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以䞋、䜓系をなす語圙の兞型的な䟋ずしお、指瀺語・色圩語圙・芪族語圙を取り䞊げお論じる。
日本語では、ものを指瀺するために甚いる語圙は、䞀般に「こそあど」ず呌ばれる4系列をなしおいる。これらの指瀺語(指瀺詞)は、䞻ずしお名詞(「これ・ここ・こなた・こっち」など)であるため、抂説曞の類では名詞(代名詞)の説明のなかで扱われおいる堎合も倚い。しかし、実際には副詞(「こう」など)・連䜓詞(「この」など)・圢容動詞(「こんなだ」など)にたたがるため、ここでは語圙䜓系の問題ずしお論じる。
「こそあど」の䜓系は、䌝統的には「近称・䞭称・遠称・䞍定(ふじょう、ふおい)称」の名で呌ばれた。明治時代に、倧槻文圊は以䞋のような衚を瀺しおいる。
ここで、「近称」は最も近いもの、「䞭称」はやや離れたもの、「遠称」は遠いものを指すずされた。ずころが、「そこ」などを「やや離れたもの」を指すず考えるず、遠くにいる人に向かっお「そこで埅っおいおくれ」ず蚀うような堎合を説明しがたい。たた、自分の腕のように近くにあるものを指しお、人に「そこをさすっおください」ず蚀うこずも説明しがたいなどの欠点がある。䜐久間錎は、この点を改め、「こ」は「わ(=自分)のなわばり」に属するもの、「そ」は「な(=あなた)のなわばり」に属するもの、「あ」はそれ以倖の範囲に属するものを指すずした。すなわち、䜓系は䞋蚘のようにたずめられた。
このように敎理すれば、䞊述の「そこで埅っおいおくれ」「そこをさすっおください」のような蚀い方はうたく説明される。盞手偎に属するものは、遠近を問わず「そ」で衚されるこずになる。この説明方法は、珟圚の孊校教育の囜語でも取り入れられおいる。
ずはいえ、すべおの堎合を䜐久間説で割り切れるわけでもない。たずえば、道で「どちらに行かれたすか」ず問われお、「ちょっずそこたで」ず答えたずき、これは「それほど遠くないずころたで行く」ずいう意味であるから、倧槻文圊のいう「䞭称」の説明のほうがふさわしい。ものを無くしたずき、「ちょっずそのぞんを探しおみるよ」ず蚀うずきも同様である。
たた、目の前にあるものを盎接指瀺する堎合(珟堎指瀺)ず、文章の䞭で前に出た語句を指瀺する堎合(文脈指瀺)ずでも、事情が倉わっおくる。「生か死か、それが問題だ」の「それ」は、「䞭称」(やや離れたもの)ずも、「盞手所属のもの」ずも解釈しがたい。盎前の内容を「それ」で瀺すものである。このように、指瀺語の意味䜓系は、詳现に芋れば、なお研究の䜙地が倚く残されおいる。
なお、指瀺の䜓系は蚀語によっお異なる。䞍定称を陀いた堎合、3系列をなす蚀語は日本語(こ、そ、あ)や朝鮮語(、、)などがある。䞀方、英語(、)や䞭囜語(、)などは2系列をなす。日本人の英語孊習者が「これ、それ、あれ」に「、、」を圓おはめお考えるこずがあるが、「」は文脈指瀺の代名詞で系列が異なるため、混甚するこずはできない。
文化人類孊者のバヌリンずケむの研究によれば、皮々の蚀語で最も広範に甚いられおいる基瀎的な色圩語圙は「癜」ず「黒」であり、以䞋、「赀」「緑」が順次加わるずいう。日本語の色圩語圙もほがこの法則に合っおいるずいっおよい。
このこずは、日本語を話す人々が4色しか識別しないずいうこずではない。特別の色を衚す堎合には、「黄色(語源は「朚」かずいう)」「玫色」「茶色」「蘇芳色」「浅葱色」など、怍物その他の䞀般名称を必芁に応じお転甚する。ただし、これらは基瀎的な色圩語圙ではない。
日本語の語圙を出自から分類すれば、倧きく、和語・挢語・倖来語、およびそれらが混ざった混皮語に分けられる。このように、出自によっお分けた蚀葉の皮類を「語皮」ずいう。和語は日本叀来の倧和蚀葉、挢語は䞭囜枡来の挢字の音を甚いた蚀葉、倖来語は䞭囜以倖の他蚀語から取り入れた蚀葉である。(「語圙史」の節参照)。
和語は日本語の語圙の䞭栞郚分を占める。「これ」「それ」「きょう」「あす」「わたし」「あなた」「行く」「来る」「良い」「悪い」などのいわゆる基瀎語圙はほずんど和語である。たた、「お」「に」「を」「は」などの助詞や、助動詞の倧郚分など、文を組み立おるために必芁な付属語も和語である。
䞀方、抜象的な抂念や、瀟䌚の発展に䌎っお新たに発生した抂念を衚すためには、挢語や倖来語が倚く甚いられる。和語の名称がすでにある事物を挢語や倖来語で蚀い換えるこずもある。「めし」を「埡飯」「ラむス」、「やどや」を「旅通」「ホテル」などず称するのはその䟋である。このような語皮の異なる同矩語には、埮劙な意味・ニュアンスの差異が生たれ、ずりわけ和語には易しい、たたは卑俗な印象、挢語には公的で重々しい印象、倖来語には新しい印象が含たれるこずが倚い。
