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さくらももこ
さくら ももこ(1965年〈昭和40年〉5月8日 - 2018年〈平成30年〉8月15日)は、日本の漫画家、エッセイスト、作詞家、脚本家。また、自身の少女時代をモデルとした代表作のコミック『ちびまる子ちゃん』の主人公の名前でもある。(そちらについては「ちびまる子ちゃんの登場人物#さくら家」を参照) 静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。身長159cm。血液型A型。二男の母。 代表作のコミック『ちびまる子ちゃん』の単行本の売上は累計3000万部を超える。また、エッセイストとしても独特の視点と語り口で人気が高く、初期エッセイ集三部作『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』はいずれもミリオンセラーを記録。「平成の清少納言」と称されたこともある。 愛称は「ももちゃん」。エッセイの販促用の帯などでは、『ちびまる子ちゃん』の「まる子」と同一人物として扱われることもある。 経歴 生い立ち 1965年5月8日、静岡県清水市(現・静岡県静岡市清水区)に八百屋の次女(第2子)として生まれる。 1978年 - 清水市立(当時)入江小学校卒業。1年生のときに、生涯の親友となる穂波珠絵(愛称たまちゃん、『ちびまる子ちゃん』の穂波たまえのモデル)と出会い、親睦を深めていく。 1981年 - 清水市立(当時)第八中学校卒業。 1984年 - 静岡県立清水西高等学校卒業。在学中(2年生の終わりごろから)、漫画家を目指して『りぼん』への投稿活動を開始する。 1984年 - 静岡英和女学院短期大学(現・静岡英和学院大学短期大学部)国文学科在学中に『りぼんオリジナル』冬の号(集英社)にて「教えてやるんだありがたく思え!」(「教師」をテーマとしたオムニバス作品、「ちびまる子ちゃん」第1巻に掲載)でデビュー。 1986年 - 静岡英和女学院短期大学卒業、同年4月に上京しぎょうせいに入社する。しかし、勤務中に居眠りするなどして、上司から「会社を取るか、漫画を取るかどちらか選べ」と迫られ「漫画家として生活していく」と回答したため、同年5月末に入社わずか2か月で退職する。 ちびまる子ちゃんが大ヒット 1986年8月、『りぼん』で「ちびまる子ちゃん」の連載開始。 1989年 - 『ビッグコミックスピリッツ』30号(7月10日号、小学館)から「神のちから」の連載開始。 宮永正隆と結婚。 1989年度(平成元年)、第13回講談社漫画賞少女部門受賞(『ちびまる子ちゃん』)。 ちびまる子ちゃんアニメ化 1990年 - 『ちびまる子ちゃん』がフジテレビ系でアニメ化され、国民的に知名度を高める(1992年9月終了)。主題歌『おどるポンポコリン』の作詞で第32回日本レコード大賞を受賞。1991年には西城秀樹が歌う『走れ正直者』も主題歌(第2弾)としてヒットする。1991年からは、自身もアニメ脚本を手掛ける。( - 1999年4月)。 1990年 - 宮永正隆とともに、自身の創作活動のための会社「株式会社さくらプロダクション」を設立。設立当初は、宮永が社長を務めた(1990年代後半には、さくらが社長に代わっている)。 1991年 - 初エッセイ集『もものかんづめ』(集英社)発表。10月より宮永とともにニッポン放送『オールナイトニッポン』月曜1部のパーソナリティを務める。(1992年10月まで) 1992年 - 第27回新風賞受賞(『さるのこしかけ』)。 1992年9月 - 『ちびまる子ちゃん』のアニメが一旦放送終了。 1994年4月 - 長男、陽一郎誕生。 1995年1月 - 『ちびまる子ちゃん』のアニメが放送再開(第二期)。 1996年 - 仕事と子育ての両立が難しくなったこともあり、両親を東京に呼んで再び同居するようになる。 1997年 - 『コジコジ』がアニメ化される( - 1999年)。自身が脚本も手掛ける( - 1999年4月)。 1999年4月 - 1991年以降(『コジコジ』は1997年の放映開始時点から)継続してきた、『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』のアニメ脚本の仕事を降板、同時に脚本監修もさくらプロダクションの多田弘子に託した。降板理由について、さくらは「毎週脚本を2本書き続けなければならない状況が窮屈になってきた」「『私の人生にはいつまでもホッとする間がないのか』と思うようになっていた」と後に自著で述べている。後任の脚本家には、小学校時代の同級生である平岡秀章も名を連ねた。なお、降板後も、不定期で脚本を手掛けた。 1999年12月 - 自ら編集長を務めた雑誌『富士山』(新潮社)の第1号が発売される。 2000年代 2000年 - NHK全国学校音楽コンクールのために「こうしていよう」を作詞。 2002年 - 親子共作による絵本+エッセイ『おばけの手』を発表(長男のペンネームはさくらめろん)。 2003年 - イラストレーターうんのさしみと再婚。 2004年 - 再婚相手うんのさしみとの子どもを授かる。(雄飛(ゆうひ))次男の詳細は明かされていないため信ぴょう性が欠ける。 2005年 - デビュー20周年を記念し、各地で原画展「さくらももこワールド 20年の軌跡展」を開催。 2005年 - エッセイ『ひとりずもう』(小学館)発売。2007年度末時点で30万部突破と、エッセイでは久々のヒット作となる。2006年には、『ビッグコミックスピリッツ』で漫画版の連載が同年10号より開始( - 2007年51号)。 2006年 - 4月18日、『ちびまる子ちゃん』実写ドラマ化。自身は第1話の脚本も担当。 2006年 - 10月27日、完結した長文型式のエッセイとしては最後の作品となった『おんぶにだっこ』(小学館)発売。なお、Q&A形式のエッセイは2007年、絵日記シリーズのエッセイは2012年までは新作の発表を継続。 2006年 - 10月31日、『ちびまる子ちゃん』実写ドラマ第2作放送。 2007年 - 4月19日、レギュラーとして実写ドラマ+バラエティの複合番組『まるまるちびまる子ちゃん』放送開始。原作を同じくする実写とアニメが同時期に放送される珍しいケースとなる(2008年2月28日放送終了)。 2007年 - 7月1日、『ちびまる子ちゃん』が中日新聞、東京新聞、北陸中日新聞、日刊県民福井、北海道新聞、西日本新聞、河北新報、中国新聞、徳島新聞、神戸新聞朝刊にて連載開始。8月1日からは新潟日報でも連載が開始される(2011年12月31日連載終了)。なお、没後に東京新聞に掲載された記事によれば、この連載の当時から乳がんを患っていたという。また、さくらとも関わりの深かったデザイナーの祖父江慎は、この時期のあたりから家族の方を優先して仕事を抑え気味にしていた、と彼女の没後のインタビューで語っている。 2010年代 2013年 - 4月18日、『永沢君』が実写ドラマ化される(同年9月30日に放送終了)。 2013年 - 10月1日、約6年ぶりに『ちびまる子ちゃん』が実写ドラマ化される。 2014年-2015年 - デビュー30周年を記念し、『さくらももこの世界展』を各地で開催する。 2014年7月 - シンガーソングライターの琵奈子とともにユニット『イエローパープル』を結成(プロデュースと作詞担当)。 2014年 - デビュー30周年を記念して、自らが編集長を務めたムック本『おめでとう』を発売。同年7月に文庫化された漫画版『ひとりずもう』の初回流通分の帯にも、30周年記念のロゴがあしらわれた。 2015年 - 5月28日、公式LINEブログを開設。自身の近況などを綴った。 2015年 - 10月7日発売のグランドジャンプ21号より、『まんが倶楽部』の連載が開始。 2016年 - 10月5日、郡上八幡をテーマにした新作地方マンガ『GJ8マン』の公式サイトを開設。10月8日より自ら脚本を書いたWEBアニメ配信開始。 2016年 - 10月19日、同日発売のグランドジャンプ22号より、『まんが俱楽部』で発表された作品群の中から『ちびしかくちゃん』が単独連載化。漫画の連載作品としては、本作が最後の作品となった。 2018年 - 8月15日20時29分、乳がんのため死去。。通夜・告別式は遺族の意向により親族・近親者のみで執り行われ、同年8月27日に死去が公表された。2018年8月27日にフジテレビで放送されたアニメちびまる子ちゃんでは、エンディング直後に「さくらももこ先生のご冥福をお祈りします」と追悼メッセージがナレーション込みで放送された。11月16日には著名人・関係者を対象としたお別れ会「さくらももこさん ありがとうの会」が青山葬儀所にて営まれた。一般向けには、「さくらももこ ありがとうの会」と銘打った追悼個展が2019年1月から4月にかけて静岡県のエスパルスドリームプラザで行われた。 没後 2018年11月 - さくらプロダクションのスタッフが、公式LINEブログを継承。さくらプロダクションからの情報発信の場として使用している。 2018年12月 - 静岡市初の「静岡市市民栄誉賞」を受賞。 2018年-2019年 - 雑誌『Marisol(マリソル)』(集英社)2019年1月号 - 2019年4月号にかけて、未発表エッセイ『おかめはちもく』が短期集中連載される。 2019年- さくらプロダクション所属のアシスタントによる作画で、『ちびまる子ちゃん』の新作漫画の不定期連載が再開。その第1陣が、10月3日発売の少女漫画誌『りぼん』11月号に掲載される。この新作はかつてテレビアニメ用に書き下ろした脚本を基にさくらプロダクションが新たに漫画化したもので、さくら自身が自分の手でいつか漫画にしたいと願っていた。 2019年- 長男の三浦陽一郎が、さくらプロダクションの社長職を継承。 2021年- 東京アニメアワードフェスティバルの「アニメ功労部門」を受賞(『ちびまる子ちゃん』)。 2021年- エッセイの朗読版が登場。声は、『ちびまる子ちゃん』でまる子役を務めるTARAKOが担当する。3月19日に『ももこの世界あっちこっちめぐり』の冒頭が文庫版の宣伝用に無料公開されたほか、4月2日には『もものかんづめ』のオーディオブック(朗読版)が発売。 2022年11月~- 各地を巡る作者全般の展覧会としては没後初の開催となる「さくらももこ展」が、2022年11月 - 2022年12月の高松市美術館(香川県)を皮切りに各地で開催される予定。 作風 漫画は、「ヘタウマ」とも評される素朴なタッチで描かれる場合が多い。これは、投稿時代にエッセイ漫画に舵を切った際、戦略として少女漫画のタッチから変更したことに起因している。なお、少女漫画風のタッチを用いることもあり、特に漫画版『ひとりずもう』では多く用いられている。一方で、一時期の『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』の扉絵は、絵画風の凝ったデザインで描かれた。これは、さくらが敬愛するシンガポール生まれの絵本作家、エロール・ル・カインに影響を受けたものである。 初期はエッセイ漫画を軸に描いていたが、徐々にブラックユーモアな作風も取り入れていった。後年~晩年にかけて発表した『4コマちびまる子ちゃん』『ちびしかくちゃん』ではその傾向が強く、読者の評価もはっきり割れる形となった。さくらと交友のあった尾田栄一郎は、「さくらさんは少しいじわるな笑いが大好き。人が持っているムズがゆい部分をつつく。これができるのは、人間が大好きで鋭く見ていて、正直な人。」と彼女の没後に語っている。エッセイも含めて、「〇〇って一体…(例:私って一体…)」「あたしゃ情けないよ」など、自虐的なフレーズもよく用いている。 エッセイでは、家族や親しい友人相手でも、歯に衣着せぬ物言いで綴っているほか、初期のエッセイでは独特の比喩表現も多く用いている。祖父の死を扱った「メルヘン翁」を『青春と読書』で発表した後に批判が寄せられた際、「私は自分の感想や事実に基づいた出来事をばからしくデフォルメする事はあるが美化して書く技術は持っていない。それを嫌う人がいても仕方ないし、好いてくれる人がいるのもありがたい事である。」と自著で述べている。2000年代以降のエッセイは、過去の体験談よりも、直近の体験や仕事を基にしたものが主流となったほか、絵日記型式の割合も増えていった。 人物・交友関係 ペンネームの由来は、花の「さくら」と「もも」から。経緯は、高校3年生の夏に漫才師か落語家を目指そうと考えていた時期に(最初の漫画投稿が不発だったため)、同時に芸名も考えていたことによる。自身の好きな花から候補を挙げ、最終的に残った「すみれ」「さくら」「もも」の中から、「さくら」と「もも」を繋いで「さくらももこ」とした。後に漫画の投稿活動を再開したときから、このペンネームを使用している。「すみれ」は、後に『ちびまる子ちゃん』での母親の名前に使用している。 漫画家の夢については、高校3年生の夏に親友のたまちゃんに明かすまでは誰にも語っていなかったが、一部の教師や友人にはそれ以前に気付かれていた。また、最終的にはエッセイストになりたい、という夢を中学・高校以降の友人(浜崎憲孝が『ちびまる子ちゃん』の花輪和彦のモデルと評した女性)には明かしていた。 デビュー以降の自画像は、デビュー当初はおかっぱ頭、もしくはまる子そっくりな姿で描かれていた。『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』の制作レポート(1992年)では二つ結びに変化、1993年ごろからは、顔と前髪はまる子と同一・髪型は三つ編み、で定着するようになった。晩年は、三つ編み以外の自画像も使われた。 素顔がはっきり分かる状態での露出は避けており、雑誌『富士山』や『おめでとう』などで写真に写る際も、横顔や後ろからのカットなどで対処していた(変装時は除く)。なお、これらの誌面では自画像とは異なり、三つ編み以外の髪型になっていた。 小学校(「まる子」だった)時代は、『ちびまる子ちゃん』で描かれていたように怠け者かつ勉強に真面目に取り組まなかったことから、しょっちゅう母親に怒られていたという。怒られること自体への煩わしさは感じていたが、作者曰く「居眠りで他人に迷惑をかけているわけではない」「万引きや、家庭内暴力みたいに人や物を傷付けたりはしてないので、怒られる筋合いは無い」と、反省はしなかったと語っている。17歳までは怠け者な生活習慣が直らず、母親に「苦労して産んだのに」と泣かれたこともある。一方で、漫画・アニメで怠け者だった過去の自分を描いているため、息子が怠けていてもきつく叱れなくなった、とも自著で述べている。 課外活動は、小学校ではそろばん塾、中学校では学習塾に通っていたが、いずれも先生が怖くて苦痛だったと語っている。塾とは別に、小学校ではバトントワリングの教室や部活動にも参加していた。 姉とは、幼少期は『ちびまる子ちゃん』などで描かれているようにケンカが絶えず(友人と遊んでいるときでも、ひょんなことからケンカを始めてしまうほど)、母親を困らせていたという。成人後は、姉の厄年(1995年ごろ)に姉妹始まって以来の大ゲンカをして2年間絶縁状態に陥ったが、その後関係を持ち直したほか、2002年には姉妹共同でゲームソフトの制作にも携わった(後述)。姉も絵が好きだったこともあり、短大時代に高額な絵画を購入して親から咎められた際、姉がかばってくれたこともある、と自著で述べている。 同級生として元サッカー日本代表の長谷川健太や放送作家の平岡秀章がいる。「はまじ」のモデルとなった浜崎憲孝が自伝を出版した際にはさくらが表紙のイラストを書き下ろした。浜崎によると、小学生時代はかなり内気な性格であり、穂波たまえのモデルとなった友人の方がより「まる子」に近いキャラクターだったと語っている。さくら自身も、自著において自身を内向的な性格で、華のないタイプであったと評している。前述の長谷川健太もさくらの小学生時代の事を「覚えていない」と語っている。『ひとりずもう』には未登場だが、元サッカー選手の半田悦子も高校時代の同級生である。なお、半田に関しては、親友の穂波たまえの方が親交が深いとも述べている。 子供の頃、「青島幸男みたいに偉くなりたい。歌を作りたい」と言ったが、父親に「青島幸男は国会議員だ、無理に決まっている」と一蹴された。そのさくらが青島を目標とし大人になって作詞した歌が「おどるポンポコリン」である。また学生時代、春風亭小朝に弟子入りしようとしたこともある。 『仮面ライダー』で一文字隼人=仮面ライダー2号を演じた佐々木剛のファンだった。一文字のカード欲しさに仮面ライダースナックを買ったこともある。中高生時代は、『ドカベン』に傾倒しており、中でも里中智の大ファンであった。当時、単行本の購入費を工面するために親戚から贈られた『ベルサイユのばら』の単行本を勝手に売り捌いてしまい家庭内で問題になったほか、前述の怠け癖に怒った母親に単行本を窓から投げ捨てられ、泣きながら回収する羽目になったとも自著で述べている。 西城秀樹のファンで、『ちびまる子ちゃん』の作中では、まる子のお姉ちゃんがファンという設定で何度か登場させており、また西城は1991年から1992年にかけて使われたエンディングテーマ曲「走れ正直者」の歌唱も担当していた。2018年5月に西城が死去した際には、さくらは自身のブログで追悼のコメントを述べた。 高校時代にアマチュア無線技士の免許を取得しており、アマチュア無線家の月刊誌『CQ ham radio』1998年1月号の表紙では、ちびまる子ちゃんのイラストを寄稿したこともある。自伝的エッセイの「ひとりずもう」によると、さくらは高校に入学して部活を決める際に、なるべく早く家に帰りたいという理由で最も楽そうな物理部を選んだが、この物理部ではアマチュア無線の免許を取得することが義務付けられており、そのために彼女は1回2時間・週2回の講習会へ2か月間通わなければならず、それについて非常に煩わしい思いをしたと語っている。高校時代には、一部の後輩から「米虫の先輩」との異名が付けられていた。 健康の研究を日々行い、飲尿療法や茶葉による水虫治療など多くの民間療法を実践していた。30代の時には『ももこのおもしろ健康手帖』(幻冬舎刊)と題するエッセイ本を出版したこともある。その一方で大のヘビースモーカーでもあり、自著では「私は大の愛煙家だ。朝起きてまずタバコを吸い、昼間から夕方まで仕事をしている間もずっと吸い、夜眠る直前までタバコを吸う」「タバコが健康をもたらしてくれる。タバコをガンガンに吸っているからこそ、吸っていない人の20倍は、健康に気をつける」「タバコは私に健康の大切さを考えさせ、吸うからにはまず健康を確保しろということに気づかせてくれた」などと語っていた。しかし、そのような健康論を唱えていたさくら自身は前述の通り若くして乳がんを患い、53歳で死去する結果となった。エッセイ等の挿絵では、自身が喫煙する姿は基本的に描かれていないが、ごく稀に喫煙する姿が描かれたこともある。 さくらと交流があった和田アキ子は芸能界でも有名な酒豪として知られるが、その和田がさくらの死後に語った証言によると、さくらは和田を上回る酒豪であったという。さくら自身は、父と祖父が酒豪だったのを見て育っており、その影響で酒に興味を持つようになったと述べている。妊娠時において一瞥体験のような経験を自著に残している。 少女時代から作文が得意で、短大の模擬試験の作文課題では採点者から「清少納言が現代に来て書いたようだ」と評価されるほどであった。このことが、エッセイ漫画へと舵を切るきっかけの一つとなった。投稿時代は、何度も編集側からストーリーギャグ漫画への路線変更を提言されていたが、無視してエッセイ漫画での勝負を続けた。最終的には編集側も折れ、エッセイ漫画でのデビューを認めた。 さくらの書籍の装丁を多数手がけたデザイナーの祖父江慎は、彼女の没後のインタビューにおいて「まる子がそのまま大人になったような人物」「面倒臭がり」と評していた。祖父江曰く「楽しいことにはノリノリだが、義務っぽい雰囲気が出るとすぐ消極的になる」とのことで、彼女を乗り気にさせるための作戦を考えるのが大変であり、一方で楽しみでもあったと語っている。 宝石商の岡本憲将が記した『宝石の常識』を読んで以降、宝石に興味を持つようになり、彼を頼って宝石の収集を行ったこともある。そのときの経験をもとに、『ももこの宝石物語』『ももこのおもしろ宝石手帖』を出版している。 「はまじ」とあだ名される人物とは、同級生の浜崎憲孝だけでなく、モデルの浜島直子とも接点がある。浜島直子とは、『MOMOKO TIMES』の仕事で同行したこともある。このとき、さくらプロダクションのスタッフが浜崎憲孝と勘違いして少し混乱したという。 主な作品 漫画 ちびまる子ちゃん(1986年 - 2014年(1巻 - 17巻)、りぼん、集英社) のち文庫(14巻収録分まで。巻末作品は集英社文庫『ほのぼの劇場』として独立化) ちびまる子ちゃん 大野君と杉山君(1990年、りぼん、集英社) のち文庫(文庫版『ちびまる子ちゃん』4巻に収録) ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌(1992年、りぼん、集英社) 4コマちびまる子ちゃん(2007年 - 2011年、中日新聞・東京新聞ほか、中日新聞社) のち集英社電子書籍 ちびまる子ちゃん キミを忘れないよ(2015年、りぼん、集英社) ちびしかくちゃん(2016年 - 2018年(全2巻)、グランドジャンプ、集英社) ちびまる子ちゃん〈18巻以降〉(2019年 - 、りぼん、集英社)※さくらももこ没後の再開分で、原作・脚本担当扱い。作画は、さくらプロダクションの小萩ぼたんが担当。 神のちから(1989年 - 1992年、ビッグコミックスピリッツ、小学館) のち集英社 神のちからっ子新聞(2004年 - 2008年、ビッグコミックスピリッツ、小学館) のち集英社 ももこのドンドコ中学生音頭(1989年 - 終了時期不明(未単行本化)、宝島、宝島社)※2004年、一部のページが『20周年記念版 ももこのおもしろ本』に収録された。 永沢君(1993年 - 1995年(全1巻)、ビッグコミックスピリッツ、小学館) のち集英社 てんこ盛り!!永沢君(1996年 - 1997年(全1巻)、ビッグコミックスピリッツ、小学館) のち集英社『永沢君、推し!!』 コジコジ(1994年 - 2013年(未完)、きみとぼく→りぼん、ソニー・マガジンズ→集英社) スーパー0くん(2001年 - 2002年(全1巻)、小学一年生、小学館) ひとりずもう(エッセイを漫画化)(2006年(上下巻)、ビッグコミックスピリッツ、小学館) のち集英社文庫 まんが倶楽部(2015年 - 2016年(未完)、グランドジャンプ、集英社) さくらももこのCalbeeひとくち劇場(2015年 - 2016年、集英社) エッセイ 1991年3月 『もものかんづめ』集英社 のち文庫、のちオーディオブック 1992年4月 『うみのさかな&宝船蓬莱の幕の内弁当』角川書店 のち文庫(うみのさかな名義、宝船蓬莱と共著) 1992年5月 『ももこのしゃべりことば』ニッポン放送 1992年7月 『さるのこしかけ』集英社 のち文庫、のちオーディオブック 1993年7月 『たいのおかしら』集英社 のち文庫 1994年3月 『ももこのいきもの図鑑』マガジンハウス のち集英社文庫 1995年9月 『そういうふうにできている』新潮社 のち文庫 1996年7月 『あのころ』集英社 のち文庫 1997年6月 『ももこの世界あっちこっちめぐり』集英社 のち文庫 1997年9月 『まる子だった』集英社 のち文庫 1997年11月 『赤ちゃん日記―First year memories』小学館 1998年7月 『ももこの話』集英社 のち文庫 1998年11月 『憧れのまほうつかい』新潮社 のち文庫 1999年5月 『ももこのおもしろ健康手帖』幻冬舎 1999年7月 『さくら日和』集英社 のち文庫 2000年9月 『のほほん絵日記』集英社 のち文庫 2001年10月 『ツチケンモモコラーゲン』土屋賢二共著、集英社 のち文庫 2001年11月 『ももこのトンデモ大冒険』徳間書店 のち文庫 2002年4月 『さくらえび』新潮社 のち文庫 2002年11月 『ももこの宝石物語』集英社 のち文庫 2003年4月 『ももこのおもしろ宝石手帖』幻冬舎 のち文庫 2003年6月 『またたび』新潮社 のち文庫 2003年11月 『さくらめーる』集英社 2004年9月 『ももこの70年代手帖』幻冬舎 2005年8月 『ひとりずもう』小学館 のち文庫(当初は小学館、のち集英社) 2005年9月 『MOMOKO TIMES』集英社 2006年5月 『焼きそばうえだ』小学館 のち文庫(当初は小学館、のち集英社) 2006年10月 『おんぶにだっこ』小学館 のち集英社文庫 2007年5月 『さくら横丁』集英社 『ももこの21世紀日記』 No.1 - 8 幻冬舎、2002-08 のち文庫(No.4まで) 『ももこのよりぬき絵日記』(全4巻)集英社文庫 2010-11 ※『ももこの21世紀日記』No.1 - 8の抜粋版。 『ももこのまんねん日記』集英社 2010 『ももこのまんねん日記 2011』集英社 2011 『ももこのまんねん日記 2012』集英社 2012 作詞 ※表記はジャケットデザインも担当。 1990年 B.B.クィーンズ 「おどるポンポコリン」 (作曲・織田哲郎)※ 1991年 西城秀樹 「走れ正直者」 (作曲・織田哲郎) 1991年 「ごきげん 〜まる子の音日記〜」※ 1992年 高橋由美子「だいすき」(作曲・筒美京平) 1993年 藤川なお美 「演歌はぐれ鳥」 (作曲・細野晴臣)※ 1995年 渡辺満里奈 「うれしい予感」 (作曲・大瀧詠一)※ 1995年 たま 「あっけにとられた時のうた」 (作曲・知久寿焼)※ 1996年 カヒミ・カリィ 「ハミングがきこえる」 (作曲・小山田圭吾) 1997年 ホフディラン 「コジコジ銀座」(作曲・ホフディラン)※ 1998年 ManaKana 「ちびまる子音頭」 (作曲・佐橋俊彦)※ 1998年 ManaKana 「じゃがバタコーンさん」 (作曲・さくらももこ、小山田圭吾)※ 1999年 カジヒデキ 「Johnny,Johnny 死ぬほど恋して」(作曲・カジヒデキ) 2000年 KinKi Kids 「KinKiのやる気まんまんソング」 (作曲・飯田建彦)※ 2000年 NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲 「こうしていよう」 (作曲・朝川朋之) 2003年 LOVE JETS 「宇宙大シャッフル」 (作曲・忌野清志郎) 2004年 ちびまる子ちゃん(TARAKO) with 爆チュー問題 (爆笑問題)「アララの呪文」 (作曲・岡本真夜) 2004年 「まるまるぜんぶちびまる子ちゃん」 (挿入歌のみ、挿入歌作曲・中村暢之) 2005年 山上兄弟 「まじかる まじかる てじなーにゃ」 (作曲・浅田直) 2011年 さくらももこの詩による無伴奏混声合唱曲集「ぜんぶ ここに」(作曲・相澤直人) 2012年 桑田佳祐 「100万年の幸せ!!」 (作曲・桑田佳祐) 2012年 松雪陽 「あの日のキミ」 (作曲・松雪陽) 2012年 ライム with コジコジバンド 「バイバイベイビー」 (作曲・松雪陽) 2013年 坂本冬美 with M2 「花はただ咲く」 (コーラスも参加、作曲・宮沢和史)※ 2013年 ピエール瀧 「まるちゃんの静岡音頭」(静岡市公式音頭)(作曲・細野晴臣、編曲・小山田圭吾) 2013年 松雪陽「レッツGOしずおか」(作曲・松雪陽) 2013年 八代亜紀「赤い街」(作曲・松雪陽) 2014年 和田アキ子「すばらしき人よ」(作曲・さくらももこ、山崎燿)※ 2014年 イエローパープル「ロマンティックタイム」「Loop」(作曲・井上太郎、琵奈子) 2015年 MACO「幸せのはじまり」 2015年 けーこ「ワンニャンパラダイス」※ 2015年 ウルフルズ「おーい!!」(作曲・トータス松本) 2015年 大原櫻子「キミを忘れないよ」(作曲・亀田誠治) 2015年 けこり「春のうた」(作曲:山崎燿) 完成から数年間発表が見送られていたが、2020年3月に期間限定で配信された後、2021年3月に再度配信リリースされた。 2016年 ジャニーズWEST 「ボクら」 (作曲・松本良喜) 2016年 BOBヒロオ「GJ8マンのテーマ」・やまたろう「長良川鉄道の夜」(作曲・山崎耀) 2017年 アルバム『One Week』収録の以下の7曲(全作曲・来生たかお) 小谷美紗子「月曜日の朝」 辛島美登里「火曜日の昼」 青葉市子「水曜日の夕方」 柳原陽一郎「木曜日は雨」 中納良恵(EGO-WRAPPIN')「金曜日の夢 ~朝か夜かの物語~」 太田裕美「土曜日の恋人」 原田郁子(クラムボン)「日曜日の昼下がり」 2017年 PUFFY「すすめナンセンス」(作曲:織田哲郎) 2017年 ヨシケン「GJ8マン音頭」(作曲・山崎耀) 2018年 パチンコ『CRさくらももこ劇場コジコジ2』収録の以下の2曲(全作曲・山崎燿) あおきさやか「あっちこっちRaRaRa」 けーこ「バラ色の恋」 (作詞時期不明) 斉藤和義「いつもの風景」(作曲・斉藤和義) 詩集 まるむし帳 雑誌・ムック本 『富士山』 - さくらが編集長となり、「日本一の雑誌」と称して出版された。 20周年記念版 ももこのおもしろ本 - デビュー20周年を記念し発売。書店には流通せず、イベント会場・通販・「ちびまる子ちゃんランド」で限定販売。 おめでとう - デビュー30周年を記念し発売。 翻訳 『スヌーピーブックス』シリーズ 集英社 絵本、ドラマ脚本他 さくらももこランド・谷口六三商店(TBS系列のドラマ・脚本) おばけの手(さくらももこ・さくらめろん 絵本+エッセイ) ももこのファンタジック・ワールド コジコジ(絵本) ラジオ出演 さくらももこのオールナイトニッポン (with 宮永正隆) (ニッポン放送、1991年10月22日 - 1992年10月12日) ももこのおしゃべりチャンネル(CBCラジオ、2015年10月 - 12月) その他 さくらももこのウキウキカーニバル(任天堂・ゲームボーイアドバンス用ソフト)キャラクターデザイン ゲームの企画・シナリオは実姉である三浦範子が手がける。 まちあわせ(たま・ベスト・アルバムCD)・星を食べる(同・シングル)ジャケットデザイン(たまのメンバーを描いている) ハコイリ娘。(さくらももこ×モーニング娘。 エッセイ・インタビュー集) ツチケンモモコラーゲン(さくらももこ・土屋賢二 対談集) エブリパーティ(マイクロソフト・Xbox 360用ソフト)キャラクターデザイン 「清水西高80周年記念 春風の夢」表紙デザイン、巻頭コメント(1991年) 清水西高同窓会 エコバッグ用イラスト(2011年)絵柄は漫画版『ひとりずもう』小学館版下巻の表紙に近いが、新たに書き起こされている。 清水西高100周年記念誌『清く けだかく 美しく』表紙・扉ページ用イラスト(2011年)イラスト自体は、上記の同窓会向けエコバッグと共通。 嘉門達夫「宴」アルバムジャケットデザイン(1991年) スガキヤキャラクターデザイン(1998年) 満点ゲットシリーズ ちびまる子ちゃん(集英社・学習漫画)表紙カバー折り返しのコメント(1999年~2018年までの刊行分)、キャラクター原作(1999年~) 漫画・イラストは、一部のタイトルを除いて外部の作家が担当している。2018年の刊行分のうち、「せいかつプラス」の2冊はさくらの没後に刊行されており、カバー折り返しのコメントは生前に寄せられたもの。 アミ 小さな宇宙人新装改訂版挿絵(2000年) ギンザベルエトワール「フォーエンジェルズ」ブランドロゴ(2003年) 焼きそば屋「YAKISOBA UEDA(焼きそばうえだ)」 - 店舗プロデュース、看板デザインほか(2005年 - 2010年)※さくらが結成した「男子の会」の活動の一環で、バリ島にオープンさせた。現地の調理スタッフの退職により、2010年3月で閉店した。 都営バス(都05)静岡市のラッピング広告イラスト(2008年) ふくファミリー(ふく太郎・ふくこ・ふくのすけ)・海里くん・響子ちゃん(市立しものせき水族館 海響館)マスコットキャラクターデザイン 花王「今年の汚れ 今年のうちに」(住まいの洗剤大掃除キャンペーンPOP広告)(2008年・2009年・2010年) 日本習字イメージキャラクター(2008年・2009年) 静岡市自主運行バス「清水まちなか巡回バス」デザイン(2011年・運行受託および車両保守はしずてつジャストライン) しずてつジャストライン高速乗合バス「横浜ライナー」静岡市と同社の協働ラッピング車両デザイン(2012年) 静岡鉄道1000形電車ラッピング車両「ちびまる子ちゃんの生まれた町にあそびにおいでよ!」 静岡市広報課シティプロモーション課「静岡市はいいねぇ。」オリジナルイラスト(2011年~) momoko planet(アイフリーク、2012年~終了時期不明) - さくらの、公式Webサイトのひとつ。さくらの父や、さくらプロダクションのスタッフも参加した。同サイトで連載されたエッセイ『ふたたび』も、未完の作品となった。コンテンツの一部は、2014年刊行の『おめでとう』に再録された。 なごみの湯(東京荻窪) - ポスター・チラシ・ノベルティ用イラスト(2012年~2016年) 「グランドファーザーが教えてくれたこと」「グランドファーザーの生き方」 - 表紙イラスト・題字(ヒカルランド、2012年 - 2013年) マツモトキヨシLINEスタンプデザイン(2013年) ペットの王国 ワンだランド(朝日放送、2014年)(タイトルロゴ・キャラクター「ぽちのすけ」「にゃーにゃん」デザイン) カルビーひとくち劇場 - 作画(2014年) 徳間書店の「超知ライブラリー」シリーズ等に関わった編集者・石井健資によるスピリチュアル・オカルト系の出版社ヒカルランドのロゴ ファイアーエムブレム英雄百歌(シーダのイラストを担当) CRA「さくらももこ劇場 ミラくるずきんちゃん」キャラクターデザイン(西陣、2016年) 「地球の子供たち」キャラクターデザイン(ピエールラニエ、タパック、2017年~) - 『ちびまる子ちゃん』連載30周年・ピエールラニエ創業40周年記念で制作された、オリジナル腕時計用にデザインされた。さくら没後も、壁掛け時計やスマートフォンケースなどへの商品展開が続けられている。 花王ニベアクリーム(容器のイラストを担当)(2018年9月8日発売)これが遺作となった。 GJ8マン(2016年~) - 毎月8日に配信される短編アニメーション。さくら自身も悪者役として出演した。この作品も遺作となった。 オリジナルデザインマンホール - 2018年8月7日ちびまる子ちゃんがあしらわれたマンホールの蓋2種類を静岡市に寄贈した。マンホールの蓋は同年9月6日に新静岡駅前、翌日清水駅前に設置された。これも生前最後の作品とされている。 関係人物 おーなり由子(絵本作家、漫画家・友人) 水沢めぐみ(漫画家・友人) 矢沢あい(漫画家・友人) 吉住渉 (漫画家・友人) 岡田あーみん(漫画家・友人) 柊あおい(漫画家・友人) 賀来千香子(女優・友人) よしもとばなな(小説家・友人) 長谷川健太(元サッカー選手・『ちびまる子ちゃん』のキャラ、ケンタのモデル) 平岡秀章(放送作家、元同級生・『ちびまる子ちゃん』のキャラ、ヒラバのモデル) ビートたけし(タレント・映画監督、『ちびまる子ちゃん』の劇中に無名の芸人という設定で登場し、さくらの父とも実際に交流がある) 石川浩司(ミュージシャン、元たま) 尾田栄一郎(公私ともに親交があった。『ONE PIECE』日曜7時時代、アニメ合体SPなど放送されていた。) 祖父江慎(デザイナー、さくらが主宰した「くいしんぼう同盟」のメンバーでもあった。) 山口ミルコ(元幻冬舎の編集者、友人、さくらが結成した「爆笑の会」の相方。『手帖』シリーズ、『ももこの21世紀日記』にも登場している。) アシスタント 小花美穂 藤谷香 - 「さくらプロダクション」スタッフ。『絵日記』シリーズにも稀に登場している。1991年に「さくらももこのオールナイトニッポン」への投稿がきっかけで入社、以降2015年末時点でも同社唯一のアシスタントとして在籍していた。2022年の雑誌『MOE』でのさくらプロダクション特集では、彼女の名前は見られなくなっている。 小泉晃子 - (1994年 - 1998年)※アシスタントを離れた後も、「満点ゲットシリーズ」の表紙・総扉イラストを手掛けているほか、同シリーズの初期タイトルでは本文中の漫画も手掛けている。 小萩ぼたん - 「さくらプロダクション」スタッフで、アシスタント経験者。さくらももこの没後、『りぼん』2019年11月号に掲載の『ちびまる子ちゃん』「その133」より作画を担当しているほか、さくらプロダクション関係のイラストや、2019年以降の『満点ゲットシリーズ』の作画も部分的に担当している。藤谷香の別名義か否かについては公式には発表されていないが、さくらプロダクション入社のきっかけおよび同社での勤続年数は、藤谷香の経歴とは合致している。 さくらももこを演じた人物 1992年NHKドラマ『さくら家の人びと』ももこ役 富田靖子 『ちびまる子ちゃん』関連作品で演じた人物。 TARAKO 森迫永依 伊藤綺夏 信太真妃 北村燦來 木村カエラ 上野樹里 吉岡里帆 脚注 注釈 出典 関連項目 エスパルスドリームプラザ - 同施設内の「ちびまる子ちゃんランド」内に、さくらももこの漫画・エッセイ等を収蔵した図書室が設けられている。 外部リンク さくらプロダクション オトナな会話(仮)さくらももこ×糸井重里の対談 - ほぼ日刊イトイ新聞 日本の漫画家 日本の女性作詞家 20世紀日本の女性随筆家 21世紀日本の女性随筆家 新聞連載の漫画家 アマチュア無線関連の人物 静岡英和学院大学短期大学部出身の人物 静岡市出身の人物 乳癌で亡くなった人物 本名非公開の人物 1965年生 2018年没
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E6%B7%B3%E5%AD%90
佐々木淳子
佐々木 淳子(ささき じゅんこ、1955年6月23日 - )は、日本の漫画家。血液型はAB型。 東京都目黒区出身。実家はだんご店。東京デザイナー学院アニメーション科を卒業しており、学院在籍中は漫画研究会に所属していた。アシスタントを経て、1977年、『週刊少女コミック増刊号』掲載の『キムのゆうれい』でデビュー。小学館、新書館、角川書店、あおば出版など、活動の場は幅広い。 漫画家の酒井美羽とは東京デザイナー学院で同じ科にいた。一時期は美内すずえ、樹村みのりのアシスタントを経験している。 異世界を舞台とするSFジャンルの作品を得意とし、また夢、時間がテーマの作品が多い。代表作に『ダークグリーン』など。 2007年4月より、講談社の運営するウェブコミック閲覧サイト『MiChao!』において、『ダークグリーン』の続編となる『ディープグリーン』を連載。2009年12月の『MiChao!』の更新終了とともに連載も終了した(単行本全4巻)。 さらに、『ディープグリーン』の続編・『ディメンショングリーン』が、現在同人誌として刊行されている。 作品リスト 単行本 連載作品 ブレーメン5 (全6巻)(フラワーコミックス、1982年1月 - 1989年10月) 那由他 (全3巻)(フラワーコミックス、1982年6月 - 1983年1月) ダークグリーン (全10巻)(フラワーコミックス、1983年9月 - 1988年2月) 青い竜の谷 (全7巻)(あすかコミックス、1990年 - 1993年) ブルーオベリスク(あすかコミックス、1992年) アイン・ラーガ (全6巻) (あすかコミックス、1993年 - 1994年) リュオン(幻冬舎コミックス、2004年) G・ZOOへようこそ(ギャラクシー・ズーへようこそ)(Meguコミックス、2005年)(聖悠紀作、超人ロックシリーズのシェアード・ワールド) ディープグリーン (全4巻)(講談社、2007年 - 2009年) リュオン (文庫版 (幻冬舎)、2011年1月) 短編集 Who! ―超幻想SF傑作集 (マイコミックス、1981年)(短編集) Who! (『少年/少女SFマンガ競作大全集 '80年 Part7』(東京三世社)) 赤い壁 (『コロネット』1980年夏の号) 恐怖のワンモア(文章エッセイ) メッセージ (『少女コミック』1979年9月30日増刊号) のこされたこころ (『少女コミック』1978年第29号) リディアの住む時に… (『少女コミック』1978年5月3日増刊号) ミューンのいる部屋 (『少女コミック』増刊デラックス1979年1月27日号) 母はやさしくほほえんで (『少女コミック』1979年2月25日増刊号) Who! ―超幻想SF傑作集 (シティコミックス、1983年)(新装版、短編集) ドリームダストメモリーPart1(ペーパームーンコミックス、イラスト集・短編集。1983年) ドリームダストメモリーPart2(ペーパームーンコミックス、1984年) どんどん長くずんずん深く(ペーパームーンコミックス、1984年)(短編集) どんどん長くずんずん深く スタート アリス・現実な国で そのむこう 鏡の国から… 佐々木淳子イラスト集 - DARK GREEN VISUAL MESSAGE 夢(1986年) ドリームダストメモリーPart3(ペーパームーンコミックス、1987年) SHORT TWIST(プチフラワーコミックス、1988年) SHORT TWIST (『プチフラワー』1988年6・7月号) ルオスG (『少年ビッグコミック』1987年5・6月号) Who! ―超幻想SF傑作集 (ベルコミックス、1993年) (新装版、短編集) ボーイな君 ―佐々木淳子ワールド(フラワーコミックス、1999年)(短編集) ボーイな君 ダイエット特別セミナー ゴミ☆ぱにっく 夢果てる SHORT TWIST ―佐々木淳子傑作選 (BIRZ COMICS SPECIAL、2011年3月) SHORT TWIST (単行本 1988年から再録) のこされたこころ ケースB (商業誌初出) 伝説の地 (『ドリームダスト・メモリー』1983年11月 から再録) ベビーNの幸福 (『プチコミック』1988年12月号、1989年1月号) オパールの竜 (『月刊Asuka』1989年5月号) LONG TWIST (描きおろし、「SHORT TWIST」続編) 単行本併録短編 キムのゆうれい(1977年。『那由他』1巻収録) テレポート(1974年。メディアファクトリー版『那由他』2巻収録) みどりの大地(1976年。『ブレーメン5』3巻収録) マーティン!(1976年。ドリームダストメモリーPart2収録。同人誌掲載作品であり『ぱふ』1983年5月号(61頁-)に再掲) 白き銀河の果てに(1977年、北浦圭との合作。ドリームダストメモリーPart1収録) 恐竜の絵本(1980年、同人誌からの再録。『那由他』2巻収録) 二次元チョモコモ(1981年。『ブレーメン5』2巻収録) セピア色したみかづき形の…(1981年。『那由他』3巻収録) 霧ではじまる日(1982年。『ブレーメン5』4巻収録) 未収録作品 わたしの実験室(1974年) 桜の園のリディヤ(高野史緒によるトリビュート小説。挿絵起稿] - 『SFマガジン』2021年4月号 掲載 脚注 外部リンク 佐々木淳子公式ホームページ 日本の漫画家 SF漫画家 東京都区部出身の人物 1955年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1988%E5%B9%B4
1988年
この項目では、国際的な視点に基づいた1988年について記載する。 他の紀年法 干支:戊辰(つちのえ たつ) 日本(月日は一致) 昭和63年 皇紀2648年 大韓民国(月日は一致) 大韓民国70年 檀紀4321年 中華民国(月日は一致) 中華民国暦77年 朝鮮民主主義人民共和国(月日は一致) 主体77年 仏滅紀元:2530年 - 2531年 イスラム暦:1408年5月11日 - 1409年5月22日 ユダヤ暦:5748年4月11日 - 5749年4月23日 UNIX時間:567993600 - 599615999 修正ユリウス日(MJD):47161 - 47526 リリウス日(LD):148002 - 148367 ※ 主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国で1997年に制定された。 カレンダー できごと 1月 1月1日 - ソビエト連邦、ミハイル・ゴルバチョフ書記長主導の下、ペレストロイカ開始。 1月5日 - 六本木ディスコ照明落下事故。死者3名負傷者14名の大惨事となった。 1月13日 - 台湾の蔣経国総統没。後任に李登輝。 1月26日 - オーストラリアが入植200周年を祝う。 1月26日 - 747-400が本格生産開始。 2月 2月6日 - イタリア・リラ、1000分の1デノミ決定。 2月10日 - ドラゴンクエストIII そして伝説へ…が発売。 2月13日 - カルガリーオリンピック開幕(2月28日まで)。 2月24日 - 雑誌『ハスラー』が名誉毀損問題でアメリカの連邦最高裁で逆転勝訴。 2月25日 - 韓国で盧泰愚大統領が就任。 2月27日 - アゼルバイジャンのスムガイトでアゼルバイジャン人がアルメニア人を襲撃(スムガイト暴動)。 3月 3月2日 - アメリカ合衆国上院、グラス・スティーガル法撤廃法案可決。 3月13日 - 青函トンネルが開業(海峡線 中小国 - 木古内間)。1964年1月6日の起工式から24年の歳月と6890億円の費用を投じた。 3月14日 - 赤瓜礁海戦。中華人民共和国とベトナムが衝突。 3月16日 - イラクのハラブジャで、多くの住民が化学兵器により殺害される(ハラブジャ事件)。 3月17日 - コロンビア・ククタ付近でアビアンカ航空410便のボーイング727が墜落し、乗員乗客143人全員が死亡(アビアンカ航空410便墜落事故)。 3月18日 - 東京ドーム開場。 3月24日 - 中国で、修学旅行中の高知学芸高校の生徒と教師計28名が列車事故により死亡(上海列車事故)。 3月25日 - チェコスロバキアのブラチスラヴァ(現スロバキア首都)で、共産党政権に反対する同国初の大規模なろうそくデモ発生。 4月 4月14日 - ソ連がアフガニスタンからの撤退に関して合意(ジュネーヴ合意)。翌年2月15日までに撤退を完了。 4月26日 - 韓国の第13代総選挙で与党の民主正義党が不振、野党が過半数。 4月30日 - オーストラリアのブリスベンでブリスベン国際レジャー博覧会開催。(10月30日まで)。 5月 5月15日 - 1988年フランス大統領選挙でフランソワ・ミッテラン再選。 5月15日 - アフガニスタンからのソ連軍の撤退開始。 5月23日 - アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガン、訪ソ、首脳会議。 6月 6月19日 - 第14回先進国首脳会議(トロント・サミット)開幕。 6月27日 - フランス・リヨン駅列車衝突事故 7月 7月1日 - アメリカ合衆国で90日以内の観光、商用、もしくはトランジット目的で米国内に滞在する外国人のビザ免除プログラムの施行開始。同日よりイギリス市民権を持つ者に対して適用。 7月3日 - イラン航空655便エアバスA300B2がアメリカ海軍のイージス艦「ヴィンセンス」に撃墜され、乗員乗客290名全員が死亡(イラン航空655便撃墜事件)。 7月3日 - トルコのイスタンブールにファーティフ・スルタン・メフメト橋(第二ボスポラス橋)開通。 7月6日 - 北海油田の石油プラットフォーム、パイパー・アルファで爆発事故、166名の死者を出す惨事となる。 8月 8月8日 - ビルマで8888民主化運動が発生。 8月10日 - アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンが市民の自由法に署名し、発効。第二次世界大戦中にアメリカによって行われた日系人の強制収容を謝罪し一人当たり20000ドルの補償を行う。 8月11日 - アルカーイダが組織される。 8月19日 - ビルマでマウン・マウンが大統領に就任。 8月20日 - イラン・イラク戦争停戦が正式に成立。 8月21日 - ネパール地震が発生。 8月28日 - 西ドイツのラムシュタイン空軍基地で行われたイタリア空軍のアクロバットチーム、フレッチェ・トリコローリによる航空ショーで衝突墜落事故が発生(ラムシュタイン航空ショー墜落事故)。70人死亡、346人が重軽傷を負う惨事。 9月 9月11日 - エストニア・ソビエト社会主義共和国での集会に30万人が参加(歌う革命)。 9月14日 - ハリケーン・ギルバートがメキシコのユカタン半島に上陸。 9月17日 - ソウルオリンピック開幕(10月2日まで)。 9月18日 - ビルマでソウ・マウン国軍総参謀長がクーデターにより全権掌握。国家法秩序回復評議会を設立。 9月21日 - 日本のロックユニット・B’zがCDデビュー。 9月29日 - アメリカ航空宇宙局、チャレンジャー墜落後初となるスペースシャトル・ディスカバリーの打ち上げに成功(STS-26)。 10月 10月7日 - リトアニアの首都ヴィリニュスで、ゲディミナス城の塔の上で1940年以降掲げられていなかった黄・緑・赤の3色旗が掲揚される。 10月17日 - ボードゲーム「モノポリー」の第8回世界選手権で百田郁夫が優勝し、日本人で初めて世界の頂点に立つ。 10月30日 - フィリップモリス、クラフトを買収。 10月31日 - マツダが「ペルソナ」を発売。 11月 11月8日 - アメリカ大統領選挙でジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュがマイケル・デュカキスを破って当選。 11月15日 - PLOがチュニジアのチュニスでパレスチナ国家独立を宣言。 11月15日 - ソ連の宇宙シャトル「ブラン」打ち上げ。無人での軌道周回飛行を行う。 11月16日 - ソ連のエストニア共和国が主権宣言(1991年に独立)。 11月17日 - オランダがインターネットに接続された2番目の国となる。 12月 12月2日 - パキスタン総選挙で勝利したベーナズィール・ブットーが同国首相に就任。イスラム国家では初の女性首相となる。 12月7日 - アルメニアでマグニチュード6.8の地震発生。2万5000人以上が死亡(アルメニア地震)。 12月16日 - 日本とアメリカ合衆国との協定により、ビザ免除プログラム適用開始。90日以内の観光、商用、トランジット目的での渡航の際のビザ取得が原則不要となる。同プログラム適用はイギリスに次ぎ2カ国目。 12月21日 - パンアメリカン航空103便爆破事件。 天候・天災・観測等 ラニーニャ現象が発生。世界各地で異常気象。 芸術・文化・ファッション・テレビ スポーツ 1988年カルガリーオリンピック 1988年ソウルオリンピック モータースポーツ F1世界選手権 ドライバーズチャンピオン アイルトン・セナ コンストラクターズチャンピオン マクラーレン・ホンダ ロードレース世界選手権 500cc エディ・ローソン 250cc アルフォンソ・ポンス 音楽 文学 映画 テレビ 10月13日 - フジテレビ系列のバラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげです』がレギュラ一放送開始。 誕生 人物 1月 1月1日 - 七海まい→原紗央莉→松野井雅、タレント・元AV女優 1月2日 - 明坂聡美、声優 1月3日 - ジョニー・エヴァンス、サッカー選手 1月3日 - チョン・ヨンヒョク、フィギュアスケート選手 1月3日 - J.R.ヒルデブランド、レーシングドライバー 1月3日 - カロリーナ・ヘルマン、フィギュアスケート選手 1月3日 - 山本和臣、声優、歌手 1月7日 - ハードウェル、DJ 1月7日 - ジョーリス・チャシーン、メジャーリーガー 1月9日 - キャサリン・コペリー、フィギュアスケート選手 1月10日 - ゾエ・ブラン、フィギュアスケート選手 1月10日 - ラファエル・ドリス、プロ野球選手 1月12日 - マルセル・シュメルツァー、サッカー選手 1月15日 - キャンディス・ディディエ、フィギュアスケート選手 1月15日 - スクリレックス、エレクトロミュージシャン・シンガーソングライター 1月15日 - ダルウィン・アタプマ、自転車競技選手 1月16日 - シンシア・ファヌフ、フィギュアスケート選手 1月16日 - ニクラス・ベントナー、サッカー、デンマーク代表 1月16日 - ブノワ・リショー、フィギュアスケート振付師 1月18日 - ミゲル・メヒア、プロ野球選手 1月19日 - ショーン・トールソン、メジャーリーガー 1月19日 - 山本裕典、俳優 1月20日 - ジェフレン・スアレス、サッカー選手 1月21日 - アシュトン・イートン、陸上競技選手 1月22日 - グレッグ・オデン、バスケットボール選手 1月24日 - ドルラン・パボン、サッカー選手 1月26日 - ギャリー・フーパー、サッカー選手 1月26日 - 峰幸代、ソフトボール選手 1月27日 - ケルロン・モウラ・ソウザ、サッカー選手 1月28日 - A.J.グリフィン、メジャーリーガー 1月31日 - シドニー・サム、サッカー選手 2月 2月1日 - アラン・デサンミゲル、マイナーリーガー 2月1日 - 東出昌大、ファッションモデル、俳優 2月2日 - マックス・パールマン、野球選手 2月3日 - キュヒョン、アイドル、俳優、タレント(Super Junior) 2月4日 - リザナ・ナシカ、メイド(+ 2013年) 2月4日 - ロマン・タラン、フィギュアスケート選手 2月6日 - ヤン・モシチツキー、フィギュアスケート選手 2月7日 - パーダール・ビアンカ、フィギュアスケート選手 2月7日 - マシュー・スタッフォード、アメリカンフットボール選手 2月8日 - マチュー・ウィルソン、フィギュアスケート選手 2月8日 - 佐々木希、ファッションモデル、女優 2月9日 - T-岡田、プロ野球選手 2月10日 - 山村響、声優 2月10日 - ジーンマー・ゴメス、メジャーリーガー 2月10日 - ジェイク・ブリガム、プロ野球選手 2月10日 - 西明日香、声優 2月11日 - ジュンジュン、元モーニング娘。 2月12日 - ジョシュ・フェグリー、メジャーリーガー 2月12日 - 榮倉奈々、女優、モデル 2月13日 - 森なな子、声優 2月13日 - ライアン・ゴインズ、メジャーリーガー 2月14日 - アンヘル・ディ・マリア、サッカー選手 2月14日 - ヤホール・マイストロウ、フィギュアスケート選手 2月15日 - ルイ・パトリシオ、サッカー選手、ポルトガル代表 2月16日 - デニウソン・ペレイラ・ネヴェス、サッカー選手 2月16日 - アンドレア・ラノッキア、サッカー選手 2月16日 - キム・スヒョン、俳優、モデル 2月18日 - チャンミン、アイドル、俳優(東方神起) 2月18日 - ノダリー・マイスラーゼ、フィギュアスケート選手 2月19日 - 入野自由、声優 2月20日 - リアーナ、歌手 2月20日 - スペンサー・パットン、プロ野球選手 2月21日 - 蔣智賢、野球選手 2月22日 - ウリ、元アイドル(元RAINBOW) 2月23日 - ケビン、アイドル(ZE:A) 2月25日 - シン・イェジ、フィギュアスケート選手 2月26日 - キム・ヨンギョン、バレーボール選手 2月26日 - ダスティン・アクリー、メジャーリーガー 3月 3月1日 - 張振旺、野球選手 3月4日 - ホセ・デポーラ、メジャーリーガー 3月6日 - レオニス・マーティン、メジャーリーガー 3月6日 - シモン・ミニョレ、サッカー選手 3月10日 - インス、アイドル(MY NAME) 3月11日 - ファビオ・コエントラン、サッカー選手 3月13日 ‐ ジェイソン・ロジャース、プロ野球選手 3月14日 - ステフィン・カリー、バスケットボール選手 3月14日 - ジョシュ・スティンソン、プロ野球選手 3月15日 - アンゲリカ・チホツカ、陸上競技選手 3月16日 - 榎あづさ、声優、歌手、元LISPのメンバー 3月17日 - フレイザー・フォースター、サッカー選手 3月17日 - グライムス、アーティスト 3月19日 - クレイトン・カーショウ、メジャーリーガー 3月19日 - レオ・シン、サッカー選手 3月20日 - ディエゴ・バストス・リベイロ、サッカー選手 3月21日 - リー・カッターモール、サッカー選手 3月22日 - コンスタンチン・ベズマテルニフ、フィギュアスケート選手 3月27日 - 内田篤人、サッカー選手 3月28日 - ライアン・ケイリッシュ、メジャーリーガー 3月31日 - ホーガン・エフレイム、サッカー選手 3月31日 - ベアトリサ・リャン、フィギュアスケート選手 4月 4月1日 - ブルック・ロペス、バスケットボール選手 4月1日 - ロビン・ロペス、バスケットボール選手 4月1日 - チョン・へイン、俳優 4月3日 - ティム・クルル、サッカー選手 4月5日 - 中田あすみ、女優・元てれび戦士 4月9日 - ユイ、元アイドル、女優(元AFTERSCHOOL) 4月10日 - ハーレイ・ジョエル・オスメント、俳優 4月10日 - ユニス・ジェプコエチ・サム、陸上競技選手 4月10日 - ウィルソン・マトス、プロ野球選手 4月11日 - ピート・コズマ、野球選手 4月11日 - 前田健太、野球選手 4月12日 - ステファノ・デシモーニ、プロ野球選手 4月13日 - 松本健太、ボーカル・ベース(WANIMA) 4月13日 - アンデルソン、サッカー選手 4月15日 - クリス・ティルマン、メジャーリーガー 4月15日 - 沼倉愛美、声優、歌手 4月16日 - ペーター・リーベルス、フィギュアスケート選手 4月17日 - 森内貴寛(Taka)、シンガーソングライター(ONE OK ROCK) 4月19日 - 小嶋陽菜、元AKB48、女優・タレント・ファッションモデル 4月19日 - ケビン・ベジスティック、野球選手 4月21日 - 李杜軒、プロ野球選手 4月22日 - ディー・ゴードン、メジャーリーガー 4月25日 - ラウラ・レピスト、フィギュアスケート選手 4月25日 - ドゥトラ、サッカー選手 4月27日 - ホセ・フェルナンデス、野球選手 4月28日 - フアン・マタ、サッカー選手 4月29日 - ユンナ、歌手、女優 4月30日 - ライアン・オルーク、メジャーリーガー 5月 5月2日 - ネフタリ・フェリス、メジャーリーガー 5月3日 - マーク・ハーディ、プロ野球選手 5月3日 - ベン・リビア、メジャーリーガー 5月4日 - クリスチャン・バーグマン、メジャーリーガー 5月5日 - アデル、歌手 5月5日 - ブルック・ホーガン、歌手 5月5日 - スカイ・スウィートナム、歌手 5月7日 - イサイアス・ベラスケス、元マイナーリーガー 5月8日 - リーズ・ドゥ・ラ・サール、ピアニスト 5月9日 - ネマニャ・ビエリツァ、バスケットボール選手 5月9日 - 雅千夏、アイドル 5月10日 - ライアン・ジャクソン、メジャーリーガー 5月12日 - マルセロ、サッカー選手 5月14日 -ニッコロ・カネパ、オートバイレーサー 5月16日 - アン・ボヒョン、俳優 5月17日 - サム・ダイソン、メジャーリーガー 5月18日 - 瀬戸康史、俳優 5月18日 - SOL、アイドル(BIGBANG) 5月20日 - カイル・ジェンセン、プロ野球選手 5月21日 - パク・ギュリ、アイドル、女優(元KARA) 5月23日 - モーガン・プレッセル、ゴルファー 5月24日 - ハモン・オズニ・モレイラ・ラジェ、プロサッカー選手 5月24日 - ブラディミール・ガルシア、野球選手 5月25日 - 崔智恩、フィギュアスケート選手 5月25日 - パヴェル・カシュカ、フィギュアスケート選手 5月27日 - ギャレット・リチャーズ、メジャーリーガー 5月27日 - ブラッド・ボックスバーガー、メジャーリーガー 5月28日 - 黒木メイサ、女優 5月28日 - クレイグ・キンブレル、メジャーリーガー 5月28日 - レスター・オリベロス、メジャーリーガー 5月29日 - 早織、女優 5月30日 - アマンダ・ヌネス、格闘家 5月31日 - イ・スヒョク、俳優、モデル 6月 6月1日 - フランシスコ・ペゲロ、野球選手 6月1日 - ハビエル・エルナンデス、サッカー選手 6月2日 - セルヒオ・アグエロ、サッカー選手 6月2日 - 齋藤彩夏、声優 6月3日 - 三浦翔平、俳優、モデル 6月3日 - 柳下大、俳優 6月6日 - アレクセイ・ロゴノフ、フィギュアスケート選手 6月6日 - ジェレミー・ゴールド、野球選手 6月7日 - マイケル・セラ、俳優 6月7日 - フィリップ・ティッシェンドルフ、フィギュアスケート選手 6月10日 - ガラニン・ヤン、野球選手 6月10日 - ジャイール、サッカー選手 6月11日 - 新垣結衣、女優 6月13日 - 生田竜聖、アナウンサー 6月18日 - マリアナ・ブリディ・ダ・コスタ、ブラジルのモデル (+ 2009年) 6月20日 - May J.