されており、特に旧余呉町は近畿以西唯一にして日本最南端の特別豪雪地帯となっている。 伊吹山では昭和2年2月14日に11.82メートルの積雪を観測した。これは正式に観測された積雪量としては世界記録である。滋賀県の主な豪雪地帯は県西部の朽木村、県北西部のマキノ在原、県最北部の余呉町、県北東部の米原甲津原の4地域に分けられる。 なかでも長浜市余呉町旧片岡村・丹生村では高い数値の降雪が記録されている。町の最北端に位置する中河内で1981年の五六豪雪時に6メートル55センチを記録した。特に積雪の多かったとされる1936年には、いずれも公式の気象観測施設によるものではないが、尾羽梨で7メートル30センチ、中河内で7メートル20センチを記録した。『日本残酷物語 第4部 保障なき社会』(平凡社、1960年)には、丹生北部の雪の惨状として「この辺りでは雪が平年で20尺 (約6メートル)多い年は30尺(約9メートル)は積もる。この年の大雪では30尺以上積もった。その場所と言うのが奥川並の集落のようである。」との記載がある。また比良山地東麓では比良おろしという北西の局地風があり、3月下旬に吹くものは「比良八講荒れじまい」と呼ばれ、春の訪れを告げる風物詩となっている。 総面積に対する自然公園面積の割合が37.6 %で(平均14.5 %)であり、2007年(平成19年)時点で第1位である。 以下の13市3郡6町がある(町はすべて「ちょう」と読む)。また、村は2005年に消滅している。江戸時代には江南(現在の湖南)・江西(現在の湖西)・江東(現在の湖東・湖北)に3区分されていたが、明治時代以降、琵琶湖を中心に湖南(こなん)・湖東(ことう)・湖北(こほく)・湖西(こせい)に4区分するのが一般的となった。この4区分以外に区分される場合があり、例えば2017年時点で滋賀県では大津地域、南部地域、甲賀地域、東近江地域、湖東地域、湖北地域、高島地域の7地域に区分がされている。各々に属する自治体は以下の通り。なお、郡は1878年(明治11年)の浅井郡の東西分割と1897年(明治30年)の西浅井郡の伊香郡編入以外は、大宝律令以来の郡名と区画が昭和の大合併期までほぼ踏襲されていた。 ※人口は2023年10月1日現在 ※太字の自治体は県事務所(合同庁舎)所在地 畿内に隣接する交通の要衝であり平野部も多く、天智天皇のころには大津に都が置かれるなど、古くから開発が進んだ。京都市と事実上の双子都市を形成している大津市や、大津の伝統的な衛星都市であった草津市をはじめ、現在では通勤・通学圏として京阪との繋がりが強く、いわゆる「滋賀府民」の多い地域となっている。甲賀は、県境を挟んで接する三重県伊賀地域と並んで忍者(傭兵)と製薬の町として知られる。甲賀市信楽は古代に短期間ながら紫香楽宮が置かれた地であり、中世以降は信楽焼の産地として長い歴史を持つ。 湖南地方とともに平野部が大きく開けており、穀倉地帯や交通の要衝として栄え、肉牛の飼育が盛ん。近江商人を最も多く輩出した地域でもある。 京阪から最も遠い地方であり、関西文化圏の東端であるとともに北陸地方や東海地方との緩衝地帯である。近代には養蚕業が盛んであったが、現在では湖南地方や湖東地方に比べて宅地やオフィスの開発や工場進出が遅れている(いわゆる「南北格差」)。しかし、そのために伝統的な文化や景観が保たれている。 畿内と若狭湾・北陸地方を結ぶ街道筋で、湖南地方とともに京都との繋がりが強い。近代に幹線交通網から外れたため、開発から取り残されていた。安曇川扇状地と石田川扇状地を除いて平野部が少なく、琵琶湖近くまで山地が迫る自然豊かな地方である。歴史・文化的には大津市北部も湖西に含まれる。 合併により2004年(平成16年)以降に廃止になった自治体は下記の通りである。 滋賀県はその地理的特性から、奈良・京・大坂への物資や人材の供給源および中継地、あるいは畿内と東国・北国とを結ぶ要衝として発展し、日本の中央史に大きく関わってきた。 白洲正子は随筆『近江山河抄』の中で「近江は日本の楽屋裏」と評した。また歴史学者の今谷明は著書『近江から日本史を読み直す』の中で「近江の歴史を書くことは、日本通史を著すのと同じこと」と語り、近江の歴史的価値と重要性を奈良・京と同等かそれ以上に高く評価している。 弥生時代から多くの渡来人が入植し、都に近いために早い時期から開発が進められた。 伝承の時代ではあるが、記紀の記事によれば、第12代景行天皇、第13代成務天皇、第14代仲哀天皇が志賀高穴穂宮(大津市)で天下を治めたとあり、古代から政治的に重要な地域であったことを示唆している。 国造が分立した時代には、滋賀県は淡海国造と安国造の領域であった。その他、犬上県主や息長氏、蒲生稲置、三上祝など有力豪族が多く存在した。 古墳時代の5世紀中葉に現皇室の直系の皇祖に当たる継体天皇が近江で生誕し、仁徳朝の25代目武烈天皇が断絶したため、507年に第26代天皇として即位している。飛鳥時代には近江大津宮(天智天皇)、奈良時代には紫香楽宮(聖武天皇)や保良宮(淳仁天皇)が置かれた。壬申の乱や藤原仲麻呂の乱といった戦乱の舞台となることがたびたびあった。 奈良時代に藤原仲麻呂が編纂した藤原氏の「家伝」には、「近江国は宇宙(あめのした)に名の有る地なり。地広くして人衆(おお)くして、国富み家給(そな)う。」 と書かれており、古代近江は琵琶湖の淡水を介在し、広い平野に多くの人達が住んでおり、豊かな地であった。 近江は延喜式内社の総数が近畿圏では、大和に次いで2番目、全国でも大和、伊勢、出雲に次いで4番目に多く、古代から近江は日本の重要な地位を担っていたといえる。(近江国の式内社一覧) 平安時代初期に近江出身の僧最澄は比叡山に延暦寺を開創した。延暦寺は数々の名僧を輩出し、現代に続く日本の仏教文化を大きく発展させた。 平安中期より佐々木氏が近江に起こった。佐々木氏は源頼朝が関東地方で勃興するとこれに積極的に加わり、近江一国の守護職を得た。以降、六角氏や京極氏に分かれながら、佐々木一族は戦国時代に至るまで近江国を支配した。南北朝期にはばさら大名で有名な佐々木道誉(高氏)が出て京極家の勢威を伸ばした。 本願寺蓮如の大布教が始まると、大津付近は一向宗色が強くなった。このため、これを喜ばない比叡山がたびたび攻撃を仕掛けた。比叡山東麓の坂本は一向宗の堅田と経済的にも対立していたことから、両者の抗争は頻繁であった。この後に蓮如は大津に一向宗拠点を構えた。 戦国時代に入ると、北部に浅井氏が台頭する。形の上で京極氏を奉じた浅井氏は南部を領する六角氏と抗争する。織田信長と結んだ浅井長政に至って六角氏を駆逐するが、後に将軍の信長包囲網に加わって信長に抵抗、小谷城の戦いにより、1573年(天正元年)に滅んだ。 近江国を支配圏に入れた信長は、根拠地として近江盆地に安土城を築城する。信長の死後は畿内を地盤とする羽柴秀吉と、越前国北の庄を地盤とする柴田勝家の係争地となり、北部で行われた賤ヶ岳の戦いにおける秀吉の勝利で決着がつけられた。秀吉は初めての領地が長浜であった関係で、多数の近江国住民を主に事務方として登用した。石田三成はその1人である。また秀吉の甥豊臣秀次は八幡山城およびその城下町を築き、琵琶湖につながる運河八幡堀を整備し、商業を振興させた。 その他、近江からは蒲生氏郷・藤堂高虎・大谷吉継など数々の名武将を輩出した。戦国時代から江戸時代にかけての甲賀郡では甲賀流忍者が活動していた。 徳川家康は、徳川氏における精鋭軍を率いる井伊氏を関ヶ原に近い彦根に入封させて西国の抑えとし、北部の大部分は彦根藩の領土となった。まとまった大藩は彦根藩のみであり、その他は膳所藩、水口藩、大溝藩、西大路藩、宮川藩、山上藩、三上藩といった小藩、交代寄合の最上家の大森陣屋、交代寄合の朽木家の朽木陣屋、さらに他国の諸藩領や天領などが入り交じり、江戸時代の近江国の領地区分は複雑な様相を呈していた。江戸時代初期には将軍上洛用御殿が水口城、永原御殿、伊庭御殿、柏原御殿とあったが、3代将軍家光以降は上洛が途切れ御殿が次第に老朽化して、廃れていった。 文化面において特筆すべきは、江戸初期の人物で近江聖人とも称された儒教学者中江藤樹が活躍し、日本の陽明学を発展させた。松尾芭蕉(義仲寺に眠る)は近江を旧里と呼ぶほど好んで訪れ俳諧を高めたとともに、近江蕉門と呼ばれる数多くの門人を輩出した。 また江戸時代には、鎌倉時代から続く商工業が飛躍的に発達し、犬上・愛知・神崎・蒲生・高島の各郡、特に八幡・日野・五個荘などから近江商人を多く輩出した。一部の商人は幕末から明治維新の混乱で没落したものの、近代以降も多くの近江商人が活躍し、今日に至る日本経済の発展に寄与した。 明治維新により幕府領・旗本領に大津県が設置された後、廃藩置県によって各藩は各県に移行し、1871年11月22日、新たな大津県(滋賀郡・蒲生郡以南)と長浜県(高島郡・神崎郡以北)に統合された。翌1872年1月19日に大津県が滋賀県に、2月27日に長浜県が犬上県にそれぞれ改称され、9月28日に両県が合併し、近江国、並びに現在と領域を同じくする新たな滋賀県が成立した。その後、1876年8月21日から1881年2月7日までの4年半には、現在の福井県嶺南地方(敦賀市以西)を編入した。この間、滋賀県は若狭湾に面していたことになる。敦賀市以西を分離する際、地元では反対運動がおこり、時の滋賀県令、籠手田安定が1881年2月、反対文書(若狭・越前四郡離脱に対する建議書)を、太政大臣三条実美と内務卿松方正義宛に送った。本庁舎は大津に置かれたが、南西に偏在しているため、近江国最大の城下町であった彦根も候補に上がっていた。1891年と1936年の2度、大津から彦根への本庁舎移転運動が起こったことがある。 京都や大阪に近いながらも自然豊かで地価も比較的安いため、京都・大阪の通勤通学圏として住宅需要が高く、住宅開発が活発である。交通利便性の向上を下地にしたモノづくり拠点の整備や商業施設の開業・増設が続き、地方にあって人口増加が続いてきた。2020年に実施した国勢調査によると滋賀県の人口増加率は+0.05 %で、47都道府県の中で第8位。近畿地方では滋賀県だけが増加した。草津市の+4.86%、守山市の+4.23 %、栗東市の+3.10%は全国の市町村トップ100に入っている。 国立社会保障・人口問題研究所の将来推計(2018年3月公表)によると、2015年〜2045年の人口指数(2015年時点の人口を100としたときの2045年の人口)は89.4になり、全国的には東京都・沖縄県・愛知県・神奈川県・埼玉県に次いで減少率が緩やかになると見込まれている。特に草津市、守山市、栗東市の3市は2015年〜2045年の人口指数が105を超える高水準である。 湖南地方で人口増加する自治体が多い一方、県北部や郡部では人口減少率の大きな地域もあり二極化が進んでいる。2020年国勢調査によると甲良町では9.62%、高島市では7.29%の人口減となった。 地方公共団体コードごとに市町村を以下に列挙する。現在、19市町(13市6町)がある。法定人口は2020年(令和2年)10月1日実施の国勢調査の値、推計人口は2023年10月1日の値。人口密度は推計人口 / 面積で算出したもの。 歴代知事(公選)を以下に抜粋 衆議院の小選挙区が4。参議院では、全県で1区を構成。 滋賀県は、日本有数の消費地である京都・大阪を支える農業県であった。滋賀県内の農業は稲作中心で、県内の耕地面積のほとんどを水田が占めている(2011年の水田率国内第2位)。滋賀県で生産された米は「江州米」または「近江米」として知られる。戦後の第2次産業・第3次産業の発展に伴い、県内の農家の多くは兼業農家であり、2010年の副業農家率は国内第3位である。また滋賀県は日本茶発祥の地とされ、江戸時代には政所茶が宇治茶と並ぶブランド茶として名を馳せ、現在も甲賀市土山町(土山茶。県内最大の栽培面積・生産量)と信楽町朝宮(「朝宮茶」。日本五大銘茶のひとつ)を中心に栽培が行われている。その他、第1次産業においては、琵琶湖における漁業(アユ・ビワマス・セタシジミなど)、湖東地方を中心とする近江牛の生産などが盛んである。 現在は西日本有数の工業県であり、2010年の工業生産出荷額は6兆5,741億円に達する。県内総生産に占める第二次産業・製造業の割合は40%を超え、全国1位である。主要な工業生産品には近世からの伝統産業である日野・甲賀地方の医薬品(特に置き薬)があり、2011年の医薬品生産額は2,506億円(全国11位、シェア3.6 %)となっている。また滋賀県内には既述の医薬品を含め主に9つの地場産業が存在する。 「環境先進県」としても知られており、県内には新エネ・省エネ・蓄電池・水処理・バイオなどの環境関連企業・技術・人材・教育機関が集積している他、「医工連携」プロジェクトによる医療・健康機器分野の成長が期待されている。また第3次産業を主体に、県内の就業者数は一貫して増加している。 2012年の滋賀県の GDP(県内総生産)は、人口で上回る鹿児島県・熊本県のそれよりも大きい。一人当たりの県民所得(県民経済計算)についても2013年度で第4位となっており、全国トップクラスとなっている。 今後の中期経済成長率については民間シンクタンクによれば、「堅調な人口動態と若年人口比率の高さ」・「京阪神と名古屋の中間経済圏としての立地と交通利便性」・「産業集積度や産学官連携推進」などにより、全国上位と予測されている。 また厚生労働省の報告書「平成27年版 労働経済の分析」によると、2012年時点における滋賀県の有業者数あたりの専門職人材(研究者・技術者・医師・会計士・教員などの専門的職業従業者)比率は、東京都・神奈川県・京都府に次ぐ高さとなっており、当県に専門的・技術的職業の人材が集積している。完全失業率は全国平均未満 であり、比較的堅実である。 滋賀県内の第3次産業活動については、県庁所在地である大津市や人口が密集している草津市を中心とした湖南地域にやや偏っている。またびわ湖環境ビジネスメッセや滋賀ビジネスパートナーといった経済イベントが開催されているほか、滋賀経済同好会では近江商人の哲学・精神を守り、広げていく活動が行われている。 他多数。 現在は県内に空港は存在しない。戦前・戦中には大日本帝国陸軍用の八日市飛行場が存在。また戦後には日野町周辺にびわこ空港を作る構想があった。県周辺の主な空港は以下の通り。県内と各空港を直接つなぐ公共交通機関は関西空港駅と草津駅および野洲駅を結ぶ特急列車「はるか」のみである。2021年現在リムジンバスなどの運行はない。 信楽高原鐵道を除いて電化されており、すべてのJR路線が幹線である。 一般路線バスを運行する事業者 主要な国道や県道でも高規格化整備が遅れており、至る所で渋滞が発生している。特に国道1号と国道8号は県内において依然、片側1車線区間が多く、交通集中のため慢性的に渋滞が発生する。 大津港や竹生島港を中心に琵琶湖汽船(京阪グループ)とオーミマリン(近江鉄道グループの近江トラベル運営)が観光遊覧船を開設しているほか、近江八幡市の沖島と堀切新港を結ぶ通船や沖島と長命寺港を結ぶ渡し船が存在する。以下、琵琶湖汽船とオーミマリンによる定期観光航路を挙げる。 滋賀県で登録された自動車ナンバープレートは全て「滋賀」で、守山市の滋賀運輸支局で交付される。他府県民から「ゲジナン」や「ゲジゲジ」、または「イナズマナンバー」と揶揄されることがあるが、これは「滋」の「幺幺」の部分から連想されたものである。野洲市出身の西川貴教の呼びかけで2009年(平成21年)より草津市で開催されている大型野外音楽ライブ「イナズマロックフェス」の「イナズマ」は、ナンバープレートの俗称から命名された。 滋賀県域を放送対象地域とする放送局の親局は、地上デジタルテレビは大津市の宇佐山、FMラジオは湖南市の十二坊で分かれている。また京都府との1府1県を放送対象地域とするKBS京都のFM補完中継局の送信所は府県境である比叡山に置かれている。 県域放送局 テレビ放送について、当県は放送対象地域としての「近畿広域圏(大阪府大阪市に本局を置き、近畿地方全域を放送エリアとする在阪準キー局)」に含まれており、このうち毎日放送・朝日放送テレビ・関西テレビ・読売テレビについては県内に中継局が置局されている。また地域によっては比叡山にあるKBS京都中継局からのスピルオーバーによる京都放送の視聴が可能である(KBS京都の公式の電波到達範囲図)。 AMラジオについては在阪、在名各局とも受信可能。 FMラジオについては京都のエフエム京都のほか、大阪のエフエム大阪、FM802も一部では聴取可能である。またNHK京都・大阪も聴取可能である。 2013年(平成25年)時点で13の大学・短期大学が立地しており、特に人口あたりの大学生数は京都府・東京都に次ぐ全国3位に位置している。小学校では京都府とともにランリック(ランリュック)がよく普及している。また児童の交通安全のための飛び出し坊やの設置が多く、飛び出し坊や愛好家のみうらじゅんからも注目されている。滋賀県独自の教育事業として、小学校5年生などを対象に琵琶湖上で行われる滋賀県立びわ湖フローティングスクール(平成24年内閣総理大臣賞の第5回海洋立国推進功労者表彰を受賞)がある。 国立 公立 私立 私立 私立 京都・大阪の文化圏に属し、とりわけ京都方面からの影響が大きい。岐阜県関ケ原町から滋賀県米原市にかけては東西文化の境界線をなす(アホかタワケか、雑煮が丸餅か角餅かなど)。湖北地方は北陸や東海の文化との緩衝地帯でもあり、例えば雑煮の味付けが北陸風の澄まし汁だったり(湖北地方以外は味噌仕立てが主流)、東海3県のブロック紙である中日新聞が広く配達されていたりする(米原市では6割強のシェアを占める)。 『角川日本地名大辞典』では「温和で、一徹ではなく、計数に明るく利害に敏感で、蓄財に長じている。文にたけるが武はそれほどでもない。」「地味で着実、おとなしく粘り強く努力する。」としている。社寺(滋賀県には浄土真宗門徒が多い)を中心とする伝統的な地縁社会であることから、保守的・閉鎖的であるとの指摘もある。祖父江孝男は、滋賀県の県民性イメージは近江商人に関するステレオタイプから生み出された部分が大きいとしている。 滋賀県内で話される方言は近畿方言(いわゆる関西弁)に分類され、京言葉と共通する特徴が多い。近世の近江国は、中央に琵琶湖がある地理的要因と小藩が乱立する政治的要因によって国内の交流が制限された一方、街道の発達によって地域それぞれに周辺諸国(美濃や若狭など)と交流を持っていたため、狭い面積でありながら細かな地域差があり、特に湖北地方の方言は独自性が強い。滋賀県の方言の特徴としては、第三者待遇表現の多用や、「そ」で始まる指示語のハ行音化(例:それ→ほれ)、終助詞「ほん」(湖東・湖北)などが挙げられる。 滋賀県では突出して盛んなスポーツはなく、2008年(平成20年)にBリーグ(当時bjリーグ)の滋賀レイクスターズが設立されるまでは滋賀県に本拠地を置くプロスポーツチームは存在しなかった。2017年より滋賀ユナイテッドベースボールクラブが独立リーグのベースボール・チャレンジ・リーグに参戦した(2022年は滋賀GOブラックスの名称で日本海オセアンリーグに所属し、2023年は活動休止、2024年以降の所属リーグ未発表)。高校野球でも近畿勢で唯一優勝経験がない(日本の高校野球#近畿参照)。一方で近年サッカーのレベルが向上しており、2005年(平成17年)に滋賀県立野洲高等学校が全国高等学校サッカー選手権大会で優勝を果たしている。滋賀県本拠地のサッカークラブとして、日本フットボールリーグ(JFL)に、Jリーグ参入を目指すMIOびわこ滋賀(本拠:草津市)が存在する。他に、栗東市には日本中央競馬会の栗東トレーニングセンターが所在する。 琵琶湖には海津大崎など数々の景勝地があり、とりわけ近江八景は近世より日本有数の名勝として知られた。さらに、彦根藩士・森川許六選の「風俗文選」(1706年(宝永3年)に刊行された)の「湖水賦」の項には近江の名所旧跡が詳細に述べられている。 近年でも琵琶湖八景が設定され、景観の良さで内外に知られている。また歴史上早くに都が置かれ、中世から近世において交通における重要拠点であったことや、太平洋戦争の戦災や戦後の乱開発も比較的少なかったことなどから、社寺・城郭・伝統的景観などの歴史的観光資源が豊かである。それらの自然・文化・風土の奥深さに、古くは松尾芭蕉が、近代でも司馬遼太郎や白洲正子らが魅せられ、滋賀の地を深く愛した。 主な観光地としては、全国的にも有名な長浜・彦根・近江八幡・信楽のほか、世界遺産(文化遺産)である比叡山延暦寺をはじめとする多数の寺院や史跡、湖国随一の規模と歴史を持つおごと温泉などが存在する。また、琵琶湖およびその周辺の自然環境では釣り・ボート・ヨット・ミシガンクルーズ・スキー・登山・キャンプ・琵琶湖一周自転車ツーリング(通称ビワイチ)などのアウトドア・レジャーが盛んであり、自然・歴史・文化など多方面にわたって観光資源が極めて豊富なことから、京阪神・中京圏・北陸圏などから多数の観光客が訪れている。なお、滋賀県の年間延べ観光客数は2011年に過去最多の4,735万人となった。 近年、琵琶湖以外の自然環境では里山や田園、カバタなどがグリーンツーリズム・エコツーリズムの観点から見直されつつある。その他特筆すべき文化施設やイベントとして、西日本最大級のオペラ拠点であるびわ湖ホールがあるほか、野外型大型ロックフェスの『イナズマロックフェス』や彦根市のゆるキャラ「ひこにゃん」ブームに端を発した『ゆるキャラグランプリ』、伝統の大津祭、日本三大山車祭の一つ長浜曳山祭、ラ・フォル・ジュルネびわ湖、鳥人間コンテスト、びわ湖大花火大会などの開催があり、これらの催事にも県外から多くの人が訪れる。 グルメでは最高級和牛ブランドの一つ近江牛を筆頭に、近江米・鮒寿司・鮎屋の鮎巻・比叡ゆば・鴨料理・うばがもち・赤こんにゃく・焼き鯖そうめんといった伝統食のほか、クラブハリエのバームクーヘンが人気である。さらに近年では、湖国ブラックや近江ちゃんぽん、その他新鋭の個人ラーメン店が競い合い、滋賀ご当地ラーメンとして内外で盛り上がりを見せている。 上述の「ビワイチ」(琵琶湖一周の愛称)が自転車愛好家を中心に認知度が高いことにより、近年、琵琶湖及びその周辺に点在する豊富な自然・歴史・文化的資源を周遊・体験する観光企画ブランド「ビワイチの旅」が県内外へ発信されておりナショナルサイクルルートに認定された。 滋賀県では2012年9月現在、1件の世界遺産(文化遺産)、55件の国宝、806件の重要文化財が指定されている。 国宝の指定件数は京都府・東京都・奈良県・大阪府に次ぐ5位、重要文化財の指定件数は東京都・京都府・奈良県に次ぐ4位で、特に国宝建築物22件は、奈良県(64件)・京都府(48件)に次ぐ3位に位置しており、4位の兵庫県(11件)以下を離している。 近年多数の歴史的文化財や史跡・優れた景観を生かして、映画やドラマのロケ地として積極的に誘致活動が行われている。 友好都市は以下の通り。 出身者以外で滋賀県にゆかりのある人物としては、大津宮を開いた天智天皇、粟津(現在の大津市)で斃れた源義仲、義仲が眠る大津市の義仲寺を墓所とした松尾芭蕉、大津市の園城寺で受戒し法明院を墓所としたアーネスト・フェノロサ、近江八幡を活動拠点とし県内にも多くの名建築を残したウィリアム・メレル・ヴォーリズなどがいる。 1876年から1881年までの間、滋賀県だった旧若狭国および旧越前国敦賀郡(嶺南)の出身者に関しては、「Category:福井県出身の人物」、「福井県出身の人物一覧」を参照。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "滋賀県(しがけん)は、日本の近畿地方に位置する県。県庁所在地は大津市。かつての近江国に相当するが、1876年から1881年までは若狭国および越前国敦賀郡(嶺南)も含んでいた。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "令制国の近江国(江州)と完全に一致する。県名は大津が属していた郡名「滋賀郡」から採用された。「滋賀」の発音は、共通語では「し」にアクセントを置く(頭高型アクセント)が、地元では「が」にアクセントを置く(尾高型アクセント)ことが多い。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「近江」が「近つ淡海」に由来し、現在も滋賀県が「湖国」と呼ばれるように、県の面積の6分の1を占める琵琶湖は県のシンボルである。産業用水、飲用水の源、観光資源としてその存在は大きく、地域性も琵琶湖を挟んで異なる。琵琶湖があるために内陸県で唯一漁港を持ち、その数も20港と多い。水運交易が盛んだった中世や近世には若狭湾と上方を繋ぐ中継地として、大津や堅田など内水系の重要港湾が数多く発展した。東海道・東山道(中山道)・北陸道が合流する陸上交通の要衝であり、「近江を制する者は天下を制す」としてたびたび戦乱の舞台となった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "交通利便の良さは人材の流出をもたらし、戦前まで滋賀県は流入人口よりも流出人口の方が多かった。中世から近代にかけては多くの出身者が近江商人として大坂や江戸など全国各地に進出し、「琵琶湖の鮎は外に出て大きくなる」という諺まで生まれた。太平洋戦争後、高速道路の整備やトラック流通の興隆に伴って交通利便のよさが再認識され、流通拠点や工場・研究開発施設が相次いで進出。近年はJR西日本の看板列車である新快速の拡大に伴って、琵琶湖線(東海道本線)沿いの大津市や草津市といった湖南地域は、京都市や大阪市といった大都市のベッドタウン・衛星都市としても注目されるようになり、首都圏以外の地方では数少ない人口増加県へと転じた。なお、開発が進むのは京都や大阪に近い南部であり、北部とは経済格差が起こっている。南部では新興住宅地が広がり、南草津駅などの駅前にはマンションが林立するなど賑わいがある一方で、北部や西部は田園風景が広がり、地域によって人口動態の開きが大きい。ただ人口が停滞している湖北・湖東地域であっても地域再生の議論や実践が活発である。また、滋賀県は西日本有数の工業県でもあり、県内総生産の48%を第二次産業が占める(全国1位)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "滋賀県は近畿地方に分類され、文化的・経済的に関西2府7県の一つとして京都・大阪との結び付きが強い。特に隣接する京都とは「京滋」と呼ばれるほど古くから密接なつながりを持ち、県庁所在地である大津市と京都市は隣接している。県南部を中心に京都府・大阪府に通勤通学する、いわゆる「滋賀府民」も多い。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "また、地理的な立ち位置から中部地方との交流も盛んである。近畿圏整備法で定める「近畿圏」と中部圏開発整備法で定める「中部圏」の両方に含まれ、滋賀県知事は近畿ブロック知事会と中部圏知事会議の両方に出席している(福井県と三重県も同様)。また福井県・岐阜県・三重県とともに「日本まんなか共和国」を設立し、知事サミットや文化交流事業などを行っている。愛知万博では中部8県とともに「中部千年共生村」を共同出展した。北部は近畿・中京・北陸の交点であり、工場や物流センターの設置計画が進む。なお、NHK名古屋放送局で制作する東海3県(愛知県・岐阜県・三重県)向けの天気予報には常時滋賀県の予報が表示される。また、かつてテレビ東京系列で放送され滋賀のびわ湖放送でも放送された「メガTONニュースTODAY」の最後の天気予報 では、少なくとも1985年10月以降は、全国の天気予報の後各地の天気を報じる際「滋賀・東海地方」の区分で報じられ、次の「近畿・せとうち地方」には京都府・奈良県以西のみが表示されていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "高度成長期に水質汚染の被害を受けた琵琶湖があることから、県民や行政の環境への意識が高く、また環境関連企業や人材が集積していることから全国でも屈指の「環境先進県」として知られている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "本県は琵琶湖及びそれを取り囲む山々(比叡山・比良山系・伊吹山・鈴鹿山系)を有し、早くから都が置かれ、古代・中世から交通における重要拠点であったことから日本史上の関わりが極めて強く、県全土にわたり自然・歴史・文化的資源が豊富に存在する(後述)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "周囲を山脈・山地が取り囲み、中央部に琵琶湖と近江盆地が広がる。面積は全国で10番目に狭い。面積の半分以上は山地、およそ6分の1は琵琶湖が占めており、可住地面積は大阪府よりも狭い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "全域が内陸性気候であるが、北部は北陸・山陰型の日本海側気候、南部は太平洋側気候および瀬戸内海式気候を併せ持つ。 他の地域のように日本海側気候と太平洋側気候の境目に山地があるわけではなく、湖岸に広がる同一の平地のなかで漸次的に気候が変化していくのが大きな特徴である。しかし、琵琶湖があるため他の盆地と比較すると、夏の暑さと冬の寒さは幾分穏やかである。湖西・湖北は大部分が特別豪雪地帯や豪雪地帯に指定されており、特に旧余呉町は近畿以西唯一にして日本最南端の特別豪雪地帯となっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "伊吹山では昭和2年2月14日に11.82メートルの積雪を観測した。これは正式に観測された積雪量としては世界記録である。滋賀県の主な豪雪地帯は県西部の朽木村、県北西部のマキノ在原、県最北部の余呉町、県北東部の米原甲津原の4地域に分けられる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "なかでも長浜市余呉町旧片岡村・丹生村では高い数値の降雪が記録されている。町の最北端に位置する中河内で1981年の五六豪雪時に6メートル55センチを記録した。特に積雪の多かったとされる1936年には、いずれも公式の気象観測施設によるものではないが、尾羽梨で7メートル30センチ、中河内で7メートル20センチを記録した。『日本残酷物語 第4部 保障なき社会』(平凡社、1960年)には、丹生北部の雪の惨状として「この辺りでは雪が平年で20尺 (約6メートル)多い年は30尺(約9メートル)は積もる。この年の大雪では30尺以上積もった。その場所と言うのが奥川並の集落のようである。」との記載がある。また比良山地東麓では比良おろしという北西の局地風があり、3月下旬に吹くものは「比良八講荒れじまい」と呼ばれ、春の訪れを告げる風物詩となっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "総面積に対する自然公園面積の割合が37.6 %で(平均14.5 %)であり、2007年(平成19年)時点で第1位である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "以下の13市3郡6町がある(町はすべて「ちょう」と読む)。また、村は2005年に消滅している。江戸時代には江南(現在の湖南)・江西(現在の湖西)・江東(現在の湖東・湖北)に3区分されていたが、明治時代以降、琵琶湖を中心に湖南(こなん)・湖東(ことう)・湖北(こほく)・湖西(こせい)に4区分するのが一般的となった。この4区分以外に区分される場合があり、例えば2017年時点で滋賀県では大津地域、南部地域、甲賀地域、東近江地域、湖東地域、湖北地域、高島地域の7地域に区分がされている。各々に属する自治体は以下の通り。なお、郡は1878年(明治11年)の浅井郡の東西分割と1897年(明治30年)の西浅井郡の伊香郡編入以外は、大宝律令以来の郡名と区画が昭和の大合併期までほぼ踏襲されていた。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "※人口は2023年10月1日現在", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "※太字の自治体は県事務所(合同庁舎)所在地", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "畿内に隣接する交通の要衝であり平野部も多く、天智天皇のころには大津に都が置かれるなど、古くから開発が進んだ。京都市と事実上の双子都市を形成している大津市や、大津の伝統的な衛星都市であった草津市をはじめ、現在では通勤・通学圏として京阪との繋がりが強く、いわゆる「滋賀府民」の多い地域となっている。甲賀は、県境を挟んで接する三重県伊賀地域と並んで忍者(傭兵)と製薬の町として知られる。甲賀市信楽は古代に短期間ながら紫香楽宮が置かれた地であり、中世以降は信楽焼の産地として長い歴史を持つ。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "湖南地方とともに平野部が大きく開けており、穀倉地帯や交通の要衝として栄え、肉牛の飼育が盛ん。近江商人を最も多く輩出した地域でもある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "京阪から最も遠い地方であり、関西文化圏の東端であるとともに北陸地方や東海地方との緩衝地帯である。近代には養蚕業が盛んであったが、現在では湖南地方や湖東地方に比べて宅地やオフィスの開発や工場進出が遅れている(いわゆる「南北格差」)。しかし、そのために伝統的な文化や景観が保たれている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "畿内と若狭湾・北陸地方を結ぶ街道筋で、湖南地方とともに京都との繋がりが強い。近代に幹線交通網から外れたため、開発から取り残されていた。安曇川扇状地と石田川扇状地を除いて平野部が少なく、琵琶湖近くまで山地が迫る自然豊かな地方である。歴史・文化的には大津市北部も湖西に含まれる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "合併により2004年(平成16年)以降に廃止になった自治体は下記の通りである。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "滋賀県はその地理的特性から、奈良・京・大坂への物資や人材の供給源および中継地、あるいは畿内と東国・北国とを結ぶ要衝として発展し、日本の中央史に大きく関わってきた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "白洲正子は随筆『近江山河抄』の中で「近江は日本の楽屋裏」と評した。また歴史学者の今谷明は著書『近江から日本史を読み直す』の中で「近江の歴史を書くことは、日本通史を著すのと同じこと」と語り、近江の歴史的価値と重要性を奈良・京と同等かそれ以上に高く評価している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "弥生時代から多くの渡来人が入植し、都に近いために早い時期から開発が進められた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "伝承の時代ではあるが、記紀の記事によれば、第12代景行天皇、第13代成務天皇、第14代仲哀天皇が志賀高穴穂宮(大津市)で天下を治めたとあり、古代から政治的に重要な地域であったことを示唆している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "国造が分立した時代には、滋賀県は淡海国造と安国造の領域であった。その他、犬上県主や息長氏、蒲生稲置、三上祝など有力豪族が多く存在した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "古墳時代の5世紀中葉に現皇室の直系の皇祖に当たる継体天皇が近江で生誕し、仁徳朝の25代目武烈天皇が断絶したため、507年に第26代天皇として即位している。飛鳥時代には近江大津宮(天智天皇)、奈良時代には紫香楽宮(聖武天皇)や保良宮(淳仁天皇)が置かれた。壬申の乱や藤原仲麻呂の乱といった戦乱の舞台となることがたびたびあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "奈良時代に藤原仲麻呂が編纂した藤原氏の「家伝」には、「近江国は宇宙(あめのした)に名の有る地なり。地広くして人衆(おお)くして、国富み家給(そな)う。」 と書かれており、古代近江は琵琶湖の淡水を介在し、広い平野に多くの人達が住んでおり、豊かな地であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "近江は延喜式内社の総数が近畿圏では、大和に次いで2番目、全国でも大和、伊勢、出雲に次いで4番目に多く、古代から近江は日本の重要な地位を担っていたといえる。(近江国の式内社一覧)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "平安時代初期に近江出身の僧最澄は比叡山に延暦寺を開創した。延暦寺は数々の名僧を輩出し、現代に続く日本の仏教文化を大きく発展させた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "平安中期より佐々木氏が近江に起こった。佐々木氏は源頼朝が関東地方で勃興するとこれに積極的に加わり、近江一国の守護職を得た。以降、六角氏や京極氏に分かれながら、佐々木一族は戦国時代に至るまで近江国を支配した。南北朝期にはばさら大名で有名な佐々木道誉(高氏)が出て京極家の勢威を伸ばした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "本願寺蓮如の大布教が始まると、大津付近は一向宗色が強くなった。このため、これを喜ばない比叡山がたびたび攻撃を仕掛けた。比叡山東麓の坂本は一向宗の堅田と経済的にも対立していたことから、両者の抗争は頻繁であった。この後に蓮如は大津に一向宗拠点を構えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "戦国時代に入ると、北部に浅井氏が台頭する。形の上で京極氏を奉じた浅井氏は南部を領する六角氏と抗争する。織田信長と結んだ浅井長政に至って六角氏を駆逐するが、後に将軍の信長包囲網に加わって信長に抵抗、小谷城の戦いにより、1573年(天正元年)に滅んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "近江国を支配圏に入れた信長は、根拠地として近江盆地に安土城を築城する。信長の死後は畿内を地盤とする羽柴秀吉と、越前国北の庄を地盤とする柴田勝家の係争地となり、北部で行われた賤ヶ岳の戦いにおける秀吉の勝利で決着がつけられた。秀吉は初めての領地が長浜であった関係で、多数の近江国住民を主に事務方として登用した。石田三成はその1人である。また秀吉の甥豊臣秀次は八幡山城およびその城下町を築き、琵琶湖につながる運河八幡堀を整備し、商業を振興させた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "その他、近江からは蒲生氏郷・藤堂高虎・大谷吉継など数々の名武将を輩出した。戦国時代から江戸時代にかけての甲賀郡では甲賀流忍者が活動していた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "徳川家康は、徳川氏における精鋭軍を率いる井伊氏を関ヶ原に近い彦根に入封させて西国の抑えとし、北部の大部分は彦根藩の領土となった。まとまった大藩は彦根藩のみであり、その他は膳所藩、水口藩、大溝藩、西大路藩、宮川藩、山上藩、三上藩といった小藩、交代寄合の最上家の大森陣屋、交代寄合の朽木家の朽木陣屋、さらに他国の諸藩領や天領などが入り交じり、江戸時代の近江国の領地区分は複雑な様相を呈していた。江戸時代初期には将軍上洛用御殿が水口城、永原御殿、伊庭御殿、柏原御殿とあったが、3代将軍家光以降は上洛が途切れ御殿が次第に老朽化して、廃れていった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "文化面において特筆すべきは、江戸初期の人物で近江聖人とも称された儒教学者中江藤樹が活躍し、日本の陽明学を発展させた。松尾芭蕉(義仲寺に眠る)は近江を旧里と呼ぶほど好んで訪れ俳諧を高めたとともに、近江蕉門と呼ばれる数多くの門人を輩出した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "また江戸時代には、鎌倉時代から続く商工業が飛躍的に発達し、犬上・愛知・神崎・蒲生・高島の各郡、特に八幡・日野・五個荘などから近江商人を多く輩出した。一部の商人は幕末から明治維新の混乱で没落したものの、近代以降も多くの近江商人が活躍し、今日に至る日本経済の発展に寄与した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "明治維新により幕府領・旗本領に大津県が設置された後、廃藩置県によって各藩は各県に移行し、1871年11月22日、新たな大津県(滋賀郡・蒲生郡以南)と長浜県(高島郡・神崎郡以北)に統合された。翌1872年1月19日に大津県が滋賀県に、2月27日に長浜県が犬上県にそれぞれ改称され、9月28日に両県が合併し、近江国、並びに現在と領域を同じくする新たな滋賀県が成立した。その後、1876年8月21日から1881年2月7日までの4年半には、現在の福井県嶺南地方(敦賀市以西)を編入した。この間、滋賀県は若狭湾に面していたことになる。敦賀市以西を分離する際、地元では反対運動がおこり、時の滋賀県令、籠手田安定が1881年2月、反対文書(若狭・越前四郡離脱に対する建議書)を、太政大臣三条実美と内務卿松方正義宛に送った。本庁舎は大津に置かれたが、南西に偏在しているため、近江国最大の城下町であった彦根も候補に上がっていた。1891年と1936年の2度、大津から彦根への本庁舎移転運動が起こったことがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "京都や大阪に近いながらも自然豊かで地価も比較的安いため、京都・大阪の通勤通学圏として住宅需要が高く、住宅開発が活発である。交通利便性の向上を下地にしたモノづくり拠点の整備や商業施設の開業・増設が続き、地方にあって人口増加が続いてきた。2020年に実施した国勢調査によると滋賀県の人口増加率は+0.05 %で、47都道府県の中で第8位。近畿地方では滋賀県だけが増加した。草津市の+4.86%、守山市の+4.23 %、栗東市の+3.10%は全国の市町村トップ100に入っている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "国立社会保障・人口問題研究所の将来推計(2018年3月公表)によると、2015年〜2045年の人口指数(2015年時点の人口を100としたときの2045年の人口)は89.4になり、全国的には東京都・沖縄県・愛知県・神奈川県・埼玉県に次いで減少率が緩やかになると見込まれている。特に草津市、守山市、栗東市の3市は2015年〜2045年の人口指数が105を超える高水準である。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "湖南地方で人口増加する自治体が多い一方、県北部や郡部では人口減少率の大きな地域もあり二極化が進んでいる。2020年国勢調査によると甲良町では9.62%、高島市では7.29%の人口減となった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "地方公共団体コードごとに市町村を以下に列挙する。現在、19市町(13市6町)がある。法定人口は2020年(令和2年)10月1日実施の国勢調査の値、推計人口は2023年10月1日の値。人口密度は推計人口 / 面積で算出したもの。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "歴代知事(公選)を以下に抜粋", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区が4。参議院では、全県で1区を構成。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "滋賀県は、日本有数の消費地である京都・大阪を支える農業県であった。滋賀県内の農業は稲作中心で、県内の耕地面積のほとんどを水田が占めている(2011年の水田率国内第2位)。滋賀県で生産された米は「江州米」または「近江米」として知られる。戦後の第2次産業・第3次産業の発展に伴い、県内の農家の多くは兼業農家であり、2010年の副業農家率は国内第3位である。また滋賀県は日本茶発祥の地とされ、江戸時代には政所茶が宇治茶と並ぶブランド茶として名を馳せ、現在も甲賀市土山町(土山茶。県内最大の栽培面積・生産量)と信楽町朝宮(「朝宮茶」。日本五大銘茶のひとつ)を中心に栽培が行われている。その他、第1次産業においては、琵琶湖における漁業(アユ・ビワマス・セタシジミなど)、湖東地方を中心とする近江牛の生産などが盛んである。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "現在は西日本有数の工業県であり、2010年の工業生産出荷額は6兆5,741億円に達する。県内総生産に占める第二次産業・製造業の割合は40%を超え、全国1位である。主要な工業生産品には近世からの伝統産業である日野・甲賀地方の医薬品(特に置き薬)があり、2011年の医薬品生産額は2,506億円(全国11位、シェア3.6 %)となっている。また滋賀県内には既述の医薬品を含め主に9つの地場産業が存在する。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "「環境先進県」としても知られており、県内には新エネ・省エネ・蓄電池・水処理・バイオなどの環境関連企業・技術・人材・教育機関が集積している他、「医工連携」プロジェクトによる医療・健康機器分野の成長が期待されている。また第3次産業を主体に、県内の就業者数は一貫して増加している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "2012年の滋賀県の GDP(県内総生産)は、人口で上回る鹿児島県・熊本県のそれよりも大きい。一人当たりの県民所得(県民経済計算)についても2013年度で第4位となっており、全国トップクラスとなっている。 今後の中期経済成長率については民間シンクタンクによれば、「堅調な人口動態と若年人口比率の高さ」・「京阪神と名古屋の中間経済圏としての立地と交通利便性」・「産業集積度や産学官連携推進」などにより、全国上位と予測されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "また厚生労働省の報告書「平成27年版 労働経済の分析」によると、2012年時点における滋賀県の有業者数あたりの専門職人材(研究者・技術者・医師・会計士・教員などの専門的職業従業者)比率は、東京都・神奈川県・京都府に次ぐ高さとなっており、当県に専門的・技術的職業の人材が集積している。完全失業率は全国平均未満 であり、比較的堅実である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "滋賀県内の第3次産業活動については、県庁所在地である大津市や人口が密集している草津市を中心とした湖南地域にやや偏っている。またびわ湖環境ビジネスメッセや滋賀ビジネスパートナーといった経済イベントが開催されているほか、滋賀経済同好会では近江商人の哲学・精神を守り、広げていく活動が行われている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "他多数。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "現在は県内に空港は存在しない。戦前・戦中には大日本帝国陸軍用の八日市飛行場が存在。また戦後には日野町周辺にびわこ空港を作る構想があった。県周辺の主な空港は以下の通り。県内と各空港を直接つなぐ公共交通機関は関西空港駅と草津駅および野洲駅を結ぶ特急列車「はるか」のみである。2021年現在リムジンバスなどの運行はない。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "信楽高原鐵道を除いて電化されており、すべてのJR路線が幹線である。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "一般路線バスを運行する事業者", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "主要な国道や県道でも高規格化整備が遅れており、至る所で渋滞が発生している。特に国道1号と国道8号は県内において依然、片側1車線区間が多く、交通集中のため慢性的に渋滞が発生する。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "大津港や竹生島港を中心に琵琶湖汽船(京阪グループ)とオーミマリン(近江鉄道グループの近江トラベル運営)が観光遊覧船を開設しているほか、近江八幡市の沖島と堀切新港を結ぶ通船や沖島と長命寺港を結ぶ渡し船が存在する。以下、琵琶湖汽船とオーミマリンによる定期観光航路を挙げる。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "滋賀県で登録された自動車ナンバープレートは全て「滋賀」で、守山市の滋賀運輸支局で交付される。他府県民から「ゲジナン」や「ゲジゲジ」、または「イナズマナンバー」と揶揄されることがあるが、これは「滋」の「幺幺」の部分から連想されたものである。野洲市出身の西川貴教の呼びかけで2009年(平成21年)より草津市で開催されている大型野外音楽ライブ「イナズマロックフェス」の「イナズマ」は、ナンバープレートの俗称から命名された。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "滋賀県域を放送対象地域とする放送局の親局は、地上デジタルテレビは大津市の宇佐山、FMラジオは湖南市の十二坊で分かれている。また京都府との1府1県を放送対象地域とするKBS京都のFM補完中継局の送信所は府県境である比叡山に置かれている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "県域放送局", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "テレビ放送について、当県は放送対象地域としての「近畿広域圏(大阪府大阪市に本局を置き、近畿地方全域を放送エリアとする在阪準キー局)」に含まれており、このうち毎日放送・朝日放送テレビ・関西テレビ・読売テレビについては県内に中継局が置局されている。また地域によっては比叡山にあるKBS京都中継局からのスピルオーバーによる京都放送の視聴が可能である(KBS京都の公式の電波到達範囲図)。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "AMラジオについては在阪、在名各局とも受信可能。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "FMラジオについては京都のエフエム京都のほか、大阪のエフエム大阪、FM802も一部では聴取可能である。またNHK京都・大阪も聴取可能である。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "2013年(平成25年)時点で13の大学・短期大学が立地しており、特に人口あたりの大学生数は京都府・東京都に次ぐ全国3位に位置している。小学校では京都府とともにランリック(ランリュック)がよく普及している。また児童の交通安全のための飛び出し坊やの設置が多く、飛び出し坊や愛好家のみうらじゅんからも注目されている。滋賀県独自の教育事業として、小学校5年生などを対象に琵琶湖上で行われる滋賀県立びわ湖フローティングスクール(平成24年内閣総理大臣賞の第5回海洋立国推進功労者表彰を受賞)がある。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "国立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "公立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "私立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "私立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "私立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "京都・大阪の文化圏に属し、とりわけ京都方面からの影響が大きい。岐阜県関ケ原町から滋賀県米原市にかけては東西文化の境界線をなす(アホかタワケか、雑煮が丸餅か角餅かなど)。湖北地方は北陸や東海の文化との緩衝地帯でもあり、例えば雑煮の味付けが北陸風の澄まし汁だったり(湖北地方以外は味噌仕立てが主流)、東海3県のブロック紙である中日新聞が広く配達されていたりする(米原市では6割強のシェアを占める)。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "『角川日本地名大辞典』では「温和で、一徹ではなく、計数に明るく利害に敏感で、蓄財に長じている。文にたけるが武はそれほどでもない。」「地味で着実、おとなしく粘り強く努力する。」としている。社寺(滋賀県には浄土真宗門徒が多い)を中心とする伝統的な地縁社会であることから、保守的・閉鎖的であるとの指摘もある。祖父江孝男は、滋賀県の県民性イメージは近江商人に関するステレオタイプから生み出された部分が大きいとしている。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "滋賀県内で話される方言は近畿方言(いわゆる関西弁)に分類され、京言葉と共通する特徴が多い。近世の近江国は、中央に琵琶湖がある地理的要因と小藩が乱立する政治的要因によって国内の交流が制限された一方、街道の発達によって地域それぞれに周辺諸国(美濃や若狭など)と交流を持っていたため、狭い面積でありながら細かな地域差があり、特に湖北地方の方言は独自性が強い。滋賀県の方言の特徴としては、第三者待遇表現の多用や、「そ」で始まる指示語のハ行音化(例:それ→ほれ)、終助詞「ほん」(湖東・湖北)などが挙げられる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "滋賀県では突出して盛んなスポーツはなく、2008年(平成20年)にBリーグ(当時bjリーグ)の滋賀レイクスターズが設立されるまでは滋賀県に本拠地を置くプロスポーツチームは存在しなかった。2017年より滋賀ユナイテッドベースボールクラブが独立リーグのベースボール・チャレンジ・リーグに参戦した(2022年は滋賀GOブラックスの名称で日本海オセアンリーグに所属し、2023年は活動休止、2024年以降の所属リーグ未発表)。高校野球でも近畿勢で唯一優勝経験がない(日本の高校野球#近畿参照)。一方で近年サッカーのレベルが向上しており、2005年(平成17年)に滋賀県立野洲高等学校が全国高等学校サッカー選手権大会で優勝を果たしている。滋賀県本拠地のサッカークラブとして、日本フットボールリーグ(JFL)に、Jリーグ参入を目指すMIOびわこ滋賀(本拠:草津市)が存在する。他に、栗東市には日本中央競馬会の栗東トレーニングセンターが所在する。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "琵琶湖には海津大崎など数々の景勝地があり、とりわけ近江八景は近世より日本有数の名勝として知られた。さらに、彦根藩士・森川許六選の「風俗文選」(1706年(宝永3年)に刊行された)の「湖水賦」の項には近江の名所旧跡が詳細に述べられている。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "近年でも琵琶湖八景が設定され、景観の良さで内外に知られている。また歴史上早くに都が置かれ、中世から近世において交通における重要拠点であったことや、太平洋戦争の戦災や戦後の乱開発も比較的少なかったことなどから、社寺・城郭・伝統的景観などの歴史的観光資源が豊かである。それらの自然・文化・風土の奥深さに、古くは松尾芭蕉が、近代でも司馬遼太郎や白洲正子らが魅せられ、滋賀の地を深く愛した。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "主な観光地としては、全国的にも有名な長浜・彦根・近江八幡・信楽のほか、世界遺産(文化遺産)である比叡山延暦寺をはじめとする多数の寺院や史跡、湖国随一の規模と歴史を持つおごと温泉などが存在する。また、琵琶湖およびその周辺の自然環境では釣り・ボート・ヨット・ミシガンクルーズ・スキー・登山・キャンプ・琵琶湖一周自転車ツーリング(通称ビワイチ)などのアウトドア・レジャーが盛んであり、自然・歴史・文化など多方面にわたって観光資源が極めて豊富なことから、京阪神・中京圏・北陸圏などから多数の観光客が訪れている。なお、滋賀県の年間延べ観光客数は2011年に過去最多の4,735万人となった。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "近年、琵琶湖以外の自然環境では里山や田園、カバタなどがグリーンツーリズム・エコツーリズムの観点から見直されつつある。その他特筆すべき文化施設やイベントとして、西日本最大級のオペラ拠点であるびわ湖ホールがあるほか、野外型大型ロックフェスの『イナズマロックフェス』や彦根市のゆるキャラ「ひこにゃん」ブームに端を発した『ゆるキャラグランプリ』、伝統の大津祭、日本三大山車祭の一つ長浜曳山祭、ラ・フォル・ジュルネびわ湖、鳥人間コンテスト、びわ湖大花火大会などの開催があり、これらの催事にも県外から多くの人が訪れる。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "グルメでは最高級和牛ブランドの一つ近江牛を筆頭に、近江米・鮒寿司・鮎屋の鮎巻・比叡ゆば・鴨料理・うばがもち・赤こんにゃく・焼き鯖そうめんといった伝統食のほか、クラブハリエのバームクーヘンが人気である。さらに近年では、湖国ブラックや近江ちゃんぽん、その他新鋭の個人ラーメン店が競い合い、滋賀ご当地ラーメンとして内外で盛り上がりを見せている。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "上述の「ビワイチ」(琵琶湖一周の愛称)が自転車愛好家を中心に認知度が高いことにより、近年、琵琶湖及びその周辺に点在する豊富な自然・歴史・文化的資源を周遊・体験する観光企画ブランド「ビワイチの旅」が県内外へ発信されておりナショナルサイクルルートに認定された。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "滋賀県では2012年9月現在、1件の世界遺産(文化遺産)、55件の国宝、806件の重要文化財が指定されている。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "国宝の指定件数は京都府・東京都・奈良県・大阪府に次ぐ5位、重要文化財の指定件数は東京都・京都府・奈良県に次ぐ4位で、特に国宝建築物22件は、奈良県(64件)・京都府(48件)に次ぐ3位に位置しており、4位の兵庫県(11件)以下を離している。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "近年多数の歴史的文化財や史跡・優れた景観を生かして、映画やドラマのロケ地として積極的に誘致活動が行われている。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "友好都市は以下の通り。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "出身者以外で滋賀県にゆかりのある人物としては、大津宮を開いた天智天皇、粟津(現在の大津市)で斃れた源義仲、義仲が眠る大津市の義仲寺を墓所とした松尾芭蕉、大津市の園城寺で受戒し法明院を墓所としたアーネスト・フェノロサ、近江八幡を活動拠点とし県内にも多くの名建築を残したウィリアム・メレル・ヴォーリズなどがいる。", "title": "滋賀県出身の人物" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "1876年から1881年までの間、滋賀県だった旧若狭国および旧越前国敦賀郡(嶺南)の出身者に関しては、「Category:福井県出身の人物」、「福井県出身の人物一覧」を参照。", "title": "滋賀県出身の人物" } ]
滋賀県(しがけん)は、日本の近畿地方に位置する県。県庁所在地は大津市。かつての近江国に相当するが、1876年から1881年までは若狭国および越前国敦賀郡(嶺南)も含んでいた。
{{半保護}} {{Otheruses|日本の都道府県としての滋賀県|滋賀県の[[行政機関]]|滋賀県庁}} {{特殊文字|説明=[[Microsoftコードページ932]]([[はしご高]])}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 滋賀県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Chikubusumajinja01s3200.jpg | photo2a = Enryakuji Konponchudo04n4272.jpg | photo2b = Mount Ibuki from Mishima Pond (2012-08-21).JPG | photo3a = 近江八幡・八幡堀にて 2012.8.26 - panoramio.jpg | photo3b = Hikone Castle November 2016 -02.jpg | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center |space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[都久夫須麻神社]]([[竹生島]])から望む[[琵琶湖]]</tr> <td style="width:50%">[[延暦寺根本中堂]]と回廊<td style="width:50%">[[伊吹山]]と[[三島池]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[八幡堀]]<td style="width:50%">[[彦根城]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|滋賀県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[滋賀県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Shiga Prefecture.svg|80px|滋賀県章]] | 都道府県章の説明 = 滋賀県章 | 区分 = 県 | コード = 25000-7 | ISO 3166-2 = JP-25 | 隣接都道府県 = {{flag|福井県}}<br />{{flag|岐阜県}}<br />{{flag|三重県}}<br />{{flag|京都府}} | 木 = [[カエデ|モミジ]] | 花 = [[シャクナゲ]] | 鳥 = [[カイツブリ]] | シンボル名 = 他のシンボル | 歌など = 県民の歌 - [[滋賀県民の歌]]<br />シンボルマーク - [https://www.pref.shiga.lg.jp/motherlake/index.html Mother Lake]<br />イメージキャラクター - [[うぉーたん]]、[[キャッフィー]]<br />びわ湖の日 - [[7月1日]] | 郵便番号 = 520-8577 | 所在地 = 大津市京町四丁目1番1号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-25|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Shiga Prefectural Government Office.jpg|220px|滋賀県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 25 Shiga prefecture.svg|320px|滋賀県の位置]]{{基礎自治体位置図|25|000|image=Map of Shiga Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} [[ファイル:20091015琵琶湖.jpg|thumb|200px|滋賀県の象徴[[琵琶湖]]航空撮影<br />([[ランドサット]]衛星画像は[[:ファイル:Lake biwa.jpg|こちら]])]] '''滋賀県'''(しがけん)は、[[日本]]の[[近畿地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[大津市]]。かつての[[近江国]]に相当するが、[[1876年]]から[[1881年]]までは[[若狭国]]および[[越前国]][[敦賀郡]]([[嶺南]])も含んでいた。 == 概要 == [[令制国]]の[[近江国]](江州)と完全に一致する。県名は大津が属していた郡名「[[滋賀郡]]」から採用された。「滋賀」の発音は、共通語では「し」に[[アクセント]]を置く(頭高型アクセント)が、地元では「が」にアクセントを置く(尾高型アクセント)ことが多い。 {{main2|「滋賀」の語源|滋賀郡}} 「近江」が「近つ淡海」に由来し、現在も滋賀県が「'''湖国'''」と呼ばれるように、県の面積の6分の1を占める'''[[琵琶湖]]'''は県のシンボルである。産業用水、[[飲用水]]の源、観光資源としてその存在は大きく、地域性も琵琶湖を挟んで異なる。琵琶湖があるために[[内陸県]]で唯一[[漁港]]を持ち、その数も[[日本の漁港一覧#滋賀県|20港]]と多い。水運交易が盛んだった中世や近世には[[若狭湾]]と[[上方]]を繋ぐ中継地として、大津や[[堅田 (大津市)|堅田]]など内水系の重要港湾が数多く発展した。[[東海道]]・[[東山道]]([[中山道]])・[[北陸道]]が合流する陸上交通の要衝であり、「'''近江を制する者は天下を制す'''<ref>{{Cite web|和書 | authorlink = https://www.sankei.com/west/ | title = 「近江を制するものは天下を制す」信長、秀吉ゆかりの“城の国”…埋もれた山城を発掘“地方創生”に | publisher = 産経WEST | url = https://www.sankei.com/article/20150312-Z2N5YAJVG5M6TGXECIGQGI6HJ4/ | date =2015-3-12 | accessdate = 2017-1-15}}</ref>」としてたびたび戦乱の舞台となった。 交通利便の良さは人材の流出をもたらし、戦前まで滋賀県は流入人口よりも流出人口の方が多かった。中世から近代にかけては多くの出身者が[[近江商人]]として[[大阪|大坂]]や[[江戸]]など全国各地に進出し、「琵琶湖の鮎は外に出て大きくなる」という諺まで生まれた<ref group="注釈">[[アユ#亜種|琵琶湖の鮎]]は琵琶湖に留まったままでは大きく成長しない。近江の商人もそれと同様に、近江から出ていった方が大成できるという意味。</ref>。[[太平洋戦争]]後、[[高速道路]]の整備やトラック流通の興隆に伴って交通利便のよさが再認識され、流通拠点や工場・研究開発施設が相次いで進出。近年は[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]の看板列車である[[新快速]]の拡大に伴って、[[琵琶湖線]]([[東海道本線]])沿いの[[大津市]]や[[草津市]]といった湖南地域は、[[京都市]]や[[大阪市]]といった大都市の[[ベッドタウン]]・[[衛星都市]]としても注目されるようになり、[[首都圏 (日本)|首都圏]]以外の地方では数少ない人口増加県へと転じた<ref group=注釈>総務省の[[2010年]](平成22年)[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]によると、[[2005年]](平成17年)から[[2010年]](平成22年)の人口増減率が47都道府県中5位(首都圏を除くと[[沖縄県]]に次いで2番目)</ref>。なお、開発が進むのは京都や大阪に近い南部であり、北部とは経済格差が起こっている。南部では新興住宅地が広がり、[[南草津駅]]などの駅前にはマンションが林立するなど賑わいがある一方で、北部や西部は田園風景が広がり、地域によって人口動態の開きが大きい。ただ人口が停滞している湖北・湖東地域であっても[[地域おこし|地域再生]]の議論や実践が活発である<ref>新評論「地域再生 滋賀の挑戦」(森川稔編集)より。</ref>。また、滋賀県は[[西日本]]有数の工業県でもあり、県内総生産の48%を[[第二次産業]]が占める(全国1位)<ref name="なんでも一番">{{Cite web|和書|title=滋賀県なんでも一番|滋賀県ホームページ|url=https://www.pref.shiga.lg.jp/kensei/tokei/nandemo/22107.html |website=滋賀県 |access-date=2023-01-15|language=ja}}</ref>。 滋賀県は[[近畿地方]]に分類され、文化的・経済的に[[関西]]2府7県の一つとして京都・大阪との結び付きが強い。特に隣接する京都とは「[[京滋]]」と呼ばれるほど古くから密接なつながりを持ち、県庁所在地である大津市と京都市は隣接している。県南部を中心に[[京都府]]・[[大阪府]]に通勤通学する、いわゆる「[[滋賀府民]]」も多い。 また、地理的な立ち位置から[[中部地方]]との交流も盛んである。[[近畿圏整備法]]で定める「近畿圏」と[[中部圏開発整備法]]で定める「中部圏」の両方に含まれ、滋賀県知事は[[近畿ブロック知事会]]と[[中部圏知事会議]]の両方に出席している(福井県と三重県も同様)。また福井県・岐阜県・三重県とともに「[[日本まんなか共和国]]」を設立し、知事サミットや文化交流事業などを行っている。[[2005年日本国際博覧会|愛知万博]]では中部8県とともに「[[愛知万博の施設#日本ゾーン|中部千年共生村]]」を共同出展した。北部は近畿・中京・北陸の交点であり、[[工場]]や物流センターの設置計画が進む。なお、[[NHK名古屋放送局]]で制作する[[東海3県]]([[愛知県]]・[[岐阜県]]・[[三重県]])向けの天気予報には常時滋賀県の予報が表示される。また、かつて[[テレビ東京]]系列で放送され滋賀の[[びわ湖放送]]でも放送された「[[メガTONニュースTODAY]]」の最後の天気予報<ref group="注釈">ただし、びわ湖放送が当該天気予報コーナーをネットしたかどうかは不明。</ref> では、少なくとも1985年10月以降は、全国の天気予報の後各地の天気を報じる際「滋賀・東海地方」の区分で報じられ、次の「近畿・せとうち地方」には京都府・奈良県以西のみが表示されていた。 [[高度経済成長|高度成長期]]に[[水質汚染]]の被害を受けた琵琶湖があることから、県民や行政の環境への意識が高く、また環境関連企業や人材が集積していることから全国でも屈指の「'''環境先進県'''」として知られている<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/feature/ohtu1262263238366_02/news/20091231-OYT8T00710.htm 企業「環境先進県進出はメリット」](読売新聞){{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。 本県は琵琶湖及びそれを取り囲む山々([[比叡山]]・[[比良山地|比良山]]系・[[伊吹山]]・[[鈴鹿山脈|鈴鹿山]]系)を有し、早くから都が置かれ、古代・中世から交通における重要拠点であったことから[[日本の歴史|日本史]]上の関わりが極めて強く、県全土にわたり自然・歴史・文化的資源が豊富に存在する(後述)。 == 地理・地域 == 周囲を[[山脈]]・[[山地]]が取り囲み、中央部に琵琶湖と近江盆地が広がる。[[都道府県の面積一覧|面積]]は全国で10番目に狭い。面積の半分以上は山地、およそ6分の1は琵琶湖が占めており、[[都道府県の面積一覧#2001年 可住地面積の順位|可住地面積]]は[[大阪府]]よりも狭い。 === 地形 === * [[山地]]:[[比良山地]]、[[野坂山地]]、[[伊吹山地]]、[[鈴鹿山脈]]、[[丹波高地]] * [[山]]:[[伊吹山]]、[[比叡山]]、[[比良山]]、[[三上山]](近江富士) * [[盆地]]:[[近江盆地]] * [[丘]]:[[水口丘陵]]、饗庭野台地 * [[湖]]:[[琵琶湖]]、[[余呉湖]]、[[西の湖]]、[[伊庭内湖]]、[[大中湖]]([[1957年]](昭和32年) - [[1967年]](昭和42年)に干拓された内湖。[[諏訪湖]]に匹敵する面積であった) * [[島]]:[[沖島 (琵琶湖)|沖島]]、[[竹生島]]、[[多景島]]、[[沖の白石]]、[[矢橋帰帆島]](人工島) * [[川]]{{efn|北川(北川水系)と藤古川([[木曽川]]水系)を除き、全て淀川水系である。}}:[[北川]]、[[安曇川]]、[[姉川]]、[[犬上川]]、[[愛知川]]、[[日野川]]、[[野洲川]]、[[淀川|瀬田川]]、[[藤古川]] === 気候 === [[ファイル:Japan climate classification 1.png|thumb|滋賀県は複数の気候区分に跨っている。]] [[ファイル:気象庁の滋賀県の区分.jpg|thumb|気象庁の滋賀県の区分]] 全域が[[内陸性気候]]であるが、北部は北陸・山陰型の[[日本海側気候]]、南部は[[太平洋側気候]]および[[瀬戸内海式気候]]を併せ持つ。 他の地域のように日本海側気候と太平洋側気候の境目に山地があるわけではなく、湖岸に広がる同一の平地のなかで漸次的に気候が変化していくのが大きな特徴である。しかし、琵琶湖があるため他の盆地と比較すると、夏の暑さと冬の寒さは幾分穏やかである。湖西・湖北は大部分が特別豪雪地帯や[[豪雪地帯]]に指定されており、特に旧[[余呉町]]は近畿以西唯一にして日本最南端の特別豪雪地帯となっている。 ; 過去の最深積雪・降雪量記録 伊吹山では昭和2年2月14日に11.82[[メートル]]の積雪を観測した。これは正式に観測された積雪量としては世界記録である<ref>{{Cite news | last = 田中 | first = 将隆 | title = 数字でみる滋賀県:積雪量世界記録11.82メートル /滋賀 | newspaper = 毎日新聞 地方版/滋賀 | location = 志賀 | pages = 27 | publisher = 毎日新聞社 | date = 2014-2-19}}</ref>。{{要出典範囲|滋賀県の主な豪雪地帯は県西部の朽木村、県北西部のマキノ在原、県最北部の余呉町、県北東部の米原甲津原の4地域に分けられる。|date=2015年8月}} なかでも長浜市余呉町旧[[片岡村 (滋賀県)|片岡村]]・[[丹生村 (滋賀県)|丹生村]]では高い数値の降雪が記録されている。町の最北端に位置する中河内で1981年の[[五六豪雪]]時に6メートル55[[センチメートル|センチ]]を記録した<ref>[https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000092644 国会図書館レファレンス共同データベース]</ref>。特に積雪の多かったとされる1936年には、いずれも公式の気象観測施設によるものではないが、尾羽梨で7メートル30センチ、中河内で7メートル20センチを記録した。『日本残酷物語 第4部 保障なき社会』(平凡社、1960年)には、丹生北部の雪の惨状として「この辺りでは雪が平年で20尺 (約6メートル)多い年は30尺(約9メートル)は積もる。この年の大雪では30尺以上積もった。その場所と言うのが奥川並の集落のようである。」との記載がある<ref>[http://www.lberi.jp/root/jp/05seika/syoho_bi/04/04-08.pdf 「琵琶湖研究所所報 (1986)」 流域を読む(姉川編)2] - [http://www.lberi.jp/root/jp/bkjhindex.htm 滋賀県琵琶湖環境科学研究センター]</ref>。また比良山地東麓では[[比良おろし]]という北西の[[局地風]]があり、3月下旬に吹くものは「'''比良八講荒れじまい'''」と呼ばれ、春の訪れを告げる風物詩となっている。 {| ||{{Climate_graph|[[高島市|今津]]| |171.1|137.9|136.7|125.0|164.3|199.2|208.6|118.6|180.7|124.3|112.3|148.3 |6.0|6.5|10.4|16.7|21.4|24.9|28.6|30.5|26.7|20.9|14.8|9.2 |-0.7|-0.7|1.7|6.6|12.2|17.0|21.2|22.3|18.6|11.9|6.1|1.6 }} ||{{Climate_graph|[[長浜市|長浜]]| |129.9|101.8|112.0|106.0|138.7|181.0|202.0|102.2|149.8|108.5|96.1|117.8 |6.4|7.1|11.3|17.6|22.2|25.7|29.4|31.5|27.2|21.2|15.3|9.6 |-0.7|-0.7|1.7|6.8|11.9|16.8|21.1|22.3|18.2|11.4|5.7|1.4 }} ||{{Climate_graph|[[彦根市|彦根]]| |106.9|102.2|120.1|114.4|150.2|190.5|217.7|109.0|168.8|115.5|84.5|91.1 |6.8|7.3|11.0|17.3|22.1|25.7|29.7|31.6|27.3|21.3|15.3|9.8 |0.7|0.8|3.3|8.0|13.1|18.0|22.4|23.6|19.9|13.4|7.6|2.9 }} ||{{Climate_graph|[[東近江市|東近江]]| |66.3|80.1|111.3|101.2|137.8|193.3|194.4|110.0|165.9|110.7|72.4|64.1 |7.4|7.9|11.8|18.2|22.9|26.3|30.2|31.7|27.6|21.7|15.9|10.4 |-1.1|-1.0|1.5|6.3|11.9|16.8|21.1|21.8|18.0|11.1|5.1|0.7 }} ||{{Climate_graph|[[甲賀市|土山]]| |60.0|74.4|113.8|114.9|159.0|205.4|212.1|193.5|208.8|124.4|80.6|56.7 |6.3|6.8|10.7|16.9|21.2|24.6|28.5|29.8|25.9|20.3|14.8|9.3 |-1.9|-1.8|0.6|5.6|10.9|15.9|20.3|21.3|17.5|10.6|4.5|-0.1 }} ||{{Climate_graph|[[大津市|大津]]| |52.6|69.7|123.3|119.7|162.7|229.2|220.8|142.8|174.2|123.3|75.4|50.4 |7.8|8.3|12.1|18.5|23.2|26.6|30.5|32.2|27.9|21.9|16.0|10.6 |0.5|0.5|2.9|7.9|13.0|17.9|22.2|23.2|19.3|12.7|7.0|2.5 }} |} {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+滋賀県内各地の平年値(統計期間:1981年 - 2010年<ref name="国土交通省気象庁・気象統計情報">[https://www.jma.go.jp/jma/menu/report.html 国土交通省気象庁・気象統計情報]</ref>、米原は2001 - 2010)<ref>観測地点名は彦根地方気象台の「[https://www.jma-net.go.jp/hikone/kansoku/kansoku.html 防災情報で使用する地点名]」に拠った。</ref> !rowspan="3" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="3"|湖北 !colspan="1"|湖東 !colspan="2"|近江西部 !近江南部 !colspan="2"|東近江 !colspan="2"|甲賀 |- !colspan="2"|[[長浜市]] !rowspan="2"|[[米原市]]<br />朝日 !rowspan="2"|[[彦根市|彦根]] !rowspan="2"|[[高島市]]<br />今津 !colspan="2"|[[大津市]] !rowspan="2"|[[近江八幡市|近江八幡]] !rowspan="2"|[[東近江市]]<br />桜川東 !colspan="2"|[[甲賀市]] |- ![[余呉町柳ヶ瀬]]!!唐国 ![[小松 (大津市)|南小松]]!!萱野浦 !信楽!!土山 |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|℃]]) !最暖月 | ||26.3<br />(8月) |25.8<br />(8月)||27.1<br />(8月) |25.9<br />(8月)||26.6<br />(8月) |27.1<br />(8月) | ||26.1<br />(8月) |24.3<br />(8月)||25.0<br />(8月) |- !最寒月 | ||2.6<br />(1月) |2.0<br />(1月)||3.7<br />(1月) |2.5<br />(1月)|| 3.6<br />(1月) |3.9<br />(1月) | ||2.8<br />(1月) |1.4<br />(1月)||1.9<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |320.1<br />(12月)||189.9<br />(6月) |260.1<br />(7月)||217.7<br />(7月) |208.6<br />(7月)||242.1<br />(6月) |229.2<br />(6月) |204.2<br />(6月)||194.4<br />(7月) |207.7<br />(6月)||212.1<br />(7月) |- !最少月 |159.1<br />(5月)||96.1<br />(11月) |94.2<br />(10月)||84.5<br />(11月) |112.3<br />(11月)||100.9<br />(11月) |50.4<br />(12月) |70.5<br />(12月)||64.1<br />(12月) |53.6<br />(12月)||56.7<br />(12月) |- !rowspan="2"|降水<br />日数<br />(日) !最多月 |21.8<br />(1月)||17.6<br />(1月) |17.4<br />(12月)||14.1<br />(1月) |19.2<br />(1月)||15.8<br />(2月) |12.6<br />(6月) |12.4<br />(2月)||12.7<br />(3月) |13.1<br />(3月)||13.7<br />(7月) |- !最少月 |10.0<br />(8月)||8.0<br />(8月) |9.2<br />(10月)||8.7<br />(8月) |8.8<br />(8月)||9.0<br />(8月) |7.1<br />(1月) |7.8<br />(8月)||8.4<br />(8月) |8.2<br />(12月)||8.4<br />(11月) |} {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+滋賀県内各地の平年値(統計期間:1979年 - 2000年<ref name="国土交通省気象庁・気象統計情報"/>) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="3"|湖北 !colspan="1"|湖東 !colspan="2"|近江西部 !近江南部 !colspan="2"|東近江 !colspan="2"|甲賀 |- !colspan="1"|[[余呉町]]<br />柳ヶ瀬 !colspan="1"|[[虎姫町]]<br />唐国 !rowspan="1"|伊吹山 !rowspan="1"|彦根市 !rowspan="1"|[[今津町 (滋賀県)|今津町]] !colspan="1"|[[志賀町 (滋賀県)|志賀町]]<br />南小松 !colspan="1"|大津市<br />萱野浦 !rowspan="1"|近江八幡市 !rowspan="1"|[[蒲生町 (滋賀県)|蒲生町]]<br />桜川東 !colspan="1"|[[信楽町]] !colspan="1"|[[土山町]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|℃]]) !最暖月 | ||25.9<br />(8月) |18.1<br />(8月)||26.7<br />(8月) |25.6<br />(8月)||26.3<br />(8月) |26.9<br />(8月) | ||25.8<br />(8月) |24.0<br />(8月)||24.7<br />(8月) |- !最寒月 | ||2.6<br />(1月) |&minus;5.2<br />(2月)||3.6<br />(1・2月) |2.5<br />(2月)|| 3.5<br />(2月) |4.0<br />(1・2月) | ||2.8<br />(1・2月) |1.3<br />(1月)||1.9<br />(1・2月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |299.8<br />(12月)||189.9<br />(6月) | ||204.5<br />(6月) |215.8<br />(6月)||259.2<br />(6月) |244.5<br />(6月) |218.0<br />(6月)||205.9<br />(6月) |223.4<br />(6月)||221.4<br />(6月) |- !最少月 |161.2<br />(8月)||96.2<br />(2月) | ||83.1<br />(12月) |106.0<br />(11月)||97.3<br />(12月) |41.1<br />(12月) |58.2<br />(12月)||51.9<br />(12月) |42.9<br />(12月)||46.2<br />(12月) |- !rowspan="2"|降水<br />日数<br />(日) !最多月 |21.7<br />(1月)||17.2<br />(1月) | ||13.5<br />(1月) |19.1<br />(1月)||16.4<br />(2月) |12.9<br />(6月) |12.6<br />(6月)||12.6<br />(6月) |13.5<br />(6月)||14.0<br />(6月) |- !最少月 |9.7<br />(8月)||7.8<br />(8月) | ||8.2<br />(8月) |8.7<br />(8月)||9.0<br />(8月) |6.8<br />(12月) |7.6<br />(8月)||8.5<br />(8月) |7.5<br />(12月)||9.0<br />(12月) |} {| class="sortable wikitable" style="text-align:right" |+県内の地点の各要素の年平均日数(統計期間:1981 - 2010<ref>[https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php 国土交通省気象庁・気象統計情報・過去の気象データ検索]</ref>) !!!猛暑日!!真夏日!!夏日!!熱帯夜!!冬日!!真冬日 |- !長浜 |3.6||45.9||109.1||4.4||59.5||0.4 |- !今津 |0.6||37.0||100.4||2.9||57.4||0.4 |- !南小松 |2.2||43.7||107.6||4.9||40.4||0.2 |- !彦根 |2.0||48.3||110.4||11.8||29.7||0.1 |- !東近江 |6.2||53.6||117.6||1.4||72.1||0.3 |- !大津 |5.9||56.8||121.8||5.9||38.6||0.0 |- !信楽 |0.2||33.8||99.9||0.0||117.0||0.6 |- !土山 |0.5||32.6||95.0||0.2||88.6||1.1 |} === 自然公園 === 総面積に対する自然公園面積の割合が37.6 [[パーセント|%]]で(平均14.5 %)であり、[[2007年]](平成19年)時点で第1位である。 {{col| ; [[国定公園]] * [[琵琶湖国定公園]] * [[鈴鹿国定公園]] | ; [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] * 三上・田上・信楽県立自然公園 * 朽木・葛川県立自然公園 * 湖東県立自然公園 }} {{-}} === 地域区分 === {| width="400px" cellpadding="10" cellspacing="0" style="float:right;border:2px outset #999999; font-size:90%" |+各市町の位置図 |- |style="text-align:center;padding:5px 5px 0 5px"|<div style="float:center;position:relative;width:400px;margin:0;padding:0">[[ファイル:Map of Shiga Prefecture Ja.svg|400px|滋賀県市町位置図]] <div style="font-size:90%;position:absolute;left:58px;top:340px">{{Color|#f60|■}}[[大津市]]</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:75px;top:450px">[[草津市]]{{Color|#080|■}}</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:94px;top:405px">[[守山市]]{{Color|#080|■}}</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:127px;top:451px">{{Color|#080|■}}[[栗東市]]</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:140px;top:422px">{{Color|#080|■}}[[野洲市]]</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:203px;top:518px">{{Color|#a52|■}}[[甲賀市]]</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:164px;top:469px">{{Color|#a52|■}}[[湖南市]]</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:254px;top:400px">{{Color|#f19|■}}[[東近江市]]</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:160px;top:379px">{{Color|#f19|■}}[[近江八幡市]]</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:254px;top:460px">{{Color|#f19|■}}[[日野町 (滋賀県)|日野町]]</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:183px;top:433px">{{Color|#f19|■}}[[竜王町]]</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:248px;top:307px">{{Color|#fd0|■}}[[彦根市]]</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:251px;top:355px">{{Color|#fd0|■}}[[愛荘町]]</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:220px;top:332px">[[豊郷町]]{{Color|#fd0|■}}</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:273px;top:330px">{{Color|#fd0|■}}[[甲良町]]</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:305px;top:351px">{{Color|#fd0|■}}[[多賀町]]</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:263px;top:199px">{{Color|#46e|■}}[[長浜市]]</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:300px;top:255px">{{Color|#46e|■}}[[米原市]]</div> <div style="font-size:90%;position:absolute;left:70px;top:260px">{{Color|#0f7|■}}[[高島市]]</div> <div style="font-size:80%;position:absolute;left:340px;top:60px">[[岐阜県]]</div> <div style="font-size:80%;position:absolute;left:230px;top:573px">[[三重県]]</div> <div style="font-size:80%;position:absolute;left:10px;top:494px">[[京都府]]</div> <div style="font-size:80%;position:absolute;left:90px;top:110px">[[福井県]]</div> <div style="font-size:80%;position:absolute;left:164px;top:300px">[[琵琶湖]]</div> |- |style="font-size:small"| {{Color|#f60|■}}:大津地域 {{Color|#080|■}}:南部地域 {{Color|#a52|■}}:甲賀地域<br /> {{Color|#f19|■}}:東近江地域 {{Color|#fd0|■}}:湖東地域 {{Color|#46e|■}}:湖北地域 {{Color|#0f7|■}}:高島地域 |} 以下の13市3郡6町がある(町はすべて「ちょう」と読む)。また、村は2005年に消滅している。江戸時代には江南(現在の湖南)・江西(現在の湖西)・江東(現在の湖東・湖北)に3区分されていたが、明治時代以降、琵琶湖を中心に湖南(こなん)・湖東(ことう)・湖北(こほく)・湖西(こせい)に4区分するのが一般的となった<ref>『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』1979年、角川書店、24頁。</ref>。この4区分以外に区分される場合があり、例えば2017年時点で滋賀県では大津地域、南部地域、甲賀地域、東近江地域、湖東地域、湖北地域、高島地域の7地域に区分がされている<ref>[https://www.pref.shiga.lg.jp/kensei/gaiyou/shicyou/20959.html 県内の市町一覧/滋賀県]</ref>。各々に属する自治体は以下の通り。なお、郡は[[1878年]](明治11年)の[[浅井郡]]の東西分割と[[1897年]](明治30年)の西浅井郡の伊香郡編入以外は、[[大宝律令]]以来の郡名と区画が昭和の大合併期までほぼ踏襲されていた<ref group="注釈">浅井郡・伊香郡の変更以外で、[[1950年]](昭和25年)4月1日の時点で大宝律令以来の郡と区域が異なっていたのは以下の地域。<br />神崎郡[[葉枝見村]](現:彦根市)の愛知郡への移行(1896年)<br />坂田郡相撲庭(現:長浜市)の東浅井郡への移行([[1889年]](明治22年))<br />大津市([[1898年]](明治31年)に市制移行、滋賀郡離脱。[[1950年]](昭和25年)時点では坂本以北と瀬田川以東を含まず)・彦根市([[1937年]](昭和12年)に市制移行、犬上郡離脱。[[1950年]](昭和25年)時点では鳥居本・高宮と荒神山・河瀬以南含まず)・長浜市([[1943年]](昭和18年)に市制移行、坂田郡離脱。[[1950年]](昭和25年)時点で平成の大合併直前の市域と同じ)の市制移行による郡からの離脱<br />栗太郡[[物部村 (滋賀県)|物部村]](現:[[守山市]])の野洲郡への移行([[1921年]](大正10年))など。</ref>。 ※人口は{{自治体人口/滋賀県|date}}現在 ※'''太字'''の自治体は[[滋賀県庁#県事務所|県事務所]](合同庁舎)所在地 ==== 湖南 ==== 畿内に隣接する交通の要衝であり平野部も多く、[[天智天皇]]のころには[[大津宮|大津]]に都が置かれるなど、古くから開発が進んだ。[[京都市]]と事実上の双子都市を形成している大津市や、大津の伝統的な衛星都市であった草津市をはじめ、現在では通勤・通学圏として京阪との繋がりが強く、いわゆる「[[滋賀府民]]」の多い地域となっている。甲賀は、県境を挟んで接する[[三重県]][[伊賀]]地域と並んで[[忍者]]([[傭兵]])と製薬の町として知られる。甲賀市信楽は古代に短期間ながら[[紫香楽宮]]が置かれた地であり、中世以降は[[信楽焼]]の産地として長い歴史を持つ。 * 大津地域<ref group="注釈">以前の呼称は大津・志賀地域</ref> - {{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|大津市}}}}人 ** '''[[大津市]]'''(本庁舎所在地) * 南部地域<ref group="注釈">以前の呼称は湖南地域。</ref> - {{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/滋賀県|草津市}} +{{自治体人口/滋賀県|守山市}} + {{自治体人口/滋賀県|栗東市}} + {{自治体人口/滋賀県|野洲市}} round 0}}}}人 ** '''[[草津市]]''' ** [[守山市]] ** [[栗東市]] ** [[野洲市]] * 甲賀地域 - {{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/滋賀県|甲賀市}} + {{自治体人口/滋賀県|湖南市}} round 0}}}}人 ** '''[[甲賀市]]''' ** [[湖南市]] ==== 湖東 ==== 湖南地方とともに平野部が大きく開けており、穀倉地帯や交通の要衝として栄え、肉牛の飼育が盛ん。近江商人を最も多く輩出した地域でもある。 * 東近江地域<ref group="注釈">以前の呼称は中部地域。</ref> - {{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/滋賀県|近江八幡市}} + {{自治体人口/滋賀県|東近江市}} + {{自治体人口/滋賀県|日野町}} + {{自治体人口/滋賀県|竜王町}} round 0}}}}人 ** '''[[東近江市]]''' ** [[近江八幡市]] ** [[蒲生郡]] *** [[日野町 (滋賀県)|日野町]] *** [[竜王町]] * 湖東地域<ref group="注釈">湖北地域とともに東北部地域とされることがある。</ref> - {{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/滋賀県|彦根市}} + {{自治体人口/滋賀県|愛荘町}} + {{自治体人口/滋賀県|甲良町}} + {{自治体人口/滋賀県|多賀町}} + {{自治体人口/滋賀県|豊郷町}} round 0}}}}人 ** '''[[彦根市]]''' ** [[愛知郡 (滋賀県)|愛知郡]] *** [[愛荘町]] ** [[犬上郡]] *** [[甲良町]] *** [[多賀町]] *** [[豊郷町]] ==== 湖北 ==== 京阪から最も遠い地方であり、関西文化圏の東端であるとともに北陸地方や東海地方との緩衝地帯である。近代には[[養蚕業]]が盛んであったが、現在では湖南地方や湖東地方に比べて宅地やオフィスの開発や工場進出が遅れている(いわゆる「南北格差」)。しかし、そのために伝統的な文化や景観が保たれている。 * 湖北地域 - {{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/滋賀県|長浜市}} + {{自治体人口/滋賀県|米原市}} round 0}}}}人 ** '''[[長浜市]]''' ** [[米原市]] ==== 湖西 ==== 畿内と若狭湾・北陸地方を結ぶ街道筋で、湖南地方とともに京都との繋がりが強い。近代に幹線交通網から外れたため、開発から取り残されていた。安曇川扇状地と石田川扇状地を除いて平野部が少なく、琵琶湖近くまで山地が迫る自然豊かな地方である。歴史・文化的には大津市北部も湖西に含まれる。 * 高島地域<ref group="注釈">以前の呼称は湖西地域。</ref> - {{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|高島市}}}}人 ** '''[[高島市]]''' === 廃止自治体 === {{Main|滋賀県の廃止市町村一覧}} [[日本の市町村の廃置分合|合併]]により[[2004年]](平成16年)以降に廃止になった自治体は下記の通りである。 * [[甲賀郡]] - 郡内全ての町が合併・市制施行し、郡も消滅した。 ** [[甲賀町]]、[[甲南町]]、[[信楽町]]、[[土山町]]、[[水口町]]の5町が合併し、'''甲賀市'''に。 ** [[石部町]]、[[甲西町 (滋賀県)|甲西町]]の2町が合併し、'''湖南市'''に。 * [[蒲生郡]] - 4町→2町 ** [[蒲生町 (滋賀県)|蒲生町]] 1町が編入し、'''東近江市'''に。 ** [[安土町]]、近江八幡市の1市1町が合併し、新'''近江八幡市'''に。 * [[野洲郡]] - 郡内全ての町が合併・市制施行し、郡も消滅した。 ** [[中主町]]、[[野洲町]]の2町が合併し、'''野洲市'''に。 * [[高島郡 (滋賀県)|高島郡]] - 郡内全ての町村が合併・市制施行し、郡、そして村も消滅した。 ** [[安曇川町]]、[[今津町 (滋賀県)|今津町]]、[[新旭町]]、[[高島町 (滋賀県)|高島町]]、[[マキノ町]]、[[朽木村]]の5町1村が合併し、'''高島市'''に。 * [[坂田郡]] - 郡内全ての町が合併・市制施行し、郡も消滅した。 ** [[米原町]]、[[山東町 (滋賀県)|山東町]]、[[伊吹町]]の3町が合併し、'''米原市'''に。 ** 最後に残った[[近江町]]もその後'''米原市'''に編入。 * [[八日市市]] - 他郡の町と合併・市制施行し、市も消滅した。 ** 八日市市、[[神崎郡 (滋賀県)|神崎郡]][[永源寺町]]、[[五個荘町]]、[[愛知郡 (滋賀県)|愛知郡]][[湖東町]]、[[愛東町]]の1市4町が合併し、'''東近江市'''に。 * [[神崎郡 (滋賀県)|神崎郡]] - 郡内全ての町が合併・市制施行し、郡も消滅した。 ** [[永源寺町]]、[[五個荘町]]、[[八日市市]]、[[愛知郡 (滋賀県)|愛知郡]][[湖東町]]、[[愛東町]]の1市4町が合併し、'''東近江市'''に。 ** 最後に残った[[能登川町]]もその後'''東近江市'''に編入。 * [[愛知郡 (滋賀県)|愛知郡]] - 4町→1町 ** [[湖東町]]、[[愛東町]]、[[八日市市]]、[[神崎郡 (滋賀県)|神崎郡]][[永源寺町]]、[[五個荘町]]の1市4町が合併し、'''東近江市'''に。 ** [[愛知川町]]、[[秦荘町]]の2町が合併し、'''愛荘町'''に。 * [[東浅井郡]] - 郡内全ての町が合併・市制施行し、郡も消滅した。 ** [[浅井町 (滋賀県)|浅井町]]、[[びわ町]]、長浜市の1市2町が合併し、新'''長浜市'''に。 ** 最後に残った[[湖北町]]と[[虎姫町]]もその後'''長浜市'''に編入。 * [[滋賀郡]] - 郡内全ての町が合併・市制施行し、郡も消滅した。 ** [[志賀町 (滋賀県)|志賀町]]が'''大津市'''に編入。 * [[伊香郡]] - 郡内全ての町が合併・市制施行し、郡も消滅した。 ** [[木之本町]]、[[高月町]]、[[西浅井町]]、[[余呉町]]が'''長浜市'''に編入。 == 歴史 == 滋賀県はその地理的特性から、奈良・京・大坂への物資や人材の供給源および中継地、あるいは畿内と東国・北国とを結ぶ要衝として発展し、日本の中央史に大きく関わってきた。 [[白洲正子]]は随筆『近江山河抄』の中で「近江は日本の楽屋裏」と評した。また歴史学者の[[今谷明]]は著書『近江から日本史を読み直す』の中で「近江の歴史を書くことは、日本通史を著すのと同じこと」と語り、近江の歴史的価値と重要性を奈良・京と同等かそれ以上に高く評価している。 [[ファイル:Enryakuji yokawachudo.jpg|thumb|[[延暦寺]]横川中堂]] [[ファイル:Azuchi.jpg|thumb|[[安土城]]大手道]] [[ファイル:Omihachiman shimmatidori01s3200.jpg|thumb|[[近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区|近江八幡市新町通り]]([[重伝建]])]] [[ファイル:Hikone castle5537.JPG|thumb|[[彦根城]]([[特別史跡]])]] [[ファイル:Mount Ibuki and N700 Series Shinkansen.jpg|thumb|[[各都道府県の最高峰|滋賀県最高峰]]の[[伊吹山]]とJR東海[[新幹線N700系電車|東海道新幹線 (N700系)]]]] === 古代 === 弥生時代から多くの[[渡来人]]が入植し、都に近いために早い時期から開発が進められた。 伝承の時代ではあるが、記紀の記事によれば、第12代[[景行天皇]]、第13代[[成務天皇]]、第14代[[仲哀天皇]]が[[高穴穂宮|志賀高穴穂宮]](大津市)で天下を治めたとあり、古代から政治的に重要な地域であったことを示唆している。 [[国造]]が分立した時代には、滋賀県は[[淡海国造]]と[[安国造]]の領域であった。その他、犬上県主や[[息長氏]]、[[蒲生氏|蒲生稲置]]、[[三上氏|三上祝]]など有力豪族が多く存在した。 [[古墳時代]]の5世紀中葉に現皇室の直系の皇祖に当たる[[継体天皇]]が近江で生誕し、[[仁徳天皇|仁徳]]朝の25代目[[武烈天皇]]が断絶したため、507年に第26代天皇として即位している。飛鳥時代には[[近江宮|近江大津宮]]([[天智天皇]])、奈良時代には[[紫香楽宮]]([[聖武天皇]])や[[保良宮]]([[淳仁天皇]])が置かれた。[[壬申の乱]]や[[藤原仲麻呂の乱]]といった戦乱の舞台となることがたびたびあった。 奈良時代に[[藤原仲麻呂]]が編纂した藤原氏の「家伝」には、「近江国は宇宙(あめのした)に名の有る地なり。地広くして人衆(おお)くして、国富み家給(そな)う。」<ref>古代近江の三都 大津宮 紫香楽宮 甲賀宮 保良宮の謎を解く サンライズ出版 (2021/3/5) P5</ref> と書かれており、古代近江は琵琶湖の淡水を介在し、広い平野に多くの人達が住んでおり、豊かな地であった。 近江は[[延喜式内社]]の総数が近畿圏では、大和に次いで2番目、全国でも大和、伊勢、出雲に次いで4番目に多く、古代から近江は日本の重要な地位を担っていたといえる。([[近江国の式内社一覧]]) === 中世 === 平安時代初期に近江出身の僧[[最澄]]は[[比叡山]]に[[延暦寺]]を開創した。延暦寺は数々の名僧を輩出し、現代に続く日本の仏教文化を大きく発展させた。 平安中期より[[佐々木氏]]が近江に起こった。佐々木氏は[[源頼朝]]が[[関東地方]]で勃興するとこれに積極的に加わり、近江一国の守護職を得た。以降、[[六角氏]]や[[京極氏]]に分かれながら、佐々木一族は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に至るまで近江国を支配した。南北朝期には[[ばさら]]大名で有名な[[佐々木道誉]](高氏)が出て京極家の勢威を伸ばした。 [[本願寺]][[蓮如]]の大布教が始まると、大津付近は[[一向宗]]色が強くなった。このため、これを喜ばない比叡山がたびたび攻撃を仕掛けた。比叡山東麓の[[坂本 (大津市)|坂本]]は一向宗の[[堅田 (大津市)|堅田]]と経済的にも対立していたことから、両者の抗争は頻繁であった。この後に蓮如は大津に一向宗拠点を構えた。 === 戦国時代 === [[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に入ると、北部に[[浅井氏]]が台頭する。形の上で京極氏を奉じた浅井氏は南部を領する[[六角氏]]と抗争する。[[織田信長]]と結んだ[[浅井長政]]に至って六角氏を駆逐するが、後に将軍の信長包囲網に加わって信長に抵抗、[[小谷城の戦い]]により、[[1573年]](天正元年)に滅んだ。 近江国を支配圏に入れた信長は、根拠地として[[近江盆地]]に[[安土城]]を築城する。信長の死後は畿内を地盤とする[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]と、[[越前国]][[福井藩|北の庄]]を地盤とする[[柴田勝家]]の係争地となり、北部で行われた[[賤ヶ岳の戦い]]における秀吉の勝利で決着がつけられた。秀吉は初めての領地が[[長浜市|長浜]]であった関係で、多数の近江国住民を主に事務方として登用した。[[石田三成]]はその1人である。また秀吉の甥[[豊臣秀次]]は[[八幡山城]]およびその城下町を築き、琵琶湖につながる運河[[八幡堀]]を整備し、商業を振興させた。 その他、近江からは[[蒲生氏郷]]・[[藤堂高虎]]・[[大谷吉継]]など数々の名武将を輩出した。戦国時代から江戸時代にかけての甲賀郡では[[甲賀流]][[忍者]]が活動していた。 === 近世 === [[徳川家康]]は、[[徳川氏]]における精鋭軍を率いる[[井伊氏]]を関ヶ原に近い[[彦根城|彦根]]に入封させて西国の抑えとし、北部の大部分は[[彦根藩]]の領土となった。まとまった大藩は彦根藩のみであり、その他は[[膳所藩]]、[[水口藩]]、[[大溝藩]]、[[仁正寺藩|西大路藩]]、[[近江宮川藩|宮川藩]]、[[山上藩]]、[[三上藩]]といった小藩、交代寄合の最上家の大森陣屋、交代寄合の朽木家の朽木陣屋、さらに他国の諸藩領や天領などが入り交じり、江戸時代の近江国の領地区分は複雑な様相を呈していた。江戸時代初期には将軍上洛用御殿が水口城、永原御殿、伊庭御殿、柏原御殿とあったが、3代将軍[[徳川家光|家光]]以降は上洛が途切れ御殿が次第に老朽化して、廃れていった。 文化面において特筆すべきは、江戸初期の人物で近江聖人とも称された儒教学者[[中江藤樹]]が活躍し、日本の[[陽明学]]を発展させた。[[松尾芭蕉]]([[義仲寺]]に眠る)は近江を旧里と呼ぶほど好んで訪れ[[俳諧]]を高めたとともに、[[近江蕉門]]と呼ばれる数多くの門人を輩出した。 また江戸時代には、鎌倉時代から続く商工業が飛躍的に発達し、犬上・愛知・神崎・蒲生・高島の各郡、特に[[八幡 (近江八幡市)|八幡]]・[[日野町 (滋賀県)|日野]]・[[五個荘町|五個荘]]などから[[近江商人]]を多く輩出した。一部の商人は幕末から明治維新の混乱で没落したものの、近代以降も多くの近江商人が活躍し、今日に至る日本経済の発展に寄与した。 === 近代 === [[明治維新]]により[[天領|幕府領]]・[[地方知行|旗本領]]に'''[[大津県]]'''が設置された後、[[廃藩置県]]によって各藩は各県に移行し、1871年11月22日、新たな'''大津県'''(滋賀郡・蒲生郡以南)と'''[[長浜県]]'''(高島郡・神崎郡以北)に統合された。翌1872年1月19日に大津県が'''滋賀県'''に<ref>[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/5109011.pdf 滋賀県のはじまり] - 滋賀県</ref>、2月27日に長浜県が'''[[犬上県]]'''にそれぞれ改称され、9月28日に両県が合併し、近江国、並びに現在と領域を同じくする新たな'''滋賀県'''が成立した。その後、[[1876年]]8月21日から[[1881年]]2月7日までの4年半には、現在の[[福井県]][[嶺南]]地方([[敦賀市]]以西)を編入した<ref>[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/16937.pdf 敦賀県廃止、越前国敦賀郡並びに若狭国を滋賀県へ編入の件] - 滋賀県歴史的文書【明い81(3)】</ref>。この間、滋賀県は[[若狭湾]]に面していたことになる<ref>[https://www.pref.shiga.lg.jp/kenseishiryo/ 滋賀県県政史料室] - 滋賀県(日本海に面した滋賀県の地図)</ref>。敦賀市以西を分離する際、地元では反対運動がおこり、時の滋賀県令、[[籠手田安定]]が1881年2月、反対文書(若狭・越前四郡離脱に対する建議書<ref>[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/5109011.pdf 若狭・越前四郡離脱に関する建議書] - 滋賀県歴史的文書【明お76合本5(31)】</ref>)を、[[太政大臣]][[三条実美]]と[[内務卿]][[松方正義]]宛に送った。本庁舎は大津に置かれたが、南西に偏在しているため、近江国最大の城下町であった彦根も候補に上がっていた。[[1891年]]と[[1936年]]の2度、大津から彦根への本庁舎移転運動が起こったことがある<ref>[https://www.pref.shiga.lg.jp/kenseishiryo/kakonotenjishiryo/10736.html 【コラム1】滋賀県庁舎の移転騒動 - 滋賀県]</ref>。 == 人口 == 京都や大阪に近いながらも自然豊かで地価も比較的安いため、京都・大阪の通勤通学圏として住宅需要が高く、住宅開発が活発である。交通利便性の向上を下地にしたモノづくり拠点の整備や商業施設の開業・増設が続き、地方にあって人口増加が続いてきた。[[2020年]]に実施した[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]によると滋賀県の人口増加率は+0.05 [[パーセント|%]]で、47都道府県の中で第8位{{r|郡部}}。[[近畿地方]]では滋賀県だけが増加した{{r|郡部}}。草津市の+4.86%、守山市の+4.23 %、栗東市の+3.10%は全国の市町村トップ100に入っている。 [[国立社会保障・人口問題研究所]]の将来推計(2018年3月公表)によると、2015年〜2045年の人口指数(2015年時点の人口を100としたときの2045年の人口)は89.4になり、全国的には[[東京都]]・[[沖縄県]]・[[愛知県]]・[[神奈川県]]・[[埼玉県]]に次いで減少率が緩やかになると見込まれている。特に草津市、守山市、栗東市の3市は2015年〜2045年の人口指数が105を超える高水準である<ref>[https://www.ipss.go.jp/pp-shicyoson/j/shicyoson18/t-page.asp 日本の地域別将来推計人口(平成30(2018)年推計)]</ref>。 湖南地方で人口増加する自治体が多い一方、県北部や郡部では人口減少率の大きな地域もあり二極化が進んでいる。2020年国勢調査によると甲良町では9.62%、高島市では7.29%の人口減となった<ref name=郡部>{{cite news|url= https://www.asahi.com/articles/ASPD36W7KPD1PTJB00F.html |title= 滋賀県人口微増、草津や守山で増加 国勢調査|publisher=朝日新聞|author=奥平真也|accessdate=2022/04/29}}</ref>。 [[File:Growth rate map of municipalities of Shiga prefecture, Japan 2015-2020.svg|thumb|300px|滋賀県市町村人口増減率分布図(2015年度と2020年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#69FF59|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#BAFFB2|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFB2B2|0.0 - 2.49 %}} {{Legend|#FF5959|2.5 - 4.99 %}} {{Legend|#CC2828|5.0 - 7.49 %}} {{Legend|#990000|7.5 - 9.99 %}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=25000|name=滋賀県}} === 自治体別統計 === [[地方公共団体コード]]ごとに[[市町村]]を以下に列挙する。現在、19市町(13市6町)がある。[[法定人口]]は2020年(令和2年)[[10月1日]]実施の[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]の値、[[推計人口]]は{{自治体人口/滋賀県|date}}の値。[[人口密度]]は推計人口 / 面積で算出したもの。 {|class="wikitable sortable" style="text-align:center" |+滋賀県内の自治体別人口(13市6町) !class="unsortable"|市区町村 ![[全国地方公共団体コード|団体コード]] !class="unsortable"|[[郡]] !法定人口<br />(人) !推計人口<br />(人) !面積<ref group="注釈">琵琶湖に面している自治体は琵琶湖の面積を含む。</ref><br />([[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]) !人口密度<br />(人/km<sup>2</sup>) !増減率<br />([[パーセント|%]]) |- ![[大津市]] |25201-8||[[市]]||style="text-align:right"|345,070||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|大津市}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|大津市}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|大津市}} / {{自治体面積/滋賀県|大津市}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|大津市}}<345070|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|大津市}}/345070-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|大津市}}/345070-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|大津市}}/345070-1)*10000 round 0}}}} |- ![[彦根市]] |25202-6||市||style="text-align:right"|113,647||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|彦根市}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|彦根市}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|彦根市}} / {{自治体面積/滋賀県|彦根市}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|彦根市}}<113647|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|彦根市}}/113647-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|彦根市}}/113647-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|彦根市}}/113647-1)*10000 round 0}}}} |- ![[長浜市]] |25203-4||市||style="text-align:right"|113,636||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|長浜市}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|長浜市}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|長浜市}} / {{自治体面積/滋賀県|長浜市}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|長浜市}}<113636|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|長浜市}}/113636-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|長浜市}}/113636-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|長浜市}}/113636-1)*10000 round 0}}}} |- ![[近江八幡市]] |25204-2||市||style="text-align:right"|81,122||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|近江八幡市}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|近江八幡市}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|近江八幡市}} / {{自治体面積/滋賀県|近江八幡市}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|近江八幡市}}<81122|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|近江八幡市}}/81122-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|近江八幡市}}/81122-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|近江八幡市}}/81122-1)*10000 round 0}}}} |- ![[草津市]] |25206-9||市||style="text-align:right"|143,913||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|草津市}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|草津市}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|草津市}} / {{自治体面積/滋賀県|草津市}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|草津市}}<143913|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|草津市}}/143913-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|草津市}}/143913-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|草津市}}/143913-1)*10000 round 0}}}} |- ![[守山市]] |25207-7||市||style="text-align:right"|83,236||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|守山市}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|守山市}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|守山市}} / {{自治体面積/滋賀県|守山市}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|守山市}}<83236|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|守山市}}/83236-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|守山市}}/83236-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|守山市}}/83236-1)*10000 round 0}}}} |- ![[栗東市]] |25208-5||市||style="text-align:right"|68,820||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|栗東市}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|栗東市}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|栗東市}} / {{自治体面積/滋賀県|栗東市}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|栗東市}}<68820|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|栗東市}}/68820-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|栗東市}}/68820-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|栗東市}}/68820-1)*10000 round 0}}}} |- ![[甲賀市]] |25209-3||市||style="text-align:right"|88,358||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|甲賀市}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|甲賀市}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|甲賀市}} / {{自治体面積/滋賀県|甲賀市}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|甲賀市}}<88358|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|甲賀市}}/88358-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|甲賀市}}/88358-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|甲賀市}}/88358-1)*10000 round 0}}}} |- ![[野洲市]] |25210-7||市||style="text-align:right"|50,513||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|野洲市}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|野洲市}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|野洲市}} / {{自治体面積/滋賀県|野洲市}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|野洲市}}<50513|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|野洲市}}/50513-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|野洲市}}/50513-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|野洲市}}/50513-1)*10000 round 0}}}} |- ![[湖南市]] |25211-5||市||style="text-align:right"|54,460||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|湖南市}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|湖南市}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|湖南市}} / {{自治体面積/滋賀県|湖南市}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|湖南市}}<54460|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|湖南市}}/54460-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|湖南市}}/54460-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|湖南市}}/54460-1)*10000 round 0}}}} |- ![[高島市]] |25212-3||市||style="text-align:right"|46,377||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|高島市}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|高島市}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|高島市}} / {{自治体面積/滋賀県|高島市}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|高島市}}<46377|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|高島市}}/46377-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|高島市}}/46377-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|高島市}}/46377-1)*10000 round 0}}}} |- ![[東近江市]] |25213-1||市||style="text-align:right"|112,819||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|東近江市}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|東近江市}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|東近江市}} / {{自治体面積/滋賀県|東近江市}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|東近江市}}<112819|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|東近江市}}/112819-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|東近江市}}/112819-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|東近江市}}/112819-1)*10000 round 0}}}} |- ![[米原市]] |25214-0||市||style="text-align:right"|37,225||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|米原市}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|米原市}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|米原市}} / {{自治体面積/滋賀県|米原市}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|米原市}}<37225|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|米原市}}/37225-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|米原市}}/37225-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|米原市}}/37225-1)*10000 round 0}}}} |- ![[日野町 (滋賀県)|日野町]] |25383-9||[[蒲生郡]]||style="text-align:right"|20,964||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|日野町}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|日野町}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|日野町}} / {{自治体面積/滋賀県|日野町}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|日野町}}<20964|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|日野町}}/20964-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|日野町}}/20964-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|日野町}}/20964-1)*10000 round 0}}}} |- ![[竜王町]] |25384-7||蒲生郡||style="text-align:right"|11,789||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|竜王町}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|竜王町}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|竜王町}} / {{自治体面積/滋賀県|竜王町}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|竜王町}}<11789|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|竜王町}}/11789-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|竜王町}}/11789-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|竜王町}}/11789-1)*10000 round 0}}}} |- ![[愛荘町]] |25425-8||[[愛知郡 (滋賀県)|愛知郡]]||style="text-align:right"|20,893||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|愛荘町}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|愛荘町}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|愛荘町}} / {{自治体面積/滋賀県|愛荘町}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|愛荘町}}<20893|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|愛荘町}}/20893-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|愛荘町}}/20893-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|愛荘町}}/20893-1)*10000 round 0}}}} |- ![[豊郷町]] |25441-0||[[犬上郡]]||style="text-align:right"|7,132||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|豊郷町}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|豊郷町}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|豊郷町}} / {{自治体面積/滋賀県|豊郷町}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|豊郷町}}<7132|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|豊郷町}}/7132-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|豊郷町}}/7132-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|豊郷町}}/7132-1)*10000 round 0}}}} |- ![[甲良町]] |25442-8||犬上郡||style="text-align:right"|6,362||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|甲良町}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|甲良町}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|甲良町}} / {{自治体面積/滋賀県|甲良町}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|甲良町}}<6362|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|甲良町}}/6362-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|甲良町}}/6362-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|甲良町}}/6362-1)*10000 round 0}}}} |- ![[多賀町]] |25443-6||犬上郡||style="text-align:right"|7,274||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|多賀町}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|多賀町}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|多賀町}} / {{自治体面積/滋賀県|多賀町}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|多賀町}}<7274|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|多賀町}}/7274-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|多賀町}}/7274-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|多賀町}}/7274-1)*10000 round 0}}}} |- class="sortbottom" style="background:#f2f2f2" !'''滋賀県''' |25000-7||県||style="text-align:right"|1,413,610||style="text-align:right"|{{formatnum:{{自治体人口/滋賀県|滋賀県}}}}||style="text-align:right"|{{自治体面積/滋賀県|滋賀県}}||style="text-align:right"|{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/滋賀県|滋賀県}} / {{自治体面積/滋賀県|滋賀県}} round 0}}}}||style="text-align:right;color:{{#ifexpr:{{自治体人口/滋賀県|滋賀県}}<1413610|red|green}};{{#ifexpr:(({{自治体人口/滋賀県|滋賀県}}/1413610-1)*100<2.5) and (({{自治体人口/滋賀県|滋賀県}}/1413610-1)*100>-2.5)||font-weight:bold;}}"|{{citypop/figure|{{#expr:({{自治体人口/滋賀県|滋賀県}}/1413610-1)*10000 round 0}}}} |} == 政治 == === 県政 === [[ファイル:Shiga Prefectural Government Office.jpg|280px|thumb|滋賀県本庁舎<br />(大津市)]] {{Main|滋賀県知事一覧|滋賀県庁|滋賀県議会}} * [[都道府県知事|知事]]:[[三日月大造]](みかづきたいぞう、2期目) ==== 歴代知事 ==== 歴代知事(公選)を以下に抜粋 * 初代 [[服部岩吉]] (1947年4月12日 - 1954年11月8日、2期) * 2代 [[森幸太郎]] (1954年12月7日 - 1958年12月6日、1期)後に[[農林水産大臣|農林大臣]] * 3代 [[谷口久次郎]] (1958年12月7日 - 1966年12月6日、2期) * 4代 [[野崎欣一郎]] (1966年12月7日 - 1974年12月6日、2期) * 5代 [[武村正義]] (1974年12月7日 - 1986年6月16日、3期)後に[[大蔵大臣]]など * 6代 [[稲葉稔 (政治家)|稲葉稔]] (1986年7月20日 - 1998年7月19日、3期) * 7代 [[國松善次]] (1998年7月20日 - 2006年7月19日、2期) * 8代 [[嘉田由紀子]] (2006年7月20日 - 2014年7月19日、2期)滋賀県初の女性知事。全国では、2006年の初当選時で5人目。 * 9代 [[三日月大造]](2014年7月20日 - 、2期目) ==== 財政 ==== * 2011年度 ** [[財政力指数]] 0.54 - Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)全国都道府県16位 * 2010年度 ** [[財政力指数]] 0.58 - Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)全国都道府県13位 * 2009年度 ** [[財政力指数]] 0.62 - Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)全国都道府県14位<ref>[http://www.pref.shiga.jp/b/zaisei/zaisei_hikaku/index.html 全国比較でみる滋賀県の財政状況]{{deadlink|date=2017年9月}}より。</ref> * 2008年度 ** [[財政力指数]] 0.61 - Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)全国都道府県15位 * 2007年度 ** [[財政力指数]] 0.56 - Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)17自治体中14位 * 2006年度 ** 財政力指数 0.51 - Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)16自治体中15位 ** 標準財政規模 - 2798億9600万円 ** 経常収支比率 - 91.8 % (都道府県平均は92.6 %) ** 実質収支比率 - 0.38 % わずかに黒字である ** 人口1人当たり人件費・物件費等決算額 - 13万5,324円 (都道府県平均は12万4,759円であり、やや多い) ** 人口100,000人当たり職員数 - 1,285.89人 (都道府県平均は1,173.11人であり、やや多い) *** 職員数の定数全体のうち教職員・警察官で約75 %を占める ** [[ラスパイレス指数]] - 98.6 ** 実質公債費比率 - 13.6 % (都道府県平均は14.7 %) ** 人口1人当たり地方債現在高 - 65万7,797円 (都道府県平均は62万2,416円) *** 普通会計分の地方債残高のみである * 地方債の残高 ** 普通会計分の地方債現在高 - 9022億2,000万円 ** 上記以外の特別会計分の地方債現在高 - 1057億3,300万円 *** 主な内訳 流域下水道会計分 - 585億円 病院事業分 246億円 上水道供給事業分 182億円 ** [[第三セクター]]等の債務状況(債務保証にかかわる債務残高等) - 616億6,700万円 *** 主な内訳 社団法人滋賀県造林公社分 106億円 財団法人びわ湖造林公社 - 337億円 ** 滋賀県の債務残高 - 1兆0696億2,000万円(連結会計) ** 滋賀県民1人あたり債務残高 - 76万4,279円 * 2005年度 ** 財政力指数 0.45 - IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)8自治体中6位 * 2004年度 ** 財政力指数 0.44 - IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中8位 === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#滋賀県|滋賀県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が4。[[参議院]]では、全県で1区を構成。 == 経済・産業 == {{Main2|漁業の詳細|琵琶湖#漁撈と食文化}} 滋賀県は、日本有数の消費地である京都・大阪を支える農業県であった。滋賀県内の農業は稲作中心で、県内の耕地面積のほとんどを水田が占めている(2011年の水田率国内第2位)<ref name="JA滋賀中央会">[http://www.jas.or.jp/agriculture/index.html 滋賀県内の農業]、JA滋賀中央会、2014年1月26日閲覧</ref>。滋賀県で生産された米は「江州米」または「[[近江米]]」として知られる。戦後の第2次産業・第3次産業の発展に伴い、県内の農家の多くは兼業農家であり、2010年の副業農家率は国内第3位である<ref name="JA滋賀中央会"/>。また滋賀県は[[日本茶]]発祥の地とされ、江戸時代には[[政所茶]]が宇治茶と並ぶブランド茶として名を馳せ、現在も甲賀市土山町([[土山茶]]。県内最大の栽培面積・生産量)と信楽町朝宮(「[[朝宮茶]]」。日本五大銘茶のひとつ)を中心に栽培が行われている<ref>[http://shigaquo.jp/foods/tea/e01.html 近江の茶]、滋賀県農政水産部、2014年1月26日閲覧。</ref>。その他、第1次産業においては、琵琶湖における漁業([[アユ]]・[[ビワマス]]・セタ[[シジミ]]など)、湖東地方を中心とする[[近江牛]]の生産などが盛んである。 現在は[[西日本]]有数の工業県であり<ref>内閣府の[[2006年]](平成18年)度県民経済計算によると、総生産に占める第2次産業の割合が46.7 %で1位。</ref>、[[2010年]]の工業生産出荷額は6兆5,741億円に達する<ref>[http://www.pref.shiga.lg.jp/c/toukei/kougyou/kougyou22/index.html 平成22年滋賀県工業統計調査] による。</ref>。県内総生産に占める[[第二次産業]]・[[製造業]]の割合は40%を超え、全国1位である<ref name="なんでも一番"/>。主要な工業生産品には近世からの伝統産業である日野・甲賀地方の医薬品(特に[[配置販売業|置き薬]])があり、[[2011年]]の医薬品生産額は2,506億円(全国11位、シェア3.6 %)となっている<ref>[https://www.mhlw.go.jp/topics/yakuji/2011/nenpo/22.html 厚生労働省都道府県別医薬品生産金額] 厚生労働省、2023年11月3日閲覧</ref>。また滋賀県内には既述の医薬品を含め主に9つの[[地場産業]]が存在する<ref>{{Cite web|和書|url= https://shiganomeihin.jp/?mode=f9|title=豊かな自然と歴史の流れの中で育まれた地場産業|publisher=滋賀県中小企業団体中央会|accessdate=2023年11月3日}}</ref>。 「環境先進県」としても知られており、県内には[[新エネルギー|新エネ]]・[[省エネ]]・[[蓄電池]]・[[水処理]]・[[バイオテクノロジー|バイオ]]などの環境関連企業・技術・人材・教育機関が集積している他、「医工連携」プロジェクトによる医療・健康機器分野の成長が期待されている<ref>[http://www.pref.shiga.lg.jp/f/shokokanko/tokku/20130913.html 滋賀健康創生特区が指定]</ref>。また第3次産業を主体に、県内の就業者数は一貫して増加している。 2012年の滋賀県の [[国内総生産|GDP]](県内総生産)は、人口で上回る[[鹿児島県]]・[[熊本県]]のそれよりも大きい<ref>[http://grading.jpn.org/SRC1101.html 県内総生産額ランキング] 都道府県格付研究所、2023年11月3日閲覧</ref>。一人当たりの県民所得([[県民経済計算]])についても2013年度で第4位となっており、全国トップクラスとなっている<ref>[http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7450.html 内閣府平成25年度県民経済計算 一人当たり県民所得ランキング] 社会実情データ図録、2023年11月3日閲覧</ref>。 今後の中期経済成長率については民間シンクタンクによれば、「堅調な人口動態と若年人口比率の高さ」・「京阪神と名古屋の中間経済圏としての立地と交通利便性」・「産業集積度や産学官連携推進」などにより、全国上位と予測されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nli-research.co.jp/report/econo_report/2011/ke1105.html|title=2020年度までの都道府県別成長率予測|work=ニッセイ基礎研究所|author=桑畠滋|date=2011年12月14日|accessdate=2023年11月3日}}</ref>。 また厚生労働省の報告書「平成27年版 労働経済の分析」によると、2012年時点における滋賀県の有業者数あたりの専門職人材(研究者・技術者・医師・会計士・教員などの専門的職業従業者)比率は、東京都・神奈川県・京都府に次ぐ高さとなっており、当県に専門的・技術的職業の人材が集積している<ref>[https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/15/15-1.html 平成27年版 労働経済の分析 -労働生産性と雇用・労働問題への対応-(第4章第3節)] 厚生労働省</ref>。[[完全失業率]]は全国平均未満<ref>[http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7360.html 総務省統計局・労働力調査(基本集計)都道府県別結果]</ref> であり、比較的堅実である。 滋賀県内の第3次産業活動については、県庁所在地である大津市や人口が密集している草津市を中心とした湖南地域にやや偏っている。また[[びわ湖環境ビジネスメッセ]]や滋賀ビジネスパートナーといった経済イベントが開催されているほか、滋賀経済同好会では[[近江商人]]の哲学・精神を守り、広げていく活動が行われている。 === 本店を置く企業 === {{See also|Category:滋賀県の企業}} {{col| * [[滋賀銀行]] * [[近江兄弟社]] * [[セネファ]](せんねん灸) * [[平和堂]] * [[たねや]] * [[ドリームフーズ]] | * [[リカーマウンテン]] * [[来来亭]] * [[滋賀県製薬]] * [[童夢 (自動車会社)|童夢]] * [[フジテック]] * [[アサヒビールモルト]] | * [[日本電気硝子]] * [[タカラバイオ]] * [[三東工業社]] * [[オプテックスグループ]] }} === 滋賀県ゆかりの企業 === * [[日本旅行]](創業地が草津市) * [[オーミケンシ]](創業地が彦根市) * [[東レ]](創業地) * [[タカタ (企業)|タカタ]](創業地が彦根市) * [[トヨタ自動車]](初代社長が彦根市出身) * [[西武グループ]](創業者が愛荘町出身) * [[ワコール]](創業者が東近江市出身) * [[髙島屋]](創業者が高島市出身) * [[住友財閥]](初代総理事、2代目が野洲市出身) * [[伊藤忠商事]]・[[丸紅]](創業者が豊郷町出身) * [[日本生命保険]](創業者が彦根市出身) * [[ヤンマー]](創業者が長浜市出身) * [[旭化成]](社名が[[義仲寺|大津市の寺院]]に由来) * [[綾羽]](アヤハグループ) 他多数。 == 生活・交通 == === 警察 === * [[滋賀県警察]] === 交通 === {{main2|琵琶湖を中心とした交通の歴史|琵琶湖#交通}} ==== 空港 ==== 現在は県内に空港は存在しない。戦前・戦中には大日本帝国陸軍用の[[八日市飛行場]]が存在。また戦後には日野町周辺に[[びわこ空港]]を作る構想があった。県周辺の主な空港は以下の通り。県内と各空港を直接つなぐ公共交通機関は[[関西空港駅]]と[[草津駅 (滋賀県)|草津駅]]および[[野洲駅]]を結ぶ特急列車「[[はるか (列車)|はるか]]」のみである。2021年現在[[リムジンバス]]などの運行はない。 * [[中部国際空港]](愛知県[[常滑市]]) * [[名古屋飛行場]](愛知県[[豊山町]]・[[小牧市]]・[[春日井市]]・[[名古屋市]][[北区 (名古屋市)|北区]]) * [[大阪国際空港]](兵庫県[[伊丹市]]、大阪府[[豊中市]]・[[池田市]]) * [[関西国際空港]](大阪府[[泉佐野市]]・[[田尻町]]・[[泉南市]]) ==== 鉄道路線 ==== [[ファイル:Maibara station east side.jpg|thumb|150px|鉄道路線の結節点となっている[[米原駅]]]] {{See also|Category:滋賀県の鉄道駅}} 信楽高原鐵道を除いて[[鉄道の電化|電化]]されており、すべてのJR路線が[[幹線]]である。 * [[東海旅客鉄道]](JR東海) ** [[東海道新幹線]](東海道本線)<!--正式名称は「東海道本線」国土交通省監修『鉄道要覧』を参照--> ** [[東海道本線]] * [[西日本旅客鉄道]](JR西日本) ** [[北陸本線]]([[琵琶湖線]]) ** [[東海道本線]](琵琶湖線) ** [[湖西線]] ** [[草津線]] * [[近江鉄道]] ** [[近江鉄道本線|本線]] <!--正式名称は「本線」(近江は付かない)。国土交通省監修『鉄道要覧』を参照--> ** [[近江鉄道八日市線|八日市線]] ** [[近江鉄道多賀線|多賀線]] ** [[八幡山ロープウェー]] * [[信楽高原鐵道]] ** [[信楽高原鐵道信楽線|信楽線]] * [[京阪電気鉄道]] ** [[京阪石山坂本線|石山坂本線]] ** [[京阪京津線|京津線]] * [[比叡山鉄道]] ** [[比叡山鉄道線]](坂本ケーブル) ==== バス ==== 一般路線バスを運行する事業者 * 近江鉄道 - 県内の広範囲に路線がある ** [[湖国バス]] - 近江鉄道の子会社 * [[帝産湖南交通]] - 大津市・草津市など湖南地域 * [[滋賀交通]]・滋賀バス - 甲賀市・湖南市など * [[京阪バス]] - 大津市内と比叡山、京都方面 * [[江若交通]] - 湖西地域。かつての[[江若鉄道]] * [[西日本ジェイアールバス]] - [[若江線]]。かつては亀草線、柳ヶ瀬線などもあった * [[京都バス]] - 京都市内から大津市や高島市へ乗入れ * [[名阪近鉄バス]] - 現在は伊吹山ドライブウェイの路線(季節運行)のみだが、かつては彦根などへ乗り入れていた ==== 道路 ==== [[ファイル:Biwako bridge1.jpg|thumb|150px|琵琶湖大橋]] [[ファイル:Shin-Meishin Expressway08.jpg|thumb|150px|新名神高速道路(黄瀬跨道橋より大阪方面を望む)]] {{See also|滋賀県の県道一覧}} 主要な国道や県道でも高規格化整備が遅れており、至る所で渋滞が発生している。特に国道1号と国道8号は県内において依然、片側1車線区間が多く、交通集中のため慢性的に渋滞が発生する。 * 高速自動車国道 ** [[中日本高速道路]] *** [[北陸自動車道]] *** [[中央自動車道]]西宮線([[名神高速道路]])([[八日市インターチェンジ|八日市]]以東) *** [[近畿自動車道]]名古屋神戸線([[新名神高速道路]])([[甲賀土山インターチェンジ|甲賀土山IC]]以東、ただしICは含まず) ** [[西日本高速道路]] *** [[中央自動車道]]西宮線([[名神高速道路]])(八日市以西、ただしICは含まず) *** [[近畿自動車道]]名古屋神戸線([[新名神高速道路]])(甲賀土山IC以西) * 一般有料道路 ** 西日本高速道路 *** [[国道1号]]([[京滋バイパス]]) ** [[日本自動車道]] *** [[伊吹山ドライブウェイ]] ** [[比叡山自動車道]] *** 比叡山ドライブウェイ ** [[奥比叡参詣自動車道]] *** 奥比叡ドライブウェイ ** [[滋賀県道路公社]] *** [[琵琶湖大橋有料道路]] * 一般国道 ** [[国道1号]] ** [[国道8号]] ** [[国道21号]] ** [[国道161号]] *** [[琵琶湖西縦貫道路]] ** [[国道303号]] ** [[国道306号]] ** [[国道307号]] ** [[国道365号]] ** [[国道367号]] ** [[国道421号]] ** [[国道422号]] ** [[国道477号]] ==== 航路 ==== [[ファイル:Nagahama port01s3872.jpg|thumb|200px|長浜港]] 大津港や竹生島港を中心に[[琵琶湖汽船]]([[京阪グループ]])と[[オーミマリン]]([[近江鉄道]]グループの近江トラベル運営)が観光遊覧船を開設しているほか、近江八幡市の[[沖島 (琵琶湖)|沖島]]と堀切新港を結ぶ通船や沖島と[[長命寺]]港を結ぶ[[渡し船]]が存在する。以下、琵琶湖汽船とオーミマリンによる定期観光航路を挙げる。 * 琵琶湖汽船 ** [[大津港 (滋賀県)|大津港]] - [[大津プリンスホテル]]港(ミシガンクルーズ) ** 大津港 - 沖島 - 竹生島港 - [[長浜港 (滋賀県)|長浜港]](ぐるっとびわ湖一周クルーズ) ** 今津港 - 竹生島港、長浜港 - 竹生島港、今津港 - 竹生島港 - 長浜港(竹生島クルーズ) ** 大津港・[[雄琴温泉|おごと温泉]]港・草津[[烏丸半島]]港・[[ピエリ守山]]港・[[琵琶湖大橋]]港(琵琶湖大橋クルーズ) * オーミマリン ** 彦根港 - [[竹生島]] - [[奥琵琶湖マキノプリンスホテル|マキノプリンスホテル]]桟橋(花見シーズンは[[海津大崎]]を経由) - 彦根港 ** 彦根港 - [[多景島]] ** 彦根港 - [[海津大崎]]、マキノプリンスホテル桟橋 - 海津大崎(お花見船) ==== ナンバープレート ==== 滋賀県で登録された自動車[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]]は全て「滋賀」で、守山市の[[滋賀運輸支局]]で交付される。他府県民から「[[ゲジ]]ナン」や「ゲジゲジ」、または「イナズマナンバー」と揶揄されることがあるが、これは「滋」の「幺幺」の部分から連想されたものである。野洲市出身の[[西川貴教]]の呼びかけで[[2009年]](平成21年)より草津市で開催されている大型野外音楽ライブ「[[イナズマロックフェス]]」の「イナズマ」は、ナンバープレートの俗称から命名された<ref>[http://www.pref.shiga.lg.jp/f/kanko/e-shinbun/fb01/20090519.html 滋賀ふるさと観光大使 西川貴教氏の大型野外フェス、タイトル、第二弾出演アーティスト発表!](県政eしんぶん)</ref>。 === 医療・福祉 === {{main|Category:滋賀県の医療機関}} * [[災害拠点病院]] ** [[滋賀県災害拠点病院]] * [[保育所]] ** [[滋賀県保育所一覧]] === マスメディア === ==== 放送 ==== 滋賀県域を放送対象地域とする放送局の親局は、地上デジタルテレビは大津市の[[大津テレビ送信所・中継局|宇佐山]]、FMラジオは[[湖南市]]の[[大津FM送信所|十二坊]]で分かれている。また京都府との1府1県を放送対象地域とするKBS京都のFM補完中継局の送信所は府県境である[[比叡山]]に置かれている。 {{See also|Category:滋賀県のケーブルテレビ局}} [[県域放送|県域放送局]] ; [[テレビ]] * [[NHK大津放送局]](総合テレビ)(大津市)<ref group="注釈">教育テレビは大阪放送局管轄。なお県内には教育テレビの中継局が所在する。</ref> * [[びわ湖放送]]([[全国独立放送協議会]])(大津市) ; [[ラジオ]] * [[NHK大津放送局]] (第1放送、FM放送)<ref group="注釈">第2放送は大阪放送局管轄。大阪府羽曳野市の送信所からの直接受信。</ref> * [[京都放送|KBS]]ラジオ[[KBS滋賀|滋賀放送局]]([[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列)(彦根市) * [[エフエム滋賀]]([[全国FM放送協議会|JFN]]系列)(大津市) ; [[コミュニティー放送|コミュニティFM]] * [[FMひこね]](彦根市) * [[えふえむ草津|Rockets785]](草津市) * [[Radio Sweet]](東近江市) * [[FMおおつ]](大津市) ; 全国放送およびネットワーク局 ; [[テレビ]] テレビ放送について、当県は[[放送#放送対象地域|放送対象地域]]としての「[[広域放送|近畿広域圏]]([[大阪府]][[大阪市]]に本局を置き、近畿地方全域を放送エリアとする在阪準キー局)」に含まれており、このうち[[毎日放送]]・[[朝日放送テレビ]]・[[関西テレビ放送|関西テレビ]]・[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]については県内に中継局が置局されている。また地域によっては比叡山にある[[京都放送|KBS京都]]中継局からの[[スピルオーバー]]による[[京都放送]]の視聴が可能である([http://www.kbs-kyoto.co.jp/contents/tv/area_map/ KBS京都の公式の電波到達範囲図]<ref>2014年9月現在、2015年9月30日閲覧</ref>)<ref group="注釈">放送免許範囲の問題から地上波では受信可能なのにもかかわらず、当初はケーブルテレビ局での再送信が認められなかった。</ref>。 ; [[ラジオ]] AMラジオについては在阪、在名各局とも受信可能。 FMラジオについては京都の[[エフエム京都]]のほか、大阪の[[エフエム大阪]]、[[FM802]]も一部では聴取可能である。また[[NHK京都放送局|NHK京都]]・[[NHK大阪放送局|大阪]]も聴取可能である。 ==== 新聞 ==== * 地方紙・ブロック紙 *: [[2012年]](平成24年)現在、[[日本新聞協会]]や[[全国地方新聞社連合会]]などに所属する[[地方紙]]はなく、京都新聞と中日新聞滋賀版が事実上の県紙となっている。 ** [[近江同盟新聞]] - [[彦根市]]に所在。頒布エリアは彦根市周辺。 ** [[滋賀夕刊新聞]] - [[長浜市]]に所在。頒布エリアは湖北・湖東地方。 *** [[滋賀彦根新聞]] - [[彦根市]]に所在する滋賀夕刊新聞の姉妹紙。頒布エリアは彦根市周辺。 ** [[近江毎夕新聞]] - 長浜市に所在。頒布エリアは長浜市。 ** [[滋賀報知新聞]] - 本店を[[東近江市]]に置き、大津市、栗東市と東京に支局を設置。頒布エリアはほぼ全域。 ** [[京都新聞]] - [[大津市]]に滋賀本社を設置。実質的な滋賀県のローカル紙の一つ。特に湖西・湖南・甲賀においてシェアが高い。 ** [[中日新聞]] - 大津市と彦根市に支局を設置。びわこ版を「滋賀中日」の題字で発行。実質的な滋賀県のローカル紙の一つ。特に湖北・湖東・東近江においてシェアが高く、米原市でのシェアは6割強である。 *かつて存在した新聞 ** [[滋賀日日新聞]] - [[1922年]](大正11年)に「江州日日新聞」として創刊。京都新聞の僚紙となった後、[[1978年]](昭和53年)ごろに休刊。休刊後は京都新聞滋賀本社に引き継がれた。 ** [[みんなの滋賀新聞]] - [[2005年]](平成17年)4月にみんなで作る新聞社が創刊したが、同年9月に休刊。復刊の目途が立たないまま12月に[[破産|自己破産]]を申請し、[[倒産]]。 * 全国紙 ** [[朝日新聞]] - 大津市に総局を設置 ** [[産業経済新聞]]([[産経新聞]]) - 大津市に支局を設置 ** [[日本経済新聞]](日経新聞) - 大津市に支局を設置 ** [[毎日新聞]] - 大津市と彦根市に取材拠点を設置 ** [[読売新聞]] - 大津市と彦根市に支局を設置 == 教育 == [[File:Shiga University Auditorium (Nationally Registered Tangible Cultural Property) at Headquarter in Hikone and Headquarter Building.jpg|thumb|200px|[[滋賀大学]]彦根キャンパス]] [[2013年]](平成25年)時点で13の大学・短期大学が立地しており、特に人口あたりの大学生数は京都府・東京都に次ぐ全国3位に位置している<ref>[https://www.pref.shiga.lg.jp/iju/child-rearing/108037.html 滋賀の大学] 滋賀県、2020年10月7日閲覧。</ref><ref>[http://todo-ran.com/t/kiji/15087 都道府県別四年制大学生数] 都道府県別統計とランキングで見る県民性、2020年10月7日閲覧。</ref>。小学校では京都府とともに[[ランリック]](ランリュック)がよく普及している。また児童の交通安全のための[[飛び出し坊や]]の設置が多く、飛び出し坊や愛好家の[[みうらじゅん]]からも注目されている<ref>[[ほぼ日刊イトイ新聞]]「[https://www.1101.com/shimaguni/jun/2008-06-15.html みうらじゅんに訊け! ―この島国篇―]、2008年6月15日、2010年6月20日閲覧。</ref>。滋賀県独自の教育事業として、小学校5年生などを対象に琵琶湖上で行われる[[滋賀県立びわ湖フローティングスクール]](平成24年内閣総理大臣賞の第5回海洋立国推進功労者表彰を受賞<ref>[https://www.mlit.go.jp/report/press/kaiji09_hh_000076.html 国土交通省発表内閣総理大臣賞] より。</ref>)がある。 ;[[大学]] [[国立大学|国立]] * [[滋賀医科大学]] * [[滋賀大学]] [[公立大学|公立]] * [[滋賀県立大学]] [[私立大学|私立]] * [[成安造形大学]] * [[聖泉大学]] * [[長浜バイオ大学]] * [[びわこ学院大学]] * [[びわこ成蹊スポーツ大学]] * [[びわこリハビリテーション専門職大学]] * [[立命館大学]] びわこ・くさつキャンパス * [[龍谷大学]] 瀬田キャンパス ;[[短期大学]] 私立 * [[滋賀短期大学]] * [[滋賀文教短期大学]] * [[びわこ学院大学短期大学部]] ; [[通信制大学]] 私立 * [[放送大学]] 滋賀学習センター ; [[専修学校]] * [[滋賀県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] * [[滋賀県特別支援学校一覧]] ; [[高等学校]] * [[滋賀県高等学校一覧]] ; [[中学校]] * [[滋賀県中学校一覧]] ; [[小学校]] * [[滋賀県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] * [[滋賀県幼稚園一覧]] ; [[外国人学校]] * [[滋賀県外国人学校一覧]] ; その他教育機関 ; [[農業大学校]] * [[滋賀県立農業大学校]] ; [[職業能力開発短期大学校]] * [[滋賀職業能力開発短期大学校]] * [[滋賀県調理短期大学校]] == 文化・スポーツ == 京都・大阪の文化圏に属し、とりわけ京都方面からの影響が大きい。岐阜県[[関ケ原町]]から滋賀県米原市にかけては東西文化の境界線をなす([[アホ・バカ分布図|アホかタワケか]]、[[雑煮#餅|雑煮が丸餅か角餅か]]など)。湖北地方は北陸や東海の文化との緩衝地帯でもあり、例えば雑煮の味付けが北陸風の澄まし汁だったり(湖北地方以外は味噌仕立てが主流)、東海3県のブロック紙である[[中日新聞]]が広く配達されていたりする(米原市では6割強のシェアを占める<ref>[[京都新聞]]による [http://www.kyoto-np.co.jp/ad/profile/busuu_02.htm 京都府・滋賀県の市郡別各紙朝刊部数データ] と [http://www.kyoto-np.co.jp/ad/profile/busuu_01.htm 京都府・滋賀県の新聞のシェアデータ] から、中日新聞(前者データの「その他」と後者データの「F紙」)の滋賀県および県内各市郡での部数・シェアがわかる。</ref>)。 === 県民性 === 『角川日本地名大辞典』では「温和で、一徹ではなく、計数に明るく利害に敏感で、蓄財に長じている。文にたけるが武はそれほどでもない。」「地味で着実、おとなしく粘り強く努力する。」としている<ref>『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』1979年、角川書店、25頁。</ref>。社寺(滋賀県には[[浄土真宗]]門徒が多い)を中心とする伝統的な地縁社会であることから、保守的・閉鎖的であるとの指摘もある<ref>NHKが1996年に実施した「全国県民意識調査」によると、「『よそ者』というような言葉が、この地域ではまだ生きている。」という項目で2位。</ref>。[[祖父江孝男]]は、滋賀県の県民性イメージは近江商人に関するステレオタイプから生み出された部分が大きいとしている<ref>祖父江孝男「県民・日本人気質」河出書房新書編集・発行(木津川計『含羞都市へ』61-62頁)</ref>。 === 方言 === {{main|近江弁}} 滋賀県内で話される方言は[[近畿方言]](いわゆる[[関西弁]])に分類され、[[京言葉]]と共通する特徴が多い。近世の近江国は、中央に琵琶湖がある地理的要因と小藩が乱立する政治的要因によって国内の交流が制限された一方、街道の発達によって地域それぞれに周辺諸国(美濃や若狭など)と交流を持っていたため、狭い面積でありながら細かな地域差があり、特に湖北地方の方言は独自性が強い。滋賀県の方言の特徴としては、第三者待遇表現の多用や、「そ」で始まる[[指示語]]のハ行音化(例:それ→ほれ)、終助詞「ほん」(湖東・湖北)などが挙げられる。 === 食文化 === [[ファイル:Fish from Lake Biwa for sale at a fish store in Otsu, Shiga, Japan.jpg|サムネイル|湖魚を取りそろえる大津市内の鮮魚店]] [[ファイル:Akakonnyaku.jpg|thumb|赤こんにゃく]] [[ファイル:Sabasomen1.jpg|サムネイル|焼鯖素麺]] [[ファイル:Hikone-champon.jpg|thumb|彦根のちゃんぽん]] {{See also|Category:滋賀県の食文化}} * 郷土料理{{Main|日本の郷土料理一覧#滋賀県}} * ご当地グルメ ** [[近江牛]](湖東地方が主産地) ** [[近江米]]・江州米(県内全域)「[[:Category:近江米|Category:近江米]]」も参照 ** [[近江茶]](甲賀市が主産地) *** [[朝宮茶]](甲賀市信楽町朝宮) *** [[土山茶]](甲賀市土山町) *** [[政所茶]](東近江市政所) ** [[湖魚]]料理 *** [[鮒寿司]] *** [[鮒の子まぶし]] *** [[子持鯉の煮付]] *** [[小鮎]]や[[ホンモロコ]]などの佃煮、[[鮎巻]] *** [[えび豆]] *** [[ビワマス]]料理 *** [[セタシジミ]]料理(大津市など) ** 鯖の[[なれずし]](高島市朽木など) ** [[鴨鍋]]・鴨すき(湖北地方) ** [[赤こんにゃく]](近江八幡市) ** [[日野菜]](日野町) ** 赤カブ漬け(彦根市・米原市など) ** [[たくあんの煮物|ぜいたく煮]] ** [[かんぴょう]](甲賀市水口町) ** [[スヤキ]](甲賀市「谷野食堂」) ** [[焼鯖素麺]](湖北地方) ** [[ちゃんぽん]](彦根市) ** [[イタリアン (新潟)|イタリアン焼きそば]](長浜市「茶しん」) ** [[サラダパン]](長浜市「つるやパン」) ** [[糸切餅]](多賀町) ** [[うばがもち]](草津市) ** [[バウムクーヘン]](近江八幡市「[[たねや]]」) === 伝統工芸 === [[ファイル:Shigaraki yaki.jpg|thumb|信楽焼]] * [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] ** [[近江上布]](織物、[[1977年]]) ** [[信楽焼]](陶磁器、[[1975年]]) ** [[彦根仏壇]](仏壇・仏具、1975年) * 伝統工芸品{{Main|日本の伝統工芸品の一覧#滋賀県}} ** [[信楽焼]](甲賀市) ** [[水口細工]](甲賀市) ** [[湖東焼]](彦根市) ** [[彦根仏壇]](彦根市) ** [[浜ちりめん|浜縮緬]](長浜市) ** [[近江上布]](湖東地方) ** [[近江真綿]](米原市) ** [[扇子|扇骨]](高島市) ** [[小幡人形]](東近江市) ** [[木地師|木工品]](東近江市など) ** びん細工[[手まり]](愛荘町) === 伝統芸能・祭礼・その他主な催事 === * [[長浜曳山祭]](長浜市) - 日本三大山車祭 * [[大津曳山祭]](大津市) * [[水口曳山祭]](甲賀市水口町) * [[日野祭]](日野町) * [[篠田の花火]](近江八幡市) * [[左義長]](近江八幡市など) * [[筑摩神社 (米原市)|鍋冠祭]](米原市) * [[江州音頭]](各地) * [[オコナイ]](湖北地方・甲賀地方) * [[イナズマロックフェス]](草津市) - 来場者2日間でライヴエリア・フリーエリア込みで約10万人(2014年) * [[びわ湖大花火大会]](大津市) - 来場者約35万人(2012年) * [[ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン]]びわ湖「熱狂の日」音楽祭(大津市) - 来場者3万人超(2012年) * [[びわ湖環境ビジネスメッセ]](長浜市) - 来場者3日間で約4万人 * [[鳥人間コンテスト選手権大会]](彦根市) * ゆるキャラまつり(彦根市) - 来場者約8.8万人(2012年) * 大津ジャズフェスティバル(大津市) - 来場者約4万人(2012年) * びわこJAZZフェスティバル(東近江市) * 草津宿場まつり(草津市) - 来場者約7万人(2012年) * 小江戸彦根の城まつり(彦根市) * 滋賀B級グルメバトル(大津市) - 来場者2日間で約15万人(2012年) * 牛肉サミット(大津市) - 来場者2日間で約10万人(2012年) * 信楽陶器まつり(甲賀市信楽町) - 来場者約7万人(2011年) === スポーツ === {{See also|Category:滋賀県のスポーツチーム}} 滋賀県では突出して盛んなスポーツはなく、[[2008年]](平成20年)に[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]](当時[[日本プロバスケットボールリーグ|bjリーグ]])の[[滋賀レイクスターズ]]が設立されるまでは滋賀県に本拠地を置くプロスポーツチームは存在しなかった。2017年より滋賀ユナイテッドベースボールクラブが独立リーグの[[ベースボール・チャレンジ・リーグ]]に参戦した(2022年は[[滋賀GOブラックス]]の名称で[[日本海オセアンリーグ]]に所属し、2023年は活動休止、2024年以降の所属リーグ未発表)。[[日本の高校野球|高校野球]]でも近畿勢で唯一優勝経験がない([[日本の高校野球#近畿]]参照)。一方で近年サッカーのレベルが向上しており、[[2005年]](平成17年)に[[滋賀県立野洲高等学校]]が[[全国高等学校サッカー選手権大会]]で優勝を果たしている。滋賀県本拠地のサッカークラブとして、[[日本フットボールリーグ|日本フットボールリーグ(JFL)]]に、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]参入を目指す[[レイラック滋賀FC|MIOびわこ滋賀]](本拠:[[草津市]])が存在する。他に、栗東市には[[日本中央競馬会]]の[[栗東トレーニングセンター]]が所在する。 == 観光 == {{main|滋賀県の観光地}} {{also|滋賀県の神社一覧|滋賀県の城|琵琶湖#景勝・観光地として}} [[琵琶湖]]には[[海津大崎]]など数々の景勝地があり、とりわけ[[近江八景]]は近世より日本有数の名勝として知られた。さらに、[[彦根藩]]士・[[森川許六]]選の「風俗文選」(1706年(宝永3年)に刊行された)の「湖水賦<ref>『風俗文選(森川許六 選)・和漢文操(各務支考 編)・鶉衣(横井也有 著)』藤井紫影、武笠三諸 校訂、有朋堂書店(有朋堂文庫)1918年(大正7年)38頁</ref>」の項には近江の名所旧跡が詳細に述べられている。 近年でも[[琵琶湖八景]]が設定され、景観の良さで内外に知られている。また歴史上早くに都が置かれ、中世から近世において交通における重要拠点であったことや、太平洋戦争の戦災や戦後の乱開発も比較的少なかったことなどから、社寺・城郭・伝統的景観などの歴史的観光資源が豊かである。それらの自然・文化・風土の奥深さに、古くは[[松尾芭蕉]]が、近代でも[[司馬遼太郎]]や[[白洲正子]]らが魅せられ、滋賀の地を深く愛した<ref>新潮社「近江路散歩」より</ref><ref>司馬遼太郎『街道をゆく』より「近江というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、 私には詩がはじまっているほど、この国が好きである」</ref>。 主な観光地としては、全国的にも有名な[[長浜市|長浜]]・[[彦根市|彦根]]・[[近江八幡市|近江八幡]]・[[甲賀市|信楽]]のほか、[[文化遺産 (世界遺産)|世界遺産]](文化遺産)である比叡山[[延暦寺]]をはじめとする多数の寺院や史跡、湖国随一の規模と歴史を持つ[[おごと温泉]]などが存在する。また、琵琶湖およびその周辺の自然環境では釣り・ボート・ヨット・[[琵琶湖汽船|ミシガン]]クルーズ・スキー・登山・キャンプ・琵琶湖一周自転車ツーリング(通称[[ビワイチ]])などのアウトドア・レジャーが盛んであり、自然・歴史・文化など多方面にわたって観光資源が極めて豊富なことから、[[京阪神]]・[[中京圏]]・[[北陸地方|北陸圏]]などから多数の観光客が訪れている。なお、滋賀県の年間延べ観光客数は2011年に過去最多の4,735万人となった<ref>[http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20121126000051 京都新聞記事「平成23年 滋賀県、昨年の観光客が最多に」]</ref>。<!--主な観光地の彦根他は特定の施設などを越えて街そのものが観光地ブランドの地位を獲得していることから、街へのリンクは不適切ではないと考えられ復帰させました。--> 近年、琵琶湖以外の自然環境では[[里山]]や田園、[[針江区|カバタ]]などが[[アグリツーリズム|グリーンツーリズム]]・[[エコツーリズム]]の観点から見直されつつある。その他特筆すべき文化施設やイベントとして、西日本最大級のオペラ拠点である[[びわ湖ホール]]があるほか、野外型大型[[ロック・フェスティバル|ロックフェス]]の『[[イナズマロックフェス]]』や彦根市の[[ゆるキャラ]]「[[ひこにゃん]]」ブームに端を発した『[[ゆるキャラ#ゆるキャラグランプリ|ゆるキャラグランプリ]]』、伝統の[[大津祭]]、日本三大山車祭の一つ[[長浜曳山祭]]、[[ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン|ラ・フォル・ジュルネびわ湖]]、[[鳥人間コンテスト]]、[[びわ湖大花火大会]]などの開催があり、これらの催事にも県外から多くの人が訪れる。 グルメでは最高級和牛ブランドの一つ[[近江牛]]を筆頭に、近江米・[[鮒寿司]]・鮎屋の鮎巻・比叡[[ゆば]]・[[鴨鍋|鴨料理]]・うばがもち・赤こんにゃく・[[焼鯖素麺|焼き鯖そうめん]]といった伝統食のほか、[[たねや|クラブハリエ]]のバームクーヘンが人気である。さらに近年では、湖国ブラックや近江[[ちゃんぽん]]、その他新鋭の個人ラーメン店が競い合い、滋賀ご当地ラーメンとして内外で盛り上がりを見せている<ref>[http://www.kyoto-np.co.jp/shiga/article/20120323000050 京都新聞記事「湖国ラーメン 戦国期へ」]</ref>。 上述の「ビワイチ」(琵琶湖一周の愛称)が自転車愛好家を中心に認知度が高いことにより、近年、琵琶湖及びその周辺に点在する豊富な自然・歴史・文化的資源を周遊・体験する観光企画ブランド「ビワイチの旅」が県内外へ発信されており<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/otona/tripnews/08/shiga/20121116-OYT8T00373.htm 読売新聞記事「旅行企画、県などブランド認定」]</ref>[[ナショナルサイクルルート]]に認定された<ref>[https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001315541.pdf 第1次ナショナルサイクルルートを指定しました!]</ref>。 === 文化財 === {{See also|近畿地方の史跡一覧#滋賀県|滋賀県指定文化財一覧}} [[ファイル:Ishiyamadera0048.JPG|thumb|石山寺]] [[ファイル:Hikone-jo-r.jpg|thumb|彦根城([[国宝]]天守)]] 滋賀県では2012年9月現在、1件の世界遺産(文化遺産)、55件の国宝、806件の重要文化財が指定されている。 国宝の指定件数は京都府・東京都・奈良県・大阪府に次ぐ5位、重要文化財の指定件数は東京都・京都府・奈良県に次ぐ4位で、特に国宝建築物22件は、奈良県(64件)・京都府(48件)に次ぐ3位に位置しており、4位の兵庫県(11件)以下を離している<ref>文化庁「[http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shoukai/shitei.html 文化財指定等の件数]」</ref>。 近年多数の歴史的文化財や史跡・優れた景観を生かして、映画やドラマのロケ地として積極的に誘致活動が行われている。 * 世界遺産 ** [[古都京都の文化財]] - [[比叡山]][[延暦寺]] * 国宝 ** [[園城寺]] - 金堂、新羅善神堂 ** [[延暦寺]] - 根本中堂 ** [[勧学院]] - 客殿 ** [[金剛輪寺]] - 本堂 ** [[御上神社]] - 本殿 ** [[光浄院]] - 客殿 ** [[常楽寺 (湖南市)|常楽寺]] - 三重塔、本堂 ** [[西明寺 (滋賀県甲良町)|西明寺]] - 三重塔、本堂 ** [[石山寺]] - 多宝塔、本堂 ** [[善水寺]] - 本堂 ** [[大笹原神社]] - 本殿 ** [[長寿寺 (湖南市)|長寿寺]] - 本堂 ** [[都久夫須麻神社]] - 本殿 ** [[日吉大社]] - 西本宮本殿および拝殿、東本宮本殿および拝殿 ** [[彦根城]] - 天守、附櫓および多聞櫓 ** [[苗村神社]] - 西本殿 ** [[宝厳寺]] - 観音堂 * 重要伝統的建造物群保存地区 ** [[坂本 (大津市)|坂本]]([[大津市]]) ** [[近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区|八幡]] ([[近江八幡市]]) ** [[五個荘町金堂]]([[東近江市]]) * 有形文化財 ** [[彦根屏風]]([[彦根市]]) ** 渡岸寺(向源寺) 木造十一面観音菩薩([[長浜市]]) * 重要文化的景観 ** [[近江八幡の水郷]](近江八幡市) - 重要文化的景観選定第1号 ** 高島市[[マキノ町#重要文化的景観|海津・西浜・知内の水辺景観]](高島市) ** 高島市[[針江区|針江]]・霜降の水辺景観(高島市) ** [[東草野村|東草野]]の山村景観(米原市) ** [[菅浦の湖岸集落]]景観(長浜市) ** [[大溝町|大溝]]の水辺景観(高島市) == 対外関係 == 友好都市は以下の通り。 * {{BRA}}[[リオグランデ・ド・スル州]] * {{USA}}[[ミシガン州]] * {{CHN}}[[湖南省]] == 滋賀県を舞台とした作品 == {{Main|滋賀県を舞台とした作品一覧}} {{See also|琵琶湖#作品の題材として}} === 漫画 === * [[手塚治虫]]『[[火の鳥 (漫画)|火の鳥]]太陽編』『[[火の鳥 (漫画)|火の鳥]]異形編』 * [[高山路爛]]原作、山田哲太画『[[メスよ輝け!!]]』 * [[目黒三吉]]『びわこでチュッ!』 * [[ゴツボ×リュウジ]]『[[ササメケ]]』『[[もののけもの]]』など * [[唐々煙]]『[[曇天に笑う]]』 * [[さかなこうじ]]『三成さんは京都を許さない ―琵琶湖ノ水ヲ止メヨ―』 === 古典 === * [[万葉集]] * [[松尾芭蕉]]『[[幻住庵記]]』 * [[上田秋成]]『[[雨月物語]]』 === 文学 === {{Multicol}} * [[川端康成]]『虹いくたび』 * [[井上靖]]『星と祭』『比良のシャクナゲ』『額田女王』 * [[森鷗外]]『小倉日記』 * [[小泉八雲]]『興義和尚のはなし』 * [[谷崎潤一郎]]『盲目物語』 * [[遠藤周作]]『万華鏡』 * [[水上勉]]『[[湖の琴]]』『湖北の女』『しがらき物語』 * [[三島由紀夫]]『絹と明察』 * [[山本周五郎]]『あらくれ武道』 * [[坂口安吾]]『[[桜の森の満開の下]]』 * [[長谷川伸]]『[[瞼の母]]』 * [[舟橋聖一]]『[[花の生涯]]』 * [[司馬遼太郎]]『[[功名が辻]]』『[[関ヶ原 (小説)|関ヶ原]]』 * [[岡本かの子]]『金魚撩乱』 * [[童門冬二]]『小説中江藤樹』 * [[城山三郎]]『一歩の距離』 * [[辻井喬]]『父の肖像』『[[竹生島]]』 * [[辻邦生]]『[[安土往還記]]』 * [[横光利一]]『比叡』 * [[有栖川有栖]]『[[マジックミラー (小説)|マジックミラー]]』 {{Multicol-break}} * [[花登筺]]『ぼてじゃこ物語』 * [[瀬戸内晴美]]『比叡』 * [[吉村昭]]『ニコライ遭難』 * [[秦恒平]]『みごもりの湖』 * [[岩井三四二]] 『月ノ浦惣庄公事置書』 * [[西村京太郎]]『十津川警部湖北の幻想』『湖西線12×4の謎』『奇祭の果て』『びわ湖環状線に死す』 * [[外村繁]]『草筏』『澪標』など * [[姫野カオルコ]]『ちがうもん』『喪失記』『レンタル(不倫)』など * [[幸田真音]]『藍色のベンチャー(あきんど 絹屋半兵衛)』 * [[青山光二]]『竹生島心中』 * [[岳宏一郎]]『群雲、賎ケ岳へ』 * [[芝木好子]]『群青の湖』 * [[連城三紀彦]]『飾り火』 * [[藤本恵子]]『クレソン』など * [[田渕久美子]]『[[江〜姫たちの戦国〜]]』 * [[万城目学]]『[[偉大なる、しゅららぼん]]』 * [[山田風太郎]]『[[甲賀忍法帖]]』 * [[浅田次郎]]『[[柘榴坂の仇討]]』 * マックス・ダウテンダイ『近江八景の幻影』 * [[高橋直樹 (作家)|高橋直樹]]『湖賊の風』 {{Multicol-end}} === エッセイ === * [[饗庭孝男]]『故郷の廃家』 * 井上靖 『美しきものとの出会い』 * 司馬遼太郎『[[街道をゆく]]・[[湖西のみち]]』『街道をゆく・[[近江散歩、奈良散歩]]』『街道をゆく・[[叡山の諸道]]』『街道をゆく・[[甲賀と伊賀のみち]]』 * [[白洲正子]]『近江山河抄』『十一面観音巡礼』『かくれ里』など * [[志村ふくみ]]『ちよう、はたり』 * [[瀬戸内寂聴]]『寂聴 古寺巡礼』 * [[寿岳章子]]『湖北の光』 * 横光利一『琵琶湖』 === テレビドラマ === * [[鮎のうた]]([[1979年]]度後期、[[日本放送協会|NHK]]・[[連続テレビ小説]]) * [[はっさい先生]]([[1987年]]度後期、同上) * [[スカーレット (テレビドラマ)|スカーレット]]([[2019年]]度後期、同上) * [[花の生涯 (NHK大河ドラマ)|花の生涯]]([[1963年]]、NHK・[[大河ドラマ]]) * [[おんな太閤記]]([[1981年]]、同上) * [[功名が辻 (NHK大河ドラマ)|功名が辻]]([[2006年]]、同上) * [[江〜姫たちの戦国〜]]([[2011年]]、同上) * [[ぼてじゃこ物語]]([[1971年]]、[[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]) * [[戦国自衛隊・関ケ原の戦い]](2006年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) * [[西部警察 PART-III]] 「爆発5秒前! 琵琶湖の対決―大阪・大津篇―」([[1984年]]、[[テレビ朝日]]) * [[誘惑 (1990年のテレビドラマ)|誘惑]]([[1990年]]、[[TBSテレビ|TBS]]・[[金曜ドラマ (TBS)|金曜ドラマ]]) * 石坂線物語([[2012年]]、[[NHK大津放送局]]・[[地域発ドラマ]]) * 田上トパーズ!([[2013年]]、同上) === テレビアニメ === * [[けいおん!]]シリーズ ※アニメ版で[[豊郷町立豊郷小学校]]をモデルにした校舎が登場した事がきっかけで、[[巡礼 (通俗)|聖地巡礼者]]が今でも多く訪れる。 * [[中二病でも恋がしたい! (アニメ)|中二病でも恋がしたい!]] * [[ちはやふる]] === 映画 === * [[男はつらいよ 拝啓車寅次郎様]] * [[大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン]] * [[幻の湖]] * [[火火]](ひび) - [[高橋伴明]]監督、[[田中裕子]]主演 * [[火天の城]] * [[ゴジラvsメカゴジラ]] * [[てんびんの詩]] * [[SHINOBI-HEART UNDER BLADE-]] * [[偉大なる、しゅららぼん]] * [[柘榴坂の仇討]] * [[ちはやふる]] * [[マザーレイク]] === 音楽 === {{See|近畿地方のご当地ソング一覧#滋賀県}} == 滋賀県出身の人物 == {{Main|滋賀県出身の人物一覧}} 出身者以外で滋賀県にゆかりのある人物としては、大津宮を開いた[[天智天皇]]、粟津(現在の大津市)で斃れた[[源義仲]]、義仲が眠る大津市の[[義仲寺]]を墓所とした[[松尾芭蕉]]、大津市の[[園城寺]]で受戒し法明院を墓所とした[[アーネスト・フェノロサ]]、近江八幡を活動拠点とし県内にも多くの名建築を残した[[ウィリアム・メレル・ヴォーリズ]]などがいる。 [[1876年]]から[[1881年]]までの間、滋賀県だった旧[[若狭国]]および旧[[越前国]][[敦賀郡]]([[嶺南]])の出身者に関しては、「[[:Category:福井県出身の人物]]」、「[[福井県出身の人物一覧]]」を参照。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[京滋]] * [[京滋奈]] * [[滋賀県の観光地]] * [[琵琶湖の水止めたろか]] - 滋賀県に関するジョーク。 == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/滋賀県|[[画像:Shiga-geo-stub.png|34px|Portal:日本の都道府県/滋賀県]]}} {{Sisterlinks | wikt = 滋賀県 | q = カテゴリ:滋賀県 | s = カテゴリ:滋賀県 | n = カテゴリ:滋賀県 | v = no | voy = ja:滋賀県 | d = Q131358 }} *'''行政''' ** {{Official website}} *'''観光''' ** [https://www.biwako-visitors.jp/ 滋賀びわ湖観光情報] - びわこビジターズビューロー ** {{Googlemap|滋賀県}} *'''歴史''' ** [https://www.pref.shiga.lg.jp/kenseishiryo/ 滋賀県県政史料室] {{s-start}} {{s-bef|before=[[大津県]]・[[犬上県]]<hr />[[敦賀県]]の一部([[嶺南]])|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1872年]] - <br />(※正確には大津県を改称)|years2=}} {{s-aft|after=-----<hr />[[福井県]](嶺南)|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{滋賀県の自治体}} {{滋賀県の郡}} {{滋賀県の地域}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:しかけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:滋賀県|*]] [[Category:高松宮記念杯競輪]]
2003-02-03T17:54:41Z
2023-11-27T16:34:34Z
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静岡県
静岡県(しずおかけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は静岡市。 直線距離にて県域の東西が155km、南北に118kmと全国13番目に広大な県域を保ち、全国10位の約360万人の人口を有する。旧令制国の伊豆国のほとんどと、駿河国、遠江国の凡そ3国に相当する県である。地域によって住民の意識、方言、文化面に大きな違いが見られる。北側は広大な南アルプス、南側には駿河湾、遠州灘に面する。23市10区12町の自治体があり、村はない。 約20万の事業所を抱え、全国4位の製造品出荷額を有するなど、東海工業地域に属する全国有数の工業県でもあり、ホンダの発祥地でスズキ、ヤマハ発動機の本社がある他、オートバイ、ピアノ、プラモデルの輸出量では日本一を誇る。また、全国一の水揚げ額を有する焼津漁港や、静岡茶が有名であるなど、第一次産業も盛んであり、東西の交通網や港湾を利用した6次産業化も進んでいる。 政令指定都市である静岡市と浜松市、そして施行時特例市である沼津市と富士市を有し、人口10万人以上の都市が10市あるなど、平野部を中心に人口が分散傾向にあり、首位都市(プライメイトシティ)は存在しない。 また、富士山、富士山本宮浅間大社、韮山反射炉、三保の松原などの世界遺産や、世界ジオパークの一つである伊豆半島ジオパーク、熱海温泉、三嶋大社、久能山東照宮、登呂遺跡、大井川鐵道など多くの観光資源を有し、年間約1.5億人の観光客が訪れる 『静岡県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系)』(国土地理院)によると静岡県の広袤は以下の通り。また、『我が国の人口重心 -平成27年国勢調査結果から-』(総務省)による人口重心 も併記する。 県総面積の64%が非可住の森林で構成されており、僅かな平野部に人口の大半が集積し高密度な都市を形成している。 北部には標高3,000mを越える峰もある赤石山脈の山々がそびえ、一級水系の大井川や安倍川の源流となる。東部には第四紀火山が多く、富士山や、箱根山、伊豆東部火山群が現在でも活動しており、すでに活動を終えた天城山や達磨火山などの数々の大型火山が伊豆半島の大地を造り上げた。この伊豆半島は、本州の中で唯一フィリピン海プレート上にあり、プレート境界である駿河トラフの延長線上に富士山が形成されている。南西部には台地や平野が多くなる。県の中央には糸魚川静岡構造線が南北に走り、安倍川がその南端に当たる。したがって、地質構造はこの安倍川を境にして県の東西で全く異なる。静岡県の形は金魚に例えられることがあり、この場合、西部を頭、東部を尾に見立てる。 大半の地域が太平洋側気候であるが、北部の山間部は中央高地式気候で標高差が大きいため地域による寒暖の差が激しい。冬の平野部や沿岸部は黒潮の影響で本州の中でも非常に温暖であり、寒気の影響を受けにくいために放射冷却によって朝晩は氷点下まで下がることがあっても、日中は10°Cを超えることがほとんどである。特に伊豆地方の沿岸部では氷点下まで下がることはなく、雪が降ることもほとんどないなど、南九州並みに温暖な気候である。一方、旧井川村と旧水窪町などの赤石山脈に接する北部山間部は中央高地式気候の影響も受けており、冬は雪が多く豪雪地帯である。また、東部内陸部の御殿場市などでも南岸低気圧によりかなりの積雪をもたらし、東北地方並みのかなり厳しい冷え込みになることが多い。そのほか、裾野市にあるスキー場「スノータウンイエティ」は20年連続で日本一早いオープンを飾っている。夏は、天竜地域など西部内陸ではかなりの酷暑となるが、それ以外の地域ではそれほどの酷暑とはならず、東部や伊豆地方を中心に比較的冷涼である。 ケッペンの気候区分によると県域の大部分は温暖湿潤気候ではあるが、富士山は最暖月の平均気温が6°Cしかなく、寒帯地域のツンドラ気候に相当している。 夏から秋にかけては台風の影響を受ける。1951年(昭和26年)以降の台風上陸数は鹿児島県、高知県、和歌山県に次いで4番目に多い県である。 名目上の行政区分で、東日本、中部地方、東海地方、広域関東圏などに区分されている。また、名古屋圏や関東地方からも独立した地域として、「静岡(県)地方」とされるケースも存在する。しかし、糸魚川静岡構造線を挟んで東側と西側に広い面積を占めているため、行政やその他諸々の区分では、西日本に分類される場合もあり、またこれらとは違う区分に属することもある。 企業・団体によってエリア区分はそれぞれ異なる。 企業・団体のエリア区分は、それぞれの監督官庁のエリア区分を反映している物が多いが、基本的に静岡県が地域分類される場合、大まかに分けて次の4分類のいずれかが見られる。 静岡県を巡る道州制の区割り案について、地方制度調査会は、9道州案では中部州、11道州案や13道州案では東海州に含まれるとしている。また、国土交通省の広域地方計画では、静岡県は中部圏に含まれるとしている。ただ東部では国政への発言力増大のため、静岡県東部政令指定都市構想が出されるなど動きが活発であり、今後の動向が注目される。 静岡県は、富士川と牧之原台地を境として、東部、中部、西部の3地域に区分される。東部はさらに狭義の東部と伊豆に分けられることもある。ただ富士川より西にあり中部であった旧富士川町が2008年(平成20年)11月の富士市に編入されたことで富士川による境は実質なくなってしまい、県庁による地域区分でも必ずしも川が境界線とは限らない場合がある。 静岡県内には以下の23市5郡12町がある。村は旧龍山村が浜松市と合併したことにより2005年(平成17年)6月30日をもって消滅した。 「町」の読み方は、森町のみ「まち」で、その他は「ちょう」。 旧駿河国のうち富士川以東、および伊豆諸島を除いた旧伊豆国に相当する。市外局番は0544、0545、055または055Cであり、郵便番号は41から始まる。自動車のナンバープレートはかつては全域で「沼津」であったが、2006年(平成18年)10月から伊豆地域(上記「伊豆」エリア)でご当地ナンバーの「伊豆」が、2008年(平成20年)11月からは富士市、富士宮市、御殿場市、裾野市、小山町で「富士山」が導入されてからは、新規で沼津ナンバーを配布しているのは、沼津市と駿東郡清水町、長泉町のみである。 旧駿河国のうち富士川以西と、旧遠江国のうち牧之原台地以東(現・牧之原市および榛原郡域)に相当する。市外局番は054または054Cであり、郵便番号は42から始まる。自動車のナンバープレートは「静岡」である。 現榛原郡域を除く旧遠江国に相当する。現在は、「遠州」と言われている。市外局番は053または053Cであり、郵便番号は43から始まる。自動車のナンバープレートは「浜松」である。 ただし例外がある。 浜松市南部、湖西市を西遠として、浜松市北部を北遠、磐田市、袋井市、掛川市南西部、森町を中遠、掛川市、菊川市、御前崎市を東遠、中遠と東遠を合わせて中東遠と区分することがある。 ※各地域ごとの歴史は「伊豆国」「駿河国」「遠江国」を参照すること。 静岡という名称は、1869年から1871年まで存在した静岡藩に由来する。 「静岡」の名称の決定は版籍奉還に際して行われた。現在の静岡県庁周辺を指していた「府中」という名称が特定の地名を指しておらず紛らわしいこと、読みが同じ「不忠」を想起させることを理由に明治政府から改名が要請された。それにより藩庁で改名について議論され、1868年に府中藩が明治政府に「静岡」「静」「静城」の3つの案を上申し、明治政府が「静岡」を採用した。この「シズオカ」という名称のうち「シズ」は賤機山に由来するとされており、名称の決定に際して賤機山にちなんだ「賤ヶ丘」としていったんは決まったが藩学校頭取であった向山黄村の提案で、「賤」の字を「静」に改めたとされる。なお静岡市政90周年に際して建てられた「静岡の由来」という碑が静岡市役所前に設置されている。 1960年(昭和35年)から1962年(昭和37年)に静岡県西部の浜北市根堅(現浜松市浜北区根堅)において人骨が発見されたが、2002年(平成14年)9月になって旧石器時代の約1万4000年前に生息していた浜北人の人骨であると、科学的な測定法で確認された。浜北人骨は20歳代の女性で身長143cmと考えられている。人骨の発見以来、県内での調査例が増加し、今では200カ所近くに達している。場所は、天竜川左岸の磐田原台地西端一帯、沼津市の背後の愛鷹山南麓、箱根山西麓の3カ所に密集している。 縄文時代の遺跡総数は約2000カ所を超える。縄文草創期の遺跡は少ないが、伊豆の国市三福の仲道A遺跡で土器が出土している。早期になると撚糸文(よりいともん)や押型文(おしがたもん)の土器が集落跡から出土している。その後(約7000〜8000年前)愛鷹山南麓から箱根山西麓・伊豆半島にかけて集落が急増し、県中部にかけても広がっていく。縄文前期には、遺跡数が減少するが、前期末から中期・後期前半までになると、遺跡数も増加し、県内の縄文最盛期を迎える。東部では集落遺跡・住居の形と構造・土器・土偶・石棒・石斧などの様相が類似・発達した文化が伊豆半島から掛川市付近まで広がっている。それに対して、西部の遠江平野では、近畿・瀬戸内地域の土器が流入し、伊那谷系の土器なども分布し、東部とは様相を異にしている。また、矢尻として多く使用された石鏃の原料の石材も県内西部の天竜川付近までは、畿内の二上山産出のサヌカイトや下呂石などが大量に使用されているのに対し、東部では八ヶ岳や神津島の黒曜石が主流である。遠隔地との交易・交流が盛んに行われていたことが分かる。縄文後期後半になると遺跡数が、東部では激減し、中・西部では緩減する。一方では儀式用の石器が普及し出す。 1958年(昭和33年)から1960年(昭和35年)、静岡県西部の三ヶ日町只木(現浜松市北区三ヶ日町只木)で、約7500〜9500年前に生息の三ヶ日人の住んでいた遺跡が発見されている。また、約4000〜6000年前のものとされる全国的に見ても大規模な集落跡である千居遺跡が静岡県東部の上条地区(現富士宮市)で確認されている。 弥生時代の遺跡としては、静岡市駿河区登呂で、弥生時代の水田、住居跡などが発見されている(登呂遺跡)。 古くには六つの国造が設置された他、浜名県主の存在も見られる。 中央から派遣された国司が政務を司る政庁は、国府に置かれ、国衙と呼ばれた。まず、遠江国府は磐田市御殿二宮遺跡が、駿河国府は静岡市駿府城東南地区が候補地としてあがっているが、伊豆国府は三島市内にその候補地を見出していない。その土地の国造や新興の有力者が就任した郡司の郡衙は郡家とも呼ばれた。官衙遺跡では、浜松市の伊場遺跡群(伊場遺跡・城山遺跡・梶子遺跡・梶子北遺跡・三永遺跡・鳥居松遺跡・九反田遺跡・中村遺跡)が発掘されている。これらの遺跡は敷知郡家および関連官衙(館・厨)や栗原駅家など地方官衙が複合する遺跡と考えられている。また、これらの遺跡は、出土する木簡から天武朝に溯る事が分かり、柱立建物が13〜14棟、絵馬・墨書土器が検出されている。このほか、藤枝市御子ヶ谷遺跡(国の史跡)と秋合遺跡は駿河国志太郡家遺跡と考えられ、袋井市坂尻遺跡(佐野郡家ヵ)、藤枝市郡(こおり)遺跡(益頭(さしず)郡家ヵ)などの郡衙遺跡の存在が明らかになってきている。 記紀においては、ヤマトタケルが蝦夷征伐に赴いた時、駿河国でだまし討ちに遭う。その時に草薙剣で草を薙ぎ払って難を逃れたというヤマトタケル伝承が記されており、その地を「草薙」と呼んだ。また、賊を焼き払った野原を「焼津」と呼んだという。 律令制で中央集権国家が形成されるに従って、現在の静岡県内に有った国造は、伊豆国、駿河国、遠江国という3つの令制国に合併・再編された。 律令制下には、遠江国には白輪官牧()があり、その後荘園化し白羽荘と称した。故地は御前崎西方の砂丘地帯から北方の牧之原台地におよぶと推定される。駿河国には岡野(大野)・蘇弥奈の2官牧がある。前者は愛鷹山の東南麓、現沼津市の大岡・金岡・愛鷹を中心とする地域に存在し、後に大岡牧、あるいは大岡荘と呼ばれる荘園になった。後者の位置は明確でないが、現静岡市街地の西北、安倍川と藁科川とに囲まれた牧ヶ谷から美和の内牧に至る一帯の山地と思われる。伊豆国では、官牧の存在が明確ではないが、現伊豆市修善寺町に牧之郷という地名がある。後にこれらの地域に武士団が簇生した。 伊豆国は畿内から遠いために、流刑地の一つとされていた。一方で、駿河国には藤原南家の末裔(まつえい)の多くが住み着き、土着したようである。 遠江国の国分僧寺は磐田市中央町に、国分尼寺はその北にあったことが確かめられている。駿河国分僧寺は静岡市大谷の片山廃寺がその有力候補とされており、国分尼寺は不明である。伊豆国分僧寺は三島市泉町に、国分尼寺は三島市南町にあった。 平治元年(1159年)、平清盛に敗退した源義朝は東国に敗退する最中に謀殺され、義朝三男の源頼朝は平家方に捕らえられるが助命され、伊豆国韮山(伊豆の国市)に流刑された。豆駿遠三国はいずれも平家の勢力圏であったが、頼朝は伊豆において在庁官人北条氏の庶流北条時政の娘政子を室として婿になり、伊豆の反平家方の武士たちから支持を受けると治承4年(1180年)には以仁王の平家討伐令旨に応じて挙兵する(治承・寿永の乱)。 治承・寿永の乱は豆駿遠三国のみならず相模国や甲斐国など東国圏から西国にかけて展開するが、三国内における平家勢は治承4年8月23日に相模石橋山の戦い(小田原市)において頼朝勢を撃退するが、8月25日には駿河目代橘遠茂の軍勢が富士山麓において甲斐源氏の勢力に敗退し(波志田山合戦)、甲斐源氏の勢力と安房へ逃れた頼朝が三浦氏の後援を得て勢力を挽回すると反平家勢は再び三国方面へ侵攻し、平家勢は10月14日には富士山麓における鉢田の戦いにおいて敗退し、さらに10月20日の富士川の戦いにおいて大敗し、三国は頼朝や甲斐源氏の勢力圏となった。 頼朝が鎌倉幕府を開府すると三国の所領も恩賞として御家人に安堵された。伊豆は北条氏が守護となったが、治承・寿永の乱においては特に甲斐源氏の功績が大きく、駿河は武田信義、遠江は安田義定が守護となったが、頼朝は甲斐源氏の粛清を行い、三国は北条氏の影響下に置かれた。建久4年(1193年)5月28日には富士の巻狩が行われ、5月28日には曾我兄弟の仇討ちが発生する。 鎌倉幕府におて源氏将軍が途絶すると北条氏は執権として幕政を主導する執権政治を開始し、三国は北条氏の所領における中心となる。承久3年の承久の乱において三国の武士は幕府勢の主力である東海道軍に加わり活躍し、乱の平定後に三国の御家人は西国にも恩賞を獲得し、勢力を拡大した。 頼朝や北条氏は寺社を振興し、三国においても頼朝の信仰した伊豆山神社や北条氏の氏寺である願成就院など幕府にゆかりのある寺院が分布している。三国においては天台宗・真言宗の旧仏教の影響が強かったが、鎌倉新仏教においても臨済宗の高僧である円爾(聖一国師)や南浦紹明(大応国師)は駿河の出身で三国でも臨済寺院が分布しており、日蓮宗の宗祖である日蓮は伊豆において布教を行っており、日蓮が甲斐国南部の身延(身延町)に草庵を構え信仰の拠点となると駿河・伊豆においても門徒が拡大し、日興は大石寺(富士宮市)・北山本門寺(富士宮市)など岳南地方において日蓮宗の拠点寺院を建立した。 南北朝時代に入ると、今川氏が守護大名として駿河国府中(駿府)に入った。14世紀後半に入ると今川氏は遠江国の守護職も兼ねて勢力を伸長する。 戦国期には今川氏親は伊勢宗瑞(北条早雲)らの力によって一族の抗争を終わらせ、戦国大名への道を歩んだ。また、応仁の乱の後に、散逸した貴族達が多く逗留した。一方の北条早雲は、伊豆国の堀越公方を攻め滅ぼし、それを足がかりに関東の支配へ乗り出す。その後、今川氏と(早雲の息子である)氏綱(後北条氏)の主従関係が崩れ、富士川以東の地域をめぐって争いが生まれる(河東の乱)。 駿府は今川領国の中心として繁栄し、今川義元は後北条氏との争いを収束させると、甲斐の武田氏、相模後北条氏と三国同盟を形成し駿河国、遠江国、三河国の3国を支配した。永禄3年(1560年)、尾張国の織田信長との桶狭間の戦いにおいて当主義元が敗死し今川氏真に当主交代すると三河においては松平元康(徳川家康)が独立するなど今川領国は動揺する。外交関係においても武田氏と手切となり、永禄11年(1568年)に武田信玄と徳川家康が協調して今川領国へ侵攻し、今川氏は相模後北条氏の支援を得るが領国は崩壊した。 その後は武田信玄と徳川家康は今川領国の割譲を巡り対立し、さらに徳川氏と協調し武田氏に敵対する後北条氏や越後上杉氏、徳川氏と同盟関係にありつつ武田氏とも友好的関係を持ち将軍義昭を擁する尾張の織田信長など旧今川領国を巡る情勢は複雑に推移するが、元亀年間に武田氏は駿河を確保すると、後北条氏との同盟も回復する。その後、武田氏は矛先を遠江・三河方面に向け家康や信長と対決し畿内情勢にも影響を及ぼしたが(西上作戦)、元亀4年には信玄が死去し事態はいったん収束する。 信玄の死後、信長は畿内において政権を確立し家康も岡崎から浜松に拠を移し勢力を回復し、武田氏では勝頼に当主交代すると再侵攻を繰り返すが、天正3年の三河において織田・徳川勢が武田勢に致命的打撃を与えた長篠の戦いと、天正9年の高天神城陥落を契機に駿遠二国における武田氏の勢力は後退し、天正10年(1582年)に武田氏は織田・徳川勢により滅ぼされた。 同年、本能寺の変において信長が横死し旧武田領国が空域化すると家康は本国の三河・遠江のみならず武田遺領である甲斐・信濃国・駿河を確保し(天正壬午の乱)、5国を支配し東国における一大勢力に成長した。 豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼすと、1590年には家康は駿府から江戸に移され、代わって駿府には中村一氏が入り、遠江国には掛川に山内一豊や堀尾吉晴が入り、それぞれ織田家の家臣が入った。 1603年、徳川家康が江戸幕府を開くと後継者の徳川秀忠に将軍職を譲り、家康は駿府において大御所政治を敷いた。江戸時代の伊豆国、駿河国、遠江国の3国(以下「豆駿遠三国」と略称)には、幕府直轄領や譜代大名の藩領、旗本領が入り組んでおり、伊豆国には韮山の代官江川太郎左衛門、駿河国には沼津藩の水野出羽守、田中藩の本田紀伊守、小島藩の瀧脇丹後守、遠江国には相良藩の田沼玄蕃頭、横須賀藩の西尾主計頭、浜松藩の井上河内守、掛川藩の太田惣次郎、堀江藩の大澤右京大夫といった具合に領主支配は複雑に変遷している。 近世には江戸日本橋から京都に至る東海道の宿場が整備されるが、豆駿遠三国には53の宿場のうち22宿が存在し、各地に宿場町が成立した。東海道は西国諸大名の参勤交代や朝鮮通信使・琉球使節も通行し、新居関所(今切関所)は箱根関所と並ぶ重要な関所として知られ、大井川では川越制度が整えられ、大井川徒歩が行われた。 近世には新田開発が行われ米麦や畑作物の生産が増大したほか、茶や椎茸、山葵などの特産物の生産も行われる。また、伊豆や駿河では金銀山での採掘が行われたほか、豆駿遠三国では林業が行われ幕府の御林も設置されていた。 近世後期には天命の大飢饉、天保の大飢饉などに際して豆駿遠三国でも凶作や飢饉の被害を受け、強訴や打ちこわし、百姓一揆が発生しており、明和元年(1764年)の駿河小島藩の惣百姓一揆、天明3年(1783年)の駿河御厨一揆、天明6年の遠江笠井・二俣騒動、文化13年の蓑着騒動などが発生している。 文化面では国学を創始した確立した荷田春満の弟子に浜松諏訪神社大祝杉浦国頭がおり、国頭は江戸において春満に学び、春満の姪を妻に迎え浜松で私塾を開き多くの門弟を育てた。そのなかには伊庭村の賀茂明神神職の賀茂真淵がおり、真淵は春満に国学の学問的手法を確立し、地元出身者を含む多くの門弟を育て、豆駿遠三国では春満・真淵との関わりから遠州国学が発達する。 幕末には嘉永6年(1853年)にアメリカ艦隊司令長官マシュー・ペリーが日本との通商を求めて来航し、翌嘉永7年1月には下田・函館両港が開港する。下田にはアメリカ領事タウンゼント・ハリスが駐在し、安政5年に日米修好通商条約が締結されるまで、玉泉寺はアメリカ総領事館として機能した。また、嘉永6年にはロシアのプチャーチン艦隊も日本との通商を求めて来航し、同年11月1日には下田において幕府側全権と交渉を行っている。嘉永7年11月4日には安政東海地震が発生しプチャーチン艦隊のディアナ号は沈没し、日本側では韮山代官江川英龍が主導し、戸田港において代船ヘダ号の造船を行っている。 江戸幕府が倒されて明治維新が起こると、1868年5月には、駿河国の天領・沼津藩・田中藩・小島藩・交代寄合の榊原家の久能陣屋、諸旗本領、遠江国の相良藩・横須賀藩・掛川藩・浜松藩・交代寄合の近藤家の気賀陣屋、諸旗本領が合併されて、静岡藩(70万石)が設置され、徳川将軍家の徳川家達が入った。同年6月、伊豆国(旧韮山代官領)の地域に韮山県が成立した。同年9月、旧堀江陣屋(5600石、申告1万6石。今の浜松市舘山寺地区)が堀江藩に昇格した。そして、1869年には、駿府は静岡に改名された。 1871年8月29日の廃藩置県では、静岡藩は静岡県に置き換わり、堀江藩が堀江県に置き換わった。同年12月31日には、当時の静岡県は分割され、駿河国部分が静岡県となり、遠江国部分は浜松県となった。堀江県は浜松県に編入された。韮山県は、荻野山中県や小田原県と合併して、足柄県となった。 しかし、1876年(明治9年)4月18日には足柄県が分割され、相模国部分は神奈川県に編入され、伊豆国部分は静岡県に編入された。そして、同年8月21日になると、浜松県が廃止されて静岡県に編入された。1878年(明治11年)には、伊豆諸島が東京府(現在の東京都)に編入された。 このように、伊豆国、駿河国、遠江国の3国が、1876年(明治9年)に行われた県の合併によって、現在の静岡県となった。 静岡県の人口は2007年12月の379万7,333人をピークに減り続けており、2022年2月には人口が360万人を下回った。 地域別に見ると特に伊豆半島地域の減少が激しいが、政令指定都市である静岡市や浜松市も人口減少に悩まされており、就職や進学に伴い東京圏に多くの若者が流出している。人口減少を背景に県内では空き家が増え続けているため、静岡県は空き家への引っ越しに補助を2022年度に設ける方針を固めた。 川勝平太知事は360万人割れを受け、「今こそ東京一極集中の時代から地方活躍の静岡時代へと転換を図るチャンスと捉え、魅力あふれる地域を創生し、人口減少の克服に向けて全力で取り組む」とコメントしている。 人口減少が続けば鉄道や小売、自動車販売といった経済活動にも影響を及ぼすため、静岡鉄道のような民間企業も県内への移住事業を本格化させている。 総務省が定義する大都市圏として、静岡・浜松大都市圏及び関東大都市圏を有する。 都市雇用圏では、以下の都市圏を有する。 静岡県は、「住んでよし、働いてよし、訪れてよし」の「富国有徳の日本の理想郷」を創るための施策に取り組んでいる。「富国有徳」は、前知事石川嘉延の県政キャッチコピー「富国有徳――しずおかの挑戦」にも現れるが、これは現知事川勝平太の著した『富国有徳論』(1995) の思想に賛同したもの。 国際コメ年の2004年から、「コメの購入量・購入金額」日本一である静岡市で「お米日本一コンテストinしずおか」を毎年開催している。主催者「全国お米まつりinしずおか実行委員会」は静岡県庁こめ室内に置かれている。 衆議院の小選挙区が8。参議院では、全県で1区を構成し、定数4人・改選数2人の二人区である。 静岡県のイメージキャラクターは「ふじっぴー」(2003年(平成15年)開催 NEW!!わかふじ国体マスコットキャラクター)である。 2017年(平成29年)度の県内総生産は名目17兆2770億円であり、全世界の2/3の国々のGDPを上回り、ギリシャやニュージーランドなど一部の先進国と匹敵する規模を持つ。 ※本社を置く企業は「Category:静岡県の企業」を参照すること。 トヨタグループの創始者である豊田佐吉の生誕の地であり、ホンダの発祥地、スズキ、ヤマハやカワイといった企業の本社所在地であることから第二次産業が発達している。製造品出荷額は大阪府とほぼ同等の17兆1540億円(2019年度)であり、愛知県、神奈川県に次ぐ国内3位である。 静岡市や浜松市など県内大都市(政令市)を中心に多くの企業が事業所を置いている。 また、静岡茶やみかんに代表される農業やマグロ・カツオ・桜エビなどで有名な漁業、富士山・伊豆半島・赤石山脈(南アルプス)・浜名湖などの観光などのサービス業も盛んである。 静岡県の指定金融機関は静岡銀行で、また静岡市・浜松市ほか県内の主な市も静岡銀行を指定金融機関としているが(静岡市は清水銀行との輪番制)、伊豆地方を中心にスルガ銀行を指定金融機関とする市もみられる。 富士川を境に県の東部のみ50Hz(ヘルツ=東京電力パワーグリッドが送配電)。その他は60Hz(中部電力パワーグリッドが送配電)。新潟県の佐渡島、糸魚川市の一部や長野県の一部で電源周波数が県の大半と異にする地域があるものの、同一都道府県内で電源周波数が東西に大きく二分されるのは本県のみであるため、電気の分野では富士川がよく知られている。 浜松市北部の佐久間ダム近傍に、東西の電力を相互に融通するための電源開発送変電ネットワーク佐久間周波数変換所が、静岡市清水区の中部電力パワーグリッド東清水変電所内に同様の目的の東清水周波数変換装置(FC; frequency converter)がある。 静岡県内では、静岡ガス系やTOKAI系、中部ガス系、サイサン系を中心として、複数の業者が地域を分けてガス事業を行っている。静岡県内の主な一般ガス事業者は次の通り。 東海道の沿線として、古くから関東地方と近畿地方とを結ぶ大動脈が整備されてきた。特に浜名湖畔は、首都圏(東京・鎌倉)と畿内(大阪・京都・奈良)から等距離に位置している。 ※ 伊東線全線と東海道本線(在来線)熱海駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の管轄。ほかのJR線は東海旅客鉄道(JR東海)の管轄。 静岡県は第三セクター鉄道を除いた中小私鉄事業者が最も多く、遠州鉄道や静岡鉄道は遠鉄グループ、静鉄グループを形成し、中小私鉄でトップの売上高である。 このように東西に東海道新幹線などの幹線級の鉄道が敷かれており三大都市圏を結ぶ大動脈として整備されており、全国で5番目の規模を有する静岡・浜松大都市圏及び東海工業地域の輸送の要であるが、通過点としての役割も強く、三大都市圏に匹敵する程の流通はない。現に一日12万人程の利用がある東海道新幹線静岡県内区間ですら最速達の『のぞみ』と準速達の『ひかり』の約半数は県内の全駅を通過している現状もある。 静岡県内のJR線は全線電化されている。私鉄も非電化路線は天竜浜名湖線と大井川鉄道井川線(但しアプト式区間は電化)のみである。 このほか、2027年開通予定の中央新幹線が山梨県駅と長野県駅の間で静岡市葵区北部を通過するが、赤石山脈内の大井川源流部を南アルプス隧道として通過し、駅の設置予定はない。 ※ このほかの詳細は「静岡県の県道一覧」「中部地方の道路一覧」を参照のこと これらのほかに、地方港湾や漁港などがある。 賀茂地域教育振興センター 平成29年4月3日開所。賀茂地域教育振興センターは、静東教育事務所参事1名、賀茂地区5町指導主事3名、下田市指導主事1名、県幼児教育アドバイザー1名の計6名で構成されている。 各学校を訪問し、教科指導、生徒指導などに関して賀茂地域の教育の質の維持・向上を図る取組を推進する組織。 県内初のモデル事業として県幼児教育アドバイザーを配置し、幼稚園・保育所・認定こども園を卒業する幼児が、スムーズに小学校生活に溶け込めるための調整役も務める。 静岡県では、平成29年2月に「賀茂地域教育振興方針」を作成。5年後、10年後の賀茂地域のあるべき教育の姿を見据え、このセンターの整備を足がかりに、方針の施策を推進する。 賀茂地域教育振興センターの具体的な活動内容などは、「静岡新聞@S」や静岡県教育委員会広報誌「Eジャーナル189号・193号」で紹介されている。 入学希望者に対し県内の高等教育機関が不足しているため、県内の高校生は県外に進学する者が比較的多い。県内に企業の本社が多いこともあって、Uターン、Iターン就職者が比較的多い。 6年制課程または専門職大学院としては、医学部が浜松医科大学、薬学部が静岡県立大学、法科大学院が静岡大学にそれぞれ存在する。 なお、東海大学が1955年に本部を東京都に移転した後、常葉学園大学が1980年に開学するまで、静岡県内に本部を置く4年制私立大学は存在しなかった。 静岡県には沼津工業高等専門学校がある。 下田高、韮山高、沼津東高、富士高、清水東高、静岡高、静岡東高、静岡市立高、藤枝東高、榛原高、掛川西高、磐田南高、浜松北高、浜松西高、浜松市立高等学校がある。 私立高校についても、浜松日体高、日大三島高、東海大翔洋高などの大学付属高や、静岡雙葉高、不二聖心女子学院高などの中高一貫女子校、中高一貫男子校である静岡聖光学院高といった特色のある高校が存在する。 伝統的に公立小・中学校が義務教育の中心を担っており、地域の公立小中学校への進学者が多い。 近年は国立・私立校の人気が高まっている。学校側も、特に私立校においては少子化時代の生徒確保を意識して高校に小・中学校を併設する動きが出ている。教育内容についても、例えば小学生の英語教育で全国的に有名な加藤学園暁秀初等学校など、公立とは異なる特色ある教育を行っている。 静岡県の地上デジタルテレビ・FMラジオの県域放送の親局は静岡市清水区の日本平デジタルタワーに集約されているが、SBSラジオ補完FM局のメイン送信所は焼津市の高草山に設置された。 郷土料理 県内には自治体・商工会議所・企業または任意団体などが地域ごとにフィルム・コミッションを組織し、各地域での映像作品制作の支援が行われているが、これらの団体および撮影地に関する情報提供や撮影手配の支援など行う「静岡フィルムコミッションnet」が県により組織されている。この取り組みは、地域を題材とした映像作品が発信されることにより、県内各地の広報および地域活性化や観光振興に繋げるためのものである。 以下のリストは発表年順での記載である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "静岡県(しずおかけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は静岡市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "直線距離にて県域の東西が155km、南北に118kmと全国13番目に広大な県域を保ち、全国10位の約360万人の人口を有する。旧令制国の伊豆国のほとんどと、駿河国、遠江国の凡そ3国に相当する県である。地域によって住民の意識、方言、文化面に大きな違いが見られる。北側は広大な南アルプス、南側には駿河湾、遠州灘に面する。23市10区12町の自治体があり、村はない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "約20万の事業所を抱え、全国4位の製造品出荷額を有するなど、東海工業地域に属する全国有数の工業県でもあり、ホンダの発祥地でスズキ、ヤマハ発動機の本社がある他、オートバイ、ピアノ、プラモデルの輸出量では日本一を誇る。また、全国一の水揚げ額を有する焼津漁港や、静岡茶が有名であるなど、第一次産業も盛んであり、東西の交通網や港湾を利用した6次産業化も進んでいる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "政令指定都市である静岡市と浜松市、そして施行時特例市である沼津市と富士市を有し、人口10万人以上の都市が10市あるなど、平野部を中心に人口が分散傾向にあり、首位都市(プライメイトシティ)は存在しない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "また、富士山、富士山本宮浅間大社、韮山反射炉、三保の松原などの世界遺産や、世界ジオパークの一つである伊豆半島ジオパーク、熱海温泉、三嶋大社、久能山東照宮、登呂遺跡、大井川鐵道など多くの観光資源を有し、年間約1.5億人の観光客が訪れる", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "『静岡県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系)』(国土地理院)によると静岡県の広袤は以下の通り。また、『我が国の人口重心 -平成27年国勢調査結果から-』(総務省)による人口重心 も併記する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "県総面積の64%が非可住の森林で構成されており、僅かな平野部に人口の大半が集積し高密度な都市を形成している。 北部には標高3,000mを越える峰もある赤石山脈の山々がそびえ、一級水系の大井川や安倍川の源流となる。東部には第四紀火山が多く、富士山や、箱根山、伊豆東部火山群が現在でも活動しており、すでに活動を終えた天城山や達磨火山などの数々の大型火山が伊豆半島の大地を造り上げた。この伊豆半島は、本州の中で唯一フィリピン海プレート上にあり、プレート境界である駿河トラフの延長線上に富士山が形成されている。南西部には台地や平野が多くなる。県の中央には糸魚川静岡構造線が南北に走り、安倍川がその南端に当たる。したがって、地質構造はこの安倍川を境にして県の東西で全く異なる。静岡県の形は金魚に例えられることがあり、この場合、西部を頭、東部を尾に見立てる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "大半の地域が太平洋側気候であるが、北部の山間部は中央高地式気候で標高差が大きいため地域による寒暖の差が激しい。冬の平野部や沿岸部は黒潮の影響で本州の中でも非常に温暖であり、寒気の影響を受けにくいために放射冷却によって朝晩は氷点下まで下がることがあっても、日中は10°Cを超えることがほとんどである。特に伊豆地方の沿岸部では氷点下まで下がることはなく、雪が降ることもほとんどないなど、南九州並みに温暖な気候である。一方、旧井川村と旧水窪町などの赤石山脈に接する北部山間部は中央高地式気候の影響も受けており、冬は雪が多く豪雪地帯である。また、東部内陸部の御殿場市などでも南岸低気圧によりかなりの積雪をもたらし、東北地方並みのかなり厳しい冷え込みになることが多い。そのほか、裾野市にあるスキー場「スノータウンイエティ」は20年連続で日本一早いオープンを飾っている。夏は、天竜地域など西部内陸ではかなりの酷暑となるが、それ以外の地域ではそれほどの酷暑とはならず、東部や伊豆地方を中心に比較的冷涼である。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ケッペンの気候区分によると県域の大部分は温暖湿潤気候ではあるが、富士山は最暖月の平均気温が6°Cしかなく、寒帯地域のツンドラ気候に相当している。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "夏から秋にかけては台風の影響を受ける。1951年(昭和26年)以降の台風上陸数は鹿児島県、高知県、和歌山県に次いで4番目に多い県である。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "名目上の行政区分で、東日本、中部地方、東海地方、広域関東圏などに区分されている。また、名古屋圏や関東地方からも独立した地域として、「静岡(県)地方」とされるケースも存在する。しかし、糸魚川静岡構造線を挟んで東側と西側に広い面積を占めているため、行政やその他諸々の区分では、西日本に分類される場合もあり、またこれらとは違う区分に属することもある。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "企業・団体によってエリア区分はそれぞれ異なる。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "企業・団体のエリア区分は、それぞれの監督官庁のエリア区分を反映している物が多いが、基本的に静岡県が地域分類される場合、大まかに分けて次の4分類のいずれかが見られる。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "静岡県を巡る道州制の区割り案について、地方制度調査会は、9道州案では中部州、11道州案や13道州案では東海州に含まれるとしている。また、国土交通省の広域地方計画では、静岡県は中部圏に含まれるとしている。ただ東部では国政への発言力増大のため、静岡県東部政令指定都市構想が出されるなど動きが活発であり、今後の動向が注目される。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "静岡県は、富士川と牧之原台地を境として、東部、中部、西部の3地域に区分される。東部はさらに狭義の東部と伊豆に分けられることもある。ただ富士川より西にあり中部であった旧富士川町が2008年(平成20年)11月の富士市に編入されたことで富士川による境は実質なくなってしまい、県庁による地域区分でも必ずしも川が境界線とは限らない場合がある。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "静岡県内には以下の23市5郡12町がある。村は旧龍山村が浜松市と合併したことにより2005年(平成17年)6月30日をもって消滅した。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "「町」の読み方は、森町のみ「まち」で、その他は「ちょう」。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "旧駿河国のうち富士川以東、および伊豆諸島を除いた旧伊豆国に相当する。市外局番は0544、0545、055または055Cであり、郵便番号は41から始まる。自動車のナンバープレートはかつては全域で「沼津」であったが、2006年(平成18年)10月から伊豆地域(上記「伊豆」エリア)でご当地ナンバーの「伊豆」が、2008年(平成20年)11月からは富士市、富士宮市、御殿場市、裾野市、小山町で「富士山」が導入されてからは、新規で沼津ナンバーを配布しているのは、沼津市と駿東郡清水町、長泉町のみである。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "旧駿河国のうち富士川以西と、旧遠江国のうち牧之原台地以東(現・牧之原市および榛原郡域)に相当する。市外局番は054または054Cであり、郵便番号は42から始まる。自動車のナンバープレートは「静岡」である。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "現榛原郡域を除く旧遠江国に相当する。現在は、「遠州」と言われている。市外局番は053または053Cであり、郵便番号は43から始まる。自動車のナンバープレートは「浜松」である。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ただし例外がある。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "浜松市南部、湖西市を西遠として、浜松市北部を北遠、磐田市、袋井市、掛川市南西部、森町を中遠、掛川市、菊川市、御前崎市を東遠、中遠と東遠を合わせて中東遠と区分することがある。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "※各地域ごとの歴史は「伊豆国」「駿河国」「遠江国」を参照すること。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "静岡という名称は、1869年から1871年まで存在した静岡藩に由来する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "「静岡」の名称の決定は版籍奉還に際して行われた。現在の静岡県庁周辺を指していた「府中」という名称が特定の地名を指しておらず紛らわしいこと、読みが同じ「不忠」を想起させることを理由に明治政府から改名が要請された。それにより藩庁で改名について議論され、1868年に府中藩が明治政府に「静岡」「静」「静城」の3つの案を上申し、明治政府が「静岡」を採用した。この「シズオカ」という名称のうち「シズ」は賤機山に由来するとされており、名称の決定に際して賤機山にちなんだ「賤ヶ丘」としていったんは決まったが藩学校頭取であった向山黄村の提案で、「賤」の字を「静」に改めたとされる。なお静岡市政90周年に際して建てられた「静岡の由来」という碑が静岡市役所前に設置されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1960年(昭和35年)から1962年(昭和37年)に静岡県西部の浜北市根堅(現浜松市浜北区根堅)において人骨が発見されたが、2002年(平成14年)9月になって旧石器時代の約1万4000年前に生息していた浜北人の人骨であると、科学的な測定法で確認された。浜北人骨は20歳代の女性で身長143cmと考えられている。人骨の発見以来、県内での調査例が増加し、今では200カ所近くに達している。場所は、天竜川左岸の磐田原台地西端一帯、沼津市の背後の愛鷹山南麓、箱根山西麓の3カ所に密集している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "縄文時代の遺跡総数は約2000カ所を超える。縄文草創期の遺跡は少ないが、伊豆の国市三福の仲道A遺跡で土器が出土している。早期になると撚糸文(よりいともん)や押型文(おしがたもん)の土器が集落跡から出土している。その後(約7000〜8000年前)愛鷹山南麓から箱根山西麓・伊豆半島にかけて集落が急増し、県中部にかけても広がっていく。縄文前期には、遺跡数が減少するが、前期末から中期・後期前半までになると、遺跡数も増加し、県内の縄文最盛期を迎える。東部では集落遺跡・住居の形と構造・土器・土偶・石棒・石斧などの様相が類似・発達した文化が伊豆半島から掛川市付近まで広がっている。それに対して、西部の遠江平野では、近畿・瀬戸内地域の土器が流入し、伊那谷系の土器なども分布し、東部とは様相を異にしている。また、矢尻として多く使用された石鏃の原料の石材も県内西部の天竜川付近までは、畿内の二上山産出のサヌカイトや下呂石などが大量に使用されているのに対し、東部では八ヶ岳や神津島の黒曜石が主流である。遠隔地との交易・交流が盛んに行われていたことが分かる。縄文後期後半になると遺跡数が、東部では激減し、中・西部では緩減する。一方では儀式用の石器が普及し出す。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1958年(昭和33年)から1960年(昭和35年)、静岡県西部の三ヶ日町只木(現浜松市北区三ヶ日町只木)で、約7500〜9500年前に生息の三ヶ日人の住んでいた遺跡が発見されている。また、約4000〜6000年前のものとされる全国的に見ても大規模な集落跡である千居遺跡が静岡県東部の上条地区(現富士宮市)で確認されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "弥生時代の遺跡としては、静岡市駿河区登呂で、弥生時代の水田、住居跡などが発見されている(登呂遺跡)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "古くには六つの国造が設置された他、浜名県主の存在も見られる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "中央から派遣された国司が政務を司る政庁は、国府に置かれ、国衙と呼ばれた。まず、遠江国府は磐田市御殿二宮遺跡が、駿河国府は静岡市駿府城東南地区が候補地としてあがっているが、伊豆国府は三島市内にその候補地を見出していない。その土地の国造や新興の有力者が就任した郡司の郡衙は郡家とも呼ばれた。官衙遺跡では、浜松市の伊場遺跡群(伊場遺跡・城山遺跡・梶子遺跡・梶子北遺跡・三永遺跡・鳥居松遺跡・九反田遺跡・中村遺跡)が発掘されている。これらの遺跡は敷知郡家および関連官衙(館・厨)や栗原駅家など地方官衙が複合する遺跡と考えられている。また、これらの遺跡は、出土する木簡から天武朝に溯る事が分かり、柱立建物が13〜14棟、絵馬・墨書土器が検出されている。このほか、藤枝市御子ヶ谷遺跡(国の史跡)と秋合遺跡は駿河国志太郡家遺跡と考えられ、袋井市坂尻遺跡(佐野郡家ヵ)、藤枝市郡(こおり)遺跡(益頭(さしず)郡家ヵ)などの郡衙遺跡の存在が明らかになってきている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "記紀においては、ヤマトタケルが蝦夷征伐に赴いた時、駿河国でだまし討ちに遭う。その時に草薙剣で草を薙ぎ払って難を逃れたというヤマトタケル伝承が記されており、その地を「草薙」と呼んだ。また、賊を焼き払った野原を「焼津」と呼んだという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "律令制で中央集権国家が形成されるに従って、現在の静岡県内に有った国造は、伊豆国、駿河国、遠江国という3つの令制国に合併・再編された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "律令制下には、遠江国には白輪官牧()があり、その後荘園化し白羽荘と称した。故地は御前崎西方の砂丘地帯から北方の牧之原台地におよぶと推定される。駿河国には岡野(大野)・蘇弥奈の2官牧がある。前者は愛鷹山の東南麓、現沼津市の大岡・金岡・愛鷹を中心とする地域に存在し、後に大岡牧、あるいは大岡荘と呼ばれる荘園になった。後者の位置は明確でないが、現静岡市街地の西北、安倍川と藁科川とに囲まれた牧ヶ谷から美和の内牧に至る一帯の山地と思われる。伊豆国では、官牧の存在が明確ではないが、現伊豆市修善寺町に牧之郷という地名がある。後にこれらの地域に武士団が簇生した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "伊豆国は畿内から遠いために、流刑地の一つとされていた。一方で、駿河国には藤原南家の末裔(まつえい)の多くが住み着き、土着したようである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "遠江国の国分僧寺は磐田市中央町に、国分尼寺はその北にあったことが確かめられている。駿河国分僧寺は静岡市大谷の片山廃寺がその有力候補とされており、国分尼寺は不明である。伊豆国分僧寺は三島市泉町に、国分尼寺は三島市南町にあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "平治元年(1159年)、平清盛に敗退した源義朝は東国に敗退する最中に謀殺され、義朝三男の源頼朝は平家方に捕らえられるが助命され、伊豆国韮山(伊豆の国市)に流刑された。豆駿遠三国はいずれも平家の勢力圏であったが、頼朝は伊豆において在庁官人北条氏の庶流北条時政の娘政子を室として婿になり、伊豆の反平家方の武士たちから支持を受けると治承4年(1180年)には以仁王の平家討伐令旨に応じて挙兵する(治承・寿永の乱)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "治承・寿永の乱は豆駿遠三国のみならず相模国や甲斐国など東国圏から西国にかけて展開するが、三国内における平家勢は治承4年8月23日に相模石橋山の戦い(小田原市)において頼朝勢を撃退するが、8月25日には駿河目代橘遠茂の軍勢が富士山麓において甲斐源氏の勢力に敗退し(波志田山合戦)、甲斐源氏の勢力と安房へ逃れた頼朝が三浦氏の後援を得て勢力を挽回すると反平家勢は再び三国方面へ侵攻し、平家勢は10月14日には富士山麓における鉢田の戦いにおいて敗退し、さらに10月20日の富士川の戦いにおいて大敗し、三国は頼朝や甲斐源氏の勢力圏となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "頼朝が鎌倉幕府を開府すると三国の所領も恩賞として御家人に安堵された。伊豆は北条氏が守護となったが、治承・寿永の乱においては特に甲斐源氏の功績が大きく、駿河は武田信義、遠江は安田義定が守護となったが、頼朝は甲斐源氏の粛清を行い、三国は北条氏の影響下に置かれた。建久4年(1193年)5月28日には富士の巻狩が行われ、5月28日には曾我兄弟の仇討ちが発生する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "鎌倉幕府におて源氏将軍が途絶すると北条氏は執権として幕政を主導する執権政治を開始し、三国は北条氏の所領における中心となる。承久3年の承久の乱において三国の武士は幕府勢の主力である東海道軍に加わり活躍し、乱の平定後に三国の御家人は西国にも恩賞を獲得し、勢力を拡大した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "頼朝や北条氏は寺社を振興し、三国においても頼朝の信仰した伊豆山神社や北条氏の氏寺である願成就院など幕府にゆかりのある寺院が分布している。三国においては天台宗・真言宗の旧仏教の影響が強かったが、鎌倉新仏教においても臨済宗の高僧である円爾(聖一国師)や南浦紹明(大応国師)は駿河の出身で三国でも臨済寺院が分布しており、日蓮宗の宗祖である日蓮は伊豆において布教を行っており、日蓮が甲斐国南部の身延(身延町)に草庵を構え信仰の拠点となると駿河・伊豆においても門徒が拡大し、日興は大石寺(富士宮市)・北山本門寺(富士宮市)など岳南地方において日蓮宗の拠点寺院を建立した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "南北朝時代に入ると、今川氏が守護大名として駿河国府中(駿府)に入った。14世紀後半に入ると今川氏は遠江国の守護職も兼ねて勢力を伸長する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "戦国期には今川氏親は伊勢宗瑞(北条早雲)らの力によって一族の抗争を終わらせ、戦国大名への道を歩んだ。また、応仁の乱の後に、散逸した貴族達が多く逗留した。一方の北条早雲は、伊豆国の堀越公方を攻め滅ぼし、それを足がかりに関東の支配へ乗り出す。その後、今川氏と(早雲の息子である)氏綱(後北条氏)の主従関係が崩れ、富士川以東の地域をめぐって争いが生まれる(河東の乱)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "駿府は今川領国の中心として繁栄し、今川義元は後北条氏との争いを収束させると、甲斐の武田氏、相模後北条氏と三国同盟を形成し駿河国、遠江国、三河国の3国を支配した。永禄3年(1560年)、尾張国の織田信長との桶狭間の戦いにおいて当主義元が敗死し今川氏真に当主交代すると三河においては松平元康(徳川家康)が独立するなど今川領国は動揺する。外交関係においても武田氏と手切となり、永禄11年(1568年)に武田信玄と徳川家康が協調して今川領国へ侵攻し、今川氏は相模後北条氏の支援を得るが領国は崩壊した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "その後は武田信玄と徳川家康は今川領国の割譲を巡り対立し、さらに徳川氏と協調し武田氏に敵対する後北条氏や越後上杉氏、徳川氏と同盟関係にありつつ武田氏とも友好的関係を持ち将軍義昭を擁する尾張の織田信長など旧今川領国を巡る情勢は複雑に推移するが、元亀年間に武田氏は駿河を確保すると、後北条氏との同盟も回復する。その後、武田氏は矛先を遠江・三河方面に向け家康や信長と対決し畿内情勢にも影響を及ぼしたが(西上作戦)、元亀4年には信玄が死去し事態はいったん収束する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "信玄の死後、信長は畿内において政権を確立し家康も岡崎から浜松に拠を移し勢力を回復し、武田氏では勝頼に当主交代すると再侵攻を繰り返すが、天正3年の三河において織田・徳川勢が武田勢に致命的打撃を与えた長篠の戦いと、天正9年の高天神城陥落を契機に駿遠二国における武田氏の勢力は後退し、天正10年(1582年)に武田氏は織田・徳川勢により滅ぼされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "同年、本能寺の変において信長が横死し旧武田領国が空域化すると家康は本国の三河・遠江のみならず武田遺領である甲斐・信濃国・駿河を確保し(天正壬午の乱)、5国を支配し東国における一大勢力に成長した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼすと、1590年には家康は駿府から江戸に移され、代わって駿府には中村一氏が入り、遠江国には掛川に山内一豊や堀尾吉晴が入り、それぞれ織田家の家臣が入った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "1603年、徳川家康が江戸幕府を開くと後継者の徳川秀忠に将軍職を譲り、家康は駿府において大御所政治を敷いた。江戸時代の伊豆国、駿河国、遠江国の3国(以下「豆駿遠三国」と略称)には、幕府直轄領や譜代大名の藩領、旗本領が入り組んでおり、伊豆国には韮山の代官江川太郎左衛門、駿河国には沼津藩の水野出羽守、田中藩の本田紀伊守、小島藩の瀧脇丹後守、遠江国には相良藩の田沼玄蕃頭、横須賀藩の西尾主計頭、浜松藩の井上河内守、掛川藩の太田惣次郎、堀江藩の大澤右京大夫といった具合に領主支配は複雑に変遷している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "近世には江戸日本橋から京都に至る東海道の宿場が整備されるが、豆駿遠三国には53の宿場のうち22宿が存在し、各地に宿場町が成立した。東海道は西国諸大名の参勤交代や朝鮮通信使・琉球使節も通行し、新居関所(今切関所)は箱根関所と並ぶ重要な関所として知られ、大井川では川越制度が整えられ、大井川徒歩が行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "近世には新田開発が行われ米麦や畑作物の生産が増大したほか、茶や椎茸、山葵などの特産物の生産も行われる。また、伊豆や駿河では金銀山での採掘が行われたほか、豆駿遠三国では林業が行われ幕府の御林も設置されていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "近世後期には天命の大飢饉、天保の大飢饉などに際して豆駿遠三国でも凶作や飢饉の被害を受け、強訴や打ちこわし、百姓一揆が発生しており、明和元年(1764年)の駿河小島藩の惣百姓一揆、天明3年(1783年)の駿河御厨一揆、天明6年の遠江笠井・二俣騒動、文化13年の蓑着騒動などが発生している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "文化面では国学を創始した確立した荷田春満の弟子に浜松諏訪神社大祝杉浦国頭がおり、国頭は江戸において春満に学び、春満の姪を妻に迎え浜松で私塾を開き多くの門弟を育てた。そのなかには伊庭村の賀茂明神神職の賀茂真淵がおり、真淵は春満に国学の学問的手法を確立し、地元出身者を含む多くの門弟を育て、豆駿遠三国では春満・真淵との関わりから遠州国学が発達する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "幕末には嘉永6年(1853年)にアメリカ艦隊司令長官マシュー・ペリーが日本との通商を求めて来航し、翌嘉永7年1月には下田・函館両港が開港する。下田にはアメリカ領事タウンゼント・ハリスが駐在し、安政5年に日米修好通商条約が締結されるまで、玉泉寺はアメリカ総領事館として機能した。また、嘉永6年にはロシアのプチャーチン艦隊も日本との通商を求めて来航し、同年11月1日には下田において幕府側全権と交渉を行っている。嘉永7年11月4日には安政東海地震が発生しプチャーチン艦隊のディアナ号は沈没し、日本側では韮山代官江川英龍が主導し、戸田港において代船ヘダ号の造船を行っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "江戸幕府が倒されて明治維新が起こると、1868年5月には、駿河国の天領・沼津藩・田中藩・小島藩・交代寄合の榊原家の久能陣屋、諸旗本領、遠江国の相良藩・横須賀藩・掛川藩・浜松藩・交代寄合の近藤家の気賀陣屋、諸旗本領が合併されて、静岡藩(70万石)が設置され、徳川将軍家の徳川家達が入った。同年6月、伊豆国(旧韮山代官領)の地域に韮山県が成立した。同年9月、旧堀江陣屋(5600石、申告1万6石。今の浜松市舘山寺地区)が堀江藩に昇格した。そして、1869年には、駿府は静岡に改名された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "1871年8月29日の廃藩置県では、静岡藩は静岡県に置き換わり、堀江藩が堀江県に置き換わった。同年12月31日には、当時の静岡県は分割され、駿河国部分が静岡県となり、遠江国部分は浜松県となった。堀江県は浜松県に編入された。韮山県は、荻野山中県や小田原県と合併して、足柄県となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "しかし、1876年(明治9年)4月18日には足柄県が分割され、相模国部分は神奈川県に編入され、伊豆国部分は静岡県に編入された。そして、同年8月21日になると、浜松県が廃止されて静岡県に編入された。1878年(明治11年)には、伊豆諸島が東京府(現在の東京都)に編入された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "このように、伊豆国、駿河国、遠江国の3国が、1876年(明治9年)に行われた県の合併によって、現在の静岡県となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "静岡県の人口は2007年12月の379万7,333人をピークに減り続けており、2022年2月には人口が360万人を下回った。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "地域別に見ると特に伊豆半島地域の減少が激しいが、政令指定都市である静岡市や浜松市も人口減少に悩まされており、就職や進学に伴い東京圏に多くの若者が流出している。人口減少を背景に県内では空き家が増え続けているため、静岡県は空き家への引っ越しに補助を2022年度に設ける方針を固めた。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "川勝平太知事は360万人割れを受け、「今こそ東京一極集中の時代から地方活躍の静岡時代へと転換を図るチャンスと捉え、魅力あふれる地域を創生し、人口減少の克服に向けて全力で取り組む」とコメントしている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "人口減少が続けば鉄道や小売、自動車販売といった経済活動にも影響を及ぼすため、静岡鉄道のような民間企業も県内への移住事業を本格化させている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "総務省が定義する大都市圏として、静岡・浜松大都市圏及び関東大都市圏を有する。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "都市雇用圏では、以下の都市圏を有する。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "静岡県は、「住んでよし、働いてよし、訪れてよし」の「富国有徳の日本の理想郷」を創るための施策に取り組んでいる。「富国有徳」は、前知事石川嘉延の県政キャッチコピー「富国有徳――しずおかの挑戦」にも現れるが、これは現知事川勝平太の著した『富国有徳論』(1995) の思想に賛同したもの。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "国際コメ年の2004年から、「コメの購入量・購入金額」日本一である静岡市で「お米日本一コンテストinしずおか」を毎年開催している。主催者「全国お米まつりinしずおか実行委員会」は静岡県庁こめ室内に置かれている。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区が8。参議院では、全県で1区を構成し、定数4人・改選数2人の二人区である。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "静岡県のイメージキャラクターは「ふじっぴー」(2003年(平成15年)開催 NEW!!わかふじ国体マスコットキャラクター)である。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "2017年(平成29年)度の県内総生産は名目17兆2770億円であり、全世界の2/3の国々のGDPを上回り、ギリシャやニュージーランドなど一部の先進国と匹敵する規模を持つ。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "※本社を置く企業は「Category:静岡県の企業」を参照すること。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "トヨタグループの創始者である豊田佐吉の生誕の地であり、ホンダの発祥地、スズキ、ヤマハやカワイといった企業の本社所在地であることから第二次産業が発達している。製造品出荷額は大阪府とほぼ同等の17兆1540億円(2019年度)であり、愛知県、神奈川県に次ぐ国内3位である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "静岡市や浜松市など県内大都市(政令市)を中心に多くの企業が事業所を置いている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "また、静岡茶やみかんに代表される農業やマグロ・カツオ・桜エビなどで有名な漁業、富士山・伊豆半島・赤石山脈(南アルプス)・浜名湖などの観光などのサービス業も盛んである。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "静岡県の指定金融機関は静岡銀行で、また静岡市・浜松市ほか県内の主な市も静岡銀行を指定金融機関としているが(静岡市は清水銀行との輪番制)、伊豆地方を中心にスルガ銀行を指定金融機関とする市もみられる。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "富士川を境に県の東部のみ50Hz(ヘルツ=東京電力パワーグリッドが送配電)。その他は60Hz(中部電力パワーグリッドが送配電)。新潟県の佐渡島、糸魚川市の一部や長野県の一部で電源周波数が県の大半と異にする地域があるものの、同一都道府県内で電源周波数が東西に大きく二分されるのは本県のみであるため、電気の分野では富士川がよく知られている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "浜松市北部の佐久間ダム近傍に、東西の電力を相互に融通するための電源開発送変電ネットワーク佐久間周波数変換所が、静岡市清水区の中部電力パワーグリッド東清水変電所内に同様の目的の東清水周波数変換装置(FC; frequency converter)がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "静岡県内では、静岡ガス系やTOKAI系、中部ガス系、サイサン系を中心として、複数の業者が地域を分けてガス事業を行っている。静岡県内の主な一般ガス事業者は次の通り。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "東海道の沿線として、古くから関東地方と近畿地方とを結ぶ大動脈が整備されてきた。特に浜名湖畔は、首都圏(東京・鎌倉)と畿内(大阪・京都・奈良)から等距離に位置している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "※ 伊東線全線と東海道本線(在来線)熱海駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の管轄。ほかのJR線は東海旅客鉄道(JR東海)の管轄。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "静岡県は第三セクター鉄道を除いた中小私鉄事業者が最も多く、遠州鉄道や静岡鉄道は遠鉄グループ、静鉄グループを形成し、中小私鉄でトップの売上高である。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "このように東西に東海道新幹線などの幹線級の鉄道が敷かれており三大都市圏を結ぶ大動脈として整備されており、全国で5番目の規模を有する静岡・浜松大都市圏及び東海工業地域の輸送の要であるが、通過点としての役割も強く、三大都市圏に匹敵する程の流通はない。現に一日12万人程の利用がある東海道新幹線静岡県内区間ですら最速達の『のぞみ』と準速達の『ひかり』の約半数は県内の全駅を通過している現状もある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "静岡県内のJR線は全線電化されている。私鉄も非電化路線は天竜浜名湖線と大井川鉄道井川線(但しアプト式区間は電化)のみである。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "このほか、2027年開通予定の中央新幹線が山梨県駅と長野県駅の間で静岡市葵区北部を通過するが、赤石山脈内の大井川源流部を南アルプス隧道として通過し、駅の設置予定はない。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "※ このほかの詳細は「静岡県の県道一覧」「中部地方の道路一覧」を参照のこと", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "これらのほかに、地方港湾や漁港などがある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "賀茂地域教育振興センター", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "平成29年4月3日開所。賀茂地域教育振興センターは、静東教育事務所参事1名、賀茂地区5町指導主事3名、下田市指導主事1名、県幼児教育アドバイザー1名の計6名で構成されている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "各学校を訪問し、教科指導、生徒指導などに関して賀茂地域の教育の質の維持・向上を図る取組を推進する組織。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "県内初のモデル事業として県幼児教育アドバイザーを配置し、幼稚園・保育所・認定こども園を卒業する幼児が、スムーズに小学校生活に溶け込めるための調整役も務める。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "静岡県では、平成29年2月に「賀茂地域教育振興方針」を作成。5年後、10年後の賀茂地域のあるべき教育の姿を見据え、このセンターの整備を足がかりに、方針の施策を推進する。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "賀茂地域教育振興センターの具体的な活動内容などは、「静岡新聞@S」や静岡県教育委員会広報誌「Eジャーナル189号・193号」で紹介されている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "入学希望者に対し県内の高等教育機関が不足しているため、県内の高校生は県外に進学する者が比較的多い。県内に企業の本社が多いこともあって、Uターン、Iターン就職者が比較的多い。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "6年制課程または専門職大学院としては、医学部が浜松医科大学、薬学部が静岡県立大学、法科大学院が静岡大学にそれぞれ存在する。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "なお、東海大学が1955年に本部を東京都に移転した後、常葉学園大学が1980年に開学するまで、静岡県内に本部を置く4年制私立大学は存在しなかった。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "静岡県には沼津工業高等専門学校がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "下田高、韮山高、沼津東高、富士高、清水東高、静岡高、静岡東高、静岡市立高、藤枝東高、榛原高、掛川西高、磐田南高、浜松北高、浜松西高、浜松市立高等学校がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "私立高校についても、浜松日体高、日大三島高、東海大翔洋高などの大学付属高や、静岡雙葉高、不二聖心女子学院高などの中高一貫女子校、中高一貫男子校である静岡聖光学院高といった特色のある高校が存在する。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "伝統的に公立小・中学校が義務教育の中心を担っており、地域の公立小中学校への進学者が多い。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "近年は国立・私立校の人気が高まっている。学校側も、特に私立校においては少子化時代の生徒確保を意識して高校に小・中学校を併設する動きが出ている。教育内容についても、例えば小学生の英語教育で全国的に有名な加藤学園暁秀初等学校など、公立とは異なる特色ある教育を行っている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "静岡県の地上デジタルテレビ・FMラジオの県域放送の親局は静岡市清水区の日本平デジタルタワーに集約されているが、SBSラジオ補完FM局のメイン送信所は焼津市の高草山に設置された。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "郷土料理", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "県内には自治体・商工会議所・企業または任意団体などが地域ごとにフィルム・コミッションを組織し、各地域での映像作品制作の支援が行われているが、これらの団体および撮影地に関する情報提供や撮影手配の支援など行う「静岡フィルムコミッションnet」が県により組織されている。この取り組みは、地域を題材とした映像作品が発信されることにより、県内各地の広報および地域活性化や観光振興に繋げるためのものである。", "title": "静岡県を舞台とした主な作品" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "以下のリストは発表年順での記載である。", "title": "静岡県を舞台とした主な作品" } ]
静岡県(しずおかけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は静岡市。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 静岡県 | 画像 = {{Multiple image | border = infobox | total_width = 280 | image_style = border:1; | perrow = 1/2/2/1 | image1 = Mt.Fuji-Osezaki.jpg | image2 = 181122 Atami Onsen Shizuoka pref Japan03s.jpg | image3 = SL Kananeji Oigawa Railway.JPG | image4 = Mt Fuji at Mihonomatsubara.jpg | image5 = Hamamatsu matsuri.jpg | image6 = Hamana Ōhasi 001.JPG }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto; border-collapse: collapse"> <tr><td colspan="2">[[駿河湾]]と[[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]</td></tr> <tr><td>[[熱海市|熱海]]の夜景</td><td>[[かわね路号|SL]]と[[静岡茶]] [[茶畑]]</td></tr> <tr><td>[[三保の松原]]</td><td>[[浜松まつり]]</td></tr> <tr><td colspan="2">[[浜名湖]]</td></tr></table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|静岡県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[静岡県旗]]<ref group="注釈">1968年(昭和43年)8月26日制定</ref><ref name="Flag">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.shizuoka.jp/a_content/info/profile/kensei/trademark.html|title=県の概要-県章・県旗|work=静岡県ホームページ|date=|accessdate=2014-07-19}}</ref> | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Shizuoka Prefecture.svg|80px|静岡県章]] | 都道府県章の説明 = 静岡県章<ref group="注釈">1968年(昭和43年)8月6日制定</ref><ref name="Flag"/> | 区分 = 県 | コード = 22000-1 | ISO 3166-2 = JP-22 | 隣接都道府県 = {{Plainlist|*{{flag|神奈川県}} *{{flag|山梨県}} *{{flag|長野県}} *{{flag|愛知県}} *{{flag|東京都}}<ref group="注釈">海上を隔てて隣接。</ref> }} | 木 = [[モクセイ]]([[キンモクセイ]])<ref name="sym">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.shizuoka.jp/a_content/info/profile/kensei/flowerbird.html|title=県の概要-県の鳥・花・木work=静岡県ホームページ|date=|accessdate=2014-07-19}}</ref> | 花 = [[ツツジ]]<ref group="注釈">[[1965年]](昭和40年)[[9月21日]]選定</ref><ref name="sym" /> | 鳥 = [[サンコウチョウ]]<ref group="注釈">1964年(昭和39年)10月2日制定</ref><ref name="sym" /> | シンボル名 = 県の歌<hr>県愛唱歌<hr>県民の日 | 歌など = [[静岡県歌]]<hr>[[富士よ夢よ友よ|しずおか賛歌〜富士よ夢よ友よ]]<hr>[[8月21日]] | 郵便番号 = 420-8601 | 所在地 = [[静岡市]] [[葵区]] 追手町 9-6<br />{{Coord|format=dms|region:JP-22_type:adm1st|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=7|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=220|frame-height=200|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}}<br />[[ファイル:Shizuoka Prefectural Office.jpg|220px|静岡県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 22 Shizuoka prefecture.svg|320px|静岡県の位置]]{{基礎自治体位置図|22|000|image=Map of Shizuoka Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} '''静岡県'''(しずおかけん)は、[[日本]]の[[中部地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[静岡市]]。 == 概要 == 直線距離にて県域の東西が155km、南北に118kmと全国13番目に広大な県域を保ち、全国10位の約360万人の人口を有する。旧[[令制国]]の[[伊豆国]]のほとんどと<ref group="注釈">後に東京都に越境合併された伊豆諸島を含まない。</ref>、[[駿河国]]、[[遠江国]]の凡そ3国に相当する県である。地域によって住民の意識、方言、文化面に大きな違いが見られる。北側は広大な[[南アルプス]]、南側には[[駿河湾]]、[[遠州灘]]に面する。23市10区12町の[[地方公共団体|自治体]]があり、[[村]]はない。 約20万の事業所を抱え、全国4位の製造品出荷額を有するなど、[[東海工業地域]]に属する全国有数の工業県でもあり<ref>{{Cite web|和書|title=製造業合計(都道府県データランキング)|url=https://uub.jp/pdr/id/seizo.html|website=製造業合計(都道府県データランキング)|accessdate=2020-10-11|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/iryo_hoken/kanen_senryaku/kanenkyougikai281220.files/kanenshiryou3-2.pdf|title=kanenshiryou3-2|accessdate=2020/10/11|publisher=}}</ref>、[[ホンダ]]の発祥地で[[スズキ (企業)|スズキ]]、[[ヤマハ発動機]]の本社がある他、[[オートバイ]]、[[ピアノ]]、[[プラモデル]]の輸出量では日本一を誇る<ref>{{Cite web|和書|title=静岡県/Myしずおか日本一一覧表|url=http://www.pref.shizuoka.jp/j-no1/itiran.html|website=www.pref.shizuoka.jp|accessdate=2020-12-10}}</ref>。また、全国一の水揚げ額を有する[[焼津漁港]]や、[[静岡茶]]が有名であるなど、[[第一次産業]]も盛んであり、東西の[[交通網]]や[[港湾]]を利用した[[6次産業|6次産業化]]も進んでいる<ref>{{Cite web|和書|title=静岡県/6次産業化の推進|url=http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-110/rokujisangyou.html|website=www.pref.shizuoka.jp|accessdate=2020-12-10}}</ref>。 [[政令指定都市]]である[[静岡市]]と[[浜松市]]、そして[[施行時特例市]]である[[沼津市]]と[[富士市]]を有し、人口10万人以上の都市が10市ある{{Efn|[[日本の市の人口順位]]}}など、平野部を中心に人口が分散傾向にあり<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.shizuoka.jp/kikaku/ki-030/documents/02shizuokajinnkougennsyouteigen_1.pdf|title=静岡県の人口減少対策への提言|accessdate=2020/12/11|publisher=人口減少問題に関する有識者会議}}</ref>、首位都市([[プライメイトシティ]])は存在しない。 また、[[富士山]]、[[富士山本宮浅間大社]]、[[韮山反射炉]]、[[三保の松原]]などの[[世界遺産]]や、[[世界ジオパーク]]の一つである[[伊豆半島ジオパーク]]、[[熱海温泉]]、[[三嶋大社]]、[[久能山東照宮]]、[[登呂遺跡]]、[[大井川鐵道]]など多くの観光資源を有し、年間約1.5億人の観光客が訪れる<ref>{{Cite web|和書|url=https://toukei.pref.shizuoka.jp/kankouseisakuka/data/21-010/documents/h30kankoukouryunodoukou.pdf|title=H30観光交流客数の動向冊子(校正版)|accessdate=2020/11/23|publisher=静岡県文化・観光部観光交流局、観光政策課}}</ref> == 地理 == === 広袤 === 『静岡県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系)』([[国土地理院]])によると静岡県の広袤は以下の通り<ref>[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/kendata/shizuoka_heso.htm 静岡県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系)] 国土地理院(2018年5月2日閲覧)</ref>。また、『我が国の人口重心 -平成27年国勢調査結果から-』([[総務省]])による人口重心<ref>[https://www.stat.go.jp/data/kokusei/topics/topi102.html 我が国の人口重心 -平成27年国勢調査結果から-] 総務省(2018年5月2日閲覧)</ref> も併記する。 * 静岡県庁 - {{coord|34|58|37|N|138|22|59|E|region:JP-22_type:landmark|display=inline|name=静岡県庁}}(静岡市[[葵区]]追手町) * 東端 - {{coord|35|02|22|N|139|10|36|E|region:JP-22_type:landmark|display=inline|name=静岡県の東端}}([[熱海市]][[初島]]) * 西端 - {{coord|34|45|00|N|137|28|27|E|region:JP-22_type:landmark|display=inline|name=静岡県の西端}}([[湖西市]]太田:神石山) * 南端 - {{coord|34|34|25|N|138|56|36|E|region:JP-22_type:landmark|display=inline|name=静岡県の南端}}([[下田市]][[神子元島]]) * 北端 - {{coord|35|38|45|N|138|13|42|E|region:JP-22_type:landmark|display=inline|name=静岡県の北端}}(静岡市葵区田代:[[間ノ岳]]) * 人口重心 - {{coord|34|55|34.62|N|138|18|46.32|E|region:JP-22_type:landmark|display=inline|name=静岡県の人口重心}}(藤枝市岡部町岡部) === 地形 === 県総面積の64%が非可住の森林で構成されており、僅かな平野部に人口の大半が集積し高密度な都市を形成している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.rinya.maff.go.jp/j/keikaku/genkyou/h24/pdf/shinrin_r_h24.pdf|title=都道府県別森林率|accessdate=2020/10/13|publisher=林野庁}}</ref>。 北部には標高3,000mを越える峰もある[[赤石山脈]]の山々がそびえ、[[一級水系]]の[[大井川]]や[[安倍川]]の源流となる。東部には[[第四紀]][[火山]]が多く、[[富士山]]や、[[箱根山]]、[[伊豆東部火山群]]が現在でも活動しており、すでに活動を終えた[[天城山]]や[[達磨山|達磨火山]]などの数々の大型火山が伊豆半島の大地を造り上げた。この伊豆半島は、[[本州]]の中で唯一[[フィリピン海プレート]]上にあり、[[プレート境界]]である[[駿河トラフ]]の延長線上に富士山が形成されている。南西部には台地や平野が多くなる。県の中央には[[糸魚川静岡構造線]]が南北に走り、[[安倍川]]がその南端に当たる。したがって、[[地質学|地質構造]]はこの安倍川を境にして県の東西で全く異なる。静岡県の形は[[金魚]]に例えられることがあり、この場合、西部を頭、東部を尾に見立てる。 {{座標一覧|section=広袤}} [[ファイル:Shizuoka Prefecture 3D 2012.jpg|thumb|静岡県の地形図。<small>[[スペースシャトル標高データ]]使用。</small>|220x220ピクセル]] {{Flatlist|class=hlist-hyphen| ; 主な山岳 : [[箱根山]] : [[天城山]] : [[富士山_(代表的なトピック)|富士山]] : [[赤石岳]] :* [[赤石山脈]] }} {{Flatlist|class=hlist-hyphen| ; 主な台地 : [[牧之原台地]] : 磐田原台地 : [[三方原台地]] }} {{Flatlist|class=hlist-hyphen| ; 主な半島 : [[伊豆半島]] : [[三保半島]] }} {{Flatlist|class=hlist-hyphen| ; 主な海岸域 : [[相模灘]] : [[石廊崎]] : [[駿河湾]] : [[田子の浦]] : [[折戸湾]] : [[御前崎]] : [[遠州灘]] }} {{Flatlist|class=hlist-hyphen| ; 主な湖沼 : [[浜名湖]] : [[佐鳴湖]] : [[田貫湖]] }} {{Flatlist|class=hlist-hyphen| ; 主な河川<!---------------------一級水系の本川のみ------------------------------> : [[狩野川]] : [[富士川]] : [[安倍川]] : [[大井川]] : [[菊川]] : [[天竜川]] :* 一級水系の本川のみ、詳細は、[[静岡県の二級水系一覧]]を参照 }} {{Flatlist|class=hlist-hyphen| ; 隣接都道府県 : [[神奈川県]] : [[山梨県]] : [[長野県]] : [[愛知県]] }} === 自然公園 === {{Flatlist|class=hlist-hyphen|style=margin-left:2em;|;[[国立公園]] : [[富士箱根伊豆国立公園]] : [[南アルプス国立公園]] }} {{Flatlist|class=hlist-hyphen|style=margin-left:2em;|;[[国定公園]] : [[天竜奥三河国定公園]] }} {{Flatlist|class=hlist-hyphen|style=margin-left:2em;|;[[都道府県立自然公園|県立自然公園]] : [[日本平県立自然公園]] : [[奥大井県立自然公園]] : [[御前崎遠州灘県立自然公園]] : [[浜名湖県立自然公園]] }} === 気候 === 大半の地域が[[太平洋側気候]]であるが、北部の山間部は中央高地式気候で標高差が大きいため地域による寒暖の差が激しい。冬の平野部や沿岸部は[[黒潮]]の影響で本州の中でも非常に温暖であり、寒気の影響を受けにくいために放射冷却によって朝晩は氷点下まで下がることがあっても、日中は10°Cを超えることがほとんどである。特に[[伊豆地方]]の沿岸部では氷点下まで下がることはなく、[[雪]]が降ることもほとんどないなど、[[南九州]]並みに温暖な気候である。一方、旧[[井川村]]と旧[[水窪町]]などの[[赤石山脈]]に接する北部山間部は[[中央高地式気候]]の影響も受けており、冬は[[雪]]が多く[[豪雪地帯]]である。また、東部内陸部の[[御殿場市]]などでも[[南岸低気圧]]によりかなりの積雪をもたらし、[[東北地方]]並みのかなり厳しい冷え込みになることが多い。そのほか、[[裾野市]]にあるスキー場「[[スノータウンイエティ]]」は20年連続で日本一早いオープンを飾っている。夏は、天竜地域など西部内陸ではかなりの酷暑となるが、それ以外の地域ではそれほどの酷暑とはならず、東部や伊豆地方を中心に比較的冷涼である。 [[ケッペンの気候区分]]によると県域の大部分は[[温暖湿潤気候]]ではあるが、[[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]は最暖月の平均気温が6℃しかなく、寒帯地域の[[ツンドラ気候]]に相当している。 夏から秋にかけては[[台風]]の影響を受ける。[[1951年]]([[昭和]]26年)以降の台風上陸数は[[鹿児島県]]、[[高知県]]、[[和歌山県]]に次いで4番目に多い県である。 {|class="wikitable" style="font-size:9pt;text-align:right;white-space:nowrap" |+静岡県各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="6"|西部 !colspan="5"|中部 !colspan="4"|東部 !colspan="4"|伊豆 |- ![[浜松市|浜松]]!![[浜松市]]<br />[[天竜区]]!![[浜松市]]<br />[[佐久間町|佐久間]]!![[磐田市|磐田]]!![[御前崎市]]<br />[[御前崎]]!![[菊川市]]<br />菊川牧之原!![[牧之原市]]<br />[[静岡空港]]!![[川根本町]]!![[静岡市]]<br />井川!![[静岡市|静岡]]!![[静岡市]]<br />[[清水区|清水]]!![[富士市|富士]]!![[富士山測候所|富士山]]!![[御殿場市|御殿場]]!![[三島市|三島]]!![[松崎町|松崎]]!![[南伊豆町]]<br />[[石廊崎]]!![[東伊豆町]]<br />[[稲取]]!![[熱海市]]<br />[[網代 (熱海市)|網代]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|℃]]) !最暖月 |26.7<br />(8月)||26.6<br />(8月) |26.1<br />(8月)||26.2<br />(8月) |26.2<br />(8月)||25.2<br />(8月) | ||24.8<br />(8月) |21.9<br />(8月)||26.8<br />(8月) |26.4<br />(8月)||26.2<br />(8月) |6.0<br />(8月)||23.4<br />(8月) |26.5<br />(8月)||25.9<br />(8月) |25.8<br />(8月)||25.3<br />(8月) |26.0<br />(8月) |- !最寒月 |5.8<br />(1月)||5.3<br />(1月) |3.6<br />(1月)||6.1<br />(1月) |6.5<br />(1月)||4.6<br />(1月) | ||3.0<br />(1月) |1.2<br />(1月)||6.6<br />(1月) |6.5<br />(1月)||5.5<br />(1月) |−18.5<br />(1月)||2.5<br />(1月) |5.5<br />(1月)||6.8<br />(2月) |7.9<br />(2月)||6.5<br />(2月) |6.7<br />(2月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |262.2<br />(9月)||292.5<br />(6月) |350.1<br />(9月)||239.7<br />(9月) |265.7<br />(6月)||304.8<br />(9月) | ||438.3<br />(9月) |502.5<br />(9月)||304.3<br />(9月) |307.6<br />(9月)||281.9<br />(9月) | ||371.4<br />(9月) |249.3<br />(9月)||263.3<br />(6月) |243.9<br />(6月)||310.2<br />(6月) |262.5<br />(9月) |- !最少月 |50.1<br />(12月)||46.6<br />(12月) |50.6<br />(12月)||40.6<br />(12月) |62.4<br />(12月)||50.6<br />(12月) | ||62.3<br />(12月) |68.9<br />(12月)||59.6<br />(12月) |55.0<br />(12月)||53.5<br />(12月) | ||69.1<br />(12月) |54.7<br />(12月)||54.2<br />(12月) |59.1<br />(12月)||58.2<br />(12月) |46.0<br />(12月) |} == 地域 == === 静岡県の分類 === 名目上の行政区分で、[[東日本]]、[[中部地方]]、[[東海地方]]、[[広域関東圏]]などに区分されている。また、[[名古屋圏]]や[[関東地方]]からも独立した地域として、「静岡(県)地方」とされるケースも存在する。しかし、[[糸魚川静岡構造線]]を挟んで東側と西側に広い面積を占めているため、行政やその他諸々の区分では、[[西日本]]に分類される場合もあり、またこれらとは違う区分に属することもある。 ==== 全域を一括する場合 ==== ; [[東日本]]、[[西日本]] : 静岡県は、東日本と西日本のほぼ真ん中に位置しているが、全国二地方区分では歴史的・文化的経緯・面積の比率を勘案して、東日本に分類されることが多い。しかし、民間企業を中心に、企業・団体に依っては西日本に分類される場合もある。 :* '''西日本'''の例:[[日本電信電話|東西NTT]]分割、[[Jリーグオールスターサッカー]]、[[大阪府]]に本拠を置く[[スルッとKANSAI]]および関連の[[PiTaPa]]加盟交通事業者における[[静岡鉄道]]と[[しずてつジャストライン]]の加盟、[[徳島県]]に本社を置く[[徳島製粉]]の商品販売エリア。 ; [[中部地方]]([[東海地方]])、[[広域関東圏]] : 静岡県([[知事]])は、[[関東地方知事会]]に所属しているが、1967年以降[[中部圏知事会議]]にも所属している。中央省庁や民間企業の管轄も、中部地方(東海地方)とする機関と関東地方とする機関が混在している。この場合、中央省庁の出先機関の所在地が、中部(東海)はほぼ全て[[名古屋市|名古屋]]に置かれ、関東は[[東京都|東京]]や[[さいたま市|さいたま]]に置かれることが多い。 :*'''中部地方(東海地方)'''の例:[[衆議院]][[比例区]](東海ブロック)、[[地方出入国在留管理局]]([[名古屋出入国在留管理局]])、[[財務局]]([[東海財務局]])、[[国税局]]([[名古屋国税局]])、[[国税不服審判所]](名古屋国税不服審判所)、[[税関]]([[名古屋税関]])、[[地方整備局]]([[中部地方整備局]])、[[地方運輸局]]([[中部運輸局]])、[[国土形成計画]](中部圏)、[[総合通信局]]([[東海総合通信局]])、[[管区行政評価局]](中部管区行政評価局)、[[人事院#地方事務局等|人事院地方事務局]](人事院中部事務局 )、[[地方厚生局]]([[東海北陸厚生局]])、[[検疫所]](名古屋検疫所)、[[公正取引委員会]]事務総局中部事務所、[[国土地理院]]中部地方測量部、東海市長会、[[都市機構]](中部)、[[国立病院機構]](東海北陸)、[[日本放送協会|NHK]](東海・北陸)、[[日本通運]]名古屋支店、[[日本郵便]]東海支社、[[ゆうちょ銀行]]東海エリア、[[日本自動車連盟|JAF]](中部・東海エリア)、[[NTTドコモ]](東海支社)、[[国民体育大会|国体]]・[[全国高等学校総合体育大会|インターハイ]](東海大会)、高校野球春季・秋季東海大会、[[選抜高等学校野球大会]](東海)、[[東海地区大学野球連盟]] など。 :* '''広域関東圏'''の例:[[法務局]]([[東京法務局]])、[[高等裁判所]]([[東京高等裁判所]])、[[検察庁#組織|高等検察庁]]([[東京高等検察庁]])、[[管区警察局]]([[関東管区警察局]])、[[農林水産省#地方支分部局|地方農政局]]([[関東農政局]])、[[森林管理局]]([[関東森林管理局]])、[[経済産業省#地方支分部局|経済産業局]](関東経済産業局)、[[地方環境事務所]]([[関東地方環境事務所]])、[[海上保安庁]]([[第三管区海上保安本部]])、[[中日本高速道路]](東京支社)、[[陸上自衛隊]](第1師団。師団本部は練馬)など。 : *法務省、警察庁、防衛省、農林水産省、経済産業省、環境省の関連・外郭団体の類も、基本的に静岡県は関東(広域)圏の枠組みに入る(一部を除く){{要出典|date=2018年8月}}。 ==== 県を分割する場合 ==== * '''中部以東と西部で分割'''<br />'''東部、中部'''を広域関東圏として、'''西部'''を中部圏とする場合がある。 ** '''中部以東'''の例:[[東京スポーツ]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の[[関東ローカル]]の[[天気予報]](関東7都県の他、山梨、静岡も表示する場合に限る) ** '''西部以西'''の例:[[中京スポーツ]] * '''[[安倍川]](あべかわ)で分割'''<br />地質学上の[[糸魚川静岡構造線]]にて安倍川以東を東日本として、安倍川以西を西日本とする場合がある。 * '''[[富士川]](ふじかわ)で分割'''<br />富士川で分割して、富士川以東を関東圏として、富士川以西を中部圏とする場合がある。ただし富士川より西にあった富士川町と芝川町が、合併により行政界と一致しなくなった。<!--合併後、電源周波数が変わった訳ではない @2014/07/01 -->富士川以東で、富士山の南一帯は'''岳南'''と呼ばれた<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%B2%B3%E5%8D%97%E5%9C%B0%E5%9F%9F-43758 岳南地域(読み)がくなんちいき]コトバンク</ref>。 ** '''富士川以東'''の例:[[東京電力パワーグリッド]]、[[中日新聞東京本社]]、[[日立製作所]]関東支社 ** '''富士川以西'''の例:[[中部電力パワーグリッド]]、[[中日新聞東海本社]]、日立製作所中部支社<br />商用電源の周波数は、富士川以東が50Hz、富士川以西が60Hzに分かれている。 * '''[[丹那トンネル]]で分割'''<br />[[相模湾|相模灘]]に面する伊豆半島東海岸(熱海市、伊東市、下田市など)を関東圏として、それ以外を中部圏とする場合がある。 ** '''丹那トンネル以東'''の例:[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[東日本旅客鉄道横浜支社|横浜支社]]([[東海道新幹線]]を除く) ** '''丹那トンネル以西'''の例:[[東海旅客鉄道]](JR東海)[[東海旅客鉄道静岡支社|静岡支社]] * '''熱海市のみ'''の例:[http://www.mlit.go.jp/common/000204482.pdf 箱根・湯河原・熱海・あしがら観光圏]、[https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?tclass=000001032945&cycle=0&layout=datalist 関東大都市圏] *'''浜松以西(天竜川)で分割'''<br />[[日刊ゲンダイ]]は東京版が関東近県から[[青森県]]、静岡県まで、中部版が静岡県(浜松以西)から[[岐阜県]]・[[三重県]]、[[富山県]]までを発行エリアとしている。 ==== その他のエリア区分例 ==== * (1)静岡県全域を[[愛知県]][[尾張国|西部]]などと一緒に東海や中部に区分する。 * (2)静岡県全域を広域関東圏(もしくは南関東)に区分する。 * (3)静岡県全域を単独で'''東海'''とする。<ref group="注釈">この場合、[[東海3県]]を「中京」もしくは「中部」「愛三岐」などと表記。</ref> * (4)特定の川で静岡県を分割する。 企業・団体によってエリア区分はそれぞれ異なる。 企業・団体のエリア区分は、それぞれの監督官庁のエリア区分を反映している物が多いが、基本的に静岡県が地域分類される場合、大まかに分けて次の4分類のいずれかが見られる。 ; 中部(東海) : 一番よく見かける分類である。なお、静岡県を除く東海地方3県のみの枠組みとして「[[東海3県]]」という分類があるが、「東海地方」という分類において静岡県を除外することは稀である。 ; 広域関東圏(関東・甲信越静) : 次に多いのがこの分類である。また、'''西部'''のみを「中部(東海)」として、'''東部、中部'''を「関東」とする例も最近では見受けられ、[[静岡市]]から[[新幹線]]で[[東京]]や[[横浜市|横浜]]に通勤・通学する人間も少なくない。 ; 神静(神奈川県と静岡県) : [[日本ビクター]](現:[[JVCケンウッド]])、[[ダイア建設]]、[http://www.hoshizaki-shonan.co.jp/ ホシザキ湘南] など、[[神奈川県]]全域と静岡県全域を一緒にするエリア区分も少数ながら存在する。この枠組みでは、[[横浜市|横浜]]を業務拠点として、静岡県はその管轄下となるケースがある。 : なお、旧[[コカ・コーラセントラルジャパン]]は、[[山梨県]]・[[神奈川県]]・静岡県の3県全域(旧称:富士コカ・コーラボトリング営業エリア)を富士地区統括としていた。 :* [[1923年]](大正12年) - [[1930年]](昭和5年)の間、[[全国高等学校野球選手権大会]]の地方大会として神静大会が行われていた。 : ; 静岡県 : [[静岡県労働金庫]]のように、[[首都圏 (日本)|首都圏]]や[[名古屋圏]]とも別にして、静岡県を単独のエリアとするエリア区分も存在する。この場合、静岡県が「'''東海'''」と区分されることがある(例えば、[[東海工業地域]]《静岡県》と[[中京工業地帯]]《[[愛知県]]・[[三重県]]・[[岐阜県]]》)。 : なお、[[ユニー]]のように、静岡県全域と[[山梨県]]で「静岡ブロック」「山静(甲静)ブロック」とするエリア区分も存在する。 ==== 道州制 ==== 静岡県を巡る[[道州制]]の区割り案について、[[地方制度調査会]]は、9道州案では'''中部州'''、11道州案や13道州案では'''東海州'''に含まれるとしている。また、[[国土交通省]]の[[国土形成計画#広域地方計画|広域地方計画]]では、静岡県は'''中部圏'''に含まれるとしている。ただ東部では国政への発言力増大のため、[[静岡県東部政令指定都市構想]]が出されるなど動きが活発であり、今後の動向が注目される。 === 地域区分 === [[ファイル:ShizuokaKenMap region2008-11.png|thumb|300px|right|{{Color|#B5DDF1|■}}西部、{{Color|#FFCCF1|■}}中部、東部({{Color|#B5FD96|■}}東部・{{Color|#FDB1B1|■}}伊豆)]] {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=静岡県|float=right}} {{Main|静岡県の地域}} 静岡県は、[[富士川]]と[[牧之原台地]]を境として、'''東部、中部、西部'''の3地域に区分される。東部はさらに'''狭義の東部'''と'''伊豆'''に分けられることもある。ただ富士川より西にあり中部であった旧[[富士川町 (静岡県)|富士川町]]が[[2008年]](平成20年)11月の富士市に編入されたことで富士川による境は実質なくなってしまい、県庁による地域区分でも必ずしも川が境界線とは限らない場合がある。 静岡県内には以下の23[[市]]5[[郡]]12[[町]]がある。村は旧龍山村が浜松市と合併したことにより[[2005年]](平成17年)6月30日をもって消滅した。 「町」の読み方は、森町のみ「まち」で、その他は「ちょう」。 ==== 東部 ==== 旧駿河国のうち富士川以東、および[[伊豆諸島]]を除いた旧伊豆国に相当する。市外局番は0544、0545、055または055Cであり、郵便番号は41から始まる。[[自動車]]の[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]]はかつては全域で「沼津」であったが、[[2006年]](平成18年)10月から伊豆地域(上記「伊豆」エリア)で[[ご当地ナンバー]]の「伊豆」が、[[2008年]](平成20年)11月からは富士市、富士宮市、御殿場市、裾野市、小山町で「富士山」が導入されてからは、新規で沼津ナンバーを配布しているのは、沼津市と駿東郡清水町、長泉町のみである。 ; 狭義の東部 :* [[富士市]] :* [[沼津市]] :* [[御殿場市]] :* [[富士宮市]] :* [[裾野市]] :* [[駿東郡]] :** [[清水町 (静岡県)|清水町]] - [[長泉町]] - [[小山町]] : ; 伊豆 :* [[三島市]] :* [[伊東市]] :* [[熱海市]] :* [[下田市]] :* [[伊豆市]] :* [[伊豆の国市]] :* [[賀茂郡]] :** [[東伊豆町]] - [[河津町]] - [[南伊豆町]] - [[松崎町]] - [[西伊豆町]] :* [[田方郡]][[函南町]] ==== 中部 ==== 旧駿河国のうち富士川以西と、旧遠江国のうち[[牧之原台地]]以東(現・牧之原市および[[榛原郡]]域)に相当する。市外局番は054または054Cであり、郵便番号は42から始まる。自動車のナンバープレートは「静岡」である。 * [[静岡市]] ** [[葵区]] - [[駿河区]] - [[清水区]] * [[島田市]] * [[焼津市]] * [[藤枝市]] * [[牧之原市]] * [[榛原郡]] ** [[吉田町]] - [[川根本町]] ==== 西部 ==== 現[[榛原郡]]域を除く旧[[遠江国]]に相当する。現在は、「[[遠江|遠州]]」と言われている。市外局番は053または053Cであり、郵便番号は43から始まる。自動車のナンバープレートは「浜松」である。 ただし例外がある。 * 御前崎市のうち、旧[[御前崎町]]は、旧[[浜岡町]]との合併まで中部に属していたことから、市外局番と郵便番号は中部と同じで、合併後も変更されていない。 * 教育行政上の区分では、掛川市、菊川市、御前崎市は中部教育事務所に管轄される。 [[浜松市]]南部、[[湖西市]]を西遠として、浜松市北部を北遠、[[磐田市]]、[[袋井市]]、[[掛川市]]南西部、[[森町 (静岡県)|森町]]を中遠、[[掛川市]]、[[菊川市]]、[[御前崎市]]を東遠、中遠と東遠を合わせて中東遠と区分することがある。 * [[浜松市]] ** [[中区 (浜松市)|中区]] - [[東区 (浜松市)|東区]] - [[西区 (浜松市)|西区]] - [[南区 (浜松市)|南区]] - [[北区 (浜松市)|北区]] - [[浜北区]] - [[天竜区]] * [[磐田市]] * [[掛川市]] * [[袋井市]] * [[湖西市]] * [[御前崎市]] * [[菊川市]] * [[周智郡]][[森町 (静岡県)|森町]] == 歴史 == ※各地域ごとの歴史は「[[伊豆国]]」「[[駿河国]]」「[[遠江国]]」を参照すること。 === 県名の由来 === 静岡という名称は、[[1869年]]から[[1871年]]まで存在した[[静岡藩]]に由来する。 「静岡」の名称の決定は[[版籍奉還]]に際して行われた。現在の[[静岡県庁]]周辺を指していた「府中」という名称が特定の地名を指しておらず紛らわしいこと<ref name="yurai"/>、読みが同じ「不忠」を想起させることを理由に[[明治政府]]から改名が要請された。それにより藩庁で改名について議論され、[[1868年]]に[[駿府藩|府中藩]]が明治政府に「静岡」「静」「静城」の3つの案を上申し、明治政府が「静岡」を採用した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.shizuoka.lg.jp/701_000041.html|title=「静岡の由来」碑について|accessdate=2020-10-16|publisher=静岡市}}</ref>。この「シズオカ」という名称のうち「シズ」は[[賤機山]]に由来するとされており<ref name="yurai">{{Cite web|和書|url=http://www.pref.shizuoka.jp/a_content/info/profile/kensei/history.html|title=県の概要-県の成り立ち|publisher=静岡県|accessdate=2020-10-16}}</ref>、名称の決定に際して賤機山にちなんだ「賤ヶ丘」としていったんは決まったが藩学校頭取であった[[向山黄村]]の提案で、「賤」の字を「静」に改めたとされる。なお静岡市政90周年に際して建てられた「静岡の由来」という碑が静岡市役所前に設置されている。 === 先史 === [[1960年]](昭和35年)から[[1962年]](昭和37年)に静岡県西部の[[浜北市]]根堅(現[[浜松市]][[浜北区]]根堅)において人骨が発見されたが、[[2002年]](平成14年)[[9月]]になって[[旧石器時代 (日本)|旧石器時代]]の約1万4000年前に生息していた[[浜北人]]の人骨であると、科学的な測定法で確認された。浜北人骨は20歳代の女性で身長143cmと考えられている。人骨の発見以来、県内での調査例が増加し、今では200カ所近くに達している。場所は、[[天竜川]]左岸の磐田原台地西端一帯、沼津市の背後の[[愛鷹山]]南麓、[[箱根山]]西麓の3カ所に密集している{{Sfn|loc=荒木敏夫「静岡県の夜明けと律令体制の成立」|本多隆成|荒木敏夫|杉橋隆夫|山本義彦|1998|pp=10-11}}。 [[縄文時代]]の遺跡総数は約2000カ所を超える。縄文草創期の遺跡は少ないが、[[伊豆の国市]]三福の仲道A遺跡で[[土器]]が出土している。早期になると撚糸文(よりいともん)や押型文(おしがたもん)の土器が集落跡から出土している。その後(約7000〜8000年前)[[愛鷹山]]南麓から箱根山西麓・伊豆半島にかけて集落が急増し、県中部にかけても広がっていく。縄文前期には、遺跡数が減少するが、前期末から中期・後期前半までになると、遺跡数も増加し、県内の縄文最盛期を迎える。東部では集落遺跡・住居の形と構造・[[土器]]・[[土偶]]・石棒・石斧などの様相が類似・発達した文化が伊豆半島から掛川市付近まで広がっている。それに対して、西部の遠江平野では、近畿・瀬戸内地域の土器が流入し、伊那谷系の土器なども分布し、東部とは様相を異にしている。また、矢尻として多く使用された[[石鏃]]の原料の石材も県内西部の天竜川付近までは、畿内の[[二上山 (奈良県・大阪府)|二上山]]産出の[[サヌカイト]]や下呂石などが大量に使用されているのに対し、東部では八ヶ岳や神津島の[[黒曜石]]が主流である。遠隔地との交易・交流が盛んに行われていたことが分かる。縄文後期後半になると遺跡数が、東部では激減し、中・西部では緩減する。一方では儀式用の石器が普及し出す{{Sfn|loc=荒木敏夫「静岡県の夜明けと律令体制の成立」|本多隆成|荒木敏夫|杉橋隆夫|山本義彦|1998|pp=12-15}}。 [[1958年]](昭和33年)から[[1960年]](昭和35年)、静岡県西部の[[三ヶ日町]]只木(現[[浜松市]][[北区 (浜松市)|北区]]三ヶ日町只木)で、約7500〜9500年前に生息の[[三ヶ日人]]の住んでいた遺跡が発見されている。また、約4000〜6000年前のものとされる全国的に見ても大規模な集落跡である[[千居遺跡]]が静岡県東部の上条地区(現[[富士宮市]])で確認されている。 [[弥生時代]]の遺跡としては、[[静岡市]][[駿河区]]登呂で、弥生時代の水田、住居跡などが発見されている([[登呂遺跡]])。 === 古代 === 古くには六つの[[国造]]{{Sfn|資料に学ぶ静岡県の歴史|2009|loc=白村江の戦いと廬原氏 ~ヤマト政権と国造~|p=18}}が設置された他、浜名県主の存在も見られる。 中央から派遣された[[国司]]が政務を司る政庁は、[[国府]]に置かれ、[[国衙]]と呼ばれた。まず、遠江国府は磐田市御殿二宮遺跡が、駿河国府は静岡市駿府城東南地区が候補地としてあがっているが、伊豆国府は三島市内にその候補地を見出していない。その土地の国造や新興の有力者が就任した[[郡司]]の[[郡衙]]は郡家とも呼ばれた。[[官衙]]遺跡では、浜松市の[[伊場遺跡|伊場遺跡群]](伊場遺跡・城山遺跡・梶子遺跡・梶子北遺跡・三永遺跡・鳥居松遺跡・九反田遺跡・中村遺跡)が発掘されている。これらの遺跡は[[敷知郡]]家および関連官衙(館・厨)や栗原[[駅家]]など地方官衙が複合する遺跡と考えられている。また、これらの遺跡は、出土する[[木簡]]から[[天武天皇|天武朝]]に溯る事が分かり、柱立建物が13〜14棟、[[絵馬]]・[[墨書土器]]が検出されている。このほか、藤枝市[[御子ヶ谷遺跡]](国の[[史跡]])と秋合遺跡は駿河国志太郡家遺跡と考えられ、袋井市坂尻遺跡(佐野郡家ヵ)、藤枝市郡(こおり)遺跡(益頭(さしず)郡家ヵ)などの郡衙遺跡の存在が明らかになってきている{{Sfn|loc=荒木敏夫「静岡県の夜明けと律令体制の成立」|本多隆成|荒木敏夫|杉橋隆夫|山本義彦|1998|pp=40-43}}。 [[ファイル:Fuji Sankei Mandara from Fujisan Hongu Sengen Taisha.png|thumb|『絹本着色富士曼荼羅図』([[重要文化財|重文]]、[[富士山本宮浅間大社]]蔵)<br /><small>富士山の他、浅間大社・村山浅間神社(村山修験者)・三保の松原、駿河湾、東海道、富士川などが描かれている</small><ref>富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議/富士山を世界遺産にする国民会議 発行 『富士山 信仰と芸術の源』 小学館 2009年 p84</ref>]] ; [[遠江国]] : 次の3つの国造を統合 : [[遠淡海国造|遠淡海国]]:磐田市に比定 : [[久努国造|久努国]]:袋井市久能に比定 : [[素賀国造|素賀国]]:掛川市大須賀に比定 ; [[駿河国]] : 次の2つの国造を統合 : [[珠流河国造|珠流河国]]:伊豆を含む富士川以東に比定。 : [[廬原国造|廬原国]]:大井川と富士川の間に比定。 ; [[伊豆国]] : 駿河国成立から程なく分立した。[[伊豆諸島]]を含む。 :: [[伊豆国造|伊豆造国]]の比定地については異説が多い 記紀においては、[[ヤマトタケル]]が蝦夷征伐に赴いた時、[[駿河国]]でだまし討ちに遭う{{Sfn|資料に学ぶ静岡県の歴史|2009|loc=ヤマトタケルの伝承とヤマト政権の東海支配|p=16}}。その時に[[天叢雲剣|草薙剣]]で草を薙ぎ払って難を逃れたというヤマトタケル伝承が記されており、その地を「[[草薙 (静岡市)|草薙]]」と呼んだ。また、賊を焼き払った野原を「[[焼津市|焼津]]」と呼んだという。 [[律令制]]で中央集権国家が形成されるに従って、現在の静岡県内に有った国造は、伊豆国、駿河国、遠江国という3つの[[令制国]]に合併・再編された{{Sfn|資料に学ぶ静岡県の歴史|2009|loc=江・駿河・伊豆三国の郡と郷}}。 律令制下には、遠江国には{{読み仮名|白輪官牧|しろわのかんまき}}があり、その後[[荘園 (日本)|荘園]]化し白羽荘と称した。故地は[[御前崎]]西方の砂丘地帯から北方の[[牧之原台地]]におよぶと推定される。駿河国には岡野(大野)・蘇弥奈の2官牧がある。前者は愛鷹山の東南麓、現沼津市の大岡・金岡・愛鷹を中心とする地域に存在し、後に大岡牧、あるいは大岡荘と呼ばれる荘園になった。後者の位置は明確でないが、現静岡市街地の西北、安倍川と[[藁科川]]とに囲まれた牧ヶ谷から美和の内牧に至る一帯の山地と思われる。伊豆国では、官牧の存在が明確ではないが、現伊豆市[[修善寺町]]に牧之郷という地名がある。後にこれらの地域に武士団が簇生した{{Sfn|loc=杉橋隆夫「地域の武士社会と政権」|本多隆成|荒木敏夫|杉橋隆夫|山本義彦|1998|pp=66-68}}。 伊豆国は[[畿内]]から遠いために、[[流罪|流刑]]地の一つとされていた{{Sfn|資料に学ぶ静岡県の歴史|2009|loc=貴族が流された国伊豆}}。一方で、駿河国には[[藤原南家]]の末裔(まつえい)の多くが住み着き、土着したようである。 遠江国の国分僧寺は磐田市中央町に、国分尼寺はその北にあったことが確かめられている。駿河国分僧寺は静岡市大谷の片山廃寺がその有力候補とされており、国分尼寺は不明である。伊豆国分僧寺は三島市泉町に、国分尼寺は三島市南町にあった。 === 中世 === [[ファイル:Minamoto_no_Yoritomo.jpg|thumb|[[神護寺三像|伝源頼朝像]]([[神護寺]]蔵)]] 平治元年(1159年)、[[平清盛]]に敗退した[[源義朝]]は東国に敗退する最中に謀殺され、義朝三男の[[源頼朝]]は平家方に捕らえられるが助命され、伊豆国韮山([[伊豆の国市]])に流刑された。豆駿遠三国はいずれも平家の勢力圏であったが、頼朝は伊豆において在庁官人[[北条氏]]の庶流[[北条時政]]の娘[[北条政子|政子]]を室として婿になり、伊豆の反平家方の武士たちから支持を受けると治承4年(1180年)には[[以仁王]]の平家討伐令旨に応じて挙兵する([[治承・寿永の乱]])。 治承・寿永の乱は豆駿遠三国のみならず[[相模国]]や[[甲斐国]]など東国圏から西国にかけて展開するが、三国内における平家勢は治承4年8月23日に相模[[石橋山の戦い]](小田原市)において頼朝勢を撃退するが、8月25日には駿河目代[[橘遠茂]]の軍勢が富士山麓において[[甲斐源氏]]の勢力に敗退し([[波志田山合戦]])、甲斐源氏の勢力と安房へ逃れた頼朝が[[三浦氏]]の後援を得て勢力を挽回すると反平家勢は再び三国方面へ侵攻し、平家勢は10月14日には富士山麓における[[鉢田の戦い]]において敗退し、さらに10月20日の[[富士川の戦い]]において大敗し、三国は頼朝や甲斐源氏の勢力圏となった。 頼朝が[[鎌倉幕府]]を開府すると三国の所領も恩賞として御家人に安堵された。伊豆は北条氏が守護となったが、治承・寿永の乱においては特に甲斐源氏の功績が大きく、駿河は[[武田信義]]、遠江は[[安田義定]]が守護となったが、頼朝は甲斐源氏の粛清を行い、三国は北条氏の影響下に置かれた。建久4年(1193年)5月28日には[[富士の巻狩]]が行われ、5月28日には[[曾我兄弟の仇討ち]]が発生する{{Sfn|資料に学ぶ静岡県の歴史|2009|loc=曽我兄弟仇討ち事件の謎}}。 [[鎌倉幕府]]におて源氏将軍が途絶すると北条氏は[[執権]]として幕政を主導する執権政治を開始し、三国は北条氏の所領における中心となる。承久3年の承久の乱において三国の武士は幕府勢の主力である東海道軍に加わり活躍し、乱の平定後に三国の御家人は西国にも恩賞を獲得し、勢力を拡大した。 頼朝や北条氏は寺社を振興し、三国においても頼朝の信仰した[[伊豆山神社]]や北条氏の氏寺である[[願成就院]]など幕府にゆかりのある寺院が分布している。三国においては[[天台宗]]・[[真言宗]]の旧仏教の影響が強かったが、鎌倉新仏教においても[[臨済宗]]の高僧である[[円爾]](聖一国師)や[[南浦紹明]](大応国師)は駿河の出身で三国でも臨済寺院が分布しており、[[日蓮宗]]の宗祖である[[日蓮]]は伊豆において布教を行っており、日蓮が甲斐国南部の身延([[身延町]])に草庵を構え信仰の拠点となると駿河・伊豆においても門徒が拡大し、[[日興]]は[[大石寺]](富士宮市)・[[北山本門寺]](富士宮市)など岳南地方において日蓮宗の拠点寺院を建立した。 [[室町時代|南北朝時代]]に入ると、[[今川氏]]が[[守護大名]]として駿河国府中([[駿府]])に入った。14世紀後半に入ると今川氏は遠江国の守護職も兼ねて勢力を伸長する。 戦国期には[[今川氏親]]は伊勢宗瑞([[北条早雲]])らの力によって一族の抗争を終わらせ、[[戦国大名]]への道を歩んだ。また、[[応仁の乱]]の後に、散逸した貴族達が多く逗留した。一方の[[北条早雲]]は、伊豆国の[[堀越公方]]を攻め滅ぼし、それを足がかりに[[関東]]の支配へ乗り出す。その後、今川氏と(早雲の息子である)[[北条氏綱|氏綱]]([[後北条氏]])の主従関係が崩れ、富士川以東の地域をめぐって争いが生まれる([[河東の乱]])。 [[ファイル:Imagawa-Yoshimoto-Ukiyo-e.jpg|thumb|[[今川義元]]]] 駿府は今川領国の中心として繁栄し、[[今川義元]]は後北条氏との争いを収束させると、甲斐の[[武田氏]]、相模後北条氏と三国同盟を形成し駿河国、遠江国、[[三河国]]の3国を支配した。永禄3年(1560年)、[[尾張国]]の[[織田信長]]との[[桶狭間の戦い]]において当主義元が敗死し[[今川氏真]]に当主交代すると三河においては松平元康([[徳川家康]])が独立するなど今川領国は動揺する。外交関係においても武田氏と手切となり、永禄11年(1568年)に[[武田信玄]]と徳川家康が協調して今川領国へ侵攻し、今川氏は相模後北条氏の支援を得るが領国は崩壊した。 その後は武田信玄と徳川家康は今川領国の割譲を巡り対立し、さらに徳川氏と協調し武田氏に敵対する後北条氏や越後[[上杉氏]]、徳川氏と同盟関係にありつつ武田氏とも友好的関係を持ち将軍義昭を擁する尾張の織田信長など旧今川領国を巡る情勢は複雑に推移するが、元亀年間に武田氏は駿河を確保すると、後北条氏との同盟も回復する。その後、武田氏は矛先を遠江・三河方面に向け家康や信長と対決し畿内情勢にも影響を及ぼしたが([[西上作戦]])、元亀4年には信玄が死去し事態はいったん収束する。 信玄の死後、信長は畿内において政権を確立し家康も[[岡崎城|岡崎]]から[[浜松城|浜松]]に拠を移し勢力を回復し、武田氏では[[武田勝頼|勝頼]]に当主交代すると再侵攻を繰り返すが、天正3年の三河において織田・徳川勢が武田勢に致命的打撃を与えた[[長篠の戦い]]と、天正9年の[[高天神城]]陥落を契機に駿遠二国における武田氏の勢力は後退し、天正10年(1582年)に武田氏は織田・徳川勢により滅ぼされた。 同年、[[本能寺の変]]において信長が横死し旧武田領国が空域化すると家康は本国の三河・遠江のみならず武田遺領である甲斐・[[信濃国]]・駿河を確保し([[天正壬午の乱]])、5国を支配し東国における一大勢力に成長した。 === 近世 === [[ファイル:Sunpu castle tatsumiyagura.jpg|thumb|right|駿府城]] [[豊臣秀吉]]が後北条氏を滅ぼすと、1590年には家康は駿府から[[江戸]]に移され、代わって駿府には[[中村一氏]]が入り、遠江国には掛川に[[山内一豊]]や[[堀尾吉晴]]が入り、それぞれ織田家の家臣が入った。 [[1603年]]、徳川家康が[[江戸幕府]]を開くと後継者の[[徳川秀忠]]に[[征夷大将軍|将軍]]職を譲り、家康は駿府において大御所政治を敷いた{{Sfn|資料に学ぶ静岡県の歴史|2009|loc=近世概説}}{{Sfn|資料に学ぶ静岡県の歴史|2009|loc=駿府から発信された幕府政治}}。[[江戸時代]]の伊豆国、駿河国、遠江国の3国(以下「豆駿遠三国」と略称)には、[[幕府直轄領]]や[[譜代大名]]の藩領、[[旗本]]領が入り組んでおり、伊豆国には韮山の代官[[江川太郎左衛門]]、駿河国には[[沼津藩]]の水野出羽守、[[田中藩]]の本田紀伊守、[[小島藩]]の瀧脇丹後守、遠江国には[[相良藩]]の田沼玄蕃頭、[[横須賀藩]]の西尾主計頭、[[浜松藩]]の井上河内守、[[掛川藩]]の太田惣次郎、[[堀江藩]]の大澤右京大夫といった具合に領主支配は複雑に変遷している。 近世には江戸日本橋から京都に至る[[東海道]]の[[宿場]]が整備されるが、豆駿遠三国には53の宿場のうち22宿が存在し、各地に[[宿場町]]が成立した。東海道は西国諸大名の[[参勤交代]]や[[朝鮮通信使]]・[[琉球使節]]も通行し、[[新居関所]](今切関所)は箱根関所と並ぶ重要な関所として知られ、大井川では[[川越制度]]が整えられ、大井川徒歩が行われた{{Efn|{{Harv|資料に学ぶ静岡県の歴史|2009|loc=関所と河川の徒渉}}}}。 [[ファイル:Araisekisho.JPG|thumb|新居関所]] 近世には[[新田開発]]が行われ米麦や畑作物の生産が増大したほか、[[茶]]や[[椎茸]]、[[山葵]]などの特産物の生産も行われる。また、伊豆{{Sfn|資料に学ぶ静岡県の歴史|2009|loc=ゴールドラッシュの伊豆、幾たびか}}や駿河では金銀山での採掘が行われたほか、豆駿遠三国では林業が行われ幕府の[[御林]]も設置されていた。 近世後期には天命の大飢饉、[[天保の大飢饉]]などに際して豆駿遠三国でも凶作や飢饉の被害を受け、強訴や[[打ちこわし]]{{Sfn|資料に学ぶ静岡県の歴史|2009|loc=天保飢饉から幕末の混乱へ ~天保7年の志太郡・益津郡の打ちこわしからみえるもの~}}、百姓[[一揆]]が発生しており、明和元年(1764年)の駿河小島藩の惣百姓一揆、天明3年(1783年)の駿河御厨一揆、天明6年の遠江笠井・二俣騒動、文化13年の蓑着騒動などが発生している。 文化面では[[国学]]を創始した確立した[[荷田春満]]の弟子に浜松諏訪神社大祝[[杉浦国頭]]がおり、国頭は江戸において春満に学び、春満の姪を妻に迎え浜松で私塾を開き多くの門弟を育てた。そのなかには伊庭村の賀茂明神神職の[[賀茂真淵]]がおり、真淵は春満に国学の学問的手法を確立し、地元出身者を含む多くの門弟を育て、豆駿遠三国では春満・真淵との関わりから遠州国学が発達する。 [[ファイル:Reverberatory furnace of Nirayama.jpg|thumb|韮山反射炉]] 幕末には嘉永6年(1853年)にアメリカ艦隊司令長官[[マシュー・ペリー]]が日本との通商を求めて来航し、翌嘉永7年1月には下田・函館両港が開港する。下田にはアメリカ領事[[タウンゼント・ハリス]]が駐在し、安政5年に[[日米修好通商条約]]が締結されるまで、[[玉泉寺 (下田市)|玉泉寺]]は[[アメリカ総領事館]]として機能した。また、嘉永6年には[[ロシア]]の[[エフィム・プチャーチン|プチャーチン]]艦隊も日本との通商を求めて来航し、同年11月1日には下田において幕府側全権と交渉を行っている。嘉永7年11月4日には[[安政東海地震]]が発生しプチャーチン艦隊の[[ディアナ号]]は沈没し、日本側では[[韮山代官]][[江川英龍]]が主導し、[[戸田港]]において代船[[君沢形|ヘダ号]]の造船を行っている。 === 近代 === [[江戸幕府]]が倒されて[[明治維新]]が起こると、[[1868年]]5月には、駿河国の[[天領]]・沼津藩・田中藩・小島藩・交代寄合の榊原家の久能陣屋、諸旗本領、遠江国の相良藩・横須賀藩・掛川藩・浜松藩・交代寄合の近藤家の気賀陣屋、諸旗本領が合併されて、[[静岡藩]](70万石)が設置され、[[徳川将軍家]]の[[徳川家達]]が入った。同年6月、伊豆国(旧韮山代官領)の地域に[[韮山県]]が成立した。同年9月、旧堀江陣屋(5600石、申告1万6石。今の浜松市舘山寺地区)が堀江藩に昇格した。そして、[[1869年]]には、駿府は静岡に改名された。 [[1871年]][[8月29日]]の[[廃藩置県]]では、静岡藩は静岡県に置き換わり、堀江藩が堀江県に置き換わった。同年[[12月31日]]には、当時の静岡県は分割され、駿河国部分が静岡県となり、遠江国部分は[[浜松県]]となった。堀江県は浜松県に編入された。韮山県は、荻野山中県や小田原県と合併して、[[足柄県]]となった。 しかし、[[1876年]](明治9年)[[4月18日]]には足柄県が分割され、[[相模国]]部分は神奈川県に編入され、伊豆国部分は静岡県に編入された。そして、同年[[8月21日]]になると、浜松県が廃止されて静岡県に編入された。[[1878年]](明治11年)には、[[伊豆諸島]]が[[東京府]](現在の[[東京都]])に編入された。 このように、伊豆国、駿河国、遠江国の3国が、[[1876年]](明治9年)に行われた県の合併によって、現在の静岡県となった{{Sfn|資料に学ぶ静岡県の歴史|2009|loc=関連年表}}。 == 人口 == 静岡県の人口は2007年12月の379万7,333人をピークに減り続けており、2022年2月には人口が360万人を下回った<ref>{{Cite web|和書|title=静岡県の人口 360万人割る 減少に歯止めかからず|あなたの静岡新聞|深堀り情報まとめ〈知っとこ〉 |url=https://www.at-s.com/news/shittoko/1031277.html |website=www.at-s.com |access-date=2022-05-31 |language=ja |last=静岡新聞社}}</ref>。 地域別に見ると特に[[伊豆半島]]地域の減少が激しいが、政令指定都市である静岡市や浜松市も人口減少に悩まされており、就職や進学に伴い[[首都圏 (日本)|東京圏]]に多くの若者が流出している<ref>{{Cite web|和書|title=政令市でも若者の流出が続く「静岡と浜松」の苦悩 {{!}} 街・住まい |url=https://toyokeizai.net/articles/-/457704 |website=東洋経済オンライン |date=2021-09-27 |access-date=2022-05-31 |language=ja}}</ref>。人口減少を背景に県内では[[家屋|空き家]]が増え続けているため、静岡県は空き家への引っ越しに補助を2022年度に設ける方針を固めた<ref>{{Cite web|和書|title=加速する人口減少 静岡県の施策は?|あなたの静岡新聞|深堀り情報まとめ〈知っとこ〉 |url=https://www.at-s.com/news/shittoko/1024777.html |website=www.at-s.com |access-date=2022-05-31 |language=ja |last=静岡新聞社}}</ref>。 [[川勝平太]]知事は360万人割れを受け、「今こそ[[東京一極集中]]の時代から地方活躍の静岡時代へと転換を図るチャンスと捉え、魅力あふれる地域を創生し、人口減少の克服に向けて全力で取り組む」とコメントしている<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=静岡県の人口 360万人割る 減少に歯止めかからず|あなたの静岡新聞|深堀り情報まとめ〈知っとこ〉 |url=https://www.at-s.com/news/shittoko/1031277.html |website=www.at-s.com |access-date=2022-05-31 |language=ja |last=静岡新聞社}}</ref>。 人口減少が続けば鉄道や小売、[[自動車]]販売といった経済活動にも影響を及ぼすため、[[静岡鉄道]]のような民間企業も県内への移住事業を本格化させている<ref name=":1" />。 [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Shizuoka prefecture, Japan.svg|thumb|300px|静岡県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=22000|name=静岡県|image=Demography22000.svg}} ===都市=== ;静岡県内 市別人口ランキング {| class="infobox" style="text-align:center; width:100%; margin-right:10px; font-size:100%" |- ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[静岡県#地域区分|地域区分]] ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[静岡県#地域区分|地域区分]] ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口 |- |----- |align="center"| '''1''' |align="center"| '''[[浜松市]]''' |align="center"| 西部([[遠江]]) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/静岡県|浜松市}}}}人 |align="center"| '''6''' |align="center"| '''[[藤枝市]]''' |align="center"| 中部(駿河) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/静岡県|藤枝市}}}}人 |----- |align="center"| '''2''' |align="center"| '''[[静岡市]]''' |align="center"| 中部([[駿河国|駿河]]) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/静岡県|静岡市}}}}人 |align="center"| '''7''' |align="center"| '''[[焼津市]]''' |align="center"| 中部(駿河) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/静岡県|焼津市}}}}人 |----- |align="center"| '''3''' |align="center"| '''[[富士市]]''' |align="center"| 東部(駿河) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/静岡県|富士市}}}}人 |align="center"| '''8''' |align="center"| '''[[富士宮市]]''' |align="center"| 東部(駿河) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/静岡県|富士宮市}}}}人 |----- |align="center"| '''4''' |align="center"| '''[[沼津市]]''' |align="center"| 東部(駿河) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/静岡県|沼津市}}}}人 |align="center"| '''9''' |align="center"| '''[[掛川市]]''' |align="center"| 西部(遠江) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/静岡県|掛川市}}}}人 |----- |align="center"| '''5''' |align="center"| '''[[磐田市]]''' |align="center"| 西部(遠江) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/静岡県|磐田市}}}}人 |align="center"| '''10''' |align="center"| '''[[三島市]]''' |align="center"|[[伊豆半島|伊豆]]([[伊豆国|伊豆]]) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/静岡県|三島市}}}}人 |----- | colspan="11" align=center style="background:#f5f5f5;" |{{自治体人口/静岡県|source}} {{自治体人口/静岡県|date}} |} {{-}} <gallery> 浜松市都心部夜景.png|1.[[浜松市]]([[政令市]]) 三角屋 - panoramio.jpg|3.[[富士市]]([[特例市]]) NAKAMISE - panoramio.jpg|4.[[沼津市]](特例市) Tempyo-dori St., Iwata City - panoramio.jpg|5.[[磐田市]] Fujieda Station South.jpg|6.[[藤枝市]] JR Yaizu sta 002.jpg|7.[[焼津市]] Fujinomiya city.JPG|8.[[富士宮市]] Kakegawa Blick vom Dormy Inn 4.jpg|9.[[掛川市]] Shizuoka Pref r-021 Kitata.jpg|10.[[三島市]] </gallery> ; 静岡県内市別人口密度ランキング({{自治体人口/静岡県|source}} {{自治体人口/静岡県|date}}) # [[焼津市]]({{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/静岡県|焼津市}}/{{自治体面積/静岡県|焼津市}} round 2}}}}人/[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]) # [[三島市]]({{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/静岡県|三島市}}/{{自治体面積/静岡県|三島市}} round 2}}}}人/km<sup>2</sup>) # [[沼津市]]({{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/静岡県|沼津市}}/{{自治体面積/静岡県|沼津市}} round 2}}}}人/km<sup>2</sup>) # [[磐田市]]({{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/静岡県|磐田市}}/{{自治体面積/静岡県|磐田市}} round 2}}}}人/km<sup>2</sup>) # [[富士市]]({{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/静岡県|富士市}}/{{自治体面積/静岡県|富士市}} round 2}}}}人/km<sup>2</sup>) <gallery mode="packed"> Yaizu Station zenkei.JPG|[[焼津市]] Mishima sta-1.jpg|[[三島市]] Numazu Station 2013-09A.JPG|[[沼津市]]([[特例市]]) Toyoda-cho sta Kitaguchi.JPG|[[磐田市]] Shinfuji-Sta-N 20140806.jpg|[[富士市]](特例市) </gallery> ====静岡県内市町別人口・面積・人口密度==== {| class="sortable wikitable" |+ 人口・面積・人口密度 |- style="position:sticky; top:0" !scope="col"| 自治体 !scope="col"| [[全国地方公共団体コード|コード]] !scope="col"| 人口<hr>(人) !scope="col"| 面積<hr>(km<sup>2</sup>) !scope="col"| 人口密度<hr>(人/km<sup>2</sup>) |- !scope="row"|{{Wd|label|linked|Q174691}} |{{Wd|property|Q174691|P429}}||style="text-align: 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[[総務省]]が定義する大都市圏として、[[静岡・浜松大都市圏]]及び[[関東大都市圏]]を有する。 [[都市雇用圏]]では、以下の都市圏を有する。 # [[浜松都市圏]]:{{郡データ換算|静岡県|浜松市|磐田市|袋井市|湖西市|森町}} # [[静岡都市圏]]:{{郡データ換算|静岡県|静岡市|焼津市|藤枝市|島田市}} # [[沼津都市圏]]:{{郡データ換算|静岡県|沼津市|三島市|伊豆市|伊豆の国市|清水町|長泉町|函南町}} # [[富士都市圏]]:{{郡データ換算|静岡県|富士市|富士宮市<!-- |南部町 -->}}<ref group="注釈">県外(山梨県)の[[南部町 (山梨県)|南部町]]は除く。</ref> # [[掛川都市圏]]:{{郡データ換算|静岡県|掛川市|御前崎市|菊川市}} # [[御殿場都市圏]]:{{郡データ換算|静岡県|御殿場市|裾野市|小山町}} # [[島田都市圏]]:[[人口]]95,529人、[[面積]]315.70km²、[[人口密度]]303人/km²。(2020年8月1日、[[推計人口]]) <gallery mode="packed"> 浜松市都心部夜景.png|[[浜松市]]([[政令指定都市|政令市]]) Shizuoka Station from Choseniwa.jpg|[[静岡市]](政令市) 沼津市街地.png|[[沼津市]]([[特例市]]) Fuji City Hall (2016-12-17).jpg|[[富士市]](特例市) 掛川城 - panoramio (1).jpg|[[掛川市]] View in front of Fujisan Entrance of Gotemba Station.JPG|[[御殿場市]] Shimada Station.jpg|[[島田市]] Atami 20170211-1.jpg|[[熱海市]] </gallery> == 政治 == 静岡県は、「住んでよし、働いてよし、訪れてよし」の「富国有徳の日本の理想郷」を創るための施策に取り組んでいる<ref>[http://www.pref.shizuoka.jp/soumu/so-140/furusato/kenjigyou.htm 静岡県 / 応援していただきたい施策の紹介]</ref>。「富国有徳」は、前知事[[石川嘉延]]の県政キャッチコピー「富国有徳――しずおかの挑戦」にも現れるが、これは現知事川勝平太の著した『富国有徳論』(1995)<ref>{{Cite book|和書 |title = 富国有徳論 |author = [[川勝平太]]著 |date = 1995年9月 |year= 1995 |publisher = [[紀伊國屋書店]] |format = B6 |id = ISBN 9784314006910 }}<br />対談部分を除く出版元を変え再版 -- {{Cite book|和書 |title = 富国有徳論 |author = 川勝平太著 |date = 2000年1月25日 |year = 2000 |publisher = [[中央公論新社]] |format = 文庫 |series = [[中公文庫]] |id = ISBN 9784122035713 }}</ref> の思想に賛同したもの。 {{Main|川勝平太#富国有徳}} [[国際コメ年]]の[[2004年]]から、「コメの購入量・購入金額」日本一である静岡市で「[[お米日本一コンテストinしずおか]]」を毎年開催している。主催者「全国お米まつりinしずおか実行委員会」は静岡県庁こめ室内に置かれている<ref>{{Cite web|和書|url=https://prw.kyodonews.jp/open/release.do;jsessionid=30F1BFAC0F0266C3157D0D5D7FEF44C7?r=200408031635|title=お米の消費日本一の静岡で開催する「お米日本一コンテスト」参加募集|publisher=共同通信PRワイヤー|date=2004-08-03|accessdate=2018-01-08}}</ref>。 === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#静岡県|静岡県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が8。[[参議院]]では、全県で1区を構成し、定数4人・改選数2人の[[参議院二人区|二人区]]である。 === 県政 === {{Main|静岡県知事一覧|静岡県庁|静岡県議会}} * [[都道府県知事|知事]]:[[川勝平太]](かわかつ へいた、4期目) 静岡県のイメージキャラクターは「[[ふじっぴー]]」([[2003年]](平成15年)開催 [[第58回国民体育大会|NEW!!わかふじ国体]]マスコットキャラクター)である<ref>[http://www.pref.shizuoka.jp/kikaku/ki-110/fujippi/ 静岡県 / ふじっぴー紹介]</ref>。 === 歴代知事(公選) === * 初代 [[小林武治]](1947年4月12日 - 1951年4月4日、1期) * 2代 [[斎藤寿夫 (政治家)|斎藤寿夫]](1951年5月4日 - 1967年1月8日、4期) * 3代 [[竹山祐太郎]](1967年1月31日 - 1974年6月24日、2期) * 4代 [[山本敬三郎]](1974年7月10日 - 1986年7月6日、3期) * 5代 [[斉藤滋与史]](1986年7月7日 - 1993年6月23日、2期) * 6代 [[石川嘉延]](1993年8月3日 - 2009年6月17日、4期) * 7代 [[川勝平太]](2009年7月7日 - 、4期目) == 経済・産業 == [[2017年]](平成29年)度の県内総生産は名目17兆2770億円であり<ref>地域別総生産及び所得 [http://toukei.pref.shizuoka.jp/bunsekihan/data/15-040/documents/h29chiiki_gaiyou.pdf]</ref>、全世界の2/3の国々の[[国内総生産|GDP]]を上回り、[[ギリシャ]]や[[ニュージーランド]]など一部の[[先進国]]と匹敵する規模を持つ{{Efn|[[国の国内総生産順リスト (為替レート)]]}}。<gallery mode="packed" heights="150"> 田子の浦港と富士山.png|[[東海工業地域]]と[[富士山]] 熱海サンビーチ (5562938154).jpg|[[熱海温泉]] SUZUKI-MotorHQ.jpg|[[スズキ (企業)|スズキ]]本社 Shimada city from Makinohara Upland.JPG|[[静岡茶]] </gallery>{{Underline|※本社を置く企業は「[[:Category:静岡県の企業]]」を参照すること。}} [[トヨタグループ]]の創始者である[[豊田佐吉]]の生誕の地であり、[[本田技研工業|ホンダ]]の発祥地、[[スズキ (企業)|スズキ]]、[[ヤマハ]]や[[河合楽器製作所|カワイ]]といった企業の本社所在地であることから[[第二次産業]]が発達している。製造品出荷額は[[大阪府]]とほぼ同等の17兆1540億円(2019年度)であり、愛知県、神奈川県に次ぐ国内3位である<ref name="2020kakuho">{{Cite web|和書|url=https://toukei.pref.shizuoka.jp/shoukouhan/data/07-020/2020kakuho.html|title=2020年工業統計調査(確報)調査結果の概要等|author=静岡県|date=2021-06-29|accessdate=2021-06-29}}</ref>。 [[静岡市]]や[[浜松市]]など県内大都市(政令市)を中心に多くの企業が事業所を置いている<ref>都道府県別事業所数・従業者数等について[https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/iryo_hoken/kanen_senryaku/kanenkyougikai281220.files/kanenshiryou3-2.pdf]</ref>。 また、[[静岡茶]]や[[ウンシュウミカン|みかん]]に代表される[[農業]]や[[マグロ]]・[[カツオ]]・[[サクラエビ|桜エビ]]などで有名な漁業、[[富士山]]・[[伊豆半島]]・[[赤石山脈]]([[南アルプス]])・[[浜名湖]]などの観光などのサービス業も盛んである。 * [[熱海市]]など[[伊豆半島]]は観光の名所である。[[熱海温泉]]など有名温泉も数多くある。 * [[富士宮市]]・[[御殿場市]]などの環富士山地域では、富士山観光が盛んである。 * [[茶]]([[静岡茶]])や[[ウンシュウミカン|みかん]](三ヶ日のみかん)・温室[[メロン]]・温室[[イチゴ]](久能山の石垣いちご)などの農産物{{Sfn|八幡和郎|p=127}} * 伊豆半島から[[沼津市]]、[[焼津市]]あたりの漁業などがある(→[[日本の漁港一覧#静岡県]])。特に[[焼津漁港]]は全国一の水揚げ額を有する。 * [[静岡市]]にある[[バンダイホビーセンター]]([[ガンプラ]]などを生産)を中心に[[プラモデル]]会社・工場が集中しており、平成27年の時点で全国出荷額1位。全国に占める割合は95%<ref>[http://www.pref.shizuoka.jp/j-no1/m_pmkit.html Myしずおか日本一 プラモデルの出荷額 日本一] ふじのくに(静岡県公式ホームページ)2018年9月16日閲覧</ref>。 * [[清水港]]のコンテナ取扱貨物量は全国8位であり、積極的な貿易が行われている<ref>コンテナ取扱貨物量上位20港ランキング[https://www.mlit.go.jp/common/001246779.pdf]</ref>。 * [[富士市]]では[[製紙]]産業が盛んである。 * [[浜松市]]・[[磐田市]]周辺では[[楽器]]製造・[[オートバイ]]自動車製造・[[光電効果|光電子]]技術産業が盛んである{{Sfn|八幡和郎|p=126}} * [[浜名湖]]周辺では養鰻業が盛んであったが、1980年代以降は他の産品に転換しており、生産高は落ちこんでいる<ref> 静岡大学人文社会科学部・地域創造学環(編)『大学的 静岡ガイド:こだわりの歩き方』 昭和堂 2019年 ISBN 978-4-8122-1815-0 pp.226-227.</ref>。現在は名産品として有名な[[ウナギ|鰻]]の養殖ではなく、[[スッポン]]が養殖されているところが多い。周辺海域では、高級魚として人気の高い[[トラフグ]]の養殖も行われ、新たな特産品となっている。 * [[静岡空港]](富士山静岡空港)の建設を進め、[[空港]]過疎地域の救済を図る。 *'''[[カツオ]] - 2019年(令和元年)度陸揚量全国1位'''<ref>[http://www.pref.shizuoka.jp/j-no1/m_katsuo.html かつおの漁獲量、産出額、輸出日本一] 静岡県</ref> *'''[[キハダ]] - 2019年(令和元年)度陸揚量全国1位''' <ref>[http://www.pref.shizuoka.jp/j-no1/m_kihada.html きはだの漁獲量、産出額日本一] 静岡県</ref> *'''[[サクラエビ]] - 2019年(令和元年)度陸揚量全国1位''' <ref>[http://www.pref.shizuoka.jp/j-no1/m_sakuraebi.html さくらえびの漁獲量日本一] 静岡県</ref> 静岡県の[[指定金融機関]]は[[静岡銀行]]で、また[[静岡市]]・[[浜松市]]ほか県内の主な市も静岡銀行を指定金融機関としているが(静岡市は[[清水銀行]]との輪番制)、伊豆地方を中心に[[スルガ銀行]]を指定金融機関とする市もみられる。 == 生活・交通 == === 警察 === * [[静岡県警察]] === 電気 === [[富士川]]を境に県の[[#東部|東部]]のみ50[[ヘルツ (単位)|Hz]](ヘルツ=[[東京電力パワーグリッド]]が送配電)。その他は60Hz([[中部電力パワーグリッド]]が送配電)。[[新潟県]]の[[佐渡島]]、[[糸魚川市]]の一部や[[長野県]]の一部で[[商用電源周波数|電源周波数]]が県の大半と異にする地域があるものの、同一都道府県内で電源周波数が東西に大きく二分されるのは本県のみであるため、電気の分野では富士川がよく知られている。 [[浜松市]]北部の[[佐久間ダム]]近傍に、東西の電力を相互に融通するための[[電源開発送変電ネットワーク]][[佐久間周波数変換所]]が、[[静岡市]][[清水区]]の中部電力パワーグリッド[[東清水変電所]]内に同様の目的の東清水周波数変換装置(FC; frequency converter)がある。 === ガス === 静岡県内では、[[静岡ガス]]系や[[TOKAI]]系、[[中部ガス]]系、[[サイサン]]系を中心として、複数の業者が地域を分けてガス事業を行っている。静岡県内の主な[[一般ガス事業者]]は次の通り。 * [[静岡ガス]] 本社:静岡市駿河区、供給エリア:静岡市、沼津市、三島市、裾野市、富士宮市、富士市、清水町、長泉町、函南町 - ガス販売量は[[東京ガス]]、[[大阪ガス]]、[[東邦ガス]]に次ぐ全国4位。 * [[TOKAI|東海ガス]] 本社:焼津市、供給エリア:焼津市、藤枝市 * [[サーラエナジー]] 本社:[[愛知県]][[豊橋市]]、供給エリア:浜松市、磐田市、湖西市 * [[湯河原ガス]] 本社:[[神奈川県]][[湯河原町]]、供給エリア:熱海市 * 熱海ガス{{Efn|name=saisan-group|サイサングループ}} 本社:熱海市、供給エリア:熱海市 * 伊東ガス 本社:伊東市、供給エリア:伊東市 * 下田ガス{{Efn|name=shizuokagas-group|静岡ガスグループ}} 本社:下田市、供給エリア:下田市 * 御殿場ガス{{Efn|name=shizuokagas-group}} 本社:御殿場市、供給エリア:御殿場市 * [[島田ガス]]{{Efn|name=shizuokagas-group}}<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.shizuokagas.co.jp/page.jsp?id=37650 |title=島田瓦斯株式会社の株式取得に関するお知らせ |publisher=静岡ガス |date=2008-3-23 |accessdate=2018-03-31 }}</ref> 本社:島田市、供給エリア:島田市 * [[中遠ガス]]{{Efn|name=shizuokagas-group}} 本社:掛川市、供給エリア:掛川市 * [[袋井ガス]]{{Efn|name=shizuokagas-group}} 本社:袋井市、供給エリア:袋井市 === 交通 === [[東海道]]の沿線として、古くから[[関東地方]]と[[近畿地方]]とを結ぶ大動脈が整備されてきた。特に[[浜名湖]]畔は、[[首都圏 (日本)|首都圏]]([[東京都|東京]]・[[鎌倉市|鎌倉]])と[[畿内]]([[大阪市|大阪]]・[[京都市|京都]]・[[奈良市|奈良]])から等距離に位置している。 ==== 鉄道 ==== {{Col| ; JR線 :* [[東海道新幹線]] :* [[東海道本線]] :* [[伊東線]] :* [[御殿場線]] :* [[身延線]] :* [[飯田線]] | ; 私鉄 :* [[伊豆急行線]] :* [[十国峠十国鋼索線]] :* [[伊豆箱根鉄道駿豆線]] :* [[岳南電車岳南線]] :* [[静岡鉄道静岡清水線]] :* [[大井川鐵道大井川本線]] :* [[大井川鐵道井川線]] :* [[天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線]] :* [[遠州鉄道鉄道線]] }} ※ 伊東線全線と東海道本線(在来線)[[熱海駅]]は[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の管轄。ほかのJR線は[[東海旅客鉄道]](JR東海)の管轄。 静岡県は[[第三セクター鉄道]]を除いた[[中小私鉄]]事業者が最も多く<ref>[[日本の鉄道事業者一覧]]</ref>、[[遠州鉄道]]や[[静岡鉄道]]は[[遠鉄グループ]]、[[静鉄グループ]]を形成し、中小私鉄でトップの売上高である<ref>鉄道業界 売上高ランキング(2019 - 2020年)[https://gyokai-search.com/4-train-uriage.htm]</ref>。 このように東西に[[東海道新幹線]]などの幹線級の鉄道が敷かれており[[三大都市圏]]を結ぶ大動脈として整備されており、全国で5番目の規模を有する[[静岡・浜松大都市圏]]及び[[東海工業地域]]の輸送の要であるが、通過点としての役割も強く、[[三大都市圏]]に匹敵する程の流通はない。現に一日12万人程の利用がある東海道新幹線静岡県内区間ですら最速達の『[[のぞみ (列車)|のぞみ]]』と準速達の『[[ひかり (列車)|ひかり]]』の約半数は県内の全駅を通過している現状もある<ref>{{Cite web|和書|title=統計センターしずおか/鉄道運輸状況 新幹線駅別乗車人数(一日平均)|url=https://toukei.pref.shizuoka.jp/toukeikikakuhan/data/10-050/130100.html|website=toukei.pref.shizuoka.jp|accessdate=2020-12-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=乗車人員ベスト10駅|url=https://company.jr-central.co.jp/company/achievement/financeandtransportation/transportation5.html|website=JR東海|accessdate=2020-12-10|language=ja}}</ref>。 静岡県内のJR線は全線電化されている。私鉄も非電化路線は[[天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線|天竜浜名湖線]]と大井川鉄道井川線(但しアプト式区間は電化)のみである。基本的に直流電化されているが東海道新幹線のみ交流電化である。東海道新幹線は県内では両周波数の地域を通過しているが途中に周波数変換変電所があり(県内では沼津市に設置)、50Hz地域を含めた全区間が60Hzに統一されている。 このほか、2027年開通予定の[[中央新幹線]]が[[山梨県駅]]と長野県駅の間で[[静岡市]][[葵区]]北部を通過するが、[[赤石山脈]]内の[[大井川]]源流部を[[南アルプス隧道]]として通過し、駅の設置予定はない。 ==== 道路 ==== <!--高規格幹線道路、地域高規格道路、自動車専用道路及び県内に指定区間のある一般国道のみ名称を掲載--> {{Col| ; 高速道路 :* [[東名高速道路]] :* [[新東名高速道路]] :* [[中部横断自動車道]] | ; その外の有料・地域高規格道路など :* [[静岡東西道路]] :* [[静岡南北道路]] :* [[金谷御前崎連絡道路]] :* [[東富士五湖道路]] :* [[西富士道路]] :* [[富士宮道路]] :* [[三遠南信自動車道]] :* [[伊豆縦貫自動車道]]<br />(伊豆中央道・修善寺道路) :* [[熱海ビーチライン]] | ; 主要国道 :* [[国道1号]] :* [[国道52号]] :* [[国道135号]] :* [[国道136号]] :* [[国道139号]] :* [[国道150号]] :* [[国道152号]] :* [[国道246号]] :* [[国道257号]] :* [[国道149号]] }} ※ このほかの詳細は「[[静岡県の県道一覧]]」「[[中部地方の道路一覧]]」を参照のこと ==== 港 ==== [[ファイル:Aerial view of Mount Fuji and Shimizu Port 20190324.jpg|250px|thumb|上空から見た清水港と富士山]] * [[特定重要港湾]]:[[清水港]] * [[重要港湾]]:[[田子の浦港]]、[[御前崎港]] これらのほかに、[[地方港湾]]や[[漁港]]などがある。 ===== 船舶航路 ===== * [[エスパルスドリームフェリー]] * [[初島]]航路 * [[伊豆諸島]]航路 ==== 空港 ==== [[ファイル:FDA Embraer 170 JA02FJ RJNS.jpg|thumb|静岡空港]] * [[日本の空港|第三種空港]]:[[静岡空港]]([[2009年]](平成21年)6月4日開港) * 公共用[[ヘリポート]]:[[静岡ヘリポート]] === 医療・福祉 === {{main|Category:静岡県の医療機関}} ; [[災害拠点病院]] :* [[静岡県災害拠点病院]] : ; [[保育所]] :* [[静岡県保育所一覧]] === 教育 === '''賀茂地域教育振興センター<ref>賀茂地域教育振興方針 [http://www.pref.shizuoka.jp/kyouiku/documents/kamochiikikyouikushinkouhoushin.pdf] 平成29年2月 p.27</ref>''' 平成29年4月3日開所。賀茂地域教育振興センターは、静東教育事務所参事1名、賀茂地区5町指導主事3名、下田市指導主事1名、県幼児教育アドバイザー1名の計6名で構成されている<ref name=":0">[https://www.pref.shizuoka.jp/v_governor/3/column/b_14.html ふじのくに 静岡県公式ホームページ]</ref>。 各学校を訪問し、教科指導、生徒指導などに関して賀茂地域の教育の質の維持・向上を図る取組を推進する組織。 県内初のモデル事業として県幼児教育アドバイザーを配置し、幼稚園・保育所・認定こども園を卒業する幼児が、スムーズに小学校生活に溶け込めるための調整役も務める。 静岡県では、平成29年2月に「[https://www.pref.shizuoka.jp/kyouiku/documents/kamochiikikyouikushinkouhoushin.pdf 賀茂地域教育振興方針]」を作成。5年後、10年後の賀茂地域のあるべき教育の姿を見据え、このセンターの整備を足がかりに、方針の施策を推進する<ref name=":0" />。 賀茂地域教育振興センターの具体的な活動内容などは、「[http://www.at-s.com/news/article/education/etc/345593.html 静岡新聞@S]」や静岡県教育委員会広報誌「[http://www.pref.shizuoka.jp/kyouiku/kk-020/kouhou/documents/189.pdf Eジャーナル189号]・[http://www.pref.shizuoka.jp/kyouiku/kk-020/kouhou/documents/193.pdf 193号]」で紹介されている。 ==== 高等教育 ==== {{Main|Category:静岡県の大学}} 入学希望者に対し県内の高等教育機関が不足しているため、県内の高校生は県外に進学する者が比較的多い{{要出典|date=2018年8月}}。県内に企業の本社が多いこともあって、[[Uターン]]、[[Iターン]]就職者が比較的多い。 6年制課程または[[専門職大学院]]としては、[[医学部]]が[[浜松医科大学]]、[[薬学部]]が[[静岡県立大学]]、[[法科大学院]]が[[静岡大学]]にそれぞれ存在する。 なお、[[東海大学]]が1955年に本部を東京都に移転した後、[[常葉学園大学]]が1980年に開学するまで、静岡県内に本部を置く4年制私立大学は存在しなかった。 ==== 高等専門学校 ==== {{Main|高等専門学校}} 静岡県には[[沼津工業高等専門学校]]がある。 ==== 高等学校 ==== {{Main|静岡県高等学校一覧}} [[静岡県立下田高等学校|下田高]]、[[静岡県立韮山高等学校|韮山高]]、[[静岡県立沼津東高等学校|沼津東高]]、[[静岡県立富士高等学校|富士高]]、[[静岡県立清水東高等学校|清水東高]]、[[静岡県立静岡高等学校|静岡高]]、[[静岡県立静岡東高等学校|静岡東高]]、[[静岡市立高等学校|静岡市立高]]、[[静岡県立藤枝東高等学校|藤枝東高]]、[[静岡県立榛原高等学校|榛原高]]、[[静岡県立掛川西高等学校|掛川西高]]、[[静岡県立磐田南高等学校|磐田南高]]、[[静岡県立浜松北高等学校|浜松北高]]、[[静岡県立浜松西高等学校・中等部|浜松西高]]、[[浜松市立高等学校]]がある。 私立高校についても、[[浜松日体中学校・高等学校|浜松日体高]]、[[日本大学三島中学校・高等学校|日大三島高]]、[[東海大学付属静岡翔洋高等学校・中等部|東海大翔洋高]]などの大学付属高や、[[静岡雙葉中学校・高等学校|静岡雙葉高]]、[[不二聖心女子学院中学校・高等学校|不二聖心女子学院高]]などの中高一貫女子校、中高一貫男子校である[[静岡聖光学院中学校・高等学校|静岡聖光学院高]]といった特色のある高校が存在する。 ==== 義務教育 ==== {{Main|静岡県小学校一覧|静岡県中学校一覧}} 伝統的に公立小・中学校が義務教育の中心を担っており、地域の公立小中学校への進学者が多い。 近年は国立・私立校の人気が高まっている。学校側も、特に私立校においては少子化時代の生徒確保を意識して高校に小・中学校を併設する動きが出ている。教育内容についても、例えば小学生の[[英語教育]]で全国的に有名な[[加藤学園暁秀初等学校]]など、公立とは異なる特色ある教育を行っている。 === マスメディア === === 新聞 === ; [[地方紙]] :* [[静岡新聞]]<br />静岡県内を主な購読地域とする地方紙。静岡県内一円に取材拠点を置いており、[[静岡市]]で印刷している。静岡県内情報や茶業情報については最も詳しい。系列テレビ・ラジオ局を有し、県内に一大メディアグループを築いており、県内各界への影響力も大きい。[[囲碁]]の[[碁聖|碁聖戦]]主催紙の一つでもある。特定の系列販売店はないので、県内の大半の新聞販売店で購入が可能である。 :* [[中日新聞]]、[[東京新聞]]<br />[[中日新聞社]]発行の新聞においては、富士川以西では主に中日新聞、富士川以東では主に東京新聞が販売されている。また、[[浜松市]]に[[中日新聞東海本社|東海本社]]があり、東京新聞の県版を含む静岡県内向けの編集と発行が行われている。なお東京新聞は、県内を「統合版」エリアとしているため、朝刊のみの発行。{{Main|中日新聞#静岡県版|東京新聞#静岡版}} : ; [[新聞#日本の新聞|全国紙]] : 全国紙は基本的に[[東京都]]もしくは神奈川県、[[千葉県]]、愛知県の工場で印刷して静岡県に輸送している物が多い。いずれの新聞も、紙面のうち1〜2面程度の広さを静岡県内記事(静岡県版)に割いている。静岡県版は、'''静岡県東部版、静岡県中部版、遠州版'''の3つに分けられているが、支局の表示は3つとも同じである{{efn|尚、朝日新聞は2019年4月1日、「静岡」に統一され、その他の新聞社も「静岡」で統一した。また、2021年10月1日、読売新聞は、「静岡」「東部・伊豆」を統合し、中東部・伊豆地方は「静岡」に変更された。}}。 :* [[読売新聞]]は、浜松市を除く県内向けの[[朝刊]]・大井川以東向けの[[夕刊]]は神奈川県[[横浜市]][[瀬谷区]]の横浜工場で印刷され、大井川以西向けの夕刊及び浜松市向けの朝刊は[[読売新聞中部支社|中部支社]]管轄の愛知県[[清須市]]の清須工場で印刷されている(なお中部支社では東海3県に向けた新聞の夕刊そのものは発売・発行していない)。 :* [[朝日新聞]]は、天竜川以西(浜松市の一部・湖西市)向けの朝・夕刊は、[[北名古屋市]]の[[朝日プリンテック]]名古屋工場、天竜川以東向けの朝・夕刊は神奈川県[[座間市]]の[[凸版印刷|トッパンメディアプリンテック東京]]座間工場で印刷。 :* [[毎日新聞]]は、静岡県向けの朝刊・大井川以東の夕刊は、神奈川県[[海老名市]]の[[毎日新聞首都圏センター]]海老名工場で印刷されたものが販売されているが、大井川以西の夕刊は[[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]]の中日新聞本社工場にて受託印刷されたもの(中日新聞への委託前は、名古屋市にあった自社工場「毎日新聞名古屋センター」<ref group="注釈">会社自体は現存しており、現在は[[毎日新聞中部本社|中部本社]]管内の新聞の配送のみに特化。</ref> で印刷されていた)が販売されている。 ;* [[産経新聞]]は、東京本社が編集し、紙面は関東地区の[[産経新聞印刷]]の工場で印刷されている。 :* [[日本経済新聞]]は、東京本社が編集し、紙面印刷を静岡新聞社に委託している。このため、静岡県内向けには静岡市内から各販売所に配送されている。 : ; [[日本の新聞#スポーツ紙、夕刊紙|スポーツ紙]] : 全国向けスポーツ紙は、東京都もしくは神奈川県で印刷して静岡県内に輸送している。紙面の一部を'''静岡県版'''として割いている物が多い。 :* 尚、2021年4月に[[スポーツニッポン]]の県内版のテレビ面は紙面刷新に伴い、地上波は'''在静局'''([[NHK静岡放送局|NHK]]・[[静岡放送|SBS]]・[[テレビ静岡|SUT]]・[[静岡朝日テレビ|SATV]]・[[静岡第一テレビ|SDT]])のみ掲載し、同日付で在京キー局([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[TBSテレビ]]・[[フジテレビジョン|フジテレビ]]・[[テレビ朝日]]・[[テレビ東京]])の掲載を全て打ち切った。 :* 中日新聞系スポーツ紙は、[[中日スポーツ]](2021年9月現在は静岡県の西部・中部のみ)・[[東京中日スポーツ]](2021年9月現在は[[熱海駅]]・[[伊東駅]]の売店のみ)が販売されている。但し、県東部・伊豆地方の[[コンビニエンスストア]]では両紙とも一切販売は行っていない。 :* [[東京スポーツ]]は東部・中部で、[[中京スポーツ]]は西部でそれぞれ販売されている。 : ; 郷土紙(地域密着紙) : ごく狭い地域のみで発行される新聞、タブロイド版のものが多い。 :* [[伊豆新聞]] ※静岡新聞系 :** 伊東版 (伊東市) :** 下田・賀茂版 (下田市、賀茂郡:東伊豆町、河津町、南伊豆町、松崎町、西伊豆町、伊豆市(旧田方郡土肥町)) :* [[伊豆新聞|熱海新聞]] ※静岡新聞系(熱海市、神奈川県湯河原町) :* [[伊豆新聞|伊豆日日新聞]] ※静岡新聞系 (伊豆の国市、伊豆市、田方郡函南町、駿東郡清水町、三島市、沼津市) :* 日刊伊豆毎日 (熱海市) :* 岳麓新聞 (御殿場市) :* 日刊静岡 (御殿場市) :* [[沼津朝日新聞]] (沼津市、駿東郡清水町) :* [[沼津新聞]] (沼津市) :* 富士ニュース (富士市、富士宮市) :* 岳南朝日新聞 (富士宮市、富士市) :* 岳陽新聞 (富士宮市) :* 庵原新聞 (静岡市清水区(由比・蒲原)、富士市(富士川)) :* 郷土新聞 (掛川市) :* タウン情報はままつ (浜松市)<!-- :* 島田新聞 (島田市)[[2009年]](平成21年)5月2日廃刊--> :* 日刊焼津港報 (焼津市) : ; [[フリーペーパー]] :* 中日ショッパー(浜松市、静岡市など) ※中日新聞系 :* びぶれ(浜松市) ※静岡新聞系 :* リビング静岡(静岡市) ※[[サンケイリビング新聞社]]系 === 放送 === {{静岡県の放送}} 静岡県の地上デジタルテレビ・FMラジオの[[県域放送]]の[[親局]]は静岡市清水区の[[日本平デジタルタワー]]に集約されているが、SBSラジオ補完FM局のメイン送信所は焼津市の[[高草山]]に設置された。 ==== テレビ局 ==== :* NHK静岡放送局([[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]]・[[NHK教育テレビジョン|教育テレビ]]) :** 教育テレビは'''[[全国放送]]'''扱い。 :* [[静岡放送]]([[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]) :* [[テレビ静岡]](SUT)([[フジニュースネットワーク|フジテレビ系列]]) :* [[静岡朝日テレビ]](SATV)([[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]) :* [[静岡第一テレビ]](SDT)([[日本ニュースネットワーク|日本テレビ系列]]) : 静岡県は人口10位以上の[[都道府県]]で唯一、[[TXNネットワーク]]系列局または[[独立局]]が存在しない<ref>{{Cite web|和書|title=ネット別テレビ局一覧表|url=http://www.saturn.dti.ne.jp/~otake/tvnet.htm|website=www.saturn.dti.ne.jp|accessdate=2021-02-07}}</ref>。静岡県はTXN系列局である[[テレビせとうち]]の放送対象地域である[[岡山県]]・[[香川県]]両県の合算人口を約100万人程上回っており、[[2007年]]には静岡県のTXN系列局新規開局が計画されたが<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070601k0000m040065000c.html|title=MSN毎日インタラクティブ(丸山進)|accessdate=2007年5月31日|publisher=毎日新聞}}</ref>、[[リーマン・ショック]]など[[景気後退]]のために現在は棚上げ状態にある<ref>{{Cite web|和書|title=なぜテレビ東京系は広島や仙台で視聴できないのか|url=https://www.excite.co.jp/news/article/E1450928022018/|website=エキサイトニュース|accessdate=2021-02-07|language=ja}}</ref>。 ==== ラジオ局 ==== ===== AMラジオ局 ===== :* [[NHK静岡放送局]]([[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1放送]]・[[NHKラジオ第2放送|ラジオ第2放送]]) :** 尚、ラジオ第2放送は、'''全国放送'''扱い。 :** 県内の一部地域(県中部・東部・伊豆地方)は、[[NHK菖蒲久喜ラジオ放送所|東京局]]を受信。 :* 静岡放送(SBSラジオ)([[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列) : ===== FMラジオ局 ===== :* NHK静岡放送局([[NHK-FM放送|FM放送]]) :* [[静岡エフエム放送|K-mix]](静岡エフエム放送)([[全国FM放送協議会|JFN]]系列) : ※かつて存在した[[MegaNet]]系列の「[[愛知国際放送]](RADIO-i・本社[[名古屋市]])」も浜松市に中継局を置いていた(在名局で唯一静岡県の一部も公式放送区域としていた)。 ==== コミュニティFM局 ==== ===== 西部(遠州) ===== :* [[浜松エフエム放送|FM Haro!]](浜松市中区)ミュージックバードを配信 ===== 中部(駿西) ===== :* [[FM島田|g-sky]](島田市)ミュージックバードを配信 :* [[シティエフエム静岡|FM-Hi!]](静岡市葵区)J-WAVEを配信 :* [[エフエムしみず|FMしみずマリンパル]](静岡市清水区)ミュージックバードを配信 ===== 東部(駿東) ===== :* [[エフエムぬまづ|COAST-FM]](沼津市)J-WAVEを配信 :* [[富士コミュニティエフエム放送|Radio-f]](富士市)J-WAVEを配信 :* [[エフエム御殿場|富士山GOGOエフエム]](御殿場市)ミュージックバードを配信 ===== 伊豆 ===== :* [[エフエム伊東]](伊東市)ミュージックバードを配信 :* [[エフエム熱海湯河原|Ciao!]](熱海市)ミュージックバードを配信 :* [[エフエムみしま・かんなみ|ボイス・キュー]](三島市)ミュージックバードを配信 :* [[FMいずのくに]](伊豆の国市)ミュージックバードを配信 :* [[FM IS|FM IS みらいずステーション]](伊豆市)ほぼ自社制作番組 === ケーブルテレビ === {{see|[[:Category:静岡県のケーブルテレビ局]]}} == 文化・スポーツ == === 方言 === * [[遠州弁|遠州方言]]:旧遠州国地域 * [[静岡弁|駿河方言]]:旧駿河国地域 * [[伊豆弁|伊豆方言]]:旧伊豆地域 * [[井川方言]]:旧[[井川村]]周辺 === 食文化 === [[ファイル:新鮮なわさび漬をお詰め致します (2966338089).jpg|thumb|静岡県の[[土産菓子]]。特産の茶やミカン、ワサビ、魚介類を使ったものがある。]] {{See also|[[:Category:静岡県の食文化]]}} '''郷土料理''' {{Main|日本の郷土料理一覧#静岡県}} === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] :* 駿河竹千筋細工(竹工品、[[1976年]]) :* 駿河雛具(人形、[[1994年]]) :* 駿河雛人形(人形、1994年) : ; 伝統工芸品 : {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#静岡県}} === スポーツ === {{See also|[[:Category:静岡県のスポーツチーム]]}} * [[清水エスパルス]](J2リーグ・[[静岡市]][[清水区]]) * [[ジュビロ磐田]](J2リーグ・[[磐田市]])※旧[[ヤマハ発動機サッカー部]] * [[藤枝MYFC]](J2リーグ・[[藤枝市]]) * [[アスルクラロ沼津]](J3リーグ・[[沼津市]]) * [[静岡ブルーレヴズ]] (ヤマハ発動機のラグビー部。[[JAPAN RUGBY LEAGUE ONE]]のチーム) * [[ベルテックス静岡]]([[ジャパン・バスケットボールリーグ|B2リーグ]]・静岡市) * [[シャンソンVマジック]]([[バスケットボール女子日本リーグ機構|Wリーグ]]・静岡市[[駿河区]]) * [[三遠ネオフェニックス]]([[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]]・[[浜松市]])※隣接する[[愛知県]][[豊橋市]]とはダブルホームタウンを組んでおり、浜松市をはじめとする[[遠州]]地区とは、豊橋市をはじめとする[[愛知県]][[東三河]]地区と共に活動地域となっている。 * [[東レ・アローズ (男子バレーボール)|東レ・アローズ男子チーム]]([[Vリーグ (日本)|Vリーグ]]・[[三島市]]) * [[静岡ブルーレヴズ]]([[JAPAN RUGBY LEAGUE ONE]]・磐田市)旧ヤマハ発動機ジュビロ * [[ヤマハ硬式野球部]](浜松市) * [[Honda FC]]([[日本フットボールリーグ|JFL]]・浜松市) * [[靜甲]](ソフトボール日本女子1部リーグ・静岡市) * [[静岡産業大学磐田ボニータ]](日本女子サッカーリーグ・磐田市) * [[清水第八プレアデス]](東海女子社会人サッカーリーグ・静岡市) * [[アグレミーナ浜松]]([[日本フットサルリーグ|Fリーグ]]・浜松市) * [[レバンテフジ静岡]]([[ジャパンサイクルリーグ|JCL]]・[[富士市]]) * 駿河男児ボクシングジム == 観光 == {{Main|静岡県の観光地}} == 静岡県を舞台とした主な作品 == {{main|静岡県を舞台とした作品一覧}} 県内には自治体・商工会議所・企業または任意団体などが地域ごとに[[フィルム・コミッション]]を組織し、各地域での映像作品制作の支援が行われているが、これらの団体および撮影地に関する情報提供や撮影手配の支援など行う「静岡フィルムコミッションnet」が県により組織されている。この取り組みは、地域を題材とした映像作品が発信されることにより、県内各地の広報および地域活性化や観光振興に繋げるためのものである<ref>[http://www.shizuoka-fc.net/ 静岡フィルムコミッションnet](2013年9月2日閲覧)</ref>。 以下のリストは発表年順での記載である。 === 映画 === {{div col|colwidth=25em}} * [[東京物語]](1953年) - [[熱海市]] * [[伊豆の踊子]] (1954年) - [[伊豆市]] * [[地球防衛軍 (映画)|地球防衛軍]] (1957年) * [[天城山心中|天城心中 天国に結ぶ恋]] (1958年) - 伊豆市 * [[激闘の地平線]](1960年) - [[陸上自衛隊富士学校]] * [[キングコング対ゴジラ]] (1962年) - 熱海市 * [[11人のギャング]](1963年) - [[浜松市]]、[[日本軽金属]]蒲原工場 * [[三大怪獣 地球最大の決戦]] (1964年) * [[怪獣大戦争]] (1965年) - [[富士市]] * [[フランケンシュタイン対地底怪獣]] (1965年) * [[フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ]] (1966年) * [[小林悟|黒幕]](1966年) - 浜松市([[浜名湖サービスエリア]]) * [[大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス]] (1967年) * [[大巨獣ガッパ]] (1967年) - 熱海市 * [[博奕打ち 総長賭博]](1968年) - [[伊豆の国市]]([[修善寺温泉]]、[[湯ヶ島温泉]]) * [[怪獣総進撃]] (1968年) - 伊豆 * [[ゴジラ対ヘドラ]] (1971年) - 富士市 * [[野良猫ロック 暴走集団'71]](1971年) - 伊豆市([[大仁鉱山]]) * [[鏡の中の野心]] (1972年) - 熱海市 * [[日本沈没]] (1973年) - [[沼津市]] * [[映子、夜になれ]] (1973年) - 富士市 * [[ゴジラ対メカゴジラ]] (1974年) - 御殿場市 * [[メカゴジラの逆襲]] (1975年) - 天城 * [[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]] (1979年) - ロケ地が[[御殿場市]] * [[堕靡泥の星|堕靡泥の星 美少女狩り]] (1979年) - 沼津市・浜松市 * [[暴力戦士]] (1979年) - 浜松市 * [[三等高校生]] (1982年) - 富士市原田・[[富士宮市]] * [[刑事物語]] (1982年、 - 沼津市 * [[ゴジラ (1984年の映画)|ゴジラ]] (1984年) - 架空の「井浜原発」が襲われる * [[メイン・テーマ (映画)|メイン・テーマ]] (1984年) - 浜松市・[[御前崎市]] * [[CHECKERS in TAN TAN たぬき]] (1985年) - 浜松市 * [[小林悟|バナナボーイ]](1980年代後半) - 浜松市([[舘山寺温泉]]および[[舘山寺]]) * [[TUGUMI#映画|つぐみ]] (1990年) - [[松崎町]] * [[幕末純情伝]] (1991年) - 伊豆の国市 * [[ゴジラvsキングギドラ]] (1991年) * [[ゴジラvsモスラ]] (1992年) * [[シュート!]] (1994年) - [[掛川市]]・静岡市清水区 * [[ガメラ 大怪獣空中決戦]] (1995年) * [[ゴジラvsデストロイア]] (1995年)- 御前崎 * [[モスラ3 キングギドラ来襲]] (1998年) * [[菊次郎の夏]] (1999年) * [[ピンチランナー (映画)|ピンチランナー]] (2000年) - 静岡市清水区 * [[川の流れのように]] (2000年、 - [[伊東市]] * [[ウォーターボーイズ]](2001年、 - [[牧之原市]]・[[吉田町]]・御前崎市・[[焼津市]]・[[藤枝市]] * [[ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃]] (2001年) - 焼津市・[[静岡市]] * [[ゴジラ FINAL WARS]] (2004年) * [[69 sixty nine]] (2004年) - 静岡市清水区 * [[イニシエーション・ラブ#映画|イニシエーション・ラブ]](2004年)- 静岡市(清水区含む) * [[戦国自衛隊1549]] (2005年) - 御殿場市 * [[亡国のイージス]] (2005年) - 御前崎市 * [[キャバクラ嬢 しぼり出す指先]] (2006年) - ロケ地が静岡市 * [[間宮兄弟]] (2006年) * [[天まであがれ!!]] (2006年) - 浜松市 * [[武士の一分]] (2006年) - ロケ地が[[川根本町]] * [[ホテトル嬢 癒しの手ほどき]] (2006年) - 熱海市・伊東市 * [[少林少女]] (2008年、 - 伊豆の国市・静岡市 * [[僕の初恋をキミに捧ぐ]] (2009年) - 浜松市 * [[冷たい熱帯魚]] (2010年) - 富士市 * [[義父相姦 半熟乳むさぼる]] (2010年) - [[静活#かつて運営していた映画館|静岡小劇場]] * [[白昼の人妻 犯られる巨乳]] (2011年) - ロケ地が浜松市 * [[とんねるらんでぶー]] (2011年) - 浜松市[[北区 (浜松市)|北区]][[三ヶ日]] * [[わが母の記]] (2012年) - 伊豆市・沼津市 * [[はじまりのみち]] (2013年) - 浜松市 * [[堀禎一#ドキュメンタリー映画|「天竜区」シリーズ]](2016年 - 2017年)- 浜松市[[天竜区]]の各地区を取材した[[ドキュメンタリー映画|ドキュメンタリー]]。 * [[幕が上がる]] (2015年) - 静岡県内の各所<ref name="barks">{{cite news|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000109359|title=本広克行監督コメント|work=BARKS|accessdate=2015-1-5}}</ref> {{div col end}} ; 静岡県が舞台ではないが、静岡県をロケ地とした作品 * 戦場のなでしこ (1959年) - 御殿場市 * いれずみ突撃隊 (1964年) - 御殿場市 * [[ビー・バップ・ハイスクール]] (1985年) - [[静岡市]][[清水区]](舞台は東京近郊の設定) * [[岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説|岸和田少年愚連隊 中華街のロミオとジュリエット]](2007年) - [[小山町]] * [[ぼく東綺譚#映像化|癒しの遊女 濡れ舌の蜜]] (墨東奇譚)(2010年) - 静岡市[[七間町 (静岡市)|七間町]] * [[新宿スワン]] (2015年) - 浜松市 * [[雪子さんの足音]](2019年)- 静岡市 ; 静岡県が舞台であるが、静岡県をロケ地としていない作品 * [[復讐するは我にあり]] (1979年) - 浜松市 (該当シーンは[[茨城県]][[土浦市]]で撮影) === テレビドラマ === {{div col|colwidth=28em}} * [[ウルトラQ]] (1966年、[[TBSテレビ]]) * [[ウルトラマン]] (1966年、TBSテレビ) * [[ウルトラセブン]] (1967年、TBSテレビ) * [[ウルトラファイト]] (1970年、TBSテレビ) * [[プレイガール (テレビドラマ)|プレイガール]](1971年、[[テレビ東京]]) - 浜松市(ホテル白山など) * [[細うで繁盛記]](1970年、[[讀賣テレビ]] / [[日本テレビ]]) - [[東伊豆町]]([[熱川温泉]])など * [[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]] (1978年、[[日本放送協会|NHK]]) - 富士山麓 * [[裸の大将放浪記]] (1980年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) * [[ピーマン白書]] (1980年、フジテレビ) - [[富士宮市]] * [[西部警察 PART-II]] (1982年 [[テレビ朝日]]) - [[静岡市]]・[[浜松市]] * [[女かじき特急便]] (1982年、テレビ朝日) - [[焼津市]]・静岡市 * [[転校少女Y]] (1984年 TBS) - 静岡市[[清水区]] * [[もっとあぶない刑事]] (1988年 日本テレビ) - 静岡市清水区・焼津市 * [[豆腐屋直次郎の裏の顔]](1990年、[[朝日放送テレビ]] / EX) - [[伊豆市]](旧土肥町清越鉱山) * [[逃亡者 (1992年のテレビドラマ)|逃亡者]] (1992年 フジテレビ) - [[沼津市]] * [[悪魔のKISS]] (1993年 フジテレビ) - 焼津市) * [[エリアコードドラマ#エリアコードドラマ054|Alice 6]](1995年、[[テレビ静岡]] / [[新潟テレビ21]]) - 静岡市・伊豆市 * [[このまちだいすき]] 第4シリーズ (1996年、NHK) - 沼津市 * [[砂の城]](1997年、[[東海テレビ]] / CX)- [[伊豆長岡町]](旅館「南山荘」)など * [[虹色定期便]] (1999年、NHK) - 沼津市・焼津市・浜松市 * [[古畑任三郎]] (1999年 フジテレビ) - ロケ地が浜松市・[[アクトシティ]] * [[葵 徳川三代]] (2000年 NHK[[大河ドラマ]]) - ロケ地が富士宮市・[[御殿場市]] * [[レッツ・ゴー!永田町]] (2001年、日本テレビ) - [[富士市]] * [[キッズ・ウォー|キッズ・ウォースペシャル 〜これでファイナル!ざけんなよ〜]] (2003年 [[CBCテレビ]] / TBS) - [[沼津市]] * [[動物のお医者さん]] (2003年、テレビ朝日) - 富士宮市 * [[ねじれた絆]] (2004年、TBSテレビ) - 伊豆市・沼津市・富士宮市 * [[WATER BOYS2]] (2004年、フジテレビ) - [[磐田市]]・[[掛川市]]・[[袋井市]]・[[天竜市]]・浜松市・静岡市・[[森町 (静岡県)|森町]] * [[世界の中心で、愛をさけぶ]] (2004年、TBSテレビ) - [[松崎町]]・伊豆市・[[伊豆の国市]]・[[東伊豆町]]・[[西伊豆町]]・富士市・[[下田市]] * [[電車男 (テレビドラマ)]] (2005年、フジテレビ) - [[島田市]]・[[大井川鐵道]] * [[H2〜君といた日々]] (2005年、TBSテレビ) - 沼津市 * [[アタックNo.1]] (2005年、テレビ朝日) - 富士市・富士宮市 * [[あいくるしい]] (2005年、TBSテレビ) - 伊豆市・伊豆の国市・[[函南町]]・沼津市・[[下田市]]・富士宮市 * [[白夜行]] (2006年、TBSテレビ) - 静岡市・富士市 * [[里見八犬伝 (2006年のテレビドラマ)|里見八犬伝]] (2006年、TBSテレビ) - ロケ地が[[芝川町|旧芝川町]]・富士宮市 * [[自転車少年記]] (2006年 [[テレビ愛知]] / [[テレビ東京]]) - 伊豆市 * [[東京DOGS]] (2009年、フジテレビ) - 富士市) * [[JIN-仁- (テレビドラマ)|JIN-仁-]] 第2期第2話 (2011年、TBSテレビ) - [[静岡浅間神社]] * [[誰よりも君を愛す!]] (2011年、フジテレビ) - 浜松市 * [[それでも、生きてゆく]] (2011年、フジテレビ) - 静岡市 * [[悪霊病棟]] (2013年、TBSテレビ)-小山町(旧新宿区足柄学園)・富士市(富士市立市民病院) * [[セーラーゾンビ]] (2013年、[[テレビ東京]])[[沼津市]] * [[特攻事務員ミノワ#テレビドラマ|ビンタ!〜弁護士事務員ミノワが愛で解決します〜]](2014年、[[讀賣テレビ]]) - 第1回冒頭のロケ地が静岡市[[清水区]] * [[ごめんね青春!]](2014年、TBSテレビ) - [[三島市]] * [[ワイルド・ヒーローズ]](2015年、日本テレビ)-沼津市 * [[マジすか学園|マジすか学園5]](2015年、[[日本テレビ放送]] [[静岡市|静岡市清水区]]、[[富士市]]、[[熱海市]] * [[時をかける少女 (テレビドラマ)|時をかける少女]](2016年、日本テレビ)- 沼津市 * [[とと姉ちゃん]](2016年、NHK[[連続テレビ小説]]) - 浜松市 * [[死幣]](2016年、TBSテレビ)[[富士宮市]] * [[おんな城主 直虎]](2017年、NHK大河ドラマ) - 浜松市 * [[anone]](2018年、[[日本テレビ]]) - 富士市(作品中に岳南電車の比奈駅が名前を変えて登場・登場する海岸は一部、富士市の柏原での収録) * 救命戦士戦シェルブレイブ(2018年、[[鳳神ヤツルギ|株式会社ヤツルギ魂]]制作・著作/[[千葉テレビ]])- 浜松市 * [[地域ドラマ]] [[プラスティック・スマイル]](2018年、[[NHK BSプレミアム]]) - 静岡市 {{div col end}} === バラエティ === * [[ビートたけしのお笑いウルトラクイズ]] (1989年、日本テレビ) - [[熱海市]] * [[ハロー!モーニング。]] (2000年、テレビ東京) - 裾野市・富士宮市 * [[リンカーン (テレビ番組)|リンカーン]] (2006年、2007年、TBSテレビ) - 静岡が最低視聴率地域なので宣伝活動として出没 * [[絶対に笑ってはいけない警察24時]] (2006年、日本テレビ) - [[御殿場市]]・[[小山町]] * [[イッテ恋48]] (2011年 [[テレビ神奈川]])-[[小山町]] * [[てんとうむChu!の世界をムチューにさせます宣言!]](2014年、TBS)[[富士宮市]][[まかいの牧場]] 西の家(フットサルコート) === 楽曲・MV === {{col-begin}} {{col-break}} ; 楽曲 * [[ふじの山]] (1911年、[[文部省唱歌]]) * [[茶摘み]] (1912年、文部省唱歌) * [[背くらべ]] (1919年、[[童謡]]) * [[ちゃっきり節]] (1927年) * [[みかんの花咲く丘]] (1946年、童謡) * [[天城越え (曲)|天城越え]] (1986年、[[石川さゆり]]) * [[大井追っかけ音次郎]] (2001年、[[氷川きよし]]) * [[思い出の交差点]](2017年、[[太田克樹]]) {{col-break}} ; MV * 愛のことば(1995年、[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]) - [[浜松市]][[南区 (浜松市)|南区]] * [[スカーレット (スピッツの曲)|スカーレット]](1997年、スピッツ) - [[裾野市]] * [[四次元 Four Dimensions|未来]](2005年、[[Mr.Children]]) - [[静岡市]][[駿河区]] * PV Regret(2009年、[[Wizard (バンド)|Wizard]]) - [[富士市]]・[[岳南電車]][[比奈駅]]廃車置場 * 飛行少女(2010年、[[ピロカルピン (バンド)|ピロカルピン]]) - 浜松市南区 * [[残響リファレンス|C.h.a.o.s.m.y.t.h.]](2011年、[[ONE OK ROCK]]) - 浜松市南区 * 名探偵ミスタ相棒はジョニー(2013年、[[アルカラ]]) - [[御殿場市]] * [[心のプラカード]](2014年、[[AKB48]]) - 静岡市[[清水区]]、[[焼津市]]・[[大井川港]] * [[希望的リフレイン]](2014年、AKB48) - 富士市・岳南電車[[吉原駅]]、静岡市・[[静岡県立庵原高等学校]] * [[Green Flash (AKB48の曲)|Green Flash]](2015年、AKB48) - [[西伊豆町]]・[[大浜海岸]] * [[コップの中の木漏れ日|だって 雨じゃない?]](2015年、[[SKE48|トランジットガールズ]]) - [[島田市]]・[[大井川鐵道|大井川鉄道]][[井川線]][[閑蔵駅]] * [[Hello To The World|Hellow to the World]](2015年、[[家入レオ]]) - 富士市 * [[74億分の1の君へ]](2016年、[[HKT48]]) - [[富士宮市]]・ふもとっぱら * [[サヨナラの意味]](2016年、[[乃木坂46]]) - 富士宮市郊外{{要出典|date=2018年5月}} * [[前前前世]](2016年、[[RADWIMPS]]) - 富士宮市 * [[願い事の持ち腐れ]](2017年、AKB48) - [[浜松市]]・[[静岡県小学校の廃校一覧|浜松市立鏡山小学校(廃校)]] * レム(2017年、[[ポルカドットスティングレイ]]) - 浜松市南区 * [[ジャーバージャ]](2018年、AKB48) - [[伊東市]] * 飄々とエモーション(2018年、[[フレデリック (バンド)|フレデリック]]) - 浜松市南区 {{col-end}} === 文学 === {{div col}} * [[東海遊侠伝]] (1884年、[[天田愚庵]]) * [[金色夜叉]] (1897年、[[尾崎紅葉]]) * [[婦系図]] (1907年、[[泉鏡花]]) * [[修禅寺物語]] (1915年、[[岡本綺堂]]) * [[伊豆の踊子]] (1926年、[[川端康成]]) * [[赤蛙]] (1946年、[[島木健作]]) * [[斜陽]] (1947年、[[太宰治]]) * [[妖婦の宿]] (1949年、[[高木彬光]]) * [[女怪]] (1950年、[[横溝正史]]) * [[女王蜂 (横溝正史)|女王蜂]] (1951年、横溝正史) * [[真夏の死]] (1952年、[[三島由紀夫]]) * [[天城越え (松本清張)|天城越え]] (1959年、[[松本清張]]) * [[しろばんば]](1960年、[[井上靖]]) * [[獣の戯れ]] (1961年、三島由紀夫) * [[蘭陵王 (三島由紀夫)|蘭陵王]] (1969年、三島由紀夫) * [[天人五衰 (小説)|天人五衰]] (1971年、三島由紀夫) * [[迷路荘の惨劇]] (1975年、横溝正史) * [[渦 (松本清張)|渦]] (1976年、松本清張) * [[状況曲線]](著:松本清張) * [[ジャズ大名]] (1981年、[[筒井康隆]]) * ブラディ・ドールシリーズ (1983年、[[北方謙三]]) * [[TUGUMI]] (1989年、[[よしもとばなな]]) * 不連続線【第2回[[鮎川哲也賞]]受賞作】(1991年、[[石川真介]])…浜松市、浜名湖、餃子 * 横浜赤い靴殺人事件 (2003年、[[石川真介]])…日本平、静岡駅、函南 * 舞鶴丹後鳴き砂殺人ライン(2006年、[[石川真介]])…浜松市中田島 * [[タイム・リープ あしたはきのう]] (1995年、[[高畑京一郎]]) * [[熱き血の誇り]] (1999年、[[逢坂剛]]) * [[イニシエーション・ラブ]] (2004年、[[乾くるみ]]) * エブリ リトル シング2.0〜夢をかなえる6つの物語〜 (2007年、[[大村あつし]]) * For You (2008年、[[五十嵐貴久]]) * [[おっぱいバレー]] (2009年、[[水野宗徳]]) * [[小説 咲夜姫]] (2021年、[[山口歌糸]]) {{div col end}} === アニメ・漫画 === {{div col}} ; 静岡県内 * [[超絶変身!! アースカイザー]]([[三島市]]・[[富士市]]など) * [[デカガール]](静岡県全域) * [[勇者指令ダグオン]]([[駿河湾]]沿海地域) * [[コードギアス 反逆のルルーシュR2]](シズオカゲットー) * [[名探偵コナン]](静岡県全域) * [[ローカル女子の遠吠え]](静岡県全域) ; 西部 * [[あいりんドリーム]]([[浜松市]]) * [[苺ましまろ]](浜松市) * [[エレキング (漫画)|エレキング]](浜松市) * [[帯をギュッとね!]](浜松市) * [[ガヴリールドロップアウト]](浜松市) * [[クラシカロイド]](浜松市) * [[カイゼルスパイク]]([[磐田市]]) * [[怪物王女]](浜松市[[中区 (浜松市)|中区]][[佐鳴台]]) * [[きんぎょ注意報!]]([[磐田郡]]) * [[こはるの日々]](浜松市) * [[シグルイ]]([[掛川市]]) * [[シュート!]](掛川市) * [[大空魔竜ガイキング]]([[御前崎市]]) * [[つぶらら]](浜松市) * [[名門!多古西応援団]](掛川市) * [[勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。]](掛川市) * [[夢見る男子は現実主義者]](浜松市) * [[ゆるキャン△]](御前崎市・磐田市・浜松市) ; 中部 * [[いぬかみっ!]]([[静岡市]][[清水区]]) * [[仮面レンジャー田中]](静岡市清水区蒲原) * [[ガンダムビルドファイターズ]](静岡市) * [[キャプテン翼]](静岡市[[葵区]]・[[駿河区]]) * [[孤独のグルメ]](第19話)(静岡市葵区) * [[GOGO!ぷりん帝国]](静岡市清水区蒲原) * [[灼眼のシャナ (アニメ)|灼眼のシャナS]](静岡市葵区) * [[ジャズ大名]](静岡市清水区[[薩埵峠]]) * [[ちびまる子ちゃん]](静岡市清水区) * [[トライアルかおる!]](静岡市清水区) * [[DOLL MASTER]](静岡市) * [[〈ハルチカ〉シリーズ|ハルチカ〜ハルタとチカは青春する〜]](静岡市清水区) * [[部室のドワーフちゃん]]([[焼津市]]) * [[プラモ狂四郎]](ワールドシミュレーション大会 関東・東海大会編)(静岡市) * [[星屑テレパス]](静岡市) * [[魔法少女大戦]](静岡市葵区) * [[無敵超人ザンボット3]](焼津市) * [[模型戦士ガンプラビルダーズ ビギニングG]] 第1部(静岡市) * [[モモキュンソード]](静岡市清水区[[三保の松原]]) * [[ヤンキー (漫画)|ヤンキー]](静岡市清水区[[興津]]) ; 東部 * [[アタックNo.1]]([[富士市]]) * [[うしろの正面だあれ]]([[沼津市]]) * [[オーバーテイク!]]([[御殿場市]]・[[小山町]]) * [[ガールズ&パンツァー]](御殿場市) * [[幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-]](沼津市) * [[新世紀エヴァンゲリオン]](御殿場市:[[第3新東京市]]に所属) * [[新世紀GPXサイバーフォーミュラ]]([[富士宮市]]) * [[西風 (漫画家)|GTroman]](沼津市) * [[へそで茶をわかす]](沼津市) * ゆるキャン△(富士宮市) * [[ラブライブ!#ラブライブ!|ラブライブ!サンシャイン!!]](沼津市[[内浦村 (静岡県)|内浦地区]]) ; 伊豆 * [[あまんちゅ!]]([[熱海市]]・[[伊東市]]) * [[宇宙ショーへようこそ]]([[伊豆市]]) * [[究極超人あ〜る]](OVA)([[伊豆半島]](及び[[飯田線]])) * [[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード]](熱海市) * [[グレートマジンガー]](科学要塞研究所が伊豆半島駿河湾沖に所在) * [[真マジンガー 衝撃! 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島根県
島根県(しまねけん)は、日本の中国地方(山陰地方)にある県。県庁所在地は松江市。 本州西部に位置し、山陰地方の西側を占める。離島の隠岐諸島や竹島なども含む。 旧令制国における出雲国・石見国・隠岐国の3国に相当する。現在でも県内の地域分類として出雲地方・石見地方・隠岐地方の3区分が用いられることがある。 島根県の名称の由来は、県庁の置かれた松江城が、かつて旧島根郡(嶋根郡)に属していたためとされる。「嶋根」の名は、古代の『出雲国風土記』において八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)が命名したと伝えられる。 1871年(明治4年)7月の廃藩置県の直後には旧松江藩の領地に『松江県』が設置された。その4ヶ月後、同年11月に松江県は周辺の他県と合併して改称し、ここに『島根県』が成立した。 この改称の理由については、「明治維新において松江藩が倒幕に消極的であったため」と伝えられている。 尚、松江城下町(現在の松江市)は松江城が立地する島根郡(大橋川以北。橋北)だけでなく、意宇郡(大橋川以南。橋南)にもまたがる。 国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、島根県の面積は6708.26平方キロメートルである。北東方向から西南方向へかけて、細長い形に広がった県である。 国土地理院地理情報 によると島根県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは155.45 km、南北の長さは326.52kmである。 県内全域が日本海側気候であるが、日本海側気候の地域としては最西南端にあるため比較的温和な気候で沿岸部に豪雪地帯はない。しかし年間を通じて湿度が高く、降雨回数も多い。曇り・雨の日が晴れの日より多い。 松江市や出雲市など東部の沿岸部は、西部に比べると冬期の平均気温が低いものの、松江市の1月平均気温は4.3°Cと、京都市や太平洋側の大都市である愛知県名古屋市とほとんど同じで、比較的温暖である。出雲市より松江市と東へいくほど雪が多いが、松江市の年降雪量は89cmと、鳥取県の米子市の133cmと比べると少なくなっている。年に1,2回、15 cm - 30cm程度のまとまった積雪があるものの、最低気温が比較的高いこともあり数日で溶けることがほとんどで、根雪となった年は非常に少ない(松江市の根雪は1961年以降で2011年/1984年/1977年/1963年の4回のみ)。しかしながら、大陸に近いために数年に一度の猛烈な寒気団に覆われると、沿岸部でも日中の気温が氷点下の真冬日になることもある。夏は熱帯夜も数日あるが、山陽地方の沿岸部と比べると暑さは穏やかである。 浜田市、大田市、益田市、江津市など県西部の沿岸部においては冬期の気温は比較的高めで1月の平均気温は約5.0 - 6.0°Cと東京都心や大阪市とほとんど同じで、温暖である。日本海側気候から九州型太平洋側気候への遷移地帯に属し、冬期の降水は雨が多く、積雪しても数センチメートル程度にとどまることが多く、大雪となることは少ない。梅雨末期に梅雨前線の影響で大雨となることがあり、過去にも山陰豪雨(1983年)や2013年の豪雨で被害を受けた地域がある。夏は熱帯夜も数日あるが、山陽地方の沿岸部と比べると暑さは穏やかである。 内陸部は1月平均気温が0.0 - 3.0°C程と寒さが厳しく、飯南町赤名(-13.5度、2012/2/19)、弥栄(-16.3度、2012/2/19)、瑞穂(-15.2度、2012/2/19)、六日市(-13.4度、1981/2/28)などでは氷点下15°C程度まで冷え込んだことがある。 西部の津和野町と吉賀町を除いて全域が豪雪地帯に指定されており、標高の高い地域では1m程度の積雪に達する年もある。夏の夜は涼しく、熱帯夜となることはほとんどない。 県下には8市・5郡・10町・1村がある。 島根県では、町は川本町のみ「まち」で、それ以外は全て「ちょう」、村は「むら」と読む。 旧出雲国の区域(ただし出雲市の一部、飯南町の一部は旧石見国) 旧石見国の区域(ただし大田市の一部は旧出雲国) 旧隠岐国の区域 島根県の人口は、県民歌『薄紫の山脈』の歌詞に「九十万の県民の......」とあるように、1950年代には90万人を超えていた。1955年(昭和30年)には約93万人に達した。 しかし、以後は減少傾向が続き2014年(平成26年)には70万人を割った。翌2015年(平成27年)の第20回国勢調査では69万4,352人と記録された。 1920年(大正9年)の第1回国勢調査では71万4,712人であったため、第1回調査に対する人口の増減率では全国の都道府県で本県が最下位となった。また第1回調査での人口を以後の調査で下回った、全国で最初の都道府県となった(太平洋戦争による大規模な疎開の発生によって第6回調査(昭和20年)のみ一時的に急減した東京都を除く)。 地域別に見ると、出雲地域は1950年代から2020年代にかけて50万人前後のほぼ横ばいで推移しているのに対し、石見地域と隠岐地域はそれぞれ38万人から18万人、4万人から2万人と半減しており、二大都市である松江市・出雲市への集積が進んでいる。 日本の都道府県人口としては、隣接する鳥取県に次ぎ全国で2番目に少ない。また政令指定都市の中で最少の静岡市よりも少ない。人口密度は、西日本では高知県に次いで低い。 島根県の『県民ホットライン』には、県民が考える人口減少の要因として「はっきり言って魅力がない」「働ける職場がない」「医療・福祉が十分でない」「人間関係が保守的で変化を拒む気風は煩わしいから嫌だと思われている」などの意見が2015年までに寄せられた。 県はそれらの意見に対し、解決策として「県内産業の振興と雇用の確保」「企業誘致の推進と観光振興」「売れる農林水産品づくり」「県外からのUターン・Iターン対策」の4つを提唱した。 2018年(平成30年)の合計特殊出生率は1.74で、沖縄県に次いで全国2位。自然増減率は-0.71%で全国41位、社会増減率は+0.01%の転入超過で全国14位だった。 衆議院の小選挙区が2。参議院では、島根県選挙区として全県で1区を構成していたが、2016年の第24回参議院議員通常選挙より鳥取県選挙区と合区され、鳥取県とともに1区を構成する合同選挙区が創設された。 全国的な流れと同様に島根県においても農業の衰退が進んでおり、島根県の総農家数・耕地面積・農業生産額も年々低下している。農業生産額の割合では、米が全生産額の33.3%で最も多く、野菜が16.2%、乳用牛が13.7%、肉用牛が13.6%を占めている。特産品としては米(仁多米、きぬむすめなど)、ブドウ、西条柿、牛肉、メロンなどがある。付加価値が高く、観光との相乗効果が見込める薬草やハーブの栽培にも力を入れている。 日本海に面しているため漁業が盛んに行われており、総漁獲量(2011年)は15万3,000トン で中国・四国地方で最も漁獲量の多い県である。 2010年の調査では、ベニズワイガニの漁獲量が5,163トンで全国1位、ブリ類の漁獲量が17,963トンと全国1位、アジ類の漁獲量が33,432トンで全国2位を誇っている。 また、宍道湖などで採れるしじみは、2014年(平成26年)には3622トンで4年ぶりに日本一の漁獲高となった。 島根県では、建設事業者数は4,657社で全事業者数の約12%、従業員数でも32,723人と全産業の従業員数の約11%を占めている。全国では、建設業の全産業に占める事業所数は9.7%・従業員数は6.9% となっており全国と比べても島根県でも建設業が占める割合が大きくなっている。 特に公共工事の比率は66.94%と高知県に次いで全国2位 と高く建設業において公共事業が大きな役割を担っている。しかし近年の国や県・市町村の財政難などから公共事業は減少しており、建設業を取り巻く環境は厳しくなっている。 島根県の製造品出荷額等は9,840億円(2010年) であり鉄鋼が1,578億円(2010年) と最も高い割合を占めている。江戸時代から明治時代にかけてたたら製鉄が栄え、古くからの鉄鋼技術を背景に島根県では鉄鋼産業が盛んに行われておりプロテリアル(旧・日立金属)や東洋製鉄、NTN鋳造など鉄鋼関連の企業が多数集積している。この他、情報通信機械が1,565億円、電子部品・デバイスが1,295億円と続いている。 情報通信機械の分野では出雲市に本社を置く島根富士通がノートパソコンの生産拠点を構えており、出雲市の本社工場では年間200万台のノートパソコンが生産されている。 製造業出荷額等は2010年の統計データでは、島根富士通や島根島津・出雲村田製作所などが本社・工場を構える斐川町(当時)が2,634億円 と県内の市町村でトップとなっている。なお、斐川町は2011年に出雲市と合併しており、2010年時点の統計では、出雲市が3,818億円が製造業出荷額等でトップとなっている。 島根県の小売業の年間商品販売額は1999年の約8,463億4,700万円、事業所数は1994年の12,018事業所、従業員数は2002年の50,546人をピークにそれぞれ年々減少傾向にある。2009年現在では、年間商品販売額は約7317億5,300万円事業所数は8,952事業所、従業員数は45,628人となっている。 百貨店(日本百貨店協会に加入している店舗)は一畑百貨店松江店(松江市)のみである。 大型スーパーでは、イオンモールなどのイオングループ複数社や、広島県のイズミなどが島根県内で総合スーパー(GMS)やショッピングセンターなどを展開している。出店が進む一方で、競争が激化し2000年代にはマイカル(現:イオンリテール)の浜田サティ (現在のゆめマート浜田)や出雲サティ、ジャスコ(現:イオンリテール)の浜田店(現在はトライアルが出店)や平田店(現在はショッピングセンターViVAが出店)などが閉店している。 地場スーパーには、みしまや、ふくしま、フーズマーケット ホック、グッディー、キヌヤといった店舗がある。 島根県の観光入込客延べ数は、年間33,158千人(2015年) となっている。観光入込客延べ数変動の要因は尾道松江線の全線開通や松江城が国宝に指定されたこととなっている。 市町村別の上位では、出雲市が12,495,489人と最も多く、次いで松江市が 10,061,918人、浜田市が 1,825,247人となっている。観光施設では、出雲大社が607万6千人と最も多くの観光客を集めている。 県外からの観光客入り込み割合は、広島県が22.9%、近畿地方が18.7%、関東地方が13.1%となっている。中国地方4県の合計では、県外観光客入込客数全体の5割近くを占める。 島根県の観光客による観光消費額は1,367億円(平成27年度)と推定されており、観光消費額が県内に及ぼす経済波及効果は1,634億億円と推定されている。 島根県警察本部の管轄にある。2005年(平成17年)4月1日に再編が行われ、以下の12警察署が置かれている。 第八管区海上保安本部の管轄にある。 県内一帯で普通列車の本数は毎時1本以下となっており、県内における営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。 島根県内を運行する路線バス事業者(リムジンバス、デマンドバス、自治体バスを除く)。 なお、島根県内に本部を置く私立大学・短期大学はない。かつては島根中央女子短期大学が存在した。他都道府県に本部を置く大学のキャンパスはある。 島根県は平地が少なく起伏に富んだ地形の地域が多い。そのため、テレビやラジオの受信環境は必ずしも安定しているとは言えない。そのため、共聴設備やケーブルテレビ経由での受信が必須となる地域も多い。また、朝鮮半島に近いこともあって韓国などの電波との混信も少なくなかったが、地上デジタルテレビ放送やケーブルテレビ網の整備、FM補完中継局の開始とともに解消されつつある。
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6.0°Cと東京都心や大阪市とほとんど同じで、温暖である。日本海側気候から九州型太平洋側気候への遷移地帯に属し、冬期の降水は雨が多く、積雪しても数センチメートル程度にとどまることが多く、大雪となることは少ない。梅雨末期に梅雨前線の影響で大雨となることがあり、過去にも山陰豪雨(1983年)や2013年の豪雨で被害を受けた地域がある。夏は熱帯夜も数日あるが、山陽地方の沿岸部と比べると暑さは穏やかである。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "内陸部は1月平均気温が0.0 - 3.0°C程と寒さが厳しく、飯南町赤名(-13.5度、2012/2/19)、弥栄(-16.3度、2012/2/19)、瑞穂(-15.2度、2012/2/19)、六日市(-13.4度、1981/2/28)などでは氷点下15°C程度まで冷え込んだことがある。 西部の津和野町と吉賀町を除いて全域が豪雪地帯に指定されており、標高の高い地域では1m程度の積雪に達する年もある。夏の夜は涼しく、熱帯夜となることはほとんどない。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "県下には8市・5郡・10町・1村がある。", "title": "自治体" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "島根県では、町は川本町のみ「まち」で、それ以外は全て「ちょう」、村は「むら」と読む。", "title": "自治体" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "旧出雲国の区域(ただし出雲市の一部、飯南町の一部は旧石見国)", "title": "自治体" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "旧石見国の区域(ただし大田市の一部は旧出雲国)", "title": "自治体" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "旧隠岐国の区域", "title": "自治体" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "島根県の人口は、県民歌『薄紫の山脈』の歌詞に「九十万の県民の......」とあるように、1950年代には90万人を超えていた。1955年(昭和30年)には約93万人に達した。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "しかし、以後は減少傾向が続き2014年(平成26年)には70万人を割った。翌2015年(平成27年)の第20回国勢調査では69万4,352人と記録された。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1920年(大正9年)の第1回国勢調査では71万4,712人であったため、第1回調査に対する人口の増減率では全国の都道府県で本県が最下位となった。また第1回調査での人口を以後の調査で下回った、全国で最初の都道府県となった(太平洋戦争による大規模な疎開の発生によって第6回調査(昭和20年)のみ一時的に急減した東京都を除く)。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "地域別に見ると、出雲地域は1950年代から2020年代にかけて50万人前後のほぼ横ばいで推移しているのに対し、石見地域と隠岐地域はそれぞれ38万人から18万人、4万人から2万人と半減しており、二大都市である松江市・出雲市への集積が進んでいる。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "日本の都道府県人口としては、隣接する鳥取県に次ぎ全国で2番目に少ない。また政令指定都市の中で最少の静岡市よりも少ない。人口密度は、西日本では高知県に次いで低い。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "島根県の『県民ホットライン』には、県民が考える人口減少の要因として「はっきり言って魅力がない」「働ける職場がない」「医療・福祉が十分でない」「人間関係が保守的で変化を拒む気風は煩わしいから嫌だと思われている」などの意見が2015年までに寄せられた。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "県はそれらの意見に対し、解決策として「県内産業の振興と雇用の確保」「企業誘致の推進と観光振興」「売れる農林水産品づくり」「県外からのUターン・Iターン対策」の4つを提唱した。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "2018年(平成30年)の合計特殊出生率は1.74で、沖縄県に次いで全国2位。自然増減率は-0.71%で全国41位、社会増減率は+0.01%の転入超過で全国14位だった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区が2。参議院では、島根県選挙区として全県で1区を構成していたが、2016年の第24回参議院議員通常選挙より鳥取県選挙区と合区され、鳥取県とともに1区を構成する合同選挙区が創設された。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "全国的な流れと同様に島根県においても農業の衰退が進んでおり、島根県の総農家数・耕地面積・農業生産額も年々低下している。農業生産額の割合では、米が全生産額の33.3%で最も多く、野菜が16.2%、乳用牛が13.7%、肉用牛が13.6%を占めている。特産品としては米(仁多米、きぬむすめなど)、ブドウ、西条柿、牛肉、メロンなどがある。付加価値が高く、観光との相乗効果が見込める薬草やハーブの栽培にも力を入れている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "日本海に面しているため漁業が盛んに行われており、総漁獲量(2011年)は15万3,000トン で中国・四国地方で最も漁獲量の多い県である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2010年の調査では、ベニズワイガニの漁獲量が5,163トンで全国1位、ブリ類の漁獲量が17,963トンと全国1位、アジ類の漁獲量が33,432トンで全国2位を誇っている。 また、宍道湖などで採れるしじみは、2014年(平成26年)には3622トンで4年ぶりに日本一の漁獲高となった。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "島根県では、建設事業者数は4,657社で全事業者数の約12%、従業員数でも32,723人と全産業の従業員数の約11%を占めている。全国では、建設業の全産業に占める事業所数は9.7%・従業員数は6.9% となっており全国と比べても島根県でも建設業が占める割合が大きくなっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "特に公共工事の比率は66.94%と高知県に次いで全国2位 と高く建設業において公共事業が大きな役割を担っている。しかし近年の国や県・市町村の財政難などから公共事業は減少しており、建設業を取り巻く環境は厳しくなっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "島根県の製造品出荷額等は9,840億円(2010年) であり鉄鋼が1,578億円(2010年) と最も高い割合を占めている。江戸時代から明治時代にかけてたたら製鉄が栄え、古くからの鉄鋼技術を背景に島根県では鉄鋼産業が盛んに行われておりプロテリアル(旧・日立金属)や東洋製鉄、NTN鋳造など鉄鋼関連の企業が多数集積している。この他、情報通信機械が1,565億円、電子部品・デバイスが1,295億円と続いている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "情報通信機械の分野では出雲市に本社を置く島根富士通がノートパソコンの生産拠点を構えており、出雲市の本社工場では年間200万台のノートパソコンが生産されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "製造業出荷額等は2010年の統計データでは、島根富士通や島根島津・出雲村田製作所などが本社・工場を構える斐川町(当時)が2,634億円 と県内の市町村でトップとなっている。なお、斐川町は2011年に出雲市と合併しており、2010年時点の統計では、出雲市が3,818億円が製造業出荷額等でトップとなっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "島根県の小売業の年間商品販売額は1999年の約8,463億4,700万円、事業所数は1994年の12,018事業所、従業員数は2002年の50,546人をピークにそれぞれ年々減少傾向にある。2009年現在では、年間商品販売額は約7317億5,300万円事業所数は8,952事業所、従業員数は45,628人となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "百貨店(日本百貨店協会に加入している店舗)は一畑百貨店松江店(松江市)のみである。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "大型スーパーでは、イオンモールなどのイオングループ複数社や、広島県のイズミなどが島根県内で総合スーパー(GMS)やショッピングセンターなどを展開している。出店が進む一方で、競争が激化し2000年代にはマイカル(現:イオンリテール)の浜田サティ (現在のゆめマート浜田)や出雲サティ、ジャスコ(現:イオンリテール)の浜田店(現在はトライアルが出店)や平田店(現在はショッピングセンターViVAが出店)などが閉店している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "地場スーパーには、みしまや、ふくしま、フーズマーケット ホック、グッディー、キヌヤといった店舗がある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "島根県の観光入込客延べ数は、年間33,158千人(2015年) となっている。観光入込客延べ数変動の要因は尾道松江線の全線開通や松江城が国宝に指定されたこととなっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "市町村別の上位では、出雲市が12,495,489人と最も多く、次いで松江市が 10,061,918人、浜田市が 1,825,247人となっている。観光施設では、出雲大社が607万6千人と最も多くの観光客を集めている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "県外からの観光客入り込み割合は、広島県が22.9%、近畿地方が18.7%、関東地方が13.1%となっている。中国地方4県の合計では、県外観光客入込客数全体の5割近くを占める。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "島根県の観光客による観光消費額は1,367億円(平成27年度)と推定されており、観光消費額が県内に及ぼす経済波及効果は1,634億億円と推定されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "島根県警察本部の管轄にある。2005年(平成17年)4月1日に再編が行われ、以下の12警察署が置かれている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "第八管区海上保安本部の管轄にある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "県内一帯で普通列車の本数は毎時1本以下となっており、県内における営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "島根県内を運行する路線バス事業者(リムジンバス、デマンドバス、自治体バスを除く)。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "なお、島根県内に本部を置く私立大学・短期大学はない。かつては島根中央女子短期大学が存在した。他都道府県に本部を置く大学のキャンパスはある。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "島根県は平地が少なく起伏に富んだ地形の地域が多い。そのため、テレビやラジオの受信環境は必ずしも安定しているとは言えない。そのため、共聴設備やケーブルテレビ経由での受信が必須となる地域も多い。また、朝鮮半島に近いこともあって韓国などの電波との混信も少なくなかったが、地上デジタルテレビ放送やケーブルテレビ網の整備、FM補完中継局の開始とともに解消されつつある。", "title": "マスメディア" } ]