䞀般に、和語の意味は広く、挢語の意味は狭いずいわれる。たずえば、「しづむ(しずめる)」ずいう1語の和語に、「沈」「鎮」「静」など耇数の挢語の造語成分が盞圓する。「しづむ」の含む倚様な意味は、「沈む」「鎮む」「静む」などず挢字を甚いお曞き分けるようになり、その結果、これらの「しづむ」が別々の語ず意識されるたでになった。2字以䞊の挢字が組み合わさった挢語の衚す意味はずりわけ分析的である。たずえば、「匱」ずいう造語成分は、「脆」「貧」「軟」「薄」などの成分ず結合するこずにより、「脆匱」「貧匱」「軟匱」「薄匱」のように分析的・説明的な単語を䜜る(「語圙史」の節の「挢語の勢力拡倧」および「語圙の増加ず品詞」を参照)。
挢語は、「孊問」「䞖界」「博士」などのように、叀く䞭囜から入っおきた語圙が倧郚分を占めるのは無論であるが、日本人が䜜った挢語(和補挢語)も叀来倚い。珟代語ずしおも、「囜立」「改札」「着垭」「挙匏」「即答」「熱挔」など倚くの和補挢語が甚いられおいる。挢語は音読みで読たれるこずから、字音語ず呌ばれる堎合もある。
倖来語は、もずの蚀語の意味のたたで甚いられるもの以倖に、日本語に入っおから独自の意味倉化を遂げるものが少なくない。英語の "claim" は「圓然の暩利ずしお芁求する」の意であるが、日本語の「クレヌム」は「文句」の意である。英語の "lunch" は昌食の意であるが、日本の食堂で「ランチ」ずいえば料理の皮類を指す。
倖来語を組み合わせお、「アむスキャンデヌ」「サむドミラヌ」「テヌブルスピヌチ」のように日本語独自の語が䜜られるこずがある。たた、圓該の語圢が倖囜語にない「パネラヌ」(パネリストの意)「プレれンテヌタヌ」(プレれンテヌションをする人。プレれンタヌ)などの語圢が䜜られるこずもある。これらを総称しお「和補掋語」、英語系の語を特に「和補英語」ず蚀う。
日本語の語圙は、語構成の面からは単玔語ず耇合語に分けるこずができる。単玔語は、「あたた」「かお」「うえ」「した」「いぬ」「ねこ」のように、それ以䞊分けられないず意識される語である。耇合語は、「あたたかず」「かおなじみ」「うわくちびる」「いぬずき」のように、いく぀かの単玔語が合わさっおできおいるず意識される語である。なお、熟語ず総称される挢語は、本来挢字の字音を耇合させたものであるが、「えんぎ぀(鉛筆)」「せかい(侖界)」など、日本語においお単玔語ず認識される語も倚い。「語皮」の節で觊れた混皮語、すなわち、「プロ野球」「草野球」「日本シリヌズ」のように耇数の語皮が合わさった語は、語構成の面からはすべお耇合語ずいうこずになる。
日本語では、限りなく長い耇合語を䜜るこずが可胜である。「平成十六幎新期県䞭越地震非垞灜害察策本郚」「服郚四郎先生定幎退官蚘念論文集線集委員䌚」ずいった類も、ひず぀の長い耇合語である。囜際協定の関皎及び貿易に関する䞀般協定は、英語では「」(関皎ず貿易に関する䞀般協定)であり、ひず぀の句であるが、日本の新聞では「関皎貿易䞀般協定」ず耇合語で衚珟するこずがある。これは挢字の結合力によるずころが倧きく、䞭囜語・朝鮮語などでも同様の長い耇合語を䜜る。なお、ペヌロッパ語を芋るず、ロシア語では「」(人間嫌い)、ドむツ語では「」(倩然色写真)などの長い語の䟋を比范的倚く有し、英語でも「」(囜教廃止条䟋反察論。英銖盞グラッドストンの造語ずいう)などの語䟋がたれにある。
接蟞は、耇合語を䜜るために嚁力を発揮する。たずえば、「感」は、「音感」「語感」「距離感」「䞍安感」など挢字2字・3字からなる耇合語のみならず、最近では「透け感」「懐かし感」「しゃきっず感」「きちんず感」など動詞・圢容詞・副詞ずの耇合語を䜜り、さらには「『昔の名前で出おいたす』感」(=昔の名前で出おいるずいう感じ)のように文であったものに䞋接しお長い耇合語を䜜るこずもある。
日本語の耇合語は、難しい語でも、衚蚘を芋れば意味が分かる堎合が倚い。たずえば、英語の「」 は生物孊者にしか分からないのに察し、日本語の「蜂食性」は「蜂を食べる性質」であるず掚枬できる。これは衚蚘に挢字を甚いる蚀語の特城である。
珟代の日本語は、平仮名(ひらがな)・片仮名(カタカナ)・挢字を甚いお、珟代仮名遣い・垞甚挢字に基づいお衚蚘されるこずが䞀般的である。アラビア数字やロヌマ字(ラテン文字)なども必芁に応じお䜵甚される。
正曞法の必芁性を説く䞻匵や、その反論がしばしば亀わされおきた。
平仮名・片仮名は、2017幎9月珟圚では以䞋の46字ず぀が䜿われる。
このうち、「 ゙」(濁音笊)および「 ゚」(半濁音笊)を付けお濁音・半濁音を衚す仮名もある(「音韻」の節参照)。拗音は小曞きの「ゃ」「ゅ」「ょ」を添えお衚し、促音は小曞きの「っ」で衚す。「぀ぁ」「ファ」のように、小曞きの「ぁ」「ぃ」「ぅ」「ぇ」「ぉ」を添えお衚す音もあり、補助笊号ずしお長音を衚す「ヌ」がある。歎史的仮名遣いでは䞊蚘のほか、衚音は同じでも衚蚘の違う、平仮名「ゐ」「ゑ」および片仮名「ヰ」「ヱ」の字が存圚し、その他にも倉䜓仮名がある。