、歌手 6月22日 - オムリ・カスピ、バスケットボール選手 6月22日 - ポーシャ・ダブルデイ、女優 6月24日 - マイカ・リチャーズ、サッカー選手 6月24日 - ミチェレ・カントゥ、フィギュアスケート選手 6月28日 - 濱田岳、俳優 6月28日 - 近藤唯、声優 6月29日 - エベル・バネガ、サッカー選手 6月29日 - ブルックス・ラリー、プロ野球選手 6月30日 - 中尾明慶、俳優 6月30日 - 呉承訓、サッカー選手 7月 7月1日 - 金智孝、気象キャスター 7月2日 - 李菁龍、サッカー選手 7月2日 - ゆゆうた、YouTuber、ミュージシャン、ピアニスト、ゲーム実況者 7月3日 - ミゲル・アンヘル・ロペス、陸上競技選手 7月6日 - ミハイル・クズネツォフ、フィギュアスケート選手 7月6日 - コーディー・ファーン、俳優 7月8日 - ジャーネイル・ヘイズ、陸上競技選手 7月8日 - クセニヤ・シュミリナ、フィギュアスケート選手 7月11日 - 王磊、フィギュアスケート選手 7月11日 - 井口裕香、声優、歌手 7月12日 - マルコー・マールトン、フィギュアスケート選手 7月12日 - ジェレミー・バーフィールド、マイナーリーガー 7月12日 - 種田梨沙、声優 7月13日 - 五嶋龍、ヴァイオリニスト 7月13日 - 王靖超、野球選手 7月13日 - ヴァネッサ・クワイ、歌手 7月13日 - DJ・ルメイユ、メジャーリーガー 7月14日 - グラシエル・ジーン・タン、フィギュアスケート選手 7月14日 - リース・ウィリアムズ、サッカー選手 7月15日 - エロイス・ルスール、陸上競技選手 7月16日 - セルヒオ・ブスケツ・ブルゴス、サッカー選手 7月17日 - 浅田舞、元フィギュアスケート選手・スポーツキャスター 7月20日 - スティーブン・ストラスバーグ、メジャーリーガー 7月20日 - タイ・ケリー、メジャーリーガー 7月21日 - ネッラ・シマオヴァ、フィギュアスケート選手 7月22日 - 吉高由里子、女優 7月22日 - 金廣鉉、野球選手 7月24日 - ハン・スンヨン、元アイドル、女優(元KARA) 7月25日 - 朱大衛、プロ野球選手 7月25日 - ステイシー・ケンプ、フィギュアスケート選手 7月25日 - パウリーニョ、サッカー選手 7月26日 - 鄭凱文、野球選手 7月26日 - 近江友里恵、アナウンサー 7月28日 - 許斌姝、フィギュアスケート選手 7月28日 - 仲村宗悟、声優 7月30日 - クリストファー・トレフィル、フィギュアスケート選手 7月31日 - クリスタル・マイヤーズ、歌手 7月31日 - 崔暁、元プロ野球選手 8月 8月1日 - ロイド・ジョーンズ、フィギュアスケート選手 8月1日 - タチアナ・ココレワ、フィギュアスケート選手 8月2日 - ジュスティン・シャーマー、野球選手 8月3日 - マチェイ・チェプルハ、フィギュアスケート選手 8月5日 - フェデリカ・ペレグリニ、競泳選手 8月5日 - フルール・マクスウェル、フィギュアスケート選手 8月6日 - 窪田正孝、俳優 8月7日 - アニッカ・オーブレット、ポルノ女優 8月7日 - メロディ・オリヴェリア、YouTuber 8月8日 - ダニーロ・ガリナリ、バスケットボール選手 8月8日 - ベアトリス・オブ・ヨーク、イギリス王室 8月8日 - リンク・シン、野球選手 8月9日 - ウィリアン、サッカー選手 8月9日 - 山本希望、声優 8月11日 - アドリアン・シュルタイス、フィギュアスケート選手 8月11日 - 寺島惇太、声優、歌手 8月12日 - ホセ・タバタ、メジャーリーガー 8月12日 - ステファン・ウェルチ、野球選手 8月13日 - パク・チミ、女優 8月14日 - アレックス・リッディ、メジャーリーガー 8月17日 - ミッチ・デニング、プロ野球選手 8月17日 - 戸田恵梨香、女優 8月18日 - G-DRAGON、ラッパー、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、起業家 、ファッションアイコン(BIGBANG) 8月19日 - フーディ・アレン、ラッパー 8月19日 - ヴェロニカ・ロス、作家 8月20日 - 佐津川愛美、女優 8月21日 - ケイシー・マスグレイヴス、カントリー・ミュージック・アーティスト 8月21日 - ロベルト・レヴァンドフスキ、サッカー選手 8月23日 - ジェレミー・リン、バスケットボール選手 8月23日 - マイルズ・マイコラス、プロ野球選手 8月24日 - 吉田麻也、サッカー選手 8月24日 - ルパート・グリント、俳優 8月26日 - マリオ・ホランズ、メジャーリーガー 8月26日 - エルビス・アンドラス、メジャーリーガー 8月27日 - A.J.アクター、メジャーリーガー 8月29日 - 小柳友、俳優 9月 9月1日 - エスクデロ・セルヒオ、サッカー選手 9月2日 - 金本涼輔、声優 9月3日 - ジェローム・ボアテング、サッカー選手 9月4日 - 野上翔、声優 9月5日 - ヌリ・シャヒン、サッカー選手 9月6日 - アーノルド・レオン、メジャーリーガー 9月7日 - リージェン・チョン、HotCha 9月7日 - ケビン・ラブ、バスケットボール選手 9月8日 - ケイトリン・ヒル、ユーチューバ 9月8日 - チャンス・ラフィン、メジャーリーガー 9月9日 - ミリアン・サムソン、フィギュアスケート選手 9月9日 - ウィル・ミドルブルックス、メジャーリーガー 9月9日 - 清水理沙、声優 9月9日 - 中村静香、グラビアアイドル、タレント、女優 9月9日 - 東惣介、AV男優 9月9日 - 加隈亜衣、声優 9月10日 - ココ・ロシャ、ファッションモデル 9月11日 - 李龍大、バドミントン選手 9月13日 - ヴィクトリア・ヘルゲソン、フィギュアスケート選手 9月14日 - 宮田俊哉、アイドル(Kis-My-Ft2) 9月14日 - 石上静香、声優 9月15日 - チェルシー・ストウブ、女優 9月16日 - キム・ルシーヌ、フィギュアスケート選手 9月17日 - パヴェル・ママエフ、サッカー選手 9月19日 - カトリーナ・ボウデン、女優 9月20日 - スティーブ・ロンバードージー・ジュニア、メジャーリーガー 9月22日 - マイリン・ヴェンデ、フィギュアスケート選手 9月23日 - 木村了、俳優 9月24日 - ビルギット・オイグメール、女優、歌手 9月24日 - モイゼス・シエラ、メジャーリーガー 9月24日 - ハンター・ストリックランド、メジャーリーガー 9月25日 - 伊瀬茉莉也、声優 9月25日 - エカテリーナ・コネワ、陸上競技選手 9月26日 - キーラ・コルピ、フィギュアスケート選手 9月26日 - リナ・ヨハンソン、フィギュアスケート選手 9月26日 - トム・ストイフバーゲン、プロ野球選手 9月28日 - エスミー・デンターズ、歌手 9月28日 - キャメロン・ラップ、メジャーリーガー 9月29日 - ケビン・デュラント、バスケットボール選手 10月 10月2日 - ニック・テペッシュ、メジャーリーガー 10月2日 - 明日花キララ、AV女優 10月3日 - グレゴリー・メリマン、フィギュアスケートアイスダンス選手 10月4日 - メリッサ・ブノワ、女優、歌手 10月4日 - デリック・ローズ、バスケットボール選手 10月6日 - 堀北真希、元女優、元タレント 10月7日 - ジエゴ・コスタ、サッカー選手 10月8日 - ヘフェール・パティーノ、元マイナーリーガー 10月10日 - フェルナンド・マルティネス、メキシカンリーガー 10月10日 - 田村奈央、声優 10月11日 - エディソン・バリオス、プロ野球選手 10月11日 - 泉里香、女優・タレント 10月15日 - メスト・エジル、サッカー選手 10月17日 - 大島優子、元AKB48、女優・タレント 10月17日 - ステフェン・ロメロ、プロ野球選手 10月17日 - 相羽あいな、声優、歌手 10月17日 - 松坂桃李、俳優 10月18日 - ウィンキー・ライ、HotCha 10月18日 - ナタリア・シェスタコワ、フィギュアスケート選手 10月18日 - 伊東健人、声優 10月19日 - 榎木淳弥、声優 10月20日 - キャンディス・スワンポール、ファッションモデル 10月20日 - フランセナ・マッコロリー、陸上競技選手 10月20日 - 馬龍、卓球選手 10月20日 - 新垣里沙、タレント・元モーニング娘 10月23日 - ニア・アリ、陸上競技選手 10月24日 - 櫻川めぐ、声優、歌手 10月28日 - 菜々緒、ファッションモデル、女優、タレント 10月31日 - セバスチャン・ブエミ、F1ドライバー 11月 11月1日 - 田中将大、メジャーリーガー 11月2日 - セス・ロジン、メジャーリーガー 11月5日 - 原紗友里、声優、元LISPのメンバー 11月8日 - ヤズマニ・グランダル、メジャーリーガー 11月9日 - ニッキー・ブロンスキー、女優、歌手 11月11日 - 小松未可子、声優 11月12日 - シンディ・ロンドン、バレーボール選手 11月12日 - ラッセル・ウェストブルック、バスケットボール選手 11月14日 - 星井七瀬、女優 11月14日 - 大野拓朗、俳優 11月15日 - B.o.B、ラッパー 11月18日 - マリー・ジョゼ・タ・ルー、陸上競技選手 11月21日 - マット・ウェスト、プロ野球選手 11月22日 - ドリュー・ポメランツ、メジャーリーガー 11月22日 - オースティン・ロマイン、メジャーリーガー 11月24日 - ジャロッド・パーカー、メジャーリーガー 11月25日 - ジミー・パラデス、プロ野球選手 11月26日 - 何琢言、女優 11月26日 - 倉田秋、サッカー選手 11月26日 - エリザベス・マリー、MiraSpider 11月26日 - 與真司郎、AAA 11月27日 - ガブリエラ・ボイトビッチ、バレーボール選手 11月28日 - 藤春廣輝、サッカー選手 11月29日 - ラッセル・ウィルソン、アメリカンフットボール選手 11月30日 - 藍井エイル、アニソン歌手 12月 12月1日 - イム・シワン、アイドル、俳優(ZE:A) 12月3日 - 川谷絵音、歌手 12月6日 - 島崎信長、声優 12月7日 - エミリー・ブラウニング、俳優 12月10日 - ネヴェン・スボティッチ、サッカー選手 12月13日 - リッキー・ファウラー、プロゴルファー 12月14日 - 村瀬歩、声優 12月14日 - ヴァネッサ・ハジェンズ、女優、歌手 12月15日 - ダース・ローマシュ匡、元プロ野球選手 12月15日 - ライアン・プレスリー、メジャーリーガー 12月16日 - マッツ・フメルス、サッカー選手 12月16日 - アナ・ポップルウェル、女優 12月16日 - パク・ソジュン、俳優、モデル 12月17日 - 陳善有、ショートトラックスピードスケート選手 12月17日 - グレテ・グリュンベルク、フィギュアスケートアイスダンス選手 12月17日 - アメリー・ラコステ、フィギュアスケート選手 12月17日 - 高梨臨、女優、モデル、タレント 12月18日 - ブリアンヌ・タイゼン=イートン、陸上競技選手 12月19日 - アレクシス・サンチェス、サッカー選手 12月19日 - 濵田崇裕、ジャニーズWEST 12月23日 - 亀井絵里、タレント・元モーニング娘 12月24日 - 須田祐介、声優 12月25日 - マリ・ヴァルトマン、フィギュアスケート選手 12月25日 - エリック・ゴードン、バスケットボール選手 12月27日 - ヨアンナ・ブドネル、フィギュアスケート選手 12月27日 - リック・ポーセロ、メジャーリーガー 12月27日 - オク・テギョン、アイドル、俳優(2PM) 12月29日 - アグネシュ・サバイ、テニス選手 12月30日 - ドリュー・ルチンスキー、メジャーリーガー 12月30日 - ダニー・ブラワ、メジャーリーガー 人物以外 2月24日 - オペラハウス、競走馬 死去 ノーベル賞 物理学賞 - レオン・レーダーマン(アメリカ)、メルヴィン・シュワーツ(アメリカ)、ジャック・シュタインバーガー(アメリカ) 化学賞 - ヨハン・ダイゼンホーファー(ドイツ)、ロベルト・フーバー(ドイツ)、ハルトムート・ミヒェル(ドイツ) 生理学・医学賞 - ジェームス・ブラック(イギリス)、ガートルード・エリオン(アメリカ)、ジョージ・ヒッチングス(アメリカ) 文学賞 - ナギーブ・マフフーズ(エジプト) 平和賞 - 国連平和維持軍 経済学賞 - モーリス・アレ(フランス) フィクションのできごと 6月21日 - アメリカ・メイン州ヘイヴン在住の作家ロバータ(ボビ)・アンダーソンが、250万年以上前にヘイヴンの森に墜落し、それ以来地中に埋もれていた異星人「トミーノッカーズ」の宇宙船を発見し、1人で発掘を始める。(小説『トミーノッカーズ』) 宇宙探検家ゴーハム・ジョンソン率いる初の火星・木星探検隊が宇宙ロケット「パイオニアII」で進発。ジョンソンは木星に達する前にカリストで結晶生物に襲われ死亡するが、探検隊に参加していたマーク・カルーらによって木星への着地はなされる。この探検の中で、火星人および木星人との友好的な接触が行われる。(小説『キャプテン・フューチャー』) ネメシスを巡りサイバーマンとネオナチ、魔術師が対立し奪い合う。(ドラマ『ドクター・フー』) 脚注 関連項目 年の一覧 年表 年表一覧
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9E%E6%9C%AC%E7%BE%A9%E8%A1%8C
貞本義行
貞本 義行(さだもと よしゆき、1962年1月29日 - )は、日本のアニメーター、漫画家。イラストレーター、カラー相談役。血液型はA型。同人誌でのペンネームにY.S・イレブンなどがある。 山口県徳山市(現・周南市)出身。徳山市立住吉中学校、山口県立徳山高等学校、東京造形大学造形学部美術学科絵画領域専攻(絵画専攻前はデザイン学科産業デザイン専攻)卒業。愛知県高浜市在住。妻は漫画家のたかはまこ。『ストリートファイターIII』などを手がけたカプコンのプロデューサー貞本友思は従兄弟。 略歴 大学2年次に漫画研究会の後輩の前田真宏に誘われ『超時空要塞マクロス』の原画をアルバイトで担当し、そこで庵野秀明や山賀博之と出会う。4年次には前田とともにアマチュア自主映画グループ「DAICON FILM」(ガイナックスの前身)に属してSF大会のオープニング・アニメーションの製作などに携わっている。 1984年、大学卒業後にテレコム・アニメーションフィルムへ入社し、大塚康生にアニメーションを学ぶ。同期には田中達之、滝口禎一、横堀久雄がいたが、アニメの経験を隠していた貞本の新人離れした技量に自信喪失した同期生まで出たという。大塚康生も自分より上手いと脱帽し、新人時点の上手さでは宮崎駿、月岡貞夫と並ぶ存在だったと評価を下している。 テレコムでは動画として3か月勤めた。その後、ガイナックスが劇場アニメ『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年公開)を製作することとなったためガイナックスへと移籍。同作でキャラクターデザイン及び作画監督を務めた。以後、『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、『新世紀エヴァンゲリオン』など、ガイナックスの中核メンバーとして活躍。 1991年から1992年にかけてアニメ雑誌『ニュータイプ』誌に漫画『R20 歯車のある街』を連載し、9年ぶりに漫画家としての活動を再開した。さらに1995年から『新世紀エヴァンゲリオン』の漫画版を『月刊少年エース』にて連載を開始して以降、アニメの仕事から漫画とイラストへと仕事の比重が移った。 趣味は映画鑑賞、車、バイク、アイドルなど。影響を受けた漫画家は松本零士、永井豪、福山庸治の3人で、好きな映画にテリー・ギリアム監督の全作品と答えている。ロックバンドのムーンライダーズのファンで、作中でもその影響が見られ、その縁でベストアルバム『ANTHOLOGY 1976-1996』のジャケットを手がけた。なお、ムーンライダーズの弟バンドとも言われたカーネーションの直枝政広とは大学の同期であり、交友がある。 イラストレーターとしての人気も高く、画集も出版されている。貞本の画集『ALPHA』(1993年)を偶然書店で見て感動したギタリストのエリック・クラプトン(Eric Clapton)が自身のアルバムのジャケットデザインを依頼。1998年のクラプトンのアルバム『ピルグリム』は貞本がイラストを描いたジャケットで発売された。 エピソード 『DAICON IVオープニングアニメ』で、女性キャラクターの胸が揺れる「乳ユラシ」を日本で初めて行ったとする説があり、 貞本のキャラクターは顔の描き分けが乏しく、髪型や服装を変えることでしか違いを表現できていない。これは本人も自認しており、ナディアの髪型を変え、まつげを取り除くだけで碇シンジになるとか、間宮千昭も、油断すると渚カヲルになってしまうと語っている。もともとエヴァのキャラクターデザインの際はシンジやミサトといったプレーンな顔を描く際は苦労したといい、特にシンジはこれという要素がないため日によってまちまちになってしまったという。プラグスーツのデザインに悩んだ時は自らフィギュアを作成して参考にした。 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の作画監督を務めていた時、同じく作画監督を務めていた松原秀典の絵柄について、「松原の描いたシンジの鎖骨が綺麗だ」と言っている。貞本と松原が初めて出会ったのは『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の時であり、貞本は新人であった松原の実力を最初に認めた人物である。 天野喜孝の大ファンであり、天野と押井守がどういうセッションをしてイメージボードを描いているのかに興味を持ち「仕事を手伝うかわりに現場を見せて欲しい」と押井に頼んで天野の仕事場で作業させてもらった。これが貞本が『天使のたまご』の制作に関わるきっかけといわれている。しかし、「天野さんは黙々と仕事を進める方で、結局ジャマをしにいっただけで終わった」という。「『天使のたまご』の頃の描き方を特に気に入っていて、カラーインクの使い方を含めて大きな影響を受けている」とのこと。 TM NETWORKが1988年に発表したアルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』のビジュアルディレクターを担当した。 黄瀬和哉は貞本の作風を「リアル(実写)と漫画(アニメ)のどちらにも傾くことができる絶妙なバランスだ」と評している。 2019年8月9日、自身のツイッターにおいて、あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」で展示された従軍慰安婦問題に関する『平和の少女像』を「キッタネー少女像」と評し、また「コラージュ画に使われた昭和天皇の肖像を大写しにして、ガスバーナーで燃やしていく-という内容。燃え残りの灰を足で踏みつぶすシーンもある」(産経新聞)、「昭和天皇を含む肖像群が燃える映像」(朝日新聞)と報道されていた大浦信行の『遠近を抱えて PartII(4点)』(作品の説明によると富山県立近代美術館による大浦の作品の焼却を彷彿させるシーンがある)を「天皇の写真を燃やした後、足でふみつけるムービー」と評し、これらの作品に対して批判的なツイートを行った。貞本はすべての作品について述べているのではなく、一部の作品の芸術性について批判を行っているとする。貞本のツイートは国内外のファンなどから批判があった。貞本は平和の少女像に関して、米軍装甲車轢死事件追悼碑の転用説を念頭に、「米軍に轢き殺された少女の背景まで知りませんでした」、「発達障害(ADHD)丸出しで、考えもない発言」「黙って批判もレッテル貼も受け入れて行こうと思っている」などと述べた。 主な作品 テレビアニメ 超時空要塞マクロス (第9話原画) F (原画) ふしぎの海のナディア (キャラクターデザイン・作画監督・原画) 新世紀エヴァンゲリオン (キャラクターデザイン・レイアウト監修) 彼氏彼女の事情 (声の出演(新人)・原画) 忘却の旋律 (アイバーマシンコンセプト) .hack//SIGN (キャラクター原案) .hack//Roots (キャラクター監修) 天元突破グレンラガン (最終話原画) 放課後のプレアデス(宇宙船デザイン) GREAT PRETENDER(キャラクターデザイン) OVA ロボットカーニバル 「明治からくり文明奇譚~紅毛人襲来之巻~」 (キャラクターデザイン) トップをねらえ! (設定・第5話、第6話作画監督・原画) フリクリ (ビジュアルコンセプト・キャラクターデザイン) トップをねらえ2! (キャラクターデザイン・OP作画監督・第1話作画監督) 劇場アニメ 王立宇宙軍 オネアミスの翼 (キャラクターデザイン・作画監督・原画) 天使のたまご (原画) 紫式部 源氏物語 (原画) ふしぎの海のナディア(キャラクターデザイン) オリンピア (キャラクターデザイン、制作中止) 蒼きウル (キャラクターデザイン・総作画監督) 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生 (キャラクターデザイン・DEATH編作画監督・原画) 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に (第26話レイアウト協力) キューティーハニー (キャラクターデザイン) ※実写 時をかける少女 (キャラクターデザイン) ヱヴァンゲリヲン新劇場版 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 (主·キャラクターデザイン・作画監督・原画) ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 (主·キャラクターデザイン・作画監督補佐) ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(主·キャラクターデザイン・イメージボード) シン・エヴァンゲリオン劇場版(キャラクターデザイン原案) サマーウォーズ (キャラクターデザイン) おおかみこどもの雨と雪(キャラクターデザイン) SHORT PEACE「GAMBO」(キャラクターデザイン原案) フリクリ フリクリ オルタナ(キャラクター原案) フリクリ プログレ(キャラクター原案) Webアニメ 愛姫MEGOHIME(監修、EDアニメーション) ゲーム .hack(キャラクターデザイン) .hack//G.U.(デザイン監修・パッケージデザイン) 餓狼伝説(メガドライブ版パッケージイラスト) 餓狼伝説2(メガドライブ版パッケージイラスト) 餓狼伝説SPECIAL(ゲームギア版パッケージイラスト) 星と翼のパラドクス(キャラクターデザイン) 漫画 その他 『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』ジャケット(ビジュアルディレクター)(TM NETWORK) 『DATA NO.6』ミュージック・ビデオ(アニメーションディレクター)(FENCE OF DEFENSE) ドラゴンクエスト ファンタジア・ビデオ(エフェクトアニメ演出) 『ヘンダーズ・ルインの領主』掲載の小説『GURPSルナル 悪魔と天使の間で』(挿絵) ルナル・サーガ(キャラクターデザイン) 『ANTHOLOGY 1976-1996』ジャケット(ムーンライダーズ) 『ピルグリム』『ザ・ブリーズ〜J.J.ケイルに捧ぐ』ジャケット(エリック・クラプトン) 1998年の航空自衛隊戦技競技会の特別塗装として、第204飛行隊のF-15J戦闘機に貞本がデザインしたワルキューレが描かれた。 『ラブ&ポップ』LD(表紙挿絵) 『R20 銀河空港』(1991年、パイロットフィルム監督) 漫画『時をかける少女 -TOKIKAKE-』 (2006年・キャラクター原案) 漫画『サマーウォーズ』 (2009年・キャラクター原案) 蒔田陽平の小説『サマーウォーズ』 (2009年・カバーイラスト) 『猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」』(PV衣装原案)(ももいろクローバーZ) 『桜流し』ジャケット(宇多田ヒカル) 『NEXT A-Class』(キャラクターデザイン) 『グレイテスト・アイドル』ジャケット(Mitchie M) 『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(デザインワークス) 『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』(デザインワークス) 画集 貞本義行画集 ALPHA (1993年4月1日発行) 貞本義行画集 DER MOND [限定版] (1999年9月30日発行) 貞本義行画集 DER MOND [普及版] (2000年1月31日発行) 貞本義行画集 CARMINE [限定版] (2009年3月26日発行) 貞本義行画集 CARMINE [通常版] (2010年8月26日発行) 貞本義行 CD-ROM画集(1993年GAINAX販売) 脚注 注釈 出典 外部リンク 日本の男性アニメーター 日本の漫画家 テレコム・アニメーションフィルムの人物 ガイナックスの人物 学士号取得者 東京造形大学出身の人物 山口県出身の人物 1962年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%AE%8F%E4%B9%8B
佐藤宏之
佐藤 宏之(さとう ひろゆき) 佐藤宏之 (漫画家) - 日本の漫画家。 佐藤宏之 (俳優) - 日本の俳優。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E8%A6%8B%E6%A1%82
里見桂
里見 桂(さとみ けい、1956年6月13日 - )は、日本の漫画家。男性。新潟県出身。1978年、「ロックシティ」でデビューした。 作品リスト ハニーハンター(週刊少年サンデー増刊号1979年 - 1980年、サンコミックス(朝日ソノラマ)全3巻、原作:石田豊) タイトルは獲れないものの世界を転戦する混合ダブルスのプロテニス選手兼国際陰謀を探る秘密諜報員の伊達兵吉とマーガレット夏木の活躍を描く。 よろしく春平(週刊少年サンデー増刊号 1980年 - 1981年、サンコミックス全2巻、原作:武石正道) 中学時代は超高校級投手と騒がれた滝口春平は、女にモテるという目的のため前年度まで女子校だった翔和学園高校に入学。一目惚れした同級生の川島レミが入部するからと理由で、テニス部に入部。春平は次々と登場する他の女子にちょっかいを出し続けるも本命はレミ。レミもそんな春平に腹を立てつつも、徐々に春平に惹かれてゆく。 なんか妖かい!?(週刊少年サンデー 1982年 - 1984年、全11巻、原作:きむらはじめ) 窮屈な生活にうんざりしていたことから家出した秀麻呂(通称、ヒデ)は、不思議な力を持つ少女ミルと共に旅をし、行く先々で様々な妖怪と出くわす。 チャンス(週刊少年サンデー増刊号 1981年 - 1985年、全4巻) 奪戦元年(週刊少年サンデー 1984年 - 1985年、全3巻、原作:火浦功) 里見桂選集(短編集、小学館 1985年) ないとバード(週刊少年サンデー 1985年 - 1986年、全7巻) 0の男(ラブ・ボーイ)(少年ビッグコミック 1986年 - 1987年、全3巻) テニスプレイヤーの日向零は最愛の女性を殺された。復讐者となった零はラケットを凶器に持ち替えて、真相を解明するために世界を巡る。 スマイル for 美衣(週刊少年サンデー 1987年 - 1989年、全12巻) ジオポリスジョー(週刊少年サンデー 1989年 - 1990年、トクマコミックス(徳間書店)全3巻) ニューヨーク警察捜査官のジョー乃木は犯罪組織に撃たれて殉職するが、凶悪犯罪を専門とする第二の警察機構「GEO POLICE」の一員としてサイボーグ化されて蘇った。 ノーサイド(週刊少年サンデー超 1989年 - 1990年、全4巻、原作:谷口いくよ) 研修医古谷健一(ヤングチャンピオン 1991年 - 1992年、全4巻、原作:永井明) ゼロ THE MAN OF THE CREATION(スーパージャンプ 1990年 - 2011年、全78巻、原作:愛英史) タイムアンドアゲイン(少年サンデー増刊号 1992年、全1巻、原作:黒沢哲哉) JIHAD〈聖戦〉(ヤングチャンピオン 1993年 - 1995年、全5巻、原作:伊月慶悟) 無国籍企業橘商会(1991年 - 1995年、全1巻、原作:吉村作治) J THE OUTLAWYER(MANGAオールマン 1995年 - 1998年、全7巻、原作:愛英史) HAIKARA事件帖(1999年 - 2002年、全5巻、原作:黒沢哲哉) マリー・アントワネットの料理人(スーパージャンプ 2006年 - 、原作:白川晶) ファウスト(グランドジャンプPREMIUM 2011年 - 2014年、全5巻、シナリオ協力:瀧椿) 江戸常勤家老 隼人の剣(アサヒ芸能 2015年4月9日号 - 2016年3月10日号、原作:牧秀彦) 白百合ゴルフ練習場(ゴルフレッスンコミック 2018年 - 2019年、ゴルフレッスンプラス 2020年 - 原作:かわさき健) 外部リンク 日本の漫画家 新潟県出身の人物 1956年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E9%87%8E%E6%9C%AA%E5%A4%AE%E5%AD%90
佐野未央子
佐野 未央子(さの みおこ)は、日本の漫画家。 宮城県仙台市出身。宮城県第一女子高等学校(現:宮城県宮城第一高等学校)卒業。代表作に『朱い絲のパラレル』がある。 作品リスト 書籍 恋はバターでいためたい!(全1巻) 上を下へのロマンス(全1巻) 恋季なやつら(全1巻) ダブルス(全1巻) お目にかかれて光栄です!(全2巻) てごわいプリンセス(全2巻) 100%コットン(全2巻) マイ プリティ!(全1巻) バラエティ賞(全2巻) 朱い絲のパラレル(全1巻) ブルージーンズ・ブルース(全1巻) 僕たち物語(全2巻) この恋の一部始終(全1巻) こっちむいてチュ(全5巻) 金曜日のお買い物(全2巻) PLaPLa(全1巻) 木綿の天使たち(全4巻) 11月の子供(全1巻) 佐野未央子 THE BEST(全1巻、読切り集) おとめ座の最初の月 君のいない楽園 鬼宿の庭(既刊3巻) チマちゃんの和箪笥(全1巻) 日日(にちにち)べんとう(全13巻) わたしの家はフツー(『オフィスユー』2020年11月号 - 、既刊4巻) 出典 日本の漫画家 宮城県宮城第一高等学校出身の人物 仙台市出身の人物 生年未記載 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88III%20%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%B8%E2%80%A6
ドラゴンクエストIII そして伝説へ…
『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(ドラゴンクエストスリー そしてでんせつへ)は、1988年2月10日にエニックス(現:スクウェア・エニックス)より発売されたファミリーコンピュータ用ロールプレイングゲーム。 ドラゴンクエストシリーズの第3作目。堀井雄二の脚本・ゲームデザイン、鳥山明のキャラクターデザイン、すぎやまこういちのヒロイックな音楽などにより爆発的な人気を博し、発売日には量販店の前に数キロメートルの行列ができるなどの社会現象を巻き起こした。TVCMのキャッチコピーは「触れたら最後、日本全土がハルマゲドン」。 物語は、ロトシリーズ3部作の完結篇と位置づけられており、前2作『ドラゴンクエスト』『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』の物語中に名が登場した伝説の勇者「ロト」、および舞台となった世界「アレフガルド」の秘密が本作で判明する。 パッケージなどに記載されているタイトルロゴはロゴ全体が剣の鍔と持ち手を模したものであるため、ナンバリングタイトルで唯一「DRAGON QUEST」の「T」が剣の形になっていない。また、『ドラゴンクエストVI 幻の大地』までの作品の中では唯一数字と重なっていない作品でもある。 発売後には、ゲームブック化や小説化、ドラマCD(CDシアター)化も行われた。 その後、リメイクとして1996年に『スーパーファミコン ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』、2000年に『ゲームボーイ ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(ゲームボーイカラー専用)が発売されているほか、2009年より携帯アプリ版も配信されている。2011年9月15日発売のWii用ゲームソフト『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』にFC版およびSFC版が第1作『ドラゴンクエスト』や『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』と共に収録された。2017年8月24日からはPlayStation 4、ニンテンドー3DS版が、2019年9月27日からはNintendo Switch版がダウンロードで配信されている。 北米では、『Dragon Warrior III』としてNES版とGBC版が発売されている。 ファミリーコンピュータ版とスーパーファミコン版はゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」にてプラチナ殿堂入りを獲得、またゲームボーイカラー版はシルバー殿堂入りを獲得した。その他、ファミリーコンピュータ版はゲーム誌『ファミリーコンピュータMagazine』の「ゲーム通信簿」にてキャラクタ4位、音楽2位、熱中度2位、操作性4位、お買い得度3位、総合評価2位を獲得した。リメイク版を含めた合計ではシリーズで最も売れたタイトルである。 ゲーム内容 リメイク版については後述のリメイクの節を参照。 ROMは前作の2倍である2メガビット(256キロバイト)ROM を使用、バッテリーバックアップのセーブファイル容量は64キロビットとなっている。ゲームシステム面では、仲間キャラクターの名前・職業(キャラクタークラス)・性別を自由に選び、パーティーを自由に編成して冒険できるという、キャラクターメイキングのシステムが取り入れられた。『ドラゴンクエスト』で削ぎ落とされた要素が『ドラゴンクエストIII』になって実現した形で、これはバッテリーバックアップの採用が大きい。また、シリーズで初めて、複数のフィールドマップが登場するようになった。そのためROM容量が不足し、製品版では一部の町やダンジョン、モンスターなどのいくつかの要素がカットされている。またオープニングもなく、タイトル画面は真っ黒な無音の画面に「DRAGON QUEST III」と表示されるのみとなった。 プレイヤーキャラクター キャラクターメイキングによって、プレイヤーの扱うパーティーとなるキャラクターに固有設定を持った人物が存在せず、プレイヤーの分身である主人公以外のパーティーキャラクターを任意で選んだ最大4人までのパーティーを作ることができる。また、パーティーキャラクターを使用せずに主人公だけで冒険に出発することが可能である。 このゲームに登場するプレイヤーの扱うパーティーキャラクターは必ず一つの「職業」(キャラクタークラス)を持っており、装備できる武器や防具、レベル上昇時のステータス成長の傾向などは就いている職業によって決定される。また、今作では、主人公とキャラクターメイキングで登録される各パーティーキャラクターのいずれにも性別が設定される。男女どちらの性別を選んでも能力には影響しないが、移動画面でのグラフィックが男女で異なるほか、女性専用の武器・防具などが複数存在する。性別は、主人公であれば新しくゲームを始める際に、それ以外のキャラクターであれば登録する際に決定する。 呪文の数は前作の22種類から倍以上の60種類に増えるとともに、呪文が系統別に整理され、以後のシリーズにおける呪文体系が本作で確立された。解説文中の呪文についての詳細はドラゴンクエストシリーズの呪文体系を参照。 ルイーダの酒場 出発点となるアリアハンに「ルイーダの酒場」があり、パーティーの編成はここで行う。 ルイーダの店 登録されているキャラクターをパーティーに迎え入れたり、現在のパーティーメンバーを預けることができる。ゲーム開始時にはあらかじめ3人のキャラクターが登録されている。また、一度ゲームクリアした冒険の書では主人公も他のキャラクターと同様にパーティーから外せるようになり、主人公のいないパーティーも可能となる。 冒険者の登録所 名前、性別、職業を入力してキャラクターを登録し、ルイーダの店で仲間に入れられる状態にする。ステータスはキャラクターメイキングごとに変化し、登録確認時にステータスが表示される。なお本作では主人公を含めて「ろと」および「ロト」とついた名前をつけることはできない。また、すでにいるキャラクターと同じ名前をつけることもできない。 登録できるのは最大11人までで、それ以上登録する場合は誰かを消去してから登録することになる。 ダーマの神殿 主人公以外のキャラクターはこの神殿で別の職業へ「転職」させることができる。転職資格は主人公以外のレベル20以上のキャラクター。転職後はレベルが1に戻るが、ステータス値が転職前の半分となるだけで、それまでに覚えた呪文はそのまま使える。例えば、魔法使いが戦士に転職すると、重い武器と呪文の両方を扱える戦士となる。また、僧侶が魔法使いに転職すると、回復呪文と攻撃呪文の両方が使える魔法使いが誕生する。ただし、覚えた呪文以外の前の職業の特性は失われる。 転職直後、装備していた武器・防具は全て外される。 特殊能力をもつキャラクターが転職した場合、以前のその能力は失われる。 武闘家が転職した場合、「会心の一撃が出やすい能力」(以下「武闘家の能力」)は失われる。 商人が転職した場合、「お金をさらに発見する能力」や「アイテム鑑定能力」(以下「商人の能力」)は失われる。 呪文の使えるキャラクターが転職した場合、以前の職業の呪文は新たに覚えることができなくなる(それまでに覚えた呪文しか使えない)。 呪文の使える別の職業に転職した場合、以後その職業の呪文しか覚えられない。 僧侶が魔法使いに転職した場合、以後魔法使いの呪文しか覚えられず、僧侶の呪文はそれまで覚えたものしか使えない。 魔法使いが僧侶に転職した場合、以後僧侶の呪文しか覚えられず、魔法使いの呪文はそれまで覚えたものしか使えない。 本来呪文の使えない職業(戦士など)に転職した場合、以後新たに呪文を覚えられず、最大MPも増加しない。 なお、呪文の使えるキャラクターが特殊能力のある職業に転職した場合はその職業の能力を得ることができるため、武闘家の能力と呪文の両方を扱える武闘家や、商人の能力と呪文の両方を扱える商人を作ることができる。 職業一覧 勇者 主人公専用の職業。勇者から他職業への転職はできず、主人公以外が勇者になることもできない。ステータスはちから・HPが高く、他の能力も平均的だが、MPが低い。レベルアップ速度は最初は遅めだが、レベルが上がるにつれ速くなる。また、呪文は回復呪文から、勇者のみが使える攻撃呪文デイン系まで幅広く覚える。FC版では、ちから・たいりょくが戦士に比べ劣るが、SFC以降は高レベル帯に入ると戦士を上回る。 他の職業と異なり男女でのグラフィックの違いがない。パッケージ・取扱説明書で描かれているイラストは男性のみであるが、公式ガイドブックでは女性も描かれている。 戦士 剣や斧などの武器を使いこなす戦闘のプロ。ちから・HPが高く、多くの種類の武器・防具を装備することができる。勇者に次ぐ攻撃力の高い武器や、呪文やブレスなどの特殊攻撃に耐性のある防具なども多く装備できる。すばやさ・うんのよさが低いため敵に先制されやすい。本作ではすばやさの値と装備している防具の守備力でそのキャラクターの守備力が決定されるため、防具を装備していない場合の守備力は低い。 女戦士は、発売当時に流行していたビキニアーマーの外見で露出度が高い。男女とも、後の『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』、『ドラゴンクエストIX』の一般人キャラクターとして再登場する。 武闘家 戦士のような武器を使わず、体を使っての闘いを得意とする職業。レベルが上がるほど高確率で会心の一撃を繰り出すようになる。ただしレベルアップが遅く、賢者に次いで上がりにくい。ちから・すばやさが高いが、剣や斧など普通の武器を装備すると逆に攻撃力が低下する。基本能力は全体的に高いが有効な装備が極度に少ないため、装備が揃った戦士には能力が劣る。 男女とも拳法着を着用しており、後に『ドラゴンクエストVIII』、『ドラゴンクエストIX』、『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』の一般人キャラクターとして再登場する。 魔法使い 文字通り、多数の魔法を使いこなす職業。主に攻撃呪文(メラ系・ギラ系・イオ系・ヒャド系)や補助呪文を覚え、成長していくと「メラゾーマ」や「イオナズン」などの強力な攻撃呪文を習得する。MP・すばやさが高いが、その反面、ちから・HPなどは低く、装備できる武器・防具の攻撃力・守備力も低いため、武器を使った戦闘力は低い。男性は老人の姿。女性はとんがり帽子をかぶった若い魔女の姿。 僧侶 神に仕える職業で、回復呪文のエキスパート。回復・解毒・蘇生の呪文や攻撃呪文(バギ系・ザキ系)を覚える。魔法使いと比べ多くの武器・防具を装備でき、ある程度打撃戦もこなすが、少し打たれ弱い。また、後半になると攻撃力もあまり成長しなくなる。男僧侶は、後に『ドラゴンクエストVIII』の一般人キャラクターとして再登場する。男性は口髭の姿。女性は青く長い髪の若い姿。 商人 武器で魔物と戦う能力を身につけた旅の商人。男性は頭にターバンを巻いている。アイテムの鑑定能力を持ち、戦闘後に余分にお金を拾うこともある。レベルアップが最も早く、能力も比較的満遍なく伸びる。序盤は勇者や戦士とほぼ同等の武器・防具を装備できるため非常に頼りになる反面、高レベル帯に入ると能力の伸びが鈍化する。 あるイベントでこの職業のキャラクターが必要なため、クリアするまでに必ず一度は連れていかなければならない。 遊び人 娯楽施設で働く職業。男性は道化師、女性はバニーガールの格好をしている。 うんのよさは高いが、それ以外の全てのステータスが平均を下回っている。序盤は勇者や戦士とほぼ同等の武器・防具を装備できるものの、中盤以降は装備できるアイテムも多くなくなり、さらにある程度のレベルになると、一定確率で自分のターンを踊ったりイタズラしたりなどの遊びでパスするようになるため、戦闘能力は全職業で最も低い。行う遊びの種類はレベルが上がるにつれ増えていくがいずれも効果はない。 他の職業では賢者へ転職する際に「さとりのしょ」というアイテムが必要になるが、遊び人は転職可能レベルまで育てると「さとりのしょ」が無くても賢者に転職することができる。このため遊び人は他の職業から転職することはできない。戦闘の役に立たない遊び人という職業を入れるか議論が行われた末に取り入れられた要素である。 賢者 厳しい修行を積んだ者だけがなれるとされている職業で、僧侶・魔法使い両方の呪文を習得する。ルイーダの酒場での新規登録はできず、転職によってのみこの職業になることができる。遊び人を除き、賢者への転職には「さとりのしょ」が必要。ステータスはバランスよく成長し、装備品は僧侶より豊富である。ただし攻撃力の高い武器が少ないため、打撃より呪文の方が強力。覚える呪文は僧侶・魔法使いの成長と同じレベルで取得するが、同じレベルになるための必要経験値は僧侶・魔法使いより多く成長が遅い。それでも僧侶・魔法使いを別々に経て全ての呪文を覚えるよりは賢者でまとめて覚える方が速い。 ステータス 本作においては、従来からの「ちから」「すばやさ」に加え、「たいりょく」「かしこさ」「うんのよさ」のステータスが新たに加えられている。「ちから」「すばやさ」と下記の各ステータスの最大値は255である。 ちから 武器を何も装備していないときの攻撃力。 たいりょく 最大HPに影響する。レベルアップの際に上昇した「たいりょくの値の2倍±2」だけ最大HPが上昇する。 すばやさ この値が高いほど先に行動できる確率が高くなり、この値の半分が防具を何も装備していないときの守備力となる。なお、すばやさが上がるアイテムを装備したことによる上昇分も守備力に反映される。 かしこさ 基本的には呪文の覚えやすさ(習得レベル)に影響する。最大MPにも影響し、上記のたいりょくと最大HPの関係と同様である。 うんのよさ 運の良さを表す。敵の攻撃から身をかわす確率が高くなることが攻略本によって公表されている。GB版の取扱説明書には状態異常にかかりにくくなることが公表されている。 レベルアップのときのステータスの上昇幅は、前作のように固定されておらずランダムとなっており、同じ職業・レベルであっても個人差が発生する(ランダム成長)。キャラクターのレベルの最大値は99で、以降の作品でも一部の仲間モンスターなどを除いてほとんどのキャラクターの最大レベルが99となる。 キャラクターのステータスを数ポイント上昇させることができる「ちからのたね」「いのちのきのみ」などのアイテムが本作で新たに登場した。 移動画面 コマンド体系などは前作からおおむね受け継がれた。 昼と夜 本作では「昼」「夜」という時間の概念が取り入れられた。フィールドマップ上を一定歩数歩くと、時間が昼から夜へ、夜から昼へと移り変わる。昼と夜では城や町などの様子が異なる。夜は王様も寝てしまい城に入ることができなくなるので一部を除きセーブができず、町にある店も多くが閉まるが、酒場など夜に限り賑わう場所もある。夜は昼間よりもフィールドでのモンスターの出現率が高く、モンスターのパーティーも手強くなるほか、地方によっては夜にならないと登場しないモンスターもいる。 宿屋に泊まることにより昼にすることができるほか、昼と夜を入れ替えるアイテムや呪文も登場した。夜間はボス戦など、イベントにより、終了後昼になるものもある。本作に限り、移動の呪文「ルーラ」または道具「キメラのつばさ」を使用したときにも昼になる。 乗り物・移動手段 呪文「ルーラ」・アイテム「キメラのつばさ」 本作では今までに行ったことがある特定の町などの中から行きたい場所を選択して瞬間移動できるようになった。ただし、行ったことがあっても移動できない町や村もある。行き先を覚えるのは各キャラクター個別に設定されているため、ルーラ・キメラのつばさを使うキャラクター自身が行ったことがない場所は他のメンバーが行ったことがあっても行くことができない。乗り物は瞬間移動した際には主人公たちで城や町などの近くへ移動する。 船 乗り込むことによって水上を移動する。水上ではエンカウントが発生する。川にも入ることができるが、浅瀬や橋は通行できない。 不死鳥ラーミア シリーズ初登場の空を飛ぶ乗り物。背中に乗ることにより、あらゆる地形の上を飛行可能であり、飛行中はエンカウントが発生しない。陸上の通行可能な地形であればどこでも離着陸可能である。 戦闘 前作の「ターン制」システムを引き継いだ。本作ではキャラクターの「すばやさ」のステータスが、ターン内での行動の順番に影響する。また、パーティーの隊列の順番が影響するようになり、前列にいるキャラクターほど敵から攻撃を受けやすくなる。隊列の並べ替えは移動中に可能である。このほか、自分たちのレベルが敵に設定されたレベルよりもかなり高い場合は、強制エンカウントである場合を除いて確実に逃げられるようになった。「麻痺」と「混乱」のステータス異常も新たに登場した(ドラゴンクエストシリーズの項を参照)。敵を攻撃したり、敵から攻撃を受けたり、呪文を唱えた際のメッセージがある程度簡略化され、それらは本作以降のシリーズに継承された。 本作では戦闘中に味方を攻撃(パーティーアタック)したり、敵に回復呪文を使うことができる。これにより混乱に陥った仲間に「ラリホー」の呪文をかけて眠らせることで、ダメージを防ぐといった戦略が取れる。また敵を無視して味方同士を対戦させることも可能である。 本作では、生き残っているパーティーの人数に応じて経験値を分けあうシステムが導入された。つまり、1人で戦うとリスクは大きくなるが、得られる経験値は4人パーティーのときの約4倍となる。 FC版の『I』『II』ではモンスターのMPという概念がなく、呪文を使うモンスターは無限に呪文を使うことができたが、本作よりモンスターにもMPが設定されるようになったため、モンスターが呪文を唱えたときにMPが足りず効果が現れないことがある。また、一部のモンスターはターン終了時に一定量のHPが自動回復する。回復量はモンスターにより異なり、ゲーム中のメッセージには表示されない。 冒険の書 前2作では「復活の呪文」と呼ばれるパスワード方式を採用していたが、本作は保存するデータの量が膨大となった。そこで本作からは、データ保存方式が、従来のパスワード方式から、内蔵電池によるバッテリーバックアップ方式に切り替えられ、最大3つまでの「冒険の書」(データファイル)としてロムカセット内部に進行状況を記録しセーブできるようになった。これによって、パスワードの書き写しや入力を行う手間がなくなり、短時間でゲームを中断・再開することが可能となった。 この方式が導入されたことにより、従来の復活の呪文では記録することができなかった、現在のHP・MPやステータス異常、また取得済みの宝箱などの情報が記録されるようになった。このためセーブして電源を切って再開してもHP・MPやステータス異常は回復しない。また、一度宝箱を開けて中身を取得するとその宝箱の中身は二度と取得することができなくなった。 しかし、内蔵電池の消耗、接触不良などによってバックアップデータが消失したり、実際には問題ないデータがチェックプログラムに異常と判定されて自動消去されるという事態も度々起きた。データ消失の際には真っ黒の画面に、「おきのどくですがぼうけんのしょ○(数字)ばんはきえてしまいました。」という冒険の書が消えたことを示すメッセージが表示され、同時に呪いの武具を装備した時の音楽が流れる演出が発生する。この演出は次作以降にも踏襲されている。まれにこの演出すら発生しないまま商品購入状態の初期画面にされる場合もある。 その他 表示速度 冒険の書の作成時に戦闘中のメッセージ表示速度を8段階に設定できるようになった。速度1が前作までのfast、8がslowに該当しており、スタート画面から自由に再設定ができる。移動時の表示速度は最速(前作までのfast)に固定された。 預かり所 アイテムや、所持金を預けることができる。所持金は 1000 ゴールド単位で預けたり引き出したりできる。パーティーが全滅すると所持金が半分になるが、ここに預けたゴールドは全滅しても減ることがない。アイテムの場合は、引き取る際に手数料が必要で、高価なアイテムや高額で売れるアイテムほど手数料が高い。 使うことで呪文効果を発動する武器・防具 前2作にも登場した、戦闘中に道具として「つかう」ことで呪文と同様の効果を発動する武器・防具は、本作では一部を除いて装備できる職業のキャラクターが使った場合のみ効果を発動する。これは、本作のみの仕様である。 モンスター格闘場 モンスター同士の試合でどのモンスターが勝つかを予想するギャンブル施設。勝つと思われるモンスターにゴールドを賭け、結果、賭けたモンスターが勝てばゴールドが倍率に基づいた額になって戻ってくる(特例を除き弱いモンスターほど倍率が高い)。賭け金はパーティーの先頭にいるキャラクターのレベルに比例する。こことは別に『予想屋』がいて、どのモンスターが勝つかを予想するが、あまりあてにできない。 トラップモンスター 宝箱に化けたモンスター「ひとくいばこ」「ミミック」が初登場。宝箱を開けた途端に戦闘となる。単独で登場するが、逃げることはできず、周辺のモンスターより強力である。外見ではまったく見分けがつかないが、宝箱の上で「インパス」の呪文を使い、宝箱が何の色に光るかを判別することにより戦闘を回避することができる。また、ピラミッドではミイラおとこが出現する宝箱が存在するが、これを倒すと中身のアイテムを獲得できる(これも「インパス」で判別できる)。なお、これらの宝箱モンスターが多く仕掛けられたダンジョンが存在する。 動かせる岩 プレイヤーが自分で押して動かすことができる岩が本作より登場した。いくつかのイベントに登場し、倉庫番のように所定の場所に岩を並べるイベントもある。 回転床 下の世界のダンジョンにあるトラップ。通常のキー操作と異なる方向に移動させられる。 北米版(NES版) 北米で発売されたNES版『Dragon Warrior III』では、様々な変更点がある。以下に列挙する。 独自のタイトル画面が用意され、タイトル画面のBGMは「ロトのテーマ」ではなく北米版オリジナルの曲になっている。 冒険の書選択画面では、『ドラゴンクエストIV』と同じ間奏曲が使用されている。 日本版には無かった、火山でのオルテガと魔物の戦いを描いたプロローグが追加された。元々日本版向けに作られたもののROM容量の制約からカットされ一旦お蔵入りとなったが、北米版で容量が増えた為復活した経緯がある。 日本版での教会の十字架が五芒星のマークに、棺桶が幽霊のグラフィックに変更されている。 モンスターの持つ経験値とゴールドが 25%(端数切り捨て)増えたため、レベルアップをはじめとした進行が日本版よりも早い。 キングヒドラと戦うオルテガのグラフィックが、人間の戦士の姿に変更された。また、オルテガの敗退直後には専用のBGM(戦闘のテーマをアレンジしたもの)が用意された。 モンスター格闘場での賭け金が、日本版でレベルの2倍であるのに対し、北米版では10倍。 エンディングの曲が2ループする。音色や音の長さも若干修正が入っている。 設定 ストーリー 勇名を馳せたアリアハンの「勇者オルテガ」は、初子を授かった直後より世界の支配を企む「魔王バラモス」を倒すべく旅立ち、そしてそのまま消息を絶った。伝聞によれば、「旅の途中で魔物に襲われ、戦闘の最中に火山に落ちて命を落とした」とされた。 オルテガの子供(=主人公)は、自身の16歳の誕生日をきっかけにして父の遺志を継ぐために、アリアハン王に願い出て仲間とともに冒険へと旅立つ。旅の扉からアリアハンの外へと旅立ったあと、主人公は世界各地で起きる不思議な事件を解決していくことになり、船を手に入れると、冒険の舞台はさらに広がっていく。 こうして世界中を旅するうちに主人公たちは、世界に散らばっていた「6つのオーブ」を手に入れる。これらのオーブは「不死鳥ラーミア」を復活させるためのもので、この不死鳥がバラモスのもとに到達する鍵になるのだった。復活した不死鳥ラーミアに乗って空を飛ぶことで、宿敵バラモスの居城へと乗り込んだ主人公は、ついにバラモスを退治する。 だが、真の黒幕である「闇の支配者ゾーマ」と、もうひとつの世界 「アレフガルド」の存在が明らかになり、主人公は再び冒険の旅に赴く。主人公はアレフガルドの世界でゾーマの城に入るための「にじのしずく」を手に入れ、ゾーマとの最終決戦にのぞむ。 第1作・第2作との関連 第1作『ドラゴンクエスト』、第2作『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』と本作は、共通して「アレフガルド」という大陸が登場するなど、密接なストーリーの関連があり、この3作は「ロトシリーズ」(「ロト三部作」とも)と呼ばれる。その中でも本作は第1作よりもさらに昔の時代の物語となっており、本作の数百年後の物語が第1作、さらにその100年後が『II』となる。 世界設定 魔王バラモスを倒すまでは、前2作と異なる世界が舞台となる。しかしストーリー終盤では、前2作で登場した「アレフガルド」のある別の世界が舞台となる。本作の世界は2層構造となっており、ここでは主人公たちが生まれ育った世界を「上の世界」、アレフガルドのある世界を「下の世界」と呼ぶこととする。両世界間は呪文「ルーラ」などで行き来することができる。 上の世界 主人公たちの住む世界。魔王バラモスによって支配されようとしている。地形は、現実の地球の世界地図を模している。時代は全体的に近世の大航海時代を思わせる描写が多いが必ずしも一貫していない。 下の世界 太古の昔に神々による審判から選ばれ、上の世界から移住してきた者の末裔が住む新世界で、精霊ルビスが統治している。主人公たちの住む世界より下の層に位置する。闇に包まれており常に夜の状態である。船で外海へ出られるが、マップの上下左右の端から先に進むことができないので、外へ行くことや周回を行うことはできず、アレフガルド大陸以外の『ドラゴンクエストII』で見られた地域は登場しない。 世界・地名の由来 堀井は本作のデザインに先立って、ヨーロッパの歴史的城郭などを取材した。 前述のとおり、上の世界は現実の地球の地形が元になっており、地名を似せたり、実際の地理・歴史へのオマージュが取り入れられた。 関連書籍における堀井の発言によれば、「ロマリア」はローマとイタリア、「エジンベア」はイギリス(スコットランド)の地名エディンバラ地方、「シャンパーニ」はフランスの地名シャンパーニュ地方、「ノアニール」はノルウェー、「アッサラーム」はアラビア語の挨拶、「イシス」はエジプト神話の女神イシス、「ポルトガ」はポルトガル、「スー」はスー族(ネイティブ・アメリカンの部族のひとつ)、「グリンラッド」はグリーンランド、「レイアムランド」は南極大陸の一角グレイアムランド(グレアムランド)がそれぞれ由来となっており、「ネクロゴンド」の名称は語感から名づけたとされている。 またこれ以外では、ムオルは中国とロシアの国境を流れるアムール川(Amur)のアナグラムに、エジンベアはイギリスに実在する都市エジンバラに、サマンオサは南米のアマゾン川(Rio Amazonas)のアナグラムに酷似しており、ルザミは「見ざる」の逆読みとなっている。ギアガの大穴と似た名称にギアナ高地の大穴があるが、ギアナ高地はアフリカではなく、南米大陸である。大航海時代シリーズにおいて、海賊の家にあたる位置に海賊の本拠地のひとつとしてサンアントニオが存在するが、サンアントニオは本来、アメリカ合衆国テキサス州の地名である。 国・町・建造物など 《 》内は、相当する実在の地球上の国・地域を表す。 上の世界の主要国家 アリアハン 世界南部の丸い大陸にある城と城下町。主人公の家やルイーダの店がある物語のスタート地点。主人公の父・オルテガは国民的英雄。かつては全世界を支配する帝国であったが、戦争により小さな国となった。北には、レーベの村がある。東にある洞窟には、遠く離れたロマリアに通じる「旅の扉」が封印されている。 オーストラリア大陸に相当するランシールの東に位置するため、空想上のムー大陸が該当地形になる。 ロマリア 《イタリア》 世界北西部の大陸にある小さな王国。城と城下町は地球のイタリア半島に相当する半島部にある。国王はもっぱらお調子者で、金の冠をカンダタたちに盗まれた。北には、熊を素手で倒した(実際は鉄の爪という武器を用いていた)という武闘家の伝説が残るカザーブの村がある。その北側には地球のスカンディナヴィア半島に相当する半島があり、半島の付け根にはエルフの呪いによりほとんどの村人が眠らされた「ノアニール」の村、さらにその西にはエルフの隠れ里と洞窟がある。 カザーブの南西(地球のフランスに相当)にはカンダタ一味のアジトとして使われている「シャンパーニの塔」がある。 イシス 《サハラ砂漠南西部》 広大な砂漠のオアシスにある、クレオパトラをイメージした女王の治める王国。町のイメージはエジプト風で、北には王家の墓・ピラミッドがある。 ポルトガ 《イベリア半島》 地球のイベリア半島に相当する半島の南端の海沿いにある王国。高い造船技術を誇り、貿易で栄える現代のポルトガルを意識した港町でもある。国王は滅多に手に入らないような珍し物好きで、黒胡椒を渇望しているが、ポルトガでは黒胡椒は非常に高価で、胡椒一粒は黄金一粒の価値があるという。通常プレイの場合、ポルトガにて船を入手するまでルートが東方見聞録のルートと大凡一致する。 エジンベア 《イギリス》 由緒正しき島国の城。国民の自尊心が高く、外国からの訪問者は田舎者呼ばわりされ、城門で門番に阻まれるので、ある方法を用いない限り城に入れない。宝物が城の地下にあるが、入手するにはパズル(『倉庫番』に似た方式)を解かなければならない。店や城下町は無い。 ジパング 《日本》 4つの島から成る、黄金の国とも呼ばれる国。他との接触がほとんどない農耕民族の国で、住人は木と紙で作られた住居に住む。物語中で明言される別名は「日いずる国」。中央部の本州に相当するやや大きな島に村と洞窟があり、村には国を統治するヒミコが大きな屋敷を構えている。店や宿屋などの施設は無い。海外から宣教師(神父)が「神の教え」を布教するために滞在している。洞窟にはやまたのおろちが住んでおり、若い娘をいけにえに差し出さなければならないことから、自分の娘を地下の壺に隠す者や、生まれてきた娘を息子として育てている者がいる。ヒミコはやまたのおろちに食い殺されたとされている。 サマンオサ 《ブラジル》 岩山と浅瀬に囲まれた場所にある王国。船では上陸できず、旅の扉を使わなければ行くことはできない。英雄サイモンを輩出したが、サイモンが失踪した前後に国王は豹変し(実はボストロールの化身。「#魔王とその配下」を参照)、その悪政のもと国民は苦しみ続けている。サイモンは「ガイアの剣」を所持していたが、追放されたあとほこらの牢獄で力尽きた。 上の世界の町・村・地域 アッサラーム 《アラビア半島》 普通の町ならば武器や道具などを売る店は、それぞれ一店づつしか存在しないものの、非常に商業が栄えているこの町には何店もの店が存在する。通常の何倍もの価格でアイテムを売りつける店も存在する。付近には東への抜け道が隠された洞窟があるが、洞窟に住むホビットのノルドはただでは抜け道を教えない。夜のみ営業する店や劇場があり、シリーズ恒例の「ぱふぱふ」も登場する。 バハラタ 《インド》 黒胡椒(くろこしょう)の産地で、聖なる川が流れる町。しかし胡椒屋は孫娘のタニアが盗賊に捕まり近くの洞窟に囚われたため、仕事が手に付かずに開店休業状態である。 ダーマ 《チベットネパール》 バハラタから東方にある神殿。あらゆる英知が集結するといわれる。ここでは転職を行うことができる。 北には悟りを開くために修行を行う「ガルナの塔」があり、賢者に転職をするためのある書物が隠されている。 ムオル 《ロシア東部》 最果ての村。かつて主人公の父オルテガが滞在したこともあり、オルテガはこの村ではポカパマズと呼ばれていた。 テドン 《アフリカ南部》 魔王バラモスの居城に最も近い位置にあった村だが、既に滅ぼされている。夜になると、村人たちの往時の姿が見られ店を利用することもできる。 昼夜とも村のBGMが流れる。 ランシール 《オーストラリア》 アリアハンより西方にある島にある村。村の規模は小さいが、奥には大きな神殿から島の中央の岩山に囲まれた砂漠にある地球のへそという洞窟へ行くことができる。