島根県(しまねけん)は、日本の中国地方(山陰地方)にある県。県庁所在地は松江市。 本州西部に位置し、山陰地方の西側を占める。離島の隠岐諸島や竹島なども含む。 旧令制国における出雲国・石見国・隠岐国の3国に相当する。現在でも県内の地域分類として出雲地方・石見地方・隠岐地方の3区分が用いられることがある。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{出典の明記|date=2021年2月}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 島根県 | 画像 = {{multiple image | border = infobox | total_width = 270 | image_style = border:1; | perrow = 1/2/2 | image1 = Izumo-Taisha Haiden.jpg | image2 = Matsue castle01bs4592.jpg | image3 = Shimizudani Refinery Ruins at Iwami Ginzan Silver Mine 001.jpg | image4 = Orochi 2011-09-27.jpg | image5 = Matengai_Cliff_at_Kuniga_coast,_Nishinoshima.jpg }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[出雲大社]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[松江城]]<td style="width:50%">[[石見銀山]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[石見神楽]]<td style="width:50%">[[国賀海岸]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|島根県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[島根県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Shimane Prefecture.svg|70px|島根県章]] | 都道府県章の説明 = 島根県章 | 区分 = 県 | コード = 32000-5 | ISO 3166-2 = JP-32 | 境界未定 = | 隣接都道府県 = {{flag|鳥取県}}<br/>{{flag|広島県}}<br/>{{flag|山口県}} | 木 = [[クロマツ]] | 花 = [[ボタン (植物)|ボタン]] | 鳥 = [[ハクチョウ]] | シンボル名 = 他のシンボル | 歌など = 県の魚:[[トビウオ]]<br />県民歌:[[薄紫の山脈]](1951年制定) | 法人番号 = | 郵便番号 = 690-8501 | 所在地 = 松江市殿町1番<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-32|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=6|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=220|frame-height=180|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}}<br />[[ファイル:Shimane Prefectural Government Office Main Building.jpg|230px|島根県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 32 Shimane prefecture.svg|320px|島根県の位置]]{{基礎自治体位置図|32|000|image=Map of Shimane Prefecture Ja.svg|村の色分け=yes}} | 特記事項 = }} '''島根県'''(しまねけん)は、[[日本]]の[[中国地方]]([[山陰地方]])にある[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[松江市]]。 [[本州]]西部に位置し、[[山陰地方]]の西側を占める。[[離島]]の[[隠岐諸島]]や[[竹島 (代表的なトピック)|竹島]]<ref group=注釈>竹島(韓国名:独島)は2023年3月現在、[[大韓民国]](韓国)が[[実効支配]]している。</ref>なども含む。 旧[[令制国]]における[[出雲国]]・[[石見国]]・[[隠岐国]]の3国に相当する。現在でも県内の地域分類として[[出雲|出雲地方]]・[[石見|石見地方]]・隠岐地方の3区分が用いられることがある。 == 名称 == 島根県の名称の由来は、[[役所|県庁]]の置かれた[[松江城]]が、かつて旧[[島根郡]](嶋根郡)に属していたためとされる。「嶋根」の名は、[[古代]]の『[[出雲国風土記]]』において[[淤美豆奴神|八束水臣津野命]](やつかみずおみつののみこと)が[[命名]]したと伝えられる<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/seisaku/koho/profile/aramasi.html|title=島根県のプロフィール > 誕生までのあらまし|accessdate=2022-01-05|publisher=島根県政策企画局広聴広報課}}</ref>。 [[1871年]]([[明治]]4年)7月の[[廃藩置県]]の直後には旧[[松江藩]]の領地に『松江県』が設置された。その4ヶ月後、同年11月に松江県は周辺の他県と合併して改称し、ここに'''『島根県』が成立'''した<ref name=":0" />。 この改称の理由については、「[[明治維新]]において松江藩が[[倒幕運動|倒幕]]に消極的であったため」と伝えられている<ref name=":0" />。 尚、松江[[城下町]](現在の[[松江市]])は松江城が立地する島根郡([[大橋川]]以北。橋北)だけでなく、[[意宇郡]](大橋川以南。橋南)にもまたがる。 == 地理 == === 広袤(こうぼう) === {{座標一覧|節=広袤(こうぼう)}} [[国土地理院]]の全国都道府県市区町村別面積調によると、島根県の面積は{{自治体面積/島根県|島根県}}平方キロメートルである<ref>[https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO-title.htm 全国都道府県市区町村別面積調] 国土地理院 2013年11月28日閲覧</ref>。北東方向から西南方向へかけて、細長い形に広がった県である。 [http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/tyugheso.htm 国土地理院地理情報] によると島根県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは155.45&nbsp;[[キロメートル|km]]、南北の長さは326.52kmである{{efn|ただし、この広袤(こうぼう)には現在、日本国政府の[[施政権]]が及んでいない[[竹島 (代表的なトピック)|竹島]]を含んでいる。}}。 {|border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="0" style="font-size:small;text-align:center" | ||北端<br />{{ウィキ座標度分秒|37|14|43|N|131|52|5|E|type:landmark_region:JP|name=島根県最北端}}<br />↑|| |- |西端<br />{{ウィキ座標度分秒|34|30|15|N|131|40|4|E|type:landmark_region:JP|name=島根県最西端}}←||中心点<br />{{ウィキ座標度分秒|35|46|26|N|132|31|38.5|E|type:landmark_region:JP|name=島根県中心点}}||東端<br />→{{ウィキ座標度分秒|36|16|14|N|133|23|13|E|type:landmark_region:JP|name=島根県最東端}} |- | ||↓<br />南端<br />{{ウィキ座標度分秒|34|18|9|N|131|49|13|E|type:landmark_region:JP|name=島根県最南端}}||重心<br />{{ウィキ座標度分秒|35|4|34|N|132|33|25|E|type:landmark_region:JP|name=島根県重心}} |} === 地形 === * '''隣接都道府県:''' [[鳥取県]] - [[広島県]] - [[山口県]] * [[日本海]] ** [[対馬海流]]、[[大和堆]]、[[北大和堆]]、[[隠岐堆]] * [[中国山地]] ==== 出雲地方 ==== * 山岳:[[猿政山]]、[[吾妻山 (広島県・島根県)|吾妻山]]、[[烏帽子山]]、[[大万木山]]、[[京羅木山]]、[[船通山]]、[[琴引山]] * 平野:[[出雲平野]]、松江平野、[[安来平野]] * 湖沼:[[中海]](錦浜)、[[宍道湖]]、[[神西湖]] * 河川:[[神戸川 (島根県)|神戸川]]、[[斐伊川]]、[[伯太川]]、[[飯梨川]]、[[大橋川]]、[[意宇川]] * 峠:[[赤名峠]] * 半島:[[島根半島]]([[八束水臣津野命]]による[[国引き神話|国引き]]でできたという神話がある) * 島:[[大根島]]、[[江島 (島根県)|江島]]、[[嫁ヶ島]]、[[経島]](ふみしま) * その他:[[日御碕]]、[[地蔵崎]](地蔵埼)、[[稲佐の浜]] * 東部([[出雲]])地域は経済圏・文化圏が鳥取県西部(西[[伯耆国|伯耆]]、特に[[米子市]]、[[境港市]])に近いため、一緒にして「宍道湖・中海地域」という扱いをされることもある。(例:[[雲伯]]、[[雲伯方言]]など) ==== 石見地方 ==== * 山岳:[[三瓶山]]、[[大江高山]]火山群、[[恐羅漢山]]、[[安蔵寺山]]、[[春日山 (島根県)|春日山]]、[[青野山]]、[[冠山山地]] * 高原:[[石見高原]]、三瓶高原 * 湖沼:[[蟠竜湖]] * 河川:[[高津川]]、[[益田川]]、[[周布川]]、[[江の川]]、[[匹見川]] * 峠:[[野坂峠]]、[[蕪坂峠]] * 島:[[高島 (島根県)|高島]] * その他:[[石見畳ヶ浦]]、[[三瓶小豆原埋没林]]、 * 西部([[石見]])は経済圏・文化圏が[[山口県]]、[[広島県]](特に[[広島市]])と近く、交流も深い。 ==== 隠岐地方 ==== * [[隠岐諸島]](島後島、西ノ島、中ノ島、知夫里島) * [[竹島 (代表的なトピック)|竹島]]([[大韓民国|大韓民国(韓国)]]に[[国際法]]上の根拠の提示なしに不法占拠されており、島根県庁が実質的に管轄不可能となっている。) === 自然公園 === * [[国立公園]] ** [[大山隠岐国立公園]] * [[国定公園]] ** [[比婆道後帝釈国定公園]] ** [[西中国山地国定公園]] * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] ** 清水月山県立自然公園 ** 鬼の舌震県立自然公園 ** 宍道湖北山県立自然公園 ** 立久恵峡県立自然公園 ** 竜頭八重滝県立自然公園 ** 江川水系県立自然公園 ** 断魚渓・観音滝県立自然公園 ** 千丈渓県立自然公園 ** 浜田海岸県立自然公園 ** 蟠竜湖県立自然公園 ** 青野山県立自然公園 === ラムサール条約登録地域 === * [[中海]]([[2005年]](平成17年)[[11月8日]]登録) * [[宍道湖]](2005年(平成17年)11月8日登録) === 気候 === 県内全域が[[日本海側気候]]であるが、日本海側気候の地域としては最西南端にあるため比較的温和な気候で沿岸部に[[豪雪地帯]]はない。しかし年間を通じて湿度が高く、降雨回数も多い。曇り・雨の日が晴れの日より多い。 ====東部沿岸部(出雲沿岸部および[[宍道湖]]周辺)==== [[松江市]]や[[出雲市]]など東部の沿岸部は、西部に比べると冬期の平均気温が低いものの、松江市の1月平均気温は4.3[[セルシウス度|℃]]と、[[京都市]]や[[太平洋]]側の大都市である[[愛知県]][[名古屋市]]とほとんど同じで、比較的温暖である。出雲市より松江市と東へいくほど雪が多いが、松江市の年降雪量は89cmと、鳥取県の[[米子市]]の133cmと比べると少なくなっている。年に1,2回、15&nbsp;cm - 30cm程度のまとまった積雪があるものの、最低気温が比較的高いこともあり数日で溶けることがほとんどで、[[根雪]]となった年は非常に少ない(松江市の根雪は1961年以降で2011年/1984年/1977年/1963年の4回のみ)。しかしながら、大陸に近いために数年に一度の猛烈な[[シベリア気団|寒気団]]に覆われると、沿岸部でも日中の気温が[[氷点下]]の[[真冬日]]になることもある。夏は[[熱帯夜]]も数日あるが、[[山陽地方]]の沿岸部と比べると暑さは穏やかである。 ====西部沿岸部(石見沿岸部)==== [[浜田市]]、[[大田市]]、[[益田市]]、[[江津市]]など県西部の沿岸部においては冬期の気温は比較的高めで1月の平均気温は約5.0 - 6.0℃と[[都心#東京の都心部|東京都心]]や[[大阪市]]とほとんど同じで、温暖である。日本海側気候から九州型太平洋側気候への遷移地帯に属し、冬期の降水は雨が多く、積雪しても数センチメートル程度にとどまることが多く、大雪となることは少ない。[[梅雨]]末期に[[梅雨前線]]の影響で大雨となることがあり、過去にも[[昭和58年7月豪雨|山陰豪雨(1983年)]]や[[平成25年7月28日の島根県と山口県の大雨|2013年の豪雨]]で被害を受けた地域がある。夏は熱帯夜も数日あるが、山陽地方の沿岸部と比べると暑さは穏やかである。 ====内陸部==== 内陸部は1月平均気温が0.0 - 3.0℃程と寒さが厳しく、[[飯南町]]赤名(-13.5度、2012/2/19)、[[弥栄村 (島根県)|弥栄]](-16.3度、2012/2/19)、[[瑞穂町 (島根県)|瑞穂]](-15.2度、2012/2/19)、[[六日市町|六日市]](-13.4度、1981/2/28)などでは氷点下15℃程度まで冷え込んだことがある。<ref>[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]</ref> 西部の[[津和野町]]と[[吉賀町]]を除いて全域が豪雪地帯に指定されており、標高の高い地域では1m程度の積雪に達する年もある。夏の夜は涼しく、熱帯夜となることはほとんどない。 {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:right; white-space:nowrap" |+ 島根県各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="3"|隠岐 !colspan="4"|出雲・沿岸部 !colspan="3"|出雲・内陸部 |- ![[隠岐の島町]]<br />[[西郷町 (島根県)|西郷]]!![[隠岐の島町]]<br />[[隠岐空港|西郷岬]]!![[海士町|海士]]!![[松江市]]<br />[[鹿島町 (島根県)|鹿島]]!![[松江市|松江]]!![[斐川町|斐川]]!![[出雲市|出雲]]!![[奥出雲町]]<br />[[横田町|横田]]!![[雲南市]]<br />[[掛合町|掛合]]!![[飯南町]]<br />赤名 |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |25.6<br />(8月)|| |25.8<br />(8月)||25.6<br />(8月) |26.3<br />(8月)|| |25.8<br />(8月)||24.0<br />(8月) |24.5<br />(8月)||23.4<br />(8月) |- !最寒月 |3.9<br />(2月)|| |4.5<br />(2月)||4.4<br />(2月) |4.2<br />(1月)|| |4.5<br />(2月)||0.7<br />(2月) |2.3<br />(2月)||0.4<br />(1、2月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |211.6<br />(9月)|| |227.0<br />(7月)||218.0<br />(9月) |240.5<br />(7月)|| |236.2<br />(7月)||234.2<br />(7月) |257.1<br />(7月)||282.2<br />(7月) |- !最少月 |110.4<br />(10月)|| |96.4<br />(2月)||104.7<br />(4月) |114.5<br />(4月)|| |96.3<br />(2月)||103.4<br />(4月) |120.7<br />(4月)||116.5<br />(10月) |- !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="4"|石見・沿岸部 !colspan="6"|石見・内陸部 |- ![[大田市|大田]]!![[浜田市|浜田]]!![[益田市|益田]]!![[益田市]]<br />[[石見空港|高津]]!![[川本町|川本]]!![[邑南町]]<br />[[瑞穂町 (島根県)|瑞穂]]!![[浜田市]]<br />[[弥栄村 (島根県)|弥栄]]!![[津和野町|津和野]]!![[吉賀町|吉賀]]!![[吉賀町]]<br />[[六日市町|六日市]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |26.5<br />(8月)||26.2<br />(8月) |26.8<br />(8月)|| |24.2<br />(8月)||23.9<br />(8月) |23.6<br />(8月)||25.7<br />(8月) | ||24.5<br />(8月) |- !最寒月 |4.9<br />(1、2月)||5.8<br />(2月) |5.4<br />(1、2月)|| |2.7<br />(1月)||0.8<br />(1月) |1.5<br />(1月)||3.0<br />(1月) | ||1.9<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |246.3<br />(7月)||257.7<br />(7月) |223.9<br />(6月)|| |260.2<br />(7月)||260.6<br />(7月) |340.0<br />(7月)||285.6<br />(7月) | ||337.4<br />(6月) |- !最少月 |98.3<br />(2月)||90.9<br />(2月) |87.9<br />(2月)|| |112.5<br />(2月)||109.2<br />(11月) |130.4<br />(4月)||99.7<br />(12月) | || 76.8<br />(12月) |} == 自治体 == {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=島根県|float=right}} 県下には8市・5郡・10町・1村がある。 島根県では、'''町'''は川本町のみ「まち」で、それ以外は全て「ちょう」、'''村'''は「むら」と読む。 === 東部(出雲地域) === 旧[[出雲国]]の区域(ただし出雲市の一部、飯南町の一部は旧[[石見国]]) ; 松江圏域 * [[松江市]](県庁所在地) * [[安来市]] ; 出雲圏域 * [[出雲市]] ; 雲南圏域 * [[雲南市]] * [[仁多郡]] ** [[奥出雲町]] * [[飯石郡]] ** [[飯南町]] === 西部(石見地域) === 旧[[石見国]]の区域(ただし大田市の一部は旧[[出雲国]]) ; 浜田圏域 * [[浜田市]] * [[江津市]] ; 益田圏域 * [[益田市]] * [[鹿足郡]] ** [[津和野町]] - [[吉賀町]] ; 大田圏域 * [[大田市]] * [[邑智郡]] ** [[川本町]] - [[美郷町 (島根県)|美郷町]] - [[邑南町]] === 隠岐(隠岐地域) === 旧[[隠岐国]]の区域 ; 隠岐圏域 * [[隠岐郡]] ** [[海士町]] - [[西ノ島町]] - [[知夫村]] - [[隠岐の島町]] * [[竹島 (代表的なトピック)|竹島]] === 市町村合併 === {|class="wikitable" style="font-size:80%;padding:0" ! !!colspan="2"|昭和51年4月!!平成23年1月!!平成24年1月 |- !rowspan="29"|出雲地方 |style="text-align:center;" colspan="2"|松江市(旧制)||rowspan="8"|松江市(新制)||style="text-align:center;" rowspan="9"|松江市<br />(平成23年8月1日<br/>東出雲町を編入合併) |- |rowspan="8"|八束郡||鹿島町 |- |島根町 |- |美保関町 |- |八雲村 |- |玉湯町 |- |宍道町 |- |八束町 |- |style="text-align:center;" colspan="2"|東出雲町 |- |style="text-align:center;" colspan="2"|安来市(旧制)||rowspan="3"|安来市(新制)|| style="text-align:center;" rowspan="3"|安来市 |- |rowspan="2"|能義郡||広瀬町 |- |伯太町 |- |rowspan="2"|仁多郡||横田町||style="text-align:center;" rowspan="2" colspan="2"|奥出雲町 |- |仁多町 |- |style="text-align:center;" colspan="2"|出雲市(旧制)||rowspan="6"|出雲市(新制)|| style="text-align:center;" rowspan="7"|出雲市<br />(平成23年10月1日<br/>斐川町を編入合併) |- |style="text-align:center;" colspan="2"|平田市 |- |rowspan="5"|簸川郡||大社町 |- |湖陵町 |- |多伎町 |- |佐田町 |- |style="text-align:center;" colspan="2"|斐川町 |- |rowspan="3"|大原郡||大東町||style="text-align:center;" rowspan="6" colspan="2"|雲南市 |- |加茂町 |- |木次町 |- |rowspan="5"|飯石郡||三刀屋町 |- |掛合町 |- |吉田村 |- |頓原町||style="text-align:center;" rowspan="2" colspan="2"|飯南町 |- |赤来町 |- !rowspan="23"|石見地方 |style="text-align:center;" colspan="2"|大田市(旧制)||rowspan="3"|大田市(新制)||style="text-align:center;" rowspan="3"|大田市 |- |rowspan="2"|邇摩郡||温泉津町 |- |仁摩町 |- |style="text-align:center;" colspan="2"|江津市(旧制)||rowspan="2"|江津市(新制)||style="text-align:center;" rowspan="2"|江津市 |- |rowspan="7"|邑智郡||桜江町 |- |邑智町||style="text-align:center;" rowspan="2" colspan="2"|美郷町 |- |大和村 |- |石見町||style="text-align:center;" rowspan="3" colspan="2"|邑南町 |- |瑞穂町 |- |羽須美村 |- |style="text-align:center;" colspan="4"|川本町 |- |style="text-align:center;" colspan="2"|浜田市(旧制)||rowspan="5"|浜田市(新制)||style="text-align:center;" rowspan="5"|浜田市 |- |rowspan="4"|那賀郡||旭町 |- |金城町 |- |三隅町 |- |弥栄村 |- |style="text-align:center;" colspan="2"|益田市(旧制)||rowspan="3"|益田市(新制)||style="text-align:center;" rowspan="3"|益田市 |- |rowspan="2"|美濃郡||美都町 |- |匹見町 |- |rowspan="4"|鹿足郡||津和野町(旧制)||rowspan="2"|津和野町(新制)||style="text-align:center;" rowspan="2"|津和野町 |- |日原町 |- |六日市町||style="text-align:center;" rowspan="2" colspan="2"| 吉賀町 |- |柿木村 |- !rowspan="7"|隠岐地方 |rowspan="7"|隠岐郡||西郷町||style="text-align:center;" rowspan="4" colspan="2"|隠岐の島町 |- |布施村 |- |五箇村 |- |都万村 |- |style="text-align:center;" colspan="4"|西ノ島町 |- |style="text-align:center;" colspan="4"|海士町 |- |style="text-align:center;" colspan="4"|知夫村 |} === 都市圏 === * [[出雲#都市圏|松江都市圏]] * [[出雲#都市圏|出雲都市圏]] ** [[米子都市圏]] :※かつて八束町、美保関町は米子都市圏の一部を構成していた。 == 歴史 == === 原始・古代 === [[ファイル:Sanbe201402.jpg|thumb|西の原からみた三瓶山]] *島根県下では、[[旧石器時代]]の遺跡は松江市とその周辺および中国山地の中央部辺り(旧瑞穂町)とで15カ所ほど知られている。[[宍道湖]]北岸の遺跡からは[[瑪瑙]]製台形様石器{{efn|石核から不定形に剥離された剥片を素材として、鋭い縁辺を刃部として、その側辺の両側辺を加工を加え、台形または長方形状に仕上げた小型の剥片石器。柄を付けて刺突具または切削具として使用されたと推測される。後期旧石器時代初頭の打製石器。}}や[[瑪瑙]]もしくは[[玉髄]]製の台形様石器、石核、剥片、凝灰岩製石核などが出土している。 *旧石器時代 約2万年前に[[姶良Tn火山灰|姶良火山灰]](AT)が降る。また[[隠岐諸島|隠岐]]産の[[黒曜石]]が出回り始める。 * [[縄文時代]]の草創期(約1万3千-1万年前)や早期(約1万年前-6千年前)には、古中海湾沿岸部に縄文「[[集落]]」が形成され、海面上昇で古宍道湖が出来、沿岸に[[縄文人]]が進出してくる。続く前期(約6千年前-5千年前)には、[[アカホヤ|アカホヤ火山灰]](AKh)が降る。古中海湾・古宍道湖湾の広がり最大となる。山陰各地にも縄文集落が現れ、[[貝塚]]ができる。中期(約5千年前-4千年前)には[[瀬戸内地方]]や[[九州]]地方との交流進む。山間部にも交流拠点集落現れる。後期(約4千年前-3千年前)に入り、大きな縄文集落が作られる。このころに三瓶山の大平山の[[噴火]]が起こる。噴出物の流失物で出雲平野の骨格できる。晩期(約3千前-2千数百年前)には、山陰西部で九州との交流活発になる。[[打製石器]]の土掘り具([[石斧]]など)が盛んに使用されるようになる。 *県東部の出雲地方は、古代日本において最も文化の発達した地域の一つであった。特に[[弥生時代]]においては、大量の[[青銅器]]が出土した[[荒神谷遺跡]]や[[加茂岩倉遺跡]]や、大型の[[弥生時代の墓制#四隅突出型墳丘墓|四隅突出型墳丘墓]]([[安来市]]古代出雲王陵の丘、[[出雲市]][[西谷墳墓群]])があり早期に鉄器を有するなど、特徴的でかつ先進的な文化が山陰一帯に存在し、その中心的勢力が島根東部から鳥取県西部にかけて存在した。{{Main|古代出雲}} * [[古墳時代]]には[[雲南市]]加茂町の[[神原神社]][[古墳]]から「[[卑弥呼]]の鏡」と言われる[[景初]]3年([[239年]])銘のある[[三角縁神獣鏡]]が出土している。6世紀半ばごろに山代二子塚古墳(松江市)という94メートルの大[[前方後方墳]]が築かれる。少し遅れておよそ91メートルの今市大念寺古墳(出雲市)が築かれる。出雲の東西に拮抗する大古墳が築かれたが、7世紀初頭には二子塚のすぐ東隣に一辺45メートルの大型[[方墳]]([[山代方墳]])を築いている。前方後方墳から方墳に移行したは[[ヤマト政権|大和政権]]の大王陵の変化と同じである。 * [[奈良時代]]に記された『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』『[[出雲国風土記]]』に、出雲を舞台とした[[スサノオ]]や[[大国主]]の[[日本神話|神話]]が語られるなど、朝廷においてもその存在は大きなものであった。また神話にその創建が語られている[[出雲大社]]は、代々[[出雲国造]]家がその祭祀を司り現在に至っている。 === 中世 === *隠岐は古来より[[流罪|流刑]]の地とされ、[[鎌倉時代|鎌倉期]]の[[後鳥羽天皇|後鳥羽上皇]]・[[後醍醐天皇]]をはじめ多くの貴人が流されたが、これにより京文化が伝播して隠岐独自の文化が生まれ、また[[明治維新]]期の[[隠岐騒動]]にも結びついたと言われる。 *県西部の石見地方には、[[飛鳥時代]]を代表する歌人[[柿本人麻呂]]の伝承が多く残されており、この地域を詠んだ歌が多く『[[万葉集]]』に残されている。 * [[鎌倉時代]]の石見地方では、[[治承・寿永の乱|源平の争乱]]で、西国では少ない[[源氏]]方として[[一ノ谷の戦い]]や[[壇ノ浦の戦い]]で軍功をあげた藤原兼高が[[益田兼高]]と改め、所領の益田庄に[[七尾城 (石見国)|七尾城]]を築城して本拠とした。 * [[室町時代]]は[[京極氏]]や[[山名氏]]がこの地の[[守護大名]]となった。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に入ると、[[守護代]]であった[[尼子経久]]が京極氏を追放し、[[月山富田城]](安来市)を拠点として中国地方一帯に覇を唱え、[[たたら製鉄]]の経営を行った。またこの時期に開発された[[石見銀山|大森銀山]]は、[[大内氏]]と[[尼子氏]]による熾烈な争奪戦が繰り広げられたが、最終的に[[毛利氏]]によって支配され、[[江戸幕府]]成立後に[[天領|幕府直轄領]]となった。 [[ファイル:Matsue castle01bs4592.jpg|thumb|right|260px|[[松江城]](国の史跡・天守は国宝)]] === 近世 === ;出雲地方 * [[江戸時代]]には[[堀尾吉晴]]が出雲・隠岐24万[[石 (単位)|石]]で入封し、[[松江城]]を築いた。[[松江藩]]はその後は[[京極氏]]を経て、[[徳川家康]]の流れを汲む[[越前松平家|結城松平氏]]の[[松平直政]]が入国し、[[幕末]]に至った。なお、松江藩には[[広瀬藩]]と[[母里藩]](ともに[[1666年]]創設)という[[支藩]]があり、一時的に[[松江新田藩]]([[1701年]]から[[1704年]])という支藩も置かれていた。松江藩ではたたら製鉄の隆盛で、安来などの港が[[北前船]]で繁栄した。 ;石見地方 *石見には[[浜田藩]]と[[津和野藩]]が置かれ、浜田藩は[[古田重治]]から松井松平氏、本多氏を経て[[越智松平家|越智松平氏]]が、津和野藩は[[坂崎直盛]]の後に[[亀井氏]]がそれぞれ支配した。 **石見東部の地域および石見西部の一部地域は[[石見銀山]]領として幕末まで幕府直轄領であったが、一時的に松江藩預かりとなっていた時期もある。なお、[[会津騒動]]で改易された加藤家は[[加藤嘉明]]の勲功により家名存続を許され、石見銀山領のうち1万石を与えられて[[寛永]]20年([[1643年]])6月に[[吉永藩]]1万石の立藩を許されたが、この藩は[[天和 (日本)|天和]]2年([[1682年]])6月に[[水口藩]]に加増移封されて消滅した。 ;隠岐地方 *隠岐は松江藩領であったが、一時的に石見銀山の[[代官]]の支配下に置かれて幕府直轄領とされていた時期もある。 *隠岐では幕末に島民らが松江藩の代官を追放して自治を行っていた時期がある([[隠岐騒動]])。 === 近・現代 === [[ファイル:Shimane-Prefectural-Government-Office-Circa-1920.png|thumb|260px|1909年([[明治]]42年)竣工の[[島根県庁舎]]]] [[ファイル:Matsue riot incident.jpg|thumb|260px|1945年(昭和20年)の[[日本の降伏|終戦]]直後に発生した[[松江騒擾事件]]で全焼した島根県庁舎]] *たたら製鉄が衰退し、[[木炭]]産業に移行するとともに、鉄山師の一部は雲伯鉄鋼合資会社の設立などにより和式製鉄法の近代化を行い現在に至っている。一部、古来のたたら製鉄が再現され少量操業も行っている。 === 年表 === * [[659年]]([[斉明天皇|斉明]]5年) - 出雲国造に命じて神の宮(杵築大社:きづきたいしゃ)を造らせる。[[1871年]]([[明治4年]])に[[出雲大社]]と改称。 * [[733年]] - 『[[出雲国風土記]]』成立。 * [[1221年]] - [[承久の乱]]で敗れた[[後鳥羽天皇|後鳥羽上皇]]が隠岐に配流される。 * [[1332年]] - [[後醍醐天皇]]が隠岐に配流される([[元弘の乱]])。 * [[1333年]] - 後醍醐天皇が隠岐から脱出([[鎌倉幕府]]滅亡、[[建武政権]]樹立へ至る)。 * [[1566年]] - [[尼子義久]]が[[毛利元就]]に降伏。 * [[1600年]] - [[堀尾吉晴]]が富田城に入る。 * [[1611年]] - [[松江城]]築城。 * [[1617年]] - [[亀井政矩]]が津和野藩主となる。 * [[1619年]] - [[古田重治]]が浜田藩主となる。 * [[1868年]] - 隠岐騒動 * [[1869年]]([[明治2年]]) ** [[2月25日 (旧暦)|2月25日]] - 明治政府は隠岐騒動後に松江藩の預かり地となっていた[[隠岐国|隠岐]]に[[隠岐県]]を設置。 ** [[8月2日 (旧暦)|8月2日]] - 幕末の第二次[[長州征討]]により[[長州藩]]支配となっていた旧石見銀山領・旧浜田藩領と隠岐県を併せて[[大森県]]を設置。 * [[1870年]]([[明治3年]]) ** [[1月9日 (旧暦)|1月9日]] - [[大森県]]を廃止して[[浜田県]]を設置。 * [[1871年]]([[明治4年]]) ** [[6月25日 (旧暦)|6月25日]] - 津和野藩の廃藩が許され浜田県に編入。 ** [[7月14日 (旧暦)|7月14日]] - 全国一斉の[[廃藩置県]]により旧松江藩領に[[松江県]]、旧広瀬藩領に[[広瀬県]]、旧母里藩領に[[母里県]]を設置。 ** [[11月15日 (旧暦)|11月15日]] - 松江県・広瀬県・母里県と[[隠岐諸島|隠岐地方]]が合併して'''島根県となる'''。隠岐を除く[[石見|石見地方]]に、改めて浜田県を設置。 * [[1872年]](明治4年) ** [[12月17日 (旧暦)|12月17日]] - 隠岐地方を鳥取県に移管<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/seisaku/koho/profile/aramasi.html|title=島根県のプロフィール > 誕生までのあらまし|accessdate=2022-01-05|publisher=島根県政策企画局広聴広報課}}</ref>。 * [[1876年]]([[明治]]9年) ** [[4月18日]] - [[浜田県]]を島根県に編入。現在の島根県域と等しくなる。 ** [[8月21日]] - '''[[鳥取県]]'''([[因幡国|因幡]]・[[伯耆国|伯耆]])'''を島根県に編入'''。本県は、[[出雲国|出雲]]・[[石見国|石見]]・[[隠岐国|隠岐]]・[[伯耆国|伯耆]]・[[因幡国|因幡]]の旧5国を管轄する『'''大島根県'''』(俗称)となる<ref name=":0" />。 * [[1881年]](明治14年) ** [[9月12日]] - 旧[[鳥取県]]であった地域が、再び鳥取県として分立する。'''現在の島根県域が成立する<ref name=":0" />'''。 * [[1889年]](明治22年) ** [[4月1日]] - [[島根郡]]・[[意宇郡]]の一部から[[松江市]]が発足。 **町村制施行に伴い、[[鹿足郡]][[津和野町]]が発足。 * [[1891年]](明治24年) - [[小泉八雲|ラフカディオ・ハーン]]が松江の[[塩見縄手]]に住み、『知られざる日本の面影』を執筆。 * [[1927年]]([[昭和]]2年) - [[邑智郡]]川本村が町制施行、邑智郡[[川本町]]が発足。 * [[1940年]](昭和15年) ** [[11月3日]] - [[那賀郡 (島根県)|那賀郡]][[浜田町]]ほか4町村が合併して[[浜田市]]が発足。 * [[1941年]](昭和16年) ** [[11月3日]] - [[簸川郡]]出雲町が市制施行、[[出雲市]]が発足。 * [[1943年]](昭和18年)[[9月19日]] - 西日本一帯に集中豪雨。県内は死者約500人、行方不明者14人、家屋全壊約2300戸などの被害<ref>死者・不明八九三人、家屋全半壊五千戸に(昭和18年9月24日 朝日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p225 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 * [[1952年]](昭和27年) ** [[8月1日]] - [[美濃郡]]益田町ほか7村が合併して[[益田市]]が発足。 * [[1954年]](昭和29年) ** [[1月1日]] - [[安濃郡 (島根県)|安濃郡]]大田町ほか7町村が合併して[[大田市]]が発足。 ** [[4月1日]] - [[能義郡]]安来町ほか4村が合併して[[安来市]]が発足。 ** [[4月1日]] - [[那賀郡 (島根県)|那賀郡]]江津町ほか8町村が合併して[[江津市]]が発足。 * [[1955年]](昭和30年) ** [[1月1日]] - [[簸川郡]]平田町ほか2村が合併して[[平田市]]が発足。 * [[1956年]](昭和31年) - 島根県庁の別館から出火、離れの一部の建物を除き約3000[[坪]]が全焼。 * [[1957年]](昭和32年) ** [[2月11日]] - [[知夫郡]]浦郷町、黒木村が新設合併して[[西ノ島町]]が発足。 * [[1969年]](昭和44年) ** [[1月1日]] - [[海士郡]]海士村が町制施行、海士郡[[海士町]]が発足。 ** [[4月1日]] - [[周吉郡]]、[[穏地郡]]、[[海士郡]]、[[知夫郡]]が合併し、[[隠岐郡]]が発足。 * [[2004年]]([[平成]]16年)8月 - [[全国高等学校総合体育大会]]が島根県を主会場に開催。 ** [[10月1日]] - [[邑智郡]][[邑智町]]、[[大和村 (島根県)|大和村]]が新設合併して[[美郷町 (島根県)|美郷町]]が発足。 ** [[10月1日]] - 邑智郡[[石見町]]、[[瑞穂町 (島根県)|瑞穂町]]、[[羽須美村]]が新設合併して[[邑南町]]が発足。 ** [[10月1日]] - 隠岐郡[[西郷町 (島根県)|西郷町]]、[[布施村 (島根県隠岐郡)|布施村]]、[[五箇村 (島根県)|五箇村]]、[[都万村]]が新設合併して、[[隠岐の島町]]が発足。 ** [[10月1日]] - 旧・安来市、[[能義郡]][[広瀬町 (島根県)|広瀬町]]、[[伯太町]]が合併し、新・安来市が発足。これに伴い能義郡は消滅。 ** [[11月1日]] - [[大原郡]][[大東町 (島根県)|大東町]]、[[加茂町 (島根県)|加茂町]]、[[木次町]]、[[飯石郡]][[三刀屋町]]、[[掛合町]]、[[吉田村 (島根県)|吉田村]]が新設合併して[[雲南市]]が発足 これに伴い大原郡は消滅。 ** [[11月1日]] - [[益田市]]が[[美濃郡]][[美都町]]、[[匹見町]]を編入。これに伴い美濃郡は消滅。 * [[2005年]](平成17年) ** [[1月1日]] - [[飯石郡]][[赤来町]]、[[頓原町]]が新設合併して[[飯南町]]が発足。 ** [[3月22日]] - 旧・出雲市、[[平田市]]、[[簸川郡]][[大社町]]、[[湖陵町]]、[[多伎町]]、[[佐田町]]が合併し、新・出雲市が発足。 ** [[3月31日]] - [[仁多郡]][[仁多町]]、[[横田町]]が新設合併して[[奥出雲町]]が発足。 ** [[3月31日]] - 旧・松江市、[[八束郡]][[鹿島町 (島根県)|鹿島町]]、[[美保関町]]、[[八雲村 (島根県)|八雲村]]、[[玉湯町]]、[[宍道町]]、[[八束町]]が合併し、新・松江市が発足。 ** [[9月25日]] - 旧・[[鹿足郡]]津和野町、[[日原町]]が合併し、新・津和野町が発足。 ** [[10月1日]] - [[鹿足郡]][[六日市町]]、[[柿木村]]が新設合併して[[吉賀町]]が発足。 ** [[10月1日]] - 旧・浜田市、[[那賀郡 (島根県)|那賀郡]][[三隅町 (島根県)|三隅町]]、[[旭町 (島根県)|旭町]]、[[金城町]]、[[弥栄村 (島根県)|弥栄村]]が合併し、新・浜田市が発足。これに伴い那賀郡は消滅。 ** [[10月1日]] - 旧・大田市、[[邇摩郡]][[温泉津町]]、[[仁摩町]]が合併し、新・大田市が発足。これに伴い邇摩郡は消滅。 * [[2007年]](平成19年) ** [[7月2日]] - 大田市の[[石見銀山]]が[[世界遺産]]登録。 * [[2011年]](平成22年) ** [[8月1日]] - [[松江市]]が[[八束郡]][[東出雲町]]を編入。これに伴い八束郡は消滅。 ** [[10月1日]] - [[出雲市]]が[[簸川郡]][[斐川町]]を編入。これに伴い簸川郡は消滅。 * [[2012年]](平成23年) ** [[4月1日]] - 松江市が島根県で初めて[[特例市]]に移行。 ** [[8月10日]] - 韓国の[[李明博]]大統領が竹島に不法上陸。 ** [[9月8日]] - [[日本海]]に面する、島根を含む10府県が合同で[[海洋エネルギー資源開発促進日本海連合]]を設立<ref>[http://sankei.jp.msn.com/life/news/120908/trd12090812490005-n1.htm 「海底資源開発で連携 日本海沿岸の10府県」]『[[産経新聞]]』2012年9月8日{{リンク切れ|date=2017年10月}}。他の参加府県は[[秋田県]]、[[山形県]]、[[新潟県]]、[[富山県]]、[[石川県]]、[[福井県]]、[[京都府]]、[[兵庫県]]、[[鳥取県]]。</ref><ref>[http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0005363224.shtml 「メタンハイドレート活用研究 10府県が会議設立」]『[[神戸新聞]]』2012年9月8日{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref><ref>[http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/39824.html 「日本海の資源開発で連携、連合設立。本県など日本海側10府県」]『[[新潟日報]]』2012年9月10日</ref><ref>[http://www.asahi.com/eco/news/TKY201209080579.html 「メタンハイドレート、日本海でも調査を 10府県が連合」]『[[朝日新聞]]』2012年9月9日</ref>。 * [[2018年]](平成30年) ** [[4月1日]] - 松江市が特例市から[[中核市]]に移行。 == 人口 == === 人口規模 === ==== 最盛期 ==== 島根県の人口は、[[都道府県民歌|県民歌]]『[[薄紫の山脈]]』の歌詞に「九十万の県民の……」とある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/seisaku/koho/kenka/|title=県民の歌「薄紫の山脈」|accessdate=2022-01-05|publisher=島根県政策企画局広聴広報課}}</ref>ように、[[1950年代]]には90万人を超えていた。1955年(昭和30年)には約93万人に達した<ref name=":1">{{Cite news|title=<国勢調査>大正時代よりも人口が減るかも知れない都道府県はどこだ?|newspaper=[[THE PAGE]]|date=2015-09-11|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/e5389524e2217a4d1a7fa824720c9401097495d8|accessdate=2022-01-05}}</ref>。 ==== 人口減少 ==== しかし、以後は減少傾向が続き[[2014年]]([[平成]]26年)には70万人を割った<ref>{{Cite news|title=島根県の人口70万人割れ 4月、55年の93万人から25%減|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2014-04-28|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFB28002_Y4A420C1EAF000/|accessdate=2022-01-05}}</ref>。翌[[2015年]](平成27年)の第20回[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]では69万4,352人と記録された。 [[1920年]]([[大正]]9年)の第1回国勢調査では71万4,712人であったため、第1回調査に対する人口の増減率では全国の[[都道府県]]で本県が最下位となった<ref name=":1">{{Cite news|title=<国勢調査>大正時代よりも人口が減るかも知れない都道府県はどこだ?|newspaper=[[THE PAGE]]|date=2015-09-11|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/e5389524e2217a4d1a7fa824720c9401097495d8|accessdate=2022-01-05}}</ref>。また第1回調査での人口を以後の調査で下回った、全国で最初の都道府県となった([[太平洋戦争]]による大規模な[[疎開]]の発生によって第6回調査([[昭和]]20年)のみ一時的に急減した[[東京都]]を除く)。 地域別に見ると、出雲地域は1950年代から2020年代にかけて50万人前後のほぼ横ばいで推移しているのに対し、石見地域と隠岐地域はそれぞれ38万人から18万人、4万人から2万人と半減しており、二大都市である松江市・出雲市への集積が進んでいる<ref>[https://www.pref.shimane.lg.jp/seisaku/iinkai_shiryo/index.data/201208_1_jinkoudoutai.pdf?site=sp 島根県の人口動態]</ref>。 ==== 県外との比較 ==== 日本の[[都道府県]]人口としては、隣接する[[鳥取県]]に次ぎ全国で2番目に少ない。また[[政令指定都市]]の中で最少の[[静岡市]]よりも少ない。[[人口密度]]は、[[西日本]]では[[高知県]]に次いで低い。 === 課題 === 島根県の『県民[[ホットライン]]』には、県民が考える人口減少の要因として「はっきり言って魅力がない」「働ける職場がない」「[[医療]]・[[福祉]]が十分でない」「人間関係が[[保守|保守的]]で変化を拒む気風は煩わしいから嫌だと思われている」などの意見が2015年までに寄せられた<ref name=":1">{{Cite news|title=<国勢調査>大正時代よりも人口が減るかも知れない都道府県はどこだ?|newspaper=[[THE PAGE]]|date=2015-09-11|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/e5389524e2217a4d1a7fa824720c9401097495d8|accessdate=2022-01-05}}</ref>。 県はそれらの意見に対し、解決策として「県内産業の振興と雇用の確保」「企業誘致の推進と観光振興」「売れる農林水産品づくり」「県外からの[[Uターン現象|Uターン]]・[[Iターン現象|Iターン]]対策」の4つを提唱した<ref name=":1">{{Cite news|title=<国勢調査>大正時代よりも人口が減るかも知れない都道府県はどこだ?|newspaper=[[THE PAGE]]|date=2015-09-11|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/e5389524e2217a4d1a7fa824720c9401097495d8|accessdate=2022-01-05}}</ref>。 === 統計 === 2018年(平成30年)の[[合計特殊出生率]]は1.74で、[[沖縄県]]に次いで全国2位。自然増減率は-0.71%で全国41位、社会増減率は+0.01%の転入超過で全国14位だった。 [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Shimane prefecture, Japan.svg|thumb|300px|島根県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]]{{人口統計|code=32000|name=島根県|image=Demography32000.svg}} == 政治 == === 県政 === {{Main|島根県知事一覧|島根県庁|島根県議会}} * [[都道府県知事|知事]]:[[丸山達也]](まるやま たつや、1期目) ==== 財政 ==== * [[財政力指数]] 0.25957(平成29年度) **IVグループ(財政力指数0.4未満)3自治体中3位 === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#島根県|鳥取県・島根県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が2。[[参議院]]では、[[島根県選挙区]]として全県で1区を構成していたが、2016年の[[第24回参議院議員通常選挙]]より[[鳥取県選挙区]]と合区され、鳥取県とともに1区を構成する[[参議院合同選挙区|合同選挙区]]が創設された。 == 経済・産業 == === 農業 === [[ファイル:Sanbe_ranch.jpg|thumb|三瓶山裾野での放牧。]] 全国的な流れと同様に島根県においても農業の衰退が進んでおり、島根県の総農家数・耕地面積・農業生産額も年々低下している。農業生産額の割合では、[[米]]が全生産額の33.3%で最も多く、[[野菜]]が16.2%、[[乳用牛]]が13.7%、[[肉用牛]]が13.6%を占めている<ref name="ab">農林水産省統計部 (2018)『平成30年生産農業所得統計』</ref>。特産品としては米([[仁多米]]、[[きぬむすめ]]など)、[[ブドウ]]、[[西条柿]]、[[牛肉]]、[[メロン]]などがある。付加価値が高く、観光との相乗効果が見込める[[薬草]]や[[ハーブ]]の栽培にも力を入れている<ref name="日経20191219">『[[日本経済新聞]]』朝刊2019年12月19日33面【山陰経済特集】きらめく山陰 人を呼ぶ:「星空舞」や薬草 食に新顔</ref>。 *総農家数(2015年) - 33,513戸 *耕地面積(2015年) - 37,000[[ヘクタール|ha]] *農業生産額(2016年) - 629億円<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.shimane.lg.jp/norinsomu/index.data/shimanenonougyounouson2.pdf|title=島根県農林水産業の現状|accessdate=2019年4月7日|publisher=}}</ref> === 水産業 === [[日本海]]に面しているため漁業が盛んに行われており、総漁獲量(2011年)は15万3,000[[トン]]<ref name="cc">[http://www.pref.shimane.lg.jp/industry/suisan/shinkou/umi_sakana/tobiuo/index.data/2012no2.pdf トビウオ通信(平成24年第2号)]島根県水産技術センター(2012年8月16日閲覧)</ref> で[[中国・四国地方]]で最も漁獲量の多い県である。 [[2010年]]の調査では、[[ズワイガニ|ベニズワイガニ]]の漁獲量が5,163トンで全国1位、[[ブリ]]類の漁獲量が17,963トンと全国1位、[[アジ]]類の漁獲量が33,432トンで全国2位を誇っている<ref>[[農林水産省]]統計部(2010年)『平成22年漁業・養殖業生産統計』</ref>。 また、[[宍道湖]]などで採れる[[しじみ]]は、2014年(平成26年)には3622トンで4年ぶりに日本一の漁獲高となった<ref name="mainichi-np-2015-4-25">長宗拓弥「シジミ漁獲量:県、4年ぶり全国一 青森から奪還 湖沼別でも宍道湖」『[[毎日新聞]]』2015年4月25日</ref>。 *漁業従事者数(2008年) - 3,689人<ref name="bb">島根県政策企画局統計調査課 (2008)『2008年漁業センサス調査結果報告書』</ref> *漁業経営体数(2008年) - 2,343経営体<ref name="bb" /> *漁業総船隻数(2008年) - 3,240隻<ref name="bb" /> *総漁獲量(2011年) - 15万3,000トン<ref name="cc" /> *総生産額(2011年) - 200億円<ref name="cc" /> === 建設業 === 島根県では、建設事業者数は4,657社で全事業者数の約12%、従業員数でも32,723人と全産業の従業員数の約11%を占めている<ref>島根県政策企画局統計調査課 (2011年)『平成21年経済センサス - 基礎調査 島根県分結果確報』</ref>。全国では、建設業の全産業に占める事業所数は9.7%・従業員数は6.9%<ref>総務省 (2011年)『平成21年経済センサス‐基礎調査』</ref> となっており全国と比べても島根県でも建設業が占める割合が大きくなっている。 特に公共工事の比率は66.94%と高知県に次いで全国2位<ref>[[国土交通省]]総合政策局建設統計室(2011年)『平成22年度建設総合統計年度報』</ref> と高く建設業において公共事業が大きな役割を担っている。しかし近年の国や県・市町村の財政難などから公共事業は減少しており、建設業を取り巻く環境は厳しくなっている。 === 製造業 === 島根県の製造品出荷額等は9,840億円(2010年)<ref name="bc">島根県政策企画局統計調査課 (2012年)『平成22年工業統計調査結果報告書』</ref> であり鉄鋼が1,578億円(2010年)<ref name="bc" /> と最も高い割合を占めている。[[江戸時代]]から[[明治時代]]にかけて[[たたら製鉄]]が栄え、古くからの鉄鋼技術を背景に島根県では[[鉄鋼]]産業が盛んに行われており[[プロテリアル]](旧・日立金属)や[[東洋製鉄]]、[[NTN鋳造]]など鉄鋼関連の企業が多数集積している。この他、[[情報通信]][[機械]]が1,565億円、[[電子部品]]・[[ハードウェア|デバイス]]が1,295億円と続いている<ref name="bc" />。 情報通信機械の分野では出雲市に本社を置く[[島根富士通]]が[[ノートパソコン]]の生産拠点を構えており、出雲市の本社工場では年間200万台のノートパソコンが生産されている。 製造業出荷額等は2010年の統計データでは、島根富士通や[[島根島津]]・[[出雲村田製作所]]などが本社・工場を構える斐川町(当時)が2,634億円<ref name="bc" /> と県内の市町村でトップとなっている。なお、斐川町は[[2011年]]に[[出雲市]]と合併しており、2010年時点の統計では、出雲市が3,818億円が製造業出荷額等でトップとなっている<ref name="bc" />。 *鉄鋼関係 - [[銑鉄]][[鋳物]]・[[特殊鋼]]など。[[プロテリアル]]・プロテリアルプレシジョン(安来市)、[[NTN鋳造]](出雲市)など。 *電機関係 - [[ノートパソコン]]・[[電子部品]]など。[[島根富士通]]・[[島根島津]]・[[出雲村田製作所]](出雲市)、[[島根三洋電機]]・[[ホシザキ]]([[雲南市]])など。 *輸送機械関係 - [[農機具]]・[[自動車]][[機械要素|部品]]など。自動車用シール部品最大手の[[島根イーグル]](雲南市)[[三菱マヒンドラ農機]]・[[ヤンマーキャステクノ]](松江市)など。 *食料品関係 - 浜田市などで水産加工品などが生産されている。 === 小売業 === 島根県の小売業の年間商品販売額は[[1999年]]の約8,463億4,700万円、事業所数は[[1994年]]の12,018事業所、従業員数は[[2002年]]の50,546人をピークにそれぞれ年々減少傾向にある<ref name="kouri">島根県政策企画局統計調査課 (2009年)『平成19年商業統計調査結果報告書』pp.13</ref>。2009年現在では、年間商品販売額は約7317億5,300万円事業所数は8,952事業所、従業員数は45,628人となっている<ref name="kouri" />。 [[百貨店]]([[日本百貨店協会]]に加入している店舗)は[[一畑百貨店]]松江店(松江市)のみである<ref>[http://www.depart.or.jp/common_jdsa_member/list_member?jdsa_member_area_id=34&jdsa_member_region_id=8 日本百貨店協会:会員・コラボレーション会員] - 日本百貨店協会(2012年8月17日閲覧)。</ref>。その一畑百貨店も2024年1月をもって閉店することになり、「百貨店ゼロの県」となる<ref>{{Cite web |url=https://www.ichibata.co.jp/dept/ichibata_heiten_oshirase/ |title=一畑百貨店閉店のお知らせ |access-date=2023-12-17 |publisher=一畑電車}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/100231.html |title=“デパートゼロ県”地方の苦境 県内唯一の一畑百貨店閉店へ |access-date=2023-12-17 |publisher=NHK}}</ref>。 大型スーパーでは、[[イオンモール]]などの[[イオン (企業)|イオン]]グループ複数社や、[[広島県]]の[[イズミ]]などが島根県内で[[総合スーパー]](GMS)や[[ショッピングセンター]]などを展開している。出店が進む一方で、競争が激化し[[2000年代]]には[[マイカル]](現:[[イオンリテール]])の浜田[[サティ (チェーンストア)|サティ]] (現在の[[ゆめマート浜田]])や出雲サティ、[[ジャスコ]](現:イオンリテール)の浜田店(現在は[[トライアルカンパニー|トライアル]]が出店)や平田店(現在はショッピングセンターViVAが出店)などが閉店している。 地場スーパーには、[[みしまや]]、[[ふくしま]]、[[フーズマーケット ホック]]、[[ウシオ (スーパーマーケット)|グッディー]]、[[キヌヤ]]、[[ラピタ]]といった店舗がある。 === 観光業 === [[ファイル:Izumo okinoshima.jpg|thumb|出雲市の[[稲佐の浜]]の沖ノ御前]] 島根県の観光入込客延べ数は、年間33,158千人([[2015年]])<ref name="ddd">[http://www.pref.shimane.lg.jp/tourism/tourist/kankou/chosa/kanko_dotai_chosa/report_h27.html 島根県商工労働部観光振興課 (2016年)『平成27年島根県観光動態調査結果』]</ref> となっている。観光入込客延べ数変動の要因は[[松江自動車道|尾道松江線]]の全線開通や[[松江城]]が国宝に指定されたこととなっている<ref name="ddd" />。 市町村別の上位では、[[出雲市]]が12,495,489人と最も多く、次いで[[松江市]]が 10,061,918人、[[浜田市]]が 1,825,247人となっている<ref name="ddd" />。観光施設では、[[出雲大社]]が607万6千人と最も多くの観光客を集めている<ref name="ddd" />。 県外からの観光客入り込み割合は、広島県が22.9%、[[近畿地方]]が18.7%、[[関東地方]]が13.1%となっている。[[中国地方]]4県の合計では、県外観光客入込客数全体の5割近くを占める<ref name="ddd" />。 島根県の観光客による観光消費額は1,367億円(平成27年度)と推定されており、観光消費額が県内に及ぼす経済波及効果は1,634億億円と推定されている<ref name="ddd" />。 === 県内に本社を置く主要企業 === ; 製造業 * [[木次乳業]](雲南市) * [[パナソニックESソーラーシステム製造]](雲南市) * [[出雲村田製作所]](出雲市) * [[島根富士通]](出雲市) * [[三菱マヒンドラ農機]](松江市) * [[アルプロン]](雲南市) ; 金融業 * [[島根銀行]](松江市) * [[山陰合同銀行]](松江市) ; サービス(その他) * テクノプロジェクト(松江市) * [[ネットワーク応用通信研究所]](松江市) ; 卸・小売業 * [[みしまや]](松江市) * [[ウシオ (スーパーマーケット)|ウシオ(グッディー)]](出雲市) * [[フーズマーケット ホック]](安来市) * [[キヌヤ]](益田市) * [[ジュンテンドー]](益田市) ; その他 * [[一畑電気鉄道|一畑グループ各社(電車、百貨店、バス、タクシー、ホテルなど)]](松江市他) === 県内に拠点事業所を置く主要企業 === * [[プロテリアル]](安来市):安来工場 * [[ホシザキ]](雲南市):島根本社工場 === 指定金融機関など === ; [[指定金融機関]] * [[山陰合同銀行]](ごうぎん) ; [[指定代理金融機関]] * [[島根県農業協同組合]](JAしまね) == 生活・交通 == === 警察 === [[島根県警察]]本部の管轄にある。[[2005年]](平成17年)[[4月1日]]に再編が行われ、以下の12警察署が置かれている。 * [[松江警察署]](松江市):[[松江市]] * [[安来警察署]](安来市):[[安来市]] * [[雲南警察署]](雲南市):[[雲南市]]・[[奥出雲町]]・[[飯南町]] * [[出雲警察署]](出雲市):[[出雲市]] * [[大田警察署]](大田市):[[大田市]] * [[川本警察署]](川本町):[[川本町]]・[[美郷町 (島根県)|美郷町]]・[[邑南町]] * [[江津警察署]](江津市):[[江津市]] * [[浜田警察署]](浜田市):[[浜田市]] * [[益田警察署]](益田市):[[益田市]] * [[津和野警察署]](津和野町):[[津和野町]]・[[吉賀町]] * [[隠岐の島警察署]](隠岐の島町):[[隠岐の島町]] * [[浦郷警察署]](西ノ島町):[[海士町]]・[[西ノ島町]]・[[知夫村]] === 海上保安庁 === [[第八管区海上保安本部]]の管轄にある。 * 境海上保安部(鳥取県境港市) ** 隠岐海上保安署(島根県隠岐郡隠岐の島町) * 浜田海上保安部(島根県浜田市) === 交通 === ==== 空港 ==== * [[第三種空港]] ** [[出雲空港]][出雲縁結び空港](出雲市) ** [[石見空港]][萩・石見空港](益田市) ** [[隠岐空港]](隠岐の島町) ==== 鉄道 ==== 県内一帯で普通列車の本数は毎時1本以下となっており、県内における営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。 ; 現行の鉄道路線 * [[西日本旅客鉄道]] ** [[山陰本線]]([[安来駅]] - [[飯浦駅]]) ** [[木次線]]([[宍道駅]] - [[三井野原駅]]) ** [[山口線]]([[津和野駅]] - [[益田駅]]) * [[一畑電車]]([[2006年]](平成18年)4月に旧・一畑電気鉄道の持株会社化により新設分離) ** [[一畑電車北松江線|北松江線]](全線) ** [[一畑電車大社線|大社線]](全線) ; 廃止された鉄道路線 * 西日本旅客鉄道 ** [[大社線]]([[出雲市駅]] - [[大社駅]]) ** [[三江線]]([[江津駅]] - [[宇都井駅]]、[[口羽駅]] - [[作木口駅]]) * 旧・一畑電気鉄道([[2006年]](平成18年)4月の持株会社化による[[一畑電気鉄道|新・一畑電気鉄道]]移行以前) ** [[一畑電気鉄道広瀬線|広瀬線]](全線、[[荒島駅]] - 出雲広瀬駅) ** [[一畑電気鉄道立久恵線|立久恵線]](全線、出雲市駅 - 出雲須佐駅) ** 北松江線(一部、[[一畑口駅]] - [[一畑駅]]) * [[日ノ丸自動車]] ** [[日ノ丸自動車法勝寺電鉄線|法勝寺電鉄線]](不動尊駅 - 母里駅) ; 建設が凍結された鉄道路線([[未成線]]) * [[日本国有鉄道]] ** [[今福線]] * 西日本旅客鉄道 ** [[錦川鉄道錦川清流線|岩日北線]] ==== バス事業者 ==== 島根県内を運行する路線バス事業者(リムジンバス、デマンドバス、自治体バスを除く)。 * [[一畑バス]]・[[隠岐一畑交通]] * [[松江市交通局]](松江市バス) * [[石見交通]] * [[奥出雲交通]] * [[スサノオ観光]] * [[谷本ハイヤー]] * [[備北交通]] * [[大和観光 (島根県)|大和観光]] * [[防長交通]] * [[六日市交通]] ==== 道路 ==== ; 高速道路 * [[山陰自動車道]]([[安来インターチェンジ|安来]] - [[出雲インターチェンジ|出雲]]、[[出雲多伎インターチェンジ|出雲多伎]] - [[大田中央・三瓶山インターチェンジ|大田中央・三瓶山]]、[[仁摩・石見銀山インターチェンジ|仁摩・石見銀山]] - [[石見福光インターチェンジ|石見福光]]、[[江津インターチェンジ|江津]] - [[浜田ジャンクション|浜田JCT]]、浜田 - [[石見三隅インターチェンジ|石見三隅]]、[[遠田インターチェンジ|遠田]] - [[久城インターチェンジ|久城]]、[[高津インターチェンジ|高津]] - [[須子インターチェンジ|須子]]) * [[松江自動車道]]([[雲南吉田インターチェンジ|雲南吉田]] - [[宍道ジャンクション|宍道JCT]]) * [[浜田自動車道]]([[瑞穂インターチェンジ|瑞穂]] - 浜田) * [[中国自動車道]]([[六日市インターチェンジ|六日市]]) ;一般道路 * [[国道9号]] ** [[出雲バイパス]] ** [[江津道路]] * [[国道54号]] * [[国道180号]] * [[国道184号]] * [[国道186号]] * [[国道187号]] * [[国道191号]] * [[国道261号]] * [[国道314号]] * [[国道375号]] * [[国道431号]] * [[国道432号]] * [[国道485号]] * [[国道488号]] * [[島根県の県道一覧]] ==== フェリー・高速船 ==== * [[隠岐汽船]] === 医療・福祉 === {{Main|Category:島根県の医療機関}} ; [[災害拠点病院]] * [[島根県災害拠点病院]] ; [[保育所]] * [[島根県保育所一覧]] == 教育 == ===大学=== ====国立大学==== * [[島根大学]]([[松江市]]、[[出雲市]]) ====公立大学==== * [[島根県立大学]]([[浜田市]]、松江市、出雲市) なお、島根県内に本部を置く私立大学・短期大学はない<ref>[https://www.pref.shimane.lg.jp/education/kyoiku/shiritu/shiritu/ 私立学校] - 島根県総務部総務課</ref>。かつては[[島根中央女子短期大学]]が存在した。他都道府県に本部を置く大学のキャンパスはある。 ===通信制大学=== ====私立==== * [[放送大学|放送大学 島根学習センター]](松江市) ===短期大学=== ====公立==== * [[島根県立大学短期大学部]](松江市) ====私立==== * [[大阪健康福祉短期大学|大阪健康福祉短期大学 松江キャンパス・安来キャンパス]](松江市・安来市) ===高等専門学校=== ====国立==== * [[松江工業高等専門学校]](松江市) ===専修学校=== * [[島根県専修学校一覧]] ===特別支援学校=== * [[島根県特別支援学校一覧]] ===高等学校=== * [[島根県高等学校一覧]] ===中学校=== * [[島根県中学校一覧]] ===小学校=== * [[島根県小学校一覧]] ===幼稚園=== * [[島根県幼稚園一覧]] ===学校教育以外の施設=== ====農業大学校==== * [[島根県立農業大学校]](大田市、[[農業者研修教育施設]]) ====職業能力開発短期大学校==== * [[中国職業能力開発大学校附属島根職業能力開発短期大学校]](江津市、[[公共職業能力開発施設]]) ===図書館=== *[[島根県立図書館]] ===博物館=== *[[島根県立古代出雲歴史博物館]] *[[島根県立八雲立つ風土記の丘]] ===美術館=== *[[島根県立美術館]] == マスメディア == === 新聞 === *『[[山陰中央新報]]』(松江市) *『[[島根日日新聞]]』(出雲市) *『[[日本海新聞]]([[鳥取県]])、『[[中国新聞]]』(広島県)、『[[産経新聞]]』([[大阪府]])も一部地域で販売されている。 *『[[毎日新聞]]』『[[日本経済新聞]]』は東部(出雲、隠岐)では大阪本社、西部(石見)では[[福岡県]]の西部本・支社で発行された版が販売されている。そのため同一県内でありながら、同じ新聞でも記事の内容に違いがある([[旅行会社]]の[[広告]]の場合、東部では[[関西国際空港]]や[[大阪国際空港|伊丹空港]]、[[新大阪駅]]の出発が多いのに対し、西部では[[福岡空港]]や[[博多駅]]の出発が多くなっている)。なお、『[[朝日新聞]]』は[[2008年]](平成20年)に全県下が大阪本社発行版の販売に変更されており、『[[読売新聞]]』も[[2009年]](平成21年)6月1日から全県下で大阪本社発行版の販売に切り替わった。 === 情報誌 === *『[[山陰ウインク]]』(松江市) === 放送 === {{鳥取県・島根県の放送|state=collapsed}} ====テレビ局・ラジオ局==== * [[NHK松江放送局]](松江市) * [[山陰中央テレビジョン放送|さんいん中央テレビ (TSK)]] - [[フジニュースネットワーク|FNN]]:[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列(松江市) * [[エフエム山陰]](V-air、松江市) * [[鳥取県]]の[[山陰放送]](BSS。TBS系列)、[[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]] (NKT、日本テレビ系列)(テレビは松江がメイン送信所{{efn|BSSは鳥取県[[米子市]]が本社であるが、テレビ放送開始当初は東京・大阪・愛知などの大都市以外「1県1局」が原則であり、鳥取県は既にNKTが開局していた。これではこの原則を外れるのでやむを得ず島根県[[松江市]]に本局を構えた。このためラジオは鳥取・島根2県広域ながら、テレビは島根県だけが対象という変則状態が続いたが、その後NKT、TSKを含めた3局で相互乗り入れが行われるようになり今日に至っている。また一時期はこの名残で[[テレビ朝日]]系の[[ワイドショー]]がBSSとNKT同時放送か、同じ番組を時差ネットで放送したこともあった。詳細は[[山陰放送#テレビ放送開始とエリア拡大]]参照。}})を含め、[[電波相互乗り入れ#乗り入れの経緯とその後|山陰準広域圏]]を形成している。島根県にはフジテレビ系以外の民放テレビ局はない。更に山陰地方には [[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]([[テレビ朝日]])系列局や[[TXNネットワーク|TXN]]([[テレビ東京]])系列局もないため、ケーブルテレビ経由で県外の系列局を視聴する形となっている{{efn|テレビ東京系は松江市と安来市、後発局であることとエリア内での受信ができないことを理由に同意が得られない平田地区を除いた出雲市のみ、[[独立放送局]]は松江市と安来市、出雲市の平田地区のみ視聴可能。}}。テレビ朝日系に関しては[[キー局]]のテレビ朝日が松江支局を島根県の取材拠点として設置。[[益田市]]・[[鹿足郡]]を除く県西部については[[広島ホームテレビ]]、益田市・鹿足郡については[[山口朝日放送]]が取材担当している。 ====ケーブルテレビ局==== {{See|Category:島根県のケーブルテレビ局}} ====コミュニティFM==== * [[エフエムいずも]] ====島根県の電波事情==== 島根県は平地が少なく起伏に富んだ地形の地域が多い。そのため、テレビやラジオの受信環境は必ずしも安定しているとは言えない。そのため、共聴設備やケーブルテレビ経由での受信が必須となる地域も多い。また、[[朝鮮半島]]に近いこともあって韓国などの電波との混信も少なくなかったが、[[地上デジタルテレビ放送]]やケーブルテレビ網の整備、[[FM補完中継局]]の開始とともに解消されつつある。 {{節スタブ}} === 通信社 === * [[共同通信社]]松江支局 * [[時事通信社]]松江支局 == 文化・スポーツ == === 方言 === * [[雲伯方言]]([[出雲方言|出雲弁]]、[[雲伯方言|安来弁]]、[[隠岐方言|隠岐弁]]など) * [[石見弁]] === 食文化 === {{See also|Category:島根県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#島根県}} * [[宍道湖七珍]] * [[ぼてぼて茶]] * [[出雲そば]] * [[うずめ飯]] * [[サザエカレー]] * [[トビウオ|あご]][[野焼き (曖昧さ回避)|野焼]] * [[松江おでん]] ; 郷土銘菓 * [[山川 (菓子)|山川]] * [[若草]] * [[俵まんぢう]] * [[松江和菓子]] * [[中浦食品#主な商品|どじょう掬いまんじゅう]] * [[鶏卵饅頭]] * [[源氏巻]] === 住文化 === * [[石州瓦]] === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[石見焼]](陶磁器、[[1994年]]) * [[石州和紙]](和紙、[[1989年]]) * [[雲州そろばん]](文具、[[1985年]]) * [[出雲石燈ろう]](石工品・貴石細工、[[1976年]]) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#島根県}} === スポーツ === ; チーム {{See also|Category:島根県のスポーツチーム}} * [[島根スサノオマジック]]:[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|B.LEAGUE]]所属。 * [[FC神楽しまね]]([[松江市]]):[[日本フットボールリーグ|JFL]]所属。 * [[SC松江]]([[松江市]]):島根県社会人サッカーリーグ所属。 * [[浜田FCコスモス]]([[浜田市]]):[[中国サッカーリーグ]]所属。 * E-WING出雲([[出雲市]]):島根県社会人サッカーリーグ所属。 * [[Selrio島根]]([[奥出雲町]]):[[ホッケー日本リーグ]]所属。 * [[MJG島根]]([[松江市]]):県内唯一の[[日本野球連盟]]加盟チーム。 * [[ポルセイド浜田]](浜田市):[[日本フットサルリーグ|Fリーグ]]所属。 ; 大会 * [[出雲全日本大学選抜駅伝競走]](出雲駅伝) * [[まつえレディースハーフマラソン]] * [[スイムランIN多伎]] * [[萩・石見空港マラソン全国大会]] * [[隠岐の島ウルトラマラソン]] == 観光 == {{Main|島根県の観光地}} {{also|中国地方の史跡一覧#島根県|島根県の神社一覧|島根県の城}} === 文化財 === {{main|島根県指定文化財一覧}} ; 世界遺産 * [[石見銀山|石見銀山遺跡とその文化的景観]](大田市) ; 無形文化遺産 * [[石州和紙|石州半紙]](浜田市) ; 国宝 * [[出雲大社]]本殿(出雲市) * [[神魂神社]]本殿(松江市) * 秋野鹿[[蒔絵]]手箱(出雲大社) * 白糸威鎧([[日御碕神社]]) * [[加茂岩倉遺跡]]出土[[銅鐸]](雲南市) * [[荒神谷遺跡]]出土品(出雲市) * [[松江城]](松江市) ; 重要伝統的建造物群保存地区 * [[大森 (大田市)|大森]](大田市) * [[温泉津]](大田市) ; 重要文化財 {{main|Category:島根県の重要文化財}} ; 重要無形民俗文化財 * [[佐陀神能]](松江市鹿島町) * [[隠岐国分寺蓮華会舞]](隠岐郡隠岐の島町) * 大元神楽(江津市桜江町) * [[隠岐の田楽と庭の舞]](隠岐郡西ノ島町) * [[鷺舞|津和野弥栄神社の鷺舞]](津和野町) * [[五十猛のグロ]](大田市) * 大土地[[神楽]](出雲市大社町) ; 国の名勝 * [[菅田庵]](松江市) * 万福寺庭園(益田市) * 医光寺庭園(益田市) * [[千丈渓]](江津市桜江町) * 美保の北浦(松江市美保関町) * [[断魚渓]] * [[布施海岸|隠岐布施海岸]](隠岐の島町) * [[立久恵峡|立久恵]](出雲市) * [[鬼の舌震]](奥出雲町) * [[潜戸]](松江市島根町) * [[知夫赤壁|隠岐知夫赤壁]](知夫村) * 隠岐白島海岸(隠岐の島町) * [[国賀海岸|隠岐国賀海岸]](西ノ島町) * 隠岐海苔田ノ鼻(隠岐の島町) * 旧堀氏庭園(鹿足郡津和野町) === 祭事 === {{main|Category:島根県の祭り}} * [[松江水郷祭湖上花火大会|松江水郷祭]](松江市) * [[ホーランエンヤ (島根県)|ホーランエンヤ]](松江市) === 郷土芸能・民謡 === {{main|Category:島根県の音楽}} * [[安来節]] * [[石見神楽]] == 島根県を舞台とした作品 == {{See|島根県を舞台とした作品一覧}} === 映画 === * [[砂の器]](1974年) * [[男はつらいよ 寅次郎恋やつれ]](1974年) * [[釣りバカ日誌スペシャル]](1994年) * [[もののけ姫]](1997年) * [[未来日記 (ウンナンのホントコ!)|未来日記]]映画版 〜The Future Diary On The Film〜 (2000年) * [[DEAD OR ALIVE 2 逃亡者]](2000年) * [[青の瞬間]](2001年) * [[白い船]](2002年) * [[アイ・ラヴ・ピース]](2003年) * [[菅井君と家族石|菅井君と家族石_THEMOVIE]](2004年) * [[天然コケッコー]](2007年) * [[さくら (2007年の映画)|さくら]](2007年) * [[砂時計 (漫画)|砂時計]](2008年) * [[うん、何?]](2008年) * [[秘密結社鷹の爪|秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE2〜私を愛した黒烏龍茶〜]](2008年) * [[私は貝になりたい]](2008年) * [[銀色の雨]](2009年) * [[RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語]](2010年) * [[瞬 またたき]](2010年) * [[ゲゲゲの女房 (映画)|ゲゲゲの女房]](2010年) * [[高津川 (映画)|高津川]] (2019年) === テレビドラマ === * [[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]] (1978年、[[日本放送協会|NHK]]) - [[鹿島町 (島根県)|鹿島町]]・[[八束町]] * [[日本の面影]] (1984年、NHK) ** ニューオリンズから ** 神々の国の首都 ** 夜光るもの ** 生と死の断章 * [[いつかまた逢える]] (1995年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) * [[砂の器#テレビドラマ|砂の器]] (2004年、[[TBSテレビ|TBS]]) * [[人間交差点|新・人間交差点]] (2006年、NHK) * [[砂時計 (漫画)|砂時計]] (2007年、TBS) * [[温泉若おかみの殺人推理|温泉若おかみの殺人推理 出雲〜玉造温泉、縁結び連続殺人!!大凶おみくじが事件を呼ぶ!?]] (2007年、[[テレビ朝日]]) * [[島根の弁護士]] (2007年、フジテレビ) * [[先生の秘密]] (2007年、NHK) * [[だんだん]](2008年 - 2009年、NHK[[連続テレビ小説|朝の連続テレビ小説]]) * [[ゲゲゲの女房]] (2010年、NHK朝の連続テレビ小説) * [[99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜]] (2010年、TBS) * [[母さん、俺は大丈夫]] (2015年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) * [[VIVANT]](2023年、TBS「[[日曜劇場]]」) - [[奥出雲町]]・[[松江市]] === 小説 === * [[怪談 (小泉八雲)|怪談]]([[小泉八雲]]) * 松江印象記([[芥川龍之介]]) * [[砂の器]]([[松本清張]]) * [[出雲阿国]]([[有吉佐和子]]) * 終焉([[杉本苑子]]) * 才市([[水上勉]]) * 夢のズッコケ修学旅行([[那須正幹]]、[[前川かずお (絵本作家、漫画家)|前川かずお]]) === 漫画 === * [[島根の弁護士]]([[香川まさひと]]、[[あおきてつお]]) * [[天然コケッコー]]([[くらもちふさこ]]) * [[BLUE SEED|碧奇魂ブルーシード]]([[高田裕三]]) * [[砂時計 (漫画)|砂時計]]([[芦原妃名子]]) * [[蔵人 (漫画)|蔵人]]([[尾瀬あきら]]) * [[りびんぐゲーム]]([[星里もちる]]) - 主人公の一人、氷山一角が島根県出身。一時帰郷したことから島根が作中に登場する。 * [[オムライス (漫画)|オムライス]] - 主人公の一人、今井光が松江市出身。単行本4巻から5巻にかけて松江に帰郷する。 * 青空([[原秀則]]) * [[かみあり]]([[染屋カイコ]]) * [[八雲立つ]]([[樹なつみ]]) * [[天体戦士サンレッド]]([[くぼたまこと]]) - ホライという島根県出身の怪人が出てくる * [[バナナ・フィッシュ]]([[BANANA FISH]]、[[吉田秋生]]) - 主人公の1人、奥村英二は出雲市出身という設定。 * [[シャーマンキング]]([[武井宏之]]) - 主人公の麻倉葉(あさくらよう)は出雲市出身。第6巻で出雲大社の神門通り、[[出雲日御碕灯台]]、[[三瓶山]]などが出てくる。 * [[美味しんぼ]] * [[水木しげるの古代出雲]]([[水木しげる]]) *ナイーヴ([[二宮ひかる]]) - 主人公の一人、藤沢麻衣子の父親は家族を捨てて失踪中であったが、松江に住んでいることが作中で判明。病気見舞いのため松江市を訪れる。父は大学の卒論のテーマに小泉八雲を扱い、幼いころの麻衣子にも『[[怪談 (小泉八雲)|怪談]]』の話をしていた。 * [[シノハユ]]([[五十嵐あぐり]]) - 作中に[[玉造温泉]]、[[くにびき]]メッセなどが登場する。 === アニメ === * [[蛙男商会]] - Flashアニメブランドの[[蛙男商会]]([[FROGMAN|FROGMAN(小野亮)]])の本拠が島根県内に置かれているため、県内各地が作中の舞台やネタとして登場する。 ** [[菅井君と家族石]] - 『菅井君と家族石_THEMOVIE』も島根が舞台である。 ** [[秘密結社鷹の爪]] ** [[THE FROGMAN SHOW]] ** [[秘密結社鷹の爪 カウントダウン]] * [[デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!]] - ヤマトとタケルが島根の祖母の家を訪れるシーンがある。 * [[BLUE SEED]] ** [[BLUE SEED|BLUE SEED2]] * [[かみちゅ!]] - 後半で主人公が出雲の中学校へ転校 === ゲーム === * [[ルートレター]] * [[Root Film]] == 島根県出身の人物 == {{Main|島根県出身の人物一覧}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[:Category:島根県の建築物|島根県の建築物]] * [[:Category:島根県の自然景勝地|島根県の自然景勝地]] * [[日本の地方公共団体一覧]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] * [[しまねっこ]] * [[リメンバーしまね]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/島根県}} {{Wiktionary}} {{Wikiquote}} {{Commons&cat}} {{Wikivoyage|ja:島根県}} {{osm box|r|3346137}} * 行政 ** {{Official website}} * 観光 ** [https://www.kankou-shimane.com/ しまね観光ナビ] - 島根県観光連盟 * 地図 ** {{Osmrelation|3346137}} ** [http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/code/?島根県 島根県 | 歴史的行政区域データセットβ版] - Geoshapeリポジトリ(<small>左側基準年月日のチェック操作で</small>行政区域の変遷を見ることができる) ** {{Googlemap|島根県}} {{S-start}} {{S-bef|before=[[松江県]]・[[母里県]]・[[広瀬県]]<hr />[[浜田県]]|表記=前}} {{S-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1871年]] -|years2=}} {{S-aft|after=-----|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{島根県の自治体}} {{島根県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:しまねけん}} [[Category:島根県|* しまねけん]] [[Category:日本の都道府県]]
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徳島県
徳島県(とくしまけん)は、日本の四国地方に位置する県。県庁所在地は徳島市。 四国の東部に位置する。県北部は粟が多く収穫されたことから「粟国」(あわのくに)、県南部は「長国」(ながのくに)であったが、後に統合され、令制国では阿波国(あわのくに)と呼ばれていた。大鳴門橋・明石海峡大橋や南海フェリーなどで関西との結びつきが強い。そのため県として近畿地方の影響を強く受けており、経済や方言(阿波弁)の面で顕著である。 吉野川や那賀川、四国山地、讃岐山脈、紀伊水道をはじめとする自然が多く残っており、鳴門の渦潮や祖谷渓、大歩危・小歩危、阿波土柱などの観光資源や、江戸時代より約400年の伝統がある阿波踊りなどの文化を有する。産業では農作物(すだち、にんじん、鳴門金時など)と畜産(阿波牛、阿波ポーク、阿波尾鶏)、化学工業が盛んである。 県北部を横断する吉野川は、四国山地と讃岐山脈の間を縫うように流れ、紀伊水道に流れ注ぐ。また、吉野川に沿うようにして徳島平野を形成している。吉野川の流れるラインは、中央構造線とほぼ一致している。県西や県南西は険しい山々が連なる。 豊かな自然と先進的な技術に支えられる一方で、少子高齢化や若者の都市部への流出に伴う著しい人口減少や、近い将来起こると予測される南海トラフ巨大地震などの課題も抱える。県の人口は2000年以降想定を上回る急激なペースで減少しており、2023年4月に70万人を下回った。また、明石海峡大橋の開通後は買い物客の神戸・大阪への流出も激しく、2020年に徳島市にあった徳島そごうが閉店したことで、山形県とともに一時的に県内に百貨店が存在しない県となった(その後跡地には高松三越が出店)。なお、徳島市中央市街地郊外にゆめタウン徳島(藍住町)やイオンモール徳島(徳島市南末広町)が進出し、ドーナツ化現象が顕著に見られている。 北部の徳島平野と県南部阿南市のある那賀川平野を除いては全体的に山地の多い地形で、特に徳島平野以南に峙える四国山地は西日本でも有数の険しい山岳地帯となっており、県総面積の約75%を森林が占めている。この山々は昔から現在に至るまで四国内の物流や交流の大きな障害となって来た。その一方で、山間部からは吉野川、勝浦川、那賀川など、水量の豊富な河川が多数流れ出しており、豊かな水資源をもたらしてくれている。河川が少なく水不足に陥りやすい隣の香川県とは対照的であるが、逆に治水に長年悩まされている。また那賀川下流域ではほぼ毎夏、工業用水などの渇水が深刻化している。なお徳島県内で最長の河川は吉野川(徳島県側延長109km※)ではなく那賀川(延長125km)である(※総延長194kmから高知県側85km を引き算出)。 国土地理院地理情報 によると徳島県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは107.37 km、南北の長さは79.03kmである。 一般的にどの地域も温暖で、夏季と秋季は多雨となり冬季の降水量や降雪量は少ない。概ね徳島平野以北は瀬戸内海式気候、四国山地以南は太平洋側気候に属する。 徳島平野に当たる地域は典型的な海洋性気候で、年中温暖で放射冷却が起きにくく氷点下まで下がることは稀である。日照時間が全国でも指折りの多い地域である。徳島市や吉野川市のある吉野川以南の地域は瀬戸内海式気候に属するが、梅雨、秋雨、台風やそれに伴う太平洋からの湿った気流の影響を夏から秋に受けやすいため、一般的な瀬戸内海式気候とはやや異なる。鳴門市や阿波市付近の吉野川以北に当たる地域は典型的な瀬戸内海式気候となっており、温暖少雨である。山間部(勝浦郡付近)は県南部の気候に近く朝晩は冷え込み、平野部に比べると降水量も多く、南海型太平洋側気候に属する。 全域が内陸性の気候で、朝晩は放射冷却が起きやすく日較差も大きい。冬は季節風の風上側となることや南岸低気圧の影響で雪も県北東部に比べると降雪・積雪しやすく、山間部では路面凍結も多い。徳島平野に当たる平野部は典型的な瀬戸内海式気候で隣の香川県や愛媛県の気候に近い。四国山地である山間部(祖谷地方など)では太平洋側気候に当たり、降水量が多く県南部や高知県の気候に近い。 全域が典型的な南海型太平洋側気候であり、沿岸部は年中温暖で日照時間も多い地域であるが、山がちである為に県北東部に比べて日較差が大きい。また、四国山地に当たる山間部は台風や梅雨、秋雨の季節には記録的な降水量になることが多いなど、日本で最も降水量が多い地域の一つである。高知県と和歌山県に距離が近いため「台風銀座」の一角に位置し、この地域を通過した台風は紀伊水道から大阪湾に向かうことが多いため、近畿地方に被害を与えることが多い。 以下の8市8郡15町1村がある。徳島県の構成町村は、町はすべて「ちょう」、村は「そん」と読む。かつて現在の美馬市に存在した脇町は、唯一の例外として、「まち」と読んでいた。 県庁所在地かつ県内で人口最多の徳島市は将来的な中核市移行の構想を有しているものの、2022年時点では徳島県は全国で唯一政令指定都市・中核市・特例市・保健所政令市・計量特定市のいずれも持たない都道府県となっている。 地域としては東部と南部、西部に分かれる。愛媛県における東予・中予・南予、香川県における東讃・中讃・西讃のような地域の呼称は一般的ではなく、「東部」・「南部」・「西部」と呼ぶ。中央地区を除いて人口密集地の東部のみを「東部」と呼ぶこともある。名西郡以西を「西部」と呼ぶこともある。 北部は香川県との繋がりがあるが、県都・徳島市から西へ離れるにつれて徳島県の影響力が弱まり、相対的に香川県の影響力が強まる傾向にある。県内地域間の人口移動は東部への移動が大半で西部や南部への人口移動は少なく、西部・南部間の移動は皆無に近い状況である。 徳島県の出先機関である南部総合県民局と西部総合県民局についても関連を示した。 県内では京阪神との繋がりが最も深い地域であり、近畿圏の一部として扱われる場合もある。その一方で四国他県や中国地方との繋がりは浅く、言葉や方言なども含め、ほぼ完全な近畿志向の地域となっている。政経両面において、近畿の一員として扱われることも珍しくない。大阪市の民放各局(読売テレビを除く)のニュース番組では正確を期するため、「近畿と徳島」という表現がなされている。 2市を中央地区とする区分もある。ほぼ完全に徳島都市圏に組み込まれている。 沿岸部の他、内陸部でも在阪民放のテレビが視聴できるため、関西志向が強い。その一方で県内では道路整備が比較的遅れている地域である。 総面積の約33%を占める。県の北東部とは異なり、近畿地方に加えて香川県・愛媛県をはじめとする四国他県や中国地方(特に瀬戸内海側)との交流が盛んで、さらに2000年以降は松山自動車道の開通により、それまでの高松市に加え、愛媛県四国中央市や新居浜市のショッピングセンターなどにもしばしば買い物へ出掛けるようになった。そのため、同じ県内でも北東部在住の県民と北西部在住の県民とでは交流面での感覚が異なっている。 瀬戸大橋開通後は、山陽地方の岡山市などへ気軽にアクセスできるようになっている。 県都から離れた中山間地のため、かつては権力者の力が末端まで及ばず、権力者の支配への抗争が多発していた。山岳武士が権力者の主導する改宗に反抗したり、6つの山村を中心に百姓一揆が連鎖発生したりして大きな動きとなった。 別子銅山、土佐藩の参勤交代道、借耕牛や金毘羅宮参拝などを通じた他県との交流も知られている。 約2万年前の遺物と推定できる国府型ナイフ形石器 が、徳島県域でも49遺跡から見つかっている。戦国時代には、三好郡を拠点にしていた三好氏が、東四国から山城国までの八国を支配した。豊臣秀吉の四国平定により、阿波国は蜂須賀氏が封ぜられ、その統治は明治維新まで続いた。 元々、徳島市は名東郡に属する都市だったので、廃藩置県の第一次府県統合(明治4年(1871年))当時の徳島県は、名東県という名称であった。当初の名東県は、現在の徳島県に当たる旧阿波国の外に、旧淡路国(淡路島)も範囲とされた。さらに、1873年(明治6年)2月20日には香川県も編入した。 しかし、第二次府県統合により、1875年(明治8年)9月5日に旧讃岐国部分が香川県として分立再置県され、明治3年(1870年)の庚午事変(稲田騒動)で敵対した淡路国が1876年(明治9年)8月21日に兵庫県に編入され、阿波国部分は高知県に編入された。 この後の1880年(明治13年)3月2日に、旧名東県が高知県から分離されて、現在の徳島県が発足した。 なお、宮武外骨の説では、徳島藩は当初「曖昧藩」だったから、徳島藩の首府であった徳島市の所在する名東郡から名前を取って「名東県」となったということになる。しかし、復活の際に、なぜ都市名を取った「徳島県」に変更されたのかは定かではない。 徳島県の人口は2023年10月時点で69.5万人であり、全国44位。人口が70万人を下回る県は本県と高知県、島根県、鳥取県だけである。 明治時代初期、当時の衣服の染料として用いられていた藍の栽培によって全国屈指の人口の規模を記録したこともあったが、間もなく訪れた産業革命での綿織物、次いで化学繊維の台頭によってその需要は著しく低下し、明治から昭和にかけての人口増加の時期に他の都道府県に大きく後れを取った。 人口のピークは1956年の87万人余りで、それから半世紀後の2007年に80万人を割り込んだ。2023年4月1日の推計で70万人を割り込み、およそ1世紀ぶりに60万人台となった。 徳島県の合計特殊出生率は2019年の時点で1.46であり、人口の維持に必要な2.07までは程遠く、人口の自然減に歯止めがかかっていない。また、大鳴門橋と明石海峡大橋の開通、高松自動車道の開業でストロー効果によって大学進学や就職を機に近畿地方や首都圏、さらには他の四国各県に人口が流出し社会減ともなっている。 市町村別でみると、徳島市中心地の地価高騰に伴い、ドーナツ化現象が顕著に起こっている。車で徳島市中心部に30分程度で通勤でき、かつ子育て支援政策に乗り出した藍住町や北島町などに人口が流入し、四国でも数少ない人口増加の地域となっている。徳島市西方の石井町も、鉄道が中心部を走るアクセスの良さから人口が流入し、社会増となった時期もあった。また、山間部の神山町も、IT企業誘致や現役世代重視の政策の影響で2019年から社会増となっている。一方、核都市である徳島市、鳴門市、阿南市は減少を続けている。また、県西や県南は減り続けており、存続が危ぶまれる、または消滅した集落も多くある。 地方債残高 衆議院の小選挙区が2だが、2012年衆院選以前は3であった。参議院では、徳島県選挙区として全県で1区を構成していたが、2016年の第24回参議院議員通常選挙より高知県選挙区と合区され、高知県とともに1区を構成する合同選挙区が創設された。 徳島県によると、県民総生産(名目)は2018年で3兆1733億円であり、経済成長率は1.3%である。名目GDPは全国43位と低調であるが、一人当たりで換算すると431万円で全国14位と健闘している。県平均での産業別のGDPの割合は、第1次産業が2.0%,第2次産業が34.4%,第3次産業が62.9%となっている。 製造出荷額は、2019年で1兆9081億円で全国39位であり、2018年において最も出荷額等が多い業種は、化学工業の5,632億円(製造業全体の30.4%)。次いで多いのは、電子部品・デバイス・電子回路製造業(4,419億円、23.8%)、食料品製造業(1,437億円、7.8%)、パルプ・紙・紙加工品製造業(1,206億円、6.5%)となっている。徳島市をはじめとした県東一帯は国から新産業都市の指定を受けている地域であり、徳島県が比較的工業県の傾向が大きいのはこれによる影響も大きい。徳島県で作られた製品の多くは、神戸淡路鳴門自動車道を通って京阪神へ輸出される。 東京商工リサーチの調査で、都道府県別の人口に対する社長の「輩出率」が2017年より首位。理由として、阿波商人の気質や関西圏との交流の深さが挙げられている。 徳島県は中心都市を徳島市とし、三好市や海陽町など一部の地域を除いてほぼすべての市町村で徳島都市圏を形成している。徳島都市圏は四国では高松都市圏に次いで人口が多い。 河口付近では野菜の生産が盛んであり、主に京阪神方面へと出荷されている。徳島県の食料自給率は、2016年の時点でカロリーベースで43%、生産額ベースで131%である。 酪農が盛んに行われており、吉野川市鴨島町には「牛島」(うしのしま。酪農が地名の由来)という名称の地域もある。 最近は酪農経営・乳牛数共に全盛期の4分の1に落ち込んでいる反面、徳島市における牛乳消費量は都道府県庁所在地の中では最も高い。 現在は県内唯一の牛乳メーカーである日本酪農協同(毎日牛乳)の徳島工場が徳島市内にある。またかつては、名西郡石井町に森永乳業の徳島工場(2011年(平成23年)9月30日に閉鎖)が、吉野川市(旧:麻植郡鴨島町)に旧明治乳業(現:株式会社明治)の徳島工場があった。 近年、県内のベンチャーが、人口爆発に伴うタンパク源の供給を目的に、コオロギの養殖に取り組んでいる。 県南西部の那賀郡には豊かな森林地帯があり、那賀町の旧那賀町や旧木沢村、旧木頭村を中心に行われているが、高齢化により後継者不足やそれに伴う森林の手入れの問題に悩まされている。県は若手の林業従事者育成のため、那賀高校に森林クリエイト科を設置した。また、菌床栽培を含む生シイタケの生産量は日本一である。 徳島県の交通事故死者数は、2018年で人口10万人当たり4.17人で全国34位、2019年で人口10万人当たり5.57人で全国ワースト1位となったが、2020年は全国25位となった。しかし、全国平均は超えている。徳島県では交通マナーの悪さが社会問題になっており、警察は街中での呼びかけだけでなく、学校や職場での啓発活動が行われている。 最大の駅徳島駅の1日の乗降者数平均は2019年で16258人であり、四国では高松駅に次いで2位である。県内の路線はすべて赤字である。利用者の大半は徳島市中心部への通勤・通学であるため、徳島市から離れている県南や県西では、人口の少ないこともあり利用者はかなり少ない。平均通過人員で計算すると、徳島線では、徳島駅から18.9kmの地点にある途中主要駅鴨島駅までの利用者数が全体の63%、牟岐線では、徳島駅から24.5kmの地点にある途中主要駅阿南駅までの利用者数が83.4%を占めている。徳島駅を発着する特急列車は、高徳線で徳島駅と高松駅(1日に数本岡山駅と直通)を結ぶうずしお、徳島線で徳島駅と阿波池田駅を結ぶ剣山、牟岐線で徳島駅と牟岐駅を結ぶむろとがある。徳島県とつながりの深い京阪神に鉄道で行くためには、高松駅と岡山駅を経由する必要がある。 ホームが面する線路の数が最も多いのは、県庁所在地の徳島駅(3面4線)ではなく、県西の阿波池田駅(3面5線)である。高架駅舎は、佐古駅、海部駅、宍喰駅の3駅が存在する。橋上駅舎は、阿南駅のみである。全国47都道府県で唯一、電化区間が全く存在せず、歴史的にも存在したことがない。そのため徳島県には「電車」が一切走っていない。また、複線区間も存在しない。なお、2018年夏以降は、47都道府県で唯一自動改札機設置駅が存在せず、歴史上存在したこともない都道府県であり、それに伴い2020年7月現在、日本で唯一鉄道施設内において交通系ICカード全国相互利用サービスが一切使えない(簡易チャージ機も存在しない)県である。日中の普通列車の本数は徳島市近郊区間 で毎時2本程度、それ以遠では毎時1本足らずとなっている。また、県内における営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。 現在、徳島県には新幹線は通っていない。ただ、四国新幹線と四国横断新幹線が構想として存在する。香川県と岡山県の間に架かっている瀬戸大橋は、既に新幹線規格で建設され、また鉄道が通っているため、これを利用し岡山駅 - 宇多津駅 - 高知駅を結ぶ四国横断新幹線は、費用面からも現実的な路線として構想されている。これを基軸とする場合、徳島県には岡山駅と高知駅の間を結ぶ途中駅として阿波池田駅、宇多津駅から高松方面に伸びた路線を延長して徳島市内に駅がそれぞれ設けられる構想となっている。 しかし、徳島県にとっては、岡山駅経由で本州に出ることよりも、大鳴門橋と淡路島を経由して本州に直接出ることの方が重要である。そのため、徳島県としては、新大阪駅から淡路島を通り、徳島県、香川県、愛媛県、最終的には豊予海峡を通って大分県に通じる四国新幹線の建設に前向きである。この四国新幹線は、四国の人口密集地域を通るため、収益がある程度は見込まれているが、明石海峡大橋が建設された際に鉄道構想を放棄したため(大鳴門橋は新幹線規格で建設)、紀淡海峡または明石海峡に海底トンネルを建設する必要がある。 国立 私立 私立 私立 国立 私立 テレビ草創期から、徳島県のテレビ放送は長年にわたってNHKと四国放送の2局3波である。デジタルテレビ・県域FM局・四国放送ラジオのFM補完放送のメイン中継局はいずれも眉山に置かれている。四国放送は通常時終夜放送を実施している。 テレビ黎明期の1959年にNHK徳島放送局と四国放送がテレビ放送を開始して以降、県内の放送局は開局していない。その為、電波の海上伝搬を利用して近畿広域圏のテレビ局の視聴者が県内に多数存在する。しかしアナログ放送からデジタル放送への移行にあたって、近畿圏の局が視聴不能となる地域が続出する事が判明。その為、県は国の援助を得て県内のケーブルテレビ局加入促進策を打ち出した。 ケーブルテレビの世帯普及率は2020年3月末時点で90.5%に達しており、全都道府県で1位である。四国放送が加盟する日本テレビ系列以外の局の関西圏などからの受信に用いられている。 日本アマチュア無線連盟 (JARL) を免許人とするアマチュア無線用中継局が県内各所に設置されている。徳島県のレピータは南部の JR5VR を除き、都市・集落が多くある吉野川周辺設置されている特徴がある。 徳島県内で話される方言は徳島弁(阿波弁)と呼ばれる。四国方言に分類されるが、特に県東部で、近畿方言の影響を強く受けている。 姉妹自治体・提携自治体は、以下の通り。 近年は映画ロケの誘致に力を入れており、有名なものでは『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』や『虹をつかむ男』、『バルトの楽園』の舞台となった。
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"以下の8市8郡15町1村がある。徳島県の構成町村は、町はすべて「ちょう」、村は「そん」と読む。かつて現在の美馬市に存在した脇町は、唯一の例外として、「まち」と読んでいた。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "県庁所在地かつ県内で人口最多の徳島市は将来的な中核市移行の構想を有しているものの、2022年時点では徳島県は全国で唯一政令指定都市・中核市・特例市・保健所政令市・計量特定市のいずれも持たない都道府県となっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "地域としては東部と南部、西部に分かれる。愛媛県における東予・中予・南予、香川県における東讃・中讃・西讃のような地域の呼称は一般的ではなく、「東部」・「南部」・「西部」と呼ぶ。中央地区を除いて人口密集地の東部のみを「東部」と呼ぶこともある。名西郡以西を「西部」と呼ぶこともある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "北部は香川県との繋がりがあるが、県都・徳島市から西へ離れるにつれて徳島県の影響力が弱まり、相対的に香川県の影響力が強まる傾向にある。県内地域間の人口移動は東部への移動が大半で西部や南部への人口移動は少なく、西部・南部間の移動は皆無に近い状況である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "徳島県の出先機関である南部総合県民局と西部総合県民局についても関連を示した。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "県内では京阪神との繋がりが最も深い地域であり、近畿圏の一部として扱われる場合もある。その一方で四国他県や中国地方との繋がりは浅く、言葉や方言なども含め、ほぼ完全な近畿志向の地域となっている。政経両面において、近畿の一員として扱われることも珍しくない。大阪市の民放各局(読売テレビを除く)のニュース番組では正確を期するため、「近畿と徳島」という表現がなされている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "2市を中央地区とする区分もある。ほぼ完全に徳島都市圏に組み込まれている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "沿岸部の他、内陸部でも在阪民放のテレビが視聴できるため、関西志向が強い。その一方で県内では道路整備が比較的遅れている地域である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "総面積の約33%を占める。県の北東部とは異なり、近畿地方に加えて香川県・愛媛県をはじめとする四国他県や中国地方(特に瀬戸内海側)との交流が盛んで、さらに2000年以降は松山自動車道の開通により、それまでの高松市に加え、愛媛県四国中央市や新居浜市のショッピングセンターなどにもしばしば買い物へ出掛けるようになった。そのため、同じ県内でも北東部在住の県民と北西部在住の県民とでは交流面での感覚が異なっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "瀬戸大橋開通後は、山陽地方の岡山市などへ気軽にアクセスできるようになっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "県都から離れた中山間地のため、かつては権力者の力が末端まで及ばず、権力者の支配への抗争が多発していた。山岳武士が権力者の主導する改宗に反抗したり、6つの山村を中心に百姓一揆が連鎖発生したりして大きな動きとなった。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "別子銅山、土佐藩の参勤交代道、借耕牛や金毘羅宮参拝などを通じた他県との交流も知られている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "約2万年前の遺物と推定できる国府型ナイフ形石器 が、徳島県域でも49遺跡から見つかっている。戦国時代には、三好郡を拠点にしていた三好氏が、東四国から山城国までの八国を支配した。豊臣秀吉の四国平定により、阿波国は蜂須賀氏が封ぜられ、その統治は明治維新まで続いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "元々、徳島市は名東郡に属する都市だったので、廃藩置県の第一次府県統合(明治4年(1871年))当時の徳島県は、名東県という名称であった。当初の名東県は、現在の徳島県に当たる旧阿波国の外に、旧淡路国(淡路島)も範囲とされた。さらに、1873年(明治6年)2月20日には香川県も編入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "しかし、第二次府県統合により、1875年(明治8年)9月5日に旧讃岐国部分が香川県として分立再置県され、明治3年(1870年)の庚午事変(稲田騒動)で敵対した淡路国が1876年(明治9年)8月21日に兵庫県に編入され、阿波国部分は高知県に編入された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "この後の1880年(明治13年)3月2日に、旧名東県が高知県から分離されて、現在の徳島県が発足した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "なお、宮武外骨の説では、徳島藩は当初「曖昧藩」だったから、徳島藩の首府であった徳島市の所在する名東郡から名前を取って「名東県」となったということになる。しかし、復活の際に、なぜ都市名を取った「徳島県」に変更されたのかは定かではない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "徳島県の人口は2023年10月時点で69.5万人であり、全国44位。人口が70万人を下回る県は本県と高知県、島根県、鳥取県だけである。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "明治時代初期、当時の衣服の染料として用いられていた藍の栽培によって全国屈指の人口の規模を記録したこともあったが、間もなく訪れた産業革命での綿織物、次いで化学繊維の台頭によってその需要は著しく低下し、明治から昭和にかけての人口増加の時期に他の都道府県に大きく後れを取った。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "人口のピークは1956年の87万人余りで、それから半世紀後の2007年に80万人を割り込んだ。2023年4月1日の推計で70万人を割り込み、およそ1世紀ぶりに60万人台となった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "徳島県の合計特殊出生率は2019年の時点で1.46であり、人口の維持に必要な2.07までは程遠く、人口の自然減に歯止めがかかっていない。また、大鳴門橋と明石海峡大橋の開通、高松自動車道の開業でストロー効果によって大学進学や就職を機に近畿地方や首都圏、さらには他の四国各県に人口が流出し社会減ともなっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "市町村別でみると、徳島市中心地の地価高騰に伴い、ドーナツ化現象が顕著に起こっている。車で徳島市中心部に30分程度で通勤でき、かつ子育て支援政策に乗り出した藍住町や北島町などに人口が流入し、四国でも数少ない人口増加の地域となっている。徳島市西方の石井町も、鉄道が中心部を走るアクセスの良さから人口が流入し、社会増となった時期もあった。また、山間部の神山町も、IT企業誘致や現役世代重視の政策の影響で2019年から社会増となっている。一方、核都市である徳島市、鳴門市、阿南市は減少を続けている。また、県西や県南は減り続けており、存続が危ぶまれる、または消滅した集落も多くある。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "地方債残高", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区が2だが、2012年衆院選以前は3であった。参議院では、徳島県選挙区として全県で1区を構成していたが、2016年の第24回参議院議員通常選挙より高知県選挙区と合区され、高知県とともに1区を構成する合同選挙区が創設された。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "徳島県によると、県民総生産(名目)は2018年で3兆1733億円であり、経済成長率は1.3%である。名目GDPは全国43位と低調であるが、一人当たりで換算すると431万円で全国14位と健闘している。県平均での産業別のGDPの割合は、第1次産業が2.0%,第2次産業が34.4%,第3次産業が62.9%となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "製造出荷額は、2019年で1兆9081億円で全国39位であり、2018年において最も出荷額等が多い業種は、化学工業の5,632億円(製造業全体の30.4%)。次いで多いのは、電子部品・デバイス・電子回路製造業(4,419億円、23.8%)、食料品製造業(1,437億円、7.8%)、パルプ・紙・紙加工品製造業(1,206億円、6.5%)となっている。徳島市をはじめとした県東一帯は国から新産業都市の指定を受けている地域であり、徳島県が比較的工業県の傾向が大きいのはこれによる影響も大きい。徳島県で作られた製品の多くは、神戸淡路鳴門自動車道を通って京阪神へ輸出される。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "東京商工リサーチの調査で、都道府県別の人口に対する社長の「輩出率」が2017年より首位。理由として、阿波商人の気質や関西圏との交流の深さが挙げられている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "徳島県は中心都市を徳島市とし、三好市や海陽町など一部の地域を除いてほぼすべての市町村で徳島都市圏を形成している。徳島都市圏は四国では高松都市圏に次いで人口が多い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "河口付近では野菜の生産が盛んであり、主に京阪神方面へと出荷されている。徳島県の食料自給率は、2016年の時点でカロリーベースで43%、生産額ベースで131%である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "酪農が盛んに行われており、吉野川市鴨島町には「牛島」(うしのしま。酪農が地名の由来)という名称の地域もある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "最近は酪農経営・乳牛数共に全盛期の4分の1に落ち込んでいる反面、徳島市における牛乳消費量は都道府県庁所在地の中では最も高い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "現在は県内唯一の牛乳メーカーである日本酪農協同(毎日牛乳)の徳島工場が徳島市内にある。またかつては、名西郡石井町に森永乳業の徳島工場(2011年(平成23年)9月30日に閉鎖)が、吉野川市(旧:麻植郡鴨島町)に旧明治乳業(現:株式会社明治)の徳島工場があった。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "近年、県内のベンチャーが、人口爆発に伴うタンパク源の供給を目的に、コオロギの養殖に取り組んでいる。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "県南西部の那賀郡には豊かな森林地帯があり、那賀町の旧那賀町や旧木沢村、旧木頭村を中心に行われているが、高齢化により後継者不足やそれに伴う森林の手入れの問題に悩まされている。県は若手の林業従事者育成のため、那賀高校に森林クリエイト科を設置した。また、菌床栽培を含む生シイタケの生産量は日本一である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "徳島県の交通事故死者数は、2018年で人口10万人当たり4.17人で全国34位、2019年で人口10万人当たり5.57人で全国ワースト1位となったが、2020年は全国25位となった。しかし、全国平均は超えている。徳島県では交通マナーの悪さが社会問題になっており、警察は街中での呼びかけだけでなく、学校や職場での啓発活動が行われている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "最大の駅徳島駅の1日の乗降者数平均は2019年で16258人であり、四国では高松駅に次いで2位である。県内の路線はすべて赤字である。利用者の大半は徳島市中心部への通勤・通学であるため、徳島市から離れている県南や県西では、人口の少ないこともあり利用者はかなり少ない。平均通過人員で計算すると、徳島線では、徳島駅から18.9kmの地点にある途中主要駅鴨島駅までの利用者数が全体の63%、牟岐線では、徳島駅から24.5kmの地点にある途中主要駅阿南駅までの利用者数が83.4%を占めている。徳島駅を発着する特急列車は、高徳線で徳島駅と高松駅(1日に数本岡山駅と直通)を結ぶうずしお、徳島線で徳島駅と阿波池田駅を結ぶ剣山、牟岐線で徳島駅と牟岐駅を結ぶむろとがある。徳島県とつながりの深い京阪神に鉄道で行くためには、高松駅と岡山駅を経由する必要がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "ホームが面する線路の数が最も多いのは、県庁所在地の徳島駅(3面4線)ではなく、県西の阿波池田駅(3面5線)である。高架駅舎は、佐古駅、海部駅、宍喰駅の3駅が存在する。橋上駅舎は、阿南駅のみである。全国47都道府県で唯一、電化区間が全く存在せず、歴史的にも存在したことがない。そのため徳島県には「電車」が一切走っていない。また、複線区間も存在しない。なお、2018年夏以降は、47都道府県で唯一自動改札機設置駅が存在せず、歴史上存在したこともない都道府県であり、それに伴い2020年7月現在、日本で唯一鉄道施設内において交通系ICカード全国相互利用サービスが一切使えない(簡易チャージ機も存在しない)県である。日中の普通列車の本数は徳島市近郊区間 で毎時2本程度、それ以遠では毎時1本足らずとなっている。また、県内における営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "現在、徳島県には新幹線は通っていない。ただ、四国新幹線と四国横断新幹線が構想として存在する。香川県と岡山県の間に架かっている瀬戸大橋は、既に新幹線規格で建設され、また鉄道が通っているため、これを利用し岡山駅 - 宇多津駅 - 高知駅を結ぶ四国横断新幹線は、費用面からも現実的な路線として構想されている。これを基軸とする場合、徳島県には岡山駅と高知駅の間を結ぶ途中駅として阿波池田駅、宇多津駅から高松方面に伸びた路線を延長して徳島市内に駅がそれぞれ設けられる構想となっている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "しかし、徳島県にとっては、岡山駅経由で本州に出ることよりも、大鳴門橋と淡路島を経由して本州に直接出ることの方が重要である。そのため、徳島県としては、新大阪駅から淡路島を通り、徳島県、香川県、愛媛県、最終的には豊予海峡を通って大分県に通じる四国新幹線の建設に前向きである。この四国新幹線は、四国の人口密集地域を通るため、収益がある程度は見込まれているが、明石海峡大橋が建設された際に鉄道構想を放棄したため(大鳴門橋は新幹線規格で建設)、紀淡海峡または明石海峡に海底トンネルを建設する必要がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "国立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "国立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "テレビ草創期から、徳島県のテレビ放送は長年にわたってNHKと四国放送の2局3波である。デジタルテレビ・県域FM局・四国放送ラジオのFM補完放送のメイン中継局はいずれも眉山に置かれている。四国放送は通常時終夜放送を実施している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "テレビ黎明期の1959年にNHK徳島放送局と四国放送がテレビ放送を開始して以降、県内の放送局は開局していない。その為、電波の海上伝搬を利用して近畿広域圏のテレビ局の視聴者が県内に多数存在する。しかしアナログ放送からデジタル放送への移行にあたって、近畿圏の局が視聴不能となる地域が続出する事が判明。その為、県は国の援助を得て県内のケーブルテレビ局加入促進策を打ち出した。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "ケーブルテレビの世帯普及率は2020年3月末時点で90.5%に達しており、全都道府県で1位である。四国放送が加盟する日本テレビ系列以外の局の関西圏などからの受信に用いられている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "日本アマチュア無線連盟 (JARL) を免許人とするアマチュア無線用中継局が県内各所に設置されている。徳島県のレピータは南部の JR5VR を除き、都市・集落が多くある吉野川周辺設置されている特徴がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "徳島県内で話される方言は徳島弁(阿波弁)と呼ばれる。四国方言に分類されるが、特に県東部で、近畿方言の影響を強く受けている。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "姉妹自治体・提携自治体は、以下の通り。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "近年は映画ロケの誘致に力を入れており、有名なものでは『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』や『虹をつかむ男』、『バルトの楽園』の舞台となった。", "title": "徳島県を舞台とした作品" } ]
徳島県(とくしまけん)は、日本の四国地方に位置する県。県庁所在地は徳島市。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 徳島県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Onaruto-bridge and Naruto Channel,Naruto-city,Japan.JPG | photo1b = Wakimachi_Minami-machi_in_Mima_Tokushima_pref01.jpg | photo2a = Awa-odori_2008_Tokushima.jpg | photo2b = Ōhama_Beach_02.jpg | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center |space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:50%">[[大鳴門橋]]<td style="width:50%">[[脇町南町]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[阿波踊り]]<td style="width:50%">[[大浜海岸]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|徳島県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[徳島県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Tokushima Prefecture.svg|70px|徳島県章]] | 都道府県章の説明 = 徳島県章 | 区分 = 県 | コード = 36000-7 | ISO 3166-2 = JP-36 | 隣接都道府県 = {{flag|香川県}}<br/>{{flag|愛媛県}}<br/>{{flag|高知県}}<br/>{{flag|兵庫県}}<ref group="注釈">鳴門市が兵庫県南あわじ市と海上を隔てて隣接</ref><br/>{{flag|和歌山県}}<ref group="注釈">徳島市と小松島市が和歌山県和歌山市と海上を隔てて隣接</ref> | 木 = [[ヤマモモ]] | 花 = [[スダチ|すだちの花]] | 鳥 = [[シラサギ]] | シンボル名 = 県の色<br />県の歌<br />県のキャラクター | 歌など = [[藍色]]<br />[[徳島県民の歌]]<br />[[すだちくん]]、[[ちっかーず]] | 知事 = [[飯泉嘉門]] | 郵便番号 = 770-8570 | 所在地 = 徳島市万代町一丁目1番地<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-27|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=7|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=220|frame-height=180|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}}<br />[[ファイル:Tokushima prefectural office building01n3872.jpg|220px|徳島県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 36 Tokushima prefecture.svg|320px|徳島県の位置]]{{基礎自治体位置図|36|000|image=Map of Tokushima Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} '''徳島県'''(とくしまけん)は、[[日本]]の[[四国地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[徳島市]]。 == 概要 == [[四国]]の東部に位置する。県北部は[[アワ|粟]]が多く収穫されたことから「[[粟国造|'''粟国''']]」(あわのくに)、県南部は「[[長国造|'''長国''']]」(ながのくに)であったが、後に統合され、[[令制国]]では'''[[阿波国]]'''(あわのくに)と呼ばれていた。[[大鳴門橋]]・[[明石海峡大橋]]や[[南海フェリー]]などで[[関西]]との結びつきが強い。そのため県として[[近畿地方]]の影響を強く受けており、[[経済]]や[[方言]]([[阿波弁]])の面で顕著である。 [[吉野川 (代表的なトピック)|吉野川]]や[[那賀川]]、[[四国山地]]、[[讃岐山脈]]、[[紀伊水道]]をはじめとする自然が多く残っており、[[鳴門海峡|鳴門の渦潮]]や[[祖谷渓]]、[[大歩危]]・[[小歩危]]、[[土柱#土柱の例|阿波土柱]]などの観光資源や、江戸時代より約400年の伝統がある[[阿波踊り]]などの文化を有する。産業では[[農作物]]([[スダチ|すだち]]、[[にんじん]]、[[鳴門金時]]など)と[[畜産]]([[阿波牛]]、[[阿波ポーク]]、[[阿波尾鶏]])、[[化学工業]]が盛んである。 県北部を横断する[[吉野川 (代表的なトピック)|吉野川]]は、[[四国山地]]と[[讃岐山脈]]の間を縫うように流れ、[[紀伊水道]]に流れ注ぐ。また、吉野川に沿うようにして[[徳島平野]]を形成している。吉野川の流れるラインは、[[中央構造線]]とほぼ一致している。県西や県南西は険しい山々が連なる。 豊かな自然と先進的な技術に支えられる一方で、[[少子高齢化]]や若者の都市部への流出に伴う著しい人口減少や、近い将来起こると予測される[[南海トラフ巨大地震]]などの課題も抱える。県の人口は2000年以降想定<ref>[https://www.pref.tokushima.lg.jp/sp/ippannokata/kurashi/chihososei/5035739]</ref>を上回る急激なペースで減少しており、2023年4月に70万人を下回った<ref>{{Cite web|和書|title=徳島県の推計人口 戦後初の70万人割れ|NHK 徳島のニュース |url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/20230428/8020017381.html |website=NHK |date=2023-04-28 |access-date=2023-09-21 |language=ja}}</ref><ref group="注釈">徳島県の想定した「とくしま人口ビジョン(2020年策定版)」によると、徳島県の人口は2025年に70万を下回ると想定されていた。</ref>。また、明石海峡大橋の開通後は買い物客の[[神戸市|神戸]]・[[大阪市|大阪]]への流出も激しく、[[2020年]]に[[徳島市]]にあった[[そごう徳島店|徳島そごう]]が閉店したことで、[[山形県]]とともに一時的に県内に[[百貨店]]が存在しない県となった(その後跡地には[[高松三越]]が出店)<ref>{{Cite web|和書|title=三越徳島、13日正式オープン そごう撤退のビル核テナント:朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASQ456V2YQ45PTLC00B.html?iref=ogimage_rek |website=朝日新聞デジタル |date=2022-04-05 |access-date=2023-01-14 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=徳島県が日本初の「百貨店ゼロ県」に 行き場失う上顧客 |url=https://www.wwdjapan.com/articles/992595 |website=WWDJAPAN |date=2020-01-04 |access-date=2023-01-14 |language=ja |first=秋吉 |last=成紀}}</ref>。なお、徳島市中央市街地郊外に[[ゆめタウン徳島]]([[藍住町]])や[[イオンモール徳島]]([[徳島市]][[南末広町]])が進出し、[[ドーナツ化現象]]が顕著に見られている。 == 地理・地域 == [[ファイル:Naruto Whirlpools taken 4-21-2008.jpg|thumb|鳴門の渦潮]] 北部の[[徳島平野]]と県南部[[阿南市]]のある[[那賀川平野]]を除いては全体的に山地の多い地形で、特に徳島平野以南に峙える[[四国山地]]は[[西日本]]でも有数の険しい山岳地帯となっており、県総面積の約75%を森林が占めている。この山々は昔から現在に至るまで四国内の物流や交流の大きな障害となって来た。その一方で、山間部からは[[吉野川 (代表的なトピック)|吉野川]]、[[勝浦川]]、[[那賀川]]など、水量の豊富な河川が多数流れ出しており、豊かな水資源をもたらしてくれている。河川が少なく水不足に陥りやすい隣の[[香川県]]とは対照的であるが、逆に治水に長年悩まされている。また那賀川下流域ではほぼ毎夏、工業用水などの渇水が深刻化している。なお徳島県内で最長の河川は吉野川(徳島県側延長109[[キロメートル|km]]※)ではなく那賀川(延長125km)である(※総延長194kmから高知県側85km<ref>高知県海洋局HPより</ref> を引き算出)。 === 広袤(こうぼう) === {{座標一覧|節=広袤(こうぼう)}} [https://web.archive.org/web/20060707165625/http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/tyugheso.htm 国土地理院地理情報] によると徳島県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは107.37&nbsp;km、南北の長さは79.03kmである。 {|border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="0" style="font-size:small;text-align:center" |重心<br />{{ウィキ座標度分秒|33|55|17|N|134|14|25|E|type:landmark_region:JP|name=徳島県重心}} ||北端<br />{{ウィキ座標度分秒|34|15|7|N|134|36|21|E|type:landmark_region:JP|name=徳島県最北端}}<br />↑|| |- |西端<br />{{ウィキ座標度分秒|33|52|54|N|133|39|39|E|type:landmark_region:JP|name=徳島県最西端}}←||中心点<br />{{ウィキ座標度分秒|33|53|44.5|N|134|14|28.5|E|type:landmark_region:JP|name=徳島県中心点}}||東端<br />→{{ウィキ座標度分秒|33|51|22|N|134|49|18|E|type:landmark_region:JP|name=徳島県最東端}} |- | ||↓<br />南端<br />{{ウィキ座標度分秒|33|32|22|N|134|19|12|E|type:landmark_region:JP|name=徳島県最南端}}|| |} === 気候 === 一般的にどの地域も温暖で、夏季と秋季は多雨となり冬季の[[降水量]]や降雪量は少ない。概ね[[徳島平野]]以北は[[瀬戸内海式気候]]、[[四国山地]]以南は[[太平洋側気候]]に属する。 * 県北東部 [[徳島平野]]に当たる地域は典型的な[[海洋性気候]]で、年中温暖で[[放射冷却]]が起きにくく氷点下まで下がることは稀である。[[日照時間]]が全国でも指折りの多い地域である。[[徳島市]]や[[吉野川市]]のある[[吉野川 (代表的なトピック)|吉野川]]以南の地域は[[瀬戸内海式気候]]に属するが、梅雨、秋雨、台風やそれに伴う太平洋からの湿った気流の影響を夏から秋に受けやすいため、一般的な[[瀬戸内海式気候]]とはやや異なる。[[鳴門市]]や[[阿波市]]付近の[[吉野川 (代表的なトピック)|吉野川]]以北に当たる地域は典型的な[[瀬戸内海式気候]]となっており、温暖少雨である。山間部([[勝浦郡]]付近)は県南部の気候に近く朝晩は冷え込み、平野部に比べると[[降水量]]も多く、南海型[[太平洋側気候]]に属する。 * 県西部 全域が内陸性の気候で、朝晩は[[放射冷却]]が起きやすく[[日較差]]も大きい。冬は季節風の風上側となることや[[南岸低気圧]]の影響で[[雪]]も県北東部に比べると降雪・積雪しやすく、山間部では路面凍結も多い。[[徳島平野]]に当たる平野部は典型的な[[瀬戸内海式気候]]で隣の[[香川県]]や[[愛媛県]]の気候に近い。[[四国山地]]である山間部(祖谷地方など)では[[太平洋側気候]]に当たり、[[降水量]]が多く県南部や[[高知県]]の気候に近い。 * 県南部 全域が典型的な南海型[[太平洋側気候]]であり、沿岸部は年中温暖で[[日照時間]]も多い地域であるが、山がちである為に県北東部に比べて[[日較差]]が大きい。また、[[四国山地]]に当たる山間部は[[台風]]や[[梅雨]]、[[秋雨]]の季節には記録的な降水量になることが多いなど、日本で最も[[降水量]]が多い地域の一つである。高知県と[[和歌山県]]に距離が近いため「[[台風銀座]]」の一角に位置し、この地域を通過した台風は紀伊水道から大阪湾に向かうことが多いため、[[近畿地方]]に被害を与えることが多い。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+徳島県内各地の平年値(統計期間:1981年 - 2010年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="1"|北東部 !colspan="4"|西部 !colspan="5"|南部 |- ![[徳島市|徳島]]!![[美馬市]]<br />[[穴吹町|穴吹]]<ref group="注釈">統計期間:2001年 - 2010年</ref> ![[三好市]]<br />[[池田町 (徳島県)|池田]]!![[三好市]]<br />京上 !''[[剣山]]''<br /><ref group="注釈">2001年観測停止。統計期間:1981年 - 2000年</ref>!![[那賀町]]<br />[[木頭村|木頭]] ![[海陽町]]<br />宍喰<ref group="注釈">2009年観測停止。統計期間:1981年 - 2000年</ref>!![[海陽町|海陽]]<br /><ref group="注釈">2009年観測開始。</ref> ![[美波町]]<br />日和佐!![[阿南市]]<br />蒲生田 |- !rowspan="3"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |27.8<br />(8月)||26.4<br />(8月) |25.4<br />(8月)||22.9<br />(8月) |15.3<br />(8月)||24.2<br />(8月) |26.4<br />(8月)||26.3<br />(8月) |27.1<br />(8月)||26.9<br />(8月) |- !最寒月 |6.1<br />(1月)||4.3<br />(1月) |3.3<br />(1月)||1.3<br />(1月) |&minus;6.9<br />(1月)||2.4<br />(1月) |5.1<br />(1月)||4.9<br />(1月) |6.0<br />(1月)||6.0<br />(2月) |- !年間平均 |16.6||15.2 |14.1||12.0 |||13.4 ||| |16.1||16.4 |- !rowspan="3"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |210.0<br />(9月)||220.4<br />(8月) |193.2<br />(9月)||336.3<br />(7月) |547.8<br />(9月)||504.3<br />(9月) |452.8<br />(6月)|| |344.0<br />(6月)||268.9<br />(9月) |- !最少月 |38.9<br />(1月)||47.4<br />(1月) |53.3<br />(1月)||75.9<br />(1月) |90.8<br />(12月)||71.9<br />(1月) |76.1<br />(12月)|| |76.5<br />(1月、12月)||65.7<br />(12月) |- !年間合計 |1453.8||1405.7 |1389.6||2209.4 |||3092.4 ||| |2516.9||1904.0 |} === 地形 === ; 主な海 * [[瀬戸内海]] * [[鳴門海峡]]:[[四国のみずべ八十八カ所]]1番(以下、このページでのみ、☆1で表現する) * [[紀伊水道]] * [[太平洋]] ; 主な河川 {{col-begin}} {{col-break}} * [[吉野川 (代表的なトピック)|吉野川]]水系 ** [[旧吉野川]]:[[吉野川河口干潟]]は☆3、[[吉野川第十堰]]は☆4、[[美濃田の淵]]は☆6、[[大歩危]]・[[小歩危]]は☆9 ** [[今切川]] ** [[鮎喰川]]:こんにゃく橋([[浜高房橋]])☆15 ** [[飯尾川]] ** [[宮川内谷川]] *** [[泉谷川]] ** [[川田川]] ** [[穴吹川]]☆13 ** [[貞光川]] ** [[半田川 (徳島県)|半田川]] ** [[鮎苦谷川]] ** [[銅山川 (四国)|銅山川]](伊予川) ** [[祖谷川]] ** [[園瀬川]] ** [[新町川]] {{col-break}} * [[那賀川]]水系 ** [[桑野川]] ** [[坂州木頭川]] ** [[海川谷川]] * [[日和佐川]] * [[海部川]]☆20 **[[母川]]☆21 **[[王余魚谷川]]☆19 * [[勝浦川]] {{col-end}} ; 主な平野 * [[徳島平野]] * [[阿南平野]] ; 主な盆地 * [[勝浦盆地]] ; 主な山 {{col-begin}} {{col-break}} * [[四国山地]] ** [[剣山]]([[美馬市]]、[[那賀町]]、[[三好市]]) ** [[三嶺]](三好市、高知県香美市) ** [[矢筈山 (三好市・つるぎ町)|矢筈山]](つるぎ町、三好市) ** [[雲早山]](那賀町) ** [[三傍示山]](三好市、愛媛県四国中央市、高知県大豊町) ** [[高越山]](吉野川市) * [[阿讃山脈]]([[讃岐山脈]]) ** [[竜王山 (讃岐山脈)|竜王山]](美馬市、香川県まんのう町) ** [[雲辺寺山]](三好市、香川県観音寺市) {{col-break}} * [[眉山 (徳島市)|眉山]](徳島市) * [[城山 (徳島県)|城山]](徳島市) * 阿波三峰 ** [[中津峰山]](徳島市、勝浦町) ** [[津乃峰山]](阿南市) ** [[日峰山]](徳島市、小松島市) {{col-end}} ; 主な島 * [[大毛島]]、[[島田島]](鳴門市):[[ウチノ海]]☆2 * [[伊島 (阿南市)|伊島]](阿南市) * [[出羽島]](海部郡牟岐町) * [[竹ヶ島 (徳島県)|竹ヶ島]](海部郡海陽町) ;主な川中島 * [[善入寺島]](吉野川市)☆5 === 隣接都道府県 === * [[香川県]]:[[高松市]]、[[東かがわ市]]、[[さぬき市]]、[[木田郡]]([[三木町]])、[[仲多度郡]]([[まんのう町]])、[[三豊市]]、[[観音寺市]] * [[愛媛県]]:[[四国中央市]] * [[高知県]]:[[安芸郡 (高知県)|安芸郡]]([[東洋町]]、[[北川村]]、[[馬路村]])、[[安芸市]]、[[香美市]]、[[長岡郡]]([[大豊町]]) * [[兵庫県]]:[[南あわじ市]] * [[和歌山県]]:紀伊水道を挟んで === 自然公園 === * [[国立公園]] ** [[瀬戸内海国立公園]] * [[国定公園]] ** [[室戸阿南海岸国定公園]]、[[剣山国定公園]] * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] ** [[箸蔵県立自然公園]]、[[土柱高越県立自然公園]]、[[大麻山県立自然公園]]、[[奥宮川内谷県立自然公園]]、[[東山渓県立自然公園]]、[[中部山渓県立自然公園]] === 自治体 === {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=徳島県|float=right}} 以下の8市8郡15町1村がある。徳島県の構成町村は、町はすべて「ちょう」、村は「そん」と読む。かつて現在の美馬市に存在した[[脇町]]は、唯一の例外として、「まち」と読んでいた。 県庁所在地かつ県内で人口最多の徳島市は将来的な[[中核市]]移行の構想を有しているものの<ref>[https://www.city.tokushima.tokushima.jp/smph/shisei/machi_keikaku/townplanning/chukaku_shi/about.html 中核市とは何ですか。]徳島市</ref>、2022年時点では徳島県は全国で唯一[[政令指定都市]]・中核市・[[特例市]]・[[保健所政令市]]・[[計量特定市]]のいずれも持たない都道府県となっている。 地域としては東部と南部、西部に分かれる。愛媛県における[[東予地方|東予]]・[[中予地方|中予]]・[[南予地方|南予]]、香川県における[[東讃]]・[[中讃]]・[[西讃]]のような地域の呼称は一般的ではなく、「東部」・「南部」・「西部」と呼ぶ。中央地区を除いて人口密集地の東部のみを「東部」と呼ぶこともある<ref name="市町村民経済計算推計結果 | 徳島県">[http://www.pref.tokushima.jp/statistics/gcp/ 市町村民経済計算推計結果 | 徳島県]</ref>。名西郡以西を「西部」と呼ぶこともある。 北部は香川県との繋がりがあるが、県都・徳島市から西へ離れるにつれて徳島県の影響力が弱まり、相対的に香川県の影響力が強まる傾向にある。県内地域間の人口移動は東部への移動が大半で西部や南部への人口移動は少なく、西部・南部間の移動は皆無に近い状況である。 徳島県の出先機関である南部総合県民局と西部総合県民局についても関連を示した。 ==== 東部 ==== 県内では[[京阪神]]との繋がりが最も深い地域であり、[[近畿地方|近畿圏]]の一部として扱われる場合もある。その一方で四国他県や[[中国地方]]との繋がりは浅く、言葉や方言なども含め、ほぼ完全な近畿志向の地域となっている。政経両面において、近畿の一員として扱われることも珍しくない。[[大阪市]]の民放各局([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]を除く)のニュース番組では正確を期するため、「近畿と徳島」という表現がなされている。 * [[徳島市]] * [[鳴門市]] * [[名東郡]] ** [[佐那河内村]] * [[名西郡]] ** [[石井町]] - [[神山町]] * [[小松島市]] * [[勝浦郡]] ** [[勝浦町]] - [[上勝町]] * [[板野郡]] ** [[北島町]] - [[松茂町]] - [[藍住町]] - [[板野町]] - [[上板町]] ===== 中央地区 ===== 2市を中央地区とする区分もある。ほぼ完全に[[徳島都市圏]]に組み込まれている。 * [[吉野川市]] * [[阿波市]]<ref name="市町村民経済計算推計結果 | 徳島県"/> ==== 南部 ==== 沿岸部の他、内陸部でも在阪民放のテレビが視聴できるため、関西志向が強い。その一方で県内では道路整備が比較的遅れている地域であ<!--り、県外資本は勿論、県内資本のチェーン店ですら阿南市以南の地域には殆ど店を出店していないのが現状である。このため、経済面・物流面において取り残されつつあり、今後の道路整備に地域発展の強い期待が寄せられてい-->る。<!--独自研究・主観的な記述(NPOV)をコメントアウト。--> * [[阿南市]] * [[那賀郡]] ** [[那賀町]] * [[海部郡 (徳島県)|海部郡]] ** [[牟岐町]] - [[美波町]] - [[海陽町]] ==== 西部 ==== 総面積の約33%を占める。県の北東部とは異なり、近畿地方に加えて香川県・愛媛県をはじめとする四国他県や中国地方(特に瀬戸内海側)との交流が盛んで、さらに[[2000年]]以降は[[松山自動車道]]の開通により、それまでの[[高松市]]に加え、[[愛媛県]][[四国中央市]]や[[新居浜市]]の[[ショッピングセンター]]などにもしばしば買い物へ出掛けるようになった。そのため、同じ県内でも北東部在住の県民と北西部在住の県民とでは交流面での感覚が異なっている。 瀬戸大橋開通後は、[[山陽地方]]の[[岡山市]]などへ気軽にアクセスできるようになっている。 県都から離れた中山間地のため、かつては権力者の力が末端まで及ばず、権力者の支配への抗争が多発していた。山岳武士が権力者の主導する改宗に反抗したり、6つの山村を中心に百姓一揆が連鎖発生したりして大きな動きとなった。 [[別子銅山]]、[[土佐藩]]の[[参勤交代]]道、[[讃岐山脈#借耕牛|借耕牛]]や[[金刀比羅宮|金毘羅宮]]参拝などを通じた他県との交流も知られている。 * [[美馬市]] * [[美馬郡]] ** [[つるぎ町]] * [[三好市]] * [[三好郡]] ** [[東みよし町]] === 市町村合併 === * 貞光村([[1889年]]([[明治]]22年)発足、[[美馬郡]]太田村・貞光村) * [[端山村]]([[1889年]](明治22年)発足、美馬郡東端山村・西端山村) * [[一宇村]]([[1889年]](明治22年)発足、美馬郡一宇口山村・一宇奥山村) * [[東祖谷山村]]([[1889年]](明治22年)分割、美馬郡祖谷山村) * [[西祖谷山村]]([[1889年]](明治22年)分割、美馬郡祖谷山村) * [[脇町]]([[1889年]](明治22年)発足、美馬郡) * 江原村([[1889年]](明治22年)発足、美馬郡) * 岩倉村([[1889年]](明治22年)発足、美馬郡) * 郡里村([[1889年]](明治22年)発足、美馬郡) * [[重清村]]([[1889年]](明治22年)発足、美馬郡) * [[三島村 (徳島県)|三島村]]([[1889年]](明治22年)発足、美馬郡) * 穴吹村([[1889年]](明治22年)発足、美馬郡) * [[口山村]]([[1889年]](明治22年)発足、美馬郡) * [[半平山村]]([[1889年]](明治22年)発足、美馬郡) * [[木屋平村]]([[1889年]](明治22年)発足、美馬郡) * 半田奥山村([[1889年]](明治22年)発足、美馬郡) * 三野村([[1889年]](明治22年)発足、[[三好郡]]清水村・加茂野宮村・勢力村・芝生村・太刀野村・太刀野山村) * 昼間村([[1889年]](明治22年)発足、三好郡東山村・昼間村) * [[箸蔵村]]([[1889年]](明治22年)発足、三好郡州津村・西山村) * 池田村([[1889年]](明治22年)発足、三好郡池田村・池田町) * [[佐馬地村]]([[1889年]](明治22年)発足、三好郡白地村・馬路村・佐野村) * [[三縄村]]([[1889年]](明治22年)発足、三好郡中西村・漆川村・中津川村・松尾村・大利村・川崎村) * [[三名村]]([[1889年]](明治22年)発足、三好郡西宇村・上名村・下名村) * 加茂村([[1889年]](明治22年)発足、三好郡東加茂村・中加茂村・西加茂村) * [[三庄村]]([[1889年]](明治22年)発足、三好郡毛田村・中庄村・西庄村) * [[池田町 (徳島県)|池田町]]([[1905年]](明治38年)町制施行、三好郡池田村) * [[貞光町]]([[1907年]](明治40年)町制施行 美馬郡貞光村) * [[半田町 (徳島県)|半田町]]([[1916年]]([[大正]]5年)町制施行 美馬郡半田村) * [[八千代村]]([[1917年]](大正6年)名称変更 美馬郡半田奥山村) * [[三野町 (徳島県)|三野町]]([[1923年]](大正12年)町制施行、三好郡三野村) * [[穴吹町]]([[1924年]](大正13年)町制施行、美馬郡穴吹村) * [[昼間町]]([[1925年]](大正14年)町制施行、三好郡昼間村) * [[徳島市]]([[1926年]](大正15年)編入、[[名東郡]][[沖洲村]]・[[斎津村]]) * [[古宮村 (徳島県)|古宮村]]([[1927年]]([[昭和]]2年)名称変更、美馬郡半平山村) * [[江原町]]([[1928年]](昭和3年)町制施行、美馬郡江原村) * 徳島市([[1937年]](昭和12年)編入、名東郡八万村・加茂町・加茂名町) * [[郡里町]]([[1940年]](昭和15年)町制施行、美馬郡郡里村) * 鳴南市([[1947年]](昭和22年)3月15日発足、[[板野郡]][[撫養町]]・[[鳴門町]]・[[瀬戸町 (徳島県)|瀬戸町]]・[[里浦村]]) * [[鳴門市]]([[1947年]](昭和22年)5月名称変更、鳴南市) * 鳴門市([[1950年]](昭和25年)編入、板野郡[[大津村 (徳島県)|大津村]]) * [[三好郡]][[東祖谷山村]]([[1950年]](昭和25年)所属郡変更、美馬郡東祖谷山村) * 三好郡[[西祖谷山村]]([[1950年]](昭和25年)所属郡変更、美馬郡西祖谷山村) * 徳島市([[1951年]](昭和26年)編入、勝浦郡[[勝占村]]・[[多家良村]]) * 小松島町([[1951年]](昭和26年)4月1日編入、那賀郡[[立江町]]) * [[小松島市]]([[1951年]](昭和26年)6月1日市制施行、勝浦郡小松島町) * [[鳴門市]]([[1951年]](昭和26年)編入、板野郡[[北灘村 (徳島県)|北灘村]]) * [[岩倉町]]([[1951年]](昭和26年)町制施行、美馬郡岩倉村) * [[加茂町 (徳島県)|加茂町]]([[1952年]](昭和27年)町制施行、三好郡加茂村) * [[富岡町 (徳島県)|富岡町]]([[1954年]](昭和29年)3月発足、[[那賀郡]]富岡町・大野村(一部)・宝田村・長生村・中野島村) * [[羽ノ浦町]](編入、那賀郡大野村(富岡町と合併した部分を除く)) * 富岡町([[1955年]](昭和30年)1月編入、那賀郡加茂谷村) * 富岡町([[1955年]](昭和30年)3月編入、那賀郡見能林村) * [[橘町 (徳島県)|橘町]]([[1955年]](昭和30年)3月発足、那賀郡橘町・新野町・福井村・椿町) * 徳島市([[1955年]](昭和30年)編入、名東郡新居村・名西郡入田村・名東郡上八万村・板野郡川内村) * 富岡町([[1955年]](昭和30年)4月編入、那賀郡桑野町) * 穴吹町([[1955年]](昭和30年)発足、美馬郡三島村・穴吹町・口山村・古宮村) * 三好町([[1955年]](昭和30年)発足、三好郡昼間町・足代村) * 那賀川町([[1956年]](昭和31年)9月発足、那賀郡平島村・今津村) * 小松島市([[1956年]](昭和31年)9月30日編入、那賀郡坂野町) * 半田町([[1956年]](昭和31年)発足、美馬郡半田町・八千代村) * 貞光町([[1956年]](昭和31年)発足、美馬郡貞光町・端山村) * 池田町([[1956年]](昭和31年)編入、三好郡箸蔵村) * 山城町([[1956年]](昭和31年)発足、三好郡山城谷村・三名村) * 美馬町([[1957年]](昭和32年)発足、美馬郡郡里町・重清村) * [[阿南市]]([[1958年]](昭和33年)5月1日発足、那賀郡富岡町・橘町) * 脇町([[1958年]](昭和33年)発足、脇町・江原町・岩倉町) * 池田町([[1959年]](昭和34年)発足、三好郡池田町・三縄村・佐馬地村) * 井川町([[1959年]](昭和34年)発足、三好郡辻村・井内谷村) * 三加茂町([[1959年]](昭和34年)発足、加茂町・三庄村) * 徳島市([[1966年]](昭和41年)編入、板野郡[[応神村]]) * 徳島市([[1967年]](昭和42年)編入、名東郡国府町) * 鳴門市([[1967年]](昭和42年)1月1日編入、板野郡大麻町) * [[吉野川市]]([[2004年]]([[平成]]16年)10月1日発足、[[麻植郡]][[鴨島町]]・[[川島町 (徳島県)|川島町]]・[[山川町 (徳島県)|山川町]]・[[美郷村]] ⇒麻植郡が消滅 * [[美馬市]]([[2005年]](平成17年)3月1日発足、[[美馬郡]][[脇町]]・[[美馬町]]・[[穴吹町]]・[[木屋平村]]) * [[つるぎ町]]([[2005年]](平成17年)3月1日発足、美馬郡[[半田町 (徳島県)|半田町]]・[[貞光町]]・[[一宇村]]) * [[那賀町]]([[2005年]](平成17年)3月1日発足、那賀郡[[鷲敷町]]・[[相生町]]・[[上那賀町]]・[[木沢村 (徳島県)|木沢村]]・[[木頭村]]) * [[阿波市]]([[2005年]](平成17年)4月1日発足、板野郡[[吉野町 (徳島県)|吉野町]]・[[土成町]]・阿波郡[[市場町 (徳島県)|市場町]]・[[阿波町]])⇒阿波郡が消滅 * [[三好市]]([[2006年]](平成18年)3月1日発足、三好郡[[三野町 (徳島県)|三野町]]・[[池田町 (徳島県)|池田町]]・[[井川町 (徳島県)|井川町]]・[[山城町 (徳島県)|山城町]]・[[東祖谷山村]]・[[西祖谷山村]]) * [[東みよし町]]([[2006年]](平成18年)3月1日発足、三好郡[[三好町]]・[[三加茂町]]) * 阿南市([[2006年]](平成18年)3月20日編入、那賀郡[[那賀川町]]・[[羽ノ浦町]]) * [[海陽町]]([[2006年]](平成18年)3月31日発足、海部郡[[海南町]]・[[海部町]]・[[宍喰町]]) * [[美波町]]([[2006年]](平成18年)3月31日発足、海部郡[[由岐町]]・[[日和佐町]]) == 歴史 == {{See also|阿波国}} === 先史 === 約2万年前の遺物と推定できる国府型[[ナイフ形石器]]<ref group="注釈">サヌカイトで作られたナイフ形石器</ref> が、徳島県域でも49遺跡から見つかっている。戦国時代には、[[三好郡]]を拠点にしていた[[三好氏]]が、東四国から[[山城国]]までの八国を支配した。[[豊臣秀吉]]の[[四国平定]]により、阿波国は[[蜂須賀氏]]が封ぜられ、その統治は明治維新まで続いた。 ===「徳島県」と「名東県」=== 元々、[[徳島市]]は[[名東郡]]に属する都市だったので、[[廃藩置県]]の第一次府県統合([[明治]]4年([[1871年]]))当時の徳島県は、'''[[名東県]]'''という名称であった。当初の名東県は、現在の徳島県に当たる旧阿波国の外に、旧[[淡路国]]([[淡路島]])も範囲とされた。さらに、[[1873年]](明治6年)[[2月20日]]には[[香川県]]も編入した。 しかし、第二次府県統合により、[[1875年]](明治8年)[[9月5日]]に旧[[讃岐国]]部分が香川県として分立再置県され、[[明治]]3年([[1870年]])の[[庚午事変]](稲田騒動)で敵対した淡路国が[[1876年]](明治9年)[[8月21日]]に兵庫県に編入され、阿波国部分は[[高知県]]に編入された<ref>{{Cite web|和書|date= 2018-08-22|url= https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180821-OYT8T50044.html?page_no=2&from=yartcl_page|title= “受難”再び…地図から消された「あの2県」 |publisher= 読売新聞|accessdate=2018-08-25}}</ref>。 この後の[[1880年]](明治13年)[[3月2日]]に、旧名東県が高知県から分離されて、現在の'''徳島県'''が発足した。 なお、[[賞罰的県名説|宮武外骨の説]]では、徳島藩は当初「曖昧藩」だったから、[[徳島藩]]の首府であった[[徳島市]]の所在する[[名東郡]]から名前を取って「名東県」となったということになる。しかし、復活の際に、なぜ都市名を取った「徳島県」に変更されたのかは定かではない。 === 近・現代 === * 明治2年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]([[1869年]]7月25日) - [[版籍奉還]]により全国に[[府藩県三治体制]]が実施される。初代知事に[[蜂須賀茂韶]]<ref>[https://id.ndl.go.jp/bib/000009041704 歴代徳島県知事列伝 : 自徳島藩知事蜂須賀茂韶至公選第九代知事武市恭信]福田憲熈 原田印刷出版, 2007.8</ref>。 * 明治4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[1871年]][[8月29日]]) - [[廃藩置県]]により、徳島県(旧[[徳島藩]]の[[阿波国]]・[[淡路国]])が設置された。全国は3府302県となる。 * 明治4年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]](1871年12月26日) - 徳島県を[[名東県]](みょうどうけん)に改名。[[徳島城]]下(今の[[徳島市]])が[[名東郡]]に属していたことが名称の由来。全国的にいわゆる第一次府県統合(明治4年[[10月28日 (旧暦)|10月28日]](1871年12月10日) - 明治4年[[11月22日 (旧暦)|11月22日]](1872年1月2日))実施により全国は3府72県となった。 * [[1873年]](明治6年)2月20日 - [[香川県]](旧[[讃岐国]])が名東県に編入された。 * [[1875年]](明治8年)9月5日 - 香川県が名東県から分離独立し、名東県の範囲は再び旧阿波国と旧淡路国となった。 * [[1876年]](明治9年)[[8月21日]] - 全国的に県の大規模な削減が実施(いわゆる第2次府県統合)され、名東県は分割されて廃止された。淡路島は[[兵庫県]]に編入され、旧阿波国は[[高知県]]に編入された。全国で38府県まで削減された。 * [[1880年]](明治13年)[[3月2日]] - 旧阿波国が高知県から分離独立し、現在の徳島県となった。 * [[1887年]](明治20年)[[10月28日]] - [[日本赤十字社]]徳島県委員部(現・徳島県支部)が創設される。四国では1番目。 * [[1888年]](明治21年) - この年までに[[富山県]]、[[福井県]]、[[奈良県]]、[[鳥取県]]、徳島県、香川県([[1888年]]12月3日に愛媛県から分離独立。全国最後の設置)、佐賀県、宮崎県の8つの県が復活。 * [[1889年]](明治22年)4月1日 - [[市制]](同日実施されたのは全国で31市(特別市制施行の[[京都市]]・[[大阪市]]・赤間関市(現・[[下関市]])を含む))・[[町村制]]を実施。徳島市は同年10月1日市制施行(四国で同年4月1日施行は[[高知市]]のみ(全国1番)で、徳島市は四国では高知市に次いで2番目(全国36番目)、松山市は同年12月15日(全国39番目)、高松市は翌年[[1890年]](明治23年)2月15日実施(全国40番目)。 * [[1890年]](明治23年)5月17日 - [[府県制]]・[[郡制]]の施行を経て3府43県に統合。現在の[[都道府県]]の原型になる。 * [[1899年]](明治32年)[[7月12日]] - 吉野川が増水して各地で[[堤防]]が決壊。[[一条町]]では[[小学校]]や多数の人家が流失。死傷者197人、浸水家屋多数、田畑の収穫皆無<ref>「吉野川の改修工事ようやく完工式」『大阪毎日新聞』1926年5月7日四国版(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.513 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1928年]]([[昭和]]3年)12月18日 - [[徳島市]]の[[下助任町]](現・[[吉野本町]])と[[応神村]](現・[[応神町古川]])を結ぶ[[国道11号]](現・[[徳島県道39号徳島鳴門線]]([[旧国道11号]]))の[[吉野川橋 (徳島市)|吉野川橋]]が開通した<ref>徳島新聞 週刊阿波っ子タイムズ 第155号 2016年12月18日 5面 親子の時間 きょうは何の日?</ref>。 * [[1934年]](昭和9年)[[9月21日]] - 未明に[[室戸台風]]が通過して暴風雨。死者・行方不明者32人以上。家屋全壊852棟、半壊882棟、小・中学校の校舎倒壊16など強風による被害も相次いだ。また、発動機船、帆船、[[漁船]]などの流失・沈没2000隻以上、撫養地方の[[塩田]]全滅など地域経済に大きな打撃を与える被害が出た<ref>「風速実に六十五メートル、室戸で観測」『大阪毎日新聞』1934年9月26日(『昭和ニュース事典編纂委員会 昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p.235 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1945年]](昭和20年)1月29日 - [[貞光町]](現・[[つるぎ町]]貞光)の真光寺に疎開していた[[大阪市立南恩加島小学校]]児童が火災の犠牲になった<ref>徳島新聞 週刊阿波っ子タイムズ 第161号 2017年1月29日 5面 親子の時間 きょうは何の日?</ref>。 === 戦後 === * [[1945年]](昭和20年)[[8月15日]] - 終戦。徳島城鷲の門戦災にて焼失。 * [[1946年]](昭和21年)[[12月21日]] - [[昭和南海地震]]が発生、県南を中心に津波被害が出る。202人が犠牲になる(不明者も含む)。 * [[1947年]](昭和22年)[[3月15日]] - 鳴南市が発足。同年[[5月15日]]、[[鳴門市]]に改称する。 * [[1949年]](昭和24年)[[5月31日]] - 国立[[徳島大学]]が設置される。 * [[1951年]](昭和26年)[[6月1日]] - [[小松島市]]が発足する。 * [[1952年]](昭和27年)[[7月1日]] - [[四国放送]]がラジオ放送を開始。 * [[1953年]](昭和28年)[[11月]] - 徳島公園内に県立図書館が完成。 * [[1957年]](昭和32年)11月 - [[那賀川]]上流に長安口ダムが完成。 * [[1958年]](昭和33年)[[1月]] - 小松島から和歌山に向っていた南海丸が沼島沖で遭難、乗客・乗員全員が犠牲になる。 * [[1958年]](昭和33年)5月1日 - [[阿南市]]が発足する。 * [[1959年]](昭和34年)4月 - 四国放送がテレビ放送を開始。 * [[1960年]](昭和35年)5月 - [[1960年チリ地震|チリ地震]]で県南に津波被害。 * [[1961年]](昭和36年)4月 - 四国女子短期大学が開校する(後の[[四国大学短期大学部]])。 * [[1961年]](昭和36年)4月 - 徳島女子短期大学が開校する(後の[[徳島文理大学短期大学部]])。 * [[1961年]](昭和36年)[[7月30日]] - [[小鳴門海峡]]に[[小鳴門橋]](こなるとばし)が開通。 * [[1963年]](昭和38年)4月 - [[徳島市文化センター]]が開館。 * [[1963年]](昭和38年)4月1日 - 国立[[阿南工業高等専門学校]]が開校する。 * [[1963年]](昭和38年)7月 - 新徳島火力発電所が完成する(現在の[[阿南発電所]])。 * [[1964年]](昭和39年)4月5日 - [[徳島県立海南高等学校]]が[[第36回選抜高等学校野球大会]]で初優勝。 * [[1966年]](昭和41年)4月 - 四国女子大学が開校する(後の[[四国大学]])。 * [[1966年]](昭和41年)4月 - 徳島女子大学が開校する(後の[[徳島文理大学]])。 * [[1966年]](昭和41年)9月13日 - 徳島県の木「ヤマモモ」に決定<ref>徳島新聞 週刊阿波っ子タイムズ 第89号 2015年9月13日 5面 親子の時間 きょうは何の日?</ref>。 * [[1967年]](昭和42年)1月 - 徳島空港ターミナルビルが完成。 * [[1970年]](昭和45年)[[8月]] - [[吉野川 (代表的なトピック)|吉野川]]中流の小歩危ダム建設計画が中止になる。 * [[1970年]](昭和45年)[[9月6日]] - [[剣山観光登山リフト|剣山登山リフト]]が開通<ref>徳島新聞 週刊阿波っ子タイムズ 第88号 2015年9月6日 5面 親子の時間 きょうは何の日?</ref>。 * [[1971年]](昭和46年)[[1月22日]] - 阿波大島海域公園地区が国の海中公園に指定される<ref>徳島新聞 週刊阿波っ子タイムズ 第160号 2017年1月22日 5面 親子の時間 きょうは何の日?</ref>。 * [[1972年]](昭和47年)1月15日 - [[板野町]]と[[上板町]]を結んでいた[[日本国有鉄道|国鉄]][[鍛冶屋原線]][[板野駅]] - [[鍛冶屋原駅]]間(6.9&nbsp;km)が廃止になる<ref>徳島新聞 週刊阿波っ子タイムズ 第159号 2017年1月15日 9面 親子の時間 きょうは何の日?</ref>。 * [[1972年]](昭和47年)7月 - [[国道11号]][[吉野川大橋]](現在の鳴門方面行き車線)が完成。 * [[1973年]](昭和48年)4月 - 国鉄[[牟岐線]][[牟岐駅]] - [[海部駅]]間(11.6&nbsp;km)が開通。 * [[1973年]](昭和48年)10月 - [[徳島県運転免許センター|徳島県自動車運転免許センター]]が完成。 * [[1974年]](昭和49年)[[1月]] - [[徳島県青少年センター]]が開館。 * [[1974年]](昭和49年)[[10月]] - [[三木武夫]]が[[内閣総理大臣]]に就任する(徳島県出身者では初)。 * [[1975年]](昭和50年)3月 - 吉野川中流の池田ダムが完成。 * [[1976年]](昭和51年)7月 - [[大鳴門橋]]の起工式が行われる。 * [[1977年]](昭和52年)4月1日 - [[徳島県立山川少年自然の家]]が開館。 * [[1980年]](昭和55年)11月15日 - 徳島市農林水産展が開幕する。その後11月16日に閉幕する。 * [[1981年]](昭和56年)10月 - 国立[[鳴門教育大学]]が開校する。 * [[1982年]](昭和57年)8月20日 - [[徳島県立池田高等学校]]が[[第64回全国高等学校野球選手権大会]]で初優勝。 * [[1982年]](昭和57年)[[11月27日]] - [[後藤田正晴]]が[[内閣官房長官]]に就任する(徳島県出身者では初)。 * [[1983年]](昭和58年)4月5日 - [[徳島県立池田高等学校]]が[[第55回選抜高等学校野球大会]]で初優勝。夏春連覇。 * [[1985年]](昭和60年)3月 - 国鉄[[小松島線]]が廃止になる。 * [[1985年]](昭和60年)6月 - 徳島県と[[兵庫県]]を結ぶ[[大鳴門橋]]が開通。 * [[1989年]]([[平成]]元年)5月 - 第40回[[全国植樹祭]]が[[神山町]]の神山森林公園で開催される。 * [[1990年]](平成2年)1月 - [[徳島市]]が海洋パーク計画を白紙撤回。 * [[1990年]](平成2年)[[11月]] - 文化の森総合公園が完成。これに合わせて、県立図書館と県立博物館が移転。 * [[1991年]](平成3年)6月 - [[池田町 (徳島県)|池田町]]が[[黒沢湿原]]のリゾート開発計画を白紙撤回。 * [[1992年]](平成4年)3月 - [[阿佐海岸鉄道]][[阿佐海岸鉄道阿佐東線|阿佐東線]][[海部駅]] - [[甲浦信号場|甲浦駅]]間(8.5&nbsp;km)が開通する。 * [[1993年]](平成5年)8月 - [[国道55号]][[阿南道路]]小松島市[[大林町]]森ノ本 - 阿南市[[西路見町]]江川間が開通する。 * [[1993年]](平成5年)9月 - 第48回[[国民体育大会]][[第48回国民体育大会|東四国国体]]夏季大会が[[香川県]]と共同で開催される。 * [[1993年]](平成5年)10月 - 東四国国体秋季大会が開催される。 * [[1993年]](平成5年)10月 - 多目的ホールを備えた大型施設「[[アスティとくしま]]」が完成。 * [[1994年]](平成6年)3月 - 県内初の高速道路([[高速自動車国道]])となる[[徳島自動車道]]の藍住IC - 脇町IC間(32.1&nbsp;km)が開通する。 * [[1995年]](平成7年)1月17日 - [[阪神・淡路大震災]]が発生し、県東で震度3(徳島市は震度4)を記録。一部地域で水道管が壊れるなどの被害があった。 * [[1995年]] (平成7年)3月21日 - [[徳島市]]の[[丸新百貨店]]閉店。 * [[1998年]](平成10年)2月2日 - 小鳴門海峡に[[小鳴門大橋]]が開通。 * [[1998年]](平成10年)3月 - [[大塚国際美術館]]が開館。 * [[1998年]](平成10年)4月 - [[明石海峡大橋]]が開通、これにより徳島と本州が直結した。 * [[1999年]](平成11年)7月31日 - [[阿波おどり会館]]が開館。 * [[2000年]](平成12年)1月 - [[徳島市]]で[[吉野川第十堰]]の可動堰計画を巡る住民投票が行われ、反対が多数を占める。 * [[2000年]](平成12年)3月 - 国道55号阿南道路阿南市[[日開野町 (阿南市)|日開野町]]北浦 - 阿南市[[津乃峰町]]長浜間開通。 * [[2000年]](平成12年)7月 - 県内2ヶ所目の火力発電所となる橘湾発電所が完成。 * [[2000年]](平成12年)8月 - 吉野川の第十堰計画が白紙になる。 * [[2000年]](平成12年)10月 - [[那賀川]]の細川内ダム建設計画が中止になる。 * [[2000年]](平成12年)11月 - 国道55号阿南道路阿南市西路見町江川 - 阿南市日開野町北浦間が開通。 * [[2001年]](平成13年)3月29日 - [[高松自動車道]]板野IC - 津田東IC間(25.7&nbsp;km)開通。 * [[2001年]](平成13年)7月1日 - [[あすたむらんど徳島]]が開館。 * [[2001年]](平成13年)8月 - 第13回[[全国農業青年交換大会]]が開催される。 * [[2002年]](平成14年)3月4日 - 現職の圓藤寿穂知事が収賄容疑で逮捕される。 * [[2002年]](平成14年)7月21日 - 高松自動車道鳴門IC - 板野IC間(10.5&nbsp;km)開通により神戸淡路鳴門自動車道と接続。 * [[2002年]](平成14年)10月19日 - 県立文学書道館が開館。 * [[2003年]](平成15年)6月 - [[東洋紡|東洋紡績]]小松島工場を休止。閉鎖。 * [[2004年]](平成16年)10月1日 - [[吉野川市]]が発足。 * [[2004年]](平成16年)10月24日 - 第28回[[全国育樹祭]]が[[神山町]]の神山森林公園で開催される。 * [[2004年]](平成16年)12月22日 - [[徳島ヴォルティス]]の[[日本プロサッカーリーグ|J2]]入りが決定、四国初の[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]チームが誕生する。 * [[2005年]](平成17年)3月1日 - [[美馬市]]、[[つるぎ町]]、[[那賀町]]が発足する。 * [[2005年]](平成17年)4月1日 - [[阿波市]]が発足。県南部圏域(阿南市・那賀郡・海部郡)に南部総合県民局を開設。 * [[2005年]](平成17年)4月29日 - [[四国アイランドリーグ]]が開幕。[[徳島インディゴソックス]]が徳島県を本拠地とする。 * [[2006年]](平成18年)3月1日 - [[三好市]]、[[東みよし町]]が発足。 * [[2006年]](平成18年)3月31日 - [[美波町]]、[[海陽町]]が発足。 * [[2006年]](平成18年)4月1日 - 県西部圏域(美馬市・三好市・美馬郡・三好郡)に西部総合県民局を開設。 * [[2006年]](平成18年)5月1日 - [[徳島赤十字病院]]が新築移転開院。 * [[2007年]](平成19年)5月12日 - [[阿南安芸自動車道]][[日和佐道路]]由岐IC - 日和佐出入口間(6.2&nbsp;km)が開通。 * [[2007年]](平成19年)5月20日 - [[徳島県南部健康運動公園|南部健康運動公園]]([[徳島県南部健康運動公園野球場|アグリあなんスタジアム]])が開園する。 * [[2007年]](平成19年)10月27日 - 第22回[[国民文化祭]]が開幕する。その後11月4日に閉幕する。 * [[2008年]](平成20年)4月27日 - 第1回[[とくしまマラソン]]が開催される。 * [[2009年]](平成21年)10月10日 - [[マチ★アソビ]]vol.1が開幕する。その後10月12日に閉幕する。 * [[2010年]](平成22年)4月8日 - 徳島空港が移転。2,500[[メートル|m]]化した滑走路および新徳島空港ターミナルビルの運用を開始。 * [[2010年]](平成22年)4月17日 - 徳島LEDアートフェスティバル2010が開幕する。その後4月25日に閉幕する。 * [[2010年]](平成22年)6月8日 - [[徳島県第1区]]選出の[[仙谷由人]]衆議院議員が内閣官房長官に就任する。 * [[2010年]](平成22年)11月20日 - とくしま食材フェア2010が開幕する。その後11月21日に閉幕する。 * [[2011年]](平成23年)7月16日 - 阿南安芸自動車道日和佐道路小野IC - 由岐IC間(3.1&nbsp;km)が開通により日和佐道路(9.3&nbsp;km)が全線開通。 * [[2012年]](平成24年)4月25日 - [[阿波しらさぎ大橋]]が開通。 * [[2012年]](平成24年)9月1日 - 第27回国民文化祭が開幕する。その後12月14日に閉幕する。 * [[2013年]](平成25年)[[4月13日]] - [[淡路島地震]]、[[鳴門市]][[鳴門町]]で震度5弱。 * [[2013年]](平成25年)[[12月8日]] - [[徳島ヴォルティス]]、[[J1昇格プレーオフ]]で優勝。四国初のJ1チームが誕生。 * [[2014年]](平成26年)[[1月5日]] - 松茂町に徳島県自動車運転免許センターを移転開館。 * [[2015年]](平成27年)[[2月28日]] - [[国道192号]][[徳島環状道路|徳島南環状道路]]上八万IC - 法花IC間(2.2&nbsp;km)が開通。 * [[2015年]](平成27年)[[3月14日]] - 徳島自動車道鳴門JCT - 徳島IC間(10.9&nbsp;km)開通により全線開通。 * [[2016年]] (平成28年) [[2月6日]] - 牟岐町で震度5強。震源は徳島県南部、震源の深さは約10km、マグニチュードは5.0。 * [[2016年]](平成28年)[[7月10日]] - [[第24回参議院議員通常選挙]]で、[[高知県]]と[[参議院合同選挙区]]([[徳島県・高知県選挙区]])を構成。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属で[[阿南市]]出身の[[中西祐介]]が当選。 * [[2018年]](平成30年)[[12月31日]] - [[米津玄師]]、故郷徳島の[[大塚国際美術館]]より[[第69回NHK紅白歌合戦|NHK紅白歌合戦]]で『[[Lemon (米津玄師の曲)|Lemon]]』を熱唱。 * [[2019年]]([[令和]]元年)[[7月21日]] - [[第25回参議院議員通常選挙]]の[[徳島県・高知県選挙区]]で、自由民主党所属で高知県出身の[[高野光二郎]]が当選{{Efn|高野は、任期途中の2023年6月に辞職。[[2023年日本の補欠選挙#10月の補欠選挙|同年10月に参議院議員補欠選挙]]が行われ、無所属の[[広田一]]が当選。}}。なお、[[参議院比例区]]で[[特定枠]]の新設に伴い、[[吉野川市]]出身の[[三木亨]]が自由民主党の比例名簿上で優先的に当選{{Efn|[[2023年徳島県知事選挙]]に出馬するため、三木は2023年1月に辞職。[[北海道]]出身の[[田中昌史]]が[[繰り上げ当選]]。}}。 * [[2020年]](令和2年)[[4月18日]] - 日本最年少女性市長、[[内藤佐和子]][[徳島市]]市長就任。 * [[2020年]](令和2年)[[4月21日]] - 徳島市長、戦後初の[[徳島市阿波おどり]]全日程中止を発表。 * [[2020年]] (令和2年) [[7月30日]] - [[消費者庁]]が、徳島県庁内に「新未来創造戦略本部」を開設。 * [[2020年]] (令和2年) [[8月31日]] - [[そごう徳島店]]閉店。 * [[2020年]](令和2年)[[11月30日]] - [[阿佐海岸鉄道阿佐東線]]、ディーゼル車両(ASA-101、ASA-301)での運行を終了。 * [[2020年]](令和2年)[[12月16日]] - [[徳島ヴォルティス]]、J1再昇格。 * [[2020年]](令和2年)[[12月20日]] - 徳島ヴォルティス、J2初優勝。 * [[2021年]](令和3年)[[3月21日]] - [[徳島南部自動車道]]徳島沖洲IC - 徳島津田IC間(2.4&nbsp;km)が開通。 * [[2021年]](令和3年)[[12月25日]] - 阿佐海岸鉄道が、[[デュアル・モード・ビークル]](DMV)での運行を開始。 * [[2023年]](令和5年)[[4月2日]] - [[名西郡]][[神山町]]に私立[[高等専門学校]]「[[神山まるごと高等専門学校]]」開校。 === 阿波の大地震 === * [[霊亀]]元年([[715年]]) -霊亀大地震。 * [[仁和]]3年([[887年]])(172年後)-[[仁和地震]]。 * [[貞元 (日本)|貞元]]元年([[976年]])(89年後)-[[貞元地震]]。 * [[元暦]]2年[[7月9日 (旧暦)|7月9日]]([[1185年]][[8月6日]])(209年後)-[[文治地震]]。 * {{要出典範囲|[[永正]]10年([[1513年]])(328年後)-[[天文地震]]。|date=2020年4月}} * [[慶長]]9年[[12月16日 (旧暦)|12月16日]]([[1605年]][[2月3日]])(92年後)-[[慶長地震]]。 * [[宝永]]4年([[1707年]])(102年後)-[[宝永地震]]。 * [[嘉永]]7年([[1854年]])(147年後)-[[安政南海地震]]。 * [[1946年]](昭和21年)(92年後)-[[昭和南海地震]]。 == 人口 == [[ファイル:File.徳島県 人口増加率.png|サムネイル|300x300ピクセル|徳島県市町村人口増減率分布図(2016年7月と2021年7月徳島県統計から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}} ]] {{人口統計|code=36000|name=徳島県|image=Demography36000.svg}} 徳島県の人口は2023年10月時点で69.5万人であり、全国44位。人口が70万人を下回る県は本県と[[高知県]]、[[島根県]]、[[鳥取県]]だけである。 [[明治]]時代初期、当時の衣服の[[染料]]として用いられていた[[アイ (植物)|藍]]の栽培によって全国屈指の人口の規模を記録したこともあったが、間もなく訪れた[[産業革命]]での[[綿織物]]、次いで[[化学繊維]]の台頭によってその需要は著しく低下し、明治から[[昭和]]にかけての人口増加の時期に他の都道府県に大きく後れを取った。 人口のピークは1956年の87万人余りで、それから半世紀後の2007年に80万人を割り込んだ。2023年4月1日の推計で70万人を割り込み、およそ1世紀ぶりに60万人台となった<ref>{{Cite web |title=徳島県の推計人口、70万人割れ ほぼ1世紀ぶり |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC2873D0Y3A420C2000000/ |website=日本経済新聞 |date=2023-04-28 |access-date=2023-11-28 |language=ja}}</ref>。 徳島県の[[合計特殊出生率]]は2019年の時点で1.46であり、人口の維持に必要な2.07までは程遠く、人口の自然減に歯止めがかかっていない。また、[[大鳴門橋]]と[[明石海峡大橋]]の開通、[[高松自動車道]]の開業で[[ストロー効果]]によって大学進学や就職を機に[[近畿地方]]や[[首都圏 (日本)|首都圏]]、さらには他の[[四国]]各県に人口が流出し社会減ともなっている。 市町村別でみると、徳島市中心地の[[地価]]高騰に伴い、[[ドーナツ化現象]]が顕著に起こっている。[[乗用車|車]]で徳島市中心部に30分程度で通勤でき、かつ子育て支援政策に乗り出した[[藍住町]]や[[北島町]]などに人口が流入し、四国でも数少ない人口増加の地域となっている。徳島市西方の[[石井町]]も、鉄道が中心部を走るアクセスの良さから人口が流入し、社会増となった時期もあった。また、山間部の[[神山町]]も、[[情報技術|IT]]企業誘致や現役世代重視の政策の影響で2019年から社会増となっている。一方、核都市である[[徳島市]]、[[鳴門市]]、[[阿南市]]は減少を続けている。また、県西や県南は減り続けており、存続が危ぶまれる、または消滅した集落も多くある。 *[[都道府県の人口一覧]]より徳島県の人口の明治・大正・平成の推移 * [[1888年]](明治21年) - 67万6100人(全国32位、四国2位) * [[1920年]](大正9年) - 67万0212人(全国40位、四国4位) * [[2005年]](平成17年) - 80万9974人(全国44位、四国3位) * [[2010年]](平成22年) - 78万5491人(全国44位、四国3位) * [[2015年]](平成27年) - 75万5733人(全国44位、四国3位) * [[2020年]](令和2年) - 71万9704人(全国44位、四国3位) == 政治 == === 県政 === {{Main|徳島県知事一覧|徳島県庁|徳島県議会}} * [[都道府県知事|知事]]:[[後藤田正純]](ごとうだ まさずみ、1期目) ==== 県知事(戦後・公選) ==== {|class="wikitable" border="1" cellpadding="5" cellspacing="0" style="margin:left;" !代!!氏名!!任期!!出身!!備考 |- |45||[[阿部五郎]]||[[1947年]](昭和22年)[[4月16日]] - [[1951年]](昭和26年)[[4月1日]]||徳島県[[徳島市]]|| |- |46||[[阿部邦一]]||[[1951年]](昭和26年)[[5月21日]] - [[1955年]](昭和30年)[[3月3日]]||徳島県[[吉野川市]]|| |- |47-49||[[原菊太郎]]||[[1955年]](昭和30年)[[4月25日]] - [[1965年]](昭和40年)[[9月15日]]||徳島県徳島市|| |- |50-53||[[武市恭信]]||[[1965年]](昭和40年)[[10月9日]] - [[1981年]](昭和56年)[[10月4日]]||徳島県[[美馬市]]|| |- |54-56||[[三木申三]]||[[1981年]](昭和56年)[[10月5日]] - [[1993年]](平成5年)[[10月4日]]||徳島県吉野川市|| |- |57-59||[[圓藤寿穂]]||[[1993年]](平成5年)[[10月4日]] - [[2002年]](平成14年)[[4月27日]]||徳島県[[板野町]]|| |- |60||[[大田正]]||[[2002年]](平成14年)[[4月28日]] - [[2003年]](平成15年)[[3月30日]]||徳島県[[三好市]]|| |- |61-64||[[飯泉嘉門]]||[[2003年]](平成15年)[[5月18日]] - [[2023年]](令和5年)[[5月17日]]||[[大阪府]][[池田市]]||戦後公選初の県外出身者 |- |65 |[[後藤田正純]] |[[2023年]](令和5年)[[5月18日]]-現職 |[[東京都]][[多摩市]] |父が徳島県吉野川市生まれ。 |} * 戦前は[[徳島県知事一覧]]参照 ==== 財政 ==== ===== 平成18年度 ===== * 標準財政規模 2324億3700万円 * 一般会計歳入 5135億円 * 一般会計歳出 5019億円 * [[財政力指数]] 0.32317(都道府県平均 0.46) * 経常収支比率 96.4%(都道府県平均 92.6%) ** 分かりやすくいうと県知事の自由裁量で使える分が3.6%しかないことを意味する * 実質収支比率 2.0 * 実質公債費比率 16.1%(都道府県平均 14.7%) * 人口100,000人当たり職員数 1,629.83人(都道府県平均 1,173.11人) ** 職員数が過剰である [[2007年]](平成19年)から[[2011年]](平成23年)の4年間で200人以上の削減を目指している * [[ラスパイレス指数]] 100.1(都道府県平均99.6) * 人口一人当たり地方債現在高 120万1287円(都道府県平均 62万2416円) 地方債残高 * 普通会計分の地方債現在高 9750億5800万円 * 上記以外の特別会計分の地方債(企業債)現在高 495億9500万円 ** 主な内訳 病院事業会計分 約68億円、港湾等整備事業会計分 約340億円 * 第3セクター等の地方債等残高 56億4000万円 ** 主な内訳 徳島林業公社 46億1500万円 * 徳島県の地方債等残高合計 1兆0302億9300万円(連結会計) * 徳島県民一人当たり地方債等残高 129万5917円(連結会計) ===== 平成17年度 ===== * 財政力指数:0.31([[2005年]](平成17年)度) === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#徳島県|徳島県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が2だが、2012年衆院選以前は3であった。[[参議院]]では、[[徳島県選挙区]]として全県で1区を構成していたが、2016年の[[第24回参議院議員通常選挙]]より[[高知県選挙区]]と合区され、高知県とともに1区を構成する[[参議院合同選挙区|合同選挙区]]が創設された。 == 経済・産業 == 徳島県によると、[[国内総生産|県民総生産]](名目)は[[2018年]]で3兆1733億円であり、[[実質経済成長率|経済成長率]]は1.3%である。名目GDPは全国43位と低調であるが、一人当たりで換算すると431万円で全国14位と健闘している。県平均での産業別のGDPの割合は、第1次産業が2.0%,第2次産業が34.4%,第3次産業が62.9%となっている。 製造出荷額は、2019年で1兆9081億円で全国39位であり、2018年において最も出荷額等が多い業種は、[[化学工業]]の5,632億円(製造業全体の30.4%)。次いで多いのは、[[電子部品]]・デバイス・[[電子回路]]製造業(4,419億円、23.8%)、[[食品|食料品]]製造業(1,437億円、7.8%)、[[パルプ]]・[[紙]]・紙加工品製造業(1,206億円、6.5%)となっている。[[徳島市]]をはじめとした県東一帯は国から[[新産業都市]]の指定を受けている地域であり、徳島県が比較的工業県の傾向が大きいのはこれによる影響も大きい。徳島県で作られた製品の多くは、[[神戸淡路鳴門自動車道]]を通って[[京阪神]]へ輸出される。 [[東京商工リサーチ]]の調査で、都道府県別の人口に対する社長の「輩出率」が2017年より首位。理由として、阿波商人の気質や関西圏との交流の深さが挙げられている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tsr-net.co.jp/data/detail/1198083_1527.html|title=社長の「輩出率」 徳島県が6年連続トップ 沖縄県の企業は社長の9割が“地元出身”|website=[[東京商工リサーチ]]|date=2023-10-20|accessdate=2023-10-31}}</ref>。 徳島県は中心都市を[[徳島市]]とし、[[三好市]]や[[海陽町]]など一部の地域を除いてほぼすべての市町村で[[徳島都市圏]]を形成している。徳島都市圏は四国では[[高松都市圏]]に次いで人口が多い。 === 農林水産業 === ==== 農業 ==== 河口付近では[[野菜]]の生産が盛んであり、主に[[京阪神]]方面へと出荷されている。徳島県の[[食料自給率]]は、[[2016年]]の時点でカロリーベースで43%、生産額ベースで131%である。 * [[早場米]](阿南市) * [[鳴門金時]](鳴門市) * [[カリフラワー]](徳島市、板野郡、吉野川市東部) * [[トウモロコシ]](石井町、吉野川市東部) * [[スダチ]](県内各地、主に神山町) * [[タケノコ]](阿南市) * [[シイタケ]] (県内各地) * [[ネギ]](徳島市) * [[レタス]](吉野川北岸地域、主に阿波市) * [[レンコン]](鳴門市、板野郡) * [[ニンジン]](県内各地、主に板野郡) * [[シロウリ]](吉野川北岸地域、主に板野町) * [[鳴門らっきょ]](鳴門市大毛島) * [[タラノメ]](県西部、主に三好市山城町) * [[煎茶]](山城町、那賀町:旧相生町) * [[イチゴ]](県内各地、主に佐那河内村、阿波市) * [[ブドウ]](阿波市) * [[マスカット (ブドウ)|マスカット]](阿波市) * [[ナシ]](鳴門市) * [[ウンシュウミカン]](県内各地、主に勝浦町) * [[木頭ゆず]](那賀町:旧木頭村) * [[ヤマモモ]](小松島市) * [[つまもの]](上勝町、三好市山城町、神山町) * [[黄金ヒバ]](上勝町、三好市山城町、神山町) * [[ダイコン|大根]](鳴門市) * [[和三盆]](板野町) * [[阿波晩茶]](那賀町、上勝町) ==== 畜産業 ==== * 阿波畜産3ブランド([[阿波牛]]、[[阿波ポーク]]、[[阿波尾鶏]]) 酪農が盛んに行われており、吉野川市鴨島町には「牛島」(うしのしま。酪農が地名の由来)という名称の地域もある。 最近は酪農経営・乳牛数共に全盛期の4分の1に落ち込んでいる反面、[[徳島市]]における[[牛乳]][[消費量]]は[[都道府県庁所在地]]の中では最も高い。 現在は県内唯一の牛乳メーカーである[[日本酪農協同]]('''毎日牛乳''')の徳島工場が徳島市内にある。またかつては、[[名西郡]][[石井町]]に[[森永乳業]]の徳島工場([[2011年]](平成23年)9月30日に閉鎖)が、[[吉野川市]](旧:[[麻植郡]][[鴨島町]])に旧[[明治乳業]](現:[[明治 (企業)|株式会社明治]])の徳島工場があった。 近年、県内の[[ベンチャー]]が、[[人口爆発]]に伴う[[タンパク質|タンパク源]]の供給を目的に、[[コオロギ]]の養殖に取り組んでいる。 ==== 水産業 ==== * [[鯛|タイ]](鳴門市など) * [[ちりめんじゃこ]](小松島市[[和田島町]]など) * [[クルマエビ]](鳴門市) * [[ハモ]](阿南市椿泊など) * [[タチウオ]](美波町日和佐など) * [[アユ]](吉野川、勝浦川、那賀川など) * [[アワビ]](牟岐町など) * [[アオリイカ]](牟岐町など) * [[鳴門わかめ]](鳴門市) * [[海苔]](吉野川河口付近など) ==== 林業 ==== 県南西部の[[那賀郡]]には豊かな森林地帯があり、[[那賀町]]の旧那賀町や旧木沢村、旧木頭村を中心に行われているが、高齢化により後継者不足やそれに伴う森林の手入れの問題に悩まされている。県は若手の林業従事者育成のため、[[徳島県立那賀高等学校|那賀高校]]に森林クリエイト科を設置した。また、[[菌床栽培]]を含む生シイタケの生産量は日本一である。 === 商業 === ==== 県内にある主要大型商業施設 ==== * [[イオンモール徳島]](徳島市) * [[ゆめタウン徳島]](藍住町) * [[アミコ専門店街|アミコ]](徳島市) * [[三越徳島]](徳島市) * [[徳島駅クレメントプラザ|クレメント]](徳島市) * [[徳島名店街]](徳島市) * [[フジグラン北島]] (北島町) * [[フジグラン石井]] (石井町) * [[フジグラン阿南]] (阿南市) * [[タクト (商業施設)|タクト]](徳島市) * [[ショッピングコアパルシー|パルシー]](美馬市) * [[小松島ショッピングプラザルピア|ルピア]] (小松島市) * [[アピカ (商業施設)|アピカ]] (阿南市) * [[アワーズ (商業施設)|アワーズ]](阿波市) * [[ドン・キホーテ (企業)|MEGAドン・キホーテ徳島店]](徳島市) * [[フレスポ阿波池田]](三好市) * [[マルナカ徳島店]](徳島市) *[[パワーシティーマルナカ鴨島]] ==== 県内に本社のある主要企業 ==== * [[ジャストシステム]] * [[日亜化学工業]] * [[大塚製薬工場]] * [[化研テクノ]] * [[馬居化成工業]] * [[徳島通運]] * [[四国高速運輸]] * [[阿波製紙]] * [[阿波證券]] * [[徳島信用金庫]] * [[阿南信用金庫]] * [[阿波銀行]] * [[徳島大正銀行]] * [[徳島合同証券]] * [[ノヴィル]] * [[ヤマク食品]] * [[四国化工機]] * [[富田製薬]] * [[長生堂製薬]] * [[四国大陽日酸]] * [[四国トーセロ]] * [[徳島バス]] * [[海部観光]] * [[シケン]] * [[徳島製粉]] * [[かねこみそ]] * [[ニホンフラッシュ]] * [[平惣]] * [[港興業]] * [[日新酒類]] * [[リカオー]] * [[タカガワ]] * [[キョーエイ]] * [[とくし丸]] * [[徳島新聞|一般社団法人 徳島新聞社]] * [[四国放送]] * [[エフエム徳島]] === 工業 === ==== 化学工業 ==== ==== バイオ研究 ==== === 拠点事業所のある主要企業 === ; 県内に工場がある主要企業 * [[大塚製薬]]徳島本部、徳島工場及び[[大塚グループ]](徳島市) * [[王子製紙]]富岡工場(阿南市) * [[王子ネピア]]徳島工場(阿南市) * [[倉敷紡績]]徳島工場(阿南市) * [[三洋電機]]徳島工場(松茂町) * [[サンスター]]徳島工場(松茂町) * [[ジェイテクト]](旧光洋精工)徳島工場(藍住町) * [[四国化成工業]]徳島工場(北島町) * [[新日本理化]]徳島工場(徳島市) * [[大鵬薬品工業]]徳島工場(徳島市) * [[東亜合成]]徳島工場(徳島市) * [[山本光学]]徳島工場(阿波市) * [[日清紡ホールディングス|日清紡績]]徳島工場(徳島市) * [[日本製紙]]小松島工場(小松島市) * [[日本電工]]徳島工場(阿南市) * [[日本ハム]]徳島工場(名西郡石井町) * [[富士スレート]]北島工場(北島町) * [[プライム プラネット エナジー&ソリューションズ]]徳島工場(松茂町) ; 県内の[[サテライト・オフィス]] * [[Sansan]](神山町) ; 県内の発電所 * [[四国電力]]阿南発電所(阿南市) * 四国電力橘湾発電所(阿南市) * [[電源開発]][[橘湾火力発電所]](阿南市) == 生活・交通 == === 警察 === * [[徳島県警察]] 徳島県の交通事故死者数は、[[2018年]]で人口10万人当たり4.17人で全国34位、[[2019年]]で人口10万人当たり5.57人で全国ワースト1位となったが、[[2020年]]は全国25位となった。しかし、全国平均は超えている。徳島県では交通マナーの悪さが社会問題になっており、警察は街中での呼びかけだけでなく、学校や職場での啓発活動が行われている。 === 交通 === ==== 航空 ==== * [[徳島飛行場]] - 通称徳島空港。愛称は徳島阿波おどり空港。 ** なお徳島県は[[関西国際空港]]に近く、同空港にも出資している。 ==== 鉄道 ==== {{See also|四国の鉄道}} * [[四国旅客鉄道]](JR四国) ** [[徳島線]] ** [[高徳線]] *** 香川県に乗り入れる。 ** [[鳴門線]] ** [[牟岐線]] ** [[土讃線]] *** 香川県と高知県を結ぶ路線で、阿波池田駅付近の一部区間が県内となっている。 * [[阿佐海岸鉄道]] ** [[阿佐海岸鉄道阿佐東線|阿佐東線]] *** [[1992年]][[3月26日]]に開通するまでは、戦前の1936年7月に国に買収された[[阿南鉄道]]を最後に、県内に私鉄線が存在しなかった。 最大の駅[[徳島駅]]の1日の乗降者数平均は2019年で16258人であり、[[四国]]では[[高松駅 (香川県)|高松駅]]に次いで2位である。県内の路線はすべて[[黒字と赤字|赤字]]である。利用者の大半は[[徳島市]]中心部への通勤・通学であるため、[[徳島市]]から離れている県南や県西では、人口の少ないこともあり利用者はかなり少ない。平均通過人員で計算すると、[[徳島線]]では、[[徳島駅]]から18.9㎞の地点にある途中主要駅[[鴨島駅]]までの利用者数が全体の63%、[[牟岐線]]では、[[徳島駅]]から24.5㎞の地点にある途中主要駅[[阿南駅]]までの利用者数が83.4%を占めている{{要出典|date=2022-03}}。[[徳島駅]]を発着する[[特急列車]]は、[[高徳線]]で[[徳島駅]]と[[高松駅 (香川県)|高松駅]](1日に数本[[岡山駅]]と直通)を結ぶ[[うずしお (列車)|うずしお]]、[[徳島線]]で[[徳島駅]]と[[阿波池田駅]]を結ぶ[[剣山 (列車)|剣山]]、[[牟岐線]]で[[徳島駅]]と[[牟岐駅]]を結ぶ[[むろと (列車)|むろと]]がある。徳島県とつながりの深い京阪神に鉄道で行くためには、[[高松駅 (香川県)|高松駅]]と[[岡山駅]]を経由する必要がある。 ホームが面する線路の数が最も多いのは、[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]の徳島駅(3面4線)ではなく、県西の[[阿波池田駅]](3面5線)である。高架駅舎は、[[佐古駅]]、[[海部駅]]、[[宍喰駅]]の3駅が存在する。橋上駅舎は、[[阿南駅]]のみである。全国47都道府県で唯一、[[鉄道の電化|電化]]区間が全く存在せず、歴史的にも存在したことがない<ref group="注釈">[[沖縄県]]には[[普通鉄道]]の電化区間はないが、戦前には[[路面電車]]の[[沖縄電気#軌道事業|沖縄電気]]が存在した。また現存する[[沖縄都市モノレール線]](ゆいレール)は電気運転である。</ref><ref group="注釈">1916年に開業した[[阿波電気軌道]](現在の高徳線・鳴門線、および廃止された[[鍛冶屋原線]])は電化を企図していたが、資金不足により実現しなかった。</ref>。そのため徳島県には「[[電車]]」が一切走っていない。また、複線区間も存在しない<ref group="注釈">佐古-徳島間は一見複線に見えるが、実際は高徳線と徳島線の単線並列区間である。全区間[[単線]]は[[宮崎県]]のみ。</ref>。なお、2018年夏以降は、47都道府県で唯一[[自動改札機]]設置駅が存在せず、歴史上存在したこともない都道府県であり、それに伴い2020年7月現在、日本で唯一鉄道施設内において[[交通系ICカード全国相互利用サービス]]が一切使えない(簡易チャージ機も存在しない)県である<ref group="注釈">[[福井県]]では2018年9月8日より[[福井駅 (福井県)|福井駅]]および[[敦賀駅]]で運用が開始、同15日に[[新疋田駅]]から[[牛ノ谷駅]]までの間の残りの駅でチャージ機含め稼働開始となった。[[愛媛県]]では[[伊予鉄道]][[松山市駅]]に2014年まで存在していた。</ref>。日中の普通列車の本数は徳島市近郊区間<ref group="注釈">徳島駅から池谷・阿波川島・阿南の各駅間</ref> で毎時2本程度、それ以遠では毎時1本足らずとなっている。また、県内における営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。 ===== 新幹線構想 ===== 現在、徳島県には新幹線は通っていない。ただ、[[四国新幹線]]と[[四国横断新幹線]]が構想として存在する。[[香川県]]と[[岡山県]]の間に架かっている[[瀬戸大橋]]は、既に新幹線規格で建設され、また鉄道が通っているため、これを利用し[[岡山駅]] - [[宇多津駅]] - [[高知駅]]を結ぶ四国横断新幹線は、費用面からも現実的な路線として構想されている。これを基軸とする場合、徳島県には[[岡山駅]]と[[高知駅]]の間を結ぶ途中駅として[[阿波池田駅]]、[[宇多津駅]]から高松方面に伸びた路線を延長して[[徳島市]]内に駅がそれぞれ設けられる構想となっている{{要出典|date=2022-03}}。 しかし、徳島県にとっては、[[岡山駅]]経由で[[本州]]に出ることよりも、[[大鳴門橋]]と[[淡路島]]を経由して本州に直接出ることの方が重要である。そのため、徳島県としては、[[新大阪駅]]から淡路島を通り、徳島県、香川県、愛媛県、最終的には[[豊予海峡]]を通って[[大分県]]に通じる四国新幹線の建設に前向きである。この四国新幹線は、四国の人口密集地域を通るため、収益がある程度は見込まれているが、明石海峡大橋が建設された際に鉄道構想を放棄したため(大鳴門橋は新幹線規格で建設)、[[紀淡海峡]]または[[明石海峡]]に海底トンネルを建設する必要がある。 ==== 索道 ==== * [[四国ケーブル]] ** [[太龍寺ロープウェイ]] * [[眉山ロープウェイ]] * [[剣山登山リフト]] * [[箸蔵山ロープウェイ]] ==== バス ==== {{See also|四国地方の乗合バス事業者}} * [[淡路交通]] * [[徳島バス]] * [[徳島バス阿南]] - 2023年に徳島バスが吸収。 * [[徳島バス南部]] * [[四国交通]] * [[徳島市交通局]] * 応神ふれあいバス * 上八万コミュニティバス のったろう * 鳴門市地域バス * 吉野川市代替バス * [[三好市営バス]] * 上勝町営バス * 那賀町営バス * 海陽町営バス * 松茂町地域コミュニティバス * 北島町福祉バス・町内ぐるぐる福祉バス * つるぎ町コミュニティーバス * 東みよし町営バス ==== 道路 ==== * [[高速道路]] ** [[徳島自動車道]]([[四国縦貫自動車道]]・[[四国横断自動車道]]) ** [[高松自動車道]](四国横断自動車道) ** [[神戸淡路鳴門自動車道]](本四連絡道路神戸・鳴門ルート) ** [[徳島南部自動車道]](四国横断自動車道) * [[地域高規格道路]] ** [[徳島環状道路]] ** [[阿南安芸自動車道]] *** [[日和佐道路]] * [[一般国道]] ** [[国道11号]]、[[国道28号]]、[[国道32号]]、[[国道55号]]、[[国道192号]]([[国土交通省]]四国地方整備局管理) ** [[国道193号]]、[[国道195号]]、[[国道318号]]、[[国道319号]]、[[国道377号]]、[[国道438号]]、[[国道439号]]、[[国道492号]](徳島県管理、将来はこの一部も国土交通省四国地方整備局の管理になる予定) ** :国道377号は徳島県内の単独区間が美馬市内のわずか23mのみとなっている(鳴門市内は国道11号との重複区間)。 * 観光道路 ** [[剣山スーパー林道]] ** [[南阿波サンライン]] ** [[津峯スカイライン]] * [[四国歴史文化道]] ** [[阿波歴史文化道]] ** [[阿南室戸歴史文化道]] ** [[祖谷歴史文化道]] ==== 航路 ==== * [[徳島小松島港|徳島港]] ** [[南海フェリー]](徳島港 - [[和歌山港]]) ** [[オーシャン東九フェリー]]([[新門司港]] - 徳島港 - [[東京港]]) * [[徳島小松島港|小松島港]] * [[伊島港]] * [[答島港]] === 医療・福祉 === {{main|Category:徳島県の医療機関}} ; [[災害拠点病院]] * [[徳島県災害拠点病院]] ; [[保育所]] * [[徳島県保育所一覧]] === 教育 === ==== 大学 ==== [[国立大学|国立]] * [[徳島大学]] ** [[常三島]]キャンパス(理工・総合科学・生物資源産業) ** 蔵本キャンパス(医・歯・薬) ::四国で唯一[[歯学部]]と[[薬学部]]をもつ[[国公立大学]]であり、全国的に見ても[[大学病院]]、[[医学部]]、薬学部、歯学部が同じキャンパス内にある[[国公立大学]]はあまり多くはない。2021年時点で、[[医学部|医学部医学科]]の二次試験の学力試験は数学と英語の2科目、[[薬学部]]は数学と化学2科目など、科目数が少ないことが特徴である。 * [[鳴門教育大学]] [[私立大学|私立]] * [[徳島文理大学]] * [[四国大学]] ;[[通信制大学]] 私立 * [[放送大学]] 徳島学習センター ==== 短期大学 ==== 私立 * [[四国大学短期大学部]] * [[徳島工業短期大学]] * [[徳島文理大学短期大学部]] ==== 高等専門学校 ==== 国立 * [[阿南工業高等専門学校]] 私立 * [[神山まるごと高等専門学校]] ==== 専修学校 ==== * [[徳島県専修学校一覧]] ==== 特別支援学校 ==== * [[徳島県特別支援学校一覧]] ==== 高等学校 ==== * [[徳島県高等学校一覧]] [[ファイル:徳島県学区制.jpg|サムネイル|出典:徳島県教育委員会(2021年9月時点)]] :徳島県の公立高校普通科では、[[学区]]制度が設けられている。学区外受験は定員が別枠で少数である。 ::第1学区…県南([[阿南市]]、[[小松島市]]、[[海部郡 (徳島県)|海部郡]]、[[那賀郡]]、[[名東郡]]、[[勝浦郡]]) ::第2学区…県北([[鳴門市]]、[[吉野川市]]、[[阿波市]]、[[美馬市]]、[[三好市]]、[[板野郡]]、[[名西郡]]、[[美馬郡]]、[[三好郡]]) ::第3学区…[[徳島市]] :しかしこのうち、[[板野郡]][[藍住町|藍住]]・[[北島町|北島]]・[[松茂町|松茂]]の3町と、[[神山町]]、[[佐那河内村]]は域内に公立高校がないため([[神山町]]には[[徳島県立城西高等学校神山分校]]があるが、分校なので)、特例措置を設けている。それは、それぞれの町村は[[徳島市]]と学区は異なるが、第3学区内の受験生として受験が可能というものである。これは、[[徳島市]]内の[[徳島県立城東高等学校|城東高校]]や[[徳島県立徳島北高等学校|徳島北高校]]などの進学校への地理的近さと人気の高さが影響したものである。徳島市内の高校では、人口が増加している(していた)[[板野郡]]3町出身の生徒がかなりの割合を占めている。しかし、同じく[[徳島市]]内への進学希望者が多く、徳島市に近い[[鳴門市]]や[[石井町]]などから見直しを求める声が2017年ごろから出ていた。 :徳島県の高校受験は、事前に定員調整が行われる。[[基礎学力テスト]]を3回行い、それの点数で出願先を決定するのだが、各中の教師が話し合いを行い、出願先の調整を行う。そのため、夏や秋に5倍を超えるような学校であっても、出願時点では1.0~1.1倍に落ち着く。これは、徳島県に[[私立高校]]が少ないことによる措置である。私立高校のうち全日制は[[徳島文理高等学校|徳島文理高校]]と[[生光学園中学校・高等学校|生光学園]]、[[香蘭高等学校]]の3つである。 :2021年度から、[[徳島県立城東高等学校|城東高校]]が全県一区(学区廃止)とし、[[徳島県立城ノ内中学校・高等学校|城ノ内中等教育校]]が中高一貫教育移行に伴い高校での募集を停止するなど改革が始まっている。 ==== 中学校 ==== * [[徳島県中学校一覧]] ==== 小学校 ==== * [[徳島県小学校一覧]] ==== 幼稚園 ==== * [[徳島県幼稚園一覧]] ==== その他教育機関 ==== ;[[農業大学校]] * [[徳島県立農林水産総合技術支援センター農業大学校]] === マスメディア === ==== 新聞 ==== ; 地方紙 * [[徳島新聞]] * [[トリビューンしこく]] ; 全国紙 * [[読売新聞]] * [[朝日新聞]] * [[毎日新聞]] * [[日本経済新聞]] * [[産経新聞]](県域版(地域版)の掲載はない) ==== タウン情報誌 ==== * [[あわわ]]発行 ** [[めぐる、]] ** [[あわわfree]] ** [[ASA (雑誌)|ASA]](廃刊) ** [[050 (雑誌)|050]](廃刊) ** [[Geen]](廃刊) * [[メディコム]]発行 **[[月刊タウン情報トクシマ|タウン情報トクシマ]](通称「タウトク」) ** タウン情報CU(キュー)…女性誌 ** [[徳島人]](廃刊) ** 地元のブライダル情報誌「結婚しちゃお!」(季刊) ** とくしまの生活情報紙 フリーペーパー[[SALALA|SALALA(さらら)]]※編集・制作(発行元/徳島新聞社) ** startt※編集・制作(発行元/徳島新聞社) * [[ワイヤーオレンジ]]発行 ** [[ワイヤーママ|WIRE・ワイヤーママ徳島版]] * [[トップワン (出版社)|トップワン]]発行 ** [[QSTYLE]] * [[リクルートホールディングス|リクルート]]発行 ** [[ホットペッパー (フリーペーパー)|ホットペッパー]] ==== 徳島県内の放送局 ==== テレビ草創期から、徳島県のテレビ放送は長年にわたってNHKと四国放送の2局3波である。デジタルテレビ・県域FM局・四国放送ラジオのFM補完放送のメイン中継局はいずれも[[眉山 (徳島市)|眉山]]に置かれている。四国放送は通常時終夜放送を実施している。 * テレビ局 **アナログテレビ放送 2011年7月24日運用終了。[[眉山 (徳島市)|眉山]]から送信されていた。 *** [[四国放送]](JRT・1ch)([[日本ニュースネットワーク|NNN]]/[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]系列) *** [[NHK徳島放送局]](総合3ch、教育38ch) **'''デジタルテレビ放送''' 眉山から送信 *** [[四国放送]] (JRT)(NNN/NNS系列) 【[[リモコンキーID]] '''1''' (物理ch 31ch)】 *** [[NHK徳島放送局]] 【総合テレビ:リモコンキーID '''3''' (物理ch 34ch)、Eテレ(教育):リモコンキーID '''2''' (物理ch 40ch)】 * AMラジオ局 ** [[日本放送協会|NHK]]徳島放送局([[NHKラジオ第1放送|第一]]・徳島945kHz、池田1161kHz(県南部でこの周波数は田辺中継局を受信する場合あり)、牟岐1584kHz(県西部でこの周波数は観音寺中継局を受信する場合あり)、山城1503kHz、※NHK徳島放送局は[[NHKラジオ第2放送|第二]]が存在しない(池田局 (1359&nbsp;kHz) は[[NHK松山放送局]]の中継局)ため、大阪局 (828&nbsp;kHz)や高知局 (1152&nbsp;kHz)などを受信する。 ** 四国放送([[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列)(1269&nbsp;kHz、93.0&nbsp;MHz) * FMラジオ局 ** [[エフエム徳島]]([[全国FM放送協議会|JFN]]系列)(徳島80.7&nbsp;MHz、池田82.3&nbsp;MHz、日和佐77.7&nbsp;MHz、阿南78.4&nbsp;MHz) ** NHK徳島放送局(徳島83.4&nbsp;MHz、池田85.0&nbsp;MHz、日和佐85.7&nbsp;MHz、阿南81.3&nbsp;MHz、阿波勝浦・美馬85.6&nbsp;MHz、阿波84.4&nbsp;MHz、神山84.9&nbsp;MHz、上勝82.4&nbsp;MHz、一宇82.5&nbsp;MHz、一宇剪宇83.9&nbsp;MHz、鷲敷82.0&nbsp;MHz、東祖谷山84.3&nbsp;MHz、宍喰89.9&nbsp;MHz) ** [[エフエムびざん]]([[コミュニティFM]])(徳島79.1&nbsp;MHz) ==== テレビ放送の歴史 ==== テレビ黎明期の1959年に[[NHK徳島放送局]]と[[四国放送]]がテレビ放送を開始して以降、県内の放送局は開局していない。その為、電波の海上伝搬を利用して[[広域放送|近畿広域圏]]のテレビ局の視聴者が県内に多数存在する。しかしアナログ放送からデジタル放送への移行にあたって、近畿圏の局が視聴不能となる地域が続出する事が判明。その為、県は国の援助を得て県内の[[ケーブルテレビ]]局加入促進策を打ち出した<ref>{{PDFlink|[https://www.soumu.go.jp/soutsu/shikoku/press/2010press/201004/20100420/2010042002_2.pdf 徳島県における区域外(県外)波受信対策について] [[総務省]]ホームページ 2015年2月12日閲覧。}}</ref>。 ==== ケーブルテレビ ==== ケーブルテレビの世帯普及率は2020年3月末時点で90.5%に達しており、全都道府県で1位である<ref>[https://www.soumu.go.jp/soutsu/shikoku/tokei/catv_fukyujyoukyou.html ケーブルテレビの普及状況] 四国総合通信局</ref>。四国放送が加盟する日本テレビ系列以外の局の関西圏などからの受信に用いられている。 * [[ケーブルテレビ徳島]](徳島市(国府町CATVのエリアを除く)、名西郡神山町、名東郡、勝浦郡、美馬市、三好郡、海部郡) * [[国府町CATV]](徳島市国府町及び隣接地域) * [[石井町有線放送農業協同組合]](名西郡石井町) * [[テレビ鳴門]](鳴門市) * [[ひのき (ケーブルテレビ)|ひのき]](板野郡北島町、松茂町、上板町) * [[エーアイテレビ]](板野郡藍住町、板野町) * [[上板町有線テレビ]](板野郡上板町) * [[ケーブルネットおえ]](吉野川市(川島・鴨島・山川の各町の一部)) * [[日本中央テレビ]](吉野川市、小松島市) * [[阿波市ケーブルネットワーク]](阿波市) * [[東阿波ケーブルテレビ]](小松島市) * [[ケーブルテレビあなん]](阿南市(自治体エリア除く)) * [[徳島県南メディアネットワーク]](阿南市) * [[那賀町ケーブルテレビ]](那賀郡那賀町) * [[テレビ阿波]](美馬市旧脇町(脇町、猪尻、新町、拝原の全域と馬木、北庄の一部)) * [[池田ケーブルネットワーク]](三好市) === アマチュア無線FM中継局(レピータ)設置場所・周波数 === * JR5WE([[徳島市]]川内町小松西)439.52&nbsp;MHz * JR5WF([[板野郡]]藍住町)439.88&nbsp;MHz * JR5WG(徳島市一番町)439.84&nbsp;MHz * JR5WH([[三好市]]池田町馬場)439.54&nbsp;MHz * JR5WI([[小松島市]]中田町東山)439.96&nbsp;MHz * JR5WQ([[吉野川市]]山川町木綿麻山)439.46&nbsp;MHz、1291.46&nbsp;MHz * JR5WT(徳島市福島)1292.10&nbsp;MHz * JR5WU(吉野川市山川町木綿麻山)1292.48&nbsp;MHz、2425.66&nbsp;MHz * JR5VE([[阿波市]]秋月乾)1292.34&nbsp;MHz * JR5VI(阿波市江ノ島)439.94&nbsp;MHz * JP5VK(板野郡板野町)1292.02&nbsp;MHz * JP5VO([[美馬市]]脇町西大谷)1292.12&nbsp;MHz、2425.50&nbsp;MHz * JR5VR([[那賀郡]] 那賀町)439.62&nbsp;MHz * JR5VT([[阿南市]]日開野町宮原)439.70&nbsp;MHz、2425.58&nbsp;MHz * JP5YCC([[名西郡]]石井町)2425.42&nbsp;MHz [[日本アマチュア無線連盟]] (JARL) を免許人とする[[アマチュア無線]]用中継局が県内各所に設置されている。徳島県のレピータは南部の JR5VR を除き、都市・集落が多くある[[吉野川 (代表的なトピック)|吉野川]]周辺設置されている特徴がある<ref>モービルハム 1986年1月号 電波実験社</ref>。 == 文化・スポーツ == === 方言 === 徳島県内で話される方言は'''[[徳島弁]]'''('''阿波弁''')と呼ばれる。[[四国方言]]に分類されるが、特に県東部で、[[近畿方言]]の影響を強く受けている。 === 食文化 === {{See also|Category:徳島県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#徳島県}} * [[たらいうどん]](阿波市) * [[鳴門うどん]](鳴門市) * [[鳴門わかめ|わかめ料理]](鳴門市) * [[竹ちくわ]](小松島市) * [[半田そうめん]](つるぎ町) * [[祖谷そば]](祖谷地方) * [[でこまわし]](祖谷地方) * [[そば米汁]](そば米雑炊) (祖谷地方) * [[フィッシュカツ]] ([[小松島市]]) * [[伊勢エビの味噌汁]]([[美波町]]) * [[こけら寿司]]([[海陽町]]) * [[はんごろし]]([[那賀町]]) * [[徳島ラーメン]](徳島市とその周辺地域) * [[鰺の押し寿司]](主に県南部) * [[ぼうぜの姿寿司]](徳島県北部) === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[阿波しじら織|阿波正藍しじら織]](織物、[[1978年]]) * [[大谷焼]](陶磁器、[[2003年]]) * [[阿波和紙]](和紙、[[1976年]]) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#徳島県}} === 伝統芸能 === * [[文楽|人形浄瑠璃]] * [[阿波踊り]] === スポーツ === * [[日本プロ野球|プロ野球]]公式戦規格対応野球場([[徳島県南部健康運動公園野球場]]、[[徳島県鳴門総合運動公園野球場]]) * [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]J1規格対応球技場([[徳島県鳴門総合運動公園陸上競技場]]) * [[ボウリング]]([[徳島市]]、[[石井町]]) * [[グラススキー]]([[中尾山高原グラススキー場]]) * [[モータースポーツ]]([[東みよし町]](旧三好町)[[阿讃サーキット]]) * [[サーフィン]]([[海陽町]](旧[[宍喰町]])など) * [[カヌー]]、[[ラフティング]]([[吉野川 (代表的なトピック)|吉野川]]、[[那賀川]]など) * [[パラグライダー]]、[[ハンググライダー]]([[三好市]]山城町[[塩塚高原]]、[[東みよし町]](旧三加茂町)[[風呂塔]]) * [[ボルダリング]]([[徳島市]]、[[鳴門市]]、[[藍住町]]) * [[スケートボード|スケートボーディング]]([[鳴門市]]、[[阿南市]]、[[徳島市]]) * [[スタンドアップパドルボード|スタンドアップパドルボーディング]]([[阿南市]]) * [[ティーボール]]([[阿南市]]) * [[BMX]]([[阿南市]]) ; 本県を本拠地とするスポーツクラブ {{See also|Category:徳島県のスポーツチーム}} * [[徳島インディゴソックス]]([[独立リーグ]][[プロ野球]] [[四国アイランドリーグplus]]) * [[徳島ヴォルティス]]([[サッカー]] [[日本プロサッカーリーグ|J2リーグ]]) * [[FC徳島]](サッカー [[四国サッカーリーグ]]) * [[徳島野球倶楽部]](社会人野球 [[徳島県野球連盟]] [[日本野球連盟]]) * [[徳島RAPAZ]]([[Fリーグ準会員リーグ]]) * [[徳島ガンバロウズ]]([[バスケットボール]] [[ジャパン・バスケットボールリーグ|B3リーグ]]) ; スポーツに特に力を入れている市町村 * 野球 - [[徳島インディゴソックス]]支援・「[[徳島県南部健康運動公園野球場#野球場を活用した地域振興|野球のまち阿南]]」([[阿南市]]) * サッカー - [[徳島ヴォルティス]]出資・ホームタウン([[徳島市]]、[[鳴門市]]、[[美馬市]]、[[吉野川市]]、[[小松島市]]、[[阿南市]]、[[松茂町]]、[[板野町]]、[[北島町]]、[[藍住町]]) ;[[公営競技]] * [[競輪]] - [[小松島競輪場]] * [[競艇]] - [[鳴門競艇場]] == 観光 == {{main|徳島県の観光地}} {{also|徳島県指定文化財一覧|四国地方の史跡一覧#徳島県|徳島県の城}} :(四国地方整備局によって選定された[[四国のみずべ八十八カ所]]は☆印、[[四国八十八景]]は★印で示す) === 名勝地 === ; 山 * [[剣山]]★15 - [[日本百名山]]・[[水源の森百選]] * [[三嶺]] - [[日本二百名山]] * [[弁天山 (徳島市)|弁天山]] - 標高6.1&nbsp;m自然の山で日本一の低さ * [[次郎笈]]([[那賀町]]) * [[高の瀬峡]]([[那賀町]]) - 徳島県観光百選1位 * [[槍戸峡]]([[那賀町]]) * [[黒沢湿原]]([[三好市]])☆8 - 県指定天然記念物、[[たびの尻滝]]☆8 * [[船窪つつじ公園|船窪のオンツツジ群落]]([[吉野川市]]) - 国の[[天然記念物]] * [[太龍寺|太龍嶽]]([[阿南市]])★17 - [[空海]]『[[三教指帰]]』で最初に記した修行地 * [[大川原高原]]([[佐那河内村]])★16 ; 川 * [[穴吹川]]([[美馬市]])☆13 - 12年連続四国河川水質首位<span style="font-size:90%;">(2006年四国地方整備局河川水質調査)</span> * [[海部川]]([[海陽町]])☆20 - 日本清流百選、[[平成の名水百選]] [[ファイル:Tokushima Miyoshi Iyanokazurabashi 1.jpg|thumb|祖谷渓のかずら橋]] [[ファイル:Shoubenkozou2014iya.jpg|thumb|祖谷渓の小便小僧]] * [[祖谷渓]]、[[大歩危]]・[[小歩危]]([[三好市]])☆9 - [[日本百景]]・[[日本の秘境100選]]・美しい日本の歴史的風土100選・[[人と自然が織りなす日本の風景百選]] * [[鷲敷ライン]]([[那賀町]])☆17 - 阿波八景十二勝・県指定名勝 * [[美濃田の淵]]([[東みよし町]])☆6 - 県指定名勝天然記念物 * [[轟九十九滝]]([[海陽町]])☆19 - [[日本の滝百選]]・[[日本百景]]・[[水源の森百選]] * [[大釜の滝]]([[那賀町]]) - [[日本の滝百選]] * [[大轟の滝]]([[那賀町]]) * [[雨乞の滝]]([[神山町]])☆14 - [[日本の滝百選]] * [[土釜]](県指定天然記念物)・[[鳴滝 (つるぎ町)|鳴滝]]([[つるぎ町]])☆11 ; 海 * [[鳴門海峡]]、[[鳴門の渦潮]]、[[渦の道]]([[鳴門市]])☆1 ★1- [[日本百景]]・[[日本の音風景100選]]・[[新日本旅行地100選]] * [[橘湾 (徳島県)|橘湾]]([[阿南市]]) - [[松島#日本国内の松島|阿波の松島]]・阿波八景1位 * [[蒲生田岬]]、[[アカウミガメ]]産卵地([[阿南市]]) - 四国最東端・県指定天然記念物 * [[大浜海岸]](日和佐海岸)([[美波町]])☆18 - [[ウミガメ]]産卵地、[[日本の渚百選]]・国の[[両生類・爬虫類天然記念物一覧|天然記念物]] * [[千羽海崖]]([[美波町]]) * [[恵比須洞]]([[美波町]]) [[File:Morasuko20220712 5.jpg|thumb|[[モラスコむぎ]] 松ヶ磯]] * [[モラスコむぎ]]([[牟岐町]])松ヶ磯★20 * [[八坂八浜]]([[海陽町]]) * [[大里松原海岸|大里松原]]([[海陽町]]) - [[日本の白砂青松100選]] * [[水床湾]]、[[竹ヶ島海中公園]]( [[海陽町]])★21 - 「南海の宝石」と呼ばれる透明度 ; その他 * [[江川 (徳島県)|江川]]の湧水([[吉野川市]]) - [[名水百選]] * [[剣山御神水]]([[三好市]]) - [[名水百選]] [[File:Awa no dotyuu 20220822 1.jpg|thumb|土柱]] * [[土柱]]([[阿波市]])★7 - 国の[[地質・鉱物天然記念物一覧|天然記念物]] * [[宍喰浦の化石漣痕]]([[海陽町]]) - 国の[[地質・鉱物天然記念物一覧|天然記念物]]・[[日本の地質百選]] * [[中央構造線|太刀野の中央構造線]] - 県指定天然記念物 * [[善入寺島]]☆5★6 - 日本最大の[[川中島]] * [[鏡島 (徳島県)|鏡島]] - [[ハート (シンボル)|ハート形]]の[[無人島]] * [[美郷 (吉野川市)|美郷]]の[[ホタル]]生息地([[吉野川市]]) - 国の[[無脊椎動物天然記念物一覧|天然記念物]]・ふるさといきものの里100選 * [[加茂の大クス]]([[東みよし町]])★11 - [[天然記念物|特別天然記念物]] * [[水の丸ふれあい公園]]([[東みよし町]])★12 * [[樫原の棚田]]([[上勝町]]) - [[棚田#「日本の棚田百選」|日本の棚田百選]] * [[下影の棚田]]([[三好市]]) - [[棚田#「日本の棚田百選」|日本の棚田百選]] === 名所・旧跡 === ; [[四国八十八箇所]] - [[日本遺産]] : 第1番札所[[霊山寺 (鳴門市)|霊山寺]] - 第22番札所[[平等寺 (阿南市)|平等寺]]★18、第23番札所[[薬王寺 (徳島県美波町)|薬王寺]]★19、第66番札所[[雲辺寺]] ; その他寺社など * [[大麻比古神社]]([[鳴門市]]) * [[丈六寺]]([[徳島市]]) - 本堂などは[[重要文化財]] * [[本楽寺 (美馬市)]]★9 - 阿讃山脈と大河を借景とした石庭 * [[八鉾神社]] ([[阿南市]]) - 県内最古の書物を所蔵 * [[お松大権現]]([[阿南市]]) - 日本三大怪猫伝 * [[学駅#入場券|学駅]] === 伝統的建造物 === ; 重要伝統的建造物群保存地区 * [[脇町南町]] うだつの町並み(美馬市)★8 - [[都市景観100選]]・[[日本の道100選]]・美しい日本の歴史的風土100選 * [[東祖谷落合]] (三好市) * [[出羽島]](牟岐町) - 島の北部の漁村集落、面積約3.7ヘクタール ; 城郭 * [[日和佐城]]([[美波町]]) * [[川島城]]([[吉野川市]]) [[File:Usiki20220830 1.jpg|thumb|牛岐城址公園]] * [[牛岐城]] ([[阿南市]]) - [[牛岐城址公園|公園]]になり徳島県唯一の[[恋人の聖地]]に認定 * [[今切城]] ([[徳島市]]) * [[徳島城]]跡([[徳島市]]) - 国の[[四国地方の史跡一覧|史跡]] * [[勝瑞城]]跡([[藍住町]]) - 国の[[四国地方の史跡一覧|史跡]] ; その他 * [[かずら橋|祖谷のかずら橋]]([[三好市]]) - [[日本百名橋]] * [[奥祖谷二重かずら橋]]☆10★14 * [[二層うだつの町並み]]([[つるぎ町]])★10 * [[農村舞台]](主に県南部) ** [[坂州農村舞台]]([[那賀町]]) - [[重要有形民俗文化財]] ** [[拝宮農村舞台]]([[那賀町]]) ** [[犬飼農村舞台]]([[徳島市]]) - [[重要有形民俗文化財]] * [[三木家住宅 (美馬市)]] - 国の[[重要文化財]] === 遺跡 === * [[渋野丸山古墳]]([[徳島市]]) * [[矢野遺跡]]([[徳島市]]) * [[若杉山遺跡]]([[阿南市]]) === 公園など === ; 運動公園 * [[鳴門・大塚スポーツパーク]]([[鳴門市]]) ** [[オロナミンC球場]] ** [[ポカリスエットスタジアム]] * [[徳島県南部健康運動公園]]([[阿南市]]) ** [[徳島県南部健康運動公園野球場|アグリあなんスタジアム]] * [[蔵本運動公園|JAバンク蔵本公園]]([[徳島市]]) ** [[徳島県営蔵本球場|JAバンク徳島スタジアム]] * [[田宮運動公園]]([[徳島市]]) * [[和田島緑地公園]]([[小松島市]]) * [[羽ノ浦健康スポーツランド]]([[阿南市]]) * [[蛇王運動公園]]([[海陽町]]) * [[吉野川運動公園野球場|池田球場]]([[三好市]]) * [[徳島スポーツビレッジ]]([[板野町]]) - 四国最大級のサッカー施設 ; 観光スポット・テーマパーク * [[徳島市総合動植物公園]]([[徳島市]]) ** [[とくしま動物園]] - 四国最大級の動物園 ** [[とくしま植物園]] ** [[とくしまファミリーランド]] * [[吉野川遊園地]]([[吉野川市]]) - [[2011年]](平成23年)8月末で閉園 * [[あすたむらんど徳島]]([[板野町]]) * [[ゾーブ#概要|イカワエックスパーク]]([[三好市]]) - 日本有数の[[ゾーブ]] * [[太龍寺ロープウェイ]]([[那賀町]])([[阿南市]])★17 - 西日本最長ロープウェイ * [[眉山ロープウェイ]](徳島市)★4 ; その他公園など-県北部 * [[鳴門公園]]([[鳴門市]]) * [[鳴門ウチノ海総合公園]]([[鳴門市]]) * [[うずしおふれあい公園]]([[鳴門市]]) * [[撫養川親水公園]]([[鳴門市]]) * [[徳島県立月見ヶ丘海浜公園|月見ヶ丘海浜公園]]([[松茂町]]) * [[徳島中央公園]]、[[鷲の門]]([[徳島市]]) - [[日本の都市公園100選]] * [[徳島県文化の森総合公園]]([[徳島市]]) * [[新町川水際公園]]([[徳島市]])☆16 * [[藍場浜公園]]([[徳島市]]) * [[眉山公園]]([[徳島市]]) * [[ケンチョピア]]([[徳島市]])☆16 * [[小松島ステーションパーク]]([[小松島市]]) - 世界最大の狸銅像 * [[日峯大神子広域公園]]([[小松島市]]) - 阿波三峰 * [[彩山]]([[上勝町]]) * [[板野町歴史文化公園]]([[板野町]]) * [[神山森林公園|神山森林公園イルローザの森]]([[神山町]])★5 * レストラン「カリフォルニア・テーブル」(鳴門市島田島)★2 ; その他公園など-県西部 * [[道の駅貞光ゆうゆう館]]([[つるぎ町]])☆12 * [[吉野川ハイウェイオアシス]]([[東みよし町]]) * [[於安パーク]]([[つるぎ町]]) ; その他公園など-県南部 * [[阿南西部公園]]([[阿南市]]) * [[Waンダーランド]]([[阿南市]]) * [[福井ダム公園]]([[阿南市]]) - 170mのすべり台 * [[南阿波ピクニック公園]]([[海陽町]]) * [[相生森林文化公園|あいあいらんど]]([[那賀町]]) === レジャースポット === ; [[キャンプ]]場・[[バンガロー]] * [[わじきライン|わじきライン キャンプ村]]([[那賀町]]) - [[森林浴の森100選]] * [[まぜのおか]]([[海陽町]]) * [[轟キャンプ場]]([[海陽町]]) * [[船津キャンプ場]]([[海陽町]]) * [[美那川キャンプ村]]([[那賀町]]) * [[ファガスの森]]([[那賀町]]) ; 海水浴場 * [[大毛海岸|鳴門海水浴場]]([[鳴門市]]) * [[小松海水浴場]]([[徳島市]]) * [[淡島海岸|淡島海水浴場]]([[阿南市]]) * [[袙海岸|袙海水浴場]]([[阿南市]]) * [[北の脇海岸|北の脇海水浴場]]([[阿南市]]) - [[日本の渚百選]] * [[田井の浜|田井の浜海水浴場]]([[美波町]]) - [[快水浴場百選]] * [[内妻海岸|内妻海水浴場]]([[牟岐町]]) * [[大砂海水浴場]]([[海陽町]]) - [[快水浴場百選]] ; [[遊覧船]]スポット * うずしお観潮船([[鳴門市]]大毛島) * [[ひょうたん島一周遊覧船]]([[徳島市]])★3 * [[大歩危峡遊覧船]]([[三好市]])★13 * [[竹ヶ島海中公園]]( [[海陽町]])★21 - ブルーマリン号 ; [[サーフィン|サーフ]]スポット * [[内妻海岸]](再掲・[[牟岐町]]) * [[大里松原海岸|大里松原]](再掲・[[海陽町]]) - [[日本の白砂青松100選]] * [[海部川|カイフポイント]]([[海陽町]]) - 世界的知名度の適地とされる * [[大手海岸 (海陽町)|大手海岸]]([[海陽町]]) ; [[スクーバダイビング|ダイビング]]スポット * [[牟岐大島]]([[牟岐町]]) - “沖縄やパラオ諸島まで行く必要ない”と[[飯泉嘉門|飯泉徳島県知事]]が絶賛<span style="font-size:90%;">([[2006年]](平成18年)10月21日ダイビング後の感想)</span> ; [[カヌー]]スポット * [[わじきライン]]([[那賀町]])☆17 - 阿波八景十二勝 * [[大歩危]] ([[三好市]])☆9 ; [[ラフティング]]スポット * [[大歩危]] ([[三好市]]) ; [[スキー]]、[[スノーボード]] * [[井川スキー場腕山]]([[三好市]]) * [[剣山スキー場]]([[つるぎ町]]) === 博物館・美術館など === ; 総合施設 * [[徳島県文化の森総合公園]]([[徳島市]]) ; 芸術関連 * [[大塚国際美術館]]([[鳴門市]]) - 日本最大の私立美術館 * [[徳島県立近代美術館]]([[徳島市]]) * [[阿波おどり会館]]([[徳島市]]) * [[藍の館]] ([[藍住町]]) * [[技の館]]([[上板町]]) * [[阿波和紙伝統産業会館]]([[吉野川市]]) * [[相生森林美術館]]([[那賀町]]) * [[阿波十郎兵衛屋敷]] ([[徳島市]]) * [[阿波木偶人形会館]] ([[徳島市]]) ; 歴史関連 * [[鳴門市ドイツ館]]([[鳴門市]]) * [[阿波史跡公園]]([[徳島市]]) * [[徳島市立徳島城博物館]] ([[徳島市]]) * [[徳島県立文書館]]([[徳島市]]) * [[阿波公方]][[平島館]]([[阿南市]]) * [[徳島県立鳥居龍蔵記念博物館]]([[徳島市]]) * [[徳島県立埋蔵文化財総合センター]]([[板野町]]) * [[阿波海南文化村]]([[海陽町]]) ; 自然関連 * [[大鳴門橋架橋記念館エディ]]([[鳴門市]]) * 細川内ダム反対資料館([[那賀町]]) * [[日和佐うみがめ博物館カレッタ]]([[美波町]]) - 世界でも珍しいとされる海亀博物館 * [[モラスコむぎ|貝の資料館モラスコむぎ]]([[牟岐町]]) * [[康暦の碑]] ([[美波町]]) - 日本最古の地震津波碑 * [[海洋自然博物館マリンジャム]]([[海陽町]]) * [[美郷ほたる館]]([[吉野川市]]) * [[ラピス大歩危]]([[三好市]]) ; 科学関連 * [[あすたむらんど徳島]]([[板野町]]) * [[徳島県立博物館]] ([[徳島市]]) * [[徳島県立21世紀館]]([[徳島市]]) * [[阿南市科学センター]]([[阿南市]]) - 西日本最大口径113cm天体望遠鏡 ; ダム関連施設 * [[長安口ダム#観光とアクセス|長安口ダム資料館ビーバー館]]([[那賀町]]) - 徳島県最大のダム * [[川口ダム]] ([[那賀町]])- サクラやアジサイの名所 * [[福井ダム|福井ダム資料館]]([[阿南市]]) - 国内第二記録降水量疑似体験 * [[池田ダム|池田湖]]([[三好市]])☆7 ; 温泉 * [[紅葉温泉]]([[三好市]]) * [[祖谷温泉]]([[三好市]]) - [[日本百名湯]] * [[秘境の湯]]([[三好市]]) * [[神山温泉]]([[神山町]]) * [[船瀬温泉]]([[阿南市]]) - 四国最東端温泉、現在の名称はかもだ岬温泉 * [[鷲敷温泉|わじき温泉]]([[那賀町]]) * [[道の駅もみじ川温泉]]([[那賀町]]) * [[道の駅宍喰温泉]]([[海陽町]]) * [[四季美谷温泉]]([[那賀町]]) * [[月ヶ谷温泉]]([[上勝町]]) * [[あらたえの湯]] ([[徳島市]]、[[小松島市]]、[[鳴門市]]) * [[道の駅日和佐]] ([[美波町]]) - [[足湯]] * [[道の駅いたの]] ([[板野町]]) - 足湯 === 催事・イベント === * [[徳島駅伝]](1月) * [[徳島国際映画祭]](3月) * [[とくしまマラソン]](4月) - 四国最大規模のマラソン * [[はな・はる・フェスタ]](4月、[[徳島市]]) * [[海部川#イベント|徳島・海陽 究極の清流 海部川 風流マラソン]](2月、[[海陽町]]) * [[観光地引き網]](3 - 11月、[[阿南市]]) * [[吉野川フェスティバル]](7月、徳島市) * [[徳島ひょうたん島水都祭|水都祭]](7月、徳島市) * [[鳴門市阿波おどり]](8月9日 - 11日、鳴門市) * [[阿波踊りサウンドフェスティバル]](8月11日、徳島市) * [[徳島市阿波おどり]](8月12日 - 15日、徳島市) - 日本遺産百選・[[日本の音風景100選]] * [[エキサイティング・サマー・イン・ワジキ]](8月13日、[[那賀町]]) * [[木頭杉一本乗り|木頭杉一本乗り大会]](8月、那賀町) * [[四国放送|四国放送まつり]] (秋、あすたむらんど徳島) * [[赤松神社 (美波町)|赤松神社奉納吹筒花火]](10月、[[美波町]]) * [[鴨島大菊人形|大菊人形・菊花展]](10月 - 11月中旬、[[吉野川市]][[鴨島町]]) * [[阿波の狸まつり]](11月上旬、徳島市) * [[南阿波サンライン#概要|南阿波サンライン黒潮マラソン]](11月、[[牟岐町]]) * [[ヨルイチ (小松島市)|ヨルイチ]](毎週土曜日、[[小松島ステーションパーク]]SL記念広場) * [[ケンチョピア|ケンチョピアのイルミネーション]](冬、徳島市) * [[マチ★アソビ]](春・秋、徳島市) * [[とくしまマルシェ]](月1回) * [[徳島LEDアートフェスティバル]](2010年から3年に1度、徳島市) ==対外関係== 姉妹自治体・提携自治体は、以下の通り。 ;姉妹提携<ref>[http://www.clair.or.jp/j/exchange/shimai/prefectures/detail/36 徳島県の交流自治体]</ref> *{{flagicon|BRA}}[[サンパウロ州]]([[ブラジル連邦共和国]]) *{{flagicon|GER}}[[ニーダーザクセン州]]([[ドイツ連邦共和国]])<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.topics.or.jp/articles/-/2836 |title = 独ニーダー州交流10周年 県訪問団23日出発 |publisher = [[徳島新聞]] |date = 2017-04-17 |accessdate = 2018-05-05 }}</ref> ;友好提携 *{{flagicon|CHN}}[[湖南省]]([[中華人民共和国]]) == 徳島県を舞台とした作品 == {{main|徳島県を舞台とした作品一覧}} ; 映画 近年は映画ロケの誘致に力を入れており、有名なものでは『[[男はつらいよ 寅次郎かもめ歌]]』や『[[虹をつかむ男]]』、『[[バルトの楽園]]』の舞台となった。 * [[阿波の踊子]](徳島市) * [[男はつらいよ 寅次郎かもめ歌]]([[鳴門市]]) * [[バルトの楽園]](鳴門市) - [[第一次大戦]]後のドイツ人俘虜収容所が舞台となった。[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーベン]]の第九協奏曲の[[アジア]]初演の地。 * [[阿波DANCE]](鳴門市)(2007年公開) - ダンス好きな高校生が阿波踊りをする。 * [[眉山 (さだまさし)|眉山]](徳島市)(2007年公開) - 同名小説が原作。 * [[瀬戸内少年野球団]]([[阿南市]]) * [[奇跡の海 (2008年の映画)|奇跡の海]](阿南市) * [[虹をつかむ男]]([[美馬市]]) * [[村の写真集]]([[三好市]](旧池田町、旧山城町、旧西祖谷山村など)) * [[ロード88]](県内各地) * [[平成狸合戦ぽんぽこ]]([[小松島市]]) ; テレビドラマ * [[なっちゃんの写真館]] (1980年4月7日 - 10月4日放送)(徳島市) * [[雲とオルガン]](三好市山城町[[奥小歩危温泉]]) * [[俺たちの旅 三十年目の運命]]([[牟岐町]]、[[海陽町]](旧海部町)) * [[高橋英樹の船長シリーズ]]10 太平洋殺意のうず潮・夫殺し!犯行時若妻は宮崎行フェリーに乗っていた…二重人格の謎 (1998年9月26日放送)(徳島市) * [[お祭り弁護士・澤田吾朗]]3 青森ねぶた祭〜徳島阿波おどり、日本縦断二大祭り1600kmを結ぶ連続殺人! (2002年8月31日放送)(徳島市) * [[鉄道捜査官]]2 私は殺された…鳴門の渦に女の叫び! (2002年10月5日放送)(徳島市、鳴門市、松茂町) * 山村美紗サスペンス 地獄坂の復讐殺人!京都〜徳島を結ぶ殺意の遺言状、誰も知らない見知らぬ遺産相続人が次々と殺されて…(2006年9月2日放送)(徳島市、鳴門市、阿波市、美馬市、美波町(旧日和佐町)) * [[ウェルかめ]](2009年9月28日 - 2010年3月27日放送)(徳島市、阿南市、美波町) * [[温泉 (秘) 大作戦]]8([[朝日放送テレビ|朝日放送]]・[[テレビ朝日]]ドラマ[[土曜ワイド劇場]]、2009年12月5日放送)(鳴門市) * NHK徳島放送局開局80周年記念ドラマ「狸な家族」(2013年6月26日放送) (三好市) ** [[さすらい署長 風間昭平]]12 阿波おへんろ殺人事件(2015年11月11日放送)(阿南市、鳴門市) ; 小説 * [[鳴門秘帖]]([[吉川英治]]) - 1926年の小説。当作品は複数回にわたって映画化、ドラマ化されている。 * [[天涯の花]]([[宮尾登美子]]、[[剣山]]) * [[眉山 (さだまさし)|眉山]]([[さだまさし]]、[[徳島市]]・[[松嶋菜々子]]主演で2007年に映画化) * [[西尾維新#伝説シリーズ|悲惨伝]]([[西尾維新]]) * [[吉野北高校図書委員会]]([[山本渚]]) ; 漫画 * [[みのりスクランブル!]]([[ちはや深影]]) * [[女子大生の日常]]([[津々巳あや]]、鳴門市) * [[姫さま狸の恋算用]]([[水瀬マユ]]、小松島市) * [[YAIBA]](剣山) ; バラエティー * [[天才てれびくん|Let's天才てれびくん]](徳島どちゃもん:かさぽんたす) == 徳島県出身の人物 == {{Main|徳島県出身の人物一覧}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|2}} === 出典 === <!-- 文献参照ページ --> {{Reflist|2}} == 関連項目 == <!-- 関連するウィキリンク、ウィキ間リンク --> * [[:Category:徳島県]] * [[:Category:徳島県の観光地|徳島県の観光地]] * [[:Category:徳島県の自然景勝地|徳島県の自然景勝地]] * [[:Category:徳島県の企業|徳島県の企業]] * [[:Category:徳島県の大学|徳島県の大学]] * [[徳島県の県道一覧]] * [[徳島県の城]] * [[庚午事変]] - 「淡路島は元々徳島県のもの」と徳島県民が主張する、[[明治時代]]に起こった[[謀反|発端]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/徳島県|[[画像:Tokushima-geo-stub.png|40px|Portal:日本の都道府県/徳島県]]}} {{Multimedia|徳島県の画像}} {{Sisterlinks|wikt=|b=|q=|s=|commons=Tokushima prefecture|commonscat=Tokushima prefecture|n=Category:徳島県|v=no|voy=徳島県|d=Q160734|species=Tokushima prefecture}} ; 行政 * {{Official website}} ; 観光 * [https://www.tokushima-kankou.or.jp/ 徳島県観光協会] * [https://www.awanavi.jp 徳島県観光情報サイト阿波ナビ] - 徳島県・徳島県観光協会 * {{Googlemap|徳島県}} * {{Osmrelation|3795000}} {{s-start}} {{s-bef|before=[[高知県]]の一部([[阿波国]])|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1880年]] -|years2=}} {{s-aft|after=-----|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{徳島県の自治体}} {{徳島県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:とくしまけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:徳島県|*]]
2003-02-03T18:00:10Z
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栃木県
栃木県(とちぎけん)は、日本の関東地方に位置する県。県庁所在地は宇都宮市。 県北部に日光国立公園があり、観光地・保養地の日光や那須が知られる。 関東地方北部の北関東に位置する県で、人口は約192.3万人(2021年現在)。境界部に海岸線を有しない内陸県である。県内の地域区分は概ね県中部の宇都宮市・鹿沼市・真岡市から県南部の小山市や栃木市、県南西部両毛線沿線の佐野市・足利市など茨城・群馬両県と繋がりが深い県南と那須野が原に広がる那須塩原市や観光地那須町、県北西部を占める日光市を中心とする県北に分類される。 地勢は、北部から北西部にかけて奥羽山脈、日光連山、足尾山地が連なり、標高1500m - 2500m程の急峻な山岳が連なっている。これらの山々から流れ出る鬼怒川、那珂川、渡良瀬川など諸河川が関東平野の北端を形成し、更に北に進むと那須野が原に至り、県北の町並みが広がる。 県土のほぼ中央に宇都宮市が立地し、人口は県全体の4分の1に当たる約50万人が集中している。人口10万人以上の市として、県南の小山・栃木・足利・佐野の各市、県北の那須塩原市があり、宇都宮線・両毛線の沿線に人口の多い市が連なっている。そのほか、地域の行政中心地として、鹿沼・真岡・大田原・矢板の各市がある。 産業は、農業、工業、商業、観光業のバランスがとれ、それぞれ盛んである。 農業は、平野部が米や麦の産地、那須野が原などの高原部(那須高原)が酪農地、畜産地となっているほか、いちごやかんぴょうなどの特産物も生産されている。 工業は、東北自動車道・国道4号と北関東自動車道・国道50号を軸とする地域に、北関東工業地域、及び、関東内陸工業地域(本県の場合は両者の定義に当てはまる)が広がり、第二次世界大戦中に軍需産業が集積した宇都宮市では、機械工業や金属工業、食品・飲料工業が、真岡市、上三川町、芳賀町では自動車関連産業(日産自動車系、本田技研工業系)が、那須塩原市、大田原市ではタイヤ製造や精密機械工業(医療機器、写真用レンズ製造)がそれぞれ発達している。また、県南では、食品・飲料工業や機械工業、益子焼の生産、機械・自動車部品などの中小規模の工場が広く立地するほか、伝統的に繊維産業が盛んである(結城紬、足利銘仙)。 商業は、宇都宮市における小売業が発達し、ほか工業地域では卸売業も盛んである。 観光業は、日光・鬼怒川エリアや、那須・塩原エリアで盛んである。日光市の鬼怒川温泉、川治温泉、湯西川温泉、日光湯元温泉、那須町、那須塩原市の那須温泉郷、塩原温泉郷などは、飛鳥時代や奈良時代からの古い歴史を持つ名湯。東照宮・日光二荒山神社・輪王寺の二社一寺で構成される世界遺産、日光の社寺。いろは坂に華厳滝、中禅寺湖や戦場ヶ原など、風光明媚な奥日光の景勝地。自然豊かで、別荘地・牧場・温泉地が広がり、那須岳、殺生石、皇室の御用邸などもある那須高原。これらの地域は日光国立公園の指定地域内にあり、自然保護などの施策も執られている。日光市の一部には尾瀬国立公園に指定された地域も存在する。 明治時代には「栃木」の表記に揺れがあった。「栃」は「櫔」(lì)を簡略化したと考えられ、「櫔木」の表記もあった。また、1871年の廃藩置県の後は「橡木」の表記が使われる例もあったが、「杤木」の表記が主であった。旁の「万」は、下側を「力」とつくる例もあった。1881年(明治14年)ごろより、「栃木」の表記が見られるが、旁は「櫔」に従って「厂」の中に「万」が主である。「厂」の中の「万」の部分は下側を「力」とつくる例や「丂」とつくる例もあった。「厂」の1画目を右から書く字形が生まれたのは昭和中期以降である。なお、中国語の文書で「櫪」や「枥」を使う例もみられるが、主に飼い葉桶を意味する字であり、誤りである。 茨城県や群馬県と共に北関東を構成する。 人口は、約192万人で全国第19位(本県に近い人口規模の県としては、岐阜県の約197万人、群馬県の約192万人、福島県の約181万人、岡山県の約187万人などが挙げることができる)。面積は6,408.28kmで全国第20位(関東地方最大の面積)、東西約84km・南北約98km。県庁所在地の宇都宮市は、東京から約100km、JR東北新幹線で約50分強の位置にあり、中核市の指定を受けている。 地形的には東部の八溝山地、北部から西部にかけての那須連山・下野山地(高原山・日光連山・帝釈山地)・足尾山地の山岳地帯と、県中央部の那珂川・鬼怒川・渡良瀬川の沿岸平野部の3地域に大別される。 東部の八溝山地は標高600 - 1,000mの阿武隈高地に続く比較的なだらかな山地が連なる。 北部から西部にかけての山岳地帯は日光国立公園、尾瀬国立公園(帝釈山、田代山湿原周辺)に指定されており、日光・鬼怒川・川治・塩原・那須などの観光地がある。北部には奥羽山脈(那須火山帯)に連なる那須連山・高原・男体・日光白根山などの諸火山がある。日光連山他の険しい山岳地帯は、標高2,000m以上の山脈が関東の北限を形成し、瀑布や湖沼が点在している。また、諸河川の源にもなっており、鬼怒川は中央部を、渡良瀬川は群馬県との県境を流れ利根川に合流し、那珂川は八溝地域から東折し茨城県に入り、ともに太平洋に注いでいる。 南部・東部は、そのほとんどが関東平野の一端で、首都圏の一角として市街化が進んでいる。 群馬県や茨城県、福島県の隣接自治体と深いつながりを持つ県内市町がある一方で、埼玉県との隣接に関しては、渡良瀬遊水地により飛地になっている栃木市藤岡町下宮地区とのみ、自動車用道路で往来可能である。事実上、自動車や鉄道で埼玉県に入る場合、群馬県か茨城県を経由しなければならない。栃木県と埼玉県を結ぶ主要幹線の国道4号、東北本線、東北新幹線は茨城県、同じく東北自動車道、東武伊勢崎線、東武日光線は群馬県を経由して埼玉県に入る。 なお、この地区は全国でもまれな、栃木県・群馬県・埼玉県の3県境が田畑の中に存在し、看板が設置されている。 中南部地域は関東平野の中北部に立地し、南端部には渡良瀬川と思川、利根川、また田川と鬼怒川のそれぞれ合流点があり、茨城県、群馬県、埼玉県と境界を接している。一方、県北西部地域は奥羽山脈の南端部に位置し、山岳地域となっている。北東部は低山地で那珂川が縦断して開析が進んだ八溝山地とともに茨城県境を形成している。北西部は関東地方屈指の山岳地帯であり、標高2,000メートル以上の山並みが続き群馬県および福島県との境界を形成している。特に日光連山は標高2,300メートル以上の峻険な独立峰を複数有し、空気の澄んだ日には関東南部からも遠望できる。この日光連山と八溝山地の北部接点付近に立地する那須岳は関東の最北端であり、福島県との境を成す。 気候は太平洋側気候を呈し、山間部では冬季の降雪、また平地部では同じく冬季の乾燥と夏季の雷を特徴とする。全県で夏季多雨多湿、冬季少雨乾燥を呈し、年間降水量は山間部で多く奥日光では2,000mmを超すが、平地部では少なく県南部では1,200mm程度である。 以下は栃木県庁による3地域区分である。広域行政では10圏域に区分される。 以下は環境森林事務所などによる4地域区分である。宇都宮地区が県東地域に含まれる。 以下は観光動態調査などによる5地域区分である。塩谷地区北部が那須地域に、塩谷地区南部と南那須地区が県央地域に含まれる。 以下は農業振興事務所・教育事務所などによる7地域区分である。塩谷地区と南那須地区が同一の管轄区域となる。 以下は昭和前期までの旧郡市・旧地方事務所による8地域区分である。 以下は土木事務所などによる9地域区分である。 以下の14市5郡11町がある。町はすべて「まち」と読む。栃木県内に村は無い。ただし、平成の大合併以前には“村”があり、その時はすべて「むら」と読んでいた。 都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷 歴史的には古墳時代、毛野川(けぬのかわ)(現在の鬼怒川)流域一帯には「毛野国」が成立し、これを上下に分かって「下毛野国(しもつけぬのくに)」「下野国(しもつけのくに)」が成立し、唐名では「野州(やしゅう)」と称する。現在でも「下野(しもつけ)」の呼称が広く使われている。 近世には豊臣政権による仕置が行われ、壬生氏、小山氏ら中世以来の氏族は領地を没収されるが、宇都宮氏や大関・大田原両氏の那須衆は豊臣政権に臣従し旧領を安堵されたほか、鎌倉公方の名跡を継ぐ喜連川氏や成田氏などが領地を得た。天正18年(1590年)には徳川家康が関東に移封され、下野は豊臣系大名と徳川領国の接点に位置する。なお、豊臣政権下での1597年(慶長2年)には宇都宮氏が改易されている。 豊臣秀吉没後の豊臣政権では五大老の家康と五大老の上杉景勝、五奉行の石田三成が対立し、慶長5年5月に家康は景勝討伐のため会津出兵を行う。三成は家康の出兵中に上方において挙兵し、家康は小山において上片へ引き返し、関ヶ原の戦いにおいて三成方を撃破する。家康が江戸に徳川幕府を開くと、中世以来の有力豪族は相次いで下野から姿を消し、県域は幕府直轄領や旗本領に細分化され、徳川家の譜代大名や旗本が支配するようになった。 江戸時代の幕藩体制においては宇都宮藩、壬生藩、烏山藩、黒羽藩、大田原藩、佐野藩、足利藩、吹上藩、高徳藩、喜連川藩の諸藩が成立し、福原家の佐久山陣屋、芦野家の芦野陣屋、那須家の福原陣屋、大田原家の森田陣屋など交代寄合の陣屋による領内統治が行われた。 下野国は江戸から奥州へ向かう結節点に位置し、近世には日光道中や奥州街道、壬生通りなど街道や脇往還、が整備され、小山宿や今市宿などの宿駅も整備された。また、利根川水系の渡良瀬川や思川、鬼怒川などの河川交通網も整備され、河岸が設置され舟運が行われた。 日光(日光市)は幕府の聖地として、東照宮をはじめとする華麗な建物が作られ、特別に保護・崇敬された。 近世期には日光山麓をはじめ各地で新田開発・用水開削が進むが、それに伴い秣場を巡る争論や水論も発生した。 江戸時代後期に入ると、いまの栃木県域は、地域社会の著しい疲弊・荒廃と、急激な人口減少に見舞われることになる。人口推計によれば、江戸中期の享保6年(1721年)から、江戸後期の天保5年(1834年)までの約1世紀の間に、下野国の総人口は、約56万人から、61.1%の約32万人まで減少し、1世紀で約4割の人口減少という、事実上の人口崩壊状態となっている。同時期、日本の総人口は、度重なる飢饉にもかかわらず、約10%の伸び(110.3%)を見せており、とりわけ飢饉が深刻であったとされる、東北太平洋側の陸奥国でも、1.5割弱の人口減少(86.1%)に抑えていることから考えても、江戸後期における、下野国の際立った荒廃ぶりがうかがえる。 このような状態の中で、二宮尊徳は農村のたて直しを図るため、桜町(現在の真岡市旧二宮町)の旗本領の復興につとめ、以後各地で報徳仕法と呼ばれる改革事業を実施した。 県人口は、1,933,146人(2020年(令和2年)国勢調査)で、都道府県で19位(都道府県の人口一覧)である。国勢調査最大人口は、2005年(平成17年)の2,016,631人であり、都道府県で20位であった。 2020年(令和2年)の国勢調査で人口順位が上位100位内の市は、宇都宮(27位)の1市であった(都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位)。各年の国勢調査で人口順位が上位100位内に入ったことのある市町は、宇都宮(最高位:2010年(平成22年)・2015年・2020年(令和2年)27位)・足利(最高位:1965年(昭和40年)88位)・足尾(最高位:1920年(大正9年)98位)の2市1町であった。(いずれの順位も、東京特別区部を1都市として扱いランキングに含めた場合の順位。) 栃木県の都市は、主に北部山岳地域から流れ出る鬼怒川、那珂川、渡良瀬川などの諸河川が太平洋に向かう流路帯の沖積平野と河岸段丘部に発達している。県域のほぼ中央に位置する宇都宮市は、北西部の山地部と中南部の平野部から成り、市街地はこの山地部と平野部の境界部に形成されている。 このほか、渡良瀬川、田川、鬼怒川、那珂川、思川などの河川中流域には、それぞれ足利市、下野市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、栃木市、小山市といった中規模都市が発達している。 2010年(平成22年)国勢調査による栃木県の人口密度は、1平方キロメートルあたり313.29人である。 人口密度が1平方キロメートルあたり1,000人以上の市は宇都宮市のみで、可住地人口密度が1平方キロメートルあたり1,500人以上の市は宇都宮・足利の2市である。 第1回国勢調査が実施された1920年(大正9年)の県人口は約104万人であり、47道府県中25位であった。人口3万人以上の市町村は宇都宮・足利・足尾の3市町であった。 2000年(平成12年)国勢調査での県人口は約200万人であり、47都道府県中20位。人口3万人以上の市町村は宇都宮・足利・栃木・佐野・鹿沼・今市・小山・真岡・大田原・矢板・黒磯・河内・壬生・西那須野の14市町であった。 下表には、栃木県内の全ての市とその中心市街を構成する旧町(宇都宮・足利・栃木・佐野・鹿沼・日光・今市・小山・真岡・大田原・矢板・黒磯/那須塩原・氏家/さくら・烏山/那須烏山・石橋/下野)、人口3万人以上の町とその旧町村(上三川・古里/河内・足尾・壬生・阿久津/高根沢・芦野/那須・西那須野・田沼)の計23市町村の国勢調査人口の変遷を記載した。 2010年(平成22年)国勢調査による栃木県内のDID(人口集中地区)は、15市町22地区あり、人口5万人以上のDIDは宇都宮市I・足利市・小山市Iの3地区であった。 衆議院の小選挙区が5。参議院では、全県で1区を構成。 2008年(平成20年)度の県民総生産は7兆9901億円である。国のGDPと比較しても、過半数の国よりも大きな規模を有している。主要産業は、宇都宮市のほか上三川町、小山市、大田原市、真岡市、栃木市、足利市、鹿沼市、矢板市などに代表される内陸型近代工業で、これらは北関東工業地域の一部を形成している。 農業も盛んであり、県北から流出する河川の豊かな水を利用した産業地帯で、米作が盛んなほか飲料工業も発達している。那須塩原市や大田原市、宇都宮市は国内有数の米産地となっているほか、那須塩原市では酪農も盛んであり、国内生乳生産量は北海道に次いで高い。ほか、真岡市や鹿沼市などを中心にいちごの栽培が盛んであり、壬生町や鹿沼市のかんぴょうとともに県の特産品となっている。 商業は宇都宮市で盛んで、栃木県内年間商品販売額の約半分が宇都宮市で占められており、栃木県内第一の商業都市となっている。観光産業も盛んで、日光市や那須塩原市、足利市の歴史・自然遺産(日光の社寺、足尾銅山跡、足利学校跡、中禅寺湖、華厳滝、鬼怒川温泉、那須岳、那須高原、塩原温泉など)、宇都宮市の餃子やカクテル、ジャズ、茂木町のモビリティリゾートもてぎ、栃木市の蔵の街なども観光資源となっている。 県庁所在地の宇都宮市は全国屈指の米産地であるほか、栃木県の年間製品販売額の約半分を占め、工業生産額も栃木県内市町村最大となっており、栃木県内最大の農商工業都市となっている。 なお、かんぴょうは栃木県が99%を生産し、残りは茨城県が生産している。 栃木県のほぼ中心を南北に東京と東北地方を結ぶJR東北新幹線、JR宇都宮線(東北本線)、東北自動車道、国道4号が南北に走る。 また宇都宮を中心にして放射線状に栃木県内各地へと路線が伸びている。宇都宮を基準にして各方向への主要路線は次の通り。 このほかに東西を結ぶ路線は、県南部では茨城県、群馬県両県間を結ぶ北関東自動車道やJR両毛線、JR水戸線、国道50号など。県北部では、国道400号などがある。南北方向には、県東部では国道294号など。県西部には東京から直通する鉄道路線の東武日光線、東武鬼怒川線、野岩鉄道会津鬼怒川線が走る。 栃木県内に空港は存在しない。最寄りの空港は成田国際空港(千葉県成田市)・東京国際空港(東京都)など。 那珂川町、上三川町、塩谷町を除く全自治体に鉄道駅が存在する。県内の鉄道路線の総運行距離(重複除く)は418.5 kmで、117駅ある。2019年度の1日あたりの平均輸送人員は17.6万人で、最盛期(1995年)から2割減少している。〔〕は、路線ごとの栃木県内区間の運行距離、駅数、平均輸送人員(2019年度)。 栃木県内の民間路線バス(民間委託のコミュニティバスを含む)の総走行キロは2,635.3万 km、2019年度の1日あたりの平均輸送人員は51,408人で、最盛期(1969年)から87%減少している。〔〕は、事業者ごとの栃木県内区間の走行キロ、平均輸送人員(2019年度)。 放送対象地域は関東広域圏に属する。栃木県域放送のとちぎテレビ・NHK宇都宮放送局のほかに、NHK放送センター(教育テレビ)と在京キー局5局(日本テレビ・テレビ朝日・TBS・テレビ東京・フジテレビ)が栃木県内全域が放送区域になっている。県中部以南の関東平野では放送対象地域外のNHK東京総合テレビ(JOAK-DTV)が受信エリアのめやすとなっている。また、とちぎテレビのみならずNHK・キー局ともに栃木県内各地に中継局を置いている。 ※関東広域放送を行っているJRN系列のTBSラジオ、NRN系列の文化放送・ニッポン放送も放送対象地域になっている。 ※本県はradikoの基本サービスで聴取できる局数が全国の都道府県で一番多い18局ある。 1994年(平成6年)、栃木市の栃木コミュニティ放送に免許が交付されたことがあるが(JOZZ3AA-FM:FM蔵の街)、経済的な問題もあり免許を取り下げたため、コミュニティ放送局は2015年10月までない状態が20年近く続き、新規の開局の機運はなく、全国で唯一コミュニティ放送の無い都道府県「空白県」であったが、2015年(平成27年)1月27日、栃木ケーブルテレビ(運営・ケーブルテレビ株式会社)が運営するとちぎシティエフエム(JOZZ3CB-FM)に予備免許が交付され、栃木県にもコミュニティ放送が開局の見通しとなった。 栃木県には120以上のゴルフ場があり、平成期までは国内ツアーが各地で行われていた。ゴルフブームは終わったものの、現在でも高齢者の人気スポーツとして、都心に近い栃木市や佐野市には多くの他県から来場者がある。栃木県のゴルフ場は山岳コースが多く、関東平野にある河川敷や平坦なコースと違い変化がある。料金面でも魅力があり、自然の中でプレイが楽しめる。 ゆるきゃら・ご当地キャラ 栃木県名誉県民の称号は、2001年(平成13年)12月27日に制定された栃木県名誉県民条例(平成13年12月27日栃木県条例第42号)に基づき、「社会の発展に卓絶した功績があり、県民が郷土の誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「栃木県内に居住し、又は居住していた者で、産業経済の発展、保健医療の向上、福祉の増進又は学術、文化若しくはスポーツの振興に貢献したもの」であり、栃木県知事が栃木県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)。名誉県民に選定された者には、栃木県名誉県民称号記および記念品が贈呈される(条例第3条)。
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"概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "農業は、平野部が米や麦の産地、那須野が原などの高原部(那須高原)が酪農地、畜産地となっているほか、いちごやかんぴょうなどの特産物も生産されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "工業は、東北自動車道・国道4号と北関東自動車道・国道50号を軸とする地域に、北関東工業地域、及び、関東内陸工業地域(本県の場合は両者の定義に当てはまる)が広がり、第二次世界大戦中に軍需産業が集積した宇都宮市では、機械工業や金属工業、食品・飲料工業が、真岡市、上三川町、芳賀町では自動車関連産業(日産自動車系、本田技研工業系)が、那須塩原市、大田原市ではタイヤ製造や精密機械工業(医療機器、写真用レンズ製造)がそれぞれ発達している。また、県南では、食品・飲料工業や機械工業、益子焼の生産、機械・自動車部品などの中小規模の工場が広く立地するほか、伝統的に繊維産業が盛んである(結城紬、足利銘仙)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "商業は、宇都宮市における小売業が発達し、ほか工業地域では卸売業も盛んである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "観光業は、日光・鬼怒川エリアや、那須・塩原エリアで盛んである。日光市の鬼怒川温泉、川治温泉、湯西川温泉、日光湯元温泉、那須町、那須塩原市の那須温泉郷、塩原温泉郷などは、飛鳥時代や奈良時代からの古い歴史を持つ名湯。東照宮・日光二荒山神社・輪王寺の二社一寺で構成される世界遺産、日光の社寺。いろは坂に華厳滝、中禅寺湖や戦場ヶ原など、風光明媚な奥日光の景勝地。自然豊かで、別荘地・牧場・温泉地が広がり、那須岳、殺生石、皇室の御用邸などもある那須高原。これらの地域は日光国立公園の指定地域内にあり、自然保護などの施策も執られている。日光市の一部には尾瀬国立公園に指定された地域も存在する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "明治時代には「栃木」の表記に揺れがあった。「栃」は「櫔」(lì)を簡略化したと考えられ、「櫔木」の表記もあった。また、1871年の廃藩置県の後は「橡木」の表記が使われる例もあったが、「杤木」の表記が主であった。旁の「万」は、下側を「力」とつくる例もあった。1881年(明治14年)ごろより、「栃木」の表記が見られるが、旁は「櫔」に従って「厂」の中に「万」が主である。「厂」の中の「万」の部分は下側を「力」とつくる例や「丂」とつくる例もあった。「厂」の1画目を右から書く字形が生まれたのは昭和中期以降である。なお、中国語の文書で「櫪」や「枥」を使う例もみられるが、主に飼い葉桶を意味する字であり、誤りである。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "茨城県や群馬県と共に北関東を構成する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "人口は、約192万人で全国第19位(本県に近い人口規模の県としては、岐阜県の約197万人、群馬県の約192万人、福島県の約181万人、岡山県の約187万人などが挙げることができる)。面積は6,408.28kmで全国第20位(関東地方最大の面積)、東西約84km・南北約98km。県庁所在地の宇都宮市は、東京から約100km、JR東北新幹線で約50分強の位置にあり、中核市の指定を受けている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "地形的には東部の八溝山地、北部から西部にかけての那須連山・下野山地(高原山・日光連山・帝釈山地)・足尾山地の山岳地帯と、県中央部の那珂川・鬼怒川・渡良瀬川の沿岸平野部の3地域に大別される。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "東部の八溝山地は標高600 - 1,000mの阿武隈高地に続く比較的なだらかな山地が連なる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "北部から西部にかけての山岳地帯は日光国立公園、尾瀬国立公園(帝釈山、田代山湿原周辺)に指定されており、日光・鬼怒川・川治・塩原・那須などの観光地がある。北部には奥羽山脈(那須火山帯)に連なる那須連山・高原・男体・日光白根山などの諸火山がある。日光連山他の険しい山岳地帯は、標高2,000m以上の山脈が関東の北限を形成し、瀑布や湖沼が点在している。また、諸河川の源にもなっており、鬼怒川は中央部を、渡良瀬川は群馬県との県境を流れ利根川に合流し、那珂川は八溝地域から東折し茨城県に入り、ともに太平洋に注いでいる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "南部・東部は、そのほとんどが関東平野の一端で、首都圏の一角として市街化が進んでいる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "群馬県や茨城県、福島県の隣接自治体と深いつながりを持つ県内市町がある一方で、埼玉県との隣接に関しては、渡良瀬遊水地により飛地になっている栃木市藤岡町下宮地区とのみ、自動車用道路で往来可能である。事実上、自動車や鉄道で埼玉県に入る場合、群馬県か茨城県を経由しなければならない。栃木県と埼玉県を結ぶ主要幹線の国道4号、東北本線、東北新幹線は茨城県、同じく東北自動車道、東武伊勢崎線、東武日光線は群馬県を経由して埼玉県に入る。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "なお、この地区は全国でもまれな、栃木県・群馬県・埼玉県の3県境が田畑の中に存在し、看板が設置されている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "中南部地域は関東平野の中北部に立地し、南端部には渡良瀬川と思川、利根川、また田川と鬼怒川のそれぞれ合流点があり、茨城県、群馬県、埼玉県と境界を接している。一方、県北西部地域は奥羽山脈の南端部に位置し、山岳地域となっている。北東部は低山地で那珂川が縦断して開析が進んだ八溝山地とともに茨城県境を形成している。北西部は関東地方屈指の山岳地帯であり、標高2,000メートル以上の山並みが続き群馬県および福島県との境界を形成している。特に日光連山は標高2,300メートル以上の峻険な独立峰を複数有し、空気の澄んだ日には関東南部からも遠望できる。この日光連山と八溝山地の北部接点付近に立地する那須岳は関東の最北端であり、福島県との境を成す。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "気候は太平洋側気候を呈し、山間部では冬季の降雪、また平地部では同じく冬季の乾燥と夏季の雷を特徴とする。全県で夏季多雨多湿、冬季少雨乾燥を呈し、年間降水量は山間部で多く奥日光では2,000mmを超すが、平地部では少なく県南部では1,200mm程度である。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "以下は栃木県庁による3地域区分である。広域行政では10圏域に区分される。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "以下は環境森林事務所などによる4地域区分である。宇都宮地区が県東地域に含まれる。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "以下は観光動態調査などによる5地域区分である。塩谷地区北部が那須地域に、塩谷地区南部と南那須地区が県央地域に含まれる。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "以下は農業振興事務所・教育事務所などによる7地域区分である。塩谷地区と南那須地区が同一の管轄区域となる。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "以下は昭和前期までの旧郡市・旧地方事務所による8地域区分である。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "以下は土木事務所などによる9地域区分である。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "以下の14市5郡11町がある。町はすべて「まち」と読む。栃木県内に村は無い。ただし、平成の大合併以前には“村”があり、その時はすべて「むら」と読んでいた。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "歴史的には古墳時代、毛野川(けぬのかわ)(現在の鬼怒川)流域一帯には「毛野国」が成立し、これを上下に分かって「下毛野国(しもつけぬのくに)」「下野国(しもつけのくに)」が成立し、唐名では「野州(やしゅう)」と称する。現在でも「下野(しもつけ)」の呼称が広く使われている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "近世には豊臣政権による仕置が行われ、壬生氏、小山氏ら中世以来の氏族は領地を没収されるが、宇都宮氏や大関・大田原両氏の那須衆は豊臣政権に臣従し旧領を安堵されたほか、鎌倉公方の名跡を継ぐ喜連川氏や成田氏などが領地を得た。天正18年(1590年)には徳川家康が関東に移封され、下野は豊臣系大名と徳川領国の接点に位置する。なお、豊臣政権下での1597年(慶長2年)には宇都宮氏が改易されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "豊臣秀吉没後の豊臣政権では五大老の家康と五大老の上杉景勝、五奉行の石田三成が対立し、慶長5年5月に家康は景勝討伐のため会津出兵を行う。三成は家康の出兵中に上方において挙兵し、家康は小山において上片へ引き返し、関ヶ原の戦いにおいて三成方を撃破する。家康が江戸に徳川幕府を開くと、中世以来の有力豪族は相次いで下野から姿を消し、県域は幕府直轄領や旗本領に細分化され、徳川家の譜代大名や旗本が支配するようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "江戸時代の幕藩体制においては宇都宮藩、壬生藩、烏山藩、黒羽藩、大田原藩、佐野藩、足利藩、吹上藩、高徳藩、喜連川藩の諸藩が成立し、福原家の佐久山陣屋、芦野家の芦野陣屋、那須家の福原陣屋、大田原家の森田陣屋など交代寄合の陣屋による領内統治が行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "下野国は江戸から奥州へ向かう結節点に位置し、近世には日光道中や奥州街道、壬生通りなど街道や脇往還、が整備され、小山宿や今市宿などの宿駅も整備された。また、利根川水系の渡良瀬川や思川、鬼怒川などの河川交通網も整備され、河岸が設置され舟運が行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "日光(日光市)は幕府の聖地として、東照宮をはじめとする華麗な建物が作られ、特別に保護・崇敬された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "近世期には日光山麓をはじめ各地で新田開発・用水開削が進むが、それに伴い秣場を巡る争論や水論も発生した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "江戸時代後期に入ると、いまの栃木県域は、地域社会の著しい疲弊・荒廃と、急激な人口減少に見舞われることになる。人口推計によれば、江戸中期の享保6年(1721年)から、江戸後期の天保5年(1834年)までの約1世紀の間に、下野国の総人口は、約56万人から、61.1%の約32万人まで減少し、1世紀で約4割の人口減少という、事実上の人口崩壊状態となっている。同時期、日本の総人口は、度重なる飢饉にもかかわらず、約10%の伸び(110.3%)を見せており、とりわけ飢饉が深刻であったとされる、東北太平洋側の陸奥国でも、1.5割弱の人口減少(86.1%)に抑えていることから考えても、江戸後期における、下野国の際立った荒廃ぶりがうかがえる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "このような状態の中で、二宮尊徳は農村のたて直しを図るため、桜町(現在の真岡市旧二宮町)の旗本領の復興につとめ、以後各地で報徳仕法と呼ばれる改革事業を実施した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "県人口は、1,933,146人(2020年(令和2年)国勢調査)で、都道府県で19位(都道府県の人口一覧)である。国勢調査最大人口は、2005年(平成17年)の2,016,631人であり、都道府県で20位であった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "2020年(令和2年)の国勢調査で人口順位が上位100位内の市は、宇都宮(27位)の1市であった(都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位)。各年の国勢調査で人口順位が上位100位内に入ったことのある市町は、宇都宮(最高位:2010年(平成22年)・2015年・2020年(令和2年)27位)・足利(最高位:1965年(昭和40年)88位)・足尾(最高位:1920年(大正9年)98位)の2市1町であった。(いずれの順位も、東京特別区部を1都市として扱いランキングに含めた場合の順位。)", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "栃木県の都市は、主に北部山岳地域から流れ出る鬼怒川、那珂川、渡良瀬川などの諸河川が太平洋に向かう流路帯の沖積平野と河岸段丘部に発達している。県域のほぼ中央に位置する宇都宮市は、北西部の山地部と中南部の平野部から成り、市街地はこの山地部と平野部の境界部に形成されている。 このほか、渡良瀬川、田川、鬼怒川、那珂川、思川などの河川中流域には、それぞれ足利市、下野市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、栃木市、小山市といった中規模都市が発達している。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2010年(平成22年)国勢調査による栃木県の人口密度は、1平方キロメートルあたり313.29人である。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "人口密度が1平方キロメートルあたり1,000人以上の市は宇都宮市のみで、可住地人口密度が1平方キロメートルあたり1,500人以上の市は宇都宮・足利の2市である。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "第1回国勢調査が実施された1920年(大正9年)の県人口は約104万人であり、47道府県中25位であった。人口3万人以上の市町村は宇都宮・足利・足尾の3市町であった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "2000年(平成12年)国勢調査での県人口は約200万人であり、47都道府県中20位。人口3万人以上の市町村は宇都宮・足利・栃木・佐野・鹿沼・今市・小山・真岡・大田原・矢板・黒磯・河内・壬生・西那須野の14市町であった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "下表には、栃木県内の全ての市とその中心市街を構成する旧町(宇都宮・足利・栃木・佐野・鹿沼・日光・今市・小山・真岡・大田原・矢板・黒磯/那須塩原・氏家/さくら・烏山/那須烏山・石橋/下野)、人口3万人以上の町とその旧町村(上三川・古里/河内・足尾・壬生・阿久津/高根沢・芦野/那須・西那須野・田沼)の計23市町村の国勢調査人口の変遷を記載した。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "2010年(平成22年)国勢調査による栃木県内のDID(人口集中地区)は、15市町22地区あり、人口5万人以上のDIDは宇都宮市I・足利市・小山市Iの3地区であった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区が5。参議院では、全県で1区を構成。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "2008年(平成20年)度の県民総生産は7兆9901億円である。国のGDPと比較しても、過半数の国よりも大きな規模を有している。主要産業は、宇都宮市のほか上三川町、小山市、大田原市、真岡市、栃木市、足利市、鹿沼市、矢板市などに代表される内陸型近代工業で、これらは北関東工業地域の一部を形成している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "農業も盛んであり、県北から流出する河川の豊かな水を利用した産業地帯で、米作が盛んなほか飲料工業も発達している。那須塩原市や大田原市、宇都宮市は国内有数の米産地となっているほか、那須塩原市では酪農も盛んであり、国内生乳生産量は北海道に次いで高い。ほか、真岡市や鹿沼市などを中心にいちごの栽培が盛んであり、壬生町や鹿沼市のかんぴょうとともに県の特産品となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "商業は宇都宮市で盛んで、栃木県内年間商品販売額の約半分が宇都宮市で占められており、栃木県内第一の商業都市となっている。観光産業も盛んで、日光市や那須塩原市、足利市の歴史・自然遺産(日光の社寺、足尾銅山跡、足利学校跡、中禅寺湖、華厳滝、鬼怒川温泉、那須岳、那須高原、塩原温泉など)、宇都宮市の餃子やカクテル、ジャズ、茂木町のモビリティリゾートもてぎ、栃木市の蔵の街なども観光資源となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "県庁所在地の宇都宮市は全国屈指の米産地であるほか、栃木県の年間製品販売額の約半分を占め、工業生産額も栃木県内市町村最大となっており、栃木県内最大の農商工業都市となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "なお、かんぴょうは栃木県が99%を生産し、残りは茨城県が生産している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "栃木県のほぼ中心を南北に東京と東北地方を結ぶJR東北新幹線、JR宇都宮線(東北本線)、東北自動車道、国道4号が南北に走る。 また宇都宮を中心にして放射線状に栃木県内各地へと路線が伸びている。宇都宮を基準にして各方向への主要路線は次の通り。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "このほかに東西を結ぶ路線は、県南部では茨城県、群馬県両県間を結ぶ北関東自動車道やJR両毛線、JR水戸線、国道50号など。県北部では、国道400号などがある。南北方向には、県東部では国道294号など。県西部には東京から直通する鉄道路線の東武日光線、東武鬼怒川線、野岩鉄道会津鬼怒川線が走る。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "栃木県内に空港は存在しない。最寄りの空港は成田国際空港(千葉県成田市)・東京国際空港(東京都)など。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "那珂川町、上三川町、塩谷町を除く全自治体に鉄道駅が存在する。県内の鉄道路線の総運行距離(重複除く)は418.5 kmで、117駅ある。2019年度の1日あたりの平均輸送人員は17.6万人で、最盛期(1995年)から2割減少している。〔〕は、路線ごとの栃木県内区間の運行距離、駅数、平均輸送人員(2019年度)。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "栃木県内の民間路線バス(民間委託のコミュニティバスを含む)の総走行キロは2,635.3万 km、2019年度の1日あたりの平均輸送人員は51,408人で、最盛期(1969年)から87%減少している。〔〕は、事業者ごとの栃木県内区間の走行キロ、平均輸送人員(2019年度)。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "放送対象地域は関東広域圏に属する。栃木県域放送のとちぎテレビ・NHK宇都宮放送局のほかに、NHK放送センター(教育テレビ)と在京キー局5局(日本テレビ・テレビ朝日・TBS・テレビ東京・フジテレビ)が栃木県内全域が放送区域になっている。県中部以南の関東平野では放送対象地域外のNHK東京総合テレビ(JOAK-DTV)が受信エリアのめやすとなっている。また、とちぎテレビのみならずNHK・キー局ともに栃木県内各地に中継局を置いている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "※関東広域放送を行っているJRN系列のTBSラジオ、NRN系列の文化放送・ニッポン放送も放送対象地域になっている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "※本県はradikoの基本サービスで聴取できる局数が全国の都道府県で一番多い18局ある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "1994年(平成6年)、栃木市の栃木コミュニティ放送に免許が交付されたことがあるが(JOZZ3AA-FM:FM蔵の街)、経済的な問題もあり免許を取り下げたため、コミュニティ放送局は2015年10月までない状態が20年近く続き、新規の開局の機運はなく、全国で唯一コミュニティ放送の無い都道府県「空白県」であったが、2015年(平成27年)1月27日、栃木ケーブルテレビ(運営・ケーブルテレビ株式会社)が運営するとちぎシティエフエム(JOZZ3CB-FM)に予備免許が交付され、栃木県にもコミュニティ放送が開局の見通しとなった。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "栃木県には120以上のゴルフ場があり、平成期までは国内ツアーが各地で行われていた。ゴルフブームは終わったものの、現在でも高齢者の人気スポーツとして、都心に近い栃木市や佐野市には多くの他県から来場者がある。栃木県のゴルフ場は山岳コースが多く、関東平野にある河川敷や平坦なコースと違い変化がある。料金面でも魅力があり、自然の中でプレイが楽しめる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "ゆるきゃら・ご当地キャラ", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "栃木県名誉県民の称号は、2001年(平成13年)12月27日に制定された栃木県名誉県民条例(平成13年12月27日栃木県条例第42号)に基づき、「社会の発展に卓絶した功績があり、県民が郷土の誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「栃木県内に居住し、又は居住していた者で、産業経済の発展、保健医療の向上、福祉の増進又は学術、文化若しくはスポーツの振興に貢献したもの」であり、栃木県知事が栃木県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)。名誉県民に選定された者には、栃木県名誉県民称号記および記念品が贈呈される(条例第3条)。", "title": "人物" } ]
栃木県(とちぎけん)は、日本の関東地方に位置する県。県庁所在地は宇都宮市。 県北部に日光国立公園があり、観光地・保養地の日光や那須が知られる。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 栃木県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Nikko toshogu shrine.jpg{{!}}日光東照宮(国宝・世界遺産) | photo2a =Tochigi City.JPG{{!}}小江戸・栃木 | photo2b = Nasu chausudake.jpg{{!}}那須岳の紅葉 | photo3a = Taisho-Showa Period Ko-Mashiko Ware Mado-e Dobin Window Picture Teapot Brooklyn Museum.jpg{{!}}益子焼 | photo3b = Hohjoh of Ashikaga School.jpg{{!}}足利学校 | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center | space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[日光東照宮]]([[国宝]]・[[世界遺産]])</tr> <tr><td style="width:50%">[[小江戸]]・[[栃木市|栃木]] <td style="width:50%">[[那須岳]]の紅葉</tr> <tr><td style="width:50%">[[益子焼]]<td style="width:50%">[[足利学校]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|栃木県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[栃木県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Tochigi Prefecture.svg|80px|栃木県章]] | 都道府県章の説明 = 栃木県章 | 区分 = 県 | コード = 09000-0 | ISO 3166-2 = JP-9 | 隣接都道府県 = {{flag|福島県}}<br/>{{flag|茨城県}}<br/>{{flag|群馬県}}<br/>{{flag|埼玉県}} | 木 = [[トチノキ]] | 花 = [[ヤシオツツジ]] | 鳥 = [[オオルリ]] | シンボル名 = 他のシンボル | 歌など = 県の動物:[[ニホンカモシカ]]<br />県民の歌:[[県民の歌 (栃木県)|県民の歌]]<br />県民の日:[[6月15日]] | 郵便番号 = 320-8501 | 所在地 = 宇都宮市塙田一丁目1番20号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-09|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Tochigi Prefectural Hall ac (1).jpg|220px|栃木県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 09 Tochigi prefecture.svg|320px|栃木県の位置]]{{基礎自治体位置図|09|000|image=Map of Tochigi Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} <!--県境が不正確・要修正[[ファイル:Japan Tochigi Map Chikei.png|right|200px|地形図]]--> '''栃木県'''(とちぎけん)は、[[日本]]の[[関東地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[宇都宮市]]。 県北部に[[日光国立公園]]があり、観光地・保養地の[[日光市|日光]]や[[那須]]が知られる。 == 概要 == [[関東地方]]北部の[[北関東]]に位置する県で、人口は約192.3万人(2021年現在)。境界部に海岸線を有しない[[内陸県]]である。県内の地域区分は概ね県中部の[[宇都宮市]]・[[鹿沼市]]・[[真岡市]]から県南部の[[小山市]]や[[栃木市]]、県南西部[[両毛線]]沿線の[[佐野市]]・[[足利市]]など茨城・群馬両県と繋がりが深い県南と[[那須野が原]]に広がる[[那須塩原市]]や観光地[[那須町]]、県北西部を占める[[日光市]]を中心とする県北に分類される。 地勢は、北部から北西部にかけて[[奥羽山脈]]、[[日光連山]]、[[足尾山地]]が連なり、標高1500m - 2500m程の急峻な山岳が連なっている。これらの山々から流れ出る[[鬼怒川]]、[[那珂川]]、[[渡良瀬川]]など諸河川が[[関東平野]]の北端を形成し、更に北に進むと[[那須野が原]]に至り、県北の町並みが広がる。 県土のほぼ中央に宇都宮市が立地し、人口は県全体の4分の1に当たる約50万人が集中している。人口10万人以上の市として、県南の小山・栃木・足利・佐野の各市、県北の那須塩原市があり、宇都宮線・両毛線の沿線に人口の多い市が連なっている。そのほか、地域の行政中心地として、鹿沼・真岡・大田原・矢板の各市がある。 産業は、農業、工業、商業、観光業のバランスがとれ、それぞれ盛んである。 [[農業]]は、平野部が米や[[コムギ|麦]]の産地、那須野が原などの高原部([[那須高原]])が[[酪農]]地、[[畜産]]地となっているほか、[[いちご]]や[[かんぴょう]]などの特産物も生産されている。 [[工業]]は、[[東北自動車道]]・[[国道4号]]と[[北関東自動車道]]・[[国道50号]]を軸とする地域に、[[北関東工業地域]]、及び、[[関東内陸工業地域]](本県の場合は両者の定義に当てはまる)が広がり、[[第二次世界大戦]]中に軍需産業が集積した宇都宮市では、機械工業や金属工業、食品・飲料工業が、真岡市、[[上三川町]]、[[芳賀町]]では[[自動車]]関連産業([[日産自動車]]系、[[本田技研工業]]系)が、那須塩原市、大田原市では[[タイヤ]]製造や[[精密機器|精密機械]][[工業]]([[医療機器]]、[[写真用レンズ]]製造)がそれぞれ発達している。また、県南では、食品・飲料工業や機械工業、益子焼の生産、機械・自動車部品などの中小規模の工場が広く立地するほか、伝統的に繊維産業が盛んである([[結城紬]]、[[銘仙#足利銘仙|足利銘仙]])。 [[商業]]は、宇都宮市における[[小売|小売業]]が発達し、ほか工業地域では[[卸売|卸売業]]も盛んである。 [[観光業]]は、[[日光市|日光]]・[[鬼怒川温泉|鬼怒川]]エリアや、[[那須町|那須]]・[[那須塩原市|塩原]]エリアで盛んである。日光市の[[鬼怒川温泉]]、[[川治温泉]]、[[湯西川温泉]]、[[日光湯元温泉]]、那須町、那須塩原市の[[那須温泉郷]]、[[塩原温泉郷]]などは、[[飛鳥時代]]や[[奈良時代]]からの古い歴史を持つ名湯。[[東照宮]]・[[日光二荒山神社]]・[[輪王寺]]の二社一寺で構成される[[世界遺産]]、[[日光の社寺]]。[[いろは坂]]に[[華厳滝]]、[[中禅寺湖]]や[[戦場ヶ原]]など、風光明媚な[[奥日光]]の景勝地。自然豊かで、[[別荘地]]・[[牧場]]・温泉地が広がり、[[那須岳]]、[[殺生石]]、[[皇室]]の[[御用邸]]などもある[[那須高原]]。これらの地域は[[日光国立公園]]の指定地域内にあり、自然保護などの施策も執られている。日光市の一部には[[尾瀬国立公園]]に指定された地域も存在する。 == 名称 == [[明治|明治時代]]には「栃木」の表記に揺れがあった。「栃」は<!--[[中国]]で[[クヌギ]](櫟)を意味する[[漢字]]{{要出典}}-->「'''櫔'''」(lì)を簡略化したと考えられ、「櫔木」の表記もあった。また、[[1871年]]の[[廃藩置県]]の後は「橡木」の表記が使われる例<ref>阪部教宜 編、『橡木縣地誌略』、1877年、栃木町、集英堂 [{{NDLDC|764274/2}}]</ref>もあったが、「'''杤木'''」の表記が主であった<ref>土屋栄五郎 編、『府縣管轄便覽』、1872年、土屋栄五郎 [{{NDLDC|762906/6}}]</ref><ref>杤木縣、『杤木縣一覽概表』、1874年、栃木町、杤木縣 [{{NDLDC|806606}}]</ref>。[[旁]]の「万」は、下側を「力」とつくる例<ref>杤木縣、『杤木縣治一覽表』、1876年、栃木町、杤木縣 [{{NDLDC|806643/1}}]</ref>もあった。[[1881年]](明治14年)ごろより、「栃木」の表記が見られるが、旁は「櫔」に従って「厂」の中に「万」が主である<ref>栃木県、『栃木縣治提要』、1881年、宇都宮町 [{{NDLDC|806644}}]</ref>。「厂」の中の「万」の部分は下側を「力」とつくる例<ref>栃木縣會、『明治廿五年度 通常縣會日誌』、1892年、宇都宮町 [{{NDLDC|784996}}]</ref>や「丂」とつくる例<ref>舟橋一也 編、『両毛文庫 栃木通巻 栃木縣誌』、目次、1904年、両毛文庫本部 [{{NDLDC|764270/7}}]</ref>もあった。「厂」の1画目を右から書く字形が生まれたのは[[昭和]]中期以降である。なお、[[中国語]]の文書で「櫪」や「枥」を使う例もみられるが、主に飼い葉桶を意味する字であり、誤りである。 == 地理 == * [[日本]]、[[関東地方]]、[[首都圏 (日本)|首都圏]] * 隣接県: [[福島県]] - [[茨城県]] - [[群馬県]] - [[埼玉県]] 茨城県や群馬県と共に[[北関東]]を構成する。 人口は、約192万人で全国第19位(本県に近い人口規模の県としては、[[岐阜県]]の約197万人、群馬県の約192万人、福島県の約181万人、[[岡山県]]の約187万人などが挙げることができる)。面積は6,408.28[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]で全国第20位(関東地方最大の面積)、東西約84[[キロメートル|km]]・南北約98km。県庁所在地の[[宇都宮市]]は、東京から約100km、[[東日本旅客鉄道|JR]][[東北新幹線]]で約50分強の位置にあり、[[中核市]]の指定を受けている。 地形的には東部の[[八溝山地]]、北部から西部にかけての[[那須岳|那須]]連山・[[下野山地]]([[高原山]]・日光連山・[[帝釈山地]])・[[足尾山地]]の山岳地帯と、県中央部の[[那珂川]]・[[鬼怒川]]・[[渡良瀬川]]の沿岸平野部の3地域に大別される。 東部の八溝山地は標高600 - 1,000[[メートル|m]]の[[阿武隈高地]]に続く比較的なだらかな山地が連なる。 北部から西部にかけての山岳地帯は[[日光国立公園]]、[[尾瀬国立公園]]([[帝釈山]]、[[田代山湿原]]周辺)に指定されており、[[日光市|日光]]・[[鬼怒川温泉|鬼怒川]]・[[川治温泉|川治]]・[[塩原温泉郷|塩原]]・[[那須高原|那須]]などの観光地がある。北部には[[奥羽山脈]]([[那須火山帯]])に連なる[[那須岳|那須]]連山・[[高原山|高原]]・[[男体山|男体]]・[[日光白根山]]などの諸[[火山]]がある。日光連山他の険しい山岳地帯は、標高2,000m以上の山脈が関東の北限を形成し、瀑布や湖沼が点在している。また、諸河川の源にもなっており、鬼怒川は中央部を、渡良瀬川は群馬県との県境を流れ[[利根川]]に合流し、那珂川は八溝地域から東折し茨城県に入り、ともに[[太平洋]]に注いでいる。 南部・東部は、そのほとんどが[[関東平野]]の一端で、[[首都圏 (日本)|首都圏]]の一角として市街化が進んでいる。 群馬県や茨城県、[[福島県]]の隣接自治体と深いつながりを持つ県内市町がある一方で、埼玉県との隣接に関しては、[[渡良瀬遊水地]]により[[飛地]]になっている栃木市[[藤岡町下宮]]地区とのみ、自動車用道路で往来可能である。事実上、自動車や鉄道で埼玉県に入る場合、群馬県か茨城県を経由しなければならない。栃木県と埼玉県を結ぶ主要幹線の[[国道4号]]、[[東北本線]]、[[東北新幹線]]は茨城県、同じく[[東北自動車道]]、[[東武伊勢崎線]]、[[東武日光線]]は群馬県を経由して埼玉県に入る。 なお、この地区は全国でもまれな、[[栃木・群馬・埼玉の三県境|栃木県・群馬県・埼玉県の3県境]]が[[田畑]]の中に存在し、看板が設置されている<ref name="柳生">[http://portal.nifty.com/kiji/160316195931_1.htm 埼玉、栃木、群馬の三県境が観光地化している?] デイリーポータルZ 2016年3月16日、2021年12月4日閲覧</ref>。 === 地形 === 中南部地域は[[関東平野]]の中北部に立地し、南端部には[[渡良瀬川]]と[[思川 (栃木県)|思川]]、[[利根川]]、また[[田川 (利根川水系)|田川]]と[[鬼怒川]]のそれぞれ合流点があり、茨城県、群馬県、[[埼玉県]]と境界を接している{{r|柳生}}。一方、県北西部地域は[[奥羽山脈]]の南端部に位置し、山岳地域となっている。北東部は低山地で[[那珂川]]が縦断して[[開析]]が進んだ[[八溝山地]]とともに茨城県境を形成している。北西部は[[関東地方]]屈指の山岳地帯であり、標高2,000メートル以上の山並みが続き群馬県および[[福島県]]との境界を形成している。特に[[日光連山]]は標高2,300メートル以上の峻険な独立峰を複数有し、空気の澄んだ日には関東南部からも遠望できる。この日光連山と八溝山地の北部接点付近に立地する[[那須岳]]は関東の最北端であり、[[福島県]]との境を成す。 {{div col}}{{no col break| ; 平野 * [[関東平野]] ** [[那須野が原]]([[扇状地]]) }}{{no col break| ; 台地・丘陵 * [[宇都宮丘陵]] * [[塩那丘陵]] * [[宝木台地]] * [[鬼怒川左岸台地]] }}{{no col break| ; 山地 * [[奥羽山脈]]([[那須火山帯]]) ** [[那須岳]](那須連山) * [[下野山地]] ** [[大佐飛山地]] - 大佐飛山、日留賀岳 ** [[高原山]] - 鶏頂山 ** [[塩谷山地]] ** [[帝釈山地]] - [[帝釈山]]、[[田代山 (帝釈山脈)|田代山]] * [[八溝山地]] ** [[八溝山]] * [[日光連山]](日光火山群) ** [[男体山]] ** [[大真名子山]] ** [[小真名子山]] ** [[帝釈山 (日光連山)|帝釈山]] ** [[女峰山]] ** [[赤薙山]] ** [[太郎山 (栃木県)|太郎山]] ** [[日光白根山|白根山]] * [[足尾山地]] ** [[皇海山]] ** [[袈裟丸山]] ** [[庚申山]] * [[篠井富屋連峰]] * [[羽黒山 (栃木県)|羽黒山]] * [[太平山 (栃木県)|太平山]] }}{{no col break| ; 川 * [[那珂川]] ** [[箒川]] *** [[蛇尾川]] ** [[荒川 (栃木県)|荒川]] *** [[内川 (栃木県)|内川]] *** [[江川 (栃木県)|江川]] * [[鬼怒川]] ** [[大谷川 (日光市)|大谷川]] ** [[田川 (利根川水系)|田川]] *** [[釜川]] * [[小貝川]] * [[渡良瀬川]] ** [[思川 (栃木県)|思川]] ** [[姿川]] *** [[新川 (栃木県)|新川]] }}{{no col break| ; 湖 * [[中禅寺湖]] * [[湯の湖]] * [[鬼怒沼]] * [[五色沼 (日光市)|五色沼]] * [[大沼 (那須塩原市)|大沼]] * [[渡良瀬遊水地]] * [[西ノ湖]] * [[切込・刈込湖]] * [[多田羅沼]] }}{{no col break| ; 高原・湿原 * [[那須高原]] * [[沼ッ原湿原]] * [[戦場ヶ原]] * [[小田代原]] * [[霧降高原]] * [[八方ヶ原]] * [[鬼怒川高原]] * [[鬼怒沼]] * [[井戸湿原]] * [[古峰ヶ原湿原]] * [[都沢湿原]] * [[渡良瀬遊水地]] }}{{no col break| ; 峠 * [[金精峠]] * [[山王峠]] * [[細尾峠]] * [[境明神峠]] * [[会津中街道|大峠]] * [[仏ノ山峠]] * [[粕尾峠]] }}{{div col end}} === ギャラリー === <gallery> KantoHeiya.jpg|[[関東平野]]。奥に[[男体山]]と日光連山。 NasuShiobaraKuroiso.jpg|[[那珂川]]と[[那須野が原]]。[[:ファイル:NasuShiobaraKuroisoTagged.jpg|(解説画像)]] TakaharaSan0707.JPG|[[高原山]]と奥[[男体山]]、[[女峰山]]。([[:ファイル:TakaharaSan0707Tagged.JPG|解説画像]]) NasuDakeFromShirakawa.JPG|[[那須岳]]と[[那須高原]]。 KinuGawaHaguroSanNantaiSan.jpg|手前[[鬼怒川]]。奥に[[羽黒山 (栃木県)|羽黒山]]、[[男体山]]。 WataraseYusuichi.jpg|[[関東平野]]と[[渡良瀬遊水地]]、[[渡良瀬川]]。 </gallery> === 自然公園 === * [[国立公園]] ** [[日光国立公園]]、[[尾瀬国立公園]]([[帝釈山]]、[[田代山湿原]]周辺) * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] ** 益子県立自然公園、太平山県立自然公園、唐沢山県立自然公園、前日光県立自然公園、足利県立自然公園、宇都宮県立自然公園、那珂川県立自然公園、八溝県立自然公園 === 気候 === [[気候]]は[[太平洋側気候]]を呈し、山間部では冬季の降雪、また平地部では同じく冬季の乾燥と夏季の[[雷]]を特徴とする。全県で夏季多雨多湿、冬季少雨乾燥を呈し、年間降水量は山間部で多く[[奥日光]]では2,000mmを超すが、平地部では少なく県南部では1,200mm程度である。 * 栃木県は地理的に[[日本]]の[[太平洋]]側に位置し、その[[気候]]は全県下で[[太平洋側気候]]の特徴を呈する。栃木県内各地の[[気象庁]]気象統計を見ると、栃木県内全域が内陸部に位置することから[[内陸性気候]](日較差大、年較差大)、また山岳部については[[高山気候|山岳気候]](冷涼)、より[[日本海]]に近い山間部では[[日本海側気候]](冬に積雪)の特性を呈する地区もあるが、何れの地域も日本の太平洋側地域の共通の特徴である、夏多雨多湿、冬少雨乾燥(太平洋側気候)の特性が強く、周囲の山岳によって年間通して降水量が少なく低湿である[[中央高地式気候]]の特性は見られない。 * [[ケッペンの気候区分]]では、おおむね平野部が[[温暖湿潤気候]]に属し、中北部が[[温帯夏雨気候]]、北部山地部が[[西岸海洋性気候]]、北西部山岳部が[[亜寒帯冬季少雨気候]]に属する。この北西部山岳部は[[豪雪地帯]]に指定されている地域もあるが、こうした地域でも夏季は高温多雨多湿となり植物が繁茂する。冬季に豪雪(積雪として30-70cm程度)となる山間部の通年居住人口は極めて少なく、住民のほとんどは平野部に居住している。 * 栃木県の冬は、[[冬型の気圧配置]]が強まると[[二荒颪|「二荒おろし」や「男体おろし」]]や北東部では「那須おろし」などと呼ばれる非常に冷たく乾燥した強風、[[からっ風]]が吹き少雨低湿となる。このため冬は晴天となる日が多く、年間のうち日照時間が最も長い季節となっている。冬の晴天日には[[放射冷却]]の影響を強く受け、日の出前後に[[氷点下]]となり、温暖な県中南部の平地でも-5度を下回ることも多い。一方、日中は晴れれば5 - 10度まで、暖かい日は平野部では15度程度まで上がることもあるなど、日較差が非常に大きい。 * 夏は、[[太平洋高気圧]]が吹き出す高温多湿な南風の影響を強く受け、全県下で高温多湿となる。この南風が山地部で[[積乱雲]]([[雷雲]])を発生させるため栃木県は[[雷]]が多い地域となっており、[[宇都宮市|宇都宮]]では平均年間雷日数24.0日のうち夏季(5、6、7、8、9月)の雷日数が20日を越え、[[関東地方]]内では突出して多く{{efn|[[関東地方]]各地の雷日数と夏季の雷日数は、[[東京特別区|東京]]約11日のうち夏季約9日、[[横浜市|横浜]]約12日のうち夏季約8日、[[群馬県]][[前橋市|前橋]]年間19.0日のうち夏季約18日、[[埼玉県]][[熊谷市|熊谷]]年間19.3日のうち夏季約17日、[[茨城県]][[水戸市|水戸]]年間16.0日のうち夏季約13日となっており、いずれの地点でも夏季の雷日数が多くなっている。}}、{{要出典範囲|'''[[雷都]]'''と呼ばれる所以となっている|date=2020年1月}}。 * 以下の表は栃木県下の[[気象庁]]観測点の統計値である。これによると、県内全体が共通して夏季多雨、冬季少雨となっており、ケッペンの気候区分の基準に外挿すると、土呂部と奥日光が亜寒帯冬季少雨気候、五十里と那須が西岸海洋性気候、黒磯、大田原、今市(日光)、塩谷、鹿沼が温帯夏雨気候、ほかは温暖湿潤気候に類される。<!-- この情報に関する出典があると望ましい --> {|class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:right; white-space:nowrap" |+ 栃木県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2" | 平年値<br />(月単位) !colspan="2"|北西部山岳部 !colspan="4"|北部 !colspan="5"|中部 !colspan="1"|東部 !colspan="2"|南部 |- ! 土呂部 !! [[奥日光]] ! 五十里 !! [[那須町|那須]] !! [[黒磯市|黒磯]] !! [[大田原市|大田原]] ! [[日光市|今市<br />(日光)]] !! [[塩谷町|塩谷]] !! [[鹿沼市|鹿沼]] !! [[宇都宮市|宇都宮]] !! [[真岡市|真岡]] ! [[那須烏山市|烏山]] ! [[小山市|小山]] !! [[佐野市|佐野]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|℃]]) !最暖月 | 19.8<br />(8月) || 18.5<br />(8月) | 21.7<br />(8月) || 20.8<br />(8月) || 23.2<br />(8月) || 24.0<br />(8月) | 22.9<br />(8月) || 23.9<br />(8月) || 24.2<br />(8月) || 25.3<br />(8月) || 24.9<br />(8月) | 24.3<br />(8月) | 25.5<br />(8月) || 25.4<br />(8月) |- !最寒月 | -4.1<br />(1月) || -4.2<br />(2月) | -1.9<br />(1月) || -1.8<br />(2月) || 0.6<br />(1月) || 1.5<br />(1月) | 0.4<br />(1月) || 0.8<br />(1月) || 1.2<br />(1月) || 2.1<br />(1月) || 1.3<br />(1月) | 1.7<br />(1月) | 2.4<br />(1月) || 2.7<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 | 272.4<br />(8月) || 393.9<br />(8月) | 258.9<br />(9月) || 324.5<br />(8月) || 244.5<br />(8月) || 239.5<br />(8月) | 305.3<br />(8月) || 274.0<br />(8月) || 242.6<br />(9月) || 234.5<br />(9月) || 202.8<br />(9月) | 215.0<br />(9月) | 190.6<br />(9月) || 189.6<br />(9月) |- !最少月 | 45.0<br />(12月) || 36.0<br />(12月) | 39.9<br />(12月) || 41.0<br />(12月) || 24.0<br />(12月) || 22.6<br />(12月) | 24.5<br />(12月) || 22.2<br />(12月) || 22.5<br />(12月) || 25.5<br />(12月) || 25.5<br />(12月) | 25.4<br />(12月) | 22.9<br />(12月) || 19.1<br />(12月) |- |} ==== 各地域別の特徴 ==== * '''北西部山岳部・[[奥日光]]''' … [[亜寒帯冬季少雨気候]]に属し、夏季は冷涼、冬季は寒さが厳しい。標高1000mを超える地域では厳冬期には零下20度以下まで下がることもあり、特に標高1400mを超える[[戦場ヶ原]]では零下30度前後を記録したこともある関東地方の[[寒極]]であり<ref>[http://nikkotoday.com/oku-nikko/hara/weather/index.htm 戦場ヶ原の気象]</ref>、北海道内陸並みの気候である。標高1291mに[[測候所]]が置かれている[[中禅寺湖]]畔は湖効果により、朝晩の冷え込みは幾分和らぐが、日中はほとんどが氷点下の[[真冬日]]となる。奥日光は年間降水量が2000mmと多く、大半が夏季である。 * '''北部平野部・[[那須高原]]''' … 那須高原などの北部山地部は[[西岸海洋性気候]]に属し、冬季は曇りや雪の日も多いため、特に那須アメダスのような傾斜部では放射冷却は幾分緩和され、標高の割には比較的冷え込みが緩い日も多い。しかし[[日較差]]は小さく、日中の気温は低いために[[真冬日]]になることも多い。夏季は冷涼で避暑地となる。一方、北部平野部では冷気もたまりやすく、冷える時は零下10度を下回る寒さとなる。黒磯や[[大田原市|大田原]]では21世紀に入っても零下10度以下まで下がることがある。しかしながら、季節風の影響で曇りの日も多いため、東部のような冷え込みは長くは続かないことも多い。夏季は平野部でも冷涼で熱帯夜になることはほとんど無く、過ごしやすい。 * '''県東地域・[[芳賀郡]]・[[那須郡]]南部''' … [[真岡市]]や[[那須烏山市]]など[[鬼怒川]]以東に属する茨城県県境に近い地域が該当する。栃木県内平野部としては、最も冬の冷え込みが厳しい地域で、1月の平均最低気温は真岡で零下5℃に達する。那須烏山でも観測が開始された2010年から3年連続で1月の平均最低気温が零下6℃以下となっており、季節風が弱く、放射冷却が起こりやすいことから関東平野部では最も冷え込む場所である。ほぼ毎年極値は零下10度以下を記録する。一方夏季も日中は気温が上がるものの朝晩は涼しく、比較的過ごしやすい。 * '''県央地域''' … [[宇都宮市]]など栃木県内の中央平野部が該当する。宇都宮では[[ヒートアイランド現象]]の影響が顕著であり、年間を通して最低気温が急上昇している。特に1月の平均最低気温は零下2.7℃と栃木県内で最も高く、1961年 - 1990年旧旧平年値の零下4.5度から大幅に上昇した。8月の平均最低気温も22.7度と栃木県内では最も高く、[[熱帯夜]]の数も最も多い。しかしそれ以外の地域では東部ほどではないが冷え込みが厳しく、1月の平均最低気温は[[塩谷町|塩谷]]で零下4.6℃、今市で零下4.2℃、[[鹿沼市|鹿沼]]では零下3.9℃などとなっており、宇都宮を除き21世紀に入っても零下10度前後まで下がっている。夏季は日中は[[真夏日]]も多く暑くなるものの、朝晩は涼しいことが多い。 * '''県南地域''' … [[小山市]]や[[佐野市]]、[[足利市]]など[[群馬県]]や[[茨城県西地域]]に近接する地域。夏季は[[猛暑日]]となることも多く、栃木県内で最も暑さが厳しい。冬季は宇都宮を除く栃木県内他地域と比較すると温暖だが、零下8度前後まで下がる日もある。 == 地域 == === 地域区分 === {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=栃木県|float=right}} 以下は[[栃木県庁]]による3地域区分である。広域行政では10圏域に区分される。 * 県央地域 ** 宇都宮地区([[宇都宮市]]・[[河内郡]]) ** 鹿沼地区([[鹿沼市]]) ** 真岡地区([[真岡市]]・[[芳賀郡]]) * 県南地域 ** 安足地区([[足利市]]・[[佐野市]]) ** 栃木地区([[栃木市]]・[[下都賀郡]][[壬生町]]) ** 小山地区([[小山市]]・[[下野市]]・下都賀郡[[野木町]]) * 県北地域 ** 日光地区([[日光市]]) ** 那須地区([[大田原市]]・[[那須塩原市]]・[[那須郡]][[那須町]]) ** 塩谷地区([[矢板市]]・[[さくら市]]・[[塩谷郡]]) ** 南那須地区([[那須烏山市]]・那須郡[[那珂川町]]) 以下は環境森林事務所などによる4地域区分である。宇都宮地区が県東地域に含まれる。 * 県東地域(宇都宮市・真岡市・河内郡・芳賀郡) * 県西地域(鹿沼市・日光市) * 県南地域(足利市・栃木市・佐野市・小山市・下野市・下都賀郡) * 県北地域(大田原市・矢板市・那須塩原市・さくら市・那須烏山市・塩谷郡・那須郡) 以下は観光動態調査などによる5地域区分である。塩谷地区北部が那須地域に、塩谷地区南部と南那須地区が県央地域に含まれる。 * 日光地域(日光市) * 那須地域(大田原市・矢板市・那須塩原市・塩谷郡塩谷町・那須郡那須町) * 県央地域(宇都宮市・鹿沼市・さくら市・那須烏山市・河内郡・塩谷郡高根沢町・那須郡那珂川町) * 県東地域(真岡市・芳賀郡) * 県南地域(足利市・栃木市・佐野市・小山市・下野市・下都賀郡) 以下は農業振興事務所・教育事務所などによる7地域区分である。塩谷地区と南那須地区が同一の管轄区域となる。 * 河内地区(宇都宮市・河内郡) * 上都賀地区(鹿沼市・日光市) * 芳賀地区(真岡市・芳賀郡) * 下都賀地区(栃木市・小山市・下野市・下都賀郡) * 塩谷南那須地区(矢板市・さくら市・那須烏山市・塩谷郡・那須郡那珂川町) * 那須地区(大田原市・那須塩原市・那須郡那須町) * 安足地区(足利市・佐野市) 以下は昭和前期までの旧郡市・旧地方事務所による8地域区分である。 * 河内地区(宇都宮市・河内郡) * 上都賀地区(上都賀郡) * 芳賀地区(芳賀郡) * 下都賀地区(栃木市・下都賀郡) * 塩谷地区(塩谷郡) * 那須地区(那須郡) * 安蘇地区(佐野市・安蘇郡) * 足利地区(足利市・足利郡) 以下は土木事務所などによる9地域区分である。 * 宇都宮地区(宇都宮市・河内郡) * 鹿沼地区(鹿沼市) * 日光地区(日光市) * 真岡地区(真岡市・芳賀郡) * 栃木地区(栃木市・小山市・下野市・下都賀郡) * 矢板地区(矢板市・さくら市・塩谷郡) * 大田原地区(大田原市・那須塩原市・那須郡那須町) * 烏山地区(那須烏山市・那須郡那珂川町) * 安足地区(足利市・佐野市) ==== 地域区分対照表 ==== {| class="wikitable" |-align=center ! 三区分 ! 四区分 ! 七区分 ! 八区分 ! 九区分 ! 十区分 ! 市郡町 |- | rowspan="4"|県北 | rowspan="3"|県北 | 那須 | rowspan="2"|那須 | 大田原 | 那須 | [[大田原市]]、[[那須塩原市]]、[[那須郡]]([[那須町]]) |- | rowspan="2"|塩谷南那須 | 烏山 | 南那須 | [[那須烏山市]]、那須郡([[那珂川町]]) |- | 塩谷 | 矢板 | 塩谷 | [[矢板市]]、[[さくら市]]、[[塩谷郡]] |- | rowspan="2"|県西 | rowspan="2"|上都賀 | rowspan="2"|上都賀 | 日光 | 日光 | [[日光市]] |- | rowspan="3"|県央 | 鹿沼 | 鹿沼 | [[鹿沼市]] |- | rowspan="2"|県東 | 河内 | 河内 | 宇都宮 | 宇都宮 | [[宇都宮市]]、[[河内郡]] |- | 芳賀 | 芳賀 | 真岡 | 真岡 | [[真岡市]]、[[芳賀郡]] |- | rowspan="4"|県南 | rowspan="4"|県南 | rowspan="2"|下都賀 | rowspan="2"|下都賀 | rowspan="2"|栃木 | 小山 | [[小山市]]、[[下野市]]、[[下都賀郡]]([[野木町]]) |- | 栃木 | [[栃木市]]、下都賀郡([[壬生町]]) |- | rowspan="2"|安足 | 安蘇 | rowspan="2"|安足 | rowspan="2"|安足 | [[佐野市]] |- | 足利 | [[足利市]] |} === 県内市町 === 以下の14市5郡11町がある。町はすべて「まち」と読む。栃木県内に村は無い。ただし、[[平成の大合併]]以前には“村”があり、その時はすべて「むら」と読んでいた。 * [[市]] ** [[宇都宮市]](県庁所在地、中核市) *: 県中部の中心都市。[[1896年]]([[明治]]29年)[[4月1日]]、[[河内郡]]宇都宮町が栃木県内で初めて[[市制]]施行。[[2007年]]([[平成]]19年)3月31日、河内郡[[上河内町]]・[[河内町 (栃木県)|河内町]]を編入。市東部に[[鬼怒川]]、中部に[[田川 (利根川水系)|田川]]・[[釜川]]、西部に[[姿川]]が流れる。田川東岸に[[宇都宮線]]・[[日光線]][[宇都宮駅]]、田川西岸に[[東武宇都宮駅]]があり、釜川沿岸の[[オリオン通り]]は栃木県内最大の[[繁華街]]となっている。[[古代]]に[[式内社]]・[[宇都宮二荒山神社|二荒山神社]]が創建され、[[平安時代]]に[[北面武士]]で[[鎌倉御家人]]であった[[宇都宮氏]]によって[[宇都宮城]]が築かれ、[[江戸時代]]以降は[[日光街道]]と[[奥州街道]]の[[追分]]に[[宇都宮宿]]が整備され、[[鳥居前町]]・[[城下町]]・[[宿場町]]として繁栄した。[[明治]]期以降は[[関東軍]]師団連隊が駐留する[[軍都]]、[[太平洋戦争]]終結後は[[北関東工業地域]]の主要工業都市としての機能を加えながら、[[東北新幹線]]・[[東北自動車道]]などの高速交通網が接続する県内交通の要衝として発達し、市域人口は約51万8千人で栃木県内で最も多く、100万人以上の都市圏人口を擁する[[宇都宮都市圏]]の中心都市となっている。市北西部の大谷町は[[大谷石]]の採掘地で、[[大谷寺 (宇都宮市)|大谷寺]]・[[大谷磨崖仏]]・[[大谷資料館]]がある。宇都宮名物として[[餃子]]が知られており、宇都宮駅前に大谷石造の[[餃子像]]が設置されている。 ** [[足利市]](地方拠点都市) *: 県南西部の中心都市。[[1921年]]([[大正]]10年)[[1月1日]]、[[足利郡]]足利町が栃木県内2番目・県南部で初めて市制施行。[[1962年]]([[昭和]]37年)[[10月1日]]、足利郡[[御厨町]]・[[坂西町]]を編入。古くは[[足利庄]]が栄えて[[清和源氏]][[源義家|義家流]]・[[足利氏]]発祥の地として知られ、隣接する[[群馬県]][[桐生市]]とともに[[織物]]業が盛んである。市域の中部を[[渡良瀬川]]が流れ、渡良瀬川北岸の旧市街に[[織姫神社 (足利市)|織姫神社]]、[[フランシスコ・ザビエル]]が「坂東の大学」と呼んだ[[足利学校]]、多数の[[国宝]]や[[重要文化財]]などの古書を保管している[[足利学校遺蹟図書館]]、足利氏の[[居館|館]]跡である[[鑁阿寺]]、[[足利市立美術館]]、[[草雲美術館]]、[[両毛線]][[足利駅]]がある。渡良瀬川南岸に[[東武伊勢崎線]][[足利市駅]]、旧[[日光例幣使街道]]八木宿・梁田宿跡がある。[[両毛|両毛地域]]に位置する群馬県桐生市や[[太田市]]との結びつきが強く、東武特急りょうもうが新桐生・太田方面から足利市を経て北千住・浅草方面に通じている。人口は約14万9千人で栃木県内第4位。昭和後期から平成前期までは両毛地域で人口最多の市であった。現在は両毛地域の文京都市として発展し、市中西部の[[山前村 (栃木県足利郡)|山前地区]]に[[足利大学]]、市東部の[[富田村 (栃木県)|富田地区]]に[[栗田美術館]]・[[あしかがフラワーパーク]]がある。 ** [[栃木市]](地方拠点都市) *: 県南部の市。旧栃木県庁所在地。下都賀地区西部の中心地。旧[[日光例幣使街道]]の[[宿場町]]。[[巴波川]]の水運で栄えた商都で「[[小江戸]]」と称される。1937年([[昭和]]12年)4月1日、[[下都賀郡]]栃木町が栃木県内3番目に市制施行。1954年(昭和29年)9月30日、下都賀郡[[大宮村 (栃木県下都賀郡)|大宮村]]・[[皆川村]]・[[吹上村]]・[[寺尾村 (栃木県)|寺尾村]]を編入。1957年(昭和32年)3月31日、下都賀郡[[国府村 (栃木県)|国府村]]を編入。[[2010年]](平成22年)3月29日、[[下都賀郡]][[大平町]]・[[藤岡町 (栃木県)|藤岡町]]・[[都賀町]]と合併し新たに栃木市が発足。[[2011年]](平成23年)10月1日に[[上都賀郡]][[西方町]]を編入。[[2014年]](平成25年)4月5日に下都賀郡[[岩舟町]]を編入。中心市街地は江戸後期から[[明治時代|明治]]にかけての古い町並みが残る「[[蔵の街]]」として知られ、巴波川沿岸の嘉右衛門町は[[重要伝統的建造物群保存地区]]に選定されている。市街地西部に景勝地で「陸の松島」と称される[[太平山 (栃木県)|太平山]]がある。市東部の国府地区に下野[[総社]]の[[大神神社 (栃木市)|大神神社]]、[[下野国庁跡]]がある。市南西部の岩舟地域に[[岩船山]]・岩舟石の資料館がある。市南部の藤岡地域に[[渡良瀬遊水地]]があり、希少生物が多く生息する。人口は約15万9千人で栃木県内第3位。 ** [[佐野市]](地方拠点都市) *: 県南西部の市。[[1943年]](昭和18年)4月1日、[[安蘇郡]][[佐野町 (栃木県)|佐野町]]・[[植野村 (栃木県)|植野村]]・[[界村]]・[[犬伏町]]・[[堀米町]]・[[旗川村]]が合併し初代佐野市が発足。[[2005年]](平成17年)[[2月28日]]、旧佐野市・[[田沼町]]・[[葛生町]]が合併し新たに佐野市が発足。渡良瀬川・出流川・[[旗川]]・[[秋山川 (栃木県)|秋山川]]が流れる。市街地中心部に[[朝日森天満宮]]、[[佐野厄除け大師]]、[[両毛線]]・[[東武佐野線]]の[[佐野駅]]がある。市南東部に[[佐野新都市]]、市東部に[[三毳山]]がある。[[佐野ラーメン]]、[[いもフライ]]が名物で、佐野ブランドキャラクターの[[さのまる]]はラーメン鉢の笠を被りフライの剣を佩いた侍の姿をしている。中心市街の佐野は古く{{読み仮名|天明|てんみょう}}と称し、[[日光例幣使街道]]の天明宿や[[伝統工芸]]の天明[[鋳物]]にその名をとどめる。出流川沿岸の赤見に[[出流原弁天池]]、[[赤見温泉]]があり、大正期に富田から出流原まで[[赤見鉄道]]が通じていた。秋山川中流西岸に位置する田沼は東武佐野線が通じ、一瓶塚稲荷神社がある。秋山川上流東岸に位置する葛生は東武佐野線の終点で、建築資材の[[ドロマイト]]、[[石灰岩]]の産地として知られ、[[葛生化石館]]や[[佐野市立吉澤記念美術館]]、[[SUBARU|スバル]]研究実験センターがある。人口は約11万8千人で栃木県内第5位。 ** [[鹿沼市]] *: 県中西部の市。上都賀地区の中心地。[[1948年]](昭和23年)[[10月10日]]、[[上都賀郡]]鹿沼町が市制施行。1954年(昭和29年)10月1日、旧鹿沼市・上都賀郡[[菊沢村]]・[[東大芦村]]・[[北押原村]]・[[板荷村]]・[[西大芦村]]・[[加蘇村]]・[[北犬飼村]]が合併し新たに鹿沼市が発足。1955年(昭和30年)7月28日、[[南摩村]]を[[編入合併|編入]]。同年10月1日、[[南押原村]]を編入。[[2006年]](平成18年)[[1月1日]]、[[粟野町]]を編入。市の中部を[[黒川 (利根川水系)|黒川]]が流れる。もと[[日光例幣使街道]]の[[宿場町]]。[[日光山]]造営に係わった彫刻師の影響を受けた彫刻屋台や木工の町であり、[[家具]]や[[建具]]、[[鹿沼土]]、[[サツキ]]の産地として知られる。市街地東部に[[日光線]][[鹿沼駅]]、市街地南部に[[東武日光線]][[新鹿沼駅]]がある。市中心部の今宮神社の[[鹿沼今宮神社祭の屋台行事|屋台行事]]は国の[[重要無形民俗文化財]]に指定されている。市西部の古峯ヶ原に鎮座する古峯神社は[[日本武尊]]を祭り、[[修験]]の[[霊場]]として「[[天狗]]の社」と呼ばれる。市東部の北犬飼地区に[[東北自動車道]][[鹿沼インターチェンジ|鹿沼IC]]があり、ICに隣接する鹿沼工業団地一帯は[[さつき町 (鹿沼市)|さつき町]]と名付けられている。人口は約9万8千人で栃木県内第7位。 ** [[日光市]] *: 県北西部の市。[[1954年]]([[昭和]]29年)[[2月11日]]、[[上都賀郡]]日光町が[[小来川村]]を編入し市制施行。同年3月31日、上都賀郡今市町が[[落合村 (栃木県)|落合村]]・河内郡[[豊岡村 (栃木県)|豊岡村]]を編入・市制施行し[[今市市]]が発足。[[2006年]](平成18年)[[3月20日]]に今市市・旧日光市・上都賀郡[[足尾町]]・[[塩谷郡]][[藤原町 (栃木県)|藤原町]]・[[栗山村]]が[[市町村合併|合併]]し新たに日光市が発足。市役所本庁は今市本町に置かれる。全国の市では[[高山市]]と[[浜松市]]に次いで全国第三位、栃木県全体の約22%を占める広大な面積を有している。日光は古く[[日光修験]]の霊場として開かれ、[[日光東照宮]]・[[輪王寺]]・[[日光二荒山神社]]、[[奥日光]]に[[日光湯元温泉]]がある。今市地区は旧[[日光街道]]・[[日光例幣使街道]]の宿場で、街道沿線に[[日光杉並木]]がある。藤原地区に[[鬼怒川温泉]]・[[東武ワールドスクウェア]]・[[日光江戸村]]、栗山地区に[[湯西川温泉]]・[[奥鬼怒温泉郷]]がある。[[日光線]]・[[東武日光線]]が鹿沼から今市を経て日光に通じ、今市から[[東武鬼怒川線]]が分岐し鬼怒川・藤原を経て[[野岩鉄道]]の湯西川方面に直通する。足尾地区に[[足尾銅山]]跡があり、[[渡良瀬川]]中流部の桐生から上流部の間藤にかけて[[わたらせ渓谷鐵道]]が通じている。東武鬼怒川線では2017年より[[蒸気機関車]]・[[国鉄C11形蒸気機関車|C11形]]を用いて[[SL大樹]]を運行している。水力発電による電力を利用した銅の精錬、電線生産、東京までの遠距離送電などで日本の近代化に貢献した。人口は約8万3千人で県内第8位。 ** [[小山市]](地方拠点都市) *: 県南部の市。下都賀地区東部の中心地。1954年(昭和29年)3月31日、[[下都賀郡]][[小山町 (栃木県)|小山町]]・[[大谷村 (栃木県)|大谷村]]が合併し市制施行。[[1963年]]([[昭和]]38年)[[4月18日]]、[[間々田町]]・[[美田村]]を編入。[[1965年]](昭和40年)[[9月30日]]、[[桑絹町]]を編入。人口は約16万6千人で栃木県内第2位。市の中部を[[思川 (栃木県)|思川]]が流れる。小山市原産の[[オモイガワ|思川桜]]は市の花に制定されており、思川堤は桜の名所となっている。[[国道4号]]、[[国道50号]]の2本の国道が市内で交差し、[[東北新幹線]]、[[宇都宮線]]、[[両毛線]]、[[水戸線]]が集まる交通の要衝である。[[小山ゆうえんち]]跡地の[[おやまゆうえんハーヴェストウォーク]]や[[イオンモール小山]]などの商業集積があり、年間商品販売額が栃木県内第2位で県南部の商業の中心となっている。市北東部の桑絹地区は茨城県[[結城市]]に隣接し[[結城紬]]の産地として知られる。 ** [[真岡市]] *: 県南東部の市。芳賀地区の中心地。1954年(昭和29年)3月31日、[[芳賀郡]]真岡町・[[山前村 (栃木県芳賀郡)|山前村]]・[[大内村 (栃木県芳賀郡)|大内村]]・[[中村 (栃木県芳賀郡)|中村]]が合併し新たに真岡町が発足。同年10月1日、市制施行。[[2009年]](平成21年)[[3月23日]]、[[二宮町 (栃木県)|二宮町]]を[[市町村合併|編入]]。人口は約7万9千人。古くは[[伝統工芸]]・真岡[[木綿]]の産地であり、[[二宮尊徳]]の[[報徳仕法]]が施された土地である。現在は、二宮町の編入により[[イチゴ]]の生産量日本一の自治体となっている。市域は[[鬼怒川]]・[[五行川]]流域の平地に広がり、米作や果樹・[[綿花]]栽培が盛んである。[[本田技研工業]]や[[日産自動車]]の工場が立地。[[下館駅|下館]]と[[茂木駅|茂木]]を結ぶ[[真岡鐵道]]は蒸気機関車・[[国鉄C12形蒸気機関車|C12形]]が走り、[[真岡駅]]舎は蒸気機関車の形を模しており、[[国鉄9600形蒸気機関車|9600形]]を展示するSLキューロク館が併設されている。 ** [[大田原市]](地方拠点都市) *: 県北部の市。那須地区中部の中心地。[[1954年]]([[昭和]]29年)[[12月1日]]、[[那須郡]][[大田原町]]・[[親園村]]・[[金田村 (栃木県)|金田村]]が合併し市制施行。[[1955年]](昭和30年)[[11月5日]]、[[佐久山町]]を編入。2005年(平成17年)10月1日、[[湯津上村]]・[[黒羽町]]を編入。人口は約7万5千人。市の中東部に[[那珂川]]、中部に[[蛇尾川]]が流れる。[[奥州街道]]の[[宿場町]]、[[大田原氏]]の[[城下町]]として栄え、蛇尾川西岸の旧市街に[[大田原城]]跡・大田原神社・[[光真寺]]がある。広大な[[那須野が原]]の水田により米の生産高は栃木県内1位である。那須野が原に大手企業の工場を誘致し、製造品出荷額は栃木県内有数であり工業都市の側面を持つ。西部の野崎地区に[[宇都宮線]][[野崎駅 (栃木県)|野崎駅]]がある。中東部の湯津上地区に侍塚[[古墳]]群、[[那須国造碑]]、[[栃木県なかがわ水遊園]]がある。東部の黒羽地区に[[雲巌寺]]など[[松尾芭蕉]]の長逗留場所がある。 ** [[矢板市]] *: 県北部の市。塩谷地区北部の中心地。[[1955年]]([[昭和]]30年)1月1日、[[塩谷郡]]矢板町・[[泉村 (栃木県)|泉村]]・[[片岡村 (栃木県)|片岡村]]が合併し新たに矢板町が発足。[[1958年]](昭和33年)[[11月1日]]、市制施行。[[高原山]]や[[塩那丘陵]]などの里山に囲まれた人口約3万人の小都市で、都会田舎(トカイナカ)を標榜している。市街地南部に[[シャープ]]栃木工場が立地。市北部の泉地区に[[高原山黒曜石原産地遺跡群]]、[[寺山観音寺]]、[[荒井家住宅]]がある。冷涼な気候を利用した[[リンゴ]]の生産は栃木県一位である。市南部の片岡地区に[[東北自動車道]][[矢板インターチェンジ|矢板IC]]がある。 ** [[那須塩原市]] *: 県北部の市。那須地区北部の中心地。[[1970年]]([[昭和]]45年)11月1日、[[那須郡]]黒磯町が市制施行し[[黒磯市]]が発足。[[2005年]]([[平成]]17年)1月1日、[[黒磯市]]・[[那須郡]][[西那須野町]]・[[塩原町]]の[[市町村合併|合併]]により発足。人口は約11万7千人、県北最多人口の多核都市である。市の北東部に[[那珂川]]、西部に[[箒川]]が流れる。[[那須野が原]]の扇頂付近は酪農地で、生乳の生産が盛ん。扇央部分の平野部は[[明治時代]]に開削された[[那須疏水]]により広大な水田が広がり、自動車用タイヤの大型工場などが立地する。[[宇都宮線]]・[[東北新幹線]]・[[東北自動車道]]が通じ、黒磯地区に[[黒磯駅]]、東那須野地区に[[那須塩原駅]]・[[黒磯板室インターチェンジ|黒磯板室IC]]、西那須野地区に[[西那須野駅]]・[[西那須野塩原インターチェンジ|西那須野塩原IC]]がある。北西部の塩原・高林地区は[[温泉]]・[[保養地]]で、[[塩原温泉]]・[[板室温泉]]、[[ハンターマウンテン塩原]]がある。 ** [[さくら市]] *: 県北部の市。塩谷地区南部の中心地。2005年(平成17年)[[3月28日]]、[[塩谷郡]][[氏家町]]・[[喜連川町]]が[[市町村合併|合併]]し発足。人口は約4万5千人。市名は市内に[[桜]]の名所が多数存在することに由来する。市中心部の氏家は旧[[奥州街道]]・[[会津中街道]]の宿場で、[[宇都宮線]][[氏家駅]]がある。氏家駅は喜連川地区・那須郡那珂川町[[馬頭町|馬頭]]地区と宇都宮市北部の[[上河内町|上河内]]地区を結ぶバス交通の拠点で、人口規模に比較して商圏が広く大型の商業施設が多数進出している。 ** [[那須烏山市]] *: 県東部の市。2005年(平成17年)[[10月1日]]、[[那須郡]][[烏山町]]・[[南那須町]]が[[市町村合併|合併]]し発足。人口は約2万7千人。市の中部を那珂川が流れる。烏山は南那須地区の中心地で、[[山車]]行事の[[山あげ祭]]、[[伝統工芸]]の烏山和紙、[[烏山城]]を舞台とした[[蛇姫様]]物語で知られる。大蛇伝説の残る[[甌穴]]のある[[龍門の滝 (栃木県)|龍門の滝]]がある。[[烏山線]]の終点で、[[茨城県]][[常陸大宮市]]高部(旧[[美和村 (茨城県)|美和村]])に[[那須烏山市営バス|市営バス路線]]が通じている。 ** [[下野市]] *: 県南部の市。[[2006年]]([[平成]]18年)[[1月10日]]、[[下都賀郡]][[石橋町]]・[[国分寺町 (栃木県)|国分寺町]]・[[河内郡]][[南河内町]]の[[市町村合併|合併]]により発足。人口は約6万人。市域は姿川・田川沿岸の平地に広がる。古くは[[下野薬師寺]]・[[国分寺]]・[[国分尼寺]]があり、古代[[東国]]の[[仏教]]文化の中心地であった。現在は[[宇都宮線]][[小山車両センター]]や[[自治医科大学]]の所在地として知られる。中心市街は旧[[日光街道]]の宿場である石橋・小金井と自治医科大学周辺のグリーンタウンしもつけ地区に分散し、市役所は自治医大駅西の笹原地区に置かれる。[[かんぴょう]]の生産量が日本一である。 * [[河内郡]] ** [[上三川町]] *: 県中部の町。[[1893年]]([[明治]]26年)[[7月1日]]、町制施行。[[1955年]]([[昭和]]30年)[[4月29日]]、旧上三川町・[[本郷村 (栃木県)|本郷村]]・[[明治村 (栃木県)|明治村]]が合併し新たに上三川町が発足。町の東端を[[鬼怒川]]、中西部を[[田川 (利根川水系)|田川]]が流れる。町の中部に[[白鷺神社]]、北部に[[日産自動車栃木工場]]、西部に[[宇都宮線]][[宇都宮貨物ターミナル駅]]がある。 * [[芳賀郡]] ** [[益子町]] *: 芳賀郡中部の町。[[1894年]](明治27年)[[3月1日]]、町制施行。1954年(昭和29年)[[6月1日]]、旧益子町・[[七井村]]・[[田野村 (栃木県)|田野村]]が合併し新たに益子町が発足。[[益子焼]]の産地として知られる。中心地区の益子は小貝川東岸に位置する。高館山中腹に[[西明寺 (栃木県益子町)|西明寺]]がある。 ** [[茂木町]] *: 芳賀郡東部の町。[[1889年]]([[明治]]22年)[[4月1日]]、町制施行。1954年(昭和29年)[[8月1日]]、旧茂木町・[[逆川村]]・[[須藤村]]・[[中川村 (栃木県)|中川村]]が合併し新たに茂木町が発足。町の北部に[[那珂川]]、中南部に[[逆川]]が流れる。中心地区の茂木は逆川の沿岸に位置する。町の東部に[[モビリティリゾートもてぎ]](旧:ツインリンクもてぎ)がある。 ** [[市貝町]] *: 芳賀郡北部の町。[[1954年]](昭和29年)[[5月3日]]、市羽村・小貝村が合併し市貝村が発足。[[1972年]](昭和47年)[[1月1日]]、町制施行。町の中部を[[小貝川]]が流れる。 ** [[芳賀町]] *: 芳賀郡北西部の町。[[1928年]]([[昭和]]3年)[[11月1日]]、祖母井村が町制施行し[[祖母井町]]が発足。[[1954年]](昭和29年)[[3月31日]]、祖母井町・[[南高根沢村]]・[[水橋村]]が合併し芳賀町が発足。中心地区の[[祖母井]]は[[五行川]]の東岸に位置する。 * [[下都賀郡]] ** [[壬生町]] *: 下都賀郡北部の町。[[1954年]]([[昭和]]29年)[[11月3日]]、壬生町・[[稲葉村 (栃木県)|稲葉村]]が合併し新たに壬生町が発足。[[1955年]](昭和30年)[[7月28日]]、[[南犬飼村]]を編入。町の西部に[[思川 (栃木県)|思川]]、中部に[[黒川 (利根川水系)|黒川]]、北東部に[[姿川]]が流れる。中南部の壬生は旧[[日光西街道]]の宿場町で、[[東武宇都宮線]][[壬生駅]]がある。北部の南犬飼地区に[[北関東自動車道]][[壬生インターチェンジ|壬生IC]]、玩具団地の[[おもちゃのまち]]、[[獨協医科大学]]がある。 ** [[野木町]] *: 下都賀郡南部の町。[[1963年]](昭和38年) [[1月1日]]、町制施行。町の西部に[[渡良瀬川]]・[[思川 (栃木県)|思川]]が流れる。中南部の野木は旧[[日光街道]]の宿場町で、[[野木神社]]、[[旧下野煉化製造会社煉瓦窯]]がある。町の中部に[[宇都宮線]][[野木駅]]があり、駅周辺の丸林・友沼地区に[[野木ローズタウン]]が広がる。 * [[塩谷郡]] ** [[塩谷町]] *: 塩谷郡中部の町。[[1957年]](昭和32年)[[3月31日]]、[[玉生村]]・[[船生村]]・[[大宮村 (栃木県塩谷郡)|大宮村]]が合併し塩谷村が発足。[[1965年]](昭和40年)2月11日、町制施行。町の南部を[[鬼怒川]]、中部を[[荒川 (栃木県)|荒川]]が流れる。東荒川上流部に[[尚仁沢湧水]]、鬼怒川北岸に[[佐貫観音院]]・[[佐貫石仏]]がある。中心地区の玉生は旧[[日光北街道]]の宿場で、昭和中期まで[[東武矢板線]]が通っていた。 ** [[高根沢町]] *: 塩谷郡南部の町。[[1953年]]([[昭和]]28年)[[4月1日]]、阿久津村が町制施行し[[阿久津町]]が発足。[[1958年]](昭和33年)4月1日、阿久津町・[[北高根沢村]]が合併し高根沢町が発足。町の西端を[[鬼怒川]]、町の中部を[[五行川]]が流れる。町の中心地は阿久津地区中南部の[[宝積寺 (高根沢町)|宝積寺]]で、[[宇都宮線]]・[[烏山線]]の[[宝積寺駅]]、ソフトリサーチパーク情報の森とちぎがある。北高根沢地区南部に[[御料牧場]]がある。 * [[那須郡]] ** [[那須町]] *: 那須郡北部の町。[[1954年]]([[昭和]]29年)[[11月3日]]、[[芦野町]]・[[伊王野村]]・[[那須村]]が合併し発足。西に[[那須連山]]、東に[[八溝山地]]があり、町の南西を[[那珂川]]、中部を[[余笹川]]が流れる。中東部の芦野は旧[[奥州街道]]の宿場町で、[[白河石|芦野石]]の産地として知られる。南東部の伊王野は旧[[東山道]]が通じ、[[道の駅東山道伊王野]]がある。北西部の那須地区は[[温泉]]・[[保養地]]で、[[東北本線]][[黒田原駅]]、[[東北自動車道]][[那須インターチェンジ|那須IC]]、[[那須御用邸]]、[[那須平成の森]]、[[那須温泉郷]]、[[りんどう湖]]、[[那須サファリパーク]]、[[那須ハイランドパーク]]、[[那須どうぶつ王国]]がある。那須連山の主峰[[茶臼岳 (栃木県)|茶臼岳]]には[[那須ロープウェイ]]が通じている。 ** [[那珂川町]] *: 那須郡南部の町。[[2005年]]([[平成]]17年)[[10月1日]]、[[馬頭町]]・[[小川町 (栃木県)|小川町]]が合併し発足。町の中部を那珂川が流れる。塩分を含む温泉水を用いた[[トラフグ]]の養殖が行なわれ、新たな名物となっている。那珂川東岸の馬頭地区に[[馬頭温泉郷]]、[[那珂川町馬頭広重美術館]]がある。北部の小砂地区は[[小砂焼]]の産地で、[[日本で最も美しい村連合]]に加盟している。南部の矢又地区と[[茨城県]][[常陸大宮市]]鷲子にまたがる[[鷲子山上神社]]は、鳥神の[[天日鷲命]]を祭り、[[神使]]の[[フクロウ|梟]]の神社として知られる。那珂川西岸の小川地区に[[駒形大塚古墳]]などの[[那須小川古墳群]]、[[那須官衙遺跡]]がある。 === 都市圏 === [[都市雇用圏]](10%通勤圏)の変遷 * [[東北新幹線]]の駅が設置された[[都市圏]]は'''太字'''。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |-style="border-bottom:solid 3px #666" !style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em"|1980年!!style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em"|1990年!!style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em"|1995年!!style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em"|2000年!!style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em"|2005年!!style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em"|2010年!!style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em"|2015年 |-style="background-color:#ffcccc" |style="background-color:#{{都市圏Color|圏}}"|{{都市圏|宇都宮|54|7545|宇都宮都市圏}}||rowspan="3" style="background-color:#{{都市圏Color|圏}}"|{{都市圏|'''宇都宮'''|80|0459}}||rowspan="4" style="background-color:#{{都市圏Color|圏}}"|{{都市圏|'''宇都宮'''|85|9178}}||rowspan="4" style="background-color:#{{都市圏Color|圏}}"|{{都市圏|'''宇都宮'''|88|8005}}||rowspan="5" style="background-color:#{{都市圏Color|圏}}"|{{都市圏|'''宇都宮'''|108|2347}}||rowspan="5" style="background-color:#{{都市圏Color|圏}}"|{{都市圏|'''宇都宮'''|112|0057}}||rowspan="5" style="background-color:#{{都市圏Color|圏}}"|{{都市圏|'''宇都宮'''|110|3745}} |- |style="background-color:#{{都市圏Color|灰2}}"|{{都市圏|鹿沼|9|5999|宇都宮都市圏}} |- |style="background-color:#{{都市圏Color|灰2}}"|{{都市圏|今市|5|0423|宇都宮都市圏}} |- |style="background-color:#{{都市圏Color|灰2}}"|{{都市圏|日光|2|3885|宇都宮都市圏}}||style="background-color:#{{都市圏Color|灰}}"|- |- |{{都市圏|真岡|9|2065|宇都宮都市圏}}||{{都市圏|真岡|10|3541}}||{{都市圏|真岡|10|5897}}||{{都市圏|真岡|10|7175}} |-style="background-color:#ccffcc" 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|{{都市圏|黒磯|7|3363|那須塩原都市圏}}||{{都市圏|'''黒磯'''|7|9014}}||{{都市圏|'''黒磯'''|8|3023}}||{{都市圏|'''黒磯'''|8|5713}} |- |style="background-color:#{{都市圏Color|灰}}"|-||{{都市圏|矢板|3|5585|那須塩原都市圏}}||{{都市圏|矢板|3|6650}}||{{都市圏|矢板|3|6444}} |} * 他の都市雇用圏に包含された都市雇用圏は灰色、都市雇用圏が成立していない場合は灰色かつ「-」で示す。 * 交通の変遷 ** [[1982年]](昭和57年) - 東北新幹線 大宮 - 盛岡駅間開業。 ** [[1985年]](昭和60年) - 東北新幹線 大宮 - 上野駅間開業。 ** [[1991年]](平成3年) - 東北新幹線 上野 - 東京駅間開業。 * 東北新幹線[[那須塩原駅]]は、大田原と黒磯との中間に位置する。 * 栃木県内の都市圏に含まれる他県の自治体:[[茨城県]][[結城市]]([[小山都市圏]]) === その他の地域区分例 === * 県北、県南の2大区分-参議院選などの地区割り * 県北、県央、県南の3大区分 * 県北、県東、県西、県央、県南の5大区分 * 宇河地区、安足地区、那須地区などの分類(主に音楽、スポーツ競技など学校関連イベントの地区割に用いられる) * 宇都宮ナンバー、とちぎナンバー、那須ナンバー([[ご当地ナンバー]]) === 平成の大合併 === [[ファイル:自治体区画図 1975 09000.svg|256px|thumb|1965年 - 2005年]] * [[2005年]](平成17年) ** [[1月1日]] - [[黒磯市]]、[[西那須野町]]、[[塩原町]]が合併し、[[那須塩原市]]が発足。 ** [[2月28日]] - 佐野市、[[田沼町]]、[[葛生町]]が合併し、佐野市が発足。 ** [[3月28日]] - [[氏家町]]、[[喜連川町]]が合併し、さくら市が発足。 ** [[10月1日]] *** 大田原市に[[黒羽町]]、[[湯津上村]]が編入。 *** [[烏山町]]、[[南那須町]]が合併し、那須烏山市が発足。 *** [[馬頭町]]、[[小川町 (栃木県)|小川町]]が合併し、那珂川町が発足。 * [[2006年]](平成18年) ** 1月1日 - 鹿沼市に[[粟野町]]が編入。 ** [[1月10日]] - [[国分寺町 (栃木県)|国分寺町]]、[[石橋町]]、[[南河内町]]が合併し、下野市が発足。 ** [[3月20日]] - 日光市、[[今市市]]、[[藤原町 (栃木県)|藤原町]]、[[足尾町]]、[[栗山村]]が合併し、日光市が発足(新しい日光市役所は旧今市市役所に置かれた。なお、この合併で栃木県から村が消滅)。 * [[2007年]](平成19年)[[3月31日]] - 宇都宮市に[[上河内町]]、[[河内町 (栃木県)|河内町]]が編入。 * [[2009年]](平成21年)[[3月23日]] - 真岡市に[[二宮町 (栃木県)|二宮町]]が編入。 * [[2010年]](平成22年)[[3月29日]] - 栃木市、[[都賀町]]、[[大平町]]、[[藤岡町 (栃木県)|藤岡町]]が合併し、栃木市が発足。 * [[2011年]](平成23年)[[10月1日]] - 栃木市に[[西方町]]が編入。 * [[2014年]](平成26年)[[4月5日]] - 栃木市に[[岩舟町]]が編入。 == 歴史 == 歴史的には[[古墳時代]]、[[鬼怒川|毛野川(けぬのかわ)]](現在の鬼怒川)流域一帯には「毛野国」が成立し、これを上下に分かって「下毛野国(しもつけぬのくに)」「[[下野国]](しもつけのくに)」が成立し、唐名では「[[野州]](やしゅう)」と称する。現在でも「[[下野]](しもつけ)」の呼称が広く使われている。 === 先史時代 === * [[1965年]](昭和40年)から五次にわたって調査された[[星野遺跡]]は[[芹沢長介]]によって約3万年以上前の[[前期旧石器時代]]で[[原人]]段階の遺跡であると主張された。旧石器時代の遺跡であることは認められたが、原人段階まで溯るかどうかについては長い論争があり、決着をみていない<ref>橋本澄朗「栃木のあけぼの」 阿部昭・橋本澄朗・千田孝明・大嶽浩良『栃木県の歴史』山川出版社 1998年 11-12ページ</ref>。<!--ついで、約4万5千年前と推定される火山灰層下部から[[前期旧石器時代]]の[[石器]]が[[1989年]](平成元年)に発見されている。場所は、福島県との県境近く、[[那須岳]]の丘陵地帯の高久丘陵に立地する[[七曲遺跡]](ななまがり、那須郡那須町)からである。発見された石器は剥片も含めて10点で、[[スクレイパー]]や[[ナイフ形石器]]を製作しており、石材は珪質[[頁岩]]と[[流紋岩]]である<ref>橋本澄朗「栃木のあけぼの」 阿部昭・橋本澄朗・千田孝明・大嶽浩良『栃木県の歴史』山川出版社 1998年 12-13ページ</ref>。(藤村新一・前東北旧石器文化研究所副理事長の関与が疑われるためコメントアウト。)--> [[ファイル:20061213高原山Tagged.jpg|thumb|right|140px|日本最古と推定される[[黒曜石]]採掘坑遺跡がある[[高原山]]。]] * 栃木県北部にある[[活火山]]・[[高原山]]を構成する一峰である剣ヶ峰が原産の[[黒曜石]]を使用した[[石器]]が[[矢板市]]より200km以上離れた[[静岡県]][[三島市]]や[[長野県]][[信濃町 (代表的なトピック)|信濃町]]の遺跡で発見され、研究が進められている。産出時期は古いものでは石器の特長よりいまから約3万5千年前の[[後期旧石器時代]]と考えられており、その採掘坑遺跡(高原山黒曜石原産地遺跡群)は日本最古のものと推定されている。[[氷期]]の寒冷な時期に人が近付き難い当時の関東北部の森林限界を400mも超える標高1,500m近い高地<ref>季刊・東北学2008年第15号『高原山黒曜石原産地遺跡の発掘』P27-45より、国武貞克著</ref>で採掘されたことや、従来の[[石器時代]]の概念を覆すような活動・交易範囲の広さ、遺跡発掘により効率的な作業を行っていたことなどがわかってきて注目が集まっている。またこの新しい発見により日本人の起源、人類の進化をたどる手掛かりになると言う研究者の発言も報道もされている<ref>[http://www.city.yaita.tochigi.jp/kokuyouseki/kokuyouseki.htm 高原山黒曜石原産地遺跡群詳細(矢板市ホームページより)]</ref><ref>[http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200704140116.html 2007年04月14日Asahi.comニュース]</ref><ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tochigi/080223/tcg0802230224002-n1.htm 2008年2月23日産経ニュース]</ref>。最新の研究では南関東を中心に高原山産の黒曜石製石器が広範囲に流通していたことがわかってきている。 ** 矢板市教育委員会は[[2008年]](平成20年)度調査で、1万2千年 - 1万5千年前に製作されたと推定できる国内最大級の[[尖頭器]]とその採掘坑跡を発見したと発表した。また同時に[[2007年]](平成19年)度の調査で発掘した黒曜石採掘坑跡は1万9千年前のものと推定していたが、[[放射性炭素年代測定]]により8千5百年 - 9千年前の[[縄文時代]]早期のものと修正を行った<ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tochigi/090227/tcg0902270324002-n1.htm 2009年2月27日産経ニュース]</ref><ref>[http://www.tochigi-tv.jp/news2/index.php?date=2009-2&pageID=2 2009年2月とちぎテレビニュース]</ref><ref>[http://www.tochigi-tv.jp/news2/stream.php?src=%2Fcommon%2Fsysfile%2Fnews%2FID00001794_movie1.wmv とちぎテレビ動画ニュース]</ref>。 ** 高原山黒曜石原産地遺跡群発見・発掘がもたらすもの {{main|日本列島の旧石器時代#高原山黒曜石原産地遺跡群発見・発掘がもたらすもの}} * 約2万年前の後期旧石器時代のものと思われる[[磯山遺跡]]が発見されている。この遺跡は真岡市の南東約3キロの所にある磯山と呼ばれる小さな独立丘陵の南西麓に立地している。[[1962年]](昭和37年)- 翌年に掛けてと[[1968年]](昭和43年)の二度にわたり発掘調査されている。[[デイサイト]]製の[[石核]]や[[剥片]]とともにナイフ形石器などが発見されている<ref>橋本澄朗「栃木のあけぼの」阿部昭・橋本澄朗・千田孝明・大嶽浩良『栃木県の歴史』山川出版社 1998年 14ページ</ref>。 * '''古墳時代''' - 古代、[[鬼怒川|毛野川]](けぬのかわ=現在の[[鬼怒川]]、鬼怒川は当時[[下野国]] - [[下総国]]と流れ現在の[[土浦市]]南方で[[香取海]]([[銚子市|銚子]]で太平洋に繋がる内海)に注ぐ大河であったが、[[江戸時代]]の[[利根川東遷事業]]より後は利根川に注ぐ川へと変更された)流域一帯には[[毛野国]]が成立しており、[[ヤマト王権]]において毛野国は[[筑紫国|筑紫]]、[[出雲国|出雲]]、[[吉備国|吉備]]などと並び強大な発言力を有していたと言われる<ref name="takemitsu78">{{Cite book|和書|author=武光誠|authorlink=武光誠|year=2001|title=県民性の日本地図|publisher=[[文藝春秋]]|page=78|series=文春新書|isbn=4-16-660166-0}}</ref>。 * 栃木県内各地には[[縄文時代]]からの考古遺跡が多数認められており、古代には[[毛人]]が住む地域であったと解されるのが一般的であるが、その後、第10代天皇で真の意味での[[ヤマト王権]]の初代開祖とも言われる[[崇神天皇]]の第一皇子、[[豊城入彦命]]が父の命でこの地に入って[[毛野国]]を建国し、その後毛野国の有力豪族となった[[毛野氏]]の祖となり、ヤマト王権において有力豪族の一角をなした<ref name="takemitsu78"/>。毛野国は[[奈良時代]]には[[上野国|上毛野(上野)国]]と[[下野国|下毛野(下野)国]]に分国されたと言われるが、毛野川は[[上野国]]を流れておらず、上野国を流れるのは利根川(古来は[[東京湾]]に注いでいたが[[利根川東遷事業]]の後は銚子で太平洋に注ぐ川へと変更された)であることに鑑みると、この説も定かではない。 [[ファイル:20090421下侍塚古墳.jpg|thumb|right|240px|[[那須|那須地方]]で盛んに作られた[[前方後方墳]]の一例。「日本で一番美しい古墳」<ref>[[森浩一]]著『古墳の発掘』[[中公新書]](65)([[中央公論社]] [[1965年]](昭和40年)4月発行) 35ページの「私はこれまで天皇陵をも含めて多くの古墳を見てきたが、そのなかでいちばん美しい古墳を一つえらべといわれたら即座に下侍塚と答えよう。」を指しているのか。</ref> と言われている[[下侍塚古墳]]。]] * [[4世紀]]から[[5世紀]]にかけて[[駒形大塚古墳]]、[[下侍塚古墳]]などの大型の[[前方後方墳]]を代表とする多くの古墳が[[那須地方]]の[[那珂川]]沿岸の[[河岸段丘]]上に築造される。これらの前方後方墳は大型の古墳が少ない[[東北地方]]に作られた[[福島県]][[郡山市]]の[[大安場古墳]]などにも影響を与えたと考えられている。 === 古代 === * 下毛野国と[[那須国]]は[[7世紀]]後半に統一されて[[下野国]]となり、現在の栃木県の県域が形作られた。 **「国府は都賀郡にあり」(『和名類聚抄』)とあり、発掘の結果、国府の政庁は宮目神社(栃木市田村町)周辺で発見され、約90メートル四方の範囲を塀によって区画され、南門を入ると正面に前殿が、その両脇に東・西脇殿が確認された。政庁は8世紀前半から10世紀前葉まで4回建て替えられ存続した。 ** 下野国は9郡(70郷)で[[足利郡]](6郷)、[[安蘇郡]](4郷)、[[梁田郡]](3郷)、[[下都賀郡|都賀郡]](11郷)、[[河内郡]](11郷)、[[芳賀郡]](14郷)、[[那須郡]](12郷)、[[寒川郡 (栃木県)|寒川郡]](3郷)、[[塩谷郡]](6郷)に分かれていた。 ** 郡の役所である郡衙は、那須郡(小川町那須官衙跡)・芳賀郡(真岡市堂法田遺跡)・河内郡(上三川町多功遺跡)・寒川郡(小山市千駄塚浅間遺跡)・足利郡(足利市国府遺跡)の5遺跡発見されている。内容が判明している那須郡衙跡は、那珂川と箒川の合流地点に近い小川町梅曽に位置する。郡衙の範囲は南北に200メートル、東西400メートルで、その中を溝で西・中央・東の3ブロックに分けている。西ブロックは幅4メートル、深さ1メートルの大溝によって囲われた1辺約200メートルの不正方形で、倉庫と考えられる総柱式の掘立建物が多数見つかっている。中央・東ブロックは宅地になっている。中央ブロックからは礎石立ちの倉庫と考えられる建物が2棟発見されている<ref>橋本澄朗「古代の下野」阿部昭・橋本澄朗・千田孝明・大嶽浩良『栃木県の歴史』山川出版社 1998年 6-57ページ</ref>。 * [[多賀城碑]]、[[多胡碑]]と並ぶ[[日本三大古碑]]の一つとされる[[那須国造碑]]([[国宝]]、[[700年]]([[文武天皇]]4年)建立)が下侍塚古墳の付近で[[延宝]]4年([[1676年]])、[[僧侶]]・[[円順]]により発見された。その報を受けた領主である[[徳川光圀]]が笠石神社を創建し碑の保護を命じた。[[古墳文化]]と合わせて[[那須地方]]([[那須国造]])のこの地域が重要な拠点であったことがうかがい知れる。 * [[下毛野国造]]は[[下毛野君]]である。下毛野君は豊城入彦命の後裔とされ([[日本書紀]])、[[天武天皇]]13年に定められた[[八色の姓]]では地方豪族としては破格の[[朝臣]]姓を賜り、[[大和朝廷]]が[[701年]]に定めた律令([[大宝律令]])の編纂には[[下毛野古麻呂]]が[[藤原不比等]]とともに深く関わった([[続日本紀]])。 * 栃木県の県庁所在地である[[宇都宮市]]の名称は[[宇都宮二荒山神社|二荒山神社]]の別号'''宇都宮大明神'''に由来し、宇都宮の歴史は即ち[[出雲神]]を祀る当神社の歴史と言える。この神社は毛野国の開祖である豊城入彦命を祀り、創祀は命の曾孫である[[奈良別君]]と言われるが、この時既にこの地には豊城入彦命によって国土開拓の祖神・[[大物主命]]が祀られていたと言われており、西暦200年代、遅くても300年代(社伝では[[仁徳天皇]]41年、西暦[[353年]]=奈良別君の時代)には成立していたと社伝に伝わるが、[[正史]]に初めて[[下野国]]の神が登場するのは[[836年]]([[承和 (日本)|承和]]3年)のことで、この時従五位上勲四等の二荒神が正五位下を奉授している。[[平安時代]]、当神社は[[延喜式神名帳]]に[[下野国]]唯一の[[一之宮]][[名神大社#名神の称|名神]][[大社]]([[河内郡]])とされ、下野国で最も格式ある神社と位置付けられていた。[[延喜式神名帳]]では下野国の神として以下の11社(大社1、小社10)が記されており、大社は河内郡の[[宇都宮二荒山神社|二荒山神社]]のみとなっている。 ** 河内郡【現在の[[宇都宮市]]、[[上三川町]]、一部[[下野市]]、一部[[今市市]]など】:大社1 ** [[都賀郡]]【現在の[[栃木市]]、旧[[日光市]]、一部[[下野市]]など】:小社3 ** [[芳賀郡]]【現在の[[真岡市]]、[[芳賀町]]、[[益子町]]、[[茂木町]]、[[市貝町]]】:小社2 ** [[那須郡]]【現在の[[大田原市]]、[[那須町]]、[[那須塩原市]]、[[那珂川町]]など】:小社3 ** [[寒川郡 (栃木県)|寒川郡]]【現在の[[小山市]]の一部】:小社2 * 二荒山神社は国造下毛野氏の統治下にあって下毛野氏の血縁者が代々座主を務め、[[平安時代]]末期に[[藤原北家]][[藤原道兼|道兼流]]で毛野氏あるいは中原氏の流れを汲んだ[[宇都宮氏]]がその座を継いだと言われている。宇都宮氏は[[鎌倉時代]]以降22代500年に亘って鬼怒川流域一帯を統治し、小倉[[百人一首]]の成り立ち、宇都宮歌壇の成立、[[東勝寺 (宇都宮市)|東勝寺]]や[[地蔵院 (栃木県益子町)|尾羽寺]]、[[清巌寺]]や[[興禅寺 (宇都宮市)|興禅寺]]に代表される寺院の造営など当地の文化的素養の養生に尽力するとともに、また[[元寇]]の折には[[鎌倉幕府]]軍総大将として討伐に向かい、[[関東]]内の戦乱にあっては時の中央政府([[鎌倉幕府]]、[[室町幕府]]、[[鎌倉府]]、[[関東管領]]など)の意向を受けてその鎮静に当たり、武門としても当時の[[関東地方]]の治安維持に貢献した。 * 先述のとおり、宇都宮二荒山神社は'''宇都宮大明神'''と呼ばれ、古来からその武徳が尊ばれてきた。[[藤原北家]][[藤原魚名|魚名流]]・[[藤原秀郷]](俵藤太、田原藤太)卿は、[[平将門]]の乱の折、その追討を命じられたが苦戦、当神社に参じて授かった霊剣をもって将門を制したと言われる。また[[藤原北家]][[藤原長家|長家流]]・[[那須与一|那須与一宗高]]は[[治承・寿永の乱]](源平合戦)における[[屋島の戦い]]で「南無八幡大菩薩、日光権現、宇都宮、那須湯前大明神」と唱え、見事平家船上の扇の的を射落としたと言われる<ref>[[平家物語]]による。</ref>。また、伝説として元寇の際には社殿から鏑矢が西へ飛び去ったという言い伝えがある。この他、[[源頼義]]、[[源義家|義家(八幡太郎)]]父子は前九年の役の前に参拝し、奥州安倍氏を掃討したといい<ref>社伝による。</ref>、また[[源頼朝]]も[[奥州藤原氏]]平定に際して参拝した<ref>[[鎌倉府]]政庁の公式記録である[[吾妻鏡]]による。</ref>。[[徳川家康]]は当神社に神領1,500石という広大な土地寄進を行ったとされる<ref>[[塙静夫]]著「とちぎの社寺散歩」([[下野新聞社]]発行)ISBN 4-88286-210-7。</ref>。 [[ファイル:NikkoShinkyo5593.jpg|thumb|right|240px|[[大谷川 (日光市)|大谷川]]にかかる[[神橋]]]] * [[日光山|日光]]開山の祖と知られる[[勝道|勝道上人]]は、[[薬師寺 (下野市)|下野薬師寺]]で5年間修行した後に[[男体山]]を目指し、[[766年]]に四本龍寺を建立したと言われる。[[782年]]には3度目の試みで山頂に達し、その後神宮寺(現在の中禅寺)を建立し、日光1200年の原点を築いた。一説に「[[日光]]」という地名は[[空海]]が二荒(ふたら=補陀落:ポタラカ)を音読した「にこう」に佳字を当てたのが起源といわれるが、当時の記紀類は全て「二荒」で記録上の「日光」の初見は鎌倉時代後期であり、この時期と下野国内に千手観音や日光菩薩像が多く造立された時期が一致している([[大谷磨崖仏]]、[[佐貫石仏]])。 === 中世 === * [[鎌倉幕府]]が成立すると、足利・小山・宇都宮・那須などの下野諸氏は鎌倉御家人となり活躍した<ref name="takemitsu79">{{Cite book|和書|author=武光誠|authorlink=武光誠|year=2001|title=県民性の日本地図|publisher=[[文藝春秋]]|pages=79-80|series=文春新書|isbn=4-16-660166-0}}</ref>。[[小山氏]]は[[藤原北家]][[藤原魚名|魚名流]]・[[藤原秀郷]]の後裔と言われ、武家として[[鎌倉時代]]には[[下野国]]の[[守護]]を務める家柄であったが、[[室町時代]]初期、[[小山義政]]が[[下野国]][[国司]]・[[宇都宮氏]]を攻略し[[宇都宮基綱]]を戦死させたため、[[鎌倉府]]・[[関東管領]]によって討伐された。 * [[結城氏]]は小山氏の庶流であり、主家・小山氏が[[鎌倉府]]によって討伐されると小山氏を継いだ。小山氏・結城氏は[[室町時代]]には[[室町幕府]]に抵抗して鎌倉を追われた[[古河公方]]に組して[[下野国|下野]]守護に再任された。[[結城政朝]]は非凡な将かつ野心家で[[宇都宮成綱]]の姉を妻として迎え、成綱と強固な同盟関係を築いた。成綱の古河公方擁立の際には政朝も加担している。成綱が没すると[[宇都宮氏]]との関係が悪化し、宇都宮領を侵攻し旧領を取り戻した。[[小山氏]]の後継者争いに介入し、子の[[小山高朝]]を送り込むことに成功している。[[結城政勝]]は結城氏の版図を最大まで拡大しており、「[[結城氏新法度]]」を制定している。[[結城晴朝]]は[[足利氏]]の力が弱まると[[関東]]に台頭してきた[[後北条氏]]方に就くが、主家・小山氏は後北条氏に追討されてしまう。[[豊臣秀吉]]によって後北条氏が討たれると結城氏が旧小山氏領を支配したが、[[江戸時代]]になると間もなく[[福井市|福井]]へ転封され、氏姓も[[松平氏]]に改めてこの地を去った。 [[ファイル:Utsunomiya-Futaarayama shrine.jpg|thumb|right|240px|[[宇都宮二荒山神社]]]] * [[藤原北家]][[藤原道兼|道兼流]]で[[毛野氏]](あるいは[[中原氏]])の流れを汲む関東の名門・[[宇都宮氏]]は、[[宇都宮二荒山神社]](宇都宮大明神)の神職者として[[関東地方|関東]]の治安維持に貢献した。[[紀清両党]]や[[大須賀党]]などの精鋭武士団が有名である。[[鎌倉時代]]、[[宇都宮朝綱]]が[[奥州合戦]]で戦功を挙げ、[[源頼朝]]から「'''坂東一の弓取り'''」と賞賛された。この時、同じく戦功を挙げた家臣の[[芳賀高親]]、[[益子正重]]も頼朝から源氏の白旗一流ずつを贈られており[[紀清両党]]は世にその武勲を知らしめた。朝綱の孫である[[宇都宮頼綱]]は'''日本三大歌壇'''の1つである宇都宮歌壇を築いた。[[宇都宮泰綱]]から宇都宮氏当主は[[評定衆]]、[[引付衆]]を歴任しているなど、宇都宮氏は[[鎌倉幕府]]で有力な一族の1つであった。[[宇都宮景綱]]は日本最古の武家(社家)家法である[[宇都宮家式条]]を制定している。鎌倉時代末期、[[元 (王朝)|元]]が九州に攻め寄せると、これを鎮めるべく[[宇都宮貞綱]]が鎌倉軍総大将として征西しこれを防いだ。猛将として知られる[[宇都宮公綱]]は[[楠木正成]]と戦い「坂東一の弓取り」と評された。また、[[建武政権]]でも有力者の一人だった。 * [[室町時代]]、[[宇都宮氏綱]]は[[足利尊氏]]を助け[[下野国|下野]]・[[上野国|上野]]・[[越後国|越後]]3国の守護を務め、[[薩埵山体制]]の一翼を担うなど絶頂期を迎える。[[宇都宮持綱]]は[[関東管領]]・[[上杉氏]]に引き継ぎ、その上杉氏を討って関東を争乱に陥れた[[鎌倉公方]]・[[足利持氏]]を[[室町幕府]]の意向を受けて牽制した。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]、17代当主[[宇都宮成綱]]は、宇都宮氏中興の祖と呼ばれた名将であり、器量に優れ、かつ野心家で積極的に勢力を拡大した。[[永正の乱|古河公方の内紛]]が起こると娘婿の[[足利高基]]を庇護し、[[古河公方]]擁立を企み介入。勢力拡大を図った。清党の[[芳賀氏]]との内訌によって[[宇都宮錯乱]]が起こるとこれを制し、家中をまとめあげ戦国大名化に成功した。外交手腕を駆使し、[[伊達氏]]と連絡を取ったり、古河公方[[足利政氏]]を支持する[[那須氏]]を寝返らせたり、姉や娘を古河公方[[足利高基]]や[[結城氏]]の[[結城政朝]]に嫁がせるなど近隣の安定化も図った。晩年には[[北関東]]の覇権を巡り、[[佐竹氏]]の[[佐竹義舜]]と争った。成綱の思惑通りになり、北関東最大の勢力として全盛期を築き、成綱は北関東一の実力者となった。成綱没後は嫡男の[[宇都宮忠綱|忠綱]]が跡を継ぎ、[[川井合戦]]で[[那須氏]]と戦い、[[河原田合戦]]で[[皆川氏]]を滅亡目前にまで追い込むなど、勢力拡大を図る。下野国の大半と[[常陸国]]([[茨城県]])の一部にまで版図を拡大したが、強硬な家中支配の強化や連年の戦いによって家臣らは忠綱に不満を抱くようになった。また、成綱の義兄弟である[[結城政朝]]との関係が悪化。[[猿山合戦]]で[[結城政朝]]と戦っている間に、[[芳賀興綱]]が[[芳賀氏]]の[[芳賀高経]]らに擁立され、謀略によって[[宇都宮城]]を乗っ取られてしまう。この内訌が原因で[[宇都宮氏]]は近隣に大きく後れを取ることになり、衰退の道を辿ることになった。興綱が当主になった後は、家臣の芳賀高経、[[芳賀高孝]]、[[壬生綱房]]らが家中で絶大な権力を振るい、政治を専横した。この体制は次代の[[宇都宮尚綱|尚綱]]のころまで続いた。[[喜連川五月女坂の戦い]]で尚綱が[[那須氏]]に討たれると[[壬生綱房]]が[[宇都宮城]]を乗っ取ってしまう。忠臣[[芳賀高定]]の尽力によって宇都宮城の奪還に成功し、[[上杉氏]]が侵攻してきた時も、撃退に成功している。[[後北条氏]]が台頭すると[[宇都宮広綱]]は、[[芳賀高定]]の活躍によって[[常陸国]]の[[佐竹氏]]との婚姻同盟を成立させ、[[佐竹氏]]とともに[[後北条氏]]を牽制した。天正年間に後北条氏に[[小山氏]]の[[祇園城]]を攻略されると宇都宮領への侵攻が過激化する。[[宇都宮国綱]]は本拠を防衛に適した[[多気城 (下野国)|多気山城]]に移し、[[後北条氏]]が[[壬生氏]]や[[那須氏]]、[[日光山]][[僧兵]]と連携して度々[[下野国]]に攻め込んできた時も、撃退して持ち堪えた。[[豊臣秀吉]]の[[天下統一]]によって戦国の乱世を生き延び、豊臣大名として存続できた。しかし、宇都宮氏は[[浅野長政]]の暗躍によって[[豊臣政権]]の内部争いに巻き込まれ突如改易となり[[備前国]]へ配流されてこの地を去った。 * 代々宇都宮氏の重臣を務め、また宇都宮氏と姻戚関係にもあった[[紀氏|紀]][[清原氏|清両党]]の[[益子氏]]および[[芳賀高定|芳賀氏]]は宇都宮宗家がこの地を去った後もこの地に留まり、宇都宮氏が築いた文化を伝承したと言われる。なお、[[益子町|益子]]の[[西明寺 (栃木県益子町)|西明寺]]には[[宇都宮氏]]墓所があり、現在も守られている。また[[宇都宮貞綱]]が亡母の供養に鋳造した鉄製塔婆を保存する[[清巌寺]]は[[清原氏|清原氏(清党)]]芳賀氏が建立したものである。 * [[足利氏 (藤原氏)|藤原足利氏]]は[[藤原秀郷]]の後裔と言われ、足利荘に本拠を置き、同族の[[小山氏]]と争った。小山氏とともに「一国之両虎」と称された。[[足利忠綱]]は『[[吾妻鏡]]』に「末代無双の勇士」と記されるほどの武将であり、[[以仁王の挙兵]]で大功を挙げたが、勧賞撤回騒動がきっかけで家中が分裂。その隙を突かれ、[[源頼朝]]に滅ぼされた。 * 足利荘に本拠を置いた[[清和源氏]][[源義家|義家流]]・[[足利氏]]は鎌倉[[北条氏]]に仕えるが、[[足利尊氏]]の代に[[後醍醐天皇]]の挙兵に応じて[[鎌倉幕府]]の討幕運動に参加する。尊氏は後醍醐天皇の[[建武の新政]]からは離反し、[[北朝 (日本)|北朝]]を建てて幕府を開き、[[室町時代]]には[[足利将軍家]]となる。[[足利学校]]は「坂東の大学」として宣教師によってヨーロッパにまで隆盛の様子が伝えられている。 * [[藤原北家]][[藤原長家|長家流]]・[[那須氏]]は[[那珂川]]流域に安定した地域を形成し、関東では珍しく戦国時代・江戸時代・明治時代を乗り切り、現在もこの地に家名を継いでいる。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]、猛将[[那須高資]]が[[宇都宮尚綱]]を討ち宇都宮氏を滅亡まで追いつめるが、家臣の[[大田原資清]]や宇都宮家臣の[[芳賀高定]]の謀略によって阻止された。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]後期には資清の子の[[大関高増]]らに翻弄された。[[那須与一|那須与一宗高]]を生む。 * [[佐野氏]]は[[藤原秀郷]]の後裔と言われ、佐野庄に本拠を置き秀郷が築いた[[唐沢山城]]を居城とし、栄えた。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]、[[佐野昌綱]]は武勇に優れ、[[上杉謙信]]や[[北条氏康]]、[[北条氏政]]を何度も撃退している。子の[[佐野宗綱]]も武勇に優れ、昌綱没後に攻めてきた[[上杉謙信]]や[[北条氏照]]を撃退している。武勇だけでなく関東では遅れていた鉄砲の普及を推奨するなど革新的な政策も施した。 === 近世 === [[ファイル:NikkoYomeimon5005.jpg|thumb|right|240px|[[日光東照宮]]陽明門]] 近世には[[豊臣政権]]による仕置が行われ、壬生氏、小山氏ら中世以来の氏族は領地を没収されるが、[[宇都宮氏]]や大関・大田原両氏の那須衆は豊臣政権に臣従し旧領を安堵されたほか、鎌倉公方の名跡を継ぐ[[喜連川氏]]や成田氏などが領地を得た。天正18年(1590年)には徳川家康が関東に移封され、下野は豊臣系大名と徳川領国の接点に位置する。なお、豊臣政権下での1597年(慶長2年)には宇都宮氏が改易されている。 豊臣秀吉没後の豊臣政権では五大老の家康と五大老の[[上杉景勝]]、五奉行の[[石田三成]]が対立し、慶長5年5月に家康は景勝討伐のため会津出兵を行う。三成は家康の出兵中に上方において挙兵し、家康は小山において上片へ引き返し、関ヶ原の戦いにおいて三成方を撃破する。家康が[[江戸]]に[[江戸幕府|徳川幕府]]を開くと、中世以来の有力豪族は相次いで下野から姿を消し、県域は[[幕府直轄領]]や[[旗本]]領に細分化され、徳川家の[[譜代大名]]や[[旗本]]が支配するようになった。 江戸時代の[[幕藩体制]]においては[[宇都宮藩]]、[[壬生藩]]、[[烏山藩]]、[[黒羽藩]]、[[大田原藩]]、[[佐野藩]]、[[足利藩]]、[[吹上藩]]、[[高徳藩]]、[[喜連川藩]]の諸藩が成立し、福原家の佐久山陣屋、芦野家の[[芦野陣屋]]、那須家の福原陣屋、大田原家の森田陣屋など[[交代寄合]]の陣屋による領内統治が行われた。 下野国は江戸から奥州へ向かう結節点に位置し、近世には[[日光道中]]や[[奥州街道]]、壬生通りなど街道や脇往還、が整備され、小山宿や今市宿などの宿駅も整備された。また、利根川水系の渡良瀬川や思川、鬼怒川などの河川交通網も整備され、[[河岸]]が設置され舟運が行われた。 日光([[日光市]])は幕府の聖地として、[[日光東照宮|東照宮]]をはじめとする華麗な建物が作られ、特別に保護・崇敬された。 近世期には日光山麓をはじめ各地で[[新田開発]]・用水開削が進むが、それに伴い秣場を巡る争論や[[水論]]も発生した。 江戸時代後期に入ると、いまの栃木県域は、地域社会の著しい疲弊・荒廃と、急激な人口減少に見舞われることになる。人口推計<ref>以下の各人口推計は、「日本歴史大事典 4」(小学館 2001年)による。</ref>によれば、江戸中期の享保6年(1721年)から、江戸後期の天保5年(1834年)までの約1世紀の間に、下野国の総人口は、約56万人から、61.1%の約32万人{{efn|下野国は、正確には560,020人から342,260人。}}まで減少し、1世紀で約4割の人口減少という、事実上の人口崩壊状態となっている。同時期、日本の総人口は、度重なる飢饉にもかかわらず、約10%の伸び(110.3%){{efn|同じく、総人口は24,534,195人から27,063,910人。}}を見せており、とりわけ飢饉が深刻であったとされる、東北太平洋側の陸奥国でも、1.5割弱の人口減少(86.1%)に抑えている{{efn|陸奥国は、1,962,839人から1,690,509人。}}ことから考えても、江戸後期における、下野国の際立った荒廃ぶりがうかがえる{{efn|同様に、隣の常陸国も人口減少が著しく、江戸後期においては、[[北関東]]が特に疲弊した地域であったことがわかる。}}。 このような状態の中で、[[二宮尊徳]]は農村のたて直しを図るため、桜町(現在の[[真岡市]]旧[[二宮町 (栃木県)|二宮町]])の旗本領の復興につとめ、以後各地で[[報徳仕法]]と呼ばれる改革事業を実施した。 === 近・現代 === [[ファイル:Tochigi prefectural office Showa kan ac.JPG|thumbnail|240px|栃木県庁旧本庁舎を移築した昭和館(宇都宮市)]] * [[戊辰戦争]]では宇都宮など関東内における戦役の舞台の1つとなり([[宇都宮城の戦い]])、[[1868年]](慶応4年)6月[[鍋島幹|鍋島道太郎]](肥前藩士)が下野国[[真岡知県事]]に任命され、8月には日光領が収公された。9月に入って鍋島知県事は旧日光奉行所に入り、[[1869年]](明治2年)2月には[[日光県]]と改称し日光に県庁を置いた。 * [[明治維新]]を迎えると政府は、中央集権をおし進めるため[[1871年]][[8月29日]]([[明治]]4年[[7月14日 (旧暦)|旧暦7月14日]])に[[廃藩置県]]を断行、旧来の封建支配の一掃を図った。その後、全国的な府県の再編が行われ、同年[[12月25日]]([[11月14日 (旧暦)|旧暦11月14日]])、下野国北部に'''[[宇都宮県]]'''が、また下野国南部に上野国南東部を加えて'''栃木県'''が設置された。栃木県は[[壬生県]]、[[吹上県]]、[[佐野県]]、[[足利県]]、[[日光県]]を統合している。両県の管轄区域および県庁所在地は以下の通りである。 ** 宇都宮県(県庁所在地:河内郡[[宇都宮市|宇都宮]]) *** 下野国のうち: 河内郡、塩谷郡、那須郡、芳賀郡 ** 栃木県(県庁所在地:都賀郡[[栃木市|栃木]]) *** 下野国のうち: 都賀郡、寒川郡、安蘇郡、足利郡、梁田郡 *** 上野国のうち: [[山田郡 (群馬県)|山田郡]]、[[新田郡]]、[[邑楽郡]] * [[1873年]](明治6年)[[6月15日]]に宇都宮県と栃木県が合併して今日の栃木県が成立<ref name="tokyo-np-2015-6-16">藤原哲也(2015年6月16日). “「県民の日」で催し 県庁などにぎわう”. [[東京新聞]] (中日新聞社)</ref>、県庁が栃木町に置かれた。3年後の[[1876年]](明治9年)には上野国内3郡が[[熊谷県]]の北半部(上野国内)と合併して[[群馬県]]の一部となり、ほぼ現在と同じ県域となった。[[1884年]](明治17年)、'''栃木県'''という呼称のまま、県庁が宇都宮町に移された([[栃木県庁の移転]]を参照)。 * [[1931年]](昭和6年)、栃木県一帯の農村は凶作となり疲弊。[[阿久津村]]一帯では小作農と地主側で小作料減免の交渉が行われた。この交渉において、双方に[[労農大衆党]]と[[大日本生産党]]が支援についたため対立が激化。[[1932年]](昭和7年)[[1月8日]]には[[鉄砲]]や[[竹槍]]で武装した労農大衆党員が生産党員らを襲撃して3人が死亡、数十人が負傷する事件に発展<ref>労農大衆党員が生産党員と乱闘、三人が死ぬ『東京日日新聞』昭和7年1月10日夕刊(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p196 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。労農大衆党員300余人、大日本生産党員200余人が保護検束された<ref>五百人を検束、五十六人を送検『東京日日新聞』昭和7年1月10日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p196 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。その後、小作側と地主側は小作調停法に基づく調停に応じることで和解した<ref>双方、小作調停法により調停に応じる『中外商業新報』昭和7年1月12日夕刊(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p197)</ref> * [[1938年]](昭和13年)[[6月30日]]に台風接近に伴う豪雨があり死者3人、倒壊家屋9戸、床上浸水5500戸以上、床下浸水13000戸以上<ref>土浦、減水の後に飢餓の恐怖『東京朝日新聞』(昭和13年7月2日夕刊)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p224</ref>。さらに[[9月1日]]にも台風接近があり死者30人、家屋全壊131戸、家屋半壊144戸、床上浸水5200戸以上、床下浸水8200戸以上<ref>死者・不明百人越す、関東各地の被害『東京日日新聞』昭和13年9月3日夕刊(『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p224)</ref>。 * [[1945年]](昭和20年)[[7月12日]]、[[宇都宮空襲]]。同年[[8月15日]]の終戦までの[[空襲]]による死者数は785人以上<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/18821 |title=<栃木県内の空襲> 焼かれ、撃たれた県民 刻まれた恐怖、悲嘆 |publisher=下野新聞 |date=2020年 |accessdate=2022-08-16}}</ref>。 == 人口 == 県人口は、1,933,146人([[2020年]]([[令和]]2年)[[国勢調査 (日本)|国勢調査]])で、[[都道府県]]で19位([[都道府県の人口一覧]])である。国勢調査最大人口は、[[2005年]](平成17年)の2,016,631人であり、都道府県で20位であった。 [[2020年]]([[令和]]2年)の国勢調査で人口順位が上位100位内の市は、宇都宮(27位)の1市であった([[都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位]])。各年の国勢調査で人口順位が上位100位内に入ったことのある市町は、宇都宮(最高位:2010年(平成22年)・2015年・2020年(令和2年)27位)・足利(最高位:1965年(昭和40年)88位)・足尾(最高位:1920年(大正9年)98位)の2市1町であった。(いずれの順位も、東京特別区部を1都市として扱いランキングに含めた場合の順位。) 栃木県の都市は、主に北部山岳地域から流れ出る鬼怒川、[[那珂川]]、渡良瀬川などの諸河川が[[太平洋]]に向かう流路帯の[[沖積平野]]と[[河岸段丘]]部に発達している。県域のほぼ中央に位置する[[宇都宮市]]は、北西部の山地部と中南部の平野部から成り、市街地はこの山地部と平野部の境界部に形成されている。 このほか、[[渡良瀬川]]、[[田川 (利根川水系)|田川]]、鬼怒川、[[那珂川]]、[[思川 (栃木県)|思川]]などの河川中流域には、それぞれ[[足利市]]、[[下野市]]、[[真岡市]]、[[那須烏山市]]、[[鹿沼市]]、[[栃木市]]、[[小山市]]といった中規模都市が発達している。 [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Tochigi prefecture, Japan_2015-2020.svg|thumb|300px|栃木県市町村人口増減率分布図(2015年度と2020年度国勢調査から算出) {{Multicol}} ; 増加 {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} ; 減少 {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=09000|name=栃木県|image=Demography09000.svg}} === 都市 === ;栃木県内 市別人口ランキング {| class="infobox" style="text-align:center; width:100%; margin-right:10px; font-size:100%" |- ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[栃木県#地域区分|地域区分]] ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[栃木県#地域区分|地域区分]] ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口 |- |----- |align="center"| '''1''' |align="center"| '''[[宇都宮市]]''' |align="center"| 県央地域(宇都宮地区) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/栃木県|宇都宮市}}}}人 |align="center"| '''6''' |align="center"| '''[[佐野市]]''' |align="center"| 県南地域(安足地区) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/栃木県|佐野市}}}}人 |----- |align="center"| '''2''' |align="center"| '''[[小山市]]''' |align="center"| 県南地域(小山地区) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/栃木県|小山市}}}}人 |align="center"| '''7''' |align="center"| '''[[鹿沼市]]''' |align="center"| 県央地域(鹿沼地区) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/栃木県|鹿沼市}}}}人 |----- |align="center"| '''3''' |align="center"| '''[[栃木市]]''' |align="center"| 県南地域(栃木地区) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/栃木県|栃木市}}}}人 |align="center"| '''8''' |align="center"| '''[[真岡市]]''' |align="center"| 県央地域(真岡地区) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/栃木県|真岡市}}}}人 |----- |align="center"| '''4''' |align="center"| '''[[足利市]]''' |align="center"| 県南地域(安足地区) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/栃木県|足利市}}}}人 |align="center"| '''9''' |align="center"| '''[[日光市]]''' |align="center"| 県北地域(日光地区) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/栃木県|日光市}}}}人 |----- |align="center"| '''5''' |align="center"| '''[[那須塩原市]]''' |align="center"| 県北地域(那須地区) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/栃木県|那須塩原市}}}}人 |align="center"| '''10''' |align="center"| '''[[大田原市]]''' |align="center"| 県北地域(那須地区) |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/栃木県|大田原市}}}}人 |----- | colspan="11" align=center style="background:#f5f5f5;" |{{自治体人口/栃木県|source}} {{自治体人口/栃木県|date}} |} {{-}} ; 栃木県内市別人口密度ランキング({{自治体人口/栃木県|source}} {{自治体人口/栃木県|date}}) === 人口密度 === [[2010年]]([[平成]]22年)国勢調査による栃木県の[[人口密度]]は、1[[平方キロメートル]]あたり313.29人である。 人口密度が1平方キロメートルあたり1,000人以上の市は[[宇都宮市]]のみで、可住地人口密度が1平方キロメートルあたり1,500人以上の市は宇都宮・足利の2市である。 {| class="wikitable sortable" style="text-align:right;font-size:small" |+'''栃木県及び県内主要市町 平成22年国勢調査人口密度・可住地人口密度 !県市町!!総人口<br />(人)!!総面積<br />(km<sup>2</sup>)!!人口密度<br />(人/km<sup>2</sup>) !!可住地<br />面積<br />(km<sup>2</sup>)!!可住地<br />人口密度<br />(人/km<sup>2</sup>) |- |'''栃木県'''|| 2,007,683 || 6,408.28 || 313.29 || 2,981.51 || 673.37 |- |[[宇都宮市]]|| 511,739 || 416.84 || 1,227.66 || 330.71 || 1,547.39 |- |[[足利市]]|| 154,530 || 177.82 || 869.02 || 97.76 || 1,580.7 |- |[[栃木市]]|| 139,262 || 252.83 || 550.81 || 195.48 || 712.41 |- |[[佐野市]]|| 121,249 || 356.07 || 340.52 || 134.66 || 900.4 |- |[[鹿沼市]]|| 102,348 || 490.62 || 208.6 || 147.86 || 692.19 |- |[[日光市]]|| 90,066 || 1,449.87 || 62.12 || 224.41 || 401.34 |- |[[小山市]]|| 164,454 || 171.61 || 958.3 || 165.67 || 992.66 |- |[[真岡市]]|| 82,289 || 167.21 || 492.12 || 152.03 || 541.26 |- |[[大田原市]]|| 77,729 || 354.12 || 219.49 || 200.42 || 387.83 |- |[[矢板市]]|| 35,343 || 170.66 || 207.09 || 72.56 || 487.08 |- |[[那須塩原市]]|| 117,812 || 592.82 || 198.7 || 213.93 || 550.7 |- |[[さくら市]]|| 44,768 || 125.46 || 356.83 || 99.81 || 448.53 |- |[[那須烏山市]]|| 29,206 || 174.42 || 167.44 || 91.98 || 317.52 |- |[[下野市]]|| 59,483 || 74.58 || 797.57 || 71.25 || 834.84 |- |[[上三川町]]|| 31,621 || 54.52 || 579.98 || 52.92 || 597.52 |- |[[壬生町]]|| 39,605 || 61.08 || 648.41 || 56.18 || 704.96 |- |[[高根沢町]]|| 30,436 || 70.9 || 429.28 || 65.82 || 462.41 |} === 人口変遷 === 第1回[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]が実施された[[1920年]]([[大正]]9年)の県人口は約104万人であり、47道府県中25位であった。人口3万人以上の市町村は[[宇都宮市|宇都宮]]・[[足利市|足利]]・[[足尾町|足尾]]の3市町であった。 [[2000年]]([[平成]]12年)国勢調査での県人口は約200万人であり、47都道府県中20位。人口3万人以上の市町村は宇都宮・足利・[[栃木市|栃木]]・[[佐野市|佐野]]・[[鹿沼市|鹿沼]]・[[今市市|今市]]・[[小山市|小山]]・[[真岡市|真岡]]・[[大田原市|大田原]]・[[矢板市|矢板]]・[[黒磯市|黒磯]]・[[河内町 (栃木県)|河内]]・[[壬生町|壬生]]・[[西那須野町|西那須野]]の14市町であった。 下表には、栃木県内の全ての市とその中心市街を構成する旧町(宇都宮・足利・栃木・佐野・鹿沼・[[日光市|日光]]・今市・小山・真岡・大田原・矢板・黒磯/那須塩原・[[氏家町|氏家]]/[[さくら市|さくら]]・[[烏山町|烏山]]/[[那須烏山市|那須烏山]]・[[石橋町|石橋]]/[[下野市|下野]])、人口3万人以上の町とその旧町村([[上三川町|上三川]]・[[古里村 (栃木県)|古里]]/[[河内町 (栃木県)|河内]]・[[足尾町|足尾]]・[[壬生町|壬生]]・[[阿久津町|阿久津]]/[[高根沢町|高根沢]]・[[芦野町|芦野]]/[[那須町|那須]]・[[西那須野町|西那須野]]・[[田沼町|田沼]])の計23市町村の国勢調査人口の変遷を記載した。 {|class="wikitable" style="text-align:right;font-size:small" |+'''栃木県及び県内主要市町 国勢調査人口の変遷(大正・昭和前中期) ![[1920年]]<br />([[大正]]9年) ![[1925年]]<br />(大正14年) ![[1930年]]<br />([[昭和]]5年) ![[1935年]]<br />(昭和10年) ![[1940年]]<br />(昭和15年) ![[1947年]]<br />(昭和22年) ![[1950年]]<br />(昭和25年) ![[1955年]]<br />(昭和30年) ![[1960年]]<br />(昭和35年) ![[1965年]]<br />(昭和40年) |- |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,046,479 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,090,428 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,141,737 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,195,057 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,206,657 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,534,311 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,550,462 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,547,580 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,513,624 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,521,656 |- |style="background-color:#ffcc66"|[[宇都宮市]]<br />63,771 |style="background-color:#ffcc66"|宇都宮市<br />76,138 |style="background-color:#ffcc66"|宇都宮市<br />81,388 |style="background-color:#ffcc66"|宇都宮市<br />87,129 |style="background-color:#ffcc66"|宇都宮市<br />87,868 |style="background-color:#ffcc66"|宇都宮市<br />97,075 |style="background-color:#ffcccc"|宇都宮市<br />107,210 |style="background-color:#ffcccc"|宇都宮市<br />227,153 |style="background-color:#ffcccc"|宇都宮市<br />239,007 |style="background-color:#ffcccc"|宇都宮市<br />265,696 |- |style="background-color:#ccff66"|[[足利市|足利町]]<br />33,637 |style="background-color:#ccff66"|[[足利市]]<br />39,401 |style="background-color:#ccff66"|足利市<br />43,898 |style="background-color:#ccff66"|足利市<br />48,875 |style="background-color:#ccff66"|足利市<br />48,310 |style="background-color:#ffcc66"|足利市<br />51,309 |style="background-color:#ffcc66"|足利市<br />52,810 |style="background-color:#ffcccc"|足利市<br />102,078 |style="background-color:#ffcccc"|足利市<br />110,972 |style="background-color:#ffcccc"|足利市<br />150,259 |- |style="background-color:#ccff66"|[[栃木市|栃木町]]<br />24,570 |style="background-color:#ccff66"|栃木町<br />27,370 |style="background-color:#ccff66"|栃木町<br />29,684 |style="background-color:#ccff66"|栃木町<br />31,335 |style="background-color:#ccff66"|[[栃木市]]<br />31,195 |style="background-color:#ccff66"|栃木市<br />42,553 |style="background-color:#ccff66"|栃木市<br />42,248 |style="background-color:#ffcc66"|栃木市<br />67,924 |style="background-color:#ffcc66"|栃木市<br />73,436 |style="background-color:#ffcc66"|栃木市<br />74,671 |- |style="background-color:#ccffff"|[[佐野町 (栃木県)|佐野町]]<br />14,206 |style="background-color:#ccffff"|佐野町<br />16,731 |style="background-color:#ccffff"|佐野町<br />17,179 |style="background-color:#ccffff"|佐野町<br />18,170 |style="background-color:#ccffff"|佐野町<br />17,873 |style="background-color:#ffcc66"|[[佐野市]]<br />55,302 |style="background-color:#ffcc66"|佐野市<br />55,180 |style="background-color:#ffcc66"|佐野市<br />69,412 |style="background-color:#ffcc66"|佐野市<br />68,461 |style="background-color:#ffcc66"|佐野市<br />68,931 |- |style="background-color:#ccffff"|[[鹿沼市|鹿沼町]]<br />18,097 |style="background-color:#ccff66"|鹿沼町<br />20,452 |style="background-color:#ccff66"|鹿沼町<br />21,969 |style="background-color:#ccff66"|鹿沼町<br />22,797 |style="background-color:#ccff66"|鹿沼町<br />23,781 |style="background-color:#ccff66"|鹿沼町<br />32,037 |style="background-color:#ccff66"|[[鹿沼市]]<br />32,377 |style="background-color:#ffcc66"|鹿沼市<br />80,771 |style="background-color:#ffcc66"|鹿沼市<br />77,927 |style="background-color:#ffcc66"|鹿沼市<br />77,240 |- !1920年!!1925年!!1930年!!1935年!!1940年!!1947年!!1950年!!1955年!!1960年!!1965年 |- |style="background-color:#ccffff"|[[日光市|日光町]]<br />17,378 |style="background-color:#ccffff"|日光町<br />17,780 |style="background-color:#ccffff"|日光町<br />19,545 |style="background-color:#ccff66"|日光町<br />21,452 |style="background-color:#ccff66"|日光町<br />25,173 |style="background-color:#ccff66"|日光町<br />27,931 |style="background-color:#ccff66"|日光町<br />29,363 |style="background-color:#ccff66"|[[日光市]]<br />33,490 |style="background-color:#ccff66"|日光市<br />33,348 |style="background-color:#ccff66"|日光市<br />32,031 |- |style="background-color:#ccffff"|[[今市市|今市町]]<br />10,386 |style="background-color:#ccffff"|今市町<br />11,742 |style="background-color:#ccffff"|今市町<br />12,667 |style="background-color:#ccffff"|今市町<br />13,473 |style="background-color:#ccffff"|今市町<br />13,826 |style="background-color:#ccffff"|今市町<br />17,746 |style="background-color:#ccffff"|今市町<br />18,044 |style="background-color:#ccff66"|[[今市市]]<br />43,171 |style="background-color:#ccff66"|今市市<br />42,476 |style="background-color:#ccff66"|今市市<br />42,751 |- |style="background-color:#ccffff"|[[小山町 (栃木県)|小山町]]<br />10,769 |style="background-color:#ccffff"|小山町<br />12,718 |style="background-color:#ccffff"|小山町<br />13,975 |style="background-color:#ccffff"|小山町<br />14,154 |style="background-color:#ccffff"|小山町<br />14,662 |style="background-color:#ccff66"|小山町<br />20,785 |style="background-color:#ccff66"|小山町<br />21,439 |style="background-color:#ccff66"|[[小山市]]<br />33,191 |style="background-color:#ccff66"|小山市<br />34,973 |style="background-color:#ffcc66"|小山市<br />90,632 |- |[[真岡市|真岡町]]<br />8,241 |真岡町<br />9,017 |真岡町<br />9,739 |style="background-color:#ccffff"|真岡町<br />10,357 |style="background-color:#ccffff"|真岡町<br />10,014 |style="background-color:#ccffff"|真岡町<br />13,771 |style="background-color:#ccffff"|真岡町<br />13,514 |style="background-color:#ccff66"|[[真岡市]]<br />40,978 |style="background-color:#ccff66"|真岡市<br />39,440 |style="background-color:#ccff66"|真岡市<br />38,117 |- |[[大田原町]]<br />9,116 |style="background-color:#ccffff"|大田原町<br />10,091 |style="background-color:#ccffff"|大田原町<br />10,940 |style="background-color:#ccffff"|大田原町<br />11,778 |style="background-color:#ccffff"|大田原町<br />11,657 |style="background-color:#ccffff"|大田原町<br />16,132 |style="background-color:#ccffff"|大田原町<br />15,864 |style="background-color:#ccff66"|[[大田原市]]<br />37,847 |style="background-color:#ccff66"|大田原市<br />42,111 |style="background-color:#ccff66"|大田原市<br />41,026 |- !1920年!!1925年!!1930年!!1935年!!1940年!!1947年!!1950年!!1955年!!1960年!!1965年 |- |[[矢板市|矢板町]]<br />8,340 |矢板町<br />8,878 |矢板町<br />9,674 |style="background-color:#ccffff"|矢板町<br />10,025 |矢板町<br />9,968 |style="background-color:#ccffff"|矢板町<br />14,802 |style="background-color:#ccffff"|矢板町<br />15,256 |style="background-color:#ccff66"|矢板町<br />30,062 |style="background-color:#ccff66"|[[矢板市]]<br />29,085 |style="background-color:#ccff66"|矢板市<br />28,312 |- |[[黒磯市|黒磯町]]<br />6,165 |黒磯町<br />5,791 |黒磯町<br />6,577 |黒磯町<br />7,330 |黒磯町<br />8,051 |style="background-color:#ccffff"|黒磯町<br />10,849 |style="background-color:#ccffff"|黒磯町<br />10,952 |style="background-color:#ccff66"|黒磯町<br />30,188 |style="background-color:#ccff66"|黒磯町<br />30,413 |style="background-color:#ccff66"|黒磯町<br />32,268 |- |[[氏家町]]<br />7,854 |氏家町<br />8,626 |氏家町<br />9,625 |style="background-color:#ccffff"|氏家町<br />10,119 |style="background-color:#ccffff"|氏家町<br />10,150 |style="background-color:#ccffff"|氏家町<br />14,026 |style="background-color:#ccffff"|氏家町<br />14,199 |style="background-color:#ccffff"|氏家町<br />19,617 |style="background-color:#ccff66"|氏家町<br />20,137 |style="background-color:#ccff66"|氏家町<br />20,359 |- |[[烏山町]]<br />6,070 |烏山町<br />7,087 |烏山町<br />7,451 |烏山町<br />8,137 |烏山町<br />7,851 |style="background-color:#ccffff"|烏山町<br />11,337 |style="background-color:#ccffff"|烏山町<br />10,939 |style="background-color:#ccff66"|烏山町<br />26,867 |style="background-color:#ccff66"|烏山町<br />24,729 |style="background-color:#ccff66"|烏山町<br />22,822 |- |[[石橋町]]<br />3,300 |石橋町<br />3,945 |石橋町<br />4,209 |石橋町<br />4,504 |石橋町<br />4,639 |石橋町<br />6,946 |石橋町<br />7,061 |style="background-color:#ccffff"|石橋町<br />12,430 |style="background-color:#ccffff"|石橋町<br />12,168 |style="background-color:#ccffff"|石橋町<br />13,232 |- !1920年!!1925年!!1930年!!1935年!!1940年!!1947年!!1950年!!1955年!!1960年!!1965年 |- |[[上三川町]]<br />5,325 |上三川町<br />5,581 |上三川町<br />5,981 |上三川町<br />6,256 |上三川町<br />6,372 |上三川町<br />8,172 |上三川町<br />7,924 |style="background-color:#ccffff"|上三川町<br />19,059 |style="background-color:#ccffff"|上三川町<br />17,766 |style="background-color:#ccffff"|上三川町<br />16,945 |- |[[古里村 (栃木県)|古里村]]<br />4,682 |古里村<br />4,919 |古里村<br />5,162 |古里村<br />5,229 |古里村<br />5,548 |古里村<br />8,091 |古里村<br />8,650 |style="background-color:#ccffff"|[[河内町 (栃木県)|河内村]]<br />13,616 |style="background-color:#ccffff"|河内村<br />13,400 |style="background-color:#ccffff"|河内村<br />13,505 |- |style="background-color:#ccff66"|[[足尾町]]<br />32,804 |style="background-color:#ccff66"|足尾町<br />22,547 |style="background-color:#ccff66"|足尾町<br />23,803 |style="background-color:#ccff66"|足尾町<br />25,484 |style="background-color:#ccff66"|足尾町<br />23,187 |style="background-color:#ccffff"|足尾町<br />19,107 |style="background-color:#ccffff"|足尾町<br />18,994 |style="background-color:#ccffff"|足尾町<br />18,510 |style="background-color:#ccffff"|足尾町<br />16,608 |style="background-color:#ccffff"|足尾町<br />14,470 |- |[[壬生町]]<br />7,178 |壬生町<br />7,426 |壬生町<br />7,773 |壬生町<br />8,217 |壬生町<br />8,297 |style="background-color:#ccffff"|壬生町<br />11,668 |style="background-color:#ccffff"|壬生町<br />11,463 |style="background-color:#ccff66"|壬生町<br />25,282 |style="background-color:#ccff66"|壬生町<br />24,007 |style="background-color:#ccff66"|壬生町<br />23,772 |- |[[阿久津町|阿久津村]]<br />6,652 |阿久津村<br />6,959 |阿久津村<br />7,391 |阿久津村<br />7,467 |阿久津村<br />7,374 |阿久津村<br />9,774 |阿久津村<br />9,706 |[[阿久津町]]<br />9,363 |style="background-color:#ccff66"|[[高根沢町]]<br />21,479 |style="background-color:#ccff66"|高根沢町<br />20,485 |- !1920年!!1925年!!1930年!!1935年!!1940年!!1947年!!1950年!!1955年!!1960年!!1965年 |- |[[芦野町]]<br />3,587 |芦野町<br />3,724 |芦野町<br />3,790 |芦野町<br />3,828 |芦野町<br />3,737 |芦野町<br />4,856 |芦野町<br />4,801 |style="background-color:#ccff66"|[[那須町]]<br />31,034 |style="background-color:#ccff66"|那須町<br />30,359 |style="background-color:#ccff66"|那須町<br />29,345 |- |[[西那須野町|西那須野村]]<br />5,058 |西那須野村<br />5,370 |西那須野村<br />6,007 |[[西那須野町]]<br />6,471 |西那須野町<br />6,681 |西那須野町<br />9,609 |西那須野町<br />9,816 |style="background-color:#ccffff"|西那須野町<br />19,178 |style="background-color:#ccffff"|西那須野町<br />18,614 |style="background-color:#ccffff"|西那須野町<br />19,130 |- |style="background-color:#ccffff"|[[田沼町]]<br />12,595 |style="background-color:#ccffff"|田沼町<br />13,076 |style="background-color:#ccffff"|田沼町<br />12,839 |style="background-color:#ccffff"|田沼町<br />12,854 |style="background-color:#ccffff"|田沼町<br />13,175 |style="background-color:#ccffff"|田沼町<br />17,181 |style="background-color:#ccffff"|田沼町<br />16,992 |style="background-color:#ccff66"|田沼町<br />23,156 |style="background-color:#ccff66"|田沼町<br />30,243 |style="background-color:#ccff66"|田沼町<br />29,438 |} {|class="wikitable" style="text-align:right;font-size:small" |+'''栃木県及び県内主要市町 国勢調査人口の変遷(昭和後期・平成) ![[1970年]]<br />(昭和45年) ![[1975年]]<br />(昭和50年) ![[1980年]]<br />(昭和55年) ![[1985年]]<br />(昭和60年) ![[1990年]]<br />([[平成]]2年) ![[1995年]]<br />(平成7年) ![[2000年]]<br />(平成12年) ![[2005年]]<br />(平成17年) ![[2010年]]<br />(平成22年) ![[2015年]]<br />(平成27年) |- |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,580,021 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,698,003 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,792,201 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,866,066 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,935,168 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,984,390 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />2,004,817 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />2,016,631 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />2,007,683 |style="background-color:#ffff66"|栃木県<br />1,974,255 |- |style="background-color:#ffcccc"|宇都宮市<br />301,231 |style="background-color:#ffcccc"|宇都宮市<br />344,420 |style="background-color:#ffcccc"|宇都宮市<br />377,746 |style="background-color:#ffcccc"|宇都宮市<br />405,375 |style="background-color:#ffcccc"|宇都宮市<br />426,795 |style="background-color:#ffcccc"|宇都宮市<br />435,357 |style="background-color:#ffcccc"|宇都宮市<br />443,808 |style="background-color:#ffcccc"|宇都宮市<br />457,673 |style="background-color:#ffcccc"|宇都宮市<br />511,739 |style="background-color:#ffcccc"|宇都宮市<br />518,594 |- |style="background-color:#ffcccc"|足利市<br />156,004 |style="background-color:#ffcccc"|足利市<br />162,359 |style="background-color:#ffcccc"|足利市<br />165,756 |style="background-color:#ffcccc"|足利市<br />167,656 |style="background-color:#ffcccc"|足利市<br />167,686 |style="background-color:#ffcccc"|足利市<br />165,828 |style="background-color:#ffcccc"|足利市<br />163,140 |style="background-color:#ffcccc"|足利市<br />159,756 |style="background-color:#ffcccc"|足利市<br />154,530 |style="background-color:#ffcccc"|足利市<br />149,452 |- |style="background-color:#ffcc66"|栃木市<br />78,345 |style="background-color:#ffcc66"|栃木市<br />83,189 |style="background-color:#ffcc66"|栃木市<br />85,592 |style="background-color:#ffcc66"|栃木市<br />86,290 |style="background-color:#ffcc66"|栃木市<br />86,216 |style="background-color:#ffcc66"|栃木市<br />85,137 |style="background-color:#ffcc66"|栃木市<br />83,855 |style="background-color:#ffcc66"|栃木市<br />82,340 |style="background-color:#ffcccc"|栃木市<br />139,262 |style="background-color:#ffcccc"|栃木市<br />159,211 |- |style="background-color:#ffcc66"|佐野市<br />71,573 |style="background-color:#ffcc66"|佐野市<br />75,844 |style="background-color:#ffcc66"|佐野市<br />78,351 |style="background-color:#ffcc66"|佐野市<br />80,753 |style="background-color:#ffcc66"|佐野市<br />83,484 |style="background-color:#ffcc66"|佐野市<br />84,069 |style="background-color:#ffcc66"|佐野市<br />83,414 |style="background-color:#ffcccc"|佐野市<br />123,926 |style="background-color:#ffcccc"|佐野市<br />121,249 |style="background-color:#ffcccc"|佐野市<br />118,919 |- |style="background-color:#ffcc66"|鹿沼市<br />77,746 |style="background-color:#ffcc66"|鹿沼市<br />81,799 |style="background-color:#ffcc66"|鹿沼市<br />85,159 |style="background-color:#ffcc66"|鹿沼市<br />88,078 |style="background-color:#ffcc66"|鹿沼市<br />90,043 |style="background-color:#ffcc66"|鹿沼市<br />93,053 |style="background-color:#ffcc66"|鹿沼市<br />94,128 |style="background-color:#ffcc66"|鹿沼市<br />94,009 |style="background-color:#ffcccc"|鹿沼市<br />102,348 |style="background-color:#ffcc66"|鹿沼市<br />98,374 |- !1970年!!1975年!!1980年!!1985年!!1990年!!1995年!!2000年!!2005年!!2010年!!2015年 |- |style="background-color:#ccff66"|日光市<br />28,502 |style="background-color:#ccff66"|日光市<br />26,279 |style="background-color:#ccff66"|日光市<br />23,885 |style="background-color:#ccff66"|日光市<br />21,705 |style="background-color:#ccff66"|日光市<br />20,128 |style="background-color:#ccffff"|日光市<br />18,874 |style="background-color:#ccffff"|日光市<br />17,428 |style="background-color:#ccffff"|日光市<br />16,379 |style="background-color:#ffcc66"|日光市<br />90,066 |style="background-color:#ffcc66"|日光市<br />83,386 |- |style="background-color:#ccff66"|今市市<br />43,201 |style="background-color:#ccff66"|今市市<br />46,760 |style="background-color:#ffcc66"|今市市<br />50,423 |style="background-color:#ffcc66"|今市市<br />53,113 |style="background-color:#ffcc66"|今市市<br />56,008 |style="background-color:#ffcc66"|今市市<br />60,811 |style="background-color:#ffcc66"|今市市<br />62,476 |style="background-color:#ffcc66"|今市市<br />62,047 |style="background-color:#ffcc66"|(日光市) |style="background-color:#ffcc66"|(日光市) |- |style="background-color:#ffcccc"|小山市<br />105,346 |style="background-color:#ffcccc"|小山市<br />120,264 |style="background-color:#ffcccc"|小山市<br />127,226 |style="background-color:#ffcccc"|小山市<br />134,242 |style="background-color:#ffcccc"|小山市<br />142,262 |style="background-color:#ffcccc"|小山市<br />150,115 |style="background-color:#ffcccc"|小山市<br />155,198 |style="background-color:#ffcccc"|小山市<br />160,150 |style="background-color:#ffcccc"|小山市<br />164,454 |style="background-color:#ffcccc"|小山市<br />166,760 |- |style="background-color:#ccff66"|真岡市<br />40,008 |style="background-color:#ccff66"|真岡市<br />47,345 |style="background-color:#ffcc66"|真岡市<br />52,764 |style="background-color:#ffcc66"|真岡市<br />57,261 |style="background-color:#ffcc66"|真岡市<br />61,748 |style="background-color:#ffcc66"|真岡市<br />63,340 |style="background-color:#ffcc66"|真岡市<br />64,648 |style="background-color:#ffcc66"|真岡市<br />66,362 |style="background-color:#ffcc66"|真岡市<br />82,289 |style="background-color:#ffcc66"|真岡市<br />79,539 |- |style="background-color:#ccff66"|大田原市<br />40,698 |style="background-color:#ccff66"|大田原市<br />42,332 |style="background-color:#ccff66"|大田原市<br />46,662 |style="background-color:#ccff66"|大田原市<br />49,542 |style="background-color:#ffcc66"|大田原市<br />52,547 |style="background-color:#ffcc66"|大田原市<br />53,683 |style="background-color:#ffcc66"|大田原市<br />56,557 |style="background-color:#ffcc66"|大田原市<br />79,023 |style="background-color:#ffcc66"|大田原市<br />77,729 |style="background-color:#ffcc66"|大田原市<br />75,457 |- !1970年!!1975年!!1980年!!1985年!!1990年!!1995年!!2000年!!2005年!!2010年!!2015年 |- |style="background-color:#ccff66"|矢板市<br />30,063 |style="background-color:#ccff66"|矢板市<br />31,132 |style="background-color:#ccff66"|矢板市<br />32,747 |style="background-color:#ccff66"|矢板市<br />34,582 |style="background-color:#ccff66"|矢板市<br />35,603 |style="background-color:#ccff66"|矢板市<br />36,650 |style="background-color:#ccff66"|矢板市<br />36,466 |style="background-color:#ccff66"|矢板市<br />35,685 |style="background-color:#ccff66"|矢板市<br />35,343 |style="background-color:#ccff66"|矢板市<br />33,354 |- |style="background-color:#ccff66"|黒磯町<br />37,800 |style="background-color:#ccff66"|[[黒磯市]]<br />42,349 |style="background-color:#ccff66"|黒磯市<br />46,574 |style="background-color:#ccff66"|黒磯市<br />49,742 |style="background-color:#ffcc66"|黒磯市<br />52,344 |style="background-color:#ffcc66"|黒磯市<br />56,275 |style="background-color:#ffcc66"|黒磯市<br />58,783 |style="background-color:#ffcccc"|[[那須塩原市]]<br />115,032 |style="background-color:#ffcccc"|那須塩原市<br />117,812 |style="background-color:#ffcccc"|那須塩原市<br />117,146 |- |style="background-color:#ccff66"|氏家町<br />21,034 |style="background-color:#ccff66"|氏家町<br />22,167 |style="background-color:#ccff66"|氏家町<br />23,560 |style="background-color:#ccff66"|氏家町<br />24,364 |style="background-color:#ccff66"|氏家町<br />25,109 |style="background-color:#ccff66"|氏家町<br />26,948 |style="background-color:#ccff66"|氏家町<br />28,720 |style="background-color:#ccff66"|[[さくら市]]<br />41,383 |style="background-color:#ccff66"|さくら市<br />44,768 |style="background-color:#ccff66"|さくら市<br />44,901 |- |style="background-color:#ccff66"|烏山町<br />21,625 |style="background-color:#ccff66"|烏山町<br />21,576 |style="background-color:#ccff66"|烏山町<br />21,613 |style="background-color:#ccff66"|烏山町<br />21,571 |style="background-color:#ccff66"|烏山町<br />21,058 |style="background-color:#ccff66"|烏山町<br />20,288 |style="background-color:#ccffff"|烏山町<br />19,408 |style="background-color:#ccff66"|[[那須烏山市]]<br />31,152 |style="background-color:#ccff66"|那須烏山市<br />29,206 |style="background-color:#ccff66"|那須烏山市<br />27,047 |- |style="background-color:#ccffff"|石橋町<br />15,687 |style="background-color:#ccffff"|石橋町<br />18,083 |style="background-color:#ccffff"|石橋町<br />18,560 |style="background-color:#ccffff"|石橋町<br />19,123 |style="background-color:#ccffff"|石橋町<br />19,039 |style="background-color:#ccffff"|石橋町<br />19,174 |style="background-color:#ccffff"|石橋町<br />19,498 |style="background-color:#ccff66"|石橋町<br />20,494 |style="background-color:#ffcc66"|[[下野市]]<br />59,483 |style="background-color:#ffcc66"|下野市<br />59,431 |- !1970年!!1975年!!1980年!!1985年!!1990年!!1995年!!2000年!!2005年!!2010年!!2015年 |- |style="background-color:#ccffff"|上三川町<br />18,003 |style="background-color:#ccff66"|上三川町<br />23,631 |style="background-color:#ccff66"|上三川町<br />24,597 |style="background-color:#ccff66"|上三川町<br />25,229 |style="background-color:#ccff66"|上三川町<br />27,300 |style="background-color:#ccff66"|上三川町<br />27,700 |style="background-color:#ccff66"|上三川町<br />29,421 |style="background-color:#ccff66"|上三川町<br />31,592 |style="background-color:#ccff66"|上三川町<br />31,621 |style="background-color:#ccff66"|上三川町<br />31,046 |- |style="background-color:#ccffff"|[[河内町 (栃木県)|河内町]]<br />14,832 |style="background-color:#ccffff"|河内町<br />19,193 |style="background-color:#ccff66"|河内町<br />23,423 |style="background-color:#ccff66"|河内町<br />26,266 |style="background-color:#ccff66"|河内町<br />30,083 |style="background-color:#ccff66"|河内町<br />32,616 |style="background-color:#ccff66"|河内町<br />34,310 |style="background-color:#ccff66"|河内町<br />35,176 |style="background-color:#ffcccc"|(宇都宮市) |style="background-color:#ffcccc"|(宇都宮市) |- |style="background-color:#ccffff"|足尾町<br />11,202 |足尾町<br />6,948 |足尾町<br />6,007 |足尾町<br />5,556 |足尾町<br />4,934 |足尾町<br />4,380 |足尾町<br />3,797 |足尾町<br />3,248 |style="background-color:#ffcc66"|(日光市) |style="background-color:#ffcc66"|(日光市) |- |style="background-color:#ccff66"|壬生町<br />25,475 |style="background-color:#ccff66"|壬生町<br />30,791 |style="background-color:#ccff66"|壬生町<br />35,037 |style="background-color:#ccff66"|壬生町<br />37,573 |style="background-color:#ccff66"|壬生町<br />39,588 |style="background-color:#ccff66"|壬生町<br />39,823 |style="background-color:#ccff66"|壬生町<br />39,853 |style="background-color:#ccff66"|壬生町<br />40,107 |style="background-color:#ccff66"|壬生町<br />39,605 |style="background-color:#ccff66"|壬生町<br />39,951 |- |style="background-color:#ccff66"|高根沢町<br />20,662 |style="background-color:#ccff66"|高根沢町<br />21,859 |style="background-color:#ccff66"|高根沢町<br />22,765 |style="background-color:#ccff66"|高根沢町<br />23,662 |style="background-color:#ccff66"|高根沢町<br />26,328 |style="background-color:#ccff66"|高根沢町<br />27,785 |style="background-color:#ccff66"|高根沢町<br />29,777 |style="background-color:#ccff66"|高根沢町<br />30,915 |style="background-color:#ccff66"|高根沢町<br />30,436 |style="background-color:#ccff66"|高根沢町<br />29,639 |- !1970年!!1975年!!1980年!!1985年!!1990年!!1995年!!2000年!!2005年!!2010年!!2015年 |- |style="background-color:#ccff66"|那須町<br />28,121 |style="background-color:#ccff66"|那須町<br />27,699 |style="background-color:#ccff66"|那須町<br />26,824 |style="background-color:#ccff66"|那須町<br />26,789 |style="background-color:#ccff66"|那須町<br />26,670 |style="background-color:#ccff66"|那須町<br />26,748 |style="background-color:#ccff66"|那須町<br />27,027 |style="background-color:#ccff66"|那須町<br />26,693 |style="background-color:#ccff66"|那須町<br />26,765 |style="background-color:#ccff66"|那須町<br />24,919 |- |style="background-color:#ccff66"|西那須野町<br />20,834 |style="background-color:#ccff66"|西那須野町<br />24,437 |style="background-color:#ccff66"|西那須野町<br />28,807 |style="background-color:#ccff66"|西那須野町<br />31,763 |style="background-color:#ccff66"|西那須野町<br />35,602 |style="background-color:#ccff66"|西那須野町<br />39,653 |style="background-color:#ccff66"|西那須野町<br />43,186 |style="background-color:#ffcccc"|(那須塩原市) |style="background-color:#ffcccc"|(那須塩原市) |style="background-color:#ffcccc"|(那須塩原市) |- |style="background-color:#ccff66"|田沼町<br />28,615 |style="background-color:#ccff66"|田沼町<br />29,364 |style="background-color:#ccff66"|田沼町<br />29,854 |style="background-color:#ccff66"|田沼町<br />30,176 |style="background-color:#ccff66"|田沼町<br />30,423 |style="background-color:#ccff66"|田沼町<br />30,456 |style="background-color:#ccff66"|田沼町<br />29,582 |style="background-color:#ffcccc"|(佐野市) |style="background-color:#ffcccc"|(佐野市) |style="background-color:#ffcccc"|(佐野市) |} === 人口集中地区 === {{Location map+|Japan Tochigi |width=500|float=right|caption=栃木県の[[都市的地域]]:[[人口集中地区]](22地区)<br />[[2010年]]([[平成]]22年)[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]<br />[[ファイル:Red pog.svg|10px]]DID人口10万人以上(1地区:宇都宮I)<br />[[ファイル:Orange pog.svg|10px]]DID人口5万人以上(2地区:足利・小山I)<br />[[ファイル:Yellow pog.svg|10px]]DID人口3万人以上(3地区:栃木I・佐野I・鹿沼)<br />[[ファイル:Green pog.svg|10px]]DID人口2万人以上(2地区:真岡・下野I)<br />[[ファイル:Blue pog.svg|10px]]DID人口1万5千人以上(2地区:大田原・那須塩原I)<br />[[ファイル:Blue pog.svg|5px]]DID人口1万人以上(8地区:栃木II・小山II・矢板・那須塩原II・下野II・壬生I・野木・高根沢)<br />[[ファイル:Purple pog.svg|5px]]DID人口5千人以上(4地区:宇都宮II・佐野II・日光・壬生II)|places= {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.555|long=139.882|position=top|label_size=120|label=[[宇都宮市|宇都宮I]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.556|long=139.991|position=left|label_size=70|mark=Purple pog.svg|marksize=5|label=[[清原村 (栃木県)|II]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.340|long=139.449|position=left|label_size=110|mark=Orange pog.svg|label=[[足利市|足利]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.381|long=139.730|position=left|label_size=100|mark=Yellow pog.svg|label=[[栃木市|栃木Ⅰ]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.338|long=139.701|position=left|label_size=70|mark=Blue pog.svg|marksize=5|label=[[大平町|II]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.314|long=139.578|position=bottom|label_size=100|mark=Yellow pog.svg|label=[[佐野市|佐野I]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.366|long=139.581|position=left|label_size=70|mark=Purple pog.svg|marksize=5|label=[[田沼町|II]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.567|long=139.745|position=left|label_size=100|mark=Yellow pog.svg|label=[[鹿沼市|鹿沼]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.719|long=139.698|position=left|label_size=70|mark=Purple pog.svg|marksize=5|label=[[今市市|日光]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.314|long=139.800|position=right|label_size=110|mark=Orange pog.svg|label=[[小山市|小山I]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.257|long=139.761|position=top|label_size=70|mark=Blue pog.svg|marksize=5|label=[[間々田町|II]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.439|long=140.002|position=top|label_size=80|mark=Green pog.svg|label=[[真岡市|真岡]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.871|long=140.015|position=right|label_size=80|mark=Blue pog.svg|label=[[大田原市|大田原]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.806|long=139.932|position=left|label_size=70|mark=Blue pog.svg|marksize=5|label=[[矢板市|矢板]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.969|long=140.059|position=left|label_size=70|mark=Blue pog.svg|label=[[那須塩原市|那須塩原I]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.884|long=139.986|position=top|label_size=70|mark=Blue pog.svg|marksize=5|label=[[西那須野町|II]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.374|long=139.842|position=right|label_size=70|mark=Green pog.svg|label=[[下野市|下野I]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.436|long=139.861|position=right|label_size=70|mark=Blue pog.svg|marksize=5|label=[[石橋町|II]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.466|long=139.829|position=top|label_size=70|mark=Blue pog.svg|marksize=5|label=[[南犬飼村|壬生I]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.422|long=139.805|position=top|label_size=70|mark=Purple pog.svg|marksize=5|label=[[壬生町|II]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.230|long=139.735|position=left|label_size=70|mark=Blue pog.svg|marksize=5|label=[[野木町|野木]]}} {{Location map~|Japan Tochigi |lat=36.630|long=139.986|position=right|label_size=70|mark=Blue pog.svg|marksize=5|label=[[高根沢町|高根沢]]}} }} [[2010年]]([[平成]]22年)国勢調査による栃木県内のDID([[人口集中地区]])は、15市町22地区あり、人口5万人以上のDIDは宇都宮市I・足利市・小山市Iの3地区であった。 {|class="wikitable sortable" style="text-align:right;font-size:small" |+'''栃木県 人口集中地区 !県郡市町!!平成2年<br />DID人口!!県郡市町!!平成12年<br />DID人口!!県郡市町!!平成22年<br />DID人口 |- |align=left|{{Display none|9000-00}}栃木県||{{Display none|745,425}}''745,425'' |align=left|{{Display none|9000-00}}栃木県||{{Display none|825,047}}''825,047'' |align=left|{{Display none|9000-00}}栃木県||{{Display none|888,072}}''888,072'' |- |align=left|{{Display none|9000-01}}市部||{{Display none|670,904}}''670,904'' |align=left|{{Display none|9000-01}}市部||{{Display none|727,082}}''727,082'' |align=left|{{Display none|9000-01}}市部||{{Display none|841,440}}''841,440'' |- |align=left|{{Display none|9000-02}}郡部||{{Display none|074,521}}''74,521'' |align=left|{{Display none|9000-02}}郡部||{{Display none|097,965}}''97,965'' |align=left|{{Display none|9000-02}}郡部||{{Display none|046,632}}''46,632'' |- |align=left|{{Display none|9201-00}}[[宇都宮市]]||{{Display none|325,086}}''325,086'' |align=left|{{Display none|9201-00}}[[宇都宮市]]||{{Display none|349,054}}''349,054'' |align=left|{{Display none|9201-00}}[[宇都宮市]]||{{Display none|384,583}}''384,583'' |- |align=left|{{Display none|9201-01}}[[宇都宮市|宇都宮市I]]||{{Display none|319,598}}319,598 |align=left|{{Display none|9201-01}}[[宇都宮市|宇都宮市I]]||{{Display none|341,013}}341,013 |align=left|{{Display none|9201-01}}[[宇都宮市|宇都宮市I]]||{{Display none|376,341}}376,341 |- |align=left|{{Display none|9201-02}}[[宇都宮市|宇都宮市II]]||{{Display none|005,488}}5,488 |align=left|{{Display none|9201-02}}[[宇都宮市|宇都宮市II]]||{{Display none|008,041}}8,041 |align=left|{{Display none|9201-02}}[[宇都宮市|宇都宮市II]]||{{Display none|008,242}}8,242 |- |align=left|{{Display none|9202-00}}[[足利市]]||{{Display none|094,020}}''94,020'' |align=left|{{Display none|9202-00}}||- |align=left|{{Display none|9202-00}}||- |- |align=left|{{Display none|9202-01}}[[足利市|足利市I]]||{{Display none|088,611}}88,611 |align=left|{{Display none|9202-01}}[[足利市]]||{{Display none|094,700}}94,700 |align=left|{{Display none|9202-01}}[[足利市]]||{{Display none|091,768}}91,768 |- |align=left|{{Display none|9202-02}}[[足利市|足利市II]]||{{Display none|005,409}}5,409 |align=left|{{Display none|9202-02}}||- |align=left|{{Display none|9202-02}}||- |- |align=left|{{Display none|9203-00}}||- |align=left|{{Display none|9203-00}}||- |align=left|{{Display none|9203-00}}[[栃木市]]||{{Display none|057,347}}''57,347'' |- |align=left|{{Display none|9203-01}}[[栃木市]]||{{Display none|044,015}}44,015 |align=left|{{Display none|9203-01}}[[栃木市]]||{{Display none|043,835}}43,835 |align=left|{{Display none|9203-01}}[[栃木市|栃木市I]]||{{Display none|045,020}}45,020 |- |{{Display none|9204-00}}||- |{{Display none|9204-00}}||- |align=left|{{Display none|9204-00}}[[佐野市]]||{{Display none|045,678}}''45,678'' |- |align=left|{{Display none|9204-01}}[[佐野市]]||{{Display none|041,013}}41,013 |align=left|{{Display none|9204-01}}[[佐野市]]||{{Display none|040,710}}40,710 |align=left|{{Display none|9204-01}}[[佐野市|佐野市I]]||{{Display none|040,511}}40,511 |- |align=left|{{Display none|9205}}[[鹿沼市]]||{{Display none|031,892}}31,892 |align=left|{{Display none|9205}}[[鹿沼市]]||{{Display none|038,531}}38,531 |align=left|{{Display none|9205}}[[鹿沼市]]||{{Display none|041,377}}41,377 |- |align=left|{{Display none|9206}}[[日光市]]||{{Display none|008,815}}8,815 |align=left|{{Display none|9206}}[[日光市]]||{{Display none|005,049}}5,049 |{{Display none|9206}}||- |- |align=left|{{Display none|9207}}[[今市市]]||{{Display none|011,002}}11,002 |align=left|{{Display none|9207}}[[今市市]]||{{Display none|009,676}}9,676 |align=left|{{Display none|9206}}[[日光市]]||{{Display none|009,050}}9,050 |- |align=left|{{Display none|9208-00}}[[小山市]]||{{Display none|058,591}}''58,591'' |align=left|{{Display none|9208-00}}[[小山市]]||{{Display none|075,948}}''75,948'' |align=left|{{Display none|9208-00}}[[小山市]]||{{Display none|092,871}}''92,871'' |- |align=left|{{Display none|9208-01}}[[小山市|小山市I]]||{{Display none|049,293}}49,293 |align=left|{{Display none|9208-01}}[[小山市|小山市I]]||{{Display none|063,733}}63,733 |align=left|{{Display none|9208-01}}[[小山市|小山市I]]||{{Display none|080,108}}80,108 |- |align=left|{{Display none|9208-02}}[[小山市|小山市II]]||{{Display none|009,298}}9,298 |align=left|{{Display none|9208-02}}[[小山市|小山市II]]||{{Display none|012,215}}12,215 |align=left|{{Display none|9208-02}}[[小山市|小山市II]]||{{Display none|012,763}}12,763 |- |align=left|{{Display none|9209}}[[真岡市]]||{{Display none|018,024}}18,024 |align=left|{{Display none|9209}}[[真岡市]]||{{Display none|023,913}}23,913 |align=left|{{Display none|9209}}[[真岡市]]||{{Display none|027,457}}27,457 |- |align=left|{{Display none|9210}}[[大田原市]]||{{Display none|012,697}}12,697 |align=left|{{Display none|9210}}[[大田原市]]||{{Display none|013,989}}13,989 |align=left|{{Display none|9210}}[[大田原市]]||{{Display none|015,813}}15,813 |- |align=left|{{Display none|9211}}[[矢板市]]||{{Display none|010,935}}10,935 |align=left|{{Display none|9211}}[[矢板市]]||{{Display none|011,588}}11,588 |align=left|{{Display none|9211}}[[矢板市]]||{{Display none|011,158}}11,158 |- |{{Display none|9213-00}}||- |{{Display none|9213-00}}||- |align=left|{{Display none|9213-00}}[[那須塩原市]]||{{Display none|031,654}}''31,654'' |- |align=left|{{Display none|9212}}[[黒磯市]]||{{Display none|014,814}}14,814 |align=left|{{Display none|9212}}[[黒磯市]]||{{Display none|020,089}}20,089 |align=left|{{Display none|9213-01}}[[黒磯市|那須塩原市Ⅰ]]||{{Display none|018,919}}18,919 |- |{{Display none|9216-00}}||- |{{Display none|9216-00}}||- |align=left|{{Display none|9216-00}}[[下野市]]||{{Display none|032,684}}''32,684'' |- |{{Display none|9302}}||- |align=left|{{Display none|9302}}[[南河内町]]||{{Display none|010,059}}10,059 |{{Display none|9216-012}}||- |- |align=left|{{Display none|9361-00}}[[壬生町]]||{{Display none|017,156}}''17,156'' |align=left|{{Display none|9361-00}}[[壬生町]]||{{Display none|018,008}}''18,008'' |align=left|{{Display none|9361-00}}[[壬生町]]||{{Display none|019,403}}''19,403'' |- |align=left|{{Display none|9361-01}}[[壬生町|壬生町I]]||{{Display none|010,817}}10,817 |align=left|{{Display none|9361-01}}[[壬生町|壬生町I]]||{{Display none|010,647}}10,647 |align=left|{{Display none|9361-01}}[[壬生町|壬生町I]]||{{Display none|011,479}}11,479 |- |align=left|{{Display none|9361-02}}[[壬生町|壬生町II]]||{{Display none|006,339}}6,339 |align=left|{{Display none|9361-02}}[[壬生町|壬生町II]]||{{Display none|007,361}}7,361 |align=left|{{Display none|9361-02}}[[壬生町|壬生町II]]||{{Display none|007,924}}7,924 |- |align=left|{{Display none|9362}}[[石橋町]]||{{Display none|007,505}}7,505 |align=left|{{Display none|9362}}[[石橋町]]||{{Display none|008,684}}8,684 |align=left|{{Display none|9216-02}}[[石橋町|下野市II]]||{{Display none|010,301}}10,301 |- |{{Display none|9363}}||- |align=left|{{Display none|9363}}[[国分寺町 (栃木県)|国分寺町]]||{{Display none|005,969}}5,969 |align=left|{{Display none|9216-011}}[[下野市|下野市I]]||{{Display none|022,383}}22,383 |- |align=left|{{Display none|9364}}[[野木町]]||{{Display none|010,318}}10,318 |align=left|{{Display none|9364}}[[野木町]]||{{Display none|013,711}}13,711 |align=left|{{Display none|9364}}[[野木町]]||{{Display none|013,485}}13,485 |- |align=left|{{Display none|9365}}[[大平町]]||{{Display none|009,006}}9,006 |align=left|{{Display none|9365}}[[大平町]]||{{Display none|011,155}}11,155 |align=left|{{Display none|9203-02}}[[大平町|栃木市II]]||{{Display none|012,327}}12,327 |- |{{Display none|9386}}||- |{{Display none|9386}}||- |align=left|{{Display none|9386}}[[高根沢町]]||{{Display none|013,744}}13,744 |- |align=left|{{Display none|9402}}[[烏山町]]||{{Display none|005,441}}5,441 |{{Display none|9402}}||- |{{Display none|9402}}||- |- |align=left|{{Display none|9409}}[[西那須野町]]||{{Display none|011,235}}11,235 |align=left|{{Display none|9409}}[[西那須野町]]||{{Display none|011,576}}11,576 |align=left|{{Display none|9213-02}}[[西那須野町|那須塩原市II]]||{{Display none|012,735}}12,735 |- |align=left|{{Display none|9421}}[[田沼町]]||{{Display none|005,369}}5,369 |align=left|{{Display none|9421}}[[田沼町]]||{{Display none|005,379}}5,379 |align=left|{{Display none|9204-02}}[[田沼町|佐野市II]]||{{Display none|005,167}}5,167 |} {|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small; white-space:nowrap" |+'''栃木県 人口集中地区数の変遷 !国勢調査年!!地区数!!colspan="25"|人口集中地区名 |- |[[1990年]]<br />([[平成]]2年)||24||宇都宮<br />I II||河内||足利<br />I II||栃木||大平||佐野||田沼||鹿沼||日光||今市||小山<br />I II||野木||真岡||大田原||矢板||-||壬生<br />I II||石橋||-||-||烏山||黒磯||西那須野 |- |[[1995年]]<br />(平成7年)||26||宇都宮<br />I II||河内||足利<br />I II||栃木||大平||佐野||田沼||鹿沼||日光||今市||小山<br />I II||野木||真岡||大田原||矢板||-||壬生<br />I II||石橋||国分寺||南河内||烏山||黒磯||西那須野 |- |[[2000年]]<br />(平成12年)||24||宇都宮<br />I II||河内||足利||栃木||大平||佐野||田沼||鹿沼||日光||今市||小山<br />I II||野木||真岡||大田原||矢板||-||壬生<br />I II||石橋||国分寺||南河内||-||黒磯||西那須野 |- |[[2005年]]<br />(平成17年)||24||宇都宮<br />I II||河内||足利||栃木||大平||colspan="2"|佐野<br />I II||鹿沼||-||今市||小山<br />I II||野木||真岡||大田原||矢板||高根沢||壬生<br />I II||石橋||国分寺||南河内||-||colspan="2"|那須塩原<br />I II |- |[[2010年]]<br />(平成22年)||22||colspan="2"|宇都宮<br />I II||足利||colspan="2"|栃木<br />I II||colspan="2"|佐野<br />I II||鹿沼||colspan="2"|日光||小山<br />I II||野木||真岡||大田原||矢板||高根沢||壬生<br />I II||colspan="3"|下野<br />I II||-||colspan="2"|那須塩原<br />I II |- |[[2015年]]<br />(平成27年)||22||colspan="2"|宇都宮<br />I II||足利||colspan="2"|栃木<br />I II||colspan="2"|佐野<br />I II||鹿沼||colspan="2"|日光||小山<br />I II||野木||真岡||大田原||矢板||高根沢||壬生<br />I II||colspan="3"|下野<br />I II||-||colspan="2"|那須塩原<br />I II |} == 政治 == === 県政 === {{Main|栃木県知事一覧|栃木県議会|栃木県庁}} * [[都道府県知事|知事]]:[[福田富一]](ふくだ とみかず、5期目) ==== 歴代公選知事 ==== * 小平重吉(2期、1947年4月12日 - 1955年2月4日) * 小川喜一(1期、1955年2月5日 - 1959年2月4日) * 横川信夫(4期、1959年2月5日 - 1974年12月7日) * [[船田譲]](3期、1974年12月8日 - 1984年12月7日) * [[渡辺文雄 (政治家)|渡辺文雄]](4期、1984年12月9日 - 2000年12月8日) * [[福田昭夫]](1期、2000年12月9日 - 2004年12月8日) * [[福田富一]](5期、2004年12月9日 - 現職) ==== 財政 ==== ===== 平成19年度 ===== * [[財政力指数]] 0.63 ** Iグループ(財政力指数0.5以上)17自治体中7位 ===== 平成18年度 ===== * 財政力指数 0.58 ** Iグループ(財政力指数0.5以上)16自治体中8位 ===== 平成17年度 ===== * 財政力指数 0.53 ** Iグループ(財政力指数0.5以上)10自治体中9位 ===== 平成16年度 ===== * 財政力指数 0.49 ** IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中1位 === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#栃木県|栃木県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が5。[[参議院]]では、全県で1区を構成。 == 経済・産業 == [[2008年]](平成20年)度の県民総生産は7兆9901億円である<ref>[http://www.pref.tochigi.lg.jp/c04/pref/toukei/toukei/kenmin.html 栃木県の県民経済計算]</ref>。国の[[国内総生産|GDP]]と比較しても、過半数の国よりも大きな規模を有している。主要産業は、宇都宮市のほか[[上三川町]]、[[小山市]]、[[大田原市]]、[[真岡市]]、[[栃木市]]、[[足利市]]、[[鹿沼市]]、[[矢板市]]などに代表される内陸型近代工業で、これらは[[北関東工業地域]]の一部を形成している。 [[農業]]も盛んであり、県北から流出する河川の豊かな水を利用した産業地帯で、米作が盛んなほか飲料工業も発達している。[[那須塩原市]]や大田原市、宇都宮市は国内有数の米産地となっているほか、那須塩原市では[[酪農]]も盛んであり、国内[[生乳]]生産量は[[北海道]]に次いで高い。ほか、真岡市や鹿沼市などを中心に[[いちご]]の栽培が盛んであり、壬生町や鹿沼市の[[かんぴょう]]とともに県の特産品となっている。 [[商業]]は宇都宮市で盛んで、栃木県内[[日本の年間商品販売額一覧|年間商品販売額]]の約半分が宇都宮市で占められており、栃木県内第一の商業都市となっている。観光産業も盛んで、日光市や那須塩原市、足利市の歴史・自然遺産([[日光の社寺]]、[[足尾銅山]]跡、[[足利学校]]跡、[[中禅寺湖]]、[[華厳滝]]、[[鬼怒川温泉]]、[[那須岳]]、[[那須高原]]、[[塩原温泉]]など)、宇都宮市の[[餃子]]や[[カクテル]]、[[ジャズ]]、[[茂木町]]の[[モビリティリゾートもてぎ]]、栃木市の蔵の街なども観光資源となっている。 県庁所在地の[[宇都宮市]]は全国屈指の米産地であるほか、栃木県の年間製品販売額の約半分を占め、工業生産額も栃木県内市町村最大となっており、栃木県内最大の農商工業都市となっている。 === 第一次産業 === ==== 農林業 ==== * 栃木県の主要農産物 [[イチゴ]]、[[ニラ]]、[[ニンジン]]、[[イネ|水稲]]、[[生乳]]、[[かんぴょう]]、[[二条大麦]]、[[ブドウ]]、[[もやし]]、[[ウド]]、[[麻]] ** 農産物の大消費地である[[首都圏 (日本)|首都圏]]に位置する地理的に優位性を生かした首都圏農業が盛んである。 * [[アサ|大麻]] - [[アサ|麻]][[布]]用大麻、かんぴょう、イチゴ、二条大麦、もやし、ウドの生産量が日本一である<ref>最新版日本の地理5『関東地方』15頁</ref>。 なお、かんぴょうは栃木県が99%を生産し、残りは[[茨城県]]が生産している。 * [[ナシ|梨]] - [[芳賀郡]]など、和なし収穫全国6位 * [[リンゴ|りんご]] - [[矢板市]]など * とちぎ[[和牛]] - [[那須塩原市]]など県北地域。[[大田原牛]]という高級[[ブランド]]牛もある。 ==== 水産業 ==== * [[奥日光]][[中禅寺湖]]畔・[[菖蒲ヶ浜]]に[[水産研究・教育機構]]日光支所、[[大田原市]]の[[那珂川]]河畔に栃木県[[水産試験場]]がある。 * 栃木県内各所の[[養魚|養魚場]]で[[鱒]]の[[養殖]]が行われている。 * [[那珂川]]、[[鬼怒川]]、[[思川 (栃木県)|思川]]などに主に[[観光]]目的であるが[[やな]]場が多数ある。 * 那珂川には少数であるが川魚漁で生計を立てている人もいる。 ==== 農業産出額 ==== {| |+2008年発表統計データによる<br />栃木県内上位20市町の農業産出額([http://www.stat.go.jp/data/ssds/5b.htm 出典]) | {| class="wikitable" |- |1 |[[那須塩原市]] |style="text-align:right"|277億円 |- |2 |[[大田原市]] |style="text-align:right"|268億円 |- |3 |[[宇都宮市]] |style="text-align:right"|208億円 |- |4 |[[那須町]] |style="text-align:right"|144億円 |- |5 |[[小山市]] |style="text-align:right"|142億円 |- |6 |[[鹿沼市]] |style="text-align:right"|132億円 |- |7 |[[日光市]] |style="text-align:right"|130億円 |- |8 |[[那須烏山市]] |style="text-align:right"|116億円 |- |9 |[[さくら市]] |style="text-align:right"|116億円 |- |10 |[[二宮町 (栃木県)|二宮町]] |style="text-align:right"|113億円 |} | {| class="wikitable" |- |11 |[[真岡市]] |style="text-align:right"|112億円 |- |12 |[[芳賀町]] |style="text-align:right"|86億円 |- |13 |[[下野市]] |style="text-align:right"|86億円 |- |14 |[[高根沢町]] |style="text-align:right"|71億円 |- |15 |[[佐野市]] |style="text-align:right"|68億円 |- |16 |[[栃木市]] |style="text-align:right"|62億円 |- |17 |[[足利市]] |style="text-align:right"|60億円 |- |18 |[[上三川町]] |style="text-align:right"|57億円 |- |19 |[[壬生町]] |style="text-align:right"|56億円 |- |20 |[[市貝町]] |style="text-align:right"|56億円 |} |} === 第二次産業 === ==== 工業 ==== * 工業製品 ** [[自動車工業]]、[[タイヤ]]、医療用X線装置液晶、[[テレビ受像機]]、[[カメラ]]用交換レンズ、医療・衛生用ゴム製品、[[シャッター]]、[[ハードディスク]]などの磁気記録媒体(世界シェア100%を生産) ** 宇都宮テクノポリス地域([[宇都宮清原工業団地|清原工業団地]]、[[芳賀工業団地]]、ソフトリサーチパーク[[情報の森とちぎ]]) **: 首都圏に位置する有利な立地条件を生かし、高付加価値型や情報産業・研究所を中心とした優良企業の誘致を進めている。 * 伝統工芸 ([http://www.pref.tochigi.jp/work/shoukougyou/dentoukougei/craft.html 栃木県指定の伝統工芸品]) ** [[小山市]]など栃木県南東部は[[結城紬]](ゆうきつむぎ)の産地。 ** [[益子焼]]([[益子町]])、[[小砂焼]](こいさごやき、[[那珂川町]]小砂)など[[陶磁器]] ** [[日光市]]周辺の[[線香|杉線香]]生産はシェア約50%で全国一。([http://www.imakan.net/sonota.html 今市観光協会]、[https://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=2930&hou_id=2941 かおり風景100選]) ** 日光市の[[日光彫]]。[[江戸時代]]に[[日光東照宮]]建造、補修に当たった[[彫師]]、[[塗師]]が日光に定住して日光土産として盆など小物漆器を生産したのが始まり。 ** [[鹿沼市]]は[[家具]]、[[建具]]など[[木工製品]]の産地。鹿沼伝統の[[彫刻屋台]]にも使われている[[欄間]]、組子書院障子なども作られる。([http://www.kmk-net.com/page_001.shtml 鹿沼木工団地協同組合]、[http://www.kmk-net.com/page_004_01.shtml 彫刻屋台]) ** 宇都宮市周辺は[[瓢箪]]、[[かんぴょう]]の原料となる[[ユウガオ]]の[[果実|実]]を細工した[[工芸品]]ふくべ細工の産地である。([http://www.pref.tochigi.jp/work/shoukougyou/dentoukougei/hukube.html ふくべ細工]) ==== 鉱業 ==== * かつて日本を代表する[[鉱山]]の[[足尾銅山]]を有し、周辺の[[水力発電]]の電力を利用し[[電線]]などを生産し日本の近代化に貢献。 ** 現在も[[日光市]]において[[プリント基板]]や高性能電池の[[電極]]に使用される高品質の[[電解]][[銅箔]]の生産が行われている。 * [[佐野市]][[葛生町|葛生]]地区は[[セメント]]などの原料となる[[ドロマイト]]([http://www.yoshizawa.co.jp/lime/dolo.html 産出量日本一])、[[石灰岩]]の主要産地である。 * 宇都宮市は[[建築材料]]として有名な[[大谷石]]の産地である。 ==== 製造品出荷額など ==== {| class="wikitable" |+2010年発表統計データによる栃木県内上位20市町の<br />2008年度の製造品出荷額([http://www.stat.go.jp/data/ssds/5b.htm 出典])、主な進出企業 |- |1 |[[宇都宮市]] |style="text-align:right"|1兆6949億円 |style="width:20em"|松下電器産業(現:[[パナソニック]])、[[キヤノン]]、[[富士重工業]]、[[住友ベークライト]]、[[中外製薬]]、<br />[[久光製薬]]、[[日本たばこ産業]]、[[デュポン]]、[[カルソニック|カルソニック・ハリソン]]、[[マニー]]株式会社 |- |2 |[[上三川町]] |style="text-align:right"|9295億円 |[[日産自動車]] |- |3 |[[小山市]] |style="text-align:right"|7796億円 |[[コマツ]]、[[富士通]] |- |4 |[[大田原市]] |style="text-align:right"|7599億円 |[[東芝]]、[[富士通]]、[[ニコン]] |- |5 |[[真岡市]] |style="text-align:right"|6657億円 |[[本田技研工業]]、[[神戸製鋼所]]、[[パナソニック電工|パナソニック電工住宅設備]] |- |6 |[[大平町]] |style="text-align:right"|4190億円 |[[日立アプライアンス]]、[[いすゞ]] |- |7 |[[足利市]] |style="text-align:right"|4180億円 |[[タツミ]] |- |8 |[[鹿沼市]] |style="text-align:right"|4126億円 |[[関西ペイント]]、[[東芝ライテック]]、[[株式会社ジェイ・エス・ピー|JSP]]、[[ナカニシ]] |- |9 |[[矢板市]] |style="text-align:right"|4061億円 |[[シャープ]] |- |10 |[[那須塩原市]] |style="text-align:right"|3879億円 |[[ブリヂストン]] |- |11 |[[佐野市]] |style="text-align:right"|3857億円 | |- |12 |[[日光市]] |style="text-align:right"|3502億円 |[[古河電工]]、[[日本香堂]]、[[グラクソ・スミスクライン]] |- |13 |[[栃木市]] |style="text-align:right"|2583億円 | |- |14 |[[下野市]] |style="text-align:right"|2079億円 | |- |15 |[[さくら市]] |style="text-align:right"|2001億円 | |- |16 |[[芳賀町]] |style="text-align:right"|1833億円 |[[本田技術研究所]] |- |17 |[[野木町]] |style="text-align:right"|1134億円 | |- |18 |[[壬生町]] |style="text-align:right"|996億円 | |- |19 |[[市貝町]] |style="text-align:right"|847億円 | |- |20 |[[高根沢町]] |style="text-align:right"|687億円 | |} === 第三次産業 === ==== 商業 ==== * [[宇都宮市]]は栃木県内市町村の中で最大の[[日本の年間商品販売額一覧|年間商品販売額]]([[2006年]](平成18年)、卸売業を含む)を有する。 ==== 観光 ==== * [[日光市#観光|日光]]・[[鬼怒川温泉|鬼怒川]]、[[塩原温泉郷|塩原]]・[[那須]]地域では[[観光業]]が盛んである。 ==== 商業年間商品販売額 ==== {| |+ 2010年発表統計データによる<br />栃木県内の上位20市町の2006年度の[[日本の年間商品販売額一覧|商業年間商品販売額]]([http://www.stat.go.jp/data/ssds/5b.htm 出典]) | {| class="wikitable" |- |1 |[[宇都宮市]] |style="text-align:right"|2兆8359億円 |- |2 |[[小山市]] |style="text-align:right"|5296億円 |- |3 |[[足利市]] |style="text-align:right"|3452億円 |- |4 |[[佐野市]] |style="text-align:right"|2836億円 |- |5 |[[那須塩原市]] |style="text-align:right"|2093億円 |- |6 |[[鹿沼市]] |style="text-align:right"|2042億円 |- |7 |[[栃木市]] |style="text-align:right"|1817億円 |- |8 |[[真岡市]] |style="text-align:right"|1360億円 |- |9 |[[大田原市]] |style="text-align:right"|1293億円 |- |10 |[[日光市]] |style="text-align:right"|1206億円 |} | {| class="wikitable" |- |11 |[[下野市]] |style="text-align:right"|814億円 |- |12 |[[壬生町]] |style="text-align:right"|676億円 |- |13 |[[上三川町]] |style="text-align:right"|671億円 |- |14 |[[さくら市]] |style="text-align:right"|638億円 |- |15 |[[矢板市]] |style="text-align:right"|487億円 |- |16 |[[大平町]] |style="text-align:right"|451億円 |- |17 |[[芳賀町]] |style="text-align:right"|436億円 |- |18 |[[高根沢町]] |style="text-align:right"|313億円 |- |19 |[[岩舟町]] |style="text-align:right"|304億円 |- |20 |[[那須町]] |style="text-align:right"|288億円 |} |} ==== 主な大型商業施設 ==== {{div col||24em}} * [[佐野プレミアム・アウトレット]] * [[那須ガーデンアウトレット]] * [[ベルモール]] * [[福田屋百貨店]] ** [[福田屋ショッピングプラザ宇都宮店]] ** [[FKDショッピングモール宇都宮インターパーク店]] ** 福田屋百貨店鹿沼店 * [[東武宇都宮百貨店]] * [[イオングループ]] ** [[イオン (店舗ブランド)|イオン]]・[[イオンモール]] *** イオン今市店、[[イオン栃木店]]、イオン壬生店 *** [[イオンモール小山]] *** [[イオンモール佐野新都市]] ** [[イオンタウン]] *** イオンタウン那須、イオンタウン真岡、イオンタウン那須塩原、イオンタウンさくら、イオンタウン佐野 * [[セブン&アイホールディングス]] ** [[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]]宇都宮店(ベルモールのキーテナント) ** イトーヨーカドー小山店 * [[ベイシアグループ]] ** [[ベイシア]]今市モール ** [[カインズモール大平]] ** [[カインズ|カインズホーム]]宇都宮平出店 * [[パセオ (宇都宮市)|パセオ]] * [[トナリエ宇都宮]] {{div col end}} === 栃木県の企業 === ==== 栃木県に本社のある主な企業 ==== {{div col||24em}} * [[足利銀行]] - 県[[指定金融機関]]。また[[高根沢町]]以外の県内市町の指定金融機関。 * [[栃木銀行]] - 高根沢町指定金融機関。 * [[福田屋百貨店]] - [[ショッピングセンター]] * [[東武宇都宮百貨店]] * [[カワチ薬品]] - [[ドラッグストア]] * [[コジマ]] - 大手家電量販店 * [[TKC]] - 情報サービス * [[カンセキ]] - ホームセンター * [[フタバ食品]] - [[アイスクリーム]]など製造 * [[元気寿司]] - [[回転寿司]]大手 * [[アキモ]] - [[漬物]]製造 * [[マイコール]] - [[エステー]]子会社。[[使い捨てカイロ]]製造 * [[レオン自動機]] - 食品機械の製造 * [[マニー]] - 医療機器製造 * [[ナカニシ]] - 歯科医療機器・工業製品の製造 * [[キヤノンメディカルシステムズ]] - 医療機器製造 * [[野岩鉄道]] - 第三セクター方式の鉄道 * [[真岡鐵道]] - 第三セクター方式の鉄道 * [[関東自動車 (栃木県)|関東自動車]] - 路線バス・高速バス・那須ロープウェイなどを運行 * [[日光交通]] - 明智平ロープウェイや路線バスなどを運行 * [[滝沢ハム]] - [[ハム]]など食肉加工品の製造 * [[岩下食品]] - 漬物製造 * [[マルシンフーズ]] - ハンバーグなど食肉加工品製造 * [[針谷乳業]] - 乳製品製造 * [[小平産業]] - トラックボディ製造 * [[ジーエムいちはら工業]] - [[消防車]]製造 * [[仙波糖化工業]] - 粉末茶など食品原料製造 * [[フライングガーデン]] - ファミリーレストランチェーン *[[デクセリアルズ]] - 電子部品・接合材料・光学材料などの製造 {{div col end}} ==== 栃木県に進出した主な企業 ==== {{div col||18em}} * [[パナソニック]] * [[日産自動車]] * [[本田技研工業]] * [[SUBARU]] * [[いすゞ自動車]] * [[ブリヂストン]] * [[小松製作所]] * [[キヤノン]] * [[PENTAX]] * [[花王]] * [[中外製薬]] * [[久光製薬]] * [[グラクソ・スミスクライン]] * [[宇津救命丸 (企業)|宇津救命丸]] * [[日清製粉グループ本社|ママー・マカロニ]] - パスタの製造 - [[日清フーズ]]子会社([[日清製粉]]グループ) * [[サッポロビール]]那須工場 * [[ニッカウヰスキー]]栃木工場(さくら市) * [[サントリー]]梓の森工場(栃木市) * [[カルビー]] * [[森永製菓]] * [[宮島醤油]]宇都宮工場 * [[古河電気工業]] * [[古河電池]] * [[古河機械金属]] - [[足尾銅山]] * [[アキレス (化学工業)|アキレス]] * [[住友大阪セメント]] * [[東京石灰工業]] * [[東光高岳]] * [[東日本旅客鉄道]] * [[東武鉄道]] * [[ジェイアールバス関東|JRバス関東]] {{div col end}} == 生活・交通 == === 警察 === * [[栃木県警察]] === 交通 === {{Vertical_images_list |幅= 240px |枠幅= 240px | 画像1=NasunoGaHara2.jpg | 説明1=[[那須野が原]]と[[東北自動車道]] | 画像2=20080330KinuGawa.jpg | 説明2=[[北関東自動車道]]、[[鬼怒川]]、[[日産自動車]]栃木工場空撮 | 画像3=EnnaKyuryo4Tagged.jpg | 説明3=各種交通機関が集中通過する矢板市郊外の[[塩那丘陵]]。<br />[[東北自動車道]]、[[東北新幹線]]、[[宇都宮線]]([[東北本線]])、[[国道4号]]が狭い範囲に集中する | 画像4=IkariKoNorthPart.jpg | 説明4=五十里湖(海尻付近)空撮画像<br />中央部は湯西川に掛かる[[野岩鉄道]]'''会津鬼怒川線'''鉄橋と[[国道121号]] }} 栃木県のほぼ中心を南北に[[東京]]と[[東北地方]]を結ぶJR[[東北新幹線]]、JR[[宇都宮線]]([[東北本線]])、[[東北自動車道]]、[[国道4号]]が南北に走る。 また宇都宮を中心にして放射線状に栃木県内各地へと路線が伸びている。宇都宮を基準にして各方向への主要路線は次の通り。 * 北西側([[日光市]]・[[塩原町]]方面):JR[[日光線]]、[[日光宇都宮道路]]、[[国道119号]]、[[国道121号]]、[[栃木県道63号藤原宇都宮線|田原街道]]、[[栃木県道77号宇都宮船生高徳線|船生街道]]、[[栃木県道22号大沢宇都宮線|新里街道]](仁良塚街道) * 北東側([[高根沢町]]・[[さくら市]]・[[那須烏山市]]方面):[[栃木県道10号宇都宮那須烏山線|陸羽街道]]、[[栃木県道125号氏家宇都宮線|白沢街道]] * 東側([[芳賀町]]・[[市貝町]]・[[茂木町]]方面):[[国道123号|水戸街道]]、[[栃木県道69号宇都宮茂木線|茂木街道]]、[[栃木県道64号宇都宮向田線|柳田街道]] *南東側([[上三川町]]・[[真岡市]]方面):[[国道408号]]、[[栃木県道・茨城県道35号宇都宮結城線|上三川街道]]、[[栃木県道320号二宮宇都宮線|砂田街道]]、[[栃木県道46号宇都宮真岡線|真岡街道]] * 南西側([[壬生町]]・[[栃木市]]方面):[[東武宇都宮線]]、[[栃木県道2号宇都宮栃木線|栃木街道]]、[[栃木県道155号羽生田鶴田線|羽生田街道]] * 西側([[鹿沼市]]方面):JR日光線、国道119号、[[栃木県道70号宇都宮今市線|大谷街道]](荒針街道)、[[栃木県道4号宇都宮鹿沼線|長坂街道]](鹿沼街道)、[[栃木県道6号宇都宮楡木線|楡木街道]](鹿沼インター通り) このほかに東西を結ぶ路線は、県南部では[[茨城県]]、[[群馬県]]両県間を結ぶ[[北関東自動車道]]やJR[[両毛線]]、JR[[水戸線]]、[[国道50号]]など。県北部では、[[国道400号]]などがある。南北方向には、県東部では[[国道294号]]など。県西部には東京から直通する鉄道路線の[[東武日光線]]、[[東武鬼怒川線]]、[[野岩鉄道会津鬼怒川線]]が走る。 栃木県内に空港は存在しない。最寄りの空港は成田国際空港(千葉県成田市)・東京国際空港(東京都)など。 ==== 高速国道 ==== * {{Ja Exp Route Sign|E4}}[[東北自動車道]] - [[川口JCT]]から[[宇都宮IC]]までは6車線で整備されている。 * {{Ja Exp Route Sign|E50}}[[北関東自動車道]] ==== 一般国道 ==== {{div col||12em}} * [[国道4号]] * [[国道50号]] * [[国道119号]] * [[日光宇都宮道路]](バイパス有料道路) * [[国道120号]] * [[国道121号]] * [[国道122号]] * [[国道123号]] * [[国道293号]] * [[国道294号]] * [[国道352号]] * [[国道400号]] * [[国道407号]] * [[国道408号]] * [[国道461号]] {{div col end}} ==== 主要県道・一般県道 ==== * [[栃木県の県道一覧]] ==== 鉄道路線 ==== 那珂川町、上三川町、塩谷町を除く全自治体に鉄道駅が存在する{{efn|上三川町、塩谷町は域内を鉄道路線が通過しているが、駅は存在しない。}}。県内の鉄道路線の総運行距離(重複除く)は418.5 kmで、117駅ある<ref name="tkk1">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.tochigi.lg.jp/h03/town/koukyoukoutsuu/koukyoukoutsuu/documents/r2_tochiginokoukyoukoutsuu_zen.pdf|title=とちぎの公共交通(令和2(2020)年度版)|publisher=栃木県生活交通対策協議会|date=2021-06|accessdate=2022-03-25}}</ref>。2019年度の1日あたりの平均輸送人員は17.6万人で、最盛期(1995年)から2割減少している<ref name="tkk1"/>。〔〕は、路線ごとの栃木県内区間の運行距離、駅数、平均輸送人員(2019年度)<ref name="tkk1"/>。 {{div col}} * [[東日本旅客鉄道]](JR東日本) ** [[東北新幹線]]〔77.2 km、3駅、21,506人/日〕 ** [[山形新幹線]] ** [[秋田新幹線]]<!--秋田新幹線も山形新幹線と同様に東北新幹線から通しの料金で乗車可能であるため-->('''全列車通過''') ** [[東北本線]](黒磯駅以北は愛称の設定なし)〔107.3 km、21駅、111,841人/日〕<ref name="tkk1"/> *** [[宇都宮線]](黒磯駅以南の愛称) *** [[湘南新宿ライン]](新宿駅を経由して横須賀線に直通する列車の愛称) *** [[上野東京ライン]](東京駅を経由して東海道線に直通する列車の愛称) ** [[日光線]]〔40.5 km、7駅、6,786人/日〕<ref name="tkk1"/> ** [[両毛線]]〔47.3 km、11駅〕<ref name="tkk1"/> ** [[烏山線]]〔20.4 km、8駅、1,575人/日、13,269人/日〕<ref name="tkk1"/> ** [[水戸線]]〔4.9 km、1駅〕<ref name="tkk1"/> * [[東武鉄道]] ** [[東武宇都宮線]]〔24.3 km、11駅、12,055人/日〕<ref name="tkk1"/> ** [[東武伊勢崎線]]〔6.7 km、5駅、4,734人/日〕<ref name="tkk1"/> ** [[東武日光線]]〔65.0 km、18駅、16,555人/日〕<ref name="tkk1"/> ** [[東武鬼怒川線]]〔16.2 km、9駅、2,491人/日〕<ref name="tkk1"/> ** [[東武佐野線]]〔15.2 km、8駅、3,878人/日〕<ref name="tkk1"/> * [[野岩鉄道]] ** [[野岩鉄道会津鬼怒川線]]〔25.0 km、8駅、675人/日〕<ref name="tkk1"/> * [[真岡鐵道]] ** [[真岡鐵道真岡線]]〔33.4 km、13駅、1,899人/日〕<ref name="tkk1"/> * [[わたらせ渓谷鐵道]] ** [[わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線]]〔5.4 km、4駅、123人/日〕<ref name="tkk1"/> {{div col end}} ==== 主な路線バス ==== 栃木県内の民間路線バス(民間委託の[[コミュニティバス]]を含む)の総走行キロは2,635.3万 km、2019年度の1日あたりの平均輸送人員は51,408人で、最盛期(1969年)から87%減少している<ref name="tkk1"/>。〔〕は、事業者ごとの栃木県内区間の走行キロ、平均輸送人員(2019年度)<ref name="tkk1"/>。 {{div col||24em}} * [[関東自動車 (栃木県)|関東自動車]]〔1,914.4万 km、41,748人/日〕<ref name="tkk1"/> ** 宇都宮・鹿沼・日光・塩谷地区 *** [[関東自動車駒生営業所]] *** [[関東自動車宇都宮営業所]] *** [[関東自動車簗瀬営業所]] *** [[関東自動車鹿沼営業所]] ** 下野・真岡・壬生・小山地区 *** [[関東自動車石橋営業所]] ** 佐野・栃木地区 *** [[関東自動車佐野営業所]] ** 宇都宮・さくら・馬頭・真岡・益子地区(旧・[[東野交通]]) *** [[関東自動車東野平出営業所]] ** 大田原・那須地区 *** [[関東自動車那須塩原営業所]] ** 高速バス *** [[マロニエ号]]羽田線([[黒磯駅]]・[[宇都宮駅]]・[[佐野新都市バスターミナル]] - [[東京国際空港|羽田空港]]) *** マロニエ号成田線(柳田車庫・宇都宮駅 - [[成田国際空港|成田空港]]) *** [[とちの木号]](宇都宮駅・[[栃木駅]] - [[京都駅]]・[[大阪駅]]・[[あべの橋駅]]) *** サルビア号([[桐生駅]]・[[足利市駅]]・佐野新都市バスターミナル - 成田空港) *** 北関東ライナー水戸線(宇都宮駅 - [[赤塚駅]]・[[水戸駅]]) *** [[那須・塩原号]](那須温泉・[[西那須野駅]] - 鹿沼バスターミナル - [[王子駅]]・[[バスタ新宿]]) * [[ジェイアールバス関東]]〔444.5万 km、5,233人/日〕<ref name="tkk1"/> ** 宇都宮・芳賀・茂木地区 *** [[ジェイアールバス関東宇都宮支店]] ** 那須・塩原地区 *** [[ジェイアールバス関東西那須野支店]] ** 高速バス *** [[ジェイアールバス関東佐野支店]] *** [[マロニエ新宿号]](佐野新都市バスターミナル - 王子駅・新宿駅) *** [[マロニエ東京号]](佐野新都市バスターミナル - 王子駅・東京駅) *** ミッドナイトマロニエ号(新宿駅・王子駅→佐野新都市バスターミナル)※深夜便 *** 那須・塩原号(那須温泉・[[塩原温泉]] - 鹿沼バスターミナル - 王子駅・バスタ新宿) * [[東武バス日光]]〔134.7万 km、3,504人/日〕<ref name="tkk1"/> ** 日光・奥日光地区 ** 高速バス *** [[鬼怒川温泉駅]]・[[東武日光駅]] - 羽田空港・[[横浜駅]]線 * [[日光交通]]〔65.0万 km、260人/日〕<ref name="tkk1"/> ** [[戦場ヶ原]]・[[小田代ヶ原]]地区低公害バス ** 鬼怒川温泉地区 ** 湯西川温泉地区 * [[東京空港交通]] ** マロニエ号羽田線 * [[千葉交通]] ** マロニエ号成田線 ** サルビア号 * [[近鉄バス]] ** とちの木号 * [[茨城交通]] ** [[茨城交通#高速バス路線|北関東ライナー]]水戸線 ** 関東やきものライナー([[秋葉原駅]] - 茂木さかがわ館・[[益子駅]]) ** [[水戸駅|水戸駅北口]] - [[モビリティリゾートもてぎ]](土日祝日のみ) * [[日本中央バス]] ** シルクライナー * [[福島交通]]・[[名鉄バス]] ** 夜行高速バス福島・郡山・宇都宮 - 名古屋線 * [[東北急行バス]] ** 日光・鬼怒川温泉号(鬼怒川温泉駅・東武日光駅 - [[東京駅]]) {{div col end}} === 医療・福祉 === {{main|Category:栃木県の医療機関}} ; [[災害拠点病院]] * [[栃木県災害拠点病院]] ; [[保育所]] * [[栃木県保育所一覧]] === 教育 === {{div col}} ; [[大学]]・[[短期大学]] * [[栃木県の大学一覧]] ; [[高等専門学校]] * [[小山工業高等専門学校]]([[小山市]]) ; [[専修学校]] * [[栃木県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] * [[栃木県特別支援学校一覧]] ; [[高等学校]] * [[栃木県高等学校一覧]] ; [[中学校]] * [[栃木県中学校一覧]] ; [[小学校]] * [[栃木県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] * [[栃木県幼稚園一覧]] {{div col end}} === マスメディア === ==== 新聞 ==== * [[下野新聞]] ==== テレビ局 ==== 放送対象地域は[[広域放送|関東広域圏]]に属する。栃木[[県域放送]]の[[とちぎテレビ]]・[[NHK宇都宮放送局]]のほかに、[[NHK放送センター]]([[NHK教育テレビジョン|教育テレビ]])と[[在京キー局]]5局([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[テレビ朝日]]・[[TBSテレビ|TBS]]・[[テレビ東京]]・[[フジテレビジョン|フジテレビ]])が栃木県内全域が放送区域になっている。県中部以南の関東平野では[[放送対象地域]]外の[[NHK放送センター#NHK放送センターによる放送|NHK東京]][[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]](JOAK-DTV)が受信エリアのめやすとなっている<ref>{{PDFlink|[https://www.soumu.go.jp/main_content/000192808.pdf 地上デジタルテレビ放送のエリア(関東広域圏東京親局)]}} 総務省 2020年7月15日閲覧。</ref>。また、とちぎテレビのみならずNHK・キー局ともに栃木県内各地に中継局を置いている。 * [[NHK宇都宮放送局]]([[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]]) * [[とちぎテレビ]](GYT)([[全国独立放送協議会|独立放送局]]) ==== ラジオ局 ==== * AMラジオ局 ** [[栃木放送]](CRT)([[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列) ※関東広域放送を行っている[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]系列の[[TBSラジオ]]、NRN系列の[[文化放送]]・[[ニッポン放送]]も放送対象地域になっている。 * FMラジオ局 ** [[エフエム栃木]](RADIO BERRY)([[全国FM放送協議会|JFN]]系列) ** [[NHK宇都宮放送局]] ※本県は[[radiko]]の基本サービスで聴取できる局数が全国の都道府県で一番多い18局ある。 * コミュニティFM局 ** [[ケーブルテレビ (企業)#コミュニティ放送|FMくらら857]]、栃木市(JOZZ3CB-FM) ** [[宇都宮コミュニティメディア|宇都宮コミュニティエフエム(ミヤラジ)]]、宇都宮市(JOZZ3CK-FM) ** [[テレビ小山放送#コミュニティ放送|おーラジ]]、小山市(JOZZ3CM-FM) ** FMゆうがお(運営会社は[[ケーブルビジョン]])、下野市(JOZZ3CU-FM) ** [[エフエム真岡]]、真岡市(JOZZ3CV-FM) [[1994年]](平成6年)、栃木市の[[栃木コミュニティ放送]]に免許が交付されたことがあるが(JOZZ3AA-FM:FM蔵の街)、経済的な問題もあり免許を取り下げたため、[[コミュニティ放送]]局は2015年10月までない{{full|date=2014年6月}}状態が20年近く続き、新規の開局の機運はなく、全国で唯一コミュニティ放送の無い都道府県「空白県」であったが、[[2015年]](平成27年)[[1月27日]]、[[ケーブルテレビ (企業)|栃木ケーブルテレビ(運営・ケーブルテレビ株式会社)]]が運営するとちぎシティエフエム(JOZZ3CB-FM)に予備免許<ref>[https://www.soumu.go.jp/soutsu/kanto/press/27/0127ho.html 栃木県栃木市のコミュニティ放送局に予備免許](総務省関東総合通信局[[2015年]][[1月28日]]確認)</ref>が交付され、栃木県にもコミュニティ放送が開局の見通しとなった。 *県内のコミュニティFMは5局とも聴取アプリ 「[[FM++]] (エフエムプラぷら)」 に参加している。[[日本コミュニティ放送協会]] (JCBA) にはFMくらら857とFMゆうがおが加盟している。 == 文化・スポーツ == {{ゴルフ場}} 栃木県には120以上のゴルフ場があり、平成期までは国内ツアーが各地で行われていた。ゴルフブームは終わったものの、現在でも高齢者の人気スポーツとして、都心に近い栃木市や佐野市には多くの他県から来場者がある。栃木県のゴルフ場は山岳コースが多く、関東平野にある河川敷や平坦なコースと違い変化がある。料金面でも魅力があり、自然の中でプレイが楽しめる<!---(出典元を記載願います) とあって埼玉方面からの来場者が群を抜いている --->。 === 方言 === * [[栃木弁]] * [[足利弁]] === 食文化 === [[ファイル:Shimotsukare1.jpg|thumb|しもつかれ]] {{See also|Category:栃木県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#栃木県}} ; 食品・加工食品・料理 * [[かんぴょう]]料理 - 壬生町・上三川町・下野市周辺 * [[イチゴ]] - [[とちおとめ]]、[[スカイベリー]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/99587|title=イチゴ新品種、甘く大粒 開発7年、王国の主力候補 栃木県|publisher=下野新聞|date=2018-11-15|accessdate=2021-01-02}}</ref>、[[とちあいか]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/340398|title=イチゴ新品種は「とちあいか」 栃木県が開発、名称決定|publisher=下野新聞|date=2020-07-29|accessdate=2021-01-02}}</ref>など <!--上記以外の農産物は「産業/農林水産業」に移動--> * [[しもつかれ]] - [[ダイコン|大根]]の粗下ろし・[[サケ|鮭]]の頭、[[酒粕]]などを煮込んだ[[郷土料理]]、栃木県内のほぼ全域・茨城の一部 * [[餃子]] - 宇都宮市 * [[ソバ]] - 山間部(日光市・鹿沼市・佐野市・栃木市 ほか) * [[レモン牛乳]] - 栃木県内各地 * [[ゆば]] - 日光市 * [[アイソの田楽]] - 栃木県内各地 * [[山菜]] - 山間部(日光市・那須塩原市・鹿沼市 ほか) * [[佐野ラーメン]] - 佐野市 * [[法度汁]] * [[いもフライ]] - 県南部(佐野市ほか) * [[アユ|鮎]] - [[那珂川]]、[[鬼怒川]]、[[思川 (栃木県)|思川]] ** 鮎の[[なれ寿司]] - 宇都宮市上河内地区 * [[マス|鱒]] - 日光市 * [[サガンボとモロ]]([[サメ]]) - 栃木県内各地 * チタケ([[チチタケ]]) - 栃木県内各地 * [[耳うどん]](佐野市) * [[じゃがいも入りやきそば]] - 栃木市 * [[やきそバーガー]] - 足利市 === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[結城紬]](織物、[[1977年]]) * [[益子焼]](陶磁器、[[1979年]]) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#栃木県}} === 伝統芸能 === ; 民謡 * [[八木節]] === スポーツ === {{See also|Category:栃木県のスポーツチーム}} {{div col||18em}} * [[栃木SC]]([[サッカー]]・[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]) * [[栃木シティFC]](サッカー・関東リーグ) * [[H.C.栃木日光アイスバックス]]([[アイスホッケー]]・[[アジアリーグアイスホッケー|アジアリーグ]]) * [[宇都宮ブレックス]]([[バスケットボール]]・[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]]) * [[栃木ゴールデンブレーブス]]([[野球]]・[[ベースボール・チャレンジ・リーグ|ルートインBCリーグ]]) * [[全足利クラブ]]([[社会人野球]]) * [[全栃木野球クラブ]](社会人野球) * [[宇都宮ブリッツェン]]([[自転車競技]]) * [[那須ブラーゼン]](自転車競技) * [[LIEBE栃木]]([[フィールドホッケー]]・[[ホッケー日本リーグ|高円宮牌ホッケー日本リーグ]]) * [[宇都宮競輪場]] * [[宇都宮競馬場]](廃止) {{div col end}} === ゆるきゃら・ご当地キャラ === [[ゆるきゃら]]・[[ご当地キャラ]] * [[さのまる]]([[佐野市]]) * [[とち介]]([[栃木市]]) * [[与一くん]]([[大田原市]]) * [[ともなりくん]]([[矢板市]]) * [[たかうじ君]]([[足利市]]) * [[とちまるくん]]<ref>[http://www.pref.tochigi.lg.jp/c05/intro/kids/page/syoukai08.html とちぎのシンボル(栃木県庁)]</ref> * [[ルリちゃん]] == 観光 == [[ファイル:Kegon falls nikko 2006-11-04.jpg|thumb|華厳滝]] {{main|栃木県の観光地}} === 世界遺産 === * [[日光の社寺]] === 国宝(建造物) === * [[日光東照宮]](日光市) - 本殿・石の間及び拝殿、正面及び背面唐門、東西透塀、陽明門、東西回廊 * [[輪王寺]](日光市) - 大猷院霊廟本殿・相の間及び拝殿 * [[鑁阿寺]](足利市) - === 国宝(美術工芸品) === * 太刀 銘[[国宗]](日光東照宮) * 太刀 銘[[助真]](日光東照宮) * 大太刀 銘備州長船倫光貞治五年二月日(日光二荒山神社) * 小太刀 銘来国俊・黒漆蛭巻太刀拵(日光二荒山神社) * 大般涅槃経(輪王寺) * [[那須国造碑]](大田原市・笠石神社) * 宋刊本[[文選 (書物)|文選]]([[金沢文庫]]本)(以下、[[足利市]]所蔵・[[足利学校遺蹟図書館]]保管) * 宋版[[易経|周易]]注疏 * 宋版[[書経|尚書]]正義 * 宋版[[礼記]]正義 === 重要無形民俗文化財(国指定) === * [[烏山の山あげ行事]] ([[1979年]](昭和54年)指定、[[那須烏山市]]) * [[鹿沼今宮神社祭の屋台行事]] ([[2003年]](平成15年)指定、[[鹿沼市]]) * [[川俣の元服式]] ([[1987年]](昭和62年)指定、[[日光市]](旧・[[栗山村]])) * [[発光路の強飯式]](ほっこうじのごうはんしき) ([[1996年]](平成8年)指定、[[鹿沼市]](旧・[[粟野町]])) <!--* [[牧歌舞伎]] (県の重要無形民俗文化財、[[佐野市]](旧・[[葛生町]])牧地区)--><!--県の無形民俗文化財は20件あり、特定の1件のみを挙げるのは中立的でない。--> === 国の重要文化財など === : 詳細は [http://www.tochigi-edu.ed.jp/center/bunkazai/ とちぎの文化財] を参照 === 県指定文化財 === {{main|栃木県指定文化財一覧}} * 栃木県内各地の [http://www.pref.tochigi.jp/reiki/reiki_honbun/ae10112971.html 獅子舞、神楽、文楽など] === 自然・公園 === * [[日光国立公園]] ** [[中禅寺湖]]、[[華厳滝]]、[[いろは坂]] ** [[男体山]]、[[女峰山]]、[[大真名子山]]、[[小真名子山]]、[[太郎山 (栃木県)|太郎山]] ** [[戦場ヶ原]]、[[小田代ヶ原]]、[[竜頭滝]]、[[湯滝]]、[[湯ノ湖]]、[[西ノ湖]] ** [[霧降高原]]、[[霧降の滝]] ** [[那須高原]]、[[茶臼岳 (栃木県)|茶臼岳]]、[[朝日岳 (栃木県)|朝日岳]]、[[殺生石]] * [[宇都宮県立自然公園]] ** [[栗谷沢ダム]]、[[宇都宮市森林公園]] ** [[古賀志山]]、[[多気山]] ** [[大谷の奇岩群|大谷の奇岩群・御止岩・越路岩]] * [[栃木県中央公園]]、[[宇都宮城址公園]]、[[八幡山公園]] === 歴史 === {{div col||24em}} * [[日光の社寺]]([[世界遺産]]) ** [[日光東照宮]] - [[徳川家康]]の廟所。東照大権現(家康に贈られた号)を祭祀。 ** [[輪王寺]] - 日光東照宮の[[神宮寺]]。 ** [[日光二荒山神社]] - 日光三所神を祀る。 * [[中禅寺 (日光市)|中禅寺]] - 輪王寺別院、[[坂東三十三箇所|坂東三十三観音霊場]]第18番。 * [[日光杉並木]] - 長さ[[世界一の一覧|世界一]]の並木道([[日光街道]]・[[日光例幣使街道]]・[[会津西街道]]) * [[足尾銅山]] * [[足利学校]] - 日本最古の大学跡。 * [[鑁阿寺]] - [[足利氏]]発祥の地。同氏の邸館を起源とする菩提寺。 * [[栃木市|栃木蔵の街]] - [[小江戸]]の別名を持つ町並み。 * [[太平山神社]] * [[大慈寺 (栃木市)|大慈寺]] - [[円仁]]が修行をした寺。[[エドウィン・O・ライシャワー]]駐日大使が訪れている。 * [[西明寺 (栃木県益子町)|西明寺]] - [[行基]]の開山と伝わる古刹。[[坂東三十三箇所|坂東三十三観音霊場]]第20番。 * [[地蔵院 (栃木県益子町)|地蔵院]] - [[宇都宮氏]]の菩提寺。歴代当主の墓碑がある。 * [[雲巌寺]] - [[松尾芭蕉]]の[[奥の細道]]に登場する禅寺。 * [[大谷寺 (宇都宮市)|大谷寺]][[大谷磨崖仏|大谷観音]] - 日本最古の[[磨崖仏]]。[[坂東三十三箇所|坂東三十三観音霊場]]第19番。 * [[宇都宮城|宇都宮城址]] - 宇都宮氏の居城。[[戊辰戦争]]で焼失。 * [[宇都宮二荒山神社]] *:[[平家物語]][[屋島の戦い]]で[[那須与一]]が船上で揺れる扇の的を射当てる際に成功祈願した『宇都宮』。[[吾妻鏡]]で[[源頼朝]]が[[奥州合戦]]の際に奉幣した『宇都宮大明神』。 * [[根古谷台遺跡]](聖山公園)- [[縄文時代]]の大集落跡。 * [[興禅寺 (宇都宮市)|興禅寺]] - [[宇都宮貞綱]]の開基。寺域は河北禅林と呼ばれる。 * [[薬師寺 (下野市)|下野薬師寺跡]] - [[下毛野氏]]の菩提寺とも云われる[[奈良時代]]の大寺跡。 * [[旧篠原家住宅]]、[[清巌寺]]の[[清巌寺鉄塔婆|鉄塔婆]]、[[宝蔵寺 (宇都宮市)|宝蔵寺のおよりの鐘]]、[[善願寺 (宇都宮市)|善願寺の宇都宮大仏]] * [[延命院 (宇都宮市)|延命院の地蔵堂]]、[[一向寺 (宇都宮市)|一向寺]]の[[一向寺銅造阿弥陀如来坐像|汗かき阿弥陀]] * [[祥雲寺 (宇都宮市)|祥雲寺のしだれ桜]] * [[白沢宿]]宿並 * [[乃木神社 (那須塩原市)|乃木神社]] {{div col end}} === 博物館・美術館 === * [[栃木県立博物館]] - 栃木県の歴史、民俗、美術工芸、自然史資料の収集・保管・展示・調査研究を実施する。栃木県中央公園内に立地する。栃木県内の博物館・美術館が加盟する栃木県博物館協会の事務局が置かれる。 * [[栃木県立美術館]] - [[クロード・モネ]]の「サン=タドレスの海岸」、[[川上澄生]]の「初夏の風」など * [[宇都宮美術館]] - [[ルネ・マグリット]]の「大家族」、[[マルク・シャガール]]の「静物」など * [[栗田美術館]] - [[伊万里焼]]・[[鍋島焼]]の磁器専門。陶磁器専門館としては世界最大級の美術館。 * [[川上澄生美術館]] - 川上澄生の[[版画]]作品 {{div col}} * 那須戦争博物館 * ガラスの芸術 エミール ガレ美術館 * りんどう湖ギャラリー * 那須オルゴール美術館 * 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name=meiyojorei/>。名誉県民に選定された者には、栃木県名誉県民称号記および記念品が贈呈される(条例第3条)<ref name=meiyojorei/>。 {| class="wikitable" !贈呈番号 !受賞者氏名 !職業 !選定年月日 !備考 !出典 |- |1 |[[島岡達三]] |[[陶芸家]] |2002年 |[[人間国宝]] |<ref>[http://www.pref.tochigi.lg.jp/c05/intro/tochigiken/hakken/jinbutsu2_14.html 人物「明治時代以降」島岡達三] - 栃木県、2019年7月28日閲覧。</ref> |- |2 |[[船村徹]] |[[作曲家]] |2014年 |[[日本音楽著作権協会]]名誉会長・[[文化勲章]]受章 |<ref>[http://www.pref.tochigi.lg.jp/c05/intro/tochigiken/hakken/jinbutsu2_15.html 人物「明治時代以降」船村徹] - 栃木県、2019年7月28日閲覧。</ref> |- |3 |[[渡辺貞夫]] |[[サクソフォーン]]奏者 |2014年 |『カリフォルニア・シャワー』など |<ref>[http://www.pref.tochigi.lg.jp/c05/intro/tochigiken/hakken/jinbutsu2_16.html 人物「明治時代以降」渡辺貞夫] - 栃木県、2019年7月28日閲覧。</ref> |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{div col}} * [[両毛]] * [[北関東・磐越地域]] * [[首都機能移転]] * [[首都機能移転候補都市]] * [[関東地方知事会]] * [[北関東磐越五県知事会議]] * [[栃木県出身の人物一覧]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] * [[とちぎの百様]] * [[栃木県の市町村旗一覧|県内市町村旗一覧]] * [[栃木県の市町村章一覧|県内市町村章一覧]] * [[栃木県の市町村歌一覧|県内市町村歌一覧]] {{div col end}} == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/栃木県}} {{Commons&cat|Tochigi Prefecture|Tochigi prefecture}} {{Wikivoyage|ja:栃木県}} ; 行政 * {{Official website}} ; 観光 * [https://www.tochigiji.or.jp/ とちぎ観光・物産ガイド] - 栃木県観光協会 {{s-start}} {{s-bef|before=[[壬生県]]・[[吹上県]]・[[佐野県]]・<br />[[足利県]]・[[日光県]]([[下野国]])<br />[[館林県]]([[上野国]])<hr />[[宇都宮県]]|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1871年]] -|years2=}} {{s-aft|after=-----<hr />[[群馬県]](上野国)|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{栃木県の自治体}} {{栃木県の郡}} {{大学コンソーシアムとちぎ}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:とちきけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:栃木県|*]]