挢字は、日垞生掻においお必芁ずされる2136字の垞甚挢字ず、子の名づけに甚いられる861字の人名甚挢字が、法で定められおいる。実際にはこれら以倖にも䞀般に通甚する挢字の数は倚いずされ、日本産業芏栌(JIS)はJIS X 0208(通称JIS挢字)ずしお玄6300字を電算凊理可胜な挢字ずしお挙げおいる。なお、挢字の本家である䞭囜においおも同様の基準は存圚し、珟代挢語垞甚字衚により、「垞甚字」ずしお2500字、「次垞甚字」ずしお1000字が定められおいる。これに加え、珟代挢語通甚字衚ではさらに3500字が远加されおいる。
䞀般的な文章では、䞊蚘の挢字・平仮名・片仮名を亀えお蚘すほか、アラビア数字・ロヌマ字なども必芁に応じお䜵甚する。基本的には、挢語には挢字を、和語のうち抂念を衚す郚分(名詞や甚蚀語幹など)には挢字を、圢匏的芁玠(助詞・助動詞など)や副詞・接続詞の䞀郚には平仮名を、倖来語(挢語以倖)には片仮名を甚いる堎合が倚い。公的な文曞では特に衚蚘法を芏定しおいる堎合もあり、民間でもこれに倣うこずがある。ただし、厳密な正曞法はなく、衚蚘のゆれは広く蚱容されおいる。文章の皮類や目的によっお、
倚様な文字䜓系を亀えお蚘す利点ずしお、単語のたずたりが把握しやすく、速読性に優れるなどの点が指摘される。日本語の単玔な音節構造に由来する同音異矩語が挢字によっお区別され、か぀字数も節玄されるずいう利点もある。蚈算機科孊者の村島定行は、日本語では、衚意文字ず衚音文字の二重の文章衚珟ができるため、蚘憶したり、想起したりするのに手がかりが倚く、蚀語ずしおの機胜が高いず指摘しおいる。䞀方で䞭囜文孊者の高島俊男は、挢字の衚意性に過床に䟝存した日本語の文章は、他の自然蚀語に類を芋ないほどの同音異矩語を甚いざるを埗なくなり、しばしば実甚の䞊で支障を来たすこずから、蚀語ずしお「顚倒しおいる」ず評しおいる。歎史䞊、挢字を廃止しお、仮名たたはロヌマ字を囜字化しようずいう䞻匵もあったが、広く実行されるこずはなかった(「囜語囜字問題」参照)。今日では挢字・平仮名・片仮名の亀ぜ曞きが暙準的衚蚘の地䜍をえおいる。
日本語の衚蚘䜓系は䞭倮語を曞き衚すために発達したものであり、方蚀の音韻を衚蚘するためには必ずしも適しおいない。たずえば、東北地方では「柿」を 、「鍵」を のように発音するが、この䞡語を通垞の仮名では曞き分けられない(アクセント蟞兞などで甚いる衚蚘によっお近䌌的に蚘せば、「カギ」ず「」のようになる)。そのため、方蚀を正確に文字に曞き衚すこずができず、方蚀を曞き蚀葉ずしお甚いるこずが少なくなっおいる。
岩手県気仙方蚀(ケセン語)に぀いお、山浊玄嗣により、文法圢匏を螏たえた正曞法が詊みられおいるずいうような䟋もある。ただし、これは実甚のためのものずいうよりは、孊術的な詊みのひず぀である。
琉球語(「系統」参照)の衚蚘䜓系もそれを準甚しおいる。たずえば、琉歌「おんさごの花」(おぃんさぐぬ花)は、䌝統的な衚蚘法では次のように蚘す。
この衚蚘法では、たずえば、「ぐ」「ご」がどちらも ず発音されるように、かな衚蚘ず発音が䞀察䞀で察応しない堎合が倚々ある。衚音的に蚘せば、 のようになるずころである。
挢字衚蚘の面では、地域文字ずいうべきものが各地に存圚する。たずえば、名叀屋垂の地名「杁䞭(いりなか)」などに䜿われる「杁」は、名叀屋ず関係ある地域の「地域文字」である。たた、「垰」は「たお」「たわ」などず読たれる囜字で、䞭囜地方ほかで定着しおいるずいう。
文は、目的や堎面などに応じお、さたざたな異なった様匏を採る。この様匏のこずを、曞き蚀葉(文章)では「文䜓」ず称し、話し蚀葉(談話)では「話䜓」ず称する。
日本語では、ずりわけ文末の助動詞・助詞などに文䜓差が顕著に珟れる。このこずは、「ですたす䜓」「でございたす䜓」「だ䜓」「である䜓」「ありんす蚀葉」(江戞・新吉原の遊女の蚀葉)「およだわ蚀葉」(明治䞭期から流行した若い女性の蚀葉)などの名称に兞型的に衚れおいる。それぞれの文䜓・話䜓の差は倧きいが、日本語話者は、耇数の文䜓・話䜓を垞に切り替えながら䜿甚しおいる。
なお、「文䜓」の甚語は、曞かれた文章だけではなく談話に぀いおも適甚されるため、以䞋では「文䜓」に「話䜓」も含めお述べる。たた、文語文・口語文などに぀いおは「文䜓史」の節に譲る。
日本語の文䜓は、倧きく普通䜓(垞䜓)および䞁寧䜓(敬䜓)の2皮類に分かれる。日本語話者は日垞生掻で䞡文䜓を適宜䜿い分ける。日本語孊習者は、初めに䞁寧䜓を、次に普通䜓を順次孊習するこずが䞀般的である。普通䜓は盞手を意識しないかのような文䜓であるため独語䜓ず称し、䞁寧䜓は盞手を意識する文䜓であるため察話䜓ず称するこずもある。
普通䜓ず䞁寧䜓の違いは次のように珟れる。
普通䜓では、文末に名詞・圢容動詞・副詞などが来る堎合には、「だ」たたは「である」を付けた圢で結ぶ。前者を特に「だ䜓」、埌者を特に「である䜓」ず呌ぶこずもある。
䞁寧䜓では、文末に名詞・圢容動詞・副詞などが来る堎合には、助動詞「です」を付けた圢で結ぶ。動詞が来る堎合には「たす」を付けた圢で結ぶ。ここから、䞁寧䜓を「ですたす䜓」ず呌ぶこずもある。䞁寧の床合いをより匷め、「です」の代わりに「でございたす」を甚いた文䜓を、特に「でございたす䜓」ず呌ぶこずもある。䞁寧䜓は、敬語の面からいえば䞁寧語を甚いた文䜓のこずである。なお、文末に圢容詞が来る堎合にも「です」で結ぶこずはできるが「花が矎しく咲いおいたす」「花が矎しゅうございたす」などず蚀い、「です」を避けるこずがある。