ただし、その洞窟へは1人でしか行くことができない。 スー 《アメリカ北部》 ミシシッピー川に相当するいくつも枝分かれしている川の奥にある原住民の住む小さな村。しゃべる馬のエドがいる。東には開拓地があり、主人公の仲間の商人によって新たに「○○○○バーク」(○○○○は商人の名前)という町が作られることとなる。南西にはアープの塔があり、オーブを見つけるためのアイテムが隠されている。 ルザミ 世界地図上で南東に位置しており、「忘れられた島」と呼ばれている。何年も旅人が訪れておらず、店はあるものの、買い物はできず寂れた村となっている。地動説を唱え自説を撤回しなかったためにこの島に流された学者や、ネクロゴンドの洞窟に行くときの予言をする老人がいる。SFC版ではゲームクリア後のイベントで、賢者の石が入手できる。 グリンラッド 《グリーンランド》 北にある氷の島。幽霊船に関わりの深い品物を持つ老人が住んでいる。 レイアムランド 《南極大陸》 南に浮かぶ氷に閉ざされた島。中心にあるほこらでは2人の女性が不死鳥ラーミアの卵を守っており、その周辺にはオーブをささげる祭壇がある。 ネクロゴンド 《アフリカ》 魔王バラモスの居城のある山地。山頂にあるバラモス城は岩山と水路に囲まれており、訪れる手段はラーミアのみ。山頂付近にはほこらもあるが、ふもとからほこらに行くには、無限ループなどのトラップもあり上の世界では最も大規模なダンジョンであるネクロゴンドの洞窟を通らなければならない。バラモス城の東に開いているギアガの大穴は、下の世界のアレフガルドにつながっているが、バラモスを倒すまでは封印されている。オルテガが戦いの末に火口に落ちた火山も存在する。エンディングではギアガの大穴が塞がってしまうが、製作者は「後に無事にアリアハンに帰ったと考えてくれてもいい」とパーティの結末について述べている。 上の世界のその他建造物・場所 海賊の家 《アルゼンチン・チリ》 海賊団のアジト。お頭は女性である。昼間は海賊たちが出かけているためほとんど人がいない。 オリビアの岬 バハラタのはるか北にある岬。オリビアが航海中に嵐によって死んだ恋人エリックを想い、海に飛び込み自殺した場所。エリックは死に切れず、岬を通過する船を悲しい歌によって押し戻す。近くにはサイモンが終焉を遂げた「ほこらの牢獄」がある。 幽霊船 ロマリア付近の海(地球の地中海相当)をさまよう、罪人の魂を奴隷として使役する幽霊船。エリックが無実の罪を着せられ乗船させられており、二度と逢えぬ恋人オリビアへの想いを「あいのおもいで」に秘める。 竜の女王の城 カザーブ東方の山中にある「天界に一番近い城」。岩山に囲まれている。天上の神から世界の統治を任されている竜の女王が住むが、病の床に臥している。竜の女王は主人公たちに「光の玉」を託すと同時に、卵を残して息を引き取る。 浅瀬のほこら 北半球の地球で言う北極に位置する岩礁にあり、海水を干上がらせる「乾きの壺」がないと浮上しない。 下の世界・アレフガルド 精霊ルビスによって創られた地。大魔王ゾーマによって闇に閉ざされており朝が来ることがなく、「闇の世界」と呼ばれている。町やダンジョンなどは、一部を除いて『ドラゴンクエスト』第1作と同じ位置にあるが、第1作ではすべての島・大陸同士が橋やトンネルでつながっていたのに対して、本作では島や大陸の間を結ぶ橋・トンネルの一部がないため、船を使わなければ行けない場所もある。町やダンジョンの構造も第1作と基本的に同じである。なおルビスは第1作では登場していないが、『II』では主人公たちに重要アイテムを授ける役として登場している。 ラダトーム アレフガルドを統治する王国。アレフガルド唯一の王城で、城下町もかなりの広さを誇る。ギアガの大穴からの落下地点よりすぐ東に位置する。城および城下町の位置関係は第1作と逆である。ラルス1世が治めており、その子孫が、第1作に登場したラルス16世となる。 ガライの家 ラダトームの北西、第1作のガライの町の位置にある。後のシリーズで伝説として語られる吟遊詩人ガライの住家であり、地下室にガライの愛用品「銀の竪琴」がある。ガライの両親は、彼が放浪してばかりで家に帰らないことに困り果てている。本作ではガライ本人も若者として登場するが、放浪しており別の場所にいる。 マイラ アレフガルド北東の島の森の中にある村。本作では第1作にあるラダトームとを結ぶ橋がなく、ラダトームからは船を使わないと行けない。露天風呂が湧き出している。道具屋の主人はジパングから来た刀匠である。この刀匠に後のシリーズにロトの剣として伝わる「おうじゃのけん」を制作してもらうことになる。後のシリーズでも2つの剣のデザインがまったく異なるのは公式ガイドブックを担当したガイナックス社員のイラストが採用されたためである。『DQB』では二つの剣は別のものとして登場する。 リムルダール アレフガルド東部の半島にある湖に囲まれた町。本作では、第1作にあるラダトーム・マイラとを結ぶトンネルは工事中の未開通の状態で登場するため、マイラからは行き来できないが、メルキド北部の砂漠の山岳地帯と陸続きになっている。第1作の鍵屋に相当する家には老人が住んでおり、魔法の鍵を見たがっている。西方にある岬は、ゾーマの城がある島に最も近接している。呪われた武器を購入できる唯一の町である。 ドムドーラ 岩山の洞窟から南の砂漠の中に作られた町。この町に貴重な金属(オリハルコン)があるという噂がある。第1作では魔物に襲われ廃墟となっているが、本作では普通に人が暮らす町となっている。井戸の水がかれ始めており、町の行く末を心配している男がいる。 メルキド ドムドーラ南東の高原にある町。第1作のような城壁はまだなく、土嚢で囲まれている。町の人の一部はゾーマに対する恐れから、希望を失って何もせず過ごしている。第1作で登場する「ゴーレム」を研究している学者がいる。 魔王の爪痕 大魔王ゾーマが現れたとされるラダトーム北の洞窟。第1作の「ロトの洞窟」にあたる。最下層にはすべてのものを拒む地割れがある。洞窟内では戦闘中・移動中および敵・味方の別を問わず、唱えた呪文はすべてかき消され無効となる。最下層にはある最強の盾がある。 ルビスの塔 マイラ北西の島(第1作の「雨のほこら」のある場所)にある塔。この塔には、大魔王ゾーマの呪いによって石像にされた精霊ルビスの姿がある。 精霊のほこら 精霊ルビスの配下の妖精がいるほこらで、第1作でロトの印が落ちている位置にある。 聖なるほこら リムルダールの南にある、雨と太陽が合わさるほこら。第1作と同じ条件で魔の島に渡るためのアイテムをくれるが、第1作と違いリムルダールからの橋が架かっていないため、船でしか行くことができない。 ゾーマの城 アレフガルド中央部の小島に建っている大魔王ゾーマの居城。ラダトーム城の対岸にある。隠された階段を見つけなければゾーマに近づくことはできない。回転床や無限ループなどさまざまな仕掛けも用意されている。第1作での「竜王の城」とまったく同じ位置にあるが、1階はやや似ているものの地下部分の構造は異なる。キングヒドラとオルテガの戦いがここで行われる。 道具 物語を進めるために必要な道具のうち、ストーリー上特に重要なものについて簡潔に説明する。 盗賊の鍵、魔法の鍵、最後の鍵 扉を開けるための鍵。後で手に入るものほど多くの扉を開けることができ、最後の鍵はすべての扉を開けられる(上位の鍵は上位互換性がある)。この3つの鍵は後のドラゴンクエストシリーズ作品にも登場している。なお第1作において店で売られている鍵は、本作の魔法の鍵を参考に作られたものとされている。 6つのオーブ 上の世界に散らばる宝玉。レッド・ブルー・グリーン・イエロー・パープル・シルバーの6つがあり、すべて揃えてレイアムランドの祭壇に捧げると、不死鳥ラーミアが卵から蘇る。これらのオーブのある場所で「山彦の笛」を吹くと山彦が返ってくる。物語中盤はこのオーブを集めることが中心となる。 光の玉 勇者が竜の女王から授かる宝玉。大魔王の邪悪な闇の衣を破る力がある。第1作にもこの「光の玉」は登場し、ボスである竜王を倒してアレフガルドに平和が戻ることになる。 王者の剣、光の鎧、勇者の盾 ラダトームの宝であった3つの武具だが、大魔王によって奪われてしまった。勇者のみが装備できる。王者の剣はオリハルコンという金属でできており、大魔王ゾーマの力をもってしても砕くのに3年の年月を要した。第1作・第2作のロトの剣・鎧・盾に相当する。なお、「ロトの兜」に相当する防具は登場していない。 妖精の笛 精霊ルビスを復活させる力を持った笛。第1作にも登場。 聖なる守り 勇者が精霊ルビス救出時に授かる装飾品。第1作・第2作の「ロトのしるし」に相当する。 太陽の石、雨雲の杖 アレフガルドに広まる「太陽と雨」の言い伝えに関連する道具。この2つと聖なる守りを手に入れると、虹の橋を架ける能力を持つ「虹のしずく」が得られる。雨雲の杖は武器としても装備できる。共に第1作にも登場する。 呪文 モンスター 登場人物 この節では、ゲーム本編内で語られる設定を中心に記述する。ルイーダの酒場で仲間になるキャラクターについては別記参照。 勇者たち 主人公 声 - 緑川光(男性・CDシアター版) / 檜山修之(男性・大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL・ライバルズエース) / 皆口裕子(女性・ライバルズエース) 演 - 松浦司(『ライブスペクタクルツアー』) 本作の主人公。アリアハンに住む勇者オルテガの子供。本作ではゲームスタート時に性別を選択できる。16歳の誕生日に父・オルテガの後を継いで勇者として魔王バラモス討伐の旅に出る。ゾーマを倒した後は武器と防具を残して姿を消す(主人公か仲間が消えたような描写になっている)。 オルテガ 声 - 戸谷公次(CDシアター版) / 東地宏樹(ライバルズエース) 演 - 柳瀬大輔(『ライブスペクタクルツアー』) 主人公の父親。「アリアハンの勇者オルテガ」として勇名は各地に知れ渡っており、主人公の誕生直後にバラモス討伐の旅に出た。 旅の途中でノアニールの村やムオルの町などにいたことがあり、ムオルの町では「ポカパマズ」という名で呼ばれていた。後に訪れた主人公もオルテガと間違えられてそう呼ばれる(性別が違うはずの女勇者でも間違えられる)。またとある場所で、彼の仲間だったホビットとも出会うため、道中では一人旅でなかったこともわかる。 戦いのさなか、ネクロゴンドの火山に落ちて死んだと思われていた。しかし、実は火口からアレフガルドに通じていた穴に落ちて一命を取り留めるも、その際に瀕死の大火傷を負ったショックで自分の名前以外の記憶を失っていた。それでもなお、アレフガルドにて大魔王ゾーマに戦いを挑もうとする。無謀にも生身で本拠地へ泳ぎ着こうとして落命したかと思われたが、城内でキングヒドラと死闘を繰り広げている様が目撃できる。 あらくれの姿となっており、キングヒドラとの戦闘ではカンダタの色違いで表される。 サイモン 声 - 田中一成(CDシアター版) 「サマンオサの勇者サイモン」としてオルテガと並び称されていた勇者。ガイアの剣の元の所有者だった。サマンオサ王に成りすましたボストロールの策略によりほこらの牢獄に幽閉され、そのまま朽ち果てた。死後も魂は炎の姿で牢獄にとどまり、主人公をガイアの剣のある部屋へ導く。 知られざる伝説ではバラモスを倒すべくオルテガと合流する予定だったが、上述の通り幽閉されたことから叶わなかった。彼は幽閉のことを知らず、合流を諦めて一人でネクロゴンドに向かったという。 上の世界と下の世界の人たち 主人公の母 声 - 江森浩子(CDシアター版) 公式名はない。 夫であるオルテガの訃報を知って以降は主人公を勇敢な勇者に育て上げた。 バラモスを倒すまでは家で回復することができる。 主人公の祖父 公式名はない。 オルテガの父親であり、息子が亡くなったことにショックを受けていたという。孫を可愛がっている。 アリアハン王 声 - 中博史(ライバルズエース) オルテガと主人公を支えて来た老王。しかし、バラモス打倒後に現れたゾーマの姿を目の当たりにして、すっかり意気消沈してしまう。 ナジミの塔の老人 ナジミの塔の最上階に住む老人。アリアハンで有名だった盗賊バコタを捕え、盗賊の鍵を没収して王国に引き渡したこともある。 予知夢を視る能力があるらしく、主人公が自分の元に来ることを予見していた。 カンダタ 声 - 神谷明(CDシアター版) / 藤原啓治(ライバルズ) 複数の子分(カンダタこぶん)を従えた大盗賊。ロマリア王から金の冠を奪い、その後、バハラタのタニアとグプタをアジトの牢獄に閉じ込める。シャンパーニの塔、バハラタ東の人さらいのアジトでの計2回にわたる勇者たちとの戦いを経て改心し、後にラダトームで勇者たちと再会することになる。シャンパーニの塔と人さらいのアジトとでは配色が異なる(後者では雑魚敵「デスストーカー」と同じ配色である)。 『ドラゴンクエストV』や『ドラゴンクエストX』、『少年ヤンガスと不思議のダンジョン』にも同名のキャラクターが登場する。 『ドラゴンクエスト モンスターバトルロードIIレジェンド』に合体モンスターとして登場した。 一部の関連書籍では『ドラゴンクエストII』のデルコンダルの建国者とされる。 バコタ 元はカンダタの家来で、カンダタがロマリアに移ることになった際について行かなかった。別れぎわに鍵を一つ貰い、後々に"盗賊の鍵"と呼ばれるようになった元の持ち主。 アン ノアニール西の森に住むエルフの里長の娘。数年前、ノアニールの村の青年と恋仲にあったが、母である里長に反対されたことを苦にして、里の宝である「夢見るルビー」を持ち出し、南の地底湖で青年と心中した。 事情を知らない里のエルフたちは、彼女が宝ごとかどわかされたと思い込み、村に呪いをかけたが、主人公が宝と彼女の遺書を持ち帰ったことから事情を知り、村を数年の呪いから解放することにした。 ノルド アッサラーム・バハラタ間のトンネルの見張りをしているホビットの中年。ポルトガ王とは友人同士らしい。 ポルトガ王 黒胡椒を欲しがっており、帆船との交換条件を主人公に提示する。 イシス女王 クレオパトラのような姿をしている女王。彼女の寝室にいのりのゆびわがある。 ヒミコ 声 - 中友子(CDシアター版) ジパングを治める女王。勇者たちがジパングに到着時には既にやまたのおろちに食い殺されている。 オリビア 富豪の娘だったが、エリックの非業の死を苦にバハラタ北の岬で投身自殺を図った。しかし、死後も亡者として海峡に留まり、入り込もうとする船を押し戻しているという。これを「オリビアの呪い」と呼ばれているが、あるアイテムがあるとこの呪いは解ける。 エリック オリビアと恋仲だった青年。冤罪により奴隷船に繋がれた上、その船が魔の海で嵐に巻き込まれ溺死した。死後、その船は幽霊船となり、彼の魂も船に取り込まれてしまうが、そうなってもなお、恋人の幸せを願い続けている。 エジンベア王 主人公たちが田舎者であっても気遣ってくれている。マーゴッドという娘がいる。 竜の女王 演 - 高橋洋子(『ライブスペクタクルツアー』) 天界に最も近いとされる地の居城に住む竜神。不治の病に冒され余命幾ばくもないが、命をかけて卵を産み落とそうとしている。 一説には竜王の生母とされている。 ガライ 声 - 永井一郎(CDシアター版) アレフガルドの吟遊詩人。楽器「銀の竪琴」の持ち主である。両親はガライが放浪してばかりで家(第1作のガライの町に当たる位置)に帰らないことに困り果てている。 ルビス アレフガルドの大地を創った女性。ルビスの塔の最上階で封印され石像にされている。妖精の笛で封印を解くと「聖なるまもり」を与えられる。 魔王とその配下 ここでは、ボスキャラクターとして主人公たちと戦うことになる魔王やその配下の魔物たちを挙げる。 やまたのおろち おろちの洞窟(ジパングの洞窟)に潜む竜の魔物。『日本書紀』と『古事記』に登場するヤマタノオロチにちなんで「やまた」と名が付くが、モンスターデザインでは首は5つ。 ヒミコを殺した後に彼女に成りすまし、若い女性をいけにえに差し出すよう強要してジパングの住民を苦しめている。 炎を吐いたり複数回の攻撃を仕掛ける。倒した際には「くさなぎのけん」を確定で入手する。 雑魚敵「あやしいかげ」の正体として出現することもある。 『ドラゴンクエストX』では試練の門のボスとして登場する。 サマンオサ王 / ボストロール 声 - 郷里大輔(CDシアター版) 以前は優しい性格だったが、現在では城に来た者を有無を言わさず地下牢に幽閉したり、異を唱えた国民を処刑するなど悪事の限りを尽くす。正体は「ボストロール」であり、本物のサマンオサ王を地下牢に幽閉して変化の杖で成り済ましていた。 攻撃力が高く、時折発生する痛恨の一撃の威力はかなりのダメージとなる。 アレフガルドにも雑魚として登場するほか、やまたのおろち・キングヒドラと同じく雑魚敵「あやしいかげ」の正体として登場することもある。 その後は『ドラゴンクエストVI』『モンスターズ』シリーズなどにも登場する。『VIII』以降のナンバリングタイトルには全て登場しており、作品によっては主人公の仲間に加わったり、物語に関わっていたりと出番が多い。 バラモス 声 - 佐藤正治(CDシアター版) / 土師孝也(ライバルズ) ネクロゴンドに居城を構え、世界を支配しようとする竜頭の魔王。表の世界に登場するモンスターとしては圧倒的な戦闘力を誇る敵として君臨する。 アリアハン王によれば「世界のほとんどの人々はバラモスの名前すら知らない」とされるが、実際にはアリアハンだけでなく、サマンオサやイシス、ポルトガ、バハラタなど世界のさまざまな場所で恐怖の対象となっている。 後に『ドラゴンクエストモンスターズ』シリーズや『ドラゴンクエスト モンスターバトルロード』、『ドラゴンクエストIX』、『ドラゴンクエストX』などで登場する。 キングヒドラ ゾーマの手下の一体である魔物で、グラフィックデータは上述のやまたのおろち、雑魚モンスターのヒドラの色違い。 ゾーマの城でオルテガと戦い、主人公の目の前で彼の命を奪う。 雑魚敵「あやしいかげ」の正体として登場することもある。 『ドラゴンクエストX』では「魔法の迷宮」でキングヒドラコイン、伝説の三悪魔コインを投入するとボスとして登場する。 バラモスブロス ゾーマの手下の魔物の一角で、バラモスの兄弟にあたる。 『バトルロードIIレジェンド』の「レジェンドクエスト」では、バラモスブロスが「魔王」の肩書きを与えられており、バラモスゾンビとドラゴンを従えて立ちはだかる。 『ドラゴンクエストX』では、「魔法の迷宮」で伝説の三悪魔コインやバラモス強カードを投入すると登場する。討伐モンスターリストによると、こちらが弟であるとされる。 バラモスゾンビ ゾーマの手下の魔物の一角。大魔王ゾーマの力によりバラモスが復活した姿。 バラモスゾンビのグラフィックデータは、雑魚モンスターのスカルゴン、ドラゴンゾンビの色違いとなっている(バラモスは頭部の角が1本なのに対し、この種族は2本あり、バラモスには無い牙や羽根が生えている)。 魔法も使わず守備力・素早さも全くないが、非常に高い攻撃力を誇っている。 『ドラゴンクエストX』では「魔法の迷宮」のレアボスとして登場。更に三悪魔コインを投入しても登場する。 『バトルロードIIレジェンド』では外見・技共にドラゴンゾンビの流用だったが、『バトルロードビクトリー』では、バラモスの体色を黒くした姿に変更された。 『テリーのワンダーランド3D』ではバラモスの体が巨大化し腐敗、骨が部分的に露出した姿となっている。 漫画『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』にも登場し、その時の姿は生前のバラモスの骨格を忠実に再現したデザインとなっている。 ゾーマ 声 - 柴田秀勝(CDシアター版) / 大塚明夫(リアル脱出ゲーム×ドラゴンクエスト『大魔王ゾーマからの脱出』、ライバルズ) 本作の最終ボス。「全てを滅ぼす者」を自称し、人々の死や苦しみを無上の喜びとし糧とする。 ゲーム中盤まではバラモスが黒幕であるものとして話が展開するが、後にバラモスもゾーマの手下の1人にすぎないことが明らかになる。 初期状態では闇の力のバリア「闇の衣」を身にまとっており、ある特定のアイテムの力によりはぎ取ることができるが、闇の衣をはぎ取らなくとも倒すことは可能。闇の衣をはぎ取るとカラーパターンが変化(フルカラーから青基調)する。また、薬草やHP回復系呪文によってダメージを受けるという特殊な性質を持つようになる。 後の作品のボスなどが使うこととなる「凍てつく波動」をシリーズで初めて使用したキャラクターである。 最後は主人公たちに敗北し、自分を倒したことを褒め称えるが、同時にいつの日か新たな邪悪が再来することも予言し、彼らがその時までは生き永らえられないことを嘲笑しながら滅び去った。 バラモスや他の魔王と同様、後に『モンスターズ』シリーズや『モンスターバトルロード』、『ドラゴンクエストIX』、『ドラゴンクエストX』などで登場した。 ゲーム上のグラフィックおよびイラスト、設定画では4本指だが、『IX』などで再登場の際は5本指となっている。 本作で手下を無能扱いしていた様子は無いが、『IX』のモンスター図鑑では「愚かな僕(しもべ)に嫌気がさして地上を捨てた」と書かれている。 『モンスターズ2』では三つ目で巨大な鎌を携えている「アスラゾーマ」、『バトルロードII』では外見はほぼ同じだが目が赤く輝き、能力が格段に向上している「真ゾーマ」というオリジナルの強化形態が登場した。 『モンスターズ2』などではゾーマを幼生化したようなモンスター、ゾーマズ・デビルが登場したが、公式な関連は不明。 本作のゾーマは凍てつく波動や最強の氷呪文マヒャドなど冷気攻撃を使用するが、『バトルロード』では火炎攻撃も得意とする。 鳥山明のイラストでは「ボスその2」、「ボスその2(変身後)」と書かれたモンスターが存在するが、ゲームに登場することはなかった。 その他の人物 カルロスとサブリナ ポルトガに住む、バラモスに呪いをかけられたカップル。カルロスは夜は人間の姿だが昼には馬になり、サブリナは昼は人間の姿だが夜には猫になってしまう(この設定の元ネタは1985年のアメリカ映画『レディホーク』)。バラモスを倒した後に2人のもとを訪れると、呪いが解かれて昼夜ともに人間の姿となっており、「ゆうわくのけん」をくれる。 ポポタ ムオルの村で「いたずら好き」で通っている人物。10年前に行き倒れたオルテガに懐いていたらしく、彼からあるアイテムを託されていた。 移植版 スーパーファミコン版 前2作のリメイク作品『ドラゴンクエストI・II』に次ぐ、シリーズ2例目のリメイク作品。FC版の発売から8年後の1996年12月6日にエニックスから発売された。エニックスから発売された最後のスーパーファミコン用ソフトとなった。 キャッチコピーは「SFC究極のドラクエ」。タイトルロゴにはロトの紋章が描かれている。またタイトルロゴのデザイン変更によって、他のシリーズ作品同様に「DRAGON QUEST」の「T」が剣の形になり、ローマ数字が「DRAGON QUEST」と重なるようになった。 ストーリーはFC版に基づいているが、大幅な要素の追加・変更が行われた。後述の「性格」や「すごろく場」が追加されたほか、アイテムが多数増加し、中には「ルーズソックス」など発売当時の流行を反映したアイテムも登場した。FC版では女性キャラクター専用装備品しかなかったが、SFC版では、ステテコパンツといった男性キャラクター専用装備品も追加された。店の品揃え、ボスモンスターのステータス、モンスターから得られるアイテムなどの変更も行われた。FC版では、武器は全て単体攻撃武器のみだったが、SFC版では単体攻撃武器のほかにブーメランやムチといった全体攻撃武器やグループ攻撃武器が追加された。さらに、オープニング、ダーマ神殿での「遊び人」への転職、隠しダンジョンが追加された。 画面仕様やキャラクター操作、コマンド操作は、前年に発売された SFC版『ドラゴンクエストVI』をベースとし、同作から以下の要素が継承された。 ボタン1つの操作だけで会話や調査ができる「べんりボタン」。 「ふくろ」とゴールド銀行。従来の預かり所をゴールド銀行へ変更。 町などの人々の会話の記憶機能。『VI』と同様、「おもいだす」「もっとおもいだす」「ふかくおもいだす」「わすれる」の4種類。 世界地図(『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』から登場している) ブーメラン・ムチなどでの複数対象攻撃(『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』から登場している) キャラクターの名前の変更機能 ちいさなメダル 鍵無しで開く扉 『VI』と同様に井戸に入ることも可能になった。戦闘画面も『VI』のものとほぼ同様の画面でモンスターグラフィックも『VI』調だが、モンスターが動く際の効果音を発するようになった。 本作では、「ふくろ」の中にあるアイテムは、移動中に限りふくろから出さずに使うこともできるようになった。また、アイテムを仲間に渡す際にその位置も指定できるようになり、所持しているアイテムの位置を選ぶことで渡す側と交換することもできるようになったほか、装備可能なアイテムについては渡した時点で装備するかどうかを選択できるようになった。ただし、『VI』にあった「ふくろ」の枝コマンド(だす・いれる・みる)は廃止された。しかし、普通にふくろに渡す・ふくろから渡すなどしても全ウィンドウが閉じることはなくなり、連続操作はしやすくなった(これは、回復呪文などを使用する際にも同様で、その都度ウィンドウが閉じるようなことはなくなった)。これらの要素は本作で初めて導入され、以降の作品(リメイク含む)でも踏襲されている。また、これに伴い「全てのウィンドウを閉じる」ボタンも設定された(本作ではYボタン)。 ちいさなメダルに関しては、メダルを収集しているのがアリアハンのメダルおじさんとなり、獲得したメダルの累計によってアイテムを獲得する方式である。 ゲームスタート時に主人公の性格を決定する際、どこからともなく聞こえる声(ルビス)に名を問われて、プレイヤー自身の名前を入力する必要がある。この時入力した名前(必ずしも本名である必要はない)は、エンディングの最後(スタッフロールの後)に「AND ACT BY ○○○○(プレイヤーの名前のローマ字表記)」として紹介され、ロールプレイング(役割を演じる)ゲームの名の通りプレイヤー自身が主人公であることを実感させる演出となっている。 プレイヤーキャラクター 新職業として「盗賊」が追加されている。 盗賊 戦闘後に一定確率で敵からアイテムを盗む能力を持ち、「とうぞくのはな」などの探索系の呪文・特技を覚える。レベルアップ速度が早く、全体的な能力値も高め。特にすばやさの上昇値が高い。序盤は戦士などに比べてHPや装備品の面で見劣りするが、中盤以降は複数の敵を攻撃できる武器が充実する。また、素早さの半分の値が守備力にもなるので打たれ強い。終盤では勇者や戦士と同等の装備品を扱える反面、高レベル帯になるとステータスの成長力がやや鈍化する傾向にある。 また勇者・商人・遊び人・盗賊は、『ドラゴンクエストVI 幻の大地』と同様に移動中の特技を「じゅもん」として使用することができるが、効果は補助的なもので数も少ない。遊び人はFC版では演出の域を出なかった「遊び」の効果が改良され、依然ランダム要素ではあるものの、レベル1から遊ぶようになり、また一部戦闘に効果を及ぼす遊びを行うようになるなど、独自の使い勝手を持つキャラクターになった。また、FC版では不可能だった他の職業から遊び人への転職も可能となった。女勇者専用のグラフィックと台詞も追加された。 FC版では性別によるステータスの上がり方の違いは無かったが、SFC版以降では男はちからやたいりょく、女はすばやさが上昇しやすくなっている。「たいりょく」と「かしこさ」のステータスのシステムがFC版と異なり、リメイク版ではたいりょく値の約2倍がさいだいHPとなり、かしこさ値の約2倍がさいだいMPとなる。 性格 各キャラクターに「性格」が設定され、同じ職業やレベルでもこの「性格」によってレベルアップ時のステータスの上がり方が異なってくる。性格は全46種類が存在し、ステータス画面で確認することができる。「性格」には、きれもの・ロマンチスト・みえっぱり・でんこうせっかといった男女共通の性格、むっつりスケベ・ラッキーマンといった男性キャラクター専用の性格、おてんば・おとこまさり・セクシーギャルといった女性キャラクター専用の性格の3タイプがある。初期の性格は、主人公であればゲームスタート時に出される質問に対する答え方により、仲間キャラクターであれば登録時のステータスのバランスによって決定される。 冒険中は、装飾品やアイテム「本」で性格を変えることもできる。装飾品は装備中のみ性格が変化、「本」は恒久的に性格が変化する。また、性格システムに関連した会話イベントも追加され、その会話内容によって性格が変化することもある。すごろく場で性格が変わることもある。 すごろく場 ゲーム中の全5か所に、「旅人のすごろく場」というミニゲームが登場した。挑戦には「すごろくけん」が必要である。無視してもゲームの進行には全く影響がないが、ここでしか手に入らないアイテムもある。すごろくけんは一部の例外を除き非売品で、町などで拾ったり魔物との戦闘で獲得しなければならない。1回につき1枚消費する。無限にすごろくができるアイテムも存在し、持っている場合はそちらが優先される。 先頭のキャラクターがすごろくの駒となり、一定回数以内のサイコロでゴールを目指す。ゴールすれば宝箱からアイテムが入手できるほか、コースの途中やよろず屋でもアイテムを入手できる。ただしコース上では戦闘が発生したり、落とし穴などの罠が仕掛けられていたりすることもある。落とし穴でコースアウトしたり、HPや所持金が0になったりした場合は、サイコロの残回数があってもその場で終了となる。特に所持金0の状態ですごろくを始めようとしたら始まった瞬間に終了となりすごろくけんも戻ってこないので注意。戦闘で得た経験値は、戦闘に参加した(つまり、すごろくの駒となっていた)キャラクターのみが獲得する。これは通常の冒険でパーティーを組んでいない状態と同じで、最大で4人パーティ時の約4倍獲得できる。詳しくは上記「経験値」参照。また、参加者のステータスや性格が変化するイベントが発生することもあるので要注意。リタイアはいつでも可能。リタイアしても当然すごろくけんは戻って来ないが、目的がゴールでない場合達成できたら余計なイベントを避けるためにリタイアするのも手である。 シナリオ・マップの追加 オルテガの冒険と戦いを描いたプロローグがデモ画面で流れるようになった。NES版に存在した戦闘シーンに加え、主人公の誕生や冒険途中のシーンが追加された。またゲーム中でもオルテガに関連するイベントが追加された。 マップに精霊の泉が追加された。 ピラミッドのイベントが一部変更された。 ポルトガの城でセーブ機能が追加された。 一部の町では店が追加されたり、メニューが変更された。 シャンパーニの塔のイベントのクリアが必須となった。クリアしていないと、人さらいのアジト(バハラタ北東の洞窟)へ行っても、主が留守である旨を知らされるだけで洞窟のイベントが発生せず、そこから先へ進めないように変更された。 パーティーから商人が抜けるイベントをクリア後、さらにイベントをこなしてから再び行き、パーティーから抜けた商人に話しかけると、アリアハンのルイーダの酒場で、パーティーから抜けた商人を再びパーティーに加えられるように変更された。またFC版では男女ともパーティーを抜けると一般の男性商人のグラフィックになっていたが、SFC版では男女別に専用のグラフィックが用意された。 エンディングに到達した冒険の書のみで行ける隠しダンジョンが新たに登場し、隠しダンジョン用のモンスター8種および隠しボスも追加された。 竜の女王の城に訪れると、城の北側の日光が差し込む窓から行くことができる。小さな島のような形をしており、そこにはダンジョンの入り口がひとつあるだけ。その入り口が裏ダンジョンとなっており、これまで訪れたダンジョンや施設の再利用で、バラモスの量産型であるバラモスエビルなどゾーマの城よりも強い敵が現れる。ダンジョンの途中にはゼニスの城という中継地点が存在し、ゼニス1世という王が玉座に鎮座する。最深部にはしんりゅう(神竜)が待つ。 しんりゅうは強力な炎や吹雪に加え、すばやい動きで先制攻撃を仕掛けたり、1人を強制的に眠らせたり、鋭い牙での一撃で大ダメージを与える、巨体で押しつぶして全員にダメージを与える、凍てつく波動を使いステータスを初期化するなど、強力かつ多彩な波状攻撃を得意とする。 しんりゅうとは何度でも戦うことができ、戦闘に勝利すると1回目は35ターン以内、2回目は25ターン以内、3回目以降は15ターン以内で倒せば、願いを叶えてもらえる。願いの内容は「死んだ父親を生き返らせたい(これを選ぶと、オルテガが生き返りアリアハンの自宅にいる)」、「新しいすごろくがしたい(これを選ぶとジパングの井戸に新しいすごろく場が出現する)」、「エッチな本を読みたい(これを選ぶと、エッチな本が手に入り、読んだ人の性格が男の場合「むっつりスケベ」、女の場合「セクシーギャル」に変化。職業や読むタイミングにもよるがどちらも他の性格と比べ有利なステータス補正がかかる性格である)」の3つが出る。SFC版・GBC版以外は親父の生き返しとエッチな本の2つのみしか選べない。なお、親父の生き返し・新しいすごろくを選べるのは1回だけで、2回目以降選ぶと他のお願いを選び直させられる。エッチな本と珍しいメダルは何回でも選べる。 その他の変更点 ルイーダの店 ルイーダの店で仲間登録時に、ステータス成長の種を5つもらえ、その場でステータス成長を行う。手動・自動が選べる。 登録人数が最大22人に変更され、バーク送りにした商人はパーティーに復帰するため抹消されなくなった。 初期登録の職業である戦士・僧侶・魔法使いの3名は魔法使いは必ず女性で戦士・僧侶は男女ランダムで選ばれる。 BGM BGMがオーケストラ版に基づいたものになり、一部の楽曲のキーも変わった。城・町・村のBGMは、昼と夜とで異なる曲が流れるようになった(夜の曲はいずれも昼の曲の編曲)。 テドンではFC版では昼夜とも村のBGMが流れるが、リメイク版では夜間が村のBGMのアレンジ曲であるのに対し、昼間はパーティーが全滅したときと同じBGMが流れる。 バラモス/隠しボス戦専用のBGM「戦いのとき」をはじめ、イベント専用曲なども数曲が追加された。 バラモス城・ゾーマ城については洞窟のBGMをアレンジしたものが用意されたほか、下の世界の町・城・ダンジョンについては第1作『ドラゴンクエスト』と同様のものとなった。 まとめ買い 道具屋でのアイテム購入時の数量指定のシステムが導入され、最大9個まで一度に購入することができるようになった。これはSFC版の本作が初の導入となり、以降の作品(新作・リメイク版)にも受け継がれた。なお、キャラクターが一度に持てるアイテム数が1人あたりFC版の8個から12個に増加した。 仲間登録・編成時のセーブ FC版では、仲間の登録時およびルイーダの店でのパーティ編成時にセーブをする必要があったが、本作では不要となった。代わりに、ルイーダの店にいるシスターに話しかけることでセーブができるようになった。FC版で登録・編成時にセーブした場合は、最後にセーブした場所からの再開であったが、SFC版でここでセーブした場合はアリアハンからの再開となる。 アイテムの販売有無、販売アイテム変更 ショップでの販売アイテムも多数変更された。たとえば、FC版ではカサーブの村で「はがねの剣」を購入できたが、SFC版、GBC版では販売されていない。ノアニールで販売されたが、1300Gに変更となった。 FC版でレーベの村で販売されていた「聖なるナイフ」は「ブロンズナイフ」に変更となった。 装備品の追加 種類が大幅に追加されたことによって、特に武闘家、僧侶、商人、遊び人など、FC版の一部の職業にあった「装備できる武器、防具が極端に少ない」「盾を全く装備できない」「後半向けの強力な装備がない」などの問題が解消された。また男性専用の武具・防具も登場する。 戦闘中コマンドメニューの変更 FC版では戦闘中に呪文の使えるキャラクターが一番前にいると選べなかった「ぼうぎょ」コマンドが選べるようになった。また、全員「にげる」のコマンドが選べるようになり、選択するとその場で逃げようとする。 転職時の神官のコメント ダーマ神殿で転職時に神官が性格に応じたコメントを述べるようになった。 名前を変える老婆の登場 ダーマ神殿の左上に命名神に仕えるマリナンと名乗る老婆が登場し、彼女と話すことでキャラクターとふくろの名前が変更可能になった。ただし4文字とも同じ文字や変な名前にすると怒りに触れたうえで名前を変更して、元に戻すには高いお金を支払うことになる。 キャラクターの設定変更 オルテガ FC版ではカンダタ同様の姿だったが、固有の姿に変更された。 主人公の母 FC版では一般人の女性の姿であるが、SFC版では固有の姿に変更され、へんげのつえで魔物に化けて話した場合のイベントが追加された。 アリアハン王 一人娘の王女から「ぬけめがない」性格だと陰口を叩かれている。 カンダタ 配色が変更された。 ヒミコ やまたのおろちによって殺されずに井戸のすごろく場に幽閉された。 サマンオサ王 / ボストロール 全員の守備力を半減させる呪文「ルカナン」が追加され、必ず2回行動するように強化された。 SFC版ではサマンオサ城のみの登場となった。 キングヒドラ 隠しダンジョンで雑魚モンスターとして出現する。 ゾーマ 闇の衣がはぎ取られた際のカラーパターンが変更された(FC版はフルカラーから青基調、リメイク版は青基調からフルカラー)。 「凍てつく波動」で独特のポーズを取りながら兜にある目玉から放つ。 その他 『VI』同様、モンスターが攻撃時に動き、動作音も出るようになったり、勇者なしのパーティーでゲームをクリアした際の専用の会話・演出が追加された。 ルーラ・キメラのつばさを使うキャラクター自身が行ったことがない場所は他のメンバーが行ったことがあっても行くことができなかったが、リメイク版では行き先がパーティー全体に共通の設定に変更されており、メンバーを入れ替えてもそのまま使えるようになった。 FC版とリメイク版とでは、ムオルで入手できるアイテムが異なり、「オルテガのかぶと」に変更された。 エンディング時に主人公のみが宴から退席している描写に変更された。 ゲームボーイカラー版 ゲームボーイカラー専用ソフトとして2000年に移植された。CMには福井裕佳梨が女子高生役として出演している。SFC版のゲームシステムやストーリーを継承しているが、通信機能を生かした後述の「モンスターメダル」などのオリジナル要素が追加されている。キャッチコピーは「一番愛されたドラゴンクエスト」。 戦闘画面では背景は表示されないが、呪文などの演出効果やモンスターのアニメーションをSFC版から受け継いだ。いつでもゲーム途中の状態をセーブして中断することができる「中断の書」機能が追加された。『I・II』にあったボタン全押しリセットは、『III』では不可能になった。 街、背景、設定などはSFC版をもとにしているが、使用できるカラーの仕様上、56色になっている。BGMは一部除いてFC版をベースとする。 ストーリーは、シャンパーニの塔のイベントをクリアしていないと、ノルドの洞窟(アッサラーム東の洞窟)を通れず、バハラタの町へ行くことができないように変更された。 モンスターメダル モンスターを倒すと時々落とす「モンスターメダル」のコレクションを行うことができる。メダルは各モンスターごとに金・銀・銅があるが、最初は銅メダルしか入手できず、銅を入手することで銀を、また銀を入手することで金を入手できるようになる。モンスターメダルはゲーム本編のメモリーとは別のメモリーに記録される。通信ケーブルを使い、一度に3枚までモンスターメダルを交換することもできる。 このモンスターメダルに関連し、第2の隠しダンジョン「氷の洞窟」が追加された。このダンジョンでは、一定のモンスターメダルを集めないと先に進めないようになっている。このダンジョン用の新たなモンスターとして隠しボス「グランドラゴーン」が追加された。グランドラゴーンを25ターン以内に倒すと、道具使用でギガデインの効果を持つ「ルビスの剣」がもらえる。さらに2回以上25ターン以内に倒すと「グランドラゴーン」のモンスターメダルがもらえる。 その他の変更点 「はやぶさのけん」を装備した状態で「ドラゴラム」を唱えると1ターンに2回炎を吐く。 BGM「戦いのとき」にイントロを追加(交響組曲に元々あったパート)。逆にBGM「ダンジョン」のイントロを削除。 ボス「バラモス」の呪文を封じた後のローテーション(行動パターン)が変更、自動回復削除、HP増加。 ボス「ゾーマ」に「ベホマ」を唱えた際に与えるダメージを増加。 町や城における住民や兵士の配置がSFC版と異なる。 SFC版にあった台詞が一部、カットされた。 ダーマ神殿で転職した際、新しい職業で装備できる武器防具が自動的に装備されなくなった。 サマンオサにおける戦士ブレナンの葬儀がイベント化された。 神龍を倒した際の願いごとがSFC版の3つに加えて「珍しいメダルが欲しい」と「空白」の2つが追加された。空白を選ぶと新規追加の隠しダンジョンが出現する。隠しダンジョンへの入り口はレイアムランドにある。なお空白を選べるのは1回だけである。 やまたのおろち、ボストロールはゲームクリア後の隠しダンジョンで再登場する。 カンダタとその子分が雑魚敵として再登場する(カンダタについては、2種類とも雑魚敵として再登場する)。 携帯電話版 2009年から NTTドコモ向け配信が開始された携帯電話アプリ。メガiアプリだが、前編アプリと後編アプリに分けられている。また、2010年4月からは KDDI (au) 向けの配信も開始され、こちらもBREWアプリでありながら、前編アプリと後編アプリに分けられている。サーバーに冒険の書をバックアップできるようにもなっており、機種変更や誤ってアプリを消した場合でも復旧できるようになっている。 NTTドコモのF-01B、F-04B、N-02B、P-01B、SH-01B並びにauのbeskey (HIY02)、CA005、S003、S004、SA002、SH007、SH008、T004には序盤を収録した体験版(製品版のセーブデータと互換性あり)がプリインストールされている。 Starプロファイル対応機種(2MB 対応)と在来の Doja(1MB対応)では若干仕様が異なる模様。後者は一部音楽が削除されており、他の曲で代替されている(例: スタート時の性格診断 - 「まどろみの中で」→「ほこら」、バラモス城・ゾーマ城 - 「ゾーマの城」→「ダンジョン」、バラモス・闇ゾーマ・しんりゅう - 「戦いの時」→「戦闘のテーマ」、重要アイテム発見時 - 「重要アイテム発見」→「当たり」)。 リメイク版を元に移植されており、グラフィック、サウンド共に『スーパーファミコン ドラゴンクエストIII』をベースとしたものになっているが、モンスターのアニメーションとそれに伴う効果音、オルテガの冒険と戦いを描いたプロローグ、すごろく場、精霊の泉、GBC版の第2の隠しダンジョンと隠しボス、モンスターメダル集めはカットされた。また敵の出現などの難易度調整も若干変更された。 ダーマ神殿で転職した際、新しい職業で装備できる武器防具が自動的に装備されるシステムが復活した。 すごろく場の削除により、すごろく場の中で購入できた商品は一品物になった。また、商品やゴール時の景品は、宝箱の中身や、小さなメダルとの交換景品へと変更された。 オリジナル版およびリメイク版には採用されなかったAI戦闘(「さくせん」コマンド)が採用された。 イシスの子供が歌うわらべ歌(ピラミッドの壁の丸いボタンを押す順番)が、SFC版およびGBC版より簡略化された。 スーの村の村人のグラフィックが、SFC版のネイティブ・アメリカン風から他の町や村で見られる一般的なものに変更された。 幽霊船のグラフィックが、SFC版の専用のものから主人公たちが乗る通常の船と同じものに変更された。 Wii版 2011年9月に発売。FC版およびSFC版が、FC版の第1作・『II』、SFC版の『I・II』とセットで収録。 中断機能が追加され、一部のセリフが変更された。 スマートフォン版 2014年9月25日にAndroidおよびiOS向けに配信開始。『I』、『II』同様にアプリケーション『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』から購入・起動する方式。フィーチャーフォン版をベースに移植。グラフィック、操作方法はスマートフォン版『I』『II』同様。BGMはスマートフォン版『I』、『II』、『IV』同様に交響組曲版をベースにしたシンセサイザー音源で、戦闘終了後のBGMは『I』、『II』同様途中から続けて流れる。フィーチャーフォン版に準じてSFC・GBC版での新規BGMは使われていないが、「戦いのとき」「街の人々」「ラダトーム城」は使用されている。 PlayStation 4・ニンテンドー3DS版 2017年8月24日に配信開始。スマートフォン版をベースにしたもので、3DS版は下画面にマップが表示される。王者の剣を道具として使った時のメッセージが「とどろく らいめいが くうきを ひきさく!」から「くろいあまぐもが てきをつつみこむ。」に変更された。 Nintendo Switch版 2019年9月27日に配信開始。スマートフォン版をベースにしたものである。 HD-2D版 2021年5月27日配信の「ドラゴンクエスト」35周年記念特番で家庭用ゲーム機向けに制作開始したことを発表。開発はあまた株式会社とスクウェア・エニックス。 音楽 第1作のBGMはバロック音楽調であるのに対して、本作のBGMはヒロイックな響きを求めロマン派音楽調である。 アレフガルドのフィールド上BGMの伴奏は第1作とは異なり3連符に変更された。 ピラミッドとジパングには専用のBGMが存在する。これ以外に開発当初はヨーデル風の専用BGMのあるスイス風の村があったが、容量の関係で開発段階で村もBGMも削除されたという。 FC版では戦闘時のBGMはゾーマのみが専用BGM「勇者の挑戦」で、他はバラモスも含めすべて同じBGMである。すぎやまによれば、FC版でもバラモスとの戦闘時の専用BGMが製作されたが、何らかの理由によりなくなったという。 2004年8月10日、東京芸術劇場で第18回ファミコリークラシックコンサートが開催された。その時の会見で、すぎやまこういちは「ファミコンのカセットはゲーム音楽も容量との戦いでした。『ドラクエ3』にも当初はタイトル画面があったんですが、削られてしまいました(笑)」と制作時の話を披露した。 また、すぎやまはオルテガの戦闘シーンはレクイエムにすべきだったと後悔・反省している。 NHK交響楽団によって演奏された『交響組曲 ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』は1988年の第30回日本レコード大賞の特別企画賞に選ばれた。これはゲームミュージックとしては初である。 不死鳥ラーミアで飛行する時の曲「おおぞらを とぶ」は、のちに高中正義がカバーした。また同曲は『ドラゴンクエストVIII』・『ドラゴンクエストXI』でも使用されている。フィールドの曲「冒険の旅」や戦闘時の曲「戦闘のテーマ」などはバラエティ番組のBGM、高校野球での応援ファンファーレとして使用されることがある。「街」、「海を越えて」、「アレフガルドの街(町の人々)」には、女性デュオ「ルーラ」が歌う歌詞付きの曲がある。また、「冒険の旅」と「そして伝説へ…」にも歌詞が存在する。これはラジオ番組『鴻上尚史のオールナイトニッポン』の企画から生まれた(なお鴻上は、アッサラームの劇場にいる座長キャラクターのモデルでもある)。 スタッフ ファミリーコンピュータ版 シナリオ・ライター:堀井雄二 キャラクター・デザイナー:鳥山明 ミュージック・コンポーザー:すぎやまこういち シナリオ・アシスタント:宮岡寛、柳沢健二 チーフ・プログラマー:内藤寬 プログラマー:山名学、成田東吾、岡野まさあき アシスタント・プログラマー:滝本真澄 グラフィック・デザイナー:安野隆志 サウンド・プログラマー:福沢正 アシスタント:原けいいち、麻野一哉、RIKA SUZUKI、札場哲 ディレクター:中村光一 プロデューサー:千田幸信 パブリッシャー:福嶋康博 スーパーファミコン版 シナリオ&ゲーム・デザイン:堀井雄二 キャラクター&モンスター・デザイン:鳥山明 ミュージック・コンポーズ:すぎやまこういち メイン・プログラム:山名学 CGデザイン:眞島真太郎、安野隆志 プログラム:JINJI HORAGAI、KAYSUYA TESHIMA、川本昌之、渡邊靖 シナリオ・アシスト:杉村幸子、石川文則 サウンド・デザイン:多和田吏、崎元仁 開発アシスト:滋野暁崇、室木博、YUKO MIURA シナリオ・サポート:折尾一則、宮岡寛、柳沢健二、布田全代 広報:水納仁、杉村幸子、石川文則、島村悦子 アートワーク:大石直樹、大塚充 テクニカル・サポート:矢作貞雄、狩野健二郎、佐藤浩、本間和文、中目乃利子 エニックス・スタッフ:山岸功典、二見眞治、菊本裕智、渡辺泰仁、戸田淳、藤本広貴、齊藤陽介、和智信治、小林大介 プロデュース・アシスト:犬塚太一、YOICHI HAYAKAWA、飯田真理子、本多圭司 プロデューサー:千田幸信 パブリッシャー:福嶋康博 ゲームボーイカラー版 シナリオ&ゲーム・デザイン:堀井雄二 キャラクター&モンスター・デザイン:鳥山明 ミュージック・コンポーズ:すぎやまこういち アートワーク:大石直樹、神村多加志 広報:三宅有、HIROKA SHIBAHARA、倉持亮一、石井るり子、二見眞治、山本秀樹、吉川ルミ、大澤宗弘 テクニカルサポート:狩野健二郎、岩井智行、中目乃利子、大和田一徳、佐藤浩、米山英樹 プロデューサー:宮本淳 エグゼクティブ・プロデューサー:千田幸信、本多圭司 パブリッシャー:福嶋康博 反響 社会現象 日本での本作の発売日は平日(水曜日)であったにもかかわらず、発売日前日には販売店の前に徹夜の行列ができた。ビックカメラ池袋東口店(現:ビックカメラアウトレット池袋東口店)では前日から並んだ行列が最終的に1万人を超える長大な規模になり、マスコミのみならず、後に学習歴史漫画にも取り上げられた。徹夜したり、学校を無断欠席してまでソフトを買いに来る児童・生徒もおり、その補導が多発したほか、品切れで買えなかった少年らによる窃盗や恐喝などの犯罪も多発した。この対策として、次作『ドラゴンクエストIV』以降のシリーズ本編については、発売日を移植版を除き、土日及び祝日にしている。 また、一部の小売店が本作と人気のないソフトとの抱き合わせ販売を行ったことが問題化した。さらに、光文社が写真週刊誌『FLASH』にエンディングの画面を掲載してエニックスから著作権侵害で訴えられる事件が発生し、改めて「テレビゲームの画面は著作物になるのか」という問題がクローズアップされた。 雑誌・書籍への掲載 発売当時、ゲーム雑誌などにおいて、終盤の展開に関する情報はほとんど伏せられていた。これは後に発売された「公式ガイドブック」でも同様で、終盤に登場する要素は「回転する床」を除いてほとんどが非掲載となっており、勇者たちが倒すべき最後の敵も「バラモス」とされていて、リメイク版の公式ガイドでも同様に掲載されていない要素があった。リメイク版発売時の雑誌記事・書籍などでは、終盤の画面写真やアイテム、モンスターも掲載された。 FC版「公式ガイドブック」にはバグである防御キャンセル技が掲載されている。後期ロット(敵が出てこなくなる技が追加されているなど)でも修正されず、そのまま残されていた。ヒャダインとマヒャドの習得レベルが逆になっている誤表記があり、重版でもそのままにされていた。 評価 日本における売上本数は380万本を記録。この数字は2006年(平成18年)11月頃まで他社の作品を含めた日本の歴代ゲーム売上本数でも十傑に入っている。2010年(平成22年)現在、この記録はドラゴンクエストシリーズでは『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』に続き3位。ゲーム雑誌『ファミ通』の15周年・20周年読者投票企画ではドラゴンクエストシリーズ中では最上位だった。 別冊宝島には1988年のサブカル・流行の1つとしてこの作品が紹介されている。 ファミリーコンピュータ版 ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では9・10・10・9の合計38点(満40点)でプラチナ殿堂入りを獲得、レビュアーからは『ウルティマV』と同様に本作に時間の概念が導入された事に関して「日本のRPGがようやくアメリカのRPGに追いついたという感じだ」と指摘された他、謎解きの構成の無理のなさやシリーズを追うごとに内容が充実している事が肯定的に評価された。また、レビュアーによっては「細かいところではいろいろ気になる部分もある」との指摘がなされたが、「めったに出ない作品であることはまちがいない」と称賛された。 ゲーム誌『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、27.30点(満30点)となっている。 {|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; width:50%" |- ! 項目 | キャラクタ || 音楽 || お買得度 || 操作性 || 熱中度 || オリジナリティ ! 総合 |- ! 得点 | 4.64 || 4.71 || 4.43 || 4.47 || 4.76 || 4.29 ! 27.30 |} 『ファミリーコンピュータMagazine』1991年5月10日号特別付録の「ファミコンロムカセット オールカタログ」では、闘技場でのギャンブルが可能である事に触れた上で、モンスター登場シーンの変更や幽霊船の存在などに関して「ドラクエIIIはアイデアの宝庫だ」と称賛した。その他、同付録の巻末に収録されている「ロムカセット部門別BEST5」では、キャラクタ4位、音楽2位、熱中度2位、操作性4位、お買い得度3位、総合評価2位を獲得している。 スーパーファミコン版 ゲーム誌『ファミ通』の「クロスレビュー」では9・8・10・9の合計36点(満40点)でプラチナ殿堂入りを獲得、レビュアーは様々なアイテムやシステムの追加で「これまでの集大成といった趣になっている」と指摘した上で「記憶を呼び出しながらプレーしたが、やはり大安定」と肯定的に評価した他、すごろく場の中毒性の高さを指摘した上で「ファミコン版の『III』を体験済みでも楽しめる」と称賛した。その他にも性格システムの導入など新しい要素に関して称賛した意見や、「冒頭のキャラクターメイキングで、胸をえぐられ、卒倒しそうになった」と評価したレビュアーも存在した。 『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、25.9点(満30点)となっている。 {|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; width:50%" |- ! 項目 | キャラクタ || 音楽 || お買得度 || 操作性 || 熱中度 || オリジナリティ ! 総合 |- ! 得点 | 4.4 || 4.5 || 4.1 || 4.3 || 4.5 || 4.1 ! 25.9 |} ゲームボーイカラー版 『ファミ通』の「クロスレビュー」ではの合計30点(満40点)でシルバー殿堂入りを獲得した。 関連商品 攻略本 ファミリーコンピュータ版 ファミコン神拳奥義大全書 巻の五 ドラゴンクエストIII そして伝説へ…(集英社、ISBN 978-4834210583) ドラゴンクエストIII そして伝説へ… 公式ガイドブック(エニックス、ISBN 978-4900527034) - エニックスの出版事業で最初に手がけられた。 ドラゴンクエストIII ㋪(マルヒ)公式ガイド どらくえ3 謎の魔王をやっつけろ(冬樹社、ISBN 978-4809280016) - エニックスからネタバレとして訴えられたことがある。 スーパーファミコン版 Vジャンプブックスゲームシリーズ スーパーファミコン ドラゴンクエストIII そして伝説へ…(集英社、ISBN 978-4081080458) スーパーファミコン ドラゴンクエストIII そして伝説へ… 公式ガイドブック(エニックス、ISBN 978-4870259393) ゲームボーイカラー版 Vジャンプブックスゲームシリーズ ゲームボーイ ドラゴンクエストIII そして伝説へ…(集英社、ISBN 978-4087790856) ゲームボーイ ドラゴンクエストIII そして伝説へ… 公式ガイドブック 上巻 世界編(エニックス、ISBN 978-4757503878) ゲームボーイ ドラゴンクエストIII そして伝説へ… 公式ガイドブック 下巻 知識編(エニックス、ISBN 978-4757503885) Wii版 ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III公式ガイドブック SE-MOOK(スクウェア・エニックス、ISBN 978-4757533516) ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III超みちくさ冒険ガイド(スクウェア・エニックス、ISBN 978-4757533523) ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエスト 25th アニバーサリー冒険の歴史書 SE-MOOK(スクウェア・エニックス、ISBN 978-4757534070) ドラゴンクエスト25周年記念BOOK Vジャンプブックス(集英社、ISBN 978-4087796056) その他の書籍 ドラゴンクエストIII そして伝説へ… 知られざる伝説(エニックス、ISBN 978-4900527003、1988年11月) ドラゴンクエストIII マスターズクラブ(JICC出版局、ISBN 978-4880634876、1988年11月) ゲームブック ドラゴンクエストIII(エニックス・プロダクツ) - エニックスによるドラゴンクエストシリーズ初のゲームブック。全3巻。 ドラゴンクエスト モンスター物語(エニックス、ISBN 978-4900527089、1989年7月) ドラゴンクエスト アイテム物語(エニックス、ISBN 978-4900527249、1989年12月) 小説 ドラゴンクエストIII-そして伝説へ…-(エニックス刊、作・高屋敷英夫。表紙および挿絵イラストはいのまたむつみ) † CDシアター ドラゴンクエストIII - ドラマCDだが書籍扱い。 音楽作品 †は廃盤。 † 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…(アポロン音楽工業、BY30-5181、1988年3月7日) - NHK交響楽団演奏のオーケストラ版と、FC版のゲーム音源。 † そして伝説へ…(バンダイ・ミュージックエンタテインメント、BY10-8、1988年6月21日) - 本作の大ファンだった鴻上尚史が、当時担当していたオールナイトニッポンで聴取者から募集した歌詞を元にエンディング曲を自ら歌ったCDシングル。キャラクターのコスプレをした鴻上とリスナーの写真がCDジャケットの一部に採用されている。C/W は「冒険の旅」(フィールド上でのBGM)。発売当時、同じくオールナイトニッポンでパーソナリティを務めていたデーモン小暮閣下(月曜日担当)から「これはやはりささきいさおに歌ってほしかった」と評されたほか、石橋貴明(火曜日担当)からは「やめてくれ〜」と曲演奏を途中でストップされた。 † スーパーファミコン版 すぎやまこういち 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…(ソニー・ミュージックエンタテインメント、SRCL-3563、1996年12月12日) - ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団演奏。SFC版で追加された4曲を新たに収録。 † スーパーファミコン版 すぎやまこういち 「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ… オリジナル・ゲーム・ミュージック(ソニー・ミュージックエンタテインメント、SRCL-3564、1997年4月21日) - SFC版のゲーム音源集。 † 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…(SPEビジュアルワークス、SVWC-7063、2000年8月23日) - ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団演奏。SRCL-3563 の再リリース版。 † N響版 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…+オリジナル・ゲームミュージック(SME ビジュアルワークス、SVWC-7071、2001年3月7日) - アポロンからリリースされた NHK交響楽団演奏版の再収録と、GBC版のゲーム音源。 † 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…(アニプレックス、SVWC-7247、2005年4月20日) - 東京都交響楽団演奏。「ローリング・ダイス」が追加された。 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…(キングレコード、KICC-6302、2009年8月5日) - 東京都交響楽団演奏。「ローリング・ダイス」が追加された。 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…(キングレコード、KICC-6316、2009年10月7日) - ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団演奏。SFC版で追加された4曲を新たに収録。 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ…(キングレコード、KICC-6322、2009年10月7日) - NHK 交響楽団演奏。 客演作品 大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL 2018年12月7日発売のNintendo Switch用対戦アクションゲーム。2019年7月31日より追加DLCキャラクターとして『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて S』の主人公・勇者が登場。基本は『XI』仕様だが、コスチュームチェンジをすることで『III』仕様の勇者が使用でき、ボイスも切り替わる。 動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン 2021年3月19日に改定された。機種ごとに著作権表示が異なる。 ファミリーコンピュータ版 スーパーファミコン版 ゲームボーイ版 スマートフォン版 ニンテンドー3DS版、PlayStation版、Nintendo Switch版 脚注 注釈 出典 関連項目 ドラゴンクエストIX - 職業の一部を除いた服装が、容姿を模した装備品として登場する。ただし、僧侶のみ服と帽子にある十字架は若干違うマークに変更されている。 ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章 - 本作終了から『ドラゴンクエスト』までの間の物語とされる漫画作品。『月刊少年ガンガン』にて連載された。原作:川又千秋、脚本:小柳順治、画:藤原カムイ どれだけ食えスト3 夢のSMAP対決スペシャル! - 別名「どれだけ食えスト3 そして伝説へ…」。副題の「伝説」の読み仮名はナレーションで「ゴールデン」となっている。 勇者、或いは化け物と呼ばれた少女 - エンターブレインから刊行された七沢またりの小説作品。著者が過去に執筆した『ドラゴンクエストIII』の二次創作小説をベースに、オリジナル作品として一から手掛けたものとなっている。 外部リンク スクウェア・エニックス ドラゴンクエストIII そして伝説へ… ドラゴンクエスト“ロト伝説”シリーズ 公式プロモーションサイト- Switch・PS4・3DS版 ドラゴンクエストIII for スマートフォン 公式プロモーションサイト 旧公式サイト (インターネットアーカイブ) SFC DragonQuest3 - エニックスによるSFC版の公式サイト。2001年12月2日時点。 GBC版の公式サイト - エニックス。2001年4月13日時点 03 03 1988年のコンピュータゲーム ファミリーコンピュータ用ソフト ファミ通クロスレビュープラチナ殿堂入りソフト ファミ通クロスレビューシルバー殿堂入りソフト ゲームボーイ用ソフト コンピュータRPG スーパーファミコン用ソフト 世界各地を舞台としたゲーム作品 チュンソフト開発のゲームソフト 携帯電話アプリゲーム Nintendo Switch用ソフト PlayStation 4用ソフト ニンテンドー3DS用ソフト 冒険ゲーム ミリオンセラーのゲームソフト