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鳥取県
鳥取県(とっとりけん)は、日本の中国地方にある県である。県庁所在地は鳥取市。 日本海側にあり、山陰地方の東側を占める。面積は約3,507平方キロメートルと全国で7番目に小さく、人口は約55万人で最も少ない。基礎自治体は4市14町1村で、市の数も最も少ない。 国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、鳥取県の面積は3507.13平方キロメートルである。 国土地理院地理情報によると、鳥取県の東西南北それぞれの端は以下の位置で東西の長さは125.41キロメートル、南北の長さは61.79キロメートルである。 県内ほぼ全域が日本海側気候で、全域が豪雪地帯対策特別措置法に基づく豪雪地帯に指定されている。(県内全域の豪雪地帯は国内最西端。ただし、特別豪雪地帯は指定されていない。) 春と秋は好天の日が多く、夏は南風によるフェーン現象で猛暑日となることもあるが、平野部でも熱帯夜は少ない。 冬は曇りや雨、雪の日が多いが、平野部の1月平均気温は4°C台と東京郊外や愛知県名古屋市、京都市と同じくらいであり、冷え込みは厳しくない。米子市などの西部沿岸部は平年の最深積雪は20センチメートル程度と比較的雪は少ないが、東へ行くほど降雪/積雪量は多くなり、鳥取市では中心部でも平年で40センチメートル以上の最深積雪を観測する。東部では、JPCZ(日本海寒帯気団収束帯)の影響を受けやすい鳥取市や岩美町などの沿岸部のほうが智頭町などの内陸部よりも降雪量が多くなることがある。 特に大山周辺の内陸山地は山陰一の豪雪地帯となっており、冷え込みも厳しく−15°C以下にまで下がることもある。 県域は、かつての因幡国、伯耆国に相当し、4市・5郡・14町・1村がある(町は全て「ちょう」、村は「そん」と読む。)。現在は、東部・中部・西部の3つに区分するのが一般的で、県庁所在地の鳥取市を中心とする東部は旧因幡国、倉吉市を中心とする中部と米子市や境港市を中心とする西部は旧伯耆国。旧因幡の東部に対して、同じ伯耆であった西部と中部を総称して中・西部と二区分にすることもある。また、全国的に行われている市町村合併による新規市制の発足において、新しい名称の市が誕生しなかった数少ない都道府県(他に神奈川県、大阪府、山形県、宮崎県)である。 鳥取平野を中心とする旧因幡国の区域に相当し、鳥取砂丘や白兎海岸などの景勝地がある。県庁所在地で県唯一の中核市である鳥取市は、液晶工場などが立地する工業都市でもある。 面積:1,518.22km、 推計人口:217,912人、 人口密度:143.5人/km 旧伯耆国の東部、倉吉平野を中心とする区域。白壁土蔵群で知られる倉吉市を中心とし、三朝温泉、はわい温泉、東郷温泉といった温泉地も多い。 面積:780.43km、 推計人口:95,066人、 人口密度:121.8人/km かつての伯耆国西部、米子平野や日野川流域を含む地域。中国地方最高峰で日本百名山の一つ・大山(1,729m)があり、古来から西隣である島根県の旧出雲国地域との結びつきが強い。 面積:1,208.48km、 推計人口:224,020人、 人口密度:185.4人/km 府県予報区は「鳥取県」。一次予報区分は2区分、「市町村等をまとめた地域」は5区分。二次予報区分は鳥取市以外は市町村単位で、鳥取市のみ北部・南部の2つに分かれている。 「鳥取」の語は、『古事記』『日本書紀』の垂仁天皇に「鳥取造(ととりのみやつこ)」や「鳥取部(ととりべ)」が見える。 『古事記』には、大和朝廷が諸国に鳥を捕らえさせ、これを税として納めるように命じていたという一節があり、当時、沼や沢の多い湿地帯であった鳥取平野で水辺に集まる鳥などを捕らえて暮らしていた狩猟民族が、大和国(現・奈良県)に政権ができてからその支配体系に組み込まれ、「鳥取部」として従属するようになり、そこからこの地が「鳥取」と呼ばれるようになったとされる。 『日本書紀』垂仁天皇二十三年九月から十一月の条にかけて「鳥取」の起源説話が見える。誉津別王子(ほむつわけのみこ)が成人しても言葉が喋れないことを天皇が憂いていた時、大空を白鳥が飛んでいるのを見つけ「是何物ぞ」と発した。天皇、喜びて、その鳥の捕獲を命じた。天湯河板挙(あまのゆかわたな)が鳥を追い続け各地を巡り、ついに出雲の地(現在の島根県安来地方だという説が有力)で捕獲に成功した。この功績から「鳥取造」の称号(姓=かばね)を拝命した。『古事記』にも同類の説話が見えるが、結末が違っている。 『和名類聚抄』の因幡国邑美(おうみ)郡の五郷の一つに鳥取がある。この郷名は、上述の垂仁天皇の王子である本牟智和気御子(ほむちわけみこ)のために設置された鳥取部に由来する。この辺り一帯が沼地で、全国の白鳥伝説との関連が取り上げられている。文書のうえでは、天慶3年(940年)の因幡国高草郡東大寺領高庭庄坪付注進状(東南院文書)に「主張鳥取高俊」(郡司と推定)の署名が初見である。 山陰道:因幡国・伯耆国 大山裾野丘陵から後期旧石器時代の黒曜石製と安山岩製のナイフ形石器や削器、彫器・掻器が見つかっている。今から約2万3千年前以降のものと推測される。また、旧石器時代終わりごろの黒曜石製細石刃と呼ばれる石器が発見されている。このように遺物は少数ながら発見されているが、県内からは人が生活した遺跡はまだ発見されていない。 山名氏の領国であったが、戦国時代末期には毛利輝元と織田信長の係争地となり、信長配下の羽柴秀吉が鳥取城を攻略。配下の宮部継潤が城代を経て正式に鳥取城主となる。伯耆国においては羽柴・毛利氏の和睦により、東部は羽柴氏傘下となった南条元続が、西部は毛利方の吉川氏が所領を安堵された。 因幡国では関ヶ原の戦いで敗れた西軍方であった宮部長熈、垣屋恒総、木下重堅が改易され、代わって亀井茲矩、池田長吉、山崎家盛の3大名が統治した。関ヶ原の戦い以前から鹿野城主であった亀井氏に関しては加増、それ以外の大名は転封された。 伯耆国においても吉川広家(吉川元春の三男)、南条元忠(元続の子)が西軍方として改易・転封処分となり、中村忠一が入部した。慶長14年(1609年)に中村忠一が急死すると、その翌年には加藤貞泰、市橋長勝、関一政の3大名に分割された。この時、河村郡・久米郡は江戸幕府天領(直轄領)となり、山田直時・伊丹康勝が代官として派遣された。また、慶長19年(1614年)には里見忠義が倉吉に配流され、久米郡の一部4,000石が与えられた。 その後、元和4年(1618年)、池田光政が鳥取城に入部し、因伯2国からなる鳥取藩が成立した。このほか、鹿奴藩・若桜藩の2つの新田藩があった。 伯耆国汗入郡の大山寺は僧・豪円の活躍によって慶長15年(1610年)、徳川秀忠より寺領3,000石が認められた。この大山寺領は西伯耆一帯に散在し、18ヵ村が大山寺本坊西楽院の管掌下に置かれた。大山寺は鳥取藩士とは別の大山侍と呼ばれる武士を登用し、寺領支配に携わらせた。 全国の都道府県で最も人口が少ない。また全国のどの政令指定都市よりも少なく、千葉県船橋市や埼玉県川口市、鹿児島市などよりも少ない。2021年3月には、県の人口が戦後初めて55万人を割り込んだ。 県外からの移住者は年間2,000人程度で、休暇(バケーション)を楽しみやすい土地で仕事(ワーク)をしてもらう「ワーケーション」を掲げるなどして移住者誘致を図っている。人口密度は全国37位で、鹿児島県・長野県のそれと近い。 一方、1人の女性が生涯に産む子どもの数の平均値である合計特殊出生率は21世紀以降、人口置換水準には届かないものの一貫して全国平均を上回っており、特に2010年代以降は沖縄県、南部九州各県、隣接する島根県などと共に全国トップクラスである。2022年には日本全体の出生数が前年比で約5%減少した中、鳥取県は全国唯一の増加した県となった。 鳥取県の行政機関は、鳥取県庁のほか、地方機関として総合事務所などが置かれている。なお、鳥取市・岩美町・若桜町・智頭町・八頭町については本庁が担当する。伯耆町(旧溝口町)は2005年(平成17年)4月1日に日野総合事務所から西部総合事務所へ、鳥取市(河原町・用瀬町・佐治町)は2007年(平成19年)4月1日に八頭総合事務所から東部総合事務所へ、それぞれ移管された。2013年(平成25年)4月1日に東部・八頭の各総合事務所が本庁に集約、日野総合事務所が西部総合事務所日野振興センターとなった。2014年(平成26年)4月1日に県税部門の一部の業務が特定の県税事務所に集約された。2018年(平成30年)4月1日の鳥取市の中核市移行に伴い、東部福祉保健事務所・東部生活環境事務所が鳥取市に移譲され、鳥取市保健所となった(管轄区域は変更なし。岩美町・若桜町・智頭町・八頭町についても、鳥取県からの事務委託により鳥取市に移譲)。 地方債の残高 衆議院の小選挙区が2区ある。参議院では鳥取県選挙区として全県で1区を構成していたが、2016年の第24回参議院議員通常選挙より島根県選挙区と合区され、鳥取県・島根県選挙区となり島根県とともに1区を構成する合同選挙区が創設された。 人口が日本国内で一番少ない県であるため、県内総生産(名目GDP)も2008年4月から2009年3月までのベース(平成20年度の統計)で1兆9927億円と47都道府県では最も小さく、世界の中では国内総生産 (GDP) のランクが90位程度の国と同程度である。なお、これを一人当たりで見ると和歌山県・岩手県のそれに近い。また、一人当たり県民所得は230.4万円であり、全国平均の83.7%である。これは、熊本県・鹿児島県のそれに近い。 ちなみに、鳥取県はスターバックスが未出店である唯一の県だったが、2015年5月23日に同店の鳥取県1号店が鳥取市の鳥取駅南口付近に開業した。これにより、スターバックスは47都道府県全てに店舗を構えることになった。その後、イオンモール鳥取北内にも出店している。 農作物ではスイカ(西瓜)、らっきょう、二十世紀梨など全国的に有名。米や野菜、果物などもバランスよく生産されている。砂丘らっきょう、大山ブロッコリー、こおげ花御所柿、大栄西瓜は地理的表示(GI)登録されている。 海産物では松葉ガニが名産で、「五輝星」(いつきぼし)という県認定ブランド蟹がある。 農業生産額の割合は野菜が全生産額の28.4%で最も多く、米が19.5%、鶏(鶏卵・ブロイラー)が13.6%、乳用牛が10.5%、果実9.4%を占めている。 鳥取県警察本部の管轄にある。2005年(平成17年)4月1日に再編が行われ、以下の9警察署が置かれている。 おおむね、兵庫県境~島根県境までの海岸線に沿った旧山陰道のルートに沿って走る幹線(鉄道の山陰本線や国道9号線)が県内主要都市(もしくはその付近)を通り、鳥取・米子・倉吉の各都市近辺から中国山地・山陽方面へルートが分岐する構造になっている。 県内一帯で普通列車の本数は米子市近郊の一部区間を除いて毎時1本以下となっており、県内における営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。 ()のないものは県内のみを走る路線。 日ノ丸自動車、日本交通の2社があり、県内の路線バスや県内各都市と県外を結ぶ高速バスを運行。 どんぐりコロコロは米子第一交通の運行、はまるーぷバスは共立メンテナンスの運行、他3つは日本交通・日ノ丸自動車の共同運行。 鳥取県は、全国で最もバスの利用者が少ない。 島根県の松江市内に松江道路が開通した1998年(平成10年)4月17日以降、鳥取県は長らく「日本で唯一都道府県庁所在都市に高速道路がない県」であったが、2004年(平成16年)11月1日に山陰自動車道青谷インターチェンジのある青谷町を編入合併したため、解消された。 国立 公立 私立 私立 私立 国立 鳥取県・島根県の県域民放各局は互いの県に乗り入れて放送を実施している。詳しくは、「電波相互乗り入れ#乗り入れの経緯とその後」の項目を参照されたい。局名の後の( )内は局所在地。 ※山陰地方には、 ANN(テレビ朝日)系列局やTXN(テレビ東京)系列局などがないため、ケーブルテレビ経由で県外の系列局を視聴する形となっている。なお、テレビ朝日系に関しては、キー局のテレビ朝日が取材拠点としてテレビ朝日米子支局・テレビ朝日鳥取支局を置いている。 鳥取県の方言は、東部・中部と西部で大きく異なる。東部(因幡)の因州弁・中部(東伯耆)の倉吉弁は、兵庫県の北部の但馬弁と共通した特徴を持ち、東山陰方言に分類されている。一方で、西部(西伯耆)の方言は島根県の東部の出雲弁と共通した特徴を持ち、雲伯方言に分類されている。 鳥取商工会議所青年部が提唱し、2017年から使用している。夜間に人工の明かりが少なく、どの市町村からでも天の川が見えることや、鳥取市が星の見えやすさ日本一となったこと、また県が以前から使っている「蟹取県」にちなむ。 これにちなんだブランド米「星空舞」の販売が2019年に始まった。 小惑星(4720) Tottoriは鳥取に因んで命名された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "鳥取県(とっとりけん)は、日本の中国地方にある県である。県庁所在地は鳥取市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "日本海側にあり、山陰地方の東側を占める。面積は約3,507平方キロメートルと全国で7番目に小さく、人口は約55万人で最も少ない。基礎自治体は4市14町1村で、市の数も最も少ない。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、鳥取県の面積は3507.13平方キロメートルである。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "国土地理院地理情報によると、鳥取県の東西南北それぞれの端は以下の位置で東西の長さは125.41キロメートル、南北の長さは61.79キロメートルである。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "県内ほぼ全域が日本海側気候で、全域が豪雪地帯対策特別措置法に基づく豪雪地帯に指定されている。(県内全域の豪雪地帯は国内最西端。ただし、特別豪雪地帯は指定されていない。)", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "春と秋は好天の日が多く、夏は南風によるフェーン現象で猛暑日となることもあるが、平野部でも熱帯夜は少ない。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "冬は曇りや雨、雪の日が多いが、平野部の1月平均気温は4°C台と東京郊外や愛知県名古屋市、京都市と同じくらいであり、冷え込みは厳しくない。米子市などの西部沿岸部は平年の最深積雪は20センチメートル程度と比較的雪は少ないが、東へ行くほど降雪/積雪量は多くなり、鳥取市では中心部でも平年で40センチメートル以上の最深積雪を観測する。東部では、JPCZ(日本海寒帯気団収束帯)の影響を受けやすい鳥取市や岩美町などの沿岸部のほうが智頭町などの内陸部よりも降雪量が多くなることがある。 特に大山周辺の内陸山地は山陰一の豪雪地帯となっており、冷え込みも厳しく−15°C以下にまで下がることもある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "県域は、かつての因幡国、伯耆国に相当し、4市・5郡・14町・1村がある(町は全て「ちょう」、村は「そん」と読む。)。現在は、東部・中部・西部の3つに区分するのが一般的で、県庁所在地の鳥取市を中心とする東部は旧因幡国、倉吉市を中心とする中部と米子市や境港市を中心とする西部は旧伯耆国。旧因幡の東部に対して、同じ伯耆であった西部と中部を総称して中・西部と二区分にすることもある。また、全国的に行われている市町村合併による新規市制の発足において、新しい名称の市が誕生しなかった数少ない都道府県(他に神奈川県、大阪府、山形県、宮崎県)である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "鳥取平野を中心とする旧因幡国の区域に相当し、鳥取砂丘や白兎海岸などの景勝地がある。県庁所在地で県唯一の中核市である鳥取市は、液晶工場などが立地する工業都市でもある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "面積:1,518.22km、 推計人口:217,912人、 人口密度:143.5人/km", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "旧伯耆国の東部、倉吉平野を中心とする区域。白壁土蔵群で知られる倉吉市を中心とし、三朝温泉、はわい温泉、東郷温泉といった温泉地も多い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "面積:780.43km、 推計人口:95,066人、 人口密度:121.8人/km", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "かつての伯耆国西部、米子平野や日野川流域を含む地域。中国地方最高峰で日本百名山の一つ・大山(1,729m)があり、古来から西隣である島根県の旧出雲国地域との結びつきが強い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "面積:1,208.48km、 推計人口:224,020人、 人口密度:185.4人/km", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "府県予報区は「鳥取県」。一次予報区分は2区分、「市町村等をまとめた地域」は5区分。二次予報区分は鳥取市以外は市町村単位で、鳥取市のみ北部・南部の2つに分かれている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "「鳥取」の語は、『古事記』『日本書紀』の垂仁天皇に「鳥取造(ととりのみやつこ)」や「鳥取部(ととりべ)」が見える。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "『古事記』には、大和朝廷が諸国に鳥を捕らえさせ、これを税として納めるように命じていたという一節があり、当時、沼や沢の多い湿地帯であった鳥取平野で水辺に集まる鳥などを捕らえて暮らしていた狩猟民族が、大和国(現・奈良県)に政権ができてからその支配体系に組み込まれ、「鳥取部」として従属するようになり、そこからこの地が「鳥取」と呼ばれるようになったとされる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "『日本書紀』垂仁天皇二十三年九月から十一月の条にかけて「鳥取」の起源説話が見える。誉津別王子(ほむつわけのみこ)が成人しても言葉が喋れないことを天皇が憂いていた時、大空を白鳥が飛んでいるのを見つけ「是何物ぞ」と発した。天皇、喜びて、その鳥の捕獲を命じた。天湯河板挙(あまのゆかわたな)が鳥を追い続け各地を巡り、ついに出雲の地(現在の島根県安来地方だという説が有力)で捕獲に成功した。この功績から「鳥取造」の称号(姓=かばね)を拝命した。『古事記』にも同類の説話が見えるが、結末が違っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "『和名類聚抄』の因幡国邑美(おうみ)郡の五郷の一つに鳥取がある。この郷名は、上述の垂仁天皇の王子である本牟智和気御子(ほむちわけみこ)のために設置された鳥取部に由来する。この辺り一帯が沼地で、全国の白鳥伝説との関連が取り上げられている。文書のうえでは、天慶3年(940年)の因幡国高草郡東大寺領高庭庄坪付注進状(東南院文書)に「主張鳥取高俊」(郡司と推定)の署名が初見である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "山陰道:因幡国・伯耆国", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "大山裾野丘陵から後期旧石器時代の黒曜石製と安山岩製のナイフ形石器や削器、彫器・掻器が見つかっている。今から約2万3千年前以降のものと推測される。また、旧石器時代終わりごろの黒曜石製細石刃と呼ばれる石器が発見されている。このように遺物は少数ながら発見されているが、県内からは人が生活した遺跡はまだ発見されていない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "山名氏の領国であったが、戦国時代末期には毛利輝元と織田信長の係争地となり、信長配下の羽柴秀吉が鳥取城を攻略。配下の宮部継潤が城代を経て正式に鳥取城主となる。伯耆国においては羽柴・毛利氏の和睦により、東部は羽柴氏傘下となった南条元続が、西部は毛利方の吉川氏が所領を安堵された。", 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ANN(テレビ朝日)系列局やTXN(テレビ東京)系列局などがないため、ケーブルテレビ経由で県外の系列局を視聴する形となっている。なお、テレビ朝日系に関しては、キー局のテレビ朝日が取材拠点としてテレビ朝日米子支局・テレビ朝日鳥取支局を置いている。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "鳥取県の方言は、東部・中部と西部で大きく異なる。東部(因幡)の因州弁・中部(東伯耆)の倉吉弁は、兵庫県の北部の但馬弁と共通した特徴を持ち、東山陰方言に分類されている。一方で、西部(西伯耆)の方言は島根県の東部の出雲弁と共通した特徴を持ち、雲伯方言に分類されている。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "鳥取商工会議所青年部が提唱し、2017年から使用している。夜間に人工の明かりが少なく、どの市町村からでも天の川が見えることや、鳥取市が星の見えやすさ日本一となったこと、また県が以前から使っている「蟹取県」にちなむ。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "これにちなんだブランド米「星空舞」の販売が2019年に始まった。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "小惑星(4720) Tottoriは鳥取に因んで命名された。", "title": "その他" } ]
鳥取県(とっとりけん)は、日本の中国地方にある県である。県庁所在地は鳥取市。 日本海側にあり、山陰地方の東側を占める。面積は約3,507平方キロメートルと全国で7番目に小さく、人口は約55万人で最も少ない。基礎自治体は4市14町1村で、市の数も最も少ない。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 鳥取県 | 画像 = {{multiple image | border = infobox | total_width = 270 | image_style = border:1; | perrow = 2/2 | image1 = Tottori-Sakyu Tottori Japan.JPG | image2 = Uradome_Coast_Sengan-Matsushima.JPG | image3 = Misasa_onsen01bs3200.jpg | image4 = Mt_Daisen_Full_View.jpg }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:50%">[[鳥取砂丘]]<td style="width:50%">[[浦富海岸]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[三朝温泉]]<td style="width:50%">[[大山 (鳥取県)|大山]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|鳥取県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[鳥取県旗]] | 都道府県章 = [[File:Emblem of Tottori Prefecture.svg|70px|鳥取県章]] | 都道府県章の説明 = 鳥取県章 | 区分 = 県 | コード = 31000-0 | ISO 3166-2 = JP-31 | 隣接都道府県 = {{flag|兵庫県}}<br/>{{flag|島根県}}<br/>{{flag|岡山県}}<br/>{{flag|広島県}} | 木 = [[イチイ#キャラボク|ダイセンキャラボク]] | 花 = [[二十世紀梨|二十世紀梨の花]] | 鳥 = [[オシドリ]] | シンボル名 = 他のシンボル | 歌など = 県民の日:[[9月12日]]<br />県の魚:[[ヒラメ]]<br />県の歌:鳥取県民歌『[[わきあがる力]]』<br />県のキャラクター : [[トリピー]] | 郵便番号 = 680-8570 | 所在地 = [[鳥取市]]東町一丁目220番地<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-31|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=7|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=220|frame-height=160|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}}<br />[[ファイル:Tottori Prefectural Office02s3s4410.jpg|220px|鳥取県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 31 Tottori prefecture.svg|320px|鳥取県の位置]]{{基礎自治体位置図|31|000|image=Map of Tottori Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} '''鳥取県'''(とっとりけん)は、[[日本]]の[[中国地方]]にある[[都道府県|県]]である。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[鳥取市]]。 [[日本海側]]にあり<ref name="プロフィール">[https://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=1412 鳥取県のプロフィール]鳥取県庁ホームページ(2020年1月24日閲覧)</ref>、[[山陰地方]]の東側を占める。[[面積]]は約3,507[[平方キロメートル]]<ref name="プロフィール"/>と全国で7番目に小さく、[[人口]]は約55万人<ref name="プロフィール"/><ref group="注釈">鳥取県の最大人口は1988年の61万6371人。</ref>で最も少ない。[[基礎自治体]]は4[[市]]14[[町#日本の地方制度としての町|町]]1[[村]]<ref name="プロフィール"/>で、市の数も最も少ない。 == 地理・地域 == === 面積 === {{座標一覧|節=広袤(こうぼう)}} [[国土地理院]]の全国都道府県市区町村別面積調によると、鳥取県の面積は{{自治体面積/鳥取県|鳥取県}}平方キロメートルである<ref>[https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO-title.htm 全国都道府県市区町村別面積調] 国土地理院 2013年11月28日閲覧</ref>。 [https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/kendata/tottori_heso.pdf 国土地理院地理情報]によると、鳥取県の東西南北それぞれの端は以下の位置で東西の長さは125.41キロメートル、南北の長さは61.79キロメートルである。 {|border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="0" style="font-size:small;text-align:center" | ||北端<br />{{ウィキ座標度分秒|35|36|52|N|134|22|12|E|type:landmark_region:JP|name=鳥取県最北端}}<br />↑||重心<br />{{ウィキ座標度分秒|35|21|49|N|133|50|56|E|type:landmark_region:JP|name=鳥取県重心}} |- |西端<br />{{ウィキ座標度分秒|35|4|13|N|133|8|9|E|type:landmark_region:JP|name=鳥取県最西端}}←||中心点<br />{{ウィキ座標度分秒|35|20|9.5|N|133|49|32|E|type:landmark_region:JP|name=鳥取県中心点}}||東端<br />→{{ウィキ座標度分秒|35|16|40|N|134|30|55|E|type:landmark_region:JP|name=鳥取県最東端}} |- | ||↓<br />南端<br />{{ウィキ座標度分秒|35|3|27|N|133|16|9|E|type:landmark_region:JP|name=鳥取県最南端}}|| |} === 地形 === ; 平野・盆地・高原 * [[鳥取平野]] * [[倉吉平野]] * [[米子平野]] ; 山地 [[ファイル:Daisen highest peak.jpg|thumb|大山]] [[ファイル:湖山池.jpg|thumb|湖山池]] * [[中国山地]]:[[大山 (鳥取県)|大山]]、[[那岐山]]、[[氷ノ山]]([[兵庫県]][[県境]]) ; 河川 * [[千代川]] * [[天神川]] * [[日野川]] ; 湖沼 * [[湖山池]] * [[東郷池]] * [[中海]] ; 海 * [[日本海]]:[[美保湾]] - [[鳥取県の島の一覧]] ; 半島・岬 * [[弓ヶ浜半島]](夜見ヶ浜半島) === 自然公園 === * [[国立公園]] ** [[大山隠岐国立公園]] ** [[山陰海岸国立公園]] * [[国定公園]] ** [[氷ノ山後山那岐山国定公園]] ** [[比婆道後帝釈国定公園]] * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] ** [[三朝東郷湖県立自然公園]] ** [[奥日野県立自然公園]] ** [[西因幡県立自然公園]] === 気候 === 県内ほぼ全域が[[日本海側気候]]で、全域が[[豪雪地帯対策特別措置法]]に基づく[[豪雪地帯]]に指定されている。(県内全域の豪雪地帯は国内最西端。ただし、特別豪雪地帯は指定されていない。) 春と秋は好天の日が多く、夏は南風による[[フェーン現象]]で[[猛暑#猛暑日|猛暑日]]となることもあるが、平野部でも[[熱帯夜]]は少ない。 冬は曇りや雨、雪の日が多いが、平野部の1月平均気温は4[[セルシウス度|℃]]台と[[東京]]郊外や[[愛知県]][[名古屋市]]、[[京都市]]と同じくらいであり、冷え込みは厳しくない。[[米子市]]などの西部沿岸部は平年の最深積雪は20[[センチメートル]]程度と比較的雪は少ないが、東へ行くほど降雪/積雪量は多くなり、鳥取市では中心部でも平年で40センチメートル以上の最深積雪を観測する。東部では、[[日本海寒帯気団収束帯|JPCZ(日本海寒帯気団収束帯)]]の影響を受けやすい鳥取市や[[岩美町]]などの沿岸部のほうが[[智頭町]]などの内陸部よりも降雪量が多くなることがある。 特に[[大山 (鳥取県)|大山]]周辺の内陸山地は[[山陰]]一の豪雪地帯となっており、冷え込みも厳しく[[氷点下|&minus;]]15°C以下にまで下がることもある。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+鳥取県内各地の平年値(統計期間:1981年 - 2010年(湖山は2003年以降)、出典:[https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php?prec_no=&block_no=&year=&month=&day=&view= 気象庁・過去の気象データ検索]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="8"|沿岸部 !colspan="2"|内陸部 |- ![[岩美町]]<br />岩井!![[鳥取市|鳥取]] ![[鳥取市]]<br />[[鳥取空港|湖山]]!![[鳥取市]]<br />[[青谷町|青谷]] ![[倉吉市|倉吉]]!![[大山町]]<br />塩津 ![[米子市|米子]]!![[境港市|境港]] ![[智頭町|智頭]]!![[日南町]]<br />茶屋 |- !rowspan="2"|平均<br />[[気温]]<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |25.5<br />(8月)||27.0<br />(8月) |26.8<br />(8月)||25.9<br />(8月) |26.0<br />(8月)||26.0<br />(8月) |26.9<br />(8月)||27.0<br />(8月) |25.1<br />(8月)||23.1<br />(8月) |- !最寒月 |3.5<br />(1月)||4.0<br />(1月) |4.5<br />(1月)||4.3<br />(1月) |4.2<br />(1月)||4.7<br />(2月) |4.4<br />(1月)||4.6<br />(1月) |1.6<br />(1月)||&minus;0.3<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |244.2<br />(9月)||204.0<br />(9月) |192.9<br />(7月)||216.7<br />(9月) |217.9<br />(9月)||226.2<br />(9月) |240.1<br />(7月)||232.5<br />(7月) |229.9<br />(9月)||259.9<br />(7月) |- !最少月 |117.7<br />(4月)||108.6<br />(4月) |80.1<br />(4月)||104.9<br />(4月) |100.7<br />(4月)||102.3<br />(4月) |104.9<br />(4月)||110.6<br />(4月) |123.1<br />(11月)||118.8<br />(4月) |} === 地域区分 === 県域は、かつての[[因幡国]]、[[伯耆国]]に相当し、4市・5郡・14町・1村がある(町は全て「ちょう」、村は「そん」と読む。)。現在は、東部・中部・西部の3つに区分するのが一般的で、県庁所在地の鳥取市を中心とする'''東部'''は旧因幡国、[[倉吉市]]を中心とする'''中部'''と[[米子市]]や[[境港市]]を中心とする'''西部'''は旧伯耆国。旧因幡の東部に対して、同じ伯耆であった西部と中部を総称して'''中・西部'''と二区分にすることもある<ref>[http://www.pref.tottori.lg.jp/9577.htm 県内の市町村/とりネット/鳥取県公式サイト]</ref>。また、全国的に行われている市町村合併による新規市制の発足において、新しい名称の市が誕生しなかった数少ない都道府県(他に[[神奈川県]]、[[大阪府]]、[[山形県]]、[[宮崎県]])である。 {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=鳥取県|float=right}} ==== 東部地区 ==== 鳥取平野を中心とする旧因幡国の区域に相当し、[[鳥取砂丘]]や[[白兎海岸]]などの景勝地がある。県庁所在地で県唯一の[[中核市]]である鳥取市は、[[液晶]]工場などが立地する[[工業都市]]でもある。 * [[鳥取市]] * [[岩美郡]][[岩美町]] * [[八頭郡]][[若桜町]]・[[智頭町]]・[[八頭町]] [[面積]]:{{formatnum:{{ #expr: {{自治体面積/鳥取県|鳥取市}} + {{自治体面積/鳥取県|岩美町}} + {{自治体面積/鳥取県|若桜町}} + {{自治体面積/鳥取県|智頭町}} + {{自治体面積/鳥取県|八頭町}} }}}}[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]、 [[推計人口]]:{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/鳥取県|鳥取市}} + {{自治体人口/鳥取県|岩美町}} + {{自治体人口/鳥取県|若桜町}} + {{自治体人口/鳥取県|智頭町}} + {{自治体人口/鳥取県|八頭町}} }}}}人、 [[人口密度]]:{{formatnum:{{ #expr: ({{自治体人口/鳥取県|鳥取市}} + {{自治体人口/鳥取県|岩美町}} + {{自治体人口/鳥取県|若桜町}} + {{自治体人口/鳥取県|智頭町}} + {{自治体人口/鳥取県|八頭町}}) / ({{自治体面積/鳥取県|鳥取市}} + {{自治体面積/鳥取県|岩美町}} + {{自治体面積/鳥取県|若桜町}} + {{自治体面積/鳥取県|智頭町}} + {{自治体面積/鳥取県|八頭町}}) round 1 }}}}人/km<sup>2</sup> ==== 中部地区 ==== 旧伯耆国の東部、倉吉平野を中心とする区域。[[白壁土蔵群]]で知られる[[倉吉市]]を中心とし、[[三朝温泉]]、[[はわい温泉]]、[[東郷温泉]]といった[[温泉地]]も多い。 * [[倉吉市]] * [[東伯郡]][[三朝町]]・[[湯梨浜町]]・[[琴浦町]]・[[北栄町]] [[面積]]:{{formatnum:{{ #expr: {{自治体面積/鳥取県|倉吉市}} + {{自治体面積/鳥取県|三朝町}} + {{自治体面積/鳥取県|湯梨浜町}} + {{自治体面積/鳥取県|琴浦町}} + {{自治体面積/鳥取県|北栄町}} }}}}km<sup>2</sup>、 [[推計人口]]:{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/鳥取県|倉吉市}} + {{自治体人口/鳥取県|三朝町}} + {{自治体人口/鳥取県|湯梨浜町}} + {{自治体人口/鳥取県|琴浦町}} + {{自治体人口/鳥取県|北栄町}} }}}}人、 [[人口密度]]:{{formatnum:{{ #expr: ({{自治体人口/鳥取県|倉吉市}} + {{自治体人口/鳥取県|三朝町}} + {{自治体人口/鳥取県|湯梨浜町}} + {{自治体人口/鳥取県|琴浦町}} + {{自治体人口/鳥取県|北栄町}}) / ({{自治体面積/鳥取県|倉吉市}} + {{自治体面積/鳥取県|三朝町}} + {{自治体面積/鳥取県|湯梨浜町}} + {{自治体面積/鳥取県|琴浦町}} + {{自治体面積/鳥取県|北栄町}}) round 1 }}}}人/km<sup>2</sup> ==== 西部地区 ==== かつての伯耆国西部、米子平野や[[日野川]]流域を含む地域。中国地方[[最高峰]]で[[日本百名山]]の一つ・[[大山 (鳥取県)|大山]](1,729m)があり、古来から西隣である[[島根県]]の旧[[出雲国]]地域との結びつきが強い。 * [[米子市]] * [[境港市]] * [[西伯郡]][[日吉津村]]・[[大山町]]・[[南部町 (鳥取県)|南部町]]・[[伯耆町]] * [[日野郡]][[日南町]]・[[日野町 (鳥取県)|日野町]]・[[江府町]] ** [[大山町]]のうち、旧[[中山町 (鳥取県)|中山町]]の区域については、中部として扱われることもある。 [[面積]]:{{formatnum:{{ #expr: {{自治体面積/鳥取県|米子市}} + {{自治体面積/鳥取県|境港市}} + {{自治体面積/鳥取県|大山町}} + {{自治体面積/鳥取県|南部町}} + {{自治体面積/鳥取県|伯耆町}} + {{自治体面積/鳥取県|日吉津村}} + {{自治体面積/鳥取県|日南町}} + {{自治体面積/鳥取県|日野町}} + {{自治体面積/鳥取県|江府町}} }}}}km<sup>2</sup>、 [[推計人口]]:{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/鳥取県|米子市}} + {{自治体人口/鳥取県|境港市}} + {{自治体人口/鳥取県|大山町}} + {{自治体人口/鳥取県|南部町}} + {{自治体人口/鳥取県|伯耆町}} + {{自治体人口/鳥取県|日吉津村}} + {{自治体人口/鳥取県|日南町}} + {{自治体人口/鳥取県|日野町}} + {{自治体人口/鳥取県|江府町}} }}}}人、 [[人口密度]]:{{formatnum:{{ #expr: ({{自治体人口/鳥取県|米子市}} + {{自治体人口/鳥取県|境港市}} + {{自治体人口/鳥取県|大山町}} + {{自治体人口/鳥取県|南部町}} + {{自治体人口/鳥取県|伯耆町}} + {{自治体人口/鳥取県|日吉津村}} + {{自治体人口/鳥取県|日南町}} + {{自治体人口/鳥取県|日野町}} + {{自治体人口/鳥取県|江府町}}) / ({{自治体面積/鳥取県|米子市}} + {{自治体面積/鳥取県|境港市}} + {{自治体面積/鳥取県|大山町}} + {{自治体面積/鳥取県|南部町}} + {{自治体面積/鳥取県|伯耆町}} + {{自治体面積/鳥取県|日吉津村}} + {{自治体面積/鳥取県|日南町}} + {{自治体面積/鳥取県|日野町}} + {{自治体面積/鳥取県|江府町}}) round 1 }}}}人/km<sup>2</sup> ==== 気象庁による予報区分 ==== [[府県予報区]]は「鳥取県」。[[一次予報区分]]は2区分、「[[市町村等をまとめた地域]]」は5区分。[[二次予報区分]]は鳥取市以外は市町村単位で、鳥取市のみ北部・南部の2つに分かれている。 *東部 **鳥取地域 - [[鳥取市]]北部(八頭地域以外の地域)、[[岩美町]] **八頭地域 - 鳥取市南部(旧[[河原町 (鳥取県)|河原町]]・[[用瀬町]]・[[佐治村]]の地域)、[[八頭町]]、[[若桜町]]、[[智頭町]] *中・西部 **倉吉地域 - [[倉吉市]]、[[湯梨浜町]]、[[北栄町]]、[[三朝町]]、[[琴浦町]] **米子地域 - [[米子市]]、[[境港市]]、[[日吉津村]]、[[大山町]]、[[南部町 (鳥取県)|南部町]]、[[伯耆町]] **日野地域 - [[日野町 (鳥取県)|日野町]]、[[日南町]]、[[江府町]] == 歴史 == === 県名の起源にまつわる説話 === 「鳥取」の語は、『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』の[[垂仁天皇]]に「鳥取造(ととりのみやつこ)」や「[[鳥取部]](ととりべ)」が見える。 『古事記』には、[[ヤマト政権|大和朝廷]]が諸国に鳥を捕らえさせ、これを税として納めるように命じていたという一節があり、当時、沼や沢の多い[[湿地帯]]であった鳥取平野で水辺に集まる鳥などを捕らえて暮らしていた狩猟民族が、[[大和国]](現・[[奈良県]])に政権ができてからその支配体系に組み込まれ、「鳥取部」として従属するようになり、そこからこの地が「鳥取」と呼ばれるようになったとされる<ref>[http://www.pref.tottori.lg.jp/item/26128.htm 民話・神話]鳥取県庁</ref>。 『日本書紀』垂仁天皇二十三年九月から十一月の条にかけて「鳥取」の起源説話が見える。[[誉津別命|誉津別王子]](ほむつわけのみこ)が成人しても言葉が喋れないことを[[天皇]]が憂いていた時、大空を[[ハクチョウ|白鳥]]が飛んでいるのを見つけ「是何物ぞ」と発した。天皇、喜びて、その鳥の捕獲を命じた。[[天湯河板挙]](あまのゆかわたな)が鳥を追い続け各地を巡り、ついに[[出雲]]の地(現在の島根県[[安来市|安来地方]]だという説が有力)で捕獲に成功した。この功績から「鳥取造」の称号([[姓]]=かばね)を拝命した。『古事記』にも同類の[[説話]]が見えるが、結末が違っている。 『[[和名類聚抄]]』の因幡国[[邑美郡|邑美(おうみ)郡]]の五郷の一つに鳥取がある。この郷名は、上述の垂仁天皇の王子である本牟智和気御子(ほむちわけみこ)のために設置された鳥取部に由来する。この辺り一帯が[[沼地]]で、全国の白鳥伝説との関連が取り上げられている。文書のうえでは、[[天慶]]3年([[940年]])の因幡国[[高草郡]][[東大寺]]領高庭[[荘園 (日本)|庄]]坪付注進状(東南院文書)に「主張鳥取高俊」([[郡司]]と推定)の[[署名]]が初見である<ref>内藤正中他『鳥取県の歴史』[[山川出版社]](2003年)</ref>。 [[山陰道]]:[[因幡国]]・[[伯耆国]] === 古代 === 大山裾野丘陵から[[後期旧石器時代]]の[[黒曜石]]製と[[安山岩]]製の[[ナイフ形石器]]や[[石器|削器]]、彫器・掻器が見つかっている。今から約2万3千年前以降のものと推測される。また、旧石器時代終わりごろの黒曜石製[[細石刃]]と呼ばれる石器が発見されている。このように遺物は少数ながら発見されているが、県内からは人が生活した遺跡はまだ発見されていない。 === 室町・戦国時代 === [[山名氏]]の領国であったが、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]末期には[[毛利輝元]]と[[織田信長]]の係争地となり、信長配下の[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]が[[鳥取城の戦い|鳥取城を攻略]]。配下の[[宮部継潤]]が城代を経て正式に鳥取城主となる。[[伯耆国]]においては羽柴・毛利氏の和睦により、東部は羽柴氏傘下となった[[南条元続]]が、西部は毛利方の[[吉川氏]]が所領を安堵された。 === 江戸時代 === 因幡国では[[関ヶ原の戦い]]で敗れた西軍方であった[[宮部長房|宮部長熈]]、[[垣屋恒総]]、[[木下重堅]]が[[改易]]され、代わって[[亀井茲矩]]、[[池田長吉]]、[[山崎家盛]]の3大名が統治した。関ヶ原の戦い以前から[[鹿野城]]主であった[[亀井氏]]に関しては加増、それ以外の大名は転封された。 伯耆国においても[[吉川広家]]([[吉川元春]]の三男)、[[南条元忠]](元続の子)が西軍方として改易・転封処分となり、[[中村一忠|中村忠一]]が入部した。[[慶長]]14年([[1609年]])に中村忠一が急死すると、その翌年には[[加藤貞泰]]、[[市橋長勝]]、[[関一政]]の3大名に分割された。この時、[[河村郡]]・[[久米郡 (鳥取県)|久米郡]]は[[江戸幕府]][[天領]](直轄領)となり、[[山田直時]]・[[伊丹康勝]]が[[代官]]として派遣された。また、慶長19年([[1614年]])には[[里見忠義]]が[[倉吉藩|倉吉]]に[[流刑|配流]]され、久米郡の一部4,000[[石 (単位)|石]]が与えられた。 その後、[[元和 (日本)|元和]]4年([[1618年]])、[[池田光政]]が鳥取城に入部し、因伯2国からなる[[鳥取藩]]が成立した。このほか、[[鳥取藩#鹿奴藩|鹿奴藩]]・[[鳥取藩#若桜藩|若桜藩]]の2つの新田藩があった。 伯耆国[[汗入郡]]の[[大山寺 (鳥取県大山町)|大山寺]]は僧・[[豪円]]の活躍によって慶長15年([[1610年]])、[[徳川秀忠]]より[[寺社領|寺領]]3,000石が認められた。この大山寺領は西伯耆一帯に散在し、18ヵ村が大山寺本坊西楽院の管掌下に置かれた。大山寺は鳥取藩士とは別の[[大山侍]]と呼ばれる[[武士]]を登用し、寺領支配に携わらせた。 === 近現代 === * [[1871年]]([[明治4年]])[[7月14日 (旧暦)]] - [[廃藩置県]]により旧[[因幡国]]の8郡([[岩井郡]]・[[邑美郡]]・[[法美郡]]・[[八上郡 (鳥取県)|八上郡]]・[[八東郡]]・[[智頭郡]]・[[高草郡]]・[[気多郡 (鳥取県)|気多郡]])、旧[[伯耆国]]の6郡([[河村郡]]・[[久米郡 (鳥取県)|久米郡]]・[[八橋郡]]・[[汗入郡]]・[[会見郡]]・[[日野郡]])、旧[[播磨国]]の3郡([[神東郡]]・[[神西郡]]・[[印南郡]])の一部が鳥取県となった。 ** [[11月15日 (旧暦)]] - 旧播磨国の領域が[[姫路県]]に編入される。 ** [[12月27日 (旧暦)]] - [[島根県]]より旧[[隠岐国]]が編入される。 * [[1872年]]([[明治5年]]) - 1月、県下を112の区に分け、[[戸長]]・副戸長を任命する。7月、郵便取扱所を設置する。 * [[1873年]]([[明治]]6年) - 6月、会見郡に[[徴兵制]]反対の[[一揆]]勃発する。12月、大区・小区制施行される。 * [[1874年]](明治7年) - 8月、[[地租改正]]に着手する。 * [[1876年]](明治9年)[[8月21日]] - 鳥取県が島根県に併合、鳥取に支庁を設置する。併合は、島根[[県令]]代理の布告で突然行われたため、以後、鳥取県分離運動が盛んになる<ref>{{Cite web|和書|date= 2018-08-22|url= https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180821-OYT8T50044.html?page_no=3&from=yartcl_page|title= “受難”再び…地図から消された「あの2県」 |publisher= 『[[読売新聞]]』|accessdate=2018-08-25}}{{リンク切れ|date=2023年3月}}</ref>。 * [[1881年]](明治14年)[[9月12日]] - 島根県のうち、旧因幡国の8郡、旧伯耆国の6郡が鳥取県として分立・再置される。 * [[1889年]](明治22年) ** [[10月1日]] - 市制施行により、[[邑美郡]]の一部から[[鳥取市]]が発足。 ** [[10月1日]] - [[日吉津村]]が発足(県内で唯一発足から現在に至るまで合併を経験していない市町村)。 * [[1896年]](明治29年)[[4月1日]] - 岩井郡・邑美郡・法美郡が合併し[[岩美郡]]、八上郡・八東郡・智頭郡が合併し[[八頭郡]]、気多郡・高草郡が合併し[[気高郡]]、河村郡・久米郡・八橋郡が合併して[[東伯郡]]、汗入郡・会見郡が合併し[[西伯郡]]が発足。 * [[1909年]](明治42年)[[4月1日]] - 八頭郡若桜村ほか2村が新設合併して町制施行。八頭郡[[若桜町]]が発足。 * [[1914年]]([[大正]]3年)[[6月1日]] - 八頭郡智頭村が町制施行。八頭郡[[智頭町]]が発足。 * [[1927年]]([[昭和]]2年)[[4月1日]] - 西伯郡米子町が鳥取県下で2番目に市制施行。[[米子市]]が発足。 * [[1953年]](昭和28年) ** [[6月1日]] - 日野郡江尾村ほか2村が対等合併。日野郡[[江府町]]となる。 ** [[10月1日]] - 東伯郡倉吉町ほか1町7村が新設合併し、鳥取県下で3番目に市制施行。[[倉吉市]]が発足。 ** [[11月1日]] - 三朝村ほか4村が新設合併し、町制施行。東伯郡[[三朝町]]が発足。 * [[1954年]](昭和29年)[[7月1日]] - 岩美郡浦富町ほか1町7村が新設合併し、岩美郡[[岩美町]]が発足。 * [[1955年]](昭和30年)[[9月1日]] - 西伯郡所子村、高麗村(今津を除く)が新設合併し、町制施行。西伯郡[[大山町]]となる。 * [[1956年]](昭和31年)[[4月1日]] - 西伯郡境港町が鳥取県下で4番目に市制施行。[[境港市]]が発足。 * [[1959年]](昭和34年) ** [[4月1日]] - 日野郡伯南町ほか4村が対等合併し、日野郡[[日南町]]が発足。 ** [[5月1日]] - 日野郡根雨町と黒坂町が対等合併し、日野郡[[日野町 (鳥取県)|日野町]]が発足。 * [[2004年]]([[平成]]16年)[[9月1日]] - 東伯郡[[東伯町]]、[[赤碕町]]が新設合併し、東伯郡[[琴浦町]]が発足。 * [[10月1日]] - 東伯郡[[羽合町]]、[[泊村 (鳥取県)|泊村]]、[[東郷町 (鳥取県)|東郷町]]が新設合併し、東伯郡[[湯梨浜町]]が発足。 * [[10月1日]] - 西伯郡[[西伯町]]、[[会見町]]が新設合併し、西伯郡[[南部町 (鳥取県)|南部町]]が発足。 * [[11月1日]] - 鳥取市が[[岩美郡]][[国府町 (鳥取県)|国府町]]、[[福部村]]、[[気高郡]][[気高町]]、[[鹿野町 (鳥取県)|鹿野町]]、[[青谷町]]、[[八頭郡]][[河原町 (鳥取県)|河原町]]、[[用瀬町]]、[[佐治村]]の8町村を編入。これにより、気高郡が同日消滅。 * [[2005年]](平成17年) ** [[1月1日]] - 西伯郡[[岸本町]]、[[日野郡]][[溝口町]]が新設合併し、西伯郡[[伯耆町]]が発足。 ** [[3月22日]] - 倉吉市が東伯郡[[関金町]]を編入。 ** [[3月28日]] - 西伯郡旧・大山町、[[名和町]]、[[中山町 (鳥取県)|中山町]]が新設合併し、西伯郡新・大山町となる。 ** [[3月31日]] - 旧・米子市、西伯郡[[淀江町]]が新設合併し、新・米子市が発足。 ** [[3月31日]] - 八頭郡[[郡家町 (鳥取県)|郡家町]]、[[船岡町 (鳥取県)|船岡町]]、[[八東町]]が新設合併し、八頭郡[[八頭町]]が発足。 ** [[10月1日]] - 東伯郡[[北条町 (鳥取県)|北条町]]、[[大栄町 (鳥取県)|大栄町]]が新設合併し、東伯郡[[北栄町]]が発足。 ** [[10月1日]] - 鳥取市が山陰初の[[特例市]]に指定される。 * [[2011年]](平成23年)[[1月1日]] - 年末寒波の影響で県西部で記録的な大雪となり、[[国道9号]]線の大渋滞や鉄塔が折れるなどの被害が発生。 * [[2012年]](平成24年)[[9月8日]] - [[日本海]]に面する、鳥取を含む10府県が合同で[[海洋エネルギー資源開発促進日本海連合]]を設立<ref>[http://sankei.jp.msn.com/life/news/120908/trd12090812490005-n1.htm 「海底資源開発で連携 日本海沿岸の10府県」]『[[産経新聞]]』2012年9月8日{{リンク切れ|date=2017年10月}}。他の参加府県は[[秋田県]]、[[山形県]]、[[新潟県]]、[[富山県]]、[[石川県]]、[[福井県]]、[[京都府]]、[[兵庫県]]、[[島根県]]。</ref><ref>[http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0005363224.shtml 「メタンハイドレート活用研究 10府県が会議設立」]『[[神戸新聞]]』2012年9月8日{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref><ref>[http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/39824.html 「日本海の資源開発で連携、連合設立。本県など日本海側10府県」]『[[新潟日報]]』2012年9月10日</ref><ref>[http://www.asahi.com/eco/news/TKY201209080579.html 「メタンハイドレート、日本海でも調査を 10府県が連合」]『[[朝日新聞]]』2012年9月9日</ref>。 * [[2013年]](平成25年)[[10月8日]] - 日本で初めて[[手話]]を言語として扱う[[条例]]を可決<ref>[http://www.pref.tottori.lg.jp/220879.htm 鳥取県手話言語条例]</ref><ref>[http://www.pref.tottori.lg.jp/222957.htm 条例の新設理由]</ref><ref>[https://www.youtube.com/watch?v=ZO2AXmTHOn4 手話でコミュニケーション-鳥取県手話言語条例制定-]</ref><ref>[http://www.jfd.or.jp/2013/10/08/pid11362 鳥取県で全国初の手話言語条例が成立!]</ref><ref>[http://www.asahi.com/politics/update/1008/OSK201310080005.html 「手話は言語」条例、鳥取県が制定 全国初]</ref><ref>[http://www.nhk.or.jp/heart-net/rounan/backnumber/2014/06/0622.html 町に手話が広がった―手話言語条例の鳥取県は今―]</ref><ref>[http://www.fukushishimbun.co.jp/topics/463 鳥取県が初の手話言語条例 年度内制定へ検討]</ref><ref>[http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=88314 全国初の手話言語条例、鳥取県HPに手話コーナー]</ref><ref>[http://torideaf.jp/publics/index/13/ 鳥取県手話言語条例が可決・成立しました]</ref><ref>[http://www.shintoku-town.jp/kurashi/fukushi/syuwajyourei 手話に関する基本条例が施行されました。]</ref>。 * [[2014年]](平成26年)[[11月5日]] - 観光キャンペーンの期間限定で「鳥取県」を「蟹取県」に改名<ref>「[http://j-town.net/tottori/news/localnews/194743.html 鳥取県、とうとう県名を変える]」</ref><ref>[http://www.tottori-guide.jp/wel-kani/ 鳥取県ウェルカニ]</ref>。 == 人口 == 全国の都道府県で最も人口が少ない。また全国のどの[[政令指定都市]]よりも少なく、[[千葉県]][[船橋市]]や[[埼玉県]][[川口市]]、[[鹿児島市]]などよりも少ない。2021年3月には、県の人口が戦後初めて55万人を割り込んだ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/533014|title=鳥取県人口、戦後初55万人割れ|accessdate=2021年9月30日|publisher=}}</ref>。 県外からの移住者は年間2,000人程度で、休暇(バケーション)を楽しみやすい土地で仕事(ワーク)をしてもらう「ワーケーション」を掲げるなどして移住者誘致を図っている<ref name="日経20191219">『[[日本経済新聞]]』朝刊2019年12月19日33面【山陰経済特集】きらめく山陰 人を呼ぶ:「星空舞」や薬草 食に新顔/「仕事しつつ休暇」移住加速へ試す</ref>。[[人口密度]]は全国37位で、鹿児島県・[[長野県]]のそれと近い<ref>[http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=154080#tag02 平成22年版100の指標からみた鳥取県]</ref>。 一方、1人の女性が生涯に産む子どもの数の平均値である[[合計特殊出生率]]は21世紀以降、人口置換水準には届かないものの一貫して全国平均を上回っており、特に2010年代以降は[[沖縄県]]、[[南部九州]]各県、隣接する[[島根県]]などと共に全国トップクラスである。2022年には日本全体の出生数が前年比で約5%減少した中、鳥取県は全国唯一の増加した県となった<ref>[https://www3.nhk.or.jp/lnews/tottori/20230605/4040015159.html 鳥取県の出生率1.60で3年ぶりに上昇 全国で3番目]</ref>。 [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Tottori prefecture, Japan.svg|thumb|300px|鳥取県人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#44AA00|7.5 - 9.99 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=31000|name=鳥取県|image=Demography31000.svg}} == 政治 == === 県政 === {{Main|鳥取県知事一覧|鳥取県庁|鳥取県議会}} * [[都道府県知事|知事]]:[[平井伸治]](ひらい しんじ、4期目) 鳥取県の[[行政]]機関は、鳥取県庁のほか、地方機関として総合事務所などが置かれている<ref>{{Cite web|和書|date= |url=https://www.pref.tottori.lg.jp/soshiki/ |title=県の組織と仕事 |publisher=鳥取県庁 |accessdate=2019-01-02}}</ref>。なお、[[鳥取市]]・[[岩美町]]・[[若桜町]]・[[智頭町]]・[[八頭町]]については本庁が担当する。伯耆町(旧[[溝口町]])は[[2005年]](平成17年)[[4月1日]]に日野総合事務所から西部総合事務所へ、鳥取市([[河原町 (鳥取県)|河原町]]・[[用瀬町]]・[[佐治村|佐治町]])は[[2007年]](平成19年)[[4月1日]]に八頭総合事務所から東部総合事務所へ、それぞれ移管された。[[2013年]](平成25年)4月1日に東部・八頭の各総合事務所が本庁に集約、日野総合事務所が西部総合事務所日野振興センターとなった。[[2014年]](平成26年)4月1日に県税部門の一部の業務が特定の県税事務所に集約された<ref>{{Cite web|和書|date= |url=https://www.pref.tottori.lg.jp/225580.htm |title=平成26年4月1日から県税の一部業務が集約化されます |publisher=鳥取県総務部税務課 |accessdate=2019-01-02}}</ref>。[[2018年]](平成30年)4月1日の鳥取市の中核市移行に伴い、東部福祉保健事務所・東部生活環境事務所が鳥取市に移譲され、鳥取市保健所となった(管轄区域は変更なし。岩美町・若桜町・智頭町・八頭町についても、鳥取県からの事務委託により鳥取市に移譲)。 * 本庁(鳥取市):[[鳥取市]]、[[岩美町]]、[[若桜町]]、[[智頭町]]、[[八頭町]] ** 元気づくり総本部 *** 東部振興監・東部振興課 ** 総務部 *** 東部県税事務所(鳥取市):鳥取市、岩美町、若桜町、智頭町、八頭町(ただし、[[道府県民税|県民税利子割・法人県民税]]、[[事業税|法人事業税]]、[[地方法人特別税]]、[[道府県たばこ税|県たばこ税]]については全域) *** 中部県税事務所(倉吉市):倉吉市、三朝町、湯梨浜町、琴浦町、北栄町(ただし、[[鉱区税]]・産業廃棄物処分場税([[法定外目的税]])については全域) *** 西部県税事務所(米子市):米子市、境港市、日吉津村、大山町、南部町、伯耆町(ただし、[[ゴルフ場利用税]]・[[軽油引取税]]については全域) **** 日野支所(日野町):日南町、日野町、江府町 ** 農林水産部 *** 東部農林事務所(鳥取市):鳥取市、岩美町 **** 八頭事務所(八頭町):若桜町、智頭町、八頭町 ** 県土整備部 *** 鳥取県土整備事務所(鳥取市):鳥取市、岩美町 *** 八頭県土整備事務所(八頭町):若桜町、智頭町、八頭町 * 中部総合事務所(倉吉市):[[倉吉市]]、[[三朝町]]、[[湯梨浜町]]、[[琴浦町]]、[[北栄町]] ** 地域振興局 ** 福祉保健局(倉吉保健所(福祉保健部門)) ** 生活環境局(倉吉保健所(生活環境部門)) ** 農林局 ** 県土整備局 * 西部総合事務所(米子市):[[米子市]]、[[境港市]]、[[日吉津村]]、[[大山町]]、[[南部町 (鳥取県)|南部町]]、[[伯耆町]]、[[日南町]]、[[日野町 (鳥取県)|日野町]]、[[江府町]] ** 地域振興局:米子市、境港市、日吉津村、大山町、南部町、伯耆町 ** 福祉保健局(米子保健所(福祉保健部門)) ** 生活環境局(米子保健所(生活環境部門)) ** 農林局:米子市、境港市、日吉津村、大山町、南部町、伯耆町 ** 米子県土整備局:米子市、境港市、日吉津村、大山町、南部町、伯耆町 ** 日野振興センター(日野町):日南町、日野町、江府町 *** 日野振興局 *** 日野県土整備局 === 財政 === ==== 平成19年度 ==== * [[財政力指数]] 0.27 **IVグループ(財政力指数0.4未満)6自治体中4位 ==== 平成18年度 ==== * 標準財政規模 1881億5700万円 * 一般会計歳入 3763億円 * 一般会計歳出 3695億円 * 財政力指数 0.26 ** IVグループ(財政力指数0.4未満)10自治体中8位 * 経常収支比率 92.8%(都道府県平均 92.6) * 実質収支比率 2.71% * 人口100,000人当たり職員数 1,792.17人(都道府県平均 1,173.11人) * [[ラスパイレス指数]] 97.3(都道府県平均 99.6) * 人口1人あたり人件費・物件費等決算額 18万5089円(都道府県平均 12万4759円) ** 人口規模が大きいほうが規模のメリットが出る指標である * 実質公債費比率 13.0%(都道府県平均 14.7%) * 人口1人当たり地方債現在高 100万9078円(都道府県平均 62万2416円) 地方債の残高 * 普通会計分の地方債現在高 6122億円 * 上記以外の特別会計分の地方債現在高 304億円 ** 特に病院事業会計分 128億4700万円 * 他に[[第三セクター]]等に債務保証残高等 ** 鳥取県農業開発公社の損失補償に係る債務残高 84億9462万円 ==== 平成17年度 ==== *財政力指数 0.24 **IVグループ(財政力指数0.4未満)14自治体中12位 ==== 平成16年度 ==== *財政力指数 0.23 **IVグループ(財政力指数0.4未満)15自治体中13位 === 歴代知事(公選) === * 初代 [[西尾愛治]](1947年4月12日~1954年11月7日、2期) * 2代 [[遠藤茂]](1954年12月7日~1958年11月10日、1期) * 3代 [[石破二朗]](1958年12月3日~1974年2月22日、4期) * 4代 [[平林鴻三]](1974年3月27日~1983年3月9日、3期) * 5代 [[西尾邑次]](1983年4月13日~1999年4月12日、4期) * 6代 [[片山善博]](1999年4月13日~2007年4月12日、2期) * 7代 [[平井伸治]](2007年4月13日~) === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#鳥取県|鳥取県・島根県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が2区ある。[[参議院]]では[[鳥取県選挙区]]として全県で1区を構成していたが、2016年の[[第24回参議院議員通常選挙]]より[[島根県選挙区]]と合区され、[[鳥取県・島根県選挙区]]となり島根県とともに1区を構成する[[参議院合同選挙区|合同選挙区]]が創設された。 == 経済・産業 == === 県内総生産 === 人口が日本国内で一番少ない県であるため、県内総生産(名目GDP)も[[2008年]]4月から[[2009年]]3月までのベース(平成20年度の統計)で1兆9927億円<ref>[http://www.pref.tottori.lg.jp/secure/544590/100201201002b.pdf 平成20年度鳥取県県民経済計算の概要]</ref>と47都道府県では最も小さく、世界の中では[[国内総生産]] (GDP) のランクが90位程度の国と同程度である<ref>[http://ecodb.net/ranking/imf_ngdpd.html 世界の名目GDPランキング]</ref>。なお、これを一人当たりで見ると[[和歌山県]]・[[岩手県]]のそれに近い。また、一人当たり県民所得は230.4万円であり、全国平均の83.7%である。これは、[[熊本県]]・[[鹿児島県]]のそれに近い。 ちなみに、鳥取県は[[スターバックス]]が未出店である唯一の県だったが、[[2015年]][[5月23日]]に同店の鳥取県1号店が[[鳥取市]]の[[鳥取駅]]南口付近に開業した。これにより、スターバックスは47[[都道府県]]全てに店舗を構えることになった。その後、[[イオンモール鳥取北]]内にも出店している。 === 産業別人口 === * [[第一次産業]] 10.9% * [[第二次産業]] 24.8% * [[第三次産業]] 64.3% === 特産品 === [[農作物]]では[[スイカ]](西瓜)、[[らっきょう]]、[[ナシ#二十世紀|二十世紀梨]]など全国的に有名。[[米]]や[[野菜]]、[[果物]]などもバランスよく生産されている。砂丘らっきょう、大山[[ブロッコリー]]、こおげ花御所[[柿]]、大栄西瓜は[[地理的表示]](GI)登録されている<ref name="日経20191219"/>。 海産物では[[ズワイガニ|松葉ガニ]]が名産で、「五輝星」(いつきぼし)という県認定ブランド蟹がある<ref name="日経20191219"/>。 === 農業 === <references group="グループ名" /> 農業生産額の割合は野菜が全生産額の28.4%で最も多く、米が19.5%、[[ニワトリ|鶏]]([[鶏卵]]・[[ブロイラー]])が13.6%、[[乳牛|乳用牛]]が10.5%、果実9.4%を占めている。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00500206&tstat=000001015617&cycle=7&year=20180&month=0&tclass1=000001019794&tclass2=000001138686|title=平成30年生産農業所得統計|accessdate=2020年4月18日|publisher=}}</ref> {{表2列| *二十世紀梨 * [[新甘泉]] * [[白ねぎ]] *スイカ * [[芝]] | * [[しいたけ]] * [[長いも]] *らっきょう *ブロッコリー *ぶどう }} === 漁業 === {{表2列| * [[ズワイガニ|松葉ガニ]] * [[カキ (貝)|岩ガキ]] * [[イカ|白イカ]] | * [[イワシ]] * [[カレイ]] * [[マグロ]] }} === 商業 === ;卸・小売業 * [[サンマート (鳥取県)|サンマート]](鳥取市) * [[エスマート (鳥取県)|Sマート]](鳥取市) * [[丸合]](米子市) * [[東宝企業]](倉吉市) * [[いない]](倉吉市) ;金融機関 * [[山陰合同銀行]](本店は島根県の[[松江市]]だが、県の[[指定金融機関]]である。) * [[鳥取銀行]](県[[指定代理金融機関]]。本店・鳥取市) * [[鳥取県信用農業協同組合連合会]]([[指定代理金融機関]]。本店・鳥取市) *鳥取県[[JFマリンバンク|信用漁業協同組合連合会]]([[指定代理金融機関]]。本店・鳥取市) * [[鳥取信用金庫]](本店・鳥取市) * [[倉吉信用金庫]](本店・倉吉市) * [[米子信用金庫]](本店・米子市) *他に[[みずほ銀行]]、[[中国銀行 (日本)|中国銀行]]、[[島根銀行]]、[[三井住友信託銀行]]などが県内に支店を置いている。 ;県内に店舗を置く主要企業 {{Col| * [[髙島屋]] * [[イオン (店舗ブランド)|イオン]] * [[マックスバリュ]] * [[ローソン]] * [[セブン-イレブン]] * [[ファミリーマート]] * [[ポプラ (コンビニエンスストア)|ポプラ]] * [[日本マクドナルド|マクドナルド]] * [[モスバーガー]] * [[バーガーキング (日本)|バーガーキング]] | * [[天下一品]] * [[来来亭]] * [[物語コーポレーション|丸源ラーメン]] * [[ホッコク|どさん子]] * どさん子大将 * どさん娘 * [[リンガーハット]] * [[餃子の王将]] * [[イートアンド|大阪王将]] * [[はなまるうどん]] * [[丸亀製麺]] * [[トライ・インターナショナル|麺場 田所商店]] | * [[かっぱ寿司]] * [[無添くら寿司]] * [[あきんどスシロー|スシロー]] * [[はま寿司]] * [[KFCコーポレーション|ケンタッキーフライドチキン]] * [[すき家]] * [[吉野家]] * [[なか卯]] * [[すかいらーく|ガスト]] * [[すかいらーく|とんから亭]] * [[かつや]] | * [[トマトアンドアソシエイツ|トマト&オニオン]] * [[すかいらーく|しゃぶ葉]] * [[ココスジャパン|Coco's]] * [[ビッグボーイ (レストラン)|ビッグボーイ]] * [[ジョリーパスタ]] * [[サイゼリヤ]] * [[ジョイフル]] * [[ピザハット]] * [[ドミノ・ピザ]] * [[大戸屋ホールディングス|大戸屋ごはん処]] * [[いきなり!ステーキ]] * [[壱番屋|CoCo壱番屋]] * [[スパイス王国]] * [[ミスタードーナツ]] * [[フロレスタ (ドーナツ店)|フロレスタ]] | * [[モンテローザ (企業)|魚民]] * [[モンテローザ (企業)|笑笑]] * [[レインズインターナショナル|しゃぶしゃぶ温野菜]] * [[レインズインターナショナル|牛角]] * [[さかい (焼肉屋)|焼肉屋さかい]] * [[スターバックス]] * [[ドトールコーヒー]] * [[タリーズコーヒー]] * [[コメダ珈琲店]] * [[マルハン]] * [[サンマルクホールディングス|サンマルクカフェ、倉式珈琲店]] | * [[ゴディバ]] * [[ビアード・パパ]] * [[100満ボルト]] * [[エディオン]] * [[ヤマダ電機]] * [[ケーズホールディングス|ケーズデンキ]] * [[コーナン]] * [[コメリ]] * [[ナフコ (ホームセンター)|ナフコ]] * [[ジュンテンドー]] * [[ナンバ (ホームセンター)|ナンバ]] | * [[カインズ|カインズホーム]] * [[PLANT]] * [[大黒天物産|ラ・ムー、ディオ、ザ・大黒天]] * [[トライアルカンパニー|トライアル]] * [[ダイレックス (ディスカウントストア)|ダイレックス]] * [[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]] * [[ザ・ビッグ]] * [[ニトリ]] * [[ロフト (雑貨店)|LOFT]] * [[良品計画|無印良品]] * [[トイザらス]] * [[アニメイト]] | * [[ツルハグループドラッグ&ファーマシー西日本|ドラッグストアウェルネス]] * [[ココカラファイン|シンヤクドー、ココカラファイン]] * [[サンドラッグ]] * [[ゴダイ|ゴダイドラッグ]] * [[マツモトキヨシ]] * [[コクミン]] * [[コスモス薬品|ディスカウントドラッグコスモス]] * [[ププレひまわり|スーパードラッグひまわり]] * [[ザグザグ]] * [[ウエルシア薬局|ウエルシア]] }}{{clear}} === 工業 === ; 県内に本社を置く主要企業 * ホームセンターいない(倉吉市) * [[日本セラミック]](鳥取市) * [[吉谷機械製作所]](鳥取市) * [[FDK鳥取]](岩美町) * [[オムロン倉吉]](倉吉市) * [[オンキヨートレーディング]](鳥取オンキヨー)(倉吉市) * [[寿スピリッツ]](米子市) * [[丸京製菓]](米子市) * [[宝製菓 (鳥取県)|宝製菓]](琴浦町) * [[ニチラス]](米子市) * [[百年住宅パネル工業]](米子市) * [[井ゲタ竹内]](境港市) * 日本きのこセンター(鳥取市) * [[八幡物産]](米子市) * [[シャープ米子]](米子市) ; 県内に拠点事業所を置く主要企業 * [[王子製紙]]米子工場(米子市) * [[ニッポン高度紙工業]]米子工場(米子市) * [[ミネベアミツミ]]米子工場(米子市) * [[鶴見製作所]]米子工場 (米子市) * [[サントリープロダクツ]]天然水奥大山ブナの森工場(江府町):[[サントリー天然水]]奥大山 * [[コカ・コーラボトラーズジャパン]]大山工場(伯耆町):[[森の水だより]]、[[い・ろ・は・す]] * [[グリコマニュファクチャリングジャパン]]鳥取工場(南部町) == 生活・交通 == === 警察 === {{Main|鳥取県警察}} 鳥取県警察本部の管轄にある。[[2005年]](平成17年)[[4月1日]]に再編が行われ、以下の9警察署が置かれている。 * [[鳥取警察署]](鳥取市):[[鳥取市]](本庁・国府町・福部町地区)、[[岩美町]] * [[郡家警察署]](八頭町):[[若桜町]]、[[八頭町]] * [[智頭警察署]](智頭町):鳥取市(河原町・用瀬町・佐治町地区)、[[智頭町]] * [[浜村警察署]](鳥取市):鳥取市(気高町・鹿野町・青谷町地区) * [[倉吉警察署]](倉吉市):[[倉吉市]]、[[三朝町]]、[[湯梨浜町]]、[[北栄町]] * [[琴浦大山警察署]](琴浦町):[[琴浦町]]、[[大山町]] * [[米子警察署]](米子市):[[米子市]]、[[日吉津村]]、[[南部町 (鳥取県)|南部町]] * [[境港警察署]](境港市):[[境港市]] * [[黒坂警察署]](日野町):[[伯耆町]]、[[日南町]]、[[日野町 (鳥取県)|日野町]]、[[江府町]] === 交通 === おおむね、兵庫県境~島根県境までの海岸線に沿った旧[[山陰道]]のルートに沿って走る幹線(鉄道の[[山陰本線]]や[[国道9号]]線)が県内主要都市(もしくはその付近)を通り、鳥取・米子・倉吉の各都市近辺から中国山地・[[山陽地方|山陽]]方面へルートが分岐する構造になっている。 ==== 鉄道 ==== 県内一帯で普通列車の本数は米子市近郊の一部区間を除いて毎時1本以下となっており、県内における営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。 ()のないものは県内のみを走る路線。 * [[西日本旅客鉄道]] ** [[山陰本線]]([[東浜駅]]~[[米子駅]]間) ** [[伯備線]]([[上石見駅]]~[[伯耆大山駅]]間) ** [[因美線]]([[鳥取駅]]~[[那岐駅]]間) ** [[境線]] * [[若桜鉄道]] ** [[若桜鉄道若桜線|若桜線]] [[ファイル:Chizu Express-HOT7000DC.jpg|thumb|智頭急行を経由して鳥取と[[関西]]を結ぶ特急「[[スーパーはくと]]」の車両]] * [[智頭急行]] ** [[智頭急行智頭線|智頭線]]([[山郷駅]]~[[智頭駅]]間) ;廃止された鉄道路線 * [[日本国有鉄道]]・[[倉吉線]] * [[日ノ丸自動車]]・[[日ノ丸自動車法勝寺電鉄線|法勝寺電鉄線]] * [[米子電車軌道]] * [[岩井町営軌道]] ==== バス ==== [[日ノ丸自動車]]、[[日本交通 (鳥取県)|日本交通]]の2社があり、県内の[[路線バス]]や県内各都市と県外を結ぶ[[高速バス]]を運行。 ; その他の観光周遊バス・主な市町村委託バス * 鳥取市100円循環バス[[くる梨]] * [[ループ麒麟獅子]](鳥取市) * [[だんだんバス]](米子市巡回バス) * [[どんぐりコロコロ]](米子市淀江町巡回バス) * [[はまるーぷバス]](境港市) どんぐりコロコロは米子第一交通の運行、はまるーぷバスは共立メンテナンスの運行、他3つは日本交通・日ノ丸自動車の共同運行。 ;隣県から乗り入れるバス * [[一畑バス]]([[隠岐汽船]]接続バスが境港駅に乗り入れ。) * [[松江市コミュニティバス]](美保関コミュニティバス境港線と八束コミュニティバスが境港駅に乗り入れ。) * [[安来市広域生活バス]](イエローバス、米子駅に乗り入れ。) * [[奥出雲交通]](鳥上線が日南町の[[日南町#阿毘縁|阿毘縁]]に乗り入れ。) * [[真庭市コミュニティバス]](まにわくん♡、中曽・関金ルートが[[関金温泉]]に乗り入れ。) * [[夢つばめ]](新温泉町民バス、平日朝の片道1便のみ岩美駅に乗り入れ。) ; 県内バス輸送人員(年間) * 2012年671万5000人 鳥取県は、全国で最もバスの利用者が少ない<ref>[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/quiz/documents/20154syou.pdf タイトル不明()]{{リンク切れ|date=2020年10月}}([[埼玉県]]資料)</ref>。 ==== 道路 ==== 島根県の松江市内に[[山陰自動車道|松江道路]]が開通した[[1998年]](平成10年)[[4月17日]]以降、鳥取県は長らく「日本で唯一都道府県庁所在都市に[[高速道路]]がない県」であったが、[[2004年]](平成16年)[[11月1日]]に[[山陰自動車道]][[青谷インターチェンジ]]のある[[青谷町]]を編入合併したため、解消された。 {{表2列| * [[高速道路]] ** [[鳥取自動車道]]([[智頭インターチェンジ|智頭]] - [[鳥取インターチェンジ|鳥取]]) *** [[志戸坂峠道路]]([[駒帰交差点|駒帰]] - 智頭、通称としての「鳥取道」に含まれる) ** [[米子自動車道]]([[江府インターチェンジ|江府]] - [[米子ジャンクション|米子]]) ** [[山陰自動車道]](鳥取 - [[はわいインターチェンジ|はわい]]、[[大栄東伯インターチェンジ|大栄東伯]] - [[米子西インターチェンジ|米子西]]) ** [[山陰近畿自動車道]]([[福部インターチェンジ|福部]] - 七坂トンネル) ** [[北条湯原道路]]([[北条インターチェンジ|北条]] - [[倉吉西インターチェンジ|倉吉西]]) ** [[江府三次道路]](福長 - 霞) * [[県道]] {{see|鳥取県の県道一覧}} | * [[国道]] ** [[国道9号]] ** [[国道29号]] ** [[国道53号]] ** [[国道178号]] ** [[国道179号]] ** [[国道180号]] ** [[国道181号]] ** [[国道183号]] ** [[国道313号]] ** [[国道373号]] ** [[国道431号]] ** [[国道482号]] }} ==== 空港・港 ==== ; 空港 : 東部の[[鳥取空港]]、西部の[[美保飛行場|米子空港]]の2つの空港を持つ。 ; 主な港 : 日本海側有数の[[漁港]]である[[境港 (港湾)|境港]]や、[[重要港湾]]の[[鳥取港]]などがある。 ==== 自動車登録番号標 ==== *鳥取[[日本のナンバープレート|ナンバー]] - 県全域 === 医療・福祉 === {{main|Category:鳥取県の医療機関}} ;[[災害拠点病院]] * [[鳥取県災害拠点病院]] ;[[保育所]] * [[鳥取県保育所一覧]] == 教育 == ;[[大学]] [[国立大学|国立]] * [[鳥取大学]]([[鳥取市]]、[[米子市]]) [[公立大学|公立]] * [[公立鳥取環境大学]](鳥取市) [[私立大学|私立]] * [[鳥取看護大学]]([[倉吉市]]) ;[[短期大学]] 私立 * [[鳥取短期大学]](倉吉市) ;[[通信制大学]] 私立 * [[放送大学]] 鳥取学習センター(鳥取市) ;[[高等専門学校]] 国立 * [[米子工業高等専門学校]](米子市) ;[[専修学校]] * [[鳥取県専修学校一覧]] ;[[特別支援学校]] * [[鳥取県特別支援学校一覧]] ;[[高等学校]] * [[鳥取県高等学校一覧]] ;[[中学校]] * [[鳥取県中学校一覧]] ;[[小学校]] * [[鳥取県小学校一覧]] ;[[幼稚園]] * [[鳥取県幼稚園一覧]] ;その他教育機関 ;[[農業大学校]] * [[鳥取県立農業大学校]] [https://www.pref.tottori.lg.jp/noudai/](倉吉市) == マスメディア == === 新聞 === ;地方紙 * [[日本海新聞]]:鳥取県の[[地方紙]]。島根県東部・兵庫県北部でも販売されている。 * [[山陰中央新報]]:島根県の地方紙で、鳥取県西部の一部でも販売されている。 * [[中国新聞]]:[[広島県]]に本社を置く中国地方の[[ブロック紙]]。鳥取市に支局を持ち、1970年代までは鳥取版も存在したが現在では島根版がわずかに販売されているのみである。 ;全国紙 :[[読売新聞]]、[[朝日新聞]]、[[毎日新聞]]には鳥取版がある。 :[[日本経済新聞]]、[[産経新聞]]は中国地方向けの地方版がある。「[[地方版]]」の項を参照されたい。 === 放送 === {{鳥取県・島根県の放送|state=collapsed}} 鳥取県・島根県の県域民放各局は互いの県に乗り入れて放送を実施している。詳しくは、「[[電波相互乗り入れ#乗り入れの経緯とその後]]」の項目を参照されたい。局名の後の( )内は局所在地。 ; [[日本放送協会|NHK]] * [[NHK鳥取放送局]]([[鳥取市]]) - [[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]]と[[NHKラジオ第一放送|ラジオ第1]]で県域放送を実施。 ** [[NHK米子支局]]([[米子市]]) ;民放テレビ局 * [[山陰放送|BSSテレビ]](BSS;[[米子市]]):[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]([[TBSテレビ|TBS]])系列、メイン送信所は[[松江市]]、ラジオ兼営。山陰放送のテレビ局開局の経緯は[[山陰放送#テレビ放送開始とエリア拡大|こちらの当該項]]参照のこと。 * [[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]](NKT;[[鳥取市]]):[[日本ニュースネットワーク|NNN]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])系列 **上記2社は通常時終夜放送を実施している。 * [[山陰中央テレビジョン放送|さんいん中央テレビ]](TSK;[[松江市]]):[[フジニュースネットワーク|FNN]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])系列 ※山陰地方には、 [[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]([[テレビ朝日]])系列局や[[TXNネットワーク|TXN]]([[テレビ東京]])系列局などがないため、ケーブルテレビ経由で県外の系列局を視聴する形となっている{{efn|テレビ東京系は町内での受信ができないことを理由に同意が得られない岩美町、八頭町を除くCATV提供エリア全域で視聴可能。[[独立放送局]]は八頭町を除くCATV提供エリア全域で視聴可能。}}。なお、テレビ朝日系に関しては、[[キー局]]のテレビ朝日が取材拠点として[[テレビ朝日米子支局]]・[[テレビ朝日鳥取支局]]を置いている。 ;AMラジオ * [[山陰放送|BSSラジオ]](BSS;[[米子市]]):[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列、メイン送信所は[[米子市]]、テレビ兼営。 ;FMラジオ * [[エフエム山陰]]([[島根県]][[松江市]]) - [[全国FM放送協議会|JFN]]系列。 ; [[ケーブルテレビ]] {{see|Category:鳥取県のケーブルテレビ局}} ;[[コミュニティFM]] * [[FM鳥取]]([[鳥取市]]) * [[DARAZコミュニティ放送]]([[米子市]]) == 文化・スポーツ == === 方言 === 鳥取県の[[方言]]は、東部・中部と西部で大きく異なる。東部(因幡)の[[因州弁]]・中部(東伯耆)の[[倉吉弁]]は、兵庫県の北部の[[但馬弁]]と共通した特徴を持ち、'''[[東山陰方言]]'''に分類されている。一方で、[[西伯耆方言|西部(西伯耆)の方言]]は島根県の東部の[[出雲弁]]と共通した特徴を持ち、'''[[雲伯方言]]'''に分類されている。 === 食文化 === {{See also|Category:鳥取県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#鳥取県}} === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[弓浜絣]]([[織物]]、[[1975年]]) * [[因州和紙]]([[和紙]]、1975年) * [[出雲石燈ろう]](石工品・[[貴石]]細工、[[1976年]]) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#鳥取県}} === 民話・伝説 === * [[投入堂]] - [[役小角]]が投げ入れたという言い伝えがある。 * [[多鯰ヶ池のおたね]] * [[湖山長者]] * [[桂蔵坊]] * [[立見峠のおとんじょろう]] * [[佐治谷ばなし]] * [[人形峠のくも]] * [[大山の背比べ]] * [[幽霊滝の伝説|幽霊滝]] * [[関金町|関金]]のえぐいも([[空海]]の伝説) * [[小泉八雲]]の新婚旅行([[琴浦町]]) * [[三朝温泉]]の白狼伝説 === スポーツ === * [[鳥取県サッカーリーグ]]:トップリーグ、セカンドリーグ * [[鳥取県女子サッカーリーグ]] * [[鳥取県フットサルリーグ]]:男子、女子 * 鳥取県バスケットボールリーグ(TBL):男子1部、男子2部、女子 * [[日本海バレーボールリーグ]]:男子1部、男子2部、女子 * 日本海ハンドボールリーグ * 鳥取県ラグビーリーグ ;スポーツチーム {{See also|Category:鳥取県のスポーツチーム}} * [[ガイナーレ鳥取]](サッカー):[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]所属 * [[SC鳥取ドリームス]](サッカー):ガイナーレファミリー。[[中国サッカーリーグ]]所属 * [[鳥取キッカーズFC|鳥取KFC]](サッカー):鳥取県サッカーリーグ所属 * [[元気SC]](サッカー):鳥取県サッカーリーグ所属 * [[八頭クラブ]](ホッケー):西日本リーグ所属 * [[鳥取Pear Kings]](硬式野球) * [[ホワイトエンジェルス]](女子軟式野球):米子で活動する女子軟式チーム * [[Cheerful鳥取]](バドミントン):[[バドミントン日本リーグ|日本リーグ]]所属 ; 過去に存在したスポーツチーム * [[オール鳥取]](硬式[[野球]]) * [[打吹クラブ]](硬式野球) * [[西日本旅客鉄道米子支社|米子鉄道管理局]](硬式野球):[[都市対抗野球大会]]県勢唯一の出場 * [[王子製紙米子硬式野球部|王子製紙米子]](硬式野球):[[王子硬式野球部|王子製紙春日井]]、[[王子製紙苫小牧硬式野球部|王子製紙苫小牧]]との統合により廃部 * [[米子コスモス]](女子サッカー) == 観光 == [[ファイル:Japan Tottori MitokuSan Nageiredo DSC01248.jpg|thumb|国宝 [[三仏寺]]投入堂]] [[ファイル:Kurayoshi Utsubuki-Tamagawa46n4592.jpg|thumb|重伝建 [[打吹玉川]]]] [[ファイル:浦富海岸、鴨ガ磯.jpg|thumb|名勝 [[浦富海岸]]]] {{Main|鳥取県の観光地}} === 有形文化財建造物 === {{main|鳥取県指定文化財一覧}} ;[[国宝]] * [[三仏寺]]:奥院(投入堂) ;[[重要伝統的建造物群保存地区]] * [[打吹玉川]](倉吉市) === 景勝地 === * [[鳥取砂丘]] * [[浦富海岸]] * [[岩井温泉]] * [[浜村温泉]] * [[三朝温泉]] * [[皆生温泉]] * [[はわい温泉]] * [[大山 (鳥取県)|大山]] * [[東郷湖]] === 史跡・社閣 === {{main|中国地方の史跡一覧#鳥取県|鳥取県の城}} * [[鳥取城]]跡 * [[米子城]]跡 * [[若桜鬼ヶ城]]跡 * [[若桜宿]] * [[不動院岩屋堂]] * [[羽衣石城]]跡 * [[鹿野城]]跡 * [[智頭宿]] * 三徳山三仏寺[[投入堂]] * [[伯耆三十三観音霊場]] * [[青谷横木遺跡]] === レジャー施設・観光施設・文化施設 === [[ファイル:Tottori Nijisseiki Pear Museum03s4592.jpg|thumb|[[鳥取二十世紀梨記念館]]]] * [[倉吉パークスクエア]] ** [[鳥取二十世紀梨記念館]] * [[わかさ氷ノ山自然ふれあいの里]] ** [[わかさ氷ノ山スキー場]] ** [[鳥取県立氷ノ山自然ふれあい館響の森]] * [[水木しげるロード]] * [[青山剛昌ふるさと館]] === 祭事・イベント === {{main|Category:鳥取県の祭り}} * [[鳥取しゃんしゃん祭]](鳥取市)- 山陰最大の観客数のある夏祭り。毎年、8月中旬に「しゃんしゃん傘」と呼ばれる傘を使って、約4,000人が中心市街地を踊る。 * [[米子がいな祭]](米子市) * [[みなと祭]](境港市) * [[SUN-IN未来ウオーク]] - 山陰最大級のウオーキングイベント。鳥取県は「ウオーキング立県とっとり」を掲げている。 * [[大山ミュージックリゾート]] - 複数年・広域的に行われた音楽イベント * [[鳥取ロケ地映画祭]](2007年) === 「星取県」 === 鳥取商工会議所青年部が提唱し、2017年から使用している。夜間に人工の明かりが少なく、どの市町村からでも[[天の川]]が見えることや、鳥取市が星の見えやすさ日本一となったこと、また県が以前から使っている「蟹取県」にちなむ<ref>[http://www.pref.tottori.lg.jp/266985.htm 「星取県」って何?]鳥取県(2020年11月1日閲覧)</ref><ref>[http://www.asahi.com/articles/ASK4B55XGK4BPUUB00X.html 鳥取改め「星取県です」少ない街の明かり逆手にPR/柳川迅][[朝日新聞デジタル]](2017年5月1日)2020年1月24日閲覧</ref>。 これにちなんだブランド米「星空舞」の販売が2019年に始まった<ref name="日経20191219"/>。 == 対外関係 == === 姉妹自治体・提携自治体 === ==== 海外 ==== * {{Flagicon|CHN}}[[河北省]]([[中華人民共和国]]) ** [[1986年]]([[昭和]]61年)[[6月9日]]提携<ref>[http://www.clair.or.jp/j/exchange/shimai/data/detail/1291 協定書締結]</ref> * {{Flagicon|CHN}}[[吉林省]](中華人民共和国) ** [[1994年]]([[平成]]6年)[[9月2日]]提携<ref>[http://www.clair.or.jp/j/exchange/shimai/data/detail/1290 吉林省長春市にて友好交流覚書署名]</ref> * {{Flagicon|KOR}}[[江原特別自治道]]([[大韓民国]]) ** [[1994年]]([[平成]]6年)[[11月7日]]提携<ref>[http://www.clair.or.jp/j/exchange/shimai/data/detail/1292 協定書締結]</ref> * {{Flagicon|MNG}}[[トゥブ県]]([[モンゴル国]]) ** [[1997年]]([[平成]]9年)[[7月25日]]提携<ref>[http://www.clair.or.jp/j/exchange/shimai/data/detail/1293 鳥取県境港市にて友好交流覚書署名]</ref> * {{Flagicon|RUS}}[[沿海地方]]([[ロシア連邦]]) ** [[2010年]]([[平成]]22年)[[5月5日]]提携<ref>[http://www.clair.or.jp/j/exchange/shimai/data/detail/1294 ウラジオストク市における協定締結]</ref> * {{Flagicon|JAM}}[[ウェストモアランド教区]]([[ジャマイカ|ジャマイカ国]]) ** [[2016年]]([[平成]]28年)[[3月24日]]提携<ref>[http://www.clair.or.jp/j/exchange/shimai/data/detail/1709 姉妹提携に関する協力覚書署名]</ref> * {{Flagicon|USA}}[[バーモント州]]([[アメリカ合衆国]]) ** [[2018年]]([[平成]]30年)[[7月18日]]提携<ref>[http://www.clair.or.jp/j/exchange/shimai/data/detail/1748 姉妹提携協定書署名]</ref> * {{Flagicon|ROC}}[[台中市]]([[中華民国]] [[台湾の行政区分#直轄市|直轄市]]) ** [[2018年]]([[平成]]30年)[[11月2日]]提携 ==== 国内 ==== * {{Flagicon|高知県}}[[高知県]]([[四国地方]]) ** [[2013年]](平成25年)[[3月24日]]提携<ref>[http://www.pref.tottori.lg.jp/238602.htm まんが王国とっとり公式ホームページ「まんが王国会議/高知県との連携」]</ref> == 鳥取県を舞台とした作品 == {{main|鳥取県を舞台とした作品一覧}} ;映画 * [[八岐之大蛇の逆襲]]([[DAICON FILM]](後の映像制作会社[[ガイナックス]]の母体となった自主制作集団)によって製作されたアマチュア映画。米子市が舞台となっている):[[1984年]] * [[男はつらいよ 寅次郎の告白]]([[男はつらいよ]]シリーズ):[[1991年]] * [[リアリズムの宿]](原作:[[つげ義春]]、[[映画監督|監督]]:[[山下敦弘]]):[[2004年]] * [[妖怪大戦争 (2005年の映画)|妖怪大戦争]]:[[2005年]](2004年7月に鳥取ロケでクランクイン) * [[銀色の雨]](原作:[[浅田次郎]]、監督:[[鈴井貴之]]):[[2009年]](2008年11月~12月に米子市でクランクイン) * [[恋谷橋]]:[[2011年]] ;小説・随想など * [[暗夜行路]]([[志賀直哉]]) * [[鳥取のふとんの話]]([[小泉八雲]]) * [[幽霊滝の伝説]](小泉八雲) * [[のんのんばあとオレ]]([[水木しげる]]) * [[赤朽葉家の伝説]]([[桜庭一樹]]) * [[砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない]](桜庭一樹) * [[妖鬼海産都市 -ユメミナト-]](谷山龍) ;漫画 * [[ガクラン放浪記]]([[弘兼憲史]]) - [[鳥取県立米子東高等学校|米子東高校]]を中心とする米子市 * [[人間交差点]](作・[[矢島正雄]]、画・弘兼憲史) - 米子東高校 * [[ハロー張りネズミ]](弘兼憲史) - 米子東高校 * [[タッチ (漫画)|タッチ]]([[あだち充]]) - 鳥取市民体育館、新袋川土手 * [[砂漠の野球部]]([[コージィ城倉]]) - 鳥取市および[[鳥取砂丘]] * [[父の暦]]([[谷口ジロー]]) - 鳥取市・[[鳥取大火]] * [[遙かな町へ]](谷口ジロー) - 倉吉市 * [[のんのんばあとオレ]]([[水木しげる]]) - 境港市 * [[ヒマチの嬢王]]([[茅原クレセ]]) - 米子市朝日町 === 鳥取県でロケが行われた作品 === [[ファイル:Enchoen02bs4592.jpg|thumb|『西遊記』ロケ地の[[燕趙園]]]] * [[しあわせはどこに]](主演:[[葉山良二]]、[[芦川いづみ]]。[[1956年]]) * [[絶唱]]([[1966年]]、[[1975年]]) * [[砂の器]]([[1962年]]、[[1974年]]、その他) * [[八つ墓村 (1977年の映画)|八つ墓村]](主演:[[萩原健一]]。[[1976年]]) - 峠から村を俯瞰するシーンを[[明地峠]]で撮影したほか、[[日野町 (鳥取県)|日野町]]ではクライマックスの炎上シーンを撮影した{{要出典|date=2014年9月}}<!--多くのブログなどで言及されており、間違いはないのでしょうけども、[[WP:RS]]を文句なしに充足する水準の出典があるとは言えないのでひとまず。--><ref>[http://www.jimovie.co.jp/八つ墓村.html 地ムービー 八つ墓村]{{リンク切れ|date=2020年1月}}2014年9月5日閲覧。</ref>。 * [[心はいつもラムネ色]]([[1984年]]) * [[夢千代日記]](主演:[[吉永小百合]]。[[1985年]]) * [[太陽の犬]]([[1988年]]) * [[未来日記 (ウンナンのホントコ!)|未来日記]](未来日記劇場版。[[2000年]]) * [[西遊記 (2006年のテレビドラマ)|西遊記]]([[フジテレビ]]・[[香取慎吾]]版、[[2006年]]) - [[燕趙園]] * [[琴浦さん]]([[2013年]]) * [[こども刑事めめたん]]([[2015年]]) - 鳥取県も制作参加した作品。 * [[宇崎ちゃんは遊びたい!]](2020年、[[ENGI]]) - 第9話・第10話が鳥取県が舞台となっており、監修協力に鳥取県がクレジットされている。劇中には[[平井伸治]]をモデルとした鳥取県知事(声:[[山根雅史]])が登場している。 == 鳥取県出身の人物 == {{Main|鳥取県出身の人物一覧}} ==その他== [[小惑星]][[鳥取_(小惑星)|(4720) Tottori]]は鳥取に因んで命名された<ref>{{cite web|url=https://www.minorplanetcenter.net/db_search/show_object?object_id=4720 |title=(4720) Tottori = 1940 XF = 1948 CD = 1973 SH5 = 1978 EU4 = 1982 JL4 = 1986 PY3 = 1988 EY2 = 1990 YG|accessdate=2022-07-03}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[鳥取県の県道一覧]] * [[鳥取県高等学校一覧]] * [[鳥取県出身の人物一覧]] * [[鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例]] * [[鳥取県の観光地]] * [[鳥取県の島の一覧]] * [[日本の地方公共団体一覧]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] * [[すなば珈琲]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/鳥取県|{{Flagicon|鳥取県|size=36px}}|36px|Portal:日本の都道府県/鳥取県}} {{Multimedia|鳥取県の画像}} {{Sisterlinks |commons=鳥取県 |commonscat=Tottori prefecture |q=no |v=no |voy=鳥取県 }} * 行政 ** {{Official website}} * 観光 ** [https://www.tottori-guide.jp/ 鳥取県観光案内 とっとり旅の生情報] - 鳥取県観光連盟 * 地図 ** {{Osmrelation|3285636}} ** [http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/code/?鳥取県 鳥取県 | 歴史的行政区域データセットβ版] - Geoshapeリポジトリ(<small>左側基準年月日のチェック操作で</small>行政区域の変遷を見ることができる) {{s-start}} {{s-bef|before=[[鳥取藩]]|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1871年]] -|years2=}} {{s-aft|after=-----|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{鳥取県の自治体}} {{鳥取県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:とつとりけん}} [[Category:日本の都道府県]] 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長崎県
長崎県(ながさきけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は長崎市。 五島列島、壱岐島、対馬など数多くの島嶼を含み、47都道府県中最も島が多いことで知られる。また、多島であるうえにリアス式海岸を多く擁することから海岸線の長さは47都道府県中第2位となっている(※「地形」節にて詳説)。 「長崎」という地名の由来は、次のように長崎氏よりといわれている。長崎氏は桓武平氏千葉流(九州千葉氏)の流れを汲む氏族であり、長崎県の名の由来になったことで知られる。現在の長崎県庁舎付近の長い御崎に館を構え、長崎港界隈の深堀から時津までの広い範囲を領していた九州千葉氏の一族が、九州長崎氏を名乗ったことを起源とする説と、代々伊豆国田方郡長崎村を領し、その地名を苗字として、鎌倉の執権である北條氏の筆頭御内人である桓武平氏長崎氏の一人が九州に流れ(九州長崎氏)、長崎湾の奥を領して地侍になったと長崎甚左衛門純景がその系図で主張している説がある。少なくとも長崎小太郎重綱なる人物が、鎌倉初期の嘉禎3年(1237年)ごろには、長埼浦の地頭職を知行する御家人であったことが判明しており、南北朝期以降、長崎氏は桜馬場城(鶴城)に拠り、次第に勢力を拡大していった。 また、その他にも俗説として「訛り」に基づく言い伝えがある。地元では野母崎半島を「長い岬」と称していたが、長崎弁では「長か岬(ながか・みさき)」となり、さらにこれが「なんか・みさき」と転訛し、この語が約まって「長崎」になった、というものである。 東に佐賀県と隣接する他は、周囲を海に囲まれている。2023年発表の国土地理院の調査によると、対馬、壱岐、五島列島などの島嶼が1479あり、その数は日本一である。また、海岸線の長さは4137キロメートル (km) であり、北海道(北方領土を含む)に次ぐ2位(実質日本1位)。面積が北海道の約20分の1である長崎県の海岸線がこれほど長大であるのは、島嶼が非常に多いことに加え、リアス式海岸で海岸線が複雑に入り組んでいるためである。この地形的特徴により、長崎県全域に83箇所の港湾が点在しており、その数は国内の7.4%に及ぶ。なお、長崎県内には海岸線からの距離が15 km以上の地点はない。 南西方向から暖流の対馬海流が流入してくるため、全般的には気候は温暖で寒暖差も小さい。しかし大陸に近いために寒波の影響を受けやすく、平年を大きく下回るほどに寒さが厳しくなることもあり、真冬日が観測されることもある。冬場は東シナ海側を中心に曇りがちの天気になることが多く、時雨や雪を降らせることがある。積雪することは少ないが、すぐ西側は東シナ海なので季節風(モンスーン)の風向によっては、雪雲が遮られずに供給されることにより大雪となることがある。特に2001年(平成13年)1月16日には長崎市で約14cmの積雪を観測し、過去に約15cmの積雪が5回もあり、2016年(平成28年)1月24日には約17cmの積雪を記録し、県内各地で大雪となった。しかし、九州地方最北端の対馬では朝鮮半島のすぐ南側に位置するため、東シナ海で発生した雪雲は朝鮮半島に遮られる上、朝鮮半島との海上区間はわずか50km程と極端に短いため雪雲は発達せず、降雪日は多いものの積雪することは稀である。 生物的見地から見ると、各地の海岸に見られるアコウなどの亜熱帯性植物は温暖な気候を反映している。他にも大陸に近いためツシマヤマネコやムツゴロウなどの大陸系遺存種が多いこと、各地の離島で多くの亜種・変種が確認されていることなども特徴である。 島原半島は活火山地帯で温泉が多いが、1990年(平成2年) - 1995年(平成7年)の雲仙・普賢岳の噴火は島原市と深江町を中心に大きな被害をもたらした。また、東シナ海に突き出しているため、台風の上陸数も多く、長崎県に限らず、日本列島に大災害をもたらした台風9号(1970年、長崎市)、台風17号(1976年、長崎市)、台風17号(1991年、長崎市)、台風19号(1991年、佐世保市)、台風18号(2004年、長崎市)、台風14号(2005年、諫早市)、台風13号(2006年、佐世保市)などの台風が上陸している。 長崎県による地域区分 では、長崎地域、県北地域 、県央地域、島原地域、五島地域、壱岐地域 、対馬地域の7つの地域に分けられる。自治体は13市4郡8町がある。「町」の読みは、すべて「ちょう」。2000年(平成12年)の段階では79もの市町村があったが、平成の大合併で2010年(平成22年)4月までに21市町となっている。村は2005年(平成17年)10月1日の大島村の合併に伴って消滅している。 カラー: 長崎半島と西彼杵半島及びその周辺の島々で構成されており、複雑な海岸線をはじめ豊かな自然と美しい景観に恵まれ、西海国立公園及び野母半島県立公園など3つの県立自然公園が指定されている。 鉄道の終着駅や五島列島への海の玄関口である長崎港、長崎空港への海路を結ぶ時津港、県内外の各都市を結ぶ九州横断自動車道を有する県内外の交流において重要な交通結節地域である。 海外との交流の歴史から生まれた、旧グラバー住宅や端島炭坑(軍艦島)などの「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」と、大浦天主堂や外海の出津集落などの「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の2つの世界遺産を有し、さらに、世界・日本新三大夜景に認定された「長崎市の夜景」や、海外との交流によって生まれた出島などの歴史ある優れた観光資源に恵まれている。 製造業においては、船舶製造・修理のほか発電プラントなどの大型機械などを生産する大手事業所があり、周辺には関連する工場や企業が多く集積しているとともに、環境・海洋エネルギー分野への取組が行われている。農業では、温州みかんや、全国一の産出額を占めるビワなどの果樹や養豚の生産が盛んで、水産業では、水揚げの拠点として新長崎漁港が立地し、多くの魚介類が集荷されている中、中国など東アジア向け鮮魚などの出荷も伸びている。また漁港の背後地には水産加工団地や行政・大学の研究機関が立地し、生産・流通・加工・研究・教育にわたる水産基地が形成されている。 カラー: 日本本土の最西端に位置している。西は宇久島、小値賀島から東は伊万里湾に至るまでの海域に数多くの島嶼が点在し、陸地には多くの山岳、丘陵が起伏して海岸線まで迫り、平坦地の少ない複雑な地形を形成している。そのような地理的特性から、西海国立公園や玄海国定公園、大村湾県立公園や北松県立公園などに指定され、九十九島に代表される風光明媚で豊かな自然、中山間地域の棚田など美しい景観に恵まれている。 朝鮮半島や中国大陸に近く、古くから大陸との交易が行われており、遣隋使や遣唐使の寄港地としても知られている。さらに松浦水軍の本拠地として海上交通により一体的に結ばれてきた歴史や元寇の歴史、西洋貿易港として栄えた歴史、日本遺産に認定された佐世保鎮守府が設置され、海軍の街として繁栄してきた多様な歴史がある。 特色ある産業として、造船業、自動車産業などの製造業や日本遺産に認定された三川内焼や波佐見焼といった伝統的な陶磁器産業があり、また近年、航空機関連や情報通信、オフィス系企業など新たな産業分野の発展が期待されている。 カラー: 長崎県のほぼ中央に位置し、橘湾、大村湾、諫早湾と、それぞれ特性の異なる3つの海に囲まれている。轟の滝など優れた渓谷美を有する多良岳県立公園などがあり、多良山系などを源とする長崎県唯一の一級河川本明川水系など、豊かな自然環境に恵まれている。 長崎県立総合運動公園、シーハットおおむらや、スポーツパークいさはやなど、各種スポーツ施設が充実しており、また、近年は本明川下流域が、競技用ボートの練習場などとして利用されている。これらは、県の中央部に位置していることから大会などでの活用も図られます。 製造業の工業団地が集積し、総生産額は、県全体の2割強、うち製造業は4割強のシェアを占め、半導体関連産業などの企業が進出している。 カラー: 有明海、橘湾に囲まれた自然豊かな半島であり、日本で最初の国立公園である雲仙天草国立公園や、島原半島県立公園に指定されているほか、国内第1号の世界ジオパークにも認定されている。 雲仙、小浜、島原と泉質の異なる3つの温泉、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産である「原城跡」や、島原城をはじめとする歴史・文化遺産、豊かな農林水産物など、魅力ある観光資源に恵まれ、県内有数の観光地となっている。 農業産出額が県全体の4割を超える長崎県を代表する農業地帯であり、野菜や畜産をはじめ、果樹、花きなど、恵まれた気候・土壌条件を活かして、多様な産地が形成されている。また、特用林産物である菌床しいたけの生産も盛んな地域である。 カラー: 九州の最西端に位置し、比較的平坦な福江島を除いて起伏が多く、島々の海岸線は溶岩海岸や砂浜、リアス海岸と変化に富んでおり、海と山が織りなす美しい自然景観は一部が西海国立公園に指定されている。 世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」や日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」をはじめとする数多くの歴史・文化遺産に恵まれており、観光産業は基幹産業の一つとなっている。 海洋再生可能エネルギー導入の先進地域として、浮体式洋上風力発電の事業化及び潮流発電の実用化に向けた取組や、メンテナンスサービスなどの関連産業の育成、発電施設を観光資源としたインフラツアーが推進されている。 カラー: 島内最高峰の岳ノ辻をはじめ、奇岩や白砂青松の砂浜など変化に富んだ海岸線が壱岐対馬国定公園に指定されている。特に辰の島など周辺海域はサンゴ類が生育するなど優れた海中景観を有することで海域公園地区に指定されている。 福岡県と対馬市の中間地点で玄界灘に面し、福岡市博多港から芦辺港まで北西67km(ジェットフォイルで約1時間)の位置にあり、福岡都市圏との結びつきが強い地理的な特徴がある。 壱岐にはいくつもの美しい海水浴場があり、県内外から多くの海水浴客が訪れます。古くから大陸文化の中継地として重要な役割を果たし、「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」として日本遺産に認定されるなどの豊かな歴史もあり、観光資源が豊富である。近年は日本のモンサンミッシェルと呼ばれる小島神社など、島内に数多く点在する神社がパワースポットとして新たな観光資源となっている。 壱岐地域の第1次産業は、他地域に比べて割合が高く、農業産出額(H30:約70億円)の過半を占める肉用牛は「壱岐牛」として地域団体商標にも登録されるなど子牛繁殖、肥育とともに重要な作目となっている。県内第2位の平野面積を誇る深江田原を中心とした水稲、麦、大豆などの土地利用型作物やアスパラガス、いちごなどの施設園芸農業、葉たばこなども盛んである。 カラー: 全島の89%が森林で占められており、龍良山など全国屈指の原生的な照葉樹林が国指定天然記念物及び壱岐対馬国定公園に指定されている。また、複雑に入り組んだリアス海岸や断崖絶壁が特徴的な浅茅湾一帯も国定公園に指定されている。野生生物では、国の希少野生動植物及び天然記念物に指定されているツシマヤマネコをはじめ、対馬でしか見ることのできない生物や大陸からの流れをくむ生物が数多く生息・生育しており、生物多様性の豊かさを物語っている。 対馬では、第1次産業の就業人口の割合が19.9%となっており、長崎県の7.7%、全国の4.0%と比べて高くなっている。中でも、漁業は15.5%となっており、第1次産業でも大きな割合を占めている。一方、就業者数は、第1次、第2次産業の従事者が減少し、第3次産業の従事者が増加している。 長崎県内には、対馬を除く地域において市町村下の地名の末尾に付する独特の単位が複数存在する。壱岐島では農村集落で「触(ふれ)」、漁村集落で「浦(うら)」、壱岐を除く旧平戸藩領では「免(めん)」、旧大村藩領および五島列島では「郷(ごう)」、旧佐賀藩領および旧島原藩領では「名(みょう)」が付く。 これらの単位の中には市町村合併などで町名の変更があった際に削除されるものも多いが、現在も市町村下の行政区画単位として一部の地域で使われ続けている。 人口は2023年11月1日現在。 古くは肥前国(佐賀県と、壱岐・対馬を除く長崎県全域)、対馬国、壱岐国に分かれていたが、肥前の国府は佐賀県の佐賀市(旧大和町)にあった。 現在の佐世保市に当たる地域からは、福井洞窟や泉福寺洞窟などの遺跡が見つかっており、いずれも日本の史跡となっている。また、旧国見町(現在の雲仙市)には、百花台遺跡群があり、約3万年前に人々が生活した跡や使われていた道具が見つかっている。2003年(平成15年)12月には、平戸市入口遺跡で10万年前の土層から旧石器が見つかり、古くから人が居住していた可能性が考えられる。 縄文時代の遺跡として有名なのが、南島原市(旧南高来郡北有馬町)の原山支石墓群である。そのほか、有喜貝塚、佐賀貝塚、白浜貝塚などが発見されている。 弥生時代の遺跡としては、『魏志倭人伝』に登場する「一支国」と見られる原の辻遺跡は現在の壱岐市芦辺町、石田町にあり、日本の特別史跡に指定されている。また里田原遺跡が発見されており、当時の農業技術を知る上で重要なものの1つである。またこのほか、弥生時代の鉄剣が出土した富の原遺跡(大村市)、塔の首遺跡、日本最古のネコの骨が出土したカラカミ遺跡(壱岐市)などがある。 県内の古墳の数は500を超え、その大半は壱岐に存在し壱岐古墳群として日本の史跡に指定されている。古墳時代初期の古墳としては、対馬市の出居塚古墳、根曽古墳群がある。後期に入ると、大規模な古墳が多くなる。その代表としては壱岐市の鬼の窟古墳があり、これは県内最大の円墳である。このほかには双六古墳(これは県内最大の前方後円墳である)、矢立山古墳群、曲崎古墳群がある。 倭国が朝鮮半島での白村江の戦いに敗れたため、664年に対馬・壱岐などに防人や烽(とぶひ)を置き、唐や新羅からの侵攻に備えた。667年には対馬に金田城が築かれた。 小野妹子をはじめとする遣隋使や遣唐使は、日本の最西北である壱岐や対馬、五島を経由し、朝鮮半島や中国に渡っていた。五島列島は遣唐使南路の出発地として有名である。万葉集には関連した歌が数多く残されている。日本最後の寄港地であった、現在の三井楽町柏崎には、空海の「辞本涯の碑」が建てられている。 12世紀のはじめに入ると、平家の西日本への進出が進み、肥前国の松浦党や九州の武士の多くは平家方につき、松浦党は壇ノ浦の戦いにおいても平家方の水軍として戦った。 中世には松浦党などの海賊衆(水軍)が興り、対馬を含め各地が倭寇の根拠地となった。 1274年(文永11年)(文永の役)、1281年(弘安4年)(弘安の役)の元寇では対馬、壱岐、鷹島に元・高麗軍が襲来したが、「神風」(大型台風)が九州を襲い元軍が退却したのはこれらの島々が破壊しつくされた後であり、これらの島々に神風の恩恵は全く無かった。 室町時代に入り、1419年には応永の外寇、1507年には五島で玉之浦納の反乱が起こっている。 1550年には、ポルトガル船が平戸に来航した。これを知ったフランシスコ・ザビエルは鹿児島を出発し平戸を訪れ、布教を開始した。貿易都市となった平戸であったが、1561年に起きた宮ノ前事件によりポルトガル船は横瀬浦港(現在の西海市)に入港するようになった。ところが2年後の1563年、横瀬浦は武雄領主後藤貴明の焼き討ちに合い、壊滅。ポルトガル船は再び平戸に戻った。しかし、イエズス会の宣教師コスメ・デ・トーレスの意向により、今度は大村領の福田浦(現在の長崎市)に入港することになった。この間、大村純忠はキリスト教の洗礼を受け、初のキリシタン大名となっている。1567年には、ポルトガル船が有馬領の口之津港に入港し、後にセミナリヨが建てられるなど、有馬は九州におけるキリスト教布教の拠点となっていった。大村純忠の兄である有馬義貞も口之津で洗礼を受けている。大村純忠は、ポルトガル貿易を自分の領地で行えるよう働きかけを行い、1571年に貿易港が口之津から長崎に移された。1580年には長崎をイエズス会に寄進した。1582年には天正遣欧少年使節が長崎港を出発し、スペイン、イタリア、ポルトガルを訪問した。 1588年、豊臣秀吉が長崎などを直轄地とした。2年後には天正遣欧少年使節が長崎に戻り、秀吉に謁見している。1592年には文禄・慶長の役により、松浦鎮信、有馬晴信、大村喜前、宗義智らが朝鮮に出兵している。南蛮貿易を継続させたい意向もあり、強硬な禁教は行っていなかった秀吉であったが、すでにバテレン追放令が出されており、1597年には長崎西坂でカトリック信者26人が処刑されている。二十六聖人という。 17世紀にはいるとオランダ東インド会社、イギリス東インド会社が相継いで平戸に商館を開設している。江戸時代の長崎県は佐賀藩、島原藩(島原半島)、大村藩(彼杵地方)、平戸藩(松浦半島・平戸島・壱岐)、平戸新田藩、福江藩(五島列島)、対馬府中藩(対馬)、佐賀藩家老の諫早陣屋、交代寄合の五島家の富江陣屋、天領(長崎)に分かれる。江戸幕府の鎖国方針により、ポルトガル人は長崎から追放され、1641年にオランダ商館が出島に移った。中国商船の長崎来航も認められており、長崎は鎖国下の日本では数少ない国際貿易港となった。また、対馬藩は幕府から李氏朝鮮との国交の実務を委任される傍ら朝鮮との貿易を公認され、釜山に倭館を置いてこれらの業務を行っていた。このように、今の長崎県域には、鎖国時にも幕府公認で海外へ開かれていた港が2箇所存在した。なお、鎖国下における江戸幕府公認の国際貿易港は上記2港のみである。 1637年島原の乱が起こった土地だけに江戸期を通じて隠れキリシタンが多く存在した(壱岐・対馬を除く)。現在でも、人口に対するキリスト教信者の割合が日本の他地域と比べて多い地域 となっている。しかし、第二次世界大戦中に投下された原子爆弾は教会(浦上教会)のすぐ近くに落ち、原爆落下当日は教会で8月15日の聖母の被昇天の祝日に向けて「ゆるしの秘跡」が行われていた為、司祭をはじめ教会内にいた信徒全員が死亡し、その他にも多数の信徒が犠牲になったことなどから、信仰に悩みを持ったままの人や棄教した人も多く存在する。2013年現在でも、爆心地跡には教会の残骸が一部だけ保存されている。 幕末の長崎港開港によって各国商船が来航し、長崎は国際貿易港として更に発展を遂げる事となった。それまでは遠国奉行首座たる長崎奉行が治めていた長崎であったが、「鳥羽・伏見の戦い」に於ける幕府軍敗戦の報を聞いた長崎奉行河津祐邦は慶応4年(1868年)1月15日早朝に長崎を船で脱出。これを受けて、長崎詰めの各藩藩士や長崎の地役人達の間に協議が行われ、政府から責任者が派遣されるまでの間の暫定協議体として「長崎会議所」の設置が決定され、長崎奉行所西役所がその役所とされた。 江戸幕府崩壊後の慶応4年(1868年)2月2日には澤宣嘉を総督に長崎裁判所が、5月4日には沢を府知事に長崎府が設置され、肥前国松浦郡5村・彼杵郡6村・高来郡5村、筑後国三池郡12村、肥後国天草郡89村の幕府領および肥後国松浦郡の旗本領5村を管轄。明治2年(1869年)6月20日にはこれが長崎県へと改められ、旧肥前国域は明治4年(1871年)の第1次府県統合の際に長崎県と伊万里県(現佐賀県)とに分立した。その後、佐賀県の統廃合の影響で徐々に長崎県の県域は拡大し、1874年(明治7年)の佐賀の乱後には、政府による懲罰によって佐賀県全域が長崎県に併合されることとなる。1883年(明治16年)、佐賀県の復県によって10の郡が長崎県より分離し、おおよその現在の長崎県が成立した。 なお、天草諸島は一時、富岡県(のち天草県に改称)に移管されたのち、いったん長崎府に復帰し、第1次府県統合で八代県(現・熊本県)に移管された。 佐世保は日本海軍の大規模な軍港となり、長崎では戦艦武蔵が建造されるなど造船が発達した。第二次世界大戦末期、1945年(昭和20年)6月29日(未明)に佐世保大空襲があり、1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分 (JST) 米国陸軍爆撃機B-29ボックスカーによって長崎市に原子爆弾が投下され、広島市とともに原爆被災地となった。 1948年(昭和23年)9月10日、県内に集中豪雨。佐世保市で402mmを記録した。同じく豪雨に襲われた佐賀県と合わせて死者166人、行方不明者67人。数日後にはアイオン台風が県内を襲い、さらに死者数が増加した。 1960年の約176万人をピークに人口減少が続いており、特に1990年代以降に減少ペースを上げている。特に長崎県は離島を多く抱えているが、そのいずれも同じ長崎県内の他都市よりも福岡市との関係が深く、そちらへの流出が多いことが県全体の減少率を上げている要因となっている。 全国的に各都道府県内の最大都市への人口集積が進む傾向の中、長崎県は数少ない例外的な存在であり、県庁所在地の長崎市(2010年代以降年間1%近いペースで人口が減少しており、全国の県庁所在都市の中でも青森県青森市と共に特に人口減少が著しい)よりも大村市や諫早市の方が人口成長率が高い。 五島、壱岐、対馬には県の出先機関として支庁を設置していたが、2003年(平成15年)に地方局に再編された後、2009年(平成21年)からは本土と同様の振興局となっている。 平成20年度(2008年 - 2009年)の県内総生産は4兆3109億円である。これは世界の過半数の国の国内総生産 (GDP) よりも規模が大きい。県民所得は3兆1070億円であり、一人当たり県民所得は215.7万円である。 県庁所在地長崎市は歴史を誇る港湾都市で、観光客が多い。戦艦武蔵を建造した造船の町でもある。 県第2の市である佐世保市は昔からの軍港があり、現在も海上自衛隊や米第7艦隊の基地があるほか、陸上自衛隊も駐屯している。また、南部にはヨーロッパの町並みを模した観光施設ハウステンボスがあり、韓国や台湾からの観光客も多い。 その他の地域もかつては炭鉱、底曳き網などの漁業基地、宝石サンゴ漁などにより繁栄したが、1970年代ごろからそれらの産業が徐々に振るわなくなり、過疎化が進んだ。2000年代となっても過疎化は進行中で、産業の振興が重要課題となっている。 県内唯一の株式上場企業であった十八銀行が、2019年3月27日に東京証券取引所第一部・福岡証券取引所本則市場の上場を廃止したことに伴い、長崎県は株式上場企業が一社もない唯一の都道府県となった。なお、リンガーハット(東証プライム上場)は登記上の本店は長崎市であるが、本社機能は東京都にある。 なお、壱岐・対馬地区は経済圏としては長崎や佐世保ではなく福岡に属する。 2010年11月30日、産学官関係団体の連携を強化し、産学官の研究開発などを推進することにより、持続的・発展的にイノベーションを創出するシステムを構築し、科学技術による産業振興及び県民生活の向上に寄与することを目的として、長崎“新生”産学官連携コンソーシアム(通称NRC:Nagasaki Renaissance Consortium)が設立された。会長は長崎県知事、副会長は長崎大学長。 国内外の路線に就航する大手航空会社や格安航空会社の他に、県が設立した第三セクターの航空会社をルーツとするオリエンタルエアブリッジが離島と本土を結んでいる。 長崎県内で旅客輸送を行っている鉄道・軌道は以下の通り。 国立(1大学) 公立(1大学) 私立(6大学) 私立(1大学) 私立(2大学) 国立 県立 国立 長崎県を放送対象地域とするデジタルテレビ・FMラジオの親局・およびNBCラジオのFM補完放送のメイン中継局は、いずれも稲佐山に置かれている。 開局順に表記。(チャンネルは地上デジタル放送のもの) 長崎県名誉県民の称号は、1980年(昭和55年)10月13日に制定された長崎県名誉県民条例(長崎県条例第28号)に基づき、「社会・文化の興隆に著しい功績がある者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「公共の福祉の増進又は学術、技芸の進展に寄与し、もって県民の生活及び文化に貢献し、その功績が卓絶して」おり、「県民が郷土の誇りとして、ひとしく尊敬」し、「本県(長崎県)に居住している者又は居住していた者」であり(条例第2条)、長崎県知事が長崎県議会の同意を得て選定することが定められる(条例第3条)。名誉県民に選定された者には、顕彰状や記念品の金盃も併せて贈られるほか(条例第4条)、知事が定める礼遇や特典を受けられる(条例第5条)。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "長崎県(ながさきけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は長崎市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "五島列島、壱岐島、対馬など数多くの島嶼を含み、47都道府県中最も島が多いことで知られる。また、多島であるうえにリアス式海岸を多く擁することから海岸線の長さは47都道府県中第2位となっている(※「地形」節にて詳説)。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「長崎」という地名の由来は、次のように長崎氏よりといわれている。長崎氏は桓武平氏千葉流(九州千葉氏)の流れを汲む氏族であり、長崎県の名の由来になったことで知られる。現在の長崎県庁舎付近の長い御崎に館を構え、長崎港界隈の深堀から時津までの広い範囲を領していた九州千葉氏の一族が、九州長崎氏を名乗ったことを起源とする説と、代々伊豆国田方郡長崎村を領し、その地名を苗字として、鎌倉の執権である北條氏の筆頭御内人である桓武平氏長崎氏の一人が九州に流れ(九州長崎氏)、長崎湾の奥を領して地侍になったと長崎甚左衛門純景がその系図で主張している説がある。少なくとも長崎小太郎重綱なる人物が、鎌倉初期の嘉禎3年(1237年)ごろには、長埼浦の地頭職を知行する御家人であったことが判明しており、南北朝期以降、長崎氏は桜馬場城(鶴城)に拠り、次第に勢力を拡大していった。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "また、その他にも俗説として「訛り」に基づく言い伝えがある。地元では野母崎半島を「長い岬」と称していたが、長崎弁では「長か岬(ながか・みさき)」となり、さらにこれが「なんか・みさき」と転訛し、この語が約まって「長崎」になった、というものである。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "東に佐賀県と隣接する他は、周囲を海に囲まれている。2023年発表の国土地理院の調査によると、対馬、壱岐、五島列島などの島嶼が1479あり、その数は日本一である。また、海岸線の長さは4137キロメートル (km) であり、北海道(北方領土を含む)に次ぐ2位(実質日本1位)。面積が北海道の約20分の1である長崎県の海岸線がこれほど長大であるのは、島嶼が非常に多いことに加え、リアス式海岸で海岸線が複雑に入り組んでいるためである。この地形的特徴により、長崎県全域に83箇所の港湾が点在しており、その数は国内の7.4%に及ぶ。なお、長崎県内には海岸線からの距離が15 km以上の地点はない。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "南西方向から暖流の対馬海流が流入してくるため、全般的には気候は温暖で寒暖差も小さい。しかし大陸に近いために寒波の影響を受けやすく、平年を大きく下回るほどに寒さが厳しくなることもあり、真冬日が観測されることもある。冬場は東シナ海側を中心に曇りがちの天気になることが多く、時雨や雪を降らせることがある。積雪することは少ないが、すぐ西側は東シナ海なので季節風(モンスーン)の風向によっては、雪雲が遮られずに供給されることにより大雪となることがある。特に2001年(平成13年)1月16日には長崎市で約14cmの積雪を観測し、過去に約15cmの積雪が5回もあり、2016年(平成28年)1月24日には約17cmの積雪を記録し、県内各地で大雪となった。しかし、九州地方最北端の対馬では朝鮮半島のすぐ南側に位置するため、東シナ海で発生した雪雲は朝鮮半島に遮られる上、朝鮮半島との海上区間はわずか50km程と極端に短いため雪雲は発達せず、降雪日は多いものの積雪することは稀である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "生物的見地から見ると、各地の海岸に見られるアコウなどの亜熱帯性植物は温暖な気候を反映している。他にも大陸に近いためツシマヤマネコやムツゴロウなどの大陸系遺存種が多いこと、各地の離島で多くの亜種・変種が確認されていることなども特徴である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "島原半島は活火山地帯で温泉が多いが、1990年(平成2年) - 1995年(平成7年)の雲仙・普賢岳の噴火は島原市と深江町を中心に大きな被害をもたらした。また、東シナ海に突き出しているため、台風の上陸数も多く、長崎県に限らず、日本列島に大災害をもたらした台風9号(1970年、長崎市)、台風17号(1976年、長崎市)、台風17号(1991年、長崎市)、台風19号(1991年、佐世保市)、台風18号(2004年、長崎市)、台風14号(2005年、諫早市)、台風13号(2006年、佐世保市)などの台風が上陸している。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "長崎県による地域区分 では、長崎地域、県北地域 、県央地域、島原地域、五島地域、壱岐地域 、対馬地域の7つの地域に分けられる。自治体は13市4郡8町がある。「町」の読みは、すべて「ちょう」。2000年(平成12年)の段階では79もの市町村があったが、平成の大合併で2010年(平成22年)4月までに21市町となっている。村は2005年(平成17年)10月1日の大島村の合併に伴って消滅している。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "カラー:", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "長崎半島と西彼杵半島及びその周辺の島々で構成されており、複雑な海岸線をはじめ豊かな自然と美しい景観に恵まれ、西海国立公園及び野母半島県立公園など3つの県立自然公園が指定されている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "鉄道の終着駅や五島列島への海の玄関口である長崎港、長崎空港への海路を結ぶ時津港、県内外の各都市を結ぶ九州横断自動車道を有する県内外の交流において重要な交通結節地域である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "海外との交流の歴史から生まれた、旧グラバー住宅や端島炭坑(軍艦島)などの「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」と、大浦天主堂や外海の出津集落などの「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の2つの世界遺産を有し、さらに、世界・日本新三大夜景に認定された「長崎市の夜景」や、海外との交流によって生まれた出島などの歴史ある優れた観光資源に恵まれている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "製造業においては、船舶製造・修理のほか発電プラントなどの大型機械などを生産する大手事業所があり、周辺には関連する工場や企業が多く集積しているとともに、環境・海洋エネルギー分野への取組が行われている。農業では、温州みかんや、全国一の産出額を占めるビワなどの果樹や養豚の生産が盛んで、水産業では、水揚げの拠点として新長崎漁港が立地し、多くの魚介類が集荷されている中、中国など東アジア向け鮮魚などの出荷も伸びている。また漁港の背後地には水産加工団地や行政・大学の研究機関が立地し、生産・流通・加工・研究・教育にわたる水産基地が形成されている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "カラー:", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "日本本土の最西端に位置している。西は宇久島、小値賀島から東は伊万里湾に至るまでの海域に数多くの島嶼が点在し、陸地には多くの山岳、丘陵が起伏して海岸線まで迫り、平坦地の少ない複雑な地形を形成している。そのような地理的特性から、西海国立公園や玄海国定公園、大村湾県立公園や北松県立公園などに指定され、九十九島に代表される風光明媚で豊かな自然、中山間地域の棚田など美しい景観に恵まれている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "朝鮮半島や中国大陸に近く、古くから大陸との交易が行われており、遣隋使や遣唐使の寄港地としても知られている。さらに松浦水軍の本拠地として海上交通により一体的に結ばれてきた歴史や元寇の歴史、西洋貿易港として栄えた歴史、日本遺産に認定された佐世保鎮守府が設置され、海軍の街として繁栄してきた多様な歴史がある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "特色ある産業として、造船業、自動車産業などの製造業や日本遺産に認定された三川内焼や波佐見焼といった伝統的な陶磁器産業があり、また近年、航空機関連や情報通信、オフィス系企業など新たな産業分野の発展が期待されている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "カラー:", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "長崎県のほぼ中央に位置し、橘湾、大村湾、諫早湾と、それぞれ特性の異なる3つの海に囲まれている。轟の滝など優れた渓谷美を有する多良岳県立公園などがあり、多良山系などを源とする長崎県唯一の一級河川本明川水系など、豊かな自然環境に恵まれている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "長崎県立総合運動公園、シーハットおおむらや、スポーツパークいさはやなど、各種スポーツ施設が充実しており、また、近年は本明川下流域が、競技用ボートの練習場などとして利用されている。これらは、県の中央部に位置していることから大会などでの活用も図られます。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "製造業の工業団地が集積し、総生産額は、県全体の2割強、うち製造業は4割強のシェアを占め、半導体関連産業などの企業が進出している。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "カラー:", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "有明海、橘湾に囲まれた自然豊かな半島であり、日本で最初の国立公園である雲仙天草国立公園や、島原半島県立公園に指定されているほか、国内第1号の世界ジオパークにも認定されている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "雲仙、小浜、島原と泉質の異なる3つの温泉、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産である「原城跡」や、島原城をはじめとする歴史・文化遺産、豊かな農林水産物など、魅力ある観光資源に恵まれ、県内有数の観光地となっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "農業産出額が県全体の4割を超える長崎県を代表する農業地帯であり、野菜や畜産をはじめ、果樹、花きなど、恵まれた気候・土壌条件を活かして、多様な産地が形成されている。また、特用林産物である菌床しいたけの生産も盛んな地域である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "カラー:", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "九州の最西端に位置し、比較的平坦な福江島を除いて起伏が多く、島々の海岸線は溶岩海岸や砂浜、リアス海岸と変化に富んでおり、海と山が織りなす美しい自然景観は一部が西海国立公園に指定されている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」や日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」をはじめとする数多くの歴史・文化遺産に恵まれており、観光産業は基幹産業の一つとなっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "海洋再生可能エネルギー導入の先進地域として、浮体式洋上風力発電の事業化及び潮流発電の実用化に向けた取組や、メンテナンスサービスなどの関連産業の育成、発電施設を観光資源としたインフラツアーが推進されている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "カラー:", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "島内最高峰の岳ノ辻をはじめ、奇岩や白砂青松の砂浜など変化に富んだ海岸線が壱岐対馬国定公園に指定されている。特に辰の島など周辺海域はサンゴ類が生育するなど優れた海中景観を有することで海域公園地区に指定されている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "福岡県と対馬市の中間地点で玄界灘に面し、福岡市博多港から芦辺港まで北西67km(ジェットフォイルで約1時間)の位置にあり、福岡都市圏との結びつきが強い地理的な特徴がある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "壱岐にはいくつもの美しい海水浴場があり、県内外から多くの海水浴客が訪れます。古くから大陸文化の中継地として重要な役割を果たし、「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」として日本遺産に認定されるなどの豊かな歴史もあり、観光資源が豊富である。近年は日本のモンサンミッシェルと呼ばれる小島神社など、島内に数多く点在する神社がパワースポットとして新たな観光資源となっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "壱岐地域の第1次産業は、他地域に比べて割合が高く、農業産出額(H30:約70億円)の過半を占める肉用牛は「壱岐牛」として地域団体商標にも登録されるなど子牛繁殖、肥育とともに重要な作目となっている。県内第2位の平野面積を誇る深江田原を中心とした水稲、麦、大豆などの土地利用型作物やアスパラガス、いちごなどの施設園芸農業、葉たばこなども盛んである。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "カラー:", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "全島の89%が森林で占められており、龍良山など全国屈指の原生的な照葉樹林が国指定天然記念物及び壱岐対馬国定公園に指定されている。また、複雑に入り組んだリアス海岸や断崖絶壁が特徴的な浅茅湾一帯も国定公園に指定されている。野生生物では、国の希少野生動植物及び天然記念物に指定されているツシマヤマネコをはじめ、対馬でしか見ることのできない生物や大陸からの流れをくむ生物が数多く生息・生育しており、生物多様性の豊かさを物語っている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "対馬では、第1次産業の就業人口の割合が19.9%となっており、長崎県の7.7%、全国の4.0%と比べて高くなっている。中でも、漁業は15.5%となっており、第1次産業でも大きな割合を占めている。一方、就業者数は、第1次、第2次産業の従事者が減少し、第3次産業の従事者が増加している。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "長崎県内には、対馬を除く地域において市町村下の地名の末尾に付する独特の単位が複数存在する。壱岐島では農村集落で「触(ふれ)」、漁村集落で「浦(うら)」、壱岐を除く旧平戸藩領では「免(めん)」、旧大村藩領および五島列島では「郷(ごう)」、旧佐賀藩領および旧島原藩領では「名(みょう)」が付く。 これらの単位の中には市町村合併などで町名の変更があった際に削除されるものも多いが、現在も市町村下の行政区画単位として一部の地域で使われ続けている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "人口は2023年11月1日現在。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "古くは肥前国(佐賀県と、壱岐・対馬を除く長崎県全域)、対馬国、壱岐国に分かれていたが、肥前の国府は佐賀県の佐賀市(旧大和町)にあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "現在の佐世保市に当たる地域からは、福井洞窟や泉福寺洞窟などの遺跡が見つかっており、いずれも日本の史跡となっている。また、旧国見町(現在の雲仙市)には、百花台遺跡群があり、約3万年前に人々が生活した跡や使われていた道具が見つかっている。2003年(平成15年)12月には、平戸市入口遺跡で10万年前の土層から旧石器が見つかり、古くから人が居住していた可能性が考えられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "縄文時代の遺跡として有名なのが、南島原市(旧南高来郡北有馬町)の原山支石墓群である。そのほか、有喜貝塚、佐賀貝塚、白浜貝塚などが発見されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "弥生時代の遺跡としては、『魏志倭人伝』に登場する「一支国」と見られる原の辻遺跡は現在の壱岐市芦辺町、石田町にあり、日本の特別史跡に指定されている。また里田原遺跡が発見されており、当時の農業技術を知る上で重要なものの1つである。またこのほか、弥生時代の鉄剣が出土した富の原遺跡(大村市)、塔の首遺跡、日本最古のネコの骨が出土したカラカミ遺跡(壱岐市)などがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "県内の古墳の数は500を超え、その大半は壱岐に存在し壱岐古墳群として日本の史跡に指定されている。古墳時代初期の古墳としては、対馬市の出居塚古墳、根曽古墳群がある。後期に入ると、大規模な古墳が多くなる。その代表としては壱岐市の鬼の窟古墳があり、これは県内最大の円墳である。このほかには双六古墳(これは県内最大の前方後円墳である)、矢立山古墳群、曲崎古墳群がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "倭国が朝鮮半島での白村江の戦いに敗れたため、664年に対馬・壱岐などに防人や烽(とぶひ)を置き、唐や新羅からの侵攻に備えた。667年には対馬に金田城が築かれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "小野妹子をはじめとする遣隋使や遣唐使は、日本の最西北である壱岐や対馬、五島を経由し、朝鮮半島や中国に渡っていた。五島列島は遣唐使南路の出発地として有名である。万葉集には関連した歌が数多く残されている。日本最後の寄港地であった、現在の三井楽町柏崎には、空海の「辞本涯の碑」が建てられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "12世紀のはじめに入ると、平家の西日本への進出が進み、肥前国の松浦党や九州の武士の多くは平家方につき、松浦党は壇ノ浦の戦いにおいても平家方の水軍として戦った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "中世には松浦党などの海賊衆(水軍)が興り、対馬を含め各地が倭寇の根拠地となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "1274年(文永11年)(文永の役)、1281年(弘安4年)(弘安の役)の元寇では対馬、壱岐、鷹島に元・高麗軍が襲来したが、「神風」(大型台風)が九州を襲い元軍が退却したのはこれらの島々が破壊しつくされた後であり、これらの島々に神風の恩恵は全く無かった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "室町時代に入り、1419年には応永の外寇、1507年には五島で玉之浦納の反乱が起こっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "1550年には、ポルトガル船が平戸に来航した。これを知ったフランシスコ・ザビエルは鹿児島を出発し平戸を訪れ、布教を開始した。貿易都市となった平戸であったが、1561年に起きた宮ノ前事件によりポルトガル船は横瀬浦港(現在の西海市)に入港するようになった。ところが2年後の1563年、横瀬浦は武雄領主後藤貴明の焼き討ちに合い、壊滅。ポルトガル船は再び平戸に戻った。しかし、イエズス会の宣教師コスメ・デ・トーレスの意向により、今度は大村領の福田浦(現在の長崎市)に入港することになった。この間、大村純忠はキリスト教の洗礼を受け、初のキリシタン大名となっている。1567年には、ポルトガル船が有馬領の口之津港に入港し、後にセミナリヨが建てられるなど、有馬は九州におけるキリスト教布教の拠点となっていった。大村純忠の兄である有馬義貞も口之津で洗礼を受けている。大村純忠は、ポルトガル貿易を自分の領地で行えるよう働きかけを行い、1571年に貿易港が口之津から長崎に移された。1580年には長崎をイエズス会に寄進した。1582年には天正遣欧少年使節が長崎港を出発し、スペイン、イタリア、ポルトガルを訪問した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "1588年、豊臣秀吉が長崎などを直轄地とした。2年後には天正遣欧少年使節が長崎に戻り、秀吉に謁見している。1592年には文禄・慶長の役により、松浦鎮信、有馬晴信、大村喜前、宗義智らが朝鮮に出兵している。南蛮貿易を継続させたい意向もあり、強硬な禁教は行っていなかった秀吉であったが、すでにバテレン追放令が出されており、1597年には長崎西坂でカトリック信者26人が処刑されている。二十六聖人という。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "17世紀にはいるとオランダ東インド会社、イギリス東インド会社が相継いで平戸に商館を開設している。江戸時代の長崎県は佐賀藩、島原藩(島原半島)、大村藩(彼杵地方)、平戸藩(松浦半島・平戸島・壱岐)、平戸新田藩、福江藩(五島列島)、対馬府中藩(対馬)、佐賀藩家老の諫早陣屋、交代寄合の五島家の富江陣屋、天領(長崎)に分かれる。江戸幕府の鎖国方針により、ポルトガル人は長崎から追放され、1641年にオランダ商館が出島に移った。中国商船の長崎来航も認められており、長崎は鎖国下の日本では数少ない国際貿易港となった。また、対馬藩は幕府から李氏朝鮮との国交の実務を委任される傍ら朝鮮との貿易を公認され、釜山に倭館を置いてこれらの業務を行っていた。このように、今の長崎県域には、鎖国時にも幕府公認で海外へ開かれていた港が2箇所存在した。なお、鎖国下における江戸幕府公認の国際貿易港は上記2港のみである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "1637年島原の乱が起こった土地だけに江戸期を通じて隠れキリシタンが多く存在した(壱岐・対馬を除く)。現在でも、人口に対するキリスト教信者の割合が日本の他地域と比べて多い地域 となっている。しかし、第二次世界大戦中に投下された原子爆弾は教会(浦上教会)のすぐ近くに落ち、原爆落下当日は教会で8月15日の聖母の被昇天の祝日に向けて「ゆるしの秘跡」が行われていた為、司祭をはじめ教会内にいた信徒全員が死亡し、その他にも多数の信徒が犠牲になったことなどから、信仰に悩みを持ったままの人や棄教した人も多く存在する。2013年現在でも、爆心地跡には教会の残骸が一部だけ保存されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "幕末の長崎港開港によって各国商船が来航し、長崎は国際貿易港として更に発展を遂げる事となった。それまでは遠国奉行首座たる長崎奉行が治めていた長崎であったが、「鳥羽・伏見の戦い」に於ける幕府軍敗戦の報を聞いた長崎奉行河津祐邦は慶応4年(1868年)1月15日早朝に長崎を船で脱出。これを受けて、長崎詰めの各藩藩士や長崎の地役人達の間に協議が行われ、政府から責任者が派遣されるまでの間の暫定協議体として「長崎会議所」の設置が決定され、長崎奉行所西役所がその役所とされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "江戸幕府崩壊後の慶応4年(1868年)2月2日には澤宣嘉を総督に長崎裁判所が、5月4日には沢を府知事に長崎府が設置され、肥前国松浦郡5村・彼杵郡6村・高来郡5村、筑後国三池郡12村、肥後国天草郡89村の幕府領および肥後国松浦郡の旗本領5村を管轄。明治2年(1869年)6月20日にはこれが長崎県へと改められ、旧肥前国域は明治4年(1871年)の第1次府県統合の際に長崎県と伊万里県(現佐賀県)とに分立した。その後、佐賀県の統廃合の影響で徐々に長崎県の県域は拡大し、1874年(明治7年)の佐賀の乱後には、政府による懲罰によって佐賀県全域が長崎県に併合されることとなる。1883年(明治16年)、佐賀県の復県によって10の郡が長崎県より分離し、おおよその現在の長崎県が成立した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "なお、天草諸島は一時、富岡県(のち天草県に改称)に移管されたのち、いったん長崎府に復帰し、第1次府県統合で八代県(現・熊本県)に移管された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "佐世保は日本海軍の大規模な軍港となり、長崎では戦艦武蔵が建造されるなど造船が発達した。第二次世界大戦末期、1945年(昭和20年)6月29日(未明)に佐世保大空襲があり、1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分 (JST) 米国陸軍爆撃機B-29ボックスカーによって長崎市に原子爆弾が投下され、広島市とともに原爆被災地となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "1948年(昭和23年)9月10日、県内に集中豪雨。佐世保市で402mmを記録した。同じく豪雨に襲われた佐賀県と合わせて死者166人、行方不明者67人。数日後にはアイオン台風が県内を襲い、さらに死者数が増加した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "1960年の約176万人をピークに人口減少が続いており、特に1990年代以降に減少ペースを上げている。特に長崎県は離島を多く抱えているが、そのいずれも同じ長崎県内の他都市よりも福岡市との関係が深く、そちらへの流出が多いことが県全体の減少率を上げている要因となっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "全国的に各都道府県内の最大都市への人口集積が進む傾向の中、長崎県は数少ない例外的な存在であり、県庁所在地の長崎市(2010年代以降年間1%近いペースで人口が減少しており、全国の県庁所在都市の中でも青森県青森市と共に特に人口減少が著しい)よりも大村市や諫早市の方が人口成長率が高い。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "五島、壱岐、対馬には県の出先機関として支庁を設置していたが、2003年(平成15年)に地方局に再編された後、2009年(平成21年)からは本土と同様の振興局となっている。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "平成20年度(2008年 - 2009年)の県内総生産は4兆3109億円である。これは世界の過半数の国の国内総生産 (GDP) よりも規模が大きい。県民所得は3兆1070億円であり、一人当たり県民所得は215.7万円である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "県庁所在地長崎市は歴史を誇る港湾都市で、観光客が多い。戦艦武蔵を建造した造船の町でもある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "県第2の市である佐世保市は昔からの軍港があり、現在も海上自衛隊や米第7艦隊の基地があるほか、陸上自衛隊も駐屯している。また、南部にはヨーロッパの町並みを模した観光施設ハウステンボスがあり、韓国や台湾からの観光客も多い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "その他の地域もかつては炭鉱、底曳き網などの漁業基地、宝石サンゴ漁などにより繁栄したが、1970年代ごろからそれらの産業が徐々に振るわなくなり、過疎化が進んだ。2000年代となっても過疎化は進行中で、産業の振興が重要課題となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "県内唯一の株式上場企業であった十八銀行が、2019年3月27日に東京証券取引所第一部・福岡証券取引所本則市場の上場を廃止したことに伴い、長崎県は株式上場企業が一社もない唯一の都道府県となった。なお、リンガーハット(東証プライム上場)は登記上の本店は長崎市であるが、本社機能は東京都にある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "なお、壱岐・対馬地区は経済圏としては長崎や佐世保ではなく福岡に属する。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "2010年11月30日、産学官関係団体の連携を強化し、産学官の研究開発などを推進することにより、持続的・発展的にイノベーションを創出するシステムを構築し、科学技術による産業振興及び県民生活の向上に寄与することを目的として、長崎“新生”産学官連携コンソーシアム(通称NRC:Nagasaki Renaissance Consortium)が設立された。会長は長崎県知事、副会長は長崎大学長。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "国内外の路線に就航する大手航空会社や格安航空会社の他に、県が設立した第三セクターの航空会社をルーツとするオリエンタルエアブリッジが離島と本土を結んでいる。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "長崎県内で旅客輸送を行っている鉄道・軌道は以下の通り。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "国立(1大学)", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "公立(1大学)", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "私立(6大学)", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "私立(1大学)", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "私立(2大学)", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "国立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "県立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "国立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "長崎県を放送対象地域とするデジタルテレビ・FMラジオの親局・およびNBCラジオのFM補完放送のメイン中継局は、いずれも稲佐山に置かれている。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "開局順に表記。(チャンネルは地上デジタル放送のもの)", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "長崎県名誉県民の称号は、1980年(昭和55年)10月13日に制定された長崎県名誉県民条例(長崎県条例第28号)に基づき、「社会・文化の興隆に著しい功績がある者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「公共の福祉の増進又は学術、技芸の進展に寄与し、もって県民の生活及び文化に貢献し、その功績が卓絶して」おり、「県民が郷土の誇りとして、ひとしく尊敬」し、「本県(長崎県)に居住している者又は居住していた者」であり(条例第2条)、長崎県知事が長崎県議会の同意を得て選定することが定められる(条例第3条)。名誉県民に選定された者には、顕彰状や記念品の金盃も併せて贈られるほか(条例第4条)、知事が定める礼遇や特典を受けられる(条例第5条)。", "title": "人物" } ]
長崎県(ながさきけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は長崎市。 五島列島、壱岐島、対馬など数多くの島嶼を含み、47都道府県中最も島が多いことで知られる。また、多島であるうえにリアス式海岸を多く擁することから海岸線の長さは47都道府県中第2位となっている(※「地形」節にて詳説)。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 長崎県 | 画像 = {{multiple image | border = infobox | total_width = 270 | image_style = border:1; | perrow = 1/2/2 | image1 = Nagasaki-Glover-Garden-5415.jpg | image2 = Oura_Church_-_panoramio.jpg | image3 = Fugendake_02_Pyroplastic_flow_area.JPG | image4 = Huis_Ten_Bosch_-_01.jpg | image5 = Osezaki_lighthouse.jpg }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2>[[グラバー園]]</tr><tr><td style="width:50%">[[大浦天主堂]]<td style="width:50%">[[雲仙普賢岳]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[ハウステンボス]]<td style="width:50%">[[大瀬埼灯台]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|長崎県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[長崎県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Nagasaki Prefecture.svg|80px|長崎県章]] | 都道府県章の説明 = 長崎県章 | 区分 = 県 | コード = 42000-0 | ISO 3166-2 = JP-42 | 隣接都道府県 = {{flag|佐賀県}}{{R|nagasakipreftokucho}}<br />{{flag|熊本県}}{{Efn|[[有明海]]を挟んで相接。}}<br />{{flag|福岡県}}{{Efn|[[有明海]]を挟んで相接。}}<ref name=nagasakipreftokucho>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.nagasaki.jp/sb/guard/approach_pref/pdf/soan/nhogo_3.pdf|format=PDF|title=第4章 県の地理的、社会的特徴|publisher=長崎県|accessdate=2019-05-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190506101917/https://www.pref.nagasaki.jp/sb/guard/approach_pref/pdf/soan/nhogo_3.pdf|archivedate=2019-05-06}}</ref> | 木 = [[ヒノキ]]、[[ツバキ]] | 花 = [[ミヤマキリシマ|雲仙ツツジ]] | 鳥 = [[オシドリ]] | シンボル名 = 他のシンボル | 歌など = 県の歌:[[南の風 (県民歌)|南の風]](1961年制定)<br />県の獣:[[ニホンジカ|九州シカ]]<br />県の魚(春):[[鯛|タイ]]、[[イカ]]、[[アマダイ]]<br />県の魚(夏):[[アジ]]、[[イサキ]]、[[アワビ]]<br />県の魚(秋):[[サバ]]、[[トビウオ]]、[[ヒラメ]]<br />県の魚(冬):[[ブリ]]、[[イワシ]]、[[フグ]] | 郵便番号 = 850-8570 | 所在地 = 長崎市尾上町3番1号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-27|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Nagasaki Prefectural Government Office building.jpg|220px|長崎県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 42 Nagasaki prefecture.svg|320px|長崎県の位置]]{{基礎自治体位置図|42|000|image=Map of Nagasaki Prefecture Ja.svg}}{{Maplink2|zoom=7|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=230|frame-height=220|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|frame-latitude=33.31|frame-longitude=129.14}} | 特記事項 = }} '''長崎県'''(ながさきけん)は、[[日本]]の[[九州|九州地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[長崎市]]。 [[五島列島]]、[[壱岐島]]、[[対馬]]など数多くの[[島嶼]]を含み、47[[都道府県]]中最も島が多いことで知られる。また、多島であるうえに[[リアス式海岸]]を多く擁することから[[海岸#海岸線|海岸線]]の長さは47都道府県中第2位となっている(※<small>「[[#地形|地形]]」節にて詳説</small>)。 == 名称 == {{出典の明記|date = 2015年10月|section = 1}} 「長崎」という地名の由来は、次のように長崎氏よりといわれている。長崎氏は桓武平氏千葉流([[九州千葉氏]])の流れを汲む氏族であり、長崎県の名の由来になったことで知られる。現在の長崎県庁舎付近の長い御崎に館を構え、長崎港界隈の深堀から時津までの広い範囲を領していた九州千葉氏の一族が、[[長崎氏 (九州)|九州長崎氏]]を名乗ったことを起源とする説と、代々[[伊豆国]][[田方郡]]長崎村を領し、その地名を苗字として、鎌倉の執権である北條氏の筆頭御内人である桓武平氏[[長崎氏]]の一人が九州に流れ(九州長崎氏)、[[長崎湾]]の奥を領して地侍になったと[[長崎純景|長崎甚左衛門純景]]がその系図で主張している説がある。少なくとも長崎小太郎重綱なる人物が、鎌倉初期の嘉禎3年(1237年)ごろには、長埼浦の地頭職を知行する御家人であったことが判明しており、南北朝期以降、長崎氏は桜馬場城(鶴城)に拠り、次第に勢力を拡大していった。 また、その他にも俗説として「訛り」に基づく言い伝えがある。地元では[[野母崎]]半島を「長い岬」と称していたが、長崎弁では「長か岬(ながか・みさき)」となり、さらにこれが「なんか・みさき」と転訛し、この語が約まって「長崎」になった、というものである。 == 地理・地域 == === 地形 === 東に[[佐賀県]]と隣接する他は、周囲を海に囲まれている。2023年発表の[[国土地理院]]の調査によると、[[対馬]]、[[壱岐]]、[[五島列島]]などの島嶼が1479<!--九州を除く-->あり、その数は日本一である<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/pressrelease20230228.html |title=我が国の島を数えました|publisher=国土地理院|accessdate=2023-6-2}}</ref>。また、[[海岸#海岸線|海岸線]]の長さは4137[[キロメートル]] (km) であり、[[北海道]]([[北方地域|北方領土]]を含む)に次ぐ2位(実質日本1位)。面積が北海道の約20分の1である長崎県の[[海岸|海岸線]]がこれほど長大であるのは、島嶼が非常に多いことに加え、[[リアス式海岸]]で海岸線が複雑に入り組んでいるためである。この地形的特徴により、長崎県全域に83箇所の[[港湾]]が点在しており、その数は国内の7.4%に及ぶ。なお、長崎県内には海岸線からの距離が15&nbsp;km以上の地点はない。 ;長崎県の主な地形 *半島 *: [[島原半島]]、[[長崎半島]]、[[西彼杵半島]]、[[北松浦半島]] *山 *: [[雲仙岳|平成新山]] (1483 m) 、[[雲仙岳|雲仙普賢岳]] (1359 m) 、[[経ヶ岳 (佐賀県・長崎県)|経ヶ岳]] (1076 m) 、[[五家原岳]](1057.3 m)、[[国見山 (長崎県)|国見山]] (776 m) 、[[矢立山]] (648 m{{Efn|平成28年三角点標高成果の改定に伴う標高変更で649&nbsp;mから648&nbsp;mと1&nbsp;m低くなった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MOUNTAIN/koshin_naiyo.pdf|format=PDF|title=日本の主な山岳標高〔更新内容(平成21年度以降)はこちらをご覧下さい。〕|publisher=[[国土地理院]]|date=|accessdate=2016-05-11}}</ref>。なお、山頂にある三等水準点の標高は648.40&nbsp;m<ref name="kijun">{{Cite web|和書|url=https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/top.html |title=基準点成果等閲覧サービス |publisher=[[国土地理院]] |accessdate=2016-05-11|quote=基準点コード TR35129211801}}</ref>。}}) *河川・湖沼 *: [[本明川]]、[[相浦川]]、[[佐々川]] *海域 *: [[玄界灘]]、[[対馬海峡]]、[[壱岐水道]]、[[伊万里湾]]、[[平戸瀬戸]]、[[辰ノ瀬戸]] *: [[五島灘]]、[[角力灘]]、[[長崎湾]]、[[佐世保湾]]、[[針尾瀬戸]]、[[早岐瀬戸]]、[[大村湾]] *: [[橘湾 (長崎県)|橘湾]](千々石湾)、[[早崎瀬戸]]、[[島原湾]]、[[諫早湾]]、[[有明海]]、 *: [[東シナ海]] *島('''太字'''のものは、橋によって九州本土と結ばれている島を表す) *: [[対馬]](対馬市) *: [[壱岐島]](壱岐市) *:'''[[福島 (長崎県)|福島]]'''、'''[[鷹島 (長崎県)|鷹島]]'''、[[青島 (長崎県)|青島]](松浦市) *:'''[[平戸島]]'''、'''[[生月島]]'''、[[度島]]、[[的山大島]]、[[二神島 (長崎県)|二神島]](平戸市) *: [[九十九島 (西海国立公園)]](くじゅうくしま)、[[黒島 (長崎県佐世保市)|黒島]]、'''[[針尾島]]'''(佐世保市) *: [[五島列島]] **: [[宇久島]](佐世保市宇久町) **: [[小値賀島]]、[[野崎島]](北松浦郡小値賀町) **: [[中通島]]、[[若松島]](南松浦郡新上五島町) **: [[奈留島]]、[[久賀島]]、[[福江島]](五島市) **: [[男女群島]]、[[鳥島 (長崎県)|鳥島]](五島市) *:'''[[大島 (長崎県西海市)|大島]]'''、'''[[蛎浦島]]'''、'''[[崎戸島]]'''、[[江島 (長崎県)|江島]]、[[平島 (長崎県)|平島]]、[[松島 (長崎県)|松島]](西海市) *: [[池島 (長崎県)|池島]](長崎市) *: '''[[伊王島]]'''、[[高島 (長崎県長崎市)|高島]]、[[端島 (長崎県)|端島(軍艦島)]]、'''[[樺島]]'''(長崎市) *: [[九十九島 (島原市)|九十九島]](つくもじま、島原市) === 自然公園 === * [[国立公園]] ** [[雲仙天草国立公園]]、[[西海国立公園]] * [[国定公園]] ** [[壱岐対馬国定公園]]、[[玄海国定公園]] * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] ** 多良岳県立公園、野母崎半島県立公園、北松県立公園、大村湾県立公園、西彼杵半島県立公園、島原半島県立公園 === 気候 === 南西方向から暖流の[[対馬海流]]が流入してくるため、全般的には気候は温暖で寒暖差も小さい。しかし大陸に近いために寒波の影響を受けやすく、平年を大きく下回るほどに寒さが厳しくなることもあり、真冬日が観測されることもある。冬場は[[東シナ海]]側を中心に曇りがちの天気になることが多く、[[時雨]]や[[雪]]を降らせることがある。積雪することは少ないが、すぐ西側は東シナ海なので季節風(モンスーン)の風向によっては、雪雲が遮られずに供給されることにより大雪となることがある。特に[[2001年]](平成13年)[[1月16日]]には長崎市で約14cmの積雪を観測し、過去に約15㎝の積雪が5回もあり、[[2016年]](平成28年)[[1月24日]]には約17cmの積雪を記録し<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160125/k10010385121000.html あすにかけ全国的に厳しい冷え込み続く]</ref>、県内各地で[[大雪]]となった。しかし、[[九州|九州地方]]最北端の[[対馬]]では[[朝鮮半島]]のすぐ南側に位置するため、東シナ海で発生した雪雲は朝鮮半島に遮られる上、[[朝鮮半島]]との海上区間はわずか50km程と極端に短いため雪雲は発達せず、降雪日は多いものの積雪することは稀である。 生物的見地から見ると、各地の海岸に見られる[[アコウ (植物)|アコウ]]などの[[亜熱帯]]性植物は温暖な気候を反映している。他にも大陸に近いため[[ツシマヤマネコ]]や[[ムツゴロウ]]などの大陸系遺存種が多いこと、各地の離島で多くの[[亜種]]・[[変種]]が確認されていることなども特徴である。 [[島原半島]]は[[活火山]]地帯で[[温泉]]が多いが、[[1990年]]([[平成]]2年) - [[1995年]](平成7年)の[[雲仙岳|雲仙・普賢岳]]の噴火は[[島原市]]と[[深江町]]を中心に大きな被害をもたらした。また、[[東シナ海]]に突き出しているため、[[台風]]の上陸数も多く、長崎県に限らず、日本列島に大災害をもたらした台風9号(1970年、長崎市)、[[昭和51年台風第17号|台風17号(1976年、長崎市)]]、[[平成3年台風第17号|台風17号(1991年、長崎市)]]、[[平成3年台風第19号|台風19号(1991年、佐世保市)]]、[[平成16年台風第18号|台風18号(2004年、長崎市)]]、[[平成17年台風第14号|台風14号(2005年、諫早市)]]、[[平成18年台風第13号|台風13号(2006年、佐世保市)]]などの台風が上陸している。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap;" |+長崎県各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="3"|北部 !colspan="7"|南部 |- ![[平戸市|平戸]]!![[松浦市|松浦]]!![[佐世保市|佐世保]]!![[西海市]]<br />[[大瀬戸町|大瀬戸]]!![[大村市|大村]]!![[長崎市|長崎]]!![[長崎市]]<br />[[野母崎町|野母崎]]!![[南島原市]]<br />[[口之津町|口之津]]!![[島原市|島原]]!![[雲仙市]]<br />[[雲仙岳]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |26.0<br />(8月)|| |27.4<br />(8月)||26.3<br />(8月) | ||27.6<br />(8月) |26.1<br />(8月)||27.3<br />(8月) | ||22.8<br />(8月) |- !最寒月 |6.6<br />(1月)|| |6.6<br />(1月)||7.2<br />(1月) | ||6.8<br />(1月) |7.2<br />(1月)||6.8<br />(1月) | ||2.0<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |346.9<br />(7月)|| |347.8<br />(6月)||299.9<br />(6月) |345.2<br />(7月)||360.7<br />(6月) |314.3<br />(6月)||353.4<br />(6月) | ||573.5<br />(6月) |- !最少月 |64.1<br />(12月)|| |54.3<br />(12月)||49.6<br />(12月) |45.8<br />(12月)||57.3<br />(12月) |47.5<br />(12月)||44.2<br />(12月) | ||78.0<br />(12月) |- !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="3"|対馬 !colspan="2"|壱岐 !colspan="5"|五島列島 |- ![[対馬市]]<br />鰐浦!![[対馬市]]<br />[[美津島町|美津島]]!![[対馬市]]<br />[[厳原町|厳原]]!![[壱岐市]]<br />[[芦辺町|芦辺]]!![[壱岐市]]<br />[[石田町|石田]]!![[小値賀町|小値賀]]!! [[新上五島町]]<br />[[上五島空港|頭ヶ島]]!![[新上五島町]]<br />[[有川町|有川]]!![[五島市]]<br />[[福江市|福江]]!![[五島市]]<br />[[福江空港|上大津]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />(°C) !最暖月 | || |25.8<br />(8月)||25.7<br />(8月) | || | || |26.7<br />(8月)|| |- !最寒月 | || | 5.5<br />(1月) ||5.9<br />(1月) | || | || |7.3<br />(1月)|| |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />(mm) !最多月 | || | 323.4<br />(6月)||303.2<br />(9月) | || | || | 368.5<br />(6月)|| |- !最少月 | || |56.2<br />(12月)||55.7<br />(12月) | || | || |82.0<br />(12月)|| |} === 地域区分 === {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=長崎県|align=right}} [[ファイル:Nagasaki Prefecture regions map.svg|thumb|250px|地域区分図]] 長崎県による[http://www.pref.nagasaki.jp/area/ 地域区分] では、長崎地域、県北地域 、県央地域、島原地域、五島地域、壱岐地域 、対馬地域の7つの地域に分けられる。自治体は13市4郡8町がある。「町」の読みは、すべて「ちょう」。2000年(平成12年)の段階では79もの市町村があったが、平成の大合併で2010年(平成22年)4月までに21市町となっている。村は[[2005年]](平成17年)[[10月1日]]の[[大島村 (長崎県)|大島村]]の合併に伴って消滅している。 ====長崎地域==== カラー:{{Color sample|#e05b8e}} 長崎半島と西彼杵半島及びその周辺の島々で構成されており、複雑な海岸線をはじめ豊かな自然と美しい景観に恵まれ、[[西海国立公園]]及び野母半島県立公園など3つの県立自然公園が指定されている。 鉄道の終着駅や五島列島への海の玄関口である[[長崎港]]、[[長崎空港]]への海路を結ぶ時津港、県内外の各都市を結ぶ[[九州横断自動車道]]を有する県内外の交流において重要な[[交通結節点|交通結節地域]]である。 海外との交流の歴史から生まれた、[[旧グラバー住宅]]や[[端島 (長崎県)|端島炭坑]](軍艦島)などの「[[明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業]]」と、[[大浦天主堂]]や外海の[[出津集落]]などの「[[長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産]]」の2つの[[世界遺産]]を有し、さらに、世界・日本新三大夜景に認定された「長崎市の夜景」や、海外との交流によって生まれた[[出島]]などの歴史ある優れた観光資源に恵まれている。 製造業においては、船舶製造・修理のほか発電プラントなどの大型機械などを生産する大手事業所があり、周辺には関連する工場や企業が多く集積しているとともに、環境・海洋エネルギー分野への取組が行われている。農業では、[[温州みかん]]や、全国一の産出額を占める[[ビワ]]などの果樹や[[養豚]]の生産が盛んで、水産業では、水揚げの拠点として新長崎漁港が立地し、多くの魚介類が集荷されている中、中国など東アジア向け鮮魚などの出荷も伸びている。また漁港の背後地には水産加工団地や行政・大学の研究機関が立地し、生産・流通・加工・研究・教育にわたる水産基地が形成されている。 * [[長崎市]](県庁所在地・[[中核市]]) * [[西彼杵郡]] ** [[時津町]] ** [[長与町]] ====県北地域==== カラー:{{Color sample|#6080e5}} [[本土#日本|日本本土]]の最西端に位置している。西は[[宇久島]]、[[小値賀島]]から東は[[伊万里湾]]に至るまでの海域に数多くの[[島嶼]]が点在し、陸地には多くの山岳、丘陵が起伏して海岸線まで迫り、平坦地の少ない複雑な地形を形成している。そのような地理的特性から、[[西海国立公園]]や[[玄海国定公園]]、大村湾県立公園や北松県立公園などに指定され、[[九十九島 (西海国立公園)|九十九島]]に代表される風光明媚で豊かな自然、中山間地域の[[棚田]]など美しい景観に恵まれている。 [[朝鮮半島]]や[[中国大陸]]に近く、古くから大陸との[[交易]]が行われており、[[遣隋使]]や[[遣唐使]]の寄港地としても知られている。さらに[[松浦党|松浦水軍]]の本拠地として[[海上交通]]により一体的に結ばれてきた歴史や[[元寇]]の歴史、西洋貿易港として栄えた歴史、[[日本遺産]]に認定された[[佐世保鎮守府]]が設置され、海軍の街として繁栄してきた多様な歴史がある。 特色ある産業として、[[造船業]]、[[自動車産業]]などの[[製造業]]や日本遺産に認定された[[三川内焼]]や[[波佐見焼]]といった伝統的な陶磁器産業があり、また近年、航空機関連や情報通信、オフィス系企業など新たな産業分野の発展が期待されている。 * [[佐世保市]](中核市) * [[平戸市]] * [[松浦市]] * [[西海市]] * [[北松浦郡]] ** [[佐々町]] ** [[小値賀町]] * [[東彼杵郡]] ** [[東彼杵町]] ** [[川棚町]] ** [[波佐見町]] ====県央地域==== カラー:{{Color sample|#6edf6e}} 長崎県のほぼ中央に位置し、橘湾、大村湾、諫早湾と、それぞれ特性の異なる3つの海に囲まれている。[[境川 (諫早市)|轟の滝]]など優れた渓谷美を有する多良岳県立公園などがあり、[[多良岳|多良山]]系などを源とする長崎県唯一の一級河川[[本明川]]水系など、豊かな自然環境に恵まれている。 [[長崎県立総合運動公園]]、シーハットおおむらや、スポーツパークいさはやなど、各種スポーツ施設が充実しており、また、近年は[[本明川]]下流域が、[[ボート競技|競技用ボート]]の練習場などとして利用されている。これらは、県の中央部に位置していることから大会などでの活用も図られます。 製造業の[[工業団地]]が集積し、総生産額は、県全体の2割強、うち製造業は4割強のシェアを占め、半導体関連産業などの企業が進出している。 * [[諫早市]] * [[大村市]] ====島原地域==== カラー:{{Color sample|#45aecc}} [[有明海]]、橘湾に囲まれた自然豊かな半島であり、日本で最初の国立公園である[[雲仙天草国立公園]]や、島原半島県立公園に指定されているほか、国内第1号の[[世界ジオパーク]]にも認定されている。 雲仙、小浜、島原と泉質の異なる3つの温泉、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産である「[[原城|原城跡]]」や、[[島原城]]をはじめとする歴史・文化遺産、豊かな農林水産物など、魅力ある観光資源に恵まれ、県内有数の観光地となっている。 農業産出額が県全体の4割を超える長崎県を代表する農業地帯であり、野菜や畜産をはじめ、果樹、花きなど、恵まれた気候・土壌条件を活かして、多様な産地が形成されている。また、特用林産物である菌床しいたけの生産も盛んな地域である。 * [[島原市]] * [[雲仙市]] * [[南島原市]] ====五島地域==== カラー:{{Color sample|#c875c9}} 九州の最西端に位置し、比較的平坦な[[福江島]]を除いて起伏が多く、島々の海岸線は溶岩海岸や砂浜、[[リアス海岸]]と変化に富んでおり、海と山が織りなす美しい自然景観は一部が西海国立公園に指定されている。 世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」や日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」をはじめとする数多くの歴史・文化遺産に恵まれており、[[観光産業]]は基幹産業の一つとなっている。 海洋[[再生可能エネルギー]]導入の先進地域として、[[浮体式洋上風力発電]]の事業化及び[[潮流発電]]の実用化に向けた取組や、メンテナンスサービスなどの関連産業の育成、発電施設を観光資源とした[[インフラツーリズム|インフラツアー]]が推進されている。 * [[五島市]] * [[佐世保市]] * [[南松浦郡]] ** [[新上五島町]] ====壱岐地域==== カラー:{{Color sample|#8e5be0}} 島内最高峰の岳ノ辻をはじめ、[[奇岩]]や[[白砂青松]]の砂浜など変化に富んだ海岸線が[[壱岐対馬国定公園]]に指定されている。特に辰の島など周辺海域はサンゴ類が生育するなど優れた海中景観を有することで[[海域公園]]地区に指定されている。 福岡県と対馬市の中間地点で[[玄界灘]]に面し、福岡市[[博多港]]から[[芦辺港]]まで北西67km([[ジェットフォイル]]で約1時間)の位置にあり、[[福岡都市圏]]との結びつきが強い地理的な特徴がある。 壱岐にはいくつもの美しい海水浴場があり、県内外から多くの海水浴客が訪れます。古くから大陸文化の中継地として重要な役割を果たし、「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」として日本遺産に認定されるなどの豊かな歴史もあり、観光資源が豊富である。近年は日本の[[モンサンミッシェル]]と呼ばれる小島神社など、島内に数多く点在する神社がパワースポットとして新たな観光資源となっている。 壱岐地域の第1次産業は、他地域に比べて割合が高く、農業産出額(H30:約70億円)の過半を占める肉用牛は「壱岐牛」として地域団体商標にも登録されるなど子牛繁殖、肥育とともに重要な作目となっている。県内第2位の平野面積を誇る[[深江田原]]を中心とした水稲、麦、大豆などの土地利用型作物やアスパラガス、いちごなどの施設園芸農業、葉たばこなども盛んである。 * [[壱岐市]] ====対馬地域==== カラー:{{Color sample|#ccae45}} 全島の89%が森林で占められており、龍良山など全国屈指の原生的な[[照葉樹林]]が国指定天然記念物及び壱岐対馬国定公園に指定されている。また、複雑に入り組んだリアス海岸や断崖絶壁が特徴的な[[浅茅湾]]一帯も国定公園に指定されている。野生生物では、国の希少野生動植物及び天然記念物に指定されている[[ツシマヤマネコ]]をはじめ、対馬でしか見ることのできない生物や大陸からの流れをくむ生物が数多く生息・生育しており、生物多様性の豊かさを物語っている。 対馬では、第1次産業の就業人口の割合が19.9%となっており、長崎県の7.7%、全国の4.0%と比べて高くなっている。中でも、漁業は15.5%となっており、第1次産業でも大きな割合を占めている。一方、就業者数は、第1次、第2次産業の従事者が減少し、第3次産業の従事者が増加している。 * [[対馬市]] ====消滅した市町村==== {{see also|長崎県の廃止市町村一覧}} === 地名 === {{see also|住所#日本の住所表記}} 長崎県内には、[[対馬]]を除く地域において市町村下の地名の末尾に付する独特の単位が複数存在する。[[壱岐島]]では農村集落で「[[壱岐島#集落の形成|触(ふれ)]]」、漁村集落で「[[壱岐島#集落の形成|浦(うら)]]」、壱岐を除く旧[[平戸藩]]領では「[[免#長崎県|免(めん)]]」、旧[[大村藩]]領および[[五島列島]]では「[[郷#長崎県|郷(ごう)]]」、旧[[佐賀藩]]領および旧[[島原藩]]領では「[[名 (単位)#長崎県|名(みょう)]]」が付く。<br /> これらの単位の中には市町村合併などで町名の変更があった際に削除されるものも多いが、現在も市町村下の行政区画単位として一部の地域で使われ続けている。 === 市町村の人口と面積 === {| class="wikitable sortable" style="margin: 1em;" ! !市町村 !面積(km<sup>2</sup>) !人口(人) !人口密度<br />(人/km<sup>2</sup>) |- !1 |[[長崎市]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|長崎市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|長崎市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|長崎市}} / {{自治体面積/長崎県|長崎市}} round 0}}}} |- !2 |[[佐世保市]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|佐世保市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|佐世保市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|佐世保市}} / {{自治体面積/長崎県|佐世保市}} round 0}}}} |- !3 |[[島原市]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|島原市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|島原市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|島原市}} / {{自治体面積/長崎県|島原市}} round 0}}}} |- !4 |[[諫早市]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|諫早市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|諫早市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|諫早市}} / {{自治体面積/長崎県|諫早市}} round 0}}}} |- !5 |[[大村市]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|大村市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|大村市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|大村市}} / {{自治体面積/長崎県|大村市}} round 0}}}} |- !6 |[[平戸市]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|平戸市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|平戸市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|平戸市}} / {{自治体面積/長崎県|平戸市}} round 0}}}} |- !7 |[[松浦市]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|松浦市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|松浦市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|松浦市}} / {{自治体面積/長崎県|松浦市}} round 0}}}} |- !8 |[[対馬市]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|対馬市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|対馬市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|対馬市}} / {{自治体面積/長崎県|対馬市}} round 0}}}} |- !9 |[[壱岐市]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|壱岐市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|壱岐市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|壱岐市}} / {{自治体面積/長崎県|壱岐市}} round 0}}}} |- !10 |[[五島市]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|五島市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|五島市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|五島市}} / {{自治体面積/長崎県|五島市}} round 0}}}} |- !11 |[[西海市]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|西海市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|西海市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|西海市}} / {{自治体面積/長崎県|西海市}} round 0}}}} |- !12 |[[雲仙市]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|雲仙市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|雲仙市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|雲仙市}} / {{自治体面積/長崎県|雲仙市}} round 0}}}} |- !13 |[[南島原市]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|南島原市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|南島原市}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|南島原市}} / {{自治体面積/長崎県|南島原市}} round 0}}}} |- !14 |[[長与町]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|長与町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|長与町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|長与町}} / {{自治体面積/長崎県|長与町}} round 0}}}} |- !15 |[[時津町]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|時津町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|時津町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|時津町}} / {{自治体面積/長崎県|時津町}} round 0}}}} |- !16 |[[東彼杵町]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|東彼杵町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|東彼杵町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|東彼杵町}} / {{自治体面積/長崎県|東彼杵町}} round 0}}}} |- !17 |[[川棚町]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|川棚町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|川棚町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|川棚町}} / {{自治体面積/長崎県|川棚町}} round 0}}}} |- !18 |[[波佐見町]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|波佐見町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|波佐見町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|波佐見町}} / {{自治体面積/長崎県|波佐見町}} round 0}}}} |- !19 |[[小値賀町]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|小値賀町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|小値賀町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|小値賀町}} / {{自治体面積/長崎県|小値賀町}} round 0}}}} |- !20 |[[佐々町]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|佐々町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|佐々町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|佐々町}} / {{自治体面積/長崎県|佐々町}} round 0}}}} |- !21 |[[新上五島町]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|新上五島町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|新上五島町}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|新上五島町}} / {{自治体面積/長崎県|新上五島町}} round 0}}}} |- !''1'' |[[西彼杵郡]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:49.58}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:72,382}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: 72382 / 49.58 round 0}}}} |- !''2'' |[[東彼杵郡]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:167.47}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:37,835}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: 37835 / 167.47 round 0}}}} |- !''3'' |[[北松浦郡]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:57.76}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:16,217}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: 16217 / 57.76 round 0}}}} |- !''4'' |[[南松浦郡]] |style="text-align:right;"|{{formatnum:213.98}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:20,725}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: 20725 / 213.98 round 0}}}} |- !0 |長崎県 |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体面積/長崎県|長崎県}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{自治体人口/長崎県|長崎県}}}} |style="text-align:right;"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長崎県|長崎県}} / {{自治体面積/長崎県|長崎県}} round 0}}}} |- |} 人口は{{自治体人口/長崎県|date}}現在。 == 歴史 == 古くは[[肥前国]]([[佐賀県]]と、壱岐・対馬を除く長崎県全域)、[[対馬国]]、[[壱岐国]]に分かれていたが、肥前の[[国府]]は佐賀県の[[佐賀市]]([[大和町 (佐賀県)|旧大和町]])にあった。 === 先史 === ====旧石器時代==== 現在の[[佐世保市]]に当たる地域からは、[[福井洞窟]]や[[泉福寺洞窟]]などの遺跡が見つかっており、いずれも日本の[[史跡]]となっている。また、旧国見町(現在の雲仙市)には、百花台遺跡群があり、約3万年前に人々が生活した跡や使われていた道具が見つかっている。[[2003年]]([[平成]]15年)[[12月]]には、平戸市入口遺跡で10万年前の[[土層 (考古学)|土層]]から[[旧石器時代|旧石器]]が見つかり、古くから人が居住していた可能性が考えられる。 ====縄文時代==== [[縄文時代]]の遺跡として有名なのが、南島原市(旧南高来郡北有馬町)の[[原山支石墓群]]である。そのほか、有喜貝塚、佐賀貝塚、白浜貝塚などが発見されている。 ====弥生時代==== [[弥生時代]]の遺跡としては、『[[魏志倭人伝]]』に登場する「一支国」と見られる[[原の辻遺跡]]は現在の[[壱岐市]]芦辺町、石田町にあり、日本の特別史跡に指定されている。また[[里田原遺跡]]が発見されており、当時の農業技術を知る上で重要なものの1つである。またこのほか、弥生時代の鉄剣が出土した[[富の原遺跡]](大村市)、[[塔の首遺跡]]、日本最古の[[ネコ]]の骨が出土した[[カラカミ遺跡]](壱岐市)などがある。 === 古墳時代 === 県内の古墳の数は500を超え、その大半は壱岐に存在し[[壱岐古墳群]]として日本の史跡に指定されている。古墳時代初期の古墳としては、対馬市の[[出居塚古墳]]、[[根曽古墳群]]がある。後期に入ると、大規模な古墳が多くなる。その代表としては壱岐市の[[壱岐古墳群#鬼の窟古墳|鬼の窟古墳]]があり、これは県内最大の円墳である。このほかには[[双六古墳]](これは県内最大の前方後円墳である)、[[矢立山古墳群]]、[[曲崎古墳群]]がある。 === 飛鳥時代 === [[倭国]]が朝鮮半島での[[白村江の戦い]]に敗れたため、[[664年]]に対馬・壱岐などに[[防人#日本古代の防人|防人]]や[[狼煙|烽(とぶひ)]]を置き、唐や新羅からの侵攻に備えた。[[667年]]には対馬に[[金田城]]が築かれた。 === 奈良・平安時代 === [[小野妹子]]をはじめとする[[遣隋使]]や[[遣唐使]]は、日本の最西北である壱岐や対馬、五島を経由し、朝鮮半島や中国に渡っていた。[[五島列島]]は[[遣唐使]]南路の出発地として有名である。[[万葉集]]には関連した歌が数多く残されている。日本最後の寄港地であった、現在の[[三井楽町]]柏崎には、[[空海]]の「辞本涯の碑」が建てられている。 12世紀のはじめに入ると、平家の西日本への進出が進み、肥前国の松浦党や九州の武士の多くは平家方につき、松浦党は[[壇ノ浦の戦い]]においても平家方の水軍として戦った。 === 中世 === [[中世]]には[[松浦党]]などの[[海賊衆]]([[水軍]])が興り、対馬を含め各地が[[倭寇]]の根拠地となった。 [[1274年]](文永11年)([[文永の役]])、[[1281年]](弘安4年)([[弘安の役]])の[[元寇]]では対馬、壱岐、[[鷹島 (長崎県松浦市)|鷹島]]に[[元 (王朝)|元]]・[[高麗]]軍が襲来したが、「[[神風]]」(大型台風)が九州を襲い元軍が退却したのはこれらの島々が破壊しつくされた後であり、これらの島々に神風の恩恵は全く無かった。 [[室町時代]]に入り、[[1419年]]には[[応永の外寇]]、[[1507年]]には五島で[[玉之浦納の反乱]]が起こっている。 [[1550年]]には、[[ポルトガル]]船が[[平戸市|平戸]]に来航した。これを知った[[フランシスコ・ザビエル]]は鹿児島を出発し平戸を訪れ、布教を開始した。貿易都市となった平戸であったが、[[1561年]]に起きた[[宮ノ前事件]]によりポルトガル船は横瀬浦港(現在の西海市)に入港するようになった。ところが2年後の[[1563年]]、横瀬浦は武雄領主[[後藤貴明]]の焼き討ちに合い、壊滅。ポルトガル船は再び平戸に戻った。しかし、[[イエズス会]]の[[宣教師]][[コスメ・デ・トーレス]]の意向により、今度は大村領の福田浦(現在の長崎市)に入港することになった。この間、[[大村純忠]]はキリスト教の洗礼を受け、初の[[キリシタン大名]]となっている。[[1567年]]には、ポルトガル船が有馬領の口之津港に入港し、後に[[セミナリヨ]]が建てられるなど、有馬は九州におけるキリスト教布教の拠点となっていった。大村純忠の兄である[[有馬義貞]]も口之津で洗礼を受けている。大村純忠は、ポルトガル貿易を自分の領地で行えるよう働きかけを行い、[[1571年]]に貿易港が口之津から長崎に移された。1580年には長崎を[[イエズス会]]に寄進した。1582年には[[天正遣欧少年使節]]が長崎港を出発し、スペイン、イタリア、ポルトガルを訪問した。 [[1588年]]、豊臣秀吉が長崎などを直轄地とした。2年後には[[天正遣欧少年使節]]が長崎に戻り、秀吉に謁見している。[[1592年]]には[[文禄・慶長の役]]により、松浦鎮信、有馬晴信、大村喜前、宗義智らが朝鮮に出兵している。南蛮貿易を継続させたい意向もあり、強硬な禁教は行っていなかった秀吉であったが、すでに[[バテレン追放令]]が出されており、[[1597年]]には長崎西坂で[[日本二十六聖人|カトリック信者26人]]が処刑されている。二十六聖人という。 === 近世 === [[17世紀]]にはいると[[オランダ東インド会社]]、[[イギリス東インド会社]]が相継いで平戸に商館を開設している。[[江戸時代]]の長崎県は[[佐賀藩]]、[[島原藩]](島原半島)、[[大村藩]](彼杵地方)、[[平戸藩]](松浦半島・[[平戸島]]・壱岐)、[[平戸新田藩]]、[[福江藩]](五島列島)、[[対馬府中藩]](対馬)、[[佐賀藩]]家老の諫早陣屋、[[交代寄合]]の五島家の富江陣屋、[[天領]](長崎)に分かれる。[[江戸幕府]]の[[鎖国]]方針により、ポルトガル人は長崎から追放され、[[1641年]]にオランダ商館が[[出島]]に移った。中国商船の長崎来航も認められており、長崎は鎖国下の日本では数少ない国際貿易港となった。また、対馬藩は幕府から[[李氏朝鮮]]との国交の実務を委任される傍ら朝鮮との貿易を公認され、[[釜山広域市|釜山]]に[[倭館]]を置いてこれらの業務を行っていた。このように、今の長崎県域には、鎖国時にも幕府公認で海外へ開かれていた港が2箇所存在した。なお、[[鎖国]]下における[[江戸幕府]]公認の国際貿易港は上記2港のみである。 [[1637年]][[島原の乱]]が起こった土地だけに江戸期を通じて[[隠れキリシタン]]が多く存在した(壱岐・対馬を除く)。現在でも、人口に対するキリスト教信者の割合が日本の他地域と比べて多い地域<ref name="Statistics">[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/data/st06/statistics2006.pdf 『カトリック教会現勢2006』 宗教法人カトリック中央協議会 2007年6月発行 p.1]</ref> となっている。しかし、[[第二次世界大戦]]中に投下された[[原子爆弾]]は教会([[カトリック浦上教会|浦上教会]])のすぐ近くに落ち、原爆落下当日は教会で8月15日の[[聖母の被昇天]]の祝日に向けて「[[ゆるしの秘跡]]」が行われていた為、司祭をはじめ教会内にいた信徒全員が死亡し、その他にも多数の信徒が犠牲になったことなどから、信仰に悩みを持ったままの人や棄教した人も多く存在する。2013年現在でも、爆心地跡には教会の残骸が一部だけ保存されている。 === 近代以降 === [[幕末]]の長崎港開港によって各国商船が来航し、[[長崎港|長崎]]は国際貿易港として更に発展を遂げる事となった。それまでは[[遠国奉行]]首座たる[[長崎奉行]]が治めていた長崎であったが、「[[鳥羽・伏見の戦い]]」に於ける幕府軍敗戦の報を聞いた長崎奉行[[河津祐邦]]は[[慶応]]4年([[1868年]])1月15日早朝に長崎を船で脱出。これを受けて、長崎詰めの各[[藩]][[藩士]]や長崎の地役人達の間に協議が行われ、[[政府]]から責任者が派遣されるまでの間の暫定協議体として「長崎会議所」の設置が決定され、[[長崎奉行所]]西役所がその役所とされた。 [[江戸幕府]]崩壊後の慶応4年(1868年)2月2日には[[澤宣嘉]]を総督に'''[[裁判所 (地方制度)|長崎裁判所]]'''が、5月4日には沢を府知事に'''長崎府'''が設置され、[[肥前国]][[松浦郡]]5村・[[彼杵郡]]6村・[[高来郡]]5村、[[筑後国]][[三池郡]]12村、[[肥後国]][[天草郡]]89村の[[天領|幕府領]]および肥後国松浦郡の[[地方知行|旗本領]]5村を管轄。明治2年([[1869年]])6月20日にはこれが'''長崎県'''へと改められ、旧肥前国域は[[明治]]4年([[1871年]])の第1次府県統合の際に長崎県と[[伊万里県]](現[[佐賀県]])とに分立した。その後、[[佐賀県]]の統廃合の影響で徐々に長崎県の県域は拡大し、[[1874年]](明治7年)の[[佐賀の乱]]後には、政府による懲罰によって佐賀県全域が長崎県に併合されることとなる。[[1883年]](明治16年)、佐賀県の復県によって10の郡が長崎県より分離し、おおよその現在の長崎県が成立した。 なお、[[天草諸島]]は一時、[[富岡県]](のち[[天草県]]に改称)に移管されたのち、いったん長崎府に復帰し、第1次府県統合で[[八代県]](現・[[熊本県]])に移管された。 佐世保は[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の大規模な軍港となり、長崎では戦艦[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]が建造されるなど造船が発達した。[[第二次世界大戦]]末期、[[1945年]](昭和20年)[[6月29日]](未明)に[[佐世保大空襲]]があり、[[1945年]](昭和20年)[[8月9日]]午前11時2分 ([[日本標準時|JST]]) 米国陸軍爆撃機[[B-29 (航空機)|B-29]]ボックスカーによって長崎市に[[原子爆弾]]が投下され、[[広島市]]とともに原爆被災地となった。 === 第二次世界大戦後 === [[1948年]](昭和23年)[[9月10日]]、県内に集中豪雨。佐世保市で402mmを記録した。同じく豪雨に襲われた佐賀県と合わせて死者166人、行方不明者67人。数日後にはアイオン台風が県内を襲い、さらに死者数が増加した<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=70 |isbn=9784816922749}}</ref>。 ;長崎県成立までの沿革 * [[1868年]] **([[慶応]]4年) *** [[1月14日 (旧暦)|旧1月14日]] – 明治政府、天領を没収する旨の布告を発す。 *** [[1月16日 (旧暦)|旧1月16日]] – 西役所を「'''長崎会議所'''」に改める。 *** [[2月1日 (旧暦)|旧2月1日]] – 長崎裁判所(民政機関)が設置される。 *** [[2月16日 (旧暦)|旧1月16日]] – 長崎会議所が廃止され、「'''長崎裁判所'''」が正式に発足。裁判所内に九州鎮撫長崎総督府が設置される。 *** [[4月25日 (旧暦)|旧4月25日]] - 長崎裁判所の管轄する場所のうち、[[肥前国]][[天草郡]]が[[富岡県]]として、[[豊後国]][[日田郡]]が[[日田県]]として分立。 *** [[5月4日 (旧暦)|旧5月4日]] – 長崎裁判所を「''' [[長崎府]] '''」に改め、長崎総督府を廃止。 *** [[8月29日 (旧暦)|旧8月29日]] - 富岡県を長崎府に統合。 **(明治元年) *** [[10月17日 (旧暦)|旧10月17日]] - 福岡藩預かり地の肥前国[[彼杵郡]]浦上村が長崎府に移管される。 * [[1869年]](明治2年)[[6月20日 (旧暦)|旧6月20日]] - 長崎府を「'''長崎県'''」に改める。 * [[1871年]](明治4年) ** [[7月14日 (旧暦)|旧7月14日]] - [[廃藩置県]]により、島原・平戸・大村・福江・対馬府中(厳原)の諸藩を廃止し、それぞれ県が置かれる。 ***'''島原県・平戸県・大村県・福江県・厳原県'''。なお壱岐は平戸県に属していた。 ** [[9月3日 (旧暦)|旧9月3日]] – 厳原県と佐賀県(第一次)が合併し、[[伊万里県]]となる。 ** [[11月14日 (旧暦)|旧11月14日]] – 長崎・島原・平戸・大村・福江の5県を廃止し、新たに'''長崎県'''を設置。天草を[[八代県]]に移管。 * [[1872年]](明治5年) ** [[1月22日 (旧暦)|旧1月22日]] - 伊万里県のうち、旧佐賀藩の'''諫早・神代・伊古・西郷・深堀'''の各地方を編入。 ** [[8月19日 (旧暦)|旧8月19日]] - 伊万里県のうち'''対馬(旧厳原県)'''を編入。 * [[1876年]](明治9年) ** [[5月24日]] - [[三潴県]]の[[杵島郡]]・[[松浦郡]]の区域が長崎県に編入。 ** [[6月21日]] - 三潴県の[[藤津郡]]の区域が長崎県に編入。 ** [[8月21日]] - 三潴県が廃止され、佐賀郡・[[小城郡]]・[[神埼郡]]・[[基肄郡]]・[[養父郡 (佐賀県)|養父郡]]・[[三根郡]]が長崎県に合併。 * [[1883年]](明治16年) [[5月9日]] - 10郡(佐賀郡・[[小城郡]]・[[神埼郡]]・[[基肄郡]]・[[養父郡 (佐賀県)|養父郡]]・[[三根郡]]・杵島郡・藤津郡・[[東松浦郡]]・[[西松浦郡]])が現在の佐賀県(第3次)として分離独立。 == 人口 == 1960年の約176万人をピークに人口減少が続いており、特に1990年代以降に減少ペースを上げている。特に長崎県は[[離島]]を多く抱えているが、そのいずれも同じ長崎県内の他都市よりも[[福岡市]]との関係が深く、そちらへの流出が多いことが県全体の減少率を上げている要因となっている。 全国的に各都道府県内の最大都市への人口集積が進む傾向の中、長崎県は数少ない例外的な存在であり、県庁所在地の長崎市([[2010年代]]以降年間1%近いペースで人口が減少しており、全国の県庁所在都市の中でも[[青森県]][[青森市]]と共に特に人口減少が著しい)よりも[[大村市]]や[[諫早市]]の方が人口成長率が高い。 [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Nagasaki prefecture, Japan.svg|thumb|300px|長崎県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=42000|name=長崎県|image=Demography42000.svg}} == 政治 == === 歴代県知事(公選) === {{Main|長崎県知事一覧}} {|class="wikitable" cellpadding="10" |-align=center !代!!氏名!!就任期間 |- |初代||[[杉山宗次郎]]||[[1947年]]([[昭和]]22年)[[4月16日]] - [[1951年]](昭和26年)[[4月4日]]まで1期4年 |- |2 - 3代||[[西岡竹次郎]]||[[1951年]](昭和26年)[[5月6日]] - [[1958年]](昭和33年)[[1月14日]]まで2期[[7年]] |- |4 - 6代||[[佐藤勝也]]||[[1958年]](昭和33年)[[3月2日]] - [[1970年]](昭和45年)[[3月6日]]まで3期12年 |- |7 - 9代||[[久保勘一]]||[[1970年]](昭和45年)[[3月2日]] - [[1982年]](昭和57年)[[3月1日]]まで3期12年 |- |10 - 13代||[[高田勇 (長崎県知事)|高田勇]]||[[1982年]](昭和57年)[[3月2日]] - [[1998年]](平成10年)[[3月1日]]まで4期16年 |- |14 - 16代||[[金子原二郎]]||[[1998年]]([[平成]]10年)[[3月2日]] - [[2010年]](平成22年)[[3月1日]]まで3期12年 |- |17 - 19代||[[中村法道]]||[[2010年]](平成22年)[[3月2日]] - [[2022年]](令和4年)[[3月1日]]まで3期12年 |- |'''20代(<!--{{subst:和暦|2022}}4月1日現在-->現職)'''||[[大石賢吾]]||[[2022年]](令和4年)[[3月2日]] - |} === 組織 === {{see|長崎県庁}} === 離島行政 === 五島、壱岐、対馬には県の出先機関として[[支庁]]を設置していたが、[[2003年]](平成15年)に地方局に再編された後、[[2009年]](平成21年)からは本土と同様の振興局となっている。 * [[五島振興局]] * [[壱岐振興局]] * [[対馬振興局]] == 経済・産業 == === 産業 === 平成20年度(2008年 - 2009年)の県内総生産は4兆3109億円である<ref>[http://www.pref.nagasaki.jp/koho/hodo/upfile/20101228134739.pdf 平成20年度県民経済計算(推計)の概要]</ref>。これは世界の過半数の国の[[国内総生産]] (GDP) よりも規模が大きい<ref>[http://ecodb.net/ranking/imf_ngdpd.html 世界の名目GDP(USドル)ランキング]</ref>。県民所得は3兆1070億円であり、一人当たり県民所得は215.7万円である。 県庁所在地[[長崎市]]は歴史を誇る港湾都市で、観光客が多い。戦艦[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]を建造した造船の町でもある。 県第2の市である[[佐世保市]]は昔からの[[軍港]]があり、現在も[[海上自衛隊]]や[[第7艦隊 (アメリカ軍)|米第7艦隊]]の基地があるほか、[[陸上自衛隊]]も駐屯している。また、南部には[[ヨーロッパ]]の町並みを模した観光施設[[ハウステンボス]]があり、[[大韓民国|韓国]]や[[中華民国|台湾]]からの観光客も多い。 その他の地域もかつては[[炭鉱]]、底曳き網などの[[漁業]]基地、宝石[[サンゴ]]漁などにより繁栄したが、[[1970年代]]ごろからそれらの産業が徐々に振るわなくなり、[[過疎化]]が進んだ。2000年代となっても過疎化は進行中で、産業の振興が重要課題となっている。 県内唯一の株式上場企業であった[[十八銀行]]が、[[2019年]]3月27日に[[東京証券取引所]]第一部・[[福岡証券取引所]]本則市場の上場を廃止したことに伴い、長崎県は株式上場企業が一社もない唯一の都道府県となった<ref>{{Cite news |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42983780X20C19A3LX0000/ |title=十八銀が上場廃止、長崎県の上場企業消える |publisher=[[日本経済新聞]] | date=2019-03-27 |accessdate=2019-03-29}}</ref>。なお、[[リンガーハット]](東証プライム上場)は登記上の本店は[[長崎市]]であるが、本社機能は東京都にある。 なお、壱岐・対馬地区は経済圏としては長崎や佐世保ではなく福岡に属する。 === 県内に拠点事業所を置く企業 === {{Multicol}} * [[十八親和銀行]]([[長崎市]]) * [[長崎銀行]](長崎市) * [[ジャパネットたかた]](佐世保市) * [[SUMCO TECHXIV]]([[大村市]]) * [[アイティーアイ]](長崎市) * [[ひぐちグループ]](長崎市) * [[長崎五島 ごと]]([[五島市]]) * [[AIGコミュニケーションワン]](長崎市):[[AIG]]グループの[[コールセンター]] * [[たらみ]](長崎市) * [[ゆびとま]](長崎市) {{Multicol-break}} ; 工場 * [[三菱重工業]]([[三菱重工業長崎造船所|長崎造船所]]など) * [[三菱電機]](長崎市など) * [[佐世保重工業]](佐世保市) * [[ソニーセミコンダクタ九州]](諫早市) * [[アリアケジャパン]](佐世保市) * [[マリーナ電子]]([[南島原市]]) * [[宝ホールディングス|宝酒造]]([[島原市]]) * [[九州フジパン]](諫早市) {{Multicol-end}} === 産学官連携への取り組み === 2010年11月30日、[[産学連携|産学官関係団体の連携]]を強化し、産学官の研究開発などを推進することにより、持続的・発展的にイノベーションを創出するシステムを構築し、科学技術による産業振興及び県民生活の向上に寄与することを目的として、長崎“新生”産学官連携コンソーシアム(通称NRC:Nagasaki Renaissance Consortium)が設立された。会長は[[長崎県知事]]、副会長は[[長崎大学]]長<ref>[http://www.pref.nagasaki.jp/gyousei/butyokaigi/2011/0209/shiryo/16.pdf 長崎県広報資料「長崎“新生”産学官連携コンソーシアムの設立と活動について」] 2013年7月11日閲覧</ref><ref>[http://www.nagasaki-u.ac.jp/ja/about/info/news/news88.html 長崎大学公式ウェブサイト「長崎“新生”産学官連携コンソーシアム(NRC)」発会式を開催] 2013年7月11日閲覧</ref>。 == 生活・交通 == === 治安・防衛 === {{Multicol}} ==== 自衛隊 ==== ; [[陸上自衛隊]][[西部方面隊]] * [[相浦駐屯地]]([[佐世保市]]) * [[対馬駐屯地]]([[対馬市]]) * [[大村駐屯地]]([[大村市]]) * [[竹松駐屯地]](大村市) ; [[海上自衛隊]][[佐世保地方隊]] * [[佐世保基地 (海上自衛隊)|佐世保基地]](佐世保市) * [[大村航空基地]](大村市) * [[対馬警備所]](対馬市) * [[上対馬警備所]](対馬市) * [[下対馬警備所]](対馬市) * [[壱岐警備所]]([[壱岐市]]) ; [[航空自衛隊]][[西部航空方面隊]] * [[海栗島|海栗島分屯基地]](対馬市) * [[福江島分屯基地]]([[五島市]]) {{Multicol-break}} ==== 海上保安庁 ==== ; [[第七管区海上保安本部]] * 長崎海上保安部([[長崎市]]) ** 五島海上保安署(五島市) * 佐世保海上保安部(佐世保市) ** 平戸海上保安署([[平戸市]]) * 対馬海上保安部(対馬市) ** 比田勝海上保安署(対馬市) *(唐津海上保安部)([[佐賀県]][[唐津市]]) ** 壱岐海上保安署(壱岐市) ==== 警察 ==== * '''[[長崎県警察]]''' ** 警察署数 - 23 *** 交番数 - 73 *** 警察官駐在所数 - 127 :::([[2011年]](平成23年)4月現在) {{Multicol-end}} === 交通 === ==== 航空 ==== 国内外の路線に就航する大手航空会社や格安航空会社の他に、県が設立した[[第三セクター]]の航空会社をルーツとする[[オリエンタルエアブリッジ]]が離島と本土を結んでいる。 ===== 空港 ===== ;2012年度旅客数<ref>{{Cite press release |和書 |title=管内空港の利用状況概況集計表(平成24年度速報値) |publisher=国土交通省大阪航空局 |date= |url=http://www.ocab.mlit.go.jp/about/total/report/pdf/riyou_h24d.pdf |format=PDF |accessdate=2014-2-16}}</ref> {|class="wikitable" |-bgcolor="#a4aaf9" |rowspan="2" align="center" bgcolor=ffcc99|'''[[空港]]''' |rowspan="2" align="center" bgcolor=ff9966|'''旅客合計''' |colspan="3" align="center"|'''国内線''' |colspan="2" align="center" bgcolor=ccccff|'''国際線''' |- |align="center" bgcolor=cccccc|旅客数 |colspan="2" align="center"|定期便 |align="center" bgcolor=cccccc|旅客数 |align="center"|定期便 |- |rowspan="2" align="center" bgcolor=ffffff|[[長崎空港|長崎]] |rowspan="2" align="right" bgcolor=ffffcc|2,726,929人 |rowspan="2" align="right" |2,695,339人 |県外<br /> |'''[[東京国際空港|東京]]・[[中部国際空港|中部]]・[[大阪国際空港|大阪]]'''・<br />[[鹿児島空港|鹿児島]]・[[那覇空港|那覇]] |rowspan="2" align="right"|31,590人 |rowspan="2"|[[仁川国際空港|ソウル]]・[[上海浦東国際空港|上海]] |- |県内 |対馬・福江・壱岐 |- |rowspan="2" align="center" bgcolor=ffffff|[[対馬空港|対馬]] |rowspan="2" align="right" bgcolor=ffffcc|253,367人 |rowspan="2" align="right"|251,183人 |県外 |[[福岡空港|福岡]] |rowspan="2" align="right"|2,184人 |rowspan="2"| - |- |県内 |長崎 |- |rowspan="2" align="center" bgcolor=ffffff|[[福江空港|福江]] |rowspan="2" align="right" bgcolor=ffffcc|127,594人 |rowspan="2" align="right"|127,594人 |県外 |('''[[関西国際空港|関西]]''')・福岡 |rowspan="2" align="right"|0人 |rowspan="2"| - |- |県内 |長崎 |- |align="center" bgcolor=ffffff|[[壱岐空港|壱岐]] |align="right" bgcolor=ffffcc|31,767人 |align="right"|31,767人 |県内 |長崎 |align="right"|0人 | - |- |align="center" bgcolor=ffffff|[[上五島空港|上五島]] |align="right" bgcolor=ffffcc|4,702人 |align="right"|4,702人 |県内 | - |align="right"|0人 | - |- |align="center" bgcolor=ffffff|[[小値賀空港|小値賀]] |align="right" bgcolor=ffffcc|0人 |align="right"|0人 |県内 | - |align="right"|0人 | - |} * [[チャーター便]]の旅客数含む * 定期便就航地は2007年現在(上五島・小値賀両空港への定期便は2006年(平成18年)3月31日限りで全廃) *括弧書きは季節運航を示す * [[三大都市圏]]への便は'''太字''' ==== 鉄道・軌道 ==== 長崎県内で旅客輸送を行っている[[鉄道]]・[[軌道 (鉄道)|軌道]]は以下の通り。 * [[九州旅客鉄道]](JR九州) ** [[西九州新幹線]] ** [[長崎本線]] *** 2022年9月より、県内区間は全て非電化となった。 ** [[佐世保線]] *** 長崎本線の県内区間の電化が廃止されたため、県内の在来線で唯一の全線電化路線となった。 ** [[大村線]] * [[長崎電気軌道]] * [[島原鉄道]] * [[松浦鉄道]] (MR) ==== 乗合バス事業者 ====<!-- 長崎県内に本拠または営業所を置く乗合バス事業者--> {{columns-list|colwidth=18em| * [[長崎自動車]](長崎バス) * [[長崎県交通局]](長崎県営バス) * [[長崎県央バス]] * [[九州急行バス]] * [[島原鉄道]](島鉄バス) * [[富川運送]]([[長崎市コミュニティバス]]高島線) * [[さいかい交通]] * [[させぼバス]] * [[西肥自動車]](西肥バス) * [[生月自動車]](生月バス) * [[さつき観光]] * [[五島自動車]](五島バス) * [[松浦観光バス]](松浦市乗合バス) * [[丸濱産業]](奈留島バス) * [[小値賀交通]] * [[宇久観光バス]] * [[壱岐交通]] * [[対馬交通]] * [[対馬市営バス]] * [[昭和自動車]](昭和バス) * [[ユタカ交通]] }} ==== 道路 ==== ;[[高速道路|高速]]・[[有料道路]] {{Multicol}} 長崎県内の高速道路にサービスエリアおよびジャンクションは存在しない(長崎自動車道川登サービスエリアは佐賀県武雄市に存在する){{Efn|長崎県は全国で唯一ジャンクションが存在しない県でもある。}}。 * [[長崎自動車道]] * [[西九州自動車道]] * [[長崎バイパス]] * [[ながさき出島道路]] * [[川平有料道路]] * [[西海パールライン有料道路]] * [[ながさき女神大橋道路]] ; [[無料開放された道路一覧|無料開放された道路]] * [[西海橋]]([[1970年]](昭和45年)[[3月1日]] - 無料開放) * [[国見道路|国見有料道路]]([[2007年]](平成19年)[[12月1日]] - 無料開放) * [[仁田峠循環自動車道路]] ([[2009年]](平成21年)[[4月1日]] - 無料開放) * [[平戸大橋有料道路]] ([[2010年]](平成22年)4月1日 - 無料開放) * [[生月大橋#生月大橋有料道路|生月大橋有料道路]] (同上) * [[大島大橋 (長崎県)|大島大橋有料道路]] ([[2011年]](平成23年)4月1日 - 無料開放) * [[矢上大橋有料道路]] ([[2012年]](平成24年)4月1日 - 無料開放) * [[松浦バイパス有料道路]]([[2006年]](平成18年)4月1日 - 無料開放) {{Multicol-end}} ;[[一般国道]] {{Multicol}} 道路法改正当時[[本土復帰]]前だった[[沖縄県]]を除き県内最小国道の番号が最も大きい数字を持つ県でもある。 * [[国道34号]] * [[国道35号]] * [[国道57号]] {{Multicol-break}} * [[国道202号]] * [[国道204号]] * [[国道205号]] {{Multicol-break}} * [[国道206号]] * [[国道207号]] * [[国道251号]] {{Multicol-break}} * [[国道324号]] * [[国道382号]] * [[国道383号]] {{Multicol-break}} * [[国道384号]] * [[国道389号]] * [[国道444号]] {{Multicol-break}} * [[国道498号]] * [[国道499号]] {{Multicol-end}} :[[2011年]](平成23年)現在、[[警察庁]]と[[日本自動車連盟|JAF]]が毎年10月に合同で行っている「シートベルト着用率調査」による[[一般道路|一般道]]でのシートベルト着用率は長崎県が近年連続して国内1位である。 ==== 船舶航路 ==== ; 長崎市 * 長崎 - 神の島(長崎市) - 伊王島(長崎市) - 高島(長崎市)([[野母商船#過去に就航していた航路|長崎汽船]]) * 茂木(長崎市) - 富岡([[熊本県]][[苓北町]])([[安田産業汽船]]) * 五島列島への航路は下記の五島列島を参考 ; 西彼杵郡 * 長崎空港(大村市) - 時津(時津町)(安田産業汽船) * 長崎空港 - 長与港(長与町)([[大村湾観光汽船]]) ; 佐世保市 * 長崎空港 - ハウステンボス(佐世保市)(安田産業汽船) * 相浦(佐世保市) - 高島(佐世保市) - 黒島(佐世保市)([[黒島旅客船]]) * 宇久島・小値賀島への航路は下記の五島列島を参考 * 西海市への航路は下記の西海市を参考 * 平戸市への航路は下記の平戸市を参考 ; 西海市 * 佐世保 - 寄船(西海市) - 横瀬西(西海市) - 横瀬東(西海市) - 小郡(西海市) - 畑下(西海市) - 川内(西海市)([[瀬川汽船]]) * 佐世保 - 崎戸(西海市) - 江島(西海市) - 平島(西海市) - 友住(新上五島町)([[崎戸商船]]) ; 平戸市 * [[平戸港|平戸]](平戸市) - 神浦(平戸市) - 的山(平戸市)([[平戸市営フェリー]]、美咲海送) * 平戸 - 度島(平戸市)([[竹山運輸]]) * 佐世保 - 相浦(佐世保市) - 前津吉(平戸市)([[津吉商船]]) ; 松浦市 * 今福(松浦市) - 飛島(松浦市) - 殿ノ浦(松浦市)([[鷹島汽船]]) * 御厨(松浦市) - 青島(松浦市) - 船唐津(松浦市) - 黒島(松浦市) - 阿翁(松浦市)(鷹島汽船) * 福島(松浦市) - 浦ノ崎([[佐賀県]][[伊万里市]])(金子廻漕店) ; 島原半島 * 多比良([[雲仙市]]) - 長洲([[熊本県]][[長洲町]])([[有明フェリー]]) * [[島原港|島原外港]](島原市) - 大牟田([[福岡県]][[大牟田市]])([[島原鉄道|島鉄高速船]]) * 島原外港 - 熊本新港(熊本県[[熊本市]])([[熊本フェリー]]、[[九州商船|九商フェリー]]) * 口之津(南島原市) - 鬼池(熊本県[[天草市]])([[島原鉄道|島鉄フェリー]]) ; 五島列島 * [[長崎港|長崎]](長崎市) - [[奈良尾港|奈良尾]](新上五島町) - [[奈留港|奈留]](五島市) - [[福江港|福江]](五島市)(九州商船) * 長崎 - 福江(五島市)([[五島汽船]]) * 長崎 - 鯛の浦(新上五島町)(五島産業汽船) * [[佐世保港|佐世保]](佐世保市) - 有川(新上五島町)(九州商船、五島産業汽船、[[美咲海送]]) * 佐世保 - 宇久(佐世保市) - 小値賀(小値賀町)(九州商船) * 福江 - 青方(新上五島町) - 小値賀 - 宇久 - 博多([[福岡県]][[福岡市]])([[野母商船]]) * 福江 - 奈留 - 土井ノ浦(新上五島町) - 郷ノ首(新上五島町)([[五島旅客船]]) * 福江・奥浦(五島市) - 田ノ浦(五島市)([[木口汽船]]) ; 壱岐市・対馬市 * [[比田勝港|比田勝]](対馬市) - [[厳原港|厳原]](対馬市) - [[芦辺漁港|芦辺]](壱岐市)/[[郷ノ浦港|郷ノ浦]](壱岐市) - [[博多埠頭]](福岡県福岡市)([[九州郵船]]) * 厳原 - 芦辺/郷ノ浦 - 博多埠頭(九州郵船) * 厳原 - 芦辺 - 天神北(福岡県福岡市)(壱岐・対馬フェリー) * [[印通寺港|印通寺]](壱岐市) - [[唐津港#東港|唐津東]](佐賀県[[唐津市]])(九州郵船) * 印通寺 - 呼子(佐賀県唐津市)(壱岐・対馬フェリー) * 郷ノ浦 - 渡良浦(壱岐市) - 原島(壱岐市) - 長島(壱岐市) - 大島(壱岐市)(壱岐市観光商工企業課) * 比田勝 - 博多埠頭(九州郵船・ジェットフォイルはJR九州高速船が運航) * 厳原/比田勝 - プサン([[大韓民国|韓国]][[釜山広域市|釜山]])([[大亜高速海運]]・[[JR九州高速船]]・[[未来高速]]・[[韓日国際海運]]・[[対伸]]) ===== 廃止された航路 ===== * 島原外港 - 三角(熊本県[[宇城市]])([[三角島原フェリー]])([[2006年]](平成18年)[[8月29日]]で廃止) * 鷹島(松浦市) - 星賀(佐賀県唐津市)(松尾フェリー)([[2009年]](平成21年)[[4月18日]]で廃止) === 医療・福祉 === {{main|Category:長崎県の医療機関}} ; [[災害拠点病院]] * [[長崎県災害拠点病院]] ; [[保育所]] * [[長崎県保育所一覧]] === 教育 === ; [[大学]] [[国立大学|国立]](1大学) * [[長崎大学]]([[長崎市]]) [[公立大学|公立]](1大学) * [[長崎県立大学]]([[佐世保市]]/[[長与町]]) [[私立大学|私立]](6大学) * [[活水女子大学]]([[長崎市]]/[[大村市]]) * [[鎮西学院大学]](2021年4月に長崎ウエスレヤン大学より改称)([[諫早市]]) * [[長崎外国語大学]]([[長崎市]]) * [[長崎国際大学]]([[佐世保市]]) * [[長崎純心大学]]([[長崎市]]) * [[長崎総合科学大学]]([[長崎市]]) ; [[通信制大学]] 私立(1大学) * [[放送大学]] 長崎学習センター([[長崎市]]) ; [[短期大学]] 私立(2大学) * [[長崎女子短期大学]]([[長崎市]]) * [[長崎短期大学]]([[佐世保市]]) ; [[高等専門学校]] 国立 * [[佐世保工業高等専門学校]]([[佐世保市]]) ; [[農業大学校]] 県立 * [[長崎県立農業大学校]]([[諫早市]]) ; [[海上技術学校]] 国立 * [[国立口之津海上技術学校]]([[南島原市]]) ; [[専修学校]] * [[長崎県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] * [[長崎県特別支援学校一覧]] ; [[高等学校]] * [[長崎県高等学校一覧]] ; [[中学校]] * [[長崎県中学校一覧]] ; [[小学校]] * [[長崎県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] * [[長崎県幼稚園一覧]] == マスメディア == === 新聞社 === * [[長崎新聞]] * [[西日本新聞]]、[[読売新聞]]、[[朝日新聞]]、[[毎日新聞]]、[[日本経済新聞]]、[[産経新聞]]、[[みなと新聞]]、[[水産経済新聞]] * 長崎政治経済新聞 * [[島原新聞]] * [[壱岐新報]](旧・[[壱岐日報]]) * [[壱岐日日新聞|壱岐日々新聞]] * 新壱岐新聞 * 対馬新聞 * 壱岐正論([[2007年]](平成19年)4月時点で休刊中) *: ※産経新聞は[[2009年]](平成21年)[[9月30日]]付までは、[[産経新聞大阪本社]]発行で午後6時(18時)締切の6版(早版)を西日本新聞販売店より委託販売されていたが、[[産経新聞西部本部]](旧・九州・山口本部)発行の九州・山口特別版が、創刊した同年[[10月1日]]以降は毎日新聞販売店より委託販売されている。駅売店やコンビニエンスストアなどでも、同日から販売されている。 *: 一部離島地域では現在も[[長崎市]](長崎新聞)、[[福岡市]]か[[北九州市]](西日本新聞と全国紙)の発行所から空輸や船便での輸送が必要となっており、朝刊の配送は昼前後になる地域が有る(壱岐、対馬、五島などの大規模離島は早朝に購読できる地域が多い)。 ==== フリーペーパー ==== * フリーGOTO === 放送局 === 長崎県を放送対象地域とするデジタルテレビ・FMラジオの親局・およびNBCラジオのFM補完放送のメイン中継局は、いずれも[[稲佐山]]に置かれている。 ==== テレビ ==== {{出典の明記|section=1|date=2009年2月}} 開局順に表記。(チャンネルは地上デジタル放送のもの) {|class="wikitable" cellpadding="10" |-align=center !放送局名 !開局日 !チャンネル |- |[[NHK長崎放送局]]||[[1933年]]([[昭和]]8年)[[9月20日]]||総合1ch/教育2ch(現在Eテレ) |- |[[長崎放送]](NBC、[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列)||[[1959年]](昭和34年)[[1月1日]]||3ch |- |[[テレビ長崎]](KTN、[[フジネットワーク|FNS]]・[[フジニュースネットワーク|FNN]]系列)||[[1969年]](昭和44年)[[4月1日]]||8ch |- |[[長崎文化放送]](NCC、[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]系列)||[[1990年]]([[平成]]2年)4月1日||5ch |- |[[長崎国際テレビ]](NIB、[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]・[[日本ニュースネットワーク|NNN]]系列)||[[1991年]](平成3年)4月1日||4ch |} ; 地上デジタル放送の整備 * [[2006年]](平成18年)12月 - [[稲佐山]](長崎市)の親局から本放送を開始 * [[2007年]](平成19年)- [[烏帽子岳 (佐世保市)|烏帽子岳]](佐世保市)・[[五家原岳]](諫早市)から送信を開始し、3送信所体制となる * [[2011年]](平成23年) ** 1月24日 - 対馬のうち[[厳原中継局]]を除く5中継局が、半年早く終了<ref>[https://www.soumu.go.jp/soutsu/kyushu/press/110114-2-0.html 長崎県対馬市における一部のアナログテレビ放送中継局の1月24日先行停波について] 九州総合通信局、2011年1月14日。</ref> ** 7月24日 - 長崎県すべての地域で終了 * その後中継局は71か所(NHKの設置数、民放各局は若干少ない)設置されている。 ==== ケーブルテレビ ==== * [[:Category:長崎県のケーブルテレビ局|長崎県のケーブルテレビ局]](参照) ==== ラジオ ==== ; 長崎県全域 * NHK長崎放送局([[ラジオ|AM・FM]]) * 長崎放送(NBC、[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列、[[佐賀県]]も放送対象) * [[エフエム長崎]](fm-nagasaki、[[全国FM放送協議会|JFN]]系列) ; [[コミュニティ放送]] * [[長崎市民エフエム放送]](長崎市) * [[FMさせぼ]](はっぴぃ!FM)(佐世保市) * [[エフエム諫早]](レインボーエフエム)(諫早市) * [[FMしまばら]](島原市に本社・親局、南島原市にも中継局設置) * [[ひまわりてれび]](FMひまわり)(南島原市に親局、本社のある雲仙市にも中継局設置) * [[島ラジオ壱岐]](壱岐FM)(壱岐市) * [[FMおおむら]](大村市) ; 外国関係 * [[AFN]](在日アメリカ軍放送)- [[佐世保基地 (アメリカ海軍)]] == 文化・スポーツ == === 方言 === * [[長崎弁]] * [[佐世保弁]] * [[壱岐弁]] * [[対馬方言|対馬弁]] * [[五島列島方言|五島弁]] === 食文化 === {{See also|Category:長崎県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#長崎県}} {{Multicol}} ; 料理・加工食品 * [[カステラ]] ** [[桃カステラ]] ** [[半熟カステラ]] * [[チョコレート菓子]] * [[トルコライス]] * [[ミルクセーキ]] * [[卓袱料理]](和洋折衷の会席料理) * [[茶碗蒸し]] * [[鯉菓子]] * [[長崎おでん]] * 島原手延[[素麺|そうめん]] * [[五島うどん]] * [[牛蒡餅]]([[平戸市|平戸]]) * 川内[[蒲鉾|かまぼこ]](平戸) * [[長崎ラーメン]] * [[ちゃんぽん]] * [[皿うどん]] * [[佐世保バーガー]] * [[佐世保レモンステーキ]] * [[カラスミ|からすみ]] * [[角煮饅頭]] * [[長崎一口餃子]] * [[豚まん]](酢醤油と共に) * [[唐板焼き]](とうばんやき) * [[かんころ餅]]([[五島列島]]) * [[オランダ巻]](長崎・揚げ物) * [[かすまき]](対馬、壱岐) * [[栗饅頭]](長崎市) * [[壱岐焼酎]] * [[五島焼酎]] * [[六兵衛]]([[島原半島]]、対馬) * [[大村寿司]]([[大村市]]) * [[サバ寿司]]([[五島市]]) * [[ハトシ]] * [[じゃがちゃん]](千々石) {{Multicol-break}} ; 水産品 : 長崎県の[[プライドフィッシュ]]は、春は[[マアジ|真あじ]](ごんあじ・[[野母崎町|野母]]んあじ)、夏は長崎の[[イサキ]]、冬は長崎とらふぐ(養殖トラフグ)である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pride-fish.jp/JPF/pref/index.php?pk=1450338184|title=長崎県|work=プライドフィッシュ公式サイト|accessdate=2018-08-08}}</ref>。 * [[真珠]](対馬、佐世保市、大村湾) * [[煮干し|いりこ]](県全域) * [[はこふぐ]](五島) * 養殖[[とらふぐ]](県全域) * 養殖[[牡蠣]](大村湾) * 養殖[[マグロ]](五島) * [[マグロ]](壱岐) * [[アジ]] * [[ごんアジ]] * [[アラカブ]] * [[きびなご]] * [[トビウオ]](長崎弁で『あご』) * [[鯛|タイ]]類 * [[サザエ]]貝類 ; 農産品 * [[醤油]] * 茂木[[ビワ|びわ]] * 五島ルビー[[トマト|とまと]] * [[ジャガイモ]] * [[サツマイモ]] * 長崎和牛(平戸牛・雲仙牛・壱岐牛・五島牛)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nagasaki-tabinet.com/eat/gourmet/fresh/3.cfm|title=ミネラル豊富な牧草で育った4大長崎和牛|work=ながさき旅ネット|publisher=長崎県観光連盟・長崎県文化観光国際部観光振興課|accessdate=2018-07-04}}</ref> * [[五島豚]] * [[どんこ]]([[椎茸]])(対馬) * [[蕎麦]](対馬) * [[五島たばこ]] {{Multicol-end}} === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[三川内焼]](陶磁器、[[1978年]]) * [[波佐見焼]](陶磁器、1978年) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#長崎県}} === スポーツ === {{See also|Category:長崎県のスポーツチーム}} * [[V・ファーレン長崎]]([[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]) * [[長崎ヴェルカ]]([[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]]) * [[おたくさクラブ]](ラグビー) === スポーツ施設 === * [[長崎県立総合運動公園陸上競技場|長崎県立総合運動公園(トランスコスモススタジアム長崎)]] ==== 2020年夏季オリンピック誘致関係 ==== * [[広島・長崎オリンピック構想]] * [[ヒロシマ・オリンピック構想]] : 当初は[[広島市]]・[[長崎市]]共催での五輪開催を提案するも[[国際オリンピック委員会]]が共催不可とする判断から長崎市が招致断念。その後広島市単独で招致を目指したが、ヒロシマ五輪反対派が広島市長に当選したことや[[東日本大震災]]後の世相から広島市も招致を断念した。 == 観光 == {{main|長崎県の観光地}} {{also|九州・沖縄地方の史跡一覧#長崎県}} === 世界遺産 === ; [[明治日本の産業革命遺産]] * [[小菅修船場跡]] * [[三菱長崎造船所]]第三船渠・ジャイアント・カンチレバークレーン・[[三菱重工業長崎造船所史料館|旧木型場]]・占勝閣 * [[高島炭鉱|高島炭坑]] * [[端島 (長崎県)|端島炭坑]] * [[グラバー園|旧グラバー住宅]] === 有形文化財建造物 === {{main|長崎県指定文化財一覧}} ; 国宝 * [[崇福寺 (長崎市)|崇福寺]] - 大雄宝殿、第一峰門 * [[大浦天主堂]] ; 重要伝統的建造物群保存地区 * [[東山手]] (長崎市) * [[南山手]] (長崎市) * [[神代小路]] (雲仙市) ; その他主な観光地 * [[浦上天主堂]] * [[平和公園]] * [[長崎バイオパーク]] * [[大村公園]] * [[眼鏡橋 (諫早市)|諫早の眼鏡橋]] * [[雲仙普賢岳]]、[[雲仙温泉]]、[[小浜温泉]] * [[島原城]] * [[ハウステンボス]] * [[九十九島パールシーリゾート]] * [[平戸城]] * [[大瀬埼灯台]] * [[原の辻遺跡]] * [[対馬野生生物保護センター]] == 長崎県を舞台とした作品 == {{main|長崎県を舞台とした作品一覧}} ; 映画・テレビドラマ * [[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-]] (1981年、[[千葉真一]]主演) - ストーリーの中心となる舞台を式見港と[[端島 (長崎県)|軍艦島]]でロケ<ref>{{Cite journal|和書 |author = |date = 1981-11-07 |title = 初秋の[[霧ヶ峰|霧ヶ峰高原]]に[[主題歌|テーマ曲]]「「冒険者たちのメロディー」を流して[[ロケーション撮影|ロケ撮影]] |journal = [[冒険者 (アドベンチャー) カミカゼ]] |pages = 12 - 13 |publisher= 東映株式会社映像事業部 |format = [[小冊子|パンフレット]] }}</ref>。 * [[蝶々夫人]] '''[[:it:Madama Butterfly|Madama Butterfly]]''' (日本&[[イタリア]]合作映画、リッツォーリ・フィルム、ガローネ・プロ、[[東宝]]、監督:[[カルミネ・ガローネ]] [[:it:Carmine Gallone|Carmine Gallone]]、助監督:[[増村保造]]/[[1955年]]) ** 出演:[[八千草薫]]、[[田中路子]]、[[ニコラ・フィラクリディ]]、[[フェルディナンド・リドンニ]]、[[宝塚歌劇団]]、[[寿美花代]] ** [[ジャコモ・プッチーニ|プッチーニ]]原作の世界的に有名な同名[[オペラ]]の舞台をそのまま映画のセットで表現した忠実な映画化。「蝶々夫人」は、有名な[[オペラ]]として世界各地で上演されているが、日本文化の描かれ方がめちゃくちゃで、映画を通じて、世界に正しい日本文化やこの作品の情景を伝えようという主旨で制作された。そのため、日本家屋のセットはすべて日本からイタリアへ空輸して、現地(ローマ・チネチッタ)で渡伊した日本人スタッフ(東宝のスタッフ)が組み立てた本格的なもの。衣装などもイタリアへ空輸した。当時、宝塚歌劇団在団中であった八千草薫がヒロイン像にふさわしい「日本人女性の象徴」として蝶々さん役に抜擢された。撮影は全て[[ローマ]]の[[チネチッタ]]撮影所([[:it:Cinecitta`|Cinecitta`]])で行われ、八千草や[[寿美花代]]、[[東郷晴子]]、[[淀かほる]]、[[伊吹友木子]]など宝塚歌劇団生徒達が[[東京国際空港|羽田空港]]から渡伊した。宝塚歌劇団生徒一行がローマ空港に到着した時の模様や映画「蝶々夫人」の撮影中の様子を伝えるニュースフィルム(モノクロ)が現存する。 * [[忘れえぬ慕情 (1956年の映画)|忘れえぬ慕情]] '''[[:fr:Typhon sur Nagasaki|Typhon sur Nagasaki]]''' (シラ・フィルム=テラ・フィルム=P.A.T.フィルム=ラ・ソシエテ・ヌーベル・パテ・シネマ=パテ・オーバーシーズ、[[松竹]]、日本&[[フランス]]合作映画、監督:[[イヴ・シャンピ]]/[[1956年]]) **出演:[[ダニエル・ダリュー]]、[[ジャン・マレー]]、[[岸惠子]]、[[ゲルト・フレーベ]] 、[[野添ひとみ]]、[[山村聰]]、[[浅茅しのぶ]]、[[浦辺粂子]]、[[関千恵子]] **撮影監督は映画『[[ローマの休日]]』『[[ベルリン・天使の詩]]』も担当した[[アンリ・アルカン]] (Henri Alekan)。[[イーストマン・カラー]]によるカラー映画。 **撮影はロケ地として[[長崎原爆資料館]]や[[三菱重工業長崎造船所]]など全て日本で行われ、ダリュー、マレー、フレーベ、アルカンらも来日。出演者の内、ダリューは1956年(昭和31年)[[3月30日]]、午後11時5分[[東京国際空港|羽田空港]]着の[[エールフランス]]機で訪日。空港では[[岸惠子]]や[[城戸四郎]]松竹社長らが出迎えた。それから約3か月間滞在し、7月11日、全撮影を終え、離日。なお、[[西岡竹次郎]]長崎県知事(当時)が特別出演している。日本公開の翌1957年2月6日、パリで公開。同年2月13日、フランス国内33都市で公開。ほか、[[ドイツ]]、[[イギリス]]、[[イタリア]]、[[オランダ]]、[[ベルギー]]、[[スウェーデン]]、[[スイス]]、[[ハンガリー]]、[[フィンランド]]、[[スペイン]]、[[アメリカ合衆国|米国]]、[[ギリシャ]]、[[ルーマニア]]、[[デンマーク]]でも公開。製作費は<!--当時の-->4億8千万円。 {{columns-list|2| * [[長崎の鐘]]([[大庭秀雄]]) * [[長崎の歌は忘れじ]]([[田坂具隆]]) * [[龍馬伝]]([[NHK大河ドラマ]])主演([[福山雅治]]) * [[この子を残して]]([[木下惠介]]) * [[二重被爆 (ドキュメンタリー映画)|二重被爆]]([[青木亮]]) * [[悪人 (小説)#映画|悪人]]([[李相日]]監督/[[妻夫木聡]]/[[深津絵里]])五島・大瀬崎灯台 * [[69 sixty nine]](村上龍) * 精霊流し(さだまさし) * [[解夏]](さだまさし) * [[長崎ぶらぶら節 (映画)|長崎ぶらぶら節]](なかにし礼) * [[てるてる家族]](なかにし礼『[[てるてる坊主の照子さん]]』) * [[親戚たち]] * [[若い人]]([[西河克己]]) * [[ファザーファッカー]]([[荒戸源次郎]]監督) * [[釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪♪]] * [[ヒロシマナガサキ]]([[スティーブン・オカザキ]]) * [[奈緒子]] * [[せんせい (1983年の映画)|せんせい]]([[大澤豊 (映画監督)|大澤豊]]) * [[電撃戦隊チェンジマン]]第17〜18話([[長崎オランダ村]]) * [[TOMORROW 明日]]([[黒木和雄]]) * [[八月の狂詩曲]]([[黒澤明]]) * [[NAGASAKI1945 アンゼラスの鐘]]([[有原誠治]]) * [[馬頭琴夜想曲]]([[木村威夫]]) * [[7月24日通りのクリスマス]]([[吉田修一]]) * [[007 スカイフォール]]([[端島 (長崎県)|端島]]の写真を元に架空の島を設定) * [[くちびるに歌を]]([[三木孝浩]]監督/[[新垣結衣]]/[[木村文乃]]/[[桐谷健太]]) * [[刑事物語|刑事物語3 潮騒の詩]]([[杉村六郎]]監督) * [[魔界転生]] ([[千葉真一]]・[[沢田研二]]主演、[[深作欣二]]監督) * [[捨てがたき人々]]([[大森南朋]]監督/[[大森南朋]]/[[三輪ひとみ]]/[[寺島進]]) * [[ペコロスの母に会いに行く]]([[森﨑東]]監督/[[赤木春恵]]/[[岩松了]]/[[原田貴和子]])}} ; 歌劇 {{columns-list|2| * [[蝶々夫人]]([[ジャコモ・プッチーニ]]) * Jr.バタフライ([[三枝成彰]]) }} ;戯曲 {{columns-list|2| *「マリアの首」[[田中千禾夫]] *「パンドラの鐘」[[野田秀樹]] *「涙の谷、銀河の丘」[[松田正隆]] }} ;楽曲 {{columns-list|2| * クスノキ([[福山雅治]]) * [[長崎の鐘]](作詞 [[サトウハチロー]]、作曲 [[古関裕而]]、歌 [[藤山一郎]]、[[池真理子]]) * あの子(作詞 [[永井隆 (医学博士)|永井隆]]、作曲 木野普見雄) * 坂道から([[村下孝蔵]]) * [[精霊流し]]、[[長崎小夜曲]]、広島の空、祈り([[さだまさし]]) * [[長崎は今日も雨だった]]([[前川清]]) * 長崎の夜はむらさき([[瀬川瑛子]]) * 子らの魂よ(作詞 島内八郎、作曲 木野普見雄) * ふるさとの空の下で(作詞・作曲・歌 [[美輪明宏|丸山(現・美輪)明宏]]) * 千羽鶴(作詞 横山鼎、作曲 [[大島ミチル]]) * リボン?Ribbon(作詞・作曲・歌 槙健一) * リリシズム(作詞・[[松本隆]]、作曲・[[筒美京平]]、歌[[さとうあき子]]) }} ;小説・紀行・随筆 {{columns-list|2| * [[海と毒薬]]([[遠藤周作]]) * [[沈黙 (遠藤周作)|沈黙]](遠藤周作) * [[女の一生 (遠藤周作)|女の一生]](遠藤周作) * [[69 sixty nine]]([[村上龍]]) * [[コインロッカー・ベイビーズ]](村上龍) * 精霊流し(さだまさし) * [[解夏]](さだまさし) * [[長崎ぶらぶら節#小説|長崎ぶらぶら節]](なかにし礼) * てるてる坊主の照子さん(なかにし礼) * [[長崎駅殺人事件]]([[西村京太郎]]) * [[ファザーファッカー]]([[内田春菊]]) * [[長崎乱楽坂]]([[吉田修一]]) * [[街道をゆく]]第十三巻[[壱岐・対馬の道]]([[司馬遼太郎]]) * 地の群れ、明日 一九四五年八月八日・長崎([[井上光晴]]) * 刻を曳く(後藤みな子) * 樹影 ([[佐多稲子]]) * 祭りの場、ギヤマンビードロ、やすらかに今はねむり給え、長い時間をかけた人間の経験([[林京子]]) * 遠い山なみの光([[カズオ・イシグロ]]) * 聖水、爆心([[青来有一]]) * 六〇〇〇度の愛([[鹿島田真希]]) * 被爆のマリア([[田口ランディ]]) * [[長崎の鐘]]、この子を残して([[永井隆 (医学博士)|永井隆]]) * 娘よ、ここが長崎です([[筒井茅乃]]) * 長崎原爆記、死の同心円([[秋月辰一郎]]) * われなお生きてあり(福田須磨子) * 紫の履歴書([[美輪明宏]]) * 長崎原爆体験 医師の証言(調来助) * 神聖喜劇([[大西巨人]]) * [[くちびるに歌を]]([[中田永一]]) * 長崎([[エリック・ファーユ]]) }} ; 詩集 {{columns-list|2| * 山田かん『山田かん詩集』など * 詩・[[福田須磨子]]、下田秀枝、筒井茅乃、香月クニ子、朗読 [[吉永小百合]]『第二楽章 長崎から』1999 }} ; 歌集・句集 * [[松尾あつゆき]]「原爆句抄」など ; 漫画 {{columns-list|2| * [[奈緒子]](作[[坂田信弘]]、画[[中原裕]])(壱岐市) * [[かっちぇる♪]]([[かわくぼ香織]])(長崎市) * [[魔法遣いに大切なこと|魔法遣いに大切なこと 〜太陽と風の坂道〜]](原作: [[山田典枝]] 作画: [[よしづきくみち]])(長崎市、伊王島) * [[トッキュー!!]](原作[[小森陽一 (漫画原作者)|小森陽一]]作画[[久保ミツロウ]])(佐世保市) * [[モンタージュ]]([[渡辺潤]])(長崎市) * [[ばらかもん]]([[ヨシノサツキ]])(五島市) }} ;アニメ {{columns-list|2| * [[機動戦艦ナデシコ]] 第1話をはじめ一部のエピソード(サセボシティ=佐世保) * [[鋼鉄神ジーグ]] (五島列島。劇中で地名が明言されるシーンは無し) * [[センチメンタルジャーニー (アニメ)|センチメンタルジャーニー]] 第1話 * [[sola (久弥直樹・七尾奈留)|sola]] * [[闇の末裔]] 第1 - 2話 * [[幻影ヲ駆ケル太陽]] * [[色づく世界の明日から]] * [[ばらかもん]]([[ヨシノサツキ]])(五島市) }} ;ゲーム {{columns-list|2| * [[四八(仮)]] * [[センチメンタルグラフティ]] * [[ピリオド (ゲーム)|ピリオド]] * [[AQUA (ゲーム)]]-[[長崎市]]及び[[平戸市]]。[[長崎駅]]や[[平戸ザビエル記念教会]]などが登場。 * [[SilveryWhite 〜君と出逢った理由〜]] * [[Marguerite Sphere -マーガレットスフィア-]] * [[ツクモノツキ]]([[アダルトゲーム]])-[[長崎市]]。[[長崎駅]]などが登場。 * [[百鬼〜淫黙された廃墟〜]] * [[蒼の彼方のフォーリズム]] }} ; 体操 * [[がんばらんば体操]] == 人物 == {{Main|長崎県出身の人物一覧}} === 長崎県名誉県民 === 長崎県名誉県民の称号は、1980年(昭和55年)10月13日に制定された長崎県名誉県民条例(長崎県条例第28号)に基づき、「社会・文化の興隆に著しい功績がある者」へ贈られる(条例第1条)<ref name=meiyoa>[http://www10.e-reikinet.jp/opensearch/SrJbF01/init?jctcd=8A917DC2DA&houcd=H355901010028&no=1&totalCount=5&fromJsp=SrMj 長崎県名誉県民条例] - 長崎県例規集、2020年4月17日閲覧。</ref>。対象者は「公共の福祉の増進又は学術、技芸の進展に寄与し、もって県民の生活及び文化に貢献し、その功績が卓絶して」おり、「県民が郷土の誇りとして、ひとしく尊敬」し、「本県(長崎県)に居住している者又は居住していた者」であり(条例第2条)、長崎県知事が長崎県議会の同意を得て選定することが定められる(条例第3条)。名誉県民に選定された者には、顕彰状や記念品の金盃も併せて贈られるほか(条例第4条)、知事が定める礼遇や特典を受けられる(条例第5条)<ref name=meiyoa/><ref>[http://www10.e-reikinet.jp/opensearch/SrJbF01/init?jctcd=8A917DC2DA&houcd=H355902100045&no=2&totalCount=5&fromJsp=SrMj 長崎県名誉県民条例施行規則] - 長崎県例規集、2020年4月17日閲覧。</ref>。 {| class="wikitable" !贈呈番号 !受賞者氏名 !職業 !選定年月日 !備考 !出典 |- |1 |[[北村西望]] |[[彫刻家]] |1980年12月 |[[文化勲章]]受章者 |<ref name=meiyo>[https://www.pref.nagasaki.jp/nagasakinorekishi/ 長崎県の歴史] - 長崎県、2020年4月17日閲覧。</ref> |- |2 |[[富永直樹]] |彫刻家 |1990年3月 |文化勲章受章者 |<ref name=meiyo/> |- |3 |[[下村脩]] |[[生物学者]] |2009年3月 |[[ノーベル化学賞]]受賞者 |<ref name=meiyo/> |- |4 |[[松尾敏男]] |[[日本画家]] |2013年10月 |文化勲章受章者 |<ref name=meiyo/> |- |5 |[[カズオ・イシグロ]] |[[小説家]] |2018年7月 |[[ノーベル文学賞]]受賞者・長崎市生まれ |<ref name=meiyo/> |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[長崎学]] * [[長崎県出身の人物一覧]] * [[長崎県の県道一覧]] * [[:Category:長崎県の自然景勝地|長崎県の自然景勝地]] * [[長崎市への原子爆弾投下]] * [[長崎弁]]、[[佐世保弁]]、[[壱岐弁]]、[[対馬方言|対馬弁]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/長崎県|[[ファイル:Nagasaki-geo-stub.png|60px|Portal:日本の都道府県/長崎県]]}} ; 行政 * {{Official website}} * {{Twitter|ngs_ken_iryou|長崎県医療政策課}} * [https://nagasaki.stopcovid19.jp/ 長崎 新型コロナウイルス対策サイト] ; 観光 * [https://www.nagasaki-tabinet.com/ ながさき旅ネット] - 長崎県観光連盟<!-- * {{Wikivoyage-inline|長崎県}} --> ; その他 * {{Osmrelation|1842151}} * {{Googlemap|長崎県}} {{s-start}} {{s-bef|before=[[長崎奉行]] ---- [[天草県]](いったん分離後復帰) ---- [[平戸県]]・[[福江県]]・[[大村県]]・[[島原県]] ---- [[佐賀県]](第2次)|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1871年]] -|years2=長崎裁判所→長崎府→長崎県}} {{s-aft|after=----- ---- [[八代県]]([[肥前国]][[天草郡]]) ---- 佐賀県(第3次)|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{長崎県の自治体}} {{長崎県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:なかさきけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:長崎県|*]]
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長野県
長野県(ながのけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は長野市。 令制国名の信濃国にちなみ、信州とも呼ばれている。海に面していない内陸県であり、日本アルプスを始め大規模な山岳地があるため可住地面積率は低い。キャッチフレーズはしあわせ信州。 現在の長野県の県域は、令制国の信濃国にほぼ相当する。そのため現在の長野県も「信州」(しんしゅう)と呼ばれることが多く、特に観光ガイドでは「信州」と呼ぶ。古代では科野(しなの)と書いた。 古くから東山道、中山道が横断し、東日本と西日本を繋ぐ交通の要所であったことから、信州へ通ずる道や旅路のことを信濃路・木曽路と呼んだ。現在でも風光明媚な古道や山間の宿場町の遺構などが各地に残存している。丘陵や山脈がそびえ立ち旅行者の通行を困難にさせたことから、旅行者の安全を守る道祖神の遺跡も多く点在する。 前述のように丘陵や山脈が多く自然条件の厳しい地域であった一方で、明治以後は鉄道などの開通により三大都市圏からのアクセスが良好になったことから、近代以降は軽井沢や上高地を筆頭とした高原リゾート・山岳リゾートが多いことでも知られる。「日本三大外国人避暑地」に数えられた軽井沢と野尻湖を筆頭に、日本アルプス、菅平高原、白馬村など、在留欧米人に余暇活動の拠点として見出された歴史を持つ場所は多い。また諏訪盆地(東洋のスイス)、下栗の里(日本のチロル)、国道299号(メルヘン街道)など欧米に関連した別名を持つ地域も多数あり、長野県の山岳は他面では欧米の山岳風景を思わせ異国情緒を感じさせる地域にもなっている。 日本の都道府県のなかでトップクラスの長寿の県として知られ、2020年現在、都道府県別健康寿命では男女共に1位であった。 長野県は本州の中部に位置しており、周囲8県に隣接し、東西約128キロメートル、南北約220キロメートルと、東西に短く南北に長い県域である。県内の南半分は太平洋側に近く、南信州地域の多くは東京よりも南であり、県の最北端は那須塩原市やいわき市とほぼ同緯度である。長野県の面積は13,562.23平方キロメートルであり、これは南関東1都3県の面積の合計に近く、日本の都道府県では、北海道、岩手県、福島県に次いで4位の面積を持っている。 本県は群馬県・埼玉県・山梨県・静岡県・愛知県・岐阜県・富山県・新潟県と8つの県と隣接し、隣接都道府県数8は、47都道府県で最多である。ただし、これらの県とは陸続きでありながら、その間の交通によっては往来が必ずしも簡単ではない場合がある。例えば、埼玉県と県境が接している長さは10キロメートル程度しかなく、川上村道192号梓山線のみでしか直接的な行き来ができない。また、富山県とは陸続きで接しているものの、3,000メートル級の北アルプスが立ちふさがっており、地形的に険しく、また非常に山奥であるため空路か関電トンネル電気バスでしか往来ができず、一般人は自家用車両による往来は不可能である。これ以外に車両が往来できない県境として群馬と福島との県境が挙げられる。また、地形的な問題などで飯田市と静岡県静岡市、松本市と下諏訪町、王滝村と大桑村など陸続きでありながら往来できない市町村が多数ある。 県境を越える事が地形的に難しい理由として、長野県は中央部を高地が占める山地型の地形ではなく、むしろ北西の県境の飛騨山脈、南東の県境の赤石山脈の標高が高く、間の幾つかの盆地(伊那谷、松本盆地、佐久盆地、長野盆地など)を中心とした地域である点が挙げられる。県境付近の山々は「日本の屋根」とも呼ばれ、標高2,000メートルから3,000メートル級の高山が連なっている。ただ、長野県の中央部も平坦というわけではなく、内部にも山岳が多数見られる、急峻で複雑な地形である。これは日本列島が新期造山帯であること以外に、長野県付近が、北アメリカプレートとユーラシアプレートとのプレート境界に近い事と無関係ではない。なお、本州を縦断する糸魚川静岡構造線(糸静線)が県下を南北に走り、糸静線の東側は第三紀層が分布している。糸静線沿線の諏訪湖からは中央構造線が南に走っている。このようなこともあり、善光寺地震を始め、多数の地震を経験してきた。また、長野県内には活火山も複数存在する。 自然地理学の分野では、長野県付近は中部地方の中央高地として分類される。内陸県で本州の中では降水量の少ない地域もあるものの、本州が日本海と太平洋とに挟まれており、さらに、長野県の急峻な地形と相まって河川を維持するのに充分な降水はあり、県内には数多の水源を擁する。県内には大小多数の河川が見られ、それぞれの河川が山々を侵食した地形も多数見られる。長野県に流域を持つ一級河川としては、信濃川水系・天竜川水系・木曽川水系・姫川水系・矢作川水系・富士川水系・関川水系・利根川水系がある。なお、県内には太平洋と日本海の分水嶺が存在している。例えば、天竜川(南信、諏訪湖を水源とし伊那谷を通る)、木曽川(中信)は南下して太平洋へ注ぐ。また例えば、千曲川(東信、北信)、犀川(中信)は長野市で合流して北上し、県境を越えて信濃川と名称を変えて日本海へ注ぐ。姫川(中信)も日本海へと流れている。 なお、県下の最大人口を誇る都市は長野市の38万7146人であり、最大面積の自治体は松本市の978.77平方キロメートル、最大人口密度の自治体は岡谷市の620.27(人/平方キロメートル)、最大昼間人口比は軽井沢町の117.8%であった。 土地利用としては、長野市、須坂市および上高井郡小布施町、松本市、塩尻市の4都市計画区域で区域区分による市街化調整区域が設定されている。 盆地・谷 山地 山 峠 川 湖沼 長野県は内陸に位置するため、おおむね内陸性気候で、標高の高い地域もあるため中央高地式気候と言われる。ただし、北信地方の大半と、中信地方・東信地方の一部は日本海側気候の特色を併せ持つ。逆に、中信地方の一部と南信地方は太平洋側気候の特色を併せ持つ。また、長野県の各都市は標高が異なり、さらに山脈や盆地の形状などの影響で、気候に修飾を受けるため、気候に違いが見られる。 ただ、全体的に冬の冷え込みは日本の同緯度付近の内陸県と比べると厳しい。中でも、軽井沢、信濃町、志賀高原、菅平高原、八ヶ岳山麓、開田高原、野辺山高原、上高地などの標高が高い地域は、ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Df)であり、通年で北海道並みの気候である。また特に標高の高い場所では北極圏並みの寒さの地域もある。 夏は、長野市や松本市などの盆地部においては日中の気温は東京とほとんど変わらず、時には猛暑日も観測されるものの、朝晩は涼しく、熱帯夜が観測される日はほぼ皆無に等しい。 降水量も地域差が大きく、東信地方から北信地方にかけては年間900ミリメートル前後と少ないが、中信地方から南信地方にかけては年間1,500ミリメートルに達する。 降雪に関しては、北信地方、中信地方、東信地方の一部地域は、豪雪地帯または特別豪雪地帯である。県の南北で降雪条件が異なる。長野県には「上雪(かみゆき)」「下雪(しもゆき)」と言われる雪の降り方がある。「上雪(かみゆき)」は、普段ならば雨の降るはずが、南岸低気圧が通過することによって、気温が低下して雪となる現象で、低気圧に近い中・南信や東信で降雪量が多くなる。「下雪(しもゆき)」は冬の強い季節風の吹き出しによって降る雪のことで、長野県の北部の雪の降り方で、西高東低の日本付近における冬型の気圧配置の場合に降雪し易い、いわゆる日本海型の降雪である。なお、南信地方の伊那谷は、飯田市の旧南信濃村地域を除き雪は少ないものの、寒暖の差が激しい。 地方気象台による警報・注意報は、原則として各市町村ごとに発表される。ただし、松本市は「松本」および「乗鞍上高地」、塩尻市は「塩尻」および「楢川」に別けて発表される。 長野県は、日本のほぼ中央に位置しているが、東西の分類では中部電力など一部の企業や団体で西日本に分類されることもあり、文化的・歴史的・人口の比率・面積の比率からして東日本に分類されることもある。地方の分類では中部地方、甲信地方、信越地方、甲信越地方、北信越地方などがある。 県による区分では地方事務所の管轄に準じて10地域に細分化される。 (人口は2023年11月1日現在) 都市雇用圏(10%通勤圏、中心都市DIDが1万人以上)の変遷 北信(北信、長野) 東信(佐久、上田) 中信(松本、木曽、北アルプス) 平成の市町村大合併は、他県ほど実施されず、中小自治体が櫛比する。ただし、広域連合制度が県内全市町村で活用されており、一部事務組合による広域行政も活発である。2005年(平成17年)には長野県から岐阜県中津川市へ越県合併の事例もあった。 明治の大合併の際にも合併件数は少なかったが、これは地租改正の時期に小規模な村の合併が進んだことが理由である。地租改正でできた広大な村に通し番号で地番を振ったため、県内では地番が5桁になることも珍しくない。また、町村名の次に番地が来る住所も多い。 北信(北信地域、長野地域)、東信(佐久地域、上田地域)、中信(松本地域、木曽地域、北アルプス地域)、南信(上伊那地域、南信州地域、諏訪地域)の4地域は、自然地理や歴史や交通などの各面で、特徴がまったく異なっている。 これは、「信濃の国」(県歌)における「松本、伊那、佐久、善光寺」の4区分にも象徴されている。大まかに分けると、北信、東信、中信、南信は、それぞれ長野県の北部、東部、西部、南部の地域となっており、北信と南信を除いて4地域は互いに接している。 北陸新幹線・信越本線・飯山線・小海線や国道18号・上信越自動車道の沿線である北信と東信は、千曲川流域でおもに中山道と北国街道沿線にあたる。 北信は、新潟県・群馬県に接しており、戦国時代には村上氏・武田氏・織田氏・上杉氏の支配圏に置かれてきた。善光寺街道沿いであった経緯や北陸新幹線・上信越自動車道で接続していることから、新潟県、群馬県、東京とのつながりが深い。 近年では、首都圏からの観光客も多く訪れている。また、中信とは長野自動車道・篠ノ井線により接続している。北信は長野盆地を中心とした地域であり、新潟県に近いことから、海水浴で日本海へ行く者も多い。 一方の東信は、群馬県・埼玉県・山梨県に接しており、戦国時代には武田氏・織田氏・徳川氏・北条氏・真田氏の支配権に置かれてきた。中山道と北国街道の合流点であった歴史的経緯や北信と同様に北陸新幹線・上信越自動車道で接続していることから、浅間山や碓氷峠を越えた群馬県、東京との交流も深い。 また、野辺山高原を経由する国道141号・小海線によりつながる山梨県との交流も深い。山梨県との間には現在、中部横断自動車道が整備中である。三国峠 (長野県・埼玉県)を経由して、埼玉県とも接しているが、道路事情が悪いため物流はほとんどない。道路で雁坂峠の国道140号が開通する前には、碓氷峠 - 東信 - 山梨県 - 静岡県大井川以東のルートが、国道16号圏内を経由せずに関東地方内を迂回する最短ルートとなっていたために、関東志向がもっとも強い地域になっている。 これらに対して、中央本線・飯田線・大糸線や中央自動車道・長野自動車道の沿線である中信と南信は、中山道、甲州街道、千国(ちくに)街道(糸魚川街道、松本街道)、北国西街道、三州街道沿線にあたる。 中信は、新潟県・富山県・岐阜県に接しており、戦国時代には小笠原氏・仁科氏・木曾氏を経て、武田氏・織田氏の支配権に置かれてきた。中山道、甲州街道、千国街道(糸魚川街道、松本街道)、三州街道の沿線であったことから、新潟県、岐阜県、山梨県、愛知県、東京都との交流が深い。 北国西街道沿線には長野自動車道が整備されており、長野地域と接続している。中信地域の北部に位置する北アルプス地域は、飛騨山脈のすぐ東側に位置しており、登山・スキーなどの観光が盛んで、日本最大規模の八方尾根スキー場や、栂池高原スキー場があり、長野オリンピックの会場にもなった。観光の面では、関東地方からだけでなく関西地方からの観光客も多い。 また、国道147号・国道148号を経由してつながる新潟県との交流もあり、山岳観光ルートの立山黒部アルペンルートにより富山県とも接している。また、中信地域の中部に位置する松本地域(中信)は、諏訪地域(南信)とともに中山道と甲州街道の沿線として発展した地域で、山梨県、東京都、岐阜県(東濃、飛騨)との交流が深い。中信地域の南部に位置する木曽地域(中信)は、広域の名古屋圏(中京圏)であり、歴史的に中世以前は美濃国に属し江戸時代には尾張藩領であったことや、国道19号(中山道)を通して、岐阜県・愛知県と接続しているため、経済や文化の面でつながりが深い。 一方、南信は、山梨県、静岡県、愛知県に接しており、戦国時代には諏訪氏・武田氏・織田氏・徳川氏の支配圏に置かれてきた。中山道、甲州街道、三州街道の沿線であったことから、山梨県、東京都、静岡県、愛知県との交流が深い。諏訪地域は、松本地域(中信)とともに中山道と甲州街道の沿線として発展した地域で、山梨県、東京都、岐阜県(東濃)との交流が深い。 また、南信州地域(南信)は、広域の名古屋圏(中京圏)であり、中央自動車道・国道153号(三州街道、足助街道)を通して、岐阜県東濃地方、愛知県名古屋・尾張・西三河地方、さらには三重県と接続しているため、経済や文化の面でつながりが深い。 さらに、南信州地域では、静岡県・愛知県東三河地方とも隣接しているが、道路事情が悪いため、物流が発達していない。現在、三遠南信自動車道(飯田市 - 浜松市)を建設中であるが、全通するかは未定である。また、JR飯田線、国道151号線で、新城市・豊川市を経て豊橋市に出られる。 水系は、北信・中信(松本地域、北アルプス地域)・東信(一部を除く)が日本海側水系に属するのに対して、南信・中信(木曽地域)・東信(佐久市・立科町・南牧村の一部)は太平洋側水系に属している。 一般に、南信州地域、木曽地域は名古屋志向が強く、その他の地域は東京志向が強い。近世以前は中山道沿いという面で信濃国全体でまとまりがあったが、明治時代に東京が首都になり交通が整備されると、 という3地域に区分できるようになった。 ただし長野新幹線開通により北アルプス地域の住民の多くはバスで長野駅まで行き新幹線利用に代わってきている。 長野県域では旧石器時代の遺跡がいくつか発掘調査されている。その中の野尻湖遺跡群(立ヶ鼻遺跡)から人類が活躍していたことを示す槍状木器・骨器・剥片石器などの遺物が発見されている。この遺跡はナウマンゾウやオオツノシカなどの大型哺乳動物を解体したキルサイトと推定されている。時期は約2万5000年前から3万年前のものである。全国で発見されている斧形石器の約4分の1にあたる239点を出土し、刃の部分を砥石で研磨したものが多く、世界でももっとも古い磨製石器と言われている。そのほか、この時代の遺跡としては仲町(信濃町)・日向林B(信濃町)・石子原(飯田市)遺跡が発見されている。 2000年代の前半に竹佐中原(たけさなかはら)遺跡(飯田市)が発掘・調査されている。この遺跡の石器集中地点4か所から石器を含む800点あまりの旧石器時代の遺物が出土した。この石器包含層の自然科学分析(火山灰分析、植物珪酸体分析、炭素14年代測定、光ルミネッセンス年代測定など)が行われ「3万年より古く5万年より新しい」という結果が出た。今までは、日本列島に人々が居住し始めたのは後期旧石器時代の約3万年前以降であると考えられていたが、この遺跡の発掘調査で中期旧石器時代の終わりごろ(3万年前から5万年前)には本県に人々が生活を始めていたことが証明された。 2万年前以降では剥片石器を特徴とする石器群が県内各地から発見されるようになる。後期旧石器時代が終わるころには日本で最初の細石刃が矢出川遺跡(南牧村)で見つかっている。 有史以前、県内には縄文時代の遺跡が多数分布し、この時代の中心地のひとつであった。茅野市で発掘された土偶は2体が国宝とされている。また小県郡長和町の和田峠は日本における黒曜石の代表的な産地であり、諏訪郡原村の阿久遺跡は最古級の環状集石とされている。 続く弥生文化は、まず東海地方から長野県南西部へと伝わり、その後、日本海側の北陸地方から北部へと伝わったと考えられている。この2ルートでの波及が原因かは不明であるが、中野市の柳沢遺跡からは、東日本では唯一となる一緒に埋納された銅鐸と銅戈が出土している(銅鐸と銅戈が一緒に出土したのは日本全国でも数例しかなく、また大阪湾型と九州型の銅戈が混在していることもきわめて稀なケース)。 長野県は県歌「信濃の国」において「松本、伊那、佐久、善光寺」と歌われる4つの盆地に、上田盆地と諏訪盆地を含めた6か所に人口の大半が居住する。それぞれの盆地において、一つないしは二つの中規模都市が盆地とその周辺の山間部全体の核としての役割を果たしており、県内における増減率の地域差は比較的小さい。ただし全体が町村で占められる山間部の木曽地域は人口減が激しい他、最大都市長野市を中心とする北信地方、第二都市松本市を中心とする中信地方、第三都市上田市・第四都市佐久市のある東信地方と比べて、南信地方はやや減少率が高い。 などの計43団体に県が出資または出捐している(2009年〈平成21年〉4月現在)。 田中県政については独善・独裁的という見方もある一方で、それまでの長野県政の悪弊(たとえば、県議会の多数を占める自民党が、少数会派の意見を無視して乱開発などを進めていく手法)を打破したという点では評価する向きもあり、賛否は分かれる。 村井県政は田中県政と比較して、「閉ざされた県政」「県政の後戻り」などと批判される一方で、議会や県職員との対立を避ける姿勢(全国のほとんどの都道府県知事がこうしている(いわゆる「オール与党」体制))を評価する向きもあり、田中県政同様に賛否は分かれている。 本社を置く企業についてはCategory:長野県の企業を参照。 首都圏や中京圏といった消費地に近いことや高原の気候を活かした高品質の葉物野菜の生産が盛んである。レタス、セロリ、ハクサイなどは全国有数の産地となっている。寒冷地のためかつては熱帯原産の植物であるイネの生産には不向きで、ソバの栽培が盛んであったため県内には蕎麦食文化が色濃く残っている。昭和以降は品種改良や育苗によってイネの栽培が可能となり、大河川に面する佐久市、松本市、伊那市などを中心に稲作が行われている。現在の主力品種はコシヒカリ。明治以降は果樹の栽培も盛んになり、特にリンゴとブドウは全国的にも有名、品種改良も盛んに行われ県内生まれの品種も複数存在する。 かつては養蚕が盛んだったためにクワもよく栽培されていた。クワはカイコの餌となるだけでなく、実は食用にでき生糸を採るために繭ごと茹でられたカイコの蛹も貴重なたんぱく源として食用や家畜や養魚の飼料とされた。 林業は全国的には特にカラマツの生産で有名。カラマツは主たる原産地が長野県であり浅間山周辺や八ヶ岳に天然分布している。昭和以降本県から種を持ち出し北海道や東北地方各県で大規模に植林されており、県内においても主力樹種として各地で植栽が続けられている。他にも南信の天竜川沿いはスギのブランドである天竜杉の産地であるし、木曽地域はヒノキの名産地としても知られる。アカマツは特にブランド化されていないものの、面積としては多いためマツタケの発生も多く全国一の生産量を誇る。2000年以降アカマツに致死性の伝染病であるマツ材線虫病(松くい虫)が県内に侵入しアカマツが枯死する被害が拡大しており生態系やマツタケの生産に影響が懸念されている。長野県はマツタケに限らずキノコが好きな人が多いことで有名で、カラマツ林に生えるハナイグチは方言名でリコボウ、ジコボウなどと呼ばれ秋の味覚として親しまれている。この2種に限らず秋になると産直やスーパーに栽培法が確立していない菌根性キノコの天然採取品が出回る。栽培可能なキノコではエノキタケとブナシメジの生産が全国一である。 内陸県である長野では淡水魚を食べる文化があり養魚施設も県内に多数ある。魚種としてはかつてはコイがよく知られており、前述のようにカイコの蛹を粉砕したものを餌とすることもあった。昭和以降はコイに変わりサケ科淡水魚が注目され、品種改良や養殖技術の研究が続けられてきた。ニジマスとブラウントラウトを掛け合わせた三倍体の「信州サーモン」を開発、県の水産試験場が完全養殖に成功させたことから和名に「信濃」が入るシナノユキマス(原産はポーランド)などがある。 工業は明治期から昭和期は生糸産業が盛んだった。精密機械(かつては時計や光学機器が主体であったが、1980年代以降情報通信機械器具、電子部品・デバイスなどに変化している)は諏訪地域を中心に精密機械や電子産業が盛んであり、高地で気候が類似し、高級ブランド時計の本場であるスイスになぞらえ、「東洋のスイス」の異名を取ったこともある。 食品関係では、日本酒、ワイン、シードル、ペリーや味噌の醸造、ウイスキー作りに必要なモルトウイスキーやグレーンウイスキーの蒸溜、飲料をはじめとする食料品製造業が盛んである。法令系の企業が集積し、地方としては出版、印刷が多いことも特徴である。 第1次産業 第2次産業 第3次産業 プライム上場 スタンダード上場 グロース上場 現在、13の消防本部がある。 中部電力をはじめ、東京電力リニューアブルパワー、東北電力、関西電力、電源開発などの水力発電所がある。 県企業局による発電事業として14の発電所があり、伊那市に南信発電管理事務所、長野市に北信発電管理事務所が設置されている。 送配電は長野県の全域が中部電力パワーグリッド(本社は名古屋市)の送配電区域である。60Hzの電源周波数の区域が大半を占めるものの、小諸市高峰高原、大町市の一部、小谷村の一部、松本市奈川、松本市安曇の一部、安曇野市穂高の中房温泉、飯山市の一部、栄村の一部などでは50Hzとの混在区域がある。 長野県内の都市ガス事業はこれまで長野県営によるものと、東京ガスによるものが規模の大きなものとされてきたが、2006年(平成18年)に長野県営のガス事業(長野県企業局)が民営化され、新たに設立された長野都市ガスに事業が移管された。その後、2006年(平成18年)7月1日をもって、東京ガスが長野県内で行っていた事業(同社長野支社の業務も含む)がすべて長野都市ガスに統合された。長野都市ガスは東京ガスグループに属している。 上記も含め、長野県内の主な都市ガス供給業者は下記の通り。 それ以外の水道事業は各市町村の当該部課や、水道局(地方公営企業)および水道企業団(一部事務組合)などが供給している。 長野県は古くから、中山道、北国街道、甲州街道など、国内を東西南北を結ぶ交通の交差点に位置し、その流れから現在においても主要幹線交通が交わる。 また、広く山国の長野県において、県内各地を結ぶ交通網は重要な機能を担っている。関東地方や近畿地方からの距離があり、広大な面積を持つ県であるため、全国で唯一JR本州3社すべての管轄路線が存在している。特に伊那谷と木曽郡は、首都圏(東京)と畿内(大阪・京都)から等距離に位置している。 1990年代前半の高速道路(中央自動車道・長野自動車道・上信越自動車道)や新幹線(北陸新幹線)が開通する前まで、地理的事情などによる他県や首都圏・中京圏などへのアクセスのしづらさから「陸の孤島」と呼ばれていた。 また、以下のご当地ナンバーが2025年に導入予定 なお、上田市、松川町、喬木村は、市町村内において独自のデザインナンバープレートを採用している。 長野県は、旧国鉄の線路がJR本州3社に分割された唯一の都道府県である。これは、県内に長野鉄道管理局が設置されていたものの、同管理局は長野県内全域を管轄していた訳ではなく、県内でも飯田線は全線が静岡鉄道管理局の、大糸線の南小谷駅以北が金沢鉄道管理局管内だった名残である。おもに東日本旅客鉄道(JR東日本)が北信・東信・中信(木曽地域と北アルプス地域北部を除く)地方および諏訪地域を、東海旅客鉄道(JR東海)が南信(諏訪地域を除く)、木曽地方を管轄している。また、西日本旅客鉄道(JR西日本)は南小谷駅以北の大糸線非電化区間を管轄している。普通列車の本数は長野・松本両市のごくごく近郊の区間 および東信地域 を除いて毎時1本以下である。 内陸県で唯一、空港を有する。 長野県は以前は教育に熱心で「教育県」と呼ばれていたが、日本の教育システムが偏差値重視教育へシフトするにつれ、次第に長野県の「教育県」イメージは薄れていった。 2002年(平成14年)度より田中県政下において、公立小学校の30人規模学級が進められ、2005年(平成17年)度には、小学校1 - 4年生の4学年にまたがる完全30人学級が、全額県の費用負担により全国で初めて実現した。また小学校5、6年生に関しては、市町村と共同で行われている。 本県の中学校では、宿泊日程の高山登山行事が伝統となっている。詳細については「学校登山」を参照。長期休みに関しては、長野県の気候の関係による「寒中休み」も一部の学校で実施されているが、冬休みや夏休みなどの長期休業が短いため、ほかの都道府県よりも年間休日数が少なく、その分登校日が多くなっている。 長野県の県立高校の正式名称は、高等学校設置条例(昭和39年12月28日長野県条例第64号)第2条により「長野県○○高等学校」となっており、「長野県立○○高等学校」といった「県立」の名称は用いない。これは北海道、宮城県と同様である。1920年に旧制の県立学校の名称から「立」の字を削除するとした「県令第38号」が出された時に遡及するものであり、長野県の場合、学制改革当時は組合立や町村立の高校であっても県立と区別せず、「長野県○○高等学校」を名乗っていた例があり、市町村立や組合立の高校が順次県立に移管されていった経緯がある。 四年制大学進学者のうち、県内大学への進学率は1987年には8.0%(全国ワースト2) であったが、1990年代以降、四年制大学の開学が相次ぎ、2013年には16.4%(全国ワースト5) まで改善している。 国立 公立 私立 私立 私立 国立 その他教育機関 本県の周囲には飛騨山脈と呼ばれ「日本の屋根」とも呼ばれ、標高2,000メートルから3,000メートル級の高山が連なっている。みすずかる信濃の国の美しく厳しい自然の中でたくさんのことを学び、登山の素晴らしさを存分に感じ、「また山に登りたい」という気持ちになってほしいと願って、ほとんどの中学校で集団登山を行なっており、多くの子どもたちが登山を初めて経験する場となっている。 本県においても親の意識の変化で学校を取り巻く環境も変わってきたが、明治時代以来、中学生の学校登山を実施している 。しかし、2004年以降医師の付き添い同行が廃止されるなどにより実施校が減少しているとの報告がある。 県外からも東京都文京区に所在し、1873年に師範学校の付属小学校として設立された筑波大学附属小学校の6年生全員が清里高原「若桐寮」に、仲間と協力することの大切さや困難に挑む力を育むものとして八ヶ岳に親しむ清里合宿に毎年訪れている。大人は引率者として見守るだけグループに分かれて自由行動。どこで何をするかはグループ内で考えさせることを行っている。 日本新聞協会によれば、2007年上半期の購読部数は信濃毎日新聞(約48万)、読売新聞(約6.9万)、朝日新聞(約6.1万)、中日新聞(約4.8万)、日本経済新聞(約3.4万)の順であった。 都市名表記なしの場合はすべて長野市に本局・本社を置く。 長野県で民放テレビの4局目が開局したのは1991年である。190万人以上の人口を抱えていた22都道府県で、民放テレビ4局目が開局したのは長野県が最後だった。それ以降もテレビ東京・TXN系列局は存在しないが、ケーブルテレビによる区域外再放送で在京キー局のテレビ東京(下伊那地域ではテレビ愛知)が視聴可能である。なお、関東・甲信越地方では唯一すべての民放テレビ局で終夜放送は災害・特番を除いて一切行われていない。 長野県の地上波テレビ・FMラジオの県域放送の親局及びSBCラジオのFM補完中継局のメイン送信所は、いずれも美ヶ原に設けられている。また、2007年に全民放局の本社が長野市内に集結した。 長野県内のケーブルテレビ局の数は、日本の都道府県の平均よりも多く、加入者も県内全世帯の半数を超え、局数も20局以上存在する。これは県内に山地が多く、難視聴地域も多数存在していたために発達したと考えられる。 しかし、ケーブルテレビが発達して間もない時期は、局数が少なかった。そのために、難視聴地域解消という目的以外にも、県内外の情報格差是正を目的に県内主要ケーブルテレビ各局は、長野県域民放局の再送信に加え、在京民放キー局(下伊那地域の一部では在名民放基幹局)の再送信(いわゆる区域外再放送)を実施した。この区域外再放送は、県内に民放が4局開局して情報格差が是正されてからも長く続いたが、2011年の地上デジタル放送完全移行により、基本的にデジタル放送では、区域外再放送を中止する方針が出されたことを受け、テレビ東京分および南信地区における在名局受けの地域を除き2014年7月24日を以って廃止された。 みすずかるは、長野県人が、一人でもいると歌いだす歌である。長野県の名勝を一巡した歌である。デューク エイセスが、歌っていた。長野県に伝わる民謡は木曽節である。全国に知られる木曽踊りは、木曽義仲の供養のために行われ、鎧兜の姿で松明行列の後に、木曽節に合わせて踊ったのが始まりと云われていて、風情のある民謡として慕われている。。 木曽のナァー なかのりさん 木曽のおんたけ ナンチャラホーイ 夏でも寒い ヨイヨイヨイ 袷ナァー なかのりさん 袷やりたや ナンチャラホーイ 足袋そえて ヨイヨイヨイ 心ナァー なかのりさん 心細いよ ナンチャラホーイ 木曽路の旅は ヨイヨイヨイ 笠にナァー なかのりさん 笠に木の葉が ナンチャラホーイ 舞いかかる ヨイヨイヨイ 木曽のナァー なかのりさん 木曽の名木 ナンチャラホーイ ひのきにさわら ヨイヨイヨイ ねずにナァー なかのりさん ねずにあすひに ナンチャラホーイ こうやまき ヨイヨイヨイ 三里ナァー なかのりさん 三里笹山 ナンチャラホーイ 二里松林 ヨイヨイヨイ 嫁ごナァー なかのりさん 嫁ごよくきた ナンチャラホーイ 五里の道 ヨイヨイヨイ 木曽のナァー なかのりさん 木曽の山寺 ナンチャラホーイ 今鳴る鐘は ヨイヨイヨイ 昔ナァー なかのりさん 昔ながらの ナンチャラホーイ 初夜の鐘 ヨイヨイヨイ 木曽のナァー なかのりさん 木曽の名所は ナンチャラーホイ 棧寝覚 ヨイヨイヨイ 山でナァー なかのりさん 山で高いのは ナンチャラホーイ 御嶽山 ヨイヨイヨイ 踊ナァー なかのりさん 踊ましょでえ ナンチャラホーイ 踊らせましょぞ ヨイヨイヨイ 月のナァー なかのりさん 月の山端に ナンチャラホーイ かぎるまで ヨイヨイヨイ 木曽でナァー なかのりさん 木曽で生まれた ナンチャラホーイ なかのりさんは ヨイヨイヨイ 可愛ナァー なかのりさん 可愛がられて ナンチャラホーイ みやこまで ヨイヨイヨイ 長野県は沖縄県と同様に、公営競技場および投票券場外発売場が1つもない県である。そのため、テレビなどではローカルで「レースガイド」が放送されることは滅多にない(しかし、NBSにおいてフジテレビ系列日曜午後の競馬番組(みんなのKEIBA)・フジテレビ系列日曜未明の競馬番組(うまズキッ!)の中央競馬関連番組はネットしている)。また隣県の競馬・競輪・競艇場などのローカルCMが県内民放各局で流れる。 長野県県民栄誉賞は、2015年(平成27年)に創設された賞で、県表彰規則では「個人又は団体で、広く県民に敬愛され、県の名を高めるとともに、県民に明るい希望を与えることに特に顕著な功績があったもの」を対象にしている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "長野県(ながのけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は長野市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "令制国名の信濃国にちなみ、信州とも呼ばれている。海に面していない内陸県であり、日本アルプスを始め大規模な山岳地があるため可住地面積率は低い。キャッチフレーズはしあわせ信州。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "現在の長野県の県域は、令制国の信濃国にほぼ相当する。そのため現在の長野県も「信州」(しんしゅう)と呼ばれることが多く、特に観光ガイドでは「信州」と呼ぶ。古代では科野(しなの)と書いた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "古くから東山道、中山道が横断し、東日本と西日本を繋ぐ交通の要所であったことから、信州へ通ずる道や旅路のことを信濃路・木曽路と呼んだ。現在でも風光明媚な古道や山間の宿場町の遺構などが各地に残存している。丘陵や山脈がそびえ立ち旅行者の通行を困難にさせたことから、旅行者の安全を守る道祖神の遺跡も多く点在する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "前述のように丘陵や山脈が多く自然条件の厳しい地域であった一方で、明治以後は鉄道などの開通により三大都市圏からのアクセスが良好になったことから、近代以降は軽井沢や上高地を筆頭とした高原リゾート・山岳リゾートが多いことでも知られる。「日本三大外国人避暑地」に数えられた軽井沢と野尻湖を筆頭に、日本アルプス、菅平高原、白馬村など、在留欧米人に余暇活動の拠点として見出された歴史を持つ場所は多い。また諏訪盆地(東洋のスイス)、下栗の里(日本のチロル)、国道299号(メルヘン街道)など欧米に関連した別名を持つ地域も多数あり、長野県の山岳は他面では欧米の山岳風景を思わせ異国情緒を感じさせる地域にもなっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "日本の都道府県のなかでトップクラスの長寿の県として知られ、2020年現在、都道府県別健康寿命では男女共に1位であった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "長野県は本州の中部に位置しており、周囲8県に隣接し、東西約128キロメートル、南北約220キロメートルと、東西に短く南北に長い県域である。県内の南半分は太平洋側に近く、南信州地域の多くは東京よりも南であり、県の最北端は那須塩原市やいわき市とほぼ同緯度である。長野県の面積は13,562.23平方キロメートルであり、これは南関東1都3県の面積の合計に近く、日本の都道府県では、北海道、岩手県、福島県に次いで4位の面積を持っている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "本県は群馬県・埼玉県・山梨県・静岡県・愛知県・岐阜県・富山県・新潟県と8つの県と隣接し、隣接都道府県数8は、47都道府県で最多である。ただし、これらの県とは陸続きでありながら、その間の交通によっては往来が必ずしも簡単ではない場合がある。例えば、埼玉県と県境が接している長さは10キロメートル程度しかなく、川上村道192号梓山線のみでしか直接的な行き来ができない。また、富山県とは陸続きで接しているものの、3,000メートル級の北アルプスが立ちふさがっており、地形的に険しく、また非常に山奥であるため空路か関電トンネル電気バスでしか往来ができず、一般人は自家用車両による往来は不可能である。これ以外に車両が往来できない県境として群馬と福島との県境が挙げられる。また、地形的な問題などで飯田市と静岡県静岡市、松本市と下諏訪町、王滝村と大桑村など陸続きでありながら往来できない市町村が多数ある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "県境を越える事が地形的に難しい理由として、長野県は中央部を高地が占める山地型の地形ではなく、むしろ北西の県境の飛騨山脈、南東の県境の赤石山脈の標高が高く、間の幾つかの盆地(伊那谷、松本盆地、佐久盆地、長野盆地など)を中心とした地域である点が挙げられる。県境付近の山々は「日本の屋根」とも呼ばれ、標高2,000メートルから3,000メートル級の高山が連なっている。ただ、長野県の中央部も平坦というわけではなく、内部にも山岳が多数見られる、急峻で複雑な地形である。これは日本列島が新期造山帯であること以外に、長野県付近が、北アメリカプレートとユーラシアプレートとのプレート境界に近い事と無関係ではない。なお、本州を縦断する糸魚川静岡構造線(糸静線)が県下を南北に走り、糸静線の東側は第三紀層が分布している。糸静線沿線の諏訪湖からは中央構造線が南に走っている。このようなこともあり、善光寺地震を始め、多数の地震を経験してきた。また、長野県内には活火山も複数存在する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "自然地理学の分野では、長野県付近は中部地方の中央高地として分類される。内陸県で本州の中では降水量の少ない地域もあるものの、本州が日本海と太平洋とに挟まれており、さらに、長野県の急峻な地形と相まって河川を維持するのに充分な降水はあり、県内には数多の水源を擁する。県内には大小多数の河川が見られ、それぞれの河川が山々を侵食した地形も多数見られる。長野県に流域を持つ一級河川としては、信濃川水系・天竜川水系・木曽川水系・姫川水系・矢作川水系・富士川水系・関川水系・利根川水系がある。なお、県内には太平洋と日本海の分水嶺が存在している。例えば、天竜川(南信、諏訪湖を水源とし伊那谷を通る)、木曽川(中信)は南下して太平洋へ注ぐ。また例えば、千曲川(東信、北信)、犀川(中信)は長野市で合流して北上し、県境を越えて信濃川と名称を変えて日本海へ注ぐ。姫川(中信)も日本海へと流れている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "なお、県下の最大人口を誇る都市は長野市の38万7146人であり、最大面積の自治体は松本市の978.77平方キロメートル、最大人口密度の自治体は岡谷市の620.27(人/平方キロメートル)、最大昼間人口比は軽井沢町の117.8%であった。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "土地利用としては、長野市、須坂市および上高井郡小布施町、松本市、塩尻市の4都市計画区域で区域区分による市街化調整区域が設定されている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "盆地・谷", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "山地", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "山", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "峠", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "川", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "湖沼", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "長野県は内陸に位置するため、おおむね内陸性気候で、標高の高い地域もあるため中央高地式気候と言われる。ただし、北信地方の大半と、中信地方・東信地方の一部は日本海側気候の特色を併せ持つ。逆に、中信地方の一部と南信地方は太平洋側気候の特色を併せ持つ。また、長野県の各都市は標高が異なり、さらに山脈や盆地の形状などの影響で、気候に修飾を受けるため、気候に違いが見られる。", "title": "気候" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ただ、全体的に冬の冷え込みは日本の同緯度付近の内陸県と比べると厳しい。中でも、軽井沢、信濃町、志賀高原、菅平高原、八ヶ岳山麓、開田高原、野辺山高原、上高地などの標高が高い地域は、ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Df)であり、通年で北海道並みの気候である。また特に標高の高い場所では北極圏並みの寒さの地域もある。", "title": "気候" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "夏は、長野市や松本市などの盆地部においては日中の気温は東京とほとんど変わらず、時には猛暑日も観測されるものの、朝晩は涼しく、熱帯夜が観測される日はほぼ皆無に等しい。", "title": "気候" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "降水量も地域差が大きく、東信地方から北信地方にかけては年間900ミリメートル前後と少ないが、中信地方から南信地方にかけては年間1,500ミリメートルに達する。", "title": "気候" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "降雪に関しては、北信地方、中信地方、東信地方の一部地域は、豪雪地帯または特別豪雪地帯である。県の南北で降雪条件が異なる。長野県には「上雪(かみゆき)」「下雪(しもゆき)」と言われる雪の降り方がある。「上雪(かみゆき)」は、普段ならば雨の降るはずが、南岸低気圧が通過することによって、気温が低下して雪となる現象で、低気圧に近い中・南信や東信で降雪量が多くなる。「下雪(しもゆき)」は冬の強い季節風の吹き出しによって降る雪のことで、長野県の北部の雪の降り方で、西高東低の日本付近における冬型の気圧配置の場合に降雪し易い、いわゆる日本海型の降雪である。なお、南信地方の伊那谷は、飯田市の旧南信濃村地域を除き雪は少ないものの、寒暖の差が激しい。", "title": "気候" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "地方気象台による警報・注意報は、原則として各市町村ごとに発表される。ただし、松本市は「松本」および「乗鞍上高地」、塩尻市は「塩尻」および「楢川」に別けて発表される。", "title": "気候" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "長野県は、日本のほぼ中央に位置しているが、東西の分類では中部電力など一部の企業や団体で西日本に分類されることもあり、文化的・歴史的・人口の比率・面積の比率からして東日本に分類されることもある。地方の分類では中部地方、甲信地方、信越地方、甲信越地方、北信越地方などがある。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "県による区分では地方事務所の管轄に準じて10地域に細分化される。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "(人口は2023年11月1日現在)", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "都市雇用圏(10%通勤圏、中心都市DIDが1万人以上)の変遷", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "北信(北信、長野) 東信(佐久、上田) 中信(松本、木曽、北アルプス)", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "平成の市町村大合併は、他県ほど実施されず、中小自治体が櫛比する。ただし、広域連合制度が県内全市町村で活用されており、一部事務組合による広域行政も活発である。2005年(平成17年)には長野県から岐阜県中津川市へ越県合併の事例もあった。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "明治の大合併の際にも合併件数は少なかったが、これは地租改正の時期に小規模な村の合併が進んだことが理由である。地租改正でできた広大な村に通し番号で地番を振ったため、県内では地番が5桁になることも珍しくない。また、町村名の次に番地が来る住所も多い。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "北信(北信地域、長野地域)、東信(佐久地域、上田地域)、中信(松本地域、木曽地域、北アルプス地域)、南信(上伊那地域、南信州地域、諏訪地域)の4地域は、自然地理や歴史や交通などの各面で、特徴がまったく異なっている。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "これは、「信濃の国」(県歌)における「松本、伊那、佐久、善光寺」の4区分にも象徴されている。大まかに分けると、北信、東信、中信、南信は、それぞれ長野県の北部、東部、西部、南部の地域となっており、北信と南信を除いて4地域は互いに接している。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "北陸新幹線・信越本線・飯山線・小海線や国道18号・上信越自動車道の沿線である北信と東信は、千曲川流域でおもに中山道と北国街道沿線にあたる。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "北信は、新潟県・群馬県に接しており、戦国時代には村上氏・武田氏・織田氏・上杉氏の支配圏に置かれてきた。善光寺街道沿いであった経緯や北陸新幹線・上信越自動車道で接続していることから、新潟県、群馬県、東京とのつながりが深い。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "近年では、首都圏からの観光客も多く訪れている。また、中信とは長野自動車道・篠ノ井線により接続している。北信は長野盆地を中心とした地域であり、新潟県に近いことから、海水浴で日本海へ行く者も多い。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "一方の東信は、群馬県・埼玉県・山梨県に接しており、戦国時代には武田氏・織田氏・徳川氏・北条氏・真田氏の支配権に置かれてきた。中山道と北国街道の合流点であった歴史的経緯や北信と同様に北陸新幹線・上信越自動車道で接続していることから、浅間山や碓氷峠を越えた群馬県、東京との交流も深い。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "また、野辺山高原を経由する国道141号・小海線によりつながる山梨県との交流も深い。山梨県との間には現在、中部横断自動車道が整備中である。三国峠 (長野県・埼玉県)を経由して、埼玉県とも接しているが、道路事情が悪いため物流はほとんどない。道路で雁坂峠の国道140号が開通する前には、碓氷峠 - 東信 - 山梨県 - 静岡県大井川以東のルートが、国道16号圏内を経由せずに関東地方内を迂回する最短ルートとなっていたために、関東志向がもっとも強い地域になっている。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "これらに対して、中央本線・飯田線・大糸線や中央自動車道・長野自動車道の沿線である中信と南信は、中山道、甲州街道、千国(ちくに)街道(糸魚川街道、松本街道)、北国西街道、三州街道沿線にあたる。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "中信は、新潟県・富山県・岐阜県に接しており、戦国時代には小笠原氏・仁科氏・木曾氏を経て、武田氏・織田氏の支配権に置かれてきた。中山道、甲州街道、千国街道(糸魚川街道、松本街道)、三州街道の沿線であったことから、新潟県、岐阜県、山梨県、愛知県、東京都との交流が深い。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "北国西街道沿線には長野自動車道が整備されており、長野地域と接続している。中信地域の北部に位置する北アルプス地域は、飛騨山脈のすぐ東側に位置しており、登山・スキーなどの観光が盛んで、日本最大規模の八方尾根スキー場や、栂池高原スキー場があり、長野オリンピックの会場にもなった。観光の面では、関東地方からだけでなく関西地方からの観光客も多い。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "また、国道147号・国道148号を経由してつながる新潟県との交流もあり、山岳観光ルートの立山黒部アルペンルートにより富山県とも接している。また、中信地域の中部に位置する松本地域(中信)は、諏訪地域(南信)とともに中山道と甲州街道の沿線として発展した地域で、山梨県、東京都、岐阜県(東濃、飛騨)との交流が深い。中信地域の南部に位置する木曽地域(中信)は、広域の名古屋圏(中京圏)であり、歴史的に中世以前は美濃国に属し江戸時代には尾張藩領であったことや、国道19号(中山道)を通して、岐阜県・愛知県と接続しているため、経済や文化の面でつながりが深い。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "一方、南信は、山梨県、静岡県、愛知県に接しており、戦国時代には諏訪氏・武田氏・織田氏・徳川氏の支配圏に置かれてきた。中山道、甲州街道、三州街道の沿線であったことから、山梨県、東京都、静岡県、愛知県との交流が深い。諏訪地域は、松本地域(中信)とともに中山道と甲州街道の沿線として発展した地域で、山梨県、東京都、岐阜県(東濃)との交流が深い。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "また、南信州地域(南信)は、広域の名古屋圏(中京圏)であり、中央自動車道・国道153号(三州街道、足助街道)を通して、岐阜県東濃地方、愛知県名古屋・尾張・西三河地方、さらには三重県と接続しているため、経済や文化の面でつながりが深い。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "さらに、南信州地域では、静岡県・愛知県東三河地方とも隣接しているが、道路事情が悪いため、物流が発達していない。現在、三遠南信自動車道(飯田市 - 浜松市)を建設中であるが、全通するかは未定である。また、JR飯田線、国道151号線で、新城市・豊川市を経て豊橋市に出られる。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "水系は、北信・中信(松本地域、北アルプス地域)・東信(一部を除く)が日本海側水系に属するのに対して、南信・中信(木曽地域)・東信(佐久市・立科町・南牧村の一部)は太平洋側水系に属している。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "一般に、南信州地域、木曽地域は名古屋志向が強く、その他の地域は東京志向が強い。近世以前は中山道沿いという面で信濃国全体でまとまりがあったが、明治時代に東京が首都になり交通が整備されると、", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "という3地域に区分できるようになった。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ただし長野新幹線開通により北アルプス地域の住民の多くはバスで長野駅まで行き新幹線利用に代わってきている。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "長野県域では旧石器時代の遺跡がいくつか発掘調査されている。その中の野尻湖遺跡群(立ヶ鼻遺跡)から人類が活躍していたことを示す槍状木器・骨器・剥片石器などの遺物が発見されている。この遺跡はナウマンゾウやオオツノシカなどの大型哺乳動物を解体したキルサイトと推定されている。時期は約2万5000年前から3万年前のものである。全国で発見されている斧形石器の約4分の1にあたる239点を出土し、刃の部分を砥石で研磨したものが多く、世界でももっとも古い磨製石器と言われている。そのほか、この時代の遺跡としては仲町(信濃町)・日向林B(信濃町)・石子原(飯田市)遺跡が発見されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2000年代の前半に竹佐中原(たけさなかはら)遺跡(飯田市)が発掘・調査されている。この遺跡の石器集中地点4か所から石器を含む800点あまりの旧石器時代の遺物が出土した。この石器包含層の自然科学分析(火山灰分析、植物珪酸体分析、炭素14年代測定、光ルミネッセンス年代測定など)が行われ「3万年より古く5万年より新しい」という結果が出た。今までは、日本列島に人々が居住し始めたのは後期旧石器時代の約3万年前以降であると考えられていたが、この遺跡の発掘調査で中期旧石器時代の終わりごろ(3万年前から5万年前)には本県に人々が生活を始めていたことが証明された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "2万年前以降では剥片石器を特徴とする石器群が県内各地から発見されるようになる。後期旧石器時代が終わるころには日本で最初の細石刃が矢出川遺跡(南牧村)で見つかっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "有史以前、県内には縄文時代の遺跡が多数分布し、この時代の中心地のひとつであった。茅野市で発掘された土偶は2体が国宝とされている。また小県郡長和町の和田峠は日本における黒曜石の代表的な産地であり、諏訪郡原村の阿久遺跡は最古級の環状集石とされている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "続く弥生文化は、まず東海地方から長野県南西部へと伝わり、その後、日本海側の北陸地方から北部へと伝わったと考えられている。この2ルートでの波及が原因かは不明であるが、中野市の柳沢遺跡からは、東日本では唯一となる一緒に埋納された銅鐸と銅戈が出土している(銅鐸と銅戈が一緒に出土したのは日本全国でも数例しかなく、また大阪湾型と九州型の銅戈が混在していることもきわめて稀なケース)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "長野県は県歌「信濃の国」において「松本、伊那、佐久、善光寺」と歌われる4つの盆地に、上田盆地と諏訪盆地を含めた6か所に人口の大半が居住する。それぞれの盆地において、一つないしは二つの中規模都市が盆地とその周辺の山間部全体の核としての役割を果たしており、県内における増減率の地域差は比較的小さい。ただし全体が町村で占められる山間部の木曽地域は人口減が激しい他、最大都市長野市を中心とする北信地方、第二都市松本市を中心とする中信地方、第三都市上田市・第四都市佐久市のある東信地方と比べて、南信地方はやや減少率が高い。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "などの計43団体に県が出資または出捐している(2009年〈平成21年〉4月現在)。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "田中県政については独善・独裁的という見方もある一方で、それまでの長野県政の悪弊(たとえば、県議会の多数を占める自民党が、少数会派の意見を無視して乱開発などを進めていく手法)を打破したという点では評価する向きもあり、賛否は分かれる。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "村井県政は田中県政と比較して、「閉ざされた県政」「県政の後戻り」などと批判される一方で、議会や県職員との対立を避ける姿勢(全国のほとんどの都道府県知事がこうしている(いわゆる「オール与党」体制))を評価する向きもあり、田中県政同様に賛否は分かれている。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "本社を置く企業についてはCategory:長野県の企業を参照。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "首都圏や中京圏といった消費地に近いことや高原の気候を活かした高品質の葉物野菜の生産が盛んである。レタス、セロリ、ハクサイなどは全国有数の産地となっている。寒冷地のためかつては熱帯原産の植物であるイネの生産には不向きで、ソバの栽培が盛んであったため県内には蕎麦食文化が色濃く残っている。昭和以降は品種改良や育苗によってイネの栽培が可能となり、大河川に面する佐久市、松本市、伊那市などを中心に稲作が行われている。現在の主力品種はコシヒカリ。明治以降は果樹の栽培も盛んになり、特にリンゴとブドウは全国的にも有名、品種改良も盛んに行われ県内生まれの品種も複数存在する。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "かつては養蚕が盛んだったためにクワもよく栽培されていた。クワはカイコの餌となるだけでなく、実は食用にでき生糸を採るために繭ごと茹でられたカイコの蛹も貴重なたんぱく源として食用や家畜や養魚の飼料とされた。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "林業は全国的には特にカラマツの生産で有名。カラマツは主たる原産地が長野県であり浅間山周辺や八ヶ岳に天然分布している。昭和以降本県から種を持ち出し北海道や東北地方各県で大規模に植林されており、県内においても主力樹種として各地で植栽が続けられている。他にも南信の天竜川沿いはスギのブランドである天竜杉の産地であるし、木曽地域はヒノキの名産地としても知られる。アカマツは特にブランド化されていないものの、面積としては多いためマツタケの発生も多く全国一の生産量を誇る。2000年以降アカマツに致死性の伝染病であるマツ材線虫病(松くい虫)が県内に侵入しアカマツが枯死する被害が拡大しており生態系やマツタケの生産に影響が懸念されている。長野県はマツタケに限らずキノコが好きな人が多いことで有名で、カラマツ林に生えるハナイグチは方言名でリコボウ、ジコボウなどと呼ばれ秋の味覚として親しまれている。この2種に限らず秋になると産直やスーパーに栽培法が確立していない菌根性キノコの天然採取品が出回る。栽培可能なキノコではエノキタケとブナシメジの生産が全国一である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "内陸県である長野では淡水魚を食べる文化があり養魚施設も県内に多数ある。魚種としてはかつてはコイがよく知られており、前述のようにカイコの蛹を粉砕したものを餌とすることもあった。昭和以降はコイに変わりサケ科淡水魚が注目され、品種改良や養殖技術の研究が続けられてきた。ニジマスとブラウントラウトを掛け合わせた三倍体の「信州サーモン」を開発、県の水産試験場が完全養殖に成功させたことから和名に「信濃」が入るシナノユキマス(原産はポーランド)などがある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "工業は明治期から昭和期は生糸産業が盛んだった。精密機械(かつては時計や光学機器が主体であったが、1980年代以降情報通信機械器具、電子部品・デバイスなどに変化している)は諏訪地域を中心に精密機械や電子産業が盛んであり、高地で気候が類似し、高級ブランド時計の本場であるスイスになぞらえ、「東洋のスイス」の異名を取ったこともある。 食品関係では、日本酒、ワイン、シードル、ペリーや味噌の醸造、ウイスキー作りに必要なモルトウイスキーやグレーンウイスキーの蒸溜、飲料をはじめとする食料品製造業が盛んである。法令系の企業が集積し、地方としては出版、印刷が多いことも特徴である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "第1次産業", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "第2次産業", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "第3次産業", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "プライム上場", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "スタンダード上場", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "グロース上場", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "現在、13の消防本部がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "中部電力をはじめ、東京電力リニューアブルパワー、東北電力、関西電力、電源開発などの水力発電所がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "県企業局による発電事業として14の発電所があり、伊那市に南信発電管理事務所、長野市に北信発電管理事務所が設置されている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "送配電は長野県の全域が中部電力パワーグリッド(本社は名古屋市)の送配電区域である。60Hzの電源周波数の区域が大半を占めるものの、小諸市高峰高原、大町市の一部、小谷村の一部、松本市奈川、松本市安曇の一部、安曇野市穂高の中房温泉、飯山市の一部、栄村の一部などでは50Hzとの混在区域がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "長野県内の都市ガス事業はこれまで長野県営によるものと、東京ガスによるものが規模の大きなものとされてきたが、2006年(平成18年)に長野県営のガス事業(長野県企業局)が民営化され、新たに設立された長野都市ガスに事業が移管された。その後、2006年(平成18年)7月1日をもって、東京ガスが長野県内で行っていた事業(同社長野支社の業務も含む)がすべて長野都市ガスに統合された。長野都市ガスは東京ガスグループに属している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "上記も含め、長野県内の主な都市ガス供給業者は下記の通り。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "それ以外の水道事業は各市町村の当該部課や、水道局(地方公営企業)および水道企業団(一部事務組合)などが供給している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "長野県は古くから、中山道、北国街道、甲州街道など、国内を東西南北を結ぶ交通の交差点に位置し、その流れから現在においても主要幹線交通が交わる。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "また、広く山国の長野県において、県内各地を結ぶ交通網は重要な機能を担っている。関東地方や近畿地方からの距離があり、広大な面積を持つ県であるため、全国で唯一JR本州3社すべての管轄路線が存在している。特に伊那谷と木曽郡は、首都圏(東京)と畿内(大阪・京都)から等距離に位置している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "1990年代前半の高速道路(中央自動車道・長野自動車道・上信越自動車道)や新幹線(北陸新幹線)が開通する前まで、地理的事情などによる他県や首都圏・中京圏などへのアクセスのしづらさから「陸の孤島」と呼ばれていた。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "また、以下のご当地ナンバーが2025年に導入予定", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "なお、上田市、松川町、喬木村は、市町村内において独自のデザインナンバープレートを採用している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "長野県は、旧国鉄の線路がJR本州3社に分割された唯一の都道府県である。これは、県内に長野鉄道管理局が設置されていたものの、同管理局は長野県内全域を管轄していた訳ではなく、県内でも飯田線は全線が静岡鉄道管理局の、大糸線の南小谷駅以北が金沢鉄道管理局管内だった名残である。おもに東日本旅客鉄道(JR東日本)が北信・東信・中信(木曽地域と北アルプス地域北部を除く)地方および諏訪地域を、東海旅客鉄道(JR東海)が南信(諏訪地域を除く)、木曽地方を管轄している。また、西日本旅客鉄道(JR西日本)は南小谷駅以北の大糸線非電化区間を管轄している。普通列車の本数は長野・松本両市のごくごく近郊の区間 および東信地域 を除いて毎時1本以下である。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "内陸県で唯一、空港を有する。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "長野県は以前は教育に熱心で「教育県」と呼ばれていたが、日本の教育システムが偏差値重視教育へシフトするにつれ、次第に長野県の「教育県」イメージは薄れていった。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "2002年(平成14年)度より田中県政下において、公立小学校の30人規模学級が進められ、2005年(平成17年)度には、小学校1 - 4年生の4学年にまたがる完全30人学級が、全額県の費用負担により全国で初めて実現した。また小学校5、6年生に関しては、市町村と共同で行われている。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "本県の中学校では、宿泊日程の高山登山行事が伝統となっている。詳細については「学校登山」を参照。長期休みに関しては、長野県の気候の関係による「寒中休み」も一部の学校で実施されているが、冬休みや夏休みなどの長期休業が短いため、ほかの都道府県よりも年間休日数が少なく、その分登校日が多くなっている。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "長野県の県立高校の正式名称は、高等学校設置条例(昭和39年12月28日長野県条例第64号)第2条により「長野県○○高等学校」となっており、「長野県立○○高等学校」といった「県立」の名称は用いない。これは北海道、宮城県と同様である。1920年に旧制の県立学校の名称から「立」の字を削除するとした「県令第38号」が出された時に遡及するものであり、長野県の場合、学制改革当時は組合立や町村立の高校であっても県立と区別せず、「長野県○○高等学校」を名乗っていた例があり、市町村立や組合立の高校が順次県立に移管されていった経緯がある。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "四年制大学進学者のうち、県内大学への進学率は1987年には8.0%(全国ワースト2) であったが、1990年代以降、四年制大学の開学が相次ぎ、2013年には16.4%(全国ワースト5) まで改善している。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "国立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "公立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "私立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "私立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "私立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "国立", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "その他教育機関", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "本県の周囲には飛騨山脈と呼ばれ「日本の屋根」とも呼ばれ、標高2,000メートルから3,000メートル級の高山が連なっている。みすずかる信濃の国の美しく厳しい自然の中でたくさんのことを学び、登山の素晴らしさを存分に感じ、「また山に登りたい」という気持ちになってほしいと願って、ほとんどの中学校で集団登山を行なっており、多くの子どもたちが登山を初めて経験する場となっている。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "本県においても親の意識の変化で学校を取り巻く環境も変わってきたが、明治時代以来、中学生の学校登山を実施している 。しかし、2004年以降医師の付き添い同行が廃止されるなどにより実施校が減少しているとの報告がある。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "県外からも東京都文京区に所在し、1873年に師範学校の付属小学校として設立された筑波大学附属小学校の6年生全員が清里高原「若桐寮」に、仲間と協力することの大切さや困難に挑む力を育むものとして八ヶ岳に親しむ清里合宿に毎年訪れている。大人は引率者として見守るだけグループに分かれて自由行動。どこで何をするかはグループ内で考えさせることを行っている。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "日本新聞協会によれば、2007年上半期の購読部数は信濃毎日新聞(約48万)、読売新聞(約6.9万)、朝日新聞(約6.1万)、中日新聞(約4.8万)、日本経済新聞(約3.4万)の順であった。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "都市名表記なしの場合はすべて長野市に本局・本社を置く。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "長野県で民放テレビの4局目が開局したのは1991年である。190万人以上の人口を抱えていた22都道府県で、民放テレビ4局目が開局したのは長野県が最後だった。それ以降もテレビ東京・TXN系列局は存在しないが、ケーブルテレビによる区域外再放送で在京キー局のテレビ東京(下伊那地域ではテレビ愛知)が視聴可能である。なお、関東・甲信越地方では唯一すべての民放テレビ局で終夜放送は災害・特番を除いて一切行われていない。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "長野県の地上波テレビ・FMラジオの県域放送の親局及びSBCラジオのFM補完中継局のメイン送信所は、いずれも美ヶ原に設けられている。また、2007年に全民放局の本社が長野市内に集結した。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "長野県内のケーブルテレビ局の数は、日本の都道府県の平均よりも多く、加入者も県内全世帯の半数を超え、局数も20局以上存在する。これは県内に山地が多く、難視聴地域も多数存在していたために発達したと考えられる。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "しかし、ケーブルテレビが発達して間もない時期は、局数が少なかった。そのために、難視聴地域解消という目的以外にも、県内外の情報格差是正を目的に県内主要ケーブルテレビ各局は、長野県域民放局の再送信に加え、在京民放キー局(下伊那地域の一部では在名民放基幹局)の再送信(いわゆる区域外再放送)を実施した。この区域外再放送は、県内に民放が4局開局して情報格差が是正されてからも長く続いたが、2011年の地上デジタル放送完全移行により、基本的にデジタル放送では、区域外再放送を中止する方針が出されたことを受け、テレビ東京分および南信地区における在名局受けの地域を除き2014年7月24日を以って廃止された。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "みすずかるは、長野県人が、一人でもいると歌いだす歌である。長野県の名勝を一巡した歌である。デューク エイセスが、歌っていた。長野県に伝わる民謡は木曽節である。全国に知られる木曽踊りは、木曽義仲の供養のために行われ、鎧兜の姿で松明行列の後に、木曽節に合わせて踊ったのが始まりと云われていて、風情のある民謡として慕われている。。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "木曽のナァー なかのりさん 木曽のおんたけ ナンチャラホーイ 夏でも寒い ヨイヨイヨイ 袷ナァー なかのりさん 袷やりたや ナンチャラホーイ 足袋そえて ヨイヨイヨイ 心ナァー なかのりさん 心細いよ ナンチャラホーイ 木曽路の旅は ヨイヨイヨイ 笠にナァー なかのりさん 笠に木の葉が ナンチャラホーイ 舞いかかる ヨイヨイヨイ", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "木曽のナァー なかのりさん 木曽の名木 ナンチャラホーイ ひのきにさわら ヨイヨイヨイ ねずにナァー なかのりさん ねずにあすひに ナンチャラホーイ こうやまき ヨイヨイヨイ", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "三里ナァー なかのりさん 三里笹山 ナンチャラホーイ 二里松林 ヨイヨイヨイ 嫁ごナァー なかのりさん 嫁ごよくきた ナンチャラホーイ 五里の道 ヨイヨイヨイ", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "木曽のナァー なかのりさん 木曽の山寺 ナンチャラホーイ 今鳴る鐘は ヨイヨイヨイ 昔ナァー なかのりさん 昔ながらの ナンチャラホーイ 初夜の鐘 ヨイヨイヨイ", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "木曽のナァー なかのりさん 木曽の名所は ナンチャラーホイ 棧寝覚 ヨイヨイヨイ 山でナァー なかのりさん 山で高いのは ナンチャラホーイ 御嶽山 ヨイヨイヨイ", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "踊ナァー なかのりさん 踊ましょでえ ナンチャラホーイ 踊らせましょぞ ヨイヨイヨイ 月のナァー なかのりさん 月の山端に ナンチャラホーイ かぎるまで ヨイヨイヨイ", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "木曽でナァー なかのりさん 木曽で生まれた ナンチャラホーイ なかのりさんは ヨイヨイヨイ 可愛ナァー なかのりさん 可愛がられて ナンチャラホーイ みやこまで ヨイヨイヨイ", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "長野県は沖縄県と同様に、公営競技場および投票券場外発売場が1つもない県である。そのため、テレビなどではローカルで「レースガイド」が放送されることは滅多にない(しかし、NBSにおいてフジテレビ系列日曜午後の競馬番組(みんなのKEIBA)・フジテレビ系列日曜未明の競馬番組(うまズキッ!)の中央競馬関連番組はネットしている)。また隣県の競馬・競輪・競艇場などのローカルCMが県内民放各局で流れる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "長野県県民栄誉賞は、2015年(平成27年)に創設された賞で、県表彰規則では「個人又は団体で、広く県民に敬愛され、県の名を高めるとともに、県民に明るい希望を与えることに特に顕著な功績があったもの」を対象にしている。", "title": "長野県出身の人物" } ]