談話の文䜓(話䜓)は、話し手の性別・幎霢・職業・堎面など、䜍盞の違いによっお巊右される郚分が倧きい。「ごはんを食べおきたした」ずいう䞁寧䜓は、話し手の属性によっお、たずえば、次のような倉容がある。
このように異なる蚀葉遣いのそれぞれを䜍盞語ず蚀い、それぞれの差を䜍盞差ずいう。
日本語では、埅遇衚珟が文法的・語圙的な䜓系を圢䜜っおいる。ずりわけ、盞手に敬意を瀺す蚀葉(敬語)においお顕著である。
「敬語は日本にしかない」ず蚀われるこずがあるが、日本ず同様に敬語が文法的・語圙的䜓系を圢䜜っおいる蚀語ずしおは、朝鮮語・ゞャワ語・ベトナム語・チベット語・ベンガル語・タミル語などがあり、尊敬・謙譲・䞁寧の区別もある。朝鮮語ではたずえば動詞「(ネダ)」(出す)は、敬語圢「(ネシダ)」(出される)・「(ネムニダ)」(出したす)の圢を持぀。
敬語䜓系は無くずも、敬意を瀺す衚珟自䜓は、さたざたな蚀語に広く芳察される。盞手を敬い、物を䞁寧に蚀うこずは、発達した瀟䌚ならばどこでも必芁ずされる。そうした蚀い方を習埗するこずは、どの蚀語でも容易でない。
金田䞀京助などによれば、珟代日本語の敬語に特城的なのは次の2点である。
朝鮮語など他の蚀語の敬語では、たずえば自分の父芪はいかなる状況でも敬意衚珟の察象であり、他人に圌のこずを話す堎合も「私のお父様は...」ずいう絶察的敬語を甚いるが、日本語では自分の身内に察する敬意を他人に衚珟するこずは憚られ、「私の父は...」のように衚珟しなければならない。ただし皇宀では絶察敬語が存圚し、皇倪子は自分の父芪のこずを「倩皇陛䞋は...」ず衚珟する。
どんな蚀語も敬意を衚す衚珟を持っおいるが、日本語や朝鮮語などはそれが文法䜓系ずなっおいるため、衚珟・蚀語行動のあらゆる郚分に、高床に組織立った䜓系が出来䞊がっおいる。そのため、敬意の皮類や床合いに応じた衚珟の遞択肢が予め甚意されおおり、垞にそれらの䞭から適切な衚珟を遞ばなくおはならない。
以䞋、日本語の敬語䜓系および敬意衚珟に぀いお述べる。
日本語の敬語䜓系は、䞀般に、倧きく尊敬語・謙譲語・䞁寧語に分類される。文化審議䌚囜語分科䌚は、2007幎2月に「敬語の指針」を答申し、これに䞁重語および矎化語を含めた5分類を瀺しおいる。
尊敬語は、動䜜の䞻䜓を高めるこずで、䞻䜓ぞの敬意を衚す蚀い方である。動詞に「お(ご)〜になる」を付けた圢、たた、助動詞「(ら)れる」を付けた圢などが甚いられる。たずえば、動詞「取る」の尊敬圢ずしお、「(先生が)お取りになる」「(先生が)取られる」などが甚いられる。
語によっおは、特定の尊敬語が察応するものもある。たずえば、「蚀う」の尊敬語は「おっしゃる」、「食べる」の尊敬語は「召し䞊がる」、「行く・来る・いる」の尊敬語は「いらっしゃる」である。
謙譲語は、叀代から基本的に動䜜の客䜓ぞの敬意を衚す蚀い方であり、珟代では「動䜜の䞻䜓を䜎める」ず解釈するほうがよい堎合がある。動詞に「お〜する」「お〜いたしたす」(謙譲語+䞁寧語)を぀けた圢などが甚いられる。たずえば、「取る」の謙譲圢ずしお、「お取りする」などが甚いられる。
語によっおは、特定の謙譲語が察応するものもある。たずえば、「蚀う」の謙譲語は「申し䞊げる」、「食べる」の謙譲語は「いただく」、「(盞手の所に)行く」の謙譲語は「䌺う」「参䞊する」「たいる」である。
なお、「倜も曎けおたいりたした」の「たいり」など、謙譲衚珟のようでありながら、誰かを䜎めおいるわけではない衚珟がある。これは、「倜も曎けおきた」ずいう話題を䞁重に衚珟するこずによっお、聞き手ぞの敬意を衚すものである。宮地裕は、この衚珟に䜿われる語を、特に「䞁重語」ず称しおいる。䞁重語にはほかに「いたし(マス)」「申し(マス)」「存じ(マス)」「小生」「小瀟」「匊瀟」などがある。文化審議䌚の「敬語の指針」でも、「明日から海倖ぞたいりたす」の「たいり」のように、盞手ずは関りのない自分偎の動䜜を衚珟する蚀い方を䞁重語ずしおいる。
䞁寧語は、文末を䞁寧にするこずで、聞き手ぞの敬意を衚すものである。動詞・圢容詞の終止圢で終わる垞䜓に察しお、名詞・圢容動詞語幹などに「です」を付けた圢(「孊生です」「きれいです」)や、動詞に「たす」を぀けた圢(「行きたす」「分かりたした」)等の䞁寧語を甚いた文䜓を敬䜓ずいう。
䞀般に、目䞊の人には䞁寧語を甚い、同等・目䞋の人には䞁寧語を甚いないずいわれる。しかし、実際の蚀語生掻に照らしお考えれば、これは事実ではない。母が子を叱るずき、「お母さんはもう知りたせんよ」ず䞁寧語を甚いる堎合もある。䞁寧語が甚いられる倚くの堎合は、敬意や謝意の衚珟ずされるが、皀に䞀歩匕いた心理的な距離をずろうずする堎合もある。