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
ドラゴンクエストシリーズ
ドラゴンクエストシリーズ(Dragon Quest Series)は、1986年5月27日に発売された『ドラゴンクエスト』を第一作とする日本製コンピュータRPGのシリーズ作品。主にゲームデザイナーの堀井雄二を中心として製作され、スクウェア・エニックス(旧・エニックス)が発売している。略称はドラクエ。また、シリーズ内のほぼ全作品のタイトルロゴ等で、英字表記の「DRAGON QUEST」が使われているが、その頭文字を取った「DQ」も略称として用いられる。 「ドラゴンクエスト」というタイトルは、堀井が劇画村塾時代に小池一夫から学んだ「印象的なタイトルを作るには、やさしい言葉と難しい言葉の組み合わせがいい」「タ行を濁音に変える(ダ行にする)と印象が残りやすい」という教えをもとに作られた。 2021年時点で、全シリーズ累計出荷数と配信数は8,300万本を超える。 販売 第一作『ドラゴンクエスト』から『IV』まではファミリーコンピュータ、『V』と『VI』はスーパーファミコンソフトとして発売された。『VII』はPlayStationでの発売となり、以降、PlayStation 2(『VIII』)、ニンテンドーDS(『IX』)、Wii(『X』)、PlayStation 4(『XI』)、ニンテンドー3DS(『XI』)、Nintendo Switch(『XIS』)など製作発表時に最もポピュラーなゲーム機用ソフトとして開発・製作されている。 「ナンバリングタイトル」と呼ばれる本編作品のほか、RPG以外のジャンルでのスピンオフ作品や番外編も数多く作られ、その多くもシリーズ化している。 旧作は、その時代ごとの主流の据え置きハードや、携帯ゲーム機用ソフト、携帯電話ゲーム(携帯アプリ)などで度々リメイクや移植がなされている。2014年6月、「最も長く続いている日本のRPG」でギネスブックに掲載された。 モバイルに関してはNTTドコモを主軸にしており、クラウドゲーム版『X』やコラボレーション携帯などで連携を強めている。ドコモがiPhoneを扱うようになった後はiOS (アップル)、Androidの両プラットフォームでリメイク版やアプリゲームをリリースしている。 日本国外への進出 1989年にNES用ソフトとして北米進出を果たし『IV』まで発売されたものの、『V』『VI』がリリースされず、約10年近くのブランクが開いたのち、2001年にPlayStationで『VII』が発売された。 米国に既に同名のテーブルトークRPG『DragonQuest』 が存在していたため、商標上の問題で『VII』までは『Dragon Warrior』(ドラゴンウォーリア)というタイトルで発売されていた。2003年10月にこの問題は解決され、『VIII』以降の作品(DS版『IV』以降のリメイクを含む)は 『Dragon Quest』のタイトルとなった。 2005年に『VIII』にて、キャラクターボイスに世界中の訛ったアクセントの英語をあてることにより注目され(北米版に『ファイナルファンタジーXII』体験版が同梱) 、翌2006年には本シリーズが発売されたことのなかったヨーロッパ(5ヶ国語に対応)でも『VIII』が発売され、海外だけで累計100万本以上を売り上げた。また、任天堂が海外での販売を担当した第9作『IX』も100万本を突破している。 旧作の日本国外向け作品中では、キャラクター名や十字架など、特定の宗教を連想させる表現などが大幅に変更(ローカライズ)されていたが、近年の作品では日本国外版へのローカライズを前提に、日本国内版開発時から図案のデザインに対する配慮が行なわれている。 2016年には中国でWindows版『勇者斗恶龙X』(拼音:yŏngzhĕdòuèlóng、『DQX』)がリリースされた。中国でドラクエシリーズがリリースされたのは本作が初。中国版限定のアイテムもあり、日本版に逆輸入されている。 シリーズ一覧 機種 FC=ファミリーコンピュータ、SFC=スーパーファミコン、GC=ニンテンドーゲームキューブ、Wii=Wii、WiiU=Wii U、Switch=Nintendo Switch、PS=PlayStation、PS2=PlayStation 2、PS3=PlayStation 3、PS4=PlayStation 4、PS5=PlayStation 5、Xbox One=Xbox One、GB=ゲームボーイ、GBA=ゲームボーイアドバンス、DS=ニンテンドーDS、3DS=ニンテンドー3DS、PSP=PlayStation Portable、Vita=PlayStation Vita、MSX=MSX、MSX2=MSX2、PC=パーソナルコンピュータ、Windows=Microsoft Windows、Steam=Steam、iOS=iOS、Android=Android、AC=アーケードゲーム ナンバリングタイトル(本編作品) 【 ロトシリーズ(ロト三部作)】 ドラゴンクエスト ドラゴンクエスト第一作目。終始1人で冒険を進める。 『ドラゴンクエスト』(FC:1986年5月27日) 『ドラゴンクエスト』(MSX2:1986年11月21日、ソニーから発売) 『ドラゴンクエスト』(MSX:1986年12月18日) 『ドラゴンクエスト』(iアプリ:2004年3月1日、EZアプリ:2004年8月19日、S!アプリ:2006年7月) 『ドラゴンクエストI』(iOS・Android:2013年11月28日) 『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』内から購入可能。 『ドラゴンクエスト』(PS4・3DS:2017年8月10日、Switch:2019年9月27日) ダウンロード版限定タイトル。スマートフォン版の移植。期間限定で『XI』クリア特典としてPS4・3DSストアからダウンロードすることが可能であった(現在終了)。 ドラゴンクエストII 悪霊の神々 前作の主人公の子孫たちの物語。パーティ制(複数人での行動)や乗り物が初登場。塔が登場。 『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(FC:1987年1月26日) 『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(MSX:1988年2月6日) 『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(MSX2:1988年5月27日) 『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(iアプリ:2005年6月24日、EZアプリ:2006年1月19日、S!アプリ:2006年12月) 『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(iOS・Android:2014年6月26日) 『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』内から購入可能。 『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(PS4・3DS:2017年8月10日、Switch:2019年9月27日) ダウンロード版限定タイトル。スマートフォン版の移植。 ドラゴンクエストIII そして伝説へ… ロト伝説の謎が明らかになる。キャラクターメイキングや転職のシステム、昼夜の概念を導入。 『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(FC:1988年2月10日) 『スーパーファミコン ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(SFC:1996年12月6日) 『ゲームボーイ ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(GBC:2000年12月8日) 『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(iアプリ:2009年11月19日、EZアプリ:2010年4月22日) 『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(iOS・Android:2014年9月25日) 『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』内から購入可能。 『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(PS4・3DS:2017年8月24日、Switch:2019年9月27日) ダウンロード版限定タイトル。スマートフォン版の移植。 複数収録 『ドラゴンクエストI・II』(SFC:1993年12月18日) FC版1・2をSFC向けにリメイク。北米FC版に存在したオープニングシーンが追加。他、様々な仕様変更が行われた。 『ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II』(GB:1999年9月23日) SFC版1・2をGB向けにリメイク。どこでもセーブが行える中断の書機能が追加された。 『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』(Wii:2011年9月15日) FC版の1・2・3、SFC版の1&2・3がセットになって移植。 【 天空シリーズ(天空三部作)】 ドラゴンクエストIV 導かれし者たち 全5章のオムニバス形式。馬車による多人数パーティ、AIによる自動戦闘を導入。 『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(FC:1990年2月11日) 『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(PS:2001年11月22日) 『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(DS:2007年11月22日) 『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(iOS・Android:2014年4月17日) ドラゴンクエストV 天空の花嫁 3世代に渡る長期経過シナリオ。一部モンスターを仲間化し、育成することが可能になった。隠しダンジョンや隠しボスが初登場。 『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(SFC:1992年9月27日) 『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(PS2:2004年3月25日) 『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(DS:2008年7月17日) 『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(iOS・Android:2014年12月12日) ドラゴンクエストVI 幻の大地 2つの世界を行き来しながら冒険を進める。『III』とは異なる転職システムが登場。天空シリーズ全般に登場する、天空城の始まりが明らかになる。 『ドラゴンクエストVI 幻の大地』(SFC:1995年12月9日) 『ドラゴンクエストVI 幻の大地』(DS:2010年1月28日) 『ドラゴンクエストVI 幻の大地』(iOS・Android:2015年6月11日) 【 VII、VIII、IX 】 基本的には、それぞれが過去作との繋がりはない単独作品となっているが、一部、旧作との関連が示唆されている作品も存在する。 ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち 欠片化した不思議な石版を集めて、そこに封じられた未知の世界の数々を冒険する。町やダンジョンなどの表現にポリゴンを初採用。 『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』(PS:2000年8月26日) 『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』(3DS:2013年2月7日) 『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』(iOS・Android:2015年9月17日) ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君 キャラクターからフィールド背景に至るまで、全てがポリゴンによる完全3D表現。スキル選択による成長、テンション上昇による強化戦闘、アイテム錬金などを導入。 『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』(PS2:2004年11月27日) 『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』(iOS・Android:2013年12月12日) 『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』(3DS:2015年8月27日) ドラゴンクエストIX 星空の守り人 ナンバリング初の携帯ゲーム機専用作品。『III』のキャラクターメイキングがリニューアルされ再登場。ワイヤレス通信によるマルチプレイが可能で、すれちがい通信を利用した本編以上のやり込み要素も用意されている。 『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』(DS:2009年7月11日) 【 X 】 ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 ドラゴンクエストシリーズ初のMMORPGであり、スクウェア・エニックス内製作品。 ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン 「Ver.1」と呼ばれる基本パッケージ。オーガ、ウェディ、エルフ、ドワーフ、プクリポの治めるアストルティア五大陸を冒険する。 『ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン』(Wii:2012年8月2日、WiiU:2013年3月30日、Windows:2013年9月26日) 『ドラゴンクエストX dゲーム版』(dゲーム:2013年12月16日) 『ドラゴンクエストX オンライン』(3DS:2014年9月4日) 『ドラゴンクエストX オンライン』(ブラウザ:2020年2月25日) ドラゴンクエストX 眠れる勇者と導きの盟友 オンライン 「Ver.2」と呼ばれる拡張ディスク。人間の住む大陸レンダーシアが追加。 『ドラゴンクエストX 眠れる勇者と導きの盟友 オンライン』 (Wii・WiiU・Windows:2013年12月5日) ドラゴンクエストX いにしえの竜の伝承 オンライン 「Ver.3」と呼ばれる拡張ディスク。竜族の大陸ナドラガンドが追加。 『ドラゴンクエストX いにしえの竜の伝承 オンライン』(Wii・WiiU・Windows:2015年4月30日) ドラゴンクエストX 5000年の旅路 遥かなる故郷へ オンライン 「Ver.4」に相当する拡張ディスク。5000年の時空を超えた過去の世界が追加。 『ドラゴンクエストX 5000年の旅路 遥かなる故郷へ オンライン』(WiiU・Windows・PS4・Switch:2017年11月16日) ドラゴンクエストX いばらの巫女と滅びの神 オンライン 「Ver.5」に相当する拡張ディスク。魔族の住む魔界が追加。 『ドラゴンクエストX いばらの巫女と滅びの神 オンライン』(WiiU・Windows・PS4・Switch:2019年10月24日) ドラゴンクエストX 天星の英雄たち オンライン 「Ver.6」に相当する拡張ディスク。天使の住む浮遊都市・天星郷フォーリオンが追加。 『ドラゴンクエストX 天星の英雄たち オンライン』(WiiU・Windows・PS4・Switch:2021年11月11日) ドラゴンクエストX オールインワンパッケージ 複数Ver.が収録されているパッケージ。 『ドラゴンクエストX オールインワンパッケージ』(Wii・WiiU・Windows:2014年8月7日) 「Ver.1」「Ver.2」が収録。 『ドラゴンクエストX オールインワンパッケージ』(WiiU・Windows:2015年12月3日、PS4:2017年8月17日、Switch:2017年9月21日) 「Ver.1」「Ver.2」「Ver.3」が収録。 『ドラゴンクエストX オールインワンパッケージ version1-version4』(WiiU・Windows・PS4・Switch:2018年7月26日) 「Ver.1」「Ver.2」「Ver.3」「Ver.4」が収録。 『ドラゴンクエストX オールインワンパッケージ version1-5』(Windows・PS4・Switch:2020年5月14日) 「Ver.1」「Ver.2」「Ver.3」「Ver.4」「Ver.5」が収録。 『ドラゴンクエストX オールインワンパッケージ version1-6』(Windows・PS4・Switch:2022年10月20日) 「Ver.1」「Ver.2」「Ver.3」「Ver.4」「Ver.5」「Ver.6」が収録。 ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オフライン インターネット接続なしのスタンドアローン型で、キャラクターをデフォルメにするなど内容を調整したバージョン。 『ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オフライン』(PS4・PS5・Switch・Steam:2022年9月15日) オンライン版の「Ver.1」に相当するパッケージ。 『ドラゴンクエストX 眠れる勇者と導きの盟友 オフライン』(PS4・PS5・Switch・Steam:2023年春) オンライン版の「Ver.2」に相当する拡張DLC。 【 XI 】 ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて リアル等身での精緻な3Dポリゴン表現であるPS4版と、ディフォルメされた3Dポリゴン表現とドット絵による2D表現の2モードを切り替え可能な3DS版が同時発売された。「ふっかつのじゅもん」によりおおよその進行を保存し、別機種で遊ぶことも可能。 『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』(PS4・3DS:2017年7月29日) 『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて S』(Switch:2019年9月27日、PS4・Xbox One・Windows・Steam:2020年12月4日) 新ストーリー・キャラクターボイスの追加や音楽のオーケストラ化、3DS版の3D・2D切り替え機能実装などが行われた。 【 XII 】 ドラゴンクエストXII 選ばれし運命の炎 派生作品 『トルネコの大冒険』シリーズ 入るたびに構造の変わる『不思議のダンジョン』を舞台にしたローグライクRPG。1993年に『IV』の登場人物・トルネコを主役にした第一作がヒットしたため、シリーズ化された。2006年には『VIII』の登場人物・ヤンガスを主役にした作品も登場した。 本編 トルネコの大冒険 トルネコの大冒険シリーズとしても『不思議のダンジョン』シリーズとしても第1作目。 『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』(SFC:1993年9月19日、発売元はチュンソフト) トルネコの大冒険2 壺や合成、お店システム等が『風来のシレンシリーズ』から逆輸入された。独自要素として転職システムがある。 『ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険2 不思議のダンジョン』(PS:1999年9月15日) 『ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険2アドバンス 不思議のダンジョン』(GBA:2001年12月20日) GBA移植版。携帯ゲーム機向けにグラフィック・音楽が一新された。相違点はこちら。 トルネコの大冒険3 シリーズ初の3Dグラフィックとなった(PS2版のみ)。レベル継続システムやフィールドマップが導入されシナリオのボリュームが充実している。また、独自システムでトルネコの代わりにポポロを使いモンスターを仲間にすることができるようになった。 『ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険3 不思議のダンジョン』(PS2:2002年10月31日) 『ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険3アドバンス 不思議のダンジョン』(GBA:2004年6月24日) GBA移植版。携帯ゲーム機向けにグラフィック・音楽が一新された。 番外編 少年ヤンガスと不思議のダンジョン 『ドラゴンクエスト 少年ヤンガスと不思議のダンジョン』(PS2:2006年4月20日) 『モンスターズ』シリーズ ドラゴンクエストシリーズに登場するモンスターを捕獲し、育成・配合しながら冒険を行うモンスター育成RPG。ナンバリングタイトルのパロディ的な要素を含んでいるタイトルもある。 GBシリーズ ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド 『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド』(GB:1998年9月25日) 『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド3D』(3DS:2012年5月30日) 『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランドSP』(iOS・Android:2018年11月7日) 『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド RETRO』(Switch・iOS・Android:2019年9月17日) ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵 『ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵 ルカの旅立ち』(GB:2001年3月9日) 『ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵 イルの冒険』(GB:2001年4月12日) 『ドラゴンクエストモンスターズ2 イルとルカの不思議なふしぎな鍵』(3DS:2014年2月6日) 『ドラゴンクエストモンスターズ2 イルとルカの不思議な鍵SP』(iOS・Android:2020年8月6日) 複数収録 『ドラゴンクエストモンスターズ1・2 星降りの勇者と牧場の仲間たち』(PS:2002年5月30日) ジョーカーシリーズ ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー 『ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー』(DS:2006年12月28日) ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー2 『ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー2』(DS:2010年4月28日) 『ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー2 プロフェッショナル』(DS:2011年3月31日) ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー3 『ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー3』(3DS:2016年3月24日) 『ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー3 プロフェショナル』(3DS:2017年2月9日) その他 『ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート』(GBA:2003年3月29日) 『いただきストリート』シリーズ 堀井雄二がゲームデザインを手掛けるボードゲーム『いただきストリート』に、ドラゴンクエストシリーズのキャラクターが客演。 ファイナルファンタジーシリーズとのコラボ 『ドラゴンクエスト&ファイナルファンタジー in いただきストリートSpecial』(PS2:2004年12月22日) 『ドラゴンクエスト&ファイナルファンタジー in いただきストリートポータブル』(PSP:2006年5月25日) 『いただきストリート ドラゴンクエスト&ファイナルファンタジー 30th ANNIVERSARY』(PS4・Vita:2017年10月19日) マリオシリーズとのコラボ 『いただきストリートDS』(DS:2007年6月21日) 『いただきストリートWii』(Wii:2011年12月1日) 『スライムもりもり』シリーズ スライムを操作して仲間を助けていくアクションアドベンチャーゲーム。 『スライムもりもりドラゴンクエスト 衝撃のしっぽ団』(GBA:2003年11月14日) 『スライムもりもりドラゴンクエスト2 大戦車としっぽ団』(DS:2005年12月1日) 『スライムもりもりドラゴンクエスト3 大海賊としっぽ団』(3DS:2011年11月2日) 『バトルロード』シリーズ 『VIII』に登場した「モンスター・バトルロード」を舞台にしたトレーディングカードアーケードゲーム。稼働終了直前、カードの意味がなくならないようにWiiに移植された。DSiウェアで専用のスキャナーを使えばカードを転用できる。『バトルスキャナー』『スキャンバトラーズ』はバトルロードの流れを組む作品。今作はチケットを使用する。 『ドラゴンクエスト モンスターバトルロード』(AC:2007年6月21日) 『ドラゴンクエスト モンスターバトルロードII』(AC:2008年12月3日) 『ドラゴンクエスト モンスターバトルロードIIレジェンド』(AC:2010年1月15日) 『ドラゴンクエスト モンスターバトルロードビクトリー』(Wii:2010年7月15日) 『ドラゴンクエスト モンスターバトルスキャナー』(AC:2016年6月23日) 『戦え! ドラゴンクエスト スキャンバトラーズ』(AC:2017年7月20日 - 2020年9月30日) 『ヒーローズ』シリーズ リアルタイムのアクション操作によって戦っていくアクションRPG。『IV』のアリーナやクリフト、『VI』のテリー、『VIII』のゼシカなど歴代シリーズの仲間キャラクター達が登場し、個々に切り替えながら操作できる。ドラゴンクエスト30周年の記念作品となる『ヒーローズII』ではオンラインでのマルチプレイにも対応。ゲームシリーズ作品群では、CERO審査チェック異例のB指定(12歳以上対象)に区分された。 『ドラゴンクエストヒーローズ 闇竜と世界樹の城』(PS3・PS4・Windows:2015年2月26日) 『ドラゴンクエストヒーローズII 双子の王と予言の終わり』(PS3・PS4・Vita:2016年5月27日) 『ドラゴンクエストヒーローズI・II for Nintendo Switch』(Switch:2017年3月3日) 『ビルダーズ』シリーズ ドラクエのRPG要素に建物や街を作るサンドボックス要素を追加した「ブロックメイクRPG」。主人公はモノづくりの力を持つビルダーである。 ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ 『ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ』(PS3・PS4・Vita:2016年1月28日) 『ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ』(Switch:2018年3月1日) フリービルドモードでベビーパンサーに乗れる、『I』のドットを再現したブロックが手に入るといった追加要素が加わった。 ドラゴンクエストビルダーズ2 破壊神シドーとからっぽの島 『ドラゴンクエストビルダーズ2 破壊神シドーとからっぽの島』(PS4・Switch:2018年12月20日) 『ドラゴンクエストビルダーズ2 破壊神シドーとからっぽの島』(Steam:2019年12月11日) 追加DLCが同梱され、一部のデザインが北米版と同じになった。 『ライバルズ』シリーズ 基本プレイ無料の対戦型デジタルカードゲーム。異なるプラットフォーム間であってもデータ連携が可能。 ドラゴンクエスト ライバルズ 『ドラゴンクエスト ライバルズ』(iOS・Android:2017年11月2日、Switch:2019年2月14日、Yahoo!ゲーム:2018年2月22日 - 2020年6月22日、Steam:2020年6月22日) ドラゴンクエストライバルズ エース リニューアル版。ソロバトルアドベンチャーが追加された。 『ドラゴンクエストライバルズ エース 』(iOS・Android・Switch・Steam:2020年8月13日) 『ダイの大冒険』シリーズ 漫画作品である『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』を題材にしたゲーム作品。 『ドラゴンクエスト ダイの大冒険 クロスブレイド』(AC:2020年10月22日) 『ドラゴンクエスト ダイの大冒険 -魂の絆-』(iOS・Android:2021年9月28日) 『インフィニティ ストラッシュ ドラゴンクエスト ダイの大冒険』(機種未定:発売日未定) その他の派生作品 『剣神』と『ソード』は実際に剣を振る操作を行う体感型ゲーム。『ウォーズ』は戦略シミュレーション。『シアトリズム』は音楽ゲーム。VRは体感型のVRアクティビティで戦士、僧侶、魔法使いでパーティーを組んで冒険する。 『BSドラゴンクエストI』(SFCサテラビュー専用ゲーム:1996年2月4日 - 3月3日) 『剣神ドラゴンクエスト 甦りし伝説の剣』(オリジナル製品:2003年9月19日) 『ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔』(Wii:2007年7月12日) 『ドラゴンクエスト ウォーズ』(DSiウェア:2009年6月24日) 『ドラゴンクエストX おでかけモシャスdeバトル』(DSiウェア:2012年12月12日) 『シアトリズム ドラゴンクエスト』(3DS:2015年3月26日) 『ドラゴンクエストVR』(VRアクティビティ:2018年4月27日) 『ドラゴンクエスト トレジャーズ 蒼き瞳と大空の羅針盤』(Switch:2022年12月9日) 携帯アプリ 製品タイトルと同一の内容のものはそれぞれの項にて記載。 フィーチャーフォン ドラゴンクエストカジノDX 『カジノデラックス』(iアプリ:2001年5月21日) 『ドラゴンクエストカジノDX』(J-スカイ:2001年9月12日) モンスターズ 『ドラゴンクエストモンスターズi/S/EZ』(iアプリ:2002年1月28日、S!アプリ:2002年6月12日、EZアプリ:2003年3月6日) 『ドラゴンクエストモンスターズMOBILE』(iアプリ:2006年5月22日、EZアプリ:2007年4月19日、S!アプリ:2007年10月1日) 『ドラゴンクエストモンスターズWANTED!』(iアプリ:2010年11月24日、EZアプリ:2011年7月28日) 不思議のダンジョン 『ドラゴンクエスト 不思議のダンジョン MOBILE』(iアプリ:2006年8月7日、EZアプリ:2007年4月5日、S!アプリ:2008年5月14日) 『ドラゴンクエスト もっと不思議のダンジョン MOBILE』(iアプリ:2009年9月14日、EZアプリ:2010年4月15日) その他 『グランカジノ』(iモード:2000年5月1日) 『カードのほこら』(iモード:2000年5月1日) 『スライムダービー』(iアプリ:2001年7月16日) 『ドラゴンクエスト・カジノガルド』(EZweb:2002年7月11日) 『ドラゴンクエスト モンスターフレンズ』(iアプリ:2002年8月19日) 『ドラゴンクエスト★バトルレース』(ボーダフォンライブ:2003年10月15日) 『ドラゴンクエスト バトルロードMOBILE』(iアプリ:2008年3月11日) 『ドラゴンクエスト&ファイナルファンタジー in いただきストリート MOBILE』(iアプリ・EZアプリ:2011年2月3日) スマートフォン アイテム課金制(基本プレイ料金無料) 『ドラゴンクエストモンスターズWANTED!』(Android:2011年12月1日、iOS:2014年2月20日) フィーチャーフォン版と同一の内容。2017年4月26日にサービスを終了した。 『LINE スライムコゼニト〜ル』(LINEアプリ:2013年5月28日) 現在サービス終了。 『ドラゴンクエストモンスターズ スーパーライト』(iOS・Android:2014年1月23日) 『ドラゴンクエスト どこでもモンスターパレード』(iOS・Android:2015年6月25日 - 2020年7月31日) 『星のドラゴンクエスト』(iOS・Android:2015年10月15日) 『ドラゴンクエストウォーク』(iOS・Android:2019年9月12日) 『ドラゴンクエストタクト』(iOS・ Android:2020年7月16日) 『ドラクエベビー&キッズ~スライムとあそぼう~』(iOS・Android:2021年11月30日) 『ドラゴンクエストけしケシ!』(iOS・Android:2021年12月1日) その他 『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』(iOS・Android:2013年11月28日) アプリ内でナンバリングタイトル『I』・『II』・『III』がダウンロード可能。 『ドラゴンクエスト いつでも冒険ダイス』(SH-01F DRAGON QUESTにプリインストール:2013年12月7日) ブラウザゲーム 『スライムのおへや』(2012年5月9日 - 2013年7月1日) 『ドラゴンクエスト モンスターパレード』(2013年9月2日 - 2019年6月24日) 電子ゲーム あるくんですシリーズ 万歩計機能を搭載した、たまごっち風電子ゲーム。スライムが成長していく。 『ドラゴンクエスト あるくんです』(オリジナル製品:1998年3月1日) 『ドラゴンクエスト あるくんです2 そして、しあわせに…』(オリジナル製品:1999年4月1日) 『ドラゴンクエスト あるくんです リターンズ』(オリジナル製品:2011年4月1日) 日本国外でのタイトル 『VIII』とDS版『IV』『V』『VI』では北米版と欧州版のタイトルを併記。ナンバリングの無いものが欧州版のタイトル。『VII』より以前の作品は"Dragon Warrior"、それ以降は"Dragon Quest"名義で発売されている。 ナンバリング 『Dragon Warrior 』(NES:1989年7月) 『Dragon Warrior II 』(NES:1990年10月) 『Dragon Warrior III 』(NES:1992年2月) 『Dragon Warrior IV 』(NES:1992年10月) 『Dragon Warrior VII 』(PS:2001年11月1日) 『Dragon Quest VIII: Journey of the Cursed King / Dragon Quest: The Journey of the Cursed King 』(PS2:北米2005年11月15日、欧州2006年4月13日) 『Dragon Quest IX: Sentinels of the Starry Skies』(DS:北米2010年7月11日、欧州2010年7月23日) 『勇者鬥惡龍X Dragon Quest X Online』(Windows:中国2016年8月24日) 『勇者鬥惡龍XI 尋覓逝去的時光』(PS4:台湾・香港2017年11月11日) 『Dragon Quest XI: Echoes of an Elusive Age』(PS4・Steam:北米・欧州2018年9月4日) ナンバリング(リメイク) 『Dragon Warrior I & II 』(GB:2000年9月) 『Dragon Warrior III 』(GBC:2001年7月17日) 『Dragon Quest IV: Chapters of the Chosen / Dragon Quest: The Chapters of the Chosen 』(DS:北米2008年9月16日、欧州2008年9月12日、オーストラリア2008年9月11日) 『Dragon Quest V: Hand of the Heavenly Bride / Dragon Quest: The Hand of the Heavenly Bride』(DS:北米2009年2月17日、欧州2009年2月20日) 『Dragon Quest VI: Realms of Revelation / Dragon Quest: Realms of Reverie』(DS:北米2011年2月14日、欧州2011年5月20日) モンスターズ 『Dragon Warrior Monsters 』(GB:2000年1月) 『Dragon Warrior Monsters 2: Tara's Adventure/Cobi's Journey 』(GB:2001年9月28日) 『Dragon Quest Monsters: Joker 』(DS:2007年11月6日) 『Dragon Quest Monsters: Joker 2 』(DS:北米2011年9月19日、欧州2011年10月7日) その他の作品 『Torneko: The Last Hope 』(PS:2000年11月16日) 『トルネコの大冒険2』の北米版 『Dragon Quest Heroes: Rocket Slime 』(DS:2006年9月12日) 『スライムもりもり2』の北米版 『Dragon Quest Swords: The Masked Queen and the Tower of Mirrors 』(Wii:北米2008年2月19日、オーストラリア・欧州2008年5月8日) 『Dragon Quest Heroes: The World Tree's Woe and the Blight Below』(PS4:北米2015年10月13日、オーストラリア・欧州2015年10月16日) 『Dragon Quest Builders』(PS4・Vita:北米2016年10月11日) 『Dragon Quest Heroes II』(PS4:北米:2017年4月25日) 発売年表 ドラゴンクエストシリーズの各作品の発売、および対応ハードウェアの発売年との関連を下図に示した。なおここでの発売年は日本でのものであり、*印はその後日本国外でも発売されたもの。 凡例 FC=ファミリーコンピュータ/NES、MSX=MSX・MSX2、GB=ゲームボーイ、SFC=スーパーファミコン、PS=PlayStation、GBC=ゲームボーイカラー、PS2=PlayStation 2、GBA=ゲームボーイアドバンス、DS=ニンテンドーDS、PSP=PlayStation Portable、Wii=Wii、3DS=ニンテンドー3DS、Wii U=Wii U、PS3=PlayStation 3、PSVita=PlayStation Vita、XBOne=XBox One、PS4=PlayStation 4、Switch=Nintendo Switch、PS5=PlayStation 5、FP=フィーチャーフォン、SP=スマートフォン・タブレット端末、AC=アーケードゲーム、BR=ブラウザゲーム、Win=Microsoft Windows、体験=体験型ゲーム DQ=ドラゴンクエスト、トルネコ=トルネコの大冒険(A=アドバンス)、ヤンガス=ドラゴンクエスト 少年ヤンガスと不思議のダンジョン、DQM=ドラゴンクエストモンスターズ(C=キャラバンハート、J=ジョーカー、P=プロフェッショナル、W!=WANTED!、テリワン3D=テリーのワンダーランド3D、SL=スーパーライト)、スラもり=スライムもりもりドラゴンクエスト、いたスト=いただきストリート(Sp=Special、P=ポータブル)、DQS=ドラゴンクエストソード、DQMB=ドラゴンクエスト モンスターバトルロード(L=レジェンド、V=ビクトリー)、DQMS=ドラゴンクエスト モンスターバトルスキャナー、モンパレ=ドラゴンクエスト モンスターパレード、mb=MOBILE、ヒーローズ=ドラゴンクエストヒーローズ、スマブラSP=大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL(DLC=ダウンロードコンテンツ・スマブラSP版使用)、DQW=ドラゴンクエストウォーク、DQXOff=ドラゴンクエスト10 オフライン、トレジャーズ=ドラゴンクエスト トレジャーズ 開発 主なスタッフ 開発にあたっては、旧エニックスはプロデュースのみを行い、実際のソフト製作作業は他メーカーに委託していた。旧エニックスは主に財務上の戦略から自社内に開発要員を持たなかったため、こういった委託は本シリーズに限らず、同社から発売されたタイトルでは一般的な形態であった。 ナンバリングタイトルに関しては『I』から『V』までは中村光一が所属するチュンソフト、『VI』『VII』はチュンソフトの退社組による山名学率いるハートビートが担当。スクウェア・エニックス発足後は自社内に開発要員を抱えることになったが、『VIII』『IX』は『ダーククロニクル』に惚れ込んだ堀井の依頼によりレベルファイブが担当する一方でプランナーは自社要員で賄われた。『X』では初めて自社での開発となっている。これはネットワーク対応ということでインフラ構築などの運営の都合上から内製のほうが好ましいと判断されたためである。ただし、『X』以降も一部業務の外部委託は引き続き行われている。なお、派生タイトルなどは引き続き外部委託が基本であるが、『ビルダーズ』のように企画の経緯から内製となる場合もある。 シナリオ・ゲームデザイン : 堀井雄二(アーマープロジェクト) キャラクターデザイン : 鳥山明(バードスタジオ) 音楽 : すぎやまこういち 松前真奈美(『ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔』のみ) 開発 チュンソフト(ファミコン版全作品、スーパーファミコン『V』『I・II』、トルネコシリーズ。後のスパイク・チュンソフト) ハートビート(スーパーファミコン『VI』『III』、PlayStation『VII』『IV』) トーセ(ゲームボーイ版全作品、携帯アプリ版、『モンスターズ』シリーズ、『スライムもりもり』シリーズ、『ライバルズ』) アルテピアッツァ(PlayStation 2『V』、DS版『IV』『V』『VI』、ニンテンドー3DS『VII』/グラフィック担当:スーパーファミコン『III』、PlayStation『VII』『IV』) レベルファイブ(『VIII』『IX』) オルカ(PlayStation 4版『XI』) トイロジック(ニンテンドー3DS版『XI』) ヘキサドライブ(『XII』) マトリックス(PlayStation 2版『トルネコ』シリーズ、PlayStation 2『V』) ジニアス・ソノリティ(『ソード』)※企画のみ担当 エイティング(『ソード』) ロケットスタジオ(モンスターバトルロード シリーズ) スクウェア・エニックス(『X』、『ビルダーズ』、『XI』) コーエーテクモゲームス(『ヒーローズ』シリーズ、『ビルダーズ2』) インディーズゼロ(『シアトリズム』) Cygames(『スーパーライト』) モバイル&ゲームスタジオ(『星ドラ』) マーベラス(『バトルスキャナー』) SCRAP(『竜王迷宮』、『大魔王ゾーマ』) バンダイナムコアミューズメント(『VR』) コロプラ(『ウォーク』) NHN PlayArt(『けしケシ!』) 開発の経緯 エニックスのプロデューサー・千田幸信は、1985年に『ドアドア』でファミコン参入後、パソコンで発売されていた堀井雄二のアドベンチャーゲーム作品『ポートピア連続殺人事件』のファミコンへの移植を決め、堀井と、チュンソフトのプログラマ、中村光一に移植作業を依頼する。堀井と中村は、1983年のエニックスの第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストの授賞式で知り合った仲でもあり、製作中に意気投合し、パソコンで流行していたRPGについて熱く語り合う仲になっていった。この際にファミコンでのRPGの製作が可能となる重要なアイディア「ふっかつのじゅもん」の構想が生まれ、RPG製作の前準備としてファミコンユーザーにコマンド入力に慣れてもらうため、同作のPC版は文章入力方式だったが、一転しコマンド入力式に切り替えた。 この移植作業が堀井と中村にとって楽しいものであったことから、二人はこの組み合わせでの仕事をもっとやりたがり、堀井は千田にファミコンでのRPGの製作を提案する。当時のファミコンはシューティングゲーム・アクションゲームが主流でありRPGは皆無だったため、エニックス社内では反対の声もあったが、最終的に千田がゴーサインを出し、ファミコン初の本格的RPGの開発・製作が始まった。 二人が熱中したパソコンのRPG(『ウルティマ』、『ウィザードリィ』)の強い影響下に、少数のスタッフで開発・製作が行われた。基本構造は『ウルティマ』型のフィールドと『ウィザードリィ』型の戦闘システムだが、当時はビジネス用のソフトにしか使われていなかったマルチウインドウを導入することで独自色を打ち出した。 なお、堀井はジャンプのゲーム紹介記事「ファミコン神拳」の連載と並行しながらをドラクエを製作していた。同記事でRPGの面白さを説明しつつ、最終的に自分がRPGを出したことに関して、後に「今でいうとステマ」とも述解している。なお、ファミコン神拳のスタッフは、同誌の読者コーナー『ジャンプ放送局』の主要スタッフ(なおかつ堀井とは友人)が兼任しており、初作のロゴデザインは『ジャンプ放送局』の榎本一夫が手がけた。また、土居孝幸も漫画やイラストなどを描いている。 堀井は仕事仲間でもあり、集英社の「週刊少年ジャンプ」で『ドラゴンボール』を担当していた編集者鳥嶋和彦に相談を持ちかけた際、鳥嶋の提案によりキャラクターデザインとして鳥山明を起用することが決まった。鳥嶋は鳥山が「『ポートピア連続殺人事件』に興味を持っており、ゲームの仕事をやりたがっている」という嘘をついた。鳥山と堀井との対談によれば「ゲームの仕事をやりたがっている」という発言は騙しであり、自身はゲームに関してはてんで無知だったと鳥山は語っている。この決定により『ドラゴンクエスト』は「週刊少年ジャンプ」と蜜月関係となり、同誌上で開発中の『ドラゴンクエスト』の画像を初披露する体制がとられることになった。この体制は、エニックスが1991年に「月刊少年ガンガン」を創刊した以降も変わっていない。 開発は進み、完成に近づいたものの、内部スタッフが作ったBGMが「ずっと聴いていると飽きてしまう」という事態が発生。そこに急遽、ゲーム好きが昂じてエニックスと繋がりができていた作曲家のすぎやまこういちが参加し、「聴き減りのしない音楽」という方針のもと、1週間で楽曲を製作した。なお、千田は鳥山やすぎやまを引き入れた理由について「(アマチュアの空気で作られている現場に)プロを入れたかった」としている。 こうして堀井、中村、鳥山、すぎやまらの手によって『ドラゴンクエスト』は完成し、1986年5月に発売された。当初は売り上げが芳しくなかったが、口コミによりじわじわと売れ始め、最終的に150万本を売り上げるヒット作品となった。そして『I』の完成直後から『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』の製作にとりかかる。 なおファミコン時代は容量との戦いでもあり、容量削減のため、数多くの企画・演出がカットされた。この容量の問題はシリーズが進むにつれメディアの進化により解決するようになったが、それに伴い開発期間が長期間化するようになった。また、作数を重ねるたびにスタッフが増加し製作環境が変わり、それらに伴いプログラマ間での諍いが絶えなくなってしまったことから、中村はプログラマの仲裁や管理をするディレクター作業がメインになり、スーパーファミコンで発売された『V』を最後に「割に合わなくなった」としてチュンソフトごと開発から手を引いた。 シリーズの特徴 主人公 ドラゴンクエストシリーズは「プレイヤー自身がゲームの主人公になりきり、ゲーム内の世界の出来事を体験する」ことが一貫して主なコンセプトとなっており、プレイヤーが主人公に感情移入することを妨げないようにするため、主人公はわずかな例外(ギャグシーンや戦闘中にシステム上喋る「特技」など)を除いて言葉を発しない。「はい」「いいえ」の選択を強制される場面が数多くあるが、文脈的におかしい場面でもこの選択肢が出ることが多々ある。 『ソード』や海外版および3DS版『VIII』では主人公以外のキャラクターにボイスが採用されるなどのシリーズの会話テキストは作品を追うごとに増える傾向にあり、『ヒーローズ』では初めて主人公にもボイスが実装された。その一方、『ヒーローズ』に歴代主人公は登場するのかという問いに対して、堀井は「プレイヤー自身でもある主人公達が、新たに声を得て登場するのは違和感がある」と述べている。 『X』などのプレイヤーキャラクターの移り変わりがある作品においては対象キャラが非操作状態時では喋ることがあるが、操作状態となった途端に喋らなくなる。 設計思想 第1作製作時、初めてRPGに触れるユーザーに対して、ユーザーが参考材料にするであろう海外のRPGはハードルが高すぎるという判断から、堀井自ら『ファミコン神拳』でRPGというゲームの説明をするなど、間口を広げる方針を取った。これはシリーズ全体の方針ともなり、実際に、第1作から『III』までの通称「ロト三部作」は、ファミコンで初めてRPGに触れるユーザーに対して、RPGの面白さ、奥深さを理解してもらえるように、実際にプレイしながらRPGのリテラシーを習得できるように意識して作られている。 ロトシリーズ以降もこの方針は貫かれ、『IV』製作後には今更方針を変えることもないだろうと判断したこと、万人向けに作っているため、難しすぎる謎は全部ボツにしていることを表明している。『X』でオンライン化が決まった際にも「いかに敷居を低くするか」が最初のテーマになっている。 ゲームシナリオ ドラゴンクエストシリーズ全体の世界観を印象付けている。名越稔洋は自著「ゲーム屋人生―名越武芸帖」でおとぎ話を読んでいるような感覚とも表現している。 『DRAGON BALL』のギャグ「ぱふぱふ」をシリーズ全編に渡って使用しているのも特徴で、ファミコン時代、容量不足で困っていた時代にもこれを削らずに通した。ちなみに、無料の「ぱふぱふ」は相手が親父だったり、女装であったりなどのオチが採用されていたりもする。 プログラミング 『V』までのチュンソフト(中村光一)時代、視覚面での演出はほぼチュンソフトに任されていた。ルーラで飛ぶ演出はプログラマ同士のお喋りから生まれたものである。『IV』ではファミコンでは実現不可能と目されていた表現を多数披露。当時(発売前の)スーパーファミコンの売りの一つであった機能をファミコン上でさりげなく行うなどしている。当時中村光一は「技術は表現のための手段」という方針を貫き、技術を前面に出した勘違い作品を作らないように苦心していると語っている。なお、『VII』ではハートビートの山名学(元チュンソフト所属)がロード時間短縮という独自技術を開発した。 デザイン 漫画家・鳥山明によるキャラクターデザインは、堀井雄二によるラフ絵に基づいて描いた物であるが、堀井のラフ絵と全く異なる場合も少なくなく、特にドラゴンクエストの象徴的モンスターとも言える「スライム」は堀井のラフ絵が一般的なスライムだったのに対し、鳥山はこれを水滴型のものとしてデザインし、これが採用された。 なお、堀井のラフ絵は全てが堀井のアイデアというわけではなく、『II』では宮岡寛が関わっている。また、『V』以降は一部のキャラクターデザイン・モンスターデザインに中鶴勝祥ら他のスタッフが参加している。 鳥山のデザインに関しての内部評価は、「鳥山以外の漫画家を起用していたら、おそらくその漫画家のキャラゲーになっていた」「鳥山のデザインだからこそ、ドラクエの世界観が成り立っている」と評されている。 音楽 ドラゴンクエストシリーズは楽曲の美しさ、多彩さでも知られる。すぎやまこういち作曲による音楽は、ゲーム中で何度も聴かざるをえない音楽ゆえに何度聴いても飽きない「聴き減りのしない音楽」を作るというポリシーに基づいて製作されている。また、ファミコン時代の使えるトラックが少ない時代での制作体制を経ていることから、シンプルであることをモットーにしている。なお、テストプレイをして世界観を把握してから楽曲制作に入るのを常としており、ソードは、当初はすぎやまこういちが楽曲を担当する予定だったが、高齢によりテストプレイが出来ない(同作は剣型のコントローラーを振り回してプレイする)ことを理由に担当を辞退している。 ゲーム音楽ということもあり、企画物以外で楽曲をカバーされることは少ないが、1987年に政治家の愛知和男が「この道わが旅」、2000年に高中正義が「おおぞらをとぶ」をカバーしている。 ゲームシステム キャラメイキングとパーティープレイ ドラゴンクエストシリーズでは、主人公は「プレイヤーの分身」という位置付けとなっており、名前はゲーム開始時にプレイヤー自身が自分で付けることになる。『III』『IV』『IX』『X』では性別も選択できるほか、『IX』『X』では外見も詳細に設定できるようになった。 主人公とその仲間がパーティ(集団)を組んで、モンスターを倒しながら世界を冒険する。パーティの人数は、第1作は1人、『II』は最大3人、『III』『VII』『VIII』『IX』は最大4人である。『IV』『V』『VI』『XI』では最大で10人または8人のパーティを組むことができるが、戦闘に参加できる上限人数は3人または4人である。『X』は基本は4人までだが、クエストによってはパーティ2つが同盟を組んだり、NPCを加えた5人で戦うことがある。最終的には世界の平和を脅かす敵の親玉(作品によって呼称が異なるが、「魔王」と呼ばれることが多い)と決戦する。 移動 移動画面では、主人公たちを動かし、目的地へと移動する。移動の途中にコマンドウィンドウを開くことにより、人と「はなす」、足元や目の前のものを「しらべる」、「どうぐ」(アイテム)や「じゅもん」(呪文)を使用する、「つよさ」でステータスを見る、「さくせん」で作戦や設定を変更する、などといったことができる。スーパーファミコン以降の作品では「べんりボタン」が導入され、「はなす」「しらべる」がボタンひとつで可能となっている。 マップによっては移動中に敵モンスターとの戦闘が発生することがある。『VIII』までの作品では、一部の例外を除き、移動画面で敵の姿が見えず、移動中に突然画面が切り替わり戦闘が始まるランダムエンカウントシステムである。『モンスターズジョーカー』や『IX』、『X』、『XI』とリメイク版『VII』『VIII』ではマップ上を徘徊するモンスターに接触すると戦闘が始まるシンボルエンカウントシステムを採用している。 主人公たちが移動する空間(マップ)は、世界地図の形をした「フィールドマップ」と、城・町・村・ほこら、ダンジョンとに分けられる。 フィールドマップ その作品の世界全体のマップ。町やダンジョンなどが点在する。町から町へ、あるいは町からダンジョンへ移動するときなどには、このフィールドマップを利用することとなる。『III』以降の作品では複数のフィールドマップが存在することが多い。フィールドは敵モンスターがうろついており、モンスターに遭遇すると戦闘が発生する。シナリオを進めると船や魔法のじゅうたんなどの乗り物が手に入り、これらを利用することによって、徒歩では移動できない水上を移動したり、空を飛んだりすることもできる。時間の流れの概念がある作品では、フィールド上を進んでいると時間が昼から夜へ、夜から昼へと移り変わる。草原や森はモンスター遭遇率が低く、毒の沼地や砂地、山はモンスター遭遇率が高い。 城・町・村 数人〜数十人の人々が暮らしており、それらの人々から話を聞くことができる。店などの施設も揃っている。タンスや壷などからアイテム収集をすることもできる。滅ぼされてモンスターに占領されている場合を除き、敵モンスターはイベント以外では出現しない。 ほこら(祠)・一軒家 町などよりも小規模な場所。1人あるいは数人の人間が住んでいる場合もあるが、無人で何らかの施設やアイテムがあるだけの場合もある。離れた場所へ一瞬で移動できる「旅の扉」が置かれている場合もある。一部を除きモンスターは出現しない。 ダンジョン 主に洞窟や塔などの迷宮を指す。たいてい、その周辺のフィールドマップよりも若干強い敵モンスターが出現する。内部にはアイテムや金の入った宝箱が置かれていることが多く、落とし穴などの罠や、パズルのような謎解きの仕掛けが用意されているダンジョンもある。最深部には重要アイテムがあったり、ボスモンスターが待ち構えていたりすることもある。 戦闘 プレイヤーキャラクターと敵キャラクターとの戦闘は、「ターン」とよばれる区切りの中で、自軍・敵軍の各キャラクターが一回ずつ行動していく(中には複数回連続行動するキャラクターもいる)、いわゆるターン制。第1作は1対1、それ以外の作品では敵側・プレイヤー側とも1体から複数のキャラクターが参加する。 プレイヤーキャラクターの行動は基本的に、コマンド選択により命令を与えることによって決定する。プレイヤー側全員の行動が決定した時点で、1ターンが始まり、そして敵かプレイヤー側のどちらかが全滅するまでターンが繰り返される。敵が倒されるか逃げ出して敵全員がいなくなるとプレイヤー側の勝利となり、倒した敵の分の経験値とゴールドが得られる。逃げた敵の分は手に入らない。さらに『II』以降は確率によって敵の所持アイテムを入手できることもある。プレイヤーキャラクターが全員倒されれば全滅となり、所持金が半分となり、前回セーブした場所に戻されるが、ゲームオーバーとはならず、全滅時点での状態のままプレイを続けることができる。