長野県(ながのけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は長野市。 令制国名の信濃国にちなみ、信州とも呼ばれている。海に面していない内陸県であり、日本アルプスを始め大規模な山岳地があるため可住地面積率は低い。キャッチフレーズはしあわせ信州。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 長野県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Mount Shirouma from Mount Korenge 2000-7-31.jpg | photo2a = Zenko-ji Hondou 01, Nagano 2012.jpg | photo2b = Matsumoto Castle05s5s4592.jpg | photo3a = Suwako.jpg | photo3b = 150920 Mt Yake-dake Kamikochi Japan01n.jpg | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center |space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[小蓮華山]]から望む[[白馬岳]]</tr><tr><td style="width:50%">[[善光寺]]<td style="width:50%">[[松本城]]</tr><tr><td style="width:50%">[[諏訪湖]]<td style="width:50%">[[上高地]]</tr></table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|長野県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[長野県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Nagano Prefecture.svg|70px|長野県章]] | 都道府県章の説明 = 長野県章 | 区分 = 県 | コード = 20000-0 | ISO 3166-2 = JP-20 | 隣接都道府県 = {{flag|群馬県}}<br/>{{flag|埼玉県}}<br/>{{flag|新潟県}}<br/>{{flag|富山県}}<br/>{{flag|山梨県}}<br/>{{flag|岐阜県}}<br/>{{flag|静岡県}}<br/>{{flag|愛知県}} | 木 = [[シラカバ|白樺]] | 花 = [[リンドウ]] | 鳥 = [[ライチョウ|雷鳥]] | シンボル名 = 他のシンボル | 歌など = 県歌:[[信濃の国]]<br />県獣:[[ニホンカモシカ]]<br />[[長野オリンピック|長野冬季五輪]]開催記念日:[[2月7日]] | 郵便番号 = 380-8570 | 所在地 = [[長野市]]大字[[南長野]]字幅下692番地2<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-20|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Nagano Prefectural Government Japan.jpg|220px]]<br />長野県庁 本館棟 | 外部リンク = {{Official website|name=長野県公式ホームページ}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 20 Nagano prefecture.svg|320px|長野県の位置]]{{基礎自治体位置図|20|000|image=Map of Nagano Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 =県庁舎位置の[[標高]]:371.3 m<ref>[https://maps.gsi.go.jp/#18/36.651326/138.180805/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1 長野県庁(画面左下に標高表示)] - 国土地理院地図</ref> }} '''長野県'''(ながのけん)は、[[日本]]の[[中部地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[長野市]]。 [[令制国]]名の[[信濃国]]にちなみ、'''[[信濃国|信州]]'''とも呼ばれている。[[海]]に面していない[[内陸県]]であり、[[日本アルプス]]を始め大規模な山岳地があるため[[可住地面積]]率は低い。キャッチフレーズは'''しあわせ信州'''<ref>[https://www.pref.nagano.lg.jp/eigyo/sangyo/brand/shinshu/logo-02.html 長野県ホームページ]</ref>。 == 概要 == [[ファイル:NaganoBonchi20080106WTagged.jpg|thumb|right|360px|長野県空撮画像。[[長野盆地]]、[[富士山]]、[[浅間山]]、[[日本アルプス]]などを望む。]] [[ファイル:Japan Nagano Map Chikei.png|thumb|right|200px|長野県の地形図]] 現在の長野県の県域は、令制国の[[信濃国]]にほぼ相当<ref>ただし旧[[神坂村]]・旧[[山口村 (長野県)|山口村]]が[[岐阜県]][[中津川市]]に[[越境合併|越境編入]]されるなど、僅かながら差異もある。</ref>する。そのため現在の長野県も「'''[[信濃国|信州]]'''」(しんしゅう)と呼ばれることが多く、特に観光ガイドでは「信州」と呼ぶ。古代では科野(しなの)と書いた<ref>{{Cite book|和書|author=長野県|title=長野県史 通史編 第一巻| publisher=長野県史刊行会|year=1989|page=287頁}}</ref>。 古くから[[東山道]]、[[中山道]]が横断し、[[東日本]]と[[西日本]]を繋ぐ交通の要所であったことから、信州へ通ずる道や旅路のことを'''[[信濃路]]'''・'''[[木曽路]]'''と呼んだ。現在でも風光明媚な古道や山間の[[宿場町]]の遺構などが各地に残存している。丘陵や山脈がそびえ立ち旅行者の通行を困難にさせたことから、旅行者の安全を守る[[道祖神]]の遺跡も多く点在する。 前述のように丘陵や山脈が多く自然条件の厳しい地域であった一方で、[[明治]]以後は[[鉄道]]などの開通により[[三大都市圏]]からのアクセスが良好になったことから、近代以降は[[軽井沢町|軽井沢]]や[[上高地]]を筆頭とした[[高原]][[リゾート]]・[[山岳リゾート]]が多いことでも知られる。「[[避暑地#日本三大外国人避暑地|日本三大外国人避暑地]]」に数えられた軽井沢と[[野尻湖]]を筆頭に、[[日本アルプス]]、[[菅平高原]]、[[白馬村]]など、在留[[欧米人]]に余暇活動の拠点として見出された歴史を持つ場所は多い。また[[諏訪盆地]](東洋の[[スイス]])、[[遠山郷#日本のチロル「下栗の里」|下栗の里]](日本の[[チロル]])、[[国道299号]]([[メルヘン街道]])など欧米に関連した別名を持つ地域も多数あり、長野県の山岳は他面では欧米の山岳風景を思わせ[[エキゾチシズム|異国情緒]]を感じさせる地域にもなっている。 日本の都道府県のなかでトップクラスの長寿の県として知られ、2020年現在、都道府県別[[健康寿命]]では男女共に1位であった<ref group="報">{{Cite news|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASN883GFGN87UOOB008.html|title=長野県の「健康寿命」 男女とも全国1位に|newspaper=朝日新聞|date=2020-08-08|accessdate=2021-02-16}}</ref>。 == 地理 == 長野県は[[本州]]の中部に位置しており、周囲8県に隣接し、東西約128キロメートル、南北約220キロメートルと、東西に短く南北に長い県域である。県内の南半分は太平洋側に近く、[[南信州地域]]の多くは[[東京]]よりも南であり、県の最北端は[[那須塩原市]]や[[いわき市]]とほぼ同緯度である。長野県の面積は13,562.23[[平方キロメートル]]であり、これは[[南関東]]1都3県の面積の合計に近く、日本の都道府県では、[[北海道]]、[[岩手県]]、[[福島県]]に次いで4位の面積を持っている。 本県は[[群馬県]]・[[埼玉県]]・[[山梨県]]・[[静岡県]]・[[愛知県]]・[[岐阜県]]・[[富山県]]・[[新潟県]]と8つの県と隣接し、隣接都道府県数8は、47都道府県で最多である{{Efn|2位は埼玉県、岐阜県、[[兵庫県]]の7都府県。ただし兵庫県は海上区間を含む。}}。ただし、これらの県とは陸続きでありながら、その間の交通によっては往来が必ずしも簡単ではない場合がある。例えば、埼玉県と県境が接している長さは10キロメートル程度しかなく、川上村道192号梓山線{{Efn|旧梓山林道。埼玉県側は[[秩父市道大滝幹線17号線]]であり、旧中津川林道として知られる。未舗装、また冬季や夜間は閉鎖されている。}}のみでしか直接的な行き来ができない。また、富山県とは陸続きで接しているものの、3,000メートル級の北アルプスが立ちふさがっており、地形的に険しく、また非常に山奥であるため空路か[[関電トンネル電気バス]]でしか往来ができず、一般人は自家用車両による往来は不可能である。これ以外に車両が往来できない県境として群馬と福島との県境が挙げられる。また、地形的な問題などで[[飯田市]]と静岡県[[静岡市]]、[[松本市]]と[[下諏訪町]]、[[王滝村]]と[[大桑村]]など陸続きでありながら往来できない市町村が多数ある。 県境を越える事が地形的に難しい理由として、長野県は中央部を高地が占める山地型の地形ではなく、むしろ北西の県境の[[飛騨山脈]]、南東の県境の[[赤石山脈]]の標高が高く、間の幾つかの盆地([[伊那谷]]、[[松本盆地]]、[[佐久盆地]]、[[長野盆地]]など)を中心とした地域である点が挙げられる。県境付近の山々は「日本の屋根」とも呼ばれ、標高2,000メートルから3,000メートル級の高山が連なっている。ただ、長野県の中央部も平坦というわけではなく、内部にも山岳が多数見られる、急峻で複雑な地形である。これは日本列島が新期造山帯であること以外に、長野県付近が、北アメリカプレートとユーラシアプレートとのプレート境界に近い事と無関係ではない。なお、本州を縦断する[[糸魚川静岡構造線]](糸静線)が県下を南北に走り、糸静線の東側は第三紀層が分布している。糸静線沿線の[[諏訪湖]]からは[[中央構造線]]が南に走っている。このようなこともあり、[[善光寺地震]]を始め、多数の地震を経験してきた。また、長野県内には活火山も複数存在する。 [[自然地理学]]の分野では、長野県付近は[[中部地方]]の[[中央高地]]として分類される。内陸県で本州の中では降水量の少ない地域もあるものの、本州が日本海と太平洋とに挟まれており、さらに、長野県の急峻な地形と相まって河川を維持するのに充分な降水はあり、県内には数多の水源を擁する。県内には大小多数の河川が見られ、それぞれの河川が山々を侵食した地形も多数見られる。長野県に流域を持つ[[一級河川]]としては、信濃川水系・天竜川水系・木曽川水系・姫川水系・[[矢作川]]水系・[[富士川]]水系・[[関川 (信越)|関川]]水系・[[利根川]]水系がある。なお、県内には太平洋と日本海の分水嶺が存在している。例えば、[[天竜川]](南信、諏訪湖を水源とし伊那谷を通る)、[[木曽川]](中信)は南下して太平洋へ注ぐ。また例えば、[[信濃川|千曲川]](東信、北信)、[[犀川 (長野県)|犀川]](中信)は長野市で合流して北上し、県境を越えて[[信濃川]]と名称を変えて日本海へ注ぐ。[[姫川]](中信)も日本海へと流れている。 なお、県下の最大人口を誇る都市は長野市の38万7146人であり<ref>[http://www.city.nagano.nagano.jp/pcp_portal/PortalServlet;jsessionid=E76A241D29EE98E46BFBD9851DB682ED?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=5451 長野市の人口統計(平成23年4月1日現在)]、2011年10月31日閲覧。</ref>、最大面積の自治体は松本市の978.77平方キロメートル<ref>[http://www.city.matsumoto.nagano.jp/aramasi/siyakusyo/about/gaiyo/index.html 松本市のホームページ(面積は平成22年3月31日現在)] 2011年10月31日閲覧。</ref>、最大人口密度の自治体は岡谷市の620.27(人/平方キロメートル)<ref>人口は総務省の2010年の[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]より。面積は [http://www.city.okaya.lg.jp/okayasypher/www/info/detail.jsp?id=413 岡谷市のホームページ] より。(2011年10月31日閲覧)</ref>、最大昼間人口比は軽井沢町の117.8%であった<ref name="2010年国勢調査">2010年国勢調査</ref>。 土地利用としては、長野市、須坂市および上高井郡小布施町、松本市、塩尻市の4[[都市計画区域]]で[[区域区分]]による[[市街化調整区域]]が設定されている。 === 地形 === ''' 盆地・谷''' {{div col |colwidth=20em}} * [[長野盆地]](善光寺平) * [[上田盆地]](上田平、[[塩田平]]) * [[佐久盆地]](佐久平) * [[松本盆地]](松本平、安曇平) * [[諏訪盆地]] * [[木曽谷]] * [[伊那谷|伊那盆地]](伊那谷、伊那平) {{div col end}} <gallery> NaganoBonchi.jpg|[[長野盆地]] NorthSakudaira.jpg|[[上田盆地]] Sakudaira.jpg|[[佐久盆地]] MatsumotoBonchiTagged.jpg|[[松本盆地]] SuwaBonchiWideTaggedM.jpg|[[諏訪盆地]] KisoDani.jpg|[[木曽谷]] InaDani.jpg|[[伊那谷|伊那盆地]] </gallery> '''山地''' * [[日本アルプス]]([[飛騨山脈]]、[[木曽山脈]]、[[赤石山脈]]) * [[伊那山地]] '''山''' {{div col |colwidth=20em}} * [[飯縄山]] * [[戸隠山]] * [[黒姫山 (長野県)|黒姫山]] * [[斑尾山]] * [[高社山]] * [[妙高山]] * [[白馬岳]] * [[鑓ヶ岳]] * [[横手山]] * [[浅間山]] * [[苗場山]] * [[乗鞍岳]] * [[御嶽山]] * [[八ヶ岳]] * [[蓼科山]] * [[車山]] * [[霧ヶ峰]] * [[木曽駒ヶ岳]] * [[甲斐駒ヶ岳]] * [[甲武信ヶ岳]] * [[国師ヶ岳]] * [[金峰山 (山梨県・長野県)|金峰山]] * [[赤石岳]] * [[聖岳]](前聖岳) * [[光岳]] * [[塩見岳]] * [[二児山]] * [[槍ヶ岳]] * [[穂高岳]](奥穂高岳) * [[焼岳]] * [[三俣蓮華岳]] * [[常念岳]] * [[燕岳]] {{div col end}} '''峠''' {{div col |colwidth=20em}} * [[碓氷峠]] * [[和田峠 (長野県)|和田峠]] * [[塩尻峠]] * [[渋峠]] * [[鳥居峠 (長野県)|鳥居峠]] * [[善知鳥峠]] * [[杖突峠]] * [[有賀峠]] * [[新野峠]] * [[兵越峠]] * [[葛葉峠]] * [[安房峠]] * [[野麦峠]] * [[針ノ木峠]] {{div col end}} '''川''' {{div col |colwidth=20em}} * [[信濃川|千曲川]] * [[犀川 (長野県)|犀川]]([[梓川]]) * [[高瀬川 (長野県)|高瀬川]] * [[姫川]] * [[木曽川]] * [[天竜川]] {{div col end}} '''湖沼''' {{div col |colwidth=20em}} * [[野尻湖]] * [[蓼科湖]] * [[女神湖]] * [[白樺湖]] * [[仁科三湖]]([[青木湖]]、[[中綱湖]]、[[木崎湖]]) * [[諏訪湖]] * [[松原湖]] {{div col end}} === 自然公園 === ;[[国立公園]] : [[中部山岳国立公園]]、[[妙高戸隠連山国立公園]]、[[上信越高原国立公園]]、[[秩父多摩甲斐国立公園]]、[[南アルプス国立公園]] ;[[国定公園]] : [[八ヶ岳中信高原国定公園]]、[[天竜奥三河国定公園]]、[[妙義荒船佐久高原国定公園]]、[[中央アルプス国定公園]] ;[[国営公園]] : [[国営アルプスあづみの公園]] ;[[都道府県立自然公園|県立自然公園]] : [[御岳県立公園]]、[[三峰川水系県立公園]]、[[塩嶺王城県立自然公園]]、[[聖山高原県立公園]]、[[天竜小渋水系県立自然公園]] == 気候 == 長野県は内陸に位置するため、おおむね[[内陸性気候]]で、標高の高い地域もあるため[[中央高地式気候]]と言われる。ただし、[[北信地方]]の大半と、[[中信地方]]・[[東信地方]]の一部は[[日本海側気候]]の特色を併せ持つ。逆に、中信地方の一部と[[南信地方]]は[[太平洋側気候]]の特色を併せ持つ。また、長野県の各都市は標高が異なり、さらに山脈や盆地の形状などの影響で、気候に修飾を受けるため、気候に違いが見られる。 ただ、全体的に冬の冷え込みは日本の同緯度付近の内陸県と比べると厳しい。中でも、[[軽井沢町|軽井沢]]、[[信濃町 (代表的なトピック)|信濃町]]、[[志賀高原]]、[[菅平高原]]、[[八ヶ岳|八ヶ岳山麓]]、[[開田村|開田高原]]、[[野辺山高原]]、[[上高地]]などの標高が高い地域は、[[ケッペンの気候区分]]では[[亜寒帯湿潤気候]](Df)であり、通年で[[北海道]]並みの気候である。また特に標高の高い場所では[[北極圏]]並みの寒さの地域もある。 夏は、長野市や松本市などの盆地部においては日中の気温は東京とほとんど変わらず、時には[[猛暑日]]も観測されるものの、朝晩は涼しく、[[熱帯夜]]が観測される日はほぼ皆無に等しい。 [[降水量]]も地域差が大きく、東信地方から北信地方にかけては年間900ミリメートル前後と少ないが、中信地方から南信地方にかけては年間1,500ミリメートルに達する。 降雪に関しては、北信地方、中信地方、東信地方の一部地域は、[[豪雪地帯]]または特別豪雪地帯である。県の南北で降雪条件が異なる。長野県には「上雪(かみゆき)」「下雪(しもゆき)」と言われる雪の降り方がある。「上雪(かみゆき)」は、普段ならば雨の降るはずが、[[南岸低気圧]]が通過することによって、気温が低下して雪となる現象で、低気圧に近い中・南信や東信で降雪量が多くなる<ref group="報">{{Cite book|和書|author=長野県天文気象教育研究会|title=信州の天気|publisher=信濃毎日新聞社|year=1978|page=213}}</ref>。「下雪(しもゆき)」は冬の強い季節風の吹き出しによって降る雪のことで、長野県の北部の雪の降り方で、西高東低の日本付近における冬型の気圧配置の場合に降雪し易い、いわゆる日本海型の降雪である<ref group="報">{{Cite book|和書|author=信濃毎日新聞社|title=長野県百科事典|publisher=信濃毎日新聞社|year=1974|page=177}}</ref>。なお、南信地方の[[伊那谷]]は、[[飯田市]]の旧[[南信濃村]]地域を除き雪は少ないものの、寒暖の差が激しい。 {{Gallery |mode=packed |align=center |width=180 |height=120 |File:Takato Joushi Park1.jpg|[[高遠城]]<br>([[伊那市]]) |File:Daio wasabi farm02c.jpg|[[大王わさび農場]]<br>([[安曇野市]]) |File:Nunobiki Kannon 2008-11.jpg|[[釈尊寺]]<br>([[小諸市]]) |File:Onsen Macaque.JPG|[[地獄谷温泉 (長野県)|地獄谷温泉]]<br>([[山ノ内町]]) }} {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+長野県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="6"|北信地方 !colspan="7"|東信地方 !colspan="2"|中信地方 |- ![[野沢温泉村|野沢温泉]]!![[飯山市|飯山]]!![[信濃町 (代表的なトピック)|信濃]]!![[長野市|長野]]!![[長野市]]<br />[[信州新町]]!![[白馬村|白馬]]!![[上田市]]<br />[[菅平高原|菅平]]!![[上田市|上田]]!![[東御市|東御]]!![[軽井沢町|軽井沢]]!![[佐久市|佐久]]!![[立科町|立科]]!![[南牧村 (長野県)|南牧村]]<br />[[野辺山高原|野辺山]]!![[大町市|大町]]!![[安曇野市]]<br />[[穂高町|穂高]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |23.6<br />(8月)||24.4<br />(8月) |21.9<br />(8月)||24.9<br />(8月) |23.9<br />(8月)||22.5<br />(8月)|| 19.3<br />(8月)||24.9<br />(8月) |21.6<br />(8月)||20.3<br />(8月)|| 23.2<br />(8月) |22.6<br />(8月)||19.0<br />(8月) |22.0<br />(8月)||24.2<br />(8月) |- !最寒月 |−1.4<br />(1月)||−2.0<br />(1月) |−3.2<br />(1月)||−0.7<br />(1月) |−1.1<br />(1月)||−2.9<br />(1月)||−6.1<br />(1、2月)||−0.5<br />(1月) |−2.5<br />(1、2月)||−3.6<br />(1月)||−1.8<br />(1月) |−2.1<br />(1月)||−5.2<br />(1、2月) |−2.8<br />(1、2月)||−1.0<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |296.7<br />(1月)||188.7<br />(1月) |182.2<br />(7月)||137.1<br />(7月) |161.0<br />(7月)||295.8<br />(7月)||147.1<br />(7月)||144.1<br />(9月) |159.5<br />(9月)||185.5<br />(7月)||165.5<br />(9月) |170.0<br />(9月)||227.6<br />(9月) |187.3<br />(7月)|| 52.5<br />(8月) |- !最少月 |76.7<br />(4月)||62.5<br />(4月) |65.8<br />(4月)||38.2<br />(12月) |41.5<br />(12月)||112.4<br />(11月)||63.8<br />(11月)||17.5<br />(12月) |18.8<br />(12月)||20.8<br />(12月)||15.4<br />(12月) |19.3<br />(1月)||29.5<br />(12月) |58.5<br />(12月)||24.8<br />(12月) |- !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="7"|中信地方 !colspan="8"|南信地方 |- ![[松本市|松本]]!![[松本市]]<br />[[松本空港|松本今井]]!![[松本市]]<br />[[奈川村|奈川]]!![[塩尻市|塩尻]]<br />[[木曽平沢]]!![[木曽町]]<br />[[開田村|開田高原]]!![[木曽町]]<br />[[木曽福島町|木曽福島]]!![[南木曽町|南木曽]]!![[諏訪市|諏訪]]!![[原村]]!![[辰野町|辰野]]!![[伊那市|伊那]]!![[飯島町|飯島]]!![[飯田市|飯田]]!![[飯田市]]<br />[[南信濃村|南信濃]]!![[阿智村]]<br />[[浪合村|浪合]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |24.3<br />(8月)|| |20.3<br />(8月)||22.3<br />(8月) |19.8<br />(8月)|| 22.6<br />(8月) |23.2<br />(8月)|| 23.5<br />(8月) |21.4<br />(8月)|| 23.2<br />(8月) |23.1<br />(8月)|| 22.9<br />(8月) |24.7<br />(8月)|| 24.2<br />(8月) |20.9<br />(8月) |- !最寒月 |−0.6<br />(1月)|| |−3.5<br />(1、2月)||−2.1<br />(1月) |−4.8<br />(1月)||−1.7<br />(1月) |−0.6<br />(1月)||−1.5<br />(1月) |−3.1<br />(1月)||−1.3<br />(1月) | ||−0.8<br />(1月) |0.6<br />(1月)||0.9<br />(1月) |−2.4<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |155.9<br />(9月)|| |275.9<br />(9月)||260.7<br />(7月) |293.4<br />(9月)||273.0<br />(9月) |385.3<br />(7月)||203.8<br />(9月) |208.8<br />(7月)||151.1<br />(9月) | || 280.5<br />(9月) |232.9<br />(9月)||267.8<br />(9月) |378.6<br />(9月) |- !最少月 |23.3<br />(12月)|| |71.8<br />(12月)||62.5<br />(12月) |63.7<br />(12月)||53.7<br />(12月) |87.1<br />(12月)||33.8<br />(12月) |31.6<br />(12月)||34.0<br />(12月) | || 55.0<br />(12月) |47.7<br />(12月)||49.7<br />(12月) |83.3<br />(12月) |}<!-- ;主な都市の冬(''1月''。平年値) {|class="wikitable" |style="text-align:center; border-style:none none solid; background:#f0f0f0;"|都市||style="text-align:center; border-style:none none solid; background:#f0f0f0;"| ||style="text-align:center; border-style:none none solid; background:#f0f0f0;" |降雪量累計||style="text-align:center; border-style:none none solid; background:#f0f0f0;"|最深積雪||style="text-align:center; border-style:none none solid; background:#f0f0f0;"|日照時間||style="text-align:center; border-style:none none solid; background:#f0f0f0;"|降水日数||style="text-align:center; border-style:none none solid; background:#f0f0f0;"|平均気温||style="text-align:center; border-style:none none solid; background:#f0f0f0;"|最高気温平均||style="text-align:center; border-style:none none solid; background:#f0f0f0;"|最低気温平均 |-style="background-color:#ccccff;" |style="text-align:center; border-style:none none solid;"|[[札幌市|札幌]]|| ||style="text-align:right;"|630cm||style="text-align:right;"| 101cm||style="text-align:right;" |97.2 時間||style="text-align:right;"|17.9日||style="text-align:right;"| -4.1°C||style="text-align:right;"| -0.9°C||style="text-align:right;"| -7.7°C |-style="background-color:#ccffff;" |style="text-align:center; border-style:none none solid;"|[[上越市|高田]]|| ||style="text-align:right;"|746cm||style="text-align:right;"|139cm||style="text-align:right;"|64.7時間||style="text-align:right;"|24.3日||style="text-align:right;"|2.2°C||style="text-align:right;" |5.8 ℃||style="text-align:right;" |-0.8 ℃ |- |style="text-align:center; border-style:none none solid;"|[[長野市|長野]]|| ||style="text-align:right;" |283 cm||style="text-align:right;" | 30 cm||style="text-align:right;" | 124.3 時間||style="text-align:right;" | 9.6 日||style="text-align:right;" | -0.7 ℃||style="text-align:right;" |3.4 ℃||style="text-align:right;" |-4.3 ℃ |- |style="text-align:center; border-style:none none solid;"|[[軽井沢町|軽井沢]]|| ||style="text-align:right;"|136 cm||style="text-align:right;"|32cm||style="text-align:right;"|170.8 時間||style="text-align:right;"|4.6日||style="text-align:right;"| -3.6°C||style="text-align:right;"|2.0°C||style="text-align:right;"| -9.0°C |- |style="text-align:center; border-style:none none solid;"|[[松本市|松本]]|| ||style="text-align:right;"|85cm||style="text-align:right;"|25cm||style="text-align:right;"|171.8時間||style="text-align:right;"|4.2日||style="text-align:right;"| -0.6°C||style="text-align:right;"|4.9°C||style="text-align:right;"|-5.5°C |- |style="text-align:center; border-style:none none solid;"|[[諏訪市|諏訪]]|| ||style="text-align:right;"|107cm||style="text-align:right;"|20cm||style="text-align:right;"|179.2時間||style="text-align:right;"|4.7日||style="text-align:right;"| -1.5°C||style="text-align:right;"|3.6°C||style="text-align:right;"| -6.1°C |- |style="text-align:center; border-style:none none solid;"|[[飯田市|飯田]]|| ||style="text-align:right;"|54cm||style="text-align:right;"|17cm||style="text-align:right;"|165.2 時間||style="text-align:right;"|6.0日||style="text-align:right;"|0.9°C||style="text-align:right;"|6.8°C||style="text-align:right;"| -4.0°C |-style="background-color:#ffff66" |style="text-align:center; border-style:none none solid;"|[[浜松市|浜松]]|| ||style="text-align:right;"|0cm||style="text-align:right;"|0cm||style="text-align:right;"|193.3 時間||style="text-align:right;"|5.2日||style="text-align:right;"|5.8°C||style="text-align:right;"|10.1°C||style="text-align:right;"|2.3°C |-style="background-color:#ffffcc" |style="text-align:center; border-style:none none solid;"|[[東京都|東京]]|| ||style="text-align:right;"|13 cm||style="text-align:right;"|7cm||style="text-align:right;"|180.5時間||style="text-align:right;"|4.6日||style="text-align:right;"|5.8°C||style="text-align:right;"|9.8°C||style="text-align:right;"|2.1°C |}--> === 気象庁による区分 ===<!--「気象区分」では、日本の気象庁による区分が唯一無二の気象分類のように見えるため、不適切です。--> [[ファイル:気象庁の長野県の区分.svg|thumb|気象庁の長野県の区分]] ; 長野県北部(甲信地方北部のうち) * 中野飯山地域 - 飯山市・中野市・下水内郡・下高井郡 * 長野地域 - 長野市・須坂市・千曲市・上高井郡・上水内郡・埴科郡 * 北アルプス地域 - 大町市・北安曇郡 ; 長野県中部(甲信地方北部のうち) * 上田地域 - 上田市・東御市・小県郡 * 佐久地域 - 佐久市・[[小諸市]]・北佐久郡・南佐久郡 * 松本地域 - 松本市(旧安曇村と旧奈川村を除く)・塩尻市(旧楢川村を除く)・安曇野市・東筑摩郡 * 諏訪地域 - 岡谷市・諏訪市・[[茅野市]]・諏訪郡 * 乗鞍・上高地地域 - 松本市(旧安曇村と旧奈川村) ; 長野県南部(甲信地方南部のうち) * 上伊那地域 - 伊那市・駒ヶ根市・上伊那郡 * 下伊那地域 - 飯田市・下伊那郡 * 木曽地域 - 塩尻市(旧楢川村)・木曽郡 地方気象台による警報・注意報は、原則として各市町村ごとに発表される。ただし、松本市は「松本」および「乗鞍上高地」、塩尻市は「塩尻」および「楢川」に別けて発表される<ref>{{PDFlink|[https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/saibun/nagano.pdf 気象庁 Japan Meteorological Agency]}}</ref>。 === 豪雪指定 === * [[豪雪地帯]] : 全域:中野市、松川村、飯綱町、小川村 : 一部:長野市、松本市、上田市、飯田市、須坂市、大町市、安曇野市 * 特別豪雪地帯 : 全域:飯山市、白馬村、小谷村、高山村、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、信濃町、栄村 : 一部:長野市 == 地域 == === 日本の地域区分における長野県の位置付け === 長野県は、日本のほぼ中央に位置しているが、東西の分類では[[中部電力]]など一部の企業や団体で[[西日本]]に分類されることもあり、文化的<ref group="注釈">ただし東北信が東日本と、中南信が西日本と共通している場合などもある(市川健夫 2004年 信州学大全)など県内が一様ではない。</ref>・歴史的・人口の比率・面積の比率からして[[東日本]]に分類されることもある。地方の分類では[[中部地方]]、[[甲信地方]]、[[信越地方]]、[[甲信越地方]]、[[北信越地方]]などがある。 {{Main2|[[官庁]]などの長野県を含む地域区分|中部地方#エリア区分の例}} === 自治体 === {{Main2|消滅した自治体|消滅した長野県の市町村一覧}} * 県内には計77の自治体がある。このうち市が19市、郡が14郡、町が23町、村は35村で約半分近くが「村」である。市町村数77は全都道府県中[[北海道]]に次いで第2位、[[村]]の数は47都道府県で最多である。このうち人口面で[[市町村#町となるための人口要件|町制施行要件]]を満たす村(人口8,000人以上、太字表記)は5村、市制施行要件を満たす町は存在しない<ref>{{Cite book|和書|editor=長野県|title=平成25年長野県統計書|publisher=長野県企画振興部情報政策課統計室|year=2016|page=38}}</ref>。 * [[人口集中地区|DID]]は市部のほか、下諏訪町と箕輪町に設定されている。 * [[町]]は阿南町(あなんちょう)を除いて「まち」、村はすべて「むら」と読む。 県による区分では地方事務所の管轄に準じて10地域に細分化される。 {{col-begin}} {{col-break}} ; [[北信地域]]({{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長野県|飯山市}} + {{自治体人口/長野県|中野市}} + {{自治体人口/長野県|山ノ内町}} + {{自治体人口/長野県|木島平村}} + {{自治体人口/長野県|野沢温泉村}} + {{自治体人口/長野県|栄村}} round 0}}}}人) * [[市]] ** [[飯山市]] ** [[中野市]] * [[下高井郡]] ** [[山ノ内町]] ** [[木島平村]] ** [[野沢温泉村]] * [[下水内郡]] ** [[栄村]] ; [[長野地域]]({{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長野県|長野市}} + {{自治体人口/長野県|須坂市}} + {{自治体人口/長野県|千曲市}} + {{自治体人口/長野県|信濃町}} + {{自治体人口/長野県|飯綱町}} + {{自治体人口/長野県|小川村}} + {{自治体人口/長野県|小布施町}} + {{自治体人口/長野県|高山村}} + {{自治体人口/長野県|坂城町}} round 0}}}}人) * 市 ** [[長野市]](県庁所在地) ** [[須坂市]] ** [[千曲市]] * [[上水内郡]] ** [[信濃町 (代表的なトピック)|信濃町]] ** [[飯綱町]] ** [[小川村]] * [[上高井郡]] ** [[小布施町]] ** [[高山村 (長野県)|高山村]] * [[埴科郡]] ** [[坂城町]] ; [[佐久地域]]({{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長野県|佐久市}} + {{自治体人口/長野県|小諸市}} + {{自治体人口/長野県|軽井沢町}} + {{自治体人口/長野県|御代田町}} + {{自治体人口/長野県|立科町}} + {{自治体人口/長野県|小海町}} + {{自治体人口/長野県|佐久穂町}} + {{自治体人口/長野県|川上村}} + {{自治体人口/長野県|南牧村}} + {{自治体人口/長野県|南相木村}} + {{自治体人口/長野県|北相木村}} round 0}}}}人) * 市 ** [[小諸市]] ** [[佐久市]] * [[北佐久郡]] ** [[軽井沢町]] ** [[御代田町]] ** [[立科町]] * [[南佐久郡]] ** [[小海町]] ** [[佐久穂町]] ** [[川上村 (長野県)|川上村]] ** [[南牧村 (長野県)|南牧村]] ** [[南相木村]] ** [[北相木村]] ; [[上田地域]]({{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長野県|上田市}} + {{自治体人口/長野県|東御市}} + {{自治体人口/長野県|長和町}} + {{自治体人口/長野県|青木村}} round 0}}}}人) * 市 ** [[上田市]] ** [[東御市]] * [[小県郡]] ** [[長和町]] ** [[青木村]] ; [[松本地域]]({{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長野県|松本市}} + {{自治体人口/長野県|塩尻市}} + {{自治体人口/長野県|安曇野市}} + {{自治体人口/長野県|麻績村}} + {{自治体人口/長野県|筑北村}} + {{自治体人口/長野県|生坂村}} + {{自治体人口/長野県|山形村}} + {{自治体人口/長野県|朝日村}} round 0}}}}人) * 市 ** [[松本市]] ** [[塩尻市]] ** [[安曇野市]] * [[東筑摩郡]] ** [[麻績村]] ** [[筑北村]] ** [[生坂村]] ** '''[[山形村]]''' ** [[朝日村]] {{col-break}} ; [[木曽地域]]({{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長野県|木曽町}} + {{自治体人口/長野県|上松町}} + {{自治体人口/長野県|南木曽町}} + {{自治体人口/長野県|木祖村}} + {{自治体人口/長野県|王滝村}} + {{自治体人口/長野県|大桑村}} round 0}}}}人) * [[木曽郡]] ** [[木曽町]] ** [[上松町]] ** [[南木曽町]] ** [[木祖村]] ** [[王滝村]] ** [[大桑村]] ; [[北アルプス地域]]({{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長野県|大町市}} + {{自治体人口/長野県|池田町}} + {{自治体人口/長野県|松川村}} + {{自治体人口/長野県|白馬村}} + {{自治体人口/長野県|小谷村}} round 0}}}}人) * 市 ** [[大町市]] * [[北安曇郡]] ** [[池田町 (長野県)|池田町]] ** '''[[松川村]]''' ** '''[[白馬村]]''' ** [[小谷村]] ; [[上伊那地域]]({{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長野県|伊那市}} + {{自治体人口/長野県|駒ヶ根市}} + {{自治体人口/長野県|辰野町}} + {{自治体人口/長野県|箕輪町}} + {{自治体人口/長野県|飯島町}} + {{自治体人口/長野県|南箕輪村}} + {{自治体人口/長野県|中川村}} + {{自治体人口/長野県|宮田村}} round 0}}}}人) * 市 ** [[伊那市]] ** [[駒ヶ根市]] * [[上伊那郡]] ** [[辰野町]] ** [[箕輪町]] ** [[飯島町]] ** '''[[南箕輪村]]''' ** [[中川村]] ** '''[[宮田村]]''' ; [[南信州地域]]({{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長野県|飯田市}} + {{自治体人口/長野県|松川町}} + {{自治体人口/長野県|高森町}} + {{自治体人口/長野県|阿南町}} + {{自治体人口/長野県|阿智村}} + {{自治体人口/長野県|平谷村}} + {{自治体人口/長野県|根羽村}} + {{自治体人口/長野県|下條村}} + {{自治体人口/長野県|売木村}} + {{自治体人口/長野県|天龍村}} + {{自治体人口/長野県|泰阜村}} + {{自治体人口/長野県|喬木村}} + {{自治体人口/長野県|豊丘村}} + {{自治体人口/長野県|大鹿村}} round 0}}}}人) * 市 ** [[飯田市]] * [[下伊那郡]] ** [[松川町]] ** [[高森町 (長野県)|高森町]] ** [[阿南町]] ** [[阿智村]] ** [[平谷村]] ** [[根羽村]] ** [[下條村]] ** [[売木村]] ** [[天龍村]] ** [[泰阜村]] ** [[喬木村]] ** [[豊丘村]] ** [[大鹿村]] ; [[諏訪地域]]({{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/長野県|岡谷市}} + {{自治体人口/長野県|諏訪市}} + {{自治体人口/長野県|茅野市}} + {{自治体人口/長野県|下諏訪町}} + {{自治体人口/長野県|富士見町}} + {{自治体人口/長野県|原村}} round 0}}}}人) * 市 ** [[岡谷市]] ** [[諏訪市]] ** [[茅野市]] * [[諏訪郡]] ** [[下諏訪町]] ** [[富士見町]] ** [[原村]] {{col-break}} {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=長野県|float=right}} {{col-end}} (人口は{{自治体人口/長野県|date}}現在) === 都市圏 === [[都市雇用圏]](10%通勤圏、中心都市DIDが1万人以上)の変遷 * [[北陸新幹線]]([[1997年]](平成9年)開業)の駅が設置された[[都市圏]]は'''太字''' {|class="wikitable" style="text-align:center" |-style="border-bottom:solid 3px #666" !style="background-color:#{{都市圏Color|県}};width:4em"|地域 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|1980年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|1990年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|1995年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|2000年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|2005年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|2010年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}};width:8em"|2015年 |- !rowspan="2" style="background-color:#{{都市圏Color|赤}}"|[[北信地方]] |{{都市圏|長野|51|4136|北信地方#都市圏}} |{{都市圏|長野|53|6895}} |{{都市圏|長野|60|8073}} |{{都市圏|'''長野'''|60|9811}} |{{都市圏|'''長野'''|61|0687}} |{{都市圏|'''長野'''|60|2781}} |{{都市圏|'''長野'''|58|9549}} |- |{{都市圏|中野|5|8282|北信地方#都市圏}} |{{都市圏|中野|5|8676}} |colspan="5" style="background-color:#{{都市圏Color|灰2}};font-size:80%"|中野都市圏は<br />長野都市圏に包含 |-style="border-top:solid 3px #666" !style="background-color:#{{都市圏Color|緑}}"|[[中信地方]] |{{都市圏|松本|37|1850|中信地方#都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷}} |{{都市圏|松本|41|7666}} |{{都市圏|松本|43|1901}} |{{都市圏|松本|44|4926}} |{{都市圏|松本|45|5352}} |{{都市圏|松本|45|0869}} |{{都市圏|松本|44|7802}} |-style="border-top:solid 3px #666" !rowspan="3" style="background-color:#{{都市圏Color|黄}}"|[[東信地方]] |{{都市圏|上田|20|5775|東信地方#都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷}} |{{都市圏|上田|21|6017}} |{{都市圏|上田|22|1386}} |{{都市圏|'''上田'''|22|7062}} |{{都市圏|'''上田'''|22|3463}} |{{都市圏|'''上田'''|21|7421}} |{{都市圏|'''上田'''|21|2314}} |- |{{都市圏|佐久|8|7797|東信地方#都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷}} |{{都市圏|佐久|9|8348}} |{{都市圏|佐久|10|0597}} |{{都市圏|'''佐久'''|16|2355}} |{{都市圏|'''佐久'''|18|9058}} |{{都市圏|'''佐久'''|18|6206}} |{{都市圏|'''佐久'''|18|2007}} |- |{{都市圏|小諸|4|8346|東信地方#都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷}} |{{都市圏|小諸|4|4888}} |{{都市圏|小諸|4|5711}} |colspan="4" style="background-color:#{{都市圏Color|灰2}};font-size:80%"|小諸都市圏は<br />佐久都市圏に包含 |-style="border-top:solid 3px #666" !rowspan="4" style="background-color:#{{都市圏Color|青}}"|[[南信地方]] |{{都市圏|飯田|14|1286|南信地方#都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷}} |{{都市圏|飯田|14|6498}} |{{都市圏|飯田|16|8439}} |{{都市圏|飯田|16|9427}} |{{都市圏|飯田|17|1491}} |{{都市圏|飯田|16|6652}} |{{都市圏|飯田|15|9632}} |- |{{都市圏|諏訪|11|4705|南信地方#都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷}} |{{都市圏|諏訪|10|9028}} |{{都市圏|諏訪|12|7278}} |{{都市圏|諏訪|13|0616}} |{{都市圏|諏訪|13|3323}} |{{都市圏|諏訪|20|4875}} |{{都市圏|諏訪|19|8475}} |- |{{都市圏|岡谷|11|2678|南信地方#都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷}} |{{都市圏|岡谷|10|9260}} |{{都市圏|岡谷|8|2591}} |{{都市圏|岡谷|8|0325}} |{{都市圏|岡谷|7|7562}} |colspan="2" style="background-color:#{{都市圏Color|灰2}};font-size:80%"|岡谷都市圏は<br />諏訪都市圏に包含 |- |{{都市圏|伊那|8|4003|南信地方#都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷}} |{{都市圏|伊那|11|1759}} |{{都市圏|伊那|11|6512}} |{{都市圏|伊那|14|1715}} |{{都市圏|伊那|14|2453}} |{{都市圏|伊那|19|0402}} |{{都市圏|伊那|18|4305}} |} === 地域的特徴 === [[ファイル:長野県の10分割区分.png|thumb|300px|right|{{color|blue|■}}青系色:[[北信地方]](水色:北信地域、青:長野地域)<br />{{color|yellow|■}}黄系色:[[東信地方]](黄色:上田地域、薄黄:佐久地域)<br />{{color|red|■}}赤系色:[[中信地方]](オレンジ:北アルプス地域、赤:松本地域、ピンク:木曽地域)<br />{{color|green|■}}緑系色:[[南信地方]](薄緑:諏訪地域、抹茶色:上伊那地域、黄緑:南信州地域)]] {{Location map+|Japan Nagano|width=180|float=right|caption=地域の色分け、自治体ごと(役場位置)<br /> '''北信'''(北信[[ファイル:Red pog.svg|8px]]、長野[[ファイル:Blue pog.svg|8px]])<br /> '''東信'''(佐久[[ファイル:Lightgreen pog.svg|8px]]、上田[[ファイル:Orange pog.svg|8px]])<br /> '''中信'''(松本[[ファイル:Yellow ffff00 pog.svg|8px]]、木曽[[ファイル:Cyan pog.svg|8px]]、北アルプス[[ファイル:Brown pog.svg|8px]])<br /> '''南信'''(上伊那[[ファイル:Yellow pog.svg|8px]]、南信州[[ファイル:Turquoise pog.svg|8px]]、諏訪[[ファイル:Steel pog.svg|8px]]) |places= {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.648|long=138.194|mark=Blue pog.svg}}<!--長野市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.238|long=137.971|mark=Yellow ffff00 pog.svg}}<!--松本市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.401|long=138.249|mark=Orange pog.svg}}<!--上田市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.066|long=138.049|mark=Steel pog.svg}}<!--岡谷市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.515|long=137.821|mark=Turquoise pog.svg}}<!--飯田市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.039|long=138.114|mark=Steel pog.svg}}<!--諏訪市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.651|long=138.306|mark=Blue pog.svg}}<!--須坂市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.327|long=138.425|mark=Lightgreen pog.svg}}<!--小諸市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.827|long=137.953|mark=Yellow pog.svg}}<!--伊那市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.728|long=137.933|mark=Yellow pog.svg}}<!--駒ヶ根市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.741|long=138.369}}<!--中野市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.503|long=137.850|mark=Brown pog.svg}}<!--大町市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.851|long=138.365}}<!--飯山市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.995|long=138.158|mark=Steel pog.svg}}<!--茅野市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.115|long=137.953|mark=Yellow ffff00 pog.svg}}<!--塩尻市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.248|long=138.476|mark=Lightgreen pog.svg}}<!--佐久市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.533|long=138.12|mark=Blue pog.svg}}<!--千曲市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.359|long=138.330|mark=Orange pog.svg}}<!--東御市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.303|long=137.905|mark=Yellow ffff00 pog.svg}}<!--安曇野市--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.095|long=138.483|mark=Lightgreen pog.svg}}<!--小海町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.975|long=138.578|mark=Lightgreen pog.svg}}<!--川上村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.020|long=138.492|mark=Lightgreen pog.svg}}<!--南牧村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.036|long=138.546|mark=Lightgreen pog.svg}}<!--南相木村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.059|long=138.551|mark=Lightgreen pog.svg}}<!--北相木村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.161|long=138.483|mark=Lightgreen pog.svg}}<!--佐久穂町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.348|long=138.596|mark=Lightgreen pog.svg}}<!--軽井沢町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.321|long=138.508|mark=Lightgreen pog.svg}}<!--御代田町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.271|long=138.316|mark=Lightgreen pog.svg}}<!--立科町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.37|long=138.128|mark=Orange pog.svg}}<!--下諏訪町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.269|long=138.258|mark=Orange pog.svg}}<!--長和町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.069|long=138.080|mark=Steel pog.svg}}<!--青木村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.914|long=138.240|mark=Steel pog.svg}}<!--富士見町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.964|long=138.217|mark=Steel pog.svg}}<!--原村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.982|long=137.987|mark=Yellow pog.svg}}<!--辰野町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.915|long=137.981|mark=Yellow pog.svg}}<!--箕輪町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.676|long=137.919|mark=Yellow pog.svg}}<!--飯島町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.872|long=137.975|mark=Yellow pog.svg}}<!--南箕輪村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.634|long=137.946|mark=Yellow pog.svg}}<!--中川村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.768|long=137.944|mark=Yellow pog.svg}}<!--宮田村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.597|long=137.909|mark=Turquoise pog.svg}}<!--松川町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.551|long=137.878|mark=Turquoise pog.svg}}<!--高森町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.323|long=137.816|mark=Turquoise pog.svg}}<!--阿南町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.443|long=137.747|mark=Turquoise pog.svg}}<!--阿智村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.323|long=137.630|mark=Turquoise pog.svg}}<!--平谷村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.253|long=137.581|mark=Turquoise pog.svg}}<!--根羽村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.397|long=137.786|mark=Turquoise pog.svg}}<!--下條村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.271|long=137.711|mark=Turquoise pog.svg}}<!--売木村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.276|long=137.854|mark=Turquoise pog.svg}}<!--天龍村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.377|long=137.845|mark=Turquoise pog.svg}}<!--泰阜村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.513|long=137.873|mark=Turquoise pog.svg}}<!--喬木村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.551|long=137.895|mark=Turquoise pog.svg}}<!--豊丘村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.578|long=138.034|mark=Turquoise pog.svg}}<!--大鹿村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.783|long=137.694|mark=Cyan pog.svg}}<!--上松町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.603|long=137.608|mark=Cyan pog.svg}}<!--南木曽町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.936|long=137.783|mark=Cyan pog.svg}}<!--木祖村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.809|long=137.551|mark=Cyan pog.svg}}<!--王滝村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.682|long=137.665|mark=Cyan pog.svg}}<!--大桑村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=35.842|long=137.691|mark=Cyan pog.svg}}<!--木曽町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.456|long=138.045|mark=Yellow ffff00 pog.svg}}<!--麻績村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.425|long=137.927|mark=Yellow ffff00 pog.svg}}<!--生坂村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.168|long=137.878|mark=Yellow ffff00 pog.svg}}<!--山形村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.123|long=137.866|mark=Yellow ffff00 pog.svg}}<!--朝日村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.402|long=138.011|mark=Yellow ffff00 pog.svg}}<!--筑北村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.421|long=137.874|mark=Brown pog.svg}}<!--池田町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.424|long=137.854|mark=Brown pog.svg}}<!--松川村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.698|long=137.862|mark=Brown pog.svg}}<!--白馬村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.779|long=137.908|mark=Brown pog.svg}}<!--小谷村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.461|long=138.180|mark=Blue pog.svg}}<!--坂城町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.697|long=138.312|mark=Blue pog.svg}}<!--小布施町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.679|long=138.363|mark=Blue pog.svg}}<!--高山村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.744|long=138.412}}<!--山ノ内町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.858|long=138.406}}<!--木島平村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.922|long=138.440}}<!--野沢温泉村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.806|long=138.206|mark=Blue pog.svg}}<!--信濃町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.616|long=137.974|mark=Blue pog.svg}}<!--小川村--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.755|long=138.235|mark=Blue pog.svg}}<!--飯綱町--> {{Location map~|Japan Nagano|lat=36.987|long=138.577}}<!--栄村--> }} [[平成の大合併|平成の大合併]]は、他県ほど実施されず、中小自治体が櫛比する。ただし、[[広域連合]]制度が県内全市町村で活用されており、一部事務組合による広域行政も活発である。[[2005年]](平成17年)には長野県から岐阜県[[中津川市]]へ越県合併の事例もあった。 明治の大合併の際にも合併件数は少なかったが、これは[[地租改正]]の時期に小規模な村の合併が進んだことが理由である<ref name="kj">{{cite book|和書|author=今尾恵介|authorlink=今尾恵介|title=明治・昭和・平成の大合併で激変した日本地図 市町村名のつくり方|publisher=[[日本加除出版]]|date=2020-11-30|page=79|isbn=978-4-8178-4693-8}}</ref>。地租改正でできた広大な村に通し番号で[[地番]]を振ったため、県内では地番が5桁になることも珍しくない<ref name="kj"/>。また、町村名の次に番地が来る住所も多い<ref name="kj"/>。 [[北信地方|北信]]([[北信地域]]、[[長野地域]])、[[東信地方|東信]]([[佐久地域]]、[[上田地域]])、[[中信地方|中信]]([[松本地域]]、[[木曽地域]]、[[北アルプス地域]])、[[南信地方|南信]]([[上伊那地域]]、[[南信州地域]]、[[諏訪地域]])の4地域は、[[自然地理学|自然地理]]や歴史や[[交通]]などの各面で、特徴がまったく異なっている。 これは、「[[信濃の国]]」(県歌)における「[[松本盆地|松本]]、[[伊那谷|伊那]]、[[佐久盆地|佐久]]、[[長野盆地|善光寺]]」の4区分にも象徴されている。大まかに分けると、北信、東信、中信、南信は、それぞれ長野県の北部、東部、西部、南部の地域となっており、北信と南信を除いて4地域は互いに接している。 [[北陸新幹線]]・[[信越本線]]・[[飯山線]]・[[小海線]]や[[国道18号]]・[[上信越自動車道]]の沿線である'''北信'''と'''東信'''は、[[信濃川|千曲川]]流域でおもに[[中山道]]と[[北国街道 (信越)|北国街道]]沿線にあたる。 '''北信'''は、[[新潟県]]・[[群馬県]]に接しており、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[村上氏]]・[[武田氏]]・[[織田氏]]・[[上杉氏]]の支配圏に置かれてきた。[[善光寺街道]]沿いであった経緯や[[北陸新幹線]]・[[上信越自動車道]]で接続していることから、新潟県、群馬県、[[東京都|東京]]とのつながりが深い。 近年では、首都圏からの観光客も多く訪れている。また、[[中信地方|中信]]とは[[長野自動車道]]・[[篠ノ井線]]により接続している。'''北信'''は[[長野盆地]]を中心とした地域であり、新潟県に近いことから、海水浴で日本海へ行く者も多い。 一方の'''東信'''は、群馬県・[[埼玉県]]・[[山梨県]]に接しており、戦国時代には[[武田氏]]・[[織田氏]]・[[徳川氏]]・[[後北条氏|北条氏]]・[[真田氏]]の支配権に置かれてきた。[[中山道]]と北国街道の合流点であった歴史的経緯や'''北信'''と同様に[[北陸新幹線]]・[[上信越自動車道]]で接続していることから、[[浅間山]]や[[碓氷峠]]を越えた群馬県、[[東京都|東京]]との交流も深い。 また、[[野辺山高原]]を経由する[[国道141号]]・[[小海線]]によりつながる山梨県との交流も深い。山梨県との間には現在、[[中部横断自動車道]]が整備中である。[[三国峠 (長野県・埼玉県)]]を経由して、埼玉県とも接しているが、道路事情が悪いため物流はほとんどない。道路で[[雁坂峠]]の[[国道140号]]が開通する前には、碓氷峠 - 東信 - 山梨県 - [[静岡県]][[大井川]]以東のルートが、[[国道16号]]圏内を経由せずに[[関東地方]]内を迂回する最短ルートとなっていたために、関東志向がもっとも強い地域になっている。 これらに対して、[[中央本線]]・[[飯田線]]・[[大糸線]]や[[中央自動車道]]・[[長野自動車道]]の沿線である'''中信'''と'''南信'''は、[[中山道]]、[[甲州街道]]、千国(ちくに)街道(糸魚川街道、松本街道)、[[北国西街道]]、三州街道沿線にあたる。 '''中信'''は、新潟県・[[富山県]]・[[岐阜県]]に接しており、戦国時代には[[小笠原氏]]・[[仁科氏]]・[[木曾氏]]を経て、[[武田氏]]・[[織田氏]]の支配権に置かれてきた。[[中山道]]、[[甲州街道]]、千国街道(糸魚川街道、松本街道)、三州街道の沿線であったことから、新潟県、岐阜県、[[山梨県]]、[[愛知県]]、[[東京都]]との交流が深い。 [[北国西街道]]沿線には[[長野自動車道]]が整備されており、[[長野地域]]と接続している。中信地域の北部に位置する[[北アルプス地域]]は、[[飛騨山脈]]のすぐ東側に位置しており、登山・スキーなどの観光が盛んで、日本最大規模の[[八方尾根スキー場]]や、[[栂池高原スキー場]]があり、[[長野オリンピック]]の会場にもなった。観光の面では、関東地方からだけでなく関西地方からの観光客も多い。 また、[[国道147号]]・[[国道148号]]を経由してつながる[[新潟県]]との交流もあり、山岳観光ルートの[[立山黒部アルペンルート]]により[[富山県]]とも接している。また、中信地域の中部に位置する[[松本地域]](中信)は、[[諏訪地域]](南信)とともに[[中山道]]と[[甲州街道]]の沿線として発展した地域で、山梨県、東京都、岐阜県(東濃、飛騨)との交流が深い。中信地域の南部に位置する[[木曽地域]](中信)は、広域の名古屋圏(中京圏)であり、歴史的に中世以前は[[美濃国]]に属し江戸時代には[[尾張藩]]領であったことや、[[国道19号]](中山道)を通して、岐阜県・[[愛知県]]と接続しているため、経済や文化の面でつながりが深い。 一方、'''南信'''は、山梨県、[[静岡県]]、[[愛知県]]に接しており、戦国時代には[[諏訪氏]]・[[武田氏]]・[[織田氏]]・[[徳川氏]]の支配圏に置かれてきた。[[中山道]]、[[甲州街道]]、[[三州街道]]の沿線であったことから、山梨県、[[東京都]]、静岡県、愛知県との交流が深い。[[諏訪地域]]は、[[松本地域]](中信)とともに[[中山道]]と[[甲州街道]]の沿線として発展した地域で、山梨県、東京都、[[岐阜県]]([[東濃]])との交流が深い。 また、[[南信州地域]](南信)は、広域の名古屋圏([[中京圏]])であり、[[中央自動車道]]・[[国道153号]]([[三州街道]]、[[足助街道]])を通して、岐阜県[[東濃地方]]、愛知県[[名古屋市|名古屋]]・尾張・[[西三河]]地方、さらには[[三重県]]と接続しているため、経済や文化の面でつながりが深い。 さらに、[[南信州地域]]では、静岡県・愛知県[[東三河|東三河地方]]とも隣接しているが、道路事情が悪いため、物流が発達していない。現在、[[三遠南信自動車道]](飯田市 - 浜松市)を建設中であるが、全通するかは未定である。また、JR[[飯田線]]、[[国道151号|国道151号線]]で、[[新城市]]・[[豊川市]]を経て[[豊橋市]]に出られる。 水系は、'''北信'''・'''中信'''([[松本地域]]、[[北アルプス地域]])・'''東信'''(一部を除く)が日本海側水系に属するのに対して、'''南信'''・'''中信'''([[木曽地域]])・'''東信'''([[佐久市]]・[[立科町]]・[[南牧村 (長野県)|南牧村]]の一部)は太平洋側水系に属している。 一般に、[[南信州地域]]、[[木曽地域]]は名古屋志向が強く、その他の地域は東京志向が強い<ref>{{PDFlink|[https://www.okb-kri.jp/_userdata/pdf/report/toukaisyu.pdf 「東海州」の範囲はごこまでか]}}</ref>。近世以前は[[中山道]]沿いという面で[[信濃国]]全体でまとまりがあったが、明治時代に東京が首都になり交通が整備されると、 #[[北陸新幹線]](旧[[信越本線]])を経由して東京とのつながりが深い北信・長野・上田・佐久地域 #[[中央本線]]を経由して東京とのつながりが深い北アルプス・松本・諏訪・上伊那地域 #名古屋とのつながりの深い木曽・南信州地域 という3地域に区分できるようになった。 ただし[[長野新幹線]]開通により北アルプス地域の住民の多くはバスで[[長野駅]]まで行き新幹線利用に代わってきている。 == 歴史 == === 原始 === 長野県域では[[日本の旧石器時代|旧石器時代]]の遺跡がいくつか発掘調査されている。その中の[[野尻湖遺跡群]](立ヶ鼻遺跡)から人類が活躍していたことを示す槍状木器・骨器・[[剥片石器]]などの遺物が発見されている。この遺跡は[[ナウマンゾウ]]や[[オオツノシカ]]などの大型哺乳動物を解体した[[キルサイト]]と推定されている。時期は約2万5000年前から3万年前のものである。全国で発見されている[[斧形石器]]の約4分の1にあたる239点を出土し、刃の部分を砥石で研磨したものが多く、世界でももっとも古い[[磨製石器]]と言われている<ref>{{Cite book|和書|author=財団法人長野県文化振興事業団長野県埋蔵文化財センター|title=掘ってわかった信州の歴史―長野県埋蔵文化財センター30周年記念誌―|publisher=財団法人長野県文化振興事業団長野県埋蔵文化財センター|year=2013|page=7}}</ref>。そのほか、この時代の遺跡としては仲町(信濃町)・日向林B(信濃町)・石子原(飯田市)遺跡が発見されている。 2000年代の前半に竹佐中原(たけさなかはら)遺跡([[飯田市]])が発掘・調査されている。この遺跡の石器集中地点4か所から石器を含む800点あまりの[[旧石器時代]]の遺物が出土した。この石器包含層の自然科学分析(火山灰分析、植物珪酸体分析、炭素14年代測定、光ルミネッセンス年代測定など)が行われ「3万年より古く5万年より新しい」という結果が出た。今までは、日本列島に人々が居住し始めたのは後期旧石器時代の約3万年前以降であると考えられていたが、この遺跡の発掘調査で[[中期旧石器時代]]の終わりごろ(3万年前から5万年前)には本県に人々が生活を始めていたことが証明された<ref group="報">[http://www.shinshu-liveon.jp/www/topics/node_153553 竹佐中原遺跡「5万〜3万年前」 後期旧石器時代より古く]{{リンク切れ|date=2017年9月}} 信濃毎日新聞 2010年5月20日</ref>。 2万年前以降では剥片石器を特徴とする石器群が県内各地から発見されるようになる。後期旧石器時代が終わるころには日本で最初の[[細石刃]]が[[矢出川遺跡]](南牧村)で見つかっている<ref>福島正樹「信濃史のはじまり」 古川貞雄・福島正樹・井原今朝男・青木歳幸・小平千文『長野県の歴史』山川出版社 2003年 10-12ページ</ref>。 有史以前、県内には[[縄文時代]]の[[遺跡]]が多数分布し、この時代の中心地のひとつであった。[[茅野市]]で発掘された土偶は2体が[[国宝]]とされている。また[[小県郡]][[長和町]]の[[和田峠 (長野県)|和田峠]]は日本における[[黒曜石]]の代表的な産地であり、[[諏訪郡]][[原村]]の[[阿久遺跡]]は最古級の環状集石とされている。 続く[[弥生文化]]は、まず[[東海地方]]から長野県南西部へと伝わり、その後、日本海側の[[北陸地方]]から北部へと伝わったと考えられている。この2ルートでの波及が原因かは不明であるが、[[中野市]]の[[柳沢遺跡]]からは、東日本では唯一となる一緒に埋納された[[銅鐸]]と[[銅戈]]が出土している(銅鐸と銅戈が一緒に出土したのは日本全国でも数例しかなく、また大阪湾型と九州型の銅戈が混在していることもきわめて稀なケース)。 === 律令時代から江戸時代 === {{Main2|[[令制国]]である信濃国の歴史|信濃国#歴史}} === 明治維新後 === ; 府藩県三治制 * [[明治元年]][[8月2日 (旧暦)|8月2日]]([[1868年]][[9月17日]]) - 明治政府の[[府藩県三治制]]導入により、信濃国の旗本領・幕府領が'''[[伊那県]]'''となる(県庁所在地は伊那郡飯島村=現[[飯島町]])<ref>{{Cite book|和書|author=|title=長野県史通史編別巻年表・索引年表|publisher=財団法人長野県史刊行会発|year=1992発行年|page=595}}</ref>。 * [[明治3年]][[9月17日 (旧暦)|9月17日]]([[1870年]][[10月11日]]) - [[伊那県]]のうち北信および東信の旗本領・幕府領が'''[[中野県]]'''として分立する(管轄地域は伊那県の項目を参照。県庁所在地は高井郡中野村=現[[中野市]])も、その年12月に中野県庁が[[中野騒動]](維新後の信濃国内で多発した[[世直し一揆|世直し騒動]]の一環)により全焼。[[高石和道]]大参事が逐電。 * [[明治4年]][[6月2日 (旧暦)|6月2日]]([[1871年]][[7月19日]]) - 廃藩となった[[龍岡藩]]のうち信濃国内の領地を中野県に編入。 * 明治4年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]([[1871年]][[8月8日]]) - 善光寺領を編入。県庁が中野から長野に移転し、'''長野県'''が発足。明治7年10月25日の県庁舎新築まで善光寺門前の[[西方寺 (長野市)|西方寺]]を仮庁舎とする。 ; 廃藩置県 * 明治4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[1871年]][[8月29日]]) - [[廃藩置県]]により、信濃国内の12藩が県に置き換わり、伊那県・長野県を併せ14県になった。 * 明治4年[[11月20日 (旧暦)|11月20日]]([[1871年]][[12月31日]]) - 第1次府県統合により、[[飯山藩|飯山県]]、[[松代藩|松代県]]、[[須坂藩|須坂県]]、[[上田藩|上田県]]、[[小諸藩|小諸県]]、[[岩村田藩|岩村田県]]、[[椎谷県]]の信濃国部分を長野県に編入し、県域が東信と北信に拡大。伊那県、[[松本藩|松本県]]、[[諏訪藩|高島県]]、[[高遠藩|高遠県]]、[[信濃飯田藩|飯田県]]、[[名古屋県]]の信濃部分、[[高山県]](旧[[飛騨国]])が合併し、'''[[筑摩県]]'''となる。 * [[明治5年]]([[1872年]]) - [[学制]]施行。第七大区に属す(のちに第六大区)。 === 近現代 === * [[1876年]](明治9年)[[8月21日]] - 筑摩県が分割され旧高山県は岐阜県に編入、信濃国部分(中信・南信・北アルプス地域)が長野県に編入され現在の長野県が発足した。法令による廃止はないが、置き換わる長野県の発足により実質的に令制国である信濃国が廃止された。 * [[1879年]]([[明治]]12年)[[1月14日]] - 前年の[[郡区町村編制法]]により、[[南佐久郡]]・[[北佐久郡]]・[[小県郡]]・[[更級郡]]・[[埴科郡]]・[[上水内郡]]・[[上高井郡]]・[[下高井郡]]・[[下水内郡]]・[[北安曇郡]]・[[南安曇郡]]・[[東筑摩郡]]・[[西筑摩郡]]・[[諏訪郡]]・[[上伊那郡]]・[[下伊那郡]]が発足(※自治体としての郡は[[1926年]](大正15年)[[6月30日]]の郡制廃止により消滅)。 * [[1888年]](明治21年)[[5月1日]] - 官設鉄道(後の[[日本国有鉄道]])[[関山駅]] - [[長野駅]]間が開業。県内初の鉄道となる。 * [[1889年]](明治22年)[[4月1日]] - 市町村制施行にともない、15町376村が発足(15町の内訳は岩村田・小諸・上田・長久保新・長窪古・高遠・飯田・松本・稲荷山・屋代・松代・須坂・中野・長野・飯山)。 * [[1893年]]4月1日 - 官設鉄道[[横川駅 (群馬県)|横川駅]] - [[軽井沢駅]]間が開業。後の[[信越本線]]が全通し、長野県と東京方面が鉄道で結ばれる。 * [[1926年]]([[大正]]15年) - 当時の[[梅谷光貞]]県知事が地元の意見を聞かずに3つの警察署(岩村田・屋代・中野)を廃止すると発表したのをきっかけに暴動がおきる。いわゆる[[警廃事件]]が発生。これをきっかけに知事公選を求める運動が起きた。 * [[1941年]]([[昭和]]16年)[[7月15日]] - 長野市付近を[[震源]]とする[[長野地震]]が発生。死者5人<ref group="報">北信地方に烈震、被害甚大『信濃毎日新聞』(昭和16年7月17日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p558 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 * [[1942年]](昭和17年) - 1926年6月30日に、地方自治体としての法人格が廃止された郡に代わって、[[支庁|地方事務所]]が設置される。 * [[1944年]](昭和19年)[[11月11日]] - [[松代町 (長野県)|松代町]](現在の長野市)で[[松代大本営跡|松代大本営]]が着工。 * [[1945年]](昭和20年) - [[アメリカ軍|米軍機]]が長野市や上田市に空襲。死者40名([[長野空襲]])。 * [[1947年]](昭和22年)[[4月12日]] - [[林虎雄]]知事が就任。 * [[1948年]](昭和23年) - 長野県庁庁舎一部焼失をきっかけに分県論が勃発。県議会で採決されるも議場を埋め尽くした県民の「[[信濃の国]]」大合唱により流会(とする説があるが、事実ではない)、結局否決される。これがのちの県歌制定の素地となる。ただし、仮に可決されても国([[内閣]])や[[国会 (日本)|国会]]は分県を認めない方針であったという<ref group="報">{{Cite news|url= http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/kikaku/092/7.htm |title= 「県歌 信濃の国」第1部〈5〉 |newspaper= 読売新聞 |accessdate= 2020-09-17 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20090618080129/http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/kikaku/092/7.htm |archivedate= 2009-06-18 }}</ref>。 * [[1956年]](昭和31年)[[6月1日]] - 災害復興の支出などによる県財政赤字のため、[[地方財政再建促進特別措置法]]を適用。[[財政再建団体]]に指定。 * [[1958年]](昭和33年)[[10月15日]] - 西筑摩郡神坂村が[[総務省|自治庁]]の裁定により分村。馬籠地区を山口村に編入し、湯舟沢地区を岐阜県中津川市に編入させる。世にいう[[島崎藤村]]騒動。 * [[1959年]](昭和34年)[[4月26日]] - [[西沢権一郎]]知事が就任。 * [[1961年]](昭和36年)[[4月1日]] - [[長野県企業局]]発足。 * [[1962年]](昭和37年)[[3月31日]] - 好景気による県財政収入の増加で、当初計画より2年早く財政再建が終了する。 * [[1964年]](昭和39年)[[10月16日]] - [[1964年東京オリンピック]]の[[1964年東京オリンピックの馬術競技|総合馬術競技]]が軽井沢町で開催([[10月24日]]まで)。 * [[1965年]](昭和40年)[[7月16日]] - 県営[[松本空港]](愛称:信州まつもと空港)が開港する。 * [[1968年]](昭和43年) ** [[5月1日]] - 西筑摩郡が[[木曽郡]]に郡名を変更する。 ** [[5月20日]] - [[信濃の国]]を県歌に制定する。 * [[1972年]](昭和47年)[[2月19日]] - [[あさま山荘事件]]が発生する。 * [[1975年]](昭和50年) **[[1月1日]] - [[青木湖バス転落事故]]が発生する。 **[[8月23日]] - [[中央自動車道]]の[[駒ヶ根インターチェンジ|駒ヶ根IC]] - [[中津川インターチェンジ|中津川IC]]間が[[恵那山トンネル]]を経由して開通。県内初の高速道路となる。 * [[1980年]](昭和55年) ** [[3月5日]] - [[富山・長野連続女性誘拐殺人事件]]([[警察庁広域重要指定事件|警察庁広域重要指定]]111号事件)。[[長野信用金庫]]職員の女性(当時20歳)が[[誘拐]]・殺害された。県内では初の[[身代金]]目的誘拐事件でもあった<ref group="報">『[[朝日新聞]]』1980年3月28日東京朝刊長野東北信版20頁「不気味な沈黙に焦り、不安 ナゾ深まる“成人”誘拐 〇〇さん事件 繁華街まるで“神隠し” 手がかり 脅迫電話だけ」([[朝日新聞東京本社]]・長野支局)</ref>。 ** [[10月26日]] - [[吉村午良]]知事が就任。 * [[1984年]](昭和59年)[[9月14日]] - 木曽郡[[王滝村]]を中心に[[長野県西部地震]] ([[気象庁マグニチュード|Mj]] 6.8)で甚大な被害を受ける(死者29人)。この地震が起きた長野県西部は[[特定観測地域]]に指定されていた。 * [[1985年]](昭和60年)[[1月28日]] - [[犀川スキーバス転落事故]]が発生する。 * [[1991年]]([[平成]]3年)[[6月15日]] - 1998年[[冬季オリンピック]]の長野開催が決定。 * [[1993年]]([[平成]]5年)[[7月17日]] - [[信州博覧会]]開会。 * [[1994年]](平成6年) **[[4月28日]] - [[羽田孜]]が[[内閣総理大臣]]に就任。県内選出の国会議員としては初。 **[[6月27日]] - [[松本サリン事件]]が発生する。 **[[6月30日]] - [[羽田内閣]]が総辞職し、羽田が総理大臣を退任。 * [[1996年]](平成8年)[[12月6日]] - [[蒲原沢土石流災害]]が発生する。 * [[1997年]](平成9年)[[10月1日]] - [[北陸新幹線]]の[[高崎駅]] - [[長野駅]]間が新規開業。当初は「長野行新幹線」、後に「[[長野新幹線]]」として案内される。 * [[1998年]](平成10年) ** [[2月7日]] - [[長野オリンピック]]が開会する。 ** [[3月5日]] - [[長野パラリンピック]]が開会する。 * [[2000年]](平成12年)[[10月26日]] - [[田中康夫]]知事が就任。 * [[2002年]](平成14年) ** [[7月5日]] - [[長野県議会]]が田中知事の不信任案が可決。同月15日に失職。 ** [[9月1日]] - 県知事選挙で田中康夫が圧勝。 * [[2005年]](平成17年) ** [[2月13日]] - 木曽郡山口村が[[越境合併]]により[[岐阜県]][[中津川市]]に編入される。 ** [[2月28日]] - [[スペシャルオリンピックス|スペシャルオリンピックス冬季世界大会]]が開会。 * [[2006年]](平成18年)9月1日 - [[村井仁]]知事が就任。 * [[2008年]](平成20年)[[2月15日]] - 新たなキャッチフレーズ「'''つらなるつながる信州'''」と新たなロゴマークの使用を開始する。 * [[2010年]](平成22年)9月1日 - [[阿部守一]]知事が就任。 * [[2011年]](平成23年)[[3月12日]] - [[栄村]]で震度6強を観測する[[長野県北部地震 (2011年)|長野県北部地震]] (Mj 6.7) が発生。[[3月11日|前日]]に発生した[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]]を惹起)の[[誘発地震]]とされている。 * [[2014年]](平成26年) ** [[2月14日]] - [[平成26年豪雪]]が発生。東信地方など平年は積雪量の少ない地域でも2メートル近くの積雪を観測し、交通網が麻痺するなどした。 ** [[9月27日]] - 長野県と岐阜県の県境に存在する[[2014年の御嶽山噴火|御嶽山が噴火]]。登山客が巻き込まれ、58人が死亡。'''犠牲者数が戦後最大の火山災害'''となった。 ** [[11月22日]] - [[長野市]]、[[小谷村]]、[[小川村]]で震度6弱を観測する[[長野県神城断層地震]] (Mj 6.7) が発生。 * [[2015年]](平成27年)[[3月14日]] - 北陸新幹線の長野駅 - [[金沢駅]]間が延伸開業。従来の「長野新幹線」という案内は「北陸新幹線」へ変更。 * [[2016年]](平成28年)[[1月15日]] - [[軽井沢スキーバス転落事故]]が発生。 * [[2019年]]([[令和]]元年)[[10月12日]] - [[令和元年東日本台風]]により[[千曲川]]の護岸崩壊、堤防決壊が相次いだ。[[上信越自動車道]]や[[国道254号]]などの交通網が一時通行禁止となったり、[[上田電鉄別所線]]の[[千曲川橋梁 (上田電鉄別所線)|千曲川橋梁]]崩落、[[権兵衛トンネル]]の橋梁崩壊を始め各地に被害を残した。 * [[2020年]](令和2年) - [[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウィルス感染症]]が県内でも感染拡大した。営業自粛などにより破産に追い込まれる企業が続出した。 == 人口 == 長野県は県歌「信濃の国」において「[[松本盆地|松本]]、[[伊那盆地|伊那]]、[[佐久盆地|佐久]]、[[長野盆地|善光寺]]」と歌われる4つの盆地に、[[上田盆地]]と[[諏訪盆地]]を含めた6か所に人口の大半が居住する。それぞれの盆地において、一つないしは二つの中規模都市が盆地とその周辺の山間部全体の核としての役割を果たしており、県内における増減率の地域差は比較的小さい。ただし全体が町村で占められる山間部の[[木曽地域]]は人口減が激しい他、最大都市長野市を中心とする[[北信地方]]、第二都市[[松本市]]を中心とする[[中信地方]]、第三都市[[上田市]]・第四都市[[佐久市]]のある[[東信地方]]と比べて、[[南信地方]]はやや減少率が高い。 [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Nagano prefecture, Japan_2015-2020.svg|thumb|300px|none|長野県市町村人口増減率分布図(2015年度と2020年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}} {{Legend|#FFFFFF|±0.0 %(増減無し)}}]] {{人口統計|code=20000|name=長野県|image=Demography20000.svg}} === 都市 === ;長野県内 市別人口ランキング {| class="infobox" style="text-align:center; width:100%; margin-right:10px; font-size:100%" |- ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | [[長野県#日本の地域区分における長野県の位置付け|地域区分]] ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | 人口 ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | [[長野県#日本の地域区分における長野県の位置付け|地域区分]] ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | 人口 |- |----- |align="center"| '''1''' |align="center"| '''[[長野市]]''' |align="center"| [[北信地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/長野県|長野市}}}}人 |align="center"| '''6''' |align="center"| '''[[安曇野市]]''' |align="center"| 中信地方 |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/長野県|安曇野市}}}}人 |----- |align="center"| '''2''' |align="center"| '''[[松本市]]''' |align="center"| [[中信地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/長野県|松本市}}}}人 |align="center"|'''7''' |align="center"|'''[[塩尻市]]''' |align="center"| 中信地方 |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/長野県|塩尻市}}}}人 |----- |align="center"| '''3''' |align="center"| '''[[上田市]]''' |align="center"| [[東信地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/長野県|上田市}}}}人 |align="center"|'''8''' |align="center"|'''[[伊那市]]''' |align="center"| 南信地方 |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/長野県|伊那市}}}}人 |----- | align="center" |'''4''' | align="center" | '''[[佐久市]]''' | align="center" | 東信地方 | align="right" |{{formatnum:{{自治体人口/長野県|佐久市}}}}人 | align="center" |'''9''' | align="center" |'''[[千曲市]]''' | align="center" | 北信地方 | align="right" |{{formatnum:{{自治体人口/長野県|千曲市}}}}人 |----- | align="center" | '''5''' | align="center" | '''[[飯田市]]''' | align="center" | [[南信地方]] | align="right" |{{formatnum:{{自治体人口/長野県|飯田市}}}}人 | align="center" |'''10''' | align="center" |'''[[茅野市]]''' | align="center" | 南信地方 | align="right" |{{formatnum:{{自治体人口/長野県|茅野市}}}}人 |----- | colspan="11" align="center" style="background:#f5f5f5;" |[[2017年]]12月 現在 |} {{-}} <gallery> 善光寺口バス乗り場.JPG|1.[[長野市]]([[都道府県庁所在地|県都]]・[[中核市]]) Matsumoto Town Area 2017 (2).jpg|2.[[松本市]]([[中核市]]) Ueda City - panoramio.jpg|3.[[上田市]] Saku-city Aioicho.JPG|4.[[佐久市]] Nagano pref road 15 in Tōwa-chō.jpg|5.[[飯田市]] 穂高駅前 Vicinity of Hotaka station 2011.1.01 - panoramio (1).jpg|6.[[安曇野市]] Enpark survey.jpg|7.[[塩尻市]] Inashi Ekimae Kosaten 2009-08b.JPG|8.[[伊那市]] Togura Kamiyamada Onsen.jpg|9.[[千曲市]] 茅野市 - panoramio.jpg|10.[[茅野市]] </gallery> ;長野県内市別人口密度ランキング([[2016年]]〈平成28年〉現在) # [[岡谷市]](585人/平方キロメートル) # [[千曲市]](502人/平方キロメートル) # [[諏訪市]](453人/平方キロメートル) # [[長野市]](450人/平方キロメートル) # [[小諸市]](434人/平方キロメートル) <gallery> Okaya Silk Museum 1.jpg|[[岡谷市]] Togura-Kamiyamada Onsen survey.jpg|[[千曲市]] 130607 Kamisuwa Onsen Suwa Japan01n.jpg|[[諏訪市]] 160501 Zenkoji Nagano Japan06s3.jpg|[[長野市]] Komoro castle00s3872.jpg|[[小諸市]] </gallery> == 政治 == === 県政 === [[ファイル:Nagano prefectural government01s3200.jpg|thumb|220px|<span style="font-size:small">長野県庁、議会棟(左)、本館棟(奥)</span>]] ==== 県知事・県庁 ==== {{Main|長野県知事一覧}} ; 執行機関 * [[都道府県知事|知事]]:[[阿部守一]] * [[副知事 (日本)|副知事]]:太田寛、関昇一郎 ** 知事部局 - 危機管理部、企画部、総務部、健康福祉部(部内局に病院事業局)、環境部、商工労働部、観光部、農政部、林務部、建設部、会計局 * [[地方公営企業#管理者|公営企業管理者]] ** [[地方公営企業|企業局]](水道事業・電気事業) * [[行政委員会]] ** [[教育委員会]] - 教育委員会事務局 ** [[公安委員会]] - [[長野県警察]] ** [[選挙管理委員会]] ** [[監査委員]] - 監査委員事務局 ** [[人事委員会]] - 人事委員会事務局 ** [[労働委員会]] - 労働委員会事務局 ** [[収用委員会]] ** [[内水面漁場管理委員会]] * [[出先機関]]([[支庁]]) ** 佐久地域振興局=小諸市・佐久市・南佐久郡・北佐久郡 ** 上田地域振興局=上田市・東御市・小県郡 ** 諏訪地域振興局=岡谷市・諏訪市・茅野市・諏訪郡 ** 上伊那地域振興局=伊那市・駒ヶ根市・上伊那郡 ** 南信州地域振興局=飯田市・下伊那郡 ** 木曽地域振興局=木曽郡 ** 松本地域振興局=松本市・塩尻市・安曇野市・東筑摩郡 ** 北アルプス地域振興局=大町市・北安曇郡 ** 長野地域振興局=長野市・須坂市・千曲市・上水内郡・上高井郡・埴科郡 ** 北信地域振興局=中野市・飯山市・下高井郡・下水内郡 ==== 県議会 ==== {{Main|長野県議会}} * 定数:57人 * 任期:[[2019年]](平成31年)[[4月30日]]から[[2023年]](令和5年)[[4月29日]]まで * 議長:清沢英男 ; 議決機関 * [[日本の地方議会|県議会]] - 議会事務局 ==== 外郭団体 ==== * [[長野県中小企業振興センター]] * [[長野県道路公社]] * [[長野県文化振興事業団]] * [[松本空港|松本空港ターミナルビル]] などの計43団体に県が出資または出捐している([[2009年]]〈平成21年〉4月現在)。 ==== 財政 ==== ;2007年度(平成19年度) * [[財政力指数]] 0.46 ** IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中1位 ;2006年度(平成18年度) * 財政力指数 0.43 ** IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)9自治体中3位 * [[地方財政#財政指標|実質公債費比率]]は19.2%で全国ワースト3 * [[地方財政#財政指標|起債制限比率]]は15.6%で全国ワースト4 : 出典:[http://www.soumu.go.jp/iken/zaisei/xls/H18_chiho_2.xls 総務省平成18年度地方公共団体の主要財政指標一覧] : 県内の[[地方交付税]]不交付団体 :* [[軽井沢町]] 財政力指数 1.65(2007年度) :* [[南相木村]] 財政力指数 1.10(2007年度) ;2005年度(平成17年度) * 財政力指数 0.40 ** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中1位 ;2004年度(平成16年度) * 財政力指数 0.40 ** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中1位 ==== 2000年代以降の長野県政 ==== ;田中康夫県政関連 * [http://www.pref.nagano.jp/hisyo/press/kisya.htm 脱・記者クラブ宣言] *: [[2001年]](平成13年)[[5月15日]]、当時の知事・[[田中康夫]]が県庁にある[[記者クラブ]]が独占的に利用する記者室を廃止して、誰でも利用できるプレスセンターを設置すると発表し、[[2001年]](平成13年)[[7月2日]]に「仮設 表現道場」を設置、波紋を広げた。 *: その後、[[2002年]](平成14年)[[4月1日]]に「表現センター」と改称、県庁5階北側に設置されたが、[[2006年]](平成18年)に廃止した。 * [http://www.pref.nagano.jp/keiei/seisakut/model/dam.htm 脱ダム宣言] * [[長野県原産地呼称管理制度]]([http://www.pref.nagano.jp/nousei/nousei/aoc/nnac.htm 制度の概要]) *: 詳細については内部リンクを参照 * 改名構想 *: 知事時代の田中が「長野県」から「信州県」へと改名するとした構想。特に観光面で「信州」呼ばれることが多いことから、観光産業への効果などが謳われた。これには依然として長野市と松本市との対立意識が残ることがその根底にある。当初新聞紙上には載ったが、実際の動きがあったかは不明のまま立ち消えとなる。 * 山口村越県合併問題 *: 旧[[山口村 (長野県)|山口村]](現・[[岐阜県]][[中津川市]]山口地区)の越県合併を合併告示当初より反対であった。合併協議会の賛成を得ても反対し続け、「山口村は長野に残るべき」と述べた。結果的には合併を承認し、越境合併は実現したが、田中自身は最後まで反対の意思を曲げることはなかった。 *: 山口村越県合併問題で、山口村村民、村役場、村議会、県議会と対立したことで、「反・田中派」の追い風に乗り、後任の知事である村井県政が始まるきっかけのひとつになった。 田中県政については独善・独裁的という見方もある一方で、それまでの長野県政の悪弊(たとえば、県議会の多数を占める自民党が、少数会派の意見を無視して乱開発などを進めていく手法)を打破したという点では評価する向きもあり、賛否は分かれる。 ;村井仁県政関連 *「田中県政完全清算」宣言 *:[[2006年]](平成18年)の知事選で田中を破った[[村井仁]]は、田中の政治姿勢を「独裁者だ」と選挙中から痛烈に批判し続け<ref group="注釈">立候補当初は「自分は田中氏の改革姿勢を評価していた」とした上で、「反田中ではなく、'''田中'''氏を'''超'''える『超田中』」をキャッチフレーズにしていた。</ref>、当選後には'''田中の全政策を完全否定・完全清算'''することを宣言した。村井が明言していたものは、田中が「開かれた県政を目指す」として県庁1階に移したガラス張り知事室の廃止・脱ダム宣言の取り消しであった。 * 「脱ダム委員」追放 * 冬季五輪使途不明金疑惑の調査委員会の解散 *: [[1998年]](平成10年)に行われた冬季五輪の使途不明金調査委員会を、「特定の個人、特定のグループの罪をあばくことは建設的でない」という理由で解散させる。調査委員会は今後、財政悪化の原因や第三セクター鉄道に関する調査を行う予定であり、存在している可能性のある行政の癒着の発見を妨げることとなった。田中によって開かれた県政が閉ざされつつあることが浮き彫りになった一件である。 * リニア[[中央新幹線]]ルート策定問題 *: 南アルプスを貫く「Cルート」の採用が有力視される中、「大きな県だから、(リニアの県内駅は)2つでも3つでもいいのではないか。Bルートの北の所に駅がなければ意味がない」と述べ、「我田引鉄を彷彿とさせる」との議論を呼んだ。その後、飯田下伊那地方でCルート実現を求める声が高まってきたことなどを受け、[[2010年]](平成22年)5月には初めてBルート採用を明記しない決議を採択した。この問題は2011年5月13日、後任の阿部知事が「南アルプスルートを採択することが適当」と表明したことをもって一応の決着となった。 村井県政は田中県政と比較して、「閉ざされた県政」「県政の後戻り」などと批判される一方で、議会や県職員との対立を避ける姿勢(全国のほとんどの都道府県知事がこうしている(いわゆる「オール与党」体制))を評価する向きもあり、田中県政同様に賛否は分かれている。 ;阿部守一県政関連 * 信州型事業仕分け *: 現知事の阿部が[[2009年]](平成21年)内閣府行政刷新会議事務局次長として事業仕分けにかかわった経験を基に、県事業の効率化や国・市町村などとの役割分担を公開された場において議論する「信州型事業仕分け」を[[2011年]](平成23年)1月15日から16日の2日間にわたって実施した。これは県知事選挙での政権公約でもあった。取り扱われた計29件の事業のうち、インターネットを活用した生涯学習情報提供システム事業、信州「食」の魅力向上事業の一部、交通安全啓発活動事業、総合型地域スポーツクラブ育成支援事業の4件が「不要」と判定され、残す25件のうち全体の約7割となる21件が「要改善」と判定された<ref>[http://www.shinmai.co.jp/kensei/2011/01/post-257.html 信州型事業仕分け終了 「不要」4件、「要改善」7割に]</ref>。 * リニア中央新幹線建設工事に伴う諸問題 *: リニア中央新幹線の工事にともない発生する795万立方メートルの残土のうち350万立方メートルの活用先が2019年9月時点で決定しておらず、阿部知事は期限を設けず情報提供を受け付けている。また活用先が決まるまでの仮置き場も現時点では不十分であり、候補地を受け入れるなどしている。リニア中央新幹線の工事や、残土置き場の設置の工事などでの重機などによる騒音の苦情が発生しており、対応にあたっている。 *: 静岡県工区で発生した大井川水系の大規模流水の発生については阿部知事も心痛しており、JR東海に水資源の保全を要望するなどしている。一方で[[川勝平太]][[静岡県知事]]が工事着工に反対していることに関しては、阿部知事は「住民に我慢を強いている。なんとしても2027年までの開通をしてもらいたい」と静岡県知事を諌める立場をとっている。 === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#長野県|長野県選挙区}} * 衆議院 ** [[長野県第1区]]:{{衆議院小選挙区当選者|長野県第1区}} ** [[長野県第2区]]:{{衆議院小選挙区当選者|長野県第2区}} ** [[長野県第3区]]:{{衆議院小選挙区当選者|長野県第3区}} ** [[長野県第4区]]:{{衆議院小選挙区当選者|長野県第4区}} ** [[長野県第5区]]:{{衆議院小選挙区当選者|長野県第5区}} * 参議院(定数2) * 2022年改選 ** {{参議院選挙区当選者偶数開催|長野県選挙区}} * 2025年改選 ** {{参議院選挙区当選者奇数開催|長野県選挙区}} == 経済・産業 == * 長野県は就業率が高く、(全)就業率(61.3%)と高齢者就業率(29.9%)がともに全国一であり、女性就業率(51.1%)も全国第2位である<ref>2006年国勢調査</ref>。 * 2019年度時点の[[県民経済計算|県内総生産]]は名目で約8兆454億円。一人当たりの県民所得は約292.4万円。 * [[所得分布|所得格差]]は全国を'''100'''とした場合、長野県は'''85.5'''。市町村では軽井沢町の'''103.4'''が唯一全国水準を上回っている<ref name="2010年国勢調査"/>。 === 産業 === 本社を置く企業については[[:Category:長野県の企業]]を参照。 ==== 農林水産業 ==== 首都圏や中京圏といった消費地に近いことや高原の気候を活かした高品質の葉物野菜の生産が盛んである。[[レタス]]、[[セロリ]]、[[ハクサイ]]などは全国有数の産地となっている。寒冷地のためかつては熱帯原産の植物である[[イネ]]の生産には不向きで、[[ソバ]]の栽培が盛んであったため県内には[[蕎麦]]食文化が色濃く残っている。昭和以降は品種改良や育苗によってイネの栽培が可能となり、大河川に面する佐久市、松本市、伊那市などを中心に稲作が行われている。現在の主力品種は[[コシヒカリ]]。明治以降は果樹の栽培も盛んになり、特に[[リンゴ]]と[[ブドウ]]は全国的にも有名、品種改良も盛んに行われ県内生まれの品種も複数存在する。 かつては養蚕が盛んだったために[[クワ]]もよく栽培されていた。クワは[[カイコ]]の餌となるだけでなく、実は食用にでき生糸を採るために繭ごと茹でられたカイコの蛹も貴重なたんぱく源として食用や家畜や養魚の飼料とされた。 林業は全国的には特に[[カラマツ]]の生産で有名。カラマツは主たる原産地が長野県であり[[浅間山]]周辺や[[八ヶ岳]]に天然分布している。昭和以降本県から種を持ち出し[[北海道]]や[[東北地方]]各県で大規模に植林されており、県内においても主力樹種として各地で植栽が続けられている。他にも南信の天竜川沿いは[[スギ]]のブランドである天竜杉の産地であるし、木曽地域は[[ヒノキ]]の名産地としても知られる。[[アカマツ]]は特にブランド化されていないものの、面積としては多いため[[マツタケ]]の発生も多く全国一の生産量を誇る。2000年以降アカマツに致死性の伝染病である[[マツ材線虫病]](松くい虫)が県内に侵入しアカマツが枯死する被害が拡大しており生態系やマツタケの生産に影響が懸念されている。長野県はマツタケに限らずキノコが好きな人が多いことで有名で、カラマツ林に生える[[ハナイグチ]]は方言名でリコボウ、ジコボウなどと呼ばれ秋の味覚として親しまれている。この2種に限らず秋になると産直やスーパーに栽培法が確立していない[[菌根]]性キノコの天然採取品が出回る。栽培可能なキノコでは[[エノキタケ]]と[[ブナシメジ]]の生産が全国一である。 内陸県である長野では[[淡水魚]]を食べる文化があり[[養魚]]施設も県内に多数ある。魚種としてはかつては[[コイ]]がよく知られており、前述のようにカイコの蛹を粉砕したものを餌とすることもあった。昭和以降はコイに変わり[[サケ科]]淡水魚が注目され、品種改良や養殖技術の研究が続けられてきた。[[ニジマス]]と[[ブラウントラウト]]を掛け合わせた[[三倍体]]の「信州サーモン」を開発<ref group="報">2004年5月28日 信濃毎日新聞 経済3面</ref>、県の水産試験場が完全養殖に成功させたことから和名に「信濃」が入る[[シナノユキマス]](原産は[[ポーランド]])などがある。 <gallery> 白馬村のそば畑 01.jpg|満開のソバ畑([[白馬村]]) Larix kaempferi (Mount Toyoguchi).jpg|カラマツ植林地([[大鹿村]]) Mushrooms (5845499133).jpg|長野県産の栽培キノコ C. carpio Kirimi.jpg|切り身で販売されるコイ(佐久市) </gallery> ==== 鉱業・製造業 ==== 工業は明治期から昭和期は生糸産業が盛んだった。[[精密機械]](かつては[[時計]]や[[光学機器]]が主体であったが、1980年代以降[[情報機器|情報通信機械器具]]、[[電子部品]]・[[デバイス]]などに変化している)は[[諏訪地域]]を中心に精密機械や電子産業が盛んであり、高地で気候が類似し、高級ブランド時計の本場である[[スイス]]になぞらえ、「東洋のスイス」の異名を取ったこともある<ref group="報">{{Cite book|和書|author=信濃毎日新聞社|title=長野県百科事典―補訂版―|publisher=信濃毎日新聞社|year=1981|page=435}}</ref>。 食品関係では、[[日本酒]]、[[ワイン]]、[[シードル]]、[[ペリー (酒)|ペリー]]や[[味噌]]の醸造、[[ウイスキー]]作りに必要な[[モルトウイスキー]]や[[グレーンウイスキー]]の蒸溜、[[飲料]]をはじめとする食料品製造業が盛んである。法令系の企業が集積し、地方としては[[出版]]、[[印刷]]が多いことも特徴である<ref>『[[#47都道府県うんちく事典|47都道府県うんちく事典]]』153頁。</ref>。 ==== サービス業 ==== === 産業別生産 === [[第一次産業|第1次産業]] * 農業産出額(2020年)<ref>農林水産省『生産農業所得統計』 2020年</ref> *# 松本市 211.0億円 *# 川上村 178.7億円 *# 長野市 163.4億円 *# 中野市 159.1億円 *# 塩尻市 125.1億円 *# 佐久市 112.7億円 *# 南牧村 110.1億円 *# 安曇野市 107.4億円 *# 須坂市 104.2億円 *# 飯田市 91.0億円 [[第二次産業|第2次産業]] * 工業製造品出荷額(2020年)<ref>経済産業省『工業統計表市区町村編』 2021年6月1日</ref> *# 塩尻市 6703億円 *# 長野市 5938億円 *# 松本市 5826億円 *# 上田市 5255億円 *# 安曇野市 4593億円 *# 坂城町 2218億円 *# 飯田市 2146億円 *# 佐久市 2175億円 *# 茅野市 2062億円 *# 千曲市 2091億円 [[第三次産業|第3次産業]] * [[日本の年間商品販売額一覧|年間商品販売額]](卸売業・小売業、2020年)<ref>経済産業省『経済センサス活動調査』 2020年</ref> *# 長野市 1兆5891億円 *# 松本市 1兆0137億円 *# 上田市 4061億円 *# 飯田市 2409億円 *# 安曇野市 2249億円 *# 佐久市 1981億円 *# 諏訪市 1881億円 *# 塩尻市 1738億円 *# 伊那市 1334億円 *# 岡谷市 1117億円 === 上場企業 === {{col| プライム上場 * [[八十二銀行]](東証 長野市) * [[新光電気工業]](東証 長野市) * [[ホクト]](東証 長野市) * [[土木管理総合試験所]](東証 長野市) * [[キッセイ薬品工業]](東証 松本市) * [[エラン (介護医療)|エラン]](東証 松本市) * [[日置電機]](東証 上田市) * [[シーティーエス (長野県)|シーティーエス]](東証 上田市) * [[綿半ホールディングス]](東証 飯田市) * [[セイコーエプソン]](東証 諏訪市) * [[日精エー・エス・ビー機械]](東証 小諸市) * [[ヤマウラ]](東証 名証 駒ヶ根市) * [[日精樹脂工業]](東証 名証 坂城町) * [[KOA (企業)|KOA]](東証 名証 箕輪町) * [[鈴木 (コネクタ)|鈴木]](東証 須坂市) * [[ミマキエンジニアリング]](東証 東御市) * [[竹内製作所]](東証 坂城町) * [[ミネベアミツミ]](東証 名証 御代田町) | スタンダード上場 * [[北野建設 (長野県)|北野建設]](東証 長野市) * [[電算]](東証 長野市) * [[共和コーポレーション]](東証 長野市) * [[マルイチ産商]](名証 長野市) * [[タカチホ (卸売業)|タカチホ]](長野市) * [[高見澤]](長野市) * [[守谷商会 (長野県)|守谷商会]](長野市) * [[旭松食品]](東証 飯田市) * [[双信電機]](東証 佐久市) * [[エフビー介護サービス]](東証 佐久市) * [[サンコー (長野県)|サンコー]](東証 塩尻市) * [[キョウデン]](東証 箕輪町) * [[エムケー精工]](東証 千曲市) * [[サンリン]](東証 山形村) * [[タカノ (家具)|タカノ]](東証 宮田村) グロース上場 * [[日本スキー場開発]](東証 白馬村) * [[サンクゼール]](東証 飯綱町) }} == 生活・交通 == === 警察 === * [[長野県警察]] === 消防 === 現在、13の消防本部がある。 {{col| * [[長野市消防局]] * [[須坂市消防本部]] * [[北信地域#消防|岳北消防本部]] * [[北信地域#消防|岳南広域消防本部]] * [[長野地域#千曲坂城消防本部|千曲坂城消防本部]] * [[上田地域広域連合#広域消防本部|上田地域広域連合消防本部]] * [[佐久広域連合消防本部]] | * [[松本広域連合#広域消防局|松本広域消防局]] * [[北アルプス広域連合#広域消防本部|北アルプス広域消防本部]] * [[木曽広域連合#広域消防本部|木曽広域消防本部]] * [[諏訪広域連合#広域消防本部|諏訪広域消防本部]] * [[南信州広域連合#広域消防本部|飯田広域消防本部]] * [[上伊那広域連合#広域消防本部|上伊那広域消防本部]] }} === 電力 === [[中部電力]]をはじめ、[[東京電力リニューアブルパワー]]、[[東北電力]]、[[関西電力]]、[[電源開発]]などの[[水力発電]]所がある。 [[長野県企業局|県企業局]]による発電事業として14の発電所があり、伊那市に南信発電管理事務所、長野市に北信発電管理事務所が設置されている。 送配電は長野県の全域が[[中部電力パワーグリッド]](本社は[[名古屋市]])の送配電区域である。60Hzの電源周波数の区域が大半を占めるものの、[[小諸市]][[高峰高原]]、[[大町市]]の一部、[[小谷村]]の一部、[[松本市]][[奈川村|奈川]]、[[松本市]][[安曇村|安曇]]の一部、[[安曇野市]][[穂高町|穂高]]の[[中房温泉]]、[[飯山市]]の一部、[[栄村]]の一部などでは50Hzとの混在区域がある。 === ガス === 長野県内の都市ガス事業はこれまで長野県営によるものと、[[東京ガス]]によるものが規模の大きなものとされてきたが、[[2006年]](平成18年)に長野県営のガス事業(長野県企業局)が民営化され、新たに設立された[[長野都市ガス]]に事業が移管された。その後、[[2006年]](平成18年)7月1日をもって、東京ガスが長野県内で行っていた事業(同社長野支社の業務も含む)がすべて長野都市ガスに統合された。長野都市ガスは東京ガスグループに属している。 上記も含め、長野県内の主な都市ガス供給業者は下記の通り。 * [[長野都市ガス]] - 本社:長野市、供給エリア:中野市、須坂市、長野市、千曲市、上田市、東御市、小諸市、佐久市、山ノ内町、小布施町、御代田町 * [[上田ガス]] - 本社:上田市、供給エリア:上田市、東御市 * エナキス - 本社:上田市、供給エリア:塩尻市 * 大町ガス - 本社:大町市、供給エリア:大町市 * [[松本ガス]] - 本社:松本市、供給エリア:松本市、塩尻市 * [[諏訪瓦斯]] - 本社:諏訪市、供給エリア:諏訪市、茅野市、岡谷市、下諏訪町 * 信州ガス - 本社:飯田市、供給エリア:飯田市 === 上水道 === * 長野県営水道(企業局) ** 上水道事業 *** 長野市(篠ノ井、川中島、更北、信更地区の一部)、上田市(塩田、川西地区の一部)、千曲市(桑原、八幡地区を除く)、坂城町 ** 水道用水供給事業 *** 松本市、塩尻市、山形村 それ以外の[[上水道#水道事業|水道事業]]は各市町村の当該部課や、水道局([[地方公営企業]])および水道企業団([[一部事務組合]])などが供給している。 === 交通 === 長野県は古くから、[[中山道]]、[[北国街道 (信越)|北国街道]]、[[甲州街道]]など、国内を東西南北を結ぶ交通の交差点に位置し、その流れから現在においても主要幹線交通が交わる。 また、広く山国の長野県において、県内各地を結ぶ交通網は重要な機能を担っている。[[関東地方]]や[[近畿地方]]からの距離があり、広大な面積を持つ県であるため、全国で唯一[[JR]]本州3社すべての管轄路線が存在している。特に[[伊那谷]]と[[木曽郡]]は、[[首都圏 (日本)|首都圏]]([[東京都|東京]])と[[畿内]]([[大阪市|大阪]]・[[京都市|京都]])から等距離に位置している。 1990年代前半の[[高速道路]]([[中央自動車道]]・[[長野自動車道]]・[[上信越自動車道]])や新幹線([[北陸新幹線]])が開通する前まで、地理的事情などによる他県や首都圏・中京圏などへのアクセスのしづらさから「陸の孤島」と呼ばれていた<ref group="報">1995年8月24日 信濃毎日新聞 29面「中央道の駒ケ根―中津川開通20年 飯田で記念講演会」</ref>。 ==== 自動車登録番号標 ==== * '''長野ナンバー''':[[北信地方]]、[[東信地方]] * '''松本ナンバー''':[[中信地方]]、[[上伊那地域]]、[[南信州地域]] * '''諏訪ナンバー''':[[諏訪地域]]([[ご当地ナンバー]]) また、以下のご当地ナンバーが2025年に導入予定 * '''安曇野ナンバー''':[[安曇野|安曇野地域]](松本ナンバーから分離) * '''南信州ナンバー''':[[南信州地域]](松本ナンバーから分離) なお、[[上田市]]、[[松川町]]、[[喬木村]]は、市町村内において独自の[[デザインナンバープレート]]を採用している。 ==== 鉄道 ==== 長野県は、[[日本国有鉄道|旧国鉄]]の線路が[[JR]]本州3社に分割された唯一の[[都道府県]]である。これは、県内に長野鉄道管理局が設置されていたものの、同管理局は長野県内全域を管轄していた訳ではなく、県内でも飯田線は全線が静岡鉄道管理局の、大糸線の南小谷駅以北が金沢鉄道管理局管内だった名残である。おもに[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)が北信・東信・中信(木曽地域と北アルプス地域北部を除く)地方および諏訪地域を、[[東海旅客鉄道]](JR東海)が南信(諏訪地域を除く)、木曽地方を管轄している。また、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)は[[南小谷駅]]以北の[[大糸線]]非電化区間を管轄している。普通列車の本数は長野・松本両市のごくごく近郊の区間<ref group="注釈">篠ノ井駅 - 長野駅 - 豊野駅、塩尻駅 - 松本駅間で毎時2 - 3本程度。長野電鉄とアルピコ交通(通称・松本電鉄)は毎時概ね2本。</ref> および東信地域<ref group="注釈">小諸駅 - 長野駅で毎時2本程度。</ref> を除いて毎時1本以下である。 {{col| ; 東日本旅客鉄道 * [[北陸新幹線]]([[軽井沢駅]] - [[飯山駅]] 間) * [[信越本線]]([[篠ノ井駅]] - [[長野駅]] 間) * [[中央本線|中央本線(東線)]]([[信濃境駅]] - [[塩尻駅]] 間) ** 辰野支線([[岡谷駅]] - [[辰野駅]] - 塩尻駅 間) * [[篠ノ井線]](全線) * [[飯山線]]([[豊野駅]] - [[森宮野原駅]] 間) * [[大糸線]]([[松本駅]] - [[南小谷駅]] 間) * [[小海線]]([[野辺山駅]] - [[小諸駅]] 間) ; 東海旅客鉄道 * 中央本線(西線)(塩尻駅 - [[田立駅]] 間) * [[飯田線]](辰野駅 - [[中井侍駅]] 間) ; 西日本旅客鉄道 * 大糸線(南小谷駅 - [[北小谷駅]] 間) | ; [[しなの鉄道]] * [[しなの鉄道線]](全線) * [[北しなの線]](長野駅 - [[黒姫駅]] 間) ; [[長野電鉄]] * [[長野電鉄長野線|長野線]](全線) ; [[上田電鉄]] * [[上田電鉄別所線|別所線]](全線) ; [[アルピコ交通|アルピコ交通(旧・松本電気鉄道)]] * [[アルピコ交通上高地線|上高地線(通称・松本電鉄)]](全線) }} ==== 道路 ==== ; [[高規格幹線道路]] {{col| * {{Ja Exp Route Sign|E18}} [[上信越自動車道]] * {{Ja Exp Route Sign|E19}} [[長野自動車道]] * {{Ja Exp Route Sign|E20}}{{Ja Exp Route Sign|E19}} [[中央自動車道]] | * {{Ja Exp Route Sign|E52}} [[中部横断自動車道]] * {{Ja Exp Route Sign|E67}} [[中部縦貫自動車道]] * {{Ja Exp Route Sign|E69}} [[三遠南信自動車道]] }} ;[[地域高規格道路]] * [[松本糸魚川連絡道路]] * [[伊那木曽連絡道路]] * [[上信自動車道]] * [[長野環状道路]](候補路線) ; [[一般国道]] {{col| * [[国道18号]]([[北国街道 (信越)|北国街道]]) * [[国道19号]]([[中山道]]) * [[国道20号]]([[甲州街道]]) * [[国道117号]] * [[国道141号]] * [[国道142号]](中山道) * [[国道143号]] | * [[国道144号]] * [[国道146号]] * [[国道147号]] * [[国道148号]] * [[国道151号]] * [[国道152号]] * [[国道153号]] | * [[国道158号]] * [[国道254号]] * [[国道256号]] * [[国道299号]] * [[国道403号]] * [[国道406号]] * [[国道418号]] }} ; [[主要地方道]]・[[一般県道]] * [[長野県の県道一覧]]を参照 ==== 空港 ==== 内陸県で唯一、空港を有する。 * [[松本空港|信州まつもと空港(松本空港)]] ** 定期便:[[新千歳空港|札幌(新千歳)]]、[[福岡空港|福岡]]、[[神戸空港|神戸]] ** 夏季季節便<ref>{{Cite web|和書|title=時刻表|url=http://www.matsumoto-airport.co.jp/timetable/index.htm|website=www.matsumoto-airport.co.jp|accessdate=2020-07-31}}</ref>:[[大阪国際空港|大阪(伊丹)]]、[[札幌飛行場|札幌(丘珠)]] === 医療・福祉 === {{main|Category:長野県の医療機関}} ; [[救急指定病院|三次救急]]指定医療機関 * [[長野赤十字病院]](長野市) * 厚生連[[佐久総合病院]](佐久市) * [[信州大学医学部附属病院]](松本市) * [[相澤病院]](松本市) * [[諏訪赤十字病院]](諏訪市) * [[昭和伊南総合病院]](駒ヶ根市) * [[飯田市立病院]](飯田市) ; [[地方独立行政法人]]の県立病院(運営主体は「長野県立病院機構」) * [[長野県立須坂病院|須坂病院]](須坂市) * [[長野県立駒ヶ根病院|駒ヶ根病院]](駒ヶ根市) * [[長野県立阿南病院|阿南病院]](阿南町) * [[長野県立木曽病院|木曽病院]](木曽町) * [[長野県立こども病院|こども病院]](安曇野市) ; [[地方独立行政法人]]ではない県立病院 * [[長野県立総合リハビリテーションセンター]](長野市) ; [[災害拠点病院]] * [[長野県災害拠点病院]] ; [[保育所]] * [[長野県保育所一覧]] == 教育 == 長野県は以前は教育に熱心で「教育県」と呼ばれていたが、日本の教育システムが偏差値重視教育へシフトするにつれ、次第に長野県の「教育県」イメージは薄れていった。 [[2002年]](平成14年)度より田中県政下において、公立小学校の30人規模学級が進められ、[[2005年]](平成17年)度には、小学校1 - 4年生の4学年にまたがる完全30人学級が、全額県の費用負担により全国で初めて実現した。また小学校5、6年生に関しては、市町村と共同で行われている。 本県の中学校では、宿泊日程の高山登山行事が伝統となっている。詳細については「[[長野県#学校登山|学校登山]]」を参照。長期休みに関しては、長野県の気候の関係による「寒中休み」も一部の学校で実施されているが、[[冬休み]]や[[夏休み]]などの長期休業が短いため、ほかの都道府県よりも年間休日数が少なく、その分登校日が多くなっている。 長野県の県立高校の正式名称は、高等学校設置条例(昭和39年12月28日長野県条例第64号)第2条により「長野県○○高等学校」となっており、「長野県'''立'''○○高等学校」といった「県立」の名称は用いない。これは[[北海道]]、[[宮城県]]と同様である。1920年に旧制の県立学校の名称から「立」の字を削除するとした「県令第38号」が出された時に遡及するものであり<ref group="報">[https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2021040700375 〈声のチカラ〉県立なのに…なぜ「長野県○○高校」?] 信濃毎日新聞 2021年4月7日</ref>、長野県の場合、[[学制改革]]当時は組合立や町村立の高校であっても県立と区別せず、「長野県○○高等学校」を名乗っていた例があり、市町村立や組合立の高校が順次県立に移管されていった経緯がある。 四年制大学進学者のうち、県内大学への進学率は1987年には8.0%(全国ワースト2)<ref>『[[#現代信州の基礎知識 1990|現代信州の基礎知識 1990]]』</ref> であったが、1990年代以降、四年制大学の開学が相次ぎ、2013年には16.4%(全国ワースト5)<ref>[http://eic.obunsha.co.jp/2013_shingakujokyo 平成25年度都道府県別大学・短大進学状況] 旺文社教育情報センター</ref> まで改善している。 === 教育機関 === [[File:Shinshu University 2018.jpg|thumb|200px|[[信州大学]]松本キャンパス正門]] ;[[大学]] [[国立大学|国立]] * [[信州大学]] [[公立大学|公立]] * [[長野県立大学]] * [[長野県看護大学]] * [[公立諏訪東京理科大学]] * [[長野大学]] [[私立大学|私立]] * [[佐久大学]] * [[清泉女学院大学]] * [[長野保健医療大学]] * [[松本大学]] * [[松本歯科大学]] * [[松本看護大学]] ;[[通信制大学]] 私立 * [[放送大学]] 長野学習センター ;[[短期大学]] 私立 * [[飯田短期大学]](旧:飯田女子短期大学) * [[上田女子短期大学]] * [[佐久大学信州短期大学部]] * [[信州豊南短期大学]] * [[清泉女学院短期大学]] * [[長野女子短期大学]] * [[松本短期大学]] * [[松本大学松商短期大学部]] ;[[高等専門学校]] 国立 * [[長野工業高等専門学校]] ;[[専修学校]] * [[長野県専修学校一覧]] ;[[特別支援学校]] * [[長野県特別支援学校一覧]] ;[[高等学校]] * [[長野県高等学校一覧]] ;[[中学校]] * [[長野県中学校一覧]] ;[[小学校]] * [[長野県小学校一覧]] ;[[幼稚園]] * [[長野県幼稚園一覧]] その他教育機関 ; [[農業大学校]] * [[長野県農業大学校]] ; その他大学校 * [[長野県福祉大学校]] * [[長野県林業大学校]] ; [[職業能力開発短期大学校]] * [[長野県工科短期大学校]] === 学校登山 === 本県の周囲には[[飛騨山脈]]と呼ばれ「日本の屋根」とも呼ばれ、標高2,000メートルから3,000メートル級の高山が連なっている。みすずかる信濃の国の美しく厳しい自然の中でたくさんのことを学び、登山の素晴らしさを存分に感じ、「また山に登りたい」という気持ちになってほしいと願って、ほとんどの中学校で集団登山を行なっており、多くの子どもたちが[[登山]]を初めて経験する場となっている。 本県においても親の意識の変化で学校を取り巻く環境も変わってきたが、明治時代以来、中学生の[[学校登山]]を実施している<ref group="学">* {{Cite journal|和書|author=千島康稔 |date=2020 |url=https://www.jpnsport.go.jp/tozanken/Portals/0/images/contents/syusai/2020/tozankensyu.vol35/tozan35_2-4chisima.pdf |format=PDF |title=長野県の学校集団登山の現状と安全管理 : 山岳医の立場から |journal=登山研修 |publisher=日本スポーツ振興センター国立登山研修所 |volume=35 |pages=42-47 |CRID=1520009410230970496 |accessdate=2023-09-19}}{{Cite web|和書|url=https://www.jpnsport.go.jp/tozanken/Portals/0/images/contents/syusai/2020/tozankensyu.vol35/tozan35_2-4chisima.pdf|title=長野県の学校集団登山の現状と安全管理ー山岳医の立場からー |format=pdf |publisher=|date=|accessdate=2023-07-18}}</ref><ref group="学">{{Cite web|和書|url=https://www.sangakusogocenter.com/shudantozan/shudantozan.html|title=学校集団登山 |publisher=長野県山岳総合センター|date=|accessdate=2023-07-18}}</ref><ref group="学">{{Cite web|和書|url=https://www.sangakusogocenter.com/chousa/docs/25tyousa.pdf|title=「長野県中学校集団登山動向調査」のまとめ |format=pdf |publisher=長野県山岳総合センター|date=2013|accessdate=2023-07-18}}</ref><ref group="学">{{Cite web|和書|url=https://www.sangakusogocenter.com/chousa/docs/2019_gakkouchousa.pdf|title= 学校登山における生徒の意識に関する調査結果と考察 |format=pdf |publisher=長野県山岳総合センター|date=|accessdate=2023-07-18}}</ref><ref group="学">{{Cite journal|和書|author=大賀淳子, 庄子和夫, 島田凉子 |date=2018 |url=https://doi.org/10.11427/jhas.14.77 |title=学校登山が生徒の自己効力感に及ぼす影響 |journal=心身健康科学 |ISSN=18826881 |publisher=日本心身健康科学会 |volume=14 |issue=2 |pages=77-89 |doi=10.11427/jhas.14.77 |naid=40021723878 |CRID=1390845713015758208 |accessdate=2023-09-19}}</ref><ref group="学">{{Cite journal|和書|author=濱谷弘志 |date=2019-08 |url=http://id.nii.ac.jp/1807/00006826/ |title=中学校での学校登山体験が生徒に及ぼす影響 : 長野県小谷中学校の学校登山を事例として |journal=北海道教育大学紀要. 教育科学編 |ISSN=1344-2554 |publisher=北海道教育大学 |volume=70 |issue=1 |pages=371-376 |doi=10.32150/00006826 |naid=120006730729 |CRID=1390576302826954624 |accessdate=2023-09-19}}</ref> <ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jpnsport.go.jp/tozanken/Portals/0/images/contents/syusai/2018/text/text1-1.pdf|title= 山岳部の指導者になろう |format=pdf |publisher=jpnsport|date=|accessdate=2023-07-18}}</ref>。しかし、2004年以降医師の付き添い同行が廃止されるなどにより実施校が減少しているとの報告がある<ref>{{Cite journal|和書|author=花岡正幸, 浅川俊, 西村良平, 川崎洋一郎, 漆畑一寿, 久保惠嗣 |date=2008 |url=https://doi.org/10.11441/shinshumedj.56.133 |title=長野県中学校集団登山における疾病発生状況 |journal=信州医学雑誌 |ISSN=00373826 |publisher=信州医学会 |volume=56 |issue=3 |pages=133-140 |doi=10.11441/shinshumedj.56.133 |hdl=10091/3429 |CRID=1390001204211094272}}</ref>。 県外からも東京都文京区に所在し、1873年に師範学校の付属小学校として設立された[[筑波大学附属小学校]]の6年生全員が清里高原「若桐寮」に、仲間と協力することの大切さや困難に挑む力を育むもの<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.elementary-s.tsukuba.ac.jp/schoollife/students/|title= 児童の活動 |publisher=筑波大学附属小学校|date=|accessdate=2023-07-18}}</ref>として八ヶ岳に親しむ清里合宿に毎年訪れている。大人は引率者として見守るだけグループに分かれて自由行動。どこで何をするかはグループ内で考えさせることを行っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://woman.nikkei.com/atcl/dual/column/17/032000067/040500005/|title= カリスマ先生 「失敗目的」の経験が子どもを伸ばす |publisher=日経BP|date=|accessdate=2023-07-18}}</ref>。 === 備考・その他 === * 長野県の県立普通科高校は1970年前後の[[日本の学生運動|学園闘争]]時代に生徒会で制服廃止決議を行い、私服通学(私服校)となったまま現在に至っている学校が約半数にのぼる。 * 教育現場においては、小中学校・高校の体育授業での女子生徒の[[ブルマー]]採用を全国でいち早く廃止した。また現在は男子生徒の[[短パン]]も廃止され、県内すべての小中学校・高校で[[ハーフパンツ]]を[[体操着]]に採用している。 * 女性の学校教員採用は少ない。 * 伝統的に[[メディア・リテラシー]]教育を重視する考え方が強い傾向がある。かつては全国の都道府県で唯一、[[青少年保護育成条例]]を制定していなかったが、近年においては、児童の性被害防止の必要性が叫ばれ、2016年6月の県議会において、[[淫行処罰規定]]を含んだ「'''こどもを性被害から守るための条例'''」案が提出され、[[2016年]][[7月1日]]に成立し<ref group="報">2016年7月2日 信濃毎日新聞 1面</ref>、同年[[7月7日]]から施行された<ref group="報">2016年7月7日 信濃毎日新聞 2面</ref><ref group="注釈">淫行処罰規定と夜間における児童の外出制限については[[周知期間]]の後2016年[[11月1日]]に施行された。</ref>。市町村単位においては、[[長野市]]と[[佐久市]]は独自に条例を制定しているほか、[[東御市]]も長野県下初の淫行処罰規定を盛り込んだ条例が制定された。条例が制定されていない地域であっても、未成年者への[[淫行]]は[[児童福祉法]]第34条、[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律|児童ポルノ・児童買春処罰法]]、[[刑法 (日本)|刑法]]第224条、同第225条の[[略取・誘拐罪|未成年者略取及び誘拐罪・わいせつ目的誘拐罪]]での検挙実績がある。 * [[性風俗関連特殊営業]]については昭和59年12月24日長野県条例第34号により、店舗型性風俗特殊営業と店舗型電話異性紹介営業については長野市および松本市の各一部が営業禁止地域から除外されているが、同条例および[[風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律]]第28条に定める施設との兼ね合いから、[[ソープランド|特殊浴場]](店舗型性風俗特殊営業1号営業)は実質的に規制されている。 == マスメディア == === 新聞 === [[日本新聞協会]]によれば、2007年上半期の購読部数は[[信濃毎日新聞]](約48万)、[[読売新聞]](約6.9万)、[[朝日新聞]](約6.1万)、[[中日新聞]](約4.8万)、[[日本経済新聞]](約3.4万)の順であった。 ; 全国紙 * 全新聞社とも東京本社管轄 ** [[読売新聞]]・[[朝日新聞]]・[[毎日新聞]]は長野県東北信版・中南信版を刊行。 ** [[産経新聞]]も長野県東北信版・中南信版を刊行していたが、2007年9月1日から[[新潟県]]・[[山梨県]]の各版と統合し、[[甲信越地方|甲信越]]版に再編された。 ; ブロック紙 * [[中日新聞]] ** 木曽版、松本版、南信版を刊行。 ; 地方紙 {{col| * [[信濃毎日新聞]] * [[長野日報]] * 信州民報 * [[信州日報]] (2013年休刊) * 東信ジャーナル * [[市民タイムス]] * 長野市民新聞 | * [[信州市民新聞グループ]] ** 岡谷市民新聞 ** 下諏訪市民新聞 ** 諏訪市民新聞 ** 茅野市民新聞 ** たつの新聞 ** みのわ新聞 ** 南みのわ新聞 | * 南信州新聞 * 更埴新聞 * 大糸タイムス * 長野県商工新聞 * 新建新聞 * 医療タイムス * 北信タイムス | * 北信ローカル * 北信濃新聞 * [[須坂新聞]] * 諏訪毎夕新聞(2004年休刊) * [[湖国新聞]](2005年休刊) * 伊那毎日新聞(2008年休刊) }} === ラジオ放送 === 都市名表記なしの場合はすべて長野市に本局・本社を置く。 ==== AMラジオ ==== * [[NHKラジオ第1放送]] * [[NHKラジオ第2放送]] * [[信越放送]](SBCラジオ)([[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列) ==== FMラジオ ==== * [[NHK-FM放送]] * [[長野エフエム放送]](FM長野・[[全国FM放送協議会|JFN]]系列)、松本市 ==== コミュニティFM ==== ===== 北信 ===== * [[ながのコミュニティ放送]](FMぜんこうじ) J-WAVEを配信 ===== 東信 ===== * [[エフエム佐久平]](fmさくだいら)ミュージックバードを配信、佐久市 * [[エフエム軽井沢|軽井沢エフエム放送]](FM軽井沢)オリジナル編成<ref group="注釈">ミュージックバード向けに発信する番組あり</ref>、軽井沢町 * [[エフエムとうみ]](はれラジ) J-WAVEを配信、東御市 ===== 中信 ===== * [[あづみ野エフエム放送]](あづみ野エフエム)ミュージックバードを配信、安曇野市 * [[エフエムまつもと]](FMまつもと) J-WAVEを配信、松本市 * [[しおじりコミュニティ放送]](高ボッチ高原FM)ミュージックバードを配信、塩尻市 ===== 南信 ===== * [[飯田エフエム放送]](iステーション)J-WAVEを配信、飯田市 * [[エルシーブイ]](エルシーブイFM769)ミュージックバードを配信、諏訪市 === テレビジョン放送 === 長野県で民放テレビの4局目が開局したのは[[1991年]]である。{{いつ範囲|190万人以上の人口を抱えていた22都道府県で|date=2020年9月}}<!--いつの時点の人口の話なのか明示してください。人口は変動するため、時間が経過すると情報価値が無くなります。-->、民放テレビ4局目が開局したのは長野県が最後だった。それ以降も[[テレビ東京]]・[[TXNネットワーク|TXN]]系列局は存在しないが、[[ケーブルテレビ]]による区域外再放送で在京キー局のテレビ東京(下伊那地域では[[テレビ愛知]])が視聴可能である。なお、関東・甲信越地方では唯一すべての民放テレビ局で終夜放送は災害・特番を除いて一切行われていない。 長野県の地上波テレビ・FMラジオの[[県域放送]]の[[親局]]及びSBCラジオのFM補完中継局のメイン送信所は、いずれも[[美ヶ原]]に設けられている。また、2007年に全民放局の本社が長野市内に集結した。 ==== 地上波 ==== * '''1''' [[NHK総合テレビジョン]] * '''2''' [[NHK教育テレビジョン]] : [[NHK長野放送局]](長野市) - [[NHK松本支局]](松本市) : [[NHK放送センター]]([[首都圏 (日本)|首都圏]])管轄局。中部地方にも属するが[[NHK名古屋放送局|名古屋拠点放送局]]の管轄ではない。 * '''4''' [[テレビ信州]](TSB)(長野市 ※2007年9月までは本社・松本市、放送センター・長野市) : [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[日本ニュースネットワーク|NNN]]/[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]系列。 * '''5''' [[長野朝日放送]](abn)(長野市) : [[テレビ朝日]]・[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]系列。 * '''6''' [[信越放送]](SBC)(長野市) : [[TBSテレビ|TBS]]・[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列。 : [[民間放送教育協会]]加盟局。 * '''8''' [[長野放送]](NBS)(長野市) : [[フジテレビジョン|フジテレビ]]・[[フジニュースネットワーク|FNN]]/[[フジネットワーク|FNS]]系列。 ==== ケーブルテレビ ==== * [[:Category:長野県のケーブルテレビ局]]を参照。 長野県内のケーブルテレビ局の数は、日本の都道府県の平均よりも多く、加入者も県内全世帯の半数を超え<ref group="報">2006年9月27日,信濃毎日新聞,経済3面</ref>、局数も20局以上存在する。これは県内に山地が多く、難視聴地域も多数存在していたために発達したと考えられる。 しかし、ケーブルテレビが発達して間もない時期は、局数が少なかった。そのために、難視聴地域解消という目的以外にも、県内外の情報格差是正を目的に県内主要ケーブルテレビ各局は、長野県域民放局の再送信に加え、在京民放[[キー局]](下伊那地域の一部では[[在名テレビジョン放送局|在名民放基幹局]])の再送信(いわゆる[[区域外再放送]])を実施した。この区域外再放送は、県内に民放が4局開局して情報格差が是正されてからも長く続いたが、[[2011年]]の[[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送]]完全移行により、基本的にデジタル放送では、区域外再放送を中止する方針が出されたことを受け、テレビ東京分および南信地区における在名局受けの地域を除き[[2014年]][[7月24日]]を以って廃止された。 == 文化・スポーツ == === 方言 === {{Main|長野県方言}} * [[秋山郷方言]] * [[越後方言]] ** 奥信濃方言(栄村) * [[長野・山梨・静岡方言]] ** 北信方言(北信<ref group="注釈">栄村除く。</ref>、長野地域) ** 東信方言(上田、佐久地域) ** 中信方言(北アルプス、松本、諏訪、上伊那北部地域) ** 南信方言(上伊那南部、南信州、木曽地域) === 食文化 === {{See also|Category:長野県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#長野県}} === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[信州紬]](織物、[[1975年]]) * [[木曽漆器]](漆器、1975年) * [[松本家具]](木工品、[[1976年]]) * [[南木曽ろくろ細工]](木工品、[[1980年]]) * [[信州打刃物]](金工品、[[1982年]]) * [[飯山仏壇]](仏壇・仏具、1975年) * [[内山紙]](和紙、1976年) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#長野県}} === 伝統芸能 === * [[大鹿歌舞伎]] * [[いいだ人形劇フェスタ|飯田人形浄瑠璃]] * [[小林一茶#記念館、一茶関連の行事|俳句]] === ソウルソング === みすずかるは、長野県人が、一人でもいると歌いだす歌である。長野県の名勝を一巡した歌である。デューク エイセスが、歌っていた。長野県に伝わる民謡は木曽節である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.go-nagano.net/theme/id=21185|title=長野県 |publisher=長野県観光機構|date=|accessdate=2023-07-23}}</ref>。全国に知られる木曽踊りは、木曽義仲の供養のために行われ、鎧兜の姿で松明行列の後に、木曽節に合わせて踊ったのが始まりと云われていて、風情のある民謡として慕われている。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.town-kiso.com/manabu/rekishi/bunkazai/m100058/|title=木曽踊と木曽節 |publisher=長野県木曽町|date=|accessdate=2023-07-23}}</ref>。 木曽のナァー なかのりさん 木曽のおんたけ ナンチャラホーイ 夏でも寒い ヨイヨイヨイ 袷ナァー なかのりさん 袷やりたや ナンチャラホーイ 足袋そえて ヨイヨイヨイ 心ナァー なかのりさん 心細いよ ナンチャラホーイ 木曽路の旅は ヨイヨイヨイ 笠にナァー なかのりさん 笠に木の葉が ナンチャラホーイ 舞いかかる ヨイヨイヨイ 木曽のナァー なかのりさん 木曽の名木 ナンチャラホーイ ひのきにさわら ヨイヨイヨイ ねずにナァー なかのりさん ねずにあすひに ナンチャラホーイ こうやまき ヨイヨイヨイ 三里ナァー なかのりさん 三里笹山  ナンチャラホーイ 二里松林  ヨイヨイヨイ 嫁ごナァー  なかのりさん 嫁ごよくきた  ナンチャラホーイ 五里の道  ヨイヨイヨイ 木曽のナァー なかのりさん 木曽の山寺 ナンチャラホーイ 今鳴る鐘は ヨイヨイヨイ 昔ナァー なかのりさん 昔ながらの ナンチャラホーイ 初夜の鐘 ヨイヨイヨイ 木曽のナァー なかのりさん 木曽の名所は ナンチャラーホイ 棧寝覚 ヨイヨイヨイ 山でナァー  なかのりさん 山で高いのは ナンチャラホーイ 御嶽山 ヨイヨイヨイ 踊ナァー なかのりさん 踊ましょでえ ナンチャラホーイ 踊らせましょぞ ヨイヨイヨイ 月のナァー なかのりさん 月の山端に ナンチャラホーイ かぎるまで ヨイヨイヨイ 木曽でナァー なかのりさん 木曽で生まれた ナンチャラホーイ なかのりさんは ヨイヨイヨイ 可愛ナァー なかのりさん 可愛がられて ナンチャラホーイ みやこまで ヨイヨイヨイ === スポーツ === {{See also|Category:長野県のスポーツチーム}} ; [[サッカー]] * [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]] ** [[松本山雅FC]] (松本市)([[J3リーグ|J3]]所属) ** [[AC長野パルセイロ]] (長野市)(J3所属) * [[日本女子プロサッカーリーグ|WEリーグ]] ** [[AC長野パルセイロ・レディース]] (長野市) * [[北信越フットボールリーグ]] ** [[アルティスタ浅間]] (東御市) ** [[FCアンテロープ塩尻]](塩尻市) ** [[松本大学サッカー部#FCマツセロナ|FC.マツセロナ]](松本市) ** [[リベルタス千曲FC]](千曲市) ** [[アザリー飯田]](飯田市) * [[北信越女子サッカーリーグ]] ** AC[[信州大学]](松本市) ** [[松本山雅FC#レディース|松本山雅FCレディース]](松本市) * [[長野県フットボールリーグ]] ** [[F.C.中野エスペランサ]](中野市) ** [[FCアビエス]](茅野市) ** [[須坂シティーFC]](須坂市) ** [[Y.Sエストレーラ]](松本市) ** [[長野大学]]サッカー部(上田市) * 活動休止中のクラブ ** [[FC上田ジェンシャン]] (上田市) ; [[フットサル]] * [[日本フットサルリーグ]] ** [[ボアルース長野]](長野市) ; [[野球]] * [[ベースボール・チャレンジ・リーグ|ルートインBCリーグ]](プロ野球[[独立リーグ]]) ** [[信濃グランセローズ]] * [[社会人野球]] ** [[佐久コスモスターズ硬式野球クラブ]](佐久市) ** [[信越硬式野球クラブ]](長野市) ** [[千曲川硬式野球クラブ]](小諸市) ** [[FedEx硬式野球部]](塩尻市) ; [[バスケットボール]] * [[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]] ** [[信州ブレイブウォリアーズ]] (千曲市) ; [[3x3]] * [[3x3.EXE#3x3.EXE PREMIER JAPAN|3x3.EXE PREMIER]] ** [[SAKU REGION.EXE]](佐久市) * [[3x3 S.LEAGUE]] ** [[信州松本ダイナブラックス]](松本市) ; [[バレーボール]] * [[V.LEAGUE]] ** [[VC長野トライデンツ]](南箕輪村) ** [[長野GaRons]](須坂市) ** [[ルートインホテルズ Brilliant Aries]](上田市) ; [[カーリング]] :* [[中部電力カーリング部]](軽井沢町) :* [[スポーツコミュニティー軽井沢クラブ]](軽井沢町) :* [[TM軽井沢]](軽井沢町) ; [[アイスホッケー]] :* [[AC長野パルセイロアイスホッケーチーム]](長野市) ; [[バドミントン]] * [[バドミントン日本リーグ]] ** [[AC長野パルセイロ・バドミントンクラブ]](長野市) ; [[ソフトボール]] * [[日本女子ソフトボールリーグ]] ** [[大和電機工業]](下諏訪町) ; ボクシング :* [[松本ACEボクシングジム]](松本市) ; [[空手]] :* [[禅道会]] ; [[綱引]] :* [[進友会]] ;[[マラソン]]・[[駅伝競走|駅伝]]大会 :* [[長野オリンピック記念長野マラソン]] :* [[長野県縦断駅伝競走]] :* [[春の高校伊那駅伝]] ; [[ゴルフ]] :* [[NEC軽井沢72ゴルフトーナメント]] ; [[スピードスケート]] :* [[全日本スピードスケート距離別選手権大会]] ; [[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]] :* [[ツアー・オブ・ジャパン]]南信州ステージ :* [[全日本マウンテンサイクリングin乗鞍]] :* [[ツール・ド・美ヶ原]] :* [[イナーメ信濃山形]](山形村) :* [[ボンシャンス飯田]](飯田市) ; [[プロレス]] :* [[信州プロレス]] :* [[信州ガールズ]] ; [[障害者スポーツ]] :* [[長野県障害者スポーツ協会]] === 公営競技 === 長野県は[[沖縄県]]と同様に、[[公営競技]]場および投票券場外発売場が1つもない県である。そのため、テレビなどではローカルで「[[レースガイド]]」が放送されることは滅多にない(しかし、NBSにおいて[[フジテレビ系列日曜午後の競馬番組]]([[みんなのKEIBA]])・[[フジテレビ系列日曜未明の競馬番組]]([[うまズキッ!]])の[[中央競馬]]関連番組はネットしている)。また隣県の[[競馬]]・[[競輪]]・[[競艇場]]などのローカルCMが県内民放各局で流れる。 == 観光 == {{main|長野県の観光地}} {{also|中部地方の史跡一覧#長野県}} === 有形文化財建造物 === {{main|長野県指定文化財一覧}} ;国宝 * [[善光寺]] - 本堂 * [[松本城]] - 天守 * [[旧開智学校]] - 校舎 * [[安楽寺 (上田市)|安楽寺]] - 八角三重塔 * [[仁科神明宮]] - 本殿、中門 * [[大法寺]] - 三重塔 ;重要伝統的建造物群保存地区 * [[奈良井宿|奈良井]] (塩尻市) * [[木曽平沢]] (塩尻市) * [[海野宿]] (東御市) * [[妻籠宿]] (南木曽町) * [[青鬼 (白馬村)|青鬼]] (白馬村) * [[稲荷山宿|稲荷山]] (千曲市) * [[戸隠神社|戸隠]] (長野市) ;国指定の名勝 * [[姨捨山]](田毎の月) * [[天竜峡]] * [[上高地]] * [[寝覚の床]] * [[光前寺]]庭園 * [[米子大瀑布|米子瀑布群]]([[須坂市]]) <gallery> Zenkoji03s3872.jpg|善光寺 本堂 130608 Matsumoto Castle Matsumoto Nagano pref Japan02bs4.jpg|松本城 仁科神明宮-4.jpg|国宝・仁科神明宮本殿(2008年5月12日撮影) </gallery> === 主な観光地 === {{col| ;高原 * [[日本のスキー場一覧#長野県|スキー場]] * [[軽井沢]] * [[志賀高原]] * [[上高地]] * [[美ヶ原]] * [[安曇野]] * [[菅平高原]] * [[野辺山高原]] * [[蓼科高原]] * [[高峰高原]] | ;山 * [[飛騨山脈|北アルプス]] * [[木曽山脈|中央アルプス]] * [[赤石山脈|南アルプス]] * [[八ヶ岳]] * [[御嶽山]] * [[浅間山]] * [[霧ヶ峰]] * [[北信五岳]] | ;谷、湖 * [[天竜峡]] * [[野尻湖]] * [[諏訪湖]] * [[白樺湖]] * [[仁科三湖]] ** [[青木湖]] ** [[中綱湖]] ** [[木崎湖]] | ;温泉 * [[美ヶ原温泉]] * [[白骨温泉]] * [[浅間温泉]] * [[野沢温泉]] * [[湯田中温泉]] * [[渋温泉]] * [[戸倉上山田温泉]] * [[別所温泉]] * [[上諏訪温泉]] * [[下諏訪温泉]] * [[昼神温泉]] * [[鹿教湯温泉]] | ;史跡 * [[善光寺]] * [[元善光寺]] * [[松本城]] * [[松代城]] * [[上田城]] * [[小諸城]] * [[高遠城址公園]] * 木曽路 ** [[妻籠宿]] ** [[奈良井宿]] ** [[木曽平沢]] }} == 対外関係 == === 姉妹・友好提携 === * {{ROC-TW}} [[彰化県]] * {{USA}} [[ミズーリ州]] * {{PRC}} [[河北省]] == 長野県を舞台とした作品 == {{Main|長野県を舞台とした作品一覧}} == 長野県出身の人物 == {{Main|長野県出身の人物一覧}} === 長野県県民栄誉賞受賞者 === 長野県県民栄誉賞は、2015年(平成27年)に創設された賞で、県表彰規則では「個人又は団体で、広く県民に敬愛され、県の名を高めるとともに、県民に明るい希望を与えることに特に顕著な功績があったもの」を対象にしている<ref>[https://www3.e-reikinet.jp/cgi-bin/nagano-ken/D1W_resdata.exe?PROCID=-1249974515&CALLTYPE=1&RESNO=30&UKEY=1566717915687 長野県表彰規則] - 長野県、2019年8月25日閲覧。</ref>。 {| class="wikitable" !受賞者氏名 !分野 !授与年月日 !功績 !出典 |- |[[小澤征爾]] |[[指揮者]] |2015年9月28日 |[[セイジ・オザワ 松本フェスティバル]]での功績 |<ref>[https://www.pref.nagano.lg.jp/koho/kensei/koho/omonadekigoto/kensei/h27.html 県政おもなできごと平成27年(2015年)] - 長野県、2019年8月25日閲覧。</ref> |- |[[小平奈緒]] |[[スピードスケート]]選手 |2018年3月27日 |[[2018年平昌オリンピック]][[2018年平昌オリンピックのスピードスケート競技|スピードスケート]]女子500m金メダル |<ref name=eiyo2018 group="報">[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/03/27/kiji/20180327s00078000133000c.html 「小平奈緒&高木菜那に長野県栄誉賞を贈呈] スポニチ2018年3月27日付 2019年8月25日閲覧</ref> |- |[[菊池彩花]] |スピードスケート選手 |2018年3月27日 |2018年平昌オリンピックスピードスケートの女子[[チームパシュート|団体パシュート]]金メダル |<ref name=eiyo2018 group="報"/> |- |[[髙木菜那]] |スピードスケート選手 |2018年3月27日 |2018年平昌オリンピックスピードスケートの女子団体パシュートと[[マススタート]]で金メダル |<ref name=eiyo2018 group="報"/> |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist}} === 報道資料 === {{Reflist|group="報"}} === 学術研究 === {{Reflist|group="学"}} == 参考文献 == <!-- 実際に参考にした文献一覧 --> * {{Cite |和書 |author = 村山建大+Bチーム |title = 現代信州の基礎知識 1990 |date = 1990 |publisher = 銀河書房 |isbn = |ref = 現代信州の基礎知識 1990 }} * {{Cite |和書 |author = 八幡和郎 |editor = |title = 47都道府県うんちく事典 |date = 2009 |publisher = [[PHP研究所]] |isbn = 978-4-569-67178-9 |ref = 47都道府県うんちく事典 }} == 関連項目 == * [[長野県出身の人物一覧]] * [[長野県指定文化財一覧]] * [[信濃毎日新聞]] * [[中部圏知事会議]] * [[中部圏開発整備法]] * [[関東地方知事会]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/長野県}} {{Commons&cat|Nagano Prefecture|Nagano prefecture}} {{Wikivoyage|ja:長野県}} {{osm box|r|3560284}} ; 行政 * {{Official website|name=長野県公式ホームページ}} ; 観光 * [https://www.nagano-tabi.net/ 長野県観光サイト さわやか信州旅ネット]{{リンク切れ|date=2022年1月}} - 信州・長野県観光協会 * {{Twitter|yokosonagano|長野県観光機構}} {{s-start}} {{s-bef|before=[[伊那県]]の一部([[信濃国]]北部)<hr>[[龍岡藩]]の一部(信濃国)<hr>[[岩村田県]]・[[小諸県]]・[[上田県]]・<br />[[松代県]]・[[須坂県]]・[[飯山県]]<hr>[[筑摩県]]の一部(信濃国)|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1870年]] -|years2=中野県→長野県}} {{s-aft|after=-----|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{長野県の自治体}} {{長野県の郡}} {{長野県の地域}}{{SDGs未来都市}}{{Normdaten}} {{デフォルトソート:なかのけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:長野県|*]]
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新潟県
新潟県(にいがたけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は新潟市。 本州の中北部に位置し、北東から南西へ細長い領域を持つ。離島の佐渡島・粟島も擁する。日本有数の米所として知られる。 面積は約12,584 kmで、47都道府県のうち第5位。海岸線の長さは約634.0 kmである。 人口は約210万人で、47都道府県のうち第15位(2019年推計値時点)。詳細は「#人口」節で後述。 日本の地域区分では中部地方あるいはより細分して北陸地方(北陸4県)として扱われることがある。一方、行政機関の地方支分部局では、財務省では関東財務局、経済産業省では関東経済産業局、農林水産省外局の林野庁では関東森林管理局、厚生労働省では関東信越厚生局、環境省では関東地方環境事務所の管轄区域である。これに対して農林水産省では北陸農政局、国土交通省では北陸地方整備局や北陸信越運輸局の管轄区域である。なお、水力発電の歴史的経緯から、電力やそれに付随する経済分野では東北地方と一括りに扱われることもある(詳細は東北地方#東北電力と「東北7県」を参照)。 関東甲信越(広域関東圏)や信越地方と呼ばれるように、関東地方や隣接する長野県との関係性が深い。早い時期から上越新幹線や関越自動車道などのインフラが整えられ、大都市の中では東京とのつながりが大きい。 県内は地理的観点から、一般に次の上越地方・中越地方・下越地方・佐渡地方の4地域に大きく区分される。 詳細は「#地域」節で後述。 主な都市として、人口の上位3市は次の通り。これらは各地方の最大都市でもある。 ほか、人口の多い順に、新発田市・三条市・柏崎市・燕市・村上市・南魚沼市・佐渡市・十日町市などがある(人口5万以上のもの。2021年1月1日時点)。 詳細は「#都市」節で後述。 県名は、県庁所在地である新潟市に由来する。 古代には、越国(こしのくに)の領土であった。 五畿七道においては北陸道のうち東半分を占め、令制国(旧国)における越後国(えちごのくに)と佐渡国(さどのくに)の2国の全域に相当する。この国名を合わせて越佐(えっさ)と呼称することもある。 明治維新と廃藩置県の直後には、現在の新潟県にあたる領域には13個もの藩や県が並立していた。のちに統合を経て、1876年(明治9年)までに新潟県(旧)と柏崎県と相川県との3県が合併することで、ほぼ現在の新潟県と等しい区域となった。 そして1886年(明治19年)に福島県から東蒲原郡が新潟県へと移管されたことで、現在の新潟県の形が成立した。 詳細は「#歴史」節を参照。 県章は「新」の字を崩した物を中央上に置いて、その周りを「ガタ」を丸く図案化したもので囲んだものである。また、県章とは別にシンボルマークも制定されている。 以下の5県と隣接する。 北西は日本海に面する。北東から南西までは朝日山地・越後山脈・頸城山塊などの山々に囲まれ、他県との県境を形成する。 越後山脈から流れる信濃川や阿賀野川の流域(県の中北部)に、越後平野が広がる。信濃川は日本で最も長い河川である。越後平野は日本で二番目に広い沖積平野であり、日本海沿岸の平野としては最大である。 また頸城山塊の焼山から流れる関川の流域(県の西部)には、高田平野が広がる。 県内全域が日本海側気候に属し、豪雪地帯(一部特別豪雪地帯)の指定を受ける。冬季は日照時間が短く、曇天の日が多いが、晩春から初秋にかけての日照時間は太平洋側の地域と比較して長く、好天の日が多い。 下越地方を流れる阿賀野川を境として、西側では気候・風土が北陸地方型、東側では東北地方型とされる。 山間部の降雪量や積雪量は世界的に見ても有数と言え、津南町や十日町市、魚沼市などでは市街地でも積雪深の平年値が2 mを超えるほか、十日町市松之山では4 mを超える積雪深もしばしば観測される。また、上越市板倉区の柄山集落では1927年2月に818 cmの積雪深があったとされ、これは人里での最高記録とも言われる。一方、沿岸部の積雪は比較的少なく、沿岸部に市街地がある新潟市中央区や柏崎市の中心部では1月でも積雪深0〜数cmの日が続く年もある(詳細は新潟市の地理#雪を参照) 夏季の気温は高く、多くの地域で最暖月の平均気温が24~26 °Cの範囲に入り、2度前後緯度が低い関東地方に近い水準である。台風シーズンにはフェーン現象の影響を受け、時に異常とも思える高温を観測することがある。2020年9月3日には三条市や胎内市において9月として国内最高となる40°C超えの気温を観測したほか、2019年8月15日には糸魚川市や佐渡市相川など県内の複数地点で最低気温が30°Cを下回らず、日本国内における最低気温の最高を記録することとなった。 佐渡島では、海洋の影響をより強く受ける。相川の最寒月平均気温は4.0°Cであり、新潟県本土側に比較して温暖と言える(本土の寺泊は2.6°C)。最暖月平均気温は25~26°C程度と本土側と同水準であるが、海洋性気候の影響を強く受けるため気温の日較差は小さく、最高気温の平均値は30°Cを下回る。 気象庁所管では東京管区気象台の下に新潟地方気象台があり、北陸4県を統括する予報中枢官署となっている。季節予報などでは「北陸地方」または「北陸東部」として扱われる。 県内の地域区分として、上越地方、中越地方、下越地方、佐渡地方の4つへの分け方が浸透している。新聞、テレビ、県広報バックナンバーなどで使用されているほか、新潟県内の小学校社会科参考資料として使用されることもある。 天気予報もこの4地域単位で報道され、気象警報・注意報はさらに細部化された14の地域 ごとに発表される。 この他、新潟県内では、一般に、中越地方と下越地方の境界付近に位置する三条市・燕市周辺を県央地域、中越地方の南魚沼市、小千谷市や十日町市周辺を魚沼地域、下越地方の阿賀野川以北を阿賀北や県北と呼ぶこともある。 県内には2000年(平成12年)の段階では、112の市町村があった(当時北海道、長野県に次ぎ全国3位)。しかし平成の大合併により、2010年(平成22年)4月までに30市町村となっている。 郡部については、岩船郡が2村を有する他は、全てが1町村のみの状態になっている。 以下の20市9郡6町4村がある。町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む。 1969年策定の新全国総合開発計画(新全総)を発端とする広域生活圏(広域市町村圏)が、新潟県内では14圏域(当初は12圏域)設定され、広域行政単位となっていた。平成の大合併以降は圏内一市となる例が出現したため、9つの広域行政圏と5つの市という内訳になったが、連携中枢都市圏構想・定住自立圏構想など新制度の登場などもあり、多くが解散した(圏内一市の場合、圏名は斜体 )。 新潟県は、かつて人口が日本で最も多い道府県であった。本県の範囲がおおむね現在と等しくなった1874年(明治7年)から1896年(明治29年)までの23年間にわたって、本県の人口は統計上約140万人から170万人で推移し、そのうち8年間を除いた15年間において全国の道府県で最多の住民を擁した。 具体的には、1874年に新潟県(当時の管轄は下越のみ)が柏崎県(管轄は上越・中越)を併合して、越後国のほぼ全域を管轄したのち、さらに1876年に相川県(佐渡島の全域)を併合した。この3年間において本県は人口が最多であった。 ただし、翌1877年(明治10年)から1881年までの5年間にかけては、石川県が富山県の全域および福井県の嶺北地方を併合した「大石川県」となっていた ため、1位の座は石川県に譲った。 その後、石川県から福井県・富山県が相次いで独立し、石川県の人口が小さくなったことで、1882年(明治15年)から1883年(明治16年)にかけて新潟県が最多となった。 ただ、翌1884年(明治17年)から1886年(明治19年)までの3年間には、大阪府が奈良県の全域を併合していた ため、1位は大阪府に譲った。なお、この1886年に東蒲原郡(現在の阿賀町)が福島県から新潟県へと移管されたことで、本県の範囲は現在と等しくなった。 その後、大阪府から奈良県が独立し、大阪府の人口が小さくなったことで、1887年(明治20年)から1896年に至るまでの連続10年間は新潟県が最多を守った。 しかし、1897年(明治30年)には東京府(現在の東京都)の人口が最多となり、以後は本県の人口が最多となることはなかった。 近代以前の日本は都市化が進んでおらず、住民の9割近くが農業によって生活を成り立たせていた。そのため、稲作に適した広大な越後平野を擁して収穫高が大きい新潟県は人口涵養能力が高かった。 さらに19世紀以前の輸送手段は海運が主流であり、とくに本県が接する日本海を航行する北前船は、太平洋よりも安全かつ安価な航行が可能であった。このため、本県を含む日本海側の地域は物流によって栄えた。1878年(明治11年)の人口統計では、同じく日本海側の金沢が日本で第5位の都市であり、富山も日本第9位の都市であった(なお新潟市は上位10位圏外だった)。 また、著述家の辰井裕紀によれば、新潟県や北陸地方では浄土真宗などの仏教の信仰が強かった。そのため、日本中の農村で多くみられた「間引き」(新生児を親が殺すこと。貧困による)や「身売り」(少女を親が売春宿へ売り払うこと。貧困による)が本県や北陸では非常に少なく、人口が増加しやすかったのだという。 しかし、明治以降における工業化の進行に伴って太平洋ベルト地帯が発展し、また鉄道の普及に伴って海運が衰退していった。それに伴い、本県を含む日本海側からは東京・大阪といった太平洋側の大都市や、開拓地の北海道へと人口が流出していった。 国勢調査における本県の人口は、1940年(昭和15年)に200万人を突破し、1955年(昭和30年)に247.3万人となったが、1970年(昭和45年)には236.1万人と一旦減少した。その後は増加し、1985年(昭和60年)に247.8万人に達した。1997年(平成9年)に249万1874人(推計人口)でピークを記録した。 その後は減少傾向となり、2005年(平成17年)に243.1万人(全国14位)、2010年(平成22年)には約237.1万人となった。特に、進学や就職などの理由による18歳〜24歳の若年層の減少が深刻で、県では人口対策を最重要課題に掲げている。 10万人以上の都市雇用圏(2015年国勢調査時点の10%都市圏) 括弧書きは藩府県庁所在地の現所属市町村 現在の新潟県は、日米修好通商条約によって開港場に指定された新潟を管内に抱え、また戊辰戦争の主戦場の1つになったことから、その成立までの変遷は他府県にも増して複雑なものだった。 1870年(明治3年)の新潟県(第2次)成立までの変遷は「越後府」および「柏崎県」の項を参照のこと。 2011年(平成23年)1月25日に泉田裕彦新潟県知事と篠田昭新潟市長による共同会見で、東京都に倣い、現新潟市を特別区に移行し、他市町村間も更に合併を進め人口規模30万クラスの基礎自治体とする州制移行構想が発表された。また、各特別区、基礎自治体の権限は現行の東京都の23の各特別区が持つ以上のレベルを想定している。 衆議院の小選挙区が6。参議院では、全県で1区を構成。 新潟県選挙区 2016年(平成28年)度の県内総生産は名目8兆8840億円である。世界の過半数の国の GDP より大きな規模を有している。県民所得は6兆4596億円であり、一人当たり県民所得は282.6万円である。 主要な産業としては農業が挙げられる。米作(コシヒカリ)が中心で、コシヒカリの収穫量は日本一である。特に魚沼地方で栽培されるコシヒカリは「魚沼産コシヒカリ」として食味日本一の評価を受けるトップブランドであり、日本一の米どころであるといえる。また、米に関連して米菓(煎餅、あられなど)の生産額も日本一、日本酒も兵庫県、京都府に次ぐ第3位で酒蔵数は日本一である。米の生産が多いため、米粉の研究を行っており、研究を利用して製品を販売する新潟製粉に出資している。 米以外では、茄子と枝豆の作付面積が日本一。また、チューリップ、西瓜の栽培も盛んである。 漁業も盛んであり、蒲鉾など魚肉練り製品も有力である。 錦鯉は19世紀に、現在の小千谷市と長岡市(山古志地域)を中心とする地域で飼育が始まったと考えられている。 現在は錦鯉の養鯉が盛んに行われている。 北陸工業地域の中心的存在でもある。 三条市や燕市では刃物、金物、洋食器などの製造が盛ん。 県内では石油ストーブ、石油ファンヒーターといった石油燃焼器具の生産が大きい。 他には金属製品の生産が多い。燕市・三条市の金属食器は国内シェアの9割を持ち、機械部品では、非鉄金属材料の加工に強みをもつ企業が多い。はさみや包丁、スパナなどの金属工具も大阪府に次ぐ2位である。 繊維産業では、ニットの生産高が日本一である。しかし近年は、人件費の安さを求めた生産拠点の海外移転や価格の安い外国勢(中国や東南アジア諸国など)に押され気味である。 1989年(平成元年)には工場立地件数で日本一になったこともある。 かつて佐渡島には金・銀の鉱脈が分布しており(佐渡金山を参照)、最大規模の相川金銀山を中心に近世から近代にかけて盛んに採掘が行われたが、1989年(平成元年)に閉山された。 日本で数少ない原油の生産地であり、古くから石油を産出していたことで知られている。近代ごろを中心に尼瀬油田(出雲崎町)や東山油田(長岡市)、新津油田(新潟市秋葉区)など各地で採掘が行われていた。現在でも新潟県は日本国内の石油産出量のほとんどを占める産油県である。 近代以降、新潟県内では数多くの石油会社が設立された。主なものとして、日本石油(現、ENEOS)、昭和石油(後の昭和シェル石油)、大協石油(現、コスモ石油)など現代の石油元売大手に連なる企業が新潟県で創業した。 現在では天然ガスの採掘が盛んであり、南長岡ガス田(長岡市)、片貝ガス田(小千谷市)、岩船沖油ガス田(胎内市沖)などで採掘が進められている。東新潟油ガス田(新潟市北区)、西蒲原ガス田(新潟市西蒲区)、中条ガス田(胎内市)では水溶性天然ガスを分離した後の地下水から国内生産量の10%にあたるヨウ素も採取されている。 発電では、信濃川流域や阿賀野川流域に大規模水力発電所が立地している。また柏崎市と刈羽郡刈羽村にある東京電力ホールディングス柏崎刈羽原子力発電所は、原子力発電所としては世界最大の出力である。他に上越市直江津地区では、東北電力、JERAが共同で操業する上越火力発電所がある。 新潟県内の事業所による年間商品販売額は、卸売業、小売業の合計で全国第14位である(平成26年度)。まだ事業者数は第12位、従業員数は第14位である。 多くの温泉地、海水浴場を抱えており、都道府県別で温泉地数が第3位、海水浴場数も第3位である。 日本有数の積雪地帯であるため、中越地方と上越地方の山間部ではスキー場が多く立地している。 しかし、バブル崩壊直後の1993年(平成5年)ごろを境にスキーブームは過ぎ去り、更には、新潟県中越地震の影響や豪雪による交通網麻痺の懸念などが影響し、新潟県におけるスキー客は、2000年代以降減少傾向にある。 この影響により、閉鎖されるスキー場も見られるようになった。(詳細は日本のスキー場一覧#新潟県を参照)。 近年ではスノーリゾートのリノベーションが進められたり、上越地方に北陸新幹線が開通するなど、沿線自治体と共に産官学連携で経済対策が模索される。 よく「新潟県人はスキーをあまりしない」と言われるが、冬季の厳しい豪雪下の生活を知る県民にとっては「雪=辛いもの」というイメージが強い。つまりスキー客の大半は滅多に銀世界にならない首都圏などからの集客によるところも大きかったという側面がある。今後は「雪を生かした観光」を目指し、新たな観光システムを構築されている。 新潟県には多くの都市で雁木通りの街並みが残っている。 2019年度の新潟県内の高校生の大学等進学率は46.9%であり全国値の54.7%を下回っているが、専門学校進学率は26.0%で全国値を大きく上回っており(全国値16.4%)、両者を足し合わせた進学率72.9%は全国値71.1%を上回る。県内で27校の専門学校を運営しているNSGグループのNSGカレッジリーグをはじめ、県内には専門学校が多数立地しており、人口10万人当たりの専修学校数は3.57校で全国第6位に位置する。 国立 公立 私立 私立 NHKの管轄は関東甲信越(首都圏放送センター直轄)であり、ニュースや天気予報では関東甲信越地方として放送されることが多い。しかし希に、愛知・静岡・岐阜・山梨・長野・北陸三県に新潟を含めた括りでのニュースおよび気象情報を放送する場合がある。一方、国政選挙やアマチュアスポーツなどでは北陸・信越ブロックに属するため、これらの報道・中継などは名古屋局を介して北陸3県とネットすることになる。民放各社では中部10県と言う括りでコーナー特集で各放送局と交流がある。 民放では東北電力がスポンサーとなる番組において、東北地方の放送局との共同制作が行われることがある。特に、東北放送(TBCテレビ)が制作するものが多い。また、長野県の放送局との関わりも多い。 テレビ東京などの区域外再放送は県内のケーブルテレビ局では実施していないが湯沢町や妙高市など群馬県境に近い地域や標高の高い地域の一部では、放送対象地域外の関東1都6県共通の民放キー局(日本テレビ・テレビ朝日・TBSテレビ・テレビ東京・フジテレビ)がスピルオーバーにて受信することが可能である。地上デジタル放送による減力により受信できるエリアは限られているが、県境部を中心に引き続き受信することが可能である。また県内で唯一上越ケーブルビジョンがテレビ東京の区域外再放送を実施していたが2014年7月24日に終了した。 また、新潟市中央区では信濃川沿いに放送局が立ち並んでいる。 県内にはNHKの新潟放送局が置かれているほか、民放では日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日の4大キー局の各系列局がある。県民の地デジ対応が早く、2010年11月の調査では全国トップの95.1%だった。 県内テレビ局・県域FM局の親局及びFM補完中継局のメイン局はいずれも弥彦山に設置されている。 AM放送ではBSNラジオ、FMラジオではJFN系列のFM-NIIGATAが県内全域をカバー。県土が広くて拠点都市が多いこともあるが、モータリゼーションが発達しているため、ラジオ(FM・コミュニティFM・AM)による訴求能力がテレビ並みに高いと言われている。新潟市では電波が強すぎてラジオ本体で聴取しようとすると他地域の放送がとても入りにくい。カーラジオにおいても同様で、電波が飛びやすいと言うことがことを厄介にしている。 上越地方のほぼ全域や中越地方の魚沼地域などではこの影響が少ないために他地域の放送を聴取しやすく、夜間になるほど良好になる。 また、五大都市圏以外では初となる独立ラジオ局で平成新局の新潟県民エフエム放送(FM PORT)が存在したが経営難により2020年6月30日を以って閉局した。 以下の2空港がある。 新潟県にはいわゆる日本海縦貫線が通る。かつては京阪神や首都圏と北奥羽や北海道を結ぶ旅客車・貨物列車などが多く運行されて運行されていた。現在では並行在来線となったため貨物輸送において日本海側の交通の大動脈となっている。 新幹線には以下の2路線がある。 県内に新幹線が発着する鉄道駅は7あり、これは岩手県と並んで全国の都道府県の中で最も多い。要因として、本県は面積が大きいこと(全国5位)や、上越新幹線とは別の経路で北陸新幹線が県内に開通したことが挙げられる。 なお、本県には上越新幹線と北陸新幹線の2本が運行しているが、これらは県内の同一の駅では接続していない(上越新幹線は南の群馬県から中越・下越地方へと走る。北陸新幹線は南西の長野県から上越地方を走り、西の富山県へ抜ける)。全国の都道府県のうち、このように複数の新幹線が交わらずに別々に敷設されているのは新潟県が唯一である。 上越新幹線と北陸新幹線の駅が最も接近するのは長岡駅と上越妙高駅の間であるが、両駅間の移動には高速道路または特別急行列車でも最短1時間以上を要する。 特別急行列車には以下の2列車がある。 普通列車として複数の路線が走る。新潟駅からごく近郊の区間 は日中毎時3本(概ね20分毎)だが、その他の大半は日中毎時1本程度またはそれ以下である。 新潟県は地域によって方言の違いが大きく、阿賀北地域の方言は東北方言の一種である北奥羽方言、佐渡島の方言は北陸方言、それ以外の地域は東海東山方言の一種である越後方言に分類される(東条操による分類)。 県域が広いために同一県内であってもかなり食文化が異なる。マスコミ中心に見ると中越地方長岡市周辺までで取り上げられるものが多い 最も典型的とされるのが雑煮である。村上に代表されるように塩引き鮭が年末の風物詩なので下越地域では焼き鮭に餅と言う組み合わせが多いが 上越地域では山菜と鶏肉と言った長野県の北信地方に近い組み合わせが多い。県内でほぼ通じる傾向としてはおせちは年明けに食べることが多く 大晦日はオードブルや寿司と言う家庭が意外と多い。 また、上越地域では年越しで「サメ」を食べる習慣があるが他の下越地域などではほとんどなく、のっぺに関してもまったく異なり下越地方では 煮物といった感じで惣菜としても販売されているが、上越地方では傾向としては片栗粉でとろみをつけると言った同じ名前でも差がある。 本県を指す漢字表記は複数存在するが、日本語においてはいずれの字体であっても「にいがた、[ɲ̟iːɡa̠ta̠] にーがた」と読む。中でも正字とされる「潟」を用いた「新潟」が最も一般的な表記である。 他に方言漢字とも呼ばれるが、さんずいに写と書く「泻」を用いて「新泻」と書く場合がある。かつて「泻」は節用集にも登録されるほど一般的に認知された文字であり、江戸時代の板本(印刷本)おいて、松尾芭蕉『おくのほそ道』および上田秋成『雨月物語』では「象泻」(現・秋田県にかほ市の象潟)との表記が見られ、鈴木牧之『北越雪譜』では「新泻」や「鎧泻」といった現在の本県における地名においても「泻」の使用が認められる。これら印刷本の流通により、全国で「潟」と略字とされる「泻」は同列視されていたとみられる(「潟」には複数の異体字がある)。 明治に入ると活版印刷が出版物の主流となるが、終戦までに販売された明朝体の活字を調べると、正字とされる「潟」のみが販売され、略字とされる「泻」は販売されなかった。すなわち明治以降、「泻」の字は印刷物から一掃されるが、新潟・象潟・八郎潟、あるいは島根県の白潟天満宮 など、「潟」の字を日常的に使用するエリアにおいて「泻」は活字以外で生き残り、方言字化していった。新潟県では道路標識などでも「新泻」が使用されていたが、1981年(昭和56年)に「潟」の字が常用漢字に採用されると「新泻」との表記は衰微していった。 多くの人が正しく書けない漢字としても「潟」は例として出されることが多い。 中国語においては、簡体字で「新泻」、繁体字で「新瀉」 と表記する例が見られる。これらは北京語で拼音: Xīnxiè(シンシエ)と発音する。2007年(平成19年)6月28日の新潟県議会6月定例会総務文教委員会において、中国語における泻(瀉)の字義と潟のそれが異なることを理由に、これらの中国語表記を問題視する質問があった。同年8月1日、新潟県庁は公式サイト上で中国語での「新潟」(拼音: Xīnxì シンシー)の表記の使用を県庁内および県関連機関に要請した(日本語において「新泻」の使用を止めて「新潟」を使用するよう要請したものではない)。
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"下越地方を流れる阿賀野川を境として、西側では気候・風土が北陸地方型、東側では東北地方型とされる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "山間部の降雪量や積雪量は世界的に見ても有数と言え、津南町や十日町市、魚沼市などでは市街地でも積雪深の平年値が2 mを超えるほか、十日町市松之山では4 mを超える積雪深もしばしば観測される。また、上越市板倉区の柄山集落では1927年2月に818 cmの積雪深があったとされ、これは人里での最高記録とも言われる。一方、沿岸部の積雪は比較的少なく、沿岸部に市街地がある新潟市中央区や柏崎市の中心部では1月でも積雪深0〜数cmの日が続く年もある(詳細は新潟市の地理#雪を参照)", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "夏季の気温は高く、多くの地域で最暖月の平均気温が24~26 °Cの範囲に入り、2度前後緯度が低い関東地方に近い水準である。台風シーズンにはフェーン現象の影響を受け、時に異常とも思える高温を観測することがある。2020年9月3日には三条市や胎内市において9月として国内最高となる40°C超えの気温を観測したほか、2019年8月15日には糸魚川市や佐渡市相川など県内の複数地点で最低気温が30°Cを下回らず、日本国内における最低気温の最高を記録することとなった。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "佐渡島では、海洋の影響をより強く受ける。相川の最寒月平均気温は4.0°Cであり、新潟県本土側に比較して温暖と言える(本土の寺泊は2.6°C)。最暖月平均気温は25~26°C程度と本土側と同水準であるが、海洋性気候の影響を強く受けるため気温の日較差は小さく、最高気温の平均値は30°Cを下回る。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "気象庁所管では東京管区気象台の下に新潟地方気象台があり、北陸4県を統括する予報中枢官署となっている。季節予報などでは「北陸地方」または「北陸東部」として扱われる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "県内の地域区分として、上越地方、中越地方、下越地方、佐渡地方の4つへの分け方が浸透している。新聞、テレビ、県広報バックナンバーなどで使用されているほか、新潟県内の小学校社会科参考資料として使用されることもある。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "天気予報もこの4地域単位で報道され、気象警報・注意報はさらに細部化された14の地域 ごとに発表される。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "この他、新潟県内では、一般に、中越地方と下越地方の境界付近に位置する三条市・燕市周辺を県央地域、中越地方の南魚沼市、小千谷市や十日町市周辺を魚沼地域、下越地方の阿賀野川以北を阿賀北や県北と呼ぶこともある。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "県内には2000年(平成12年)の段階では、112の市町村があった(当時北海道、長野県に次ぎ全国3位)。しかし平成の大合併により、2010年(平成22年)4月までに30市町村となっている。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "郡部については、岩船郡が2村を有する他は、全てが1町村のみの状態になっている。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "以下の20市9郡6町4村がある。町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "1969年策定の新全国総合開発計画(新全総)を発端とする広域生活圏(広域市町村圏)が、新潟県内では14圏域(当初は12圏域)設定され、広域行政単位となっていた。平成の大合併以降は圏内一市となる例が出現したため、9つの広域行政圏と5つの市という内訳になったが、連携中枢都市圏構想・定住自立圏構想など新制度の登場などもあり、多くが解散した(圏内一市の場合、圏名は斜体 )。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "新潟県は、かつて人口が日本で最も多い道府県であった。本県の範囲がおおむね現在と等しくなった1874年(明治7年)から1896年(明治29年)までの23年間にわたって、本県の人口は統計上約140万人から170万人で推移し、そのうち8年間を除いた15年間において全国の道府県で最多の住民を擁した。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "具体的には、1874年に新潟県(当時の管轄は下越のみ)が柏崎県(管轄は上越・中越)を併合して、越後国のほぼ全域を管轄したのち、さらに1876年に相川県(佐渡島の全域)を併合した。この3年間において本県は人口が最多であった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ただし、翌1877年(明治10年)から1881年までの5年間にかけては、石川県が富山県の全域および福井県の嶺北地方を併合した「大石川県」となっていた ため、1位の座は石川県に譲った。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "その後、石川県から福井県・富山県が相次いで独立し、石川県の人口が小さくなったことで、1882年(明治15年)から1883年(明治16年)にかけて新潟県が最多となった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "ただ、翌1884年(明治17年)から1886年(明治19年)までの3年間には、大阪府が奈良県の全域を併合していた ため、1位は大阪府に譲った。なお、この1886年に東蒲原郡(現在の阿賀町)が福島県から新潟県へと移管されたことで、本県の範囲は現在と等しくなった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "その後、大阪府から奈良県が独立し、大阪府の人口が小さくなったことで、1887年(明治20年)から1896年に至るまでの連続10年間は新潟県が最多を守った。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "しかし、1897年(明治30年)には東京府(現在の東京都)の人口が最多となり、以後は本県の人口が最多となることはなかった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "近代以前の日本は都市化が進んでおらず、住民の9割近くが農業によって生活を成り立たせていた。そのため、稲作に適した広大な越後平野を擁して収穫高が大きい新潟県は人口涵養能力が高かった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "さらに19世紀以前の輸送手段は海運が主流であり、とくに本県が接する日本海を航行する北前船は、太平洋よりも安全かつ安価な航行が可能であった。このため、本県を含む日本海側の地域は物流によって栄えた。1878年(明治11年)の人口統計では、同じく日本海側の金沢が日本で第5位の都市であり、富山も日本第9位の都市であった(なお新潟市は上位10位圏外だった)。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "また、著述家の辰井裕紀によれば、新潟県や北陸地方では浄土真宗などの仏教の信仰が強かった。そのため、日本中の農村で多くみられた「間引き」(新生児を親が殺すこと。貧困による)や「身売り」(少女を親が売春宿へ売り払うこと。貧困による)が本県や北陸では非常に少なく、人口が増加しやすかったのだという。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "しかし、明治以降における工業化の進行に伴って太平洋ベルト地帯が発展し、また鉄道の普及に伴って海運が衰退していった。それに伴い、本県を含む日本海側からは東京・大阪といった太平洋側の大都市や、開拓地の北海道へと人口が流出していった。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "国勢調査における本県の人口は、1940年(昭和15年)に200万人を突破し、1955年(昭和30年)に247.3万人となったが、1970年(昭和45年)には236.1万人と一旦減少した。その後は増加し、1985年(昭和60年)に247.8万人に達した。1997年(平成9年)に249万1874人(推計人口)でピークを記録した。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "その後は減少傾向となり、2005年(平成17年)に243.1万人(全国14位)、2010年(平成22年)には約237.1万人となった。特に、進学や就職などの理由による18歳〜24歳の若年層の減少が深刻で、県では人口対策を最重要課題に掲げている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "10万人以上の都市雇用圏(2015年国勢調査時点の10%都市圏)", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "括弧書きは藩府県庁所在地の現所属市町村", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "現在の新潟県は、日米修好通商条約によって開港場に指定された新潟を管内に抱え、また戊辰戦争の主戦場の1つになったことから、その成立までの変遷は他府県にも増して複雑なものだった。 1870年(明治3年)の新潟県(第2次)成立までの変遷は「越後府」および「柏崎県」の項を参照のこと。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "2011年(平成23年)1月25日に泉田裕彦新潟県知事と篠田昭新潟市長による共同会見で、東京都に倣い、現新潟市を特別区に移行し、他市町村間も更に合併を進め人口規模30万クラスの基礎自治体とする州制移行構想が発表された。また、各特別区、基礎自治体の権限は現行の東京都の23の各特別区が持つ以上のレベルを想定している。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区が6。参議院では、全県で1区を構成。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "新潟県選挙区", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "2016年(平成28年)度の県内総生産は名目8兆8840億円である。世界の過半数の国の GDP より大きな規模を有している。県民所得は6兆4596億円であり、一人当たり県民所得は282.6万円である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "主要な産業としては農業が挙げられる。米作(コシヒカリ)が中心で、コシヒカリの収穫量は日本一である。特に魚沼地方で栽培されるコシヒカリは「魚沼産コシヒカリ」として食味日本一の評価を受けるトップブランドであり、日本一の米どころであるといえる。また、米に関連して米菓(煎餅、あられなど)の生産額も日本一、日本酒も兵庫県、京都府に次ぐ第3位で酒蔵数は日本一である。米の生産が多いため、米粉の研究を行っており、研究を利用して製品を販売する新潟製粉に出資している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "米以外では、茄子と枝豆の作付面積が日本一。また、チューリップ、西瓜の栽培も盛んである。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "漁業も盛んであり、蒲鉾など魚肉練り製品も有力である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "錦鯉は19世紀に、現在の小千谷市と長岡市(山古志地域)を中心とする地域で飼育が始まったと考えられている。 現在は錦鯉の養鯉が盛んに行われている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "北陸工業地域の中心的存在でもある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "三条市や燕市では刃物、金物、洋食器などの製造が盛ん。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "県内では石油ストーブ、石油ファンヒーターといった石油燃焼器具の生産が大きい。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "他には金属製品の生産が多い。燕市・三条市の金属食器は国内シェアの9割を持ち、機械部品では、非鉄金属材料の加工に強みをもつ企業が多い。はさみや包丁、スパナなどの金属工具も大阪府に次ぐ2位である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "繊維産業では、ニットの生産高が日本一である。しかし近年は、人件費の安さを求めた生産拠点の海外移転や価格の安い外国勢(中国や東南アジア諸国など)に押され気味である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "1989年(平成元年)には工場立地件数で日本一になったこともある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "かつて佐渡島には金・銀の鉱脈が分布しており(佐渡金山を参照)、最大規模の相川金銀山を中心に近世から近代にかけて盛んに採掘が行われたが、1989年(平成元年)に閉山された。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "日本で数少ない原油の生産地であり、古くから石油を産出していたことで知られている。近代ごろを中心に尼瀬油田(出雲崎町)や東山油田(長岡市)、新津油田(新潟市秋葉区)など各地で採掘が行われていた。現在でも新潟県は日本国内の石油産出量のほとんどを占める産油県である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "近代以降、新潟県内では数多くの石油会社が設立された。主なものとして、日本石油(現、ENEOS)、昭和石油(後の昭和シェル石油)、大協石油(現、コスモ石油)など現代の石油元売大手に連なる企業が新潟県で創業した。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "現在では天然ガスの採掘が盛んであり、南長岡ガス田(長岡市)、片貝ガス田(小千谷市)、岩船沖油ガス田(胎内市沖)などで採掘が進められている。東新潟油ガス田(新潟市北区)、西蒲原ガス田(新潟市西蒲区)、中条ガス田(胎内市)では水溶性天然ガスを分離した後の地下水から国内生産量の10%にあたるヨウ素も採取されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "発電では、信濃川流域や阿賀野川流域に大規模水力発電所が立地している。また柏崎市と刈羽郡刈羽村にある東京電力ホールディングス柏崎刈羽原子力発電所は、原子力発電所としては世界最大の出力である。他に上越市直江津地区では、東北電力、JERAが共同で操業する上越火力発電所がある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "新潟県内の事業所による年間商品販売額は、卸売業、小売業の合計で全国第14位である(平成26年度)。まだ事業者数は第12位、従業員数は第14位である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "多くの温泉地、海水浴場を抱えており、都道府県別で温泉地数が第3位、海水浴場数も第3位である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "日本有数の積雪地帯であるため、中越地方と上越地方の山間部ではスキー場が多く立地している。 しかし、バブル崩壊直後の1993年(平成5年)ごろを境にスキーブームは過ぎ去り、更には、新潟県中越地震の影響や豪雪による交通網麻痺の懸念などが影響し、新潟県におけるスキー客は、2000年代以降減少傾向にある。 この影響により、閉鎖されるスキー場も見られるようになった。(詳細は日本のスキー場一覧#新潟県を参照)。 近年ではスノーリゾートのリノベーションが進められたり、上越地方に北陸新幹線が開通するなど、沿線自治体と共に産官学連携で経済対策が模索される。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "よく「新潟県人はスキーをあまりしない」と言われるが、冬季の厳しい豪雪下の生活を知る県民にとっては「雪=辛いもの」というイメージが強い。つまりスキー客の大半は滅多に銀世界にならない首都圏などからの集客によるところも大きかったという側面がある。今後は「雪を生かした観光」を目指し、新たな観光システムを構築されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "新潟県には多くの都市で雁木通りの街並みが残っている。", "title": "生活・インフラ" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "2019年度の新潟県内の高校生の大学等進学率は46.9%であり全国値の54.7%を下回っているが、専門学校進学率は26.0%で全国値を大きく上回っており(全国値16.4%)、両者を足し合わせた進学率72.9%は全国値71.1%を上回る。県内で27校の専門学校を運営しているNSGグループのNSGカレッジリーグをはじめ、県内には専門学校が多数立地しており、人口10万人当たりの専修学校数は3.57校で全国第6位に位置する。", "title": "生活・インフラ" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "国立", "title": "生活・インフラ" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "公立", "title": "生活・インフラ" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・インフラ" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・インフラ" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "NHKの管轄は関東甲信越(首都圏放送センター直轄)であり、ニュースや天気予報では関東甲信越地方として放送されることが多い。しかし希に、愛知・静岡・岐阜・山梨・長野・北陸三県に新潟を含めた括りでのニュースおよび気象情報を放送する場合がある。一方、国政選挙やアマチュアスポーツなどでは北陸・信越ブロックに属するため、これらの報道・中継などは名古屋局を介して北陸3県とネットすることになる。民放各社では中部10県と言う括りでコーナー特集で各放送局と交流がある。", "title": "生活・インフラ" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "民放では東北電力がスポンサーとなる番組において、東北地方の放送局との共同制作が行われることがある。特に、東北放送(TBCテレビ)が制作するものが多い。また、長野県の放送局との関わりも多い。", "title": "生活・インフラ" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "テレビ東京などの区域外再放送は県内のケーブルテレビ局では実施していないが湯沢町や妙高市など群馬県境に近い地域や標高の高い地域の一部では、放送対象地域外の関東1都6県共通の民放キー局(日本テレビ・テレビ朝日・TBSテレビ・テレビ東京・フジテレビ)がスピルオーバーにて受信することが可能である。地上デジタル放送による減力により受信できるエリアは限られているが、県境部を中心に引き続き受信することが可能である。また県内で唯一上越ケーブルビジョンがテレビ東京の区域外再放送を実施していたが2014年7月24日に終了した。", "title": "生活・インフラ" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "また、新潟市中央区では信濃川沿いに放送局が立ち並んでいる。", "title": "生活・インフラ" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "県内にはNHKの新潟放送局が置かれているほか、民放では日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日の4大キー局の各系列局がある。県民の地デジ対応が早く、2010年11月の調査では全国トップの95.1%だった。", "title": "生活・インフラ" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "県内テレビ局・県域FM局の親局及びFM補完中継局のメイン局はいずれも弥彦山に設置されている。", "title": "生活・インフラ" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "AM放送ではBSNラジオ、FMラジオではJFN系列のFM-NIIGATAが県内全域をカバー。県土が広くて拠点都市が多いこともあるが、モータリゼーションが発達しているため、ラジオ(FM・コミュニティFM・AM)による訴求能力がテレビ並みに高いと言われている。新潟市では電波が強すぎてラジオ本体で聴取しようとすると他地域の放送がとても入りにくい。カーラジオにおいても同様で、電波が飛びやすいと言うことがことを厄介にしている。", "title": "生活・インフラ" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "上越地方のほぼ全域や中越地方の魚沼地域などではこの影響が少ないために他地域の放送を聴取しやすく、夜間になるほど良好になる。", "title": "生活・インフラ" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "また、五大都市圏以外では初となる独立ラジオ局で平成新局の新潟県民エフエム放送(FM PORT)が存在したが経営難により2020年6月30日を以って閉局した。", "title": "生活・インフラ" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "以下の2空港がある。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "新潟県にはいわゆる日本海縦貫線が通る。かつては京阪神や首都圏と北奥羽や北海道を結ぶ旅客車・貨物列車などが多く運行されて運行されていた。現在では並行在来線となったため貨物輸送において日本海側の交通の大動脈となっている。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "新幹線には以下の2路線がある。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "県内に新幹線が発着する鉄道駅は7あり、これは岩手県と並んで全国の都道府県の中で最も多い。要因として、本県は面積が大きいこと(全国5位)や、上越新幹線とは別の経路で北陸新幹線が県内に開通したことが挙げられる。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "なお、本県には上越新幹線と北陸新幹線の2本が運行しているが、これらは県内の同一の駅では接続していない(上越新幹線は南の群馬県から中越・下越地方へと走る。北陸新幹線は南西の長野県から上越地方を走り、西の富山県へ抜ける)。全国の都道府県のうち、このように複数の新幹線が交わらずに別々に敷設されているのは新潟県が唯一である。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "上越新幹線と北陸新幹線の駅が最も接近するのは長岡駅と上越妙高駅の間であるが、両駅間の移動には高速道路または特別急行列車でも最短1時間以上を要する。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "特別急行列車には以下の2列車がある。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "普通列車として複数の路線が走る。新潟駅からごく近郊の区間 は日中毎時3本(概ね20分毎)だが、その他の大半は日中毎時1本程度またはそれ以下である。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "新潟県は地域によって方言の違いが大きく、阿賀北地域の方言は東北方言の一種である北奥羽方言、佐渡島の方言は北陸方言、それ以外の地域は東海東山方言の一種である越後方言に分類される(東条操による分類)。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "県域が広いために同一県内であってもかなり食文化が異なる。マスコミ中心に見ると中越地方長岡市周辺までで取り上げられるものが多い", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "最も典型的とされるのが雑煮である。村上に代表されるように塩引き鮭が年末の風物詩なので下越地域では焼き鮭に餅と言う組み合わせが多いが", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "上越地域では山菜と鶏肉と言った長野県の北信地方に近い組み合わせが多い。県内でほぼ通じる傾向としてはおせちは年明けに食べることが多く", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "大晦日はオードブルや寿司と言う家庭が意外と多い。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "また、上越地域では年越しで「サメ」を食べる習慣があるが他の下越地域などではほとんどなく、のっぺに関してもまったく異なり下越地方では", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "煮物といった感じで惣菜としても販売されているが、上越地方では傾向としては片栗粉でとろみをつけると言った同じ名前でも差がある。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "", "title": "新潟県を舞台とした作品" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "本県を指す漢字表記は複数存在するが、日本語においてはいずれの字体であっても「にいがた、[ɲ̟iːɡa̠ta̠] にーがた」と読む。中でも正字とされる「潟」を用いた「新潟」が最も一般的な表記である。 他に方言漢字とも呼ばれるが、さんずいに写と書く「泻」を用いて「新泻」と書く場合がある。かつて「泻」は節用集にも登録されるほど一般的に認知された文字であり、江戸時代の板本(印刷本)おいて、松尾芭蕉『おくのほそ道』および上田秋成『雨月物語』では「象泻」(現・秋田県にかほ市の象潟)との表記が見られ、鈴木牧之『北越雪譜』では「新泻」や「鎧泻」といった現在の本県における地名においても「泻」の使用が認められる。これら印刷本の流通により、全国で「潟」と略字とされる「泻」は同列視されていたとみられる(「潟」には複数の異体字がある)。", "title": "「潟」の字について" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "明治に入ると活版印刷が出版物の主流となるが、終戦までに販売された明朝体の活字を調べると、正字とされる「潟」のみが販売され、略字とされる「泻」は販売されなかった。すなわち明治以降、「泻」の字は印刷物から一掃されるが、新潟・象潟・八郎潟、あるいは島根県の白潟天満宮 など、「潟」の字を日常的に使用するエリアにおいて「泻」は活字以外で生き残り、方言字化していった。新潟県では道路標識などでも「新泻」が使用されていたが、1981年(昭和56年)に「潟」の字が常用漢字に採用されると「新泻」との表記は衰微していった。", "title": "「潟」の字について" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "多くの人が正しく書けない漢字としても「潟」は例として出されることが多い。", "title": "「潟」の字について" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "中国語においては、簡体字で「新泻」、繁体字で「新瀉」 と表記する例が見られる。これらは北京語で拼音: Xīnxiè(シンシエ)と発音する。2007年(平成19年)6月28日の新潟県議会6月定例会総務文教委員会において、中国語における泻(瀉)の字義と潟のそれが異なることを理由に、これらの中国語表記を問題視する質問があった。同年8月1日、新潟県庁は公式サイト上で中国語での「新潟」(拼音: Xīnxì シンシー)の表記の使用を県庁内および県関連機関に要請した(日本語において「新泻」の使用を止めて「新潟」を使用するよう要請したものではない)。", "title": "「潟」の字について" } ]
新潟県(にいがたけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は新潟市。
{{Otheruses|日本の都道府県としての新潟県|新潟県の[[行政機関]]|新潟県庁}} {{基礎情報 都道府県 |都道府県名 = 新潟県 |画像 = {{Multiple image | border = infobox | total_width = 290 | image_style = border:1; | perrow = 2/2/2 | image1 = 東光寺駅付近の風景 - panoramio (1).jpg | image2 = Akakura_Onsen_Ski_Area.jpg | image3 = 長岡まつり復興祈願花火フェニックス.jpg | image4 = Sadokinzan-doyunowareto_01.JPG | image5 = Nigata Customs Government building.jpg | image6 = Iyahiko-jinja 1.JPG }} |画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:50%">[[越後平野]]の水田<td style="width:50%">[[妙高市]]のスキー場</tr><tr><td style="width:50%">[[長岡まつり]]大花火大会<td style="width:50%">[[佐渡金山]]</tr><tr><td style="width:50%">開港五港([[新潟港]])遺構<td style="width:50%">[[弥彦神社]]</tr></table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|新潟県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[新潟県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Niigata Prefecture.svg|70px|新潟県章]] | 都道府県章の説明 = 新潟県章 | 区分 = 県 | コード = 15000-2 | ISO 3166-2 = JP-15 | 隣接都道府県 = {{flag|山形県}}<br/>{{flag|福島県}}<br/>{{flag|群馬県}}<br/>{{flag|長野県}}<br/>{{flag|富山県}} | 木 = [[ユキツバキ]] | 花 = [[チューリップ]] | 鳥 = [[トキ]] | シンボル名 = 他のシンボル | 歌など = 県の草花: [[ユキワリソウ|雪割草]]([[2008年]]([[平成]]20年)[[3月1日]]指定)<br />県の鑑賞魚: [[ニシキゴイ|錦鯉]]([[2017年]](平成29年)[[5月5日]]指定)<ref>{{Cite web|和書 |url = http://www.pref.niigata.lg.jp/kouhou/1356864724482.html |title = 錦鯉を「県の鑑賞魚」に指定します |publisher = 新潟県広報広聴課 |date = 2017-03-29 |accessdate = 2017-05-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190810193212/http://www.pref.niigata.lg.jp/kouhou/1356864724482.html|archivedate=2019-08-10}}</ref><br />[[県の石]]:[[ヒスイ輝石]]岩、[[自然金]]、[[石炭紀]]-[[ペルム紀]]海生動物[[化石]]群([[2016年]]([[平成]]28年)[[5月10日]]指定)<br />県の歌: [[新潟県民歌]]([[1948年]]([[昭和]]23年)[[3月28日]]発表) | 郵便番号 = 950-8570 | 所在地 = 新潟市中央区新光町4番地1<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-15|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Niigata Prefectural Office.JPG|220px]]<br />[[新潟県庁舎]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 15 Niigata prefecture.svg|320px|新潟県の位置]]{{基礎自治体位置図|15|000|image=Map of Niigata Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} [[ファイル:Symbol mark of Niigata Prefecture.svg|thumb|100px|新潟県シンボルマーク]] '''新潟県'''(にいがたけん)は、[[日本]]の[[中部地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[新潟市]]。 {{TOC limit|3}} == 概要 == [[本州]]の中北部に位置し、北東から南西へ細長い領域を持つ。[[離島]]の[[佐渡島]]・[[粟島 (新潟県)|粟島]]も擁する。日本有数の米所として知られる。 [[面積]]は約12,584&nbsp;[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]で、47[[都道府県]]のうち第5位。[[海岸]]線の長さは約634.0&nbsp;[[キロメートル|km]]である<ref group="注釈">[[本州]]部分は331.0&nbsp;km。[[佐渡島]]が279.9&nbsp;km、[[粟島 (新潟県)|粟島]]が23.1&nbsp;km。</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/tokei/1356914075480.html|title=第129回 新潟県統計年鑑 2018 (第1章 県土・気象)|accessdate=2022-01-12|publisher=[[新潟県庁]] 総務管理部 統計課 統計情報班|date=2019-06-29}}</ref>。 [[人口]]は約210万人で、47都道府県のうち第15位([[2019年]]推計値時点)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.stat.go.jp/data/nihon/02.html|title=統計データ > 日本の統計 > 本書の内容 > 第2章 人口・世帯 > 都道府県別人口と人口増減率|accessdate=2022-01-12|publisher=[[総務省統計局]]}}</ref>。詳細は「[[#人口]]」節で後述。 日本の地域区分では[[中部地方]]あるいはより細分して[[北陸地方]](北陸4県)として扱われることがある<ref>{{Cite web|和書|date= |url=https://japanknowledge.com/articles/blogjournal/interest_chimei/entry.html?entryid=99 |title=第99回 地域区分のいろいろ(1) |publisher=NetAdvance Inc.|accessdate=2023-01-16}}</ref>。一方、行政機関の[[地方支分部局]]では、財務省では[[関東財務局]]、経済産業省では関東経済産業局、農林水産省外局の林野庁では[[関東森林管理局]]、厚生労働省では[[関東信越厚生局]]、環境省では[[関東地方環境事務所]]の管轄区域である<ref name="mlit8">{{Cite web|和書|date= |url=https://www.mlit.go.jp/singikai/kokudosin/keikaku/10/08.pdf |title=圏域部会における検討状況について|publisher=国土交通省|accessdate=2023-01-16}}</ref>。これに対して農林水産省では[[北陸農政局]]、国土交通省では[[北陸地方整備局]]や[[北陸信越運輸局]]の管轄区域である<ref name="mlit8" />。なお、[[水力発電]]の歴史的経緯から、電力やそれに付随する経済分野では[[東北地方]]と一括りに扱われることもある(詳細は[[東北地方#東北電力と「東北7県」]]を参照)。 [[広域関東圏|関東甲信越]](広域関東圏)や[[信越地方]]と呼ばれるように、[[関東地方]]や隣接する[[長野県]]との関係性が深い。早い時期から[[上越新幹線]]や[[関越自動車道]]などのインフラが整えられ、大都市の中では[[東京都|東京]]とのつながりが大きい。 === 県内の分類 === 県内は地理的観点から、一般に次の'''[[上越地方]]・[[中越地方]]・[[下越地方]]・[[佐渡地方]]'''の4地域に大きく区分される<ref name=":5">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.niigata.lg.jp/site/link/link-sichoson.html|title=リンク集:県内市町村|地図から探す|accessdate=2022-01-12|publisher=[[新潟県庁]] 知事政策局 ICT推進課 スマート自治体推進班 企画調整担当|date=2019-08-26}}</ref>。 * '''[[上越地方]]''' - 県の西部。[[上越市]]・[[糸魚川市]]・[[妙高市]]の3[[市]]からなる<ref name=":5"/>。 * '''[[中越地方]]''' - 県の中部。[[長岡市]]・[[三条市]]・[[柏崎市]]・[[南魚沼市]]などからなる<ref name=":5"/>。 * '''[[下越地方]]''' - 県の北東部。[[新潟市]]・[[新発田市]]・[[村上市]]・[[燕市]]などからなる<ref name=":5"/>。 * '''[[佐渡地方]]''' - [[佐渡島]]。[[佐渡市]]のみからなる<ref name=":5"/>。 詳細は「[[#地域]]」節で後述。 === 主要都市 === 主な[[都市]]として、[[人口]]の上位3市は次の通り。これらは各地方の最大都市でもある。 * [[新潟市]](下越地方) - 80万人弱。[[政令指定都市]]。 * [[長岡市]](中越地方) - 26万人強。[[特例市|施行時特例市]]。 * [[上越市]](上越地方) - 19万人前。施行時特例市。 ほか、人口の多い順に、[[新発田市]]・[[三条市]]・[[柏崎市]]・[[燕市]]・[[村上市]]・[[南魚沼市]]・[[佐渡市]]・[[十日町市]]などがある(人口5万以上のもの。[[2021年]]1月1日時点)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/shichouson/1202835641639.html|title=住民基本台帳に基づく市町村別人口、世帯数|accessdate=2022-01-02|publisher=[[新潟県庁]]|date=2021-08-10|author=新潟県庁 総務管理部 市町村課 行政班}}</ref>。 詳細は「[[#都市]]」節で後述。 === 沿革 === 県名は、[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]である[[新潟市]]に由来する。 [[古代]]には、[[越国]](こしのくに)の領土であった。 [[五畿七道]]においては[[北陸道]]のうち東半分を占め、[[令制国]](旧国)における'''[[越後国]]'''(えちごのくに)と'''[[佐渡国]]'''(さどのくに)の2国の全域に相当する。この国名を合わせて'''越佐'''(えっさ)と呼称することもある<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/越佐史料-1149468|title=世界大百科事典 第2版「越佐史料」の解説|accessdate=2022-01-12|publisher=[[コトバンク]]}}</ref>。 [[明治維新]]と[[廃藩置県]]の直後には、現在の新潟県にあたる領域には13個もの[[藩]]や[[県]]が並立していた<ref name=":6">{{Cite web|和書|url=https://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/?page_id=932|title=新潟県の歴史相談室> 新潟県全般に関する相談>Q2 新潟県が成立したのはいつか?|accessdate=2022-01-12|publisher=新潟県立文書館}}</ref>。のちに統合を経て、[[1876年]]([[明治]]9年)までに新潟県(旧)と[[柏崎県]]と[[相川県]]との3県が合併することで、ほぼ現在の新潟県と等しい区域となった<ref name=":6"/>。 そして[[1886年]](明治19年)に[[福島県]]から[[東蒲原郡]]が新潟県へと[[移管]]されたことで、現在の新潟県の形が成立した<ref name=":6"/>。 詳細は「[[#歴史]]」節を参照。 === 県章 === 県章は「新」の字を崩した物を中央上に置いて、その周りを「ガタ」を丸く図案化したもので囲んだものである。また、県章とは別にシンボルマークも制定されている。 === 隣接する都道府県 === 以下の5県と隣接する。 *{{Flagicon|山形県}}[[山形県]](北側) *{{Flagicon|福島県}}[[福島県]](東側) *{{Flagicon|群馬県}}[[群馬県]](南側) *{{Flagicon|長野県}}[[長野県]](南西側) *{{Flagicon|富山県}}[[富山県]](西側) == 地理 == {{File clip|Geofeatures map of Chubu Japan ja.svg|width=200|2|2|54|48|w=1080|h=1200|越後平野周辺の地形図|align=right}} [[ファイル:Nagaoka from the sky.jpg|thumb|200px|上空から撮影した冬の新潟県(手前は[[長岡市]]中心部、奥は[[日本海]])]] === 地勢・地形 === 北西は[[日本海]]に面する。北東から南西までは[[朝日山地]]・[[越後山脈]]・[[頸城山塊]]などの山々に囲まれ、他県との[[県境]]を形成する。 越後山脈から流れる[[信濃川]]や[[阿賀野川]]の流域(県の中北部)に、[[越後平野]]が広がる<ref name=":3">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/tokei/1353448852734.html|title=統計データハンドブック(平成24年) 第 1 章 県土・気象|accessdate=2022-01-12|publisher=新潟県庁 総務管理部 統計課 統計情報班|date=2019-01-17}}</ref>。信濃川は日本で最も長い[[川|河川]]である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0405_shinano/0405_shinano_00.html|title=水管理・国土保全>統計・調査結果>日本の川>北陸の一級河川 - 信濃川|accessdate=2022-01-12|publisher=[[国土交通省]]}}</ref>。越後平野は日本で二番目に広い[[沖積平野]]であり<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/越後平野-36709|title=日本大百科全書(ニッポニカ)「越後平野」の解説|accessdate=2022-01-12|publisher=[[コトバンク]]}}</ref>、[[裏日本|日本海沿岸]]の[[平野]]としては最大である<ref name=":3" />。 また[[頸城山塊]]の[[新潟焼山|焼山]]から流れる[[関川 (信越)|関川]]の流域(県の西部)には、[[高田平野]]が広がる<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/関川-86769|title=日本大百科全書(ニッポニカ)「関川」の解説|accessdate=2022-01-12|publisher=[[コトバンク]]}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/高田平野-92624|title=日本大百科全書(ニッポニカ)「高田平野」の解説|accessdate=2022-01-12|publisher=[[コトバンク]]}}</ref>。 ; 主な山脈・丘陵 : [[越後山脈]]、[[三国山脈]]、[[飛騨山脈]]、[[朝日山地]]、[[飯豊山地]]、[[櫛形山脈]]、[[頸城山塊]]、[[東頸城丘陵]]、[[魚沼丘陵]]、[[新津丘陵]] ; 主な山 : [[妙高山]]、[[八海山]]、[[巻機山]]、[[兎岳 (新潟県)|兎岳]]、[[金城山]]、[[坂戸山]]、[[弥彦山]]、[[魚沼駒ヶ岳]]、[[金北山]]、[[新潟焼山]]、[[米山]]、[[苗場山]]、[[小蓮華山]]、[[火打山]]、[[飯豊山]]、[[守門岳]]、[[五頭山]]、[[二王子岳]]、[[中ノ岳]]、[[平ヶ岳 (群馬県・新潟県)|平ヶ岳]]、[[雪倉岳]]、[[朝日岳 (山形県・新潟県)|朝日岳]]、[[佐武流山]]、[[谷川岳]] ; 主な峠 : [[八十里越]]、[[六十里越]]、[[三国峠 (群馬県・新潟県)|三国峠]]、[[清水峠]]、[[惣座峠]]、[[葛葉峠]]、[[野尻坂峠]] ; 主な平野 : [[越後平野]]、[[高田平野]]、[[国中平野]] ; 主な盆地 : [[魚沼盆地]]、[[十日町盆地]] ; 主な川 : [[信濃川]]、[[阿賀野川]]、[[渋海川]]、[[魚野川]]、[[荒川 (羽越)|荒川]]、[[三面川]]、[[関川 (信越)|関川]]、[[姫川]]、[[国府川]]、[[五十嵐川]] ; 主な湖・潟湖 : [[加茂湖]]、[[瓢湖]]、[[奥只見湖]]、[[福島潟]]、[[鳥屋野潟]]、[[佐潟]] ; 主な有人島 : [[佐渡島]]、[[粟島 (新潟県)|粟島]] <gallery widths="160" perrow="4" style="font-size:90%"> Find47_Niigata-River_(Shinano_River,_Ojiya_City)-m.jpg|[[信濃川]] NiigataCityOpenData_denen005.jpg|[[越後平野]] Myokousan_from_hiutiyama_1996_6_29.jpg|[[妙高山]] 二ツ亀.jpg|[[佐渡島]]の[[外海府海岸|二ツ亀]] Find47 Niigata-Hasagi-trees of winter (Odiya City)-m.jpg|[[稲架木|はさ木]]と[[越後三山]] </gallery> === 公園 === ==== 自然公園 ==== * [[国立公園]] : [[磐梯朝日国立公園]]、[[尾瀬国立公園]]、[[上信越高原国立公園]]、[[妙高戸隠連山国立公園]]、[[中部山岳国立公園]] * [[国定公園]] : [[佐渡弥彦米山国定公園]]、[[越後三山只見国定公園]] * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] : [[魚沼連峰県立自然公園]] ==== 都市公園 ==== * [[国営公園]] : [[国営越後丘陵公園]] <gallery widths="160" perrow="4" style="font-size:90%"> Echigo_Hillside_Park_08.jpg|越後丘陵公園 </gallery> === 気候 === 県内全域が[[日本海側気候]]に属し、[[豪雪地帯]](一部特別豪雪地帯)の指定を受ける。冬季は[[日照時間]]が短く、曇天の日が多いが、晩春から初秋にかけての日照時間は太平洋側の地域と比較して長く、好天の日が多い<ref name=":4"/>。 下越地方を流れる[[阿賀野川]]を境として、西側では[[気候]]・[[風土]]が[[北陸地方]]型、東側では[[東北地方]]型とされる<ref name=":3" />。 山間部の降雪量や積雪量は世界的に見ても有数と言え、[[津南町]]や[[十日町市]]、[[魚沼市]]などでは市街地でも積雪深の平年値が2 mを超えるほか、十日町市[[松之山町|松之山]]では4 mを超える積雪深もしばしば観測される<ref name="Snow4">{{Cite web|和書|url=http://micos-sc.jwa.or.jp/niigatayuki/contents_4.html|title=新潟県の雪情報 降積雪資料|publisher=新潟県|accessdate=2022-06-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220122115953/http://micos-sc.jwa.or.jp/niigatayuki/contents_4.html|archivedate=2022-01-22}}</ref>。また、[[上越市]][[板倉区]]の柄山集落では1927年2月に818 cmの積雪深があったとされ、これは人里での最高記録とも言われる<ref>{{Cite news|url=https://www.joetsutj.com/articles/51709610|title=積雪世界一 8m18cm! 上越市板倉区柄山の春|publisher=上越タウンジャーナル|date=2010-03-01}}</ref>。一方、沿岸部の積雪は比較的少なく、沿岸部に市街地がある[[新潟市]][[中央区 (新潟市)|中央区]]や[[柏崎市]]の中心部では1月でも積雪深0〜数cmの日が続く年もある<ref name="Snow4"/>(詳細は[[新潟市の地理#雪]]を参照) [[夏|夏季]]の[[気温]]は高く、多くの地域で最暖月の平均気温が24~26&nbsp;[[セルシウス度|℃]]の範囲に入り、2度前後緯度が低い[[関東地方]]に近い水準である<ref name=":4">{{Cite web|和書|url=https://www.jma-net.go.jp/niigata/menu/bousai/met_character.html|title=新潟県の気象の特徴|accessdate=2022-06-25|publisher=[[新潟地方気象台]]}}</ref>。[[台風]]シーズンには[[フェーン現象]]の影響を受け、時に異常とも思える高温を観測することがある。2020年9月3日には[[三条市]]や[[胎内市]]において9月として国内最高となる40℃超えの気温を観測したほか、2019年8月15日には[[糸魚川市]]や[[佐渡市]]相川など県内の複数地点で最低気温が30℃を下回らず、日本国内における最低気温の最高を記録することとなった。 [[佐渡島]]では、海洋の影響をより強く受ける。相川の最寒月平均気温は4.0℃であり、新潟県本土側に比較して温暖と言える(本土の[[寺泊町|寺泊]]は2.6℃)。最暖月平均気温は25~26℃程度と本土側と同水準であるが、[[海洋性気候]]の影響を強く受けるため気温の日較差は小さく、最高気温の平均値は30℃を下回る。 気象庁所管では[[東京管区気象台]]の下に[[新潟地方気象台]]があり、北陸4県を統括する予報中枢官署となっている。季節予報などでは「北陸地方」または「北陸東部」として扱われる。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+新潟県内各地の平年値(統計期間:1991年 - 2020年{{Efn|寺泊は2000年 - 2020年、松浜は2003年 - 2020年}}、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="6"|上越 !colspan="9"|中越 |- ![[上越市]]<br />[[大潟区|大潟]]!![[上越市]]<br />[[安塚区|安塚]]!![[上越市]]<br />[[高田市|高田]]!![[糸魚川市]]<br />[[能生町|能生]]!![[糸魚川市|糸魚川]]!![[妙高市]]<br />関山!![[津南町|津南]]!![[湯沢町|湯沢]]!![[十日町市|十日町]]!![[魚沼市]]<br />[[小出町|小出]]!![[魚沼市]]<br />[[守門村|守門]]!![[柏崎市|柏崎]]!![[長岡市|長岡]]!![[長岡市]]<br />[[寺泊町|寺泊]]!![[三条市|三条]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |26.0<br />(8月)||24.7<br />(8月) |26.4<br />(8月)||25.1<br />(8月) |26.6<br />(8月)||24.4<br />(8月) |23.8<br />(8月)||24.7<br />(8月) |24.9<br />(8月)||25.7<br />(8月) |24.4<br />(8月)||25.7<br />(8月) |26.2<br />(8月)||25.9<br />(8月) |26.2<br />(8月) |- !最寒月 |2.9<br />(1月)||0.6<br />(1,2月) |2.5<br />(1月)||2.1<br />(2月) |3.6<br />(1月)||0.0<br />(1月) |−1.2<br />(1月)||−0.4<br />(1月) |−0.1<br />(1月)||0.3<br />(1月) |−0.4<br />(1月)||2.9<br />(2月) |1.6<br />(1月)||2.6<br />(1月) |2.0<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |358.0<br />(12月)||411.5<br />(12月) |475.5<br />(12月)||474.4<br />(12月) |407.4<br />(12月)||284.2<br />(1月) |241.3<br />(12月)||314.9<br />(1月) |397.8<br />(12月)||389.9<br />(12月) |470.9<br />(12月)||356.2<br />(12月) |372.2<br />(12月)||273.7<br />(7月) |287.8<br />(12月) |- !最少月 |88.4<br />(5月)||109.3<br />(5月) |87.0<br />(5月)||124.6<br />(5月) |120.5<br />(5月)||74.2<br />(4月) |88.8<br />(4月)||99.7<br />(5月) |100.5<br />(5月)||117.1<br />(5月) |125.5<br />(5月)||100.9<br />(5月) |97.8<br />(5月)||91.3<br />(5月) |94.2<br />(5月) |- !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="9"|下越 !colspan="5"|佐渡 |- ![[新潟市]]<br />[[西蒲区|巻]]!![[新潟市]]<br />[[秋葉区|新津]]!![[新潟市|新潟]]!![[新潟市]]<br />[[新潟空港|松浜]]!![[阿賀町]]<br />[[津川町|津川]]!![[胎内市]]<br />[[中条町|中条]]!![[関川村]]<br />下関!![[村上市|村上]]!![[粟島浦村]]<br />[[粟島 (新潟県)|粟島]]!![[佐渡市]]<br />[[羽茂町|羽茂]]!![[佐渡市]]<br />[[相川町|相川]]!![[佐渡市]]<br />[[佐渡空港|秋津]]!![[佐渡市]]<br />[[両津市|両津]]!![[佐渡市]]<br />弾崎 |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |25.6<br />(8月)||25.7<br />(8月) |26.5<br />(8月)||26.5<br />(8月) |24.5<br />(8月)||26.5<br />(8月) |25.1<br />(8月)||25.5<br />(8月) |25.5<br />(8月)||25.6<br />(8月) |26.0<br />(8月)|| |26.1<br />(8月)||25.0<br />(8月) |- !最寒月 |2.1<br />(1月)||1.7<br />(1月) |2.5<br />(1月)||2.9<br />(1月) |0.2<br />(1月)||2.4<br />(1月) |1.0<br />(1月)||1.7<br />(1月) |3.0<br />(2月)||3.0<br />(2月) |4.0<br />(1,2月)|| |3.0<br />(1月)||3.1<br />(1,2月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |222.8<br />(12月)||246.3<br />(12月) |225.9<br />(12月)||230.8<br />(7月) |324.8<br />(12月)||304.5<br />(12月) |370.9<br />(12月)||255.0<br />(12月) |190.0<br />(7月)||210.9<br />(7月) |207.3<br />(7月)|| |233.2<br />(7月)||216.2<br />(7月) |- !最少月 |85.2<br />(5月)||90.5<br />(5月) |94.4<br />(5月)||84.8<br />(5月) |110.4<br />(5月)||120.3<br />(5月) |138.8<br />(5月)||115.4<br />(4月) |85.6<br />(4月)||98.0<br />(5月) |91.6<br />(2月)|| |104.6<br />(4月)||94.3<br />(2月) |} {| class="wikitable" |+各地の降雪量・積雪量<ref>気象庁データは「[https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php 気象庁 過去の気象データ検索]」(2021年2月7日閲覧)、県データは「[https://web.archive.org/web/20220122115953/http://micos-sc.jwa.or.jp/niigatayuki/contents_4.html 新潟県の雪情報 降積雪資料 - 新潟県]」(2021年2月7日閲覧)をそれぞれ参照した。</ref> |- !colspan="3"|気象庁1991-2020年平年値 !colspan="3"|県1994-2019年度平均値 |- !観測地点 !降雪量累計 !最深積雪 !観測地点 !降雪量累計 !最深積雪 |- ![[安塚区|安塚]] | style="text-align:right;" |799&nbsp;cm | style="text-align:right;" |174&nbsp;cm ![[糸魚川市|糸魚川]] | style="text-align:right;" |279&nbsp;cm | style="text-align:right;" |62&nbsp;cm |- ![[上越市|高田]] | style="text-align:right;" |413&nbsp;cm | style="text-align:right;" |96&nbsp;cm !北城 | style="text-align:right;" |413&nbsp;cm | style="text-align:right;" |91&nbsp;cm |- ![[能生町|能生]] | style="text-align:right;" |505&nbsp;cm | style="text-align:right;" |94&nbsp;cm !中根知 | style="text-align:right;" |934&nbsp;cm | style="text-align:right;" |184&nbsp;cm |- ![[妙高市|関山]] | style="text-align:right;" |1061&nbsp;cm | style="text-align:right;" |204&nbsp;cm ![[妙高高原町|妙高高原]] | style="text-align:right;" |1471&nbsp;cm | style="text-align:right;" |260&nbsp;cm |- ![[津南町|津南]] | style="text-align:right;" |1301&nbsp;cm | style="text-align:right;" |271&nbsp;cm ![[柿崎区|柿崎]] | style="text-align:right;" |206&nbsp;cm | style="text-align:right;" |45&nbsp;cm |- ![[湯沢町|湯沢]] | style="text-align:right;" |1054&nbsp;cm | style="text-align:right;" |208&nbsp;cm !湯沢 | style="text-align:right;" |1320&nbsp;cm | style="text-align:right;" |245&nbsp;cm |- ![[十日町市|十日町]] | style="text-align:right;" |967&nbsp;cm | style="text-align:right;" |217&nbsp;cm ![[松之山町|松之山]]<br /><small>※2005年度欠測</small> | style="text-align:right;" |1397&nbsp;cm | style="text-align:right;" |297&nbsp;cm |- ![[小出町|小出]] | style="text-align:right;" |900&nbsp;cm | style="text-align:right;" |207&nbsp;cm ![[南魚沼市|南魚沼]] | style="text-align:right;" |889&nbsp;cm | style="text-align:right;" |188&nbsp;cm |- ![[守門村|守門]] | style="text-align:right;" |1243&nbsp;cm | style="text-align:right;" |-- ![[小千谷市|小千谷]] | style="text-align:right;" |665&nbsp;cm | style="text-align:right;" |143&nbsp;cm |- ![[柏崎市|柏崎]] | style="text-align:right;" |290&nbsp;cm | style="text-align:right;" |51&nbsp;cm ![[栃尾 (長岡市)|栃尾]] | style="text-align:right;" |670&nbsp;cm | style="text-align:right;" |130&nbsp;cm |- ![[長岡市|長岡]] | style="text-align:right;" |477&nbsp;cm | style="text-align:right;" |89&nbsp;cm !長岡 | style="text-align:right;" |416&nbsp;cm | style="text-align:right;" |85&nbsp;cm |- ![[秋葉区|新津]] | style="text-align:right;" |249&nbsp;cm | style="text-align:right;" |43&nbsp;cm ![[三条市|三条]] | style="text-align:right;" |259&nbsp;cm | style="text-align:right;" |53&nbsp;cm |- ![[新潟市|新潟]] | style="text-align:right;" |139&nbsp;cm | style="text-align:right;" |32&nbsp;cm !新潟 | style="text-align:right;" |131&nbsp;cm | style="text-align:right;" |30&nbsp;cm |- ![[津川町|津川]] | style="text-align:right;" |658&nbsp;cm | style="text-align:right;" |109&nbsp;cm ![[新発田市|新発田]] | style="text-align:right;" |244&nbsp;cm | style="text-align:right;" |48&nbsp;cm |- ![[関川村|下関]] | style="text-align:right;" |519&nbsp;cm | style="text-align:right;" |86&nbsp;cm ![[村上市|村上]] | style="text-align:right;" |223&nbsp;cm | style="text-align:right;" |46&nbsp;cm |- ![[相川町|相川]] | style="text-align:right;" |67&nbsp;cm | style="text-align:right;" |15&nbsp;cm ![[両津市|両津]] | style="text-align:right;" |156&nbsp;cm | style="text-align:right;" |29&nbsp;cm |} : ※'''降雪量累計''':日ごとの降雪量を、シーズン全体で合計した量(平年値) : ※'''最深積雪''':シーズン最大の積雪深(平年値) : ※'''最寒月気温''':最寒月(1月)の平均気温(平年値) : ※他都道府県との比較については「[[新潟市の地理#雪]]」「[[降雪#降雪量の記録(日本)]]」「[[積雪#最深積雪の平年値と極値]]」の各記事を参照。 == 地域 == 県内の地域区分として、'''[[上越地方]]'''、'''[[中越地方]]'''、'''[[下越地方]]'''、'''[[佐渡地方]]'''の4つへの分け方が浸透している<ref name="Link-sich">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.niigata.lg.jp/site/link/link-sichoson.html|title=リンク集:県内市町村|publisher=新潟県総務管理部 情報政策課|accessdate=2020-02-22}}</ref>。新聞、テレビ、県広報バックナンバーなどで使用されているほか、新潟県内の小学校社会科参考資料として使用されることもある<ref group="注釈">新潟県教育委員会編纂「私たちの新潟県」で佐渡地方を下越地方に含めるとする見解が示されたことも一時期あった。</ref>。 [[天気予報]]もこの4地域単位で報道され、[[気象警報]]・[[注意報]]はさらに細部化された14の地域<ref group="注釈">[[#広域行政圏|後述の広域市町村圏]]とは燕市・弥彦村など一部が異なる。</ref> ごとに発表される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/saibun/|title=気象警報・注意報や天気予報の発表区域:新潟県|publisher=気象庁|accessdate=2020-02-24}}</ref>。 この他、新潟県内では、一般に、中越地方と下越地方の境界付近に位置する三条市・燕市周辺を'''[[新潟県県央地域|県央地域]]'''、中越地方の[[南魚沼市]]、[[小千谷市]]や[[十日町市]]周辺を'''魚沼地域'''、下越地方の[[阿賀野川]]以北を'''[[阿賀北地域|阿賀北]]'''や'''県北'''と呼ぶこともある。 {{Col-begin}} {{Col-break}} {{Pie chart | thumb = left | caption = 地方別[[推計人口]]({{自治体人口/新潟県|date}}) | label1 = [[佐渡地方|佐渡]]:{{0}}{{0}}{{formatnum:{{自治体人口/新潟県|佐渡市}} }} 人 | value1 = {{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/新潟県|佐渡市}} *100 / {{自治体人口/新潟県|新潟県}} round 1}}}} | color1 = yellowgreen | label2 = [[下越地方|下越]]:{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/新潟県|新潟市}} + {{自治体人口/新潟県|新発田市}} + {{自治体人口/新潟県|村上市}} + {{自治体人口/新潟県|燕市}} + {{自治体人口/新潟県|五泉市}} + {{自治体人口/新潟県|阿賀野市}} + {{自治体人口/新潟県|胎内市}} + {{自治体人口/新潟県|聖籠町}} + {{自治体人口/新潟県|関川村}} + {{自治体人口/新潟県|粟島浦村}} + {{自治体人口/新潟県|弥彦村}} + {{自治体人口/新潟県|阿賀町}} }}}} 人 | value2 = {{formatnum:{{#expr:({{自治体人口/新潟県|新潟市}} + {{自治体人口/新潟県|新発田市}} + {{自治体人口/新潟県|村上市}} + {{自治体人口/新潟県|燕市}} + {{自治体人口/新潟県|五泉市}} + {{自治体人口/新潟県|阿賀野市}} + {{自治体人口/新潟県|胎内市}} + {{自治体人口/新潟県|聖籠町}} + {{自治体人口/新潟県|関川村}} + {{自治体人口/新潟県|粟島浦村}} + {{自治体人口/新潟県|弥彦村}} + {{自治体人口/新潟県|阿賀町}}) *100 / {{自治体人口/新潟県|新潟県}} round 1}}}} | color2 = green | label3 = [[中越地方|中越]]:{{0}}{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/新潟県|長岡市}} + {{自治体人口/新潟県|三条市}} + {{自治体人口/新潟県|柏崎市}} + {{自治体人口/新潟県|小千谷市}} + {{自治体人口/新潟県|加茂市}} + {{自治体人口/新潟県|十日町市}} + {{自治体人口/新潟県|見附市}} + {{自治体人口/新潟県|魚沼市}} + {{自治体人口/新潟県|南魚沼市}}+ {{自治体人口/新潟県|田上町}} + {{自治体人口/新潟県|出雲崎町}} + {{自治体人口/新潟県|湯沢町}} + {{自治体人口/新潟県|津南町}} + {{自治体人口/新潟県|刈羽村}} }}}} 人 | value3 = {{formatnum:{{#expr:({{自治体人口/新潟県|長岡市}} + {{自治体人口/新潟県|三条市}} + {{自治体人口/新潟県|柏崎市}} + {{自治体人口/新潟県|小千谷市}} + {{自治体人口/新潟県|加茂市}} + {{自治体人口/新潟県|十日町市}} + {{自治体人口/新潟県|見附市}} + {{自治体人口/新潟県|魚沼市}} + {{自治体人口/新潟県|南魚沼市}}+ {{自治体人口/新潟県|田上町}} + {{自治体人口/新潟県|出雲崎町}} + {{自治体人口/新潟県|湯沢町}} + {{自治体人口/新潟県|津南町}} + {{自治体人口/新潟県|刈羽村}}) *100 / {{自治体人口/新潟県|新潟県}} round 1}}}} | color3 = Coral | label4 = [[上越地方|上越]]:{{0}}{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/新潟県|上越市}} + {{自治体人口/新潟県|糸魚川市}} + {{自治体人口/新潟県|妙高市}} }}}} 人 | value4 = {{formatnum:{{#expr:({{自治体人口/新潟県|上越市}} + {{自治体人口/新潟県|糸魚川市}} + {{自治体人口/新潟県|妙高市}}) *100 / {{自治体人口/新潟県|新潟県}} round 1}}}} | color4 = Yellow }} {{Col-break}} {{Pie chart | thumb = left | caption = 地方別面積 | label1 = 佐渡:{{0}}{{formatnum:{{自治体面積/新潟県|佐渡市}} }} [[平方キロメートル]] | value1 = {{formatnum:{{#expr:{{自治体面積/新潟県|佐渡市}} *100 / {{自治体面積/新潟県|新潟県}} round 1}}}} | color1 = yellowgreen | label2 = 下越:{{formatnum:{{#expr:{{自治体面積/新潟県|新潟市}} + {{自治体面積/新潟県|新発田市}} + {{自治体面積/新潟県|村上市}} + {{自治体面積/新潟県|燕市}} + {{自治体面積/新潟県|五泉市}} + {{自治体面積/新潟県|阿賀野市}} + {{自治体面積/新潟県|胎内市}} + {{自治体面積/新潟県|聖籠町}} + {{自治体面積/新潟県|関川村}} + {{自治体面積/新潟県|粟島浦村}} + {{自治体面積/新潟県|弥彦村}} + {{自治体面積/新潟県|阿賀町}} }}}} 平方キロメートル | value2 = {{formatnum:{{#expr:({{自治体面積/新潟県|新潟市}} + {{自治体面積/新潟県|新発田市}} + {{自治体面積/新潟県|村上市}} + {{自治体面積/新潟県|燕市}} + {{自治体面積/新潟県|五泉市}} + {{自治体面積/新潟県|阿賀野市}} + {{自治体面積/新潟県|胎内市}} + {{自治体面積/新潟県|聖籠町}} + {{自治体面積/新潟県|関川村}} + {{自治体面積/新潟県|粟島浦村}} + {{自治体面積/新潟県|弥彦村}} + {{自治体面積/新潟県|阿賀町}}) *100 / {{自治体面積/新潟県|新潟県}} round 1}}}} | color2 = green | label3 = 中越:{{formatnum:{{#expr:{{自治体面積/新潟県|長岡市}} + {{自治体面積/新潟県|三条市}} + {{自治体面積/新潟県|柏崎市}} + {{自治体面積/新潟県|小千谷市}} + {{自治体面積/新潟県|加茂市}} + {{自治体面積/新潟県|十日町市}} + {{自治体面積/新潟県|見附市}} + {{自治体面積/新潟県|魚沼市}} + {{自治体面積/新潟県|南魚沼市}}+ {{自治体面積/新潟県|田上町}} + {{自治体面積/新潟県|出雲崎町}} + {{自治体面積/新潟県|湯沢町}} + {{自治体面積/新潟県|津南町}} + {{自治体面積/新潟県|刈羽村}} }}}} 平方キロメートル | value3 = {{formatnum:{{#expr:({{自治体面積/新潟県|長岡市}} + {{自治体面積/新潟県|三条市}} + {{自治体面積/新潟県|柏崎市}} + {{自治体面積/新潟県|小千谷市}} + {{自治体面積/新潟県|加茂市}} + {{自治体面積/新潟県|十日町市}} + {{自治体面積/新潟県|見附市}} + {{自治体面積/新潟県|魚沼市}} + {{自治体面積/新潟県|南魚沼市}}+ {{自治体面積/新潟県|田上町}} + {{自治体面積/新潟県|出雲崎町}} + {{自治体面積/新潟県|湯沢町}} + {{自治体面積/新潟県|津南町}} + {{自治体面積/新潟県|刈羽村}}) *100 / {{自治体面積/新潟県|新潟県}} round 1}}}} | color3 = Coral | label4 = 上越:{{formatnum:{{#expr:{{自治体面積/新潟県|上越市}} + {{自治体面積/新潟県|糸魚川市}} + {{自治体面積/新潟県|妙高市}} }}}} 平方キロメートル | value4 = {{formatnum:{{#expr:({{自治体面積/新潟県|上越市}} + {{自治体面積/新潟県|糸魚川市}} + {{自治体面積/新潟県|妙高市}}) *100 / {{自治体面積/新潟県|新潟県}} round 1}}}} | color4 = Yellow }} {{Col-end}} {{-}} === 市町村 === {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=新潟県|float=right}} 県内には[[2000年]]([[平成]]12年)の段階では、112の市町村があった(当時[[北海道]]、[[長野県]]に次ぎ全国3位)。しかし[[平成の大合併]]により、[[2010年]](平成22年)4月までに30市町村となっている。 郡部については、岩船郡が2村を有する他は、全てが1町村のみの状態になっている。 以下の20市9郡6町4村がある<ref name="Link-sich" />。町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む。 ==== 上越地方 ==== * [[上越市]](施行時特例市) * [[糸魚川市]] * [[妙高市]] ==== 中越地方 ==== * [[長岡市]](施行時特例市) * [[三条市]] * [[柏崎市]] * [[小千谷市]] * [[加茂市]] * [[十日町市]] * [[見附市]] * [[魚沼市]] * [[南魚沼市]] * [[南蒲原郡]] ** [[田上町]] * [[三島郡 (新潟県)|三島郡]] ** [[出雲崎町]] * [[南魚沼郡]] ** [[湯沢町]] * [[中魚沼郡]] ** [[津南町]] * [[刈羽郡]] ** [[刈羽村]] ==== 下越地方 ==== <!--下越地方=蒲原ではありません。蒲原は中越と下越にまたがっている蒲原郡の地域を指す名称です。また、下越地方には岩船地域なども含まれます。ですので「(蒲原地方)」の表記を削除しました。--> * [[新潟市]]([[都道府県庁所在地|県庁所在地]]・[[政令指定都市]]) ** [[行政区]]: [[北区 (新潟市)|北区]] - [[東区 (新潟市)|東区]] - [[中央区 (新潟市)|中央区]] - [[江南区 (新潟市)|江南区]] - [[秋葉区]] - [[南区 (新潟市)|南区]] - [[西区 (新潟市)|西区]] - [[西蒲区]] * [[新発田市]] * [[村上市]] * [[燕市]] * [[五泉市]] * [[阿賀野市]] * [[胎内市]] * [[北蒲原郡]] ** [[聖籠町]] * [[西蒲原郡]] ** [[弥彦村]] * [[東蒲原郡]] ** [[阿賀町]] * [[岩船郡]] ** [[関川村]] ** [[粟島浦村]] ==== 佐渡地方 ==== * [[佐渡市]](一島一市) === 広域行政圏 === [[ファイル:新潟県地域区分図.svg|thumb|新潟県内の14の広域市町村圏]] [[1969年]]策定の[[新全国総合開発計画]](新全総)を発端とする広域生活圏(広域市町村圏)が、新潟県内では14圏域(当初は12圏域)設定され、広域行政単位となっていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/attachment/143738.pdf|title=Ⅲ その他の広域行政制度 連携中枢都市圏・定住自立圏等|work=[https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/shichouson/1332968554829.html 広域行政事務の手引]|publisher=新潟県総務管理部 市町村課|accessdate=2020-02-22}}</ref>。[[平成の大合併]]以降は圏内一市となる例が出現したため、9つの広域行政圏と5つの市という内訳になったが、[[連携中枢都市圏構想]]・[[定住自立圏]]構想など新制度の登場などもあり、多くが解散した<ref>[https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/attachment/92514.pdf 市町村合併に伴う新潟県内の広域市町村圏] - 新潟県</ref>(圏内一市の場合、圏名は''斜体'' )。 * '''岩船圏'''([[村上市]]、[[関川村]]、[[粟島浦村]] - 1市2村) - [[岩船郡]]の当初の範囲に等しい'''。''' * '''新発田圏'''([[新発田市]]、[[胎内市]]、[[聖籠町]] - 2市1町) * '''新潟圏'''([[新潟市]]、[[阿賀野市]] - 2市) * '''五泉圏'''([[五泉市]]、[[阿賀町]] - 1市1町) * '''三条・燕圏'''([[三条市]]、[[燕市]]、[[加茂市]]、[[田上町]]、[[弥彦村]] - 3市1町1村)- [[新潟県県央地域|'''県央地域''']]に等しい。 * '''長岡圏'''([[長岡市]]、[[小千谷市]]、[[見附市]]、[[出雲崎町]]- 3市1町) * '''柏崎圏'''([[柏崎市]]、[[刈羽村]] - 1市1村) * '''魚沼圏''' ([[魚沼市]] - 1市) * '''南魚沼圏'''([[南魚沼市]]、[[湯沢町]] - 1市1町)- [[南魚沼郡]]の当初の範囲に等しい。 * '''十日町圏'''([[十日町市]]、[[津南町]] - 1市1町) * '''上越圏''' ([[上越市]] - 1市) * '''妙高圏''' ([[妙高市]] - 1市) * '''糸魚川圏''' ([[糸魚川市]] - 1市)- [[西頸城郡]]の当初の範囲にほぼ等しい。 * '''佐渡圏''' ([[佐渡市]] - 1市)-かつての[[佐渡国]]([[加茂郡 (新潟県)|加茂郡]]・[[羽茂郡]]・[[雑太郡]])に等しい。<!--この節は中立性や検証可能性に関して疑問とされている点が多いため、コメントアウトとしております。解除する際はノートでの合意の上で行ってください。 ===地域的特徴=== {{観点S}} {{正確性S}} {{未検証}} 戊辰戦争、北越戦争にあって、現在の新潟県地方、すなわち越後国に置かれた諸藩は、佐幕派(同盟派)と、恭順派(官軍派)の2つに割れて、戦争状態となった。 戊辰戦争では、同じ旧国内に置かれた藩が、両派に割れたことは、特に珍しいことではないが、両派の藩の間で激しい戦闘が行われたのは、新潟県をおいて他にあまりなく、その後の地域対立の原因となったと指摘する文献も多い。例えば長岡では、新発田には嫁にやらない、嫁をもらわないなどが挙げられる(出典 今泉鐸次郎著 長岡の歴史など)。 [[下越地方]]、[[中越地方]]、[[上越地方]](頸城地方)、[[佐渡島]]の4地域では、地域的特徴が全く異なる。 江戸時代までは、[[越後国]]には多くの藩が分立し、佐渡島は[[天領]]となっていて、各藩や各天領の中心都市が各地に分立していた。 [[明治維新]]期の[[廃藩置県]]を経て、下越地方は新潟県、中越地方と上越地方は[[柏崎県]]、佐渡島は[[相川県]]となった。しかし、[[1873年]](明治6年)6月10日には柏崎県と新潟県は合併させられ、県庁所在地も北に偏った下越地方の[[新潟市|新潟]]とされた。 これは、現在の新潟県が発足して以来の大問題となっており、地域間対立の要因ともなって来た{{要出典}}。 [[新潟市|新潟]]を初めとする'''下越地方'''は、位置が東北地方に突き出ており、[[羽越本線]]や[[磐越西線]]が通っており、[[阿賀野川]]流域でもあるために、[[東北地方]]として扱われることも多い。特に[[庄内地方]]や[[会津]]地方との交流が多く、新潟と[[平 (いわき市)]]を結ぶ[[磐越自動車道]]の沿線では、[[会津若松市|会津若松]]の出版社が磐越自動車道沿線の地域情報誌を出している。また、[[上越新幹線]]の開通後には、[[太平洋]]側でも[[東京都|東京]]への[[ストロー現象]]が目立っている{{要出典}}。 '''[[佐渡島]]'''も、島の位置や[[新潟港]]からの航路が多さで、こちらも下越地方と同様に東北地方として扱われる事も多い{{要出典}}。 一方で、[[上越市]]を初めとする'''上越地方(頸城地方)'''は、下越地方や東北地方との繋がりが浅く、特に[[上信越自動車道]]沿線で[[スキー場]]も多い[[北信地方|善光寺平]]([[長野県]]北部)との繋がりが深い{{要出典}}。 両者の中間で、[[長岡市|長岡]]を初めとする'''[[中越地方]]'''は、「北陸と東北の折衷地域」という色が濃い{{要出典}}。「魚沼産[[コシヒカリ]]」に象徴されるように、「[[越国|越]]の○○」という[[ブランド]]を多用する傾向が大きく、スキー場の密集地でもある。しかし、[[上越新幹線]]の開通後は、太平洋側の東京への[[ストロー現象]]が顕著になっている{{要出典}}。 === 日本の地方区分による分類 === [[日本の地域#八地方区分等|八地方区分]]では[[中部地方]](およびその下位区分である[[北陸地方]])に分類されるが、他にも[[関東甲信越地方]]([[広域関東圏]])、[[甲信越地方]]、[[信越地方]]、[[北信越地方]]([[北陸信越地方]])など様々な分類がなされる。 [[日本放送協会|NHK]]の放送エリアや天気予報をはじめ、メディアでは関東甲信越の分類が多く用いられるが、スポーツ競技の地方予選大会や[[衆議院比例代表制選挙区一覧|衆議院比例代表選挙区]]など、数的な偏りを避ける場合には北信越に分類されることが一般的である。 [[北陸地方]]に新潟県を含めるか否かは、組織や団体によって判断が分かれており、[[国土交通省]]北陸地方整備局(本局所在地:新潟市)、[[農林水産省]][[北陸農政局]](本局所在地:[[金沢市]])、[[北陸ガス]](本社所在地:新潟市)などは本県を管轄する一方で、[[北陸財務局]]や[[北陸電力送配電]]は北陸3県のみを管轄とし、本県はそれぞれ[[関東財務局]]、[[東北電力ネットワーク]]の管轄下となっている。 このほか、組織によっては東北や北関東と同一エリアとして扱われることがある。国土交通省の[[国土形成計画]]では「東北圏」に含まれる([[東北地方#定義域と名称]]を参照)。また、[[東北経済連合会]]の活動エリアにも含まれる。県知事は[[北海道東北地方知事会]]や[[北関東磐越五県知事会議]]にも加わっている。 また、新潟県を他の地方に含めず単独で分類する例も見られる。小中学校の[[地図帳]]では[[沖縄県]]を除く他都道府県が八地方区分に基づいた図に掲載されるのに対し、本県は「新潟県」という独立したページに掲載されている<ref>帝国書院 新編中学校社会科地図 初訂版 pp.95-96</ref>。 [[東日本]]に分類されることが一般的であるが、文化面では東西両方の要素を持つ(特に[[佐渡地方]]は[[西日本]]の影響が顕著である)。 === 道州制 === {{観点S}} {{正確性S}} {{未検証}} 新潟県を巡る[[道州制]]の区割り案について、[[地方制度調査会]](所在地:[[東京都]][[特別区|区部]])は、9道州案では'''北関東信越州'''、11道州案と13道州案では'''北陸州'''に入るとされている。一方で、[[国土交通省]](所在地:東京都区部)の全国総合開発計画の区割りでは、新潟県は'''東北ブロック'''に入るとされている。 しかし、「[[上越地方|上越]]は東北ではない」「[[下越地方|下越]]と[[佐渡島]]は東北に入るべきだ」「東北と北陸に分けるべきだ」という、新潟県の分割を求める意見が、道州制を題目とするネット掲示板で増えている。 また、「[[中越地方|中越]]は[[北関東]]へ入る」という意見もあるが、この場合、全く接点の無い中越地方([[日本海]]側)と[[茨城県]]([[太平洋]]側)が一緒という、地理的同一性を欠いた区割りとなる。 なお、「上越は東北ではない」といった新潟県の分割を求める意見の背景には、以下の点が挙げられる。 # 上越地方は[[北陸新幹線]](予定)や[[上信越自動車道]]の沿線ともなっているため、住民の多くは東北地方への帰属意識を持っていない。又、「上越は北陸の一部」だと思っている東北地方民も多く、道州制で東北州が発足すると、[[州都]]は[[東北新幹線]]沿線になることが予想されている。このため、道州制で新潟県全域が東北州に入れられると、上越地方は無視されるという危惧を抱いている{{要出典}}。下越地方は東北地方に極めて近く、下越地方のテレビ局も、[[東北ローカル]]の番組を多く放送している。 # [[幕末]]の[[奥羽越列藩同盟]]には、上越地方の藩は加盟していない。又、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の北陸地方は[[浄土真宗]]の地盤となったが、上越市(上越地方)が[[親鸞]]の本拠地で、浄土真宗の勢力圏が[[親不知]]を越えて西へ進んだのに対して、下越地方は浄土真宗の地盤にならなかった。<br />この歴史的経緯を見ても、上越地方が「北陸の一部」という様相が強いのに対して、下越地方は「東北との交流圏」であり、互いに異なる地方となっている。 # 新潟県全域が「[[関東地方|関東]](太平洋側)の付属品」のようなエリア区分にされる事が多いため、[[富山県]]の自治体関係者が、「親不知以西の3県だけでは、[[中部地方|中部]](太平洋側)や[[近畿地方|近畿]]([[瀬戸内海]]側)に呑み込まれてしまう」と危惧して、新潟県の北陸への残留を勧めている(←[http://www.kitanippon.co.jp/pub/hensyu/gappei/jichi/074.html 北日本新聞2003年6月27日付])。その一方で、[[宮城県]]の自治体関係者が、歴史的経緯(奥羽越列藩同盟)や交通網([[羽越本線]]・[[磐越西線]])の面、東北経済連合会の枠組みに新潟県が入っている点から、新潟県の東北への加入を勧めている{{要出典}}道州制のページより。「東北経済連合会の枠組みが新潟県を含めた7県であり、付随する地域投資ファンドもこの7県に投資しているため、宮城県の経済界では新潟県含めた7県で東北道とする案も見られる。」 # 太平洋側への連絡線を見ると、[[糸魚川市|糸魚川]]からは[[遠州灘]]沿岸([[豊橋市|豊橋]]、[[掛川市|掛川]]など)に出て、[[上越市]]からは[[富士山]]眺望圏([[清水市|清水]]、[[東京都|東京]])に出て、[[長岡市|長岡]]からは東京に出るというように、上越地方と中越地方では[[東海道]]沿線に出る。これに対して、[[新潟市|新潟]]からは[[平 (いわき市)]]に出ており、下越地方からは[[陸前浜街道]]沿線に出る。<br />又、上越地方と富山県は東西軸が幹線になっているのに対して、下越地方は南北軸が幹線になっており、中越地方が東西軸と南北軸が入れ替わる地域になっている。そして、東京から北上して日本海側に出る際に、中越地方か上越地方で日本海側に出るのに対して、下越地方は中越地方より更に北側に位置している。<br />このように、交通面から見ても、下越地方は、中越地方や上越地方とは異なる体系となっている。--> == 人口 == === 明治期の人口 === ==== 人口最多の県 ==== 新潟県は、'''かつて人口が日本で最も多い[[都道府県|道府県]]であった'''。本県の範囲がおおむね現在と等しくなった[[1874年]]([[明治]]7年)から[[1896年]](明治29年)までの23年間にわたって、本県の人口は統計上約140万人から170万人で推移し、そのうち8年間を除いた15年間において全国の道府県で最多の住民を擁した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hrr.mlit.go.jp/library/hokuriku2003/s1/1-06/01jinkou/03meiji/03meiji.html|title=地域特性資料:明治期と現在の都道府県別人口一覧|work=[https://www.hrr.mlit.go.jp/library/hokuriku2003/ 北陸の社会資本2003]|publisher=国土交通省北陸地方整備局|accessdate=2020-02-22}}</ref><ref name=":0">{{Cite news|title=なぜ新潟や石川が「人口日本一」だったのか? 都道府県の人口推移から見る、日本近代化の歴史|newspaper=[[ねとらぼ]]|date=2021-06-17|url=https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/1167/|author=辰井裕紀|accessdate=2022-01-02}}</ref>。 具体的には、1874年に新潟県(当時の管轄は[[下越地方|下越]]のみ)が'''[[柏崎県]]'''(管轄は[[上越地方|上越]]・[[中越地方|中越]])を併合して、[[越後国]]のほぼ全域を管轄したのち、さらに1876年に'''[[相川県]]'''([[佐渡島]]の全域)を併合した。この3年間において本県は人口が最多であった<ref name=":0" />。 ==== 石川県に最多を譲ったのち復帰 ==== ただし、翌[[1877年]](明治10年)から[[1881年]]までの5年間にかけては、[[石川県]]が[[富山県]]の全域および[[福井県]]の[[嶺北|嶺北地方]]を併合した「'''大石川県'''」となっていた<ref group="注釈">より正確には、1876年に現在の富山県に相当する『'''[[新川県]]'''』が石川県に併合された。また同年、現在の福井県にほぼ相当する『'''[[敦賀県]]'''』が南北([[嶺南]]と[[嶺北]])に分割され、嶺南が[[滋賀県]]、嶺北が石川県へと併合された。</ref> ため、1位の座は石川県に譲った<ref name=":0" />。 その後、石川県から福井県・富山県が相次いで独立し<ref group="注釈">より正確には、1881年に福井県が独立、1883年に富山県が独立した。</ref>、石川県の人口が小さくなったことで、[[1882年]](明治15年)から[[1883年]](明治16年)にかけて新潟県が最多となった<ref name=":0" />。 ==== 大阪府に最多を譲ったのち復帰 ==== ただ、翌[[1884年]](明治17年)から[[1886年]](明治19年)までの3年間には、[[大阪府]]が[[奈良県]]の全域を併合していた<ref group="注釈">より詳細には、それ以前までの「大阪府」は現在の大阪府の北半分の範囲であり、現在の大阪府の南半分は当時『'''[[堺県]]'''』が管轄した。堺県はまた現在の[[奈良県]]([[大和国]])の全域も管轄していた。そして1881年に大阪府が堺県を併合したため、現在の大阪府および奈良県の全域を管轄することとなった。</ref> ため、1位は大阪府に譲った<ref name=":0" />。なお、この1886年に[[東蒲原郡]](現在の[[阿賀町]])が[[福島県]]から新潟県へと移管されたことで、本県の範囲は現在と等しくなった。 その後、大阪府から奈良県が独立し、大阪府の人口が小さくなったことで、[[1887年]](明治20年)から1896年に至るまでの連続10年間は新潟県が最多を守った<ref name=":0" />。 ==== 東京府に最多を譲る ==== しかし、[[1897年]](明治30年)には[[東京府]](現在の[[東京都]])の人口が最多となり、以後は本県の人口が最多となることはなかった<ref name=":0" />。 {{See also|過去の都道府県の人口一覧#国勢調査以前の過去の都道府県別人口}} ==== 人口が多かった要因 ==== [[近代]]以前の日本は[[都市化]]が進んでおらず、住民の9割近くが[[農業]]によって生活を成り立たせていた。そのため、[[稲作]]に適した広大な[[越後平野]]を擁して[[収穫|収穫高]]が大きい新潟県は人口涵養能力が高かった<ref>これでいいのか新潟県 (日本の特別地域特別編集)19頁</ref>。 さらに[[19世紀]]以前の輸送手段は[[海運]]が主流であり、とくに本県が接する[[日本海]]を航行する[[北前船]]は、[[太平洋]]よりも安全かつ安価な航行が可能であった。このため、本県を含む[[裏日本|日本海側]]の地域は物流によって栄えた。[[1878年]](明治11年)の人口統計では、同じく日本海側の[[金沢市|金沢]]が日本で第5位の都市であり、[[富山市|富山]]も日本第9位の都市であった(なお[[新潟市]]は上位10位圏外だった)<ref name=":0" />。 また、著述家の辰井裕紀によれば、新潟県や[[北陸地方]]では[[浄土真宗]]などの[[仏教]]の信仰が強かった<ref name=":0" />。そのため、日本中の[[村落|農村]]で多くみられた「[[間引き]]」([[赤ちゃん|新生児]]を親が殺すこと。[[貧困]]による)や「[[人身売買|身売り]]」(少女を親が[[売春宿]]へ売り払うこと。貧困による)が本県や北陸では非常に少なく、人口が増加しやすかったのだという<ref name=":0" />。 しかし、明治以降における[[工業化]]の進行に伴って[[太平洋ベルト]]地帯が発展し、また[[鉄道]]の普及に伴って海運が衰退していった。それに伴い、本県を含む日本海側からは[[東京]]・[[大阪]]といった[[表日本|太平洋側]]の[[大都市]]や、[[開拓地]]の[[北海道]]へと人口が流出していった<ref name=":0" />。 === 昭和以降の人口 === [[国勢調査 (日本)|国勢調査]]における本県の人口は<ref>{{Wayback|url=http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Article/H20%20hyoushi,0.pdf|title=統計グラフでみる新潟県 平成20年版(新潟県)|date=20130620053637}}</ref>、[[1940年]]([[昭和]]15年)に200万人を突破し、[[1955年]](昭和30年)に247.3万人となったが、[[1970年]](昭和45年)には236.1万人と一旦減少した。その後は増加し、[[1985年]](昭和60年)に247.8万人に達した。[[1997年]]([[平成]]9年)に249万1874人([[推計人口]])でピークを記録した。 その後は減少傾向となり<ref>[http://www.niigata-nippo.co.jp/news/politics/20150430178230.html 県人口230万人割り込む 県発表、知事「危機感覚える」]{{リンク切れ|date=2019年5月}}(新潟日報 2015年4月30日)</ref>、[[2005年]](平成17年)に243.1万人(全国14位)、[[2010年]](平成22年)には約237.1万人となった。特に、進学や就職などの理由による18歳〜24歳の若年層の減少が深刻で、県では人口対策を最重要課題に掲げている。 [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Nigata prefecture, Japan_2015-2020.svg|thumb|300px|新潟県市町村人口増減率分布図(2015年度と2020年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=15000|name=新潟県|image=Demography15000.svg}} === 都市 === ;新潟県内 市別人口ランキング {| class="infobox" style="text-align:center; width:100%; margin-right:10px; font-size:100%" |- ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[新潟県#地域|地域区分]] ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[新潟県#地域|地域区分]] ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口 |- |----- |align="center"| '''1''' |align="center"| '''[[新潟市]]''' |align="center"| [[下越地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/新潟県|新潟市}}}}人 |align="center"| '''6''' |align="center"| '''[[柏崎市]]''' |align="center"| [[中越地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/新潟県|柏崎市}}}}人 |----- |align="center"| '''2''' |align="center"| '''[[長岡市]]''' |align="center"| [[中越地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/新潟県|長岡市}}}}人 |align="center"| '''7''' |align="center"| '''[[燕市]]''' |align="center"| [[下越地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/新潟県|燕市}}}}人 |----- |align="center"| '''3''' |align="center"| '''[[上越市]]''' |align="center"| [[上越地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/新潟県|上越市}}}}人 |align="center"| '''8''' |align="center"| '''[[村上市]]''' |align="center"| [[下越地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/新潟県|村上市}}}}人 |----- |align="center"| '''4''' |align="center"| '''[[新発田市]]''' |align="center"| [[下越地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/新潟県|新発田市}}}}人 |align="center"| '''9''' |align="center"| '''[[南魚沼市]]''' |align="center"| [[中越地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/新潟県|南魚沼市}}}}人 |----- |align="center"| '''5''' |align="center"| '''[[三条市]]''' |align="center"| [[中越地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/新潟県|三条市}}}}人 |align="center"| '''10''' |align="center"| '''[[佐渡市]]''' |align="center"| [[佐渡地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/新潟県|佐渡市}}}}人 |----- | colspan="11" align=center style="background:#f5f5f5;" |[[2017年]]12月 現在 |} {{-}} <gallery> Bandaibashi-Bridge 20130929.JPG|1.[[新潟市]]([[政令市]]) Nagaoka.jpg|2.[[長岡市]]([[特例市]]) Takada station square.JPG|3.[[上越市]]([[特例市]]) 160717 Tsukioka Onsen Shibata Niigata pref Japan12s3.jpg|4.[[新発田市]] Sanjo Ichinokido Shopping Street 002 April2020.jpg|5.[[三条市]] Kashiwazaki Lover’s Cape April2022.jpg|6.[[柏崎市]] Tsubame-Sanjo Station Tsubame Roadside April2020.jpg|7.[[燕市]] Central district of Murakami.JPG|8.[[村上市]] ツインタワー石打 TwinTower Ishiuchi - panoramio.jpg|9.[[南魚沼市]] Ryotsu Port.JPG|10.[[佐渡市]] </gallery> === 都市圏 === 10万人以上の[[都市雇用圏]](2015年国勢調査時点の10%都市圏) * [[新潟都市圏]](106万0013人) * [[長岡都市圏]](35万6767人) * [[上越都市圏]](23万0186人) * [[三条都市圏]](21万5037人) == 歴史 == {{Main2|行政区域の変遷の歴史は[[#行政区域の変遷]]を}} [[ファイル:Kaen_type_vessel_of_Sasayama-iseki.jpg|thumb|[[火焔型土器]]([[国宝]])|代替文=火焔型土器]] [[ファイル:Uesugi Kenshin Portrait from Uesugi Shrine.png|thumb|越後の龍と呼ばれる[[上杉謙信]]は現在の新潟県出身]] [[ファイル:Nishiki-e - View of Niigata Port.jpg|thumb|250px|錦絵『新潟湊之真景』安政6年([[1859年]])井上文昌筆([[新潟県立図書館]]蔵)]] [[ファイル:Air raid-Nagaoka.jpg|thumb|[[長岡空襲]]]] [[ファイル:Niigata-Stadium20130911-04.JPG|thumb|[[新潟スタジアム]]]] === 古代 === *約3万年前~[[縄文時代]]が始まるまでの1万数千年間を[[旧石器時代]]の内の[[後期旧石器時代]]といっている。そして、本県でも約200カ所の遺跡が知られている。そのころの[[石器]]としては[[ナイフ形石器]]が盛行していた<ref>これでいいのか新潟県 (日本の特別地域特別編集)6頁</ref>。 * [[崇神天皇]]年間 - [[久比岐国造]]と高志深江国造が設置される * [[大化]]3年([[647年]]) - 越の[[蝦夷]]に備えるために[[渟足柵]](ぬたりのき、新潟市付近)が造られる *大化4年([[648年]]) - [[磐舟柵]](いわふねのき、新潟県村上市付近)が造られ、越と[[信濃国|科野]]から[[柵戸]](さくこ)が派遣される *新潟県は[[越国|高志(越)国]]の一部であったが、7世紀末に高志国は[[越前国|越前]]・[[越中国|越中]]・[[越後国|越後]]の三国に分けられた === 近代 === * [[1860年]]([[安政]]7年)[[1月1日]] - [[日米修好通商条約]]により[[新潟港]]開港 ; 明治 * [[1868年]]([[明治]]元年)- [[戊辰戦争]](北越戦争)勃発。新政府軍が長岡城を攻略して越後を制圧 ; 昭和前期 * [[1945年]]([[昭和]]20年)- [[長岡空襲]] === 現代 === ; 昭和後期 * [[1955年]](昭和30年)[[10月1日]] - [[新潟大火 (1955年)|新潟大火]]発生 * [[1959年]](昭和34年) - [[新潟日赤センター爆破未遂事件]]<ref name="kokkai19591208">{{Cite web|和書 |url = https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=103305206X00619591208 |title = 第033回国会法務委員会第6号 |publisher = [[衆議院]] |author = |date = 1959-12-08 |accessdate = 2010-02-06 }}</ref> * [[1964年]](昭和39年)[[6月6日]] - 新潟[[国民体育大会|国体]]開催 * [[1973年]](昭和48年) - [[中華人民共和国]]の[[艦艇]]が[[領海侵犯]]し[[佐渡島]]に接近、[[ミサイル]]を試射する事件が発生 * [[1978年]](昭和53年) - [[北陸自動車道]]一部開通([[新潟市]](当時[[黒埼町]])〜[[長岡市]]間) * [[1982年]](昭和57年)[[11月15日]] - [[上越新幹線]]暫定開業([[新潟駅]]〜[[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]]間) * [[1985年]](昭和60年) ** 3月 - 上越新幹線[[上野駅]]乗り入れ開始 ** 10月 - [[関越自動車道]]全線開通 * [[1988年]](昭和63年) - [[北陸自動車道]]全線開通 ;[[平成]] * [[1991年]](平成3年) - 上越新幹線[[東京駅]]乗り入れ開始 * [[1996年]](平成8年) - 新潟市が[[中核市]]に指定される * [[1997年]](平成9年) - [[磐越自動車道]]全線開通 * [[1999年]](平成11年)[[10月30日]] - [[上信越自動車道]]全線開通 * [[2000年]](平成12年)1月 - 新潟県警本部長不祥事(雪見酒事件、[[新潟少女監禁事件]]に関連して) * [[2002年]](平成14年) ** 5月 - [[日本海東北自動車道]][[新潟空港インターチェンジ|新潟空港IC]]〜[[聖籠新発田インターチェンジ|聖籠新発田IC]]間が開通。同年10月には[[中条インターチェンジ|中条IC]]まで延伸。 ** 6月 - [[新潟スタジアム]]にて[[2002 FIFAワールドカップ|2002年ワールドカップサッカー]]日本側開幕戦開催 * [[2007年]](平成19年)[[4月1日]] - 新潟市が[[政令指定都市]]に、また長岡市と[[上越市]]が[[特例市]]へ移行 * [[2008年]](平成20年)5月 - G8労働大臣会合開催 * [[2009年]](平成21年) - [[トキめき新潟国体]]開会 * [[2011年]](平成23年) - [[新潟中国総領事館の万代小学校跡地移転問題]]が発生。 * [[2012年]](平成24年)[[9月8日]] - [[日本海]]に面する秋田県・山形県・新潟県・富山県・石川県・福井県・京都府・兵庫県・鳥取県・島根県の10府県が合同で[[海洋エネルギー資源開発促進日本海連合]]を設立<ref>[https://web.archive.org/web/20120908045200/http://sankei.jp.msn.com/life/news/120908/trd12090812490005-n1.htm 海底資源開発で連携 日本海沿岸の10府県]:産経新聞2012年9月8日 - WayBack Machineによるアーカイブ</ref><ref>[http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0005363224.shtml メタンハイドレート活用研究10府県が会議設立]{{リンク切れ|date=2019年5月}}:神戸新聞2012年9月8日</ref><ref>[http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/39824.html 日本海の資源開発で連携、連合設立。本県など日本海側10府県]:新潟日報2012年9月10日</ref><ref>[http://www.asahi.com/eco/news/TKY201209080579.html メタンハイドレート、日本海でも調査を 10府県が連合]:朝日新聞2012年9月9日</ref> * [[2015年]](平成27年)[[3月14日]] - [[北陸新幹線]]の新潟県内の区間が開業。[[えちごトキめき鉄道]]が開業。 === 災害史 === ; 主な災害 * [[863年]][[7月10日]] - [[越中・越後地震]] * [[1502年]][[1月28日]] - 越後地震 * [[1665年]] - [[越後高田地震]] * [[1714年]] - [[信濃小谷地震]] * [[1751年]] - [[高田地震]] * [[1828年]] - [[三条地震]] * [[1833年]] - [[庄内沖地震]] * [[1896年]]([[明治]]29年)[[7月22日]] - [[横田切れ]] * [[1927年]](昭和2年) - [[昭和2年豪雪]]。[[雪崩]]などによる死者・行方不明者93人、負傷者9人、家屋全壊約100戸<ref>新潟県下の死者、更に増える『大阪毎日新聞』昭和2年2月17日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p353 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref> * [[1961年]](昭和36年) ** [[2月2日]] - [[長岡地震]] ** [[9月16日]] - [[第2室戸台風]] * [[1963年]](昭和38年) - [[昭和38年1月豪雪]](サンパチ豪雪)・東京〜新潟間の交通網寸断 * [[1964年]](昭和39年) - [[新潟地震]] * [[1965年]](昭和40年) - [[昭和40年台風第23・24・25号|昭和40年台風第24号]] * [[1966年]](昭和41年) - [[下越水害]](7.17水害) * [[1967年]](昭和42年) - [[羽越豪雨]](8.28水害) * [[1977年]](昭和52年)1 - 2月 - [[昭和52年豪雪|五二豪雪]] * [[1978年]](昭和53年)6月 - [[梅雨前線]] * [[1980年]](昭和55年)末 - [[1981年]](昭和56年) - [[五六豪雪]] * [[1982年]](昭和57年)[[9月13日]] - [[昭和57年台風第18号]] * [[1984年]](昭和59年)1 - 2月 - [[五九豪雪]] * [[1985年]](昭和60年)1 - 2月 - [[六〇豪雪]] * [[1986年]](昭和61年)1 - 2月 - [[六一豪雪]] * [[1995年]]([[平成]]7年)夏 - [[7.11水害]]・[[平成7年梅雨前線豪雨]] * [[1998年]](平成10年) ** [[4月1日]] - [[新潟県北部地震]] ** 8月 - [[平成10年8月新潟豪雨]](8.4水害) * [[2004年]](平成16年) ** [[7月13日]] - [[平成16年7月新潟・福島豪雨]](7.13水害) ** [[10月23日]] - [[新潟県中越地震]] * [[2005年]](平成17年)12月 - 翌年にかけて[[平成18年豪雪]]。各地で観測史上最大積雪量を更新。[[新潟大停電]]発生。 * 2007年(平成19年) - [[新潟県中越沖地震]] * [[2011年]](平成23年) ** 1月 - [[平成23年豪雪]] ** [[3月12日]] - [[長野県北部地震 (2011年)|長野県北部地震]] ** [[7月26日]] - [[7月30日]] - [[平成23年7月新潟・福島豪雨]] * [[2012年]](平成24年)1 - 2月 - [[平成24年豪雪]] * [[2013年]](平成25年)2月 - [[平成25年豪雪]] * [[2016年]](平成28年)[[12月22日]] - [[糸魚川市大規模火災]]発生 * [[2018年]](平成30年)2月 - [[平成30年豪雪]] * [[2019年]]([[令和]]元年) ** [[6月18日]] - [[山形県沖地震]]。[[村上市]]府屋で震度6強の揺れを観測。 ** [[10月12日]] - [[10月13日]] - [[令和元年東日本台風]]。県内の[[信濃川]]や[[阿賀野川]]が氾濫し[[長岡市]]や[[阿賀町]]など各地で浸水被害が出た。 * [[2020年]](令和2年)12月 - [[2021年]](令和3年)1月 - [[令和3年豪雪]] * [[2022年]](令和4年)8月3日 - [[令和4年8月豪雨]]。記録的な大雨により[[村上市]]、[[関川村]]、[[胎内市]]に大雨特別警報が発動。新潟県内北部では停電や断水、河川の氾濫により浸水被害が出た他、JR[[米坂線]]では土砂流入や路盤流出、盛土流出など甚大な被害が発生。 === 行政区域の変遷 === ==== 県の変遷 ==== 括弧書きは藩府県庁所在地の現所属市町村 * [[1868年]][[5月11日]](慶応4年=明治元年[[4月19日 (旧暦)|旧暦4月19日]]):[[遠国奉行#新潟奉行|新潟奉行所]]に代えて[[越後府|新潟裁判所]]を設置 * 1868年[[5月16日]](慶応4年[[4月24日 (旧暦)|旧暦4月24日]]):[[佐渡奉行|佐渡奉行所]]に代えて[[佐渡裁判所]]を設置 * 1868年[[7月18日]](慶応4年[[5月29日 (旧暦)|旧暦5月29日]]:[[越後国]]に[[越後府]](第1次、[[上越市]][[高田市|高田]] ⇒ [[柏崎市]])を設置 * 1868年[[9月13日]](慶応4年[[7月27日 (旧暦)|旧暦7月27日]]):越後府から[[柏崎県]](第1次、柏崎市)を分離 * 1868年[[10月17日]](慶応4年[[9月2日 (旧暦)|旧暦9月2日]]):佐渡裁判所に代えて[[佐渡県]]([[佐渡市]]旧[[真野町]])を設置 * 1868年[[11月5日]](明治元年[[9月21日 (旧暦)|旧暦9月21日]]):越後府を[[越後府|新潟府]](柏崎市 ⇒ [[長岡市]] ⇒ [[新潟市]])に改称 * 1868年[[12月18日]](明治元年[[11月5日 (旧暦)|旧暦11月5日]]):柏崎県を新潟府に合併(布達のみで実行されず)、佐渡県を新潟府の当分管轄とする(事実上の編入) * [[1869年]][[3月20日]](明治2年[[2月8日 (旧暦)|旧暦2月8日]]):新潟府から[[越後府]](第2次、[[阿賀野市]]旧[[水原町]])を分離再置 * 1869年[[4月3日]](明治2年[[2月22日 (旧暦)|旧暦2月22日]]):新潟府を新潟県(第1次)と改称。柏崎県の廃止と越後府への合併を再度布達。佐渡県は越後府の当分管轄とする。 * 1869年[[6月13日]](明治2年[[5月4日 (旧暦)|旧暦5月4日]]):[[岩代国]]に[[若松県]]([[会津若松市]])を設置、[[蒲原郡]]のうち旧[[会津藩]]領(現[[東蒲原郡]])を管轄 * 1869年[[7月25日]](明治2年[[6月17日 (旧暦)|旧暦6月17日]]):[[版籍奉還]] - [[8月1日]]( [[6月24日 (旧暦)|旧暦6月24日]])までに越後国内では以下の10藩の藩主([[諸侯]])が[[知藩事]]に任命された :: [[村上藩]]([[村上市]])、[[黒川藩]]([[胎内市]]旧[[黒川村 (新潟県北蒲原郡)|黒川村]])、[[三日市藩]]([[新発田市]]三日市)、[[新発田藩]]([[新発田市]])、[[村松藩]]([[五泉市]]旧[[村松町]])、[[三根山藩]]([[新潟市]]旧[[巻町]])、[[越後長岡藩|長岡藩]](長岡市)、[[与板藩]]([[長岡市]]旧[[与板町]])、[[椎谷藩]](柏崎市椎谷)、[[高田藩]](上越市高田)、[[清崎藩]]([[糸魚川市]]) * 1869年[[8月27日]](明治2年[[7月20日 (旧暦)|旧暦7月20日]]):越後府による当分管轄を解除し、佐渡県(佐渡市旧[[相川町]])を再置 * 1869年[[9月3日]](明治2年[[7月27日 (旧暦)|旧暦7月27日]]):越後府と新潟県を合併し、[[水原県]](阿賀野市旧水原町)を設置 * 1869年[[9月30日]](明治2年[[8月25日 (旧暦)|旧暦8月25日]]):水原県から[[柏崎県]](第2次、柏崎市)を分離 * [[1870年]][[4月7日]](明治3年[[3月7日 (旧暦)|旧暦3月7日]]):水原県を廃し、新潟県(第2次、新潟市)を設置 * 1870年[[11月15日]](明治3年[[10月22日 (旧暦)|旧暦10月22日]]):長岡藩を廃し、柏崎県に編入 * 1870年[[11月22日]](明治3年[[10月29日 (旧暦)|旧暦10月29日]]):三根山藩を[[峰岡藩]](新潟市旧巻町)に改称 * [[1871年]][[8月29日]](明治4年[[7月14日 (旧暦)|旧暦7月14日]]):[[廃藩置県]] - 旧藩から県に替わったものも含めて現新潟県域には以下の各県が設置された :: 村上県、三日市県、黒川県、新発田県、村松県、峰岡県、新潟県、柏崎県、与板県、椎谷県、高田県、清崎県、佐渡県 ::* 蒲原郡のうち旧会津藩領の区域は引き続き若松県の一部 * 1871年[[12月31日]](明治4年[[11月20日 (旧暦)|旧暦11月20日]]):府県統合により以下の3県を設置 ** '''新潟県'''(第3次、新潟市):下越2郡(蒲原郡・岩船郡) - 村上県、三日市県、黒川県、新発田県、村松県、峰岡県、新潟県を統合 ** '''柏崎県'''(第3次、柏崎市):上・中越5郡(頸城郡・刈羽郡・魚沼郡・三島郡・古志郡) - 与板県、椎谷県、高田県、清崎県、柏崎県を統合 ** '''[[相川県]]'''(佐渡市旧相川町):佐渡県を改称 * [[1873年]](明治6年)[[6月10日]]:柏崎県を廃し、新潟県に合併 * [[1876年]](明治9年)[[4月18日]]:相川県を廃し、新潟県に合併 ** ([[1876年]](明治9年)[[8月21日]]:若松県を廃し、[[磐前県]]とともに[[福島県]]に合併) * [[1886年]](明治19年)[[5月25日]]:福島県から東蒲原郡を新潟県へ移管 ;新潟県の成立 現在の新潟県は、[[日米修好通商条約]]によって[[開港場]]に指定された[[新潟市|新潟]]を管内に抱え、また[[戊辰戦争]]の主戦場の1つになったことから、その成立までの変遷は他府県にも増して複雑なものだった。 1870年(明治3年)の新潟県(第2次)成立までの変遷は「[[越後府]]」および「[[柏崎県]]」の項を参照のこと。 * [[1870年]][[4月7日]](明治3年[[3月7日 (旧暦)|旧暦3月7日]])、[[越後国]]のうち新潟を含む[[下越地方|下越]]2郡(蒲原郡・岩船郡)内の政府直轄地を管轄していた[[水原県]]が廃止され、県庁が新潟に移されることで'''新潟県'''(第2次)が成立した。**当時、現県域には新潟県のほか、上・中越5郡(頸城郡・刈羽郡・魚沼郡・三島郡・古志郡)内の政府直轄地を管轄する[[柏崎県]]、[[佐渡国]]全域を管轄する[[佐渡県]]、および県域内に藩庁を置く10藩によって分割支配されていた。さらに、蒲原郡のうち旧[[会津藩]]領の区域は[[若松県]]の管轄下に置かれていた。 * [[1871年]][[8月29日]](明治4年[[7月14日 (旧暦)|旧暦7月14日]])の[[廃藩置県]]を経て、同年[[12月31日]]([[11月20日 (旧暦)|旧暦11月20日]])に行われた府県再編で下越2郡の旧藩5県が新潟県と、上・中越5郡の旧藩4県([[越後長岡藩|長岡藩]]は既に柏崎県に編入されていた)が柏崎県と合併して、それぞれ'''新潟県'''(第3次)、'''柏崎県'''(第3次)となり、また佐渡県は'''相川県'''と改称された。 * [[1873年]](明治6年)に柏崎県が、[[1876年]](明治9年)に相川県がそれぞれ廃止されて相次いで新潟県に合併されて、越佐両国を新潟県が統一して管轄することとなった。 * [[1886年]](明治19年)、若松県を経て[[福島県]]の管轄となっていた蒲原郡の一部([[1878年]](明治11年)から東蒲原郡)が新潟県に移管されたことにより、現在の新潟県の県域が確定した。 ==== 郡の変遷 ==== * [[1869年]](明治2年):現在の新潟県域には以下の国郡があった ** [[越後国]] *** [[岩船郡]]、[[蒲原郡]]、[[三島郡 (新潟県)|三島郡]]、[[古志郡]]、[[魚沼郡]]、[[刈羽郡]]、頸城郡 ** [[佐渡国]] *** 雑太郡、加茂郡、羽茂郡 * [[1878年]](明治11年):[[郡区町村編制法]]により蒲原郡・魚沼郡・頸城郡が分割されて新潟県管内は1区22郡となり、また福島県管内に越後国のうち1郡が属した ** 蒲原郡を[[新潟市|新潟区]]・[[北蒲原郡]]・[[中蒲原郡]]・[[西蒲原郡]]・[[南蒲原郡]]・[[東蒲原郡]]に分割、うち東蒲原郡は福島県に所属 ** 魚沼郡を[[北魚沼郡]]・[[南魚沼郡]]・[[中魚沼郡]]に分割 ** 頸城郡を[[東頸城郡]]・[[中頸城郡]]・[[西頸城郡]]に分割 ** 従来通り:岩船郡、三島郡、古志郡、刈羽郡、雑太郡、加茂郡、羽茂郡 * [[1886年]](明治19年)[[5月25日]]:福島県から東蒲原郡が移管され、新潟県管内は1区23郡となる * [[1889年]](明治22年)[[4月1日]]:[[市制]]・[[町村制]]の施行により、新潟区が新潟市となる * [[1896年]](明治29年)4月1日:新潟県に[[府県制]]・[[郡制]]が施行され、佐渡3郡(雑太郡・加茂郡・羽茂郡)が統合されて[[佐渡郡]]となり、新潟県管内は1市21郡となる * [[2004年]](平成16年)[[3月1日]]:市町村合併により佐渡郡が消滅 * [[2005年]](平成17年)[[3月19日]]:市町村合併により西頸城郡が消滅 * [[2005年]](平成17年)4月1日:市町村合併により東頸城郡、中頸城郡、古志郡が消滅 * [[2006年]](平成18年)[[1月1日]]:市町村合併により中蒲原郡が消滅 * [[2010年]](平成22年)[[3月31日]]:市町村合併により北魚沼郡が消滅 ==== 廃止した市町村・郡 ==== :廃止市町村は[[新潟県の廃止市町村一覧]]を参照。 ;廃止した郡 * [[東頸城郡]] * [[西頸城郡]] * [[中頸城郡]] * [[古志郡]] * [[北魚沼郡]] * [[中蒲原郡]] * [[佐渡郡]] <gallery> Niigata-pref_2000.png|2000年([[平成]]12年)(平成の大合併前)の行政地図。 Niigata-pref_2006.png|2006年([[平成]]18年)3月末の行政地図。旧市町村境を灰色で示す。 </gallery> == 政治 == [[ファイル:Niigata Prefectural Government Memorial Hall1.JPG|thumb|200px|[[新潟県政記念館|旧新潟県議会議事堂]]]] === 行政 === {{Main|新潟県知事一覧|新潟県庁|新潟県議会}} ==== 県知事 ==== * [[都道府県知事|知事]]:[[花角英世]](はなずみ ひでよ、2期目) ; 歴代知事(公選) * [[岡田正平 (政治家)|岡田正平]](2期、[[1947年]](昭和22年)[[4月15日]] - [[1955年]](昭和30年)[[4月29日]]) * [[北村一男]](2期、[[1955年]](昭和30年)[[4月30日]] - [[1961年]](昭和36年)[[11月30日]]) * [[塚田十一郎]](2期、[[1961年]](昭和36年)[[12月7日]] - [[1966年]](昭和41年)[[3月28日]]) * [[亘四郎]](2期、[[1966年]](昭和41年)[[5月8日]] - [[1974年]](昭和49年)[[4月30日]]) * [[君健男]](4期、[[1974年]](昭和49年)[[5月1日]] - [[1989年]](平成元年)[[4月19日]]) * [[金子清]](1期、[[1989年]](平成元年)[[6月4日]] - [[1992年]](平成4年)[[9月9日]]) * [[平山征夫]](3期、[[1992年]](平成4年)[[10月25日]] - [[2004年]](平成16年)[[10月24日]]) * [[泉田裕彦]](3期、[[2004年]](平成16年)[[10月25日]] - [[2016年]](平成28年)[[10月24日]]) * [[米山隆一 (政治家)|米山隆一]](1期、[[2016年]](平成28年)[[10月25日]] - [[2018年]](平成30年)[[4月27日]]) * [[花角英世]]([[2018年]](平成30年)[[6月12日]]- ) ==== 財政 ==== ; 2007年(平成19年)度 * [[財政力指数]] 0.43 ** IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中7位 ; 2006年(平成18年)度 * 財政力指数 0.40 ** IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)9自治体中9位 * 実質公債費比率 15.2 * 経常収支比率 91.6 * 人口一人当たり地方債現在高 103万5522円 普通会計分のみ * [[ラスパイレス指数]] 100.9 ; 地方債等の残高 * 普通会計分の地方債 2兆5118億円 * 上記以外の特別会計分の地方債 1773億円 * 関係する一部事務組合分の債務 8億円(債務x負担割合) * 第3セクター等の債務保証等に係る債務 279億円 (財)新潟県暴力追放運動推進センターなど : 地方債等の残高合計 2兆7178億円 (連結会計) ; 2005年(平成17年)度 * 財政力指数 0.38 ** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中5位 ; 2004年(平成16年)度 * 財政力指数 0.36 ** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中5位 ==== 新潟州構想 ==== [[2011年]](平成23年)[[1月25日]]に[[泉田裕彦]]新潟県知事と[[篠田昭]]新潟市長による共同会見で、[[東京都]]に倣い、現新潟市を[[特別区]]に移行し、他市町村間も更に合併を進め人口規模30万クラスの[[基礎自治体]]とする州制移行構想が発表された。また、各特別区、基礎自治体の権限は現行の東京都の23の各特別区が持つ以上のレベルを想定している<ref>これでいいのか新潟県 (日本の特別地域特別編集)122頁~123頁</ref>。 {{Main|新潟州構想}} === 議会 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#新潟県|新潟県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が6。[[参議院]]では、全県で1区を構成。 ==== 衆議院 ==== * [[新潟県第1区]]:{{衆議院小選挙区当選者|新潟県第1区}} * [[新潟県第2区]]:{{衆議院小選挙区当選者|新潟県第2区}} * [[新潟県第3区]]:{{衆議院小選挙区当選者|新潟県第3区}} * [[新潟県第4区]]:{{衆議院小選挙区当選者|新潟県第4区}} * [[新潟県第5区]]:{{衆議院小選挙区当選者|新潟県第5区}} * [[新潟県第6区]]:{{衆議院小選挙区当選者|新潟県第6区}} ==== 参議院 ==== [[新潟県選挙区]] * 2022年改選 ** {{参議院選挙区当選者偶数開催|新潟県選挙区}} * 2025年改選 ** {{参議院選挙区当選者奇数開催|新潟県選挙区}} == 経済・産業 == [[2016年]](平成28年)度の県内総生産は名目8兆8840億円である<ref name="Keizai">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/tokei/1356909743454.html|title=平成28年度県民経済計算の概要|publisher=新潟県総務管理部 統計課|accessdate=2020-02-22}}</ref>。世界の過半数の国の [[国内総生産|GDP]] より大きな規模を有している。県民所得は6兆4596億円であり<ref name="Keizai"/>、一人当たり県民所得は282.6万円である<ref name="Keizai"/>。 === 第一次産業 === ==== 農林水産業 ==== [[ファイル:natui_hazagi.jpg|thumb|200px|[[稲木|はざ木]]のある田園風景]] 主要な産業としては農業が挙げられる。[[米]]作([[コシヒカリ]])が中心で、コシヒカリの収穫量は日本一である<ref>{{Cite web|和書 |url = https://www.maff.go.jp/j/study/suito_sakugara/h2204/pdf/ref_data2.pdf |title = 平成21年産水稲の品種別収穫量 |publisher = 農林水産省大臣官房統計部 |date = 2010-02-25 |accessdate = 2012-09-09 }}</ref>。特に[[中越地方|魚沼地方]]で栽培されるコシヒカリは「[[魚沼産コシヒカリ]]」として食味日本一の評価を受けるトップブランドであり、日本一の[[米]]どころであるといえる。また、米に関連して[[米菓]]([[煎餅]]、[[あられ (菓子)|あられ]]など)の生産額も日本一、[[日本酒]]も[[兵庫県]]、[[京都府]]に次ぐ第3位で酒蔵数は日本一である。米の生産が多いため、[[米粉]]の研究を行っており、研究を利用して製品を販売する[[新潟製粉]]に出資している。 米以外では、[[茄子]]と[[枝豆]]の作付面積が日本一。また、[[チューリップ]]、[[西瓜]]の栽培も盛んである。 [[漁業]]も盛んであり、[[蒲鉾]]など魚肉[[練り製品]]も有力である。 ==== 養鯉 ==== [[ファイル:Ojiya_Nishikigoi_no_Sato_ac_(3).jpg|thumb|200px|小千谷市の[[錦鯉]]]] [[ニシキゴイ|錦鯉]]は19世紀に、現在の小千谷市と長岡市([[山古志]]地域)を中心とする地域で飼育が始まったと考えられている。 現在は錦鯉の養鯉が盛んに行われている。 === 第二次産業 === ==== 工業 ==== [[北陸工業地域]]の中心的存在でもある。 * [[上越地方]]の[[糸魚川市]]では、良質な[[石灰石]]が取れることなどから糸魚川市・上越市などで[[化学工業]]が発達している。 * [[中越地方]]の[[長岡市]]では、米菓などの食品加工、製紙、[[自動車]]やバイクのメーターが製造されている。バイクメーターの国内シェアは9割弱、世界シェアは3割ほど。 三条市や燕市では刃物、金物、洋食器などの製造が盛ん。 * [[下越地方]]の[[新潟市]]周辺では、[[米菓]]などの食品加工業、製紙業、化学工業が多く立地している。 * [[佐渡地方]]の[[佐渡市]]では、歴史的に鉱業が盛んだった。 ;製造業 県内では[[石油ストーブ]]、[[石油ファンヒーター]]といった石油燃焼器具の生産が大きい。 ;軽工業 他には金属製品の生産が多い。燕市・三条市の金属[[食器]]は国内シェアの9割を持ち、機械部品では、[[非鉄金属|非鉄金属材料]]の加工に強みをもつ企業が多い。[[はさみ]]や[[包丁]]、[[スパナ]]などの金属工具も[[大阪府]]に次ぐ2位である。 繊維産業では、[[ニット]]の生産高が日本一である。しかし近年は、人件費の安さを求めた生産拠点の海外移転や価格の安い外国勢([[中華人民共和国|中国]]や東南アジア諸国など)に押され気味である。 [[1989年]](平成元年)には工場立地件数で日本一になったこともある。 ==== 鉱業 ==== [[ファイル:史跡佐渡金山_-_panoramio.jpg|thumb|200px|[[佐渡金山]]]] [[ファイル:Koshijihara_Plant.jpg|thumb|200px|[[南長岡ガス田]]]] ;金鉱 かつて[[佐渡島]]には金・銀の鉱脈が分布しており([[佐渡金山]]を参照)、最大規模の相川金銀山を中心に近世から近代にかけて盛んに採掘が行われたが、[[1989年]](平成元年)に閉山された。 ;原油 日本で数少ない[[原油]]の生産地であり、古くから石油を産出していたことで知られている。近代ごろを中心に[[尼瀬油田]]([[出雲崎町]])や[[東山油田]]([[長岡市]])、[[新津油田]]([[新潟市]][[秋葉区]])など各地で採掘が行われていた。現在でも新潟県は日本国内の石油産出量のほとんどを占める産油県である。 近代以降、新潟県内では数多くの石油会社が設立された。主なものとして、[[日本石油]](現、[[ENEOS]])、[[昭和石油]](後の[[昭和シェル石油]])、[[大協石油]](現、[[コスモ石油]])など現代の石油元売大手に連なる企業が新潟県で創業した。 ;天然ガス 現在では[[天然ガス]]の採掘が盛んであり、[[南長岡ガス田]](長岡市)、[[片貝ガス田]]([[小千谷市]])、[[岩船沖油ガス田]]([[胎内市]]沖)などで採掘が進められている。[[東新潟油ガス田]](新潟市[[北区 (新潟市)|北区]])、西蒲原ガス田(新潟市[[西蒲区]])、中条ガス田(胎内市)では水溶性天然ガスを分離した後の地下水から国内生産量の10%にあたる[[ヨウ素]]も採取されている<ref>[https://www.tohoearthtech.co.jp/business/naturalgas-sup/ 天然ガスの採取と供給]. 東邦アーステック. 2020年7月26日閲覧。</ref><ref>[https://www.tohoearthtech.co.jp/business/iodine-exp/ ヨウ素とは]. 東邦アーステック. 2020年7月26日閲覧。</ref><ref>[http://www.nex.jx-group.co.jp/activity/japan/nakajyo.html 事業活動 中条油業所]. JX石油開発. 2020年7月26日閲覧。</ref><ref>[https://www.tengas.gr.jp/niigata/niigata_member/ 新潟県の天然ガス概要]. 天然ガス鉱業会. 2020年7月27日閲覧。</ref>。 ==== 発電 ==== [[発電]]では、[[信濃川]]流域や[[阿賀野川]]流域に大規模[[水力発電所]]が立地している。また[[柏崎市]]と[[刈羽郡]][[刈羽村]]にある[[東京電力ホールディングス]][[柏崎刈羽原子力発電所]]は、原子力発電所としては世界最大の出力である。他に[[上越市]][[直江津]]地区では、[[東北電力]]、[[JERA]]が共同で操業する[[上越火力発電所]]がある。 === 第三次産業 === ==== 卸売業、小売業 ==== 新潟県内の事業所による年間商品販売額は、卸売業、小売業の合計で全国第14位である(平成26年度)。まだ事業者数は第12位、従業員数は第14位である。 [[ファイル:Akakura Onsen Ski Area.jpg|thumb|200px|上越地方のスキー場]] ==== 観光業 ==== 多くの温泉地、海水浴場を抱えており、都道府県別で[[温泉地]]数が第3位、[[海水浴場]]数も第3位である。 日本有数の[[豪雪地帯|積雪地帯]]であるため、[[中越地方]]と[[上越地方]]の山間部では[[スキー場]]が多く立地している。 しかし、バブル崩壊直後の[[1993年]](平成5年)ごろを境に[[スキーブーム]]は過ぎ去り、更には、[[新潟県中越地震]]の影響や豪雪による交通網麻痺の懸念などが影響し、新潟県におけるスキー客は、2000年代以降減少傾向にある。 この影響により、閉鎖されるスキー場も見られるようになった。(詳細は[[日本のスキー場一覧#新潟県]]を参照)。 近年ではスノーリゾートの[[リノベーション]]が進められたり、[[上越地方]]に[[北陸新幹線]]が開通するなど、沿線自治体と共に産官学連携で経済対策が模索される。 よく「新潟県人はスキーをあまりしない」と言われる{{要出典|date=2021年12月}}が、冬季の厳しい豪雪下の生活を知る県民にとっては「雪=辛いもの」というイメージが強い。つまりスキー客の大半は滅多に銀世界にならない[[首都圏 (日本)|首都圏]]などからの集客によるところも大きかったという側面がある。今後は「雪を生かした観光」を目指し、新たな観光システムを構築されている。 == 生活・インフラ == === 住宅 === [[ファイル: Escapement street of Takada.jpg|thumb|200px|雁木通り(上越市)]] 新潟県には多くの都市で[[雁木造|雁木通り]]の街並みが残っている。 === 警察 === * [[新潟県警察]] === 医療・福祉 === {{main|Category:新潟県の医療機関}} ; [[災害拠点病院]] * [[新潟県災害拠点病院]] ; [[保育所]] * [[新潟県保育所一覧]] === ライフライン === ==== 電力、都市ガス ==== * '''[[一般送配電事業者]]''':[[東北電力ネットワーク]](県内全域) ** '''[[商用電源周波数|電源周波数]]''':本州部分と粟島は'''50ヘルツ'''だが、糸魚川市・妙高市の一部は'''60ヘルツ'''。佐渡島は'''60ヘルツ'''。 * '''[[一般ガス導管事業者]]''':[[北陸ガス]](中越地方、下越地方) === 教育 === [[ファイル:Niigata-u tech.jpg|thumb|200px|[[新潟大学]]]] 2019年度の新潟県内の高校生の大学等[[進学率]]は46.9%であり全国値の54.7%を下回っているが、専門学校進学率は26.0%で全国値を大きく上回っており(全国値16.4%)、両者を足し合わせた進学率72.9%は全国値71.1%を上回る<ref>[https://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kihon/kekka/k_detail/1419591_00001.htm 「令和元年度学校基本調査」] - 文部科学省、令和元年12月25日発表。</ref>。県内で27校の専門学校を運営している[[NSGグループ]]の[[NSGカレッジリーグ]]をはじめ、県内には専門学校が多数立地しており、人口10万人当たりの専修学校数は3.57校で全国第6位に位置する<ref>[https://www.stat.go.jp/data/k-sugata/index.html 統計でみる都道府県のすがた2019] - 総務省統計局</ref>。 ; [[大学]] [[国立大学|国立]] * [[上越教育大学]] * [[長岡技術科学大学]] * [[新潟大学]] [[公立大学|公立]] * [[三条市立大学]] * [[長岡造形大学]] * [[新潟県立看護大学]] * [[新潟県立大学]] [[私立大学|私立]] * [[開志専門職大学]] * [[敬和学園大学]] * [[長岡大学]] * [[長岡崇徳大学]] * [[新潟医療福祉大学]] * [[新潟経営大学]] * [[新潟工科大学]] * [[新潟国際情報大学]] * [[新潟産業大学]] * [[新潟食料農業大学]] * [[新潟青陵大学]] * [[新潟薬科大学]] * [[新潟リハビリテーション大学]] ; [[短期大学]] 私立 * [[新潟工業短期大学]] * [[新潟青陵大学短期大学部]] * [[新潟中央短期大学]] * [[日本歯科大学新潟短期大学]] * [[明倫短期大学]] ; [[通信制大学]] * [[放送大学|放送大学 新潟学習センター]] ; [[高等専門学校]] * [[長岡工業高等専門学校]] ; [[専修学校]] * [[新潟県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] * [[新潟県特別支援学校一覧]] ; [[高等学校]] * [[新潟県高等学校一覧]] ; [[中学校]] * [[新潟県中学校一覧]] ; [[小学校]] * [[新潟県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] * [[新潟県幼稚園一覧]] ; その他教育機関 ; [[農業大学校]] * [[新潟県農業大学校]] ; [[職業能力開発短期大学校]] * [[新潟職業能力開発短期大学校]] {{-}} === マスメディア === [[ファイル:Niigata-Nippo_Media_ship-2013.JPG|thumb|200px|[[新潟日報社]]]] ==== 新聞 ==== ; [[地方紙]] * [[新潟日報]] ; 全国紙 * [[読売新聞]] * [[朝日新聞]] * [[毎日新聞]] ==== 放送局 ==== NHKの管轄は関東甲信越([[NHK放送センター|首都圏放送センター]]直轄)であり、ニュースや天気予報では関東甲信越地方として放送されることが多い。しかし希に、愛知・静岡・岐阜・山梨・長野・北陸三県に新潟を含めた括りでのニュースおよび気象情報を放送する場合がある。一方、国政選挙やアマチュアスポーツなどでは北陸・信越ブロックに属するため、これらの報道・中継などは[[NHK名古屋放送局|名古屋局]]を介して北陸3県とネットすることになる。民放各社では中部10県と言う括りでコーナー特集で各放送局と交流がある。 民放では東北電力がスポンサーとなる番組において、[[東北地方]]の放送局との共同制作が行われることがある。特に、[[東北放送]](TBCテレビ)が制作するものが多い。また、[[長野県]]の放送局との関わりも多い。 [[テレビ東京]]などの[[区域外再放送]]は県内のケーブルテレビ局では実施していないが[[湯沢町]]や[[妙高市]]など[[群馬県]]境に近い地域や標高の高い地域の一部では、放送対象地域外の関東1都6県共通の民放キー局(日本テレビ・テレビ朝日・TBSテレビ・テレビ東京・フジテレビ)がスピルオーバーにて受信することが可能である。地上デジタル放送による減力により受信できるエリアは限られているが、県境部を中心に引き続き受信することが可能である。また県内で唯一[[上越ケーブルビジョン]]がテレビ東京の区域外再放送を実施していたが[[2014年]][[7月24日]]に終了した。 また、[[新潟市]][[中央区 (新潟市)|中央区]]では[[信濃川]]沿いに放送局が立ち並んでいる。 ; テレビ放送 {{See|Category:新潟県のケーブルテレビ局}} 県内には[[日本放送協会|NHK]]の新潟放送局が置かれているほか、[[民間放送|民放]]では[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、[[TBSテレビ|TBS]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]、[[テレビ朝日]]の4大キー局の各系列局がある。県民の地デジ対応が早く、2010年11月の調査では全国トップの95.1%だった<ref>[https://www.soumu.go.jp/main_content/000090362.pdf 総務省「地上デジタルテレビ放送に関する浸透度調査」平成22年11月]</ref>。 県内テレビ局・県域FM局の親局及びFM補完中継局のメイン局はいずれも[[弥彦山]]に設置されている。 * [[NHK新潟放送局]] * [[新潟放送]](BSNテレビ:[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列 ) * [[NST新潟総合テレビ]]<ref group="注釈">開局から2019年9月までの社名は株式会社新潟総合テレビ。</ref>(NST: [[フジニュースネットワーク|FNN]]・[[フジネットワーク|FNS]]系列) * [[テレビ新潟放送網]](TeNY: [[日本ニュースネットワーク|NNN]]・[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]系列) * [[新潟テレビ21]](UX: [[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]系列) {{Gallery |title="テレビ局舎外観" |JOQK.JPG|[[日本放送協会]] (NHK) [[NHK新潟放送局|新潟放送局]] ([[新潟市]][[中央区 (新潟市)|中央区]]) |川岸町.jpg|[[新潟放送]] (BSN)<br />(新潟市中央区) |JONH-TV.JPG|[[NST新潟総合テレビ]] (NST)<br />(新潟市中央区) |JOPI-TV.JPG|[[テレビ新潟放送網|テレビ新潟]] (TeNY)<br />(新潟市中央区) |JOUX-TV.JPG|[[新潟テレビ21]] (UX)<br />(新潟市中央区) }} ; ラジオ放送 AM放送ではBSNラジオ、[[FMラジオ]]ではJFN系列のFM-NIIGATAが県内全域をカバー。県土が広くて拠点都市が多いこともあるが、[[モータリゼーション]]が発達しているため、ラジオ(FM・コミュニティFM・AM)による訴求能力がテレビ並みに高いと言われている。新潟市では電波が強すぎてラジオ本体で聴取しようとすると他地域の放送がとても入りにくい。カーラジオにおいても同様で、電波が飛びやすいと言うことがことを厄介にしている。 上越地方のほぼ全域や中越地方の魚沼地域などではこの影響が少ないために他地域の放送を聴取しやすく、夜間になるほど良好になる。 また、[[五大都市]]圏以外では初となる[[独立ラジオ局]]で[[平成新局]]の[[新潟県民エフエム放送]](FM PORT)が存在したが経営難により2020年6月30日を以って閉局した。 * [[新潟放送]](BSNラジオ:[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列) * [[エフエムラジオ新潟]](FM-NIIGATA: [[全国FM放送協議会|JFN]]系列) ; コミュニティFM * 下越地方 ** [[けんと放送|FM KENTO]] - 新潟市中央区 全て自社制作番組 ** [[エフエム新津|RADIO CHAT]] - 新潟市秋葉区 ミュージックバードを配信 ** [[エフエム角田山コミュニティ放送|ぽかぽかラジオ]] - 新潟市西蒲区 全て自社制作番組 ** [[エフエムしばた|RADIO AGATT]] - 新発田市 ミュージックバードを配信 * 中越地方 ** [[長岡移動電話システム|FMながおか]] - 長岡市 [[J-WAVE]]を配信 ** [[燕三条エフエム放送|ラヂオは~と]] - 燕市(送信所は三条市にあり両市をカバー) J-WAVEを配信 ** [[エフエム雪国|FMゆきぐに]] - 南魚沼市 ミュージックバードを配信 ** [[エフエムとおかまち|FMとおかまち]] - 十日町市 ミュージックバードを配信 ** [[柏崎コミュニティ放送|FMピッカラ]] - 柏崎市 ミュージックバードを配信 ** [[エフエム魚沼|FMうおぬま]] - 魚沼市 [[J-WAVE]]を配信 * 上越地方 ** 下記2局はいずれも[[上越ケーブルビジョン]]が運営。全国のコミュニティFMで唯一、一社二波放送を実施している。 ただし[[上越ケーブルビジョン]]の契約をしている場合には [[エフエム東京]] [[J-WAVE]] [[InterFM897]] の放送を聴取が可能である(上越市郊外や妙高市では普通のラジオでも直接受信できる) *** エフエム上越 FM-J - 上越市 ミュージックバードを配信 *** FMみょうこう - 妙高市 ミュージックバードを配信 == 交通 == [[ファイル:Japan_Niigata_Pref_Map.png|thumb|200px|2014年時点での新潟県の広域交通網(赤:高速道路、緑:新幹線、黒:在来線)北陸新幹線などはまだ開業していない]] [[ファイル:Niigata airport-japan.jpg|thumb|200px|[[新潟空港]]]] [[ファイル: Series-E7-F21.jpg|thumb|200px|上越新幹線の列車]] [[ファイル:ジェットフォイル「すいせい」.jpg|thumb|200px|佐渡汽船の[[ボーイング929|ジェットフォイル]]]] === 空路 === 以下の2[[空港]]がある。 * [[新潟空港]]([[新潟市]]) **[[国内線]] - [[新千歳空港]]・[[成田国際空港|成田空港]]・[[中部国際空港]]・[[名古屋飛行場|名古屋(小牧)空港]]・[[大阪国際空港|伊丹空港]]・[[関西国際空港]]・[[神戸空港]]・[[福岡空港]]・[[那覇空港]]とを結ぶ<ref name=":2">{{Cite web|和書|url=https://www.niigata-airport.gr.jp/flight/|title=時刻表|accessdate=2022-01-11|publisher=新潟空港}}</ref>。 **[[国際線]] - [[仁川国際空港|ソウル(仁川)空港]]・[[上海浦東国際空港|上海(浦東)空港]]・[[ハルビン太平国際空港|ハルビン空港]]・[[ハバロフスク空港]]・[[ウラジオストク国際空港|ウラジオストク空港]]・[[台湾桃園国際空港|台北(桃園)空港]]とを結ぶ<ref name=":2"/>。 * [[佐渡空港]]([[佐渡市]])- [[2014年]](平成26年)[[4月1日]]より運休中<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/sado_seibi/1204045245988.html|title=佐渡空港|accessdate=2022-01-11|publisher=[[新潟県庁]] 佐渡地域振興局地域整備部(港湾空港)|date=2020-08-25}}</ref>。 === 鉄道 === 新潟県にはいわゆる[[日本海縦貫線]]が通る。かつては[[京阪神]]や[[首都圏 (日本)|首都圏]]と[[北奥羽]]や[[北海道]]を結ぶ[[旅客車]]・[[貨物列車]]などが多く運行されて運行されていた。現在では並行在来線となったため貨物輸送において[[裏日本|日本海側]]の交通の大動脈となっている。 ==== 新幹線 ==== [[新幹線]]には以下の2路線がある。 * [[上越新幹線]] - [[新潟市]]・[[三条市]]・[[長岡市]]・[[南魚沼市]]・[[湯沢町]]と、[[群馬県]]・[[埼玉県]]・[[東京都]]とを結ぶ。 * [[北陸新幹線]] - [[上越市]]・[[糸魚川市]]と、[[長野県]]・埼玉県・東京都や、[[富山県]]・[[石川県]]・[[福井県]]とを結ぶ。 県内に新幹線が発着する[[鉄道駅]]は7あり、これは[[岩手県]]と並んで全国の[[都道府県]]の中で最も多い<ref name=":1">{{Cite news|title=新幹線の駅「最多数持ち」の都道府県はどこ?|newspaper=[[ねとらぼ]]|date=2021-10-07|url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/amp/2110/07/news154.html|author=新田浩之|accessdate=2022-01-11}}</ref>。要因として、本県は面積が大きいこと(全国5位)や、上越新幹線とは別の経路で北陸新幹線が県内に開通したことが挙げられる<ref name=":1" />。 なお、本県には上越新幹線と北陸新幹線の2本が運行しているが、これらは県内の同一の駅では接続していない(上越新幹線は南の[[群馬県]]から[[中越地方|中越]]・[[下越地方]]へと走る。北陸新幹線は南西の[[長野県]]から[[上越地方]]を走り、西の[[富山県]]へ抜ける)。全国の都道府県のうち、このように複数の新幹線が交わらずに別々に敷設されているのは新潟県が唯一である。 上越新幹線と北陸新幹線の駅が最も接近するのは[[長岡駅]]と[[上越妙高駅]]の間であるが、両駅間の移動には[[高速道路]]または[[特別急行列車]]でも最短1時間以上を要する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.google.com/maps/dir/新潟県上越市大和2丁目1+上越妙高駅/新潟県長岡市城内町2丁目+長岡駅/|title=上越妙高駅 から 長岡駅|accessdate=2022-01-11|publisher=[[Google マップ]]}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jreast-timetable.jp/2201/train/110/113231.html|title=時刻表(停車駅一覧)|特急しらゆき 2号(新潟-新井)|accessdate=2022-01-11|publisher=[[JR東日本]]}}</ref>。 ==== 特別急行列車 ==== [[特別急行列車]]には以下の2列車がある。 * [[いなほ (列車)|いなほ]] - [[新潟駅]]と[[酒田駅]]・[[秋田駅]]とを結ぶ。新潟駅で[[上越新幹線]]と接続する。 * [[しらゆき (列車)|しらゆき]] - 新潟駅と[[上越妙高駅]]・[[新井駅 (新潟県)|新井駅]]とを結ぶ。[[長岡駅]]で[[上越新幹線]]と、上越妙高駅で[[北陸新幹線]]と接続する。 ==== 普通列車 ==== [[普通列車]]として複数の路線が走る。新潟駅からごく近郊の区間<ref group="注釈">新潟駅 - [[新津駅]]・[[内野駅]]・[[豊栄駅]]</ref> は日中毎時3本(概ね20分毎)だが、その他の大半は日中毎時1本程度またはそれ以下である。 * [[東日本旅客鉄道]](JR東日本) ** [[上越新幹線]]・[[北陸新幹線]]([[上越妙高駅]]) ** [[信越本線]]・[[羽越本線]]・[[上越線]]・[[米坂線]]・[[磐越西線]]・[[只見線]]・[[越後線]]・[[弥彦線]]・[[白新線]]・[[飯山線]] * [[新潟駅]]を中心とした[[大都市近郊区間 (JR)#新潟近郊区間|大都市近郊区間]]が設定されている。 * [[西日本旅客鉄道]](JR西日本) ** [[北陸新幹線]](上越妙高駅 - [[糸魚川駅]])・[[大糸線]] * [[北越急行]] ** [[北越急行ほくほく線|ほくほく線]] *[[えちごトキめき鉄道]] ** [[妙高はねうまライン]]・[[日本海ひすいライン]] === 航路 === ==== [[旅客船]] ==== * [[佐渡汽船]] * [[粟島汽船 (新潟県)|粟島汽船]] * [[新日本海フェリー]] === 道路 === ; 高速道路 * [[日本海東北自動車道|E7 日本海東北自動車道]] * [[北陸自動車道|E8 北陸自動車道]] * [[関越自動車道|E17 関越自動車道]] * [[上信越自動車道|E18 上信越自動車道]] * [[磐越自動車道|E49 磐越自動車道]] ==== 自動車登録番号 ==== * 自動車の'''[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]]''' **'''新潟'''ナンバー([[国土交通省]][[地方運輸局#所在地|北陸信越運輸局]] 新潟運輸支局) - [[下越地方]]、[[佐渡地方]]、中越地方の一部([[三条市]]・[[加茂市]]・[[南蒲原郡]][[田上町]]) ** '''長岡'''ナンバー(国土交通省北陸信越運輸局 長岡自動車検査登録事務所) - [[中越地方]]の一部([[三条市]]・[[加茂市]]・[[南蒲原郡]][[田上町]]を除く) **'''上越'''ナンバー([[ご当地ナンバー]]) (国土交通省北陸信越運輸局 長岡自動車検査登録事務所) - [[上越地方]] === バス === * 県内の[[高速バス]]路線として、以下の路線が各社により運行している(2022年1月現在)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.niigata-kotsu.co.jp/~noriai/highway-bus/intra-pref/|title=新潟県内の高速バス|accessdate=2022-01-10|publisher=[[新潟交通]]}}</ref>。 **新潟市 - [[長岡市]]([[新潟交通|新潟交通社]]など) **新潟市 - [[上越市]](同社) **新潟市 - [[三条市]]・[[燕市]]・[[巻町]](同社など) **新潟市 - [[柏崎市]]([[越後交通|越後交通社]]) **新潟市 - [[糸魚川市]]([[頸城自動車|頸城自動車社]]) **新潟市 - [[十日町市]]([[泉観光バス (新潟県)|泉観光バス社]]) **新潟市 - [[五泉市]]・[[村松町]]([[蒲原鉄道|蒲原鉄道社]]) == 文化・スポーツ == [[ファイル:Noh Performance (235951661).jpeg|thumb|[[佐渡市|佐渡]]の能舞台]] [[ファイル: Niigata geisha dancing2.jpg |thumb|[[古町芸妓]]]] === 方言 === 新潟県は地域によって方言の違いが大きく、[[阿賀北地域]]の方言は[[東北方言]]の一種である[[北奥羽方言]]、[[佐渡島]]の方言は[[北陸方言]]、それ以外の地域は[[東海東山方言]]の一種である[[越後方言]]に分類される([[東条操]]による分類)。 * [[北越方言]] * [[越後方言]] ** [[新潟弁]]、[[長岡弁]] * [[佐渡弁]] * [[秋山郷方言]]-秘境[[秋山郷]]の方言 === 食文化 === [[ファイル:Sasadango1.jpg|thumb|[[笹団子]]]] [[ファイル: Hegi soba, Kojima-ya, Niigata station.jpg|thumb|[[へぎそば]]]] [[ファイル: Murakami.jpg|thumb|[[村上市|村上]]の[[鮭]]]] {{See also|Category:新潟県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#新潟県}} ; 食文化  県域が広いために同一県内であってもかなり食文化が異なる。マスコミ中心に見ると中越地方長岡市周辺までで取り上げられるものが多い  最も典型的とされるのが雑煮である。村上に代表されるように塩引き鮭が年末の風物詩なので下越地域では焼き鮭に餅と言う組み合わせが多いが  上越地域では山菜と鶏肉と言った長野県の北信地方に近い組み合わせが多い。県内でほぼ通じる傾向としてはおせちは年明けに食べることが多く  大晦日はオードブルや寿司と言う家庭が意外と多い。  また、上越地域では年越しで「サメ」を食べる習慣があるが他の下越地域などではほとんどなく、のっぺに関してもまったく異なり下越地方では  煮物といった感じで惣菜としても販売されているが、上越地方では傾向としては片栗粉でとろみをつけると言った同じ名前でも差がある。 * 魚沼産[[コシヒカリ]]・岩船産コシヒカリ・[[カツ丼#醤油|醤油だれカツ丼]](タレカツ)<!--新潟市周辺-->・洋風[[カツ丼]]<!--長岡市周辺-->・醤油[[赤飯]]・[[のっぺ]]・わっぱ飯・[[ひこぜん]]・[[イタリアン (新潟)|イタリアン]]・[[笹団子]]・[[ぽっぽ焼き]](蒸気パン)・[[セイヒョー|もも太郎]](氷菓)・[[へぎそば]]・[[新潟県のラーメン|新潟五大ラーメン]]・[[栃尾 (長岡市)|栃尾]]の[[油揚げ]]・[[ヤスダヨーグルト]]・[[かんずり]]・[[食用菊|かきのもと]](食用[[キク|菊]]) * 東西両方の食文化が存在し、佐渡島など西日本の鰤文化圏の性質が強い地域がある一方で、下越地方・中越地方など東日本の鮭文化圏の性質が強い地域もある<ref>{{Cite journal|和書|author=本間伸夫、新宮璋一、石原和夫、佐藤恵美子|date=1990-03|title=東西食文化の日本海側の接点に関する研究(III) : 年取り魚と昆布巻|journal=県立新潟女子短期大学研究紀要|volume=27|pages=75-82|url=http://id.nii.ac.jp/1661/00000604/}}</ref>。 * [[うどん]]の[[出汁|だし]]と[[稲荷寿司|いなり寿司]]<!--新潟県内には、くるみ入りもあり-->は関東風、[[桜餅]]は関東風と関西風の両様である。 * [[金平|きんぴらごぼう]]を入れた、「きんぴら団子」がある(『あいもん団子』ともいう)。さらに、きんぴらごぼうは[[蕎麦]]の薬味でもある<!--<ref>[http://www.ntv.co.jp/ 日本テレビ][[秘密のケンミンSHOW]]より</ref>***リンク先に記述が見当たらない-->。 === 伝統工芸 === [[File:Ramie fabric from Japan.jpg|thumb|小千谷縮]] ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[塩沢紬]](織物、[[1975年]]) * [[本塩沢]](織物、[[1976年]]) * [[小千谷縮]](織物、1975年)([[ユネスコ]][[無形文化遺産]]) * 小千谷紬(織物、1975年) * 十日町絣(織物、[[1982年]]) * 十日町明石ちぢみ(織物、1982年) * [[羽越しな布]](織物、[[2005年]]) * [[村上木彫堆朱]](漆器、1976年) * [[新潟漆器]](漆器、[[2003年]]) * 加茂桐箪笥(木工品、1976年) * 燕鎚起銅器(金工品、[[1981年]]) * [[越後与板打刃物]](金工品、[[1986年]]) * 越後三条打刃物(金工品、[[2009年]]) * [[白根仏壇|新潟・白根仏壇]](仏壇・仏具、[[1980年]]) * 長岡仏壇(仏壇・仏具、1980年) * 三条仏壇(仏壇・仏具、1980年) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#新潟県}} === 文化財 === [[ファイル:Sado Shukunegi.jpg|thumb|[[宿根木]]の石置木羽葺屋根の家屋]] ; [[重要伝統的建造物群保存地区]] * [[宿根木]](佐渡市) ; [[重要文化的景観]] * [[佐渡金山|佐渡相川の鉱山及び鉱山町の文化的景観]] * 佐渡[[西三川砂金山|西三川の砂金山]]由来の農山村景観 === 発祥地 === [[ファイル:Le Lectier 20051122.jpg|thumb|[[ル レクチエ]]]] * 日本のフリスビードッグ発祥の地(新潟市) * [[道の駅]]第1号([[道の駅豊栄]] / 新潟市旧[[豊栄市]]) * 日本[[スキー]]発祥の地([[上越市]]) * [[消雪パイプ]]発祥の地(長岡市) * [[柿の種]]([[米菓]])発祥の地(長岡市) * 日本初の[[ドライブスルー]]設置店(フレンド喜多町店 / 長岡市) * [[ル レクチエ]]発祥の地(新潟市旧[[白根市]]) * 日本の[[ワイン]]発祥の地(岩の原葡萄園 / 上越市) * 日本の[[郵便]]の父生誕の地(前島密記念館 / 上越市) * 地ビール全国1号(エチゴビール / 新潟市旧[[巻町]]) === その他 === * 2003年に地元[[ネギ]]PRのため結成した[[Negicco]]は、「[[ローカルアイドル|ご当地アイドル]]の先駆者」として知られる<ref>[https://thetv.jp/news/detail/180797/ “ご当地アイドルの先駆者”Negicco・Nao☆が入籍を発表!憧れだったPerfumeの現場が“出会いの場”に!!] - ザ・テレビジョン 2019年2月26日</ref>。2019年にはリーダーのNao☆が“結婚しても活動を続ける女性アイドル”の先がけにもなった<ref>[https://getnews.jp/archives/2127149 Negicco・Nao☆の結婚発表はなぜ批判されない?アイドル界で何が起きているのか] - ガジェット通信 2019年2月26日</ref>。 * [[神社]]の数が約5,000社で全国1位である(2位は兵庫県の約4,000社)。 * かつて越後柴という地犬がいたがすでに絶滅している。 === スポーツ === {{See also|Category:新潟県のスポーツチーム}} * [[アルビレックス新潟]]([[サッカー]]・[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]) * [[アルビレックス新潟レディース]](サッカー・[[日本女子プロサッカーリーグ|WEリーグ]]) <!-- * [[JAPANサッカーカレッジ|JAPANサッカーカレッジレディース]](サッカー・[[日本女子サッカーリーグ|なでしこリーグ]])--> <!-- * [[新潟医療福祉大学女子サッカー部]](サッカー・[[日本女子サッカーリーグ|なでしこリーグ]])--> * [[グランセナ新潟FC]](サッカー・[[北信越フットボールリーグ]]) * [[JAPANサッカーカレッジ]](サッカー・[[北信越フットボールリーグ]]) * [[上越マリンブリーズ]]([[ビーチバレー]]) * [[チームアルビレックス新潟]]([[スキー]]) * [[新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ]]([[野球]]・[[ベースボール・チャレンジ・リーグ|BCリーグ]]) * [[新潟アルビレックスBB]]([[バスケットボール]]・[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]]B1) * [[新潟アルビレックスBBラビッツ]](バスケットボール・[[バスケットボール女子日本リーグ機構|Wリーグ]]) * [[新潟アルビレックスランニングクラブ]]([[陸上競技|陸上]]) * [[バイタルネット硬式野球部]]([[社会人野球]]) * [[Befcoビービースターズ]](女子[[バレーボール]]・[[チャレンジリーグ (バレーボール)|V.チャレンジリーグ]]) == 観光 == {{main|新潟県の観光地}} <gallery> Sadokinzan-doyunowareto 01.JPG|[[佐渡金山]] 矢島経島たらい舟_-_panoramio.jpg|[[佐渡ヶ島]]の[[たらい舟]] Nagaoka_Festival_Fireworks_2015_Phoenix_20150802.jpg|[[長岡まつり]]([[日本三大花火大会]]) Teradomari Fish Market Street 2015.jpg|[[寺泊魚の市場通り]] Find47 Niigata-Kiyotsu Gorge Tunnel-m.jpg|[[清津峡]] Takada Castle Cherry Blossom Festival.jpg|[[高田城址公園観桜会]]([[日本三大一覧#三大夜桜|日本三大夜桜]]) Iyahiko-jinja_3.JPG|[[弥彦山]] 竜王洞_Cave_-_panoramio.jpg|[[小木海岸|竜王洞]] Kashiwazaki-takayanagicho-oginoshima.jpg|[[荻ノ島|荻ノ島かやぶき集落]] 160716 Old Niigata Customs Government Building Niigata Japan01n.jpg |[[新潟市歴史博物館|旧新潟税関庁舎]]([[開港五港]]遺構) IgashimaSL.jpg |[[SLばんえつ物語号]] Murakami_Anzen_Koji_Black_Wall_Street_March2020.jpg|城下町[[村上市|村上]]のまちなみ </gallery> == 対外関係 == === 姉妹自治体・提携自治体 === ; 姉妹都市 * {{Flagicon|MYS}}[[シャー・アラム]]([[マレーシア連邦]] [[セランゴール州]]) * {{Flagicon|UK}}{{Flagicon|SCO}}[[グラスゴー|グラスゴー都市州]]([[イギリス|イギリス連合王国]] [[スコットランド|スコットランド国]] [[:en:Strathclyde|ストラスクライド地方]]) ; 友好自治体 * {{Flagicon|CHN}}[[黒竜江省]]([[中華人民共和国]]) == 新潟県を舞台とした作品 == {{main|新潟県を舞台とした作品一覧}} === 映画・ドラマ ===<!-- 実際には新潟県内では撮影を行っていなくても設定上「新潟県」となっているものと、新潟県内で撮影を行ったが設定上は「新潟県ではない」ものとがあります--><!-- 50音順--> * [[愛してよ]] * [[アイの歌声を聴かせて]]([[佐渡島]]) * [[頭文字D]] * [[こいまち]](第4話新潟・十日町編) * [[高校教師 (1993年のテレビドラマ)|高校教師]] * [[こころ (2003年のテレビドラマ)|こころ]] * [[ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃]] * [[ストロベリー・オンザ・ショートケーキ]](後半) * [[ストロボ・エッジ]] * [[聖者の行進 (テレビドラマ)|聖者の行進]](中盤) * [[太陽に突っ走れ]] * [[突入せよ! あさま山荘事件]](2002年・[[上越市]][[板倉区]]で撮影) * [[新幹線をつくった男たち]](2004年・テレビ東京開局40周年記念ドラマ/上越市板倉区で撮影) * [[チア☆ダン〜女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話〜]](主な場面は新潟市で撮影) * [[天地人 (NHK大河ドラマ)|天地人]] * [[天と地と (NHK大河ドラマ)|天と地と]] * [[Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-#テレビドラマ|DIY!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-]]([[三条市]]) * [[夏子の酒]] * [[はみだし刑事情熱系]] * [[ひとつ屋根の下]] * [[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]] * [[ホワイトアウト (小説)|ホワイトアウト]] * [[マリと子犬の物語]] * [[めぐみ 引き裂かれた家族の30年]] * [[もしも、学校が・・・!?]]([[1985年]]、TBS系列) - 主人公と先生が新潟出身で方言 * [[モノクロームの少女]] * [[3年B組金八先生]]([[2011年]][[3月26日]]放送。TBS系列、最終回を[[新発田市]]で撮影) * [[Blue (魚喃キリコの漫画)|blue]] * [[交渉人〜THE NEGOTIATOR〜]](第1シリーズ・[[2008年]]、最終話を[[阿賀町]]で撮影) * [[名探偵コナン 沈黙の15分]] * [[飛べ!ダコタ]](2013年・[[太平洋戦争]]終戦後の佐渡島が舞台) {{表2列| === 小説 === * [[雪国 (小説)|雪国]] * [[沈める滝]] * [[峠 (小説)|峠]] * [[上越新幹線]]殺人事件 * [[越後湯沢駅|越後湯沢]]殺人事件 * [[十津川省三|十津川警部]] 雪と戦う * 「[[雪国 (小説)|雪国]]」殺人事件 * [[Deep Love]]第二部〜ホスト * [[米百俵]] * [[藏]] - 後に映像作品化 * [[越佐大橋シリーズ]] * 花鳥風月シリーズ * [[ノーブルチルドレンシリーズ]] * INNOCENT DESPERADO === ゲーム === * [[杜氏の郷]] * [[アウトライン (ゲーム)|アウトライン]] | === 楽曲 === * [[新潟ブルース]]([[美川憲一]]) * 越後絶唱([[小林幸子]]) * 雪の越後を後にして([[村上幸子]]) * 四季の新潟(小林幸子) * [[雪椿]](小林幸子) * 佐渡の恋唄([[細川たかし]]) * 湯沢旅情([[加山雄三]]) * おまんた囃子([[三波春夫]]) * 越後平野([[多岐川舞子]]) * 雪国-niigata-([[東京事変]]) * 新潟のひとよ([[里見浩太朗]]) * [[海雪]]([[ジェロ]]) * 越後獅子の唄([[美空ひばり]]) * 湯沢の女(美川憲一) === アニメ === * [[アイドル事変]] * [[ガッチャマン クラウズ|ガッチャマン クラウズ インサイト]] * [[CUE!]](第11話) * [[ジビエート]] * [[そにアニ -SUPER SONICO THE ANIMATION-]](第7話にて[[新潟市]]・[[胎内市]]が舞台に) * [[Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-]]([[三条市]]) * [[のんのんびより]]([[魚沼市]] 旧[[柿ノ木駅]]周辺) * [[マブラヴ オルタネイティヴ]](第1・20-23話、佐渡島) * [[魔法少女育成計画]]<ref>[https://www.joetsutj.com/articles/39706958 TVアニメ「魔法少女育成計画」の舞台は上越市⁉]</ref> * [[めぞん一刻]] * [[物語シリーズ]] }} {{-}} == 新潟県出身の人物 == {{Main|新潟県出身の人物一覧}} == 「潟」の字について == [[ファイル:Gokan Station 24-Aug-2019.jpg|thumb|JR[[上越線]][[後閑駅]]に残る略字表記(2019年8月撮影)]] [[ファイル:World Distribution of Jade Ore Deposits at National Palace Museum.jpg|thumb|繁体字による記載例(中華民国の国立故宮博物院に掲示されているWorld Distribution of Jade Ore Deposits)]] {|class="wikitable" style="float:right;" |+本県を指す[[漢字]]表記および発音 !言語 !表記 !発音 !備考 |- |rowspan="3"|[[日本語]] |'''新潟''' |rowspan="3"|に{{高線|いがた}}<br />{{IPA-ja|ɲ̟iːɡa̠ta̠|}}<ref group="注釈" name="pronunciation">語頭の「に」が[[国際音声記号]]では '''{{IPA|ɲi}}''' で示され[[硬口蓋鼻音]]が用いられていることになっているが、実際は[[口蓋化]]した[[歯茎鼻音]]の '''{{IPA|nʲi}}''' であるとも。</ref><br />(にーがた) |[[正字]] |- |新泻 |[[略字]] |- |新澙 |[[異体字]]の例の1つ |- |rowspan="3"|[[中国語]] |{{lang|zh|新泻}} |rowspan="2"|{{lang|zh-Latn|Xīnxiè}}<br />(シンシエ) |[[簡体字]]([[普通話]]他) |- |{{lang|zh|新瀉}} |[[繁体字]]([[台湾国語]]他) |- |{{lang|zh|新潟}} |{{lang|zh-Latn|Xīnxì}}<br />(シンシー) |(新潟県庁推奨) |} 本県を指す[[漢字]]表記は複数存在するが、[[日本語]]においてはいずれの[[字体]]であっても「に{{高線|いがた}}、{{IPA-ja|ɲ̟iːɡa̠ta̠|}}<ref group="注釈" name="pronunciation"/> にーがた」と読む。中でも[[正字]]とされる「潟」を用いた「'''新潟'''」が最も一般的な表記である。 他に方言漢字とも呼ばれるが、[[水部|さんずい]]に写と書く「泻」を用いて「'''新泻'''」と書く場合がある。かつて「泻」は[[節用集]]にも登録されるほど一般的に認知された文字であり<ref name="Sanseido201210925">[https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kanji_genzai223 漢字の現在 第223回 「潟」の略字の広がりと消失]([[三省堂]]ワードワイズ・ウェブ 2012年9月25日)</ref><ref>[https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kanji_genzai224 漢字の現在 第224回 新潟の「頚城」と「頚椎」](三省堂ワードワイズ・ウェブ 2012年9月28日)</ref>、[[江戸時代]]の板本(印刷本)おいて、[[松尾芭蕉]]『[[おくのほそ道]]』および[[上田秋成]]『[[雨月物語]]』では「象泻」(現・[[秋田県]][[にかほ市]]の[[象潟]])との表記が見られ<ref name="NINJAL20070701">[https://kotobaken.jp/mado/32/32-07/ 文字さんぽ 『方言文字「泻」のゆくえ』]([[国立国語研究所]]「国語研の窓」第32号 2007年7月1日発行)</ref>、[[鈴木牧之]]『[[北越雪譜]]』では「新泻」や「鎧泻」といった現在の本県における地名においても「泻」の使用が認められる<ref name="Iwanami20060120">日本の漢字([[笹原宏之]] 著、[[岩波新書]] 2006年1月20日発行)p.62およびp.161</ref>。これら印刷本の流通により、全国で「潟」と[[略字]]とされる「泻」は同列視されていたとみられる<ref name="NINJAL20070701" />(「潟」には複数の[[異体字]]がある<ref name="Iwanami20060120" />)。 [[明治]]に入ると[[活版印刷]]が出版物の主流となるが、[[終戦]]までに販売された[[明朝体]]の[[活字]]を調べると、正字とされる「潟」のみが販売され、略字とされる「泻」は販売されなかった<ref name="NINJAL20070701" />。すなわち明治以降、「泻」の字は印刷物から一掃されるが、新潟・象潟・[[八郎潟]]<ref name="Sanseido201210925" />、あるいは[[島根県]]の白潟天満宮<ref>[https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kanji_genzai051 漢字の現在 第51回 島根の「腐」らない「とうふ」](三省堂ワードワイズ・ウェブ 2009年11月12日)</ref> など、「潟」の字を日常的に使用するエリアにおいて「泻」は活字以外で生き残り、[[方言字]]化していった。新潟県では道路標識などでも「新泻」が使用されていたが、[[1981年]]([[昭和]]56年)に「潟」の字が[[常用漢字]]に採用されると「新泻」との表記は衰微していった<ref name="NINJAL20070701" /><ref name="NiigataNippo20060804">{{Cite web|和書 |url = http://www.niigata-nippo.co.jp/rensai/n66/n66_h2_k2.html |title = 「新潟=新(さんずい+写)」は本当なの? |publisher = 新潟日報 |date = 2006-08-04 |accessdate = 2009-03-31 }}{{リンク切れ|date=2019年5月}}</ref>。 多くの人が正しく書けない漢字としても「潟」は例として出されることが多い。 [[中国語]]においては、[[簡体字]]で「'''{{lang|zh|新泻}}'''」<ref>[http://www.bbc.com/zhongwen/simp/world-38409986 视频:日本新泻火灾烧毁140栋房屋]([[英国放送協会|BBC]]中文网 2016年12月22日)</ref>、[[繁体字]]で「'''{{lang|zh|新瀉}}'''」<ref>[http://www.bbc.com/zhongwen/trad/world-38409986 視頻:日本新瀉火災燒燬140棟房屋](BBC中文網 2016年12月22日)</ref> と表記する例が見られる。これらは[[北京語]]で{{ピン音|Xīnxiè}}(シンシエ)と発音する。[[2007年]](平成19年)[[6月28日]]の[[新潟県議会]]6月[[定例会]]総務文教委員会において、中国語における{{lang|zh|泻}}({{lang|zh|瀉}})の字義と{{lang|zh|潟}}のそれが異なることを理由に、これらの中国語表記を問題視する質問があった<ref>[http://www.kaigiroku.net/kensaku/cgi-bin/WWWframeNittei.exe?A=frameNittei&USR=nignigk&PWD=&XM=000100000000000&L=1&S=15&Y=%95%bd%90%ac19%94%4e&B=-1&T=0&T0=70&O=1&P1=&P2=&P3=&P=1&K=641&N=3126&W1=%e0%62&W2=&W3=&W4=&WDT=1&H=6806071&DU=1&RLH=6806072&EDIT_MODE=0 平成19年 6月定例会 総務文教委員会 平成19年6月28日](新潟県議会 会議録検索)</ref>。同年[[8月1日]]、[[新潟県庁]]は公式サイト上で中国語での「{{lang|zh|新潟}}」({{ピン音|Xīnxì}}<ref name="PrefNiigata20070801" /> シンシー)の表記の使用を県庁内および県関連機関に要請した([[日本語]]において「新泻」の使用を止めて「{{lang|zh|新潟}}」を使用するよう要請したものではない)<ref name="PrefNiigata20070801">[http://www.pref.niigata.lg.jp/kokusai/1204045262575.html ●中国語における「新潟」の表記について(平成19年8月1日)](新潟県)</ref>。{{-}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === <!-- 文献参照ページ --> {{Reflist|2}} == 関連文献 == <!-- 実際には参考にしていないが、さらにこの項目を理解するのに役立つ関連した文献(書籍、論文、資料、ウェブページなど)一覧(実際に参考にしているのではないので過多にならないように、多すぎたら除去。宣伝はご遠慮下さい、宣伝は除去。実際に参考にした文献は脚注を導入し「参考文献」節へ追加して下さい。) --> * {{Cite book |和書 |author= |authorlink=|editor =渡辺政太郎|year=1896|title=新潟県史談|publisher=万松堂書店|id={{NDLJP|764693}}|quote= }} == 関連項目 == <!-- 本文記事を理解する上での補足として役立つ、関連性のある項目へのウィキ間リンク、ウィキリンク。可能なら本文内に埋め込んで下さい。 --> * [[新潟県出身の人物一覧]] * [[新潟県の観光地]] * [[新潟県の県道一覧]] * [[新潟県指定文化財一覧]] * [[:Category:新潟県の自然景勝地|新潟県の自然景勝地]] * [[:Category:新潟県の企業|新潟県の企業]] * [[:Category:新潟県を舞台とした作品|新潟県を舞台とした作品]] * [[:Category:新潟県の大学|新潟県の大学]] * [[:Category:新潟県の建築物|新潟県の建築物]] * [[越後七不思議]] * [[北陸]] * [[上信越]] * [[北関東・磐越地域]] * [[北関東磐越五県知事会議]] * [[日本海側]] * [[環日本海]] * [[環日本海新潟駅伝]] * [[トッキッキ]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/新潟県}} {{Multimedia|新潟県の画像}} {{Sisterlinks|wikt=|b=|q=|s=|commons=新潟県|commonscat=Niigata prefecture|n=|v=no|voy=新潟県|species=Niigata prefecture}} {{osm box|r|3559887}} ; 行政 * {{Official website}} * 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兵庫県
兵庫県(ひょうごけん)は、日本の近畿地方の西端に位置する県。県庁所在地は神戸市。 南北に長い県域を持ち、近畿地方の府県で最大の面積を持つ。北は日本海、南は瀬戸内海の2つの海に接している県である。本州で2つの海に接している県は、両端である青森県と山口県を除けば兵庫県のみである。本州を青森県から山口県まで陸路で縦断しようとすると、必ず本県を通ることになる。 ほぼ中央を日本標準時子午線(東経135度)が南北に通過し、明石市にはこれに因む明石市立天文科学館がある。県中央部には中国山地が東西に横たわり、交通の難所ともなっている。 南部の瀬戸内海沿岸は阪神工業地帯や播磨臨海工業地帯といった日本有数の重化学工業の集積地となっており、近畿圏最多の工場立地数となっている。一方で、中部から北部にかけては農林水産業が主な産業であり、過疎地や豪雪地帯も抱える。これら過密と過疎を平均した県単位の産業活動指数は全国平均であることから、日本の縮図といわれることがある。また、南東部の阪神間は大阪府のベッドタウンとしての性格があり、神戸市(国内の大都市人口7位)と阪神地方で県人口の約6割を占め、複数の幹線道路や鉄道路線が並行している。なお、兵庫県の人口は国内7位、人口密度は国内8位である。 令制国(旧国)の摂津国西部、丹波国南西部および但馬国、播磨国、淡路国のそれぞれ全域で県域の大半が構成されるが、岡山県からの越境編入が2回あったため、僅かながら美作国東部、備前国南東部も含んでいる。北海道(11国)に次ぐ7国にまたがり、その7国が五畿八道の畿内(摂津国)、山陰道(丹波国・但馬国)、山陽道(播磨国・美作国・備前国)、南海道(淡路国)に分かれるため、全国最多の4地方にまたがる当県は、古来の行政区分・地方区分をほとんど無視する形で成立している。現在の地方区分でも、鳥取県境より西に位置する西播磨地域の西部は、地図帳などにおいて近畿地方のページには収まりきれず、中国地方のページに掲載されている場合がある。 外貨獲得を急務とした明治政府は、但馬の生糸の輸出に摂津の神戸港を活用するため、大久保利通の指示の下、櫻井努が策定した案を基に1876年(明治9年)、第三次兵庫県の区域を確定した。神戸を発展させるための財源として、豊かな農業国であった播磨・但馬などからの税収を充てたのである。 江戸時代に置かれた藩は摂津国に尼崎藩・三田藩、丹波国に篠山藩・柏原藩、但馬国に出石藩・豊岡藩があり、播磨国に姫路藩・林田藩・明石藩・龍野藩・赤穂藩・三日月藩・小野藩・三草藩・安志藩・山崎藩が、淡路国に阿波藩(阿波徳島藩)の洲本城代の稲田家、旗本(交代寄合)の山名家の村岡陣屋、交代寄合の池田家の福本陣屋が存在した。 上記のように多様性を内包した当県は、かつて存在したユーゴスラビア社会主義連邦共和国になぞらえて「ヒョーゴスラビア」と呼ばれることがあり、県もこれに乗る形で2018年(平成30年)から「U5H=United 5koku of HYOGO(兵庫五国連邦)」というプロモーションを行っている 。 摂津国八部郡兵庫津(兵庫)に初代県庁舎が置かれたことによる。 兵庫津(旧称は大輪田泊)は当時人口2万人を超える港町として栄えていたが、事実上の開港場は兵庫津の北東に近接する同郡神戸村となった。慶応4年9月(1868年10月16日~11月13日)に県庁舎は同郡坂本村へ新築移転しており、兵庫津に置かれた期間は約3~4ヶ月、県設置以前から数えても約8~9ヶ月と1年に満たない。 2代目県庁舎が置かれた坂本村の南部(仲町部)は兵庫の一部とも見なされたが、約4年6~7ヶ月後の1873年(明治6年)5月に県庁舎は神戸町へ移転し、以降この3代目県庁舎とほぼ同じ場所で4代目県庁舎と5代目県庁舎に建て替えられている。 市街としての兵庫津(兵庫)は1879年(明治12年)1月8日に神戸区(神戸市の前身)の一部となり、港湾としての兵庫津(兵庫港)も1892年(明治25年)10月1日に神戸港の一部となって、明治以降急速に発展した「神戸」に飲み込まれる形で一体化したが、県名は「兵庫」のまま続いている。 「兵庫」の由来は、天智天皇の治世に兵の武器庫という意味である「つわものぐら(兵庫)」があったことに由来し、兵庫県旗と県章も兵の字を図案化したものである。 国土地理院地理情報によると兵庫県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは111.13km、南北の長さは168.50kmである。 大阪湾に面した南部は平野部だが、中部・北部の大半は山地・丘陵地帯となっている。人口は南部に集中している。 ため池の数が日本一多い。 県内では、淡路市の13,301か所が最も多く、洲本市の7,014か所、神戸市の6,305ヶ所と続く。淡路島全体で県の約半分を占める。一方近年、県の調査により全体の3割近い約1万ヶ所が実際には存在していないことが判明している。ただそれを勘案しても、ため池の数は相変わらず全国1位である。 北部は日本海側気候、南部は瀬戸内海式気候で、北部の自治体は豪雪地帯に指定されている。 夏季は全般に高温である。北部や内陸部を中心にフェーン現象による猛暑日が発生することがしばしばあり、また、南部では神戸から阪神間の沿岸部を中心に熱帯夜になることが多くなる。 冬季は瀬戸内海沿岸部では温暖であるが、その他の内陸部や北部の1月平均気温は3°C台以下で冬日も多く比較的寒い。三田市など、同標高で比較しても北関東などの東日本より低温となるところもある。 北部の日本海側気候の地域では北西の季節風の影響で降水日数ならびに降雪量が多くなる。日本海寒帯気団収束帯の影響を受けると半日から数日の短時間で積雪が急増し、豊岡市街地や香住などの平野部でも50cmから1m前後のドカ雪となることもある。播磨北部の内陸部でも、南部の沿岸部・平野部と比較すると降水日数がやや多くなり、日本海から活発な雪雲が南下してきた場合は20cm前後の大雪となることもある。瀬戸内海沿岸部でも播磨南部を中心に小雨や小雪、みぞれが降る日もあるが、積雪は多くとも一冬に1〜2回・5~10cm程度である。特に神戸から阪神間での積雪は極めて少なくなっている。 (出典:気象庁・気象統計情報) 県内には29市と12町がある。なお、町の読み方は全て「ちょう」である。また、村は1962年に消滅している。 以下は、県が地域ごとに設置している総合出先機関である7の「県民局」と3の「県民センター」ごとに記述している。「県民局」と「県民センター」の違いは、管内に政令市・中核市を擁し県から多くの業務が移譲されている地域は「県民センター」として「県民局」よりも組織がスリム化されている。なお、推計人口は2023年11月1日現在の統計である。 神戸県民センター管内には、以下の1市(9区)が属しており、管内の推計人口は1,499,732人で、兵庫県の大動脈である。 阪神南県民センター管内には、以下の3市が属しており、管内の推計人口は1,031,867人である。 阪神北県民局管内には、以下の4市と1町が属しており、管内の推計人口は702,293人である。 東播磨県民局管内には、以下の3市と2町が属しており、推計人口は711,539人である。 北播磨県民局管内には、以下の5市と1町が属しており、推計人口は255,499人である。 中播磨県民センター管内には、以下の1市と3町が属しており、推計人口は561,646人である。 西播磨県民局管内には、以下の4市と3町が属しており、推計人口は236,554人である。 丹波県民局管内には、以下の2市が属しており、推計人口は97,475人である。 但馬県民局管内には、以下の3市と2町が属しており、推計人口は149,611人である。 淡路県民局管内には、以下の3市が属しており、推計人口は122,782人である。 兵庫県が発表した2020年国勢調査結果の速報値によると、2020年10月1日時点の兵庫県の人口は、546万9184人であった。 第2次府県統合により、摂津国の西部(八部郡・菟原郡・武庫郡・川辺郡・有馬郡)、丹波国の南西部(多紀郡・氷上郡)、但馬国の全域、播磨国の全域、淡路国の全域で構成されるようになった。同時に、畿内(摂津国)、山陰道(丹波国・但馬国)、山陽道(播磨国)、南海道(淡路国)と4つの地方にまたがることにもなった。 その後、岡山県からの越境編入が2回あった。1896年(明治29年)に岡山県吉野郡石井村が兵庫県佐用郡へ転属、吉野郡讃甘村大字中山が佐用郡江川村へ編入となり、美作国の一部を含むようになった。1963年(昭和38年)には岡山県和気郡日生町大字福浦(北部の寺山を除く)が兵庫県赤穂市へ編入となり、備前国の一部を含むようになった。 地方債の残高 U5Hプロジェクトとは、兵庫に関わりを持つ個人、一人一人が自身の兵庫における『ふるさと』について再発見していくために立ち上げられた兵庫県公式のプロジェクトである。冒頭の『U5H』とは『United 5koku of Hyogo』の略称である。5koku(五国)については以下に詳細に記す。 衆議院の小選挙区が12。参議院では、全県で1区を構成。 兵庫県の指定金融機関は三井住友銀行(旧・神戸銀行→太陽神戸銀行→さくら銀行)である。また神戸・阪神・播磨地区の主な市も三井住友銀行を指定金融機関としている。一方、但馬県民局管内の全市町は但馬銀行を、淡路県民局管内の3市中2市は淡路信用金庫を、播磨地区の小規模な市町はみなと銀行を指定金融機関としている。 神戸市および阪神間、播磨、但馬、淡路島で概ね事業者は分かれるが、神戸市は明石海峡大橋の開業で淡路島や四国への高速バスが発達し、また鉄道だけではカバーしきれない地域などに多くの路線が伸びる。都市型の阪神間に対し、但馬などでは過疎路線も少なくない。公営事業者も少なくなかったが、姫路市営バス、明石市交通部、尼崎市交通局が撤退して民間委譲されている。主な事業者は下記。 かつては淡路島や四国への連絡航路が多数発着していたが、明石海峡大橋の開通でその多くが役目を終えた。しかし長距離の国内外へ向かうフェリーなどが今も神戸港を発着する。下記航路のうち特記なきものはフェリー。 従来、兵庫県を放送対象地域とする民間放送局は、中波(AM)、超短波(FM)、テレビジョン(TV)の3つ全てが独立放送局であったが、2003年(平成15年)に Kiss-FM KOBEがJFNに加盟。これに伴い、3つ全てが独立放送局である都道府県は神奈川県のみとなった。 放送区域は近畿広域圏に属する。 以下は兵庫県域放送局 テレビ大阪(TXN系)は尼崎市や伊丹市を中心とした阪神地域や神戸市の一部地域などで直接受信が可能であるがあくまで大阪府域局であり、県域放送局であるサンテレビでは諸事情によりTXN系の番組が放送できないため、46都道府県の地上波テレビ局で放送されているTXN系列の番組が兵庫県内では視聴できないものもある。 播磨灘沿いの県南西部の一部では、岡山県・香川県の各放送局が受信できる地域が存在する。これらの地域では1969年(昭和44年)までNHK岡山放送局、西日本放送、山陽放送)しか受信できなかった。 兵庫県が放送対象地域であるFM局の親局及びラジオ関西のFM補完放送のメイン局は、地上デジタルテレビの県域局も含め摩耶山に設置されている。在阪民放3局(MBSラジオ・ABCラジオ・ラジオ大阪)は放送対象地域が"近畿広域圏"であり、兵庫県も対象地域に入っている。radikoでは兵庫県各局に加え在阪民放AM・FM各3局も兵庫県内で無料聴取が可能である。NHKラジオ第1放送・第2放送は南部は大阪から受信する。北部は中継局(豊岡市・香美町・新温泉町)がある(ただし、香住・新温泉は第1放送のみ)。 コミュニティFMは以下の11局が放送しており、近畿2府4県では最多である。 兵庫県は異なる歴史を持つ地域の寄せ集めであり、地域によって風俗や習慣に違いが見られる。県人会は県内の出身各地方で別々となっている(東京淡路会、大阪但馬人会、関東氷上・多紀郡郷友会など)。 方言の違いも多彩である。県南部では近畿方言(関西弁)が使われるが、県北部では中国方言である但馬弁が使われる。県南部の方言も、中国方言の影響を受けた播磨地域の播州弁、大阪弁の流れを汲む阪神地域の摂津弁、播州弁と摂津弁の中間的な方言で神戸市を中心に使われる神戸弁、京言葉の流れを汲む丹波弁、阿波弁などともつながりがある淡路島の淡路弁、と細かく分かれる。 また県内には高校野球の全国大会が行われる甲子園球場や兵庫県立明石公園第一野球場がある。 兵庫県は様々な景色を持つため、多くの映像産業に積極的に協力している。 宝塚市において製作された映画作品については、以下も参照。 西宮市、芦屋市において大正時代から戦前にかけて製作された作品については、以下も参照 時代劇などでは「姫路城」の映像を「江戸城」に見立てて使用している場合も多い。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "兵庫県(ひょうごけん)は、日本の近畿地方の西端に位置する県。県庁所在地は神戸市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "南北に長い県域を持ち、近畿地方の府県で最大の面積を持つ。北は日本海、南は瀬戸内海の2つの海に接している県である。本州で2つの海に接している県は、両端である青森県と山口県を除けば兵庫県のみである。本州を青森県から山口県まで陸路で縦断しようとすると、必ず本県を通ることになる。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ほぼ中央を日本標準時子午線(東経135度)が南北に通過し、明石市にはこれに因む明石市立天文科学館がある。県中央部には中国山地が東西に横たわり、交通の難所ともなっている。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "南部の瀬戸内海沿岸は阪神工業地帯や播磨臨海工業地帯といった日本有数の重化学工業の集積地となっており、近畿圏最多の工場立地数となっている。一方で、中部から北部にかけては農林水産業が主な産業であり、過疎地や豪雪地帯も抱える。これら過密と過疎を平均した県単位の産業活動指数は全国平均であることから、日本の縮図といわれることがある。また、南東部の阪神間は大阪府のベッドタウンとしての性格があり、神戸市(国内の大都市人口7位)と阪神地方で県人口の約6割を占め、複数の幹線道路や鉄道路線が並行している。なお、兵庫県の人口は国内7位、人口密度は国内8位である。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "令制国(旧国)の摂津国西部、丹波国南西部および但馬国、播磨国、淡路国のそれぞれ全域で県域の大半が構成されるが、岡山県からの越境編入が2回あったため、僅かながら美作国東部、備前国南東部も含んでいる。北海道(11国)に次ぐ7国にまたがり、その7国が五畿八道の畿内(摂津国)、山陰道(丹波国・但馬国)、山陽道(播磨国・美作国・備前国)、南海道(淡路国)に分かれるため、全国最多の4地方にまたがる当県は、古来の行政区分・地方区分をほとんど無視する形で成立している。現在の地方区分でも、鳥取県境より西に位置する西播磨地域の西部は、地図帳などにおいて近畿地方のページには収まりきれず、中国地方のページに掲載されている場合がある。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "外貨獲得を急務とした明治政府は、但馬の生糸の輸出に摂津の神戸港を活用するため、大久保利通の指示の下、櫻井努が策定した案を基に1876年(明治9年)、第三次兵庫県の区域を確定した。神戸を発展させるための財源として、豊かな農業国であった播磨・但馬などからの税収を充てたのである。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "江戸時代に置かれた藩は摂津国に尼崎藩・三田藩、丹波国に篠山藩・柏原藩、但馬国に出石藩・豊岡藩があり、播磨国に姫路藩・林田藩・明石藩・龍野藩・赤穂藩・三日月藩・小野藩・三草藩・安志藩・山崎藩が、淡路国に阿波藩(阿波徳島藩)の洲本城代の稲田家、旗本(交代寄合)の山名家の村岡陣屋、交代寄合の池田家の福本陣屋が存在した。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "上記のように多様性を内包した当県は、かつて存在したユーゴスラビア社会主義連邦共和国になぞらえて「ヒョーゴスラビア」と呼ばれることがあり、県もこれに乗る形で2018年(平成30年)から「U5H=United 5koku of HYOGO(兵庫五国連邦)」というプロモーションを行っている 。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "摂津国八部郡兵庫津(兵庫)に初代県庁舎が置かれたことによる。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "兵庫津(旧称は大輪田泊)は当時人口2万人を超える港町として栄えていたが、事実上の開港場は兵庫津の北東に近接する同郡神戸村となった。慶応4年9月(1868年10月16日~11月13日)に県庁舎は同郡坂本村へ新築移転しており、兵庫津に置かれた期間は約3~4ヶ月、県設置以前から数えても約8~9ヶ月と1年に満たない。 2代目県庁舎が置かれた坂本村の南部(仲町部)は兵庫の一部とも見なされたが、約4年6~7ヶ月後の1873年(明治6年)5月に県庁舎は神戸町へ移転し、以降この3代目県庁舎とほぼ同じ場所で4代目県庁舎と5代目県庁舎に建て替えられている。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "市街としての兵庫津(兵庫)は1879年(明治12年)1月8日に神戸区(神戸市の前身)の一部となり、港湾としての兵庫津(兵庫港)も1892年(明治25年)10月1日に神戸港の一部となって、明治以降急速に発展した「神戸」に飲み込まれる形で一体化したが、県名は「兵庫」のまま続いている。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "「兵庫」の由来は、天智天皇の治世に兵の武器庫という意味である「つわものぐら(兵庫)」があったことに由来し、兵庫県旗と県章も兵の字を図案化したものである。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "国土地理院地理情報によると兵庫県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは111.13km、南北の長さは168.50kmである。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "大阪湾に面した南部は平野部だが、中部・北部の大半は山地・丘陵地帯となっている。人口は南部に集中している。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ため池の数が日本一多い。 県内では、淡路市の13,301か所が最も多く、洲本市の7,014か所、神戸市の6,305ヶ所と続く。淡路島全体で県の約半分を占める。一方近年、県の調査により全体の3割近い約1万ヶ所が実際には存在していないことが判明している。ただそれを勘案しても、ため池の数は相変わらず全国1位である。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "北部は日本海側気候、南部は瀬戸内海式気候で、北部の自治体は豪雪地帯に指定されている。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "夏季は全般に高温である。北部や内陸部を中心にフェーン現象による猛暑日が発生することがしばしばあり、また、南部では神戸から阪神間の沿岸部を中心に熱帯夜になることが多くなる。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "冬季は瀬戸内海沿岸部では温暖であるが、その他の内陸部や北部の1月平均気温は3°C台以下で冬日も多く比較的寒い。三田市など、同標高で比較しても北関東などの東日本より低温となるところもある。 北部の日本海側気候の地域では北西の季節風の影響で降水日数ならびに降雪量が多くなる。日本海寒帯気団収束帯の影響を受けると半日から数日の短時間で積雪が急増し、豊岡市街地や香住などの平野部でも50cmから1m前後のドカ雪となることもある。播磨北部の内陸部でも、南部の沿岸部・平野部と比較すると降水日数がやや多くなり、日本海から活発な雪雲が南下してきた場合は20cm前後の大雪となることもある。瀬戸内海沿岸部でも播磨南部を中心に小雨や小雪、みぞれが降る日もあるが、積雪は多くとも一冬に1〜2回・5~10cm程度である。特に神戸から阪神間での積雪は極めて少なくなっている。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "(出典:気象庁・気象統計情報)", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "県内には29市と12町がある。なお、町の読み方は全て「ちょう」である。また、村は1962年に消滅している。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "以下は、県が地域ごとに設置している総合出先機関である7の「県民局」と3の「県民センター」ごとに記述している。「県民局」と「県民センター」の違いは、管内に政令市・中核市を擁し県から多くの業務が移譲されている地域は「県民センター」として「県民局」よりも組織がスリム化されている。なお、推計人口は2023年11月1日現在の統計である。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "神戸県民センター管内には、以下の1市(9区)が属しており、管内の推計人口は1,499,732人で、兵庫県の大動脈である。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "阪神南県民センター管内には、以下の3市が属しており、管内の推計人口は1,031,867人である。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "阪神北県民局管内には、以下の4市と1町が属しており、管内の推計人口は702,293人である。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "東播磨県民局管内には、以下の3市と2町が属しており、推計人口は711,539人である。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "北播磨県民局管内には、以下の5市と1町が属しており、推計人口は255,499人である。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "中播磨県民センター管内には、以下の1市と3町が属しており、推計人口は561,646人である。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "西播磨県民局管内には、以下の4市と3町が属しており、推計人口は236,554人である。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "丹波県民局管内には、以下の2市が属しており、推計人口は97,475人である。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "但馬県民局管内には、以下の3市と2町が属しており、推計人口は149,611人である。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "淡路県民局管内には、以下の3市が属しており、推計人口は122,782人である。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "兵庫県が発表した2020年国勢調査結果の速報値によると、2020年10月1日時点の兵庫県の人口は、546万9184人であった。", "title": "地理・地域 " }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "第2次府県統合により、摂津国の西部(八部郡・菟原郡・武庫郡・川辺郡・有馬郡)、丹波国の南西部(多紀郡・氷上郡)、但馬国の全域、播磨国の全域、淡路国の全域で構成されるようになった。同時に、畿内(摂津国)、山陰道(丹波国・但馬国)、山陽道(播磨国)、南海道(淡路国)と4つの地方にまたがることにもなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "その後、岡山県からの越境編入が2回あった。1896年(明治29年)に岡山県吉野郡石井村が兵庫県佐用郡へ転属、吉野郡讃甘村大字中山が佐用郡江川村へ編入となり、美作国の一部を含むようになった。1963年(昭和38年)には岡山県和気郡日生町大字福浦(北部の寺山を除く)が兵庫県赤穂市へ編入となり、備前国の一部を含むようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "地方債の残高", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "U5Hプロジェクトとは、兵庫に関わりを持つ個人、一人一人が自身の兵庫における『ふるさと』について再発見していくために立ち上げられた兵庫県公式のプロジェクトである。冒頭の『U5H』とは『United 5koku of Hyogo』の略称である。5koku(五国)については以下に詳細に記す。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区が12。参議院では、全県で1区を構成。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "兵庫県の指定金融機関は三井住友銀行(旧・神戸銀行→太陽神戸銀行→さくら銀行)である。また神戸・阪神・播磨地区の主な市も三井住友銀行を指定金融機関としている。一方、但馬県民局管内の全市町は但馬銀行を、淡路県民局管内の3市中2市は淡路信用金庫を、播磨地区の小規模な市町はみなと銀行を指定金融機関としている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "神戸市および阪神間、播磨、但馬、淡路島で概ね事業者は分かれるが、神戸市は明石海峡大橋の開業で淡路島や四国への高速バスが発達し、また鉄道だけではカバーしきれない地域などに多くの路線が伸びる。都市型の阪神間に対し、但馬などでは過疎路線も少なくない。公営事業者も少なくなかったが、姫路市営バス、明石市交通部、尼崎市交通局が撤退して民間委譲されている。主な事業者は下記。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "かつては淡路島や四国への連絡航路が多数発着していたが、明石海峡大橋の開通でその多くが役目を終えた。しかし長距離の国内外へ向かうフェリーなどが今も神戸港を発着する。下記航路のうち特記なきものはフェリー。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "従来、兵庫県を放送対象地域とする民間放送局は、中波(AM)、超短波(FM)、テレビジョン(TV)の3つ全てが独立放送局であったが、2003年(平成15年)に Kiss-FM KOBEがJFNに加盟。これに伴い、3つ全てが独立放送局である都道府県は神奈川県のみとなった。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "放送区域は近畿広域圏に属する。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "以下は兵庫県域放送局", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "テレビ大阪(TXN系)は尼崎市や伊丹市を中心とした阪神地域や神戸市の一部地域などで直接受信が可能であるがあくまで大阪府域局であり、県域放送局であるサンテレビでは諸事情によりTXN系の番組が放送できないため、46都道府県の地上波テレビ局で放送されているTXN系列の番組が兵庫県内では視聴できないものもある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "播磨灘沿いの県南西部の一部では、岡山県・香川県の各放送局が受信できる地域が存在する。これらの地域では1969年(昭和44年)までNHK岡山放送局、西日本放送、山陽放送)しか受信できなかった。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "兵庫県が放送対象地域であるFM局の親局及びラジオ関西のFM補完放送のメイン局は、地上デジタルテレビの県域局も含め摩耶山に設置されている。在阪民放3局(MBSラジオ・ABCラジオ・ラジオ大阪)は放送対象地域が\"近畿広域圏\"であり、兵庫県も対象地域に入っている。radikoでは兵庫県各局に加え在阪民放AM・FM各3局も兵庫県内で無料聴取が可能である。NHKラジオ第1放送・第2放送は南部は大阪から受信する。北部は中継局(豊岡市・香美町・新温泉町)がある(ただし、香住・新温泉は第1放送のみ)。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "コミュニティFMは以下の11局が放送しており、近畿2府4県では最多である。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "兵庫県は異なる歴史を持つ地域の寄せ集めであり、地域によって風俗や習慣に違いが見られる。県人会は県内の出身各地方で別々となっている(東京淡路会、大阪但馬人会、関東氷上・多紀郡郷友会など)。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "方言の違いも多彩である。県南部では近畿方言(関西弁)が使われるが、県北部では中国方言である但馬弁が使われる。県南部の方言も、中国方言の影響を受けた播磨地域の播州弁、大阪弁の流れを汲む阪神地域の摂津弁、播州弁と摂津弁の中間的な方言で神戸市を中心に使われる神戸弁、京言葉の流れを汲む丹波弁、阿波弁などともつながりがある淡路島の淡路弁、と細かく分かれる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "また県内には高校野球の全国大会が行われる甲子園球場や兵庫県立明石公園第一野球場がある。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "兵庫県は様々な景色を持つため、多くの映像産業に積極的に協力している。", "title": "兵庫県を舞台とした作品" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "宝塚市において製作された映画作品については、以下も参照。", "title": "兵庫県を舞台とした作品" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "西宮市、芦屋市において大正時代から戦前にかけて製作された作品については、以下も参照", "title": "兵庫県を舞台とした作品" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "時代劇などでは「姫路城」の映像を「江戸城」に見立てて使用している場合も多い。", "title": "兵庫県を舞台とした作品" } ]
兵庫県(ひょうごけん)は、日本の近畿地方の西端に位置する県。県庁所在地は神戸市。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{出典の明記| date = 2021年6月}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 兵庫県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Himeji castle in may 2015.jpg{{!}}姫路城 | photo1b = 080516 Izushi Toyooka Hyogo pref Japan01bs5.jpg{{!}}出石 | photo2a = Sumoto Onsen Awaji Island Japan07n.jpg{{!}}洲本温泉 | photo2b = 明石海峡大橋 - panoramio (1).jpg{{!}}明石海峡大橋 | photo3a = Takarazuka grand theater04s3200.jpg{{!}}宝塚大劇場 | photo3b = Night view from Hotel Okura Kobe 31F 20140225.jpg{{!}}神戸市都心部の夜景 | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center | space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:50%">[[姫路城]]<td style="width:50%">[[出石]]</td></tr> <tr><td style="width:50%">[[洲本温泉]]<td style="width:50%">[[明石海峡大橋]]</td></tr> <tr><td style="width:50%">[[宝塚大劇場]]<td style="width:50%">[[神戸市]][[都心|都心部]]の夜景</td></tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|兵庫県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[兵庫県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Hyogo Prefecture.svg|70px|兵庫県徽章]] | 都道府県章の説明 = [[兵庫県章|兵庫県徽章]] | 区分 = 県 | コード = 28000-3 | ISO 3166-2 = JP-28 | 隣接都道府県 ={{flag|京都府}}<br/>{{flag|大阪府}}<br/>{{flag|鳥取県}}<br/>{{flag|岡山県}}<br/>{{flag|和歌山県}}<ref group="注釈" name=kaijo>和歌山・香川・徳島の3県とは海上を隔てて隣接。</ref><br/>{{flag|香川県}}<ref group="注釈" name=kaijo /><br/>{{flag|徳島県}}<ref group="注釈" name=kaijo /> | 木 = [[クスノキ]] | 花 = [[ノジギク]] | 鳥 = [[コウノトリ]] | シンボル名 = [[都道府県民歌|県の歌]]<br>マスコットキャラクター | 歌など = [[兵庫県民歌]](1947年制定){{Refnest|group="注釈"| ただし、現在は全く演奏されておらず県では2014年までこの[[都道府県民歌|県民歌]]を制定した事実そのものを否定していた<ref>{{Cite news|date=2015-01-01|url=http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201501/0007625977.shtml|title=布く新憲法 ゆくては明かるし…幻の兵庫県民歌|newspaper=[[神戸新聞]]|accessdate=2015-01-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160309062646/http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201501/0007625977.shtml|archivedate=2016-3-9|author=金旻革}}</ref>。2006年以降は非公式楽曲として主に『[[ふるさと兵庫]]』が演奏されている。}}<br>[[はばタン]] | 郵便番号 = 650-8567 | 所在地 = [[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]][[下山手通]]五丁目10番1号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-28|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=7|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=200|frame-height=220|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}}<br />[[File:Hyogo Pref Hall 1-3.jpg|200px|[[兵庫県庁]]]]<br>[[File:Old Hyogo Prefectural Office Building 20161218.jpg|200px|[[兵庫県公館|旧兵庫県庁]]]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 28 Hyōgo prefecture.svg|320px|兵庫県の位置]]{{基礎自治体位置図|28|000|image=Map of Hyogo Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }}{{After float}} '''兵庫県'''(ひょうごけん)は、[[日本]]の[[近畿地方]]の西端に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[神戸市]]。 == 概説 == [[ファイル:Kobe Mosaic03s4s4272.jpg|thumb|left|250 px|神戸市]] {{After float|10em}} 南北に長い県域を持ち、近畿地方の府県で最大の面積を持つ。北は[[日本海]]、南は[[瀬戸内海]]の2つの海に接している県である。本州で2つの海に接している県は、両端である[[青森県]]と[[山口県]]を除けば兵庫県のみである。本州を青森県から山口県まで陸路で縦断しようとすると、必ず本県を通ることになる。 [[ファイル:Hitomarueki-sigosen02.JPG|thumb|200 px|日本標準時子午線(山陽電鉄人丸前駅ホーム)(明石市)]] {{After float}} ほぼ中央を[[日本標準時子午線]](東経135度)が南北に通過し、[[明石市]]にはこれに因む[[明石市立天文科学館]]がある。県中央部には[[中国山地]]が東西に横たわり、交通の難所ともなっている。 南部の瀬戸内海沿岸は[[阪神工業地帯]]や[[播磨臨海工業地帯]]といった日本有数の[[工業|重化学工業]]の集積地となっており、[[近畿圏]]最多の工場立地数となっている。一方で、中部から北部にかけては[[農林水産業]]が主な産業であり、[[過疎地]]や[[豪雪地帯]]も抱える。これら過密と過疎を平均した県単位の産業活動指数は全国平均であることから、'''日本の縮図'''といわれることがある。また、南東部の[[阪神間]]は[[大阪府]]の[[ベッドタウン]]としての性格があり、神戸市(国内の大都市人口7位)と阪神地方で県人口の約6割を占め、複数の[[幹線]][[道路]]や[[鉄道路線]]が並行している。なお、兵庫県の人口は国内7位、[[人口密度]]は国内8位である。 [[令制国]](旧国)の[[摂津国]]西部、[[丹波国]]南西部および[[但馬国]]、[[播磨国]]、[[淡路国]]のそれぞれ全域で県域の大半が構成されるが、[[岡山県]]からの越境編入が2回あったため、僅かながら[[美作国]]東部、[[備前国]]南東部も含んでいる<ref group="注釈">ただし、美作国に該当する地域は[[吉野郡 (岡山県)|吉野郡]](美作国・岡山県)から[[佐用郡]](播磨国・兵庫県)への転属という形を取っており、以降は播磨国に含むとする見解もある。</ref>。[[北海道]](11国)に次ぐ7国にまたがり、その7国が[[五畿八道]]の[[畿内]](摂津国)、[[山陰道]](丹波国・但馬国)、[[山陽道]](播磨国・美作国・備前国)、[[南海道]](淡路国)に分かれるため、全国最多の4地方にまたがる当県は、古来の行政区分・地方区分をほとんど無視する形で成立している。現在の地方区分でも、[[鳥取県]]境より西に位置する[[西播磨]]地域の西部は、[[地図帳]]などにおいて近畿地方のページには収まりきれず、[[中国地方]]のページに掲載されている場合がある。 [[外貨]]獲得を急務とした[[明治政府]]は、但馬の[[生糸]]の輸出に摂津の[[神戸港]]を活用するため、[[大久保利通]]の指示の下、櫻井努が策定した案を基に[[1876年]](明治9年)、第三次兵庫県の区域を確定した。神戸を発展させるための財源として、豊かな農業国であった播磨・但馬などからの税収を充てたのである。 [[江戸時代]]に置かれた藩は摂津国に[[尼崎藩]]・[[三田藩]]、丹波国に[[篠山藩]]・[[柏原藩]]、但馬国に[[出石藩]]・[[豊岡藩]]があり、播磨国に[[姫路藩]]・[[林田藩]]・[[明石藩]]・[[龍野藩]]・[[赤穂藩]]・[[三日月藩]]・[[小野藩]]・[[三草藩]]・[[安志藩]]・[[山崎藩]]が、淡路国に[[徳島藩|阿波藩(阿波徳島藩)]]の[[洲本城]]代の稲田家、[[旗本]]([[交代寄合]])の[[山名氏|山名家]]の村岡[[陣屋]]、交代寄合の[[池田氏|池田家]]の福本陣屋が存在した。 上記のように多様性を内包した当県は、かつて存在した[[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国]]になぞらえて「'''[[ヒョーゴスラビア]]'''」と呼ばれることがあり{{efn|ユーゴスラビアは「7つの国境(隣国、不安)、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの連邦国家(1人の[[ヨシップ・ブロズ・チトー|チトー]])」と形容された。これになぞらえた形で、兵庫県を「7つの県境、6つの方言、5つの[[令制国|旧国]]、4つの[[新幹線]]駅、3つの[[空港]]、2つの海を持つ、1つの県」と説明する<ref name="kobe-np_180825">{{Cite news|title=兵庫ってヒョーゴスラビア連邦 SNS投稿に反響|url=https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201808/0011576140.shtml|newspaper=[[神戸新聞]]NEXT|publisher=神戸新聞社|date=2018-08-25|accessdate=2018-10-13}}</ref>。}}、県もこれに乗る形で[[2018年]](平成30年)から「'''U5H=United 5koku of HYOGO(兵庫五国連邦)'''」という[[宣伝|プロモーション]]を行っている<ref name=hyogo_pref._gokoku>{{Cite web|和書|date=2021-06-28 |url=https://web.pref.hyogo.lg.jp/governor/202106.html |title=兵庫は五国(令和3年6月) |website=知事のページ |publisher=兵庫県 |accessdate=2021-09-26}}</ref> <ref name="kobe-np_180825"/><ref>{{Cite web|和書|title=神戸新聞NEXT|総合|ヒョーゴスラビアが現実に?「兵庫五国連邦」が誕生|url=https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201902/0012090399.shtml|website=www.kobe-np.co.jp|accessdate=2019-06-20|language=Japanese}}</ref>。 === 県名の由来 === 摂津国[[八部郡]][[兵庫津]](兵庫)に[[兵庫県立兵庫津ミュージアム|初代県庁舎]]が置かれたことによる。 * [[慶応]]4年([[1868年]]) ** [[1月15日 (旧暦)|1月15日]]([[2月8日]]) 兵庫島上町に兵庫役所を設置<ref name="年表1">[https://web.pref.hyogo.lg.jp/pa13/pa13_000000033.html 兵庫県/年表 明治1]</ref>。 ** [[1月19日 (旧暦)|1月19日]]([[2月12日]]) 兵庫切戸町の旧[[兵庫城|兵庫勤番所]]へ兵庫役所を移転<ref name="年表1"></ref>。 ** [[1月22日 (旧暦)|1月22日]]([[2月15日]]) 兵庫鎮台を設置<ref name="年表1"></ref>。 ** [[2月2日 (旧暦)|2月2日]]([[2月24日]]) 兵庫鎮台を兵庫裁判所と改める<ref name="年表1"></ref>。 ** [[5月23日 (旧暦)|5月23日]]([[7月12日]]) 兵庫裁判所を廃止して'''兵庫県'''を設置<ref name="年表1"></ref>。 兵庫津(旧称は[[大輪田泊]])は当時人口2万人を超える港町として栄えていたが、事実上の[[条約港|開港場]]は兵庫津の北東に近接する同郡神戸村となった。慶応4年9月(1868年10月16日~11月13日)に県庁舎は同郡坂本村へ新築移転しており<ref name="年表1"></ref>、兵庫津に置かれた期間は約3~4ヶ月、県設置以前から数えても約8~9ヶ月と1年に満たない。 2代目県庁舎が置かれた坂本村の南部(仲町部)は兵庫の一部とも見なされたが、約4年6~7ヶ月後の[[1873年]]([[明治]]6年)5月に県庁舎は神戸町へ移転し<ref>[https://web.pref.hyogo.lg.jp/pa13/pa13_000000034.html 兵庫県/年表 明治2]</ref>、以降この3代目県庁舎とほぼ同じ場所で4代目県庁舎と5代目県庁舎に建て替えられている。{{seealso|兵庫県庁舎}} 市街としての兵庫津(兵庫)は[[1879年]](明治12年)[[1月8日]]に[[神戸区]](神戸市の前身)の一部となり<ref name="開港150年">{{Cite web|和書|title=神戸開港150年のあゆみ(神戸港関連歴史略年表) |url=https://www.city.kobe.lg.jp/documents/7179/koubekounennpyou.pdf |format=PDF |year=2017 |publisher=神戸開港150年記念事業実行委員会|accessdate=2023-10-04}}</ref>、港湾としての兵庫津(兵庫港)も[[1892年]](明治25年)[[10月1日]]に神戸港の一部となって<ref name="開港150年"></ref>、明治以降急速に発展した「神戸」に飲み込まれる形で一体化したが、県名は「兵庫」のまま続いている。 「兵庫」の由来は、[[天智天皇]]の治世に[[兵]]の[[兵器庫|武器庫]]という意味である「つわものぐら(兵庫)」があったことに由来し、[[兵庫県旗]]と[[兵庫県章|県章]]も兵の字を図案化したものである。 ==地理・地域 == === 広袤(こうぼう) === {{座標一覧|節=広袤(こうぼう)}} [http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/kinkheso.htm 国土地理院地理情報]によると兵庫県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは111.13[[キロメートル|km]]、南北の長さは168.50kmである。 {|border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="0" style="font-size:small; text-align:center;" |重心<br />{{ウィキ座標度分秒|35|2|25|N|134|49|33|E|type:landmark_region:JP|name=兵庫県重心}} || 北端<br />{{ウィキ座標度分秒|35|40|29|N|134|45|53|E|type:landmark_region:JP|name=兵庫県最北端}}<br />↑|| |- |西端<br />{{ウィキ座標度分秒|34|51|7|N|134|15|9|E|type:landmark_region:JP|name=兵庫県最西端}}←||中心点<br />{{ウィキ座標度分秒|34|54|55|N|134|51|38|E|type:landmark_region:JP|name=兵庫県中心点}}||東端<br />→{{ウィキ座標度分秒|34|55|32|N|135|28|7|E|type:landmark_region:JP|name=兵庫県最東端}} |- | ||↓<br />南端<br />{{ウィキ座標度分秒|34|9|21|N|134|48|59|E|type:landmark_region:JP|name=兵庫県最南端}}|| |} === 地形 === [[大阪湾]]に面した南部は平野部だが、中部・北部の大半は山地・[[丘陵]]地帯となっている。人口は南部に集中している。 ==== 山地 ==== {{ul | 主な山地・山{{ul |[[中国山地]]{{col-list|7.5em| *[[氷ノ山]] *[[鉢伏山 (香美町)|鉢伏山]] *[[扇ノ山]] *[[妙見山 (養父市・香美町)|妙見山]] *[[蘇武岳]] *[[瀞川山]] *[[日名倉山]] *[[三室山 (兵庫県・鳥取県)|三室山]] *[[後山]] *[[雪彦山]] *[[七種山]] *[[段ヶ峰]] *[[千ヶ峰]] *[[笠形山]] *[[西光寺山]] *[[明神山 (兵庫県)|明神山]] }} | [[丹後山地]] *[[東床尾山]] |[[丹生山系]] ** [[丹生山]]、[[帝釈山 (兵庫県)|帝釈山]] | 東播磨丘陵地{{col-list|7.5em| * [[高御位山]] *[[笠松山 (兵庫県)|笠松山]] *[[善防山]] *[[三木山]] *[[雄岡山]] }} | [[六甲山地]]{{col-list|7.5em| *[[六甲山]] *[[摩耶山]] *[[再度山]] *[[鉢伏山 (兵庫県神戸市)|鉢伏山]] *[[東お多福山]] *[[西お多福山]] *[[甲山]] }} | [[諭鶴羽山地]]{{col-list|7.5em| * [[諭鶴羽山]] * [[柏原山]] }} | [[多紀連山]]{{col-list|7.5em| * [[御嶽 (兵庫県)|御嶽]] * [[西ヶ嶽]] * [[小金ヶ嶽]] }} }} }} <gallery> Hyonosen01s1600.jpg|[[氷ノ山]] (県下最高峰) Hatchibuseyama02s2048.jpg|[[鉢伏山 (香美町)|鉢伏山]] Seppiko6.JPG|[[雪彦山]] </gallery> {{ul | 高原{{col-list|7.5em| * [[鉢伏高原]] *[[神鍋高原]] *[[瀞川平]] *兎和野高原 *上山高原 *[[杉ヶ沢高原]] *柤岡高原 *美原高原 *美方高原 *[[砥峰高原]] *[[峰山高原]] }} }} <gallery> Torokawa-taira01ss3200.jpg|[[瀞川平]] Tonomine highland Kamikawa Hyogo pref Japan01bs5.jpg|[[砥峰高原]] Mineyama Highland in Kamikawa Hyogo pref02o4272.jpg|[[峰山高原]] </gallery> ==== 平野・盆地 ==== {{ul | 主な平野・[[盆地]]{{col-list|7.5em| *[[大阪平野]] *[[播磨平野]] *[[洲本平野]] *[[三原平野]] *[[豊岡盆地]] *[[篠山盆地]] *三田盆地 *多田盆地 }} | [[カルデラ]] * 照来(てらぎ)カルデラ }} ==== 河川 ==== {{ul |主な川{{ul | 加古川水系{{col-list|7.5em| * [[加古川]] *[[美嚢川]] *杉原川 }} | 円山川水系{{col-list|7.5em| * [[円山川]] *[[出石川]] *大屋川 *八木川 }} | 揖保川水系{{col-list|7.5em| *[[揖保川]] *[[林田川]] *福知川 *公文川 }} |淀川水系支川{{col-list|7.5em| *[[神崎川 (大阪府・兵庫県)|神崎川]] *[[猪名川]] }} |その他水系{{col-list|7.5em| *[[武庫川]] *[[市川 (兵庫県)|市川]] *[[千種川]] *[[明石川]] *[[夢前川]] *[[洲本川]] *[[三原川 (兵庫県)|三原川]] *[[矢田川 (兵庫県)|矢田川]] *岸田川など }} }} }} <gallery> Ibo River Tatsuno Hyogo01n4272.jpg|[[揖保川]] 150808 Takedao Onsen Takarazuka Hyogo pref Japan42s3.jpg|[[武庫川]] Ichikawa river Ikuno Asago05bs4140.jpg|[[市川 (兵庫県)|市川]] </gallery> {{ul|主な渓谷・峡谷{{col-list|7.5em| * [[瀞川渓谷]] *[[霧ヶ滝渓谷]] *小又川渓谷 *[[赤滝渓谷]] *[[阿瀬渓谷]] *[[音水渓谷]] *[[天滝渓谷]] *[[糸井渓谷]] *[[福知渓谷]] *猪名川渓谷 *横行渓谷 *熊波渓谷 *[[小代渓谷]] *赤西渓谷 *板馬見渓谷 *山田渓谷 *直谷渓谷 *[[蓬萊峡]] *[[立雲峡]] }}}} <gallery> Onzui Ravine 02.JPG|[[音水渓谷]] Tendaki 02.JPG|[[天滝渓谷]] Horaikyo1.jpg|[[蓬萊峡]] </gallery> {{ul|主な[[滝]]{{col-list|7.5em| * [[原不動滝]] *[[猿尾滝]] *[[天滝]] *[[布引の滝 (兵庫県)|布引の滝]] *[[霧ヶ滝]] *[[七種の滝]] *[[羊ヶ滝]] *[[扁妙の滝]] *布滝 *[[瀞川不動滝]] *赤滝 *[[黒岩の滝]] }}}} <gallery> Harahudou Falls.JPG|[[原不動滝]] Saruo Falls.JPG|[[猿尾滝]] Odaki, from the Nunobiki Falls.jpg|[[布引の滝 (兵庫県)|布引の滝]] </gallery> ==== 湖沼 ==== {{ul|主な湖沼{{col-list|15em| *[[つくはら湖]](呑吐ダム) *[[東条湖]](鴨川ダム) *[[千丈寺湖]](青野ダム) *[[知明湖]](一庫ダム) *[[昭和池]](昭和池ダム) *[[生野銀山湖|銀山湖]](生野ダム) *[[多々良木ダム]]貯水池 *[[翠明湖]](糀屋ダム) }}}} ===== 溜池 ===== [[ため池]]の数が日本一多い。<ref>{{Cite web|和書|url=http://web.pref.hyogo.lg.jp/af08/af08_000000016.html |title=ひょうごのため池 |accessdate=2014-03-17}}</ref> 県内では、[[淡路市]]の13,301か所が最も多く、[[洲本市]]の7,014か所、神戸市の6,305ヶ所と続く。淡路島全体で県の約半分を占める<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.pref.hyogo.lg.jp/nk10/faq/faq_af09_00000003.html |title=兵庫県の農業用ため池数は?|accessdate=2014-03-17}}</ref>。一方近年、県の調査により全体の3割近い約1万ヶ所が実際には存在していないことが判明している<ref>{{Cite web|和書|title=神戸新聞NEXT|総合|「ため池王国」兵庫県で“水増し” 調べたら1万カ所ありませんでした|url=https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201906/0012384681.shtml|website=www.kobe-np.co.jp|accessdate=2019-10-31|language=Japanese}}</ref>。ただそれを勘案しても、ため池の数は相変わらず全国1位である。 {{ul |溜池の数ランキング(2009年4月1日時点){{col-list|15em| # 兵庫県 43,245 # [[広島県]] 20,183 # [[香川県]] 14,619 # [[大阪府]] 11,105 # [[山口県]] 10,636 }} | 溜池の数ランキング(2019年5月時点)<ref>{{Cite web|和書|title=ため池:農林水産省|url=https://www.maff.go.jp/j/nousin/bousai/bousai_saigai/b_tameike/|website=www.maff.go.jp|accessdate=2019-10-31}}</ref>{{col-list|15em| # 兵庫県 24,400 # [[広島県]] 19,772 # [[香川県]] 14,619 # [[山口県]] 9,992 # [[岡山県]] 9,700 }} }} ==== 海岸 ==== {{ul| 海{{ul | 日本海 | 瀬戸内海{{col-list|7.5em| * [[大阪湾]] *[[明石海峡]] *[[播磨灘]] *[[紀淡海峡]] *[[鳴門海峡]] *[[紀伊水道]] }} }}}} ==== 島嶼 ==== * 主な自然島 ** [[淡路島]]、[[成ヶ島]]、[[沼島]] ** [[家島諸島]]([[家島]]、[[坊勢島]]、[[男鹿島]]他) ** [[生島]] ** [[日生諸島]] [[取揚島]](島内に岡山県との県境がある) === 自然公園・国営公園 === {{ul | 国立公園 * [[瀬戸内海国立公園]]、[[山陰海岸国立公園]] | 国定公園 * [[氷ノ山後山那岐山国定公園]] | 国営公園 * [[国営明石海峡公園]] | [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] {{col-list|15em| *[[多紀連山県立自然公園]] *[[猪名川渓谷県立自然公園]] *[[清水東条湖立杭県立自然公園]] *[[朝来群山県立自然公園]] *[[音水ちくさ県立自然公園]] *[[但馬山岳県立自然公園]] *[[西播丘陵県立自然公園]] *[[出石糸井県立自然公園]] *[[播磨中部丘陵県立自然公園]] *[[雪彦峰山県立自然公園]] *[[笠形山千ヶ峰県立自然公園]] }} }} <gallery> 鳴門海峡.jpg|[[鳴門海峡]](名勝、瀬戸内海国立公園) TakenoBeach Hyogo prefecture.jpg|[[竹野浜]] (山陰海岸国立公園) AKNGP01s3200.jpg|[[国営明石海峡公園]] </gallery> === 気候 === <!--加筆するにあたっては、独自研究や主観的記述は厳禁なので注意すること!--> 北部は[[日本海側気候]]、南部は[[瀬戸内海式気候]]で、北部の自治体は[[豪雪地帯]]に指定されている。 夏季は全般に高温である。北部や内陸部を中心に[[フェーン現象]]による[[猛暑日]]が発生することがしばしばあり、また、南部では神戸から阪神間の沿岸部を中心に[[熱帯夜]]になることが多くなる。 冬季は瀬戸内海沿岸部では温暖であるが、その他の内陸部や北部の1月平均気温は3℃台以下で冬日も多く比較的寒い。[[三田市]]など、同標高で比較しても[[北関東]]などの東日本より低温となるところもある。 北部の日本海側気候の地域では北西の[[季節風]]の影響で[[降水]]日数ならびに降雪量が多くなる。[[日本海寒帯気団収束帯]]の影響を受けると半日から数日の短時間で積雪が急増し、豊岡市街地や香住などの平野部でも50cmから1m前後のドカ雪となることもある。播磨北部の内陸部でも、南部の沿岸部・平野部と比較すると[[降水]]日数がやや多くなり、日本海から活発な雪雲が南下してきた場合は20cm前後の大雪となることもある。瀬戸内海沿岸部でも播磨南部を中心に[[小雨]]や小雪、[[霙|みぞれ]]が降る日もあるが、[[積雪]]は多くとも一冬に1〜2回・5~10cm程度である。特に神戸から阪神間での積雪は極めて少なくなっている。 {{flexbox| {{Climate_graph|豊岡| |239.5|196.2|148.1|99.6|128.7|155.9|180.9|127.0|225.6|161.0|167.1|197.8 |7.1|7.9|12.2|19.2|23.8|27.0|30.7|32.5|27.4|21.8|16.1|10.6 |0.1|-0.1|2.1|6.7|12.1|17.3|21.8|22.7|18.6|12.0|6.7|2.2 }} {{Climate_graph|和田山| |110.2|115.7|118.6|96.7|125.0|160.0|180.6|129.3|197.4|128.4|90.9|94.9 |7.1|7.6|12.0|19.0|23.7|26.8|30.3|31.7|27.1|21.4|15.7|10.3 |-1.1|-1.3|1.1|5.6|12.4|16.7|21.3|21.9|17.7|11.0|5.4|0.9 }} {{Climate_graph|西脇| |42.3|61.9|115.7|124.2|168.4|184.2|191.2|130.7|165.2|110.2|72.7|46.4 |8.6|9.3|13.0|19.4|23.8|27.1|30.5|32.3|28.0|22.2|16.5|11.3 |-1.5|-1.2|1.5|6.5|11.7|17.0|21.6|22.4|18.5|11.5|5.3|0.5 }} {{Climate_graph|神戸| |37.8|56.9|98.5|101.6|149.7|181.6|152.1|90.9|144.6|98.3|63.4|40.9 |9.0|9.6|12.8|18.7|23.2|26.6|30.0|31.8|28.5|22.7|17.3|11.9 |2.7|3.0|6.0|11.3|16.2|20.4|24.4|25.8|22.5|16.1|10.6|5.4 }} {{Climate_graph|姫路| |35.9|51.7|96.0|103.8|146.6|164.6|167.0|95.9|147.6|94.1|59.1|36.7 |9.3|9.9|13.1|18.9|23.1|26.5|30.2|32.1|28.3|22.7|17.0|11.9 |-0.2|0.1|2.8|8.0|13.0|18.1|22.7|23.7|19.5|12.7|6.8|2.0 }} {{Climate_graph|洲本| |45.6|66.9|112.2|119.0|154.0|200.8|139.8|106.9|185.4|130.7|92.4|53.0 |8.2|8.8|12.1|17.9|22.1|25.3|29.1|30.5|26.8|21.1|15.9|10.9 |2.4|2.3|4.7|9.7|14.3|18.6|22.7|23.8|20.4|15.2|10.0|5.2 }} }} === 兵庫県内各地の平年値 === {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap;" !rowspan="4" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="5"|但馬 !rowspan="2" colspan="3"|北播・丹波 |- !colspan="2"|北部 !colspan="3"|南部 |- !rowspan="2"|[[香美町]]<br />香住 !rowspan="2"|[[豊岡市|豊岡]] !colspan="2"|[[朝来市]] !rowspan="2"|[[養父市]]<br />大屋 !rowspan="2"|[[丹波市]]<br />柏原 !rowspan="2"|[[西脇市|西脇]] !rowspan="2"|[[丹波篠山市]]<br />後川 |- !和田山!!生野 |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |25.9(8月)||26.3(8月) |25.7(8月)||25.1(8月)|| |26.2(8月)||26.5(8月)|| |- !最寒月 |4.2(2月)||2.9(2月) |2.2(2月)||1.8(1月)|| |2.8(1月)||3.2(1月)|| |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |255.6(1月)||241.3(9月) |206.6(9月)||270.5(9月)||228.6(9月) |217.2(9月)||201.0(6月)||227.7(6月) |- !最少月 |104.1(4月)||105.4(4月) |81.5(12月)||67.1(12月)||89.0(12月) |43.9(12月)||37.5(12月)||52.2(12月) |- !rowspan="2"|降水<br />日数<br />(日) !最多月 |22.4(1月)||20.8(1月) |16.7(1月)||14.1(3月)||17.0(1月) |12.7(6月)||12.0(6月)||13.3(6月) |- !最少月 |9.1(8月)||9.3(8月) |9.5(8月)||9.4(11月)||9.5(8月) |7.8(11月)||6.0(1月)||8.4(11月) |} {{flexbox start}} {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap;" !rowspan="4" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="7"|播磨 |- !colspan="2"|北西部 !colspan="3"|南西部 !colspan="2"|南東部 |- !rowspan="2"|[[宍粟市]]<br />一宮 !rowspan="2"|[[福崎町|福崎]] !rowspan="2"|[[上郡町|上郡]] !colspan="2"|[[姫路市]] !rowspan="2"|[[三木市|三木]] !rowspan="2"|[[明石市|明石]] |- !東今宿!!家島 |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |25.4(8月)||26.7(8月) |26.4(8月)||27.1(8月)||26.5(8月) |26.4(8月)||27.6(8月) |- !最寒月 |2.3(1月)||3.3(1月) |2.9(1月)||4.0(1月)|| 4.8(2月) |3.5(1月)||5.1(2月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |272.8(7月)||207.0(6月) |179.1(7月)||179.1(9月)||157.4(6月) |179.7(6月)||148.2(6月) |- !最少月 |54.9(12月)||35.8(12月) |30.0(12月)||34.5(12月)||26.5(12月) |32.4(12月)||36.1(1月) |- !rowspan="2"|降水<br />日数<br />(日) !最多月 |13.4(6月)||12.1(6月) |12.0(6月)|| 11.3(6月)||11.2(6月) |11.8(6月)|| 11.2(6月) |- !最少月 |7.5(11月)||5.6(12月) |4.7(12月)||4.5(1,12月)||4.4(12月) |4.9(12月)||5.3(1,12月) |} {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap;" ! colspan="2" rowspan="2" |平年値<br />(月単位) ! colspan="2" |阪神 ! colspan="2" |[[淡路島]] |- ![[三田市|三田]] ![[神戸市|神戸]] ![[淡路市]]<br />[[郡家 (淡路市)|郡家]] ![[洲本市|洲本]] |- ! rowspan="2" |平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |26.1(8月)||28.0(8月) |27.1(8月)||26.3(8月) |- !最寒月 |2.3(1月)||5.7(1月) |5.4(2月)||5.0(2月) |- ! rowspan="2" |[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |190.3(6月)||189.6(6月) |163.4(6月)||224.2(9月) |- !最少月 |33.2(12月)||38.9(1月) |34.0(12月)||44.3(12月) |- ! rowspan="2" |降水<br />日数<br />(日) !最多月 |11.6(6月)|| 11.3(6月) |12.0(6月)|| 12.3(6月) |- !最少月 |5.8(12月)||4.8(12月) |5.5(12月)||5.2(12月) |} {{flexbox end}} (出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) === 行政区画 === [[ファイル:Map of Hyogo prefecture, with prefectural government branches and former borders.svg|thumb|400px|兵庫県県民局及び県民センターの管轄区域図。点線は[[摂津国]]、[[丹波国]]、[[播磨国]]、[[但馬国]]、[[淡路国]]、[[備前国]]、[[美作国]]の国境([[幕末]]期)。{{col-list|12em|{{番号付きリスト|style="margin-left: 1.5em; padding-left: 0; |{{Color|#white|□}}神戸県民センター |{{color|#ffa5a5|■}}阪神南県民センター |{{color|#ffffa5|■}}阪神北県民局 |{{color|#cfffff|■}}東播磨県民局 |{{color|#ffd2a5|■}}北播磨県民局 |{{color|#ffffcc|■}}中播磨県民センター |{{color|#ffccff|■}}西播磨県民局 |{{color|#a5ffa5|■}}丹波県民局 |{{color|#a5a5ff|■}}但馬県民局 |{{color|#ccff99|■}}淡路県民局 }} }} ]] {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=兵庫県|float=right}}{{After float}} 県内には29市と12町がある。なお、町の読み方は全て「ちょう」である。また、村は1962年に消滅している<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.pref.hyogo.lg.jp/ac02/kids_ours.html|title=わたしたちの市・町|publisher=兵庫県|date=2019-06-24|accessdate=2020-04-11}}</ref>。 以下は、県が地域ごとに設置している総合[[出先機関]]である7の「[[支庁|県民局]]」と3の「県民センター<ref>[http://web.pref.hyogo.jp/area/ 県民局・県民センター情報] - 兵庫県(2014年5月15日閲覧) ※自治体の記述序列は当該サイトに準拠。</ref>」ごとに記述している。「県民局」と「県民センター」の違いは、管内に政令市・中核市を擁し県から多くの業務が移譲されている地域は「県民センター」として「県民局」よりも組織がスリム化されている。なお、[[推計人口]]は{{自治体人口/兵庫県|date}}現在<ref>[http://web.pref.hyogo.lg.jp/ac08/ac08_5_000000004.html 推計人口] - 兵庫県</ref>の統計である。 ==== 神戸地域 ==== [[神戸県民センター]]管内には、以下の1市(9区)が属しており、管内の推計人口は{{formatnum:{{自治体人口/兵庫県|神戸市}}}}人で、兵庫県の大動脈である。 {{ul |[[神戸市]]{{col-list|7.5em| *[[東灘区]] *[[灘区]] *[[兵庫区]] *[[長田区]] *[[須磨区]] *[[垂水区]] *[[北区 (神戸市)|北区]] *[[中央区 (神戸市)|中央区]] *[[西区 (神戸市)|西区]] }} }}<!--区名列挙は便宜上、地方公共団体コードに準ずる。--> ==== 阪神南地域 ==== [[阪神南県民センター]]管内には、以下の3市が属しており、管内の推計人口は{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/兵庫県|尼崎市}} + {{自治体人口/兵庫県|西宮市}} + {{自治体人口/兵庫県|芦屋市}} round 0}}}}人である。 {{col-list|7.5em| * [[尼崎市]] * [[西宮市]] * [[芦屋市]] }} ==== 阪神北地域 ==== [[阪神北県民局]]管内には、以下の4市と1町が属しており、管内の推計人口は{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/兵庫県|伊丹市}} + {{自治体人口/兵庫県|宝塚市}} + {{自治体人口/兵庫県|川西市}} + {{自治体人口/兵庫県|三田市}} + {{自治体人口/兵庫県|猪名川町}} round 0}}}}人である。 {{col-list|10em| * [[伊丹市]] * [[宝塚市]] * [[川西市]] * [[三田市]] * [[川辺郡]][[猪名川町]] }} ==== 東播磨地域 ==== [[東播磨県民局]]管内には、以下の3市と2町が属しており、推計人口は{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/兵庫県|明石市}} + {{自治体人口/兵庫県|加古川市}} + {{自治体人口/兵庫県|高砂市}} + {{自治体人口/兵庫県|稲美町}} + {{自治体人口/兵庫県|播磨町}} round 0}}}}人である。 {{col-list|10em| * [[明石市]] * [[加古川市]] * [[高砂市]] * [[加古郡]][[稲美町]] * 加古郡[[播磨町]] }} ==== 北播磨地域 ==== [[北播磨県民局]]管内には、以下の5市と1町が属しており、推計人口は{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/兵庫県|三木市}} + {{自治体人口/兵庫県|西脇市}} + {{自治体人口/兵庫県|小野市}} + {{自治体人口/兵庫県|加西市}} + {{自治体人口/兵庫県|加東市}} + {{自治体人口/兵庫県|多可町}} round 0}}}}人である。 {{col-list|10em| * [[西脇市]] * [[三木市]] * [[小野市]] * [[加西市]] * [[加東市]] * [[多可郡]][[多可町]] }} ==== 中播磨地域 ==== [[中播磨県民センター]]管内には、以下の1市と3町が属しており、推計人口は{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/兵庫県|姫路市}} + {{自治体人口/兵庫県|神河町}} + {{自治体人口/兵庫県|市川町}} + {{自治体人口/兵庫県|福崎町}} round 0}}}}人である。 {{col-list|10em| * [[姫路市]] * [[神崎郡]][[神河町]] * 神崎郡[[市川町]] * 神崎郡[[福崎町]] }} ==== 西播磨地域 ==== [[西播磨県民局]]管内には、以下の4市と3町が属しており、推計人口は{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/兵庫県|相生市}} + {{自治体人口/兵庫県|赤穂市}} + {{自治体人口/兵庫県|宍粟市}} + {{自治体人口/兵庫県|たつの市}} + {{自治体人口/兵庫県|太子町}} + {{自治体人口/兵庫県|上郡町}} + {{自治体人口/兵庫県|佐用町}} round 0}}}}人である。 {{col-list|10em| * [[相生市]] * [[たつの市]] * [[赤穂市]] * [[宍粟市]] * [[揖保郡]][[太子町 (兵庫県)|太子町]] * [[赤穂郡]][[上郡町]] * [[佐用郡]][[佐用町]] }} ==== 丹波地域 ==== [[丹波県民局]]管内には、以下の2市が属しており、推計人口は{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/兵庫県|丹波篠山市}} + {{自治体人口/兵庫県|丹波市}} round 0}}}}人である。 {{col-list|10em| * [[丹波篠山市]] * [[丹波市]] }} ====但馬地域==== [[但馬県民局]]管内には、以下の3市と2町が属しており、推計人口は{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/兵庫県|豊岡市}} + {{自治体人口/兵庫県|養父市}} + {{自治体人口/兵庫県|朝来市}} + {{自治体人口/兵庫県|新温泉町}} + {{自治体人口/兵庫県|香美町}} round 0}}}}人である。 {{col-list|10em| * [[豊岡市]] * [[養父市]] * [[朝来市]] * [[美方郡]][[香美町]] * 美方郡[[新温泉町]] }} ==== 淡路地域 ==== [[淡路県民局]]管内には、以下の3市が属しており、推計人口は{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/兵庫県|洲本市}} + {{自治体人口/兵庫県|南あわじ市}} + {{自治体人口/兵庫県|淡路市}} round 0}}}}人である。 {{col-list|7.5em| * [[洲本市]] * [[南あわじ市]] * [[淡路市]] }} === 人口 === [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Hyogo prefecture, Japan.svg|thumb|300px|兵庫県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]から算出) {{flexbox| {{flex-item|basis=auto| '''増加''' {{legend|#66FF00|5.0 - 7.49 %}} {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} }} {{flex-item|basis=auto| '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} }} }}]] {{人口統計|code=28000|name=兵庫県|image=Demography28000.svg}} ==== 都市 ==== {{ul | 兵庫県内市別人口ランキング([[2008年]](平成20年)時点){{col-list|15em| # [[神戸市]](153万人) # [[姫路市]](54万人) # [[西宮市]](48万人) # [[尼崎市]](46万人) # [[明石市]](29万人) }} | 兵庫県内市別人口密度ランキング([[2008年]](平成20年)時点){{col-list|15em| # [[尼崎市]](9,260人/[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]) # [[伊丹市]](7,800人/km<sup>2</sup>) # [[明石市]](5,930人/km<sup>2</sup>) # [[芦屋市]](5,300人/km<sup>2</sup>) # [[西宮市]](4,780人/km<sup>2</sup>) }} }} 兵庫県が発表した[[2020年]][[国勢調査 (日本)|国勢調査]]結果の速報値によると、2020年10月1日時点の兵庫県の人口は、546万9184人であった。 === 隣接都道府県 === {{ul | [[大阪府]]{{col-list|15em| * [[大阪市]]{{inline-block|([[西淀川区]]・[[淀川区]])}} * [[豊中市]] * [[池田市]] * [[箕面市]] * [[豊能郡]][[豊能町]] * 豊能郡[[能勢町]] }} | [[京都府]]{{col-list|15em| * [[福知山市]] * [[京丹後市]] * [[南丹市]] * [[船井郡]][[京丹波町]] * [[与謝郡]][[与謝野町]] }} | [[岡山県]]{{col-list|15em| * [[備前市]] * [[美作市]] * [[英田郡]][[西粟倉村]] }} | [[鳥取県]]{{col-list|15em| * [[鳥取市]](国府町) * [[八頭郡]][[若桜町]] * [[岩美郡]][[岩美町]] }} | [[徳島県]]([[鳴門海峡]]を挟んで){{col-list|15em| * [[鳴門市]]{{inline-block|([[大鳴門橋]]経由)}} }} | [[香川県]]([[播磨灘]]を挟んで){{col-list|15em| * [[さぬき市]] * [[東かがわ市]] * [[小豆郡]][[小豆島町]] }} | [[和歌山県]]([[紀淡海峡]]を挟んで) * [[和歌山市]] }} == 歴史 == === 県域に相当する令制国 === 第2次府県統合により、[[摂津国]]の西部([[八部郡]]・[[菟原郡]]・[[武庫郡]]・[[川辺郡]]・[[有馬郡]])、[[丹波国]]の南西部([[多紀郡]]・[[氷上郡]])、[[但馬国]]の全域、[[播磨国]]の全域、[[淡路国]]の全域で構成されるようになった。同時に、[[畿内]](摂津国)、[[山陰道]](丹波国・但馬国)、[[山陽道]](播磨国)、[[南海道]](淡路国)と4つの地方にまたがることにもなった。 その後、岡山県からの越境編入が2回あった。[[1896年]]([[明治]]29年)に岡山県[[吉野郡 (岡山県)|吉野郡]][[石井村 (兵庫県)|石井村]]が兵庫県[[佐用郡]]へ転属、吉野郡[[讃甘村]][[大字]]中山が佐用郡[[江川村 (兵庫県)|江川村]]へ編入となり、[[美作国]]の一部を含むようになった。[[1963年]]([[昭和]]38年)には岡山県[[和気郡]][[日生町]]大字福浦(北部の寺山を除く)が兵庫県[[赤穂市]]へ編入となり、[[備前国]]の一部を含むようになった。 [[ファイル:Izanagi-jingu Haiden.JPG|thumb|[[伊弉諾神宮]]]]{{After float|10em}} * [[古墳]]18,351ヵ所は日本第1位、[[遺跡]]28,882ヵ所は日本第2位であり、上古より拓けていた地が多いとされる。 * [[延喜式]]大社としては播磨国[[明石郡]]の[[海神社 (神戸市)|海神社]]、[[揖保郡]]の[[粒坐天照神社]]、[[宍粟郡]]の[[伊和神社|伊和坐大名持御魂神社]]、淡路国[[津名郡]]の[[伊弉諾神宮]]、[[三原郡]]の[[大和大国魂神社]]、摂津国[[武庫郡]]の[[廣田神社]]、[[伊和志津神社]]、[[八部郡]]の[[生田神社]]、[[長田神社]]、[[有馬郡]]の[[湯泉神社]]、丹波国[[多紀郡]]の[[櫛石窓神社]]などがある。 === 県域の変遷 === * [[慶応]]4年/[[明治]]元年([[1868年]]) ** [[1月22日 (旧暦)|1月22日]](2月15日) - '''兵庫鎮台'''を設置。 ** [[2月2日 (旧暦)|2月2日]](2月24日) - 兵庫鎮台を'''[[裁判所 (地方制度)|兵庫裁判所]]'''に改める。谷町代官所が管轄していた[[摂津国]]185村([[八部郡]]39村・[[菟原郡]]34村・[[武庫郡]]10村・[[川辺郡]]93村・[[有馬郡]]9村)および[[播磨国]]209村([[美嚢郡]]28村・[[印南郡]]1村・[[加東郡]]31村・[[多可郡]]61村・[[加西郡]]42村・[[神東郡]]2村・[[飾西郡]]1村・[[揖西郡]]1村・[[宍粟郡]]42村)の[[天領|幕府領]]と、摂津国26村(八部郡8村・菟原郡1村・武庫郡14村・有馬郡3村)および播磨国108村(美嚢郡22村・加東郡24村・加西郡6村・神東郡3村・[[神西郡]]11村・[[揖東郡]]8村・[[赤穂郡]]13村・[[佐用郡]]21村)の[[地方知行|旗本領]]を管轄。この時初めて旧摂津国が、現在の大阪府と兵庫県に分割された。 ** [[5月23日 (旧暦)|5月23日]](7月12日) - 兵庫裁判所を廃止し、'''兵庫県'''を設置。 * 明治2年([[1869年]]) ** [[8月2日 (旧暦)|8月2日]](9月7日) - 摂津国北部の[[天領|幕府領]]・旗本領を管轄した[[豊崎県]]を編入。 ** [[9月21日 (旧暦)|9月21日]](10月25日) - 旧豊崎県のうち摂津国[[西成郡]]・[[東成郡]]・[[住吉郡]]を大阪府に移管。 * 明治4年([[1871年]]) ** [[5月 (旧暦)|5月]](6月18日 - 7月17日) - [[徳島藩]]の稲田氏[[地方知行|知行地]]である[[淡路国]][[津名郡]]43か村浦を編入。 ** [[7月14日 (旧暦)|7月14日]](8月29日) - 第1次府県統合により摂津国西部の3県が統合され、改めて'''兵庫県'''が発足。播磨国10県を統合して'''[[姫路県]]'''を設置。 ** [[11月9日 (旧暦)|11月9日]](12月20日) - 姫路県が'''[[飾磨県]]'''に改称。 ** [[11月15日 (旧暦)|11月15日]](12月26日) - 淡路国全域を[[名東県]]に編入。 * [[1876年]](明治9年) ** [[8月21日]] - 第2次府県統合により兵庫県・飾磨県が統合され、改めて'''兵庫県'''が発足。[[豊岡県]]より[[但馬国]]および[[丹波国]][[氷上郡]]・[[多紀郡]]を、名東県より淡路国全域を移管される。 * [[1896年]](明治29年) ** [[4月1日]] - 岡山県[[吉野郡 (岡山県)|吉野郡]][[石井村 (兵庫県)|石井村]]が兵庫県佐用郡へ転属。岡山県吉野郡[[讃甘村]][[大字]]中山を兵庫県佐用郡[[江川村 (兵庫県)|江川村]]へ編入。 * [[1963年]]([[昭和]]38年) ** [[9月1日]] - 岡山県[[和気郡]][[日生町]]大字福浦の一部を兵庫県赤穂市へ編入。現在の県域が確定。 === 年表 === ==== 古代~近世 ==== * 紀元前4~3世紀 - 淡路島で発掘された松帆銅鐸は最古級の荒神谷銅鐸と同類と考えられる。 * [[1世紀]]ごろ - 弥生時代後期としては国内最大規模の鉄器製造群落である[[五斗内垣内遺跡]]が築かれる。 * [[3世紀]]後半 - [[西求女塚古墳]]が築かれる。 * [[4世紀]] - [[東求女塚古墳]]、[[処女塚古墳]]が築かれる。 * 4世紀末〜[[5世紀]]初頭 - [[五色塚古墳]]、[[小壷古墳]]、[[宮山遺跡|宮山古墳]]、[[壇場山古墳]]が築かれる。 * [[欽明天皇]]13年([[552年]]?) - [[百済]][[聖王 (百済)|聖王]](聖明王)の太子である恵(僧名:童男行者)により明要寺(丹生寺)が創建される。 * [[崇峻天皇]]2年([[589年]]?) - [[聖徳太子]]により刀田山四天王寺聖霊院([[鶴林寺 (加古川市)|鶴林寺]])が創建される。 * [[推古天皇]]11年([[603年]]) - [[7月6日 (旧暦)|7月6日]]、[[当麻皇子]]の妃である舎人皇女が死去、赤石桧笠岡([[吉田王塚古墳]])に葬られる。 * [[舒明天皇]]3年([[631年]]) - [[9月19日 (旧暦)|9月19日]]、舒明天皇が有間温泉([[有馬温泉]])にて入湯する。 * [[斉明天皇|皇極天皇]]4年/[[大化]]元年([[645年]]) - [[孝徳天皇]]の勅願により[[伽耶院]]、[[如意寺 (神戸市)|如意寺]]、[[忉利天上寺]](大化2年([[646年]]))、[[一乗寺]](大化6年/[[白雉]]元年([[650年]]))が創建される。 * 白雉2年([[651年]]) - [[法道]]仙人により[[朝光寺]]と[[石峯寺 (神戸市)|石峯寺]]開創。 * [[弘仁]]3年([[716年]]) - [[元正天皇]]の勅願により[[太山寺 (神戸市)|太山寺]]が創建される。 * [[延暦]]24年([[805年]]) - 伝教大師・[[最澄]]により日本最初の[[密教]]教化霊場である能福護国密寺([[能福寺]])が創建される。 * [[霊亀]]2年([[812年]]) - [[大輪田泊]]が修築される。 * [[天長]]10年([[833年]]) - [[淳和天皇]]の勅願寺として[[鷲林寺]]が[[空海]]によって開創される。 * [[仁和]]2年([[886年]]) - [[光孝天皇]]の勅願により[[須磨寺]]が創建される。 * [[延喜]]14年([[914年]]) - [[三善清行]]による大輪田泊修築。 * [[康保]]3年([[966年]]) - 性空上人により[[圓教寺 (姫路市)|圓教寺]]開創。 * [[承安 (日本)|承安]]4年([[1174年]]) - [[平清盛]]が大輪田泊に[[経が島]](経ヶ島)を築く。 * [[治承]]4年([[1180年]]) - 平清盛による[[福原京]]の造営。 * 治承8年/[[寿永]]3年([[1184年]]) - [[一ノ谷の戦い]]。 * [[建久]]7年([[1196年]]) - [[重源]]の奏上による大輪田泊修築。 * 建久9年([[1198年]]) - 重源により[[浄土寺 (小野市)|浄土寺]]が創建される。 * [[1300年代]]半ばから[[1310年代]]半ば - [[文観|文観房殊音]](弘真)により東播磨地方の開拓事業が行われる<ref>{{Cite journal | 和書 | last=金子 | first=哲 | authorlink=金子哲 (歴史学者) | title=東播磨における文観の活動――空白の11年間を中心とする石塔造立・耕地開発―― | journal=鎌倉遺文研究 | publisher=吉川弘文館 | number=44 | pages=1–27 | year=2019 | month=10 | ref={{harvid|金子|2019}} }}</ref>。 * [[元弘]]3年/[[正慶]]2年([[1333年]]) - [[鎌倉幕府]]滅亡。播磨の[[赤松則村|赤松円心]]、[[後醍醐天皇]]に味方する。 * [[延元]]元年/[[建武 (日本)|建武]]3年([[1336年]]) - [[湊川の戦い]]で[[楠木正成]]討死。 * [[興国]]5年/[[康永]]3年([[1344年]]) - [[足利尊氏]]により[[福海寺]]開創。 * [[興国]]7年/[[貞和]]2年([[1346年]]) - [[赤松貞範]]が[[姫路城]]を[[築城]]。 * [[嘉吉]]元年([[1441年]]) - [[嘉吉の乱]]で[[赤松満祐]]滅亡。 * [[寛正]]7年/[[文正]]元年([[1466年]]) - 但馬に本拠を持つ[[山名宗全]](山名持豊)が[[細川氏]]と争う([[応仁の乱]])。 * [[天正]]7年([[1579年]]) ** [[明智光秀]]に最後まで抵抗した[[波多野氏]]・[[丹波赤井氏|赤井氏]]が滅ぼされる。 ** [[荒木村重]]の[[伊丹城|有岡城]]が落城。 * 天正8年([[1580年]]) - 羽柴秀吉([[豊臣秀吉]])に攻められて[[三木城]]落城、[[別所長治]]滅亡。 * 天正17年([[1589年]]) - 豊臣秀吉が[[花隈城]]を築城。 * [[慶長]]14年([[1609年]]) - [[池田輝政]]が姫路城を改修。 * [[元禄]]14年([[1701年]]) - [[赤穂藩]]主[[浅野長矩]]が[[江戸城]]中で[[吉良義央]]を斬りつけて切腹[[改易]]。翌年、[[赤穂浪士]]討入([[赤穂事件]])。 ==== 幕末~太平洋戦争終戦 ==== [[ファイル:Sesshu Kobe coast prosperity view.jpg|thumb|300px|摂州神戸海岸繁栄図]]{{After float|10em}} * [[慶応]]3年[[12月7日 (旧暦)|12月7日]]([[1868年]][[1月1日]]) - 兵庫の名のもとに[[神戸港]]開港。 * [[明治元年|慶応4年]][[5月23日 (旧暦)|5月23日]]([[1868年]][[7月12日]]) - 兵庫県を設置。初代[[知事]]に[[伊藤博文]]が任命される。 * [[明治]]3年([[1870年]]) - [[庚午事変]]。 * [[1874年]](明治7年) - 神戸-[[大阪市|大阪]]間に鉄道(現・[[東海道本線]])が開通。[[神戸外国人居留地]]に[[ガス灯]]が灯る。 * [[1876年]](明治9年) - [[飾磨県]](播磨)、[[豊岡県]](但馬・丹波)、名東県(淡路)を併合。ほぼ現在の範囲になる。当時の人口(約135万人)は、[[東京府]]・[[大阪府]]をしのいでいた。 * [[1886年]](明治19年) - [[明治天皇]]の[[御用邸]]が神戸港の弁天浜(現・[[神戸ハーバーランド]])に設けられる。 * [[1888年]]([[明治]]21年) - [[山陽鉄道]]開業。([[1890年]](明治23年)までに現・[[山陽本線]]の兵庫県内の区間が開通) * [[1889年]](明治22年) - 神戸市、姫路市誕生。 * [[1894年]](明治27年) - [[播但鉄道]](現・[[播但線]])開業(山陽鉄道へ合併後[[1906年]](明治39年)全通)。 * [[1897年]](明治30年) - 姫路に[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[第10師団 (日本軍)|第10師団]]設置([[1919年]]([[大正]]8年)まで)。 * [[1903年]](明治36年) - 日本初の[[ゴルフ場]]が[[六甲山]]に開場。 * [[1905年]](明治38年) - [[阪神電気鉄道]]が神戸([[三宮駅|三宮]])〜大阪([[出入橋駅|出入橋]])で開業。[[阪神間モダニズム]]の時代([[1940年]]([[昭和]]15年)まで)。 * [[1910年]](明治43年) - [[箕面有馬電気軌道]]が開業([[宝塚駅|宝塚]]〜[[大阪梅田駅 (阪急)|梅田]]間、現・[[阪急電鉄]][[阪急宝塚本線|宝塚本線]])。[[兵庫電気軌道]]が開業(合併などを経て現・[[山陽電気鉄道]])。 * [[1913年]]([[大正]]2年) - 宝塚唱歌隊(現・[[宝塚音楽学校]])を組織。 * [[1914年]](大正3年) - 宝塚少女歌劇団(現・[[宝塚歌劇団]])初公演。神戸市須磨に[[武庫離宮]](現・[[須磨離宮公園]])が設けられる。 * [[1916年]](大正5年) - 尼崎市誕生。 * [[1919年]](大正8年) - 明石市誕生。 * [[1920年]](大正9年) - [[阪神急行電鉄]](現・阪急電鉄)[[阪急神戸本線|神戸本線]]、[[阪急伊丹線|伊丹線]]開業 * [[1924年]](大正13年) - [[阪神甲子園球場]]竣工。阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)[[阪急甲陽線|甲陽線]]開業。[[フランク・ロイド・ライト]]が設計した山邑邸([[旧山邑家住宅]])が竣工。 * [[1925年]](大正14年) - 西宮が市制施行。 * [[1927年]]([[昭和]]2年) - [[国道2号|阪神国道]]が開通。 * [[1928年]]([[昭和]]3年) - 神戸有馬電気鉄道開業(合併を経て現・[[神戸電鉄]])。 * [[1932年]](昭和7年) - C・H・アリソン設計の[[広野ゴルフ倶楽部]]が開場 * [[1935年]](昭和10年) - [[集中豪雨]]が頻発。[[6月29日]]、[[7月5日]]、[[8月10日]]、[[8月29日]]には六甲山系の[[芦屋川]]などが氾濫<ref>神戸で山津波、阪神国道にまた濁流『大阪毎日新聞』昭和10年8月30日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p210-211 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1937年]](昭和12年) - [[日本陸軍]]の[[加古川飛行場]](三角飛行場)開設。 * [[1940年]](昭和15年) - [[洲本市|洲本]]、[[芦屋市|芦屋]]、[[伊丹市|伊丹]]が市制施行。 * [[1942年]](昭和17年) - [[相生市|相生]]が市制施行。 * 1942年(昭和17年) - 都市部より[[味噌]]と[[醤油]]の[[配給 (物資)|配給制度]]が始まる。当初は神戸市、尼崎市、伊丹市、西宮市、芦屋市、飾磨市、明石市、姫路市の8市<ref>六大府県で味噌、醤油の割当配当『朝日新聞』昭和17年1月8日夕刊(『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p124)</ref>。 * [[1943年]](昭和18年) - 日本陸軍の三木(相野)飛行場建設。 * [[1944年]](昭和19年) - [[日本海軍]]の[[鶉野飛行場]]完成。 * [[1945年]](昭和20年) - [[太平洋戦争]]下で尼崎、[[神戸大空襲|神戸]]、姫路、西宮などが[[日本本土空襲|米軍機の空襲]]を受ける。 ==== 太平洋戦争以後 ==== ===== 岸田県政 ===== * [[1945年]](昭和20年)- [[枕崎台風]]接近により[[高潮]]の被害。[[鳴尾村 (兵庫県)|鳴尾村]]で浸水家屋4474戸(うち床上約3500戸)、西宮市で浸水家屋約900戸(うち床上約500戸)など<ref>七三六ミリバールの猛台風、西日本を直撃『毎日新聞』昭和20年9月18日大阪版(『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p225)</ref>。 * [[1949年]](昭和24年) - [[神戸大学]]が発足。 * [[1950年]](昭和25年) - [[加古川市|加古川]]、[[豊岡市|豊岡]]が市制施行。神戸市東灘区誕生。 * [[1951年]](昭和26年) - [[龍野市|龍野]]、[[赤穂市|赤穂]]が市制施行。 * [[1952年]](昭和27年) - [[西脇市]]誕生。 * [[1953年]](昭和28年) - [[西宮市|西宮]]・[[宝塚市|宝塚]]、[[尼崎市|尼崎]]、[[伊丹市|伊丹]]、[[姫路市|姫路]]、[[加古川市|加古川]]学区で[[総合選抜]]実施。 * [[1954年]](昭和29年) - [[高砂市|高砂]]、[[小野市|小野]]、[[三木市|三木]]、[[宝塚市|宝塚]]、[[川西市|川西]]が市制施行。 ===== 阪本県政 ===== * [[1956年]](昭和31年) - 第11回[[国民体育大会]]開催。 * [[1958年]](昭和33年) - [[三田市]]誕生。 * [[1960年]](昭和35年) - [[伊丹市|伊丹]]、[[加古川市|加古川]]学区で[[総合選抜]]廃止。 * [[1962年]](昭和37年) - {{読み仮名|阿閇|あえ}}村が町制施行で[[播磨町]]となり、全国初の村のない県となる。 ===== 金井県政 ===== * [[1966年]](昭和41年) - [[姫路市|姫路]]学区で[[総合選抜]]廃止。 * [[1966年]](昭和41年) - [[ポートアイランド]]着工。 * [[1967年]](昭和42年) - [[加西市]]誕生。 ===== 坂井県政 ===== * [[1971年]](昭和46年) - [[伊丹市|伊丹]]学区([[伊丹市]]、[[川西市]]、[[猪名川町]])で[[総合選抜]]再実施。 * [[1975年]](昭和50年) - [[明石市|明石]][[加古川市|加印]]学区の一部である[[明石市]]単独で[[総合選抜]]実施。 * [[1981年]](昭和56年) - ポートアイランド完成。[[神戸ポートアイランド博覧会]]開催。 * [[1985年]](昭和60年) - [[大鳴門橋]]開通。第3回[[全国都市緑化フェア]](コウベグリーンエキスポ'85)開催。[[ユニバーシアード]]神戸大会開催。 * [[1986年]](昭和61年) - [[明石海峡大橋]]起工。 ===== 貝原県政 ===== * [[1988年]](昭和63年) - [[全国高等学校総合体育大会]](63総体)開催。 * [[1991年]]([[平成]]3年) - 芦屋市で全国初の女性市長誕生。 * [[1993年]](平成5年) - [[姫路城]]が[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]・[[世界遺産]]に登録。 * [[1994年]](平成6年) - [[但馬飛行場]]開設。[[大阪国際空港|大阪空港]](伊丹空港)への定期便の運航開始。 * [[1995年]](平成7年) - [[阪神・淡路大震災]]([[兵庫県南部地震]])が発生。[[神戸市]]、[[淡路島]]、[[阪神間|阪神地域]]を中心に大きな被害を受けた。 * [[1998年]](平成10年) - [[明石海峡大橋]]開通。 * [[1999年]](平成11年) - [[丹波篠山市|篠山]]が市制施行。 * [[2000年]](平成12年) - 淡路島で国際園芸・造園博「[[ジャパンフローラ2000]]」(淡路花博)開催。 ===== 井戸県政 ===== * [[2002年]](平成14年) - [[人と防災未来センター]](神戸市)、[[兵庫県立美術館]](神戸市)開設。 * [[2003年]](平成15年) - [[兵庫県災害医療センター]](神戸市)開設。 * [[2004年]](平成16年) - [[丹波市]]、[[養父市]]誕生。 * [[2005年]](平成17年) - [[南あわじ市]]、[[朝来市]]、[[淡路市]]、[[宍粟市]]、[[たつの市]]、多可郡[[多可町]]、神崎郡[[神河町]]、美方郡[[香美町]]・[[新温泉町]]誕生。その他、町・市への編入。 * 2005年(平成17年) - 阪神・淡路大震災10年。 * 2005年(平成17年) - [[JR福知山線脱線事故]](乗客106名犠牲)。 * 2005年(平成17年) - [[兵庫県立芸術文化センター]](西宮市)開設。 * [[2006年]](平成18年) - [[神戸空港]](マリンエア)開港。[[加東市]]誕生。その他、町の市への編入。[[第61回国民体育大会|のじぎく兵庫国体]]開催。 * [[2007年]](平成19年) - [[兵庫県立考古博物館]](播磨町)開館。 * [[2008年]](平成20年) - [[明石市|明石]]、[[尼崎市|尼崎]]学区で[[総合選抜]]廃止。 * [[2009年]](平成21年) - [[伊丹市|伊丹]]、[[西宮市|西宮]]学区で[[総合選抜]]廃止。 * 2009年(平成21年) - [[阪神なんば線]]開業。 * 2009年(平成21年) - [[兵庫県立加古川医療センター]](加古川市)開設。 * [[2010年]](平成22年) - [[宝塚市|宝塚]]学区で[[総合選抜]]廃止。 * 2010年(平成22年) - [[山陰海岸]]が[[世界ジオパーク]]に認定。 * [[2011年]](平成23年) - 兵庫県立ものづくり大学校(姫路市)開校。 * [[2012年]](平成24年) - [[横尾忠則現代美術館]](神戸市)開館。 * [[2014年]](平成26年) - 10県民局を7県民局と3県民センターに再編。 * [[2018年]](平成30年) - [[平成30年7月豪雨|西日本豪雨]]発生。県政150周年記念式典挙行。 * [[2019年]](平成31年) - 兵庫県に縁・関心がある人を登録する「ひょうごe-県民制度」開始<ref>[https://web.pref.hyogo.lg.jp/press/20181227_1733.html 「ひょうごe-県民制度」いよいよ平成31年1月から登録開始]企画県民部地域創生局地域創生課(2018年12月27日)2019年9月8日閲覧。</ref>。 * 2019年(平成31年) - 2018年度決算で'''震災後初の「収支均衡」を達成'''。 * 2019年 (令和元年) -篠山市が改元を気に[[丹波篠山市]]に改名 * [[2021年]](令和3年) - [[芸術文化観光専門職大学]](豊岡市)開校。 * 2021年(令和3年) - 公益財団法人阪神・淡路大震災復興基金(神戸市)解散。 ===== 斎藤県政 ===== * [[2022年]](令和4年)[[3月21日]] - [[東京都]][[千代田区]][[有楽町]]の「兵庫わくわく館」閉店<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20220322-OYT1T50315/ |title=県の行革で補助金打ち切り、都内のアンテナショップが閉店 |publisher=[[読売新聞]] |date=2022-03-23 |accessdate=2022-03-23 }}</ref>。 {{gallery |title = "兵庫県の歴史ギャラリー" |widths = 200 |heights = 200 |Kakogawa Kakurinji14nt3200.jpg|[[鶴林寺 (加古川市)|鶴林寺]]太子堂([[国宝]]) |Taisanji25s3872.jpg|[[太山寺 (神戸市)|太山寺]]本堂(国宝) |Donburako-Takarazuka1914.jpg|[[宝塚少女歌劇団]]初公演『ドンブラコ』(1914年4月1日) |Hanshin Koshien Stadium 2007-23.jpg|阪神甲子園球場 |Akashi Bridge.JPG|[[明石海峡大橋]] }} == 政治 == === 県政 === ==== 県知事 ==== {{see|兵庫県知事一覧}} ==== 県議会 ==== {{see|兵庫県議会}} ==== 財政 ==== ===== 平成19年度 ===== * 財政力指数 0.59 ** Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)17自治体中9位 ===== 平成18年度 ===== * 財政力指数 0.53 ** Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)16自治体中14位 * 標準財政規模 9461億円 * 一般会計歳入 2兆0397億円 * 一般会計歳出 2兆0358億円 * 人口1人当たり人件費・物件費等決算額 11万5275円(都道府県平均 12万4759円) * 人口100.000人当たり職員数 1,044.75人(都道府県平均 1,173.11人) ** [[2000年]](平成12年)から[[2007年]](平成19年)に一般行政部門で1,134人(12.0%)の削減を実施。[[2008年]](平成20年)から2018年(平成30年)に向けて一般行政部門などでは約30%の削減を行う。 * [[ラスパイレス指数]] 100.9(都道府県平均 99.6) * 実質公債費比率 19.6%(3カ年平均、都道府県平均 14.7) ※起債に許可が必要になる18%を超えている。 * 人口1人当たり[[地方債]]現在高 65万9471円(都道府県平均 62万2416円) 地方債の残高 * 普通会計分の地方債現在高 3兆6801億円 * 上記以外の特別会計分の地方債現在高 4306億円 ** 地域整備事業会計分 1172億円、流域下水道会計分 1240億円、など。他に[[第三セクター]]など(51法人)への債務保証残高などがある。 ** 主な債務保証:兵庫みどり公社 187億円、兵庫産業活性化センター 143億円、兵庫住宅供給公社 203億円、兵庫道路公社 161億円 ===== 平成17年度 ===== * 財政力指数:0.49 ** IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)8自治体中1位 ===== 平成16年度 ===== * 財政力指数:0.47 ** IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中4位 ==== U5Hプロジェクト ==== '''U5Hプロジェクト'''とは、兵庫に関わりを持つ個人、一人一人が自身の兵庫における『ふるさと』について再発見していくために立ち上げられた'''兵庫県公式の'''プロジェクトである<ref>{{Cite web|和書|url=https://u5h.jp/about|title=U5Hとは?|accessdate=2020-7-29|website=兵庫五国連邦(U5H)}}</ref>。冒頭の『U5H』とは『United 5koku of Hyogo』の略称である。5koku(五国)については以下に詳細に記す。 *かつて[[日宋貿易]]の拠点として、[[明治維新]]後は日本を代表する港として発展した[[摂津国]](神戸・阪神)。 *日本海の良港であり江戸時代には[[北前船]]の「風待ち/潮待ち」港としても栄えた、[[但馬国]]。 *兵庫県、どころか、日本のはじまりの地として「[[古事記]]」冒頭に描かれる、[[淡路国]]。 *日本随一の古墳数を誇る兵庫県のなかでも、[[旧石器時代]]からの遺跡も多く残る、[[播磨国]]。 *大規模古墳、旧石器時代遺跡、さらには1億年遡る[[白亜紀]]の[[丹波竜]]まで発見された、[[丹波国]]。 === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#兵庫県|兵庫県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が12。[[参議院]]では、全県で1区を構成。 == 経済 == 兵庫県の[[指定金融機関]]は[[三井住友銀行]](旧・[[神戸銀行]]→[[太陽神戸銀行]]→[[さくら銀行]])である。また神戸・阪神・播磨地区の主な市も三井住友銀行を指定金融機関としている。一方、[[但馬県民局]]管内の全市町は[[但馬銀行]]を、[[淡路県民局]]管内の3市中2市は[[淡路信用金庫]]を、播磨地区の小規模な市町は[[みなと銀行]]を指定金融機関としている。 === 兵庫県に本社を置く企業 === {{col-list|30em| * [[アシックス]](神戸市) * [[イカリソース]](西宮市) * [[石原ケミカル]](神戸市) * [[伊丹産業]](伊丹市) * [[伊藤ハム]](西宮市) * [[イトメン]](たつの市) * [[SRIスポーツ]](神戸市) * [[エスフーズ]](西宮市) * [[エルアンドジー]](加古川市) * [[オイシス]](神戸市) * [[大阪チタニウムテクノロジーズ]]{{inline-block|(尼崎市)}} * [[大関 (酒造メーカー)|大関]](西宮市) * [[大月真珠]](神戸市) * [[オフテクス]](神戸市) * [[オリバーソース]](神戸市) * [[カネテツデリカフーズ]](神戸市) * [[上組]](神戸市) * [[加美乃素本舗]](神戸市) * [[川崎重工業]](神戸市) * [[川西倉庫]](神戸市) * [[カワムラサイクル]](神戸市) * [[関西住宅販売]](姫路市) * [[菊正宗酒造]](神戸市) * [[キクヤ図書販売]](神戸市) * [[キムラタン]](神戸市) * [[共進牧場]](神戸市) * [[極東開発工業]](西宮市) * [[キンキサイン]](姫路市) * [[キング醸造]](稲美町) * [[グローリー (企業)|グローリー]](姫路市) * [[ケーニヒスクローネ]](神戸市) * [[ケンコーマヨネーズ]](神戸市) * [[ケンミン食品]](神戸市) * [[好日山荘]](神戸市) * [[神戸新聞社]](神戸市) * [[神戸製鋼所]](神戸市) * [[神戸電鉄]](神戸市) * [[風月堂|神戸風月堂]](神戸市) * [[神戸物産]](加古川市) * [[御座候]](姫路市) * [[小西酒造]](伊丹市) * [[沢の鶴]](神戸市) * [[サンテレビジョン]](神戸市) * [[山陽電気鉄道]](神戸市) * [[山陽特殊製鋼]](姫路市) * [[山陽百貨店]](姫路市) * [[JFEアドバンテック]](西宮市) * [[シスメックス]](神戸市) * [[シャルレ]](神戸市) * ショーワグローブ(姫路市) * [[神栄]](神戸市) * [[神姫バス]](姫路市) * [[JCRファーマ]](芦屋市) * [[神明ホールディングス]](神戸市) * [[新明和工業]](宝塚市) * [[スウィフト・エックスアイ株式会社]]{{inline-block|(神戸市)}} * [[住友ゴム工業]](神戸市) * [[生活協同組合コープこうべ]]{{inline-block|(神戸市)}} * [[セイバン]](たつの市) * ダイイチ(小野市) * [[多木化学]](加古川市) * [[タクマ (企業)|タクマ]](尼崎市) * 但馬屋食品(伊丹市) * [[TASAKI]](神戸市) * [[辰馬本家酒造]]{{inline-block|(白鹿・西宮市)}} * [[WDBホールディングス]]{{inline-block|(姫路市)}} * [[TUNE GUITAR MANIAC]]{{inline-block|(尼崎市)}} * [[帝国電機製作所]](たつの市) * [[デイリースポーツ]](神戸市) * [[DXアンテナ]](神戸市) * [[デービー精工]](姫路市) * [[デンソーテン]](神戸市) * [[TOA (企業)|TOA]](神戸市) * [[デット・ノルスケ・ベリタス]]日本{{inline-block|(神戸市)}} * [[トーカロ]](神戸市) * [[常盤薬品工業]](神戸市) * [[ドンク]](神戸市) * [[トーホー]](神戸市) * [[トーラク]](神戸市) * [[東リ]](伊丹市) * [[トレーディア]](神戸市) * [[内外ゴム]](明石市) * [[西松屋]](姫路市) * [[ニチリン]](神戸市) * [[日工]](明石市) * [[イーライリリー・アンド・カンパニー|日本イーライリリー]](神戸市) * [[日本盛]](西宮市) * 日本ジャイアントタイヤ(たつの市) * [[日本電子材料]](尼崎市) * [[日本山村硝子]](尼崎市) * [[日本丸天醤油]](たつの市) * [[ネスレ日本]](神戸市) * [[ノエビア]](神戸市) * [[ノザワ]](神戸市) * [[能勢電鉄]](川西市) * [[ノーリツ]](神戸市) * [[ハイレックスコーポレーション]]{{inline-block|(宝塚市)}} * ハウジングタイホー(姫路市) * [[ハウスウェルネスフーズ]](伊丹市) * [[白鶴酒造]](神戸市) * [[ハマダコンフェクト]](加古川市) * ハヤブサ(三木市) * [[播磨屋本店]](朝来市) * [[阪神バス]](尼崎市) * [[バンドー化学]](神戸市) * [[ビオフェルミン製薬]](神戸市) * [[ヒガシマル醤油]](たつの市) * [[兵庫エフエム放送]]{{inline-block|(Kiss FM KOBE・神戸市)}} * [[兵庫県手延素麺協同組合]](たつの市) * 日和山観光([[かに道楽]]の[[親会社]]・豊岡市) * [[ヒラキ (企業)|ヒラキ]](神戸市) * [[ファミリア (アパレルメーカー)|ファミリア]](神戸市) * [[フェリシモ]](神戸市) * 福井建設(養父市) * [[オエノンホールディングス|富久娘酒造]](神戸市) * [[フジッコ]](神戸市) * [[フジプレアム]](姫路市) * [[プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン]] {{inline-block|(P&G)}}{{inline-block|(神戸市)}} * [[ブンセン]](たつの市) * [[平安 (冠婚葬祭)|平安]](神戸市) * 北星社(豊岡市) * ポケット(三田市) * [[本家かまどや]](神戸市) * [[増田製粉所]](神戸市) * [[まねき食品]](姫路市) * [[丸尾カルシウム]](明石市) * マルヤナギ小倉屋柳本(神戸市) * [[三ツ星ベルト]](神戸市) * [[MonotaRO]]{{inline-block|(モノタロウ・尼崎市)}} * [[MORESCO]](神戸市) * [[モロゾフ]](神戸市) * [[ヤマサ蒲鉾]](姫路市) * [[ヤマト住建]](神戸市) * [[ヤマトヤシキ]](姫路市) * [[大和製衡]](明石市) * [[UCC上島珈琲]](神戸市) * [[ユーハイム]](神戸市) * 吉永建設(川西市) * [[ラジオ関西]](神戸市) * [[寄神建設]](神戸市) * [[ロック・フィールド]](神戸市) * [[六甲バター]]{{inline-block|(QBB、神戸市)}} * [[ワールド (企業)|ワールド]](神戸市) * [[和田興産]](神戸市) }} === 県内に工場を置く主な企業 === <!--一見して、日本ベーリンガーインゲルハイムなどの肝心な主要企業が抜けているので、一旦コメントアウトします。上の文に関して、記載企業が兵庫県に本社を置いているのが間違い無いのであれば、コメントアウトの必要は無いし、理由にもならないと思います。記載されていないものに関しては、気付いた方が足していけばいいと思います。--> {{col-list|30em| * [[アイリスオーヤマ]](三田市) * [[アサヒ飲料]](明石市) * [[アサヒ軽金属工業]](加西市) * [[朝日新聞社]](西宮市) * [[アース製薬]](赤穂市) * [[IHI]](相生市) * [[ウシオ電機]]{{inline-block|(姫路市、高砂市)}} * [[AGC]](尼崎市、高砂市) * [[エースコック]]{{inline-block|(たつの市、加東市)}} * [[江崎グリコ]]{{inline-block|(神戸市西区、三木市)}} * [[春日井製菓]](相生市) * [[カネカ]](高砂市) * [[川崎重工業]]{{inline-block|(神戸市兵庫区、西区、明石市)}} * [[黄桜]](丹波篠山市) * [[キッコーマン]](高砂市) * [[キャタピラージャパン]]{{inline-block|(明石市)}} * [[キユーピー]](神戸市、伊丹市) * [[麒麟麦酒|キリンビール]]{{inline-block|(神戸市北区)}} * [[神戸製鋼所]](神戸市、加古川市、高砂市) * [[神戸屋]](稲美町) * [[サントリー]](高砂市) * [[敷島製パン]](神戸市) * [[扇雀飴本舗]](姫路市) * [[積水化学工業]](尼崎市) * [[ダイセル]]{{inline-block|(尼崎市、姫路市、たつの市)}} * [[宝ホールディングス|宝酒造]](神戸市) * [[タキロンシーアイ]]{{inline-block|(たつの市、姫路市)}} * [[ダントーホールディングス]]{{inline-block|(南あわじ市)}} * [[椿本チエイン]](加西市) * [[東芝]]{{inline-block|(姫路市、太子町)}} * [[東洋合成工業]](淡路市) * [[東洋水産]](神戸市) * [[凸版印刷]](福崎町) * [[ナブテスコ]](神戸市) * [[ナリス化粧品]](三木市) * [[ニッカウヰスキー]](西宮市) * [[日本毛織]](加古川市) * [[日本製鉄]](尼崎市、姫路市) * [[日本ハム]](小野市、加古川市) * [[パナソニック]]{{inline-block|(尼崎市、加東市、加西市、姫路市、神戸市西区、[[パナソニック洲本地区|洲本市]])}} * [[フジパン]](神戸市) * [[森永製菓]](尼崎市) * [[三菱重工業]]{{inline-block|(高砂市、神戸市兵庫区)}} * [[三菱製紙]](高砂市) * [[三菱電機]]{{inline-block|(尼崎市、三田市、神戸市兵庫区、伊丹市、姫路市、赤穂市)}} * [[富士通]](明石市) * 藤本食品(小野市) * [[マンダム]](福崎町) * [[明星食品]](神戸市) * [[モリタホールディングス|モリタ]]{{inline-block|(三田市)}} * [[山崎製パン]](神戸市) * [[山本光学]](淡路市) * [[ヤンマー]](尼崎市) * [[ユニチカ]](赤穂市) * [[読売新聞大阪本社]](神戸市) * [[ライオン (企業)|ライオン]](明石市) * [[リンテック]](たつの市) * [[ロッテ]](神戸市) }} <!-- === 貸金業の登録について == 兵庫県では[[貸金業]]登録の際、知事ではなく本店所在地の県民局長が登録権者となる。従って登録番号は「兵庫県神戸県民局長(1)第12345号」となり、「兵庫県知事(1)第12345号」というのは存在しない。!--> == 生活・交通 == === 交通 === ==== 空港 ==== {{col-list|25em| * [[大阪国際空港]]{{inline-block|(伊丹空港、大阪空港)<ref group="注釈">空港敷地の大半が兵庫県[[伊丹市]]に属している。</ref>}} * [[神戸空港]]{{inline-block|(マリンエア・神戸市管理)}} * [[但馬飛行場]]{{inline-block|(コウノトリ但馬空港・兵庫県管理)}} }} ==== 鉄道 ==== {{ul |県内の連絡{{col-list|25em| * [[西日本旅客鉄道]](JR西日本){{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[加古川線]]|[[播但線]]}} * [[北条鉄道]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[北条鉄道北条線|北条線]]}} * [[阪急電鉄]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[阪急今津線|今津線]]、[[阪急伊丹線|伊丹線]]、[[阪急甲陽線|甲陽線]]、[[阪急神戸高速線|神戸高速線]]}} * [[阪神電気鉄道]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[阪神武庫川線|武庫川線]]、[[阪神神戸高速線|神戸高速線]]}} * [[山陽電気鉄道]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[山陽電気鉄道本線|本線]]、[[山陽電気鉄道網干線|網干線]]}} * [[神戸電鉄]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[神戸電鉄有馬線|有馬線]]、[[神戸電鉄三田線|三田線]]、[[神戸電鉄粟生線|粟生線]]、[[神戸電鉄公園都市線|公園都市線]]、[[神戸電鉄神戸高速線|神戸高速線]]}} * [[能勢電鉄]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[能勢電鉄日生線|日生線]]、[[能勢電鉄妙見の森ケーブル|妙見の森ケーブル]]}} * [[神戸新交通]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[神戸新交通ポートアイランド線|ポートアイランド線]]、[[神戸新交通六甲アイランド線|六甲アイランド線]]}} * [[神戸市営地下鉄]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[神戸市営地下鉄西神・山手線|西神・山手線]]、[[神戸市営地下鉄北神線|北神線]]、[[神戸市営地下鉄海岸線|海岸線]]}} * [[神戸すまいまちづくり公社]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[神戸すまいまちづくり公社摩耶ケーブル線|摩耶ケーブル線]]}} * [[六甲山観光]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[六甲山観光六甲ケーブル線|六甲ケーブル線]]}} }} |近隣府県との連絡{{col-list|25em| * [[西日本旅客鉄道]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[福知山線]]、[[JR東西線]]、[[赤穂線]]、[[姫新線]]}} * [[WILLER TRAINS]](京都丹後鉄道){{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[北近畿タンゴ鉄道宮津線|宮津線]]}} * [[智頭急行]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[智頭急行智頭線|智頭線]]}} * [[阪急電鉄]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[阪急神戸本線|神戸本線]]、[[阪急宝塚本線|宝塚本線]]}} * [[阪神電気鉄道]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[阪神本線|本線]]、[[阪神なんば線]]}} * [[能勢電鉄]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[能勢電鉄妙見線|妙見線]]}} * [[大阪モノレール]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[大阪モノレール本線|本線]]<ref>[[大阪空港駅]]の一部が伊丹市にかかる。</ref>}} }} | 広域的連絡 * [[西日本旅客鉄道]]{{hlist-comma|style="display:inline-block"|[[山陽新幹線]]、[[東海道本線]]・[[山陽本線]]([[JR神戸線]])、[[山陰本線]]}} }} ==== 道路 ==== {{ul |有料道路{{ul |[[高速自動車国道]]{{col-list|15em| * [[名神高速道路]] * [[中国自動車道]] * [[山陽自動車道]] * [[舞鶴若狭自動車道]] * [[播磨自動車道]] * [[新名神高速道路]] }} |[[自動車専用道路]]{{col-list|15em| * [[神戸淡路鳴門自動車道]] * [[西神自動車道]] * [[北近畿豊岡自動車道]]{{inline-block|(一部)}} * [[播但連絡道路]] * [[阪神高速道路]] * [[第二神明道路]] }} |その他の有料道路{{col-list|15em| * [[六甲北有料道路]] * [[六甲山トンネル]] * [[山麓バイパス]] * [[新神戸トンネル有料道路]]{{inline-block|(2012年に阪神高速へ移管)}} * [[西宮北道路]] * [[遠阪トンネル]]有料道路 * [[芦有ドライブウェイ]] }} }} | 無料道路 * [[山陰近畿自動車道]]{{inline-block|(鳥取豊岡宮津自動車道)}} | 国道{{col-list|10em| * [[国道2号]] * [[国道9号]] * [[国道28号]] * [[国道29号]] * [[国道43号]] * [[国道171号]] * [[国道173号]] * [[国道174号]] * [[国道175号]] * [[国道176号]] * [[国道178号]] * [[国道179号]] * [[国道250号]] * [[国道312号]] * [[国道372号]] * [[国道373号]] * [[国道426号]] * [[国道427号]] * [[国道428号]] * [[国道429号]] * [[国道436号]] * [[国道477号]] * [[国道482号]] * [[国道483号]] }} | 県道 * [[兵庫県の県道一覧]] | その他 * [[山手幹線 (兵庫県)|山手幹線]] }} ==== バス ==== 神戸市および阪神間、播磨、但馬、淡路島で概ね事業者は分かれるが、神戸市は明石海峡大橋の開業で淡路島や[[四国]]への[[高速バス]]が発達し、また鉄道だけではカバーしきれない地域などに多くの路線が伸びる。都市型の阪神間に対し、但馬などでは過疎路線も少なくない。公営事業者も少なくなかったが、[[姫路市企業局交通事業部|姫路市営バス]]、[[明石市交通部]]、[[尼崎市交通局]]が撤退して民間委譲されている。主な事業者は下記。 {{ul |阪神間・神戸市・明石市{{col-list|17.5em| * [[神戸市交通局]] * [[阪急バス]]{{inline-block|(本社は大阪府)}} * [[阪神バス]] * [[神姫バス]] * [[山陽バス]] * [[伊丹市交通局]] * [[西日本ジェイアールバス]]{{inline-block|(高速バスのみ、本社は大阪府)}} }} |播磨地方 * 神姫バス | 但馬地方 * [[全但バス]] | 淡路島{{col-list|17.5em| * [[淡路交通]] * [[本四海峡バス]] }} |四国方面{{col-list|17.5em| * 本四海峡バス * 西日本ジェイアールバス * 神姫バス * 山陽バス * [[ジェイアール四国バス]] * [[徳島バス]] * [[伊予鉄バス]] * [[とさでん交通]] * [[大川バス]] * [[四国高速バス]] * [[高松エクスプレス]] }} }} ==== 港湾 ==== [[ファイル:Aska2 Kobe06s3200.jpg|thumb|[[神戸港]]中突堤]] {{after float|15em}} {{ul |[[中枢国際港湾]] *[[神戸港]](神戸市) |[[特定重要港湾]]{{col-list|20em| * 神戸港(神戸市) * [[姫路港]](姫路市) }} |[[重要港湾]]{{col-list|20em| * [[尼崎西宮芦屋港]]{{inline-block|(尼崎市・西宮市・芦屋市)}} * [[東播磨港]]{{inline-block|(明石市・播磨町・加古川市・高砂市)}} }} |その他の港湾{{col-list|20em| * 兵庫港・長田港・垂水港{{inline-block|(神戸市)}} * 明石港・江井ヶ島港・二見港{{inline-block|(明石市)}} * 相生港(相生市) * 赤穂港(赤穂市) * 浜坂港(新温泉町) *香住港(香美町) *津居山港(豊岡市) *岩屋港・津名港・洲本港・[[由良港 (兵庫県)|由良港]]{{inline-block|(洲本市)}} *[[福良港]] *[[室津港 (兵庫県)|室津港]] *[[坂越|坂越港]] *富島港 *沼島港 }} }} ==== 航路 ==== かつては淡路島や四国への連絡航路が多数発着していたが、明石海峡大橋の開通でその多くが役目を終えた。しかし長距離の国内外へ向かうフェリーなどが今も神戸港を発着する。下記航路のうち特記なきものはフェリー。 {{ul | 国内近距離航路{{col-list|20em| * 神戸空港 - 関西国際空港{{inline-block|([[神戸-関空ベイ・シャトル]]、高速船)}} * 明石港 - 淡路島{{inline-block|([[岩屋港]])}}{{inline-block|([[淡路ジェノバライン]]、高速船)}} * 姫路港 - [[家島諸島]]{{inline-block|([[高速いえしま]]など、旅客船)}} * 姫路港 - [[小豆島]]{{inline-block|([[福田港 (香川県)|福田港]])}}{{inline-block|([[四国フェリー|小豆島フェリー]])}} }} |国内中長距離航路{{col-list|40em| * 神戸港 - [[高松港]]{{inline-block|([[ジャンボフェリー]]、一部小豆島[[坂手港]]寄港)}} * 神戸港 - [[宮崎港]] ([[宮崎カーフェリー]]) * 神戸港 - [[新門司港]]{{inline-block|([[阪九フェリー]])}} * 神戸港 - [[大分港]]{{inline-block|([[フェリーさんふらわあ]])}} * 神戸港・[[大阪南港]] - {{inline-block|[[奄美大島]]・[[徳之島]]・[[沖永良部島]]・[[与論島]]・[[那覇港]]}}{{inline-block|([[マルエーフェリー]])}} }} |国際航路{{col-list|20em| * 神戸港 - [[上海]]{{inline-block|(中日国際輪渡)}} * 神戸港 - [[天津]]{{inline-block|(チャイナエクスプレスライン)}} }} }} === 警察 === * [[兵庫県警察]] === 医療・福祉 === {{main|Category:兵庫県の医療機関}} * [[災害拠点病院]] ** [[兵庫県災害拠点病院]] * [[保育所]] ** [[兵庫県保育所一覧]] === 教育 === * 兵庫県は、昔から[[教育]]に関して他[[地方公共団体|自治体]]と異なる特色を持っている。 * [[校長]]の監督を受け、円滑な学校運営の推進、教員などの資質及び能力の向上を司る「[[主幹教諭]]」の職階を設置している。 * 県内の小中学生に、提示すると県内の対象施設が無料になる「[[ひょうごっ子ココロンカード]]」を配布している。 * [[自然学校 (兵庫県)|自然学校]](林間・臨海学校)を県が小学校5年生を対象に推進している。補助金を市町に交付して6日間実施している。(2010年度からは5日間) * [[トライやる・ウィーク]]を中学生対象に職業体験を1週間行う。他県と比べても長期である。 * 公立高校の入試方法が他[[教育委員会]]と異なっているために「兵庫方式」と呼ばれている。 ====大学==== {{main|Category:兵庫県の大学}} {{ul | 国立大学{{col-list|15em| * [[神戸大学]] * [[兵庫教育大学]] }} |公立大学{{col-list|15em| * [[兵庫県立大学]] * [[神戸市外国語大学]] * [[神戸市看護大学]] * [[天津中医薬大学#天津中医薬大学中薬学院日本校|天津中医薬大学日本校]] }} |公立専門職大学{{col-list|15em| * [[芸術文化観光専門職大学]] }} | 私立大学{{col-list|15em| * [[芦屋大学]] * [[大阪青山大学]] * [[大手前大学]] * [[関西看護医療大学]] * [[関西国際大学]] * [[関西福祉大学]] * [[関西学院大学]] * [[吉備国際大学]] * [[甲子園大学]] * [[甲南大学]] * [[神戸医療福祉大学]] * [[神戸学院大学]] * [[神戸芸術工科大学]] * [[神戸国際大学]] * [[神戸情報大学院大学]] * [[神戸親和大学]]{{efn|元は女子大学。男女共学化を機に[[神戸親和女子大学]]から改称。}} * [[神戸常盤大学]] * [[神戸薬科大学]] * [[神戸山手大学]] * [[宝塚大学]] * [[姫路大学]] * [[姫路獨協大学]] * [[兵庫医科大学]] * [[兵庫大学]] * [[流通科学大学]] }} | 女子大学・短期大学{{col-list|15em| * [[園田学園女子大学]] * [[武庫川女子大学]] * [[神戸女学院大学]] * [[甲南女子大学]] * [[神戸松蔭女子学院大学]] * [[神戸海星女子学院大学]] * [[神戸女子大学]] * [[大阪青山短期大学]] * [[湊川短期大学]] * [[東洋食品工業短期大学]] * [[大手前短期大学]] * [[大阪芸術大学短期大学部]] * [[産業技術短期大学]] * [[甲子園短期大学]] * [[夙川学院短期大学]] * [[聖和短期大学]] * [[頌栄短期大学]] * [[神戸女子短期大学]] * [[神戸常盤大学短期大学部]] * [[兵庫大学短期大学部]] * [[姫路日ノ本短期大学]] * [[豊岡短期大学]] }} | 通信制大学{{col-list|15em| * [[放送大学]] 兵庫学習センター }} }} ==== 専修学校 ==== {{ul |高等専門学校{{col-list|15em| * [[明石工業高等専門学校]] * [[神戸市立工業高等専門学校]] }} |専修学校 * [[兵庫県専修学校一覧]] }} ==== その他の教育 ==== * [[特別支援学校]]{{main|兵庫県特別支援学校一覧}} * [[高等学校]]{{main|兵庫県高等学校一覧}} * [[中学校]]{{main|兵庫県中学校一覧}} * [[小学校]]{{main|兵庫県小学校一覧}} * [[幼稚園]]{{main|兵庫県幼稚園一覧}} === マスメディア === 従来、兵庫県を[[放送対象地域]]とする民間放送局は、中波(AM)、超短波(FM)、テレビジョン(TV)の3つ全てが独立放送局であったが、[[2003年]](平成15年)に Kiss-FM KOBEがJFNに加盟。これに伴い、3つ全てが独立放送局である都道府県は[[神奈川県]]のみとなった。 ==== 新聞社 ==== * [[神戸新聞社|神戸新聞]] ** [[デイリースポーツ]] - {{inline-block|本部がある。2010年3月に神戸新聞に会社が吸収されるまで、[[西日本]]向け紙面の1面には神戸本部ではなく大阪本社の住所が記載されていたが、現在は神戸本部の住所が記載されている}} * [[日本海新聞]] - {{inline-block|[[新温泉町]]に支社を持っていて但馬地域向けに新聞を発行している。なお、[[2000年]](平成12年)4月には姫路市に支社を開設して播磨版を発行したが、『[[大阪日日新聞]]』が同社傘下([[2008年]](平成20年)2月1日にザ・プレス大阪と合併して[[日本海]]の大阪本社となる)の朝刊紙となった関係で同年9月に閉鎖された。この姫路支社(播磨版)の編集に携わった人たちが大阪日日との経営統合に関わったという説がある。現在は『大阪日日新聞』が[[神戸市]]・[[尼崎市]]など[[京阪神]]通勤圏で即売が売られている。}} ==== テレビ局 ==== 放送区域は[[近畿地方#マスメディア|近畿]][[広域放送|広域圏]]に属する。 以下は兵庫[[県域放送]]局 * [[NHK神戸放送局]][[NHK総合テレビジョン|総合]]([[リモコンキーID]]'''1ch''')- {{inline-block|[[NHK教育テレビジョン|教育テレビ]]は[[NHK大阪放送局]](リモコンキーID'''2ch''')の放送対象地域となっている。}} * [[サンテレビジョン]](リモコンキーID'''3ch''')- {{inline-block|[[全国独立放送協議会|独立局]]である。}} [[テレビ大阪]]([[TXNネットワーク|TXN]]系)は尼崎市や伊丹市を中心とした阪神地域や神戸市の一部地域などで直接受信が可能であるがあくまで大阪府域局であり、県域放送局であるサンテレビでは[[サンテレビジョン#テレビ東京との関係|諸事情]]によりTXN系の番組が放送できないため、46都道府県の地上波テレビ局で放送されているTXN系列の番組<ref group="注釈">TXN系列のない府県でも[[番組販売]]により放送されている『[[開運!なんでも鑑定団]]』『[[ポケットモンスター (アニメ)|ポケットモンスター]]』『[[妖怪ウォッチ (アニメ)|妖怪ウォッチ]]』など。</ref>が兵庫県内では視聴できないものもある。 [[播磨灘]]沿いの県南西部の一部では、[[岡山県・香川県の放送|岡山県・香川県の各放送局]]が受信できる地域が存在する。これらの地域では[[1969年]](昭和44年)まで[[NHK岡山放送局]]、[[西日本放送テレビ|西日本放送]]、[[RSKテレビ|山陽放送]])しか受信できなかった。 {{main2|ケーブルテレビ|[[:Category:兵庫県のケーブルテレビ局|兵庫県のケーブルテレビ局]]}} ==== ラジオ局 ==== 兵庫県が放送対象地域であるFM局の親局及びラジオ関西のFM補完放送のメイン局は、地上デジタルテレビの県域局も含め[[摩耶山]]に設置されている。在阪民放3局([[MBSラジオ]]・[[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]・[[大阪放送|ラジオ大阪]])は放送対象地域が"近畿広域圏"であり、兵庫県も対象地域に入っている。[[radiko]]では兵庫県各局に加え在阪民放AM・FM各3局も兵庫県内で無料聴取が可能である。[[NHKラジオ第1放送]]・[[NHKラジオ第2放送|第2放送]]は南部は[[NHK大阪放送局|大阪]]から受信する。北部は中継局(豊岡市・香美町・新温泉町)がある(ただし、香住・新温泉は第1放送のみ)。 *AM放送局 ** [[ラジオ関西]]{{ubl|独立局。radikoは関西全域に配信。}} *FM放送局 ** [[兵庫エフエム放送|Kiss FM KOBE]]{{ubl|[[全国FM放送協議会|JFN]]系列。radikoは関西全域に配信。}} ** [[FM COCOLO]]{{ubl|県内の外国語放送実施地域(公式なエリア)は神戸市、尼崎市のみ。ただし、周辺でも聴取は可能。radikoは関西全域に配信。}} ** [[NHK神戸放送局]] {{hlist|style=display: inline-block|県域放送はFMのみ実施。}} コミュニティFMは以下の11局が放送しており、近畿2府4県では最多である。 {{col-list|20em| * [[エフエムムーヴ]] * [[さくらFM]] * [[尼崎市総合文化センター]] * [[伊丹コミュニティ放送]] * [[エフエム宝塚]] * [[エフエムさんだ]] * [[たんばコミュニティネットワーク]] * [[エフエムたじま]] * [[エフエム三木]] * [[BAN-BANテレビ|BAN-BANネットワークス]] * [[姫路シティFM21]] }} == 文化・スポーツ == 兵庫県は異なる歴史を持つ地域の寄せ集めであり、地域によって[[風俗]]や[[習慣]]に違いが見られる。県人会は県内の出身各地方で別々となっている(東京淡路会、大阪但馬人会、関東氷上・多紀郡郷友会など)<ref>『県別日本人気質』[[河出書房新社]]、1983年刊。</ref>。 === 方言 === [[方言]]の違いも多彩である。県南部では[[近畿方言]](関西弁)が使われるが、県北部では[[中国方言]]である[[但馬弁]]が使われる。県南部の方言も、中国方言の影響を受けた播磨地域の[[播州弁]]、[[大阪弁]]の流れを汲む阪神地域の[[摂津弁]]、播州弁と摂津弁の中間的な方言で神戸市を中心に使われる[[神戸弁]]、[[京言葉]]の流れを汲む[[丹波弁]]、[[阿波弁]]などともつながりがある淡路島の[[淡路弁]]、と細かく分かれる。 === 食文化 === {{Main|Category:兵庫県の食文化|日本の郷土料理一覧#兵庫県}} === 伝統工芸 === {{see also|日本の伝統工芸品の一覧#兵庫県}} {{ul | [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]]{{col-list|20em| * [[丹波立杭焼]]{{inline-block|(陶磁器、[[1978年]])}} * [[出石焼]]{{inline-block|(陶磁器、[[1980年]])}} * [[指物#大阪唐木指物|大阪唐木指物]]{{inline-block|(木工品、[[1977年]])}} * [[豊岡杞柳細工]]{{inline-block|(木工品、[[1992年]])}} * [[播州三木打刃物]]{{inline-block|(金工品、[[1996年]])}} * [[播州そろばん]]{{inline-block|(文具、[[1976年]])}} * 播州毛鉤{{inline-block|(その他工芸品、[[1987年]])}} }} }} === スポーツ === {{See also|Category:兵庫県のスポーツチーム}} {{ul | 野球{{col-list|20em| * [[阪神タイガース]]{{inline-block|(西宮市:[[セントラル・リーグ]])}} * [[兵庫ブレイバーズ]]{{inline-block|(三田市:[[関西独立リーグ (2代目)|関西独立リーグ]])}} * [[淡路島ウォリアーズ]]{{inline-block|(淡路市:[[関西独立リーグ (2代目)|関西独立リーグ]])}} * [[三菱重工West硬式野球部|三菱重工West]]{{inline-block|(神戸市:社会人野球)}} * [[日本製鉄広畑硬式野球部|日本製鉄広畑]]{{inline-block|(姫路市:同上)}} * [[YBS播磨]]{{inline-block|(播磨町:同上)}} }} また県内には[[高校野球]]の全国大会が行われる[[甲子園球場]]や[[兵庫県立明石公園第一野球場]]がある。 | サッカー{{col-list|20em| * [[ヴィッセル神戸]]{{inline-block|(神戸市:[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]])}} * [[Cento Cuore HARIMA]]{{inline-block|(加古川市:[[関西サッカーリーグ]])}} * [[神戸フットボールクラブ]]{{inline-block|(神戸市:同上)}} * [[エストレラ姫路]]{{inline-block|(姫路市)}} * [[INAC神戸レオネッサ]]{{inline-block|(神戸市:[[日本女子プロサッカーリーグ|WEリーグ]])}} * [[ASハリマアルビオン]]{{inline-block|(姫路市:[[日本女子サッカーリーグ|なでしこリーグ]])}} * [[アルベロ神戸]]{{inline-block|(神戸市:[[関西女子サッカーリーグ]])}} }} | バスケットボール{{col-list|20em| * [[神戸ストークス]]{{inline-block|(神戸市:[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|B.LEAGUE]])}} * [[信和建設]]{{inline-block|([[地域リーグ (バスケットボール)|男子近畿地域リーグ]])}} * [[姫路イーグレッツ]]{{inline-block|(姫路市:[[バスケットボール女子日本リーグ|Wリーグ]])}} }} | ラグビー{{col-list|20em| * [[コベルコ神戸スティーラーズ]]{{inline-block|(神戸市:[[JAPAN RUGBY LEAGUE ONE]])}} * [[JR西日本レイラーズ]]{{inline-block|(神戸市:[[トップウェスト]])}} * [[六甲ファイティングブル]]{{inline-block|(関西クラブリーグ)}} }} | アメリカンフットボール{{col-list|20em| * [[エレコム神戸ファイニーズ]]{{inline-block|(神戸市:[[Xリーグ]])}} * [[アサヒ飲料チャレンジャーズ]]{{inline-block|(尼崎市:同上)}} * [[ゴールデンファイターズ]]{{inline-block|(神戸市:[[Xリーグ|X2リーグ]])}} }} | バレーボール * [[JTマーヴェラス]]{{inline-block|(西宮市:[[V.LEAGUE|女子V1リーグ]])}}- {{inline-block|加盟は大阪府バレーボール協会。}} * [[久光製薬スプリングス]]{{inline-block|(神戸市・[[佐賀県]][[鳥栖市]]:同上)}}- {{inline-block|加盟は[[久光製薬]]の本社がある佐賀県バレーボール協会。チームの練習拠点は、[[ダイエー]][[オレンジアタッカーズ]]の本拠であった神戸市西区にある。}} * [[ヴィクトリーナ姫路]]{{inline-block|(姫路市:[[V.LEAGUE|女子V2リーグ]])}} * [[兵庫デルフィーノ]]{{inline-block|(尼崎市:男子)}} | その他{{col-list|20em| * [[デウソン神戸]]{{inline-block|(神戸市:フットサル[[日本フットサルリーグ|Fリーグ]])}} * [[ノーリツ]]女子陸上競技部{{inline-block|(神戸市)}} * [[DRAGON GATE]]{{inline-block|(神戸市)}} * [[宝塚サニー新体操クラブ]]{{inline-block|(宝塚市)}} }} | 過去に兵庫県を本拠地としていたスポーツクラブ{{ul | [[オリックス・バファローズ]]{{inline-block|([[パシフィック・リーグ]])}}- {{inline-block|阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブス時代は西宮市に、オリックス・ブルーウェーブ時代は神戸市にそれぞれ本拠を置いていた。[[大阪近鉄バファローズ]]と合併して現在のオリックス・バファローズとなってからの[[2005年]](平成17年)から3年間は、暫定処置として[[大阪府]]=[[大阪ドーム]](京セラドーム大阪)とのダブルフランチャイズだったが、[[2008年]](平成20年)(実質は[[2007年]](平成19年))以後は大阪に一本化された。しかし、[[神戸総合運動公園野球場|神戸]]を含む兵庫県のファン確保のため、年20試合程度は兵庫県内で準本拠地として開催。また、二軍も2016年まで神戸市[[北区 (神戸市)|北区]]に本拠地を置いていた。}} | [[神戸9クルーズ]]{{inline-block|(神戸市:[[関西独立リーグ (初代)]])}}- {{inline-block|選手は兵庫ブルーサンダーズ(現・兵庫ブレイバーズ)に移籍し、リーグ参加権は横浜市のフォレストホームに譲渡され神戸サンズとなった。}} | 以下の2球団は活動休止の状態で、リーグ自体が解散した。{{col-list|20em| * [[明石レッドソルジャーズ]]{{inline-block|(明石市:同上)}} * [[神戸サンズ]]{{inline-block|(神戸市・淡路島:同上)}} }} | [[姫路GoToWORLD]]{{inline-block|(姫路市:BASEBALL FIRST LEAGUE(現・関西独立リーグ)}})- {{inline-block|正式には活動休止中の扱い。}} | [[山陽クラウンズ]]{{inline-block|(姫路市:プロ野球)}}- {{inline-block|[[山陽電気鉄道]]が母体のプロ野球チームで、史上唯一の一軍を持たない独立した二軍球団だった。}} | [[ワールドファイティングブル]]{{inline-block|(神戸市:ラグビートップリーグ)}}- {{inline-block|2009年に休部した後、六甲シャークスが選手を受け入れて六甲ファイティングブルとして活動を再開するが[[トップウェスト]]残留は許可されなかった。}} | [[TASAKIペルーレFC]]{{inline-block|(神戸市:女子サッカー)}}- {{inline-block|神戸FCの女子部門が母体で、後に[[田崎真珠]]へ経営が移管され日本女子サッカーリーグに参加。[[2008年]](平成20年)、田崎真珠の経営悪化によりリーグからの脱退と選手の移籍をもって解散した。}} | [[兵庫インパルス]]{{inline-block|(芦屋市:男子バスケットボール)}}- {{inline-block|西宮ストークスの下部チームとして活動していたが、2020年10月をもって解散。}} | [[オレンジアタッカーズ]]{{inline-block|(神戸市:女子バレーボール)}}- {{inline-block|[[久光製薬]]鳥栖スプリングスと統合され、久光製薬スプリングスとなった。}} | [[日光アイスバックス|日光・神戸アイスバックス]]{{inline-block|(神戸市:アイスホッケー)}}- {{inline-block|[[栃木県]][[日光市]]とともに、2005年度より神戸市をサブホームタウンとしていたが、運営会社の交代で[[2007年]](平成19年)に神戸から撤退し、日光アイスバックスに戻る。しかし神戸での開催は継続されている。}} | [[パナソニックエナジー洲本サッカー部]]{{inline-block|(洲本市:[[関西サッカーリーグ]])}}- {{inline-block|2013年解散}} }} }} == 観光 == {{main|兵庫県の観光地}} === 有形文化財建造物 === {{see also|兵庫県指定文化財一覧|近畿地方の史跡一覧#兵庫県|兵庫県の城}} {{ul| | [[世界遺産]] * [[姫路城]] | [[国宝]]{{col-list|30em| * 姫路城 - {{inline-block|大天守、乾小天守、西小天守、東小天守、イ・ロ・ハ・ニの渡櫓}} * [[一乗寺]] - 三重塔 * [[鶴林寺 (加古川市)|鶴林寺]] - 太子堂、本堂 * [[浄土寺 (小野市)|浄土寺]] - 浄土堂 * [[太山寺 (神戸市)|太山寺]] - 本堂 * [[朝光寺]] - 本堂 }} }} <gallery> Ichijoji Kasai13bs4272.jpg|[[一乗寺]][[三重塔]]<small>(国宝)</small> Kakogawa Kakurinji12n4592.jpg|[[鶴林寺 (加古川市)|鶴林寺]]本堂<small>(国宝)</small> Jodoji Ono Hyogo01n3200.jpg|[[浄土寺 (小野市)|浄土寺]]浄土堂<small>(国宝)</small> Cyokoji01.JPG|[[朝光寺]]本堂 </gallery> {{ul | 重要伝統的建造物群保存地区 {{col-list|15em| * [[北野町山本通]](神戸市) * [[篠山市篠山伝統的建造物群保存地区|篠山]](丹波篠山市) * 福住(丹波篠山市) * [[出石]](豊岡市) }} }} <gallery> Kitano street01s2040.jpg|[[北野町山本通]] Sasayama Okachi-machi05st3200.jpg|[[篠山市篠山伝統的建造物群保存地区|篠山]] Izushi Toyooka01n4592.jpg|[[出石]] </gallery> === 県の景観条例に基づく指定制度 === {{col-list|15em| * [[景観形成地区 (兵庫県指定)|景観形成地区]] * 広域景観形成地域 <ref>[http://web.pref.hyogo.jp/wd23/wd23_000000082.html 兵庫県/景観ガイドライン(2015年5月30日閲覧)]</ref> * 星空景観形成地域 * [[景観形成重要建造物等 (兵庫県指定)|景観形成重要建造物等]] }} <gallery> Ichikawa river Ikuno Asago Hyogo01s5bs4272.jpg|[[景観形成地区 (兵庫県指定)|景観形成地区]]([[銀山まち回廊|口銀谷]]) Hirafuku kawabata02s2400.jpg|[[景観形成重要建造物等 (兵庫県指定)|景観形成重要建造物等]]([[平福]]) </gallery> === 文化施設 === {{col-list|25em| * [[兵庫県公館]](旧兵庫県本庁舎)(神戸市) * [[兵庫県立淡路島公園]](淡路市) * [[兵庫県立淡路夢舞台国際会議場]](淡路市) * [[兵庫県立有馬富士公園]](三田市) * 兵庫県立嬉野台生涯教育センター(加東市) * [[兵庫県立兎和野高原野外教育センター]](香美町) * [[兵庫県立木の殿堂]](香美町) * 兵庫県立但馬やまびこの郷(朝来市) * [[兵庫県立総合体育館]](西宮市) * [[兵庫県立文化体育館]](神戸市) * [[兵庫県立海洋体育館]](芦屋市) * [[兵庫県立芸術文化センター]](西宮市) * [[ピッコロシアター|兵庫県立尼崎青少年創造劇場「ピッコロシアター」]]{{inline-block|(尼崎市)}} * [[兵庫県立こどもの館]](姫路市) * [[兵庫県立但馬ドーム]](豊岡市) * [[兵庫県立丹波年輪の里]](丹波市) * [[兵庫陶芸美術館]](丹波篠山市) * [[兵庫県立図書館]](明石市) * [[兵庫県立いえしま自然体験センター]](姫路市) * [[兵庫県立美術館]](神戸市) * [[兵庫県立美術館 原田の森ギャラリー]](神戸市) * [[人と防災未来センター]](神戸市) * [[兵庫県立人と自然の博物館]](三田市) * [[兵庫県立歴史博物館]](姫路市) * [[兵庫県立兵庫津ミュージアム]](神戸市) * [[兵庫県立武道館]](姫路市) * [[兵庫県立六甲山自然保護センター]](神戸市) * [[兵庫県立フラワーセンター]](加西市) * [[兵庫県立西はりま天文台]](佐用町) * [[兵庫県立西はりま天文台公園]](佐用町) * [[兵庫県立明石公園]](明石市) * [[兵庫県立明石西公園]](明石市) * [[兵庫県立赤穂海浜公園]](赤穂市) * [[兵庫県立高砂海浜公園]](高砂市) * [[兵庫県立甲山森林公園]](西宮市) * [[兵庫県立三木山森林公園]](三木市) * [[兵庫県立コウノトリの郷公園]](豊岡市) * [[兵庫県立一庫公園]](川西市) * [[兵庫県立淡路香りの公園]](淡路市) * [[兵庫県立但馬牧場公園]](新温泉町) * [[兵庫県立播磨中央公園]](加東市) * [[兵庫県立北播磨余暇村公園]](多可町) * [[兵庫県立淡路佐野運動公園]](淡路市) * [[兵庫県立考古博物館]](播磨町) * [[三木総合防災公園|兵庫県立三木総合防災公園]](三木市) }} <gallery> Old hyogo prefectural office bld03 1920.jpg|[[兵庫県公館]] Hyogo prefectural museum of art12s3200.jpg|[[兵庫県立美術館]] Ako seaside park04s2040.jpg|[[兵庫県立赤穂海浜公園]] Miki Disaster Management Park Beans Dome, Shuhei Endo.JPG|兵庫県立三木総合防災公園(ビーンズドーム) </gallery> == 兵庫県を舞台とした作品 == {{Main|兵庫県を舞台とした作品一覧}} === 兵庫県で撮影された作品 === 兵庫県は様々な景色を持つため、多くの映像産業に積極的に協力している。 ==== 映画 ==== * [[サヨナラ (映画)|サヨナラ]](1957年、アメリカ) - 神戸港・大阪国際空港 * [[隠し砦の三悪人]](1958年) - 西宮市蓬莱峡 * [[007は二度死ぬ]](1967年、イギリス) - 神戸港・姫路城 * [[影武者 (映画)|影武者]](1980年) - 姫路城 * [[乱 (映画)|乱]](1985年) - 姫路城 * [[ブラック・レイン]](1989年) - 神戸 * [[べっぴんの町]](1989年) - 神戸・芦屋 * [[兜 KABUTO]](1991年、アメリカ) - 姫路城 * [[She's Rain]](1993年) - 神戸〜芦屋〜西宮、主に阪急沿線 * [[ミスター・ルーキー]](2002年) - 阪神甲子園球場 * [[リターナー]](2002年) - [[神戸大橋]]・関西電力姫路発電所他 * [[ラストサムライ]](2003年、アメリカ) - [[圓教寺 (姫路市)|書写山圓教寺]] * [[風のファイター]](2004年、韓国) - 姫路城 * [[ゴジラ FINAL WARS]](2004年) - 神戸空港 * [[交渉人 真下正義]](2005年) - 神戸市営地下鉄 * [[ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟]](2006年)- 神戸空港・[[神戸市立六甲山牧場|六甲山牧場]]・[[神戸市立須磨海浜水族園]]・[[布引ハーブ園]]、他 * [[火垂るの墓]](2008年)- 県内各地 * [[ゾンビチャイルド]](2009年) - 神戸 * [[阪急電車 (小説)|阪急電車]](2011年)-宝塚市〜西宮市 宝塚市において製作された映画作品については、以下も参照。 * [[宝塚映像|宝塚映画制作所]]([[東宝]]グループ):宝塚市(1938年 - 1983年)([[宝塚映像#宝塚映画製作所|宝塚映画制作所・制作作品一覧]]) * [[宝塚映像]]:宝塚市(1983年 - ) 西宮市、芦屋市において大正時代から戦前にかけて製作された作品については、以下も参照 * [[甲陽撮影所]]:西宮市(1918年 - 1937年)([[甲陽キネマ]]-[[東亜キネマ]]-[[極東映画]]-[[甲陽映画]])([[甲陽映画#フィルモグラフィ|フィルモグラフィ]]) * [[アシヤ映画製作所]]:芦屋市(1925年)([[アシヤ映画製作所#フィルモグラフィ|フィルモグラフィ]]) ==== テレビドラマ ==== * [[夢千代日記]](1980年代、NHK) - [[湯村温泉]] * [[3年B組金八先生]](第4シリーズ。1995年 - 1996年、TBS) - 神戸市 * [[大奥 (フジテレビの時代劇)#2005年版『大奥〜華の乱〜』|大奥〜華の乱〜]](2005年、フジテレビ) - 姫路城 時代劇などでは「姫路城」の映像を「江戸城」に見立てて使用している場合も多い。 ==== テレビCM ==== * 優子と達也の阪神沿線物語(2014年)- [[阪神電気鉄道]]のテレビCMである。 == 人物 == {{Main|兵庫県出身の人物一覧}} == 脚注 == === 注釈 === {{notelist|45em}} === 出典 === <!-- 文献参照ページ --> {{Reflist|35em}} <!-- === 参考文献 === --> <!-- 実際に参考にした文献一覧(本文中の追加した情報の後に脚注を導入し文献参照ページを示して、実際に参考にした出典〈書籍、論文、資料やウェブページなど〉のみを列挙して下さい。実際には参考にしていないが、さらにこの項目を理解するのに役立つ関連した文献は、「関連文献」などとセクション名を分けて区別して下さい。) --> == 関連項目 == <!-- 本文記事を理解する上での補足として役立つ、関連性のある項目へのウィキ間リンク、ウィキリンク。可能なら本文内に埋め込んで下さい。 --> {{After float|20em}} {{See also|Category:兵庫県}} {{col-list|20em| * [[兵庫県出身の人物一覧]] * [[兵庫県を舞台にした作品]] * [[兵庫県高等学校一覧]] * [[はばタン]] - 兵庫県のPRマスコット * 兵庫県の建築物・観光名所 ** [[:Category:兵庫県の自然景勝地|兵庫県の自然景勝地]] ** [[ふるさと兵庫50山]] ** [[ひょうごの森百選]] ** [[近畿地方の史跡一覧#兵庫県]] ** [[兵庫県指定文化財一覧]] ** [[兵庫県の城]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] }} == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/兵庫県|[[画像:Hyogo-geo-stub.png|34px|Portal:日本の都道府県/兵庫県]]}} {{Multimedia|兵庫県の画像}} {{Sisterlinks|wikt=|b=|q=|s=|commons=Hyogo prefecture|commonscat=Hyōgo prefecture|n=|v=|voy=兵庫県|species=Hyogo prefecture|d=Q130290}} {{Osm box|r|356912}} * 行政 ** {{Official website|name=兵庫県ホームページ}} 公式ウェブサイト * 観光 ** [https://www.hyogo-tourism.jp ひょうごツーリズムガイド] {{s-start}} {{s-bef|before=[[大坂町奉行|谷町代官所]]<br />([[摂津国]]・[[播磨国]]内の[[天領|幕府領]]・[[地方知行|旗本領]])<hr>[[豊崎県]]<hr>[[尼崎県]]・[[三田県]]<hr>[[飾磨県]]<br />[[豊岡県]]の一部<br />([[但馬国]]および[[丹波国]][[氷上郡]]・[[多紀郡]])<br />[[名東県]]の一部([[淡路国]])|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1868年]] -|years2=兵庫裁判所→兵庫県}} {{s-aft|after=-----<hr />[[大阪府]]<br />([[川辺郡]]を除く旧豊崎県)|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{兵庫県の自治体}} {{兵庫県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ひようこけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:兵庫県|*]]