「お匁圓」「ご飯」などの「お」「ご」も、広い意味では䞁寧語に含たれるが、宮地裕は特に「矎化語」ず称しお区別する。盞手ぞの䞁寧の意を瀺すずいうよりは、話し手が自分の蚀葉遣いに配慮した衚珟である。したがっお、「お匁圓食べようよ。」のように、䞁寧䜓でない文でも矎化語を甚いるこずがある。文化審議䌚の「敬語の指針」でも「矎化語」を蚭けおいる。
日本語で敬意を衚珟するためには、文法・語圙の敬語芁玠を知っおいるだけではなお䞍十分であり、時や堎合など皮々の芁玠に配慮した適切な衚珟が必芁である。これを敬意衚珟(敬語衚珟)ずいうこずがある。
たずえば、「課長もコヌヒヌをお飲みになりたいですか」は、尊敬衚珟「お飲みになる」を甚いおいるが、敬意衚珟ずしおは適切でない。日本語では盞手の意向を盎接的に聞くこずは倱瀌に圓たるからである。「コヌヒヌはいかがですか」のように蚀うのが適切である。第22期囜語審議䌚(2000幎)は、このような敬意衚珟の重芁性を螏たえお、「珟代瀟䌚における敬意衚珟」を答申した。
婉曲衚珟の䞀郚は、敬意衚珟ずしおも甚いられる。たずえば、盞手に窓を開けおほしい堎合は、呜什衚珟によらずに、「窓を開けおくれる?」などず問いかけ衚珟を甚いる。あるいは、「今日は暑いねえ」ずだけ蚀っお、窓を開けおほしい気持ちを含意するこずもある。
日本人が商取匕で「考えさせおもらいたす」ずいう堎合は拒絶の意味であるず蚀われる。英語でも (誘っおくれおありがずう)ずは誘いを断る衚珟である。たた、京郜では、京郜匁で垰りがけの客にその気がないのに「ぶぶづけ(お茶挬け)でもあがっおおいきやす」ず愛想を蚀うずされる(出兞は萜語「京のぶぶづけ」「京の茶挬け」よるずいう)。これらは、盞手の気分を害さないように工倫した衚珟ずいう意味では、広矩の敬意衚珟ず呌ぶべきものであるが、その呌吞が分からない人ずの間に誀解を招くおそれもある。
日本語には倚様な方蚀がみられ、それらはいく぀かの方蚀圏にたずめるこずができる。どのような方蚀圏を想定するかは、区画するために甚いる指暙によっお少なからず異なる。
1967幎の盞互理解可胜性の調査より、関東地方出身者に最も理解しにくい方蚀は(琉球諞語ず東北方蚀を陀く)、富山県氷芋方蚀(正解率4.1%)、長野県朚曜方蚀(正解率13.3%)、鹿児島方蚀(正解率17.6%)、岡山県真庭方蚀(正解率24.7%)だった。この調査は、12〜20秒の長さ、135〜244の音玠の老人の録音に基づいおおり、42名若者が聞いお翻蚳した。受隓者は関東地方で育った慶應倧孊の孊生であった。
東条操は、党囜で話されおいる蚀葉を倧きく東郚方蚀・西郚方蚀・九州方蚀および琉球方蚀に分けおいる。たたそれらは、北海道・東北・関東・八䞈島・東海東山・北陞・近畿・䞭囜・雲䌯(出雲・䌯耆)・四囜・豊日(豊前・豊埌・日向)・肥筑(筑玫・肥前・肥埌)・薩隅(薩摩・倧隅)・奄矎矀島・沖瞄諞島・先島諞島に区画された。これらの分類は、今日でもなお䞀般的に甚いられる。なお、このうち奄矎・沖瞄・先島の蚀葉は、日本語の䞀方蚀(琉球方蚀)ずする立堎ず、独立蚀語ずしお琉球語ずする立堎ずがある。
たた、金田䞀春圊は、近畿・四囜を䞻ずする内茪方蚀、関東・䞭郚・䞭囜・九州北郚の䞀郚を䞻ずする䞭茪方蚀、北海道・東北・九州の倧郚分を䞻ずする倖茪方蚀、沖瞄地方を䞻ずする南島方蚀に分類した。この分類は、アクセントや音韻、文法の特城が畿内を䞭心に茪を描くこずに着目したものである。このほか、幟人かの研究者により方蚀区画案が瀺されおいる。
䞀぀の方蚀区画の内郚も倉化に富んでいる。たずえば、奈良県は近畿方蚀の地域に属するが、十接川村や䞋北山村呚蟺ではその地域だけ東京匏アクセントが䜿われ、さらに䞋北山村池原にはたた別䜓系のアクセントがあっお東京匏の地域に取り囲たれおいる。銙川県芳音寺垂䌊吹町(䌊吹島)では、平安時代のアクセント䜓系が残存しおいるずいわれる(異説もある)。これらは特に顕著な特城を瀺す䟋であるが、どのような狭い地域にも、その土地ずしおの蚀葉の䜓系がある。したがっお、「どの地点のこずばも、等しく蚘録に䟡する」ものである。
䞀般に、方蚀差が話題になるずきには、文法の東西の差異が取り䞊げられるこずが倚い。東郚方蚀ず西郚方蚀ずの間には、およそ次のような違いがある。
吊定蟞に東で「ナむ」、西で「ン」を甚いる。完了圢には、東で「テル」を、西で「トル」を甚いる。断定には、東で「ダ」を、西で「ゞャ」たたは「ダ」を甚いる。アワ行五段掻甚の動詞連甚圢は、東では「カッタ(è²·)」ず促音䟿に、西では「コヌタ」ずり音䟿になる。圢容詞連甚圢は、東では「ハダク(ナル)」のように非音䟿圢を甚いるが、西では「ハペヌ(ナル)」のようにり音䟿圢を甚いるなどである。
方蚀の東西察立の境界は、画然ず匕けるものではなく、どの特城を取り䞊げるかによっお少なからず倉わっおくる。しかし、おおむね、日本海偎は新期県西端の糞魚川垂、倪平掋偎は静岡県浜名湖が境界線(糞魚川・浜名湖線)ずされるこずが倚い。糞魚川西方には難所芪䞍知があり、その南には日本アルプスが連なっお東西の亀通を劚げおいたこずが、東西方蚀を圢成した䞀因ずみられる。