一部のイベントで登場するボスキャラクターにおいては、(通常のプレイを行う限り)必ず全滅し、全滅後もそのままストーリーが進行する場合がある。場合によっては、プレイヤー側のキャラクターがまだ生き残っていても全滅扱いになることもある。敵から逃げることに成功した場合も戦闘終了となるが、この場合は何も得られない。 『IV』以降の作品と携帯アプリ版のリメイク『III』では、主人公を除くキャラクターにあらかじめ「作戦」を与えておくことにより、コンピュータがAI(人工知能)によって各自の行動を自動的に決定する。オリジナル版の『IV』『V』『VI』ではパーティ全体に、『VII』以降および『III』『IV』『V』『VI』のリメイク版ではキャラクターごとに設定する。リアルタイムで適切な行動を取ることなどが強みだが、必ずしも望んだような最適な行動をするとは限らない。 本シリーズの戦闘画面は、『VII』以前では、画面内にプレイヤーキャラクターの姿は映らず、現れた敵キャラクターの姿のみが映し出される。ただし、『VIII』以降では3D化に伴いプレイヤーキャラクターの姿も映し出されるようになった。 『X』では戦闘中に自由な移動が可能であり、敵のブレスや範囲攻撃魔法を離れて回避したり、敵キャラクターを押すこともできる。 ステータスと成長システム 敵を倒すことによって得られる経験値(Ex、Experienceの略)が一定値に達することによってキャラクターのレベル(Lv、Levelの略)が1段階上昇し、それと同時にキャラクターのステータス(強さを表す能力値)も上昇する。また、所定のレベルになると呪文や特技を新たに覚える。得られる経験値は基本的に強い敵ほど多く、また、主人公側のレベルの数値が高くなるほどレベルアップに必要な経験値も多くなっていく。 その他、『VI』『VII』では職業熟練度、『VIII』以降(モンスターズも『ジョーカー』以降)ではスキルといった成長システムもある。 ステータス キャラクターのステータスには主に以下のようなものがある。これらのステータスはレベルアップ時だけでなく、種や木の実などのアイテムの使用や特定の武器・防具・装飾品などの装備によって上昇させることもできる。これらのステータスはモンスターにも設定されていて、攻撃側のステータスと攻撃を受ける側のステータスの差により、ダメージポイントなどが決定される。 HP(ヒットポイント) キャラクターの生命力。ダメージを受けると減っていき、HP0になると戦闘不能となり、そのキャラクターの死を意味する。宿屋などに泊まることによって最大値まで回復できるほか、呪文やアイテムによって回復させることもできる。現在のHPの最大値を「さいだいHP」という。 MP(マジックパワー) キャラクターの魔力。呪文を唱えることでMPが減る。呪文ごとに消費するMPの量が決まっており、必要なMPがない場合、その呪文は唱えられない。宿屋などに泊まることによって最大値まで回復できるほか、呪文やアイテムによって回復させることもできる。現在のMPの最大値を「さいだいMP」という。 ちから 武器を何も装備していないときの攻撃力。 すばやさ キャラクターの動きの速さ。『II』以降では戦闘時に敵味方に関係なく、この数値が高い者ほど、各ターン内における攻撃の順番が早くなる。『X』ではこの数値が高いほど次のコマンドまでの間隔が短くなる。下記の「みのまもり」が存在しない初期作品では、この値の半分が防具を何も装備していないときの守備力となる。 みのまもり キャラクターの頑丈さで、防具を何も装備していないときの守備力。『V』以降の各作品とリメイク版『I・II』、DS版『IV』で導入された。 こうげき力(攻撃力) 武器による攻撃の威力の大きさ。この値が高いほど打撃攻撃で敵に与えるダメージが大きくなる。「ちから」に武器の攻撃力を加算した数値。 しゅび力(守備力) この値が高いほど敵の打撃攻撃によるダメージが小さくなる。「すばやさ」の半分または「みのまもり」の値に、装備している防具の守備力の合計を加算した数値。 このほか、「かしこさ」のように作品ごとに役割の異なるステータスや、「たいりょく」、「うんのよさ」、「かっこよさ」といった一部の作品にのみ登場するステータスがある。 ステータス異常 モンスターの攻撃などによって、主人公たちが以下のような異常な状態に陥る場合がある。逆に敵に対して状態異常を起こさせることも可能。 死(「しに」) HPが0になった状態。いわゆる戦闘不能状態で、一切の行動ができなくなる(近年のリメイク作品では『チカラつきる』と表現されているものもある)。パーティーメンバー全員がこの状態になると全滅となる。移動中は死んでいるキャラクターは棺桶の姿(『X』では青系の半透明で浮いている)で表される。『V』では、死と似ているが戦闘終了後にHPが1になって復活する「気絶」という状態もある。 毒(「どく」) 毒に冒された状態。戦闘中は影響は何も無いが、移動中は数歩歩くごとにHPが徐々に減っていく。『X』では戦闘中・移動中に関わらず、一定時間ごとにHPが1ずつ減っていく。 猛毒(「もうどく」) 猛毒に冒された状態。通常の毒よりも移動中に受けるダメージがかなり大きいうえ、戦闘中にも1ターンごとにダメージを受ける。『VII』以降は、戦闘終了後に上記の「毒」に変化する。 麻痺(「マヒ」) 体がしびれて一切の行動ができなくなった状態。作品により、戦闘が終了すると同時に回復するものと、戦闘が終了しても回復しないものがあり、後者の場合は歩いていると自然に回復する。また作品によって戦闘中の自然回復があるものとないものがあり、後者の場合、生きているメンバー全員が麻痺すると全滅扱いとなる。 混乱(「らん」「こんらん」) コマンドどおりの行動をせず、味方に対して攻撃する。『IV』以降は味方を攻撃するばかりでなく、通常時にはとらない奇妙な行動をとることもある(各キャラクター・モンスターごとに症状は異なる)。『X』ではキャラクターを任意に移動させることもできなくなる。「魅了」もほぼ同等の状態異常(敵のみに発生する「みとれている」は一回休みであるため性質が異なる)。 眠り(「ねる」「ねている」「ねむり」) 眠ってしまい行動ができない状態。戦闘中に自然回復することもあるが、作品によっては打撃攻撃を受けると目を覚ますこともある。 呪い(「のろい」) 呪いのかかったアイテムを装備した状態。装備者や味方にとって何らかの不利益がある(アイテムによって症状は異なる)。作品によって、呪いのかかった物を装備すると外せなくなり、何らかの施設で呪いを解いてもらう必要があるものと、呪いのかかった物でも「そうび」コマンドで自由に外せるものがある。呪いのアイテムが外れれば効果は消える。 敵に行動を制限されてしまう状態。戦闘中に行動を制限される症状や、移動中にHPやMPが徐々に減っていく症状がある。『V』『VIII』『X』のみ。『X』では戦闘中に白線から出ようとしても押し戻され、逃げられなくなる。 マヌーサ(「マヌ」「マヌーサ」) 幻に包まれた状態。通常攻撃の命中率が低下する。 マホトーン(「マホ」「マホトン」「マホトーン」) 呪文が封じられた状態。 一回休み(「やすみ」) そのターンのみ行動ができない状態。既に行動を終えた後の場合、次のターンの行動ができない。作品によってこの状態になる理由は様々存在する。『X』やモンスターバトルロードでは「ころび」(物理的行動不能)・「おびえ」(精神的行動不能)等に分化されている。 呪文・特技 呪文を唱えることで様々な魔法の力を行使できる。使用の際にはMPを消費し、使用することによって敵へのダメージ、味方の回復、瞬間移動など様々な効果が現れる。攻撃呪文・攻撃補助呪文・補助呪文・回復呪文・移動中専用の呪文などに分類され、『III』以降の作品では系統別に整理されている。 特技とは、炎や吹雪を吐く、踊りを踊る、特殊な剣技や武術などといった、呪文以外の特殊行動のことを指す。特技には、MPを消費するものと、MPを消費せずに使用できるものとがある(作品によっても異なる)。 アイテム アイテム(道具)は、イベントで入手する、店でゴールドを払って買う、宝箱や壷・箪笥・足元を調べる、戦闘に勝利したときに敵の落とした宝箱から、などの方法で入手することができる。入手するとパーティのキャラクターの持ち物(または「ふくろ」)にそのアイテムが加わる。 不要になったアイテムは、店で売ってゴールドに変えるか、「すてる」コマンドでその場に捨てるといった方法で手放すことができる。ただし、ストーリー進行にかかわる重要アイテムなど、売ろうとしても店で買い取りを拒否され売ることができず、捨てようとしても捨てられないアイテムもある。また、呪いの武器防具を自由に外せない作品では、呪いの武器防具を装備している場合、それを売ったり捨てたりすることはできない。このほか使わないアイテムを預けるための「預かり所」や「ふくろ」が登場する作品もある。 本シリーズに登場するアイテムは、主に次のように分類される。ゲーム内ではいずれも「どうぐ」として総称される。 装備品 キャラクターが装備することによって能力値が上がるもの。装備しないと効果が現れない。装備可能なアイテムはキャラクターごとに定められている。能力の上昇幅はアイテムによって異なり、終盤に手に入るものほど威力の大きいものが多い。装備品の中には「つかう」ことによって特殊な効力を発揮するものもあるほか、ストーリーの進行に必須なものもある。 武器 敵モンスターに対して攻撃するためのアイテム。装備すると攻撃力が上昇する。『V』以降の作品では、ムチやブーメランなど、複数の敵を一度に攻撃できる武器が登場した。『X』では両手用武器の概念(盾と同時装備できない)が登場。 防具 敵からの攻撃によるダメージを少なくするためのアイテム。装備すると守備力が上昇する。胴体に身につける鎧、片手に持って敵の攻撃から身を守る盾、頭部に身につける兜(第1作には登場しない)の3種類に分けられ、1種類ごとそれぞれ1つずつ装備することができる。『IX』以降では「鎧」の名称を上半身に、「兜」を頭にそれぞれ変更、新たに腕、下半身、足を新設した。 装飾品(アクセサリー) 装備することができるアイテムのうち、武器にも防具にも分類されないもの。装備していると特殊な効果が現れたり、ステータスが一定量上昇したりする。『V』まででは1人がいくつでも装備できたが、『VI』以降とリメイク版『III』『IV』では1人につき1つしか装備できない。『X』では顔アクセ、顔コーデ、首アクセ、指アクセ、他アクセ、胸アクセ、腰アクセ、札アクセ、紋章、証の10種類に分かれているため、同時に最大10種類装備可能となっている。 装備することができないもの 以下に挙げるものは、主に「つかう」ことによって効果を発揮するアイテムである。 道具 狭義の「道具」とは「やくそう」「どくけしそう」などの回復アイテムや、「キメラのつばさ」などの移動中に使用するアイテムなどを指す。一度使うとなくなってしまうものが多い。 だいじなもの いわゆるキーアイテム。ストーリーの進行に欠かせないアイテムである。店に売ったり捨てたりすることができないものが多い。『VI』では一部のアイテムは装飾品にもなる。 世界設定 世界観 シリーズは全般を通して中世ヨーロッパファンタジー風のいわゆる「剣と魔法の世界」をベースとした世界観になっている。 世界にはいくつかの王国が存在し、城では国王または女王が国を治めている。城の周辺には城下町が形成されていることもある。また、城から離れた場所にも独立した都市(町)や、のどかな村などが存在する。 通貨は「ゴールド」。記号は「G」。 作品内のキャラクターは、剣・槍・杖などの武器、鎧・盾・兜などの防具や、架空の道具、さらには呪文(魔法)を扱う。 普通の人間や動物だけでなく、架空の生物(モンスター)が主に主人公たちの敵として登場する。 ファンタジー風世界ではあるが、カジノのスロットマシンや、ロボットのような敵キャラクター「キラーマシン」などといった機械的なものが登場することもある。さらに作品によっては車などの更に高度な機械も登場する。しかし、そういった機械は一般的には普及していない。特殊なものとして外伝『モンスターズ ジョーカー』シリーズは、現代的な文明社会にモンスターが存在するという世界である。 各作品間で世界自体が異なっていても、登場するアイテムや呪文体系、主要なモンスターはほぼ共通である。 各作品間の関連 第1作・『II』・『III』は、勇者ロトとその子孫にまつわる物語であることから「ロトシリーズ」「ロト三部作」と呼ばれている。時代の前後関係は『III』が最も古く、第1作がその数百年後、『II』がさらにその百年後となっている。 『IV』・『V』・『VI』は、天空城とその主マスタードラゴンにまつわる物語であることから「天空シリーズ」「天空三部作」と呼ばれている。ロト三部作とは別の世界が舞台。時代の前後関係は『VI』が最も古く、ゲーム内ではほのめかし程度で明言は為されていないものの、天空城の成立を描き、その後に『IV』、『V』はさらに数百年後の物語となっている。 『IX』製作の際、「堀井から『新しいシリーズに入るから序曲のアレンジを変えてくれ』と言われた」と、すぎやまこういちが発言していることから『IX』と『X』は同一シリーズに属しているとも考えられるが、いまだ全貌は明らかになっていない。2017年4月23日、ニコニコ生放送『ドラゴンクエストIX ゲーム実況』に出演した藤澤仁は「『IX』『X』は連作の予定だった。もっと言えばロトシリーズみたいに三部作の予定だったけど、色々あって二作品になっている」、「『IX』『X』の世界観としては繋がっていると言えば繋がっている、繋がっていないと言えば繋がっていない」と発言した。 『XI』は、ロトシリーズ『I』・『II』・『III』の過去となる物語で勇者ロトの由来が語られる。 なお、『VI』では『II』・『III』の存在と同名である精霊ルビスが登場しており、「ロト三部作」と「天空三部作」それぞれの世界が繋がりを持つ可能性も示唆されている。さらにリメイク版『III』には、『VI』に登場した王の名を冠する、天空城と同一構造のゼニス城が登場。『VIII』では、『III』の存在と同一であることをほのめかす神鳥レティスがおり、サブゲームの闘技場には『IV』のキャラクターであるライアン、トルネコも登場している。『IX』では、宿屋にスペシャルゲストとして歴代キャラクターが訪れるほか、歴代ボスが宝の地図のダンジョンに登場する。『X』では、魔法の迷宮に過去作のキャラクターやボスの一部が登場。また、『ドラゴンクエストモンスターズ』などの外伝作品では『VI』のキャラクターであるテリーや『VII』のキーファがロトシリーズの世界を訪れる場面がある。 外伝作品での時系列 「ジョーカーシリーズ」は作品ごとの時系列をある程度に持っていて、『ジョーカー2』は『ジョーカー』から約2年後(もしくは、2年以上)の世界を舞台としている。 モンスター 敵キャラクターは、ほとんどがモンスター(作中では主に「魔物」と呼ばれる)であり、これらは魔王の手先である。作品によっては、主人公たちの仲間となったり、現実世界においての普通の動物のような存在(ペットや友人、手下など)として描かれたりする場合もある。同種のモンスターは主に色違いにより外見の差異を表しているが、第1作の時点で上位種のみ武器を持っていたりする。3Dで表現されるようになってからは異なる部位のものも登場している。攻撃時にモンスターが動く作品と動かない作品がある。 ドラゴンクエストシリーズにおいて、メインシリーズ11作品のうち4作品以上に登場している代表的なモンスターについて解説する。同じ名前でも、作品によって攻撃・弱点特性が異なる場合がある。 スライム 青い水滴形(玉葱型)の軟体生物。主に敵として登場するが、町の中などには話ができるスライムも存在しており、また、外伝『スライムもりもりドラゴンクエスト』シリーズでは主人公として活躍する。続編が発売されるにつれて新種のスライムも続々と登場した。 ドラキー コウモリのモンスターだが、当初は蛾のモンスターという設定だった(後述する漫画『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』ではその設定が活かされて登場している)。 キメラ 合成によって生み出された魔物で、鳥のような頭・胴体とヘビのような尾を持つ。炎を吐いてくる種もいる。同種のモンスターに「メイジキメラ」「スターキメラ」などがおり、作品によっては「キメイラ」なる亜種が登場する場合もある。 ゴーレム 岩石を積み重ねて人の形に組み上げられ、命を吹き込まれたモンスター。同種のモンスターに「ゴールドマン」「ストーンマン」がいる。 ドラゴン シリーズ第1作から登場し、以後シリーズを重ねるごとに様々な種類のドラゴンが登場している。高いHPを持ち、ブレスを吐く強敵。上位種に「ダースドラゴン」と「キースドラゴン」が存在する。 マドハンド 泥でできた手だけの姿をした、根っこのように地面に付いているモンスター。同種、または特定のモンスターを仲間として次々に呼び寄せる。上位種に「ブラッドハンド」(「ブラッディハンド」とも)等が存在する。モンスターズシリーズではギガハンドという上位互換も存在する。 いたずらもぐら 直立歩行でスコップを持ったモグラのようなモンスター。 同種のモンスターに「キラースコップ」「モグラの子分」等が存在する。 くさった死体 死体が魔の力によって動き出したアンデッドモンスター。同種のモンスターに「リビングデッド」「どくどくゾンビ」「グール」。『VI』のみ立ちポーズが異なる。 じんめんじゅ 樹木に精霊が宿り、目や口がついた植物系のモンスター。「ふしぎなおどり」で相手のMPを奪う。また、作品によっては回復系の技を使う。同族のモンスターに「ウドラー」「まかいじゅ」「ちょうろうじゅ」「エビルトレント」などが存在する。 キラーマシン 旅人を狩るために作られた機械のモンスター。連続で2回行動することが多く、剣、弓矢、レーザー等多彩な攻撃手段を持つ。下位種に「メタルハンター」、亜種として「キラーマシン2」「キラーマジンガ」等が存在する。 アークデーモン ピンク色の体に巨大なフォークを持つ悪魔系モンスター。『ドラゴンクエスト2 公式ガイドブック』では牛の化け物という説明が為されている。「イオナズン」を連発する他、打撃攻撃も強力である。一部作品ではミニデーモンが成長した姿として描写されている。同種のモンスターに「ベリアル」「デザートデーモン」(後者はフォークではなくスプーンを持つ)等が存在する。 アルミラージ ツノを生やした紫色のウサギのモンスター。「ラリホー」を唱えたり、作品によっては力をためてテンションを上げて攻撃する。同族のモンスターに「いっかくうさぎ」「ゴールデンコーン」「ブラバニクイーン」が存在する。 ギズモ 雲のような姿のモンスター。同族に炎のエレメントの「ヒートギズモ」、冷気のエレメントの「フロストギズモ」などがいる。 さまようよろい 死んだ戦士の魂が宿った鎧。よくホイミスライムを呼び出す。同種のモンスターである「地獄の鎧」は痛恨の一撃やいかずちなどの手痛い攻撃をするほか、「キラーアーマー」は「ルカナン」「ラリホーマ」といった補助系呪文を使う策士的な戦いを得意とし、HPが少なくなるとベホマスライムを呼ぶことがある。 マーマン 水辺や砂浜に生息する凶悪な半魚人のモンスター。「ルカナン」「ルカニ」でこちらの守備力を下げてから鋭い爪や尾で攻撃してくる。同属に「マーマンダイン」「キングマーマン」が存在する。 エリミネーター 覆面と一体になったマントを身に着け、手斧を持った怪人。同族に「カンダタ」「さつじんき」「エリミネーター」「ごろつき」などが存在する。 ベビーサタン 悪魔の子供で、常に舌を出し大きなフォークを手にする。「つめたい息」を吐くほか、MPが足りないにもかかわらず「イオナズン」の呪文を唱えようとすることもある。同種のモンスターに「ミニデーモン」「つかいま」等が存在する。 おどる宝石 宝石を体中にまとった袋のようなモンスター。倒すと多額のゴールドを得られる。下位種に「わらいぶくろ」がいる。 ミミック 宝箱の形をして冒険者を騙すモンスター。宝箱を開けると突然襲ってくる。シリーズによっては通常エンカウントで出会うこともある。「ひとくいばこ」「パンドラボックス」といった同種のモンスターが存在する他、同様の主旨のモンスターはシリーズを重ねるごとに壷や本棚などにも広がっている。 ばくだん岩 丸い岩に顔の付いたモンスター。攻撃はせずに様子を見ているだけのことが多いが、中途半端にダメージを与えると突然、自爆の呪文「メガンテ」を唱えてパーティを全滅させようとする。同種のモンスターに「メガザル」の呪文を唱えて自分の命と引き換えに仲間を蘇生・回復させる「メガザルロック」、自己犠牲行動は行わない「スマイルロック」がいる。 メディアミックス 『III』の公式ガイドブックを皮切りに、公式ガイドブック、ゲームブック、小説、4コママンガ劇場などの書籍を次々と発行。また、キーホルダーやぬいぐるみ、マグカップ、タオルやハンカチなどの小物・雑貨や日用品、鉛筆やサインペンなどの文房具、カードダスやカードゲームなどの子供向け玩具、更には原寸大の宝箱や1/6スケールの剣といったマニアックなグッズも次々と発売された。 1990年代当初は、エニックスが販売していた物に関してはそれぞれ「○○シリーズ」というラベリングがされており、グッズは「ドラゴンクエストワールドグッズ」と呼ばれていた。1990年から1997年にかけては、グッズなどを紹介する「ドラゴンクエスト パーフェクトコレクション」という書籍も年刊で発行されていた。なお、エニックス以外でもドラクエの成り立ち上、『週刊少年ジャンプ』を刊行する集英社が出版に乗り出しており、攻略本のほか、コミカライズなどを手掛けている。 コミカライズされた一部の作品はアニメ化や映画化される程の人気を博し、その他にもドラクエの世界観を活かしたオリジナルストーリーのミュージカル(1992年、SMAP主演)やバレエ(1995年初演、スターダンサーズ・バレエ団)、ロト3部作をベースにしたオリジナルストーリーのアクロバティックショー(2016年、ドラゴンクエスト ライブスペクタクルツアー製作委員会主催)などが上演された。 書籍 攻略本 奥義大全書、Vジャンプブックス ゲームシリーズ 集英社から発売されている、スターティングガイド寄りの攻略本。初期設定やゲーム中盤までのダンジョンマップなどを掲載している。第1作から『V』(1992年)までは「奥義大全書」(週刊少年ジャンプ特別編集)、スーパーファミコン版『I・II』(1993年)以降は「Vジャンプブックス」として発売。ゲームソフトと同時発売されることが多い。 公式ガイドブック 旧エニックス時代より、スクウェア・エニックス自社から発売されている攻略本。最初に発売された公式ガイドブックはファミコン版『III』のもので、その後に第1作と『II』のものが発売された。チャートを用いた詳細なモンスターデータや、ゲーム上では不明な、各種アイテムの具体的なイラストなどが掲載されていることが特徴。『IV』から『X』まではPS・PS2リメイク版のものも含み、『上巻・世界編』と『下巻・知識編』の分冊販売。『世界編』ではショップリストやダンジョンマップ、Q&Aなど、『知識編』ではキャラクターやアイテム、モンスターの諸データが掲載されている。『XI』では一冊にまとめられているが、PS4版と3DS版の差異が大きいため、それぞれの対象機種ごとに二種類が同時刊行された(集英社刊のものも同様)。いずれも、謎解きの具体的解法やストーリー詳細、ラストダンジョンやクリア後の追加要素などの詳細情報は伏せられている。これは、自力でゲームを進めていく楽しみを奪うと、ゲーム自体の売り上げにも悪影響が出かねないから、だと(スタンスに)している。なお『VIII』の非公式攻略本を巡る裁判の中で、第1作から『VII』および『ドラゴンクエストモンスターズ』など、ドラゴンクエストシリーズ全体の公式ガイドブックの総売上が、2004年末時点で約2256万部に上ることが明らかにされている。 『あるきかた』シリーズ CB's Project編(『VIIIの〜』まで)、旧エニックス / スクウェア・エニックス刊。戦闘やサブゲーム、モンスター分布、アイテム、町の人や登場人物、台詞などゲーム中のさまざまなものを徹底検証・解析した結果のレポートが書かれている。 ドラゴンクエストVIIのあるきかた(2001年3月) ドラゴンクエストIVのあるきかた(2002年3月1日) ※リメイク作・PS版『IV』に対する書籍 ドラゴンクエストVのあるきかた(2004年8月10日) ※リメイク作・PS2版『V』に対する書籍 ドラゴンクエストVIIIのあるきかた(2005年8月5日) ドラゴンクエストXのあるきかた Vol.1(2016年7月7日) ドラゴンクエストXのあるきかた Vol.2(2017年3月4日) 『みちくさ冒険ガイド』シリーズ スクウェア・エニックス刊。 ドラゴンクエストIX みちくさ冒険ガイド(2010年3月4日) ドラゴンクエストVI みちくさ冒険ガイド(2010年8月12日) ※リメイク作・DS版『VI』に対する書籍 ドラゴンクエストI・II・III 超みちくさ冒険ガイド(2011年10月15日) 冒険者おうえんシリーズ ドラゴンクエストX みちくさ冒険ガイド Vol.1(2013年2月14日) 冒険者おうえんシリーズ ドラゴンクエストX みちくさ冒険ガイド Vol.2(2013年10月31日) 冒険者おうえんシリーズ ドラゴンクエストX みちくさ冒険ガイド Vol.3(2014年3月27日) 冒険者おうえんシリーズ ドラゴンクエストX みちくさ冒険ガイド Vol.4(2014年11月13日) 冒険者おうえんシリーズ ドラゴンクエストX みちくさ冒険ガイド Vol.5(2015年3月31日) 冒険者おうえんシリーズ ドラゴンクエストX みちくさ冒険ガイド Vol.6(2015年9月3日) ドラゴンクエストXI 超みちくさ冒険ガイド(2017年10月19日) 小説 旧エニックスおよびスクウェア・エニックス刊。 『小説ドラゴンクエスト』シリーズ 各ゲームソフトのストーリーに基づいた小説作品。第1作から『VII』まで。第1作〜『III』は著:高屋敷英夫、『IV』〜『VI』『精霊ルビス伝説』は著:久美沙織、『VII』は著:土門弘幸。『トルネコの大冒険』も小説化されており、著:とまとあき&塚本裕美子。 ドラゴンクエスト(1989年/四六版/全1巻・1991年/文庫版/全2巻・2000年/新書版/全1巻) ドラゴンクエストII(1989年/四六版/全2巻・1990年/文庫版/全2巻・2000年/新書版/全1巻) ドラゴンクエストIII(1990年/四六版/全2巻・1991年/文庫版/全2巻・2000年/新書版/全1巻) ドラゴンクエストIV(1991年/四六版/全4巻・1992年/文庫版/全4巻・2000年/新書版/全3巻) ドラゴンクエストV(1993年/四六版/全3巻・1994年/文庫版/全3巻・2000年/新書版/全3巻) ドラゴンクエストVI(1996年/四六版/全2巻・1997年/文庫版/全3巻・2000年/新書版/全3巻) ドラゴンクエストVII(2001年/四六版/全3巻・2004年/新書版/全3巻) ドラゴンクエスト 精霊ルビス伝説(1990年/四六版/全3巻・1992年/文庫版/全3巻) 「ロトシリーズ」で重要な位置を占める精霊ルビスの前半生を描いた外伝作品。 知られざる伝説、モンスター物語、アイテム物語 ゲームに登場したキャラクターやモンスター、アイテムに関する、ゲーム本編では語られなかったエピソードが綴られている。 ドラゴンクエストIII 知られざる伝説(1988年11月) ドラゴンクエスト モンスター物語(1989年7月) ドラゴンクエスト アイテム物語(1989年12月) ドラゴンクエストIV モンスター物語(1990年9月) ドラゴンクエストIV 知られざる伝説(1990年11月) ドラゴンクエスト 知られざる伝説 ロト2(1992年3月) ドラゴンクエストV 知られざる伝説(1994年9月) ノベライズ作品 映画のストーリーに基づいたノベライズ作品。『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はダッシュエックス文庫版、みらい文庫版共に原作:堀井雄二、脚本:山崎貴、著:宮本深礼。 ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 映画ノベライズ(2019年8月2日、集英社)ISBN 978-4-08-631322-3 ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 映画ノベライズ みらい文庫版(2019年8月2日、集英社)ISBN 978-4-08-321519-3 ゲームブック 各ゲームソフトのストーリーに基づいたゲームブック。双葉社発売のものと、旧エニックス発売のものがある。 『ファミコン冒険ゲームブック』シリーズ(双葉社) ドラゴンクエスト 蘇る英雄伝説(1986年12月) ドラゴンクエストII 悪霊の神々(1987年7月/上・下巻) 『エニックスオリジナルゲームブック』シリーズ(エニックス) 『ゲームブックドラゴンクエスト』シリーズ 第1作から『IV』までではストーリーが原作と大幅に異なる部分があり、オリジナルのキャラクターやモンスターなども登場した。 ドラゴンクエストIII(1988年 - 1989年/全3巻) ドラゴンクエストII(1989年/全2巻) ドラゴンクエスト(1989年/全2巻) ドラゴンクエストIV(1991年/全4巻) ドラゴンクエストV(1993年/全4巻) ドラゴンクエストVI(1996年/全4巻) トルネコの大冒険 不思議のダンジョン(1994年 - 1995年/全3巻) キャラクターブック ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて CHARACTER BOOK(2019年7月25日発売、集英社) イラスト集 ドラゴンクエストモンスターズ 鳥山明イラストレーションズ(1996年12月1日発売、集英社) ドラゴンクエスト25thアニバーサリー モンスター大図鑑(2012年5月31日発売、スクウェア・エニックス) 鳥山明 ドラゴンクエスト イラストレーションズ(2016年5月27日発売、集英社) 絵本 ドラゴンクエスト あそびえほん めざせ竜王じょう!!(2017年7月29日発売、スクウェア・エニックス) ドラゴンクエスト あそびえほん2 いや~さがしましたよ!(2018年12月20日発売、スクウェア・エニックス) スライムぴぴぴ(2019年9月30日発売、スクウェア・エニックス)ISBN 978-4-75-756266-0 ドラゴンクエストあいうえお(2019年9月30日発売、スクウェア・エニックス)ISBN 978-4-75-756183-0 その他の書籍 バトルえんぴつ大百科(1997年6月、エニックス) ドラゴンクエスト 30thアニバーサリー すぎやまこういちワークス~勇者すぎやんLV85~(2016年7月23日発売、スクウェア・エニックス) ドラゴンクエスト 30thアニバーサリー ドラゴンクエスト名言集 しんでしまうとは なにごとだ!(2016年7月23日発売、スクウェア・エニックス) ドラゴンクエストモンスターズ 20thアニバーサリー モンスターマスターメモリーズ(2018年12月13日発売、スクウェア・エニックス) ドラゴンクエストなぞなぞブック なぞなぞーマからの挑戦状(2019年8月2日発売、スクウェア・エニックス) ドラゴンクエストゆうしゃドリル 小学校低学年向け算数編 推奨学年:2年生(2019年12月20日発売、スクウェア・エニックス) ドラゴンクエストゆうしゃドリル 小学校低学年向け算数編 推奨学年:1年生(2020年7月22日発売、スクウェア・エニックス) ドラゴンクエストゆうしゃドリル 小学校低学年向け漢字編 推奨学年:1年生(2020年7月22日発売、スクウェア・エニックス) 漫画 DRAGON QUEST -ダイの大冒険-(原作:三条陸、作画:稲田浩司、連載誌:週刊少年ジャンプ、1989年第45号 - 1996年第52号) ドラゴンクエストへの道(原作:エニックス出版局、脚色:和智正喜、作画:滝沢ひろゆき・石森プロ、監修:石ノ森章太郎、1990年1月31日) DQI秘伝 竜王バリバリ隊(原作:三条陸、作画:稲田浩司、連載誌:ブイジャンプ、1990年12月12日号、1991年6月26日号) ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章(作画:藤原カムイ、脚本:小柳順治、設定:川又千秋、連載誌:月刊少年ガンガン、1991年4月号 - 1997年No.8) ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章Returns(作画:藤原カムイ、脚本:小柳順治、設定:川又千秋、連載誌:ガンガンYG、2004年壱号 - 参号) ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章 〜紋章を継ぐ者達へ〜(作画:藤原カムイ、脚本:映島巡→梅村崇、連載誌:ヤングガンガン、2004年創刊号 - 2020年2号) ドラゴンクエスト 精霊ルビス伝説(原作:久美沙織、作画:阿部ゆたか、連載誌:月刊Gファンタジー、1993年4月号 - 1995年9月号) スライム冒険記(かねこ統、連載誌:Vジャンプ、1993年7月号 - 2000年2月号) トルネコ一家の冒険記(脚本:小松崎康弘、作画:村上ゆみ子、連載誌:月刊少年ギャグ王、1994年5月号 - 1997年5月号) ドラゴンクエスト 幻の大地(神崎まさおみ、連載誌:月刊少年ガンガン、1997年No.9 - 2001年1月号) ドラゴンクエスト プリンセスアリーナ(脚本:小松崎康弘、作画:八坂麻美子、連載誌:月刊Gファンタジー、1997年8月号 - 2000年1月号) ドラゴンクエスト 天空物語(幸宮チノ、連載誌:月刊少年ギャグ王、1997年9月号 - 1999年4月号→月刊Gファンタジー増刊ステンシル、1999年夏号 - 2000年春号→月刊ステンシル、2001年3月号 - 2003年5・6月合併号→月刊Gファンタジー、2003年6月号 - 2004年7月号) ドラゴンクエスト ヴァーチャルバトラー仁(御茶まちこ、連載誌:月刊少年ギャグ王、1997年4月号 - 1998年6月号) ドラゴンクエストモンスターズ+(吉崎観音、連載誌:月刊少年ガンガン、2000年4月号 - 2003年2月号) ドラゴンクエスト エデンの戦士たち(藤原カムイ、連載誌:月刊少年ガンガン、2001年2月号 - 2006年1月号) DRAGON QUEST IV外伝 -地獄の迷宮-(原作:三条陸、作画:稲田浩司、掲載誌:月刊少年ジャンプ、2001年12月号、2002年1月号) スライム大作戦(かねこ統、連載誌:Vジャンプ、2000年5月号 - 2003年11月号) スライムもりもり(かねこ統、連載誌:Vジャンプ、2003年12月号 - 2015年11月号、最強ジャンプ、2012年1月号 - 2016年1月号) ドラゴンクエスト モンスターバトルロードビクトリー(脚本:かねこ統、作画:オオイシナホ、掲載誌:Vジャンプ、2010年6月号 - 11月号) ドラゴンクエスト 蒼天のソウラ(中島諭宇樹、連載誌:Vジャンプ、2013年2月号 - 2022年12月号) ゆうべはお楽しみでしたね(金田一蓮十郎、連載誌:ヤングガンガン、2014年13号 - 連載中) スライムドーン!!(かねこ統、連載誌:Vジャンプ、2016年2月号 - 2021年10月号) マンガでドラゴンクエスト スキャンバトラーズ(かねこ統、連載:連動アプリ「ぼうけんのしょ」、2017年10月31日 - 2019年3月26日) ドラゴンクエストXI S 盗賊たちの挽歌(真島ヒロ、連載誌:Vジャンプ、2019年10月号) ドラゴンクエスト ダイの大冒険 勇者アバンと獄炎の魔王(原作:三条陸、漫画:芝田優作、連載誌:Vジャンプ、プロローグ/2020年11月号・連載開始/2020年12月号 - 連載中) ドラゴンクエスト ダイの大冒険 クロスブレイド(漫画:天望良一、連載誌:最強ジャンプ、2020年11月号 - 連載中) ドラゴンクエスト トレジャーズ アナザーアドベンチャー ファラドの宝島(原作:はらまさき、漫画:天野洋一、連載誌:Vジャンプ、2023年1月号 - 連載中) 4コマ漫画 ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場(エニックス→スクウェア・エニックス) ドラゴンクエスト 1Pコミック劇場(エニックス) 本シリーズ各作品のゲーム内容を元ネタとした、複数の作家による4コマ漫画アンソロジー。同シリーズからは衛藤ヒロユキ、柴田亜美などが人気作家になっている。一般読者から募集した「4コマクラブ」会員からの投稿作品を集めた番外編も存在し、その中から多数の漫画家を輩出している。『月刊少年ガンガン』で「ガンガン編」も連載、また姉妹版として「1Pコミック劇場」が『月刊少年ギャグ王』で連載され、いずれも単行本化されている。4コママンガ劇場シリーズは1990年から2005年まで発行され続け、総巻数は100冊を超えた。2005年を最後にドラゴンクエストシリーズの4コマは途絶えていたが、2009年に4年ぶりに『IX』の4コマ劇場が発行されたほか、2013年から2014年にかけて『X』の4コマ劇場がヤングガンガンとガンガンONLINEにて連載された。『IV』と『VI』の2タイトル以外は、作品単体での4コマ漫画劇場が発行されている(ただし『I』〜『III』は過去の作品の再録)。 TVアニメ ドラゴンクエスト(フジテレビ系列、NAS制作、第1部/1989年 - 1990年、第2部/1991年) - のちにDVD『ドラゴンクエスト 勇者アベル伝説』として発売。 DRAGON QUEST -ダイの大冒険-(TBS系列、東映動画制作、1991年 - 1992年) - 同名漫画のアニメ版。 ドラゴンクエスト ダイの大冒険(テレビ東京系列、東映アニメーション制作、2020年 - 2022年) OVA スライム冒険記(Vジャンプフェスティバルにて上映された短編アニメ、1995年、1998年、1999年) - 同名漫画のアニメ版。 映画 ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章 (1996年) - 同名漫画の劇場アニメ版。 ドラゴンクエスト ユア・ストーリー(2019年8月2日公開) - フル3DCGアニメーション映画。 テレビドラマ ゆうべはお楽しみでしたね(毎日放送、2019年1月 - 2月) - 同名漫画のテレビドラマ版。 世にも奇妙な物語'21秋の特別編「ふっかつのじゅもん」(フジテレビ系列、2021年11月) 舞台 ミュージカル「ドラゴンクエスト」(1992年、京都・南座、主演:SMAP) バレエ「ドラゴン・クエスト」(1995年 - 2007年、神奈川県民ホール ほか、スターダンサーズ・バレエ団公演) ドラゴンクエストライブスペクタクルツアー(2016年、さいたまスーパーアリーナ ほか、出演:中川翔子、風間俊介 ほか) イベント 竜王迷宮からの脱出(体感型謎解きイベント、2016年5月13日 - 15日・幕張メッセ、主催:竜王迷宮からの脱出製作委員会、企画制作:SCRAP、企画・監修:ドラゴンクエスト30周年実行委員会、企画協力:スクウェア・エニックス 集英社) 大魔王ゾーマからの脱出(体感型謎解きイベント、2018年8月11日 - 19日・幕張メッセ、主催:大魔王ゾーマからの脱出製作委員会、企画制作:SCRAP、企画・監修:スクウェア・エニックス) ビデオ ドラゴンクエスト ファンタジア・ビデオ (1988年) ドラゴンクエストの世界観を実写で表現。 関連CD ※かつて下記の一部は、カセットテープ・LP盤・MDでもリリースされていた。 サウンドトラック 交響組曲「ドラゴンクエスト」、サウンドトラック ゲーム内で使われている音楽を収録したアルバム。交響組曲では、各ゲーム作品で流れるBGMを、すぎやまこういちによる指揮のもと、NHK交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、東京都交響楽団などのオーケストラによって演奏された曲が収録されている。リメイク作品などの音楽は、交響組曲版の編曲・進行を準拠にして作られている場合が多い。ゲーム音源については、スーパーファミコン版『V』以前は、実際のゲームプレイ中のサウンドがゲームスタートからエンディングまで繋がり効果音も入った「オリジナルサウンドストーリー」として収録されていたが、スーパーファミコン版『I・II』以降のCDでは、曲単位での収録となった。また、『VIII』とSFC版『III』以外は、オーケストラ盤とゲーム音源盤がセットになったパッケージで発売されている。 初期のものは多くは廃盤になっているが、多くが何らかの形で再発されている(オーケストラ盤は再録や再発)。ゲーム音源は『VII』以前のものをまとめた3枚組のゲーム音源集が3セット発売されている。 PlayStation 2版の『V』では、交響組曲のNHK交響楽団版がゲーム音源として使用されており、以降の作品でも、直に交響組曲がゲーム音源として使用されることが増えている。 交響組曲の他にも、ドラゴンクエストシリーズのゲーム音楽CDは、吹奏楽版(イン・ブラス)、ピアノ版(オン・ピアノ)、弦楽四重奏、金管五重奏、雅楽(ジパングワールド)など、さまざまな形態で演奏・リリースされている。 ソングCD ドラゴンクエストの音楽に歌詞を付けて歌った物。 そして伝説へ…(歌手:鴻上尚史、バンダイ・ミュージックエンタテインメント、1988年6月21日) 結婚ワルツ(歌手:ルーラ、ポリスター、1993年1月25日) ドラゴンクエストのうた ベスト・ソング・セレクション(歌手:ルーラ、ポリスター、1993年5月26日) コンプリート・シングルス Love Song 探して(歌手:牧野アンナ、SOLID、2015年9月16日) ドラマCD 『CDシアター ドラゴンクエスト』シリーズ 各ゲームソフトのストーリーに基づいて音声ドラマ化したもの。第1作から『VI』と『トルネコの大冒険』が発売されている。 CDシアター ドラゴンクエスト(1991年7月19日) CDシアター ドラゴンクエストII(1991年12月13日) CDシアター ドラゴンクエストIII(1993年2月28日) CDシアター ドラゴンクエストIV(VOLUME1/1993年12月10日・VOLUME2/1994年1月28日・VOLUME3/1994年3月13日) CDシアター トルネコの大冒険 不思議のダンジョン(1994年7月29日) CDシアター ドラゴンクエストV(VOLUME1/1994年9月30日・VOLUME2/1994年10月28日・VOLUME3/1994年12月16日) CDシアター ドラゴンクエストVI(上巻/1996年9月27日・下巻/1996年10月25日) カードゲーム ドラゴンクエストカードゲーム パルプンテ(1989年) ドラゴンクエストカードゲーム 格闘技場(1989年) ドラゴンクエストカードゲーム メガンテ(1989年) ドラゴンクエストカードゲーム 祠の勇者(1989年) ドラゴンクエストカードゲーム ギガデイン(1989年) ドラゴンクエストカードゲーム 銀のタロット(1990年) ドラゴンクエストカードゲーム キングレオ(1990年) UNOに類似したカードゲーム。 ドラゴンクエスト カードゲーム 大格闘技場(1991年) ドラゴンクエストカードゲーム バルザック(1991年) ドラゴンクエストカードゲーム オールスターズ(1992年) ドラゴンクエストカードゲーム ドラゴンオーブ(1992年) ドラゴンクエストカードゲーム シールド アンド ウエポン(1993年) トルネコの大冒険 カードゲーム(1994年) ドラゴンクエストI ・II カードゲーム(1994年) トルネコの大冒険2 カードゲーム(1999年) ドラゴンクエスト トレーディングカードゲーム(2014年3月28日 - ) ボードゲーム ドラゴンクエストボードゲーム モンスタースクランブル(1989年) ドラゴンクエストボードゲーム 不思議迷宮(1989年) ドラゴンクエスト ダンジョン ドラゴンクエスト ダンジョン(1990年) ドラゴンクエスト ダンジョンR(2006年11月18日) ドラゴンクエスト ダンジョンII キングスライムの洞窟(1990年) 冒険活劇ボードゲーム ドラゴンクエスト デスパレス(1990年8月) ドラゴンクエスト アレフガルド 立体ジオラマ対戦ゲーム(1991年) ドラゴンクエストボードゲーム スライムレース ドラゴンクエストボードゲーム スライムレース(1992年) ドラゴンクエストボードゲーム スライムレース Re(2012年9月29日) ドラゴンクエスト モンスターダイス ボードゲーム(1993年) ドラゴンクエストI・II ボードゲーム(1993年) ドラゴンクエスト かさねてスライムタワーゲーム スライムタワーをつくるのだっ!(2014年3月7日) 玩具など ドラゴンクエスト ボトルキャップ ドラゴンクエスト7ボトルキャップ(2000年) ドラゴンクエストボトルキャップselection I (2003年3月) ドラゴンクエストボトルキャップselection II(2003年7月) ドラゴンクエストボトルキャップアレフガルドの魔族編(2003年11月) ドラゴンクエストボトルキャップ天空編(2004年4月) ドラゴンクエストボトルキャップ伝説の魔物編(2009年9月) ドラゴンクエスト バトエン 第1期 ドラゴンクエスト バトルえんぴつ1 - 37(1993年2月 - 1997年6月) ドラゴンクエスト キングバトルえんぴつ1 - 6(1995年) 第2期 ドラゴンクエストモンスターズ バトエン1 - 16(1998年11月 - 1999年7月) ドラゴンクエスト バトエンEX(第1期復刻)1 - 4(2000年3月) 第3期 ドラゴンクエスト バトエンG1 - 100(2000年10月 - 2007年5月) ドラゴンクエスト キングバトエンG1 - 2(2004年) 第4期 ドラゴンクエスト バトエンG HD1 - 58(2007年6月 - 2010年5月) 第5期 ドラゴンクエスト バトエンGP1 - 35(2010年9月 - 2012年11月) ドラゴンクエスト バトエン20th記念セット(第1期復刻)I - III(2013年8月14日) 第6期 ドラゴンクエスト バトエンGX001 - 005(2013年9月 - 2014年1月) その他 2017年7月15日、堀井雄二の出身地である兵庫県洲本市に、スライムとロトの剣、ロトの盾をかたどった銅像が建立された。 2018年には、『ドラゴンクエスト』の発売日であった5月27日が「ドラゴンクエストの日」として日本記念日協会に認定された。 ローソン外神田三丁目店と大阪・日本橋なんさん通り店は、当作品とのコラボ店舗でスライムなどで装飾されている。 2021年5月15日、兵庫県立淡路島公園内「ニンゲンノモリ」(兵庫県淡路市)にて「ドラゴンクエスト アイランド」がオープンした。 他作品への客演など ゲーム リンクの冒険(1987年)- 作中「ロトの墓」が登場する。 カイの冒険(1988年)- 作中「ホイミスライム」を模した敵キャラクターが存在する。スタッフクレジットにスペシャルサンクスとして「ドラゴンクエスト ホイミスライム」と記載されている。 いただきストリート2 〜ネオンサインはバラ色に〜(1994年)- ドラゴンクエストシリーズをモチーフとしたマップ「スラリン」「アレフガルド」がある。 レディストーカー 〜過去からの挑戦〜(1995年)- メガドライブ用RPG。作者の内藤寛は元チュンソフト所属(『III』『IV』のプログラマ)。『IV』の第二章のスピンオフとして製作したが、諸事情により発売できなくなったため、キャラクター名やアイテム名などを変更して別作品として発売したと言われている。 MARIO SPORTS MIX(2010年)- Wiiのスポーツゲーム。マリオシリーズのキャラクターが4種類の球技に挑戦する『MARIO SPORTS MIX』に、ドラゴンクエストシリーズからスライム(およびスライムベス、メタルスライム)がゲストとして登場、マリオシリーズ、および同じくゲストとして登場しているファイナルファンタジーシリーズのキャラクターたちと共演する。 大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL (2019年) - 2019年7月31日配信の追加DLC第2弾として『XI』の主人公が「勇者」名義で参戦。また、カラーチェンジで『III』、『IV』、『VIII』の主人公も使用可能のほか、最後の切りふだでシリーズ歴代の主人公たちが登場する。 テレビ番組 テレビ東京系 勇者ヨシヒコと魔王の城(2011年)・勇者ヨシヒコと悪霊の鍵(2012年)・勇者ヨシヒコと導かれし七人(2016年) - 山田孝之主演・福田雄一脚本・監督のドラマ。主人公の外見は『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』と全く同じで、魔王を倒す旅に出るあらすじも同じ。モンスター名は明示していないがゲームに登場したモンスター、呪文の名前や効力などをパロディにしている。ゲームの効果音がそのまま使われている場面もあり、スクウェア・エニックスは協力としてクレジットされている。 ノーコン・キッド 〜ぼくらのゲーム史〜 (2013年) - ゲーム史を取り入れたテレビドラマ。第4話で『II』をめぐる騒動がストーリーのメインになっている。堀井雄二もカメオ出演している。 テレビ朝日系 雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク! - 2014年12月4日放送回で初のTVゲームのテーマ「ドラゴンクエスト芸人」を行った。扱ったゲームは『I』から『X』まで。番組最後に堀井が来ていたことが判明している。 フジテレビ系 やるやらクエスト - 『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』で行なわれたパロディコント。出演者の服装もドラゴンクエストシリーズをベースとしているほか、ゲーム音楽も一部使用された。ちなみに「YARUYARA QUEST」のタイトルロゴは、「DRAGON QUEST」をベースにしたものとなっている。 世にも奇妙な物語'21秋の特別編「ふっかつのじゅもん」(2021年) - 桐谷健太主演の短編ドラマ。『Ⅱ』と『Ⅲ』がストーリー内に登場しており、スクウェア・エニックスが制作に協力している。 コラボレーション ファミコン版 Google マップ(2012年4月1日)- スクウェア・エニックス及び任天堂協力のエイプリルフール企画。「竜王が世界征服を完了した」という設定で、ファミコン版ドラクエのワールドマップを模した「ファミコン版 Google マップ」(Google Maps 8-bit)が登場、Google マップをファミリーコンピュータ(NES)用に移植したモデム機能付ファミコン用カセットのネタ動画もGoogleにより作成された。同年4月3日以降はGoogle マップの表面上からは削除されたが、Google Maps APIには残されている。 トヨタ・アクア - 2016年にドラクエとコラボした。 脚注 注釈 出典 参考文献 HIPPON SUPER編集部・編『ドラゴンクエストIV MASTER'S CLUB』(JICC、1990年) ファミコン神拳奥義大全書 復刻の巻(ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III付録、2011年) ドラゴンクエスト 25周年記念 BOOK(Vジャンプブックス、2011年) 関連項目 ドラゴンクエストシリーズの楽曲一覧 外部リンク スクウェア・エニックス ゲーム ドラゴンクエスト ドラゴンクエストfor スマートフォン ポータルサイト コンピュータゲームのシリーズ メディアミックス作品 日本のギネス世界記録
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ゲームソフト
ゲームソフトは、コンピュータゲームのためのソフトウェア(コンピュータ・プログラム)である。 ゲーム機(ゲーム専用機)用も、汎用のパーソナルコンピュータ用もある。さらに言うとメインフレーム上などで動くゲームソフトもある。最近ではスマホやタブレット用のものもあり、それらはゲーム・アプリと呼ばれる。 多くはシステムソフトウェア(オペレーティングシステム)の管理下で動作するアプリケーションソフトウェアとして動作するが、それ以外の実装方法もある。 歴史 1950年代や1960年代、つまりコンピュータと言っても実質的にはメインフレームやミニコンピュータくらいしかなく、まだパーソナルコンピュータがこの世に登場していなかった時代に、すでにゲームソフトはつくられ、遊ばれていた。たとえば1952年にケンブリッジ大学の大学院生だったがEDSAC用に『OXO』という三目並べのゲームソフトを作成した。1961年にはMITの学生のマーティン・グレーツ(Martin Graetz)とアラン・コトックがメインフレームのPDP-1で動く『スペースウォー!』というシューティング・ゲームのソフトを開発した。1975〜1976年ころにはアメリカのプログラマでケイビング愛好家のが『アドベンチャー』という、テキストベースのつまり文章で行う、冒険ゲームを開発し、1977年にはドン・ウッズがそれを拡張した。 黎明期のパーソナルコンピュータ用のゲームソフト 1975年に「史上初の市販のパーソナルコンピュータ」とされるAltair 8800が登場し、1970年代後半に次々とパーソナルコンピュータの新しい機種が登場してくるとゲームソフトの数も急激に増えてゆくことになった。一例を挙げると1976年にはウォズニアックとスティーブ・ジョブズがApple Iを、翌1977年にはApple IIを発売し、そのApple II用に次々とゲームソフトが制作されてゆくことになり、最初はAppleIIの開発者のウォズニアックが書いたBreak Outつまりブロックくずしなど数本だけであったが、その後はさまざまな組織が制作・発売することになり、1978年には17本前後、1979年には21本前後、1980年には25本前後といった調子で制作されていった(→:en:List of Apple II gamesを参照)。また1977年にはコモドール社がCommodore PETというパーソナルコンピュータを発売し、そのPET用にも多くのゲームソフトが制作されていった(→:en:List of Commodore PET gamesを参照)。AppleIIやPET用のゲームソフトの供給の形としては、カセットテープ(オーディオ用のカセットテープをデータ記録用に用いたもの)、フロッピーディスク、雑誌の誌面の文字などであった。 また1976年に日本でNECから発売されたTK-80という8080互換CPUのトレーニング用ボードでも、表示装置は8桁の7セグメントLEDしかなかったにもかかわらず、当時のコンピュータ・マニア(マイコン愛好家)たちはそんな表示装置だけでも遊べるゲームソフトをさっそく16進数の機械語で書き始めた。さらに1977年11月にTK-80BSという拡張キットが発売されテレビ画面に表示ができるようになると、マニアたちは文字キャラクタ(文字フォント)を画面に表示することで簡素な図を表現して遊べるゲームを次々と制作、まもなくドットつまり画面上の黒くて小さな点単位で表示を制御してゲームを制作することも行い始め、1978年に世の中でスペースインベーダーが流行り始めるとマニアたちはまもなくそれの動作原理も解析し、機械語+BASICなどでプログラムを書きTK-80BSに移植した。1978年にはシャープからMZ-80Kが発売され、同機用のゲームをマニアたちや企業などが制作し、誌面の印刷文字などで供給され1文字ずつ入力したり、カセットテープの形で供給でされたりした。ゲームソフトウェアを文字入力する場合、それがどのようにユーザに届けられていたかというと、1976年には『I/O』というマイコン雑誌が創刊され、そこにコンピュータゲームのプログラムがBASICや16進数の機械語で書かれた状態で紙面に印刷され、マニアたちがそれを、1文字1文字、手で入力して遊ぶなどということがさかんに行われるようになっていた。1982年5月には日本ソフトバンク社(現・ソフトバンクグループ)からゲームソフトのソースプログラムも掲載した雑誌『Oh!MZ』が創刊(6月号)となった。 黎明期のゲーム機用のゲームソフト 一方で1977年にAtari社から「Video Computer System」の名でゲーム機が発売され、ロムカートリッジの形(ROM、Read only memoryが入ったカートリッジ)でゲームソフトが販売された。1977年に『Indy 500』など9本、1978年に18本といった調子で数が増えていった(→:en:List of Atari 2600 games)。 1983年には任天堂から(初期のゲーム専用機としては第三世代とも位置づけられる)ファミリーコンピュータが発売され(世界的にはNESの名で販売が展開され)、そのゲームソフトはやはりロムカセットの形(Atari社のロムカートリッジと呼び方は異なっているが、基本的には同じ原理のもの)で販売された。本体発売時に発表されたのは『ドンキーコング』『ドンキーコングJR.』『ポパイ』の3本だけだったが、その後、年々、爆発的に数が増えていった(→ファミリーコンピュータのゲームタイトル一覧および:en:List of Nintendo Entertainment System games、日本語版と英語版では、それなりにリスト内容が異なっている)。 ゲーム機用 本来ソフトウェアは物理的な形を持たないが、ゲームコンソール用のゲームソフトに関しては、最初にロムカセットの時代があり、それにより「物」として販売するという慣習もできた。その結果として中古流通も盛んになった。現在でもフリマアプリやネットオークションなどで盛んに取引されている。 近年ではインターネット上のPlayStation Network(PSN)などでゲームソフトを選んでダウンロードして遊ぶということも盛んである。この形態の場合、中古で流通することはないので、開発会社や販売会社としては、いわゆる「とりはぐれ」のない形で収益を見込めるというメリットがある。なおPSNなどでもゲームソフトが無料で公開されている場合もある。新作が発表された時などには、旧バージョンをあえて一定期間無料で公開し、新作の需要喚起を行う、という販売手法もとられる。 パッケージ版 「ゲームソフト」と呼ばれていたにせよ、カートリッジ版のそれは、実は、純粋なソフトウェアではなく、かなりハードウェア的な要素も含んでいた。たとえばROMカートリッジ形態の場合、カードエッジコネクタでデータバス以外も接続し、ただのメモリ用のROMチップだけでなく、サウンド処理用LSI、ASIC、補助プロセッサなども内蔵されていた。ゲーム機本体をハードウェア的に補う役割も果たしていた。さらに、ファミコンやスーパーファミコンではプラットフォームの世代交代の直前の時期などには、ゲーム機本体よりも高性能なプロセッサが積まれることもあった。ものによっては、カートリッジ内に主処理を行うプロセッサ(メインプロセッサ)を搭載する製品もあった。 最初はコンピュータ用の一般的チップが使われることも多かったが、その後、簡単にソフトウェアをコピーされてしまうことを防止するために、さまざまな工夫をしてプロテクトをかけるということも多くなった。 初代ファミリーコンピュータ時代の「ゲームソフト」は、とても質素な紙箱、ゲームカートリッジと同じサイズか、せいぜい2倍程度のサイズの紙箱に入っていた。説明書も小さな紙切れのようなものだった。 その後、初代PlayStationなどからCD-ROMに記録された形で販売されるようになり、CD-ROMケースに入れた状態で(音楽CDの歌詞冊子と同じサイズの)取扱説明書が付属して販売されるようになった。その後次第に、光ディスクの大容量化が行われ、いくつか段階を踏んで、Blu-ray Discでの販売へと変化してきたわけである。 ゲーム特有の現象では無いが、本やCD,レコードなどと同様に熱中するゲームプレーヤーの本棚やクローゼットには、ゲームソフトのパッケージがずらずらと並ぶことになった。 ダウンロード版 最近では、ゲーム専用コンソールでも、インターネット経由のデジタル配信による販売が盛んである(ダウンロード販売またはオンラインソフトウェアとも)。 メリット ユーザー側としては、デジタル配信なら、わざわざ時間をかけて実店舗に出向いて購入する手間も不要であるし、ネット通販のように商品が自宅に届くまで1〜3日など待つ必要もない。PSNなどのサイトに接続し、ソフトウェアのリストを見て、気に入ったらすぐにダウンロードを開始することができるというメリットがある。次第にソフトの購入数が増えても、それらは全部ハードディスクの中におさまり、「物体」のパッケージは増えないので、部屋のスペースを余分にとらない、部屋がちらからない、というメリットもある。 ゲーム開発会社やプラットフォーマー(つまりゲームプラットフォームを開発・販売しているSIEやNintendoなど)の側としても、サーバーにゲームソフトのデータを置いておけば、ユーザーたちがアクセスして、クレジットカードの番号なども入力して有料でダウンロードされるたびに確実に売上を計上できるので、とても便利な仕組みである。また、ダウンロード版販売の場合、メーカー側はDISCやそのパッケージなどの「物体」を大量に製造せずに済む。メーカーにとっては「物体」を大量に製造するというのは、悩みのタネである。というのは、製造するためには製造数を指定しなければならず(たとえば他社の工場で製造する場合は発注数量を明記した「注文書」の類を作成し(明示的であれ非明示的であれ)取引契約を結んだ形にしなければならないし、たとえば自社工場で製造する場合でも数量を明記した「製造指示書」の類を自社工場の管理部門に対して渡さなければならない)、つまり数量をあらかじめ指定しないと「物体」のゲームソフトの製造は始まらないのである。つまり、あらかじめ「売れるだろう数」を予想しないと「物体」状の製品は製造を開始することすらできないのである。だが販売担当者も普通の人間でありいわゆる"全知全能の神"ではないので、ゲームソフトがどれくらい売れるかなどということは事前に分かるわけがない。もし担当者が「よく売れるはず」と見込んで、一度に大量に発注して作ってしまうと、それが売れなかった場合、大量のデッドストック(不良在庫)になってしまう。大量のデッドストックというのは、今まで無数のメーカーを倒産に追い込んだような、とても恐ろしい現象である。製造にかかったコストがまるまる損失として企業の会計(経理、キャッシュフロー)に襲いかかる。かといってデッドストックを恐れるあまり、あまりに小さなロット(製造数)で製造すると、今度は予想以上に売れた場合に、需要に応えられず供給不足となり、売上が伸びない。このように需要量に対して製造量が少なすぎる状況は、マーケティングの分野ではしばしば「販売チャンスの喪失」などと厳しい言い方で表現する。つまり販売責任者は、販売予想数を大きく見積もってしまっても「地獄」を見るし、小さく見積もってしまってもやはりなにかと社内・社外から責められて苦しむことになる。その点、ダウンロード方式ならば、(誰もできるはずのない)販売数予想をする必要もないし、先行費用を投入してしまって「物体」を製造する必要がないので、プラットフォーマーもゲーム開発会社も、「物体」の製造コストを気にしなくて済む分、より安心できる。またパッケージ版販売方式の場合、発売からしばらくしてプレーヤーたちがゲームをコンプリートする(最後までやりきる)ころを過ぎると中古ソフトが大量に出回るようになってしまい、新品の売上に強いブレーキがかかりがちだが、ダウンロード版販売方式ならそれも防げるというメリットもある。 デメリット ほとんどのユーザのインターネットの接続速度は(たとえブロードバンドでも)大したスピードではなく、ダウンロード速度も大した速度ではないのに、近年のゲームソフトはサイズが大きく(バイト数が非常に多く)なる傾向があり、ダウンロードに数時間もかかってしまうもの増えてきており、ユーザにとっては悩みのタネである。またダウンロード版の場合、ゲーム・コンソールのハードがHDDごと故障したりすると、せっかく料金を支払ってダウンロードしたゲームソフトも全部使えなくなってしまい復旧できない場合があるが、パッケージ版の場合はそうした事態は免れてゲーム機を買い替えるなどして何度でもインストールすれば済むので、コンソールの故障などにあった経験のあるプレーヤーの一部などは、ダウンロード版を意識的に避けて手堅くパッケージ版を選ぶこともある。 PC版 PCゲームは、以前はPCショップなどでのパッケージ販売が主流であった。ブロードバンド接続とネット決済が一般化するようになった2000年代からゆっくりとダウンロード販売の利用が活発化し、やがて次第に主流となってきた歴史があり、2015年時点のシンポジウムでは、カドカワ株式会社取締役の浜村弘一ファミ通グループ代表は、PCゲームはダウンロード販売が非常に浸透しており、PCゲームのダウンロード収益(売上)の半分はSteamが占めていて、アクティブユーザー数が1億人を超えるプラットフォームになっている、と指摘した。 スマホ版 2010年代に入るとスマートフォン(スマートデバイス)が普及し、スマホ用のゲーム・アプリという形のゲームソフトのダウンロード数が非常に伸びている。つまりAndroid向けのGoogle Playや、iPhone向けのApp Storeでのゲーム供給が非常に活発化しているのである。ダウンロード数ではPC用ゲームソフトの販売数を超えているのはもちろんのこと、家庭用ゲームコンソール用のゲームソフトの販売数も超えた。(つまりゲームソフトの世界ではダウンロード数で、「スマートフォン向けゲーム」が頂点に躍り出た)。2020年代の現在、テレビCMも(かなりの広告費を投入して)スマホ向けゲームソフトのCMばかりが突出して多い回数、流されるような状況になっている。 その他 キラーソフト ゲームコンソールのメーカー自身によって意図的に「キラーソフト」として開発されたソフト、つまりそれがあるから他のコンソールではなくそのコンソールを購入しようと消費者に思わせるような魅力あるソフトウェアは、他の機種には移植されない。他社のコンソールに移植してしまっては、そのコンソールの売り上げを支えるキラーソフトではなくなってしまうからである。たとえばPlayStationシリーズの『グランツーリスモ』シリーズはそういう役割を担ってきた。一方、後発となったマイクロソフト社はXBOXというコンソールのためにキラーソフトとして『Forza』シリーズを用意してそれに対抗した。 移植 特にコンソールの売上をささえるための「キラーソフト」というわけではない、第三者的なソフト開発会社から開発・販売されるゲームソフトは、最初は1種類のゲームコンソールを想定して開発されたとしても、評判が良ければ、しばしば複数のゲーム機に移植される。複数のプラットフォームで売れば、ゲームソフトの売上の総額は増えるからである。 互換性 なお、ゲームコンソールは下位互換機能を持つように開発されることも多い。たとえばPS2ゲームの中にはPS3コンソールでもプレイできるものもかなりある。XBOXシリーズでも同様にプレイできるソフトがある。ただし、原則的には動作する、と謳っていても、実際には上位機種では完全には動かないソフトも多い。ソフトウェア開発会社があまり標準的でない方式、たとえば(旧)コンソールのハードの一部の機能を特殊なやりかたで利用する方法などをソフトウェア上で採用していたりすると、動作しない場合がある。 PlayStation→PlayStation 2 PlayStation 4→PlayStation 5 ゲームボーイ→ゲームボーイアドバンス ゲームボーイアドバンス→ニンテンドーDS ニンテンドーDS→ニンテンドー3DS ニンテンドーゲームキューブ→Wii Wii→Wii U 記録媒体 半導体メモリ ロムカセット(ファミリーコンピュータ、ネオジオ、ネオジオポケットカラー、ゲームボーイ、ゲームボーイカラー、ゲームボーイアドバンス) ICカード BEE CARD(MSX) マイカード(SG-1000、SG-1000II、セガ・マークIII、マスターシステム) HuCARD(PCエンジン) フラッシュメモリ(ニンテンドー3DS、PlayStation Vita) インターネットよりダウンロード(デジタル配信) メモリースティックDuo(PlayStation Portable) SDカード(Wii、ニンテンドーDS、ニンテンドー3DS) USBメモリ(PCゲーム、Xbox 360) 専用メモリーカード(PlayStation Vita) SSD(PlayStation 4、PlayStation 5) 磁気ディスク クイックディスク(ファミリーコンピュータ ディスクシステム) フロッピーディスク(PCゲーム) インターネットよりダウンロード(デジタル配信) HDD(PCゲーム、Xbox、Xbox 360、Xbox One、PlayStation 3、PlayStation 4、Wii U、iPod/iPad) 光ディスク CD-ROM(CD-ROM2、SUPER CD-ROM2、PCエンジンDuo、メガCD、3DO、ネオジオCD、セガサターン、PlayStation、FM TOWNS マーティー、PCゲーム) GD-ROM(ドリームキャスト) DVD-ROM(PlayStation 2、Xbox、Xbox 360、PCゲーム) LD-ROM(レーザーアクティブ) UMD(PlayStation Portable) BD-ROM(PlayStation 3、PlayStation 4、Xbox One) 独自規格ディスク(ニンテンドーゲームキューブ、Wii、Wii U) パーソナルコンピュータ用 スマホ、タブレット用 脚注 注釈 出典 関連項目 コンピュータゲームのタイトル一覧 中古ゲームソフト コンピュータゲーム用語