2003-02-03T18:06:46Z
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広島県
広島県(ひろしまけん)は、日本の中国地方に位置する県。県庁所在地は広島市。 臨海部を中心に自動車産業、製鉄、造船などの工業が発展(瀬戸内海工業地域)している。県庁所在地の広島市は政令指定都市であり中国・四国地方最大の都市である。一方で海・山の豊富な自然にも恵まれ、農業・漁業も盛んである。 広島都市圏、福山都市圏と県内に二つの都市圏を持つ。大まかに広島市を中心とする県西部を「安芸」、県東部で岡山県と隣接している福山市を中心とする県東部を「備後」と呼び、現在でも方言・文化の点で一部違いを見せる(広島弁・備後弁)。ただし、近年の広島県の施策では有する都市機能と生活圏などから広島圏域(県西部)、備後圏域(県東部)、備北圏域(県北部)の3つに分ける場合も多い。 第二次世界大戦において世界で初めて核兵器による攻撃を受けた広島市を抱えることから、国際的に知名度が高い。また安芸の宮島と原爆ドームの2つのユネスコ世界遺産を有しており、日本国外からの観光客も多い。全国一移民を輩出した「移民県」として知られ特にハワイは広島県出身者が3割、山口県などを含むと約5割が中国地方出身者となり広島方言が全国共通語と類似性の高い方言であったため、広島弁がハワイ日系社会の共通語の基盤となった。 瀬戸内海沿岸部に向かって、中国山地と平行に高地から低地へ階段状の地形を形成している点が特徴で、基本的には北(島根・鳥取県側)へ行くほど海抜が高くなる。また、開けた平野部は河川流域と河口付近のみに限られ、海抜そのものは高くないものの山が多数連なる地勢でもある。これは沿岸部でも同様で、海岸のすぐそばまで山が迫っている場所も珍しくない。花崗岩類と花崗岩風化産物であるマサ(真砂)が広域に分布し、表土の下に広がるマサ土の層は最大数十mの厚さに達する。そのため土石流の危険渓流、急傾斜地崩壊の危険箇所も多く指定箇所数は全国一位となっている。 広島県内には太田川水系と江の川水系の2大水系の他、瀬戸内沿岸部に東から高梁川、芦田川、沼田川、黒瀬川、八幡川、小瀬川などがある。太田川流域はほぼ県西部(安芸)に相当し、江の川流域は県北東部(備北)である。県東部(備後)は芦田川、沼田川水系などとなっている。 広島市や福山市など埋め立てによる平野部があるが、山がちの地形であり、内陸部に三次盆地や西条盆地などがある。東部には世羅高原や神石高原が広がっている。 瀬戸内海には大小併せて約140の島を有す。 国土地理院地理情報によると広島県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは131.62km、南北の長さは118.79kmである。また、国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、広島県の面積は8479.63平方キロメートルである。 北部は日本海側気候、それ以外の地域は瀬戸内海式気候に分類される。 沿岸部では冬でも晴天日数が多いが北部の一部は豪雪地帯となっている。 北部は緯度の割には冬は低温であり、山間部を中心に降雪量も多い。特に中国山地の山沿いは、北広島町の東八幡原(標高774m)で観測された−28.0°C(1977年(昭和52年)2月19日)を筆頭に、庄原市の高野地区の−26.0°C(1977年(昭和52年)2月19日)など−20°C以下まで下がることもあるほどの厳寒地である。北広島町八幡の592cm、庄原市高野の582cmなど日本海側との脊梁部には降雪量が3mから6m近くに達する豪雪地帯が広がっている。庄原市や三次市などの市街地でも80cm〜120cm程度の降雪量がある。 県下には14市5郡9町が存在する。村は2004年11月5日に消滅した。 かつては県庁によって1つの大都市周辺地域および7つの広域市町村圏の計8つの広域行政圏に区分されていた。ただし、この広域行政圏は実際の都市圏の枠組みとは異なっていた。県内には広島市を中心とする広島都市圏、福山市を中心とする備後都市圏が存在し、それぞれ広域行政圏や県境を越えて広がっている。なお、広域行政圏政策そのものは、2009年(平成21年)3月末に廃止された。 以下、かつての広域行政圏ごとに市町村を記載し、人口を付記する(2015年(平成27年)国勢調査人口)。 1963年(昭和38年)ごろ岡山県笠岡市旧茂平村地区が岡山県より分離、日本鋼管進出で経済発展の進む広島県(福山市)への編入を模索していた。 旧茂平村地区は旧来より地理的(地区が隣接し境界に河川などの天然障壁がない)、社会的(多くの住民の親戚などが福山市に居住および福山市出身の住民が多い)に福山市との結び付きが強い地域であった。1963年(昭和38年)岡山県の日生町福浦が強い住民運動により兵庫県の赤穂市に合併されたことに刺激を受けた住民が福山市合併協議会を結成し大規模な合併運動を開始(以前より幾度か合併案はあった)。当時広島県議会議員中川弘(のち福山市長に就任)の賛同の下、福山市議会議員数人の賛同も得た。また、城見村内で旧茂平村地区と同じ境遇の旧用之江村地区も福山市との合併に賛同し共同で運動を始めた。その後、合併協議会は有権者9割の署名を集め福山市長、福山市議会に請願書を提出した。 福山市に合併嘆願書が提出されると生活圏を理由に県域が次々と他県に奪われることを危惧した岡山県議会、笠岡市議会からの反対運動が起こった。また翌年(1964年(昭和39年))岡山県の知事に地元出身の加藤武徳が就任すると、知事も合併運動に反対し騒動は終結した。 平成の大合併の際、愛媛県越智郡上島諸島の弓削町・生名村・岩城村・魚島村が愛媛県より分離し、広島県因島市との合併を模索していた。 などの理由により、4町村が広島県の因島市との越県合併を検討。4島のうち最も広島県に近い生名村は昭和30年代にも広島県への併合を模索したことがあった。しかし島だけではなく、大きな漁域を失うことを恐れた越智郡や今治市の漁師が大規模な海上デモ活動を行った。また愛媛県、越智郡も反対し決行されなかった経緯がある。生名村は、因島までの距離が300mと近い。また、村営の渡船が1日50往復近く運行されており、因島市のベッドタウン的な立場であった。 2000年(平成12年)5月5市町村の間で連携交流協議会を設置するも、両県市町村間での調整が難航した。結局、愛媛県側4町村で上島町を設立、合併案は事実上凍結された。 なお現在まで上島町は橋やフェリーなどで愛媛県に接続されておらず、車両で四国に上陸するためには一旦広島県側を経由しなければならない状態になっている。 国土交通省の平成10年および平成14年の報告では、広島県にはがけ崩れや土石流による土砂災害危険箇所が31,987箇所あり、これは都道府県の中で最多である。2位以下は、島根県(22,296)、山口県(22,248)、兵庫県(20,748)、大分県(19,640)、和歌山県(18,487)、高知県(18,112)、愛知県(17,783)となっている。危険箇所の少ない地域は、沖縄県(1,032)、山形県(3,771)、東京都(3,786)、青森県(4,005)などで全国に525,307箇所ある。上位3県が広島、島根、山口と中国地方西部となっておりこれは山がちな地形であるため住宅地が山の裾野まで迫り、さらには山腹まで宅地開発されていることと、花崗岩が風化したまさ土による地質の脆弱さによるものである。 県名は県庁所在地である広島市に由来する。その広島の由来は、1589年(天正17年)からの毛利輝元による広島城築城の際に、1591年(天正19年)命名されたものである。大江広元(毛利氏の祖)以来、毛利氏は「元」の通字以外、「広」も諱に使用する字の一つとしていた。毛利元就の時代には、完全に臣従したもの(吉川元春、天野元貞、出羽元祐など)には、「元」を一字書出として与えたが、そうでない国人衆(平賀広相、阿曽沼広秀など)には、明白に傘下に組み入れられたと示す「元」の字を避け、「広」の字を与えたとされる。この慣習は毛利輝元にも引き継がれ(吉川広家、山内広通、益田広兼など)、毛利氏(特に輝元)の与える「広」は重要な意味合いを持った。従って「広島」は、この「広」とこの地の豪族であり、普請奉行であった福島元長の「島」を併せたとする説が有力である。また他に、デルタのため「広い島」からきたという説もある。 旧石器時代から人々が居住していたと考えられ、広島大学(東広島市)には約2万7千年前に遡る西ガガラ遺跡がある。倉橋島(呉市倉橋町)の鹿島沖からナウマンゾウの化石などが引き上げられている。 甲立古墳や石槌山古墳群などの古墳もあり、飛鳥時代後期には備後国に寺町廃寺(三次市)などの寺院が建立された。 江戸時代の藩については備後国の福山藩、安芸国の広島藩、広島新田藩。また備後の家老浅野家の広島藩の支城三原城が置かれた。 隣接する岡山県同様、瀬戸内海沿岸の都市部(広島都市圏・福山都市圏)は人口増加もしくは微減にとどまる一方、県北部(山間部)や沿岸部でも小都市や離島の自治体は減少が激しい傾向がある。 地方債残高 普通会計分と特別会計分の地方債合計 2兆1265億円 江戸期にはたたら製鉄による日本有数の鉄の産出地であった。近代には日本陸軍・海軍の主要拠点が置かれた広島県は、呉の海軍工廠を始め多くの軍需施設が置かれた。戦後もそれらに携わった技術者・職人らによって技術が継承されモノ作りが盛んである。自動車産業・造船、そしてのちに加わった鉄鋼業を中心に、瀬戸内工業地域の中核として発展。1994年(平成6年)までは工業出荷額で、中四国・九州の西日本17県でトップを維持したが、バブル景気の崩壊でこうした重厚長産業は大きく影響を受け、三社の自動車メーカーの工場などを誘致した福岡県に製造品出荷額等で抜かれた。 しかし2004年(平成16年)ごろの景気の回復、および中国特需でこれらの業種は空前の好景気を記録、2004年(平成16年)の製造業出荷額は、6.3%増の7兆4153億円、製造品出荷額等は5.7%増の計21兆7468億円と、10年ぶりに福岡県を抜き関西以西でトップに返り咲いた。また重厚長産業に偏重した反省から、半導体製造のエルピーダメモリや日東電工などIT・デジタル関連機器メーカーを積極的に誘致し対応を図っている。 県東部の備後地方は常石造船に代表される造船業、昭和30年代に立地したJFEスチール西日本製鉄所福山地区を中心とした鉄鋼業、シャープ福山工場などのIC・半導体産業、古くからの地場産業である繊維産業が集積している。 他府県に拠点を移した企業。 広島県警察本部の管轄にあり、以下の26警察署が置かれている。 人口規模の割には私鉄路線がほとんどなく、私鉄路線は路面電車、新交通システムや第三セクター鉄道のみで、1967年に井笠鉄道が廃線から1999年に井原鉄道が開通まで普通鉄道の私鉄路線が一切存在しなかった。 広島県内の方言は中国方言に分類されるが、県の東西で違いがある。 県の施設に関しては文頭に「★」を入れている。 便宜上1000人以上収容施設を記載している。 広島県は1984年(昭和59年)9月17日に中華人民共和国四川省と、1997年(平成9年)5月30日にアメリカ合衆国ハワイ州と友好提携を締結し、交流を行っている。また、大韓民国慶尚南道との交流も行われている。 広島県名誉県民の称号は、「社会文化の興隆に卓越した功績があり、県民の誇りとして等しく尊敬を受ける」者へ贈られる。 広島県県民栄誉賞は、「輝かしい業績をあげ、広く県民に夢と希望を与え」た者へ贈られる。
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35, "tag": "p", "text": "広島県警察本部の管轄にあり、以下の26警察署が置かれている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "人口規模の割には私鉄路線がほとんどなく、私鉄路線は路面電車、新交通システムや第三セクター鉄道のみで、1967年に井笠鉄道が廃線から1999年に井原鉄道が開通まで普通鉄道の私鉄路線が一切存在しなかった。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "広島県内の方言は中国方言に分類されるが、県の東西で違いがある。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "県の施設に関しては文頭に「★」を入れている。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "便宜上1000人以上収容施設を記載している。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "広島県は1984年(昭和59年)9月17日に中華人民共和国四川省と、1997年(平成9年)5月30日にアメリカ合衆国ハワイ州と友好提携を締結し、交流を行っている。また、大韓民国慶尚南道との交流も行われている。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "広島県名誉県民の称号は、「社会文化の興隆に卓越した功績があり、県民の誇りとして等しく尊敬を受ける」者へ贈られる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "広島県県民栄誉賞は、「輝かしい業績をあげ、広く県民に夢と希望を与え」た者へ贈られる。", "title": "人物" } ]
広島県(ひろしまけん)は、日本の中国地方に位置する県。県庁所在地は広島市。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 広島県 | 画像 = Montages of Hiroshima prefecture.jpg<!-- 画像差し替えの時は事前にノートで提案してください(この画像がノート提案画像なので)。 --> | 画像の説明 =<table style="width:280px; margin:2px auto; border-collapse:collapse"> <tr><td style="vertical-align:middle;">[[厳島神社]]<td>[[恐羅漢スキー場|恐羅漢<br>スキー場]]<td>[[広島東洋カープ|広島<br>東洋カープ]]</tr> <tr><td>[[尾道]]<td>[[西条酒|西条の酒蔵]]<td>[[鞆の浦]]</tr> <tr><td width=35%>[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ<br>広島F.C]]<td style="vertical-align:middle;">[[上蒲刈島]]の<br>県民の浜<td style="vertical-align:middle;">[[原爆ドーム]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|広島県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[広島県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Hiroshima Prefecture.svg|70px|広島県章]] | 都道府県章の説明 = 広島県章 | 区分 = 県 | コード = 34000-6 | ISO 3166-2 = JP-34 | 隣接都道府県 = [[鳥取県]]、[[島根県]]、[[岡山県]]、[[山口県]]、[[愛媛県]]、※[[香川県]]<br />香川県とは海上で隣接、愛媛県とは[[瀬戸内海]]の[[瓢箪島]]内に陸上の県境を有する | 木 = [[カエデ|モミジ]] | 花 = モミジ | 鳥 = [[アビ]] | シンボル名 = 県の魚<hr>県の歌 | 歌など = [[カキ (貝)|カキ]]([[広島かき]])<hr>未制定<ref>[http://www.nhk.or.jp/hiroshima/koe/blog/2013/0201.html 【あなたの声 聞かせてください】 NHK広島放送局 ](NHK広島 2013年2月1日) {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20131019182257/http://www.nhk.or.jp/hiroshima/koe/blog/2013/0201.html |date=2013年10月19日 }}{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref><ref group="注釈">なおスポーツ関係に用途が限定されるが、1994年に県スポーツ賛歌([[体育歌]])として「[[虹の輝き]]」が制作されている。</ref> | 知事 = [[湯崎英彦]] | 郵便番号 = 730-8511 | 所在地 = [[広島市]][[中区 (広島市)|中区]][[基町]]10番52号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-27|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=7|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=220|frame-height=180|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}}<br />[[ファイル:Hiroshima prefectural office building.JPG|220px|広島県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 34 Hiroshima prefecture.svg|320px|広島県の位置]]{{基礎自治体位置図|34|000}} | 特記事項 = }} '''広島県'''(ひろしまけん)は、[[日本]]の[[中国地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[広島市]]。 == 概要 == 臨海部を中心に[[自動車産業]]、[[製鉄所|製鉄]]、[[造船]]などの[[工業]]が発展([[瀬戸内工業地域|瀬戸内海工業地域]])している。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]の[[広島市]]は[[政令指定都市]]であり[[中国・四国地方]]最大の[[都市]]である。一方で海・山の豊富な自然にも恵まれ、[[農業]]・[[漁業]]も盛んである。 [[広島都市圏]]、[[福山都市圏]]と県内に二つの都市圏を持つ。大まかに広島市を中心とする県西部を「[[安芸国|安芸]]」、県東部で岡山県と隣接している福山市を中心とする県東部を「[[備後国|備後]]」と呼び、現在でも方言・文化の点で一部違いを見せる([[広島弁]]・[[備後弁]])。ただし、近年の広島県の施策では有する都市機能と生活圏などから[[広島都市圏|広島圏域]](県西部)、[[備後都市圏|備後圏域]](県東部)、[[備北 (備後国)|備北圏域]](県北部)の3つに分ける場合も多い。 [[第二次世界大戦]]において世界で初めて[[核兵器]]による攻撃を受けた広島市を抱えることから、国際的に知名度が高い。また[[厳島|安芸の宮島]]と[[原爆ドーム]]の2つのユネスコ[[世界遺産]]を有しており<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.hiroshima-kankou.com/world-heritage/world-heritage/top|title=2つの世界遺産|publisher=広島県観光連盟|accessdate=2020-8-23}}</ref>、日本国外からの観光客も多い。全国一[[移民]]を輩出した「移民県」として知られ特に[[ハワイ]]は広島県出身者が3割、山口県などを含むと約5割が中国地方出身者となり広島方言が全国共通語と類似性の高い方言であったため、広島弁がハワイ日系社会の共通語の基盤となった。<ref>{{Cite journal|author=中東靖恵|year=2019-12-20|title=海を渡った広島方言 : 海外日系移民社会における方言の継承と変容|journal=岡山大学文学部紀要}}</ref> == 地理・地域 == {{節スタブ}} === 地形 === [[瀬戸内海]]沿岸部に向かって、[[中国山地]]と平行に高地から低地へ階段状の地形を形成している点が特徴で、基本的には北(島根・鳥取県側)へ行くほど海抜が高くなる。また、開けた平野部は河川流域と河口付近のみに限られ<ref name="gio">[https://www.jiban.co.jp/tips/kihon/ground/prefecture/hiroshima.htm 広島県の地形・地盤]ジオテック 2020年8月23日閲覧</ref>、海抜そのものは高くないものの山が多数連なる地勢でもある。これは沿岸部でも同様で、海岸のすぐそばまで山が迫っている場所も珍しくない。[[花崗岩]]類と花崗岩風化産物であるマサ(真砂)が広域に分布し、表土の下に広がる[[マサ土]]の層は最大数十mの厚さに達する<ref name="gio"/>。そのため[[土石流]]の危険渓流、急傾斜地崩壊の危険箇所も多く指定箇所数は全国一位となっている<ref name="gio"/>。 * 河川 広島県内には[[太田川]]水系と[[江の川]]水系の2大水系の他、瀬戸内沿岸部に東から[[高梁川]]、[[芦田川]]、[[沼田川]]、[[黒瀬川]]、[[八幡川 (広島市佐伯区)|八幡川]]、[[小瀬川]]などがある。太田川流域はほぼ県西部(安芸)に相当し、江の川流域は県北東部(備北)である。県東部(備後)は芦田川、沼田川水系などとなっている。 * 山野 広島市や福山市など埋め立てによる平野部があるが、山がちの地形であり、内陸部に[[三次盆地]]や[[西条盆地]]などがある。東部には[[世羅高原]]や[[神石高原]]が広がっている。 * 島嶼部 [[瀬戸内海]]には大小併せて約140の[[島]]を有す。 * 島嶼部を含め山がちの地形のため、2005年現在の[[棚田]]の数では日本で群を抜いた1位である<ref>[http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Xlsdl.do?sinfid=000001203325 2005年農林業センサス 第7巻 農山村地域調査及び農村集落調査報告書 地域資源の保全 - 農地(農地、棚田、谷地田)]{{XLSlink}} [[農林水産省]]. 2017年1月5日閲覧.</ref>。 * '''隣接都道府県:''' 陸上では東から[[岡山県]] - [[鳥取県]] - [[島根県]] - [[山口県]]、海上で[[愛媛県]] - [[香川県]]と接している(但し鳶小島、[[瓢箪島]](ひょうたん島)が愛媛県との県境を跨いでいる)。 === 広袤(こうぼう) === {{座標一覧|section=広袤(こうぼう)}} [http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/tyugheso.htm 国土地理院地理情報]によると広島県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは131.62km、南北の長さは118.79kmである。また、国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、広島県の面積は{{自治体面積/広島県|広島県}}平方キロメートルである<ref>[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO-title.htm 全国都道府県市区町村別面積調] 国土地理院 2013年11月28日閲覧</ref>。 {|border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="0" style="font-size:small;text-align:center" | ||北端<br />{{ウィキ座標度分秒|35|6|20|N|132|53|18|E|type:landmark_region:JP|name=広島県最北端}}<br />↑||重心<br />{{ウィキ座標度分秒|34|36|2|N|132|47|6|E|type:landmark_region:JP|name=広島県重心}} |- |西端<br />{{ウィキ座標度分秒|34|30|5|N|132|2|11|E|type:landmark_region:JP|name=広島県最西端}}←||中心点<br />{{ウィキ座標度分秒|34|34|12.5|N|132|45|13|E|type:landmark_region:JP|name=広島県中心点}}||東端<br />→{{ウィキ座標度分秒|34|18|54|N|133|28|15|E|type:landmark_region:JP|name=広島県最東端}} |- | ||↓<br />南端<br />{{ウィキ座標度分秒|34|2|5|N|132|29|7|E|type:landmark_region:JP|name=広島県最南端}}|| |} === 気候 === 北部は[[日本海側気候]]、それ以外の地域は[[瀬戸内海式気候]]に分類される。 沿岸部では冬でも晴天日数が多いが北部の一部は豪雪地帯となっている。 北部は緯度の割には冬は低温であり、山間部を中心に降雪量も多い。特に[[中国山地]]の山沿いは、[[北広島町]]の東八幡原(標高774m)で観測された&minus;28.0°C([[1977年]](昭和52年)2月19日)を筆頭に、[[庄原市]]の高野地区の&minus;26.0°C([[1977年]](昭和52年)2月19日)など&minus;20°C以下<ref>観測所気象年報(77年)、広島県気象月報(77年2月)</ref>まで下がることもあるほどの厳寒地である。北広島町八幡の592cm、庄原市高野の582cmなど日本海側との脊梁部には降雪量が3mから6m近くに達する豪雪地帯が広がっている。庄原市や三次市などの市街地でも80cm〜120cm程度の降雪量がある。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+広島県内各地の平年値(統計期間:1981年 - 2010年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="3"|南部(瀬戸内海島嶼部) !colspan="5"|南部(瀬戸内海沿岸部) !colspan="2"|中部(瀬戸内海側内陸部) |- ![[呉市]]<br />[[蒲刈町|呉市蒲刈]]!!呉市[[豊町]]<br />久比!![[尾道市]]<br />[[生口島]] ![[広島市|広島]]!![[呉市|呉]]!![[竹原市|竹原]]!![[福山市|福山]]!![[大竹市|大竹]] ![[府中市 (広島県)|府中]]<br />!![[世羅町|世羅]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 | ||26.6<br />(8月) |27.2<br />(8月)||28.2<br />(8月) |27.6<br />(8月)||26.3<br />(8月) |27.6<br />(8月)||27.6<br />(8月) |26.7<br />(8月)||25.0<br />(8月) |- !最寒月 | ||5.4<br />(1月,2月) |5.3<br />(1月)||5.2<br />(1月) |5.8<br />(1月)||5.5<br />(1月) |4.3<br />(1月)||4.9<br />(1月) |3.4<br />(1月)||1.3<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 | ||233.7<br />(6月) |167.6<br />(6月)||258.6<br />(7月) |227.7<br />(7月)||193.3<br />(6月) |176.7<br />(7月)||271.4<br />(7月) |195.3<br />(7月)||208.3<br />(7月) |- !最少月 | ||32.8<br />(12月) |33.8<br />(12月)||41.2<br />(12月) |35.6<br />(12月)||33.0<br />(12月) |31.0<br />(12月)||41.8<br />(12月) |36.6<br />(12月)||43.6<br />(1月) |- !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="4"|中部(瀬戸内海側内陸部) !colspan="6"|北部(中国山地・吉備高原) |- ![[三原市]]<br />[[広島空港|本郷]]!![[東広島市|東広島]]!![[安佐北区]]<br />三入!![[廿日市市|廿日市]]<br />廿日市津田 ![[神石高原町|神石高原]]<br />[[油木町|油木]]!![[庄原市|庄原]]!![[三次市|三次]]!![[庄原市]]<br />[[高野町 (広島県)|高野]]!![[北広島町|北広島]]<br />[[大朝町|大朝]]!![[安芸太田町|安芸太田]]<br />[[加計町|加計]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 | ||25.6<br />(8月) |26.9<br />(8月)||24.6<br />(8月) |23.2<br />(8月)||24.6<br />(8月) |25.6<br />(8月)||22.8<br />(8月) |23.7<br />(8月)||25.2<br />(8月) |- !最寒月 | ||2.1<br />(1月) |3.5<br />(1月)||1.2<br />(1月) |0.0<br />(1月)||0.8<br />(1月) |1.7<br />(1月)||&minus;0.8<br />(1月) |0.4<br />(1月)||1.8<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 | ||236.8<br />(7月) |291.4<br />(7月)||317.6<br />(7月) |230.9<br />(7月)||249.1<br />(7月) |259.0<br />(7月)||303.4<br />(7月) |285.6<br />(7月)||303.0<br />(7月) |- !最少月 | ||41.4<br />(12月) |56.7<br />(12月)||54.5<br />(12月) |42.9<br />(1月)||64.3<br />(1月) |65.2<br />(1月)||112.3<br />(11月) |95.3<br />(11月)||86.7<br />(11月) |} * 呉市豊町久比については、1971年から2000年までの平年値(2009年2月24日で観測を終了したため)。 * 呉市呉市蒲刈については、2009年2月25日より観測開始のため、平年値なし。 * 三原市本郷については、2003年1月1日より観測開始のため、平年値なし。 === 自然公園 === ; [[国立公園]] : [[瀬戸内海国立公園]] ; [[国定公園]] : [[比婆道後帝釈国定公園]]、[[西中国山地国定公園]] ; [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] : [[南原峡|南原峡県立自然公園]]、山野峡県立自然公園、三倉岳県立自然公園、竹林寺用倉山県立自然公園、仏通寺御調八幡宮県立自然公園、[[神之瀬峡県立自然公園]] === 自治体 === 県下には14市5郡9町が存在する。村は[[2004年]][[11月5日]]に消滅した。 かつては県庁によって1つの大都市周辺地域および7つの広域市町村圏の計8つの広域行政圏に区分されていた。ただし、この広域行政圏は実際の都市圏の枠組みとは異なっていた。県内には広島市を中心とする広島都市圏、福山市を中心とする備後都市圏が存在し、それぞれ広域行政圏や県境を越えて広がっている。なお、広域行政圏政策そのものは、2009年(平成21年)3月末に廃止された<ref>{{PDFlink|[http://www.soumu.go.jp/kouiki/pdf/kouikiminaosituti.pdf 広域行政圏施策の見直しに係る通知]}} [[総務省]]. 2017年1月5日閲覧.</ref>。 以下、かつての広域行政圏ごとに市町村を記載し、人口を付記する(2015年(平成27年)国勢調査人口)。 {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=広島県|float=right}} ; 広島 1,310,256人 :* [[広島市]](8区) - ([[都道府県庁所在地|県庁所在地]]・[[政令指定都市]]) :** [[中区 (広島市)|中区]] - [[東区 (広島市)|東区]] - [[南区 (広島市)|南区]] - [[西区 (広島市)|西区]] - [[安佐南区]] - [[安佐北区]] - [[安芸区]] - [[佐伯区]] :* [[安芸郡 (広島県)|安芸郡]] :** [[府中町]] - [[海田町]] - [[熊野町]] - [[坂町]] ; 広島西 142,771人 :* [[廿日市市]] :* [[大竹市]] ; 呉 252,891人 :* [[呉市]] :* [[江田島市]] ; 芸北 54,878人 :* [[安芸高田市]] :* [[山県郡]] :** [[安芸太田町]] - [[北広島町]] ; 広島中央 227,325人 :* [[東広島市]] :* [[竹原市]] :* [[豊田郡]] :** [[大崎上島町]] ; 尾三 251,157人 :* [[尾道市]] :* [[三原市]] :* [[世羅郡]] :** [[世羅町]] ; 福山・府中 514,097人 :* [[福山市]] :* [[府中市 (広島県)|府中市]] :* [[神石郡]] :** [[神石高原町]] ; 備北 90,615人 :* [[三次市]] :* [[庄原市]] === 越県合併の模索 === ==== 岡山県笠岡市(旧茂平村) ==== [[1963年]](昭和38年)ごろ[[岡山県]][[笠岡市]]旧茂平村地区が岡山県より分離、日本鋼管進出で経済発展の進む広島県([[福山市]])への編入を模索していた。<ref>{{Cite journal|author=中野正雄、吉備鶴雄、佐々木幸人、伊香厚雄|year=1963/12|title=広島県備後臨海工業地帯を中心として|journal=瀬戸内臨海工業の発展が農業経営におよぼす影響に関する研究(第2報)|volume=10|page=109}}</ref> 旧茂平村地区は旧来より地理的(地区が隣接し境界に河川などの天然障壁がない)、社会的(多くの住民の親戚などが福山市に居住および福山市出身の住民が多い)に福山市との結び付きが強い地域であった。[[1963年]](昭和38年)岡山県の[[日生町]]福浦が強い住民運動により[[兵庫県]]の[[赤穂市]]に合併されたことに刺激を受けた住民が福山市合併協議会を結成し大規模な合併運動を開始(以前より幾度か合併案はあった)。当時広島県議会議員[[中川弘]](のち福山市長に就任)の賛同の下、福山市議会議員数人の賛同も得た。また、城見村内で旧茂平村地区と同じ境遇の旧用之江村地区も福山市との合併に賛同し共同で運動を始めた。その後、合併協議会は有権者9割の署名を集め福山市長、福山市議会に請願書を提出した。<ref>{{Cite news|和書 |title=住民九割の署名集め福山合併を陳情 |newspaper=朝日新聞岡山版 |date=1963-09-04}}</ref> 福山市に合併嘆願書が提出されると生活圏を理由に県域が次々と他県に奪われることを危惧した岡山県議会、笠岡市議会からの反対運動が起こった。また翌年([[1964年]](昭和39年))岡山県の知事に地元出身の[[加藤武徳]]が就任すると、知事も合併運動に反対し騒動は終結した。 ==== 愛媛県(越智郡上島諸島) ==== [[平成の大合併]]の際、[[愛媛県]][[越智郡]][[上島諸島]]の[[弓削町 (愛媛県)|弓削町]]・[[生名村]]・[[岩城村]]・[[魚島村]]が愛媛県より分離し、広島県[[因島市]]との合併を模索していた。 * 愛媛県越智郡の上島諸島は、古来より因島市を中心とした文化圏に含まれている。 * 各島を結ぶ航路も[[因島]]を中心に運行されている。 * 因島市の[[日立造船]]因島工場を中心として多くの島民が因島市に勤務している。 などの理由により、4町村が広島県の因島市との越県合併を検討。4島のうち最も広島県に近い生名村は昭和30年代にも広島県への併合を模索したことがあった<ref name="kadokawa_chimei_38">{{Cite book |1=和書 |title=角川 日本地名大辞典 38愛媛県 |date=1981/10/08 |publisher=角川書店 }} p.860</ref>。しかし島だけではなく、大きな漁域を失うことを恐れた越智郡や[[今治市]]の漁師が大規模な海上デモ活動を行った。また愛媛県、越智郡も反対し決行されなかった経緯がある<ref name="kadokawa_chimei_38" />。生名村は、因島までの距離が300mと近い。また、村営の渡船が1日50往復近く運行されており、因島市のベッドタウン的な立場であった。 [[2000年]](平成12年)[[5月]]5市町村の間で連携交流協議会を設置するも、両県市町村間での調整が難航した。結局、愛媛県側4町村で[[上島町]]を設立、合併案は事実上凍結された。 なお現在まで上島町は橋やフェリーなどで愛媛県に接続されておらず、車両で四国に上陸するためには一旦広島県側を経由しなければならない状態になっている<ref group="注釈">快速船は愛媛県今治市への寄港がある。</ref>。 === 土砂災害危険箇所 === {{See also|広島土砂災害}} [[国土交通省]]の平成10年および平成14年の報告では、広島県には[[がけ崩れ]]や[[土石流]]による土砂災害危険箇所が31,987箇所あり、これは都道府県の中で最多である。2位以下は、島根県(22,296)、山口県(22,248)、兵庫県(20,748)、大分県(19,640)、和歌山県(18,487)、高知県(18,112)、愛知県(17,783)となっている。危険箇所の少ない地域は、沖縄県(1,032)、山形県(3,771)、東京都(3,786)、青森県(4,005)などで全国に525,307箇所ある<ref>国土交通省・砂防情報室 [https://www.mlit.go.jp/river/sabo/link20.htm 「都道府県別土砂災害危険箇所」] </ref>。上位3県が広島、島根、山口と中国地方西部となっておりこれは山がちな地形であるため住宅地が山の裾野まで迫り、さらには山腹まで宅地開発されていることと、花崗岩が風化したまさ土による地質の脆弱さによるものである<ref>朝日新聞 [http://www.asahi.com/special/bousai/OSK201211030010.html 「土砂災害の恐れ最多3県は中国地方 広島・島根・山口」] </ref>。 == 歴史 == === 県名の由来 === 県名は県庁所在地である広島市に由来する。その広島の由来は、[[1589年]](天正17年)からの[[毛利輝元]]による[[広島城]]築城の際に、[[1591年]](天正19年)命名されたものである。[[大江広元]](毛利氏の祖)以来、毛利氏は「元」の通字以外、「広」も諱に使用する字の一つとしていた。[[毛利元就]]の時代には、完全に臣従したもの([[吉川元春]]、天野元貞、出羽元祐など)には、「元」を一字書出として与えたが、そうでない国人衆([[平賀広相]]、阿曽沼広秀など)には、明白に傘下に組み入れられたと示す「元」の字を避け、「広」の字を与えたとされる。この慣習は毛利輝元にも引き継がれ([[吉川広家]]、[[山内広通]]、[[益田広兼]]など)、毛利氏(特に輝元)の与える「広」は重要な意味合いを持った。従って「広島」は、この「広」とこの地の豪族であり、[[普請奉行]]であった福島元長の「島」を併せたとする説が有力である。また他に、デルタのため「広い島」からきたという説もある。 === 原始・古代 === [[日本の旧石器時代|旧石器時代]]から人々が居住していたと考えられ、[[広島大学]]([[東広島市]])には約2万7千年前に遡る西ガガラ遺跡がある<ref group="注釈">住居跡5棟が確認されている。それは径4m未満で柱10本程度の簡単な住居である。炉跡や熱を受けた礫群が残っていることから、火を使う調理を行っていたことが分かる。</ref>。[[倉橋島]]([[呉市]]倉橋町)の鹿島沖から[[ナウマンゾウ]]の化石などが引き上げられている。 [[甲立古墳]]や石槌山古墳群などの古墳もあり、[[飛鳥時代]]後期には[[備後国]]に[[寺町廃寺跡|寺町廃寺]](三次市)などの寺院が建立された。 * 6世紀ごろは[[古墳時代]]後期に当たるが、[[大和政権]]は、地域の有力者を国造に任命し、[[国造制]]を開始した。並行して[[部民制]]も導入した。さらに、各地域へ屯倉の設置を拡大し、地域民衆の直接支配も介入し始めた。 * [[741年]]: [[聖武天皇]]が諸国に[[国分寺]]、[[国分尼寺]]造営の詔を出し、[[備後]]国分寺を[[福山市]][[神辺町]]に、[[安芸国|安芸]]国分寺を[[東広島市]][[西条町 (広島県)|西条町]]に創建。 * [[1164年]]: [[平清盛]]など平家一門が[[法華経]]28巻など33巻1具([[平家納経]])を[[厳島神社]]に奉納。 * [[1174年]]: '''[[後白河天皇|後白河上皇]]が[[平清盛]]らを伴い[[厳島神社]]に参拝''' * [[1189年]]: [[甲斐国]]守護の[[武田信光]]が安芸国守護を任じられる。 * [[1274年]]: [[武田信時]]が[[佐東銀山城|銀山城]]を築城。 * [[1358年]]: [[武田氏信]]が安芸国守護として[[武田氏#甲斐武田氏|甲斐武田氏]]から分家([[武田氏#安芸武田氏|安芸武田氏]]のはじまり)。 === 中世 === [[ファイル:Mohri Motonari.jpg|thumb|'''謀神'''と称される[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]最高の「'''知将'''」であり、中国地方の覇者'''[[毛利元就]]''']] * [[1541年]]: '''[[毛利元就]]'''が[[佐東銀山城|銀山城]]を攻略([[武田氏#安芸武田氏|安芸武田氏]]の滅亡) * [[1555年]]: '''[[毛利元就]]'''が[[陶晴賢]]を'''[[厳島]]'''で破る * [[1587年]]: '''[[豊臣秀吉]]が[[厳島神社]]に参拝''' * [[1589年]]: [[毛利輝元]]が'''[[広島城]]'''の築城開始 === 近世 === * [[1600年]]: [[関ヶ原の戦い]]で毛利輝元が敗れ[[長門国]]に移封となり、[[福島正則]]が広島城に入城し、備後・安芸二国を治める * [[1619年]]: 福島正則が広島城の石垣を無許可で修築したため改易処分。代わって備後福山には[[水野勝成]]、安芸広島には[[浅野長晟]]が入城。 * [[1698年]]: [[備後福山藩|福山藩]]5代藩主[[水野勝岑]]死去により、水野家無嗣除封 * [[1699年]]: [[松平忠雅|松平(奥平)忠雅]]福山に転封 * [[1710年]]: 松平(奥平)忠雅に代わり[[阿部正邦]]が福山に転封 * [[1716年]]: [[広島藩]]が定免制を採用 * [[1800年]]: [[頼山陽]]が広島藩を脱藩 * [[1843年]]: 福山藩藩主の[[阿部正弘]]が[[老中|老中首座]]に就任、[[日米和親条約]]を結ぶ * [[1864年]]: 第1回[[長州征討|長州征伐]]のため、広島に幕兵が集結 * [[1865年]]: 第2回長州征伐の先鋒を広島藩が命じられる '''江戸時代の藩'''については備後国の[[備後福山藩|福山藩]]、安芸国の[[広島藩]]、[[広島新田藩]]。また備後の家老浅野家の広島藩の支城[[三原城]]が置かれた。 === 近・現代 === ==== 明治・大正 ==== * [[1867年]]: 薩長芸3藩の討幕同盟が成立([[薩長芸三藩盟約]])。 * [[1871年]](明治4年) ** 7月14日、[[廃藩置県]]の詔勅により広島県と[[備後福山藩#幕末|福山県]]、[[中津藩|中津県]]<ref group="注釈">旧[[豊前国|豊前]][[中津藩]]の飛地。</ref>)が設置される。 ** [[8月4日]]、旧広島藩内一帯に騒動(芸備16郡一揆 / [[武一騒動]])が起こったため、前藩主[[浅野長訓]]が上京を取り止める。 * [[1875年]](明治8年): 2月、[[藤井勉三]](山口県士族)が県令に任命される。 * [[1876年]](明治9年) ** [[4月18日]]:岡山県より旧備後国[[沼隈郡|沼隈]]、[[深津郡|深津]]、[[安那郡|安那]]、[[品治郡|品治]]、[[芦田郡|芦田]]、[[神石郡|神石]]の6郡を広島県に移管、現在の広島県域が確定した。 ** 5月:福山支庁を設けた。備後6郡を所属させた。 * [[1878年]](明治11年):4月、広島区水主町(現・広島市[[中区 (広島市)|中区]][[加古町・住吉町 (広島市)|加古町]])に新庁舎完成。 * [[1880年]](明治13年):4月、県令藤井勉三が病気で依願免官、[[千田貞暁]]が任命される。 * [[1884年]](明治17年): 宇品港([[広島港]])の起工式が行われる。 * [[1885年]](明治18年)): 官約移民開始。以降広島県人の移民が始まる([[広島県人の移民]]参照)。 * [[1889年]](明治22年)[[4月1日]]: [[広島市]][[市制]]施行。 ** 7月:[[呉鎮守府]]開庁。 * [[1891年]](明治24年) [[山陽鉄道]]が9月に福山、11月に尾道まで延伸。 * [[1894年]](明治27年)6月山陽鉄道が広島まで延びる。 ** [[9月15日]]: [[日清戦争]]により[[大本営]]が設けられ、[[明治天皇]]が広島へ移る。 ** 10月:旧広島市[[大手町 (広島市)|大手町]]に初の火力発電所(30キロワット)が開業。 * [[1897年]](明治30年) 9月:山陽鉄道が[[徳山市]]まで延伸。1901年(明治34年)5月に[[馬関]](下関)まで開通。 * [[1898年]](明治31年):[[尾道市]]市制施行 * [[1899年]](明治32年):県内初の水力発電所である黒瀬川の広発電所(750キロワット)が発電開始。 * [[1902年]](明治35年)[[10月1日]]: [[呉市]]市制施行。 ** [[広島高等師範学校]]創立。 * [[1903年]](明治36年)11月 [[呉海軍工廠]]設立。 * [[1909年]](明治42年):県内初の路面電車である[[呉市電]](呉電気鉄道)が開業。 * [[1912年]](明治45年):太田川水系において大規模水力発電が始まる([[亀山発電所]](2100キロワット))。 * [[1912年]](大正元年):広島市に路面電車開業([[広島電気軌道]])。 * [[1916年]](大正5年)[[7月1日]]: [[福山市]]市制施行。 ==== 昭和 ==== {{Wikify|section=1|date=2023年1月3日 (火) 00:50 (UTC)}} * [[1929年]](昭和4年):[[広島文理科大学]]創立 * [[1936年]](昭和11年)[[11月15日]]: [[三原市]]市制施行 * [[1938年]](昭和13年): [[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]のルーツとなる[[東洋工業サッカー部|東洋工業蹴球部]]結成 * [[1945年]](昭和20年)[[8月6日]]: 午前8時15分(午前8時14分30秒)、[[広島市]]へ[[アメリカ合衆国|アメリカ]]により[[原子爆弾]]投下([[広島市への原子爆弾投下]]参照) * 1945年[[8月8日]]: [[テニアン島]]より来襲した[[B-29 (航空機)|B-29]]・91機が福山市を空襲([[福山大空襲]])。[[福山城 (備後国)|福山城]]天守など、市街地の大半を焼失する。 *1945年[[9月17日]](鹿児島県上陸日):[[枕崎台風]]襲来。被害多数 * [[1949年]](昭和24年): 国立[[広島大学]]設置 * [[1950年]](昭和25年): [[日本プロ野球|プロ野球]]球団・[[広島東洋カープ|広島カープ]]結成 * 1950年(昭和25年):[[キジア台風]]襲来。被害多数 * [[1951年]](昭和26年):[[ルース台風]]襲来。被害多数 * [[1953年]](昭和28年): [[因島市]]市制施行 * [[1954年]](昭和29年): [[松永市]]、[[府中市 (広島県)|府中市]]、[[三次市]]、[[大竹市]]、[[庄原市]]市制施行。 * [[1955年]](昭和30年): [[広島平和記念資料館]]開館。第1回原水爆禁止世界大会開催。 ; 1950年代後半ごろより、社会福祉資産の充実 : 戦後復興の対象が生活や産業基盤などの基礎インフラの再建・整備から文化・体育関連へと移っていった。1958年(S33)に広島復興大博覧会開催、1960年(S35)に[[広島県立図書館]]開館、[[広島港]]1万トン[[係留施設|バース]]完成、1961年(S36)[[広島空港]]開港、[[音戸大橋]]開通、1962年(S37)[[広島県立体育館]]が開館、[[国鉄]]の東京-広島間の電化、1965年(S40)[[広島女子大学]]開学、1968年(S43)[[広島県立美術館]]開館<ref>広島県 [https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/19/1168842433111.html 「県のプロフィール・歴史」] </ref>。 * [[1958年]](昭和33年): [[竹原市]]市制施行 * [[1963年]](昭和38年)1月24日:[[昭和38年1月豪雪]]により県下も豪雪。各小学校が休校している中、安佐町立小河内小学校(当時)の屋根が崩壊する * [[1966年]](昭和41年): 福山市と松永市が[[市町村合併|合併]] * [[1968年]](昭和43年): 広島カープが東洋工業(現[[マツダ]])の支援を受け、[[広島東洋カープ]]となる * [[1971年]](昭和46年): [[昭和天皇]]が初めて[[原爆死没者慰霊碑]]に参拝。[[佐藤栄作]]が歴代[[内閣総理大臣|首相]]として初めて平和祈念式典に参列。 * [[1974年]](昭和49年): 東広島市市制施行 * [[1975年]](昭和50年): [[山陽新幹線]][[岡山駅|岡山]] - [[博多駅|博多]]間が開業。広島東洋カープが[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]初優勝。 * [[1980年]](昭和55年): 広島市が全国で10番目の[[政令指定都市]]となる * [[1988年]](昭和63年): [[廿日市市]]市制施行 ==== 平成 ==== * 1989年 : [[海と島の博覧会]]開催 * [[1992年]](平成4年): [[Jリーグ]]発足に伴い、マツダサッカークラブを母体としサンフレッチェ広島結成 * [[1994年]](平成6年): 広島[[アジア競技大会|アジア大会]]開催。サンフレッチェ広島ステージ優勝。 * [[1995年]](平成7年): [[岡村大橋]]完成。[[愛媛県]]と部分的に接続(2008年の[[豊島大橋]]開通で[[安芸灘諸島連絡架橋|安芸灘とびしま海道]]が全通)。人口が最大の2881748人に到達。 * [[1996年]](平成8年): [[第51回国民体育大会|ひろしま国体]]開催。[[12月5日]]、[[厳島神社]]と[[原爆ドーム]]が[[世界遺産]]に登録される。 * [[1998年]](平成10年)[[4月1日]] : 福山市、[[中核市]]に昇格 * [[1999年]](平成11年)[[5月1日]] : [[多々羅大橋]]完成。愛媛県と接続([[西瀬戸自動車道|瀬戸内しまなみ海道]]が全通)。 * [[1999年]](平成11年)[[6月29日]] : [[6.29豪雨災害]]が起こる * [[2000年]](平成12年)[[11月1日]] : 呉市、[[特例市]]に昇格 * [[2001年]](平成13年)[[3月24日]] : [[芸予地震]]が起こる * [[2004年]](平成16年): [[安芸高田市]]、[[江田島市]]市制施行 * [[2006年]](平成18年): [[尾道市]]と[[因島市]]が[[市町村合併|合併]]。3月の福山市と[[神辺町]]の合併で、2003年からおよそ3年に及んだ広島県内での[[平成の大合併]]は終わり、それまでの86の市町村から23市町に再編された。 * [[2012年]](平成24年): サンフレッチェ広島が年間初優勝 * [[2014年]](平成26年) **[[8月20日]] : [[平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害]]が起こる。 **[[8月27日]] : 集中豪雨被害などを受け、土砂災害防止法の改正を検討された。「重点的な土砂災害対策が必要な区域」を都道府県が指定しやすくしたり、大規模災害の発生時に「国の関与を強めたりする案」を議論された<ref>日本経済新聞 2014年8月27日 [https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS27H0Y_X20C14A8PP8000/ 土砂災害防止法、改正へ作業部会 自民]</ref>。 * [[2016年]](平成28年)[[4月10日]] : G7首脳会合[[伊勢志摩サミット]]の開催に合わせ、G7外相会合が広島市で行われた。翌日11日には、広島宣言が取りまとめられ、発表された[http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%ef%bd%87%ef%bc%97%e5%a4%96%e7%9b%b8%e4%bc%9a%e5%90%88%e3%80%8c%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%ae%a3%e8%a8%80%e3%80%8d%e3%81%be%e3%81%a8%e3%82%81-%e5%85%b1%e5%90%8c%e5%a3%b0%e6%98%8e%e7%99%ba%e8%a1%a8%e3%81%97%e9%96%89%e5%b9%95/ar-BBrBacD?ocid=spartanntp] * [[2018年]](平成30年)、 [[宇宙航空研究開発機構]](JAXA)は、地球観測衛星「 [[だいち2号]]」の観測結果を発表した。豪雨以前の観測結果と比較して、広島県の土砂災害箇所など広域の被害状況を明らかにした<ref>航空新聞 2018年7月12日 JAXA、「だいち2号」で豪雨被害の観測を実施</ref>。 ==== 令和 ==== * [[2020年]](令和2年)、広島大学が、衛星画像データなどを使って、土石流で崩壊した土砂の量を、短い時間で推計する方法を開発した。これにより、広島県は、「復旧や災害に迅速な対応が可能になる」という<ref>朝日新聞 2020年1月4日 [https://www.asahi.com/amp/articles/ASMDR5X29MDRPITB01B.html 広島)土砂量の推計、短時間で簡単に 広島大准教授開発]</ref>。 == 人口 == 隣接する[[岡山県]]同様、瀬戸内海沿岸の都市部([[広島都市圏]]・[[福山都市圏]])は人口増加もしくは微減にとどまる一方、県北部(山間部)や沿岸部でも小都市や離島の自治体は減少が激しい傾向がある。 [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Hiroshima prefecture, Japan.svg|thumb|300px|広島県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=34000|name=広島県}} == 政治 == === 県政 === {{Main|広島県知事一覧|広島県庁|広島県議会}} * [[都道府県知事|知事]]:[[湯崎英彦|湯﨑英彦]](ゆざき ひでひこ、3期目) ==== 県庁の変遷 ==== {{Main|広島県庁舎}} ==== 財政 ==== ===== 平成19年度 ===== * [[財政力指数]] 0.59 ** Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)17自治体中9位 ===== 平成18年度 ===== * 財政力指数 0.54 ** Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)16自治体中10位 * 標準財政規模 5309億円 * 一般会計歳入 9814億円 * 一般会計歳出 9767億円 * 経常収支比率 91.5%(都道府県平均92.6%) * 実質収支比率 0.5 * 実質公債費比率 15.6%(都道府県平均14.7) * 人口一人当たり地方債現在高 64万2081円(普通会計分のみ。都道府県平均62万2416円) * 人口100,000人当たり職員数 1,083.17人(都道府県平均1,173.11人) ** 平成17年度から平成21年度までの5年間で概ね1割、2,800人程度の削減を目標に人員削減に取り組んでいる * 人口一人当たり人件費・物件費等決算額 11万4872円(都道府県平均12万4759円) ** 人件費抑制・内部管理経費の削減などにより、前年と比較して2,556円ほど削減している 今後も財政健全化の方向でいく * [[ラスパイレス指数]] 100.2(都道府県平均99.6) * 平均職員給与(普通会計分) 給料451万3691円 職員手当 84万9782円 期末・勤勉手当 192万2761円 ** 平均職員給与(年額) 728万6234円 地方債残高 * 1普通会計分の地方債現在高 1兆8411億円 * 2上記以外の特別会計分の地方債現在高 2854億円 ** その他に第3セクター等に対する債務保証等に係る債務残高がある(団体数40) 普通会計分と特別会計分の地方債合計 2兆1265億円 ===== 平成17年度 ===== * 財政力指数 0.48 ** IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)8自治体中3位 ===== 平成16年度 ===== * 財政力指数 0.46 ** IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中7位 === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#広島県|広島県選挙区}} == 経済・産業 == {{出典の明記|date=2023年9月|section=1}} 江戸期には[[たたら製鉄]]による日本有数の鉄の産出地であった。近代には[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]・[[大日本帝国海軍|海軍]]の主要拠点が置かれた広島県は、[[呉市|呉]]の[[海軍工廠]]を始め多くの軍需施設が置かれた。戦後もそれらに携わった技術者・職人らによって技術が継承されモノ作りが盛んである。[[自動車産業]]・[[造船]]、そしてのちに加わった[[鉄鋼業]]を中心に、[[瀬戸内工業地域]]の中核として発展。{{要出典範囲|[[1994年]](平成6年)までは工業出荷額で、中四国・九州の西日本17県でトップを維持したが、[[バブル景気]]の崩壊でこうした重厚長産業は大きく影響を受け、三社の自動車メーカーの工場などを誘致した[[福岡県]]に製造品出荷額等で抜かれた|date=2023年9月}}。 {{要出典範囲|しかし[[2004年]](平成16年)ごろの景気の回復、および中国特需でこれらの業種は空前の好景気を記録、[[2004年]](平成16年)の製造業出荷額は、6.3%増の7兆4153億円、製造品出荷額等は5.7%増の計21兆7468億円と、10年ぶりに福岡県を抜き関西以西でトップに返り咲いた|date=2023年9月}}。また重厚長産業に偏重した反省から、[[半導体]]製造の[[エルピーダメモリ]]や[[日東電工]]などIT・デジタル関連機器メーカーを積極的に誘致し対応を図っている。 県東部の備後地方は[[常石造船]]に代表される造船業、昭和30年代に立地した[[JFEスチール西日本製鉄所]]福山地区を中心とした鉄鋼業、シャープ福山工場などのIC・半導体産業、古くからの地場産業である繊維産業が集積している。 * [[自動車]]・[[マツダ]] * [[造船]]・[[IHI]]など * 重工業・[[三菱重工業]]、[[コベルコ建機]] *[[鉄鋼]]・[[JFEスチール]]、[[日本製鉄]] *[[半導体]]・[[エルピーダメモリ]] *[[デジタル]]関連・日東電工など *[[カキ (貝)|カキ]]の[[養殖]]([[広島かき]]) *[[筆]]([[熊野筆]]・[[川尻筆]]) *[[琴]](福山琴) *[[仏壇]](広島仏壇) *[[農業]]:[[ウンシュウミカン|ミカン]]、[[ハッサク]]、[[広島レモン|レモン]]、[[ブドウ]]、[[米]]、[[イチジク]]など *[[畳表]] [[福山市]](松永・沼隈地区) *[[備後絣]] 福山市(新市・駅家地区) * ワーキングウェア 福山市(新市・駅家地区) *[[くわい]] ([[福山のくわい]]) *[[下駄]] 福山市(松永) === 県内に本社を置く主要企業 === {{see also|Category:広島県の企業}}<!-- 50音順 --> {{Multicol}} ;輸送用機器 * [[マツダ]](安芸郡府中町) * [[ツネイシホールディングス|常石造船/ツネイシホールディングス]](福山市) ;食品 * [[アヲハタ]](竹原市) * [[あじかん]](広島市) * [[オタフクソース]](広島市) * カネソ22(福山市) * [[タカキベーカリー]](広島市) ** [[アンデルセン (製パン)|アンデルセン]](広島市) * [[田中食品]](広島市) * [[チチヤス]](廿日市市) * 椿き家(三原市) * 寺岡有機醸造(福山市) * [[虎屋本舗]](福山市) * [[にしき堂]](広島市) * [[万田発酵]](尾道市) * [[三島食品]](広島市) * [[村上農園]](広島市) ;衣服 * カイハラ (企業)(福山市) * サンエス (ユニフォームメーカー)(福山市) * [[ジーベック (被服業)|ジーベック]](福山市) * [[自重堂]](福山市) * [[マツオカコーポレーション]](福山市) * [[ヤスハラケミカル]](福山市) ;建材 * [[ウッドワン]](廿日市市) * [[中国木材]](呉市) ;その他製造業 * アオイ化学工業(広島市) * [[アスカネット]](広島市) * アドテック プラズマ テクノロジー(福山市) * [[エフピコ]](福山市) * [[オー・エイチ・ティー]](福山市) * [[北川鉄工所]](府中市) * [[京セラインダストリアルツールズ]](府中市) * [[コベルコ建機]](広島市) * [[ダイキョーニシカワ]](安芸郡坂町) * [[ダイクレ]](呉市) * [[太洋電機産業]](福山市) * [[テラル]](福山市) * [[戸田工業]](大竹市) * [[西川ゴム工業]](広島市) * [[ホーコス]](福山市) * [[マナック]](福山市) * [[丸善製薬]](尾道市) * [[ミカサ]](広島市) * [[三村松]](広島市) * [[モルテン]](広島市) * [[リョービ]](府中市) {{Multicol-break}} ;卸・小売業 * [[青山商事]](福山市) * [[アシード]](福山市) * [[イズミ]](広島市) * [[エディオン]](登記上本店を広島市([[エディオン広島本店]]本館)に置いている。本社所在地は[[大阪市]]。旧・第一産業→ダイイチ→[[デオデオ]]) * [[エブリイ (スーパーマーケット)|エブリイ]](福山市) * [[大創産業]](東広島市) * [[ツルハグループドラッグ&ファーマシー西日本]](広島市) * [[福屋]](広島市) * [[フタバ図書]](広島市) * [[ププレひまわり]](福山市) * [[フレスタ (スーパーマーケット)|フレスタ]](広島市) * [[ポプラ (コンビニエンスストア)|ポプラ]](広島市) * [[メガネ21]](広島市) * [[メガネの田中チェーン]](広島市) ;運輸・運送業 * アイ引越センター(広島市) * [[瀬戸内海汽船]](広島市) * [[広島電鉄]](広島市) * [[福山通運]](福山市) * 双葉運輸(広島市) ;金融 * [[ウツミ屋証券]] * [[ひろぎん証券]] * [[広島銀行]] * [[もみじ銀行]] ;その他 * [[アーバンコーポレイション]](広島市) * [[合人社グループ]](広島市) * [[コトブキソリューション]](呉市) * [[章栄不動産]](広島市) * [[中国電力]](広島市) * [[トータテグループ]](広島市) * [[フマキラー]](登記上本店を廿日市市に置く) * [[マリモ (不動産)|マリモ]](広島市) * [[ロイヤルコーポレーション]](広島市) * [[タカスギグループ|ワウハウス]](福山市) {{Multicol-end}} === 広島県発祥の主要企業 === 他府県に拠点を移した企業。 ;建築業 * [[増岡組]] * [[五洋建設]] * [[フジタ]] ;金融業 * [[オリエントコーポレーション]] * [[ライフ (信販)]] * [[東洋証券]] ;製造業 * [[セーラー万年筆]] * [[ディスコ (切断装置製造)]] * [[クマヒラ]] * [[クレトイシ]] <!--* [[三村松]] → 現在でも広島に拠点を置いているので対象外--> ;小売業 * [[ナルミヤ・インターナショナル]] * [[ユニクロ]](本社は[[山口県]]だが、ユニクロ1号店は広島市) ;その他 * [[カルビー]] === 現在消滅した広島県の主要企業 === * [[コンパイル (企業)]] * [[天野実業]] == 生活・交通 == === 警察 === [[広島県警察]]本部の管轄にあり、以下の26警察署が置かれている。 {{Multicol}} * [[広島中央警察署]](広島市中区):[[広島市]][[中区 (広島市)|中区]] * [[広島東警察署]](広島市東区):広島市[[東区 (広島市)|東区]]・[[府中町]] * [[広島西警察署]](広島市西区):広島市[[西区 (広島市)|西区]] * [[広島南警察署]](広島市南区):広島市[[南区 (広島市)|南区]] * [[佐伯警察署 (広島県)|佐伯警察署]](広島市佐伯区):広島市[[佐伯区]] * [[安佐南警察署]](広島市安佐南区):広島市[[安佐南区]] * [[安佐北警察署]](広島市安佐北区):広島市[[安佐北区]] * [[海田警察署]](海田町):広島市[[安芸区]]・[[海田町]]・[[熊野町]]・[[坂町]] * [[廿日市警察署]](廿日市市):[[廿日市市]] * [[大竹警察署]](大竹市):[[大竹市]] * [[山県警察署 (広島県)|山県警察署]](安芸太田町):[[安芸太田町]]・[[北広島町]] * [[江田島警察署]](江田島市):[[江田島市]] * [[呉警察署]](呉市):[[呉市]](西部・音戸・倉橋地区) * [[広警察署]](呉市):呉市(東部・下蒲刈・蒲刈・川尻・安浦・豊浜・豊地区) {{Multicol-break}} * [[東広島警察署]](東広島市):[[東広島市]] * [[竹原警察署]](竹原市):[[竹原市]]・[[大崎上島町]] * [[三次警察署]](三次市):[[三次市]] * [[安芸高田警察署]](安芸高田市):[[安芸高田市]] * [[庄原警察署]](庄原市):[[庄原市]] * [[三原警察署]](三原市):[[三原市]] * [[尾道警察署]](尾道市):[[尾道市]](浦崎町を除く) * [[福山東警察署]](福山市):[[福山市]](中心部・東部) * [[福山西警察署]](福山市):福山市(西部)・尾道市(浦崎町) * [[福山北警察署]](福山市):福山市(北部)・[[神石高原町]] * [[府中警察署 (広島県)|府中警察署]](府中市):[[府中市 (広島県)|府中市]] * [[世羅警察署]](世羅町):[[世羅町]] {{Multicol-end}} === 交通 === ==== 空港 ==== * [[広島空港]] * [[広島西飛行場]](2012年11月15日廃港)→広島ヘリポート ==== 鉄道路線 ==== 人口規模の割には私鉄路線がほとんどなく、私鉄路線は[[路面電車]]、[[新交通システム]]や[[第三セクター鉄道]]のみで、1967年に[[井笠鉄道]]が廃線から1999年に井原鉄道が開通まで普通鉄道の私鉄路線が一切存在しなかった<ref group="注釈">但し、広島電鉄宮島線は[[鉄道事業法]]が適用される鉄道路線である。</ref>。 * [[西日本旅客鉄道]] ** [[山陽新幹線]]([[福山駅|福山]] - [[広島駅|広島]]) ** [[山陽本線]]([[大門駅 (広島県)|大門]] - [[大竹駅|大竹]]) ** [[呉線]] ([[海田市駅|海田市]] - [[三原駅|三原]]) ** [[可部線]] ([[横川駅 (広島県)|横川]] - [[あき亀山駅|あき亀山]]) ** [[芸備線]]([[東城駅|東城]] - [[広島駅|広島]]) ** [[福塩線]] ([[塩町駅|塩町]] - [[福山駅|福山]]) ** [[木次線]]([[油木駅|油木]] - [[備後落合駅|備後落合]]) *** [[広島シティネットワーク]](山陽本線[[白市駅|白市]] - [[岩国駅|岩国]]・呉線[[海田市駅|海田市]] - [[広駅|広]]・可部線全線・芸備線広島 - [[狩留家駅|狩留家]]) :※ 2009年(平成21年)3月14日のダイヤ改正で寝台特急「[[はやぶさ (列車)|はやぶさ]]」「[[富士 (列車)|富士]]」が廃止され、以降は通常ダイヤにおいて広島県内の在来線では特急・急行の旅客列車は1本も走っていない(2020年4月現在、JRの路線がある46都道府県では[[岩手県]]<ref group="注釈">但し、[[秋田新幹線]](「[[こまち (列車)|こまち]]」)は[[盛岡駅]]から[[秋田駅]]までの間は在来線([[田沢湖線]]・[[奥羽本線]])を走行するため、営業上は在来線特急の扱いとなっている。</ref>・[[栃木県]]<ref group="注釈">但し、JR車両による特急[[日光 (列車)|「日光」「きぬがわ」]]は存在する(JR[[新宿駅]]から乗り入れるものの栃木県内は[[東武鉄道]]の線路のみを走行)。</ref>、も該当する) * [[広島電鉄]] ** [[広島電鉄本線|本線]] ** [[広島電鉄宇品線|宇品線]] ** [[広島電鉄江波線|江波線]] ** [[広島電鉄白島線|白島線]] ** [[広島電鉄皆実線|皆実線]] ** [[広島電鉄横川線|横川線]] ** [[広島電鉄宮島線|宮島線]] * [[井原鉄道]] ** [[井原鉄道井原線|井原線]]([[御領駅 (広島県)|御領]] - [[神辺駅|神辺]]) * [[広島高速交通]] ** [[広島高速交通広島新交通1号線|広島新交通1号線]](アストラムライン) * [[スカイレールサービス]] ** [[スカイレールサービス広島短距離交通瀬野線|広島短距離交通瀬野線]](スカイレールみどり坂線) ==== 廃止された鉄道路線 ==== * [[日本国有鉄道]] ** [[宇品線]]([[広島駅|広島]] - [[宇品駅|宇品]]) ** [[福塩線]]([[福山駅|両備福山]] - [[横尾駅|横尾]];旧線)([[河佐駅|河佐]] - [[備後三川駅|備後三川]];旧線) * [[西日本旅客鉄道]] ** [[三江線]]([[三次駅|三次]] - [[香淀駅|香淀]]、[[伊賀和志駅|伊賀和志]]) ** [[可部線]]([[可部駅|可部]] - [[三段峡駅|三段峡]]間<ref group="注釈">このうち、[[可部駅|可部]] - [[あき亀山駅|あき亀山]](旧[[河戸駅]]の300m先)間が電化された上で2017年3月4日に復活。</ref>) * [[井笠鉄道]] ** 神辺線([[神辺駅|神辺]] - 両備金光) * [[尾道鉄道]] ** 本線([[尾道駅|尾道]] - 市) * [[鞆鉄道]] ** 鞆鉄道線([[福山駅|福山]] - 鞆) * [[呉市電]] ** 本線(長浜 - 川原石) ** 駅前支線(本通九丁目 - 鹿田) ==== 道路 ==== ;国道 * [[中国地方の道路一覧]] ;県道 * [[広島県の県道一覧]] ;高速道路 * [[山陽自動車道]] * [[中国自動車道]]([[中国縦貫自動車道]]) * [[西瀬戸自動車道]]([[しまなみ海道]]) * [[中国横断自動車道広島浜田線]] ** [[広島自動車道]] ** [[浜田自動車道]] * [[中国横断自動車道尾道松江線]] ** [[尾道自動車道]] ** [[松江自動車道]] * [[広島高速道路]] * [[広島呉道路]] * [[東広島呉自動車道]] === 医療・福祉 === {{main|Category:広島県の医療機関}} ;[[災害拠点病院]] * [[広島県災害拠点病院]] ;[[保育所]] * [[広島県保育所一覧]] === 教育 === {{main|Category:広島県の大学}} ;[[専修学校]] * [[広島県専修学校一覧]] ;[[特別支援学校]] * [[広島県特別支援学校一覧]] ;[[高等学校]] * [[広島県高等学校一覧]] ;[[中学校]] * [[広島県中学校一覧]] ;[[小学校]] * [[広島県小学校一覧]] ;[[幼稚園]] * [[広島県幼稚園一覧]] === マスメディア === ==== 新聞 ==== ;地方紙 * [[中国新聞]] - [[朝刊]]および[[夕刊]]を発行([[広島市]]の広島本社と[[福山市]]の備後本社で、それぞれ別版を発行している) * [[山陽新聞]] - 備後版を発行 ** [[太平洋戦争]]開戦直前まで[[芸備日日新聞]]があり、[[明治時代]]から[[大正時代]]初めまでは広島県内で最大の部数だった。 ;全国紙 * 一般紙は全て[[大阪市|大阪]]本社の管轄となっている。 * 最近では県内で印刷されているものもある。 ** [[読売新聞]] ** [[朝日新聞]] ** [[毎日新聞]] ** [[日本経済新聞]] ** [[産経新聞]] * [[スポーツ紙]]は九州スポーツを除いて全てが大阪本社の管轄である。 * 以下のうち、スポニチ、デイリー、ニッカンの3紙の県内発売分は、一面がカープ関連となることが多い。 ** [[大阪スポーツ]](備後地区ほか) ** [[九州スポーツ]](広島市などの県西部) ** [[サンケイスポーツ]] ** [[スポーツニッポン]] ** [[スポーツ報知]] ** [[デイリースポーツ]] ** [[日刊スポーツ]] ==== 放送 ==== ;テレビ局・ラジオ局兼営 * [[NHK広島放送局]] * [[中国放送]](RCC:テレビ放送 [[TBS系]]/ラジオ放送 [[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]加盟) ;テレビ局 * [[広島テレビ放送]](HTV:[[日本テレビ系]]) * [[広島ホームテレビ]](HOME:[[テレビ朝日系]]) * [[テレビ新広島]](TSS:[[フジテレビ系]]) ;ラジオ局 * [[広島エフエム放送]](HFM:[[全国FM放送協議会|JFN]]加盟) <gallery caption="県域放送局舎外観" widths="108px" heights="108px" perrow="5"> ファイル:NHK_Hiroshima_20201213.JPG|NHK広島放送局<br />([[広島市]][[中区 (広島市)|中区]]) ファイル:RCC 20200825.JPG|中国放送 (RCC)<br />(広島市中区) ファイル:広島テレビ新社屋.jpg|広島テレビ放送 (HTV)<br />(広島市[[東区 (広島市)|東区]]) ファイル:Hiroshima Home Television 20201212-1.JPG|広島ホームテレビ (HOME)<br />(広島市中区) ファイル:TSS-TV 20200921-1b.JPG|テレビ新広島 (TSS)<br />(広島市[[南区 (広島市)|南区]]) ファイル:HIROSHIMA FM BROADCASTING 20201012.JPG|広島エフエム放送(HFM)<br />(広島市南区) </gallery> ;コミュニティFM放送局 * [[エフエムふくやま]](福山市:[[J-WAVE]]・[[ミュージックバード]]配信・インターネット放送実施局) * [[尾道エフエム放送]](尾道市:ミュージックバード配信・インターネット放送実施局) * [[中国コミュニケーションネットワーク|FMちゅーピー]](広島市:J-WAVE配信・インターネット放送実施局) * [[FMハムスター]](広島市安佐南区) * [[エフエムはつかいち]](廿日市市) * [[FM東広島]](東広島市) * [[FMみはら]](三原市:ミュージックバード配信実施局) ;備考 * 山がちな広島県の地形を反映して、[[テレビ]]、[[ラジオ]]とも多数の中継局を擁している。広島エフエム放送の中継局数は13局と日本にある都道府県域民間エフエム放送局53社中最多である。このため、5局目民放TV局や2局目民放FM局の新設は電波環境の上で困難をきたしている。 * [[民間放送|民放]][[振幅変調#放送|AM]][[ラジオ局]]は'''中国放送'''のみであるが、福山市周辺では近隣の[[MBSラジオ|毎日放送]]、[[朝日放送ラジオ]]、[[大阪放送|ラジオ大阪]]、[[RSKラジオ|山陽放送]]や、その中でも瀬戸内海沿岸では[[西日本放送ラジオ|西日本放送]]も、また広島市や大竹市周辺では[[山口放送]]や、その中でも瀬戸内海沿岸では[[四国放送]]、[[南海放送]]、[[大分放送]]、[[RKBラジオ|RKB毎日放送]]、[[KBCラジオ|九州朝日放送]]も、島根鳥取越境周辺では[[山陰放送]]が、それぞれ聴取可能である。夜間になると東京・名古屋などの放送局([[ニッポン放送]]や[[TBSラジオ]]、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]、[[NHKラジオ第1放送|NHK東京第一]]・[[NHKラジオ第2放送|同第二]]など)も聴取できる。ただし、[[CBCラジオ]]と[[文化放送]]についてはそれぞれ[[朝鮮中央放送]](海州局)、KBS第3との[[混信]]がありほぼ聴取は不可能である。 * [[地上デジタルテレビジョン放送]]は[[2006年]](平成18年)10月に広島市域沿岸部で放送開始(親局の電波塔は[[広島市]][[安芸区]]矢野町[[絵下山]]にある[[広島デジタルテレビジョン放送局]](5局共同))。放送開始当初のカバー率は46%と低かったが、その後翌年4月に福山で放送開始し、2007年度中には県内の主要市町村ので放送が開始されている。[[2009年]](平成21年)12月の時点でカバー率は95%となっている。 * 県西部のごく一部でTXN系列局の[[TVQ九州放送]]が直接受信が可能である。 * 民放[[ラジオ#FMラジオ|FM]]局は県域局の'''広島エフエム放送'''の他、福山市周辺をカバーする中国地方で初めての[[コミュニティ放送|コミュニティ放送局]]として開局したエフエムふくやまの他、広島市、尾道市、廿日市市、東広島市、三原市にコミュニティFM局がある([[2018年]](平成30年)5月現在)。また、地域によっては大阪・兵庫・岡山・山口・香川・愛媛・大分各地区のFM放送が受信できる。 * 地上デジタル放送のリモコンキーIDは[[リモコンキーID]]の記事を参照。TBS系の中国放送が3であることとTXN系ならびに独立局がない以外は関東広域圏と同じ(広島テレビ(日本テレビ系)は4、広島ホームテレビ(テレビ朝日系)は5、テレビ新広島(フジテレビ系)が8)。 ; ケーブルテレビ局 {{see|Category:広島県のケーブルテレビ局}} == 文化・スポーツ == === 方言 === 広島県内の方言は[[中国方言]]に分類されるが、県の東西で違いがある。 * [[広島弁]] - 広島県全体の方言を指すこともあるが、一般には広島市を中心とした旧安芸国にあたる県西部の方言(安芸弁)を指す。[[山口弁]]や[[石見弁]]と同じカテゴリー(西中国方言)に分類される。 * [[備後弁]] - 福山市や尾道市を中心とした旧備後国にあたる県東部の方言。[[福山弁]]など。[[岡山弁]]と同じカテゴリー(東山陽方言)に分類される。 === 食文化 === {{See also|Category:広島県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#広島県}} === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * 宮島細工(木工品、[[1982年]]) * 広島仏壇(仏壇・仏具、[[1978年]]) * [[熊野筆]](文具、[[1975年]]) * [[川尻筆]](文具、[[2004年]]) * 福山琴(その他工芸品、[[1985年]]) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#広島県}} === 特産品 === * [[もみじ饅頭]] * [[広島菜]] * [[カキ (貝)|カキ]]加工品 === 音楽楽団 === * [[広島交響楽団]] === スポーツ === {{See also|Category:広島県のスポーツチーム}} * [[日本野球機構|プロ野球]]・[[広島東洋カープ]]([[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]]) * [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]([[広島広域公園陸上競技場|広島ビッグアーチ]]・[[広島県総合グランドメインスタジアム|広島スタジアム]]) * [[WEリーグ]]・[[サンフレッチェ広島レジーナ]] * [[日本女子サッカーリーグ|なでしこリーグ]]・[[アンジュヴィオレ広島]] * [[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]]・[[広島ドラゴンフライズ]]([[広島サンプラザホール]]) * [[バレーボール]][[日本バレーボールリーグ機構|Vリーグ]]・[[JTサンダーズ広島]](男子) * バレーボールVリーグ・[[大野石油広島オイラーズ]](女子) * [[ハンドボール]]・[[安芸高田ワクナガハンドボールクラブ]]、[[イズミメイプルレッズ]] * [[ラグビーフットボール|ラグビー]]・[[マツダブルーズーマーズ]] * [[フットサル]]・[[広島F・DO]] * [[自転車競技]]・[[ヴィクトワール広島]] * [[陸上競技]]・[[中国電力陸上競技部]]、マツダ陸上競技部、エディオン女子陸上競技部 * [[日本プロボクシング協会|プロボクシング]]・広島三栄ボクシングジム * [[競艇]]・[[宮島競艇場|宮島競艇]] * [[競輪]]・[[広島競輪場|広島競輪]] * [[競馬]]・[[福山競馬場|福山競馬]]([[地方競馬]]、2013年に廃止) ;[[2020年]][[夏季オリンピック]]誘致関係 * [[広島・長崎オリンピック構想]] * [[ヒロシマ・オリンピック構想]] :当初は[[広島市]]・[[長崎市]]共催での五輪開催を提案するも[[国際オリンピック委員会]]が共催不可とする判断から長崎市が招致断念。その後広島市単独で招致を目指したが、ヒロシマ五輪反対派が広島市長に当選したことや[[東日本大震災]]後の世相から広島市も招致を断念した。 == 観光 == {{main|広島県の観光地}} {{Vertical_images_list |寄せ=右 |幅= 250px |枠幅= |1=Miyajima Alex.jpg|2=厳島神社、大鳥居 |3=Hiroshima Peace Memorial 2008 02.JPG|4=原爆ドーム |5=夜明け 5bb23649-826a-45a1-99a0-17499b3f2cfe.jpg|6=西条の酒造施設群 |7=Hiroshima Peace Memorial Museum 2008 01.JPG|8=広島平和記念資料館及び平和記念公園 |9=Tenneiji Onomichi01s3872.jpg|10=千光寺下から望む尾道水道 |11=Alley-Karasukojima.JPG|12=アレイからすこじまからの呉港 |13=Hiroshima Streetscape of Yutakamachi Mitarai.jpg|14=御手洗 |15=町並み保存地区 - panoramio.jpg|16=竹原 |21=Tomonoura01sb1890.jpg|22=医王寺境内から望む鞆の浦 }} 県の施設に関しては文頭に「★」を入れている。 === 文化財建造物 === ;世界遺産 * [[厳島神社]] (廿日市市宮島町) * [[原爆ドーム]](広島市) ;[[日本の20世紀遺産]] * [[西条酒蔵通り|西条の酒造施設群]](東広島市) * [[広島平和記念資料館]]及び[[平和記念公園]](広島市) ;[[日本遺産]] * [[尾道|尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市]](尾道市) * 鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 〜日本近代化の躍動を体感できるまち〜(呉市) * "日本最大の海賊"の本拠地:芸予諸島 -よみがえる村上海賊"Murakami KAIZOKU"の記憶-(尾道市) ;国宝 * 厳島神社 - 本社本殿・幣殿・拝殿、本社祓殿、摂社客神社本殿・幣殿・拝殿、摂社客神社祓殿、廻廊(東廻廊)、廻廊(西廻廊) * [[向上寺]](尾道市瀬戸田町) - 三重塔 * [[浄土寺 (尾道市)|浄土寺]](尾道市) - 多宝塔、本堂 * [[不動院 (広島市)|不動院]](広島市) - 金堂 * [[明王院 (福山市)|明王院]](福山市) - 五重塔、本堂 ;重要伝統的建造物群保存地区 * [[御手洗 (呉市)|御手洗]] (呉市) * [[竹原]] (竹原市) * [[鞆の浦]](福山市) === 史跡・旧跡 === * [[不動院 (広島市)|不動院]](広島市)(金堂は国宝) * [[広島城]] * [[佐東銀山城|銀山城跡]]([[広島市]][[安佐南区]])(県史跡) * [[海上自衛隊]][[術科学校 (海上自衛隊)#各術科学校|第1術科学校]]・[[海上自衛隊幹部候補生学校|幹部候補生学校]] ([[江田島]]・[[海軍兵学校 (日本)|旧海軍兵学校教育参考館]]) * [[広島市江波山気象館|江波山気象館]] * [[吉田郡山城]]跡([[安芸高田市]]吉田町)(国史跡) * [[福山城 (備後国)|福山城]] 伏見櫓・筋鉄御門(重要文化財) * [[明王院 (福山市)]] 五重塔・本堂(国宝) * [[太田家住宅 (福山市)|太田家住宅]]、太田家住宅朝宗亭(福山市鞆町)(重要文化財) * [[安国寺 (福山市)|備後安国寺]](福山市鞆町)(釈迦堂などは重要文化財) * [[備後吉備津神社]](福山市新市町)(本殿は重要文化財) * [[草戸千軒町]]遺跡(福山市草戸町) === 名所 === * [[縮景園]](広島市) * [[千光寺公園]]([[日本さくら名所100選]]・[[尾道市]]) * [[山野峡]](福山市) * [[帝釈峡]](庄原市) * [[三段峡]](安芸太田町) * [[筆影山]]・竜王山([[三原市]]) === 祭事・イベント === ;広島三大祭り * [[とうかさん]](6月第1金曜日から3日間)(広島市・慈善院圓隆寺) * 住吉祭(旧暦6月14・15日、広島市・[[住吉神社 (広島市中区)|住吉神社]]) * [[胡子講]](11月17日 - 11月20日)(広島市・胡子神社) ;広島三大祭り以外 * [[管絃祭]](旧暦6月17日)([[厳島神社]]) * [[ひろしまフラワーフェスティバル]](5月3日 - 5月5日)(広島市・[[広島平和記念公園]]及び[[平和大通り]]) * 尾道みなと祭(4月)([[尾道市]]) * 呉みなと祭り(4月28日 - 4月29日)([[呉市]]) * [[ベッチャー祭り]](11月1日 - 11月3日)(尾道市) * [[福山ばら祭]](5月)([[福山市]]) * [[お手火祭り]](7月第2土曜日)(福山市) * [[素盞嗚神社 (福山市新市町戸手)|素盞嗚神社(戸手祇園社)]] 祇園祭(けんか御輿、7月中旬)(福山市) * [[二上り踊り]](8月13日 - 8月15日)(福山市) * 神明市(2月)([[三原市]]) * [[やっさ祭り]](8月)(三原市) === 観光スポット・テーマパーク === * [[呉ポートピアパーク]] * [[みろくの里]]・神勝寺[[温泉]] * [[福山市立動物園]] * 福山メモリアルパーク([[遊園地]]) * ウェルサンピア福山([[プール]]) * [[国営備北丘陵公園]]<!-- * [[海上自衛隊第1術科学校]]--> * [[温井ダム]] === 博物館・美術館など === * 広島城天守閣 * ★[[広島県立美術館]]([[広島市]]) * [[広島市現代美術館]](広島市) * [[ひろしま美術館]](広島市) * [[呉市立美術館]]([[呉市]]) * [[呉市海事歴史科学館]](呉市、大和ミュージアム) * [[海上自衛隊呉史料館]](呉市、てつのくじら館) * [[日本はきもの博物館]]([[福山市]]) * [[福山自動車時計博物館]](福山市、クラシックカー) * [[福山城 (備後国)|福山市立福山城博物館]](福山市) * ★[[広島県立歴史博物館]](福山市・[[草戸千軒町]]遺跡の出土品を展示) * [[ふくやま美術館]](福山市) * [[ふくやま文学館]](福山市、[[井伏鱒二]]の書を中心に展示) * [[鞆の浦歴史民俗資料館|福山市鞆の浦歴史民俗資料館]](福山市) * [[日本郷土玩具博物館]](福山市) * [[中川美術館]](福山市・中国古代美術) * ★[[広島県立みよし風土記の丘|みよし風土記の丘]]([[浄楽寺・七ツ塚古墳群]]など中国地方最大の古墳群)([[三次市]]) === 展示施設 === * ★[[広島県立広島産業会館]](広島市) * [[広島市中小企業会館]](広島市) * [[広島県立ふくやま産業交流館|ビッグ・ローズ]](福山市) <gallery> ファイル:広島県立広島産業会館 東館01.JPG|広島産業会館 東館 ファイル:広島県立広島産業会館 西館01.JPG|広島産業会館 西館 ファイル:広島県立広島産業会館 本館01.JPG|広島産業会館 本館 </gallery> === 多目的ホール === 便宜上1000人以上収容施設を記載している。 * [[ふくやま芸術文化ホール]](リーデンローズ)大ホール(2003席) * [[広島市文化交流会館]](広島文化学園HBGホール・旧称「広島厚生年金会館」)大ホール(2001席) * ★[[広島県立文化芸術ホール]](上野学園ホール・旧称「ALSOKホール」「広島郵便貯金ホール」)(1730席) * 呉市文化ホール(1614席) * [[広島国際会議場]]フェニックスホール(1504席) * [[アステールプラザ]]大ホール(1204席) * [[府中市文化センター]]大ホール(1030席) == 対外関係 == 広島県は[[1984年]](昭和59年)[[9月17日]]に[[中華人民共和国]][[四川省]]と、[[1997年]](平成9年)[[5月30日]]にアメリカ合衆国[[ハワイ州]]と友好提携を締結し、交流を行っている。また、[[大韓民国]]慶尚南道との交流も行われている。 == 広島県を舞台とした作品 == {{main|広島県を舞台とした作品一覧}} {{main2|[[広島市への原子爆弾投下|原爆]]関係については「[[広島原爆をテーマとした作品]]」についても}} == 人物 == {{Main|広島県出身の人物一覧}} === 広島県名誉県民 === 広島県名誉県民の称号は、「社会文化の興隆に卓越した功績があり、県民の誇りとして等しく尊敬を受ける」者へ贈られる<ref name=meiyo>[https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kennsyou/1168847256781.html 広島県名誉県民 - 顕彰] - 広島県、2019年7月28日閲覧。</ref>。 {| class="wikitable" !受賞者氏名 !職業 !選定年月日 !備考 !出典 |- |[[三宅一生]] |[[ファッションデザイナー]] |2011年12月1日 |[[文化勲章]]受章 |<ref name=meiyolist>[https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kennsyou/list276-1214.html 広島県名誉県民受賞者 - 顕彰] - 広島県、2019年7月28日閲覧。</ref> |- |[[平山郁夫]] |[[日本画家]] |2011年12月1日 |文化勲章受章 |<ref name=meiyolist/> |- |[[岡田善雄]] |[[生物学者]] |2011年12月1日 |[[細胞融合]]の研究、文化勲章受章 |<ref name=meiyolist/> |- |[[井伏鱒二]] |[[小説家]] |2011年12月1日 |文化勲章受章 |<ref name=meiyolist/> |- |[[圓鍔勝三]] |[[彫刻家]] |2011年12月1日 |文化勲章受章 |<ref name=meiyolist/> |- |[[織田幹雄]] |元[[陸上選手]] |2011年12月1日 |[[1928年アムステルダムオリンピック]]で金メダル獲得 |<ref name=meiyolist/> |- |[[宮澤喜一]] |[[政治家]] |2011年12月1日 |元[[内閣総理大臣]] |<ref name=meiyolist/> |- |[[奥田元宋]] |日本画家 |2011年12月1日 |文化勲章受章 |<ref name=meiyolist/> |- |[[井口洋夫]] |[[化学者]] |2011年12月1日 |[[有機半導体]]の研究、文化勲章受章 |<ref name=meiyolist/> |- |[[新藤兼人]] |[[映画監督]] |2012年5月30日 |文化勲章受章 |<ref name=meiyolist/> |- |[[阿川弘之]] |小説家 |2015年8月6日 |文化勲章受章 |<ref name=meiyolist/> |- |[[今井政之]] |[[陶芸家]] |2018年12月17日 |文化勲章受章 |<ref name=meiyolist/> |} === 広島県県民栄誉賞受賞者 === 広島県県民栄誉賞は、「輝かしい業績をあげ、広く県民に夢と希望を与え」た者へ贈られる<ref name=eiyokisoku>[https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kennsyou/1168844161028.html 県民栄誉賞受賞者 - 顕彰] - 広島県、2019年7月28日閲覧。</ref>。 {| class="wikitable" !受賞者氏名 !職業 !選定年月日 !備考 !出典 |- |[[山本浩二]] |元[[プロ野球選手]] |1987年1月12日 |当時[[広島東洋カープ]]所属・「ミスター赤ヘル」 |<ref>[https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kennsyou/1168843964558.html 山本 浩二(やまもと・こうじ) - 顕彰] - 広島県、2019年7月28日閲覧。</ref> |- |[[衣笠祥雄]] |元プロ野球選手 |1987年6月15日 |当時広島東洋カープ所属・「鉄人」 |<ref>[https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kennsyou/1168843756534.html 衣笠 祥雄(きぬがさ・さちお) - 顕彰] - 広島県、2019年7月28日閲覧。</ref> |- |[[岡本綾子]] |[[プロゴルファー]] |1993年9月14日 |1993年[[日本女子オープンゴルフ選手権競技]]優勝 |<ref>[https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kennsyou/1168843430176.html 岡本 綾子(おかもと・あやこ) - 顕彰] - 広島県、2019年7月28日閲覧。</ref> |- |[[北別府学]] |元プロ野球選手 |1994年11月10日 |当時広島東洋カープ所属 |<ref>[https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kennsyou/1168843196814.html 北別府 学(きたべっぷ・まなぶ) - 顕彰] - 広島県、2019年7月28日閲覧。</ref> |- |[[森下洋子]] |[[バレリーナ]] |2000年11月2日 |日本最初の国際的プリマバレリーナ |<ref>[https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kennsyou/1168842036496.html 森下 洋子(もりした・ようこ) - 顕彰] - 広島県、2019年7月28日閲覧。</ref> |- |[[野村謙二郎]] |元プロ野球選手 |2005年7月9日 |当時広島東洋カープ所属 |<ref>[https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kennsyou/1168840915796.html 野村 謙二郎(のむら・けんじろう) - 顕彰] - 広島県、2019年7月28日閲覧。</ref> |- |[[前田智徳]] |元プロ野球選手 |2007年9月12日 |当時広島東洋カープ所属 |<ref>[https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kennsyou/1189734619424.html 前田 智徳(まえだ・とものり) - 顕彰] - 広島県、2019年7月28日閲覧。</ref> |- |[[黒田博樹]] |元プロ野球選手 |2016年9月22日 |当時広島東洋カープ所属 |<ref>[https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kennsyou/kenmineiyoshou-hirokikuroda.html 黒田 博樹(くろだ・ひろき) - 顕彰] - 広島県、2019年7月28日閲覧。</ref> |- |[[新井貴浩]] |元プロ野球選手 |2016年9月22日 |当時広島東洋カープ所属 |<ref>[https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kennsyou/kenmineiyo-takahiroarai.html 新井 貴浩(あらい・たかひろ) - 顕彰] - 広島県、2019年7月28日閲覧。</ref> |- |[[金藤理絵]] |元[[競泳]]選手 |2016年11月20日 |[[2016年リオデジャネイロオリンピック]]で金メダル獲得 |<ref>[https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kennsyou/kenmineiyoshou-riekaneto.html 金藤 理絵(かねとう・りえ) - 顕彰] - 広島県、2019年7月28日閲覧。</ref> |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[:Category:広島県の自然景勝地|広島県の自然景勝地]] * [[広島県出身の人物一覧]] * [[広島県の県道一覧]] * [[太平洋ベルト]] * [[瀬戸内海]] * [[日本の地方公共団体一覧]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/広島県|[[画像:Hiroshima-geo-stub.svg|36px|Portal:日本の都道府県/広島県]]}} {{Multimedia|広島県の画像}} {{Wiktionary}} {{Wikinewscat}} {{Commons&cat|Hiroshima_prefecture|Hiroshima_prefecture}} {{osm box|r|3218753}} {{Wikivoyage|ja:広島県}} ; 行政 * {{Official website|name=広島県}} ; 観光 * [https://dive-hiroshima.com/ ひろしま公式観光サイト] - 広島県観光連盟 * [https://www.hiroshima-navi.or.jp/ 広島広域観光情報サイト ひろたび] - 公益財団法人広島観光コンベンションビューロー * {{Googlemap|広島県}} {{s-start}} {{s-bef|before=[[広島藩]]<hr>[[岡山県]]の一部<br />(旧[[小田県]]のうち[[備後国]])|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1871年]] -|years2=}} {{s-aft|after=-----|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{広島県の自治体}} {{広島県の郡}} 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福井県
福井県(ふくいけん)は、日本の中部地方に位置する県。令制国の越前国と若狭国に相当する。県庁所在地は福井市。 北陸地方で最も人口が少ない県である。 山中峠・木ノ芽峠・栃ノ木峠を通る稜線を境にして、北側の嶺北(越前地方)と、南側の嶺南(若狭地方および敦賀市)より構成される。 また日本海及び若狭湾の福井県海域には周囲0.1km以上の島が58あるが全て無人島で、常神半島沖の岩礁である千島で約3kmの距離しか離れていない。 越前の緑豊かな山々と、若狭の清らかな水の流れに代表されるように自然が美しい場所であり、それを代表する語に越山若水(えつざんじゃくすい)がある。 地理上は北陸地方または中部地方と分類されるが、行政管轄区分において近畿地方とされる場合もある。 ケッペンの気候区分では県内全域が温暖湿潤気候であるが、日本海側気候であり県内全域が豪雪地帯(一部特別豪雪地帯)に指定されている。特別豪雪地帯の大野市・勝山市・池田町・南越前町の旧今庄町は全国屈指の積雪量であり、大野市では年間降雪量500cm、最深積雪100cmを超える。 福井市などは内陸に位置するため、沿岸部に面する富山市や金沢市などよりは豪雪となりやすい。過去には1963年1月31日に213cm、近年でも2018年2月7日に積雪147cmを記録しているなど1m以上の積雪となることもある。 一方、日本海沿岸部では対馬暖流の影響により冬でも比較的暖かく、雪よりも雨の日が多い。 年間の降水日数は170日あり、「弁当忘れても傘忘れるな」という天気の格言が存在する。 福井県は地図で見ると、鍵あるいはゾウのような形をしている。特に、嶺南に所属する若狭湾の海岸線はリアス式海岸として有名である。 以下の9市7郡8町、計17市町がある。町は「まち」ではなくすべて「ちょう」と読む。 いわゆる平成の大合併が始まる前は7市11郡22町6村(計35市町村)であった。それ以前に消滅していたのは敦賀郡だけだったが、合併によって坂井・足羽・大野・遠敷の各郡が消滅し、大飯郡を除いて「一郡一町」となった。 勝山市と今立郡池田町が現段階での合併を見送る方針であるほか、福井市の合併協議会から離脱した鯖江市も態度を保留している。 ※令制国ごとの歴史は、越前国・若狭国も参照。 人口は2000年の約83万人をピークに減少している。合計特殊出生率は全国的にも高い県であり、21世紀以降は一貫して全国平均以上かつ新潟県を含む北陸4県中で最高を維持している。2005年ごろ以降、日本の合計特殊出生率は相対的に西日本で高く東日本で低い傾向にあるが、2021年には中部地方以東の都道県で唯一1.5を超える県となった。 衆議院の小選挙区が2。参議院では、全県で1区を構成。 工業地域としては北陸工業地域の南端を担っている。第二次産業と第三次産業を主としており、工業が大変盛んである。また、社長の数も数年連続で全国で1位となっている。 (五十音順、カッコがないものは東証プライム上場) 福井県を創業地とし、県外に本社を置いている企業として、アトム、飛島建設、前田建設工業、山善などがある。 また、村田製作所やアイシン、森永乳業といった大企業のグループ会社も多数位置している。 定期便が飛ぶ最寄りの空港は小松空港(石川県小松市)である。 越美北線を除いて、電化されている。北陸本線の特急列車並びに新快速を除く、県内を運行する普通列車の大半がワンマン運転を実施している。普通列車の日中の運転本数は、JRで県下全域に亘り毎時1本以下、私鉄(嶺北地域のみ)は毎時2本程度。 同じ県内でも嶺北地方と嶺南地方では方言が異なり、嶺北地方の方言は北陸方言に、嶺南地方の方言は近畿方言に分類されることが多い。嶺北と嶺南の方言の際立った違いとしてはアクセントが挙げられるが、嶺北・嶺南それぞれの内部においても細かな差異がある。
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福井県(ふくいけん)は、日本の中部地方に位置する県。令制国の越前国と若狭国に相当する。県庁所在地は福井市。 北陸地方で最も人口が少ない県である。
{{Otheruses|日本の都道府県としての福井県|福井県の[[行政機関]]|福井県庁}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 福井県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Japan Tojinbo02n4592.jpg | photo2a = Eiheiji37nt3200.jpg | photo2b = Port of Tsuruga.jpg | photo3a = 2017 3 20 Fukui Dinosaur Museum 1.jpg | photo3b = 朝倉館唐門.JPG | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center |space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[東尋坊]]</tr><tr><td style="width:50%">[[永平寺]]仏殿<td style="width:50%">[[敦賀港]]</tr><tr><td style="width:50%">[[福井県立恐竜博物館]]<td style="width:50%">[[一乗谷]]朝倉氏遺跡</tr></table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|福井県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[福井県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Fukui Prefecture.svg|70px|福井県章]] | 都道府県章の説明 = 福井県章 | 区分 = 県 | コード = 18000-9 | ISO 3166-2 = JP-18 | 隣接都道府県 = {{flag|石川県}}<br/>{{flag|岐阜県}}<br/>{{flag|滋賀県}}<br/>{{flag|京都府}} | 木 = [[マツ|松]] | 花 = [[スイセン|水仙]] | 鳥 = [[ツグミ|つぐみ]] | シンボル名 = 他のシンボル | 歌など = 県の魚:[[ズワイガニ|越前蟹]]<br />県の歌:[[福井県民歌]]<br />マスコット:[[Juratic]]、はぴりゅう<br />ふるさとの日:[[2月7日]] | 郵便番号 = 910-8580 | 所在地 = 福井市大手三丁目17番1号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-18|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Fukui Prefectural Government Headquarters01s4592.jpg|220px|center|福井県庁]]<br />{{Maplink2|zoom=7|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=210|frame-height=160|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|frame-latitude=35.86|frame-longitude=136.195|text=県庁舎位置}} | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 18 Fukui prefecture.svg|320px|福井県の位置]]{{基礎自治体位置図|18|000|image=Map of Fukui Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} '''福井県'''(ふくいけん)は、[[日本]]の[[中部地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[令制国]]の[[越前国]]と[[若狭国]]に相当する。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[福井市]]。 [[北陸地方]]で最も人口が少ない県である。 == 概要 == [[山中峠]]・[[木ノ芽峠]]・[[栃ノ木峠]]を通る[[稜線]]を境にして、北側の'''[[嶺北]]'''([[越前国|越前地方]])と、南側の'''[[嶺南]]'''([[若狭国|若狭地方]]および敦賀市)より構成される。 また日本海及び若狭湾の福井県海域には周囲0.1km以上の島が58あるが全て[[無人島]]で、[[常神半島]]沖の[[岩礁]]である千島で約3kmの距離しか離れていない。 越前の緑豊かな山々と、若狭の清らかな水の流れに代表されるように自然が美しい場所であり、それを代表する語に'''越山若水'''(えつざんじゃくすい)がある。 地理上は[[北陸地方]]または[[中部地方]]と分類されるが、行政管轄区分において[[近畿地方]]とされる場合もある。 == 地理・地域 == === 気候 === [[ケッペンの気候区分]]では県内全域が[[温暖湿潤気候]]であるが、[[日本海側気候]]であり県内全域が[[豪雪地帯]](一部[[特別豪雪地帯]])に指定されている。特別豪雪地帯の[[大野市]]・[[勝山市]]・[[池田町 (福井県)|池田町]]・[[南越前町]]の旧[[今庄町]]は全国屈指の積雪量であり、大野市では年間降雪量500cm、最深積雪100cmを超える<ref name="jma">[https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/select/prefecture.php?prec_no=57&block_no=&year=&month=&day=&view= 気象庁-過去の気象データ] 統計期間:1981年-2010年</ref>。 福井市などは内陸に位置するため、沿岸部に面する[[富山市]]や[[金沢市]]などよりは豪雪となりやすい。過去には1963年1月31日に213cm、近年でも2018年2月7日に積雪147cmを記録しているなど1m以上の積雪となることもある<ref name="jma"/>。 一方、日本海沿岸部では[[対馬海流|対馬暖流]]の影響により冬でも比較的暖かく、[[雪]]よりも[[雨]]の日が多い。 年間の降水日数は170日あり<ref name="jma"/>、「弁当忘れても傘忘れるな」という天気の格言が存在する{{efn|同様の格言は[[兵庫県]][[豊岡市]]にも存在する。}}。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+福井県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="7"|嶺北 !colspan="3"|嶺南 |- ![[坂井市]]<br />[[三国町|三国]]!![[坂井市]]<br />[[春江町|春江]] ![[福井市|福井]]!![[福井市]]<br />[[越廼村|越廼]] ![[勝山市|勝山]]!![[大野市|大野]] ![[南越前町]]<br />[[今庄町|今庄]]!![[敦賀市|敦賀]] ![[美浜町 (福井県)|美浜]]!![[小浜市|小浜]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |25.6<br />(8月)|| |26.8<br />(8月)||26.6<br />(8月) | ||26.0<br />(8月) |25.1<br />(8月)||27.1<br />(8月) |26.4<br />(8月)||26.5<br />(8月) |- !最寒月 |3.1<br />(2月)|| |3.1<br />(1,2月)||4.9<br />(2月) | ||1.1<br />(2月) |1.5<br />(2月)||4.3<br />(2月) |4.1<br />(2月)||3.5<br />(2月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |224.0<br />(12月)|| |279.8<br />(1月)||223.0<br />(9月) | ||278.7<br />(7月) |336.1<br />(1月)||282.3<br />(12月) |250.8<br />(1月)||221.1<br />(9月) |- !最少月 |121.4<br />(4月)|| |137.4<br />(4月)||140.6<br />(4月) | ||140.4<br />(4月) |134.8<br />(4月)||133.1<br />(4月) |121.3<br />(4月)||110.0<br />(4月) |} === 地形 === [[ファイル:Japan Fukui Map Chikei.png|thumb|right|西側に若狭湾、東側に越前海岸]] 福井県は地図で見ると、[[鍵]]あるいは[[象|ゾウ]]のような形をしている。特に、嶺南に所属する[[若狭湾]]の海岸線は[[リアス式海岸]]として有名である。 {{div col}}{{no col break| ;湾 * [[若狭湾]] ** [[敦賀湾]] ** [[世久見湾]] ** [[矢代湾]] ** [[小浜湾]] ** [[内浦湾 (福井県)|内浦湾]] }}{{no col break| ;平地 * [[福井平野]] ** [[鯖武盆地|鯖武(鯖江・武生)盆地]] ** [[大野盆地]] ** [[勝山盆地]] }}{{no col break| ;半島 * [[敦賀半島]] ** [[常神半島]] ** [[内外海半島]] ** [[大島半島_(福井県)|大島半島]] ** [[大浦半島]](東部のみ。西部は京都府) }}{{no col break| ;海岸 * [[越前海岸]] ** [[越前岬]] ** [[東尋坊]] }}{{no col break| ;砂丘 * [[三里浜]] }}{{no col break| ;[[一級水系|一級河川]] * [[九頭竜川]]水系 ** [[九頭竜川]] ** [[日野川 (福井県)|日野川]] ** [[足羽川]] ** [[滝波川]] ** [[真名川]] ** [[竹田川 (福井県)|竹田川]] * [[北川]]水系 ** [[北川]] ** [[遠敷川]] }}{{no col break| ;主な湖沼・ダム * [[三方五湖]] * [[北潟湖]] * 九頭竜湖([[九頭竜ダム]]) * 麻耶姫湖([[真名川ダム]]) * 笹生川ダム湖([[笹生川ダム]]) * [[浄土寺川ダム]] * 大仏湖([[永平寺ダム]]) * [[桝谷ダム]] * [[広野ダム]] * [[大津呂ダム]] }}{{no col break| ;山岳・山地 * [[両白山地]] ** [[三ノ峰 (両白山地)|三ノ峰]]([[白山連峰]]) ** [[赤兎山]] ** [[大長山]] ** [[取立山]] ** [[経ヶ岳 (福井県)|経ヶ岳]] ** [[平家岳]] ** [[荒島岳]] ** [[部子山]] ** [[能郷白山]] ** [[冠山 (岐阜・福井県境)|冠山]] * [[丹生山地]] ** [[国見岳_(福井県)|国見岳]] * [[野坂山地]] ** [[野坂岳]] ** [[乗鞍岳 (福井県・滋賀県)|乗鞍岳]] * 若丹山地([[丹波高地]]の一部) ** [[百里ヶ岳]] ** [[多田ヶ岳]] ** [[頭巾山]] ** [[三十三間山]] * [[青葉山 (京都府・福井県)|青葉山]] }}{{div col end}} === 自然公園 === *'''[[国立公園]]''' ** [[白山国立公園]] *'''[[国定公園]]''' ** [[越前加賀海岸国定公園]]、[[若狭湾国定公園]] *'''[[都道府県立自然公園|県立自然公園]]''' ** [[奥越高原県立自然公園]] * [[ジオパーク]] ** [[恐竜渓谷ふくい勝山ジオパーク]] === 隣接する府県 === {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=福井県|float=right}} * [[石川県]] - [[滋賀県]] - [[岐阜県]] - [[京都府]] === 自治体 === 以下の9市7郡8町、計17市町がある。町は「まち」ではなくすべて「ちょう」と読む<ref>[http://www.qq.pref.fukui.jp/qqport/kenmintop/hospital/fk1400.php?gamenid=fk1410 在宅当番医地域選択 - 福井県広域災害・救急医療情報システム]</ref>。 {{div col|2}}{{no col break| ==== 嶺北 ==== ;福井地区 * [[福井市]]([[都道府県庁所在地|県本庁舎所在地]]) * [[吉田郡]] ** [[永平寺町]] ;坂井地区 * [[あわら市]] * [[坂井市]] ;奥越(奥越前)地区 * [[大野市]] * [[勝山市]] ;丹南(南越前または南越)地区 * [[鯖江市]] * [[越前市]] * [[今立郡]] ** [[池田町 (福井県)|池田町]] * [[南条郡]] ** [[南越前町]] * [[丹生郡]] ** [[越前町]] }}{{no col break| ==== 嶺南 ==== ;二州地区 * [[敦賀市]](福井県嶺南振興局) * [[三方郡]] ** [[美浜町 (福井県)|美浜町]] * [[三方上中郡]] ** [[若狭町]](旧三方町地域) ;若狭地区 * [[小浜市]](福井県嶺南振興局) * [[大飯郡]] ** [[高浜町]] - [[おおい町]] * [[三方上中郡]] ** [[若狭町]](旧上中町地域) }}{{div col end}} ==== 市町村合併による動向 ==== [[ファイル:GappeiChizu FukuiKen.png|thumb|right|平成の大合併による2004年3月から2006年3月の合併状況]] いわゆる[[市町村合併|平成の大合併]]が始まる前は7市11郡22町6村(計35市町村)であった。それ以前に消滅していたのは[[敦賀郡]]だけだったが、合併によって坂井・足羽・大野・遠敷の各郡が消滅し、大飯郡を除いて「一郡一町」となった。 * [[2004年]](平成16年)[[3月1日]] - [[坂井郡]][[金津町]]、[[芦原町]]が新設合併し、[[あわら市]]が誕生する。 * [[2005年]](平成17年) ** [[1月1日]] - [[南条郡]][[南条町]]、[[今庄町]]、[[河野村_(福井県)|河野村]]が新設合併し、[[南越前町]]が誕生する。 ** [[2月1日]] - [[丹生郡]][[朝日町_(福井県)|朝日町]]、[[織田町]]、旧・[[越前町]]、[[宮崎村 (福井県)|宮崎村]]が新設合併し、新・越前町が誕生する。 ** [[3月31日]] - [[三方郡]][[三方町]]、[[遠敷郡]][[上中町]]が新設合併し、[[三方上中郡]][[若狭町]]が誕生する。 ** [[10月1日]] - [[武生市]]、[[今立郡]][[今立町]]が新設合併し、[[越前市]]が誕生する。 ** [[11月7日]] - [[大野郡_(福井県)|大野郡]][[和泉村 (福井県)|和泉村]]が[[大野市]]に編入される。 * [[2006年]](平成18年) ** 2月1日 - 丹生郡[[清水町_(福井県)|清水町]]、[[越廼村]]、[[足羽郡]][[美山町_(福井県)|美山町]]が[[福井市]]に編入される。 ** [[2月13日]] - [[吉田郡]][[松岡町 (福井県)|松岡町]]、旧・[[永平寺町]]、[[上志比村]]が新設合併し、新・永平寺町が誕生する。 ** [[3月3日]] - [[大飯郡]][[大飯町]]と遠敷郡[[名田庄村]]が新設合併し、大飯郡[[おおい町]]が誕生。これにより福井県内から[[村]]がなくなる。 ** [[3月20日]] - 坂井郡[[三国町]]、[[坂井町]]、[[春江町]]、[[丸岡町]]が新設合併し、[[坂井市]]が誕生する。 [[勝山市]]と今立郡[[池田町_(福井県)|池田町]]が現段階での合併を見送る方針であるほか、福井市の合併協議会から離脱した[[鯖江市]]も態度を保留している。 === 平均寿命 === * [[平均寿命]]([[2000年]](平成12年)、実際は多少のずれがある) ** 男 - 78.55歳(全国2位) ** 女 - 85.39歳(全国2位) ** 男女平均 - 81.97歳 == 歴史 == ''※[[令制国]]ごとの歴史は、[[越前国]]・[[若狭国]]も参照。'' === 先史時代 === ; [[日本の旧石器時代|旧石器時代]] * 県内には[[遺跡]]が各地に点在しており、約1万5000年前から人が住んでいたことが窺える。三国町の西下向・雄島・馬コロバシ遺跡や永平寺町の木橋遺跡、南幅遺跡などからはナイフ型石器(三国型と命名)や掻器などの多数の[[石器]]が出土している。 ; [[縄文時代]] * [[鳥浜貝塚]](若狭町)からは草創期の[[縄文土器]](隆起線文・斜格子文土器)をはじめ[[竪穴建物]]跡や[[丸木舟]]、弓矢、土器に模様を付けるための縄などが出土している。その他、県内各地の遺跡からも多くの遺物が出土し、土器の形式から[[畿内]]や[[飛騨国]]などの地域との交流があったことが窺える。 ; [[弥生時代]] * 前期ごろには稲作が伝わったとみられ、それを窺わせる土器が出土している。 * [[金属器]]、玉、布の生産も行われていたようである。嶺北は[[銅鐸]]が出土した日本海側の北限である。 * 中期ごろには[[首長]]の墓が作られ始め、後期後半になると大型化してくる。 ; [[古墳時代]] * [[4世紀]]初めごろには[[嶺北]]で[[前方後円墳]]が造られ始め、4世紀中ごろからは九頭竜川中流域で大規模な[[古墳]]が造られ始める。手繰ケ城山古墳(4世紀末)や[[六呂瀬山古墳群]](4世紀後半~5世紀前半)などは北陸地方最大規模であり、この地域が強大な勢力を持っていたことが窺える。 * [[5世紀]]になると嶺南でも主に若狭町付近で前方後円墳が造られ始める。 * 5世紀後半から[[6世紀]]にかけて若狭(わかさ)、高志(こし)、三国、角鹿(つぬが)の四[[国造]]が分立した。三国国造があった地域は、[[継体天皇]]がその即位まで過ごしたとされている。現在の嶺北出身である[[継体天皇]]がヤマトの大王として迎え入れられたことが契機となって、ヤマトの勢力と[[越国]]の勢力とが合一した。 * [[570年]]~[[574年]]、[[高句麗]]使が[[越国]]近辺に来着する。 * [[継体天皇]]以来、古墳に船と馬の埴輪が埋葬されるようになり、日本は後期古墳時代となる。 * 6世紀後半以降は前方後円墳に代わって小規模な[[円墳]]や[[群集墳]]が造られ始めるが、7世紀になると古墳自体造られなくなる<ref>『日本の特別地域特別編集65 これでいいのか福井県』40頁~41頁 (地域批評シリーズ)</ref>。 === 古代 === ; [[飛鳥時代]]から[[奈良時代]] * [[7世紀]]後半ごろには[[律令制]]の導入に伴い「[[若狭国]]」が成立したと見られ、7世紀末には「[[越前国]]」が成立したと考えられる。 * 若狭国は若狭湾で精製した塩を調(地方特産物を納税)として都に納めていた。現在も[[岡津製塩遺跡|製塩遺跡]]が残る。 * また調とは別に[[贄]](にえ)と呼ばれる海産物を直接天皇家に貢いだことが平城京の木簡や延喜式から分かっている。これにより若狭国は万葉集に出てくる「[[御食国]]」の一つと推定されている。 * [[749年]]、[[東大寺]]が越前国の豪族から土地の寄進を受け、また[[墾田]]を買収して、[[福井平野]]に多くの[[荘園 (日本)|荘園]]を獲得する。このころには[[条里制]]が布かれる。現在でも福井平野には条里遺構が存在する。 * [[8世紀]]になると[[渤海 (国)|渤海]]との交流が盛んになり、若狭国や越前国は[[渤海使]]の来航や[[遣渤海使]]の派遣の拠点となる。8世紀後半には交易が中心になる。 * [[764年]]、クーデターに失敗した恵美押勝([[藤原仲麻呂]])が越前国に逃れようとするも[[愛発関]]が閉じられたため失敗する([[藤原仲麻呂の乱|藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)]])。 ; [[平安時代]] * [[10世紀]]になると越前国の東大寺領荘園は荒廃し、代わって皇室領、[[摂家|摂関家]]が中心になる。 * このころは[[泰澄]]の開基とされる[[白山]]信仰が盛んになり、11世紀末にはその拠点である平泉寺(勝山市)が[[延暦寺]]の末寺になり興隆する。 * 10世紀末に[[北宋|宋]]人が来航し交易が行われるようになる。特に[[院政]]期以降は[[敦賀港|敦賀津]]などを中心に貿易が盛んに行われるようになる<ref>『日本の特別地域特別編集65 これでいいのか福井県』42頁 (地域批評シリーズ)</ref>。 * [[11世紀]]末より主に[[院分国]]となり、[[保元の乱|保元]]・[[平治の乱]]以降は[[平氏]]の知行国となる。 * [[治承・寿永の乱]](源平合戦)において、越前国では[[斎藤氏]]など多くの武士が[[源義仲|木曾義仲]]に味方する。しかし、その後の東国[[御家人]]中心の[[鎌倉幕府]]の下では、[[地頭]]に任命される越前、若狭の国[[御家人]]たちはいなかったようである。 === 中世 === ; [[鎌倉時代]] * [[島津氏]]・[[後藤氏]]等が守護職に任ぜられる。 * このころになると廻船業が発達し、[[敦賀港|敦賀津]]や[[小浜市|小浜津]]、[[三国港|三国湊]]などが整備され、海上交易が盛んになる。また、それらの港は年貢を京に輸送するための拠点ともなる。 * [[1243年]]には、[[道元]]が越前国志比庄にある吉峰寺(永平寺町)に入り、翌年に大佛寺(後の[[永平寺]])を創建する。 * [[13世紀]]末以降には高田系[[浄土真宗]]が越前国北部を中心に広まる。 ; [[室町時代]] * [[1336年]]、[[足利尊氏]]の入京により[[恒良親王]]、[[尊良親王]]を奉じて北陸落ちした[[新田義貞]]が[[金ケ崎城]](敦賀)に入るが、越前国守護[[斯波高経]]の軍勢により翌年落城する。義貞は脱出するも、[[1338年]]に越前国藤島燈明寺畷(福井市新田塚)にて戦死する。この後も越前国内は戦乱が続き[[1341年]]、北朝方が平定する。この後、主に[[斯波氏]]が越前国の[[守護]]となる。しかし、実質的に越前国を統治していたのは[[守護代]]甲斐氏であった。 * 若狭国では[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には守護の交代が頻繁に行われるが、[[1366年]]、[[一色氏]]が守護となり、[[国人]][[一揆]]を抑えて若狭を支配する。しかし、[[1440年]]、一色氏の勢力拡大を恐れた[[征夷大将軍|将軍]][[足利義教]]は[[武田氏]]を守護に任命する。武田氏は一色氏残党や一揆を抑えて若狭を支配する。 * [[15世紀]]後半になると斯波氏と甲斐氏の対立が深まり、やがて越前国内で内乱が起きる。最終的には幕府の支援を受けた甲斐氏が勝利するものの、[[応仁の乱]]時、[[朝倉孝景 (7代当主)|朝倉孝景]]が台頭、甲斐氏に代わって越前国を掌握する。後に[[朝倉氏]]は[[戦国大名]]として勃興する。 ; [[戦国時代 (日本)|戦国時代]] * [[1471年]]、[[蓮如]]が越前国吉崎に入り[[吉崎御坊]]を建立、北陸地方における本願寺系[[浄土真宗]]の布教拠点となる。その後、[[一向一揆]]が相次ぐこととなる。 * [[1506年]]、[[加賀国]]から[[本願寺]][[門徒]]らが侵入する。しかし、[[朝倉宗滴|朝倉教景]](宗滴)指揮する朝倉方はこれを九頭竜川で迎え撃ち勝利する([[九頭竜川の戦い]])。 * この後、朝倉氏は本願寺系浄土真宗を禁圧する。そのため、多くの本願寺[[門徒]]や僧は加賀国に逃れる。そして、たびたび越前国に侵入することになる。 * [[16世紀]]以降、若狭国では内乱が相次ぎ武田氏は次第に弱体化する。また、朝倉氏が武田氏支援のため若狭国に軍事介入するようになる。 * [[足利義昭|足利義秋]](義昭)が上洛を果たすため、[[1566年]]に武田氏を頼って若狭国に、[[1567年]]には[[朝倉義景]]を頼って越前国に入る(この時、義昭に改名)。しかし、上洛を果たせず、[[1568年]]、[[織田信長]]を頼って[[美濃国]]に出国してしまう。 * 1568年、朝倉氏が若狭国に侵攻する。 * [[1569年]]、将軍義昭が本願寺と朝倉氏を和睦させる、この時、本願寺系浄土真宗の禁圧も解かれる。また、本願寺と外交関係のあった甲斐[[武田氏]]ら遠方勢力らとも連携を取る。 * [[1570年]]4月、信長が朝倉攻めを開始し、[[金ヶ崎城]]などを開城させる。しかし、[[浅井長政]]の離反により京に撤退する([[金ヶ崎の戦い|金ヶ崎の退き口]])。 * 1570年9月、信長が大坂、野田・福島で[[三好三人衆]]や本願寺と交戦している最中、義景が兵を率い、浅井・朝倉連合軍が3万の軍勢で京に攻め上り、京の口、[[比叡山]]に築城する。[[六角氏]]の挙兵などもあり、信長は孤立するが、将軍義昭の仲介で講和が成立する([[志賀の陣]])。 ; [[安土桃山時代]] * [[1573年]]8月、信長が[[一乗谷城の戦い|刀禰坂の戦い]]を経て朝倉氏の本拠地である越前国[[一乗谷]]に侵攻、義景は大野に逃れるも家臣の裏切りにより自刃、朝倉氏は滅亡する。越前国は朝倉氏の旧臣に、若狭国は[[丹羽長秀]]に統治させる。 * [[1574年]]、朝倉方から織田方に寝返った武将同士で抗争が発生、それに乗じて一向一揆が蜂起する。本願寺門徒は武将や国人、[[平泉寺]]などを襲撃し、越前国を本願寺領国化する。 * [[1575年]]8月、信長が越前国に再侵攻し本願寺門徒や僧を弾圧、[[柴田勝家]]に越前[[北ノ庄]]をはじめ越前八郡を、[[金森長近]]らに越前大野郡を、[[不破光治]]、[[佐々成政]]、[[前田利家]]([[府中三人衆]])に越前府中二郡を与える。 * [[1583年]]、[[清洲会議]]で[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]と柴田勝家の対立が深まり、[[賤ヶ岳の戦い]]において秀吉が勝利、勝家の居城である[[北ノ庄城]]を攻め落とす。その後、丹羽長秀が越前の大半を、蜂屋頼隆が敦賀郡を、金森長近が引き続き大野郡を統治する。その後も領主の交替が相次ぐ。 * 一方若狭では丹羽長秀が越前に移った後、木村隼人佐らが治めていたが、[[1585年]]には長秀の子[[丹羽長重]]の領地となり、[[1587年]]には[[浅野長政|浅野長吉]](長政)が統治し、その後も領主の交替が相次いだ<ref>『日本の特別地域特別編集65 これでいいのか福井県』44頁~45頁 (地域批評シリーズ)</ref>。 === 近世 === * [[1586年]]に若狭で、[[1598年]]には越前で[[太閤検地]]が実施され、結果、若狭が8万5000石、越前が68万石となった。 ; [[江戸時代]] * [[越前国]] ** [[1600年]]の[[関ヶ原の戦い]]の後、戦功第一の恩賞として[[結城秀康]]に越前一国および下野国結城郡75万石が与えられる([[北ノ庄藩]])。越前松平家は、将軍家徳川秀忠の兄の家ということから、制外の家(各種特権が許された家)または、御三家に次ぐ家という意味で四家などともよばれる。 ** [[1623年]]、秀康の長男[[松平忠直]]は[[狼藉]]を理由に[[豊後国]]荻原に配流された。かわりに秀康次男の[[越後高田藩]]主[[松平忠昌]]が幕命により相続し、忠直の長男[[松平光長]]には[[越後国]]高田([[上越市]])に新たに領地が与えられた。このとき北ノ庄藩は規模を縮小し、余地をもって[[越前勝山藩]]、[[大野藩]]、[[丸岡藩]]などの複数の小藩が成立。また、敦賀郡はいったん[[幕府領]](天領)となった後、[[小浜藩]]領となり、後に小浜藩支藩の[[敦賀藩]]などが成立した。このように、越前は複数の藩に分割統治されることとなった。江戸幕府八代将軍[[徳川吉宗]]が若かりしころ、領地を持っていたこともあった。[[交代寄合]]旗本の陣屋としては白崎陣屋の[[金森氏]]がある。忠昌の越前入部の際、北ノ庄は福居(後に'''[[福井市|福井]]''')に改称された<ref>松原信之「福井地名考足羽、北庄から福居、福井へ」『福井県地域史研究』福井県域史研究会、創刊号、46p</ref>。これが福井市および県名の由来とされている。 ** その後、[[鯖江藩]]などが成立する。その他越前には福井藩の支藩や幕府領、旗本領、国外の大名の領地もあり、多数の領主によって分割統治される状態が明治まで続いた。忠昌の子孫である越前松平家は紆余曲折を経ながらも福井藩主として幕末まで残った。出雲松江藩主家や播磨明石藩主家、上野前橋藩主家などの大藩の藩主家は忠昌の弟達から始まる越前松平家傍流にあたり、津山松平家は忠直の息子光長に関係する傍流である。<!---ここでは必要ないかと。 幕末期には、これら本、枝流あわせた越前松平家の全国での総石高は100万石を超えていた。---><!---以上の越前松平氏本家論争は、乱雑な私論・主張・曲解を排除し、江戸徳川幕府の公式見解に則った意見を書いてあります。---> * [[若狭国]] ** 1600年の関ヶ原の戦いの軍功により、[[京極高次]]に若狭一国が与えられる(小浜藩)。 ** [[1634年]]、小浜藩は[[京極忠高]]に代わって幕府[[老中]]の[[酒井忠勝 (小浜藩主)|酒井忠勝]]が領主となり、その後、[[廃藩置県]]まで酒井家が若狭を統治する<ref>『日本の特別地域特別編集65 これでいいのか福井県』47頁~48頁 (地域批評シリーズ)</ref>。 * 江戸時代前期は[[上方]]と[[北国]]を結ぶ[[年貢]]米などの[[中継地]]として、小浜や[[敦賀市|敦賀]]の湊が多用された。 * 江戸時代中ごろ以降は[[北前船]]が三国や敦賀に寄港し、[[蝦夷地]]や[[大坂]]を結んでいた。小浜の古河、越前河野浦の右近などの[[北前船]]主が活躍した。 * [[1774年]]、小浜藩医である[[杉田玄白]]と[[中川淳庵]]が[[前野良沢]]らとともに「[[ターヘル・アナトミア]]」を翻訳し、「[[解体新書]]」を刊行する。 * [[幕末]]期には福井藩主である[[松平春嶽]]や福井藩士[[橋本左内]]、元小浜藩士の[[梅田雲浜]]らが活躍する。また、丸岡藩や小浜藩などが[[台場]]を建設する。<!--- == 新田塚 新田義則公の墓 == 関東の箱根にあります。 http://www.hakone-tozan.co.jp/kakueki/4-chokoku.htm---> {{Anchors|足羽県}} === 近代 === ; [[明治維新]]から[[昭和]]([[第二次世界大戦]]の終戦)まで * [[廃藩置県]]に先立って[[1871年]][[1月22日]](旧暦明治3年[[12月26日 (旧暦)|12月26日]])に'''[[本保県]]'''([[越前市]])が設置された。[[1871年]][[8月29日]](旧暦明治4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]])の廃藩置県によって、[[丸岡藩]]・[[福井藩]]・[[越前勝山藩|勝山藩]]・[[大野藩]]・[[鯖江藩]]・[[小浜藩]]の各藩が廃止され、現在の福井県域に7つの県が設置された。 * 1871年[[12月31日]](旧暦明治4年[[11月20日 (旧暦)|11月20日]]):'''福井県'''(第1次)と[[敦賀県]]の2県になった。 * [[1872年]][[1月29日]](旧暦明治4年[[12月20日 (旧暦)|12月20日]]):福井県が'''[[足羽県]]'''に改称された。 * [[1873年]](明治{{0}}6年)[[1月14日]]:足羽県が'''敦賀県'''に編入された(ほぼ現在の福井県の県域となる)。 * [[1876年]](明治{{0}}9年)[[8月21日]]:[[木ノ芽峠]]を境に敦賀県が分割され、現在の[[南越前町]]以北が[[石川県]]に、現在の[[敦賀市]]以西が[[滋賀県]]に編入された。 * [[1881年]](明治14年)[[2月7日]]:[[太政官布告]]により、嶺北が石川県から分離され、嶺南が滋賀県から分離されて、双方が合併して、福井を県庁所在地として現在の'''福井県'''(第2次)が設置された。これは旧越前国の地租改正反対運動が続いていたことや自由党の[[杉田定一]]らがいたために越前の県会議員が当時の石川県令と県会で激しくぶつかったため、県令が難治の土地として分離を建言したことによるものである<ref>『図説 日本の歴史16 図説 富山県の歴史』(1993年10月25日、河出書房新社発行)192ページ『富山県の成立』より。</ref>。 * 明治期には[[羽二重]]製織が発達、大量に生産され欧米に輸出された。 * [[1889年]](明治22年)7月:[[東海道本線|東海道支線]]として米原~金ヶ崎(後の[[敦賀港駅]])間が開通する。 * [[1896年]](明治29年):[[敦賀港]]が対外貿易港に指定される。 * 1896年(明治29年)7月15日 [[北陸本線|北陸線]]・[[敦賀駅]]~[[福井駅 (福井県)|福井駅]]間が開業する。 * [[1897年]](明治30年)9月20日 北陸線・福井駅~[[小松駅]]間が開業する。 * [[1899年]](明治32年)7月、[[敦賀港]]は外国貿易港に指定され、[[1902年]](明治35年)には敦賀~[[ウラジオストク]]直通航路が開設。[[日露戦争]]後は[[シベリア鉄道]]と接続([[連絡運輸]])した。 * 第一次世界大戦以降は[[人絹]]([[レーヨン]])の生産が活発になり、主に[[アジア]]や[[オセアニア]]、[[アフリカ]]などに輸出された。 * 第二次世界大戦中はアメリカ軍により[[敦賀市]]と[[福井市]]が[[空襲]]を受け、敦賀市は約70%、福井市は約95%の市街が焼失した。 === 現代 === ; 昭和(第二次世界大戦後) * [[1948年]](昭和23年)[[6月28日]]には[[福井地震]]が発生、福井平野の全壊率が60%超など甚大な被害をもたらす。 * [[1956年]](昭和31年)、新潟農事試験場で人工交配された[[イネ]]の系統を基に福井県農業試験場で品種固定された越南17号が、新潟県と千葉県で奨励品種となり、農林番号品種に水稲農林100号として登録され[[コシヒカリ]]と名付けられる。 * [[1958年]](昭和33年)10月、[[大野郡 (福井県)|大野郡]][[石徹白村]]の大半の地区が岐阜県[[郡上郡]][[白鳥町 (岐阜県)|白鳥町]](現在の[[郡上市]])に編入し、現在の県域となる(編入しなかった石徹白村の三面地区、小谷堂地区は[[和泉村 (福井県)|和泉村]](現在の[[大野市]])に編入)。 * [[1962年]](昭和37年)6月、[[北陸トンネル]]が開通する。 * [[1963年]](昭和38年)、[[三八豪雪]]が県内襲う。奥越を中心に孤立集落続出、県内交通機関完全麻痺。 * [[1960年代]]半ばからは人絹に代わって[[合成繊維]]の生産が活発になる。 * [[1965年]](昭和40年)9月、[[集中豪雨]]で大野郡[[西谷村_(福井県)|西谷村]]に壊滅的被害([[1970年]](昭和45年)7月、ダム建設による集団離村が決まり、大野市へ編入)。 * [[1968年]](昭和43年)、[[第23回国民体育大会]]が開催される。 * [[1970年]](昭和45年)[[3月14日]]、[[日本原子力発電]][[敦賀発電所]]1号機が営業運転を開始する。 * 1970年(昭和45年)[[11月28日]]、[[関西電力]][[美浜発電所]]1号機が営業運転を開始。電力会社が運営する初めての[[原子力発電所]]が開設される。 * [[1973年]](昭和48年)[[10月17日]]、[[北陸自動車道]][[小松インターチェンジ|小松IC]] - 丸岡IC間が開通する。 * [[1975年]](昭和50年)[[9月9日]]、北陸道・[[丸岡インターチェンジ|丸岡IC]] - [[福井インターチェンジ|福井IC]]間が開通する。 * [[1976年]](昭和51年)[[11月2日]]、北陸道・福井IC - [[武生インターチェンジ|武生IC]]間が開通する。 * [[1977年]](昭和52年)[[12月8日]]、北陸道・武生IC - [[敦賀インターチェンジ|敦賀IC]]間が開通する。 * [[1980年]](昭和55年)[[4月7日]]、北陸道・敦賀IC - [[米原ジャンクション|米原JCT]]間が開通する。 * [[1981年]](昭和56年)、[[五六豪雪]]が県内襲う。 * 1981年(昭和56年)[[11月1日]]、現在の[[福井県庁舎|県庁舎]]竣工。置県百年記念式典。 * [[1982年]](昭和57年)[[4月2日]]、置県百年記念映画『[[風雪を越えて]]』完成。翌4月3日一般公開。 ; [[平成]] * [[1989年]](平成{{0}}1年)[[7月16日]]、[[国道305号#玉川岩盤崩落事故|越前海岸崩落事故]]。福井県[[丹生郡]][[越前町]]玉川の[[国道305号]]線で岩盤が崩落する事故で15人死亡。 * [[1995年]](平成{{0}}7年)10月、[[福井県産業振興施設]](サンドーム福井)にて、アジアでは初となる[[世界体操選手権]]が開催される。 * [[1997年]](平成{{0}}9年)1月、[[ナホトカ号重油流出事故]]。[[1月7日]]には[[三国町]]安島の海岸に船体の船首部分と重油が漂着。 * [[1998年]](平成10年)8月、[[嶺南]]に集中豪雨。若狭梅街道・[[西日本旅客鉄道|JR]][[小浜線]]などで大規模な土砂崩れ。[[美浜町 (福井県)|美浜町]]では一時間の降水量が最高で93mmに。 * [[2002年]](平成14年)[[10月15日]]、[[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による拉致被害者]]5人が帰国、うち2人(夫妻)が24年ぶりに[[小浜市]]に帰宅する。 * [[2003年]](平成15年)[[3月9日]]、[[舞鶴若狭自動車道]]・[[舞鶴東インターチェンジ|舞鶴東IC]] - [[小浜西インターチェンジ|小浜西IC]]間開通。 * [[2004年]](平成16年)[[7月18日]]、[[嶺北]]に集中豪雨([[平成16年7月福井豪雨]])。[[福井市]]・[[鯖江市]]・[[今立町]]・[[池田町 (福井県)|池田町]]・[[美山町 (福井県)|美山町]]で堤防決壊などによる河川氾濫、土石流、土砂崩落、橋梁流出などの甚大な被害。死者3人。 * [[2005年]](平成17年)[[4月18日]]、[[福井駅 (福井県)|福井駅]]が福井県内の駅としては初めて[[高架駅]]となり開業。 * 2005年(平成17年)[[10月12日]] - [[11月3日]]、第20回[[国民文化祭]]・ふくい2005が開催される。 * 2005年(平成17年)[[12月]] - [[2006年]](平成18年)[[2月]]、[[平成18年豪雪]]に見舞われる。 * [[2006年]](平成18年)[[10月21日]]、[[北陸本線]][[長浜駅|長浜]] - 敦賀間・[[湖西線]][[永原駅|永原]] - [[近江塩津駅|近江塩津]]間の直流化により[[敦賀駅]]への[[新快速]]をはじめとする直流電車の乗り入れが始まる。 * [[2008年]](平成20年)2月、[[2008年アメリカ合衆国大統領選挙|アメリカ大統領選挙]]の民主党候補指名争いで連日大きく報道されていた[[バラック・オバマ]]に対し、[[小浜市]]観光協会員らが「オバマ氏を勝手に応援する会」([[オバマを勝手に応援する会]]に改称)を発足させ、国内外で報道される。 * [[2009年]](平成21年)[[6月7日]]、第60回[[全国植樹祭]]が[[一乗谷朝倉氏遺跡]]で開催される。福井県での開催は第13回以来、47年ぶり。テーマは「未来へつなごう 元気な森 元気なふるさと」。 * [[2011年]](平成23年)[[7月16日]]、舞鶴若狭道・小浜西IC - [[小浜インターチェンジ|小浜IC]]間が開通する。 * [[2014年]](平成26年)[[7月20日]]、舞鶴若狭道・小浜IC - [[敦賀ジャンクション|敦賀JCT]]間が開通し同道が全線開通するとともに、北陸道と接続。これにより県内全域が福井県庁まで車で2時間圏内となる。 * [[2016年]](平成28年)[[3月27日]]、[[えちぜん鉄道]][[えちぜん鉄道三国芦原線|三国芦原線]]と[[福井鉄道]][[福井鉄道福武線|福武線]]との[[直通運転|相互乗り入れ]]を開始。 * [[2017年]] (平成29年) [[4月19日]]、福井県のポストコシヒカリ品種として「[[いちほまれ]]」が品種登録出願した。 * [[2018年]](平成30年)、[[平成30年豪雪]]により福井県内において甚大な被害が発生。 * 2018年(平成30年)[[9月29日]] - [[10月9日]]、[[第73回国民体育大会]](福井しあわせ元気国体)が開催。福井県における国体の開催は50年ぶりとなる。 ; [[令和]] * [[2020年]](令和{{0}}2年)4月14日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、杉本達治知事が県独自の緊急事態宣言を出した。5月6日まで、不要不急の外出や会合・会食の自粛を要請、県外からの来県の自粛を求めた<ref>{{Cite web|和書|date=2020-04-14|url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20200414-OYT1T50174/|title=福井県も独自の緊急事態宣言、来県自粛求める 「近隣県から流入の恐れ」|publisher=|accessdate=2020-04-14}}</ref>。 == 人口 == 人口は2000年の約83万人をピークに減少している。[[合計特殊出生率]]は全国的にも高い県であり、21世紀以降は一貫して全国平均以上かつ新潟県を含む北陸4県中で最高を維持している<ref>[https://www.city.fukui.lg.jp/fukusi/kosodate/syousika/shusshouritu.html 福井市の合計特殊出生率と出生数]</ref>。2005年ごろ以降、日本の合計特殊出生率は相対的に[[西日本]]で高く[[東日本]]で低い傾向にあるが、2021年には中部地方以東の都道県で唯一1.5を超える県となった。 [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Fukui prefecture, Japan_2015-2020.svg|thumb|300px|福井県市町村人口増減率分布図(2015年度と2020年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=18000|name=福井県|image=Demography18000.svg}} ===都市=== ;福井県内 市町別人口ランキング {| class="infobox" style="text-align:center; width:100%; margin-right:10px; font-size:100%" |- ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | [[福井県#都市|地域区分]] ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | 人口 ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | [[福井県#都市|地域区分]] ! align="center" style="background:#f5f5f5;" | 人口 |- |----- |align="center"| '''1''' |align="center"| '''[[福井市]]''' |align="center"| [[嶺北]] |align="right"|263,109人 |align="center"| '''6''' |align="center"| '''[[大野市]]''' |align="center"| 嶺北 |align="right"|33,249人 |----- |align="center"| '''2''' |align="center"| '''[[坂井市]]''' |align="center"| 嶺北 |align="right"|91,638人 |align="center"| '''7''' |align="center"| '''[[小浜市]]''' |align="center"| 嶺南 |align="right"|29,262人 |----- |align="center"| '''3''' |align="center"| '''[[越前市]]''' |align="center"| 嶺北 |align="right"|82,754人 |align="center"| '''8''' |align="center"| '''[[あわら市]]''' |align="center"| 嶺北 |align="right"|28,190人 |----- |align="center"| '''4''' |align="center"| '''[[鯖江市]]''' |align="center"| 嶺北 |align="right"|69,734人 |align="center"| '''9''' |align="center"| '''[[勝山市]]''' |align="center"| 嶺北 |align="right"|23,186人 |----- |align="center"| '''5''' |align="center"| '''[[敦賀市]]''' |align="center"| [[嶺南]] |align="right"|65,565人 |align="center"| '''10''' |align="center"| '''[[越前町]]''' |align="center"| 嶺北 |align="right"|21,519人 |----- | colspan="11" align="center" style="background:#f5f5f5;" |2019年 4月 現在 |} {{-}} <gallery> Fukui city aerial 03.jpg|1.[[福井市]]([[中核市]]) Fukui airport.jpg|2.[[坂井市]] Takefu Station exterior 200507.jpg|3.[[越前市]] JR Sabae Station Front.JPG|4.[[鯖江市]] Streets in city of Tsuruga, 2008.jpg|5.[[敦賀市]] Ono Castle.jpg|6.[[大野市]] 150725 Obama-Nishigumi Obama Fukui pref Japan01n.jpg|7.[[小浜市]] Hujinogenkuroukinenkan1.jpg|8.[[あわら市]] Katsuyama Sagicho tanzaku.jpg|9.[[勝山市]] Echizen umeura.JPG|10.[[越前町]] </gallery> ; 福井県内市別人口密度ランキング([[2016年]](平成28年)現在) # [[鯖江市]](809人/[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]) # [[福井市]](495人/km<sup>2</sup>) # [[坂井市]](429人/km<sup>2</sup>) # [[越前市]](351人/km<sup>2</sup>) # [[敦賀市]](262人/km<sup>2</sup>) <gallery> Nishiyama park.JPG|[[鯖江市]] Fukui Castle02bs3200.jpg|[[福井市]]([[都道府県庁所在地|県都]]・[[中核市]]) Maruoka Castle 20100529-01.jpg|[[坂井市]] Kuranotsuji.JPG|[[越前市]] 150228 Kehi-matsubara Tsuruga Fukui prefecture Japan02s3.jpg|[[敦賀市]] </gallery> == 政治 == === 県政 === [[ファイル:Fukui prefectural office.jpg|thumb|right|[[福井城]]址にある[[福井県庁舎]]]] {{Main|福井県知事一覧|福井県庁|福井県議会}} * [[都道府県知事|知事]]:[[杉本達治]](すぎもと たつじ、2期目) ==== 財政 ==== ; [[2007年]](平成19年)度 * [[財政力指数]] 0.40 ** IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中10位 ; [[2006年]](平成18年)度 * 財政力指数 0.37 ** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中4位 ; [[2005年]](平成17年)度 * 財政力指数 0.34 ** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中11位 ; [[2004年]](平成16年)度 * 財政力指数 0.33 ** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中9位 === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#福井県|福井県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が2。[[参議院]]では、全県で1区を構成。 == 経済・産業・企業 == 工業地域としては[[北陸工業地域]]の南端を担っている。[[第二次産業]]と[[第三次産業]]を主としており、工業が大変盛んである。また、社長の数も数年連続で全国で1位となっている。 === 主な産業 === {{div col}} * 繊維産業 ** [[羽二重]]、化学繊維など * 楽器 ** [[ハープ]](日本で唯一生産<ref>{{Cite web|和書 |author = 福井県総務部情報政策課|title=福井県が日本に誇る指標 |url = http://www.pref.fukui.jp/kids/statics_kiji.php?eid=00014 |accessdate = 2009-07-30 }}{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>) ** [[マリンバ]] * [[眼鏡]]産業 ** [[鯖江市]]を中心にメガネフレームなど、全国生産の90%以上を生産 * [[漆器]]産業 ** 越前漆器 ** 業務用漆器(国内シェア約8割) ** 若狭塗り箸 * [[刃物]]産業 ** 越前打ち刃物 * [[紙]]産業 ** [[鳥の子紙]]、[[越前和紙]] * [[原子力発電]] ** 県内に、[[原子炉]]は15基設置されている(敦賀市:4基(内1基廃止措置中)、美浜町:3基、おおい町:4基、高浜町:4基)。 {{div col end}} ===主な上場企業=== (五十音順、カッコがないものは[[東京証券取引所|東証]]プライム上場) {{div col||20em}} * [[KYCOMホールディングス]](東証スタンダード) * [[ゲンキー|Genky DrugStores]] * [[セーレン]] * [[熊谷組]](登記上の本店) * [[田中化学研究所]](東証スタンダード) * [[日華化学]] * [[PLANT]] * [[前田工繊]] * [[三谷商事]]([[東証]]スタンダード) * [[三谷セキサン]] * [[福井銀行]]:福井県[[指定金融機関]] * [[福井コンピュータホールディングス]] * [[フクビ化学工業]](東証スタンダード、[[名古屋証券取引所|名証]]メイン) {{div col end}} 福井県を創業地とし、県外に本社を置いている企業として、[[アトム (飲食業)|アトム]]、[[飛島建設]]、[[前田建設工業]]、[[山善]]などがある。 また、[[村田製作所]]や[[アイシン]]、[[森永乳業]]といった[[大企業]]のグループ会社も多数位置している。 == 生活・交通 == === 警察・防犯 === * [[福井県警察]] ** 原子力関連施設が多いため、福井県警察には全国的に数少ない[[原子力関連施設警戒隊|原子力施設警備隊]]が設置されている。 ** 4箇所設置している[[運転免許試験場]](施設名は「運転者教育センター」)が住所地管轄もしくは隣接管轄の警察署管内に所在し、自動車運転免許の更新手続は各試験場のみで行っている。警察署及び同分庁舎では住所本籍氏名変更(ICチップ記録内容の書換非対応)、全免種の自主取消といった手数料不要の一部手続のみ取扱。 * 福井県防犯隊連合会 : 福井県安全で安心なまちづくりの推進に関する条例(平成16年福井県条例第18号)による知事の指定を受けた「市町安全安心センター」として、全17市町の条例に基づき市町防犯隊を市役所及び町役場の危機管理部署に、支隊を一または複数の公立小学校区もしくは公設公民館区ごとに設置し、地元住民隊員による地域防犯活動を行う。防犯隊員には[[消防組織法]]に基づく[[消防団]]員や[[水防法]]に基づく[[水防団]]員と同様に非常勤の特別職公務員としての身分を与えられている点が一般的な防犯協会員と明確に異なり、都道府県レベルで組織化しているものとしては初の事例である。 === 消防 === * [[市町村|市町]]が設置するもの ** [[福井市消防局]](福井市) ** [[大野市消防本部]](大野市) ** [[勝山市消防本部]](勝山市) ** [[永平寺町消防本部]](永平寺町) * [[一部事務組合]]が設置するもの ** [[嶺北消防組合]](坂井市、あわら市) ** [[鯖江・丹生消防組合]](鯖江市、越前町) ** [[南越消防組合]](越前市、南越前町、池田町) ** [[敦賀美方消防組合]](敦賀市・美浜町全域、若狭町の一部) ** [[若狭消防組合]](小浜市・高浜町・おおい町全域、若狭町の一部) === ライフライン === ; 電力 * [[北陸電力送配電]] (60Hz):嶺北と[[敦賀市]] * [[関西電力送配電]] (60Hz):嶺南(敦賀市を除く) ; 都市ガス * [[福井都市ガス]] (13A):福井市の一部([[福井市企業局]]の都市ガス事業を継承) * [[敦賀ガス]] (13A):敦賀市の一部 * [[越前エネライン]] (13A):[[越前市]]の一部<!--2006.5設立の関電子会社。2006.10越前市からガス事業譲受。他の株主は越前市(株式無償譲受),敦賀ガス,田中建設--> === 交通 === ==== 空港 ==== * [[福井空港]](定期便無し) 定期便が飛ぶ最寄りの空港は[[小松飛行場|小松空港]]([[石川県]][[小松市]])である。 ==== 鉄道 ==== 越美北線を除いて、電化されている。北陸本線の[[特別急行列車|特急列車]]並びに[[新快速]]を除く、県内を運行する普通列車の大半が[[ワンマン運転]]を実施している。普通列車の日中の運転本数は、JRで県下全域に亘り毎時1本以下、私鉄(嶺北地域のみ)は毎時2本程度。 {{div col}}{{no col break| ; [[西日本旅客鉄道]](JR西日本) * [[北陸本線]] * [[小浜線]] * [[越美北線]](九頭竜線) }}{{no col break| ; [[えちぜん鉄道]] * [[えちぜん鉄道勝山永平寺線|勝山永平寺線]] * [[えちぜん鉄道三国芦原線|三国芦原線]] }}{{no col break| ; [[福井鉄道]] * [[福井鉄道福武線|福武線]] }}{{no col break| ; [[日本貨物鉄道]](JR貨物) * 自己保有路線として北陸本線貨物支線(通称:敦賀港線、2019年廃止)があったが、同線が休止となった2009年以降は北陸本線のみを利用([[鉄道事業者#第二種鉄道事業|第二種鉄道事業]])。 }}{{no col break| ; [[整備新幹線]] * [[北陸新幹線]] }}{{no col break| ; [[未成線]] * [[琵琶湖若狭湾快速鉄道]] - 小浜線と[[湖西線]]を結ぶ短絡線の建設計画。北陸新幹線が小浜・京都経由で建設されることとなったため、計画段階で中止となった。 }}{{div col end}} ==== 道路 ==== {{div col}}{{no col break| ; [[高速自動車国道]] * {{Ja Exp Route Sign|E8}} [[北陸自動車道]] * {{Ja Exp Route Sign|E27}} [[舞鶴若狭自動車道]]([[近畿自動車道]]敦賀線) }}{{no col break| ; [[自動車専用道路|一般国道自動車専用道路]] * {{Ja Exp Route Sign|E67}} [[中部縦貫自動車道]] ** [[国道158号]][[永平寺大野道路]](一部に[[国道416号]]事業区間あり) ** 国道158号[[大野油坂道路]](一部未供用) ** 国道158号[[油坂峠道路]] }}{{no col break| ; [[有料道路|一般有料道路]] :2022年10月以降、存在していない。 }}{{div col end}} ; [[一般国道]] {{div col}} * [[国道8号]] * [[国道27号]] * [[国道157号]] * [[国道158号]] * [[国道161号]] * [[国道162号]] * [[国道303号]] * [[国道305号]] * [[国道364号]] * [[国道365号]] * [[国道367号]] * [[国道416号]] * [[国道417号]] * [[国道418号]](県内全区間で国道157号と重複) * [[国道476号]] {{div col end}} ; [[都道府県道|県道]] * [[福井県の県道一覧]] ==== 港湾 ==== * [[敦賀港]](敦賀市:[[重要港湾]]、[[特定港]]、国際港) ** [[新日本海フェリー]] * [[福井港]](坂井市・福井市:[[特定地域振興重要港湾]]、特定港、国際港) * [[内浦港_(福井県)|内浦港]](高浜町:[[地方港湾]]、国際港) * [[鷹巣港]](福井市:地方港湾、[[避難港]]) * [[和田港_(福井県)|和田港]](高浜町・おおい町:地方港湾) === 医療・福祉 === {{main|Category:福井県の医療機関}} ; [[災害拠点病院]] * [[福井県災害拠点病院]] ; [[保育所]] * [[福井県保育所一覧]] === 教育 === {{col-begin}} {{col-break}} : [[大学]] [[国立大学|国立]] * [[福井大学]] [[公立大学|公立]] * [[福井県立大学]] * [[敦賀市立看護大学]] [[私立大学|私立]] * [[福井工業大学]] * [[仁愛大学]] * [[福井医療大学]] {{col-break}} ; [[通信制大学]] 私立 * [[放送大学]] 福井学習センター ; [[短期大学]] 私立 * [[仁愛女子短期大学]] ; [[高等専門学校]] 国立 * [[福井工業高等専門学校]] ; [[専修学校]] * [[福井県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] * [[福井県特別支援学校一覧]] {{col-break}} ; [[高等学校]] * [[福井県高等学校一覧]] ; [[中学校]] * [[福井県中学校一覧]] ; [[小学校]] * [[福井県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] * [[福井県幼稚園一覧]] {{col-end}} === マスメディア === ==== 新聞 ==== ; 日刊新聞 * [[福井新聞]](県内でのシェア80%強の[[地方紙]](県紙)) * [[日刊県民福井]](発行元は[[中日新聞社]]福井支社。一部の地域では名古屋で発行されている[[中日新聞]]も販売されており、地域版も嶺北・嶺南の地域別で発行) * [[読売新聞]]、[[朝日新聞]]、[[毎日新聞]]、[[日本経済新聞]]、[[産経新聞]]も当県に総支局を置いている。なお、[[全国紙]]はすべて大阪本社発行の紙面となる。 * なお日本全国の小学生を対象とした2015年の文部科学省のアンケートで、福井県は新聞購読率が全国第1位であった<ref>[http://www.tenki.jp/suppl/m_nakamura/2016/06/16/13181.html 東大合格者数にみる、学力の高い都道府県が行っていること]</ref>。 ==== テレビ局 ==== * [[NHK福井放送局]] * [[福井放送]](FBCテレビ、[[日本ニュースネットワーク|NNN]]/[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]](主体)・[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]系列([[クロスネット局]])) * [[福井テレビジョン放送]]([[フジニュースネットワーク|FNN]]/[[フジネットワーク|FNS]]系列) * [[1990年代]]に3局目の[[民間放送|民放]]テレビ局として[[福井文化テレビジョン]]が開局予定であったが、断念した。 * 福井県に[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]および[[TXNネットワーク|TXN]]系列局は存在しない。上述にある通り、FBCはNNN/NNS・ANNクロスネットではあるが、NNN/NNS単独局とほぼ変わらない番組編成であるため、ANN系列局も存在しないに等しい。 ** ケーブルテレビにより[[北陸放送]](MROテレビ)や[[北陸朝日放送]](HAB)、[[毎日放送]](MBSテレビ)や[[朝日放送テレビ]](ABCテレビ)などが再放送されている地域もある。 ** 福井県のJNN系列局による報道取材は南越前町を除く嶺北はMRO{{efn|MROが対応できない時、[[CBCテレビ]]が対応する場合あり。}}、嶺南と南越前町はMBSが担当している。(FBCがANNの報道取材に対応できない場合のANNの報道取材は南越前町を除く嶺北はHAB、嶺南と南越前町がABCが担当している。) * 福井県内の民放は2つしかないため、チャンネルを変える際は「裏」だけで通じる世帯も多くある。 ==== ラジオ局 ==== * 福井放送(FBCラジオ、[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列) * NHK福井放送局 * [[福井エフエム放送]](FM福井、[[全国FM放送協議会|JFN]]系列) * [[福井街角放送]]([[コミュニティ放送]]) * [[たんなん夢レディオ]](たんなんFM、コミュニティ放送) * [[敦賀FM放送]](HARBOR STATION、コミュニティ放送) ==== ケーブルテレビ ==== {{Main|ケーブルテレビ局の一覧#福井県}} * ケーブルテレビでの民放のデジタル放送の区域外再放送は原則として禁止されているが、[[2008年]](平成20年)7月、嶺北地方のほぼ全域のケーブルテレビ局で[[石川県]]の[[北陸放送]](JNN系列)、[[北陸朝日放送]](ANN系列)の[[区域外再放送|再送信]]が認められた。 * 嶺南地方では[[2008年]](平成20年)12月、[[嶺南ケーブルネットワーク]]で、[[大阪府]]の[[毎日放送]](JNN系列)、[[朝日放送テレビ|朝日放送]](ANN系列)の再放送が認められた。 ==== その他 ==== * [[月刊URALA]](ウララコミュニケーションズ、[[タウン情報誌]]) * [[fukuist]](首都圏から発信する福井のフリーペーパー、隔月刊) == 文化・スポーツ == === 方言 === 同じ県内でも嶺北地方と嶺南地方では方言が異なり、嶺北地方の方言は[[北陸方言]]に、嶺南地方の方言は[[近畿方言]]に分類されることが多い。嶺北と嶺南の方言の際立った違いとしてはアクセントが挙げられるが、嶺北・嶺南それぞれの内部においても細かな差異がある。 * 嶺北地方 ** [[福井弁]] * 嶺南地方 ** [[嶺南方言]](若狭弁など) === 食文化 === {{See also|Category:福井県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#福井県}} === 伝統工芸 === {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#福井県}} {{div col}}{{no col break| ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[越前焼]](陶磁器、[[1986年]]) * [[越前漆器]](漆器、[[1975年]]) * [[若狭塗]](漆器、[[1978年]]) * [[指物#大阪唐木指物|大阪唐木指物]](木工品、[[1977年]]) * [[越前打刃物]](金工品、[[1979年]]) * [[越前和紙]](和紙、[[1976年]]) * [[若狭めのう細工]](石工品・貴石細工、1976年) }}{{no col break| ; 福井県指定郷土工芸品 * [[越前竹人形]] * [[武生桐箪笥]] * [[三国箪笥]] * [[若狭パール]] * [[越前傘]] }}{{div col end}} === スポーツ === {{See also|Category:福井県のスポーツチーム}} * [[福井ミリオンドリームズ]](野球:[[日本野球連盟]]) * [[福井ユナイテッドFC]]([[サッカー]]:[[北信越フットボールリーグ]]) * [[福井バスケットボールクラブ|福井ブローウィンズ]]([[バスケットボール]]:[[ジャパン・バスケットボールリーグ|B3リーグ]]公式試合参加資格・1次審査合格) * [[福井永平寺ブルーサンダー]]([[ハンドボール]]:[[日本ハンドボールリーグ]]男子) == 観光 == {{main|福井県の観光地}} {{Vertical_images_list | 幅 = 200px | 枠幅 = 200px | 1 = Kumagawa-juku07n4592.jpg | 2 = 鯖街道 熊川宿 | 3 = | 4 = 福井県立音楽堂 | 5 = Maruoka_Castle_20100529-01.jpg | 6 = 丸岡城 | 7 = Eiheiji08bs3200.jpg | 8 = 永平寺 | 9 = Obama Sotomo08n4592.jpg | 10 = 蘇洞門 }} === 有形文化財建造物 === {{main|福井県指定文化財一覧}} ; 国宝 * [[明通寺]] - 本堂、三重塔 ; 重要伝統的建造物群保存地区 * [[熊川宿]](若狭町) * [[小浜西組]](小浜市) === 県立文化施設 === {{div col}} * [[福井県立歴史博物館]] * [[福井県立恐竜博物館]] * [[福井県年縞博物館]] * [[福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館]](あさみゅー) * [[福井県立若狭歴史博物館]] * [[福井県立こども歴史文化館]] * [[福井県立美術館]] * 福井県陶芸館・越前古窯博物館 * [[福井県立図書館|福井県立図書館・福井県ふるさと文学館]] * [[福井県立音楽堂]](ハーモニーホールふくい) * [[福井県児童科学館]](エンゼルランドふくい) * [[福井県教育博物館]] * [[福井県立武道館]] {{div col end}} === 主な観光地 === ; 名所旧跡 {{main|中部地方の史跡一覧#福井県}} {{div col}} * [[一乗谷朝倉氏遺跡]](国の[[特別名勝]]・国の[[特別史跡]]) * [[金ヶ崎城]](国の史跡) * [[丸岡城]](国の史跡・重要文化財) * [[大野城 (越前国)|越前大野城]] * [[福井城]]・[[養浩館庭園]](国の名勝庭園) * [[熊川宿]]([[重要伝統的建造物群保存地区]]) * [[小浜西組]](重要伝統的建造物群保存地区) * [[永平寺]](曹洞宗[[大本山]]) * [[氣比神宮]](越前国[[一宮]]、[[官幣大社]]) * [[劔神社]](越前国二宮、国幣小社) * [[平泉寺白山神社]](国の史跡) * [[明通寺]]([[国宝]]) * [[瀧谷寺]](国の名勝庭園) * [[吉崎御坊]](国の史跡) * [[若狭彦神社]](若狭国一宮、[[別表神社]]、国幣中社) * [[王山古墳群]](国の史跡) * [[千古の家]](国の史跡) {{div col end}} ; 自然景勝地 {{main|Category:福井県の自然景勝地}} * [[気比松原]](国の名勝) * [[蘇洞門]](国の名勝) * [[東尋坊]](国の名勝、国の天然記念物) * [[三方五湖]](国の名勝、[[ラムサール条約]]指定湿地) * [[水島 (福井県)|水島]] * 九頭竜峡谷 ; 温泉 {{main|Category:福井県の温泉}} * [[芦原温泉]] * [[東尋坊三国温泉]] ; スキー場 {{main|Category:福井県のスキー場}} {{col| * IZUMIクロスカントリー * 今庄365 * 九頭竜 * 新保ファミリー | * [[スキージャム勝山]] * 福井和泉 * [[六呂師高原スキーパーク]] }} ; 都市公園 {{main|Category:福井県の公園}} * [[西山公園 (鯖江市)]](日本海側最大のつつじの名所) == 対外関係 == * {{USA}} [[ニュージャージー州]] ** [[1990年]](平成2年)[[10月12日]]、姉妹関係樹立 * {{CHN}} [[浙江省]] ** [[1993年]](平成5年)[[10月6日]]、友好提携協定書締結 * {{GER}} [[ニーダーザクセン州]][[ヴィンゼン市]]と同市が属する[[ハールブルク郡]] ** [[1999年]](平成11年)[[10月29日]]、友好協定締結 * {{BTN}} ** [[2014年]](平成26年)[[3月]]、相互協力に関する覚書締結 * {{RUS}}[[沿海地方]]とも友好交流を構築している。 == 福井県を舞台とした作品 == {{main|福井県を舞台とした作品一覧}} === 映画 === {{div col||25em}} *『[[越前竹人形]]』([[1963年]]) *『[[御用金 (映画)|御用金]]』([[1969年]]) *『[[曼陀羅 (映画)|曼陀羅]]』([[1971年]]) *『[[男はつらいよ 柴又慕情]]』([[1972年]]) *『[[北陸代理戦争]]』([[1977年]]) *『[[夜叉ヶ池 (映画)|夜叉ヶ池]]』([[1979年]]) *『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』([[1980年]]) *『[[風雪を越えて]]』([[1982年]]) *『[[白蛇抄]]』([[1983年]]) *『[[北の螢]]』([[1984年]]) *『[[夜叉 (映画)|夜叉]]』([[1985年]]) *『[[俺たちの行進曲]]』([[1985年]]) *『[[ゴジラvsビオランテ]]』([[1989年]]) *『[[釣りバカ日誌7]]』([[1994年]]) *『[[大怪獣東京に現わる]]』([[1998年]]) *『[[宣戦布告 (小説)|宣戦布告]]』([[2001年]]) *『[[福井青春物語]]』([[2005年]]) *『[[福井青春革命]]』([[2005年]]) *『[[雪の花]]』([[2009年]]) *『[[HESOMORI -ヘソモリ-]]』([[2011年]]制作、2012年全国公開) *『[[旅の贈りもの 〜明日へ〜]]』([[2012年]]) *『[[HAPPY!メディアな人々。]]』([[2012年]]) *『[[恐竜を掘ろう]]』([[2013年]]) *『[[サクラサク (映画)|サクラサク]]』([[2014年]]) *『[[チア☆ダン〜女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話〜]]』 ([[2017年]]、主な場面は[[新潟市]]で撮影) *『[[騎士竜戦隊リュウソウジャー THE MOVIE タイムスリップ!恐竜パニック!!]]』(2019年、エンディングクレジットでは「特別協力:福井県」と表記) {{div col end}} {{div col}}{{no col break| === テレビドラマ === *『[[どてらい男]]』([[1973年]]) *『[[天皇の料理番]]』([[1980年]]) *『[[アフリカの夜]]』([[1999年]]) *『[[蔵の宿]]』([[2000年]]) *『[[武蔵 MUSASHI]]』([[2003年]]) *『[[ちりとてちん (テレビドラマ)|ちりとてちん]]』(2007年度下期、[[連続テレビ小説|NHK朝の連続テレビ小説]]) *『[[あんどーなつ]]』([[2008年]]) *『[[天皇の料理番]]』([[2015年]]) *『[[チア☆ダン〜女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話〜|チア☆ダン]]』 ([[2018年]]) }}{{no col break| === 小説 === {{see also|Category:福井県を舞台とした小説}} *『[[越前竹人形]]』([[1963年]]) *『[[天皇の料理番]]』([[1979年]]) *『[[雷鳥九号殺人事件]]』([[1983年]]) *『[[寝台特急「北陸」殺人事件]]』([[1984年]]) * 『[[神の火]]』([[1991年]]) *『[[天空の蜂]]』([[1995年]]) *『[[宣戦布告 (小説)|宣戦布告]]』([[1998年]]) *『[[煙か土か食い物]]』([[2001年]]) *『[[浜風受くる日々に]]』([[2008年]]) *『[[中二病でも恋がしたい!|中二病でも恋がしたい!]]』([[2011年]]) * 『[[千歳くんはラムネ瓶のなか]]』([[2019年]]) }}{{no col break| === アニメ === *『[[AIR (ゲーム)|AIR]]』([[2006年]])(小浜市) *『[[プリンセス・プリンセス (漫画)|プリンセス・プリンセス]]』 *『[[GA 芸術科アートデザインクラス]]』([[2009年]]) *『[[それでも町は廻っている]]』([[2010年]])(福井市) *『[[中二病でも恋がしたい! (アニメ)|中二病でも恋がしたい!]]』([[2012年]])(美浜町) *『[[ちはやふる]]』([[2011年]]) (あわら市) *『[[メガネブ!]]』([[2013年]]) (鯖江市) *『[[グラスリップ]]』([[2014年]]) (坂井市三国町、あわら市、福井市) *『[[2.43 清陰高校男子バレー部]]』([[2021年]]) (大野市) }}{{no col break| === 漫画 === *『[[鉄人ガンマ]]』([[1993年]]) *『[[蔵の宿]]』([[1999年]]) *『[[GA 芸術科アートデザインクラス]]』([[2004年]]) *『[[あんどーなつ]]』(2005年) *『[[それでも町は廻っている]]』(2005年) *『[[ミカるんX]]』([[2007年]]) *『[[ちはやふる]]』([[2008年]]) }}{{no col break| === ゲーム === *『[[鈴がうたう日]]』([[1999年]]) *『[[AIR (ゲーム)|AIR]]』([[2000年]]) *『[[GA 芸術科アートデザインクラス|GA-芸術科アートデザインクラス- Slapstick WONDER LAND]]』([[2010年]]) }}{{div col end}} == 福井県出身の人物 == {{Main|福井県出身の人物一覧}} === 縁のある歴史上の人物 === {{div col||12em}} * [[吉田茂]] * [[継体天皇]] * [[朝倉氏景 (8代当主)|朝倉氏景]] * [[朝倉孝景 (7代当主)|朝倉孝景]] * [[佐々木小次郎]] * [[織田信長]] * [[関義臣|山本龍二]](海援隊) * [[渡辺剛八]](海援隊) * [[三上太郎]](海援隊) * [[小谷耕蔵]](海援隊) * [[腰越次郎]](海援隊) * [[佐々木栄]](海援隊) * [[天崇院]](勝姫) * [[梅田雲浜]] * [[岡田啓介]] * [[大谷吉継]] * [[哥川]] * [[佐久間勉]] * [[酒井忠勝 (小浜藩主)|酒井忠勝]] * [[酒井忠次]] * [[柴田勝家]] * [[柴田勝豊]] * [[杉田玄白]] * [[前野良沢]] * [[武田耕雲斎]] * [[近松門左衛門]] * [[豊臣秀吉]] * [[橋本左内]] * [[平泉澄]] * [[国姫 (松平光通正室)]] * [[松平春嶽]] * [[勇姫]] * [[山内一豊]] * [[橘曙覧]] * [[松尾芭蕉]] * [[水上勉]] * [[結城秀康]](初代福井藩主) * [[由利公正]] * [[新田義貞]](戦死) * [[土井利忠]](大野藩主) * [[道元]](曹洞宗開祖) * [[蓮如]](吉崎道場) * [[島津忠綱]](越前国守護代) * [[斯波氏]](越前守護大名) * [[武田氏]](若狭守護大名) * [[越前島津氏]] * [[浅姫]] * [[セルゲイ・プロコフィエフ]](ロシアの作曲家) {{div col end}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|25em}} == 関連項目 == {{div col}} * [[:Category:福井県の建築物]] * [[:Category:福井県の自然景勝地]] * [[:Category:福井県の企業]] * [[福井県出身の人物一覧]] * [[日本の郷土料理一覧#福井県]] * [[中部圏知事会議]] * [[近畿ブロック知事会]] * [[日本まんなか共和国]] * [[福井弁]] * [[嶺南方言]] * [[敦賀県]] * [[福井ネクサスエレファンツ]] * [[福井ユナイテッドFC]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] {{div col end}} == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/福井県|[[画像:Flag map of Fukui Prefecture.svg|36px|Portal:日本の都道府県/福井県]]}} {{Multimedia|福井県の画像}} {{Wiktionary}} {{Commons&cat|Fukui_prefecture|Fukui_prefecture}} {{Wikivoyage|ja:福井県}} {{osm box|r|357112}} {{Wikinewscat}} ; 行政 * {{Official website}} ; 観光 * [https://www.fuku-e.com/ 福井県観光情報 ふくいドットコム] - 福井県観光連盟 ; 企業 * [http://info.pref.fukui.jp/tisan/sangakukan/jitsuwafukui/index.html 「実は福井」の技] - 福井県 ; 文献 * [http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/tuushiframe.html 福井県史] - 福井県文書館 {{s-start}} {{s-bef|before=[[石川県]]の一部([[嶺北]])<br />[[滋賀県]]の一部([[嶺南]])|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1881年]] -|years2=第2次福井県}} {{s-aft|after=-----|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{福井県の自治体}} {{福井県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ふくいけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:福井県|*]]
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福島県
福島県(ふくしまけん)は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は福島市。 面積は北海道、岩手県に次ぐ全国3位、都道府県別の人口は全国21位、人口密度は全国40位である(いずれも2015年10月1日時点の国勢調査および全国都道府県市区町村別面積調による)。 県内は南北方向に延びる山脈・山地によって、地形・気候・交通・歴史などの面に違いが顕れており、3地域に分けられている。県の西部に位置し越後山脈と奥羽山脈とに挟まれた日本海側内陸にあって4割弱の面積に約13%の人口を擁する「会津」、県の中央部に位置し奥羽山脈と阿武隈高地とに挟まれた太平洋側内陸にあって4割弱の面積に約62%の人口を擁する「中通り」、県の東部に位置し阿武隈高地と太平洋とに挟まれた太平洋側沿岸にあって2割強の面積に約25%の人口を擁する「浜通り」である。 これら3地域の地域差が顕著に見られる例を挙げると、近年の「降雪の深さの合計」(冬季の累積降雪量)があり、会津の会津若松市は300 - 400cm程度、中通りの福島市は100cm前後、浜通りのいわき市小名浜は10cmに満たない年が多く、冬季の生活習慣に顕著な影響を与えている。県の広域行政単位は上記3地域をさらに細分している一方、県名以外にも多用される「うつくしま」とのキャッチコピーが県内各地で用いられ、統合のイメージも創られている。 現在の福島県には幕末に、親藩かつ雄藩だった会津藩(23万石)があったが、他は親藩・譜代・外様の10万石に満たない多数の藩に分かれていた。廃藩置県後の紆余曲折の後、1876年(明治9年)8月21日に会津の前身にあたる若松県、中通りの前身にあたる福島県(1876年以前)、浜通りの前身にあたる磐前県の、計3県の合併によって当県が成立した。なお、県名の福島は3県合併によって県庁所在地となった福島町(現・福島市)から採ったものである。また「福島」の名は、福島城として使われたのが最初とされる。 当県には1899年(明治32年)に全国7番目、かつ、東北初の日本銀行営業所(後に支店)が開設されるほど鉱工業が発達していた。 県内に首位都市(プライメイトシティ)はなく、人口30万人前後の都市が3市あって機能分担している。すなわち、浜通りには、広大な面積を持ち、かつては炭鉱都市であったが現在は臨海工業、漁業、温泉などの観光が集積するいわき市があり、中通りには行政機能が集中し全国有数の果樹地帯を形成している福島市(テレビではNHK福島放送局およびTBS系列TUFとフジテレビ系列FTVが所在)、そして、商業・内陸工業地帯となっている郡山市(テレビでは日本テレビ系列FCTとテレビ朝日系列KFBが所在)とがある(参照)。また、会津の中心都市で史跡が多く存在する観光都市の会津若松市、中通りにあって古くからの奥羽(東北地方)の玄関口であった白河の関がある白河市も重要な歴史都市である。その他、浜通りの相双には漁業と電源立地が、南会津には大内宿(重要伝統的建造物群保存地区)を初めとする観光地があり、会津と中通りとにまたがる磐梯朝日国立公園には磐梯高原・五色沼・猪苗代湖などリゾートエリアも擁する。 東北地方の南部に位置し、面積は 13,783.90kmで、北海道、岩手県に次ぐ全国第3位である。県庁所在地の福島市は、東京から約270km、JR東北新幹線で約90分の位置にある。 東部の阿武隈高地、中央部を南北に縦断する奥羽山脈、北部から西部に連なる飯豊連峰・越後山脈の山岳地帯と、それらにより区切られ県中央部を南から北へ流れる阿武隈川の地溝帯に連なる盆地群から構成される中通り地方、県東部浜通り地方の沿岸平野部、西部の会津盆地を中心とした会津の3地域に大別される。 福島県は東西に広く、さらに海岸や山地の地形装飾を受け、標高差も大きいため同じ県内であっても気候差は大きい。 奥羽山脈と阿武隈高地によって、西から順に「会津」「中通り」「浜通り」の三地域に分けるのが一般的あり、日々の天気予報などにおいてさえもこの区分で報道されている。ここでは年間を通じた気候の特色により太平洋岸から「浜通り」「阿武隈高地」「中通り」「会津」の四地域に分けて記述する。 福島県は東西に長い形状をしているが、2つの山地によって浜通り・中通り・会津の3つの地域に分かれており、天気予報でもこの呼称が使われている。東から順に、太平洋と阿武隈高地に挟まれている浜通り、阿武隈高地と奥羽山脈に挟まれている中通り、そして奥羽山脈と越後山脈に挟まれている会津となっている。 地形的に山地で隔てられているために、山越えした地域同士の交流は浅く、気候や文化にも差があり、3地域での同一県として帰属意識は低い。また南北においても城下町として栄えた会津若松を中心とする北会津地方と南会津地方、宿場町だった郡山市をはさんで県北地方と県南地方で歴史の違いや交流が乏しい傾向がある。同様に沿岸部においても相双地方といわき市にもこの傾向があることから、福島県は他県に比較すると一つの県としての統一感に乏しい傾向にある。 以下、人口は2023年11月1日現在の推計人口(福島県の総人口は1,765,349人)。 県内は、さらに県庁の出先機関である地方振興局の管内によって7つに分けられている。以下、地方振興局ごとに市町村を記載する。なお、県北の本宮市・安達郡(約3.9万人)が県中に、相双の双葉郡(約1.2万人)がいわきに入るとする地域圏の設定もある。 以下の13市13郡31町15村がある。福島県では、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む。東北6県の中で唯一、「ちょう」と読む町が存在しない。 福島広域行政圏 安達広域行政圏 郡山広域行政圏 白河広域行政圏 相馬広域行政圏 双葉広域行政圏 喜多方広域行政圏 会津若松広域行政圏 南会津広域行政圏 都市雇用圏(10 % 通勤圏)の変遷 福島県を含む北関東・東北地方における人の足跡は、後期旧石器時代に始まる。県域における遺跡としては平林遺跡(桑折町)や会津若松湊の笹山原遺跡群がある。この遺跡から旧石器時代人が製作し使用したとみられる石器群が発見されている。年代は約2万2000年前の AT よりも下から出土していることから、後期旧石器時代前半に属する。少しくだって約1万5000年前の塩坪遺跡(喜多方市高郷町)から熱を受けた139個のこぶし大の石がまとまって発見された。 この時代はまだ土器がなく、焼石は食材を直接加熱するのに使用されたのであろう。 縄文時代・弥生時代を経て古墳時代に入るが、福島県は大型の古墳が少ない東北地方にあって大安場古墳(郡山市、前方後方墳、全長約 83m)、会津大塚山古墳(会津若松市、前方後円墳、114m 、4世紀後半、東北最古級、割竹形木棺検出、三角縁神獣鏡出土)、亀ヶ森・鎮守森古墳(会津坂下町、前方後円墳、127m)などの大型の古墳が集積する。 古墳時代、畿内に前方後円墳が登場するのとほぼ同時期に会津地方でも前方後円墳が作られ始めており、すでに大和朝廷の影響下にあったことが窺える。古墳時代中期以降は、会津地方の古墳造営が減少し、代わって県南地方で盛んに古墳が作られた。県南地方の前方後方墳は隣接する那須地方(那須国造)から連続しており、南那須地方から県南地方一帯は古墳街道ともいうべき古墳集積地帯ともなっている。 5世紀にはすでに北関東・東北の一部までがヤマト王権の影響下にあったと思われ、福島県域においても各国に国造が成立した。当初、大和朝廷の勢力圏は福島県域が北限であり、蝦夷勢力圏との境界に当たる信夫国(福島盆地)などの国には防備の任もあった。 また、関東や近畿地方などから、盛んに開拓のための移民も行われている。その後、国は評(こおり)と呼び名が代わり、陸奥国に再編された。また、大和朝廷の勢力圏も宮城県域、あるいはさらに北に拡大し、信夫評(しのぶごおり)も「北端」ではなくなった。 701年(大宝元年)の大宝律令の施行時には陸奥国となり、評は郡、評司(国造)は郡司になった。拡大した陸奥国から718年(養老2年)に石城国と石背国が分置された。 現福島県域は石城国または石背国に属することとなり、陸奥国の領域ではなくなった。 分置後も蝦夷との戦いが続き、東北全体(陸奥・出羽)で戦う必要性起こってきたので、724年(神亀元年)までには石城国と石背国は再び陸奥国に合併された。これらの郡は、その後、人口の増加などにより、さらに再分割されている。例えば信夫郡から伊達郡が分割され、安積郡からは安達郡などが分割され、会津郡も耶麻郡を始め多くの郡に分割された。 平安時代には会津で恵日寺が強大な勢力を得たが、平安時代末期にはほぼ福島県全域が奥州藤原氏の勢力下に入り、藤原氏一族の信夫佐藤氏が福島盆地を本拠地として、中通りの中部まで、恵日寺後退後の会津、山形県置賜地方まで支配するまでになった。平安末期、福島県内で他には中通りの石川氏、浜通りの岩城氏があった。石川氏は清和源氏の流れで前九年の役に従軍して石川郡に定住した。岩城氏は桓武平家の氏族で、藤原清衡の養女を妻に迎えて石城郡に定住したとも石城郡司の子孫とも言われる。 国宝白水阿弥陀堂は平安時代末期1160年(永暦元年)に岩城則道の菩提を弔うために建立されたものである。 中世においては源頼朝が鎌倉に幕府を開府し東国において自立するが、頼朝は東北において奥州征伐により奥州藤原氏を滅ぼす。 県域においては信夫佐藤氏が信夫荘(信夫郡の西北、松川以北)に押し込められると、鎌倉による論功行賞で福島県内は伊達氏、相馬氏、二階堂氏、蘆名氏、畠山氏、結城氏など、多数の関東武士団に細分化された。南北朝の動乱においては結城氏の一族である白河結城氏が台頭し、白河結城氏を主力とする南朝方が大いに優勢となったが、しばらくすると相馬氏など北朝方が盛り返し、白河結城氏など多くの諸氏は奥州管領や鎌倉公方の支配を受けるようになる。 戦国時代に北関東・東北においては一国以上の領国を持つ戦国大名は少なく中小の地域勢力が分立する傾向をもっているが、伊達氏は伊達稙宗が南奥羽で外征や婚姻外交を繰り返し南奥羽のほとんど大名が勢力下に入るが天文の乱を起こし衰退したり、白河結城氏が衰退し代わって岩城氏が勢力を盛り返すなど、栄枯盛衰は止むことはなく、隣接する常陸国佐竹氏や越後国上杉氏の影響も受けるようになるが、最終的には蘆名氏や相馬氏、二本松氏などを圧倒した伊達氏の伊達政宗が短期間ではあるが、福島県域の浜通りを除く大半を領有することになる。 豊臣秀吉による奥州仕置により伊達政宗が伊達氏の元の本領以外没収され、会津には蒲生氏郷が入る。翌年の葛西大崎一揆の戦後処理で伊達政宗が岩出山に移封させられると、蒲生氏郷が福島県中通り以西のほとんどを領有した。しかし子の蒲生秀行は会津から宇都宮に移され、代わって越後国の上杉景勝が会津120万石を得て福島県の中通り以西のほとんどの地域と山形県の置賜地方を領有した。なお、葛西大崎一揆の原因を作ったとして所領を奪われた岩出山の旧領主の木村吉清は、後に許されて蒲生氏郷に仕えて杉目城主となった。吉清は杉目を「福島」と改称し、今日の県名の由来となっている。 関ヶ原の戦いによって上杉景勝は信夫郡伊達郡を除く福島県域の所領を失い、30万石となる。代わって会津には蒲生秀行が再度入封し、会津藩60万石が成立する。が、2代目の蒲生忠郷が早世し伊予松山藩に移ることになる。次に1627年加藤嘉明が40万石で会津に入封するが、これも2代目加藤明成で会津騒動を起こして領地を徳川幕府に返上した。そして、1643年に松平氏保科正之が23万石で入封し、この松平氏会津藩が戊辰戦争まで続くことになる。 一方、信夫郡と伊達郡も1664年に上杉氏米沢藩から召し上げられ、会津藩以外の大藩はなくなり、会津と浜通り夜ノ森以北(相馬氏領)を除く県内のほとんどの地域で、江戸時代を通じて小・中藩、天領が入り乱れて激しく変遷した。尚この間白河藩は一時徳川譜代となり、寛政の改革を主導した松平定信など中央の名門家から城主が入り文人政治が行われた。 江戸時代に会津若松と日光街道を結んだ重要な交通路会津西街道(下野街道)の宿場大内宿が当時の街並みのまま重要伝統的建造物群保存地区として残され往時を偲ばせる。 諸外国の接近によって、幕府の政治が停滞。その中で尊王攘夷や開国といった主導で日本を立て直そうとする各藩の武士たちが京都に押し寄せた。白河藩主阿部正外は江戸老中として諸外国との折衝にあたり、神戸港を開港したことで攘夷派の公家などの反感を買い老中を罷免され、白河藩は棚倉へと移封され藩主不在となったにもかかわらず、東西両軍にとって要衝の地と目された白河は戊辰の一大激戦地となる悲劇を生むこととなった。当代の会津藩主松平容保は京都守護職となり、京都の治安維持を担った。そして禁門の変では、孝明天皇を奪取しようとした長州藩勢から御所を守り抜いた。 しかし、大政奉還後の新政府から徳川を排除する意思を固めていた薩長同盟(薩摩藩・長州藩)との衝突が鳥羽・伏見の戦いから生じ、敗れた旧幕府側は朝敵とされた。新政府への恭順を良しとしない主戦派が逃れた結果、戦禍が東北にまで伸びてしまった。圧倒的な西洋戦法を有する薩長の軍勢に、会津藩士は元より、奥羽越列藩同盟の磐城平藩や中村藩などでも各藩の勢力は徹底して反撃を繰り返したが、降伏してしまった。 江戸時代幕末に置かれた藩及び城郭、交代寄合陣屋としては会津藩、支城の猪苗代城、二本松藩、棚倉藩、中村藩、三春藩、磐城平藩、福島藩、泉藩、湯長谷藩、下手渡藩、水戸藩支藩の守山藩、幕末に徳川幕府直轄地となった白河城、仙台藩の支城谷地小屋城などがあり、交代寄合の溝口家の横田陣屋、その他に代官陣屋もあった。 明治初期、版籍奉還後の1869年(明治2年)の太政官令により、陸奥国(むつのくに)南端である現在の福島県域は陸奥国から分離し、西側が岩代国(いわしろのくに)、東側が磐城国(いわきのくに)となった。岩代国は現在の福島県中通り地方の中北部と会津地方。磐城国は現在の福島県中通り地方南部と福島県浜通り地方と宮城県南部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)にほぼ相当する。 1869年(明治2年)7月20日、福島藩が重原藩に移封され幕府領となっていた伊達郡、信夫郡を管轄するために福島県(第1次)が設置され、安達郡の二本松藩領37村、伊達郡の幕府領42村、盛岡藩領8村、棚倉藩領4村、館藩領2村、信夫郡の幕府領43村、重原藩領19村、足守藩領11村、新発田藩領8村、関宿藩領6村、二本松藩領4村、棚倉藩領2村、宇多郡の幕府領1村を管轄した。この第1次福島県は後述の二本松県(第2次)に統合され、わずか2年で廃止されている。 1871年(明治4年)7月(旧暦)の廃藩置県で全国に多数の県が生まれた後、同年11月(旧暦)に現在の福島県域は、岩代国の会津地方(旧会津藩領の越後国蒲原郡の一部[のち東蒲原郡]を含む)が若松県、岩代国と磐城国からなる中通り地方が二本松県(第2次、二本松県になって、わずか12日間後に県庁が信夫郡福島町に移転、福島県に改称したのでほとんど機能はしていない)、磐城国はほぼそのまま磐前県(いわさきけん)の3つの県として統合された。 1876年(明治9年)8月21日に、福島県(第2次)、若松県、磐前県が合併され、現在の福島県(第3次)が成立した。その際、磐前県北部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)が宮城県に、磐前県南部の一部が茨城県に移管され、さらに1886年(明治19年)に東蒲原郡が新潟県へ移管されて、現在の福島県域になった。これらの変遷は最後の東蒲原郡移管を除いて、1869年(明治2年)の藩の制度化の後、1871年(明治4年)の廃藩置県から1876年(明治9年)までの短期間に行われた。 1998年1月の214万人をピークに減少傾向にある。 2019年10月1日時点の推計人口は184万4173人で、全国21位である。東日本大震災の影響で2011、2012年は人口減少率が全国最高を記録したが、2013年は全国25位とやや落ち着いている。 合計特殊出生率が1.53(2018年)あり、これは東日本では群を抜いて高い(次ぐ山形県が1.48)。ただし、合計特殊出生率が高い県は九州や中四国など西日本に集中しており、全国的には20位に過ぎない。 現在の福島県知事は、内堀雅雄(第21代、2期目)。以外歴代知事を列挙する。冒頭数字は人数を指しており、就任代ではない。 福島県は、1991年(平成3年)より県のイメージアップ事業で使用するため「うつくしま、ふくしま。」を使用している。これはコピーライターの眞木準の手により提示されたキャッチコピーである。眞木の説明によると、その由来は 本キャッチコピーは当初こそ福島県民に対してその意図がなかなか浸透せず、「全国でも例を見ない」「奇抜なイメージデザイン」との見解が寄せられることもあったが、1995年(平成7年)、1999年(平成11年)、2001年(平成13年)の3度の福島県デスティネーションキャンペーン (DC) のキャッチコピーにも用いられ、また、DC と同時期に開催された1995年(平成7年)のふくしま国体と全国障害者スポーツ大会(うつくしまふくしま大会)や、2001年(平成13年)の「うつくしま未来博」などのイベント名との相乗効果により県内外から広く認知されるに至った。 県の観光事業に主に用いられてきたキャッチコピーであったが、うつくしま大橋、うつくしま百名山に見られるように、福島県の美称として固有名詞に「うつくしま」のフレーズが単独で用いられることもある。 衆議院の小選挙区が5。参議院では、全県で1区を構成。 第一次産業では水稲、福島市や伊達エリアのモモに代表される果物などの農産物、いわき市のカツオ、郡山市の養殖鯉(出荷量日本1位)などの水産物が主要産物である。 第二次産業では東京首都圏に隣接する至便性のため首都圏より県内に進出する企業も多く製造品出荷額では宮城県を抑え東北地方1位である。電子機器関連の工場の立地が多く、福島市周辺では電子機器、会津若松周辺では半導体、郡山周辺ではプリント基板関連、電子部品、いわき市周辺では電子機器、化学製品、自動車エンジン工場などの立地がある。最近では田村市において自動車電装部品関連企業の誘致にも成功している。(2008年(平成20年)現在) 第三次産業では県内における最大の都市圏は、中通り中部の郡山を中心とする郡山都市圏であり、周辺地域とともに県内最大の郡山経済圏を形成し、郡山市は東北地方第2位の商業年間商品販売額を誇り商都と呼ばれている。 農林水産省による統計では、2009年(平成21年)の都道府県別の農業産出額は福島県が2450億円となり、金額では全国7位である。この内、米の948億円(全国5位)と野菜の546億円を含めた耕作物、つまり耕種の産出額は1931億円であり、肉用牛137億円や生乳97億円、豚100億円、鶏卵123億円を含む畜産は513億円となっており、これらが農業による主な産出額である。漁業に関しては2009年(平成21年)の都道府県別の農業産出額のうち、福島県は養殖での額が不明ながら海面漁業は160億円とされている。また、2008年(平成20年)発表統計データによる青森県(2797億円)、岩手県(2541億円)に次いで東北第3位。県内では農業産出額が多い順に福島市(195億円、県内1位、東北12位)、郡山市(188億円、県内2位、東北14位)、伊達市(140億円、県内3位、東北20位)。 2008年(平成20年)発表統計データの製造品出荷額などによると、福島県は5兆5686億円となり東北1位。2位は宮城県(3兆5702億円)、3位は山形県(2兆8692億円)。県内では製造品出荷額などが多い順にいわき市(1兆0701億円、県内1位、東北1位)、郡山市(9667億円、県内2位、東北2位)、福島市(6608億円、県内3位、東北5位)は東北地方有数の工業都市。 福島県は様々な形態の発電所が建設された電源地帯である。同県に送電しない企業も含め、複数の企業が発電所を建設した。 東京方面との連絡は、東北新幹線および常磐線特急列車である。福島駅は東北新幹線・山形新幹線の連絡駅である他、郡山駅は南北東西方向の要所である。また、いわき駅は東京方面からの直通列車の北限であり、運行上の拠点駅になっている。普通列車は福島交通・阿武隈急行を除いて毎時1本以下となっている。また、営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。 国鉄時代、福島県内が東京支社・水戸支社と仙台支社の境目になっていた。このため、地域ごとに分割したJRバスにおいても、日本で唯一2社が営業拠点を設置している県となっている。 国立 公立 私立 公立 私立 福島民報と福島民友は、いずれも県紙と言え、いずれも47NEWSに加盟している。戦時中の新聞統制で一県一紙となった際は民報がその一紙となったが、戦後すぐに民友が復活している。現在のシェア・発行部数は民報の方が高いが、民友も民報よりは低いが全国紙を上回るシェア・発行部数を持っている。 いわき民報はいわき市に特化した新聞である。民報と付いているが、福島民報とは関係がない。 本社演奏所の立地として、福島市(県庁所在地。政治的中心地)と、郡山市(商業的中心地)との2都市に分かれるため、立地の違いによって地方ニュースの重点配分や話題に微妙な地域色がでる。しかし、コミュニティFM以外の全放送局とも、放送対象地域は福島県(全域)となっている。また、デジタルテレビ・県域FM局の親局送信所及び補完FM局のメイン送信所は福島市の笹森山に設置されている。 戦後の福島県域2大新聞社である福島民報(毎日新聞系)と福島民友(読売新聞系)や、福島市と郡山市の対立を反映した影響からか、県域対象の民放VHFテレビ局は開局は日本全国で最も遅く、民放FM局も東北6県では最後の開局である。しかし、東北地方に系列局を持たないテレビ東京系列を除く民放テレビ局4局が出揃った時期は1983年(昭和58年)である。これは東北6県のなかでは宮城県に次いで2番目であり、東名阪近辺を除いた全国でも比較的早い。 その影響もあり、県内民放テレビ局第1局となった福島テレビ開局にあたっては県が主導的な役割を果たし、現在も株式の約半数を所有している。この比率はやはり県主導で開局した南隣りのとちぎテレビより高い。 なお、東北地方では唯一通常時全民放TV局で終夜放送を行っていない県である。 以下の通り、AMラジオ局はラジオ単営局であり、民放のラテ兼営局は存在しない。 福島県内では、自治体が免許人となりラジオ中継局を設ける「受信障害対策中継局」を活用している自治体が多く、ラジオの難聴地域である昭和村、葛尾村、広野町(2023年予定)において、NHKラジオ第1放送・ラジオ福島・ふくしまFMの微弱電波による中継局を町村内くまなく設置している。また、いわき市でもこの制度を活用し、いわき市民コミュニティ放送のみの中継局が多数設置されている。 相馬市の一部では放送対象地域外の宮城県の民間放送4局が放送区域になっている。 いわき市や白河市の一部では、放送対象地域外の関東1都6県共通の民放キー局(日本テレビ・テレビ朝日・TBSテレビ・テレビ東京・フジテレビ)がスピルオーバーにて受信することが可能である。地上デジタル放送による減力により受信できるエリアは限られているが、県境部を中心に引き続き受信することが可能である。 福島県と同様に、政治力と経済力の綱引きにより民放県域局の演奏所が県庁所在地以外にも立地している例は、山形県、長野県、富山県、岐阜県。鳥取県、山口県、福岡県にも見られる。 地上デジタル放送のリモコンキーIDはTXN系と独立局がない以外は関東広域圏と全て同じである(詳しくはリモコンキーIDの項を参照)。 会津の代表的な郷土料理としては、「こづゆ」「いかにんじん」「にしんの山椒漬け」「鯉の旨煮」が挙げられる。 また、会津の山間部では蕎麦を工夫した料理がみられ、今でも味わうことができるものとして「はっとう(檜枝岐村)」「裁ち蕎麦(南会津)」「祝言蕎麦(猪苗代町)」などがある。 発表年順に記載
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "福島県(ふくしまけん)は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は福島市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "面積は北海道、岩手県に次ぐ全国3位、都道府県別の人口は全国21位、人口密度は全国40位である(いずれも2015年10月1日時点の国勢調査および全国都道府県市区町村別面積調による)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "県内は南北方向に延びる山脈・山地によって、地形・気候・交通・歴史などの面に違いが顕れており、3地域に分けられている。県の西部に位置し越後山脈と奥羽山脈とに挟まれた日本海側内陸にあって4割弱の面積に約13%の人口を擁する「会津」、県の中央部に位置し奥羽山脈と阿武隈高地とに挟まれた太平洋側内陸にあって4割弱の面積に約62%の人口を擁する「中通り」、県の東部に位置し阿武隈高地と太平洋とに挟まれた太平洋側沿岸にあって2割強の面積に約25%の人口を擁する「浜通り」である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "これら3地域の地域差が顕著に見られる例を挙げると、近年の「降雪の深さの合計」(冬季の累積降雪量)があり、会津の会津若松市は300 - 400cm程度、中通りの福島市は100cm前後、浜通りのいわき市小名浜は10cmに満たない年が多く、冬季の生活習慣に顕著な影響を与えている。県の広域行政単位は上記3地域をさらに細分している一方、県名以外にも多用される「うつくしま」とのキャッチコピーが県内各地で用いられ、統合のイメージも創られている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "現在の福島県には幕末に、親藩かつ雄藩だった会津藩(23万石)があったが、他は親藩・譜代・外様の10万石に満たない多数の藩に分かれていた。廃藩置県後の紆余曲折の後、1876年(明治9年)8月21日に会津の前身にあたる若松県、中通りの前身にあたる福島県(1876年以前)、浜通りの前身にあたる磐前県の、計3県の合併によって当県が成立した。なお、県名の福島は3県合併によって県庁所在地となった福島町(現・福島市)から採ったものである。また「福島」の名は、福島城として使われたのが最初とされる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "当県には1899年(明治32年)に全国7番目、かつ、東北初の日本銀行営業所(後に支店)が開設されるほど鉱工業が発達していた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "県内に首位都市(プライメイトシティ)はなく、人口30万人前後の都市が3市あって機能分担している。すなわち、浜通りには、広大な面積を持ち、かつては炭鉱都市であったが現在は臨海工業、漁業、温泉などの観光が集積するいわき市があり、中通りには行政機能が集中し全国有数の果樹地帯を形成している福島市(テレビではNHK福島放送局およびTBS系列TUFとフジテレビ系列FTVが所在)、そして、商業・内陸工業地帯となっている郡山市(テレビでは日本テレビ系列FCTとテレビ朝日系列KFBが所在)とがある(参照)。また、会津の中心都市で史跡が多く存在する観光都市の会津若松市、中通りにあって古くからの奥羽(東北地方)の玄関口であった白河の関がある白河市も重要な歴史都市である。その他、浜通りの相双には漁業と電源立地が、南会津には大内宿(重要伝統的建造物群保存地区)を初めとする観光地があり、会津と中通りとにまたがる磐梯朝日国立公園には磐梯高原・五色沼・猪苗代湖などリゾートエリアも擁する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "東北地方の南部に位置し、面積は 13,783.90kmで、北海道、岩手県に次ぐ全国第3位である。県庁所在地の福島市は、東京から約270km、JR東北新幹線で約90分の位置にある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "東部の阿武隈高地、中央部を南北に縦断する奥羽山脈、北部から西部に連なる飯豊連峰・越後山脈の山岳地帯と、それらにより区切られ県中央部を南から北へ流れる阿武隈川の地溝帯に連なる盆地群から構成される中通り地方、県東部浜通り地方の沿岸平野部、西部の会津盆地を中心とした会津の3地域に大別される。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "福島県は東西に広く、さらに海岸や山地の地形装飾を受け、標高差も大きいため同じ県内であっても気候差は大きい。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "奥羽山脈と阿武隈高地によって、西から順に「会津」「中通り」「浜通り」の三地域に分けるのが一般的あり、日々の天気予報などにおいてさえもこの区分で報道されている。ここでは年間を通じた気候の特色により太平洋岸から「浜通り」「阿武隈高地」「中通り」「会津」の四地域に分けて記述する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "福島県は東西に長い形状をしているが、2つの山地によって浜通り・中通り・会津の3つの地域に分かれており、天気予報でもこの呼称が使われている。東から順に、太平洋と阿武隈高地に挟まれている浜通り、阿武隈高地と奥羽山脈に挟まれている中通り、そして奥羽山脈と越後山脈に挟まれている会津となっている。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "地形的に山地で隔てられているために、山越えした地域同士の交流は浅く、気候や文化にも差があり、3地域での同一県として帰属意識は低い。また南北においても城下町として栄えた会津若松を中心とする北会津地方と南会津地方、宿場町だった郡山市をはさんで県北地方と県南地方で歴史の違いや交流が乏しい傾向がある。同様に沿岸部においても相双地方といわき市にもこの傾向があることから、福島県は他県に比較すると一つの県としての統一感に乏しい傾向にある。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "以下、人口は2023年11月1日現在の推計人口(福島県の総人口は1,765,349人)。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "県内は、さらに県庁の出先機関である地方振興局の管内によって7つに分けられている。以下、地方振興局ごとに市町村を記載する。なお、県北の本宮市・安達郡(約3.9万人)が県中に、相双の双葉郡(約1.2万人)がいわきに入るとする地域圏の設定もある。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "以下の13市13郡31町15村がある。福島県では、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む。東北6県の中で唯一、「ちょう」と読む町が存在しない。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "福島広域行政圏", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "安達広域行政圏", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "郡山広域行政圏", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "白河広域行政圏", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "相馬広域行政圏", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "双葉広域行政圏", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "喜多方広域行政圏", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "会津若松広域行政圏", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "南会津広域行政圏", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "都市雇用圏(10 % 通勤圏)の変遷", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "福島県を含む北関東・東北地方における人の足跡は、後期旧石器時代に始まる。県域における遺跡としては平林遺跡(桑折町)や会津若松湊の笹山原遺跡群がある。この遺跡から旧石器時代人が製作し使用したとみられる石器群が発見されている。年代は約2万2000年前の AT よりも下から出土していることから、後期旧石器時代前半に属する。少しくだって約1万5000年前の塩坪遺跡(喜多方市高郷町)から熱を受けた139個のこぶし大の石がまとまって発見された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "この時代はまだ土器がなく、焼石は食材を直接加熱するのに使用されたのであろう。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "縄文時代・弥生時代を経て古墳時代に入るが、福島県は大型の古墳が少ない東北地方にあって大安場古墳(郡山市、前方後方墳、全長約 83m)、会津大塚山古墳(会津若松市、前方後円墳、114m 、4世紀後半、東北最古級、割竹形木棺検出、三角縁神獣鏡出土)、亀ヶ森・鎮守森古墳(会津坂下町、前方後円墳、127m)などの大型の古墳が集積する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "古墳時代、畿内に前方後円墳が登場するのとほぼ同時期に会津地方でも前方後円墳が作られ始めており、すでに大和朝廷の影響下にあったことが窺える。古墳時代中期以降は、会津地方の古墳造営が減少し、代わって県南地方で盛んに古墳が作られた。県南地方の前方後方墳は隣接する那須地方(那須国造)から連続しており、南那須地方から県南地方一帯は古墳街道ともいうべき古墳集積地帯ともなっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "5世紀にはすでに北関東・東北の一部までがヤマト王権の影響下にあったと思われ、福島県域においても各国に国造が成立した。当初、大和朝廷の勢力圏は福島県域が北限であり、蝦夷勢力圏との境界に当たる信夫国(福島盆地)などの国には防備の任もあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "また、関東や近畿地方などから、盛んに開拓のための移民も行われている。その後、国は評(こおり)と呼び名が代わり、陸奥国に再編された。また、大和朝廷の勢力圏も宮城県域、あるいはさらに北に拡大し、信夫評(しのぶごおり)も「北端」ではなくなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "701年(大宝元年)の大宝律令の施行時には陸奥国となり、評は郡、評司(国造)は郡司になった。拡大した陸奥国から718年(養老2年)に石城国と石背国が分置された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "現福島県域は石城国または石背国に属することとなり、陸奥国の領域ではなくなった。 分置後も蝦夷との戦いが続き、東北全体(陸奥・出羽)で戦う必要性起こってきたので、724年(神亀元年)までには石城国と石背国は再び陸奥国に合併された。これらの郡は、その後、人口の増加などにより、さらに再分割されている。例えば信夫郡から伊達郡が分割され、安積郡からは安達郡などが分割され、会津郡も耶麻郡を始め多くの郡に分割された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "平安時代には会津で恵日寺が強大な勢力を得たが、平安時代末期にはほぼ福島県全域が奥州藤原氏の勢力下に入り、藤原氏一族の信夫佐藤氏が福島盆地を本拠地として、中通りの中部まで、恵日寺後退後の会津、山形県置賜地方まで支配するまでになった。平安末期、福島県内で他には中通りの石川氏、浜通りの岩城氏があった。石川氏は清和源氏の流れで前九年の役に従軍して石川郡に定住した。岩城氏は桓武平家の氏族で、藤原清衡の養女を妻に迎えて石城郡に定住したとも石城郡司の子孫とも言われる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "国宝白水阿弥陀堂は平安時代末期1160年(永暦元年)に岩城則道の菩提を弔うために建立されたものである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "中世においては源頼朝が鎌倉に幕府を開府し東国において自立するが、頼朝は東北において奥州征伐により奥州藤原氏を滅ぼす。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "県域においては信夫佐藤氏が信夫荘(信夫郡の西北、松川以北)に押し込められると、鎌倉による論功行賞で福島県内は伊達氏、相馬氏、二階堂氏、蘆名氏、畠山氏、結城氏など、多数の関東武士団に細分化された。南北朝の動乱においては結城氏の一族である白河結城氏が台頭し、白河結城氏を主力とする南朝方が大いに優勢となったが、しばらくすると相馬氏など北朝方が盛り返し、白河結城氏など多くの諸氏は奥州管領や鎌倉公方の支配を受けるようになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "戦国時代に北関東・東北においては一国以上の領国を持つ戦国大名は少なく中小の地域勢力が分立する傾向をもっているが、伊達氏は伊達稙宗が南奥羽で外征や婚姻外交を繰り返し南奥羽のほとんど大名が勢力下に入るが天文の乱を起こし衰退したり、白河結城氏が衰退し代わって岩城氏が勢力を盛り返すなど、栄枯盛衰は止むことはなく、隣接する常陸国佐竹氏や越後国上杉氏の影響も受けるようになるが、最終的には蘆名氏や相馬氏、二本松氏などを圧倒した伊達氏の伊達政宗が短期間ではあるが、福島県域の浜通りを除く大半を領有することになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "豊臣秀吉による奥州仕置により伊達政宗が伊達氏の元の本領以外没収され、会津には蒲生氏郷が入る。翌年の葛西大崎一揆の戦後処理で伊達政宗が岩出山に移封させられると、蒲生氏郷が福島県中通り以西のほとんどを領有した。しかし子の蒲生秀行は会津から宇都宮に移され、代わって越後国の上杉景勝が会津120万石を得て福島県の中通り以西のほとんどの地域と山形県の置賜地方を領有した。なお、葛西大崎一揆の原因を作ったとして所領を奪われた岩出山の旧領主の木村吉清は、後に許されて蒲生氏郷に仕えて杉目城主となった。吉清は杉目を「福島」と改称し、今日の県名の由来となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "関ヶ原の戦いによって上杉景勝は信夫郡伊達郡を除く福島県域の所領を失い、30万石となる。代わって会津には蒲生秀行が再度入封し、会津藩60万石が成立する。が、2代目の蒲生忠郷が早世し伊予松山藩に移ることになる。次に1627年加藤嘉明が40万石で会津に入封するが、これも2代目加藤明成で会津騒動を起こして領地を徳川幕府に返上した。そして、1643年に松平氏保科正之が23万石で入封し、この松平氏会津藩が戊辰戦争まで続くことになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "一方、信夫郡と伊達郡も1664年に上杉氏米沢藩から召し上げられ、会津藩以外の大藩はなくなり、会津と浜通り夜ノ森以北(相馬氏領)を除く県内のほとんどの地域で、江戸時代を通じて小・中藩、天領が入り乱れて激しく変遷した。尚この間白河藩は一時徳川譜代となり、寛政の改革を主導した松平定信など中央の名門家から城主が入り文人政治が行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "江戸時代に会津若松と日光街道を結んだ重要な交通路会津西街道(下野街道)の宿場大内宿が当時の街並みのまま重要伝統的建造物群保存地区として残され往時を偲ばせる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "諸外国の接近によって、幕府の政治が停滞。その中で尊王攘夷や開国といった主導で日本を立て直そうとする各藩の武士たちが京都に押し寄せた。白河藩主阿部正外は江戸老中として諸外国との折衝にあたり、神戸港を開港したことで攘夷派の公家などの反感を買い老中を罷免され、白河藩は棚倉へと移封され藩主不在となったにもかかわらず、東西両軍にとって要衝の地と目された白河は戊辰の一大激戦地となる悲劇を生むこととなった。当代の会津藩主松平容保は京都守護職となり、京都の治安維持を担った。そして禁門の変では、孝明天皇を奪取しようとした長州藩勢から御所を守り抜いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "しかし、大政奉還後の新政府から徳川を排除する意思を固めていた薩長同盟(薩摩藩・長州藩)との衝突が鳥羽・伏見の戦いから生じ、敗れた旧幕府側は朝敵とされた。新政府への恭順を良しとしない主戦派が逃れた結果、戦禍が東北にまで伸びてしまった。圧倒的な西洋戦法を有する薩長の軍勢に、会津藩士は元より、奥羽越列藩同盟の磐城平藩や中村藩などでも各藩の勢力は徹底して反撃を繰り返したが、降伏してしまった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "江戸時代幕末に置かれた藩及び城郭、交代寄合陣屋としては会津藩、支城の猪苗代城、二本松藩、棚倉藩、中村藩、三春藩、磐城平藩、福島藩、泉藩、湯長谷藩、下手渡藩、水戸藩支藩の守山藩、幕末に徳川幕府直轄地となった白河城、仙台藩の支城谷地小屋城などがあり、交代寄合の溝口家の横田陣屋、その他に代官陣屋もあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "明治初期、版籍奉還後の1869年(明治2年)の太政官令により、陸奥国(むつのくに)南端である現在の福島県域は陸奥国から分離し、西側が岩代国(いわしろのくに)、東側が磐城国(いわきのくに)となった。岩代国は現在の福島県中通り地方の中北部と会津地方。磐城国は現在の福島県中通り地方南部と福島県浜通り地方と宮城県南部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)にほぼ相当する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "1869年(明治2年)7月20日、福島藩が重原藩に移封され幕府領となっていた伊達郡、信夫郡を管轄するために福島県(第1次)が設置され、安達郡の二本松藩領37村、伊達郡の幕府領42村、盛岡藩領8村、棚倉藩領4村、館藩領2村、信夫郡の幕府領43村、重原藩領19村、足守藩領11村、新発田藩領8村、関宿藩領6村、二本松藩領4村、棚倉藩領2村、宇多郡の幕府領1村を管轄した。この第1次福島県は後述の二本松県(第2次)に統合され、わずか2年で廃止されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "1871年(明治4年)7月(旧暦)の廃藩置県で全国に多数の県が生まれた後、同年11月(旧暦)に現在の福島県域は、岩代国の会津地方(旧会津藩領の越後国蒲原郡の一部[のち東蒲原郡]を含む)が若松県、岩代国と磐城国からなる中通り地方が二本松県(第2次、二本松県になって、わずか12日間後に県庁が信夫郡福島町に移転、福島県に改称したのでほとんど機能はしていない)、磐城国はほぼそのまま磐前県(いわさきけん)の3つの県として統合された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "1876年(明治9年)8月21日に、福島県(第2次)、若松県、磐前県が合併され、現在の福島県(第3次)が成立した。その際、磐前県北部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)が宮城県に、磐前県南部の一部が茨城県に移管され、さらに1886年(明治19年)に東蒲原郡が新潟県へ移管されて、現在の福島県域になった。これらの変遷は最後の東蒲原郡移管を除いて、1869年(明治2年)の藩の制度化の後、1871年(明治4年)の廃藩置県から1876年(明治9年)までの短期間に行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "1998年1月の214万人をピークに減少傾向にある。 2019年10月1日時点の推計人口は184万4173人で、全国21位である。東日本大震災の影響で2011、2012年は人口減少率が全国最高を記録したが、2013年は全国25位とやや落ち着いている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "合計特殊出生率が1.53(2018年)あり、これは東日本では群を抜いて高い(次ぐ山形県が1.48)。ただし、合計特殊出生率が高い県は九州や中四国など西日本に集中しており、全国的には20位に過ぎない。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "現在の福島県知事は、内堀雅雄(第21代、2期目)。以外歴代知事を列挙する。冒頭数字は人数を指しており、就任代ではない。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "福島県は、1991年(平成3年)より県のイメージアップ事業で使用するため「うつくしま、ふくしま。」を使用している。これはコピーライターの眞木準の手により提示されたキャッチコピーである。眞木の説明によると、その由来は", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "本キャッチコピーは当初こそ福島県民に対してその意図がなかなか浸透せず、「全国でも例を見ない」「奇抜なイメージデザイン」との見解が寄せられることもあったが、1995年(平成7年)、1999年(平成11年)、2001年(平成13年)の3度の福島県デスティネーションキャンペーン (DC) のキャッチコピーにも用いられ、また、DC と同時期に開催された1995年(平成7年)のふくしま国体と全国障害者スポーツ大会(うつくしまふくしま大会)や、2001年(平成13年)の「うつくしま未来博」などのイベント名との相乗効果により県内外から広く認知されるに至った。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "県の観光事業に主に用いられてきたキャッチコピーであったが、うつくしま大橋、うつくしま百名山に見られるように、福島県の美称として固有名詞に「うつくしま」のフレーズが単独で用いられることもある。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区が5。参議院では、全県で1区を構成。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "第一次産業では水稲、福島市や伊達エリアのモモに代表される果物などの農産物、いわき市のカツオ、郡山市の養殖鯉(出荷量日本1位)などの水産物が主要産物である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "第二次産業では東京首都圏に隣接する至便性のため首都圏より県内に進出する企業も多く製造品出荷額では宮城県を抑え東北地方1位である。電子機器関連の工場の立地が多く、福島市周辺では電子機器、会津若松周辺では半導体、郡山周辺ではプリント基板関連、電子部品、いわき市周辺では電子機器、化学製品、自動車エンジン工場などの立地がある。最近では田村市において自動車電装部品関連企業の誘致にも成功している。(2008年(平成20年)現在)", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "第三次産業では県内における最大の都市圏は、中通り中部の郡山を中心とする郡山都市圏であり、周辺地域とともに県内最大の郡山経済圏を形成し、郡山市は東北地方第2位の商業年間商品販売額を誇り商都と呼ばれている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "農林水産省による統計では、2009年(平成21年)の都道府県別の農業産出額は福島県が2450億円となり、金額では全国7位である。この内、米の948億円(全国5位)と野菜の546億円を含めた耕作物、つまり耕種の産出額は1931億円であり、肉用牛137億円や生乳97億円、豚100億円、鶏卵123億円を含む畜産は513億円となっており、これらが農業による主な産出額である。漁業に関しては2009年(平成21年)の都道府県別の農業産出額のうち、福島県は養殖での額が不明ながら海面漁業は160億円とされている。また、2008年(平成20年)発表統計データによる青森県(2797億円)、岩手県(2541億円)に次いで東北第3位。県内では農業産出額が多い順に福島市(195億円、県内1位、東北12位)、郡山市(188億円、県内2位、東北14位)、伊達市(140億円、県内3位、東北20位)。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "2008年(平成20年)発表統計データの製造品出荷額などによると、福島県は5兆5686億円となり東北1位。2位は宮城県(3兆5702億円)、3位は山形県(2兆8692億円)。県内では製造品出荷額などが多い順にいわき市(1兆0701億円、県内1位、東北1位)、郡山市(9667億円、県内2位、東北2位)、福島市(6608億円、県内3位、東北5位)は東北地方有数の工業都市。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "福島県は様々な形態の発電所が建設された電源地帯である。同県に送電しない企業も含め、複数の企業が発電所を建設した。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "東京方面との連絡は、東北新幹線および常磐線特急列車である。福島駅は東北新幹線・山形新幹線の連絡駅である他、郡山駅は南北東西方向の要所である。また、いわき駅は東京方面からの直通列車の北限であり、運行上の拠点駅になっている。普通列車は福島交通・阿武隈急行を除いて毎時1本以下となっている。また、営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "国鉄時代、福島県内が東京支社・水戸支社と仙台支社の境目になっていた。このため、地域ごとに分割したJRバスにおいても、日本で唯一2社が営業拠点を設置している県となっている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "国立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "公立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "公立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "私立", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "福島民報と福島民友は、いずれも県紙と言え、いずれも47NEWSに加盟している。戦時中の新聞統制で一県一紙となった際は民報がその一紙となったが、戦後すぐに民友が復活している。現在のシェア・発行部数は民報の方が高いが、民友も民報よりは低いが全国紙を上回るシェア・発行部数を持っている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "いわき民報はいわき市に特化した新聞である。民報と付いているが、福島民報とは関係がない。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "本社演奏所の立地として、福島市(県庁所在地。政治的中心地)と、郡山市(商業的中心地)との2都市に分かれるため、立地の違いによって地方ニュースの重点配分や話題に微妙な地域色がでる。しかし、コミュニティFM以外の全放送局とも、放送対象地域は福島県(全域)となっている。また、デジタルテレビ・県域FM局の親局送信所及び補完FM局のメイン送信所は福島市の笹森山に設置されている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "戦後の福島県域2大新聞社である福島民報(毎日新聞系)と福島民友(読売新聞系)や、福島市と郡山市の対立を反映した影響からか、県域対象の民放VHFテレビ局は開局は日本全国で最も遅く、民放FM局も東北6県では最後の開局である。しかし、東北地方に系列局を持たないテレビ東京系列を除く民放テレビ局4局が出揃った時期は1983年(昭和58年)である。これは東北6県のなかでは宮城県に次いで2番目であり、東名阪近辺を除いた全国でも比較的早い。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "その影響もあり、県内民放テレビ局第1局となった福島テレビ開局にあたっては県が主導的な役割を果たし、現在も株式の約半数を所有している。この比率はやはり県主導で開局した南隣りのとちぎテレビより高い。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "なお、東北地方では唯一通常時全民放TV局で終夜放送を行っていない県である。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "以下の通り、AMラジオ局はラジオ単営局であり、民放のラテ兼営局は存在しない。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "福島県内では、自治体が免許人となりラジオ中継局を設ける「受信障害対策中継局」を活用している自治体が多く、ラジオの難聴地域である昭和村、葛尾村、広野町(2023年予定)において、NHKラジオ第1放送・ラジオ福島・ふくしまFMの微弱電波による中継局を町村内くまなく設置している。また、いわき市でもこの制度を活用し、いわき市民コミュニティ放送のみの中継局が多数設置されている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "相馬市の一部では放送対象地域外の宮城県の民間放送4局が放送区域になっている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "いわき市や白河市の一部では、放送対象地域外の関東1都6県共通の民放キー局(日本テレビ・テレビ朝日・TBSテレビ・テレビ東京・フジテレビ)がスピルオーバーにて受信することが可能である。地上デジタル放送による減力により受信できるエリアは限られているが、県境部を中心に引き続き受信することが可能である。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "福島県と同様に、政治力と経済力の綱引きにより民放県域局の演奏所が県庁所在地以外にも立地している例は、山形県、長野県、富山県、岐阜県。鳥取県、山口県、福岡県にも見られる。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "地上デジタル放送のリモコンキーIDはTXN系と独立局がない以外は関東広域圏と全て同じである(詳しくはリモコンキーIDの項を参照)。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "会津の代表的な郷土料理としては、「こづゆ」「いかにんじん」「にしんの山椒漬け」「鯉の旨煮」が挙げられる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "また、会津の山間部では蕎麦を工夫した料理がみられ、今でも味わうことができるものとして「はっとう(檜枝岐村)」「裁ち蕎麦(南会津)」「祝言蕎麦(猪苗代町)」などがある。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "発表年順に記載", "title": "福島県を舞台とした作品" } ]
福島県(ふくしまけん)は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は福島市。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Otheruses|日本の都道府県としての福島県|福島県の[[行政機関]]|福島県庁}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 福島県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Miharu Miharu-Takizakura Front 1.JPG{{!}}三春滝桜 | photo1b = Ja-fukushima-ohuchijuku-7.jpg{{!}}大内宿 | photo2a = Aizuwakamatsu Castle 04.jpg{{!}}若松城 | photo2b = アクアマリンふくしま.JPG{{!}}アクアマリンパーク | photo3a = Mt.Bandai from Lake Inawashiro 02.jpg{{!}}磐梯山と猪苗代湖 | photo3b = Abukuma Cave 03.jpg{{!}}あぶくま洞 | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center | space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:50%">[[三春滝桜]]<td style="width:50%">[[大内宿]]</tr><tr><td style="width:50%">[[若松城]]<td style="width:50%">[[アクアマリンふくしま|アクアマリンパーク]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[磐梯山]]と[[猪苗代湖]]<td style="width:50%">[[あぶくま洞]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|福島県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[福島県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Fukushima Prefecture.svg|70px]] | 都道府県章の説明 = 福島県章 | 区分 = 県 | コード = 07000-9 | ISO 3166-2 = JP-07 | 隣接都道府県 = {{flag|宮城県}}<br />{{flag|山形県}}<br />{{flag|茨城県}}<br />{{flag|栃木県}}<br />{{flag|群馬県}}<br />{{flag|新潟県}} | 木 = [[ケヤキ]] | 花 = [[ネモトシャクナゲ]] | 鳥 = [[キビタキ]] | シンボル名 = 県の歌<br />県民の日 | 歌など = [[福島県県民の歌]]<br />[[8月21日]] | 郵便番号 = 960-8670 | 所在地 = [[福島市]][[杉妻町]]2番16号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-07|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Fukushima Prefectural Government (02.19.2009).jpg|220px|福島県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 07 Fukushima prefecture.svg|320px|福島県の位置]]{{基礎自治体位置図|07|000|image=Map of Fukushima Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} '''福島県'''(ふくしまけん)は、[[日本]]の[[東北地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[福島市]]。 == 概要 == [[都道府県の面積一覧|面積]]は[[北海道]]、[[岩手県]]に次ぐ全国3位、[[都道府県の人口一覧|都道府県別の人口]]は全国21位、[[人口密度]]は全国40位である(いずれも[[2015年]][[10月1日]]時点の[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]および全国都道府県市区町村別面積調による)。 県内は南北方向に延びる山脈・山地によって、[[地形]]・[[気候]]・[[交通]]・[[歴史]]などの面に違いが顕れており、3地域に分けられている。県の西部に位置し[[越後山脈]]と[[奥羽山脈]]とに挟まれた[[日本海側]]内陸にあって4割弱の面積に約13%の人口を擁する「'''[[会津]]'''」、県の中央部に位置し奥羽山脈と[[阿武隈高地]]とに挟まれた[[太平洋側]]内陸にあって4割弱の面積に約62%の人口を擁する「'''[[中通り]]'''」、県の東部に位置し阿武隈高地と[[太平洋]]とに挟まれた太平洋側沿岸にあって2割強の面積に約25%の人口を擁する「'''[[浜通り]]'''」である。 これら3地域の地域差が顕著に見られる例を挙げると、近年の「降雪の深さの合計」(冬季の累積降雪量)があり、会津の[[会津若松市]]は300 - 400cm程度、中通りの[[福島市]]は100cm前後、浜通りの[[いわき市]][[小名浜]]は10cmに満たない年が多く<ref>{{PDFlink|[http://www.jma-net.go.jp/sendai/wadai/kikouhenka/4_6Fukishima.pdf 4.6 福島県の気候の変化]}}(気象庁)</ref>、冬季の生活習慣に顕著な影響を与えている。県の広域行政単位は上記3地域をさらに細分している一方、県名以外にも多用される「'''うつくしま'''」との[[キャッチコピー]]が県内各地で用いられ、統合のイメージも創られている。 現在の福島県には[[幕末]]に、[[親藩]]かつ[[雄藩]]だった[[会津藩]](23万[[石 (単位)|石]])があったが、他は親藩・[[譜代]]・[[外様]]の10万石に満たない多数の[[藩]]に分かれていた<ref>[https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/ken-no-sugata/kinsei.html 近世](福島県「福島のすがた」)</ref>。[[廃藩置県]]後の紆余曲折の後、[[1876年]]([[明治]]9年)[[8月21日]]に会津の前身にあたる[[若松県]]、中通りの前身にあたる福島県([[1876年]]以前)、浜通りの前身にあたる[[磐前県]]の、計3県の合併によって当県が成立した。なお、県名の福島は3県合併によって県庁所在地となった[[福島市#市制移行に至るまでの福島|福島町]](現・福島市)から採ったものである。また「福島」の名は、[[福島城]]として使われたのが最初とされる<ref>[http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/ken-no-sugata/kenmei-yurai.html 福島県公式ホームページ 県名の由来]</ref>。 当県には[[1899年]](明治32年)に全国7番目、かつ、東北初の[[日本銀行]]営業所(後に支店)が開設<ref>[http://www3.boj.or.jp/fukushima/rekishi.htm 福島支店の歴史](日本銀行福島支店)</ref>されるほど鉱工業が発達していた。 県内に[[首位都市|首位都市(プライメイトシティ)]]はなく、人口30万人前後の都市が3市あって機能分担している。すなわち、浜通りには、広大な面積を持ち、かつては[[炭鉱都市]]であったが現在は臨海工業、漁業、温泉などの観光が集積するいわき市があり、中通りには行政機能が集中し全国有数の[[果樹]]地帯を形成している福島市([[テレビ]]では[[NHK福島放送局]]および[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]][[テレビユー福島|TUF]]と[[フジネットワーク|フジテレビ系列]][[福島テレビ|FTV]]が所在)、そして、商業・内陸工業地帯となっている[[郡山市]](テレビでは[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]][[福島中央テレビ|FCT]]と[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]][[福島放送|KFB]]が所在)とがある([[#マスメディア|参照]])。また、会津の中心都市で[[史跡]]が多く存在する観光都市の会津若松市、中通りにあって古くからの[[奥羽]]([[東北地方]])の玄関口であった[[白河の関]]がある[[白河市]]も重要な歴史都市である。その他、浜通りの相双には漁業と電源立地が、南会津には[[大内宿]]([[重要伝統的建造物群保存地区]])を初めとする観光地があり、会津と中通りとにまたがる[[磐梯朝日国立公園]]には[[磐梯高原]]・[[五色沼 (北塩原村)|五色沼]]・[[猪苗代湖]]など[[リゾート]]エリアも擁する。 == 地理 == * [[日本]]、[[東北地方]] *'''隣接県''': [[宮城県]] - [[山形県]] - [[茨城県]] - [[栃木県]] - [[群馬県]] - [[新潟県]] 東北地方の南部に位置し、面積は 13,783.90[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]<ref name="preffukushima">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/ken-no-sugata/ichi-jinko.html |title=福島県の位置・人口・面積 - 福島県ホームページ |accessdate=2021-4-21 }}</ref>で、[[北海道]]、[[岩手県]]に次ぐ全国第3位である。<!--東西約150km・南北約110km。-->県庁所在地の福島市は、東京から約270[[キロメートル|km]]、JR[[東北新幹線]]で約90分の位置にある。 東部の[[阿武隈高地]]、中央部を南北に縦断する[[奥羽山脈]]、北部から西部に連なる[[飯豊連峰]]・[[越後山脈]]の山岳地帯と、それらにより区切られ県中央部を南から北へ流れる[[阿武隈川]]の[[地溝]]帯に連なる[[盆地]]群から構成される[[中通り]]地方、県東部[[浜通り]]地方の沿岸平野部、西部の[[会津盆地]]を中心とした[[会津]]の3地域に大別される。 *東部の[[阿武隈川]]と[[太平洋]]に区切られる阿武隈高地は標高 400 - 1,000[[メートル|m]] で[[八溝山地]]に続く比較的なだらかな山地が連なる。 *北部から西部にかけての山岳地帯は日本有数の豪雪地帯として知られ、日本海へ注ぐ[[阿賀野川|阿賀川]]の流域であり、多くの大型[[水力発電所]]が設けられた日本を代表する[[電源地帯]]となっている。また、その流域は[[磐梯朝日国立公園]]、[[尾瀬国立公園]]、[[日光国立公園]]、[[越後三山只見国定公園]]に指定された自然の宝庫であり、[[吾妻山]]・[[安達太良山]]・[[磐梯山]]などの諸[[活火山]]をはじめ、[[磐梯高原]]・[[会津高原]]・[[尾瀬]]などの山岳観光地がある。 *会津地方の北西部、[[三国岳 (山形県・福島県・新潟県)|三国岳]]から[[飯豊山]]に、[https://map.yahoo.co.jp/place?lat=37.83564680861072&lon=139.72223167443707&zoom=11&maptype=basic ひげのように細長く延びている県域]がある。これは福島県側の地域住民の[[信仰]]上の理由で、ご[[神体]]となる飯豊山への[[参道]]を確保したためである。 *福島県と群馬県は隣接しており、県境に会津沼田街道が存在するが、中間にある[[尾瀬]]の環境保護の面から自動車道の建設が中止されたため、車両で直接行き来できない(徒歩でのみ往来可能である)都道府県境となっている([[カーフェリー]]で海上移動となる[[北海道]]・[[青森県]]境、[[鹿児島県|鹿児島]]・[[沖縄県]]境などを除く、[[国道401号]]も参照のこと。現在の日本で車両が越境できない都道府県境は本項と富山・長野県境の2つのみである。後者は尾瀬のように自然保護目的ではないが地形的にあまりにも険しく非常に山奥であるため歩道も含め直結道が一切存在せず[[立山黒部アルペンルート]]を使ってのみ越境可能である)。 === 地形 === * [[平地]] : [[福島盆地|福島盆地(信達平野)]]、[[会津盆地]]、[[安積原野|郡山盆地]]、白河盆地、猪苗代盆地 * [[山地]] : [[奥羽山脈]]、[[阿武隈高地]]、[[越後山脈]]、[[那須岳|那須山地]] * [[島]] : [[翁島]] * [[山]] : [[吾妻山]]、[[安達太良山]]、[[栗子山]]、[[霊山 (福島県)|霊山]]、[[磐梯山]]、[[飯豊山]]、[[燧ヶ岳]]、[[会津駒ヶ岳]]、[[帝釈山]]、[[布引高原|会津布引山]]、[[浅草岳]]、[[日山]]、[[蒲生岳]]、[[大滝根山]]、[[宇津峰山]]、[[八溝山]] * [[高原]] : [[会津高原]]、[[磐梯高原]]、[[阿武隈高地|阿武隈高原]]、[[羽鳥湖高原]]、[[甲子高原]]、[[布引高原]] * [[峠]] : [[土湯峠]]、[[板谷峠]]、[[鳩峰峠]]、[[国見峠 (宮城県・福島県)|国見峠]]、[[大峠 (山形県・福島県)|大峠]]、[[六十里越]]、[[八十里越]]、[[沼山峠]]、[[藤トンネル|藤峠]]、[[中山峠 (福島県)|中山峠]]、[[山王トンネル (国道121号)|山王峠]]、[[駒止トンネル|駒止峠]] * [[川]] : [[阿武隈川]](支流:[[荒川 (福島県)|荒川]]、[[松川 (福島県)|松川]]、[[摺上川]]、[[大滝根川]])、[[阿賀野川|阿賀川]](支流:[[只見川]]、[[日橋川]]、[[長瀬川 (福島県)|長瀬川]])、[[久慈川]]、[[宇多川]]、[[請戸川]]、[[夏井川]] * [[湖沼]] : [[猪苗代湖]]、[[五色沼 (福島市)]]、[[五色沼 (福島県北塩原村)|五色沼 (北塩原村)]]、[[尾瀬沼]]、[[松川浦]]、[[沼沢湖]]、[[雄国沼]]、[[曽原湖]]、[[桧原湖]]、[[秋元湖]]、[[小野川湖]]、[[奥只見湖]]、[[田子倉湖]]、[[若郷湖]]、[[羽鳥湖]]、[[千五沢ダム|母畑湖]]、[[三春ダム|さくら湖]]、[[摺上川ダム|茂庭っ湖]] * [[湿原]] : [[尾瀬]]、[[田代山湿原]]、[[駒止湿原]]、[[中吾妻山#谷地平湿原|谷地平湿原]]、[[雄国沼|雄国沼湿原]] <gallery> FukushimaBonchi.jpg|[[花見山公園]]より見る[[福島盆地]] AizuBonchiTagged.jpg|[[会津盆地]] UrabandaiTagged.jpg|[[磐梯高原]]([[吾妻小富士]]、[[猪苗代湖]]など) Tadamigawa.jpg|[[蒲生岳]]と[[只見川]] OzeGaHara.jpg|左から順に[[尾瀬沼]]、[[燧ケ岳]]、[[尾瀬ヶ原]]。手前の谷は三条ノ滝から[[奥只見湖]]に繋がる[[只見川]]最上流部 NunobikiWindFarm200704294.jpg|[[布引高原]]から望む[[磐梯山]]と[[猪苗代湖]] KoriyamaShi.jpg|[[安積原野]] MatsukawaUraM.jpg|[[松川浦]] </gallery> === 気候 === 福島県は東西に広く、さらに海岸や山地の地形装飾を受け、標高差も大きいため同じ県内であっても気候差は大きい。 [[ファイル:Fukushima Nakadōri Map.jpg|サムネイル|濃い緑の部分が中通り地区]] 奥羽山脈と阿武隈高地によって、西から順に「会津」「中通り」「浜通り」の三地域に分けるのが一般的あり、日々の天気予報などにおいてさえもこの区分で報道されている。ここでは年間を通じた気候の特色により太平洋岸から「浜通り」「阿武隈高地」「中通り」「会津」の四地域に分けて記述する。 *'''[[浜通り|浜通り地方]]''' - [[太平洋]]沿岸部は[[暖流]]([[黒潮]])の影響により夏は涼しく、冬は暖かい顕著な[[海洋性気候]]である。夏から秋にかけて台風の影響を受けやすい。特に[[いわき市]]の[[小名浜]]周辺は東北で最も温暖な地域であり([[南関東]]平野部の気候に近い)、降雪も東北では最も少ない。事実、小名浜の1月の平均気温は3.6°Cと、[[さいたま市|さいたま]]の3.5°C、[[佐倉市|佐倉]]([[千葉県]])の3.3°C、[[八王子市|八王子]]([[東京都]])の3.1°Cよりも高い。 *'''[[阿武隈高地]]''' - 標高が高い[[内陸性気候]]で、日照時間も多いために放射冷却が効きやすく、氷点下 10 [[セルシウス度|°C]] を下回ることも少なくないほど冬の寒さが厳しいが、[[太平洋側気候]]のために積雪は少ない。夏季は冷害を受けることも多く冷涼である。 *'''[[中通り|中通り地方]]''' - 基本的に[[内陸性気候]]の特徴が混じった[[太平洋側気候]]であるが、[[阿武隈川]]流域の西側は[[冬型の気圧配置]]が強まると[[日本海側気候]]の影響を受け[[降雪]]することが多く、[[福島市]]の一部などが[[豪雪地帯]]に指定されている。[[降水量]]は 1,100 - 1,400[[ミリメートル|mm]]と[[東北地方]]の中では少ないほうである。全般に北へ行くほど標高が低くなるので、夏季、冬季ともに温暖になる。したがって、年間を通じて[[福島盆地]]が最も気温が高く、[[桜前線]]もその[[標高]]差により北部の[[福島盆地]] (65m) より始まり、[[安積原野|郡山盆地]] (240m) 、白河盆地 (360m) と南下して行く。夏の最高気温も最高気温の高い順に[[福島市]]、[[郡山市]]、[[白河市]]となる。[[福島盆地]]は夏は酷暑となることが多く、冬は中通り地方の中でも最も降雪の多い地域であるが、曇りの日が多いうえに、標高も最も低いため朝晩の冷え込みは最も弱い。 *'''[[会津|会津地方]]''' - [[日本海側気候]]となり[[雪]]の多い地域となっており、全域が[[豪雪地帯]](半数以上が特別豪雪地帯)に属する。また内陸性の気候でもあり寒さは福島県の中でも厳しく、標高の高い地域は−20°C以下にまで下がることもあり、[[亜寒帯湿潤気候|亜寒帯(冷帯)湿潤気候]]に属する。[[会津盆地]]は[[東北地方]]の[[太平洋]]沿岸、内陸部に[[冷害]]をもたらす[[やませ]]の影響を受けることも少なく、[[フェーン現象]]により[[高温]]となることがある。[[只見川]]流域は日本屈指の豪雪地帯として知られ、その雪解け水を利用した水力発電が盛んである。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+福島県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="5"|[[浜通り]] !colspan="4"|[[阿武隈高地]] |- !style="width:4em;"|[[相馬市|相馬]] !style="width:4em;"|[[浪江町|浪江]] !style="width:4em;"|[[広野町|広野]] !style="width:4em;"|[[いわき市]]<br />[[小名浜]] !style="width:4em;"|[[いわき市]]<br />上遠野 !style="width:4em;"|[[飯舘村|飯舘]] !style="width:4em;"|[[田村市]]<br />[[船引町|船引]] !style="width:4em;"|[[川内村|川内]] !style="width:4em;"|[[小野町]]<br />小野新町 |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />(°C) !最暖月 |23.7<br />(8月)||23.6<br />(8月)||23.4<br />(8月)||23.9<br />(8月)||23.9<br />(8月) |22.0<br />(8月)||22.6<br />(8月)||22.1<br />(8月)||22.7<br />(8月) |- !最寒月 |1.8<br />(1月)||2.0<br />(1月)||2.8<br />(1,2月)||3.6<br />(2月)||2.1<br />(1月) |−1.4<br />(1月)||−0.8<br />(1月)||−0.8<br />(1月)||−1.0<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />(mm) !最多月 |238.8<br />(9月)||256.6<br />(9月)||247.5<br />(9月)||205.8<br />(9月)||205.1<br />(9月) |211.9<br />(9月)||170.3<br />(9月)||218.0<br />(9月)|| 193.1<br />(9月) |- !最少月 |22.1<br />(12月)||30.5<br />(12月)||35.2<br />(12月)||35.0<br />(12月)||32.8<br />(12月) |24.7<br />(2月)||27.8<br />(1月)||32.0<br />(12月)||25.2<br />(1月) |} {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="9"|[[中通り]] |- !style="width:4em;"|[[白河市|白河]] !style="width:4em;"|[[二本松市|二本松]] !style="width:4em;"|[[塙町]]<br />東白川 !style="width:4em;"|[[福島市]]<br />(松木町) !style="width:4em;"|[[福島市]]<br />茂庭 !style="width:4em;"|[[福島市]]<br />鷲倉 !style="width:4em;"|[[郡山市|郡山]] !style="width:4em;"|[[伊達市 (福島県)|伊達市]]<br />[[梁川町|梁川]] !style="width:4em;"|[[石川町|石川]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />(°C) !最暖月 |23.3<br />(8月)||23.9<br />(8月)||23.6<br />(8月)||25.2<br />(8月)||23.2<br />(8月)||18.1<br />(8月)||24.2<br />(8月)||24.6<br />(8月)||23.6<br />(8月) |- !最寒月 |0.2<br />(1月)|| 0.4<br />(1月)||−0.2<br />(1月)||1.4<br />(1月)|| ||−6.6<br />(2月)||0.7<br />(1月)||1.0<br />(1月)||0.0<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />(mm) !最多月 |228.2<br />(8月)||182.7<br />(9月)||219.2<br />(9月)|| 169.2<br />(9月)||197.0<br />(9月)||348.6<br />(8月)||178.6<br />(7月)||159.7<br />(9月)||195.1<br />(9月) |- !最少月 |25.0<br />(12月)||23.6<br />(12月)||29.3<br />(12月)||32.5<br />(12月)||||||27.0<br />(12月)||29.3<br />(12月)||30.0<br />(12月) |} {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |- !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="10"|[[会津]] |- !style="width:4em;"|[[北塩原村]]<br />桧原 !style="width:4em;"|[[猪苗代町|猪苗代]] !style="width:4em;"|[[喜多方市|喜多方]] !style="width:4em;"|[[会津若松市|若松]] !style="width:4em;"|[[西会津町|西会津]] !style="width:4em;"|[[天栄村]]<br />湯本 !style="width:4em;"|[[只見町|只見]] !style="width:4em;"|[[南会津町]]<br />[[南郷村 (福島県)|南郷]] !style="width:4em;"|[[南会津町]]<br />[[田島町 (福島県)|田島]] !style="width:4em;"|[[檜枝岐村|檜枝岐]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />(°C) !最暖月 ||20.2<br />(8月)||22.3<br />(8月)||24.2<br />(8月)||24.8<br />(8月)||23.9<br />(8月)||21.2<br />(8月)||23.0<br />(8月)||22.6<br />(8月)||22.2<br />(8月)||20.1<br />(8月) |- !最寒月 |−4.5<br />(2月)||−2.4<br />(1,2月)||−1.2<br />(1月)||−0.7<br />(1月)||−0.7<br />(1月)||−2.2<br />(1月)||−1.6<br />(1月)||−2.6<br />(1月)||−2.7<br />(1月)||−3.9<br />(2月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />(mm) !最多月 |234.5<br />(7月)||193.1<br />(7月)||200.9<br />(7月)||160.1<br />(9月)||208.6<br />(8月)||245.2<br />(9月)||303.4<br />(1月)||194.8<br />(7月)||185.0<br />(7月)||174.8<br />(7月) |- !最少月 |114.7<br />(4月)||64.3<br />(2月)||81.0<br />(4月)||63.4<br />(4月)||87.5<br />(4月)||65.7<br />(12月)||110.0<br />(4月)||63.7<br />(4月)||61.0<br />(3月)||79.2<br />(4月) |} === 自然公園 === * [[国立公園]] ** [[磐梯朝日国立公園]] ** [[尾瀬国立公園]] ** [[日光国立公園]] * [[国定公園]] ** [[越後三山只見国定公園]] * [[都道府県立自然公園|県立公園]] ** 霊山県立自然公園 ** 霞ヶ城県立自然公園 ** [[南湖県立自然公園]] ** 奥久慈県立自然公園 ** 磐城海岸県立自然公園 ** [[松川浦県立自然公園]] ** 勿来県立自然公園 ** [[只見柳津県立自然公園]]→2021年10月29日、[[越後三山只見国定公園]]に編入され消滅 ** 大川羽鳥県立自然公園 ** 阿武隈高原中部県立自然公園 ** 夏井川渓谷県立自然公園 == 地域 == {|class="wikitable" style="float:right; text-align:center;font-size:90%" |+地域区分と{{自治体人口/福島県|date}}[[推計人口]]<ref>[http://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/11045b/15846.html 福島県の推計人口(福島県現住人口調査結果)](福島県)</ref><br />(推計人口が発表されない自治体<!--避難指示区域など-->は2015年[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]速報値<ref>[https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2015/kekka.html 平成27年国勢調査 調査の結果](総務省統計局)</ref>で代用) |rowspan="2"|区<br />分 |style="font-size:small"|[[日本海側]] |rowspan="2" style="font-size:small"|[[奥羽山脈|奥<br />羽<br />山<br />脈]] |colspan="2" style="font-size:small"|[[太平洋側]] |rowspan="2" style="font-size:small"|[[太平洋|太<br />平<br />洋]] |- |'''[[会津]]'''<br />(旧[[若松県]])<br />{{#expr:{{#expr:{{自治体人口/福島県|喜多方市}} + {{自治体人口/福島県|北塩原村}} + {{自治体人口/福島県|西会津町}} + {{自治体人口/福島県|会津若松市}} + {{自治体人口/福島県|猪苗代町}} + {{自治体人口/福島県|磐梯町}} + {{自治体人口/福島県|会津坂下町}} + {{自治体人口/福島県|湯川村}} + {{自治体人口/福島県|柳津町}} + {{自治体人口/福島県|会津美里町}} + {{自治体人口/福島県|金山町}} + {{自治体人口/福島県|三島町}} + {{自治体人口/福島県|昭和村}} + {{自治体人口/福島県|南会津町}} + {{自治体人口/福島県|下郷町}} + {{自治体人口/福島県|只見町}} + {{自治体人口/福島県|檜枝岐村}}}} / 10000 round 1}}万人<br />({{formatnum:{{#expr:({{自治体人口/福島県|喜多方市}} + {{自治体人口/福島県|北塩原村}} + {{自治体人口/福島県|西会津町}} + {{自治体人口/福島県|会津若松市}} + {{自治体人口/福島県|猪苗代町}} + {{自治体人口/福島県|磐梯町}} + {{自治体人口/福島県|会津坂下町}} + {{自治体人口/福島県|湯川村}} + {{自治体人口/福島県|柳津町}} + {{自治体人口/福島県|会津美里町}} + {{自治体人口/福島県|金山町}} + {{自治体人口/福島県|三島町}} + {{自治体人口/福島県|昭和村}} + {{自治体人口/福島県|南会津町}} + {{自治体人口/福島県|下郷町}} + {{自治体人口/福島県|只見町}} + {{自治体人口/福島県|檜枝岐村}}) *100 / {{自治体人口/福島県|福島県}} round 1}}}}%)<br />5,421km<sup>2</sup><br />(39.3%) |'''[[中通り]]'''<br />(旧福島県)<br />{{#expr:{{#expr:{{自治体人口/福島県|福島市}} + {{自治体人口/福島県|伊達市}} + {{自治体人口/福島県|桑折町}} + {{自治体人口/福島県|国見町}} + {{自治体人口/福島県|川俣町}} + {{自治体人口/福島県|本宮市}} + {{自治体人口/福島県|二本松市}} + {{自治体人口/福島県|大玉村}} + {{自治体人口/福島県|郡山市}} + {{自治体人口/福島県|須賀川市}} + {{自治体人口/福島県|田村市}} + {{自治体人口/福島県|三春町}} + {{自治体人口/福島県|小野町}} + {{自治体人口/福島県|鏡石町}} + {{自治体人口/福島県|天栄村}} + {{自治体人口/福島県|石川町}} + {{自治体人口/福島県|玉川村}} + {{自治体人口/福島県|平田村}} + {{自治体人口/福島県|浅川町}} + {{自治体人口/福島県|古殿町}} + {{自治体人口/福島県|白河市}} + {{自治体人口/福島県|西郷村}} + {{自治体人口/福島県|矢吹町}} + {{自治体人口/福島県|泉崎村}} + {{自治体人口/福島県|中島村}} + {{自治体人口/福島県|棚倉町}} + {{自治体人口/福島県|塙町}} + {{自治体人口/福島県|矢祭町}} + {{自治体人口/福島県|鮫川村}}}} / 10000 round 1}}万人<br />({{formatnum:{{#expr:({{自治体人口/福島県|福島市}} + {{自治体人口/福島県|伊達市}} + {{自治体人口/福島県|桑折町}} + {{自治体人口/福島県|国見町}} + {{自治体人口/福島県|川俣町}} + {{自治体人口/福島県|本宮市}} + {{自治体人口/福島県|二本松市}} + {{自治体人口/福島県|大玉村}} + {{自治体人口/福島県|郡山市}} + {{自治体人口/福島県|須賀川市}} + {{自治体人口/福島県|田村市}} + {{自治体人口/福島県|三春町}} + {{自治体人口/福島県|小野町}} + {{自治体人口/福島県|鏡石町}} + {{自治体人口/福島県|天栄村}} + {{自治体人口/福島県|石川町}} + {{自治体人口/福島県|玉川村}} + {{自治体人口/福島県|平田村}} + {{自治体人口/福島県|浅川町}} + {{自治体人口/福島県|古殿町}} + {{自治体人口/福島県|白河市}} + {{自治体人口/福島県|西郷村}} + {{自治体人口/福島県|矢吹町}} + {{自治体人口/福島県|泉崎村}} + {{自治体人口/福島県|中島村}} + {{自治体人口/福島県|棚倉町}} + {{自治体人口/福島県|塙町}} + {{自治体人口/福島県|矢祭町}} + {{自治体人口/福島県|鮫川村}}) *100 / {{自治体人口/福島県|福島県}} round 1}}}}%)<br />5,393km<sup>2</sup><br />(39.1%) |'''[[浜通り]]'''<br />(旧[[磐前県]])<br />{{#expr:{{#expr:{{自治体人口/福島県|相馬市}} + {{自治体人口/福島県|南相馬市}} + {{自治体人口/福島県|新地町}} + {{自治体人口/福島県|飯舘村}} + {{自治体人口/福島県|葛尾村}} + {{自治体人口/福島県|浪江町}} + {{自治体人口/福島県|大熊町}} + {{自治体人口/福島県|双葉町}} + {{自治体人口/福島県|川内村}} + {{自治体人口/福島県|広野町}} + {{自治体人口/福島県|楢葉町}} + {{自治体人口/福島県|富岡町}} + {{自治体人口/福島県|いわき市}}}} / 10000 round 1}}万人<br />({{formatnum:{{#expr:({{自治体人口/福島県|相馬市}} + {{自治体人口/福島県|南相馬市}} + {{自治体人口/福島県|新地町}} + {{自治体人口/福島県|飯舘村}} + {{自治体人口/福島県|葛尾村}} + {{自治体人口/福島県|浪江町}} + {{自治体人口/福島県|大熊町}} + {{自治体人口/福島県|双葉町}} + {{自治体人口/福島県|川内村}} + {{自治体人口/福島県|広野町}} + {{自治体人口/福島県|楢葉町}} + {{自治体人口/福島県|富岡町}} + {{自治体人口/福島県|いわき市}}) *100 / {{自治体人口/福島県|福島県}} round 1}}}}%)<br />2,969km<sup>2</sup><br />(21.5%) |- | !rowspan="3" style="background:#f4b3c2"|会津<br />{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/福島県|喜多方市}} + {{自治体人口/福島県|北塩原村}} + {{自治体人口/福島県|西会津町}} + {{自治体人口/福島県|会津若松市}} + {{自治体人口/福島県|猪苗代町}} + {{自治体人口/福島県|磐梯町}} + {{自治体人口/福島県|会津坂下町}} + {{自治体人口/福島県|湯川村}} + {{自治体人口/福島県|柳津町}} + {{自治体人口/福島県|会津美里町}} + {{自治体人口/福島県|金山町}} + {{自治体人口/福島県|三島町}} + {{自治体人口/福島県|昭和村}} round 0}}}}人<br /><small>([[会津若松市]]他) |rowspan="6"|<br /> !rowspan="2" style="background:#f6ad49"|県北<br />{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/福島県|福島市}} + {{自治体人口/福島県|伊達市}} + {{自治体人口/福島県|桑折町}} + {{自治体人口/福島県|国見町}} + {{自治体人口/福島県|川俣町}} + {{自治体人口/福島県|本宮市}} + {{自治体人口/福島県|二本松市}} + {{自治体人口/福島県|大玉村}} round 0}}}}人<br /><small>([[福島市]]他) !rowspan="3" style="background:#bbc8e6"|相双<br />{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/福島県|相馬市}} + {{自治体人口/福島県|南相馬市}} + {{自治体人口/福島県|新地町}} + {{自治体人口/福島県|飯舘村}} + {{自治体人口/福島県|葛尾村}} + {{自治体人口/福島県|浪江町}} + {{自治体人口/福島県|大熊町}} + {{自治体人口/福島県|双葉町}} + {{自治体人口/福島県|川内村}} + {{自治体人口/福島県|広野町}} + {{自治体人口/福島県|楢葉町}} + {{自治体人口/福島県|富岡町}} round 0}}}}人<br /><small>([[南相馬市]]他) |rowspan="6"|<br /> |- | |- | !rowspan="2" style="background:#c0a2c7"|県中<br />{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/福島県|郡山市}} + {{自治体人口/福島県|須賀川市}} + {{自治体人口/福島県|田村市}} + {{自治体人口/福島県|三春町}} + {{自治体人口/福島県|小野町}} + {{自治体人口/福島県|鏡石町}} + {{自治体人口/福島県|天栄村}} + {{自治体人口/福島県|石川町}} + {{自治体人口/福島県|玉川村}} + {{自治体人口/福島県|平田村}} + {{自治体人口/福島県|浅川町}} + {{自治体人口/福島県|古殿町}} round 0}}}}人<br /><small>([[郡山市]]他) |- | !rowspan="3" style="background:#e0ebaf"|南会津<br />{{0}}{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/福島県|南会津町}} + {{自治体人口/福島県|下郷町}} + {{自治体人口/福島県|只見町}} + {{自治体人口/福島県|檜枝岐村}} round 0}}}}人<br /><small>([[南会津町]]他) !rowspan="3" style="background:#a2d7dd"|いわき<br />{{formatnum:{{自治体人口/福島県|いわき市}}}}人<br /><small>([[いわき市]]) |- | !rowspan="2" style="background:#98d98e"|県南<br />{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/福島県|白河市}} + {{自治体人口/福島県|西郷村}} + {{自治体人口/福島県|矢吹町}} + {{自治体人口/福島県|泉崎村}} + {{自治体人口/福島県|中島村}} + {{自治体人口/福島県|棚倉町}} + {{自治体人口/福島県|塙町}} + {{自治体人口/福島県|矢祭町}} + {{自治体人口/福島県|鮫川村}} round 0}}}}人<br /><small>([[白河市]]他) |- | |} [[ファイル:Fukushima Prefecture regional boundaries map.svg|thumb|400px|right|福島県の地域区分図]] 福島県は東西に長い形状をしているが、2つの山地によって'''[[浜通り]]・[[中通り]]・[[会津]]'''の3つの地域に分かれており、天気予報でもこの呼称が使われている。東から順に、[[太平洋]]と[[阿武隈高地]]に挟まれている'''浜通り'''、阿武隈高地と[[奥羽山脈]]に挟まれている'''中通り'''、そして奥羽山脈と[[越後山脈]]に挟まれている'''会津'''となっている。 地形的に山地で隔てられているために、山越えした地域同士の交流は浅く、気候や文化にも差があり、3地域での同一県として帰属意識は低い。また南北においても城下町として栄えた会津若松を中心とする北会津地方と南会津地方、宿場町だった郡山市をはさんで県北地方と県南地方で歴史の違いや交流が乏しい傾向がある。同様に沿岸部においても相双地方といわき市にもこの傾向があることから、福島県は他県に比較すると一つの県としての統一感に乏しい傾向にある。 以下、人口は{{自治体人口/福島県|date}}現在の[[推計人口]](福島県の総人口は{{formatnum:{{自治体人口/福島県|福島県}}}}人)。 *中通り {{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/福島県|福島市}} + {{自治体人口/福島県|伊達市}} + {{自治体人口/福島県|桑折町}} + {{自治体人口/福島県|国見町}} + {{自治体人口/福島県|川俣町}} + {{自治体人口/福島県|本宮市}} + {{自治体人口/福島県|二本松市}} + {{自治体人口/福島県|大玉村}} + {{自治体人口/福島県|郡山市}} + {{自治体人口/福島県|須賀川市}} + {{自治体人口/福島県|田村市}} + {{自治体人口/福島県|三春町}} + {{自治体人口/福島県|小野町}} + {{自治体人口/福島県|鏡石町}} + {{自治体人口/福島県|天栄村}} + {{自治体人口/福島県|石川町}} + {{自治体人口/福島県|玉川村}} + {{自治体人口/福島県|平田村}} + {{自治体人口/福島県|浅川町}} + {{自治体人口/福島県|古殿町}} + {{自治体人口/福島県|白河市}} + {{自治体人口/福島県|西郷村}} + {{自治体人口/福島県|矢吹町}} + {{自治体人口/福島県|泉崎村}} + {{自治体人口/福島県|中島村}} + {{自治体人口/福島県|棚倉町}} + {{自治体人口/福島県|塙町}} + {{自治体人口/福島県|矢祭町}} + {{自治体人口/福島県|鮫川村}} round 0}}}}人 *浜通り {{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/福島県|相馬市}} + {{自治体人口/福島県|南相馬市}} + {{自治体人口/福島県|新地町}} + {{自治体人口/福島県|飯舘村}} + {{自治体人口/福島県|葛尾村}} + {{自治体人口/福島県|浪江町}} + {{自治体人口/福島県|大熊町}} + {{自治体人口/福島県|双葉町}} + {{自治体人口/福島県|川内村}} + {{自治体人口/福島県|広野町}} + {{自治体人口/福島県|楢葉町}} + {{自治体人口/福島県|富岡町}} + {{自治体人口/福島県|いわき市}} round 0}}}}人 *会津 {{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/福島県|喜多方市}} + {{自治体人口/福島県|北塩原村}} + {{自治体人口/福島県|西会津町}} + {{自治体人口/福島県|会津若松市}} + {{自治体人口/福島県|猪苗代町}} + {{自治体人口/福島県|磐梯町}} + {{自治体人口/福島県|会津坂下町}} + {{自治体人口/福島県|湯川村}} + {{自治体人口/福島県|柳津町}} + {{自治体人口/福島県|会津美里町}} + {{自治体人口/福島県|金山町}} + {{自治体人口/福島県|三島町}} + {{自治体人口/福島県|昭和村}} + {{自治体人口/福島県|南会津町}} + {{自治体人口/福島県|下郷町}} + {{自治体人口/福島県|只見町}} + {{自治体人口/福島県|檜枝岐村}} round 0}}}}人 県内は、さらに県庁の出先機関である地方振興局の管内によって7つに分けられている。以下、地方振興局ごとに市町村を記載する。なお、県北の本宮市・安達郡(約{{ #expr: (({{自治体人口/福島県|本宮市}} + {{自治体人口/福島県|大玉村}})/1000 round 0)/10}}万人)が県中に、相双の双葉郡(約{{ #expr: (({{自治体人口/福島県|葛尾村}} + {{自治体人口/福島県|浪江町}} + {{自治体人口/福島県|大熊町}} + {{自治体人口/福島県|双葉町}} + {{自治体人口/福島県|川内村}} + {{自治体人口/福島県|広野町}} + {{自治体人口/福島県|楢葉町}} + {{自治体人口/福島県|富岡町}})/1000 round 0)/10}}万人)がいわきに入るとする地域圏の設定もある。 以下の13市13郡31町15村がある。福島県では、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む。東北6県の中で唯一、「ちょう」と読む町が存在しない<ref group="注釈">かつては[[秋田県]]も町をすべて「まち」と読んでいたが、[[日本の市町村の廃置分合#平成の大合併|平成の大合併]]で「ちょう」と読む町が3つ誕生している。</ref>。 === 中通り === * 由来 - 中通りという名称は[[中山道]]に由来する。現在の中山道は、[[徳川幕府]]が[[江戸]]を中心として引き直した路線で、[[平安京|京都]]から[[加納町|加納]]([[関ヶ原の戦い|関ヶ原合戦]]前の[[岐阜市|岐阜]])、[[塩尻市|塩尻]]、[[高崎市|高崎]]を経て江戸([[戊辰戦争]]後の[[東京都|東京]])に至る路線である。古代の中山道は「[[東山道]]」といい、[[平城京|奈良]](後に京都)を始点として、岐阜、塩尻、高崎、[[宇都宮市|宇都宮]]に至り、宇都宮以北が現在の[[国道4号]]沿いに北上する[[東山道]](律令制下の道国制の行政区)の主要街道だった。「中山道」という呼称自体が「東山道」の別称である。この縦貫道は中世には奥大道(おくのだいどう)とも呼ばれた。この縦貫道の名称から、福島県中通り地方は古代から中山道(中仙道)と呼ばれ、中世には仙道(せんどう)とも呼ばれた。なお、高崎から東京に至る関ヶ原合戦後の中山道は、元々は「[[東山道武蔵路]]」と呼ばれる東山道(中山道)の支路である。[[武蔵国]]はもともと東山道の1国であったが、771年(宝亀2年)に[[東海道]]に移管された。 * 気候 - 那須火山帯山麓は[[豪雪地帯]]で[[日本海側気候]]、それ以外の地域は[[太平洋側気候]]に属する。北部の[[福島盆地]]は典型的な内陸性盆地型気候で、夏は非常に高温になる。南部は那須高原に連なる高原地帯となるとので、北部に比べると低温傾向がある。そのため、中通りでは桜前線が北部から南部に南下して移動する。降雪はあるが、通常は 数[[センチメートル|cm]] - 15cm 程度で、30cm も積もれば大雪といわれる。生活面では降雪よりも夜間の路面凍結が深刻である。 * 文化 - 古来より奥州の玄関口として、街道筋として重要な役割を担った。[[高度経済成長期|高度成長期]]以後は[[東北新幹線]]や[[東北自動車道]]も整備されており、東京まで新幹線で1 - 2時間、自動車で2 - 3時間ということもあり、東京との結び付きも強めている。 * 中心地 - 北部に[[福島市]]、中部に[[郡山市]]、そして南部に[[白河市]]の、3極が定立している。 {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=福島県|float=right}} ; 県北地方振興局管内 {{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/福島県|福島市}} + {{自治体人口/福島県|伊達市}} + {{自治体人口/福島県|桑折町}} + {{自治体人口/福島県|国見町}} + {{自治体人口/福島県|川俣町}} + {{自治体人口/福島県|本宮市}} + {{自治体人口/福島県|二本松市}} + {{自治体人口/福島県|大玉村}} round 0}}}}人 ''[http://www.abukuma17.fukushima.fukushima.jp/ 福島広域行政圏]'' * 市 ** [[福島市]]([[都道府県庁所在地|県庁所在地]]) ** [[伊達市 (福島県)|伊達市]] * [[伊達郡]] ** [[桑折町]] ** [[国見町]] ** [[川俣町]] ''[http://www.adachi-kouiki.nihonmatsu.fukushima.jp/ 安達広域行政圏]'' *市 ** [[二本松市]] ** [[本宮市]] * [[安達郡]] ** [[大玉村]] ;県中地方振興局管内 {{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/福島県|郡山市}} + {{自治体人口/福島県|須賀川市}} + {{自治体人口/福島県|田村市}} + {{自治体人口/福島県|三春町}} + {{自治体人口/福島県|小野町}} + {{自治体人口/福島県|鏡石町}} + {{自治体人口/福島県|天栄村}} + {{自治体人口/福島県|石川町}} + {{自治体人口/福島県|玉川村}} + {{自治体人口/福島県|平田村}} + {{自治体人口/福島県|浅川町}} + {{自治体人口/福島県|古殿町}} round 0}}}}人 ''[http://www.city.koriyama.fukushima.jp/icity/browser?ActionCode=genlist&GenreID=1117414337477&FP=sitemap&RK= 郡山広域行政圏]'' * 市 ** [[郡山市]]([[中核市]]) ** [[須賀川市]] ** [[田村市]] * [[田村郡]] ** [[三春町]] ** [[小野町]] * [[岩瀬郡]] ** [[鏡石町]] ** [[天栄村]] * [[石川郡]] ** [[石川町]] ** [[玉川村]] ** [[平田村]] ** [[浅川町]] ** [[古殿町]] ; 県南地方振興局管内 {{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/福島県|白河市}} + {{自治体人口/福島県|西郷村}} + {{自治体人口/福島県|矢吹町}} + {{自治体人口/福島県|泉崎村}} + {{自治体人口/福島県|中島村}} + {{自治体人口/福島県|棚倉町}} + {{自治体人口/福島県|塙町}} + {{自治体人口/福島県|矢祭町}} + {{自治体人口/福島県|鮫川村}} round 0}}}}人 ''[http://www.shirakawa.jp 白河広域行政圏]'' *市 ** [[白河市]] * [[西白河郡]] ** [[西郷村]] ** [[泉崎村]] ** [[中島村]] ** [[矢吹町]] * [[東白川郡]] ** [[棚倉町]] ** [[矢祭町]] ** [[塙町]] ** [[鮫川村]] === 浜通り === * 由来 - 浜通りという名称は[[陸前浜街道]]に由来がある。陸前浜街道は、戊辰戦争前には単に「浜街道」や「海道」とも呼ばれた<!--「陸前」は戊辰戦争後に明治政府が付けた名称-->道で、[[鎌倉市|鎌倉]]以北(関ヶ原合戦後は[[江戸]]以北)の[[東海道]]に当たる沿岸路線で、現在の[[国道6号]]とほぼ一致する沿岸の街道である。奈良時代や平安時代の東海道は、鎌倉以西のみならず、鎌倉以北も含まれており、[[平城京|奈良]](後に[[平安京|京都]])を始点として、現在の[[名古屋市|名古屋]]、[[浜松市|浜松]]、[[東京都|東京]](戊辰戦争前の江戸)、[[水戸市|水戸]]を経由して[[多賀城]]に至る路線であった。 * 気候 - [[太平洋側気候]]に属する。東北地方としては非常に温暖で、夏は涼しく、冬は乾燥して[[雪]]もほとんど降らない。東北地方の他の地域よりも[[関東地方]]の沿岸部に近い、穏やかな気候である。 * 文化 - [[関東地方]]東部([[茨城県]]と[[千葉県]])との結びつきが強い。元々は海道で[[常陸国]]や[[下総国]]と繋がっていた上に、[[岩城氏]]が常陸府中(戊辰戦争後の[[石岡市|石岡]])に源流を持つ[[:Category:常陸平氏|常陸平氏]]の氏族であることや、[[相馬氏]]が[[鎌倉時代]]初期に[[下総国]][[相馬郡 (下総国)|相馬郡]](現在の茨城県[[取手市|取手]]から千葉県[[松戸市|松戸]]にかけての地域)から入植したこともあり、茨城県や千葉県に根源を持つ神社仏閣やお祭りなどが少なくない。現在でも、茨城県や千葉県を中心に展開するチェーン店や製造業が福島県浜通りに店鋪や工場を出す、あるいは浜通りに本社を持つチェーン店や製造業が茨城県に店鋪や工場を出すなどの現象がしばしば見られる。 * 中心地 - [[夜ノ森]]以南(旧[[岩城氏]]領)は[[いわき市]][[平 (いわき市)|平地区]]が中心地だが、夜ノ森以北(旧[[相馬氏]]領)は[[相馬市]][[中村町 (福島県)|中村地区]]と[[南相馬市]][[原町市|原町区]]に中心が分散している。 ;相双地方振興局管内 {{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/福島県|相馬市}} + {{自治体人口/福島県|南相馬市}} + {{自治体人口/福島県|新地町}} + {{自治体人口/福島県|飯舘村}} + {{自治体人口/福島県|葛尾村}} + {{自治体人口/福島県|浪江町}} + {{自治体人口/福島県|大熊町}} + {{自治体人口/福島県|双葉町}} + {{自治体人口/福島県|川内村}} + {{自治体人口/福島県|広野町}} + {{自治体人口/福島県|楢葉町}} + {{自治体人口/福島県|富岡町}} round 0}}}}人 ''[http://www16.ocn.ne.jp/~s-koiki/ 相馬広域行政圏]'' * 市 ** [[相馬市]] ** [[南相馬市]] * [[相馬郡]] ** [[新地町]] ** [[飯舘村]] ''双葉広域行政圏'' * [[双葉郡]] ** [[広野町]] ** [[楢葉町]] ** [[富岡町]] ** [[川内村]] ** [[大熊町]] ** [[双葉町]] ** [[浪江町]] ** [[葛尾村]] ; いわき地方振興局管内 {{formatnum:{{自治体人口/福島県|いわき市}}}}人 * 市 ** [[いわき市]]([[中核市]]) === 会津 === * 由来 - [[記紀]]の記述には、[[崇神天皇]](すじんてんのう)が[[北陸道]]に遣わした[[大彦命]](おおひこのみこと)と[[東海道]]に遣わした[[建沼河別命]](たけぬかわわけのみこと)が、日本海側と太平洋側から遠征して出会ったのが相津(あいづ)だったという記述があり、この相津が後に[[会津]]と表記されるようになった説が有力である。他に[[会津盆地]]でいくつかの川が合流するために舟運の拠点として会津と呼ばれるようになった、あるいは日本海側と太平洋側の物産を運ぶ隊商が会津盆地で取引をするために会津と呼ばれるようになった、など諸説ある。 * 気候 - [[日本海側気候]]に属する。[[新潟県]]と多くの県境を接しており、全国有数の[[豪雪地帯]](一部特別豪雪地帯)である。 * 文化 - [[会津藩]]に由来する文化が色濃く投影されている。また現在の武術武道界に多大な影響を与えた近代最強の武術家とたたえられる[[大東流合気柔術]]の[[武田惣角]](たけだそうかく)の出身地([[会津坂下町]])としても名高い。現在でも会津若松を中心に剣道をはじめとする現代武道や各種の古武術が非常に盛んで、県立高校でも体育の授業に薙刀術があるなどの特色がある。ナショナルジオグラフィック、ヒストリーチャンネル、ディスカバリーチャンネルなどの海外のドキュメンタリー製作でも、武士道や侍文化に関するドキュメンタリーではしばしば会津を例として取り上げる。 * 中心地 - 北部(北会津)は[[会津若松市]]が中心地、南部(南会津)では[[南会津町]]の旧[[田島町 (福島県)|田島町]]が中心地となっている。 ; 会津地方振興局管内 {{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/福島県|喜多方市}} + {{自治体人口/福島県|北塩原村}} + {{自治体人口/福島県|西会津町}} + {{自治体人口/福島県|会津若松市}} + {{自治体人口/福島県|猪苗代町}} + {{自治体人口/福島県|磐梯町}} + {{自治体人口/福島県|会津坂下町}} + {{自治体人口/福島県|湯川村}} + {{自治体人口/福島県|柳津町}} + {{自治体人口/福島県|会津美里町}} + {{自治体人口/福島県|金山町}} + {{自治体人口/福島県|三島町}} + {{自治体人口/福島県|昭和村}} round 0}}}}人 ''[http://www.kouiki.kitakata.fukushima.jp/ 喜多方広域行政圏]'' * 市 ** [[喜多方市]] * [[耶麻郡]](磐梯町と猪苗代町は会津若松広域行政圏) ** [[北塩原村]] ** [[西会津町]] ''[http://www.aizu-kouiki.jp/ 会津若松広域行政圏]'' * 市 ** [[会津若松市]] * [[耶麻郡]](北塩原村と西会津町は喜多方広域行政圏) ** [[磐梯町]] ** [[猪苗代町]] * [[河沼郡]] ** [[会津坂下町]] ** [[湯川村]] ** [[柳津町]] * [[大沼郡]] ** [[三島町]] ** [[金山町 (福島県)|金山町]] ** [[昭和村 (福島県)|昭和村]] ** [[会津美里町]] ; 南会津地方振興局管内 {{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/福島県|南会津町}} + {{自治体人口/福島県|下郷町}} + {{自治体人口/福島県|只見町}} + {{自治体人口/福島県|檜枝岐村}} round 0}}}}人 ''南会津広域行政圏'' * [[南会津郡]] ** [[下郷町]] ** [[檜枝岐村]] ** [[只見町]] ** [[南会津町]] === 都市圏 === [[都市雇用圏]](10 % 通勤圏)の変遷 * [[東北新幹線]]の駅が設置された[[都市圏]]は'''太字'''。 {| class="wikitable" style="text-align:center;" |-style="border-bottom:solid 3px #666;" !style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:9em;"|1980年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:9em;"|1990年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:9em;"|1995年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:9em;"|2000年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:9em;"|2005年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:9em;"|2010年 !style="background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:9em;"|2015年 |- |style="background-color:#{{都市圏Color|黄緑}};"|{{都市圏|いわき|34|7408|浜通り}} |style="background-color:#{{都市圏Color|青}};"|{{都市圏|'''郡山'''|49|3891}} |style="background-color:#{{都市圏Color|青}};"|{{都市圏|'''郡山'''|52|1116}} |style="background-color:#{{都市圏Color|青}};"|{{都市圏|'''郡山'''|53|7493}} |style="background-color:#{{都市圏Color|青}};"|{{都市圏|'''郡山'''|54|8310}} |style="background-color:#{{都市圏Color|青}};"|{{都市圏|'''郡山'''|55|4194}} |style="background-color:#{{都市圏Color|青}};"|{{都市圏|'''郡山'''|54|4662}} |- |style="background-color:#{{都市圏Color|赤}};"|{{都市圏|福島|34|3063|福島都市圏}} |style="background-color:#{{都市圏Color|赤}};"|{{都市圏|'''福島'''|40|4636}} |style="background-color:#{{都市圏Color|赤}};"|{{都市圏|'''福島'''|41|0964}} |style="background-color:#{{都市圏Color|赤}};"|{{都市圏|'''福島'''|41|2353}} |style="background-color:#{{都市圏Color|赤}};"|{{都市圏|'''福島'''|47|0961}} |style="background-color:#{{都市圏Color|赤}};"|{{都市圏|'''福島'''|45|6996}} |style="background-color:#{{都市圏Color|赤}};"|{{都市圏|'''福島'''|45|1044}} |- |style="background-color:#{{都市圏Color|青}};"|{{都市圏|郡山|34|1004|郡山都市圏}} |style="background-color:#{{都市圏Color|黄緑}};"|{{都市圏|いわき|36|1286}} 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|style="background-color:#{{都市圏Color|緑}};"|{{都市圏|'''白河'''|8|6678}} |style="background-color:#{{都市圏Color|緑}};"|{{都市圏|'''白河'''|9|5084}} |style="background-color:#{{都市圏Color|緑}};"|{{都市圏|'''白河'''|9|6786}} |style="background-color:#{{都市圏Color|緑}};"|{{都市圏|'''白河'''|9|7136}} |style="background-color:#{{都市圏Color|緑}};"|{{都市圏|'''白河'''|15|0657}} |style="background-color:#{{都市圏Color|緑}};"|{{都市圏|'''白河'''|14|7080}} |- |style="background-color:#{{都市圏Color|緑}};"|{{都市圏|白河|7|2914|白河都市圏}} |style="background-color:#{{都市圏Color|紫}};"|{{都市圏|原町|7|7162}} |style="background-color:#{{都市圏Color|紫}};"|{{都市圏|原町|7|7860}} |style="background-color:#{{都市圏Color|紫}};"|{{都市圏|原町|7|5020}} |style="background-color:#{{都市圏Color|紫}};"|{{都市圏|原町|7|2837}} |style="background-color:#{{都市圏Color|紫}};"|{{都市圏|南相馬|11|6919}} |style="background-color:#{{都市圏Color|紫}};"|{{都市圏|南相馬|10|4571}} |- |style="background-color:#{{都市圏Color|黄}};"|{{都市圏|喜多方|4|5780|会津}} |{{都市圏|二本松|6|6988}} |{{都市圏|二本松|6|7268}} |{{都市圏|二本松|6|6077}} |colspan="3" style="background-color:#ddd; font-size:80%;"|二本松都市圏は<br />福島都市圏に包含 |- |{{都市圏|二本松|4|5568|福島都市圏}} |style="background-color:#{{都市圏Color|黄}};"|{{都市圏|喜多方|6|0818}} |style="background-color:#{{都市圏Color|黄}};"|{{都市圏|喜多方|6|3413}} |style="background-color:#{{都市圏Color|黄}};"|{{都市圏|喜多方|5|9701}} |colspan="3" style="background-color:#ddd; font-size:80%;"|喜多方都市圏は<br />会津若松都市圏に包含 |} *交通の変遷 ** [[1982年]](昭和57年) - 東北新幹線 大宮 - 盛岡駅間開業 ** [[1985年]](昭和60年) - 東北新幹線 大宮 - 上野駅間開業 ** [[1991年]](平成3年) - 東北新幹線 上野 - 東京駅間開業 == 歴史 == === 先史 === 福島県を含む北関東・東北地方における人の足跡は、[[後期旧石器時代]]に始まる。県域における遺跡としては平林遺跡(桑折町)や会津若松湊の笹山原遺跡群がある。この遺跡から[[旧石器時代]]人が製作し使用したとみられる[[石器]]群が発見されている。年代は約2万2000年前の [[姶良Tn火山灰|AT]] よりも下から出土していることから、後期旧石器時代前半に属する。少しくだって約1万5000年前の塩坪遺跡(喜多方市高郷町)から熱を受けた139個のこぶし大の石がまとまって発見された。 この時代はまだ土器がなく、焼石は食材を直接加熱するのに使用されたのであろう<ref>工藤雅樹「福島のあけぼの」p.12(丸井佳寿子・工藤雅樹・伊藤喜良・吉村仁作『福島県の歴史』山川出版社 2003年2月)</ref>。 [[ファイル:20091231大安場古墳群1号墳.jpg|thumb|250px|[[東北地方]]最大の前方後方墳・[[大安場古墳群|大安場古墳]]]] 縄文時代・弥生時代を経て古墳時代に入るが、福島県は大型の[[古墳]]が少ない東北地方にあって[[大安場古墳]]([[郡山市]]、[[前方後方墳]]、全長約 83m)、[[会津大塚山古墳]]([[会津若松市]]、[[前方後円墳]]、114m 、4世紀後半、東北最古級、[[割竹形木棺]]検出、[[三角縁神獣鏡]]出土)、[[亀ヶ森・鎮守森古墳]]([[会津坂下町]]、前方後円墳、127m)などの大型の古墳が集積する。 [[古墳時代]]、畿内に前方後円墳が登場するのとほぼ同時期に[[会津|会津地方]]でも前方後円墳が作られ始めており、すでに大和朝廷の影響下にあったことが窺える。古墳時代中期以降は、会津地方の古墳造営が減少し、代わって県南地方で盛んに古墳が作られた。県南地方の前方後方墳は隣接する[[那須|那須地方]]([[那須国造]])から連続しており、南那須地方から県南地方一帯は古墳街道ともいうべき古墳集積地帯ともなっている。 === 古代 === 5世紀にはすでに北関東・東北の一部までが[[ヤマト王権]]の影響下にあったと思われ、福島県域においても各[[令制国#令制国の成立|国]]に[[国造]]が成立した。当初、大和朝廷の勢力圏は福島県域が北限であり、蝦夷勢力圏との境界に当たる信夫国([[福島盆地]])などの国には防備の任もあった。 また、関東や近畿地方などから、盛んに開拓のための移民も行われている。その後、国は[[評]](こおり)と呼び名が代わり、陸奥国に再編された。また、大和朝廷の勢力圏も宮城県域、あるいはさらに北に拡大し、信夫評(しのぶごおり)も「北端」ではなくなった。 701年(大宝元年)の大宝律令の施行時には陸奥国となり、評は郡、評司(国造)は[[郡司]]になった。拡大した[[陸奥国]]から718年(養老2年)に[[石城国]]と[[石背国]]が分置された。 * [[石城国]] - [[菊多郡]]、[[石城郡]]、[[標葉郡]](しねはぐん or しめはぐん)、[[行方郡 (福島県)|行方郡]](なめかたぐん)、[[宇多郡|宇太郡]]、[[亘理郡|曰理郡]](わたりぐん)の6郡 * [[石背国]](いわせのくに) - [[信夫郡]]、[[安積郡]]、[[石背郡]]、[[白河郡]]、[[会津郡]]の5郡 現福島県域は石城国または石背国に属することとなり、[[陸奥国]]の領域ではなくなった。<!-- *新しい陸奥国 - 刈田郡、伊具郡、柴田郡、名取郡、宮城郡以北--> 分置後も蝦夷との戦いが続き、東北全体(陸奥・出羽)で戦う必要性起こってきたので、724年(神亀元年)までには石城国と石背国は再び[[陸奥国]]に合併された。これらの郡は、その後、人口の増加などにより、さらに再分割されている。例えば信夫郡から伊達郡が分割され、安積郡からは安達郡などが分割され、[[会津郡]]も[[耶麻郡]]を始め多くの郡に分割された。 [[ファイル:Shiramizu amidadou.jpg|thumb|250px|right|[[白水阿弥陀堂]]([[国宝]])]] *現在、福島県域は岩盤が固くて地震が少ないから「[[岩代国]]」と呼ぶ、という説があるが、これは「岩」という文字のイメージから生まれた俗説である。岩代国の由来は石背国にある。石背国の読み方は本来「いわせ」であったが、後に[[山城国|山背]]を「やましろ」と読むのに習って「いわしろ」とも読むようになったと思われる。明治旧国名では「いわしろ」の読みを採用し、「岩代」の文字を当てた。 平安時代には会津で[[恵日寺 (福島県磐梯町)|恵日寺]]が強大な勢力を得たが、平安時代末期にはほぼ福島県全域が[[奥州藤原氏]]の勢力下に入り、藤原氏一族の[[佐藤氏#信夫佐藤氏|信夫佐藤氏]]が福島盆地を本拠地として、中通りの中部まで、恵日寺後退後の会津、山形県置賜地方まで支配するまでになった。平安末期、福島県内で他には中通りの[[石川氏]]、浜通りの[[岩城氏]]があった。石川氏は清和源氏の流れで前九年の役に従軍して[[石川郡]]に定住した。岩城氏は桓武平家の氏族で、[[藤原清衡]]の養女を妻に迎えて[[石城郡]]に定住したとも石城郡司の子孫とも言われる。 国宝[[白水阿弥陀堂]]は平安時代末期1160年([[永暦]]元年)に岩城則道の菩提を弔うために建立されたものである。 === 鎌倉開府から戦国時代まで === [[ファイル:The Soma Nomaoi 2005-6.jpg|thumb|250px|right|[[相馬野馬追]]]] 中世においては[[源頼朝]]が鎌倉に幕府を開府し東国において自立するが、頼朝は東北において[[奥州合戦|奥州征伐]]により奥州藤原氏を滅ぼす。 県域においては信夫佐藤氏が信夫荘(信夫郡の西北、松川以北)に押し込められると、鎌倉による論功行賞で福島県内は[[伊達氏]]、[[相馬氏]]、[[二階堂氏]]、[[蘆名氏]]、[[畠山氏]]、[[結城氏]]など、多数の関東武士団に細分化された。南北朝の動乱においては結城氏の一族である[[白河結城氏]]が台頭し、白河結城氏を主力とする[[南朝 (日本)|南朝]]方が大いに優勢となったが、しばらくすると相馬氏など[[北朝 (日本)|北朝]]方が盛り返し、白河結城氏など多くの諸氏は[[奥州管領]]や[[鎌倉公方]]の支配を受けるようになる。 戦国時代に北関東・東北においては一国以上の領国を持つ[[戦国大名]]は少なく中小の地域勢力が分立する傾向をもっているが、伊達氏は[[伊達稙宗]]が南奥羽で外征や婚姻外交を繰り返し南奥羽のほとんど大名が勢力下に入るが[[天文の乱]]を起こし衰退したり、白河結城氏が衰退し代わって岩城氏が勢力を盛り返すなど、栄枯盛衰は止むことはなく、隣接する常陸国[[佐竹氏]]や越後国[[上杉氏]]の影響も受けるようになるが、最終的には蘆名氏や相馬氏、[[二本松氏]]などを圧倒した伊達氏の[[伊達政宗]]が短期間ではあるが、福島県域の浜通りを除く大半を領有することになる。 * [[相馬野馬追]]は、[[相馬氏]]の遠祖・[[平将門]]が領内の[[下総国]][[相馬郡 (下総国)|相馬郡]]小金原(現在の[[流山市|流山]]から[[松戸市|松戸]]に広がる地域)に野生馬を放し、敵兵に見立てて軍事訓練をした事に始まると言われている1000年以上の歴史を持つ[[神事]]である。 === 豊臣政権と徳川藩政時代 === [[ファイル:ja-fukushima-ohuchijuku-4.jpg|thumb|250px|right|[[重要伝統的建造物群保存地区]]<br />[[大内宿]]]] [[ファイル:Aizuwakamatsu Castle 05.jpg|thumb|250px|right|[[若松城]](鶴ヶ城)]] [[ファイル:Shirakawa Komine Castle 20100625-01.jpg|thumb|250px|right|[[白河小峰城]]]] [[ファイル:TanakuraJo.jpg|thumb|250px|right|本丸お堀がきれいに残る棚倉城跡]] [[豊臣秀吉]]による[[奥州仕置]]により[[伊達政宗]]が伊達氏の元の本領以外没収され、会津には[[蒲生氏郷]]が入る。翌年の[[葛西大崎一揆]]の戦後処理で伊達政宗が[[岩出山城|岩出山]]に移封させられると、蒲生氏郷が福島県中通り以西のほとんどを領有した。しかし子の[[蒲生秀行 (侍従)|蒲生秀行]]は会津から[[宇都宮藩|宇都宮]]に移され、代わって[[越後国]]の[[上杉景勝]]が会津120万石を得て福島県の中通り以西のほとんどの地域と山形県の置賜地方を領有した。なお、葛西大崎一揆の原因を作ったとして所領を奪われた岩出山の旧領主の[[木村吉清]]は、後に許されて蒲生氏郷に仕えて杉目城主となった。吉清は杉目を「福島」と改称し、今日の県名の由来となっている。 [[関ヶ原の戦い]]によって上杉景勝は信夫郡伊達郡を除く福島県域の所領を失い、30万石となる。代わって会津には蒲生秀行が再度入封し、会津藩60万石が成立する。が、2代目の[[蒲生忠郷]]が早世し[[伊予松山藩]]に移ることになる。次に1627年[[加藤嘉明]]が40万石で会津に入封するが、これも2代目[[加藤明成]]で[[会津騒動]]を起こして領地を徳川幕府に返上した。そして、1643年に松平氏[[保科正之]]が23万石で入封し、この松平氏[[会津藩]]が戊辰戦争まで続くことになる。 一方、信夫郡と伊達郡も1664年に上杉氏[[米沢藩]]から召し上げられ、会津藩以外の大藩はなくなり、会津と浜通り夜ノ森以北(相馬氏領)を除く県内のほとんどの地域で、江戸時代を通じて小・中藩、天領が入り乱れて激しく変遷した。尚この間白河藩は一時徳川譜代となり、寛政の改革を主導した[[松平定信]]など中央の名門家から城主が入り文人政治が行われた。 [[江戸時代]]に[[会津若松城|会津若松]]と[[日光街道]]を結んだ重要な交通路[[会津西街道]](下野街道)の宿場[[大内宿]]が当時の街並みのまま[[重要伝統的建造物群保存地区]]として残され往時を偲ばせる。 === 幕末から福島県成立まで === * [[1868年]] - [[1869年]]、[[戊辰戦争]] ** [[会津戦争]] ** [[白虎隊]] 諸外国の接近によって、幕府の政治が停滞。その中で[[尊王攘夷]]や[[開国]]といった主導で日本を立て直そうとする各藩の武士たちが[[京都]]に押し寄せた。白河藩主[[阿部正外]]は江戸老中として諸外国との折衝にあたり、神戸港を開港したことで攘夷派の公家などの反感を買い老中を罷免され、白河藩は棚倉へと移封され藩主不在となったにもかかわらず、東西両軍にとって要衝の地と目された白河は戊辰の一大激戦地となる悲劇を生むこととなった。当代の会津藩主[[松平容保]]は[[京都守護職]]となり、京都の治安維持を担った。そして[[禁門の変]]では、[[孝明天皇]]を奪取しようとした長州藩勢から御所を守り抜いた。 しかし、大政奉還後の新政府から徳川を排除する意思を固めていた[[薩長同盟]]([[薩摩藩]]・[[長州藩]])との衝突が[[鳥羽・伏見の戦い]]から生じ、敗れた旧幕府側は[[朝敵]]とされた。新政府への恭順を良しとしない主戦派が逃れた結果、戦禍が東北にまで伸びてしまった。圧倒的な西洋戦法を有する薩長の軍勢に、会津藩士は元より、[[奥羽越列藩同盟]]の[[磐城平藩]]や[[相馬中村藩|中村藩]]などでも各藩の勢力は徹底して反撃を繰り返したが、降伏してしまった。 * [[廃藩置県]] 江戸時代幕末に置かれた藩及び城郭、交代寄合陣屋としては[[会津藩]]、支城の[[猪苗代城]]、[[二本松藩]]、[[棚倉藩]]、[[相馬中村藩|中村藩]]、[[三春藩]]、[[磐城平藩]]、[[福島藩]]、[[泉藩]]、[[湯長谷藩]]、[[下手渡藩]]、水戸藩支藩の[[守山藩]]、幕末に[[江戸幕府|徳川幕府]]直轄地となった[[白河小峰城|白河城]]、[[仙台藩]]の支城谷地小屋城などがあり、交代寄合の溝口家の横田陣屋、その他に代官陣屋もあった。 ;代表的な藩主 <gallery> Japanese crest Aizu Aoi.svg|[[会津松平家]][[家紋]] ([[三つ葉葵|会津三つ葵]]) Kuyo Tomoe.svg|[[板倉氏|福島藩主板倉家]][[家紋|定紋]] ([[巴|九曜巴]]) Mon Niwa.svg|[[丹羽氏|二本松藩主丹羽家]]家紋 ([[筋交い|筋交紋]]) Mon Akita Ôgi.jpg|[[秋田氏|三春藩主秋田家]]家紋 ([[扇子|檜扇に違い鷹の羽]]) Kuyo (inverted).svg|[[相馬氏|相馬家]]家紋 ([[九曜]]) </gallery> 明治初期、[[版籍奉還]]後の[[1869年]](明治2年)の[[太政官]]令により、[[陸奥国]](むつのくに)南端である現在の福島県域は陸奥国から分離し、西側が[[岩代国]](いわしろのくに)、東側が[[磐城国]](いわきのくに)となった。岩代国は現在の福島県中通り地方の中北部と会津地方。磐城国は現在の福島県中通り地方南部と福島県浜通り地方と宮城県南部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)にほぼ相当する。 [[1869年]](明治2年)[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]、福島藩が[[重原藩]]に移封され[[天領|幕府領]]となっていた[[伊達郡]]、[[信夫郡]]を管轄するために'''福島県'''(第1次)が設置され、[[安達郡]]の[[二本松藩]]領37村、伊達郡の幕府領42村、[[盛岡藩]]領8村、[[棚倉藩]]領4村、[[館藩]]領2村、信夫郡の幕府領43村、重原藩領19村、[[足守藩]]領11村、[[新発田藩]]領8村、[[関宿藩]]領6村、二本松藩領4村、棚倉藩領2村、宇多郡の幕府領1村を管轄した。この第1次福島県は後述の'''二本松県'''(第2次)に統合され、わずか2年で廃止されている。 [[1871年]](明治4年)7月(旧暦)の[[廃藩置県]]で全国に多数の県が生まれた後、同年11月(旧暦)に現在の福島県域は、岩代国の会津地方(旧会津藩領の[[越後国]][[蒲原郡]]の一部[のち[[東蒲原郡]]]を含む)が[[若松県]]、岩代国と磐城国からなる中通り地方が二本松県(第2次、二本松県になって、わずか12日間後に県庁が信夫郡福島町に移転、福島県に改称したのでほとんど機能はしていない)、磐城国はほぼそのまま[[磐前県]](いわさきけん)の3つの県として統合された。 [[1876年]](明治9年)[[8月21日]]に、福島県(第2次)、[[若松県]]、磐前県が合併され、現在の'''福島県'''(第3次)が成立した。その際、磐前県北部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)が[[宮城県]]に、磐前県南部の一部が[[茨城県]]に移管され、さらに[[1886年]](明治19年)に東蒲原郡が[[新潟県]]へ移管されて、現在の福島県域になった。これらの変遷は最後の東蒲原郡移管を除いて、1869年(明治2年)の藩の制度化の後、1871年(明治4年)の廃藩置県から1876年(明治9年)までの短期間に行われた。 === 福島県成立後 === * [[1882年]](明治15年)、 [[福島事件]]が発生。 * [[1888年]](明治21年)[[7月15日]]、[[1888年の磐梯山噴火|磐梯山噴火]]([[檜原湖]]・[[小野川湖]]・[[秋元湖]]が形成される)。 * [[1891年]](明治24年)[[9月1日]]、[[東北本線]]全通。 * [[1894年]](明治27年)[[12月26日]]、[[信夫郡]]福島町で県内初めて電灯が点灯。 * [[1895年]](明治28年)信夫郡[[庭坂村]]に県内初の水力発電所完成。 * [[1899年]](明治32年)[[4月1日]]、[[北会津郡]]若松町が市制施行し、'''[[会津若松市|若松市]]'''となる。 * [[1900年]](明治33年)[[7月17日]]、[[安達太良山]]大噴火。 * [[1907年]](明治40年)[[4月1日]]、信夫郡福島町が市制施行し、'''[[福島市]]'''となる。 * [[1910年]](明治43年)4月、若松-坂下間に県内初の乗合バス路線が開業。 * [[1917年]](大正6年)[[8月13日]]、[[米騒動]]発生。 * [[1922年]](大正11年)[[4月1日]]、福島高等商業学校(後の[[福島大学]])が発足。 * [[1924年]](大正13年)[[9月1日]]、[[安積郡]]郡山町・小原田村が合併・市制施行し、'''[[郡山市]]'''となる。 * [[1937年]](昭和12年)[[6月1日]]、[[石城郡]][[平町 (福島県)|平町]]・[[平窪村]]が合併・市制施行し、'''[[平 (いわき市)|平市]]'''となる。 * [[1940年]](昭和15年)、福島県の全新聞が[[福島民報]]に統合([[新聞統制|一県一紙]]完成)。 * [[1942年]](昭和17年)10月、[[歩兵第29連隊]](会津若松)、[[ガダルカナル島の戦い]]において2,200名戦死。 * [[1944年]](昭和19年)11月、[[東邦銀行]]が福島貯蓄銀行を合併し、県内唯一の地方銀行となる([[一県一行主義|一県一行]]完成)。 * [[1945年]](昭和20年)[[4月2日]]、[[郡山空襲]]。 * [[1949年]](昭和24年)[[4月1日]] - [[西白河郡]][[白河町]]・[[大沼村 (福島県)|大沼町]]が合併・市制施行し、'''[[白河市]]'''となる。 * [[1956年]](昭和31年)5月、県が財政再建団体となる。 * [[1974年]](昭和49年)1月、会津地方で記録的豪雪。 * [[1986年]](昭和61年)[[8月5日]]、[[8.5水害]]発生。 * [[2011年]](平成23年)[[3月11日]]14時46分ごろ、[[三陸沖]]を震源とするM9.0の[[東北地方太平洋沖地震]]が発生('''[[東日本大震災]]''')。県内の大部分が震度5弱-6強の激しい揺れに襲われた。また浜通り地方を[[津波|大津波]]が襲い、[[東京電力]]の[[福島第一原子力発電所]]に被害が及ぶ([[福島第一原子力発電所事故]])など多くの爪痕を残した。 * [[2016年]](平成28年)11月22日朝方、福島県沖を震源とするM7.4の[[福島県沖地震 (2016年)]]が発生。 * [[2019年]](令和元年) 10月、[[令和元年東日本台風]]により、県内に[[特別警報|大雨特別警報]]を発令。[[阿武隈川]]・[[夏井川]]流域での氾濫及び堤防決壊や土砂災害などで死者30名を出した。 * [[2021年]](令和3年)2月13日深夜、福島県沖を震源とするM7.3の[[福島県沖地震 (2021年)]]が発生。 * [[2022年]](令和4年)3月16日深夜、福島県沖を震源とするM7.4の[[福島県沖地震 (2022年)]]が発生。 ** 10月1日、県は[[只見線]][[会津川口駅]] - [[只見駅]]間の施設を保有、運営は引き続き[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]が担う<ref>{{Cite press release|title=只見線全線運転再開について|publisher=福島県/東日本旅客鉄道仙台支社|date=2022-05-18|url=https://www.jreast.co.jp/press/2021/sendai/20220518_s02.pdf|format=PDF|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220518060738/https://www.jreast.co.jp/press/2021/sendai/20220518_s02.pdf|accessdate=2022-10-1|archivedate=2022-05-18}}</ref><ref>{{Cite press release|title=鉄道事業の廃止の届出に係る公衆の利便の確保に関する意見の聴取について(公示のお知らせ)|publisher=国土交通省東北運輸局|date=2021-07-12|url=https://wwwtb.mlit.go.jp/tohoku/content/000240888.pdf|format=PDF|language=日本語|archiveurl=https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12312236/wwwtb.mlit.go.jp/tohoku/content/000240888.pdf|accessdate=2022-10-1|archivedate=2021-10-03}}</ref>。 == 人口 == [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Fukushima prefecture, Japan_2015-2020.svg|thumb|300px|福島県市町村人口増減率分布図(2015年度と2020年度国勢調査から算出){{Multicol}} '''増加''' {{legend|#225500|10.0 % 以上}} {{legend|#44AA00|7.5 - 9.99 %}} {{legend|#66FF00|5.0 - 7.49 %}} {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}<br /> {{legend|#999999|値無し(2015年の人口が0人)}}]] [[1997年|1998年1月]]の214万人をピークに減少傾向にある。 2019年10月1日時点の推計人口は184万4173人で、全国21位である。東日本大震災の影響で2011、2012年は人口減少率が全国最高を記録したが、2013年は全国25位とやや落ち着いている。 合計特殊出生率が1.53(2018年)あり、これは東日本では群を抜いて高い(次ぐ山形県が1.48)。ただし、合計特殊出生率が高い県は九州や中四国など西日本に集中しており、全国的には20位に過ぎない。 {{人口統計|code=07000|name=福島県|image=Demography07000.svg}} {|class="wikitable" style="margin:1em 0.2em;text-align:center;" |-style="background-color: #ddd;" !colspan="7"|福島県の市の人口、人口密度、可住地人口密度(2005年) |- !順位 !colspan="2"|人口 !colspan="2"|人口密度 !colspan="2"|可住地人口密度 |- |1位 |style="background-color:#cfc;"|[[いわき市]] |354,492人 |style="background-color:#ffc;"|郡山市 |447人/km<sup>2</sup> |style="background-color:#fcc;"|福島市 |1,079人/km<sup>2</sup> |- |2位 |style="background-color:#ffc;"|[[郡山市]] |338,834人 |style="background-color:#fcc;"|福島市 |387人/km<sup>2</sup> |style="background-color:#cfc;"|いわき市 |1,035人/km<sup>2</sup> |- |3位 |style="background-color:#fcc;"|[[福島市]] |297,357人 |style="background-color:#fff;"|([[本宮市]]) |356人/km<sup>2</sup> |style="background-color:#ffc;"|郡山市 |1,012人/km<sup>2</sup> |- |4位 |style="background-color:#fcf;"|([[会津若松市]]) |131,389人 |style="background-color:#fcf;"|(会津若松市) |343人/km<sup>2</sup> |style="background-color:#fcf;"|(会津若松市) |887人/km<sup>2</sup> |- |5位 |style="background-color:#cff;"|[[須賀川市]] |80,364人 |style="background-color:#cff;"|須賀川市 |288人/km<sup>2</sup> |style="background-color:#fff;"|([[伊達市 (福島県)|伊達市]]) |524人/km<sup>2</sup> |} == 政治 == === 県政 === {{Main|福島県知事一覧|福島県庁|福島県議会}} ==== 歴代知事(公選後) ==== 現在の福島県知事は、[[内堀雅雄]](第21代、2期目)。以外歴代知事を列挙する。冒頭数字は人数を指しており、就任代ではない。 # [[石原幹市郎]](1947年4月12日 - 1949年11月30日) # [[大竹作摩]](1950年1月28日 - 1957年7月25日) # [[佐藤善一郎]](1957年8月25日 - 1964年3月23日) # [[木村守江]](1964年5月16日 - 1976年8月11日 収賄容疑に問われ引責辞任) # [[松平勇雄]](1976年9月19日 - 1988年9月18日) # [[佐藤栄佐久]](1988年9月19日 - 2006年9月28日 親族による談合事件で引責辞任) # [[佐藤雄平]](2006年11月12日 - 2014年11月11日) # [[内堀雅雄]](2014年11月12日 - ) ==== 議会 ==== {{main|福島県議会}} ==== キャッチコピー ==== 福島県は、[[1991年]](平成3年)より県のイメージアップ事業で使用するため「'''うつくしま、ふくしま。'''」を使用している。これはコピーライターの[[眞木準]]の手により提示された[[キャッチコピー]]である。眞木の説明によると、その由来は :''「[[中古日本語|古語]]の『うつくし』は日本の原風景を残した福島に似合っており、『しま』は県土の形が[[オーストラリア大陸]]に似ていることから考えた」''<ref>『[[読売新聞]]』1991年11月28日 東京夕刊23面</ref>ものとされる。同年[[11月27日]]に福島県で採用が決定し、初年度だけでも2600万円をイメージアップ事業のために投入した。 本[[キャッチコピー]]は当初こそ福島県民に対してその意図がなかなか浸透せず、「全国でも例を見ない」「奇抜なイメージデザイン」との見解が寄せられることもあった<ref>『[[河北新報]]』1992年2月17日</ref>が、[[1995年]](平成7年)、[[1999年]](平成11年)、[[2001年]](平成13年)の3度の福島県[[デスティネーションキャンペーン]] (DC) のキャッチコピーにも用いられ、また、DC と同時期に開催された[[1995年]](平成7年)の[[第50回国民体育大会|ふくしま国体]]と[[全国障害者スポーツ大会]](うつくしまふくしま大会)や、[[2001年]](平成13年)の「[[うつくしま未来博]]」などのイベント名との相乗効果により県内外から広く認知されるに至った。 県の観光事業に主に用いられてきたキャッチコピーであったが、[[うつくしま大橋]]、[[うつくしま百名山]]に見られるように、福島県の美称として[[固有名詞]]に「うつくしま」のフレーズが単独で用いられることもある。 ==== イメージキャラクター ==== * [[キビタン]] - 福島県のマスコットキャラクター([[ゆるキャラ]]) : 元々は [[1995年]]に開催された[[第50回国民体育大会|第50回ふくしま国体]]のマスコットであり、[[国民体育大会|国体]]終了後に[[広告代理店]]より無償提供され、現在キビタンの版権は福島県のものになっている。 === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#福島県|福島県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が5。[[参議院]]では、全県で1区を構成。 == 経済・産業 == [[第一次産業]]では[[イネ|水稲]]、福島市や伊達エリアの[[モモ]]に代表される[[果物]]などの[[農産物]]、いわき市の[[カツオ]]、郡山市の[[養殖]]鯉(出荷量日本1位[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/jiman/ji_ji_06111601.htm])などの[[水産物]]が主要産物である。 [[第二次産業]]では[[首都圏 (日本)|東京首都圏]]に隣接する至便性のため首都圏より県内に進出する企業も多く製造品出荷額では宮城県を抑え東北地方1位である。電子機器関連の工場の立地が多く、福島市周辺では[[電子機器]]、会津若松周辺では[[半導体]]、郡山周辺では[[プリント基板]]関連、[[電子部品]]、いわき市周辺では電子機器、[[化学]]製品、[[自動車]]エンジン工場などの立地がある。最近では[[田村市]]において自動車電装部品関連企業の誘致にも成功している。([[2008年]](平成20年)現在) [[第三次産業]]では県内における最大の[[都市圏]]は、[[中通り]]中部の[[郡山市|郡山]]を中心とする[[郡山都市圏]]であり、周辺地域とともに県内最大の郡山経済圏を形成し、郡山市は東北地方第2位の[[日本の年間商品販売額一覧|商業年間商品販売額]]を誇り商都と呼ばれている。 === 第一次産業 === [[農林水産省]]による統計では、[[2009年]](平成21年)の都道府県別の農業産出額は福島県が2450億円となり、金額では全国7位である<ref>{{Cite web|和書 |url = http://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/nougyou_sansyutu/pdf/sansyutu_zenkoku_2009.pdf |title = 農林水産省大臣官房統計部 平成21年農林水産統計 全国農業地域別農業産出額|format=PDF |accessdate = 2011-11-28 }}</ref>。この内、米の948億円(全国5位)と野菜の546億円を含めた耕作物、つまり耕種の産出額は1931億円であり、肉用牛137億円や生乳97億円、豚100億円、鶏卵123億円を含む畜産は513億円となっており、これらが農業による主な産出額である。漁業に関しては[[2009年]](平成21年)の都道府県別の農業産出額のうち、福島県は養殖での額が不明ながら海面漁業は160億円とされている<ref>{{PDFlink|[http://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/gyogyou_seigaku/pdf/gyogyo_saigaku_09.pdf 平成21年漁業生産額]}} - 農林水産省</ref>。また、[[2008年]](平成20年)発表統計データによる青森県(2797億円)、岩手県(2541億円)に次いで東北第3位。県内では農業産出額が多い順に福島市(195億円、県内1位、東北12位)、郡山市(188億円、県内2位、東北14位)、伊達市(140億円、県内3位、東北20位)<ref name="statgov2008">{{Cite web|和書 |url = http://www.stat.go.jp/data/ssds/5b.htm |title = 総務省統計局 統計でみる市区町村のすがた 2008 |accessdate = 2011-11-28 }}{{リンク切れ|date=2021年5月}}</ref>。 {| |+2008年発表統計データによる<br />県内上位20市町の農業産出額<ref name="statgov2008"/> | {|class="wikitable" |- |1 |[[福島市]] |style="text-align:right"|195億円 |- |2 |[[郡山市]] |style="text-align:right"|188億円 |- |3 |[[伊達市 (福島県)|伊達市]] |style="text-align:right"|140億円 |- |4 |[[須賀川市]] |style="text-align:right"|127億円 |- |5 |[[喜多方市]] |style="text-align:right"|121億円 |- |6 |[[いわき市]] |style="text-align:right"|112億円 |- |7 |[[田村市]] |style="text-align:right"|104億円 |- |8 |[[会津若松市]] |style="text-align:right"|104億円 |- |9 |[[南相馬市]] |style="text-align:right"|100億円 |- |10 |[[相馬市]] |style="text-align:right"|99億円 |} | {| class="wikitable" |- |11 |[[二本松市]] |style="text-align:right"|95億円 |- |12 |[[白河市]] |style="text-align:right"|91億円 |- |13 |[[会津美里町]] |style="text-align:right"|62億円 |- |14 |[[矢吹町]] |style="text-align:right"|50億円 |- |15 |[[会津坂下町]] |style="text-align:right"|49億円 |- |16 |[[猪苗代町]] |style="text-align:right"|37億円 |- |17 |[[飯舘村]] |style="text-align:right"|37億円 |- |18 |[[平田村]] |style="text-align:right"|36億円 |- |19 |[[浪江町]] |style="text-align:right"|36億円 |- |20 |[[鏡石町]] |style="text-align:right"|34億円 |} |} * 主要農産物 [[福島盆地]]の[[モモ]]、[[ナシ]]、[[あんぽ柿]]、いわき市の[[イチゴ]]、いわき[[イチジク]]、会津身不知柿などの果物。会津盆地や郡山盆地他を中心とした[[イネ|水稲]]。[[さやいんげん]]や[[きゅうり]]などの[[野菜]]類。 ** 福島盆地のモモは全国有数の生産量を誇りながらも[[皇室]]・[[宮家]]への献上桃として指定されているなど高品質なことでも知られている。 ** 会津産の[[コシヒカリ]]は[[魚沼郡|新潟県魚沼産]]同様高い評価を得ている([[2018年]](平成30年)現在、特Aクラスを得ている)。 * 主要水産物 いわき市の[[カツオ]]、[[エソ|目光]]、相馬市の[[ホッキ貝]]、[[アサリ]]、[[海苔]]、浪江町、旧鹿島町の[[サケ|鮭]]、県内各所の[[ニジマス]]、郡山市の養殖[[鯉]]など。 * 主要畜産品 旧[[都路村]]、[[葛尾村]]、[[飯舘村]]の[[牛肉]]など。 === 第二次産業 === [[2008年]](平成20年)発表統計データの製造品出荷額などによると、福島県は5兆5686億円となり東北1位。2位は宮城県(3兆5702億円)、3位は山形県(2兆8692億円)。県内では製造品出荷額などが多い順にいわき市(1兆0701億円、県内1位、東北1位)、郡山市(9667億円、県内2位、東北2位)、福島市(6608億円、県内3位、東北5位)は東北地方有数の工業都市<ref name="statgov2008"/>。 {| |+県内上位20市町の製造品出荷額<ref name="statgov2008"/><br /><small>(2008年発表。喜多方市以外<ref group="注釈">[[高郷村]]分データ不明により[[喜多方市]]が記載されていないため、{{PDFlink|[http://www.pref.fukushima.jp/toukei/data/hitome/2007/si/22.pdf 福島県ホームページ]}}より概算値引用。</ref>)</small> | {|class="wikitable" |1 |[[いわき市]] |style="text-align:right"|1兆701億円 |- |2 |[[郡山市]] |style="text-align:right"|9667億円 |- |3 |[[福島市]] |style="text-align:right"|6608億円 |- |4 |[[会津若松市]] |style="text-align:right"|2946億円 |- |5 |[[白河市]] |style="text-align:right"|2743億円 |- |6 |[[伊達市 (福島県)|伊達市]] |style="text-align:right"|2544億円 |- |7 |[[本宮市]] |style="text-align:right"|2269億円 |- |8 |[[須賀川市]] |style="text-align:right"|1987億円 |- |9 |[[二本松市]] |style="text-align:right"|1763億円 |- |10 |[[西郷村]] |style="text-align:right"|1624億円 |- |11 |[[相馬市]] |style="text-align:right"|1036億円 |} |style="vertical-align:top"| {| class="wikitable" |- |12 |[[南相馬市]] |style="text-align:right"|1014億円 |- |13 |[[棚倉町]] |style="text-align:right"|958億円 |- |14 |([[喜多方市]]) |style="text-align:right"|(916億円) |- |15 |[[泉崎村]] |style="text-align:right"|794億円 |- |16 |[[田村市]] |style="text-align:right"|766億円 |- |17 |[[矢吹町]] |style="text-align:right"|587億円 |- |18 |[[玉川村]] |style="text-align:right"|501億円 |- |19 |[[桑折町]] |style="text-align:right"|476億円 |- |20 |[[三春町]] |style="text-align:right"|455億円 |- |21 |[[鏡石町]] |style="text-align:right"|452億円 |} |} ; 伝統工芸 * [[昭和村 (福島県)|昭和村]]の[[からむし織]]、旧梁川町の[[ニット]]製品、[[絹]]製品、[[会津木綿]]、[[三春駒]]、白河[[だるま]]、[[赤べこ]]、こけし、[[会津塗]]、タンスなど[[桐]]製品、[[会津本郷焼]]・[[大堀相馬焼]]などの[[陶磁器]] *会津地方を中心として[[日本酒]]酒蔵が多く、全国的に知名度の高い酒蔵もある。 ; 鉱業 * 浜通り夜ノ森以南<!--富岡~いわき市。広野にも鉱泉がある。-->には、20世紀前半に[[常磐炭田]]と呼ばれる日本有数の[[炭鉱]]が存在した。 ; [[発電所]] 福島県は様々な形態の発電所が建設された[[電源地帯]]である。同県に送電しない企業も含め、複数の企業が発電所を建設した。 * [[水力発電]] ** [[阿賀野川|阿賀川]]源流域の一つである[[磐梯高原]]、[[猪苗代湖]]の豊富な水とその落差を利用し、[[安積疏水]]、[[日橋川]]では[[水力発電]]が[[明治|明治時代]]より行われ、この地域は日本の近代化に貢献してきた。 *** 猪苗代湖と安積疏水の落差を利用した沼上発電所は、日本で初めての高圧送電を利用した長距離送電が郡山市内まで行われ紡績・繊維産業の発展に貢献した。 *** 日橋川の総発電量は16万[[キロワット時]]に及び、その豊富な[[電力]]を利用したアルミ製品、金属工業などの近代工業の工場が古くから稼動している。 ** [[1930年代]]に入り、[[只見川]]・[[阿賀野川|阿賀川]]は上流域から下流域までくまなくその[[水資源]]を有効活用した[[水力発電所]]が各所に設けられ日本を代表する[[電源地帯]]となった。 *** [[カルデラ湖]]である[[沼沢湖]]と宮下ダム湖(只見川)の落差約 220m を利用した[[揚水式発電]]所は50年以上の歴史を持つ。 {{main|只見特定地域総合開発計画}} * [[原子力発電]] ** 浜通り地方の[[夜ノ森]]付近では、2011年に[[福島第一原子力発電所事故]]が発生するまで、[[福島第一原子力発電所]]([[大熊町|大熊]]。定格 470万kW)と[[福島第二原子力発電所]]([[楢葉町|楢葉]]。定格 440万kW)が稼動していた。 * [[火力発電]] ** 東北電力[[原町火力発電所]]、東京電力[[広野火力発電所]]、相馬共同火力発電新地発電所、常磐共同火力勿来発電所が稼動している。 * [[地熱発電]] ** 日本の[[地熱発電所]]としては国内最大出力の[[東北電力]]・[[柳津西山地熱発電所]](最大出力 65,000kW)が稼動している。 * [[風力発電]] ** [[風力原動機|風車]]33基を備える[[発電所]]出力 65,980kW の国内最大級出力の「グリーンパワー郡山布引」([[電源開発]]の100%子会社)[[布引高原|郡山布引高原風力発電所]]が稼動している。また、[[田村市]]には風車23基を備える「ユーラスエナジー滝根小白井」(出力46,000kW)と風車14基を備える「桧山高原風力発電所」(出力28,000kW)が稼働している。 === 第三次産業 === * [[2008年]](平成20年)発表統計データによると、福島県の[[日本の年間商品販売額一覧|商業年間商品販売額]]は、4兆7,206億円となり宮城県(10兆2365億円)に次いで東北2位。県内では商業年間商品販売額が多い順に郡山市(1兆4,515億円、県内1位、東北2位)、福島市(9,150億円、県内2位、東北7位)、いわき市(8,153億円、県内3位、東北9位)<ref name="statgov2008"/>。 {| |+2008年発表統計データによる<br />県内の上位20市町の商業年間商品販売額<ref name="statgov2008"/> | {|class="wikitable" |- |1 |[[郡山市]] |style="text-align:right"|1兆4515億円 |- |2 |[[福島市]] |style="text-align:right"|9150億円 |- |3 |[[いわき市]] |style="text-align:right"|8153億円 |- |4 |[[会津若松市]] |style="text-align:right"|3432億円 |- |5 |[[須賀川市]] |style="text-align:right"|1280億円 |- |6 |[[南相馬市]] |style="text-align:right"|1239億円 |- |7 |[[白河市]] |style="text-align:right"|1151億円 |- |8 |[[伊達市 (福島県)|伊達市]] |style="text-align:right"|792億円 |- |9 |[[本宮市]] |style="text-align:right"|755億円 |- |10 |[[相馬市]] |style="text-align:right"|749億円 |} | {| class="wikitable" |- |11 |[[二本松市]] |style="text-align:right"|703億円 |- |12 |[[喜多方市]] |style="text-align:right"|638億円 |- |13 |[[田村市]] |style="text-align:right"|428億円 |- |14 |[[浪江町]] |style="text-align:right"|311億円 |- |15 |[[西郷村]] |style="text-align:right"|283億円 |- |16 |[[矢吹町]] |style="text-align:right"|247億円 |- |17 |[[富岡町]] |style="text-align:right"|243億円 |- |18 |[[南会津町]] |style="text-align:right"|232億円 |- |19 |[[棚倉町]] |style="text-align:right"|227億円 |- |20 |[[会津坂下町]] |style="text-align:right"|224億円 |} |} * 福島市、会津若松市、郡山市、いわき市をはじめ県内主要各都市では近年大型[[ショッピングモール]]、[[カテゴリーキラー]]などの専門店が[[ロードサイド店舗]]として車で便利な郊外に盛んに立地している。そのため中心市街地に立地する商業施設の空洞化が目立つ。 ** 大型ショッピングモール例 *** 下記[[#主な大型商業施設]]参照 ** 撤退した中心市街地の大型商業施設例 *** [[さくら野百貨店|さくら野福島店]](福島市) *** [[丸井]]郡山店(郡山市) *** [[トポス (ディスカウントストア)|トポス郡山店]](郡山市) *** [[リヴィン#ザ・モール郡山店|郡山西武]](郡山市) *** [[大黒屋 (いわき市)|大黒屋]](いわき市) *** [[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー平店]](いわき市) *** [[会津サティ]](会津若松市) *** [[中合会津店]](会津若松市) *** [[中合]]福島店(福島市) *** [[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー白河店]](白河市) * いわき市には炭鉱より開発された大型[[温泉]]観光施設[[スパリゾートハワイアンズ]]がある。 * 中通りから会津にかけて大型の[[スキー場|スキーリゾート]]が多数存在する。 * [[飯坂温泉]]、[[磐梯熱海温泉]]、[[東山温泉]]など大型の温泉観光地がある。 ==== 主な大型商業施設 ==== * [[うすい百貨店]](郡山市) * [[イオングループ]] ** [[イオン福島店]] ** [[ショッピングモールフェスタ]](イオン郡山フェスタ店が[[キーテナント]]) ** [[イオンいわき店]] ** [[イオンモールいわき小名浜]] ** [[イオン白河西郷店]] ** [[ショッピングタウンベガ]](イオン相馬店がキーテナント) ** [[イオンタウン郡山]] ** [[イオンタウン須賀川]] ** [[イオンタウン塩川]] ** [[イオンスーパーセンター]]鏡石店 ** [[南相馬ジャスモール]](イオンスーパーセンター南相馬店がキーテナント) **イオン広野店 **イオン浪江店 * [[セブン&アイホールディングス]] ** [[イトーヨーカドー福島店]] ** [[イトーヨーカドー郡山店]] ** [[ヨークベニマル]]各店 * [[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]] ** ドン・キホーテ福島店 ** ドン・キホーテ須賀川店 ** ドン・キホーテ郡山駅東店 ** [[MEGAドン・キホーテUNY会津若松店]] ** MEGAドン・キホーテ ラパークいわき店 * [[PLANT]] ** PLANT5‐大玉店 * [[ベイシアグループ]] ** ベイシア安達店 ** ベイシア白河モール店 * [[仙台ターミナルビル]] ** [[エスパル]]福島 ** エスパル郡山 ** エスパルいわき * [[ザ・モール郡山]] * [[メガステージ]] ** メガステージ白河 ** メガステージ矢吹 ** メガステージ石川 ** メガステージ須賀川 ** メガステージ田村 ** メガステージ二本松 ** メガステージ会津坂下 * [[フレスポ]] ** フレスポ須賀川グリーンモール ** フレスポ郡山 ** フレスポいわき泉町 * [[Latov]](いわき市) * [[エブリア]](いわき市) === 福島県の企業 === {{Main|Category:福島県の企業}} [[ファイル:20090201福島盆地荒川流域空撮Tagged.jpg|thumb|250px|right|[[福島市]]の[[日東紡]]、福島キヤノン、[[NOK (企業)|NOK]]、[[パナソニック]]などの工場]] ==== 福島県に本社のある主な企業 ==== * [[東邦銀行]](福島市) * [[福島銀行]](福島市) * [[日東紡績]](福島市) * [[福島テレビ]](福島市) * [[テレビユー福島]](福島市) * [[ラジオ福島]](福島市) * [[福島民報]](福島市) * [[福島民友]](福島市) * [[キヤノン|福島キヤノン]](福島市) * [[アレンザホールディングス]](福島市) * [[福島交通]](福島市) * [[こころネット]](福島市) * [[福島中央テレビ]](郡山市) * [[福島放送]](郡山市) * [[エフエム福島]](郡山市) * [[大東銀行]](郡山市) * [[ヨークベニマル]](郡山市) * [[ゼビオホールディングス]](郡山市) * [[幸楽苑ホールディングス]](郡山市) * [[アサカ理研]](郡山市) * [[東北村田製作所]](郡山市) * [[ニラク]](郡山市) * [[東北アルフレッサ]](郡山市) * [[酪王協同乳業]](本宮市) * [[常磐興産]](いわき市) * [[ハニーズ]](いわき市) * [[タンガロイ]](いわき市) * [[マルト (チェーンストア)|マルト]](いわき市) * [[リオン・ドールコーポレーション]](会津若松市) * [[会津鉄道]](会津若松市) * [[オリンパス|会津オリンパス]](会津若松市) * [[デンソー福島]](田村市) * [[阿武隈急行]](伊達市) * [[オリンパス|白河オリンパス]](西郷村) * [[バルサン]](矢吹町) ==== 福島県に進出した主な企業 ==== * [[ヤクルト]](福島市) * [[NOK (企業)|NOK]](福島市、二本松市、本宮市) * [[富士通]](会津若松市) * [[テキサス・インスツルメンツ|日本テキサスインスツルメンツ]](会津若松市) * [[アサヒビール]](本宮市) * [[小松製作所]](郡山市) * [[日本化学工業]](郡山市) * [[パナソニック]](郡山市) * [[保土谷化学工業]](郡山市) * [[三菱ケミカル]](郡山市、いわき市) * [[三菱電機]](郡山市) * [[LIXIL]](須賀川市) * [[DIC (企業)|DIC]](平田村) * [[住友ゴム工業]](白河市) * [[信越半導体]](西郷村) * [[三菱製紙]](西郷村) * [[IHI]](相馬市) * [[堺化学工業]](いわき市) * [[あすか製薬]](いわき市) * [[荒川化学工業]](いわき市) * [[アルプスアルパイン]](いわき市) * [[エステー]](いわき市) * [[FDK]](いわき市) * [[クリナップ]](いわき市) * [[クレハ]](いわき市) * [[第一三共|第一三共プロファーマ]](いわき市) * [[日産自動車]](いわき市) * [[日本製紙]](いわき市) * [[三菱マテリアル]](いわき市) == 生活・交通 == === 警察 === * [[福島県警察]] === 交通 === {{右| [[ファイル:AdzumaKofuji&YamagataShinkansen.jpg|thumb|250px|[[山形新幹線]]と<br />奥は[[吾妻小富士]]]] [[ファイル:FukushimaAirportM.jpg|thumb|250px|福島空港]] [[ファイル:ShirakawaCity.jpg|thumb|250px|[[白河市]]周辺。周囲は[[阿武隈川]]上流域にあたり[[国道4号]]、[[東北自動車道]]、[[東北本線]]、[[東北新幹線]]が集中する。解説付き画像は[[:ファイル:ShirakawaCityTagged.jpg|こちら]](2007年1月撮影)]] [[ファイル:AdataraSan&Tohokusen.jpg|thumb|250px|[[安積原野]]を進む[[東北線]]<br />奥は[[安達太良山]]]] }} ==== 空港 ==== * [[福島空港]]([[日本の空港#地方管理空港|地方管理空港]]) * [[ふくしまスカイパーク]]([[農道離着陸場|農道空港]]) ==== 鉄道 ==== 東京方面との連絡は、[[東北新幹線]]および[[常磐線]]特急列車である。福島駅は東北新幹線・山形新幹線の連絡駅である他、郡山駅は南北東西方向の要所である。また、[[いわき駅]]は東京方面からの直通列車の北限であり、運行上の拠点駅になっている。普通列車は福島交通・阿武隈急行<ref group="注釈">日中は概ね毎時2本程度の運転。</ref>を除いて毎時1本以下となっている。また、営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。 ; 新幹線 :* [[東北新幹線]] :* [[山形新幹線]] : ; JR在来線 :* [[東北本線]] :* [[奥羽本線]]([[山形線]]) :* [[常磐線]]・[[上野東京ライン]]<ref group="注釈">[[勿来駅|勿来]] - [[浪江駅|浪江]]間は福島県内、および、東北地方唯一の[[東京近郊区間]]である。また、[[上野東京ライン]]は勿来駅・泉駅・湯本駅・いわき駅のみ。</ref> :* [[磐越西線]] :* [[磐越東線]] :* [[只見線]](会津川口駅 - 只見駅間のみ第二種鉄道事業者) :** 会津川口駅 - 只見駅間は福島県が「設置」(保有)する鉄道路線。県が第三種鉄道事業者、JR東日本が第二種鉄道事業者。 :* [[水郡線]] :* [[福島臨海鉄道]](JR貨物) : ; 私鉄(民鉄)路線 :* [[福島交通]] - [[福島交通飯坂線|飯坂線]] : ;第三セクター :* [[阿武隈急行]] :* [[会津鉄道]] - [[会津鉄道会津線|会津線]] :* [[野岩鉄道]] - [[野岩鉄道会津鬼怒川線|会津鬼怒川線]] ==== バス路線 ==== 国鉄時代、福島県内が東京支社・水戸支社と仙台支社の境目になっていた。このため、地域ごとに分割したJRバスにおいても、日本で唯一2社が営業拠点を設置している県となっている。 * [[福島交通]] * [[会津乗合自動車]] * [[新常磐交通]] * [[ジェイアールバス関東|JRバス関東]] * [[ジェイアールバス東北|JRバス東北]] * [[桜交通]] * [[金子建設 (福島県)|金子建設]] * [[東北アクセス]] ==== 道路 ==== ; 高速道路 :* {{Ja Exp Route Sign|E4}} [[東北自動車道]] :* {{Ja Exp Route Sign|E49}} [[磐越自動車道]] :* {{Ja Exp Route Sign|E6}} [[常磐自動車道]] :* {{Ja Exp Route Sign|E13}} [[東北中央自動車道]] :* {{Ja Exp Route Sign|E80}} [[あぶくま高原道路]] : ; 国道 {{Multicol}} :* [[国道4号]] :* [[国道6号]] :* [[国道13号]] :* [[国道49号]] :* [[国道113号]] {{Multicol-break}} :* [[国道114号]] :* [[国道115号]] :* [[国道118号]] :* [[国道121号]] :* [[国道252号]] {{Multicol-break}} :* [[国道288号]] :* [[国道289号]] :* [[国道294号]] :* [[国道352号]] :* [[国道349号]] {{Multicol-break}} :* [[国道399号]] :* [[国道400号]] :* [[国道401号]] :* [[国道459号]] {{Multicol-end}} ==== 県道 ==== * [[福島県の県道一覧]]を参照 ==== 港湾 ==== * [[小名浜港]]([[重要港湾]]、[[特定港]]) * [[相馬港]](重要港湾) === 医療・福祉 === {{main|Category:福島県の医療機関}} ;[[災害拠点病院]] * [[福島県災害拠点病院]] ;[[保育所]] * [[福島県保育所一覧]] === 教育 === ;[[大学]] [[国立大学|国立]] * [[福島大学]]([[福島市]]) [[公立大学|公立]] * [[福島県立医科大学]]([[福島市]]) * [[会津大学]]([[会津若松市]]) [[私立大学|私立]] * [[福島学院大学]]([[福島市]]) * [[日本大学工学部]]([[郡山市]]) * [[奥羽大学]]([[郡山市]]) * [[郡山女子大学]]([[郡山市]]) * [[東日本国際大学]]([[いわき市]]) * [[医療創生大学]]([[いわき市]]) ; [[短期大学]] 公立 * [[会津大学短期大学部]]([[会津若松市]]) 私立 * [[桜の聖母短期大学]]([[福島市]]) * [[福島学院大学短期大学部]]([[福島市]]) * [[郡山女子大学短期大学部]]([[郡山市]]) * [[いわき短期大学]]([[いわき市]]) ; [[通信制大学]] * [[放送大学]] 福島学習センター([[郡山市]]) ; [[高等専門学校]] * [[福島工業高等専門学校]]([[独立行政法人]]国立高等専門学校機構)([[いわき市]]) ; [[専修学校]] * [[福島県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] * [[福島県特別支援学校一覧]] ; [[高等学校]] * [[福島県高等学校一覧]] ; [[中学校]] * [[福島県中学校一覧]] ; [[小学校]] * [[福島県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] * [[福島県幼稚園一覧]] ; 学校教育以外の施設 * [[福島県農業総合センター農業短期大学校]]([[農業者研修教育施設]])([[矢吹町]]) === マスメディア === ==== 新聞社 ==== * [[福島民報]](本社 : 福島市) * [[福島民友]](本社 : 福島市。[[読売新聞]]傘下) * [[いわき民報]](本社 : いわき市) 福島民報と福島民友は、いずれも県紙と言え、いずれも[[47NEWS]]に加盟している。戦時中の[[新聞統制]]で一県一紙となった際は民報がその一紙となったが、戦後すぐに民友が復活している。現在のシェア・発行部数は民報の方が高いが、民友も民報よりは低いが全国紙を上回るシェア・発行部数を持っている。 いわき民報はいわき市に特化した新聞である。民報と付いているが、福島民報とは関係がない。 ==== 放送局 ==== 本社演奏所の立地として、[[福島市]]([[都道府県庁所在地|県庁所在地]]。政治的中心地)と、[[郡山市]](商業的中心地)との2都市に分かれるため、立地の違いによって地方ニュースの重点配分や話題に微妙な地域色がでる。しかし、[[コミュニティ放送|コミュニティFM]]以外の全放送局とも、[[放送#放送対象地域|放送対象地域]]は福島県(全域)となっている。また、デジタルテレビ・県域FM局の親局送信所及び補完FM局のメイン送信所は福島市の[[笹森山 (福島県)|笹森山]]に設置されている。 戦後の福島県域2大新聞社である[[福島民報]]([[毎日新聞]]系)と[[福島民友]]([[読売新聞]]系)や、福島市と郡山市の対立を反映した影響からか、県域対象の民放VHFテレビ局は開局は日本全国で最も遅く、民放FM局も東北6県では最後の開局である。しかし、東北地方に系列局を持たない[[TXNネットワーク|テレビ東京系列]]を除く民放テレビ局4局が出揃った時期は[[1983年]](昭和58年)である<ref group="注釈">この年の12月4日にTUFが開局したことにより民放TVが4局出揃った。</ref>。これは東北6県のなかでは[[宮城県]]に次いで2番目であり、東名阪近辺を除いた全国でも比較的早い<ref group="注釈">東北で3番目以降に[[民放テレビ全国四波化|民放TVが4局化された地域]]の出現は1990年代に入ってからとなり、[[1996年]]10月1日に[[岩手県]]が([[岩手朝日テレビ]]開局により)、翌[[1997年]]4月1日に[[山形県]]が([[さくらんぼテレビジョン|さくらんぼテレビ]]開局により)民放TV4局化が実現した。</ref>。 その影響もあり、県内民放テレビ局第1局となった[[福島テレビ]]開局にあたっては県が主導的な役割を果たし、現在も株式の約半数を所有している。この比率はやはり県主導で開局した南隣りの[[とちぎテレビ]]より高い。 なお、東北地方では唯一通常時全民放TV局で終夜放送を行っていない県である。 以下の通り、AMラジオ局はラジオ単営局であり、民放のラテ兼営局は存在しない<ref group="注釈">当初は福島県民放第1号であるラジオ福島がラテ兼営局になることを目指して[[1957年]](昭和32年)[[10月22日]]にTV予備免許と「JOWR-TV」という[[コールサイン]]を取得したが、役員人選などの難航によりそれらは僅か半年で(翌[[1958年]](昭和33年)[[4月1日]]をもって)失効。以後 RFC はAM単営局となって現在に至る。これにより福島県では[[1963年]](昭和38年)4月1日に(民放TV第1局となる)FTV が開局するまでの間、民放TVが全く視聴不可の状態が他県より長く続いた。</ref>。 福島県内では、自治体が免許人となりラジオ中継局を設ける「受信障害対策中継局」を活用している自治体が多く、ラジオの難聴地域である[[昭和村 (福島県)|昭和村]]、[[葛尾村]]、[[広野町]](2023年予定)において、[[NHKラジオ第1放送]]・ラジオ福島・ふくしまFMの微弱電波による中継局を町村内くまなく設置している。また、[[いわき市]]でもこの制度を活用し、いわき市民コミュニティ放送のみの中継局が多数設置されている。 {{Gallery |title = "テレビ局舎外観" |JOFP.JPG|NHK福島放送局<br />(福島市) |Fukushima_TV_Headquarter.jpg|福島テレビ (FTV・福テレ)<br />(福島市) |JOKI-TV.JPG|テレビユー福島 (TUF)<br />(福島市) |Fukushima Central Television studio 201504.JPG|福島中央テレビ (中テレ)<br />(郡山市) |福島放送本社.JPG|福島放送 (KFB)<br />(郡山市) }} ; [[福島都市圏]]に立地する放送局(全て福島市に所在) :* [[NHK福島放送局]] :** [[NHK郡山支局]](郡山市所在) :** [[NHKいわき支局]](いわき市所在) :* [[福島テレビ]]([[フジテレビ系列]]、民報系) :* [[テレビユー福島]]([[TBS系列]]、民報・毎日新聞系) :* [[ラジオ福島]]([[県域放送]]AMラジオ局、[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列。民報・毎日新聞系) :*: 郡山市、会津若松市、いわき市、南相馬市にも放送局があり、かつては局別の独自放送が行われていた。現在は福島局で一括制作。 :* [[福島コミュニティ放送|FM POCO]](コミュニティFM))J-WAVEを配信 : ; [[郡山都市圏]]に立地する放送局 :* [[福島中央テレビ]](郡山市)([[日本テレビ系列]]、民友・読売新聞系) :* [[福島放送]](郡山市)([[テレビ朝日系列]]、朝日新聞系) :* [[エフエム福島]](ふくしまFM)(郡山市)(県域放送FMラジオ局、[[全国FM放送協議会|JFN]]系列、[[平成新局]]) :* [[郡山コミュニティ放送|KOCOラジ]]([[郡山市]]、コミュニティFM)J-WAVEを配信 :* [[Mot.Comもとみや|FM Mot.com]]([[本宮市]]、コミュニティFM)ミュージックバードを配信 :* [[すかがわFM|ウルトラFM]]([[須賀川市]]、コミュニティFM)ミュージックバードを配信 : ; その他の都市に立地する放送局 :* [[いわき市民コミュニティ放送|SEA WAVE]]([[いわき市]]、コミュニティFM)ミュージックバードを配信 :* [[エフエム会津|FM 愛'S]]([[会津若松市]]、コミュニティFM)ミュージックバードを配信 :* [[喜多方シティエフエム|FMきたかた]]([[喜多方市]]、コミュニティFM)ミュージックバードを配信 相馬市の一部では放送対象地域外の[[宮城県]]の民間放送4局が<ref>[http://dpa-tv-area.jp/sp/map/4-0029 Dpa放送エリアのめやす(仙台局)]</ref>放送区域になっている。 いわき市や白河市の一部では、放送対象地域外の[[関東地方|関東1都6県共通]]の民放キー局([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[テレビ朝日]]・[[TBSテレビ]]・[[テレビ東京]]・[[フジテレビジョン|フジテレビ]])がスピルオーバーにて受信することが可能である。[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]による減力により受信できるエリアは限られているが、県境部を中心に引き続き受信することが可能である。 福島県と同様に、政治力と経済力の綱引きにより[[民放]]県域局の演奏所が県庁所在地以外にも立地している例は、[[山形県]]、[[長野県]]、[[富山県]]、[[岐阜県]]。[[鳥取県]]、[[山口県]]、[[福岡県]]にも見られる。 地上デジタル放送のリモコンキーIDはTXN系と[[全国独立放送協議会|独立局]]がない以外は関東広域圏と全て同じである(詳しくは[[リモコンキーID]]の項を参照)。 == 文化・スポーツ == === 方言 === {{節スタブ}} * [[東北方言]] * [[南奥羽方言]] ** [[福島弁]] ** [[会津弁]] ** [[浜通り方言]] === 食文化 === {{See also|Category:福島県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#福島県}} 会津の代表的な郷土料理としては、「[[こづゆ]]」「[[いかにんじん]]」「[[にしんの山椒漬け]]」「鯉の旨煮」が挙げられる。 また、会津の山間部では蕎麦を工夫した料理がみられ、今でも味わうことができるものとして「はっとう(檜枝岐村)」「裁ち蕎麦(南会津)」「祝言蕎麦(猪苗代町)」などがある。 * [[いかにんじん]](福島市を含む県北地方) * [[あんぽ柿]](伊達市を含む伊達エリア) * [[にしんの山椒漬け]](会津地方) * あわまんじゅう(会津地方) <!--古来よりある伝統郷土料理を記述予定--> ; ご当地グルメ :* [[餃子#餃子の街|円盤餃子]]([[福島市]]) - [[宇都宮市]]の餃子同様、[[満州]]開拓団の帰国者により始まったと言われる。 :* [[味噌パン|みそパン]](福島市) - 蒸しパンタイプのみそパン発祥地である。 :* [[喜多方ラーメン]]([[喜多方市]]) - [[日本三大一覧#三大ラーメン|日本三大ラーメン]]に数えられている。 :* [[白河ラーメン]]([[白河市]]) :* [[なみえ焼きそば]]([[浪江町]]) - B級ご当地グルメとして知名度を有する。 :* [[メヒコ (レストランチェーン)|メヒコ]]のカニ[[ピラフ]]([[いわき市]]) :* [[アオメエソ|メヒカリ]](いわき市) :* [[ウニの貝焼き]](いわき市) :* [[ほっき飯]]([[相馬市]]など) :* [[サケ|鮭]]の[[はらこ飯]](相馬市など) :* [[鯉]]の[[甘露煮]](郡山市) :* 鯉の[[洗い|アライ]](郡山市) :* [[クリームボックス]](郡山市) :* [[こおりやまグリーンカレー]](郡山市) :* [[ソースかつ丼]](会津若松市) :* [[会津カレー焼きそば]](会津若松市) <!--古来よりある伝統郷土料理以外を記述予定--> === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[大堀相馬焼]](陶磁器、[[1978年]]) * [[会津本郷焼]](陶磁器、[[1993年]]) * [[会津漆器|会津塗]](漆器、[[1975年]]) * 奥会津編み組細工(木工品、[[2003年]]) * [[からむし織|奥会津昭和からむし織]](織物、[[2017年]]) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#福島県}} === 伝統芸能 === ; [[重要無形民俗文化財]](指定年月日) * [[御宝殿の稚児田楽・風流]]([[1976年]](昭和51年)5月4日 [[いわき市]]錦町御宝殿 御宝殿熊野神社田楽保存会) * [[相馬野馬追]]([[1978年]](昭和53年)5月22日 [[相馬市]]ほか 相馬野馬追保存会) * 金沢の羽山ごもり([[1980年]](昭和55年)1月28日 [[福島市]] 羽山ごもり保存会) * [[会津田島祇園祭|田島祇園祭]]のおとうや行事([[1981年]](昭和56年)1月21日 [[南会津郡]][[南会津町]] 田島祇園祭のおとうや行事保存会) * [[石井の七福神と田植踊]]([[1995年]](平成7年)12月26日 [[二本松市]] 石井芸能保存会) * [[木幡の幡祭り]]([[2004年]](平成16年)2月16日 二本松市 木幡幡祭保存会) * [[都々古別神社の御田植]]([[2004年]](平成16年)2月6日 [[東白川郡]][[棚倉町]] 八規都々古別神社御田植保存会) * 三島のサイノカミ([[2008年]](平成20年)3月13日 [[大沼郡]][[三島町]] 三島町年中行事保存会) * 会津の御田植祭([[2019年]](平成31年)3月28日 [[喜多方市]]、大沼郡[[会津美里町]] 慶徳稲荷神社お田植まつり保存会、御田植祭祭典委員会) ; 祭事 * [[信夫三山暁まいり]]「大わらじ奉納」 - [[福島市]] * [[二本松提灯祭り]] - [[二本松市]] ; 農村歌舞伎 * 檜枝岐歌舞伎 - [[檜枝岐村]] * 柳橋歌舞伎 - [[郡山市]]中田町 === スポーツ === {{See also|Category:福島県のスポーツチーム}} ; サッカー * [[J2リーグ]] ** [[いわきFC]] * [[J3リーグ]] ** [[福島ユナイテッドFC]] * [[東北社会人サッカーリーグ]] ** [[FCプリメーロ]] - 1部 * [[日本女子サッカーリーグ]] ** [[JFAアカデミー福島]] ; バスケットボール * [[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ]] ** [[福島ファイヤーボンズ]] ; 野球 * [[BCリーグ]] ** [[福島ホープス]] ; アイスホッケー * [[アジアリーグ]] ** [[東北フリーブレイズ]] ; 駅伝大会 * [[ふくしま駅伝]] * [[東日本女子駅伝]] == 観光 == {{main|福島県の観光地}} {{also|福島県指定文化財一覧|北海道・東北地方の史跡一覧#福島県|福島県の城}} === 国宝 === ; 建造物 * [[白水阿弥陀堂]] ; 彫刻 * [[勝常寺]] - 木造薬師如来坐像及び両脇侍立像(3躯) ; 書跡典籍 * [[龍興寺 (福島県会津美里町)|龍興寺]] - 一字蓮台法華経 開結共(巻第六欠)9巻 === 重要伝統的建造物群保存地区 === * [[大内宿]](宿場町、[[下郷町]]) * [[南会津町前沢|前沢]](山村集落、[[南会津町]]) * [[小田付]](在郷町・醸造町、[[喜多方市]]) === イベント === * [[福島わらじまつり]] - 毎年夏に行われる。 * [[郡山うねめまつり]] - 毎年8月、郡山市 * [[いわきおどり]] - 毎年8月、いわき市 * [[会津まつり]] - 毎年9月、会津若松市 === その他 === * [[アクアマリンふくしま]] - 東北地方最大級の水族館 * [[スパリゾートハワイアンズ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20211210-DAZCCSGIMNJIJADWD7NEI4PPG4/|title=受け継がれる〝アロハ〟の絆 11年目の被災地 東日本大震災|publisher=産経ニュース|date=2021-12-10|accessdate=2021-12-10}}</ref> == 福島県を舞台とした作品 == {{See also|福島県を舞台とした作品一覧}} 発表年順に記載 === 映画 === * [[百万人の大合唱]] (1972年) - [[郡山市]] * [[原子力戦争]] (1978年) - [[福島第一原子力発電所]]・[[福島第二原子力発電所]] * [[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]] (1979年) - [[相馬野馬追]] * [[男はつらいよ 柴又より愛をこめて]] (1985年) - [[会津美里町]] * [[遊びの時間は終らない]] (1991年) - いわき市[[平 (いわき市)|平]] * [[釣りバカ日誌8]] (1996年) - [[いわき市]] * [[容疑者 室井慎次]] (2005年) - いわき市 * [[親父 (映画)|親父]] (2006年) - いわき市にオープンセットを立てて撮影<ref name = "堀田眞三">{{Cite web|和書|author = [[堀田眞三]] |date = 2006-7-21 |url = http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/544ac87ac80114c4b9b1c67b2e8b4bd5 |title = 親父 - 撮影快調! |publisher = 俳優 堀田眞三(グランパ)です。 <!--|archiveurl = http://liveweb.archive.org/http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/544ac87ac80114c4b9b1c67b2e8b4bd5 |archivedate = 2012-03-31--> |accessdate = 2012-3-30 }}</ref> * [[フラガール]] (2006年) - いわき市 * [[ハーメルン (映画)|ハーメルン]](2012年) - [[昭和村 (福島県)|昭和村]] * [[物置のピアノ]](2014年) - [[桑折町]]、[[浪江町]] * [[Fukushima 50 (映画)|Fukushima50]] (2020年) - 福島第一原発 <!--ページが存在し、福島県もしくは県内自治体が舞台になった事実が明記されたものに限る。ロケ地使用などはNG--> === テレビドラマ === * [[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]] (1978年、[[日本放送協会|NHK]]) * [[獅子の時代]] (1980年、NHK) - [[会津]] * [[はね駒]] (1986年、NHK) - [[相馬市]]、[[二本松市]] * [[白虎隊 (1986年のテレビドラマ)|白虎隊]] (1986年、[[日本テレビ放送網|NTV]]) - 会津 * [[ひまわり (1996年のテレビドラマ)|ひまわり]] (1996年、NHK) - [[福島市]] * [[花嫁は厄年]] (2006年、[[TBSテレビ|TBS]]) - 福島市 * [[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]] (2007年、NHK) - 映画『親父』のいわき市オープンセットを使用<ref name = "堀田眞三"/>。 * [[白虎隊 (2007年のテレビドラマ)|白虎隊]] (2007年、[[テレビ朝日]]) - 会津 * [[白虎隊〜敗れざる者たち]](2013年、[[テレビ東京]]) - 会津 * [[八重の桜]] (2013年、NHK) - 会津を中心とした福島県内(会津若松市、猪苗代町、白河市、二本松市、福島市) * [[絆〜走れ奇跡の子馬〜]](2017年、NHK) - 南相馬市、相馬市 * [[エール (テレビドラマ)|エール]](2020年、NHK) - 福島市、[[川俣町]] * [[浜の朝日の嘘つきどもと]](2020年、FCT) - 南相馬市 * [[さすらい署長 風間昭平|さすらい署長風間昭平]]スペシャル『塩屋岬いわき殺人事件』(2022年、[[テレビ東京]]) - いわき市、会津若松市 <!--ページが存在し、福島県もしくは県内自治体が舞台になった事実が明記されたものに限る。ロケ地使用などはNG--> === 漫画・アニメ === * [[あかまつ]] ([[作井ルビ]]) (漫画 : 2018年) - [[会津若松市]] * [[いちえふ 福島第一原子力発電所労働記]] (竜田一人) (漫画:2011年) - [[福島第一原子力発電所]] * [[今日もいい天気]] ([[山本おさむ]]) (漫画:2013年) - [[天栄村]] * [[黒塚 KUROZUKA]] (漫画:2002年、アニメ:2008年) - [[二本松市]]安達ヶ原 * [[こみっくがーるず]] (漫画:2014年、アニメ:2018年) - [[白河市]] * [[そばもん ニッポン蕎麦行脚]] ([[山本おさむ]]) (漫画:2008年) - [[会津若松市]]など * [[宙のまにまに]](漫画:2005年、アニメ:2009年) - [[猪苗代町]] * [[ダンタリアンの書架]](漫画:2010年、アニメ:2011年) - [[天栄村]] * [[なのはな (漫画)|なのはな]](漫画:2011年) * [[薄暮 (アニメ映画)|薄暮]] (アニメ:2019年) - [[いわき市]] * [[はじまりのはる]] ([[端野洋子]]) (漫画:2013年) * [[花待ついばらめぐる春]] ([[スガワラエスコ]]) (漫画 : 2018年) * [[ハヤテのごとく! (アニメ)#劇場アニメ|劇場版 ハヤテのごとく! HEAVEN IS A PLACE ON EARTH]] (漫画:2004年、映画:2011年) - 会津地方 * [[ぴたテン]](漫画:1999年、アニメ:2002年) - 会津若松市 * [[フリップフラッパーズ]](アニメ:2016年) - [[郡山市]][[本宮市]] * [[フライングベイビーズ]] (アニメ :2019年) - いわき市 * [[未確認で進行形]](漫画:2012年、アニメ:2014年)- [[郡山市]] * [[緑山高校]](漫画:1984年、OVA:1990年) <!--ページが存在し、福島県もしくは県内自治体が舞台になった事実が明記されたものに限る。ロケ地使用などはNG--> == 福島県出身の人物 == {{Main|福島県出身の人物一覧}} === 県民栄誉賞受賞者 === # [[田部井淳子]](1988年) # [[鈴木猛史]](2014年4月) # [[室屋義秀]](2017年10月) # [[西田敏行]](2018年9月) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/福島県}} {{Multimedia|福島県の画像}} {{See also|Category:福島県}} * [[岩代国]] * [[磐城国]] * [[福島県出身の人物一覧]] * [[福島県の県道一覧]] * [[北関東・磐越地域]] * [[北関東磐越五県知事会議]] * [[福島未来]] * [[什 (会津藩)|NN運動]] * [[:Category:福島県の企業]] * [[:Category:福島県の大学]] * [[:Category:福島県の自然景勝地]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] == 外部リンク == {{Commons&cat|Fukushima Prefecture|Fukushima prefecture}} {{Wikivoyage|ja:福島県}} {{Wikiquote}} {{Wikisource|二本松縣福島縣ト改稱|二本松県福島県ト改称}} {{osm box|r|1800608}} * {{Official website}} * [https://www.tif.ne.jp/ ふくしまの旅] - 福島県観光物産交流協会 {{s-start}} {{s-bef|before=旧[[福島藩]]領<br />([[岩代国]]内の[[天領|幕府領]])|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1869年]] - [[1871年]]|years2=第1次福島県}} {{s-aft|after=二本松県|表記=次}} {{s-bef|before=[[二本松藩]]<hr />福島県(第1次)・[[白河県 (日本)|白河県]]<hr />[[磐前県]]・[[若松県]]|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=1871年 -|years2=二本松県→第2次福島県}} {{s-aft|after=-----|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{福島県の自治体}} {{福島県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ふくしまけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:福島県|*]] [[Category:日本の第三種鉄道事業者]]
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北海道
北海道(ほっかいどう)は、日本の北海道地方に位置する道。道庁所在地は札幌市で、47都道府県中唯一の「道」である。 この島を居住地の一つとするアイヌの言葉(アイヌ語)では、「アィヌモシㇼ」(ainu mosir、「人間の住む土地」の意)または「ヤウンモシㇼ」(ya un mosir、「陸地の国土」) と呼ばれる(なおアイヌモシㇼとはカムイモシㇼ(神々の土地)に対比される語であり、今日の北海道という地理的概念と同じ言葉ではない)。日本人(和人)は古代には渡嶋(わたりのしま)、近代に至るまでアイヌを蝦夷(えぞ)、その土地を蝦夷地(えぞち)もしくは北州、十州島などと呼んでいた。 ロシアの進出に伴い江戸時代末期になると「異民族の住む地」を意味する「蝦夷地」のままではいけないという意見がみられたものの改称は実現しなかった。 明治政府は開拓使の設置に伴い名称の変更を検討。1869年(明治2年)、蝦夷地探査やアイヌとの交流を続けていた松浦武四郎は政府に建白書を提出し、「日高見道」「北加伊道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6案を提示した。明治政府は「北加伊道」を基本とし「加伊」を「海」に改めた「北海道」とすることを決定。明治2年8月15日太政官布告により「蝦夷地自今北海道ト被稱 十一ヶ国ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出候事」と周知された。なお、松浦は建白書において「北加伊道」案はアイヌが自らを「カイ」と呼んでいることから考案したと説明している。しかし、言語学者の金田一京助は当時のそのような事実を示す証拠は見つかっていないと唱えている。 北海道は他の「都・府・県」と同格の地方自治法における普通地方公共団体(都道府県)の1つだが、他の都府県では「東京」「大阪」「京都」「富山」「福岡」のように行政区分を示す「都」「府」「県」を省略する呼び方があるのに対し、北海道の「道」を外して単に「北海」という呼び方をすることは普通ない。英語でも"Hokkaido Prefecture"または"Hokkaido"という呼び方をし、"Hokkai Prefecture"とする事は普通ない。これは「北海道」の語が、「東京」などと同様の地名の1単語として広く定着しているためと考えられる。なお、「北海」が社名や学校名などの固有名詞の一部分に使用される例(北海タイムス、北海学園大学など)はある。一方、「道」である普通地方公共団体は北海道のみであることから、「道」が「道産米」、「本道」、「道外」など、事実上北海道を唯一的に指し示す語彙(形態素)として広く普及している。他、「北」が略称となる場合もあり、例えばJR北海道は「JR北」、北海道畜産公社は「ホクチク」と呼ばれる。 後述の通り、1886年(明治19年)から1947年(昭和22年)まで北海道を管轄した地方行政官庁は、北海道庁であった。この場合、「北海道」は単なる地域呼称であって、「北海道庁」が「東京府」や「青森県」などと並んで置かれた官庁の名である(樺太と樺太庁の関係に同じ)。この「北海道庁」は、現在用いられているような地方自治体の中央官庁ではない。1901年(明治34年)に北海道会法および北海道地方費法が公布・施行されて「北海道会」という議会を持つ地方自治体となったが、自治体としては「北海道地方費」と呼ばれた。戦後、1946年(昭和21年)の第1次地方制度改革で市制・町村制・東京都制とともに府県制が改正された際、北海道会法と北海道地方費法が廃止されて道府県制に統合された。また改正法律の附則の規定により、従来「北海道地方費」と呼ばれていた自治体を「道」と呼ぶこととされた。地方行政官庁としての北海道庁は1947年(昭和22年)の地方自治法施行により、「北海道庁官制」とともに廃止され、同法に基づく普通地方公共団体としての北海道となった。 ブランド総合研究所による「都道府県の魅力度ランキング」で2023年現在、15年連続で1位に選ばれ、観光意欲度、食品想起率でも1位、情報接触度、居住意欲度でも2位になるなど各意欲の面で高い評価を得ている。 北海道本島は面積77,983.90平方キロメートル、日本の島の中では本州に次ぐ第2位の面積で、世界の島の中ではアイルランド島に次ぐ第21位の面積を持ち、樺太(同第23位)よりやや大きく、台湾島35,980平方キロメートルの約2倍の大きさである。これは九州と四国を合わせた面積55,050.77平方キロメートルを上回る。四方を太平洋、日本海、オホーツク海に囲まれている。 北海道本島は、面積77,983.90平方キロメートル (km) 、最高標高2,291メートル (m) 、本州、四国、九州とともに日本列島を構成する主要4島の一つ。北海道本島は日本の国土面積の約2割を占め、本州の約3分の1、九州の約2倍、四国の約4倍に相当する。 上記4島の中では、唯一、島名と地方公共団体名が同じで、1「道」のみで管轄する島である。 日本の島の中では本州に次ぐ第2位、世界の島の中ではアイルランド島に次ぐ第21位の大きさである。 江戸時代までは一般的に、千島や樺太を含めて蝦夷ヶ島、本島単独では蝦夷地、北州、十州島などと呼ばれていたが、明治2年(1869年)、古代日本の律令制における広域行政区画「五畿七道」の7つの「道」に倣って、北海道 (令制)と命名された。 なお、地質学や考古学などでは北海道島という名称も使用される。 国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、北海道の面積は83423.84平方キロメートルである。 北海道の東西南北それぞれの端と重心は以下の位置である。北端は択捉島のカモイワッカ岬、南端は渡島小島、東端は択捉島のラッキベツ岬、西端は渡島大島にある。また統計局の平成22年国勢調査によると、人口重心は栗山町本沢にある。 東端、北端は日本政府、北海道当局の公式見解。前述のように、2022年現在施政権は及んでいない。 南の本州とは津軽海峡で隔てられているが、青函隧道により鉄路で繋がれており、同トンネル内で青森県に接しているトンネルの上の津軽海峡中央部は公海であるが、日本の排他的経済水域である。北は宗谷海峡を隔てて樺太と向かい合い、東には千島列島が連なり、間接的にではあるがロシアと国境を隔てている。西の日本海、南東の太平洋、北東のオホーツク海と、3つの海に囲まれており、周辺には対馬暖流とその分枝である津軽暖流・宗谷暖流、および親潮と東樺太海流が流れている。 北海道は大きく分けて胴体部に当たる菱形の部分と、南西の半島部(渡島半島を含む)よりなる。胴体部は南北に蝦夷山系と呼ばれる山地群が貫き、北海道の脊梁を成している。蝦夷山系は南の日高山脈に始まり、東の石狩山地・北見山地と、西の夕張山地・天塩山地に分岐しており、この二列の間には富良野盆地・上川盆地・名寄盆地などの盆地列が形成されている。頓別平野からこの盆地列を通り、鵡川の河谷に抜ける低地帯を北海道中央凹地帯と呼ぶ。 北海道東部は千島弧の延長である知床半島・根室半島や阿寒の山々が、それぞれ北東-南西の山列を成しながら全体としては東西に伸びている。この北側は北見山地からなだらかな傾斜が海岸近くまで続いて平野は少ないが、南側では十勝平野、根釧台地などの大平野が形成されている。 胴体部と半島部の間の地域は、石狩湾から石狩平野、勇払平野を通って太平洋へと抜ける石狩低地帯である。ここには人口約200万を抱える札幌市や、千歳市、苫小牧市などが並び、北海道で最も人口が集中する地域となっている。 半島部には、石狩低地帯の西に位置する南西部山地と、その南西に延びる渡島半島があり、間に太平洋側から内浦湾(噴火湾)が入り込む。渡島半島は東北日本弧内帯の延長部に当たり、渡島山地がある。渡島山地と南西部山地の間には、日本海側の寿都町から内浦湾にかけての低地があり、黒松内低地帯という。 北海道の主な高峰は、蝦夷山系と千島弧の会合する中央部の石狩山地(大雪山連峰、十勝岳連峰など)と、その南に続く日高山脈に集中している。最高峰は大雪山の旭岳で、その標高は2,291メートルである。南西部山地には「蝦夷富士」と呼ばれる羊蹄山などの山がある(北海道の山の一覧も参照のこと)。 一級水系は13水系ある。石狩川、天塩川、十勝川、釧路川、網走川、常呂川、湧別川、渚滑川、留萌川、沙流川、鵡川、尻別川、後志利別川。 阿寒湖、大沼、屈斜路湖、サロマ湖、支笏湖、洞爺湖、摩周湖、ウトナイ湖、網走湖、能取湖、風蓮湖などの湖沼がある。 隣接県は青森県である。青森県をはじめ、北海道と各都府県は陸路、歩行では移動することができない。飛行機、船、青函トンネルを介して北海道新幹線に乗車のいずれかが必須となっており、いずれも運賃がかかる。 西岸海洋性気候や温暖湿潤気候が見られる道南の一部沿岸地域を除くと、亜寒帯湿潤気候である。日本海側、内陸部で冬の積雪は根雪となる。日本海側は特に豪雪地帯であり、一部市町村は特別豪雪地帯になっている。道北、道東の内陸部は寒さが非常に厳しい。太平洋沿岸部は、親潮の影響を受け夏は涼しく冬は比較的少雪。 津軽海峡が、生物地理学的にはブラキストン線と呼ばれ、北方系の種と南方系の種が交差する境界となっているため、本州以南に生息していない種も多い。 「北海道」1道から成る地方を北海道地方と言い、人口5,475,783人で都道府県順位第8位、面積83,456.75kmで都道府県順位第1位、これは日本の総面積の約2割 (22.9%) に当たる。 また、国土交通省による日本の14地域区分の1つである北海道も、「北海道」1道から成る。 なお、択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島については「北海道」の領域に含まれるものの、日本の管轄下に置かれていない。すなわち、1945年(昭和20年)8月28日から9月5日にかけてソビエト連邦が不法占拠し、現在もその後継国家であるロシア連邦が継続して不法占拠中にあり、日本の施政権が及んでいない(北方領土問題参照)。 「北海道」には179の市町村(35市129町15村)、64の郡がある(この他、北方領土に5郡6村がある)。「北海道」では、森町を「もりまち」と読む以外は、町は全て「ちょう」、村は全て「むら」と読む。 北海道本島とその付随する島々(利尻島、礼文島、奥尻島、天売島、焼尻島、渡島大島、渡島小島、色丹島、歯舞群島など)、千島列島から成る地方公共団体が「北海道」であり、47都道府県で唯一の「道」である。 北海道は全体で一つの行政区域となっており、第二次世界大戦後の地方自治法で他の都府県とならぶ普通地方公共団体となった。北海道庁は札幌市中央区に置かれる。 歴史的には明治政府は北海道に開拓使を置いていた。同時期に道南の松前地方には館県・弘前県・青森県の管轄地域が存在したことがある。松前地方では版籍奉還により松前藩が館藩となり、廃藩置県で館県が成立。館県は弘前県に併合され、弘前県は青森県となったが、青森県からは再三にわたり松前地方の管轄免除、開拓使からは同地方の管轄の願い出が行われたため、1872年に松前地方も開拓使に移管された。 北海道に置かれた開拓使は開拓使十年計画が終わったことで、1882年に廃止され、北海道に札幌県・函館県・根室県が誕生した。ところが非効率的で開拓の実があがっていないという批判が多く、内閣制度発足による機構改革とともに、1886年、3県を廃止し、北海道全体を管轄する北海道庁が設置された。 北海道は、地方自治法155条第1項に基づき、支庁を設置している。「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」において「北海道総合振興局」(以下「総合振興局」)および「北海道振興局」(以下「振興局」)とされている。各総合振興局および振興局は、その所管区域において、納税証明書の発行および旅券発給などの窓口業務は、所管区域ごとに行った方が効率のよい業務を担当している。 2008年(平成20年)6月28日の北海道議会で、それまであった14支庁を9総合振興局に再編し、その下に総合振興局の出張所として5振興局を置くとする条例が可決された。しかし、檜山支庁、日高支庁、留萌支庁、根室支庁の支庁所在地を抱える管内各自治体では、住民の反発の声が上がり、地域経済の悪化に拍車が掛かることも懸念された。また、再編する際に必要な公職選挙法の改正が先送りされ(北海道では衆議院小選挙区区画区分を支庁管内境界で区分している)、2009年(平成21年)4月1日実施は不可能となった。 これらのことから、当初の条例は施行されず、結局2009年(平成21年)3月31日の道議会で「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」が改正され、総合振興局・振興局への改称後も、どちらも同格の支庁として存続することになった。但し総合振興局は、隣接する振興局管内の広域行政を担うことができ、該当する振興局が条例で規定されている。 この改正では、網走支庁がオホーツク総合振興局となる以外は、名称は従来の支庁名が継承された。なお幌延町が旧留萌支庁管内から宗谷総合振興局管内へ、幌加内町が旧空知支庁管内から上川総合振興局管内に移った。 ※ 人口は2023年10月31日の住民基本台帳人口。 ※ 面積は2015年10月1日全国都道府県市区町村別面積調。 ※ 根室振興局の市町村の( )内は北方領土内の村。人口・面積には、北方領土を含まない。 一般的な区分は何通りかあるが、ここではその一例を挙げる。 胆振・日高・後志を道南に区分したり、オホーツクの北見網走地区を道北に区分したり、あるいは上川の大雪地区(旭川富良野地区)や空知の深川地区を道北に区分したりする例も見られる。 地域生活経済圏の人口比率 北海道庁は道内を6つの「地域生活経済圏 (PDF) 」に分けている。「道東地方」については面積が広いため3分割し計6地域とされている。 北海道は東北地方に新潟県を加えた面積に匹敵する程広大であるため、旭川市、函館市、帯広市、釧路市の4市に、本州以南であれば都府県庁所在地にのみ設置される機関が置かれる例が見られる。 国の出先機関の支局などが札幌市・旭川市・函館市・帯広市・釧路市に設置される場合は、概ね振興局を分割することなく、その支局などが置かれる振興局と近隣の振興局を管轄することとなる。 一部の機関にあっては、歴史的経緯・地理的状況により、振興局を分割して管轄する場合がある。 日銀の管轄は、函館支店が渡島・檜山2振興局、釧路支店は釧路・十勝・根室3振興局を担当。その他は札幌支店が管轄するが、その中の釧路支店に所属する帯広事務所の管轄が十勝総合振興局、そして札幌支店に所属する旭川事務所の管轄が上川・宗谷・オホーツク3総合振興局となっている。 また、道内の放送局は7地域に分割される。詳細は、北海道の報道機関の一覧を参照。 北海道には数万年前の氷期にシベリアからマンモスやオオツノシカなどの大型哺乳動物を追いかけて、陸橋となった宗谷海峡を人類が渡ってきたとされる。約12,000年から13,000年前(-8000年から-9000年)には、氷河が後退し温暖となってからは本州からも渡来したようである。 道内各地で旧石器時代の発掘調査は、群馬県の岩宿遺跡で旧石器が発見されたのをきっかけに行われるようになった。それらの遺跡は約2万年前から1万3000年前の間、つまり後期旧石器時代と推定されている。現在のところ最も古い遺跡は、千歳市祝梅(しゅくばい)三角山遺跡と考えられている。この遺跡から採取した炭化材を放射性炭素年代測定法では21450±750年BPであった。出土した石器類は、ナイフ形石器・尖頭器・削器・石核などである。これらの石器の原材料となった黒曜石の産地は「十勝石」の名で親しまれている白滝村が代表的である。他には、置戸・十勝三股・赤井川などがある。 縄文時代に入ると、渡島半島・函館市の女名沢遺跡など、本州からの亀ヶ岡文化の影響が見られるようになる。 縄文時代後期の周堤墓は北海道にしか見られず、特に石狩低地帯に集中している。最も大きいものは千歳市郊外にあるキウス周堤墓群で、知床半島の付け根部にある斜里町でも朱円遺跡、芦別市野花南、標津町伊茶仁(いちゃに)などで発見されている。 北海道ではストーンサークルが多く発掘され考古学上議論を呼んでいる。渡島管内森町の鷲ノ木遺跡、後志管内小樽市の忍路環状列石・地鎮山環状列石、余市町の西崎山環状列石、石狩地方では空知管内深川市の音江環状列石、旭川市の神居古潭ストーンサークルなど。 古くは『日本書紀』に渡島(わたりしま)として登場している。事実かどうかは諸説あるが、『日本書紀』には、斉明天皇が阿倍比羅夫に命じ、蝦夷を征するため、渡島へ1万の軍勢を送ったとある。比羅夫は蝦夷を下し、さらに降伏した蝦夷とともに粛慎なる異民族を討ち、捕虜を連れ帰ったという。 奈良時代、平安時代には出羽国と交易を行なった。当時の住民は、東北地方北部の住民と同じく蝦夷(えみし)と呼ばれていた。恐らく両者は同一民族で、北海道側の蝦夷が後の蝦夷(えぞ)、現在のアイヌの先祖だと考えられている。 中世以降、北海道の住民は蝦夷(えぞ)と呼ばれ、北海道の地は蝦夷が島、蝦夷地(えぞち)など様々に呼ばれた。古代の蝦夷(えみし)は農耕も生活の柱としていたが、次第に狩猟・漁業に特化し、鉄などを日本人(和人)の交易で得るようになっていった。 また鎌倉時代以降になると、後の松前藩や和人地の基礎となった渡党の活動が見られるようになる。 室町時代には、渡島半島南端(後の和人地)に和人、渡党、アイヌが居住し、豪族が館を構えていた。和人の築いた道南十二館のひとつである勝山館跡では和人とアイヌの混住が考古学的にも確認されている。当地に割拠していた館主(たてぬし)らは安東氏と被官関係を結んでおり、かれらが北海道に渡った時期は不明であるが、その多くは鎌倉時代に津軽や糠部の北条氏所領の代官層であった侍の子孫とも考えられている。室町・戦国期には本土から和人の渡海者が増え、現地のアイヌとの間に対立が起きたという。近世以前の北海道に関しては松前藩の由緒を記した『新羅之記録』(寛永20年(1643年)成立)があり、同書に拠れば康正3年/長禄元年(1457年)に起きたコシャマインの戦いで、甲斐源氏・若狭武田氏の子孫とされる武田信広がアイヌの指導者コシャマインを殺し、和人の勝利を決した。信広は蠣崎氏を継ぎ、その子孫は後に松前の氏を名乗り、代々蝦夷地の南部に支配権を築いた(松前藩)。 松前藩の経済基盤はアイヌとの交易にあった。安土桃山時代から江戸時代にかけて松前氏は征夷大将軍より交易独占権を認められ、アイヌとの交易条件を自らに有利なものに変えていった。アイヌはシャクシャインの戦いやクナシリ・メナシの戦いで蜂起したものの、松前藩によって鎮圧された。天明4年(1784年)からは蝦夷地の開拓を始め、沿岸にいくつかの入植地が建設された。 江戸時代後期に、ロシアがシベリアから領土を広げつつ日本と通商を求めるようになり、鎖国を維持しようとする日本に北海道近辺で接触した。中にはゴローニンや高田屋嘉兵衛のように相手国の捕虜になった人もいた(ゴローニン事件)。ロシアの脅威に対する北方防備の必要を認識した江戸幕府は、最上徳内、近藤重蔵、間宮林蔵、伊能忠敬といった者に蝦夷地を(樺太・千島列島を含め)探検させ、地理的な知識を獲得した。また、寛政11年(1799年)に東蝦夷地を、文化4年(1807年)には西蝦夷地を松前氏から取り上げた。また、統治機構として享和2年(1802年)に蝦夷奉行を置き、後に箱館奉行、松前奉行と名を変える。幕府の統治はアイヌの負担を若干軽減したが、基本的な支配構造には手を付けなかった。ゴローニン事件解決以降、ロシアの領土拡大的な南下が停滞したため、奉行は文政4年(1821年)に廃され、全蝦夷地は松前藩に還付された。 律令制・幕藩体制の延長期 慶応4年/明治元年4月12日(1868年5月4日)に、新政府は蝦夷地にそれまで置かれていた箱館奉行を箱館裁判所に置き換え、すぐにその名を箱館府と改めた(府藩県三治制)。これに伴い、道内でもそれまでの公議御料(幕府直轄領)は天領(天皇の御料)となった。ただし、明治元年12月(1869年1月)旧幕府軍が五稜郭を占拠し榎本武揚を首班とする「蝦夷共和国」が成立、翌年にかけて新政府軍との間で戊辰戦争の一つ箱館戦争が戦われた。旧幕府側の降伏直後の明治2年(1869年)、和人地および蝦夷地(北州)には大宝律令の国郡里制を踏襲し北海道11国86郡が置かれた(→北海道 (令制))。同年7月(天保暦)館藩(松前藩)領以外は箱館県(箱館府の後身)から引き継ぐ開拓使(「使」という名称は、律令制下で使用された臨時の独自な任務をこなす令外官である。東北地方などには按察使が置かれた)が設けられ北海道の開拓は本格化した。当初、開拓使直轄領以外では、道外の藩・士族・寺院・華族などによる幕藩体制と同様の北海道の分領支配も行われていた。また、同年10月場所請負制が漁場持と名称を変えしばらくの間存続することとなった。 ※ 得撫郡、新知郡、占守郡の3郡は、1875年(明治8年)、樺太・千島交換条約により得撫島以北の千島列島を編入したため千島国に加わった 1943年(昭和18年)3月20日には町村制の改正により北海道一・二級町村制が廃止(旧二級町村は特例で指定町村と)された。1946年(昭和21年)9月27日の府県制改正にともない、北海道における自治制度を規定していた「北海道会法」と「北海道地方費法」が廃止されて「道府県制」に移行し、指定町村の特例も廃止されている。もっとも、和人の「開拓」はアイヌにとっては土地収奪と強制移住を伴うものであり、「日本による侵略」であったとする見方もある(本多勝一など)。 1902年(明治35年)、1913年(大正2年)、1931年(昭和6年)、1941年(昭和16年)は冷夏になり、農作物の収率が例年の半分以下になる大凶作となった。また、1912年(明治45年)3月、暴風雪が発生し、死者68人の被害。 1932年(昭和7年)8月25日から15日間道内で降り続いた雨は石狩川、天塩川、幌内河、夕張川、美唄川、江別川などを氾濫させた。前年の凶作に追い打ちをかける水害により農村部は疲弊した。 1936年(昭和11年)10月3日、北海道全域で暴風雨。釧路市では民家の裏山が崩れ死者7人。渡島半島では大島村で死者16人、小島村で死傷者16人、吉岡村で死者1人。どの町村も民家の流失多数。港湾施設も道路や船入澗(防波堤、係留施設)が大破して漁船が全滅に近い状態となった。 1950年(昭和25年)、北海道を開発するため、調査・立案及び実施に関する事務を担当する北海道開発庁が総理府の外局として設置された。北海道内には北海道開発局と各地方に開発建設部が置かれ、開発の任に当った。第二次世界大戦の復員兵や、旧植民地からの帰還者の受け入れ先として北海道が注目され、人口が急増した。 戦後復興と高度経済成長期の初めは、北海道産の石炭が重宝され、多くの炭鉱労働者が北海道で暮らしたが、1960年代に石油へのエネルギー転換が起こり、1980年代までにほとんどの炭鉱が閉山された。これに伴い、不要になった鉄道が相次いで廃止され、市民生活の自動車化が推し進められた。道路網の整備が行われ、道央自動車道をはじめとする高速道路が建設された。他の都府県は直轄国道(旧一級国道)以外の整備補修を自ら行うのに対し、北海道はすべての国道を国が管理する体制がとられた。 1967年(昭和42年)には旭川市旭山動物園が開園し、1968年(昭和43年) には北海道百年記念祝典が開催された。 また、1971年(昭和46年)に日本で4番目の地下鉄となる札幌市営地下鉄が開業。翌1972年(昭和47年)にはアジア初の冬季オリンピックである第11回冬季札幌オリンピックが開催され、オリンピック後の4月1日には札幌市が政令指定都市に指定された。 1988年(昭和63年)7月20日には、新千歳空港が千歳空港に代わる民間航空用の空港として開港した。 2001年(平成13年)の中央省庁再編により、北海道開発庁は統合され、国土交通省北海道局となった。それに伴い、北海道開発局は国土交通省の地方支分部局となった。 2003年(平成15年)9月26日午前4時50分ごろ、 十勝沖地震 - Mj 8.0(Mw 8.0〜8.3)、北海道新冠町・静内町・浦河町・鹿追町・幕別町・豊頃町・忠類村・釧路町・厚岸町で最大震度 6弱、死者・不明者2人。津波警報が発表され2メートルを超える津波が来襲し2人が飲み込まれ、2年後に1人が遺体で発見された。 2008年(平成20年)7月7日〜7月9日 - 北海道洞爺湖サミット開催。 2010年(平成22年)、支庁制度改革、支庁を「総合振興局・振興局」と改称。 2018年(平成30年)9月6日午前3時8分ごろ、胆振地方中東部(北緯42.7度 東経142.0度)で最大震度7 (M.6.7) を観測する北海道胆振東部地震が発生した。厚真町では震度7を観測した。北海道で震度7を観測したのは観測史上初。 北海道の人口は522万4614人(2020年(令和2年)10月1日、国勢調査)であり、都道府県単位で全国8位である。しかし、面積が広大である為人口密度は最も低く、これが地域の特色にもなっている。 1869年(明治2年)の6万人から始まり全国で最も少なかった人口はその後急速な増加傾向が続き、1886年には30万人、1901年には100万人を超え、1959年には初めて500万人を超えた。1997年(平成9年)に過去最多の570万人に達するも、出生数の低下や高齢者人口増に伴う死亡数増加、転出増加により2000年に568万人、2005年には563万人に減少した。その後も減少傾向は続いている。 北海道は纏まった人口が定住し始めてからの歴史が明治時代以降と浅く、本州以南と比較して都市が短期間で計画的・人工的に作られた側面が大きい。そのため他の多くの都府県と比べ、主要都市部に人口が偏在する傾向が強い。特に20世紀後半以降は札幌市への人口集中が続いており、2023年時点において道人口全体の38%を占め道内の他の自治体を大きく圧倒している。さらに札幌市とその周辺地域(石狩振興局に加え、札幌都市圏に含まれる小樽市と南幌町)を合計すると約250万人に達し、道面積の5%程度の地域に人口の半分が集中していることになる。その他の地域は軒並み中小都市が点在する様相となっており、2番目の人口規模をもつ旭川市でさえ札幌市の人口の6分の1程度しかない。道内の179の自治体のうち政令指定都市は札幌市の1市、中核市は旭川市と函館市の2市で、施行時特例市は存在しない。 人口の都市集中は、小規模市町村の人口密度がさらに低いことを意味する。家屋の密度が著しく低く、大区画でほぼ無人の畑地・牧草地が広がる大地を、どこまでも続く直線道路が切っていく景観は、人口密度の低さで北海道につぐ東北地方でも見られない、北海道独特のものである。2022年(令和4年)現在で179の自治体のうち、およそ83%に上る149の自治体が過疎地域に指定されている。 2023年4月9日に行われた道議会議員選挙の結果を反映している。 2022年(令和4年)度の実質公債費比率は19.1%と、全国最下位。 2021年(令和3年)現在、衆議院議員選挙は、小選挙区を12区に分け、比例北海道ブロック議席は8議席保有している。 比例北海道ブロック 北海道選挙区 平成29年度(2017年)の道内総生産は19兆4301億円であり、1人当たりの道民所得は268万2千円となっている。これは世界40位前後の「国」に相当する経済規模を有している。北海道内総生産の産業別構成比は、第一次産業が4.1%、第二次産業が16.9%、第三次産業が79.0%である(2014年度)。全国平均と比べて第一次、第三次産業の比率が高く、第二次産業、特に製造業の比率が小さく全国の2分の1以下となっている(全国18.5%に対し北海道は8.6%)。製造業における業種別構成を全国と比べると食料品、パルプ・紙のウエイトが高く、繊維や非鉄金属、精密機械などのウェイトが低くなっている。 林業は明治期より基幹産業のひとつである。ブラキストン線以北で冷帯気候に属する北海道の森林、特に北海道北東部はトドマツ(マツ科モミ属)、アカエゾマツ(同科トウヒ属)やカラマツ(同科カラマツ属)など冷帯気候を好むマツ科針葉樹が主体となる。道内で最も蓄積が多い樹種はトドマツで全蓄積の6割にあたるという。スギやヒノキなど日本本土で人工林の主体となるヒノキ科針葉樹は道内に天然分布せず、特にヒノキに関しては寒冷地では漏脂病という致命的な病気にかかりやすいので人為的にも植栽されない。スギおよび同科のヒバは道南を中心に持ち込まれて植栽されている。札幌市中央区の円山公園には、日本最北のスギ人工林がある。 モミやトウヒの仲間はスギ・ヒノキと比べて腐りやすく、住宅用構造材としては不適切である。そのため板材やパルプ用途などへの利用が中心だったが、人工乾燥と防腐剤の発達による耐久性向上や集成材加工による強度の均一化により徐々に見直されつつある。カラマツは強度があるが乾燥時に狂いやすい欠点がある。そのため坑木や梱包材などに留まっていたが、こちらも乾燥技術の向上などで住宅用構造材に利用可能な製品が開発されつつある。 北海道のカラマツは自然分布していた樹種ではなく、明治以降に長野県から人為的に持ち込まれたものである。カラマツは道内の気候に適応し生長は早いものの、ネズミの食害による苗木の枯死の多さが問題となっていた。これを改善する研究が道や国の研究機関などで進められ、同属外来種のグイマツを掛け合わせる交配により、生長の速さと食害抵抗性を兼ね備えた雑種を生み出した。外来種樹木の品種改良はニュージーランドにおけるラジアータマツの育種が知られるが国内では珍しい事例となっている。 カラマツ、グイマツ以外の他地域樹種の導入も模索され、ストローブマツ(北米原産)、バンクスマツ(同)、ニセアカシア(別名ハリエンジュ、同)、ヨーロッパトウヒ(別名ドイツトウヒ、欧州原産)、ヨーロッパアカマツ(同)なども造林されたが、劣悪な土地でも生長が速く砂防・治山や薪として有用、蜜源植物にもなるニセアカシアを除くと試験的なものに留まった。ニセアカシアについても要注意外来生物に指定され、今後広く植栽されることは無くなった。これらの樹種の多くは旭川市にある外国樹種見本林に植栽されている。 針葉樹だけでなく、広葉樹生産が盛んなことも北海道の林業の特徴の一つである。ミズナラ、イタヤカエデ、アオダモ、ハルニレ、ウダイカンバ、センノキなどの有用広葉樹の産地として知られる。広葉樹材の家具の産地として旭川市が知られるほか、木材は全国各地へと出荷されている。 2019年秋、令和の大嘗祭のため造営された大嘗宮の鳥居には、北海道産ヤチダモが使用された。 北海道では第二次産業の占める割合が全国に比べて極めて低い。 北海道は広域であると同時に単独で地方を構成し、道全体を管轄する北海道警察が置かれている。警察通信事務は警察庁の地方機関である「北海道警察情報通信部」が行う。 災害拠点病院 保育所 国民生活基礎調査によれば北海道の子どもの貧困率は16.3%(2012年高橋道政下)、生活保護世帯の高校進学率は96.7%(2013年3月)で50人に約2人が高校進学に到っていない。 以前は日本各地の空港と直接結ぶ路線も多様に見られたが、近年は新千歳空港乗継と東京国際空港(羽田)乗継に路線が整理縮小されてきている。 道内には、国際拠点港湾2港、重要港湾12港がある。 北海道では、独特な文化が見られる。神棚や玄関、車の正月用飾り付けおいても注連縄のような質素なものではなく、宝船(七福神)を模したものである。また企業が北海道限定品を発売する例がある。 日本各地の人々が北海道開拓のために移り住んだこともあり、各地の地方文化とともにそれらが融合して新しくなった北海道独自の食文化が見られ、呼称も独自のものがある。また、北海道で生産された食べ物をひっくるめて「道産物」と総称される事もある。 公的に「北海道民のうた」として定められているのは、1967年5月27日に制定された以下の3曲である。 戦前は1908年発表の唱歌「われらが愛する北海道」が主に愛謡されていた。 2008年(平成20年)7月7日 - 7月9日の3日間、第34回主要国首脳会議(通称:北海道洞爺湖サミット)が洞爺湖畔で開催された。 受賞条件 ※1978年〜1992年の受賞者は道庁HPに不記載