日本語のアクセントは、方蚀ごずの違いが倧きい。日本語のアクセント䜓系はいく぀かの皮類に分けられるが、特に広範囲で話され話者数も倚いのは東京匏アクセントず京阪匏アクセントの2぀である。東京匏アクセントは䞋がり目の䜍眮のみを匁別するが、京阪匏アクセントは䞋がり目の䜍眮に加えお第1拍の高䜎を匁別する。䞀般にはアクセントの違いは日本語の東西の違いずしお語られるこずが倚いが、実際の分垃は単玔な東西察立ではなく、東京匏アクセントは抂ね北海道、東北地方北郚、関東地方西郚、甲信越地方、東海地方の倧郚分、䞭囜地方、四囜地方南西郚、九州北東郚に分垃しおおり、京阪匏アクセントは近畿地方・四囜地方のそれぞれ倧郚分ず北陞地方の䞀郚に分垃しおいる。すなわち、近畿地方を䞭心ずした地域に京阪匏アクセント地垯が広がり、その東西を東京匏アクセント地域が挟む圢になっおいる。日本語の暙準語・共通語のアクセントは、東京の山の手蚀葉のものを基盀にしおいるため東京匏アクセントである。
九州西南郚や沖瞄の䞀郚には型の皮類が2皮類になっおいる二型アクセントが分垃し、宮厎県郜城垂などには型の皮類が1皮類になっおいる䞀型アクセントが分垃する。たた、岩手県雫石町や山梚県早川町奈良田などのアクセントは、音の䞋がり目ではなく䞊がり目を匁別する。これら有アクセントの方蚀に察し、東北地方南郚から関東地方北東郚にかけおの地域や、九州の東京匏アクセント地垯ず二型アクセント地垯に挟たれた地域などには、話者にアクセントの知芚がなく、どこを高くするずいう決たりがない無アクセント(厩壊アクセント)の地域がある。これらのアクセント倧区分の䞭にも様々な倉皮があり、さらにそれぞれの䜓系の䞭間型や別掟なども存圚する。
「花が」が東京で「䜎高䜎」、京郜で「高䜎䜎」ず発音されるように、単語のアクセントは地方によっお異なる。ただし、それぞれの地方のアクセント䜓系は互いにたったく無関係に成り立っおいるのではない。倚くの堎合においお芏則的な察応が芋られる。たずえば、「花が」「山が」「池が」を東京ではいずれも「䜎高䜎」ず発音するが、京郜ではいずれも「高䜎䜎」ず発音し、「氎が」「鳥が」「颚が」は東京ではいずれも「䜎高高」ず発音するのに察しお京郜ではいずれも「高高高」ず発音する。たた、「束が」「空が」「海が」は東京ではいずれも「高䜎䜎」ず発音されるのに察し、京郜ではいずれも「䜎䜎高」ず発音される。このように、ある地方で同じアクセントの型にたずめられる語矀(類ず呌ぶ)は、他の地方でも同じ型に属するこずが䞀般的に芳察される。
この事実は、日本の方蚀アクセントが、過去の同䞀のアクセント䜓系から分かれ出たこずを意味する。服郚四郎はこれを原始日本語のアクセントず称し、これが分岐し互いに反察の方向に倉化しお、東京匏ず京阪匏を生じたず考えた。珟圚有力な説は、院政期の京阪匏アクセント(名矩抄匏アクセント)が日本語アクセントの祖䜓系で、珟圚の諞方蚀アクセントのほずんどはこれが順次倉化を起こした結果生じたずするものである。䞀方で、地方の無アクセントず䞭倮の京阪匏アクセントの接觊で諞方蚀のアクセントが生じたずする説もある。
音韻の面では、母音の「う」を、東日本、北陞、出雲付近では䞭舌寄りで非円唇母音(唇を䞞めない)の たたは で、西日本䞀般では奥舌で円唇母音の で発音する。たた、母音は、東日本や北陞、出雲付近、九州で無声化しやすく、東海、近畿、䞭囜、四囜では無声化しにくい。
たたこれずは別に、近畿・四囜(・北陞)ずそれ以倖での察立がある。前者は京阪匏アクセントの地域であるが、この地域ではアクセント以倖にも、「朚」を「きい」、「目」を「めえ」のように䞀音節語を䌞ばしお二拍に発音し、たた「赀い」→「あけヌ」のような連母音の融合が起こらないずいう共通点がある。たた、西日本(九州・山陰・北陞陀く)は母音を匷く子音を匱く発音し、東日本や九州は子音を匷く母音を匱く発音する傟向がある。
日本語の歎史は䞀般的に「日本語史」(たたは「囜語史」)ず呌ばれる。以䞋においおは各分野に分類しお蚘述する。
母音の数は、奈良時代およびそれ以前には珟圚よりも倚かったず考えられる。橋本進吉は、江戞時代の䞊代特殊仮名遣の研究を再評䟡し、蚘玀や『䞇葉集』などの䞇葉仮名においお「き・ひ・み・け・ぞ・め・こ・そ・ず・の・も・よ・ろ」の衚蚘に2皮類の仮名が存圚するこずを指摘した(甲類・乙類ず称する。「も」は『叀事蚘』のみで区別される)。橋本は、これらの仮名の区別は音韻䞊の区別に基づくもので、特に母音の差によるものず考えた。橋本の説は、埌続の研究者らによっお、「母音の数がアむり゚オ五぀でなく、合蚈八を数えるもの」ずいう8母音説ず受け取られ、定説化した。8母音の区別は平安時代にはなくなり、珟圚のように5母音になったずみられる。なお、䞊代日本語の語圙では、母音の出珟の仕方がりラル語族やアルタむ語族の母音調和の法則に類䌌しおいるずされる。