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ゲーム機
ゲーム機(ゲームき)とは、ビデオゲーム(コンピュータゲーム)を動作させるための装置の総称。ゲーム用のハードウェア全般。あくまで総称なので、家庭用ゲーム機やアーケードゲーム機、(もっと素朴な)任天堂のゲーム&ウオッチや(初期の)たまごっちなどもゲーム機であり、さらに言うとビデオゲームをプレイするために使われている状態のPC(パーソナルコンピュータ)も、ゲーム専用機ではないが、ゲーム機の一種である。とは言え世の中に普及している台数の比率の影響で、子供などが漠然と「ゲーム機」と言う場合は「家庭用ゲーム機」を指すことが多くなっている。 概要 総称でゲーム機と呼ばれるものには、アーケードゲーム機、家庭用ゲーム機、電子ゲーム、パーソナルコンピュータなどがある。それぞれがさらに下位分類されている。→種類・分類 アーケードゲーム アーケードゲームとして最初に成功した製品はアタリ社が1972年に登場させた『ポン』である。その後続々とアーケードゲーム機が登場。特に1978年にはタイトーが『スペースインベーダー』を開発、好評を博し、世界各地でゲームセンターが作られ、タイトーのアーケードゲーム機が設置されることになり、ゲームを産業として確立させた。インベーダーゲームのヒットを目の当たりにして、そのゲーム機を模倣したアーケード機も製造する会社も多数登場した。このインベーダーゲームのゲーム機と、その後タイトーがとったやりかたで、新しいゲームをプレーヤーに提供する場合は、一番外側の筐体はそのままに、内部のメモリ(メモリボード)を交換する形で、そして必要に応じてグラフィックボードも交換することで、あらたなゲームが動くゲーム機に仕立てる、という方式が広まっていった。 家庭用ゲーム機 一方、アーケードゲームを家庭で手軽に楽しむため最初期の家庭用のゲーム機が登場したが、初期の家庭用ゲーム機は初期のアーケードゲーム同様にワイヤードロジックで構成されていたため、「1ハード1ゲーム」つまりひとつのゲーム機ではひとつのゲームしか遊べない状態で、あるいはせいぜい複数のゲームをスイッチで切り替える方式だった。その欠点を解消するために、1977年に登場したAtari 2600ではカートリッジでプログラムを交換する方式を導入し、ヒット機となった。 1980年代から1990年代前半にかけて、多くのメーカーによってゲーム機が開発・発売された。この時期に主要ゲーム機を販売していたのは任天堂、セガ、日本電気ホームエレクトロニクスであり、1983年に任天堂から発売されたファミリーコンピュータはカートリッジ方式(カセット方式)を採用し、サードパーティーにライセンス方式でソフトウェアの製造をさせ、価格を安価に設定した上に、多くのソフト開発会社から良質のゲームソフトが続々と発売された。結果的に累計販売台数は1991年3月末時点までに約1,600万台に達した。 1994年にソニーコンピュータエンタテインメント(SCE。現:ソニーインタラクティブエンタテインメント(SIE))のPlayStationが市場に参入してからは、任天堂とセガ、SCEの3強による寡占状態へとなっていった。 2000年代になるとセガがゲーム機開発から撤退し、2001年にマイクロソフトがXboxで市場に参入して以降は任天堂とSCE、マイクロソフトの3強状態が続いている。 パーソナルコンピュータ パーソナルコンピュータ(ホームコンピュータ)機では、1970年代から1980年代前半にかけて8ビットCPUのコンピュータが、Apple II、Commodore PET2001、タンディ TRS-80など次々と登場し、それぞれのマシンのユーザがそれらをゲーム機として使った。特に1982年に発売されたCommodore 64(略称 C64)は安価によりアメリカの家庭に普及し、累計で1994年4月までに1700万台の販売を記録した。このC64は、各家庭でゲーム機として使われ、普及台数が多かったのでゲームソフトを開発する会社も数多く、1300種類以上のゲームソフトがC64のために制作・販売された。 パーソナルコンピュータの中でも「ホビーパソコン」と分類されたものは、「ホビー」用つまり趣味的な用途のものであり、ゲーム用のコンピュータとして使われた。日本の企業群から共通規格で販売されたMSXもゲーム機として利用された。 その後、2004年に発売されたPSPはゲームだけに留まらない多機能さにより、「ゲーム機という線引きが曖昧になっている("ゲーム機"が消える)」と指摘され、2000年代後半からはスマートフォンが普及し始めたことで、スマートフォン内にゲームアプリをダウンロード・インストールすることで、一種の携帯型の高性能ゲーム機としても使うことが広く一般化している。 種類・分類 当記事の最初で説明したように、ゲーム機には以下のような種類がある。 家庭用ゲーム機(家庭用ゲームコンソール。本記事前半で詳説) 電子ゲーム(主にLSIチップによって動作する装置。任天堂のゲーム&ウオッチシリーズや(初期の)たまごっちなど) アーケードゲーム機(いわゆる「ゲームセンター」などに設置されるゲーム機のこと。ゲームセンターなどの経営側が、業務(商売)のために使うゲーム機なので「業務機」とも) ゲームをプレイするために使われる状態になっている(汎用の)パーソナルコンピュータ 分類方法はさまざまであるが、たとえば以下のように分類する方法がある。 家庭用ゲーム機の下位分類 家庭用ゲーム機の下位分類としては、以下のような大分類をされることがある。 据置型ゲーム機 / 携帯型ゲーム機 「据置型(すえおきがた)」とは特定の位置に設置して使用される前提で設計されている機器・装置のことであるので、「据置型ゲーム機」というのは、特定の位置に設置して使用されることが前提で開発されたゲーム機のことである。一般に、家庭に置かれているテレビ受像機に繋いで使うことを前提に設計されている。それに対して「携帯型ゲーム機」というのは、携帯していろいろな場所でプレイすることを前提として開発されたゲーム機のことであり、携帯可能な大きさ・重さになるように設計されたゲーム機であり、一般に小型の画面を備える。ただし、以前は「据置型ゲーム機 / 携帯型ゲーム機」の線引きがかなりはっきりしていたのだが、近年では、あえてそれらの境界領域を狙って、それ自体に小型の画面を備えていて携帯して遊ぶこともできながら家庭用の大型テレビに接続し大画面でプレイもできる機種、あるいはドッキングステーションのようなものに接続することでそれを実現するものなども開発され、それらの機種も相当な販売台数になっているので、「据置型ゲーム機 / 携帯型ゲーム機」という分類は以前に比べるとやや曖昧になっている。 家庭用ゲーム機は、時代とともにそのアーキテクチャや性能の水準が変化してきており、複数のメーカーによって開発・製造されているにもかかわらず、大まかに言うと時代ごとにある種の類似性でまとめることができるので、第一世代、第二世代...などと、世代(generation)で分類するということが広く行われている。据置型で顕著であるが、携帯型ゲーム機についても同様の分類がされることがある。 アーケードゲーム機の下位分類 アーケードゲーム機は、下位分類としては、以下のように大分類されることがある。 ビデオゲーム用アーケードゲーム機 / エレメカ ビデオゲーム用のアーケード機は筺体のタイプで以下のように大分類されることがある。 アップライト筐体(型) / テーブル筐体(型) / プロジェクタ筐体(型) アップライト型(筺体)というのはプレーヤが立った状態でプレイするアーケード機であり、テーブル型(筺体)というのはゲーム機がテーブルのような形をしており、プレーヤは椅子にこしかけてテーブル状マシンの上面の画面をのぞきこみ、マシン側面にあるレバーやボタンを操作するものである。上の3分類以外にもセミ・アップライトなどの中間的なものもある。特に大きな筺体でできている業務用ゲーム機を大型筺体ゲーム機と分類する方法もある。 また、汎用筺体と専用筺体に分類されることもある。汎用筺体(汎用タイプ)というのは、ソフトウェアやボード類を入れ替えてさまざまなゲームを走らせることができる業務用ゲーム機のことである。それに対して専用筺体(専用タイプ)というのは、ある特定のゲームにしか使えないようなゲーム機であり、たとえば特定のカー・レースゲームに特化して、ハンドル・座席・画面・画面まわりの装飾などを作りこんであって、他のゲームには転用できないようなゲーム機、そのゲームの需要が無くなったら、分解・廃棄処分せざるを得ないようなゲーム機のことである。 ゲームで使われるPC類の下位分類 ゲーム機として用いられている状態のパーソナルコンピュータは以下のように分類することも可能である。 汎用PC / ゲーミングPC 前者は汎用のPC、つまりさまざまな用途に使う目的で設計された汎用のPC(パソコン)に、ゲームソフトをインストールしてプレイしている状態である。「2Dゲーム」など呼ばれる、平面的な、立体視をともなわないゲーム類は汎用のPCで十分に楽しむことができる。一方、「ゲーミングPC」とはいわゆる「3Dゲーム」を(快適に)プレイするために(高速、美麗な)3Dグラフィックスを実現可能な高性能なパーツ類を搭載したPCのことであり、一般には、滑らかで美麗な3D画像を実現するため、高速に無数のポリゴンを描画できるGPU(画像処理ユニット)および特に高速なCPUや大きな主メモリ等を備えたPCのことを指している。 歴史 ここではゲーム機と呼ばれているものがどのようにして確立したかを年代順に簡略に述べる。 ゲーム機が誕生した1970年頃には、コンピューターと言えばメインフレームや、せいぜいミニコンピュータであり、大企業や大学や、それらあるいは軍の研究所で使われる高価なシステムしかなかった。初期のコンピューターゲームで最も有名なものとしては、ミニコン上で書かれ不特定多数の大学生に遊ばれた宇宙戦ゲーム『スペースウォー!』が挙げられる。その後、ゲームは4つの道を通って発展した。 店頭に設置して有料で遊ぶ「アーケードゲーム」 消費者が家庭で楽しむ「テレビゲーム」 パソコン上でアプリケーションの一種として動作する「パソコンゲーム」 電卓の技術を応用して作られた「電子ゲーム」 1972年、史上初のビデオゲーム機が登場するが商業的に成功せず、最初に商業ゲームとして成功したのはアタリのアーケードゲームの『ポン』だった。ビデオゲームは、それまでゲームセンターで人気を博していたピンボールを瞬く間に駆逐した。アーケードビデオゲームは次第に内容が複雑化していき、ワイヤードロジックの回路では実現が難しくなるにつれマイクロプロセッサーが採用されるようになっていった。1970年代中盤に登場した最初期のテレビゲーム機(第1世代)は、それらのアーケードゲームを家庭で手軽に楽しむためのものであった。当初のテレビゲーム機は、初期のアーケードゲーム同様にワイヤードロジックで構成されていたため、1ハード1ゲーム、もしくは複数のゲームをスイッチで切り替える方式だった。第2世代(1970年代後半 - 1980年代前半)では、1つのハードでさまざまなゲームをプレイしたいというユーザーの欲求に応えるため、ハードにゲームソフトを組み合わせることで、コンピューターゲームをプレイすることができるシステムが採用された。ソフトの供給メディアはカセットテープを採用したマシンもあったが、Atari 2600はカートリッジでプログラムを供給するカートリッジ交換式のシステムを採用し、それが標準となった。1979年には史上初のサードパーティーが誕生し、ここで、ゲーム機本体を販売する産業とは別に、ゲームのプログラムそのものを販売して利益を上げるゲーム産業が誕生した。このAtari 2600によってテレビゲームのイメージがほぼ確立されたが、1982年にいわゆるアタリショックが起きた。 1975年には「史上初の市販パーソナルコンピュータ」と呼ばれるAltair 8800が登場したが、これは家庭用テレビに繋ぐなどして画面があるようなコンピュータではなかったのでゲームにはほぼ使われておらず)パーソナルコンピュータ上で動くゲームソフトが制作されるようになったのは1977年に、スティーブ・ジョブズやスティーブ・ウォズニアックによってApple IIが開発・発売され、それの販売が成功してからである。Apple IIは家庭用テレビ受像機をモニタとして使うタイプであり、Apple IIには、ハードの開発者であるスティーブ・ウォズニアック自身によって制作されたBreakOutつまりブロック崩しゲームがつけられ、購入者たちは次々とゲームソフトを制作してゆくことになった。Apple IIのCPUはMOS社の6502で、この時期、8ビットマイクロプロセッサの開発競争が起こり、インテル社やザイログ社などのいわゆる「80系」のプロセッサと、モトローラ社などのいわゆる「68系」のプロセッサの間で激しいシェア争いが起きた結果、マイクロプロセッサの価格が大幅に下がり、そのおかげでそれを使って安価に、一般家庭でも購入できるような価格でコンピュータを作れる状態になり、Apple IIも開発・販売が可能になったわけだが、その後各社から続々と「パーソナルコンピュータ」(当時は「ホームコンピュータ」や「ホビーコンピュータ」などとも呼ばれていた)に分類できる8ビットパソコンが発売されてゆくことになった。この頃すでにテレビゲームやアーケードゲームはあったので、パソコンのユーザらはこれらのアーケードゲームを自宅で無料で楽しもうと、自力でプログラミングしアーケードゲームに似せたゲームを制作したり、出来た作品を互いに交換しあったりした。パソコンゲームはその後アドベンチャーゲームやロールプレイングゲーム、シミュレーションゲームといった、同時代のアーケードゲームやコンシューマーゲームとは異なる分野で発展を遂げていくことになる。 1970年代後半のマイクロプロセッサは、グラフィックをそれ自体で処理するには速度不足であったため(例えばNTSCのグラフィック表示にはドットクロック12〜15MHz程度が必要であり、当時のマイクロプロセッサでは力不足)、当時のゲーム機・パソコン・アーケードゲームのいずれも、映像表示のために独自に作り込まれた回路設計となっており、それぞれの機種の個性となっていた。画像処理機能も含め、ゲーム向け機能の代表的なものはスプライト(オブジェクト)機能やスクロール機能などのハードウェア支援であろう。いずれも目的や想定するユーザー層などとコストの兼ね合いでこのあたりの機能と性能は決定されるため、目的のゲームに特化して設計されるアーケードゲーム機の回転機能などは花形であった。ゲーム機・パソコン・アーケードゲームが個々に独自のアーキテクチャを持つ傾向はその後も続いた。 1970年代後半には携帯型ゲーム機も人気となった。1979年には既にカートリッジ交換型携帯型ゲーム機が登場していたが、当時は技術的な制約から他の形態と比べて十分な製品を作れずにいた。かわりに主流となっていたものが電子ゲームと呼ばれるものであった。電子ゲームとは電卓の技術を応用したもので、アーケードゲームやパソコンゲームとはまったく別系統に生まれたものである。表示装置としては特定の形状を表示する液晶や発光ダイオードが使われた。汎用のグラフィック表示機能を備えておらず、必然的に1ゲーム1ハードが基本であった。 第3世代(1980年代前半 - 1980年代中盤)では、ザイログ社のZ80とMOS社の6502の競争激化により安価になったマイクロプロセッサや、その他の集積回路技術によってテレビゲーム機にも簡略化・低価格化を施されたスプライト機能とハードウエアスクロール機能が追加されていった。任天堂から1983年に発売されたファミリーコンピュータは、安価になった6502を搭載したうえに、さらにサードパーティーによるソフトウェアの製造をライセンス(ゲーム機メーカがサードパーティーにゲームソフトウエア開発・販売を許諾する)形式にし、ゲームソフトメーカからのライセンス収入を見込むことでゲーム機のハードウェア自体を低価格で販売することができ、それによりゲーム機所有者数が増えることでゲームソフトメーカも恩恵を得ることができた。 1980年代後半には、パソコンの性能向上速度が加速し最新機種が入れ替えられていったために、ゲームに対するパソコンのプラットフォーム性が失われた一方、相対的に機種変更頻度が少ないゲーム機はそのプラットフォーム性が高まった。パソコンやゲーム機などで、単一の機種が長期的に基本性能が変わらないまま販売され続ける(商品寿命が長い)と、その機種はひとつのプラットフォームとして認識され、その機種で他機種用のゲームを遊べるよう多くのソフトウェアが製作された(いわゆる移植)。「プラットフォームハードウェアと多数のソフトウェア」という手法は、ハードウェアの進歩や新しいプログラミング手法の導入(これらのゲーム機のソフトはほとんどがアセンブリ言語で記述されていたが、世の中のプログラミングはC言語などに移行しつつあった)を阻害するものではあったが、ゲームソフトという特定の先鋭分野における競争と技術開発を促進することでゲームソフト業界を急速に発展させる一因にもなった。第4世代(1980年代後半 - 1990年代前半)ではさらにゲームソフトの技術力や表現力が向上し、より高性能のハードウェアが求められるようになり、ゲーム機専用のプロセッサ類が設計されるようになった。それまでのゲーム機は、パソコン用チップや汎用製品を流用したものが多かったが、この時代になるとゲーム機はゲーム用途としてはパソコンをはるかに凌ぐ性能を持つとのイメージが確立された。また、他のハードウエア形態と遜色がない十分な性能をもつCPUとグラフィック表示装置を備えるカートリッジ交換型の「携帯型ゲーム機」がこの頃に発売され、人気を得るようになった。 なお、2000年代以降のゲーム機では再び据置機(テレビゲーム機)・携帯機・アーケードゲーム・パソコンゲームの区別が曖昧となるが、下記で詳しく述べる。 略史 ゲームハードの世代分けについては、英語版ウィキペディアにおける「Video game console」にだいたい相当するもの、すなわち、「コンシューマーゲーム機」「家庭用ゲーム機」「ゲーム専用機」等と呼ばれているものに関しての話題を主として扱う。 マイナーなものまで含めれば多種多様のさまざまな形態があるものの、この項ではひとまず各機種を据置機(いわゆるテレビゲーム機)と、携帯型ゲーム機の2つに分類している。 世代については、英語版ウィキペディアが「First generation」から「Eighth generation」まで分類しているためそれに沿っているが、おそらく独自研究であり、ここで見られる世代分けは日本のゲーム研究等ではあまり見られず、また英語による資料においても異同が見られる。 家庭用ゲームコンソール ここでは家庭用ゲームコンソール、つまり家庭で使われるゲームコンソールについて解説する。これが一般に「家庭用ゲーム機」と呼ばれている。ただし、ゲーミングPCは対象外とした。 第1世代 1970年代前半 - 中盤を、この記事では「第1世代」とする。 1972年に史上初の家庭用ゲーム機とされる『オデッセイ』がリリースされた。オデッセイはCPUではなく、アナログ回路で電子ゲーム機能を実現していた。オデッセイを参考にして製作したビデオゲーム『ポン』をアーケードで大ヒットさせたアタリが、テレビに接続するだけで家庭でもポンが楽しめる『ホーム・ポン』を1975年にリリースし、大ヒットとなった。これによって家庭用ゲーム機という存在が広く知られ、「ポンクローン」と呼ばれるポンのコピーゲーム・亜流ゲームが、大手から中小までおびただしい数の玩具メーカーからリリースされた。日本ではオデッセイを発売したマグナボックスと提携したエポック社と任天堂からゲーム機が発売されたが、これらもポンクローンと呼ばれている。アタリが1976年に発売した『ブレイクアウト』(ブロック崩し)なども多くのクローン機が出回った。これらのゲーム機が最初期に現れたゲーム機、すなわちゲーム第1世代と呼ばれる。この時代はソフトがハードに組み込まれていて、後からソフトを買い足すことはできなかったが、スイッチで複数のゲームを切り替えることができるもの、切り替えカードを追加購入することでオプションのゲームをプレイできるものもあった。 オデッセイ(マグナボックス、1972年) ホーム・ポン(アタリ、1975年) ポンクローン テレビテニス(エポック社、1975年) テルスター(コレコ、1976年) カラーテレビゲーム15(任天堂、1977年) ブレイクアウトクローン テレビブロック(エポック社、1979年) カラーテレビゲーム ブロック崩し(任天堂、1979年) その他 TV JACK(バンダイ、1977年〜1978年) TV FUN(トミー工業、1977年〜1978年) システム10(エポック社、1978年) カラーテレビゲーム レーシング112(任天堂、1978年) テレビ野球ゲーム(エポック社、1979年) テレビベーダー(エポック社、1980年) コンピュータTVゲーム(任天堂、1980年) 第2世代 1970年代後半 - 1980年代前半を、この記事では「第2世代」とする。 1976年、フェアチャイルドがチャンネルFを発売した。チャンネルFはROMカートリッジを差し込むことで様々な種類のゲームを楽しむことができる最初の家庭用ゲーム機であった。マグナボックスも1978年に同様のシステムを採用したゲーム機Odyssey²を発売した。アタリも1977年にAtari 2600(VCS)を発売した。『スペースインベーダー』などの人気アーケードゲームのコンシューマ移植をキラータイトルとし、1980年頃にはアメリカにおいて爆発的な人気を博した。さらに、1979年にアタリからアクティビジョンが独立してゲーム史上初のサードパーティーとなって以後、続々と誕生するサードパーティーのソフトを積極的に受け入れるビジネスモデルを確立した。北米では他にインテレビジョンやコレコビジョンも人気となり、欧州ではドイツのインタートンによるVC 4000なども人気を博した。しかし1982年のクリスマス商戦で決定的な市場崩壊(いわゆるアタリショック)を起こした。Atari 2600のみならずアメリカのゲーム機市場(パソコンゲーム市場は含まない)そのものが一時壊滅状態に追い込まれた。日本や南米などの地域におけるゲーム機の本格的な普及は、次のファミコン時代以後になる。 チャンネルF(フェアチャイルド、1976年) Atari 2600(アタリ、1977年) ビデオカセッティ・ロック(タカトク、1977年) オデッセイ2(マグナボックス、1978年) VC 4000(インタートン、1978年) ビジコン(東芝、1978年) インテレビジョン(マテル、1980年) カセットビジョン(エポック社、1981年) Atari 5200(アタリ、1982年) コレコビジョン(コレコ、1982年) Vectrex(GCE、1982年) アルカディア(バンダイ、1983年) TVボーイ(学習研究社、1983年) 第3世代 1980年代前半 - 中盤を、この記事では「第3世代」とする。 アタリショック後、北米と欧州ではゲーム機能に加えてプログラミング機能をそなえたゲームパソコンが勢力を増し、多くのゲームメーカーがゲームリリースを家庭用機からパソコン主力に移した。ゲームパソコンとして北米ではコモドール64が、欧州ではZX Spectrumが成功を収めた。日本でも同様の機種(ぴゅう太、M5、SC-3000、MSXなど)が登場したが、最終的にはゲーム機能に特化し、第1・第2世代より優れたゲーム性能を実現した機種が成功を収めた。特に1983年に発売された任天堂のファミリーコンピュータ(以下ファミコン)は日本における家庭用ゲーム機の本格的普及を担い、1985年にはアメリカで海外版ファミコンであるNintendo Entertainment System(NES)が発売され成功を収めた。RPGや対戦型格闘ゲーム、2Dアクションゲームなどの今日に繋がるゲームシステムの原型もこの時期に出来上がった。これまではAtari 2600に由来するATARI仕様と呼ばれるジョイスティック型のコントローラーが一般的であったが、ファミコンのパッド型コントローラー(ゲームパッド)はコンパクトだが汎用性に優れ、以後のほとんど全てのゲーム機における入力機器の基礎となった。 ファミリーコンピュータ、ファミリーコンピュータ ディスクシステム、AV仕様ファミリーコンピュータ(任天堂、1983年・1986年・1993年) SG-1000、SG-1000II(セガ、1983年〜1984年) PV-1000(カシオ、1983年) Atari 7800(アタリ、1984年) スーパーカセットビジョン(エポック社、1984年) セガ・マークIII、セガ・マスターシステム(セガ、1985年・1987年) ツインファミコン(シャープ、1986年) ゲームパソコン マックスマシーン(コモドール、1982年) コモドール64(コモドール、1982年) ZX Spectrum(シンクレア、1982年) ぴゅう太(トミー、1982年) M5(ソード、1982年) SC-3000(セガ、1983年) RX-78(バンダイ、1983年) PV-2000 楽がき(カシオ、1983年) MSX(MSX参入各社、1983年) 第4世代 1980年代後半 - 1990年代前半を、この記事では「第4世代」とする。 従来機種より高度なスプライト機能を搭載し、2Dグラフィックスの表現力が向上した。ステレオサウンドが標準になり、ゲームの複雑化・高度化も進み、対応するコントローラーも多ボタン化が進んだ。他方、複雑で表現力豊かなゲームをROMカートリッジに詰め込むのには、容量不足による限界が見え始めてきた。ゲームソフトの大容量化によりROMの製造コストも高騰し、9,800円以上のソフトが続出した。このような情勢から、従来のROMカートリッジに代わり世界初のCD-ROMをゲーム媒体に使用したCD-ROM2が現れ、対応タイトルは、大容量を活かしたものとなっており、後の光ディスクによるソフト供給の基礎となった。 主なハードは、PCエンジン・メガドライブ・スーパーファミコンの3機種である。スーパーファミコンは他の2種よりも大幅に発売が遅れたが、日本ではファミリーコンピュータからの圧倒的シェアを受け継いで移行することに成功した。一方の北米市場では任天堂のSNES(日本国外版スーパーファミコン)とセガのGENESIS(同メガドライブ)が市場競争を展開し、GENESISがシェア55%の2000万台を売り上げ一定の成功を収めた。 アーケード市場において対戦型格闘ゲームなどで絶大な人気を得ていたSNKが、アーケードのシステムをそのまま家庭用機に流用したNEOGEOでゲーム機市場に参入した。家庭用ゲーム機の高性能化によりアーケードゲームやパソコンゲームとの性能差は縮まった。海外市場ではホビーパソコンのAtari STとAmigaがリリースされ、ゲームパソコンとして拮抗した人気を得た。日本でもX68000やFM TOWNSなどのホビーパソコンが発売されたが、据置機とソフトに恵まれた日本ではパソコンゲームは家庭用ゲーム機で扱えないアダルトゲームを除いて衰退した。第4世代ゲーム機はドット絵とスプライトによる2Dゲームの成熟・完成期に当たる。 PCエンジン(コアグラフィックス) 、CD-ROM2、SUPER CD-ROM2(NECホームエレクトロニクス、1987年・1989年・1988年・1991年) メガドライブ、メガCD、スーパー32X(セガ、1988年・1991年・1994年) PCエンジンスーパーグラフィックス(NECホームエレクトロニクス、1989年) スーパーファミコン(任天堂、1990年) ネオジオ(SNK、1990年) PCエンジンDuo(NECホームエレクトロニクス、1991年) ワンダーメガ(セガ、日本ビクター、1992年) 第5世代 1990年代中盤 - 後半を、この記事では「第5世代」とする。 この世代では、従来のROMカセットに代わって光ディスクがコンテンツ販売パッケージの主力となった。光ディスクは読み込みに時間がかかるという難点があるものの、データ容量がROMと比較して大きく、再プレスが容易であり、安価にゲーム媒体を量産可能になった。これに伴い音質の向上やムービー再生による演出が広がった。本格的な3Dグラフィックス機能が搭載されたゲーム機が現れ、ゲーム内での映像表現の幅が広がった。振動機能やアナログスティックを備えたコントローラも登場した。ドット絵とポリゴンでは製作ノウハウが違い、中小の新しいソフトハウスも台頭した。 この世代から第6世代にかけて、コンソール・ウォー(ゲーム機戦争)と呼ばれるハードウェア同士の性能競争が最高潮に達し、各社とも自社製ゲーム機の高性能ぶりを盛んにアピールした。主要な機種はPlayStation、セガサターン、NINTENDO64の3機種である。この世代でゲーム機市場に新規に参入したソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE。現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE))のPlayStationは、安価で開発のしやすいシステムと、サードパーティーの高い支持による充実したソフト群を背景に首位に立った。セガのセガサターンは、PlayStationより早く100万台を売り上げるなど、発売直後は好調さを見せたが、コストカットしにくいハード構成であることからPlayStationとの値下げ競争で苦境に立たされた。また、北米では米セガがスーパー32Xを先行して投入するなど、販売戦略において日本セガ側との食い違いが見られ、結果的にユーザー側の混乱を招いて共倒れする形となってしまい、海外市場で不評を買った。任天堂が発売したNINTENDO64は、64ビットの高性能をその名でアピールする象徴的な存在を目指したが、他社に比べて発売が大きく出遅れた上、サードパーティーが少なく、旧来的なROMカセットを採用したためソフトウェアの価格は高めであり価格競争力も低く、北米では成功したが主流となることはなかった。日本でもPlayStationに大きな遅れをとることとなった。 北米最大のコンシューマゲーム会社であるエレクトロニック・アーツの創設者が、3DO社を設立してゲーム機市場に参入した。ゲーム機やゲームパソコンのメーカーとして黎明期から長らくゲーム業界を支えたアタリがこの世代を最後にハード事業において四半世紀に渡る長い休眠期間に突入し、コモドールが倒産した。それによって、ゲーム用途で使われるパソコンとしてはPC/AT互換機がほとんどとなった。Windows 95の登場後もしばらくゲーム用途ではMS-DOSが主流であったが、DirectXの登場以後は次第にゲーム用途としてもWindowsがメイン環境となった。マイクロソフトはパソコン用ゲームの開発スタジオを多数抱える大手ゲームメーカーとなり、続く第6世代でついにコンシューマ機に参入した。 Atari Jaguar、Atari Jaguar CD(アタリ、1993年) Amiga CD32(コモドール、1993年) FM TOWNS マーティー(富士通、1993年) レーザーアクティブ(パイオニア、1993年) 3DO(3DO、1994年) ネオジオCD(SNK、1994年) プレイディア(バンダイ・デジタル・エンタテイメント、1994年) セガサターン(セガ、1994年) PlayStation、PS one(SCE、1994年・2000年) PC-FX(NECホームエレクトロニクス、1994年) バーチャルボーイ(任天堂、1995年) ルーピー(カシオ、1995年) ピピンアットマーク(バンダイ・デジタル・エンタテイメント、1996年) NINTENDO64、64DD(任天堂、1996年〜1999年) 第6世代 1990年代末 - 2000年代初頭を、この記事では「第6世代」とする。 3Dグラフィックスの表現力が上がり、インターネットとの通信や5.1chサウンドにも限定的に対応し始めた。メディアはDVD、もしくはDVDの技術を応用した独自規格のディスクが主流となった。この世代を最後にセガはハード販売から撤退し、入れ替わる形でマイクロソフトのXboxが参入した。Xboxは日本国外市場において成功を収めてPS2に次ぐシェアを獲得したが、日本では一般にゲーム機が売れる年末を過ぎた2月に発売したり、初期不良やそれに関する対応などが批判を受けるなど振るわなかった。NINTENDO64の後継機のニンテンドーゲームキューブは日本で一定の支持を得たが、日本国外では前ハードほど振るわなかった。 パソコンにおけるブロードバンドの普及期に当たり、ネット対応が不十分な家庭用ゲーム機に先行して、パソコン用のオンラインゲームが充実した。中国や韓国などアジアの新興国においても自国製ゲームの普及が見られ始めるが、据置型ゲームは多大な開発コストなどの参入障壁が大きかったことや、アジア諸国における海賊版の横行のためコンテンツ販売では利益を得にくかったなどの理由から、課金制のパソコンオンラインゲームが開発の主流となっていき、これらの国の作品が世界に輸出されるのも多く見られ始めた。 ドリームキャスト(セガ、1998年) PlayStation 2(SCE、2000年) ニンテンドーゲームキューブ(任天堂、2001年) Xbox(マイクロソフト、2001年) 第7世代 2000年代中盤 - 末を、この記事では「第7世代」とする。 任天堂のWiiは、Wiiリモコンという体感型のコントローラを搭載し、高精細度ビデオ(HD)に対応したPS3とXbox 360もPlayStation MoveやKinectを発売した。いずれの機種もかつてのハードで発売されたソフトの公式エミュレータを用意しコンテンツのダウンロード販売も行われるようになった。ビデオ・オン・デマンドなど海外ではXbox 360がスマートテレビのデファクトともいわれた。 ソフトメーカーにとってはシェアの先行き不透明な状況が続き、前世代以上にマルチプラットフォームが増加した。Xbox 360とPS3は売れ行きは鈍く、人気ゲームの続編・リメイク・HD対応版の発売が多くなった。Wiiは今までのゲーム機の常識を変え体感型として出したため、新しくて面白さが分かりやすく、同世代のハードに比べ非常に速いペースでシェアを伸ばし2世代振りにハードシェアでのトップになったものの、他のハードとは異なり入力デバイスが特殊である事や同世代のハード中で唯一画質がHD画質に対応していない事等からマルチプラットフォームリリースの対象から外れる事が多かった。特に画質面において、2011年に地上デジタル放送の完全移行を控え、高画質テレビ(主にHDテレビ)の普及率が大きく上がった事がWiiの長期展開にとって大きなミスとなってしまった。また、後年はWii専用タイトルの数も大きく減少した。結果的にXbox 360やPS3のラインナップが充実していく中、逆にWiiは新作ソフトが不足するようになっていった。 第7世代機ではネットワークサービスを利用して、当時のゲームや「ドット絵を利用した、当時のハードウェア環境そのままでの新作」が配信された。 Xbox 360(マイクロソフト、2005年) PlayStation 3(SCE、2006年) Wii、Wii Family Edition、Wii Mini(任天堂、2006年・2011年・2012年) 南米やアジアなどの新興国ではネットワーク対応や体感型などを盛り込みながらも安価で低性能なゲーム機が盛んにリリースされており、ブラジルで長らくセガの代理店として活動していたTectoy社が2009年に独自にリリースしたドリームキャストの後継機Zeeboや、中国におけるセガの代理店であるAtGamesがリリースしたZONEおよびそのバリエーションであるSEGA Reactorが代表的な製品である。先進国ではハードから撤退したセガは新興国ではTectoyやAtGamesなどを介してハード事業を継続しており、Tectoyからはメガドライブのモデルチェンジ版であるメガドライブ4も2009年発売された。 Zeebo(Tectoy&Qualcomm、2009年4月) Tectoy Mega Drive 4(Tectoy、2009年8月) ZONE、SEGA Reactor(AtGames&セガ、2010年) 第8世代 2010年代前半 - 中盤を、この記事では「第8世代」とする。 Wii Uが2012年11月、PS4とXbox Oneが2013年11月に、共に北米地域のホリデーシーズンに合わせて発売された。3機種全てで北米地域での発売が優先されている。 2012年にはスマートフォンやタブレットの普及によりコモディティ化した高度なモバイルハードウェア・ソフトウェア技術がゲーム機に転用され始め、クラウドファンディングの流行を背景にOUYAやGameStickなど新興企業の手によるAndroidゲーム機の企画・開発が相次いだ。ゲーム開発自由な「オープンプラットフォーム」およびメディア在庫を持たない「デジタルディストリビューション」といった特徴は共通している。また、2013年にはValve CorporationがSteamOS/Steam Machine/Steam Controllerを発表した。Steam Machineはかねてより構想が伝えられていたSteam Box、すなわち同社のPCゲームプラットフォームSteamのコンシューマ市場展開を担う家庭用ゲーム機・専用ゲーミングPCの規格である(Xi3のPistonは非公認となった)。 Gaikai/OnLive/PlayStation Now、Microsoft AzureやAmazon Web Servicesのように各クラウドのサービス・プラットフォームが台頭し、NVIDIA GeForce GRIDやGクラスタ/UbitusなどはSTBにも使用された(スーパーコンピューターゲーミングを目指していたシンラ・テクノロジーは解散したが、主要メンバーはGenvid Technologiesを立ち上げた)。 コンシューマーゲーム機 Wii U(任天堂、2012年) PlayStation 4、PlayStation 4 Pro、PlayStation VR(ソニー・コンピュータエンタテインメント、2013年・2016年) Xbox One、Xbox One X(マイクロソフト、2013年・2017年) PlayStation Vita TV(ソニー・コンピュータエンタテインメント、2013年) マイクロコンソール Apple TV(Apple、2015年) クラウドゲーム機 G-cluster(ブロードメディア、2013年) Android搭載 OUYA(OUYA, inc.、2013年) GameStick(PlayJam Inc.、2013年) GamePop(BlueStacks、2013年) M.O.J.O(Mad Catz、2013年) UNU/Vyper(Snake Byte、2014年) HUAWEI Tron mini game console(ファーウェイ、2014年) 第9世代 2010年代後半 - 2020年代前半を、この記事では「第9世代」とする。 任天堂は前世代のWii Uが販売不振で短命となり、他社に先行する形で2017年3月に、据置機としても携帯機としても遊べるハイブリッドゲーム機としてNintendo Switchを発売。ゲームボーイ発売以降分離していた据置機と携帯機のプラットフォームが統合された。また2019年9月にNintendo Switchの携帯専用機、および廉価版としての位置付けでNintendo Switch Liteも発売された。Oculus VRは2019年5月、初のスタンドアローン型VRゲーム機であるOculus Questを発売。アタリはAtari Jaguar以来約四半世紀ぶりに家庭用ゲーム機業界に復帰し、Atari VCSを発表した。また、マテルもインテレビジョンの権利を買い戻し、Intellivision Amicoを発表した。さらに、ソニー・コンピュータエンタテインメントはPlayStation 5、マイクロソフトはXbox Series X/Sを2020年11月にそれぞれ発売している。 この時期からはゲームハードのさらなる高性能化、動画配信サイトの普及によるゲーム実況の人気の高まり、そして営利目的の転売の横行などから、特に発売直後のゲームハードがしばしば供給不足に苦しむようになる。Nintendo Switchは発売3ヵ月が経過しても品薄状態が収まらず、任天堂が公式に謝罪文を発表する事態となった。また2020年には新型コロナウイルスの世界的な蔓延によって巣ごもり需要がさらに高まり、PlayStation 5などはハードの供給不足が原因でゲームソフトの深刻な販売不振が発生、日本国内では発売二ヵ月後にも関わらず店頭販売に人が殺到し警察が出動する騒ぎも起きている。 この世代ではクラウドゲームサービス・プラットフォームも注目を集めており、Google、Amazon、Facebook、NVIDIAが参入した。 コンシューマーゲーム機 Nintendo Switch、Nintendo Switch(有機ELモデル)(任天堂、2017年・2021年) Oculus Quest、Oculus Quest 2(Oculus VR、2019年・2020年) Xbox Series X、Xbox Series S(マイクロソフト、2020年) PlayStation 5、PlayStation 5 デジタル・エディション(ソニー・インタラクティブエンタテインメント、2020年) Atari VCS(アタリ、2021年) (マテル、2022年) クラウドゲーム機・サービス Google Stadia(Google、2019年-2023年1月18日) Apple Arcade(Apple、2019年) OOParts(Black Inc.、2020年) GeForce Now(NVIDIA、2020年) Xbox Cloud Gaming(マイクロソフト、2020年) Amazon Luna(Amazon、2020年) Facebook Gaming(Facebook、2020年) Plex Arcade(Plex、2021年) 携帯機 第1世代(携帯機) 1970年代後半 - 1980年代前半に当たる。 据置型ゲーム機が第2世代となり、ブームとなっていた1979年、アメリカの大手玩具メーカーであるミルトン・ブラッドリー社から史上初のカートリッジ交換式携帯型ゲーム機Microvisionがリリースされた。MicrovisionはCPUがカートリッジ側についているなど、後のゲーム機とはずいぶん異なっていた。LCD画面が壊れやすいなど技術的な制約のため、商業的にほとんど成功せずに終わった。ROMカートリッジをハードに差し込む形式ではなく、1ハードにつき1ゲームという形式の電子ゲームが登場した。当時の電子ゲームはモノクロLCDすら搭載できず、LED表示によるものが主だったが、マテルが1976年に世界初の携帯型電子ゲーム機となるMattel Auto Raceをリリースして以降、各社から続々とLEDゲームが発売され、大きなブームとなった。 Microvision(ミルトン・ブラッドリー、1979年) 電子ゲーム Mattel Auto Race(マテル、1976年) Mattel Football(マテル、1977年) 第2世代(携帯機) 1980年代前半 - 中盤に当たる。 1980年代に入るとLCDが安価となり、LCDを搭載した電子ゲームがブームとなった。代表的な製品が、任天堂が1980年に発売したゲーム&ウオッチシリーズであり、モノクロでシンプルなゲームが多数を占めたが、非常に普及した携帯ゲーム機の1つである。ゲーム&ウオッチの一部機種では、後にの主力インターフェイスへと発展する十字キーも先行して採用された。任天堂、バンダイ、トミー、タイガー・エレクトロニクスと言った大手玩具メーカーの他にも多数のメーカーがさまざまな電子ゲームをリリースし、アーケードの移植も盛んであった。1982年、本体に太陽電池を採用し、電池が不要な初のゲーム機であるLCD SOLARPOWERシリーズをバンダイが発売した。1983年、2つのディスプレイを搭載し、3D表示を可能とした初の携帯型ゲーム機であるTomytronic 3D(トミー3D立体グラフィックゲーム)シリーズをトミーが発売した。1984年にはエポック社から、日本初のROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機であるゲームポケコンが発売されたが、商業的にはまたしても失敗に終わった。 ゲームポケコン(エポック社、1984年) 電子ゲーム ゲーム&ウオッチ(任天堂、1980年) ゲームロボット九、ゲームロボット5(タカトクトイス、1982年頃) テクトロン(Tectron)(バンダイ、1980年代前半) LCD SOLARPOWER(バンダイ、1982年) Tomytronic 3D(トミー、1983年) 第3世代(携帯機) 1980年代後半 - 1990年代前半に当たる。 ROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機が実用的なスペックを獲得し、多彩なゲームが楽しめるようになった最初の世代である。Atari Lynx、ゲームギアのスペックは第3世代の据置ハードとほぼ同等であり、PCエンジンGTは据置機第4世代のPCエンジンと互換性があった。モノクロ液晶を採用したゲームボーイは、当時としては卓越した性能と画質を持つ他機種に大きく劣っていたが、当時の液晶技術は未熟で消費電力も大きく、カラー液晶機種はさらに高価でバッテリー(単三乾電池)消費も激しかったなかで、コンパクトで長時間駆動できるゲームボーイは携帯型ゲーム機で最も人気を集めた。ゲームギアは日本では商業的に苦戦したが、北米ではゲームボーイに対して善戦した。実用的な携帯型ゲーム機の登場によって電子ゲームのブームはこの世代で終了したが、電子ゲームは販売されつづけて一定の市場を維持しており、時にたまごっち(バンダイ・1997年)のような大ヒットとなるものもあった。 ゲームボーイ(任天堂、1989年) Atari Lynx、Atari Lynx II(アタリ、1989年、1991年) ゲームギア(セガ、1990年) PCエンジンGT(NECホームエレクトロニクス、1990年) 電子ゲーム バーコードバトラー(エポック社、1991年) 第4世代(携帯機) 1990年代中盤 - 後半に当たる。 スペックは据置ハードの第3世代と同等か、やや上回る程度であり、携帯ハードの第3世代から大きく向上してはいないが、携帯性に優れた薄く小さいボディを実現した。液晶技術の発達により、カラー液晶を採用した機種でも、長時間の運用に耐えられるようになった。赤外線通信機能などを搭載し、通信機能を生かしたゲームが流行した。メガドライブと互換性のあるセガ・ノーマッドや、この時代にあえてモノクロで挑んだワンダースワンなどの意欲的な機種が出たものの、この世代ではカラー化を果たした任天堂のゲームボーイシリーズが一人勝ち状態であった。 ノーマッド(セガ、1995年) ゲームボーイポケット、ゲームボーイライト(任天堂、1996年・1998年) game.com(タイガー・エレクトロニクス、1997年) ネオジオポケット(SNK、1998年) ゲームボーイカラー(任天堂、1998年) ワンダースワン(バンダイ、1999年) ネオジオポケットカラー、NEWネオジオポケットカラー(SNK、1999年) 電子ゲーム たまごっち(バンダイ、1997年) デジタルモンスター(バンダイ、1997年) ポケットピカチュウ、ポケットハローキティ、ポケットピカチュウカラー(任天堂、1998年、1999年) ヨーカイザー(バンダイ、1998年) 第5世代(携帯機) 1990年代末 - 2000年代初頭に当たる。 反射型TFT液晶や反射型FSTN液晶を採用したカラー液晶のゲーム機が主流となった。スペック的には据え置きハードの第4世代を上回る程度の機能を搭載し、携帯型ゲーム機における表現の幅が飛躍的に拡大した。ビジュアルメモリとポケットステーションは、据置機の外部記憶媒体(メモリーカード)にゲーム機能を付加するものだったが、普及には至らず、後世代機においては採用されなかった。前世代と同様に任天堂以外の機種は振るわない結果となり、携帯型ゲーム機において任天堂の独占状態が確立した。この頃から携帯電話の普及率が激増したため、それを使った携帯電話ゲームが登場し始めた。N-GageのようにPDAや携帯電話機能を搭載したゲーム機も出始めた。N-GageはS60を搭載し、2008年にはアプリケーション・プラットフォーム化した。 ワンダースワンカラー、スワンクリスタル(バンダイ、2000年、2001年) ゲームボーイアドバンス、ゲームボーイアドバンスSP、ゲームボーイミクロ(任天堂、2001年・2003年・2005年) ポケモンミニ(ポケモン、2001年) GP32(GamePark、2001年) N-Gage、N-Gage QD(ノキア、2003年・2004年) 据置機の外部記憶媒体 ビジュアルメモリ(セガ、1998年) PocketStation(SCE、1999年) 電子ゲーム ポケットサクラ(メディアファクトリー、2000年) 第6世代(携帯機) 2000年代中盤 - 末に当たる。 ニンテンドーDS(以下DS)とPlayStation Portable(以下PSP)によって二分された。前世代までの乾電池に代わりエネルギー密度が高いリチウムイオン電池を採用し、明るいバックライト付き液晶となった。据置機同様にグラフィックの3D化が進み、ネットワークを介したデータのダウンロードやオンラインプレイが可能となった。DSはブルー・オーシャン戦略でライト層もターゲットに据え、PSPはコア層を主なターゲットに据えた。DSはインターネット接続へのハードルを下げたニンテンドーWi-Fiコネクションや、タッチパネルの採用は携帯型ゲーム機としては史上初であり、特徴的な2画面による「Touch! Generations」のヒットによってユーザー層が広がり、DSが教育にも取り入れられた。PSPは大型液晶画面と光学ドライブ、高性能マイクロプロセッサを搭載した。日本市場においては『モンスターハンター ポータブル』シリーズに恵まれたこともあり、任天堂のハードが一人勝ち状態であった前世代までとは違い善戦した。そして、タカトクトイスからゲームロボットを継いだハナヤマは、ゲームロボット九の復刻電子ゲーム機、ゲームロボット21を発売した。 Zodiac(Tapwave、2003年) ニンテンドーDS、ニンテンドーDS Lite、ニンテンドーDSi、ニンテンドーDSi LL(任天堂、2004年・2006年・2008年・2009年) PlayStation Portable、PlayStation Portable go(ソニー・コンピュータエンタテインメント、2004年・2009年) GP2X、GP2X Caanoo(GamePark、2005年・2010年) Dingoo A320(Dingoo、2009年) Pandora(OpenPandora、2010年) 電子ゲーム ゲームロボット21(ハナヤマ、2005年) 第7世代(携帯機) 2010年代初頭 - 後半に当たる。 3DSやPS VitaはカメラによるARやコミュニケーション・ソーシャルを意識した機能が多数盛り込まれた。2013年にはGPUメーカーとして知られるNVIDIAがTegra/Android搭載のNVIDIA SHIELD Portableを発売した。新参Androidゲーム機はこの年のトレンドといえるが、同機はPCをサーバとするゲームストリーミングクライアントでもあり、新たなストリーミングサーバ技術とともに発表され注目を集めた。スマートフォン/タブレットといったスマートデバイス用OSにゲームを意識した機能が盛り込まれた。2008年にAppleのiPhone OS(現:iOS)のSDKが公開されて以降、iPod touch/iPhone/iPadといったiOS用のApp StoreやGoogleのGoogle Playが提供された。これまで家庭用ゲーム機向けに展開されてきたシリーズが提供されたり連携も図られた。 ニンテンドー3DS、ニンテンドー3DS LL、New ニンテンドー3DS、New ニンテンドー3DS LL 、Newニンテンドー2DS LL(任天堂、2011年、2012年、2013年、2014年、2017年) PlayStation Vita(SIE(旧:SCE)、2011年) NEOGEO X(SNK、2012年) Arduboy(Arduboy Inc.、2016年) Android搭載 Xperia PLAY(ソニー、2011年) Archos GamePad(Archos、2012年) Wikipad(Wikipad、2013年) 電子ゲーム ゲームロボット50(ハナヤマ、2013年) ゲームロボット25(ハナヤマ、2014年) 第8世代(携帯機) 2010年代後半以降に当たる。 SIEが携帯ゲーム機から撤退し、任天堂も据置・携帯両対応のNintendo Switchを出すことで厳密な意味での携帯ゲーム機が発売されることが少なくなった中、新たにPanic Inc.がPlaydateを発表した。また、Steam DeckやONEXPLAYER、AYA NEOのように携帯型ゲーム機の形状をしたゲーミングPCも登場し始めるようになった。 Nintendo Switch Lite(任天堂、2019年) Playdate(Panic Inc.、2022年) Arduboy FX(Arduboy Inc.、2022年) 電子ゲーム ゲームロボットai(ハナヤマ、2020年) 立体映像対応のゲーム機 1980年代にトミーから立体視のできる電子ゲームが発売された(『宇宙壮絶戦車戦』、『ジョーズ』、『スペースレーザーウォー』、『ジャングルファイター』、『コスモ・ル・マン』、『ドッグファイト』、『シャーマンアタック』の7作品が確認されている)。 任天堂からは1987年にファミコン3Dシステムが発売、セガからはアメリカ市場においてセガ・マスターシステムでSegaScope 3-D Glassesと複数の対応ソフトが発売された。1994年にはアタリから『ミサイルコマンド3D』と『Wolfenstein3D』のわずか2タイトルだったが、Jaguar VR ヘッドセットが発売された。 1995年7月には任天堂からスタンドタイプのバーチャルボーイが発売されるものの、販売台数は振るわなかった。以上のように200x年代前半までは、いずれも散発的にリリースされたに留まる。2006年11月に発売されたPlayStation 3は2010年4月に公開されたシステムアップデートで3次元ディスプレイへの映像出力に対応し、また2011年2月に任天堂から裸眼立体映像に対応した携帯型ゲーム機ニンテンドー3DSが発売された。 電子ゲーム PC 汎用タイプのPCについてはパーソナルコンピュータの記事を参照のこと。 3Dゲーム用に、高性能なGPUやCPU、大容量のメモリなどを搭載したPCについてはゲーミングPCを参照のこと。 それらのハードウェア上で走らせるゲームソフトウェアについてはパソコンゲームを参照のこと。 復刻系ゲーム機 近年、1970年代後半や1980年代などのゲーム機を懐かしむ人々(当時の若者、現在の年配者)も増えてきており、またそれらの2D的なゲーム、数十年前の雰囲気を現代視点で面白がって楽しむ現代の若者も増えてきており、それらの需要に応えるかたちで、数十年前のゲーム機を復刻させることが活発になってきている。以前と同じゲーム群が動き、概観は当時に似せて小型化し、テレビ受像機との接続についてはHDMI端子で行えるように進化させたものが人気である。また筺体サイズやキータッチまで当時のものに似せて、端子はHDMIやUSBを用意しているものもある。 据置機 ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ(任天堂、2016年) ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン(任天堂、2017年) ネオジオ ミニ(SNK、2018年) PlayStation Classic(SIE、2018年) メガドライブ ミニ(セガ、2019年) PCエンジン mini(コナミ、2020年) メガドライブ ミニ2(セガ、2022年) The C64(Commodore64の大きさやキータッチまで再現し、HDMIやUSB端子を備えたもの) 携帯機 ゲームギアミクロ(セガ、2020年) ゲーム&ウオッチ スーパーマリオブラザーズ(任天堂、2020年) ゲーム&ウオッチ ゼルダの伝説(任天堂、2021年) アーケードゲーム機 アストロシティミニ(セガトイズ、2020年) RETRO STATION(カプコン、2021年) MVSX(SNK、2021年) イーグレットツー ミニ(タイトー、2022年) アストロシティミニV(セガトイズ、2022年) 最も売れたゲーム機 脚注 注釈 出典 関連項目 ゲーム機一覧/:Category:ゲーム機画像 娯楽家電/マルチメディア機 VG Chartz Console Wars - 1990年代のセガ・オブ・アメリカのCEOを務めたトム・カリスンスキを中心に任天堂との競争を描くブレイク・ハリスによる著書。スコット・ルーディン、セス・ローゲン、エヴァン・ゴールドバーグ、ソニー・ピクチャーズによる映画化も発表された。 コンピュータの形態