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "北海道(ほっかいどう)は、日本の北海道地方に位置する道。道庁所在地は札幌市で、47都道府県中唯一の「道」である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "この島を居住地の一つとするアイヌの言葉(アイヌ語)では、「アィヌモシㇼ」(ainu mosir、「人間の住む土地」の意)または「ヤウンモシㇼ」(ya un mosir、「陸地の国土」) と呼ばれる(なおアイヌモシㇼとはカムイモシㇼ(神々の土地)に対比される語であり、今日の北海道という地理的概念と同じ言葉ではない)。日本人(和人)は古代には渡嶋(わたりのしま)、近代に至るまでアイヌを蝦夷(えぞ)、その土地を蝦夷地(えぞち)もしくは北州、十州島などと呼んでいた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ロシアの進出に伴い江戸時代末期になると「異民族の住む地」を意味する「蝦夷地」のままではいけないという意見がみられたものの改称は実現しなかった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "明治政府は開拓使の設置に伴い名称の変更を検討。1869年(明治2年)、蝦夷地探査やアイヌとの交流を続けていた松浦武四郎は政府に建白書を提出し、「日高見道」「北加伊道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6案を提示した。明治政府は「北加伊道」を基本とし「加伊」を「海」に改めた「北海道」とすることを決定。明治2年8月15日太政官布告により「蝦夷地自今北海道ト被稱 十一ヶ国ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出候事」と周知された。なお、松浦は建白書において「北加伊道」案はアイヌが自らを「カイ」と呼んでいることから考案したと説明している。しかし、言語学者の金田一京助は当時のそのような事実を示す証拠は見つかっていないと唱えている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "北海道は他の「都・府・県」と同格の地方自治法における普通地方公共団体(都道府県)の1つだが、他の都府県では「東京」「大阪」「京都」「富山」「福岡」のように行政区分を示す「都」「府」「県」を省略する呼び方があるのに対し、北海道の「道」を外して単に「北海」という呼び方をすることは普通ない。英語でも\"Hokkaido Prefecture\"または\"Hokkaido\"という呼び方をし、\"Hokkai Prefecture\"とする事は普通ない。これは「北海道」の語が、「東京」などと同様の地名の1単語として広く定着しているためと考えられる。なお、「北海」が社名や学校名などの固有名詞の一部分に使用される例(北海タイムス、北海学園大学など)はある。一方、「道」である普通地方公共団体は北海道のみであることから、「道」が「道産米」、「本道」、「道外」など、事実上北海道を唯一的に指し示す語彙(形態素)として広く普及している。他、「北」が略称となる場合もあり、例えばJR北海道は「JR北」、北海道畜産公社は「ホクチク」と呼ばれる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "後述の通り、1886年(明治19年)から1947年(昭和22年)まで北海道を管轄した地方行政官庁は、北海道庁であった。この場合、「北海道」は単なる地域呼称であって、「北海道庁」が「東京府」や「青森県」などと並んで置かれた官庁の名である(樺太と樺太庁の関係に同じ)。この「北海道庁」は、現在用いられているような地方自治体の中央官庁ではない。1901年(明治34年)に北海道会法および北海道地方費法が公布・施行されて「北海道会」という議会を持つ地方自治体となったが、自治体としては「北海道地方費」と呼ばれた。戦後、1946年(昭和21年)の第1次地方制度改革で市制・町村制・東京都制とともに府県制が改正された際、北海道会法と北海道地方費法が廃止されて道府県制に統合された。また改正法律の附則の規定により、従来「北海道地方費」と呼ばれていた自治体を「道」と呼ぶこととされた。地方行政官庁としての北海道庁は1947年(昭和22年)の地方自治法施行により、「北海道庁官制」とともに廃止され、同法に基づく普通地方公共団体としての北海道となった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ブランド総合研究所による「都道府県の魅力度ランキング」で2023年現在、15年連続で1位に選ばれ、観光意欲度、食品想起率でも1位、情報接触度、居住意欲度でも2位になるなど各意欲の面で高い評価を得ている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "北海道本島は面積77,983.90平方キロメートル、日本の島の中では本州に次ぐ第2位の面積で、世界の島の中ではアイルランド島に次ぐ第21位の面積を持ち、樺太(同第23位)よりやや大きく、台湾島35,980平方キロメートルの約2倍の大きさである。これは九州と四国を合わせた面積55,050.77平方キロメートルを上回る。四方を太平洋、日本海、オホーツク海に囲まれている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "北海道本島は、面積77,983.90平方キロメートル (km) 、最高標高2,291メートル (m) 、本州、四国、九州とともに日本列島を構成する主要4島の一つ。北海道本島は日本の国土面積の約2割を占め、本州の約3分の1、九州の約2倍、四国の約4倍に相当する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "上記4島の中では、唯一、島名と地方公共団体名が同じで、1「道」のみで管轄する島である。 日本の島の中では本州に次ぐ第2位、世界の島の中ではアイルランド島に次ぐ第21位の大きさである。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "江戸時代までは一般的に、千島や樺太を含めて蝦夷ヶ島、本島単独では蝦夷地、北州、十州島などと呼ばれていたが、明治2年(1869年)、古代日本の律令制における広域行政区画「五畿七道」の7つの「道」に倣って、北海道 (令制)と命名された。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "なお、地質学や考古学などでは北海道島という名称も使用される。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、北海道の面積は83423.84平方キロメートルである。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "北海道の東西南北それぞれの端と重心は以下の位置である。北端は択捉島のカモイワッカ岬、南端は渡島小島、東端は択捉島のラッキベツ岬、西端は渡島大島にある。また統計局の平成22年国勢調査によると、人口重心は栗山町本沢にある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "東端、北端は日本政府、北海道当局の公式見解。前述のように、2022年現在施政権は及んでいない。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "南の本州とは津軽海峡で隔てられているが、青函隧道により鉄路で繋がれており、同トンネル内で青森県に接しているトンネルの上の津軽海峡中央部は公海であるが、日本の排他的経済水域である。北は宗谷海峡を隔てて樺太と向かい合い、東には千島列島が連なり、間接的にではあるがロシアと国境を隔てている。西の日本海、南東の太平洋、北東のオホーツク海と、3つの海に囲まれており、周辺には対馬暖流とその分枝である津軽暖流・宗谷暖流、および親潮と東樺太海流が流れている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "北海道は大きく分けて胴体部に当たる菱形の部分と、南西の半島部(渡島半島を含む)よりなる。胴体部は南北に蝦夷山系と呼ばれる山地群が貫き、北海道の脊梁を成している。蝦夷山系は南の日高山脈に始まり、東の石狩山地・北見山地と、西の夕張山地・天塩山地に分岐しており、この二列の間には富良野盆地・上川盆地・名寄盆地などの盆地列が形成されている。頓別平野からこの盆地列を通り、鵡川の河谷に抜ける低地帯を北海道中央凹地帯と呼ぶ。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "北海道東部は千島弧の延長である知床半島・根室半島や阿寒の山々が、それぞれ北東-南西の山列を成しながら全体としては東西に伸びている。この北側は北見山地からなだらかな傾斜が海岸近くまで続いて平野は少ないが、南側では十勝平野、根釧台地などの大平野が形成されている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "胴体部と半島部の間の地域は、石狩湾から石狩平野、勇払平野を通って太平洋へと抜ける石狩低地帯である。ここには人口約200万を抱える札幌市や、千歳市、苫小牧市などが並び、北海道で最も人口が集中する地域となっている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "半島部には、石狩低地帯の西に位置する南西部山地と、その南西に延びる渡島半島があり、間に太平洋側から内浦湾(噴火湾)が入り込む。渡島半島は東北日本弧内帯の延長部に当たり、渡島山地がある。渡島山地と南西部山地の間には、日本海側の寿都町から内浦湾にかけての低地があり、黒松内低地帯という。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "北海道の主な高峰は、蝦夷山系と千島弧の会合する中央部の石狩山地(大雪山連峰、十勝岳連峰など)と、その南に続く日高山脈に集中している。最高峰は大雪山の旭岳で、その標高は2,291メートルである。南西部山地には「蝦夷富士」と呼ばれる羊蹄山などの山がある(北海道の山の一覧も参照のこと)。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "一級水系は13水系ある。石狩川、天塩川、十勝川、釧路川、網走川、常呂川、湧別川、渚滑川、留萌川、沙流川、鵡川、尻別川、後志利別川。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "阿寒湖、大沼、屈斜路湖、サロマ湖、支笏湖、洞爺湖、摩周湖、ウトナイ湖、網走湖、能取湖、風蓮湖などの湖沼がある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "隣接県は青森県である。青森県をはじめ、北海道と各都府県は陸路、歩行では移動することができない。飛行機、船、青函トンネルを介して北海道新幹線に乗車のいずれかが必須となっており、いずれも運賃がかかる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "西岸海洋性気候や温暖湿潤気候が見られる道南の一部沿岸地域を除くと、亜寒帯湿潤気候である。日本海側、内陸部で冬の積雪は根雪となる。日本海側は特に豪雪地帯であり、一部市町村は特別豪雪地帯になっている。道北、道東の内陸部は寒さが非常に厳しい。太平洋沿岸部は、親潮の影響を受け夏は涼しく冬は比較的少雪。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "津軽海峡が、生物地理学的にはブラキストン線と呼ばれ、北方系の種と南方系の種が交差する境界となっているため、本州以南に生息していない種も多い。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "「北海道」1道から成る地方を北海道地方と言い、人口5,475,783人で都道府県順位第8位、面積83,456.75kmで都道府県順位第1位、これは日本の総面積の約2割 (22.9%) に当たる。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "また、国土交通省による日本の14地域区分の1つである北海道も、「北海道」1道から成る。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "なお、択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島については「北海道」の領域に含まれるものの、日本の管轄下に置かれていない。すなわち、1945年(昭和20年)8月28日から9月5日にかけてソビエト連邦が不法占拠し、現在もその後継国家であるロシア連邦が継続して不法占拠中にあり、日本の施政権が及んでいない(北方領土問題参照)。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "「北海道」には179の市町村(35市129町15村)、64の郡がある(この他、北方領土に5郡6村がある)。「北海道」では、森町を「もりまち」と読む以外は、町は全て「ちょう」、村は全て「むら」と読む。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "北海道本島とその付随する島々(利尻島、礼文島、奥尻島、天売島、焼尻島、渡島大島、渡島小島、色丹島、歯舞群島など)、千島列島から成る地方公共団体が「北海道」であり、47都道府県で唯一の「道」である。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "北海道は全体で一つの行政区域となっており、第二次世界大戦後の地方自治法で他の都府県とならぶ普通地方公共団体となった。北海道庁は札幌市中央区に置かれる。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "歴史的には明治政府は北海道に開拓使を置いていた。同時期に道南の松前地方には館県・弘前県・青森県の管轄地域が存在したことがある。松前地方では版籍奉還により松前藩が館藩となり、廃藩置県で館県が成立。館県は弘前県に併合され、弘前県は青森県となったが、青森県からは再三にわたり松前地方の管轄免除、開拓使からは同地方の管轄の願い出が行われたため、1872年に松前地方も開拓使に移管された。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "北海道に置かれた開拓使は開拓使十年計画が終わったことで、1882年に廃止され、北海道に札幌県・函館県・根室県が誕生した。ところが非効率的で開拓の実があがっていないという批判が多く、内閣制度発足による機構改革とともに、1886年、3県を廃止し、北海道全体を管轄する北海道庁が設置された。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "北海道は、地方自治法155条第1項に基づき、支庁を設置している。「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」において「北海道総合振興局」(以下「総合振興局」)および「北海道振興局」(以下「振興局」)とされている。各総合振興局および振興局は、その所管区域において、納税証明書の発行および旅券発給などの窓口業務は、所管区域ごとに行った方が効率のよい業務を担当している。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "2008年(平成20年)6月28日の北海道議会で、それまであった14支庁を9総合振興局に再編し、その下に総合振興局の出張所として5振興局を置くとする条例が可決された。しかし、檜山支庁、日高支庁、留萌支庁、根室支庁の支庁所在地を抱える管内各自治体では、住民の反発の声が上がり、地域経済の悪化に拍車が掛かることも懸念された。また、再編する際に必要な公職選挙法の改正が先送りされ(北海道では衆議院小選挙区区画区分を支庁管内境界で区分している)、2009年(平成21年)4月1日実施は不可能となった。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "これらのことから、当初の条例は施行されず、結局2009年(平成21年)3月31日の道議会で「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」が改正され、総合振興局・振興局への改称後も、どちらも同格の支庁として存続することになった。但し総合振興局は、隣接する振興局管内の広域行政を担うことができ、該当する振興局が条例で規定されている。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "この改正では、網走支庁がオホーツク総合振興局となる以外は、名称は従来の支庁名が継承された。なお幌延町が旧留萌支庁管内から宗谷総合振興局管内へ、幌加内町が旧空知支庁管内から上川総合振興局管内に移った。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "※ 人口は2023年10月31日の住民基本台帳人口。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "※ 面積は2015年10月1日全国都道府県市区町村別面積調。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "※ 根室振興局の市町村の( )内は北方領土内の村。人口・面積には、北方領土を含まない。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "一般的な区分は何通りかあるが、ここではその一例を挙げる。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "胆振・日高・後志を道南に区分したり、オホーツクの北見網走地区を道北に区分したり、あるいは上川の大雪地区(旭川富良野地区)や空知の深川地区を道北に区分したりする例も見られる。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "地域生活経済圏の人口比率", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "北海道庁は道内を6つの「地域生活経済圏 (PDF) 」に分けている。「道東地方」については面積が広いため3分割し計6地域とされている。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "北海道は東北地方に新潟県を加えた面積に匹敵する程広大であるため、旭川市、函館市、帯広市、釧路市の4市に、本州以南であれば都府県庁所在地にのみ設置される機関が置かれる例が見られる。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "国の出先機関の支局などが札幌市・旭川市・函館市・帯広市・釧路市に設置される場合は、概ね振興局を分割することなく、その支局などが置かれる振興局と近隣の振興局を管轄することとなる。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "一部の機関にあっては、歴史的経緯・地理的状況により、振興局を分割して管轄する場合がある。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "日銀の管轄は、函館支店が渡島・檜山2振興局、釧路支店は釧路・十勝・根室3振興局を担当。その他は札幌支店が管轄するが、その中の釧路支店に所属する帯広事務所の管轄が十勝総合振興局、そして札幌支店に所属する旭川事務所の管轄が上川・宗谷・オホーツク3総合振興局となっている。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "また、道内の放送局は7地域に分割される。詳細は、北海道の報道機関の一覧を参照。", "title": "地域 " }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "北海道には数万年前の氷期にシベリアからマンモスやオオツノシカなどの大型哺乳動物を追いかけて、陸橋となった宗谷海峡を人類が渡ってきたとされる。約12,000年から13,000年前(-8000年から-9000年)には、氷河が後退し温暖となってからは本州からも渡来したようである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "道内各地で旧石器時代の発掘調査は、群馬県の岩宿遺跡で旧石器が発見されたのをきっかけに行われるようになった。それらの遺跡は約2万年前から1万3000年前の間、つまり後期旧石器時代と推定されている。現在のところ最も古い遺跡は、千歳市祝梅(しゅくばい)三角山遺跡と考えられている。この遺跡から採取した炭化材を放射性炭素年代測定法では21450±750年BPであった。出土した石器類は、ナイフ形石器・尖頭器・削器・石核などである。これらの石器の原材料となった黒曜石の産地は「十勝石」の名で親しまれている白滝村が代表的である。他には、置戸・十勝三股・赤井川などがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "縄文時代に入ると、渡島半島・函館市の女名沢遺跡など、本州からの亀ヶ岡文化の影響が見られるようになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "縄文時代後期の周堤墓は北海道にしか見られず、特に石狩低地帯に集中している。最も大きいものは千歳市郊外にあるキウス周堤墓群で、知床半島の付け根部にある斜里町でも朱円遺跡、芦別市野花南、標津町伊茶仁(いちゃに)などで発見されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "北海道ではストーンサークルが多く発掘され考古学上議論を呼んでいる。渡島管内森町の鷲ノ木遺跡、後志管内小樽市の忍路環状列石・地鎮山環状列石、余市町の西崎山環状列石、石狩地方では空知管内深川市の音江環状列石、旭川市の神居古潭ストーンサークルなど。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "古くは『日本書紀』に渡島(わたりしま)として登場している。事実かどうかは諸説あるが、『日本書紀』には、斉明天皇が阿倍比羅夫に命じ、蝦夷を征するため、渡島へ1万の軍勢を送ったとある。比羅夫は蝦夷を下し、さらに降伏した蝦夷とともに粛慎なる異民族を討ち、捕虜を連れ帰ったという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "奈良時代、平安時代には出羽国と交易を行なった。当時の住民は、東北地方北部の住民と同じく蝦夷(えみし)と呼ばれていた。恐らく両者は同一民族で、北海道側の蝦夷が後の蝦夷(えぞ)、現在のアイヌの先祖だと考えられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "中世以降、北海道の住民は蝦夷(えぞ)と呼ばれ、北海道の地は蝦夷が島、蝦夷地(えぞち)など様々に呼ばれた。古代の蝦夷(えみし)は農耕も生活の柱としていたが、次第に狩猟・漁業に特化し、鉄などを日本人(和人)の交易で得るようになっていった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "また鎌倉時代以降になると、後の松前藩や和人地の基礎となった渡党の活動が見られるようになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "室町時代には、渡島半島南端(後の和人地)に和人、渡党、アイヌが居住し、豪族が館を構えていた。和人の築いた道南十二館のひとつである勝山館跡では和人とアイヌの混住が考古学的にも確認されている。当地に割拠していた館主(たてぬし)らは安東氏と被官関係を結んでおり、かれらが北海道に渡った時期は不明であるが、その多くは鎌倉時代に津軽や糠部の北条氏所領の代官層であった侍の子孫とも考えられている。室町・戦国期には本土から和人の渡海者が増え、現地のアイヌとの間に対立が起きたという。近世以前の北海道に関しては松前藩の由緒を記した『新羅之記録』(寛永20年(1643年)成立)があり、同書に拠れば康正3年/長禄元年(1457年)に起きたコシャマインの戦いで、甲斐源氏・若狭武田氏の子孫とされる武田信広がアイヌの指導者コシャマインを殺し、和人の勝利を決した。信広は蠣崎氏を継ぎ、その子孫は後に松前の氏を名乗り、代々蝦夷地の南部に支配権を築いた(松前藩)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "松前藩の経済基盤はアイヌとの交易にあった。安土桃山時代から江戸時代にかけて松前氏は征夷大将軍より交易独占権を認められ、アイヌとの交易条件を自らに有利なものに変えていった。アイヌはシャクシャインの戦いやクナシリ・メナシの戦いで蜂起したものの、松前藩によって鎮圧された。天明4年(1784年)からは蝦夷地の開拓を始め、沿岸にいくつかの入植地が建設された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "江戸時代後期に、ロシアがシベリアから領土を広げつつ日本と通商を求めるようになり、鎖国を維持しようとする日本に北海道近辺で接触した。中にはゴローニンや高田屋嘉兵衛のように相手国の捕虜になった人もいた(ゴローニン事件)。ロシアの脅威に対する北方防備の必要を認識した江戸幕府は、最上徳内、近藤重蔵、間宮林蔵、伊能忠敬といった者に蝦夷地を(樺太・千島列島を含め)探検させ、地理的な知識を獲得した。また、寛政11年(1799年)に東蝦夷地を、文化4年(1807年)には西蝦夷地を松前氏から取り上げた。また、統治機構として享和2年(1802年)に蝦夷奉行を置き、後に箱館奉行、松前奉行と名を変える。幕府の統治はアイヌの負担を若干軽減したが、基本的な支配構造には手を付けなかった。ゴローニン事件解決以降、ロシアの領土拡大的な南下が停滞したため、奉行は文政4年(1821年)に廃され、全蝦夷地は松前藩に還付された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "律令制・幕藩体制の延長期", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "慶応4年/明治元年4月12日(1868年5月4日)に、新政府は蝦夷地にそれまで置かれていた箱館奉行を箱館裁判所に置き換え、すぐにその名を箱館府と改めた(府藩県三治制)。これに伴い、道内でもそれまでの公議御料(幕府直轄領)は天領(天皇の御料)となった。ただし、明治元年12月(1869年1月)旧幕府軍が五稜郭を占拠し榎本武揚を首班とする「蝦夷共和国」が成立、翌年にかけて新政府軍との間で戊辰戦争の一つ箱館戦争が戦われた。旧幕府側の降伏直後の明治2年(1869年)、和人地および蝦夷地(北州)には大宝律令の国郡里制を踏襲し北海道11国86郡が置かれた(→北海道 (令制))。同年7月(天保暦)館藩(松前藩)領以外は箱館県(箱館府の後身)から引き継ぐ開拓使(「使」という名称は、律令制下で使用された臨時の独自な任務をこなす令外官である。東北地方などには按察使が置かれた)が設けられ北海道の開拓は本格化した。当初、開拓使直轄領以外では、道外の藩・士族・寺院・華族などによる幕藩体制と同様の北海道の分領支配も行われていた。また、同年10月場所請負制が漁場持と名称を変えしばらくの間存続することとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "※ 得撫郡、新知郡、占守郡の3郡は、1875年(明治8年)、樺太・千島交換条約により得撫島以北の千島列島を編入したため千島国に加わった", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "1943年(昭和18年)3月20日には町村制の改正により北海道一・二級町村制が廃止(旧二級町村は特例で指定町村と)された。1946年(昭和21年)9月27日の府県制改正にともない、北海道における自治制度を規定していた「北海道会法」と「北海道地方費法」が廃止されて「道府県制」に移行し、指定町村の特例も廃止されている。もっとも、和人の「開拓」はアイヌにとっては土地収奪と強制移住を伴うものであり、「日本による侵略」であったとする見方もある(本多勝一など)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "1902年(明治35年)、1913年(大正2年)、1931年(昭和6年)、1941年(昭和16年)は冷夏になり、農作物の収率が例年の半分以下になる大凶作となった。また、1912年(明治45年)3月、暴風雪が発生し、死者68人の被害。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "1932年(昭和7年)8月25日から15日間道内で降り続いた雨は石狩川、天塩川、幌内河、夕張川、美唄川、江別川などを氾濫させた。前年の凶作に追い打ちをかける水害により農村部は疲弊した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "1936年(昭和11年)10月3日、北海道全域で暴風雨。釧路市では民家の裏山が崩れ死者7人。渡島半島では大島村で死者16人、小島村で死傷者16人、吉岡村で死者1人。どの町村も民家の流失多数。港湾施設も道路や船入澗(防波堤、係留施設)が大破して漁船が全滅に近い状態となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "1950年(昭和25年)、北海道を開発するため、調査・立案及び実施に関する事務を担当する北海道開発庁が総理府の外局として設置された。北海道内には北海道開発局と各地方に開発建設部が置かれ、開発の任に当った。第二次世界大戦の復員兵や、旧植民地からの帰還者の受け入れ先として北海道が注目され、人口が急増した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "戦後復興と高度経済成長期の初めは、北海道産の石炭が重宝され、多くの炭鉱労働者が北海道で暮らしたが、1960年代に石油へのエネルギー転換が起こり、1980年代までにほとんどの炭鉱が閉山された。これに伴い、不要になった鉄道が相次いで廃止され、市民生活の自動車化が推し進められた。道路網の整備が行われ、道央自動車道をはじめとする高速道路が建設された。他の都府県は直轄国道(旧一級国道)以外の整備補修を自ら行うのに対し、北海道はすべての国道を国が管理する体制がとられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "1967年(昭和42年)には旭川市旭山動物園が開園し、1968年(昭和43年) には北海道百年記念祝典が開催された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "また、1971年(昭和46年)に日本で4番目の地下鉄となる札幌市営地下鉄が開業。翌1972年(昭和47年)にはアジア初の冬季オリンピックである第11回冬季札幌オリンピックが開催され、オリンピック後の4月1日には札幌市が政令指定都市に指定された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "1988年(昭和63年)7月20日には、新千歳空港が千歳空港に代わる民間航空用の空港として開港した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "2001年(平成13年)の中央省庁再編により、北海道開発庁は統合され、国土交通省北海道局となった。それに伴い、北海道開発局は国土交通省の地方支分部局となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "2003年(平成15年)9月26日午前4時50分ごろ、 十勝沖地震 - Mj 8.0(Mw 8.0〜8.3)、北海道新冠町・静内町・浦河町・鹿追町・幕別町・豊頃町・忠類村・釧路町・厚岸町で最大震度 6弱、死者・不明者2人。津波警報が発表され2メートルを超える津波が来襲し2人が飲み込まれ、2年後に1人が遺体で発見された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "2008年(平成20年)7月7日〜7月9日 - 北海道洞爺湖サミット開催。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "2010年(平成22年)、支庁制度改革、支庁を「総合振興局・振興局」と改称。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "2018年(平成30年)9月6日午前3時8分ごろ、胆振地方中東部(北緯42.7度 東経142.0度)で最大震度7 (M.6.7) を観測する北海道胆振東部地震が発生した。厚真町では震度7を観測した。北海道で震度7を観測したのは観測史上初。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "北海道の人口は522万4614人(2020年(令和2年)10月1日、国勢調査)であり、都道府県単位で全国8位である。しかし、面積が広大である為人口密度は最も低く、これが地域の特色にもなっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "1869年(明治2年)の6万人から始まり全国で最も少なかった人口はその後急速な増加傾向が続き、1886年には30万人、1901年には100万人を超え、1959年には初めて500万人を超えた。1997年(平成9年)に過去最多の570万人に達するも、出生数の低下や高齢者人口増に伴う死亡数増加、転出増加により2000年に568万人、2005年には563万人に減少した。その後も減少傾向は続いている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "北海道は纏まった人口が定住し始めてからの歴史が明治時代以降と浅く、本州以南と比較して都市が短期間で計画的・人工的に作られた側面が大きい。そのため他の多くの都府県と比べ、主要都市部に人口が偏在する傾向が強い。特に20世紀後半以降は札幌市への人口集中が続いており、2023年時点において道人口全体の38%を占め道内の他の自治体を大きく圧倒している。さらに札幌市とその周辺地域(石狩振興局に加え、札幌都市圏に含まれる小樽市と南幌町)を合計すると約250万人に達し、道面積の5%程度の地域に人口の半分が集中していることになる。その他の地域は軒並み中小都市が点在する様相となっており、2番目の人口規模をもつ旭川市でさえ札幌市の人口の6分の1程度しかない。道内の179の自治体のうち政令指定都市は札幌市の1市、中核市は旭川市と函館市の2市で、施行時特例市は存在しない。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "人口の都市集中は、小規模市町村の人口密度がさらに低いことを意味する。家屋の密度が著しく低く、大区画でほぼ無人の畑地・牧草地が広がる大地を、どこまでも続く直線道路が切っていく景観は、人口密度の低さで北海道につぐ東北地方でも見られない、北海道独特のものである。2022年(令和4年)現在で179の自治体のうち、およそ83%に上る149の自治体が過疎地域に指定されている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "2023年4月9日に行われた道議会議員選挙の結果を反映している。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "2022年(令和4年)度の実質公債費比率は19.1%と、全国最下位。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "2021年(令和3年)現在、衆議院議員選挙は、小選挙区を12区に分け、比例北海道ブロック議席は8議席保有している。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "比例北海道ブロック", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "北海道選挙区", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "平成29年度(2017年)の道内総生産は19兆4301億円であり、1人当たりの道民所得は268万2千円となっている。これは世界40位前後の「国」に相当する経済規模を有している。北海道内総生産の産業別構成比は、第一次産業が4.1%、第二次産業が16.9%、第三次産業が79.0%である(2014年度)。全国平均と比べて第一次、第三次産業の比率が高く、第二次産業、特に製造業の比率が小さく全国の2分の1以下となっている(全国18.5%に対し北海道は8.6%)。製造業における業種別構成を全国と比べると食料品、パルプ・紙のウエイトが高く、繊維や非鉄金属、精密機械などのウェイトが低くなっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "林業は明治期より基幹産業のひとつである。ブラキストン線以北で冷帯気候に属する北海道の森林、特に北海道北東部はトドマツ(マツ科モミ属)、アカエゾマツ(同科トウヒ属)やカラマツ(同科カラマツ属)など冷帯気候を好むマツ科針葉樹が主体となる。道内で最も蓄積が多い樹種はトドマツで全蓄積の6割にあたるという。スギやヒノキなど日本本土で人工林の主体となるヒノキ科針葉樹は道内に天然分布せず、特にヒノキに関しては寒冷地では漏脂病という致命的な病気にかかりやすいので人為的にも植栽されない。スギおよび同科のヒバは道南を中心に持ち込まれて植栽されている。札幌市中央区の円山公園には、日本最北のスギ人工林がある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "モミやトウヒの仲間はスギ・ヒノキと比べて腐りやすく、住宅用構造材としては不適切である。そのため板材やパルプ用途などへの利用が中心だったが、人工乾燥と防腐剤の発達による耐久性向上や集成材加工による強度の均一化により徐々に見直されつつある。カラマツは強度があるが乾燥時に狂いやすい欠点がある。そのため坑木や梱包材などに留まっていたが、こちらも乾燥技術の向上などで住宅用構造材に利用可能な製品が開発されつつある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "北海道のカラマツは自然分布していた樹種ではなく、明治以降に長野県から人為的に持ち込まれたものである。カラマツは道内の気候に適応し生長は早いものの、ネズミの食害による苗木の枯死の多さが問題となっていた。これを改善する研究が道や国の研究機関などで進められ、同属外来種のグイマツを掛け合わせる交配により、生長の速さと食害抵抗性を兼ね備えた雑種を生み出した。外来種樹木の品種改良はニュージーランドにおけるラジアータマツの育種が知られるが国内では珍しい事例となっている。 カラマツ、グイマツ以外の他地域樹種の導入も模索され、ストローブマツ(北米原産)、バンクスマツ(同)、ニセアカシア(別名ハリエンジュ、同)、ヨーロッパトウヒ(別名ドイツトウヒ、欧州原産)、ヨーロッパアカマツ(同)なども造林されたが、劣悪な土地でも生長が速く砂防・治山や薪として有用、蜜源植物にもなるニセアカシアを除くと試験的なものに留まった。ニセアカシアについても要注意外来生物に指定され、今後広く植栽されることは無くなった。これらの樹種の多くは旭川市にある外国樹種見本林に植栽されている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "針葉樹だけでなく、広葉樹生産が盛んなことも北海道の林業の特徴の一つである。ミズナラ、イタヤカエデ、アオダモ、ハルニレ、ウダイカンバ、センノキなどの有用広葉樹の産地として知られる。広葉樹材の家具の産地として旭川市が知られるほか、木材は全国各地へと出荷されている。 2019年秋、令和の大嘗祭のため造営された大嘗宮の鳥居には、北海道産ヤチダモが使用された。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "北海道では第二次産業の占める割合が全国に比べて極めて低い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "北海道は広域であると同時に単独で地方を構成し、道全体を管轄する北海道警察が置かれている。警察通信事務は警察庁の地方機関である「北海道警察情報通信部」が行う。", "title": "生活" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "災害拠点病院", "title": "生活" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "保育所", "title": "生活" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "国民生活基礎調査によれば北海道の子どもの貧困率は16.3%(2012年高橋道政下)、生活保護世帯の高校進学率は96.7%(2013年3月)で50人に約2人が高校進学に到っていない。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "以前は日本各地の空港と直接結ぶ路線も多様に見られたが、近年は新千歳空港乗継と東京国際空港(羽田)乗継に路線が整理縮小されてきている。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "道内には、国際拠点港湾2港、重要港湾12港がある。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "北海道では、独特な文化が見られる。神棚や玄関、車の正月用飾り付けおいても注連縄のような質素なものではなく、宝船(七福神)を模したものである。また企業が北海道限定品を発売する例がある。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "日本各地の人々が北海道開拓のために移り住んだこともあり、各地の地方文化とともにそれらが融合して新しくなった北海道独自の食文化が見られ、呼称も独自のものがある。また、北海道で生産された食べ物をひっくるめて「道産物」と総称される事もある。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "公的に「北海道民のうた」として定められているのは、1967年5月27日に制定された以下の3曲である。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "戦前は1908年発表の唱歌「われらが愛する北海道」が主に愛謡されていた。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "2008年(平成20年)7月7日 - 7月9日の3日間、第34回主要国首脳会議(通称:北海道洞爺湖サミット)が洞爺湖畔で開催された。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "受賞条件", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "※1978年〜1992年の受賞者は道庁HPに不記載", "title": "人物" } ]
北海道(ほっかいどう)は、日本の北海道地方に位置する道。道庁所在地は札幌市で、47都道府県中唯一の「道」である。
{{Otheruses}} {{出典の明記|date=2015年5月2日 (土) 05:55 (UTC)}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 北海道 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Tokachi plain 01.jpg{{!}}十勝平野の大規模農場 | photo2a = 130922 Lake Toya Toyako Hokkaido Japan03s3.jpg{{!}}洞爺湖 | photo2b = Hakodate Goryokaku Panorama 1.JPG{{!}}五稜郭 | photo3a = SoyaCapeView.JPG{{!}}宗谷岬 | photo3b = Japan Sapporo Mt.Moiwa 0049.jpg{{!}}藻岩山から望む札幌市街地 | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center | space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[十勝平野]]の大規模農場</td></tr><tr><td style="width:50%">[[洞爺湖]]</td><td style="width:50%">[[五稜郭]]</td></tr><tr><td style="width:50%">[[宗谷岬]]</td><td style="width:50%">[[藻岩山]]から望む[[札幌市|札幌市街地]]</td></tr></table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|北海道|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[北海道旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Hokkaido Prefecture.svg|70px|北海道章]] | 都道府県章の説明 = 北海道章 | 区分 = 道 | コード = 01000-6 | ISO 3166-2 = JP-01 | 隣接都道府県 = {{flag|青森県}}{{Refnest|group="注釈"|[[津軽海峡]]を挟んで隣接。}} | 木 = [[エゾマツ]]、[[アカエゾマツ]] | 花 = [[ハマナス]] | 鳥 = [[タンチョウ]] | シンボル名 = 道民のうた | 歌など = [[光あふれて (行進曲)|行進曲「光あふれて」<br />ホームソング「むかしのむかし」<br />音頭「北海ばやし」]]<br />[[道民体操]](どさんこ体操) | 郵便番号 = 060-8588 | 所在地 = 札幌市中央区北3条西6丁目1番地<br />{{WikidataCoord|Q1037393|format=dms|type:adm1st_region:JP-01|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Hokkaido-Govt-Main-Bldg-01.jpg|220px|北海道庁]] | 外部リンク = {{Official website|https://www.pref.hokkaido.lg.jp/}} | 位置画像 = {{基礎自治体位置図|01|000|image=Map of Hokkaido Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = 面積には[[北方地域]]5,036.14km<sup>2</sup>を含む }} {{Infobox 島 | 島名 = 北海道 | 画像 = [[ファイル:Satellite image of Hokkaido, Japan in May 2001.jpg|200px]]<br />2001年5月30日、地球観測衛星[[テラ (人工衛星)|テラ]]搭載の[[MODIS]]センサにより撮影。 | 座標 = | 面積 = 77,983.90{{r|island2}} | 周囲 = 2,676<ref name="toukei2014">『日本統計年鑑 平成26年』(2013年)p.17 - [[1986年]]([[昭和]]61年)、[[海上保安庁]]による計測。</ref> | 標高 = 2,291 | 最高峰 = [[旭岳]] | 最大都市 = [[札幌市]] | 諸島 = [[日本列島]] | 海域 = | 国 = {{JPN}} }} {{Infobox |bodyclass = bordered |abovestyle = background-color:blue; text-align:center; |above = {{Color|white|'''北海道地方'''のデータ}} |headerstyle = background-color: skyblue |header1 = 1道の合計 |label2 = 国 |data2 = {{JPN}} |label3 = 面積 |data3 = '''83,423.84''' [[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]<br /><ref>[https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO-title.htm 全国都道府県市区町村別面積調]([[国土交通省]][[国土地理院]])</ref> |label4 = [[推計人口]] |data4 = '''{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/北海道|北海道}} }}}}'''人 |label5 = 人口密度 |data5 = '''{{formatnum:{{#expr:({{自治体人口/北海道|北海道}}) / 83423.84 round 1}}}}'''人/km<sup>2</sup> |label6 = 人口密度 |header6 = 位置 |data7 = [[ファイル:Japan Hokkaido large.png|center|200px|北海道地方の位置]] }} '''北海道'''(ほっかいどう)は、[[日本]]の北海道地方に位置する[[都道府県|道]]。[[都道府県庁所在地|道庁所在地]]は[[札幌市]]で、47都道府県中唯一の「[[道 (行政区画)|道]]」である。 == 概要 == この[[島]]を居住地の一つとする[[アイヌ]]の言葉([[アイヌ語]])では、「{{lang|ain-Kana|'''[[アイヌモシリ|アィヌモシㇼ]]'''}}」({{lang|ain-Latn|ainu mosir}}、「人間の住む土地」の意)または「{{lang|ain-kana|'''ヤウンモシㇼ'''}}」({{lang|ain-Latn|ya un mosir}}、「陸地の国土」)<ref>{{Cite |和書 | author = [[中川裕 (アイヌ語研究者)|中川裕]] | author2 = 北原次郎太 | author3 = 永山ゆかり | author4 = バヤリタ | author5 = ブリガ | author6 = 児倉徳和 | author7 = 久保智之 | author8 = 西田文信 | author9 = 加藤高志 | author10 = 野島本泰 | author11 = ダニエル・ロング | title = ニューエクスプレス・スペシャル 日本語の隣人たちⅡ | date = 2012 | publisher = [[白水社]] | isbn =9784560086162 }}</ref> と呼ばれる(なおアイヌモシㇼとはカムイモシㇼ(神々の土地)に対比される語であり、今日の北海道という地理的概念と同じ言葉ではない)。[[日本人]]([[和人]])は古代には[[渡島|渡嶋]](わたりのしま)、近代に至るまでアイヌを[[蝦夷]](えぞ)、その土地を[[蝦夷地]](えぞち)もしくは北州、十州島などと呼んでいた<ref name="hokkaido" group="注釈" /><ref name="name-of-island" group="注釈" />。 [[File:AinuSan.jpg|220x124px|thumb|right|アイヌ民族の写真]] [[ロシア帝国|ロシア]]の進出に伴い江戸時代末期になると「異民族の住む地」を意味する「蝦夷地」のままではいけないという意見がみられたものの改称は実現しなかった<ref name="faq02" />。 明治政府は[[開拓使]]の設置に伴い名称の変更を検討。1869年(明治2年)、蝦夷地探査やアイヌとの交流を続けていた[[松浦武四郎]]は政府に建白書を提出し、「日高見道」「北加伊道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6案を提示した<ref name="faq02">{{Cite web|和書|url=http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/mnj/d/faq/faq02.htm|title=北海道の名前について|publisher=北海道立文書館|accessdate=2020-01-20}}</ref>。明治政府は「北加伊道」を基本とし「加伊」を「海」に改めた「'''北海道'''」とすることを決定<ref name="faq02" />。明治2年8月15日太政官布告により「蝦夷地自今北海道ト被稱 十一ヶ国ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出候事」と周知された<ref name="faq02" />。なお、松浦は建白書において「北加伊道」案はアイヌが自らを「カイ」と呼んでいることから考案したと説明している<ref name="faq02" />。しかし、[[言語学]]者の[[金田一京助]]は当時のそのような事実を示す証拠は見つかっていないと唱えている。 北海道は他の「都・府・県」と同格の[[地方自治法]]における普通地方公共団体([[都道府県]])の1つだが、他の都府県では「[[東京都|東京]]」「[[大阪府|大阪]]」「[[京都府|京都]]」「[[富山県|富山]]」「[[福岡県|福岡]]」のように行政区分を示す「[[都]]」「[[府]]」「[[県]]」を省略する呼び方があるのに対し、北海道の「道」を外して単に「北海」という呼び方をすることは普通ない。英語でも"{{lang|en|Hokkaido Prefecture}}"または"{{lang|en|Hokkaido}}"という呼び方をし、"{{lang|en|Hokkai Prefecture}}"とする事は普通ない。これは「北海道」の語が、「東京」などと同様の地名の1単語として広く定着しているためと考えられる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/bns/yurai.html|title=「北海道」の由来|publisher=北海道立文書館|date=2022-01-20|accessdate=2022-12-30}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20200415065815/https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-nd8e613237260|title=「北海道はなぜ“北海”と略さないのか?」#シラベルカ2|publisher=NHK札幌放送局|date=2020-04-14|accessdate=2022-12-30}}</ref>。なお、「北海」が社名や学校名などの固有名詞の一部分に使用される例([[北海タイムス]]、[[北海学園大学]]など)はある。一方、「道」である普通地方公共団体は北海道のみであることから、「'''道'''」が「道産米」、「本道」、「[[道外]]」など、事実上北海道を唯一的に指し示す語彙([[形態素]])として広く普及している。他、「'''北'''」が略称となる場合もあり、例えば[[北海道旅客鉄道|JR北海道]]は「JR北」、[[北海道畜産公社]]は「ホクチク」と呼ばれる。 後述の通り、[[1886年]](明治19年)から[[1947年]]([[昭和]]22年)まで北海道を管轄した地方行政官庁は、[[北海道庁 (1886-1947)|北海道庁]]であった。この場合、「北海道」は単なる地域呼称であって、「北海道庁」が「東京府」や「青森県」などと並んで置かれた官庁の名である([[樺太]]と[[樺太庁]]の関係に同じ)。この「北海道庁」は、現在用いられているような[[地方公共団体|地方自治体]]の中央官庁ではない。[[1901年]](明治34年)に北海道会法および北海道地方費法が公布・施行されて「北海道会」という議会を持つ地方自治体となったが、自治体としては「北海道地方費」と呼ばれた。[[戦後]]、[[1946年]](昭和21年)の第1次地方制度改革で[[市制]]・[[町村制]]・[[東京都制]]とともに[[府県制]]が改正された際、北海道会法と北海道地方費法が廃止されて'''道府県制'''に統合された。また改正法律の附則の規定により、従来「北海道地方費」と呼ばれていた自治体を「'''道'''」と呼ぶこととされた。地方行政官庁としての北海道庁は1947年(昭和22年)の地方自治法施行により、「北海道庁官制」とともに廃止され、同法に基づく[[普通地方公共団体]]としての北海道となった。 [[ブランド総合研究所]]による「都道府県の魅力度ランキング」で2023年現在、15年連続で1位に選ばれ、観光意欲度、食品想起率でも1位、情報接触度、居住意欲度でも2位になるなど各意欲の面で高い評価を得ている<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.tiiki.jp/articles/4854 |title=地域ブランド調査2023 都道府県の魅力度等調査結果 |publisher=地域ブランドNEWS編集部 |date=2023-10-14 |accessdate=2023-10-19}}</ref>。 == 地理 == {{see also|日本の地理#北海道}} [[ファイル:Geofeatures map of Hokkaido Japan ja.svg|thumb|left|250px|北海道の主要地形]] [[ファイル:Hokkaido-Japan-ISS-Space.png|thumb|250px|[[国際宇宙ステーション]]から見た北海道]] 北海道本島は面積77,983.90平方キロメートル、[[日本]]の[[島]]の中では[[本州]]に次ぐ第2位の面積で{{r|island2}}、世界の島の中では[[アイルランド島]]に次ぐ第21位の面積を持ち、[[樺太]](同第23位)よりやや大きく、台湾島35,980平方キロメートルの約2倍の大きさである<ref name="list-of-islands" group="注釈" />。これは[[九州]]と[[四国]]を合わせた面積55,050.77平方キロメートルを上回る。四方を[[太平洋]]、[[日本海]]、[[オホーツク]]海に囲まれている。<ref>{{Cite web|和書|title=北海道のホームページ/北海道の概要 - 北海道のホームページ |url=https://www.pref.hokkaido.lg.jp/overview/index.html |website=www.pref.hokkaido.lg.jp |accessdate=2022-02-21}}</ref> === 島としての北海道 === '''北海道本島'''は、[[面積]]77,983.90[[平方キロメートル]] (km<sup>2</sup>) <ref name="island2">{{Cite web|和書|date=2016-10-01|url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201610/f3_shima.pdf|title=平成28年全国都道府県市区町村別面積調 島面積|format=PDF|publisher=[[国土地理院]]|accessdate=2017-02-27}}</ref>、最高[[標高]]2,291[[メートル]] (m) {{refnest|group="注釈"|同島中央部の[[火山]]群([[大雪山]]または大雪山系とも呼ぶ)の中の[[旭岳]]の標高である。長らく、この標高は2,290&nbsp;mとされてきたが、[[2008年]][[3月3日]]、[[国土地理院]]より最新の測量技術による改定発表があり<ref>[http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2008-0303.html]</ref><ref>[http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2008-0303-4.html]</ref>、「北海道本島」の最高標高そして「旭岳」の標高は2,291mとなった。}}、[[本州]]、[[四国]]、[[九州]]とともに[[日本列島]]を構成する主要4島の一つ<ref group="注釈">【参考】 [[島国一覧]] ([[領土]]がすべて[[島]]で構成される国)</ref>。北海道本島は日本の国土面積の約2割を占め、本州の約3分の1、九州の約2倍、四国の約4倍に相当する。 上記4島の中では、唯一、[[島]]名と[[地方公共団体]]名が同じで、1「[[都道府県|道]]」のみで[[管轄]]する[[島]]である<ref group="注釈">他の3[[島]]の場合、[[本州]]には34の[[地方公共団体]](1都2府31県)、[[四国]]には4つの地方公共団体(4県)、[[九州]]には7つの地方公共団体(7県)がそれぞれある。</ref>。 [[日本]]の[[島]]の中では本州に次ぐ第2位{{r|island2}}、世界の島の中では[[アイルランド島]]に次ぐ第21位の大きさである{{Refnest|group="注釈"|name="list-of-islands"|世界の[[島]]の面積順位<ref>[[:en:List of islands by area|List of islands by area]]</ref> より抜粋 * 第1位 [[グリーンランド]] ---- * 第6位 [[スマトラ島]] ([[インドネシア共和国]]) * 第7位 [[本州]] * 第8位 [[ビクトリア島]] ([[カナダ]]) * 第9位 [[グレートブリテン島]] ([[イギリス]]([[イングランド]]・[[スコットランド]]・[[ウェールズ]])) ---- * 第20位 [[アイルランド島]] ([[アイルランド共和国]]および[[イギリス]]([[北アイルランド]])) * 第21位 '''北海道''' * 第23位 [[樺太]] * 第27位 [[デヴォン島]] ([[カナダ]]) - 世界最大の[[無人島]] ---- * 第36位 [[スピッツベルゲン島]] ([[ノルウェー]]) * 第37位 [[九州]] ---- * 第49位 [[バナナル島]] ([[ブラジル]]) - 世界最大の川の中の島 * 第50位 [[四国]]}}。 [[江戸時代]]までは一般的に、[[千島]]や[[樺太]]を含めて'''蝦夷ヶ島'''、本島単独では'''[[蝦夷地]]'''、'''北州'''、'''十州島'''などと呼ばれていたが<ref group="注釈" name="hokkaido">田端宏「風と人間」 田端宏・桑原真人・船津功・関口明『北海道の歴史』山川出版社 ISBN 978-4634320109(2000年9月)2ページより。[[徳川斉昭]]も蝦夷地の開発を構想し、「北海道」の名称を考えていた点も記載されている。</ref>{{Refnest| group="注釈"|name="name-of-island"|[[日本人]]と[[先住民]][[アイヌ]]の混住地・混在地であったため、各々の立場からの呼称が存在した。前述の日本人からの呼称に加え、アイヌからは「[[アイヌモシリ]]」と呼称され、また両者以外、外からの呼称の一例として「夷島」という言葉を[[李氏朝鮮]]15世紀後半の歴史書の一つに見ることもできる<ref>[[1471年]]編纂「[[海東諸国紀]]」付属地図より。[[申叔舟]]『海東諸国紀 朝鮮人の見た中世の日本と琉球』田中健夫訳注,岩波書店(岩波文庫)1991年、380,410頁,ISBN 4003345819</ref>。しかし[[1855年]][[日露和親条約]]締結による2国間の国境線確定に伴い、当時の[[国際法]]の下、各々の[[領土]]が確定した([[樺太]]除く)。これ以降、呼称統一の動きも本格化し、開拓団や屯田兵進出に向け[[開拓使]]を設置した[[明治]]2年([[1869年]])、「[[北海道 (令制)]]」と命名されたことで呼称統一に至った。}}、明治2年(1869年)、古代日本の[[律令制]]における広域[[行政区画]]「[[五畿七道]]」の7つの「'''[[五畿七道|道]]'''」に倣って、[[北海道 (令制)|'''北海道''' (令制)]]と命名された<ref group="注釈">現代日本の広域[[行政区画]]は、『'''1都・1道・2府・43県'''』である。しかし、現代でも、多くの名称に『'''五畿・七道'''』の名残りを見ることができる。 ( [[明治2年]][[北海道 (令制)|'''北海道'''(令制)]]の名称設定以降は'''五畿八道'''、[[明治4年]][[廃藩置県]]だが、[[明治18年]]まで五畿八道と[[令制国|令制]]は存続した。)<br />すなわち、[[東海道新幹線]]の「東海道」([[東海道]]に由来)、[[北陸地方]]や[[北陸自動車道]]の「北陸」([[北陸道]]に由来)、[[山陽自動車道]]や[[山陽新幹線]]の「山陽」([[山陽道]]に由来)、[[山陰地方]]の「山陰」([[山陰道]]に由来)など。そして、現在の[[地方公共団体]]名の「北海道」(五畿八道の[[北海道 (令制)|'''北海道'''(令制)]]から継承)も、その名残りの一つ。</ref>。 なお、[[地質学]]や[[考古学]]などでは'''北海道島'''という名称も使用される<ref>{{Cite web|和書 |url = http://www.sci.u-toyama.ac.jp/earth/staff_personal_old/dyna_at.html |title = 地球ダイナミクス講座 |publisher = [[竹内章 (地質学者)|竹内 章]] [[富山大学]][[理学部]][[教授]] |accessdate = 2009年4月 }}</ref><ref>{{Cite book |title = 本州島東北部の弥生社会誌 |Author = [[高瀬克範]] |publisher = [[六一書房]] |date = 2004年6月 |isbn = 978-4947743220 }}</ref>。 === 広袤 === {{座標一覧|節=広袤(こうぼう)}} 国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、北海道の面積は{{自治体面積/北海道|北海道}}平方キロメートルである<ref name="GSI2015">[https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO-title.htm 全国都道府県市区町村別面積調](国土地理院)</ref>。 北海道の東西南北それぞれの端と重心は以下の位置である<ref>[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/kitaheso.htm 北海道・東北地方の東西南北端点と重心の経度緯度] 国土地理院 2013年11月28日閲覧</ref><ref>[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/kendata/hokkaido_heso.htm 北海道 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系)] 国土地理院 2013年11月28日閲覧</ref>。北端は択捉島の[[カモイワッカ岬]]、南端は[[渡島小島]]、東端は択捉島の[[ラッキベツ岬]]、西端は[[渡島大島]]にある。また[[統計局]]の平成22年国勢調査によると、人口重心は栗山町本沢にある<ref>[https://www.stat.go.jp/data/kokusei/topics/topi61.html 我が国の人口重心 -平成22年国勢調査結果から-] 統計局 2013年11月28日閲覧</ref>。 ;北海道庁舎所在地 :{{ウィキ座標度分秒|43|03|51|N|141|20|49|E|type:landmark_region:JP|name=北海道庁}} ;人口重心:{{ウィキ座標度分秒|43|04|53.13|N|141|53|17.81|E|type:landmark_region:JP|name=北海道人口重心}}(「[[北方地域|北方領土]]」の住民を含まない重心) ;重心:{{ウィキ座標度分秒|43|28|11|N|142|49|26|E|type:landmark_region:JP|name=北海道重心}} (「北方領土」を含まない重心) 東端、北端は日本政府、北海道当局の公式見解。前述のように、2022年現在施政権は及んでいない。 ;北端:{{ウィキ座標度分秒|45|33|28|N|148|45|14|E|type:landmark_region:JP|name=北海道最北端}}([[択捉島]]の最北端) ;南端:{{ウィキ座標度分秒|41|21|07|N|139|47|57|E|type:landmark_region:JP|name=北海道最南端}} ;西端:{{ウィキ座標度分秒|41|31|02|N|139|20|04|E|type:landmark_region:JP|name=北海道最西端}} ;東端:{{ウィキ座標度分秒|45|30|44|N|148|53|42|E|type:landmark_region:JP|name=北海道最東端}}(択捉島の最東端) === 地形・地質 === 南の[[本州]]とは[[津軽海峡]]で隔てられているが、[[青函トンネル|青函隧道]]により[[鉄道路線|鉄路]]で繋がれており、同トンネル内で[[青森県]]に接している<ref group="注釈">青森県[[東津軽郡]][[外ヶ浜町]]の[[道の駅みんまや#青函トンネル記念館|青函トンネル記念館]]に、同郡[[三厩村]](現・外ヶ浜町)と北海道[[松前郡]][[福島町]]の境界を示す標識が展示されている。</ref>トンネルの上の津軽海峡中央部は[[公海]]<ref>{{Cite news|title=【正論】津軽海峡を全面領海にして守れ 東海大学教授・山田吉彦|url=http://www.sankei.com/politics/news/131105/plt1311050041-n1.html|publisher=[[産経新聞]]|date=2013-11-05|accessdate=2017-06-22|archiveurl=https://archive.is/20170620090641/http://www.sankei.com/politics/news/131105/plt1311050041-n1.html|archivedate=2017年6月20日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>であるが、[[日本の排他的経済水域]]<ref>{{Cite web|和書|title=日本の領海等概念図|url=http://www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/ryokai/ryokai_setsuzoku.html|publisher=[[海上保安庁]][[海洋情報部]]|accessdate=2017-06-22}}</ref>である。北は[[宗谷海峡]]を隔てて樺太と向かい合い、東には[[千島列島]]が連なり、間接的にではあるが[[ロシア]]と[[国境]]を隔てている。西の[[日本海]]、南東の[[太平洋]]、北東の[[オホーツク海]]と、3つの海に囲まれており、周辺には[[対馬暖流]]とその分枝である[[津軽暖流]]・[[宗谷暖流]]、および[[親潮]]と[[東樺太海流]]が流れている。 北海道は大きく分けて胴体部に当たる菱形の部分と、南西の半島部([[渡島半島]]を含む)よりなる。胴体部は南北に蝦夷山系と呼ばれる山地群が貫き、北海道の脊梁を成している。蝦夷山系は南の[[日高山脈]]に始まり、東の[[石狩山地]]・[[北見山地]]と、西の[[夕張山地]]・[[天塩山地]]に分岐しており、この二列の間には[[富良野盆地]]・[[上川盆地]]・[[名寄盆地]]などの[[盆地]]列が形成されている。[[頓別平野]]からこの盆地列を通り、[[鵡川]]の河谷に抜ける[[低地]]帯を北海道中央凹地帯と呼ぶ。 北海道東部は千島弧の延長である[[知床半島]]・[[根室半島]]や[[阿寒]]の山々が、それぞれ北東-南西の山列を成しながら全体としては東西に伸びている。この北側は[[北見山地]]からなだらかな傾斜が海岸近くまで続いて[[平野]]は少ないが、南側では[[十勝平野]]、[[根釧台地]]などの大平野が形成されている。 胴体部と半島部の間の地域は、[[石狩湾]]から[[石狩平野]]、[[勇払平野]]を通って太平洋へと抜ける石狩低地帯である{{refnest|group="注釈"|日本海側の石狩海盆から日高舟状海盆に抜ける幅の広い凹地帯によって胴体部と半島部を大きく二つに分けている<ref>小疇尚「北海道と周辺の大地形と地形区分」/ 小疇尚・野上道男・小野有五・平川一臣編『日本の地形2 北海道』東京大学出版会 2003年 2ページ</ref>。}}。ここには人口約200万を抱える[[札幌市]]や、[[千歳市]]、[[苫小牧市]]などが並び、北海道で最も人口が集中する地域となっている。 半島部には、石狩低地帯の西に位置する南西部山地と、その南西に延びる渡島半島があり、間に太平洋側から[[内浦湾]](噴火湾)が入り込む。渡島半島は[[東北日本]]弧内帯の延長部に当たり、渡島山地がある。渡島山地と南西部山地の間には、日本海側の[[寿都町]]から内浦湾にかけての低地があり、黒松内低地帯という。 北海道の主な高峰は、蝦夷山系と千島弧の会合する中央部の石狩山地([[大雪山]]連峰、[[十勝岳]]連峰など)と、その南に続く[[日高山脈]]に集中している。最高峰は大雪山の[[旭岳]]で、その標高は2,291メートルである。南西部山地には「蝦夷富士」と呼ばれる[[羊蹄山]]などの山がある([[北海道の山の一覧]]も参照のこと)。 [[ファイル:Hokkaido river map.png|thumb|424px|北海道の一級水系の流域図]] [[一級水系]]は13水系ある。[[石狩川]]、[[天塩川]]、[[十勝川]]、[[釧路川]]、[[網走川]]、[[常呂川]]、[[湧別川]]、[[渚滑川]]、[[留萌川]]、[[沙流川]]、[[鵡川]]、[[尻別川]]、[[後志利別川]]。 [[阿寒湖]]、[[大沼 (七飯町)|大沼]]、[[屈斜路湖]]、[[サロマ湖]]、[[支笏湖]]、[[洞爺湖]]、[[摩周湖]]、[[ウトナイ湖]]、[[網走湖]]、[[能取湖]]、[[風蓮湖]]などの湖沼がある。 隣接県は[[青森県]]である。青森県をはじめ、北海道と各都府県は陸路、歩行では移動することができない。[[飛行機]]、[[船]]、[[青函トンネル]]を介して[[北海道新幹線]]に乗車のいずれかが必須となっており、いずれも[[運賃]]がかかる。 === 気候 === [[File:Hokkaido_Season_Winter_Summer_2008.png|thumb|400px|北海道の季節:冬と夏]] {{Main|北海道の気候}} [[西岸海洋性気候]]や[[温暖湿潤気候]]が見られる[[道南]]の一部沿岸地域を除くと、[[亜寒帯湿潤気候]]である。日本海側、内陸部で冬の積雪は[[根雪]]となる。日本海側は特に[[豪雪地帯]]であり、一部市町村は特別豪雪地帯になっている。[[道北]]、[[道東]]の内陸部は寒さが非常に厳しい。太平洋沿岸部は、[[親潮]]の影響を受け夏は涼しく冬は比較的少雪。 === 自然公園 === [[ファイル:Kottaro_situgen_2009.jpg|thumb|北海道[[標茶町]]のコッタロ湿原]] [[ファイル:Hokkaido, Japan, Lake Mashū, 2008.jpg|thumb|[[摩周湖]]2008年初夏]] [[ファイル:Onneto and Akan1 DSCN2488 20060805.JPG|thumb|オンネトーから見た[[雌阿寒岳]](左)と阿寒富士(右)]] {{div col}} * [[国立公園]] ** [[利尻礼文サロベツ国立公園]]([[サロベツ原野]]が[[ラムサール条約]]登録) ** [[支笏洞爺国立公園]] ** [[大雪山国立公園]] ** [[阿寒摩周国立公園]] ** [[知床国立公園]]([[世界遺産]]([[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]])) ** [[釧路湿原国立公園]](ラムサール条約登録) * [[国定公園]] ** [[ニセコ積丹小樽海岸国定公園]] ** [[大沼国定公園]] ** [[暑寒別天売焼尻国定公園]] ** [[日高山脈襟裳国定公園]] ** [[網走国定公園]] ** [[厚岸霧多布昆布森国定公園]] * [[都道府県立自然公園|道立自然公園]] ** [[恵山道立自然公園]] ** [[道立自然公園野幌森林公園]] ** [[松前矢越道立自然公園]] ** [[朱鞠内道立自然公園]] ** [[天塩岳道立自然公園]] ** [[野付風蓮道立自然公園]] ** [[斜里岳道立自然公園]] ** [[北オホーツク道立自然公園]]([[クッチャロ湖]]が[[ラムサール条約]]登録) ** [[狩場茂津多道立自然公園]] ** [[富良野芦別道立自然公園]] ** [[檜山道立自然公園]] {{div col end}} === 動物・植物 === 津軽海峡が、[[生物地理学]]的には[[ブラキストン線]]と呼ばれ、北方系の種と南方系の種が交差する境界となっているため、本州以南に生息していない種も多い。 {| class="wikitable sortable" |+ 動物・植物 |- ! 名前 !! タイプ !ノート |- |[[タンチョウ]] |[[動物相]] | |- |[[オオワシ]] |動物相 | |- |[[オジロワシ]] |動物相 | |- |[[エゾフクロウ]] |動物相 | |- |[[シマフクロウ]] |動物相 | |- |[[エゾライチョウ]] |動物相 | |- |[[シマエナガ]] |動物相 | |- |[[ハシブトガラ]] |動物相 | |- |[[エトピリカ]] |動物相 | |- |[[エゾオオカミ]] || 動物相 |絶滅 |- |[[エゾヒグマ]] |動物相 | |- |[[エゾシカ]] |動物相 | |- |[[エゾリス]] |動物相 | |- |[[エゾモモンガ]] |動物相 | |- |[[エゾナキウサギ]] |動物相 | |- |[[エゾユキウサギ]] |動物相 | |- |[[キタキツネ]] |動物相 | |- |[[エゾタヌキ]] |動物相 | |- |[[エゾクロテン]] |動物相 | |- |[[北海道犬]] |動物相 | |- |[[道産子]] |動物相 | |- |[[コモチカナヘビ]] |動物相 | |- |[[エゾサンショウウオ]] |動物相 | |- |オオルリオサムシ |動物相 | |- |[[オショロコマ]] |動物相 | |- |[[イトウ]] |動物相 | |- |[[シシャモ]] |動物相 | |- |[[ヒメマス]] |動物相 | |- |[[エゾホトケドジョウ]] |動物相 | |- |[[イシカリワカサギ]] |動物相 | |- |[[エゾマツ]] |[[植物相]] | |- |[[アカエゾマツ]] |植物相 | |- |[[トドマツ]] |植物相 | |- |[[エゾツツジ]] |植物相 | |- |エゾカンゾウ |植物相 | |- |[[ハマナス]] |植物相 | |} == 地域 == ===日本の地域としての北海道地方=== 「北海道」1道から成る[[日本の地域|地方]]を'''北海道地方'''と言い、[[人口]]5,475,783人で[[都道府県]]順位第8位<ref>[[都道府県の人口一覧|国勢調査に基づく推計人口(2012年9月30日)]]</ref>、[[面積]]83,456.75km<sup>2</sup>で都道府県順位第1位<ref>[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/200910/ichiran.htm 平成21年10月1日 都道府県別面積]</ref>、これは[[日本]]の総面積の約2割 (22.9[[パーセント|%]]) に当たる。 また、[[国土交通省]]による日本の14地域区分の1つである北海道も、「北海道」1道から成る{{Refnest|group="注釈"|name="yougo"|14地域 ⇒ 北海道、東北、関東内陸、関東臨海、東海、北陸、近畿内陸、近畿臨海、中国山陰、中国山陽、四国、九州北九州、九州南九州、沖縄<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mlit.go.jp/term/file000005.html#shi|title=用語集より|publisher=国土交通省|accessdate=2013-06-01|archiveurl=https://archive.ph/pzIrR|archivedate=2020-6-20}}</ref>。}}。 なお、[[択捉島]]・[[国後島]]・[[色丹島]]・[[歯舞群島]]については「北海道」の領域に含まれるものの、日本の[[管轄]]下に置かれていない。すなわち、[[1945年]](昭和20年)8月28日から9月5日にかけて[[ソビエト連邦]]が[[占領|不法占拠]]し、現在もその後継国家である[[ロシア]]連邦が継続して不法占拠中にあり、日本の[[施政権]]が及んでいない([[北方領土問題]]参照)。 「北海道」には179の[[市町村]](35[[市]]129[[町]]15[[村]])、64の[[郡]]がある(この他、[[北方地域|北方領土]]に5郡6村がある)。「北海道」では、[[森町 (北海道)|森町]]を「もりまち」と読む以外は、町は全て「ちょう」、村は全て「むら」と読む。 === 地方公共団体 === 北海道本島とその付随する島々([[利尻島]]、[[礼文島]]、[[奥尻島]]、[[天売島]]、[[焼尻島]]、[[渡島大島]]、[[渡島小島]]、[[色丹島]]、[[歯舞群島]]など)、[[千島列島]]から成る[[地方公共団体]]が「'''北海道'''」であり、47[[都道府県]]で唯一の「道」である。 <!-- 株式会社ブランド総合研究所が毎年調査する「都道府県魅力度ランキング」では[[2023年]]も1位となり、これで15年連続1位となった。--> ==== 北海道庁 ==== 北海道は全体で一つの行政区域となっており、第二次世界大戦後の地方自治法で他の都府県とならぶ普通地方公共団体となった<ref name="faq02" />。[[北海道庁]]は[[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]に置かれる。 歴史的には明治政府は北海道に[[開拓使]]を置いていた。同時期に道南の松前地方には[[館県]]・[[弘前県]]・[[青森県]]の管轄地域が存在したことがある<ref name="faq02" />。松前地方では版籍奉還により松前藩が館藩となり、廃藩置県で館県が成立<ref name="faq02" />。館県は弘前県に併合され、弘前県は青森県となったが、青森県からは再三にわたり松前地方の管轄免除、開拓使からは同地方の管轄の願い出が行われたため、1872年に松前地方も開拓使に移管された<ref name="faq02" />。 北海道に置かれた開拓使は開拓使十年計画が終わったことで、[[1882年]]に廃止され、北海道に札幌県・函館県・根室県が誕生した<ref name="faq02" />。ところが非効率的で開拓の実があがっていないという批判が多く、内閣制度発足による機構改革とともに、[[1886年]]、3県を廃止し、北海道全体を管轄する[[北海道庁]]が設置された<ref name="faq02" />。 ==== 総合振興局・振興局(支庁)==== 北海道は、[[地方自治法]]155条第1項に基づき、[[支庁]]を設置している。「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」において「北海道総合振興局」(以下「総合振興局」)および「北海道振興局」(以下「振興局」)とされている。各総合振興局および振興局は、その所管区域において、[[租税#租税の種類|納税証明書]]の発行および[[日本国旅券|旅券発給]]などの窓口業務は、所管区域ごとに行った方が効率のよい業務を担当している。 [[2008年]](平成20年)[[6月28日]]の[[北海道議会]]で、それまであった14支庁を9総合振興局に再編し、その下に総合振興局の出張所として5振興局を置くとする条例が可決された。しかし、[[檜山支庁]]、[[日高支庁]]、[[留萌支庁]]、[[根室支庁]]の支庁所在地を抱える管内各自治体では、住民の反発の声が上がり、地域経済の悪化に拍車が掛かることも懸念された。また、再編する際に必要な[[公職選挙法]]の改正が先送りされ(北海道では衆議院小選挙区区画区分を支庁管内境界で区分している)<ref group="注釈">2017年に公職選挙法が改正され、衆議院小選挙区区画区分は再編後の境界線に対応することになった。</ref>、[[2009年]](平成21年)[[4月1日]]実施は不可能となった。 これらのことから、当初の条例は施行されず、結局[[2009年]](平成21年)[[3月31日]]の道議会で「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」が改正され、総合振興局・振興局への改称後も、どちらも同格の支庁として存続することになった。但し総合振興局は、隣接する振興局管内の広域行政を担うことができ、該当する振興局が条例で規定されている<ref>北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例第3条、北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例第3条第1項の規定により総合振興局が所掌する事務を定める規則</ref>。 この改正では、[[網走支庁]]が[[オホーツク総合振興局]]となる以外は、名称は従来の支庁名が継承された。なお[[幌延町]]が旧[[留萌支庁]]管内から[[宗谷総合振興局]]管内へ、[[幌加内町]]が旧[[空知支庁]]管内から[[上川総合振興局]]管内に移った<ref>北海道新聞 2009年4月1日「支庁再編条例が成立」</ref>。 ; 総合振興局・振興局一覧 [[ファイル:Labeled administrative map of Hokkaido prefecture.svg|thumb|400px|市町村位置図]] {| width="500" class="wikitable" |colspan="7" style="text-align:center"|<div style="position:relative">[[ファイル:Subprefectures of Hokkaido.svg|500px|link=]] {{Image label|x=147|y=145|text='''<small>[[空知総合振興局|空<br />知]]</small>'''}}{{Image label|x=120|y=155|text='''<small>[[石狩振興局|石<br />狩]]</small>'''}}{{Image label|x=65|y=180|text='''<small>[[後志総合振興局|後志]]</small>'''}} {{Image label|x=115|y=220|text='''<small>[[胆振総合振興局|胆振]]</small>'''}}{{Image label|x=170|y=230|text='''<small>[[日高振興局|日高]]</small>'''}}{{Image label|x=85|y=245|text='''<small>[[渡島総合振興局|渡島]]</small>'''}} {{Image label|x=25|y=255|text='''<small>[[檜山振興局|檜山]]</small>'''}}{{Image label|x=180|y=100|text='''<small>[[上川総合振興局|上<br />川]]</small>'''}}{{Image label|x=140|y=070|text='''<small>[[留萌振興局|留<br />萌]]</small>'''}} {{Image label|x=150|y=035|text='''<small>[[宗谷総合振興局|宗谷]]</small>'''}}{{Image label|x=220|y=120|text='''<small>[[オホーツク総合振興局|オホーツク]]</small>'''}}{{Image label|x=215|y=170|text='''<small>[[十勝総合振興局|十<br />勝]]</small>'''}} {{Image label|x=260|y=172|text='''<small>[[釧路総合振興局|釧路]]</small>'''}}{{Image label|x=300|y=150|text='''<small>[[根室振興局|根室]]</small>'''}} {{Image label|x=370|y=105|text='''<small>([[北方地域|北方領土]])</small>'''}} </div> |}{{-}} {|class="wikitable sortable" style="text-align: right; font-size: 90%;" |- !class="unsortable"|名称 ![[全国地方公共団体コード|自治体<br />コード]] !class="unsortable"|振興局<br />所在地 !class="unsortable"|位置 !class="unsortable"|所管区域 !市 !町 !村 !人口<br />(人) !面積<br />(km<sup>2</sup>) |- |style="text-align: left;"|[[空知総合振興局]] |style="text-align: center;"|01420-6 |style="text-align: left;"|[[岩見沢市]] |style="text-align: left;"|{{ウィキ座標|43|11|51.3|N|141|45|59|E|region:JP|地図|name=空知総合振興局(岩見沢市)}} |style="text-align: left;"|空知・(石狩) |10 |14 | |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|夕張市}} + {{自治体人口/北海道|岩見沢市}} + {{自治体人口/北海道|美唄市}} + {{自治体人口/北海道|芦別市}} + {{自治体人口/北海道|赤平市}} + {{自治体人口/北海道|三笠市}} + {{自治体人口/北海道|滝川市}} + {{自治体人口/北海道|砂川市}} + {{自治体人口/北海道|歌志内市}} + {{自治体人口/北海道|深川市}} + {{自治体人口/北海道|南幌町}} + {{自治体人口/北海道|奈井江町}} + {{自治体人口/北海道|上砂川町}} + {{自治体人口/北海道|由仁町}} + {{自治体人口/北海道|長沼町}} + {{自治体人口/北海道|栗山町}} + {{自治体人口/北海道|月形町}} + {{自治体人口/北海道|浦臼町}} + {{自治体人口/北海道|新十津川町}} + {{自治体人口/北海道|妹背牛町}} + {{自治体人口/北海道|秩父別町}} + {{自治体人口/北海道|雨竜町}} + {{自治体人口/北海道|北竜町}} + {{自治体人口/北海道|沼田町}} round 0}}}} |5,791.59 |- |style="text-align: left;"|[[石狩振興局]] |style="text-align: center;"|01300-5 |style="text-align: left;"|[[札幌市]] |style="text-align: left;"|{{ウィキ座標|43|3|52.4|N|141|20|44.8|E|region:JP|地図|name=石狩振興局(札幌市)}} |style="text-align: left;"|石狩 |6 |1 |1 |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|札幌市}} + {{自治体人口/北海道|江別市}} + {{自治体人口/北海道|千歳市}} + {{自治体人口/北海道|恵庭市}} + {{自治体人口/北海道|北広島市}} + {{自治体人口/北海道|石狩市}} + {{自治体人口/北海道|当別町}} + {{自治体人口/北海道|新篠津村}} round 0}}}} |3,540.15 |- |style="text-align: left;"|[[後志総合振興局]] |style="text-align: center;"|01390-1 |style="text-align: left;"|[[倶知安町]] |style="text-align: left;"|{{ウィキ座標|42|54|8|N|140|45|23.8|E|region:JP|地図|name=後志総合振興局(倶知安町)}} |style="text-align: left;"|後志 |1 |13 |6 |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|小樽市}} + {{自治体人口/北海道|島牧村}} + {{自治体人口/北海道|寿都町}} + {{自治体人口/北海道|黒松内町}} + {{自治体人口/北海道|蘭越町}} + {{自治体人口/北海道|ニセコ町}} + {{自治体人口/北海道|真狩村}} + {{自治体人口/北海道|留寿都村}} + {{自治体人口/北海道|喜茂別町}} + {{自治体人口/北海道|京極町}} + {{自治体人口/北海道|倶知安町}} + {{自治体人口/北海道|共和町}} + {{自治体人口/北海道|岩内町}} + {{自治体人口/北海道|泊村}} + {{自治体人口/北海道|神恵内村}} + {{自治体人口/北海道|積丹町}} + {{自治体人口/北海道|古平町}} + {{自治体人口/北海道|仁木町}} + {{自治体人口/北海道|余市町}} + {{自治体人口/北海道|赤井川村}} round 0}}}} |4,305.88 |- |style="text-align: left;"|[[胆振総合振興局]] |style="text-align: center;"|01570-9 |style="text-align: left;"|[[室蘭市]] |style="text-align: left;"|{{ウィキ座標|42|19|13.8|N|140|58|19.9|E|region:JP|地図|name=胆振総合振興局(室蘭市)}} |style="text-align: left;"|胆振・(日高) |4 |7 | |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|室蘭市}} + {{自治体人口/北海道|苫小牧市}} + {{自治体人口/北海道|登別市}} + {{自治体人口/北海道|伊達市}} + {{自治体人口/北海道|豊浦町}} + {{自治体人口/北海道|壮瞥町}} + {{自治体人口/北海道|白老町}} + {{自治体人口/北海道|厚真町}} + {{自治体人口/北海道|洞爺湖町}} + {{自治体人口/北海道|安平町}} + {{自治体人口/北海道|むかわ町}} round 0}}}} |3,697.04 |- |style="text-align: left;"|[[日高振興局]] |style="text-align: center;"|01600-4 |style="text-align: left;"|[[浦河町]] |style="text-align: left;"|{{ウィキ座標|42|10|20.9|N|142|46|7.1|E|region:JP|地図|name=日高振興局(浦河町)}} |style="text-align: left;"|日高 | |7 | |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|日高町}} + {{自治体人口/北海道|平取町}} + {{自治体人口/北海道|新冠町}} + {{自治体人口/北海道|浦河町}} + {{自治体人口/北海道|様似町}} + {{自治体人口/北海道|えりも町}} + {{自治体人口/北海道|新ひだか町}} round 0}}}} |4,811.13 |- |style="text-align: left;"|[[渡島総合振興局]] |style="text-align: center;"|01330-7 |style="text-align: left;"|[[函館市]] |style="text-align: left;"|{{ウィキ座標|41|49|11.1|N|140|45|11.8|E|region:JP|地図|name=渡島総合振興局(函館市)}} |style="text-align: left;"|渡島・(檜山) |2 |9 | |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|函館市}} + {{自治体人口/北海道|北斗市}} + {{自治体人口/北海道|松前町}} + {{自治体人口/北海道|福島町}} + {{自治体人口/北海道|知内町}} + {{自治体人口/北海道|木古内町}} + {{自治体人口/北海道|七飯町}} + {{自治体人口/北海道|鹿部町}} + {{自治体人口/北海道|森町}} + {{自治体人口/北海道|八雲町}} + {{自治体人口/北海道|長万部町}} round 0}}}} |3,937.46 |- |style="text-align: left;"|[[檜山振興局]] |style="text-align: center;"|01360-9 |style="text-align: left;"|[[江差町]] |style="text-align: left;"|{{ウィキ座標|41|51|33.7|N|140|7|41.2|E|region:JP|地図|name=檜山振興局(江差町)}} |style="text-align: left;"|檜山 | |7 | |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|江差町}} + {{自治体人口/北海道|上ノ国町}} + {{自治体人口/北海道|厚沢部町}} + {{自治体人口/北海道|乙部町}} + {{自治体人口/北海道|奥尻町}} + {{自治体人口/北海道|今金町}} + {{自治体人口/北海道|せたな町}} round 0}}}} |2,630.32 |- |style="text-align: left;"|[[上川総合振興局]] |style="text-align: center;"|01450-8 |style="text-align: left;"|[[旭川市]] |style="text-align: left;"|{{ウィキ座標|43|48|27.9|N|142|26|21.7|E|region:JP|地図|name=上川総合振興局(旭川市)}} |style="text-align: left;"|上川・(留萌) |4 |17 |2 |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|旭川市}} + {{自治体人口/北海道|士別市}} + {{自治体人口/北海道|名寄市}} + {{自治体人口/北海道|富良野市}} + {{自治体人口/北海道|幌加内町}} + {{自治体人口/北海道|鷹栖町}} + {{自治体人口/北海道|東神楽町}} + {{自治体人口/北海道|当麻町}} + {{自治体人口/北海道|比布町}} + {{自治体人口/北海道|愛別町}} + {{自治体人口/北海道|上川町}} + {{自治体人口/北海道|東川町}} + {{自治体人口/北海道|美瑛町}} + {{自治体人口/北海道|上富良野町}} + {{自治体人口/北海道|中富良野町}} + {{自治体人口/北海道|南富良野町}} + {{自治体人口/北海道|占冠村}} + {{自治体人口/北海道|和寒町}} + {{自治体人口/北海道|剣淵町}} + {{自治体人口/北海道|下川町}} + {{自治体人口/北海道|美深町}} + {{自治体人口/北海道|音威子府村}} + {{自治体人口/北海道|中川町}} round 0}}}} |10,618.70 |- |style="text-align: left;"|[[留萌振興局]] |style="text-align: center;"|01480-0 |style="text-align: left;"|[[留萌市]] |style="text-align: left;"|{{ウィキ座標|43|56|4.9|N|141|39|21.5|E|region:JP|地図|name=留萌振興局(留萌市)}} |style="text-align: left;"|留萌 |1 |6 |1 |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|留萌市}} + {{自治体人口/北海道|増毛町}} + {{自治体人口/北海道|小平町}} + {{自治体人口/北海道|苫前町}} + {{自治体人口/北海道|羽幌町}} + {{自治体人口/北海道|初山別村}} + {{自治体人口/北海道|遠別町}} + {{自治体人口/北海道|天塩町}} round 0}}}} |3,445.88 |- |style="text-align: left;"|[[宗谷総合振興局]] |style="text-align: center;"|01510-5 |style="text-align: left;"|[[稚内市]] |style="text-align: left;"|{{ウィキ座標|45|23|51|N|141|42|3.1|E|region:JP|地図|name=宗谷総合振興局(稚内市)}} |style="text-align: left;"|宗谷 |1 |8 |1 |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|稚内市}} + {{自治体人口/北海道|幌延町}} + {{自治体人口/北海道|猿払村}} + {{自治体人口/北海道|浜頓別町}} + {{自治体人口/北海道|中頓別町}} + {{自治体人口/北海道|枝幸町}} + {{自治体人口/北海道|豊富町}} + {{自治体人口/北海道|礼文町}} + {{自治体人口/北海道|利尻町}} + {{自治体人口/北海道|利尻富士町}} round 0}}}} |4,626.07 |- |style="text-align: left;"|[[オホーツク総合振興局]] |style="text-align: center;"|01540-7 |style="text-align: left;"|[[網走市]] |style="text-align: left;"|{{ウィキ座標|44|1|35.5|N|144|15|39.3|E|region:JP|地図|name=オホーツク総合振興局(網走市)}} |style="text-align: left;"|網走 |3 |14 |1 |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|北見市}} + {{自治体人口/北海道|網走市}} + {{自治体人口/北海道|紋別市}} + {{自治体人口/北海道|美幌町}} + {{自治体人口/北海道|津別町}} + {{自治体人口/北海道|斜里町}} + {{自治体人口/北海道|清里町}} + {{自治体人口/北海道|小清水町}} + {{自治体人口/北海道|訓子府町}} + {{自治体人口/北海道|置戸町}} + {{自治体人口/北海道|佐呂間町}} + {{自治体人口/北海道|遠軽町}} + {{自治体人口/北海道|湧別町}} + {{自治体人口/北海道|滝上町}} + {{自治体人口/北海道|興部町}} + {{自治体人口/北海道|西興部村}} + {{自治体人口/北海道|雄武町}} + {{自治体人口/北海道|大空町}} round 0}}}} |10,690.60 |- |style="text-align: left;"|[[十勝総合振興局]] |style="text-align: center;"|01630-6 |style="text-align: left;"|[[帯広市]] |style="text-align: left;"|{{ウィキ座標|42|55|47.2|N|143|12|30|E|region:JP|地図|name=十勝総合振興局(帯広市)}} |style="text-align: left;"|十勝 |1 |16 |2 |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|帯広市}} + {{自治体人口/北海道|音更町}} + {{自治体人口/北海道|士幌町}} + {{自治体人口/北海道|上士幌町}} + {{自治体人口/北海道|鹿追町}} + {{自治体人口/北海道|新得町}} + {{自治体人口/北海道|清水町}} + {{自治体人口/北海道|芽室町}} + {{自治体人口/北海道|中札内村}} + {{自治体人口/北海道|更別村}} + {{自治体人口/北海道|大樹町}} + {{自治体人口/北海道|広尾町}} + {{自治体人口/北海道|幕別町}} + {{自治体人口/北海道|池田町}} + {{自治体人口/北海道|豊頃町}} + {{自治体人口/北海道|本別町}} + {{自治体人口/北海道|足寄町}} + {{自治体人口/北海道|陸別町}} + {{自治体人口/北海道|浦幌町}} round 0}}}} |10,831.62 |- |style="text-align: left;"|[[釧路総合振興局]] |style="text-align: center;"|01660-8 |style="text-align: left;"|[[釧路市]] |style="text-align: left;"|{{ウィキ座標|42|58|36|N|144|23|5.7|E|region:JP|地図|name=釧路総合振興局(釧路市)}} |style="text-align: left;"|釧路・(根室) |1 |6 |1 |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|釧路市}} + {{自治体人口/北海道|釧路町}} + {{自治体人口/北海道|厚岸町}} + {{自治体人口/北海道|浜中町}} + {{自治体人口/北海道|標茶町}} + {{自治体人口/北海道|弟子屈町}} + {{自治体人口/北海道|鶴居村}} + {{自治体人口/北海道|白糠町}} round 0}}}} |5,997.50 |- |style="text-align: left;"|[[根室振興局]] |style="text-align: center;"|01690-0 |style="text-align: left;"|[[根室市]] |style="text-align: left;"|{{ウィキ座標|43|19|49.4|N|145|35|4.1|E|region:JP|地図|name=根室振興局(根室市)}} |style="text-align: left;"|根室 |1 |4 |(6) |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|根室市}} + {{自治体人口/北海道|別海町}} + {{自治体人口/北海道|中標津町}} + {{自治体人口/北海道|標津町}} + {{自治体人口/北海道|羅臼町}} round 0}}}} |3,497.32 |} {{座標一覧|節=総合振興局・振興局一覧}} <span style="font-size:90%">※ 人口は{{自治体人口/北海道|date}}の[[住民基本台帳]]人口。</span> <span style="font-size:90%">※ 面積は[[2015年]]10月1日全国都道府県市区町村別面積調{{r|GSI2015}}。</span> <span style="font-size:90%">※ 根室振興局の市町村の( )内は[[北方地域|北方領土]]内の村。人口・面積には、北方領土<!--5,003.05km2-->を含まない。</span> ==== 自治体(市町村・郡) ==== *'''市'''(35市)   :::::[[赤平市]]、[[旭川市]]、[[芦別市]]、[[網走市]]、[[石狩市]]、[[岩見沢市]]、[[歌志内市]]、[[恵庭市]]、[[江別市]]、[[小樽市]]、[[帯広市]]、[[北広島市]]、[[北見市]]、[[釧路市]]、[[札幌市]]、[[士別市]]、[[砂川市]]、[[滝川市]]、[[伊達市 (北海道)|伊達市]]、[[千歳市]]、 :::::[[苫小牧市]]、[[名寄市]]、[[根室市]]、[[登別市]]、[[函館市]]、[[美唄市]]、[[深川市]]、[[富良野市]]、[[北斗市]]、[[三笠市]]、[[室蘭市]]、[[紋別市]]、[[夕張市]]、[[留萌市]]、[[稚内市]] *'''町'''(129町)   :::::[[愛別町]]、[[足寄町]]、[[厚岸町]]、[[厚沢部町]]、[[厚真町]]、[[安平町]]、[[池田町 (北海道)|池田町]]、[[今金町]]、[[岩内町]]、[[浦臼町]]、[[浦河町]]、[[浦幌町]]、[[雨竜町]]、[[枝幸町]]、[[江差町]]、[[えりも町]]、[[遠軽町]]、[[遠別町]]、[[雄武町]]、[[大空町]]、 :::::[[奥尻町]]、[[置戸町]]、[[興部町]]、[[長万部町]]、[[音更町]]、[[乙部町]]、[[小平町]]、[[上川町]]、[[上士幌町]]、[[上砂川町]]、[[上ノ国町]]、[[上富良野町]]、[[木古内町]]、[[喜茂別町]]、[[京極町]]、[[共和町]]、[[清里町]]、[[釧路町]]、[[倶知安町]]、[[栗山町]]、[[黒松内町]]、 :::::[[訓子府町]]、[[剣淵町]]、[[小清水町]]、[[様似町]]、[[佐呂間町]]、[[鹿追町]]、[[鹿部町]]、[[標茶町]]、[[標津町]]、[[士幌町]]、[[清水町 (北海道)|清水町]]、[[下川町]]、[[積丹町]]、[[斜里町]]、[[白老町]]、[[白糠町]]、[[知内町]]、[[新得町]]、[[新十津川町]]、[[新ひだか町]]、 :::::[[寿都町]]、[[せたな町]]、[[壮瞥町]]、[[大樹町]]、[[鷹栖町]]、[[滝上町]]、[[秩父別町]]、[[月形町]]、[[津別町]]、[[天塩町]]、[[弟子屈町]]、[[当別町]]、[[当麻町]]、[[洞爺湖町]]、[[苫前町]]、[[豊浦町]]、[[豊頃町]]、[[豊富町]]、[[奈井江町]]、[[中川町]]、 :::::[[中標津町]]、[[中頓別町]]、[[中富良野町]]、[[長沼町]]、[[七飯町]]、[[南幌町]]、[[新冠町]]、[[仁木町]]、[[ニセコ町]]、[[沼田町]]、[[羽幌町]]、[[浜頓別町]]、[[浜中町]]、[[東神楽町]]、[[東川町]]、[[日高町 (北海道)|日高町]]、[[広尾町]]、[[美瑛町]]、[[美深町]]、[[美幌町]]、 :::::[[平取町]]、[[比布町]]、[[福島町]]、[[古平町]]、[[別海町]]、[[北竜町]]、[[幌加内町]]、[[幌延町]]、[[本別町]]、[[幕別町]]、[[増毛町]]、[[松前町 (北海道)|松前町]]、[[南富良野町]]、[[むかわ町]]、[[芽室町]]、[[妹背牛町]]、[[森町 (北海道)|森町]]、[[八雲町]]、[[湧別町]]、[[由仁町]]、 :::::[[余市町]]、[[羅臼町]]、[[蘭越町]]、[[陸別町]]、[[利尻町]]、[[利尻富士町]]、[[礼文町]]、[[和寒町]] *'''村'''(15+6=21村)   :::::[[赤井川村]]、[[音威子府村]]、[[神恵内村]]、[[更別村]]、[[猿払村]]、[[島牧村]]、[[占冠村]]、[[初山別村]]、[[新篠津村]]、[[鶴居村]]、[[泊村]]、[[中札内村]]、[[西興部村]]、[[真狩村]]、[[留寿都村]] :::::(右は北方領土に所在する)[[色丹村]]、[[泊村 (北海道根室振興局)]]、[[留夜別村]]、[[留別村]]、[[紗那村]]、[[蘂取村]] *'''郡'''(64+5=69郡)   :::::[[阿寒郡]]、[[足寄郡]]、[[厚岸郡]]、[[網走郡]]、[[虻田郡]]、[[石狩郡]]、[[磯谷郡]]、[[岩内郡]]、[[有珠郡]]、[[浦河郡]]、[[雨竜郡]]、[[枝幸郡]]、[[奥尻郡]]、[[河西郡]]、[[河東郡]]、[[樺戸郡]]、[[上磯郡]]、[[上川郡 (石狩国)|上川郡(石狩)]]、[[上川郡 (天塩国)|上川郡(天塩)]]、[[上川郡 (十勝国)|上川郡(十勝)]]、 :::::[[亀田郡]]、[[茅部郡]]、[[川上郡]]、[[釧路郡]]、[[久遠郡]]、[[様似郡]]、[[沙流郡]]、[[標津郡]]、[[島牧郡]]、[[積丹郡]]、[[斜里郡]]、[[白老郡]]、[[白糠郡]]、[[寿都郡]]、[[瀬棚郡]]、[[宗谷郡]]、[[空知郡]]、[[天塩郡]]、[[十勝郡]]、[[常呂郡]]、 :::::[[苫前郡]]、[[中川郡 (天塩国)|中川郡(天塩)]]、[[中川郡 (十勝国)|中川郡(十勝)]]、[[新冠郡]]、[[爾志郡]]、[[野付郡]]、[[日高郡 (北海道)|日高郡]]、[[檜山郡]]、[[広尾郡]]、[[二海郡]]、[[古宇郡]]、[[古平郡]]、[[幌泉郡]]、[[増毛郡]]、[[松前郡]]、[[目梨郡]]、[[紋別郡]]、[[山越郡]]、[[夕張郡]]、[[勇払郡]]、 :::::[[余市郡]]、[[利尻郡]]、[[留萌郡]]、[[礼文郡]](右は北方領土に所在する)[[色丹郡]]、[[国後郡]]、[[択捉郡]]、[[紗那郡]]、[[蘂取郡]] === 地域区分 === ==== 一般的区分 ==== 一般的な区分は何通りかあるが、ここではその一例を挙げる。 * [[道南]]地方:渡島・檜山の2振興局管内 * [[道央]]地方:石狩・後志・空知・胆振・日高の5振興局管内、大雪地区(上川総合振興局の塩狩峠以南、旭川富良野地区) * [[道北]]地方:宗谷・留萌の2振興局管内、[[天塩国|天塩]]地区(上川総合振興局の[[塩狩峠]]以北)、[[紋別]]地区 * [[道東]]地方:十勝・釧路・根室の3振興局管内・北見網走地区(オホーツク総合振興局の以東) 胆振・日高・後志を道南に区分したり、オホーツクの北見網走地区を道北に区分したり、あるいは上川の大雪地区(旭川富良野地区)や空知の深川地区を道北に区分したりする例も見られる。 ==== 地域生活経済圏としての区分 ==== {{Pie chart | thumb = right | caption = 地域生活経済圏の人口比率 | label1 = 道南圏 | color1 = #99ff66 | value1 = {{ #expr: 100* {{ #expr: {{自治体人口/北海道|函館市}} + {{自治体人口/北海道|北斗市}} + {{自治体人口/北海道|松前町}} + {{自治体人口/北海道|福島町}} + {{自治体人口/北海道|知内町}} + {{自治体人口/北海道|木古内町}} + {{自治体人口/北海道|七飯町}} + {{自治体人口/北海道|鹿部町}} + {{自治体人口/北海道|森町}} + {{自治体人口/北海道|八雲町}} + {{自治体人口/北海道|長万部町}} + {{自治体人口/北海道|江差町}} + {{自治体人口/北海道|上ノ国町}} + {{自治体人口/北海道|厚沢部町}} + {{自治体人口/北海道|乙部町}} + {{自治体人口/北海道|奥尻町}} + {{自治体人口/北海道|今金町}} + {{自治体人口/北海道|せたな町}}}} / {{自治体人口/北海道|北海道}} round 1}} | label2 = 道央圏 | color2 = #ff6666 | value2 = {{ #expr: 100* {{ #expr: {{自治体人口/北海道|夕張市}} + {{自治体人口/北海道|岩見沢市}} + {{自治体人口/北海道|美唄市}} + {{自治体人口/北海道|芦別市}} + {{自治体人口/北海道|赤平市}} + {{自治体人口/北海道|三笠市}} + {{自治体人口/北海道|滝川市}} + {{自治体人口/北海道|砂川市}} + {{自治体人口/北海道|歌志内市}} + {{自治体人口/北海道|深川市}} + {{自治体人口/北海道|南幌町}} + {{自治体人口/北海道|奈井江町}} + {{自治体人口/北海道|上砂川町}} + {{自治体人口/北海道|由仁町}} + {{自治体人口/北海道|長沼町}} + {{自治体人口/北海道|栗山町}} + {{自治体人口/北海道|月形町}} + {{自治体人口/北海道|浦臼町}} + {{自治体人口/北海道|新十津川町}} + {{自治体人口/北海道|妹背牛町}} + {{自治体人口/北海道|秩父別町}} + {{自治体人口/北海道|雨竜町}} + {{自治体人口/北海道|北竜町}} + {{自治体人口/北海道|沼田町}} + {{自治体人口/北海道|札幌市}} + {{自治体人口/北海道|江別市}} + {{自治体人口/北海道|千歳市}} + {{自治体人口/北海道|恵庭市}} + {{自治体人口/北海道|北広島市}} + {{自治体人口/北海道|石狩市}} + {{自治体人口/北海道|当別町}} + {{自治体人口/北海道|新篠津村}} + {{自治体人口/北海道|小樽市}} + {{自治体人口/北海道|島牧村}} + {{自治体人口/北海道|寿都町}} + {{自治体人口/北海道|黒松内町}} + {{自治体人口/北海道|蘭越町}} + {{自治体人口/北海道|ニセコ町}} + {{自治体人口/北海道|真狩村}} + {{自治体人口/北海道|留寿都村}} + {{自治体人口/北海道|喜茂別町}} + {{自治体人口/北海道|京極町}} + {{自治体人口/北海道|倶知安町}} + {{自治体人口/北海道|共和町}} + {{自治体人口/北海道|岩内町}} + {{自治体人口/北海道|泊村}} + {{自治体人口/北海道|神恵内村}} + {{自治体人口/北海道|積丹町}} + {{自治体人口/北海道|古平町}} + {{自治体人口/北海道|仁木町}} + {{自治体人口/北海道|余市町}} + {{自治体人口/北海道|赤井川村}} + {{自治体人口/北海道|室蘭市}} + {{自治体人口/北海道|苫小牧市}} + {{自治体人口/北海道|登別市}} + {{自治体人口/北海道|伊達市}} + {{自治体人口/北海道|豊浦町}} + {{自治体人口/北海道|壮瞥町}} + {{自治体人口/北海道|白老町}} + {{自治体人口/北海道|厚真町}} + {{自治体人口/北海道|洞爺湖町}} + {{自治体人口/北海道|安平町}} + {{自治体人口/北海道|むかわ町}} + {{自治体人口/北海道|日高町}} + {{自治体人口/北海道|平取町}} + {{自治体人口/北海道|新冠町}} + {{自治体人口/北海道|浦河町}} + {{自治体人口/北海道|様似町}} + {{自治体人口/北海道|えりも町}} + {{自治体人口/北海道|新ひだか町}}}} / {{自治体人口/北海道|北海道}} round 1}} | label3 = 道北圏 | color3 = #cc33cc | value3 = {{ #expr: 100* {{ #expr: {{自治体人口/北海道|旭川市}} + {{自治体人口/北海道|士別市}} + {{自治体人口/北海道|名寄市}} + {{自治体人口/北海道|富良野市}} + {{自治体人口/北海道|幌加内町}} + {{自治体人口/北海道|鷹栖町}} + {{自治体人口/北海道|東神楽町}} + {{自治体人口/北海道|当麻町}} + {{自治体人口/北海道|比布町}} + {{自治体人口/北海道|愛別町}} + {{自治体人口/北海道|上川町}} + {{自治体人口/北海道|東川町}} + {{自治体人口/北海道|美瑛町}} + {{自治体人口/北海道|上富良野町}} + {{自治体人口/北海道|中富良野町}} + {{自治体人口/北海道|南富良野町}} + {{自治体人口/北海道|占冠村}} + {{自治体人口/北海道|和寒町}} + {{自治体人口/北海道|剣淵町}} + {{自治体人口/北海道|下川町}} + {{自治体人口/北海道|美深町}} + {{自治体人口/北海道|音威子府村}} + {{自治体人口/北海道|中川町}} + {{自治体人口/北海道|留萌市}} + {{自治体人口/北海道|増毛町}} + {{自治体人口/北海道|小平町}} + {{自治体人口/北海道|苫前町}} + {{自治体人口/北海道|羽幌町}} + {{自治体人口/北海道|初山別村}} + {{自治体人口/北海道|遠別町}} + {{自治体人口/北海道|天塩町}} + {{自治体人口/北海道|稚内市}} + {{自治体人口/北海道|幌延町}} + {{自治体人口/北海道|猿払村}} + {{自治体人口/北海道|浜頓別町}} + {{自治体人口/北海道|中頓別町}} + {{自治体人口/北海道|枝幸町}} + {{自治体人口/北海道|豊富町}} + 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{{自治体人口/北海道|浦幌町}}}} / {{自治体人口/北海道|北海道}} round 1}} | label6 = 釧路・根室圏 | color6 = #6666ff | value6 = {{ #expr: 100* {{ #expr: {{自治体人口/北海道|釧路市}} + {{自治体人口/北海道|釧路町}} + {{自治体人口/北海道|厚岸町}} + {{自治体人口/北海道|浜中町}} + {{自治体人口/北海道|標茶町}} + {{自治体人口/北海道|弟子屈町}} + {{自治体人口/北海道|鶴居村}} + {{自治体人口/北海道|白糠町}} + {{自治体人口/北海道|根室市}} + {{自治体人口/北海道|別海町}} + {{自治体人口/北海道|中標津町}} + {{自治体人口/北海道|標津町}} + {{自治体人口/北海道|羅臼町}}}} / {{自治体人口/北海道|北海道}} round 1}} }} 北海道庁は道内を6つの「{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20150924115919/https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/ssa/ssk/grp/h19aramashi_3_6.pdf 地域生活経済圏]}}」に分けている。「道東地方」については面積が広いため3分割し計6地域とされている。 * 表の「人口」および円グラフの「人口比率」は、{{自治体人口/北海道|date}}付けの[[住民基本台帳]]による。 {|class="sortable wikitable" style="text-align:left;font-size:90%" |+地域生活経済圏 !圏名 !人口(人) !範囲 |- |道南圏 |align="right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|函館市}} + {{自治体人口/北海道|北斗市}} + {{自治体人口/北海道|松前町}} + {{自治体人口/北海道|福島町}} + {{自治体人口/北海道|知内町}} + {{自治体人口/北海道|木古内町}} + {{自治体人口/北海道|七飯町}} + {{自治体人口/北海道|鹿部町}} + {{自治体人口/北海道|森町}} + {{自治体人口/北海道|八雲町}} + {{自治体人口/北海道|長万部町}} + {{自治体人口/北海道|江差町}} + {{自治体人口/北海道|上ノ国町}} + {{自治体人口/北海道|厚沢部町}} + {{自治体人口/北海道|乙部町}} + {{自治体人口/北海道|奥尻町}} + {{自治体人口/北海道|今金町}} + {{自治体人口/北海道|せたな町}} round 0}}}} |渡島・檜山 |- |道央圏 |align="right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|夕張市}} + {{自治体人口/北海道|岩見沢市}} + {{自治体人口/北海道|美唄市}} + {{自治体人口/北海道|芦別市}} + {{自治体人口/北海道|赤平市}} + {{自治体人口/北海道|三笠市}} + {{自治体人口/北海道|滝川市}} + {{自治体人口/北海道|砂川市}} + {{自治体人口/北海道|歌志内市}} + {{自治体人口/北海道|深川市}} + {{自治体人口/北海道|南幌町}} + {{自治体人口/北海道|奈井江町}} + {{自治体人口/北海道|上砂川町}} + {{自治体人口/北海道|由仁町}} + {{自治体人口/北海道|長沼町}} + {{自治体人口/北海道|栗山町}} + {{自治体人口/北海道|月形町}} + {{自治体人口/北海道|浦臼町}} + {{自治体人口/北海道|新十津川町}} + {{自治体人口/北海道|妹背牛町}} + {{自治体人口/北海道|秩父別町}} + {{自治体人口/北海道|雨竜町}} + {{自治体人口/北海道|北竜町}} + {{自治体人口/北海道|沼田町}} + {{自治体人口/北海道|札幌市}} + {{自治体人口/北海道|江別市}} + {{自治体人口/北海道|千歳市}} + {{自治体人口/北海道|恵庭市}} + {{自治体人口/北海道|北広島市}} + {{自治体人口/北海道|石狩市}} + {{自治体人口/北海道|当別町}} + {{自治体人口/北海道|新篠津村}} + {{自治体人口/北海道|小樽市}} + {{自治体人口/北海道|島牧村}} + {{自治体人口/北海道|寿都町}} + {{自治体人口/北海道|黒松内町}} + {{自治体人口/北海道|蘭越町}} + {{自治体人口/北海道|ニセコ町}} + {{自治体人口/北海道|真狩村}} + {{自治体人口/北海道|留寿都村}} + {{自治体人口/北海道|喜茂別町}} + {{自治体人口/北海道|京極町}} + {{自治体人口/北海道|倶知安町}} + {{自治体人口/北海道|共和町}} + {{自治体人口/北海道|岩内町}} + {{自治体人口/北海道|泊村}} + {{自治体人口/北海道|神恵内村}} + {{自治体人口/北海道|積丹町}} + {{自治体人口/北海道|古平町}} + {{自治体人口/北海道|仁木町}} + {{自治体人口/北海道|余市町}} + {{自治体人口/北海道|赤井川村}} + {{自治体人口/北海道|室蘭市}} + {{自治体人口/北海道|苫小牧市}} + {{自治体人口/北海道|登別市}} + {{自治体人口/北海道|伊達市}} + {{自治体人口/北海道|豊浦町}} + {{自治体人口/北海道|壮瞥町}} + {{自治体人口/北海道|白老町}} + {{自治体人口/北海道|厚真町}} + {{自治体人口/北海道|洞爺湖町}} + {{自治体人口/北海道|安平町}} + {{自治体人口/北海道|むかわ町}} + {{自治体人口/北海道|日高町}} + {{自治体人口/北海道|平取町}} + {{自治体人口/北海道|新冠町}} + {{自治体人口/北海道|浦河町}} + {{自治体人口/北海道|様似町}} + {{自治体人口/北海道|えりも町}} + {{自治体人口/北海道|新ひだか町}} round 0}}}} |石狩・後志・空知・胆振・日高 |- |道北圏 |align="right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|旭川市}} + {{自治体人口/北海道|士別市}} + {{自治体人口/北海道|名寄市}} + {{自治体人口/北海道|富良野市}} + {{自治体人口/北海道|幌加内町}} + {{自治体人口/北海道|鷹栖町}} + {{自治体人口/北海道|東神楽町}} + {{自治体人口/北海道|当麻町}} + {{自治体人口/北海道|比布町}} + {{自治体人口/北海道|愛別町}} + {{自治体人口/北海道|上川町}} + {{自治体人口/北海道|東川町}} + {{自治体人口/北海道|美瑛町}} + 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{{自治体人口/北海道|大空町}} round 0}}}} |オホーツク |- |十勝圏 |align="right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|帯広市}} + {{自治体人口/北海道|音更町}} + {{自治体人口/北海道|士幌町}} + {{自治体人口/北海道|上士幌町}} + {{自治体人口/北海道|鹿追町}} + {{自治体人口/北海道|新得町}} + {{自治体人口/北海道|清水町}} + {{自治体人口/北海道|芽室町}} + {{自治体人口/北海道|中札内村}} + {{自治体人口/北海道|更別村}} + {{自治体人口/北海道|大樹町}} + {{自治体人口/北海道|広尾町}} + {{自治体人口/北海道|幕別町}} + {{自治体人口/北海道|池田町}} + {{自治体人口/北海道|豊頃町}} + {{自治体人口/北海道|本別町}} + {{自治体人口/北海道|足寄町}} + {{自治体人口/北海道|陸別町}} + {{自治体人口/北海道|浦幌町}} round 0}}}} |十勝 |- |釧路・根室圏 |align="right"|{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/北海道|釧路市}} + {{自治体人口/北海道|釧路町}} + {{自治体人口/北海道|厚岸町}} + {{自治体人口/北海道|浜中町}} + {{自治体人口/北海道|標茶町}} + {{自治体人口/北海道|弟子屈町}} + {{自治体人口/北海道|鶴居村}} + {{自治体人口/北海道|白糠町}} + {{自治体人口/北海道|根室市}} + {{自治体人口/北海道|別海町}} + {{自治体人口/北海道|中標津町}} + {{自治体人口/北海道|標津町}} + {{自治体人口/北海道|羅臼町}} round 0}}}} |釧路・根室 |- |合計 |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/北海道|北海道}}}} |北海道 |} ==== その他の地域区分 ==== 北海道は東北地方に新潟県を加えた面積に匹敵する程広大であるため、[[旭川市]]、[[函館市]]、[[帯広市]]、[[釧路市]]の4市に、本州以南であれば都府県庁所在地にのみ設置される機関が置かれる例が見られる。 国の出先機関の支局などが[[札幌市]]・旭川市・函館市・帯広市・釧路市に設置される場合は、概ね振興局を分割することなく、その支局などが置かれる振興局と近隣の振興局を管轄することとなる。 一部の機関にあっては、歴史的経緯・地理的状況により、振興局を分割して管轄する場合がある。 [[日本銀行|日銀]]の管轄は、函館支店が渡島・檜山2振興局、釧路支店は釧路・十勝・根室3振興局を担当。その他は札幌支店が管轄するが、その中の釧路支店に所属する帯広事務所の管轄が十勝総合振興局、そして札幌支店に所属する旭川事務所の管轄が上川・宗谷・オホーツク3総合振興局となっている。 また、道内の放送局は7地域に分割される。詳細は、[[北海道の報道機関の一覧]]を参照。 == 歴史 == {{see also|アイヌの歴史}} === 旧石器時代 === 北海道には数万年前の[[氷期]]に[[シベリア]]から[[マンモス]]や[[オオツノシカ]]などの大型哺乳動物を追いかけて、[[陸橋]]となった[[宗谷海峡]]を人類が渡ってきたとされる。約12,000年から13,000年前(-8000年から-9000年)には、氷河が後退し温暖となってからは[[本州]]からも渡来したようである。 道内各地で[[旧石器時代]]の発掘調査は、[[群馬県]]の[[岩宿遺跡]]で[[旧石器]]が発見されたのをきっかけに行われるようになった。それらの遺跡は約2万年前から1万3000年前の間、つまり[[後期旧石器時代]]と推定されている。現在のところ最も古い遺跡は、[[千歳市]]祝梅(しゅくばい)三角山遺跡と考えられている。この遺跡から採取した炭化材を[[放射性炭素年代測定法]]では21450±750年BPであった。出土した[[石器]]類は、[[ナイフ形石器]]・[[尖頭器]]・削器・[[石核]]などである。これらの石器の原材料となった[[黒曜石]]の産地は「十勝石」の名で親しまれている[[白滝村 (北海道)|白滝村]]が代表的である。他には、置戸・十勝三股・赤井川などがある<ref>関口明「文化は北から南から」10-13ページ(田端宏・桑原真人・船津功・関口明『北海道の歴史』山川出版社 2003年3月)</ref>。 === 縄文期、飛鳥時代 === [[縄文時代]]に入ると、[[渡島半島]]・函館市の女名沢遺跡など、本州からの[[亀ヶ岡文化]]の影響が見られるようになる。 縄文時代後期の周堤墓は北海道にしか見られず、特に[[石狩市|石狩]]低地帯に集中している。最も大きいものは[[千歳市]]郊外にある[[キウス周堤墓群]]で、[[知床半島]]の付け根部にある[[斜里町]]でも朱円遺跡、芦別市野花南、標津町伊茶仁(いちゃに)などで発見されている。 北海道では[[ストーンサークル]]が多く発掘され考古学上議論を呼んでいる。[[渡島総合振興局|渡島管内]][[森町 (北海道)|森町]]の[[鷲ノ木遺跡]]、[[後志総合振興局|後志管内]]小樽市の[[忍路環状列石]]・地鎮山環状列石、[[余市町]]の西崎山環状列石、石狩地方では[[空知総合振興局|空知管内]][[深川市]]の[[音江環状列石]]、[[旭川市]]の[[神居古潭]]ストーンサークルなど。 ; 続縄文文化 : 本州以南は多数の渡来人([[弥生時代|弥生文化]]の担い手)が進出、[[弥生時代]]に移行するが、北海道には弥生文化(水稲耕作)が伝播せず、続縄文文化が展開した(本州の弥生・古墳時代に並行する[[続縄文時代]]{{Refnest|group="注釈"|この呼称は、水稲耕作を取り入れることができず、縄文文化から完全に離脱し得なかったという「稲作中心史観」が見え隠れし、守旧的で停滞的な文化というイメージがつきまとう<ref>関口明「文化は北から南から」23ページ(田端宏・桑原真人・船津功・関口明『北海道の歴史』山川出版社 2003年3月)</ref>。}}は、[[紀元前2世紀]]から[[8世紀]]の奈良時代ごろまで続いた)。この文化は、北は[[樺太]]南端部、東は[[国後島]]・[[択捉島]]、南は[[宮城県]]北部から[[新潟県]]にまで及んでいる。時期のはじめの土器は東北北部の土器([[亀ヶ岡式土器]])の影響が及んだ恵山式土器で紀元前2世紀から3世紀までを'''恵山文化'''と呼ぶ。この文化と弥生文化との交流を示す鉄器や碧玉製の管玉が見つかっている。また、この文化の影響が道央部に及んで江別式土器が出現する。この土器は後北式土器<ref group="注釈">後期北海道式薄手縄文土器の略称。</ref> とも呼ばれている。江別式土器を特徴とする'''江別文化'''は[[紀元前1世紀]]から[[7世紀]]ごろまでで、[[サケ]]・[[マス]]の漁撈生業を中心とした狩猟・採集経済である。この文化の遺跡から[[ソバ]]の花粉や[[リョクトウ|緑豆]]の種子が検出されており、食用植物が栽培されていたと考えられる<ref>菊池俊彦「縄文時代の北海道」 上原真人・白石太一郎・吉川真司・吉村武彦編『列島の古代史 ひと・もの・こと 1 古代史の舞台』岩波書店 2006年 14-15頁</ref><ref>{{Cite web|和書|title=「函館市史」通説編1 2編4章3節-5|url=http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/tsuusetsu_01/shishi_02-04/shishi_02-04-03-00-05.htm|website=archives.c.fun.ac.jp|accessdate=2019-10-11}}</ref>。 ; 擦文文化 : つづいて、[[7世紀]]後半より[[土師器]]の影響を受けて縄文がなくなり、木片の刷毛で擦ったような文様の擦文式土器を特徴とする[[擦文時代]]となって、この文化を[[8世紀]]までを前期、[[9世紀]] - [[10世紀]]を中期、[[12世紀]]ごろまでを後期の三期に区分する。この文化は[[和人]](本州以南の[[日本人]])との交易によって、12世紀ごろには移入品の鉄器を使用し、狩猟のほかに農業、漁労を営む[[アイヌ文化]]に成熟した。 ; オホーツク文化期 : 擦文文化が営まれていたころ、北海道東部の[[オホーツク海]]沿岸には、北の樺太方面から漁業と海獣狩猟を生業とする[[オホーツク文化]]を営む人々が移住したが、アイヌ文化が成熟したころに姿を消した。アイヌと完全に同化したか、アイヌに追われたものと考えられる。この古代文化は、[[3世紀]]から[[13世紀]]に[[樺太]]、北海道のオホーツク海沿岸、[[千島列島]]に展開された。うち北海道に分布するこの文化の遺跡の年代は[[5世紀]]から[[9世紀]]までと推測されている。 ; アイヌ文化 : 擦文文化は、オホーツク文化や本州以南の日本文化の影響を受けて[[アイヌ文化]]へと移行した。[[イナウ]]や[[捧酒箸]]を用いた神事、[[イオマンテ]]、[[アットゥシ]]の着用などの「いわゆるアイヌ文化」の成立時期は日本本土における[[鎌倉時代]]の事とされる。アイヌ文化期は明治期に和人の進出が本格化するまで続いた。 === 和人進出(奈良時代 - 鎌倉時代) === 古くは『[[日本書紀]]』に[[渡島]](わたりしま)として登場している。事実かどうかは諸説あるが、『日本書紀』には、[[斉明天皇]]が[[阿倍比羅夫]]に命じ、[[蝦夷]]を征するため、渡島へ1万の軍勢を送ったとある。比羅夫は[[蝦夷]]を下し、さらに降伏した蝦夷とともに[[粛慎 (日本)|粛慎]]なる異民族を討ち、捕虜を連れ帰ったという<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/soshiki/bunkazaih/2731.html |title=いしかり博物誌/第10回 日本書紀と石狩川 |publisher=[[石狩市]]|date=2014-7-13 |accessdate=2020-5-19}}</ref>。 [[奈良時代]]、[[平安時代]]には[[出羽国]]と交易を行なった。当時の住民は、[[東北地方]]北部の住民と同じく[[蝦夷]](えみし)と呼ばれていた。恐らく両者は同一民族で、北海道側の蝦夷が後の蝦夷(えぞ)、現在の[[アイヌ]]の先祖だと考えられている。 [[中世]]以降、北海道の住民は蝦夷(えぞ)と呼ばれ、北海道の地は蝦夷が島、[[蝦夷地]](えぞち)など様々に呼ばれた。古代の蝦夷(えみし)は農耕も生活の柱としていたが、次第に狩猟・漁業に特化し、[[鉄]]などを[[大和民族|日本人(和人)]]の交易で得るようになっていった。 また[[鎌倉時代]]以降になると、後の[[松前藩]]や[[和人地]]の基礎となった[[渡党]]の活動が見られるようになる。 === 松前藩(室町時代 - 江戸時代) === [[ファイル:Matumae_Takahiro.jpg|right|thumb|[[松前崇広]]は、[[江戸時代]]末期の[[大名]]。[[蝦夷]][[松前藩]]の12代藩主。]] [[室町時代]]には、渡島半島南端(後の[[和人地]])に和人、渡党、アイヌが居住し、豪族が館を構えていた<ref>田端宏・桑原真人・船津功・関口明 『県史1 北海道の歴史』 山川出版社、2015年第2版3刷、58-59頁。</ref>。和人の築いた[[道南十二館]]のひとつである[[勝山館]]跡では和人とアイヌの混住が考古学的にも確認されている<ref>瀬川拓郎 『アイヌの歴史 海と宝のノマド』 講談社〈講談社選書メチエ〉、2007年、42-43頁、229頁。</ref>。当地に割拠していた館主(たてぬし)らは[[安東氏]]と[[被官]]関係を結んでおり、かれらが北海道に渡った時期は不明であるが、その多くは鎌倉時代に[[津軽]]や[[糠部]]の北条氏所領の代官層であった侍の子孫とも考えられている<ref>榎森進 『アイヌ民族の歴史』 草風館、2015年、126-127頁。</ref>。室町・[[戦国時代 (日本)|戦国期]]には本土から和人の渡海者が増え、現地のアイヌとの間に対立が起きたという。近世以前の北海道に関しては松前藩の由緒を記した『[[新羅之記録]]』([[寛永]]20年([[1643年]])成立)があり、同書に拠れば[[康正]]3年/[[長禄]]元年([[1457年]])に起きた[[コシャマインの戦い]]で、[[甲斐源氏]]・[[若狭武田氏]]の子孫とされる[[武田信広]]がアイヌの指導者コシャマインを殺し、和人の勝利を決した。信広は[[蠣崎氏]]を継ぎ、その子孫は後に松前の氏を名乗り、代々[[蝦夷地]]の南部に支配権を築いた([[松前藩]])。 [[松前藩]]の経済基盤はアイヌとの交易にあった。[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]にかけて松前氏は[[征夷大将軍]]より交易独占権を認められ、アイヌとの交易条件を自らに有利なものに変えていった。アイヌは[[シャクシャインの戦い]]や[[クナシリ・メナシの戦い]]で蜂起したものの、[[松前藩]]によって鎮圧された。[[天明]]4年([[1784年]])からは[[蝦夷地]]の開拓を始め、沿岸にいくつかの入植地が建設された。 江戸時代後期に、[[ロシア帝国|ロシア]]が[[シベリア]]から領土を広げつつ日本と通商を求めるようになり、鎖国を維持しようとする日本に北海道近辺で接触した。中には[[ヴァシーリー・ゴロヴニーン|ゴローニン]]や[[高田屋嘉兵衛]]のように相手国の捕虜になった人もいた([[ゴローニン事件]])。ロシアの脅威に対する北方防備の必要を認識した[[江戸幕府]]は、[[最上徳内]]、[[近藤重蔵]]、[[間宮林蔵]]、[[伊能忠敬]]といった者に蝦夷地を([[樺太]]・[[千島列島]]を含め)探検させ、地理的な知識を獲得した。また、[[寛政]]11年([[1799年]])に東蝦夷地を、[[文化 (元号)|文化]]4年([[1807年]])には西蝦夷地を松前氏から取り上げた。また、統治機構として[[享和]]2年([[1802年]])に蝦夷奉行を置き、後に箱館奉行、松前奉行と名を変える。幕府の統治はアイヌの負担を若干軽減したが、基本的な支配構造には手を付けなかった。ゴローニン事件解決以降、ロシアの領土拡大的な南下が停滞したため、奉行は[[文政]]4年([[1821年]])に廃され、全蝦夷地は松前藩に還付された。 === 近代(明治 - 昭和前期) === '''律令制・幕藩体制の延長期'''{{-}} [[ファイル:Hakodate Bugyosho sideview.jpg|thumb|260px|箱館府の置かれた[[五稜郭]]の函館奉行所(函館市)]] {|class="infobox" align=right |colspan="2"|'''移住者の出身府県 戸数別(明治15年〜昭和10年)'''<ref name="北海道の開拓と移住">[http://www16.ocn.ne.jp/~ymr-0130/rekisi-izyu.html 北海道の開拓と移住]</ref> |- !出身府県||戸数 |- |[[青森県]]||68,855 |- |[[秋田県]]||64,067 |- |[[新潟県]]||61,636 |- |[[宮城県]]||51,831 |- |[[富山県]]||48,445 |- |[[石川県]]||47,901 |- |[[岩手県]]||40,318 |- |[[山形県]]||39,009 |- |[[福島県]]||33,122 |- |[[福井県]]||27,392 |- |[[東京府]]||21,862 |- |[[徳島県]]||17,970 |- |[[岐阜県]]||15,297 |- |[[香川県]]||14,367 |- |[[広島県]]||10,777 |- |[[愛知県]]||9,377 |- |[[愛媛県]]||9,239 |- |[[兵庫県]]||9,047 |- |[[鳥取県]]||7,665 |- |[[茨城県]]||6,950 |- |[[滋賀県]]||6,533 |- |[[長野県]]||5,956 |- |[[高知県]]||5,810 |- |[[岡山県]]||5,563 |- |[[栃木県]]||5,473 |- |[[静岡県]]||5,234 |- |[[奈良県]]||5,049 |- |[[大阪府]]||5,033 |- |[[福岡県]]||5,017 |- |[[山口県]]||4,951 |- |[[神奈川県]]||4,948 |- |[[三重県]]||4,914 |- |[[千葉県]]||4,670 |- |[[山梨県]]||4,642 |- |[[和歌山県]]||4,559 |- |[[群馬県]]||3,891 |- |[[埼玉県]]||3,890 |- |[[京都府]]||3,751 |- |[[熊本県]]||3,481 |- |[[島根県]]||3,150 |- |[[佐賀県]]||2,602 |- |[[鹿児島県]]||2,505 |- |[[大分県]]||2,472 |- |[[長崎県]]||1,500 |- |[[宮崎県]]||624 |- |[[沖縄県]]||67 |- |その他||5,794 |- |'''総数'''||717,206 |} [[慶応]]4年/[[明治元年]][[4月12日 (旧暦)|4月12日]]([[1868年]]5月4日)に、新政府は[[蝦夷地]]にそれまで置かれていた[[箱館奉行]]を[[箱館裁判所]]に置き換え、すぐにその名を[[箱館府]]と改めた([[府藩県三治制]])。これに伴い、道内でもそれまでの[[天領|公議御料]](幕府直轄領)は天領(天皇の御料)となった。ただし、[[明治元年]]12月([[1869年]]1月)旧[[幕府軍]]が[[五稜郭]]を占拠し[[榎本武揚]]を首班とする「[[蝦夷共和国]]」が成立、翌年にかけて新政府軍との間で[[戊辰戦争]]の一つ[[箱館戦争]]が戦われた。旧幕府側の降伏直後の[[明治2年]]([[1869年]])、[[和人地]]および蝦夷地(北州)には[[大宝律令]]の[[国郡里制]]を踏襲し北海道11国86郡が置かれた(→[[北海道 (令制)]])。同年7月([[天保暦]])[[松前藩#館藩|館藩]](松前藩)領以外は箱館県(箱館府の後身)から引き継ぐ[[開拓使]](「使」という名称は、[[律令制#日本の律令制|律令制]]下で使用された臨時の独自な任務をこなす[[令外官#日本の令外官|令外官]]である。[[東北地方]]などには[[按察使]]が置かれた)が設けられ北海道の開拓は本格化した。当初、開拓使直轄領以外では、道外の[[藩]]・[[士族]]・[[寺院]]・[[華族]]などによる[[幕藩体制]]と同様の[[北海道の分領支配]]も行われていた<ref>[https://hokkaidofan.com/bunryo38-history/ 北海道はかつて38団体・個人が分割統治していた?明治初期の分領支配時代の真相]</ref>。また、同年10月[[場所請負制]]が漁場持と名称を変えしばらくの間存続することとなった。 * 北海道11国86郡([[1869年]]設置) {| |style="vertical-align:top"| {|class="wikitable" style="font-size: smaller" |- !郡!!読み |- !colspan="2" style="background: #f0f0f0"|[[渡島国]] |- |[[亀田郡]]||かめだ |- |[[茅部郡]]||かやべ |- |[[上磯郡]]||かみいそ |- |[[福島郡]]||ふくしま |- |[[津軽郡 (北海道)|津軽郡]]||つがる |- |[[檜山郡]]||ひやま |- |[[爾志郡]]||にし |- !colspan="2" style="background: #f0f0f0"|[[後志国]] |- |[[久遠郡]]||くとう |- |[[奥尻郡]]||おくしり |- |[[太櫓郡]]||ふとろ |- |[[瀬棚郡]]||せたな |- |[[島牧郡]]||しままき |- |[[寿都郡]]||すっつ |- |[[歌棄郡]]||うたすつ |- |[[磯谷郡]]||いそや |- |[[岩内郡]]||いわない |- |[[古宇郡]]||ふるう |- |[[積丹郡]]||しやこたん |- |[[美国郡]]||びくに |- |[[古平郡]]||ふるびら |- |[[余市郡]]||よいち |- |[[忍路郡]]||おしよろ |- |[[高島郡 (北海道)|高島郡]]||たかしま |- |[[小樽郡]]||おたる |} |style="vertical-align:top"| {|class="wikitable" style="font-size: smaller" |- !郡!!読み |- !colspan="2" style="background: #f0f0f0"|[[胆振国]] |- |[[山越郡]]||やまくし |- |[[虻田郡]]||あぶた |- |[[有珠郡]]||うす |- |[[室蘭郡]]||むろらん |- |[[幌別郡]]||よりへつ |- |[[白老郡]]||しらおい |- |[[勇払郡]]||ゆうふつ |- |[[千歳郡]]||ちとせ |- !colspan="2" style="background: #f0f0f0"|[[石狩国]] |- |[[石狩郡]]||いしかり |- |[[札幌郡]]||さっぽろ |- |[[夕張郡]]||ゆうばり |- |[[樺戸郡]]||かばと |- |[[空知郡]]||そらち |- |[[雨竜郡]]||うりゆう |- |[[上川郡 (石狩国)|上川郡]]||かみかは |- |[[厚田郡]]||あつた |- |[[浜益郡]]||はまましけ |- !colspan="2" style="background: #f0f0f0"|[[天塩国]] |- |[[増毛郡]]||ましけ |- |[[留萌郡]]||るもい |- |[[苫前郡]]||とままえ |- |[[天塩郡]]||てしほ |- |[[中川郡 (天塩国)|中川郡]]||なかかわ |- |[[上川郡 (天塩国)|上川郡]]||かみかは |} |style="vertical-align:top"| {|class="wikitable" style="font-size: smaller" |- !郡!!読み |- !colspan="2" style="background:#f0f0f0"|[[北見国]] |- |[[宗谷郡]]||そうや |- |[[利尻郡]]||りしり |- |[[礼文郡]]||れふんしり |- |[[枝幸郡]]||えさし |- |[[紋別郡]]||もんべつ |- |[[常呂郡]]||ところ |- |[[網走郡]]||あばしり |- |[[斜里郡]]||しゃり |- !colspan="2" style="background: #f0f0f0"|[[日高国]] |- |[[沙流郡]]||さる |- |[[新冠郡]]||にいかっぷ |- |[[静内郡]]||しずない |- |[[三石郡]]||みついし |- |[[浦河郡]]||うらかわ |- |[[様似郡]]||さまに |- |[[幌泉郡]]||ほろいずみ |- !colspan="2" style="background:#f0f0f0"|[[十勝国]] |- |[[広尾郡]]||ひろお |- |[[当縁郡]]||とうふち |- |[[上川郡 (十勝国)|上川郡]]||かみかは |- |[[中川郡 (十勝国)|中川郡]]||なかかわ |- |[[河東郡]]||かとう |- |[[河西郡]]||かさい |- |[[十勝郡]]||とかち |} |style="vertical-align:top"| {|class="wikitable" style="font-size: smaller" |- !郡!!読み |- !colspan="2" style="background: #f0f0f0"|[[釧路国]] |- |[[白糠郡]]||しらぬか |- |[[足寄郡]]||あしょろ |- |[[釧路郡]]||くしろ |- |[[阿寒郡]]||あかん |- |[[網尻郡]]||あはしり |- |[[川上郡]]||かわかみ |- |[[厚岸郡]]||あつけし |- !colspan="2" style="background:#f0f0f0"|[[根室国]] |- |[[花咲郡]]||はなさき |- |[[根室郡]]||ねむろ |- |[[野付郡]]||のつけ |- |[[標津郡]]||しべつ |- |[[目梨郡]]||めなし |- !colspan="2" style="background:#f0f0f0"|[[千島国]] |- |[[国後郡]]||くなしり |- |[[択捉郡]]||えとろふ |- |[[振別郡]]||ふれへつ |- |[[紗那郡]]||しやな |- |[[蘂取郡]]||しへとろ |- |[[得撫郡]]※||うるっぷ |- |[[新知郡]]※||しむしる |- |[[占守郡]]※||しゅむしゅ |} |} <div style="font-size: smaller"> ※ 得撫郡、新知郡、占守郡の3郡は、[[1875年]](明治8年)、[[樺太・千島交換条約]]により[[得撫島]]以北の千島列島を編入したため千島国に加わった * 注:よみがなは『新北海道史』による </div> ; 明治維新の変遷期 : 明治3年([[1870年]])、[[根室国]]の[[花咲郡]]、[[根室郡]]、[[野付郡]]が[[東京府]]の所領となったが、同年末に返上。 : 明治3から4年([[1870年]] - [[1871年]])[[本願寺道路]]が建設される。 : 明治4年([[1871年]])[[5月 (旧暦)|5月]]に開拓使庁も[[函館市|函館]]から[[札幌市|札幌]]に移転。同年の明治4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[8月29日]])[[廃藩置県]]に伴い館藩の旧領([[爾志郡]]・[[檜山郡]]・[[津軽郡 (北海道)|津軽郡]]・[[福島郡]])に館県設置。その直後に分領支配も終わり、館県以外の地域はすべて開拓使の直轄となった。同年旧暦9月、館県は道外の弘前県などと合併、弘前県([[青森県#近代以降の年表|青森県]])の一部となり消滅。明治5年10月([[1872年]])、[[福島郡]]など四郡(旧館県)が青森県から開拓使に移管。これにより、北海道全域が開拓使の所管となる。また、[[札幌農学校]]の開校もこの年で、同年[[10月10日 (旧暦)|旧暦10月10日]](11月10日)には[[大区小区制]]が施行され、明治5から6年<ref group="注釈">明治6年より新暦が採用され和暦と西暦の月日が一致する。</ref>(1872年 - [[1873年]])には[[札幌本道]]が建設されている。[[1874年]](明治7年)には開拓と北辺の守りを固めるため[[屯田兵]]の駐屯が開始された。1876年(明治9年)9月には漁場持(場所請負制)廃止。[[1879年]](明治12年)[[7月23日]]、[[郡区町村編制法]](明治11年[[7月22日]][[太政官布告・太政官達|太政官布告]]第17号)を施行。[[1885年]](明治18年)の[[太政官#明治の太政官制|太政官]]廃止に先立つ[[1882年]](明治15年)、開拓使は設置からわずか13年で廃止された。 [[ファイル:Sapporo2.jpg|thumb|260px|1888年建設の[[北海道庁旧本庁舎|道庁旧本庁舎]](札幌市)]] ; 近代行政機関の設置 : 開拓使を置き換えるように北海道全体として初の[[都道府県|近代行政区画]]・[[地方公共団体#日本|近代行政機関]]である[[函館県]]、[[札幌県]]、[[根室県]]の3県([[三県一局時代]])が設けられた([[内閣 (日本)|内閣制]]の発足は1885年(明治18年)[[12月22日]]である)が、当時は人口も少なく非常に偏った分布(特に根室県の人口は著しく少なかった)で3県体制が機能していないことから、[[1886年]](明治19年)には道内全域を管轄する[[北海道庁 (1886-1947)|北海道庁]]が置かれた。[[1896年]](明治29年)になると旭川にて[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[第7師団 (日本軍)|第七師団]]が編成され、[[1899年]](明治32年)[[10月1日]]には[[北海道区制]]および[[北海道一・二級町村制]]が施行されている。明治政府の政策により多くの人が全国各地から移住し、道内各地に開拓の波が押し寄せた。特に[[東北地方]]と[[北陸地方]]からの移住者は全体の7割近くを占め、言語や習慣などの点で北海道文化の礎となった。これにともない[[官営幌内鉄道]]や[[北海道官設鉄道]]をはじめとする[[鉄道]]や[[国道]]が建設されたが、[[網走刑務所]]に代表されるように、懲役刑の一環として行われた面もある。[[石炭]]が産出されることから、数多くの炭鉱が開発され、輸送するための鉄道が縦横に張り巡らされた(明治29年北海道鉄道敷設法、[[大正]]11年[[鉄道敷設法|改正鉄道敷設法]])。人口も増加し、[[1922年]](大正11年)[[4月20日]]には[[市制]]を施行し北海道区制を廃止。 [[1943年]]([[昭和]]18年)[[3月20日]]には[[町村制]]の改正により北海道一・二級町村制が廃止(旧二級町村は特例で指定町村と)された。[[1946年]](昭和21年)[[9月27日]]の[[府県制]]改正にともない、北海道における自治制度を規定していた「北海道会法」と「北海道地方費法」が廃止されて「道府県制」に移行し、指定町村の特例も廃止されている。もっとも、和人の「開拓」はアイヌにとっては土地収奪と強制移住を伴うものであり、「日本による[[侵略]]」であったとする見方もある([[本多勝一]]など)。{{bar box |title = 移住者の出身地域 戸数別(明治15年〜昭和10年)<ref name="北海道の開拓と移住">[http://www16.ocn.ne.jp/~ymr-0130/rekisi-izyu.html 北海道の開拓と移住]</ref> |titlebar=#ddd |float=right |bars= {{bar percent|[[東北地方]]|#9E3039|41.4}} {{bar percent|[[北陸地方]]|blue|25.8}} {{bar percent|[[関東地方]]|purple|7.2}} {{bar percent|[[四国地方]]|#FFD500|6.6}} {{bar percent|[[中部地方]](北陸除く)|red|5.6}} {{bar percent|[[近畿地方]]|green|5.4}} {{bar percent|[[中国地方]]|orange|4.5}} {{bar percent|[[九州地方]]|lightblue|2.5}} {{bar percent|[[沖縄地方]]|black|0.0}} {{bar percent|その他|gray|0.8}} }} ; 気象害 [[1902年]](明治35年)、[[1913年]](大正2年)、[[1931年]](昭和6年)、[[1941年]](昭和16年)は[[冷夏]]になり、農作物の収率が例年の半分以下になる大[[凶作]]となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.reigai.affrc.go.jp/zusetu/reigai/kako/kyorei.html |title=図説:東北の稲作と冷害 |publisher=農研機構 |date= |accessdate=2021-08-09}}</ref>。また、[[1912年]](明治45年)3月、暴風雪が発生し、死者68人の被害<ref>下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p289 河出書房新社 2003年11月30日刊 {{全国書誌番号|20522067}}</ref>。 [[1932年]](昭和7年)8月25日から15日間道内で降り続いた雨は石狩川、天塩川、幌内河、夕張川、美唄川、江別川などを氾濫させた<ref>二十日余降やまず、浸水一万戸『東京朝日新聞』昭和7年9月11日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p198 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。前年の凶作に追い打ちをかける水害により農村部は疲弊した。 [[1936年]](昭和11年)[[10月3日]]、北海道全域で暴風雨。[[釧路市]]では民家の裏山が崩れ死者7人<ref>大演習の北海道に暴風雨襲来『北海タイムス』昭和10年10月5日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p683)</ref>。[[渡島半島]]では[[松前町 (北海道)|大島村]]で死者16人、小島村で死傷者16人、吉岡村で死者1人。どの町村も民家の流失多数。港湾施設も道路や船入澗(防波堤、係留施設)が大破して漁船が全滅に近い状態となった<ref>渡島半島の被害甚大『北海タイムス』昭和11年10月5日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p683 )</ref>。 === 昭和戦後 === [[1950年]](昭和25年)、北海道を開発するため、調査・立案及び実施に関する事務を担当する[[北海道開発庁]]が[[総理府]]の[[外局]]として設置された。北海道内には[[北海道開発局]]と各地方に開発建設部が置かれ、開発の任に当った。[[第二次世界大戦]]の復員兵や、旧[[植民地]]からの帰還者の受け入れ先として北海道が注目され、人口が急増した。 戦後復興と高度経済成長期の初めは、北海道産の[[石炭]]が重宝され、多くの炭鉱労働者が北海道で暮らしたが、[[1960年代]]に[[石油]]へのエネルギー転換が起こり、[[1980年代]]までにほとんどの炭鉱が閉山された。これに伴い、不要になった鉄道が相次いで廃止され、市民生活の自動車化が推し進められた。道路網の整備が行われ、[[道央自動車道]]をはじめとする[[高速道路]]が建設された。他の都府県は[[直轄国道]](旧一級国道)以外の整備補修を自ら行うのに対し、北海道はすべての国道を国が管理する体制がとられた。 [[1967年]](昭和42年)には[[旭川市旭山動物園]]が開園し、[[1968年]](昭和43年) には北海道百年記念祝典が開催された。 また、[[1971年]](昭和46年)に日本で4番目の[[地下鉄]]となる[[札幌市営地下鉄]]が開業。翌[[1972年]](昭和47年)にはアジア初の冬季オリンピックである[[1972年札幌オリンピック|第11回冬季札幌オリンピック]]が開催され、オリンピック後の[[4月1日]]には[[札幌市]]が[[政令指定都市]]に指定された。 [[1988年]](昭和63年)[[7月20日]]には、[[新千歳空港]]が千歳空港に代わる民間航空用の空港として開港した。 === 平成期 === [[2001年]]([[平成]]13年)の[[中央省庁再編]]により、北海道開発庁は統合され、[[国土交通省]]北海道局となった。それに伴い、北海道開発局は[[国土交通省]]の[[地方支分部局]]となった。 [[2003年]](平成15年)[[9月26日]]午前4時50分ごろ、 '''[[十勝沖地震#2003年|十勝沖地震]]''' - '''Mj 8.0'''('''Mw 8.0〜8.3''')、北海道[[新冠町]]・[[静内町]]・[[浦河町]]・[[鹿追町]]・[[幕別町]]・[[豊頃町]]・[[忠類村]]・[[釧路町]]・[[厚岸町]]で最大震度 6弱、死者・不明者2人。[[津波警報]]が発表され2メートルを超える津波が来襲し2人が飲み込まれ、2年後に1人が遺体で発見された。 [[2008年]](平成20年)[[7月7日]]〜[[7月9日]] - [[北海道洞爺湖サミット]]開催。 2010年(平成22年)、支庁制度改革、支庁を「総合振興局・振興局」と改称。 [[2018年]](平成30年)[[9月6日]]午前3時8分ごろ、胆振地方中東部(北緯42.7度 東経142.0度)で最大震度7 (M.6.7) を観測する[[北海道胆振東部地震]]が発生した。[[厚真町]]では[[震度7]]を観測した。北海道で震度7を観測したのは観測史上初。 == 人口 == 北海道の人口は522万4614人([[2020年]]([[令和]]2年)[[10月1日]]、国勢調査)であり、都道府県単位で全国8位である。しかし、面積が広大である為[[人口密度]]は最も低く、これが地域の特色にもなっている<ref name="新日本地誌ゼミナール『北海道地方』2頁。この箇所の執筆は古川史郎。">新日本地誌ゼミナール『北海道地方』2頁。この箇所の執筆は古川史郎。</ref>。 1869年(明治2年)の6万人から始まり全国で最も少なかった人口はその後急速な増加傾向が続き、1886年には30万人、1901年には100万人を超え、1959年には初めて500万人を超えた。1997年(平成9年)に過去最多の570万人に達するも、出生数の低下や高齢者人口増に伴う死亡数増加、転出増加により2000年に568万人、2005年には563万人に減少した。その後も減少傾向は続いている。 [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Hokkaido, Japan_2015-2020.svg|thumb|450px|left|北海道の地方自治体の人口増加率分布図。2015年度と2020年度国勢調査から算出した。 {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#44AA00|7.5 - 10.0 %}} {{legend|#66FF00|5.0 - 7.5 %}} {{legend|#99FF55|2.5 - 5.0 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.5 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=01000|name=北海道|image=Demography Hokkaidou.svg}} ===主要都市=== 北海道は纏まった人口が定住し始めてからの歴史が明治時代以降と浅く、本州以南と比較して都市が短期間で計画的・人工的に作られた側面が大きい。そのため他の多くの都府県と比べ、主要都市部に人口が偏在する傾向が強い。特に20世紀後半以降は[[札幌市]]への人口集中が続いており、2023年時点において道人口全体の38%を占め道内の他の自治体を大きく圧倒している。さらに札幌市とその周辺地域([[石狩振興局]]に加え、[[札幌都市圏]]に含まれる[[小樽市]]と[[南幌町]])を合計すると約250万人に達し、道面積の5%程度の地域に人口の半分が集中していることになる。その他の地域は軒並み中小都市が点在する様相となっており、2番目の人口規模をもつ旭川市でさえ札幌市の人口の6分の1程度しかない。道内の179の自治体のうち[[政令指定都市]]は札幌市の1市、[[中核市]]は[[旭川市]]と[[函館市]]の2市で、[[特例市|施行時特例市]]は存在しない。 : 人口の都市集中は、小規模市町村の人口密度がさらに低いことを意味する。家屋の密度が著しく低く、大区画でほぼ無人の畑地・牧草地が広がる大地を、どこまでも続く直線道路が切っていく景観は、人口密度の低さで北海道につぐ[[東北地方]]でも見られない、北海道独特のものである<ref name="新日本地誌ゼミナール『北海道地方』2頁。この箇所の執筆は古川史郎。"/>。[[2022年]](令和4年)現在で179の自治体のうち、およそ83%に上る149の自治体が[[過疎地域]]に指定されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.hokkaido.lg.jp/fs/5/6/8/8/4/4/5/_/%E2%98%86%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E6%8C%87%E5%AE%9A%E7%8A%B6%E6%B3%81(R4.4.1%E7%8F%BE%E5%9C%A8)220310(%E6%BA%B6%E3%81%91%E8%BE%BC%E3%81%BF).pdf|title=地域指定一覧 道内の過疎、辺地、山村、離島、特豪地帯等の指定状況|publisher=北海道|format=PDF|accessdate=2022-06-13}}</ref>。 ;北海道の主要都市を掲載する。 {| class="infobox" style="text-align:center; width:100%; margin-right:10px; font-size:100%" ! colspan="10" style="background:#e9e9e9; padding:0.3em; line-height:1.2em;"| '''北海道地方の主要都市''' |- !rowspan=30| [[File:SapporoCity Skylines2020.jpg|150px]]<br /><small>[[札幌市]]</small><br />[[File:Skyline of Asahikawa City.jpg|150px]]<br /><small>[[旭川市]]</small><br /> ! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"| <small>#</small> ! style="text-align:left; background:#f5f5f5;"| 都市名 ! style="text-align:left; background:#f5f5f5;"| 地域名 ! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"| 人口 ! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"| <small>#</small> ! style="text-align:left; background:#f5f5f5;"| 都市名 ! style="text-align:left; background:#f5f5f5;"| 地域名 ! style="text-align:center; background:#f5f5f5;"| 人口 !rowspan=21| [[ファイル:Cityscapes of Hakodate Hokkaido pref Japan01n.jpg|150px]]<br /><small>[[函館市]]</small><br />[[File:Skyline of Tomakomai City.jpg|150px]]<br /><small>[[苫小牧市]]</small><br /> |- | style="background:#f0f0f0"| 1 ||align=left | '''[[札幌市]]''' || [[石狩振興局|石狩]] || {{自治体人口/北海道|札幌市}}人 || 11 ||align=left | '''[[室蘭市]]''' || [[胆振総合振興局|胆振]] || {{自治体人口/北海道|室蘭市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 2 ||align=left | '''[[旭川市]]''' || [[上川総合振興局|上川]] || {{自治体人口/北海道|旭川市}}人 || 12 ||align=left | '''[[岩見沢市]]''' || [[空知総合振興局|空知]] || {{自治体人口/北海道|岩見沢市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 3 ||align=left | '''[[函館市]]''' || [[渡島総合振興局|渡島]] || {{自治体人口/北海道|函館市}}人 || 13 ||align=left | '''[[恵庭市]]''' || [[石狩振興局|石狩]] || {{自治体人口/北海道|恵庭市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 4 ||align=left | '''[[苫小牧市]]''' || [[胆振総合振興局|胆振]] || {{自治体人口/北海道|苫小牧市}}人 || 14 ||align=left | '''[[石狩市]]''' || [[石狩振興局|石狩]] || {{自治体人口/北海道|石狩市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 5 ||align=left | '''[[帯広市]]''' || [[十勝総合振興局|十勝]] || {{自治体人口/北海道|帯広市}}人 || 15 ||align=left | '''[[北広島市]]''' || [[石狩振興局|石狩]] || {{自治体人口/北海道|北広島市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 6 ||align=left | '''[[釧路市]]''' || [[釧路総合振興局|釧路]] || {{自治体人口/北海道|釧路市}}人 || 16 ||align=left | '''[[登別市]]''' || [[胆振総合振興局|胆振]] || {{自治体人口/北海道|登別市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 7 ||align=left | '''[[江別市]]''' || [[石狩振興局|石狩]] || {{自治体人口/北海道|江別市}}人 || 17 ||align=left | '''[[北斗市]]''' || [[渡島総合振興局|渡島]] || {{自治体人口/北海道|北斗市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 8 ||align=left | '''[[北見市]]''' || [[オホーツク総合振興局|オホーツク]] || {{自治体人口/北海道|北見市}}人 || 18 ||align=left | '''[[滝川市]]''' || [[空知総合振興局|空知]] || {{自治体人口/北海道|滝川市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 9 ||align=left | '''[[小樽市]]''' || [[後志総合振興局|後志]] || {{自治体人口/北海道|小樽市}}人 || 19 ||align=left | '''[[網走市]]''' || [[オホーツク総合振興局|オホーツク]] || {{自治体人口/北海道|網走市}}人 |- | style="background:#f0f0f0"| 10 ||align=left | '''[[千歳市]]''' || [[石狩振興局|石狩]] || {{自治体人口/北海道|千歳市}}人 || 20 ||align=left | '''[[伊達市 (北海道)|伊達市]]''' || [[胆振総合振興局|胆振]] || {{自治体人口/北海道|伊達市}}人 |} {{Clear}} ;[[政令指定都市]] * [[札幌市]]({{自治体人口/北海道|札幌市}}人) ;[[中核市]] * [[旭川市]]({{自治体人口/北海道|旭川市}}人)・[[函館市]]({{自治体人口/北海道|函館市}}人) ;[[特例市|施行時特例市]] *該当なし == 政治 == === 道政 === ==== 知事 ==== [[ファイル:Hokkaido-Govt-Main-Bldg-01.jpg|thumb|260px|北海道庁本庁舎(道庁本館)]] ''{{main|北海道知事一覧}}'' * 初代:[[田中敏文]](1947年4月21日 - 1959年4月22日、3期) * 2代:[[町村金五]](1959年4月23日 - 1971年4月22日、3期) * 3代:[[堂垣内尚弘]](1971年4月23日 - 1983年4月22日、3期) * 4代:[[横路孝弘]](1983年4月23日 - 1995年4月22日、3期) * 5代:[[堀達也]](1995年4月23日 - 2003年4月22日、2期) * 6代:[[高橋はるみ]](2003年4月23日 - 2019年4月22日、4期) * 7代:[[鈴木直道]](2019年4月23日 - 、現職) ==== 議会 ==== ''{{main|北海道議会}}'' ===== 会派 ===== {{main|2023年北海道議会議員選挙}} 2023年4月9日に行われた[[2023年北海道議会議員選挙|道議会議員選挙]]の結果を反映している。 {|class=wikitable |- !会派名!!議員数!!所属党派!!女性議員数!!女性議員の比率(%) |- |自由民主党・道民会議北海道議会議員会||54||[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]49人・無所属5人||5||9.25 |- |北海道議会民主・道民連合議員会||26||[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]23人・無所属3人||6||23.1 |- |北海道結志会||9||[[無所属]]9人||1||11.11 |- |北海道議会公明党議員団||8||[[公明党]]||2||25.0 |- |日本共産党北海道議会議員団||2||[[日本共産党]]||2||100 |- |維新・大地||1||[[日本維新の会]]・([[新党大地]])||1||100 |- !定数!!100<ref group="注釈">2023年4月現在。 </ref>!!!! 17 !! 17.0 |} :出典:北海道議会ホームページ [https://www.gikai.pref.hokkaido.lg.jp/fs/8/9/4/5/5/0/6/_/senkyoku-kaiha(20230502).pdf 「北海道議会議員選挙区別・会派一覧(R5.5.2現在)」] ==== 財政 ==== [[2022年]](令和4年)度の実質公債費比率は19.1%と、全国最下位。 ===== 2022年度(令和4年度)決算の財務状況 ===== * [[財政力指数]] 0.44595 (47都道府県平均 0.50034) * 経常収支比率 98.2% (47都道府県平均 94.7%) * 実質公債費比率 19.1% (注:過去3か年平均 47都道府県平均 10.1%) * 将来負担比率 304.0% * 定員管理の適正度 人口100,000人当たり職員数 1,203人 (47都道府県平均 1,075人) * [[ラスパイレス指数]] 99.1 (47都道府県平均 99.8) ===== 北海道債の残高 ===== * [[2021年]](令和3年)度末北海道債残高 合計 6兆0568億円 ** 一般会計分 5兆9651億円 ** 特別会計分 1兆1638億円 === 国政 === [[2021年]](令和3年)現在、[[衆議院議員選挙]]は、[[小選挙区]]を12区に分け、[[比例北海道ブロック]]議席は8議席保有している。 ==== 衆議院 ==== * [[北海道第1区|1区]] {{衆議院小選挙区当選者|北海道第1区}} * [[北海道第2区|2区]] {{衆議院小選挙区当選者|北海道第2区}} * [[北海道第3区|3区]] {{衆議院小選挙区当選者|北海道第3区}} * [[北海道第4区|4区]] {{衆議院小選挙区当選者|北海道第4区}} * [[北海道第5区|5区]] {{衆議院小選挙区当選者|北海道第5区}} * [[北海道第6区|6区]] {{衆議院小選挙区当選者|北海道第6区}} * [[北海道第7区|7区]] {{衆議院小選挙区当選者|北海道第7区}} * [[北海道第8区|8区]] {{衆議院小選挙区当選者|北海道第8区}} * [[北海道第9区|9区]] {{衆議院小選挙区当選者|北海道第9区}} * [[北海道第10区|10区]] {{衆議院小選挙区当選者|北海道第10区}} * [[北海道第11区|11区]] {{衆議院小選挙区当選者|北海道第11区}} * [[北海道第12区|12区]] {{衆議院小選挙区当選者|北海道第12区}} 比例北海道ブロック * [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]-4議席、[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]-3議席、[[公明党]]-1議席 ==== 参議院 ==== [[北海道選挙区]] * 2028年改選 ** {{参議院選挙区当選者偶数開催|北海道選挙区}} * 2025年改選 ** {{参議院選挙区当選者奇数開催|北海道選挙区}} == 経済・産業 == 平成29年度(2017年)の道内総生産は19兆4301億円であり、1人当たりの道民所得は268万2千円となっている<ref>{{Cite web|和書|title=平成29年度(2017年度)道民経済計算 | 経済部経済企画局経済企画課|url=http://www.pref.hokkaido.lg.jp/kz/kks/ksk/tgs/keisan1.htm|website=www.pref.hokkaido.lg.jp|accessdate=2020-08-13}}</ref>。これは世界40位前後の「国」に相当する経済規模を有している<ref>[http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/4550.html 主要国と都道府県のGDP規模順位(2013年)] 社会実情データ図録 2021年10月19日閲覧。</ref>。北海道内総生産の産業別構成比は、[[第一次産業]]が4.1%、[[第二次産業]]が16.9%、[[第三次産業]]が79.0%である(2014年度)<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=北海道データブック2017_経済 | 総合政策部知事室広報広聴課|url=http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/tkk/databook/2017/0301.htm|website=www.pref.hokkaido.lg.jp|accessdate=2020-08-13}}</ref>。全国平均と比べて第一次、第三次産業の比率が高く、第二次産業、特に[[製造業]]の比率が小さく全国の2分の1以下となっている(全国18.5%に対し北海道は8.6%)<ref name=":0" />。製造業における業種別構成を全国と比べると食料品、パルプ・紙のウエイトが高く、繊維や非鉄金属、精密機械などのウェイトが低くなっている<ref name=":0" />。 === 第一次産業 === [[ファイル:北海道のトラクター P6260738.jpg|right|thumb|北海道のトラクター]] [[ファイル:Koshimizu yamubetsu.JPG|thumb|[[小清水町]]のジャガイモ畑と防風林]] ==== 農業 ==== : 北海道は、食糧基地を自称するほど<ref>[https://www.mlit.go.jp/hkb/shoku.html 北海道 食料基地の展開] 国土交通省 2016年2月17日閲覧</ref>農業が栄えており、全国の約12%に当たる1兆579億円の農業産出がある([[2003年]])。土壌はもともと稲作向きでは無かったため<ref>[https://suido-ishizue.jp/kindai/hokkaido/05.html 稲作の展開 ―明治の礎・北海道開拓 ―水土の礎]</ref>、麦や芋などの畑作が全国平均と比べて比率が高く、[[テンサイ]]や[[ジャガイモ]]、[[コムギ|小麦]]など、生産量が日本一の品目が多い。中でも道内農業産出額の約37%を占めるのは乳用牛であり<ref>[http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ns/nsi/genjyoutokadai/genjyoutokadai2310.pdf 平成23年10月北海道農政部「北海道農業・農村の現状と課題」]。</ref>、[[生乳]]生産量は全国の約54%を占める<ref>{{Cite web|和書|title=牛乳乳製品統計調査:農林水産省|url=https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/gyunyu/#y|website=www.maff.go.jp|accessdate=2020-08-13}}</ref>。また、[[日高振興局]]を中心に[[サラブレッド]]などの軽種馬の生産も盛んである。 : 農家1戸当たりの耕地面積は16.9ヘクタール([[2002年]])で、他都府県の13倍にも達する。これは単に土地が広いこともあるが、北海道の各地方の気候条件に対応した農業が発達し開拓当初から大規模化したこと、農村部で兼業の機会が少ないために専業農家が多く、離農する者が多かったことから周辺農家が離農地を吸収合併し規模を拡大してきたこともその要因とされる。 <!--: [[2007年]](平成19年)4月、日本と[[オーストラリア]]間の[[自由貿易協定]]を柱とする[[経済連携協定]]('''[[日豪EPA/FTA]]''')に関する交渉が両国間で開始された。同協定が締結され農産物の関税が撤廃された場合、オーストラリア産農産物の輸入増により北海道農業は大打撃を受け、新たな財源がまったく確保できないとすると、北海道経済全体で約1兆3700億円の経済損失が生じ、約8万8000人が失職すると、北海道は試算している<ref>[http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ns/nsi/nouseihp/EPA.htm]{{リンク切れ|date=2021年11月}}</ref>。これが現実となれば農業・酪農のみならず道内消費や他産業まで、[[北海道拓殖銀行]]の破綻をはるかに超える影響が及ぶとされ、道財政の破綻・[[財政再建団体]]転落の可能性も指摘されている。--> : [[宗谷総合振興局]]・[[釧路総合振興局]]・[[根室振興局]]は、気候が耕作には適していないため、[[亜寒帯湿潤気候]]を利用した[[酪農]]が盛んである。釧路総合振興局、根室振興局では農家1戸当たり耕地面積は60.3ヘクタール([[2003年]](平成15年))にも達し、宗谷総合振興局に至っては99%が牧草地である。大規模経営のため農家の所得水準は高く、北海道の農家1戸あたり農業所得は約580万円である。この地域はほかに肉牛の生産もしている。 : [[稲作]]は主に[[空知総合振興局]]・[[上川総合振興局]]などで行われている。代表銘柄は、「[[ゆきひかり]]」・「[[きらら397]]」・「[[ほしのゆめ]]」・「[[ななつぼし]]」・「[[ふっくりんこ]]」・「[[おぼろづき]]」・「[[ゆめぴりか]]」。特に上川中部(旭川市周辺)のコメは一等米比率が高く、品質の良さで知られている。 : [[渡島総合振興局]]は比較的畜産が盛んで、[[後志総合振興局]]は、[[余市町]]・[[仁木町]]を中心に果樹の生産が盛ん。[[羊蹄山]]麓は[[ジャガイモ]]の産地となっている。 : 空知総合振興局は稲作のほか、北部で[[ソバ]]、南部で[[タマネギ]]も生産している。特にソバの収穫量は[[幌加内町]]が全国1位、[[深川市]]が第2位、[[音威子府村]]が第3位、[[旭川市]]が第4位である<ref>[http://www.maff.go.jp/hokkaido/toukei/kikaku/sokuho/pdf/h22soba_sicyoson.pdf 平成22年度、北海道農政事務所統計]</ref>。 : 上川総合振興局は、稲作のほか野菜の生産が盛ん。[[タマネギ]]・[[ジャガイモ]]・[[ニンジン]]・[[トウモロコシ]]・[[アスパラガス]]・[[キャベツ]]・[[ダイコン]]・キノコなどの生産量が多い。また、[[ダイズ|大豆]]・[[オオムギ|大麦]]・[[ソバ]]・[[小豆]](アズキ)・[[テンサイ]](ビート)なども生産されている。[[名寄市]]はアスパラガスの、[[和寒町]]はカボチャのそれぞれ生産量日本一である。コメの生産量も多い。 : [[オホーツク総合振興局]]では、[[タマネギ]]・[[ジャガイモ]]・[[トウモロコシ]]・[[テンサイ]]の生産量が多い。[[北見市]]はタマネギの産地として有名。酪農も大変盛ん。 : [[十勝総合振興局]]は、畑作が盛ん。[[コムギ|小麦]]・[[テンサイ]]・[[小豆]]などの豆類・[[トウモロコシ]]などの生産が多い。近年ではニンジン、[[ナガイモ]]、[[ダイコン]]などの野菜類の栽培もさかんで、[[音更町]]はニンジンの生産量日本一である<ref>平成22年度。農林水産統計</ref>。また、酪農も盛んである。 ==== [[林業]] ==== 林業は明治期より基幹産業のひとつである。[[ブラキストン線]]以北で[[冷帯気候]]に属する北海道の森林、特に北海道北東部は[[トドマツ]]([[マツ科]][[モミ属]])、[[アカエゾマツ]](同科[[トウヒ属]])や[[カラマツ]](同科[[カラマツ属]])など冷帯気候を好むマツ科[[針葉樹]]が主体となる。道内で最も蓄積が多い樹種はトドマツで全蓄積の6割にあたるという<ref>北海道水産林務部 (2012) 平成22年度 北海道林業統計</ref>。[[スギ]]や[[ヒノキ]]など日本本土で人工林の主体となる[[ヒノキ科]]針葉樹は道内に天然分布せず、特にヒノキに関しては寒冷地では漏脂病という致命的な病気にかかりやすいので人為的にも植栽されない。スギおよび同科の[[アスナロ|ヒバ]]は道南を中心に持ち込まれて植栽されている。札幌市[[中央区 (札幌市)|中央区]]の[[円山公園 (札幌市)|円山公園]]には、日本最北のスギ人工林がある。 モミやトウヒの仲間はスギ・ヒノキと比べて腐りやすく、住宅用構造材としては不適切である。そのため板材や[[パルプ]]用途などへの利用が中心だったが、人工乾燥と[[防腐剤]]の発達による耐久性向上や[[集成材]]加工による強度の均一化により徐々に見直されつつある。カラマツは強度があるが乾燥時に狂いやすい欠点がある。そのため[[坑木]]や梱包材などに留まっていたが、こちらも乾燥技術の向上などで住宅用構造材に利用可能な製品が開発されつつある。 北海道のカラマツは自然分布していた樹種ではなく、明治以降に[[長野県]]から人為的に持ち込まれたものである。カラマツは道内の気候に適応し生長は早いものの、ネズミの食害による苗木の枯死の多さが問題となっていた。これを改善する研究が道や国の研究機関などで進められ、同属外来種の[[グイマツ]]を掛け合わせる交配により、生長の速さと食害抵抗性を兼ね備えた雑種を生み出した<ref>黒丸亮 (2015) カラマツ林業と今後の育種の展望. 森林遺伝育種4(4), pp167-172. {{doi|10.32135/fgtb.4.4_167}} </ref>。[[外来種]]樹木の品種改良は[[ニュージーランド]]における[[ラジアータパイン|ラジアータマツ]]の育種が知られるが国内では珍しい事例となっている。 カラマツ、グイマツ以外の他地域樹種の導入も模索され、[[ストローブマツ]](北米原産)、[[バンクスマツ]](同)、[[ニセアカシア]](別名ハリエンジュ、同)、[[ヨーロッパトウヒ]](別名ドイツトウヒ、欧州原産)、[[ヨーロッパアカマツ]](同)なども造林されたが、劣悪な土地でも生長が速く[[砂防]]・[[治山]]や[[薪]]として有用、[[蜜源植物]]にもなるニセアカシアを除くと試験的なものに留まった。ニセアカシアについても[[要注意外来生物]]に指定され、今後広く植栽されることは無くなった。これらの樹種の多くは[[旭川市]]にある[[外国樹種見本林]]に植栽されている。 針葉樹だけでなく、[[広葉樹]]生産が盛んなことも北海道の林業の特徴の一つである。[[ミズナラ]]、[[イタヤカエデ]]、[[アオダモ]]、[[ハルニレ]]、[[ウダイカンバ]]、[[ハリギリ|センノキ]]などの有用広葉樹の産地として知られる。広葉樹材の[[家具]]の産地として旭川市が知られるほか、木材は全国各地へと出荷されている。 [[2019年]]秋、[[令和]]の[[大嘗祭]]のため造営された大嘗宮の[[鳥居]]には、北海道産ヤチダモが使用された。 ==== [[水産業]] ==== [[ファイル:重要文化財「旧花田家番屋」6240015.jpg|thumb|旧花田家番屋([[留萌郡]][[小平町]])。[[鰊御殿]](鰊番屋)の一つ。]] [[ファイル:Kushiro Port Hokkaido Japan01s5.jpg|thumb|[[釧路港]]]] : [[明治|明治時代]]までは[[日本海]]沿岸で[[ニシン]]漁<!--を始めとして、北海道の水産業への依存率は高かった-->が栄えた。その後[[カムチャツカ半島]]沖、[[ベーリング海]]沖での[[北洋漁業]]が飛躍的に伸び、[[太平洋]]沿岸で水産業が発達した。また同時に発展した水産加工業は北海道の工業の基盤ともなった。 : [[サケ]]と[[ホタテガイ]]が道内生産額のそれぞれ23%、19%を占める<ref>[http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sr/sum/kcs/suisan-group/sugata.htm 北海道水産林務部総務課「北海道水産業・漁村のすがた2011」]。</ref>。サケは全国生産量(属人)の7割、[[スケトウダラ]]、[[コンブ]]は8割以上、[[ホッケ]]は97パーセントを占める<ref>[http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sr/sum/kcs/yutakanaumi/data15.htm データで見る北海道の水産H21]</ref>。 : [[1977年]](昭和52年)の[[排他的経済水域]](200海里水域)設定で遠洋中心の北海道の漁業は大打撃を受けた。しかし依然として、北海道での水揚げ量は全国のおよそ4分の1を記録<ref>[http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_toGL08020103_&listID=000001024940&requestSender=estat 「政府統計の総合窓口」のうち平成18年漁業・養殖業生産統計(概数)]</ref> するなど、水産業は北海道の主要な産業の一つである。またホタテや[[カニ]]、[[ウニ]]などの水産物を目当てとする旅行者もいるなど、観光産業にも貢献をしている。 : 現在の水揚げ量は[[根室市]]が道内では最多。釧路は[[1990年]](平成2年)まで13年連続日本1位の水揚げ量であったが、その後急減した。 === 第二次産業 === 北海道では第二次産業の占める割合が全国に比べて極めて低い。 ; 鉱業 [[ファイル:Sumitomo-Ponbetsu coal mine.jpg|thumb|旧住友奔別炭鉱の立坑櫓([[三笠市]][[奔別町]])]] : [[明治]]から高度成長期([[1960年代]]まで)にかけては、石狩炭田([[三笠市]]・[[歌志内市]]・[[夕張市]]など)と釧路炭田([[釧路市]]・[[白糠町]]・[[釧路町]]・[[厚岸町]]など)を中心に[[石炭]]産業が盛んであったが次々と閉山した。現在では、国内で唯一の坑内採炭事業が[[釧路炭田]](釧路コールマイン)で行われ、海外炭の高騰の影響を受け露天掘り採炭事業が[[石狩炭田]]などで再開されている<ref>{{PDFlink|[http://www.meti.go.jp/committee/materials2/downloadfiles/g90529b12j.pdf 我が国のエネルギー供給における石炭の変遷]}} 経済産業省</ref><ref>[http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000500911240001]{{リンク切れ|date=2015年9月}}</ref>。 : [[昭和]]に入り、[[鴻之舞鉱山]]([[紋別市]])の[[金]]の産出量が増加。全盛期には「東洋一の金山」といわれるが、資源枯渇などを理由に[[1973年]](昭和48年)閉山。また、[[豊羽鉱山]]([[札幌市]][[南区 (札幌市)|南区]])もかつて[[銀]]・[[銅]]・[[鉛]]・[[亜鉛]]で日本最大級の産出量を数え、[[希少金属]]である[[インジウム]]の産出量も世界一だったが、[[2006年]](平成18年)鉱量枯渇のため閉山となる。 : [[イトムカ鉱山]](旧[[留辺蘂町]]、現[[北見市]])ではかつて良質の[[水銀]]を産出し、第2次大戦中に最盛期を迎えたが、[[1974年]](昭和49年)に閉山した。[[2011年]](平成23年)現在は水銀含有廃棄物のリサイクルを行っている<ref>[http://www.nomurakohsan.co.jp/business/itomuka.html 野村興産イトムカ鉱業所]</ref>。 ; 製造業 : 製造業は、食料品生産の割合が高く、製造品出荷額の約3割を占める。ほか石油・石炭製品、鉄鋼製品、パルプ・紙製品が多い。道内6圏域の中では道央圏が出荷額の6割、事業所数・従業員数の5割を占める。市町村別では道央圏の室蘭市と苫小牧市の2市で計35パーセントを占め、続いて札幌市が第3位 (7.9%) を占める。第4位の釧路市(4.1%)は札幌市の半分強を占める<ref name="22kougyou">{{PDFlink|[http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/tuk/010cmn/10_outline3.pdf 平成22年工業統計調査結果]}} 北海道庁</ref>。 : 北海道の工業は明治期に札幌で1876年に開拓使麦酒醸造所、函館で1896年(明治29年)函館船渠株式会社 造船、釧路で1901年(明治34年)[[前田製紙]]、室蘭で1909年(明治42年)製鉄所が開業したのが始まりである。 : 現在北海道の食品加工業は札幌市をはじめ各地に点在している。製紙・パルプは釧路市、苫小牧市で発達している。製鉄は[[室蘭市]]に、また石油化学コンビナートが苫小牧市、室蘭市にある。飼料肥料コンビナートが釧路市にある。臨空工業都市として[[千歳市]]が挙げられる。自動車部品製造も苫小牧市で発達している。 ; 建設業 : [[明治]]以降の北海道は国策による開拓と開発が積極的に行われ、建設業は[[公共事業]]に大きく依存して発展を遂げた。現在でも北海道は公共事業への依存度が高く、北海道の基幹産業の一つである<ref name="19keizaisangyou">{{PDFlink|[http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/ssa/ksk/sng/02/H19doukou05.pdf 北海道総合政策部経済調査課「平成19年版北海道経済・産業の動向」]}}</ref>。 : しかし近年は公共事業の大幅な減少によって、建設業は大きな苦境に立たされている。 ; 大規模開発 : 苫小牧東部開発計画([[苫小牧東部地域]])、[[石狩湾新港]]地域開発など、国と道が一体となった大規模開発が進められてきたが、当初想定していた企業立地が進まず、開発主体の[[第三セクター]]の経営破たんや計画の見直しを強いられている。現在、再建会社が事業を引継ぎ運営しており、近年では札幌圏に位置する地理的な優位性から、石狩湾新港地域開発では物流関連、リサイクル関連企業の進出などが進んでいる。 ; 産業系特区 :* さっぽろベンチャー創出特区([[札幌市]]) :* ITビジネス特区([[岩見沢市]]) :* 港湾物流特区([[石狩湾新港]]) :* 企業立地促進特区([[南幌町]]) :* マリン・フロンティア科学技術研究特区([[函館市]]) :* 釧路・白糠次世代エネルギー特区([[釧路市]]、[[白糠町]]) === 第三次産業 === ; 観光関連産業 : 海外からの観光客が増加していることから、2011年度以降、訪日外国人旅行者の受入環境整備に係る戦略拠点・地方拠点が[[観光庁]]によって選定されている。道内の戦略拠点は札幌、函館、登別の3地点、地方拠点は釧路・弟子屈の1地点である<ref>[https://www.mlit.go.jp/kankocho/news03_000046.html 観光庁報道発表 訪日外国人旅行者の受入環境整備に係る戦略拠点・地方拠点の選定を行いました]</ref>。 : [[1972年]](昭和47年)の[[1972年札幌オリンピック|札幌オリンピック]]開催を機に、[[北海道開発庁]]を中心に[[新千歳空港]]や[[鉄道]]の整備が進み、観光産業が大きく花開いた。夏は避暑や[[アウトドア]]レジャー、ドライブ、[[オートバイ]]による[[ツーリング (オートバイ)|ツーリング]]、冬は[[スキー]]、そして[[1990年代]]からは[[スノーボード]]などが楽しめるほか、日本の農業基地としての北海道という側面から名産食品もあり、[[温泉]]の多さも手伝って毎年多くの観光客を集めている。また、観光客などを対象として[[小売|小売業]]や[[運輸業]]が発達している。 : しかし近年では海外旅行が安価で手軽になったことから北海道の魅力が相対的に薄れてきている。[[北海道拓殖銀行]]の破綻後は連鎖倒産も相次ぐなど、観光産業の経営状況は必ずしも芳しくない。[[札幌市]]は碁盤の目状の都市構造を持ち、中心部に都市公園とテレビ塔を備える事から政令指定都市の中では[[愛知県]][[名古屋市]]と、都市計画としての類似性が指摘される事もある。 : 道外からの観光客数は[[1997年]](平成9年)以降[[2011年]](平成23年)現在にかけて、年間600万人前後でほぼ横ばいに推移しているが、この間に外国人観光客は12万人([[1997年]](平成9年)度)から29万人([[2003年]](平成15年)度)へと増加している。特に[[中華民国|台湾]]、[[香港]]、[[大韓民国|韓国]]の3地域からの団体客数の伸びが大きい。雪の降らない台湾や香港の人々にとって、北海道は手近でありながら雄大な自然や温泉が楽しめる場所であり魅力に感じられている。また、[[倶知安町]]にある[[ニセコマウンテンリゾート グランヒラフ]]には、[[2002年]](平成14年)ごろより[[オーストラリア]]からのスキー・スノーボード客が急増している。[[2007年]]ごろからは[[富良野市]]の[[富良野スキー場]]や[[占冠村]]の[[星野リゾート トマム]]も海外からの注目を集め<ref>[https://yamatogokoro.jp/report/43152/ やまとごころ]</ref>、[[上川総合振興局]]周辺一帯は「[[北海道パウダーベルト]]」とも呼ばれるようになっている<ref>[http://hokkaido-powder-belt.jp/ 北海道パウダーベルト]</ref>。 : [[札幌市]]、[[旭川市]]、[[釧路市]]の3市が[[国土交通省]]の[[国際会議観光都市]]に指定され数次の国際会議が開催されている。[[2008年]](平成20年)には[[第34回主要国首脳会議|北海道洞爺湖サミット]]が開かれた。 ; 情報関連産業 : 北海道ではかつてほとんどの市町村に[[書店]]が存在していたが、2013年時点で常設書店が存在しない北海道の'''「無書店自治体」'''は全道自治体の約三分の一に相当する60[[市町村]]になった<ref>[http://www.dotbook.jp/magazine-k/2013/06/25/kusumi_shobo/ くすみ書房閉店の危機とこれからの「町の本屋」] 2013年6月25日 マガジン航 2014年3月22日閲覧</ref>。北海道庁は「無書店自治体」の拡大に効果的な歯止めをかけることができず、[[高橋はるみ]]道政のもとで[[清算|廃業]]書店は増え続け、[[2015年]]11月の時点で[[喜茂別町]]、[[妹背牛町]]、[[西興部村]]など道内179市町村のうち約3割に当たる47市町村に拡大した。そのため47の自治体住民は[[雑誌]]や[[新刊]]本などを入手するために近隣自治体の書店に行かなければならないケースもある。常設書店が存在しない自治体は全国で322市町村で、新刊を扱う書店がない現状となっており、北海道の無書店自治体は全国の無書店自治体の5分の1以上を占める。その多くが'''「消滅可能性都市」'''である<ref>[http://mainichi.jp/articles/20160512/ddr/041/040/003000c 走る本屋さん:出発 札幌の社団法人、道内の書店ない街へ] 毎日新聞北海道朝刊 2016年5月12日 2015年5月13日閲覧</ref>。 : <!--2011年時点で-->近年[[コールセンター]]の立地に[[札幌市]]、[[釧路市]]で積極的な制度整備を図り大規模なコールセンターが立地している。 : 寒冷地であることから[[データセンター]]の好適地と目されており、中でも[[石狩市]]は積極的な誘致を進めている。[[さくらインターネット]]は[[2010年]](平成22年)、石狩市に[[石狩データセンター]]を設置することを発表した<ref>[https://internet.watch.impress.co.jp/docs/special/492673.html さくらインターネット石狩データセンターは独自の工夫が山盛り](INTERNET Watch、2011年11月21日)</ref>。 : 札幌には大学の卒業生を中心としたコンピュータ関係のベンチャー企業が[[1980年代]]から継続的に興っている。これは、[[1976年]](昭和51年)に北海道大学工学部の[[青木由直]]教授が立ち上げた北海道マイクロコンピュータ研究会がルーツとされる。これに関連した企業は主に[[札幌駅]]北口周辺に集積している。[[2000年]](平成12年)ごろには「サッポロバレー」とも呼ばれるようになり、地場産業育成の成功事例として研究されている。これとは別に、[[厚別区]]の[[札幌テクノパーク]]には[[ビー・ユー・ジーDMG森精機]]のような札幌発の企業だけでなく、[[富士通]]や[[日本アイ・ビー・エム]]、[[BIPROGY]]などの大手企業の支店などの拠点も置かれている。 : また、かつては[[ハドソン]]や[[ネットドラゴンウェブソフト]]など、ゲーム会社も創立された。 ; 金融 : 北海道の[[指定金融機関]]は[[北洋銀行]]である([[北海道拓殖銀行]]の経営破綻に伴い、指定金融機関業務を移した)。[[札幌市]]ほか主な市も北洋銀行を指定金融機関としているが、[[旭川市]]が[[旭川信用金庫]]を指定金融機関としているのをはじめ各地域の[[信用金庫]]を指定金融機関としている市町村数が過半を超えるのが他県には見られない特徴である<ref>[https://www.dir.co.jp/report/research/capital-mkt/securities/20221003_023309.pdf 指定金融機関の分布地図からみる地域経済圏あるいは金融勢力圏]大和総研</ref>。 == 生活 == === 警察 === ;本部 * [[北海道警察]]本部 - 北海道は[[東京都]]と同じく、いずれの[[管区警察局]]にも属さない<ref>http://www.chubu.npa.go.jp/contents/syoukai/frame_syoukai_1_1.htm 管区警察局の役割 中部管区警察局</ref>。 北海道は広域であると同時に単独で地方を構成し、道全体を管轄する[[北海道警察]]が置かれている。警察通信事務は警察庁の地方機関である「北海道警察情報通信部」が行う<ref name="law33">警察法第33条</ref>。 ;方面本部 * [[北海道警察函館方面本部]] * [[北海道警察旭川方面本部]] * [[北海道警察釧路方面本部]] * [[北海道警察北見方面本部]] === 医療・福祉 === {{main|Category:北海道の医療機関}} [[災害拠点病院]] * [[北海道災害拠点病院]] [[保育所]] * [[北海道保育所一覧]] === マスメディア === {{main|北海道の報道機関の一覧}} == 教育 == 国民生活基礎調査によれば北海道の子どもの貧困率は16.3%(2012年高橋道政下)、生活保護世帯の高校進学率は96.7%(2013年3月)で50人に約2人が高校進学に到っていない<ref>[http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/life-topic/life-topic/1-0041286.html 学生らが学習支援 道内で拡大 生活保護世帯など対象] 北海道新聞 2014年8月24日 2015年5月24日閲覧</ref>。 {{div col}} *; [[大学]] ** [[北海道の大学一覧]] *; [[短期大学]] ** [[北海道の短期大学一覧]] *; [[通信制大学]] ** [[放送大学]] 北海道学習センター(札幌市) *; [[高等専門学校]] ** [[函館工業高等専門学校]] ** [[苫小牧工業高等専門学校]] ** [[釧路工業高等専門学校]] ** [[旭川工業高等専門学校]] *; [[専修学校]] ** [[北海道専修学校一覧]] *; [[特別支援学校]] ** [[北海道特別支援学校一覧]] *; [[高等学校]] ** [[北海道高等学校一覧]] *; [[中学校]] ** [[北海道中学校一覧]] *; [[小学校]] ** [[北海道小学校一覧]] *; [[幼稚園]] ** [[北海道幼稚園一覧]] ; その他教育機関等 *; [[職業能力開発大学校]] ** [[北海道職業能力開発大学校]] *; [[航空大学校]] ** 帯広分校 *; [[中小企業大学校]] ** 旭川校 *; [[農業大学校]] ** [[北海道立農業大学校]] *; [[海上技術短期大学校]] ** [[小樽海上技術短期大学校]] *; [[職業訓練施設]] ** [[高等技術専門学院#職業訓練施設|北海道立高等技術専門学院一覧]] {{div col end}} == 交通 == [[ファイル:Hokkaido New Chitose Airport13n4272.jpg|thumb|200px|[[新千歳空港]]]] [[ファイル:札幌駅 - panoramio (3).jpg|thumb|200px|[[札幌駅]]]] === 空港 === 以前は日本各地の空港と直接結ぶ路線も多様に見られたが、近年は[[新千歳空港]]乗継と[[東京国際空港]](羽田)乗継に路線が整理縮小されてきている。 ; [[2018年]](平成30年)度旅客数([[日本の空港#統計情報]]参照) : ※国内線旅客数の内、東京(羽田)便の旅客数を括弧内に記載。 {|class="wikitable" |- !rowspan="2"|[[空港]] !rowspan="2"|旅客合計 !colspan="3"|国内線 !colspan="2"|国際線 |- ! 旅客数 ! colspan="2" | 定期便 ! 旅客数 ! 定期便 |- |rowspan="2" style="text-align:center"|[[新千歳空港|新千歳]] |rowspan="2" style="text-align:right"|2309万2374人 |rowspan="2" style="text-align:right"|1959万7660人<br />(905万7780人) |道内 |[[稚内空港|稚内]]・[[女満別空港|女満別]]・<br />[[釧路空港|釧路]]・[[中標津空港|中標津]]・[[函館空港|函館]] |rowspan="2" style="text-align:right"|349万4714人 |rowspan="2"|[[ユジノサハリンスク空港|ユジノサハリンスク]]・[[ウラジオストク空港|ウラジオストク]]・<br />[[仁川国際空港|ソウル]]・[[金海国際空港|釜山]]・[[務安国際空港|光州]]・[[北京首都国際空港|北京]]・[[上海浦東国際空港|上海]]・[[大連周水子国際空港|大連]]・[[南京禄口国際空港|南京]]・<br />[[天津浜海国際空港|天津]]・[[杭州蕭山国際空港|杭州]]・[[蘇南碩放国際空港|無錫]]・[[福州長楽国際空港|福州]]・[[青島流亭国際空港|青島]]・[[成都双流国際空港|成都]]・<br />[[香港国際空港|香港]]・[[台湾桃園国際空港|台北]]・[[高雄国際空港|高雄]]・[[ダニエル・K・イノウエ国際空港|ホノルル]]・<br />[[ニノイ・アキノ国際空港|マニラ]]・[[スワンナプーム国際空港|バンコク]]・[[クアラルンプール国際空港|クアラルンプール]]・<br />[[シンガポール・チャンギ国際空港|シンガポール]]・[[ヘルシンキ・ヴァンター国際空港|ヘルシンキ]]・([[シドニー国際空港|シドニー]]) |- |道外 |[[青森空港|青森]]・[[花巻空港|花巻]]・[[秋田空港|秋田]]・<br />[[仙台空港|仙台]]・[[福島空港|福島]]・[[山形空港|山形]]・<br />[[百里飛行場|茨城]]・'''[[東京国際空港|羽田]]・[[成田国際空港|成田]]'''・<br />[[新潟空港|新潟]]・[[富山空港|富山]]・[[小松飛行場|小松]]・<br />[[松本空港|松本]]・[[静岡空港|静岡]]・'''[[中部国際空港|中部]]・<br />[[大阪国際空港|伊丹]]・[[関西国際空港|関西]]・[[神戸空港|神戸]]'''・<br />[[岡山空港|岡山]]・[[広島空港|広島]]・[[松山空港|松山]]・<br />[[福岡空港|福岡]]・[[那覇空港|那覇]]・<br />([[出雲空港|出雲]])・([[徳島空港|徳島]]) |- |rowspan="2" style="text-align:center"|[[函館空港|函館]] |rowspan="2" style="text-align:right"|178万3507人 |rowspan="2" style="text-align:right"|159万5017人<br />(101万3493人) |道内 |新千歳・[[札幌飛行場|丘珠]]・[[奥尻空港|奥尻]] |rowspan="2" style="text-align:right"|18万8440人 |rowspan="2"|台北 |- |道外 |'''羽田・中部・伊丹''' |- |style="text-align:center"|[[旭川空港|旭川]] |style="text-align:right"|113万0715人 |style="text-align:right"|107万4361人<br />(94万2088人) |道外 |'''羽田・中部・(伊丹)・(関西)''' |style="text-align:right"|5万6354人 |台北・(ソウル)・(北京)・(上海) |- |rowspan="2" style="text-align:center"|[[女満別空港|女満別]] |rowspan="2" style="text-align:right"|83万4427人 |rowspan="2" style="text-align:right"|83万4427人<br />(49万5094人) |道内 |新千歳・丘珠 |rowspan="2" style="text-align:right"|0人 |rowspan="2"| - |- |道外 |'''羽田・中部・(伊丹)・(関西)''' |- |rowspan="2" style="text-align:center"|[[釧路空港|釧路]] |rowspan="2" style="text-align:right"|74万6446人 |rowspan="2" style="text-align:right"|74万5912人<br />(50万9452人) |道内 |新千歳・丘珠 |rowspan="2" style="text-align:right"|534人 |rowspan="2"| - |- |道外 |'''羽田・関西・(中部)・(伊丹)''' |- |style="text-align:center"|[[帯広空港|帯広]] |style="text-align:right"|67万0482人 |style="text-align:right"|66万6149人<br />(61万3258人) |道外 |'''羽田・(中部)''' |style="text-align:right"|4333人 | - |- |rowspan="2" style="text-align:center"|[[札幌飛行場|丘珠]] |rowspan="2" style="text-align:right"|25万1179人 |rowspan="2" style="text-align:right"|25万1179人 |道内 |利尻・女満別・中標津・釧路・函館・奥尻 |rowspan="2" style="text-align:right"|0人 |rowspan="2"| - |- |道外 |三沢・秋田・(松本)・(静岡)・'''([[名古屋飛行場|小牧]])''' |- |rowspan="2" style="text-align:center"|[[中標津空港|中標津]] |rowspan="2" style="text-align:right"|20万7050人 |rowspan="2" style="text-align:right"|20万7050人<br />(7万8969人) |道内 |新千歳・丘珠 |rowspan="2" style="text-align:right"|0人 |rowspan="2"| - |- |道外 |'''羽田''' |- |rowspan="2" style="text-align:center"|[[稚内空港|稚内]] |rowspan="2" style="text-align:right"|19万8796人 |rowspan="2" style="text-align:right"|19万8796人<br />(11万3205人) |道内 |新千歳 |rowspan="2" style="text-align:right"|0人 |rowspan="2"| - |- |道外 |'''羽田''' |- |style="text-align:center"|[[紋別空港|紋別]] |style="text-align:right"|7万2688人 |style="text-align:right"|7万2688人<br />(6万7783人) |道外 |'''羽田''' | style="text-align:right" |0人 | - |- |style="text-align:center"|[[利尻空港|利尻]] |style="text-align:right"|4万5804人 |style="text-align:right"|4万5804人 |道内 |丘珠・(新千歳) |style="text-align:right"|0人 | - |- |style="text-align:center"|[[奥尻空港|奥尻]] |style="text-align:right"|1万0914人 |style="text-align:right"|1万0914人 |道内 |丘珠・函館 |style="text-align:right"|0人 | - |- |style="text-align:center"|[[礼文空港|礼文]] |style="text-align:right"|0人 |style="text-align:right"|0人 | - | - |style="text-align:right"|0人 | - |} * ※ 上記を含む[[飛行場]]、[[場外離着陸場]]など{{main|Category:北海道地方の空港}} * ※ 出典は[[国土交通省]]航空局・[https://web.archive.org/web/20120125165103/http://www.mlit.go.jp/common/000030477.pdf 暦年・年度別空港管理状況調書(PDF形式)] * ※ ''斜字''は不定期路線を示す * ※ 就航先は[[2023年]](令和5年)11月1日現在 * ※ [[チャーター便]]の旅客数含む * ※ 括弧は通年運航ではない(季節運航もしくは運休期間がある)路線を示す * ※ [[三大都市圏]]への便は'''太字''' === 鉄道・軌道 === [[ファイル:Sapporo 9000 9001 Odori 20150521.jpg|thumb|200px|[[札幌市交通局]]の地下鉄車両]] {{main|北海道の鉄道|北海道の鉄道路線}} {{更新|section=1|date=2020年1月24日 (金) 07:00 (UTC)}} ; 鉄道の旅客輸送人員(年間) : JR :* 2012年 3億323万4000人 : 民鉄 :* 道内では札幌市営地下鉄や、函館市営(路面電車)の数値 :* 2012年 21億9388万人 :* いずれも全国の鉄道旅客輸送人員は47位中10位と利用は多い<ref name="pref.saitama.lg.jp">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/quiz/documents/20154syou.pdf]{{リンク切れ|date=2021年11月}}</ref> :*人口が主要都市に集中している為、地方ローカル線は赤字路線が多い === バス・道路 === [[ファイル:Highway to Otaru, Hokkaido; April 2013.jpg|thumb|200px|[[札樽自動車道]]]] {{main|北海道の乗合バス事業者|北海道地方の道路一覧|北海道の道道一覧}} ; 路線バスの輸送人員(年間) : 2012年 1億9839万1000人 : 利用者数は47位中8位<ref name="pref.saitama.lg.jp"/> === 港湾 === [[ファイル:Kushiro Fisherman's Wharf EGG and MOO01n.jpg|thumb|200px|[[釧路港]]]] 道内には、[[国際拠点港湾]]2港、[[重要港湾]]12港がある。 {{div col}} *; 国際拠点港湾 ** [[苫小牧港]]([[中核国際港湾]]) ** [[室蘭港]] *; 重要港湾・[[重点港湾]] ** [[釧路港]] ([[国際バルク戦略港湾]]、特定貨物輸入拠点港湾、臨海部産業エリア形成促進港) ** [[函館港]] ** [[石狩湾新港]] *; その他の重要港湾 ** [[小樽港]] ** [[留萌港]] ** [[稚内港]] ** [[紋別港]] ** [[網走港]] ** [[根室港]] ** [[十勝港]] {{div col end}} == 文化 == 北海道では、独特な文化が見られる。[[神棚]]や[[玄関]]、[[車両|車]]の正月用飾り付けおいても[[注連縄]]のような質素なものではなく、[[宝船]]([[七福神]])を模したものである。また企業が[[北海道限定品]]を発売する例がある。 * [[北海道方言]] * [[北海盆踊り]]([[北海盆唄]]・[[子供盆おどり唄]]) * [[YOSAKOIソーラン祭り]] * [[さっぽろ雪まつり]] * [[アイヌ文化]] === 食文化 === {{see also|Category:北海道の食文化}} 日本各地の人々が北海道開拓のために移り住んだこともあり、各地の地方文化とともにそれらが融合して新しくなった北海道独自の食文化が見られ、呼称も独自のものがある。また、北海道で生産された食べ物をひっくるめて「'''道産物'''」と総称される事もある。 ; 料理 : 正月に食される「[[御節料理#構成|口取り]]」([[口取り菓子]])も北海道独特である。本来、口取り菓子は、茶会に出される料理([[本膳料理#硯蓋|本膳料理]])であるが、[[御節料理]]の一部で扱われ、正月に食される。これは、鯛や海老など縁起物を縁取った菓子(今日では[[白餡]]を用いた[[練り切り]]・[[羊羹]]などもある)である。尚、[[慶事]]の際に振る舞われる事が多い「[[赤飯]]」を作る際に入れる豆は、[[小豆]]ではなく[[甘納豆]]を入れる事が多い。 * [[アイヌ料理]] * [[日本の郷土料理一覧#北海道|日本の郷土料理一覧(北海道)]] * [[ジンギスカン (料理)|ジンギスカン]] * ザンギ([[から揚げ#各地域のから揚げ|から揚げ]]) ; 食材 * [[ギョウジャニンニク|ギョウジャニンニク(アイヌネギ/キトピロ)]] * [[カラフトマス|アオマス(カラフトマス)]] ; 飲料 : * [[ガラナ飲料]] * [[リボンシトロン]]・[[リボンナポリン]] * [[カツゲン]] === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] : [[二風谷イタ]](木工品、[[2013年]]) : [[アットゥシ|二風谷アットゥシ]](織物、2013年) === 音楽 === {{See also|[[:Category:北海道の音楽]]}} ; 道民歌 公的に'''「北海道民のうた」'''として定められているのは、1967年5月27日に制定された以下の3曲である。 * [[光あふれて (行進曲)]] * むかしのむかし (ホームソング) * 北海ばやし (道民[[音頭]]) 戦前は1908年発表の唱歌「[[われらが愛する北海道]]」が主に愛謡されていた。 ; 民謡 : [[江差追分]] : [[ソーラン節]] : [[北海盆唄]] : 蝦夷太鼓 ; ご当地ソング : [[北海道のご当地ソング一覧]] ; 交響楽団 : [[札幌交響楽団]] : [[釧路交響楽団]] == スポーツ == === 北海道発祥の競技 === * [[ゲートボール]](河西郡芽室町)<ref>{{Cite web|和書|title=ゲートボールヒストリー |url=https://gateball.or.jp/play/play_04.html |publisher=日本ゲートボール連合|accessdate=2022-06-14}}</ref> * [[パークゴルフ]](中川郡幕別町)<ref>{{Cite web|和書|title=協会の沿革 |url=https://www.parkgolf.or.jp/overview/history.html |publisher=日本パークゴルフ協会 |accessdate=2022-06-14}}</ref> * [[ミニバレー]](広尾郡大樹町)<ref>{{Cite web|和書|title=ミニバレーとは |url=https://www.minivolley-japan.net/blank|publisher=全日本ミニバレー協会 |accessdate=2022-06-14}}</ref> * [[スノーホッケー]](札幌市)<ref>{{Cite web|和書|title=スノーホッケーってどんなスポーツ? |url=https://www.city.sapporo.jp/sports/jigyou/snow-hockey/index.html |publisher=札幌市 |accessdate=2022-06-14}}</ref> * [[長ぐつアイスホッケー]](釧路郡釧路町)<ref>{{Cite web|和書|title=長ぐつアイスホッケー誕生秘話! |url=https://hokkaidofan.com/nagagutsu_icehokkey/ |publisher=北海道ファンマガジン編集部 |accessdate=2022-06-14}}</ref> * フロアカーリング(フロッカー)(上川郡新得町)<ref>{{Cite web|和書|title=新得生まれのニュースポーツ「フロアカーリング」 |url=https://shintoku-town.jp/bunka-sports/sports/floor_curling/ |publisher=新得町 |accessdate=2022-06-14}}</ref> === スポーツチーム === {{See also|[[:Category:北海道のスポーツチーム]]}} {{div col}} * サッカー ** [[北海道コンサドーレ札幌]](札幌市) ** [[ノルディーア北海道]](札幌市) ** [[北海道十勝スカイアース]](帯広市) ** [[BTOPサンクくりやま]](栗山町) ** 北海道リラ・コンサドーレ(札幌市) * フットサル ** [[エスポラーダ北海道]](札幌市) * 野球 ** [[北海道日本ハムファイターズ]](北広島市) ** [[富良野ブルーリッジ]](富良野市) ** [[美唄ブラックダイヤモンズ]](美唄市) ** [[石狩レッドフェニックス]](石狩市) ** [[旭川ビースターズ]](旭川市) ** [[KAMIKAWA・士別サムライブレイズ]](士別市) ** [[すながわリバーズ]](砂川市) * バスケットボール ** [[レバンガ北海道]](札幌市) ** SCノルドブレッザ(札幌市) * 3x3 ** 北海道アシルダイバージェント(岩見沢市) ** SCノルドブレッザ(札幌市) * アイスホッケー ** [[ひがし北海道クレインズ]](釧路市) ** [[レッドイーグルス北海道]](苫小牧市) ** [[札幌ホッケークラブ]](札幌市)〈現在はリーグから撤退〉 ** [[道路建設ペリグリン]](苫小牧市) ** [[トヨタシグナス]](苫小牧市) ** [[釧路ベアーズ]](釧路市) ** [[Daishin女子アイスホッケークラブ|カワセミDaishinレディース]](釧路市) ** [[帯広クレインズレディース]](帯広市) ** [[高須クリニック御影グレッズ]](上川郡清水町) ** [[札幌インフィニティーズ]](札幌市) ** [[ボルテックス札幌アイスホッケークラブ]](札幌市) * バレーボール ** [[ヴォレアス北海道]](旭川市) ** [[北海道イエロースターズ]](札幌市) ** [[アルテミス北海道]](札幌市) * バドミントン ** 北海道コンサドーレ札幌バドミントンチーム(札幌市) ** JR北海道バドミントンチーム(札幌市) * 陸上競技 ** [[北海道ハイテクノロジー専門学校|北海道ハイテクアスリートクラブ]](恵庭市) ** [[ホクレン農業協同組合連合会|ホクレン女子陸上部]](札幌市) * スキー ** [[雪印乳業#スポーツ活動|雪印メグミルクスキー部]](札幌市) ** [[土屋ホーム#土屋ホームスキー部|土屋ホームスキー部]] (札幌市) * カーリング ** 北海道コンサドーレ札幌カーリングチーム(北見市) ** [[フォルティウス]](札幌市) ** [[北海道銀行女子カーリング部]](札幌市) ** [[ロコ・ソラーレ]](北見市) * ウィンタースポーツ ** [[とかちチームAA]](帯広市) * 自転車競技 ** DOKYUレーシングクラブ(札幌市) * ボクシング ** [[協栄札幌赤坂ボクシングジム]](札幌市) ** 北海道畠山ボクシングジム(札幌市) ** ボクシング&フィットネスchanges(札幌市) * プロレス ** [[アジアン・スポーツ・プロモーション|アジアンプロレス]] (せたな町) ** [[北都プロレス]](札幌市) * キックボクシング ** BOUT(北海道) * 競馬 ** [[ホッカイドウ競馬]](北海道) ** [[ばんえい競馬]](帯広市) * 競輪 ** [[函館競輪場|函館競輪]](函館市) * フロアカーリング ** 新得フロアカーリング協会(上川郡新得町) {{div col end}} == 観光 == {{main|北海道の観光地|日本の観光地一覧#北海道}} {{also|北海道指定文化財一覧|北海道・東北地方の史跡一覧#北海道|北海道の神社一覧|北海道の城}} === 文化財 === * [[北海道の文化財一覧]] * [[北海道遺産]] === 北海道の映画祭 === * [[ゆうばり国際ファンタスティック映画祭]] * [[さっぽろ映画祭]] * 新得空想の森映画祭 * 函館港イルミナシオン映画祭 ==対外関係== ===北海道洞爺湖サミット=== [[2008年]](平成20年)7月7日 - 7月9日の3日間、[[第34回主要国首脳会議]](通称:北海道洞爺湖サミット)が[[洞爺湖]]畔で開催された。 ===姉妹友好・提携都市=== * {{Flagicon|CAN}}[[アルバータ州]]([[カナダ連邦]]):姉妹提携([[1980年]](昭和55年)10月17日)<ref>[http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/tsk/teikei/gaiyou_alb.htm カナダ・アルバータ州との交流] 北海道</ref> * {{Flagicon|USA}}[[マサチューセッツ州]]([[アメリカ合衆国]]):姉妹提携([[1990年]](平成2年)2月7日) * {{Flagicon|CHN}}[[黒竜江省]]([[中華人民共和国]]):友好提携([[1986年]](昭和61年)6月13日) * {{Flagicon|RUS}}[[サハリン州]]([[ロシア連邦]]):友好・経済協力に関する提携([[1998年]](平成10年)11月22日) * {{flagicon|KOR}} [[ソウル特別市]]([[大韓民国]]):友好交流協定([[2010年]](平成22年)10月15日) * {{Flagicon|Thailand}}[[チエンマイ県]]([[タイ王国]]): 友好提携([[2013年]](平成25年)2月26日)<ref>{{cite web|url=http://www.northernsistercity.org/file/event/5bbed4b49f7eb_LOI_EnglishVersion.pdf |accessdate=2018-12-29 |title=MOU of the Establishment of Friendship between Province of Chiang Mai and Prefecture of Hokkaido}}</ref> * {{flagicon|KOR}} [[済州特別自治道]]([[大韓民国]]):友好協力協定([[2016年]](平成28年)1月12日) * {{Flagicon|USA}}[[ハワイ州]]([[アメリカ合衆国]]):友好提携([[2017年]](平成29年)5月8日)<ref>[http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0397814.html 道、ハワイ州と提携調印 多分野で交流深化]</ref> * {{Flagicon|BHU}}[[ティンプー]]([[ブータン王国]]):姉妹提携{{要出典|date=2023年11月}} ** なお、[[2005年]](平成17年)12月14日に{{flagicon|KOR}} [[釜山広域市]]([[大韓民国]])と、[[2006年]](平成18年)6月7日に{{flagicon|KOR}} [[慶尚南道]]([[大韓民国]])と交流趣意書に調印している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.hokkaido.lg.jp/fs/2/4/1/1/1/9/1/_/hokkaido_global_strategy_reference_data_201804.pdf|title=北海道グローバル戦略|publisher=北海道|accessdate=2023-11-10 }}</ref>。 == 人物 == {{Main|北海道出身の人物一覧}} === 道民栄誉賞受賞者 === 受賞条件<ref>[http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/bns/eiyosho.htm 栄誉賞のページ(文化振興課・スポーツ振興課)] 北海道庁環境生活部文化局文化振興課</ref> * 「栄誉をたたえて」 : 文化、スポーツ等の分野において輝かしい活躍をし、その功績が顕著な個人又は団体。 * 「栄誉賞」 : 文化、スポーツ等の分野において輝かしい活躍をし、その功績が特に顕著な個人又は団体。 ==== 栄誉をたたえて ==== ※1978年〜1992年の受賞者は道庁HPに不記載 {{div col}} # [[阿部雅司]](1993年4月) # [[原田雅彦]](1993年4月) # [[堀井学]](1994年4月) # [[岡部孝信]](1994年5月) # [[葛西紀明]](1994年5月) # [[清水宏保]](1995年5月) # [[依田紀基]](1995年5月) # [[室塚一也]](1996年9月) # [[米澤昌子]](1996年9月) # [[田中雅美]](2000年8月) # [[山下敬吾]](2000年10月) # [[上野雅恵]](2001年9月) # [[上野順恵]](2003年12月) # [[内藤大助]](2007年11月) # [[加藤大平]](2009年4月) # [[金由起子]](2012年10月) # [[志村亜貴子]](2012年10月) # [[高梨沙羅]](2013年4月) # [[永原和可那]](2018年12月) # [[松本麻佑]](2018年12月) # [[小林陵侑]](2019年4月) # [[新濱立也]](2020年4月) # [[北口榛花]](2023年10月) {{div col end}} ==== 栄誉賞 ==== {{div col}} # [[若松勉]](1981年1月) # [[北の湖敏満]](1981年8月) # [[北海道大学]]ヒマラヤ遠征隊(1983年2月) # [[北沢欣浩]](1984年3月) # [[橋本聖子]](1985年7月) # [[小林光一]](1986年1月) # [[千代の富士貢]](1987年8月) # [[北島三郎]](1991年8月) # [[毛利衛]](1992年10月) # 阿部雅司(1994年5月) # [[恵本裕子]](1996年8月) # 清水宏保(1998年4月) # 桑原明美(1998年4月) # [[武田豊]](1998年4月) # [[岡崎朋美]](1998年4月) # [[里谷多英]](1998年4月) # [[斎藤浩哉]](1998年4月) # 岡部孝信(1998年4月) # 原田雅彦(1998年4月) # [[船木和喜]](1998年4月) # 篠原広樹(1998年5月) # [[安彦諭]](1998年5月) # [[大鵬幸喜]](2000年8月) # 米澤昌子(2000年11月) # 田中雅美(2000年11月) # [[栄花直輝]](2000年12月) # 上野雅恵(2003年12月) # [[田南部力]](2004年9月) # [[駒澤大学附属苫小牧高等学校#部活動|駒澤大学附属苫小牧高等学校野球部]](2004年9月) # 磯﨑直美(2006年11月) # [[北海道日本ハムファイターズ]](2008年11月) # [[坂本功貴]](2010年9月) # [[高平慎士]](2010年9月) # [[佐藤久佳]](2010年9月) # [[藤田征樹]](2010年10月) # [[穂積雅子]](2012年3月) # [[田畑真紀]](2012年3月) # [[長島圭一郎]](2012年4月) # 伊藤仙孝(2012年4月) # 永瀬充(2012年4月) # 須藤悟(2012年4月) # [[狩野亮]](2012年6月) # 上野順恵(2012年10月) # 山下敬吾(2013年2月) # [[熊谷紗希]](2013年7月) # 髙瀬愛実(2014年1月) # [[三浦雄一郎]](2015年9月) # [[清水礼留飛]](2016年3月) # [[伊東大貴]](2016年3月) # 葛西紀明(2016年3月) # [[久保恒造]](2016年5月) # [[竹内智香]](2016年10月) # 金由起子(2016年10月) # 志村亜貴子(2016年10月) # [[山部佳苗]](2016年9月) # [[池崎大輔]](2016年10月) # [[辻沙絵]](2017年1月) # [[丹羽孝希]](2017年6月) # 長原茉奈美(2017年11月) # [[髙木美帆]](2018年5月) # [[髙木菜那]](2018年5月) # [[佐藤綾乃 (スピードスケート選手)|佐藤綾乃]](2018年5月) # 高梨沙羅(2018年11月) # [[本橋麻里]](2018年11月) # [[吉田夕梨花]](2018年11月) # [[鈴木夕湖]](2018年11月) # [[吉田知那美]](2018年11月) # [[藤澤五月]](2018年11月) # 永原和可那(2019年10月) # 松本麻佑(2019年10月) # [[町田瑠唯]](2021年12月) # [[長岡萌映子]](2021年12月) # [[東藤なな子]](2021年12月) # 山本優(2021年12月) # [[伊藤大海 (野球)|伊藤大海]](2021年12月) # [[開心那]](2022年1月) # [[石崎琴美]](2022年3月) # 小林陵侑(2022年4月) # [[森重航]](2022年5月) {{div col end}} ==== 栄誉賞特別賞 ==== # 狩野亮(2016年4月) # 北の湖敏満(2016年4月) # 藤田征樹(2016年10月) # 秋元貢(千代の富士・九重親方)(2016年10月) # 吉田夕梨花(2022年3月) # 鈴木夕湖(2022年3月) # 吉田知那美(2022年3月) # 藤澤五月(2022年3月) # 髙木美帆(2022年5月) # 髙木菜那(2022年5月) # 佐藤綾乃(2022年5月) == 北海道を舞台とした作品 == {{Main|北海道を舞台とした作品一覧}} == 分県構想 == * [[1905年]](明治39年)函館県設置に関する建議を帝国議会で満場一致で可決。 * [[1946年]](昭和21年)北海道会解散時に北海道の3県または4県分割案の意見書。 * [[1948年]](昭和23年)1月 旭川商工会議所「県政促進」議会決議。 * [[1948年]](昭和23年)3月12日 釧路商工会議所「分県決議」常議員会決議。 * [[1949年]](昭和24年)北海道4県制(札幌県・函館県・旭川県・釧路県)『北海評論』の公表。 * [[1950年]](昭和25年)北海道県政施行促進協議会が旭川に発足(会長 前野良三吉旭川市長、副会長 武藤大陸函館市長・佐熊宏平釧路市長・山田利忠北海道町村会会長)。 * [[1954年]](昭和29年)北海道議会分県議員促進連盟発足。 * [[1955年]](昭和30年)民主党北海道総合開発特別委員会にて「北海道における行政機構改革案」を立案、札幌県・旭川県・函館県・室蘭県・釧路県の発足と北海道省の設置とした。  * [[1956年]](昭和31年)「北海道の分県に関する法律案」を[[1956年]]国会法制局に提出。 * [[1986年]](昭和61年)北海道議会分県勉強会発足。 * [[1988年]](昭和63年)北海道分県協議会発足([[1998年]](平成10年) 解散)。 * [[2006年]](平成18年)[[道州制|道州制構想]]の議論が行われて北海道は県の合併を経なくてもにそのまま移行できることから北海道を道州制の先駆けのモデルとする動きがあり<ref name="dousyuuseitokku">{{Cite web|和書|url=http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/cks/bunken/d-dousyuuseitokku-top.htm|title=道州制特区トップ|publisher=北海道|accessdate=2020-01-20}}</ref>、[[道州制特別区域における広域行政の推進に関する法律]]が成立した<ref name="dousyuuseitokku" />。 * [[2016年]](平成28年)[[1月7日]]の[[毎日新聞]]に、[[北海道議会]]の「[[自由民主党 (日本)|自民党]]・道民会議」が私的機関「北海道分県研究会」を設立し、「知事一人では広大な北海道の地域の課題に目が行き届かない」として、道を複数の県に分ける「分県」案についての議論を開始したと報じられた<ref>[https://mainichi.jp/articles/20160108/k00/00m/010/128000c 北海道「分県論」・複数の県に分割…自民道議が議論を開始](2016年1月7日 毎日新聞 8月17日閲覧)</ref>。[[8月10日]]の[[北海道新聞]]で、同研究会のまとめた報告書の素案を公開した。 **「道央・道南」、「道北」、「道東」の3つの県に分ける案<ref name="hokkaido-np-20160811">{{Cite news |和書 |title=北海道を3県か2県に 自民道議が分県案 「知事1人では限界」 |newspaper=[[北海道新聞]] |date=2016-08-11 |author= |url=http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0303196.html |access-date=2023-08-12 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160811024531/http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0303196.html |archive-date=2016-08-11}}</ref>。 **「道央・道南・道北」、「道東」の2つの県に分ける案<ref name="hokkaido-np-20160811"/>。 **「道央・道南」、「道北・道東」の2つの県に分ける案<ref name="j-town-20151003">{{Cite news |和書 |title=北海道分割計画が浮上! 実現したらどうなるか予想してみた |newspaper=Jタウンネット |date=2015-10-03 |author= 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[[北海道指定文化財一覧]] * [[北海道遺産]] * [[北海道の鉄道路線]] * [[北海道の乗合バス事業者]] * [[北海道地方の道路一覧]] * [[北海道の道道一覧]] * [[北海道高等学校一覧]] * [[北海道中学校一覧]] * [[北海道小学校一覧]] * [[道の駅一覧 北海道地方]] * {{Prefix}} * [[北海道方言|北海道弁]] * [[新党大地]] * [[ドーチョくん]] * [[鍋島直正]] * [[日本]]、[[日本列島]]、[[本土]]、[[離島]]、[[四島]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] * [[島]]、[[島国]] * [[北方地域|北方領土]]、[[北方領土問題]]、[[北方領土の日]] * [[樺太]]、[[千島]] * [[北乃カムイ]] }} == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/北海道|break=yes|[[ファイル:Flag map of Hokkaido Prefecture.svg|none|45px]]}} {{Multimedia|北海道の画像}} {{Sisterlinks|wikt=|b=|q=|s=|commons=Hokkaido|commonscat=Hokkaido prefecture|n=Category:北海道|v=|voy=ja:北海道 |d=Q35581|species=Hokkaido prefecture}} * 行政 ** {{Official website|https://www.pref.hokkaido.lg.jp/}} * 観光 ** [https://www.visit-hokkaido.jp/ 北海道ぐるり旅!] - 北海道観光振興機構 * 地図 ** {{Osmrelation|3795658}} ** {{Googlemap|北海道}} {{s-start}} {{s-bef|before=[[北海道庁 (1886-1947)|北海道庁]]|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1947年]] -|years2=}} {{s-aft|after=-----|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{日本の地域}} 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宮崎県
宮崎県(みやざきけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は宮崎市。 宮崎県は九州の東南端を占め、東経130度42分から131度53分、北緯31度21分から32度50分の間に位置する。 全体的に日照時間・降水量ともに全国で上位で、特にえびの高原、鰐塚山の降水量は日本有数となっている。平野部での降雪・積雪は稀であり、宮崎市の気象台では初雪が観測されない年がある一方、九州山地では積雪する地域があり、日本最南端の天然スキー場もある。標高1150 mにあるえびの高原は九州屈指の寒冷地とされ、1968年2月26日には−20.2°Cという九州地方における最低気温を記録している。夏は季節風の南東風により蒸し暑い状態が続くものの、海風であるためそれほど高温にはならない。むしろ九州山地などを吹き降ろす南西風が多くなる梅雨末期の方が高温である。台風銀座でもあるため、夏から秋にかけては台風が襲うが、台風本体が接近していない段階から湿った東風により長期間雨に見舞われることが多いためか被害がさらに拡大することもある。冬は乾いた西風が卓越し、快晴の日が多い。国内で冬に多照となる地域では最も暖かいこの気候を利用し、スポーツチームのキャンプやゴルフ客が多数訪れる。日向市以南の日向灘沿岸には無霜地帯が存在する。 県北、県央、県西、県南の4地域に以下の9市6郡14町3村がある。宮崎県では、町はすべて「ちょう」、村はすべて「そん」と読む。★は出先機関の県税・総務事務所が所在する自治体。 宮崎県では、平成の大合併で周辺町村との新設合併(対等合併)を行った都城市・小林市・日南市の3市はいずれも市名を継承したため、平成の大合併で新名称の市は誕生していない。なお、宮崎県以外に平成の大合併で新しい名称の市が誕生しなかった都道府県は、編入合併のみで新設合併のなかった大阪府と神奈川県のほか、山形県、鳥取県の各府県である。 宮崎県に人々が住み始めたのは、中期旧石器時代の終わりごろの約5万年前ごろからである。遺跡としては、西臼杵郡日之影町の出羽(いずるは)洞窟と児湯郡川南町の後牟田(うしろむた)遺跡が発掘されており、前者からは片刃・両刃の礫器、後者からは集石遺構・斜軸尖頭器・鋸歯縁(きょしえん)石器(約5万年前と推定)が出土している。 『古事記』に「竺紫(つくし)の日向の高千穂のくじふる嶺に天降りまさしめき」とあり、天照大神の孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が降り立った国(天孫降臨神話)。この神の孫である山幸彦と海幸彦の争い(山幸彦と海幸彦神話)、さらに、山幸彦の孫であるカムヤマトイワレヒコが、東征して大和橿原宮にて、天皇に即位し初代天皇神武天皇となった(神武東征神話)などの神話(日向神話)がある。 令制国における宮崎県の領域は、日向国(ただし、薩摩国及び大隅国の分立後)とほぼ一致するため、廃藩置県以前の歴史は「日向国の歴史」にて記述。 廃藩置県当初(1871年)、現在の宮崎県域には飫肥県・延岡県・高鍋県・佐土原県・鹿児島県・人吉県が設置されるが、1871年の府県合併によって美々津県・都城県に再編。その後1873年に旧日向国の領域をもって宮崎県が設置された(初期宮崎県と呼称される)。県政のため、県庁を県の中央部に設置する必要が認められた結果、当時は寒村であった宮崎郡上別府村(現在地)に県庁が移された。1876年8月21日に宮崎県は鹿児島県に合併され、宮崎県庁は支庁へ格下げされた。 1883年5月9日 - 飫肥藩士の川越進 らによる分県運動の結果、日向国のうち志布志郷・松山郷・大崎郷 を除いた地域をもって、国より再置県が認められ分県が成立した(宮崎県再置)。なお、同日に富山県・佐賀県も再置されている(「明治16年太政官布告第15号 富山佐賀宮崎三縣設置」参照)。 分県運動は西南戦争の旧薩摩藩士族側の敗北により、鹿児島県及び宮崎支庁での旧薩摩藩士族の影響が少なくなった時点で「鹿児島県所属のままでは、日向国の発展は望まれない」との認識が背景に興り、1880年に徳島県が高知県から分離したことで活発になる。旧薩摩藩領であり、当時日向国最大の都市であった都城が「表立っての賛成はできないが、運動に反対しない」との立場を採ったことは分県運動への大きな弾みとなった。 1882年に宮崎県再置の案が鹿児島県会に提出されたがこのときは否決。川越進が県議会議長となった後、1883年3月の県議会で再度案は提出され可決し、5月9日に太政官達示により宮崎県再置が成立した。 江戸時代の日向国は複数の藩(飫肥藩・延岡藩・高鍋藩・佐土原藩・薩摩藩)が分立していた。この為住民の「日向国」としての意識はやや希薄になっており、宮崎県再置の為の鹿児島県からの分県運動は、日向国民(宮崎県民)として一体となって行動した初めての出来事でもあった。当時の日向は薩摩よりも人口密度が低く、県庁が遠い為に何かにつけ不便であった。分県運動が最高潮となった1881年は、金融が逼迫し、自由民権運動も盛んだった時期で、鹿児島県による宮崎支庁への支出が徴収される地方税よりも少ないという悲憤もあった。一方の薩摩側は当初分離に反対の意向を示していたが、分離した方が財政上有利になるとして、分離を受け入れることになった。 詳細は宮崎県公式ウェブサイト を参照。 地方債残高 衆議院の小選挙区が3。参議院では、全県で1区を構成。(2011年現在) 防衛省 総県民所得 約3兆16億円(全国第36位 国民所得に占める割合0.77% 2000年度調べ。本項目において、以下同じ)、1人当たり県民所得 約256万円(全国第37位 全国平均約308万円の約83% 国内最高である東京都約440万円と比較すると約58%)と低所得の自治体に位置するが、物価水準もそれに伴って低い ため、所得格差ほどの生活水準の低さはない。 県民所得に占める第一次産業の比率が国内で最も高い(5.6% 全国平均は1.2%)。 日本有数の農業県であり、平成29年の統計では、農業産出額全国5位である。温暖な気候を利用し、稲作においては超早場米の生産地として有名であり、また、野菜・果実などの促成栽培、葉たばこ・サツマイモなどの商品性作物の生産が盛ん。また、牧畜業は乳牛・肉牛・豚・鶏の全てにおいて日本有数の生産高を誇る。以前はそれほど知名度が高くなかった農畜産物も、2007年に知事に就任した東国原英夫の全国規模のマスメディア露出により急速に知名度を上げている。 県中央部に広がる宮崎平野では、冬季の日照に恵まれた温暖な気候を利用して様々な野菜が栽培されている。1953年から1960年にかけてビニールハウスが普及した。 ダイコンの作付け面積は日本国内3位であり、特に秋冬物の生産量は日本一である。切り干し大根は古くから作られていたが、1906年、愛知県から宮崎郡住吉村(現在の住吉地域自治区)へ移住した長谷川弥七らによって本格的な生産が始められた。大正時代に鉄道や港湾が整備されると北部九州方面あるいは東京方面へも出荷されるようになった。初期の産地は宮崎市周辺であったが、後に周辺部へ移り、現在は国富町と清武町が主要産地となっている。作付面積は1,000ヘクタール以上、生産量5,500トン、生産額23億円は日本一である。 キュウリは1895年、宮崎市上野町(現在は小戸地域自治区に属する)で栽培が始まった。現在では宮崎市、西都市、国富町、新富町、綾町が主要産地であり大阪、東京、福岡県へ出荷される。2007年における生産量は60,700トン、生産額は185億円で群馬県に次いで日本国内2位、特に冬春物は1位である。 ピーマンは昭和初期、高知県からの移住者により本格的な生産が始められ、昭和40年代以降に普及した。現在では西都市、宮崎市、新富町、日南市、国富町が主要産地であり大阪、東京、名古屋へ出荷される。2007年における生産量は29,400トン、生産額は110億円で茨城県に次いで日本国内2位、特に冬春物は1位である。 油津港や細島港などを本拠とした沖合・遠洋漁業が盛んであり、近海カツオ一本釣り・沿岸まぐろはえ縄・ウルメイワシについては漁獲量日本一を誇るが、大消費地に近い漁港で水揚げを行うため、県内の漁港の水揚げ量は少ない。近年では鹿児島県と共に九州産のウナギの養殖でも知られるようになってきている。 国産建築材料の供給基地としての役割を担っている。県木に指定されている飫肥杉はシロアリの殺蟻活性成分を持ち、生産高は全国一の生産高を占める。 かつては、銅鉱、錫鉱などが採掘されたが、現在ほぼ全てが閉山となっている(日本の鉱山の一覧#宮崎県参照)。 西臼杵郡高千穂町の旧土呂久鉱山においては、亜砒酸を製造する「亜ヒ焼き」が行われ、重金属の粉塵、亜硫酸ガスの飛散、坑内水の川の汚染で公害(土呂久砒素公害)が発生している。 宮崎県は隣県の大分県と共に、東九州地域を医療機器産業の拠点として整備をする東九州地域医療産業拠点構想(通称・東九州メディカルバレー構想)を発表している。 県の経済規模が小さいほか、交通の便などの事情もあり商圏が県内一円にほぼ限られるため、地域商業の域を出ていない。有力な地元百貨店がなく、顧客の鹿児島・熊本・福岡への流出が見られる。また、地場のスーパーマーケットチェーンも有力なものがなく、イオングループなど進出に対する地元商業の状況は非常に厳しい。 県内に本社または拠点事業所を置く主要な企業を挙げる。 宮崎市に宮崎ブーゲンビリア空港が所在する。なお、高千穂町など北部山間部では阿蘇くまもと空港、えびの市などでは鹿児島空港のほうが至近である。 鉄道はJR線5路線があるが、北に隣接する大分県とともにJR線(旧国鉄)以外の普通鉄道がない。鉄道事業者が県内に1つしかない県は、宮崎県のほかに沖縄県がある。県内の普通列車の本数は宮崎市近郊を除いて毎時1本以下となっている。 以上の路線は全区間単線となっており、徳島県と並んで単線のみの県となっている。ただし、徳島県の佐古駅〜徳島駅間は単線並列区間であるため、狭義での複線区間がない県は宮崎県のみである。また、県内は長らくJR九州管内でSUGOCA・Suicaなどの鉄道系IC乗車カードで乗車可能な駅が全く無い区域となっていたが、2015年11月14日より宮崎駅を中心とする12駅にてSUGOCAの利用が可能となっている。特急列車も含めた県内の鉄道のほとんどがワンマン運転を実施している。 宮崎県に事業拠点を置く路線バス事業者。ほぼ宮崎交通の独占となる。 宮崎県は九州で最も道路改良率の低い県で、2018年4月1日現在で一般国道で83.3%(全国44位)、県道で61.3%(全国36位)となっている。高規格幹線道路の供用率は74%(2020年3月末現在)で、これも九州平均 (85%) を下回る。 宮崎県全域を対象とする地方紙として宮崎日日新聞があり、県北部(延岡・日向)を中心に夕刊紙の夕刊デイリー新聞が発刊されている。 読売・朝日・毎日は宮崎版で県内の記事を扱う。南日本新聞は鹿児島県の地方紙であるが県西部(諸県)においても販売されており、宮崎県政・県西部の話題についても「鹿児島県内のニュース」と同様に扱うことがある。読売新聞は宮崎日日新聞の工場にて県内全域と鹿児島県(北薩及び離島除く)向けに発行される分を委託印刷している。なお、西日本新聞は2018年3月31日をもって宮崎・鹿児島両県での発行を終了した(西日本スポーツも同様)。 宮崎県は、他県で多くの放送局(平成新局)が開局しチャンネル数が増加した後も、放送対象地域とする民間放送はフジテレビ系列がメインのテレビ宮崎 (UMK) とTBS系列の宮崎放送 (MRT) の2局のみである。なお 1990年代に第3民放テレビ局ができる予定だったが、断念しており、現在も新局開局の予定・目途は立っていない(別項詳述参照)。 民放が2局しかない県は他に(福井県・山梨県)があるが、これらの県は共聴設備・ケーブルテレビ (CATV) または直接の地域外受信により隣県の放送局が視聴可能な地域が大半である。これに対し、本県では後述のように民放数の割にはケーブルテレビの普及率が低いこと、また地域外受信もえびの市・都城市・串間市・三股町などの一部で鹿児島県を放送対象地域とする民放 が、五ヶ瀬町などの一部で熊本県を放送対象地域とする民放 が視聴できるにとどまっていることから、日本国内では相対的な情報格差が存在するとされている。 なお、民放が2局しかないためテレビをつけているときは視聴中でない方の局を「裏」または「反対」と呼ぶことがある。 宮崎県は民放が2局以下の県の中ではケーブルテレビの普及率が最も低い42.5%(2020年度末現在) であるが、その一方で衛星放送加入率が高い。 ビデオリサーチによる通常の機械式視聴率調査が最後(2021年10月)に開始された都道府県の一つ(他には、福井県・山梨県・徳島県・佐賀県)である。2020年時点では年4回(2月・6月・10月・12月)の特定の1週間に日記式で調査が行われていた他、2020年3月30日以降は全国視聴率を算出するための機械式調査は行われていた。なお、本県を含むこれらの県は放送局数が少ないことから、視聴率調査が行われる場合は統計学上、民放が3局以上ある地域と比較して高い数値が出ることになる。一例として、『世界まるごとHOWマッチ!!』の関東地区での番組最高視聴率は33.8%だったが、宮崎地区においては1985年2月の調査で47.9%であった。 親局がある鰐塚山は、標高が1,119メートルと送信条件が良好であることから宮崎県外(特に鹿児島県の大隅地方)を含めて広範囲をカバーしている。 宮崎県内にアナログテレビ送信所が設置される1960年7月(NHK宮崎放送局開局)以前は、宮崎市内においては鹿児島局を、鹿児島局開局以前は広島局を電離層反射を利用して受信していた ほか、五ヶ瀬町や椎葉村では熊本県のテレビ局が、日之影町の見立地区では愛媛県のテレビ局が受信されていた。五ヶ瀬町の事情については五ヶ瀬中継局を参照。 1990年に民放第3局の割り当て(宮崎21ch)がなされ、約400件の免許申請があった。その中でも日本テレビは沖縄とともに放送局設置計画を掲げていた(沖縄については南西放送を参照)が、バブル景気崩壊後の不況による影響や衛星放送へ資金を注入する必要があったことから、1993年4月までに「番組は無償で提供するが、開局支援はせずネット補償金は一切与えない」(スポンサーを自ら探さなければならないことを意味する。)としてキー局としての宮崎への進出を断念した。そのため、後にテレビ朝日をキー局とする案も出されたがテレビ朝日側は難色を示したため、第3局の設置構想は暗礁に乗り上げた形となり2000年9月6日には電波割り当てが取り消された。なお、宮崎新局のために確保されていた用地はのちに駐車場となっている。県としては、放送局などの民間企業の意向に一任し、行政主体で第3局の開局を推進することは困難であるという立場を取っている。 なお、東国原前知事もマニフェストにテレビ局の増設を掲載していた が、これは必ずしも地上波民放のことではなく、インターネットテレビのようなものもイメージしていたという。これに対し、早稲田大学マニフェスト研究所はこのマニフェストを「かなり遅れている、または方針転換」にあたるC評価(A・B・Cの3段階で最低)と判断している。 地上デジタル放送は2006年12月に鰐塚山親局から本放送を開始し、2008年7月の飯野・真幸中継局開局によりすべての市で、2009年10月までに西米良村(ほぼ全域が共同受信)を除く全市町村で直接受信が可能となった。こちらもアナログ放送同様宮崎県外、特に鹿児島県の大隅地方でも視聴可能である。 宮崎県内のテレビ局は鰐塚山に親局となる送信所を設置しており、県内の7割以上をカバーしている。鰐塚山からの電波が届きにくい地域には約50の中継局(Category:宮崎県の放送送信所を参照)が設置されているが、送信出力や重要性に基づき中継局ごとに分類がなされている。微小局の大部分とミニサテライト局(ミニサテ)は地元自治体が建設費の一部を負担しており(これを宮崎方式または入郷方式と呼称する。後述)山間部の一部でも直接受信することができる。中継局のない地域では共同受信設備を各々で設置しており、特に西米良村ではほぼ全域で共同受信設備を利用している。 以下に記載する分類は、アナログテレビ放送中期の1980年代時点のものである(プラン局#従前のプラン局も参照)。 プラン局(地上デジタル放送の置局計画では大規模中継局)と呼ばれる中継局は、中継局の設置によりカバーエリアの大幅な拡大が見込めることから、基本的に放送局ごとが単独で設置している(地上デジタル放送では一部は共同建設となる)。宮崎県内では延岡・高千穂・串間・飯野(えびの市)の4中継局が該当し、微小局に分類される日向・青島・日之影も、放送局によってはプラン局に準じる形で整備された。 微小局はアナログ放送における送信出力が10W以下、0.5W以上の中継局を指し、難視聴地域のうち数百世帯をカバーする。日向・真幸(えびの市)は当初微小局に分類される中継局であったが、地上デジタル放送では重要中継局とされ、大規模中継局とほぼ同等の扱いとされた。 ミニサテライト局はアナログ放送における送信出力が0.1Wの中継局を指し、数十世帯をカバーする。宮崎県内では美々津に最初に設置され、その後20ほどの中継局が設置された。地上デジタル放送においては一部の中継局は設置されない。 テレビ送信所の宮崎方式とは、中継局の設置費用の一部を受益者となる地元自治体が負担することである。 民間放送局としてはプラン局の設置だけで県内カバー率はほぼ100%となることから、山間部への中継局設置は費用対効果が見込めないものであった。これが設置の方向となったのは1973年に入郷地区(現在の美郷町・日向市東郷町・諸塚村・椎葉村)の自治体が設置費用の一部の負担を放送局側に申し入れたことによる。これにより入郷・日向西郷・東郷(1973年度)、北諸塚・南諸塚・椎葉(1974年度)に中継局が設置された。以後宮崎県内で設置された中継局に対しては基本的にこの方式が採用され、1984年度には中継局数がNHKと同じ48局に達している。 宮崎県におけるケーブルテレビは情報格差の是正(不足している系列局の補充)が主な目的である。 地上デジタル放送の区域外再放送は、ケーブルメディアワイワイ、BTV、宮崎ケーブルテレビ、QTnet各4社および諸塚村によるサービスとして実施されている。その他のケーブルテレビ局において、「自局のチャンネルサービス」として取り扱うのは県内のテレビ局のみであり、区域外再放送は上記4社からのサービス提供を受ける形をとっている。 ラジオ事情はテレビと比べてそれほど悪くなく、特にエフエム宮崎は1984年12月に開局(九州で3番目、全国民放エフエムでも53局中12番目)と比較的早いほうであった。ただ、MRTラジオについては、宮崎に電波割り当てがなされながらも開局の動きがなかったために、南日本放送(MBC、鹿児島県の放送局)が宮崎への中継局設置を計画していたところに、これを阻止するという目的で開局している。 MRTラジオとJOY FMはradikoを通じて、宮崎県内限定との地域制限 があるもののインターネット上での聴取も可能となっている。サンシャインFMとシティエフエム都城の自社番組については全世界においてインターネット上で聴取できる(前者はSimulRadio、後者はスマートフォン向けアプリケーション「FM++」経由)。 地域によっては周辺各県のラジオ局も受信できることがある。一例として、熊本放送 は高千穂・えびの方面を公式にサービスエリアとしている。 また、ラジオ放送もテレビと同じく県外での聴取が可能であり、MRTラジオは愛媛県南予南部、高知県西南地域、熊本県球磨地方、大分県南部、鹿児島県大隅半島を、エフエム宮崎は高知県西南地域、鹿児島県大隅半島全域、錦江湾沿岸(鹿児島市・指宿市・霧島市・姶良市)、種子島・屋久島などを公式にサービスエリアとしている。鹿児島県の地方紙・南日本新聞ではMRTラジオとエフエム宮崎の番組欄が掲載されている。 宮崎県の典型的男性を表す言葉として「いもがらぼくと」、女性を表す言葉として「日向かぼちゃ」がある。前者は「芋がらで作った木刀」の意であり、見掛けは立派だが芯のないお人よしであることを意味し、後者は、見た目は黒く小ぶりだが味はしっかりしているということを意味しており、民謡(但し、近年の作によるもの)にも歌われる。 そもそも、「県民性」というものがステレオタイプのものであり、多くの例外を含んでいるものであるが、宮崎県は歴史的に明治以前は一体性を欠いていたのに加え、風土も地域によってかなり異なる(例えば、冬季における温暖のイメージは、県西部においては当てはまらない)ことから、単一のイメージには当てはまらない例も多い。 日向(ひゅうが)時間とは、宮崎県人が良くも悪くものんびり屋で、時間にルーズでありながらも寛大に受け止める言葉。集合の予定時間に自宅を出発する人がいるなど、時間設定の個人間のずれを指す。この習慣から、時間のずれをあらかじめ見込んで、集合時間などを早めに設定する事もある。なお、類似例は南四国や鹿児島・沖縄などの太平洋側に広範囲で見受けられる。 宮崎県の大部分では豊日方言に分類される宮崎弁が話されているが、かつて薩摩藩領だった諸県地方では薩隅方言に分類される諸県弁が話される。2007年から2011年に県知事を務めた東国原英夫が初議会で発言した「どげんかせんといかん」が流行語になったが、これは諸県弁であり、宮崎弁に直せば「どんげかせんといかん」となる。東国原など苗字が他県と違う特徴があり、東国原の出身が鹿児島県と隣接する都城市であることから、宮崎県全体では「どんげかせんといかん」の方が通じる。 1960年代には新婚旅行のメッカとして全国的に有名であり、「観光宮崎」として地域経済に貢献したが、日本人の余暇や観光に対する価値観の変化に対応できず低迷している。また、本県の観光はいわゆる「南国情緒」が売りものであったが、1972年の沖縄返還以降は同様のイメージでは沖縄県と競合、同県は沖縄振興特別措置法に基づく税制面での特例 が適用されることから、本県の競争力は相対的に低下した。さらに、1990年代以降は円高や規制緩和などにより格安となった海外旅行との競合もある。これらの悪条件に対し、1990年代末までは個人消費の拡大などによって乗り切ったが、ITバブル期を経た2000年代初頭には県内の大型リゾート施設であるシーガイアが会社更生法の適用を申請したほか、県内最大の交通企業であり、観光宮崎の牽引役であった宮崎交通が産業再生機構の支援を仰ぐことになった。 また有力な観光資源である温泉については、隣県の大分県・熊本県・鹿児島県とは異なり、本県は西日本火山帯の火山フロント より東側にあることから、火山性温泉にあまり恵まれていない。 県内に国宝がない(県内からの出土品である日向国西都原古墳出土金銅馬具類が東京都の五島美術館に所蔵されている)。2018年現在、国宝が1つもない都道府県は、徳島県と当県のみである。 観光業復活の鍵として、プロ野球(巨人・広島・ソフトバンク・西武・オリックス・東京ヤクルト(ファームのみ)・楽天(ファームのみ)7球団)・サッカーのキャンプ地巡るツアーや、宿泊を含めたゴルフプランが主催されているほか、近隣国(韓国・中国・台湾)からの顧客開拓を図っている。2019年の訪日外国人観光客数は166,042人で、最も多かった国籍は香港で49,236人、そして台湾の41,663人、続いて韓国の36,104人という。 宮崎県は、サーフィンに好適で空港や高速道路からのアクセスの良い海岸に恵まれた日本最南端の県である。このことは、国内の主要サーフィン大会は5月に行われる本県での国際大会(WQS 4-starランク)から始まることや、日本サーフィン連盟協力サーフショップの数が九州で1番多いことからもうかがえる。ただし、一般的にサーフィンは特段の施設を利用しない(天然の海を利用する)余暇であることから、観光業にとっては宿泊と最低限の飲食費以外の経済効果が薄いという見方もある。 宮崎県内では重要伝統的建造物群保存地区が3か所選定されている。 ※印は県民栄誉特別賞。宮崎県県民栄誉賞の受賞者一覧(外部リンク、宮崎県総合政策部秘書広報課栄典担当)を出典とする。受賞事由などの詳細については同サイト参照のこと。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "宮崎県(みやざきけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は宮崎市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "宮崎県は九州の東南端を占め、東経130度42分から131度53分、北緯31度21分から32度50分の間に位置する。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "全体的に日照時間・降水量ともに全国で上位で、特にえびの高原、鰐塚山の降水量は日本有数となっている。平野部での降雪・積雪は稀であり、宮崎市の気象台では初雪が観測されない年がある一方、九州山地では積雪する地域があり、日本最南端の天然スキー場もある。標高1150 mにあるえびの高原は九州屈指の寒冷地とされ、1968年2月26日には−20.2°Cという九州地方における最低気温を記録している。夏は季節風の南東風により蒸し暑い状態が続くものの、海風であるためそれほど高温にはならない。むしろ九州山地などを吹き降ろす南西風が多くなる梅雨末期の方が高温である。台風銀座でもあるため、夏から秋にかけては台風が襲うが、台風本体が接近していない段階から湿った東風により長期間雨に見舞われることが多いためか被害がさらに拡大することもある。冬は乾いた西風が卓越し、快晴の日が多い。国内で冬に多照となる地域では最も暖かいこの気候を利用し、スポーツチームのキャンプやゴルフ客が多数訪れる。日向市以南の日向灘沿岸には無霜地帯が存在する。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "県北、県央、県西、県南の4地域に以下の9市6郡14町3村がある。宮崎県では、町はすべて「ちょう」、村はすべて「そん」と読む。★は出先機関の県税・総務事務所が所在する自治体。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "宮崎県では、平成の大合併で周辺町村との新設合併(対等合併)を行った都城市・小林市・日南市の3市はいずれも市名を継承したため、平成の大合併で新名称の市は誕生していない。なお、宮崎県以外に平成の大合併で新しい名称の市が誕生しなかった都道府県は、編入合併のみで新設合併のなかった大阪府と神奈川県のほか、山形県、鳥取県の各府県である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "宮崎県に人々が住み始めたのは、中期旧石器時代の終わりごろの約5万年前ごろからである。遺跡としては、西臼杵郡日之影町の出羽(いずるは)洞窟と児湯郡川南町の後牟田(うしろむた)遺跡が発掘されており、前者からは片刃・両刃の礫器、後者からは集石遺構・斜軸尖頭器・鋸歯縁(きょしえん)石器(約5万年前と推定)が出土している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "『古事記』に「竺紫(つくし)の日向の高千穂のくじふる嶺に天降りまさしめき」とあり、天照大神の孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が降り立った国(天孫降臨神話)。この神の孫である山幸彦と海幸彦の争い(山幸彦と海幸彦神話)、さらに、山幸彦の孫であるカムヤマトイワレヒコが、東征して大和橿原宮にて、天皇に即位し初代天皇神武天皇となった(神武東征神話)などの神話(日向神話)がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "令制国における宮崎県の領域は、日向国(ただし、薩摩国及び大隅国の分立後)とほぼ一致するため、廃藩置県以前の歴史は「日向国の歴史」にて記述。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "廃藩置県当初(1871年)、現在の宮崎県域には飫肥県・延岡県・高鍋県・佐土原県・鹿児島県・人吉県が設置されるが、1871年の府県合併によって美々津県・都城県に再編。その後1873年に旧日向国の領域をもって宮崎県が設置された(初期宮崎県と呼称される)。県政のため、県庁を県の中央部に設置する必要が認められた結果、当時は寒村であった宮崎郡上別府村(現在地)に県庁が移された。1876年8月21日に宮崎県は鹿児島県に合併され、宮崎県庁は支庁へ格下げされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1883年5月9日 - 飫肥藩士の川越進 らによる分県運動の結果、日向国のうち志布志郷・松山郷・大崎郷 を除いた地域をもって、国より再置県が認められ分県が成立した(宮崎県再置)。なお、同日に富山県・佐賀県も再置されている(「明治16年太政官布告第15号 富山佐賀宮崎三縣設置」参照)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "分県運動は西南戦争の旧薩摩藩士族側の敗北により、鹿児島県及び宮崎支庁での旧薩摩藩士族の影響が少なくなった時点で「鹿児島県所属のままでは、日向国の発展は望まれない」との認識が背景に興り、1880年に徳島県が高知県から分離したことで活発になる。旧薩摩藩領であり、当時日向国最大の都市であった都城が「表立っての賛成はできないが、運動に反対しない」との立場を採ったことは分県運動への大きな弾みとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1882年に宮崎県再置の案が鹿児島県会に提出されたがこのときは否決。川越進が県議会議長となった後、1883年3月の県議会で再度案は提出され可決し、5月9日に太政官達示により宮崎県再置が成立した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "江戸時代の日向国は複数の藩(飫肥藩・延岡藩・高鍋藩・佐土原藩・薩摩藩)が分立していた。この為住民の「日向国」としての意識はやや希薄になっており、宮崎県再置の為の鹿児島県からの分県運動は、日向国民(宮崎県民)として一体となって行動した初めての出来事でもあった。当時の日向は薩摩よりも人口密度が低く、県庁が遠い為に何かにつけ不便であった。分県運動が最高潮となった1881年は、金融が逼迫し、自由民権運動も盛んだった時期で、鹿児島県による宮崎支庁への支出が徴収される地方税よりも少ないという悲憤もあった。一方の薩摩側は当初分離に反対の意向を示していたが、分離した方が財政上有利になるとして、分離を受け入れることになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "詳細は宮崎県公式ウェブサイト を参照。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "地方債残高", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区が3。参議院では、全県で1区を構成。(2011年現在)", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "防衛省", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "総県民所得 約3兆16億円(全国第36位 国民所得に占める割合0.77% 2000年度調べ。本項目において、以下同じ)、1人当たり県民所得 約256万円(全国第37位 全国平均約308万円の約83% 国内最高である東京都約440万円と比較すると約58%)と低所得の自治体に位置するが、物価水準もそれに伴って低い ため、所得格差ほどの生活水準の低さはない。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "県民所得に占める第一次産業の比率が国内で最も高い(5.6% 全国平均は1.2%)。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "日本有数の農業県であり、平成29年の統計では、農業産出額全国5位である。温暖な気候を利用し、稲作においては超早場米の生産地として有名であり、また、野菜・果実などの促成栽培、葉たばこ・サツマイモなどの商品性作物の生産が盛ん。また、牧畜業は乳牛・肉牛・豚・鶏の全てにおいて日本有数の生産高を誇る。以前はそれほど知名度が高くなかった農畜産物も、2007年に知事に就任した東国原英夫の全国規模のマスメディア露出により急速に知名度を上げている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "県中央部に広がる宮崎平野では、冬季の日照に恵まれた温暖な気候を利用して様々な野菜が栽培されている。1953年から1960年にかけてビニールハウスが普及した。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ダイコンの作付け面積は日本国内3位であり、特に秋冬物の生産量は日本一である。切り干し大根は古くから作られていたが、1906年、愛知県から宮崎郡住吉村(現在の住吉地域自治区)へ移住した長谷川弥七らによって本格的な生産が始められた。大正時代に鉄道や港湾が整備されると北部九州方面あるいは東京方面へも出荷されるようになった。初期の産地は宮崎市周辺であったが、後に周辺部へ移り、現在は国富町と清武町が主要産地となっている。作付面積は1,000ヘクタール以上、生産量5,500トン、生産額23億円は日本一である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "キュウリは1895年、宮崎市上野町(現在は小戸地域自治区に属する)で栽培が始まった。現在では宮崎市、西都市、国富町、新富町、綾町が主要産地であり大阪、東京、福岡県へ出荷される。2007年における生産量は60,700トン、生産額は185億円で群馬県に次いで日本国内2位、特に冬春物は1位である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ピーマンは昭和初期、高知県からの移住者により本格的な生産が始められ、昭和40年代以降に普及した。現在では西都市、宮崎市、新富町、日南市、国富町が主要産地であり大阪、東京、名古屋へ出荷される。2007年における生産量は29,400トン、生産額は110億円で茨城県に次いで日本国内2位、特に冬春物は1位である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "油津港や細島港などを本拠とした沖合・遠洋漁業が盛んであり、近海カツオ一本釣り・沿岸まぐろはえ縄・ウルメイワシについては漁獲量日本一を誇るが、大消費地に近い漁港で水揚げを行うため、県内の漁港の水揚げ量は少ない。近年では鹿児島県と共に九州産のウナギの養殖でも知られるようになってきている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "国産建築材料の供給基地としての役割を担っている。県木に指定されている飫肥杉はシロアリの殺蟻活性成分を持ち、生産高は全国一の生産高を占める。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "かつては、銅鉱、錫鉱などが採掘されたが、現在ほぼ全てが閉山となっている(日本の鉱山の一覧#宮崎県参照)。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "西臼杵郡高千穂町の旧土呂久鉱山においては、亜砒酸を製造する「亜ヒ焼き」が行われ、重金属の粉塵、亜硫酸ガスの飛散、坑内水の川の汚染で公害(土呂久砒素公害)が発生している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "宮崎県は隣県の大分県と共に、東九州地域を医療機器産業の拠点として整備をする東九州地域医療産業拠点構想(通称・東九州メディカルバレー構想)を発表している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "県の経済規模が小さいほか、交通の便などの事情もあり商圏が県内一円にほぼ限られるため、地域商業の域を出ていない。有力な地元百貨店がなく、顧客の鹿児島・熊本・福岡への流出が見られる。また、地場のスーパーマーケットチェーンも有力なものがなく、イオングループなど進出に対する地元商業の状況は非常に厳しい。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "県内に本社または拠点事業所を置く主要な企業を挙げる。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "宮崎市に宮崎ブーゲンビリア空港が所在する。なお、高千穂町など北部山間部では阿蘇くまもと空港、えびの市などでは鹿児島空港のほうが至近である。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "鉄道はJR線5路線があるが、北に隣接する大分県とともにJR線(旧国鉄)以外の普通鉄道がない。鉄道事業者が県内に1つしかない県は、宮崎県のほかに沖縄県がある。県内の普通列車の本数は宮崎市近郊を除いて毎時1本以下となっている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "以上の路線は全区間単線となっており、徳島県と並んで単線のみの県となっている。ただし、徳島県の佐古駅〜徳島駅間は単線並列区間であるため、狭義での複線区間がない県は宮崎県のみである。また、県内は長らくJR九州管内でSUGOCA・Suicaなどの鉄道系IC乗車カードで乗車可能な駅が全く無い区域となっていたが、2015年11月14日より宮崎駅を中心とする12駅にてSUGOCAの利用が可能となっている。特急列車も含めた県内の鉄道のほとんどがワンマン運転を実施している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "宮崎県に事業拠点を置く路線バス事業者。ほぼ宮崎交通の独占となる。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "宮崎県は九州で最も道路改良率の低い県で、2018年4月1日現在で一般国道で83.3%(全国44位)、県道で61.3%(全国36位)となっている。高規格幹線道路の供用率は74%(2020年3月末現在)で、これも九州平均 (85%) を下回る。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "宮崎県全域を対象とする地方紙として宮崎日日新聞があり、県北部(延岡・日向)を中心に夕刊紙の夕刊デイリー新聞が発刊されている。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "読売・朝日・毎日は宮崎版で県内の記事を扱う。南日本新聞は鹿児島県の地方紙であるが県西部(諸県)においても販売されており、宮崎県政・県西部の話題についても「鹿児島県内のニュース」と同様に扱うことがある。読売新聞は宮崎日日新聞の工場にて県内全域と鹿児島県(北薩及び離島除く)向けに発行される分を委託印刷している。なお、西日本新聞は2018年3月31日をもって宮崎・鹿児島両県での発行を終了した(西日本スポーツも同様)。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "宮崎県は、他県で多くの放送局(平成新局)が開局しチャンネル数が増加した後も、放送対象地域とする民間放送はフジテレビ系列がメインのテレビ宮崎 (UMK) とTBS系列の宮崎放送 (MRT) の2局のみである。なお 1990年代に第3民放テレビ局ができる予定だったが、断念しており、現在も新局開局の予定・目途は立っていない(別項詳述参照)。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "民放が2局しかない県は他に(福井県・山梨県)があるが、これらの県は共聴設備・ケーブルテレビ (CATV) または直接の地域外受信により隣県の放送局が視聴可能な地域が大半である。これに対し、本県では後述のように民放数の割にはケーブルテレビの普及率が低いこと、また地域外受信もえびの市・都城市・串間市・三股町などの一部で鹿児島県を放送対象地域とする民放 が、五ヶ瀬町などの一部で熊本県を放送対象地域とする民放 が視聴できるにとどまっていることから、日本国内では相対的な情報格差が存在するとされている。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "なお、民放が2局しかないためテレビをつけているときは視聴中でない方の局を「裏」または「反対」と呼ぶことがある。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "宮崎県は民放が2局以下の県の中ではケーブルテレビの普及率が最も低い42.5%(2020年度末現在) であるが、その一方で衛星放送加入率が高い。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ビデオリサーチによる通常の機械式視聴率調査が最後(2021年10月)に開始された都道府県の一つ(他には、福井県・山梨県・徳島県・佐賀県)である。2020年時点では年4回(2月・6月・10月・12月)の特定の1週間に日記式で調査が行われていた他、2020年3月30日以降は全国視聴率を算出するための機械式調査は行われていた。なお、本県を含むこれらの県は放送局数が少ないことから、視聴率調査が行われる場合は統計学上、民放が3局以上ある地域と比較して高い数値が出ることになる。一例として、『世界まるごとHOWマッチ!!』の関東地区での番組最高視聴率は33.8%だったが、宮崎地区においては1985年2月の調査で47.9%であった。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "親局がある鰐塚山は、標高が1,119メートルと送信条件が良好であることから宮崎県外(特に鹿児島県の大隅地方)を含めて広範囲をカバーしている。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "宮崎県内にアナログテレビ送信所が設置される1960年7月(NHK宮崎放送局開局)以前は、宮崎市内においては鹿児島局を、鹿児島局開局以前は広島局を電離層反射を利用して受信していた ほか、五ヶ瀬町や椎葉村では熊本県のテレビ局が、日之影町の見立地区では愛媛県のテレビ局が受信されていた。五ヶ瀬町の事情については五ヶ瀬中継局を参照。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "1990年に民放第3局の割り当て(宮崎21ch)がなされ、約400件の免許申請があった。その中でも日本テレビは沖縄とともに放送局設置計画を掲げていた(沖縄については南西放送を参照)が、バブル景気崩壊後の不況による影響や衛星放送へ資金を注入する必要があったことから、1993年4月までに「番組は無償で提供するが、開局支援はせずネット補償金は一切与えない」(スポンサーを自ら探さなければならないことを意味する。)としてキー局としての宮崎への進出を断念した。そのため、後にテレビ朝日をキー局とする案も出されたがテレビ朝日側は難色を示したため、第3局の設置構想は暗礁に乗り上げた形となり2000年9月6日には電波割り当てが取り消された。なお、宮崎新局のために確保されていた用地はのちに駐車場となっている。県としては、放送局などの民間企業の意向に一任し、行政主体で第3局の開局を推進することは困難であるという立場を取っている。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "なお、東国原前知事もマニフェストにテレビ局の増設を掲載していた が、これは必ずしも地上波民放のことではなく、インターネットテレビのようなものもイメージしていたという。これに対し、早稲田大学マニフェスト研究所はこのマニフェストを「かなり遅れている、または方針転換」にあたるC評価(A・B・Cの3段階で最低)と判断している。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "地上デジタル放送は2006年12月に鰐塚山親局から本放送を開始し、2008年7月の飯野・真幸中継局開局によりすべての市で、2009年10月までに西米良村(ほぼ全域が共同受信)を除く全市町村で直接受信が可能となった。こちらもアナログ放送同様宮崎県外、特に鹿児島県の大隅地方でも視聴可能である。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "宮崎県内のテレビ局は鰐塚山に親局となる送信所を設置しており、県内の7割以上をカバーしている。鰐塚山からの電波が届きにくい地域には約50の中継局(Category:宮崎県の放送送信所を参照)が設置されているが、送信出力や重要性に基づき中継局ごとに分類がなされている。微小局の大部分とミニサテライト局(ミニサテ)は地元自治体が建設費の一部を負担しており(これを宮崎方式または入郷方式と呼称する。後述)山間部の一部でも直接受信することができる。中継局のない地域では共同受信設備を各々で設置しており、特に西米良村ではほぼ全域で共同受信設備を利用している。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "以下に記載する分類は、アナログテレビ放送中期の1980年代時点のものである(プラン局#従前のプラン局も参照)。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "プラン局(地上デジタル放送の置局計画では大規模中継局)と呼ばれる中継局は、中継局の設置によりカバーエリアの大幅な拡大が見込めることから、基本的に放送局ごとが単独で設置している(地上デジタル放送では一部は共同建設となる)。宮崎県内では延岡・高千穂・串間・飯野(えびの市)の4中継局が該当し、微小局に分類される日向・青島・日之影も、放送局によってはプラン局に準じる形で整備された。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "微小局はアナログ放送における送信出力が10W以下、0.5W以上の中継局を指し、難視聴地域のうち数百世帯をカバーする。日向・真幸(えびの市)は当初微小局に分類される中継局であったが、地上デジタル放送では重要中継局とされ、大規模中継局とほぼ同等の扱いとされた。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "ミニサテライト局はアナログ放送における送信出力が0.1Wの中継局を指し、数十世帯をカバーする。宮崎県内では美々津に最初に設置され、その後20ほどの中継局が設置された。地上デジタル放送においては一部の中継局は設置されない。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "テレビ送信所の宮崎方式とは、中継局の設置費用の一部を受益者となる地元自治体が負担することである。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "民間放送局としてはプラン局の設置だけで県内カバー率はほぼ100%となることから、山間部への中継局設置は費用対効果が見込めないものであった。これが設置の方向となったのは1973年に入郷地区(現在の美郷町・日向市東郷町・諸塚村・椎葉村)の自治体が設置費用の一部の負担を放送局側に申し入れたことによる。これにより入郷・日向西郷・東郷(1973年度)、北諸塚・南諸塚・椎葉(1974年度)に中継局が設置された。以後宮崎県内で設置された中継局に対しては基本的にこの方式が採用され、1984年度には中継局数がNHKと同じ48局に達している。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "宮崎県におけるケーブルテレビは情報格差の是正(不足している系列局の補充)が主な目的である。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "地上デジタル放送の区域外再放送は、ケーブルメディアワイワイ、BTV、宮崎ケーブルテレビ、QTnet各4社および諸塚村によるサービスとして実施されている。その他のケーブルテレビ局において、「自局のチャンネルサービス」として取り扱うのは県内のテレビ局のみであり、区域外再放送は上記4社からのサービス提供を受ける形をとっている。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ラジオ事情はテレビと比べてそれほど悪くなく、特にエフエム宮崎は1984年12月に開局(九州で3番目、全国民放エフエムでも53局中12番目)と比較的早いほうであった。ただ、MRTラジオについては、宮崎に電波割り当てがなされながらも開局の動きがなかったために、南日本放送(MBC、鹿児島県の放送局)が宮崎への中継局設置を計画していたところに、これを阻止するという目的で開局している。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "MRTラジオとJOY FMはradikoを通じて、宮崎県内限定との地域制限 があるもののインターネット上での聴取も可能となっている。サンシャインFMとシティエフエム都城の自社番組については全世界においてインターネット上で聴取できる(前者はSimulRadio、後者はスマートフォン向けアプリケーション「FM++」経由)。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "地域によっては周辺各県のラジオ局も受信できることがある。一例として、熊本放送 は高千穂・えびの方面を公式にサービスエリアとしている。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "また、ラジオ放送もテレビと同じく県外での聴取が可能であり、MRTラジオは愛媛県南予南部、高知県西南地域、熊本県球磨地方、大分県南部、鹿児島県大隅半島を、エフエム宮崎は高知県西南地域、鹿児島県大隅半島全域、錦江湾沿岸(鹿児島市・指宿市・霧島市・姶良市)、種子島・屋久島などを公式にサービスエリアとしている。鹿児島県の地方紙・南日本新聞ではMRTラジオとエフエム宮崎の番組欄が掲載されている。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "宮崎県の典型的男性を表す言葉として「いもがらぼくと」、女性を表す言葉として「日向かぼちゃ」がある。前者は「芋がらで作った木刀」の意であり、見掛けは立派だが芯のないお人よしであることを意味し、後者は、見た目は黒く小ぶりだが味はしっかりしているということを意味しており、民謡(但し、近年の作によるもの)にも歌われる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "そもそも、「県民性」というものがステレオタイプのものであり、多くの例外を含んでいるものであるが、宮崎県は歴史的に明治以前は一体性を欠いていたのに加え、風土も地域によってかなり異なる(例えば、冬季における温暖のイメージは、県西部においては当てはまらない)ことから、単一のイメージには当てはまらない例も多い。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "日向(ひゅうが)時間とは、宮崎県人が良くも悪くものんびり屋で、時間にルーズでありながらも寛大に受け止める言葉。集合の予定時間に自宅を出発する人がいるなど、時間設定の個人間のずれを指す。この習慣から、時間のずれをあらかじめ見込んで、集合時間などを早めに設定する事もある。なお、類似例は南四国や鹿児島・沖縄などの太平洋側に広範囲で見受けられる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "宮崎県の大部分では豊日方言に分類される宮崎弁が話されているが、かつて薩摩藩領だった諸県地方では薩隅方言に分類される諸県弁が話される。2007年から2011年に県知事を務めた東国原英夫が初議会で発言した「どげんかせんといかん」が流行語になったが、これは諸県弁であり、宮崎弁に直せば「どんげかせんといかん」となる。東国原など苗字が他県と違う特徴があり、東国原の出身が鹿児島県と隣接する都城市であることから、宮崎県全体では「どんげかせんといかん」の方が通じる。", "title": "文化・スポーツ" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "1960年代には新婚旅行のメッカとして全国的に有名であり、「観光宮崎」として地域経済に貢献したが、日本人の余暇や観光に対する価値観の変化に対応できず低迷している。また、本県の観光はいわゆる「南国情緒」が売りものであったが、1972年の沖縄返還以降は同様のイメージでは沖縄県と競合、同県は沖縄振興特別措置法に基づく税制面での特例 が適用されることから、本県の競争力は相対的に低下した。さらに、1990年代以降は円高や規制緩和などにより格安となった海外旅行との競合もある。これらの悪条件に対し、1990年代末までは個人消費の拡大などによって乗り切ったが、ITバブル期を経た2000年代初頭には県内の大型リゾート施設であるシーガイアが会社更生法の適用を申請したほか、県内最大の交通企業であり、観光宮崎の牽引役であった宮崎交通が産業再生機構の支援を仰ぐことになった。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "また有力な観光資源である温泉については、隣県の大分県・熊本県・鹿児島県とは異なり、本県は西日本火山帯の火山フロント より東側にあることから、火山性温泉にあまり恵まれていない。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "県内に国宝がない(県内からの出土品である日向国西都原古墳出土金銅馬具類が東京都の五島美術館に所蔵されている)。2018年現在、国宝が1つもない都道府県は、徳島県と当県のみである。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "観光業復活の鍵として、プロ野球(巨人・広島・ソフトバンク・西武・オリックス・東京ヤクルト(ファームのみ)・楽天(ファームのみ)7球団)・サッカーのキャンプ地巡るツアーや、宿泊を含めたゴルフプランが主催されているほか、近隣国(韓国・中国・台湾)からの顧客開拓を図っている。2019年の訪日外国人観光客数は166,042人で、最も多かった国籍は香港で49,236人、そして台湾の41,663人、続いて韓国の36,104人という。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "宮崎県は、サーフィンに好適で空港や高速道路からのアクセスの良い海岸に恵まれた日本最南端の県である。このことは、国内の主要サーフィン大会は5月に行われる本県での国際大会(WQS 4-starランク)から始まることや、日本サーフィン連盟協力サーフショップの数が九州で1番多いことからもうかがえる。ただし、一般的にサーフィンは特段の施設を利用しない(天然の海を利用する)余暇であることから、観光業にとっては宿泊と最低限の飲食費以外の経済効果が薄いという見方もある。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "宮崎県内では重要伝統的建造物群保存地区が3か所選定されている。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "※印は県民栄誉特別賞。宮崎県県民栄誉賞の受賞者一覧(外部リンク、宮崎県総合政策部秘書広報課栄典担当)を出典とする。受賞事由などの詳細については同サイト参照のこと。", "title": "人物" } ]
宮崎県(みやざきけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は宮崎市。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 宮崎県 | 画像 = {{multiple image | border = infobox | total_width = 280 | image_style = border:1; | perrow = 1/2/2 | image1 = NichinanKaigan.JPG | image2 = Obi Castle Otemon.jpg | image3 = 高千穂峡_20130814_-_panoramio.jpg | image4 = Miyazaki Miyazaki-jingu Shinmon 1.JPG | image5 = 願いが叶うクルスの海全景.jpg }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[日南海岸]]</tr><tr><td style="width:50%">[[飫肥城]]<td style="width:50%">[[高千穂峡]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[宮崎神宮]]<td style="width:50%">[[日向岬]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|宮崎県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[宮崎県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Miyazaki Prefecture.svg|80px|宮崎県徽章]] | 都道府県章の説明 = [[宮崎県章|宮崎県徽章]] | 区分 = 県 | コード = 45000-6 | ISO 3166-2 = JP-45 | 隣接都道府県 = {{flag|大分県}}<br/>{{flag|熊本県}}<br/>{{flag|鹿児島県}} | 木 = [[カナリーヤシ|フェニックス]](1966年9月3日制定)<br />[[ヤマザクラ]](2003年2月6日制定)<br />[[飫肥杉|オビスギ]](2003年2月6日制定) | 花 = [[ハマユウ]](1964年12月22日制定) | 鳥 = [[コシジロヤマドリ]]<br />(1964年12月22日制定) | シンボル名 = 県の歌<br />マスコット<br />シンボルマーク<br />標語 | 歌など = [[宮崎県民歌]](1964年制定)<br />[[みやざき犬]](2011年11月11日制定)<br />ひなたロゴマーク(2016年制定)<br>日本のひなた 宮崎県(2016年制定) | 郵便番号 = 880-8501 | 所在地 = 宮崎市橘通東2丁目10番1号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-27|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=7|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=220|frame-height=200|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}}<br />[[ファイル:Miyazaki Pref Office 2007 001.JPG|220px|宮崎県庁]]<br />宮崎県庁本館 | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 45 Miyazaki prefecture.svg|320px|宮崎県の位置]]{{基礎自治体位置図|45|000|image=Map of Miyazaki Prefecture Ja.svg|村の色分け=yes}} | 特記事項 = }} '''宮崎県'''(みやざきけん)は、[[日本]]の[[九州|九州地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[宮崎市]]。 == 地理・地域 == [[ファイル:Kirishima Takachihonomine 2.jpg|thumb|高千穂峰]] 宮崎県は九州の東南端を占め、東経130度42分から131度53分、北緯31度21分から32度50分の間に位置する。 === 地形 === * 隣接都道府県: [[大分県]] - [[熊本県]] - [[鹿児島県]] * 主な山地: [[九州山地]]、[[肥薩火山群|国見山地]]、[[鰐塚山地]] * 主な山: [[霧島山]]([[韓国岳]]、[[新燃岳]]、[[高千穂峰]]など)、[[祖母山]]、[[傾山]]、[[国見岳 (熊本県・宮崎県)|国見岳]]、[[市房山]]、[[尾鈴山]]、[[鰐塚山]] * 主な平野: [[宮崎平野]] * 主な盆地: [[小林盆地]]、[[都城盆地]]、[[加久藤盆地]] * 主な川: [[五ヶ瀬川]]、[[五十鈴川 (宮崎県)|五十鈴川]]、[[耳川]]、[[小丸川]]、[[一ツ瀬川]]、[[大淀川]]、[[広渡川]]、[[福島川 (宮崎県)|福島川]]<!--北から並べた--> * 海域: [[太平洋]]、[[フィリピン海]]、[[日向灘]] * 主な岬: [[都井岬]]、[[日向岬]] * 主な台地: [[シラス台地]] * 主な島: [[島浦島]]、[[青島 (宮崎県)|青島]]、[[大島 (宮崎県)|大島]]、[[幸島]]、[[築島]] === 自然公園 === * [[国立公園]]: [[霧島錦江湾国立公園]] * [[国定公園]]: [[日南海岸国定公園]]、[[祖母傾国定公園]]、[[日豊海岸国定公園]]、[[九州中央山地国定公園]] * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]]: 祖母傾県立自然公園、尾鈴県立自然公園、西都原杉安峡県立自然公園、[[母智丘・関之尾県立自然公園]]、わにつか県立自然公園、[[矢岳高原県立自然公園]] === 気候温度と降雨 === 全体的に[[日照時間]]・[[降水量]]ともに全国で上位で、特に[[えびの高原]]、[[鰐塚山]]の[[降水量]]は日本有数となっている。平野部での降雪・積雪は稀であり、宮崎市の気象台では[[初雪]]が観測されない年がある一方、[[九州山地]]では積雪する地域があり、日本最南端の天然[[スキー場]]もある。[[標高]]1150 [[メートル|m]]にある[[えびの高原]]は九州屈指の寒冷地とされ、1968年2月26日には&minus;20.2°Cという九州地方における最低気温を記録している<ref>[[気象庁]]「観測所気象年報」「宮崎の気象100年」p155</ref>。夏は[[季節風]]の南東風により蒸し暑い状態が続くものの、海風であるためそれほど高温にはならない。むしろ九州山地などを吹き降ろす南西風が多くなる[[梅雨]]末期の方が高温である。[[台風銀座]]でもあるため、夏から秋にかけては[[台風]]が襲うが、台風本体が接近していない段階から湿った東風により長期間雨に見舞われることが多いためか被害がさらに拡大することもある。冬は乾いた西風が卓越し、快晴の日が多い。国内で冬に多照となる地域では最も暖かいこの気候を利用し、スポーツチームのキャンプやゴルフ客が多数訪れる。[[日向市]]以南の[[日向灘]]沿岸には無霜地帯が存在する。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align:right;white-space:nowrap" |+宮崎県各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="5"|北部沿岸部 !colspan="4"|北部内陸部 !colspan="5"|南部沿岸部 !colspan="3"|南部内陸部 |- ![[延岡市]]<br />[[北浦町 (宮崎県)|古江]]!![[延岡市|延岡]]!![[日向市|日向]]!![[高鍋町|高鍋]]!![[西都市|西都]]!![[高千穂町|高千穂]]!![[五ヶ瀬町]]<br />鞍岡!![[美郷町 (宮崎県)|美郷町]]<br />[[南郷村 (宮崎県)|神門]]!![[西米良村|西米良]]!![[宮崎市|宮崎]]!![[宮崎市]]<br />[[宮崎空港|赤江]]!![[宮崎市]]<br />青島!![[日南市]]<br />油津!![[串間市|串間]]!![[都城市|都城]]!![[小林市|小林]]!![[えびの市]]<br />加久藤 |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|°C]]) !最暖月 |26.7<br />(8月)||26.4<br />(8月) |26.7<br />(8月)||26.8<br />(8月) |27.0<br />(8月)||24.7<br />(8月) |22.8<br />(8月)||24.8<br />(8月) |24.9<br />(8月)||27.0<br />(8月) | ||26.7<br />(8月) |27.2<br />(8月)||26.7<br />(8月) |26.3<br />(8月)|| ||25.6<br />(8月) |- !最寒月 |7.3<br />(1月)||6.5<br />(1月) |7.0<br />(1月)||7.2<br />(1月) |6.7<br />(1月)||3.6<br />(1月) |1.6<br />(1月)||3.4<br />(1月) |4.6<br />(1月)||7.6<br />(1月) | ||8.1<br />(1月) |8.5<br />(1月)||7.5<br />(1月) |5.6<br />(1月)|| ||4.7<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |369.6<br />(6月)||374.0<br />(6月) |375.9<br />(6月)||406.6<br />(6月) |437.8<br />(6月)||402.0<br />(7月) |408.5<br />(6月)||566.7<br />(8月) |506.8<br />(6月)||315.8<br />(6月) | ||457.6<br />(6月) |449.7<br />(6月)||382.0<br />(6月) |455.1<br />(6月)|| ||539.2<br />(6月) |- !最少月 |34.5<br />(12月)||40.8<br />(12月) |45.0<br />(12月)||37.5<br />(12月) |42.0<br />(12月)||36.0<br />(12月) |66.2<br />(12月)||40.8<br />(12月) |50.2<br />(12月)||51.8<br />(12月) | ||53.6<br />(12月) |63.7<br />(12月)||52.3<br />(12月) |51.1<br />(12月)|| ||49.9<br />(12月) |}<!-- {|class="wikitable" |[[2007年]]のデータ |[[宮崎市|宮崎]] |[[日南市|油津]] |[[都城市|都城]] |[[延岡市|延岡]] |[[高千穂町|高千穂]] |- |平均気温 (°C) |18.1 |18.9 |17.3 |17.3 |14.5 |- |降水量 (mm) |2464.5 |2788.5 |2249.5 |2429.5 |2152.0 |- |日照時間(時間) |2247.4 |2080.8 |2077.4 |2202.3 |1898.8 |}--> === 自治体 === [[ファイル:Route220 TachibanaStreet.jpg|thumb|宮崎市[[橘通り (宮崎市)|橘通]]]] [[ファイル:Central Nobeoka from MtAtago 200807.jpg|thumb|延岡市街地]] [[ファイル:Murasho Nishimera Miyazaki Japan 200809.jpg|thumb|西米良村村所]] {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=宮崎県|float=right}} 県北、県央、県西、県南の4地域に以下の9市6郡14町3村がある。宮崎県では、町はすべて「ちょう」、村はすべて「そん」と読む。★は[[出先機関]]の県税・総務事務所が所在する自治体。 ; 県北 :* [[延岡市]]★ :* [[日向市]]★ :* [[東臼杵郡]] :** [[門川町]] - [[諸塚村]] - [[椎葉村]] - [[美郷町 (宮崎県)|美郷町]] :* [[西臼杵郡]]([[西臼杵支庁]]を設置) :** [[高千穂町]] - [[日之影町]] - [[五ヶ瀬町]] : ; 県央 :* [[宮崎市]]([[都道府県庁所在地|県庁所在地]])★ :* [[西都市]] :* [[東諸県郡]] :** [[国富町]] - [[綾町]] :* [[児湯郡]] :** [[高鍋町]]★ - [[新富町]] - [[西米良村]] - [[木城町]] - [[川南町]] - [[都農町]] : ; 県西 :* [[都城市]]★ :* [[小林市]]★ :* [[えびの市]] :* [[北諸県郡]] :** [[三股町]] :* [[西諸県郡]] :** [[高原町]] : ; 県南 :* [[日南市]]★ :* [[串間市]] === 合併済みの市町村 === {{see also|宮崎県の廃止市町村一覧}} ; 平成の大合併 :平成の大合併では以下の各市町村が合併し、[[南那珂郡]]、[[宮崎郡]]が消滅した。 :* [[田野町 (宮崎県)|田野町]]・[[佐土原町]]・[[高岡町 (宮崎県)|高岡町]]を宮崎市へ編入(2006年1月1日) :* 都城市・[[山之口町]]・[[高城町 (宮崎県)|高城町]]・[[山田町 (宮崎県)|山田町]]・[[高崎町]]→都城市(2006年1月1日) ※新市制 :* [[南郷村 (宮崎県)|南郷村]]・[[西郷村 (宮崎県)|西郷村]]・[[北郷村 (宮崎県)|北郷村]]→[[美郷町 (宮崎県)|美郷町]](2006年1月1日) :* [[北方町 (宮崎県)|北方町]]・[[北浦町 (宮崎県)|北浦町]]を延岡市へ編入(2006年2月20日) :* [[東郷町 (宮崎県)|東郷町]]を日向市へ編入(2006年2月25日) :* 小林市・[[須木村]]→小林市(2006年3月20日) ※新市制 :* [[北川町]]を延岡市へ編入(2007年3月31日) :* 日南市・[[北郷町]]・[[南郷町 (宮崎県)|南郷町]]→日南市(2009年3月30日) ※新市制 :* [[清武町]]を宮崎市へ編入(2010年3月23日) :* [[野尻町]]を小林市へ編入(2010年3月23日) 宮崎県では、平成の大合併で周辺町村との新設合併(対等合併)を行った都城市・小林市・日南市の3市はいずれも市名を継承したため、平成の大合併で新名称の市は誕生していない。なお、宮崎県以外に平成の大合併で新しい名称の市が誕生しなかった都道府県は、編入合併のみで新設合併のなかった[[大阪府]]と[[神奈川県]]のほか、[[山形県]]、[[鳥取県]]の各府県である。 == 歴史 == 宮崎県に人々が住み始めたのは、[[中期旧石器時代]]の終わりごろの約5万年前ごろからである。遺跡としては、西臼杵郡日之影町の出羽(いずるは)洞窟と児湯郡川南町の後牟田(うしろむた)遺跡が発掘されており、前者からは片刃・両刃の礫器、後者からは集石遺構・斜軸尖頭器・鋸歯縁(きょしえん)石器(約5万年前と推定)が出土している<ref>長津宗重「文化の曙」 坂上康俊・長津宗重・福島金治・大賀郁夫・西川誠『宮崎県の歴史』山川出版社 1999年 10-11ページ</ref>。 === 神話 === 『[[古事記]]』に「竺紫(つくし)の日向の高千穂のくじふる嶺に天降りまさしめき」とあり、天照大神の孫の[[ニニギ|邇邇藝命]](ににぎのみこと)が降り立った国([[天孫降臨]]神話)。この神の孫である[[山幸彦]]と[[海幸彦]]の争い([[山幸彦と海幸彦]]神話)、さらに、山幸彦の孫であるカムヤマトイワレヒコが、東征して大和橿原宮にて、[[天皇]]に即位し初代天皇[[神武天皇]]となった([[神武東征]]神話)などの神話(日向神話)がある。 === 廃藩置県前 === {{Main|日向国#歴史}} [[令制国]]における宮崎県の領域は、[[日向国]](ただし、[[薩摩国]]及び[[大隅国]]の分立後)とほぼ一致するため、廃藩置県以前の歴史は「日向国の歴史」にて記述。 === 廃藩置県以降 === {{CSS image crop |Image = Modern Japan prefectures map in 1872.jpg |bSize = 2000 |cWidth = 260 |cHeight = 260 |oTop = 950 |oLeft = 190 |Location = right |Description = 1872年([[明治4年]])旧12月の行政区画地図における美々津県及び都城県}} [[廃藩置県]]当初(1871年)、現在の宮崎県域には[[飫肥藩|飫肥県]]・[[延岡藩|延岡県]]・[[高鍋藩|高鍋県]]・[[佐土原藩|佐土原県]]・[[薩摩藩|鹿児島県]]・[[人吉藩|人吉県]]が設置されるが、1871年の府県合併によって[[美々津県]]・[[都城県]]に再編。その後1873年に旧日向国の領域をもって宮崎県が設置された('''初期宮崎県'''と呼称される<ref>『宮崎県史 通史編 近・現代1』(2000年)など。</ref>)。県政のため、県庁を県の中央部に設置する必要が認められた結果、当時は寒村であった[[宮崎郡]]上別府村(現在地)に県庁が移された。1876年8月21日に宮崎県は鹿児島県に合併され、宮崎県庁は[[支庁]]へ格下げされた。 * 1873年1月15日 - 美々津県と都城県の東半分が合併し、ほぼ旧日向国の領域に宮崎県が置かれる。県名は、[[県庁]]の置かれた宮崎郡による。 * 1876年8月21日 - 宮崎県が[[鹿児島県]]に合併され、宮崎支庁が置かれる。 * 1877年 - [[西南戦争]]により当時鹿児島県であった宮崎県域も戦場となり荒廃する。 ** 戦後、鹿児島県が[[薩摩国|薩摩]]・[[大隅国|大隅]]地域の復興を優先し[[日向国|日向]]地域(宮崎県域)の復興を蔑ろにした為、日向国民(宮崎県民)の鹿児島県に対する不信・反感が勃発し、宮崎県再置(分県運動)の一因となった。 * 1879年 - 宮崎支庁管内に宮崎、那珂、児湯、臼杵、諸県の五郡が置かれ、宮崎支庁が廃止される。郡役所は、宮崎と那珂は上別府(宮崎支庁の位置)、児湯は高鍋、臼杵は岡富(現在の延岡市)、諸県は上長飯(現在の都城市)に置かれる<ref name="鹿児島市町村変遷史012">鹿児島県総務部参事室編『鹿児島県市町村変遷史』 鹿児島県、1967年、pp.12-13</ref>。 * 1881年 - 児湯郡役所を廃止し、宮崎郡役所へ統合<ref name="鹿児島市町村変遷史012"/>。 === 宮崎県再置 === [[ファイル:Re-installation of Miyazaki Prefecture 1883.jpg|thumb|分県の太政官達示]] 1883年5月9日 - [[飫肥藩]]士の[[川越進]]<ref>[http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/seikatu/miyazaki101/hito/025/025.html みやざきの101人] - 宮崎県</ref> らによる分県運動の結果、日向国のうち志布志郷・松山郷・大崎郷<ref group="注釈">[[諸県郡]]から[[南諸県郡]]として分離。現在の[[志布志市]]・[[大崎町 (代表的なトピック)|大崎町]]および[[曽於市]]の一部。郷については[[外城制]]を参照。</ref> を除いた地域をもって、国より再置県が認められ分県が成立した('''宮崎県再置'''<ref>『宮崎県大百科事典』(宮崎日日新聞社、1983年)、『宮崎県史 通史編 近・現代1』(2000年)など。</ref>)。なお、同日に[[富山県]]・[[佐賀県]]も再置されている(「明治16年[[太政官布告]]第15号 [[s:ja:富山佐賀宮崎三縣設置|富山佐賀宮崎三縣設置]]」参照)。 分県運動は[[西南戦争]]の旧薩摩藩士族側の敗北により、鹿児島県及び宮崎支庁での旧薩摩藩[[士族]]の影響が少なくなった時点で「鹿児島県所属のままでは、日向国の発展は望まれない」との認識が背景に興り、1880年に[[徳島県]]が[[高知県]]から分離したことで活発になる。旧[[薩摩藩]]領であり、当時日向国最大の都市であった都城が「表立っての賛成はできないが、運動に反対しない」との立場を採ったことは分県運動への大きな弾みとなった<ref group="注釈">この件について『宮崎県史 通史編 近・現代1』(2000年)など宮崎県庁側の文献に当記述がある一方で、『都城市史 通史編 近現代』(2006年)や同書を基とした小中学生向けの副読本『都城の歴史と人物〔増補改訂版〕』(2012年)などといった都城市側の文献では、当時の都城の動向を「不明」としている。</ref>。 1882年に宮崎県再置の案が[[鹿児島県議会|鹿児島県会]]に提出されたがこのときは否決。川越進が県議会議長となった後、1883年3月の県議会で再度案は提出され可決し、5月9日に太政官達示により宮崎県再置が成立した<ref>[http://www.pref.kagoshima.jp/ha01/gikai/syoukai/ayumi/ayumi.html 県議会のあゆみ] - 鹿児島県議会</ref>。 江戸時代の日向国は複数の藩([[飫肥藩]]・[[延岡藩]]・[[高鍋藩]]・[[佐土原藩]]・[[薩摩藩]])が分立していた。この為住民の「日向国」としての意識はやや希薄になっており、宮崎県再置の為の鹿児島県からの分県運動は、日向国民(宮崎県民)として一体となって行動した初めての出来事でもあった。当時の日向は薩摩よりも人口密度が低く、県庁が遠い為に何かにつけ不便であった。分県運動が最高潮となった1881年は、金融が逼迫し、[[自由民権運動]]も盛んだった時期で、鹿児島県による宮崎支庁への支出が徴収される地方税よりも少ないという悲憤もあった<ref>宮崎県企画局『宮崎県経済史』1954年</ref>。一方の薩摩側は当初分離に反対の意向を示していたが、分離した方が財政上有利になるとして、分離を受け入れることになった<ref>『図説 日本の歴史16 図説 富山県の歴史』(1993年10月25日、河出書房新社発行)192ページ『富山県の成立』より。</ref>。 === 宮崎県再置後 === * 1884年 - 九郡・八郡役所設置([[宮崎郡]]、[[南那珂郡]]、[[北那珂郡]]、[[児湯郡]]、[[東臼杵郡]]、[[西臼杵郡]]、[[東諸県郡]]、[[西諸県郡]]、[[北諸県郡]]。宮崎郡と北那珂郡は同一の郡役所) * 1888年 - [[大日本帝国陸軍|陸軍]]宮崎[[大隊区]]設置。 * 1889年 - [[町村制]]実施され、5町(宮崎、[[油津]]、[[細島]]、延岡、都城)95村に統合される。 *: 宮崎大隊区を宮崎[[連隊区]]に改組。 * 1907年 - [[黒北発電所]]の完成により商用電力供給開始。 *: 宮崎連隊区を都城連隊区に改称し、都城に連隊区司令部を建設。 * 1909年 - 都城に熊本から[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[歩兵第64連隊]]転営。 * 1912年 - [[宮崎県章|宮崎県き章]]を制定<ref name="Pref Symbol">[http://www.pref.miyazaki.lg.jp/profile/symbol.htm 宮崎県の紹介] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130617183542/http://www.pref.miyazaki.lg.jp/profile/symbol.htm |date=2013年6月17日 }} - 宮崎県</ref> * 1913年 - 国鉄宮崎線(現[[吉都線]])都城まで開通。[[宮崎県営鉄道]]([[妻線]]・飫肥線)および[[宮崎交通線|宮崎軽便鉄道]](後の[[日南線]])営業開始 * 1916年 - 国鉄宮崎線 宮崎まで開通 * 1917年 - 宮崎県営鉄道(妻線)国有化 * 1923年 - 日本窒素肥料(現・[[チッソ]])延岡工場開業([[旭化成]]の前身)。[[日豊本線]]開通。 * 1924年 - [[宮崎市]]および[[都城市]]、[[市制]]施行 * 1925年 - [[宇垣軍縮]]により歩兵第64連隊は廃止され、代わって熊本から陸軍[[歩兵第23連隊]]転営。 * 1926年 - [[岩切章太郎]]、[[宮崎交通]]の前身である宮崎市街自動車を設立 * 1932年 - 宮崎県庁本館([[宮崎県庁舎]])竣工 * 1934年 - [[霧島屋久国立公園|霧島国立公園]]指定 * 1935年 - 宮崎県営鉄道([[日南線|飫肥線]])国有化。国鉄日ノ影線(後の[[高千穂鉄道高千穂線]])開業 * 1938年 - 12月の県議会で公娼廃止の決議。翌年、芸妓置屋取締り規則が施行され公娼が廃止<ref>公娼廃止いよいよ実施、業者は料理屋に『福岡日日新聞』(昭和14年3月31日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p748 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 * 1939年 - 「[[こどものくに]]」開園 * 1940年 - [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2600年に伴う[[紀元二千六百年記念行事]]を実施。[[宮崎神宮]]の拡張や八紘之基柱(あめつちのもとはしら、現・[[平和台公園]])が整備される。八紘之基柱の完成日となった11月25日に日向日日新聞(現・[[宮崎日日新聞]])が創刊。このころは「[[聖地]]」として宮崎を宣伝していた<ref>[http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=3567&catid=74 67年前の観光案内冊子発見] - 宮崎日日新聞(2007年11月25日付)</ref>。 * 1943年 - 戦時企業統合政策により[[宮崎交通線|宮崎鉄道]]・宮崎バス・都城自動車が合併、[[宮崎交通]]1社となる === 第二次世界大戦後 === * 1947年 - 第1回民選知事選挙、[[安中忠雄]]が初代民選知事(-[[1951年]])として選出される。 * 1949年 - [[宮崎大学]]設立 * 1951年 - 第2回知事選挙、[[田中長茂]]が知事に選出される(-1955年)。 * 1954年 - [[宮崎空港]]開港。隣接して[[航空大学校]]が[[運輸省]]の附属機関として開校。 * 1955年 - 第3回知事選挙、[[二見甚郷]]が知事に選出される(-1959年)。 * 1959年 - 第4回知事選挙、[[黒木博]]が知事に選出される。以降、6回連続当選を果たし1979年まで、20年間の長期にわたり知事職を務める。 * 1960年 - [[島津久永]]・[[島津貴子|貴子]]夫妻新婚旅行。このころ、'''観光宮崎ブーム'''。 * 1964年 - 宮崎県再置80年を記念して[[宮崎県旗]]、県の花としてハマユウ、県の鳥としてコシジロヤマドリを制定<ref name="Pref Symbol"/><ref name="UMK20090816">[http://www.umk.co.jp/genki/backnumber/2009/08/16.html みやざきゲンキTV] - テレビ宮崎(2009年8月16日放送分)</ref> * 1965年 - NHKの連続テレビ小説第5作で放映された[[川端康成]]原作の『[[たまゆら (テレビドラマ)|たまゆら]]』で、[[橘公園通り|橘公園]]や[[青島 (宮崎県)|青島]]、こどものくになどが紹介され、観光宮崎が広く行き渡る。 * 1966年 - 県の木としてフェニックスを制定<ref name="Pref Symbol"/><ref name="UMK20090816"/>。 * 1968年 - [[えびの地震]] * 1973年 - [[小林市]]霧島山麓夷守台にて[[全国植樹祭]]開催 * 1974年 - [[宮崎医科大学]](現・宮崎大学医学部)設立 * 1975年 - 日本最初の[[サファリパーク]]『宮崎サファリパーク』開園(1986年閉園) * 1975年 - 当時、地場資本最大の百貨店であった[[橘百貨店]]倒産(後に[[ジャスコ]]の資本が入り再建、現・ボンベルタ橘) * 1976年 - [[九州縦貫自動車道]][[えびのインターチェンジ|えびのIC]]・[[高原インターチェンジ|高原IC]]間開通 * 1979年 - 当時の現職知事である[[黒木博]]が受託収賄の疑いで逮捕され辞職(後に無罪確定)。出直し知事選で[[松形祐堯]]が選出され、黒木同様2003年までの、6期24年という長期県政を維持する。 * 1979年 - 第34回国民体育大会『[[第34回国民体育大会|日本のふるさと宮崎国体]]』開催。 * 1981年 - 九州縦貫自動車道([[宮崎自動車道]])宮崎市まで全通。 * 1986年 - 小林市霧島山麓夷守台にて[[全国育樹祭]]開催。 * 1993年 - [[総合保養地域整備法]]適用第1号[[シーガイア]]がオープン。 * 2000年 - [[主要国首脳会議|サミット]]外相会合。県内の農家より家畜の[[口蹄疫]]感染を確認する。 * 2001年 - [[東九州自動車道]][[西都インターチェンジ|西都IC]]開通。シーガイアが[[会社更生法]]の適用を申請(直後に[[リップルウッド・ホールディングス]]が買収)。 * 2003年 - 松形の引退後、[[安藤忠恕]]が県知事に選出される(-2006年)。 * 2003年 - 2004年に開催された全国植樹祭を記念して県の木に飫肥杉・ヤマザクラを追加<ref name="Pref Symbol"/><ref name="UMK20090816"/> * 2004年 - [[西都市]]にて[[全国植樹祭]]開催。 * 2005年 - 宮崎交通に対し、[[産業再生機構]]による支援が決定。 * 2006年 - 現職の安藤が[[宮崎県官製談合事件]]関与の疑いで辞職、直後に逮捕された([[最高裁判所 (日本)|最高裁]]上告中に死去した)。 * 2007年 - 宮崎県知事に[[東国原英夫]]が就任。 * 2010年 - [[2010年日本における口蹄疫の流行|口蹄疫の流行]]。東九州自動車道[[高鍋インターチェンジ|高鍋IC]]・[[日向インターチェンジ|日向IC]]開通。[[全国高等学校総合文化祭]]開催。 * 2011年 - 宮崎県知事に[[河野俊嗣]]が就任。 * 2012年 - 東九州自動車道[[須美江インターチェンジ|須美江IC]]・[[北川インターチェンジ|北川IC]]・[[都農インターチェンジ|都農IC]]開通、[[川南パーキングエリア|川南PA]]開設。 * 2014年 ** 3月16日 - 東九州自動車道 [[宮崎市]]から[[延岡市]]まで直結。これにより、県都の[[宮崎市]]と県下第2・第3の都市である[[都城市]]・[[延岡市]]が全て高速道路で連結される。 ** 4月1日 - 高速バス「[[ひむか号]]」運行開始。 * 2015年 ** 3月21日 - 東九州自動車道 宮崎市から[[大分市]]まで直結<ref name="saiki-kamae">[http://www.qsr.mlit.go.jp/n-kisyahappyou/h27/150115/index1.pdf 東九州自動車道 佐伯IC〜蒲江IC 開通のお知らせ〜大分市と宮崎市が高速道路で繋がります!!〜] - 国土交通省九州地方整備局 記者発表資料 平成27年1月15日付</ref> ** 4月1日 - 高速バス「[[パシフィックライナー]]」運行開始<ref name="oita-miyazaki bus1">{{PDFlink|[http://www.miyakoh.co.jp/news/imgs/%A1%DA%BA%C7%BD%AA%A1%DB%B5%DC%BA%EA%A1%C1%C2%E7%CA%AC%CA%CC%C9%DC%C0%FE%20%A1%CA%A3%C8%A3%D0%CD%D1%A1%CB.pdf 平成27年4月1日 東九州自動車道に新高速バス路線誕生!「宮崎・延岡〜大分・別府線」運行開始 〜38年ぶりの直行バス復活を記念し「愛称」募集します〜]}} - 宮崎交通株式会社 News Release 平成27年2月4日</ref><ref name="oita-miyazaki bus2">[http://www.miyakoh.co.jp/news/imgs/%A5%EA%A5%EA%A1%BC%A5%B9%B0%A6%BE%CE%CD%BD%CC%F3%B3%AB%BB%CF%A1%CA%A3%C8%A3%D0%CD%D1%A1%CB.pdf 東九州自動車道経由 高速バス 宮崎・延岡〜大分・別府線 公募の愛称決定しました。いよいよ3/5から予約開始!] - 宮崎交通株式会社 News Release 平成27年3月4日</ref> ** 11月7日 - 県内では初となる[[自動改札機]]が[[宮崎駅]]に設置される。 ** 11月14日 - 公共交通機関に全国相互利用交通系ICカードの[[SUGOCA]](宮崎市内にある鉄道駅の計12駅)と[[nimoca]](宮崎交通の路線バス全線)が導入される。 ** 12月15日 - [[高千穂町]]、[[日之影町]]、[[五ヶ瀬町]]、[[諸塚村]]、[[椎葉村]]の5町村で構成される「高千穂郷・椎葉山地域」が、[[世界農業遺産]]に認定される。 * 2016年 ** 4月24日 - 東九州自動車道 宮崎市から[[北九州市]]までの区間が東九州道で直結。これにより、宮崎市 - [[大分市]]の所要時間は約2時間50分、宮崎市 - [[北九州市]]の所要時間は約4時間20分となる。[[国道10号]]などの一般道のみを利用した場合だと、宮崎市 - 大分市は約5時間25分、宮崎市 - 北九州市は約8時間45分を要していたため、道路交通による[[東九州]]主要都市への所要時間が大幅に短縮される<ref name="shiida-minami buzen">[https://corp.w-nexco.co.jp/corporate/release/hq/h28/0216/ 東九州自動車道(椎田南IC~豊前IC間)は平成28年4月24日(日曜)に開通します] - 西日本高速道路 九州支社 2016年2月16日閲覧</ref>。 ** 9月24日 - 県内では初となる[[スマートインターチェンジ]]「[[山之口サービスエリア|山之口SIC]]」が供用開始<ref name="yamanokuchi SIC">{{Cite web|和書|url=https://corp.w-nexco.co.jp/corporate/release/kyushu/h28/0810/|title=宮崎自動車道『山之口スマートインターチェンジ』が平成28年9月24日(土曜)に開通します ―宮崎県内初のスマートインターチェンジ―|date=2016-08-10|accessdate=2016-08-10|publisher=西日本高速道路株式会社}}</ref>。 * 2017年 ** 3月25日 - 東九州自動車道[[門川南スマートインターチェンジ|門川南SIC]]が供用開始。 * 2018年 ** 3月11日 - 東九州自動車道[[日南北郷インターチェンジ|日南北郷IC]]・[[日南東郷インターチェンジ|日南東郷IC]]開通。 * 2020年 ** 11月20日 - 宮崎駅前に[[アミュプラザみやざき]]が開業。 == 人口 == [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Miyazaki prefecture, Japan.svg|thumb|300px|宮崎県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=45000|name=宮崎県|image=Demography45000.svg}} == 政治 == === 県政 === [[ファイル:宮崎県庁舎.jpg|thumb|right|[[宮崎県庁舎]]]] {{Main|宮崎県知事一覧|宮崎県庁|宮崎県議会}} * [[都道府県知事|知事]]:[[河野俊嗣]](こうの しゅんじ、3期目) ==== 県のシンボル ==== 詳細は宮崎県公式ウェブサイト<ref name="Pref Symbol"/> を参照。 [[ファイル:Emblem of Miyazaki Prefecture.svg|thumb|100px|宮崎県き章]] [[ファイル:Flag of Miyazaki Prefecture.svg|thumb|100px|border|宮崎県旗]] ; [[宮崎県章|宮崎県き章]] : 1912年制定 ; [[宮崎県旗]] : 宮崎県再置80年を記念して1964年に制定 ; 県の木 : 「緑のニッポン全国運動」の一環として1966年に県民の投票をもとに[[カナリーヤシ|フェニックス]]が県緑化推進委員会で決定され<ref name="Pref Symbol"/>、2003年に[[全国植樹祭]]開催を記念して[[飫肥杉]]・[[ヤマザクラ]]がそれぞれ制定された。 ; 県の花 : 宮崎県再置80年を記念して[[ハマユウ]]が1964年に制定 ; 県の鳥 : 宮崎県再置80年を記念して[[コシジロヤマドリ]]が1964年に制定。県内では[[双石山]]・霧島山に生息する。 ; [[宮崎県民歌]] : 現行の県民歌は2代目に当たり、県の再置80周年を記念して1964年に制定された。作詞・[[宮崎県民歌#作詞者|酒井祐春]]、作曲・[[飯田信夫]]。 ; キャラクター([[ゆるキャラ]]) : 2011年11月11日にシンボルキャラクターとして3匹の'''[[みやざき犬]]'''(みやざきけん)が設定された。それぞれ「ひぃ」「むぅ」「かぁ」と名付けられている。寺島愛子の作品を元にデザイン化された<ref>[http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/shoko/appeal/all_miyazaki/page00067.html 宮崎県の新しいシンボルキャラクターの愛称及びデザインを発表します!] - 宮崎県、2011年11月11日。</ref>。 ==== 財政 ==== ===== 2012年度(平成24年度) ===== * [[財政力指数]] 0.30(都道府県平均 0.46) ** Eグループ(財政力指数0.300未満)12自治体中1位 * 標準財政規模 3251億5925万円 * 経常収支比率 92.9%(都道府県平均 94.6%) * 将来負担比率 153.8%(都道府県平均 210.5%) * [[実質公債費比率]] 17.1%(都道府県平均 13.7%) * 人口100,000人当たり職員数 1,384.77人(都道府県平均 1,110.90人) * [[ラスパイレス指数]] 105.8(都道府県平均 107.4) 地方債残高 * 普通会計分の債務 1兆536億5900万円 * 上記以外の特別会計(公営企業会計)の債務 410億7100万円 ===== 2011年度(平成23年度) ===== * 財政力指数 0.30(47都道府県平均 0.47) ** Dグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)12自治体中12位 ==== 県内の主な施設 ==== * [[宮崎県庁舎]](宮崎市) * [[宮崎県警察]]本部(宮崎市) ** [[宮崎県総合自動車運転免許センター]](宮崎市) * [[宮崎県立芸術劇場]](メディキット県民文化センター) * [[宮崎県立図書館]] * [[宮崎県立美術館]] * [[宮崎県総合博物館]] * [[宮崎県総合運動公園]](宮崎市熊野) * 宮崎県立西都原考古博物館(西都市) === 国政 === ==== 国会 ==== {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#宮崎県|宮崎県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が3。[[参議院]]では、全県で1区を構成。(2011年現在) ==== 裁判所 ==== {{col| ; [[裁判所]] :* [[福岡高等裁判所宮崎支部]] :* [[宮崎地方裁判所]]・[[宮崎家庭裁判所]] :** 日南支部 :** 延岡支部 :** 都城支部 :** 宮崎家庭裁判所日向出張所 :** 宮崎家庭裁判所高千穂出張所 | ; [[検察審査会]] :* 宮崎 :* 延岡 :* 都城 | ; [[簡易裁判所]] :* [[宮崎簡易裁判所]] :* [[日南簡易裁判所]] :* [[延岡簡易裁判所]] :* [[都城簡易裁判所]] :* [[日向簡易裁判所]] :* [[西都簡易裁判所]] :* [[小林簡易裁判所]] :* [[高千穂簡易裁判所]] }} ==== 自衛隊 ==== [[ファイル:Nyutabaru Air Base 200812.jpg|thumb|新田原基地]] [[防衛省]] * [[陸上自衛隊]] ** [[えびの駐屯地]] ** [[都城駐屯地]] * [[海上自衛隊]] ** [[えびの送信所]] * [[航空自衛隊]] ** [[新田原基地]] ** [[高畑山分屯基地]] * [[自衛隊宮崎地方協力本部]] * [[地方防衛局]] ** [[九州防衛局]]熊本防衛支局宮崎防衛事務所 == 経済・産業 == 総県民所得 約3兆16億円(全国第36位 [[国民所得]]に占める割合0.77% 2000年度調べ。本項目において、以下同じ)、1人当たり県民所得 約256万円(全国第37位 全国平均約308万円の約83% 国内最高である東京都約440万円と比較すると約58%)と低所得の自治体に位置するが、物価水準もそれに伴って低い<ref>[https://www.stat.go.jp/data/cpi/sokuhou/chiiki/index-c.html 総務省統計局『平成21年平均消費者物価地域差指数の概況』] など</ref> ため、所得格差ほどの生活水準の低さはない。 県民所得に占める[[第一次産業]]の比率が国内で最も高い(5.6% 全国平均は1.2%)。 === 第一次産業 === ==== 農業 ==== 日本有数の農業県であり、平成29年の統計では、農業産出額全国5位である<ref>[https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files/data?sinfid=000031813108&ext=pdf 農林水産省 平成29年生産農業所得統計](2007年)は全国6位(九州2位)</ref>。温暖な気候を利用し、稲作においては[[早場米#超早場米|超早場米]]の生産地として有名であり、また、野菜・果実などの[[促成栽培]]、[[タバコ|葉たばこ]]・サツマイモなどの商品性作物の生産が盛ん。また、牧畜業は乳牛・肉牛・豚・鶏の全てにおいて日本有数の生産高を誇る。以前はそれほど知名度が高くなかった農畜産物も、2007年に知事に就任した[[東国原英夫]]の全国規模のマスメディア露出により急速に知名度を上げている。 県中央部に広がる[[宮崎平野]]では、冬季の日照に恵まれた温暖な気候を利用して様々な野菜が栽培されている<ref>宮崎の野菜史 p.28</ref>。1953年から1960年にかけてビニールハウスが普及した<ref>宮崎の野菜2009 pp.66</ref>。 '''[[ダイコン]]'''の作付け面積は日本国内3位であり、特に秋冬物の生産量は日本一である。[[切り干し大根]]は古くから作られていたが、1906年、[[愛知県]]から[[宮崎郡]]住吉村(現在の[[住吉地域自治区]])へ移住した長谷川弥七らによって本格的な生産が始められた。[[大正]]時代に鉄道や港湾が整備されると[[北部九州]]方面あるいは[[東京]]方面へも出荷されるようになった。初期の産地は[[宮崎市]]周辺であったが、後に周辺部へ移り、現在は[[国富町]]と[[清武町]]が主要産地となっている。作付面積は1,000ヘクタール以上、生産量5,500トン、生産額23億円は日本一である<ref>宮崎の野菜史 p.5, 8, 82, 141</ref>。 '''[[キュウリ]]'''は1895年、宮崎市上野町(現在は[[小戸地域自治区]]に属する)で栽培が始まった。現在では[[宮崎市]]、[[西都市]]、[[国富町]]、[[新富町]]、[[綾町]]が主要産地であり[[大阪]]、東京、[[福岡県]]へ出荷される。2007年における生産量は60,700トン、生産額は185億円で[[群馬県]]に次いで日本国内2位、特に冬春物は1位である<ref>宮崎の野菜2009 p.3,66</ref>。 '''[[ピーマン]]'''は昭和初期、[[高知県]]からの移住者により本格的な生産が始められ、昭和40年代以降に普及した<ref>宮崎の野菜史編集委員会編・発行 『宮崎の野菜史』 p.58、2006年</ref>。現在では西都市、宮崎市、新富町、[[日南市]]、国富町が主要産地であり大阪、東京、名古屋へ出荷される。2007年における生産量は29,400トン、生産額は110億円で[[茨城県]]に次いで日本国内2位、特に冬春物は1位である<ref>宮崎の野菜2009 p.4</ref>。 * 全国第一位 [[スイートピー]]、[[ブロイラー]]、[[切り干し大根]]、[[ヒュウガナツ|日向夏]]生産量 * 椎茸栽培 [[シイタケ|乾し椎茸]]の生産高は全国第2位。その他、全国2位のものは多い。 * [[マンゴー]] 「太陽のタマゴ」と銘打つブランドを展開<ref>[http://www.miyazakibrand.jp/brand-list/14-mango/ みやざきブランド推進本部] 完熟マンゴー「太陽のタマゴ」</ref>。 * [[畜産]] 「宮崎牛」と呼ばれるブランドを展開しており、内閣総理大臣賞を3年連続受賞など、優秀な成績を収めている。 *:県下[[都城市]]は、2019年「市町村別農業産出額合計」及び「市町村別農業産出額畜産計」が全国第1位である他、その内訳の「肉用牛(都城牛)」及び「豚」が全国第1位、「鶏」「鶏うち[[ブロイラー]]」が全国第2位となっている<ref>{{cite news|title=市町村の姿 グラフと統計でみる農林水産業 ランキング 宮崎県都城市|author=農林水産省|url=http://www.machimura.maff.go.jp/machi/ranking/result_city.php|accessdate=2021-08-29}}</ref>。 ==== 漁業 ==== [[油津港]]や[[細島港]]などを本拠とした[[沖合漁業|沖合]]・[[遠洋漁業]]が盛んであり、近海[[カツオ]]一本釣り・沿岸[[マグロ|まぐろ]][[延縄|はえ縄]]・[[ウルメイワシ]]については漁獲量日本一を誇るが、大消費地に近い漁港で水揚げを行うため、県内の漁港の水揚げ量は少ない。近年では[[鹿児島県]]と共に九州産の[[ウナギ]]の養殖でも知られるようになってきている。 ==== 林業 ==== 国産建築材料の供給基地としての役割を担っている。県木に指定されている[[飫肥杉]]は[[シロアリ]]の殺蟻活性成分を持ち、生産高は全国一の生産高を占める。 === 第二次産業 === ==== 鉱業 ==== かつては、[[銅|銅鉱]]、[[錫|錫鉱]]などが採掘されたが、現在ほぼ全てが閉山となっている([[日本の鉱山の一覧#宮崎県]]参照)。 [[西臼杵郡]][[高千穂町]]の旧土呂久鉱山においては、[[三酸化二ヒ素|亜砒酸]]を製造する「亜ヒ焼き」が行われ、[[重金属]]の粉塵、[[二酸化硫黄|亜硫酸ガス]]の飛散、坑内水の川の汚染で[[公害]]([[土呂久砒素公害]])が発生している。 ==== 工業 ==== 宮崎県は隣県の[[大分県]]と共に、[[東九州]]地域を医療機器産業の拠点として整備をする[[東九州地域医療産業拠点構想]](通称・東九州メディカルバレー構想)を発表している。 ; 農産品加工業 : [[焼酎]]、木工家具、[[ワイン]]、[[乳製品]]など ; [[化学工業]] : 県北の[[延岡市]]は[[旭化成]]発祥の地であり、戦前より[[九州山地]]の水資源を活かした[[水力発電]]を利用して近代産業化を推し進め、市街地には工場群や関連企業が多数立地し[[企業城下町]]を形成している。また、同じ県北の[[日向市]][[細島港]]近辺にも、小規模ながら複数の生産拠点を置いている。 : 近年、同社の製造拠点海外化などの影響を受け生産量は縮小気味であるが、医療・電子の先進分野に力を入れている。 ; [[製紙業|製紙工業]] : 県南[[日南市]]に、[[日本パルプ工業]]を起源とする、[[王子製紙]]日南工場がある。 ; その他 [[ファイル:HITACHI PLASMA DISPLAY LIMITED Headquarters 01.JPG|thumb|旧・[[日立プラズマディスプレイ]](現在はソーラーフロンティア宮崎第3工場として運用)]] : 宮崎市郊外・東諸県郡では、空港への至近性と純度の高い水資源を活かした[[半導体]]・[[プラズマディスプレイ|PDP]]・[[ソーラーパネル]]・[[医薬品]]などの先端産業が立地している。 === 第三次産業 === ==== 商業 ==== {{出典の明記|section=1|date=2010年12月}}<!--商圏の概略、顧客の流出について検証可能性を満たすソースを提示ください。--> 県の経済規模が小さいほか、交通の便などの事情もあり商圏が県内一円にほぼ限られるため、地域[[商業]]の域を出ていない。有力な地元百貨店がなく、顧客の鹿児島・熊本・福岡への流出が見られる。また、地場の[[スーパーマーケット]][[フランチャイズチェーン|チェーン]]も有力なものがなく、[[イオングループ]]など進出に対する地元商業の状況は非常に厳しい。<!-- 利用電話も、他社の進出が遅れたため[[日本電信電話|NTT]]のシェアが80%を占める。--><!--「利用電話」が何を指すのか不明(固定電話?携帯電話?)。および統計情報が必要。--> === 主要な企業 === 県内に本社または拠点事業所を置く主要な企業を挙げる。 {{Multicol}} * [[宮崎交通]](宮崎市、本社) * [[ソラシドエア]](宮崎市、本社) * [[ホンダロック]](宮崎市、本社) * [[雲海酒造]](宮崎市、本社、発祥の地は西臼杵郡五ヶ瀬町) * [[デルコンピュータ]](宮崎市) * [[伊勢化学工業]](宮崎市) * 九州安井化学(宮崎市) * 相馬工業(宮崎市) * 丸栄工業(宮崎市) * [[SUMCO TECHXIV]](宮崎市) * [[宮崎エプソン]](宮崎市) * 宮崎沖電気(宮崎市) * [[ソーラーフロンティア]](宮崎市、東諸県郡国富町) * [[ハンズマン]](都城市、本社) * [[霧島酒造]](都城市、本社) * [[南日本酪農協同]](都城市、本社) * [[住友ゴム工業]](都城市、もともとは「オーツタイヤ」) * [[吉川工業アールエフセミコン]](新富町、本社){{Multicol-break}} * [[旭化成]](延岡市、総支社) * [[旭有機材]](延岡市、本社) * [[センコー]](延岡市) * 山崎産業(延岡市、本社) * [[三井 (宮崎県)|三井]](延岡市、本社) * 吉玉精鍍(延岡市) * [[第一糖業]](日向市、本社) * [[ピーエス三菱]](日向市) * [[メディキット]](日向市) * [[王子製紙]](日南市、もともとは「[[日本パルプ工業]]」) * 株式会社ニチワ(日南市) * [[宝ホールディングス|宝酒造]](児湯郡高鍋町) * 南九州化学(児湯郡高鍋町) * 宮崎ダイシンキヤノン(児湯郡木城町) * [[東横化学]](東諸県郡国富町、宮崎営業所) * 児湯食鳥(児湯郡川南町) * 宮崎県農協果汁(児湯郡川南町) {{Multicol-end}} == 生活・交通 == === 警察 === * [[宮崎県警察]] === 交通 === ==== 空港 ==== [[ファイル:Miyazaki Airport Feb 2008.jpg|thumb|right|宮崎空港]] 宮崎市に[[宮崎空港|宮崎ブーゲンビリア空港]]が所在する。なお、高千穂町など北部山間部では[[熊本空港|阿蘇くまもと空港]]、えびの市などでは[[鹿児島空港]]のほうが至近である。 * [[宮崎空港]](宮崎ブーゲンビリア空港) ** 就航都市 *** 国内線:[[東京国際空港|東京/羽田]]、[[成田国際空港|東京/成田]]、[[大阪国際空港|大阪/伊丹]]、[[関西国際空港|大阪/関西]]、[[中部国際空港|名古屋/中部]]、[[福岡空港|福岡]]、[[那覇空港|沖縄/那覇]] *** 国際線:{{KOR}}([[仁川国際空港|ソウル/仁川]])、{{TWN}}([[台湾桃園国際空港|台北/桃園]]) ==== 鉄道路線 ==== [[ファイル:宮崎駅前.jpg|thumb|[[宮崎駅]] 高千穂口(西口)]] [[ファイル:Hyugashi Station west entrance.jpg|thumb|[[日向市駅]]]] [[ファイル:JR Kyushu 713 series set D901.jpg|thumb|日豊本線を走行する普通列車([[国鉄713系電車|713系電車]])]] 鉄道は[[JR線]]5路線があるが、北に隣接する[[大分県]]とともにJR線(旧国鉄)以外の普通鉄道がない<ref group="注釈">ただし、大分県には[[別府ラクテンチケーブル線]]がある。宮崎県内においても、2007年(平成19年)までは[[延岡駅]]から[[第三セクター鉄道]]の[[高千穂鉄道]][[高千穂鉄道高千穂線|高千穂線]]が分岐していた。</ref>。鉄道事業者が県内に1つしかない県は、宮崎県のほかに[[沖縄県]]がある。県内の普通列車の本数は宮崎市近郊を除いて毎時1本以下となっている。 * [[九州旅客鉄道]](JR九州) ** [[日豊本線]](延岡・宮崎・都城を結び、北九州・大分・鹿児島方面に接続する) ** [[日南線]](宮崎市から日南・串間を南下し、鹿児島県志布志市に至る) ** [[宮崎空港線]](宮崎空港と宮崎市街地を結ぶ) ** [[吉都線]](都城市から小林・えびのを経由し鹿児島県湧水町に至る) ** [[肥薩線]](県内の駅はえびの市の[[真幸駅]]のみ。宮崎県最初の開通路線) 以上の路線は全区間[[単線]]となっており、[[徳島県]]と並んで単線のみの県となっている。ただし、徳島県の[[佐古駅]]〜[[徳島駅]]間は[[単線並列]]区間であるため、狭義での複線区間がない県は宮崎県のみである。また、県内は長らく[[九州旅客鉄道|JR九州]]管内で[[SUGOCA]]・[[Suica]]などの鉄道系[[IC乗車カード]]で乗車可能な駅が全く無い区域となっていたが、2015年11月14日より[[宮崎駅]]を中心とする12駅にてSUGOCAの利用が可能となっている。[[特急列車]]も含めた県内の鉄道のほとんどが[[ワンマン運転]]を実施している。 ; 過去の鉄道路線 :* [[日本国有鉄道]] :** [[妻線]](旧・[[宮崎県営鉄道]]妻線。1917年買収・国有化。1984年廃止) :** [[細島線]](1972年日豊本線に編入。1993年廃止) :** [[油津線]](旧・宮崎県営鉄道飫肥線。1935年買収・国有化。1941年廃止) :** [[志布志線]](1987年廃止) :* [[宮崎交通]] :** [[宮崎交通線]](1962年廃止、現日南線) :* [[高千穂鉄道]] :** [[高千穂鉄道高千穂線|高千穂線]](2005年休止、2008年廃止) ==== バス事業者 ==== [[ファイル:Miyazakitotsu 1086.JPG|thumb|宮崎交通の高速バス(はまゆう号)]] 宮崎県に事業拠点を置く路線バス事業者。ほぼ宮崎交通の独占となる。 * [[宮崎交通]] - 県内の大半のバス路線を運行 * [[高崎観光バス]] - 主に都城市と周辺市町(平成の大合併で都城市と合併した市町村を含む)でバス路線を運行。一部は宮崎交通の路線を引き継いでいる。 * [[鹿児島交通]] - [[いわさきグループ]]。鹿児島県のバス事業者で、宮崎県内では都城市に営業所を置き、都城市と大隅半島を結ぶ路線を運行する。 * [[JR九州バス]] - 定期路線は高速バス(フェニックス号、B&Sみやざき号)のみ。かつては[[日肥線]]・[[宮林線]]などの一般路線を運行していた。 * '''県内発着の高速バス・特急バス路線''' ** [[福岡 - 宮崎線|フェニックス号]](宮崎 - 福岡) ** [[ごかせ号]](延岡・高千穂 - 福岡) ** [[ブルーロマン号]](宮崎 - 長崎) ** [[なんぷう号]](宮崎 - 熊本) ** [[たかちほ号|たかちほ号・あそ号]](延岡・高千穂 - 高森・熊本) ** [[B&Sみやざき号]](宮崎 - 新八代駅) ** [[ハッコートラベル|ハッコーライナー]](日向・延岡・高千穂 - 福岡) ** [[山口運送 (宮崎県)|みとシティライナー]](西都・宮崎 - 福岡) ** [[サンマリンライナー]](宮崎 - 益城・福岡) ==== 道路 ==== 宮崎県は九州で最も[[道路改良率]]の低い県で、2018年4月1日現在で一般国道で83.3%(全国44位)、県道で61.3%(全国36位)となっている<ref>「九州各県の道路整備状況」『[https://www.pref.miyazaki.lg.jp/dorokensetsu/shakaikiban/kotsu/20200729155258.html みやざきの道路2020]』 宮崎県県土整備部、2020年 p.2</ref>。[[高規格幹線道路]]の供用率は74%(2020年3月末現在)で、これも九州平均 (85%) を下回る<ref>「高規格幹線道路」『みやざきの道路2020』p.7</ref>。 [[ファイル:Miyazaki EXP Kiyotake.jpg|thumb|宮崎自動車道(宮崎市)]] [[ファイル:Higashi Kyushu EXP Terasako-chocho-Ohashi 01.JPG|thumb|東九州自動車道<br />(寺迫ちょうちょ大橋、日向市)]] [[ファイル:Hitotsuba Road Miyazaki Japan.jpg|thumb|一ツ葉道路(北線)]] ; 高速道路・自動車専用道路・一般有料道路など :* 高規格幹線道路 :** [[高速自動車国道]](A路線) :**:[[九州縦貫自動車道]] :**:: 鹿児島線 : [[九州自動車道]]({{Ja Exp Route Sign|E3}}) ※宮崎線との重複区間を含む。 :**:: 宮崎線 : [[宮崎自動車道]]({{Ja Exp Route Sign|E10}}) :**: [[九州横断自動車道]] :**:: 延岡線 : [[九州中央自動車道]]({{Ja Exp Route Sign|E77}}) :**: [[東九州自動車道]]({{Ja Exp Route Sign|E10}}/{{Ja Exp Route Sign|E78}}) :** [[高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路]](A'路線) :**: 東九州自動車道並行路線 :**:* [[延岡道路]] :**:* [[延岡南道路]] :**:* [[日南・志布志道路]] :**:* [[油津・夏井道路]] :**: 九州中央自動車道並行路線 :**:* [[蘇陽五ヶ瀬道路]] :**:* [[五ヶ瀬高千穂道路]] :**:* [[高千穂雲海橋道路]] :**:* [[高千穂日之影道路]] :**:* [[北方延岡道路]] :* [[地域高規格道路]] :** [[宮崎東環状道路]]([[一ツ葉道路]](北線、南線({{Ja Exp Route Sign|E98}}))・[[広瀬バイパス]]・[[春田バイパス]]) :** [[宮崎環状道路]]([[住吉道路]]) :** [[都城志布志道路]]([[都城道路]]・[[都城東環状線]]) :** [[延岡インターアクセス道路]] : ; 一般国道 :[[ファイル:Route269 Tenman Bridge.jpg|thumb|国道269号天満橋(宮崎市)]] :[[ファイル:Route265 Nishimera Omata 01.jpg|thumb|国道265号(西米良村尾股)]] :県内には18の[[一般国道]]が通過しているが、そのうち国が管理する路線([[指定区間]])は[[国道10号]]・[[国道220号]]および[[国道218号]]高千穂日之影道路・北方延岡道路(九州中央自動車道区間)の計3路線のみである。2019年4月1日現在の改良率は85.5%。全路線舗装済みであるが、そのうち19.8%は簡易舗装である<ref>「第3章 道路」『[https://www.pref.miyazaki.lg.jp/gijutsukikaku/doboku/kendosebishoukai/20200702161527.html 県土整備行政概要(2020年6月)]』宮崎県県土整備部、2020年。</ref>。なお、県内だけで完結する国道は1つもなく、どの路線も県外を経由する区間が存在する。 * [[国道10号]] - 延岡・宮崎・都城の3市を結び、大分・鹿児島とも連絡する * [[国道218号]] - 延岡市から高千穂を経由し熊本へ向かう。県北を横断 * [[国道219号]] - 宮崎市から西都・西米良を経由し、熊本県球磨地方へ向かう * [[国道220号]] - 宮崎市から日南・串間を経由し、鹿児島県大隅地方へ向かう * [[国道221号]] - 都城市から小林・えびのを経由し熊本県人吉市へ向かう * [[国道222号]] - 日南市と都城市を結ぶ * [[国道223号]] - 高原町から霧島山を経由し鹿児島県霧島市へ向かう * [[国道265号]] - 小林市から西米良・椎葉を経由し熊本県阿蘇地方へ向かう、九州山地縦断ルート * [[国道268号]] - 宮崎市と小林・えびのを結ぶ * [[国道269号]] - 宮崎市と都城市を結び、鹿児島県大隅地方へ向かう * [[国道325号]] - 高千穂町と熊本県阿蘇地方を最短距離で結ぶ * [[国道326号]] - 延岡市と大分を最短距離で結ぶ * [[国道327号]] - 日向市と椎葉村を結ぶ * [[国道388号]] - 九州山地横断ルートと延岡市以北の日豊海岸に沿うルートがある * [[国道446号]] - 日向市東郷町と美郷町南郷区を結ぶ * [[国道447号]] - えびのから鹿児島県伊佐市へ向かう * [[国道448号]] - 日南・串間の海岸線を通る * [[国道503号]] - 五ヶ瀬・諸塚を飯干峠で結ぶ ; 県道 :[[ファイル:Route220 miyazaki uchiumi.jpg|thumb|県道377号内海加江田線(堀切峠付近、撮影当時は国道220号)]] :県は195の[[都道府県道|県道]]を指定しており、そのうち48路線が[[主要地方道]](路線番号が1から54)、147路線が一般県道(路線番号が102から454)である<ref>「道路の整備」『みやざきの道路2020』 p.15</ref>。2019年4月1日現在の改良率は主要地方道が74.2%、一般県道が49.8%である。路線名については[[宮崎県の県道一覧]]を参照。また、[[宮崎県道路公社]]が管理する有料道路として[[一ツ葉道路|一ツ葉有料道路]]がある。かつて[[小倉ヶ浜有料道路]]も同社が管理をしていたが、2013年5月9日に償還が完了したため無料開放された。 ==== 海運 ==== [[ファイル:Osaka-express JAPAN.jpg|thumb|宮崎カーフェリー]] ; 港湾 :[[重要港湾]]の一覧。 :* [[細島港]] :* [[宮崎港]] :* [[油津港]] :{{See also|日本の漁港一覧#宮崎県}} : ; 定期就航路線 :* [[宮崎カーフェリー]] :** [[宮崎港]] - [[神戸港]] 毎日運航 :* [[日豊汽船]] :** 島野浦港 - 浦城港 毎日運航 === 医療・福祉 === {{main|Category:宮崎県の医療機関}} ; [[災害拠点病院]] :* [[宮崎県災害拠点病院]] : ; [[救急医療#三次救急医療|第3次]][[救急指定病院]]([[救命救急センター]]) :* [[県立宮崎病院]] :* [[県立延岡病院]] :* [[宮崎大学医学部附属病院]] : ; [[保育所]] :* [[宮崎県保育所一覧]] === 教育 === [[ファイル:University of Miyazaki Main Street 01.jpg|thumb|宮崎大学(木花キャンパス)]] [[ファイル:MIYAZAKI Municipal University Entrance.jpg|thumb|宮崎公立大学]] [[ファイル:Kyushu University of Health and Welfare.JPG|thumb|九州保健福祉大学]] [[ファイル:Minamikyusyuudaigaku6.JPG|thumb|南九州大学(宮崎キャンパス)]] ; [[大学]] :;国立 ::* [[宮崎大学]] :: :;公立 ::* [[宮崎県立看護大学]] ::* [[宮崎公立大学]] :: :;私立 ::* [[九州保健福祉大学]] ::* [[宮崎国際大学]] ::* [[宮崎産業経営大学]] ::* [[南九州大学]] : ; [[短期大学]] :;私立 ::* [[宮崎学園短期大学]] ::* [[南九州大学短期大学部]] : ; [[通信制大学]] :;私立 ::* [[放送大学]] 宮崎学習センター : ; [[高等専門学校]] :;国立 ::* [[都城工業高等専門学校]] : ; [[専修学校]] :* [[宮崎県専修学校一覧]] : ; [[特別支援学校]] :* [[宮崎県特別支援学校一覧]] : ; [[高等学校]] :* [[宮崎県高等学校一覧]] : ; [[中学校]] :* [[宮崎県中学校一覧]] : ; [[小学校]] :* [[宮崎県小学校一覧]] : ; [[幼稚園]] :* [[宮崎県幼稚園一覧]] : ; その他教育機関 ; [[省庁大学校]] :* [[航空大学校]] 宮崎キャンパス : ; [[農業大学校]] :* [[宮崎県立農業大学校]] == マスメディア == [[ファイル:Miyazaki Nichinichi Shinbun Main.jpg|thumb|宮崎日日新聞<br />2024年4月よりエフエム宮崎も入居(予定)<ref>「[https://www.the-miyanichi.co.jp/kennai/_74815.html エフエム宮崎 本社移転 来年4月、宮日会館に]」『宮崎日日新聞』2023年12月1日18面。</ref>]] [[ファイル:Miyazaki Broadcasting 2009.JPG|thumb|MRT宮崎放送]] [[ファイル:JODI-TV Studio.jpg|thumb|UMKテレビ宮崎]] === 新聞 === * [[宮崎日日新聞]] * [[夕刊デイリー]](近畿圏で発行されている[[デイリースポーツ]]の夕刊とは別物) * [[読売新聞]]、[[朝日新聞]]、[[毎日新聞]]、[[日本経済新聞]]、[[西日本新聞]]、[[南日本新聞]]も県内に支局・通信部がある 宮崎県全域を対象とする[[地方紙]]として宮崎日日新聞があり、県北部(延岡・日向)を中心に夕刊紙の夕刊デイリー新聞が発刊されている。 読売・朝日・毎日は宮崎版で県内の記事を扱う。南日本新聞は鹿児島県の地方紙であるが県西部(諸県)においても販売されており、宮崎県政・県西部の話題についても「鹿児島県内のニュース」と同様に扱うことがある。読売新聞は宮崎日日新聞の工場にて県内全域と鹿児島県([[北薩]]及び離島除く)向けに発行される分を委託印刷している。なお、西日本新聞は2018年3月31日をもって宮崎・鹿児島両県での発行を終了した([[西日本スポーツ]]も同様)。 === テレビ === * [[NHK宮崎放送局]](1960年7月開局) * [[宮崎放送]] (MRT)([[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列、1960年10月開局) * [[テレビ宮崎]] (UMK)([[フジニュースネットワーク|FNN]]/[[フジネットワーク|FNS]](主体)・[[日本ニュースネットワーク|NNN]]・[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]系列([[クロスネット局]])、1970年4月開局) 宮崎県は、他県で多くの放送局([[平成新局]])が開局しチャンネル数が増加した後も、[[放送#放送対象地域|放送対象地域]]とする[[民間放送]]は[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]がメインのテレビ宮崎 (UMK) とTBS系列の宮崎放送 (MRT) の2局のみである。なお 1990年代に第3民放テレビ局ができる予定だったが、断念しており、現在も新局開局の予定・目途は立っていない([[#3局目の民間放送局構想|別項詳述参照]])。 民放が2局しかない県は他に([[福井県]]・[[山梨県]])があるが、これらの県は共聴設備・[[ケーブルテレビ]] (CATV) または直接の地域外受信により隣県の放送局が視聴可能な地域が大半である。これに対し、本県では後述のように民放数の割にはケーブルテレビの普及率が低いこと、また地域外受信もえびの市・都城市・串間市・三股町などの一部で鹿児島県を放送対象地域とする民放<ref>「資料編 サービスエリア」『KKB鹿児島放送35年のあゆみ』鹿児島放送、2019年3月 p.55</ref><ref group="注釈">『KKB鹿児島放送35年のあゆみ』掲載のサービスエリア図では、えびの市と都城市(鹿児島県境に近い地域)は「親局・中継局のカバーエリア」、都城市(左記以外の地域)と三股町、串間市は「共同アンテナまたは高性能アンテナ利用によるエリア」としている。また宮崎日日新聞では2011年7月23日付まで、鹿児島県の放送局の番組表を(KTS 串間・三股 33)のようにアナログテレビ放送のチャンネル番号とともに掲載していた(えびの市は[[吉松中継局]]、都城市は[[末吉中継局]]、串間市と三股町は[[鹿屋中継局]])。</ref> が、五ヶ瀬町などの一部で熊本県を放送対象地域とする民放<ref>『五ヶ瀬町史』(1981年)。なお、宮崎日日新聞の番組表にはケーブルテレビで再送信されていない[[テレビ熊本]]が掲載されている。</ref> が視聴できるにとどまっていることから、日本国内では相対的な情報格差が存在するとされている。 なお、民放が2局しかないためテレビをつけているときは視聴中でない方の局を「裏」または「反対」と呼ぶことがある<ref>宮崎日日新聞(2006年1月1日付)</ref>。 宮崎県は民放が2局以下の県の中ではケーブルテレビの普及率が最も低い42.5%(2020年度末現在)<ref>{{PDFlink|[https://www.soumu.go.jp/main_content/000504511.pdf ケーブルテレビの現状 令和3年9月版]}} 総務省情報流通行政局地域放送推進室、2021年9月。[https://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/ictseisaku/housou_suishin/catv_toukei.html ケーブルテレビ政策ポータルサイト]にて公開。</ref> であるが、その一方で[[日本における衛星放送|衛星放送]]加入率が高い<ref>{{PDFlink|[http://www.cab-j.co.jp/frame2/cab2007_1.pdf CAB-J MEDIA DATA 2007]}} 衛星テレビ広告協議会([http://www.cab-j.co.jp/ 公式サイト])。ただし、ケーブルテレビ・IP放送の合算。</ref><ref>朝日新聞(1997年10月26日付、宮崎版)。同記事では、1997年9月末時点でパーフェクTV!(現・[[スカパー!プレミアムサービス|スカパー!]])の加入率が2.09%で1位(2位は福井県で1.69%)であり、NHK-BSやWOWOWの加入率も上位に位置しているとしている。</ref>。 [[ビデオリサーチ]]による通常の機械式[[視聴率]]調査が最後(2021年10月)に開始された都道府県の一つ(他には、福井県・山梨県・[[徳島県]]・[[佐賀県]])である<ref>[https://www.videor.co.jp/press/2021/210705.html 「全放送エリア・365日・個人単位」でテレビ視聴データの提供を実現~新たに山梨/福井/徳島/佐賀/宮崎 地区で新視聴率調査開始~] ビデオリサーチ、2021年7月5日。</ref>。2020年時点では年4回(2月・6月・10月・12月)の特定の1週間に日記式で調査が行われていた<ref>[https://ad.ntv.co.jp/guide/rating/index-rationg3.html 調査エリアってどうなってるの?] 日テレ営業局 総合ポータルサイト、2021年5月27日閲覧。</ref>他、2020年3月30日以降は全国視聴率を算出するための機械式調査は行われていた<ref>({{PDFlink|[https://www.videor.co.jp/press/images/tvrating_release_1.pdf 視聴率調査、変わります~2020年3月30日より大幅リニューアル~]}} ビデオリサーチ、2020年2月6日。</ref>。なお、本県を含むこれらの県は放送局数が少ないことから、視聴率調査が行われる場合は統計学上、民放が3局以上ある地域と比較して高い数値が出ることになる。一例として、『[[世界まるごとHOWマッチ!!]]』の関東地区での番組最高視聴率は33.8%だったが<ref>[https://web.archive.org/web/20170307124617/http://www.videor.co.jp/data/ratedata/junre/06quiz.htm クイズ・ゲーム 高世帯視聴率番組] ビデオリサーチ(2017年3月7日時点のアーカイブ)</ref>、宮崎地区においては1985年2月の調査で47.9%であった<ref>『宮崎放送開局40周年記念誌』(1994年)</ref>。 [[親局]]がある[[鰐塚山]]は、標高が1,119メートルと送信条件が良好であることから宮崎県外(特に鹿児島県の大隅地方)を含めて広範囲をカバーしている<ref>『宮崎放送三十年史』p.240 では日向市付近から四国南部、種子島・屋久島、熊本県人吉市にかけての地域をアナログテレビのカバーエリアとし、鹿児島県大隅半島の大部分と鹿児島市付近については宮崎県内とともに「いうまでもなく」と扱われている。</ref>。 宮崎県内にアナログテレビ送信所が設置される1960年7月(NHK宮崎放送局開局)以前は、宮崎市内においては[[NHK鹿児島放送局|鹿児島局]]を、鹿児島局開局以前は[[NHK広島放送局|広島局]]を電離層反射を利用して受信していた<ref>『宮崎放送三十年史』p.42</ref> ほか、五ヶ瀬町や椎葉村では熊本県のテレビ局が<ref>『五ヶ瀬町史』(1981年)および『椎葉村史』(1994年)。いずれも周縁地域であったため受信は困難であったが五ヶ瀬町では「熊本県知事の名前は知っていても、宮崎県知事の名前は知らない」時期がしばらく続いたという。椎葉村では西部で直接受信されており、中心部の上椎葉では1959年に[[熊本放送]]を受信するための共同受信組合が設立された。</ref>、日之影町の見立地区では愛媛県のテレビ局<ref>寺岡伸悟「[https://web.archive.org/web/20040628215911/www0.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/meditera.html 情報通信の地域社会史 ―宮崎県日之影町にみる―]」『[https://web.archive.org/web/20000614070853/http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/funaki/media.html 高度メディア社会における社会倫理の実証的研究 平成9年度研究成果報告書 ]』船木亨編、熊本大学文学部、科学研究費補助金(基盤研究(B))研究成果報告書、1998年(2004年6月28日時点のアーカイブ)。『宮崎日日新聞』1962年4月22日付記事「みえない県内のテレビ」からの引用として紹介。同論文をもとにした内容を含む『地域表象過程と人間 ―地域社会の現在と新しい視座―』(行路社、2003年)もある。</ref>が受信されていた。五ヶ瀬町の事情については[[五ヶ瀬中継局]]を参照。 ==== 3局目の民間放送局構想 ==== 1990年に民放第3局の割り当て(宮崎21ch)がなされ、約400件の免許申請があった<ref>朝日新聞(1997年8月8日付、宮崎版)</ref>。その中でも[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]は[[沖縄県|沖縄]]とともに放送局設置計画を掲げていた(沖縄については[[南西放送]]を参照)が、[[バブル景気]]崩壊後の不況による影響や衛星放送へ資金を注入する必要があったことから、1993年4月までに「番組は無償で提供するが、開局支援はせずネット補償金は一切与えない」(スポンサーを自ら探さなければならないことを意味する。)としてキー局としての宮崎への進出を断念した<ref>宮崎日日新聞(1993年4月21日付、1頁)</ref><ref>朝日新聞(1993年4月21日付、夕刊8頁、西部本社版)</ref>。{{要出典範囲|そのため、後に[[テレビ朝日]]をキー局とする案も出されたがテレビ朝日側は難色を示したため、|date=2010年12月}}第3局の設置構想は暗礁に乗り上げた形となり2000年9月6日には電波割り当てが取り消された<ref>[http://warp.ndl.go.jp/REPOSWP/000000001607/00000000000039274/www.soumu.go.jp/joho_tsusin/pressrelease/japanese/housou/000906j702.html 宮崎県における一般放送事業者のテレビジョン放送用周波数の変更] - 郵政省(当時)、2000年9月6日</ref>。なお、宮崎新局のために確保されていた用地はのちに駐車場となっている。県としては、放送局などの民間企業の意向に一任し、行政主体で第3局の開局を推進することは困難であるという立場を取っている<ref>[https://www.pref.miyazaki.lg.jp/kense/koho/kenminnokoe/koe_page/20160615144236.html 県に寄せられた主な提言と回答(平成27年度) : 民放3局目の開局について], 宮崎県, 閲覧日:2020年8月16日</ref>。 なお、東国原前知事も[[マニフェスト]]にテレビ局の増設を掲載していた<ref>東国原英夫のマニフェスト - 「宮崎どげんかせんないかんが」宣言!「今」の暮らしの充実化 - 東国原英夫後援会</ref> が、これは必ずしも地上波民放のことではなく、[[インターネットテレビ]]のようなものもイメージしていたという<ref>[http://www.sbbit.jp/article/7695/ 【宮崎県知事 東国原氏に聞く】 情報産業の振興、誘致に取り組む宮崎県] ソフトバンク ビジネス+IT(2008年3月27日)</ref>。これに対し、[[早稲田大学]]マニフェスト研究所はこのマニフェストを「かなり遅れている、または方針転換」にあたるC評価(A・B・Cの3段階で最低)と判断している<ref>[http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/?itemid=14259 早大研究所、知事マニフェスト84点 「出来レース」と批判も] - 宮崎日日新聞(2009年1月19日付) ※紙面記事では「テレビ局の増設」がC評価であることが記載されている。</ref>。 ==== 地上デジタル放送 ==== [[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]は2006年12月に鰐塚山親局から本放送を開始し、2008年7月の飯野・真幸中継局開局によりすべての市で、2009年10月までに西米良村(ほぼ全域が共同受信)を除く全市町村で直接受信が可能となった<ref>[https://www.soumu.go.jp/soutsu/kyushu/press/090828-1-1.html 宮崎県諸塚地区、美郷地区及び椎葉地区の地上デジタルテレビジョン放送局に予備免許] - 九州総合通信局(2009年8月28日付)</ref>。こちらもアナログ放送同様宮崎県外、特に鹿児島県の大隅地方でも視聴可能である。 ==== テレビ局の送信所 ==== [[ファイル:Wanitsuka Transmitting Station Miyazaki.JPG|thumb|鰐塚山送信所(2007年。アナログテレビ・デジタルテレビの[[サイマル放送]]期)]] 宮崎県内のテレビ局は[[鰐塚山]]に親局となる送信所を設置しており、県内の7割以上をカバーしている。鰐塚山からの電波が届きにくい地域には約50の[[中継局]]([[:Category:宮崎県の放送送信所]]を参照)が設置されているが、[[空中線電力|送信出力]]や重要性に基づき中継局ごとに分類がなされている。微小局の大部分と[[ミニサテライト局]](ミニサテ)は地元自治体が建設費の一部を負担しており(これを'''宮崎方式'''または'''入郷方式'''<ref name="MRT30th_244-245">『宮崎放送三十年史』pp.244-245</ref>と呼称する。後述)山間部の一部でも直接受信することができる。中継局のない地域では共同受信設備を各々で設置しており、特に西米良村ではほぼ全域で共同受信設備を利用している。 以下に記載する分類は、アナログテレビ放送中期の1980年代時点のものである<ref>当項目での記述は主に『宮崎放送三十年史』『テレビ宮崎10年のあゆみ』に基づく。</ref>([[プラン局#従前のプラン局]]も参照)。 '''プラン局'''(地上デジタル放送の置局計画では'''大規模中継局''')と呼ばれる中継局は、中継局の設置によりカバーエリアの大幅な拡大が見込めることから、基本的に放送局ごとが単独で設置している(地上デジタル放送では一部は共同建設となる)。宮崎県内では[[愛宕山 (延岡市)|延岡]]・[[高千穂中継局|高千穂]]・[[串間中継局|串間]]・[[飯野中継局|飯野]](えびの市)の4中継局が該当し、微小局に分類される[[日向中継局|日向]]・[[青島中継局|青島]]・[[日之影デジタルテレビ中継局|日之影]]も、放送局によってはプラン局に準じる形で整備された。 '''微小局'''はアナログ放送における送信出力が10W以下、0.5W以上の中継局を指し、難視聴地域のうち数百世帯をカバーする。日向・[[真幸中継局|真幸]](えびの市)は当初微小局に分類される中継局であったが、地上デジタル放送では'''重要中継局'''とされ、大規模中継局とほぼ同等の扱いとされた。 '''ミニサテライト局'''はアナログ放送における送信出力が0.1Wの中継局を指し、数十世帯をカバーする。宮崎県内では[[美々津デジタルテレビ中継局|美々津]]に最初に設置され、その後20ほどの中継局が設置された。地上デジタル放送においては一部の中継局は設置されない。 ; 宮崎方式 テレビ送信所の宮崎方式とは、中継局の設置費用の一部を受益者となる地元自治体が負担することである。 民間放送局としてはプラン局の設置だけで県内カバー率はほぼ100%となることから、山間部への中継局設置は費用対効果が見込めないものであった。これが設置の方向となったのは1973年に入郷地区(現在の美郷町・日向市東郷町・諸塚村・椎葉村)の自治体が設置費用の一部の負担を放送局側に申し入れたことによる。これにより[[入郷中継局|入郷]]・[[日向西郷中継局|日向西郷]]・[[東郷中継局|東郷]](1973年度)、[[北諸塚デジタルテレビ中継局|北諸塚]]・[[南諸塚デジタルテレビ中継局|南諸塚]]・[[椎葉中継局|椎葉]](1974年度)に中継局が設置された。以後宮崎県内で設置された中継局に対しては基本的にこの方式が採用され、1984年度には中継局数がNHKと同じ48局に達している<ref name="MRT30th_244-245"/><ref>「放送局一覧表」「テレビ・ラジオ置局一覧表(サービスエリア)」『宮崎放送三十年史』pp.294-295</ref>。 ==== ケーブルテレビ ==== 宮崎県における[[ケーブルテレビ]]は情報格差の是正(不足している系列局の補充)が主な目的である<ref>朝日新聞(1997年11月21日付、宮崎版)に掲載の県情報システム課高度情報係の発言による。</ref>。 [[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]の[[区域外再放送]]は、[[ケーブルメディアワイワイ]]、[[BTV (企業)|BTV]]、[[宮崎ケーブルテレビ]]、[[QTnet]]各4社および諸塚村によるサービスとして実施されている。その他のケーブルテレビ局において、「自局のチャンネルサービス」として取り扱うのは県内のテレビ局のみであり、区域外再放送は上記4社からのサービス提供を受ける形をとっている。 {| class="wikitable" |- !colspan="2" style="white-space:nowrap"|放送局名 !style="white-space:nowrap"|サービスエリア !style="white-space:nowrap"|区域外再放送 !style="white-space:nowrap"|備考 |- |colspan="2" style="text-align:center; width:10em;"|[[ケーブルメディアワイワイ]] |style="text-align:left; white-space:nowrap;"|延岡市、日向市、門川町<br />都農町、川南町 |rowspan="5" style="text-align:left; white-space:nowrap;"|[[熊本県民テレビ|KKT熊本県民テレビ]]<br />[[熊本朝日放送|KAB熊本朝日放送]] |style="text-align:left;"|旧・テレビネットワーク延岡。愛称は「ワイワイテレビ」。[[セットトップボックス]] (STB) が必要<ref>[http://www.wainet.co.jp/catv/channel/index.htm ケーブルメディアワイワイのチャンネルガイド]</ref>。後述する高千穂町・日之影町・美郷町も事実上エリアに含まれる。 |- |colspan="2" style="text-align:center; width:10em"|[[高千穂町光ケーブルネットワーク]] |style="text-align:left; white-space:nowrap;"|高千穂町 |style="text-align:left;"|高千穂町の全世帯を対象とし、光ファイバーを活用したケーブルテレビ局を2011年6月に設置<ref>[https://www.soumu.go.jp/soutsu/kyushu/press/101203-1-0.html 有線テレビジョン放送施設の設置許可] 九州総合通信局、2010年12月3日。</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.town-takachiho.jp/administration/%E5%B9%B3%E6%88%9023%E5%B9%B406%E6%9C%88%E5%8F%B7.pdf 町広報高千穂]}}2011年6月号、12頁。</ref>。「チャンネルリース」としてケーブルメディアワイワイが県内地上波を除く(熊本県民テレビ・熊本朝日放送を含む)サービスを提供する。 |- |colspan="2" style="text-align:center; width:10em"|[[ひのかげケーブルネットワーク]] |style="text-align:left; white-space:nowrap;"|日之影町 |style="text-align:left;"|略称は「HCN」。日之影町の全世帯を対象とした「ひのかげケーブルネットワーク整備事業」により、光ファイバーを活用したケーブルテレビ局を2011年5月に設置<ref>夕刊デイリー新聞(2009年9月4日付、3面)</ref><ref>[https://www.soumu.go.jp/soutsu/kyushu/press/101124-1-0.html 有線テレビジョン放送施設の設置許可] 九州総合通信局、2010年11月24日。</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.town.hinokage.lg.jp/docs/2016020900389/file_contents/kou23-5.pdf 広報ひのかげ]}} 2011年5月号、4頁。</ref>。「チャンネルリース」としてケーブルメディアワイワイが県内地上波を除く(熊本県民テレビ・熊本朝日放送を含む)サービスを提供する。 |- |colspan="2" style="text-align:center; width:10em"|[[美郷町ケーブルテレビジョン]] |style="text-align:left; white-space:nowrap;"|美郷町 |style="text-align:left;"|愛称は「きららびじょん」。旧北郷村(北郷区)による村営のケーブルテレビ局が前身<ref>[https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/283520/www.kbt.go.jp/press/991216-1.html 北郷村の有線テレビジョン放送施設に設置許可] - 九州総合通信局(1999年12月16日付)</ref>。2010年度にエリアを美郷町全域(西郷区・南郷区)に拡大。宮崎県の地上波放送・[[BSデジタル放送]]は美郷町が、熊本民放2波・[[CSデジタル放送]]はオプションとしてケーブルメディアワイワイが実施している<ref>[http://www.town.miyazaki-misato.lg.jp/2453.htm サービス内容について] - 美郷町公式ウェブサイト。</ref>。 |- |colspan="2" style="text-align:center; width:10em;"|諸塚村ケーブルテレビ |style="text-align:left; white-space:nowrap;"|諸塚村 |style="text-align:left;"|愛称は「もろつか光ネット」。諸塚村内の全世帯を対象に2011年4月に設置<ref>『村報もろつか』2011年5月号(734号)、11頁。</ref>。設置段階では区域外再放送は実施されなかったが<ref>[https://www.soumu.go.jp/soutsu/kyushu/press/100426-1-1.html 有線テレビジョン放送施設の設置許可] 九州総合通信局、2010年4月26日。</ref>、2023年5月より熊本波の再放送を開始した(STBは不要)<ref>「ケーブルテレビ 新2チャンネル 放送開始のお知らせ」[https://www.miyazaki-ebooks.jp/?article=%e5%ba%83%e5%a0%b1%e3%82%82%e3%82%8d%e3%81%a4%e3%81%8b2023%e5%b9%b45%e6%9c%88%e5%8f%b7 『広報もろつか』2023年5月号](第878号)、諸塚村企画課、2023年 p.10</ref>。 |- |colspan="2" style="text-align:center; width:10em;"|[[宮崎ケーブルテレビ]] |style="text-align:left; white-space:nowrap;"|宮崎市、西都市、国富町<br />綾町、高鍋町、新富町<br />木城町 |rowspan="4" style="text-align:left; white-space:nowrap;"|[[鹿児島讀賣テレビ|KYT鹿児島讀賣テレビ]]<br />[[鹿児島放送|KKB鹿児島放送]] |style="text-align:left;"|略称は「MCN」。[[QTnet|株式会社QTnet]]と業務提携を行っており、両社の一部サービスを同時利用すると月額料金が割引となる「MCNテレビ with BBIQ」を提供している。セットトップボックス(STB)が必要。 |- |colspan="2" style="text-align:center; width:10em"|[[BBIQ光テレビ]] |style="text-align:left; white-space:nowrap;"|宮崎市 |style="text-align:left;"|株式会社QTnetが展開しているケーブルテレビ([[光放送]])サービス。2018年1月4日より、[[宮崎市]]内のBBIQ光インターネット提供エリアにてサービス開始<ref>[https://www.qtnet.co.jp/info/2017/20171201.html 宮崎市における「BBIQ光テレビサービス」の提供について] - (株)QTnet ホームページより。</ref>。地上波について、当初は県内4チャンネル(NHK総合・Eテレ、UMK、MRT)のみの提供であったが、2020年7月1日より鹿児島放送 (KKB) と鹿児島讀賣テレビ (KYT) の提供を開始<ref>{{PDF|[https://www.qtnet.co.jp/info/2017/img_press/20171201.pdf 『BBIQ光テレビサービス』概要]}}</ref><ref>[https://www.qtnet.co.jp/info/?page_name=31310160ccjr.6/iunm 宮崎市のBBIQ光テレビがリニューアル ~鹿児島民放(KYT・KKB)が視聴可能に~] - 株式会社QTnet プレスリリース 2020年5月11日付</ref>。KKBとKYTを視聴するにはSTBが必要である。 |- |rowspan="3" style="text-align:center; width:5em"|[[BTV (企業)|BTV]] |style="text-align:left; width:5em"|日南局 |style="text-align:left; white-space:nowrap;"|日南市 |rowspan="3" style="text-align:left;"|旧・都城ケーブルテレビ。「'''BTVケーブルテレビ'''」の名でも親しまれている。県内には都城局・日南局が設置されている。かつては西諸局も設置されていたが、2023年6月末をもって都城局へ統合された<ref>[https://portal.btvm.ne.jp/news/76503.html 【お知らせ】BTV西諸局の本社都城局への統合のお知らせ] BTV公式サイト、2023年6月7日公開。</ref>。<br />都城局(都城市・三股町)は鹿児島県の民放すべて([[南日本放送|MBC南日本放送]]・[[鹿児島テレビ放送|KTS鹿児島テレビ]]・KKB鹿児島放送・KYT鹿児島讀賣テレビ)を再送信しているが、日南局と都城局(旧西諸局エリアの高原町・小林市野尻町)については2局のみ(KKB鹿児島放送・KYT鹿児島讀賣テレビ)の再送信となっている<ref group="注釈">BTV都城局における南日本放送・鹿児島テレビの再送信開始については、番組表『ピッキーちゃんねる』内で2010年に告知されている。</ref>。STB は不要(地上デジタル放送に対応したテレビのみで視聴可能)<ref>[http://www.btvm.ne.jp/13_news/01_080930.html 『鹿児島地上デジタル放送及びデジタル市民チャンネル』放送開始のご案内(都城・日南エリアのみ)] 2008年9月30日。「地上デジタルチューナー内蔵のテレビで視聴する場合は再スキャンが必要」とある。</ref>。都城市高崎町については2001年に都城局のエリア拡大扱いで進出したが、2010年代以降は西諸局エリアとも扱われていた<ref group="注釈">BTV公式サイトでは都城市高崎町を西諸局エリアと扱う一方で、メンテナンス情報では2021年現在も都城局エリアとして掲示していた。</ref>。 |- |style="text-align:left; width:5em"|都城局(旧・西諸局) |style="text-align:left; white-space:nowrap;"|高原町、小林市(野尻町) |- |style="text-align:left; width:5em"|都城局 |style="text-align:left; white-space:nowrap;"|都城市<br />三股町<br />[[鹿児島県]][[曽於市]]([[財部町]]) |style="text-align:left; white-space:nowrap;"|KYT鹿児島讀賣テレビ<br />KKB鹿児島放送<br />[[鹿児島テレビ|KTS鹿児島テレビ]]<br />[[南日本放送|MBC南日本放送]] |- |colspan="2" style="text-align:center; width:10em;"|椎葉村ケーブルネットワーク |style="text-align:left; white-space:nowrap;"|椎葉村 |style="text-align:left; white-space:nowrap;"|なし |style="text-align:left;"|愛称は「かて〜りネット」。地上波放送のデジタル化に伴う難視聴対策として、光ファイバーを活用し2010年4月に設置<ref>{{PDFlink|[http://www.vill.shiiba.miyazaki.jp/cms/media/1/kouhou-665.pdf 広報しいば2009年3月号]}} 8頁。</ref>。全世帯が対象。設置段階では区域外再放送は実施されていない<ref>[https://www.soumu.go.jp/soutsu/kyushu/press/090930-2-1.html 有線テレビジョン放送施設の設置許可] 九州総合通信局、2009年9月30日。</ref>。 |- |} ; 局舎外観 <gallery> Miyazaki Cable TV Network.jpg|宮崎ケーブルテレビ(宮崎市) Miyakonojo it sangyo building.jpg|BTV本社が入居する都城IT産業ビル(都城市) Cable Media Waiwai Nobeoka 2010.JPG|ケーブルメディアワイワイ本社(延岡市) Cable Media Waiwai Hyuga 2009.JPG|ケーブルメディアワイワイ日向局(日向市) </gallery> === ラジオ === [[ファイル:NHK Miyazaki 200710.jpg|thumb|NHK宮崎放送局]] [[ファイル:JOMU-FM Studio 2009.JPG|thumb|1984年開局から2024年3月(予定)までのエフエム宮崎本社(UMKスポーツスタジオ)]] * NHK宮崎放送局(AM・FM) * [[宮崎放送]] (MRTラジオ)([[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列) * [[エフエム宮崎]] (JOY FM) ([[全国FM放送協議会|JFN]]系列、テレビ宮崎の関連企業) * [[宮崎サンシャインエフエム]]([[コミュニティ放送]])- 宮崎市、一部時間帯で[[ミュージックバード]]を再送信 * [[シティエフエム都城]](コミュニティ放送)- 都城市、一部時間帯で[[J-WAVE]]を再送信 * [[FMのべおか]](コミュニティ放送) - 延岡市 * [[FMひゅうが]](コミュニティ放送) - 日向市・門川町、ケーブルメディアワイワイが運営、一部時間帯でミュージックバードを再送信 : 宮崎市にはコミュニティFM局・[[宮崎シティエフエム]] (City FM77) があったが、2005年10月31日をもって閉局された。 ラジオ事情はテレビと比べてそれほど悪くなく、特にエフエム宮崎は1984年12月に開局(九州で3番目、全国民放エフエムでも53局中12番目)と比較的早いほうであった。ただ、MRTラジオについては、宮崎に電波割り当てがなされながらも開局の動きがなかったために、[[南日本放送]](MBC、鹿児島県の放送局)が宮崎への中継局設置を計画していたところに、これを阻止するという目的で開局している<ref>『宮崎放送三十年史』p.4</ref>。 MRTラジオとJOY FMは[[radiko]]を通じて、宮崎県内限定との地域制限<ref>radikoプレミアムでは全国で聴取可能</ref> があるもののインターネット上での聴取も可能となっている。サンシャインFMとシティエフエム都城の自社番組については全世界においてインターネット上で聴取できる(前者は[[SimulRadio]]、後者はスマートフォン向けアプリケーション「[[FM++]]」経由)。 地域によっては周辺各県のラジオ局も受信できることがある。一例として、[[熊本放送]]<ref>[http://rkk.jp/companyinfo/area.html サービスエリアと放送開始日] - 熊本放送</ref> は高千穂・えびの方面を公式にサービスエリアとしている。 また、ラジオ放送もテレビと同じく県外での聴取が可能であり、MRTラジオは愛媛県南予南部、高知県西南地域、熊本県球磨地方、大分県南部、鹿児島県大隅半島を<ref>[http://mrt.jp/company/info/ 会社案内] - 宮崎放送公式ウェブサイト(2007年以前のラジオタイムテーブルにも同内容で掲載)</ref>、エフエム宮崎は高知県西南地域、鹿児島県大隅半島全域、錦江湾沿岸(鹿児島市・指宿市・霧島市・姶良市)、種子島・屋久島などを公式にサービスエリアとしている<ref>『FM Miyazaki time table』(エフエム宮崎、2007年4月)</ref>。鹿児島県の[[地方紙]]・[[南日本新聞]]ではMRTラジオとエフエム宮崎の番組欄が掲載されている。 == 文化・スポーツ == === 県民性 === {{複数の問題 |section=1 |出典の明記 = 2010年12月<!--出典を提示ください。--> |独自研究 = 2012年10月}} 宮崎県の典型的男性を表す言葉として「'''いもがらぼくと'''」、女性を表す言葉として「'''日向かぼちゃ'''」がある。前者は「芋がらで作った木刀」の意であり、見掛けは立派だが芯のないお人よしであることを意味し、後者は、見た目は黒く小ぶりだが味はしっかりしているということを意味しており、[[民謡]](但し、近年の作によるもの)にも歌われる。 そもそも、「[[県民性]]」というものが[[ステレオタイプ]]のものであり、多くの例外を含んでいるものであるが、宮崎県は歴史的に明治以前は一体性を欠いていたのに加え、風土も地域によってかなり異なる(例えば、冬季における温暖のイメージは、県西部においては当てはまらない)ことから、単一のイメージには当てはまらない例も多い。 ; 「日向時間」 日向(ひゅうが)時間とは、宮崎県人が良くも悪くものんびり屋で、時間にルーズでありながらも寛大に受け止める言葉。集合の予定時間に自宅を出発する人がいるなど、時間設定の個人間のずれを指す。この習慣から、時間のずれをあらかじめ見込んで、集合時間などを早めに設定する事もある。なお、類似例は南四国や鹿児島・沖縄などの太平洋側に広範囲で見受けられる。 === 方言 === 宮崎県の大部分では[[豊日方言]]に分類される'''[[宮崎弁]]'''が話されているが、かつて薩摩藩領だった諸県地方では[[薩隅方言]]に分類される'''[[諸県弁]]'''が話される。2007年から2011年に県知事を務めた[[東国原英夫]]が初議会で発言した「どげんかせんといかん」が流行語になったが、これは諸県弁であり、宮崎弁に直せば「どんげかせんといかん」となる。東国原など苗字が他県と違う特徴があり、東国原の出身が鹿児島県と隣接する都城市であることから、宮崎県全体では「どんげかせんといかん」の方が通じる。 === 食文化 === [[ファイル:Chicken with tartar sauce.jpg|thumb|チキン南蛮]] {{See also|Category:宮崎県の食文化}} ; 郷土料理 :{{Main|日本の郷土料理一覧#宮崎県}} :* [[冷や汁]] :* 長饅頭 :* [[チーズ饅頭]] :* [[チキン南蛮]] (延岡・宮崎地方) - 発祥地とされる :* [[魚うどん]] (日南市周辺) :* [[飫肥天]] (日南市周辺) :*都城地方は鹿児島と共通する郷土料理が多い。 :** [[薩摩料理#イモ料理|がね]](都城地方) :** [[ねりくり]] :** [[あくまき]] : ; [[ご当地グルメ]] :* [[釜揚げうどん]] :* [[肉巻きおにぎり]] :* 宮崎[[地鶏]]([[みやざき地頭鶏]]) - 炭火焼。 :* [[宮崎牛]] :* 宮崎ハマユウポーク :* [[レタス巻き]] - 発祥地とされる :* [[辛麺]] -[[延岡市]]発祥とされる === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] :* 本場大島紬(織物、1975年) :* 都城大弓(竹工品、1994年) : ; 伝統工芸品 :{{Main|日本の伝統工芸品の一覧#宮崎県}} === スポーツ === ==== スポーツチーム ==== {{See also|Category:宮崎県のスポーツチーム}} ; [[野球]] :* [[日本プロ野球|プロ野球]] :** [[宮崎サンシャインズ]]([[九州アジアリーグ]]) :***[[四国アイランドリーグplus]]がかつて県内への球団設置構想を持っていたが事実上消滅した。 :* [[社会人野球]] :** [[宮崎ゴールデンゴールズ]](宮崎市) :** [[宮崎梅田学園硬式野球部|宮崎梅田学園]](宮崎市) :** 宮崎福祉医療カレッジ(日南市) : ; [[バスケットボール]] :* プロバスケットボール :** [[宮崎シャイニングサンズ]] - [[日本プロバスケットボールリーグ|bjリーグ]]所属(活動休止扱い)。※宮崎県初のプロスポーツチーム : ; [[サッカー]] :* プロサッカークラブ :** [[テゲバジャーロ宮崎]] - [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]所属(宮崎市) :* 社会人サッカークラブ :** [[ホンダロックサッカー部]] - [[日本フットボールリーグ]]所属(宮崎市) :** [[ヴェロスクロノス都農|J.FC MIYAZAKI]] - [[九州サッカーリーグ]]所属(宮崎市) : ; [[陸上競技]] :* [[旭化成陸上部]](延岡市) :* 宮崎銀行女子陸上部(宮崎市) ==== 定期開催されるスポーツイベント ==== ; [[野球]] :* 10月:[[日本野球機構|プロ野球]][[教育リーグ]](フェニックスリーグ) - (宮崎市・西都市・日南市・日向市・串間市) : ; [[ゴルフ]] :* 3月:女子 [[アクサレディスゴルフトーナメント]] in MIYAZAKI([[UMKカントリークラブ]]) - (宮崎市) :* 11月:男子 [[ダンロップフェニックストーナメント]]([[フェニックスカントリークラブ]]) - (宮崎市) :* 11月:女子 [[JLPGAツアーチャンピオンシップ]]([[宮崎カントリークラブ]]) - (宮崎市) : ; [[ビーチバレー]] :* 9月:[[ファイテン]][[ビーチバレーJBVツアー|JBVツアー]] 霧島酒造オープン(宮崎霧島ファクトリーガーデン) - (都城市) : ; [[マラソン]] :* [[日本陸上競技連盟]]公認フルマラソン :** 2月:[[延岡西日本マラソン]] - (延岡市) ※九州3大マラソンの一つ :** 12月:青島太平洋マラソン - (宮崎市) :* [[日本陸上競技連盟]]公認ハーフマラソン :** 2月:都農尾鈴マラソン大会 - (都農町) : ; [[車いすマラソン]] :* 11月:日南市車いすマラソン - (日南市) : ; [[トライアスロン]] :* 7月:宮崎シーガイアトライアスロン - (宮崎市) : ; その他 :* 宮崎チャレンジマッチ - (宮崎市) :** 第1回体会(2010年) - [[バスケットボール]] :** 第2回大会(2011年) - [[ハンドボール]] :** 第3回大会(2012年) - [[ラグビーフットボール|ラグビー]] :** 第4回大会(2013年) - [[ソフトボール]] ==== 過去開催されたスポーツイベント ==== * 1979年(昭和54年) ** 第34回[[国民体育大会]](日本のふるさと宮崎国体) ** 第15回[[全国身体障害者スポーツ大会]] * 1989年(平成元年) ** プロ野球公式戦 「[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]] 対 [[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]」 * 1990年(平成02年) ** 第13回世界アマチュアサーフィン選手権 宮崎大会 * 1991年(平成03年) ** 第12回全日本マスターズ陸上競技選手権大会 * 1992年(平成04年) ** 平成4年度[[全国高校総合体育大会]] * 1993年(平成05年) ** 第10回[[世界マスターズ陸上競技選手権大会|世界ベテランズ陸上競技選手権大会]] * 1994年(平成06年) ** 第5回[[世界少年野球大会]] 宮崎大会 * 1996年(平成08年) ** 第9回[[全国健康福祉祭]] * 1997年(平成09年) ** プロ野球[[イースタン・リーグ]]公式戦 「[[読売ジャイアンツ]] 対 [[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]」 ** 全日本ベテランズゴルフフェスティバル * 1998年(平成10年) ** NEC[[デビスカップ]]1998 アジア/オセアニアゾーングループ 2回戦 「日本 対 ニュージーランド」 * 1999年(平成11年) ** プロボクシング[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[スーパーフライ級]]タイトルマッチ 「[[ヘスス・ロハス]] 対 [[戸高秀樹]]」 * 2001年(平成13年) ** プロ野球公式戦 「ヤクルトスワローズ 対 [[広島東洋カープ]]」 ** 第1回[[日本スポーツマスターズ]] * 2004年(平成16年) ** プロ野球公式戦 「読売ジャイアンツ 対 広島東洋カープ」 ** 第17回[[ファーム日本選手権]] * 2005年(平成17年) ** 第23回[[アジア野球選手権大会]] ** [[フレッシュオールスターゲーム]] * 2008年(平成20年) ** プロ野球公式戦 「福岡ソフトバンクホークス 対 [[埼玉西武ライオンズ]]」 * 2011年(平成23年) ** 第24回ファーム日本選手権 * 2013年(平成25年) ** 第26回ファーム日本選手権 ** [[日本女子サッカーリーグ]] 「[[ジェフユナイテッド市原・千葉レディース]] 対 [[INAC神戸レオネッサ]]」 * 2014年(平成26年) ** プロ野球公式戦 「読売ジャイアンツ 対 [[横浜DeNAベイスターズ]]」 ** [[第6回IBAF女子ワールドカップ]] ** 第27回ファーム日本選手権 * 2019年(令和元年) ** [[明治安田生命J3リーグ]] 「[[FC東京|FC東京U-23]] 対 [[ロアッソ熊本]]」 ==== スポーツキャンプ・合宿の受入実績 ==== {|class="wikitable" style="text-align:center" !rowspan="2"|年度!!rowspan="2"|団体数!!rowspan="2"|参加人数!!rowspan="2"|延べ参加人数!!colspan="3"|主な春季プロスポーツキャンプ |- !国内!!韓国!!中国 |- !2005年度<ref>[http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/shoko/kanko/camp/index.html 平成17年度県内スポーツキャンプ・合宿の状況] - 宮崎県</ref> |898団体||22,103人||136,594人||サッカー日本代表<br />プロ野球5球団/全12球団中<br />J1 9チーム/全18チーム中<br />J2 4チーム/全13チーム中||Kリーグ 1チーム/全14チーム中||- |- !2006年度<ref>[http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/shoko/kanko/camp/h18.html 平成18年度県外からのスポーツキャンプ・合宿の受入実績について] - 宮崎県</ref> |933団体||22,362人||151,894人||プロ野球5球団/全12球団中<br />J1 9チーム/全18チーム中<br />J2 6チーム/全13チーム中||プロ野球 2球団/全8球団中<br />Kリーグ 1チーム/全14チーム中<br />||プロサッカー 1チーム |- !2007年度 |1,041団体||27,335人||162,148人||不明||不明||不明 |- !2008年度<ref>[http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/shoko/kanko/camp/h20.html 平成20年度県外からのスポーツキャンプ・合宿の受入実績について] - 宮崎県</ref> |1,122団体||27,281人||160,858人||WBC日本代表<br />プロ野球5球団/全12球団中<br />J1 9チーム/全18チーム中<br />J2 9チーム/全18チーム中||プロ野球 2球団/全8球団中||- |- !2009年度<ref>[http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/shoko/kanko/camp/h21.html 平成21年度県外からのスポーツキャンプ・合宿の受入実績について] - 宮崎県</ref> |1,129団体||30,513人||162,767人||プロ野球5球団/全12球団中<br />J1 11チーム/全18チーム中<br />J2 7チーム/全19チーム中||プロ野球 2球団/全8球団中<br />Kリーグ 1チーム/全14チーム中<br />||プロサッカー 1チーム |- !2010年度<ref>[http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/shoko/kanko/camp/h22.html 平成22年度県外からのスポーツキャンプ・合宿の受入実績について] - 宮崎県</ref> |1,040団体||24,424人||155,369人||プロ野球 5球団/全12球団中<br />J1 9チーム/全18チーム中<br />J2 5チーム/全20チーム中||プロ野球 2球団/全8球団中<br />Kリーグ 1チーム/全14チーム中||- |- !2011年度<ref>[http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/shoko/kanko/camp/h23camp.html 平成23年度県外からのスポーツキャンプ・合宿の受入実績について] - 宮崎県</ref> |1,115団体||27,951人||166,492人||プロ野球 5球団/全12球団中<br />J1 10チーム/全18チーム中<br />J2 13チーム/全22チーム中||Kリーグ 2チーム/全14チーム中||- |- !2012年度<ref>[http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/shoko/kanko/camp/h24.html 平成24年度県外からのスポーツキャンプ・合宿の受入実績について] - 宮崎県</ref> |1,241団体||30,540人||168,017人||WBC日本代表<br />プロ野球 5球団/全12球団中<br />J1 10チーム/全18チーム中<br />J2 9チーム/全22チーム中||プロ野球 1球団/全9球団中<br />Kリーグ 1チーム/全14チーム中||- |- !2013年度<ref>[http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/shoko/kanko/camp/h25.html 平成25年度県外からのスポーツキャンプ・合宿の受入実績について] - 宮崎県</ref> |1,211団体||29,738人||173,633人||プロ野球 5球団/全12球団中<br />J1 12チーム/全18チーム中<br />J2 7チーム/全22チーム中<br />J3 1チーム/全12チーム中||プロ野球 1球団/全9球団中||- |} == 観光 == {{main|宮崎県の観光地}} {{also|宮崎県指定文化財一覧|九州・沖縄地方の史跡一覧#宮崎県}} [[ファイル:Sun Marine Stadium 2009 001.jpg|thumb|野球キャンプ([[宮崎県総合運動公園硬式野球場|サンマリンスタジアム宮崎]])。]] 1960年代には新婚旅行のメッカとして全国的に有名であり、「'''観光宮崎'''」として地域経済に貢献したが、日本人の余暇や観光に対する価値観の変化に対応できず低迷している。また、本県の観光はいわゆる「南国情緒」が売りものであったが、1972年の[[沖縄返還]]以降は同様のイメージでは[[沖縄県]]と競合、同県は[[沖縄振興特別措置法]]に基づく税制面での特例<ref group="注釈">[[沖縄の観光戻税制度]]や、[[航空機燃料税]]の50%減額など。</ref><ref group="注釈">沖縄県と他県を結ぶ空路の航空運賃については、国内他県相互間の同一距離路線に比べて5,000円程度安い。 ※参考:[http://www.teikokyo.gr.jp/pdf/2006_yobo.pdf 平成19年度税制改正に関する要望] - 定期航空協会</ref> が適用されることから、本県の競争力は相対的に低下した。さらに、1990年代以降は円高や規制緩和などにより格安となった[[海外旅行]]との競合もある。これらの悪条件に対し、1990年代末までは個人消費の拡大などによって乗り切ったが、[[ITバブル]]期を経た2000年代初頭には県内の大型リゾート施設である[[シーガイア]]が[[会社更生法]]の適用を申請したほか、県内最大の交通企業であり、観光宮崎の牽引役であった[[宮崎交通]]が[[産業再生機構]]の支援を仰ぐことになった。 また有力な観光資源である温泉については、隣県の[[大分県]]・[[熊本県]]・[[鹿児島県]]とは異なり、本県は西日本[[火山帯]]の火山フロント<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.shizuoka.jp/7000m/museum/008.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2007年1月30日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070430121145/http://www.pref.shizuoka.jp/7000m/museum/008.html |archivedate=2007年4月30日 |deadlinkdate=2017年10月 }} - 静岡県</ref> より東側にあることから、火山性温泉にあまり恵まれていない。 県内に[[国宝]]がない(県内からの出土品である日向国西都原古墳出土金銅馬具類が[[東京都]]の[[五島美術館]]に所蔵されている)。2018年現在、国宝が1つもない都道府県は、[[徳島県]]と当県のみである。 観光業復活の鍵として、[[日本プロ野球|プロ野球]]([[読売ジャイアンツ|巨人]]・[[広島東洋カープ|広島]]・[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]]・[[埼玉西武ライオンズ|西武]]・[[オリックス・バファローズ|オリックス]]・[[東京ヤクルトスワローズ|東京ヤクルト(ファームのみ)]]・[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天(ファームのみ)]]7球団)・サッカーの[[キャンプ (日本プロ野球)|キャンプ地]]巡るツアーや、宿泊を含めたゴルフプランが主催されているほか、近隣国([[大韓民国|韓国]]・[[中華人民共和国|中国]]・[[中華民国|台湾]])からの顧客開拓を図っている。2019年の訪日外国人観光客数は166,042人で、最も多かった国籍は香港で49,236人、そして台湾の41,663人、続いて韓国の36,104人という<ref>{{Cite web|和書|title=宮崎県のインバウンド需要|url=https://honichi.com/areas/kyushuokinawa/miyazaki/|website=訪日ラボ|accessdate=2020-06-29|language=ja}}</ref>。 {{要出典範囲|宮崎県は、[[サーフィン]]に好適で空港や高速道路からのアクセスの良い海岸に恵まれた日本最南端の県である<ref group="注釈">沖縄県は[[サンゴ礁]]によって波が減衰しない満潮時に限ってかろうじて波乗り可能であるが、砂が流失しないよう沖に沈められた[[消波ブロック]]によって波がない人工砂浜が多い。鹿児島県は、夏季に波が大きい太平洋に面したサーフスポットまでのアクセスが悪い。</ref>。このことは、国内の主要サーフィン大会は5月に行われる本県での国際大会(WQS 4-starランク)から始まることや、[[日本サーフィン連盟]]協力サーフショップの数が九州で1番多いことからもうかがえる。ただし、一般的にサーフィンは特段の施設を利用しない(天然の海を利用する)余暇であることから、[[観光業]]にとっては宿泊と最低限の飲食費以外の経済効果が薄いという見方もある|title=必ずしも事実関係の疑義ではありませんが、全文が独自の分析(推定など)となっています。これらを論じた新聞・雑誌・書籍など出典を提示ください。(論説を出典とする場合は、相応の記述をお願いします。)|date=2010年12月23日 (木) 04:30 (UTC)}}。 === 重要伝統的建造物群保存地区 === [[ファイル:Obi06.jpg|thumb|飫肥の町並み]] 宮崎県内では[[重要伝統的建造物群保存地区]]が3か所選定されている。 * [[飫肥]](日南市) * [[美々津]](日向市) * 十根川(椎葉村) == 宮崎県を舞台とした作品 == {{See also|宮崎県を舞台とした作品一覧}} === 小説 === * [[坊っちゃん]](夏目漱石 1906年) * [[西郷札 (松本清張)|西郷札]](松本清張 1951年) ※松本清張の処女作 * [[伊集院大介|鬼面の研究]](栗本薫 1981年) * [[下り特急「富士」殺人事件]](西村京太郎 1983年) * [[内田康夫#浅見光彦シリーズ|高千穂伝説殺人事件]](内田康夫 1986年) * 日南海岸殺人事件(木谷恭介 1996年) * 奇跡の人([[真保裕一]] 1997年) * 無鹿([[遠藤周作]] 1997年) * 水霊 ミズチ([[田中啓文]] 1998年) * [[ゆっくり歩け、空を見ろ]](東国原英夫 2001年) * [[死都日本]](石黒耀 2002年) * [[乃南アサ#長編|しゃぼん玉]](乃南アサ 2004年) * [[神はサイコロを振らない (小説)|神はサイコロを振らない]](大石英司 2004年) * ハルカ 天空の邪馬台国([[桝田省治]] 2007年) * ハルカ 炎天の邪馬台国(桝田省治 2008年) * 神様の御用人 5(浅葉なつ 2015年) === 漫画 === * 青春山脈(原作:[[梶原一騎]] 作画:[[かざま鋭二]] 1977年-1979年) ※1978年1号より「火乃家の兄弟」から改題 * [[神武 (漫画)|神武]](安彦良和 1992年-1995年) * 彩風(かぜ)のランナー(原作:[[秋田佐知子]] 作画:[[藤田和子]] 1998年-2000年) * [[宗像教授シリーズ|神南火]](星野之宣 2001年-2004年) * 珍しき家族(鹿嶋浩郎 2004年) * [[GO AHEAD (漫画)|GO AHEAD]](樋口大輔 2005年-2006年) * [[ひまわりっ 〜健一レジェンド〜]](東村アキコ 2006年-2010年) * [[カグツチ (漫画)|カグツチ]](原作:石黒耀 シリーズ構成:外薗昌也 作画:正吉良カラク2008年)※「死都日本」を原作とした作品 * [[かくかくしかじか]](東村アキコ 2012年-2015年) === アニメ・特撮 === ; アニメ * [[鋼鉄神ジーグ]](2007年) ** 第7話「侵入!高千穂の峰へ!霧の大地にヤツを見た!」 - ([[高千穂峰]]) * [[鉄子の旅]](2007年) ** 第12旅「見どころ満載、肥薩線」 - ([[真幸駅]]) * [[花咲くいろは]](2011年) ** 第14話「これが私の生きる道」 - (宮崎市青島) * [[エウレカセブンAO]](2012年) ** 第20話「ベター・デイズ・アヘッド」 - (新田原基地) ** 第21話「ワールド・トゥ・ワールド」 - (新富町・新田原基地) * [[快盗天使ツインエンジェルシリーズ]](2015年) ** OVA 快盗天使ツインエンジェル キュンキュン☆ときめきパラダイス!! - (宮崎市、シーガイア) ; 特撮 * [[ウルトラマンタロウ]](1973年-1974年 TBS) ** 第12話「怪獣ひとり旅」 - (宮崎市・日向市・えびの市) ** 第13話「怪獣の虫歯が痛い!」 - (宮崎市・日向市・えびの市) === ゲーム === * [[恋のサマーファンタジー in 宮崎シーガイア]](バンダイビジュアル) - [[セガサターン]](1996年) - ([[宮崎市]]・シーガイア) * Ripple 〜ブルーシールへようこそ〜([[戯画 (ブランド)|戯画]]) - [[Microsoft Windows|Windows]](2002年) - (宮崎市・シーガイア) * [[あした出逢った少女]](MOONSTONE) - Windows(2003年) - ([[高千穂町]]) * [[大人のDSゴルフ]](任天堂) - ニンテンドーDS(2005年) - (宮崎市・フェニックスカントリークラブ) * [[天外魔境III NAMIDA]](ハドソン) - PlayStation 2(2005年) - (高千穂町、延岡市、宮崎市 他) * [[Routes]](アクアプラス) - PlayStation 2(2009年) - (椎葉村) === テレビドラマ === ; 連続ドラマ * [[たまゆら (テレビドラマ)|たまゆら]](1965年-1966年 NHK) - (宮崎市・日南市) * [[東京警備指令 ザ・ガードマン]](1965年-1971年 TBS) - (宮崎市) * [[キイハンター]](1968年-1973年 TBS) ** 第105話「世界殺人集団 南国の決斗」(1970年4月4日) ** 第107話「太陽と緑の国に大追跡」(1970年4月18日) ** 第174話「黒衣の花嫁 南国の連続殺人」(1971年7月31日) ** 第178話「南の国へヌードで新婚珍道中」(1971年8月28日) ** 第183話「九ちゃんのスパイ大作戦」(1971年10月2日) * [[翔ぶが如く (NHK大河ドラマ)|翔ぶが如く]](1990年 NHK大河ドラマ) * [[わかば (テレビドラマ)|わかば]](2004年 NHK) - (日南市・西都市・高鍋町) * [[砂の器]](2004年 TBS) - (日南市・串間市) * [[危険なアネキ]](2005年 フジテレビ) - (宮崎市・都城市・日南市) * [[龍馬伝]](2010年 NHK大河ドラマ) - (高千穂峰) * [[忘却のサチコ]](2018年 テレビ東京) ** 第六歩「けごんす! 試練の宮崎グルメ旅!」(2018年11月17日) ** 第七歩「決戦!? 宮崎鶏とうどんとアナタ」(2018年11月24日) ; 単発ドラマ * [[花王ファミリースペシャル]] ミスター天気予報本日快晴!2_宮崎編(1992年11月8日 フジテレビ) - (綾町) * [[カネボウヒューマンスペシャル]]『大地の産声が聞こえる -15才 いちご薄書-』(2000年 日本テレビ) - (椎葉村) * [[事件記者冴子の殺人スクープ]]恋人が女殺しで指名手配に!宮崎・高千穂に真犯人を追う地上142メートルの空中対決!(2001年11月24日 テレビ朝日) - (宮崎市・日南市・綾町・高千穂町) * [[女神の恋]](2003年 NHK) - (延岡市・高千穂町) * [[探偵 左文字進]]8 鶴冨姫伝説の殺意(2003年9月29日 TBS) - (宮崎市・串間市・椎葉村) * [[西部警察 SPECIAL]](2004年10月31日 テレビ朝日) - (宮崎市) * [[渡り番頭・鏡善太郎の推理]] 神々の里・高千穂_燃える夜神楽殺人事件(2005年5月7日 テレビ朝日) - (高千穂町) * [[広島 昭和20年8月6日]](2005年8月29日 TBS) - (串間市) * [[ゆっくり歩け、空を見ろ#テレビドラマ版|ゆっくり歩け、空を見ろ]](2008年4月1日 フジテレビ) - (宮崎市・都城市・日南市・日向市・三股町) * [[裸の大将 宮崎編〜宮崎の鬼が笑うので〜]](2008年5月24日 フジテレビ) - (宮崎市・日南市・串間市) * [[税務調査官・窓際太郎の事件簿]]17 休暇の宮崎旅行が一転!教育現場で大金が…闇に葬られた死体と告発!母子のために悪を斬る(2008年9月8日 TBS) - (宮崎市・日南市) * [[タクシードライバーの推理日誌]] 東京〜宮崎日向灘、殺人画廊の乗客!!慰安旅行で巻き込まれる謎の連続殺人!?再会した女に秘密あり(2009年4月11日 テレビ朝日) - (宮崎市、日南市、日向市) * 命のあしあと(2013年1月27日 [[NHK BSプレミアム]]) - (宮崎県オールロケ) ; 韓国ドラマ * ウェディング(2005年 [[韓国放送公社|KBS]]) - (宮崎市・日南市) * 雪の華(2006年 [[SBS (韓国)|SBS]]) - (宮崎市・日南市・綾町) ; 台湾ドラマ * 夜市人生(2009年-2011年 [[民間全民電視公司|FTV]]) - (宮崎市・日南市・串間市・高千穂町) === 映画 === ; 日本映画 * 100万人の娘たち(1963年) - (宮崎市) * [[鉄砲玉の美学]](1973年) - (都城市) * 撃てばかげろう(1991年) * [[男はつらいよ 寅次郎の青春]](1992年) - (日南市) * [[学校 (映画)#十五才 学校IV|十五才 学校IV]](2000年) - (日向市) * [[美しい夏キリシマ]](2003年) - (えびの市) * [[棒たおし!]](2003年) - (宮崎市・綾町・国富町) * [[石井のおとうさんありがとう]](2004年) - (宮崎市・日南市・高鍋町・西米良村) * [[海猿#映画2作目|LIMIT OF LOVE 海猿]](2006年) - (宮崎市・串間市) * 寒川(2007年) - (西都市:[[寒川 (西都市)|寒川]]地区<ref>{{Cite web|和書|url=http://m20film.com/sabukawa/contents/menu/outline.html |title=映画の背景 |website=映画「寒川」オフィシャルサイト |publisher=映画「寒川」製作・配給プロジェクト |accessdate=2019-12-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121210214215/http://m20film.com/sabukawa/contents/menu/outline.html |archivedate=2012-12-10}}</ref>) * [[逃亡くそたわけ]](2007年) - (宮崎市) * 歌謡曲だよ、人生は 第四話「[[ラブユー東京]]」(2007年) - (えびの市) * [[三十九枚の年賀状]](2008年) - (宮崎市・西都市・日向市・新富町) * [[海猿#映画3作目|THE LAST MESSAGE 海猿]](2008年) - (宮崎市・宮崎空港) * [[半次郎]](2010年) - (日南市) * [[今日、恋をはじめます]](2012年) - (串間市) * [[ひまわりと子犬の7日間]](2013年) - (宮崎市・日南市) * [[あさひるばん]](2013年) * 空と海のあいだ(2015年) * 神話の国の子供たち(2015年) * [[すずめの戸締まり]](2022年) ; 韓国映画 * 黒水仙(2001年) - (宮崎市・日南市・綾町・高千穂町) ; イギリス映画 * [[007は二度死ぬ]](1967年) - ([[新燃岳]]) === テレビCM === ; 日本のCM * 1996年:山田養蜂場 - (都農町:都農ワイナリー近くの草スキー場横) * 1996年:日本航空「JAL機内ビデオ」 出演([[赤坂泰彦]]、[[浜家優子]]) - (綾町:綾町・照葉樹林・クラフトの城ほか) * 1996年:日本コカ・コーラ「爽健美茶」 - (綾町:川中自然公園) * 1997年:日本コカ・コーラ「爽健美茶」 - (綾町:川中自然公園) * 1998年:Powermax - (綾町:綾南川) * 2001年:アサヒ飲料「旨茶」 - (日南市:油津) * 2002年:ロト6インフォメーション (美郷町:南郷区) * 2002年:サントリー「モルツ」 - (綾町:綾川上流) * 2003年:日産自動車プロモーションVTR - (串間市:幸島) * 2003年:NTTドコモ九州 出演([[山中崇]]) - (小林市:独立行政法人 家畜改良センター宮崎牧場ほか) * 2003年:サントリー「中国緑茶」 出演([[水野真紀]]) - (都城市:関之尾滝) * 2004年:ネスレ「ネスカフェ」 - (都城市:関之尾町) * 2005年:野田建工 出演([[島倉千代子]]) - (日南市:飫肥の武家屋敷通り) * 2005年:アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」 - (日南市:飫肥の稲荷神社) * 2005年:伊藤園「お~いお茶」- (高千穂町:高千穂峡) * 2006年:ANAスカイビジョン - (えびの市:えびの市内の田の神像) * 2006年:NTTドコモ九州 - (日南市:日南市立細田小学校・向原河川緑地ほか) * 2006年:サントリープレミアビール - (日南市:服部亭・富土海水浴場) * 2006年:山形屋お歳暮 - (えびの市:えびの高原ピクニック広場) * 2006年:サンヨーパチンコ - (えびの市:狗留孫峡) * 2006年:ダイキン工業「うるるとさらら」 - (都城市:関之尾公園) * 2006年:ロト6 - (宮崎市:宮崎県庁楠並木) * 2007年:シオノギ製薬 - (宮崎市:宮崎県総合運動公園・平和台公園・臨海公園ほか、日南市:富土海水浴場) * 2007年:日産自動車CUBE「子鹿編」 - (えびの市:出水観音付近、高原町:皇子原ふるさと林道) * 2010年:キリン「キリン一番搾り」 出演([[松嶋菜々子]]) - (宮崎市:大淀川河川敷、西都市:恵屋) * 2012年:サントリー「なっちゃん」 出演([[松田翔太]]) - (JR日南線) * 2012年:ローソン「おにぎり屋 郷土のうまい!シリーズ」第1弾「黒瀬ぶり照焼」 出演([[大野智]]) - (日向市:美々津・権現崎) ; 韓国のCM * 2005年:缶コーヒー「Maxwell Coffee House」 出演([[チョ・インソン (俳優)|チョ・インソン]]) - (小林市:独立行政法人 家畜改良センター宮崎牧場) ; 台湾のCM * 2011年:訪日キャンペーン用CM - (宮崎市:ミヤチク・肉だわら、日南市:鵜戸神宮、高千穂町:国見ヶ丘・高千穂峡・天安河原・高千穂の夜神楽) == 人物 == {{Main|宮崎県出身の人物一覧}} === 県民栄誉賞受賞者 === ※印は県民栄誉特別賞。[https://www.pref.miyazaki.lg.jp/hishokoho/kense/koho/eiyosyou.html 宮崎県県民栄誉賞の受賞者一覧](外部リンク、宮崎県総合政策部秘書広報課栄典担当)を出典とする。受賞事由などの詳細については同サイト参照のこと。 {| class="wikitable" !受賞者氏名 !職業 !授賞年月日 |- |[[井上康生]] |[[柔道]]選手 |2000年10月10日 |- |[[アイザック・スターン]] |[[ヴァイオリニスト]] |2002年5月18日 |- |[[田中幸雄 (内野手)|田中幸雄]] |[[プロ野球選手]] |2007年12月27日 |- |[[松田丈志]] |[[競泳]]選手 |2008年9月1日 |- |[[青木宣親]] |プロ野球選手 |2009年4月8日 |- |内田順一([[木村庄之助 (35代)|35代木村庄之助]]) |[[大相撲]][[行司]] |2011年10月31日 |- |松田丈志※ |競泳選手 |2012年9月11日 |- |colspan="2"|第10回全国和牛能力共進会宮崎県推進協議会 |2012年11月23日 |- |大迫たつ子 |[[プロゴルファー]] |2016年5月10日 |- |井上康生※ |柔道指導者 |rowspan="3"|2016年10月13日 |- |松田丈志※ |競泳選手 |- |[[羽賀龍之介]] |柔道選手 |- |colspan="2"|第11回全国和牛能力共進会宮崎県推進協議会 |2017年11月23日 |- |青木宣親※ |プロ野球選手 |2017年12月26日 |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ===注釈=== {{Notelist}} ===出典=== {{Reflist|2}} == 参考文献 == * 『宮崎の野菜史』 宮崎の野菜史編集委員会編・発行、2006年 * 『宮崎の野菜2009』 宮崎県農産園芸課野菜担当、2009年 * 『テレビ宮崎10年のあゆみ』 テレビ宮崎、1981年 * 『宮崎放送三十年史』 宮崎放送、1984年 == 関連項目 == * [[宮崎県出身の人物一覧]] * [[:Category:宮崎県の自然景勝地|Category:宮崎県の自然景勝地]] * [[:Category:宮崎県の企業|Category:宮崎県の企業]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/宮崎県|[[画像:Flag map of Miyazaki Prefecture.svg|36px|Portal:日本の都道府県/宮崎県]]}} {{Commons&cat|Miyazaki_prefecture|Miyazaki_prefecture}} {{Wiktionary}} {{Wikiquote}} {{Wikinewscat}} {{Wikivoyage|ja:宮崎県}} {{osm box|r|1842184}} * {{Official website}} {{s-start}} {{s-bef|before=[[美々津県]]<br />[[都城県]]の一部([[日向国]])|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1873年]] - [[1876年]]|years2=第1次宮崎県}} {{s-aft|after=[[鹿児島県]]|表記=次}} {{s-bef|before=鹿児島県の一部(日向国)|表記=前}} 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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E7%9C%8C
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山口県