「は行」の子音は、奈良時代以前には であったずみられる。すなわち、「はな(花)」は (パナ)のように発音された可胜性がある。 は遅くずも平安時代初期には無声䞡唇摩擊音 に倉化しおいた。すなわち、「はな」は (ファナ)ずなっおいた。䞭䞖末期に、ロヌマ字で圓時の日本語を蚘述したキリシタン資料が倚く残されおいるが、そこでは「は行」の文字が「fa, fi, fu, fe, fo」で転写されおおり、圓時の「は行」は「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」に近い発音であったこずが分かる。䞭䞖末期から江戞時代にかけお、「は行」の子音は から ぞ移行した。ただし、「ふ」は のたたに、「ひ」は になった。珟代でも匕き続きこのように発音されおいる。
平安時代以降、語䞭・語尟の「は行」音が「わ行」音に倉化するハ行転呌が起こった。たずえば、「かは(川)」「かひ(貝)」「かふ(è²·)」「かぞ(替)」「かほ(顔)」は、それたで であったものが、 になった。「はは(母)」も、キリシタン資料では「faua」(ハワ)ず蚘された䟋があるなど、他の語ず同様にハ行転呌が起こっおいたこずが知られる。
このように、「は行」子音は語頭でおおむね → → 、語䞭で → → ず唇音が衰退する方向で掚移した。たた、関西で「う」を唇を䞞めお発音する(円唇母音)のに察し、関東では唇を䞞めずに発音するが、これも唇音退化の䟋ずずらえるこずができる。
「や行」の「え」() の音が叀代に存圚したこずは、「あ行」の「え」の仮名ず別の文字で曞き分けられおいたこずから明らかである。平安時代初期に成立したず芋られる「倩地の詞」には「え」が2぀含たれおおり、「あ行」ず「や行」の区別を瀺すものず考えられる。この区別は10䞖玀の頃にはなくなっおいたずみられ、970幎成立の『口遊』に収録される「倧為爟の歌」では「あ行」の「え」しかない。この頃には「あ行」ず「や行」の「え」の発音はずもに になっおいた。
「わ行」は、「わ」を陀いお「あ行」ずの合流が起きた。
が同䞀に垰した。3が同音になったのは11䞖玀末頃、1ず2が同音になったのは12䞖玀末頃ず考えられおいる。藀原定家の『䞋官集』(13侖简)では「お」・「を」、「い」・「ゐ」・「ひ」、「え」・「ゑ」・「ぞ」の仮名の曞き分けが問題になっおいる。
圓時の発音は、1は珟圚の (ã‚€)、2は (むェ)、3は (ã‚Šã‚©)のようであった。
3が珟圚のように (オ)になったのは江戞時代であったずみられる。18䞖玀の『音曲玉淵集』では、「お」「を」を「りォ」ず発音しないように説いおいる。
2が珟圚のように (ã‚š)になったのは、新井癜石『東雅』総論の蚘述からすれば早くずも元犄享保頃(17䞖玀末から18䞖玀初頭)以降、『謳曲英華抄』の蚘述からすれば18䞖玀䞭葉頃ずみられる。
「が行」の子音は、語䞭・語尟ではいわゆる錻濁音(ガ行錻音)の であった。錻濁音は、近代に入っお急速に勢力を倱い、語頭ず同じ砎裂音の たたは摩擊音の に取っお代わられ぀぀ある。今日、錻濁音を衚蚘する時は、「か行」の文字に半濁点を付しお「カカ゚ミ(鏡)」のように曞くこずもある。
「じ・ぢ」「ず・づ」の四぀仮名は、宀町時代前期の京郜ではそれぞれ , , , ず発音されおいたが、16䞖玀初め頃に「ち」「ぢ」が口蓋化し、「぀」「づ」が砎擊音化した結果、「ぢ」「づ」の発音がそれぞれ , ずなり、「じ」「ず」の音に近づいた。16䞖玀末のキリシタン資料ではそれぞれ「ji・gi」「zu・zzu」など異なるロヌマ字で衚されおおり、圓時はただ発音の区別があったこずが分かるが、圓時既に混同が始たっおいたこずも蚘録されおいる。17䞖玀末頃には発音の区別は京郜ではほが消滅したず考えられおいる(今も区別しおいる方蚀もある)。「せ・ぜ」は「xe・je」で衚蚘されおおり、珟圚の「シェ・ゞェ」に圓たる , であったこずも分かっおいる。関東では宀町時代末にすでに , の発音であったが、これはやがお西日本にも広がり、19䞖玀䞭頃には京郜でも䞀般化した。珟圚は東北や九州などの䞀郚に , が残っおいる。
平安時代から、発音を簡䟿にするために単語の音を倉える音䟿珟象が少しず぀芋られるようになった。「次(぀)ぎお」を「次いで」ずするなどのむ音䟿、「詳(くは)しくす」を「詳しうす」ずするなどのり音䟿、「発(た)ちお」を「発っお」ずするなどの促音䟿、「飛びお」を「飛んで」ずするなどの撥音䟿が珟れた。『源氏物語』にも、「いみじく」を「いみじう」ずするなどのり音䟿が倚く、たた、少数ながら「苊しき」を「苊しい」ずするなどのむ音䟿の䟋も芋出される。鎌倉時代以降になるず、音䟿は口語では盛んに甚いられるようになった。
鎌倉時代・宀町時代には連声(れんじょう)の傟向が盛んになった。撥音たたは促音の次に来た母音・半母音が「な行」音・「た行」音・「た行」音に倉わる珟象で、たずえば、銀杏は「ギン」+「アン」で「ギンナン」、雪隠は「セッ」+「むン」で「セッチン」ずなる。助詞「は」(ワ)ず前の郚分ずが連声を起こすず、「人間は」→「ニンゲンナ」、「今日は」→「コンニッタ」ずなった。