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88II%20%E6%82%AA%E9%9C%8A%E3%81%AE%E7%A5%9E%E3%80%85
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(ドラゴンクエストツー あくりょうのかみがみ)は、1987年1月26日に株式会社エニックス(現:株式会社スクウェア・エニックス)より発売されたファミリーコンピュータ用ロールプレイングゲーム。 ドラゴンクエストシリーズの第2作目。前作『ドラゴンクエスト』(1986年発売)から100年後、邪教の教祖によって破られた世界の平和を、勇者ロトの血を引く前作の主人公の子孫3人によって再び取り戻す物語である。本作は徐々に高まった前作の人気を受け、発売直後から方々で品切れ、最終的に大ヒットとなり後に「ドラゴンクエスト現象」といわれる基礎を作った。前作と本作、後に発売された『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(1988年発売)の3作はストーリーの関連があることから、英雄「ロト」の名を取って「ロトシリーズ」、「ロト三部作」と呼ばれる。キャッチコピーは「勇者の伝説が再びよみがえる」。タイトルロゴの「II」のデザインは、盾を模したものとなっている。 さらに、社会現象を巻き起こした続編『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』の発売後には、本作のゲームブック化や小説化、ドラマCD(CDシアター)化も行われた。 日本では翌年にMSX、MSX2にも移植された。その後、リメイク版としてスーパーファミコン(以下SFC)用ソフト『ドラゴンクエストI・II』、ゲームボーイ(以下GB)用ソフト『ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II』に収録され、Wii用ゲームソフト『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』にFC・SFC版の両方が収録された。 2000年代以降には携帯電話用アプリ(iアプリ、EZアプリ (BREW)、S!アプリ)、スマートフォンアプリ(iOS。Android)としての配信も行われるようになった。2017年8月10日にはPlayStation 4、ニンテンドー3DS版が、2019年9月27日にはNintendo Switch版がダウンロード配信されている。 北米では、1990年にNESにて『Dragon Warrior II』として発売され、後にGB版『Dragon Warrior I & II』にも収録されている。 ファミリーコンピュータ版はゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」にてプラチナ殿堂入りを獲得、また『ファミリーコンピュータMagazine』の「ゲーム通信簿」にてキャラクタ1位、音楽1位、熱中度1位、操作性2位、オリジナリティ1位、お買い得度1位、総合評価1位を獲得した。 ゲーム内容 移植版・リメイク版については移植・リメイクの節を参照。 ROM容量は前作の倍の1メガビット(約128キロバイト)となり、既存システムの整理やパーティー制などの新システムが追加され、本作で取り入れられたシステムの大部分は後の作品にも受け継がれた。フィールドマップの広さは前作(100×100)の6倍以上(256×256)となったことで、冒険できる範囲が広がった。前作では移動は徒歩のみだが、本作では船に乗ったり、「旅の扉」と呼ばれる装置で遠隔地へ瞬時に移動することも可能となった。ビジュアル面では海岸線や壁などに代表されるグラフィックが強化されたほか、使用楽曲数も増加された。 パーティー制 前作は主人公1人だけで冒険をするシステムであったが、本作では複数人のキャラクターが集団で行動するパーティーシステムを採用し、最終的には3人パーティーとなる。3人は能力の成長の仕方、覚える呪文、装備できる武器などが異なる。ただし、前作を経験していないプレイヤーへの配慮として、いきなり2人以上のパーティーで始まるのではなく、ゲームスタート時は1人だけでゲームを進めていくようになっている。 本作に登場する3人のプレイヤーキャラクターのうち、「あなた」と呼ばれているのは「ローレシアの王子」であり、その名前はゲームスタート時にプレイヤー自身が付ける。後に仲間になる「サマルトリアの王子」と「ムーンブルクの王女」の名前は、「ローレシアの王子」の名前によって自動的に決定されるが、隠しコマンドを使うことによって自分の好きなように名前を付けることもできる。 貨幣のゴールドは全員共有だが、経験値やHP、MPなどのステータスは各キャラクターで別々である。アイテムも各キャラクターごと個別に管理され、それぞれ装備品を含めて8個まで持つことができる(まとめ持ちはできない)。仲間がいるときは、移動中にアイテムをほかのキャラクターに渡したり、回復用のアイテムや呪文を他のメンバーに対して使うこともできる。 ふっかつのじゅもん(パスワード) 前作同様、本作にはセーブ用のメモリが搭載されていないため、ゲームの中断と再開には「ふっかつのじゅもん」(復活の呪文)とよばれるパスワードを利用する。本作では最大52文字と前作の20文字より長いが、復活の呪文はパーティーの人数や所持品の数などによって長さが異なる可変長方式が採用された。 前作では復活の呪文は「ラダトームの城」1か所でしか聞けなかったが、マップの広くなった本作では複数の場所で復活の呪文を聞くことができ、ゲームを再開するときの出発地点はその復活の呪文を聞いた場所となる。前作で城に帰る呪文・道具だった「ルーラ」「キメラのつばさ」は今作では最後に復活の呪文を聞いた場所に移動する。 前作と同じく現在のHPやMPの値が記録されないパスワードであり、復活の呪文を入力してゲームを再開した時点でHP・MPは必ず最大値となる。死亡しているキャラクターがいるときに復活の呪文を聞いた場合でも全員復活した状態で再開するが、再開時には復活に必要なゴールドが差し引かれておりその分所持金が減った状態となる(不足の場合はゴールドが0となる)。 本作発売後には、語呂合わせによっていきなり高レベルからスタートできるなど、さまざまなパスワードが雑誌などに掲載された。もっとも有名な語呂合わせパスワードである「ゆうていみやおうきむこうほりいゆうじとりやまあきらぺぺぺ…(以降最後まで「ぺ」)」については、元々裏技として仕込まれたものではなく偶然ユーザーによって発見されたものだと堀井雄二が語っている。 移動画面 ダンジョン ダンジョンとして前作の『洞窟』のほかに『塔』が登場し、地下に降りていく洞窟ダンジョンと、上層へ登っていく塔ダンジョンに分かれている。洞窟の場合は入口まで戻るには脱出の呪文が使えなければ、来た道を最初まで戻る必要がある。一方で本作における塔は、外縁または吹き抜けから落ちることで地上に脱出したり、下階に移動できる。このシステムを利用して、あるアイテムを装備することで塔から落ちた際にやや離れたところに着地することができる。 また、前作では洞窟ダンジョン内は真っ暗で、アイテム「たいまつ」や呪文「レミーラ」で明かりを灯す必要があり、どちらも使えない場合は手探りで移動しなくてはならなかったが、本作では「たいまつ」「レミーラ」が廃止され、主人公から見通せる範囲だけ表示されるようになった。すなわち、画面全体を使いつつも、主人公たちからは見えるはずのない壁の向こうの空間などは表示されず、広い部屋に入れば部屋全体が見渡せる。壁の間にある通路の先が暗闇となっており、この暗闇部分に入ることで画面が切り替わり、隣のエリアに進む。しかし、画面を切り替えた瞬間は、視界の外に潜んでいたモンスターが現れるため、通常より高い確率で敵と遭遇する。 これらの演出方法は本作から数作にわたって採用された。 コマンド 移動画面でのメニューコマンドでは以下の6つを使用できる。前作の「かいだん」コマンドに関しては階段は上に乗ることで自動的に昇降するようになったため、廃止された。 はなす 住民から話を聞く。今作では主人公を含めたほとんどのキャラクターに前後左右それぞれの向きのグラフィックが与えられており、どの方向にも自由に向くことができるようになったため、話したい人の方向を向いてから「はなす」コマンドを実行するようになった。このため話したい人がいる方角を入力する「きた」「みなみ」「ひがし」「にし」のサブコマンドは廃止されている。 つよさ パーティーのステータスを表示する。 そうび パーティーの装備を変更する。今作では武具の装備に関するシステムが変更され、このコマンドが新しく導入された。手に入れた武具は道具として持ち、このコマンドを使用して装備させないと効果を発揮しない。 じゅもん MPを消費して覚えている呪文を使用する。前作と異なり、戦闘時のみに使用する呪文は移動中の「じゅもん」コマンドでは表示されなくなり、移動中に使用できなくなった。 どうぐ 手に入れた道具を使用する。前作では「とびら」コマンドを使うか「どうぐ」コマンドで鍵を使うことで鍵のかかった扉を開くことができたが、今作では「とびら」コマンドは廃止されたので「どうぐ」コマンドで鍵を使い扉を開くこととなった。 しらべる 主人公の足元を調べる。宝箱の中身は、宝箱の上で「しらべる」コマンドを使用することで取得できるようになったため、前作の「とる」コマンドは廃止された。 店 城や町などに置かれた店は、武具を買える武器と防具の店、使用する道具を買える道具屋、HP・MPを全回復する宿屋、新しく登場した教会の4つが存在する。前作に登場した聖水屋は道具屋で聖水が販売され、鍵屋は鍵が何度でも使えるようになったため、それぞれ廃止された。 教会では、寄付金を払うことにより、死んだキャラクターの蘇生、毒の治療、呪いの解除が可能である。 本作では武器と防具の店で武具を新たに買った場合、古い装備品を引き取らなくなった。 また、本作限りの店として福引所が用意されている。「ふくびきけん」1枚につき1回福引(スロットマシン形式)に挑戦でき、絵柄が揃えばアイテムが手に入る。「ふくびきけん」は主に、道具屋で買い物をした時に、たまにおまけとしてもらうことができる。 移動手段 本作では移動手段が徒歩と城へ帰還する呪文やアイテム以外にも追加された。 シリーズで初めての乗り物として、水上(海・川・湖)を移動することができる船が登場した。フィールド上から主人公たちが乗り込むことによって、浅瀬以外の水上を移動することができる。上陸の際は、歩いて通ることのできる地形であればどこにでも上陸できる。地上同様、水上でもモンスターとの戦闘が発生し、水上のみ出現するモンスターもいる。 本作では瞬間移動の呪文「ルーラ」や道具「キメラのつばさ」を使ったときは、最後に復活の呪文を聞いた城や町に瞬間移動する。主人公たちと同時に船も移動先の城や町の近くへ移動する。 また、旅の扉という青い渦巻状の物体が各地の城・町やほこらなどに用意されており、飛び込むと、遠く離れた場所に一瞬で移動することができる。これを使わないと行くことのできない場所もある。旅の扉の多くは鍵が無いと利用できない。 戦闘 前作同様、フィールド上・ダンジョン内などでランダムエンカウントでモンスターとの戦闘となる。本作ではフィールド画面に戦闘ウィンドウが開くのではなく、背景が黒一色の戦闘専用の画面に移行する。コマンド選択時の「コマンド?」のメッセージは削除された。 本作ではパーティーを組んでいる主人公一行に対して、敵も徒党を組んで襲い掛かってくる。同じ敵モンスターが複数集まりグループを組んでいる場合もあり、同じモンスターの集団に対しては通常攻撃(たたかう)では通常一体ずつしか攻撃できず、攻撃呪文にはグループ全員や敵全員を攻撃する効果を持つものもある。何匹いるのかはコマンド入力時のメッセージとともにグラフィックでも表示される。 前作での主人公と敵とが交互に行動する戦闘システムから、最初に味方全員の行動をコマンド選択で一度に指示し、1ラウンド内に敵・味方各キャラクターが1回ずつ、各自の素早さにランダム要素を加味して計算された順番で行動するシステムが採用された。ただし、戦闘の最初のラウンドでプレイヤー側から一方的に攻撃できる場合(先制攻撃)や、逆に敵から一方的に攻撃を受ける場合(不意打ち)もある。複数のキャラクターが入り乱れるようになったことで戦闘は戦略性が向上し、後のドラゴンクエストシリーズ作品の戦闘システムの基礎を築いた。 呪文には、攻撃や回復、状態異常を及ぼすもののほか、命中率や防御力などの能力値に影響を与える補助呪文が追加された。また状態異常には、この「死亡」やコマンド入力が行えない「眠り」、呪文が使えない「マホトーン」に加えて、移動画面に戻ったときに歩くごとにHPが減っていく「毒」と、通常攻撃の命中率が低下する「マヌーサ」が新たに追加された。 戦闘コマンドには、何もせず身を守ることにより敵からの攻撃のダメージを減少させるコマンド「ぼうぎょ」が追加された。1キャラクターが選べる戦闘コマンドは4つで、ローレシアの王子は「じゅもん」を選択することができない代わりに「にげる」を選択でき、他のメンバーは「にげる」を選択できない。ローレシアの王子が眠ったり死亡したりしていてコマンド入力できない状態の場合は、コマンド入力可能な最前のキャラクターの「ぼうぎょ」コマンドが「にげる」に変わる。 プレイヤーキャラクターのHPが0になると死亡扱いとなり、そのキャラクターは一切の行動ができなくなる。全員が死ぬと全滅となり、所持金が半減し、ローレシアの王子のみ生き返り、直近に「復活の呪文」を聞いた場所に戻される。 現れた敵をすべて倒すと勝利になり、経験値はとどめを刺したキャラクターと関係なく全員平等に手に入る。ただし死んでいるキャラクターは経験値を得ることはできない。本作ではモンスターが2体以上出現した場合のみ、その匹数により獲得した経験値が割増になるシステムがあり、倒したモンスターの経験値合計×{1+(出現匹数-1)/10}+1(小数点以下切り捨て)が実際の獲得経験値となる。 敵の中には蘇生呪文である「ザオリク」を唱えるものもいる。本作ではザオリクで生き返ったモンスターを倒すと、その分多くの敵を倒したものとして、戦闘終了後に入る経験値が加算される。一方で途中で逃げたり、味方が「メガンテ」の呪文を使った場合は、一部の敵を倒していても経験値やゴールド(貨幣)は手に入らない。 本作からは、戦闘に勝利したときに敵モンスターが一定確率で宝箱を落とすようになった。中には敵の宝箱からしか手に入らないアイテムもある。 北米版(NES版) 北米で発売されたNES版『Dragon Warrior II』は、内容は日本版とほぼ同じだが、日本版には無かったプロローグ(ムーンブルク城が襲われるシーン)が追加された。 また、データの保存にバッテリーバックアップ方式が採用され、日本版での教会の十字架が五芒星のマークに、棺桶が幽霊のグラフィックに変更された。 バグ 本作では以下のバグが存在する。これらは雑誌などでは「裏技」として紹介された。一部はゲームブック版(エニックス刊)でも採用された。 幻影が出ている状態のハーゴンの神殿内で装備を変更し、幻影を解くか神殿を出ると、装備している武器防具とそれによる特殊効果は装備変更前のものになるが、攻撃力・守備力は装備変更後の値になる。ただしそのあとレベルアップした場合や復活の呪文を聞いて再スタートした場合は攻撃力・守備力も元に戻る(ハーゴンの神殿に入り直せば再度行うことが可能)。この特性により、武器「はやぶさのけん」を「はかいのつるぎ」に装備変更してから幻影を解くか神殿を出ると、装備している武器は「はやぶさのけん」となり、攻撃力は「はかいのつるぎ」を装備した状態のものとなるので、「はかいのつるぎ」の攻撃力で2回攻撃ができるようになり、「はかいのつるぎ」の呪いは消える。これは「はかぶさの剣」という通称があった。「はかぶさの剣」は後にゲームブック版や派生作品でオマージュされている。 通常のプレイでは1着しか入手できない防具である「みずのはごろも」を2着入手することができる。「みずのはごろも」とそれを作るのに必要なアイテムを入手するシステムを利用した技である。 一定条件を満たした状態でラストボスに敗北するとデルコンダルで戦闘が再開し、倒した後は普通では起こりえない現象がいろいろと起きる(MSX1/2ではバグは起きないと『MSX・FAN』に掲載)。ゲームブック版でも特殊アイテムを入手した状態で敗北すると同様の展開になるが、勝利後は通常通りの流れとなる。 ラストボス勝利後、エンディングを迎えるためにはベラヌールの町の通路の扉を1か所開ける必要がある。そのため、必要な鍵を捨てていて、かつ扉を開ける呪文を覚えていない、もしくはMPが0である状態であると、通行不可となりリセットを余儀なくされる。 「ザラキ」の呪文が内部的に“大ダメージを与えて死亡させる”という処理になっているため、ごく一部のHPの多いモンスターは「ザラキ」が効いても死なない。 「いかずちのつえ」を複数保持はできないが、売ったり捨てた状態で復活の呪文を記録・復帰すると何度でも入手する事ができる 特定の条件を満たすことで、フィールドを移動する際に敵とエンカウントしなくなる。 設定 ストーリー 『ドラゴンクエスト』において、アレフガルドを恐怖に陥れた竜王は勇者ロトの血を引く勇者によって倒され、それ以降、世界は平和な時代が続いた。勇者はラダトームの姫であったローラとともに新たな地を訪れ、国を築く。国号は妻の名を採って「ローレシア」とされた。 その後、国はローレシア、サマルトリア、ムーンブルクという3つの王国に分割され、勇者とローラがもうけた3人の子供とその子孫が各国を治めていった。本作はそれから100年が経ち、平和が破られた後の物語である。 ムーンブルク王国の城が邪教の教祖大神官ハーゴンの手先によって滅ぼされ、ムーンブルクから脱出した1人の兵士がローレシアにたどり着く。兵士はハーゴンのことをローレシア王に伝えるとその場で息絶える。サマルトリアやローレシアがハーゴンの手に落ちてしまうのを阻止するため、ロトの末裔であるローレシアの王子(主人公)が、ハーゴン討伐のためローレシアを旅立つ。旅の途中、サマルトリアの王子、そして行方不明となっていたムーンブルクの王女と出会い、仲間に加える。 旅を続ける一行は、アレフガルドにて竜王のひ孫と出会い、ハーゴンを倒すには精霊の力が必要であり、その力を借りるには5つの紋章が必要だと聞かされる。そして一行は世界各地を巡って5つの紋章を集め、精霊ルビスの加護を授かる。 その後、一行はハーゴンを討ち倒すことに成功するが、その死に際にハーゴンは破壊神シドーを召喚する。こうして主人公たちはシドーとの最後の戦いに臨むこととなる。 世界設定 アレフガルド一国のみが舞台だった前作だが、本作ではそのアレフガルドを含んだ世界すべてが舞台となる。 世界地図の北端と南端、東端と西端はそれぞれ繋がっており、例えば世界地図の北西に位置するルプガナから北方へ向かうと南西のベラヌールに、西方へ向かうと北東のローレシア大陸に着く。これは以降のドラゴンクエスト作品すべてについていえることである。 物理的なマップの広さは前作の6倍以上となったが、アレフガルドのみにマップ全域を充てていた前作に比べればアレフガルドそのものは縮小され、ラダトーム城、竜王の城、沼地の洞窟、聖なるほこらのみを残し、前作で登場したそれ以外の町・村や洞窟は省略された。ドムドーラからメルキドヘ向かう途中で通る砂漠の山岳は規模を縮小しながらも残された他、リムルダールの町があった場所には、町を取り囲んでいた湖が残されているなど、特徴的な物がいくつか残されており、縮小、簡素化されながらも前作を彷彿させている。 舞台 ロトの子孫の国 前作主人公がローラ姫と共にアレフガルドより旅立ち、建国した国「ローレシア」と、ローレシアより分割した「サマルトリア」「ムーンブルク」の三国。前作主人公およびその子供たちが初代国王となり、その縁から同盟関係にある。なお、『知られざる伝説』や小説といった外部書籍では、ムーンブルクは元々新大陸にあった国家でそこに娘を嫁がせたという設定も存在する。 ローレシア 世界北東の海岸沿いにある王国。本作のスタート地点。城内には、はるか南の島に通じる旅の扉がある。ローレシア城とサマルトリアの中間地点にはリリザの町がある。 サマルトリア ローレシアの北西の森林に囲まれた場所にある王国。東方には勇者の泉、西方には湖の洞窟がある。城の南西にあるローラの門の奥には、ムーンブルクに通じる洞窟がある。 ムーンブルク サマルトリアの南、世界の中央部にある王国。しかし現在、城はハーゴンの軍勢に攻め落とされ廃墟となっており、城内は毒の沼が噴き出し、魔物が多数出現する。また、王などの人々が魂として漂っていて、しかもこの魂達には王女の姿が基本的に見えていない。城の北には「人と人が出会う町」と呼ばれるムーンペタの町、南東には風の塔が建っている。 上記以外の国家・都市 ラダトーム 前作の舞台であったアレフガルドの中心にある城と城下町。本作では城と城下町が1つのマップに統合されており、城と城下町の位置関係が前作とは逆である。ラダトーム王はハーゴンを怖れて身を隠している(武器屋の2階にラダトーム王らしき人物がおり、携帯電話版以降では必ず会いに行くことになる)ローラ姫の生家であるラルス王家には前作主人公やローラ姫の血縁は受け継がれていない。外部書籍では跡取りがいなくなったため、血族を養子に迎えたことでロトの血を引かない縁戚という間柄になっている。対岸の竜王の城は地上階が既に崩壊しており、地下内部にもハーゴンの配下の魔物が巣くうが、竜王のひ孫が暮らしている。そのひ孫は主人公に対して敵対はせずに友好的な態度を示し、ハーゴンの暴挙を不愉快に思っているという理由で一行に重要な情報を教える。また、はるか南の島には大灯台がそびえ立つ。 ルプガナ アレフガルドから海を挟んで西にある港町。しかし、ここではよそ者には船を貸さないという慣わしがある。付近には運河を挟んで南北に建つドラゴンの角と呼ばれる塔がある。 ベラヌール 世界の南西にある島のほぼ中央にある水の都。ロンダルキアのふもと(ペルポイの西のほこら)に通じる旅の扉があり(鉄格子によって阻まれている)、ロンダルキア台地と下界との中継地となる。 テパ ロンダルキア台地の西に接する森林地帯にある本作で唯一の村。水門があるが、鍵を盗賊ラゴスによって奪われた。性能の高い防具「みずのはごろも」を作ることができる羽衣職人ドン・モハメが住む。村の南には満月の塔がある。 デルコンダル ローレシアの南の島にある王国。武勇を尊ぶ国で、玉座のすぐ前に闘技場があり、王は決闘に勝った者に対して褒美を与える。一部の関連書籍では、『ドラゴンクエストIII』に登場する大盗賊カンダタが作った国とされている。 ザハン はるか南東の小島の町。漁師の町であったが、漁師たちは魔物に襲われ海の藻屑と化した。従ってこの町で見られるのはほとんどが女性や子供であり、神殿がある。対岸の小島にあるほこらには、ローレシア城内に通じる旅の扉がある。なお、スタート直後にローレシア城内から旅の扉でこのほこらに行くこともできるが、船がないのでザハンに渡ることはできないため行っても無意味である。 ペルポイ ロンダルキア台地の南東にある町。ハーゴンの魔物の攻撃を避けるため地下に作られており、入口は金色の扉で閉ざされているため、金の鍵が無いと町に入れない。道具屋では、人には言えない秘密のものが売られている。テパの村から水門の鍵を奪ったラゴスがどこかに隠れており、また「まちのうたひめアンナ」も登場する。付近には炎のほこらや世界樹の生えた島もある。 そのほかの地にある建造物・ダンジョン 海底の洞窟 デルコンダルの西の海に浮かぶ浅瀬に囲まれた島の洞窟で、邪神を祭る礼拝堂がある。MPを吸い取る「ふしぎなおどり」を使う敵が多く、歩くたびにHPを減らす溶岩や罠が仕掛けられた宝箱もあり、階段の数も多く複雑な構造となっている。 精霊のほこら デルコンダルとローレシア大陸の間の海に浮かぶ島のほこら。大地の精霊ルビスが降り立つ場所とされる。 敵地 ロンダルキア台地 最終決戦の舞台となる台地。一面が雪に覆われ、急峻な山で下界とは隔絶されている。巨人族、悪魔族などが闊歩する異世界ともいうべき場所である。ここにたどり着くには、7層に及ぶ広さと落とし穴や無限ループなどの仕掛けのあるロンダルキアへの洞窟を通らなくてはならない。台地には大神官ハーゴンの本拠地であるハーゴンの神殿があるが、侵入者に対して幻を見せ、これを打ち破らない限り本物の神殿には入れない。また、下界へ戻る一方通行の旅の扉のあるほこらも存在する。 道具 物語を進めるうえで特に重要な道具について解説する。 銀の鍵、金の鍵、牢屋の鍵、水門の鍵 扉を開けるための鍵。前作と異なり本作では何度でも鍵を使える(水門の鍵を除く)が、扉に対応する鍵を使わないと扉は開かない。鍵がなくても扉を開けられる呪文も存在する。 風のマント 高いところから飛び降りた時に滑空することのできるアイテム。滑空することで、遠く離れた場所に着地できる。 ラーの鏡 真の姿を映す魔法の鏡。その後のシリーズにも定番アイテムとして登場する。 5つの紋章 世界各地に散らばる紋章。太陽・月・星・水・命の5つがあり、入手した紋章はステータスウィンドウ内に記号で表示される。これらの紋章のある場所で「山彦の笛」を吹くと山彦が返ってくる。物語の中盤は、この紋章を集めることが中心となる。 邪神の像 破壊の神を模った像。ハーゴンのいるロンダルキアへの道を開くために必要となる。 ルビスの守り 主人公たちがかつてアレフガルドを創った精霊であるルビスから授かるお守り。まやかしを打ち砕く能力を持っており、邪神の像とともにハーゴンに近づくために欠かせない道具として存在する。 ロトの剣、ロトの鎧、ロトの盾、ロトの兜 勇者ロトの残した武具。剣と鎧は前作と同様のものだが、本作ではロトの剣よりも威力の強い武器が複数存在する。 呪文 モンスター 登場人物 この節ではゲーム内で語られる設定を中心に、リメイク版などの派生作品に関しても述べる。100年後の世界であるため、前作の登場人物の子孫が主要キャラクターとして登場する。 メインキャラクター 。それぞれの盾、服、頭巾にロトの紋章が施されている。 同盟国同士でもあるが、物語開始時点ではプレイヤーキャラクター3人に互いの面識はない(双葉社のゲームブックも同様)。ただし、リメイク版ではサマルトリア王子、ムーンブルク王女が幼少時にローレシア城を訪れていることが明らかになっている。小説やエニックスのゲームブック、CDシアターでは物語開始時点で3人とも顔見知りである。 最高レベルはFC、MSX/MSX2、SFC、GB版での値。携帯電話版では3人とも50に統一されている。 解説文中の呪文の詳細はドラゴンクエストシリーズの呪文体系を参照。 ローレシアの王子 声 - 古谷徹(ラジオドラマ版) / 山口勝平(CDシアター版) / 内田雄馬(ライバルズエース) 本作の主人公。名前はプレイヤーが自由に付けることが可能で、公式名はない。 ムーンブルク兵の命がけの報せを受け、父である王からハーゴン討伐へと送り出された。服の色は青を基調とし、頭に頭巾とゴーグルを着用。髪の色が発売メディア毎に不定(茶髪や黒髪など)で、『ドラゴンクエスト モンスターバトルロード』では銀髪。リメイク版では「ゆうしゃのしそん」という肩書きが与えられている。 攻撃力とHPが高く素早さも十分にあり、全ての武器(杖も装備可能)・防具(「あぶないみずぎ」を除く)を扱えるが、呪文は一切使えない。最高レベルは50。 リメイク版では最終ボスを倒した後にローレシア王から、勇者の称号を得る。 サマルトリアの王子 声 - 堀秀行(ラジオドラマ版) / 佐々木望(CDシアター版) / 福山潤(ライバルズエース) 公式名はない。 ローレシアの王子を探して旅立ったが、のんびり屋で寄り道好き。服の色は緑を基調としている。頭にはヘッドギアとゴーグルを着用。リメイク版では「まほうせんし」の肩書きが与えられている。 「たたかう」による前衛としても、「じゅもん」による後衛としても使えるキャラクター。相手を即死させるほどの大ダメージを与えるザラキや、死んだ仲間を復活させるザオリクなどの呪文を覚えるが、装備できるもっとも威力の高い武器が序・中盤で買える「てつのやり」(リメイク版では「ひかりのつるぎ」や「ロトのつるぎ」も装備できる)。性能が中途半端で扱いにくいキャラクターだが、大器晩成型で、高レベルになると能力(特に攻撃力)が大きく向上する。最高レベルは45。 妹が1人いる。 ムーンブルクの王女 声 - 平野文(ラジオドラマ版) / 横山智佐(CDシアター版) / 上坂すみれ(ライバルズエース) 公式名はない。 ムーンブルク城はハーゴンの軍勢によって壊滅しており、彼女も行方不明となっている。白いローブに赤紫の頭巾をかぶっている。髪の色はFC、MSX/MSX2版、『モンスターバトルロード』、後述の『ドラゴンクエストIX』では紫色で、SFC以降のリメイク版と『いただきストリート』シリーズでは金髪。リメイク版では「まほうつかい」という肩書きが与えられている。 攻撃力とHPは低く、扱える武器の種類も少ないが唱えられる呪文の種類が豊富でMPと素早さが高い。呪文による後方支援を専門としており、今作での最強攻撃呪文イオナズン、味方1人を全快させる回復呪文ベホマなどを覚える。最高レベルは35。 サブキャラクター サマルトリアの王女 サマルトリアの王子の妹。はっきりと物を言う勝気な性格で、自分も主人公たちと旅に出たいとせがむ。 公式名はない。 ムーンブルク王 ムーンブルクの王女の父。自身も優れた魔法の使い手だったが、襲撃してきたハーゴン配下の魔物たちとの戦いの末に命を落とす。死後も無念の想いを抱え、魂が廃墟と化した城内を彷徨っている(王女を仲間にした状態で魂に話しかけると「何も見えない…何も聞こえない…」という趣旨の台詞が追加される)。 船の番人 声 - 平野正人(CDシアター版) ルプガナに住む、船を所有する老人。 公式名はない。 最初は町の慣わしだとごねて、船の提供を主人公たちに渋っていたが、孫娘を主人公らが魔物から救ってくれたことから船の提供を決断する。 ラダトーム王 ラルス王家の血縁ではない現ラダトーム王。ハーゴンを恐れる余り、どこかへ姿をくらました。 竜王のひ孫 声 - 加藤精三(CDシアター版) かつての竜王の居城に住んでいる人物で、竜王と瓜二つの姿をしている。自らを竜王のひ孫と名乗り玉座に鎮座しているが、ロトの子孫たちを敵対視することはなく、自分に代わってハーゴンを打倒するようロトの子孫たちに依頼し様々な情報を与えて支援してくれるが、申し出を断ると拗ねてしまう。 リメイク版ではシドー討伐後に竜王の城を訪れると主人公たちをちゃん付けで呼び友達になってほしいと申し出る。かつ自分のことは「リュウちゃん」と呼んでほしいとも言っている。 ドン・モハメ 世界で唯一、「水の羽衣」を織れる機織職人と名高い初老男性。典型的な職人気質で、気に入った材料を提供してくれなければ仕事をしないという。 デルコンダル王 声 - 青野武(CDシアター版) 武勇の国の気質に相応しく、勇敢な戦士をこよなく愛する王。ハーゴン打倒に必要なアイテムの一つを所持している。 リメイク版では短躯で筋肉質な、30代くらいの粗野な風貌の王として描き起こされている。 タシスン ザハンの漁師。妻と飼い犬を残して漁に出たが、他の漁師と同様還らぬ人となった。町のどこかに金の鍵を埋めていた。 ラゴス 神出鬼没の盗賊。テパから「水門の鍵」を盗んだ張本人。 ペルポイの牢獄に投獄されていたが、現在行方をくらましている。 リメイク版の攻略本には、盗みを働くのは単に世間を驚かせたいだけだからだと記されている。 『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』では武術大会の対戦相手として、『ドラゴンクエストX オンライン』のクエスト「大盗賊の伝説」ではカンダタの知人として登場する。 ルビス 声 - 潘恵子(CDシアター版) アレフガルドの創造主であり、大地の精霊。紋章を全て揃えると、とある海上の祠の最上階に現れる。 、、 ハーゴンの3体の手下。それぞれハーゴンの神殿の各階層で戦闘となる。 アトラスは棍棒を持った一つ目の巨人で、高威力の打撃による2回攻撃を1人に集中して仕掛けてくる。 バズズはコウモリのような翼が生えたサルのような悪魔で、ザラキ、イオナズンといった呪文を多用する。HPが減ってくると、自爆呪文のメガンテで主人公たちを全滅させようとする。 ベリアルはトライデントのような武器を持ったバズズよりも巨大な翼の生えた悪魔で、2回攻撃の他に炎を吐く一方、イオナズンを多用し、時折ベホマを唱えて体力を完全回復する。呪文への耐性が高い。 3体は後のドラゴンクエストシリーズでも登場する。ナンバリングタイトルにおいては『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』でバズズが、『ドラゴンクエストVIII』でベリアルが、『ドラゴンクエストIX』でアトラスが、『ドラゴンクエストX』では各々が単独または3体揃って登場する。 ドラゴンクエストモンスターズシリーズでは度々3体が揃って登場し、『ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート』では本作品とほぼ同じ出現場所でパワーアップして登場する。 『トルネコの大冒険』シリーズの『2』以降や前述の『キャラバンハート』など番外作品ではいくつか競演している。また、アトラス以外はいずれもザコ敵としての再登場である。 『ドラゴンクエスト モンスターバトルロード』では「ロンダルキアの悪魔たち」として三体一組の敵として立ちはだかる。 『バトルロードIIレジェンド』の「レジェンドクエスト」ではアトラスが先駆けて登場し、バズズとベリアルはハーゴンと同時に登場する。 声 - 銀河万丈(CDシアター版) / 鈴村健一(ライバルズ) 破壊神シドーを崇める大神官で、主人公たちの倒すべき敵の親玉。ロンダルキア台地に神殿を構え、多数の魔物を率いてムーンブルクを滅ぼした。呪文を多用するほか、2回攻撃もでき、時折「甘い息」で眠らせてプレイヤーを行動不能にする。また、呪文「ベホマ」(リメイク版では「ベホイミ」)を唱え体力を回復する。リメイク版では遠方の人間に呪いを掛ける能力も持っている。 イラストでは頭身が低く若干コミカルだが、パッケージイラストではリアルに描かれ、アーケードゲーム『ドラゴンクエスト モンスターバトルロード』で再登場した際は元の意匠を残しつつアレンジが施され、肩書きも「邪神官」に変更された。 声 - 銀河万丈(CDシアター版) / 鈴村健一(ライバルズ) 本作の最終ボス。ハーゴンが死に際に召喚した邪神で、明確な意思はなく、ただ本能のままに破壊を繰り返す破壊神である。4本の腕を持つ龍の姿をしている。 HPが255でハーゴンなどほかのボスキャラクターと比べて目立って高くはないが、一定の確率で完全回復呪文ベホマを使うという特徴を持つ。最終ボスがベホマを使うのは、シリーズ全作品を通して唯一である。 攻撃面でも、激しい炎を吐いて全体に100前後の大ダメージを与えるほか、眠りの追加効果を持つ打撃(ファミコン版およびMSX1/2版)あるいは2回打撃(スーパーファミコン版以降のリメイク)を織り交ぜた、パーティーにとって致命的となる攻撃を仕掛ける。 アトラス、バズズ、ベリアル、ハーゴン、シドーは戦闘時にダメージを受けた際の演出が通常の敵と異なっており、バリア床を通ってダメージを受けたときの音を鳴らして白く発光するという形になっている。 なお、シドー戦では特殊な戦闘処理の仕様として、絶対に会心の一撃が出ないようになっている。 リメイク版ではベホマを使用しなくなった代わりにHPが1750にまで増えた。さらにスクルトを使い守備力を上げてくるようになった。ただしルカナンで防御力を下げることは可能である。 雑誌での紹介記事ではハーゴンがラストボスとして紹介されていたが、FC版『II』およびSFC版『I・II』ではパッケージの背景に姿が描かれた。 後に『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』や『ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン』、『ドラゴンクエストモンスターズ』シリーズ、『モンスターズバトルロード』などでも登場する。 『ドラゴンクエストIX』ではレベルが上がるとベホマを使用するようになる(ただし、完全回復はしない)。 『ドラゴンクエストX』では「アスフェルド学園」ストーリーの最終ボス・狂乱の破壊神及び破界篇の最終ボスとして登場。こちらもベホマを使用するようになる(ただし、完全回復はしない)。 『バトルロード』では強化形態「真・シドー」が、『ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵』ではオリジナルの強化形態「ジェノシドー」が登場する。 開発 没要素 当初はオープニングのエピソードは絵物語形式で進行する予定だったが、容量の都合により削除され、使用される予定だったドット絵(正確には線を引いて内部を塗りつぶすプログラムとそれを指定するデータにより描画しており、これを担当した専任のプログラマがいた)は取扱説明書の6ページに1枚だけ採用されている。また他にもストーリーの途中で紙芝居的な演出を行う予定があったがそれも削除された。 アイテムでは「あぶないみずぎ」がFC版で使用可能なアイテムとして収録される予定だった。後述するようにMSX版以降では収録が実現している。他にも「耳せん」「死のオルゴール」などのアイテムがカットされ、その影響でダンジョン内のからっぽの宝箱が増えた。 次作『ドラゴンクエストIII』から登場するだいおうイカを始めとするイカのモンスターは当初は本作で登場予定であった。これに関する出典はファミリーコンピュータMagazineの『ドラゴンクエストII』の記事にて登場モンスターの一体として写真付きで掲載されている。 他機種版 MSX版・MSX2版 FC版の約一年後に発売されており、内容はFC版とほぼ同じだが、ロムの容量が増えたことでオリジナルアイテムとしてムーンブルクの王女のみが装備できる防具「あぶないみずぎ」のアイテム並びにイベントの追加や、「あくましんかん」4匹などFC版では無かった敵のフォーメーションが登場し、全体的に敵が強く設定されるなどの変更が行われた。 音源が異なるため、メロディーラインが全てデューティ比50:50の矩形波であるほか、BGMにアレンジが施されており、特にパスワードを入力する際のBGM「Love Song 探して」はポルタメントを多用し、「歌」を強く意識したアレンジとなった。ほぼ全曲においてFC版より長2度低く、例えばハ長調の王宮のテーマは変ロ長調になる。 コマンド画面でのアイテム表示が、8個一列ではなく4個二列に変更された。 MSX版 MSX版では、単色スプライトでないと複数個のキャラクターの横並びが困難で、PCGが横8ドット毎に2色までしか表現できないために、スプライトとPCGを組み合わせてキャラクターを表示している。そのためにキャラクターの背景が黒く表示されるが、MSX1でもファミコン版に近い色使いのキャラクターを実現し、主人公3人の行進が可能となった。前述のPCGの表示制限により敵の色や背景の模様がのFC版と一部異なる、効果音が鳴っている間はBGMのパートが一部欠けるなどの違いもある。「あぶないみずぎ」入手時のイベントで、露出度の高い水着を着たムーンブルクの王女(鳥山明のデザインとは別物)のグラフィックが画面全体に表示される。 画面スクロールはPCG8ドット毎。 MSX2版 MSX2版はFC版に忠実なグラフィックを実現している。戦闘突入時のフェードアウトがFC版と違い、MSX版はパレットが固定なので直接に戦闘画面・MSX2版はパレットを暗くしていく(フェードイン・フェードアウト)方式となる。「あぶないみずぎ」のグラフィック表示はカットされているが、台詞など、イベントそのものは同一である。 画面のスクロールにおいて、MSX2版の速度はFC版よりも遅い。 スーパーファミコン版 FC版のストーリーを基に、操作性やグラフィック面など多くの点を改良したリメイク作品。FC版発売から6年後の1993年(平成5年)に第1作『ドラゴンクエスト』と合わせて1本のソフト『ドラゴンクエストI・II』として発売された。町の人の台詞なども一部が変更・追加されたほか、NES版に追加されていたプロローグ(ムーンブルク城が襲われるシーン)とゲーム中盤でのシナリオの追加も行われた。 FC版に存在するバグは解消されたが、SFC版については別のバグがいくつか発覚している。これらは後のGB版以降で修正された。 「星の紋章」を「大灯台」でとる時、「グレムリン4体」が「グレムリン3体とゴーゴンヘッド」になり、途中で止まってしまい、電源を切らなければいけなくなる(音楽はとまらない)。 幻につつまれた状態の敵に即死の呪文「ザラキ」が100%成功する(SFC版ではザラキに耐性のある敵にかけると254のダメージを与えられるようになっている)。 キーアイテム「ラーのかがみ」を、本来の対象以外にも使用できるが、使用後は消失するため、ゲームが続行不能になる。 ゲームボーイ版 1999年(平成11年)に発売。SFC版と同様、第1作とセットで1本のソフトとなり、ナンバリングタイトル初の携帯ゲーム機用ソフトでもある。SFC版に準拠した移植だが、GB版ではその場でゲームを中断する「中断の書」機能が追加された。 携帯電話版 2005年(平成17年)から配信が開始された携帯電話アプリ。iアプリ(メガアプリ非対応機種)版では容量の問題のために前編アプリと後編アプリに分けられており、それ以外の機種では1つのアプリに全編が収録された。 グラフィックはSFC版『III』を、サウンドはゲームボーイ版『I・II』をベースとするが、音楽の長さが一部短縮された(FC版相当)ものもある。また、プロローグでは「パストラール〜カタストロフ」は使用されず、「王城」と「戦い」に変更された。 GB版同様、「中断の書」機能が搭載されている。このほかには、レベルや必要経験値・呪文習得レベルの設定の変更や、攻撃呪文「ギラ」「ベギラマ」の対象範囲の変更、瞬間移動呪文「ルーラ」および瞬間移動アイテム「キメラの翼」の仕様変更(『ドラゴンクエストIII』以降のように行先の選択が可能に)、出現するモンスターの一部変更、「命の紋章」の入手場所の変更(紋章を全て揃えないとロンダルキアの洞窟に入れない仕様に変更された)、最高レベルが3人とも50までに変更(FC版・SFC版・GB版では、ローレシアの王子が50、サマルトリアの王子が45、ムーンブルクの王女が35)、などが行われた。 Wii版 2011年(平成23年)9月に発売。FC版の第1作・『III』、SFC版の『I・II』・『III』とセットで収録。中断機能が追加されている。 スマートフォン版 2014年6月26日にAndroidおよびiOS向けに配信開始。『I』同様にアプリケーション『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』から購入・起動する方式。フィーチャーフォン版をベースに移植。グラフィック、操作方法はスマートフォン版『I』同様。戦闘画面ではNintendo DSのリメイク作等のように指定した行動が表示される。BGMはスマートフォン版『I』、『IV』同様交響組曲版をベースにしたシンセサイザー音源で、戦闘終了後のBGMは『I』同様途中から続けて流れる。 PlayStation 4・ニンテンドー3DS・Nintendo Switch版 2017年8月10日(Nintendo Switch版は2019年9月27日)に配信開始。スマートフォン版をベースにしたもので、3DS版は下画面にマップが表示される。ニンテンドー3DS版はアイテムの「やまびこのふえ」が紋章のある場所と無い場所でのSEが逆になっている。 スタッフ ファミリーコンピュータ版 シナリオ・ライター:堀井雄二 モンスター・デザイナー:鳥山明 ミュージック・コンポーザー:すぎやまこういち シナリオ・アシスタント:宮岡寛 チーフ・プログラマー:中村光一 プログラマー:行徳豊、成田東吾、河野清隆、岡野まさあき、吉田幸司 サウンド・プログラマー:山森丈範 CGデザイナー:安野隆志 アシスタント:RIKA SUZUKI、吉田英博 ディレクター:中村光一 プロデューサー:千田幸信 パブリッシャー:福嶋康博 MSX版 プログラマー:日浅庄治、きたあきら CGデザイナー:村瀬幸司 サウンド・プログラマー:田口泰宏 チャージ:望月敬三 評価 雑誌媒体による評価 ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では9・10・10・9の合計38点(満40点)でプラチナ殿堂入りを獲得、レビュアーからは「相変わらず『ウルティマ』色の強いゲームになっている」と『ウルティマ』との類似性に関して指摘があったが、「シナリオの精巧さ、ゲームバランスなど、一般的なファミコンゲームとは一線を画している」、「長く遊べそうな本気ですすめのゲーム」と完成度に関して肯定的に評価された。 ゲーム誌『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、28.02点(満30点)となっている。この得点は、『ファミリーコンピュータMagazine』 の「ゲーム通信簿」としては歴代最高得点となっている。 {|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; width:50%" |- ! 項目 | キャラクタ || 音楽 || お買得度 || 操作性 || 熱中度 || オリジナリティ ! 総合 |- ! 得点 | 4.76 || 4.77 || 4.56 || 4.59 || 4.84 || 4.50 ! 28.02 |} 『ファミリーコンピュータMagazine』1991年5月10日号特別付録の「ファミコンロムカセット オールカタログ」では、本作により『ドラゴンクエスト』がシリーズ化されるに至る確固たる人気を得た事を指摘した他、マップの広さが前作の4倍となった事、移動手段として船や旅の扉が登場したことに関して「豊富な内容になっている」と肯定的に評価、さらに「IIでは謎はより深まり、イベントの数も増し、難易度も上がっている」と難易度の高さを指摘、パーティプレイに関しては戦闘時の攻撃バリエーションが増加した事などに触れ、「様々な行動パターンが生まれる」と肯定的に評価、その他にはイベントやダンジョンが増加した事やIの舞台であったアレフガルドが登場する事に対して肯定的に評価した。その他、同付録の巻末に収録されている「ロムカセット部門別BEST5」では、キャラクタ1位、音楽1位、熱中度1位、操作性2位、オリジナリティ1位、お買い得度1位、総合評価1位を獲得した。 難易度に関して 本作は、特にゲーム後半で重要アイテムを持つ人物「ラゴス」の発見が難解とされたこと、序盤から雑魚敵が強い、ダンジョン「ロンダルキアへの洞窟」のトラップの多さ、ルビスのほこらの発見が困難、最終ダンジョンの2階へ行くヒントが無い、最終ボスのシドーが完全回復呪文「ベホマ」を使用することなどから、「最高難度のドラゴンクエスト」と評されることもある。 製作者の中村光一はテレビ番組でのクリエイターインタビューにおいて、ロンダルキアへの洞窟について「(迷路を抜ける古典的なテクニックである)壁を右手伝いで辿って行けば、穴に落ちずに抜けられるように作ってあるので、あんなに反響が多いとは思わなかった」とコメントしていた。さらに、終盤のテストプレイに十分な時間をかけられなかったせいで、「洞窟に挑む際は多分これくらいのレベルだろう」との想定で行われたバランスを読み誤り、高い難易度のまま確定してしまったことも明かしている。 備考 本作のゲーム画面の雑誌への掲載が著作権侵害とされたハイスコア事件の裁判の判決(地裁)と解説が判例百選に掲載されている。 中村光一によると、最終的に容量は10バイトほど余ったため、当時の開発用基板についていたLEDランプを順番に点灯させるお遊びが仕込まれている。当然一般ユーザーは発見することができないものだったが、遠藤雅伸はこの仕掛けに気付いたという。 関連商品 攻略本 ファミリーコンピュータ版 ファミコン神拳奥義大全書 ドラゴンクエストII 悪霊の神々 (集英社、ISBN 978-4834210545) ドラゴンクエストII 完全攻略本 (徳間書店、ISBN 978-4197234707) ドラゴンクエストII 悪霊の神々 公式ガイドブック (エニックス、ISBN 978-4900527027) スーパーファミコン版 Vジャンプブックスゲームシリーズ ドラゴンクエストI・II (集英社) ドラゴンクエストI・II 公式ガイドブック (エニックス、ISBN 978-4870257412) ゲームボーイ版 Vジャンプブックスゲームシリーズ ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II (集英社、ISBN 978-4087790368) ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II 公式ガイドブック 上巻 世界編 (エニックス、ISBN 978-4757501157) ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II 公式ガイドブック 下巻 知識編 (エニックス、ISBN 978-4757501164) その他の書籍 ファミコン冒険ゲームブック ドラゴンクエストII(双葉社刊、作・樋口明雄/スタジオ・ハード) 上巻 ISBN 978-4575760378、1987年7月 下巻 ISBN 978-4575760385、1987年7月 ドラゴンクエスト モンスター物語(エニックス、ISBN 978-4900527089、1989年7月) ゲームブックドラゴンクエストII(エニックス刊、作・健部伸明/和智正喜(下巻のみ)) 上巻 ISBN 978-4900527133、1989年9月 下巻 ISBN 978-4900527140、1989年9月 小説 ドラゴンクエストII-悪霊の神々-(エニックス刊、作・高屋敷英夫) ISBN 978-4757502444、1989年9月22日 ドラゴンクエスト アイテム物語(エニックス、ISBN 978-4900527249、1989年12月) ドラゴンクエスト 知られざる伝説 ロト2(エニックス、本文: 松本多津子、ISBN 978-4900527829、1992年3月) † CDシアター ドラゴンクエストII - ドラマCDだが、流通上は書籍扱い。 音楽作品 すぎやまこういちは本作のBGM用として前作でベースにしていたバロック音楽を踏襲しつつ、前作から100年後の未来という世界設定に合わせ、ポップス寄りの曲も作曲した。 †は廃盤。 † ドラゴンクエストの世界「ドラゴンクエストII」悪霊の神々(アポロン音楽工業、BY30-5136、1987年2月5日) - 東京弦楽合奏団+バッキングセクションズ演奏のオーケストラ・バンドヴァージョンと、FC版のゲーム音源を収録。前者は「Love Song 探して」など数曲がバンドナンバーとなっている。 † スーパーファミコン版 すぎやまこういち 交響組曲「ドラゴンクエストII」(ソニー・ミュージックエンタテインメント、SRCL-2734、1994年2月21日) - ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団演奏のオーケストラと、SFC版のゲーム音源集。 † 交響組曲「ドラゴンクエストII」悪霊の神々(アニプレックス、SVWC-7246、2005年4月20日) - 東京都交響楽団演奏。「聖なるほこら」が追加。 交響組曲「ドラゴンクエストII」悪霊の神々(キングレコード、KICC-6301、2009年8月5日) - 東京都交響楽団演奏。「聖なるほこら」が追加。 組曲「ドラゴンクエストI・II」(キングレコード、KICC-6315、2009年10月7日) - ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団演奏。後11曲が『II』の楽曲。 組曲「ドラゴンクエストI・II」(キングレコード、KICC-6321、2009年10月7日) - 東京弦楽合奏団演奏。後10曲が『II』の楽曲。 以下の「No.」は交響組曲版(都響)のトラック番号を参考に振っている。 本作に関する備考のみ記載。他作品での使用や楽曲に関する詳細については「ドラゴンクエストシリーズの楽曲一覧」を参照。 関連作品 世にも奇妙な物語'21秋の特別編「ふっかつのじゅもん」 - 2021年11月6日に放送のテレビドラマ。本作がストーリーのカギとなっている。また、ラストシーンでは次作『ドラゴンクエストIII』も登場する。 ラジオドラマ『ドラゴンクエストII』(ニッポン放送) - ストーリーの前半をラジオドラマ化。ラジオ特番『オールナイトニッポンスペシャル・徹底追求ドラゴンクエストII』の中で放送され、ナレーションは永井一郎。パーソナリティ鴻上尚史とゲスト堀井雄二、さくまあきららの『ドラゴンクエスト』に関するトークとドラマが交互に織り込まれる構成になっており、サマルトリアの王子がベギラマを唱える際、敵の頭数分必死に呪文を詠唱する表現が番組中でも話題になった。 動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン 2021年3月19日に改定された。 ファミリーコンピュータ版 スマートフォン版 ニンテンドー3DS版・PlayStation 4版・Nintendo Switch版 スーパーファミコン版 ゲームボーイ版 脚注 注釈 出典 関連項目 ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート - 2003年発売。本作の世界よりさらに未来の設定で、本作とほぼ同様の世界地図が登場する。 ドラゴンクエストビルダーズ2 破壊神シドーとからっぽの島 - 2018年発売。本作の世界よりさらに未来の設定。 ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて - 本作のふっかつのじゅもんが使用可能で、ゲームをある程度有利な状態から始めることができる。 外部リンク スクウェア・エニックス ドラゴンクエストII 悪霊の神々 ドラゴンクエストII for スマートフォン ドラゴンクエスト“ロト伝説”シリーズ 公式プロモーションサイト 02 02 1987年のコンピュータゲーム ファミ通クロスレビュープラチナ殿堂入りソフト MSX/MSX2用ソフト 王子を主人公としたコンピュータゲーム 携帯電話アプリゲーム コンピュータRPG チュンソフト開発のゲームソフト Android用ゲームソフト iPhone用ゲームソフト ニンテンドー3DS用ソフト Nintendo Switch用ソフト PlayStation 4用ソフト 冒険ゲーム 冒険ゲームブック ミリオンセラーのゲームソフト ファミリーコンピュータ用ソフト
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%87%E7%99%AA%E7%8E%89
癇癪玉
癇癪玉(かんしゃくだま)は花火の一種であり、火薬を利用して大きな音を立てて遊ぶための玩具。クラッカーボール、投げ弾とも言う。赤・青・黄などで彩色された直径7~8mm の玉の形をしている。外皮の中に火薬と小石が入っており、地面にたたきつけたり、踏んだりすると「パン」と大きな音を立ててはじける。パチンコを使用して発射する場合もある。 平玉火薬と同様に、映画やドラマなどで銃弾が命中したときの特殊効果・効果音にも使用される。鉄柱やコンクリート壁など、穴を開けて弾着(特殊効果用の煙火)を仕掛けることのできない物体に対して、パチンコで飛ばして破裂させ、火花と煙を出す効果を得る。 火薬類取締法施行規則(第1条の5第1号のヘ「爆発音を出すことを主とするもの」の(1))では、「直径1cm以下、重量1g以下、爆薬量が0.08g以下」である事が定められている。材質は鶏冠石と塩素酸カリウムを砂にまぶし、薄紙で包んだものであるとされる。音を出す事を目的とした玩具用花火には、他にクリスマス・クラッカーがあるが、癇癪玉が1919年に日本で考案されたものであるのに対して、クリスマス・クラッカーは1847年に英国で考案されたものとされている。両者の英語名の語源である爆竹(ファイアークラッカー)の歴史は更に古く、紀元前200年の中国まで遡る。 癇癪玉の考案者は静岡県のイケブンであるとされるが、当初は「五色玉花火」や「五色玉」と呼ばれていたものが、第二次世界大戦後の対米輸出開始時にクラッカーボールの名称が使われ始めたという。欧米の花火コレクターの間で現存する日本製の玩具花火には、クラッカーボールの他にが存在しており、連合国軍占領下の日本における比較的著名な輸出品であった事が偲ばれる。 欧米では癇癪玉よりも大きな、アメリカンクラッカーに近い大きさのクラッカーボールもあり、爆竹のように導火線に着火して用いる。癇癪玉と類似した「衝突させて大きな音を出す玩具花火」では、ハンド・ブラスター(Hand Blaster)と呼ばれるものもあり、2個一組で販売されている球を互いにぶつけあう事で、400回程度大きな音を発生させる事ができ、表面に塗布された火薬がぶつけた個所のみ発火する構造のため、「手の中で発火させても安全」であるとされている。 脚注 関連項目 紙火薬 キャップ火薬 爆竹(ファイアークラッカー) 2B弾 信号雷管 音具 花火 忍具
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E7%8E%89%E9%89%84%E7%A0%B2
銀玉鉄砲
銀玉鉄砲(ぎんだまでっぽう)は、遊戯銃の一種である。スプリングガンやストライカーガンとも呼ばれる。 装填した銀玉を、ばねの力で前進するストライカーによって叩き、発射する機構をもつ。この機構を、銃器雑誌「月刊Gun」では「ストライカー方式」と呼んでいる。ばねを押し縮める動作を引き金と連動させた、実銃でいうダブルアクションに相当するものは、連続して発射することができる反面、引き金の引きが重くなりがちであるが、初期のものを除けば、ほとんどがこのタイプである。 発売は1960年(昭和35年)という。 これらは主に駄菓子屋や玩具店で販売され、また縁日の露店でも販売されていた。小学校低~中学年向けで威力は弱く、至近距離でも新聞紙一枚射抜けなかったほどである。1980年代頃までは、児童らが盛んにお互いを撃ち合ったりして遊ぶのに用いられていた。 エアソフトガンの先祖とも言える製品である。 構造 引き金を引くと内部のストライカーが後退し、ストライカーが一定範囲以上に後退すると、弾丸となる銀玉の入っているチャンバー内から一個の銀玉が銃身内に落下、ストライカーが完全に後退しきった所でフックが外れ、ストライカーがバネの力で勢いよく前進して銀玉を押し出し、発射する。 チャンバーには10~30発程度の銀玉を入れることが出来た。なお、人を狙うことができる射程は精々5m未満であった。 モデルとなるピストルには、コルト・ガバメントやワルサーP38、ルガーP08があった。これらは小学校低学年の児童の手に馴染むサイズに縮小化されていた。他にもオリジナルの形状をしたものも見られ、形状はリボルバーだが上部にドラムマガジンが付いているなど構造的には自動拳銃のようなものもあった。 銀玉 銀玉は、石膏や土(粘土)のようなものを丸めて直径7mm程度にして、表面を銀に着色してある。また1970年代~1980年代には緑色をしたプラスチック製の円盤を発射する製品もあった。また、1980年代初頭から、銀玉より一回り小さいBB弾を使用するモデルも登場してきている。 銀玉は先に述べたように土を圧搾して固めてあるだけの物であるため、雨に打たれたり踏み潰されたりすれば数日程度で自然に風化するようなものだった。 脚注 遊戯銃 子供の遊び