山口県(やまぐちけん)は、日本の中国地方に位置する県。県庁所在地は山口市。 本州の最西端に位置している。県土の大半は山陽地方に含まれ、県北部の北浦地区が山陰地方の西端に当たるとされる。 県庁所在地は県央部の山口市だが、瀬戸内側に人口10万人から20万人台の都市が複数点在する分散型都市構造を形成しており、山口市の求心力は大きくない。県内で最大の都市は県西端の下関市で、下関市を始めとする県西部は福岡県との繋がりが密接である。一方で岩国市などの県東部は広島県との繋がりが密接である(詳細は後述)。令制国の長門国と周防国に相当することから、防長(ぼうちょう)という別名を持つ。周防国と長門国は後に毛利氏により統治され、江戸時代には、併せて長州藩と称していたことから、長州(ちょうしゅう)と呼ばれる。幕末には倒幕運動の中心となり明治維新の立役者となった。 山口県魚に指定されているふぐは下関市の南風泊市場が日本一の市場取扱量を占めている。地元や周辺地域では、主に取扱業者を中心に縁起を担いで「ふく」と呼んでいる(下関とふく参照)。ふぐの他にも日本海側のイカやアジ、瀬戸内側のアンコウやハモなど、海産物の資源が豊富である。 山口県はインテルサットのインド洋経由の欧州向け、太平洋経由の米国向けの両方向への通信が可能な位置にあり、KDDI山口衛星通信センターが山口市にある。当センターではインテルサット・インマルサットのサービスをしているが、その他、スカパーJSATが SUPERBIRD の地上局(山口ネットワーク管制センター)、自治体衛星通信機構の地上局(山口管制局)も立地している。後者については、全国瞬時警報システムなど最重要ミッションを運用している。 南側を瀬戸内海(広島湾・伊予灘・周防灘)、西側と北側を日本海(響灘)と、三方を海に囲まれ、その中央部を中国山地が横断している。中国山地に水源を発する河川として、一級水系の佐波川および小瀬川、二級水系の錦川、椹野川、厚東川、木屋川、阿武川などがある。平野部が小さく、瀬戸内側の一部(主要河川の河口部並びに周南地区)を除けば山に囲まれた谷底平野が多く存在する。 外海と内海の両方に面し、中央部に山地が横たわるという地理的条件上、同じ県内でも気候には大きな違いが見られる。気候の特徴的に「瀬戸内海沿岸地域」「内陸山間地域」「日本海沿岸地域」に大きく分けられるが、年平均気温が12~16度、年平均降水量が1,600~2,300mmと比較的温暖であり、風水害や地震も比較的少ない。ただし、梅雨期は広島県と同様に梅雨前線と暖湿流の影響で大雨となりやすい上、急傾斜地崩壊危険箇所等の数も広島県に次いで全都道府県で2位 であり、表層に堆積した真砂土による土砂災害が発生しやすく、近年でも平成21年7月中国・九州北部豪雨や平成25年7月28日の島根県と山口県の大雨で被害を受けている地域がある。 このように、同じ県内でも地域ごとの気象傾向に差があることもあり、天気予報を発表する際の一次細分区域は「西部」「中部」「東部」「北部」の4つに設定されている(元々は「東部」「西部」「北部」の3区分だったが、旧東部から中部が分割された)。2003年(平成15年)3月3日には気象に関する注警報・警報発表区域の細分化(二次細分区域の設定)が行われ、県内が7区域「西部」(豊田 / 下関・宇部)、「中部」(山口・防府 / 周南・北玖珂)、「東部」、「北部」(長門 / 萩・美祢)に細分化された。2007年(平成19年)3月1日には市町村合併を反映する形で二次細分区域が再編され、二次細分区域が8区域に再設定されている。 長らく県内の有人観測点は山口測候所・下関地方気象台の2箇所であったが、山口測候所は2010年10月1日を以て廃止され、現在は下関地方気象台のみとなっている。なお、下関地方気象台は福岡管区気象台の管轄であり、山口県は気象庁の予報区分では「九州北部地方(山口県含む)」として九州北部と同一の区域として扱われる。 八地方区分では山口県は中国地方に区分されるが、関門海峡・周防灘を挟み近接する九州とともに「九州・山口地方」と称される場合もあり、山口県知事は九州地方知事会と中国地方知事会の両方に参加している。 公的機関では、衆議院比例区(中国ブロック)、財務省(中国財務局)、農林水産省(中国四国農政局)、NHKなどが山口県を中国地方に区分している。 民間では、ゆうちょ銀行(中国エリア)、NTTドコモ(エヌ・ティ・ティ・ドコモ中国)、全国高等学校総合体育大会<インターハイ>(中国大会)、選抜高等学校野球大会(中国・四国ブロック)などがある。 公的機関では、気象庁(福岡管区気象台、気象区分「九州北部」に山口県を含む)、税関(門司税関)、水産庁(九州漁業調整事務所)などが山口県を九州地方と共通の区分に含む。 民間では、読売新聞・朝日新聞・毎日新聞・日本経済新聞・産経新聞の全国紙各社およびグループ会社が、西部本社(支社・本部)などの地域組織において九州地方とともに山口県を管轄区域としている。 公的機関では、以下の部局が山口県域を九州地方側と中国地方側に分割して区分している。 民間経済団体である九州経済連合会はかつて「九州・山口経済連合会」と称し、改称後も下関市や宇部市を中心に山口県に本社を置く企業や大学など21法人が加盟している。中国経済連合会と重複会員もおり、山口銀行は九州経済連合会と中国経済連合会の両方で副会長を務めている。 日本小型船舶検査機構は岩国市・柳井市・田布施町・平生町・上関町・和木町・周防大島町を広島支部が管轄し、それら以外の地域を福岡県北九州市・京築地域とともに下関支部が管轄している。 地形は、県中央部が山地で沿岸・山あいに小規模な平野や盆地が分散している。海岸線は臨海工業が立地して、それぞれの工場地区ごとに労働力を引き寄せた。また、幹線交通網である国道2号や山陽本線、山陽自動車道も海岸線沿いに走っているため、物流・内陸工業の面でも労働力を引き寄せた。このような産業構造と分布をしているため、瀬戸内海側の都市への人口・物流・資本・情報の集中が発生している。 県庁所在地である山口市の県内他地域に対する求心力が低いこともあって、同市など県央地域よりも県外の地域との交流が深い自治体もある。県西部の下関市は福岡県北九州市とともに関門都市圏の核都市となっており、宇部市、山陽小野田市、美祢市などが同都市圏に含まれるほか、県東部の岩国市、和木町などは広島県広島市を核都市とする広島都市圏に含まれる。 地域圏にはいくつかの区分方法があるが、一例として山口県による 8つの広域都市圏 がある。下関広域都市圏と長門広域都市圏は、広域都市圏内で合併が進み、圏内1市となった。以下に記載する人口は、2023年11月1日現在。なお、山口県の総人口は1,295,897人。 基礎自治体は、以下の13市・4郡・6町がある(自治体コード順)。山口県では、町はすべて「ちょう」と読む。村は2006年(平成18年)3月20日の本郷村の合併に伴って消滅している。 廃藩置県の際、県庁が置かれた山口町(現・山口市)の町名がそのまま県名に採用された。「山口」という地名は、阿武郡にある「山の入り口」に由来する。山口弁では、県名は共通語と同じ「やまぐち」、市名は「やまぐち」とアクセントによる区別がある(後ろに「県」や「市」など接尾語が付く場合は、どちらも共通語と同じアクセントになる)。 国立社会保障・人口問題研究所が2018年に推計した人口は、2045年の県人口が103万6千人(2015年を100とすると73.7になると予測されている)となっている。市町村別では、下関市 181,656人(同67.7)、山口市 178,452人(同90.4)、宇部市132,461(同78.2)、周南市 107,540人(同74.2)、防府市 101,202人(同87.3)、岩国市 89,637人(同65.5)、下松市 50,419人(同90.3)、山陽小野田市 46,021人(同73.4)、光市 35,636人(同69.4)、萩市 26,119人(同52.7)、柳井市 21,059人(同63.9)、長門市 17,888人(同50.5)美祢市 14,447人(同55.2)、田布施町 10,154人(同66.3)、平生町 8,460人(同66.1)、周防大島町 7,095人(同41.3)、和木町 5,083人(同80.9)、阿武町 1,419人(同41.0)、上関町 913(同32.6)となっている。 衆議院の小選挙区が4。参議院では、全県で1区を構成する。 内閣府経済社会総合研究所が行った「令和元年度度県民経済計算」によると、2019年度(令和元年度)の一人あたりの県民所得は325.1万円、名目県内総生産は6兆3505億円(第一次産業300.7億円、第二次産業2兆5531.4億円、第三次産業3兆7468.11億円)であった。経済成長率は名目+0.5%、実質−0.3%であった。総生産の経済活動別の構成比について全国を1とする特化係数で比較すると、第一次産業は0.5、第二次産業は1.6、第三次産業は0.8であった。さらに詳しく見ていくと鉱業(特化係数1.8)、製造業(1.7)、電気・ガス・水道・廃棄物処理業等(1.3)、運輸・郵便業(1.1)、保健衛生・社会事業(1.1)で全国を上回った。製造業の内訳を見ると特に化学(特化係数7.0)、窯業・土石製品(2.8)、石油・石炭製品(2.3)、輸送用機械(1.5)、一次金属(1.2)、繊維製品(1.2)、金属製品(1.2)で全国を上回った。 経済圏は県内各地域に分散しており、経済産業省は都市雇用圏の考え方に基づいた経済圏を以下の地域に設定し、その産業特性を以下のように分析している。 山口県が行った「令和元年度市町民経済計算」による、令和元年度の市町内総生産は県全体で6兆3505億円であり、県全体に占める割合は下関市が15.2%でトップ、以下周南市(15%)、山口市(12.9%)、宇部市(9.8%)、岩国市(8.7%)と続く。地域別市町内総生産額は周南地区が1兆7501億円と全体の27.6%を占め、ついで山口・防府地区(21.5%)、宇部・小野田地区(17.2%)、下関地区(15.2%)と続く。 市町民所得は県全体で4兆4074億円であり、県全体に占める割合は下関市が18%でトップ、以下山口市(15.1%)、周南市(13.2%)、宇部市(12.2%)、岩国市(9.1%)と続く。 。 山陽地方に当たる瀬戸内海側は、重化学コンビナートを中心とした工業と、高速道路網などを生かした流通業などが発展しており、瀬戸内工業地域の一角を成す。一方で、山陰地方に当たる日本海側は、農業・漁業などの第一次産業と観光業などのサービス産業が中心である。 かつては宇部・美祢で鉱業が盛んであり、宇部炭鉱 (宇部市) や大嶺炭鉱 (美祢市) で無煙炭を中心とした石炭が採掘されていた。いずれも現在は閉山しているが、県西部 (宇部市・山陽小野田市など) の重化学工業地域は元々この炭鉱を背景としている。現在美祢地区では石炭に代わって石灰石の採掘が行われており、セメントの製造企業が集中している。一方、周南・岩国などの東部では太平洋戦争当時の海軍燃料廠などに由来する石油精製コンビナートを展開、ソーダなど化学系の製品製造を主とする工業地域を形成している。 沿岸部から中山間部までの多様な自然条件や消費地の近さ、交通網の高い整備状況により米や野菜、果物、花、牛肉といった様々な農産物が生産されている。特に長州藩時代の四白政策以来米作りが盛んに行われており、干拓や棚田などの新田開作により農地が増やされてきた。特に米はコシヒカリやひとめぼれ、ヒノヒカリが生産されている。野菜はわさびやれんこん、トマトの生産が盛んで、果物は瀬戸内側で温州みかんや夏みかん、中山間部では栗の栽培が盛ん。花は下関市を中心にゆり、バラ、カーネーション、菊の栽培が盛んである。また、畜産においては本県が日本で初めて誕生させ全国唯一である無角和牛 や和牛の原種と言われ国の天然記念物に指定されている見島牛が、養鶏が盛んな長門市では県オリジナル地鶏「長州黒かしわ」の飼育が行われている。 農業生産額の割合では、米が全生産額の34.9%で最も多く、野菜が24.2%、鶏(鶏卵・ブロイラー)が14.7%、果実が6.6%と成っている。 三方が海に面する山口県では古くから水産業が盛んであり、江戸時代に長州藩は漁業を推奨し特に現在の長門市の通地区や仙崎地区を中心に捕鯨に力を入れ、「鯨一頭とれば七浦賑わう」と謳われた。捕鯨は明治時代まで続いたがロシアによる日本海での捕鯨が原因で北浦捕鯨は早々に衰退、その後ノルウェー式捕鯨の導入で下関市は日本有数の捕鯨基地となった。その後国際的な反捕鯨運動が盛んになり、また日本が国際捕鯨委員会に加盟したことで長らく商業捕鯨は禁止されていたが2019年に脱退したことで再び商業捕鯨が再開され、下関市は再び商業捕鯨及び調査捕鯨の基地となっている。また、同市はふぐの日本一の取扱量を誇っており、同市南風泊市場では全国のふぐの大半を取り扱っている。平成21年度の山口県の漁獲量はアマダイ、サザエで全国2位、イサキ、アワビ類で全国4位、マダイ、クルマエビ、マアジで全国5位であり多くの魚種で日本有数の捕獲量を誇る。水産加工業も盛んであり下関市ではウニの瓶詰め、辛子明太子、蒲鉾を始めとする練り製品で全国有数の生産量を誇る。2020年度における本県の陸揚量は21,598トン、登録漁船数は5491隻、総トン数は14,954トン、利用漁船数は7023隻、組合員数は6634人である。また三方を海に囲まれていることもあり本県の漁港数は94港あり、全国で9番目に多い状況にある。その内訳は第一種漁港54港、第二種漁港34港、第三種漁港2港、特定第三種漁港1港、第四種漁港3港であり、このうち県管理漁港7港(下関漁港、川尻漁港、江崎漁港、見島漁港、仙崎漁港、萩漁港、徳山漁港)、市町村管理漁港87港となっている。 山口県の瀬戸内海沿岸では大正時代より造船業や化学、機械、金属の工場が次々に進出し、第二次世界大戦中は旧日本軍の工廠などが立地した。戦後は石油化学コンビナートが形成され全国有数の工業県となり、瀬戸内工業地域を構成している。特に下関市や宇部市、山陽小野田市、美祢市などは北九州工業地域の構成都市でもある。県西部では美祢市のカルスト台地から産出される石灰石を原料とするセメント製造工場が立地、周南市や岩国市など県東部では石油コンビナートやソーダなどの化学製品を生産する企業が集中している。 経済産業省が実施した工業統計調査によると、2020年度の製造品出荷額は5兆6169億円(周南市1兆1317.6億円、防府市8170.3億円、下関市6022.6億円)、付加価値額は1兆8643億円、事業所数は1725ヶ所(下関市369ヶ所、宇部市186ヶ所、周南市160ヶ所)、従業者数は9万5292人(下関市1万6141人、防府市1万3266人、周南市1万1619人)、1事業所当たりの製造品出荷額は2000年ごろから全国首位が続いており90億1572万円、1事業所当たりの付加価値額は10億8100万円、従業者1人当たりの付加価値額は1956万円であった。特に化学、輸送、石油、鉄鋼、窯業が盛んであり、マツダ(自動車)、日立製作所(鉄道車両)、三菱重工業・三菱造船(造船)、ブリヂストン(タイヤ)、シマノ(自転車)、武田薬品工業(製薬)、マルハニチロ(食料品)、日清食品(食料品)などの大手メーカーが数多く立地している。 このほか、かつての財閥の一つである日産コンツェルンの創業者たち(鮎川義介・久原房之助ら)は山口県出身であり、日産コンツェルンの流れをくむ複数の企業の生産拠点が山口県に残っている。また、東芝の創業者の一人である藤岡市助も山口県出身である。 1963年(昭和38年)の山口国体開催にあたり、県管理道路(県道と一部の国道)のガードレールを特産の夏みかんにちなんだ黄色にしようということになった。それ以来県道のガードレールには黄色いものが使われている。 県内11市町に24箇所の道の駅が開設されている。 愛媛県松山市・三津浜港) かつては下関市の彦島荒田港と北九州市小倉北区の日明港を関門海峡フェリーが結んでいた。 山口県における水道普及率は2021年時点で94%(全国平均98.2%)である。給水人口構成比は総人口131万5949人に対して上水道は92.9%(122万2305人)、簡易水道は0.8%(1万830人)、専用水道は0.3%(4330人)、未普及人口は6%(7万8484人)である。 市町村毎の普及率は和木町100%、上関町99.4%、宇部市99.4%、山陽小野田市99.3%、下松市98.5%、下関市97.2%、萩市95.9%、光市94.9%、長門市94.8%、周南市94.3%、周防大島町94.3%、防府市93.8%、山口市93.1%、美祢市92.7%、岩国市85.4%、平生町79.5%、柳井市78.1%、田布施町66.1%、阿武町66%である。 また2021年時点での上水道の給水量は1億6936.9万m3であり、有収水量(製造された水のうち、料金収入が得られた水量)は1億5022.6万m3である。簡易水道の給水量は154.9万m3、有収水量は116.8万m3である。 山口県における公共下水道普及率は2021年時点で68.1%(全国平均79.7%)、水洗化率(下水道供用区域内に住んでいる人口のうち、水洗便所を設置して汚水を下水道で処理している人口の割合)は95.3%(全国平均92.9%)である。また汚水処理人口普及率(下水道のほか集落排水施設、合併処理浄化槽、コミュニティプラントを含む)は88.8%(全国平均92.6%)であり、全国26位である。 市町村毎の普及率および(水洗化率)は和木町99.5%(100%)、下松市90%(97%)、周南市87.3%(94.5%)、光市81.5%(97.9%)、下関市79%(97%)、宇部市78.6%(96.2%)、防府市70.7%(92.2%)、山口市68.1%(96.8%)、平生町61.7%(94.5%)、山陽小野田市58%(91%)、長門市50.4%(97.7%)、田布施町49%(98%)、萩市45.3%(90.9%)、美祢市37%(95.2%)、岩国市36.3%(92.3%)、柳井市32.3%(89.7%)、周防大島町22.5%(65.7%)である。 県内に下水処理場は41ヶ所あり、うち県管理の処理場は周南浄化センターと田布施川浄化センターの2ヶ所である。これらの浄化センターは特に島田川および田布施川の水質悪化を防止するために県の事業として設置されているものである。 岩国、柳井、周南、山口・防府、萩、宇部・小野田、長門、下関の8つの二次医療圏が設定されている。 山口県内において三次救急医療を担う救命救急センターとしては、以下の5つがある。 なお、萩医療圏と長門医療圏の全域では、これらの機関への自動車での移動が1時間を越えるため、医療体制や交通網の整備が課題となっている。 国立 (1校) 公立 (4校) 私立 (6校) 私立(1校) 私立(4校) 高等専門学校 (3校) 中等教育学校 (1校) 省庁大学校 (1校) (農林水産省所管、国立研究開発法人水産研究・教育機構法に基づく省庁大学校) 職業訓練校 (2校) 読売・朝日・毎日の各新聞は西部本社(読売は福岡市、朝日・毎日は北九州市に立地)、日経は西部支社(福岡市に立地)、産経は西部本部(福岡市に立地)の管轄となっている。産経新聞は1997年(平成9年)ごろから発売を休止していたが、産経新聞社九州・山口本部(現・産経新聞西部本部)発足に伴い2009年(平成21年)10月1日付より山口県での発行を再開した。印刷は佐賀県鳥栖市の毎日新聞社工場に委託している。 なお広島県、島根県に境を接する東部のごく一部では、大阪本社発行のものと西部本社(支社・本部)発行のものを並行発売する店舗もある。 山口県で販売している全国紙は以下の通り。 山口県全域を発行エリアとする地方紙は、山口新聞(下関市、日刊、みなと山口合同新聞社発行)がある。中国新聞(広島市)は周南市に防長本社を置き、山口県内でも中国新聞 山口として販売している。かつては西日本新聞(福岡市)も県西部地域で販売していたが、2009年(平成21年)3月31日をもって山口県での販売を停止し、山口市と下関市にあった支局も撤退した。他に長周新聞(下関市、週3回刊、長周新聞社発刊)がある。 県内特定地域を発行エリアとする主な地方紙は以下の通り。 デイリースポーツ(大阪・神戸本社管轄の広島支社のエリア)を除き、西部本社の販売エリアである。なお、日刊スポーツは元々は下関市のみなと山口合同新聞社の工場に委託印刷した、西部日刊スポーツ新聞社制作の新聞を発行していたが、西部、大阪、名古屋の地域発行本社を合併した日刊スポーツ新聞西日本が発足した1年後の2010年(平成22年)4月に防府市以東では、広島県廿日市市の中国新聞社の工場に委託印刷・発行した同大阪本部発行の新聞(山口西部を除く中四国地方向けと同じ)に変更された。 そのこともあり、県内で販売されるスポーツ新聞は福岡ソフトバンクホークスやアビスパ福岡などの福岡県に本拠地を置く話題が多い(デイリー、及び日刊の山口東部向けに関しては阪神タイガースあるいは広島東洋カープまたはサンフレッチェ広島などの広島を本拠地とするもの)。前述通り産経新聞は発行を再開したもののサンケイスポーツは発売されていない。また、かつては西日本スポーツも発売されていたが、西日本新聞の山口県撤退と同時に山口県内での発売から撤退した。 フジとゲンダイは大阪本社版の早刷りのものをごく一部の駅売りスタンドで発売するのみ。なお、九州スポーツは東京スポーツ系列の新聞であるが、朝刊で扱われているため夕刊紙ではない。 デジタルテレビ・FMラジオの親局送信所及びKRYラジオのFM補完放送のメイン中継局は防府市の大平山。 山口県には県内に本拠を置くFNN/FNS系及びTXN系列局が存在せず、両系列の放送対象地域に含まれていない。 両系列の報道取材は、福岡県の民放のFNN系列局テレビ西日本(TNC)・TXN系列局TVQ九州放送(TVQ)の2局が担当するが、FNNにおいて岩国市はテレビ新広島(TSS) 、萩市は山陰中央テレビジョン放送(TSK)がそれぞれ担当する。 ただし、県外局のスピルオーバーにより特にFNN/FNS系列局を視聴可能な地域も少なくない他、ケーブルテレビ局を通しての区域外再放送を利用して視聴する世帯も多い。主たるスピルオーバーやケーブルテレビの区域外再放送で受信できるテレビ局は以下のとおりである。 週刊TVガイド・ザテレビジョンなどのテレビ専門誌では、県東部で「広島・島根・鳥取・山口東版」(山口県域局と広島県域局・鳥取県・島根県の番組表を収録)を、県西部で「福岡・佐賀・山口西版」(山口県域局と福岡県域局・佐賀県域局の番組表を収録)をそれぞれ発行・発売しており、同じ雑誌でありながら同一県内で2種類の冊子を発行、購入ができる。 カッコ後ろの「JW」は J-WAVE から、「MB」は ミュージックバード からの番組配信あり(無印は自社製作中心)。 ケーブルテレビの普及率が比較的高く、特に県央部および宇部・美祢地域をエリアに持つ山口ケーブルビジョンではエリア内の加入率を75%以上と公表している。 県域の方言は「山口弁」に区分されるが、地域ごとに大きな差異が見られる。 経済産業大臣指定伝統的工芸品は以下の通り。 サッカーチームはJリーグのレノファ山口FCや、社会人サッカーチームであるFCバレイン下関・FC宇部ヤーマンなどがある。かつては永大産業サッカー部が熊毛郡平生町に本拠地を置いていた。 プロ野球チームは広島東洋カープの二軍が岩国市の広島東洋カープ由宇練習場を本拠地としている。また、横浜DeNAベイスターズ(旧大洋ホエールズ)は球団発足当時、下関市の下関市営球場に本拠地を置いていた。21世紀時点では、広島県に近い県東部は広島東洋カープのファンが、福岡県に近い県西部(下関市など)は福岡ソフトバンクホークスのファンがそれぞれ多いとされる。両チームが対戦した2018年の日本シリーズの際には、同じチェーンのスーパーマーケットで行われたセールでも、県東部と県西部でそれぞれ優勝セールの対象が異なるという事象が見られた。また、独立リーグの九州アジアリーグに2022年から参加した福岡北九州フェニックスは初年度より下関球場で公式戦をおこない、2023年からは球団名を北九州下関フェニックスに改めている。 バスケットボールチームは山口ペイトリオッツが2021-22シーズンからB3.LEAGUEに参加している。 ラグビーチームはながとブルーエンジェルスがあり、太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2019で総合優勝。 陸上競技では、全日本実業団ハーフマラソン(山口市・毎年2月)、下関海響マラソン(下関市・毎年11月)、防府読売マラソン(防府市・毎年12月)などのマラソン大会が開催されているほか、全国持ち回り開催の全国中学校駅伝大会が山口市で開催されたことがある。かつてはカネボウ陸上競技部が防府市に本拠地を置いていた。 公営競技は、防府競輪場(防府市)、ボートレース徳山(周南市)、ボートレース下関(下関市)、山陽オートレース場(山陽小野田市)がある。 山口県の各市町村の年間観光客数は、山口県の統計による2019年の数値 によれば県全体で観光客数が3601.3万人、宿泊客数は大型イベントが無かったことで前年比13.6%減となり、376.2万人であった。市町村別観光客数では、下関市が最も多く711.3万人(前年比101.6%)、次いで山口市の516万人(84.3%)、萩市の451万人(99.1%)、岩国市の322万人(102.3%)、長門市の241万人(95%)と続く。 外国人観光客数は22%減少し35.7万人、外国人宿泊客数は日韓関係の悪化により14.9%減少し10.4万人となった。構成としては中国本土8.5万人(構成比23.8%)、次いで韓国約8.3万人(23.2%)、台湾6.3万人(17.6%)、アメリカ2.5万人(6.9%)と続く。 発着地別観光客数では県内が2124.2万人(構成比59%)と最も多く、次いで中国地方421.4万人(11.7%)、九州地方及び沖縄地方395.2万人(11%)、関東地方189.4万人(5.3%)、近畿地方163.6万人(4.5%)、中部地方79.7万人(2.2%)、四国地方52.5万人(1.5%)、北海道地方及び東北地方24.5万人(0.7%)であった。 季節別観光客数では春(3~5月)が989.6万人(構成比27.5%)と最も多く、次いで夏(6〜8月)961.2万人(26.7%)、秋(9〜11月)953.5万人(26.5%)、冬(12〜2月)697万人(19.4%)であった。 温泉は、湯田温泉、川棚温泉、湯本温泉、俵山温泉など、51泉ある。そのうち、25泉は放射能泉系、9泉は単純温泉系、13泉は塩化物泉系、残り3泉はその他の泉質である。 有形文化財建造物としては、萩市の松下村塾、萩反射炉、萩城下町、大板山たたら製鉄遺跡、恵美須ヶ鼻造船所跡が世界遺産に登録(「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として)、下関市の功山寺仏殿と住吉神社本殿、山口市の瑠璃光寺五重塔が国宝に指定、赤間神宮の水天門と回廊などが重要無形文化財に、萩市の堀内地区・平安古地区・浜崎地区・佐々並市地区、柳井市の古市金屋地区が重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 「山口県の形状はオーストラリアと似ている」と山口県庁の広報広聴課が述べたことがある。 2012年(平成24年)、2014 FIFAサッカーワールドカップに向けたアジア最終予選の「日本代表 対 オーストラリア代表」戦がオーストラリアで開催されることに際して、同課は「山口県とオーストラリアの形って似てるよね!」と述べた上で、「オーストラリアへ(観戦に)行けない人は、山口県でオーストラリア気分を楽しみましょう!」と、県庁のホームページに特集記事を掲載した。 同課はオーストラリア(豪州)の名所を山口県の名所になぞらえ、次のように県内の観光地を紹介した。 この記事は3年後の2015年(平成27年)に日本のSNS上で話題になった。『Twitter』などでは本企画を賞賛する声のほか、「山口県は県庁所在地(山口市)の求心力が強くなく、岩国・周南・宇部・下関などの都市が割拠している。その点もオーストラリアに似ている」などの意見もみられた。 また、「山口県よりも四国のほうがオーストラリアと似ている」、「オーストラリア似といえば四国や神奈川県だと思っていた」「福島県のほうが似ている」 といった指摘も寄せられた。さらに、福島県の観光情報メディア『福島TRIP』は、「福島県のほうがオーストラリアに似ているのでは」として同様の観光案内記事を掲載した。 2015年12月、広報広聴課の担当者は朝日新聞社の取材に対し、「当時、サッカーワールドカップ最終予選のオーストラリア戦が話題となっていたので、(中略)山口県の話題化をはかりたいと考えた」「3年前の記事なので、正直驚いている。今後とも、山口県に関心を持っていただけるように、魅力を発信していきたい」などと回答した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "山口県(やまぐちけん)は、日本の中国地方に位置する県。県庁所在地は山口市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "本州の最西端に位置している。県土の大半は山陽地方に含まれ、県北部の北浦地区が山陰地方の西端に当たるとされる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "県庁所在地は県央部の山口市だが、瀬戸内側に人口10万人から20万人台の都市が複数点在する分散型都市構造を形成しており、山口市の求心力は大きくない。県内で最大の都市は県西端の下関市で、下関市を始めとする県西部は福岡県との繋がりが密接である。一方で岩国市などの県東部は広島県との繋がりが密接である(詳細は後述)。令制国の長門国と周防国に相当することから、防長(ぼうちょう)という別名を持つ。周防国と長門国は後に毛利氏により統治され、江戸時代には、併せて長州藩と称していたことから、長州(ちょうしゅう)と呼ばれる。幕末には倒幕運動の中心となり明治維新の立役者となった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "山口県魚に指定されているふぐは下関市の南風泊市場が日本一の市場取扱量を占めている。地元や周辺地域では、主に取扱業者を中心に縁起を担いで「ふく」と呼んでいる(下関とふく参照)。ふぐの他にも日本海側のイカやアジ、瀬戸内側のアンコウやハモなど、海産物の資源が豊富である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "山口県はインテルサットのインド洋経由の欧州向け、太平洋経由の米国向けの両方向への通信が可能な位置にあり、KDDI山口衛星通信センターが山口市にある。当センターではインテルサット・インマルサットのサービスをしているが、その他、スカパーJSATが SUPERBIRD の地上局(山口ネットワーク管制センター)、自治体衛星通信機構の地上局(山口管制局)も立地している。後者については、全国瞬時警報システムなど最重要ミッションを運用している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "南側を瀬戸内海(広島湾・伊予灘・周防灘)、西側と北側を日本海(響灘)と、三方を海に囲まれ、その中央部を中国山地が横断している。中国山地に水源を発する河川として、一級水系の佐波川および小瀬川、二級水系の錦川、椹野川、厚東川、木屋川、阿武川などがある。平野部が小さく、瀬戸内側の一部(主要河川の河口部並びに周南地区)を除けば山に囲まれた谷底平野が多く存在する。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "外海と内海の両方に面し、中央部に山地が横たわるという地理的条件上、同じ県内でも気候には大きな違いが見られる。気候の特徴的に「瀬戸内海沿岸地域」「内陸山間地域」「日本海沿岸地域」に大きく分けられるが、年平均気温が12~16度、年平均降水量が1,600~2,300mmと比較的温暖であり、風水害や地震も比較的少ない。ただし、梅雨期は広島県と同様に梅雨前線と暖湿流の影響で大雨となりやすい上、急傾斜地崩壊危険箇所等の数も広島県に次いで全都道府県で2位 であり、表層に堆積した真砂土による土砂災害が発生しやすく、近年でも平成21年7月中国・九州北部豪雨や平成25年7月28日の島根県と山口県の大雨で被害を受けている地域がある。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "このように、同じ県内でも地域ごとの気象傾向に差があることもあり、天気予報を発表する際の一次細分区域は「西部」「中部」「東部」「北部」の4つに設定されている(元々は「東部」「西部」「北部」の3区分だったが、旧東部から中部が分割された)。2003年(平成15年)3月3日には気象に関する注警報・警報発表区域の細分化(二次細分区域の設定)が行われ、県内が7区域「西部」(豊田 / 下関・宇部)、「中部」(山口・防府 / 周南・北玖珂)、「東部」、「北部」(長門 / 萩・美祢)に細分化された。2007年(平成19年)3月1日には市町村合併を反映する形で二次細分区域が再編され、二次細分区域が8区域に再設定されている。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "長らく県内の有人観測点は山口測候所・下関地方気象台の2箇所であったが、山口測候所は2010年10月1日を以て廃止され、現在は下関地方気象台のみとなっている。なお、下関地方気象台は福岡管区気象台の管轄であり、山口県は気象庁の予報区分では「九州北部地方(山口県含む)」として九州北部と同一の区域として扱われる。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "八地方区分では山口県は中国地方に区分されるが、関門海峡・周防灘を挟み近接する九州とともに「九州・山口地方」と称される場合もあり、山口県知事は九州地方知事会と中国地方知事会の両方に参加している。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "公的機関では、衆議院比例区(中国ブロック)、財務省(中国財務局)、農林水産省(中国四国農政局)、NHKなどが山口県を中国地方に区分している。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "民間では、ゆうちょ銀行(中国エリア)、NTTドコモ(エヌ・ティ・ティ・ドコモ中国)、全国高等学校総合体育大会<インターハイ>(中国大会)、選抜高等学校野球大会(中国・四国ブロック)などがある。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "公的機関では、気象庁(福岡管区気象台、気象区分「九州北部」に山口県を含む)、税関(門司税関)、水産庁(九州漁業調整事務所)などが山口県を九州地方と共通の区分に含む。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "民間では、読売新聞・朝日新聞・毎日新聞・日本経済新聞・産経新聞の全国紙各社およびグループ会社が、西部本社(支社・本部)などの地域組織において九州地方とともに山口県を管轄区域としている。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "公的機関では、以下の部局が山口県域を九州地方側と中国地方側に分割して区分している。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "民間経済団体である九州経済連合会はかつて「九州・山口経済連合会」と称し、改称後も下関市や宇部市を中心に山口県に本社を置く企業や大学など21法人が加盟している。中国経済連合会と重複会員もおり、山口銀行は九州経済連合会と中国経済連合会の両方で副会長を務めている。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "日本小型船舶検査機構は岩国市・柳井市・田布施町・平生町・上関町・和木町・周防大島町を広島支部が管轄し、それら以外の地域を福岡県北九州市・京築地域とともに下関支部が管轄している。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "地形は、県中央部が山地で沿岸・山あいに小規模な平野や盆地が分散している。海岸線は臨海工業が立地して、それぞれの工場地区ごとに労働力を引き寄せた。また、幹線交通網である国道2号や山陽本線、山陽自動車道も海岸線沿いに走っているため、物流・内陸工業の面でも労働力を引き寄せた。このような産業構造と分布をしているため、瀬戸内海側の都市への人口・物流・資本・情報の集中が発生している。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "県庁所在地である山口市の県内他地域に対する求心力が低いこともあって、同市など県央地域よりも県外の地域との交流が深い自治体もある。県西部の下関市は福岡県北九州市とともに関門都市圏の核都市となっており、宇部市、山陽小野田市、美祢市などが同都市圏に含まれるほか、県東部の岩国市、和木町などは広島県広島市を核都市とする広島都市圏に含まれる。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "地域圏にはいくつかの区分方法があるが、一例として山口県による 8つの広域都市圏 がある。下関広域都市圏と長門広域都市圏は、広域都市圏内で合併が進み、圏内1市となった。以下に記載する人口は、2023年11月1日現在。なお、山口県の総人口は1,295,897人。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "基礎自治体は、以下の13市・4郡・6町がある(自治体コード順)。山口県では、町はすべて「ちょう」と読む。村は2006年(平成18年)3月20日の本郷村の合併に伴って消滅している。", "title": "地形・地域" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "廃藩置県の際、県庁が置かれた山口町(現・山口市)の町名がそのまま県名に採用された。「山口」という地名は、阿武郡にある「山の入り口」に由来する。山口弁では、県名は共通語と同じ「やまぐち」、市名は「やまぐち」とアクセントによる区別がある(後ろに「県」や「市」など接尾語が付く場合は、どちらも共通語と同じアクセントになる)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "国立社会保障・人口問題研究所が2018年に推計した人口は、2045年の県人口が103万6千人(2015年を100とすると73.7になると予測されている)となっている。市町村別では、下関市 181,656人(同67.7)、山口市 178,452人(同90.4)、宇部市132,461(同78.2)、周南市 107,540人(同74.2)、防府市 101,202人(同87.3)、岩国市 89,637人(同65.5)、下松市 50,419人(同90.3)、山陽小野田市 46,021人(同73.4)、光市 35,636人(同69.4)、萩市 26,119人(同52.7)、柳井市 21,059人(同63.9)、長門市 17,888人(同50.5)美祢市 14,447人(同55.2)、田布施町 10,154人(同66.3)、平生町 8,460人(同66.1)、周防大島町 7,095人(同41.3)、和木町 5,083人(同80.9)、阿武町 1,419人(同41.0)、上関町 913(同32.6)となっている。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区が4。参議院では、全県で1区を構成する。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "内閣府経済社会総合研究所が行った「令和元年度度県民経済計算」によると、2019年度(令和元年度)の一人あたりの県民所得は325.1万円、名目県内総生産は6兆3505億円(第一次産業300.7億円、第二次産業2兆5531.4億円、第三次産業3兆7468.11億円)であった。経済成長率は名目+0.5%、実質−0.3%であった。総生産の経済活動別の構成比について全国を1とする特化係数で比較すると、第一次産業は0.5、第二次産業は1.6、第三次産業は0.8であった。さらに詳しく見ていくと鉱業(特化係数1.8)、製造業(1.7)、電気・ガス・水道・廃棄物処理業等(1.3)、運輸・郵便業(1.1)、保健衛生・社会事業(1.1)で全国を上回った。製造業の内訳を見ると特に化学(特化係数7.0)、窯業・土石製品(2.8)、石油・石炭製品(2.3)、輸送用機械(1.5)、一次金属(1.2)、繊維製品(1.2)、金属製品(1.2)で全国を上回った。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "経済圏は県内各地域に分散しており、経済産業省は都市雇用圏の考え方に基づいた経済圏を以下の地域に設定し、その産業特性を以下のように分析している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "山口県が行った「令和元年度市町民経済計算」による、令和元年度の市町内総生産は県全体で6兆3505億円であり、県全体に占める割合は下関市が15.2%でトップ、以下周南市(15%)、山口市(12.9%)、宇部市(9.8%)、岩国市(8.7%)と続く。地域別市町内総生産額は周南地区が1兆7501億円と全体の27.6%を占め、ついで山口・防府地区(21.5%)、宇部・小野田地区(17.2%)、下関地区(15.2%)と続く。 市町民所得は県全体で4兆4074億円であり、県全体に占める割合は下関市が18%でトップ、以下山口市(15.1%)、周南市(13.2%)、宇部市(12.2%)、岩国市(9.1%)と続く。 。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "山陽地方に当たる瀬戸内海側は、重化学コンビナートを中心とした工業と、高速道路網などを生かした流通業などが発展しており、瀬戸内工業地域の一角を成す。一方で、山陰地方に当たる日本海側は、農業・漁業などの第一次産業と観光業などのサービス産業が中心である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "かつては宇部・美祢で鉱業が盛んであり、宇部炭鉱 (宇部市) や大嶺炭鉱 (美祢市) で無煙炭を中心とした石炭が採掘されていた。いずれも現在は閉山しているが、県西部 (宇部市・山陽小野田市など) の重化学工業地域は元々この炭鉱を背景としている。現在美祢地区では石炭に代わって石灰石の採掘が行われており、セメントの製造企業が集中している。一方、周南・岩国などの東部では太平洋戦争当時の海軍燃料廠などに由来する石油精製コンビナートを展開、ソーダなど化学系の製品製造を主とする工業地域を形成している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "沿岸部から中山間部までの多様な自然条件や消費地の近さ、交通網の高い整備状況により米や野菜、果物、花、牛肉といった様々な農産物が生産されている。特に長州藩時代の四白政策以来米作りが盛んに行われており、干拓や棚田などの新田開作により農地が増やされてきた。特に米はコシヒカリやひとめぼれ、ヒノヒカリが生産されている。野菜はわさびやれんこん、トマトの生産が盛んで、果物は瀬戸内側で温州みかんや夏みかん、中山間部では栗の栽培が盛ん。花は下関市を中心にゆり、バラ、カーネーション、菊の栽培が盛んである。また、畜産においては本県が日本で初めて誕生させ全国唯一である無角和牛 や和牛の原種と言われ国の天然記念物に指定されている見島牛が、養鶏が盛んな長門市では県オリジナル地鶏「長州黒かしわ」の飼育が行われている。 農業生産額の割合では、米が全生産額の34.9%で最も多く、野菜が24.2%、鶏(鶏卵・ブロイラー)が14.7%、果実が6.6%と成っている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "三方が海に面する山口県では古くから水産業が盛んであり、江戸時代に長州藩は漁業を推奨し特に現在の長門市の通地区や仙崎地区を中心に捕鯨に力を入れ、「鯨一頭とれば七浦賑わう」と謳われた。捕鯨は明治時代まで続いたがロシアによる日本海での捕鯨が原因で北浦捕鯨は早々に衰退、その後ノルウェー式捕鯨の導入で下関市は日本有数の捕鯨基地となった。その後国際的な反捕鯨運動が盛んになり、また日本が国際捕鯨委員会に加盟したことで長らく商業捕鯨は禁止されていたが2019年に脱退したことで再び商業捕鯨が再開され、下関市は再び商業捕鯨及び調査捕鯨の基地となっている。また、同市はふぐの日本一の取扱量を誇っており、同市南風泊市場では全国のふぐの大半を取り扱っている。平成21年度の山口県の漁獲量はアマダイ、サザエで全国2位、イサキ、アワビ類で全国4位、マダイ、クルマエビ、マアジで全国5位であり多くの魚種で日本有数の捕獲量を誇る。水産加工業も盛んであり下関市ではウニの瓶詰め、辛子明太子、蒲鉾を始めとする練り製品で全国有数の生産量を誇る。2020年度における本県の陸揚量は21,598トン、登録漁船数は5491隻、総トン数は14,954トン、利用漁船数は7023隻、組合員数は6634人である。また三方を海に囲まれていることもあり本県の漁港数は94港あり、全国で9番目に多い状況にある。その内訳は第一種漁港54港、第二種漁港34港、第三種漁港2港、特定第三種漁港1港、第四種漁港3港であり、このうち県管理漁港7港(下関漁港、川尻漁港、江崎漁港、見島漁港、仙崎漁港、萩漁港、徳山漁港)、市町村管理漁港87港となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "山口県の瀬戸内海沿岸では大正時代より造船業や化学、機械、金属の工場が次々に進出し、第二次世界大戦中は旧日本軍の工廠などが立地した。戦後は石油化学コンビナートが形成され全国有数の工業県となり、瀬戸内工業地域を構成している。特に下関市や宇部市、山陽小野田市、美祢市などは北九州工業地域の構成都市でもある。県西部では美祢市のカルスト台地から産出される石灰石を原料とするセメント製造工場が立地、周南市や岩国市など県東部では石油コンビナートやソーダなどの化学製品を生産する企業が集中している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "経済産業省が実施した工業統計調査によると、2020年度の製造品出荷額は5兆6169億円(周南市1兆1317.6億円、防府市8170.3億円、下関市6022.6億円)、付加価値額は1兆8643億円、事業所数は1725ヶ所(下関市369ヶ所、宇部市186ヶ所、周南市160ヶ所)、従業者数は9万5292人(下関市1万6141人、防府市1万3266人、周南市1万1619人)、1事業所当たりの製造品出荷額は2000年ごろから全国首位が続いており90億1572万円、1事業所当たりの付加価値額は10億8100万円、従業者1人当たりの付加価値額は1956万円であった。特に化学、輸送、石油、鉄鋼、窯業が盛んであり、マツダ(自動車)、日立製作所(鉄道車両)、三菱重工業・三菱造船(造船)、ブリヂストン(タイヤ)、シマノ(自転車)、武田薬品工業(製薬)、マルハニチロ(食料品)、日清食品(食料品)などの大手メーカーが数多く立地している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "このほか、かつての財閥の一つである日産コンツェルンの創業者たち(鮎川義介・久原房之助ら)は山口県出身であり、日産コンツェルンの流れをくむ複数の企業の生産拠点が山口県に残っている。また、東芝の創業者の一人である藤岡市助も山口県出身である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "1963年(昭和38年)の山口国体開催にあたり、県管理道路(県道と一部の国道)のガードレールを特産の夏みかんにちなんだ黄色にしようということになった。それ以来県道のガードレールには黄色いものが使われている。", "title": "交通・生活" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "県内11市町に24箇所の道の駅が開設されている。", "title": "交通・生活" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "愛媛県松山市・三津浜港)", "title": "交通・生活" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "かつては下関市の彦島荒田港と北九州市小倉北区の日明港を関門海峡フェリーが結んでいた。", "title": "交通・生活" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "山口県における水道普及率は2021年時点で94%(全国平均98.2%)である。給水人口構成比は総人口131万5949人に対して上水道は92.9%(122万2305人)、簡易水道は0.8%(1万830人)、専用水道は0.3%(4330人)、未普及人口は6%(7万8484人)である。 市町村毎の普及率は和木町100%、上関町99.4%、宇部市99.4%、山陽小野田市99.3%、下松市98.5%、下関市97.2%、萩市95.9%、光市94.9%、長門市94.8%、周南市94.3%、周防大島町94.3%、防府市93.8%、山口市93.1%、美祢市92.7%、岩国市85.4%、平生町79.5%、柳井市78.1%、田布施町66.1%、阿武町66%である。 また2021年時点での上水道の給水量は1億6936.9万m3であり、有収水量(製造された水のうち、料金収入が得られた水量)は1億5022.6万m3である。簡易水道の給水量は154.9万m3、有収水量は116.8万m3である。", "title": "交通・生活" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "山口県における公共下水道普及率は2021年時点で68.1%(全国平均79.7%)、水洗化率(下水道供用区域内に住んでいる人口のうち、水洗便所を設置して汚水を下水道で処理している人口の割合)は95.3%(全国平均92.9%)である。また汚水処理人口普及率(下水道のほか集落排水施設、合併処理浄化槽、コミュニティプラントを含む)は88.8%(全国平均92.6%)であり、全国26位である。 市町村毎の普及率および(水洗化率)は和木町99.5%(100%)、下松市90%(97%)、周南市87.3%(94.5%)、光市81.5%(97.9%)、下関市79%(97%)、宇部市78.6%(96.2%)、防府市70.7%(92.2%)、山口市68.1%(96.8%)、平生町61.7%(94.5%)、山陽小野田市58%(91%)、長門市50.4%(97.7%)、田布施町49%(98%)、萩市45.3%(90.9%)、美祢市37%(95.2%)、岩国市36.3%(92.3%)、柳井市32.3%(89.7%)、周防大島町22.5%(65.7%)である。 県内に下水処理場は41ヶ所あり、うち県管理の処理場は周南浄化センターと田布施川浄化センターの2ヶ所である。これらの浄化センターは特に島田川および田布施川の水質悪化を防止するために県の事業として設置されているものである。", "title": "交通・生活" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "岩国、柳井、周南、山口・防府、萩、宇部・小野田、長門、下関の8つの二次医療圏が設定されている。", "title": "医療・福祉" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "山口県内において三次救急医療を担う救命救急センターとしては、以下の5つがある。", "title": "医療・福祉" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "なお、萩医療圏と長門医療圏の全域では、これらの機関への自動車での移動が1時間を越えるため、医療体制や交通網の整備が課題となっている。", "title": "医療・福祉" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "国立 (1校)", "title": "教育機関" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "公立 (4校)", "title": "教育機関" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "私立 (6校)", "title": "教育機関" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "私立(1校)", "title": "教育機関" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "私立(4校)", "title": "教育機関" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "高等専門学校 (3校)", "title": "教育機関" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "中等教育学校 (1校)", "title": "教育機関" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "省庁大学校 (1校)", "title": "教育機関" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "(農林水産省所管、国立研究開発法人水産研究・教育機構法に基づく省庁大学校)", "title": "教育機関" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "職業訓練校 (2校)", "title": "教育機関" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "読売・朝日・毎日の各新聞は西部本社(読売は福岡市、朝日・毎日は北九州市に立地)、日経は西部支社(福岡市に立地)、産経は西部本部(福岡市に立地)の管轄となっている。産経新聞は1997年(平成9年)ごろから発売を休止していたが、産経新聞社九州・山口本部(現・産経新聞西部本部)発足に伴い2009年(平成21年)10月1日付より山口県での発行を再開した。印刷は佐賀県鳥栖市の毎日新聞社工場に委託している。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "なお広島県、島根県に境を接する東部のごく一部では、大阪本社発行のものと西部本社(支社・本部)発行のものを並行発売する店舗もある。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "山口県で販売している全国紙は以下の通り。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "山口県全域を発行エリアとする地方紙は、山口新聞(下関市、日刊、みなと山口合同新聞社発行)がある。中国新聞(広島市)は周南市に防長本社を置き、山口県内でも中国新聞 山口として販売している。かつては西日本新聞(福岡市)も県西部地域で販売していたが、2009年(平成21年)3月31日をもって山口県での販売を停止し、山口市と下関市にあった支局も撤退した。他に長周新聞(下関市、週3回刊、長周新聞社発刊)がある。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "県内特定地域を発行エリアとする主な地方紙は以下の通り。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "デイリースポーツ(大阪・神戸本社管轄の広島支社のエリア)を除き、西部本社の販売エリアである。なお、日刊スポーツは元々は下関市のみなと山口合同新聞社の工場に委託印刷した、西部日刊スポーツ新聞社制作の新聞を発行していたが、西部、大阪、名古屋の地域発行本社を合併した日刊スポーツ新聞西日本が発足した1年後の2010年(平成22年)4月に防府市以東では、広島県廿日市市の中国新聞社の工場に委託印刷・発行した同大阪本部発行の新聞(山口西部を除く中四国地方向けと同じ)に変更された。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "そのこともあり、県内で販売されるスポーツ新聞は福岡ソフトバンクホークスやアビスパ福岡などの福岡県に本拠地を置く話題が多い(デイリー、及び日刊の山口東部向けに関しては阪神タイガースあるいは広島東洋カープまたはサンフレッチェ広島などの広島を本拠地とするもの)。前述通り産経新聞は発行を再開したもののサンケイスポーツは発売されていない。また、かつては西日本スポーツも発売されていたが、西日本新聞の山口県撤退と同時に山口県内での発売から撤退した。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "フジとゲンダイは大阪本社版の早刷りのものをごく一部の駅売りスタンドで発売するのみ。なお、九州スポーツは東京スポーツ系列の新聞であるが、朝刊で扱われているため夕刊紙ではない。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "デジタルテレビ・FMラジオの親局送信所及びKRYラジオのFM補完放送のメイン中継局は防府市の大平山。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "山口県には県内に本拠を置くFNN/FNS系及びTXN系列局が存在せず、両系列の放送対象地域に含まれていない。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "両系列の報道取材は、福岡県の民放のFNN系列局テレビ西日本(TNC)・TXN系列局TVQ九州放送(TVQ)の2局が担当するが、FNNにおいて岩国市はテレビ新広島(TSS) 、萩市は山陰中央テレビジョン放送(TSK)がそれぞれ担当する。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "ただし、県外局のスピルオーバーにより特にFNN/FNS系列局を視聴可能な地域も少なくない他、ケーブルテレビ局を通しての区域外再放送を利用して視聴する世帯も多い。主たるスピルオーバーやケーブルテレビの区域外再放送で受信できるテレビ局は以下のとおりである。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "週刊TVガイド・ザテレビジョンなどのテレビ専門誌では、県東部で「広島・島根・鳥取・山口東版」(山口県域局と広島県域局・鳥取県・島根県の番組表を収録)を、県西部で「福岡・佐賀・山口西版」(山口県域局と福岡県域局・佐賀県域局の番組表を収録)をそれぞれ発行・発売しており、同じ雑誌でありながら同一県内で2種類の冊子を発行、購入ができる。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "カッコ後ろの「JW」は J-WAVE から、「MB」は ミュージックバード からの番組配信あり(無印は自社製作中心)。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "ケーブルテレビの普及率が比較的高く、特に県央部および宇部・美祢地域をエリアに持つ山口ケーブルビジョンではエリア内の加入率を75%以上と公表している。", "title": "マスメディア" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "県域の方言は「山口弁」に区分されるが、地域ごとに大きな差異が見られる。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "経済産業大臣指定伝統的工芸品は以下の通り。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "サッカーチームはJリーグのレノファ山口FCや、社会人サッカーチームであるFCバレイン下関・FC宇部ヤーマンなどがある。かつては永大産業サッカー部が熊毛郡平生町に本拠地を置いていた。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "プロ野球チームは広島東洋カープの二軍が岩国市の広島東洋カープ由宇練習場を本拠地としている。また、横浜DeNAベイスターズ(旧大洋ホエールズ)は球団発足当時、下関市の下関市営球場に本拠地を置いていた。21世紀時点では、広島県に近い県東部は広島東洋カープのファンが、福岡県に近い県西部(下関市など)は福岡ソフトバンクホークスのファンがそれぞれ多いとされる。両チームが対戦した2018年の日本シリーズの際には、同じチェーンのスーパーマーケットで行われたセールでも、県東部と県西部でそれぞれ優勝セールの対象が異なるという事象が見られた。また、独立リーグの九州アジアリーグに2022年から参加した福岡北九州フェニックスは初年度より下関球場で公式戦をおこない、2023年からは球団名を北九州下関フェニックスに改めている。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "バスケットボールチームは山口ペイトリオッツが2021-22シーズンからB3.LEAGUEに参加している。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "ラグビーチームはながとブルーエンジェルスがあり、太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2019で総合優勝。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "陸上競技では、全日本実業団ハーフマラソン(山口市・毎年2月)、下関海響マラソン(下関市・毎年11月)、防府読売マラソン(防府市・毎年12月)などのマラソン大会が開催されているほか、全国持ち回り開催の全国中学校駅伝大会が山口市で開催されたことがある。かつてはカネボウ陸上競技部が防府市に本拠地を置いていた。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "公営競技は、防府競輪場(防府市)、ボートレース徳山(周南市)、ボートレース下関(下関市)、山陽オートレース場(山陽小野田市)がある。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "山口県の各市町村の年間観光客数は、山口県の統計による2019年の数値 によれば県全体で観光客数が3601.3万人、宿泊客数は大型イベントが無かったことで前年比13.6%減となり、376.2万人であった。市町村別観光客数では、下関市が最も多く711.3万人(前年比101.6%)、次いで山口市の516万人(84.3%)、萩市の451万人(99.1%)、岩国市の322万人(102.3%)、長門市の241万人(95%)と続く。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "外国人観光客数は22%減少し35.7万人、外国人宿泊客数は日韓関係の悪化により14.9%減少し10.4万人となった。構成としては中国本土8.5万人(構成比23.8%)、次いで韓国約8.3万人(23.2%)、台湾6.3万人(17.6%)、アメリカ2.5万人(6.9%)と続く。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "発着地別観光客数では県内が2124.2万人(構成比59%)と最も多く、次いで中国地方421.4万人(11.7%)、九州地方及び沖縄地方395.2万人(11%)、関東地方189.4万人(5.3%)、近畿地方163.6万人(4.5%)、中部地方79.7万人(2.2%)、四国地方52.5万人(1.5%)、北海道地方及び東北地方24.5万人(0.7%)であった。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "季節別観光客数では春(3~5月)が989.6万人(構成比27.5%)と最も多く、次いで夏(6〜8月)961.2万人(26.7%)、秋(9〜11月)953.5万人(26.5%)、冬(12〜2月)697万人(19.4%)であった。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "温泉は、湯田温泉、川棚温泉、湯本温泉、俵山温泉など、51泉ある。そのうち、25泉は放射能泉系、9泉は単純温泉系、13泉は塩化物泉系、残り3泉はその他の泉質である。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "有形文化財建造物としては、萩市の松下村塾、萩反射炉、萩城下町、大板山たたら製鉄遺跡、恵美須ヶ鼻造船所跡が世界遺産に登録(「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として)、下関市の功山寺仏殿と住吉神社本殿、山口市の瑠璃光寺五重塔が国宝に指定、赤間神宮の水天門と回廊などが重要無形文化財に、萩市の堀内地区・平安古地区・浜崎地区・佐々並市地区、柳井市の古市金屋地区が重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。", "title": "観光" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "「山口県の形状はオーストラリアと似ている」と山口県庁の広報広聴課が述べたことがある。", "title": "逸話" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "2012年(平成24年)、2014 FIFAサッカーワールドカップに向けたアジア最終予選の「日本代表 対 オーストラリア代表」戦がオーストラリアで開催されることに際して、同課は「山口県とオーストラリアの形って似てるよね!」と述べた上で、「オーストラリアへ(観戦に)行けない人は、山口県でオーストラリア気分を楽しみましょう!」と、県庁のホームページに特集記事を掲載した。", "title": "逸話" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "同課はオーストラリア(豪州)の名所を山口県の名所になぞらえ、次のように県内の観光地を紹介した。", "title": "逸話" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "この記事は3年後の2015年(平成27年)に日本のSNS上で話題になった。『Twitter』などでは本企画を賞賛する声のほか、「山口県は県庁所在地(山口市)の求心力が強くなく、岩国・周南・宇部・下関などの都市が割拠している。その点もオーストラリアに似ている」などの意見もみられた。", "title": "逸話" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "また、「山口県よりも四国のほうがオーストラリアと似ている」、「オーストラリア似といえば四国や神奈川県だと思っていた」「福島県のほうが似ている」 といった指摘も寄せられた。さらに、福島県の観光情報メディア『福島TRIP』は、「福島県のほうがオーストラリアに似ているのでは」として同様の観光案内記事を掲載した。", "title": "逸話" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "2015年12月、広報広聴課の担当者は朝日新聞社の取材に対し、「当時、サッカーワールドカップ最終予選のオーストラリア戦が話題となっていたので、(中略)山口県の話題化をはかりたいと考えた」「3年前の記事なので、正直驚いている。今後とも、山口県に関心を持っていただけるように、魅力を発信していきたい」などと回答した。", "title": "逸話" } ]
山口県(やまぐちけん)は、日本の中国地方に位置する県。県庁所在地は山口市。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Otheruses|日本の都道府県としての山口県|山口県の[[行政機関]]|山口県庁}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 山口県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = 秋吉台風景.jpg | photo2a = Akama_jingu_maingate.JPG | photo2b = 松下村塾.jpg | photo3a = 20100724_Iwakuni_5235.jpg | photo3b = Rurikoji_(Yamaguchi),_tou-1.jpg | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center | space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[秋吉台]]([[美祢市]])</tr> <tr><td style="width:50%">[[赤間神宮]]([[下関市]])<td style="width:50%">[[松下村塾]]([[萩市]])</tr> <tr><td style="width:50%">[[錦帯橋]]([[岩国市]])<td style="width:50%">[[瑠璃光寺]]([[山口市]])</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|山口県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[山口県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Yamaguchi Prefecture.svg|100px|山口県章]] | 都道府県章の説明 = 山口県章 | 区分 = 県 | コード = 35000-1 | ISO 3166-2 = JP-35 | 隣接都道府県 = {{flag|島根県}}<br />{{flag|広島県}}<br />{{flag|福岡県}}<br />{{flag|大分県}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.e-myholiday.com/img/bp/gototravel/couponarea.pdf|title=利用エリアにおける「隣接する都道府県」|accessdate=2021-09-24}}</ref><br />{{flag|愛媛県}} | 木 = [[アカマツ]] | 花 = [[ナツミカン|夏みかんの花]] | 鳥 = [[ナベヅル]] | シンボル名 = 他のシンボル | 歌など = 県の魚:[[フグ]]<br />県の獣:[[ニホンジカ|ホンシュウジカ]]<br />県の石:[[石灰岩]]、[[銅鉱石]]、美祢層群の植物化石<br />県の歌:[[山口県民の歌]] | 郵便番号 = 753-8501 | 所在地 = 山口市滝町1番1号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-27|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=7|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=220|frame-height=180|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=県庁舎位置}}<br />[[ファイル:Yamaguchi県庁.jpg|220px|山口県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 35 Yamaguchi prefecture.svg|320px|山口県の位置]]{{基礎自治体位置図|35|000|image=Map of Yamaguchi Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} '''山口県'''(やまぐちけん)は、[[日本]]の[[中国地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[山口市]]。 == 概要 == [[ファイル:山口県政資料館.jpg|thumb|[[山口県政資料館]](旧山口県庁舎)]] [[本州]]の最西端に位置している。県土の大半は[[山陽地方]]に含まれ、県北部の[[長北地区|北浦地区]]が[[山陰地方]]の西端に当たるとされる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a11000/nichiro/201610140001.html|title=山口県の概要|website=山口県|date=2017-02-24|accessdate=2020-10-02}}</ref>。 [[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は県央部の[[山口市]]だが、瀬戸内側に人口10万人から20万人台の都市が複数点在する分散型都市構造を形成しており、山口市の求心力は大きくない。県内で最大の都市は県西端の[[下関市]]で、下関市を始めとする県西部は[[福岡県]]との繋がりが密接である。一方で[[岩国市]]などの県東部は[[広島県]]との繋がりが密接である(詳細は[[#地域圏|後述]])。[[令制国]]の[[長門国]]と[[周防国]]に相当することから、'''防長'''(ぼうちょう)という別名を持つ。周防国と長門国は後に[[毛利氏]]により[[統治]]され、[[江戸時代]]には、併せて[[長州藩]]と称していたことから、'''[[長州]]'''(ちょうしゅう)と呼ばれる。[[幕末]]には[[倒幕運動]]の中心となり[[明治維新]]の立役者となった。 山口県魚に指定されている[[フグ|ふぐ]]は下関市の南風泊市場が日本一の市場取扱量を占めている。地元や周辺地域では、主に取扱業者を中心に[[縁起]]を担いで「ふく」と呼んでいる([[下関とふく]]参照)。ふぐの他にも日本海側の[[イカ]]や[[アジ]]、瀬戸内側の[[アンコウ]]や[[ハモ]]など、海産物の資源が豊富である。 山口県は[[インテルサット]]の[[インド洋]]経由の欧州向け、[[太平洋]]経由の米国向けの両方向への通信が可能な位置にあり、[[KDDI山口衛星通信センター]]が山口市にある。当センターではインテルサット・[[インマルサット]]のサービスをしているが、その他、[[スカパーJSAT]]が SUPERBIRD の地上局(山口ネットワーク管制センター)、[[自治体衛星通信機構]]の地上局(山口管制局)も立地している。後者については、[[全国瞬時警報システム]]など最重要ミッションを運用している。 == 地形・地域 == === 地形 === 南側を[[瀬戸内海]]([[広島湾]]・[[伊予灘]]・[[周防灘]])、西側と北側を[[日本海]]([[響灘]])と、三方を[[海]]に囲まれ、その中央部を[[中国山地]]が横断している。中国山地に[[水源]]を発する河川として、[[一級水系]]の[[佐波川]]および[[小瀬川]]、[[二級水系]]の[[錦川]]、[[椹野川]]、[[厚東川]]、[[木屋川]]、[[阿武川]]などがある。平野部が小さく、瀬戸内側の一部(主要河川の河口部並びに[[周南地区]])を除けば山に囲まれた[[谷底平野]]が多く存在する。 :*位置<ref>https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a11000/kouhou/syoukai_sp.html</ref> :**東端 大島郡[[周防大島町]]諸島 [[東経]]132°36’ :**西端 [[下関市]]大字[[蓋井島]] 東経130°46’ :**南端 [[熊毛郡 (山口県)|熊毛郡]][[上関町]]大字八島 [[北緯]]33°43’ :**北端 [[萩市]]見島 北緯34°48’ === 気候 === 外海と[[内海]]の両方に面し、中央部に山地が横たわるという地理的条件上、同じ県内でも気候には大きな違いが見られる。気候の特徴的に「瀬戸内海沿岸地域」「内陸山間地域」「日本海沿岸地域」に大きく分けられるが、年平均気温が12~16度、年平均降水量が1,600~2,300mmと比較的温暖であり、風水害や地震も比較的少ない<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ysn21.jp/furusato/know/02nature/nature00.html|title=やまぐちを知ろう 【地勢・気候】|work=ふるさと学習コンテンツ『知っちょる!?やまぐち』|publisher=山口県教育委員会|accessdate=2018-08-21}}</ref>。ただし、梅雨期は[[広島県]]と同様に[[梅雨前線]]と暖湿流の影響で大雨となりやすい上、急傾斜地崩壊危険箇所等の数も広島県に次いで全都道府県で2位<ref>[https://www.mlit.go.jp/river/sabo/link20.htm 都道府県別土砂災害危険箇所]</ref> であり、表層に堆積した[[真砂土]]による土砂災害が発生しやすく、近年でも[[平成21年7月中国・九州北部豪雨]]や[[平成25年7月28日の島根県と山口県の大雨]]で被害を受けている地域がある。 このように、同じ県内でも地域ごとの気象傾向に差があることもあり、天気予報を発表する際の一次細分区域は「西部」「中部」「東部」「北部」の4つに設定されている(元々は「東部」「西部」「北部」の3区分だったが、旧東部から中部が分割された)。[[2003年]](平成15年)3月3日には気象に関する注警報・警報発表区域の細分化(二次細分区域の設定)が行われ、県内が7区域「西部」(豊田 / 下関・宇部)、「中部」(山口・防府 / 周南・北玖珂)、「東部」、「北部」(長門 / 萩・美祢)に細分化された。[[2007年]](平成19年)3月1日には市町村合併を反映する形で二次細分区域が再編され、二次細分区域が8区域に再設定されている。 * 現行の気象区分([[2007年]](平成19年)3月1日現在、カッコ内は二次細分区域)<ref>{{PDFlink|[https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/saibun/yamaguchi.pdf 予報細分区域]}}</ref> ** 山口県西部(下関 / 宇部・山陽小野田) ** 山口県中部(山口・防府 / 周南・下松) ** 山口県東部(岩国 / 柳井・光) ** 山口県北部(長門 / 萩・美祢) 長らく県内の有人観測点は山口測候所・下関地方気象台の2箇所であったが、山口測候所は[[2010年]]10月1日を以て廃止され、現在は下関地方気象台のみとなっている。なお、下関地方気象台は[[福岡管区気象台]]の管轄であり、山口県は気象庁の予報区分では「九州北部地方(山口県含む)」として[[九州北部]]と同一の区域として扱われる。 === 自然公園 === [[ファイル:秋吉台.jpg|thumb|県内の国定公園指定地域である、秋吉台]] * [[国立公園]] ** [[瀬戸内海国立公園]] * [[国定公園]] ** [[秋吉台国定公園]]、[[北長門海岸国定公園]]、[[西中国山地国定公園]] * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] ** 羅漢山県立自然公園、石城山県立自然公園、長門峡県立自然公園、豊田県立自然公園 === 地方区分 === {{See also|九州・山口地方}} [[日本の地域#八地方区分等|八地方区分]]では山口県は中国地方に区分されるが、関門海峡・周防灘を挟み近接する[[九州]]とともに「九州・山口地方」と称される場合もあり<ref>[https://mainichi.jp/articles/20190621/ddl/k40/020/416000c]</ref>、山口県知事は[[九州地方知事会]]と[[中国地方知事会]]の両方に参加している<ref>[https://www.saga-s.co.jp/articles/-/383223]</ref><ref>[https://www.sankei.com/article/20181113-ZACCM6RXV5NXLIADOYYTFI6WU4/]</ref>。 ==== 中国地方として扱うもの ==== 公的機関では、[[衆議院]][[比例区]](中国ブロック)、[[財務省]]([[中国財務局]])、[[農林水産省]](中国四国農政局)、[[日本放送協会|NHK]]などが山口県を中国地方に区分している。 民間では、ゆうちょ銀行(中国エリア)、[[NTTドコモ]]([[エヌ・ティ・ティ・ドコモ中国]])、[[全国高等学校総合体育大会|全国高等学校総合体育大会<インターハイ>]](中国大会)、[[選抜高等学校野球大会]](中国・四国ブロック)などがある。 ==== 九州地方として扱うもの ==== 公的機関では、[[気象庁]]([[福岡管区気象台]]、気象区分「九州北部」に山口県を含む)、[[税関]]([[門司税関]])、[[水産庁]](九州漁業調整事務所)などが山口県を九州地方と共通の区分に含む。 民間では、読売新聞・朝日新聞・毎日新聞・日本経済新聞・産経新聞の全国紙各社およびグループ会社が、西部本社(支社・本部)などの地域組織において九州地方とともに山口県を管轄区域としている。 ==== 県域を分割または共通区域として扱うもの ==== 公的機関では、以下の部局が山口県域を九州地方側と中国地方側に分割して区分している。 {| class="wikitable" |- ! 機関 !! 九州地方側 !! 中国地方側 |- ! rowspan=2 | [[国土交通省]][[地方整備局]] ! [[九州地方整備局]](港湾空港部の所管事務) !! [[中国地方整備局]] |- | 下関市 || 左記以外の地域 |- ! rowspan=2 | 国土交通省[[地方運輸局]] ! [[九州運輸局]](海事に関する事務) !! [[中国運輸局]] |- | 下関市、宇部市、山陽小野田市 || 左記以外の地域 |- ! rowspan=2 | 国土交通省[[地方航空局]] ! [[北九州空港]]事務所 !! [[岩国飛行場#岩国錦帯橋空港|岩国空港]]事務所 |- | 下関市、宇部市、山陽小野田市、長門市、美祢市 || 左記以外の地域 |- ! rowspan=2 | [[海上保安庁]] ! [[第7管区海上保安本部]] !! [[第6管区海上保安本部]] |- | 下関市、宇部市、山陽小野田市、長門市、美祢市、萩市 || 左記以外の地域 |- ! rowspan=2 | [[防衛省]] ! [[九州防衛局]]長崎防衛支局 !! [[中国四国防衛局]] |- | 下関市 || 左記以外の地域 |} 民間経済団体である[[九州経済連合会]]はかつて「九州・山口経済連合会」と称し、改称後も下関市や宇部市を中心に山口県に本社を置く企業や大学など21法人が加盟している<ref>{{Cite book |和書 |author = 山本栄一郎 |title = 山口「地理・地名・地図」の謎 |date = 2015 |publisher = 実業之日本社 |series = じっぴコンパクト |isbn = 9784408455365 |ref = harv }}pp.112-113</ref><ref>[https://www.kyukeiren.or.jp/aboutmember/index.php?category=result&name=&area_id=180&master_committee_id=]</ref>。[[中国経済連合会]]と重複会員もおり、[[山口銀行]]は九州経済連合会と中国経済連合会の両方で副会長を務めている<ref>[https://www.kyukeiren.or.jp/aboutus/index.php?menu=officer]</ref><ref>[http://chugokukeiren.jp/about/yakuin.html]</ref>。 [[日本小型船舶検査機構]]は岩国市・柳井市・田布施町・平生町・上関町・和木町・周防大島町を広島支部が管轄し、それら以外の地域を福岡県北九州市・京築地域とともに下関支部が管轄している<ref>[https://jci.go.jp/branch/shimonoseki.html]</ref>。 === 地域圏 === [[ファイル:都道府県内地域圏区分図 35 山口県.svg|thumb|300px|right|山口県 地域区分図]] 地形は、県中央部が山地で沿岸・山あいに小規模な平野や盆地が分散している。海岸線は臨海工業が立地して、それぞれの工場地区ごとに労働力を引き寄せた。また、[[幹線]]交通網である[[国道2号]]や[[山陽本線]]、[[山陽自動車道]]も海岸線沿いに走っているため、物流・内陸工業の面でも労働力を引き寄せた。このような産業構造と分布をしているため、瀬戸内海側の都市への人口・物流・資本・情報の集中が発生している。 県庁所在地である山口市の県内他地域に対する求心力が低いこともあって、同市など県央地域よりも県外の地域との交流が深い自治体もある。県西部の[[下関市]]は[[福岡県]][[北九州市]]とともに[[関門都市圏]]の核都市となっており、[[宇部市]]、[[山陽小野田市]]、[[美祢市]]などが同都市圏に含まれるほか、県東部の[[岩国市]]、[[和木町]]などは[[広島県]][[広島市]]を核都市とする[[広島都市圏]]に含まれる。 === 都市圏 === 地域圏にはいくつかの区分方法があるが、一例として山口県による [http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a18400/city-plan/master-plan.html 8つの広域都市圏] がある{{efn|その起源は、[[平井龍]]県知事時代における『オクトピア構想』(オクト(8)と[[ユートピア]](理想郷)の造語)にあり、[[1987年]](昭和62年)2月に策定された「第四次県政振興の長期展望」の中で具体化された。}}。下関広域都市圏と長門広域都市圏は、広域都市圏内で合併が進み、圏内1市となった。以下に記載する人口は、{{自治体人口/山口県|date}}現在。なお、山口県の総人口は{{formatnum:{{自治体人口/山口県|山口県}}}}人<ref>[http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a12500/index/ 山口県統計分析課]</ref>。 {|class="wikitable" style="font-size:90%;text-align:center" !地区 !広域都市圏<br />(通称;読み) !構成市郡 !圏域人口<br />(人) |- |rowspan="2" |[[岩柳地区|岩柳]] |[[岩柳地区#岩国広域都市圏|岩国広域都市圏]]<br />(岩国・玖珂地域;いわくに・くが-) |[[岩国市]]・[[玖珂郡]]<br />(1市1町) |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/山口県|岩国市}} + {{自治体人口/山口県|和木町}} round 0}}}} |- |[[岩柳地区#柳井広域都市圏|柳井広域都市圏]]<br />(柳井・大島地域;やない・おおしま-) |[[柳井市]]・[[熊毛郡 (山口県)|熊毛郡]]・[[大島郡 (山口県)|大島郡]]<br />(1市4町) |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/山口県|柳井市}} + {{自治体人口/山口県|平生町}} + {{自治体人口/山口県|田布施町}} + {{自治体人口/山口県|周防大島町}} + {{自治体人口/山口県|上関町}} round 0}}}} |- |[[周南地区|周南]] |[[周南地区|周南広域都市圏]]<br />(周南地域;しゅうなん-) |[[周南市]]・[[下松市]]・[[光市]]<br />(3市) |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/山口県|周南市}} + {{自治体人口/山口県|下松市}} + {{自治体人口/山口県|光市}} round 0}}}} |- |[[山口・防府地区|山防]] |[[山口・防府地区|山口・防府広域都市圏]]<br />(県央地域) |[[山口市]]・[[防府市]]<br />(2市) |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/山口県|山口市}} + {{自治体人口/山口県|防府市}} round 0}}}} |- |[[厚狭地区|厚狭]] |[[宇部都市圏|宇部・小野田広域都市圏]]<br />(宇部・美祢地域;うべ・みね-/厚狭地域;あさ-) |[[宇部市]]・[[山陽小野田市]]・[[美祢市]]<br />(3市) |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/山口県|宇部市}} + {{自治体人口/山口県|山陽小野田市}} + {{自治体人口/山口県|美祢市}} round 0}}}} |- |[[豊関地区|豊関]] |''[[下関都市圏|下関広域都市圏]]''<br />(豊関地域;ほうかん-) |[[下関市]](1市) |{{formatnum:{{自治体人口/山口県|下関市}}}} |- |rowspan="2" |[[長北地区|長北]] |''[[長北地区|長門広域都市圏]]''<br />(長門大津地域;ながと・おおつ-) |[[長門市]](1市) |{{formatnum:{{自治体人口/山口県|長門市}}}} |- |[[長北地区|萩広域都市圏]] <br />(萩地域) |[[萩市]]・[[阿武郡]]<br />(1市1町) |{{formatnum:{{ #expr: {{自治体人口/山口県|萩市}} + {{自治体人口/山口県|阿武町}} round 0}}}} |} * 基本的に旧郡単位で広域都市圏の線引きがなされている(かつては複数の広域都市圏にまたがる旧郡も存在した)。ここでいう広域都市圏は、基本的に地域圏であって[[都市圏]]ではない。 * 気象予報の二次細分区域は上記の広域都市圏と微妙に異なる。詳細は[[#気候|気候]]の項を参照。 === 自治体 === [[基礎自治体]]は、以下の13市・4郡・6町がある([[全国地方公共団体コード|自治体コード]]順)。山口県では、町はすべて「ちょう」と読む。村は[[2006年]](平成18年)[[3月20日]]の[[本郷村 (山口県)|本郷村]]の合併に伴って消滅している。 {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=山口県|float=right}} * [[下関市]] * [[宇部市]] * [[山口市]] * [[萩市]] * [[防府市]] * [[下松市]] * [[岩国市]] * [[光市]] * [[柳井市]] * [[美祢市]] * [[長門市]] * [[周南市]] * [[山陽小野田市]] * [[大島郡 (山口県)|大島郡]] ** [[周防大島町]] * [[玖珂郡]] ** [[和木町]] * [[熊毛郡 (山口県)|熊毛郡]] ** [[上関町]] ** [[田布施町]] ** [[平生町]] * [[阿武郡]] ** [[阿武町]] {{Main2|廃止された自治体|山口県の廃止市町村一覧}} == 歴史 == {{出典の明記|date=2012年8月13日 (月) 05:00 (UTC)|section=1}} === 県名の由来 === 廃藩置県の際、県庁が置かれた[[山口町]](現・[[山口市]])の町名がそのまま県名に採用された。「山口」という地名は、[[阿武郡]]にある「山の入り口」に由来する。{{要出典範囲|date=2017年6月|山口弁では、県名は共通語と同じ「や'''ま'''ぐち」、市名は「'''や'''まぐち」とアクセントによる区別がある(後ろに「県」や「市」など接尾語が付く場合は、どちらも共通語と同じアクセントになる)}}。 === 先史 === * 今から約2万5千年前、[[鹿児島県]][[錦江湾]]の奥にそびえる姶良火山が大爆発し、[[火山灰]]が1500キロも離れた[[本州]]の最北端[[津軽海峡]]まで降り注いだ。山口県周辺では50 - 70cm程度の堆積があった。 * 古くは大陸文化の窓口として栄え、[[綾羅木郷遺跡]]や[[土井ヶ浜遺跡]]などの弥生遺跡が多数残る。 * 現在の[[長門市]][[油谷町|油谷]]に世界三大美女のうちの一人といわれる[[楊貴妃]]が流れ着いたという伝説がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.nagato.yamaguchi.jp/site/kanko/1637.html |title=楊貴妃伝説 |date=2015/11/01 |accessdate=2023/07/04 |website=[[長門市]]公式サイト}}</ref>。 * 伊都都比古(いつつひこ)は防長地方で文献(『[[日本書紀]]』[[垂仁天皇]]二年条)に見える最初の人物であり、穴戸に大きな勢力を持つ[[豪族]]がいたことを示す伝承である。また、[[神功皇后]]紀には穴戸国造の践立直が見える。さらに防長地方が朝鮮半島に至るルートの中継地であったことを示すのが[[雄略天皇]]九年条である。これらの伝承から[[4世紀]]ごろには既に防長地方は大和政権の勢力下に入っていたと考えられている。そして、4世紀から[[5世紀]]にかけて、各地に派遣された豪族は[[国造]]という[[日本古代の地方官制|地方行政官]]に任命された。「国造本紀」によれば、周防部で[[周防国造]]、[[大島国造]]、[[波久岐国造]]、[[都怒国造]]、長門部で[[穴戸国造]]、[[阿武国造]]の六国造が存在した。 === 古代 === {{see also|周防国#沿革|長門国#沿革}} * [[飛鳥時代]]には、[[宇佐神宮]]の勧請により[[松崎八幡宮]](650年、大化6年、[[萩市]])が建立された。古代神社があることからすればその一帯には[[辰砂|鉱山]]があり、古くから[[鉱業#日本|鉱業]]によって栄えたと見られる。[[百済]]復興のための戦争([[白村江の戦い]])での敗戦により渡来人も増加し、国防最前線として朝鮮式の山城も築かれた。『日本書紀』によれば[[天智天皇]]9年に「長門城一・筑紫城二」を築いたという。この長門の城については呼称も位置も明らかでない。 * [[奈良時代]]以降は、[[長門国|長門]]・[[周防国|周防]]の2国が設置され、国府は、[[長門国|長門]]が下関市長府、[[周防国|周防]]が防府市におかれた。日本唯一の[[鋳銭所]]が最初は[[下関市]]、のちに[[山口市]]に置かれていた地域で、奈良時代から平安時代初期の貨幣が鋳造された。今も山口市には[[鋳銭司村|鋳銭司(すぜんじ)]]という地名や学校名(山口市立鋳銭司小学校)がある。 * [[平安時代]]末期には源平合戦([[治承・寿永の乱]])の最終決戦地となり、[[元暦]]2年/[[寿永]]4年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]([[1185年]][[4月25日]])の[[壇ノ浦の戦い]]で平家([[伊勢平氏]])が滅亡。その内乱の際に焼失した奈良の[[東大寺]]を復興するため、[[重源]]の指導のもとで周防が東大寺料国となった。 === 中世 === * [[鎌倉時代]]には、[[元寇]]の危機への最前線司令部として[[下関市]]に[[長門探題]]が設置された。 * [[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には、[[周防国|周防]]の[[大内氏]]と[[長門国|長門]]の[[厚東氏]]が防長の覇を競ったが、ほどなく大内氏が勝利した。 * [[室町時代]]、[[守護大名]]大内氏の[[城下町]][[山口市|山口]]は日本最大規模の4万人都市として盛え、「[[西京]]」(さいきょう;Western Kyoto)の異名を獲った。[[雪舟]]、[[フランシスコ・ザビエル]]・連歌師[[宗祇]]などが訪れ、足跡を残した。 * [[戦国時代 (日本)|戦国時代]](室町時代後期)でも大内氏が周防・長門両国を支配したが、[[天文 (元号)|天文]]24年[[10月12日 (旧暦)|10月12日]]([[1555年]]10月27日)から[[弘治 (日本)|弘治]]3年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]([[1557年]]5月1日)にかけて[[安芸国]]から侵攻した[[毛利元就]]が行った[[防長経略]]により、両国は[[毛利氏]]の領国となった。 === 近世 === * [[慶長]]5年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]([[西暦]][[1600年]][[10月21日]])の[[関ヶ原の戦い]]では、中国地方全域を支配していた毛利氏は西軍に参加。[[毛利輝元]]が総大将となったが、毛利勢は一族の[[吉川広家]]が[[徳川家康]]に内通したため戦闘に参加せず。西軍の敗戦後は吉川広家の取り成しで毛利家は改易を免れ、減封されて防長2州を領有。以後、[[幕末]]まで毛利氏の支配する土地となる。 ** 両国には長門国の[[萩藩]](長州藩)・[[長府藩]]・[[清末藩]]・周防国の[[徳山藩]]・[[岩国藩|岩国領]]の5藩が成立、宇部福原氏館いずれの藩主も萩宗家を中心に団結していたが、岩国領と萩藩の関係は良くなかった。減封を吉川家の裏切りのせいと見る向きも多く、末家として独立した扱いを宗家がしなかったためである。 * [[天保]]3年([[1831年]]) : 参加者数10万人以上に及ぶ大規模な一揆、長州藩天保[[一揆]](防長大一揆)が勃発<ref>{{Kotobank|防長大一揆|2=百科事典マイペディア}}</ref>。 * 天保9年([[1838年]]) : 藩主[[毛利敬親]]に登用された[[村田清風]]による藩政改革が開始される。 * [[文久]]3年([[1863年]]) : 毛利敬親が山口に新たな藩庁を築いて移住。以後、長州藩(萩藩)は「山口藩」と称される。 * 文久3年(1863年) - 文久4年/[[元治]]元年([[1864年]]) : [[下関戦争]](馬関戦争)。外国船に発砲し、4国の連合軍による報復攻撃で馬関砲台などが一方的に壊滅状態となる。以後、藩の大勢は[[攘夷]]から[[開国]]路線に転じる。 * 元治元年(1864年) - [[慶応]]2年([[1866年]])2度にわたる江戸幕府の[[長州征伐]]。藩内部の権力闘争が続いていたが、第二次長州征伐では[[奇兵隊]]を率いた[[高杉晋作]]らの活躍で幕府軍を撃退。以後、[[尊皇]]倒幕で藩論を集約し、[[明治維新]]の原動力としてその名を残す。 === 近・現代 === * [[明治]]4年([[1871年]]) : 旧暦6月に[[長州藩]](周防山口藩)が[[徳山藩]]を併合、旧暦7月には[[廃藩置県]]により(周防)山口藩・[[岩国藩]]・[[長府藩]]・[[清末藩]]を廃し、山口県・岩国県・豊浦県・清末県の4県が置かれる。旧暦11月に4県が合併し山口県となり県庁を現[[山口市]]に置いたが、自治体としては産業や旧国府所在地、市制の古さなどから[[下関市]]が有力候補となっていた。 * [[1876年]](明治9年) : [[前原一誠]]らによる[[萩の乱]]が起こる。 * [[1885年]](明治18年) : [[内閣|内閣制]]発足に伴い、山口県出身の[[伊藤博文]]が初代[[内閣総理大臣]]に就任。以後、山口県からは多くの[[内閣総理大臣]]を輩出する(後述)。 * [[1889年]](明治22年) : 4月に[[市制]]・[[町村制]]施行。1市(赤間関市=あかまがせき;現在の[[下関市]])4町([[柳井津町]] = やないつ;現・[[柳井市]]、[[山口町]] = 現・[[山口市]]、萩町 = 現・[[萩市]]、[[岩国町]] = 現・[[岩国市]])と224村の計229市町村となる。 * [[1901年]](明治34年) : [[山陽鉄道]]により[[神戸駅 (兵庫県)|神戸]] - 馬関(現在の[[下関駅|下関]]間)の鉄道が全通(現在の[[山陽本線]])。 * [[1905年]](明治38年) : 山陽汽船が[[関釜連絡船]]の運航を開始。以後、下関は日本と大陸([[朝鮮半島]])を結ぶ重要な交通拠点となる。 * [[1928年]](昭和3年)[[12月20日]]:防長先賢堂および[[山口県立山口図書館]]が完成<ref>防長先賢堂と県立図書館が完成『大阪毎日新聞』昭和3年12月20日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p707 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1941年]]([[昭和]]16年) : [[太平洋戦争]]勃発。戦争末期には下関・宇部・徳山の各都市が[[空襲]]を受ける。 ** 太平洋戦争当時は岩国沖に浮かぶ柱島周辺が[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の泊地となり、周辺都市は軍事色が強くなった。現在も存在する周南・下松・光の各市の石油コンビナートや工場は、当時の海軍燃料廠や工廠などの跡地が元になっており、[[岩国飛行場|米軍岩国基地]]なども[[岩国海軍航空隊|岩国航空隊]]・岩国[[海兵団]]の名残である。 * [[1942年]](昭和17年) : [[関門トンネル (山陽本線)|関門鉄道トンネル]]開通。初めて九州と陸路で結ばれる。 * [[1949年]](昭和24年) : 県内初の新制大学、[[国立大学|国立]][[山口大学]]が開校。 * [[1955年]](昭和30年) : [[秋吉台]]や[[秋芳洞]]が[[秋吉台国定公園]]として[[国定公園]]に指定。 * [[1956年]](昭和31年) 4月7日 : 第7回[[全国植樹祭]]開催。 * [[1963年]](昭和38年) : [[第18回国民体育大会]]開催。 * [[1966年]](昭和41年) : 宇部空港(現・[[山口宇部空港]])開港。 * [[1973年]](昭和48年)11月14日 : [[関門橋]]および[[中国自動車道]]([[小月インターチェンジ|小月IC]] - [[下関インターチェンジ|下関IC]]間)が開通(県内初の[[高速道路]])。 * [[1975年]](昭和50年)3月10日 : [[山陽新幹線]]([[岡山駅|岡山]] - [[博多駅|博多]]間)が開業。 * [[1983年]](昭和58年) ** [[3月24日]] : [[千代田インターチェンジ|千代田IC]](広島県) - [[鹿野インターチェンジ|鹿野IC]]間開通を最後に中国自動車道が全線開通。 ** 第7回[[全国高等学校総合文化祭]]開催。 * [[1986年]](昭和61年) : [[全国高等学校総合体育大会]](インターハイ)を山口県を主会場として開催。 * [[1987年]](昭和62年)12月4日 : [[山陽自動車道]][[防府東インターチェンジ|防府東IC]] - [[山口ジャンクション|山口JCT]]間が開通(山陽自動車道県内初の開通区間)。 * [[1992年]]([[平成]]4年)[[6月25日]] : 山陽自動車道[[岩国インターチェンジ|岩国IC]] - [[熊毛インターチェンジ|熊毛IC]]間開通により、本線の山口県区間が全通。 * [[2001年]](平成13年) ** [[3月11日]] : 山陽自動車道宇部下関線[[宇部ジャンクション|宇部JCT]] - [[下関ジャンクション|下関JCT]]間が開通。 ** [[7月14日]] - [[9月30日]] : [[山口きらら博]]開催。 * [[2006年]](平成18年) : [[国民文化祭]]・やまぐち2006開催([[11月3日]] - [[11月12日]])。 * [[2011年]](平成23年) : [[東日本大震災]]復興支援 [[第66回国民体育大会]]、[[第11回全国障害者スポーツ大会]]開催([[10月1日]]-[[10月11日]])。 * [[2012年]](平成24年) ** [[5月27日]] : 第63回全国植樹祭 開催。 ** [[12月13日]] : [[岩国錦帯橋空港]]が開港。 * [[2015年]](平成27年) ** [[7月28日]][[第23回世界スカウトジャンボリー]]が[[山口市]]・[[きらら浜]]で開催。 * [[2016年]](平成28年) ** [[3月27日]]:岩国錦帯橋空港 岩国‐沖縄 運航開始。 == 人口 == [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Yamaguchi prefecture, Japan.svg|thumb|300px|山口県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#225500|10.0 % 以上}} {{legend|#44AA00|7.5 - 9.99 %}} {{legend|#66FF00|5.0 - 7.49 %}} {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=35000|name=山口県|image=Demography35000.svg}} [[国立社会保障・人口問題研究所]]が2018年に推計した人口は、2045年の県人口が103万6千人(2015年を100とすると73.7になると予測されている)となっている。市町村別では、下関市 181,656人(同67.7)、山口市 178,452人(同90.4)、宇部市132,461(同78.2)、周南市 107,540人(同74.2)、防府市 101,202人(同87.3)、岩国市 89,637人(同65.5)、下松市 50,419人(同90.3)、山陽小野田市 46,021人(同73.4)、光市 35,636人(同69.4)、萩市 26,119人(同52.7)、柳井市 21,059人(同63.9)、長門市 17,888人(同50.5)美祢市 14,447人(同55.2)、田布施町 10,154人(同66.3)、平生町 8,460人(同66.1)、周防大島町 7,095人(同41.3)、和木町 5,083人(同80.9)、阿武町 1,419人(同41.0)、上関町 913(同32.6)となっている<ref>[https://www.ipss.go.jp/pp-shicyoson/j/shicyoson18/6houkoku/houkoku.pdf 日本の地域別将来推計人口 -平成 27(2015)~57(2045)年-]</ref>。 == 政治 == === 県政 === {{Main|山口県知事一覧|山口県庁|山口県議会}} * [[山口県知事|知事]] : [[村岡嗣政]](むらおか つぐまさ、3期目) ** [[副知事 (日本)|副知事]] 藤部秀則 ** [[教育長]] 浅原司 ==== 歴代県知事(公選) ==== {{Main|山口県知事一覧}} * 初代 [[田中龍夫]](1947年4月5日 - 1953年3月24日、2期) * 2代 [[小澤太郎 (政治家)|小澤太郎]](1953年4月30日 - 1960年8月17日、2期) * 3代 [[橋本正之]](1960年9月25日 - 1976年6月30日、4期) * 4代 [[平井龍]](1976年8月22日 - 1996年8月21日、5期) * 5代 [[二井関成]](1996年8月22日 - 2012年8月21日、4期) * 6代 [[山本繁太郎]](2012年8月22日 - 2014年1月14日、1期) * 7代 [[村岡嗣政]](2014年2月25日 - 現職、3期目) ==== 県議会 ==== {{See also|山口県議会}} === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#山口県|山口県選挙区}} {{Main2|山口県出身の政治家については、[[山口県出身の人物一覧#公人]]を}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]が4。[[参議院]]では、全県で1区を構成する。 == 経済・産業 == === 経済 === [[内閣府]][[経済社会総合研究所]]が行った「令和元年度度県民経済計算」によると、2019年度(令和元年度)の一人あたりの県民所得は325.1万円、名目県内総生産は6兆3505億円([[第一次産業]]300.7億円、[[第二次産業]]2兆5531.4億円、[[第三次産業]]3兆7468.11億円)であった<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/uploaded/attachment/108475.pdf 令和元年度県民経済計算の概要]}} - 内閣府経済社会総合研究所国民経済計算部 2021年3月31日</ref>。[[経済成長率]]は名目+0.5%、実質−0.3%であった。総生産の経済活動別の構成比について全国を1とする[[特化係数]]で比較すると、第一次産業は0.5、第二次産業は1.6、第三次産業は0.8であった。さらに詳しく見ていくと[[鉱業]](特化係数1.8)、[[製造業]](1.7)、[[電気]]・[[都市ガス|ガス]]・[[水道]]・[[廃棄物処理業]]等(1.3)、[[運輸]]・[[郵便]]業(1.1)、[[保健衛生]]・[[社会事業]](1.1)で全国を上回った。製造業の内訳を見ると特に[[化学]](特化係数7.0)、[[窯業]]・土石製品(2.8)、[[石油]]・[[石炭]]製品(2.3)、輸送用機械(1.5)、一次金属(1.2)、[[繊維]]製品(1.2)、金属製品(1.2)で全国を上回った<ref>https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a12500/kenmin/index.html</ref>。 ====経済圏==== 経済圏は県内各地域に分散しており、[[経済産業省]]は[[都市雇用圏]]の考え方に基づいた経済圏を以下の地域に設定し、その産業特性を以下のように分析している<ref>{{PDFlink|[https://www.meti.go.jp/policy/local_economy/bunnseki/47bunseki/35yamaguchi.pdf 山口県の地域経済分析]}} - 経済産業省, p.54-97</ref>。 ; 岩国経済圏([[岩国市]]・[[和木町]]・広島県[[大竹市]]) : 農林漁業、建設業、製造業、医療・福祉、複合サービス事業において産業の集積が見られ、特に製造業においては化学工業([[三井化学]]など)、パルプ・紙・紙加工品製造業([[日本製紙]]など)の特化係数が高い。 ; 周南経済圏([[下松市]]・[[光市]]・[[周南市]]・[[田布施町]]) : 建設業、製造業、運輸・郵便業、生活関連サービス・娯楽業、複合サービス事業において産業の集積が見られ、特に製造業においては化学工業([[トクヤマ]]、[[東ソー]]など)、鉄鋼業([[東洋鋼鈑]]・[[日本製鉄光チタン部]]など)の特化係数が高い。 ; 山口経済圏([[山口市]]・[[防府市]]) : 建設業、製造業、運輸・郵便業、生活関連サービス・娯楽業、教育・学習支援業、医療・福祉、複合サービス事業において産業の集積が見られ、特に製造業においては輸送用機械器具製造業(自動車関連=[[マツダ]]など)が大半を占める。 ; 宇部経済圏([[宇部市]]・[[山陽小野田市]]) : 製造業、教育・学習支援業、医療・福祉において産業の集積が見られ、特に製造業においては化学工業([[UBE (企業)|UBE]]など)、窯業・土石製品製造業(UBE・[[太平洋セメント]]など)、電子部品・デバイス・電子回路製造業などの特化係数が高い。 ; 下関経済圏([[下関市]]) : 農林水産業、製造業、運輸・郵便業、金融保険業([[山口フィナンシャルグループ]]・[[西中国信用金庫]]など)、学術研究・専門・技術サービス業、複合サービス事業において産業の集積が見られ、特に製造業においては輸送用機械器具製造業(主に造船=[[三菱重工業下関造船所]]など)、食料品製造業([[林兼産業]]や[[日清食品]]など)、金属製品製造業(暖房・配管機器=[[長府製作所]]・[[神戸製鋼所]]など)、ゴム製品製造業([[ブリヂストン]])に特色が見られる。 ; 萩経済圏([[萩市]]・[[阿武町]]) : 農林漁業、建設業、電気・ガス・水道業、宿泊・飲食サービス業、医療・福祉、複合サービス事業において産業の集積が見られる。 山口県が行った「令和元年度市町民経済計算」による、令和元年度の市町内総生産は県全体で6兆3505億円であり、県全体に占める割合は下関市が15.2%でトップ、以下周南市(15%)、山口市(12.9%)、宇部市(9.8%)、岩国市(8.7%)と続く。地域別市町内総生産額は周南地区が1兆7501億円と全体の27.6%を占め、ついで山口・防府地区(21.5%)、宇部・小野田地区(17.2%)、下関地区(15.2%)と続く。 市町民所得は県全体で4兆4074億円であり、県全体に占める割合は下関市が18%でトップ、以下山口市(15.1%)、周南市(13.2%)、宇部市(12.2%)、岩国市(9.1%)と続く。 <ref>{{PDFlink|[https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cmsdata/f/2/1/f21d5bf4fce346785683167343275458.pdf 平成30年度市町民経済計算の概要]}} - 山口県統計分析課2021年3月31日</ref>。 === 産業 === [[山陽地方]]に当たる瀬戸内海側は、重化学[[コンビナート]]を中心とした工業と、高速道路網などを生かした[[物流|流通業]]などが発展しており、[[瀬戸内工業地域]]の一角を成す。一方で、[[山陰地方]]に当たる日本海側は、[[農業]]・[[漁業]]などの[[第一次産業]]と[[観光業]]などのサービス産業が中心である。 かつては宇部・美祢で[[鉱業]]が盛んであり、[[宇部炭鉱]] (宇部市) や[[大嶺炭田|大嶺炭鉱]] (美祢市) で無煙炭を中心とした[[石炭]]が採掘されていた。いずれも現在は閉山しているが、県西部 (宇部市・山陽小野田市など) の[[重化学工業]]地域は元々この炭鉱を背景としている。現在美祢地区では石炭に代わって[[石灰石]]の採掘が行われており、[[セメント]]の製造企業が集中している。一方、周南・岩国などの東部では太平洋戦争当時の海軍燃料廠などに由来する[[石油]]精製コンビナートを展開、[[水酸化ナトリウム|ソーダ]]など化学系の製品製造を主とする工業地域を形成している。 ==== 農業 ==== 沿岸部から中山間部までの多様な自然条件や消費地の近さ、交通網の高い整備状況により米や野菜、果物、花、牛肉といった様々な農産物が生産されている。特に[[長州藩]]時代の[[防長三白|四白政策]]以来米作りが盛んに行われており、[[干拓]]や[[棚田]]などの新田開作により[[農地]]が増やされてきた。特に米は[[コシヒカリ]]や[[ひとめぼれ]]、[[ヒノヒカリ]]が生産されている。野菜は[[わさび]]や[[れんこん]]、[[トマト]]の生産が盛んで、果物は瀬戸内側で[[温州みかん]]や[[夏みかん]]、中山間部では[[クリ|栗]]の栽培が盛ん。花は[[下関市]]を中心に[[ユリ|ゆり]]、[[バラ]]、[[カーネーション]]、[[菊]]の栽培が盛んである。また、畜産においては本県が日本で初めて誕生させ全国唯一である[[無角和種|無角和牛]]<ref name="Akisinonomiya">[[秋篠宮文仁]]、[[小宮輝之]]『日本の家畜・家禽』 学習研究社 <フィールドベスト図鑑> 2009年、ISBN 978-4-05-403506-5 pp.66-67.</ref> や[[和牛]]の原種と言われ国の[[天然記念物]]に指定されている[[見島牛]]が、[[養鶏]]が盛んな[[長門市]]では県オリジナル[[地鶏]]「長州黒かしわ」の飼育が行われている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ysn21.jp/furusato/know/04industry/industry01.html#:~:text=%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9C%8C%E3%81%AF%E3%80%81%E6%B2%BF%E5%B2%B8%E9%83%A8,%E3%81%8C%E7%94%9F%E7%94%A3%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82&text=%E3%81%93%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E8%BE%B2%E7%94%A3%E7%89%A9%E3%81%AE,%E5%89%B2%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82|title=やまぐちを知ろう!農業編|accessdate=2021年2月18日|publisher=}}</ref>。 農業生産額の割合では、[[米]]が全生産額の34.9%で最も多く、[[野菜]]が24.2%、[[ニワトリ|鶏]](鶏卵・ブロイラー)が14.7%、[[果実]]が6.6%と成っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00500206&tstat=000001015617&cycle=7&year=20180&month=0&tclass1=000001019794&tclass2=000001138686|title=平成30年生産農業所得統計|accessdate=2020年4月20日|publisher=}}</ref>。 ====水産業==== 三方が海に面する山口県では古くから水産業が盛んであり、[[江戸時代]]に長州藩は漁業を推奨し特に現在の長門市の通地区や仙崎地区を中心に[[捕鯨]]に力を入れ、「鯨一頭とれば七浦賑わう」と謳われた。捕鯨は[[明治時代]]まで続いたが[[ロシア]]による[[日本海]]での捕鯨が原因で[[北浦捕鯨]]は早々に衰退、その後[[ノルウェー式捕鯨]]の導入で[[下関市]]は日本有数の捕鯨基地となった。その後国際的な反捕鯨運動が盛んになり、また日本が[[国際捕鯨委員会]]に加盟したことで長らく[[商業捕鯨]]は禁止されていたが[[2019年]]に脱退したことで再び商業捕鯨が再開され<ref>[https://www.bbc.com/japanese/48821979 日本が商業捕鯨を再開 IWCから脱退、規制受けず] BBC NEWS 2019年7月1日配信 2021年6月12日閲覧。</ref>、下関市は再び商業捕鯨及び[[調査捕鯨]]の基地となっている。また、同市は[[ふぐ]]の日本一の取扱量を誇っており、同市南風泊市場では全国のふぐの大半を取り扱っている。平成21年度の山口県の漁獲量はアマダイ、サザエで全国2位、イサキ、アワビ類で全国4位、マダイ、クルマエビ、マアジで全国5位であり多くの魚種で日本有数の捕獲量を誇る。水産加工業も盛んであり下関市では[[ウニ]]の瓶詰め、[[辛子明太子]]、[[蒲鉾]]を始めとする練り製品で全国有数の生産量を誇る<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ysn21.jp/furusato/know/04industry/industry03.html|title=平やまぐちを知ろう!水産業編|accessdate=2021年2月18日|publisher=}}</ref>。2020年度における本県の陸揚量は21,598トン、登録漁船数は5491隻、総トン数は14,954トン、利用漁船数は7023隻、組合員数は6634人である。また三方を海に囲まれていることもあり本県の漁港数は94港あり、全国で9番目に多い状況にある。その内訳は第一種漁港54港、第二種漁港34港、第三種漁港2港、[[特定第三種漁港]]1港、第四種漁港3港であり、このうち県管理漁港7港([[下関漁港]]、[[川尻漁港]]、[[江崎漁港]]、[[見島漁港]]、[[仙崎漁港]]、[[萩漁港]]、[[徳山漁港]])、市町村管理漁港87港となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/soshiki/109/21957.html|title=山口県の漁港|accessdate=2023年9月16日|publisher=山口県}}</ref>。 ====工業==== 山口県の[[瀬戸内海]]沿岸では[[大正時代]]より[[造船業]]や化学、機械、金属の工場が次々に進出し、[[第二次世界大戦]]中は[[旧日本軍]]の[[工廠]]などが立地した。戦後は[[石油化学コンビナート]]が形成され全国有数の工業県となり、[[瀬戸内工業地域]]を構成している。特に[[下関市]]や[[宇部市]]、[[山陽小野田市]]、[[美祢市]]などは[[北九州工業地帯|北九州工業地域]]の構成都市でもある。県西部では美祢市の[[カルスト台地]]から産出される[[石灰石]]を原料とする[[セメント]]製造工場が立地、[[周南市]]や[[岩国市]]など県東部では石油コンビナートや[[ソーダ工業|ソーダ]]などの化学製品を生産する企業が集中している。 [[経済産業省]]が実施した工業統計調査によると、2020年度の製造品出荷額は5兆6169億円(周南市1兆1317.6億円、防府市8170.3億円、下関市6022.6億円)、付加価値額は1兆8643億円、事業所数は1725ヶ所(下関市369ヶ所、宇部市186ヶ所、周南市160ヶ所)、従業者数は9万5292人(下関市1万6141人、防府市1万3266人、周南市1万1619人)、1事業所当たりの製造品出荷額は2000年ごろから全国首位が続いており90億1572万円、1事業所当たりの付加価値額は10億8100万円、従業者1人当たりの付加価値額は1956万円であった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/soshiki/22/209838.html|title=令和3年経済センサス-活動調査(製造業)結果(山口県分 確報)|publisher=|date=2023-5-16|accessdate=2023-09-16}}</ref>。特に化学、輸送、石油、鉄鋼、窯業が盛んであり、[[マツダ]](自動車)、[[日立製作所]](鉄道車両)、[[三菱重工業]]・[[三菱造船]](造船)、[[ブリヂストン]](タイヤ)、[[シマノ]](自転車)、[[武田薬品工業]](製薬)、[[マルハニチロ]](食料品)、[[日清食品]](食料品)などの大手メーカーが数多く立地している<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cmsdata/9/6/3/9631310ee7d0661d5b8e0c09bfd81764.pdf 小学生向け補助教材『山口県の工業』(改訂版)]}} - 山口県商政課2019年5月23日</ref>。 <gallery> Yamaguchi-Ginko-Bekkan-20020811.JPG|山口銀行・旧本店(下関市)<br />[[1878年]]に[[第百十国立銀行]]として設立。山口県の[[指定金融機関]]。 Ube Industries Ube Chemical Plant.jpg|UBE・宇部地区(宇部市)<br />1897年に採炭会社として設立。炭鉱閉鎖後、日本では初の一般炭輸入を開始し、同地区に日本最大規模の貯炭場を保有する<ref>[http://www.ube-ind.co.jp/japanese/products/energy/energy_01_02.htm 沖の山コールセンター]</ref>。 MCI-iwakuni1.JPG|三井化学・岩国大竹工場(岩国市・和木町)<br / >1958年に操業開始。日本で最初の総合石油化学工場。 </gallery> === 主な企業 === {{See also|Category:山口県の企業}} ==== 山口県内に本社・本店・本部を置く東証プライム上場企業 ==== * [[エストラスト]]([[下関市]]) * [[セントラル硝子]](宇部市) * [[チタン工業]](宇部市) * [[長府製作所]](下関市) * [[東ソー]]([[周南市]]) * [[トクヤマ]](周南市) * [[林兼産業]](下関市) * [[ファーストリテイリング]]([[山口市]]) - [[ユニクロ]] など * [[山口フィナンシャルグループ]](下関市) - [[北九州銀行]]、[[もみじ銀行]]、[[山口銀行]] * [[UBE (企業)|UBE]]([[宇部市]]) - 旧商号:宇部興産 ==== 山口県内に生産拠点・主要事業所を置く主な企業 ==== * [[出光興産]](徳山精油所 / [[周南市]]) * [[小野薬品工業]](山口工場 / 山口市) * [[協和発酵キリン|協和発酵キリングループ]]([[協和発酵バイオ]]山口事業所 / [[防府市]]、協和発酵キリン宇部工場 / [[宇部市]]) * [[神戸製鋼所]](長府製造所 / [[下関市]]) * [[シマノ]](下関工場 / 下関市) * [[シマヤ]](山口工場 / 周南市) * [[GMOグローバルサイン・ホールディングス]](下関支社/下関市) * [[太平洋セメント]](小野田事務所 / [[山陽小野田市]]) - 旧・小野田セメント * [[武田薬品工業]](光工場 / 光市) * [[田辺三菱製薬工場]](小野田工場 / 山陽小野田市) - 旧・田辺製薬 * [[THK (機械メーカー)|THK]](山口工場 / 山陽小野田市) * [[帝人|帝人グループ]](帝人ファイバー徳山事業所 / 周南市、帝人テクノプロダクツ岩国事業所 / [[岩国市]]) * [[東海カーボン]](防府研究室・防府工場 / 防府市) * [[東洋鋼鈑]](下松工場 / [[下松市]]) * [[東洋紡]](岩国工場 / 岩国市) * [[ニチハ]](下関工場 / 下関市) * [[日産化学]](小野田工場 / 山陽小野田市) * [[日清食品]](下関工場 / 下関市) * [[日鉄ステンレス]](周南製鋼所 / 周南市、光製造所 / [[光市]]) * [[日本化薬]](厚狭工場 / 山陽小野田市) * [[日本製紙|日本製紙グループ]](日本製紙岩国工場 / 岩国市、[[日本製紙クレシア]]岩国工場 / 岩国市) - 旧・山陽国策パルプ、山陽スコット * [[日本製鉄]]([[日本製鉄大分製鉄所|大分製鉄所]]光鋼管工場、[[日本製鉄光チタン部|光チタン部]] / 光市) * [[日本ゼオン]](徳山工場 / 周南市) * [[日立製作所]]([[日立製作所笠戸事業所|笠戸事業所]] / [[下松市]]) * [[ブリヂストン]](下関工場 / 下関市、防府工場 / 防府市) * [[マツダ]]([[マツダ防府工場|防府工場]] / 防府市、[[MINEサーキット|美祢自動車試験場]] / [[美祢市]]) * [[マルハニチロ]](下関工場/[[下関市]]) * [[三井化学|三井化学グループ]](三井化学岩国大竹工場 / 岩国市・[[和木町]]、三井化学西沖工場 / 宇部市、[[下関三井化学]] / 下関市、三井化学岩国大竹工場徳山分工場 / 周南市)- 旧・三井石油化学工業、三井東圧化学、三井武田ケミカル * [[三菱重工業]]([[三菱重工業下関造船所|下関造船所]] / 下関市) * [[ヤマダホームズ]] (山口工場 / 山口市)- 旧・エス・バイ・エル、エス・バイ・エル住工 ==== 山口県発祥の企業 ==== * [[カンロ]] - 光市発祥 * [[ジョリーパスタ]] - [[徳山市]](現・[[周南市]])発祥(旧サンデーサン) * [[サンリブ・マルショクグループ]] - 下関市発祥 * [[ニチモウ]] - 下関市発祥 * [[ニッスイ]] - 下関市発祥 * [[マルハニチロ]] - 再編前の[[マルハ]](旧大洋漁業)が下関市発祥 ** [[横浜DeNAベイスターズ]] - 大洋漁業の実業団が起源(旧大洋ホエールズ) このほか、かつての[[財閥]]の一つである[[日産コンツェルン]]の創業者たち([[鮎川義介]]・[[久原房之助]]ら)は山口県出身であり、日産コンツェルンの流れをくむ複数の企業の生産拠点が山口県に残っている。また、[[東芝]]の創業者の一人である[[藤岡市助]]も山口県出身である。 == 交通・生活 == === 警察 === * [[山口県警察]] ==== 警察署 ==== * [[岩国警察署]](岩国市) * [[柳井警察署]](柳井市) * [[光警察署]](光市) * [[下松警察署]](下松市) * [[周南警察署]](周南市) * [[防府警察署]](防府市) * [[山口警察署]](山口市) * [[山口南警察署]](山口市) * [[宇部警察署]](宇部市) * [[山陽小野田警察署]](山陽小野田市) * [[美祢警察署]](美祢市) * [[長門警察署]](長門市) * [[萩警察署]](萩市) * [[下関警察署]](下関市) * [[長府警察署]](下関市) * [[小串警察署]](下関市) === 鉄道 === * [[西日本旅客鉄道|JR西日本]]([[西日本旅客鉄道]]・旧[[日本国有鉄道]]) ** [[山陽本線]]([[和木駅]] - [[下関駅]]) ** [[宇部線]]([[新山口駅]] - [[宇部駅]]) ** [[山口線]]([[新山口駅]] - [[船平山駅]]) ** [[美祢線]]([[厚狭駅]] - [[長門市駅]]) ** [[山陰本線]]([[幡生駅]] - [[江崎駅]]、[[長門市駅]] - [[仙崎駅]]) ** [[岩徳線]]([[岩国駅]] - [[櫛ヶ浜駅]]) ** [[小野田線]]([[小野田駅]] - [[居能駅]]、[[雀田駅]] - [[長門本山駅]]) ** [[山陽新幹線]]([[新岩国駅]] - [[新下関駅]]) * [[錦川鉄道]]([[第三セクター]]) ** [[錦川清流線]]([[川西駅 (山口県)|川西駅]] - [[錦町駅]]) === 道路 === ==== 高速道路・自動車専用道路 ==== * [[中国自動車道]]([[AH1]]・アジアハイウェイ1号線):[[鹿野インターチェンジ|鹿野IC]] - [[下関インターチェンジ|下関IC]] * [[山陽自動車道]](AH1):[[岩国インターチェンジ|岩国IC]] - [[山口ジャンクション|山口JCT]]、[[宇部ジャンクション|宇部JCT]] - [[下関ジャンクション|下関JCT]] * [[山陰自動車道]] ** [[萩・三隅道路]] * [[関門橋|関門自動車道]](AH1):下関IC * [[山口宇部小野田連絡道路]] ** [[山口宇部道路]]:[[朝田インターチェンジ|朝田IC]] - [[宇部南インターチェンジ|宇部南IC]] ** [[宇部湾岸道路]]:[[西中町インターチェンジ|西中町IC]] - [[東須恵インターチェンジ|東須恵IC]] * [[小郡萩道路]]:[[美祢東ジャンクション|美祢東JCT]] - [[絵堂インターチェンジ|絵堂IC]] ==== 国道・県道 ==== {{Main|中国地方の道路一覧#山口県|山口県の県道一覧}} [[1963年]](昭和38年)の[[第18回国民体育大会|山口国体]]開催にあたり、県管理道路(県道と一部の国道)の[[防護柵 (道路)|ガードレール]]を特産の[[ナツミカン|夏みかん]]にちなんだ黄色にしようということになった。それ以来県道のガードレールには黄色いものが使われている。 ==== 道の駅 ==== {{main|道の駅一覧 中国地方#山口県}} 県内11市町に24箇所の道の駅が開設されている。 === バス事業者 === * [[中国地方の乗合バス事業者#山口県|山口県内の乗合バス事業者一覧]] * [[中国地方の貸切バス事業者#山口県|山口県内の貸切バス事業者一覧]] === 航空 === * [[山口宇部空港]]([[宇部市]]) ** [[日本航空]](JAL) *** [[東京国際空港]](羽田空港) ** [[全日本空輸]](ANA) *** 東京国際空港(羽田空港) ** [[スターフライヤー]](SFJ)<ref>[[全日本空輸]]とコードシェア</ref> *** 東京国際空港(羽田空港) * [[岩国錦帯橋空港]]([[岩国市]]) ** 全日本空輸(ANA) *** 東京国際空港(羽田空港) *** [[那覇空港]] ===主要港湾=== ====[[国際拠点港湾]]==== * [[下関港]]([[下関市]]) * [[徳山下松港]]([[周南市]]・[[下松市]]・[[光市]]) ====重要港湾==== * [[岩国港]]([[岩国市]]) * [[宇部港]]([[宇部市]]) * [[三田尻中関港]]([[防府市]]) * 小野田港([[山陽小野田市]]) ====[[特定第3種漁港]]==== * [[下関漁港]](下関市) === 航路 === ==== 国際フェリー ==== * [[関釜フェリー]]({{JPN}}・[[下関港|下関港国際ターミナル]] ― {{KOR}}・[[釜山広域市|釜山]]) * 光陽フェリー({{JPN}}・下関港国際ターミナル ― {{KOR}}・[[全羅南道]][[光陽市]]) * [[オリエントフェリー]]({{JPN}}・下関港国際ターミナル ― {{CHN}}・[[青島市|青島]]) * [[蘇州下関フェリー]]({{JPN}}・下関港国際ターミナル ― {{CHN}}・[[蘇州市|蘇州]][[太倉市|太倉]]) ==== 国内フェリー ==== * [[防予フェリー]]({{Flagicon|山口県}}柳井市・[[柳井港]] - {{Flagicon|愛媛県}}[[愛媛県]][[松山市]]・[[三津浜港]]) * [[周防大島 松山フェリー]]({{Flagicon|山口県}}柳井市・柳井港 - 周防大島町・[[伊保田港]] - {{Flagicon|愛媛県}}愛媛県松山市・三津浜港) * [[スオーナダフェリー]]({{Flagicon|山口県}}周南市・[[徳山港]] - {{Flagicon|大分県}}[[大分県]][[国東市]]・[[竹田津港]]) かつては下関市の[[彦島]]荒田港と[[北九州市]][[小倉北区]]の日明港を[[関門海峡フェリー]]が結んでいた。 ==== その他の航路 ==== {{div col|colwidth=19em}} * [[柱島]]航路(岩国市) * [[端島 (山口県)|端島]]航路(岩国市) * 黒島航路(岩国市) * 浮島航路(周防大島町) * 前島航路(周防大島町) * 情島航路(周防大島町) * 平郡航路(柳井市) * [[祝島]]航路(上関町) * 馬島航路(田布施町) * [[牛島航路]](光市) * 大津島・馬島・黒髪島航路(周南市) * 野島航路(防府市) * [[蓋井島]]航路(下関市) * [[巌流島]]航路(下関市) * [[六連島]]航路(下関市) * [[関門汽船|関門連絡船]](下関市・北九州市) * ヴォイジャー(下関市・北九州市) * [[萩海運#相島航路|相島航路]](萩市) * [[萩海運#大島航路|大島航路]](萩市) * [[萩海運#見島航路|見島航路]](萩市) {{div col end}} === 上水道 <ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/soshiki/39/19448.html|title=山口県の水道の現況|publisher=山口県都市計画課|date=2023-07-03|accessdate=2023-09-17}}</ref> === 山口県における[[水道]]普及率は2021年時点で94%(全国平均98.2%)である。給水人口構成比は総人口131万5949人に対して[[上水道]]は92.9%(122万2305人)、[[簡易水道]]は0.8%(1万830人)、[[専用水道]]は0.3%(4330人)、未普及人口は6%(7万8484人)である。 市町村毎の普及率は和木町100%、上関町99.4%、宇部市99.4%、山陽小野田市99.3%、下松市98.5%、下関市97.2%、萩市95.9%、光市94.9%、長門市94.8%、周南市94.3%、周防大島町94.3%、防府市93.8%、山口市93.1%、美祢市92.7%、岩国市85.4%、平生町79.5%、柳井市78.1%、田布施町66.1%、阿武町66%である。 また2021年時点での上水道の給水量は1億6936.9万㎥であり、有収水量(製造された水のうち、料金収入が得られた水量)は1億5022.6万㎥である。簡易水道の給水量は154.9万㎥、有収水量は116.8万㎥である。 === 下水道<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/soshiki/130/23719.html|title=下水道班・下水道処理人口普及状況|publisher=山口県都市計画課|date=2023-01-20|accessdate=2023-09-17}}</ref> === 山口県における公共[[下水道]]普及率は2021年時点で68.1%(全国平均79.7%)、水洗化率(下水道供用区域内に住んでいる人口のうち、[[水洗便所]]を設置して[[汚水]]を下水道で処理している人口の割合)は95.3%(全国平均92.9%)である。また汚水処理人口普及率(下水道のほか集落排水施設、合併処理[[浄化槽]]、[[コミュニティプラント]]を含む)は88.8%(全国平均92.6%)であり、全国26位である。 市町村毎の普及率および(水洗化率)は和木町99.5%(100%)、下松市90%(97%)、周南市87.3%(94.5%)、光市81.5%(97.9%)、下関市79%(97%)、宇部市78.6%(96.2%)、防府市70.7%(92.2%)、山口市68.1%(96.8%)、平生町61.7%(94.5%)、山陽小野田市58%(91%)、長門市50.4%(97.7%)、田布施町49%(98%)、萩市45.3%(90.9%)、美祢市37%(95.2%)、岩国市36.3%(92.3%)、柳井市32.3%(89.7%)、周防大島町22.5%(65.7%)である。 県内に[[下水処理場]]は41ヶ所あり、うち県管理の処理場は周南浄化センターと[[田布施川]]浄化センターの2ヶ所である。これらの浄化センターは特に[[島田川]]および田布施川の水質悪化を防止するために県の事業として設置されているものである<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/soshiki/130/23731.html|title=下水道班・流域下水道|publisher=山口県都市計画課|date=2023-03-31|accessdate=2023-09-17}}</ref>。 ==== 下水処理場 ==== *山口県 **周南浄化センター **田布施川浄化センター *岩国市 **一文字終末処理場 **岩国南せせらぎセンター **由宇浄化センター **広瀬浄化センター *柳井市 **柳井浄化センター *周防大島町 **東和片添浄化センター **安下庄浄化センター **久賀大島浄化センター *下松市 **下松市浄化センター *周南市 **徳山中央浄化センター **徳山東部浄化センター **新南陽浄化センター **新南陽北部浄化センター **鹿野浄化センター *防府市 **防府浄化センター *山口市 **山口浄化センター **小郡浄化センター **川西浄化センター **秋穂浄化センター **阿知須浄化センター *宇部市 **東部浄化センター **西部浄化センター **楠浄化センター *山陽小野田市 **小野田水処理センター **山陽水処理センター *美祢市 **美祢市浄化センター *長門市 **東深川浄化センター **俵山浄化センター **通浄化センター **黄波戸浄化センター *萩市 **萩浄化センター **須佐浄化センター *下関市 **筋ヶ浜終末処理場 **彦島終末処理場 **山陰終末処理場 **山陽終末処理場 **豊浦中部浄化センター **豊北滝部浄化センター **豊田浄化センター == 医療・福祉 == {{Main|Category:山口県の医療機関}} 岩国、柳井、周南、山口・防府、萩、宇部・小野田、長門、下関の8つの[[医療圏|二次医療圏]]が設定されている。 山口県内において[[救急医療#三次救急医療|三次救急医療]]を担う[[救命救急センター]]としては、以下の5つがある。 * [[国立病院機構岩国医療センター]](岩国市) * [[地域医療機能推進機構徳山中央病院]](周南市) * [[山口県立総合医療センター]](防府市) * [[山口大学医学部附属病院]](宇部市、[[高度救命救急センター]]設置) * [[国立病院機構関門医療センター]](下関市) なお、萩医療圏と長門医療圏の全域では、これらの機関への[[自動車]]での移動が1時間を越えるため、医療体制や交通網の整備が課題となっている。 {{Main2|[[災害拠点病院]]については「[[山口県災害拠点病院]]」を、[[保育所]]については「[[山口県保育所一覧]]」を}} == 教育機関 == ; [[大学]] '''[[国立大学|国立]]''' (1校) * [[山口大学]]([[国立大学法人]]) ** 吉田キャンパス(山口市) ** 常磐キャンパス(宇部市) ** 小串キャンパス(宇部市) '''[[公立大学|公立]]''' (4校) * [[下関市立大学]](下関市) * [[山口県立大学]](山口市) * [[山陽小野田市立山口東京理科大学]](山陽小野田市) * [[周南公立大学]](周南市) '''[[私立大学|私立]]''' (6校) * [[宇部フロンティア大学]](宇部市) * [[至誠館大学]](萩市) * [[東亜大学]](下関市) * [[梅光学院大学]](下関市) * [[山口福祉文化大学]](萩市) * [[山口学芸大学]](山口市) ; [[通信制大学]] '''私立(1校)''' * [[放送大学]] 山口学習センター(山口市) ; [[短期大学]] '''私立(4校)''' * [[岩国短期大学]](岩国市) * [[下関短期大学]](下関市) * [[山口芸術短期大学]](山口市) * [[山口短期大学]](防府市) '''[[高等専門学校]]''' (3校) * [[徳山工業高等専門学校]](周南市) * [[宇部工業高等専門学校]](宇部市) * [[大島商船高等専門学校]](周防大島町) '''[[中等教育学校]]''' (1校) * [[山口県立下関中等教育学校]](下関市) '''[[省庁大学校]]''' (1校) * [[水産大学校]](下関市) ([[農林水産省]]所管、[[水産研究・教育機構|国立研究開発法人水産研究・教育機構法]]に基づく省庁大学校) '''[[職業訓練校]]''' (2校) * [[山口県立西部高等産業技術学校]](下関市) * 山口県立東部高等産業技術学校(周南市) {{Main2|その他の教育機関については、[[山口県専修学校一覧]]、[[山口県特別支援学校一覧]]、[[山口県高等学校一覧]]、[[山口県中学校一覧]]、[[山口県小学校一覧]]、[[山口県幼稚園一覧]]を}} == マスメディア == === 新聞 === ==== 一般紙(全国紙) ==== 読売・朝日・毎日の各新聞は西部本社(読売は[[福岡市]]、朝日・毎日は[[北九州市]]に立地)、日経は西部支社(福岡市に立地)、産経は西部本部(福岡市に立地)の管轄となっている。産経新聞は[[1997年]](平成9年)ごろから発売を休止していたが、産経新聞社九州・山口本部(現・産経新聞西部本部){{efn|西部本部設立、かつ発売休止前までは、大阪本社(摂津市の工場)で製作した夕方18時締切の超早版を鉄道or航空輸送しており、多くのニュースは前々日の記事が掲載されていた。}}発足に伴い[[2009年]](平成21年)[[10月1日]]付より山口県での発行を再開した。印刷は[[佐賀県]][[鳥栖市]]の[[毎日新聞社]]工場に委託している。 なお広島県、島根県に境を接する東部のごく一部では、大阪本社発行のものと西部本社(支社・本部)発行のものを並行発売する店舗もある。 山口県で販売している[[全国紙]]は以下の通り。 * [[読売新聞]]([[読売新聞西部本社]]) * [[朝日新聞]]([[朝日新聞西部本社]]) * [[毎日新聞]]([[毎日新聞西部本社]]) * [[日本経済新聞]]([[日本経済新聞西部支社]]) * [[産経新聞]]([[産経新聞西部本部]]) ==== 一般紙(地方紙) ==== 山口県全域を発行エリアとする地方紙は、'''[[山口新聞]]'''(下関市、日刊、[[みなと山口合同新聞社]]発行)がある。[[中国新聞]]([[広島市]])は[[周南市]]に防長本社を置き、山口県内でも'''中国新聞 山口'''として販売している。かつては[[西日本新聞]]([[福岡市]])も県西部地域で販売していたが、[[2009年]](平成21年)[[3月31日]]をもって山口県での販売を停止し、[[山口市]]と[[下関市]]にあった支局も撤退した。他に[[長周新聞]](下関市、週3回刊、長周新聞社発刊)がある。 県内特定地域を発行エリアとする主な地方紙は以下の通り。 * [[宇部日報]](宇部市、宇部・小野田地域メイン、[[夕刊紙]]) * [[瀬戸内タイムス]](光市、週3回刊) * [[長門時事新聞]](長門市、長門地域メイン、週刊) * [[日刊いわくに]](岩国市、火 - 土曜日発行) * [[日刊新周南]](周南市、下松市、光市、[[夕刊紙]]) * 柳井日日新聞(柳井市) * [[防長新聞]](岩国市、岩国地域メイン、現在休刊中) ==== 専門紙 ==== * [[みなと新聞]]([[下関市]]、日本最大の水産食品業界紙、[[みなと山口合同新聞社]]発行) ==== スポーツ紙・夕刊紙 ==== デイリースポーツ(大阪・神戸本社管轄の広島支社のエリア)を除き、西部本社の販売エリアである。なお、日刊スポーツは元々は[[下関市]]のみなと山口合同新聞社の工場に委託印刷した、西部日刊スポーツ新聞社制作の新聞を発行していたが、西部、大阪、名古屋の地域発行本社を合併した[[日刊スポーツ新聞西日本]]が発足した1年後の[[2010年]](平成22年)4月に防府市以東では、広島県[[廿日市市]]の中国新聞社の工場に委託印刷・発行した同大阪本部発行の新聞(山口西部を除く中四国地方向けと同じ)に変更された。 そのこともあり、県内で販売されるスポーツ新聞は[[福岡ソフトバンクホークス]]や[[アビスパ福岡]]などの福岡県に本拠地を置く話題が多い(デイリー、及び日刊の山口東部向けに関しては[[阪神タイガース]]あるいは[[広島東洋カープ]]または[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]などの広島を本拠地とするもの)。前述通り産経新聞は発行を再開したものの[[サンケイスポーツ]]は発売されていない。また、かつては[[西日本スポーツ]]も発売されていたが、西日本新聞の山口県撤退と同時に山口県内での発売から撤退した。 フジとゲンダイは大阪本社版の早刷りのものをごく一部の駅売りスタンドで発売するのみ。なお、九州スポーツは東京スポーツ系列の新聞であるが、朝刊で扱われているため夕刊紙ではない。 * [[日刊スポーツ]]([[日刊スポーツ新聞西日本]]) - 山口市以西は、下関市に本社を置く[[みなと山口合同新聞社]]で印刷された西部本社版、防府市以東は[[広島県]][[廿日市市]]にある[[中国新聞社]]の工場で印刷された大阪本部版を販売している。{{efn|前述の通り、親会社である朝日新聞は印刷工場は同じだが、東部を含む全県で西部版を印刷している。}} * [[スポーツニッポン]](スポーツニッポン新聞社西部総局) * [[九州スポーツ]]([[東京スポーツ|東京スポーツ新聞社西部支社]]) - 2020年3月まで下関市に本社を置くみなと山口合同新聞社で紙面を制作・印刷していたが、2020年4月以後、毎日新聞社に委託先を変更し、編集は[[大阪府]][[堺市]]の[[高速オフセット]]堺工場内([[大阪スポーツ]]発行元の東スポ大阪支社)に統合、印刷は[[鳥栖市]]・[[北九州市]]にある毎日新聞九州センター工場に委託されることになった。 * [[スポーツ報知]]([[スポーツ報知西部本社]]) - 報知は[[1998年]](平成10年)に九州・山口進出 * [[デイリースポーツ]]([[神戸新聞社]]) - 広島版([[中国新聞社]]の廿日市市・[[福山市]]の工場に委託印刷されたもの)を販売 * [[夕刊フジ]](一部地域のみ、[[産業経済新聞社]]) * [[日刊ゲンダイ]](一部地域のみ) === テレビ・ラジオ放送 === デジタルテレビ・FMラジオの親局送信所及びKRYラジオのFM補完放送のメイン中継局は[[防府市]]の[[大平山 (防府市)|大平山]]。 ==== テレビの県域放送局 ==== * [[NHK山口放送局]]([[リモコンキーID]]:総合1、Eテレ(教育)2) ** [[NHK下関支局]] - 山口放送局の支局、現在は独自放送は行っていない * [[テレビ山口]](tys;[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]、リモコンキーID:3) * [[山口放送]](KRY;[[日本ニュースネットワーク|NNN]]、リモコンキーID:4) - 本社:[[周南市]] * [[山口朝日放送]](yab;[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]、リモコンキーID:5) 山口県には県内に本拠を置く[[フジニュースネットワーク|FNN]]/[[フジネットワーク|FNS]]系及び[[TXNネットワーク|TXN]]系列局が存在せず、両系列の[[放送対象地域]]に含まれていない。 両系列の報道取材は、福岡県の民放のFNN系列局[[テレビ西日本]](TNC)<ref>[http://about.smartnews.com/ja/2017/11/24/20171124/ テレビ西日本がスマートニュースのチャンネルプラスに登場] より</ref>・TXN系列局[[TVQ九州放送]](TVQ)の2局が担当するが、FNNにおいて[[岩国市]]は[[テレビ新広島]](TSS)<ref>[http://about.smartnews.com/ja/2017/12/13/20171213/ スマートニュースでテレビ新広島のチャンネルが開設] より</ref> 、[[萩市]]は[[山陰中央テレビジョン放送]](TSK){{要出典|date=2020年5月}}がそれぞれ担当する。 ただし、県外局の[[スピルオーバー]]により特にFNN/FNS系列局を視聴可能な地域も少なくない他、[[:category:山口県のケーブルテレビ局|ケーブルテレビ局]]を通しての[[区域外再放送]]を利用して視聴する世帯も多い。主たる[[スピルオーバー]]やケーブルテレビの区域外再放送で受信できるテレビ局は以下のとおりである{{Efn|ここでは系列局がないFNN/FNSとTXN系のみをあげるが、直接受信やケーブルテレビを介して受信できる広島・山陰・福岡・さらに場所によっては愛媛・大分の放送局が受信できる地域も数多く存在する(主に岩国市・柳井市などの東部エリアは広島や愛媛、それ以外は福岡(主に北九州中継局のもの)の放送局が受信できるところが多い)}}。 * [[TVQ九州放送]](テレQ;TXN、リモコンキーID:7) * [[テレビ西日本]](TNC;FNN、リモコンキーID:8) * [[テレビ新広島]](tss;FNN、リモコンキーID:8) [[週刊TVガイド]]・[[ザテレビジョン]]などの[[テレビ専門誌]]では、県東部で「広島・島根・鳥取・山口東版」(山口県域局と[[広島県]]域局・[[山陰地方|鳥取県・島根県]]の番組表を収録)を、県西部で「福岡・佐賀・山口西版」(山口県域局と[[福岡県]]域局・[[佐賀県]]域局の番組表を収録)をそれぞれ発行・発売しており、同じ雑誌でありながら同一県内で2種類の冊子を発行、購入ができる。 {{See also|民放テレビ全国四波化#山口県}} ==== ラジオの県域放送局 ==== * [[NHK山口放送局]] * [[山口放送]] ([[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]/[[全国ラジオネットワーク|NRN]]) * [[エフエム山口]] (FMY;[[全国FM放送協議会|JFN]]) ==== 在日アメリカ軍のラジオ放送局 ==== * [[AFN|AFN IWAKUNI]]([[在日アメリカ軍]][[放送]]) ==== コミュニティラジオ局 ==== カッコ後ろの「JW」は [[J-WAVE]] から、「MB」は [[ミュージックバード]] からの番組配信あり(無印は自社製作中心)。 * [[エフエム萩]](FM NANAKO / 萩市) - JW * [[コミュニティエフエム下関|エフエムしものせき]](COME ON! FM / 下関市) - MB * [[エフエムきらら]](宇部市) * [[エフエム周南]](しゅうなんFM / 周南市) - MB * [[ぷらざFM]](FMわっしょい / 防府市) - MB * [[FMながと]](FM AQUA / 長門市) * [[FM山陽小野田]](FMスマイルウェ〜ブ / 山陽小野田市) - MB ==== ケーブルテレビ局 ==== ケーブルテレビの普及率が比較的高く<ref>{{PDFlink|[http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/pdf/catv_genjyou.pdf 総務省発表資料「ケーブルテレビの現状」(平成23年6月)]}}では、日本全体のケーブルテレビ普及率48.8%に対し、山口県全体で56.7%としている。</ref>、特に県央部および宇部・美祢地域をエリアに持つ[[山口ケーブルビジョン]]ではエリア内の加入率を75%以上と公表している<ref>[http://www.c-able.co.jp/gaiyo.html 山口ケーブルビジョン(株)会社概要] より</ref>。 {{Main2|各局の詳細|:Category:山口県のケーブルテレビ局}} == 文化 == === 方言 === 県域の方言は「[[山口弁]]」に区分されるが、地域ごとに大きな差異が見られる。 === 食文化 === {{Main|Category:山口県の食文化|日本の郷土料理一覧#山口県}} === 伝統工芸 === {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#山口県}} [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]]は以下の通り。 * [[萩焼]]([[陶磁器]]、[[2002年]]) * 大内塗([[漆器]]、[[1989年]]) * 赤間硯([[文房具|文具]]、[[1976年]]) === スポーツ === {{See also|Category:山口県のスポーツチーム}} [[サッカー]]チームは[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]の[[レノファ山口FC]]や、社会人サッカーチームである[[FCバレイン下関]]・[[FC宇部ヤーマン]]などがある。かつては[[永大産業サッカー部]]が熊毛郡平生町に本拠地を置いていた。 [[プロ野球]]チームは[[広島東洋カープ]]の[[広島東洋カープ (ファーム)|二軍]]が岩国市の[[広島東洋カープ由宇練習場]]を本拠地としている。また、[[横浜DeNAベイスターズ]](旧大洋ホエールズ)は球団発足当時、下関市の[[下関市営球場]]に本拠地を置いていた。21世紀時点では、広島県に近い県東部は広島東洋カープのファンが、福岡県に近い県西部(下関市など)は[[福岡ソフトバンクホークス]]のファンがそれぞれ多いとされる<ref name="山口新聞2018-10-31"/>。両チームが対戦した[[2018年の日本シリーズ]]の際には、同じチェーンのスーパーマーケットで行われたセールでも、県東部と県西部でそれぞれ優勝セールの対象が異なる{{Efn|例えば、「[[ゆめタウン]]」などを運営する[[イズミ]](本社:広島市)は県内ほぼすべての店舗で広島の優勝セールを行ったが、同社が「九州圏」として位置づけている下関市内の4店舗ではソフトバンクのセールを実施した<ref name="山口新聞2018-10-31"/>。逆に、九州を中心に展開する[[サンリブ]](本社:北九州市)はソフトバンクの優勝セールを行ったが、山口県内では広島と距離の近い下松市の店舗でのみ、広島の優勝セールを実施した<ref name="山口新聞2018-10-31"/>。}}という事象が見られた<ref name="山口新聞2018-10-31">『[[山口新聞]]』2018年10月31日朝刊一面1頁「プロ野球日本一へ広島・福岡決戦 “地元シリーズ”に山口県民ホクホク 小売店、地域分けて応援セール 観戦はどちらも行きやすく」([[みなと山口合同新聞社]] 岩崎新)</ref>。また、[[独立リーグ]]の[[九州アジアリーグ]]に2022年から参加した福岡北九州フェニックスは初年度より[[下関球場]]で公式戦をおこない<ref>[https://kitaq.style/phoenix_0429/ 福岡北九州フェニックスが投手戦を制す 荒巻千尋が3勝目] - キタキュースタイル(2022年4月29日)2023年2月8日閲覧。</ref>、2023年からは球団名を[[北九州下関フェニックス]]に改めている<ref>[https://phoenix2022.co.jp/news/%e7%90%83%e5%9b%a3%e5%90%8d%e5%a4%89%e6%9b%b4%e3%81%ae%e3%81%8a%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9b/ 球団名変更のお知らせ] - 福岡北九州フェニックス(2022年9月15日)2023年2月8日閲覧。</ref><ref name="ksp230201">[https://phoenix2022.co.jp/news/230201/ 球団名変更のお知らせ] - 北九州下関フェニックス(2023年2月1日)2023年2月8日閲覧。</ref>。 [[バスケットボール]]チームは[[山口パッツファイブ|山口ペイトリオッツ]]が2021-22シーズンから[[ジャパン・バスケットボールリーグ|B3.LEAGUE]]に参加している。 [[ラグビーフットボール|ラグビー]]チームは[[ながとブルーエンジェルス]]があり、[[ウィメンズセブンズシリーズ|太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2019]]で総合優勝。 [[陸上競技]]では、[[全日本実業団ハーフマラソン]](山口市・毎年2月)、[[下関海響マラソン]](下関市・毎年11月)、[[防府読売マラソン]](防府市・毎年12月)などのマラソン大会が開催されているほか、全国持ち回り開催の[[全国中学校駅伝大会]]が山口市で開催されたことがある。かつては[[カネボウ陸上競技部]]が防府市に本拠地を置いていた。 公営競技は、[[防府競輪場]](防府市)、[[徳山競艇場|ボートレース徳山]](周南市)、[[下関競艇場|ボートレース下関]](下関市)、[[山陽オートレース場]](山陽小野田市)がある。 == 特産品・名産品 == * [[はなっこりー]] - 山口生まれの緑野菜。サイシン([[中国野菜]])と[[ブロッコリー]]を掛け合わせたもの。 * [[フグ]]・[[アンコウ]]・[[アジ]]・[[イカ]]など - 下関や萩・長門地区では水産業が盛んで、近海物の水揚げが多い。下関市はフグ、アンコウの水揚げが日本一で、長門市では、イカの水揚げが盛んである。また、周南市[[粭島]]はふぐ延縄漁発祥の地として知られ、名産の一つとなっている。 * [[クルマエビ]] - 山口市秋穂地区は[[クルマエビ]](車海老、車蝦)の養殖発祥の地でもある。 * 水産加工品(特に[[蒲鉾]]などの[[魚肉練り製品]]) - 萩・長門地区を中心に沿岸各地で盛ん。蒲鉾は宇部・防府でも製造。 ; 岩国・柳井地区 :* [[岩国寿司]] - [[岩国市]]などで作られる[[押し寿司]]の一種。 :* 岩国レンコン - 通常、レンコンの穴は8個だが岩国レンコンは9個。 :* [[高森牛]] - [[岩国市]]周東地域で生産される牛肉の銘柄。 ;周南・下松地区 :* [[おみくじ]] - おみくじの7割近くは[[周南市]]鹿野地区の[[女子道社]]によって奉製されている。 :* 徳山みかげ([[御影石]]) - 周南市黒髪島の特産。 ; 萩・長門地区 :* [[いとこ煮]] - [[萩市]]周辺に伝わる煮物料理。 :* [[ナツミカン|夏みかん]] - 長門市青海島が原産、萩で多く生産される。 :* [[萩焼]] - 萩・長門を中心に生産され、茶器としても有名。 :* [[見島牛]] - 萩市見島で生産される、西洋種の影響を受けていない日本古来の和牛種。年に12頭ほどしか出回らないため、幻の高級肉と呼ばれる。 ; 山口・防府地区 :* [[ういろう (菓子)|外郎]] - [[山口市]]を中心に販売。ワラビ粉を使用しているのが特徴。 :* 大内塗 - 山口市の民芸品 ; 宇部・小野田・美祢地区 :* [[宇部蒲鉾|宇部かまぼこ]] - [[宇部市]]で製造されている[[蒲鉾]]。 :* [[宇部ラーメン]] - [[宇部都市圏]]で作られている[[ラーメン]]の一種。 :* [[小野田あさり]] - 山陽小野田市周辺で捕獲される[[アサリ]]。 :* 小野茶 - 宇部市で生産されている[[日本茶]]。 :* [[大理石]]・[[石灰石]]及びその加工品 - [[美祢市]]・[[秋吉台]]周辺で産出され、[[セメント]]などに用いられる。 :* 厚保クリ - 山口県内最大の[[クリ]]の産地美祢市を中心に生産される。大粒で甘味が強く粘りがあるのが特徴。 ; 下関 :* [[辛子明太子]] - 日本最初の辛子明太子業者が下関で作られ、かつては[[下関市]]が取扱量全国第一位であった。 :* [[瓦そば]] - 下関市にある[[川棚温泉]]の名物。 :* 瓶詰ウニ - 下関発祥。 :* [[巌流焼]] - 下関市の[[土産菓子]]。 :* [[淡雪]] - 下関市の[[土産菓子]]。 :* [[小ねぎ|安岡ねぎ]] - 下関市安岡の特産小ねぎ、万能ねぎのルーツ。 :* 垢田トマト :* ふぐ提灯 - フグの皮を使って作られる提灯。 :* ふぐ凧 - フグの姿を模した凧。 == 観光 == {{Main|山口県の観光地|Category:山口県の自然景勝地}} 山口県の各市町村の年間観光客数は、山口県の統計による2019年の数値<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a16200/doutai/202006290001.html|title=令和元年山口県の宿泊者及び観光客の動向について|publisher=山口県観光政策課|date=2020-06-30|accessdate=2021-02-17}}</ref> によれば県全体で観光客数が3601.3万人、宿泊客数は大型イベントが無かったことで前年比13.6%減となり、376.2万人であった。市町村別観光客数では、[[下関市#観光スポット|下関市]]が最も多く711.3万人(前年比101.6%)、次いで[[山口市#観光|山口市]]の516万人(84.3%)、[[萩市#観光|萩市]]の451万人(99.1%)、[[岩国市#観光地|岩国市]]の322万人(102.3%)、[[長門市#観光業|長門市]]の241万人(95%)と続く。 外国人観光客数は22%減少し35.7万人、外国人宿泊客数は日韓関係の悪化により14.9%減少し10.4万人となった。構成としては[[中華人民共和国|中国本土]]8.5万人(構成比23.8%)、次いで[[韓国]]約8.3万人(23.2%)、[[台湾]]6.3万人(17.6%)、[[アメリカ]]2.5万人(6.9%)と続く。 発着地別観光客数では県内が2124.2万人(構成比59%)と最も多く、次いで[[中国地方]]421.4万人(11.7%)、[[九州地方]]及び[[沖縄地方]]395.2万人(11%)、[[関東地方]]189.4万人(5.3%)、[[近畿地方]]163.6万人(4.5%)、[[中部地方]]79.7万人(2.2%)、[[四国|四国地方]]52.5万人(1.5%)、[[北海道|北海道地方]]及び[[東北地方]]24.5万人(0.7%)であった。 季節別観光客数では[[春]](3~5月)が989.6万人(構成比27.5%)と最も多く、次いで[[夏]](6〜8月)961.2万人(26.7%)、[[秋]](9〜11月)953.5万人(26.5%)、[[冬]](12〜2月)697万人(19.4%)であった。 温泉は、[[湯田温泉]]、[[川棚温泉]]、[[長門湯本温泉|湯本温泉]]、[[俵山温泉]]など、51泉ある。そのうち、25泉は放射能泉系、9泉は単純温泉系、13泉は塩化物泉系、残り3泉はその他の泉質である。 有形文化財建造物としては、萩市の[[松下村塾]]、[[萩反射炉]]、萩城下町、[[大板山たたら製鉄遺跡]]、[[恵美須ヶ鼻造船所跡]]が[[世界遺産]]に登録(「[[明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業]]」の構成資産として)、下関市の[[功山寺]]仏殿と[[住吉神社 (下関市)|住吉神社]]本殿、山口市の[[瑠璃光寺]]五重塔が[[国宝]]に指定、[[赤間神宮]]の水天門と回廊などが[[重要無形文化財]]に、萩市の堀内地区・平安古地区・浜崎地区・[[萩市佐々並市伝統的建造物群保存地区|佐々並市地区]]、柳井市の[[柳井市古市金屋伝統的建造物群保存地区|古市金屋地区]]が[[重要伝統的建造物群保存地区]]として選定されている。 == イベント・催事 == === 過去に開催されたイベント === * 第7回[[全国植樹祭]](1956年・防府市) * [[第18回国民体育大会]](1963年・県内一円 / 開閉開式は県営陸上競技場) * 昭和61年度[[全国高等学校総合体育大会]](山口総体、1986年・山口県を中心に中国5県で開催) * 第14回[[全国豊かな海づくり大会]](1996年・[[長門市]]仙崎漁港) * [[1998年バレーボール女子世界選手権]]・予選グループB([[周南市総合スポーツセンター|徳山市総合スポーツセンター]]) * 2002年[[国際捕鯨委員会]] (IWC) 年次総会([[山口県国際総合センター|海峡メッセ下関]]) * [[国民文化祭]]・やまぐち2006(県内一円 / 開閉開式は[[山口きらら博記念公園多目的ドーム|きらら元気ドーム]]) * [[第66回国民体育大会]](おいでませ!山口国体、2011年・県内一円 / 開閉開式は[[維新百年記念公園陸上競技場]]) * [[第11回全国障害者スポーツ大会]](おいでませ!山口大会、2011年・県内一円 / 開閉開式は維新百年記念公園陸上競技場) * 第63回全国植樹祭(2012年・[[山口きらら博記念公園]]) * [[第23回世界スカウトジャンボリー]](2015年・[[きらら浜]]) * 第35回[[全国都市緑化フェア]](山口ゆめ花博、2018年・山口きらら博記念公園) === 例年開催されるイベント === * 2月 ** [[下関ふくの日まつり]]([[下関市]]) ** [[全日本実業団ハーフマラソン]]([[山口市]]) ** [[秋吉台]][[野焼き#山野の野焼き|山焼き]]([[美祢市]]) * 3月 * 4月 ** [[維新・海峡ウォーク]](下関市) ** [[錦帯橋まつり]]([[岩国市]]) ** [[コープやまぐち 生協まつり]](山口市) * 5月 ** [[岩国飛行場#基地一般公開|日米フレンドシップデー]](岩国市) ** [[青空天国いこいの広場]](山口市) ** [[新川市まつり]](宇部市) ** [[先帝祭]](下関市) ** [[しものせき海峡まつり]](下関市) ** [[普賢まつり]](光市) * 6月 * 7月 ** [[宇部市花火大会]](宇部市) ** [[徳山夏まつり]]([[周南市]]) ** [[ながと仙崎花火大会]]([[長門市]]) ** [[山口祇園祭]](山口市) * 8月 ** [[数方庭祭]](下関市) ** [[関門海峡花火大会]](下関市) ** [[金魚ちょうちん祭り]]([[柳井市]]) ** [[馬関まつり]](下関市) ** [[萩夏まつり]]([[萩市]]) ** [[山口七夕ちょうちんまつり]](山口市) ** [[油谷夏まつり]](長門市) * 9月 * 10月 ** [[岩国行波の神舞]](岩国市) ** [[UBEビエンナーレ]](宇部市) ** [[ツール・ド・しものせき]](下関市) * 11月 ** [[狐の嫁入り]](下松市) ** [[下関海響マラソン]](下関市) ** [[下関さかな祭]](下関市) ** [[リトル釜山フェスタ]](下関市) ** [[山口天神祭]](山口市) ** [[防府天満宮#祭事|防府天満宮御神幸祭]](防府市) ** [[萩時代まつり]](萩市) * 12月 ** [[周南冬のツリーまつり]](周南市) ** [[維新の里 萩城下町マラソン]](萩市) ** [[防府読売マラソン]]([[防府市]]) == 逸話 == === オーストラリアとの比較 === ==== 企画 ==== 「山口県の形状は[[オーストラリア]]と似ている」と[[山口県庁]]の[[広報|広報広聴課]]が述べたことがある<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/gyosei/koho/portal/tokushu/australia01.html |title=特集「妄想オーストラリアの旅」 山口県でオーストラリア気分を満喫!?(その1) |accessdate=2022-01-22 |publisher=[[山口県庁]] 広報広聴課 |date=2012}}</ref>。 [[2012年]](平成24年)、[[2014 FIFAワールドカップ|2014 FIFAサッカーワールドカップ]]に向けた[[2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選|アジア最終予選]]の「[[サッカー日本代表|日本代表]] 対 [[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア代表]]」戦がオーストラリアで開催されることに際して、同課は「山口県とオーストラリアの形って似てるよね!」と述べた上で、「オーストラリアへ([[観戦]]に)行けない人は、山口県でオーストラリア気分を楽しみましょう!」と、[[役所|県庁]]の[[ホームページ]]に特集記事を掲載した<ref name=":0"/>。 同課はオーストラリア(豪州)の[[名所]]を山口県の名所になぞらえ、次のように県内の[[観光地]]を紹介した<ref name=":0"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/gyosei/koho/portal/tokushu/australia02.html |title=特集「妄想オーストラリアの旅」 山口県でオーストラリア気分を満喫!?(その2) |accessdate=2022-01-22 |publisher=[[山口県庁]] 広報広聴課 |date=2012}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/gyosei/koho/portal/tokushu/australia03.html |title=特集「妄想オーストラリアの旅」 山口県でオーストラリア気分を満喫!?(その3) |accessdate=2022-01-22 |publisher=[[山口県庁]] 広報広聴課 |date=2012}}</ref>。 {| class="wikitable" |+豪州の名所と山口県の名所との比較 !豪州の名所 !豪州内の位置 !山口県の名所 !山口県内の位置 |- |[[サンコープ・スタジアム]](試合会場の[[芝]]グラウンド) |東部 |[[蜂ヶ峯総合公園]](芝生の広場がある) |東部 |- |[[シドニー・ハーバー・ブリッジ|ハーバー・ブリッジ]] |東南部 |[[錦帯橋]] |東南部 |- |[[ウルル]](エアーズロック) |中央部 |[[秋吉台]] |中央部 |- |[[バオバブ]]の木 |西部 |[[川棚のクスの森|クスの森]] |西部 |- |[[国鳥]]の[[エミュー]] | |エミュー牧場 |西部の[[蓋井島]] |- |[[グレートバリアリーフ]](世界最大の[[サンゴ礁]]) |東部沖の[[珊瑚海]] |[[ニホンアワサンゴ]]群生地 (世界最大級) |東部沖の[[屋代島|周防大島]] |- |[[ペニンシュラ温泉]] |南東部の[[メルボルン]] |[[上関海峡温泉]] |南東部の[[上関町]] |- |[[パッフィンビリー鉄道]](国内最古の[[蒸気機関車]]) | |[[SLやまぐち号]](県の象徴のひとつ) | |- |[[シドニー・オペラハウス|オペラハウス]]([[近代建築|近代建築物]]) |海沿い |[[下関市立しものせき水族館|海響館]](近代建築物) |海沿い |} ==== 反響 ==== この記事は3年後の[[2015年]](平成27年)に日本の[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]上で話題になった<ref name=":1">{{Cite news|title=「山口県とオーストラリアは似てる」 県庁公式サイトが訴える10個の共通点とは?|newspaper=[[ハフィントン・ポスト]]|date=2015-12-16|url=https://www.huffingtonpost.jp/2015/12/15/yamaguchi-australia_n_8815172.html|author=安藤健二|accessdate=2022-01-29}}</ref><ref name=":2">{{Cite news|title=山口と豪州「似てる」と話題に 県庁HPが示す「10の理由」に驚き|newspaper=[[withnews]]|date=2015-12-17|url=https://withnews.jp/article/f0151217001qq000000000000000W00o0401qq000012850A|author=若松 真平|accessdate=2022-01-29}}</ref>。『[[Twitter]]』などでは本企画を賞賛する声のほか、「山口県は[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]([[山口市]])の求心力が強くなく、[[岩国市|岩国]]・[[周南市|周南]]・[[宇部市|宇部]]・[[下関市|下関]]などの都市が割拠している。その点もオーストラリアに似ている」などの意見もみられた<ref name=":1"/>。 また、「山口県よりも[[四国]]のほうがオーストラリアと似ている」<ref name=":1"/>、「オーストラリア似といえば四国や[[神奈川県]]だと思っていた」「[[福島県]]のほうが似ている」<ref name=":2"/> といった指摘も寄せられた。さらに、福島県の観光情報メディア『[[福島TRIP]]』は、「福島県のほうがオーストラリアに似ているのでは」として同様の観光案内記事を掲載した<ref>{{Cite news|title=【福島版】山口県より似てる!?妄想オーストラリアの旅|newspaper=[[福島TRIP]]|date=2015-12-21|url=https://www.fukushimatrip.com/4488|author=臼井 翼|accessdate=2022-01-29|publisher=[[株式会社ハタフル]]}}</ref>。 2015年12月、広報広聴課の担当者は[[朝日新聞社]]の取材に対し、「当時、サッカーワールドカップ最終予選のオーストラリア戦が話題となっていたので、(中略)山口県の話題化をはかりたいと考えた」「3年前の記事なので、正直驚いている。今後とも、山口県に関心を持っていただけるように、魅力を発信していきたい」などと回答した<ref name=":2"/>。 == 山口県を舞台とした作品 == {{Main|山口県を舞台とした作品一覧}} == 山口県出身の人物 == {{Main|山口県出身の人物一覧}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == <!-- 本文記事を理解する上での補足として役立つ、関連性のある項目へのウィキ間リンク、ウィキリンク。可能なら本文内に埋め込んで下さい。 --> * [[:Category:山口県]] * [[山口県民の歌]](県民歌) * [[みんなのふるさと]](県民愛唱歌) * [[長州藩|長州]] * [[九州・山口地方]] * [[日本の地方公共団体一覧]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] * [[山口県の廃止市町村一覧]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/山口県|[[画像:Flag map of Yamaguchi Prefecture.svg|48px|Portal:日本の都道府県/山口県]]}} {{Multimedia|山口県の画像}} {{Sisterlinks|wikt=|b=|q=|s=|commons=Yamaguchi prefecture|commonscat=Yamaguchi prefecture|n=|v=no|voy=山口県|d=Q127264|species=Yamaguchi prefecture}} * {{Osmrelation|4016543}} * {{Official website}} * [https://www.oidemase.or.jp/ おいでませ山口へ] - 山口県観光連盟 {{s-start}} {{s-bef|before=[[長州藩|山口藩]]<hr>[[岩国県]]・[[清末県]]・[[豊浦県]]|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1871年]] -|years2=}} {{s-aft|after=-----|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{山口県の自治体}} {{山口県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:やまくちけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:山口県|*]]
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山梨県
山梨県(やまなしけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は甲府市。 首都圏整備法における首都圏の一角を成す。令制国の甲斐国に相当する。 南に富士山、西に赤石山脈(南アルプス)、北に八ヶ岳、東に奥秩父山地など、標高2,000 m〜3,000mを超す山々に囲まれる。島国の日本において、海に全く面しない数少ない内陸県である。山梨県の面積は全国32位であるが、その8割を山岳地が占めるため可住地面積は全国45位である。 周辺地域とは、往来が比較的容易で交通路も整備されている東京都(島嶼部を除く)、神奈川県津久井地区、長野県中・南信地方、静岡県大井川以東の三方との交流が、古くから盛んである。又、埼玉県秩父地方との境は奥秩父山塊に隔てられているが、1998年(平成10年)の国道140号雁坂トンネル開通により、山岳部の踏破だけでなく自動車やバスでの直接往来が可能となった。 「山梨」の県名は律令制下の甲斐四郡の一つである「山梨郡」に由来し、県名は1871年(明治4年)7月の廃藩置県に際して旧甲斐国一国が甲府県を経て「山梨県」に改称された。山梨郡は県庁所在である甲府が属している郡域であるが県名の改称理由は不明で、明治新政府による幕藩時代との断絶が意図されていた可能性が考えられている。「山梨郡」は本来は甲斐一国を意味する呼称ではないため、明治時代初期には新県名が浸透せず、政治団体やその機関誌などでは県域を指す地域呼称として「峡中」が用いられた。現在では「山梨」が県域全体を指す呼称として定着している。 国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、山梨県の面積は4465.27平方キロメートルである。 国土地理院地理情報 によると、山梨県の東西南北それぞれの端は以下の位置である。加えて、および県境未確定地域に仮の境界線を入れて求めた重心も併記する。また統計局の 平成22年国勢調査 によると、人口重心は笛吹市石和町小石和付近にある。 山梨県は急峻な地形であり、花崗岩が風化した脆い真砂土の堆積地も多いために、水をどのように治めるかが政治指導者の課題であった。県内各地に信玄堤と呼ばれる治水遺構が多くあるのはこの歴史的特性による。 中央高地式気候を呈しているが、山地によって隔てられる地域差も大きい。また、盆地部は夏の暑さが顕著であるが、冬は緯度や標高を考慮すると比較的温暖で朝晩の冷え込みが厳しいものの晴天が多いために日中の気温は上がりやすい。これは、周囲の標高の高い山脈によって北や西からの寒気を遮ることが多くなるためであり、関東平野と同じく寒気の流入が遅れやすい。特に、年間を通して最高気温が高くなる傾向にあり、南部町では1月を除いてすべて夏日(25度以上)の記録がある。 冬の季節風(八ヶ岳おろし)が強いが、降雪は豪雪地帯の南アルプス市(旧芦安村)と早川町を除いてわずか。また、夏は標高の割に最低気温が高くなり、6 - 8月の最低気温の月平年値は熊谷や東京など標高の低い平野部とほぼ変わらなくなる。年降水量が少なく日照時間が長いが、台風の通過経路でもあり、しばしば集中豪雨に見まわれる。その為、沼地の多い中巨摩地域では、舟を所有していた家も多かった。山麓地域では盆地部より気温が冷涼かつ1日の気温差が大きく、降水量も多い。このため、盆地周縁では冷涼な気候に向いた葡萄の栽培が盛んである。 植物相は盆地部で落葉広葉樹林、山岳部では亜高山・高山帯の植生。また、富士川下流域の河内地方は温暖多雨であり太平洋側気候にかなり近く、潜在自然植生で常緑広葉樹林。 富士山の山頂は最暖月平均気温が6.0°Cでケッペンの気候区分ではツンドラ気候となっている。また、清里のある八ヶ岳山麓、青木ヶ原樹海や富士五湖周辺の富士山北麓などの標高1,000mを超える高原地域は亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属し、冬の寒さは非常に厳しく厳寒期には-20度を下回るが、夏は冷涼で避暑地となるなど北海道に似た気候である。 日本全体の地理上では、箱根峠より西の内陸に位置する為、東日本に分類される。 県全体が中央高地の東寄りにあるため、明治以来の日本を八つの地方(北海道地方、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州)に分ける全国八地方区分では中部地方に位置付けられる。 一方で行政や経済、県民生活などでは関東地方ないし広域関東圏の一部という面が強い。中部圏知事会のメンバーではなく、関東地方知事会に参加しており、首都圏整備法の対象地域でもある。知事会議でも山梨県は中部地方の会議には参加せず、関東地方の会議にのみ参加している。 政府機関でも以下のように、山梨県はおおむね関東の出先機関管轄とされている。 文化・スポーツ面では、国民体育大会で山梨県が関東ブロックに属しているほか、学生陸上競技の地方大会である箱根駅伝に山梨県所在の大学が参加するなど、関東地方の一部として扱われる例が多い。 公益企業を含む民間ビジネスなどの分野でも、県内を通るJR線のうち中央本線が東日本旅客鉄道(JR東日本)の八王子支社の管轄であったり、神奈川県と共に日本郵便は南関東支社の管轄、電話はNTT東日本の管轄、総合スーパーなどを営むイオンリテールは南関東カンパニーの管轄であるなど、関東地域の営業部署の管轄エリアであることが多い。 山梨県の公式見解でも、関東地方と中部地方との両方に属することが明確にされている。 山梨県は、同じように中部地方東側で、関東圏と関わりが深い他県とまとめた地方として扱われることがある。山梨県と静岡県(東側が旧駿河国)を併称する場合は山静(さんせい、やましず)や甲駿(こうすん)という。山梨県と長野県(旧信濃国)を併称する場合は甲信(こうしん)、さらに新潟県(旧越後国)を加えて甲信越(こうしんえつ)という。 東京都 - 神奈川県 - 埼玉県 - 静岡県 - 長野県 山梨県南都留郡山中湖村と静岡県駿東郡小山町の籠坂峠付近と山梨県南都留郡鳴沢村及び富士吉田市と静岡県富士宮市及び駿東郡小山町の富士山山頂付近(県境)には2ヶ所未定区間がある。御殿場市は、小山町の間に境界未定部分が有るため、富士吉田市及び鳴沢村と接する可能性もある。 自治体は、以下の13市5郡8町6村がある。町の読み方は富士河口湖町だけが「まち」で、他は全て「ちょう」、村は全て「むら」である。 県域は、中西部の甲府盆地を中心とする国中(くになか)と、東部の相模川と多摩川の上流域および富士山北麓からなる郡内(ぐんない)に大別される。両者は方言(郡内は関東地方との結び付きが国中よりも高いため、西関東方言に分類)など、自然や文化においても大きく異なっている。 国中地方はさらに、甲斐を意味する「峡」(きょう)の後に方角を示す語をつけて「峡中」「峡北」「峡東」「峡南」「峡西」に分けられる。 「国中」「郡内」は、戦国時代以来の呼称。「中西部」「東部富士五湖」は気象情報で用いられている。郡名は古来用いられてきたもの。「峡○」は、県の出先機関である地域振興局の区分となっている(この四つの他、東部・富士北麓地域振興局がある)。国中地方は東海地方の文化圏であるのに対し、郡内地方は関東地方の文化圏となっている。方言も国中弁と郡内弁で異なる。 甲府盆地では釜無川、笛吹川の氾濫原が広がっている。郡内地方では富士山の火山活動による影響も受け、定住が困難な時代が続いていた。 旧石器時代の遺跡は長野県との八ヶ岳山麓や静岡県の愛鷹山・箱根山など隣接する文化圏に属する地域や桂川流域を中心に分布する。最古の一杯窪遺跡(都留市)や立石遺跡(甲府市)をはじめ、八ヶ岳山麓の丘の公園内遺跡群(北杜市)や神津島産の黒曜石が出土した横針前久保遺跡(北杜市)、長野県産の黒曜石が発見された天神堂遺跡などが代表的で、周辺地域に比べ密度は低いものの、周辺地域との人的移動を示す資料が発掘されている。 縄文時代草創期から前期には引き続き湧水が利用できる山麓部や富士北麓などに遺跡が分布し、後期旧石器時代から縄文草創期への移行期にあたる神取遺跡(北杜市)や関東文化圏の影響が見られる池之元遺跡(富士吉田市)が出現する。中期には盆地にも進出し、大規模な集落遺跡である釈迦堂遺跡群(笛吹市、甲州市)や重要文化財に指定されている精巧な土器の出土した一の沢遺跡、豊富な生活遺物が出土している花鳥山遺跡などが出現し、縄文農耕論にも一石を投じた有孔鍔付土器など考古学史上注目されている遺物も出土している。また、盆地西部の西郡地域は釜無川の氾濫原であり考古遺跡は乏しいが、近年では精巧な土器や土偶が出土した鋳物師屋遺跡が発掘され、注目されている。 後晩期には地球的な寒冷化の影響を受けて遺跡数が減少するものの、石組や配石遺構など祭祀施設であると考えられている八ヶ岳南麓の金生遺跡(北杜市)や牛石遺跡(都留市)などが出現する。また、郡内地方の桂川流域では関東地方との交流が見られる遺物が出土している。 弥生時代には身洗沢遺跡や金の尾遺跡などの集落遺跡があり、宮の前遺跡(韮崎市)では水田が確認されている。盆地南西部の曽根丘陵では東海地方経由で弥生文化が流入し、方形周溝墓が見られる上の平遺跡など古墳時代に至る遺跡がある。 古墳時代の4世紀後半には畿内で確立したヤマト王権と政治的接触を持っていたと考えられている。曽根丘陵では4世紀前半の前方後方墳である小平沢古墳をはじめ、4世紀後半には最大規模の甲斐銚子塚古墳や岡銚子塚古墳などの有力首長クラスの前方後円墳が出現し、三角縁神獣鏡などの副葬品も出土している。5世紀には中道勢力が衰退し、古墳の造営は盆地各地へ拡散する。 『国造本紀』などによると景行天皇の時代に狭穂彦王の四世孫の塩海足尼が甲斐国造に任命されたと伝わる。古代には律令制下において甲斐国が成立する。『日本後紀』延暦16年条によれば甲斐東部の都留郡の帰属をめぐって隣接する相模国との間で争論があったという。甲斐国は五畿七道では東海道に属し、山梨・八代・巨摩・都留の甲斐四郡が成立。郡郷は『和名類聚抄』に31郷が記載されている。山梨・八代両郡は古代甲斐国の政治的中心地で、国府は山梨郡笛吹市春日居町に前期国府が存在し、八代郡の笛吹市御坂町に移転されたと考えられている。官道は東海道横走宿から分岐して都留郡を経て、甲府盆地に入り甲斐国府に至る甲斐路が存在していた。四郡のうち甲斐西部の巨摩郡は渡来人の入植により成立した郡であると考えられている。 一方、『古事記』『日本書紀』(記紀)に記される日本神話においてはヤマトタケル(倭建命、日本武尊)の東征において足柄山から甲斐へ入り、酒折宮(甲府市酒折)において老人と歌を交わす説話が残されている。記紀に載る日本神話には両書が成立した奈良時代の歴史認識が反映されているものと考えられているが、考古学的にも甲斐においては古墳後期の4世紀後半代から畿内の影響下にあったとみられ、酒折宮伝承にもヤマト王権と甲斐の在地豪族との関係が反映されているものと考えられている。足柄山から甲斐国へ至ったヤマトタケルの遠征ルートは古代の交通体系を明らかにする上でも注目されている。 また、『続日本紀』においては甲斐国司の田辺史広足が黒毛の駿馬を朝廷に献上したという「甲斐の黒駒」に関する説話が記されている。『延喜式』によれば東国では甲斐をはじめ信濃・上野・武蔵の四国に御牧が設置され馬産が行われていたことが記されている。駿河国正税帳や長屋王家木簡などの出土文字資料からも朝廷への貢馬が確認されている。『延喜式』によれば甲斐には穂坂牧、真衣野牧柏前牧の三御牧が設置されていたという。 平安時代には市河荘や八代荘などの荘園が成立し、国府所在地である甲府盆地東部では在庁官人である三枝氏が八代荘を勢力基盤とした。『長寛勘文』によれば応保2年(1162年)には三枝氏に打撃を与えた八代荘停廃事件が発生している。 平安時代後期には常陸国から源義清、源清光が市河荘に配流された。義清、清光の子孫は甲府盆地の各地へ土着し、後に甲斐源氏となる。 平安時代後期の治承4年(1180年)、以仁王の令旨が諸国の源氏に下されると甲斐源氏の一族も平氏政権に対して挙兵する。甲斐源氏の一族は伊豆国の源頼朝の挙兵と協調し、富士川の戦いなど治承・寿永の乱において活躍する。乱後、甲斐源氏の棟梁となった武田氏は甲斐国の守護となるが、甲斐源氏の一族は源頼朝の粛清を受け、衰退する。武田氏は中世には必ずしも甲斐守護を歴任していない。鎌倉幕府滅亡後に北条時行ら北条氏の残党が起こした中先代の乱までは北条方に属し、南北朝時代には建武政権から離反した足利尊氏に従った。 室町時代には、室町幕府と鎌倉府の対立や、鎌倉府における鎌倉公方と関東管領の対立など関東地方の騒乱の影響を受ける。応永23年(1416年)、鎌倉公方の足利持氏に対し、前関東管領の上杉禅秀が挙兵した上杉禅秀の乱では、甲斐守護・武田信満が禅秀方に加担し、滅亡する。これにより甲斐は守護不在状態となり、足利持氏は甲斐国人の逸見有直を支持して室町幕府に対抗した。一方、室町幕府は武田信元、続いて武田信重を甲斐守護に任じ、守護代として跡部氏を派遣した。以後、甲斐では守護武田氏と有力国人や跡部氏との抗争が続く。 守護・武田信昌は寛正5年(1464年)には跡部氏を排斥する。信昌は嫡男の信縄に家督を譲り、いったん隠居した。後に次男の油川信恵に家督を譲る意向を示し、信縄と信恵間の内訌が生じる。信縄の子・武田信虎は永正5年(1508年)に信恵方を滅ぼし、国中地方の有力国人や都留郡(郡内地方)の国衆・小山田氏など従属させる。さらに信虎は駿河国の今川氏や信濃諏訪氏、扇谷上杉家・山内上杉家と同盟を結び、相模の後北条氏と敵対しつつ、信濃侵攻を開始した(「佐久攻め」を参照)。また、信虎は従来の川田館(甲府市川田町)から甲府の躑躅ヶ崎館(甲府市古府中町)に守護館を移転し、新たに城下町を整備し家臣団を集住させる。 都留郡では小山田氏が武田氏に臣従しつつも、中津森館、後に谷村館を本拠とした独自の領域支配を行った。河内領では穴山氏が同様に武田家臣となりつつ、下山館を本拠とした領域支配を行った。 信虎の子・武田晴信(信玄)は天文10年(1541年)に信虎を駿河へ追放することで家督を継承する。晴信は信虎の外交方針を転換し、信濃諏訪氏を滅ぼして諏訪郡を領国化する。さらに相模国の後北条氏と和睦を結ぶと、今川・北条間の河東の乱を調停し、三者の間で甲相駿三国同盟を成立させる。一方、信濃侵攻により山内上杉氏とは敵対する関係となり、信濃村上氏ら信濃国衆や越後国の長尾景虎(上杉謙信)と川中島の戦いを繰り広げる。 信濃をほぼ統一した後は西上野や今川領国への侵攻を行い、三河北部や遠江東部・北部、美濃恵那郡も出兵して、織田信長や徳川家康と対抗した。また、信玄期に確立した大名権力により独自の領国支配が展開された。年貢収入を調査する検地の実施や棟別諸役の整備や信玄堤の築造するなど治水政策が百姓への農業政策となった。躑躅ヶ崎館を中心とする甲府の城下町の整備が行われて、黒川金山や湯之奥金山など近世まで稼働した甲州金山の開発など商業活性化する領国経営事業が行われている。 信玄死去により家督を継いだ武田勝頼は長篠の戦いに敗れて領国の動揺を招き、天正10年(1582年)3月、織田信長・徳川家康連合軍による甲州征伐で戦国大名としての武田氏は滅亡した。また、勝頼から離反した郡内領主の小山田信茂は織田氏に出仕するが処刑され、郡内領主としての小山田氏も滅亡する。 武田氏滅亡後、甲斐一国と信濃諏訪郡は織田家臣の河尻秀隆が支配するが、同年6月の本能寺の変により発生した一揆で秀隆は横死。武田遺領を巡る天正壬午の乱では徳川家康と相模国の北条氏直が甲斐へ侵攻して八ヶ岳南麓・七里岩地域において対峙するも、同年10月の徳川・北条同盟の成立により後北条氏は撤兵。甲斐は徳川氏が領した。 その後、家康は豊臣秀吉に帰服。後北条氏滅亡後の天正18年(1590年)に関東へ移封され、甲斐国には浅野長政ら豊臣大名が入った。豊臣政権下で甲斐は東国の家康に対する拠点として重視され、新たに甲府城が築城されて新城下町が整備され、甲斐国内の検地も行われた。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後には、勝利した徳川家康が主導して大名の全国的な再配置が行われた。甲斐では浅野氏が和歌山へ移封され、再び徳川氏による直轄支配が行われた。甲斐国は関東防衛の要所として重視され、江戸時代初期、国中には将軍直系(甲府藩)、郡内には譜代大名(谷村藩)が配置された。甲府藩には甲府徳川家が入封し、藩政機構が整えられた。宝永元年(1704年)に綱豊(徳川家宣)が将軍後継になると、川越藩主柳沢吉保が受封し、吉保の子吉里は甲府藩主で初めて国元へ入っている。ほか、甲斐には旗本領も存在していた。 享保の改革においては江戸幕府直轄領の整備が行われ、享保9年(1724年)に吉里が大和郡山藩に転封されると甲斐は幕府直轄領化され、谷村藩も秋元氏の転封後は直轄領化された。甲府町方は甲府勤番、在方は甲府代官所をはじめとする三分代官による支配となり、郡内は石和代官所の出張陣屋である谷村代官所が設置された。延享3年(1746年)には御三卿の賄領がおかれ、うち田安家領のみは幕末まで存続した。 近世甲斐は甲府城下町、谷村城下町の城下町のほか在郷町や身延山久遠寺の門前町や富士北麓の吉田・川口の御師町など都市や町場が発達。、甲州街道や駿州往還、佐久往還、青梅往還をはじめとする諸街道が整備された。江戸初期には角倉了以による富士川の開削工事が行われて富士川舟運や中馬による陸上輸送が発展し、江戸後期には甲斐・信濃の年貢米の廻米輸送が行われた。 近世には領主権力の確立により治水や用水路の開削が行われ、釜無川・御勅使川の治水や徳島堰の開削、郡内での谷村大堰や新倉掘抜の開削などが行われ、甲府城下でも甲府上水が整備される。治水の進捗に伴い在方では新田開発が進み、養蚕や織物など産業が発達した。甲府盆地では一般に米麦栽培に商品作物の栽培、農閑期の行商や大工などの農間余業を組み合わせた生業形態が一般的であった。山地が多い甲斐の山村では、林業や狩猟、製炭や漆採取、鉱山経営などの山の生業が発達し、特に郡内では平坦地が少ないため織物の生産や街道沿いでの駄賃稼ぎの占める割合が高い。こうした生業的特徴から甲斐では水利を巡る水論や山の用益を巡る山論が多発している。 また、甲斐では金納税制である大小切税法や甲州金・甲州枡の甲州三方が独自の国制として存在し、領主側の廃止や改正に対して領民は存置を求め抵抗している。また、領主側との衝突や災害・凶作などに伴う百姓一揆も発生し、米倉騒動や太枡騒動、江戸後期には郡内に発する百姓一揆から無宿・悪党を巻き込み一国規模の騒動となった天保騒動など大規模な百姓一揆も発生した。 文化面では甲府城下町の発達により遊芸文化が興隆し、甲府藩時代には大名文化、江戸後期には町人文化が発達する。甲府勤番・勤番士は学問的関心を持ち、甲斐国の総合地誌である『甲斐国志』の編纂や勤番士による『裏見寒話』など地誌の編纂が行われ、勤番士の学問所である徽典館も開かれた。甲府では町人亀屋与兵衛が芝居小屋である亀屋座を開業し、歌舞伎や相撲、人形浄瑠璃などの諸芸興行を行い、1841年(天保12年)には甲府町人が江戸の人気浮世絵師である歌川広重を招き、城下の大通りを広重ら人気浮世絵師の幕絵で飾る甲府道祖神祭礼を創始した。ほか、俳諧や和算なども発達する。 また、武田信玄は近世から甲斐領民の尊崇を集め、武田氏館跡や墓所、武田氏に関係する寺社などが古跡として成立した。近世には軍学書である『甲陽軍鑑』が成立し、関係書を含めて武家・庶民の間でも広く読まれ影響力を及ぼし、武田家に関する文学や浮世絵なども製作された。 江戸後期は東国に特徴的な農村の荒廃から無宿・博徒が増加し、竹居安五郎や黒駒勝蔵など甲州博徒が台頭した。幕末の開国#日本の開国により横浜港が開港されると、甲州屋忠右衛門・若尾逸平ら在方商人が甲州産物を移出して富を築いた。若尾逸平は甲府において製糸業に着手して新興商人として台頭し、明治時代には甲州財閥を形成する。 慶応4年(明治元年、1868年)3月、甲府城へ入った新政府の板垣退助率いる甲州街道軍と、近藤勇率いる旧幕府軍の甲陽鎮撫隊(新選組)が勝沼(甲州市の一部)大善寺で激突した(甲州勝沼の戦い)。旧幕府軍は駆逐され、甲州鎮撫府が設置された。 同年10月19日(旧暦9月4日)、甲斐国内に府中県(県庁所在地は山梨郡甲府)、市川県、石和県が設置され、12月11日(旧暦10月28日)にこれら3県を統合して甲斐府が設置された。明治2年(1869年)8月27日(旧暦7月20日)、「府」の呼称が京都府・東京府・大阪府に限定されたことから、甲斐府は甲府県と改称した。 明治3年(1870年)5月に田安領を併合し、明治4年(1871年)8月29日(旧暦7月14日)の廃藩置県後も甲府県は存続したが、同年10月末(旧暦)に始まる第1次府県統合により、旧韮山代官所を引き継いだ韮山県の甲斐国内管轄区域などを統合して、12月31日(旧暦11月20日)に甲斐国全域を管轄区域とする山梨県が発足した。県庁所在地は引き続き山梨郡甲府、初代県令には土肥実匡が任ぜられた。1873年(明治6年)に着任した藤村紫朗の殖産興業政策により、製糸業の勧業や道路、金融機関の整備が行われた。特に青梅街道の改築など道路整備を推し進めたことから、藤村は「道路県令」とも呼ばれている。 1909年(明治42年)には陸軍甲府連隊(歩兵第49連隊)が設置された。太平洋戦争中には疎開地でもあったが、1945年(昭和20年)7月には甲府空襲に遭い、市街は灰燼と帰した。 また、明治時代には、1882年、1885年、1907年、1910年と大水害に見舞われ、大きな被害を受けた。これには、地形的理由だけでなく、林野の強権的官有化による里山の荒廃や急激な開発という人為的理由も一因した。1873年の地租改正後、林野の官民有区分が行なわれ、県下の入会林野の99%以上が1881年に官有とされ、1889年には皇室財産となった。これにより地元民は草木採取に際し面倒な手続きを強いられることとなり、盗伐や山火事が頻発して里山の荒廃に繋がった。さらに、明治期日本の主要産品である絹織物生産のために蚕の餌となる桑畑の開墾や、薪炭材調達を目的として山林が徹底的に伐採された。こうしたことが大災害に繋がったとして、1911年に御料林は県に無償返還されて恩賜県有林となり、入会権などは官有前に戻された。 ※日本の占領時代については「連合国軍占領下の日本」を参照。 終戦後、1945年(昭和20年)9月にはアメリカ陸軍第8軍の部隊が甲府へ進駐。年末には戦闘部隊は引き上げ、少数の山梨県軍政部が県庁周辺の洋風建築を接収して県内の監視を行う。県内人口は復員兵や疎開者の帰還で増加し、戦時期の山林荒廃から災害被害もあり食糧事情は悪化。当局により、新潟 県からの移入米の配給や米軍の食糧放出など対策を講じるが食糧難はしばらく続き、ヤミ米が流通した。 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による改革を受け、県内でも政党活動や新聞の発行などが再開される。1946年(昭和21年)には内務省官僚による地方支配に代わり公選知事が導入され、1947年(昭和22年)の第一回県知事選では保守派合同の推薦で吉江勝保が当選し、初代公選知事となる。吉江は1948年(昭和23年)2月に食料増産や山林復旧など10大政策を掲げたものの、財政難などの制約もあり産業基盤の復興もままならず、社会福祉制度も構想のみに留まった。 1951年(昭和26年)の知事選では民主党代議士天野久が擁立され、吉江知事を破り当選。天野「富める山梨」を掲げ、利水に乏しい甲府盆地西部の御勅使川扇状地を開発する野呂川総合開発に着手し、計画は国の援助を受け上水道や県営発電所の建設が行われた。また、新笹子トンネル建設による幹線道路の整備は高度経済成長期とも重なり、果樹農業や観光の振興にも繋がった。一方で、天野県政期には開発による災害があり、北富士演習場問題が発生する。1959年と1966年に山梨県は台風により大規模な被害を受けるが、戦時中の治山治水事業の停滞と戦後の乱開発が被害拡大を招いたとされる。 1967年(昭和42年)に天野知事を破り3代知事となった田辺国男は「健康山梨」を掲げ、一村一工場誘致を方針に工業団地造成や幹線道路整備を行う一方で、開発により環境破壊が顕著となっていたため環境保護にも配慮したグリーン・プランを提唱する。一方で連峰スカイライン構想を具体化させると批判が相次ぎ、北富士演習場問題の膠着やオイルショックの影響による不況も重なって巨大開発構想は断念された。文化事業では、1978年(昭和53年)にはフランスの画家ミレーの『種をまく人』を2億円で落札・購入した山梨県立美術館を創設。 田辺県政は日本経済の好景気化も受け4期目を目指したが、中央政界で前天野知事を支持した自民党政治家金丸信が影響力を強めると県議会においても金丸派が最大派閥となり、これに社会党県連が4選阻止のため提携し、副知事の望月幸明を擁立。1979年(昭和54年)の県知事選では田辺知事を破り、望月が当選した。望月県政は金丸信の後見を受けて県議会でのオール与党体制を確立し、北富士演習場問題の小康やバブル景気の後押しを受け、1986年(昭和61年)のかいじ国体の開催や県有林の高度活用、リゾート施設の造成、リニア実験線の誘致などを勧めた。 1965年(昭和40年)までに県内の中央本線が複線・電化され、1982年(昭和57年)には中央自動車道が全線開通。また石和温泉や富士五湖、清里などの観光地が整備され、首都圏から日帰り短期旅行できる観光地としても発展した。 望月知事が4選を断念し、1992年(平成4年)に望月県政を批判して金丸派候補を破り当選した天野建知事(父は上記の天野久)は財政難の中公共工事の見直しを行いつつ環境行政を重視する「幸住県やまなし」事業を実施。山梨県立博物館の建設推進や排水路整備の推進をおこない、1996年(平成8年)には長年県民を苦しめてきた日本住血吸虫(地方病)の終息宣言を行う。 天野知事の後、2003年(平成15年)からは前甲府市長山本栄彦が知事に就任。バブル崩壊後手付かずだった甲府駅北口の整備や中部横断自動車道の増穂IC以南の着工を推進。しかし県政の混乱が発生し、2007年(平成19年)の選挙で横内正明に敗れ、山本県政は1期で終焉した。横内県政では、甲府市中心部の再開発や「トップセールス」として山梨県の特産物の海外展開を行なう。この間、世界金融危機や東日本大震災が発生し、特に山梨の景況感は冷え込み全国最下位が続いていた。2期続いた横内から2015年(平成27年)に県政を引き継いだ後藤斎は人口減対策などの政策を打ち出したが、政策の修正や見直しを迫られるなどし、2019年(平成31年)の選挙で長崎幸太郎に敗れている。 2003年(平成15年)より平成の大合併が行われ、64あった市町村が27(2010年(平成22年)3月時点)まで集約された。 山梨県内 市別人口ランキング 衆議院の小選挙区は2013年の区割り改正で、3から2に減少。参議院では、全県で1区を構成。 山梨県は中央高地式気候のため寒暖の差が大きく、農業に適した地域は甲府盆地を中心に水捌けの良い平坦地である。江戸時代には治水・用水路開発のにより新田開発が行われ農業生産力は向上したが、養蚕や果樹などの商品作物栽培を複合させた形態の農業を発達していた。 養蚕は明治初期の殖産興業において特に力を入れられ日本有数の養蚕県であったが、化学繊維の台頭などにより昭和30年代をピークに養蚕の減少と、果樹栽培の増加に転じている。桑畑から果樹園への転換による景観的変化や、年中行事など生活・文化面の変化をもたらしている。 戦後の高度経済成長期において日本経済は農業の比重を低下させているが、工業の立ち後れていた山梨経済においても農業の役割は低下し、農家数や耕地面積は減少している。一方で経済成長により生じた国民生活の変化に対応して農業の形態を変化させており、国民の食生活が変化したことにより葡萄や桃、サクランボなどの果樹栽培の需要が高まった。山梨県産葡萄から醸造する「甲州ワイン」は、近代国産ワインの先駆けである。2019年8月7日には山梨「ワイン県」宣言を行った。 また、首都圏や中京圏から近い地理的条件を活かして観光農園として観光客を集めているところも多い。 1980年代から1990年代にかけては果樹栽培への移行と農業の減退の傾向はさらに加速し、農業を主とする第一種兼業農家から農業を従とする第二種兼業農家への移行を示している。これに伴い中山間地域を中心に高齢化や農業後継者不足、過疎などが顕在化し、近年の課題となっている。 また、ミネラルウォーターの生産量は52万9388キロリットル(2004年(平成16年))であり、日本の総生産量の40%を占める。山がちな地形であることから帯水層の露出が多く、都市化が進んでいないため清澄な湧水が多く採取できる上、主要な消費地の東京圏に近く輸送コストが小さいため、大手メーカーの多くが採取地に山梨県を選んでいる。主な産地は南アルプス山麓と富士山および三ツ峠山麓である。 江戸時代後期から近代・昭和戦後期まで養蚕・製糸業が盛んであったが、戦後は斜陽化し、現在は衰退している。また海や大河がなく大量の水を使うことが難しく、また戦後しばらくまでは交通機関が未整備であったため鉄鋼・金属などの重工業が発展しにくい土地である。その一方で四方を山地に囲まれ水質が良好であることから、戦後の中央自動車道の全線開通以降、長野県の諏訪地域とともに精密機械産業が発達している。その他には石英(水晶)の採掘地であったことから、研磨宝飾を中心とした宝石加工産業が発達している。2018年時点でも、宝飾品や貴金属の加工・流通に携わる企業が1000社近くある。 甲府盆地および富士山麓地域を中心にほぼ全地域に工業団地が点在しているが、可住地面積の少なさが災いしてか大規模な工業団地が形成しにくい。そのためバブル崩壊から2010年代までは県外のより広大な工業団地や海外進出のため撤退・閉鎖する企業・施設が相次いでいた。しかし2021年に中部横断自動車道の南部区間が全通すると、回帰や新たに進出する企業が相次いでいる。 富士川など高低差のある河川を利用して戦前より水力発電所が建てられ、戦後は山梨県を管轄する東京電力だけでなく山梨県企業局による水力発電所も建てられた。企業局で発電された電気は東京電力ホールディングスに売却され、これが山梨県の財政の助けになっている。また、日照時間の長さを利用した太陽光発電も建てられ、米倉山太陽光発電所ややまなしメガソーラーなど10MWクラスの発電所が稼働している。山梨にある発電所は水力と太陽光が大半を占めており、火力発電所や原子力発電所は皆無である。 県庁所在地の甲府は近世の甲府城下町が商業的拠点として発達し、明治後に中央本線が開通すると甲府駅が開業し、山梨県庁舎をはじめ岡島百貨店や甲府松菱(後の山交百貨店)、中込百貨店(後の甲府西武)などが駅前に軒を連ね、戦後復興期までは甲府駅を中心に発展していった。しかし高度経済成長を迎えると県内でもモータリゼーションが進行し、並行して公共交通機関が衰退した。旧城下町である甲府は道幅が狭く、渋滞が顕著になった甲府駅前を避ける傾向が強まり、代わりに高速道路やバイパス道路が整備された郊外に大型商業施設が次々と進出したため、1990年代よりドーナツ化現象が進行し、甲府西武やトポス甲府店の閉店が相次いだ。また中央本線の高速化や高速バスの発展により県外へのストロー効果が起こり、山梨県の商業そのものに影響を与えている。 2000年代以降は顕著となり、郊外は2000年にオープンしたイトーヨーカドー甲府昭和店を皮切りに2009年にラザウォーク甲斐双葉、2011年にイオンモール甲府昭和など大型店が誕生したのに対し、甲府をはじめとした駅前の店舗は衰退。2004年にイトーヨーカドー韮崎店、2005年にイトーヨーカドー富士吉田店、2006年に塩山ショッピングセンターシルクなど甲府以外の駅前店舗が相次いで閉店。甲府も2014年にグランパークが閉鎖したのをはじめ、2019年には山交百貨店が閉店。そして2023年には岡島百貨店が規模を縮小のうえココリへ移転するなど、それまでの中心部の店舗閉店が止まらない状況となっている。但しこれらの閉店・閉鎖された大型店舗は代替店舗の進出や公共施設になることが早く、山交百貨店跡地は2021年よりヨドバシ甲府としてオープンし、事業失敗で早期閉鎖された南アルプス完熟農園跡地には2024年よりコストコが進出することが決定している。 甲府中央商店街を中心とした既存商店街の大型店の反対運動が根強く、総務省が発表した「経済センサス‐基礎調査」によると百貨店・総合スーパーの人口10万人当たり店舗数は0.71軒と、全国ワーストとなっている。一方で大型店舗の少なさを補うかのようにコンビニが多く、人口10万人あたりのコンビニ店舗数は北海道に次いで全国2位、1人あたりのコンビニ購入額も全国上位3位に入っている。 外食産業の店舗数が多いことが特徴で、人口当たりで寿司屋、ガスト、バーミヤン、モスバーガーの店舗数は全国1位である。特に海が隣接していないのにもかかわらず寿司屋が多く、甲府市の中心部では100mあたり5、6店舗が並ぶところがある。山梨に寿司屋が多い理由として昔からの「海に対するあこがれ」や、元々祝いの席で必ず食べるものがなく、その代わりとして寿司が祝いの席の食べ物として出されるようになったことなどが挙げられている。 温泉・宿泊施設として古くから湯村温泉や下部温泉があり、戦後は石和温泉が沸出するなど旅館系施設が発展したが、バブル崩壊後はこれらの温泉街は衰退している。代わりに21世紀になると甲府中心部に県外資本のホテルが進出し、2010年代になるとインバウンド消費の増大と富士山周辺の世界遺産登録により富士五湖周辺の宿泊施設が増えている。 山梨県内に空港は存在せず、隣接都県で旅客扱いを行う空港としては、信州まつもと空港(長野県)や羽田空港(東京都)、富士山静岡空港(静岡県)がある。 羽田空港や成田空港(千葉県)へは甲府駅および富士山駅・河口湖駅から、富士山静岡空港へは河口湖駅から空港連絡バスが運行しており、直接空港へ向かう公共交通機関が存在する。一方で信州まつもと空港へ直接アクセスできる交通機関はなく、松本駅で乗り継ぐ必要がある。なお、富士山静岡空港については中部横断自動車道の進捗次第で甲府駅からも空港連絡バスを運行する計画がある。 小海線を除いて、電化されている。 なお、2015年3月14日に北陸新幹線の長野駅(長野県)- 金沢駅(石川県)間が開業したことで、中部地方の県で新幹線の路線が乗り入れていないのは山梨県と福井県のみとなった。 ※全国で2番目にバス利用者が少ない 戦前には『山梨日日新聞』(以下は山日と表記)、『山梨毎日新聞』はじめ6紙が発行されていたが、第二次世界大戦中の新聞統制によって県内の諸紙は山日に統合される。戦後には数紙が創刊され、昭和40年代まで富士急行が大株主である『山梨時事新報』(山時)が山日と部数を競った。1969年(昭和44年)に富士急行が所有株式を売却すると山時は山日に吸収され、現在は、全国紙を除いて日刊紙は山日のみの状態となっている。全国紙は東京版が販売されており、県内ニュースを載せるページ(地方版・県版)を設けている新聞が多い。 NHKのテレビ放送は1953年(昭和28年)に開始された。地理的条件のため、当初は受信契約数は少なく、NHK甲府放送局が1959年(昭和34年)に中継送信所を設置して以降から普及した。民間放送ではラジオ山梨が1959年(昭和34年)12月に送信所を設置してテレビ局を開設し、山梨放送(YBS、NNN/NNS系列)が開局。1968年(昭和43年)にUHF(極超短波放送)電波が割り当てられると、免許申請は一本化されて「山梨中央テレビ」として取得し、翌1969年(昭和44年)5月には株式会社テレビ山梨(UTY、JNN系列)が発足。そのため、民間テレビ放送局は2局しか無い。 山梨県は首都圏に属してながら、在京キー局の電波が郡内の一部を除き届かず、YBSとUTYの2局しか民間放送がない状態が長く続いている。そのため、ケーブルテレビに加入して、NNN系列のYBSとJNN系列のUTYに加えて、テレビ朝日、テレビ東京、フジテレビの番組を視聴する世帯が多い(2012年時点で約160,000世帯)。 山梨県の地上波テレビ・FMラジオの県域放送の親局及びYBSラジオのFM補完中継局のメイン送信所は、いずれも坊ヶ峰に設けられている。 ※本県は全国の都道府県で唯一、全国FM放送協議会(JFN)加盟の民放FM局がradikoの基本サービスで聴取不可。電波受信では、TOKYO FM、K-mix、FM長野が一部地域で受信可能。 ※本県のコミュニティFM局は全局がミュージックバードの配信局。ネット配信では全局がJCBAインターネットサイマルラジオに参加している。 山梨県の有料ケーブルテレビ(自主放送)の世帯普及率は、2012年(平成24年)1月時点で86%と、全国第1位である。共同アンテナ受信なども含めると93%を数える。ただし山梨県のケーブルテレビ局は、他の都道府県と用途が異なり、不足するテレ朝系、テレ東系、フジテレビ系の補完放送が第一であるため、標準契約で視聴できる放送は地上波のみである。 地上波の構成は、NHK甲府+地元民放2局と、テレビ朝日・テレビ東京・フジテレビ+独立局が基本である。かつてはBSアナログ放送も視聴できた。STBやCS放送は、別途オプション契約となる。 山梨県と米国アイオワ州は、1959年(昭和34年)の台風7号と伊勢湾台風の2つの台風による災害 に対して、アイオワ州から見舞いとして農畜産物を贈られたことから姉妹締結した。 ここでは「物語の主要舞台が山梨県」「核心部分の舞台が山梨県」「主要舞台が山梨県を参考にしている」作品のみを記載する。 その他、東京に比較的近く交通至便のため、上記の作品以外においても(特に低予算のピンク映画やオリジナルビデオなどで)ロケ地として用いられる事が多い。 映画同様東京に比較的近いという理由からロケ地撮影されるドラマが多い。 山梨県名誉県民の称号は、2015年(平成27年)12月10日に制定された山梨県名誉県民条例(平成15年12月10日山梨県条例第45号)に基づき、「社会の発展に卓絶した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「社会福祉の向上、文化の振興その他の社会の発展に広く貢献した者で、県内に居住し、又は居住していたもの」であり、山梨県知事が山梨県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)。名誉県民に選定された者には、山梨県名誉県民称号記及び山梨県名誉県民章が贈呈される(条例第3条)。山梨県出身者でノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智を顕彰するために急遽制度が創設されたものである。 山梨県県民栄誉賞は、1988年(昭和63年)3月11日に制定された山梨県県民栄誉賞表彰規則(昭和63年3月11日山梨県規則第4号)に基づき、「広く県民に敬愛され、社会に明るい希望を与え、山梨県の名を高めたもの」へ、山梨県知事から贈られる(規則第1条・第2条)。 1988年の橋本聖子を顕彰するために制度が創設されたが、その後は1991年に創設された「県イメージアップ大賞」に振り替えられたこともあり、受賞者はなかった。しかし2021年に開催された2020年東京オリンピックおよび2020年東京パラリンピックにおいて本県出身者が多く活躍したことから33年ぶりに県民栄誉賞の授与が行われた。 2020年東京オリンピック・パラリンピックまで個人のみが対象であったが、2022年にヴァンフォーレ甲府が団体として受賞している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "山梨県(やまなしけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は甲府市。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "首都圏整備法における首都圏の一角を成す。令制国の甲斐国に相当する。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "南に富士山、西に赤石山脈(南アルプス)、北に八ヶ岳、東に奥秩父山地など、標高2,000 m〜3,000mを超す山々に囲まれる。島国の日本において、海に全く面しない数少ない内陸県である。山梨県の面積は全国32位であるが、その8割を山岳地が占めるため可住地面積は全国45位である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "周辺地域とは、往来が比較的容易で交通路も整備されている東京都(島嶼部を除く)、神奈川県津久井地区、長野県中・南信地方、静岡県大井川以東の三方との交流が、古くから盛んである。又、埼玉県秩父地方との境は奥秩父山塊に隔てられているが、1998年(平成10年)の国道140号雁坂トンネル開通により、山岳部の踏破だけでなく自動車やバスでの直接往来が可能となった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "「山梨」の県名は律令制下の甲斐四郡の一つである「山梨郡」に由来し、県名は1871年(明治4年)7月の廃藩置県に際して旧甲斐国一国が甲府県を経て「山梨県」に改称された。山梨郡は県庁所在である甲府が属している郡域であるが県名の改称理由は不明で、明治新政府による幕藩時代との断絶が意図されていた可能性が考えられている。「山梨郡」は本来は甲斐一国を意味する呼称ではないため、明治時代初期には新県名が浸透せず、政治団体やその機関誌などでは県域を指す地域呼称として「峡中」が用いられた。現在では「山梨」が県域全体を指す呼称として定着している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、山梨県の面積は4465.27平方キロメートルである。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "国土地理院地理情報 によると、山梨県の東西南北それぞれの端は以下の位置である。加えて、および県境未確定地域に仮の境界線を入れて求めた重心も併記する。また統計局の 平成22年国勢調査 によると、人口重心は笛吹市石和町小石和付近にある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "山梨県は急峻な地形であり、花崗岩が風化した脆い真砂土の堆積地も多いために、水をどのように治めるかが政治指導者の課題であった。県内各地に信玄堤と呼ばれる治水遺構が多くあるのはこの歴史的特性による。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "中央高地式気候を呈しているが、山地によって隔てられる地域差も大きい。また、盆地部は夏の暑さが顕著であるが、冬は緯度や標高を考慮すると比較的温暖で朝晩の冷え込みが厳しいものの晴天が多いために日中の気温は上がりやすい。これは、周囲の標高の高い山脈によって北や西からの寒気を遮ることが多くなるためであり、関東平野と同じく寒気の流入が遅れやすい。特に、年間を通して最高気温が高くなる傾向にあり、南部町では1月を除いてすべて夏日(25度以上)の記録がある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "冬の季節風(八ヶ岳おろし)が強いが、降雪は豪雪地帯の南アルプス市(旧芦安村)と早川町を除いてわずか。また、夏は標高の割に最低気温が高くなり、6 - 8月の最低気温の月平年値は熊谷や東京など標高の低い平野部とほぼ変わらなくなる。年降水量が少なく日照時間が長いが、台風の通過経路でもあり、しばしば集中豪雨に見まわれる。その為、沼地の多い中巨摩地域では、舟を所有していた家も多かった。山麓地域では盆地部より気温が冷涼かつ1日の気温差が大きく、降水量も多い。このため、盆地周縁では冷涼な気候に向いた葡萄の栽培が盛んである。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "植物相は盆地部で落葉広葉樹林、山岳部では亜高山・高山帯の植生。また、富士川下流域の河内地方は温暖多雨であり太平洋側気候にかなり近く、潜在自然植生で常緑広葉樹林。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "富士山の山頂は最暖月平均気温が6.0°Cでケッペンの気候区分ではツンドラ気候となっている。また、清里のある八ヶ岳山麓、青木ヶ原樹海や富士五湖周辺の富士山北麓などの標高1,000mを超える高原地域は亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属し、冬の寒さは非常に厳しく厳寒期には-20度を下回るが、夏は冷涼で避暑地となるなど北海道に似た気候である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "日本全体の地理上では、箱根峠より西の内陸に位置する為、東日本に分類される。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "県全体が中央高地の東寄りにあるため、明治以来の日本を八つの地方(北海道地方、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州)に分ける全国八地方区分では中部地方に位置付けられる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "一方で行政や経済、県民生活などでは関東地方ないし広域関東圏の一部という面が強い。中部圏知事会のメンバーではなく、関東地方知事会に参加しており、首都圏整備法の対象地域でもある。知事会議でも山梨県は中部地方の会議には参加せず、関東地方の会議にのみ参加している。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "政府機関でも以下のように、山梨県はおおむね関東の出先機関管轄とされている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "文化・スポーツ面では、国民体育大会で山梨県が関東ブロックに属しているほか、学生陸上競技の地方大会である箱根駅伝に山梨県所在の大学が参加するなど、関東地方の一部として扱われる例が多い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "公益企業を含む民間ビジネスなどの分野でも、県内を通るJR線のうち中央本線が東日本旅客鉄道(JR東日本)の八王子支社の管轄であったり、神奈川県と共に日本郵便は南関東支社の管轄、電話はNTT東日本の管轄、総合スーパーなどを営むイオンリテールは南関東カンパニーの管轄であるなど、関東地域の営業部署の管轄エリアであることが多い。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "山梨県の公式見解でも、関東地方と中部地方との両方に属することが明確にされている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "山梨県は、同じように中部地方東側で、関東圏と関わりが深い他県とまとめた地方として扱われることがある。山梨県と静岡県(東側が旧駿河国)を併称する場合は山静(さんせい、やましず)や甲駿(こうすん)という。山梨県と長野県(旧信濃国)を併称する場合は甲信(こうしん)、さらに新潟県(旧越後国)を加えて甲信越(こうしんえつ)という。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "東京都 - 神奈川県 - 埼玉県 - 静岡県 - 長野県", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "山梨県南都留郡山中湖村と静岡県駿東郡小山町の籠坂峠付近と山梨県南都留郡鳴沢村及び富士吉田市と静岡県富士宮市及び駿東郡小山町の富士山山頂付近(県境)には2ヶ所未定区間がある。御殿場市は、小山町の間に境界未定部分が有るため、富士吉田市及び鳴沢村と接する可能性もある。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "自治体は、以下の13市5郡8町6村がある。町の読み方は富士河口湖町だけが「まち」で、他は全て「ちょう」、村は全て「むら」である。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "県域は、中西部の甲府盆地を中心とする国中(くになか)と、東部の相模川と多摩川の上流域および富士山北麓からなる郡内(ぐんない)に大別される。両者は方言(郡内は関東地方との結び付きが国中よりも高いため、西関東方言に分類)など、自然や文化においても大きく異なっている。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "国中地方はさらに、甲斐を意味する「峡」(きょう)の後に方角を示す語をつけて「峡中」「峡北」「峡東」「峡南」「峡西」に分けられる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "「国中」「郡内」は、戦国時代以来の呼称。「中西部」「東部富士五湖」は気象情報で用いられている。郡名は古来用いられてきたもの。「峡○」は、県の出先機関である地域振興局の区分となっている(この四つの他、東部・富士北麓地域振興局がある)。国中地方は東海地方の文化圏であるのに対し、郡内地方は関東地方の文化圏となっている。方言も国中弁と郡内弁で異なる。", "title": "地理・地域" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "甲府盆地では釜無川、笛吹川の氾濫原が広がっている。郡内地方では富士山の火山活動による影響も受け、定住が困難な時代が続いていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "旧石器時代の遺跡は長野県との八ヶ岳山麓や静岡県の愛鷹山・箱根山など隣接する文化圏に属する地域や桂川流域を中心に分布する。最古の一杯窪遺跡(都留市)や立石遺跡(甲府市)をはじめ、八ヶ岳山麓の丘の公園内遺跡群(北杜市)や神津島産の黒曜石が出土した横針前久保遺跡(北杜市)、長野県産の黒曜石が発見された天神堂遺跡などが代表的で、周辺地域に比べ密度は低いものの、周辺地域との人的移動を示す資料が発掘されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "縄文時代草創期から前期には引き続き湧水が利用できる山麓部や富士北麓などに遺跡が分布し、後期旧石器時代から縄文草創期への移行期にあたる神取遺跡(北杜市)や関東文化圏の影響が見られる池之元遺跡(富士吉田市)が出現する。中期には盆地にも進出し、大規模な集落遺跡である釈迦堂遺跡群(笛吹市、甲州市)や重要文化財に指定されている精巧な土器の出土した一の沢遺跡、豊富な生活遺物が出土している花鳥山遺跡などが出現し、縄文農耕論にも一石を投じた有孔鍔付土器など考古学史上注目されている遺物も出土している。また、盆地西部の西郡地域は釜無川の氾濫原であり考古遺跡は乏しいが、近年では精巧な土器や土偶が出土した鋳物師屋遺跡が発掘され、注目されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "後晩期には地球的な寒冷化の影響を受けて遺跡数が減少するものの、石組や配石遺構など祭祀施設であると考えられている八ヶ岳南麓の金生遺跡(北杜市)や牛石遺跡(都留市)などが出現する。また、郡内地方の桂川流域では関東地方との交流が見られる遺物が出土している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "弥生時代には身洗沢遺跡や金の尾遺跡などの集落遺跡があり、宮の前遺跡(韮崎市)では水田が確認されている。盆地南西部の曽根丘陵では東海地方経由で弥生文化が流入し、方形周溝墓が見られる上の平遺跡など古墳時代に至る遺跡がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "古墳時代の4世紀後半には畿内で確立したヤマト王権と政治的接触を持っていたと考えられている。曽根丘陵では4世紀前半の前方後方墳である小平沢古墳をはじめ、4世紀後半には最大規模の甲斐銚子塚古墳や岡銚子塚古墳などの有力首長クラスの前方後円墳が出現し、三角縁神獣鏡などの副葬品も出土している。5世紀には中道勢力が衰退し、古墳の造営は盆地各地へ拡散する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "『国造本紀』などによると景行天皇の時代に狭穂彦王の四世孫の塩海足尼が甲斐国造に任命されたと伝わる。古代には律令制下において甲斐国が成立する。『日本後紀』延暦16年条によれば甲斐東部の都留郡の帰属をめぐって隣接する相模国との間で争論があったという。甲斐国は五畿七道では東海道に属し、山梨・八代・巨摩・都留の甲斐四郡が成立。郡郷は『和名類聚抄』に31郷が記載されている。山梨・八代両郡は古代甲斐国の政治的中心地で、国府は山梨郡笛吹市春日居町に前期国府が存在し、八代郡の笛吹市御坂町に移転されたと考えられている。官道は東海道横走宿から分岐して都留郡を経て、甲府盆地に入り甲斐国府に至る甲斐路が存在していた。四郡のうち甲斐西部の巨摩郡は渡来人の入植により成立した郡であると考えられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "一方、『古事記』『日本書紀』(記紀)に記される日本神話においてはヤマトタケル(倭建命、日本武尊)の東征において足柄山から甲斐へ入り、酒折宮(甲府市酒折)において老人と歌を交わす説話が残されている。記紀に載る日本神話には両書が成立した奈良時代の歴史認識が反映されているものと考えられているが、考古学的にも甲斐においては古墳後期の4世紀後半代から畿内の影響下にあったとみられ、酒折宮伝承にもヤマト王権と甲斐の在地豪族との関係が反映されているものと考えられている。足柄山から甲斐国へ至ったヤマトタケルの遠征ルートは古代の交通体系を明らかにする上でも注目されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "また、『続日本紀』においては甲斐国司の田辺史広足が黒毛の駿馬を朝廷に献上したという「甲斐の黒駒」に関する説話が記されている。『延喜式』によれば東国では甲斐をはじめ信濃・上野・武蔵の四国に御牧が設置され馬産が行われていたことが記されている。駿河国正税帳や長屋王家木簡などの出土文字資料からも朝廷への貢馬が確認されている。『延喜式』によれば甲斐には穂坂牧、真衣野牧柏前牧の三御牧が設置されていたという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "平安時代には市河荘や八代荘などの荘園が成立し、国府所在地である甲府盆地東部では在庁官人である三枝氏が八代荘を勢力基盤とした。『長寛勘文』によれば応保2年(1162年)には三枝氏に打撃を与えた八代荘停廃事件が発生している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "平安時代後期には常陸国から源義清、源清光が市河荘に配流された。義清、清光の子孫は甲府盆地の各地へ土着し、後に甲斐源氏となる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "平安時代後期の治承4年(1180年)、以仁王の令旨が諸国の源氏に下されると甲斐源氏の一族も平氏政権に対して挙兵する。甲斐源氏の一族は伊豆国の源頼朝の挙兵と協調し、富士川の戦いなど治承・寿永の乱において活躍する。乱後、甲斐源氏の棟梁となった武田氏は甲斐国の守護となるが、甲斐源氏の一族は源頼朝の粛清を受け、衰退する。武田氏は中世には必ずしも甲斐守護を歴任していない。鎌倉幕府滅亡後に北条時行ら北条氏の残党が起こした中先代の乱までは北条方に属し、南北朝時代には建武政権から離反した足利尊氏に従った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "室町時代には、室町幕府と鎌倉府の対立や、鎌倉府における鎌倉公方と関東管領の対立など関東地方の騒乱の影響を受ける。応永23年(1416年)、鎌倉公方の足利持氏に対し、前関東管領の上杉禅秀が挙兵した上杉禅秀の乱では、甲斐守護・武田信満が禅秀方に加担し、滅亡する。これにより甲斐は守護不在状態となり、足利持氏は甲斐国人の逸見有直を支持して室町幕府に対抗した。一方、室町幕府は武田信元、続いて武田信重を甲斐守護に任じ、守護代として跡部氏を派遣した。以後、甲斐では守護武田氏と有力国人や跡部氏との抗争が続く。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "守護・武田信昌は寛正5年(1464年)には跡部氏を排斥する。信昌は嫡男の信縄に家督を譲り、いったん隠居した。後に次男の油川信恵に家督を譲る意向を示し、信縄と信恵間の内訌が生じる。信縄の子・武田信虎は永正5年(1508年)に信恵方を滅ぼし、国中地方の有力国人や都留郡(郡内地方)の国衆・小山田氏など従属させる。さらに信虎は駿河国の今川氏や信濃諏訪氏、扇谷上杉家・山内上杉家と同盟を結び、相模の後北条氏と敵対しつつ、信濃侵攻を開始した(「佐久攻め」を参照)。また、信虎は従来の川田館(甲府市川田町)から甲府の躑躅ヶ崎館(甲府市古府中町)に守護館を移転し、新たに城下町を整備し家臣団を集住させる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "都留郡では小山田氏が武田氏に臣従しつつも、中津森館、後に谷村館を本拠とした独自の領域支配を行った。河内領では穴山氏が同様に武田家臣となりつつ、下山館を本拠とした領域支配を行った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "信虎の子・武田晴信(信玄)は天文10年(1541年)に信虎を駿河へ追放することで家督を継承する。晴信は信虎の外交方針を転換し、信濃諏訪氏を滅ぼして諏訪郡を領国化する。さらに相模国の後北条氏と和睦を結ぶと、今川・北条間の河東の乱を調停し、三者の間で甲相駿三国同盟を成立させる。一方、信濃侵攻により山内上杉氏とは敵対する関係となり、信濃村上氏ら信濃国衆や越後国の長尾景虎(上杉謙信)と川中島の戦いを繰り広げる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "信濃をほぼ統一した後は西上野や今川領国への侵攻を行い、三河北部や遠江東部・北部、美濃恵那郡も出兵して、織田信長や徳川家康と対抗した。また、信玄期に確立した大名権力により独自の領国支配が展開された。年貢収入を調査する検地の実施や棟別諸役の整備や信玄堤の築造するなど治水政策が百姓への農業政策となった。躑躅ヶ崎館を中心とする甲府の城下町の整備が行われて、黒川金山や湯之奥金山など近世まで稼働した甲州金山の開発など商業活性化する領国経営事業が行われている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "信玄死去により家督を継いだ武田勝頼は長篠の戦いに敗れて領国の動揺を招き、天正10年(1582年)3月、織田信長・徳川家康連合軍による甲州征伐で戦国大名としての武田氏は滅亡した。また、勝頼から離反した郡内領主の小山田信茂は織田氏に出仕するが処刑され、郡内領主としての小山田氏も滅亡する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "武田氏滅亡後、甲斐一国と信濃諏訪郡は織田家臣の河尻秀隆が支配するが、同年6月の本能寺の変により発生した一揆で秀隆は横死。武田遺領を巡る天正壬午の乱では徳川家康と相模国の北条氏直が甲斐へ侵攻して八ヶ岳南麓・七里岩地域において対峙するも、同年10月の徳川・北条同盟の成立により後北条氏は撤兵。甲斐は徳川氏が領した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "その後、家康は豊臣秀吉に帰服。後北条氏滅亡後の天正18年(1590年)に関東へ移封され、甲斐国には浅野長政ら豊臣大名が入った。豊臣政権下で甲斐は東国の家康に対する拠点として重視され、新たに甲府城が築城されて新城下町が整備され、甲斐国内の検地も行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後には、勝利した徳川家康が主導して大名の全国的な再配置が行われた。甲斐では浅野氏が和歌山へ移封され、再び徳川氏による直轄支配が行われた。甲斐国は関東防衛の要所として重視され、江戸時代初期、国中には将軍直系(甲府藩)、郡内には譜代大名(谷村藩)が配置された。甲府藩には甲府徳川家が入封し、藩政機構が整えられた。宝永元年(1704年)に綱豊(徳川家宣)が将軍後継になると、川越藩主柳沢吉保が受封し、吉保の子吉里は甲府藩主で初めて国元へ入っている。ほか、甲斐には旗本領も存在していた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "享保の改革においては江戸幕府直轄領の整備が行われ、享保9年(1724年)に吉里が大和郡山藩に転封されると甲斐は幕府直轄領化され、谷村藩も秋元氏の転封後は直轄領化された。甲府町方は甲府勤番、在方は甲府代官所をはじめとする三分代官による支配となり、郡内は石和代官所の出張陣屋である谷村代官所が設置された。延享3年(1746年)には御三卿の賄領がおかれ、うち田安家領のみは幕末まで存続した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "近世甲斐は甲府城下町、谷村城下町の城下町のほか在郷町や身延山久遠寺の門前町や富士北麓の吉田・川口の御師町など都市や町場が発達。、甲州街道や駿州往還、佐久往還、青梅往還をはじめとする諸街道が整備された。江戸初期には角倉了以による富士川の開削工事が行われて富士川舟運や中馬による陸上輸送が発展し、江戸後期には甲斐・信濃の年貢米の廻米輸送が行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "近世には領主権力の確立により治水や用水路の開削が行われ、釜無川・御勅使川の治水や徳島堰の開削、郡内での谷村大堰や新倉掘抜の開削などが行われ、甲府城下でも甲府上水が整備される。治水の進捗に伴い在方では新田開発が進み、養蚕や織物など産業が発達した。甲府盆地では一般に米麦栽培に商品作物の栽培、農閑期の行商や大工などの農間余業を組み合わせた生業形態が一般的であった。山地が多い甲斐の山村では、林業や狩猟、製炭や漆採取、鉱山経営などの山の生業が発達し、特に郡内では平坦地が少ないため織物の生産や街道沿いでの駄賃稼ぎの占める割合が高い。こうした生業的特徴から甲斐では水利を巡る水論や山の用益を巡る山論が多発している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "また、甲斐では金納税制である大小切税法や甲州金・甲州枡の甲州三方が独自の国制として存在し、領主側の廃止や改正に対して領民は存置を求め抵抗している。また、領主側との衝突や災害・凶作などに伴う百姓一揆も発生し、米倉騒動や太枡騒動、江戸後期には郡内に発する百姓一揆から無宿・悪党を巻き込み一国規模の騒動となった天保騒動など大規模な百姓一揆も発生した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "文化面では甲府城下町の発達により遊芸文化が興隆し、甲府藩時代には大名文化、江戸後期には町人文化が発達する。甲府勤番・勤番士は学問的関心を持ち、甲斐国の総合地誌である『甲斐国志』の編纂や勤番士による『裏見寒話』など地誌の編纂が行われ、勤番士の学問所である徽典館も開かれた。甲府では町人亀屋与兵衛が芝居小屋である亀屋座を開業し、歌舞伎や相撲、人形浄瑠璃などの諸芸興行を行い、1841年(天保12年)には甲府町人が江戸の人気浮世絵師である歌川広重を招き、城下の大通りを広重ら人気浮世絵師の幕絵で飾る甲府道祖神祭礼を創始した。ほか、俳諧や和算なども発達する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "また、武田信玄は近世から甲斐領民の尊崇を集め、武田氏館跡や墓所、武田氏に関係する寺社などが古跡として成立した。近世には軍学書である『甲陽軍鑑』が成立し、関係書を含めて武家・庶民の間でも広く読まれ影響力を及ぼし、武田家に関する文学や浮世絵なども製作された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "江戸後期は東国に特徴的な農村の荒廃から無宿・博徒が増加し、竹居安五郎や黒駒勝蔵など甲州博徒が台頭した。幕末の開国#日本の開国により横浜港が開港されると、甲州屋忠右衛門・若尾逸平ら在方商人が甲州産物を移出して富を築いた。若尾逸平は甲府において製糸業に着手して新興商人として台頭し、明治時代には甲州財閥を形成する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "慶応4年(明治元年、1868年)3月、甲府城へ入った新政府の板垣退助率いる甲州街道軍と、近藤勇率いる旧幕府軍の甲陽鎮撫隊(新選組)が勝沼(甲州市の一部)大善寺で激突した(甲州勝沼の戦い)。旧幕府軍は駆逐され、甲州鎮撫府が設置された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "同年10月19日(旧暦9月4日)、甲斐国内に府中県(県庁所在地は山梨郡甲府)、市川県、石和県が設置され、12月11日(旧暦10月28日)にこれら3県を統合して甲斐府が設置された。明治2年(1869年)8月27日(旧暦7月20日)、「府」の呼称が京都府・東京府・大阪府に限定されたことから、甲斐府は甲府県と改称した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "明治3年(1870年)5月に田安領を併合し、明治4年(1871年)8月29日(旧暦7月14日)の廃藩置県後も甲府県は存続したが、同年10月末(旧暦)に始まる第1次府県統合により、旧韮山代官所を引き継いだ韮山県の甲斐国内管轄区域などを統合して、12月31日(旧暦11月20日)に甲斐国全域を管轄区域とする山梨県が発足した。県庁所在地は引き続き山梨郡甲府、初代県令には土肥実匡が任ぜられた。1873年(明治6年)に着任した藤村紫朗の殖産興業政策により、製糸業の勧業や道路、金融機関の整備が行われた。特に青梅街道の改築など道路整備を推し進めたことから、藤村は「道路県令」とも呼ばれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "1909年(明治42年)には陸軍甲府連隊(歩兵第49連隊)が設置された。太平洋戦争中には疎開地でもあったが、1945年(昭和20年)7月には甲府空襲に遭い、市街は灰燼と帰した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "また、明治時代には、1882年、1885年、1907年、1910年と大水害に見舞われ、大きな被害を受けた。これには、地形的理由だけでなく、林野の強権的官有化による里山の荒廃や急激な開発という人為的理由も一因した。1873年の地租改正後、林野の官民有区分が行なわれ、県下の入会林野の99%以上が1881年に官有とされ、1889年には皇室財産となった。これにより地元民は草木採取に際し面倒な手続きを強いられることとなり、盗伐や山火事が頻発して里山の荒廃に繋がった。さらに、明治期日本の主要産品である絹織物生産のために蚕の餌となる桑畑の開墾や、薪炭材調達を目的として山林が徹底的に伐採された。こうしたことが大災害に繋がったとして、1911年に御料林は県に無償返還されて恩賜県有林となり、入会権などは官有前に戻された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "※日本の占領時代については「連合国軍占領下の日本」を参照。 終戦後、1945年(昭和20年)9月にはアメリカ陸軍第8軍の部隊が甲府へ進駐。年末には戦闘部隊は引き上げ、少数の山梨県軍政部が県庁周辺の洋風建築を接収して県内の監視を行う。県内人口は復員兵や疎開者の帰還で増加し、戦時期の山林荒廃から災害被害もあり食糧事情は悪化。当局により、新潟 県からの移入米の配給や米軍の食糧放出など対策を講じるが食糧難はしばらく続き、ヤミ米が流通した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による改革を受け、県内でも政党活動や新聞の発行などが再開される。1946年(昭和21年)には内務省官僚による地方支配に代わり公選知事が導入され、1947年(昭和22年)の第一回県知事選では保守派合同の推薦で吉江勝保が当選し、初代公選知事となる。吉江は1948年(昭和23年)2月に食料増産や山林復旧など10大政策を掲げたものの、財政難などの制約もあり産業基盤の復興もままならず、社会福祉制度も構想のみに留まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "1951年(昭和26年)の知事選では民主党代議士天野久が擁立され、吉江知事を破り当選。天野「富める山梨」を掲げ、利水に乏しい甲府盆地西部の御勅使川扇状地を開発する野呂川総合開発に着手し、計画は国の援助を受け上水道や県営発電所の建設が行われた。また、新笹子トンネル建設による幹線道路の整備は高度経済成長期とも重なり、果樹農業や観光の振興にも繋がった。一方で、天野県政期には開発による災害があり、北富士演習場問題が発生する。1959年と1966年に山梨県は台風により大規模な被害を受けるが、戦時中の治山治水事業の停滞と戦後の乱開発が被害拡大を招いたとされる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "1967年(昭和42年)に天野知事を破り3代知事となった田辺国男は「健康山梨」を掲げ、一村一工場誘致を方針に工業団地造成や幹線道路整備を行う一方で、開発により環境破壊が顕著となっていたため環境保護にも配慮したグリーン・プランを提唱する。一方で連峰スカイライン構想を具体化させると批判が相次ぎ、北富士演習場問題の膠着やオイルショックの影響による不況も重なって巨大開発構想は断念された。文化事業では、1978年(昭和53年)にはフランスの画家ミレーの『種をまく人』を2億円で落札・購入した山梨県立美術館を創設。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "田辺県政は日本経済の好景気化も受け4期目を目指したが、中央政界で前天野知事を支持した自民党政治家金丸信が影響力を強めると県議会においても金丸派が最大派閥となり、これに社会党県連が4選阻止のため提携し、副知事の望月幸明を擁立。1979年(昭和54年)の県知事選では田辺知事を破り、望月が当選した。望月県政は金丸信の後見を受けて県議会でのオール与党体制を確立し、北富士演習場問題の小康やバブル景気の後押しを受け、1986年(昭和61年)のかいじ国体の開催や県有林の高度活用、リゾート施設の造成、リニア実験線の誘致などを勧めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "1965年(昭和40年)までに県内の中央本線が複線・電化され、1982年(昭和57年)には中央自動車道が全線開通。また石和温泉や富士五湖、清里などの観光地が整備され、首都圏から日帰り短期旅行できる観光地としても発展した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "望月知事が4選を断念し、1992年(平成4年)に望月県政を批判して金丸派候補を破り当選した天野建知事(父は上記の天野久)は財政難の中公共工事の見直しを行いつつ環境行政を重視する「幸住県やまなし」事業を実施。山梨県立博物館の建設推進や排水路整備の推進をおこない、1996年(平成8年)には長年県民を苦しめてきた日本住血吸虫(地方病)の終息宣言を行う。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "天野知事の後、2003年(平成15年)からは前甲府市長山本栄彦が知事に就任。バブル崩壊後手付かずだった甲府駅北口の整備や中部横断自動車道の増穂IC以南の着工を推進。しかし県政の混乱が発生し、2007年(平成19年)の選挙で横内正明に敗れ、山本県政は1期で終焉した。横内県政では、甲府市中心部の再開発や「トップセールス」として山梨県の特産物の海外展開を行なう。この間、世界金融危機や東日本大震災が発生し、特に山梨の景況感は冷え込み全国最下位が続いていた。2期続いた横内から2015年(平成27年)に県政を引き継いだ後藤斎は人口減対策などの政策を打ち出したが、政策の修正や見直しを迫られるなどし、2019年(平成31年)の選挙で長崎幸太郎に敗れている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "2003年(平成15年)より平成の大合併が行われ、64あった市町村が27(2010年(平成22年)3月時点)まで集約された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "山梨県内 市別人口ランキング", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "衆議院の小選挙区は2013年の区割り改正で、3から2に減少。参議院では、全県で1区を構成。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "山梨県は中央高地式気候のため寒暖の差が大きく、農業に適した地域は甲府盆地を中心に水捌けの良い平坦地である。江戸時代には治水・用水路開発のにより新田開発が行われ農業生産力は向上したが、養蚕や果樹などの商品作物栽培を複合させた形態の農業を発達していた。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "養蚕は明治初期の殖産興業において特に力を入れられ日本有数の養蚕県であったが、化学繊維の台頭などにより昭和30年代をピークに養蚕の減少と、果樹栽培の増加に転じている。桑畑から果樹園への転換による景観的変化や、年中行事など生活・文化面の変化をもたらしている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "戦後の高度経済成長期において日本経済は農業の比重を低下させているが、工業の立ち後れていた山梨経済においても農業の役割は低下し、農家数や耕地面積は減少している。一方で経済成長により生じた国民生活の変化に対応して農業の形態を変化させており、国民の食生活が変化したことにより葡萄や桃、サクランボなどの果樹栽培の需要が高まった。山梨県産葡萄から醸造する「甲州ワイン」は、近代国産ワインの先駆けである。2019年8月7日には山梨「ワイン県」宣言を行った。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "また、首都圏や中京圏から近い地理的条件を活かして観光農園として観光客を集めているところも多い。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "1980年代から1990年代にかけては果樹栽培への移行と農業の減退の傾向はさらに加速し、農業を主とする第一種兼業農家から農業を従とする第二種兼業農家への移行を示している。これに伴い中山間地域を中心に高齢化や農業後継者不足、過疎などが顕在化し、近年の課題となっている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "また、ミネラルウォーターの生産量は52万9388キロリットル(2004年(平成16年))であり、日本の総生産量の40%を占める。山がちな地形であることから帯水層の露出が多く、都市化が進んでいないため清澄な湧水が多く採取できる上、主要な消費地の東京圏に近く輸送コストが小さいため、大手メーカーの多くが採取地に山梨県を選んでいる。主な産地は南アルプス山麓と富士山および三ツ峠山麓である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "江戸時代後期から近代・昭和戦後期まで養蚕・製糸業が盛んであったが、戦後は斜陽化し、現在は衰退している。また海や大河がなく大量の水を使うことが難しく、また戦後しばらくまでは交通機関が未整備であったため鉄鋼・金属などの重工業が発展しにくい土地である。その一方で四方を山地に囲まれ水質が良好であることから、戦後の中央自動車道の全線開通以降、長野県の諏訪地域とともに精密機械産業が発達している。その他には石英(水晶)の採掘地であったことから、研磨宝飾を中心とした宝石加工産業が発達している。2018年時点でも、宝飾品や貴金属の加工・流通に携わる企業が1000社近くある。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "甲府盆地および富士山麓地域を中心にほぼ全地域に工業団地が点在しているが、可住地面積の少なさが災いしてか大規模な工業団地が形成しにくい。そのためバブル崩壊から2010年代までは県外のより広大な工業団地や海外進出のため撤退・閉鎖する企業・施設が相次いでいた。しかし2021年に中部横断自動車道の南部区間が全通すると、回帰や新たに進出する企業が相次いでいる。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "富士川など高低差のある河川を利用して戦前より水力発電所が建てられ、戦後は山梨県を管轄する東京電力だけでなく山梨県企業局による水力発電所も建てられた。企業局で発電された電気は東京電力ホールディングスに売却され、これが山梨県の財政の助けになっている。また、日照時間の長さを利用した太陽光発電も建てられ、米倉山太陽光発電所ややまなしメガソーラーなど10MWクラスの発電所が稼働している。山梨にある発電所は水力と太陽光が大半を占めており、火力発電所や原子力発電所は皆無である。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "県庁所在地の甲府は近世の甲府城下町が商業的拠点として発達し、明治後に中央本線が開通すると甲府駅が開業し、山梨県庁舎をはじめ岡島百貨店や甲府松菱(後の山交百貨店)、中込百貨店(後の甲府西武)などが駅前に軒を連ね、戦後復興期までは甲府駅を中心に発展していった。しかし高度経済成長を迎えると県内でもモータリゼーションが進行し、並行して公共交通機関が衰退した。旧城下町である甲府は道幅が狭く、渋滞が顕著になった甲府駅前を避ける傾向が強まり、代わりに高速道路やバイパス道路が整備された郊外に大型商業施設が次々と進出したため、1990年代よりドーナツ化現象が進行し、甲府西武やトポス甲府店の閉店が相次いだ。また中央本線の高速化や高速バスの発展により県外へのストロー効果が起こり、山梨県の商業そのものに影響を与えている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "2000年代以降は顕著となり、郊外は2000年にオープンしたイトーヨーカドー甲府昭和店を皮切りに2009年にラザウォーク甲斐双葉、2011年にイオンモール甲府昭和など大型店が誕生したのに対し、甲府をはじめとした駅前の店舗は衰退。2004年にイトーヨーカドー韮崎店、2005年にイトーヨーカドー富士吉田店、2006年に塩山ショッピングセンターシルクなど甲府以外の駅前店舗が相次いで閉店。甲府も2014年にグランパークが閉鎖したのをはじめ、2019年には山交百貨店が閉店。そして2023年には岡島百貨店が規模を縮小のうえココリへ移転するなど、それまでの中心部の店舗閉店が止まらない状況となっている。但しこれらの閉店・閉鎖された大型店舗は代替店舗の進出や公共施設になることが早く、山交百貨店跡地は2021年よりヨドバシ甲府としてオープンし、事業失敗で早期閉鎖された南アルプス完熟農園跡地には2024年よりコストコが進出することが決定している。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "甲府中央商店街を中心とした既存商店街の大型店の反対運動が根強く、総務省が発表した「経済センサス‐基礎調査」によると百貨店・総合スーパーの人口10万人当たり店舗数は0.71軒と、全国ワーストとなっている。一方で大型店舗の少なさを補うかのようにコンビニが多く、人口10万人あたりのコンビニ店舗数は北海道に次いで全国2位、1人あたりのコンビニ購入額も全国上位3位に入っている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "外食産業の店舗数が多いことが特徴で、人口当たりで寿司屋、ガスト、バーミヤン、モスバーガーの店舗数は全国1位である。特に海が隣接していないのにもかかわらず寿司屋が多く、甲府市の中心部では100mあたり5、6店舗が並ぶところがある。山梨に寿司屋が多い理由として昔からの「海に対するあこがれ」や、元々祝いの席で必ず食べるものがなく、その代わりとして寿司が祝いの席の食べ物として出されるようになったことなどが挙げられている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "温泉・宿泊施設として古くから湯村温泉や下部温泉があり、戦後は石和温泉が沸出するなど旅館系施設が発展したが、バブル崩壊後はこれらの温泉街は衰退している。代わりに21世紀になると甲府中心部に県外資本のホテルが進出し、2010年代になるとインバウンド消費の増大と富士山周辺の世界遺産登録により富士五湖周辺の宿泊施設が増えている。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "山梨県内に空港は存在せず、隣接都県で旅客扱いを行う空港としては、信州まつもと空港(長野県)や羽田空港(東京都)、富士山静岡空港(静岡県)がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "羽田空港や成田空港(千葉県)へは甲府駅および富士山駅・河口湖駅から、富士山静岡空港へは河口湖駅から空港連絡バスが運行しており、直接空港へ向かう公共交通機関が存在する。一方で信州まつもと空港へ直接アクセスできる交通機関はなく、松本駅で乗り継ぐ必要がある。なお、富士山静岡空港については中部横断自動車道の進捗次第で甲府駅からも空港連絡バスを運行する計画がある。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "小海線を除いて、電化されている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "なお、2015年3月14日に北陸新幹線の長野駅(長野県)- 金沢駅(石川県)間が開業したことで、中部地方の県で新幹線の路線が乗り入れていないのは山梨県と福井県のみとなった。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "※全国で2番目にバス利用者が少ない", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "戦前には『山梨日日新聞』(以下は山日と表記)、『山梨毎日新聞』はじめ6紙が発行されていたが、第二次世界大戦中の新聞統制によって県内の諸紙は山日に統合される。戦後には数紙が創刊され、昭和40年代まで富士急行が大株主である『山梨時事新報』(山時)が山日と部数を競った。1969年(昭和44年)に富士急行が所有株式を売却すると山時は山日に吸収され、現在は、全国紙を除いて日刊紙は山日のみの状態となっている。全国紙は東京版が販売されており、県内ニュースを載せるページ(地方版・県版)を設けている新聞が多い。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "NHKのテレビ放送は1953年(昭和28年)に開始された。地理的条件のため、当初は受信契約数は少なく、NHK甲府放送局が1959年(昭和34年)に中継送信所を設置して以降から普及した。民間放送ではラジオ山梨が1959年(昭和34年)12月に送信所を設置してテレビ局を開設し、山梨放送(YBS、NNN/NNS系列)が開局。1968年(昭和43年)にUHF(極超短波放送)電波が割り当てられると、免許申請は一本化されて「山梨中央テレビ」として取得し、翌1969年(昭和44年)5月には株式会社テレビ山梨(UTY、JNN系列)が発足。そのため、民間テレビ放送局は2局しか無い。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "山梨県は首都圏に属してながら、在京キー局の電波が郡内の一部を除き届かず、YBSとUTYの2局しか民間放送がない状態が長く続いている。そのため、ケーブルテレビに加入して、NNN系列のYBSとJNN系列のUTYに加えて、テレビ朝日、テレビ東京、フジテレビの番組を視聴する世帯が多い(2012年時点で約160,000世帯)。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "山梨県の地上波テレビ・FMラジオの県域放送の親局及びYBSラジオのFM補完中継局のメイン送信所は、いずれも坊ヶ峰に設けられている。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "※本県は全国の都道府県で唯一、全国FM放送協議会(JFN)加盟の民放FM局がradikoの基本サービスで聴取不可。電波受信では、TOKYO FM、K-mix、FM長野が一部地域で受信可能。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "※本県のコミュニティFM局は全局がミュージックバードの配信局。ネット配信では全局がJCBAインターネットサイマルラジオに参加している。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "山梨県の有料ケーブルテレビ(自主放送)の世帯普及率は、2012年(平成24年)1月時点で86%と、全国第1位である。共同アンテナ受信なども含めると93%を数える。ただし山梨県のケーブルテレビ局は、他の都道府県と用途が異なり、不足するテレ朝系、テレ東系、フジテレビ系の補完放送が第一であるため、標準契約で視聴できる放送は地上波のみである。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "地上波の構成は、NHK甲府+地元民放2局と、テレビ朝日・テレビ東京・フジテレビ+独立局が基本である。かつてはBSアナログ放送も視聴できた。STBやCS放送は、別途オプション契約となる。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "山梨県と米国アイオワ州は、1959年(昭和34年)の台風7号と伊勢湾台風の2つの台風による災害 に対して、アイオワ州から見舞いとして農畜産物を贈られたことから姉妹締結した。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "ここでは「物語の主要舞台が山梨県」「核心部分の舞台が山梨県」「主要舞台が山梨県を参考にしている」作品のみを記載する。", "title": "山梨県を舞台とした作品" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "その他、東京に比較的近く交通至便のため、上記の作品以外においても(特に低予算のピンク映画やオリジナルビデオなどで)ロケ地として用いられる事が多い。", "title": "山梨県を舞台とした作品" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "映画同様東京に比較的近いという理由からロケ地撮影されるドラマが多い。", "title": "山梨県を舞台とした作品" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "山梨県名誉県民の称号は、2015年(平成27年)12月10日に制定された山梨県名誉県民条例(平成15年12月10日山梨県条例第45号)に基づき、「社会の発展に卓絶した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「社会福祉の向上、文化の振興その他の社会の発展に広く貢献した者で、県内に居住し、又は居住していたもの」であり、山梨県知事が山梨県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)。名誉県民に選定された者には、山梨県名誉県民称号記及び山梨県名誉県民章が贈呈される(条例第3条)。山梨県出身者でノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智を顕彰するために急遽制度が創設されたものである。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "山梨県県民栄誉賞は、1988年(昭和63年)3月11日に制定された山梨県県民栄誉賞表彰規則(昭和63年3月11日山梨県規則第4号)に基づき、「広く県民に敬愛され、社会に明るい希望を与え、山梨県の名を高めたもの」へ、山梨県知事から贈られる(規則第1条・第2条)。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "1988年の橋本聖子を顕彰するために制度が創設されたが、その後は1991年に創設された「県イメージアップ大賞」に振り替えられたこともあり、受賞者はなかった。しかし2021年に開催された2020年東京オリンピックおよび2020年東京パラリンピックにおいて本県出身者が多く活躍したことから33年ぶりに県民栄誉賞の授与が行われた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "2020年東京オリンピック・パラリンピックまで個人のみが対象であったが、2022年にヴァンフォーレ甲府が団体として受賞している。", "title": "人物" } ]
山梨県(やまなしけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は甲府市。 首都圏整備法における首都圏の一角を成す。令制国の甲斐国に相当する。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{告知|1=疑問|2=地方区分についての記述|3=ノート:山梨県#山梨県と三重県の地方区分についての記述|date=2023-01}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 山梨県 | 画像 = {{multiple image | border = infobox | total_width = 280 | image_style = border:1; | perrow = 1/2/2 | image1 = Lake Kawaguchiko Sakura Mount Fuji 3.JPG{{!}}春の河口湖と富士山 | image2 =Shingen-ko Festival 201904b.jpg{{!}}信玄公祭り | image3 = Takeda-jinja-1.jpg{{!}}武田神社 | image4 = 150719 Seisenryo Hokuto Yamanashi pref Japan01s3.jpg{{!}}清里高原の清泉寮 | image5 = Commore Bridge and Shiotsu Station 001.JPG{{!}}コモアしおつ }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">春の[[河口湖]]と[[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[信玄公祭り]]<td style="width:50%">[[武田神社]]</tr> <tr><td style="width:50%">[[清里高原]]の[[清泉寮]]<td style="width:50%">[[コモアしおつ]]</tr> </table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|山梨県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[山梨県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Yamanashi prefecture.svg|80px|山梨県章]] | 都道府県章の説明 = 山梨県章 | 区分 = 県 | コード = 19000-4 | ISO 3166-2 = JP-19 | 隣接都道府県 = {{flag|東京都}}<br />{{flag|神奈川県}}<br />{{flag|埼玉県}}<br />{{flag|長野県}}<br />{{flag|静岡県}} | 木 = [[カエデ]] | 花 = [[サクラ]] | 鳥 = [[ウグイス]] | シンボル名 = 他のシンボル | 歌など = 県の獣:[[ニホンカモシカ|カモシカ]]<br />県の歌:[[山梨県の歌]]<br />県民の日:[[11月20日]] | 郵便番号 = 400-8501 | 所在地 = 甲府市丸の内一丁目6番1号<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-19|display=inline,title}}<br />[[ファイル:山梨県庁舎本館および防災新館20170506.jpg|220px|山梨県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 19 Yamanashi prefecture.svg|320px|山梨県の位置]]{{基礎自治体位置図|19|000|image=Map of Yamanashi Prefecture Ja.svg|村の色分け=yes}} | 特記事項 = }} '''山梨県'''(やまなしけん)は、[[日本]]の[[中部地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[甲府市]]。 [[首都圏整備法]]における[[首都圏 (日本)|首都圏]]の一角を成す。[[令制国]]の[[甲斐国]]に相当する。 == 概要 == 南に[[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]、西に[[赤石山脈]]([[南アルプス]])、北に[[八ヶ岳]]、東に[[奥秩父山塊|奥秩父山地]]など、[[標高]]2,000 m〜3,000mを超す山々に囲まれる。[[島国]]の日本において、[[海]]に全く面しない数少ない[[内陸県]]である{{efn|47都道府県のうち海に全く面しない内陸県は栃木県、群馬県、埼玉県、長野県、岐阜県、滋賀県、奈良県を含めて8つある。}}。山梨県の面積は全国32位であるが、その8割を山岳地が占めるため可住地面積は全国45位である。 周辺地域とは、往来が比較的容易で交通路も整備されている[[東京都]]([[東京都島嶼部|島嶼部]]を除く)、[[神奈川県]][[津久井郡|津久井地区]]、[[長野県]][[中信地方|中]]・[[南信地方]]、[[静岡県]][[大井川]]以東の三方との交流が、古くから盛んである。又、[[埼玉県]][[秩父地方]]との境は[[奥秩父山塊]]に隔てられているが、[[1998年]]([[平成]]10年)の[[国道140号]][[雁坂トンネル]]開通により、山岳部の踏破だけでなく自動車や[[バス (交通機関)|バス]]での直接往来が可能となった。 「山梨」の県名は[[律令制]]下の甲斐四郡の一つである「[[山梨郡]]」に由来し、県名は[[1871年]]([[明治]]4年)7月の[[廃藩置県]]に際して旧甲斐国一国が甲府県を経て「山梨県」に改称された{{efn|山梨郡の名前の由来は「旧[[春日居町]]にある山梨岡神社の裏山に[[梨]]の有名な古木があり、そのためこの地域はいつしか山梨と呼ばれるようになった」という付会伝説が存在しているため、果物の[[ヤマナシ]]に由来していると思われがちである。しかし残簡『[[風土記]]』には「山無瀬」、[[737年]]([[天平]]9年)の[[駿河国]]正税帳には「夜萬奈之」と記されており、語源としては「'''山平らす(やまならす)'''」、つまり[[甲府盆地]]の高低の少ない平坦な様子を表す言葉が次第に「やまなし」へ転化したとみるのが妥当である。そして[[713年]]([[和銅]]6年)に「諸国の郡郷名は好字(よきじ)で著せ」とする和銅官命が出されたことにより、「[[梨園]]」などの言葉に見られる一種の優雅さを感じさせる「梨」という好字を当てて、「山梨」と呼ぶようになったといわれている([[山梨県道路公社]]『雁坂トンネルと秩父往還』[[1998年]](平成10年))。}}。山梨郡は県庁所在である甲府が属している郡域であるが県名の改称理由は不明で、明治新政府による[[江戸時代|幕藩時代]]との断絶が意図されていた可能性が考えられている<ref>[[宮武外骨]]『府藩県制史』、県名改称については有泉貞夫「県名改称と区政実施ほか」『山梨県市』通史編5近現代1第一章第三節</ref>。「山梨郡」は本来は甲斐一国を意味する呼称ではないため、[[明治時代]]初期には新県名が浸透せず、政治団体やその機関誌などでは県域を指す地域呼称として「峡中」が用いられた<ref>有泉「「山梨」と「峡中」」『山梨の近代』山梨ふるさと文庫、2001</ref>。現在では「山梨」が県域全体を指す呼称として定着している。 == 地理・地域 == === 広袤 === {{座標一覧|節=広袤(こうぼう)}} [[国土地理院]]の全国都道府県市区町村別面積調によると、山梨県の面積は{{自治体面積/山梨県|山梨県}}平方キロメートルである<ref group="国">[https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO-title.htm 全国都道府県市区町村別面積調] 国土地理院 2013年11月28日閲覧</ref>。 [http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/kendata/yamanashi_heso.htm 国土地理院地理情報] によると、山梨県の東西南北それぞれの端は以下の位置である。加えて、および[[県境]]未確定地域に仮の境界線を入れて求めた重心も併記する。また[[統計局]]の [https://www.stat.go.jp/data/kokusei/topics/topi61.html 平成22年国勢調査] によると、人口重心は[[笛吹市]]石和町小石和付近にある。 {| border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="0" style="font-size:small; text-align:center;" |- | 重心<br />{{ウィキ座標度分秒|35|36|56|N|138|36|31|E|type:landmark_region:JP|name=山梨県重心}} ||<br />北端<br />{{ウィキ座標度分秒|35|58|18|N|138|22|23|E|type:landmark_region:JP|name=山梨県最北端}}<br />↑ || 人口重心<br />{{ウィキ座標度分秒|35|37|35.97|N|138|37|12.79|E|type:landmark_region:JP|name=山梨県人口重心}} |- | 西端<br />{{ウィキ座標度分秒|35|42|52|N|138|10|49|E|type:landmark_region:JP|name=山梨県最西端}}← || 山梨県庁舎所在地<br />{{ウィキ座標度分秒|35|39|50|N|138|34|6|E|type:landmark_region:JP|name=山梨県庁}} || 東端<br />→{{ウィキ座標度分秒|35|37|00|N|139|8|4|E|type:landmark_region:JP|name=山梨県最東端}} |- | &nbsp; || ↓<br />南端<br />{{ウィキ座標度分秒|35|10|6|N|138|29|28|E|type:landmark_region:JP|name=山梨県最南端}} || &nbsp; |} === 地形 === * '''[[盆地]]''':[[甲府盆地]] * '''[[山地]]''':[[赤石山脈]]、[[身延山地]]、[[奥秩父山地]]、[[天子山地]]、[[丹沢山地]]、[[関東山地]]、[[御坂山地]] * '''[[山]]''':[[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]、[[北岳]]、[[甲斐駒ケ岳]]、[[八ヶ岳]]、[[茅ヶ岳]]、[[身延山]]、[[金峰山 (山梨県・長野県)|金峰山]]、[[甲武信ヶ岳]]、[[大菩薩嶺]] * '''[[丘陵]]''':[[曽根丘陵]]、[[七里岩]] * '''[[川]]''':[[富士川]]、[[釜無川]]、[[笛吹川]]、[[早川 (山梨県)|早川]]、[[相模川|桂川]]、[[道志川]]、[[多摩川|丹波川]]、[[荒川 (山梨県)|荒川]] * '''[[湖]]''':[[精進湖]]、[[本栖湖]]、[[山中湖]]、[[河口湖]]、[[西湖 (富士五湖)|西湖]]、[[四尾連湖]]、[[千代田湖]] * '''[[峠]]''':[[雁坂峠]]、[[大菩薩峠]]、[[笹子峠]]、[[籠坂峠]]、[[柳沢峠]]、[[御坂峠]]、[[夜叉神峠]]、信州峠 山梨県は急峻な地形であり、[[花崗岩]]が風化した脆い[[真砂土]]の堆積地も多いために、水をどのように治めるかが政治指導者の課題であった<ref name=shiina>椎名慎太郎「[https://www.ygu.ac.jp/yggs/houka/lawjournal/pdf/lawjournal04/lawjournal04_01.pdf 千代田湖ゴルフ場事件の総合的考察] 」『山梨学院ロー・ジャーナル』2009年{{リンク切れ|date=2021年2月}}</ref>。県内各地に[[信玄堤]]と呼ばれる[[治水]]遺構が多くあるのはこの歴史的特性による<ref name=shiina/>。 === 自然公園 === * [[国立公園]] ** [[富士箱根伊豆国立公園]]、[[秩父多摩甲斐国立公園]]、[[南アルプス国立公園]] * [[国定公園]] ** [[八ケ岳中信高原国定公園]] * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] ** [[四尾連湖県立自然公園]]、[[南アルプス巨摩県立自然公園]] === 気候と植物相 === [[中央高地式気候]]を呈しているが、山地によって隔てられる地域差も大きい。また、盆地部は夏の暑さが顕著であるが、冬は緯度や標高を考慮すると比較的温暖で朝晩の冷え込みが厳しいものの晴天が多いために日中の気温は上がりやすい。これは、周囲の標高の高い山脈によって北や西からの寒気を遮ることが多くなるためであり、関東平野と同じく寒気の流入が遅れやすい。特に、年間を通して最高気温が高くなる傾向にあり、[[南部町 (山梨県)|南部町]]では1月を除いてすべて[[夏日]](25度以上)の記録がある。 冬の季節風([[八ヶ岳おろし]])が強いが、降雪は[[豪雪地帯]]の[[南アルプス市]](旧[[芦安村]])と[[早川町]]を除いてわずか。また、夏は標高の割に最低気温が高くなり、6 - 8月の最低気温の月平年値は熊谷や東京など標高の低い平野部とほぼ変わらなくなる。年降水量が少なく日照時間が長いが、[[台風]]の通過経路でもあり、しばしば[[集中豪雨]]に見まわれる。その為、沼地の多い[[中巨摩郡|中巨摩地域]]では、舟を所有していた家も多かった。山麓地域では盆地部より気温が冷涼かつ1日の気温差が大きく、降水量も多い。このため、盆地周縁では冷涼な気候に向いた[[ブドウ|葡萄]]の栽培が盛んである。 [[植物相]]は盆地部で[[落葉広葉樹林]]、山岳部では亜高山・[[日本の高山植物相|高山帯の植生]]。また、富士川下流域の河内地方は温暖多雨であり[[太平洋側気候]]にかなり近く、[[潜在自然植生]]で常緑広葉樹林。 [[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]の山頂は最暖月平均気温が6.0℃で[[ケッペンの気候区分]]では[[ツンドラ気候]]となっている。また、[[清里高原|清里]]のある[[八ヶ岳|八ヶ岳山麓]]、[[青木ヶ原樹海]]や[[富士五湖]]周辺の富士山北麓などの標高1,000mを超える高原地域は[[亜寒帯湿潤気候]](Dfb)に属し、冬の寒さは非常に厳しく厳寒期には[[氷点下|-]]20度を下回るが、夏は冷涼で[[避暑地]]となるなど[[北海道]]に似た気候である。 {|class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:right; white-space:nowrap" |+ 山梨県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2" | 平年値<br />(月単位) !colspan="6"|[[国中地方]]・中西部 !colspan="5"|[[郡内地方]]・東部富士五湖 |- ! [[北杜市]]<br />[[大泉村 (山梨県)|大泉]] !! [[韮崎市|韮崎]] !! [[甲府市|甲府]] !! [[甲州市]]<br />[[勝沼町|勝沼]] !! [[身延町]]<br />切石 !! [[南部町 (山梨県)|南部]] ![[甲府市]]<br />古関 !! [[大月市|大月]] !! [[富士河口湖町]]<br />[[河口湖町|河口湖]] !! [[山中湖村]]<br />山中 !! [[富士山 (代表的なトピック)|富士山]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|℃]]) !最暖月 | 22.3<br />(8月) || 25.6<br />(8月) | 26.2<br />(8月) || 25.5<br />(8月) | 25.6<br />(8月) || 26.0<br />(8月) || 23.6<br />(8月) | 24.5<br />(8月) || 21.8<br />(8月) | 20.5<br />(8月) || 6.0<br />(8月) |- !最寒月 | -0.4<br />(1月) || 2.1<br />(1月) | 2.5<br />(1月) || 2.1<br />(2月) | 1.7<br />(1月) || 3.6<br />(1月) || 0.3<br />(1月) | 1.7<br />(1月) || -0.8<br />(1月) | -2.6<br />(1月) || -18.5<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 | 187.8<br />(9月) || 215.7<br />(9月) | 190.8<br />(9月) || 188.4<br />(9月) | 307.4<br />(9月) || 194.0<br />(9月) || 337.9<br />(9月) | 236.9<br />(9月) || 256.0<br />(9月) | 368.7<br />(9月) || |- !最少月 | 20.4<br />(12月) || 22.1<br />(12月) | 23.5<br />(12月) || 22.6<br />(12月) | 32.9<br />(12月) || 29.0<br />(12月) || 35.7<br />(12月) | 26.6<br />(12月) || 33.7<br />(12月) | 49.1<br />(12月) || |- |} === 日本の地方区分における位置づけ === 日本全体の地理上では、[[箱根峠]]より西の内陸に位置する為、[[東日本]]に分類される。 県全体が[[中央高地]]の東寄りにあるため、[[明治]]以来の日本を八つの地方([[北海道|北海道地方]]、[[東北地方|東北]]、[[関東地方|関東]]、[[中部地方|中部]]、[[近畿地方|近畿]]、[[中国地方|中国]]、[[四国]]、[[九州]])に分ける[[日本の地域|全国八地方区分]]では中部地方に位置付けられる。 一方で行政や経済、県民生活などでは関東地方ないし[[広域関東圏]]の一部という面が強い。[[中部圏知事会]]のメンバーではなく<ref>[http://www.pref.aichi.jp/chiji/chubuken/page/m.html 中部圏知事会] 愛知県(2018年9月26日閲覧)。</ref>、[[関東地方知事会]]に参加しており、[[首都圏整備法]]の対象地域でもある<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=332CO0000000333&openerCode=1#1 首都圏整備法施行令] の第一条(2018年9月26日閲覧)。</ref>。知事会議でも山梨県は中部地方の会議には参加せず、関東地方の会議にのみ参加している。 政府機関でも以下のように、山梨県はおおむね関東の[[出先機関]]管轄とされている。 * [[国土交通省]]:関東[[地方整備局]](甲府河川国道事務所など)<ref>[https://www.ktr.mlit.go.jp/koufu/ 甲府河川国道事務所](2018年9月26日閲覧)。</ref>、関東[[地方運輸局|運輸局]](山梨運輸支局)<ref>[https://wwwtb.mlit.go.jp/kanto/s_yamanasi/index.html 山梨運輸支局](2018年9月26日閲覧)。</ref> * [[経済産業省]]:関東経済産業局<ref>[http://www.kanto.meti.go.jp/annai/annai_index.html 関東経済産業局](2018年9月26日閲覧)。</ref> * 衆議院比例代表ブロック:神奈川県・千葉県とともに南関東ブロック * [[防衛省]]:神奈川県・静岡県とともに[[南関東防衛局]] * 司法分野:[[甲府地方検察庁]]の上位検察庁は[[東京高等検察庁]]、[[甲府地方裁判所]]の上位裁判所は[[東京高等裁判所]] 文化・スポーツ面では、[[国民体育大会]]で山梨県が関東ブロック<ref>[https://www.sports.pref.yamanashi.jp/kanto_bl/index.php?content_id=1 第71回・国民体育大会関東ブロック大会] 山梨県体育協会(2018年9月26日閲覧)。</ref>に属しているほか、学生陸上競技の地方大会である[[箱根駅伝]]に山梨県所在の大学が参加するなど、関東地方の一部として扱われる例が多い。 公益企業を含む民間ビジネスなどの分野でも、県内を通る[[JR]]線のうち[[中央本線]]が[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[東日本旅客鉄道八王子支社|八王子支社]]の管轄であったり、神奈川県と共に日本郵便は南関東支社の管轄、電話は[[東日本電信電話|NTT東日本]]の管轄{{Refnest|group="注釈"|ただし県内の[[日本の市外局番|市外局番]]は[[西日本電信電話|NTT西日本]]の営業エリアである静岡県東部と同じ'''055'''で始まる。}}、総合スーパーなどを営むイオンリテールは南関東カンパニーの管轄であるなど、関東地域の営業部署の管轄エリアであることが多い。 {{要出典|山梨県の公式見解でも、関東地方と中部地方との両方に属することが明確にされている。|date=2023-01}} 山梨県は、同じように中部地方東側で、関東圏と関わりが深い他県とまとめた地方として扱われることがある。山梨県と静岡県(東側が旧[[駿河国]])を併称する場合は'''山静'''(さんせい、やましず)や'''甲駿'''(こうすん)という。山梨県と長野県(旧[[信濃国]])を併称する場合は'''[[甲信地方|甲信]]'''(こうしん)、さらに新潟県(旧[[越後国]])を加えて'''[[甲信越地方|甲信越]]'''(こうしんえつ)という。 === 隣接する都道府県 === [[東京都]] - [[神奈川県]] - [[埼玉県]] - [[静岡県]] - [[長野県]] 山梨県[[南都留郡]][[山中湖村]]と[[静岡県]][[駿東郡]][[小山町]]の籠坂峠付近と山梨県[[南都留郡]][[鳴沢村]]及び[[富士吉田市]]と[[静岡県]][[富士宮市]]及び[[駿東郡]][[小山町]]の[[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]山頂付近([[県境]])には2ヶ所未定区間がある。[[御殿場市]]は、[[小山町]]の間に境界未定部分が有るため、富士吉田市及び鳴沢村と接する可能性もある。 === 自治体 === 自治体は、以下の13市5郡8町6村がある。町の読み方は富士河口湖町だけが「まち」で、他は全て「ちょう」、村は全て「むら」である。 {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=山梨県|float=right}} {{div col}} {{no col break| ;'''市部''' * [[甲府市]](県庁所在地) * [[富士吉田市]] * [[都留市]] * [[山梨市]] * [[大月市]] * [[韮崎市]] * [[南アルプス市]] * [[甲斐市]] * [[笛吹市]] * [[北杜市]] * [[上野原市]] * [[甲州市]] * [[中央市]] }}{{no col break| ; 郡部 * [[西八代郡]] ** [[市川三郷町]] * [[南巨摩郡]] ** [[富士川町]] ** [[早川町]] ** [[南部町 (山梨県)|南部町]] ** [[身延町]] * [[中巨摩郡]] ** [[昭和町]] * [[南都留郡]] ** [[道志村]] ** [[西桂町]] ** [[忍野村]] ** [[山中湖村]] ** [[鳴沢村]] ** [[富士河口湖町]] * [[北都留郡]] ** [[小菅村]] ** [[丹波山村]] }}{{div col end}} === 県内の地域区分 === 県域は、中西部の甲府盆地を中心とする[[国中地方|国中]](くになか)と、東部の[[相模川]]と[[多摩川]]の上流域および富士山北麓からなる[[郡内地方|郡内]](ぐんない)に大別される。両者は[[方言]](郡内は関東地方との結び付きが国中よりも高いため、[[西関東方言]]に分類)など、自然や文化においても大きく異なっている。 国中地方はさらに、甲斐を意味する「峡」(きょう)の後に方角を示す語をつけて「峡中」「峡北」「[[峡東]]」「峡南」「峡西」に分けられる<ref>[http://sha-unite.com/%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E7%9C%8C%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%89%B9%E6%80%A7/ 山梨エリアについての基礎知識] ユナイト株式会社(2018年9月26日閲覧)。</ref>。 * '''[[国中地方|国中(中西部)]]'''=[[山梨郡]]、[[巨摩郡]]、[[八代郡 (甲斐国)|八代郡]] ** 中北 *** 峡北(甲府盆地北部及び八ヶ岳山麓。[[韮崎市]]、[[北杜市]]) *** 峡中(甲府とその周辺。[[甲府市]]、[[甲斐市]]、[[中央市]]、[[昭和町]]など) ** 峡西([[南アルプス市]]。旧[[中巨摩郡]]の[[釜無川]]西岸地域) *** 山梨県の出先機関である地域振興局が再編成され、峡中地域振興局と峡北地域振興局が統合され「中北地域県民センター」となった。峡中地域振興局は峡西地域も管轄していたため、地域振興局の再編成と呼応する形で峡北・峡中・峡西の3地域の総称として、「山梨県中北地域」が天気予報などでも使われ始めた。 ** 峡東([[甲府盆地]]東部。[[笛吹市]]、[[山梨市]]、[[甲州市]]など) ** 峡南([[富士川]]流域。[[南巨摩郡]]、[[西八代郡]])→富士川流域地域は「河内(かわうち)」とも呼ばれる。 * [[郡内地方]](東部富士五湖)=[[都留郡]] ** 東部([[西桂町|西桂]]以東。[[都留市]]、[[大月市]]、[[上野原市]]) ** 富士五湖、富士北麓 「国中」「郡内」は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]以来の呼称。「中西部」「東部富士五湖」は気象情報で用いられている。郡名は古来用いられてきたもの。「峡○」は、県の出先機関である地域振興局の区分となっている(この四つの他、東部・富士北麓地域振興局がある)。[[国中地方]]は東海地方の[[文化圏]]であるのに対し、郡内地方は関東地方の文化圏となっている。方言も[[国中弁]]と[[郡内弁]]で異なる。 == 歴史 == {{seealso|甲斐国}} === 先史時代 === {{Vertical_images_list |幅= 200px | 1 = Kai-Choshizuka-kofun №1.JPG | 2 = 甲斐銚子塚古墳 | 3 = 金生遺跡復元住居と配石遺構.JPG | 4 = 金生遺跡の配石遺構 }} 甲府盆地では[[釜無川]]、[[笛吹川]]の[[氾濫原]]が広がっている。郡内地方では富士山の火山活動による影響も受け、定住が困難な時代が続いていた。 [[旧石器時代 (日本)|旧石器時代]]の遺跡は長野県との[[八ヶ岳]]山麓や静岡県の[[愛鷹山]]・[[箱根山]]など隣接する文化圏に属する地域や桂川流域を中心に分布する。最古の一杯窪遺跡(都留市)や[[立石遺跡]](甲府市)をはじめ、八ヶ岳山麓の[[丘の公園内遺跡群]](北杜市)や[[神津島]]産の[[黒曜石]]が出土した[[横針前久保遺跡]](北杜市)、長野県産の黒曜石が発見された[[天神堂遺跡]]などが代表的で、周辺地域に比べ密度は低いものの、周辺地域との人的移動を示す資料が発掘されている。 [[縄文時代]]草創期から前期には引き続き[[湧水]]が利用できる山麓部や[[富士北麓]]などに遺跡が分布し、後期旧石器時代から縄文草創期への移行期にあたる[[神取遺跡]](北杜市)や関東文化圏の影響が見られる[[池之元遺跡]](富士吉田市)が出現する。中期には盆地にも進出し、大規模な集落遺跡である[[釈迦堂遺跡群]](笛吹市、甲州市)や重要文化財に指定されている精巧な土器の出土した[[一の沢遺跡]]、豊富な生活遺物が出土している[[花鳥山遺跡]]などが出現し、[[縄文農耕]]論にも一石を投じた[[有孔鍔付土器]]など考古学史上注目されている遺物も出土している。また、盆地西部の西郡地域は釜無川の氾濫原であり考古遺跡は乏しいが、近年では精巧な土器や[[土偶]]が出土した[[鋳物師屋遺跡]]が発掘され、注目されている。 後晩期には地球的な寒冷化の影響を受けて遺跡数が減少するものの、石組や[[配石遺構]]など祭祀施設であると考えられている[[八ヶ岳]]南麓の[[金生遺跡]](北杜市)や[[牛石遺跡]](都留市)などが出現する。また、郡内地方の桂川流域では関東地方との交流が見られる遺物が出土している。 [[弥生時代]]には[[身洗沢遺跡]]や[[金の尾遺跡]]などの集落遺跡があり、[[宮の前遺跡]](韮崎市)では[[水田]]が確認されている。盆地南西部の[[曽根丘陵]]では[[東海地方]]経由で弥生文化が流入し、[[方形周溝墓]]が見られる[[上の平遺跡]]など[[古墳時代]]に至る遺跡がある。 古墳時代の[[4世紀]]後半には[[畿内]]で確立した[[ヤマト王権]]と政治的接触を持っていたと考えられている。曽根丘陵では4世紀前半の[[前方後方墳]]である[[小平沢古墳]]をはじめ、4世紀後半には最大規模の[[甲斐銚子塚古墳]]や[[岡銚子塚古墳]]などの有力首長クラスの[[前方後円墳]]が出現し、[[三角縁神獣鏡]]などの副葬品も出土している。5世紀には中道勢力が衰退し、古墳の造営は盆地各地へ拡散する。 === 古代 === [[ファイル:Sakaorimiya zenkei.jpg|thumb|酒折宮]] 『[[国造本紀]]』などによると[[景行天皇]]の時代に[[狭穂彦王]]の四世孫の[[塩海足尼]]が[[甲斐国造]]に任命されたと伝わる。古代には[[律令制]]下において甲斐国が成立する。『[[日本後紀]]』[[延暦]]16年条によれば甲斐東部の都留郡の帰属をめぐって隣接する[[相模国]]との間で争論があったという。甲斐国は[[五畿七道]]では[[東海道]]に属し、山梨・八代・巨摩・都留の甲斐四郡が成立。郡郷は『[[和名類聚抄]]』に31郷が記載されている。山梨・八代両郡は古代甲斐国の政治的中心地で、[[国府]]は山梨郡笛吹市春日居町に前期国府が存在し、八代郡の笛吹市御坂町に移転されたと考えられている。[[官道]]は東海道[[横走宿]]から分岐して都留郡を経て、甲府盆地に入り甲斐国府に至る[[甲斐路]]が存在していた。四郡のうち甲斐西部の巨摩郡は[[渡来人]]の入植により成立した郡であると考えられている。 一方、『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』([[記紀]])に記される[[日本神話]]においては[[ヤマトタケル]](倭建命、日本武尊)の東征において[[足柄山]]から甲斐へ入り、[[酒折宮]](甲府市酒折)において老人と歌を交わす説話が残されている。記紀に載る日本神話には両書が成立した奈良時代の歴史認識が反映されているものと考えられているが、考古学的にも甲斐においては古墳後期の4世紀後半代から[[畿内]]の影響下にあったとみられ、酒折宮伝承にも[[ヤマト王権]]と甲斐の在地豪族との関係が反映されているものと考えられている。足柄山から甲斐国へ至ったヤマトタケルの遠征ルートは古代の交通体系を明らかにする上でも注目されている。 [[ファイル:Daizen-ji-4a.jpg|thumb|大善寺]] また、『[[続日本紀]]』においては甲斐[[国司]]の田辺史広足が黒毛の駿馬を朝廷に献上したという「甲斐の黒駒」に関する説話が記されている。『[[延喜式]]』によれば東国では甲斐をはじめ信濃・[[上野国|上野]]・[[武蔵国|武蔵]]の四国に[[御牧]]が設置され馬産が行われていたことが記されている。[[駿河国正税帳]]や[[長屋王家木簡]]などの[[出土文字資料]]からも朝廷への貢馬が確認されている。『延喜式』によれば甲斐には穂坂牧、真衣野牧柏前牧の[[甲斐国の御牧|三御牧]]が設置されていたという<ref>『日本の特別地域特別編集65 これでいいのか山梨県』40頁 - 41頁 (地域批評シリーズ)</ref>。 平安時代には[[市河荘]]や[[八代荘]]などの[[荘園 (日本)|荘園]]が成立し、国府所在地である甲府盆地東部では在庁官人である三枝氏が八代荘を勢力基盤とした。『[[長寛勘文]]』によれば[[応保]]2年([[1162年]])には三枝氏に打撃を与えた[[八代荘停廃事件]]が発生している。 平安時代後期には[[常陸国]]から[[源義清 (武田冠者)|源義清]]、[[源清光]]が市河荘に[[流刑|配流]]された。義清、清光の子孫は甲府盆地の各地へ土着し、後に[[甲斐源氏]]となる。 === 中世 === [[ファイル:Takeda Harunobu.jpg|thumb|武田信玄像(高野山持明院本)]] [[ファイル:武田神社-5.JPG|thumb|[[武田神社]] 拝殿(2014年5月撮影)]] [[平安時代]]後期の[[治承]]4年([[1180年]])、[[以仁王]]の[[令旨]]が諸国の源氏に下されると甲斐源氏の一族も平氏政権に対して挙兵する。甲斐源氏の一族は[[伊豆国]]の[[源頼朝]]の挙兵と協調し、[[富士川の戦い]]など[[治承・寿永の乱]]において活躍する。乱後、甲斐源氏の棟梁となった[[武田氏]]は[[甲斐国]]の[[守護]]となるが、甲斐源氏の一族は源頼朝の粛清を受け、衰退する。武田氏は中世には必ずしも甲斐守護を歴任していない。[[鎌倉幕府]]滅亡後に[[北条時行]]ら北条氏の残党が起こした[[中先代の乱]]までは北条方に属し、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には[[建武政権]]から離反した[[足利尊氏]]に従った。 [[室町時代]]には、[[室町幕府]]と[[鎌倉府]]の対立や、鎌倉府における[[鎌倉公方]]と[[関東管領]]の対立など関東地方の騒乱の影響を受ける。[[応永]]23年([[1416年]])、鎌倉公方の[[足利持氏]]に対し、前関東管領の[[上杉禅秀]]が挙兵した[[上杉禅秀の乱]]では、甲斐守護・[[武田信満]]が禅秀方に加担し、滅亡する。これにより甲斐は守護不在状態となり、足利持氏は甲斐[[国人]]の[[逸見有直]]を支持して室町幕府に対抗した。一方、室町幕府は[[武田信元]]、続いて[[武田信重]]を甲斐守護に任じ、守護代として[[跡部氏]]を派遣した。以後、甲斐では守護武田氏と有力国人や跡部氏との抗争が続く。 守護・[[武田信昌]]は[[寛正]]5年([[1464年]])には跡部氏を排斥する。信昌は嫡男の[[武田信縄|信縄]]に家督を譲り、いったん隠居した。後に次男の[[油川信恵]]に家督を譲る意向を示し、信縄と信恵間の内訌が生じる。信縄の子・[[武田信虎]]は[[永正]]5年([[1508年]])に信恵方を滅ぼし、国中地方の有力国人や都留郡(郡内地方)の国衆・[[小山田氏]]など従属させる。さらに信虎は駿河国の[[今川氏]]や信濃[[諏訪氏]]、[[扇谷上杉家]]・[[山内上杉家]]と同盟を結び<!--いつの出来事なのかはっきりさせてくれませんか-->、相模の[[後北条氏]]と敵対しつつ、信濃侵攻を開始した(「[[佐久攻め]]」を参照)。また、信虎は従来の[[川田館]](甲府市川田町)から[[甲府]]の[[躑躅ヶ崎館]](甲府市古府中町)に守護館を移転し、新たに[[城下町]]を整備し家臣団を集住させる。 都留郡では小山田氏が武田氏に臣従しつつも、[[中津森館]]、後に[[谷村館]]を本拠とした独自の領域支配を行った。河内領では[[穴山氏]]が同様に武田家臣となりつつ、下山館を本拠とした領域支配を行った。 信虎の子・[[武田信玄|武田晴信]](信玄)は[[天文 (元号)|天文]]10年(1541年)に信虎を駿河へ追放することで家督を継承する。晴信は信虎の外交方針を転換し、信濃諏訪氏を滅ぼして[[諏訪郡]]を領国化する。さらに相模国の後北条氏と和睦を結ぶと、今川・北条間の[[河東の乱]]を調停し、三者の間で[[甲相駿三国同盟]]を成立させる。一方、信濃侵攻により山内上杉氏とは敵対する関係となり、信濃[[村上義清|村上氏]]ら信濃国衆や越後国の長尾景虎([[上杉謙信]])と[[川中島の戦い]]を繰り広げる。 信濃をほぼ統一した後は西上野や[[駿河侵攻|今川領国への侵攻]]を行い、[[三河国|三河]]北部や[[遠江国|遠江]]東部・北部、[[美濃国|美濃]][[恵那郡]]も出兵して、[[織田信長]]や[[徳川家康]]と対抗した。また、信玄期に確立した大名権力により独自の領国支配が展開された。年貢収入を調査する検地の実施や[[棟別諸役]]の整備や信玄堤の築造するなど治水政策が百姓への農業政策となった。[[躑躅ヶ崎館]]を中心とする甲府の城下町の整備が行われて、[[黒川金山]]や[[湯之奥金山]]など近世まで稼働した[[甲州金山]]の開発など商業活性化する領国経営事業が行われている。 信玄死去により家督を継いだ[[武田勝頼]]は[[長篠の戦い]]に敗れて領国の動揺を招き、[[天正]]10年([[1582年]])3月、織田信長・徳川家康連合軍による[[甲州征伐]]で[[戦国大名]]としての武田氏は滅亡した。また、勝頼から離反した郡内領主の[[小山田信茂]]は織田氏に出仕するが処刑され、郡内領主としての小山田氏も滅亡する。 === 近世 === {{Vertical_images_list | 幅 = 200px | 1 = Kohu-jo.jpg | 2 = 甲府城跡 | 3 = Tokushima-Segi irrigation waterway in Yamanashi prefectur.JPG | 4 = 徳島堰 | 5 = Kuonji-temple-Hondou.jpg | 6 = 身延山久遠寺 }} 武田氏滅亡後、甲斐一国と信濃諏訪郡は織田家臣の[[河尻秀隆]]が支配するが、同年6月の[[本能寺の変]]により発生した一揆で秀隆は横死。武田遺領を巡る[[天正壬午の乱]]では徳川家康と相模国の[[北条氏直]]が甲斐へ侵攻して八ヶ岳南麓・七里岩地域において対峙するも、同年10月の徳川・北条同盟の成立により後北条氏は撤兵。甲斐は徳川氏が領した。 その後、家康は[[豊臣秀吉]]に帰服。[[小田原征伐|後北条氏滅亡]]後の天正18年([[1590年]])に関東へ移封され、甲斐国には[[浅野長政]]ら豊臣大名が入った。[[豊臣政権]]下で甲斐は東国の家康に対する拠点として重視され、新たに[[甲府城]]が築城されて新城下町が整備され、甲斐国内の[[検地]]も行われた。 [[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]後には、勝利した徳川家康が主導して大名の全国的な再配置が行われた。甲斐では[[浅野氏]]が和歌山へ移封され、再び徳川氏による直轄支配が行われた。甲斐国は関東防衛の要所として重視され、[[江戸時代]]初期、国中には将軍直系([[甲府藩]])、郡内には[[譜代大名]]([[谷村藩]])が配置された。甲府藩には[[甲府徳川家]]が入封し、藩政機構が整えられた。[[宝永]]元年(1704年)に綱豊([[徳川家宣]])が将軍後継になると、[[川越藩]]主[[柳沢吉保]]が受封し、吉保の子[[柳沢吉里|吉里]]は甲府藩主で初めて国元へ入っている。ほか、甲斐には[[旗本]]領も存在していた。 [[享保の改革]]においては[[江戸幕府]][[天領|直轄領]]の整備が行われ、[[享保]]9年([[1724年]])に吉里が大和[[郡山藩]]に転封されると甲斐は幕府直轄領化され、谷村藩も[[秋元氏]]の転封後は直轄領化された。甲府町方は[[甲府勤番]]、在方は[[甲府代官所]]をはじめとする三分代官による支配となり、郡内は石和代官所の出張陣屋である谷村代官所が設置された。[[延享]]3年(1746年)には[[御三卿]]の賄領がおかれ、うち[[田安家]]領のみは[[幕末]]まで存続した。 近世甲斐は[[甲府城下町]]、谷村城下町の城下町のほか[[在郷町]]や[[身延山久遠寺]]の[[門前町]]や富士北麓の吉田・川口の[[御師]]町など都市や町場が発達。、[[甲州街道]]や[[駿州往還]]、[[佐久往還]]、[[青梅往還]]をはじめとする諸街道が整備された。江戸初期には[[角倉了以]]による[[富士川]]の開削工事が行われて[[富士川舟運]]や[[中馬]]による陸上輸送が発展し、江戸後期には甲斐・信濃の年貢米の[[廻米]]輸送が行われた<ref>『日本の特別地域特別編集65 これでいいのか山梨県』44頁 - 45頁 (地域批評シリーズ)</ref>。 近世には領主権力の確立により治水や[[用水路]]の開削が行われ、釜無川・御勅使川の治水や[[徳島堰]]の開削、郡内での[[谷村大堰]]や[[新倉掘抜]]の開削などが行われ、甲府城下でも[[甲府上水]]が整備される。治水の進捗に伴い在方では[[新田開発]]が進み、[[養蚕]]や[[織物]]など産業が発達した。甲府盆地では一般に米麦栽培に商品作物の栽培、農閑期の[[行商]]や大工などの農間余業を組み合わせた生業形態が一般的であった。山地が多い甲斐の山村では、林業や狩猟、[[木炭|製炭]]や[[漆]]採取、鉱山経営などの山の生業が発達し、特に郡内では平坦地が少ないため織物の生産や街道沿いでの駄賃稼ぎの占める割合が高い。こうした生業的特徴から甲斐では水利を巡る[[水論]]や山の用益を巡る[[山論]]が多発している。 また、甲斐では金納税制である[[大小切税法]]や[[甲州金]]・[[甲州枡]]の甲州三方が独自の国制として存在し、領主側の廃止や改正に対して領民は存置を求め抵抗している。また、領主側との衝突や災害・凶作などに伴う百姓一揆も発生し、[[米倉騒動]]や[[太枡騒動]]、江戸後期には郡内に発する百姓一揆から[[無宿]]・悪党を巻き込み一国規模の騒動となった[[天保騒動]]など大規模な[[百姓一揆]]も発生した。 文化面では甲府城下町の発達により遊芸文化が興隆し、甲府藩時代には大名文化、江戸後期には[[町人文化]]が発達する。甲府勤番・勤番士は学問的関心を持ち、甲斐国の総合地誌である『[[甲斐国志]]』の編纂や勤番士による『[[裏見寒話]]』など地誌の編纂が行われ、勤番士の学問所である[[徽典館]]も開かれた。甲府では町人亀屋与兵衛が芝居小屋である[[亀屋座芝居|亀屋座]]を開業し、歌舞伎や相撲、人形浄瑠璃などの諸芸興行を行い、[[1841年]]([[天保]]12年)には甲府町人が江戸の人気[[浮世絵]]師である[[歌川広重]]を招き、城下の大通りを広重ら人気浮世絵師の幕絵で飾る[[甲府道祖神祭礼]]を創始した。ほか、[[俳諧]]や[[和算]]なども発達する。 {{Wikisource|カテゴリ:甲陽軍鑑|甲陽軍鑑}} また、武田信玄は近世から甲斐領民の尊崇を集め、武田氏館跡や墓所、武田氏に関係する寺社などが古跡として成立した。近世には[[軍学書]]である『[[甲陽軍鑑]]』が成立し、関係書を含めて武家・庶民の間でも広く読まれ影響力を及ぼし、武田家に関する文学や浮世絵なども製作された。 江戸後期は東国に特徴的な農村の荒廃から無宿・[[博徒]]が増加し、[[竹居安五郎]]や[[黒駒勝蔵]]など甲州博徒が台頭した。[[幕末]]の[[開国#日本の開国]]により[[横浜港]]が[[開港]]されると、[[甲州屋忠右衛門]]・[[若尾逸平]]ら在方商人が甲州産物を移出して富を築いた。若尾逸平は甲府において[[製糸業]]に着手して新興商人として台頭し、[[明治時代]]には[[甲州財閥]]を形成する。 === 明治維新から終戦まで === {{Vertical_images_list | 幅 = 200px | 1 = Fujimura Shiro.jpg | 2 = 藤村紫朗 | 3 = Fujimura Memorial Hall.JPG | 4 = 睦沢学校(現・藤村記念館) }} [[慶応]]4年([[明治]]元年、[[1868年]])3月、甲府城へ入った新政府の[[板垣退助]]率いる甲州街道軍と、[[近藤勇]]率いる旧幕府軍の[[甲陽鎮撫隊]]([[新選組]])が[[勝沼町|勝沼]]([[甲州市]]の一部)[[大善寺 (甲州市)|大善寺]]で激突した([[甲州勝沼の戦い]])。旧幕府軍は駆逐され、甲州鎮撫府が設置された。 同年[[10月19日]]([[9月4日 (旧暦)|旧暦9月4日]])、甲斐国内に[[府中県]]([[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は山梨郡甲府)、[[市川県]]、[[石和県]]が設置され、[[12月11日]]([[10月28日 (旧暦)|旧暦10月28日]])にこれら3県を統合して'''甲斐府'''が設置された。明治2年([[1869年]])[[8月27日]]([[7月20日 (旧暦)|旧暦7月20日]])、「[[府 (行政区画)|府]]」の呼称が[[京都府]]・[[東京府]]・[[大阪府]]に限定されたことから、甲斐府は'''甲府県'''と改称した。 明治3年([[1870年]])5月に田安領を併合し、明治4年([[1871年]])[[8月29日]]([[7月14日 (旧暦)|旧暦7月14日]])の[[廃藩置県]]後も甲府県は存続したが、同年10月末(旧暦)に始まる第1次府県統合により、旧[[韮山代官所]]を引き継いだ[[韮山県]]の甲斐国内管轄区域などを統合して、[[12月31日]]([[11月20日 (旧暦)|旧暦11月20日]])に甲斐国全域を管轄区域とする'''山梨県'''が発足した。県庁所在地は引き続き山梨郡甲府、初代[[県令]]には[[土肥謙蔵|土肥実匡]]が任ぜられた。[[1873年]](明治6年)に着任した[[藤村紫朗]]の[[殖産興業]]政策により、製糸業の勧業や道路、金融機関の整備が行われた。特に[[青梅街道]]の改築など道路整備を推し進めたことから、藤村は「道路県令」とも呼ばれている<ref>『日本の特別地域特別編集65 これでいいのか山梨県』46頁 - 47頁 (地域批評シリーズ)</ref>。 [[1909年]](明治42年)には[[大日本帝国陸軍|陸軍]]甲府連隊([[歩兵第49連隊]])が設置された。[[太平洋戦争]]中には[[疎開]]地でもあったが、[[1945年]](昭和20年)7月には[[甲府空襲]]に遭い、市街は灰燼と帰した。 また、明治時代には、1882年、1885年、1907年、1910年と大水害に見舞われ、大きな被害を受けた<ref name=shiina/>。これには、地形的理由だけでなく、林野の強権的官有化による[[里山]]の荒廃や急激な開発という人為的理由も一因した<ref name=shiina/>。1873年の[[地租改正]]後、林野の官民有区分が行なわれ、県下の[[入会林野]]の99%以上が1881年に官有とされ、1889年には[[皇室]]財産となった<ref name=shiina/>。これにより地元民は草木採取に際し面倒な手続きを強いられることとなり、盗伐や山火事が頻発して里山の荒廃に繋がった<ref name=shiina/>。さらに、明治期日本の主要産品である[[絹織物]]生産のために[[蚕]]の餌となる[[桑畑]]の開墾や、薪炭材調達を目的として山林が徹底的に伐採された<ref name=shiina/>。こうしたことが大災害に繋がったとして、1911年に御料林は県に無償返還されて恩賜県有林となり、[[入会権]]などは官有前に戻された<ref name=shiina/>。 === 戦後から現在まで === {{underline|※日本の占領時代については「[[連合国軍占領下の日本]]」を参照。}} 終戦後、[[1945年]](昭和20年)9月には[[第8軍 (アメリカ軍)|アメリカ陸軍第8軍]]の部隊が甲府へ進駐。年末には戦闘部隊は引き上げ、少数の山梨県軍政部が県庁周辺の洋風建築を接収して県内の監視を行う。県内人口は[[復員]]兵や疎開者の帰還で増加し、戦時期の山林荒廃から災害被害もあり食糧事情は悪化。当局により、新潟 県からの移入米の配給や米軍の食糧放出など対策を講じるが食糧難はしばらく続き、ヤミ米が流通した。 [[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)による改革を受け、県内でも政党活動や新聞の発行などが再開される。[[1946年]](昭和21年)には[[内務省 (日本)|内務省]]官僚による地方支配に代わり公選知事が導入され、[[1947年]](昭和22年)の第一回県知事選では保守派合同の推薦で[[吉江勝保]]が当選し、初代公選知事となる。吉江は[[1948年]](昭和23年)2月に食料増産や山林復旧など10大政策を掲げたものの、財政難などの制約もあり産業基盤の復興もままならず、社会福祉制度も構想のみに留まった。 [[1951年]](昭和26年)の知事選では[[民主党 (日本 1947-1950)|民主党]]代議士[[天野久]]が擁立され、吉江知事を破り当選。天野「富める山梨」を掲げ、利水に乏しい甲府盆地西部の御勅使川[[扇状地]]を開発する[[野呂川総合開発]]に着手し、計画は国の援助を受け上水道や県営発電所の建設が行われた。また、[[新笹子トンネル]]建設による幹線道路の整備は[[高度経済成長]]期とも重なり、果樹農業や観光の振興にも繋がった。一方で、天野県政期には開発による災害があり、[[北富士演習場]]問題が発生する。1959年と1966年に山梨県は台風により大規模な被害を受けるが、戦時中の治山治水事業の停滞と戦後の乱開発が被害拡大を招いたとされる<ref name=shiina/>。 [[1967年]](昭和42年)に天野知事を破り3代知事となった[[田辺国男]]は「健康山梨」を掲げ、一村一工場誘致を方針に工業団地造成や幹線道路整備を行う一方で、開発により環境破壊が顕著となっていたため環境保護にも配慮したグリーン・プランを提唱する。一方で連峰スカイライン構想を具体化させると批判が相次ぎ、北富士演習場問題の膠着や[[オイルショック]]の影響による不況も重なって巨大開発構想は断念された。文化事業では、[[1978年]](昭和53年)にはフランスの画家[[ジャン=フランソワ・ミレー|ミレー]]の『種をまく人』を2億円で落札・購入した[[山梨県立美術館]]を創設。 田辺県政は日本経済の好景気化も受け4期目を目指したが、中央政界で前天野知事を支持した[[自由民主党 (日本)|自民党]]政治家[[金丸信]]が影響力を強めると県議会においても金丸派が最大派閥となり、これに社会党県連が4選阻止のため提携し、副知事の[[望月幸明]]を擁立。[[1979年]](昭和54年)の県知事選では田辺知事を破り、望月が当選した。望月県政は金丸信の後見を受けて県議会でのオール与党体制を確立し、北富士演習場問題の小康や[[バブル景気]]の後押しを受け、[[1986年]](昭和61年)の[[第41回国民体育大会|かいじ国体]]の開催や県有林の高度活用、リゾート施設の造成、[[リニア実験線]]の誘致などを勧めた。 [[ファイル:Monument of Schistosoma japonicum disease end.JPG|thumb|地方病流行終息の碑]] [[1965年]](昭和40年)までに県内の中央本線が複線・電化され、[[1982年]](昭和57年)には[[中央自動車道]]が全線開通。また[[石和温泉]]や[[富士五湖]]、[[清里高原|清里]]などの観光地が整備され、首都圏から日帰り短期旅行できる観光地としても発展した。 望月知事が4選を断念し、[[1992年]](平成4年)に望月県政を批判して金丸派候補を破り当選した[[天野建]]知事(父は上記の天野久)は財政難の中公共工事の見直しを行いつつ環境行政を重視する「幸住県やまなし」事業を実施。[[山梨県立博物館]]の建設推進や排水路整備の推進をおこない、[[1996年]](平成8年)には長年県民を苦しめてきた[[日本住血吸虫]]([[地方病 (日本住血吸虫症)|地方病]])の終息宣言を行う。 天野知事の後、[[2003年]](平成15年)からは前甲府市長[[山本栄彦]]が知事に就任。バブル崩壊後手付かずだった[[甲府駅]]北口の整備や[[中部横断自動車道]]の[[増穂インターチェンジ|増穂IC]]以南の着工を推進。しかし県政の混乱が発生し、[[2007年山梨県知事選挙|2007年(平成19年)の選挙]]で[[横内正明]]に敗れ、山本県政は1期で終焉した。横内県政では、甲府市中心部の再開発や「トップセールス」として山梨県の特産物の海外展開を行なう。この間、[[世界金融危機 (2007年-)|世界金融危機]]や[[東日本大震災]]が発生し、特に山梨の景況感は冷え込み全国最下位が続いていた。2期続いた横内から[[2015年]](平成27年)に県政を引き継いだ[[後藤斎]]は人口減対策などの政策を打ち出したが、政策の修正や見直しを迫られるなどし、[[2019年山梨県知事選挙|2019年(平成31年)の選挙]]で[[長崎幸太郎]]に敗れている。 [[2003年]](平成15年)より[[日本の市町村の廃置分合|平成の大合併]]が行われ、64あった市町村が27([[2010年]](平成22年)3月時点)まで集約された。 == 人口 == {{人口統計|code=19000|name=山梨県|image=Demography19000.svg}} [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Yamanashi prefecture, Japan_2015-2020.svg|500px|thumb|none|山梨県市町村人口増減率分布図(2015年度と2020年度[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#66FF00|5.0 - 7.49 %}} {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]] === 都市 === '''山梨県内 市別人口ランキング''' {| class="infobox" style="text-align:center; width:100%; margin-right:10px; font-size:100%" |- ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[山梨県#都市|地域区分]] ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 県内順位 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[山梨県#都市|地域区分]] ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口 |- |----- |align="center"| '''1''' |align="center"| '''[[甲府市]]''' |align="center"| [[国中地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|甲府市}}}}人 |align="center"| '''6''' |align="center"| '''[[北杜市]]''' |align="center"| [[国中地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|北杜市}}}}人 |----- |align="center"| '''2''' |align="center"| '''[[甲斐市]]''' |align="center"| [[国中地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|甲斐市}}}}人 |align="center"| '''7''' |align="center"| '''[[山梨市]]''' |align="center"| [[国中地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|山梨市}}}}人 |----- |align="center"| '''3''' |align="center"| '''[[南アルプス市]]''' |align="center"| [[国中地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|南アルプス市}}}}人 |align="center"| '''8''' |align="center"| '''[[中央市]]''' |align="center"| [[国中地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|中央市}}}}人 |----- |align="center"| '''4''' |align="center"| '''[[笛吹市]]''' |align="center"| [[国中地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|笛吹市}}}}人 |align="center"| '''9''' |align="center"| '''[[都留市]]''' |align="center"| [[郡内地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|都留市}}}}人 |----- |align="center"| '''5''' |align="center"| '''[[富士吉田市]]''' |align="center"| [[郡内地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|富士吉田市}}}}人 |align="center"| '''10''' |align="center"| '''[[甲州市]]''' |align="center"| [[国中地方]] |align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|甲州市}}}}人 |----- | colspan="11" align=center style="background:#f5f5f5;" |[[2020年]]10月 時点 |} {{-}} {{Gallery |align=center |width=160 |height=120 |File:View kofu celeo.JPG|1.[[甲府市]]([[中核市]]) |File:Ryuo Sta 2010071603.JPG|2.[[甲斐市]] |File:Ashiyasu 20120915155728.JPG|3.[[南アルプス市]] |File:Isawa Spa Town Aug.2013.JPG|4.[[笛吹市]] |File:Looking up Mt. Fuji from the Kamiyoshida town.JPG|5.[[富士吉田市]] |File:リゾナーレ小淵沢 - panoramio.jpg|6.[[北杜市]] |File:Kofu-Basin from Hottarakashi Onsen 01.jpg|7.[[山梨市]] |File:東花輪駅20140927.JPG|8.[[中央市]] |File:Yamanashi linear motor car.jpg|9.[[都留市]] |File:EnzanStkita.jpg|10.[[甲州市]] }} ; 山梨県内市別人口密度ランキング([[2016年]](平成28年)時点) :# [[甲斐市]](1,040人/[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]) :# [[中央市]](980人/km<sup>2</sup>) :# [[甲府市]](905人/km<sup>2</sup>) :# [[富士吉田市]](401人/km<sup>2</sup>) :# [[笛吹市]](344人/km<sup>2</sup>) {{Gallery |align=center |width=160 |height=120 |File:Outside of Shingen embankment.JPG|[[甲斐市]] |File:Higashi-Hanawa-01.JPG|[[中央市]] |File:The night view of Kofu City.jpg|[[甲府市]]([[都道府県庁所在地|県都]] ・ [[中核市]]) |File:View of Fuji-Q Highland from Ferris wheel.jpg|[[富士吉田市]] |File:Isawa Hot Springs Creek Aug.2013.JPG|[[笛吹市]] }} == 政治 == === 県政 === {{Main|山梨県知事一覧|山梨県庁|山梨県議会}} * [[都道府県知事|知事]]:[[長崎幸太郎]](ながさき こうたろう、2期目) ==== 財政 ==== * [[2007年]](平成19年)度 ** [[財政力指数]] 0.42 *** IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中8位 * [[2006年]](平成18年)度 ** 財政力指数 0.39 *** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中2位 * [[2005年]](平成17年)度 ** 財政力指数 0.35 *** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中10位 * [[2004年]](平成16年)度 ** 財政力指数 0.32 *** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中11位 === 国政 === {{Main|衆議院小選挙区制選挙区一覧#山梨県|山梨県選挙区}} [[衆議院]]の[[小選挙区]]は2013年の区割り改正で、3から2に減少。[[参議院]]では、全県で1区を構成。 == 経済・産業 == === 第一次産業 === {{see also|甲州八珍果}} [[ファイル:Katsunuma_vineyard_02.jpg|thumb|勝沼のぶどう栽培]] 山梨県は[[中央高地式気候]]のため寒暖の差が大きく、[[農業]]に適した地域は[[甲府盆地]]を中心に水捌けの良い平坦地である。江戸時代には治水・用水路開発のにより[[新田開発]]が行われ農業生産力は向上したが、[[養蚕]]や[[果樹]]などの[[商品作物]]栽培を複合させた形態の農業を発達していた。 養蚕は明治初期の[[殖産興業]]において特に力を入れられ日本有数の養蚕県であったが、[[化学繊維]]の台頭などにより昭和30年代をピークに養蚕の減少と、果樹栽培の増加に転じている。桑畑から果樹園への転換による景観的変化や、[[年中行事]]など生活・文化面の変化をもたらしている。 戦後の[[高度経済成長]]期において日本経済は農業の比重を低下させているが、工業の立ち後れていた山梨経済においても農業の役割は低下し、農家数や耕地面積は減少している。一方で経済成長により生じた国民生活の変化に対応して農業の形態を変化させており、国民の食生活が変化したことにより[[ブドウ|葡萄]]や[[モモ|桃]]、[[サクランボ]]などの果樹栽培の需要が高まった。山梨県産葡萄から醸造する「甲州[[ワイン]]」は、[[日本のワイン#近代|近代国産ワイン]]の先駆けである<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXKZO35620300R20C18A9BC8000/ 仲田道弘「味わい深き国産ワイン史◇醸造始まりの地・甲府をたどり文化を熟成する◇」]『[[日本経済新聞]]』朝刊2018年9月24日(文化面)2018年9月29日閲覧。</ref>。2019年8月7日には山梨「ワイン県」宣言を行った<ref>[https://www.yamanashi-kankou.jp/taste/wine/wineken.html 山梨県はワイン県となりました。](2019年11月17日閲覧)。</ref>。 また、[[首都圏 (日本)|首都圏]]や[[中京圏]]から近い地理的条件を活かして[[観光]]農園として観光客を集めているところも多い。 1980年代から1990年代にかけては果樹栽培への移行と農業の減退の傾向はさらに加速し、農業を主とする第一種[[兼業農家]]から農業を従とする第二種兼業農家への移行を示している。これに伴い[[中山間地域]]を中心に[[高齢化]]や農業後継者不足、[[過疎]]などが顕在化し、近年の課題となっている。 また、[[ミネラルウォーター]]の生産量は52万9388キロ[[リットル]]([[2004年]](平成16年))であり、日本の総生産量の40%を占める。山がちな地形であることから[[帯水層]]の露出が多く、都市化が進んでいないため清澄な[[湧水]]が多く採取できる上、主要な消費地の東京圏に近く[[貨物輸送|輸送]][[コスト]]が小さいため、大手メーカーの多くが採取地に山梨県を選んでいる。主な産地は[[赤石山脈|南アルプス]]山麓と[[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]および[[三ツ峠]]山麓である。 === 第二次産業 === 江戸時代後期から近代・昭和戦後期まで[[養蚕]]・[[製糸業]]が盛んであったが、戦後は斜陽化し、現在は衰退している。また海や大河がなく大量の水を使うことが難しく、また戦後しばらくまでは交通機関が未整備であったため[[鉄鋼]]・[[金属]]などの[[重工業]]が発展しにくい土地である。その一方で四方を山地に囲まれ水質が良好であることから、戦後の中央自動車道の全線開通以降、[[長野県]]の[[諏訪地域]]とともに[[精密機械]]産業が発達している。その他には[[石英|石英(水晶)]]の採掘地であったことから、研磨宝飾を中心とした[[宝石]]加工産業が発達している。2018年時点でも、宝飾品や[[貴金属]]の加工・流通に携わる企業が1000社近くある<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32495130S8A700C1940M00/ 【潜望展望】山梨ジュエリー輝けるか、カギは「中国」と「ネット」]『日本経済新聞』朝刊2018年7月3日(首都圏経済面)2018年9月29日閲覧。</ref>。 甲府盆地および富士山麓地域を中心にほぼ全地域に工業団地が点在しているが、可住地面積の少なさが災いしてか大規模な工業団地が形成しにくい。そのためバブル崩壊から2010年代までは県外のより広大な工業団地や海外進出のため撤退・閉鎖する企業・施設が相次いでいた。しかし[[2021年]]に中部横断自動車道の南部区間が全通すると、回帰や新たに進出する企業が相次いでいる<ref>{{PDFlink|[https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000839705.pdf 中部横断自動車道 山梨~静岡間 全線開通1年後の整備効果]}}</ref>。 富士川など高低差のある河川を利用して戦前より[[水力発電所]]が建てられ、戦後は山梨県を管轄する[[東京電力]]だけでなく[[山梨県企業局]]による水力発電所も建てられた。企業局で発電された電気は[[東京電力ホールディングス]]に売却され、これが山梨県の財政の助けになっている。また、日照時間の長さを利用した[[太陽光発電]]も建てられ、[[米倉山太陽光発電所]]や[[やまなしメガソーラー]]など10MWクラスの発電所が稼働している。山梨にある発電所は水力と太陽光が大半を占めており、[[火力発電所]]や[[原子力発電所]]は皆無である。 === 第三次産業 === 県庁所在地の甲府は近世の甲府城下町が商業的拠点として発達し、明治後に[[中央本線]]が開通すると[[甲府駅]]が開業し、山梨県庁舎をはじめ[[岡島百貨店]]や[[甲府会館|甲府松菱]](後の[[山交百貨店]])、中込百貨店(後の[[甲府西武]])などが駅前に軒を連ね、[[戦後復興期]]までは甲府駅を中心に発展していった。しかし[[高度経済成長]]を迎えると県内でも[[モータリゼーション]]が進行し、並行して[[公共交通機関]]が衰退した。旧城下町である甲府は道幅が狭く、渋滞が顕著になった甲府駅前を避ける傾向が強まり、代わりに[[高速道路]]や[[バイパス道路]]が整備された郊外に大型商業施設が次々と進出したため、[[1990年代]]より[[ドーナツ化現象]]が進行し、甲府西武や[[トポス (ディスカウントストア)|トポス甲府店]]の閉店が相次いだ。また中央本線の高速化や[[高速バス]]の発展により県外への[[ストロー効果]]が起こり、山梨県の商業そのものに影響を与えている。 2000年代以降は顕著となり、郊外は[[2000年]]にオープンした[[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー甲府昭和店]]を皮切りに[[2009年]]に[[ラザウォーク甲斐双葉]]、[[2011年]]に[[イオンモール甲府昭和]]など大型店が誕生したのに対し、甲府をはじめとした駅前の店舗は衰退。[[2004年]]に[[ルネス|イトーヨーカドー韮崎店]]、[[2005年]]に[[キュースタ|イトーヨーカドー富士吉田店]]、[[2006年]]に塩山ショッピングセンターシルクなど甲府以外の駅前店舗が相次いで閉店。甲府も2014年に[[グランパーク]]が閉鎖したのをはじめ、[[2019年]]には山交百貨店が閉店。そして[[2023年]]には岡島百貨店が規模を縮小のうえ[[ココリ]]へ移転するなど、それまでの中心部の店舗閉店が止まらない状況となっている。但しこれらの閉店・閉鎖された大型店舗は代替店舗の進出や公共施設になることが早く、山交百貨店跡地は[[2021年]]より[[ヨドバシ甲府]]としてオープンし、事業失敗で早期閉鎖された[[南アルプス完熟農園]]跡地には[[2024年]]より[[コストコ]]が進出することが決定している。 [[甲府中央商店街]]を中心とした既存商店街の大型店の反対運動が根強く、[[総務省]]が発表した「経済センサス‐基礎調査」によると百貨店・総合スーパーの人口10万人当たり店舗数は0.71軒と、全国ワーストとなっている。一方で大型店舗の少なさを補うかのようにコンビニが多く、人口10万人あたりのコンビニ店舗数は北海道に次いで全国2位<ref>{{cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO50231450W9A920C1ML0000/|title=人口当たりコンビニ数|publisher=日本経済新聞|date=2019-09-30|accessdate=2019-09-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191206133555/https://www.nikkei.com/article/DGKKZO50231450W9A920C1ML0000/|archivedate=2019-12-06}}</ref>、1人あたりのコンビニ購入額も全国上位3位に入っている<ref>{{cite news|url=https://news.allabout.co.jp/articles/o/39591/|title=コンビニで最もお金を使わない都道府県民、3位「兵庫県」2位「和歌山県」では1位は?|publisher=[[All About]]|date=2022-04-04|accessdate=2022-04-04|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220430090336/https://news.allabout.co.jp/articles/o/39591/|archivedate=2022-04-30}}</ref>。 外食産業の店舗数が多いことが特徴で、人口当たりで[[寿司屋]]、[[ガスト (ファミリーレストラン)|ガスト]]、[[バーミヤン (レストランチェーン)|バーミヤン]]、[[モスバーガー]]の店舗数は全国1位である<ref>[http://todo-ran.com/ 新都道府県別統計とランキングで見る県民性]</ref>。特に海が隣接していないのにもかかわらず寿司屋が多く、甲府市の中心部では100mあたり5、6店舗が並ぶところがある。山梨に寿司屋が多い理由として昔からの「海に対するあこがれ」や、元々祝いの席で必ず食べるものがなく、その代わりとして寿司が祝いの席の食べ物として出されるようになったことなどが挙げられている<ref>{{cite news|url=https://archive.is/20120712015656/mainichi.jp/area/yamanashi/news/20120616ddlk19040039000c.html|title=追跡・発掘:山梨県民はすしがお好き?「海へのあこがれ」根底に/山梨|publisher=[[毎日新聞]]|date=2012-06-16|accessdate=2012-06-16}}</ref>。 温泉・宿泊施設として古くから[[信玄の湯 湯村温泉|湯村温泉]]や[[下部温泉]]があり、戦後は[[石和温泉]]が沸出するなど旅館系施設が発展したが、バブル崩壊後はこれらの[[温泉街]]は衰退している。代わりに21世紀になると甲府中心部に県外資本のホテルが進出し、[[2010年代]]になると[[インバウンド消費]]の増大と富士山周辺の世界遺産登録により富士五湖周辺の宿泊施設が増えている。 === その他 === ==== 本社を置く主要企業 ==== {{div col||20em}} ; 建設業 * [[パナホーム|パナホーム山梨]] - [[甲府市]] * 富士急建設 - [[富士吉田市]] ; 製造業 * [[ファナック]] - [[南都留郡]][[忍野村]] * [[明電舎|甲府明電舎]] - [[中央市]] * 新旭電子工業山梨 - [[南アルプス市]] * [[パイオニアマイクロテクノロジー|パイオニア・マイクロ・テクノロジー]] - 甲府市 * [[キトー]] - [[中巨摩郡]][[昭和町]] * [[シチズンファインデバイス]] - 南都留郡[[富士河口湖町]] * [[シチズン電子]] - 富士吉田市 * [[東京エレクトロン テクノロジーソリューションズ]] - [[韮崎市]] * [[三井金属鉱業|三井金属ダイカスト]] - 韮崎市 * [[マルアイ (化成品メーカー)|マルアイ]] - [[西八代郡]][[市川三郷町]] * [[よっちゃん食品工業]] - 中央市 * [[シャトレーゼホールディングス]] - 甲府市 * [[旭食品 (山梨県)|旭食品]] - [[南巨摩郡]][[富士川町]] * [[テンヨ武田]] - 甲府市 * [[はくばく]] - 南巨摩郡富士川町 * [[桔梗屋]] - [[笛吹市]] * [[信玄餅|金精軒]] - [[北杜市]] *八ヶ岳ブルワリー(八ヶ岳ビール タッチダウン)- 北杜市 ; 情報通信業 * [[山梨放送]] - 甲府市 * [[山梨日日新聞|山梨日日新聞社]] - 甲府市 * [[日本ネットワークサービス (ケーブルテレビ局)|日本ネットワークサービス]] - 甲府市 * [[テレビ山梨]] - 甲府市 * システムインナカゴミ - 中央市 * カトム - 富士吉田市 * o2c - [[甲斐市]] ; 運輸業 * [[山梨交通]] - 甲府市 * [[富士急行]] - 富士吉田市 * [[富士急バス]] - 南都留郡富士河口湖町 * [[富士急山梨ハイヤー]] - 富士吉田市 * [[身延山|身延登山鉄道]] - 南巨摩郡[[身延町]] * 富士五湖汽船 - 南都留郡富士河口湖町 * 富士汽船 - 南都留郡[[山中湖村]] * [[栄和交通]] - 笛吹市 * [[山梨中央交通]] - 笛吹市 * [[山梨峡北交通]] - 北杜市 ; 卸売業・小売業 * 山梨パナソニックシステム - 中巨摩郡昭和町 * [[岡島百貨店|岡島]] - 甲府市 * [[オギノ]] - 甲府市 * フカサワ - 甲府市 * [[サン宝石]] - 中央市 * [[DCMくろがねや]] - 甲府市 ; 金融業 * [[山梨中央銀行]] - 甲府市 ; サービス業 * [[山梨文化会館]] - 甲府市 * [[ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ]] - 甲府市 * [[富士急ハイランド]] - 富士吉田市 * [[富士観光開発]]([[富士桜高原麦酒]]) - 南都留郡富士河口湖町 * [[アミューズ]] - 南都留郡富士河口湖町 {{div col end}} ==== 拠点事業所を置く主要企業 ==== {{div col||24em}} * [[パナソニック スマートファクトリーソリューションズ]]甲府事業所 - 中巨摩郡昭和町 * [[日立Astemo]]山梨第一工場・山梨第二工場 - 南アルプス市 * [[横河電機]]甲府事業所 - 甲府市 * [[THK (機械メーカー)|THK]]甲府工場 - 中央市 * [[TDK]]甲府工場 - 南アルプス市 * [[キヤノンファインテックニスカ]]増穂事業所 - 南巨摩郡富士川町 * [[救心製薬]]山梨工場 - 韮崎市 * [[サッポロビール]]グランポレール勝沼ワイナリー - [[甲州市]] * [[メルシャン]]勝沼ワイナリー - 甲州市 * [[サントリー]]登美の丘ワイナリー - 甲斐市 * サントリー白州蒸溜所 - 北杜市 * [[NECプラットフォームズ]]大月事業所 - 大月市 * [[トヨタホーム]]山梨事業所 - 南アルプス市 * [[リコージャパン]]山梨支社 - 中央市 {{div col end}} == 生活・交通 == === 警察 === * [[山梨県警察]] === 交通 === ==== 航空 ==== 山梨県内に[[空港]]は存在せず、隣接都県で旅客扱いを行う空港としては、[[松本空港|信州まつもと空港]]([[長野県]])や[[東京国際空港|羽田空港]](東京都)、[[静岡空港|富士山静岡空港]](静岡県)がある。 羽田空港や[[成田国際空港|成田空港]]([[千葉県]])へは甲府駅および富士山駅・河口湖駅から、富士山静岡空港へは河口湖駅から[[リムジンバス|空港連絡バス]]が運行しており、直接空港へ向かう公共交通機関が存在する。一方で信州まつもと空港へ直接アクセスできる交通機関はなく、[[松本駅]]で乗り継ぐ必要がある。なお、富士山静岡空港については中部横断自動車道の進捗次第で甲府駅からも空港連絡バスを運行する計画がある。 * [[双葉滑空場]]([[場外離着陸場]]) ** [[学校法人日本航空学園|日本航空学園]]が運営管理している。[[軽飛行機]]などが利用するほか、山梨県消防防災航空隊の[[ヘリポート]]としても使用されている。 ==== 鉄道 ==== 小海線を除いて、[[鉄道の電化|電化]]されている。 {{div col}}{{no col break| ; [[東日本旅客鉄道]](JR東日本) :* [[中央本線]] [[ファイル:JR JC line symbol.svg|20px|JC]][[ファイル:JR CO line symbol.svg|20px|CO]] :* [[小海線]] }}{{no col break| ; [[東海旅客鉄道]](JR東海) :* [[身延線]] [[ファイル:JR Central Minobu Line.svg|20px|CC]] }}{{no col break| ; [[富士山麓電気鉄道]] :* [[富士山麓電気鉄道富士急行線|富士急行線]]<br />※大月線と河口湖線の総称である。 }}{{div col end}} なお、[[2015年]][[3月14日]]に[[北陸新幹線]]の[[長野駅]]([[長野県]])- [[金沢駅]]([[石川県]])間が開業したことで、中部地方の県で[[新幹線]]の路線が乗り入れていないのは山梨県と[[福井県]]のみとなった<ref group="注釈">北陸新幹線の金沢駅 - [[敦賀駅]](福井県)間延伸によって福井県にも新幹線が乗り入れる予定のため、[[2023年]]度末には山梨県が唯一となる見込み。山梨県にも[[2027年]]以降に[[中央新幹線|リニア中央新幹線]]が開通予定で、将来的に中部地方は[[東北地方]]、[[北海道|北海道地方]]に次いですべての県で新幹線が乗り入れることになる。</ref>。 ==== バス会社 ==== {{Col-begin}} {{Col-break}} * [[山梨交通]]([[路線バス]]・[[高速バス]]) * [[富士急行|富士急グループ]] ** [[富士急バス]](路線バス・高速バス) ** [[富士急モビリティ]](路線バス・高速バス) ** [[富士急シティバス]](高速バス) ** [[富士急静岡バス]](路線バス・高速バス) ** [[富士急湘南バス]](高速バス) ** [[フジエクスプレス]](高速バス) ** 富士急行観光(高速バス) ** [[富士急山梨ハイヤー]](路線バス) {{Col-break}} ; その他(路線バス運行会社のみ) * [[栄和交通]](路線バス、笛吹・山梨・甲州地区) * [[神奈川中央交通西・津久井営業所|神奈川中央交通西]](路線バス、道志地区) * [[西東京バス]](路線バス、小菅・丹波山地区) * [[山梨中央交通]](路線バス、韮崎地区) * [[山梨峡北交通]](路線バス、韮崎・北杜地区) {{Col-end}} ; 県内バス輸送人員(年間) * 2012年:695万4000人 ※全国で2番目にバス利用者が少ない ==== 道路 ==== ; [[高速道路]]・[[有料道路]] {{div col}} * {{Ja Exp Route Sign|E20}}{{Ja Exp Route Sign|E68}} [[中央自動車道]] * {{Ja Exp Route Sign|E52}} [[中部横断自動車道]] * {{Ja Exp Route Sign|E68}} [[東富士五湖道路]] * [[富士山有料道路]](富士スバルライン) * [[雁坂トンネル有料道路]] {{div col end}} ; [[国道]] {{div col}} * [[国道20号]]([[甲州街道]]) * [[国道52号]] * [[国道137号]] * [[国道138号]] * [[国道139号]] * [[国道140号]] * [[国道141号]] * [[国道300号]] * [[国道358号]] * [[国道411号]] * [[国道413号]] * [[国道469号]] {{div col end}} ; [[地域高規格道路]] * [[新山梨環状道路]] * [[西関東連絡道路]]([[甲府山梨道路]]) ; [[都道府県道|県道]] :「[[山梨県の県道一覧]]」を参照 ; その他の[[一般道路]]<ref group="注釈">愛称のついた道路に関しては[https://www.pref.yamanashi.jp/dourokanri/documents/yamanashikendouroaisyoumei.pdf こちら]を参照。</ref> * [[平和通り (甲府市)|平和通り]] * [[駿州往還]] * [[秩父往還]] * [[青梅街道]] * [[御坂みち]] * [[山梨県道28号北杜八ヶ岳公園線|清里高原道路]] * [[国道358号#通称|精進ブルーライン]] * [[国道139号#通称|富士パノラマライン]] * クリスタルライン([[乙女高原]]) * フルーツライン === 医療・福祉 === {{main|Category:山梨県の医療機関}} {{div col}}{{no col break| ; [[災害拠点病院]] : [[山梨県災害拠点病院]] }}{{no col break| ; [[保育所]] : [[山梨県保育所一覧]] }}{{div col end}} === 教育 === {{div col}}{{no col break| ; [[大学]] * [[国立大学|国立]] ** [[山梨大学]] * [[公立大学|公立]] ** [[山梨県立大学]] ** [[都留文科大学]] * [[私立大学|私立]] ** [[昭和大学]] 富士吉田キャンパス ** [[帝京科学大学]] 東京西キャンパス ** [[身延山大学]] ** [[山梨英和大学]] ** [[山梨学院大学]] ** [[健康科学大学]] }} ; [[通信制大学]] * 私立 ** [[放送大学]] 山梨学習センター ; [[短期大学]] * 公立 ** [[大月短期大学]] * 私立 ** [[帝京学園短期大学]] ** [[山梨学院短期大学]] ; [[専修学校]] : [[山梨県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] : [[山梨県特別支援学校一覧]] ; [[高等学校]] : [[山梨県高等学校一覧]] ; [[中学校]] : [[山梨県中学校一覧]] ; [[小学校]] : [[山梨県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] : [[山梨県幼稚園一覧]] ; その他教育機関 * [[農業大学校]] ** [[山梨県立農業大学校]] * [[職業能力開発短期大学校]] ** [[山梨県立産業技術短期大学校]] {{div col end}} === マスメディア === ==== 新聞 ==== 戦前には『[[山梨日日新聞]]』(以下は山日と表記)、『山梨毎日新聞』はじめ6紙が発行されていたが、[[第二次世界大戦]]中の[[新聞統制]]によって県内の諸紙は山日に統合される。戦後には数紙が創刊され、昭和40年代まで富士急行が大株主である『山梨時事新報』(山時)が山日と部数を競った。[[1969年]](昭和44年)に富士急行が所有株式を売却すると山時は山日に吸収され、現在は、[[全国紙]]を除いて日刊紙は山日のみの状態となっている。全国紙は東京版が販売されており、県内ニュースを載せるページ(地方版・県版)を設けている新聞が多い。 * [[山梨日日新聞]](日刊) * [[山梨新報]](週刊) ==== テレビ局 ==== NHKの[[テレビ放送]]は[[1953年]](昭和28年)に開始された。地理的条件のため、当初は[[NHK受信料|受信契約]]数は少なく、[[NHK甲府放送局]]が[[1959年]](昭和34年)に中継送信所を設置して以降から普及した。民間放送ではラジオ山梨が[[1959年]](昭和34年)12月に送信所を設置してテレビ局を開設し、[[山梨放送]](YBS、[[日本ニュースネットワーク|NNN]]/[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]系列)が開局。[[1968年]](昭和43年)にUHF(極超短波放送)電波が割り当てられると、免許申請は一本化されて「山梨中央テレビ」として取得し、翌[[1969年]](昭和44年)5月には株式会社[[テレビ山梨]](UTY、[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列)が発足。そのため、民間テレビ放送局は2局しか無い。 山梨県は[[首都圏 (日本)|首都圏]]に属してながら、在京キー局の電波が郡内の一部を除き届かず、YBSとUTYの2局しか民間放送がない状態が長く続いている。そのため、[[ケーブルテレビ]]に加入して、NNN系列のYBSとJNN系列のUTYに加えて、テレビ朝日、テレビ東京、フジテレビの番組を視聴する世帯が多い(2012年時点で約160,000世帯)。 山梨県の地上波テレビ・FMラジオの[[県域放送]]の[[親局]]及びYBSラジオのFM補完中継局のメイン送信所は、いずれも[[甲府送信所|坊ヶ峰]]に設けられている。 *山梨県内のテレビ局 ** [[NHK甲府放送局]] ***中部地方ではあるが、NHK放送センター=本局の管轄となる(山梨県では唯一の東京管轄の放送)ため、[[NHK名古屋放送局|名古屋拠点放送局]]の管轄ではない。 ** [[山梨放送]](YBS)(NNN/NNS系列) ** [[テレビ山梨]](UTY)(JNN系列) ***※山梨県には、[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]系列局及び[[フジニュースネットワーク|FNN]]/[[フジネットワーク|FNS]]系列局及び[[TXNネットワーク|TXN]]系列局がないため、同県のANN系列局による報道取材は[[テレビ朝日甲府支局]]、同県のFNN系列局による報道取材は[[フジテレビ甲府支局]]が担当している。またTXN系列局による報道取材は、[[テレビ東京]]が駐在員を置いて対応する。また、民放局は通常時完全終夜放送を実施している。 ==== ラジオ局 ==== {{div col}} * [[中波放送|AMラジオ局]] ** [[山梨放送]]([[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列) ** [[NHK甲府放送局]] * [[超短波放送|FMラジオ局]] ** [[NHK甲府放送局]] ** [[エフエム富士]](FM FUJI)(独立局) * [[コミュニティ放送|コミュニティFM局]] ** [[エフエム甲府]](甲府市) ** [[八ヶ岳コミュニティ放送|エフエム八ヶ岳]](北杜市) ** [[エフエムふじやま]](富士河口湖町) ** [[エフエム富士五湖]](富士吉田市) {{div col end}} ※本県は全国の都道府県で唯一、[[全国FM放送協議会]](JFN)加盟の民放FM局が[[radiko]]の基本サービスで聴取不可。電波受信では、[[エフエム東京|TOKYO FM]]、[[静岡エフエム放送|K-mix]]、[[長野エフエム放送|FM長野]]が一部地域で受信可能。 ※本県のコミュニティFM局は全局が[[ミュージックバード]]の配信局。ネット配信では全局が[[JCBAインターネットサイマルラジオ]]に参加している。 ==== ケーブルテレビ ==== 山梨県の有料ケーブルテレビ(自主放送)の世帯普及率は、[[2012年]](平成24年)1月時点で86%と、全国第1位である。共同アンテナ受信なども含めると93%を数える。ただし山梨県のケーブルテレビ局は、他の都道府県と用途が異なり、不足するテレ朝系、テレ東系、フジテレビ系の補完放送が第一であるため、標準契約で視聴できる放送は地上波のみである。 地上波の構成は、NHK甲府+地元民放2局と、テレビ朝日・テレビ東京・フジテレビ+独立局が基本である。かつては[[日本における衛星放送|BSアナログ放送]]も視聴できた。[[セットトップボックス|STB]]や[[通信衛星|CS放送]]は、別途オプション契約となる。 * [[:Category:山梨県のケーブルテレビ局|山梨県のケーブルテレビ局]](参照) == 文化・スポーツ == {{節スタブ}} === 方言 === * [[甲州弁|国中方言]]:国中地方 * [[郡内弁|郡内方言]]:郡内地方 * [[奈良田方言]]:[[早川町]][[奈良田]] === 食文化 === {{See also|Category:山梨県の食文化}} ; 郷土料理 : {{Main|日本の郷土料理一覧#山梨県}} === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] :* [[甲州水晶貴石細工]](石工品・貴石細工、[[1976年]]) :* [[甲州印伝]](その他工芸品、[[1987年]]) :* [[甲州手彫印章]](その他工芸品、[[2000年]]) ; 伝統工芸品 : {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#山梨県}} === スポーツ === {{See also|Category:山梨県のスポーツチーム}} * [[ヴァンフォーレ甲府]]([[サッカー]]・[[日本プロサッカーリーグ]] [[甲府市]]・[[韮崎市]]) == 観光 == {{main|山梨県の観光地}} === 有形文化財建造物 === {{main|山梨県指定文化財一覧}} ; 国宝 :* [[清白寺]] - 仏殿 :* [[大善寺 (甲州市)|大善寺]] - 本堂 ; 重要伝統的建造物群保存地区 :* [[赤沢]](早川町) :* [[甲州市塩山下小田原上条伝統的建造物群保存地区|塩山下小田原上条]](甲州市) === 観光地 === {{div col||24em}}{{no col break| ; 自然 {{main|Category:山梨県の自然景勝地}} * [[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]([[富士吉田市]]、[[南都留郡]][[鳴沢村]]) * [[昇仙峡]] * [[西沢渓谷]] * [[忍野八海]] * [[富士五湖]] * [[青木ヶ原]] * [[八ヶ岳]] * [[赤石山脈|南アルプス]] * [[笹尾根]](上野原市) - [[ハセツネCUP|日本山岳耐久レース(24時間以内)~長谷川恒男CUP]]の常設コース }}{{no col break| ; 神社・仏閣 {{main|山梨県の神社一覧|Category:山梨県の寺}} * [[身延山久遠寺]] * [[甲斐善光寺]] * [[金櫻神社]] * [[武田神社]] * [[武田八幡宮]] * [[酒折宮]] * [[恵林寺]] * [[浅間神社 (笛吹市)|浅間神社]](笛吹市) * [[冨士山下宮小室浅間神社]] * [[冨士御室浅間神社]] * [[北口本宮冨士浅間神社]] * [[実際寺]] * [[天香山妙善寺]] }}{{no col break| ; 史跡 {{main|中部地方の史跡一覧#山梨県}} * [[曽根丘陵]] * [[釈迦堂遺跡]] * [[躑躅ヶ崎館]]跡 * [[甲府城]]址 * [[新府城]]跡 * [[岩殿城]]跡 * [[猿橋]] * [[旧外川家住宅]] * [[小佐野家住宅]] }}{{no col break| ; 保養地など * [[石和温泉]] * [[信玄の湯 湯村温泉]] * [[下部温泉]] * [[清里高原]] * [[山梨県立考古博物館]](甲府市) * [[山梨県立美術館]]・[[山梨県立文学館]](甲府市) * [[山梨県立フラワーセンター ハイジの村]](北杜市) * [[釈迦堂遺跡博物館]](笛吹市) * [[山梨県笛吹川フルーツ公園]](山梨市) * [[信玄公宝物館]](甲州市) * [[北澤美術館|清里北澤美術館]](北杜市) * [[富士急ハイランド]](富士吉田市)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20211214-DKEJRSN5SBO7HAC4DKW6FUQSBQ/|title=ふたご座流星群、ピーク|publisher=産経ニュース|date=2021-12-14|accessdate=2021-12-14}}</ref> ; 巨大樹(環境庁の巨大樹データベースに登録された<ref name="kunndari3" group="国" >{{Cite web|和書|url=https://kyoju.biodic.go.jp/?_action=gtcontents&_command=column051|title=軍刀利(ぐんだり)神社のカツラ【山梨県】|publisher=環境省自然環境局生物多様性センター|date=2022-03-29|accessdate=2023-06-04}}</ref>。) * [[軍刀利神社#カツラ|軍刀利神社のカツラ]](上野原市) - 樹齢500年。県指定天然記念物<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.yamanashi.jp/bunka/bunkazaihogo/kinenbutsu.html |title=山梨の文化財リスト(天然記念物)|publisher=山梨県|date=2023-02-17|accessdate=2023-07-18}}</ref>。(N0098) * [[三恵の大ケヤキ]](中巨摩郡若草町) - 推定樹齢1000年。国指定天然記念物。(NB0006) * 富士夫婦檜(富士吉田市) - 樹齢300年以上。別名:富士太郎杉。市指定天然記念物、富士山世界遺産構成資産(北口本宮冨士浅間神社)。 * 朝日小学校のアカメヤナギ(甲府市) - 樹齢100年以上。山梨県の巨樹・名木100選。 * 乙ヶ妻のシダレザクラ(山梨市) - 樹齢不明。山梨市指定天然記念物。 * 広瀬の大なら(山梨市) - 樹齢300年以上。市指定天然記念物。 * [[山高の神代桜]](北杜市) - 樹齢2500年。日本五大桜または三大巨桜の1つであり、国指定天然記念物<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.yamanashi.jp/bunka/bunkazaihogo/kinenbutsu.html |title=山梨の文化財リスト(天然記念物)|publisher=山梨県|date=2023-02-17|accessdate=2023-07-18}}</ref>。(NB0001) }}{{div col end}} === 祭事 === {{main|Category:山梨県の祭り}} * [[吉田の火祭]]([[日本三奇祭]]の一つ) * [[信玄公祭り]] * [[神明の花火大会]] * [[南部の火祭り]] * [[一之瀬高橋の春駒]] * 塩山の[[太鼓]]乗り * 御坂町二ノ宮の太々[[神楽]] * [[冨士山下宮小室浅間神社|下吉田の流鏑馬]](山梨県指定無形民俗文化財) == 対外関係 == 山梨県と[[アメリカ合衆国|米国]][[アイオワ州]]は、[[1959年]](昭和34年)の台風7号と[[伊勢湾台風]]の2つの台風による災害<ref>{{Cite web|和書|format=PDF |url=http://www.museum.pref.yamanashi.jp/pdfdata/pdf_worksheet/worksheet48-51.pdf |title=山梨を襲った水害について調べてみよう |publisher=山梨県立博物館 |page=10|accessdate=2018-01-01}}</ref> に対して、アイオワ州から見舞いとして[[アイオワ州の食用豚支援|農畜産物を贈られた]]ことから姉妹締結した<ref>[http://www.pref.yamanashi.jp/kokusai/2011iowa-yamanashi50anniversary.html 山梨県・アイオワ州姉妹締結50周年記念事業について] - 山梨県</ref>。 == 山梨県を舞台とした作品 == {{main|山梨県を舞台とした作品一覧}} ここでは「物語の主要舞台が山梨県」「核心部分の舞台が山梨県」「主要舞台が山梨県を参考にしている」作品のみを記載する。 * 「撮影地が山梨県であるが、舞台は山梨県とは無関係」「作中に山梨県が登場するが、通過点や部分的に触れているだけで主要や核心といえない」などの作品については割愛する。 * 「登場人物が山梨県出身であるが、舞台は山梨県とは無関係の作品」については[[山梨県出身の人物一覧#架空の人物]]にて「人物名(作品名)」として取り扱う。 * 漫画・アニメ・ゲームについては以下の条件のいずれかにあてはまる作品のみ記載する。 ** 当該作品内にて実在の地名で登場している。 ** 当該作品に携わる出版社や放送局、ゲーム販売会社、アニメ制作会社の公式サイトにて舞台地やモデル地の記述がある。 ** 当該作品に携わる[[原作者]]や[[漫画家]]、制作サイドの責任者([[アニメ監督]]や[[プロデューサー]]相当)が[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]で舞台地やモデル地を公言している。 ** 出版物やマスメディア、制作協力を行なっている自治体・公益法人・企業など[[Wikipedia:信頼できる情報源|信頼できる情報源]]にて舞台地やモデル地の記述がある。 <!-- 個人サイトの聖地案内、関係者以外のSNS情報での聖地は対象外(画像の比較も含めて)です。[[Wikipedia:検証可能性]]に基づき削除対象となります。 --> === 文芸 === * [[富嶽百景]](太宰治) * 死亡推定時刻([[朔立木]]) * [[甲府勤番帖]]([[竹内勇太郎]]) * [[滅びの笛]]([[西村寿行]]) * [[葡萄が目にしみる]]([[林真理子]]) * [[イリヤの空、UFOの夏]]([[秋山瑞人]]) === 映画 === * [[秀子の車掌さん]](1941年) * [[いつか来た道 (1959年の映画)|いつか来た道]](1959年) * [[ダブル・クラッチ (映画)|ダブル・クラッチ]](1978年) * [[死んでもいい (1992年の映画)|死んでもいい]](1992年) * [[誘拐 (1997年の映画)|誘拐]](1997年) * [[国道20号線 (映画)|国道20号線]](2007年) * [[初恋 夏の記憶]](2009年) * [[サウダーヂ]](2011年) * [[もらとりあむタマ子]](2013年) * [[追憶の森]](2015年) * [[かぐらめ]](2015年) その他、東京に比較的近く交通至便のため、上記の作品以外においても(特に低予算の[[ピンク映画]]や[[オリジナルビデオ]]などで)[[ロケーション撮影|ロケ地]]として用いられる事が多い。 === テレビドラマ === * [[甲州遊侠伝 俺はども安]]([[フジテレビ系]]、1965年) * [[風の中のあいつ (1973年のテレビドラマ)|風の中のあいつ]]([[TBS系列|TBS系]]、1973年) * [[武田信玄 (NHK大河ドラマ)|武田信玄]]([[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]、1988年) * [[金山大爆破]](フジテレビ系、1992年) ** 徳川幕府直轄期の甲府を舞台にした長編時代劇。劇中に登場する里川金山は、実際に存在しない架空の金山である(実在の[[黒川金山]]がそのモデルとされている)。 * [[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]](NHK大河ドラマ、2007年) * [[夢みる葡萄|夢みる葡萄〜本を読む女〜]](NHK[[月曜ドラマシリーズ]]、2003年) * [[花子とアン]](NHK[[連続テレビ小説]]、2014年) * [[合い言葉は勇気]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]][[木曜劇場]]) ** 山梨県上巨摩郡富増村を舞台にしたドラマ。ただし、上巨摩郡と富増村は、元から存在しない架空の郡や村である(旧[[北巨摩郡]][[明野村]]がモデルと言われる) 映画同様東京に比較的近いという理由からロケ地撮影されるドラマが多い。 === 漫画・アニメ === ==== 舞台が山梨県の作品 ==== * [[MEMORIES (映画)|MEMORIES]](1995年公開) ** EPISODE.2「最臭兵器」の舞台が山梨県。[[甲府駅]]周辺や[[山梨交通]]の路線バスなど、ローカルネタが随所に登場する。 * [[ゆるキャン△]]([[あfろ]]原作) ** 高校および主要キャラクターが[[身延町]]在住のほか、主人公の一人が[[南部町 (山梨県)|南部町]]に移住してきたという設定。 * [[mono (漫画)|mono]](あfろ原作) ** 『ゆるキャン△』と同じ作者の作品。登場人物が甲府市の高校に通う設定。 * [[スーパーカブ (小説)|スーパーカブ]] ** 舞台が[[北杜市]]。小説をベースに漫画化やアニメ化されている。 ==== モデル地が山梨県の作品 ==== * [[迷家-マヨイガ-]] ** 舞台である納鳴村のモデル地が[[道志村]]。 * [[神様になった日]] ** 舞台のモデル地が[[山梨市]]。 {{hidden begin |title = 『[[まんが日本昔ばなし]]』にて山梨県が題材となった話 }} * たのきゅう * 赤ん坊になったお婆さん * 干し葉のおじや * 笛吹川 * 泉 * 鵜飼いものがたり * もぐらと馬と人間 * 東つぼ屋西つぼ屋 * 瓔珞つつじ * 無用の位 * 天狗がみこんだ男 * 乙女湯 * 鼻かけ天狗 * 飯が仕事をしてくれる * 河童のきず薬 * 飯ぬすっと * 囲碁のうでまえ * 両足八足大足二足 * 甲斐の湖 * 人が見たらカエルになれ * ふろ屋の福の神 * どうもこうも * こやしの息 * 赤子坂 * 産女の幽霊 * るすが岩 * 鰻沢 * むじな和尚 * 栗の木坂のきつね {{hidden end}} ==== アニメ化で主要舞台が山梨県になった作品 ==== * [[ヤマノススメ (アニメ)|ヤマノススメ]]([[しろ (イラストレーター)|しろ]]原作) ** ヤマノススメの舞台自体は[[埼玉県]][[飯能市]]であるが、テレビアニメ『ヤマノススメ セカンドシーズン』では山梨県の[[西桂町]]([[三つ峠]]) 新2合目 - 新4合目、[[鳴沢村]]・[[富士吉田市]]([[富士山 (代表的なトピック)|富士山]])新9合目 - 新11合目 が主要舞台となる。[[富士急行]]などの協力で全ての施設・企業名が実名で出ている。 * [[ななついろ★ドロップス]] ** 原作は[[大阪府]][[枚方市]]をモデルにした舞方市だが、アニメ版は山梨県の[[八ヶ岳]]周辺に変更されていることがアニメ監督の[[山本天志]]が[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]で発言している。 === ゲーム === * [[キミの声がきこえる]]([[AXL (ブランド)|AXL]]、2006年発売) ** 主人公が東京と山梨(本編の主人公の解説によると天承郡畔沢村)を行き来する。 == 人物 == {{Main|山梨県出身の人物一覧}} === 山梨県名誉県民 === 山梨県名誉県民の称号は、2015年(平成27年)12月10日に制定された山梨県名誉県民条例(平成15年12月10日山梨県条例第45号)に基づき、「社会の発展に卓絶した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)<ref name=meiyojorei>[http://www.pref.yamanashi.jp/somu/shigaku/reiki/reiki_honbun/a500RG00001632.html 山梨県名誉県民条例] - 山梨県、2019年7月28日閲覧。</ref>。対象者は「社会福祉の向上、文化の振興その他の社会の発展に広く貢献した者で、県内に居住し、又は居住していたもの」であり、山梨県知事が山梨県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)<ref name=meiyojorei/>。名誉県民に選定された者には、山梨県名誉県民称号記及び山梨県名誉県民章が贈呈される(条例第3条)<ref name=meiyojorei/>。山梨県出身者で[[ノーベル生理学・医学賞]]を受賞した[[大村智]]を顕彰するために急遽制度が創設されたものである<ref name=meiyo>[https://www.pref.yamanashi.jp/hisho/meiyokenmin.html 山梨県名誉県民] - 山梨県、2019年7月28日閲覧。</ref>。 {| class="wikitable" !受賞者氏名 !出身地 !職業 !選定年月日 !選定理由 !備考 !出典 |- |[[大村智]] |[[韮崎市]] |[[化学者]] |2015年12月11日 |ノーベル生理学・医学賞受賞 | |<ref name=meiyo/> |- |[[稲葉清右衛門]] |[[茨城県]][[筑西市]] |[[経営者]] |2022年3月23日 |[[ファナック]]初代社長 |没後受賞 |<ref name=meiyo/> |- |} === 山梨県県民栄誉賞受賞者 === 山梨県県民栄誉賞は、1988年(昭和63年)3月11日に制定された山梨県県民栄誉賞表彰規則(昭和63年3月11日山梨県規則第4号)に基づき、「広く県民に敬愛され、社会に明るい希望を与え、山梨県の名を高めたもの」へ、山梨県知事から贈られる(規則第1条・第2条)<ref>[http://www.pref.yamanashi.jp/somu/shigaku/reiki/reiki_honbun/a500RG00000686.html 山梨県県民栄誉賞表彰規則] - 山梨県、2019年7月28日閲覧。</ref>。 1988年の橋本聖子を顕彰するために制度が創設されたが、その後は1991年に創設された「[https://www.pref.yamanashi.jp/koucho/imageup/index.html 県イメージアップ大賞]」{{Efn|県民栄誉賞との違いは「作品や活動も対象にしている」や「県政記者クラブや県関係者で構成する選考委員会で選考し、知事が表彰する(県民栄誉賞は知事の判断)」である。そのため[[ジャン=フランソワ・ミレー]]の絵画作品「種をまく人」(1992年、功績賞)や[[甲府鳥もつ煮]]を宣伝していた「みなさまの縁をとりもつ隊」(2010年、大賞)など受賞対象が幅広い。なお、橋本聖子は[[1992年アルベールビルオリンピック]]女子1500mにて銅メダルを獲得したことから同年特別賞を受賞しており、県民栄誉賞と県イメージアップ大賞の双方を受賞している。}}に振り替えられたこともあり、受賞者はなかった。しかし2021年に開催された[[2020年東京オリンピック]]および[[2020年東京パラリンピック]]において本県出身者が多く活躍したことから33年ぶりに県民栄誉賞の授与が行われた<ref name="yomiuri20210914">{{Cite news|url=https://www.yomiuri.co.jp/local/yamanashi/news/20210914-OYTNT50195/|title=山梨に勇気と希望 4選手県民栄誉賞|publisher=[[読売新聞]]|date=2021-09-15|accessdate=2021-09-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211015144907/https://www.yomiuri.co.jp/local/yamanashi/news/20210914-OYTNT50195/|archivedate=2021-10-15}}</ref>。 2020年東京オリンピック・パラリンピックまで個人のみが対象であったが、2022年にヴァンフォーレ甲府が団体として受賞している<ref name="vfk20221026">{{Cite news|url=https://www.ventforet.jp/news/press_release/522602|title=天皇杯 JFA 第102回全日本サッカー選手権大会優勝報告会と優勝記念パレードのお知らせ|publisher=[[ヴァンフォーレ甲府]]公式|date=2022-10-26|accessdate=2022-10-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20221026085737/https://www.ventforet.jp/news/press_release/522602|archivedate=2022-10-26}}</ref>。 ;個人 {| class="wikitable" !受賞者氏名 !出身地 !受賞時職業 !選定年月日 !選定理由 !出典 |- |[[橋本聖子]] |[[北海道]][[早来町]]<br />(現・[[安平町]]) |[[スピードスケート]]選手([[富士急行]]) |1988年3月11日 |[[1988年カルガリーオリンピック|カルガリー冬季五輪]][[スピードスケート]]女子5種目全入賞 |<ref>[https://www.seiko-hashimoto.net/profile プロフィール] - 橋本聖子公式サイト、2019年7月28日閲覧。</ref> |- |[[乙黒拓斗]] |[[笛吹市]] |[[アマチュアレスリング]]選手([[自衛隊体育学校]]) |2021年10月11日 |[[2020年東京オリンピック|2020東京五輪]][[2020年東京オリンピックのレスリング競技|フリースタイル65kg級]]金メダル |<ref name="yomiuri20210914" /> |- |[[平野美宇]] |[[中央市]] |[[卓球]]選手([[日本生命]]) |2021年10月14日 |2020東京五輪[[2020年東京オリンピックの卓球競技|女子卓球団体]]銀メダル |<ref name="yomiuri20210914" /> |- |[[文田健一郎]] |[[韮崎市]] |アマチュアレスリング選手([[ミキハウス]]) |2021年12月13日 |2020東京五輪[[2020年東京オリンピックのレスリング競技|グレコローマン60kg級]]銀メダル |<ref name="yomiuri20210914" /> |- |[[鈴木徹 (陸上選手)|鈴木徹]] |[[山梨市]] |[[陸上競技|陸上]]選手([[SMBC日興証券]]) |2021年12月16日 |[[2020年東京パラリンピック|2020年東京パラ]][[2020年東京パラリンピックの陸上競技|男子走り高跳び]](T44)4位<br />※[[2000年シドニーパラリンピック|2000年シドニーパラ]]から同競技6大会連続入賞 |<ref name="yomiuri20210914" /> |- |} ;団体 {| class="wikitable" !受賞団体名 !職種・カテゴリ !活動拠点 !選定年月日 !選定理由 !出典 |- |[[ヴァンフォーレ甲府]] |[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]チーム |[[甲府市]]・[[韮崎市]]を中心とした山梨県全域 |2022年10月29日 |[[天皇杯 JFA 第102回全日本サッカー選手権大会]]優勝 |<ref name="vfk20221026" /> |- |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} ; 環境庁・農林水産省関係資料 {{Reflist|group="国"}} == 関連項目 == * [[関東地方知事会]] * [[広域関東圏]] * [[山梨百名山]] * [[甲州弁]] * [[郡内弁]] * [[山梨県出身の人物一覧]] * [[山梨県指定文化財一覧]] * [[山梨県高等学校一覧]] * [[甲州 (葡萄)|甲州ぶどう]] * [[:Category:山梨県の自然景勝地]] * [[地方病 (日本住血吸虫症)]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] * [[アイオワ州の食用豚支援]] {{Div col end}} == 外部リンク == {{Commons&cat|Yamanashi Prefecture|yamanashi prefecture}} {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/山梨県|[[画像:Flag_map_of_Yamanashi_Prefecture.svg|36px|Portal:日本の都道府県/山梨県]]}} {{Multimedia|山梨県の画像}} {{Wiktionary}} {{Wikiquote}} {{Wikinewscat}} {{Wikivoyage|ja:山梨県}} {{osm box|r|3578391}} ; 行政 : {{Official website}} : {{Facebook|yamanashipref}} : {{Twitter|yamanashipref|山梨県庁}} : {{Twitter|bosaiyamanashi|山梨県防災}} : {{Twitter|coronayamanashi|山梨県新型コロナウイルス対策}} ; 観光 : [https://www.yamanashi-kankou.jp/index.html 富士の国やまなし観光ネット] - やまなし観光推進機構 : [https://hq-yamanashi.jp/ ハイクオリティやまなし] : {{Googlemap|山梨県}} {{s-start}} {{s-bef|before=[[府中県]]・[[市川県]]・[[石和県]]|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷|years=[[1868年]] -|years2=甲斐府→甲府県→山梨県}} {{s-aft|after=-----|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{山梨県の自治体}} {{山梨県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:やまなしけん}} [[Category:日本の都道府県]] [[Category:山梨県|*]]
2003-02-03T18:14:21Z
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和歌山県
和歌山県(わかやまけん)は、日本の近畿地方に位置する県。県庁所在地は和歌山市。 日本最大の半島である紀伊半島の南西側に位置し、県南部には大規模な山地を有する。 令制国では、紀伊半島の由来ともなった紀伊国の大半に当たる。和歌山とは「万葉集」(つまり和歌)に詠まれるほど風光明媚な「和歌の浦」からの豊臣秀吉の命名による。江戸時代は初期には浅野家、のちに御三家の紀伊徳川家の領地(和歌山藩)であった。附家老として田辺に安藤家、新宮に水野家を置いた。古くから「木の国」と謳われたほど山林が多く(中山間地域の比率が7割超)、紀伊水道や熊野灘を挟んで変化に富んだ海岸線が続く。また、このような深山幽谷の地形から高野山開基による仏教寺院や熊野三山などの神社信仰が発達しており、その一方で中世から近代にかけては紀ノ川沿岸を中心に全国から見ても大規模な都市が形成されていた。 和歌山市を中心とする県北部は阪神工業地帯に属し、沿岸部には製鉄所や石油製油所などの重化学工業が盛んであるが、太平洋ベルトから外れた立地条件の悪さや平地が少ないことと自然保護政策の一環で確保できる工業用地の貧弱さ、そしてそれによる機械工業の不振から大阪府や兵庫県の様な過密都市圏の工業と比べると生産量は至って少ない。その他、県全域で果樹栽培を中心とする農業が盛んで、特に県中部でのみかん栽培や御坊市を中心とする花卉栽培、田辺市を中心とする梅などの特産品があり、他に小規模であるものの水産業、林業が盛んで、各地でのブランド育成が進んでいる(詳細は下記経済の項を参照)。近畿地方では唯一、ここ40年間の国勢調査(1970年 - 2010年)で人口減となっている県であり、他の2府4県がいずれも15% - 40%の高い伸びとなっている中で顕著な特徴となっている。和歌山市では大阪圏などへのストロー現象が深刻で人口減少が続いている一方で、岩出市など諸都市のベッドタウンとして顕著な人口増を続けている都市も見られる。 和歌山県は、紀伊半島沖を流れる黒潮の影響を受けるため年間を通して温暖である。ただ、山間部に限ると冬は厳しい寒さとなる。その中で最も寒い高野山は、冬場の平均気温が青森市や函館市といった北日本並みとなるほか、雪が降ることも多い。これに対して沿岸部には無霜地帯が存在する。夏から秋にかけて台風の襲来が多く、1951年(昭和26年)以降の台風上陸数は鹿児島県、高知県に次いで3番目に多い県である。中でも「伊勢湾台風」では、紀伊半島や東海地方などに甚大な被害をもたらした。 瀬戸内海式気候に属し、梅雨期と台風期を除けば降水量が少なく、年間日照時間が長い地域となっている。夏になると、和歌山市など平野部では連日のように熱帯夜が続き、かなり寝苦しい夜もあるものの、昼間はそれほど暑くはならない。しかし、紀伊山地と和泉山脈・金剛山地の間に位置する北東側は内陸性気候(夏と冬、昼と夜の気温差が大きい)の傾向があるため、猛暑になることがある。1994年8月8日に伊都郡かつらぎ町で40.6°C(1933年7月25日に山形市で観測された当時の日本歴代最高気温記録である40.8°Cに次ぐ記録)を観測している。なお、北東側は寒暖差を利用したブドウをはじめとする様々な果物の栽培が行われている。 冬は晴れることが多いため、放射冷却が強まった朝は平野部でも冬日になることがある。そのうえ、強い冬型の気圧配置になると雪雲が和歌山市内に流れ込むことがあり、ごく稀にうっすらではあるが積雪することがある。さらに、南岸低気圧が紀伊半島沖を通過した時にはまとまった積雪となることもあり、平野部で10cm以上の積雪はほぼすべて南岸低気圧によるものである。 太平洋側気候に属し、年間日照時間が長い地域となっている。年間降水量は2,000mm程度でそれほど多くない。御坊市など沿岸部の夏は蒸し暑いが、海洋性気候の特徴である海風が吹き、ほとんど猛暑にならないため比較的過ごしやすい(東牟婁郡串本町潮岬など県南部の沿岸部にも同様の特徴がみられる)。 太平洋側気候に属し、年間日照時間が2,200時間を超え、全国1位2位を争うほど日照時間が長い地域となっている。一方、年間降水量はかなり多く、特に東側は4,000mmにも達する日本でも有数の多雨地帯である。夏から秋にかけて台風が頻繁に通過することから「台風銀座」と呼ばれている。また、台風本体が遠くにある場合でも、南から流れ込む暖湿流の影響で南東側を中心に大雨を降らせて、被害をもたらすことがある。 和歌山県には以下の9市6郡20町1村がある。町の読み方はすべて「ちょう」、村は「むら」である。 紀伊国の大部分を近代以降引き継ぐ和歌山県の地域区分には、紀北・紀南の二分法と紀北・紀中・紀南の三分法との2つが用いられることが多い。紀北・紀南の二分法は、近世和歌山藩における口六郡・両熊野という地域区分をほぼ引き継いだものである。 紀北とは紀伊国北部の略とされ、有田郡ないし日高郡以北を指す。それに対し、紀南とは狭義には西牟婁郡(田辺市を含む)および東牟婁郡(新宮市を含む)を指し、二分法を採る場合には日高郡以南とする。紀中とは、第二次世界大戦後に地域開発上の要請から生じた新しい概念で、紀北と紀南の境となる有田郡(有田市を含む)と日高郡(御坊市を含む)を指す。 しかし、こうした本来の用法があるものの、これら一群の地域区分が何を指すのかが曖昧となっている状況もある。例えば、紀南を指して「南紀」と呼ぶ場合があるが、南紀とは南海道紀伊国の略に由来して紀伊国全体を指す語であり、紀南は南紀に対し下位の概念である。こうした混同は、戦後の観光ブームの中で、観光上の要請から和歌山県南部を表す観光用語として南紀が広められ、昭和40年代ごろの昭和元禄と呼ばれた経済成長の時代に南紀と紀南が同義語として用いられるようになった もので、和歌山県在住者でも紀南と南紀が混同されることもある。 また、田辺市・西牟婁郡・東牟婁郡・新宮市を開催地として1999年(平成11年)に開催された南紀熊野体験博の会期中に、伊都郡・橋本市が「北紀高野」を謳って観光キャンペーンを行ったが、「北紀」という名称には歴史的に根拠がないものであることから、批判がなされた。 一方、県による行政的な地域区分は郡に基づく7区分で、それぞれの地域に振興局を設置している。 人類が県域に足跡を遺したのは、今から約2万5千年前の後期旧石器時代であったと考えられている。このころはまだ、寒冷化気候で、高地にはカラマツが生い茂り、低地にはブナ林が広がり、ナウマンゾウやオオツノシカ・ヒグマなどの大型哺乳動物が生息していたと推測されている。遺跡は40カ所ばかり発見されている。 縄文時代の遺跡が百数十カ所見つかっている。しかし、発掘調査はほとんど行われていない。和歌山市の鳴神貝塚は近畿で初めて発見された貝塚である。その他、竪穴建物跡が確認されたのは、和歌山市川辺遺跡、橋本市芋尾遺跡、野上町安井遺跡、広川町鷹島遺跡などがあり、竪穴建物に加えストーン・サークルが見つかった海南市溝ノ口遺跡がある。 2023年4月1日時点の和歌山県推計人口は89万5931人で、調査を始めた1967年以降、初めて90万人を下回った。減少は27年連続で、特に近年、自然減(死亡数と出生数の差)が急増。ここ1年の出生数は死亡数の3分の1ほどにとどまっている。 県庁、市役所、および町村役場において、企画員という和歌山県独自の職階を置いている。一般に、課長級ないしは課長補佐級の職に当たる。 (2023年11月10日現在)。 地方債の残高 地方債等の合計残高:8,484億8,300万円(連結会計) 特徴として「自民王国」であり、自由民主党が保守新党を合併してからは自由民主党が衆参全議席を独占していたが、2009年(平成21年)8月30日投票の第45回衆議院議員総選挙では、1区と2区で民主党公認候補が当選、自民の牙城を崩したものの、2012年(平成24年)投開票の第46回衆議院議員総選挙では、2区で自民党候補が議席を奪還した。 和歌山県選挙区 和歌山市、海南市は阪神工業地帯の南端に位置し、出荷額は大きい。 和歌山の目立った工業に鉄鋼業と石油産業がある。鉄鋼業の出荷額は県内産業(出荷額ベース)の3割強に相当し、石油産業と合わせれば県内産業(出荷額ベース)の6割弱を占める。 大規模工場としては、和歌山市の日本製鉄(関西製鉄所和歌山地区)、花王(和歌山工場)の主力工場、三菱電機(冷熱システム製作所)など、有田市のENEOS(和歌山製油所)などがある。 地場産業では、海南市の家庭日用品(水回り用品は国内の約8割を占める。主な大手企業に、アイセン工業、イシミズ、オーエ、ヨコズナクリエーション、ワコー株式会社など)がある。その他、御坊市の麻雀牌とサイコロ、有田市の蚊取り線香、田辺市のボタン、橋本市のパイル織物(新幹線や高級車のカーシートなどに用いられる)などが有名。 和歌山市南部の三葛と紀三井寺を中心とするニット産業は日本一で、丸編みニットは全国シェアの37%を占める。 和歌山県は本州最南端に位置し温暖な気候で果物の栽培が非常に盛んなため、果樹王国といわれている。以下は主なものを記す。 和歌山県沖に黒潮(日本海流)があるため、漁業は盛んである。 和歌山県は平野部が少なく山地が地域の大部分を占めるため、古くからスギ・ヒノキを中心にした山林業が盛んである。 全国の山林はほとんどは国有林であるが、和歌山県では大部分が民有林である。また、古くからの良材の産地(秋田、京都、宮崎、奈良など)は、民有林が多い。2001年(平成13年)、間伐の遅れによる森林の荒廃や林業労働力の高齢化が著しくなったため、三重県と共同で緑の雇用事業を提唱し、軌道に乗せた。 隣接する奈良県や三重県が1社独占に近いのに対し、当県は地域により細かく事業者が分かれている。南海電鉄の系列の影響が強いが近鉄系や独立系も少なくない。カッコ内は主な走行自治体。 このほか、和歌山市内からは大阪府内にある関西国際空港までのリムジンバスが運行されており、所要時間は約40分である。 ※全国でも珍しく、県内の3桁一般国道は全線が和歌山県管理である。 国立 公立 私立 私立 私立 県内に本社を置くマスメディアは少ないものの、近畿広域圏に属することから、県北部を中心に在阪の民間放送局を視聴・聴取できるなど、大阪府との結びつきが強い。 和歌山市、白浜町、那智勝浦町などが代表的。日本有数の温泉地であり、かつ和歌山マリーナシティ・ポルトヨーロッパ、アドベンチャーワールド、白浜エネルギーランドなどのレジャー施設もあり、夏には海水浴客も多く訪れる。 また特徴的な観光として、社寺参拝(熊野三山、高野山、西国三十三所の1番青岸渡寺・2番紀三井寺など)があり、最も客数が多い。熊野三山への参詣道と高野山は、2004年(平成16年)7月7日に世界遺産に登録された。しかし、神社の数が沖縄県に次いで少ない400社である。また最近は、古式捕鯨で有名な熊野灘がホエールウォッチングのスポットとして新たに注目され始めている。 和歌山市を中心とする紀北地方では大阪方面からの日帰り旅行客が多く、日帰り入浴・遊歩道・ハイキングコース・キャンプ場などが多数設置されている。他には、釣り・花見・観光果樹園なども特色である。 和歌山県名誉県民の称号は、1967年(昭和42年)10月14日に制定された和歌山県名誉県民条例(和歌山県条例第34号)に基づき、「和歌山県の発展に卓絶した功績があり、ひとしく県民の敬愛を受ける者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は、和歌山県知事が和歌山県議会の同意を得て選定することが定められる(条例第2条)。名誉県民に選定された者には、顕彰状、徽章や記念品の金盃も贈られるほか(条例第3条)、知事が定める礼遇や特典を受けられる(条例第4条)。 県が大使を委嘱している著名人を記載する。
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"paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "和歌山県は本州最南端に位置し温暖な気候で果物の栽培が非常に盛んなため、果樹王国といわれている。以下は主なものを記す。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "和歌山県沖に黒潮(日本海流)があるため、漁業は盛んである。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "和歌山県は平野部が少なく山地が地域の大部分を占めるため、古くからスギ・ヒノキを中心にした山林業が盛んである。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "全国の山林はほとんどは国有林であるが、和歌山県では大部分が民有林である。また、古くからの良材の産地(秋田、京都、宮崎、奈良など)は、民有林が多い。2001年(平成13年)、間伐の遅れによる森林の荒廃や林業労働力の高齢化が著しくなったため、三重県と共同で緑の雇用事業を提唱し、軌道に乗せた。", "title": "経済・産業" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "隣接する奈良県や三重県が1社独占に近いのに対し、当県は地域により細かく事業者が分かれている。南海電鉄の系列の影響が強いが近鉄系や独立系も少なくない。カッコ内は主な走行自治体。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "このほか、和歌山市内からは大阪府内にある関西国際空港までのリムジンバスが運行されており、所要時間は約40分である。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "※全国でも珍しく、県内の3桁一般国道は全線が和歌山県管理である。", "title": "生活・交通" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "国立", "title": "生活・交通" }, { 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"tag": "p", "text": "和歌山県名誉県民の称号は、1967年(昭和42年)10月14日に制定された和歌山県名誉県民条例(和歌山県条例第34号)に基づき、「和歌山県の発展に卓絶した功績があり、ひとしく県民の敬愛を受ける者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は、和歌山県知事が和歌山県議会の同意を得て選定することが定められる(条例第2条)。名誉県民に選定された者には、顕彰状、徽章や記念品の金盃も贈られるほか(条例第3条)、知事が定める礼遇や特典を受けられる(条例第4条)。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "県が大使を委嘱している著名人を記載する。", "title": "人物" } ]
和歌山県(わかやまけん)は、日本の近畿地方に位置する県。県庁所在地は和歌山市。 日本最大の半島である紀伊半島の南西側に位置し、県南部には大規模な山地を有する。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{混同|わかやまけん|x1=絵本作家}} {{基礎情報 都道府県 | 都道府県名 = 和歌山県 | 画像 = {{Photomontage | photo1a = Nachi Falls 201908-2.jpg | photo2a = Wakayama Castle, tenshu-2.jpg | photo2b = Danjogaran Koyasan12n3200.jpg | photo3a = アドベンチャーワールド「ビッグオーシャン」 2014.1.03 - panoramio.jpg | photo3b = Minabe-Bairin Minabe Wakayama16bs2400.jpg | spacing = 2 | color_border = white | color = white | size = 280 | position = center | space = 2 }} | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto;border-collapse:collapse"> <tr><td style="width:100%" colspan="2">[[那智の滝]]</tr><tr><td style="width:50%">[[和歌山城]]<td style="width:50%">[[金剛峯寺]][[壇上伽藍]]</tr><tr><td style="width:50%">[[アドベンチャーワールド]]<td style="width:50%">[[南高梅]]</tr></table> | 都道府県旗 = {{Flagicon|和歌山県|size=100px}} | 都道府県旗の説明 = [[和歌山県旗]] | 都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Wakayama Prefecture.svg|70px|和歌山県章]] | 都道府県章の説明 = 和歌山県章 | 区分 = 県 | コード = 30000-4 | ISO 3166-2 = JP-30 | 隣接都道府県 = {{flag|三重県}}<br />{{flag|大阪府}}<br />{{flag|奈良県}}<br />{{flag|兵庫県}}{{efn|name=kaijo|兵庫・徳島の2県とは海上を隔てて隣接。}}<br />{{flag|徳島県}}{{efn|name=kaijo}} | 木 = [[ウバメガシ]] | 花 = [[ウメ]] | 鳥 = [[メジロ]] | シンボル名 = 他のシンボル | 歌など = 県の魚:[[マグロ]]<br />県の歌:[[和歌山県民歌]](作曲:[[山田耕筰]]) | 郵便番号 = 640-8585 | 所在地 = 和歌山市小松原通一丁目1番地<br />{{Coord|format=dms|type:adm1st_region:JP-30|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=7|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=220|frame-height=220|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|frame-lat=34.0|frame-long=135.1675|text=県庁舎位置}}<br />[[ファイル:Wakayama prefectural office001.JPG|220px|和歌山県庁]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 30 Wakayama prefecture.svg|320px|和歌山県の位置]]{{基礎自治体位置図|30|000|image=Map of Wakayama Prefecture Ja.svg}} | 特記事項 = }} '''和歌山県'''(わかやまけん)は、[[日本]]の[[近畿地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[和歌山市]]。 日本最大の[[半島]]である[[紀伊半島]]の南西側に位置し、県南部には大規模な山地を有する。 == 概要 == [[令制国]]では、紀伊半島の由来ともなった[[紀伊国]]の大半に当たる{{efn|他の一部は[[三重県]]となっている。}}。和歌山とは「万葉集」(つまり和歌)に詠まれるほど風光明媚な「和歌の浦」からの豊臣秀吉の命名による。[[江戸時代]]は初期には[[浅野家]]、のちに[[徳川御三家|御三家]]の[[紀州徳川家|紀伊徳川家]]の領地([[紀州藩|和歌山藩]])であった。[[御附家老|附家老]]として[[田辺市|田辺]]に[[三河安藤氏|安藤家]]、[[新宮市|新宮]]に[[水野氏|水野家]]を置いた。古くから「木の国」と謳われたほど山林が多く([[中山間地域]]の比率が7割超)、[[紀伊水道]]や[[熊野灘]]を挟んで変化に富んだ[[海岸|海岸線]]が続く。また、このような[[深山幽谷]]の地形から[[高野山]]開基による仏教寺院や[[熊野三山]]などの神社信仰が発達しており、その一方で中世から近代にかけては[[紀ノ川]]沿岸を中心に全国から見ても大規模な都市が形成されていた。 [[和歌山市]]を中心とする県北部は[[阪神工業地帯]]に属し、沿岸部には[[製鉄所]]や[[石油精製|石油製油所]]などの[[工業#工業の分野|重化学工業]]が盛んであるが、[[太平洋ベルト]]から外れた立地条件の悪さや平地が少ないことと自然保護政策の一環で確保できる工業用地の貧弱さ、そしてそれによる機械工業の不振から[[大阪府]]や[[兵庫県]]の様な過密都市圏の工業と比べると生産量は至って少ない。その他、県全域で果樹栽培を中心とする農業が盛んで、特に県中部での[[ウンシュウミカン|みかん]]栽培や[[御坊市]]を中心とする花卉栽培、[[田辺市]]を中心とする[[梅]]などの特産品があり、他に小規模であるものの[[水産業]]、[[林業]]が盛んで、各地での[[ブランド]]育成が進んでいる(詳細は下記経済の項を参照)。近畿地方では唯一、ここ40年間の国勢調査(1970年 - 2010年)で人口減となっている県であり、他の2府4県がいずれも15% - 40%の高い伸びとなっている中で顕著な特徴となっている。和歌山市では大阪圏などへの[[ストロー現象]]が深刻で人口減少が続いている一方で、[[岩出市]]など諸都市の[[ベッドタウン]]として顕著な人口増を続けている都市も見られる。 == 地理・地域 == * [[日本]]、[[近畿地方]] *'''隣接都道府県''':大阪府 - [[奈良県]] - [[三重県]] - [[兵庫県]] - [[徳島県]] *総面積は4726[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]、このうち山地が3832km<sup>2</sup>で、総面積の約81%を占める<ref name=koyama>[[小山靖憲]]「風土と人間」、小山靖憲・竹内雅人・[[栄原永遠男]]・[[弓倉弘年]]・[[笠原正夫]]・[[高嶋雅明]]『和歌山県の歴史』[[山川出版社]] 2004年</ref>。 *紀伊山地は、中央に大峰山脈が南北には連なり、奈良県との県境を紀和山脈(陣ヶ峰:1106m、[[護摩壇山]]:1372m、安堵山:1184m)を経て果無山脈に続き、それから分かれて竜門・長峰・白馬・虎が峰などの山脈が北から南へ並行し、さらのその南に[[大塔山]] (1122m) を中心とする山塊が半島の南端近くまで迫っている<ref name=koyama/>。 * [[西日本旅客鉄道|JR西日本]]の[[紀勢本線]](きのくに線)が海岸沿いを走り、[[和歌山線]]が[[紀の川]]沿いを東西に走る。紀勢本線にほぼ併走する形で、[[国道42号]]が紀伊半島を取り囲んでいる。 * [[東牟婁郡]][[北山村]]の全域と新宮市のうち熊野川町玉置口・熊野川町嶋津が[[飛地]]で、三重県と奈良県にはさまれた場所にある。 *潮岬は[[本州]]の最南端に位置し、[[太平洋]]から[[瀬戸内海]]へと続く海に面する。[[中央構造線]]と並行する紀の川沿いの中規模な平野を除きそのほとんどが山であり、道路・鉄道は海岸線に沿って走る部分が多い。 *中部南部は奈良県、三重県へと繋がる山塊にあり、内陸に向けて標高は高くなる。 *大きい河川は紀の川が平野を流れる以外、[[有田川]]、[[日高川]]、[[富田川 (和歌山県)|富田川]]、[[日置川]]、[[古座川]]、[[熊野川]]のいずれもが山間を非常に[[蛇行]]して流れ、険しい[[V字谷]]を形成する。地形は南の方がより急峻になっている。 *よく発達した[[照葉樹林]]に覆われ、崖地ですら森林が発達する。しかしその多くは伐採されて、[[人工林]]になっている。それでも人家周辺の[[二次林]]的な[[シイ]]林なども含めれば、自然林が残っている地域である。近年では、山林で[[シカ]]、農村部で[[アライグマ]]などの[[食害]]が目立ち始めている。 *海は特に南部では[[黒潮]]の影響が強く、[[串本町|串本]]付近では[[サンゴ礁]]に近い状況の地域がある。また、[[チョウチョウウオ]]のような熱帯に棲む魚も、南部沿岸部では釣れることがある。詳細については[[紀伊半島]]を参照のこと。 === 気候 === 和歌山県は、紀伊半島沖を流れる[[黒潮]]の影響を受けるため年間を通して温暖である。ただ、山間部に限ると[[冬]]は厳しい寒さとなる。その中で最も寒い[[高野山]]は、冬場の平均気温が[[青森市]]や[[函館市]]といった[[北日本]]並みとなるほか、[[雪]]が降ることも多い。これに対して沿岸部には無霜地帯が存在する。[[夏]]から[[秋]]にかけて[[台風]]の襲来が多く、[[1951年]]([[昭和]]26年)以降の台風上陸数は[[鹿児島県]]、[[高知県]]に次いで3番目に多い県である。中でも「[[伊勢湾台風]]」では、紀伊半島や[[東海地方]]などに甚大な被害をもたらした。 * '''県北部([[紀北]])''' [[瀬戸内海式気候]]に属し、[[梅雨]]期と台風期を除けば[[降水量]]が少なく、年間[[日照時間]]が長い地域となっている。夏になると、[[和歌山市]]など平野部では連日のように[[熱帯夜]]が続き、かなり寝苦しい夜もあるものの、昼間はそれほど暑くはならない。しかし、[[紀伊山地]]と[[和泉山脈]]・[[金剛山地]]の間に位置する北東側は[[内陸性気候]](夏と冬、昼と夜の気温差が大きい)の傾向があるため、[[猛暑]]になることがある。1994年8月8日に[[伊都郡]][[かつらぎ町]]で40.6℃(1933年7月25日に[[山形市]]で観測された当時の日本歴代最高気温記録である40.8℃に次ぐ記録)を観測している。なお、北東側は寒暖差を利用した[[ブドウ]]をはじめとする様々な[[果物]]の栽培が行われている。 冬は晴れることが多いため、[[放射冷却]]が強まった朝は平野部でも[[気温#気温に関する用語|冬日]]になることがある。そのうえ、強い冬型の気圧配置になると[[雪雲]]が和歌山市内に流れ込むことがあり、ごく稀にうっすらではあるが[[積雪]]することがある。さらに、[[南岸低気圧]]が紀伊半島沖を通過した時にはまとまった積雪となることもあり、平野部で10cm以上の積雪はほぼすべて南岸低気圧によるものである。 * '''県中部(紀中)''' [[太平洋側気候]]に属し、年間日照時間が長い地域となっている。年間降水量は2,000mm程度でそれほど多くない。[[御坊市]]など沿岸部の夏は蒸し暑いが、[[海洋性気候]]の特徴である[[海陸風|海風]]が吹き、ほとんど猛暑にならないため比較的過ごしやすい([[東牟婁郡]][[串本町]][[潮岬]]など県南部の沿岸部にも同様の特徴がみられる)。 * '''県南部([[田辺市|田辺]]・[[西牟婁郡|西牟婁]]、[[新宮市|新宮]]・[[東牟婁郡|東牟婁]])''' 太平洋側気候に属し、年間日照時間が2,200時間を超え、全国1位2位を争うほど日照時間が長い地域となっている。一方、年間降水量はかなり多く、特に東側は4,000mmにも達する日本でも有数の多雨地帯である。夏から秋にかけて台風が頻繁に通過することから「[[台風銀座]]」と呼ばれている。また、台風本体が遠くにある場合でも、南から流れ込む[[暖湿流]]の影響で南東側を中心に大雨を降らせて、被害をもたらすことがある。 {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:right; white-space:nowrap" |+和歌山県各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html 気象庁・気象統計情報]) !rowspan="2" colspan="2"|平年値<br />(月単位) !colspan="3"|紀北 !colspan="2"|紀中 !colspan="4"|田辺・西牟婁 !colspan="4"|新宮・東牟婁 |- ![[和歌山市|和歌山]]!![[かつらぎ町|かつらぎ]]!![[高野町]]<br />[[高野山]]!![[有田川町]]<br />[[清水町 (和歌山県)|清水]]!![[湯浅町|湯浅]]!![[田辺市]]<br />栗栖川!![[田辺市]]<br />[[本宮町 (和歌山県)|本宮]]!![[白浜町|白浜]]!![[白浜町]]<br />[[日置川町|日置川]]!![[新宮市|新宮]]!![[那智勝浦町]]<br />色川!![[古座川町]]<br />西川!![[串本町]]<br />[[潮岬]] |- !rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|℃]]) !最暖月 |27.8<br />(8月)||26.2<br />(8月) |22.3<br />(8月)||24.9<br />(8月) | ||25.2<br />(8月) | ||27.2<br />(8月) | ||26.8<br />(8月) | ||25.0<br />(8月) |26.5<br />(8月) |- !最寒月 |5.9<br />(1月)||3.7<br />(1月) |−0.5<br />(1月)||2.7<br />(1月) | ||3.8<br />(1月) | ||7.1<br />(1月) | ||7.0<br />(1月) | ||4.1<br />(1月) |7.9<br />(1月) |- !rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]]) !最多月 |208.5<br />(9月)||223.3<br />(6月) |281.9<br />(6月)||287.8<br />(6月) |238.9<br />(6月)||357.1<br />(6月) |449.4<br />(9月)||240.0<br />(9月) |307.6<br />(6月)||437.5<br />(9月) |494.1<br />(9月)||456.4<br />(9月) |358.7<br />(6月) |- !最少月 |41.3<br />(12月)||43.2<br />(12月) |63.4<br />(12月)||60.5<br />(12月) |47.0<br />(12月)||68.3<br />(12月) |65.6<br />(12月)||58.6<br />(12月) |70.4<br />(12月)||74.6<br />(12月) |81.6<br />(12月)||87.1<br />(12月) |83.8<br />(12月) |} === 自然公園 === * [[国立公園]] ** [[吉野熊野国立公園]]、[[瀬戸内海国立公園]] * [[国定公園]] ** [[高野龍神国定公園]]、[[金剛生駒紀泉国定公園]] * [[都道府県立自然公園|県立自然公園]] ** [[高野山町石道玉川峡県立自然公園]]、龍門山県立自然公園、[[生石高原県立自然公園]]、[[西有田県立自然公園]]、[[白崎海岸県立自然公園]]、[[煙樹海岸県立自然公園]]、[[田辺南部白浜海岸県立自然公園]]、[[熊野枯木灘海岸県立自然公園]]、[[大塔日置川県立自然公園]]、[[城ヶ森鉾尖県立自然公園]]、[[果無山脈県立自然公園]]、[[白見山和田川峡県立自然公園]] === 地域区分 === 和歌山県には以下の9市6郡20町1村がある。町の読み方はすべて「ちょう」、村は「むら」である。 紀伊国の大部分を近代以降引き継ぐ和歌山県の地域区分には、[[紀北]]・[[紀南]]の二分法と紀北・紀中・紀南の三分法との2つが用いられることが多い<ref>金田・石川[2006: 509]</ref>。紀北・紀南の二分法は、近世[[紀州藩|和歌山藩]]における口六郡・両熊野という地域区分をほぼ引き継いだものである<ref>藤本・山陰[2003: 2-3]</ref>。 紀北とは紀伊国北部の略とされ、[[有田郡]]ないし[[日高郡 (和歌山県)|日高郡]]以北を指す<ref>「角川日本地名大辞典」編纂委員会編[1985: 362]</ref>。それに対し、紀南とは狭義には[[西牟婁郡]]([[田辺市]]を含む)および[[東牟婁郡]]([[新宮市]]を含む)を指し、二分法を採る場合には日高郡以南とする<ref name="「角川日本地名大辞典」編纂委員会1985: 356">「角川日本地名大辞典」編纂委員会[1985: 356]</ref>。紀中とは、[[第二次世界大戦]]後に地域開発上の要請から生じた新しい概念で<ref>平凡社[1983: 520]</ref>、紀北と紀南の境となる[[有田郡]]([[有田市]]を含む)と日高郡([[御坊市]]を含む)を指す<ref>「角川日本地名大辞典」編纂委員会[1985: 355]</ref>。 しかし、こうした本来の用法があるものの、これら一群の地域区分が何を指すのかが曖昧となっている状況もある<ref>藤本・山陰[2003: 2]</ref>。例えば、紀南を指して「[[南紀]]」と呼ぶ場合があるが、南紀とは南海道紀伊国の略に由来して紀伊国全体を指す語であり<ref name="「角川日本地名大辞典」編纂委員会1985: 356"/>、紀南は南紀に対し下位の概念である。こうした混同は、戦後の観光ブームの中で、観光上の要請から和歌山県南部を表す観光用語として南紀が広められ、昭和40年代ごろの昭和元禄と呼ばれた経済成長の時代に南紀と紀南が同義語として用いられるようになった<ref>桑原[1999: 300-305]</ref> もので、和歌山県在住者でも紀南と南紀が混同されることもある<ref>桑原[1999: 299]</ref>。 また、田辺市・西牟婁郡・東牟婁郡・新宮市を開催地として1999年(平成11年)に開催された[[南紀熊野体験博]]の会期中に、[[伊都郡]]・[[橋本市]]が「北紀高野」を謳って観光キャンペーンを行ったが、「北紀」という名称には歴史的に根拠がないものであることから、批判がなされた<ref>桑原[1999: 300]</ref>。 一方、県による行政的な地域区分は[[郡]]に基づく7区分で、それぞれの地域に[[支庁|振興局]]を設置している。 ;地名の由来 :「和歌山(わかやま)」の[[語源]]・[[由来]]は、「[[和歌浦]]」の和歌と「[[岡山城 (紀伊国)|岡山]]」の山との合成語とされている。豊臣秀吉の命名。 {{seealso|#中世}} {{日本の都道府県内自治体位置図|pref=和歌山県|float=right}} ==== 北部 ==== ;[[海草郡|海草]](かいそう)地域 * [[和歌山市]] - 県庁所在地、海草振興局所在地 * [[海南市]] * [[海草郡]] ** [[紀美野町]] ;[[那賀郡 (和歌山県)|那賀]](なが)地域 * [[紀の川市]] * [[岩出市]] - 那賀振興局所在地 ;[[伊都郡|伊都]](いと)地域 * [[橋本市]] - 伊都振興局所在地 * [[伊都郡]] ** [[かつらぎ町]] ** [[九度山町]] ** [[高野町]] ==== 中部 ==== ;[[有田郡|有田]](ありだ)地域 * [[有田市]] * [[有田郡]] ** [[湯浅町]] - 有田振興局所在地 ** [[広川町 (和歌山県)|広川町]] ** [[有田川町]] ;[[日高郡 (和歌山県)|日高]](ひだか)地域 * [[御坊市]] - 日高振興局所在地 * [[日高郡 (和歌山県)|日高郡]] ** [[美浜町 (和歌山県)|美浜町]] ** [[日高町 (和歌山県)|日高町]] ** [[由良町]] ** [[日高川町]] ** [[印南町]] ** [[みなべ町]] ==== 南部 ==== ;[[西牟婁郡|西牟婁]](にしむろ)地域 * [[田辺市]] - 西牟婁振興局所在地 * [[西牟婁郡]] ** [[白浜町]] ** [[上富田町]] ** [[すさみ町]] ;[[東牟婁郡|東牟婁]](ひがしむろ)地域 * [[新宮市]] - 東牟婁振興局所在地 * [[東牟婁郡]] ** [[太地町]] ** [[那智勝浦町]] ** [[串本町]] ** [[古座川町]] ** [[北山村]] == 歴史 == === 先史 === 人類が県域に足跡を遺したのは、今から約2万5千年前の[[日本の旧石器時代|後期旧石器時代]]であったと考えられている。このころはまだ、寒冷化気候で、高地には[[カラマツ]]が生い茂り、低地には[[ブナ]]林が広がり、[[ナウマンゾウ]]や[[オオツノシカ]]・[[ヒグマ]]などの大型哺乳動物が生息していたと推測されている。遺跡は40カ所ばかり発見されている。 [[縄文時代]]の遺跡が百数十カ所見つかっている。しかし、[[発掘調査]]はほとんど行われていない。和歌山市の[[鳴神貝塚]]は近畿で初めて発見された貝塚である。その他、[[竪穴建物]]跡が確認されたのは、和歌山市川辺遺跡、橋本市芋尾遺跡、野上町安井遺跡、広川町鷹島遺跡などがあり、竪穴建物に加え[[ストーン・サークル]]が見つかった海南市溝ノ口遺跡がある。 === 年表 === *『[[古事記]]』の[[神武東征]]時 - [[神武天皇]]の兄[[彦五瀬命|五瀬命]]が矢傷を受け卒去。「陵はすなはち[[紀伊国|紀國]]の[[竈山神社|竈山]]にあり」。 * [[317年]]([[仁徳天皇]]5年) - [[熊野那智大社]]が[[那智滝]]の近くから現在地に遷宮 * [[5世紀]]から[[7世紀]] - [[岩橋千塚古墳群]]が築造される。 * [[701年]]([[大宝 (日本)|大宝]]元年) - [[文武天皇]]の勅願により[[道成寺]]が建立される。 * [[816年]]([[弘仁]]7年)[[8月4日]] - [[空海|弘法大師空海]]が[[嵯峨天皇]]から[[高野山]]の地を賜る。 * [[1000年]]([[長保]]2年) - [[一条天皇]]の勅願により[[長保寺]]が建立される。 * [[院政時代]] - [[後白河天皇|後白河法皇]]らが[[熊野詣]]を多く実施する。 * [[1130年]]([[大治 (日本)|大治]]5年) - [[根来寺]]創建 * [[1543年]]([[天文 (元号)|天文]]12年)[[9月23日]] - [[鉄砲伝来]]、根来寺の僧[[津田算長]]が根来寺に伝え、[[根来衆]]が量産する。 * [[1585年]]([[天正]]13年) - [[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]の命を受けた[[豊臣秀長|羽柴秀長]]による[[和歌山城]]築城開始。古代からの名勝地「[[和歌浦]]」に対して、秀吉が「和歌山」と命名したことに由来する。 * [[1600年]]([[慶長]]5年) - [[関ヶ原の戦い]]で[[徳川氏]]に味方した[[浅野幸長]]が[[紀伊国|紀伊]]30万石で[[和歌山城]]に入城 * [[1615年]](慶長20年) - [[紀州一揆]]発生 * [[1619年]]([[元和 (日本)|元和]]5年)[[7月19日]] - [[徳川頼宣]]が和歌山城に入城し、[[紀州徳川家|紀伊徳川家]]を創設 * [[1688年]] - [[1711年]]([[元禄]]・[[宝永]]期) - [[紀州藩|和歌山藩]]では地溝・井堰の開削や[[新田]]開発などを積極的に行い、[[年貢]]の増徴策を進めた。[[大畑才蔵]](おおはたさいぞう)や[[井沢弥惣兵衛]](いざわやそべえ)が活躍した。 * [[1700年]](元禄13年) - 藤崎井を手がけ、那賀郡藤崎(紀の川市)から名草郡山口(和歌山市)に至る24kmの用水路を造った。 * [[1716年]]([[享保]]元年)[[9月28日]] - [[紀州藩|和歌山藩]]主[[徳川吉宗]]、[[征夷大将軍]]に就任し[[享保の改革]]を実行する。 * [[1826年]]([[文政]]9年) - [[養翠園]]完工 * [[1871年]]([[明治]]4年)[[8月29日]] - [[廃藩置県]]により和歌山県設置 * [[1886年]](明治19年)[[10月24日]] - [[ノルマントン号事件]] * [[1890年]](明治23年)[[9月16日]] - [[エルトゥールル号遭難事件]] * [[1896年]](明治29年)[[4月1日]] - [[和歌山連隊区]]設置 * [[1945年]]([[昭和]]20年)[[7月9日]] - [[和歌山大空襲]] * [[1952年]](昭和27年)2月 - 県東部で[[ウイルス性肝炎|流行性肝炎]]が発生。罹患者98人、うち死者18人<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=85 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1953年]](昭和28年)[[7月18日]] - 一般に7・18水害と呼ばれている。梅雨末期の集中豪雨によるもので、有田川・日高川・貴志川で大洪水となり[[紀州大水害]]が発生、有田郡と日高郡の被害が特に大きかった。(死者615人、行方不明者431人) * [[1968年]](昭和43年)4月 - [[南紀白浜空港|和歌山県営南紀白浜空港]]開港 * [[1974年]](昭和49年) - [[トルコ記念館]]開館 * [[1994年]]([[平成]]6年)[[7月16日]] - [[和歌山マリーナシティ]]が完成する。[[世界リゾート博|JAPAN EXPO 世界リゾート博]]が開催される。 * [[1995年]](平成7年)[[1月8日]] - [[紀州藩|和歌山藩]]を舞台とした[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]『[[八代将軍吉宗]]』放映 * [[1999年]](平成11年)[[4月29日]] - [[南紀熊野体験博]]が開催される。 * [[2004年]](平成16年)[[7月7日]] - 「[[紀伊山地の霊場と参詣道]]」が[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]][[世界遺産]]に登録される。 * [[2011年]](平成23年)[[9月2日]] - [[9月4日|4日]] - [[平成23年台風第12号|台風12号]]による水害、南部で1000mmを超える豪雨による水害、死者行方不明者55人、[[深層崩壊]]や[[土砂ダム]]など、特に田辺市、那智勝浦町、新宮市に大被害。 == 人口 == [[ファイル:Growth rate map of municipalities of Wakayama prefecture, Japan.svg|thumb|300px|和歌山県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出) {{Multicol}} '''増加''' {{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}} {{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}} {{Multicol-break}} '''減少''' {{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}} {{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}} {{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}} {{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}} {{Legend|#550000|10.0 % 以上}} {{Multicol-end}}]] {{人口統計|code=30000|name=和歌山県|image=Demography30000.svg}}2023年4月1日時点の和歌山県推計人口は89万5931人で、調査を始めた1967年以降、初めて90万人を下回った。減少は27年連続で、特に近年、自然減(死亡数と出生数の差)が急増。ここ1年の出生数は死亡数の3分の1ほどにとどまっている<ref>{{Cite web |title=県の推計人口90万人切る 出生は死亡の3分の1、和歌山:紀伊民報AGARA|和歌山県のニュースサイト |url=https://www.agara.co.jp/sp/article/272619 |website=www.agara.co.jp |access-date=2023-11-28 |language=ja}}</ref>。 == 政治 == === 県政 === {{see also|[[和歌山県庁]]|[[和歌山県庁舎]]}} 県庁、市役所、および町村役場において、企画員という和歌山県独自の職階を置いている。一般に、課長級ないしは課長補佐級の職に当たる。 ==== 歴代公選知事 ==== {{Main|和歌山県知事一覧}} {| class="wikitable" style="text-align:center" border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="3" |colspan="8" bgcolor="#99FFFF"|'''和歌山県公選知事''' |- !代 !氏名 !style="width:8em"|在職期間 !期 !出身地 !備考 |- !style="background:#eee"|1 |[[小野真次]]<br /><small>おの しんじ</small> |1947年4月19日<br />- 1967年4月22日 |5 |和歌山県 | |- !style="background:#eee"|2 |[[大橋正雄]]<br /><small>おおはし まさお</small> |1967年4月23日<br />- 1975年10月4日 |3 |[[京畿道 (日本統治時代)|京畿道]] |任期途中で急逝 |- !style="background:#eee"|3 |[[仮谷志良]]<br /><small>かりや しろう</small> |1975年11月23日<br />- 1995年11月22日 |5 |和歌山県 | |- !style="background:#eee"|4 |[[西口勇]]<br /><small>にしぐち いさむ</small> |1995年11月23日<br />- 2000年7月13日 |2 |和歌山県 | |- !style="background:#eee"|5 |[[木村良樹]]<br /><small>きむら よしき</small> |2000年9月3日<br />- 2006年12月2日 |2 |[[大阪府]] |任期途中で辞職 |- !style="background:#eee"|6 |[[仁坂吉伸]]<br /><small>にさか よしのぶ</small> |2006年12月17日<br />- 2022年12月16日 |4 |和歌山県 | |- !7 |[[岸本周平]]<br /><small>きしもと しゅうへい</small> |2022年12月17日<br />- 現職 |1 |和歌山県 | |} ==== 県議会 ==== {{see|和歌山県議会}} * 定数 - 42人 * 任期 - 2023年(令和5年)4月30日から2027年(令和9年)4月29日まで * [[議長]] - 浜口太史(第93代、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]) * 副議長 - 中本浩精(第99代、自由民主党) ===== 会派構成 ===== (2023年11月10日現在)<ref>[https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/200100/cms/d00154525.html 会派別名簿] 和歌山県議会</ref>。 {| class="wikitable" !会派名!!議員数 |- |[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]県議団 |style="text-align:right"|29 |- |改新クラブ |style="text-align:right"|5 |- |[[公明党]]県議団 |style="text-align:right"|3 |- |[[日本維新の会 (2016-)|日本維新の会]] |style="text-align:right"|2 |- |無所属の会 |style="text-align:right"|2 |- |[[日本共産党]] |style="text-align:right"|1 |} ===== 選挙区 ===== {| class="wikitable" !選挙区名!!定数 !選挙区名!!定数 !選挙区名!!定数 !選挙区名!!定数 |- |[[和歌山市]] |style="text-align:right"|15 |[[海南市]]及び[[海草郡]] |style="text-align:right"|3 |[[橋本市]] |style="text-align:right"|3 |[[有田市]] |style="text-align:right"|1 |- |[[御坊市]] |style="text-align:right"|1 |[[田辺市]] |style="text-align:right"|3 |[[新宮市]] |style="text-align:right"|1 |[[紀の川市]] |style="text-align:right"|3 |- |[[岩出市]] |style="text-align:right"|2 |[[伊都郡]] |style="text-align:right"|1 |[[有田郡]] |style="text-align:right"|2 |[[日高郡 (和歌山県)|日高郡]] |style="text-align:right"|3 |- |[[西牟婁郡]] |style="text-align:right"|2 |[[東牟婁郡]] |style="text-align:right"|2 |} ==== 財政 ==== ===== 平成19年度 ===== * [[財政力指数]] 0.33 ** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中5位 ===== 平成18年度 ===== * 財政力指数 0.30 ** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中11位 * 標準財政規模:2,588億3,800万円 * 一般会計歳入:5,120億円 * 一般会計歳出:5,056億円 * 経常収支比率:89.6%(都道府県平均:92.6%) * 人口一人当たり[[地方債]]現在高:74万316円(都道府県平均:62万2,416円) ** 注:上記は普通会計分の地方債のみを計算 * 人口一人当たり人件費・物件費決算額:15万5,820円(都道府県平均:12万4,759円) * 実質公債費比率:10.3%(都道府県平均:14.7%) * [[ラスパイレス指数]]:99.1(都道府県平均:99.6) 地方債の残高 * 普通会計分の地方債現在高:7,802億1,600万円 * 上記以外の特別会計分の地方債残高:400億1,900万円 ** 主な内訳 *** 土地造成事業分:147億7,700万円 *** 流域下水道事業分:110億900万円 * 第3セクター等に対する債務保障等に係る債務残高等:282億4,800万円 ** 主な内訳 *** [[和歌山県土地開発公社]]分:230億6,100万円(別途和歌山県からの貸付金:147億7,071万円) 地方債等の合計残高:8,484億8,300万円(連結会計) * 和歌山県民一人当たり地方債等現在高:83万7,183円 ===== 平成17年度 ===== * 財政力指数 0.28 ** IVグループ(財政力指数0.3未満)14自治体中4位 ===== 平成16年度 ===== * 財政力指数 0.26 ** IVグループ(財政力指数0.3未満)15自治体中5位 === 国政 === 特徴として「'''[[保守王国|自民王国]]'''」であり、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]が[[保守新党]]を合併してからは自由民主党が衆参全議席を独占していたが、2009年(平成21年)8月30日投票の第45回衆議院議員総選挙では、1区と2区で民主党公認候補が当選、自民の牙城を崩したものの、2012年(平成24年)投開票の第46回衆議院議員総選挙では、2区で自民党候補が議席を奪還した。 ==== 衆議院 ==== * [[和歌山県第1区|1区]] {{衆議院小選挙区当選者|和歌山県第1区}} * [[和歌山県第2区|2区]] {{衆議院小選挙区当選者|和歌山県第2区}} * [[和歌山県第3区|3区]] {{衆議院小選挙区当選者|和歌山県第3区}} ==== 参議院 ==== [[和歌山県選挙区]] * 2022年改選 ** {{参議院選挙区当選者偶数開催|和歌山県選挙区}} * 2025年改選 ** {{参議院選挙区当選者奇数開催|和歌山県選挙区}} == 経済・産業 == {{see also|Category:和歌山県の企業}} === 工業 === [[和歌山市]]、[[海南市]]は[[阪神工業地帯]]の南端に位置し、出荷額は大きい。 和歌山の目立った工業に[[鉄鋼業]]と[[石油元売|石油産業]]がある。鉄鋼業の出荷額は県内産業(出荷額ベース)の3割強に相当し、石油産業と合わせれば県内産業(出荷額ベース)の6割弱を占める<ref>[https://www.meti.go.jp/statistics/tyo/kougyo/wagakuni/2011/pdf/ken30.pdf 都道府県別にみた製造業の現状 和歌山県] [[経済産業省]]工業統計調査 2011年3月1日</ref>。 大規模工場としては、和歌山市の[[日本製鉄]]([[日本製鉄関西製鉄所和歌山地区|関西製鉄所和歌山地区]])、[[花王]]([[花王和歌山工場|和歌山工場]])の主力工場、[[三菱電機]]([[三菱電機冷熱システム製作所|冷熱システム製作所]])など、[[有田市]]の[[ENEOS]]([[ENEOS和歌山製油所|和歌山製油所]])などがある。 [[地場産業]]では、海南市の家庭[[日用品]](水回り用品は国内の約8割を占める。主な大手企業に、[[アイセン工業]]、[[イシミズ]]、[[オーエ]]、ヨコズナクリエーション、ワコー株式会社など)がある。その他、[[御坊市]]の[[麻雀牌]]と[[サイコロ]]、[[有田市]]の[[蚊取線香|蚊取り線香]]、[[田辺市]]の[[ボタン (服飾)|ボタン]]、[[橋本市]]の[[パイル織物]]([[新幹線]]や[[高級車]]のカーシートなどに用いられる)などが有名。 和歌山市南部の[[三葛]]と[[紀三井寺]]を中心とする[[編み物|ニット]]産業は日本一で、丸編みニットは全国シェアの37%を占める<ref name="asahi201619">{{Cite news | title = よみがえる紀の国:8 「紀州肌着」で産地広くPR、「信和ニット」 | newspaper = [[朝日新聞]] | date = 2016-01-09 | author = 平畑玄洋 | publisher = 朝日新聞社 | page = 朝刊 和歌山版 }}</ref>。 === 農業 === [[ファイル:Minabe-Bairin Minabe Wakayama04n3200.jpg|thumb|[[南部梅林]]]] 和歌山県は[[本州]]最南端に位置し温暖な気候で[[果物]]の栽培が非常に盛んなため、果樹王国といわれている。以下は主なものを記す。 ;全国1位 * [[ウンシュウミカン|みかん]] - 生産量日本一(全国シェア約2割) * [[ウメ|梅]] - 生産量日本一(全国シェア約6割) * [[ハッサク|はっさく]] - 生産量日本一(全国シェア約6割) * [[ジャバラ|じゃばら]] - 生産量世界一(世界でも[[北山村]]でしか生産されていなかった) * [[カキノキ|柿]] - 生産量日本一(全国シェア約2割) * [[サンショウ|山椒]] - 生産量日本一(全国シェア約8割) ;全国2位 * [[スモモ]] - 生産量全国2位(全国シェア約2割) * [[ネーブルオレンジ]] - 生産量全国2位(全国シェア約2割) * [[イヨカン|伊予柑]] - 生産量全国2位(全国シェア約1割) ;全国3位 * [[キウイフルーツ]] - 生産量全国3位(全国シェア約1割) ;その他主な農産物 * [[モモ|桃]] - 生産量全国4位(全国シェア約1割) * [[ナツミカン|夏みかん]] - 生産量全国4位(全国シェア約1割) * [[ビワ|びわ]] - 生産量全国6位(全国シェア約1割) * [[エンドウ|うすいえんどう]] * [[イチゴ|いちご]] * [[イノブタ|イノブタ肉]] * [[ホロホロチョウ|ホロホロチョウ肉]] === 漁業 === 和歌山県沖に[[黒潮]](日本海流)があるため、漁業は盛んである。 * [[マグロ]] - [[勝浦漁港 (和歌山県)|勝浦漁港]]も参照。 * [[カツオ]] - [[すさみ町]]ではケンケン漁で獲る「ケンケンかつお」をブランド化している。 * [[ハモ]] - [[雑賀崎漁港]]で揚がるハモは[[京都]]の[[葵祭]]などでよく使用され、[[和歌浦]]地区の[[旅館]]ではハモ料理を提供している。 * [[タチウオ|太刀魚]] - [[有田市]]は太刀魚水揚げ日本一である。 * [[クエ]] === 林業 === 和歌山県は平野部が少なく山地が地域の大部分を占めるため、古くから[[スギ]]・[[ヒノキ]]を中心にした山[[林業]]が盛んである。 全国の山林はほとんどは国有林であるが、和歌山県では大部分が民有林である。また、古くからの良材の産地([[秋田県|秋田]]、[[京都府|京都]]、[[宮崎県|宮崎]]、[[奈良県|奈良]]など)は、民有林が多い。2001年(平成13年)、[[間伐]]の遅れによる森林の荒廃や林業労働力の高齢化が著しくなったため、三重県と共同で[[緑の雇用]]事業を提唱し、軌道に乗せた。 === 県内に本社を置く主要企業 === {{Multicol}} ;建設業 * [[阪和ホールディングス]] - [[和歌山市]] ;製造業 * [[島精機製作所]] - 和歌山市 * [[スガイ化学工業]] - 和歌山市 * [[駿河屋]] - 和歌山市 * [[太洋工業]] - 和歌山市 * [[紀州技研工業]] - 和歌山市 ;運輸・情報通信業 * [[和歌山電鐵]] - 和歌山市 * [[和歌山バス]] - 和歌山市 {{Multicol-break}} ;商業 * [[オークワ]] - 和歌山市 * [[タカショー]] - [[海南市]] * [[松源]] - 和歌山市 * [[エバグリーン]] - [[湯浅町]] ;金融・保険業 * [[紀陽ホールディングス]] - 和歌山市 {{Multicol-end}} === 県内に拠点事業所を置く主要企業 === ;製造業 * [[日本製鉄]](旧・新日鐵住金、[[日本製鉄関西製鉄所和歌山地区|関西製鉄所和歌山地区]]) - [[和歌山市]]・[[海南市]] * [[花王]]([[花王和歌山工場|和歌山工場]]) - 和歌山市 * [[三菱電機]]([[三菱電機冷熱システム製作所|冷熱システム製作所]]) - 和歌山市 * [[パナソニック オートモーティブ&インダストリアルシステムズ社]]([[パナソニック和歌山地区]]) - [[紀の川市]] * [[総合車両製作所]](和歌山事業所) - 紀の川市 * [[ENEOS]]([[ENEOS和歌山製油所|和歌山製油所]]) - [[有田市]] * [[本州化学工業]](和歌山工場) - 和歌山市 * [[大日本除虫菊]](和歌山工場) - 海南市 == 生活・交通 == === 警察 === * [[和歌山県警察]] === 交通 === ==== 鉄道==== * [[東海旅客鉄道|JR東海]] ** [[紀勢本線]] * [[西日本旅客鉄道|JR西日本]] ** [[紀勢本線]](きのくに線) ** [[阪和線]] ** [[和歌山線]] * [[南海電気鉄道]] ** [[南海本線]] ** [[南海和歌山港線|和歌山港線]](ただし、県社分界点(旧[[久保町駅]])以南は、和歌山県が第三種鉄道事業者・南海は第二種鉄道事業者である) ** [[南海加太線|加太線]] ** [[南海高野線|高野線]] ** [[南海鋼索線|鋼索線]] * [[和歌山電鐵]] ** [[和歌山電鐵貴志川線|貴志川線]] * [[紀州鉄道]] ** [[紀州鉄道線]] <gallery> ファイル:Wakayama-STA Central-entrance MIO.jpg|[[和歌山駅]] ファイル:Nichizengu station.JPG|[[和歌山電鐵貴志川線]] </gallery> ==== バス ==== 隣接する奈良県や三重県が1社独占に近いのに対し、当県は地域により細かく事業者が分かれている。南海電鉄の系列の影響が強いが近鉄系や独立系も少なくない。カッコ内は主な走行自治体。 * [[和歌山バス]](和歌山市・海南市) * [[和歌山バス那賀]](紀の川市・岩出市・和歌山市) * [[南海バス]] - 深夜急行バス(橋本市) * [[南海りんかんバス]](橋本市・高野町) * [[大十バス]](海南市・紀美野町) * [[有田鉄道]](有田川町・有田市) * [[中紀バス]](湯浅町・由良町・御坊市) * [[御坊南海バス|熊野御坊南海バス - 御坊支社]](御坊市・印南町・日高川町) * [[龍神自動車]](田辺市・みなべ町) * [[明光バス]](田辺市・白浜町) * [[熊野御坊南海バス|熊野御坊南海バス - 新宮本社]](新宮市・那智勝浦町・田辺市) * [[三重交通]](新宮市) * [[奈良交通]](田辺市・新宮市) *その他各自治体の[[コミュニティバス]] ==== 空港 ==== * [[南紀白浜空港]] ** [[日本航空]] (JAL){{efn|需要に応じて[[ジェイエア]]による運航便もある。}} *** [[東京国際空港]] このほか、和歌山市内からは大阪府内にある[[関西国際空港]]までのリムジンバスが運行されており、所要時間は約40分である。 ==== 道路 ==== * [[高速自動車国道]] ** [[阪和自動車道]] : [[和歌山ジャンクション|和歌山JCT]] - [[南紀田辺インターチェンジ|南紀田辺IC]](印南IC以南は[[暫定2車線]]で供用。) ** [[紀勢自動車道]] : 南紀田辺IC - [[すさみ南インターチェンジ|すさみ南IC]] * [[高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路]] ** [[湯浅御坊道路]] : [[御坊インターチェンジ|御坊IC]] - 有田IC ** [[すさみ串本道路]](事業中) ** [[串本太地道路]](事業中) ** [[那智勝浦新宮道路]] : 新宮市三輪崎 - 市屋 ** [[新宮紀宝道路]](事業中) * [[国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路)]] ** [[京奈和自動車道]] : 将来は[[京都市]]から[[和歌山市]]を結ぶ[[バイパス道路]]となる。和歌山県内では、全線暫定2車線で開通している。 [[ファイル:Route 42, Minabe, Wakayama, Japan01.JPG|thumb|[[国道42号]]]] * [[一般国道]] ** [[国道24号]] ** [[国道26号]] ** [[国道42号]] ** [[国道168号]] ** [[国道169号]] ** [[国道311号]] ** [[国道370号]] ** [[国道371号]] ** [[国道424号]](唯一の和歌山県内完結国道) ** [[国道425号]] ** [[国道480号]] ※全国でも珍しく、県内の3桁一般国道は全線が和歌山県管理である。 * [[主要地方道|主要県道]]・[[都道府県道|一般県道]] {{see|和歌山県の県道一覧}} === 医療・福祉 === {{main|Category:和歌山県の医療機関}} ;[[災害拠点病院]] {{see|和歌山県災害拠点病院}} ;[[保育所]] {{see|和歌山県保育所一覧}} === 教育 === [[File:和歌山大学 システム工学部.jpg|thumb|200px|[[和歌山大学]]システム工学部]] ; [[大学]] [[国立大学|国立]] * [[和歌山大学]] [[公立大学|公立]] * [[和歌山県立医科大学]] [[私立大学|私立]] * [[高野山大学]] * [[和歌山信愛大学]] * [[和歌山リハビリテーション専門職大学]] * [[近畿大学]](生物理工学部) * [[東京医療保健大学]](和歌山看護学部) * [[宝塚医療大学]](和歌山保健医療学部) ; [[通信制大学]] 私立 * [[放送大学]] 和歌山学習センター ; [[短期大学]] 私立 * [[和歌山信愛女子短期大学]] ; 大学の研究施設 * [[京都大学]]フィールド科学教育研究センター ** 和歌山研究林 - [[有田川町]] ** 瀬戸臨海実験所・[[京都大学白浜水族館|白浜水族館]] - [[白浜町]] ** 紀伊大島実験所 - [[串本町]] * 京都大学防災研究所 ** 潮岬風力実験所 - 串本町 ** 白浜海象観測所 - 白浜町 * [[北海道大学]]演習林 - [[古座川町]] * [[近畿大学]] ** 水産研究所 - 白浜町・[[すさみ町]]・[[那智勝浦町]] ** 附属農場 ** 先端技術総合研究所 ; [[高等専門学校]] * [[和歌山工業高等専門学校]] ; [[専修学校]] * [[和歌山県専修学校一覧]] ; [[特別支援学校]] * [[和歌山県特別支援学校一覧]] ; [[高等学校]] * [[和歌山県高等学校一覧]] ; [[中学校]] * [[和歌山県中学校一覧]] ; [[小学校]] * [[和歌山県小学校一覧]] ; [[幼稚園]] * [[和歌山県幼稚園一覧]] ; その他教育施設 ; [[農業大学校]] * [[和歌山県農林大学校]] ; [[職業能力開発校]] * [[和歌山県立和歌山産業技術専門学院]] === マスメディア === 県内に本社を置くマスメディアは少ないものの、[[広域放送#民間基幹放送事業者|近畿広域圏]]に属することから、県北部を中心に在阪の民間放送局を視聴・聴取できるなど、大阪府との結びつきが強い。 ==== 県内に本社・拠点を置く企業 ==== ;県域放送局 * [[NHK和歌山放送局]]([[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]]・[[NHK-FM放送|FM放送]]<ref>[[NHK教育テレビジョン|Eテレ]]、[[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1]]、[[NHKラジオ第2放送|ラジオ第2]]は[[NHK大阪放送局]]がカバーしている。</ref>) * [[テレビ和歌山]] ([[テレビジョン放送|テレビ]]) * [[和歌山放送]]([[中波放送|AMラジオ]]) :和歌山県域民放の超短波放送(FM放送)の周波数 (77.2MHz) が1990年9月21日に割り当てられたが<ref>{{Cite|和書|author=[[NHK放送文化研究所|日本放送協会放送文化研究所]]放送情報調査部|title=NHK年鑑 '91|date=1991|publisher=[[NHK出版|日本放送出版協会]]|pages=495-496}}</ref>、開局のめどが立たない。 ;コミュニティFM * [[エフエム和歌山]](和歌山市) * [[エフエムマザーシップ]](湯浅町) * [[南紀白浜コミュニティ放送]](白浜町) * [[FM TANABE]](田辺市) * [[FMはしもと]](橋本市) ;ケーブルテレビ {{see|Category:和歌山県のケーブルテレビ局}} ;地方紙 * [[紀伊民報]] * [[熊野新聞]] * [[紀州新聞]] * [[紀南新聞]] * [[和歌山新報]] * [[日高新報]] * [[ツー・ワン紀州]] * [[ニュース和歌山]] == 文化・スポーツ == === 方言 === * [[紀州弁]](和歌山弁) === 食文化 === {{See also|Category:和歌山県の食文化}} ; 郷土料理 {{Main|日本の郷土料理一覧#和歌山県}} === 伝統工芸 === ; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]] * [[紀州漆器]](漆器、1978年) * [[指物#大阪唐木指物|大阪唐木指物]](木工品、1977年) * [[紀州箪笥]](木工品、1987年) * [[紀州へら竿]](木工品、2013年) ; 伝統工芸品 {{Main|日本の伝統工芸品の一覧#和歌山県}} === スポーツ === {{See also|Category:和歌山県のスポーツチーム}} * [[アルテリーヴォ和歌山]]([[サッカー]]) * [[和歌山トライアンズ]]([[バスケットボール]]) * [[ワンリーズワカヤマ]](バスケットボール) * [[和歌山ウェイブス]]([[野球]]) * [[キナンサイクリングチーム]]([[自転車競技]]) === スポーツ協会・連盟など === * [[和歌山県高等学校野球連盟]] * [[和歌山県軟式野球連盟]] * [[和歌山県相撲協会]] * [[和歌山県サッカー協会]] * [[和歌山県合気道連盟]] * [[和歌山県フェンシング協会]] * [[和歌山県水泳連盟]] * [[和歌山県剣道連盟]] == 観光 == {{Main|和歌山県の観光地}} {{also|近畿地方の史跡一覧#和歌山県|和歌山県の城}} [[和歌山市]]、[[白浜町]]、[[那智勝浦町]]などが代表的。日本有数の[[温泉]]地であり、かつ[[和歌山マリーナシティ]]・[[ポルトヨーロッパ]]、[[アドベンチャーワールド]]、[[白浜エネルギーランド]]などのレジャー施設もあり、夏には[[海水浴]]客も多く訪れる。 また特徴的な観光として、社寺参拝([[熊野三山]]、[[高野山]]、[[西国三十三所]]の1番[[青岸渡寺]]・2番[[紀三井寺]]など)があり、最も客数が多い。熊野三山への参詣道と高野山は、2004年(平成16年)7月7日に[[世界遺産]]に登録された。しかし、神社の数が[[沖縄県]]に次いで少ない400社である。また最近は、古式捕鯨で有名な[[熊野灘]]が[[ホエールウォッチング]]のスポットとして新たに注目され始めている。 和歌山市を中心とする[[紀北]]地方では大阪方面からの日帰り旅行客が多く、日帰り入浴・遊歩道・ハイキングコース・キャンプ場などが多数設置されている。他には、釣り・花見・観光果樹園なども特色である。 === 有形文化財建造物 === {{main|和歌山県指定文化財一覧}} [[ファイル:Kongosanmaiin Tahoto.JPG|thumb|[[金剛三昧院]]多宝塔(国宝)]] ;[[世界遺産]] * [[紀伊山地の霊場と参詣道]] ;[[国宝]] * [[長保寺]] - [[多宝塔]]、大門、[[本堂]] * [[善福院 (海南市)|善福院]] - 釈迦堂 * [[根来寺]] - 大塔(多宝塔) * [[金剛峯寺]] - 不動堂 * [[金剛三昧院]] - 多宝塔 ;[[重要伝統的建造物群保存地区]] * [[湯浅]] - 醸造町(湯浅町) === 文化施設 === [[ファイル:121013 The museum of modern art, wakayama01s3.jpg|thumb|[[和歌山県立近代美術館]]]] * [[和歌山県立近代美術館]] * [[和歌山県立博物館]] * [[和歌山県立自然博物館]] * [[和歌山県立紀伊風土記の丘]] * [[和歌山県民文化会館]] * [[和歌山県書道資料館]] * [[きのくに志学館]]([[きのくに志学館#和歌山県立図書館|和歌山県立図書館]]、[[きのくに志学館#和歌山県立文書館|和歌山県立文書館]]) * [[県民交流プラザ 和歌山ビッグ愛]] * [[和歌山県立情報交流センターBig・U]]([[和歌山県立情報交流センターBig・U#和歌山県立紀南図書館|和歌山県立紀南図書館]]) === スポーツ施設 === {{main|Category:和歌山県のスポーツ施設}} {{Div col|cols=3}} * [[紀三井寺運動公園陸上競技場]] * [[和歌山県営紀三井寺野球場]] * [[和歌山ビッグホエール]] * [[和歌山市民球場]] * [[海南市民運動場]] * [[御坊市民球場]] * [[田辺スポーツパーク]] * [[紀の川市桃源郷運動公園陸上競技場]] * [[貴志川スポーツ公園野球場]] * [[有田市立有田市民球場]] * [[くろしおスタジアム]] * [[天満球場]] * [[和歌山県立体育館]] * [[和歌山県立橋本体育館]] * [[和歌山県立武道館]] * [[和歌山県営相撲場]] * [[和歌山市立松下体育館]] {{Div col end}} == 対外関係 == *{{CHN}}[[山東省]] - 1984年(昭和59年)4月18日友好県省 *{{FRA}}[[ピレネー=オリアンタル県]] - 1993年(平成5年)9月15日友好提携 *{{USA}}[[フロリダ州]] - 1995年(平成7年)10月4日姉妹提携 *{{MEX}}[[シナロア州]] - 1996年(平成8年)5月20日友好提携 *{{ESP}}[[ガリシア州]]「[[サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路]]」 - 1998年(平成10年)10月9日に「[[熊野古道]]」との永続的な姉妹道提携(和歌山県知事とガリシア州首相が締結) *{{CHN}}[[四川省]] - 2020年(令和2年)3月24日覚書締結、2022年(令和4年)1月26日友好都市提携締結<ref>{{Cite news|title=県と中国の四川省が友好都市提携|publisher=[[テレビ和歌山]]|date=2022-01-27|url=https://www.tv-wakayama.co.jp/news/detail.php?id=67690|accessdate=2022-01-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220129121205/https://www.tv-wakayama.co.jp/news/detail.php?id=67690|archivedate=2022-01-29}}</ref>。 == 和歌山県を舞台とした作品 == {{main|和歌山県を舞台とした作品一覧}} === 音楽 === *和歌山ブルース([[古都清乃]]、1968年) *キンキのおまけ(一発逆転;現・[[ウインズ平阪]]、1986年) *WAKAYAMA(THE KING TONES、1992年) *和歌山LOVESONG21(ワ!つれもていこらーズ、2001年) === 小説 === * [[紀ノ川 (小説)|紀ノ川]]([[有吉佐和子]]、1959年) * [[三熊野詣]]([[三島由紀夫]]、1965年) * [[華岡青洲の妻]](有吉佐和子、1966年) * [[岬 (小説)|岬]]([[中上健次]]、1976年) * [[枯木灘]](中上健次、1977年) * [[大誘拐]]([[天藤真]]、1978年、[[角川文庫]]) * [[鳳仙花 (中上健次)|鳳仙花]](中上健次、1980年) * [[千年の愉楽]](中上健次、1982年) * [[地の果て 至上の時]](中上健次、1983年) * [[水の都大阪3重殺]]([[石川真介]]、2005年) - 紀州大水害 * [[和歌山殺人事件]]([[石川真介]]、2006年) * [[南紀十津川殺人ライン]]([[石川真介]]、2019年) === 漫画 === * [[レッド・リン -紅い梅と蒼い梅-]]([[中村真理子]]、2009年 - ) * [[サマータイムレンダ]]([[田中靖規]]、『[[少年ジャンプ+]]』2017年10月23日 - 2021年2月1日、既刊13巻) * [[青年少女よ、春を貪れ。]](山田シロ彦)(『週刊ヤングジャンプ』2021年3号[4] - 2022年12号、既刊4巻) === 歌舞伎 === * [[娘道成寺]] === ドラマ === * [[華岡青洲の妻]](過去多数) * [[紀ノ川 (小説)|紀ノ川]]([[日本放送協会|NHK]]、1964年 - 1965年) * [[連続テレビ小説]] [[風見鶏 (テレビドラマ)|風見鶏]](NHK、1977年 - 1978年) * [[連続テレビ小説]] [[純ちゃんの応援歌]](NHK、1988年 - 1989年) * [[大河ドラマ]] [[八代将軍吉宗]](NHK、1995年) * [[連続テレビ小説]] [[ほんまもん]](NHK、2001年 - 2002年) * [[連続テレビ小説]] [[あさが来た]](NHK、2015年 - 2016年) * [[大河ドラマ]] [[真田丸 (NHK大河ドラマ)|真田丸]](NHK、2016年) === 映画 === * [[紀ノ川 (小説)|紀ノ川]](1966年) * [[華岡青洲の妻]](1967年) * [[男はつらいよ 寅次郎春の夢]](1979年) * [[火まつり (映画)|火まつり]](1985年) * [[男はつらいよ 寅次郎物語]](1987年) * [[大誘拐 RAINBOW KIDS]](1991年) * [[釣りバカ日誌4]](1991年) * [[真夏の少年]](1991年) * [[ランニング・フォーエバー]](1992年) * [[海と夕陽と彼女の涙 ストロベリーフィールズ]](2006年) * [[幸福のスイッチ]](2006年) * [[ザ・コーヴ]](2009年) * [[軽蔑 (中上健次)|軽蔑]](2011年) * [[千年の愉楽]](2013年) * [[ねこにみかん]](2014年) * [[海難1890]](2015年) *たまご(2015年) * [[ボクは坊さん。]](2015年) * [[ビハインド・ザ・コーブ]](2015年) * [[グッド・ストライプス]](2015年) * [[ポエトリーエンジェル]](2017年) * [[ボクはボク、クジラはクジラで、泳いでいる。]](2018年) === アニメ === * [[びんちょうタン]] * [[ラムネ (ゲーム)|ラムネ]] * [[AIR (ゲーム)|AIR]] - [[御坊市]]および[[美浜町 (和歌山県)|美浜町]]。 * [[Myself ; Yourself]] * [[RDG レッドデータガール]] * [[貧乏神が!]] * [[サマータイムレンダ]] === ゲーム === * [[ラムネ (ゲーム)|ラムネ]] - [[白浜町]]。[[白浜駅]]周辺。 * [[みずいろ]] - 「ラムネ」と同じ町が舞台。 * [[朝凪のアクアノーツ]] - 舞台になる町の名前が[[白浜町]]。「温泉地で有名」([[南紀白浜温泉|白浜温泉]])、「白い砂浜目当てに多くの海水浴が訪れる」([[白良浜]])など、同町を連想させる記述が公式サイトにて多数確認できる。 * [[ポケットモンスター]] - 舞台である[[ジョウト地方]]・ヒワダタウンは、[[紀州備長炭]]の産地である[[みなべ町]]をモデルにしている。 === 写真 === *写真 和歌山ブルース([[北田祥喜]]、2007年) *写真 続・和歌山ブルース(北田祥喜、2008年) == 人物 == {{see|和歌山県出身の人物一覧}} === 和歌山県名誉県民 === 和歌山県名誉県民の称号は、1967年(昭和42年)10月14日に制定された和歌山県名誉県民条例(和歌山県条例第34号)に基づき、「和歌山県の発展に卓絶した功績があり、ひとしく県民の敬愛を受ける者」へ贈られる(条例第1条)<ref name=meiyoa>[https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/010100/reiki/reiki_honbun/k501RG00000033.html 和歌山県名誉県民条例] - 和歌山県、2020年4月17日閲覧。</ref>。対象者は、和歌山県知事が[[和歌山県議会]]の同意を得て選定することが定められる(条例第2条)。名誉県民に選定された者には、顕彰状、徽章や記念品の金盃も贈られるほか(条例第3条)、知事が定める礼遇や特典を受けられる(条例第4条)<ref name=meiyoa/><ref>[https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/010100/reiki/reiki_honbun/k501RG00000034.html 和歌山県名誉県民条例施行規則] - 和歌山県、2020年4月17日閲覧。</ref>。 {| class="wikitable" !贈呈番号 !受賞者氏名 !職業 !備考 !出典 |- |1 |[[小野真次]] |[[政治家]] |和歌山県知事 |<ref name=meiyo>[https://wbs.co.jp/news/2015/06/30/62903.html 仁坂知事・たま駅長に「県民栄誉賞」検討] - 和歌山放送ニュース、2020年4月17日閲覧。</ref> |- |2 |[[大橋正雄]] |政治家 |和歌山県知事 |<ref name=meiyo/> |- |3 |[[松下幸之助]] |[[実業家]] |[[パナソニック]]創業者 |<ref name=meiyo/> |- |4 |[[仮谷志良]] |政治家 |和歌山県知事 |<ref name=meiyo/> |} === 観光大使など === 県が大使を委嘱している著名人を記載する。 * 和歌山県[[ふるさと大使]] ** [[坂本冬美]]<ref name="kankokeikaku">[https://www.pref.wakayama.lg.jp/chiji/press_animation/press_animation_backn_d/fil/030413_3.pdf 和歌山県観光振興実施行動計画](76ページ)</ref> ** [[小西博之]]<ref name="kankokeikaku" /> * わかやまパンダ大使 ** [[岡本玲]]<ref name="kankokeikaku" /> * 和歌山県[[観光大使]] ** [[袁文英]]<ref name="kankokeikaku" /> * 和歌山県ふるさと[[広報大使]] ** [[中島由貴 (声優)|中島由貴]]<ref>[http://wave.pref.wakayama.lg.jp/news/kensei/shiryo.php?sid=34611 わかやま県政ニュース 声優・中島由貴(なかしま ゆき)さん 「和歌山県ふるさと広報大使」就任に係る委嘱状交付式について]</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * 「[[角川日本地名大辞典]]」編纂委員会編『和歌山県』[[角川書店]]〈[[角川日本地名大辞典]]30〉、1985年 ISBN 404001300X * 金田幸裕・[[石川義孝 (地理学者)|石川義孝]]『近畿圏』[[朝倉書店]]〈[[日本の地誌]]8〉、2006年 ISBN 9784254167689 * 桑原康宏『熊野の集落と地名 - 紀南地域の人文環境』清文堂、1999年 ISBN 479240486X * [[藤本清二郎]]・[[山陰加春夫]]編『和歌山・高野山と紀ノ川』[[吉川弘文館]]〈街道の日本史35〉 2003年 ISBN 4642062351 * [[平凡社]]編 『和歌山県の地名』 平凡社〈日本歴史地名大系31〉、1983年 == 関連項目 == <!-- 関連するウィキリンク、ウィキ間リンク --> * [[:Category:和歌山県]] * [[一乗閣]] - 旧[[和歌山県議会]]議事堂 * [[:Category:和歌山県の地理|和歌山県の地理]] * [[:Category:和歌山県の自然景勝地|和歌山県の自然景勝地]] * [[:Category:和歌山県の建築物|和歌山県の建築物]] * [[:Category:和歌山県の観光地|和歌山県の観光地]] * [[:Category:和歌山県の公園|和歌山県の公園]] * [[和歌山県高等学校一覧]] * [[和歌山県出身の人物一覧]] * [[和歌山県の県道一覧]] * [[半島振興法]] - 和歌山市を除く全域が半島振興対策実施地域に指定されている。 * [[吉野熊野国立公園]] * [[日本の地理]]、[[日本の地域]] * [[和歌山県の廃止市町村一覧]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/和歌山県|[[ファイル:Wakayama-geo-stub.png|36px|Portal:日本の都道府県/和歌山県]]|break=yes}} {{Multimedia|和歌山県の画像 (市町村別)|和歌山県の画像}} {{Sisterlinks|wikt=|b=|q=|s=|commons=Wakayama_prefecture|commonscat=Wakayama prefecture|n=Category:和歌山県|v=no|voy=和歌山県|d=Q131314|species=Wakayama prefecture}} * {{Osmrelation|908959}} === 行政 === * {{Official website}} === 観光 === * [https://www.wakayama-kanko.or.jp/ わかやま観光情報] - 和歌山県観光連盟 * [https://ja.localwiki.org/main-ja/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C 和歌山県] - LocalWiki {{s-start}} {{s-bef|before=[[紀州藩|和歌山藩]] ---- [[田辺県]]・[[新宮県]]|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1871年]] -|years2=}} {{s-aft|after=-----|表記=次}} {{s-end}} {{日本の都道府県}} {{和歌山県の自治体}} {{和歌山県の郡}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:わかやまけん}} [[Category:日本の第三種鉄道事業者]] [[Category:日本の都道府県]] [[Category:和歌山県|*]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C