たた、この時代には、「䞭倮」の「倮」など「アり」 の音が合しお長母音 になり、「応察」の「応」など「オり」 の音が になった(「カり」「コり」など頭子音が付いた堎合も同様)。口をやや開ける前者を開音、口をすがめる埌者を合音ず呌ぶ。たた、「むり」 、「゚り」 などの二重母音は、、 ずいう拗長音に倉化した。「開合」の区別は次第に乱れ、江戞時代には合䞀しお今日の (オヌ)になった。京郜では、䞀般の話し蚀葉では17䞖玀に開合の区別は倱われた。しかし方蚀によっおは今も開合の区別が残っおいるものもある。
挢語が日本で甚いられるようになるず、叀来の日本に無かった合拗音「クヮ・グヮ」「クヰ・グヰ」「クヱ・グヱ」の音が発音されるようになった。これらは などずいう発音であり、「キクヮむ(奇怪)」「ホングヮン(本願)」「ヘングヱ(倉化)」のように甚いられた。圓初は倖来音の意識が匷かったが、平安時代以降は普段の日本語に甚いられるようになったずみられる。ただし「クヰ・グヰ」「クヱ・グヱ」の寿呜は短く、13䞖玀には「キ・ギ」「ケ・ゲ」に統合された。「クヮ」「グヮ」は䞭䞖を通じお䜿われおいたが、宀町時代にはすでに「カ・ガ」ずの間で混同が始たっおいた。江戞時代には混同が進んでいき、江戞では18䞖玀䞭頃には盎音の「カ・ガ」が䞀般化した。ただし䞀郚の方蚀には今も残っおいる。
挢語は平安時代頃たでは原語である䞭囜語に近く発音され、日本語の音韻䜓系ずは別個のものず意識されおいた。入声韻尟の , , , 錻音韻尟の , , なども原音にかなり忠実に発音されおいたず芋られる。鎌倉時代には挢字音の日本語化が進行し、 はりに統合され、韻尟の ず の混同も13䞖玀に䞀般化し、撥音の に統合された。入声韻尟の は開音節化しおキ、クず発音されるようになり、 も (フ)を経おりで発音されるようになった。 は開音節化したチ、ツの圢も珟れたが、子音終わりの の圢も17䞖玀末たで䞊存しお䜿われおいた。宀町時代末期のキリシタン資料には、「butmet」(仏滅)、「bat」(眰)などの語圢が蚘録されおいる。江戞時代に入るず開音節の圢が完党に䞀般化した。
近代以降には、倖囜語(特に英語)の音の圱響で新しい音が䜿われ始めた。比范的䞀般化した「シェ・チェ・ツァ・ツェ・ツォ・ティ・ファ・フィ・フェ・フォ・ゞェ・ディ・デュ」などの音に加え、堎合によっおは、「むェ・りィ・りェ・りォ・クァ・クィ・クェ・クォ・ツィ・トゥ・グァ・ドゥ・テュ・フュ」などの音も䜿われる。これらは、子音・母音のそれぞれを取っおみれば、埓来の日本語にあったものである。「ノァ・ノィ・ノ・ノェ・ノォ・ノュ」のように、これたで無かった音は、曞き蚀葉では曞き分けおも、実際に発音されるこずは少ない。
動詞の掻甚皮類は、平安時代には9皮類であった。すなわち、四段・䞊䞀段・䞊二段・䞋䞀段・䞋二段・カ倉・サ倉・ナ倉・ラ倉に分かれおいた。これが時代ずずもに統合され、江戞時代には5皮類に枛った。䞊二段は䞊䞀段に、䞋二段は䞋䞀段にそれぞれ統合され、ナ倉(「死ぬ」など)・ラ倉(「有り」など)は四段に統合された。これらの倉化は、叀代から䞭䞖にかけお個別的に起こった䟋もあるが、顕著になったのは江戞時代に入っおからのこずである。ただし、ナ倉は近代に入っおもなお䜿甚されるこずがあった。
このうち、最も芏暡の倧きな倉化は二段掻甚の䞀段化である。二段→䞀段の統合は、宀町時代末期の京阪地方では、ただたれであった(関東では比范的早く完了した)。それでも、江戞時代前期には京阪でも芋られるようになり、埌期には䞀般化した。すなわち、今日の「起きる」は、平安時代には「き・き・く・くる・くれ・きよ」のように「き・く」の2段に掻甚したが、江戞時代には「き・き・きる・きる・きれ・きよ(きろ)」のように「き」の1段だけで掻甚するようになった。たた、今日の「明ける」は、平安時代には「け・く」の2段に掻甚したが、江戞時代には「け」の1段だけで掻甚するようになった。しかも、この倉化の過皋では、終止・連䜓圢の合䞀が起こっおいるため、鎌倉・宀町時代頃には、前埌の時代ずは異なった掻甚の仕方になっおいる。次に時代ごずの掻甚を察照した衚を掲げる。
圢容詞は、平安時代には「く・く・し・き・けれ(から・かり・かる・かれ)」のように掻甚したク掻甚ず、「しく・しく・し・しき・しけれ(しから・しかり・しかる・しかれ)」のシク掻甚が存圚した。この区別は、終止・連䜓圢の合䞀ずずもに消滅し、圢容詞の掻甚皮類は䞀぀になった。
今日では、文法甚語の䞊で、四段掻甚が五段掻甚(実質的には同じ)ず称され、已然圢が仮定圢ず称されるようになったものの、掻甚の皮類および掻甚圢は基本的に江戞時代ず同様である。
か぀おの日本語には、係り結びず称される文法芏則があった。文䞭の特定の語を「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」などの係助詞で受け、か぀たた、文末を連䜓圢(「ぞ」「なむ」「や」「か」の堎合)たたは已然圢(「こそ」の堎合)で結ぶものである(奈良時代には、「こそ」も連䜓圢で結んだ)。