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諸星大二郎
諸星 大二郎(もろほし だいじろう、1949年7月6日 - )は、日本の漫画家。姓はもろぼしとも。別名に諸星義影がある。 長野県北佐久郡軽井沢町生まれ、東京都足立区出身。1970年『COM』にてデビュー。代表作に『妖怪ハンター』『西遊妖猿伝』など。 主に古史古伝に題材をとり、異形の存在によって日常の価値観や世界観を転倒させるような作品を多数発表している。また日常の不安を形にしたような寓意的な作品も得意とする。作品にはクトゥルー神話の間接的影響も随所に見受けられる。 重い読後感を残す伝奇作品を描く一方で、『ど次元世界物語』など、軽めの不条理めいたユーモア作品もデビュー当初より発表している。また近作にはグロテスクさとユーモアが同居した『栞と紙魚子』シリーズという少女漫画作品もある。 SF・伝奇漫画家の星野之宣と親交がある。 東京都立江北高校卒業後、東京都電気研究所で3年間公務員を務めたのち、1970年に「硬貨を入れてからボタンを押してください」で漫画雑誌『COM』の読者投稿コーナー「ぐら・こん」で佳作5席。同年COM12月号にて「ぐら・こん」入選作の「ジュン子・恐喝」でデビューを果たす。その後、『COM』、『漫画アクション』、『パピヨン』誌などに作品を発表する。 1974年に初めて少年ものとして描いた『生物都市』で第7回手塚賞に応募して入選、同年から『週刊少年ジャンプ』で『妖怪ハンター』の連載を始め、本格的な作家活動に入る。その後、同誌で『暗黒神話』、『孔子暗黒伝』を連載する。 1979年から『週刊少年チャンピオン増刊』『月刊少年チャンピオン』などで『マッドメン』シリーズを不定期に掲載する。 1983年から『月刊スーパーアクション』誌で『西遊妖猿伝』を連載開始する。それまで知る人ぞ知る作家に留まっていたが、この作品で一般的な認知を得るようになる。2000年には同作で第4回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。 2004年、劇画と同じ不条理の世界を描いた初の小説集『キョウコのキョウは恐怖の恐』を刊行した。それまでに発表してきた短編小説が加筆・修正のうえ収録されている。 2007年、2冊目の小説集『蜘蛛の糸は必ず切れる』を発表した。 2020年、展覧会『デビュー50周年記念 諸星大二郎展 異界への扉』が11月より全国巡回。 2021年、デビュー50周年を記念して『諸星大二郎 デビュー50周年記念 トリビュート』を河出書房新社より刊行。諸星の「寄稿者への逆トリビュートイラスト」も収録されている。 選考委員のほぼ全員一致で決定した「生物都市」の手塚賞入選ではあったが、あまりの面白さに、とても無名の新人の作品とは思えないとして、先行するSF作品の中に類似のものがあるのではないかとの質問が、他の選考委員からSF作家である筒井康隆委員のもとに殺到した。のちに筒井は自身が編纂した『'74日本SFベスト集成』に「生物都市」を収録し、解説文でそのときの選考の経緯を記している。 同じ手塚賞受賞作家で、長年にわたり互いに気になる存在であった星野之宣とは、星野の『ヤマトの火』連載開始時の対談企画において、初めて実際に会うこととなった。このとき上京して諸星の自宅を訪ねた星野は、「本棚に自分が持っている本と同じものが並んでいることに苦笑した」と語っている。なお、『妖怪ハンター』に登場する橘(たちばな)という在野の民俗学者は、容姿が星野に似ている。 独創性の強い画風から、アシスタントに「どこをどうアシすればいいか分からない」と言われたエピソードを持つ諸星は、手塚治虫にも「諸星さんの絵だけは描けない」と言われている。一方で、諸星はジャンルを越えた多くの著名人の作品に影響を与えている。 2000年代以降は諸星作品の研究ムックなどで、たびたび、インタビューや対談に応じるようになっている。2018年11月には川崎市民ミュージアムでの「ビッグコミック50周年展」にあわせて開催されたトークイベント「星野之宣×諸星大二郎 ~ふたつの宇宙、その中心に迫る~」(司会・夏目房之介)にも出演した。 2020年11月12日放送『浦沢直樹の漫勉neo』(NHK Eテレ)に出演。4日間にわたり撮影された執筆の様子などが放送された。
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諸星 大二郎は、日本の漫画家。姓はもろぼしとも。別名に諸星義影がある。 長野県北佐久郡軽井沢町生まれ、東京都足立区出身。1970年『COM』にてデビュー。代表作に『妖怪ハンター』『西遊妖猿伝』など。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 諸星 大二郎 | ふりがな = もろほし だいじろう | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{JPN}}・[[長野県]] | 国籍 = {{JPN}} | 生年 = {{生年月日と年齢|1949|7|6}} | 没年 = | ジャンル = [[SF漫画|SF]]・[[伝奇小説#日本の近現代の伝奇風小説|伝奇]] | 活動期間 = [[1970年]] - | 代表作 =『[[妖怪ハンター]]』<br />『[[西遊妖猿伝]]』など <!-- 「代表作を挙げた出典」に基づき記載 --> | 受賞 = [[手塚賞]]入選<br>[[日本漫画家協会賞]]優秀賞<br>[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞<br>文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞<br>[[芸術選奨]]文部科学大臣賞 }} '''諸星 大二郎'''(もろほし だいじろう、[[1949年]][[7月6日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。姓は'''もろぼし'''とも。別名に'''諸星義影'''がある。 [[長野県]][[北佐久郡]][[軽井沢町]]生まれ、[[東京都]][[足立区]]出身。1970年『[[COM (雑誌)|COM]]』にてデビュー。代表作に『[[妖怪ハンター]]』『[[西遊妖猿伝]]』など。 == 人物・作風 == 主に[[古史古伝]]に題材をとり、異形の存在によって日常の価値観や世界観を転倒させるような作品を多数発表している。また日常の不安を形にしたような寓意的な作品も得意とする。作品には[[クトゥルフ神話|クトゥルー神話]]の間接的影響も随所に見受けられる。 重い読後感を残す伝奇作品を描く一方で、『ど次元世界物語』など、軽めの不条理めいた[[ユーモア]]作品もデビュー当初より発表している<ref group="注">これらの作品中には自身の名前をもじった「モロ☆」の落書きが見られる。</ref>。また近作には[[グロテスク]]さとユーモアが同居した『[[栞と紙魚子]]』シリーズという少女漫画作品もある。 SF・伝奇漫画家の[[星野之宣]]と親交がある。 == 来歴 == [[東京都立江北高等学校|東京都立江北高校]]卒業後、[[東京都立産業技術研究センター|東京都電気研究所]]で3年間公務員を務めたのち、[[1970年]]に「硬貨を入れてからボタンを押してください」で[[漫画雑誌]]『[[COM (雑誌)|COM]]』の読者投稿コーナー「[[COM (雑誌)#ぐら・こん|ぐら・こん]]」で佳作5席。同年COM12月号にて「ぐら・こん」入選作の「ジュン子・恐喝」でデビューを果たす。その後、『COM』、『[[漫画アクション]]』、『パピヨン』誌などに作品を発表する。 [[1974年]]に初めて少年ものとして描いた『[[生物都市]]』で第7回[[手塚賞]]に応募して入選、同年から『[[週刊少年ジャンプ]]』で『[[妖怪ハンター]]』<ref group="注">『妖怪ハンター』という題名は編集部が付けたもので、本人はあまり気に入っておらず、後の続編では『稗田礼二郎のフィールド・ノートより』と改題された。ただし、再刊単行本においては再び『妖怪ハンター』に統一されている。</ref>の連載を始め、本格的な作家活動に入る。その後、同誌で『[[暗黒神話]]』、『孔子暗黒伝』を連載する。 1979年から『[[週刊少年チャンピオン]]増刊』『[[月刊少年チャンピオン]]』などで『[[マッドメン (漫画)|マッドメン]]』シリーズを不定期に掲載する。 1983年から『[[月刊スーパーアクション]]』誌で『[[西遊妖猿伝]]』を連載開始する。それまで知る人ぞ知る作家に留まっていたが、この作品で一般的な認知を得るようになる。[[2000年]]には同作で第4回[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞を受賞した。<!--ちなみに手塚賞に入選し、手塚治虫文化賞を受賞した漫画家は、これまでのところ諸星大二郎と[[井上雄彦]]だけである。--><!--ノート参照--> 2004年、劇画と同じ不条理の世界を描いた初の小説集『キョウコのキョウは恐怖の恐』を刊行した。それまでに発表してきた短編小説が加筆・修正のうえ収録されている。 2007年、2冊目の小説集『蜘蛛の糸は必ず切れる』を発表した。 2020年、展覧会『デビュー50周年記念 諸星大二郎展 異界への扉』が11月より全国巡回<ref name="展覧会2020">{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/morohoshiten50|title=諸星大二郎展 異界への扉【公式】|date=2020-10|accessdate=2020-12-16}}</ref>。 2021年、デビュー50周年を記念して『諸星大二郎 デビュー50周年記念 トリビュート』を河出書房新社より刊行<ref name="natalie20210907">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/444103|title=浦沢直樹、萩尾望都、星野之宣、山岸凉子らが描き下ろし「諸星大二郎トリビュート」|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-09-07|accessdate=2021-09-07}}</ref>。諸星の「寄稿者への逆トリビュートイラスト」も収録されている<ref name="natalie20210907" />。 == エピソード == 選考委員のほぼ全員一致で決定した「生物都市」の[[手塚賞]]入選ではあったが、あまりの面白さに、とても無名の新人の作品とは思えないとして、先行するSF作品の中に類似のものがあるのではないか<!-- 出典に「盗作」との文言はなく捏造 盗作なのではないか-->との質問が、他の選考委員からSF作家である[[筒井康隆]]委員のもとに殺到した。のちに筒井は自身が編纂した『'74日本SFベスト集成』に「生物都市」を収録し、解説文でそのときの選考の経緯を記している<ref>筒井康隆「74年版解説」『'74日本SFベスト集成』筒井康隆編、徳間書店、1975年p.280</ref>。 同じ手塚賞受賞作家で、長年にわたり互いに気になる存在であった[[星野之宣]]とは、星野の『[[ヤマタイカ|ヤマトの火]]』連載開始時の対談企画において、初めて実際に会うこととなった。このとき上京して諸星の自宅を訪ねた星野は、「本棚に自分が持っている本と同じものが並んでいることに苦笑した」と語っている<ref>『スーパーアクション』1984年6月号掲載。</ref>。なお、『妖怪ハンター』に登場する橘(たちばな)という在野の[[民俗学|民俗学者]]は、容姿が星野に似ている。 独創性の強い画風から、[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]に「どこをどうアシすればいいか分からない」と言われたエピソードを持つ諸星は、手塚治虫にも「諸星さんの絵だけは描けない」と言われている<ref>スーパー鼎談「星野之宣・諸星大二郎・手塚治虫」創刊2周年特別企画、『スーパーアクション』1985年6月号掲載。</ref>。一方で、諸星はジャンルを越えた多くの著名人の作品に影響を与えている。 2000年代以降は諸星作品の研究ムックなどで、たびたび、インタビューや対談に応じるようになっている。2018年11月には[[川崎市民ミュージアム]]での「ビッグコミック50周年展」にあわせて開催されたトークイベント「[[星野之宣]]×諸星大二郎 ~ふたつの宇宙、その中心に迫る~」(司会・夏目房之介)にも出演した。 2020年11月12日放送『[[浦沢直樹の漫勉|浦沢直樹の漫勉neo]]』([[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]])に出演。4日間にわたり撮影された執筆の様子などが放送された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.jp/p/manben/ts/7W327R2Y4N/episode/te/KZ98YK6V5J/|title=浦沢直樹の漫勉neo - (5)「諸星大二郎」|publisher=[[日本放送協会|NHK]]|accessdate=2020-12-16}}</ref>。 * [[細野晴臣]]の「THE MADMEN」<ref group="注">[[イエロー・マジック・オーケストラ|YMO]]のアルバム『[[サーヴィス (YMOのアルバム)|サーヴィス]]』に収録。</ref>は、諸星の作品に触発されて作られたとされている<ref name="田中" />。細野によれば元々は「MUDMEN(泥の男)」という題名で、製作会社の綴りの間違いがそのままになったのだという。『世界伝奇行 パプアニューギニア マッドメン』収録の諸星・細野対談での細野の発言によると、『マッドメン』シリーズの一編「鳥が森に帰る時」の中に出てくる歌「ニューギニア ガワン族に伝わる歌」(登場人物の篠原波子の「訳」と記されており、何らかの伝承音楽の歌詞を諸星がアレンジしたもの)の歌詞の影響が強いという。 * [[庵野秀明]]の『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』の巨大人型兵器には「影の街」に登場する巨人の影響があるとされ<ref name="田中" />、[[岡田斗司夫]]が語るところによると、庵野は以前から「このシーンが好きでやりたい」と話していたという<ref>NHK-BS放送『[[マンガ夜話]]』「僕とフリオと校庭で」の回。岡田に漏らしていたのは『ふしぎの海のナディア』製作中。</ref>。 * [[宮崎駿]]も諸星作品のファンで、庵野が『[[風の谷のナウシカ (映画)|風の谷のナウシカ]]』の制作中に諸星の単行本を机の本棚に並べていたところ、宮崎が手に取って「ここが面白いんだ」と説明し始めたという<ref>『画楽.mag Vol.3』集英社、2014年、p7</ref>。 * [[田中啓文]]の『私立伝奇学園高等学校民俗学研究会』シリーズの主人公・諸星比夏留(ひかる)<ref>文庫版『邪馬台洞の研究』({{ISBN2|9784062763042}})の帯より。</ref>、[[高橋留美子]]の漫画『[[うる星やつら]]』の主人公・[[諸星あたる]]<ref name="田中" />などの名字の由来である。 * 女性漫画家の[[ねこぢる]]は諸星にファンレターを1度送っており、その中で『[[無面目・太公望伝|無面目]]』に衝撃を受けたと述べている。 * かつては公の場にはまず現れなかったので、漫画家の間でもどのような人物であるかはほとんど知られていなかった。手塚治虫の葬儀で偶然一緒になった[[夏目房之介]]によると、タクシーの中で[[柳田國男]]の本を読んでいたといい、あまりにもハマっていたので衝撃だったと語る。この時は、寡黙な印象を受けたという。 * [[田中圭一 (漫画家)|田中圭一]]が諸星の実子に取材したところによると、温厚な人物で、鼻歌交じりに音楽を聴きながら執筆し、息子が録画した『[[おそ松さん]]』など[[深夜アニメ]]をよく観るという<ref name="田中">{{cite book|和書|author=田中圭一|authorlink=田中圭一 (漫画家)|title=[[田中圭一のペンと箸 -漫画家の好物-]]||chapter=第17話:諸星大二郎と吉祥寺のタイ料理|chapterurl=http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/penhashi/2851|isbn=9784091893116|year=2017}}</ref>。 == 受賞歴 == * [[1974年]] - 第7回手塚賞入選(『[[生物都市]]』)<ref group="注">同期受賞者に[[石川サブロウ]]と[[村生ミオ]]がいる。</ref> * [[1992年]] - 第21回[[日本漫画家協会賞]]優秀賞(『僕とフリオと校庭で』『異界録』) * [[2000年]] - 第4回[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞(『西遊妖猿伝』) * [[2008年]] - 第12回[[文化庁メディア芸術祭]]マンガ部門優秀賞(『栞と紙魚子』) * [[2014年]] - 第64回[[芸術選奨]]文部科学大臣賞(『瓜子姫の夜・シンデレラの朝』) * [[2018年]] - 第47回[[日本漫画家協会賞]]コミック部門大賞(『諸星大二郎劇場』)<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/281144|title=「諸星大二郎劇場」「HITOKOMART」が第47回日本漫画家協会賞の大賞に|date=2018-05-07|publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミック ナタリー]]|accessdate=2018-07-02}}</ref> == 作品リスト == === 単行本 === * [[暗黒神話]] (週刊少年ジャンプ1976年20-25号) ** 暗黒神話(1977年2月、ジャンプスーパーコミックス、[[集英社クリエイティブ|創美社]]) ** 暗黒神話(1988年6月、ジャンプスーパーエース、創美社){{ISBN2|9784420137034}} ** 暗黒神話 完全版(2015年7月、[[ホーム社]])完全受注生産 ** 暗黒神話 完全版 (愛蔵版コミックス) (2017年3月17日、集英社){{ISBN2|9784087925104}} <!--*** 暗黒神話**** 畜生の章 **** 阿修羅の章 **** 餓鬼の章 **** 地獄の章 **** 人間の章 **** 天の章 *** 徐福伝説(月刊少年ジャンプ1979年増刊1月号) *** 解説エッセイ タケカワユキヒデ「古代人としての作者」--> * 夢みる機械(短編集) ** 夢みる機械(1978年6月、サンコミックス、[[朝日ソノラマ]]){{ISBN2|9784257914853}} ** 夢みる機械(1993年8月、ジャンプスーパーエース、創美社){{ISBN2|9784420137508}} * アダムの肋骨(短編集) ** アダムの肋骨(1978年9月、奇想天外コミックス、[[奇想天外社]]) ** アダムの肋骨 諸星大二郎傑作短編集(1982年10月、ジャンプスーパーコミックス、集英社) * 孔子暗黒伝(週刊少年ジャンプ1977年50号 - 1978年9号) ** 孔子暗黒伝 全2巻(赤気篇・東夷篇)(1978年、ジャンプスーパーコミックス、集英社) ** 孔子暗黒伝(1988年5月、ジャンプスーパーエース、集英社){{ISBN2|9784420137010}} <!--**** 桓?(かんたい)の難 **** 仏陀入滅 **** 狂接輿(きょうせつよ) 歌いて過ぐ **** 精霊の村 **** 孔子大いに怪力乱心を語る **** 時の御柱 **** 知識の甘き果実 *** 解説エッセイ 山崎浩一「麻薬的諸星ワールド」--> * 徐福伝説(短編集、『[[マッドメン (漫画)|マッドメン]]』収録)(1979年3月、ジャンプスーパーコミックス、集英社) * コンプレックス・シティ(デビュー作『ジュン子・恐喝』収録)(1980年10月、アクションコミックス、[[双葉社]]){{ISBN2|9784575930825}} * [[マッドメン (漫画)|マッドメン]] ** マッドメンシリーズ 全2巻 (オンゴロの仮面・大いなる復活)(1981-1982年、[[少年チャンピオンコミックス]] [[秋田書店]]){{ISBN2|9784253037785}} 他 ** マッドメン(1985年10月、秋田コミックスセレクト、秋田書店){{ISBN2|9784253108508}} ** マッドメン 諸星大二郎作品集(1993年5月、中公愛蔵版、[[中央公論新社|中央公論社]]){{ISBN2|9784120022142}} ** マッドメン 全2巻(オンゴロの仮面・大いなる復活)(2000年、ジャンプスーパーエース、創美社){{ISBN2|9784420137690}} 他 ** MUD MEN 最終版(2010年1月、光文社コミック叢書SIGNAL、光文社){{ISBN2|9784334901677}} * 地獄の戦士(1981年3月集英社、[[ヤングジャンプ・コミックス]]、集英社){{ISBN2|9784088611051}} * [[西遊妖猿伝]] ** 西遊妖猿伝 全9巻 -未完(1984-1995年、アクションコミックス、双葉社){{ISBN2|9784575812695}} 他 ** 西遊妖猿伝 全16巻 -未完(1998-2000年、[[希望コミックス]]、[[潮出版社]]){{ISBN2|9784267903151}} 他 ** 西遊妖猿伝 大唐篇 全10巻(2009年、モーニングKCDX、[[講談社]]){{ISBN2|9784063756616}} 他 ** 西遊妖猿伝 西域篇 続刊中(2009年-、モーニングKC、講談社){{ISBN2|9784063728088}} 他 * 子供の王国 諸星大二郎珠玉短編集(1984年8月、ジャンプ・コミックスデラックス、集英社){{ISBN2|9784088581231}} * 砂の巨人(1984年10月、デュオセレクション、朝日ソノラマ){{ISBN2|9784257900542}} * 失楽園(『生物都市』収録)(1988年5月、ジャンプスーパーエース、創美社){{ISBN2|9784420137027}}(関連:[[失楽園]]) * 諸怪志異 ** 諸怪志異(一)異界録(1989年6月、アクションコミックス、双葉社){{ISBN2|9784575931662}} ** 諸怪志異(二)壷中天(1991年3月、アクションコミックス、双葉社){{ISBN2|9784575932461}} ** 諸怪志異(三)鬼市(1999年11月、アクションコミックス、双葉社){{ISBN2|9784575936322}} ** 諸怪志異(四)燕見鬼(2005年10月、アクションコミックス、双葉社){{ISBN2|9784575939705}} ** 諸怪志異(一)伝奇編 (2011年1月、光文社コミック叢書SIGNAL、光文社) {{ISBN2|9784334901783}} ** 諸怪志異(二)阿鬼編 (2011年3月、光文社コミック叢書SIGNAL、光文社) {{ISBN2|9784334901790}} ** 諸怪志異(三)燕見鬼編(2011年8月、光文社コミック叢書SIGNAL、光文社) {{ISBN2|9784334901806}} * [[無面目・太公望伝]](1989年8月、希望コミックス、潮出版社){{ISBN2|9784267901928}} * ぼくとフリオと校庭で(1991年8月、アクションコミックス、双葉社){{ISBN2|9784575932607}} * 海神記 1-3巻 -未完 (1992-1994年、希望コミックス、潮出版社){{ISBN2|9784267902284}} ** 海神記 上巻(2007年7月、光文社コミック叢書SIGNAL、[[光文社]]) {{ISBN2|9784334901400}}  ** 海神記 下巻(2007年9月、光文社コミック叢書SIGNAL、[[光文社]]) {{ISBN2|9784334901417}}  * 不安の立像(1993年5月、ジャンプスーパーエース、創美社){{ISBN2|9784420137485}} * 天崩れ落つる日(1997年2月、ジャンプスーパーエース、創美社){{ISBN2|9784420137683}} * 夢の木の下で(『[[壁男]]』収録)(1998年7月、MAGコミックス、[[マガジンハウス]]){{ISBN2|9784838709700}} * 諸星大二郎自選短編集 ** 諸星大二郎自選短編集I 汝、神になれ鬼になれ(2001年1月、ヤングジャンプ愛蔵版、集英社){{ISBN2|9784087826180}} ** 諸星大二郎自選短編集II 彼方より(2001年3月、ヤングジャンプ愛蔵版、集英社){{ISBN2|9784087826197}} * [[碁娘伝]](2001年10月、希望コミックス、潮出版社){{ISBN2|9784267904011}} * [[私家版鳥類図譜]](2003年3月、KCデラックス、[[講談社]]){{ISBN2|9784063346947}} ** 新装版 私家版鳥類図譜 (KCデラックス モーニング) (2016年11月22日、講談社){{ISBN2|9784063930863}} * [[トゥルーデおばさん グリムのような物語]](2006年2月、眠れぬ夜の奇妙な話コミックス、朝日ソノラマ){{ISBN2|9784257905462}} * スノウホワイト グリムのような物語(2006年11月、[[東京創元社]]){{ISBN2|9784488023911}} * [[私家版魚類図譜]](2007年3月、KCデラックス、講談社){{ISBN2|9784063722789}} ** 新装版 私家版魚類図譜 (KCデラックス モーニング) (2016年11月22日、講談社){{ISBN2|9784063930870}} * 未来歳時記・バイオの黙示録 (2008年7月、ヤングジャンプコミックス、集英社) {{ISBN2|9784088774848}} * 巨人譚 (2008年12月、光文社コミック叢書SIGNAL、[[光文社]]) {{ISBN2|9784334901561}} * 闇の鶯 (2009年4月、KCデラックス、講談社) {{ISBN2|9784063756999}} * 諸星大二郎 ナンセンスギャグ漫画集・珍の巻(2010年3月、ジャイブ){{ISBN2|9784861767579}} * 諸星大二郎 ナンセンスギャグ漫画集・妙の巻(2010年3月、ジャイブ){{ISBN2|9784861767586}} * 諸星大二郎特選集 ** 第1集・男たちの風景 (2013年10月、小学館) {{ISBN2|9784091857200}} ** 第2集・子供の情景 (2013年11月、小学館) {{ISBN2|9784091857392}} ** 第3集・遠い世界 (2013年12月、小学館) {{ISBN2|9784091857590}} ** 第4集・蒼の群像 (2015年3月、小学館) {{ISBN2|9784091868275}} * 瓜子姫の夜・シンデレラの朝(2013年12月、朝日出版社){{ISBN2|9784022141330}} * あもくん(2015年3月30日、角川書店 幽COMICS){{ISBN2|9784041024751}} ** 夢のあもくん(2022年3月30日<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/471864|title=諸星大二郎「あもくん」7年ぶりのシリーズ第2弾、高橋葉介作品のパロディも|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-03-30|accessdate=2022-04-03}}</ref>、KADOKAWA、怪と幽COMICS){{ISBN2|9784041117224}} * BOX -箱の中に何かいる- ** (1) (2016年11月22日、講談社 モーニングKC){{ISBN2|9784063886696}} ** (2) (2017年4月21日、講談社 モーニングKC){{ISBN2|9784063887211}} ** (3) (2017年10月23日、講談社 モーニングKC){{ISBN2|9784065102756}} * 諸星大二郎劇場(短編集) ** 第1集 雨の日はお化けがいるから(2017年12月27日、小学館 ビッグコミックススペシャル) {{ISBN2|9784091897732}} ** 第2集 オリオンラジオの夜(2019年1月30日、小学館 ビッグコミックススペシャル) {{ISBN2|9784098602537}} ** 第3集 美少女を食べる(2020年11月30日、小学館 ビッグコミックススペシャル) {{ISBN2|9784098608263}} ** 第4集 アリスとシェエラザード(2022年3月30日、小学館 ビッグコミックススペシャル) {{ISBN2|9784098612901}} * 幻妖館にようこそ<ref group="注">画業40年超を記念して、クラウドファンディングにて出版された豪華本。通常版とプレミアム版。https://www.makuake.com/project/mangatrix-m/</ref>(自選短編集+書き下ろし新作、2019年4月17日、MANGATRIX){{ISBN2|9784909185099}} ==== 妖怪ハンターシリーズ ==== * [[妖怪ハンター]](『[[生命の木 (漫画)|生命の木]]』『生物都市』収録)(1978年7月、ジャンプスーパーコミックス、集英社) - [[ウルトラジャンプ]]2014年3月号付録として復刻 * 海竜祭の夜 -妖怪ハンター-(1988年7月、ジャンプスーパーエース、集英社){{ISBN2|9784420137041}} * 天孫降臨 -妖怪ハンター-(1993年2月、ヤングジャンプ・コミックス、集英社){{ISBN2|9784088750101}} * 黄泉からの声 -妖怪ハンター-(1994年7月、ヤングジャンプ・コミックス、集英社){{ISBN2|9784088750408}} * 六福神 -妖怪ハンター-(1998年12月、ヤングジャンプ・コミックスウルトラ、集英社){{ISBN2|9784088757193}} * 稗田のモノ語り 魔障ケ岳 妖怪ハンター (2005年11月、KCデラックス、講談社){{ISBN2|9784063720600}} * -妖怪ハンター-稗田の生徒たち(1)夢見村にて(2014年2月、ヤングジャンプ・コミックスウルトラ、集英社){{ISBN2|9784088796734}} * 妖怪ハンター 稗田の生徒たち 美加と境界の神/夢見村にて/悪魚の海(2021年7月、集英社文庫、集英社){{ISBN2|9784086197960}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-619796-0 |title=妖怪ハンター 稗田の生徒たち 美加と境界の神 / 夢見村にて / 悪魚の海/諸星 大二郎 |website=集英社の本 公式 |accessdate=2021-07-25}}</ref> ==== 栞と紙魚子シリーズ ==== * [[栞と紙魚子]]の生首事件(1996年9月、眠れぬ夜の奇妙な話のコミックス、朝日ソノラマ){{ISBN2|9784257902805}} * 栞と紙魚子と青い馬(1998年5月、眠れぬ夜の奇妙な話のコミックス、朝日ソノラマ){{ISBN2|9784257903420}} * 栞と紙魚子 殺戮詩集 (2000年1月、眠れぬ夜の奇妙な話のコミックス、朝日ソノラマ){{ISBN2|9784257903932}} * 栞と紙魚子と夜の魚(2001年8月、眠れぬ夜の奇妙な話のコミックス、朝日ソノラマ){{ISBN2|9784257904410}} * 栞と紙魚子 何かが街にやって来る(2004年2月、眠れぬ夜の奇妙な話のコミックス、朝日ソノラマ){{ISBN2|9784257904946}} * 栞と紙魚子の百物語(2008年6月、眠れぬ夜の奇妙な話のコミックス、[[朝日新聞出版]]){{ISBN2|9784022131201}} * 新装版 栞と紙魚子1-4 (2014-2015年、Nemuki+コミックス、朝日新聞出版) {{ISBN2|9784022141583}} 他 === 文庫 === * 暗黒神話(1996年11月、[[集英社文庫]](コミックス版・も-9-1)、[[集英社]]){{ISBN2|4-08-617090-6}} * 完全版 マッドメン(1991年7月、[[ちくま文庫]]、[[筑摩書房]]){{ISBN2|448002543X}} * 孔子暗黒伝(1996年11月、集英社文庫(コミックス版・も-9-2)、集英社){{ISBN2|4-08-617091-4}} * 無面目・太公望伝(2001年12月、潮漫画文庫、潮出版社){{ISBN2|4-267-01612-7}} * 栞と紙魚子 1 - 4巻(2003年 - 2011年、ソノラマコミック文庫、朝日ソノラマ){{ISBN2|4-257-72211-8}} ほか * 汝、神になれ鬼になれ 諸星大二郎自選短編集(2004年11月、集英社文庫コミック版(も9-3)、集英社){{ISBN2|4-08-618233-5}} <!-- *** 収録作品(「」内が作品名) **** 第一章 人、神になりしこと また鬼になりしこと(「生命の木」(稗田シリーズ)、「六福神」、「鎮守の森」、「復讐クラブ」) **** 第二章 奇怪な事件、起こりしこと(「海竜祭の夜」(稗田シリーズ)、「毛家の怪」、「生首事件」(栞と紙魚子シリーズ)、「闇の客人(まろうど)」(稗田シリーズ)) **** 第三章 もの、人になりしこと(「沼の子供」、「子供の遊び」、「逆立猿人」、「夢みる機械」) **** 文庫版あとがき --> * 彼方より 諸星大二郎自選短編集(2004年11月、集英社文庫コミック版(も9-4)、集英社){{ISBN2|4-08-618234-3}} <!-- *** 収録作品(「」内が作品名) **** 第一章 彼方より(「生物都市」、「海の中」、「天神さま」(稗田シリーズ)) **** 第二章 彼方へ(「ぼくとフリオと校庭で」、「ど次元世界物語」、「ヨシコちゃんと首たち」、「桃源記」) **** 第三章 遠い世界(「男たちの風景」、「カオカオ様が通る」、「砂の巨人」) **** 文庫版あとがき --> * マッドメン 全2巻(オンゴロの仮面・大いなる復活)(2006年、創美社コミック文庫、創美社){{ISBN2|4-420-25006-2}} ほか * ぼくとフリオと校庭で(2006年12月、双葉文庫名作シリーズ、双葉社){{ISBN2|4-575-72610-9}} * 妖怪ハンター (地の巻・天の巻・水の巻)(2005年11月 - 12月、集英社文庫、集英社){{ISBN2|4-08-618390-0}} ほか <!-- *** 妖怪ハンター 地の巻(も-9-5)2005年11月 **** 妖怪ハンター プロローグ、黒い探求者、赤い唇(くちびる)、生命の木、海竜祭の夜、ヒトニグサ、闇の客人(まろうど)、蟻地獄、闇の中の仮面の顔、死人(しびと)帰り〔全10篇〕{{ISBN2|4-08-618390-0}} *** 妖怪ハンター 天の巻(も-9-6)2005年11月 **** 花咲爺(はなさかじじい)論序説、幻(まぼろし)の木、川上より来たりて、天孫降臨(第一章 大樹伝説、第二章 樹海にて、第三章 若日子復活)、黄泉(よみ)からの声(第一章 井戸のまわりで、第二章 黄泉(よみ)からの声)、天神さま〔全6篇〕 附(一)「瓜子姫の死」(稗田礼二郎「木を巡る対立」より抜粋)、附(二)「天の若日子と生命の木」(稗田礼二郎「天孫降臨」より抜粋){{ISBN2|4-08-618391-9}} *** 妖怪ハンター 水の巻(も-9-7)2005年12月 **** 産女(うぶめ)の来る夜、淵の女、うつぼ舟の女、海より来るもの、鏡島、六福神、帰還〔全7篇〕{{ISBN2|4-08-618392-7}} --> * 諸怪志異 1-2巻(異界録・壷中天)(2007年1月、双葉文庫名作シリーズ、双葉社){{ISBN2|978-4-575-72611-4}} ほか * 碁娘伝(2007年6月、潮漫画文庫、潮出版社){{ISBN2|978-4-267-01756-8}} * 壁男(2007年9月、双葉文庫、双葉社){{ISBN2|978-4-575-72642-8}} * グリムのような物語 トゥルーデおばさん(2009年6月、ソノラマコミック文庫、朝日新聞社){{ISBN2|978-4-022-67191-2}} * 妖怪ハンター 稗田の生徒たち(2021年7月<ref name="natalie20210716">{{Cite news|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|url=https://natalie.mu/comic/news/437108|title=「妖怪ハンター 稗田の生徒たち」&「バイオの黙示録」が文庫に、単行本未収録作品も|date=2021-07-16|accessdate=2021-07-17}}</ref>、集英社文庫コミック版、集英社){{ISBN2|978-4-08-619796-0}} * 未来歳時記 バイオの黙示録(2021年7月<ref name="natalie20210716" />、集英社文庫コミック版、集英社){{ISBN2|978-4-08-619797-7}} === 単行本未収録作品 === * 現代間引考 * 下宿人の幸福のために * 青ヒゲおじさん * 諸星大二郎のジャストミステリーシリーズ * ドクター・モロの逆襲 * ムサシの獲物 === 小説 === * キョウコのキョウは恐怖の恐(2004年11月、講談社){{ISBN2|9784062126533}} * 蜘蛛の糸は必ず切れる(2007年9月、講談社){{ISBN2|9784062140607}} === 挿絵 === * [[陋巷に在り]] 全13巻(著者:[[酒見賢一]]){{ISBN2|9784101281131}} 他 === 画集 === * 不熟 1970~2012 諸星大二郎・画集 Morohoshi Daijiro ARTWORK(2012年10月、[[河出書房新社]]){{ISBN2|9784309273570}} - 描き下ろし3点、未発表20点含む全140点の美麗イラスト掲載。「諸星大二郎×高橋葉介」の特別対談も収録。 === 図録 === * 諸星大二郎 デビュー50周年記念 異界への扉(2020年11月、河出書房新社){{ISBN2|9784309291154}} - 「諸星大二郎展 異界への扉」の公式図録<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309291154/|title=諸星大二郎 デビュー50周年記念 異界への扉|publisher=河出書房新社|accessdate=2020-12-16}}</ref>。 * 諸星大二郎トリビュート デビュー50周年記念(2021年9月、河出書房新社) == インタビュー記事 == *美術誌『Bien(美庵)』Vol.26 2004年5月号({{ISBN2|4-434-04390-0}}、[[藝術出版社]]) 特集「MANGAの可能性」中の「異界との曖昧な差を見つめる」http://geijutsu.la.coocan.jp/japanesebian_backissue.html *古書研究雑誌『[[彷書月刊]]』2005年7月号(特集 このさき諸星大二郎一丁目)収録「なんだか、変わってないんですね。-諸星大二郎さんに聞く」 *『[[AERA]] COMIC ニッポンのマンガ』収録「物語が生まれる瞬間」(インタビュアー:斎藤宣彦) *批評詩『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』第41巻3号({{ISBN2|978-4-7917-0190-2}}、[[青土社]]) 特集「諸星大二郎」中の「モロホシは一日にしてならず」(インタビュアー:斎藤宣彦) *雑誌『[[東京人]]』2014年4月号(特集:ガロとCOMの時代) 「衝動はあっても何をどう描いていいかわからなかった」(インタビュアー:斎藤宣彦) *『集英社コミックシンク』2017年3月17日 [http://www.comicsync.com/normal/2017/03/17/ID1956/ 【諸星大二郎特集・前編】伝奇コミック不朽の名作『暗黒神話』に超豪華な完全版が登場!奇才・諸星大二郎作品を今こそ読み直そう!] *文藝別冊『総特集 諸星大二郎 ―怪を語り、快を生み出す― <大増補新版>』「諸星大二郎 2万字ロングインタビュー ― 「現代の神話」を語り続けて ―」(インタビュアー;[[南信長]]) *雑誌『[[BUBKA]]』2019年2月号 [[吉田豪]]のBUBKA流スーパースター列伝 レジェンド漫画家編 vol.18 『マッドメン』 諸星大二郎 インタビュー == レコード・CDジャケット == *ギャスパー・クラウス『序破急』(MODEST LAUNCH) == 展覧会 == * 諸星大二郎 原画展(画集『不熟 1970〜2012』出版記念) ** [[リブロ]]池袋本店書籍館、2012年10月26日 - 11月16日<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kawade.co.jp/news/2012/10/1118.html|title=11/18 画集『不熟』刊行記念 諸星大二郎先生サイン会決定|publisher=河出書房新社|date=2012-10-24|accessdate=2020-12-16}}</ref> ** スパンアートギャラリー、2013年5月4日 - 18日<ref>{{cite news|url=https://ginza.keizai.biz/headline/2272/|title=銀座で漫画家・諸星大二郎さん原画展-初の画集発売記念で|publisher=銀座経済新聞|date=2013-05-09|accessdate=2020-12-16}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.facebook.com/media/set/?set=a.468766843203984.1073741830.126057910808214|title=画集『不熟』発売記念 諸星大二郎☆原画展|date=2013-05-05|accessdate=2020-12-16}}</ref> ** [[京都国際マンガミュージアム]]、2013年6月29日 - 9月29日<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kyotomm.jp/HP2016/event/exh/morohoshidaijiro1970_2012.html|title=諸星大二郎原画展:不熟1970-2012|publisher=京都国際マンガミュージアム|accessdate=2020-12-16}}</ref> * 諸星大二郎 原画展 ** [[西武の店舗一覧#池袋本店|西武池袋本店]]別館2階 西武ギャラリー、2013年11月15日 - 20日<ref name="展覧会2013">{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20190607151149/http://morohoshidaijiro.gengaten.com/|title=諸星大二郎原画展 公式サイト|publisher=原画展.com|accessdate=2020-12-16}}</ref><ref>{{cite news|url=https://ikebukuro.keizai.biz/headline/873/|title=池袋西武で漫画家・諸星大二郎さん原画展-妖怪ハンターシリーズなど|publisher=池袋経済新聞|date=2013-11-14|accessdate=2020-12-16}}</ref> ** [[博多阪急]]、2014年3月12日 - 18日<ref name="展覧会2013" /> ** [[阪神百貨店#梅田本店|阪神梅田本店]]、2014年8月27日 - 9月2日<ref name="展覧会2013" /> * 諸星大二郎 原画展([[文藝|文藝別冊]]/[[KAWADE夢ムック]]『諸星大二郎 マッドメンの世界』出版記念) ** 中野ブロードウェイ GALLERYリトルハイ、2015年5月23日 - 6月8日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.little-high.com/?kako=%e2%97%86%e3%80%8c%e8%ab%b8%e6%98%9f%e5%a4%a7%e4%ba%8c%e9%83%8e%e5%b1%95%e3%80%8d-2015%e5%b9%b45%e6%9c%8823%e6%97%a5%ef%bd%9e6%e6%9c%888%e6%97%a5|title=「諸星大二郎展」 2015年5月23日~6月8日|publisher=GALLERY リトルハイ|date=2015-06-09|accessdate=2020-12-16}}</ref> ** 京都国際マンガミュージアム、2015年7月16日 - 8月4日<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kyotomm.jp/HP2016/event/exh/morohoshidaijiro_madmen.html|title=諸星大二郎 原画展 マッドメンの世界|publisher=京都国際マンガミュージアム|accessdate=2020-12-16}}</ref> ** [[アンスティチュ・フランセ日本#所在地|アンスティチュ・フランセ九州]] 5階ギャラリー、2015年8月20日 - 29日([[萩尾望都]] 原画展と同時開催)<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/156472|title=萩尾望都と諸星大二郎の原画展が博多・北九州を巡回、グッズ販売も|publisher=コミックナタリー|date=2015-08-13|accessdate=2020-12-16}}</ref><ref name="展覧会2015">{{Cite web|和書|url=http://www.ktqmm.jp/kikaku_info/6752|title=諸星大二郎 原画展~『マッドメンの世界』出版記念|publisher=北九州市漫画ミュージアム|accessdate=2020-12-16}}</ref> ** [[あるあるCity#主要テナント|北九州市漫画ミュージアム]]、2015年10月7日 - 11月8日<ref name="展覧会2015" /> ** [[新潟市マンガの家]]、2016年3月10日 - 5月1日<ref>{{Cite web|和書|url=http://house.nmam.jp/2016/03/09/tenji_morohoshi/|title=企画展示 諸星大二郎原画展~マッドメンの世界|publisher=新潟市マンガの家|accessdate=2020-12-16}}</ref> ** [[東京国際展示場|東京ビッグサイト]]、2016年5月5日<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20160418121416/http://www.comitia.co.jp/info_mudmen.html|title=諸星大二郎「マッドメンの世界」原画展|publisher=[[COMITIA]]|accessdate=2020-12-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/anayuko/status/726984487255461888|title=【諸星大二郎 マッドメン原画展】|date=2016-05-02|accessdate=2020-12-16}}</ref> * 諸星大二郎 原画展(文藝別冊『諸星大二郎 大増補新版』出版記念) ** スパンアートギャラリー、2018年5月26日 - 6月10日<ref>{{Cite web|和書|url=https://collabo-cafe.com/events/collabo/daijiro-morohoshi-ten-span-art/|title=「諸星大二郎 原画展」銀座スパンアートギャラリーにて6/10まで開催!!|date=2018-05-29|accessdate=2020-12-16}}</ref> * デビュー50周年記念 諸星大二郎展 異界への扉<ref name="展覧会2020" /> ** [[北海道立近代美術館]]、2020年11月21日 - 2021年1月17日<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/knb/exhibition/sp_R21121.htm|title=【特別展】R2諸星大二郎展|publisher=[[北海道教育委員会]]|date=2020-11-27|accessdate=2020-12-16}}</ref> ** [[イルフ童画館]]、2021年1月24日 - 3月13日 ** 北九州市漫画ミュージアム、2021年3月20日 - 5月10日(コロナ禍による緊急事態宣言発令を受け、予定より会期短縮)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ktqmm.jp/kikaku_info/13112|title=【閉幕】デビュー50周年記念 諸星大二郎展 異界への扉|publisher=北九州市漫画ミュージアム|accessdate=2021-06-07}}</ref> ** 三鷹市美術ギャラリー、2021年8月7日 - 10月10日 ** [[足利市立美術館]]、2021年10月23日 - 12月26日 == 関連作品 == === 映画 === * ヒルコ 妖怪ハンター(1991年、[[松竹]]) **稗田礼二郎:[[沢田研二]]/監督:[[塚本晋也]]/上映:[[東劇]]系<ref name="海竜祭の夜・帯">『海竜祭の夜』([[集英社]]、1991年 第5刷)の帯より。第1刷は1988年。</ref> ** 原作として「黒い探究者」「赤い唇」<ref name="海竜祭の夜・帯" /> * [[奇談 (映画)|奇談]] (2005年、2005「奇談」製作委員会) **稗田礼二郎:[[阿部寛]]/監督:[[小松隆志 (映画監督)|小松隆志]]/上映:新宿オスカー、池袋シネマサンシャインほか<ref name="魔障ヶ岳・帯">『魔障ヶ岳』([[講談社]]、2005年12月 第2刷)の帯より。第1刷は2005年11月。</ref> ** 原作として「[[生命の木 (漫画)|生命の木]]」<ref name="魔障ヶ岳・帯" /> * [[壁男]](2007年) === TVドラマ === * 復讐クラブ(1991年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]、[[世にも奇妙な物語]] 冬の特別編) * [[城 (世にも奇妙な物語)|城]](1992年、フジテレビ、世にも奇妙な物語) * [[栞と紙魚子#栞と紙魚子の怪奇事件簿|栞と紙魚子の怪奇事件簿]](2008年1月、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) * [[世にも奇妙な物語 春の特別編 (2016年)#夢みる機械|夢みる機械]](2016年、フジテレビ、[[世にも奇妙な物語 春の特別編 (2016年)|世にも奇妙な物語'16春の特別編]]) === OVA === * 暗黒神話 第1章「餓鬼の章」・第2章「天の章」(1990年、大映映像) === ラジオドラマ === * 西遊妖猿伝(1989年、[[NHK-FM放送]]) * 続・西遊妖猿伝(1990年、NHK-FM放送) * 夢みる機械(2000年、NHK-FM放送) === ゲームソフト === * [[暗黒神話]] ヤマトタケル伝説(MSX2版:1988年10月25日発売、東京書籍、ファミコン版:1989年3月24日発売、[[トンキンハウス]](東京書籍)、([[ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ]]週刊少年ジャンプ50周年記念バージョン:2018年7月7日発売に再録) *:* ジャンルはアドベンチャー+アクション。章別クリア制。ファミコン版(ROMカセット)とMSX2版(3.5インチ2DD)が発売された。 *:* キャッチコピーは「1600年の時空(とき)を超え、今、暗黒神が蘇る!」。 === 研究本 === * 『[[ぱふ]] 特集:諸星大二郎の世界』1979年1月号、清彗社 * 『諸星大二郎 西遊妖猿伝の世界』([[双葉社]]、1986年)- [[竹熊健太郎]]、川崎ぶら編集 * 『[[彷書月刊]]』2005年7月号 特集 このさき諸星大二郎一丁目 * 『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]] 特集:諸星大二郎』2009年3月号、[[青土社]] * 『文藝別冊/[[KAWADE夢ムック]] 総特集:諸星大二郎 異界と俗世の狭間から』([[河出書房新社]]、2011年、増補新版2018年) * 『[[別冊太陽]] 太陽の地図帖 27』諸星大二郎: 『暗黒神話』と古代史の旅([[平凡社]]、2014年) * 『別冊太陽 太陽の地図帖 31』諸星大二郎 『妖怪ハンター』異界への旅(平凡社、2015年) * 『文藝別冊/[[KAWADE夢ムック]]』諸星大二郎 マッドメンの世界(河出書房新社、2015年) * 『世界伝奇行 ―パプアニューギニア・マッドメン編―』([[佐藤健寿]]写真、河出書房新社、2019年) - 上記ムックの増補決定版 * 『世界伝奇行 ―中国・西遊妖猿伝編―』([[佐藤健寿]]写真、河出書房新社、2019年) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == *[https://mangapedia.com/%E8%AB%B8%E6%98%9F%E5%A4%A7%E4%BA%8C%E9%83%8E-fuzo6clqf 諸星大二郎] - [[マンガペディア]] *[https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309291628/ 諸星大二郎 デビュー50周年記念 トリビュート] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:もろほし たいしろう}}<!--カテゴリの50音順--> [[Category:SF漫画家]] [[Category:東京都内の地方公務員出身の人物]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:長野県出身の人物]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:ホラーに関連する人物]] [[Category:1949年生]] [[Category:存命人物]]
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首都
首都(しゅと、英: capital / capital city)とは、一国の中心となる都市のことを指す。 多くの場合にはその国の中央政府が所在し、国家元首等の国の最高指導者が拠点とする都市のことであるが例外もあり、場合によっては中央政府の所在とは別に、その国のシンボル的存在として認められている都市が法律上の首都とされることもある。首都の存在を一国の法律上の地位として規定する社会もあれば慣習上の存在とみなす社会もあり、また国政上「首都」という概念を重視しない国もある。 首都は首府(しゅふ)・国都(こくと)・都(みやこ)などとも呼ばれ、また、帝制国家や王制国家の場合は帝都・王都等の称がある。 「首」はかしら(頭)くび、こうべ、かみ(上位:首座)、かなめ(要)、かしら(魁帥)、おさ(長)などの意。「都」はみやこ、天子の宮城のある首府をあらわす。周代の行政上の区画では君主の宗廟のある場所を都(ト・ツ)といい、無い場所を邑(イウ)と呼んだ。「都」は寄せ合わせ残らず集める意。曹丕文「頃撰二遺文、一都爲二一集」。「京」はみやこ(帝都)切り立った高い場所、丘、高い、多い、くじら(鯨=京)などの意。「京師」は天子の居ますみやこ、京は大、師は衆、大衆のおる所の意、春秋成十三「公如京師」。「京都」は晋の時代、景王の諱を避けて京師を京都としたことによる、魏志文帝紀「任城王薨於京都」。清代に編纂された佩文韻府にはみやこを首に例える用例「首都」「首府」の採録はなく、熟語「首善之區」の元となった首善を採録する。これは漢書・儒林傳序の「故教化之行也,建首善自京師始」に由来する。英語Capitalの語源はラテン語kaputであり印欧語の「頭」あるいは「ウシの頭」をあらわす。ヒエログリフにおける牛の頭はフェニキア語や古代ギリシア語、ラテン語の文字に転用されアルファベット筆頭の「A」を表現する。またCapitalは「資本」とも翻訳される。メトロポリスはギリシャ語で「母都市」の意(mḗtēr「母」+pólis「都市」)。 日本では一般的に京、洛と呼ばれ、古代から明治までの律令においては「皇都」、明治期から戦前にかけては「帝都」、戦後は「首都」と呼称することが多い。「帝都」の字句は幕末期の文書:船中八策に登場している。 漢字検定テキストなどによっては、「主都」は「首都」の誤字・誤用とされている。ただし、「主」はきみ(君主)国家の元首やあるじ、ぬし(家長)、つかさどり(宰)まもり(守)すべる(領)ひと、神や神霊のやどるところ、神などをあらわす意であり、帝都を主都と表記しても字義的には誤りではないと解することもできる。 また、国の首都とは別に、その地域のおもだった都市(プライメイトシティ)を指して「主都」と記述することがある(例:ドイツのバイエルンの主都であるミュンヘン)。「都」ではなくその地域でのおもだったムラ(邑)という意味で「主邑」(しゅゆう)との表現がある。 日本のキリスト教では「主都」を冠する会派がある。 「首都」の他に「首都圏」という用語もある。「首都」はひとつの都市であるのに対して、「首都圏」は首都とその周辺に広がる都市の群、即ち圏域(都市圏)を指す。いわば、「首都」は点であるのに対して「首都圏」は面であることになる。首都圏を1個の地方行政区分とする例(フィリピンのマニラ首都圏、インドのデリー首都圏)もあれば、日本のように一部の法律に定義される程度の事例まで存在する。また、中国の北京市など、首都の地方行政区分の区域を広げる例もある。 世界の各国の中には、首都の位置を憲法や法令で明示的に記述している国も存在する。たとえばドイツ連邦共和国は憲法や法律により首都を具体的に指定しており、ドイツ連邦共和国基本法には第22条(1)に「ドイツ連邦共和国の首都はベルリンである。」(Art 22 (1) Die Hauptstadt der Bundesrepublik Deutschland ist Berlin. ドイツ連邦法務省のサイトより) と明記されている。アメリカ合衆国では憲法では首都の具体的な地域は指定していないものの、1790年の合衆国首都設置法は首都の位置をワシントンD.C.と明示している。 また、逆に法定の首都を持たない国も存在する。たとえばイギリスや日本は首都の地位を明示する法が存在しない。また、オランダやボリビア、タンザニアなどのように、法的に定められている首都と実際に首都機能が置かれている都市が違う場合もある。 なお、日本の首都について直接定める法令は現存しないが、一般的には東京都であると認識されており、東京都が事実上の首都である。 2018年2月には衆議院議員逢坂誠二の質問に対し、「首都を東京都であると直接規定した法令はないが、東京都が日本の首都であることは、広く社会一般に受け入れられているものと考えている」とする日本国政府の公式見解が示された。 なお、東京都からは衆議院国会等の移転に関する特別委員会に対して、日本の首都の定義に関する質問を何度か行っている。 首都と呼べる都市を複数持つ国もある。現在日本でも首都が地震や災害などで機能しなくなる事を防ぐ為、首都機能をバックアップする為に近畿圏に副首都を設置・整備する副首都構想がある。 古代の東アジアでは、中国の唐が長安と洛陽と太原の三都制(後には鳳翔と成都を加えた五都制となる)を採用しており、さらに日本(天武朝など)や渤海などの諸国がそれを模倣したように、複都制が広く行われた。この類型の中には、首都が移動するという場合もある。複都制を採っていた唐も、実質的には長安が第一首都(正都)であってその他の都は名目上(副都)にとどまっていたが、時には皇帝は長安を離れて洛陽に移動し、後者が正都としての機能を果たすこともあった。 鎌倉時代後期・江戸時代の日本でも首都機能が分散されており、名目上の首都(天皇のいる京)と、行政機関所在地(幕府のある鎌倉・江戸)とが別々に置かれていた。 モンゴル帝国(元朝)では、大ハーンは宮廷を引き連れ、中国の最北端にある大都(現北京)と、上都(草原の南端部、万里の長城をはさんで大都と対の位置にある)を季節移動した。 ガンデンポタン時代前期(1642-1732)のチベットでは、歴代のチベット・ハンたちはラサのガンデン・カンサル宮殿とダム草原を季節移動した。 三権分立の観点から、国家の中枢機能を複数の都市に分割している国がある。 時期によって首都を移動させる国もある。 王国では、王宮所在地と首都が一致しないことがある。 首都と、実権を握る国家元首の常住地が異なっている場合もある。 憲法や法律で首都を規定している国家では、憲法や法律で規定された名目上の首都と、国家機関が集中する事実上の首都が異なる例が存在する。 遷都を宣言したにもかかわらず、新首都に国家機関の移転が進まず、実際の首都機能の大半が未だ旧首都にとどまっている事例もある。 それとは逆に、新たな都市を建設して首都機能の主要部分を移転するという事例もある。この場合、遷都は宣言されない。また、法的な首都の方にも首都機能の一部は残ることになる。 政治的な事情により、事実上の首都と形式上の首都が異なる国もある。極端な場合、実際には統治していない場所を政治的理由から首都と主張することもある。事実上の首都は「臨時首都」などの名称で呼ばれることもある。 これも政治的な事情により、事実上の首都が国際的には認知されていないという場合もある。 都市国家については、1つの都市が主権を持ち国家となっているため、国家と都市と首都が同義である。シンガポール、モナコがその事例であり、前者は首都シンガポール市がそのままシンガポールという国家、モナコは首都モナコ市がそのままモナコ公国という国家になっている。こうした国家では、地方自治体が存在しない。 面積の小さなミニ国家では、首都が存在しない場合もある。 首都は、国政の中心として交通の便が良い場所が選定されることが多い。したがって、首都と最大都市は、必ずしも一致しない。 首都が最大都市である国(例:日本、韓国、北朝鮮、タイ、イギリス、フランス、ロシア、メキシコなど)もあれば、首都と最大都市が異なる国(下表)もある。 外国大使館は基本的に首都に置かれるが、イスラエルのように、承認に係る事情から外の都市に置かれる例もある。 また、政治の中心地と経済の中心地(その国の最大都市であることが多い)を分離する場合もある。パキスタン最大の都市カラチ(旧首都)は人口1200万人を超える(非公式推計では2000万人に達するともいわれる)が、首都イスラマバードは人口80万人程度であるという極端な例もある。これらの中には、それまで政治中枢と経済中枢を兼ねていた首都が過密になり過ぎ、また一極集中の弊害も無視できなくなったために、別の場所に新都市を建設して遷都したという例もある。コートジボワールとブルンジでは、最大の都市(いずれもかつての首都)を「経済の首都」として公式に経済の中心地と定めている。 一時期のみ異なっていた例も含めている。以下、「首都」とある都市はすべてその国の政治中枢である。 一般に、首都は過密地になりやすい。これは、国家機関(日本でいうところの国会議事堂、中央省庁、最高裁判所)が置かれているために、国家機関の周りに企業が密集するためである。このように、本来、首都は政治と行政の中心地であるが、経済の中心地になることも珍しくない(例:東京都(特に東京特別区)、パリ、バンコク、ソウル)。こういう経過に至った国家では、首都を移転すること(遷都)によって、経済の中心地ではない都市を新しく首都に選定することもある。 ただし、ブラジリア(ブラジル)やキャンベラ(オーストラリア)のように、何もない原野などに国家機関だけを建設した場合は、この限りではない。ベリーズの首都であるベルモパンに至っては、人口が1万人程度である。 政治の中心地であるので、政界などではしばしばその国の中央政府を指すのに首都名を使う。例えば「ワシントン」はアメリカ政府を指し、「北京」は中国政府を指す。特に分断国家に対する中立的呼称として使われることがある。 例:北京政府(中華人民共和国)と台北政府(中華民国) 基礎自治体(例えば市)よりも上位にある広域自治体(例えば県・州)そのものが首都であることがある。 1市単独で広域自治体(県や州)を構成する市は、特別市と称される。特に首都は過密化しやすい点から、特別市となっている所が多い。また、首都以外でも、首都に伍する過密都市(大抵は1つ)は、特別市とされる所もある。 一方で、首都であっても国内のほかの主要都市同様、上位の広域自治体の管轄区域内に含まれるケースも少なからず見られる。たとえば、カナダの場合は連邦政府の直轄行政地区が存在せず、同国の首都オタワは行政上オンタリオ州内の一都市としての位置づけである。また、イタリアの首都ローマはローマ県、およびその上位地方行政区画であるラツィオ州の区域にそれぞれ属し、同時にその県都ならびに州都でもある。
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首都とは、一国の中心となる都市のことを指す。 多くの場合にはその国の中央政府が所在し、国家元首等の国の最高指導者が拠点とする都市のことであるが例外もあり、場合によっては中央政府の所在とは別に、その国のシンボル的存在として認められている都市が法律上の首都とされることもある。首都の存在を一国の法律上の地位として規定する社会もあれば慣習上の存在とみなす社会もあり、また国政上「首都」という概念を重視しない国もある。 首都は首府(しゅふ)・国都(こくと)・都(みやこ)などとも呼ばれ、また、帝制国家や王制国家の場合は帝都・王都等の称がある。
[[ファイル:Washington, D.C. - 2007 aerial view.jpg|250px|thumb|[[アメリカ合衆国]]の首都・[[ワシントンD.C.]]]] [[ファイル:Palace of Westminster from the dome on Methodist Central Hall.jpg|250px|thumb|[[イギリス]]の首都・[[ロンドン]]]] [[ファイル:Beijing skyline from northeast 4th ring road (cropped).jpg|250px|thumb|[[中華人民共和国]]の首都・[[北京市|北京]]]] [[ファイル:Planalto Central.jpg|250px|thumb|[[ブラジル]]の首都・[[ブラジリア]]]] [[ファイル:Pretoria,_Church_Square_.-_le_Palais_de_justice_seigneuriale.jpg|thumb|250px|[[南アフリカ共和国]]の首都、[[プレトリア]]]] [[ファイル:El Cairo - panoramio.jpg|thumb|250px|[[エジプト]]の首都・[[カイロ]]]] [[ファイル:Tokyo from the top of the SkyTree.JPG|サムネイル|255x255ピクセル|[[日本]]の首都・[[東京都|東京]]]] '''首都'''(しゅと、{{lang-en-short|capital / capital city}})とは、一国の中心となる[[都市]]のことを指す。 多くの場合にはその国の[[中央政府]]が所在し、[[国家元首]]等の[[国]]の最高指導者が拠点とする都市のことであるが例外もあり、場合によっては中央政府の所在とは別に、その国のシンボル的存在として認められている都市が法律上の首都とされることもある。首都の存在を一国の法律上の地位として規定する社会もあれば慣習上の存在とみなす社会もあり、また国政上「首都」という概念を重視しない国もある。 首都は'''首府'''(しゅふ)・'''国都'''(こくと)・'''[[都]]'''(みやこ)などとも呼ばれ、また、[[帝国|帝制国家]]や[[王国|王制国家]]の場合は'''[[帝都]]'''・'''王都'''等の称がある。 == 字義 == 「首」はかしら(頭)くび、こうべ、かみ(上位:首座)、かなめ(要)、かしら(魁帥)、おさ(長)などの意。「都」はみやこ、[[天子]]の宮城のある首府をあらわす。[[周]]代の行政上の区画では君主の[[宗廟]]のある場所を都(ト・ツ)といい、無い場所を[[邑]](イウ)と呼んだ。「都」は寄せ合わせ残らず集める意。[[曹丕]]文「頃撰二遺文、一都爲二一集」。「京」はみやこ(帝都)切り立った高い場所、丘、高い、多い、くじら(鯨=京)などの意。「[[京師]]」は天子の居ますみやこ、京は大、師は衆、大衆のおる所の意、春秋成十三「公如京師」。「京都」は[[晋 (王朝)|晋]]の時代、[[司馬師|景王]]の諱を避けて京師を京都としたことによる、魏志文帝紀「任城王薨於京都」<ref>KO字源 [https://wagang.econ.hc.keio.ac.jp/zigen/]「首」「都」「渾」「京」の項目による。</ref>。[[清]]代に編纂された[[佩文韻府]]にはみやこを首に例える用例「首都」「首府」の採録はなく、熟語「首善之區」の元となった首善を採録する。これは[[漢書]]・儒林傳序の「故教化之行也,建首善自京師始」に由来する。英語Capitalの語源はラテン語kaputであり印欧語の「頭」あるいは「ウシの頭」をあらわす。[[ヒエログリフ]]における牛の頭は[[フェニキア語]]や古代[[ギリシア語]]、[[ラテン語]]の文字に転用され[[アルファベット]]筆頭の「A」を表現する。またCapitalは「[[資本主義|資本]]」とも翻訳される。メトロポリスは[[ギリシャ語]]で「母都市」の意(mḗtēr「母」+pólis「都市」)<ref>[http://www.excite.co.jp/dictionary/english_japanese/?search=metro&match=beginswith&dictionary=NEW_EJJE&block=40078&offset=492&title=metropolis 研究社「新英和中辞典 第6版」]{{リンク切れ|date=2021年6月}}</ref>。 日本では一般的に京、洛と呼ばれ、古代から明治までの[[養老律令|律令]]においては「皇都」、明治期から戦前にかけては「帝都」、戦後は「首都」と呼称することが多い。「帝都」の字句は幕末期の文書:[[船中八策]]に登場している。 == 類義語 == === 主都 === 漢字検定テキストなどによっては、「主都」は「首都」の誤字・誤用とされている<ref>「必携漢字検定ハンドブック10級~2級」松村武久 三修社 P.176、「知らなかったではすまされない日本語の常識・非常識」学際国語研究グループ編P.72など</ref>。ただし、「主」はきみ(君主)国家の元首やあるじ、ぬし(家長)、つかさどり(宰)まもり(守)すべる(領)ひと、神や神霊のやどるところ、神などをあらわす意であり、帝都を主都と表記しても字義的には誤りではないと解することもできる。 また、国の首都とは別に、その地域のおもだった都市([[プライメイトシティ]])を指して「主都」と記述することがある(例:[[ドイツ]]の[[バイエルン州|バイエルン]]の主都である[[ミュンヘン]])。「都」ではなくその地域でのおもだったムラ(邑)という意味で「主邑」(しゅゆう)との表現がある。 日本のキリスト教では「主都」を冠する会派がある。 === 首都圏 === {{Main|首都圏}} 「首都」の他に「首都圏」という用語もある。「首都」はひとつの'''都市'''であるのに対して、「首都圏」は首都とその周辺に広がる都市の群、即ち'''圏域([[都市圏]])'''を指す。いわば、「首都」は'''点'''であるのに対して「首都圏」は'''面'''であることになる。首都圏を1個の[[行政区分|地方行政区分]]とする例([[フィリピン]]の[[マニラ首都圏]]、[[インド]]の[[デリー首都圏]])もあれば、日本のように一部の[[法律]]に定義される程度の事例まで存在する。また、中国の[[北京市]]など、首都の地方行政区分の区域を広げる例もある。 == 概説 == {{See|首都の一覧}} 世界の各国の中には、首都の位置を[[憲法]]や法令で明示的に記述している国も存在する。たとえば[[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]は憲法や法律により首都を具体的に指定しており、[[ドイツ連邦共和国基本法]]には第22条(1)に「ドイツ連邦共和国の首都は[[ベルリン]]である。」({{lang|de|Art 22 (1) Die Hauptstadt der Bundesrepublik Deutschland ist Berlin.}} [http://www.gesetze-im-internet.de/gg/art_22.html ドイツ連邦法務省のサイトより]) と明記されている。[[アメリカ合衆国]]では[[アメリカ合衆国憲法|憲法]]では首都の具体的な地域は指定していないものの、[[1790年]]の[[首都立地法 (アメリカ合衆国)|合衆国首都設置法]]は首都の位置を[[ワシントンD.C.]]と明示している。 また、逆に法定の首都を持たない国も存在する。たとえば[[イギリス]]や[[日本]]は首都の地位を明示する法が存在しない。また、[[オランダ]]や[[ボリビア]]、[[タンザニア]]などのように、法的に定められている首都と実際に[[首都機能]]が置かれている都市が違う場合もある。 {{Main|日本の首都|東京奠都|東京都制|都}} なお、日本の首都について直接定める法令は現存しないが、一般的には[[東京都]]であると認識されており、東京都が事実上の首都である。 [[2018年]]2月には[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]][[逢坂誠二]]の質問<ref>[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a196048.htm 日本の首都に関する質問主意書]</ref>に対し、「首都を東京都であると直接規定した法令はないが、東京都が日本の首都であることは、広く社会一般に受け入れられているものと考えている」とする[[日本国政府]]の公式見解が示された<ref>[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b196048.htm 衆議院議員逢坂誠二君提出日本の首都に関する質問に対する答弁書]</ref>。 なお、東京都からは衆議院国会等の移転に関する特別委員会に対して、日本の首都の定義に関する質問を何度か行っている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.seisakukikaku.metro.tokyo.jp/chosa/syuto/3_katudou/4_teigi/index.htm|title=東京都知事本局地方分権推進部国政広域連携・首都調査担当 首都の定義に関する文書質問の実施|accessdate=2016-11-28}}</ref>。 == 複都制 == 首都と呼べる都市を複数持つ国もある。現在日本でも首都が地震や災害などで機能しなくなる事を防ぐ為、首都機能をバックアップする為に近畿圏に副首都を設置・整備する[[副首都構想]]がある。 === 東アジアにおける歴史的な[[複都制]] === {{main2|歴史的な複都制については[[複都制]]を}} 古代の東アジアでは、中国の[[唐]]が[[長安]]と[[洛陽市|洛陽]]と[[太原市|太原]]の三都制(後には[[鳳翔県|鳳翔]]と[[成都市|成都]]を加えた五都制となる)を採用しており、さらに日本(天武朝など)や[[渤海 (国)|渤海]]などの諸国がそれを模倣したように、複都制が広く行われた。この類型の中には、首都が移動するという場合もある。複都制を採っていた[[唐]]も、実質的には[[長安]]が第一首都(正都)であってその他の都は名目上(副都)にとどまっていたが、時には皇帝は[[長安]]を離れて[[洛陽]]に移動し、後者が正都としての機能を果たすこともあった。 [[鎌倉時代]]後期・[[江戸時代]]の日本でも[[首都機能]]が分散されており<ref group="注">[[江戸]]、[[京都]]、そして経済商業の中心であった[[大坂]]の三都市は当時の日本を代表する大都市であり、[[三都]]と通称されていた。</ref>、名目上の首都(天皇のいる[[京都|京]])と、行政機関所在地(幕府のある[[鎌倉]]・[[江戸]])とが別々に置かれていた<ref group="注">考え方によっては、幕府の外交機関所在地(貿易港・[[出島]]のある[[長崎市|長崎]])も、首都機能のある部分を分担していたと見ることもできる。ただし、外交の決定は江戸で行われ、また、長崎は対ヨーロッパ・中国のみで、幕府以外が管轄する異域との外交機関も他に存在した。[[蝦夷地]]・[[和人地]]では[[松前藩]]が[[アイヌ人]]との、[[薩摩藩]]の[[鹿児島市|鹿児島]]では[[仮屋]](在番親方)にて[[琉球王国]]との外交があった([[国際法]]上の国に当たらないとして外交と見ないこともある)。なお、[[在外公館]]にあたるものに、[[李氏朝鮮]]にあった[[対馬藩]]の[[倭館]]、琉球王国にあった薩摩藩の仮屋(在番奉行)、[[清国]][[福建省|福建]]にあった琉球王国の[[柔遠駅]]がある。</ref>。 [[モンゴル帝国]]([[元朝]])では、[[大ハーン]]は宮廷を引き連れ、中国の最北端にある[[大都]](現[[北京]])と、[[上都]](草原の南端部、万里の長城をはさんで大都と対の位置にある)を季節移動した。 [[ガンデンポタン]]時代前期(1642-1732)の[[チベット]]では、歴代の[[グシハン王朝|チベット・ハン]]たちは[[ラサ]]のガンデン・カンサル宮殿とダム草原を季節移動した<ref>デシデリ『チベットの報告』</ref>。 === 近代・現代における複都制 === ==== 複数の首都がある事例 ==== [[三権分立]]の観点から、国家の中枢機能を複数の都市に分割している国がある。 * [[南アフリカ共和国]]では、国会は[[ケープタウン都市圏|ケープタウン]]([[ケープタウン|ケープタウン都市圏]])、行政府は[[プレトリア]]([[ツワネ|ツワネ都市圏]])、[[最高裁判所]]は[[ブルームフォンテーン]]([[マンガウング|マンガウング地方自治体]])に所在する。同国の首都は行政機関が置かれている[[プレトリア]]であるとするのが通例であるが、厳密にいうと南アフリカ共和国には首都が三つあるということになる。 * [[チリ]]では、行政府と最高裁判所は[[サンティアゴ・デ・チレ]]にあり、同市がチリの首都とみなされている。ただし、国会は[[バルパライソ]]に所在しており(1990年移転)、同市はチリの立法首都だということになる。 * [[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]では、[[国家元首]]である[[連邦大統領 (ドイツ)|連邦大統領]]の官邸や[[連邦首相府 (ドイツ)|連邦首相府]]などの行政府と[[ドイツ連邦議会|連邦議会]]などの立法府は[[ベルリン]]にあり、[[憲法]]にあたる[[ドイツ連邦共和国基本法]]の第22条(1)では「ドイツ連邦共和国の首都は[[ベルリン]]である」と規定されている。ただし、最高裁判所にあたる[[連邦憲法裁判所]](Bundesverfassungsgericht) や[[連邦裁判所 (ドイツ)|連邦裁判所]](Bundesgerichtshof)は[[バーデン=ヴュルテンベルク州]]の[[カールスルーエ]]にある。また、[[中央銀行]]である[[ドイツ連邦銀行]]は[[ヘッセン州]]の[[フランクフルト・アム・マイン]]に置かれている。 ** 東西統一以前のドイツ連邦共和国([[西ドイツ]])は、[[ボン]]を暫定首都としていた。東西統一後の首都をボンのままとするかそれともベルリンにするかは大きな議論となったが、結局は伝統的な首都であるベルリンを再度統一ドイツの首都とすることで落ち着いた。しかし、もとの暫定首都であったボンに対する配慮から、1994年に「ベルリン・ボン法(「ドイツ統一のための1991年6月20日の連邦議会の決議」実施に関する法律) 」が定められ、ボンは{{仮リンク|連邦首都(Bundeshauptstadt)|de|Bundeshauptstadt}}であるベルリンと並んで国家の中枢機能を保持する「{{仮リンク|連邦市 (Bundesstadt)|de|Bonn#Bundesstadt_(Standort_von_Bundesbeh%C3%B6rden)}}」であると規定された。それにより、ボンには教育学術省、郵政省、環境省、食糧農林省、経済協力省、[[ドイツ連邦国防省|国防省]]、研究技術省、保健省、カルテル庁、保険庁、金融機関庁、保険制度監督庁、食糧森林庁、農業市場制度庁、会計検査院、中央鉄道庁などの省庁が置かれることになった。また、[[連邦首相府]]の第二官邸([[シャウムブルク宮殿]])なども置かれており、事実上、ボンはドイツの副都(第2首都)だということになる。 * [[スイス|スイス連邦]]では、行政府と国会は[[ベルン]]にあり、同市がスイスの首都とみなされている。ただし、最高裁判所にあたる{{仮リンク|スイス連邦最高裁判所|de|Bundesgericht (Schweiz)}}は[[ローザンヌ]]にある。 時期によって首都を移動させる国もある。 * 王制時代の[[リビア]]([[1951年]] - [[1963年]]はリビア連合王国、1963年 - [[1969年]]は[[リビア王国]])では、[[トリポリ]]と[[ベンガジ]]の2つの首都を置いており、国王と政府機関は季節によって両首都を使い分けていた。 [[王国]]では、[[王宮]]所在地と首都が一致しないことがある。 * かつての[[ラオス王国]](1945-1975)では、首都は[[ヴィエンチャン]]であったが、国王は[[ルアンパバーン]](ルアンプラバン)に居住しており、後者はラオスの「王都」と呼ばれていた。これも、「複都制」の類型のひとつとみなすことができよう<ref group="注">[[タイ王国]]の現在の首都は[[バンコク]]であるが、前国王の[[ラーマ9世]]の主要な居住地は、[[プラチュワップキーリーカン県]]のリゾート地[[チャアム=フワヒン|ホアヒン]]にある[[クライカンウォン宮殿]]であった。ただし、クライカンウォン宮殿はあくまで離宮であり、一般に国王自身の療養のための一時的な滞在と説明されている。また、タイの場合、宮殿、離宮あるいはその他の王室の住居がタイ国内各地に存在する。国王の形式上の住居はバンコクにある[[王宮 (バンコク)|王宮]]であり、国王やその家族が実質的に住居し公務が行われる場所は同じくバンコクの[[チットラダー宮殿]]である。そのため、クライカンウォン宮殿への国王の一時滞在という事例は、首都と王宮所在地が必ずしも一致しない例とはなり得ない。</ref>。 * [[エスワティニ|エスワティニ王国]]では、首都である[[ムババーネ]]には政府と最高裁判所が存在し、国王の居住する王宮と議会(リバンドラ)は[[ロバンバ]]にある。なお、エスワティニの国王は単なる儀礼的地位ではなく、政治の実権を握っている。 首都と、実権を握る国家元首の常住地が異なっている場合もある。 * かつての[[アフガニスタン・イスラム首長国]]([[ターリバーン]]政権の[[アフガニスタン]])では、首都はこれまで通り[[カーブル]]であったが、[[国家元首]]([[アミール|首長]]/[[アミール|アミール・アル=ムウミニーン]])である[[ムハンマド・オマル]]はターリバーンの発祥地である[[カンダハール]]を離れることはなく、さらに国家の最高指導機関である最高評議会もカンダハールにおかれており、カーブルの政府機関はカンダハールのオマルの承認なしにはいかなる政策も実行することはできない状態に置かれた。この時期のアフガニスタンでは事実上、カーブルとカンダハールの二つの首都が存在し、しかも前者は後者に従属していたということができる。 ==== 名目上の首都と事実上の首都の分離 ==== [[憲法]]や[[法律]]で首都を規定している国家では、憲法や法律で規定された名目上の首都と、国家機関が集中する[[事実上]]の首都が異なる例が存在する。 * [[オランダ]]:憲法上の首都である[[アムステルダム]]<ref>オランダ憲法第32条「君主大権を引き受けるに当たって、国王は、首都アムステルダムでの両院の公開かつ合同の会議において、すみやかに宣誓を行い、就任する(以下略)。」衆議院憲法調査会資料。直接の引用元はPDF [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/999992] P.2</ref> と、国家機関所在地であり国家元首である国王(現在は[[ウィレム=アレクサンダー (オランダ王)|ウィレム=アレクサンダー 国王]])の常住地(事実上の首都)である[[デン・ハーグ|ハーグ]]<ref group="注">かつては、オランダの国王の王宮は[[ユトレヒト]]郊外、ハーグ、アムステルダムに設置されており、通常の住居としてはユトレヒト郊外の王宮、公的行事にはハーグの王宮、国家の重大行事にはアムステルダムの王宮が使用されていた。その意味では、ユトレヒトもオランダの首都のひとつと考えることができていた。ただし、現在ベアトリクス女王はハーグの[[ハウステンボス宮殿]]を常住の宮殿としている。</ref>。 * [[ボリビア]]:憲法上の首都であり最高裁判所所在地である[[スクレ (ボリビア)|スクレ]]と、行政府と国会の所在地である[[ラパス]]。1826年の建国から1890年まではスクレが名実ともにボリビアの首都であったが、1899年にラパスを拠点とした勢力が革命によって政権を掌握し、翌年に議会と政府をスクレからラパスに遷した。 * [[モンテネグロ]]:憲法上の首都である[[ツェティニェ]]と、国家機関所在地(事実上の首都)である[[ポドゴリツァ]]。 * [[ベナン]]:憲法上の首都である[[ポルトノボ]]と、国家機関所在地(事実上の首都)である[[コトヌー]]。 * [[スルプスカ共和国|スルプスカ共和国(セルビア人共和国)]](連邦国家[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]のふたつの構成体国家のうちのひとつ):憲法上の首都である[[イストチノ・サラエヴォ|イストチノ・サラエヴォ(東サラエヴォ)]]と、国家機関所在地(事実上の首都)である[[バニャ・ルカ]]。 [[遷都]]を宣言したにもかかわらず、新首都に国家機関の移転が進まず、実際の首都機能の大半が未だ旧首都にとどまっている事例もある。 * [[スリランカ]]:1985年に[[コロンボ]]から[[スリジャヤワルダナプラコッテ]]に遷都したが、現在も国会議事堂、森林局などが新首都に移転しただけで、大統領府をはじめ行政機関の大半はコロンボにとどまっている。 * [[インド]]:従来は[[デリー]]([[デリー首都圏|インド首都圏]])の[[デリー#オールドデリー|オールドデリー地区]]が首都であったが、新首都として建設された[[ニューデリー|ニューデリー地区]]に移転。但しニューデリーはオールドデリーと同じく、未だにデリー(正式にはデリー首都圏)の一角をなす行政区分となっているため、法定上の首都はデリーとしている。なお、日本ではニューデリー(地区)とデリー市本体を一括にせず、個別の自治体扱いとして区分されている場合が多い。 * [[タンザニア]]:法律上の首都である[[ドドマ]]と、旧首都で今でも国家機関の多くが置かれている[[ダルエスサラーム]]。 * [[コートジボワール]]:1983年に[[アビジャン]] から[[ヤムスクロ]]に遷都されたが、行政官庁などの移転は進まず(在コートジボワール日本大使館も[[アビジャン]]にある [http://www.mofa.go.jp/mofaj/link/zaigai/country/cote_d.html])、実質上の首都機能は現在も同国最大都市であるアビジャンが果たしている。 それとは逆に、新たな都市を建設して首都機能の主要部分を移転するという事例もある。この場合、[[遷都]]は宣言されない。また、法的な首都の方にも首都機能の一部は残ることになる。 * [[マレーシア]]:首都は[[クアラルンプール]]であるが、連邦政府および連邦裁判所はクアラルンプールの南郊約25kmの場所に建設された新行政首都[[プトラジャヤ]]へ移転した。ただし、連邦議会議事堂は移転せずにクアラルンプールにとどまっており、法律上の首都はクアラルンプールのままである。事実上、マレーシアはクアラルンプールとプトラジャヤの複都制を採っていることになる。 政治的な事情により、事実上の首都と形式上の首都が異なる国もある。極端な場合、実際には統治していない場所を政治的理由から首都と主張することもある。事実上の首都は「[[臨時首都]]」などの名称で呼ばれることもある。 * [[中華民国]]([[台湾]])は、実質上の首都は[[台北市|台北]]であるが、台北は「臨時首都」に過ぎず、あくまで首都は[[南京市|南京]]であるとする公文書が存在する。もちろん現在の南京は[[中華人民共和国]]の支配下にあるが、[[中華民国]]は大陸を支配していた時代には南京に首都を置いていたことに由来する。 * [[朝鮮民主主義人民共和国]]の首都は[[平壌直轄市|平壌]]であるが、[[1972年]]までは憲法上の首都はソウルであり、平壌は統一までの臨時首都とされていた。 これも政治的な事情により、事実上の首都が国際的には認知されていないという場合もある。 * [[イスラエル]]は、議会での[[エルサレム基本法]]の制定により[[東エルサレム]]を含めた[[エルサレム]]を不可分かつ永遠の首都と宣言し、国家機関の多くもエルサレムに置かれている。しかし、[[国際連合]]や諸外国の多くはこれを認めず、[[テルアビブ]]を首都と見なし、在外公館([[大使館]]など)を同市に置いている([[エルサレム#首都問題]]を参照)。 *日本:[[明治天皇]]が二度目の[[東京行幸]]で[[東京城]]に移って以来、「天皇の存する所=首都」という意味でも日本の首都は事実上[[京都]]から[[東京]]に[[遷都]]したが、「[[行幸]]」は「(天皇の)'''外出'''」と言う意味であり、出発時に京都民に「留守を頼む」と言ったという真偽不明な話もあって、名目上の日本の首都はいまだに京都にあるという考え方をする者もある([[東京奠都]]参照)。 == 都市国家 == [[都市国家]]については、1つの[[都市]]が[[主権]]を持ち国家となっているため、国家と都市と首都が同義である。[[シンガポール]]、[[モナコ]]がその事例であり、前者は首都シンガポール市がそのままシンガポールという国家、モナコは首都モナコ市がそのままモナコ公国という国家になっている。こうした国家では、[[地方政府|地方自治体]]が存在しない。 == 首都が存在しない国 == 面積の小さな[[ミニ国家]]では、首都が存在しない場合もある。 * [[ナウル|ナウル共和国]]の首都は通例、政府機関が位置する[[ヤレン]]であるとされているが、同国には「都市」と呼べるものが存在せず、ナウル政府も自国の「首都」の存在を公認していない。ヤレンは首都というより行政府所在地というのが正確である。 * [[バチカン市国]]は通例は都市国家であるとみなされているが、実際にはバチカンは[[ローマ]]の北西部に位置する丘の上の城壁に囲まれた約0.44&nbsp;km²の範囲を指しており、「バチカン市」というような単独の都市を構成しているわけではない。 * [[シンガポール]]や[[モナコ]]は[[都市国家]]であるため、首都が存在しない、あるいは国家全体が首都といえる。 == 首都と主要都市 == 首都は、国政の中心として交通の便が良い場所が選定されることが多い。したがって、首都と最大都市は、必ずしも一致しない。 首都が最大都市である国(例:[[日本]]、[[大韓民国|韓国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]、[[タイ王国|タイ]]、[[イギリス]]、[[フランス]]、[[ロシア]]、[[メキシコ]]など)もあれば、首都と最大都市が異なる国(下表)もある。 外国[[大使館]]は基本的に首都に置かれるが、[[イスラエル]]のように、承認に係る事情から外の都市に置かれる例もある。 また、[[政治]]の中心地と[[経済]]の中心地(その国の最大都市であることが多い)を分離する場合もある。パキスタン最大の都市[[カラチ]](旧首都)は人口1200万人を超える(非公式推計では2000万人に達するともいわれる)が、首都[[イスラマバード]]は人口80万人程度であるという極端な例もある。これらの中には、それまで政治中枢と経済中枢を兼ねていた首都が過密になり過ぎ、また一極集中の弊害も無視できなくなったために、別の場所に新都市を建設して遷都したという例もある。[[コートジボワール]]と[[ブルンジ]]では、最大の都市(いずれもかつての首都)を「経済の首都」として公式に経済の中心地と定めている<ref>{{Cite web |url=https://www.cia.gov/the-world-factbook/field/capital/ |title=The World Factbook/Capital |publisher=[[中央情報局]] |accessdate=2021-02-16}}</ref>。 === 首都と主要都市とが異なる例 === {{節スタブ}} 一時期のみ異なっていた例も含めている。以下、「首都」とある都市はすべてその国の政治中枢である。 {|class=wikitable style="font-size:small" !国!!首都!!最大都市(または事実上の首都) |- |[[アメリカ合衆国]]||[[ワシントンD.C.]]||[[ニューヨーク]](旧首都) |- |[[アラブ首長国連邦]]||[[アブダビ]]||[[ドバイ]] |- |[[インド]]||[[デリー]]||[[ムンバイ]] |- |[[エクアドル]]||[[キト]]||[[グアヤキル]] |- |[[オーストラリア]]||[[キャンベラ]]||[[シドニー]] |- |[[カザフスタン]]||[[アスタナ]]||[[アルマトイ]](旧首都) |- |[[カナダ]]||[[オタワ]]||[[トロント]](旧首都) |- |[[カメルーン]]||[[ヤウンデ]]||[[ドゥアラ]] |- |[[ガンビア]]||[[バンジュール]]||[[セレクンダ]] |- |[[コートジボワール]]||[[ヤムスクロ]]||[[アビジャン]](旧首都、経済の首都) |- |[[サンマリノ]]||[[サンマリノ]]||[[セラヴァッレ]] |- |[[シリア]]||[[ダマスカス]]||[[アレッポ]] |- |[[スイス]]||[[ベルン]]||[[チューリッヒ]] |- |[[スーダン]]||[[ハルツーム]]||[[オムドゥルマン]] |- |[[スリランカ]]||[[スリジャヤワルダナプラコッテ]]||[[コロンボ]](旧首都) |- |[[赤道ギニア]]||[[マラボ]]||[[バタ]] |- |[[タンザニア]]||[[ドドマ]]||[[ダルエスサラーム]](旧首都) |- |[[中華人民共和国]]||[[北京市|北京]]||[[上海市|上海]] |- |[[トリニダード・トバゴ]]||[[ポートオブスペイン]]||[[サンフェルナンド (トリニダード・トバゴ)|サンフェルナンド]] |- |[[トルコ]]||[[アンカラ]]||[[イスタンブール]](かつての東ローマ帝国・オスマン帝国の首都) |- |[[ナイジェリア|ナイジェリア連邦共和国]]||[[アブジャ]]||[[ラゴス]](旧首都) |- |[[ニュージーランド]]||[[ウェリントン]]||[[オークランド (ニュージーランド)|オークランド]](旧首都) |- |[[パキスタン]]||[[イスラマバード]]||[[カラチ]](旧首都) |- |[[パラオ]]||[[マルキョク]](人口約400人)||[[コロール (都市)|コロール]](旧首都) |- |[[フィリピン]]||[[マニラ]]||[[ケソン]] |- |[[ブラジル]]||[[ブラジリア]]||[[サンパウロ]] |- |[[ブルンジ]]||[[ギテガ]]||[[ブジュンブラ]](旧首都、経済の首都) |- |[[ベトナム]]||[[ハノイ]]||[[ホーチミン市]](旧称:サイゴン。旧[[ベトナム共和国]]と旧[[南ベトナム|南ベトナム共和国]]の首都) |- |[[ベナン]]||[[ポルトノボ]]||[[コトヌー]](事実上の首都) |- |[[ベリーズ]]||[[ベルモパン]]||[[ベリーズシティ]](旧首都) |- |[[ボリビア]]||[[スクレ (ボリビア)|スクレ]]||事実上の首都[[ラパス]]、経済の中心都市[[サンタクルス]] |- |[[マラウイ]]||[[リロングウェ]]||[[ブランタイヤ]] |- |[[マルタ]]||[[バレッタ]]||[[ビルキルカラ]](旧首都) |- |[[南アフリカ共和国]]||[[プレトリア]](行政府所在地としての首都のひとつ)||[[ヨハネスブルグ]] |- |[[ミャンマー]]||[[ネピドー]]||[[ヤンゴン]](旧称:ラングーン。旧首都) |- |[[モロッコ]]||[[ラバト]]||[[カサブランカ]] |- |[[リビア]]||[[トリポリ]]([[トリポリタニア]])||東部の行政中心地[[ベンガジ]]([[キレナイカ]])、<br>かつての王室[[アルバイダ]](キレナイカ) |- |[[リヒテンシュタイン]]||[[ファドゥーツ]]||[[シャーン]](旧首都) |} == 傾向 == 一般に、首都は[[過密]]地になりやすい。これは、国家機関(日本でいうところの[[国会議事堂]]、[[日本の行政機関|中央省庁]]、[[最高裁判所]])が置かれているために、国家機関の周りに企業が密集するためである。このように、本来、首都は[[政治]]と[[行政]]の中心地であるが、[[経済]]の中心地になることも珍しくない(例:[[東京都]](特に[[特別区|東京特別区]])、[[パリ]]、[[バンコク]]、[[ソウル特別市|ソウル]])。こういう経過に至った国家では、首都を移転すること([[遷都]])によって、経済の中心地ではない都市を新しく首都に選定することもある。 ただし、[[ブラジリア]]([[ブラジル]])や[[キャンベラ]]([[オーストラリア]])のように、何もない原野などに国家機関だけを建設した場合は、この限りではない。[[ベリーズ]]の首都である[[ベルモパン]]に至っては、人口が1万人程度である。 == 首都名の持つ意味 == 政治の中心地であるので、政界などではしばしばその国の中央政府を指すのに首都名を使う。例えば「ワシントン」はアメリカ政府を指し、「北京」は中国政府を指す。特に[[分断国家]]に対する中立的呼称として使われることがある。 例:北京政府([[中華人民共和国]])と台北政府([[中華民国]])<!-- また国際的に、首都名は高いブランド力を持っており、首都名を冠した企業や団体などは一流のものであると解されることが多い。こうした例として、[[シドニーオリンピック]]の際、[[東京スポーツ]]の記者が現地関係者に「日本の一流スポーツ新聞」と勘違いされ、他紙の記者より好待遇を受けたことなどが挙げられる。--> == 首都制度 == === 広域自治体が首都である場合 === 基礎自治体(例えば市)よりも上位にある広域自治体(例えば県・州)そのものが首都であることがある。 * [[バンコク|バンコク都]]([[タイ王国|タイ]])<ref group="注">行政区分上は首都府であり都と訳され県ではないが、事実上県として扱われることが多い。</ref> * [[ジャカルタ|ジャカルタ首都特別州]]([[インドネシア]]) * [[メキシコシティ]]([[メキシコ]]) === 国家直轄区域が首都である場合 === * [[ワシントンD.C.]]([[アメリカ合衆国]]) * [[クアラルンプール]]([[マレーシア]]) === 特別市が首都である場合 === 1[[市]]単独で広域自治体([[県]]や[[州]])を構成する市は、'''[[特別市]]'''と称される。特に首都は過密化しやすい点から、特別市となっている所が多い。また、首都以外でも、首都に伍する過密都市(大抵は1つ)は、特別市とされる所もある。 * 1市単独で「県」を構成する首都 ** [[パリ|パリ市]]([[フランス]])<ref group="注">[[フランスの県|県]]の上位行政区画である[[フランスの地域圏|地域圏]](この場合は[[イル=ド=フランス地域圏|イル・ド・フランス地域圏]])の区域には含まれる。なお、フランスの地域圏はほかの国における州相当の地方行政区画であり、フランスの地理・歴史・文化・観光に関する日本語の文献では「州」ないしは「地方」と訳される場合が多い。</ref> ** [[ブカレスト]]([[ルーマニア]]) * 1市単独で「州」またはそれと同等の「行政単位」を構成する首都 ** [[ソウル特別市]]([[大韓民国]]) ** [[北京市]]([[中華人民共和国]]) ** [[台北市]]([[中華民国]]([[台湾]])) ** [[平壌直轄市]]([[朝鮮民主主義人民共和国]]) ** [[モスクワ|モスクワ市]]([[ロシア連邦]]) ** [[ウィーン|ウィーン市]]([[オーストリア]]) ** [[ベルリン|ベルリン市]]([[ドイツ]]) ** [[ソフィア (ブルガリア)|ソフィア市]]([[ブルガリア]]) ** [[ブエノスアイレス]]([[アルゼンチン]]) ** [[ハバナ|ハバナ市]]([[キューバ]]) ** [[ボゴタ]]([[コロンビア]]) ** [[サンティアゴ・デ・チレ]]([[チリ]]) ** [[ブラジリア|ブラジリア市]]([[ブラジル]]) * 1市単独で「郡」を構成する首都 ** [[ザグレブ]]([[クロアチア]]) ** [[ベオグラード]]([[セルビア]]) * 首都以外で、1市単独で「州」を構成する市 ** [[釜山広域市]]、[[大邱広域市]]、[[仁川広域市]]、[[光州広域市]]、[[大田広域市]]、[[蔚山広域市]]、[[世宗特別自治市]](大韓民国) ** [[羅先特別市]]、[[南浦特別市]](朝鮮民主主義人民共和国) ** [[新北市]]、[[桃園市]]、[[高雄市]]、[[台中市]]、[[台南市]](中華民国(台湾)) ** [[上海市]]、[[天津市]]、[[重慶市]](中華人民共和国) ** [[サンクトペテルブルク|サンクトペテルブルク市]](ロシア連邦) ** [[ハンブルク|自由ハンザ都市ハンブルク]](ドイツ) 一方で、首都であっても国内のほかの主要都市同様、上位の広域自治体の管轄区域内に含まれるケースも少なからず見られる。たとえば、カナダの場合は連邦政府の直轄行政地区が存在せず、同国の首都オタワは行政上[[オンタリオ州]]内の一都市としての位置づけである。また、イタリアの首都ローマは[[ローマ県]]、およびその上位地方行政区画である[[ラツィオ州]]の区域にそれぞれ属し、同時にその県都ならびに州都でもある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 文献情報 == *「首都の特質と首都機能再配置の諸形態」山口広文 国会図書館レファレンス2003.4 [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/999992] == 関連項目 == {{Wiktionary}} {{commonscat|Capitals}} {{Wikidata property |1=P36 |2=首都}} {{Columns-list|colwidth=13em| * [[首都機能]] * [[首都機能移転]] * [[首都圏]] * [[首都として建設された計画都市の一覧]] * [[首都の一覧]] * [[かつての首都の一覧]] * [[日本の首都]] * [[東京奠都]] * [[遷都]] * [[奠都]] * [[中央集権]] * [[プライメイトシティ]] * [[世界都市]] * [[古都]] * [[帝都]] * [[メトロポリス]] * [[行政の中心]] * [[州都]] * [[県庁所在地 (曖昧さ回避)|県庁所在地]]<!-- 一般的な説明が曖昧さ回避ページに置かれているため、曖昧さ回避ページに対して明示的にリンクする --> * [[商都]] * [[官邸]] * [[王宮の一覧]] }} {{首都}} {{都市}} {{都市計画}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:しゆと}} [[Category:都市]] [[Category:行政]] [[Category:首都|*]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E9%83%BD
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国の一覧 (大陸別)
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== 凡例 == * 各国は[[五十音順]]に掲載している。 * 大州の区分、及び首都の設置場所で注意が必要な国は、「備考」欄で注意点を記載している。 * [[国名]]及び首都の名は、[[国の一覧#凡例|「国の一覧」が用いた参考資料]]に準拠した。 * [[国際連合加盟国]]でない国については「※」を国旗のアイコンの前に付した。 == アジア == {| class="sortable wikitable" style="text-align: left;font-size:small" |- !国名 !首都 !class="unsortable"|備考 |- |{{AZE}} |[[バクー]] |ヨーロッパにも分類され得る。 |- |{{AFG}} |[[カーブル|カブール]] | |- |{{UAE}} |[[アブダビ市|アブダビ]] | |- |{{ARM}} |[[エレバン]] |ヨーロッパにも分類され得る。 |- |{{YEM}} |[[サナア|サヌア]] |一部島嶼はアフリカに含まれる。 |- |{{ISR}} |[[エルサレム]] |国際的に承認された首都は[[テルアビブ]]([[エルサレム#首都問題|首都問題]]参照)。 ヨーロッパにも分類され得る。 |- |{{IRQ}} |[[バグダード|バグダッド]] | |- |{{IRN}} |[[テヘラン]] | |- |{{IND}} |[[ニューデリー]] | |- |{{IDN}} |[[ジャカルタ]] |一部はオセアニアに含まれる。 |- |{{UZB}} |[[タシケント]] | |- |{{OMN}} |[[マスカット]] | |- |{{KAZ}} |[[アスタナ]] |ヨーロッパにも分類され得る。 |- |{{QAT}} |[[ドーハ]] | |- |{{KOR}} ||[[ソウル特別市|ソウル]] | |- |{{KHM}} |[[プノンペン]] | |- |{{PRK}} |[[平壌]] | |- |{{CYP}} |[[ニコシア]] |ヨーロッパにも分類され得る。 |- |{{KGZ}} |[[ビシュケク]] | |- |{{KWT}} |[[クウェート市|クウェート]] | |- |{{SAU}} |[[リヤド]] | |- |{{GEO}} |[[トビリシ]] |ヨーロッパにも分類され得る。 |- |{{SYR}} |[[ダマスカス]] | |- |{{SGP}} |[[シンガポール]] | |- |{{LKA}} |[[スリジャヤワルダナプラコッテ]] | |- |{{THA}} |[[バンコク]] | |- |{{TJK}} |[[ドゥシャンベ]] | |- |{{PRC}} |[[北京市|北京]] | |- |{{ROC}} |[[台北市|台北]] | |- |{{TKM}} |[[アシガバート]] | |- |{{TUR}} |[[アンカラ]] | 一部はヨーロッパに含まれる。 |- |{{JPN}} |[[東京]] |一部島嶼はオセアニアに含まれる。 |- |{{NPL}} |[[カトマンズ]] | |- |{{BHR}} |[[マナーマ]] | |- |{{PAK}} |[[イスラマバード]] | |- |{{BGD}} |[[ダッカ]] | |- |{{TLS}} |[[ディリ]] | |- |{{PHL}} |[[マニラ]] |一部島嶼はオセアニアに含まれる。 |- |{{BTN}} |[[ティンプー]] | |- |{{BRN}} |[[バンダルスリブガワン]] | |- |{{VNM}} |[[ハノイ]] | |- |{{MYS}} |[[クアラルンプール]] | |- |{{MMR}} |[[ネーピードー]] | |- |{{MDV}} |[[マレ]] | |- |{{MNG}} |[[ウランバートル]] | |- |{{JOR}} |[[アンマン]] | |- |{{LAO}} |[[ヴィエンチャン]] | |- |{{LBN}} |[[ベイルート]] | |} == アフリカ == {| class="sortable wikitable" style="text-align: left;font-size:small" |- !国名 !首都 !class="unsortable"|備考 |- |{{DZA}} |[[アルジェ]] | |- |{{AGO}} |[[ルアンダ]] | |- |{{UGA}} |[[カンパラ]] | |- |{{EGY}} |[[カイロ]] |一部は中東に分類され得る。 |- |{{SWZ}} |[[ムババーネ]] | |- |{{ETH}} |[[アディスアベバ]] | |- |{{ERI}} |[[アスマラ]] | |- |{{GHA}} |[[アクラ]] | |- |{{CPV}} |[[プライア]] | |- |{{GAB}} |[[リーブルヴィル]] | |- |{{CMR}} |[[ヤウンデ]] | |- |{{GMB}} |[[バンジュール]] | |- |{{GIN}} |[[コナクリ]] | |- |{{GNB}} |[[ビサウ]] | |- |{{KEN}} |[[ナイロビ]] | |- |{{CIV}} |[[ヤムスクロ]] | |- |{{COM}} |[[モロニ]] | |- |{{COG}} |[[ブラザヴィル]] | |- |{{COD}} |[[キンシャサ]] | |- |{{STP}} |[[サントメ]] | |- |{{ZMB}} |[[ルサカ]] | |- |{{SLE}} |[[フリータウン]] | |- |{{DJI}} |[[ジブチ市|ジブチ]] | |- |{{ZWE}} |[[ハラレ]] | |- |{{SDN}} |[[ハルツーム]] | |- |{{SYC}} |[[ビクトリア (セーシェル)|ビクトリア]] | |- |{{GNQ}} |[[マラボ]] | |- |{{SEN}} |[[ダカール]] | |- |{{SOM}} |[[モガディシオ]] | |- |{{TZA}} |[[ドドマ]] | |- |{{TCD}} |[[ンジャメナ]] | |- |{{CAF}} |[[バンギ]] | |- |{{TUN}} |[[チュニス]] | |- |{{TGO}} |[[ロメ]] | |- |{{NGA}} |[[アブジャ]] | |- |{{NAM}} |[[ウィントフック]] | |- |{{NER}} |[[ニアメ]] | |- |{{BFA}} |[[ワガドゥグー]] | |- |{{BDI}} |[[ブジュンブラ]] | |- |{{BEN}} |[[ポルトノボ]] | |- |{{BWA}} |[[ハボローネ]] | |- |{{MDG}} |[[アンタナナリボ]] | |- |{{MWI}} |[[リロングウェ]] | |- |{{MLI}} |[[バマコ]] | |- |{{ZAF}} |[[プレトリア]] | |- |{{SSD}} |[[ジュバ]] | |- |{{MUS}} |[[ポートルイス]] | |- |{{MRT}} |[[ヌアクショット]] | |- |{{MOZ}} |[[マプト]] | |- |{{MAR}} |[[ラバト]] | |- |{{LBY}} |[[トリポリ]] | |- |{{LBR}} |[[モンロビア]] | |- |{{RWA}} |[[キガリ]] | |- |{{LSO}} |[[マセル]] | |} == ヨーロッパ == {| class="sortable wikitable" style="text-align: left;font-size:small" |- !国名 !首都 !class="unsortable"|備考 |- |{{ISL}} |[[レイキャヴィーク]] | |- |{{IRL}} |[[ダブリン]] | |- |{{ALB}} |[[ティラナ]] | |- |{{AND}} |[[アンドララベリャ]] | |- |{{GBR}} |[[ロンドン]] |全ての大州に[[海外領土・自治領の一覧|海外領土・自治領]]を有する。 |- |{{ITA}} |[[ローマ]] |一部島嶼はアフリカに含まれる。 |- |{{UKR}} |[[キーウ]](キエフ) | |- |{{EST}} |[[タリン]] | |- |{{AUT}} |[[ウィーン]] | |- |{{NLD}} |[[アムステルダム]] |一部島嶼は北アメリカに含まれる。 |- |{{GRC}} |[[アテネ]] | |- |{{HRV}} |[[ザグレブ]] | |- |{{SMR}} |[[サンマリノ (市)|サンマリノ]] | |- |{{CHE}} |[[ベルン]] | |- |{{SWE}} |[[ストックホルム]] | |- |{{ESP}} |[[マドリード]] |一部はアフリカに含まれる。 |- |{{SVK}} |[[ブラチスラバ]] | |- |{{SVN}} |[[リュブリャナ]] | |- |{{SRB}} |[[ベオグラード]] | |- |{{CZE}} |[[プラハ]] | |- |{{DNK}} |[[コペンハーゲン]] |一部島嶼は北アメリカに含まれる。 |- |{{DEU}} |[[ベルリン]] | |- |{{NOR}} |[[オスロ]] | |- |※'''{{VAT}}''' |[[バチカン]] |最も小さい国。 |- |{{HUN}} |[[ブダペスト]] | |- |{{FIN}} |[[ヘルシンキ]] | |- |{{FRA}} |[[パリ]] |アジア、ヨーロッパ以外の大州に海外領土・自治領を有する。 |- |{{BGR}} |[[ソフィア (ブルガリア)|ソフィア]] | |- |{{BLR}} |[[ミンスク]] | |- |{{BEL}} |[[ブリュッセル]] | |- |{{POL}} |[[ワルシャワ]] | |- |{{BIH}} |[[サラエヴォ]] | |- |{{PRT}} |[[リスボン]] |一部島嶼はアフリカに含まれる。 |- |{{MKD}} |[[スコピエ]] | |- |{{MLT}} |[[バレッタ]] | |- |{{MCO}} |モナコ | |- |{{MDA}} |[[キシナウ]] | |- |{{MNE}} |[[ポドゴリツァ]] | |- |{{LVA}} |[[リガ]] | |- |{{LTU}} |[[ヴィリニュス]] | |- |{{LIE}} |[[ファドゥーツ]] | |- |{{ROU}} |[[ブカレスト]] | |- |{{LUX}} |[[ルクセンブルク市|ルクセンブルク]] | |- |{{RUS}} |[[モスクワ]] |最も大きい国。一部はアジアに含まれる。 |} == 北アメリカ == {| class="sortable wikitable" style="text-align: left;font-size:small" |- !国名 !首都 !class="unsortable"|備考 |- |{{USA}} |[[ワシントンD.C.]] |一部島嶼はヨーロッパとオセアニアに含まれる。 |- |{{ATG}} |[[セントジョンズ]] | |- |{{SLV}} |[[サンサルバドル]] | |- |{{CAN}} |[[オタワ]] | |- |{{CUB}} |[[ハバナ]] | |- |{{GTM}} |[[グアテマラシティ]] | |- |{{GRD}} |[[セントジョージズ]] | |- |{{CRI}} |[[サンホセ (コスタリカ)|サン・ホセ]] | |- |{{JAM}} |[[キングストン (ジャマイカ)|キングストン]] | |- |{{KNA}} |[[バセテール]] | |- |{{VCT}} |[[キングスタウン]] | |- |{{LCA}} |[[カストリーズ]] | |- |{{DOM}} |[[サントドミンゴ]] | |- |{{DMA}} |[[ロゾー]] | |- |{{TTO}} |[[ポートオブスペイン]] | |- |{{NIC}} |[[マナグア]] | |- |{{HTI}} |[[ポルトープランス]] | |- |{{PAN}} |[[パナマ市]] | |- |{{BHS}} |[[ナッソー]] | |- |{{BRB}} |[[ブリッジタウン]] | |- |{{BLZ}} |[[ベルモパン]] | |- |{{HND}} |[[テグシガルパ]] | |- |{{MEX}} |[[メキシコシティ]] | |} == 南アメリカ == {| class="sortable wikitable" style="text-align: left;font-size:small" |- !国名 !首都 !class="unsortable"|備考 |- |{{ARG}} |[[ブエノスアイレス]] | |- |{{URY}} |[[モンテビデオ]] | |- |{{ECU}} |[[キト]] | |- |{{GUY}} |[[ジョージタウン (ガイアナ)|ジョージタウン]] | |- |{{COL}} |[[ボゴタ]] | |- |{{SUR}} |[[パラマリボ]] | |- |{{CHL}} |[[サンティアゴ・デ・チレ]] |一部島嶼はオセアニアに含まれる。 |- |{{PRY}} |[[アスンシオン]] | |- |{{BRA}} |[[ブラジリア]] | |- |{{VEN}} |[[カラカス]] | |- |{{PER}} |[[リマ]] | |- |{{BOL}} |[[ラパス]] | |} == オセアニア == {| class="sortable wikitable" style="text-align: left;font-size:small" |- !国名 !首都 !class="unsortable"|備考 |- |{{AUS}} |[[キャンベラ]] |一部島嶼はアジアに分類され得る。 |- |{{KIR}} |[[タラワ]] | |- |{{WSM}} |[[アピア]] | |- |{{SLB}} |[[ホニアラ]] | |- |{{TUV}} |[[フナフティ]] | |- |{{TON}} |[[ヌクアロファ]] | |- |{{NRU}} |[[ヤレン地区|ヤレン]] |事実上の首都(非公式)。 |- |{{NZL}} |[[ウェリントン]] | |- |{{VUT}} |[[ポートビラ]] | |- |{{PNG}} |[[ポートモレスビー]] | |- |{{PLW}} |[[マルキョク]] | |- |{{FJI}} |[[スバ]] | |- |{{MHL}} |[[マジュロ]] | |- |{{FSM}} |[[パリキール]] | |} == 関連項目 == * [[国の一覧]] * [[海外領土・自治領の一覧]] * [[国の面積順リスト]] * [[国の人口順リスト]] * [[国の人口密度順リスト]] * [[国の国内総生産順リスト]] * [[国のインターネット普及率リスト]] {{地域別主権国家及び属領の一覧}} {{世界の地理}} {{国の指標}} [[Category:国の一覧|*たいりく]] [[Category:大陸別の国|*くにのいちらん]]
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東京を舞台とした映画作品一覧
東京を舞台とした映画作品一覧(とうきょうをぶたいとしたえいがさくひんいちらん)では、東京都(東京、江戸、多摩地域、伊豆諸島等)を舞台にした映画作品を挙げる。実際の撮影場所が東京とは限らない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "東京を舞台とした映画作品一覧(とうきょうをぶたいとしたえいがさくひんいちらん)では、東京都(東京、江戸、多摩地域、伊豆諸島等)を舞台にした映画作品を挙げる。実際の撮影場所が東京とは限らない。", "title": null } ]
東京を舞台とした映画作品一覧(とうきょうをぶたいとしたえいがさくひんいちらん)では、東京都(東京、江戸、多摩地域、伊豆諸島等)を舞台にした映画作品を挙げる。実際の撮影場所が東京とは限らない。
{{Pathnav|映画|映画の一覧|frame=1}} '''東京を舞台とした映画作品一覧'''(とうきょうをぶたいとしたえいがさくひんいちらん)では、[[東京都]]([[東京]]、[[江戸]]、[[多摩地域]]、[[伊豆諸島]]等)を舞台にした[[映画]]作品を挙げる。実際の撮影場所が東京とは限らない。 == 江戸時代およびそれ以前 == * [[赤西蠣太]] * [[赤ひげ]]〔[[文京区]]〕 * [[暗殺 (映画)|暗殺]] * [[いのちぼうにふろう]] * [[歌麿をめぐる五人の女 (1946年の映画)|歌麿をめぐる五人の女]](1946年) * [[歌麿をめぐる五人の女 (1959年の映画)|歌麿をめぐる五人の女]](1959年) * [[歌麿 夢と知りせば]] * [[海は見ていた]]〔[[江東区]][[深川 (江東区)|深川]]〕 * [[運が良けりゃ]] * [[ええじゃないか (映画)|ええじゃないか]] * [[江戸に現れたキングコング]] * [[エロ将軍と二十一人の愛妾]]〔[[江戸城]][[大奥]]〕 * [[大奥 (2006年の映画)|大奥]](2006年)〔江戸城大奥〕 * [[大奥 (2010年の映画)|大奥]](2010年)〔江戸城大奥〕 * [[大奥絵巻]]〔江戸城大奥〕 * [[大奥十八景]]〔江戸城大奥〕 * [[大奥(秘)物語|大奥㊙物語]]〔江戸城大奥〕 * [[大江戸五人男]] * [[大江戸捜査網]] * [[お七と伝七]] * [[お艶殺し]] * [[血煙高田の馬場]]〔[[新宿区]]〕 * [[劇場版 仮面ライダーオーズ WONDERFUL 将軍と21のコアメダル]] * [[恋山彦]] * [[河内山宗俊 (映画)|河内山宗俊]] * [[國士無双]] * [[五重塔 (小説)#映画|五重塔]]〔[[台東区]][[谷中 (台東区)|谷中]]〕 * [[権三助十]]関連作品 * [[桜田門外ノ変]]〔[[千代田区]]〕 * [[刺青 (小説)|刺青]] * [[情炎お七恋唄]] * [[将軍家光の乱心 激突]]〔江戸城〕 * [[女帝 春日局]]〔江戸城大奥〕 * [[切腹 (映画)|切腹]] * [[千石纏]] * [[続 大奥(秘)物語|続 大奥㊙物語]]〔江戸城大奥〕 * [[大菩薩峠 (1966年の映画)|大菩薩峠]] * [[丹下左膳]]関連作品 * [[忠臣蔵]]関連作品 * [[超高速!参勤交代]] * [[照る日くもる日]] * [[徳川女刑罰史]] * [[徳川女系図]]〔江戸城大奥〕 * [[徳川の女帝 大奥]]〔江戸城大奥〕 * [[人情紙風船]] * [[鼠小僧]]関連作品 * [[薄桜記]] * [[幕末太陽傳]]〔[[品川区]]〕 * [[花のお江戸の釣りバカ日誌]] * [[花のお江戸の無責任]] * [[花宵道中]]〔[[台東区]][[吉原 (東京都)|吉原]]〕 * [[花よりもなほ]] * [[必殺シリーズ#劇場用映画|必殺シリーズ]] * [[漂流 (小説)|漂流]]〔[[鳥島 (八丈支庁)|鳥島]]〕 * [[武士道ブレード]] * [[北斎漫画 (映画)|北斎漫画]] * [[ポルノ時代劇 亡八武士道]]〔台東区吉原〕 * [[本所七不思議 (映画)|本所七不思議]]〔[[墨田区]][[本所 (墨田区)|本所]]〕 * [[魔界転生]] * [[水戸黄門]]関連作品 * [[紫頭巾]] * [[宮本武蔵 完結篇 決闘巌流島]] * [[宮本武蔵 巌流島の決斗]] * [[八百屋お七]] * [[八百屋お七 江戸祭り一番娘]] * [[八百屋お七 ふり袖月夜]] * [[柳生一族の陰謀]] * [[雪之丞変化]] * [[四谷怪談]]関連作品 * [[浪人街]] * [[若さま侍捕物手帖]] == 明治・大正・昭和戦前期 == * [[愛のコリーダ]] * [[足に触った幸運]] * [[あの日のオルガン]]〔[[品川区]][[戸越]]〕 * [[暗夜行路]] * [[硫黄島 (映画)|硫黄島]]〔[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]〕 * [[硫黄島からの手紙]]〔硫黄島〕 * [[硫黄島の砂]]〔硫黄島〕 * [[江戸川乱歩の陰獣]] * [[押絵と旅する男]] * [[お嬢さん (1930年の映画)|お嬢さん]] * [[おとうと (1960年の映画)|おとうと]] * [[母べえ]] * [[海軍 (映画)|海軍]] * [[海軍特別年少兵]]〔硫黄島〕 * [[学生ロマンス 若き日]]〔[[新宿区]][[早稲田]]〕 * [[陽炎座]] * [[家族会議 (映画)|家族会議]] * [[カボチヤ]] * [[純子引退記念映画 関東緋桜一家|関東緋桜一家]]〔[[台東区]][[柳橋 (台東区)|柳橋]]・[[中央区 (東京都)|中央区]][[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]・[[佃 (東京都中央区)|佃]]〕 * [[キネマの天地]] * [[侠骨一代]]〔[[港区 (東京都)|港区]][[芝浦]]〕 * [[銀座の柳]]〔中央区[[銀座]]〕 * [[化粧師 KEWAISHI]] * [[腰辨頑張れ]] * [[子象物語 地上に降りた天使]] * [[孤獨の人]] * [[サクラ大戦 活動写真]] * [[SADA〜戯作・阿部定の生涯]] * [[残菊物語]] * [[柔道一代]] * [[淑女は何を忘れたか]] * [[昭和侠客伝]]〔台東区[[浅草]]〕 * [[昭和残侠伝 死んで貰います]]〔[[江東区]][[深川 (江東区)|深川]]〕 * [[昭和残侠伝 血染めの唐獅子]]〔台東区浅草〕 * [[女優須磨子の恋]] * [[白鷺 (小説)|白鷺]]〔台東区〕 * [[シルバー假面]] * [[人生劇場]] * [[スパイ・ゾルゲ]] * [[戦争と青春]] * [[それから]] * [[大学は出たけれど]](1929年) * [[太陽 (映画)|太陽]]〔[[皇居]]〕 * [[瀧の白糸#1933年版|瀧の白糸]](1933年) * [[たけくらべ]]〔台東区〕 * [[小さいおうち]] * [[父ありき]] * [[父親たちの星条旗]]〔硫黄島〕 * [[つゆのあとさき]]〔中央区銀座〕 * [[鶴八鶴次郎]] * [[帝都物語]] * [[To the Shores of Iwo Jima]]〔硫黄島〕 * [[東京行進曲]] * [[東京スパイ大作戦]] * [[東京の女 (映画)|東京の女]] * [[東京の合唱]] * [[東京の休日 (1958年の映画)|東京の休日]] * [[東京の女性]]〔中央区銀座〕 * [[東京ブルース (映画)|東京ブルース]] * [[桃中軒雲右衛門 (1931年の映画)|桃中軒雲右衛門]](1931年) * [[桃中軒雲右衛門 (1936年の映画)|桃中軒雲右衛門]](1936年) * [[桃中軒雲右衛門 (1940年の映画)|桃中軒雲右衛門]](1940年) * [[戸田家の兄妹]]〔千代田区〕 * [[隣の八重ちゃん]]〔[[帝国劇場]]〕 * [[トラ・トラ・トラ!]] * [[日本暗殺秘録]] * [[日本侠客伝]]〔江東区深川〕 * [[日本侠客伝 雷門の決斗]]〔台東区浅草〕 * [[日本侠客伝 血斗神田祭]]〔[[千代田区]][[神田 (千代田区)|神田]]〕 * [[日本のいちばん長い日]]〔皇居〕 * [[226 (映画)|226]] * [[二百三高地]]〔千代田区[[神田駿河台]]〕 * [[日本橋 (戯曲)|日本橋]]〔中央区日本橋〕 * [[日本敗れず]] * [[ハチ公物語]]〔[[渋谷区]]〕 * [[ハナ子さん]] * [[母 小林多喜二の母の物語]] * [[春の雪 (映画)|春の雪]] * [[非常線の女]] * [[一人息子 (映画)|一人息子]] * [[不壊の白珠]] * [[濹東綺譚]]〔[[墨田区]]〕 * [[まむしの兄弟 懲役十三回]]〔台東区浅草〕 * [[明治東亰恋伽]] * [[吉原炎上]]〔[[台東区]][[吉原 (東京都)|吉原]]〕 * [[四畳半物語 娼婦しの]] * [[喜びも悲しみも幾歳月]]〔[[大島町]]〕 * [[陸軍諜報33]] * [[陸軍中野学校 (映画)|陸軍中野学校]] * [[るろうに剣心 (実写映画)|るろうに剣心]]シリーズ * [[浪曲子守唄]] * [[鹿鳴館 (戯曲)#映画|鹿鳴館]]〔千代田区〕 * [[和製喧嘩友達]] * [[早稲田大学 (映画)|早稲田大学]]〔新宿区早稲田〕 == 昭和期(1970年代まで) == * [[愛と誠]] * [[青ヶ島の子供たち 女教師の記録]]〔[[青ヶ島村]]〕 * [[赤線地帯]]〔[[台東区]][[吉原 (東京都)|吉原]]〕 * [[赤ちょうちん (映画)|赤ちょうちん]](杉並区[[堀ノ内 (杉並区)|堀ノ内]]〜江戸川区[[小岩]] 〕 * [[秋日和]] * [[兄貴の恋人]] * [[アキレスと亀 (映画)|アキレスと亀]] * [[雨の中の二人]]〔[[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]〕 * [[歩け走るな!]] * [[アンコ椿は恋の花]]〔[[大島町]]〕 * [[いつでも夢を (映画)|いつでも夢を]] * [[妹]] 〔新宿区[[高田馬場]]・[[西新宿]]〕 * [[ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜]] * [[植村直己物語]] * [[浮雲 (映画)|浮雲]] * [[宇宙快速船]] * [[宇宙人東京に現わる]] * [[宇宙大怪獣ギララ]] * [[宇宙大怪獣ドゴラ]] * [[宇宙大戦争]] * [[海を感じる時]]〔[[武蔵野市]][[境 (武蔵野市)|境]]〕 * [[駅前旅館 (映画)|駅前旅館]]〔[[上野駅]]など〕 * [[エスパイ]] * [[黄線地帯 イエローライン]] * [[狼 (映画)|狼]] * [[オースティン・パワーズ ゴールドメンバー]] * [[ALWAYS 三丁目の夕日]] * [[オキナワの少年 (映画)|オキナワの少年]] * [[お茶漬の味]] * [[男はつらいよ]]シリーズ〔[[葛飾区]][[柴又]]〕 * [[お早よう]] * [[オペレーション・クロマイト]] * [[お祭り野郎 魚河岸の兄弟分]]〔中央区[[築地]]〕 * [[女が階段を上る時]]〔中央区銀座〕 * [[女吸血鬼]] * [[女賭博師]] * [[女の中にいる他人]] * [[怪獣大戦争]] * [[海底軍艦 (映画)|海底軍艦]] * [[限りなく透明に近いブルー]]〔[[福生市]]〕 * [[ガス人間第一号]] * [[風の中の牝雞]]〔中央区〕 * [[かまち (映画)|かまち]]〔[[渋谷区]]〕 * [[カミカゼ野郎 真昼の決斗]] * [[神様のくれた赤ん坊]] * [[ガメラ対宇宙怪獣バイラス]] * [[からっ風野郎]] * [[乾杯!ごきげん野郎]] * [[がんばれ!ベアーズ大旋風 -日本遠征-]] * [[喜劇 駅前女将]]〔[[墨田区]]〕 * [[喜劇 駅前開運]]〔[[北区 (東京都)|北区]][[赤羽]]〕 * [[喜劇 駅前競馬]]〔[[府中市 (東京都)|府中市]]〕 * [[喜劇 駅前天神]] * [[喜劇 駅前百年]]〔[[上野駅]]など〕 * [[喜劇 駅前満貫]]〔渋谷区[[恵比寿 (渋谷区)|恵比寿]] * [[喜劇急行列車]] * [[喜劇初詣列車]] * [[喜劇 泥棒大家族 天下を盗る]] * [[疵 (映画)|疵]]〔渋谷区〕 * [[飢餓海峡]] * [[君の名は]]〔中央区銀座〕 * [[逆襲! 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水縞とおる
水縞 とおる(みずしま とおる、1964年2月6日 - )は、日本の漫画家。大阪府出身。夫は声優、ナレーターの真地勇志。 大阪府にて出生。デビュー以前から個人サークル「みずまぜくらぶ」で同人活動していた。1983年、『プチアップルパイ』vol.5に掲載された『荒野二人組』にてデビュー。主に『月刊コミックNORA』(学習研究社)や『月刊ウィングス』(新書館)などで活躍していた。『セーラー服反逆同盟』執筆時は「戸田美穂」名義を使用していたほか、同人誌ではペンネームとして「笠置キチロウ」を使用していた時期もある。サークル「なかよしりぼん」として、同人誌を出している。成人向け雑誌から児童向け雑誌、コミックエッセイからイラストレーションまで幅広い作品作りをしている。公認ファンクラブとして「みずまぜくらぶ」「TOLL」が存在していた。
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水縞 とおるは、日本の漫画家。大阪府出身。夫は声優、ナレーターの真地勇志。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 水縞 とおる | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1964|02|6}} | 没年 = | 生地 = {{JPN}}・[[大阪府]] | 職業 = [[漫画家]] | ジャンル = [[少女漫画]]<br />[[少年漫画]] | 活動期間 = [[1983年]] - | 代表作 = <!-- 「代表作を挙げた出典」に基づき記載 --> | 受賞 = }} '''水縞 とおる'''(みずしま とおる、[[1964年]][[2月6日]]<ref>{{Cite journal|和書|date = 1985|title =URSH-KID|journal =[[リュウ (雑誌)|リュウ]]|volume=1985年11月号|page=117|publisher = 徳間書店}}</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[大阪府]]出身。夫は[[声優]]、[[ナレーター]]の[[真地勇志]]。 == 来歴 == [[大阪府]]にて出生。デビュー以前から個人サークル「みずまぜくらぶ」で同人活動していた。[[1983年]]、『[[プチアップルパイ]]』vol.5に掲載された『荒野二人組』にてデビュー。主に『[[月刊コミックNORA]]』([[学習研究社]])や『[[月刊ウィングス]]』([[新書館]])などで活躍していた。『[[セーラー服反逆同盟]]』執筆時は「戸田美穂」名義を使用していたほか、同人誌ではペンネームとして「笠置キチロウ」を使用していた時期もある。サークル「なかよしりぼん」として、同人誌を出している。成人向け雑誌から児童向け雑誌、コミックエッセイからイラストレーションまで幅広い作品作りをしている。公認ファンクラブとして「みずまぜくらぶ」「TOLL」が存在していた。 == 作品リスト == === 単行本 ===<!--商業作品--> * アーシュキッド(『[[プチアップルパイ]]』1984年 - 1985年連載、アニメージュコミックス、既刊1巻) ** Mr.レディ(『プチアップルパイ』vol.6、1984年) ** NEW FACE(『プチアップルパイ』vol.7、1984年) ** ミステリー・ナイト(『プチアップルパイ』vol.8、1984年) * [[セーラー服反逆同盟]](『[[少年キャプテン]]』1986年 - 1987年連載、全1巻) - 戸田美穂名義 * 気分は!?ハートボイルド(原作:[[寺田憲史]]、1988年、ノーラコミックス、全1巻) * CRUSADER(1987年 - 1989年、ウィングスコミックス、全2巻) ** CRUSADER・戦士編(1989年 - 1990年) * 恋人は守護霊!?(『月刊コミックNORA』1989年1月号<ref>{{Cite web|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1841172|title=Nora. 4(1)(16)|website=国会図書館デジタルコレクション|accessdate=2021-09-02}}</ref> - 1992年10月号<ref>{{Cite web|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1841111|title=Nora. 7(10)(62)|website=国会図書館デジタルコレクション|accessdate=2021-09-02}}</ref>→『CAIN』 - 1997年連載、ノーラコミックス、全10巻) ** 恋人は守護霊!?イラスト集〜OPPO〜 * GAME 横浜攻略(1990年 - ウィングスコミックス、既刊1巻) - 後半単行本未収録 * 水縞とおる短編集 TALK トーク(1992年、St comics) * 毎日が元気!!(1992年、ノーラコミックス、全1巻) * キューティ天使(1993年 - 1995年、あすかコミックス、全4巻) * たのしい家族生活(『CAIN』1996年連載、NORAコミックス、全1巻) * 紅の剣士、遠い大陸の追憶(1996年、2作品とも[[NTT出版]]『[[ファイアーエムブレム]]・ザ・コンプリート』より) * ばよえ〜んすぺしゃる2(1996年、ラポートコミックス、全2巻) * 獣神継承 最後の奇蹟(あすかコミックスDX、全1巻) * VOICE(『[[サウス (雑誌)|サウス]]』1996年 - 1998年連載、ウィングスコミックス、全3巻) * 花も嵐も!(『CAIN』1998年連載、ピチコミックス、既刊1巻) * SO-DOM〜ソドム〜(2001年、ソニー・マガジンズコミックス、全1巻) * 花のお江戸幽玄捕り物帖(1999年 - 2001年連載、アクションコミックス、全1巻) === 読み切りなど ===<!--商業単行本未収録作品含む--> * とーるくんのみずまぜ劇場(『[[漫画の手帖]]』13号、1983年) ** とーるくんのみずまぜ小劇場(『漫画の手帖』16号 - 21号、1984年 - 1985年) * 荒野二人組(『プチアップルパイ』vol.5、1983年) - デビュー作 * JUNK FOOD(『プチアップルパイ』vol.10、1985年) * NEIGHBOURS(『プチアップルパイ』vol.11 - vol.13、1985年) * URSH-KID(『[[リュウ (雑誌)|リュウ]]』1985年掲載) * BYE-BYE-BYE(『[[アニメック]]』1985年4月号~9月号連載、未完) * 暴力学校(『プチアップルパイ』vol.14、1986年) * 狼少女なの(1986年) === アンソロジー === * 新選組・土方歳三壬生の銀狼(2003年 共著者:安曇もか、篠原鳥童、ほか) * 新選組・沖田総司 煙の残像(2003年 共著者:姫木薫理、服部あゆみ、ほか) * ぬいぐるみ殺人事件 新装版(2014年8月) - 『漫画の手帖』連載のリレー漫画、第10回担当<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/119147|title=豪華執筆陣によるリレー作品「ぬいぐるみ殺人事件」復刊|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2014-06-17|accessdate=2021-09-02}}</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{デフォルトソート:みすしま とおる}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:大阪府出身の人物]] [[Category:1964年生]] [[Category:存命人物]]
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封神演義
『封神演義』(ほうしんえんぎ)は、中国明代に成立した神怪小説。『商周演義』、『封神伝』、『封神榜』、『封神榜演義』ともいう。史実の殷周易姓革命を舞台に、仙人や道士、妖怪が人界と仙界を二分して大戦争を繰り広げるスケールの大きい作品である。文学作品としての評価は高くないが、中国大衆の宗教文化・民間信仰に大きな影響を与えたとされる。著者(編者)は一般に許仲琳とされることが多いが、定説はない。同様に歴史を題材にした『三国志演義』『隋唐演義』に比べても、残されている史実が少ないこともありフィクション部分が圧倒的に多く、幻想性も強い。 はるか昔、世界は仙界と人界に分かれ、仙界はさらに、人間出身の仙人・道士達からなる崑崙山の仙道「闡教(せんきょう)」と、それ以外の動物・植物・森羅万象に由来する「截教(せっきょう)」に二分されていた。 人界は時に殷(商)の紂王の治世。紂王は名君とされていたが、慢心から女媧廟の祭祀において「女媧は人間界のどの人間より美しい、この女媧が私のものであったらいいのに」という意味の詩を詠んだ。この「神」と「人」を混同した無礼な行為に女媧は怒り、千年生きた狐狸の精に紂王を陥れるよう命じた。狐狸精は、朝歌の後宮に入ることになっていた美女、冀州侯の娘妲己の魂魄を滅ぼして身体を手に入れ、紂王を籠絡しはじめた。これ以降紂王は、妲己に操られるまま次第に暴政を行うようになっていった。 一方仙界では、闡教の教主・元始天尊門下の崑崙十二大仙が、千五百年に一度の逃れられぬ劫として、人を殺さねばならないことになっていた。また昊天上帝(天帝)が彼ら十二人を臣下に命じたことから、殷周革命に関わる闡教徒、截教徒、人道の中から「仙ならざる仙」、「人ならざる人」達を三百六十五位の「神」として「封(ほう)」じる「封神」の儀式を行うことになった。 天命により、この封神の執行者として選ばれたのが、崑崙の道士の一人であった姜子牙、後に周国の丞相となる太公望である。 かくして殷代末期の殷周革命の動乱を舞台に、四不相(四不像)に乗った姜子牙(太公望)がまきおこす殷周両国の間の戦乱、ひいては闡教と截教の対立が描かれながら、数多くの仙人、道士の霊魂が封神榜の掲げられた「封神台」へ飛んでいくこととなる。 作者は諸説あり定説はない。現存する最古の版本である『鍾伯敬先生批評封神演義第二十巻』には、許仲琳編と記されている。また、冒頭部分を許仲琳が書き、序文を記している李雲翔がその後手を加えたという「許仲琳・李雲翔合作説」もある。その他、道教方面において著作の多い陸西星の作とする説もあるが、これは成立年代の問題などから疑問視されている。 なお、『金瓶梅』の作者である王世貞が朝廷より『金瓶梅』の中身を見せるよう命じられたため、慌てて一夜で『封神演義』を書き上げて差し替えたという説があるが、現在は俗説として否定されている。 現存する最古の版本は、日本の内閣文庫所蔵、明代の李雲翔序を載せる『鍾伯敬先生批評封神演義第二十巻』(舒載陽・舒冲甫刊本)(以下舒本と略す)と考えられている。 明末清初の褚人穫が校訂を加えたテキスト、いわゆる四雪草堂本(「四雪草堂」は褚人穫の室名)は清代以降広く普及した。「四雪草堂本」は康熙三十四年褚人穫序本およびその序(以下褚序と略す)を載せる後継版本と考えられる。 一部の四雪草堂本系の文繁本と八巻本系文簡本五種には周之標序(以下周序と略す)を載せる。文簡本は周序のみであり、文繁本は褚序の後に周序を掲載し、「封神演義原序」と題する。 『封神演義』は他の明清小説に比して版本間でのテキストの大きな異同や系統分岐は見られない。区分のポイントとしては簡略本(簡本と呼ばれる)の存在と排印本での第九十九回の封神榜の改編が挙げられる。舒本を含む木版本では第九十九回の封神榜には作中で死んだと明言されているのにもかかわらず、リストに名前がない人物が少なからず存在する。のちに神々のリストは清末の鉛印本(中華人民共和国の北京大学図書館が所蔵する光緒十五年上海広百宋斎鉛印『繡像封神演義』)に至って改変され、漏れていた人物は万仙陣亡者を削っておおむねリストに補填された。 一九五五年に作家出版社本が出版され、以降標点本として広く流布した。作家出版社本は「四雪草堂本」を底本としたことから、木版本である四雪草堂本が封神榜を改変したとする誤解の原因となった。校勘に使用した版に広百宋斎本も挙げていることから、改変はこれにもとづくとみるべきである。 また、これとは別に清代の「蒙古車王府曲本」と呼ばれる口語体の二百二十回本が残っている。こちらは口談として民間で流布していた説話をベースとしており、前述の版とは内容が異なっている。 『封神演義』を題材とした戯曲も存在し、戯曲『封神榜』と清朝宮廷大戯『封神天榜』が存在する。 『封神演義』の直接の前身となった作品は、元の至治年間(1321年 - 1323年)以前に成立したとされる歴史小説『武王伐紂平話』とされる。また『封神演義』の作者は明代の余邵魚の小説『春秋列国志伝』第一巻も同時に参照していたと言われている。『封神演義』の物語の骨組みはこの二作品とほとんど同じだが、『武王伐紂平話』と『春秋列国志伝』があくまで歴史小説であるのに対し、『封神演義』は神怪的要素が大量に挿入された神怪小説である点で、前者二作品とは大きく異なっている。 本作に登場する神怪的なモチーフの多くはそれぞれ元となる説話がある。たとえば、『封神演義』の物語の軸である「太公望(姜子牙)が封神を行った」という故事は、古くは『史記』封禅書の記述の中に原形が見られ、「天命により、周の武王の紂王討伐に応じて神が戦った」という説話は明代の神学書『三教源流捜神大全(捜神大全)』に見られる。登場する神仙に関しても、その多くが『捜神大全』や『神仙通鑑』など当時信仰されていた神仙を扱った書物に名前が見える。『封神演義』の著者はこれらの書物を参照し、そこに見られる神仙を名前だけ借用したり、もともとの説話を改変したりして物語に挿入していったと考えられている。 このため、古くから信仰された神仙(女媧、殷郊、太上老君、広成子、赤精子など)と比較的新しい神仙(楊戩や聞仲など)がごちゃまぜになっていたり、さらには仏教系の神仏(燃灯道人、文殊広法天尊、韋護、哪吒など。殷周時代にはまだ仏教は成立していない)や後世の人物(唐代に武将として活躍し、のちに軍神として毘沙門天と同一視された李靖など)が登場していたりと、過度な時代錯誤がみられる。 四大奇書として古くより『西遊記』、『三国志演義』、『水滸伝』、『金瓶梅』が挙げられるが、本書の評価はこれらより一段低いものとなっている。魯迅は「『水滸伝』に比べたら幻想的に過ぎ、『西遊記』に比べたら雄偉さに欠け、今に至るまでこの二作品と同列であると見なした者はいない」と評している。また、斉祐焜は「『封神演義』は思想面でも芸術面でも、作者が意図した『小説界に於いて水滸伝と西遊記と共に鼎立する』という抱負を果たすことは到底できなかった」と評している。一方で「だがそれでも『封神演義』は中国小説史で一定の重要な地位を占める」とも記している。 文学面での評価が低い理由として、中国文学研究者の二階堂善弘は、文体のぎこちなさ(堅苦しい文言体を必要以上に多用する)、ストーリーの欠陥(太公望が天数(天命)と称して自分の行為を過度に正当化する、典型的な悪臣として描かれている費仲や尤渾まで他の登場人物と一緒に封神される)、時代考証の無視(殷周時代に存在しない神仙・人物が登場する)などを挙げている。 以上のように、『封神演義』は二流の文学作品とされている。しかし、中国の民間信仰に与えた影響はきわめて大きく、従来の神々であっても本書で改変された名前や格好で神像が作られたり、本書が初出とされる通天教主や申公豹などが従来の神々に混じって信仰の対象になったりしており、明代以降の宗教文化を研究する際には特に重要な作品であるといえる。 『封神演義』を日本語でリライトした小説家安能務は、「三大怪奇小説」として『三国志演義』『西遊記』『水滸伝』を挙げた後、怪奇性の高さを理由に、『水滸伝』より『封神演義』が相応しいとしている。しかし、「三大怪奇小説」という呼称自体一般的ではなく(前述のようにこれらに『金瓶梅』を加えて「四大奇書」とすることはあるが、奇書は怪奇小説という意味をほとんど含まない)、歴史小説である『三国志演義』を「怪奇小説」に区分することも定説とは言い難い。また、民間での評価が高く知識人の評価が低い理由として、安能は儒家の影響(儒教で理想とされる周公旦を持ち上げるため、太公望が活躍する本書の価値を不当に貶めた)があったとしているが、士大夫層は小説全般を軽視していたのであって『封神演義』を特に貶めたわけではない。 日本では他の古典小説同様に江戸時代に輸入されたがあまり注目されたとは言えない。数少ない例外として曲亭馬琴がその読者として挙げられる。曲亭馬琴著『開巻驚奇侠客伝』では『封神演義』と『通俗武王軍談』の影響が大きいという。 本邦初訳のものは昭和初期の1935年の三浦義臣による抄訳版である。昭和後期の1977年には木嶋清道による抄訳版も出版された。昭和期に二度にわたって抄訳が出版されたが、『西遊記』や『水滸伝』といった明代に成立した他の演義作品と比べても『封神演義』は周知されなかった。平凡社の中国古典文学大系にも抄訳すら収録されていない。 本書の存在が多くの人に周知されたのは、平成が始まった1989年に出た安能務編訳によるリライト版、それを原作にした藤崎竜による漫画『封神演義』(1996年 - 2000年)によるところが大きいとされる。しかし安能版は、殺戒を「殺人欲求」と解釈したり、天数や封神事業を理不尽な天界の陰謀とするなど、原典にはない解釈やエピソードが多く入っているほか、哪吒に「なたく」、楊戩に「ようぜん」、聞仲に「もんちゅう」など独自性の高いルビが振られている。後に安能は、このリライトは小説形式で展開していく「中華思想論のための布石」という位置づけであり、本作に多く加えた改変は自身の「意見」であると述べている。 光栄(現・コーエー)の『完訳 封神演義』全三巻(1995年)は、後述の二階堂善弘による翻訳が出版されるまで、原型に一番近い形で読める日本語訳とされていた。しかし、一部の詩が未訳であったり、本土の簡体字の活字本を底本にしたことに由来する誤訳があるなど、問題が指摘されている。また、本書を理解するにはその性質から、当時の民間信仰や『西遊記』、『平妖伝』、『八仙東遊記』といった明代の他の神怪小説に関する知識が不可欠だが、この版の訳文は注が一切付されていない。この訳書は文庫版(全七巻、1998年)で改訂再刊したが、読みやすさを配慮し本文の一部が書き換えられたため、厳密には完訳版でなくなった。 偕成社の『封神演義』全三巻(1998年)は、児童向けの編訳である。登場人物の挿し絵がたくさんあり、漢字に逐一ルビがふってある等、児童だけでなく他の訳本に挫折した人にも優しいつくりになっている。 2000年以降は十数年新訳刊行はなかったが、2013年に『封神演義』(翠琥出版)が刊行された。1999年の集英社文庫版(八木原一恵編訳、2018年に上下巻で改訂刊行)を電子書籍化し(集英社版より章数を増加した改訂版)。また、集英社版同様、「四不相(しふそう)」とするなど、明版の表記に配慮がなされている。 2017年-2018年に、全訳版が勉誠出版(二階堂善弘監訳、全4巻)で刊行された。 Category:封神演義を題材とした作品も参照。
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『封神演義』(ほうしんえんぎ)は、中国明代に成立した神怪小説。『商周演義』、『封神伝』、『封神榜』、『封神榜演義』ともいう。史実の殷周易姓革命を舞台に、仙人や道士、妖怪が人界と仙界を二分して大戦争を繰り広げるスケールの大きい作品である。文学作品としての評価は高くないが、中国大衆の宗教文化・民間信仰に大きな影響を与えたとされる。著者(編者)は一般に許仲琳とされることが多いが、定説はない。同様に歴史を題材にした『三国志演義』『隋唐演義』に比べても、残されている史実が少ないこともありフィクション部分が圧倒的に多く、幻想性も強い。
{{Otheruses}} {{特殊文字}} {{中華圏の事物 |タイトル= |画像種別= |画像= [[Image:FengShen2.jpg|300px]] |画像の説明= |英文= |簡体字= 封神演义 |繁体字= 封神演義 |ピン音= Fēngshén Yǎnyì |通用 = |注音符号= |ラテン字= Fengshen Yanyi |広東語= |上海語= |台湾語= |カタカナ= フォンシェン イェンイー }} {{Portal|文学}} 『'''封神演義'''』(ほうしんえんぎ)は、[[中国]][[明]]代に成立した神怪小説。『商周演義』、『封神伝』、『封神榜』<ref>榜とは立て札のこと</ref>、『封神榜演義』ともいう。史実の殷周[[易姓革命]]を舞台に、[[仙人]]や[[道士]]、[[妖怪]]が人界と仙界を二分して大戦争を繰り広げるスケールの大きい作品である。文学作品としての評価は高くないが、中国大衆の宗教文化・民間信仰に大きな影響を与えたとされる<ref>二階堂善弘『封神演義の世界 中国の戦う神々』大修館書店、p2</ref>。著者(編者)は一般に[[許仲琳]]とされることが多いが、定説はない。同様に歴史を題材にした『[[三国志演義]]』『[[隋唐演義]]』に比べても、残されている史実が少ないこともありフィクション部分が圧倒的に多く、幻想性も強い。 __TOC__{{-}} == あらすじ == {{see also|封神演義の各回概要}} はるか昔、世界は仙界と人界に分かれ、仙界はさらに、人間出身の[[仙人]]・[[道士]]達からなる[[崑崙|崑崙山]]の仙道「闡教(せんきょう)」と、それ以外の動物・植物・森羅万象に由来する「截教(せっきょう)」に二分されていた。 人界は時に[[殷]](商)の[[帝辛|紂王]]の治世。紂王は名君とされていたが、慢心から[[女媧]]廟の祭祀において「女媧は人間界のどの人間より美しい、この女媧が私のものであったらいいのに」という意味の詩を詠んだ。この「神」と「人」を混同した無礼な行為に女媧は怒り、千年生きた狐狸の精に紂王を陥れるよう命じた。狐狸精は、[[朝歌]]の後宮に入ることになっていた美女、[[冀州]]侯の娘[[妲己]]の魂魄を滅ぼして身体を手に入れ、紂王を籠絡しはじめた。これ以降紂王は、妲己に操られるまま次第に暴政を行うようになっていった。 一方仙界では、闡教の教主・[[元始天尊]]門下の崑崙十二大仙が、千五百年に一度の逃れられぬ劫として、人を殺さねばならないことになっていた。また昊天上帝(天帝)が彼ら十二人を臣下に命じたことから、殷周革命に関わる闡教徒、截教徒、人道の中から「仙ならざる仙」、「人ならざる人」達を三百六十五位の「神」として「封(ほう)」じる「封神」の儀式を行うことになった。 天命により、この封神の執行者として選ばれたのが、崑崙の道士の一人であった姜子牙、後に周国の[[丞相]]となる[[呂尚|太公望]]である。 かくして殷代末期の殷周革命の動乱を舞台に、四不相([[シフゾウ|四不像]])に乗った姜子牙(太公望)がまきおこす殷周両国の間の戦乱、ひいては闡教と截教の対立が描かれながら、数多くの仙人、道士の霊魂が封神榜の掲げられた「封神台」へ飛んでいくこととなる。 == 登場人物 == {{see|封神演義の登場人物一覧}} == 作者 == 作者は諸説あり定説はない。現存する最古の版本である『鍾伯敬先生批評封神演義第二十巻』には、[[許仲琳]]編と記されている。また、冒頭部分を許仲琳が書き、序文を記している李雲翔がその後手を加えたという「許仲琳・李雲翔合作説」もある。その他、[[道教]]方面において著作の多い陸西星の作とする説もあるが、これは成立年代の問題などから疑問視されている<ref>二階堂、89-98p。なお、二階堂はこれらの説を挙げた後、「許仲琳・李雲翔合作説」を支持している。</ref>。 なお、『[[金瓶梅]]』の作者である[[王世貞]]が朝廷より『金瓶梅』の中身を見せるよう命じられたため、慌てて一夜で『封神演義』を書き上げて差し替えたという説があるが、現在は俗説として否定されている<ref>二階堂、90p</ref>。 == 版本 == 現存する最古の版本は、日本の[[内閣文庫]]所蔵、明代の李雲翔序を載せる『鍾伯敬先生批評封神演義第二十巻』(舒載陽・舒冲甫刊本)(以下舒本と略す)と考えられている<ref name="名前なし-1">岩崎加奈子「『封神演義』周之標序の検討」、京都府立大学国中文学会編『和漢語文研究』第18号、P88</ref>。 明末清初の褚人穫が校訂を加えたテキスト、いわゆる四雪草堂本(「四雪草堂」は褚人穫の室名)は清代以降広く普及した<ref name="名前なし-1"/>。「四雪草堂本」は康熙三十四年褚人穫序本およびその序(以下褚序と略す)を載せる後継版本と考えられる<ref name="名前なし-2">[https://bensei.jp/images/nakami/29644hosin-web.pdf#page=5 中塚亮「封神演義の版本について」]</ref>。 一部の四雪草堂本系の文繁本と八巻本系文簡本五種には周之標序(以下周序と略す)を載せる。文簡本は周序のみであり、文繁本は褚序の後に周序を掲載し、「封神演義原序」と題する<ref name="名前なし-1"/>。 『封神演義』は他の明清小説に比して版本間でのテキストの大きな異同や系統分岐は見られない。区分のポイントとしては簡略本(簡本と呼ばれる)の存在と排印本での第九十九回の封神榜の改編が挙げられる<ref name="名前なし-2"/>。舒本を含む木版本では第九十九回の封神榜には作中で死んだと明言されているのにもかかわらず、リストに名前がない人物が少なからず存在する。のちに神々のリストは清末の鉛印本(中華人民共和国の北京大学図書館が所蔵する光緒十五年上海広百宋斎鉛印『繡像封神演義』<ref>[https://bensei.jp/wpja2/?p=9800 『全訳 封神演義』完結記念トークイベント会場リポート]</ref>)に至って改変され、漏れていた人物は万仙陣亡者を削っておおむねリストに補填された<ref>尾崎勤「『封神演義』第九十九回の検討」、古典研究会編『汲古』第65号、P45-P46</ref>。 一九五五年に作家出版社本が出版され、以降標点本として広く流布した。作家出版社本は「四雪草堂本」を底本としたことから、木版本である四雪草堂本が封神榜を改変したとする誤解の原因となった。校勘に使用した版に広百宋斎本も挙げていることから、改変はこれにもとづくとみるべきである<ref>尾崎勤「『封神演義』第九十九回の検討」、古典研究会編『汲古』第65号、P48</ref>。 また、これとは別に清代の「蒙古車王府曲本」と呼ばれる口語体の二百二十回本が残っている。こちらは口談として民間で流布していた説話をベースとしており、前述の版とは内容が異なっている<ref>二階堂、98 - 100p</ref>。 『封神演義』を題材とした戯曲も存在し、戯曲『封神榜』と清朝宮廷大戯『封神天榜』が存在する<ref>中塚亮「『封神天榜』の成立について―『封神榜』との関係から―」、中国古典小説研究会編『中国古典小説研究』第14号、P63</ref>。 == 前史 == 『封神演義』の直接の前身となった作品は、[[元 (王朝)|元]]の[[至治 (元)|至治]]年間(1321年 - 1323年)以前に成立したとされる歴史小説『武王伐紂平話』とされる。また『封神演義』の作者は明代の余邵魚の小説『春秋列国志伝』第一巻も同時に参照していたと言われている。『封神演義』の物語の骨組みはこの二作品とほとんど同じだが、『武王伐紂平話』と『春秋列国志伝』があくまで歴史小説であるのに対し、『封神演義』は神怪的要素が大量に挿入された神怪小説である点で、前者二作品とは大きく異なっている<ref>二階堂、58-76p</ref>。 本作に登場する神怪的なモチーフの多くはそれぞれ元となる説話がある。たとえば、『封神演義』の物語の軸である「[[太公望]](姜子牙)が封神を行った」という故事は、古くは『[[史記]]』封禅書の記述の中に原形が見られ、「天命により、周の武王の紂王討伐に応じて神が戦った」という説話は明代の神学書『三教源流捜神大全(捜神大全)』に見られる。登場する神仙に関しても、その多くが『捜神大全』や『神仙通鑑』など当時信仰されていた神仙を扱った書物に名前が見える。『封神演義』の著者はこれらの書物を参照し、そこに見られる神仙を名前だけ借用したり、もともとの説話を改変したりして物語に挿入していったと考えられている<ref>二階堂、83 - 86p </ref>。 このため、古くから信仰された神仙([[女媧]]、[[太歳星君|殷郊]]、[[太上老君]]、[[広成子]]、[[赤精子]]など)と比較的新しい神仙([[顕聖二郎真君|楊戩]]や[[九天応元雷声普化天尊|聞仲]]など)がごちゃまぜになっていたり、さらには[[仏教]]系の神仏([[燃燈仏|燃灯道人]]、[[文殊菩薩|文殊広法天尊]]、[[韋駄天|韋護]]、[[哪吒]]など。殷周時代にはまだ仏教は成立していない)や後世の人物([[唐]]代に武将として活躍し、のちに[[軍神]]として[[托塔李天王|毘沙門天]]と同一視された[[李靖]]など)が登場していたりと、過度な時代錯誤がみられる<ref>二階堂、103 - 162p </ref>。 == 評価 == [[四大奇書]]として古くより『[[西遊記]]』、『[[三国志演義]]』、『[[水滸伝]]』、『[[金瓶梅]]』が挙げられるが、本書の評価はこれらより一段低いものとなっている。[[魯迅]]は「『水滸伝』に比べたら幻想的に過ぎ、『西遊記』に比べたら雄偉さに欠け、今に至るまでこの二作品と同列であると見なした者はいない」と評している<ref>魯迅著、長島長文訳 『中国小説史略』 全2巻、東洋文庫、平凡社</ref>。また、斉祐焜は「『封神演義』は思想面でも芸術面でも、作者が意図した『小説界に於いて水滸伝と西遊記と共に鼎立する』という抱負を果たすことは到底できなかった」と評している。一方で「だがそれでも『封神演義』は中国小説史で一定の重要な地位を占める」とも記している<ref>斉祐焜 『明代小説史』 中文・浙江古籍出版社</ref>。 文学面での評価が低い理由として、[[中国文学]]研究者の二階堂善弘は、文体のぎこちなさ(堅苦しい文言体を必要以上に多用する)、ストーリーの欠陥(太公望が天数(天命)と称して自分の行為を過度に正当化する、典型的な悪臣として描かれている費仲や尤渾まで他の登場人物と一緒に封神される)、時代考証の無視(殷周時代に存在しない神仙・人物が登場する)などを挙げている<ref>二階堂、36 - 55p</ref>。 以上のように、『封神演義』は二流の文学作品とされている。しかし、中国の民間信仰に与えた影響はきわめて大きく、従来の神々であっても本書で改変された名前や格好で神像が作られたり、本書が初出とされる通天教主や[[申公豹]]などが従来の神々に混じって信仰の対象になったりしており、明代以降の宗教文化を研究する際には特に重要な作品であるといえる<ref>二階堂、104-162p</ref>。 『封神演義』を[[日本語]]でリライトした小説家[[安能務]]は、「三大怪奇小説」として『三国志演義』『西遊記』『水滸伝』を挙げた後、怪奇性の高さを理由に、『水滸伝』より『封神演義』が相応しいとしている<ref>安能務『封神演義』上巻、講談社文庫、26-29p</ref>。しかし、「三大怪奇小説」という呼称自体一般的ではなく(前述のようにこれらに『金瓶梅』を加えて「四大奇書」とすることはあるが、奇書は怪奇小説という意味をほとんど含まない)、歴史小説である『三国志演義』を「怪奇小説」に区分することも定説とは言い難い<ref name="example">[http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/housin02.html 『封神演義』は「3大怪奇小説」の1つなどではありません] - 関西大学文学部・二階堂研究室の旧ページ。</ref>。また、民間での評価が高く知識人の評価が低い理由として、安能は[[儒家]]の影響(儒教で理想とされる[[周公旦]]を持ち上げるため、太公望が活躍する本書の価値を不当に貶めた)があったとしているが、[[士大夫]]層は小説全般を軽視していたのであって『封神演義』を特に貶めたわけではない<ref name="example" /><ref>安能、21 - 26p</ref>。 == 日本での受容と翻訳 == [[日本]]では他の古典小説同様に[[江戸時代]]に輸入されたがあまり注目されたとは言えない。数少ない例外として[[曲亭馬琴]]がその読者として挙げられる<ref>中塚亮「『封神演義』の日本における受容-三浦義臣・木嶋清道の翻訳を中心に-」、中国古典小説研究会編『中国古典小説研究』第21号、P39 脚注4</ref>。[[曲亭馬琴]]著『[[開巻驚奇侠客伝]]』では『封神演義』と『通俗武王軍談<ref>[[宝永]]二年([[1705年]])刊。清地以立作。別名『通俗列国志伝前編』。</ref>』の影響が大きいという<ref>三宅宏幸「馬琴読本『開巻驚奇侠客伝』論-『封神演義』『通俗武王軍談』との関連を中心に-」、日本文学協会編『日本文学』2010年59巻2号、P9-P19</ref>。 本邦初訳のものは[[昭和]]初期の[[1935年]]の[[三浦義臣]]による抄訳版である<ref>中塚亮「『封神演義』の日本における受容-三浦義臣・木嶋清道の翻訳を中心に-」、中国古典小説研究会編『中国古典小説研究』第21号、P39</ref>。[[昭和]]後期の[[1977年]]には[[木嶋清道]]による抄訳版も出版された。[[昭和]]期に二度にわたって抄訳が出版されたが、『[[西遊記]]』や『[[水滸伝]]』といった明代に成立した他の演義作品と比べても『封神演義』は周知されなかった。[[平凡社]]の[[中国古典文学大系]]にも抄訳すら収録されていない。 本書の存在が多くの人に周知されたのは、[[平成]]が始まった[[1989年]]に出た[[安能務]]編訳によるリライト版、それを原作にした[[藤崎竜]]による[[漫画]]『[[封神演義 (漫画)|封神演義]]』([[1996年]] - [[2000年]])によるところが大きいとされる。しかし安能版は、殺戒を「殺人欲求」と解釈したり、天数や封神事業を理不尽な天界の陰謀とするなど、原典にはない解釈やエピソードが多く入っているほか、哪吒に「なたく」、楊戩に「ようぜん」、聞仲に「もんちゅう」など独自性の高いルビが振られている<ref>ただし楊戩については後の著作「隋唐演義」にて「ようせん」とルビが振られていた。</ref>。後に安能は、このリライトは小説形式で展開していく「中華思想論のための布石」という位置づけであり、本作に多く加えた改変は自身の「意見」であると述べている<ref>安能務『八股(パクー)と馬虎(マフー)―中華思想の精髄』([[講談社文庫]]、1995年)</ref>。 光栄(現・[[コーエー]])の『完訳 封神演義』全三巻([[1995年]])は、後述の[[二階堂善弘]]による翻訳が出版されるまで、原型に一番近い形で読める日本語訳とされていた。しかし、一部の詩が未訳であったり、本土の[[簡体字]]の活字本を底本にしたことに由来する誤訳があるなど、問題が指摘されている<ref name="名前なし-3">[http://www1.plala.or.jp/fengshen/basic/book/docs/book_translation.html 封神演義書房/封神演義の翻訳書]</ref>。また、本書を理解するにはその性質から、当時の民間信仰や『西遊記』、『[[平妖伝]]』、『[[八仙東遊記]]』といった明代の他の神怪小説に関する知識が不可欠だが、この版の訳文は注が一切付されていない<ref>二階堂、196-198p</ref>。この訳書は文庫版(全七巻、[[1998年]])で改訂再刊したが、読みやすさを配慮し本文の一部が書き換えられたため、厳密には完訳版でなくなった。 [[偕成社]]の『封神演義』全三巻(1998年)は、児童向けの編訳である。登場人物の挿し絵がたくさんあり、漢字に逐一ルビがふってある等、児童だけでなく他の訳本に挫折した人にも優しいつくりになっている<ref name="名前なし-3"/>。 [[2000年]]以降は十数年新訳刊行はなかったが、[[2013年]]に『封神演義』(翠琥出版)が刊行された。[[1999年]]の[[集英社文庫]]版(八木原一恵編訳、2018年に上下巻で改訂刊行)を電子書籍化し([[集英社]]版より章数を増加した改訂版)。また、集英社版同様、「四不相(しふそう)」とするなど、明版の表記に配慮がなされている<ref>翠琥出版『封神演義』</ref><ref>[http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00FJJSM2U/ Amazonの翠琥出版『封神演義』の内容紹介]</ref>。 [[2017年]]-[[2018年]]に、全訳版が[[勉誠出版]]([[二階堂善弘]]監訳、全4巻)で刊行された<ref>[http://bensei.jp/?main_page=wordpress&p=9536 必読のスーパーサイキック仙人アクション!-『全訳 封神演義』全4巻刊行開始記念特集(勉誠出版HP)]</ref>。 == 封神演義を題材にした作品 == [[:Category:封神演義を題材とした作品]]も参照。 === 中国・台湾・香港 === ==== 小説 ==== * 『神怪列国志 反封神榜』 : 楞嚴閣主著、中国民間文芸出版社刊、1988年12月。『封神演義』の後日談的な物語。二千年前の封神事業に関して、通天教主が玉帝に二十四か条に渡る要望を提出する。また本書には別の物語『千年大比』も収録されている。 * 『鋒剣春秋』 : 黄淦が作者だとも言われるが根拠に乏しい。春秋戦国時代を舞台にした『封神演義』の非公式な続編。中国本土でも知名度が低いが、演劇か宗教に詳しい人なら通じる。 ==== 映画 ==== * 『[[封神伝奇 バトル・オブ・ゴッド]]』 : 2016年、中国・香港。日本では2017年公開。 * 『[[レジェンド・オブ・ゴッド 〜封神伝説〜]]』 : 2019年、中国。日本では2020年にDVDスルー。 * 『[[モンスター・オブ・ダイナスティ 王朝の妖怪]]』 : 2020年、中国。日本では2021年にDVDスルー。 * 『[[リベンジ・クイーン 封神:妲己]]』 : 2021年、中国。日本では2022年にDVDスルー。 * 『[[クラッシュ・オブ・ゴッド 神と神]]』 : 2021年、中国。日本では2022年にDVDスルー。 * 『{{仮リンク|封神〜嵐のキングダム〜|zh|封神第一部:朝歌风云}}』 : 2023年、中国。「封神演義」の実写映画三部作の1作目。2023東京・中国映画週間で上映。 ==== テレビドラマ ==== * 『封神榜』 : 1981年、香港[[無綫電視]]。日本未公開。 * 『封神榜』 : 1986年、台湾[[中華電視公司]]、全34話。日本未公開。 *『封神榜』 : 1989年、[[陝西電視台]]、放送5話。日本未公開。 * 『[[封神榜 (テレビドラマ)|封神榜]]』 : 1990年、[[上海電視台]]、全36話。日本未公開。 * 『封神榜』 : 2000年、台湾[[民間全民電視公司]]、全200話。日本未公開。 * 『封神榜』 : 2001年、香港無綫電視、全40話。日本未公開。 * 『[[封神演義 (テレビドラマ)|封神演義]]』 : 2006年、[[中国中央電視台]] (CCTV)。日本では2010年にDVD発売。 * 『[[封神演義 逆襲の妲己]]』 : 2009年、中国中央電視台 (CCTV)。上記作品の続編。日本では2013年にDVD発売。 * 『封神英雄榜』 : 2014年、[[華策影視]]、全50話(DVD全75話)。日本未公開。 * 『封神英雄榜2』 : 2015年、華策影視、全60話。上記作品の続編。日本未公開。 * 『封神演義』 : 2019年、[[湖南電視台]]、放送53話。放送禁止。 ==== アニメ映画 ==== * 『[[ドラゴン水滸伝]]』 : 1975年、香港。日本では1980年公開。 * 『[[ナーザの大暴れ]]』 : 1979年、中国。日本では1980年公開。 * 『[[ナタ~魔童降臨~]]』 : 2019年、中国。日本では2019東京・中国映画週間でオープニング作品として上映。 * 『[[ナタ転生]]』 : 2021年、中国。日本では2021年公開。 * 『[[新封神演義・楊戩]]』 : 2022年、中国。上記作品の続編。日本では2023年公開。 ==== テレビアニメ ==== * 『封神榜伝奇』 : 2003年、[[上海美術映画製作所|上海美術電影製片廠]]、全100話。日本未公開。 *『[[封神演義 〜ナタクの大冒険〜]]』 : 2003年、中国中央電視台 (CCTV)、全52話。日本では2006年から2007年に[[岐阜放送]]で放送され、DVDも発売された。 === 日本 === ==== 小説 ==== * 『封神演義』(上): ISBN 4061843206 (中): ISBN 4061843214 (下): ISBN 4061843222 : [[安能務]]によるリライト小説。[[講談社文庫]](全3巻)、[[1988年]] 〜 [[1989年]]。「訳」と明確に印字されているが、事情理由は不明である。[[二階堂善弘]]などによる批判もあるが、安能の一連の作品(『隋唐演義』『三国演義』など)は、いずれも儒者達によって歴史が改竄されたという持論にもとづくリライトないし薀蓄エッセイである。 * 『セレス』 : [[南條竹則]]、[[講談社]] 刊、[[1999年]]4月、ISBN 4062095823。『封神演義』をモチーフにした未来小説。仙界を模した中国企業開発の仮想現実ネットワーク『セレス』が舞台となり、『元始天尊』『通天教主』『龍吉公主』など、『封神演義』の人物を名乗るユーザーや人工生命プログラムが登場する。 * 『小説 封神演義』 : [[嘉藤徹]]、[[PHP研究所]]〈PHP文庫〉 刊、[[2000年]][[7月]]、ISBN 4569574254。独自の綿密な調査による歴史・中国文化・文字解釈とSF的ガジェットで再構成した創作小説。筆者は中国文学の研究者であり、殷代に実在した文物や風習を書き込む、歴史上の人物は『史記』『詩経』などの正統派の古典の記述を参考にし、虚構の人物に関しては『封神演義』のネタ本となった『武王伐紂平話』『春秋列国志伝』を参考にする、『[[山海経]]』系のメジャーな妖怪・神仙を登場させる、等の執筆方針を立てたことがあとがきで述べられている。 * 『[[創竜伝]]』 : [[田中芳樹]]、[[講談社]] 刊、主役が四海竜王であることや、登場する神仙や妖怪の違いがあるが、殷周革命に触れられている。 ==== 漫画 ==== *『[[殷周伝説|殷周伝説・太公望伝奇]]』 : [[横山光輝]] 作。[[潮出版社]]「[[コミックトム]]」にて[[1994年]][[5月]]号&ndash;[[2001年]]に連載。単行本は全22巻。新版はコンビニコミック版で全10巻。 * 『[[封神演義 (漫画)|封神演義]]』 : [[藤崎竜]]の[[漫画]]作品。原作は安能務の講談社文庫版『封神演義』。[[1996年]]&ndash;[[2000年]]、[[集英社]]「[[週刊少年ジャンプ]]」で連載。この漫画を大幅に翻案脚色した[[テレビアニメ]]『[[仙界伝・封神演義]]』が[[テレビ東京]]系で放送された。また、バンダイよりゲーム化もされている。[[2018年]]にテレビアニメ『覇穹 封神演義』と、この漫画の続編および外伝『封神演義 外伝』が製作されている。 * 『ガンドッグ』 : [[宇地仲康]]の[[漫画]]作品。殺し屋・シグがある日送り付けられた命旁(めいぼ)に記された365人を追うストーリー。当初は妖怪と戦うハードボイルド物かと思いきや、1500年に一度人間から仙人になった者に起こる殺人衝動「殺劫」を解消するために企てられた「封神計画」だった。 ==== ラジオドラマ ==== * 『封神演義』 : [[NHK-FM]]『[[青春アドベンチャー]]』内で、[[1998年]]&ndash;[[2000年]]の[[夏休み]]スペシャルで放送された。3部構成で各20話、計60話。安能務の講談社文庫版『封神演義』にほぼ忠実に作られた。姜子牙を[[石橋蓮司]]、紂王を[[藤岡弘]]、妲己を[[増山江威子]]、哪吒を[[野沢雅子]]、黄飛虎を[[大和田伸也]]、申公豹を[[壤晴彦]]、崇侯虎を[[大塚周夫]]、尤渾を[[永井一郎]]、などの豪華俳優声優陣で固めた。哪吒・白鶴童子([[大山のぶ代]])・雲中子([[田の中勇]])の三人だけで話を進めたこともある。その代わり、登場人物の多さを解消するため、兄弟や姉妹の数を減らすなどの苦慮がされている。何度か[[再放送]]しており、総集編では生前の安能務が特別ゲストとしてメッセージを寄せた。 ==== コンピューターゲーム ==== * 『[[封神演義 (ゲーム)|封神演義]]』 : [[1999年]][[7月20日]]、[[コーエー|光栄]](現・[[コーエーテクモゲームス]])、[[PlayStation (ゲーム機)|PS]]用。独自の解釈に基づいている。1と2があり、1を大幅に翻案脚色した[[ドラマCD]]も発売された。また、同社からは[[ニンテンドーゲームキューブ|GC]]用アクションゲーム『[[バトル封神]]』、[[ゲームボーイアドバンス|GBA]]用RPG『[[マジカル封神]]』といった関連ソフトも発売されている。 * 『[[真・三國無双シリーズ]]』『[[無双OROCHI]]シリーズ』 : [[2000年]][[8月]]&ndash;、[[コーエー]]の家庭用アクションゲーム。メインテーマは[[三国志演義]]だが、太公望・妲己・女媧・伏羲が使用可能なキャラクターとして登場。 * 『[[L.G.S 〜新説 封神演義〜]]』 : [[2012年]][[7月26日]]発売。[[オトメイト]]の[[PlayStation Portable|PSP]]用ゲームソフト。 ==== スマホゲーム ==== * 『[[封神ヒーローズ]]』 : 日本と中国の神話伝説混合。 * 『[[ガドリンガー]]』 : カードバトルゲーム。 * 『[[元気封神:Reverse]]』 : カードバトルゲーム。 ==== テーブルトークRPG ==== * 『[[央華封神RPG]]』 : [[1994年]][[7月25日]]、[[グループSNE]]デザイン、[[メディアワークス]]発行。封神演義をモデルとして制作された古代中国風のRPG。またこれを元にした小説([[友野詳]]著)、漫画(栗橋伸祐作画)、[[ラジオドラマ]]、[[トレーディングカードゲーム]](『[[央華封神TCG]]』)も制作されている。 === 韓国 === ==== オンラインゲーム ==== * 『[[天道オンライン]]』 : LIZARD interactiveが運営する[[MMORPG]]。封神演義の後日談的な世界で[[殷]]と[[周]]が争う世界を舞台にしており、封神演義のエピソードやキャラクターもゲーム内に登場する。 * 『[[ハンターズアリーナ:レジェンド]]』 : マンティスコが運営する[[MMORPG]]。 == 参考文献 == === 原文 === {{wikisourcelang|zh|封神演義|封神演義}} * 『封神演義』(上・下) [[許仲琳]] 編、作家出版社、1955年 * 『封神演義』(上・下) 許仲琳 編 / 鍾惺 評、[[広東人民出版社]]、1980年 * 『封神演義』 許仲林 編著、[[上海古籍出版社]]、1991年 * 『封神演義』 [[陸西星]] 撰 / [[鍾伯敬]] 評、[[楊宗塋]]・[[繆天華]] 校閲、[[三民書局]]、1991年 * 『封神榜 車王府曲本』(上・中・下) [[蘇寰中]]・[[郭精鋭]] / [[陳偉武]] 校点、[[人民文学出版社]]、1992年 * 『古本小説集成 封神演義』561 〜 565巻、同 編委會 編、上海古籍出版社、1994年。日本国「[[内閣文庫]]」所蔵『新刻鐘伯敬先生批評封神演義』の影印本 === 日本語訳 === * 『封神伝 : 支那小説』 [[三浦義臣]] 訳(言海書房、1935年) ** 『物語叢書 第3』 三浦義臣 訳(言海書房、1936年) * 『封神演義』 [[木嶋清道]] 訳([[謙光社]]、1977年) * 『完訳 封神演義』[[許仲琳]]編([[コーエー|光栄]]、1995年) / 同文庫版(全7巻、1998年) ** (上) ISBN 4877191763 ** (中) ISBN 4877191771 ** (下) ISBN 487719178X * 『封神演義 中国原典抄訳版』 [[川合章子]] 訳 / [[小林智美]] 絵、[[講談社]]+α文庫、1998年 ISBN 4062562995 * 『封神演義』 [[渡辺仙州]] 訳 / [[佐竹美保]] 絵、[[偕成社]]、1998年、軽装版2018年 ** (上 妖姫乱国の巻) ISBN 4037443503 ** (中 仙人大戦の巻) ISBN 4037443600 ** (下 降魔封神の巻) ISBN 4037443708 * 『封神演義』 [[八木原一恵]] 編訳 / 二階堂善弘 解説、[[集英社文庫]]、1999年 ISBN 4087470245 ** 『封神演義』前編・後編、八木原一恵 編訳 / [[集英社]]文庫、2017年12月‐2018年1月 *** (前編) ISBN 4087456781 *** (後編) ISBN 4087456900。二階堂善弘 解説 **『封神演義』 [[八木原一恵]] 編訳 / [[翠琥出版]]、[[Kindle]]版、2013年 ISBN 9784907463007 * 『元祖・封神演義』 [[周金岑]] 改篇 / [[倉橋敦司]] 訳、[[文芸社]]、1999年 ISBN 4887375727 * 『全訳 封神演義』 [[勉誠出版]](全4巻)、2017年9月 - 2018年3月 ** [[二階堂善弘]] 監訳・解説 / 山下一夫・中塚亮・二ノ宮聡 訳 === 解説書 === 日本国内で出版されている「封神演義」解説書は、'''[[安能務]]が創作した設定をオリジナルのものと混同して記述している場合があるので、注意が必要である。''' * [[二階堂善弘]] 『封神演義の世界 中国の戦う神々』 [[大修館書店]]〈あじあブックス〉、1998年 * [[実吉達郎]] 『封神演義大全』 [[講談社]]、1998年。事典 * 安能務監修 『「封神演義」完全ガイドブック』 [[講談社文庫]]、2002年 * 冨士本昌恵 『封神演義の基礎知識』パルコ、2018年。イラスト七原しえ == 注・出典 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|2}} == 外部リンク == * {{Cite journal|和書|author=横山友美 |date=1998-03 |title=「封神演義」 : 民間信仰とのかかわり |journal=金沢大学中国語学中国文学教室紀要 |ISSN=1342-3975 |publisher=金沢大学文学部中国語学・中国文学講座 |volume=2 |pages=45-65 |naid=110000487317 |url=https://hdl.handle.net/2297/760}} * {{Commonscat-inline}} {{DEFAULTSORT:ほうしんえんき}} [[Category:封神演義|*]] [[Category:16世紀の小説]] [[Category:明代の書籍]] [[Category:中国の歴史小説]] [[Category:中国のファンタジー小説]] [[Category:道教]] [[Category:夏殷周]] [[Category:中国神話を題材とした小説]] [[Category:神話を題材とした小説]] [[Category:中国の歴史を題材とした小説]]
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ああっ女神さまっ
『ああっ女神さまっ』(ああっめがみさまっ)は、藤島康介による漫画。『月刊アフタヌーン』(講談社)において、1988年11月号(同年9月24日発売)から2014年6月号(同年4月25日発売)まで連載された。全308話。 OVAやテレビアニメ、劇場版としてたびたびアニメ化されている。2009年には第33回講談社漫画賞一般部門を受賞した。2020年6月時点で累計2500万部を突破している。 「日常世界に非日常的な存在が現れて活動することにより発生する騒動を描いたラブコメディ」作品で、着想点自体には際立った新奇性は無いものの、日常と北欧神話をベースとした神々や魔族(ただしその存在はどちらかというと、一般に言う所の精霊により近い一方で、人間臭い存在でもあるノルンなど)の絡み方に特筆すべき描写が多く、また徹底したドタバタかと思えば淡い青春物語であったり、SFらしい要素を含んだり、モータースポーツ漫画でもあったりといった多様性も見せる。 原作は長期連載漫画であるが、物語の世界は、時間が少しずつ物語の展開に沿って進んでおり、『サザエさん』のように新学期や季節イベントはあるが時間が1年単位でループしているわけでは無い(大学3年生の時に2年間だけループしていた)。本項の人物説明では、主に「現在(最新巻)の状態」に拠っており、連載初期や登場初期と、やや立場や性格付けが異なる。また、作中世界ではパソコンが主にMS-DOSで動いていたり携帯電話が特に見られなかったり、二足歩行ロボットがまだ開発されていなかったりと、原作開始当初の時代の状況に拠っている。TVアニメ版の作中世界は、ベルダンディーの学生証の生年月日が1985年1月1日であること、二千円札・新500円硬貨(平成13年)・携帯電話が存在するなど、アニメ作品の本放送の時期(2005年前後)となっている(ただし螢一の先輩たちがCDプレイヤーを持っておらず、マーラーが封じられていたCDを「中古レコード屋」に売ったりしている)。また、劇場版に関しては劇中のカレンダーから劇場公開から半年後にあたる2001年前後となっている。 某県の猫実(ねこみ)市にある猫実工業大学とその周辺が舞台。物語は主人公で(連載開始当初)猫実工大生の森里螢一(もりさとけいいち)が「お助け女神事務所」に間違い電話をかけてしまったことから始まる(螢一は、自分が電話番号を間違えたと思い込んでいるが、実際は螢一を救済するために天上界のシステム「ユグドラシル」の機能が働いたことによる必然である)。 間違い電話に気付いて慌てて電話を切ろうとした螢一だったが、電話先の相手は「今からそちらに伺います」と言い残し、次の瞬間に鏡の中からベルダンディーと名乗る容姿端麗の女神が現れた。いきなりのことだったので螢一は驚きを隠せなかった。女神のベルダンディーは慌てふためく螢一に、如何なるスケールの願いであっても「たった一つだけ」叶えると言う。螢一は、それまで女性と縁が無かったこととベルダンディーの美しさに圧倒され、つい、「君のような女神に、ずっとそばにいてほしい」と言ってしまい、ベルダンディーと共に日常を過ごすことになる。しかし、ベルダンディーと学生寮(男子寮)の同室で暮らすことは学生寮の寮則違反にあたるとされ、2人は寮を追い出されてしまう。 この「たった一つのお願い」は大富豪となることも、世界の滅亡を招くことも正に「お望み次第」だったわけだが、「君のような女神に、ずっとそばにいてほしい」という螢一の願い事は叶えられ、2人(?)は様々な幸運(強制力という神秘的な力)に助けられて、一つ屋根の下に一緒に暮らすこととなる。さらにこの同居生活に干渉するべくベルダンディーの姉で薬マニアのウルドと妹でメカフェチのスクルドも押しかけ、螢一は益々「非常識な日常」を送ることとなった。 ストーリーは、螢一とベルダンディーの交際話はもちろんのこと、螢一が所属する自動車部での出来事や、猫実工大の人々の話、女神の活動範囲の侵食(シェア争い)および封じ込めにやってきた悪魔マーラーとの対決(や交流?とその結果起こる破壊と再生)など、様々なストーリーが同時進行の形で展開していく。 「猫実」という地名は千葉県浦安市に猫実(ねこざね)という名で実在し、千葉県習志野市には実籾(みもみ)という地名が実在している。また、習志野市には、千葉工業大学の津田沼校地、日本大学生産工学部の津田沼キャンパスなどが所在している。 原作コミックスにて「猫実工業大学」として描かれているキャンパスは、「早稲田大学理工学部」ならびに周辺の風景が描かれている(コンクリートの筋交いをデザインに用いている「51号館」の他、同大学同学部校舎に隣接している「新宿区立スポーツセンター」の姿も見られる)。アニメ版では「中央大学多摩キャンパス」を彷彿とさせるシーンが登場しているほか、港や海浜公園などに山下公園や横浜マリンタワー・横浜ベイブリッジなど横浜市の風景が散見される。劇場版では大学に通学する際に西武新2000系に似た車両に乗車し鉄橋を渡っているシーンが登場しているが、実際の西武鉄道の主要路線には大きな鉄橋はない。また、TVアニメ版でも西武鉄道の配色に似た黄色の車両が登場している。 原作コミックス版にて「猫実臨海水族館」として描かれている建物は、学校法人桐蔭学園の「鵜川メモリアルホール」と呼ばれる多目的ホールの外観を模している。 TVアニメ版 第2期(『ああっ女神さまっそれぞれの翼』)の第22話で描かれている高校の校舎は北海道釧路北陽高等学校校舎である。 特記のない限り講談社からの発行。 月刊アフタヌーンのカラーページを全てカラーで、A5判サイズで再編集。通常版とフィギュア付属の限定版がある。 『ああっ就活の女神さまっ』のタイトルで、『月刊アフタヌーン』(講談社)において2019年から2021年12月号まで連載。全34話。ベルダンディーが就職活動に挑戦する様子を描く。 これまで、何度か形を変えてアニメ化されているが、メインキャラクターはOVA版以降ほとんど変更されることなく、一貫して同じ声優が担当し続けている。ただし舞台設定はTVシリーズ開始に伴い、一旦リセットされている。アニメ作品の路線や作風はOVA発売時、またはTVアニメの本放送時の原作の作風に沿っている。 1993年から1994年にかけて全5巻が制作・発売された。第5話は原作の最終回として想定したストーリーと原作者本人が語っている。また、アメリカで発売されたレーザーディスク版は両面で完全英語版と完全日本語版の全く同じものが収録されている(ただし、日本語版のオープニングとエンディングのスタッフロールなどのキャプションは日本版と異なる)。 1998年4月6日 - 1999年3月29日に、WOWOWのアニメコンプレックス枠内で全48話が放送された。2007年12月7日からTOKYO MXにてセレクション放送(地上波初放送)。キッズステーションでも放送されている。 この作品はコミックに掲載されていた外伝的なもので、ウルド、スクルド、岩ちゃんをメインに据えて描かれているため、ベルダンディーは脇役に回ることが多く、螢一は声のみの登場である。また、2クール目(第25話)からはマーラーも登場する。ナレーションは『奥さまは魔女』で有名な中村正である。 第1-13話ではベルダンディー役の井上喜久子が産休を取っており、岡村明美が代役を務めた。また、放送当時はまだセルアニメが多かったことに対し、同作では全編がデジタルアニメで制作されているのも特徴である。 OVAまでのスタッフは劇場版の制作に関わっていたためアニメの制作会社が同作のみ異なり路線も違う異色作となっている。 2000年10月21日、松竹洋画系で劇場公開された。興行収入は1.5億円。 同時上映:『エクスドライバー Clip』 サブタイトルは「ああっ○○○○っ(?)」で統一されており、TV本放送時は「ああっ」が付されていなかった第1話についても「ああっ」が付いたものに変更されている。下記の各話リストはDVDのサブタイトルに準じている。 講談社限定版企画として、2011年2月23日発売のコミックス第42巻限定版および、2011年9月22日発売のコミックス第43巻限定版、2013年8月23日発売コミックス第46巻限定版同梱のOVA作品。原作にない完全オリジナルストーリー。
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『ああっ女神さまっ』(ああっめがみさまっ)は、藤島康介による漫画。『月刊アフタヌーン』(講談社)において、1988年11月号(同年9月24日発売)から2014年6月号(同年4月25日発売)まで連載された。全308話。 OVAやテレビアニメ、劇場版としてたびたびアニメ化されている。2009年には第33回講談社漫画賞一般部門を受賞した。2020年6月時点で累計2500万部を突破している。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{出典の明記|date=2018年4月}} {{Infobox animanga/header |タイトル=ああっ女神さまっ |ジャンル=[[ラブコメディ]]、[[ファンタジー]] }} {{Infobox animanga/Manga |作者=[[藤島康介]] |出版社=[[講談社]] |他出版社={{Flagicon|USA}}{{flagicon|CAN}}{{flagicon|United Kingdom}} [[ダークホースコミックス]]<br />{{flagicon|Taiwan}} [[東立出版社]]<br />{{flagicon|Hong Kong}} [[:zh:天下出版|天下出版]]<br />{{flagicon|South Korea}} [[コアムナノバイオ]]<br />{{flagicon|Finland}} Egmont<br />{{flagicon|Mexico}} Grupo Editorial Vid<br />{{flagicon|France}} Pika Édition<br />{{flagicon|Spain}} Norma Editorial<br />{{flagicon|Italy}} Star Comics<br />{{flagicon|Germany}} Egmont-Verlag<br />{{flagicon|Malaysia}} Comics House<br />{{flagicon|Poland}} Japonica Polonica Fantastica |掲載誌=[[月刊アフタヌーン]] |レーベル = [[アフタヌーンKC]] |開始号=[[1988年]]11月号 |終了号=[[2014年]]6月号 |開始日=1988年[[9月24日]] |終了日=2014年[[4月25日]] |巻数=全48巻 |話数=全308話 | その他 = }} {{Infobox animanga/OVA |監督=[[合田浩章]] |脚本 = [[長谷川菜穂子]] |キャラクターデザイン=[[松原秀典]] |音楽 = 安田毅 |アニメーション制作=[[アニメインターナショナルカンパニー|AIC]] |製作=講談社、[[TBSテレビ|TBS]]、[[ケイエスエス]] |開始 = [[1993年]][[2月21日]] |終了 = [[1994年]][[5月17日]] |話数=全5話 }} |- |colspan="2" style="padding:0"| {| class="infobox bordered mw-collapsible innercollapse autocollapse" style="width:100%; margin:0" {{Infobox animanga/TVAnime |タイトル=ああっ女神さまっ 小っちゃいって事は便利だねっ |監督=松村康弘 |キャラクターデザイン=数井浩子 |音楽=村山達哉 |アニメーション制作=[[オー・エル・エム|OLM]] |製作=講談社、[[ポニーキャニオン]] |放送局=[[WOWOW]]、[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]] |放送開始=[[1998年]][[4月6日]] |放送終了=[[1999年]][[3月29日]] |話数=全48話 }} |} {{Infobox animanga/Movie |監督=合田浩章 | 脚本 = [[横手美智子]]、富沢義彦 | キャラクターデザイン = 松原秀典 | メカニックデザイン = 村田俊治 | 音楽 = [[浜口史郎]] |制作=AIC(アニメーション制作) | 製作 = 「ああっ女神さまっ」映画製作委員会 |封切日=[[2000年]][[10月21日]] |上映時間=106分 }} {{Infobox animanga/TVAnime |タイトル=ああっ女神さまっ(第1期)<br />ああっ女神さまっ それぞれの翼(第2期)<br>ああっ女神さまっ 闘う翼(特別編) |監督=合田浩章 |シリーズ構成=合田浩章、渡辺陽 |キャラクターデザイン=松原秀典 |音楽=浜口史郎 |アニメーション制作=AIC |製作=第1期:<br />「ああっ女神さまっ」製作委員会、TBS<br />第2期:「お助け女神事務所」分室、TBS<br>特別編:幻獣研究所、TBS |放送局=[[TBSテレビ]]他 |放送開始=第1期:[[2005年]][[1月6日]] |放送終了=[[7月7日]]<br />第2期:[[2006年]][[4月6日]] - 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『'''ああっ女神さまっ'''』(ああっめがみさまっ)は、[[藤島康介]]による[[漫画]]。『[[月刊アフタヌーン]]』([[講談社]])において、[[1988年]]11月号(同年9月24日発売)から[[2014年]]6月号(同年4月25日発売)まで連載された。全308話。 [[OVA]]や[[テレビアニメ]]、[[アニメーション映画|劇場版]]としてたびたび[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]化されている。[[2009年]]には第33回[[講談社漫画賞]]一般部門を受賞した<ref>{{Cite news |和書|date=2009-05-12 |archiveurl=https://archive.is/j5Nzi |archivedate=2013年4月30日 |title=講談社漫画賞に5作品 藤島康介さんらが受賞 |newspaper=47NEWS |url=http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009051201000969.html |accessdate=2020-03-25 |agency=共同通信}}</ref>。2020年6月時点で累計2500万部を突破している<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002669.000001719.html|title=女神・ベルダンディーが就活市場に降臨! 『ああっ就活の女神さまっ』最新2巻発売! 『課長 島耕作』のあの神回とのコラボエピソードも収録!|date=2020-06-23|work=PR TIMES|accessdate=2020-09-23}}</ref>。 {{TOC limit}} == 概要 == 「日常世界に非日常的な存在が現れて活動することにより発生する騒動を描いた[[ラブコメディ]]」<ref>{{Cite news |和書|title=新作アニメ、「ああ、女神さま」!!42巻でOAD付き限定発売予定!? |newspaper=[[livedoor ニュース]] |date=2010-09-27 |url=https://news.livedoor.com/article/detail/5034864/ |accessdate=2021-01-31 |agency=AKB通信}}</ref>作品で、着想点自体には際立った新奇性は無いものの、日常と[[北欧神話]]をベースとした神々や魔族(ただしその存在はどちらかというと、一般に言う所の[[精霊]]により近い一方で、人間臭い存在でもある[[ノルン]]など)の絡み方に特筆すべき描写が多く{{要出典|date=2020年9月}}、また徹底したドタバタかと思えば淡い青春物語であったり、[[サイエンス・フィクション|SF]]らしい要素を含んだり、[[モータースポーツ]]漫画でもあったりといった多様性も見せる。 原作は長期連載漫画であるが、物語の世界は、時間が少しずつ物語の展開に沿って進んでおり、『[[サザエさん]]』のように新学期や季節イベントはあるが時間が1年単位でループしているわけでは無い(大学3年生の時に2年間だけループしていた)。本項の人物説明では、主に「現在(最新巻)の状態」に拠っており、連載初期や登場初期と、やや立場や性格付けが異なる。また、作中世界では[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]が主に[[MS-DOS]]で動いていたり[[携帯電話]]が特に見られなかったり、[[二足歩行ロボット]]がまだ開発されていなかったりと、原作開始当初の時代の状況に拠っている。TVアニメ版の作中世界は、ベルダンディーの学生証の生年月日が1985年1月1日であること、二千円札・新500円硬貨(平成13年)・携帯電話が存在するなど、アニメ作品の本放送の時期(2005年前後)となっている(ただし螢一の先輩たちがCDプレイヤーを持っておらず、マーラーが封じられていたCDを「中古レコード屋」に売ったりしている)。また、劇場版に関しては劇中のカレンダーから劇場公開から半年後にあたる[[2001年]]前後となっている。 == あらすじ == 某県の猫実(ねこみ)市<ref group="注">[[千葉県]][[浦安市]]に漢字表記を[[猫実 (浦安市)|猫実]]とする地名が存在するが、地名の読みは「'''ねこざね'''」である。</ref>にある猫実工業大学とその周辺が舞台。物語は主人公で(連載開始当初)猫実工大生の森里螢一(もりさとけいいち)が「お助け女神事務所」に間違い電話をかけてしまったことから始まる(螢一は、自分が電話番号を間違えたと思い込んでいるが、実際は螢一を救済するために天上界のシステム「ユグドラシル」の機能が働いたことによる必然である)。 間違い電話に気付いて慌てて電話を切ろうとした螢一だったが、電話先の相手は「今からそちらに伺います」と言い残し、次の瞬間に鏡の中からベルダンディーと名乗る容姿端麗の[[女神]]が現れた。いきなりのことだったので螢一は驚きを隠せなかった。女神のベルダンディーは慌てふためく螢一に、如何なるスケールの願いであっても「たった一つだけ」叶えると言う。螢一は、それまで女性と縁が無かったこととベルダンディーの美しさに圧倒され、つい、「君のような女神に、ずっとそばにいてほしい」と言ってしまい、ベルダンディーと共に日常を過ごすことになる。しかし、ベルダンディーと学生寮(男子寮)の同室で暮らすことは学生寮の寮則違反にあたるとされ、2人は寮を追い出されてしまう。 この「たった一つのお願い」は大富豪となることも、世界の滅亡を招くことも正に「お望み次第」だったわけだが、「君のような女神に、ずっとそばにいてほしい」という螢一の願い事は叶えられ、2人(?)は様々な幸運(強制力という神秘的な力)に助けられて、一つ屋根の下に一緒に暮らすこととなる。さらにこの同居生活に干渉するべくベルダンディーの姉で薬マニアのウルドと妹でメカフェチのスクルドも押しかけ、螢一は益々「非常識な日常」を送ることとなった。 ストーリーは、螢一とベルダンディーの交際話はもちろんのこと、螢一が所属する自動車部での出来事や、猫実工大の人々の話、女神の活動範囲の侵食(シェア争い)および封じ込めにやってきた悪魔マーラーとの対決(や交流?とその結果起こる破壊と再生)など、様々なストーリーが同時進行の形で展開していく。 == 登場人物 == {{See|ああっ女神さまっの登場人物}} == 用語 == ; 契約 : 神属と人間とが交わす恵の関係。契約には、 :# 天上界のメインシステムである[[ユグドラシル]]に選ばれた者の[[電話]]が1級神2種非限定免許を持つ[[女神]]のもとへつながる。 :# 呼び出しを受けた女神が地上界に降臨。 :# 女神が契約者の願い事(ただしあからさまに悪意のある願いは拒否される、またはそういう願いを言いそうな人の電話はつながらない)を聞き入れ天上界へ送信。 :# ユグドラシルに受理される(1巻のベルダンディーのセリフによると、受理されないこともある 前項参照)。 :# 契約成立 : という過程をたどる。本来、契約を終えた女神は天上界へ戻り次の呼び出しに備えるが、螢一の場合「君のような女神に、ずっとそばにいてほしい」と願ったため、螢一と契約したベルダンディーは地上界に留まり共に生活している。そのためベルダンディーは螢一と契約した後に新規の契約を結んでいない。また、きわめて低い[[確率]]ではあるが、一度女神と契約した者がふたたびユグドラシルに選ばれほかの女神と契約を結ぶ場合があり、作中ではベルダンディーと既に契約している螢一がペイオースとも契約した事例がある。このほかに魔属が人間や神属と契約を交わす場合もあり、その履行は厳守される。結んだ契約は破棄することも可能。 ; 裁きの門 : 劇場版に登場する天上界の試練。異なる世界(天上界と地上界など)に住む者同士が愛し合ったとき、この門をくぐらねばならない。2人の心に疑いや偽りがなければ無事潜り抜け、神の祝福を受けることができる。しかしそうでない場合は2人は引き離され、二度と会うことはない。作中で潜り抜けることができたのは螢一とベルダンディーのみである。 ; ダブレット制 : 神属と魔属の間で、双方の子供に命の共有の契約をさせ、その契約の記憶を消す制度。神属・魔属いずれかの片方の契約者が死ぬともう一方の契約者も死ぬことになり、さらにその契約者が誰なのか分からなくなる。そのため、うかつに相手方の命を奪うと身内の誰かが同時に命を落とすことにつながる恐れがあり、神属・魔属の双方で殺し合いとならずに済む。しかし、ベルダンディーとこの制度の契約を結んだ魔属のヴェルスパーは彼女の記憶を消したくないと自分に呪いをかけ、子供のままの姿でベルダンディーに逢いに来る。もちろんその行為は禁止されており、ヴェルスパーは罰として黒猫に転生させられた。 : この黒猫が転生したヴェルスパーであることを螢一達は知っているが、上記の事情からこの制度下での自分に関する契約の記憶が消されているベルダンディーには知らされていない。 ; 天使 / 使い魔 : 一般的な[[神学]]上で[[天使]]はそれ自体が一つの神格を持っているが、本作中の天使は神属と[[共生]]関係にある存在として描かれている。このため片方のダメージがもう片方に影響するような形で、しばしば物語上の仕掛けとして扱われる。この関係は相互依存の形でもあり、神属が力を与え、天使がその力を変換しながら女神の役に立とうとするという形態である。 : また、魔属に対しては[[使い魔]]というほぼ同等の存在(こちらも一般的[[神秘主義|オカルティズム]]観とはやや異なる)がいるが、こちらは共生関係という形では無い可能性もヴェルスパーのセリフ上に見られ、むしろ魔族に対する使い魔は隷属状態にあり使う時だけ力を与えて使役するだけの存在のようだ。 : ヴェルスパーに付いた使い魔は、ヴェルスパーに付く以前の時期にベルダンディーによって天使化した経験を持ちふたたび使い魔となった後も神属と天使の関係を自分なりに真似ようとしていたが、いささか誤解もあり、かなり珍妙な有様になっていた。 : 天使も使い魔も基本的にはセリフは無く、表情や行動で感情を表現しているが、共生相手には心像(イメージ)を見せることができる模様で、「言葉は無くてもお互いに意志が通じ合う」という様子が、作中に頻繁に見られる。 ; 猪倉台サーキット : 猫実工業大学本校舎と同大学猪倉台校舎を結ぶ全長約6kmの市道を指す。 : 一般道であるにもかかわらず同校の学生以外の利用者が少なく、時々学生によるレース(本来は違法)が行われるためにこの呼び名がついている。 : 特に猪倉台校舎で[[航空力学]]の講義があるときは、その定員の少なさと先着順という受講規定により、半ば公然と受講希望者によるレースが行われる。 : また、単に「峠」とも呼ばれ、前半はヒルクライム、後半はダウンヒルのコースとなっている。 ; [[女神]] : 原義ではその名の通り女性の神だが本作では役職としての意味合いで描かれる場面が多い。 : 地上界にいる際には自然の力に依存しておりエネルギー変換は自然の精によって行われている。外見は地上界の人間とよく似ていて、顔に紋章があるのが大きな特徴であり、生活様式も人間と類似している。 : 食事もできるがユグドラシルからエネルギーの供給を受け活動しているため基本的には必要とはされていない(ベルダンディーの[[紅茶]]のように[[嗜好品]]として好んでいる描写はある。また、小説版でベルダンディーが「食べないのに食べるのは食物に失礼だ」と述べている)。ただし、ベルダンディーについては、螢一の弁当や食事、大福などの菓子を作ることがあり、地上界の人間の味覚や食事について習熟していると思われる。 :時を司る三姉妹はユグドラシルからの供給が途絶えた際の、それぞれ決まった補完エネルギー源を持つ(ウルドは清酒などの酒類。ベルダンディーは食物ではなく睡眠をとること。スクルドはアイスクリーム。その他の神属については明確な描写はない)。 :天上界から地上界への移動の際には、三姉妹はそれぞれ異なった物(地上にあるもの)を介して降臨した。ベルダンディーが鏡・ウルドがブラウン管・スクルドが水(水面)など。いずれも初登場時。この手段は、天上界へ帰る場合や地上の任意地点間でも使用可。 :高次元の存在のため、本来地上の人間には見えない姿を見えるように原子の再構成をし続けている。また、通常の人間に比べはるかに老化が遅く寿命も長い(作中でのペイオースやTVアニメ版でのベルダンディーの発言からベルダンディーたちは少なくとも螢一たちより年上であると推測される)らしい。 :病気にかかる(Chapt.14での回想)こともある他、まれにウイルス(生物学上の[[ウイルス]]のほか、いわゆる[[コンピュータウイルス]]にも)に感染することがあり、その場合は大きな処置が必要となる(劇場版の展開から)。 : 各々の人格は元から設定されているシステムを下敷きとしてそこから上書きされている(ただし、その明確な描写や説明はない)。 : 高次元の存在ではあるが痛覚は存在する(OVA第二巻で沙夜子から平手打ちを受けた際にはベルダンディーの頬が腫れ上がり、スクルドも自転車から転倒した際に痛がっている)。地上の現象が肉体的に影響がないわけではなく、意図せず川に落ちてしまった時など濡れてしまうこともある。 ; 天上界 : 女神などの神属が住む国で空の上にあるのではなく高次元に存在している。比較的自然環境に恵まれている。地上界に比べ建築物が少なく、その一方でユグドラシルのようなハイテクな機械を作り出している。人口的には女性の割合が多く男性も美形が多い様子。 ; 魔界 : 魔属が住む国。自然に恵まれた天上界とは違い空は曇っており都会的なビルが立ち並んでいる。 ; 法術(プログラム) : いわゆる魔法というべきものでありユグドラシルから女神たちに送信されるデータ。種類や効果などは様々だが中には女神に身体的な影響をおよぼす物もある。それぞれ得意な分野が異なっており実行コードも定められている(ウルドは薬、スクルドは機械など)。 ; 短縮法術コマンド : 女神が歌っているがこれは複数の法術を組み合わせたプログラム。歌といっても言葉でなく音程で合わせておりこれを少しでも外すことは許されないと言われている。 ; 高速言語 : 一音で5000語の意味を持つと言われているいわゆる[[アセンブリ言語|アセンブラ]]。法術を唱える際に使用。言語自体は人間の耳でも聞き取れるが非常に耳障りとなる。原作ではあまり使用されていないがTVアニメ版では頻繁に使用されている。 ; ユグドラシル : 天上界にある巨大な大木であるが定義としては巨大な[[メインフレーム|ホストコンピュータ]]で女神たちはいわば端末に当たる。地上に生存するためのエネルギーもここから送られている。エネルギーの供給量が過剰になると擬似的だがベルダンディーは睡眠に陥る。また、ユグドラシルからの供給が無くなると地上の女神のシステムに狂いが生じ不安定になる。女神のシステムの全てを司る存在でもあり本体であるに等しい。法術もここから発せられる。帰還命令や免許停止の有無もここから発せられそれに逆らうことはできない。ここでは女神の大体の行動が記録されるが全てのことが把握されるものではない。木自体は下層階級のオペレーターが管理しておりウルドも登場当初はこの木の管理者を務めていた。 ; ニドヘヴ :魔界に存在するユグドラシルの類似物。詳細は不明。 ; 最高法術院 : ペイオースが幼児の姿となった際に訪れた天上界最高の機関。 ; 強制送還 : システムに何らかの問題があった時に地上界の女神をゲートで強制的に天上界に帰す術。作中ではウルド(原作で)とベルダンディー(OVAで)のみが強制送還の対象になりかけたが、ウルドは「対マーラーを口実とした結界」を用いてゲートを破壊することにより、ベルダンディーは姉妹たちが魔法陣を張ることによりゲートの機能を止め、これを逃れている。 ; 他力本願寺 :森里螢一とベルダンディーなどの女神が暮らす宗派不明<ref group="注" name=":0">[[他力本願]]は[[浄土教]]([[浄土宗]]・[[浄土真宗]]など)の教義であるが、浄土真宗の本山である「[[本願寺]]」が含まれるため、当初はそれをもじったギャグを意図して命名した可能性はある。また、本作開始冒頭で住職が修行の旅に出るが、浄土教では僧侶が修行するのは他宗派ほど一般的ではない{{要出典|date=2021年3月}}。</ref>の寺院。通称、森里屋敷。 :寮を追い出され住むところを探していた2人が雨宿りに訪れた際に寺の住職が泊めたが、ベルダンディーを自分より徳の高い尼僧と勘違いした住職が[[インド]]へ修行の旅に出ていってしまい(原作ではそのまま戻ってこない。TVアニメでは第2期に二度寺に戻っているがほどなくまた修行の旅に出ている)、さらに寺のことを任せて行ってしまったためそのまま螢一達が暮らすようになる。 :魔属との戦闘やウルド、スクルドらのちょっとした日常的な小競り合いなどで頻繁に全壊および半壊するが、そのたびに法術で修復されている。 === 種族 === ;神属 : 紋章◆ ▼ ◎ ∵ : 神を主体とする神の国の種族。使用する術は法術で攻撃というより支援型の魔法である。容姿に関しては個人差があるものの基本的には美形が多く目の色素が薄い。男性は長身で髪の色が黒く瞳も黒色が多い。性格も基本的に穏やかだが戦闘部所属の[[ワルキューレ]]を務める女神に関しては魔属に対して強い敵対心を持ちやや攻撃的である。階級がそれぞれあり役目も異なる。元来はプラズマまたは幽体のような存在(いわば'''プログラム''')であるらしく、あくまでもエネルギーを実体化した存在であるため体内は空洞となっており臓器などの器官を持たない(劇場版でベルダンディーのワクチン投与シーンおよび、原作での泉の女神が幽閉される場面より)。ただし、粒子状態であっても感情や意志は存在する(劇場版のセレスティンの描写から)この仕組みは魔属も同様の可能性がある。子孫を残す方法に関しては、作中で具体的な描写がなされていない(神属・魔属・人間とも)。 ;魔属 :紋章★ : ヒルドを長とする魔界の種族。使う術は魔術で攻撃用が多い。瞳の色は赤色の比率が高めで目はつり目が多く髪の色は金髪が多い。容姿では美醜の差が著しい者もいる。悪魔だけあって毒舌な者が多く他人を見下す傾向がある。 ;マシンナーズ : 異界の機械生命体で外見は完全な機械だが一応生物ではあるらしい。法術が効きにくい体質を持つ。原作と小説版のみに登場。 ;ローレライ : 水の精であり年に一度お見合いのような儀式をする。性格は神属同様に穏やか。女性は耳が長いエルフのような外見だが男性は屈強な体格を持つ者が多い。身体が水素で構成されている。 == 作品舞台のモデル == {{独自研究|section=1|date=2020年9月}} 「猫実」という地名は[[千葉県]][[浦安市]]に猫実(ねこざね)という名で実在し、千葉県習志野市には実籾(みもみ)という地名が実在している。また、習志野市には、[[千葉工業大学]]の津田沼校地、[[日本大学]][[生産工学部]]の津田沼キャンパスなどが所在している。 原作コミックスにて「猫実工業大学」として描かれているキャンパスは、「[[早稲田大学]]理工学部」ならびに周辺の風景が描かれている(コンクリートの[[筋交い]]をデザインに用いている「51号館」の他、同大学同学部校舎に隣接している「新宿区立スポーツセンター」の姿も見られる)。[[ああっ女神さまっ#アニメ|アニメ版]]では「[[中央大学多摩キャンパス]]」を彷彿とさせるシーンが登場しているほか、港や海浜公園などに[[山下公園]]や[[横浜マリンタワー]]・[[横浜ベイブリッジ]]など[[横浜市]]の風景が散見される。[[ああっ女神さまっ#劇場版|劇場版]]では大学に[[通学]]する際に[[西武2000系電車#新2000系|西武新2000系]]に似た車両に乗車し[[鉄橋]]を渡っているシーンが登場しているが、実際の[[西武鉄道]]の主要路線には大きな鉄橋はない。また、TVアニメ版でも西武鉄道の配色に似た黄色の車両が登場している。 原作コミックス版にて「猫実臨海[[水族館]]」として描かれている建物は、[[学校法人桐蔭学園]]の「[[鵜川メモリアルホール]]」と呼ばれる[[多目的ホール]]の外観を模している。 [[ああっ女神さまっ#TVシリーズ|TVアニメ版]] 第2期(『ああっ女神さまっそれぞれの翼』)の第22話で描かれている高校の校舎は[[北海道釧路北陽高等学校]]校舎である。 == 書誌情報 == 特記のない限り講談社からの発行。 === 単行本 === * 藤島康介 『ああっ女神さまっ』〈アフタヌーンKC〉、全48巻 *# 1989年8月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321009-X}} *# 1990年3月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321013-8}} *# 1990年9月22日初版発行、{{ISBN2|4-06-321017-0}} *# 1991年5月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321021-9}} *# 1991年10月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321023-5}} *# 1992年4月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321025-1}} *# 1992年10月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321028-6}} *# 1993年3月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321030-8}} *# 1993年11月22日初版発行、{{ISBN2|4-06-321037-5}} *# 1994年5月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321040-5}} *# 1994年10月21日初版発行、{{ISBN2|4-06-321044-8}} *# 1995年6月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321049-9}} *# 1996年4月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321057-X}} *# 1997年4月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321067-7}} *# 1997年9月22日初版発行、{{ISBN2|4-06-321074-X}} *# 1997年11月21日初版発行、{{ISBN2|4-06-321076-6}} *# 1998年9月22日初版発行、{{ISBN2|4-06-321091-X}} *# 1998年11月20日初版発行、{{ISBN2|4-06-321093-6}} *# 1999年9月22日初版発行、{{ISBN2|4-06-314219-1}}| *# 1999年11月22日初版発行、{{ISBN2|4-06-314222-1}} *# 2000年5月22日初版発行、{{ISBN2|4-06-321114-2}} *# 2000年10月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321118-5}} *# 2001年10月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321129-0}} *# 2002年5月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321136-3}} *# 2002年11月15日初版発行、{{ISBN2|4-06-321142-8}} *# 2003年6月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321150-9}} *# 2003年11月21日初版発行、{{ISBN2|4-06-321154-1}} *# 2004年3月23日初版発行、{{ISBN2|4-06-321158-4}} *# 2004年9月6日初版発行、{{ISBN2|4-06-321163-0}} *# 2004年11月22日初版発行、{{ISBN2|4-06-321166-5}} *# 2005年9月21日初版発行、{{ISBN2|4-06-321169-X}} *# 2005年11月22日初版発行、{{ISBN2|4-06-321173-8}} *# 2006年7月21日初版発行、{{ISBN2|4-06-321177-0}} *# 2006年11月22日初版発行、{{ISBN2|4-06-321180-0}} *# 2007年6月22日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-321185-6}} *# 2007年12月21日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-321186-3}} *# 2008年7月23日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-321188-7}} *# 2008年12月22日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-321190-0}} *# 2009年7月23日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-321191-7}} *# 2009年11月20日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-321193-1}} *# 2010年7月23日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-321194-8}} *# 2011年2月23日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-321195-5}} *#* 「限定版」同日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-358336-6}} *# 2011年9月23日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-310774-6}} *#* 「限定版」同日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-358346-5}} *# 2012年4月23日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-321197-9}} *# 2012年11月22日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-321198-6}} *# 2013年8月23日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-321199-3}} *#* 「限定版」同日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-358436-3}} *# 2014年3月20日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-321201-3}} *# 2014年7月23日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-321202-0}} *#* 「限定版」同日初版発行、{{ISBN2|978-4-06-358706-7}} === 完全版 === 月刊アフタヌーンの[[色|カラー]]ページを全てカラーで、A5判サイズで再編集。通常版とフィギュア付属の限定版がある。 * 藤島康介 『ああっ女神さまっ COMPLETE<通常版>』〈[[KCデラックス]]〉、全3巻 *# 2005年1月21日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000035480 |title=『ああっ女神さまっ COMPLETE(1)<通常版>』(藤島 康介) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-06-07}}</ref>、{{ISBN2|4-06-334927-6}} *# 2005年3月23日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000035501 |title=『ああっ女神さまっ COMPLETE(2)<通常版>』(藤島 康介) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-06-07}}</ref>、{{ISBN2|4-06-334970-5}} *# 2005年4月22日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000035507 |title=『ああっ女神さまっ COMPLETE(3)<通常版>』(藤島 康介) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-06-07}}</ref>、{{ISBN2|4-06-334980-2}} * 藤島康介 『ああっ女神さまっ COMPLETE<限定版>』〈[[講談社の漫画レーベル#雑誌に依存しないレーベル|プレミアムKC]]〉、全3巻 *# 2005年1月21日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000039485 |title=『ああっ女神さまっ COMPLETE(1)<限定版>』(藤島 康介) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-06-07}}</ref>、{{ISBN2|4-06-362038-7}} *# 2005年3月23日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000039486 |title=『ああっ女神さまっ COMPLETE(2)<限定版>』(藤島 康介) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-06-07}}</ref>、{{ISBN2|4-06-362039-5}} *# 2005年4月22日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000039487 |title=『ああっ女神さまっ COMPLETE(3)<限定版>』(藤島 康介) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-06-07}}</ref>、{{ISBN2|4-06-362041-7}} === 外伝 === * 藤島康介 『ああっ女神さまっ 小っちゃいって事は便利だねっ』1996年10月21日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000030379 |title=『ああっ女神さまっ』(藤島 康介) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-06-07}}</ref>、{{ISBN2|4-06-330025-0}} === テーマ別短編集 === * 藤島康介 『ああっ女神さまっ いいとこどりシリーズ』〈KCデラックス〉、全3巻 *# 「登場編」2005年6月23日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000043513 |title=『新書判 ああっ女神さまっ(1)<登場編>』(藤島 康介) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-06-07}}</ref>、{{ISBN2|4-06-372045-4}} *# 「恋愛編」2005年7月22日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000043514 |title=『新書判 ああっ女神さまっ(2)<恋愛編>』(藤島 康介) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-06-07}}</ref>、{{ISBN2|4-06-372046-2}} *# 「マシン編」2005年8月23日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000043518 |title=『新書判 ああっ女神さまっ(3)<マシン編>』(藤島 康介) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-06-07}}</ref>、{{ISBN2|4-06-372052-7}} === バイリンガル・コミックス === * 藤島康介 『ああっ女神さまっ』 講談社インターナショナル〈講談社バイリンガル・コミックス〉、全5巻 *# 2001年9月14日、{{ISBN2|4-7700-2861-X}} *# 2001年10月19日、{{ISBN2|4-7700-2862-8}} *# 2001年11月16日、{{ISBN2|4-7700-2863-6}} *# 2001年12月7日、{{ISBN2|4-7700-2864-4}} *# 2002年1月11日、{{ISBN2|4-7700-2865-2}} === アニメコミックス === * 『ああっ女神さまっ』〈アニメKC・アフタヌーン〉、全5巻 *# 1993年9月22日、{{ISBN2|4-06-310201-7}} *# 1994年4月23日、{{ISBN2|4-06-310202-5}} *# 1995年1月23日、{{ISBN2|4-06-310203-3}} *# 1995年5月23日、{{ISBN2|4-06-310204-1}} *# 1996年3月22日、{{ISBN2|4-06-310205-X}} * 『劇場版ああっ女神さまっ』 〈アニメKC・アフタヌーン〉、全3巻 *# 2001年3月23日、{{ISBN2|4-06-310132-0}} *# 2001年5月23日、{{ISBN2|4-06-310135-5}} *# 2001年7月23日、{{ISBN2|4-06-310137-1}} === イラスト集 === * 『ああっ女神さまっ ポストカード・ブック』 *# 1995年9月14日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000030364 |title=『ポストカ-ド・ブック ああっ女神さまっ』(藤島 康介) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-06-07}}</ref>、{{ISBN2|4-06-330004-8}} *# 2002年2月14日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000033444 |title=『ああっ女神さまっ ポストカード・ブック(2)』(藤島 康介) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-08-02}}</ref>、{{ISBN2|4-06-330156-7}} * 『ああっ女神さまっ 実在の証明』2000年10月16日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000035272 |title=『『ああっ女神さまっ 実在の証明』』(藤島 康介,須賀 正人(オニオンピーマンカンパニー)) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-06-07}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-334348-9}} * 『ああっ女神さまっ COLOURS』〈KCデラックス〉、2001年2月20日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000035295 |title=『ああっ女神さまっCOLOURS』(藤島 康介) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-06-07}}</ref>、{{ISBN2|4-06-334379-0}} === 小説 === * [[冬馬由美]](著)・藤島康介(原作・監修) 『ああっ女神さまっ 初終 -First End-』 〈アフタヌーンノベルス〉、2006年7月20日、{{ISBN2|4-06-347003-2}} ** カバーイラスト:藤島康介 本文イラスト:[[松原秀典]] ** OVA版からウルド役を演じる冬馬由美が書いた小説版。 ** 冬馬なりに考える本作の物語の終焉と新たな始まりが描かれる。 ** TVアニメ第2期の公式サイトで2006年8月18日から上記の小説の外伝「夢みる翼」が掲載された<ref>[https://www.tbs.co.jp/megamisama/megami2/07special/special.html TBSアニメーション「ああっ女神さまっ」公式HP]</ref>。ユグドラシル復旧後の天上界の人物の日常と小説の後日談を準1級神フレイアの視点から描く。 === 公式アンソロジー === * 『おかわりっ!! めがみさまっ!! 『ああっ女神さまっ』公式アンソロジー』 〈[[アフタヌーンKC]]〉、2013年8月23日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000047275 |title=『おかわりっ!! めがみさまっ!! 『ああっ女神さまっ』公式アンソロジー』(藤島 康介,赤人 義一,天野 こずえ,羽海野 チカ,大暮 維人,CLAMP,曽田 正人,綾峰 欄人,いとう のいぢ,異識,犬,遠藤 沖人,遠藤 海成,落合 ニッキ,柏原 麻実,川原 礫,熊倉 隆敏,坂上 空,忍 アラズ,鈴本 テツヤ,ソウマトウ,高田 明美,竹内 元紀,丹羽 庭,寺田 にゃんこふ,ナイロン,nino,にんげん,北条 晶,ほしの ふうた,ミナト サキ,宮崎 摩耶,明治 カナ子,和田 依子) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-06-07}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-387915-5}} ** 執筆者:[[大暮維人]]、[[羽海野チカ]]、[[CLAMP]]、[[天野こずえ]]、[[遠藤海成]]、[[高田明美]]、[[曽田正人]]、[[いとうのいぢ]]、ソウマトウ、[[赤人義一]]、遠藤沖人、異識、にんげん、[[ナイロン (漫画家)|ナイロン]]、[[熊倉隆敏]]、[[柏原麻実]]、犬、[[綾峰欄人]]、[[竹内元紀]]、ミナトサキ、nino、[[川原礫]]、忍アラズ、鈴本テツヤ、坂上空、和田依子、[[ほしのふうた]]、[[北条晶]]、寺田にゃんこふ、明治カナ子、[[宮崎摩耶]]、丹羽庭、落合ニッキ === オフィシャルガイドブック === * 『ああっ女神さまっ-THE FIELD OF GODDESS-』〈KCデラックス〉、2002年10月9日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000031969 |title=『ああっ女神さまっ-THE FIELD OF GODDESS-』(藤島 康介) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-08-02}}</ref>、{{ISBN2|4-06-334569-6}} - 劇場版のムック本 * 藤島康介(監修) 『ああっ女神さまっ COLLECTION』〈KCデラックス〉、2004年9月4日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000035476 |title=『ああっ女神さまっ COLLECTION』(藤島 康介) |website=講談社コミックプラス |publisher=講談社 |accessdate=2020-06-07}}</ref>、{{ISBN2|4-06-334914-4}} <!-- === 解析書 === * ああっ女神さまっ 完全心理分析書 - 2002年5月23日、{{ISBN2|4-87689-430-2}} ** 著作:地伏丈&「女神」解析委員会 --> === スピンオフ === 『ああっ就活の女神さまっ』のタイトルで、『月刊アフタヌーン』(講談社)において2019年から2021年12月号まで連載。全34話。ベルダンディーが[[就職活動]]に挑戦する様子を描く。 * [[青木U平]](原作)・[[よしづきくみち]](漫画) 『ああっ就活の女神さまっ』 〈アフタヌーンKC〉、全5巻 *# 2019年9月20日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000324485 |title=『ああっ就活の女神さまっ(1)』(青木 U平,よしづき くみち,藤島 康介) |accessdate=2020-03-25 |website=講談社コミックプラス}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-516975-9}} *# 2020年6月23日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000342203 |title=『ああっ就活の女神さまっ(2)』(青木 U平,よしづき くみち,藤島 康介) |accessdate=2020-06-23 |website=講談社コミックプラス}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-519751-6}} *# 2021年2月22日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000348895 |title=『ああっ就活の女神さまっ(3)』(青木 U平,よしづき くみち,藤島 康介) |accessdate=2021-02-22 |website=講談社コミックプラス}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-522255-3}} *# 2021年8月23日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000354372 |title=『ああっ就活の女神さまっ(4)』(青木 U平,よしづき くみち,藤島 康介) |accessdate=2021-08-23 |website=講談社コミックプラス}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-524382-4}} *# 2022年1月21日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000360579 |title=『ああっ就活の女神さまっ(5)』(青木 U平,よしづき くみち,藤島 康介) |accessdate=2022-01-21 |website=講談社コミックプラス}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-526543-7}} == アニメ == これまで、何度か形を変えてアニメ化されているが、メインキャラクターはOVA版以降ほとんど変更されることなく、一貫して同じ声優が担当し続けている。ただし舞台設定はTVシリーズ開始に伴い、一旦リセットされている。アニメ作品の路線や作風はOVA発売時、またはTVアニメの本放送時の原作の作風に沿っている。 === OVA === [[1993年]]から[[1994年]]にかけて全5巻が制作・発売された。第5話は原作の最終回として想定したストーリーと原作者本人が語っている<ref>OVA第5巻付録のライナーノートの藤島康介のインタビューに原典あり{{Full citation needed|date=2020年8月}}。</ref>。また、アメリカで発売されたレーザーディスク版は両面で完全英語版と完全日本語版の全く同じものが収録されている(ただし、日本語版のオープニングとエンディングのスタッフロールなどのキャプションは日本版と異なる)。 ==== スタッフ(OVA) ==== * 監督 - [[合田浩章]] * 脚本 - [[長谷川菜穂子]] * キャラクターデザイン - [[松原秀典]] * 美術監督・設定 - [[加藤浩]] * 撮影監督 - 小西一廣 * 音響監督 - [[山田知明|山田智明]] * 音楽 - 安田毅 * タイトル - [[マキ・プロダクション|マキ・プロ]] * 現像 - [[IMAGICA Lab.|IMAGICA]] * プロデューサー - 新藤征夫→水尾芳正、滝本裕雄、浅賀孝郎、[[三浦亨 (プロデューサー)|三浦亨]] * アニメーション制作 - [[アニメインターナショナルカンパニー|AIC]] * 製作・発売 - 講談社、TBS、[[ケイエスエス]] ==== 主題歌(OVA) ==== ; 「My Heart 言い出せない、Your Heart 確かめたい」 : GODDESS FAMILY CLUBによるオープニングテーマ。作詞は長谷川空、作曲・編曲は安田毅による。 ; 「Congratulations!」 : GODDESS FAMILY CLUBによるエンディングテーマ。作詞・作曲・編曲はオープニングテーマと同じ。 ==== 各巻リスト ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" |- !巻数!!サブタイトル!!発売日!!脚本!!絵コンテ!!演出!!作画監督!!総作画監督 |- |1||MOONLIGHT AND CHERRY BLOSSOMS||1993年2月21日||rowspan="5"|[[長谷川菜穂子]]||[[合田浩章]]||-||[[松原秀典]]、北島信幸||- |- |2||MIDSUMMER NIGHT'S DREAM||1993年5月21日||colspan="2" style="text-align:center"|[[舛成孝二|ますなりこうじ]]||北島信幸、[[大橋誉志光]]||[[本田雄]] |- |3||BURNING HEARTS ON THE ROAD||1993年9月21日||colspan="2" style="text-align:center"|[[井出安軌]]||北島信幸、[[西井正典]]||rowspan="3"|松原秀典 |- |4||EVER GREEN HOLYNIGHT||1993年12月28日||合田浩章||ますなりこうじ||北島信幸、西井正典、小倉陳利 |- |5||FOR THE LOVE OF GODDESS||1994年5月17日||藤島康介||井出安軌||合田浩章 |} === ああっ女神さまっ 小っちゃいって事は便利だねっ === [[1998年]][[4月6日]] - [[1999年]][[3月29日]]に、WOWOWのアニメコンプレックス枠内で全48話が放送された。[[2007年]][[12月7日]]から[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]にてセレクション放送(地上波初放送)。[[キッズステーション]]でも放送されている。 この作品はコミックに掲載されていた外伝的なもので、ウルド、スクルド、岩ちゃんをメインに据えて描かれているため、ベルダンディーは脇役に回ることが多く、螢一は声のみの登場である。また、2クール目(第25話)からはマーラーも登場する。ナレーションは『[[奥さまは魔女 (テレビドラマ)|奥さまは魔女]]』で有名な[[中村正 (声優)|中村正]]である。 第1-13話ではベルダンディー役の[[井上喜久子]]が産休を取っており、[[岡村明美]]が代役を務めた。また、放送当時はまだ[[セルアニメ]]が多かったことに対し、同作では全編が[[デジタルアニメ]]で制作されているのも特徴である。 OVAまでのスタッフは劇場版の制作に関わっていたためアニメの制作会社が同作のみ異なり路線も違う異色作となっている。 ==== スタッフ(外伝) ==== * 監督 - 松村康弘 * キャラクターデザイン・シリーズ作監 - 数井浩子 * チーフライター - [[米村正二]] * チーフ演出 - [[須藤典彦]] * 色彩設定 - 大関たつ枝 * 美術監督 - [[小林七郎]] * CGディレクター - [[水谷貴哉]] * 編集 - [[ジェイ・フィルム|山森康之]] * タイトル - [[マキ・プロダクション|マキ・プロ]] * 現像 - [[IMAGICA Lab.|IMAGICA]] * 音楽 - [[村山達哉]] * 音楽制作 - [[ポニーキャニオン]] * 音響監督 - [[渡辺淳 (音響監督)|渡辺淳]] * 制作担当 - 小板橋司 * アニメーション制作 - [[オー・エル・エム|OLM TEAM KOITABASHI]] * プロデューサー - 堀口聖一、中村伸一、[[神田修吉]] * 製作 - [[講談社]]、ポニーキャニオン ==== 主題歌(外伝) ==== ; 「デンワしてダーリン」(第1話 - 24話、27話) : [[石井ゆき]]によるエンディングテーマ。作詞は[[森若香織]]、作曲は[[太田美知彦]]、編曲はキハラ龍太郎による。第16話、27話のみ他と演出が異なる。出演声優陣が歌うバージョンも存在する。 ; 「×××(Kiss Kiss Kiss)」(第25話 - 26話、28話 - 43話、45話 - 48話) : [[SPLASH (砂岡事務所)|SPLASH]]によるエンディングテーマ。作詞は山本秀幸、作曲・編曲は[[馬飼野康二]]による。第44話は特殊EDのため不使用。 ==== 各話リスト(外伝) ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" |- !話数!!サブタイトル!!脚本!!絵コンテ!!演出!!作画監督 |- |1||占いしようよっ||[[北条千夏]]||[[毛利和昭]]||rowspan="4"|松村康弘||rowspan="4"|[[志田ただし]] |- |2||屋根裏の秘宝・前編||rowspan="2"|[[米村正二]]||rowspan="2"|井硲清高 |- |3||屋根裏の秘宝・後編 |- |4||空を飛ぼうよっ||rowspan="2"|[[冨岡淳広]]||rowspan="3"|仙北寛 |- |5||宇宙を翔ぼうよっ||[[山本泰一郎]]||赤尾良太郎 |- |6||スリムでGO!||rowspan="3"|[[藤田伸三]]||rowspan="2"|[[カサヰケンイチ|笠井賢一]]||佐々木文雄 |- |7||大怪獣ガビラ・誕生篇||rowspan="2"|毛利和昭||杉本道明 |- |8||大怪獣ガビラ・決戦篇||小川浩司||[[宍戸久美子]] |- |9||〜誰が為に鐘は鳴る〜 缶詰の謎…?||米村正二||colspan="2" style="text-align:center"|笠井賢一||杉本道明 |- |10||〜誰が為に鐘は鳴る〜 ダイヤの秘密||冨岡淳広||colspan="2" style="text-align:center"|山本泰一郎||赤尾良太郎 |- |11||大怪獣ガビラ・逆襲篇||藤田伸三||毛利和昭||小川浩司||rowspan="3"|松岡秀明 |- |12||野球やろうぜっ||rowspan="2"|米村正二||仙北寛||笠井賢一 |- |13||ウルドの子守日記||[[森田宏幸]]||rowspan="2"|松村康弘 |- |14||プロポーズ大作戦ですだ||rowspan="2"|北条千夏||rowspan="2"|仙北寛||仙北寛 |- |15||新婚さんいらっしゃい!! ですだ||山本泰一郎||赤尾良太郎 |- |16||デンワしてダーリンっ||藤田伸三||[[村田和也]]||小川浩司||佐々木文雄 |- |17||大雪原SOS・前編||rowspan="3"|米村正二||rowspan="2"|仙北寛||rowspan="3"|笠井賢一||杉本道明 |- |18||大雪原SOS・後編||佐々木文雄 |- |19||キッチンファイター||笠井賢一||杉本道明 |- |20||岩ちゃんの華麗なる日々||rowspan="2"|冨岡淳広||rowspan="3"|仙北寛||山本泰一郎||赤尾良太郎 |- |21||ああっ仏さまっ||小川浩司||松岡秀明 |- |22||岩ちゃんの骨まで愛して||北条千夏||rowspan="3"|鈴木敏明||佐々木文雄 |- |23||バンドやろうぜ A面||rowspan="2"|米村正二||rowspan="2"|山本泰一郎||仙北寛 |- |24||バンドやろうぜ B面||赤尾良太郎 |- |25||チュウ・ハード岩ちゃん絶体絶命||rowspan="3"|藤田伸三||rowspan="2"|松村康弘||村田和也||山田俊也 |- |26||チュウ・ハード2 魔王降臨||小川浩司||Yamamoto Hiroshi |- |27||ウルドでPON!||仙北寛||鈴木敏明||赤尾良太郎 |- |28||RainyDay||rowspan="2"|米村正二||colspan="2" style="text-align:center"|[[高橋ナオヒト]]||澤田正人 |- |29||夢で逢いましょう||村田和也||鈴木敏明||中田雅夫 |- |30||月曜ワイドサスペンス劇場 女名探偵スクルドの事件簿(1)<br />盗まれた三つの秘宝の謎 湯煙に隠された危険な罠!||藤田伸三||仙北寛||小川浩司||松岡秀明 |- |31||女神 愛の劇場 女神の剣||米村正二||高橋ナオヒト||村田和也||[[馬越嘉彦]] |- |32||こちら他力本願寺内 すぐやる課||冨岡淳広||仙北寛||小川浩司||米山浩平 |- |33||釣りバス日誌||田中哲生||[[古橋一浩]]||[[須藤典彦]]||赤尾良太郎 |- |34||我に僕を||rowspan="3"|藤田伸三||colspan="2" style="text-align:center"|小川浩司||仙北寛 |- |35||忍びのオキテ・上の巻||rowspan="2"|井硲清高||rowspan="2"|鈴木敏明||佐々木文雄 |- |36||忍びのオキテ・下の巻||高橋英吉 |- |37||ウルドVSウルド||[[横手美智子]]||古橋一浩||小川浩司||中田雅夫 |- |38||岩ちゃん選挙に立つ・立志編||rowspan="2"|冨岡淳広||rowspan="2"|村田和也||rowspan="2"|須藤典彦||山田俊也 |- |39||岩ちゃん選挙に立つ・風雲編||松岡秀明 |- |40||ウルド究極ダイエット||横手美智子||古橋一浩||rowspan="2"|小川浩司||佐々木文雄 |- |41||ハッピーバースディ岩ちゃん||北条千夏||笠井賢一||仙北寛 |- |42||ああっ平凡な大学生っ||冨岡淳広||仙北寛||rowspan="3"|須藤典彦||赤尾良太郎 |- |43||こんな事もあるんだねっ||藤田伸三||村田和也||[[田口広一]] |- |44||機関車岩ちゃん||rowspan="2"|田中哲生||rowspan="3"|古橋一浩||赤尾良太郎 |- |45||味噌の壺||小川浩司||高橋英吉 |- |46||DX人生すごろく★衛星編||横手美智子||rowspan="3"|須藤典彦||佐々木文雄 |- |47||きらめきメモリアル||北条千夏||村田和也||松岡秀明 |- |48||これからどうなるのっ||横手美智子||仙北寛||仙北寛 |} ==== 放送局(外伝) ==== {{節スタブ}} {| class="wikitable" style="font-size:small;" |- !放送地域!!放送局!!放送期間!!放送日時!!放送系列 |- |[[全国放送|日本全域]]||[[WOWOW]]||[[1998年]][[4月6日]] - [[1999年]][[3月29日]]|| ||[[日本における衛星放送|BS放送]] |- |[[東京都]]||[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]||[[2007年]][[12月7日]] - [[12月28日]]||金曜 18:30 - 19:00||[[全国独立放送協議会|独立局]] |} === 劇場版 === [[2000年]]10月21日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shochiku.co.jp/cinema/database/04549/ |title=ああっ女神さまっ |publisher=松竹株式会社 |accessdate=2021-04-24}}</ref>、[[松竹]]洋画系で劇場公開された。興行収入は1.5億円<ref>{{Cite journal|和書 |year = 2001|title = 2000年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて |journal = [[キネマ旬報]] |issue = [[2001年]]([[平成]]13年)[[2月]]下旬号 |pages = 150 |publisher = [[キネマ旬報社]]}}</ref>。 同時上映:『[[エクスドライバー#エクスドライバー Clip|エクスドライバー Clip]]』<ref>{{Cite web|和書|author= |url=https://www.lantis.jp/release-item/LACM-4002.html |title=Danger Zone - TVアニメ『エクスドライバーClip』 - JAM Project feat. さかもとえいぞう、遠藤正明,  M Rie,  JAM Project |website=Lantis web site |accessdate=2021-04-24}}</ref> ==== スタッフ(映画) ==== * 監督 - 合田浩章 * 演出 - 別所誠人 * キャラクターデザイン・総作画監督 - 松原秀典 * メカニックデザイン - 村田俊治 * ビジュアルコンセプトデザイン - [[竹内敦志]] * デザインワークス - [[寺岡賢司]] * 脚本 - [[横手美智子]]、富沢義彦 * 絵コンテ - 合田浩章、松原秀典 * 作画監督 - 北島信幸、村田俊治、奥田淳、河野悦隆、高橋しんや、[[恩田尚之]]、[[結城信輝]]、[[村木靖]] * 美術監督 - [[吉原俊一郎]] * 美術設定 - 加藤浩、平澤晃弘 * 色彩設計 - 品地奈々絵 * 撮影監督 - [[白井久男]] * 音楽 - [[浜口史郎]] * 音響監督 - [[岩浪美和]] * タイトル - [[マキ・プロダクション|マキ・プロ]] * 現像 - [[東京現像所]] * プロデューサー - 吉田剛、堀口聖一、渡辺欽哉 * 共同プロデューサー - 広岡茂、福山亮一、山下いづみ、小松賢志、保戸塚哲也、堂下律明、石灘賢、小林敬宜、高橋淳子 * アニメーション制作 - AIC * 製作 - 「ああっ女神さまっ」映画製作委員会(講談社、[[電通]]、[[ポニーキャニオン]]、[[日本出版販売]]、[[セガ・エンタープライゼス]]、[[ムービック]]、[[アニメインターナショナルカンパニー]]、[[松竹]]) ==== 主題歌(映画) ==== ; 「Try To Wish 〜キミに必要なもの〜」 : [[西端さおり]]による主題歌。作詞は高柳恋、作曲は[[植松伸夫]]、編曲は井上日徳による。 ; 「追想〜nostalgia〜」 : ベルダンディーを演じる井上喜久子による挿入歌。作詞は貴三優大、作曲・編曲は浜口史郎による。 ; 「恋のレッスン3」 : 長谷川空を演じる大谷育江による挿入歌。作詞は貴三優大、作曲は植松伸夫、編曲は多田彰文による。 ; 「Coro di dea」 : 三女神を演じる井上喜久子、冬馬由美、久川綾による挿入歌。合田浩章による原詞を山下太郎がラテン語訳したもの。作曲は浜口史郎、コーラスはWarsaw Chorusによる。 === TVシリーズ === ; ああっ女神さまっ(第1期) : 2005年1月より[[地上波]]の[[TBSテレビ|TBS]]と[[北海道放送|HBC]]、[[日本における衛星放送#CSデジタル放送|CSデジタル]]の[[TBSチャンネル]]と[[キッズステーション]]、[[日本における衛星放送#BSデジタル放送|BSデジタル]]の[[BS-TBS|BS-i]]で全24話が順次放送された。また、キッズステーション以外では12話と13話の間に総集編が放送された。この総集編と第2期終了後にSP版としてTBSでのみ放送された第25話・第26話はDVD最終巻に収録されている。 : [[画面アスペクト比]]16:9 で製作されているが、BS-i以外の放送では画面の左右がカットされている。 : ストーリー展開はオリジナル部分もあるものの基本的に原作に沿った内容になっている。原作の1巻から6巻あたりまでがアニメ化された。 : オープニングにはニンジャマスターが登場しているが本編には登場しない(第2期に登場)。 : メインキャラクターの声優はOVA版と同じである。 : 同作は劇場版より5年振り(OVA版からは11年ぶりに)に本作のアニメ作品のメインスタッフが集結した作品である。 ; ああっ女神さまっ それぞれの翼(第2期) : [[2006年]]4月より、TBS・[[毎日放送]](MBS)・BS-iで放送された。番組タイトル副題の『それぞれの翼』は藤島康介の命名による。TVシリーズとしては「アースお助けセンター」のペイオース、大魔界長のヒルドが初めて登場する。 : 後期エンディングにはシーグル、森里桂馬、森里鷹乃が描かれているが本編には登場しない(森里桂馬は第22話にストーリーには直接関わらない形でワンシーンのみ登場する)。 : 第1期同様に画面サイズ16:9 で製作されているが、BS-i以外の放送では画面の左右がカットされている。 ; ああっ女神さまっ 闘う翼(特別編) : 2007年12月8日に『20th Anniversary ああっ女神さまっ 闘う翼』がTBSおよびBS-iで放送。本作品連載開始20周年記念企画と銘打っている。2006年4月から9月までに放送されたTVアニメ第2期『それぞれの翼』のその後の話となっており、同作は2話完結の前後編として綴られている。原作は天使喰らい編。戦闘部の女神・リンドを中心に物話を繰り広げる。天使を喰われたウルド、ペイオース、そしてベルダンディーを救うため、螢一、スクルド、リンドは、魔属のヒルド達と対立する。コミックス第24巻から第26巻のストーリーが描かれた。同作は神属と魔属との戦いを中心としているため、螢一以外の地上界の人物は登場しないが、エンディングの映像にはそれまでの主な登場人物達が描かれている。 ==== スタッフ(TVシリーズ) ==== * 監督 - 合田浩章 * シリーズ構成 - 合田浩章、渡辺陽 * キャラクターデザイン - 松原秀典 * 総作画監督(第1期のみ) - 松原秀典 * メカニックデザイン - 村田峻治(第1期・第2期のみ) * 美術監督 - 加藤浩 * 色彩設計 - 松山愛子 * コンポジットディレクター(撮影監督) - 中島秀剛(第1期・第2期)→加藤友宜(特別編) * 編集 - 右山章太 * 音楽 - [[浜口史郎]] * 音響監督 - [[岩浪美和]] * プロデューサー ** 第1期:高野貴志、上山公一、金庭こず恵、古神子広一、福家日左夫 ** 第2期:高野貴志、上山公一、関戸雄一、古神子広一、福家日左夫 ** 特別編:田中豪、及川陽子、金庭こず恵、寺田千秋 * アニメーション制作 - AIC * 製作協力 - [[バンダイビジュアル]]、講談社、[[ムービック]](第1期・特別編)、[[ジェネオンエンタテインメント]](第2期)、[[メモリーテック]] * 製作 - 「ああっ女神さまっ」製作委員会(第1期)→「お助け女神事務所」分室(第2期)→幻獣研究所(特別編)、TBS ==== 主題歌(TVシリーズ) ==== ; 「[[OPEN YOUR MIND 〜小さな羽根ひろげて〜]]」 : [[石田燿子]]による第1期のオープニングテーマ。作詞は石田燿子、作曲は[[田中公平]]、編曲は[[岸村正実]]・[[浜口史郎]]による。 ; 「[[OPEN YOUR MIND 〜小さな羽根ひろげて〜|願い]]」(第1話 - 第12話、特別編、第24話) : 石田燿子による第1期のエンディングテーマ。作詞は石田燿子、作曲・編曲は[[多田彰文]]による。 ; 「[[WING (高橋洋子の曲)|WING]]」(第13話 - 第23話、第25話、第26話) : [[高橋洋子 (歌手)|高橋洋子]]による第1期のエンディングテーマ。作詞は高橋洋子、作曲・編曲は[[大森俊之]]による。 ; 「[[幸せのいろ]]」 : 石田燿子による第2期のオープニングテーマ。作詞は石田燿子、作曲は田中公平、編曲は[[村瀬恭久]]による。 ; 「[[幸せのいろ|僕らのキセキ]]」(第1話 - 第11話) : 石田燿子による第2期の前期エンディングテーマ。作詞は石田燿子、作曲・編曲は[[多田彰文]]による。 :前期エンディングの映像は漫画のコマ割りを模して描かれている。また、スタッフクレジットとセリフがかぶるため吹き出しにセリフは書き込まれていないが第11話のみ吹き出しにセリフが書き込まれたものが使用されている。 ; 「恋人同士」(第12話 - 第24話) : [[樹海 (音楽ユニット)|樹海]]による第2期の後期エンディングテーマ。作詞はManami Watanabe、作曲はYoshiaki Dewa、編曲はYoshiaki Dewa・Zentaro Watanabeによる。 ; 「愛の星」 : 樹海による特別編のオープニングテーマ。作詞はManami Watanabe、作曲・編曲はYoshiaki Dewaによる。 ; 「ハナムケのメロディー」 : 樹海による特別編のエンディングテーマ。作詞・作曲・編曲はオープニングテーマと同じ。 ==== 各話リスト(TVシリーズ) ==== サブタイトルは「ああっ○○○○っ(?)」で統一されており、TV本放送時は「ああっ」が付されていなかった第1話についても「ああっ」が付いたものに変更されている。下記の各話リストはDVDのサブタイトルに準じている。 ; 第1期 : 第25話はTBSアニメフェスタ2005にて公開、TBSで2006年9月22日放送。第26話はTBSで2006年9月29日放送。特別編はキッズステーション以外で12話と13話の間に放送された総集編。 ; 第2期 : 第23話と第24話はDVDに収録。 {| class="wikitable" style="font-size:small" |- !話数!!サブタイトル!!脚本!!絵コンテ!!演出!!作画監督 |- !colspan="6"|ああっ女神さまっ |- |1||ああっキミは女神さまっ?||colspan="3" style="text-align:center"|[[合田浩章]]||松原秀典、[[坂田理]] |- |2||ああっ信じる者は救われるっ?||rowspan="2"|渡辺陽||[[小寺勝之|こでらかつゆき]]||大下弘||清水裕輔 |- |3||ああっ修行と我が家と女神さまっ||colspan="2" style="text-align:center"|[[野中卓也]]||坂田理 |- |4||ああっ女王さまと女神さまっ||[[花田十輝]]||colspan="2" style="text-align:center"|[[木村隆一]]||猪股雅美、小暮昌広 |- |5||ああっひとつ屋根の下でっ||[[日暮茶坊]]||笹島啓一||[[浅井義之]]||清水裕輔 |- |6||ああっ掘り出し物に恵ありっ?||渡辺陽||colspan="2" style="text-align:center"|遠藤広隆||原修一 |- |7||ああっ想い伝える場所っ||花田十輝||rowspan="2"|こでらかつゆき||仁昌寺義人||河野悦隆 |- |8||ああっ偏差値30からの恋愛受験っ||日暮茶坊||間取澪||北島信幸、小暮昌広 |- |9||ああっ女王さまと女神のヒミツっ||渡辺陽||colspan="2" style="text-align:center"|岩田義彦||菱沼祐樹、坂田理 |- |10||ああっ自動車部は勝てますかっ?||花田十輝||こでらかつゆき||仁昌寺義人||猪股雅美、村田峻治(メカ) |- |11||ああっ悪魔が来たりて災い成すっ?||日暮茶坊||colspan="2" style="text-align:center"|浅井義之||清水裕輔 |- |12||ああっ女神と女王を天秤にかけてっ?||rowspan="2"|渡辺陽||[[ユキヒロマツシタ]]||岩田義彦||日下部智津子 |- |特別編||ああっ女神さまっとの交換日記っ?||-||合田浩章、右山章太||- |- |13||ああっお姉さまっは誰のものっ?||花田十輝||colspan="2" style="text-align:center"|遠藤広隆||原修一 |- |14||ああっ対決という名の教育実習っ?||[[あおしまたかし]]||こでらかつゆき||仁昌寺義人||小暮昌広 |- |15||ああっ女神に心を奪われてっ?||日暮茶坊||colspan="2" style="text-align:center"|木村隆一||菱沼祐樹 |- |16||ああっ災い来たりて茶柱立つっ?||あおしまたかし||colspan="2" style="text-align:center"|浅井義之||村田峻治 |- |17||ああっ才能と努力って何ですかっ?||花田十輝||こでらかつゆき||富田浩章||猪股雅美 |- |18||ああっ運命の告白は月の下でっ?||渡辺陽||[[宮尾佳和]]||遠藤広隆||清水裕輔 |- |19||ああっそんな瞳で見つめないでっ?||日暮茶坊||こでらかつゆき||仁昌寺義人||日下部智津子 |- |20||ああっ女神を救えっオトコならっ?||花田十輝||colspan="2" style="text-align:center"|岩田義彦||村田峻治 |- |21||ああっ憧れは白い翼の天使っ||あおしまたかし||こでらかつゆき||加藤顕||河野悦隆 |- |22||ああっ悪魔のささやきは壺と共にっ?||日暮茶坊||colspan="2" style="text-align:center"|浅井義之||原修一、小暮昌広 |- |23||ああっ救世主は笛の音と共にっ?||rowspan="2"|渡辺陽||colspan="2" style="text-align:center"|遠藤広隆||猪股雅美、菱沼祐樹 |- |24||ああっいつもキミと共にっ||宮尾佳和||[[いまざきいつき|楳図薫]]、仁昌寺義人、合田浩章||村田峻治 |- |25||ああっウルドの小さな恋物語っ||あおしまたかし||こでらかつゆき||[[あおきえい]]||日下部智津子 |- |26||ああっドキドキって大人の味っ?||花田十輝||colspan="2" style="text-align:center"|ほしかわたかふみ||猪股雅美 |- !colspan="6"|ああっ女神さまっ それぞれの翼 |- |1||ああっ願いよ もう一度っ||合田浩章、渡辺陽||colspan="2" style="text-align:center"|合田浩章||松原秀典 |- |2||ああっ悩める復讐の女王さまっ||あおしまたかし||colspan="2" style="text-align:center"|岩田義彦||猪股雅美 |- |3||ああっ聖夜に捧げるこの想いっ!||渡辺陽||rowspan="4"|こでらかつゆき||山内東生雄||清水裕輔 |- |4||ああっ世界を幸で満たしたいっ||あおしまたかし||[[瀬藤健嗣]]||小暮昌広 |- |5||ああっ惹かれあう恋の波長っ||日暮茶坊||浅井義之||村田峻治 |- |6||ああっそれって嫉妬(ジェラシー)っ!?||あおしまたかし||仁昌寺義人||猪股雅美 |- |7||ああっ貴方の望み叶えますわっ||渡辺陽||宮尾佳和||唐戸光博||松原秀典 |- |8||ああっあなたの役に立ちたくてっ||あおしまたかし||colspan="2" style="text-align:center"|岩田義彦||小暮昌広 |- |9||ああっ女神はデートで勝負っ||[[上江洲誠]]||rowspan="2"|こでらかつゆき||木村隆一||清水裕輔 |- |10||ああっそのひとことが言えなくてっ||渡辺陽||仁昌寺義人||村田峻治 |- |11||ああっその手で夢をつかまえてっ||花田十輝||colspan="2" style="text-align:center"|瀬藤健嗣||猪股雅美、村田峻治(メカ) |- |12||ああっ女神の涙と彼の夢っ||上江洲誠||colspan="2" style="text-align:center"|浅井義之||村田峻治 |- |13||ああっ目覚めてっ! その気持ちっ||rowspan="2"|花田十輝||colspan="2" style="text-align:center"|木村隆一||小暮昌広 |- |14||ああっ愛しき私のキューピッドっ||colspan="2" style="text-align:center"|ほしかわたかふみ||奥田淳 |- |15||ああっ女神と悪魔の私っ?||rowspan="2"|渡辺陽||colspan="2" style="text-align:center"|岩田義彦||清水裕輔 |- |16||ああっ闇を恐れず輝いてっ||宮尾佳和||遠藤広隆||猪股雅美 |- |17||ああっ大魔界長さまっ降臨っ||あおしまたかし||rowspan="2"|こでらかつゆき||瀬藤健嗣||村田峻治 |- |18||ああっ魔属の威信はありますかっ?||花田十輝||仁昌寺義人||[[Shuzilow.HA]] |- |19||ああっ女神の愛はシノビを救うっ||上江洲誠||colspan="2" style="text-align:center"|浅井義之||小暮昌広 |- |20||ああっどんな場所でも二人ならっ||渡辺陽||colspan="2" style="text-align:center"|岩田義彦||村田峻治 |- |21||ああっ私が魔属でもいいですかっ?||上江洲誠||colspan="2" style="text-align:center"|遠藤広隆||清水裕輔 |- |22||ああっ女神の告白っ||花田十輝||木村隆一||合田浩章||猪股雅美 |- |23||ああっそれぞれの運命っ||あおしまたかし||colspan="2" style="text-align:center"|瀬藤健嗣||松原秀典、合田浩章、猪股雅美 |- |24||ああっ好きは心を揺さぶる歌っ||渡辺陽||colspan="3" style="text-align:center"|合田浩章 |- !colspan="6"|ああっ女神さまっ 闘う翼 |- |1||ああっ片翼の天使降臨っ||rowspan="2"|渡辺陽||rowspan="2" colspan="2" style="text-align:center"|合田浩章||猪股雅美 |- |2||ああっ悦びを二人で共にっ||原修一、大杉尚広 |} ==== 放送局(TVシリーズ) ==== {| class="wikitable" style="font-size:small;" |- !放送局!!放送期間!!放送日時!!放送系列!!備考 |- !colspan="5"|第1期 |- |[[TBSテレビ|東京放送]]||[[2005年]][[1月6日]] - [[7月7日]]||金曜 1:55 - 2:25(木曜深夜)||[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]||'''製作局''' |- |[[TBSチャンネル]]||2005年[[1月12日]] - [[7月13日]]||木曜 21:30 - 22:00||[[日本における衛星放送|CS放送]]|| |- |[[北海道放送]]||2005年[[1月16日]] - [[3月27日]]<br />2005年[[4月2日]] - [[7月9日]]||日曜 6:00 - 6:30<br />土曜 6:00 - 6:30||TBS系列|| |- |[[キッズステーション]]||2005年[[4月12日]] - [[9月20日]]||水曜 0:00 - 0:30(火曜深夜)||CS放送||リピート放送あり |- |[[BS-TBS|BS-i]]||2005年[[10月13日]] - 2006年[[4月13日]]||金曜 0:30 - 1:00(木曜深夜)||TBS系列<br />[[日本における衛星放送#BSデジタル放送|BS放送]]||16:9放送 |- !colspan="5"|第2期 |- |東京放送||[[2006年]][[4月6日]] - [[9月14日]]||金曜 1:55 - 2:25(木曜深夜)||rowspan="2"|TBS系列||8月17日・24日は休止 |- |[[毎日放送]]||2006年[[4月22日]] - [[9月30日]]||日曜 2:25 - 2:55(土曜深夜)||[[アニメシャワー]] 第2部 |- |BS-i||2006年[[4月27日]] - [[9月28日]]||金曜 1:00 - 1:30(木曜深夜)||TBS系列<br />BS放送||16:9放送 |- !colspan="5"|特別編 |- |[[TBSテレビ|東京放送]]||[[2007年]][[12月8日]]||日曜 3:40 - 4:40(土曜深夜)||[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]||'''製作局'''<br>[[広域放送|関東広域圏]] |- |[[BS-TBS|BS-i]]||2007年[[12月13日]]・[[12月20日]]||金曜 1:30 - 2:00(木曜深夜)||TBS系列<br />[[日本における衛星放送#BSデジタル放送|BS放送]]||[[全国放送|日本全域]] |} {{前後番組 |放送局=[[TBSテレビ|TBS]] |放送枠=[[TBSテレビの深夜アニメ枠|金曜 1:55 - 2:25(木曜深夜)]] |前番組=[[ローゼンメイデン]] |次番組=[[苺ましまろ]] |2放送局= |2放送枠= |2番組名=ああっ女神さまっ<br />それぞれの翼 |2前番組=[[アニアニランド]]<br />([[びんちょうタン]]/[[REC (漫画)|REC]]) |2次番組=[[あさっての方向。]] }} === 講談社OAD === 講談社限定版企画として、2011年2月23日発売のコミックス第42巻限定版および、2011年9月22日発売のコミックス第43巻限定版、2013年8月23日発売コミックス第46巻限定版同梱のOVA作品。原作にない完全オリジナルストーリー。 ==== ストーリー(OAD) ==== ; ああっ女神さまっ いつも二人で : 以前2人で行った思い出の遊園地「富津遊園地」が閉園となるため、最終日にその遊園地に訪れることにした螢一とベルダンディー。デートに浮かれるベルダンディーは無意識に幸福エネルギーを振りまいてしまう。遊園地の遊具達を労いつつ楽しむ2人だが、その幸福エネルギーの異常放出の裏にはヒルドの計画があった。 ; ああっ女神さまっ ハンターズ&ハンターズ : 突如他力本願寺に押しかけてきた双子の新米女神、エイルとサーガは、ベルダンディーにシオヒ狩り大会での勝負を挑んできた。潮干狩りだと思っていた螢一は軽い気持ちで協力を申し出るが、シオヒとはモンスターのような姿に実体化させたユグドラシルシステムのバグのことだった。 ; ああっ女神さまっ DIVE! LIVE! LOVE! : お助け女神事務所に就任したエイルとサーガにとって地上界に住む者の願いをかなえる初めての電話を受けたが、若い2人では対応しきれず、ベルダンディーに助けを求め、ベルダンディーがある男子高校生の恋の願いをかなえることになる。しかし、螢一と考えた作戦はなかなか実を結ばず遂にはウルドやスクルドも巻き込んでバンドを組むことになる。 ==== スタッフ(OAD) ==== * 監督 - 合田浩章 * 脚本 - [[待田堂子]] * キャラクターデザイン - 松原秀典 * ゲストキャラクターデザイン - 猪股雅美(3) * 美術監督 - 宮本実生 * 色彩監督 - 松山愛子 * 撮影監督 - 荻原猛夫 * 編集 - 右山章太 * 音楽 - 浜口史郎 * 音響監督 - 岩浪美和 * プロデューサー - 角谷謙二、鈴木直之、槙本裕紀(1)、山中玲奈(2、3)、高橋正敏(3)、 * アニメーション制作 - AIC * アニメーション制作協力 - [[アナザープッシュピン・プランニング|APPP]] * 製作 - [[講談社]]、[[バンダイビジュアル]] ==== 主題歌(OAD) ==== ; 「everlasting」 : [[fripSide]]による主題歌。作詞は[[八木沼悟志|Satoshi Yaginuma]]・yuki-ka、作曲・編曲はSatoshi Yaginumaによる。 ; 「THIS LOVE」 : ベルダンディーを演じる[[井上喜久子]]による挿入歌。作詞・作曲は[[イイジマケン]]、編曲はイイジマケン・[[浜田ピエール裕介]]による。 : CDではベルダンディーmixの他、三女神mix、ウルドmix、スクルドmixも収録。 ==== 各巻リスト(OAD) ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" |- !収録巻数!!話数!!タイトル!!脚本!!絵コンテ!!演出!!総作画監督!!作画監督 |- |第42巻||第1話||いつも二人で||rowspan="3"|[[待田堂子]]||[[小寺勝之]]||木村隆一||||石井ゆみこ、野道佳代 |- |第43巻||第2話||ハンターズ&ハンターズ||島津裕行||rowspan="2"|合田浩章||rowspan="2"|猪股雅美||立川聖治、諸石美雪 |- |第46巻||第3話||DIVE! LIVE! LOVE!||合田浩章||立川聖治、鈴木勇、諸石美雪 |} ==== WEBラジオ(OAD) ==== ;『井上喜久子のああっ女神さまっRADIO』 : 公式ウェブサイトおよび[[ニコニコ動画]]で配信されたOVA販促のインターネットラジオ。パーソナリティーは井上喜久子、アシスタントは[[ささきのぞみ]]<ref name="nicovideo_sm12849617">{{Cite web|和書|author= |url=https://www.nicovideo.jp/watch/sm12849617 |title=井上喜久子のああっ女神さまっRADIO! 第0回 |website=ニコニコ動画 |date=2010-11-25 |accessdate=2021-04-24}}</ref>。 : 2010年11月25日第0回配信<ref name="nicovideo_sm12849617" />。2010年12月10日第1回配信、ゲストは久川綾。2010年12月24日第2回配信、ゲストは冬馬由美。2011年1月10日第3回配信。2011年1月24日第4回配信。2011年2月10日第5回配信。2011年2月25日第6回最終回配信。 == ドラマCD == * [アルバム]ああっ女神さまっ(1991年3月13日発売、MECH-30005)※[[徳間ジャパンコミュニケーションズ|メルダック]]版イメージドラマCD。アニメ化以前の企画であり、このCDのみメインキャラクターを演じる声優が異なる。 ** ベルダンディー - [[日髙のり子|日高のり子]] ** 森里螢一 - [[山口勝平]] ** ウルド - [[松井菜桜子]] ** 恵 - [[横山智佐]] ** 田宮 - [[塩屋浩三]] ** ナレーション - [[堀内賢雄]] === スタッフ(ドラマCD) === * サウンドプロデューサー - 長岡成貢 === 収録内容 === # 鏡をぬけて(歌:山口勝平/作詞:谷亜ヒロコ/作曲・編曲:長岡成貢) # ドラマPart1 # キャンパス・アイドルは女神さま # ドラマPart2 # 突っ走る自動車部 # ドラマPart3 # ま〜〜〜かせなさ〜〜〜いっっっ(歌:松井菜桜子/作詞:谷亜ヒロコ/セリフ:藤島康介/作曲:杉村雅祥/編曲:長岡成貢) # ドラマPart4 # ラッキー・スターはどこに? # ドラマPart5 # 精霊たちよ # ドラマPart6 # 女神さまのいる町 # ドラマPart7 # いつまでもここにいます(歌:日高のり子/作詞:谷亜ヒロコ/作曲:杉村雅祥/編曲:長岡成貢) # ドラマPart8 # AH! MY GODDESS(歌:日高のり子、松井菜桜子、横山智佐/作詞:谷亜ヒロコ/作曲・編曲:長岡成貢) == ゲーム == === ビデオゲーム === {{Infobox animanga/Header | タイトル = ああっ女神さまっ | 画像 = | サイズ = | 説明 = }} {{Infobox animanga/Game | ゲームジャンル = [[アドベンチャーゲーム]] | 対応機種 = [[PC-9800シリーズ|PC98シリーズ]]、Windows 95、[[PC-FX]] | 開発元 = AIC・[[スタジオオルフェ]] | 発売元 = [[バンプレスト]] | プロデューサー = | ディレクター = | シナリオ = [[千葉智宏]]、[[黒田洋介]] | 発売日 = 1993年3月20日(PC98シリーズ対応版)<br>1997年12月12日(PC-FX移植版) | その他 = }} {{Infobox animanga/Game | タイトル = クイズ ああっ女神さまっ 〜闘う翼とともに〜 | ゲームジャンル = [[クイズゲーム]] | 対応機種 = [[アーケードゲーム機]]、[[ドリームキャスト]] | 開発・発売元 = [[セガ・エンタープライゼス|セガ]] | プロデューサー = | ディレクター = | シナリオ = | 発売日 = 2000年11月30日(ドリームキャスト移植版) | 稼動時期 = 2000年6月 - | その他 = }} {{Infobox animanga/Game | ゲームジャンル = 3D[[アクションゲーム|アクション]]・アドベンチャーゲーム | 対応機種 = [[PlayStation 2]] | 開発元 = | 発売元 = [[マーベラスインタラクティブ]] | 開発・発売元 = | プロデューサー = おぐらたけし | ディレクター = 高田久靖 | シナリオ = | 発売日 = 2007年2月22日 | その他 = }} {{Infobox animanga/Footer |ウィキプロジェクト = [[プロジェクト:コンピュータゲーム|コンピュータゲーム]] |ウィキポータル = [[Portal:コンピュータゲーム|コンピュータゲーム]] }} * ああっ女神さまっ ** AIC・[[スタジオオルフェ]]製作の[[PC-9800シリーズ|PC98シリーズ]]対応アドベンチャーゲーム。1993年3月20日[[バンプレスト]]より発売。スタッフには[[千葉智宏]]、[[黒田洋介]](共にシナリオ)、[[倉田英之]](マニュアル作成)などが参加。その後、Windows 95専用ソフトとしても発売された<ref name="PCWatch19970318">{{Cite web|和書|title=パソコンソフト売れ筋ランキング|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/970318/ranksoft.htm|website=PC Watch|publisher=インプレス|accessdate=2021-09-05|date=1997-03-18}}</ref>(ボイスも一部追加となっており、キャストはOVA版と同じ)。Windows 95版は、インプレスのPC Watchのパソコン用ゲームソフト売れ筋ランキング(調査期間:1997年2月1日~2月28日 調査協力:ソフマップ)で1位を獲得した{{R|PCWatch19970318}}。 ** 1997年12月12日に[[PC-FX]]移植版発売。OVAのキャストによる音声が追加された。このうち森里螢一はセリフの無いプレイヤーキャラのため、音声は収録されていない。 * クイズ ああっ女神さまっ 〜闘う翼とともに〜 ** [[セガ・エンタープライゼス|セガ]]製作の業務用[[クイズゲーム]]。2000年6月稼動開始。開発はワウ・エンターテイメント。原作のイメージと変わることのない姿で3Dグラフィックスとなり、藤島康介描き下ろしの新キャラクターが追加されている。ゲームストーリーは猫実工に突然出現した謎の結界を、ベルダンディーたち女神さまと協力しあって取り払っていくというもの。クイズは四択の早押し形式で、設問は様々なジャンルから約5000問が用意されている。<ref>{{Cite book|title=アーケードLOGIN Vol.1|date=2000年6月1日|year=2000|publisher=株式会社エンターブレイン|page=144}}</ref> ** セガより[[ドリームキャスト]]移植版が2000年11月30日に発売。問題総数は6000問に増量。イベントはフルボイス化され、新しいイベントが追加された。シナリオは藤島康介が監修している<ref>{{Cite book|和書 |title=[[電撃王]] 通巻116号 |date=2000年12月1日 |year=2000 |publisher=[[メディアワークス]] |page=89}}</ref>。 * ああっ女神さまっ ** [[マーベラスインタラクティブ]]より[[PlayStation 2]]対応3Dアクション・アドベンチャーゲームとして2007年2月22日発売。 * その他[[PCエンジン]](メサイヤ)や[[スーパーファミコン]](KSS)でも発売予定の作品があったが、長年に渡り発売延期を繰り返し、結局製作中止となった。特にスーパーファミコン版は『[[ファミ通]]』などの新作発売予定表リストに、この作品だけが発売未定のまま載り続けていたため、一時期発売延期ソフトの代名詞になっていた<ref>{{Cite web|和書|author中田ボンベ@dcp= |date=2014.07.15 |url=https://woman.mynavi.jp/article/140715-23/ |title=懐かしさと悔しさと……結局発売されなかった幻のゲームたち―『ああっ女神さまっ』『ルーンマスター』 |work=マイナビウーマン |publisher=株式会社マイナビ |accessdate=2020-03-25}}</ref>。 === モバイルゲーム === *ああっ女神さまっ パズル **講談社モバイルコンテンツで会員が利用可能のモバイルゲーム<ref>{{Cite news |和書|date=2004-06-18 |url=https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0406/18/news078.html |title=「ああっ女神さまっ」のパズルゲームをボーダフォンで配信 |newspaper=[[ITmedia]] |accessdate=2020-03-25}}</ref>。キャラクターはベルダンディのみ。 === カードゲーム === *ああっ女神さまっカードゲーム〜星に願いを〜 **[[ムービック]]より発売。 *ああっ女神さまwith[[逮捕しちゃうぞ]]TCG **[[アッパーデックジャパン]]より第1弾が2009年3月27日に発売<ref name="natalie_14678">{{Cite news |和書|title=女神さまと逮捕しちゃうぞがトレーディングカードゲームに |newspaper=コミックナタリー |date=2009-03-24 |url=https://natalie.mu/comic/news/14678 |accessdate=2021-04-24}}</ref>、第2弾が2009年7月30日に発売。カードに使われるイラストは、すべて藤島が手がけ、新規の描き下ろしイラストもあった<ref name="natalie_14678" />。『[[逮捕しちゃうぞ]]』との混合の[[トレーディングカードゲーム]]。 == パチンコ・パチスロ == *'''パチンコ''' - CRああっ女神さまっ(2011年、[[サンセイアールアンドディ|Sansei R&D]]) *'''パチスロ''' - パチスロああっ女神さまっ(2015年、[[大一商会|ディ・ライト]]) == プラモデル == ; 九州J7W1 十八試 局地戦闘機「[[震電]]」 : 1/72スケール、[[ハセガワ|(株)長谷川製作所]] [[1996年]]発売。Chapt.24「空飛ぶ自動車部」話中で、猫実工大敷地内の地中から発掘され、自動車部の手で大空を飛行する幻のインターセプター(邀撃機)、海軍十八試 局地戦闘機「震電」のスケールモデルである。『ああっ女神さまっ』第4巻単行本カバー絵がそのままボックスアートとなっており、作中登場デザインのデカールも付属、講談社の版権証紙も貼られた、極めて趣味的{{要出典|date=2020年9月}}なキャラクター商品である。 : カラーリングは原作の掲載当時、[[F1グランプリ]]で活躍していた[[ティレル・019]]のそれに準じているが、作中でははっきりと読み取ることのできない「[[日本信販]]」のスポンサーロゴが同商品に付属のデカールでははっきりと判読できる。 : このスポンサーロゴと猫実工大自動車部(NITMCC)ロゴのみ、1/48・1/32スケール用のものがおまけとしてデカールに印刷されていたが、後に1/48スケールでも同仕様のキットが発売された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hasegawa-model.co.jp/product/sp419/ |title=「ああっ女神さまっ」 九州 J7W1 十八試 局地戦闘機 震電 |accessdate=2021-03-14 |publisher=株式会社ハセガワ}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|colwidth=30em}} == 関連項目 == * [[北欧神話]] * [[ノルン|ノルン三姉妹]] - [[ウルド]]、[[ヴェルダンディ]]、[[スクルド]] * [[ユグドラシル]] * [[プラトニック・ラブ]] * [[佐々木貴賀]]{{Smaller| - 元[[北海道日本ハムファイターズ]]の投手で、広報誌に自筆のベルダンディーのイラストを掲載したことから「ベルダンディー佐々木」という通称がある。}} == 外部リンク == * [https://afternoon.kodansha.co.jp/c/ahmegamisama.html ああっ女神さまっ / 藤島康介 - アフタヌーン公式サイト - モアイ] * [https://www.tbs.co.jp/megamisama/megami1/ TBSアニメーション「ああっ女神さまっ」第1期 公式HP] * [https://www.tbs.co.jp/megamisama/megami2/ TBSアニメーション「ああっ女神さまっ」第2期 公式HP] * [https://www.tbs.co.jp/megamisama/ TBSアニメーション「ああっ女神さまっ闘う翼」公式HP] * {{Wayback |url=http://www.anime-int.com/works/goddess/movie/ |title=ああっ女神さまっ 劇場版(AIC - 作品紹介ページ) |date=20130630003254}} * {{Wayback |url=http://www.shochiku.co.jp/cinema/megamisama/ |title=ああっ女神さまっ 劇場版(松竹) |date=20001109163200}} * [http://kc.kodansha.co.jp/megamisama/ アニメDVD付き「ああっ女神さまっ」限定版公式サイト] * [https://www.marv.jp/special/game/ps2/megami/limit/limit.html PS2版ゲーム「ああっ女神さまっ」公式HP] {{ああっ女神さまっ}} {{講談社漫画賞一般部門|第33回}} {{合田浩章監督作品}} {{AIC}} {{OLM}} {{TBSテレビの深夜アニメ枠}} {{WOWOWアニメ}} {{Navboxes |title= オリコン週間チャート第1位 |titlestyle= background-color:#CEE6C1 |list1= {{オリコン週間コミックチャート第1位 1997年|1997年5月12日付}} {{オリコン週間コミックチャート第1位 1998年|1998年10月12日・12月18日付}} {{オリコン週間コミックチャート第1位 1999年|1999年10月11日・12月13日付}} }} {{リダイレクトの所属カテゴリ |header=この記事は以下のカテゴリでも参照できます |redirect1=ああっ女神さまっ 小っちゃいって事は便利だねっ |1-1=1998年のテレビアニメ |1-2=WOWOWアニメ |1-3=OLMのアニメ作品 |1-4=米村正二のシナリオ作品 |redirect2=ああっ女神さまっ それぞれの翼 |2-1=2006年のテレビアニメ |2-2=NBCユニバーサル・ジャパンのアニメ作品 |redirect3=ああっ女神さまっ 闘う翼 |3-1=2007年のテレビアニメ |redirect4=ああっ就活の女神さまっ |4-1=2019年の漫画 |4-2=就職活動 }} {{デフォルトソート:ああつめかみさまつ}} [[Category:ああっ女神さまっ|*]] [[Category:藤島康介の漫画作品]] [[Category:漫画作品 あ|あつめかみさまつ]] [[Category:1988年の漫画]] [[Category:月刊アフタヌーン]] [[Category:ファンタジー漫画]] [[Category:神話を題材とした漫画作品]] [[Category:北欧神話を題材とした作品]] [[Category:大学を舞台とした漫画作品]] [[Category:千葉県を舞台とした漫画作品]] [[Category:兄弟姉妹を題材とした作品]] [[Category:ボーイ・ミーツ・ガール作品]] [[Category:講談社漫画賞一般部門・総合部門の受賞作品]] [[Category:アニメ作品 あ|あつめかみさまつ]] [[Category:1993年のOVA]] [[Category:2011年のOVA]] [[Category:2005年のテレビアニメ]] [[Category:TBSの深夜アニメ]] [[Category:2000年のアニメ映画]] [[Category:日本のテレビアニメの劇場版]] [[Category:松竹のアニメ映画]] [[Category:浜口史郎の作曲映画]] [[Category:AIC]] [[Category:ポニーキャニオンのアニメ作品]] [[Category:バンダイビジュアルのアニメ作品]] [[Category:メモリーテックのアニメ作品]] [[Category:ムービックのアニメ作品]] [[Category:電通のアニメ作品]] [[Category:アフタヌーンKCのアニメ作品]] [[Category:ファンタジーアニメ]] [[Category:大学を舞台としたアニメ作品]] [[Category:2006年の小説]] [[Category:1993年のコンピュータゲーム]] [[Category:2000年のコンピュータゲーム]] [[Category:2007年のコンピュータゲーム]] [[Category:PC-9800シリーズ用ゲームソフト]] [[Category:PC-FX用ソフト]] [[Category:アーケードゲーム作品]] [[Category:ドリームキャスト用ソフト]] [[Category:PlayStation 2用ソフト]] [[Category:マーベラスのゲームソフト]] [[Category:ファンタジーコンピュータゲーム]] [[Category:ドラマCD]]
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西原理恵子
西原 理恵子(さいばら りえこ、1964年11月1日 - )は、日本の漫画家。一般財団法人高須克弥記念財団理事長。 高知県高知市出身。1988年『ちくろ幼稚園』でデビュー。前夫はカメラマンの鴨志田穣、パートナーは高須クリニック創業者で東京院院長の高須克弥(事実婚)。代表作は『ぼくんち』、『毎日かあさん』など多数。 1964年(昭和39年)11月1日高知県高知市浦戸という漁師町出身。実父は入退院を繰り返すほどのアルコール依存症であり、母親は理恵子の妊娠中に離婚した。母親は理恵子の兄を連れて実家に帰り、そこで出産・育児をしている。そのため、理恵子が3歳の時に1度も会わないまま、実父はドブに転落して死亡した。浦戸に6歳まで住んでいた。 6歳の時に母が再婚し、義父となる宏と同居を始める。相手は無類のギャンブル好きで何十種類もの仕事を転々とし、バクチと妻以外の女に入れ込むが、理恵子を我が子のように可愛がっていた。しかし、義父は一週間に一度くらいしか家に帰ってこない上に、理恵子の母親のお金にまで手を出す人物であり、家計は火の車で怒鳴り声が絶えず飛び交う家庭であった。義父は何度も職を変え、家庭は経済的にも浮き沈みの激しい生活を送った。 理恵子は義父について、「お前は人と違う人生を行くぞ」と自信の持てない少女を肯定してくれた特別な存在であり、義父の影響で漫画家を目指したと述べている。ただし、住んでいた高知県の工業地帯では、どこの家庭も切り詰めた生活によるストレスで、日常的な両親の喧嘩や家庭内暴力が蔓延していたために、絶望していた時期があった。 私立土佐女子高等学校在学中に既に1度、未成年ディスコと煙草で一週間の停学処分を受けていたが、高校3年時にスナックでの集団未成年飲酒によって退学処分を受ける。2度目なら「無期停学やな」ぐらいに思っていたら、「辞めてくれ。強制退学。とにかく自主退学届けを出してくれ」と言われ、納得がいかず、処分への不服を申し立て、学校側を訴える。理恵子の母親の財産で起業したタクシー会社経営が上手くいっていた時期であり、羽振りが良かった義父は、大人で唯一理恵子の言い分を信じ、「どうしても納得がいかないなら、裁判して闘ってみろ。オレは理恵子のことをいちばんよく知ってる。ずっと信じてるから」と資金提供と弁護士を紹介してくれた。理恵子は義父は心強い支援となったと述べている。その事件を取材に来たフリーライターの保坂展人(青生舎。のち社民党衆院議員を経て2011年より世田谷区長)と知り合う。 保坂らが運営していた青生舎で1983年3月から学校解放新聞を発行しており、創刊号に西原理恵子のイラストが掲載されている。 理恵子は勉強も出来なかったため、母親に叱られて育っている。義父は普段帰ってこないために食事中は母親のグチが絶えず、「あんたたちがいるから離婚しないんだよ」と言っていた。地元はどこを見ても父親が妻を殴っていて、大人が子どもをぶん殴っていた。女の子は16歳ぐらいで妊娠、18歳頃に別の男に変えてまた妊娠といういうのが普通であった。貧乏人、離婚だらけ、養育費も貰っていない女性ばかりで、手本になる女性や憧れるような女性はおらず、子どもながらに「立派な女性」はテレビに出ている芸能人みたいな夢の存在であった。高知にいたら立派な女性に会えないので、「ここじゃないどこかに行きたい」と考えていた。彼女らの交際・結婚していた男性は差し押さえる財産もなく、借金だらけであり、子供を本気で殴るケースがありふれていた。西原自身も上京前の高知にいた頃は、シンナーを吸っているような男と平気で付き合っていたことを明かしている。そして、上京して仕事が上手くいき出してから、「約束を守る」「貯金がある」といった、人として当たり前のタイプの男性を初めて体験し、知り合うようになったと明かしている。 高校中退後は上京し、大検に合格し、美大受験を志した。理恵子が19歳で美大受験の前日に、ギャンブルで莫大な借金を作った義父が縊死を遂げる。義父の首吊り自殺に驚いて高知に戻ると、自殺する前日の義父にボコボコに殴られて顔を腫らして、頭も髪も血まみれの母の姿があった。義父にボコボコにされた理由は、借金で首が回らなくなっているのにギャンブルでの再起資金とするために、母がかつて3軒あった持ち家のうちの唯一残っていた1軒までもを売れと迫ったが、「あれは子供たちにあげるための土地と家だから、絶対に売らない」として決して同意しなかったからであった。義父にボコボコにされた顔のままで、西原の母は夫の葬儀の喪主を務めた。 葬儀の日に家に債権者たちが押し寄せ、頭を彼らに下げ続ける母の姿を見て、理恵子は大学進学を内心諦める。しかし、母が死守した全財産140万円のうち、「これで東京に行きなさい」と100万円の資金提供してくれたことで、東京の美大受験のための予備校である立川美術学院へ進学。当時を振り返り、希望や夢があったから今のようになれた訳でなく、「田舎に戻らないですむために自分で稼ごう、稼げれば殴られずに済むはずだという一心だった」と述べている。 再上京後は、美大受験のための予備校である立川美術学院に通い出した。しかし、最初の課題でクラス最下位であり、予備校で最下位で美大に受かるはずはないと自覚させられる。帰る場所は無いため、アルバイトで生計を立てる傍ら、何十社もの出版社へイラストを出すなど営業を行っていた。 絵で食べていく方法を模索する中で、予備校時代にアダルト本のカットを描き始める。予備校入学の1年後、絶対に無理だと思っていた武蔵野美術大学(ムサビ)造形学部視覚伝達デザイン学科に合格し入学する。他の美大生との才能の差に愕然とし、上記のような持ち込み営業に励み、最終的にエロ本業界に救われる。 エロ本業界では、珍しい美術大学の女子大生であったためか、寵愛を受けた。そして、絵の才能はさほどながらもこの世界で生きていくための差別化の重要性を学ぶ。作家の文章に、絵はおまけ程度で文字だらけのツッコミを入れるスタイルを確立し、編集者やライターから「君はカットマンの才能があるよ」と褒められていた。そして、武蔵野美術大学3年時には月収30万円超えの収入となっている。 西原は飲食店での皿洗いなどのアルバイト経験を持っている。武蔵野美術大学在学中、エロ本業界に入る以前、直近では歌舞伎町のミニスカパブでホステスのアルバイトをしながら描き続けていた。この時期の西原は、歌舞伎町のミニスカパブから満員の最終電車で、酔っぱらいながら無職のヒモ男を養っている東村山のボロボロのアパートに帰っていた。この上京後最初の家である東村山のアパートは、「隣室のおならの音が聞こえる」「怒鳴り声が昼夜かまわず響いていた」ほど壁の薄い家賃3万円程度の賃貸アパートであった。ヒモ男は貯金も無い無職な上に、炊事も掃除も洗濯もしないのに猫を拾ってくるような男であったため、猫の医療費の7万円を含めた猫の世話代も全て西原が支払っている。エロ本業界と出会って稼げるようになるまでは、料金未払いで電気や水道が止められる直前に、西原が新聞やチラシに掲載されていた日払いアルバイトを行って何とか生計を立てていた。ヒモ男について、「明日は電気が止まるのに、日銭を稼ぐこともできない男でしたから。」と語っている。2017年に「タイムマシンがあったらあの頃に戻って、無職の男の横でへらへらしてる自分をぶん殴ってやりたい」と振り返っている。 その後、西原が目標としていた「絵の仕事だけで月収30万以上」稼げるようになったことが転機となり、「あんな男でもいないと寂しいと思っていたのが、新しい部屋に引っ越すぞと決めた途端にパッと目が覚めました。」とボロアパートからの引っ越しと共に無職のヒモ男との離別に成功している。当時の心境について、「それまでずっとできなかった断捨離ならぬ『男』捨離に踏み切れたのは、えいっと別れられるお金が貯まっていたから」「月30万円あれば、20万円で生活して10万円ずつ蓄えに回せます。着実に暮らしていける。お金を稼ぐことは自由を得ることなんだと、家を出たとき実感しました」と語っている。男捨離後の引っ越し先に「家賃が10万円を超える物件」であり、違いについて大家さんが劇的に優しいことを挙げており、「移った先では大家さんの方から『長く住んでね~』『ここ修繕しておいたよ』って。家賃が2倍以上になるとこんなに違うのかと驚きました」と思ったと語っている。 エロ本業界で働く中で成人雑誌のカットが小学館の編集者八巻和弘の目に留まり、1988年の大学3年時『ちくろ幼稚園』(『ヤングサンデー』)で漫画家デビューする。大学4年時にはさまざまな連載を持っていた。そのため、この業界で生きていくための道筋が見えてきたとして、自主退学予定であったが、「それだけはやめて。授業料はしっかり払う。これ以上、私を悲しませないで」と泣きつく母の猛反対への根負けで退学を思いとどまり、1989年3月大学卒業。 大学卒業後、パチンコ雑誌、麻雀漫画誌、漫画週刊誌などに連載を持つ。ギャンブル雑誌のギャンブル漫画を描くためギャンブルに手を出し、ギャンブル依存症になってしまい、パチンコや高レートの麻雀に熱中する日々が続く。結果、漫画家デビューから10年間で損失金額は約5000万円となる。ギャンブルライター山崎一夫や某広告代理店ぱっぽん堂のMらとのギャンブル生活を綴った無頼派麻雀漫画である『まあじゃんほうろうき』は竹書房の『近代麻雀ゴールド』に1989年2月号から1994年6月号まで連載された。 1992年には『週刊朝日』誌上に神足裕司とタッグを組み連載した、ミシュランのグルメガイドにも取り上げられるような高級レストランへマイナス評価をつけるグルメレポ漫画『恨ミシュラン』を発表。全106回で1994年まで約2年間連載。後に単行本・文庫本化されている。 1996年に企画された旅行体験ルポ漫画『鳥頭紀行』のアマゾン取材旅行で、カメラマンとして同行したフォトジャーナリスト鴨志田穣と結婚し、2人の子をもうける。しかし長男の妊娠後から、鴨志田は毎晩暴言や暴力をするようになった。そして、鴨志田も実父と同じくアルコール依存症となった上、さらに西原への精神的DVもあった。1997年から離婚を考えるようになったが、最終的に離婚まで6年かかった理由について「素人判断と素人の介入が、うちみたいにこじれて、6年もさまようことになるんです。暴力も病気も、専門家が介入しなきゃいけない。」と述べている。 1997年に幼少期の高知の漁村経験をモチーフに、男女の愛憎や貧困問題を叙情的に描いたフィクション『ぼくんち』が第43回文藝春秋漫画賞を受賞。以後の西原は青年漫画誌界の人気漫画家の地位に一気に上り詰めた。 2001年に渋谷PARCOにて初の展示会『西原理恵子 大ブレークへの道』を開催。 2002年に『毎日新聞』で西原夫婦と2人の子供の日常をエッセイ風に描写した『毎日かあさん』を連載開始し、女性ファンが急増した。この作品では、鴨志田のアルコール依存症、離婚、復縁、闘病から死別に至るまでを描いている。2016年6月時点で単行本の発行部数はシリーズ累計で230万部以上に上り、2009年にはテレビアニメ、2011年は実写映画になっている。 2003年に修羅場を経て離婚。離婚後に鴨志田にガンが発覚する。西原は医師である高須克弥に会って、元夫のアル中やがんなど相談していた。 離婚から3年経った2006年、ガンになっていた鴨志田による復縁要請が、西原と高須の絆を深める出来事となる。高須から復縁要請を飲むように諭された最初は「命からがら逃げてきたのに、ヨリを戻せってどういうことなの?」と拒否していたが、高須を尊敬していたため、2週間後に鴨志田と同棲再開した。 メディアでも『毎日新聞』の『毎日かあさん』の2006年8月掲載分にて復縁を示唆し、婚姻届は出さず事実婚の形で同居を再開した。その時点で鴨志田は末期の腎癌であり、半年後の2007年3月20日に42歳で死去した。葬儀では西原は元妻として喪主を務めた。 同居再開の背景は、高須が鴨志田からの復縁要請を受け入れるように諭したおかげであったとし、西原は「亡くなるまでの最後の半年間は、家族が喧嘩せずに、子供と一緒にご飯が食べられるという生活が送れた」と高須に感謝を示している。高須は西原を説得した理由について、悲惨な状態で鴨志田が死んだら、子供たちにトラウマを残してしまうと思ったとして、「わずかな期間だったら、彼が納得できるように面倒みてあげたほうがいいって言った」と述べている。 2007年3月20日の鴨志田の死後、公式ホームページでも「絶賛休載中」として、多数連載を含めた活動を約3か月間を休止していたが、同年7月19日に42歳の時に、予備校の立川美術学院時代からの親友であるライターのゲッツ板谷の自伝的青春小説が原作の映画『ワルボロ』(隅田靖監督、同年9月8日公開)の宣伝用イラストを同年6月初旬に依頼され、制作していたことが報道された。映画化を自分のことのように喜んでいた西原は、2006年10月8日の「ワルボロ」の撮影に保母役で友情出演していた。西原書き下ろしイラストは、シール5万枚、ポストカード2000セットで、HMVと 「ワルボロ」上映館で無料配布されること、西原が板谷に花束を渡す姿が描かれたポスター1000枚が同年7月末から全国の書店で掲示されること、ザ・クロマニヨンズが歌う映画主題歌「ギリギリガガンガン」のCDジャケットも担当していることが発表された。この仕事を機に、『毎日かあさん』などの連載も再開した。 2008年12月、2009年春から『毎日かあさん』がアニメ放送されると発表。 2008年9月末、リーマンショックによる高須クリニックの海外進出頓挫前に創られた高須クリニックのCMの『高須クリニックCMドバイ編』に出演している。 2009年5月1日から25日まで、渋谷パルコファクトリーにて「漫画家生活25周年記念企画 西原理恵子博覧会 バラハク」開催。 2010年には菅野美穂主演、吉田大八監督で『パーマネント野ばら』が映画化された他、『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を原作として『崖っぷちのエリー〜この世でいちばん大事な「カネ」の話』が山田優主演でテレビドラマ化された。 2010年7月7日に『毎日かあさん』の実写映画化決定を自身のブログで発表。「かあさん」「鴨ちゃん」を小泉今日子と永瀬正敏(2004年に離婚した元夫婦でもある)がそれぞれ演じることとなり、2011年2月5日に全国松竹系にて実写映画版が公開された。 2011年12月10日から2012年2月12日まで、熊本市現代美術館にて「漫画家生活25周年記念企画 西原理恵子博覧会 バラハク」開催。 2016年、高須との共著『ダーリンは70歳 高須帝国の逆襲』(小学館)が、「編集上の不備があった」として回収の対象となる。 2017年6月26日、2002年から16年にわたり連載してきた『毎日かあさん』を連載終了。その後は読者からの投稿をもとに西原が絵を描いた『卒母のススメ』を掲載していた。 2017年7月、高須が民進党代表(当時)の蓮舫と民進党議員(当時)の大西健介を名誉毀損で訴えた裁判では、法廷画家を務めている。 1997年:『ぼくんち』で文藝春秋漫画賞。 2005年:『毎日かあさん(カニ母編)』で文化庁メディア芸術祭漫画部門優秀賞、『毎日かあさん』『上京ものがたり』で手塚治虫文化賞短編賞を受賞。 2008年:第29回日本雑学大賞受賞。雑学倶楽部主催。 2011年:『毎日かあさん』で第40回日本漫画家協会賞参議院議長賞を受賞。 2013年:第6回ベストマザー賞(文芸部門)受賞。日本マザーズ協会主催。 大学在学中に成人誌のカットを描く仕事を始めると、西原独自の「絵の横に本文に対するツッコミを書き添えた」イラストとツッコミを絡めるスタイルを行った。これが編集者の目に留まったことで、1988年に小学館『ヤングサンデー』で漫画家としてデビュー出来ている。このスタイルはその後にノンフィクション漫画というジャンルで大きな開花を果たしている。 デビュー当時は原律子のエロギャグを写し書きしていたが、誰からも気付いてもらえなかったことに寂しさを感じたと語っている。 絵柄は基本的に非常にラフで、特にギャグ作品では描き殴ったような印象を受ける。自ら「上達ではなく下達するタイプ」と評している。 『まあじゃんほうろうき』『恨ミシュラン』『できるかな』などの、型破りな「エッセイ漫画」が前人未到の「無頼派」と評される一方、『はれた日は学校をやすんで』『ゆんぼくん』『ぼくんち』『いけちゃんとぼく』などでは「叙情性」が特徴とされる。ちなみに『まあじゃんほうろうき』のコラムで片山まさゆきは「彼女がその気になれば、すぐにでも童話作家になれる」と評している。 元夫の鴨志田穣や友人の金角(後に、ゲッツ板谷に改名)・銀角らがライターとしてデビューしたのも西原がきっかけであると言われている。 『いけちゃんとぼく』『女の子ものがたり』『パーマネント野ばら』など映画化が相次いでいる理由を問われ、「不況に強かったかな、と。景気が良かったら、もっとお金のかかる大作を映画化するんだろうけど。私の作品は、現実はキッチリ描くけど、最後はちょっとだけ笑っていただけるところがある。それが理由かな。みなさん精神的にキツい局面なので、夢みたいなセレブ生活なんて見たくないのかもしれませんね。」と語った。 『ぼくんち』の題名はけらえいこの漫画『あたしンち』をもじったものであると言われていたが、作者本人はこれについて「よりぬき毎日かあさん」内のインタビューにて否定している。 文章担当者(山崎一夫、鴨志田穣、清水義範、末井昭、ゲッツ板谷ら)と共著扱いになっている書が多数存在する。 作品内の自画像はたびたび変化している。初期の頃はおかっぱ頭に黄色のシャツと赤いスカート姿だったが、『まあじゃんほうろうき』では麻雀に負けると羽をむしられた鳥の姿に変身し、『鳥頭紀行ジャングル編』辺りからモンペを穿き手ぬぐいを首に巻いた土木作業員のような格好になった。『鳥頭紀行 くりくり編』にてミャンマーで出家して以降は坊主頭(髪は前髪の一房のみ)と修行衣姿になる(この姿は、本人によれば読者から「腐ったキューピー人形」と投書が来るほど不評だったらしい)。そして2児の母となった現在は、お団子頭を玉かんざしでまとめ割烹着にサンダル履きという「古き良き時代の庶民的おかん」というべき格好をしている(青島幸男扮する『意地悪ばあさん』の伊知割石と、ばってん荒川扮するお米ばあさんを、モデルにしているという)。ただし『毎日新聞』で『毎日かあさん』を連載開始してからは、著作権の関係から新たな作品ではこの割烹着スタイルは使用されておらず、2007年から2009年連載の『西原理恵子の太腕繁盛記』以降では「おかっぱ頭で首に手ぬぐい、黄色のシャツ」という自画像になっている。『りえさん手帖』では、茶髪パーマに派手な柄の服で登場する。 実父、元夫(鴨志田)がアルコール依存症で、義父がギャンブル依存症である。自分の母親がいつも自分が結婚した男の悪口を言ってたのが嫌であったことを明かしている。理恵子は鴨志田と同居再開から亡くなるまでの最後の半年間で「私たちは親の代よりちょっとはまともな家族になれたんじゃないかな」って思っており、癌になっていた鴨志田と同居再開するように自身を説得をした高須克弥のおかげで負のスパイラルから抜け出ることが出来たと述べている。 同年齢の親友である小説家の岩井志麻子、編集者の中瀬ゆかりとともに「熟女キャッツアイ」を名乗り、トークショーなどの活動を行っている。また、「熟女キャッツアイ」はともに高須クリニック院長の高須克弥との親交が深く、高須の支払いで食事や旅行などしている。高須の私財を基に設立された高須克弥記念財団においては、西原が理事長に就任している。2012年10月11日発売の『女性セブン』では高須克弥との対談において、高須の妻の死去後、2年間にわたって「交際」していることを明らかにした(知り合ったのは10年前という)。敢えて入籍しないことを選んだ理由として高須は「籍を入れると何かあった時に全部不倫と言われる」と述べており、西原もこの考え方に賛成している。 2012年2月まで、TOKYO MXの夕方帯番組『5時に夢中!』に、同番組のスポンサーである高須とともに出演していた。同番組では高須、西原、ファッションモデルのジョナサン・シガーのそれぞれの頭文字より「TSJお稽古クラブ」と題したレギュラーコーナーを持ち、毎週出演をしていた。しかし、2012年2月23日に出演した際、ディズニーランドの清掃業者に関する本を酷評し、さらに3月15日には、ど真ん中に牡丹の花が描かれている本の表紙を見て「牡丹ど真ん中、まんこど真ん中」と失言。その結果、『5時に夢中!』を降板させられた。この降板の件で、本人が「大ファン」という『東京スポーツ』の一面記事に載り「人生最良の日を迎えられました」とブログでコメントしている。 幼少より映画鑑賞を好み、自身の作品が映画化される際はほぼカメオ出演をしている。 同郷であるやなせたかしの訃報に際し、『毎日新聞』2013年10月20日号の『毎日かあさん』で追悼の意思を表しており、その中で「自身のサイン会にて、不機嫌だった子供に対しアンパンマンのイラストとやなせのサインを勝手に書いてプレゼントしたことがあり、そのことをやなせに対して話すと「いいよ、ぼくも売れないころドラえもんのサイン描いてたから」と承諾された」というエピソードを紹介した。 子供は前夫の鴨志田との間に1男1女がいる(2人は西原の漫画にもしばしば登場する)。 西原と高須が共に朝帰りする様子を『FRIDAY』に掲載された際は「息子たち公認」と書かれたが、息子曰く「んなもん誰も認めてねーよ」とのこと。ただし「何としてでも漫画家になるんだという不屈の精神は尊敬している」とのことで、息子との仲は悪くない。息子は1年間アメリカに留学させていたことで、ホームステイで家族への感謝は大げさに伝えなきゃいけないと学んだこと、感謝と謝罪以外に「こういうふうにうれしい、こういうふうに不愉快だって言わないと物事が何一つ前に進んでいかないと学んだ」と西原に言ったため、西原は「外飯(留学)食わせて良かったなと思った」と述べている。息子の成人時に「成人おめでとう」って言った時に、息子から「好きにやらせてくれて本当にありがとう」「お母さんの生き方はとっても良いと思うよ。よくわかんないけどさ、男尊女卑とかそういうものに縛られずに自由にやっていて自慢だよ」と言われている。 2014年当時は母兄とも仲が良く、西原に影響を受けたことを「誇り」とまで言っていたが、2021年自身のブログで、「初めて精神科に行った際に、家庭環境を答えると「すぐに児童相談所に連絡します」と言われたが、そんなことされたら殺されると思い、泣きながらやめてくれと懇願し、サインバルタをもらって帰った」、「最初は学費も生活費も出さないと言われていたが、AOで受かった大学の入学金は振り込まれており、お母さんは本気で私のことを捨てる度胸がないからだ」と述べている(後日、これらの投稿は自身で削除された)。2023年7月29日にアパートから飛び降り、骨盤を骨折したと、自身のSNSで述べている(後日、これらの投稿は自身で削除された)。亡父を慕い、鴨志田姓を名乗っている。
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"理恵子は勉強も出来なかったため、母親に叱られて育っている。義父は普段帰ってこないために食事中は母親のグチが絶えず、「あんたたちがいるから離婚しないんだよ」と言っていた。地元はどこを見ても父親が妻を殴っていて、大人が子どもをぶん殴っていた。女の子は16歳ぐらいで妊娠、18歳頃に別の男に変えてまた妊娠といういうのが普通であった。貧乏人、離婚だらけ、養育費も貰っていない女性ばかりで、手本になる女性や憧れるような女性はおらず、子どもながらに「立派な女性」はテレビに出ている芸能人みたいな夢の存在であった。高知にいたら立派な女性に会えないので、「ここじゃないどこかに行きたい」と考えていた。彼女らの交際・結婚していた男性は差し押さえる財産もなく、借金だらけであり、子供を本気で殴るケースがありふれていた。西原自身も上京前の高知にいた頃は、シンナーを吸っているような男と平気で付き合っていたことを明かしている。そして、上京して仕事が上手くいき出してから、「約束を守る」「貯金がある」といった、人として当たり前のタイプの男性を初めて体験し、知り合うようになったと明かしている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "高校中退後は上京し、大検に合格し、美大受験を志した。理恵子が19歳で美大受験の前日に、ギャンブルで莫大な借金を作った義父が縊死を遂げる。義父の首吊り自殺に驚いて高知に戻ると、自殺する前日の義父にボコボコに殴られて顔を腫らして、頭も髪も血まみれの母の姿があった。義父にボコボコにされた理由は、借金で首が回らなくなっているのにギャンブルでの再起資金とするために、母がかつて3軒あった持ち家のうちの唯一残っていた1軒までもを売れと迫ったが、「あれは子供たちにあげるための土地と家だから、絶対に売らない」として決して同意しなかったからであった。義父にボコボコにされた顔のままで、西原の母は夫の葬儀の喪主を務めた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "葬儀の日に家に債権者たちが押し寄せ、頭を彼らに下げ続ける母の姿を見て、理恵子は大学進学を内心諦める。しかし、母が死守した全財産140万円のうち、「これで東京に行きなさい」と100万円の資金提供してくれたことで、東京の美大受験のための予備校である立川美術学院へ進学。当時を振り返り、希望や夢があったから今のようになれた訳でなく、「田舎に戻らないですむために自分で稼ごう、稼げれば殴られずに済むはずだという一心だった」と述べている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "再上京後は、美大受験のための予備校である立川美術学院に通い出した。しかし、最初の課題でクラス最下位であり、予備校で最下位で美大に受かるはずはないと自覚させられる。帰る場所は無いため、アルバイトで生計を立てる傍ら、何十社もの出版社へイラストを出すなど営業を行っていた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "絵で食べていく方法を模索する中で、予備校時代にアダルト本のカットを描き始める。予備校入学の1年後、絶対に無理だと思っていた武蔵野美術大学(ムサビ)造形学部視覚伝達デザイン学科に合格し入学する。他の美大生との才能の差に愕然とし、上記のような持ち込み営業に励み、最終的にエロ本業界に救われる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "エロ本業界では、珍しい美術大学の女子大生であったためか、寵愛を受けた。そして、絵の才能はさほどながらもこの世界で生きていくための差別化の重要性を学ぶ。作家の文章に、絵はおまけ程度で文字だらけのツッコミを入れるスタイルを確立し、編集者やライターから「君はカットマンの才能があるよ」と褒められていた。そして、武蔵野美術大学3年時には月収30万円超えの収入となっている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "西原は飲食店での皿洗いなどのアルバイト経験を持っている。武蔵野美術大学在学中、エロ本業界に入る以前、直近では歌舞伎町のミニスカパブでホステスのアルバイトをしながら描き続けていた。この時期の西原は、歌舞伎町のミニスカパブから満員の最終電車で、酔っぱらいながら無職のヒモ男を養っている東村山のボロボロのアパートに帰っていた。この上京後最初の家である東村山のアパートは、「隣室のおならの音が聞こえる」「怒鳴り声が昼夜かまわず響いていた」ほど壁の薄い家賃3万円程度の賃貸アパートであった。ヒモ男は貯金も無い無職な上に、炊事も掃除も洗濯もしないのに猫を拾ってくるような男であったため、猫の医療費の7万円を含めた猫の世話代も全て西原が支払っている。エロ本業界と出会って稼げるようになるまでは、料金未払いで電気や水道が止められる直前に、西原が新聞やチラシに掲載されていた日払いアルバイトを行って何とか生計を立てていた。ヒモ男について、「明日は電気が止まるのに、日銭を稼ぐこともできない男でしたから。」と語っている。2017年に「タイムマシンがあったらあの頃に戻って、無職の男の横でへらへらしてる自分をぶん殴ってやりたい」と振り返っている。 その後、西原が目標としていた「絵の仕事だけで月収30万以上」稼げるようになったことが転機となり、「あんな男でもいないと寂しいと思っていたのが、新しい部屋に引っ越すぞと決めた途端にパッと目が覚めました。」とボロアパートからの引っ越しと共に無職のヒモ男との離別に成功している。当時の心境について、「それまでずっとできなかった断捨離ならぬ『男』捨離に踏み切れたのは、えいっと別れられるお金が貯まっていたから」「月30万円あれば、20万円で生活して10万円ずつ蓄えに回せます。着実に暮らしていける。お金を稼ぐことは自由を得ることなんだと、家を出たとき実感しました」と語っている。男捨離後の引っ越し先に「家賃が10万円を超える物件」であり、違いについて大家さんが劇的に優しいことを挙げており、「移った先では大家さんの方から『長く住んでね~』『ここ修繕しておいたよ』って。家賃が2倍以上になるとこんなに違うのかと驚きました」と思ったと語っている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "エロ本業界で働く中で成人雑誌のカットが小学館の編集者八巻和弘の目に留まり、1988年の大学3年時『ちくろ幼稚園』(『ヤングサンデー』)で漫画家デビューする。大学4年時にはさまざまな連載を持っていた。そのため、この業界で生きていくための道筋が見えてきたとして、自主退学予定であったが、「それだけはやめて。授業料はしっかり払う。これ以上、私を悲しませないで」と泣きつく母の猛反対への根負けで退学を思いとどまり、1989年3月大学卒業。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "大学卒業後、パチンコ雑誌、麻雀漫画誌、漫画週刊誌などに連載を持つ。ギャンブル雑誌のギャンブル漫画を描くためギャンブルに手を出し、ギャンブル依存症になってしまい、パチンコや高レートの麻雀に熱中する日々が続く。結果、漫画家デビューから10年間で損失金額は約5000万円となる。ギャンブルライター山崎一夫や某広告代理店ぱっぽん堂のMらとのギャンブル生活を綴った無頼派麻雀漫画である『まあじゃんほうろうき』は竹書房の『近代麻雀ゴールド』に1989年2月号から1994年6月号まで連載された。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1992年には『週刊朝日』誌上に神足裕司とタッグを組み連載した、ミシュランのグルメガイドにも取り上げられるような高級レストランへマイナス評価をつけるグルメレポ漫画『恨ミシュラン』を発表。全106回で1994年まで約2年間連載。後に単行本・文庫本化されている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1996年に企画された旅行体験ルポ漫画『鳥頭紀行』のアマゾン取材旅行で、カメラマンとして同行したフォトジャーナリスト鴨志田穣と結婚し、2人の子をもうける。しかし長男の妊娠後から、鴨志田は毎晩暴言や暴力をするようになった。そして、鴨志田も実父と同じくアルコール依存症となった上、さらに西原への精神的DVもあった。1997年から離婚を考えるようになったが、最終的に離婚まで6年かかった理由について「素人判断と素人の介入が、うちみたいにこじれて、6年もさまようことになるんです。暴力も病気も、専門家が介入しなきゃいけない。」と述べている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1997年に幼少期の高知の漁村経験をモチーフに、男女の愛憎や貧困問題を叙情的に描いたフィクション『ぼくんち』が第43回文藝春秋漫画賞を受賞。以後の西原は青年漫画誌界の人気漫画家の地位に一気に上り詰めた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2001年に渋谷PARCOにて初の展示会『西原理恵子 大ブレークへの道』を開催。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "2002年に『毎日新聞』で西原夫婦と2人の子供の日常をエッセイ風に描写した『毎日かあさん』を連載開始し、女性ファンが急増した。この作品では、鴨志田のアルコール依存症、離婚、復縁、闘病から死別に至るまでを描いている。2016年6月時点で単行本の発行部数はシリーズ累計で230万部以上に上り、2009年にはテレビアニメ、2011年は実写映画になっている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2003年に修羅場を経て離婚。離婚後に鴨志田にガンが発覚する。西原は医師である高須克弥に会って、元夫のアル中やがんなど相談していた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "離婚から3年経った2006年、ガンになっていた鴨志田による復縁要請が、西原と高須の絆を深める出来事となる。高須から復縁要請を飲むように諭された最初は「命からがら逃げてきたのに、ヨリを戻せってどういうことなの?」と拒否していたが、高須を尊敬していたため、2週間後に鴨志田と同棲再開した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "メディアでも『毎日新聞』の『毎日かあさん』の2006年8月掲載分にて復縁を示唆し、婚姻届は出さず事実婚の形で同居を再開した。その時点で鴨志田は末期の腎癌であり、半年後の2007年3月20日に42歳で死去した。葬儀では西原は元妻として喪主を務めた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "同居再開の背景は、高須が鴨志田からの復縁要請を受け入れるように諭したおかげであったとし、西原は「亡くなるまでの最後の半年間は、家族が喧嘩せずに、子供と一緒にご飯が食べられるという生活が送れた」と高須に感謝を示している。高須は西原を説得した理由について、悲惨な状態で鴨志田が死んだら、子供たちにトラウマを残してしまうと思ったとして、「わずかな期間だったら、彼が納得できるように面倒みてあげたほうがいいって言った」と述べている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2007年3月20日の鴨志田の死後、公式ホームページでも「絶賛休載中」として、多数連載を含めた活動を約3か月間を休止していたが、同年7月19日に42歳の時に、予備校の立川美術学院時代からの親友であるライターのゲッツ板谷の自伝的青春小説が原作の映画『ワルボロ』(隅田靖監督、同年9月8日公開)の宣伝用イラストを同年6月初旬に依頼され、制作していたことが報道された。映画化を自分のことのように喜んでいた西原は、2006年10月8日の「ワルボロ」の撮影に保母役で友情出演していた。西原書き下ろしイラストは、シール5万枚、ポストカード2000セットで、HMVと 「ワルボロ」上映館で無料配布されること、西原が板谷に花束を渡す姿が描かれたポスター1000枚が同年7月末から全国の書店で掲示されること、ザ・クロマニヨンズが歌う映画主題歌「ギリギリガガンガン」のCDジャケットも担当していることが発表された。この仕事を機に、『毎日かあさん』などの連載も再開した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "2008年12月、2009年春から『毎日かあさん』がアニメ放送されると発表。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2008年9月末、リーマンショックによる高須クリニックの海外進出頓挫前に創られた高須クリニックのCMの『高須クリニックCMドバイ編』に出演している。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2009年5月1日から25日まで、渋谷パルコファクトリーにて「漫画家生活25周年記念企画 西原理恵子博覧会 バラハク」開催。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2010年には菅野美穂主演、吉田大八監督で『パーマネント野ばら』が映画化された他、『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を原作として『崖っぷちのエリー〜この世でいちばん大事な「カネ」の話』が山田優主演でテレビドラマ化された。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2010年7月7日に『毎日かあさん』の実写映画化決定を自身のブログで発表。「かあさん」「鴨ちゃん」を小泉今日子と永瀬正敏(2004年に離婚した元夫婦でもある)がそれぞれ演じることとなり、2011年2月5日に全国松竹系にて実写映画版が公開された。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2011年12月10日から2012年2月12日まで、熊本市現代美術館にて「漫画家生活25周年記念企画 西原理恵子博覧会 バラハク」開催。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "2016年、高須との共著『ダーリンは70歳 高須帝国の逆襲』(小学館)が、「編集上の不備があった」として回収の対象となる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "2017年6月26日、2002年から16年にわたり連載してきた『毎日かあさん』を連載終了。その後は読者からの投稿をもとに西原が絵を描いた『卒母のススメ』を掲載していた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "2017年7月、高須が民進党代表(当時)の蓮舫と民進党議員(当時)の大西健介を名誉毀損で訴えた裁判では、法廷画家を務めている。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "1997年:『ぼくんち』で文藝春秋漫画賞。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "2005年:『毎日かあさん(カニ母編)』で文化庁メディア芸術祭漫画部門優秀賞、『毎日かあさん』『上京ものがたり』で手塚治虫文化賞短編賞を受賞。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "2008年:第29回日本雑学大賞受賞。雑学倶楽部主催。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2011年:『毎日かあさん』で第40回日本漫画家協会賞参議院議長賞を受賞。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "2013年:第6回ベストマザー賞(文芸部門)受賞。日本マザーズ協会主催。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "大学在学中に成人誌のカットを描く仕事を始めると、西原独自の「絵の横に本文に対するツッコミを書き添えた」イラストとツッコミを絡めるスタイルを行った。これが編集者の目に留まったことで、1988年に小学館『ヤングサンデー』で漫画家としてデビュー出来ている。このスタイルはその後にノンフィクション漫画というジャンルで大きな開花を果たしている。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "デビュー当時は原律子のエロギャグを写し書きしていたが、誰からも気付いてもらえなかったことに寂しさを感じたと語っている。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "絵柄は基本的に非常にラフで、特にギャグ作品では描き殴ったような印象を受ける。自ら「上達ではなく下達するタイプ」と評している。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "『まあじゃんほうろうき』『恨ミシュラン』『できるかな』などの、型破りな「エッセイ漫画」が前人未到の「無頼派」と評される一方、『はれた日は学校をやすんで』『ゆんぼくん』『ぼくんち』『いけちゃんとぼく』などでは「叙情性」が特徴とされる。ちなみに『まあじゃんほうろうき』のコラムで片山まさゆきは「彼女がその気になれば、すぐにでも童話作家になれる」と評している。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "元夫の鴨志田穣や友人の金角(後に、ゲッツ板谷に改名)・銀角らがライターとしてデビューしたのも西原がきっかけであると言われている。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "『いけちゃんとぼく』『女の子ものがたり』『パーマネント野ばら』など映画化が相次いでいる理由を問われ、「不況に強かったかな、と。景気が良かったら、もっとお金のかかる大作を映画化するんだろうけど。私の作品は、現実はキッチリ描くけど、最後はちょっとだけ笑っていただけるところがある。それが理由かな。みなさん精神的にキツい局面なので、夢みたいなセレブ生活なんて見たくないのかもしれませんね。」と語った。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "『ぼくんち』の題名はけらえいこの漫画『あたしンち』をもじったものであると言われていたが、作者本人はこれについて「よりぬき毎日かあさん」内のインタビューにて否定している。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "文章担当者(山崎一夫、鴨志田穣、清水義範、末井昭、ゲッツ板谷ら)と共著扱いになっている書が多数存在する。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "作品内の自画像はたびたび変化している。初期の頃はおかっぱ頭に黄色のシャツと赤いスカート姿だったが、『まあじゃんほうろうき』では麻雀に負けると羽をむしられた鳥の姿に変身し、『鳥頭紀行ジャングル編』辺りからモンペを穿き手ぬぐいを首に巻いた土木作業員のような格好になった。『鳥頭紀行 くりくり編』にてミャンマーで出家して以降は坊主頭(髪は前髪の一房のみ)と修行衣姿になる(この姿は、本人によれば読者から「腐ったキューピー人形」と投書が来るほど不評だったらしい)。そして2児の母となった現在は、お団子頭を玉かんざしでまとめ割烹着にサンダル履きという「古き良き時代の庶民的おかん」というべき格好をしている(青島幸男扮する『意地悪ばあさん』の伊知割石と、ばってん荒川扮するお米ばあさんを、モデルにしているという)。ただし『毎日新聞』で『毎日かあさん』を連載開始してからは、著作権の関係から新たな作品ではこの割烹着スタイルは使用されておらず、2007年から2009年連載の『西原理恵子の太腕繁盛記』以降では「おかっぱ頭で首に手ぬぐい、黄色のシャツ」という自画像になっている。『りえさん手帖』では、茶髪パーマに派手な柄の服で登場する。", "title": "作風" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "実父、元夫(鴨志田)がアルコール依存症で、義父がギャンブル依存症である。自分の母親がいつも自分が結婚した男の悪口を言ってたのが嫌であったことを明かしている。理恵子は鴨志田と同居再開から亡くなるまでの最後の半年間で「私たちは親の代よりちょっとはまともな家族になれたんじゃないかな」って思っており、癌になっていた鴨志田と同居再開するように自身を説得をした高須克弥のおかげで負のスパイラルから抜け出ることが出来たと述べている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "同年齢の親友である小説家の岩井志麻子、編集者の中瀬ゆかりとともに「熟女キャッツアイ」を名乗り、トークショーなどの活動を行っている。また、「熟女キャッツアイ」はともに高須クリニック院長の高須克弥との親交が深く、高須の支払いで食事や旅行などしている。高須の私財を基に設立された高須克弥記念財団においては、西原が理事長に就任している。2012年10月11日発売の『女性セブン』では高須克弥との対談において、高須の妻の死去後、2年間にわたって「交際」していることを明らかにした(知り合ったのは10年前という)。敢えて入籍しないことを選んだ理由として高須は「籍を入れると何かあった時に全部不倫と言われる」と述べており、西原もこの考え方に賛成している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2012年2月まで、TOKYO MXの夕方帯番組『5時に夢中!』に、同番組のスポンサーである高須とともに出演していた。同番組では高須、西原、ファッションモデルのジョナサン・シガーのそれぞれの頭文字より「TSJお稽古クラブ」と題したレギュラーコーナーを持ち、毎週出演をしていた。しかし、2012年2月23日に出演した際、ディズニーランドの清掃業者に関する本を酷評し、さらに3月15日には、ど真ん中に牡丹の花が描かれている本の表紙を見て「牡丹ど真ん中、まんこど真ん中」と失言。その結果、『5時に夢中!』を降板させられた。この降板の件で、本人が「大ファン」という『東京スポーツ』の一面記事に載り「人生最良の日を迎えられました」とブログでコメントしている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "幼少より映画鑑賞を好み、自身の作品が映画化される際はほぼカメオ出演をしている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "同郷であるやなせたかしの訃報に際し、『毎日新聞』2013年10月20日号の『毎日かあさん』で追悼の意思を表しており、その中で「自身のサイン会にて、不機嫌だった子供に対しアンパンマンのイラストとやなせのサインを勝手に書いてプレゼントしたことがあり、そのことをやなせに対して話すと「いいよ、ぼくも売れないころドラえもんのサイン描いてたから」と承諾された」というエピソードを紹介した。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "子供は前夫の鴨志田との間に1男1女がいる(2人は西原の漫画にもしばしば登場する)。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "西原と高須が共に朝帰りする様子を『FRIDAY』に掲載された際は「息子たち公認」と書かれたが、息子曰く「んなもん誰も認めてねーよ」とのこと。ただし「何としてでも漫画家になるんだという不屈の精神は尊敬している」とのことで、息子との仲は悪くない。息子は1年間アメリカに留学させていたことで、ホームステイで家族への感謝は大げさに伝えなきゃいけないと学んだこと、感謝と謝罪以外に「こういうふうにうれしい、こういうふうに不愉快だって言わないと物事が何一つ前に進んでいかないと学んだ」と西原に言ったため、西原は「外飯(留学)食わせて良かったなと思った」と述べている。息子の成人時に「成人おめでとう」って言った時に、息子から「好きにやらせてくれて本当にありがとう」「お母さんの生き方はとっても良いと思うよ。よくわかんないけどさ、男尊女卑とかそういうものに縛られずに自由にやっていて自慢だよ」と言われている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "2014年当時は母兄とも仲が良く、西原に影響を受けたことを「誇り」とまで言っていたが、2021年自身のブログで、「初めて精神科に行った際に、家庭環境を答えると「すぐに児童相談所に連絡します」と言われたが、そんなことされたら殺されると思い、泣きながらやめてくれと懇願し、サインバルタをもらって帰った」、「最初は学費も生活費も出さないと言われていたが、AOで受かった大学の入学金は振り込まれており、お母さんは本気で私のことを捨てる度胸がないからだ」と述べている(後日、これらの投稿は自身で削除された)。2023年7月29日にアパートから飛び降り、骨盤を骨折したと、自身のSNSで述べている(後日、これらの投稿は自身で削除された)。亡父を慕い、鴨志田姓を名乗っている。", "title": "人物" } ]
西原 理恵子は、日本の漫画家。一般財団法人高須克弥記念財団理事長。 高知県高知市出身。1988年『ちくろ幼稚園』でデビュー。前夫はカメラマンの鴨志田穣、パートナーは高須クリニック創業者で東京院院長の高須克弥(事実婚)。代表作は『ぼくんち』、『毎日かあさん』など多数。
{{Infobox 漫画家 |名前 = 西原 理恵子 |画像 = |画像サイズ = |脚注 = |本名 = |生年 = {{生年月日と年齢|1964|11|1}} |生地 = [[高知県]][[高知市]] |没年 = |没地 = |国籍 = {{JPN}} |職業 = [[漫画家]] |活動期間 = [[1988年]] - |ジャンル = [[ギャグ漫画]]<br/>家庭漫画<br/>[[賭博#漫画|ギャンブル漫画]] |代表作 = 『[[まあじゃんほうろうき]]』<br />『[[恨ミシュラン]]』(共著)<br />『[[ぼくんち]]』<br />『[[鳥頭紀行]]』シリーズ<br />『[[できるかな (漫画)|できるかな]]』シリーズ<br />『[[毎日かあさん]]』<br />『[[パーマネント野ばら]]』<br />『[[女の子ものがたり]]』<br />『[[いけちゃんとぼく]]』<br />『[[この世でいちばん大事な「カネ」の話]]』 |受賞 = 第43回[[文藝春秋漫画賞]]([[1997年]])<br />第8回[[文化庁メディア芸術祭マンガ部門]]優秀賞([[2005年]])<br />第9回[[手塚治虫文化賞]]短編賞(2005年)<br />第40回[[日本漫画家協会賞]]参議院議長賞(2011年) |サイン = |公式サイト = }} '''西原 理恵子'''(さいばら りえこ、[[1964年]][[11月1日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[一般財団法人]]高須克弥記念財団[[理事長]]。 [[高知県]][[高知市]]出身。[[1988年]]『[[ちくろ幼稚園]]』でデビュー。前夫は[[カメラマン]]の[[鴨志田穣]]、パートナーは高須クリニック創業者で東京院院長の[[高須克弥]]([[事実婚]])<ref name="jijitsukon" />。代表作は『[[ぼくんち]]』、『[[毎日かあさん]]』<ref name="ms20090427">{{Citation|author-link=高橋香織|title=「サイバラ」メディア席巻|newspaper=日経産業新聞|date=2009-04-27|page=4}}</ref>など多数。 == 経歴 == === 出生 === 1964年(昭和39年)11月1日[[高知県]][[高知市]][[浦戸 (高知市)|浦戸]]という漁師町出身。実父は入退院を繰り返すほどの[[アルコール依存症]]であり、母親は理恵子の妊娠中に離婚した。母親は理恵子の兄を連れて実家に帰り、そこで出産・育児をしている。そのため、理恵子が3歳の時に1度も会わないまま、実父は[[ドブ]]に転落して死亡した<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=西原理恵子氏 前夫と最後の半年過ごせたのは高須院長のお陰 |url=https://www.news-postseven.com/archives/20121012_148555.html?DETAIL |website=NEWSポストセブン |access-date=2022-06-02 |language=ja}}</ref><ref name=":4">{{Cite web|和書|title=不安のうつの力(ⅩⅩⅠ)-漫画家 西原理恵子さんの場合-|url=https://www.fuanclinic.com/byouki/y_fuan21.htm |website=www.fuanclinic.com |access-date=2022-06-02 |publisher=医療法人 和楽会}}</ref>。浦戸に6歳まで住んでいた<ref name=":4" />。 === 母親の再婚以後 === 6歳の時に母が再婚し、義父となる宏<ref name=":5" />と同居を始める<ref name=":1" /><ref name=":2" />。相手は無類のギャンブル好きで何十種類もの仕事を転々とし、[[賭博|バクチ]]と妻以外の女に入れ込むが、理恵子を我が子のように可愛がっていた<ref name=":1" /><ref name=":6">{{Cite web|和書|title=ドキュメンタリードラマ 人生は「サイテーおやじ」から教わった ~漫画家・西原理恵子 義父との日々~ |url=http://www.tvu.co.jp/program/201302_saibara/ |website=テレビマンユニオン {{!}} TV MAN UNION |access-date=2022-06-02 |language=ja}}</ref>。しかし、義父は一週間に一度くらいしか家に帰ってこない上に、理恵子の母親のお金にまで手を出す人物であり、家計は火の車で怒鳴り声が絶えず飛び交う家庭であった<ref name=":4" />。義父は何度も職を変え、家庭は経済的にも浮き沈みの激しい生活を送った<ref name=":2" />。 理恵子は義父について、「お前は人と違う人生を行くぞ」と自信の持てない少女を肯定してくれた特別な存在であり、義父の影響で漫画家を目指したと述べている<ref name=":5">{{Cite web|和書|title=プレミアムドラマ 人生は“サイテーおやじ”から教わった~漫画家・西原理恵子 |url=https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009050080_00000 |website=テレビ60年 特選コレクション {{!}} NHKアーカイブス |access-date=2022-06-02 |language=ja |last=NHK}}</ref>。ただし、住んでいた高知県の工業地帯では、どこの家庭も切り詰めた生活によるストレスで、日常的な両親の喧嘩や家庭内暴力が蔓延していたために、絶望していた時期があった<ref name=":2">{{Cite web|和書|title=西原理恵子「どうすればお金になるかを考える」 |url=https://webarchive.musabi.ac.jp/maujin/2011/archive/saibara_rieko/ |website=マウジン「武蔵野美術大学の創造遺伝子」 |access-date=2022-06-02 |language=ja}}</ref>。 [[私立学校|私立]][[土佐女子高等学校]]在学中に既に1度、未成年ディスコと[[煙草]]で一週間の停学処分を受けていたが、高校3年時に[[スナックバー (飲食店)|スナック]]での集団未成年飲酒によって[[退学|退学処分]]を受ける。2度目なら「[[無期停学]]やな」ぐらいに思っていたら、「辞めてくれ。強制退学。とにかく自主退学届けを出してくれ」と言われ、納得がいかず、処分への不服を申し立て、学校側を訴える。理恵子の母親の財産で起業したタクシー会社経営が上手くいっていた時期であり、羽振りが良かった義父は、大人で唯一理恵子の言い分を信じ、「どうしても納得がいかないなら、裁判して闘ってみろ。オレは理恵子のことをいちばんよく知ってる。ずっと信じてるから<ref name=":6" />」と資金提供と弁護士を紹介してくれた。理恵子は義父は心強い支援となったと述べている。その事件を取材に来た[[フリーライター]]の[[保坂展人]](青生舎。のち[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]衆院議員を経て2011年より世田谷区長)と知り合う。 保坂らが運営していた青生舎で1983年3月から学校解放新聞を発行しており、創刊号に西原理恵子のイラストが掲載されている<ref>{{Cite web|和書|title=#41 伊藤書佳さん |url=http://futoko50.sblo.jp/article/183628234.html |website=不登校50年証言プロジェクト |access-date=2022-06-02 |language=ja}}</ref>。 理恵子は勉強も出来なかったため、母親に叱られて育っている。義父は普段帰ってこないために食事中は母親のグチが絶えず、「あんたたちがいるから離婚しないんだよ」と言っていた。地元はどこを見ても父親が妻を殴っていて、大人が子どもをぶん殴っていた。女の子は16歳ぐらいで妊娠、18歳頃に別の男に変えてまた妊娠といういうのが普通であった<ref name=":14">{{Cite web|和書|title=西原理恵子がドクター高須を介護しない理由とは?〈dot.〉 |url=https://dot.asahi.com/articles/-/98520 |website=AERA dot.|date=2018-01-19 |access-date=2022-06-03 |last=金城珠代}}</ref>。貧乏人、離婚だらけ、[[養育費]]も貰っていない女性ばかりで、手本になる女性や憧れるような女性はおらず<ref name=":9">{{Cite web|和書|title=女の子へ「寿司と指輪は自分で買おう」 西原理恵子さん|url=https://www.asahi.com/articles/ASK2R5QZ9K2RUTIL04Q.html?iref=ogimage_rek |website=朝日新聞|access-date=2022-06-02 |language=ja}}</ref>、子どもながらに「立派な女性」はテレビに出ている芸能人みたいな夢の存在であった。高知にいたら立派な女性に会えないので、「ここじゃないどこかに行きたい」と考えていた<ref name=":14" />。彼女らの交際・結婚していた男性は差し押さえる財産もなく、借金だらけであり、子供を本気で殴るケースがありふれていた。西原自身も上京前の高知にいた頃は、シンナーを吸っているような男と平気で付き合っていたことを明かしている。そして、上京して仕事が上手くいき出してから、「約束を守る」「貯金がある」といった、人として当たり前のタイプの男性を初めて体験し、知り合うようになったと明かしている<ref name=":9" />。 === 上京時の義父の自殺 === 高校中退後は上京し、[[大検]]に合格し、美大受験を志した。理恵子が19歳で美大受験の前日に、ギャンブルで莫大な借金を作った義父が[[縊死]]を遂げる<ref name=":1" /><ref name=":2" />。義父の首吊り自殺に驚いて高知に戻ると、自殺する前日の義父にボコボコに殴られて顔を腫らして、頭も髪も血まみれの母の姿があった<ref name=":2" /><ref name=":4" />。義父にボコボコにされた理由は、借金で首が回らなくなっているのにギャンブルでの再起資金とするために、母がかつて3軒あった持ち家のうちの唯一残っていた1軒までもを売れと迫ったが、「あれは子供たちにあげるための土地と家だから、絶対に売らない」として決して同意しなかったからであった<ref name=":2" />。義父にボコボコにされた顔のままで、西原の母は夫の葬儀の喪主を務めた<ref name=":2" />。  葬儀の日に家に債権者たちが押し寄せ、頭を彼らに下げ続ける母の姿を見て、理恵子は大学進学を内心諦める。しかし、母が死守した全財産140万円のうち、「これで東京に行きなさい」と100万円の資金提供してくれたことで、東京の美大受験のための予備校である[[立川美術学院]]へ進学<ref name=":2" /><ref name=":9" />。当時を振り返り、希望や夢があったから今のようになれた訳でなく、「田舎に戻らないですむために自分で稼ごう、稼げれば殴られずに済むはずだという一心だった」と述べている<ref name=":9" />。 === 再上京 === 再上京後は、美大受験のための[[予備校]]である[[立川美術学院]]に通い出した<ref name=":0" />。しかし、最初の課題でクラス最下位であり、予備校で最下位で美大に受かるはずはないと自覚させられる。帰る場所は無いため、アルバイトで生計を立てる傍ら、何十社もの出版社へイラストを出すなど営業を行っていた<ref name=":2" />。  絵で食べていく方法を模索する中で、予備校時代にアダルト本のカットを描き始める<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=高知出身のまんが家 西原理恵子 |url=http://www.bunkaplaza.or.jp/mangakan/directory/dir_01/saibara.html |website=www.bunkaplaza.or.jp |access-date=2022-06-02 |publisher=[[ 横山隆一]]記念まんが館|archiveurl=https://web.archive.org/web/20020621151228/http://www.bunkaplaza.or.jp/mangakan/directory/dir_01/saibara.html|archivedate=2002-06-21}}</ref>。予備校入学の1年後、絶対に無理だと思っていた[[武蔵野美術大学]](ムサビ)造形学部視覚伝達デザイン学科に合格し入学する<ref name=":2" /><ref name=":0" />。他の美大生との才能の差に愕然とし、上記のような持ち込み営業に励み、最終的にエロ本業界に救われる<ref name=":2" />。 === ヒモ飼いアルバイト生活とアダルト本業界との出会い === エロ本業界では、珍しい美術大学の女子大生であったためか、寵愛を受けた。そして、絵の才能はさほどながらもこの世界で生きていくための[[差別化戦略|差別化]]の重要性を学ぶ<ref name=":2" />。作家の文章に、絵はおまけ程度で文字だらけのツッコミを入れるスタイルを確立し、編集者やライターから「君はカットマンの才能があるよ」と褒められていた。そして、武蔵野美術大学3年時には月収30万円超えの収入となっている<ref name=":2" />。 西原は飲食店での皿洗いなどのアルバイト経験を持っている。武蔵野美術大学在学中、エロ本業界に入る以前、直近では歌舞伎町のミニスカパブでホステスのアルバイトをしながら描き続けていた。この時期の西原は、歌舞伎町のミニスカパブから満員の最終電車で、酔っぱらいながら無職のヒモ男を養っている[[東村山市|東村山]]のボロボロのアパートに帰っていた<ref name=":3" />。この上京後最初の家である東村山のアパートは、「隣室のおならの音が聞こえる」「怒鳴り声が昼夜かまわず響いていた」ほど壁の薄い家賃3万円程度の賃貸アパートであった。ヒモ男は貯金も無い無職な上に、炊事も掃除も洗濯もしないのに猫を拾ってくるような男であったため、猫の医療費の7万円を含めた猫の世話代も全て西原が支払っている<ref name=":10" />。エロ本業界と出会って稼げるようになるまでは、料金未払いで電気や水道が止められる直前に、西原が新聞やチラシに掲載されていた日払いアルバイトを行って何とか生計を立てていた。ヒモ男について、「明日は電気が止まるのに、日銭を稼ぐこともできない男でしたから。」と語っている。2017年に「[[タイムマシン]]があったらあの頃に戻って、無職の男の横でへらへらしてる自分をぶん殴ってやりたい」と振り返っている<ref name=":10" />。 その後、西原が目標としていた「絵の仕事だけで月収30万以上」稼げるようになったことが転機となり<ref name=":10">{{Cite web|和書|title=西原理恵子「50過ぎたら『やり逃げ』が一番、キラキラ生活なんて無理」〈AERA〉 |url=https://dot.asahi.com/articles/-/62398 |website=AERA dot.|date=2021-12-11 |access-date=2022-06-03 |last=綾小路麗香,伊藤忍}}</ref>、「あんな男でもいないと寂しいと思っていたのが、新しい部屋に引っ越すぞと決めた途端にパッと目が覚めました。」とボロアパートからの引っ越しと共に無職のヒモ男との離別に成功している<ref name=":3">{{Cite web|和書|title=稼げるようになったら、働かない彼氏も「男捨離」できたんです |url=https://kadobun.jp/feature/interview/9.html |website=カドブン |access-date=2022-06-02 |language=ja}}</ref>。当時の心境について、「それまでずっとできなかった断捨離ならぬ『男』捨離に踏み切れたのは、えいっと別れられるお金が貯まっていたから」「月30万円あれば、20万円で生活して10万円ずつ蓄えに回せます。着実に暮らしていける。お金を稼ぐことは自由を得ることなんだと、家を出たとき実感しました」と語っている<ref name=":10" />。男捨離後の引っ越し先に「家賃が10万円を超える物件」であり、違いについて大家さんが劇的に優しいことを挙げており、「移った先では大家さんの方から『長く住んでね~』『ここ修繕しておいたよ』って。家賃が2倍以上になるとこんなに違うのかと驚きました」と思ったと語っている<ref name=":10" />。 === 漫画家デビュー === エロ本業界で働く中で[[成人雑誌]]のカットが[[小学館]]の編集者[[八巻和弘]]の目に留まり、[[1988年]]の大学3年時『[[ちくろ幼稚園]]』(『[[ヤングサンデー]]』)で漫画家デビューする。大学4年時にはさまざまな連載を持っていた。そのため、この業界で生きていくための道筋が見えてきたとして、自主退学予定であったが、「それだけはやめて。授業料はしっかり払う。これ以上、私を悲しませないで」と泣きつく母の猛反対への根負けで退学を思いとどまり<ref name=":2" />、[[1989年]]3月大学卒業。 大学卒業後、[[パチンコ]]雑誌、[[麻雀]]漫画誌、漫画週刊誌などに連載を持つ。ギャンブル雑誌のギャンブル漫画を描くためギャンブルに手を出し、[[ギャンブル依存症]]になってしまい、パチンコや高レートの麻雀に熱中する日々が続く。結果、漫画家デビューから10年間で損失金額は約5000万円となる<ref>『この世でいちばん大事な「カネ」の話』西原理恵子(ユーメイド 2011年5月)</ref><ref name=":4" />。ギャンブルライター[[山崎一夫 (賭博)|山崎一夫]]や某広告代理店ぱっぽん堂のMらとのギャンブル生活を綴った[[無頼派]]麻雀漫画である『[[まあじゃんほうろうき]]』<ref name=":12">{{Cite web|和書|title=西原理恵子が毎日新聞に連載中のマンガ「毎日かあさん」が2009年春にアニメ化 |url=https://gigazine.net/news/20081202_saibara_mainichi_kaasan/ |website=GIGAZINE |access-date=2022-06-03 |language=ja}}</ref>は[[竹書房]]の『[[近代麻雀ゴールド]]』に1989年2月号から1994年6月号まで連載された。 [[1992年]]には『[[週刊朝日]]』誌上に[[神足裕司]]とタッグを組み連載した、[[ミシュラン]]の[[ミシュランガイド|グルメガイド]]にも取り上げられるような高級レストランへマイナス評価をつけるグルメレポ漫画『[[恨ミシュラン]]』<ref name=":12" />を発表。全106回で1994年まで約2年間連載。後に単行本・文庫本化されている。 === 鴨志田穣との出会い === [[1996年]]に企画された旅行体験ルポ漫画『[[鳥頭紀行]]』のアマゾン取材旅行で、カメラマンとして同行したフォトジャーナリスト[[鴨志田穣]]と結婚し、2人の子をもうける<ref name=":1" />。しかし長男の妊娠後から、鴨志田は毎晩暴言や暴力をするようになった<ref name=":14" /><ref name=":3" />。そして、鴨志田も実父と同じくアルコール依存症となった上<ref name=":1" /><ref name=":11">{{Cite web|和書|title=洗えば使える泥名言 著西原理恵子 |url=https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784163905112 |website=紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア |access-date=2022-06-03 |language=ja}}</ref>、さらに西原への精神的[[ドメスティックバイオレンス|DV]]もあった。1997年から離婚を考えるようになったが、最終的に離婚まで6年かかった理由について「素人判断と素人の介入が、うちみたいにこじれて、6年もさまようことになるんです。暴力も病気も、専門家が介入しなきゃいけない。」と述べている<ref name=":14" />。 1997年に幼少期の高知の漁村経験をモチーフに、男女の愛憎や貧困問題を叙情的に描いたフィクション『[[ぼくんち]]』が第43回[[文藝春秋漫画賞]]を受賞。以後の西原は青年漫画誌界の人気漫画家の地位に一気に上り詰めた<ref name=":7">{{Cite web|和書|title=大ヒット漫画連発・西原理恵子51歳の「不幸力」 |url=https://doors.nikkei.com/atcl/wol/column/15/011900051/060600008/ |website=日経xwoman:doors |access-date=2022-06-02 |language=ja |last=日経BP}}</ref>。 2001年に[[渋谷PARCO]]にて初の展示会『西原理恵子 大ブレークへの道』を開催。 2002年に『[[毎日新聞]]』で西原夫婦と2人の子供の日常をエッセイ風に描写した『[[毎日かあさん]]』を連載開始し、女性ファンが急増した。この作品では、鴨志田のアルコール依存症、離婚、復縁、闘病から死別に至るまでを描いている。2016年6月時点で単行本の発行部数はシリーズ累計で230万部以上に上り、2009年にはテレビアニメ、2011年は実写映画になっている<ref name=":8">{{Cite web|和書|title=毎日かあさんち |url=https://mainichi.jp/kaasan/ |website=毎日新聞 |access-date=2022-06-02 |language=ja}}</ref><ref name=":7" />。 [[2003年]]に修羅場を経て離婚。離婚後に鴨志田にガンが発覚する。西原は医師である[[高須克弥]]に会って、元夫のアル中やがんなど相談していた<ref name=":1" />。 離婚から3年経った2006年、ガンになっていた鴨志田による復縁要請が、西原と高須の絆を深める出来事となる<ref name=":1" />。高須から復縁要請を飲むように諭された最初は「命からがら逃げてきたのに、ヨリを戻せってどういうことなの?」と拒否していたが、高須を尊敬していたため、2週間後に鴨志田と同棲再開した<ref name=":1" />。 メディアでも『毎日新聞』の『毎日かあさん』の[[2006年]]8月掲載分にて復縁を示唆し、婚姻届は出さず事実婚の形で同居を再開した。その時点で鴨志田は末期の[[腎癌]]であり、半年後の[[2007年]][[3月20日]]に42歳で死去した。葬儀では西原は元妻として喪主を務めた<ref name=":1" />。 同居再開の背景は、高須が鴨志田からの復縁要請を受け入れるように諭したおかげであったとし<ref name=":1" />、西原は「亡くなるまでの最後の半年間は、家族が喧嘩せずに、子供と一緒にご飯が食べられるという生活が送れた」と高須に感謝を示している<ref name=":1" />。高須は西原を説得した理由について、悲惨な状態で鴨志田が死んだら、子供たちにトラウマを残してしまうと思ったとして、「わずかな期間だったら、彼が納得できるように面倒みてあげたほうがいいって言った」と述べている<ref name=":1" />。 === 活動再開以後 === 2007年3月20日の鴨志田の死後、公式ホームページでも「絶賛休載中」として、多数連載を含めた活動を約3か月間を休止していたが、同年7月19日に42歳の時に、予備校の立川美術学院時代からの親友であるライターの[[ゲッツ板谷]]の自伝的青春小説が原作の映画『[[ワルボロ]]』(隅田靖監督、同年9月8日公開)の宣伝用イラストを同年6月初旬に依頼され、制作していたことが報道された<ref name=":13">2007年7月19日[[サンケイスポーツ]]<nowiki/>p5「サイバラ漫画復活!夫の死乗り越え」</ref>。映画化を自分のことのように喜んでいた西原は、2006年10月8日の「ワルボロ」の撮影に[[保母]]役で[[友情出演]]していた。西原書き下ろしイラストは、シール5万枚、[[ポストカード]]2000セットで、[[HMV]]と 「ワルボロ」上映館で無料配布されること、西原が板谷に花束を渡す姿が描かれたポスター1000枚が同年7月末から全国の書店で掲示されること、[[ザ・クロマニヨンズ]]が歌う映画主題歌「ギリギリガガンガン」のCDジャケットも担当していることが発表された。この仕事を機に、『毎日かあさん』などの連載も再開した<ref name=":13" />。 2008年12月、2009年春から『毎日かあさん』がアニメ放送されると発表<ref name=":12" />。 2008年9月末、[[リーマンショック]]による高須クリニックの海外進出頓挫前に創られた高須クリニックのCMの『高須クリニックCMドバイ編』に出演している<ref>[https://web.archive.org/web/20140427191729/http://biz-journal.jp/i/2014/04/post_4726_entry.html ビジネスジャーナル 2014.4.27 高須クリニック、「意味不明」と話題のCM、その狙いと秘密とは?高須院長に聞いた]</ref>。 2009年5月1日から25日まで、渋谷パルコファクトリーにて「漫画家生活25周年記念企画 西原理恵子博覧会 バラハク」開催<ref>{{Cite web|和書|title=サイバラ25周年記念博覧会「バラハク」開催 |url=https://natalie.mu/comic/news/15879 |website=コミックナタリー |access-date=2022-06-03 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>。 [[2010年]]には[[菅野美穂]]主演、[[吉田大八 (映画監督)|吉田大八]]監督で『[[パーマネント野ばら]]』が映画化された他、『[[この世でいちばん大事な「カネ」の話]]』を原作として『崖っぷちのエリー〜この世でいちばん大事な「カネ」の話』が[[山田優 (モデル)|山田優]]主演でテレビドラマ化された。 2010年7月7日に『毎日かあさん』の実写映画化決定を自身のブログで発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/saibararieko/entry-10583976168.html |title=映画化|銭の花はどこに咲く。さいばらりえこの太腕繁盛記 生(なま) |accessdate=2013-4-16}}</ref>。「かあさん」「鴨ちゃん」を[[小泉今日子]]と[[永瀬正敏]](2004年に離婚した元夫婦でもある)がそれぞれ演じることとなり、[[2011年]][[2月5日]]に全国[[松竹]]系にて実写映画版が公開された。 2011年12月10日から2012年2月12日まで、熊本市現代美術館にて「漫画家生活25周年記念企画 西原理恵子博覧会 バラハク」開催。 2016年、高須との共著『ダーリンは70歳 高須帝国の逆襲』([[小学館]])が、「編集上の不備があった」として回収の対象となる<ref>{{Cite news|url= https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/06/01/kiji/K20160601012699320.html |title= 高須院長&西原理恵子さんの共著を回収 社内で不備指摘 |newspaper= Sponichi Annex |publisher= スポーツニッポン新聞社 |date= 2016-06-01 |accessdate= 2016-06-01 }}</ref>。 2017年6月26日、2002年から16年にわたり連載してきた『毎日かあさん』を連載終了。その後は読者からの投稿をもとに西原が絵を描いた『卒母のススメ』を掲載していた<ref name=":8" />。 2017年7月、高須が[[民進党]]代表(当時)の[[蓮舫]]と民進党議員(当時)の[[大西健介]]を名誉毀損で訴えた裁判では、[[法廷画家]]を務めている<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20170724-KAMOURRGUJIJJAJVY3KLE7DOXQ/|title=サイバラ先生が法廷画家デビュー 高須クリニック名誉毀損訴訟で 「家帰って漫画描きたい」|publisher=産経新聞社|date=2017-7-24|accessdate=2017-11-18}}</ref>。 === 受賞歴 === [[1997年]]:『[[ぼくんち]]』で[[文藝春秋漫画賞]]。 [[2005年]]:『毎日かあさん(カニ母編)』で[[文化庁メディア芸術祭]]漫画部門優秀賞、『毎日かあさん』『上京ものがたり』で[[手塚治虫文化賞]]短編賞を受賞。 [[2008年]]:第29回[[日本雑学大賞]]<ref>[http://www.book-navi.com/zatugaku-club/taisyo.html 日本雑学大賞受賞者一覧]</ref>受賞。[[雑学倶楽部]]主催。 [[2011年]]:『毎日かあさん』で第40回[[日本漫画家協会賞]]参議院議長賞を受賞。 [[2013年]]:第6回[[ベストマザー賞]](文芸部門)受賞。[[日本マザーズ協会]]主催。 == 作風 == [[File:勢翔太201910.jpg|thumb|300px|[[勢翔太]]に贈られた'''西原理恵子'''デザインの化粧まわし]] 大学在学中に成人誌のカットを描く仕事を始めると、西原独自の「絵の横に本文に対するツッコミを書き添えた」イラストとツッコミを絡めるスタイルを行った。これが編集者の目に留まったことで、1988年に小学館『ヤングサンデー』で漫画家としてデビュー出来ている。このスタイルはその後にノンフィクション漫画というジャンルで大きな開花を果たしている<ref name=":7" />。 デビュー当時は[[原律子]]のエロギャグを写し書きしていたが、誰からも気付いてもらえなかったことに寂しさを感じたと語っている<ref>西原理恵子の人生画力対決</ref>。 絵柄は基本的に非常にラフで、特にギャグ作品では描き殴ったような印象を受ける。自ら「上達ではなく下達するタイプ」と評している。 『[[まあじゃんほうろうき]]』『[[恨ミシュラン]]』『[[できるかな (漫画)|できるかな]]』などの、型破りな「エッセイ漫画」が前人未到の「[[無頼派]]」と評される一方、『[[はれた日は学校をやすんで]]』『[[ゆんぼくん]]』『[[ぼくんち]]』『[[いけちゃんとぼく]]』などでは「[[叙情|叙情性]]」が特徴とされる。ちなみに『まあじゃんほうろうき』のコラムで[[片山まさゆき]]は「彼女がその気になれば、すぐにでも童話作家になれる」と評している。 元夫の[[鴨志田穣]]や友人の金角(後に、[[ゲッツ板谷]]に改名)・銀角らがライターとしてデビューしたのも西原がきっかけであると言われている。 『いけちゃんとぼく』『[[女の子ものがたり]]』『[[パーマネント野ばら]]』など映画化が相次いでいる理由を問われ、「不況に強かったかな、と。景気が良かったら、もっとお金のかかる大作を映画化するんだろうけど。私の作品は、現実はキッチリ描くけど、最後はちょっとだけ笑っていただけるところがある。それが理由かな。みなさん精神的にキツい局面なので、夢みたいなセレブ生活なんて見たくないのかもしれませんね。」と語った<ref>[https://www.moviecollection.jp/news/8614/ 自立しないとコワいことに…不況に強い西原理恵子が仕事の大切さを力説] MOVIE collection</ref>。 『[[ぼくんち]]』の題名は[[けらえいこ]]の漫画『[[あたしンち]]』をもじったものであると言われていたが、作者本人はこれについて「よりぬき毎日かあさん」内のインタビューにて否定している。 文章担当者([[山崎一夫 (賭博)|山崎一夫]]、[[鴨志田穣]]、[[清水義範]]、[[末井昭]]、[[ゲッツ板谷]]ら)と共著扱いになっている書が多数存在する。 === 自画像 === 作品内の自画像はたびたび変化している。初期の頃はおかっぱ頭に黄色のシャツと赤いスカート姿だったが、『まあじゃんほうろうき』では麻雀に負けると羽をむしられた鳥の姿に変身し、『鳥頭紀行ジャングル編』辺りから[[もんぺ|モンペ]]を穿き[[手ぬぐい]]を首に巻いた土木作業員のような格好になった。『鳥頭紀行 くりくり編』にて[[ミャンマー]]で出家して以降は坊主頭(髪は前髪の一房のみ)と修行衣姿になる(この姿は、本人によれば読者から「腐った[[キューピー|キューピー人形]]」と投書が来るほど不評だったらしい<ref>『いやでも楽しめる算数』(引用元『サイバラ茸2』P212)より。このカットの次の回から「母さん姿」に自画像が切り替わっている。</ref>)。そして2児の母となった現在は、お団子頭を玉かんざしでまとめ[[割烹着]]にサンダル履きという「古き良き時代の庶民的おかん」というべき格好をしている([[青島幸男]]扮する『[[いじわるばあさん|意地悪ばあさん]]』の[[いじわるばあさん#登場人物|伊知割石]]と、[[ばってん荒川]]扮するお米ばあさんを、モデルにしているという)。ただし『毎日新聞』で『毎日かあさん』を連載開始してからは、著作権の関係から新たな作品ではこの割烹着スタイルは使用されておらず、2007年から2009年連載の『西原理恵子の太腕繁盛記』以降では「おかっぱ頭で首に手ぬぐい、黄色のシャツ」という自画像になっている<ref>『できるかなゴーゴー!』の「芸術編」(2010年掲載)以降や『週刊とりあたまニュース』、『西原理恵子の人生画力対決』でも途中から似顔絵が「割烹着」から「青スカート」に切り替わっている。</ref>。『りえさん手帖』では、茶髪パーマに派手な柄の服で登場する。 == 人物 == 実父、元夫(鴨志田)がアルコール依存症で、義父がギャンブル依存症である<ref name=":11" />。自分の母親がいつも自分が結婚した男の悪口を言ってたのが嫌であったことを明かしている。理恵子は鴨志田と同居再開から亡くなるまでの最後の半年間で「私たちは親の代よりちょっとはまともな家族になれたんじゃないかな」って思っており、癌になっていた鴨志田と同居再開するように自身を説得をした[[高須克弥]]のおかげで負のスパイラルから抜け出ることが出来たと述べている<ref name=":1" />。とても気さくな性格として知られている。 === 親交 === 同年齢の親友である[[小説家]]の[[岩井志麻子]]、[[編集者]]の[[中瀬ゆかり]]とともに「熟女[[キャッツ・アイ|キャッツアイ]]」を名乗り、トークショーなどの活動を行っている<ref>[http://eiga.com/news/20100818/13/ 西原理恵子、岩井志麻子ら“熟女キャッツアイ”がジュリア・ロバーツに対抗心]</ref>。また、「熟女キャッツアイ」はともに[[高須クリニック]]院長の高須克弥との親交が深く、高須の支払いで食事や旅行などしている。高須の私財を基に設立された高須克弥記念財団においては、西原が理事長に就任している<ref>「社会貢献活動」『[http://www.takasu-foundation.or.jp/contribution/news_09.html 高須克弥記念財団が毎日希望奨学金に寄付をしました。]』高須克弥記念財団。</ref>。2012年10月11日発売の『女性セブン』では高須克弥との対談において、高須の妻の死去後、2年間にわたって「交際」していることを明らかにした(知り合ったのは10年前という){{要出典|date=2016年3月8日 (火) 14:35 (UTC)}}。敢えて入籍しないことを選んだ理由として高須は「籍を入れると何かあった時に全部不倫と言われる」と述べており、西原もこの考え方に賛成している<ref name="jijitsukon">{{Cite web|和書|title =高須克弥院長が事実婚を選んだ理由「何かあったときに全部不倫になる」 |publisher =ライブドアニュース |date =2016-9-25 | url =https://news.livedoor.com/article/detail/12061815/ | accessdate =2016-9-26 }}</ref>。 2012年2月まで、[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]の夕方帯番組『[[5時に夢中!]]』に、同番組のスポンサーである高須とともに出演していた。同番組では高須、西原、[[ファッションモデル]]の[[ジョナサン・シガー]]のそれぞれの頭文字より「TSJお稽古クラブ」と題したレギュラーコーナーを持ち、毎週出演をしていた。しかし、[[2012年]][[2月23日]]に出演した際、[[東京ディズニーランド|ディズニーランド]]の清掃業者に関する本を酷評し、さらに[[3月15日]]には、ど真ん中に[[ボタン (植物)|牡丹]]の花が描かれている本の表紙を見て「牡丹ど真ん中、[[まんこ]]ど真ん中」と失言。その結果、『5時に夢中!』を降板させられた<ref>[https://ameblo.jp/saibararieko/entry-11201635730.html 銭の花はどこに咲く。さいばらりえこの太腕繁盛記生(なま)「♪首になったー♪」]</ref>。この降板の件で、本人が「大ファン」という『[[東京スポーツ]]』の一面記事に載り「人生最良の日を迎えられました」と[[ブログ]]でコメントしている{{要出典|date=2017年2月7日 (火) 18:14 (UTC)}}。 幼少より映画鑑賞を好み、自身の作品が映画化される際はほぼ[[カメオ出演]]をしている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2026527/full/|title=作家・西原理恵子氏、『上京ものがたり』清掃おばちゃん役でカメオ出演|publisher=ORICON STYLE|date=2013-07-12|accessdate=2016-03-20}}</ref>。 同郷である[[やなせたかし]]の訃報に際し、『毎日新聞』2013年10月20日号の『毎日かあさん』で追悼の意思を表しており、その中で「自身のサイン会にて、不機嫌だった子供に対し[[アンパンマン]]のイラストとやなせのサインを勝手に書いてプレゼントしたことがあり、そのことをやなせに対して話すと「いいよ、ぼくも売れないころ[[ドラえもん]]のサイン描いてたから」と承諾された」というエピソードを紹介した。 === 子供 === 子供は前夫の鴨志田との間に1男1女がいる(2人は西原の漫画にもしばしば登場する)<ref name=gnavi>[http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/1630 【田中圭一のペンと箸-漫画家の好物-】第五話:西原理恵子と鶏の唐揚げ] - ぐるなび みんなのごはん。・2014年9月19日</ref>。 ==== 息子==== 西原と高須が共に朝帰りする様子を『[[FRIDAY (雑誌)|FRIDAY]]』に掲載された際は「息子たち公認」と書かれたが、息子曰く「んなもん誰も認めてねーよ」とのこと<ref name="gnavi" />。ただし「何としてでも漫画家になるんだという不屈の精神は尊敬している」とのことで、息子との仲は悪くない<ref name="gnavi" />。息子は1年間アメリカに留学させていたことで、[[ホームステイ]]で家族への感謝は大げさに伝えなきゃいけないと学んだこと、感謝と謝罪以外に「こういうふうにうれしい、こういうふうに不愉快だって言わないと物事が何一つ前に進んでいかないと学んだ」と西原に言ったため、西原は「外飯(留学)食わせて良かったなと思った」と述べている<ref name=":14" />。息子の成人時に「成人おめでとう」って言った時に、息子から「好きにやらせてくれて本当にありがとう」「お母さんの生き方はとっても良いと思うよ。よくわかんないけどさ、男尊女卑とかそういうものに縛られずに自由にやっていて自慢だよ」と言われている<ref name=":14" />。 ==== 娘 ==== 2014年当時は母兄とも仲が良く、西原に影響を受けたことを「誇り」とまで言っていたが<ref>{{Cite web|和書|title=【田中圭一のペンと箸-漫画家の好物-】第五話:西原理恵子と鶏の唐揚げ |url=http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/1630 |website=ぐるなび みんなのごはん |date=2014-09-19 |access-date=2023-09-24 |language=ja |last=mgohan_cn}}</ref>、2021年自身のブログで、「初めて精神科に行った際に、家庭環境を答えると「すぐに[[児童相談所]]に連絡します」と言われたが、そんなことされたら殺されると思い、泣きながらやめてくれと懇願し、[[サインバルタ]]をもらって帰った」、「最初は学費も生活費も出さないと言われていたが、[[AO入試|AO]]で受かった大学の入学金は振り込まれており、お母さんは本気で私のことを捨てる度胸がないからだ」と述べている(後日、これらの投稿は自身で削除された)。2023年7月29日にアパートから飛び降り、骨盤を骨折したと<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2289633/full/|title=西原理恵子氏の娘・鴨志田ひよ、アパートから飛び降り骨盤を折ったと明かす 精神科に転院とも SNSに心境|website=ORICON NEWS|publisher=oricon ME|data=2023-08-03|accessdate=2023-08-04}}</ref>、自身のSNSで述べている(後日、これらの投稿は自身で削除された)。亡父を慕い、鴨志田姓を名乗っている。 == 作品リスト == === 叙情派 === * [[ちくろ幼稚園]] * [[はれた日は学校をやすんで]] * [[ゆんぼくん]] * [[ぼくんち]] * [[上京ものがたり]] * [[女の子ものがたり]] * [[いけちゃんとぼく]] * [[パーマネント野ばら]] * きみのかみさま === 無頼派(ギャンブル関係) === * [[まあじゃんほうろうき]] * [[パチンコにはちょっとひとこといわせてもらいたい]] * 定本何を切る!? ([[片山まさゆき]]と[[馬場裕一]]との共著) * [[デカピンでポン!!]]([[山崎一夫 (賭博)|山崎一夫]]との共著) * [[どばくちさいゆうき]](同) * [[サクサクさーくる]](同) * [[カモネギ白書]](同) * [[たぬきランド]](1)-(3)(同) * たぬきランド・ネオ(同) * たぬきランド・ひふみ(同) * パチンコの王道(同) * 麻雀で食え-山ちゃん麻雀カッパギ指南(同) * 麻雀で食え!!おかわり(同) * たぬきの皮算用(同) * たぬきの皮算用2(同) * たぬきの明細票(同) * 高田馬場の三馬鹿物語(同) * 迷って選んだ答えは必ず間違い(同) * パチンコからはじまる○×△な話(山崎一夫と[[末井昭]]との共著) === 無頼派(体験記他) === * [[鳥頭紀行]] ジャングル編 ISBN 4043543050 * 鳥頭紀行 くりくり編 ISBN 4043543085 * 鳥頭紀行 ぜんぶ ISBN 4022642661 * 鳥頭対談([[群ようこ]]との共著) * 怒濤の虫 * [[できるかな (漫画)|できるかな]] * できるかなリターンズ * できるかなV3 * できるかなクアトロ * できるかなゴーゴー! *できるかなロワイヤル * 営業ものがたり * [[西原理恵子の太腕繁盛記 FXでガチンコ勝負!編]] === 共著 === * 鳥頭対談([[群ようこ]]との共著) *『静と理恵子の血みどろ絵日誌』シリーズ([[伊集院静]]との共著 単行本版:[[双葉社]] 文庫版:[[角川文庫]]) ** アホー鳥が行く ** それがどうした 2002年双葉社刊後 2005年角川文庫 ** ぜんぜん大丈夫 ** たまりませんな ** どうにかなるか ** なんでもありか * [[恨ミシュラン]]1-3([[神足裕司]]との共著) * はじめてわかる国語([[清水義範]]との共著) * いやでも楽しめる算数(清水義範との共著) * おもしろくても理科(清水義範との共著) * もっとおもしろくても理科(清水義範との共著) * どうころんでも社会科(清水義範との共著) * もっとどうころんでも社会科(清水義範との共著) * 飛びすぎる教室(清水義範との共著) * [[むいむい―りえこさん虫日記]]([[西田考治]]との共著) * アジアパー伝シリーズ([[鴨志田穣]]との共著) * [[ブスの壁]]([[高須克弥]]、西原はイラスト担当)ISBN 4103021519 * 独断流「読書」必勝法(清水義範との共著)ISBN 9784062140577 * [[中島らも]]の明るい悩み相談室シリーズ(イラスト担当の一人として参加) * 定本何を切る!? (片山まさゆきと馬場裕一との共著) * ご存知!銀玉親方・山ちゃんのパチンコかっぱぎ講座([[山崎一夫 (賭博)|山崎一夫]]との共著) * 銀玉親方のパチンコ絶対必勝法!!(同) * 銀玉親方のパチンコカッパギ道場!!(同) * 銀玉親方のパチンコが3日で勝てる本!!(同) * 続・銀玉親方のパチンコが3日で勝てる本(同) * 最新版・銀玉親方のパチンコが3日で勝てる本(同) * 銀玉親方のCR機パチンコが3日で勝てる本(同) * 銀玉親方の新・CR機パチンコが3日で勝てる本(同) * サイバラ式(同) * デカピンでポン!!(同) * どばくちさいゆうき(同) * サクサクさーくる(同) * カモネギ白書(同) * たぬきランド(1)-(3)(同) * たぬきランド・ネオ(同) * たぬきランド・ひふみ(同) * パチンコの王道(同) * 麻雀で食え-山ちゃん麻雀カッパギ指南(同) * 麻雀で食え!!おかわり(同) * たぬきの皮算用(同) * たぬきの皮算用2(同) * たぬきの明細票(同) * 高田馬場の三馬鹿物語(同) * 迷って選んだ答えは必ず間違い(同) * パチンコからはじまる○×△な話(山崎一夫と末井昭との共著) * タイ怪人紀行([[ゲッツ板谷]]、[[鴨志田穣]]との共著、西原はイラストを担当) * ベトナム怪人紀行(同) * インド怪人紀行(同) * ベトナム乱暴紀行リバイバル(同) * ばらっちからカモメール(同) * 続 ばらっちからカモメール―最後のラブレター (鴨志田穣との共著) * カモちゃんの今日も煮え煮え(鴨志田穣との共著) * わらしべ偉人伝!(ゲッツ板谷との共著) * バカの瞬発力(同) * 許してガリレオ!(同) * 情熱チャンジャリータ (同) * 板谷バカ三代(同) * やっぱし板谷バカ三代(同) * 板谷遠足!(同) * 妄想シャーマンタンク(同) * 西原理恵子X月乃光司のおサケについてのまじめな話 アルコール依存症という病気([[月乃光司]]との共著) * 実録!あるこーる白書([[吾妻ひでお]]との対談。協力、[[月乃光司]]) * 週刊とりあたまニュース 最強コンビ結成!編([[佐藤優 (外交官)|佐藤優]]との共著) * とりあたまJAPAN 日はまた昇る!編(同) * とりあたま帝国 右も左も大集合!編(同) * とりあたま大学 世界一ブラックな授業!編(同) * とりあたまGO モンスター襲来!編(同) *とりあたま炎上 忖度無用のチキンレース!編(同) *とりあたま元年 最凶コンビよ永遠に!編(同) === その他書籍 === * 西原理恵子の太腕繁盛記 FX編(青山浩とのFX体験記) * 西原理恵子のおくられてうれしくないポストカード(カラーポストカード集) * 西原理恵子のやっぱりおくられてうれしくないポストカード(カラーポストカード集) * サイバラ貼り倒しシールブック * サイバラ茸1-8(共著等より西原の作品部分のみを抜粋し編集) * [[毎日かあさん]] * [[りえさん手帖]] * 西原理恵子の人生一年生1-2(単行本版と、『できるかなクアトロ』に収録された[[小学館の学年別学習雑誌|小学六年生]]連載版がある) * いけちゃんとぼく(絵本。[[ザ・ベストハウス123]]で「絶対に泣ける本第1位」に選ばれた) * 毎週かあさん([[小学館]]の[[携帯サイト]]で毎週配信されたカットを編集) * [[この世でいちばん大事な「カネ」の話]](自叙伝的エッセイ) * [[西原理恵子の人生画力対決]]1-8([[ビッグコミックスペリオール]]) *おとうさんとおかあさんのけんか(絵本) *それはちょっといやだ([[ロッキング・オン]]に連載された4コマ漫画。「できるかな」他、収録) * サイバラ絵日記(『静と理恵子の血みどろ絵日誌』シリーズ〈週刊大衆連載コラム「それでもアホー鳥が行く<ref>2014年7月現在、週刊大衆での連載名は『作家の遊び方』(コラムから伊集院の文のみを抜粋して編集した本の題名)となっている</ref>」編集本〉の続編で、コラムから西原のカット部分のみを編集して収録) 2012年 双葉社 * 生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント、文春新書 * 家族の悪知恵 身もフタもないけど役に立つ49のヒント、文春新書 * いいとこ取り!熟年交際のススメ(新潮社) * [[ダーリンは70歳]](ビッグコミックスペリオール) * [[猫組長]]と西原理恵子の「ネコノミクス宣言」(週刊SPA!) * 女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと(KADOKAWA) === コンピュータゲーム === * さいばらりえこのまあじゃんほうろうき([[タイトー]]より発売された[[スーパーファミコン]]用ソフト。麻雀ゲーム) * 雀牌遊戯'99たぬきの皮算用([[メディアリング]]より発売された[[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]用・パソコン用ソフト。麻雀ゲーム。カマ友サトちゃんサイバラ作品第1弾。ファミ通初の麻雀ゲーム殿堂入り作品。売上10万本以上。後にNECインターチャネルよりPC版も発売。) * 麻雀鳥頭紀行([[メディアリング]]より発売された[[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]用ソフト。麻雀ゲーム。カマ友サトちゃんサイバラ作品第2弾。ゲームなのにカラー原画100点超…西原曰くダマサレタ…。) ** 麻雀鳥頭紀行読本([[ケイブンシャ]]より発売された[[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]用ソフトの攻略本。カマ友サトちゃん企画。攻略本と言うよりは原画集。ゲッツと鴨ちゃんの対談付き) * 西原理恵子の殿堂麻雀([[メディアリング]]より発売された[[ゲームボーイアドバンス]]用ソフト。麻雀ゲーム。カマ友サトちゃんサイバラ作品第3弾) === テレビアニメ === * [[ふるさと再生 日本の昔ばなし]](キャラクターデザイン 絵コンテ・演出:[[ところともかず]]) **第79回「小さな栃の実」(2013年) **第120回「一休さんの虎退治」(2014年) == 出演 == {{出典の明記|date=2017年2月7日 (火) 18:14 (UTC)|section=1}} === テレビ === <!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人」参照 --> *[[5時に夢中!]]([[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]、木曜日)2012年3月で降板 === CM === *[[高須クリニック]] *[[J-オイルミルズ]] === 映画 === * [[ワルボロ]](2007年、[[東映]]) - 保育園の保母さん 役 * いけちゃんとぼく(2009年、[[角川映画]]) - 親戚のおばさん2 役 * 女の子ものがたり(2009年、IMJエンタテインメント、[[エイベックス・ピクチャーズ|エイベックス・エンタテインメント]]) - みさの近所のおばさん 役 * パーマネント野ばら(2010年、[[ショウゲート]]) - 美容院専用ヘアカタログ「美人・ヘアカタログ」のモデル 役 * 上京ものがたり(2013年、[[ファントム・フィルム]]) - ビル清掃のおばさん 役 == 演じた俳優 == * [[森公美子]](声) - 『[[毎日かあさん]]』([[2009年]](平成21年) - [[2012年]](平成24年)、テレビアニメ) 役名:鴨原理恵子 * [[山田優 (モデル)|山田優]] - 『[[この世でいちばん大事な「カネ」の話#テレビドラマ|崖っぷちのエリー〜この世でいちばん大事な「カネ」の話〜]]』([[2010年]](平成22年)、ドラマ)役名:相原絵里子 * [[永作博美]] - 『[[酔いがさめたら、うちに帰ろう。]]』(2010年、映画)役名:園田由紀 * [[小泉今日子]] - 『[[毎日かあさん]]』([[2011年]](平成23年)、映画)役名:サイバラリエコ * [[松岡茉優]](高校生以降)、 [[ 山田菜々香]](子役)-『人生は「サイテーおやじ」から教わった』([[2013年]]、ドラマ)<ref>{{NHK放送史|D0009050080_00000|プレミアムドラマ 人生は“サイテーおやじ”から教わった~漫画家・西原理恵子}}</ref><ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010480 番組エピソード 父と子の絆を描く【父の日ドラマ特集】 -NHKアーカイブス]</ref> 役名:西原理恵子 * [[亜城めぐ]](声) - 『[[できるかな (漫画)|できるかな]]』(2017年、[[タテアニメ]]) == 参考文献 == *『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]] 詩と批評 特集 西原理恵子』 青土社、2006年7月号 *『KAWADE夢ムック 総特集 西原理恵子―やり逃げ人生 デビュー30周年記念』河出書房新社、2018年1月 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <div class= "references-small"> <references/> </div> == 関連項目 == * [[ファイト (テレビドラマ)]] - 題字とタイトルバックのイラストを担当し、最終回に路上イラスト描きの役で出演 * [[つながるテレビ@ヒューマン]] - 番組サポーターとしてコメンテーター出演 * [[あたご劇場]] * [[野村昭嘉]] == 外部リンク == * [https://toriatama.net/ 鳥頭の城] - 公式サイト * [https://ameblo.jp/saibararieko/ 銭の花はどこに咲く。さいばらりえこの太腕繁盛記生(なま)] - ブログ * [https://www.mag2.com/m/0001247730.html 西原理恵子の電子マガジン バラマガ]([[まぐまぐ]]) - メールマガジン * {{NHK人物録|D0009071999_00000}} {{ベストマザー賞}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:さいはら りえこ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本のコラムニスト]] [[Category:新聞連載の漫画家]] [[Category:キノベス!]] [[Category:武蔵野美術大学出身の人物]] [[Category:高知県出身の人物]] [[Category:1964年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:日本のサブカルチャーに関する人物]]
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里中満智子
里中 満智子(さとなか まちこ、女性、1948年1月24日 - )は、日本の漫画家、大阪芸術大学教授。公益社団法人日本漫画家協会理事長(2018年6月 - )。大阪府大阪市出身。描いた作品数は2019年時点で500を超える。 小学校入学に際して何か本を買ってあげるといわれて親と本屋に行った時に当時創刊された月刊なかよしを購入する。その中の手塚治虫『とんから谷物語』を好きになりそこから、少年マンガも読み始めて『鉄腕アトム』や、すでに連載が終わっていたが当時はまだ珍しかった単行本になっていた『ジャングル大帝』を愛読した。『火の鳥』を模倣して自分で書いた『愛のオーロラ』で時間の流れをコマ割りで読者に確実に伝える手塚の技法を模倣した。19歳の時、生の手塚治虫に見かけた時、気持ちがフワフワして、緊張した。24歳の時、新幹線ひかりで大阪まで手塚治虫と2人だけで移動する事になり、究極のエロティシズムを書きたい話や奥様の話を聞くというチャンスにめぐまれた。 中学在学中から漫画家を志していた。成績は良かったが、漫画が悪書とみなされていた時代であったので、学校の教師や母親は漫画家になることには強く反対していた。「テストで1問間違えたら、漫画を1冊捨てる」という条件を母親に出し、優先順位をつけて本当に残したい蔵書は守りつつ、漫画との関わりを続けた。手塚作品が様々な歴史の知識や科学理論を背景としていることから幅広い読書の必要を痛感し、高校進学後も含めて図書館の本を読み漁った。 16歳で第1回講談社新人漫画賞で1位入賞し、そのままデビュー。週刊誌が取材に来る一躍脚光を浴び、親や教師も漫画家になることを賛成するようになった。人物描写力を磨くため、目をつぶって新聞で指さした記事の当事者になりきって考えるという独特のトレーニングを編み出した。大学受験が近づくと、漫画業を一時休むことを勧められたが、「学校は一生は行かないが、仕事は一生」と考えて、3年生で大阪市立桜宮高等学校を中退した。その後、当時の少女漫画で描かれたような「恋」や「ときめき」だけでなく、激しい愛のあり方や、愛によって生まれる憎しみや苦しみ、道ならぬ恋愛などを描いた。それらはやがて少女漫画というジャンルを超えて、大人の女性も読む恋愛ドラマとしてその世界を広げていった。 近年では、『天上の虹』(2015年完結)やギリシア神話、名作オペラ、『旧約聖書』のコミカライズ等を出版している。創作活動以外にも多彩な社会活動を行なっており、過去現在ともに学識経験者・文化人として実績がある。 「コミック表現の自由を守る会」世話人、「漫画原稿を守る会」賛同者など、漫画家の権利と地位向上に関する活動にも熱心である。国が計画中の漫画・アニメ等を展示する施設「国立メディア芸術総合センター(仮称)」を推進する立場を取っており、新聞報道などで同施設が「国立漫画喫茶」と書き立てられたことに「誤解されていると危惧している」とコメントしている。その上で、近年取り上げられている児童ポルノ法改正案に対しては「表現の自由を侵害する」として慎重な立場を取っており、創作物の規制/単純所持規制に反対する請願署名市民有志の賛同人として名を連ねている。2010年の東京都青少年の健全な育成に関する条例改正に反対する記者会見にもちばてつや、永井豪、竹宮惠子らとともに出席している。また放送倫理・番組向上機構(BPO)評議員会議長代行を務める。 他多数 西暦は受賞年を示す。
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里中 満智子は、日本の漫画家、大阪芸術大学教授。公益社団法人日本漫画家協会理事長。大阪府大阪市出身。描いた作品数は2019年時点で500を超える。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 里中 満智子 | 画像 = Machiko Satonaka 20231101.jpg | 画像サイズ = | 脚注 = 2023年10月、[[内閣総理大臣官邸]]にて | 本名 = | 生地 = {{flagicon|Japan}} [[大阪府]][[大阪市]] | 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1948|1|24}} | 没年 = | 職業 = [[漫画家]]<br />[[教授|大学教授]] | 称号 = [[文化功労者]] | 活動期間 = [[1964年]] - | ジャンル = [[少女漫画]] | 代表作 = 『[[アリエスの乙女たち]]』<br />『[[天上の虹]]』 | 受賞 = | 公式サイト = [http://satonakamachiko.blog.fc2.com/ 里中満智子 公式ブログ] }} '''里中 満智子'''(さとなか まちこ、女性、[[1948年]][[1月24日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[大阪芸術大学]][[教授]]。公益社団法人[[日本漫画家協会]]理事長(2018年6月<ref name="kyodo">[https://web.archive.org/web/20190327085715/https://this.kiji.is/380329726198203489 漫画協新理事長に里中満智子さん ちばてつやさんは会長に] [[共同通信]]、2018年6月15日</ref> - )。[[大阪府]][[大阪市]]出身。描いた作品数は2019年時点で500を超える<ref name="日経20190901">【My Story】マンガ家 里中満智子さん/十六にして惑わず『[[日本経済新聞]]』朝刊2019年9月1日22-23面(NIKKEI The STYLE / Interview)。</ref>。 == 来歴 == [[ファイル:Shinji Mizushima Machiko Satonaka Tetsuo Saito Tetsuya Chiba and Monkey Punch cropped 1 Shinji Mizushima Machiko Satonaka Tetsuo Saito Tetsuya Chiba and Monkey Punch 20090906.jpg|thumb|200px|[[2009年]][[9月6日]]、国際マンガサミットフェスタにて国際マンガサミット実行委員会[[委員長]][[水島新司]](左端)、[[環境大臣]][[斉藤鉄夫]](中央)、[[日本漫画家協会]]常務[[理事]][[ちばてつや]](右から2人目)、[[デジタルマンガ協会]][[会長]][[モンキー・パンチ]](右端)と]] 小学校入学に際して何か本を買ってあげるといわれて親と本屋に行った時に当時創刊された月刊[[なかよし]]を購入する。その中の[[手塚治虫]]『[[とんから谷物語]]』を好きになりそこから、少年マンガも読み始めて『[[鉄腕アトム]]』や、すでに連載が終わっていたが当時はまだ珍しかった単行本になっていた『[[ジャングル大帝]]』を愛読した。『[[火の鳥 (漫画)|火の鳥]]』を模倣して自分で書いた『[[愛のオーロラ]]』で時間の流れをコマ割りで読者に確実に伝える手塚の技法を模倣した。19歳の時、生の[[手塚治虫]]に見かけた時、気持ちがフワフワして、緊張した。24歳の時、新幹線ひかりで大阪まで[[手塚治虫]]と2人だけで移動する事になり、究極のエロティシズムを書きたい話や奥様の話を聞くというチャンスにめぐまれた。 中学在学中から漫画家を志していた。成績は良かったが、漫画が[[悪書追放運動|悪書]]とみなされていた時代であったので、学校の教師や母親は漫画家になることには強く反対していた。「テストで1問間違えたら、漫画を1冊捨てる」という条件を母親に出し、優先順位をつけて本当に残したい蔵書は守りつつ、漫画との関わりを続けた。手塚作品が様々な歴史の知識や[[科学理論]]を背景としていることから幅広い読書の必要を痛感し、高校進学後も含めて図書館の本を読み漁った<ref name="日経20190901"/>。 16歳で第1回[[講談社]]新人漫画賞で1位入賞し、そのままデビュー。週刊誌が取材に来る一躍脚光を浴び、親や教師も漫画家になることを賛成するようになった。人物描写力を磨くため、目をつぶって新聞で指さした記事の当事者になりきって考えるという独特のトレーニングを編み出した。大学受験が近づくと、漫画業を一時休むことを勧められたが、「学校は一生は行かないが、仕事は一生」と考えて、3年生で[[大阪市立桜宮高等学校]]を中退した<ref name="日経20190901"/><ref>『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.481</ref>。その後、当時の少女漫画で描かれたような「恋」や「ときめき」だけでなく、激しい愛のあり方や、愛によって生まれる憎しみや苦しみ、道ならぬ恋愛などを描いた。それらはやがて少女漫画というジャンルを超えて、大人の女性も読む恋愛ドラマとしてその世界を広げていった。 近年では、『[[天上の虹]]』(2015年完結)や[[ギリシア神話]]、名作[[オペラ]]、『[[旧約聖書]]』のコミカライズ等を出版している。創作活動以外にも多彩な社会活動を行なっており、過去現在ともに学識経験者・[[文化人]]として実績がある。 「[[コミック表現の自由を守る会]]」世話人、「[[漫画原稿を守る会]]」賛同者など、漫画家の権利と地位向上に関する活動にも熱心である。国が計画中の漫画・アニメ等を展示する施設「[[国立メディア芸術総合センター]](仮称)」を推進する立場を取っており、新聞報道などで同施設が「国立漫画喫茶」と書き立てられたことに「誤解されていると危惧している」とコメントしている<ref>[http://satonaka-machiko.seesaa.net/category/339720-1.html 公式ブログ]より</ref>。その上で、近年取り上げられている[[児童ポルノ]]法改正案に対しては「[[表現の自由]]を侵害する」として慎重な立場を取っており、創作物の規制/単純所持規制に反対する請願署名市民有志の賛同人として名を連ねている<ref>[https://web.archive.org/web/20081216041838/http://www.savemanga.com/ 創作物の規制/単純所持規制に反対する請願署名市民有志]より</ref>。[[2010年]]の[[東京都青少年の健全な育成に関する条例]]改正に反対する記者会見にも[[ちばてつや]]、[[永井豪]]、[[竹宮惠子]]らとともに出席している。また[[放送倫理・番組向上機構]](BPO)評議員会議長代行を務める。 == 人物 == [[ファイル:Machiko Satonaka cropped 1 Machiko Satonaka 20201203.png|サムネイル|2020年]] *漫画『[[ドカベン]]』に登場する[[里中智]]の名前の元となった人でもある<ref name="sponichi221018">{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/18/kiji/20220118s00041000070000c.html|title=水島さん訃報に「ドカベン」里中投手モデル里中満智子氏「誰もが主人公になれると教えてくれた」|publisher=[[スポーツニッポン]]|date=2022-01-18|accessdate=2022-01-18}}</ref>。 *『[[野球狂の詩]]』の富樫平八郎が主人公である「~10番」シリーズでは子供や女性の作画で協力している<ref name="sponichi221018"/>。 *私生活では二十歳のとき編集者と結婚、その後、離婚している。 == 作品リスト(単行本) == *『一番星みつけた』[[講談社]]、1967 のち[[若木書房]] *『[[ナナとリリ]]』 1968 *『絵里子』[[朝日ソノラマ]]、1969 *『恋人たちの物語』朝日ソノラマ、1969 *『愛のコンチェルト』朝日ソノラマ、1970 *『銀河はるかに』朝日ソノラマ、1971 *『わが愛の記録』朝日ソノラマ、1971 *『海鳴りがやむとき』朝日ソノラマ、1973 *『ララ♡ハート』朝日ソノラマ、1973 *『あした輝く』[[講談社]]、1974 のち[[中公文庫]] *『[[アリエスの乙女たち]]』1973連載  *『[[しあわせですか?]]』講談社、1974  *『[[恋人はあなただけ]]』講談社、1975 *『クラスメート』講談社 *『[[6月4日月曜日]]』講談社、1975  *『[[レモンの季節]]』講談社、1976 *『[[Pinkyピンク]]』講談社、1976 *『レディー・アン』講談社 *『クレオパトラ』講談社、1976 *『さすらい麦子』講談社、1976  *『[[アップルマーチ]]』講談社、1976 *『[[プラスマイナス大爆発]]』講談社、1977  *『愛の時代』講談社、1977  *『花よめ先生』講談社、 *『風のゆくえ』講談社、1978 *『[[あかね雲 (漫画)|あかね雲]]』講談社、1978 *『悪女志願』講談社、1979 のち[[双葉文庫]]  *『恋愛白書』 *『[[愛情の設計]]』 *『[[天上の虹]]』1983- *『[[スポットライト (漫画)|スポットライト]]』講談社 *『パンドラ』[[小学館]]、1984 *『風の構図』講談社、1984 *『浅葱色の風―[[沖田総司]]』講談社、1984 のち中公文庫  *『北回帰線』講談社、1984 のち中公文庫  *『わが愛の記録』(ほるぷ平和まんがシリーズ)作・画 [[ほるぷ出版]] 1984 *『愛人たち』講談社、1986 のち双葉文庫 *『愛生子』講談社、1988  *『さよならの理由(わけ)』講談社、1988 のち双葉文庫  *『[[ミスターレディ]]』 *『Boy's』講談社 *『積乱雲』講談社、1989 *『あすな路坂』講談社、1990 のち「あすなろ坂」 *『[[海のオーロラ (漫画)|海のオーロラ]]』[[中央公論社]]、1991 のち文庫  *『[[長屋王]]残照記』[[徳間書店]] 1991 のち中公文庫  *『女帝の手記―[[孝謙天皇|孝謙・称徳天皇]]物語』[[読売新聞社]]、1992 のち中公文庫  *『[[アテン|アトン]]の娘』小学館、1994 [[ビッグゴールド]] *『夢色果実』講談社、1994 *『まちこの千夜一夜 ショートショート劇場』 (里中満智子浪漫選書) 翔泳社 1995 のち双葉文庫  *『4階のミズ桜子』(里中満智子浪漫選書)翔泳社 1995 のち双葉文庫  *『[[心中天網島]]』(マンガ日本の古典)中央公論社、1996 *『[[ラファエロ]]―その愛』[[美術出版社]]、1996 のち中公文庫  *『[[鶴亀ワルツ]]』小学館 1997 *『マンガ [[ギリシア神話]]』[[中央公論新社]]、1999 のち文庫 *『戦国[[美濃国|美濃]]の群像 : [[濃姫]]・[[森成利|蘭丸]]・[[明智光秀|光秀]]・・・その生涯』(マンガで見る日本まん真ん中おもしろ人物史シリーズ, 4) 岐阜県企画 2001.3  *『マンガ 名作[[オペラ]]』中央公論新社、2003 のち文庫 *『[[釈迦|ブッダ]]をめぐる人びと』[[佼成出版社]] 2006 のち中公文庫  *『花影 [[千葉さな子|千葉佐那]]の愛』講談社 2010 *『マンガ[[旧約聖書]]』中央公論新社、2011-のち文庫  *『若き日のブッダ ゴータマ・シッダールタ』中央公論新社 2013 *『[[古事記]]』(マンガ古典文学)小学館 2013 *『[[かたづの!]]』(原作:[[中島京子 (作家)|中島京子]])集英社 2019 他多数 ===マンガ以外の著書=== *『愛し始めたあなたに』(Big backs)講談社 1975 *『マンガ愛してます』[[大和書房]] 1977 *『満智子の人生相談 自分を発見したい女へ』(ヤングレディbooks)講談社, 1986 *『恋歌・[[万葉集]]』[[光文社]] 1987 *『里中満智子のマンガ入門 人よりちょっとうまく描くテクニック』 (カッパ・ブックス)光文社, 1987 *『万葉集』(イラスト古典)[[米川千嘉子]]文 [[学習研究社]] 1990 *『純白』[[スコラ]] 1993 (小説) *『シンデレラストーリーにだまされないで 里中満智子漫画家生活30周年記念エッセイ集』[[NTT出版]] 1994 *『タマタマ女』[[実業之日本社]] 1996 *『人生の贈り物 人の出会いとぬくもりを求めて 里中満智子『ジュンとヨーコ』&[[夏目雅子]]グラフティ』講談社コミックス 1997 *『[[円空]]―魂の形を求めつづけた旅人』[[木村直巳]]作画 [[メディアファクトリー]]、1999 *『[[シェイクスピア]]・ジュニア文学館』[[小田島雄志]]文(挿絵)[[汐文社]]、2001 *『里中満智子の健康法の女王』[[マキノ出版]] 2003 *『里中満智子のコミック実技講座 DVD』(小池書院)2005 *『古代史から読み解く「日本」のかたち』 [[倉本一宏]]との共著 祥伝社新書、2018 *『少女マンガ家革命』、中央公論新社、ISBN 9784120057304、2024年1月。 == 受賞歴 == 西暦は受賞年を示す。 * [[1964年]] [[ピアの肖像]]:第1回講談社新人漫画賞(高校2年) * [[1972年]] あした輝く、姫が行く!:[[講談社出版文化賞]] * [[1982年]] [[狩人の星座]]:第6回[[講談社漫画賞]] * [[2006年]] 全作品及び文化活動に対して:日本漫画家協会賞文部科学大臣賞 * [[2023年]] [[文化功労者]]<ref>{{cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASRBN53JHRBKUCVL04T.html|title=文化勲章に7人決まる 川淵三郎氏や野村万作氏ら|newspaper=朝日新聞|date=2023-10-21|accessdate=2023-10-21}}</ref>に選出。 == 漫画家として以外の活動 == === 歴任 === * 1991年 ** [[日本放送協会|NHK]][[趣味百科]]:「少女コミックを描く」講師 * 1994年 ** [[科学技術庁]][[宇宙科学研究所]]:日本は何を目指すか? パネリスト ** [[宇宙開発事業団|NASDA]]([[宇宙開発委員会]]):長期ビジョン懇談会 理事 * 1996年 ** [[文部省]]:[[中央教育審議会]]専門委員会 専門委員 ** 中央教育審議会第一次答申パンフレット * 1997年 ** 文部省:教育課程審議会 委員 ** 第1回[[東アジアマンガサミット]](現・[[マンガサミット]])実行委員会:事務局長 ** (財)[[都市防災研究所]]:安全安心まちづくり女性フォーラム 発起人 * 1997年 - 2002年、2015年 - [[手塚治虫文化賞]]:選考委員 * 1998年 ** 文部省:児童生徒の問題行動等に関する調査研究協力者会議 委員 ** [[東京都建設局]]:[[下町]]河川の明日を創る会 委員 * 1999年 [[都市整備公団]]:都市観光を創る会 発起人 * 2000年 - 2002年 科学技術庁:国際宇宙年委員会 理事 * 2002年 文部省:国際文化交流懇談会 委員 === 現職 === * 財団法人日本宇宙フォーラム 理事 (2000年 - ) * マンガジャパン 事務局長 * [[デジタルマンガ協会]] 副会長 (2003年 - ) * [[文化庁]][[文化審議会]]委員(2007年2月5日 - ) * [http://www.japanpen.or.jp/index.html 日本ペンクラブ]会員 * [http://www.arauchi.jp/kagura/index.htm 神楽坂女声合唱団]団員 * [[大阪芸術大学]]キャラクター造形学科長・教授 * [[平城遷都1300年記念事業]]協会評議員 * [[日本漫画家協会]]理事長(2018年6月15日<ref name="kyodo"/> - ) == 主な出演 == === テレビ === <!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「プロジェクト:芸能人」参照 --> * [[毎日放送]]・[[TBSテレビ|TBS]]系『[[世界まるごとHOWマッチ]]』(準レギュラー回答者) **彼女独自の計算方法から「里中方式」という言葉が生まれた。 === ラジオ === * [[日本放送協会|NHK]]・[[ラジオ深夜便]] 水曜11時台のコーナー「[[ラジオ深夜便のコーナー一覧|わたし終いの極意]]『老年よ、大志を抱こう!』」([[2019年]][[9月11日]] - )<ref>[https://www.nhk.or.jp/shinyabin/program/2b3.html NHKラジオ深夜便ホームページ]</ref> === 映画 === * [[松竹]]『[[愛情の設計#映画|愛情の設計]]』(1977年7月16日) - 試験官 役 === その他 === * TVシンポジウム「不比等が造る国のかたち~日本書紀1300年~」(2021年4月3日、[[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tvkingdom.jp/schedule/157352202104031400.action |title=TVシンポジウム「不比等が造る国のかたち~日本書紀1300年~」 |date=2021-04-03 |archiveurl=https://archive.ph/zYYOo |archivedate=2021-04-03 |accessdate=2021-04-03}}</ref> == アシスタント == * [[川島れい子|川島れい子(旧PN:水口令子)]] * [[牧野和子 (漫画家)|牧野和子]] * [[みずの圭]] * [[志村みどり]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} ==外部リンク== *[http://satonakamachiko.blog.fc2.com/ 里中満智子公式ブログ] *[https://web.archive.org/web/20171124121505/http://www.satonaka-machiko.com/index.html 里中満智子 オフィシャルサイト] *{{マンガ図書館Z作家|363}} *[https://www.1101.com/gakkou_manyo_satonaka/index.html ほぼ日刊イトイ新聞 里中満智子さんに聞く 万葉集の魅力] *[https://www.yomiuri.co.jp/medical/renaissance/20220908-OYT8T50110/ デジタルで変わる<8>血圧など自動測定で把握…漫画家 里中満智子さん (読売新聞2022年9月9日記事)] {{Normdaten}} {{NHK紅白歌合戦審査員}} {{デフォルトソート:さとなか まちこ}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:20世紀日本の女性著作家]] [[Category:21世紀日本の女性著作家]] [[Category:20世紀日本の女性教育者]] [[Category:21世紀日本の女性教育者]] [[Category:日本のマンガ・アニメ教育者]] [[Category:日本ペンクラブ会員]] [[Category:文化功労者]] [[Category:NHK紅白歌合戦審査員]] [[Category:私の履歴書の登場人物]] [[Category:大阪市立桜宮高等学校出身の人物]] [[Category:大阪市出身の人物]] [[Category:1948年生]] [[Category:存命人物]]
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椎名高志
椎名 高志(しいな たかし、1965年〈昭和40年〉6月24日 - )は、日本の漫画家。男性。大阪府出身。大阪府立箕面高等学校、京都市立芸術大学卒業。血液型はO型。妻は高橋留美子の元・アシスタントである清水彩。 高校時代に「小学館新人コミック大賞」佳作受賞(作品名は非公表)、また、アニメーションを製作していた。そのときのメンバーに吉松孝博がいる。1989年、『週刊少年サンデー』(小学館)に掲載の「Dr.椎名の教育的指導!!」でデビュー。主に『週刊少年サンデー』などで活動する。 デビュー直後は4コマ漫画や読みきりを描いており、『(有)椎名百貨店』にまとめられた。それに収められている作品はパロディが多用されている。藤子・F・不二雄を心の師と仰いでいる。 後に『GS(ゴーストスイーパー)美神 極楽大作戦』で長編連載を持つようになった。アニメ『GS美神』では鶴ひろみが美神令子を演じたが、椎名は鶴のデビュー作『ペリーヌ物語』を少年期に見ており、それ以来のファンだったという。また、自身の結婚式では鶴に司会を依頼した結果、鶴と横島忠夫役の堀川亮(現・堀川りょう)が司会を担当することになったという。 2005年からは『週刊少年サンデー』にて「絶対可憐チルドレン」の連載を開始。さらに途中から毎週4コマ2つまでもプラスするようになる。さすがにネタ出しがきつく、ある時期『サンデー』での入稿は一番遅かったらしい。また数ヵ月または数週間に1回の休載という事態も増えていた。テレビアニメ第13話とOVAでは、自身も声優として参加している。2014年13号で中学生編が完結したため休載し、2014年39号から高校生編が最終章として再開。2021年33号をもって完結した。
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椎名 高志は、日本の漫画家。男性。大阪府出身。大阪府立箕面高等学校、京都市立芸術大学卒業。血液型はO型。妻は高橋留美子の元・アシスタントである清水彩。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = 椎名 高志 | 画像 = <!-- 画像ファイル名 --> | 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px --> | 脚注 = <!-- 画像の説明文 --> | 本名 = <!-- 必ず出典を付ける --> | 生年 = {{生年月日と年齢|1965|06|24}} | 生地 = {{JPN}}・[[大阪府]] | 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> | 没地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 --> | 国籍 = {{JPN}} | 職業 = [[漫画家]] | 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 --> | 活動期間 = [[1989年]] - | ジャンル = [[少年漫画]] | 代表作 = 『[[GS美神 極楽大作戦!!]]』<br />『[[MISTERジパング]]』<br />『[[絶対可憐チルドレン]]』 | 受賞 = 第38回[[小学館漫画賞]]<!-- 少年部門 / コメントアウト。この部分の出典とした小学館コミックの過去受賞作一覧ウェブサイトでは部門名まで明記されていないため。-->(『GS美神 極楽大作戦!!』){{R|小学館漫画賞}}<br />第53回[[星雲賞#コミック部門|星雲賞コミック部門]](『絶対可憐チルドレン』){{R|星雲賞}} | サイン = <!-- 画像ファイル名 --> | 公式サイト = <!-- {{Official website|https://www.example.org}}や[https://www.example.org/ 公式ページ名] など --> }} '''椎名 高志'''(しいな たかし、[[1965年]]〈[[昭和]]40年〉[[6月24日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。男性。[[大阪府]]出身。[[大阪府立箕面高等学校]]、[[京都市立芸術大学]][[卒業]]。[[血液型]]は[[ABO式血液型|O型]]。妻は[[高橋留美子]]の元・[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]である清水彩。 == 経歴 == {{出典の明記|section=1|date= 2013年7月21日 (日) 09:34 (UTC)|ソートキー= 存}} 高校時代に「[[小学館新人コミック大賞]]」佳作受賞(作品名は非公表)、また、アニメーションを製作していた。そのときのメンバーに[[吉松孝博]]がいる<ref group="注">その縁か、2007年には吉松がキャラクターデザインを務めるアニメ『[[大江戸ロケット]]』では[[みなもと太郎]]、[[内藤泰弘]]らと共に一部のキャラクターデザインを手掛けている。また『絶対可憐チルドレン』のアニメ版では吉松がオープニングの原画を担当している。</ref>。1989年、『[[週刊少年サンデー]]』([[小学館]])に掲載の「Dr.椎名の教育的指導!!」でデビュー。主に『週刊少年サンデー』などで活動する。 デビュー直後は[[4コマ漫画]]や読みきりを描いており、『(有)椎名百貨店』にまとめられた。それに収められている作品は[[パロディ]]が多用されている。[[藤子・F・不二雄]]を心の師と仰いでいる。 後に『[[GS美神 極楽大作戦!!|GS(ゴーストスイーパー)美神 極楽大作戦]]』で長編連載を持つようになった。アニメ『GS美神』では[[鶴ひろみ]]が美神令子を演じたが、椎名は鶴のデビュー作『[[ペリーヌ物語]]』を少年期に見ており、それ以来のファンだったという<ref group="注">その後、鶴は『絶対可憐チルドレン』でも明石秋江役で椎名作品への再出演を果たしている</ref>。また、自身の結婚式では鶴に[[司会]]を依頼した結果、鶴と横島忠夫役の[[堀川りょう|堀川亮]](現・堀川りょう)が司会を担当することになったという。 2005年からは『週刊少年サンデー』にて「[[絶対可憐チルドレン]]」の連載を開始。さらに途中から毎週4コマ2つまでもプラスするようになる。さすがにネタ出しがきつく、ある時期『サンデー』での入稿は一番遅かったらしい。また数ヵ月または数週間に1回の休載という事態も増えていた。[[テレビアニメ]]第13話と[[OVA]]では、自身も[[声優]]として参加している。2014年13号で中学生編が完結したため休載し、2014年39号から高校生編が最終章として再開。2021年33号をもって完結した。 == 年譜 == * 1989年(昭和64年 / 平成元年) - 「[[Dr.椎名の教育的指導!!]]」によりデビュー。 * 1992年(平成4年) - 第38回[[小学館漫画賞]]<!-- 少年部門 / コメントアウト。この部分の出典とした小学館コミックの過去受賞作一覧ウェブサイトでは部門名まで明記されていないため。-->受賞(『GS美神極楽大作戦!!』)<ref name="小学館漫画賞">{{Cite web|和書|url=https://shogakukan-comic.jp/shogakukan-mangasho-archives |title=小学館漫画賞 過去受賞作 |website=小学館コミック |accessdate=2022-9-5}}</ref>。 * 1993年(平成5年) - 『GS美神 極楽大作戦!!』がテレビアニメ化される。 * 1994年(平成6年) - 『GS美神 極楽大作戦!!』の劇場版アニメが公開される。 * 2008年(平成20年) - 『絶対可憐チルドレン』がテレビアニメ化される。 * 2010年(平成22年) - 『絶対可憐チルドレン』がOVA化される。 * 2013年(平成25年) - 『絶対可憐チルドレン』のスピンオフ作品『THE UNLIMITED 兵部京介』がテレビアニメ化される。 * 2022年(令和4年) - 第53回[[星雲賞#コミック部門|星雲賞コミック部門]]受賞(『絶対可憐チルドレン』)<ref name="星雲賞">{{Cite web|和書|url=http://www.sf-fan.gr.jp/awards/2022result.html |title=2022年 第53回星雲賞 |publisher=日本SFファングループ連合会議 |accessdate=2022-9-5}}</ref>。 == 作品リスト == * [[(有) 椎名百貨店|(有)椎名百貨店]] - 『[[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊号]]』(1990年4月号 - 1991年5月号) *: [[読み切り]][[短編]]のシリーズ。その後に発刊された短編集も、このタイトルを踏まえたものになっている。 * [[GS美神 極楽大作戦!!]] - 『[[週刊少年サンデー]]』(1991年 - 1999年) * [[MISTERジパング]] - 『週刊少年サンデー』(2000年 - 2001年) * [[一番湯のカナタ]] - 『週刊少年サンデー』(2002年 - 2003年) * [[(有) 椎名百貨店 (超) GSホームズ 極楽大作戦!!|(有)椎名百貨店(超)GSホームズ 極楽大作戦!!]] ** GSホームズ 極楽大作戦!! - 『[[月刊サンデージェネックス]]』(2002年1月号) ** 江戸浪狼伝 - 『週刊少年サンデー増刊号』(2003年3月号) ** 零式といっしょ。 - 『週刊少年サンデー増刊号』(2003年8月号) ** 破壊僧ジョドー - 『週刊少年サンデー増刊号』(2003年9月号) ** 家電少女MISOCCUS - 『週刊少年サンデー増刊号』(1996年1月30日号) * [[ウルトラマンネクサス]] - 『てれびくん』(2004年12月号 - 2005年8月号)※ 2015年に書き下ろしの結末を加えて[[単行本]]化 * [[絶対可憐チルドレン]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/101029/|title=絶対可憐チルドレン :作品情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-08-01}}</ref> - 『週刊少年サンデー』(2005年 - 2021年) * [[(有) 椎名大百貨店]] ** GSホームズ極楽大作戦!! 血を吸う探偵 - 『月刊サンデージェネックス』(2005年6月号) ** パンドラ(全3話) - 『月刊サンデージェネックス』(2003年4月号 - 6月号) ** TIME SLIPPING BEAUTY(前後編) - 『[[ヤングマガジンアッパーズ]]』(2003年21号・22号) ** 蜘蛛巣姫 - 『ヤングマガジンアッパーズ』(2004年20号) * [[半妖の夜叉姫#漫画|〜異伝・絵本草子〜半妖の夜叉姫]] - 『[[週刊少年サンデーS]]』(2021年 - ) *: 「半妖の夜叉姫」のコミカライズ作品。 === 4コマ漫画作品 === * [[Dr.椎名の教育的指導!!]](『週刊少年サンデー』1989年14号 - 1990年34号、不定期掲載。単行本『(有) 椎名百貨店』に収録) * のんぽり魂(『ビッグコミックオリジナル増刊』1990年・1991年、各読切。単行本『(有) 椎名百貨店』に収録) * 絶対可憐チルドレン SUPPLEMENT(上記『絶対可憐チルドレン』の連載枠において不定期枠で掲載) * [[それが声優!]] WEB92話(原作シナリオ:[[浅野真澄|あさのますみ]]、原作キャラクターデザイン:[[畑健二郎]]。該当話のみのゲストとして作画を担当) == キャラクターデザイン == * [[大江戸ロケット]](2007年 客演絵師(ゲストキャラクターデザイン)として参加<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.madhouse.co.jp/works/2007-2006/works_tv_ooedorocket.html| title = 大江戸ロケット| publisher = マッドハウス| accessdate = 2016-05-22}}</ref>) * [[ヒーロークロスライン#サンデー×マガジン クロスライン|サンデー×マガジン クロスライン]] == アシスタント == * [[万乗大智]] * [[田中ほさな]](田中保左奈) * 清水彩 - [[高橋留美子]]の元アシスタントにして椎名の妻。現在は椎名のチーフアシスタントとしてクリンナップ等を担当<ref>{{Cite book|和書|title=絶対可憐チルドレン〈解禁〉ガイドブック|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4-09-121330-3|date=2008-4-18}}</ref>。 == 脚注 == === 注釈 === {{Reflist|group=注}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.ne.jp/asahi/cna100/store/ 椎名百貨店the web 公式サイト] * [http://cnanews.asablo.jp/blog/ 完成原稿速報・ブログ版 公式ブログ] * [https://websunday.net/author/656/ まんが家バックステージ 椎名高志] * {{Twitter|Takashi_Shiina|椎名高志}} {{椎名高志}} {{星雲賞コミック部門|第53回}} {{Normdaten}} {{Manga-artist-stub}} {{DEFAULTSORT:しいな たかし}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:京都市立芸術大学出身の人物]] [[Category:大阪府出身の人物]] [[Category:1965年生]] [[Category:存命人物]]
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篠原千絵
篠原 千絵(しのはら ちえ、2月15日 - )は、日本の少女漫画家。神奈川県出身 。女性。血液型はO型。文星芸術大学非常勤講師。2021年12月時点で著作の累計部数が5500万部を超えている。 1981年、『コロネット』掲載の「赤い伝説」でデビュー。別の漫画家が締め切りに遅れたことによる代理原稿だった。この際、本名と同姓の漫画家がいたために編集者から指示されてペンネームを「篠原千絵」とした。以後、主に小学館系の少女漫画雑誌にて執筆。小説家としての活動もあり、カバーとイラストも自分で手掛けている。 ホラー・ミステリーや歴史伝奇分野の作品が多い。1984年に連載を開始した『闇のパープル・アイ』は、1996年にドラマ化されている。 2008年、『プチコミック』4月号より『刻だまりの姫』の連載を開始するが、4月号、6月号 - 9月号の5回連載で休載。その後、2009年6月号〜10月号にて連載を一時的に再開している。 2009年、『ChuChu』3・4月合併号から5月号にて『セルゲイ王国の影使い』を前後編で掲載。 2010年、『姉系プチコミック』創刊号より『夢の雫、黄金の鳥籠』を連載開始。 2021年、画業40周年を迎えた記念の企画を『プチコミック』などで展開。 趣味はドライブ。猫好きで有名。竹宮惠子の大ファンであり、幼少期に彼女から貰ったサイン色紙を現在でも大切に保管している。また山田ミネコの元アシスタントであった。
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篠原 千絵は、日本の少女漫画家。神奈川県出身 。女性。血液型はO型。文星芸術大学非常勤講師。2021年12月時点で著作の累計部数が5500万部を超えている。
{{存命人物の出典明記|date=2020-06}} {{Infobox 漫画家 | 名前 = 篠原 千絵 | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = | 国籍 = | 生年 = [[2月15日]] | 没年 = | ジャンル = [[少女漫画]] | 活動期間 = [[1981年]] - | 職業 = [[漫画家]]、[[小説家]] | 公式サイト = | 代表作 = 『[[闇のパープル・アイ]]』<br />『[[天は赤い河のほとり]]』 | 受賞 = 第32回[[小学館漫画賞]]少女部門<br />(『闇のパープル・アイ』)<br />第46回小学館漫画賞少女部門<br />(『天は赤い河のほとり』) }} '''篠原 千絵'''(しのはら ちえ、[[2月15日]] - )は、[[日本]]の[[少女漫画|少女]][[漫画家]]。[[神奈川県]]出身 <ref name=betsucomi>[https://web.archive.org/web/20200623222513/https://betsucomi.shogakukan.co.jp/talk/sinohara/ まんが家 Web Talk Vol.7/2006年1月13日] [[ベツコミ]]の[[インターネット・アーカイブ]](2023年5月23日閲覧)</ref>。[[女性]]。[[ABO式血液型|血液型]]はO型<ref name=betsucomi/>。[[文星芸術大学]]非常勤講師<ref>[https://ameblo.jp/manga1005/entry-10729533893.html 篠原先生の授業「マンガの構成」|マンガ専攻のブログ] 文星芸術大学(2010年12月7日)2023年5月23日閲覧</ref><!--個人ブログなのでコメントアウト <ref>[http://pupukuno.cocolog-nifty.com/kururu/2010/06/post-c63b.html 文星芸術大学] くるる散歩ちう(2010年6月23日)2023年5月23日閲覧</ref> -->。2021年12月時点で著作の累計部数が5500万部を超えている{{R|natalie20211208}}。 == 来歴 == [[1981年]]、『[[コロネット (雑誌)|コロネット]]』掲載の「赤い伝説」で[[デビュー]]<ref name="natalie3795">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/artist/3795|title=篠原千絵|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|accessdate=2021-12-08}}</ref>。別の漫画家が締め切りに遅れたことによる代理原稿だった。この際、本名と同姓の漫画家がいたために編集者から指示されて[[ペンネーム]]を「篠原千絵」とした<ref>[https://ebookjapan.yahoo.co.jp/books/264405/ 辻本吉昭『私の少女漫画史』]</ref>。以後、主に[[小学館]]系の[[少女漫画]][[雑誌]]にて執筆。[[小説家]]としての活動もあり、カバーとイラストも自分で手掛けている。 [[ホラー小説|ホラー]]・[[ミステリー]]や[[歴史]][[伝奇小説#日本の近現代の伝奇風小説|伝奇]]分野の作品が多い。1984年に連載を開始した『[[闇のパープル・アイ]]』は、1996年にドラマ化されている{{R|natalie3795}}。 [[2008年]]、『[[プチコミック]]』4月号より『[[刻だまりの姫]]』の連載を開始するが、4月号、6月号 - 9月号の5回連載で休載。その後、2009年6月号〜10月号にて連載を一時的に再開している。 [[2009年]]、『[[ChuChu]]』3・4月合併号から5月号にて『セルゲイ王国の影使い』を前後編で掲載。 [[2010年]]、『[[プチコミック|姉系プチコミック]]』創刊号より『[[夢の雫、黄金の鳥籠]]』を連載開始{{R|natalie3795}}。 2021年、画業40周年を迎えた記念の企画を『プチコミック』などで展開<ref name="natalie20211208">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/456699|title=「天河」「闇のパープル・アイ」篠原千絵、画業40周年!グッズ販売などお祝い企画|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-12-08|accessdate=2021-12-08}}</ref>。 ==人物== 趣味はドライブ。[[猫]]好きで有名。[[竹宮惠子]]の大ファンであり、幼少期に彼女から貰ったサイン色紙を現在でも大切に保管している。また[[山田ミネコ]]の元[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]であった<ref>[[リュウ (雑誌)|リュウ]]増刊『ザ・山田ミネコ パトロールシリーズスペシャル』([[徳間書店]][[1986年]])所収「うちゃぎ高原くらぶ」210頁</ref>。 == 受賞歴 == * [[1987年]] - 第32回[[小学館漫画賞]]少女部門受賞(『闇のパープル・アイ』) * [[2001年]] - 第46回小学館漫画賞少女部門受賞(『[[天は赤い河のほとり]]』) == 作品リスト == === 漫画 === * 篠原千絵傑作集 *# 訪問者は真夜中に… *# 目撃者にさようなら *# なにかが闇で見ている *# 3人目が消えた * [[そして5回の鈴が鳴る]](文庫全1巻) *# 訪問者は真夜中に… *# そして5回の鈴が鳴る *# 優しい殺人者 *# 目撃者にさようなら *# 冬の花は鎮魂花 *# クリスタル・ドール *# 眠る街 *# 紅い伝説 * [[凍った夏の日]](文庫全1巻) *# 3人目が消えた *# 凍った夏の日 *# 殺意には蒼いリボンをかけて *# 午前0時の逃亡者 *# なにかが闇で見ている *# 自殺室ルームナンバー404 *# ウィークエンドの招待状 * [[陵子の心霊事件簿]](全4巻・文庫全2巻) * [[逃亡急行]](全1巻・文庫全1巻) * [[闇のパープル・アイ]](全12巻・文庫全7巻) * [[海の闇、月の影]](全18巻・文庫全11巻) * [[蒼の封印]](全11巻・文庫全7巻) * [[天は赤い河のほとり]](全28巻・文庫全16巻) * [[暁に立つライオン]](全1巻・文庫全1巻) * [[水に棲む花]](全5巻・文庫全3巻) * [[海に墜ちるツバメ]](全1巻) * [[霧の森ホテル]](既刊2巻) * [[刻だまりの姫]](既刊2巻) * [[夢の雫、黄金の鳥籠]](既刊18巻) * [[篠原千絵 恐怖シアター]](文庫全1巻) *#殺意には蒼いリボンをかけて *#訪問者は真夜中に… *#凍った夏の日 *#優しい殺人者 *#クリスタル・ドール *#眠る街 *#自殺室ルームナンバー404 *#そして5回の鈴が鳴る *#なにかが闇で見ている *#紅い伝説 *#ウイークエンドの招待状 *#午前0時の逃亡者 *#3人目が消えた *#目撃者にさようなら *#冬の花は鎮魂花 *#サルでもできるガーデニング * [[The Best Selection (フラワーコミックス)#篠原千絵 The Best Selection|篠原千絵 The Best Selection]] *#凍った夏の日 *#優しい殺人者 *#訪問者は真夜中に… *#目撃者にさようなら *#ウイークエンドの招待状 *#眠る街 * [[篠原千絵 The Best Selection 2]] *#自殺室ルームナンバー404 *#そして5回の鈴が鳴る *#クリスタル・ドール *#冬の花は鎮魂花 *#紅い伝説 === 小説 === * [[還ってきた娘]](全6巻) * [[天は赤い河のほとり#書籍情報|天は赤い河のほとり 外伝]] *# 〜魔が時代(とき)の黎明〜 *# 〜続 魔が時代の黎明〜 *# 朔の月 *# 眉の月 *# 上弦 === ファンブック === * 天は赤い河のほとり 〜イシュタル文書〜 === 原画集ほか === * 漫画解説本[篠原千絵ワールドガイド1981-99] * 「天は赤い河のほとり」 複製原画集・イシュタル * 「闇のパープルアイ」 篠原千絵イラスト集 * 「海の闇 月の影」 篠原千絵イラスト集 * 「天は赤い河のほとり」 スペシャルBOX * 少女まんが家さんちの猫 === ドラマCD・LP・ビデオイラスト === * [[LPレコード]] 闇のパープル・アイPart1・2 * [[ベータマックス|ベータ版ビデオ]] 闇のパープル・アイ * MUSICビデオ 闇のパープル・アイ * Purple Eyes In The Dark (CD) part1・2 * 海の闇 月の影オリジナルアルバム「海の闇、月の影 〜Last Message〜」 * 海の闇 月の影オリジナルアルバム「海の闇、月の影 〜memorial〜」 * 海の闇 月の影オリジナルアルバム The Darkness of the Sea The Shadow of The Moon * 海の闇 月の影([[レーザーディスク|LD]]) * 海の闇 月の影(ビデオ全3巻) * 蒼の封印のCDブック * 天は赤い河のほとり サウンドシアター * オリジナルアルバム「陵子の心霊事件簿」 === 考古学 === * [[ヒッタイト]]に魅せられて 考古学者に漫画家が質問!!([[大村幸弘]]との共著。[[山川出版社]]、2022年)<ref>ヒッタイトを舞台とした『天は赤い河のほとり』の縁で実現した企画。[https://www.yamakawa.co.jp/product/15190 ヒッタイトに魅せられて 考古学者に漫画家が質問!!](山川出版社)。</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == *[https://web.archive.org/web/20190508095341/https://petitcomic.com/shinohara/ "篠原千絵"30周年記念 オフィシャルサイト] *[https://twitter.com/Marashantia 公式twitter] {{篠原千絵}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しのはら ちえ}} [[Category:20世紀日本の女性著作家]] [[Category:21世紀日本の女性著作家]] [[Category:20世紀日本の女性教育者]] [[Category:21世紀日本の女性教育者]] [[Category:日本の漫画家]] [[Category:日本の女性小説家]] [[Category:日本のマンガ・アニメ教育者]] [[Category:神奈川県出身の人物]] [[Category:存命人物]] [[Category:生年未記載]] <!--[[Category:文星芸術大学の教員]] 非常勤講師はダメ。2018年3月現在-->
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