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0
オンラインゲーム
オンラインゲーム()とは、主にオンラインによるコンピュータネットワークを利用したゲーム(コンピュータゲーム)。略して、オンゲー、ネットワークゲーム、ネットゲーム、ネトゲとも呼ばれる。 テーブルトークRPGのチャットプレイである「オンラインセッション」や投稿参加型のマルチユーザーゲームである「定期更新型オンラインゲーム」など、必ずしもコンピュータによるゲーム進行処理やリアルタイム処理を必要としないゲームプレイも、オンラインの場で多数のユーザーを集めて行うものはオンラインゲームと呼ぶこともある。 概要 コンピュータネットワークを介して専用のサーバや他のユーザーのクライアントマシンであるパソコンやゲーム機と接続し、オンラインで同じゲーム進行を共有することができるゲームである。インターネットが普及した後のオンラインゲームのほとんどはインターネットを介して接続するようになっているが、それ以前にもLAN環境を利用したり、ダイヤルアップ接続でアクセスしたりするものは存在した。古くは、専用機による囲碁や将棋による遠隔対局システムもあった。既存のゲームのプレイ環境がオンラインに変わっただけのオンライン囲碁から、オンライン専用にデザインされたMORPG/MMORPGまで、様々なバリエーションが存在する。流通形態がパッケージではないダウンロードゲームを指す場合もあったが、現在では多人数参加型のゲームをオンラインゲームと呼ぶことが一般化した。 専用アプリケーションを使わずプログラム言語、HTMLソースでの汎用処理を行い主にWebページで動作するゲームはCGIゲームやブラウザゲーム(Webゲーム・Webアプリ)となる。特に不具合解消あるいは新機能追加を目的としたヴァージョンアップのために、製作元のサイトからパッチが提供され、そのダウンロードが必須になることがある。またソフトの不正コピー対策などのための認証に、プレイ中ネットワーク接続が必須の仕様になっている場合もある。これらパッチのダウンロードや認証のためにオンラインであることが必要なだけで、他ユーザーとはゲーム進行が共有できない場合には、オンラインゲームとは呼ばれない。ゲームの進行中はオンラインである必要はないが、開始や終了時にプレイ内容などのゲーム情報などが送信され、ランキングその他の情報として集計されるシステムを搭載するゲームについても、基本的に他ユーザーとゲーム進行が共有できない場合はオンラインゲームに含まれない。こうしたゲームは「ネット対応」などと表現される。 料金制度は、ゲーム製作(運営)企業によりゲームサーバが運営されている場合、一部の小規模なものを除き、ユーザーが月額いくらかの利用料金を支払う事でゲームプレイ可能期間を購入する定額課金制と、基本プレイ料金は無料だがゲーム内に登場するアイテムを販売して利益を得るアイテム課金制が一般的となっており、定額課金制でアイテム販売も行っているゲームもある。特に韓国産オンラインゲームでブラウザゲームの台頭もありアイテム課金制が主流となっている。企業によっては、短期間の無料ゲームプレイが可能ないわゆる「お試し期間」を設けているところもある。誰でも無料で参加する事が出来るオープン・ベータテストと呼ばれる公開テスト期間を、正式サービス開始前に設ける事により、ゲームの最終テスト、宣伝、及びユーザー獲得を同時に行うケースも増加している。これに対しあらかじめ限定された人間のみで行うテストをクローズド・ベータテストと呼び、通常はオープン・ベータテストの前に行われる。 主な種類 オンラインゲームの商業的普及は1997年の『ウルティマオンライン』といわれる。これは定額課金制であったが、その後アイテム課金のゲームが主流となった。2014年3月現在、世界で最も成功しているゲームソフトとしては『クロスファイア』『League of Legends』『アラド戦記』『World of Tanks』『メイプルストーリー』が挙げられる。 MO/MMORPG MOは多人数参加型オンライン(Multiplayer Online)、MMOは大規模多人数参加型オンライン(Massively Multiplayer Online)となる。家庭用ゲーム機のRPGとは違い、セーブが無く、クリアという目的を達成することの概念が拡張され続け、レベルアップして強くなったり、レアアイテムを集めたり、ギルドなどに加入をしコミュニケーションをとったりと色々な楽しみ方が存在する。他のプレイヤー協力プレイをすることで、共に強い敵を倒したりすることも出来る。 MMOFPS FPSとは「First Person Shooter」の略称で、一人称視点のシューティングゲームである。主に銃やナイフで目の前のモンスターの敵または場合によっては他プレイヤーを狙撃して、ミッションをクリアすることが目的となっている。MMORPGと比べると、短時間で楽しめることや、アクション性の高さが挙げられる。 ブラウザ/ソーシャル/クラウド/ゲームアプリ ウェブブラウザを使う場合はブラウザゲーム、SNS上で提供される場合にはソーシャルゲーム、ストリーミング配信される場合にはクラウドゲームと呼ばれる。これらの最大の特徴であり利点は、専用のソフトをダウンロードすることなくIDを登録するだけでプレイできるところにあり、インターネットに接続できる環境さえあれば、ノートPC・Mac・ネットカフェなど、いつでもどこでもプレイ可能である。 また、2010年代からのスマートフォンの流行に伴い、専用のネイティブアプリをダウンロードしてプレイするゲームアプリ(モバイルゲーム、スマホゲームとも呼ぶ)が急速に広まった。 PBWはブラウザゲームの一種として括られている。 オンラインカジノ オンラインカジノは、インターネットを通じてプレイするカジノゲームのことである。多くのオンラインカジノには無料でできるプレイと実際にお金を賭けるプレイの2つのゲームコーナーが設けてある。目的にあった方法を選ぶ必要がある。 eスポーツ エレクトロニック・スポーツ(eスポーツ)というゲームをスポーツとする動きもありスポーツ選手のようなプロゲーマーも誕生している。 問題点 膨大な所要時間と依存症 オンラインということもあり、インターネット依存症(ネット中毒)など、インターネットに関わる共通の問題を抱えることもある。日本で最初にそれらの治療を始めた久里浜医療センターによると、10代の男子学生は、携帯電話・スマートフォンのソーシャルゲームではなく、パソコン・ゲーム機を使うオンラインゲームへの依存(ネットホリック)性が強いという。逆に、20代以上の女性は、芸能人などを対象としたSNSの依存傾向が強く、ゲームへの依存は珍しい。 月額課金の作品では、数千時間もの膨大な所要時間で何年も課金が必要となる設定となっている場合がある。中国、タイ、ベトナムではプレイ時間が規制されており、韓国でも青少年の深夜プレイが規制されているが、日本ではこのような規制は存在しない。この膨大な所要時間により、通常のオフラインのゲームでは生じないオンラインゲーム依存症とも呼べる問題が各国で発生している。 ロシア・韓国・中国では過度のネットゲームのプレイを行ったことにより身体に極度の負荷がかかり死亡したというケースも存在する。韓国では2005年8月にインターネットカフェで連続50時間ネットゲームをプレイして死亡するという事件も起きており、アジア諸国では社会問題となり、タイや中国では法によりプレイ時間が規制されている。 日本でも「ネトゲ廃人」「ネトゲ廃女」など、このような問題を扱った書物が出版されている。『ラグナロクオンライン』のヘビー・ユーザーとして知られる声優の植田佳奈が「現実世界は出稼ぎ、ネット社会が現実」と発言して物議を醸した例がある。そのような人々は「廃人」などと揶揄される。声優の緑川光のように廃人をも超越した存在として「超廃人」と呼ばれる人も存在する。 1999年の『エバークエスト』は「エバークラック」と称される程、特に話題となった。 不正行為・セキュリティ・RMT チートなど不正行為の問題があり(特に不正アクセスについては不正アクセス行為の禁止等に関する法律がある)、イタチゴッコが続けられている。同行為が横行しやすい(言い換えればゲーム提供側のセキュリティ意識の低い)ゲームでは、利用者離れが発生するケースも見られる。 2007年ごろから、感染するとゲーム内の通貨が盗まれてしまうコンピュータウィルス(アカウントハック)が多数出始めた。 エミュレートサーバ(エミュレータ (コンピュータ))というゲーム運営・開発者とは、まったく無縁な非公式なサーバが海外・国内を問わず運営する個人や団体が存在する。これもひとつのチートといわれることもある。 DDoS攻撃などの標的にされる場合もある。2005年4月9日よりはじまった、『ファイナルファンタジーXI』のネットワーク障害や4月16日からの『ラグナロクオンライン』におけるネットワーク障害がこれが原因であるとされる。DDos攻撃はIPアドレスの偽装などを行う為、特定できない場合も多く今後も継続的にこのような攻撃が行われるようならば、プレイ自体できないことに追い込まれ、ゲームとして成り立たなくなってしまう。 前述のような膨大な所要時間により、アイテムや仮想通貨の獲得だけでも膨大な時間を要するため、時間短縮のためこれらを現実通貨で購入する需要が発生する。これを運営企業が提供するものがアイテム課金であり、外部企業が提供するものはリアルマネートレード (RMT) と呼ばれる。リアルマネートレードは、運営会社が規約により禁止するケースが殆どである(規約違反であり、法律違反ではない)。なお、海外では『ディアブロ3』など公式でRMTを可能にしているゲームもあった。 無料ゲーム・アイテム課金の弊害 『シールオンライン』、『マビノギ』、『Master of Epic -The ResonanceAge Universe-』といったこれまで月額課金を行っていたゲームが総じて接続無料のアイテム課金にシフトし始めている。現金を使ってアイテムを購入することでゲームプレイが他人より有利になるように仕組まれている。逆に言えば同時期に始め、現金でアイテムを購入したユーザーとそうでないユーザーの間の差が広がりすぎること、それに伴いアイテムを現金で購入しなければゲームを楽しめないこと、接続無料によって気軽にゲームをプレイできる反面、RMT目的の外国人の出稼ぎプレイヤーや小学生など精神的に未熟なユーザーが多く流入し、今まで培ってきたゲームの雰囲気を壊すという問題もある。 接続無料のアイテム課金について、「広告で無料ばかりが強調され、有料コンテンツが含まれていることが表示されていない。」「ゲームサイトにアクセスした途端に高額な請求をされる。」などの問題点がある。 無料オンラインゲームの多くは、月額課金制に比べトータルでの現金消費が多い。 商業PBWは接続無料の課金コンテンツ有で、無料範囲分だけでも楽しめる。 諸問題によるサービス停止 オンライン専用ゲームは、様々な理由で短期間でサービス停止になる場合がある。 トゥルーファンタジー ライブオンライン 開発途中で採算が合わないと判断され開発中止。 銀河英雄伝説VII β版としてパッケージがリリースされるも版権トラブルのため、サービスが終了。 スター・ウォーズ ギャラクシーズ 管理会社のシステム管理が不十分で、修正パッチが出る度にバグが発生し、日本でのサービスが終了。 KAROS Online オー・ジーエンターテインメントにより、10年間の運営宣言があったが、2年後に終了となった。 メイド・メイド スマートフォンに対応できないことが判明したことや、イベントでのトラブル多発により、サービス主体のGREEがサービス終了。 新規ユーザー確保および既存ユーザーの契約維持のため、インターネットカフェと提携して店内でのプレイを可能にしたり、契約解除されたユーザーアカウントを復活させるなどのキャンペーンなどを行っている。これらから特に後発企業はオンラインゲームでいかに採算を維持するか、新規ユーザーを獲得するかの難しさが伺える。 パッケージで販売されるゲームとは異なり、メーカーにとってサービス開始後も継続的にコストが発生する。そのため、ユーザーの契約を維持し解約させないために、ゲームシステムの設計が大量の時間を費やすことを必要としたものとなっているゲームが多いという指摘がある。 著作権 オンラインゲーム大国と呼ばれる韓国のオンラインゲームの一部は、既存のゲームのモデリングなどを流用したものも見受けられる。例としてWebZenの『Wiki』が任天堂の『ゼルダの伝説 風のタクト』以降のデザインを盗作し、任天堂が韓国の提携会社を通じて公式の警告文を送った。またNexonの『カートライダー』が任天堂の『マリオカート』シリーズの盗作と非難され(中国ではそのカートライダーを更に盗作したゲームもあり、色々と問題が起きている)、ネオプル社の『新野球』がコナミの『実況パワフルプロ野球』の盗作とされコナミから提訴されるなど、韓国の著作権などの甘さを浮き彫りにしている側面もある。 マナー・トラブル ゲームに慣れたプレイヤーである、いわゆる中級者になると、「ゲームに詰まった」「上級者に勝てない」「勝利数を稼ぐ」などの理由で「初心者狩り」といわれるプレイヤーキラーを始めるプレイヤーもいる。特にプレイヤー同士の対戦を目的とするオンラインゲームに多く、初心者離れを起こす原因となっている。 オンラインゲームに関連するトラブルは近年増加傾向にあり、特に子供が関連する金銭面でのトラブルが多い。課金をしていないことを馬鹿にされたり、下手くそなどの攻撃的な言動を浴びせられる事もあり、一部の小中学校ではゲームタイトルを名指しして注意喚起を行う書類が配布されたりもしている。 オンラインゲーム上のトラブルが発端となり暴行事件や殺人事件にまで至ったケースも存在する。 オンラインゲームで知り合った他者に麻薬取引を持ち掛けられたり、未成年者がゲーム上のみでの知り合いに出会い目的で誘い出されるなど、犯罪に巻き込まれるケースもあり、一部では逮捕者も出ている。いずれのケースも、ゲームで協力し合ううちに親密になるオンラインゲームの特性が悪用された形となっている。 家庭用ゲーム機でのオンラインゲーム 従来のオンラインゲームは基本的にPCゲームとして製作されているが、ハードの高機能化にともない家庭用ゲーム(コンシューマーゲーム)機向けオンラインゲームも作られるようになってきた。 XBAND 1994年にアメリカのカタパルト社によって、SNES(スーパーファミコン)、セガジェネシス(メガドライブ)の電話回線による通信対戦サービス『XBAND』が開始され、これがコンシューマーにおけるオンライン対戦サービスの元祖となる(それ以前にも、個別のゲームソフトで通信対戦をサポートしていたものは存在した)。日本でもニフティサーブを運営していた日商岩井が米カタパルト社と提携してカタパルト・エンタテインメントを設立して1996年4月にスーパーファミコン、同年7月にセガサターンでのサービスを開始したが、1997年9月にカタパルト・エンタテインメントがXBANDより撤退。セガサターン版のみをセガが運営を引き継ぐことになった(1999年7月にサービス終了)。 セガ ハードメーカーがオンラインゲームを推進したのはセガが最初である。メガドライブ用のゲームダウンロードサービス『ゲーム図書館』やセガサターンでの「セガサターンネットワークス」(XBANDや、インターネット接続などのサービス)において通信サービスのノウハウを収集したセガは自社のゲーム機ドリームキャストにアナログモデムを標準搭載し、プロバイダに入っていない年少の購入者向けにインターネットプロバイダ「イサオネット」を設立して連携、Webブラウザを無料配布したり、オンラインゲーム以外でもネットに接続することで追加データをダウンロードできる特典を付加することによってオンライン接続を積極的に推進するとともに、『ファンタシースターオンライン』などのオンラインゲームを展開した。 ソニー・コンピュータエンタテインメント ソニー・コンピュータエンタテインメントはPlayStation 2にオプションでPlayStation BB Unitを追加することでPlayStation BBというサービスを展開していた。以降の次世代機ではPlayStation Network (PSN) が標準装備として引き継がれている。また一部のゲーム(基本的にオンラインには非対応であるが、ネットワークアダプターのLAN回線による通信には対応するゲーム)では海外で開発されたXlink Kaiというツールを使ってオンラインゲームを楽しむユーザーもいる。 マイクロソフト マイクロソフトはXboxでイーサネット端子を標準搭載しており、インターネットプロトコルの上に独自のクローズネットワークを構成する形式のXbox Liveシステムを展開している。これはXbox Liveのアカウントを作成(かつては月額、または年額での固定料金が必要だった)すれば、基本的なオンライン対戦などのサービスが共通で受けられるもの。フレンドリストによる対戦プレイヤーの管理(ゲーム中から登録したプレイヤーがいま何のゲームをプレイしているかなどを確認し、今プレイしているゲームに招待するといった機能)を実現した。このシステムは2005年11月に販売が開始されたXbox 360にも継承されている。Xbox LiveはWindowsでも対応し、一部のゲームタイトルではXbox 360とパソコンとでサーバーを共用し、相互の同時プレイが可能である。次世代機Xbox Oneにも対応した。 任天堂 任天堂はファミコンディスクシステムのディスクをゲーム店にあるオンライン端末に入れることで全国のプレイヤー間のハイスコアランキングを行う『ディスクファクス』や、オンラインで旧ハードのゲームを販売する『ニンテンドウパワー』、年を追うごとに、衛星放送の電波を通じてゲームを配信する『サテラビュー』、NINTENDO64と64DDでインターネットに接続する『ランドネット』、ゲームボーイカラー・ゲームボーイアドバンスと携帯電話を繋いでデータ通信を行う『モバイルシステムGB』といったサービスを展開していったがいずれも商業的には成功せずNINTENDO64の次世代機であるニンテンドーゲームキューブでは『ファンタシースターオンライン』など、一部のソフトでネットワークを使用するに留まった。 しかしながら、ブロードバンドインターネット接続の急速な普及によりこれらの問題は解決できたとして、2005年11月から、「カンタン・あんしん・無料」をモットーとしたニンテンドーDSの無線LAN機能を活用するニンテンドーWi-Fiコネクションを開始した。これは家庭内の無線LANでの接続に加え、ゲーム販売店など約1000箇所に設置された専用のアクセスポイントやFREESPOTから任天堂のゲームについては課金を行わないことで手軽にオンラインゲームを楽しんでもらえるとしている。ニンテンドーWi-Fiコネクションは後に発売されたWiiにも対応している。ニンテンドーWi-Fiコネクションに最初に対応したソフト『おいでよ どうぶつの森』は500万本以上の大ヒットとなった。以降の次世代機ではニンテンドーネットワークとして引き継がれている。 関連項目 ネットワーク中立性 ネットワークインフラただ乗り論争 仮想通貨(暗号資産) NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム 脚注 注釈 出典
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF
電子ブロック
電子ブロック(でんしブロック)とは、 電子ブロック機器製造が製造・販売している電子回路の実習用教材製品。 電子ブロック機器製造と、のちに業務提携した学習研究社(現・学研ホールディングス)がかつて発売していた、電子実験をする玩具。 両者とも電子回路の初期教育用として使われていたが、1990年頃にはより汎用性の高い類似のソルダーレスブレッドボードに置き換わっている。本項では後者を中心に記述する。 概要 あらかじめ電子部品や配線が組み込まれたブロックを並べることで電子回路を組んで実験が行える電子玩具。初期には象牙色のブロックを並べてゆくDRシリーズ(1965年発売)と、半透明なブロックとピンを刺して配線して行く廉価版電子ボードのSRシリーズ(1968年発売)を発売しブームを呼んだ。 その後、商品はブロックの抜き差しが小さな子供でも容易なSTシリーズ(1971年発売)へ改良された。学研との業務提携後にSTシリーズをさらに改良し、よりファッショナブルになったEXシリーズ(1976年発売)でブームは最盛期を迎え、上位機種EX150では、150の電子実験を行えた。なお、EXシリーズの最上位機種はEX150にシンセサイザーユニットを同梱して31の回路図を追加したEX181であり、さらにFMユニットが追加で販売されているので、回路図の数は計191回路となる。 1981年に発売されたFXシリーズを最後に一旦生産が打ち切られた。FXシリーズには基礎回路65+マイコン回路100のFX-マイコン R-165と、基礎回路65+サウンド・クロック回路80のFX-メロディ&ウォッチが存在する。マイコン回路100は回路の組み替えはなく、マイコンユニットのプログラムが100種類用意されたものである。マイコンユニット、クロックユニット+サウンドブロックがそれぞれ別途販売されていたので、セットに付属しないユニットを買い足すと、基礎回路65+マイコン回路100+サウンド・クロック回路80の合計245回路の実験ができた。 2002年にEX150の復刻版が発売され、さらにその復刻版オリジナル拡張キットとして「拡張キット光実験60」が発売された。 EXシリーズは、A4程度の大きさの本体に48の差み口がある。46のブロック(トランスとキースイッチはブロック2つ分の大きさ)には、14種類の抵抗器、2種類のダイオード、8種類のコンデンサ、2種類のトランジスタ、5種類の配線専用ブロック、およびコイル、ランプ、トランス、キースイッチが含まれる。これらのブロックを48の差込口に差込み、回路を形成する。作成できる回路には水位報知器、嘘発見器、明るくなると鳴るフォトラジオなどがある。 2009年6月には大人の科学マガジン vol.24 の付録としてFX-マイコン R-165 のマイコンユニットを再現し外部入力を省略した4ビットマイコンGMC-4が発売された。 2011年11月には大人の科学マガジン vol.32 の付録として電子ブロックminiが発売された。ブロックはEXシリーズと同じ大きさで互換があり、5×5=25個の電子ブロックと50種類の実験回路が組める、その他にこの電子ブロックminiを2組使うと回路や、製品版EXシリーズのブロックを追加してできる作例も紹介されている。 類似品として、ドイツのブラウンがドイツ国内で発売していたLectronという商品がある。 各シリーズと沿革 1965年 電子ブロックDRシリーズを発売(電子ブロック機器製造) DR-7 50回路 DR-7DX 60回路 DR-1A 14回路、オプション品追加購入で16回路 DR-2A 30回路 DR-4A ICデラックス 120回路 1968年電子ブロックSRシリーズを発売(電子ブロック機器製造) SR-1A 16回路 SR-2A 30回路 SR-3A 100回路 SR-3ADX 105回路 SR-4ADX 150回路 1968年 MAGIC-7 20回路 を発売(電子ブロック機器製造)。 回路を直接組み立てる他のセットとは異なり、象牙色の7個の暗号ブロックの並べ替えで20種の装置に変化させる事が出来た。玩具色が強く、使いやすさを重視しているため、応用できる範囲が狭く、回路原理を学ぶことには向いていない。また、組める回路が20種類と少ない割に価格は8,500円と高価だった。 27.125MHzの送受信用の子機が付属している。しかし、付属しておらず、別売となっているセットもある、との旨が同梱のマニュアルに書かれている。 20回路の内訳は以下の通り。 レフレックス式の3石ラジオ フォトラジオ 光線警報器 - 低周波発振、及びそれを中波帯(ラジオの周波数帯)でAM変調したもの、さらに短波帯(27.125MHz…本製品には「27.125MC(メガサイクル)」と表記)でAM変調したもの、以上3種類の方法のものがあり、回路としては3種類。 水位報知器 - 同上。 遮光警報器 - 同上。 断水報知器 - 同上。 ワイヤレスマイク - 音声を中波帯と短波帯(27.125MHz)でそれぞれAM変調するものがあり、回路は2種類。 トランシーバー - 同上。 インターホン - 同上。 1971年 電子ブロックSTシリーズを発売(電子ブロック機器製造) ST-25 25回路 ST-45 45回路 ST-100 100回路 - ST-100までのアンプユニットは青く、出力トランスを使用している。 ST-125 125回路 - アンプユニットの色は黒で、OTL回路で構成されている。ST-100から追加パーツでグレードアップ可能。 ST-155 155回路 - アンプユニットはST-125と同じ。 1972年 学研が電子ブロックSRシリーズ、STシリーズを発売(学研と電子ブロック機器製造株式会社が提携) 1976年 学研電子ブロックEXシリーズを発売(学研)。ブロックの大きさや形状はSTシリーズと同じで互換性あり。 EX-15 15回路 EX-30 30回路 EX-60 60回路 EX-100 100回路 EX-120 120回路 EX-150 150回路 1979年 EX-181 181回路 1981年 FXシリーズを発売(学研)。ブロックの大きさや形状はSTシリーズ・EXシリーズと同じで互換性あり。 FX-メロディ&ウオッチ 145回路 FX-マイコンR-165 165回路 1986年 電子ブロック全シリーズ生産中止 1998年 ST-100機能再現モデルを発売(電子ブロック機器製造)。ST-100の「機能」を再現したものであり、ブロックやケース等の大きさ及び形状は本来のSTシリーズと異なり、互換性はない。 2002年 EX150復刻版を発売(学研) 2008年 EX150新装版を発売(学研) 2011年 電子ブロックmini 50回路、25ブロック。大人の科学マガジン Vol.32の付録で、本体は使う前に組み立てる必要がある。ブロックの大きさや形状はSTシリーズ・EXシリーズ・FXシリーズと同じで互換性あり。 2014年 EX150復刻新装版を発売(学研ステイフル) 脚注 参考文献 Dostál, J. Electronic kits in education. Olomouc, EU: Votobia, 2008. 74 s. ISBN 978-80-7220-308-6. 関連項目 マイキット 電子工作の歴史 理科離れ#現状 ブレッドボード GMC-4 - FX-マイコンR-165のマイコンユニットを単体で動くワンボードマイコンにしたもの。大人の科学マガジン Vol24の付録。 外部リンク 電子キットシリーズ - 復刻版電子ブロックオフィシャルサイト 大人の科学 - ふろく電ブロminiのできるまで 電子ブロック機器製造株式会社 電子ブロック研究博物館 電子工学 電子玩具 ブロック玩具 子供の遊び 学研の玩具 科学教材
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%91%E3%81%84%E8%A2%8B
笑い袋
笑い袋(わらいぶくろ)とは、内部に音を出す機械が入った布製の袋で、ボタンを押すと録音された笑い声を再生するジョークグッズである。 本家の製品は内蔵のアナログレコードを使っていたが、後には電子式のものも登場している。 歴史 ドイツの発明家ヴァルター・ティーレが1968年に製造した、笑い声を再生する機械を靴下に入れた「Lachsack」が原型とされる。 日本で笑い袋を製造販売していたパーティーグッズメーカーの株式会社アイコによると、内部の装置は1960年代にアメリカ合衆国向けのミッキーマウス人形の内蔵プレーヤーとして製作したもので、1967年にアメリカでの特許が出願されている。しかし売り上げは伸びなかったため、1969年にこの装置を入れた袋が「Laugh bag」などの名前でアメリカで売られたところ大ヒットし、翌年には日本でも発売されて流行したという。アイコでは30年以上笑い袋の製造を続けていたが、レコードの原盤が耐用限度を超えた事で廃盤となっている。 仕組み 布製の巾着袋の中にはプラスチック製の外装を持つ五角形の装置が入っている。この装置のボタンを押すとレコード盤の溝で固定されていたレコードの針が持ち上がり、スプリングによりレコードの最初に移動して乾電池駆動のモーターでレコードが回転し、ボタンを離すとレコードに針が落とされ、笑い声の吹き込まれたレコードを再生し始める。また、再生の途中でボタンを押してもレコードの最初の位置に針が移動して再び最初から再生を始め、レコードの最後まで来ると電源が切れて再生を終了する。そのような仕組みのため、電池を抜いて強制的に再生を止めても、再び電池を入れると途中からレコードの再生が始まる。 この玩具ではレコードの針が漏斗状のラッパに連結されて直接発音されるため、アンプやスピーカー、音量調整などがなく、電池で消費するのはレコードを回転させるモーターの動力のみである。レコード盤はこの用途に特化された特殊な仕様のもので、レコード内蔵型玩具であるために盤の交換はできず単一内容のみの再生ではあるが、現在では笑い袋には基本的な笑い声の商品だけでなく、収録内容の違うレコード盤を入れた様々なテーマの商品が存在する。 ちなみに本体のボタンには誤操作防止のストッパーはなく、袋の中にあるので誤ってボタンを押してしまいやすいが、巾着袋はひもがあるので持ち運びや吊り下げがしやすく、思わず袋をいじりたくなるようなコミカルな笑い顔などが描かれていることが多い。 なお、ボタン電池で稼働する小型化された電子音声型の笑い袋も市販されているが、押しボタンを押すと笑い声を発声する点は同じである。 その他 声の種類は、男、女、カップルの3種類ある。男版の笑い袋は声優の肝付兼太が演じているという。 流行当時の年代設定である、アニメ『ちびまる子ちゃん』の話(「年越しまる子ちゃん」の巻など)にもたびたび登場する。 1999年にバンプレストのプライズ景品として、「とるとる愛テム 黄金バット笑い袋」が製造された。 2006年に日本テレビの『中井正広のブラックバラエティ』で紹介され、石原良純の笑い袋を作る企画が行われた。また、2008年12月14日に同じ日本テレビで放送された『笑点』の大喜利で、春風亭昇太が座布団を10枚獲得した副賞として五代目三遊亭圓楽の笑い声が入った笑い袋が贈られた。 ゲーム『ドラゴンクエストシリーズ』では「わらいぶくろ」という名前のモンスターが登場する。 1989年の映画『バットマン』では、ジョーカーの最期のシーンで使われた。 2016年の大晦日に放送された『絶対に笑ってはいけない科学博士24時』では、笑いのトラップグッズとして浜田雅功(ダウンタウン)と月亭方正の笑い声が流れる笑い袋が登場し、笑い袋を作動させるとその声のメンバーが強制的にアウトとなりケツしばきの罰を執行された。 脚注 外部リンク 株式会社アイコ - 販売元。 Bag Of Laughs Japan - How It Works - YouTube - アイコ製品の分解動画 玩具 袋 笑い en:Lachsack de:Lachsack
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プラモデル
プラモデルとは、組み立て式の模型の一種。適度に分割して成形されたプラスチック製の部品群(ランナー)と、組み立て説明書などをセットにしたキットの形で販売される。 名称 「プラモデル」という用語は、日本初と称してプラモデルを発売したマルサン商店が考案した登録商標であるが、現在ではより広義にメーカーを問わずプラスチックモデルキット全般を意味する言葉として使われている。プラモと呼ばれることもある。英語ではプラスチック・モデル (Plastic Model) またはコンストラクションキット (Construction Kit:主にイギリス英語)などと呼称される。 商標としてのプラモデル プラモデルという商標は、「プラスチック製模型おもちゃ及びその組立キットその他のおもちゃ、人形」(第555762号、1960年9月登録)、「新聞、雑誌、その他の定期刊行物」(第731152号、1967年1月登録)および「模型」(第1846016号、1986年2月登録)に関して日本プラモデル工業協同組合が権利を所有し、組合員は自由に使用できる。他にキヤノン株式会社が別のものを対象にプラモデルという商標を持っていた時期がある。 プラモデルという名称は、マルサンが1959年(昭和34年)に商標登録したもので、他のメーカーは「プラ模型」「プラキット」など言い方を変えるか、一般名称である「プラスチックモデル」を用いる必要があった。ただし、一般消費者や小売店のレベルでは、マルサン商店が権利を所有していた時期から、プラモデルはプラスチックモデル全般を表す用語として広く使用されていた。 商標権は1968年(昭和43年)の倒産後再建されたマルサンから1974年(昭和49年)に大手問屋の三ツ星商店に売却され、1975年(昭和50年)日本プラスチックモデル工業協同組合に移譲された。現在は、加盟する各社は自由に使ってかまわないことになっている。また、2022年現在で取締役会長が日本プラモデル工業協同組合の理事長を兼任している童友社は、「日本プラモデル工業協同組合に未加盟の模型メーカーは『プラモデル』という言葉を自社製品の紹介に使用できない」旨の説明を行っている。 メーカーでは、バンダイとアオシマが自社製品のキャッチコピーに使用していた。 定義 日本ではプラスチック製の組み立てキットのうち、一般的な模型店で扱われるものをプラモデルとし、ほぼ同様の製品であってもそれ以外の玩具売り場、(菓子のおまけとして)菓子売り場、鉄道模型店で扱われるものは玩具、食玩、鉄道模型などと区別されることも多い。一般的な模型店で扱われる狭義のプラモデルとそれ以外のプラモデル形商品は、取り扱っている問屋が異なる場合が多く、流通上別個として扱われており、玩具店と模型店、売り場の別など小売レベルでも一定の線引きがなされているが、厳密ではない。特にキャラクターモデル・玩具においては区別は渾然としており、現タカラトミーのゾイドやプラクションのように、組み立てる楽しみを取り入れたりコスト削減のために、プラモデルと同様の組み立てキットの形態をとる玩具も存在する。逆に模型区分であっても、ガンプラに代表される、顧客へのハードルを下げるためにスナップフィットや塗装不要化などの配慮がなされた商品もある。またSDガンダムや上述のゾイドなど、同シリーズに玩具と模型が混在する例もあり、エンドユーザーレベルからは模型と玩具の中間的で区分がはっきりしないものも少なくない。 製品構成 基本的には、ランナーと呼ばれる枠に繋がった状態の部品と組み立て説明書が含まれる。その他にも接着剤、マーキング用のデカール、組み立てる際に必要となるもの(ネジ止めが必要なプラモデルには簡易ドライバーなど)が付属する場合もある。これらが商品のイラストや完成写真等を印刷したボール紙の箱に箱詰めされ、出荷されている。小型のものについてはブリスターパックやビニール袋に入れて売られている場合もある。 組み立て説明書 インスト(インストラクション)とも呼ばれる。組み立て手順以外に塗装する場合の色指定や塗装図、模型に関する情報などが併記されていることも多い。設計図と呼称されることもあるが、ソリッドモデルやライトプレーンの説明書が図面中心で設計図とも呼ばれていた名残である。また小型のプラモデルでは組み立て説明書が箱の裏面等に印刷されている場合もある。 接着剤 1980年代頃まではほとんどのキットに小型のチューブや平行四辺形のパックに入ったものが付属していたが、近年では組立てに必要な場合でも付属しないことが多い。現在はレベル、エアフィックスの一部製品にのみ付属する。接着剤を使用せずに組み立てられる、スナップフィット・キットと呼ばれるプラモデルも増えている。 デカール スライドマークとも呼ばれる水転写(スライド)方式のものが付属することが多いが、ガンプラ等の初心者向けの製品ではシールやドライデカール(インスタントレタリング)が付属する場合もある。 作り方・楽しみ方 プラモデルはランナーから部品をニッパーなどで切り取り、説明書に従って部品を接着あるいは嵌め込みながら組み立てていく。塗装する場合は組み立ての段階に合わせて必要な部分を塗装する。その後デカールやシールを貼ったりして完成となる。 キットとして売られている物から、別の物(形式)に改造したり、シリーズ物を揃えて並べたりすることも多い。 プラモデルの製作は、製作過程を楽しんだり、情景をミニチュアで再現してジオラマを作ったり、その写真を撮ることなどを目的とする。 また他の人と何かを競うという楽しみ方もある。 モーターやゼンマイといった動力付きの製品であれば、他の人が作った物とレースを行う楽しみ方がある。 一方でミニ四駆における「コンクールデレガンス」のように、塗装の完成度や改造後のデザインと言った美的要素を競うこともある。 また「いかにキットを早く組めるか」というプラモデル早作りという競技も存在し、ミニ四駆公認競技会の種目として採用されたこともあった。 プラモデルの分類 動力装置の有無による分類 動力装置を取り付けないことを前提とするプラモデルをディスプレイキット(またはディスプレイモデル)という。完成品を展示(ディスプレイ)することを目的とすることからこう呼ばれる。 組み立てる際に付属もしくは別売の駆動装置を取り付け、走行・駆動させることを目的としたプラモデルもある。電動のモーターを取り付け、乾電池などを動力源として駆動するものをモーターライズキット(モーターライズモデル)という。またゼンマイで駆動するプラモデルもある。 製法による分類 インジェクションキット(射出成形キット) 金型の中に熱で溶けたプラスチックを高圧で流し込んで成形されたキット。大量生産に向き、パーツの精度も高い。製造には精密な金型と、大掛かりな射出成形の設備が必要となるためにイニシャルコストが高いのが難点。製法上、パーツに金型の合わせ目であるパーティングラインが生じる欠点もある。樹脂の通り道であるランナーがあるのが射出成形品の特徴である。ランナーと部品を結ぶゲートはピンゲートにすることで小さくなるが、樹脂の通り道が小さくなるため、生産性が犠牲となる。金型は定期的に整備を続ければ長持ちし、事実40年以上生産され続けているキットもある。一般的なインジェクションキットの他、樹脂や電鋳や軽合金による簡易金型による「簡易インジェクションキット」という物もあり、これは型の寿命が短い代わりにコストを下げることができるため、マニア向けの少数生産キット製造の手段として用いられることが多い。通常のインジェクションキットより部品の精度が劣る物が多いが、MPMのような一部のチェコ製合金型のものは通常のインジェクションキットに迫る出来の物もある。 バキュームフォームキット(真空成形キット) 熱でやわらかくしたシート状のプラスチックを、型に押し付けて成形したキット。通称「モナカ」。単純に押し付ける手法をヒートプレスと呼び、プラスチックシートと型の間の空気を吸い出して密着させる手法をバキュームフォームと呼ぶ。(例:卵の透明プラスチックケース)型が1枚で済むので少ない設備投資で成形できるが、大量生産にはあまり向かない。雄型を使う場合を雄型成形(ドレープフォーミング)、雌型を使う場合を雌型成形(ストレートフォーミング)という。雌型を使用する場合には表面の細部のモールドの再現が可能である。比較的、流線型の成形に向くこともあり、マイナーな航空機がこのバキュームキットで販売される傾向にあるほか、RCカーのポリカーボネート製ボディはほぼこの製法を用いる。成型品はかなり肉厚が薄くなるため補強が必要であるなど製作難易度は高い。また細部など真空成形の困難な部品はインジェクションやレジン、メタル、エッチング等のパーツが組み合わされる場合が多い。バキュームフォームキットはガレージキットとして扱われることが多いが、インジェクションキットの中に簡易ジオラマベースや帆船の帆、簡易インジェクションキットのキャノピーパーツなどの形で真空成形パーツが含まれる場合もある。 押出成形 熱で溶けたプラスチックをダイと呼ばれるノズルからトコロテンのように押し出して成形する。断面の形が同じものを無限に成形できる。プラモデルのキットが押出成形されることはまずありえないが、各種プラ素材がこの成形方法である。 3Dプリント 3Dプリンタの普及とともに、3Dプリンタ による出力でバキュームフォームの型や簡易インジェクション型の出力、レジンキットの原型、或いは製品そのものをガレージキット等の少量生産向けに出力する事例も見られるようになってきている。背景には高性能の3DCADの低価格化、無料化、3Dプリンタを始めとする出力環境の高性能化、低価格化が挙げられ、新たな潮流となりつつある。3Dデータを元に3Dプリント出力を専門に請け負う業者もある。 ブロー成形 ペットボトルやポリタンクの製造と同様に溶融した樹脂に内圧を加えて加工するブロー成形が一部の製品に導入されている。1/12スケールのガンダムのように細部の再現性は射出成形品に劣るものの、金型の製造費用が1桁から物によっては2桁低いので初期投資費用がかからず、少量生産に適する。 対象分野による分類 実在の飛行機・艦艇・戦車・自動車・建築物等、もしくは実在するにはいたらなかった計画兵器等を扱った「スケールモデル」と、SFやアニメ等を扱った「架空のもの」に大別される。スケールモデルにはディフォルメされたものも含める場合がある。アニメ・ゲーム等に登場する車・戦車・船などでは、スケールモデル(一部パーツ変更やキャラクターグッズが追加されることもある)がキャラクターのパッケージで販売されている。 スケールモデル 実物が存在するもの、または設計・企画された物を縮小した模型をスケールモデルと呼ぶ。プラモデルが最初に普及した英米では、ヤード・ポンド法を用いていたため縮尺は「1フィート(12インチ)を何インチに縮小」するかが基本であり、例えば1/4インチ(または1/4”)スケールといえば1フィートを1/4インチに縮小することで1/48スケールを表す。従って「国際標準スケール」には分母が12の倍数のものが多い。しかし、鉄道模型のようにフィートをミリメートルに換算した縮尺(1フィートを4 mmとするもの=4 mmスケール(1/76))を採用する物や、メーカーの都合(箱のサイズや、走行ギミックのためのギアボックスや電池の内蔵)のために決定され、積極的なシリーズ展開のために自然に「標準」になってしまったものもあり、後者の代表がタミヤの1/35である。またバイクのスケールである1/9は、イタリアのプロター社から始まったものである。1/50は航空機ソリッドモデルの標準スケールである。 艦船 1/72、1/144、1/200、1/350、1/400、1/500、1/600、1/700、1/720、1/800、1/1000、1/1200 などのスケールがあり、最も種類が多いのは静岡のメーカー四社が共同で展開したウォーターラインシリーズに採用された1/700である。近年はハセガワの三笠を皮切りに1/350スケールの新製品のラッシュが続いている。また日本模型の30センチシリーズは1/700〜1/1100程度に相当する。民間船は(日本国内メーカーでは特に)少ない。帆船はスケールの統一は少なく、レベルの1/96、エレールの1/100、1/150、イマイ(アオシマ)の1/350などでそれぞれ数種類の船がそろえられる。一部メーカーの製品にはモーターと電池により水上走行が可能なモーターライズキットが存在する。 陸上兵器(戦車、大砲、装甲車、兵士など)1/15、1/16、1/24、1/25、1/30、1/32、1/35、1/48、1/50、1/72、1/76、1/87、1/144、1/350、1/700 などのスケールがある。現代の主流は1/35、1/48、1/72、1/144であり、その中でも、タミヤが採用し日本国内メーカーが追従、以後イタレリ、エッシー、エレールなど日本国外のメーカーも従った1/35が圧倒的なアイテム数を誇る。このため米英のメーカーが展開していた1/32(メタルフィギュアの54 mmスケール)ミリタリー物は少数派になってしまった。 航空機(固定翼機、回転翼機など)1/24、1/32、1/35、1/48、1/50、1/72、1/100、1/144、1/200、1/350、1/700 などのスケールがあり、ディテールアップが楽しめる1/48、コレクション性の高い1/72が主流である。1/24や1/32といった大型キットは、中国メーカーの参入を契機にはキット数が増えつつある。また一部のヘリコプターは、陸上兵器の標準スケールに合わせて1/35でモデル化されている。コレクションモデルとして1/144や1/100スケールも人気である。なお航空機のプラモデルというと軍用機がメインと思われがちだが、民間機とくに旅客機も豊富でデカール変えなどで多数の航空会社のカラーリングを再現している。スペシャルマーキングなどの特別塗装を施した機体のキットも人気である。 宇宙開発(ロケット、宇宙船、探査機など)スペースシャトルなどは航空機と近いスケールだが、探査機から巨大な宇宙ステーションまで含むため、スケールに統一性無し。 自動車 1/8、1/12、1/16、1/20、1/24、1/32、1/43などがあり、市販車(高級車含む)、レーシングカーとも1/24が主流であるが、フォーミュラカーは近年は1/20が主流である。日本のトラックやバスなどは1/32スケールが多い。1/43はミニカーの主要スケールであり、ホワイトメタルやレジンキャスト製のガレージキットも多い。一部、ミリタリーモデルの派生として 1/35も増えつつある。 オートバイ 1/6、1/8、1/9、1/12などがあり、レース用、市販用とも1/12が主流である。 鉄道車両(ディスプレイキットもしくは、電池等の動力源を内蔵したモーターライズキットで、鉄道模型への流用を考慮していない物)1/35、1/50、1/76、1/80、1/150などがある。日本においても鉄道車両のプラモデルは、かつて鉄道模型が金属製品主流だった時代に一ジャンルを築いたが、Nゲージを中心としたプラスチック製品の発展とともに、鉄道模型の陰に隠れた存在になってしまい、1980年代後半以降2010年代まで新製品のほとんどない時期が続いた。その一方で、一般のプラモデルとは流通経路や購入者層の異なる鉄道模型の中には実質的なプラモデルであるプラスチック製の組み立てキットがあり、こちらは1970年代後半以降製品を充実させた。日本以外のメーカーでは、ミリタリーモデルの一部として軍で使用された機関車や貨車などのプラモデルが製品化されている。 鉄道模型用の建築物(ストラクチャー)1/22.5(G)、1/43.5(O)、1/76(OO)、1/87(HO)、1/120(TT)、1/148(イギリスのN)、1/150(日本のN)、1/160(欧米のN)、1/220(Z)などがあり、主に鉄道模型のスケールに合わせているが、1/100前後としてTTとHOの両方で、1/200前後としてNとZの両方で使えるようにしている製品も存在する。これらは通常鉄道模型のアクセサリーとして扱われるため一般のプラモデルとは流通経路が異なっているが、ジオラマ製作などに流用される場合も多い。 アクションフィギュアとそのアクセサリー(机・椅子、ぶらんこ、トイレなど)1/12スケール程度。 建築物(姫路城、五重塔など)1/700、1/350、1/200が多いがスケールに統一性無し。 甲冑、 刀 1/3、1/4スケール。 箱庭(農家などのモデルに、付属の種を植えて育てることができる)スケールに統一性無し(同シリーズの店舗などは1/60、屋台は1/25)。 拳銃(ルガー・スーパーブラックホーク、コルト・パイソンなど)手榴弾 など 原則として1/1。ギミック付のキットも存在する。 動物(人体模型、アリイのコアラ、ラッコ、エリマキトカゲ、タミヤの1/35恐竜など)実物の数倍の昆虫や、1/1の小鳥から1/76程度の恐竜までスケールは様々。日本国外のメーカーに比較的製品が多い。 その他、楽器(ドラムセットなど)、家電(扇風機、オーディオなど)扇風機はモーターを内蔵し、実際に扇風機としての機能を果たす。ある意味では模型ではなく1/1の扇風機そのものであると言える。オーディオは小型スピーカーを内蔵し、ヘッドホンステレオなどに接続して実際に鳴らすことが可能な製品も存在した。多くは国内メーカーの実在の製品を1/3 - 1/10程度にそのままスケールダウンさせたものである。 架空のもの アニメーション、特撮といった映像作品や、漫画、小説、家庭用ゲーム等に登場する架空の兵器や登場人物などを取り扱ったもの。その多くはSF設定の作品である。キャラクターモデルと称される場合も多い。通常は設定資料の寸法から縮尺に見合った寸法を割り出し設計されるが、初期にはパッケージに収容可能な寸法から縮尺を割り出す箱スケールものも多く存在した。 バンダイのガンダムシリーズの成功から1/144、1/100などのものが主流だが、スケールモデル同様に縮尺も多彩である。一例を挙げると1/20、1/35、1/60、1/72、1/220などがある。 人間に近いサイズのキャラクター(仮面ライダー、妖怪ウォッチ、その他デフォルメキャラクターなど) 過去には オバケのQ太郎、がんばれ!!ロボコン、Dr.スランプ、うる星やつらなど、多くのキャラクターのキットがあった。2000年代以降は、組み立て式アクションフィギュアと呼べる商品が増えている。 実在の車などに近いメカ(仮面ライダーのオートバイ、西部警察の特殊車両、バットモービル、デロリアンなど) カーモデルや航空機などスケールキットと同様のフォーマット、ディテールで設計された商品も多い。 ロボット物(ガンダム、マクロス、ボトムズなど) 1980年代くらいまでは合体・変形などがセールスポイントであったが、ガンダム以降は広い可動によるアクションポージングや、内部構造ディテールにもこだわったアイテムが登場している。 その他のSFメカ (宇宙戦艦ヤマト、スター・ウォーズ、サンダーバード、マイティジャックなど) 実写作品では、撮影に使われたプロップに対するスケールモデルとしての解釈もある。 歴史 プラモデルの誕生と普及 世界で最初に発売されたプラモデルは、フロッグのブランドで動力付きの木製模型飛行機を販売していたイギリスのIMA社 (International Model Aircraft Ltd.) が、1936年に発売したフロッグ・ペンギンシリーズである。 当時の新素材であったプラスチックで模型を作る技術は、イギリス軍が教育に使用する航空機や軍用車両等の識別用モデルをプラスチックで作る技術を応用したものである。 フロッグ・ペンギンシリーズは1/72に統一された航空機のキットで、第二次世界大戦により中断されるまでに英国機を中心に30点ほどが発売された。 第二次世界大戦中にはアメリカ国内でもプラスチック製の識別用モデルは多数作成され、大戦が終結すると、ホーク、レンウォール等の複数のメーカーがアメリカでもプラモデルの製造を始めた。 1950年代に入ると、オーロラ、リンドバーグ、レベル、モノグラム等のさらに多くのアメリカのメーカーがプラモデルの生産を始め、ヨーロッパでもイギリスのエアフィックスやフランスのエレール等が活動を開始し、プラモデルは急速に普及していった。 フロッグやエアフィックスといったイギリスのメーカーの航空機キットが最初から1/72で統一されていたのに対し、アメリカのメーカーの初期のキットは箱のサイズに合わせた箱スケールのものが多かったが、1950年代後半以降スケールの統一の動きが進み、多くのメーカーが1/72とともに1/48 (1/4インチスケール) を航空機の統一スケールとして採用し、むしろ1/48の方をメインとした。 また、初期のプラモデルメーカーの多くが木製模型飛行機のメーカーであったこともあり、初期のプラモデルは航空機が中心であったが、1950年代半ば以降、艦船、戦車、自動車等のモデルも徐々に増加していった。 そして1960年代は、欧米の多くのメーカーが数多くの名作キットを生み出す、プラモデルの黄金時代となる。 1990年代から今世紀以降は、ドラゴンをはじめとした東アジア系と、チェコのエデュアルド、ウクライナのICMなどをはじめとする東欧系のメーカーから多くの新製品が発売されている。 日本における歴史 日本にプラモデルが渡ってきたのはアメリカでプラモデルが普及を始めた1950年代初めで、主に在日米軍関係者によって持ち込まれたが、日本の木製模型メーカーの注目を得るには至らなかった。1956 - 57年になると少数ではあるが外国製のプラモデルを輸入して販売する店も現れ、玩具メーカーのマルサン商店や模型メーカーの日本模型などがプラモデル国産化への模索を開始した。1955年頃から海外メーカーのプラモデルの下請け製造を開始していた日本プラスチックは1956年10月頃、日本初のプラモデルの「ゼロ戦」を発売、その後1957年春にはゴム動力の「原子力潜水艦ノーチラス号」を発売した、また「和工樹脂」は1958年10月頃、「ダットサン1000」のプラモデルを発売した。その2ヶ月後、マルサン商店は「原子力潜水艦ノーチラス号」等4点のキットを発売した。なお、同時発売した「ダットサン1000」のキットは「和工樹脂」の製品にマルサンのロゴマークのシールを貼ったものである。 1950年代後期から1960年代は、戦記映画の人気や雑誌・出版物での第二次世界大戦戦記特集に後押しされた軍艦や飛行機などの実物の縮尺模型が主だったが、1960年代後半の今井科学(後のイマイ)による「サンダーバード」シリーズの大ヒットによりキャラクターモデルという分野が確立。その後のスーパーカーブームでもプラモデルはブームの一端を担った。 1980年代前半のガンプラ(ガンダムのプラモデル)ブームでプラモデルはブームの主役の座を得た。ガンプラの大ヒットを受けて起きたリアルロボットアニメブームでは、プラモデルは主力商品に位置付けられて積極的な製品開発が行われたが、ガンプラブームを再現するには至らなかった。一方、1960 - 1970年代のプラモデル市場を支えてきたスケールカーモデルも市場から撤退するメーカーもあった。また、改造車ブームが背景にあり、旧車を中心とした族車のキットが発売されたものの、自動車をはじめとしたスケールモデルはまだ玩具の領域から脱することはできなかった。そんな中、1980年代後半のミニ四駆ブームでプラモデルは再び脚光を浴びたが、その後は新しい分野でのプラモデルブームは起きていない。 1990年代末頃から模型業界にもファクトリーオートメーション(FA)の導入が進み、プラモデル製品開発の労力が大きく縮減された。それまで設計、原型試作、金型製作と、時に差し戻しもある各工程を専門技術者に頼り、多大な時間とコストを要していたものが、3DCADによりコンピュータ上で最初から立体として設計を行い、自動制御や3Dプリンタにより原型、製品金型の製作まで行えるシステムが確立したことで大幅に工程が短縮した。また、スライド金型の導入は複雑な形状の成形を可能にし、設計の容易化と部品点数削減に一役買った。それらの恩恵により、コトブキヤやウェーブのように資本力の小さいガレージキットメーカーからプラモデル事業に新規参入した会社が牽引する形で、特にキャラクターモデルの分野ではそれまで採算ラインに達しなかったマイナー作品からの商品化が飛躍的に増加した。 2000年代以後は、経済産業省の工業統計表によると「プラスチックモデルキット」全体の出荷額は、1998年の199億円に対して2007年は113億円と大幅に減少している。ガンプラは安定した売り上げを記録し続けるものの近年は漸減傾向にあり、飛行機やAFVなどスケールモデルは大幅な衰退傾向にある。プラモデル市場の衰退については、急激な勢いで進む少子化と、縮小する市場のパイをめぐってのテレビゲーム等の他の玩具との競争、製品面ではマニアックな商品が増えて初心者が近寄り難くなった点や、部品点数の増加などからモデルの組み立てに高度化を要求する傾向が目立つことなどが要因としてあげられている。また高品質低価格化が進む食玩などの塗装済み完成品模型や、1990年代末から市場が活性化したミニチュアカーがプラモデル市場を圧迫しているとの指摘もある。ミニチュアカーや食玩等の完成品市場には京商や青島文化教材社などの模型専門メーカーも参入しているほか、タミヤに関しても完成品ミニカーやミニ四駆、ダンガンレーサー、RCカー等の完成品を販売することがある。 2006年頃からプラモデル市場の縮小の影響や原油価格高騰のため、プラモデルや塗料などが値上げされる傾向にある。老舗メーカーでは上記の製品開発システムの刷新がうまくいかなかったり、製造部門においても射出成型機が多品種少量生産むけの小容量型へ移行が進んだことにより、旧製品の金型が使用できなくなり不良資産化する恐れが出てきており、老朽化によるメンテナンスコストの上昇が重くのしかかる等、業界は曲がり角に差し掛かっている。 2000年代後半からは、カーモデルにキャラクターデカールをセットした「痛車」や、「ガールズ&パンツァー」に登場する戦車、「艦隊これくしょん -艦これ-」や「蒼き鋼のアルペジオ」の艦船キット(ウォーターラインシリーズベース)など、キャラクターとコラボレーションしたスケールキットがブームとなった。また、1980年代から1990年代のフォーミュラ1、ロードレースバイクのキットが新規開発されるなど、当時製品化されなかった車種を補完するような展開も見られる。先述した組み立ての難しさを減らすために、塗装済みや部品点数を敢えて減らしたキットも登場するようになった。 近年、模型雑誌では通常のプラモデルを「インジェクションキット」と呼んで完成品やガレージキットと区別することもある。 静岡とプラモデル 静岡県の静岡市を中心とする地域はプラモデルやラジコンを代表に玩具産業が盛んで、タミヤ(静岡市駿河区)やバンダイ(静岡市葵区)、アオシマ(静岡市葵区)、ハセガワ(焼津市)など大手玩具・模型メーカーが本社や工場を静岡県内においている。特にプラモデルに関しては全国売上シェア約90%である(2010年統計で92%)。 駿河国(現在の静岡県の一部)には徳川家ゆかりの富士山本宮浅間大社(富士宮市)と、静岡浅間神社(静岡市)などの浅間神社が多数所在し、時の将軍の指示により、寛永年間と文化年間の二度にわたり静岡浅間神社の大造営を行った。その際に全国から様々な職人達が駿府(現在の静岡市付近)へ集められたが、造営が長期に渡ったため造営終了後も職人達の多くがそのまま駿府に定住し、その木工技術を活用して家具やひな人形、仏壇、蒔絵などの生産を始めた。 その木工技法は代々受け継がれ、1932年(昭和7年)に、アオシマの創業者である青島次郎が、伝統技法を利用して木製の動力付き模型飛行機を製造販売したことを契機に、県内に多くの木製模型メーカーが誕生した。その後、第二次世界大戦中は、原料不足から他県の木工産業が生産不能に陥るなか、静岡県は国から『重要木工県』という指定を受けていたことで、主に学校教材用として木製模型の生産も続けられた。 戦後1950年(昭和25年)以降欧米のプラモデルが輸入され始めても静岡の模型メーカーの反応は鈍かったが、国産プラモデルが発売されプラモデルの人気が上昇すると、静岡の各メーカーも1960年以降プラモデルの生産に順次参入し、木製模型からプラモデルへの転換が急速に進んだ。1970年代に静岡4社共同企画により実現したウォーターラインシリーズや、その後1980代には社会現象にもなったガンプラブーム、ミニ四駆ブームいずれも、静岡の企業からの発信(生産出荷)であり、現在の「静岡=プラモデル」の構図が成り立つこととなった。 2010年7月24日から2011年3月27日までの期間、「模型の世界首都 静岡ホビーフェア」を静岡市で開催し、実物大ガンダムを展示するなど、模型(プラモデル)の町・静岡を全国にPRした。入場者数は160万7485人だった。この人気を受けて、2011年6月には日本初の模型専門博物館である静岡ホビースクエアが開館した。 模型製作に用いる工具と材料 模型製作にはさまざまな工具を用いる。もちろん、全てを利用しなくても製作は可能であるが、基本中の基本としてプラモデル用のニッパーとカッターはある方が望ましい。なおニッパーなどの切断工具の防錆・保護用のメンテナンスキットもある。 ニッパー ランナーから部品を切り離すのに用いる。ゲートと部品の間が狭くキットなどもあり、通常のニッパーでは部品に直接傷がつくのを避けるために刃の薄いプラモデル用のニッパーが望ましい。模型用の歯の薄い製品は強く握ると歯が痛むので丁寧に扱うと良い。真鍮線やエッチングパーツなど金属を切断する場合は刃こぼれを防ぐため、金属用のニッパーを用いる。また、一部ガンプラは、ニッパーを使用しなくても簡単にランナーから部品を切り離せる物がある。 カッター(Pカッター、デザインナイフ、けがき針等を含む) 主にニッパーで切断したあとのゲート処理、パーティングラインの除去、部品の切断・加工やモールドを彫刻するためなどに用いる。使用する際はカッターマットを用いたほうがよい。カッターナイフは本体に替え刃を内蔵するタイプで、替え刃は数枚をまとめたブレードになっており折って新しい刃に交換する。主に大きなもの、直線を切る作業向けの製品である。デザインナイフ(アートナイフ)は替刃を一枚ずつ交換するタイプで、曲線を切るなどの細かい作業向け製品である。両者とも刃先の角度が異なった替え刃があり、用途に応じて選べるようになっている。Pカッター(厚手のプラスチック板などの切断に使う製品)やラインチゼルとけがき針は主に筋彫りに使用される。 ピンセット 小さい部品を掴んだり、手の脂が付着するのをさけるため、シールやデカール等を貼る際に用いる。ピンセットはオランダ語由来の外来語。ツイーザー、トゥイーザーなどの英語読みの名称で市販されている場合もある。基本的には金属製だが、特殊なプラスチックで作られたピンセットもある。 金属やすり、紙やすり、その他のやすり類 ニッパーやカッターで処理しきれないゲート跡など綺麗にするために用いる。やすりは元々金属製であり、本来は金属やすりという呼び方は無いが、紙やすりと区別するため模型用語として一般化している。紙やすりは「サンドペーパー」、耐水性のものは「(耐)水ペーパー」とも呼ばれるが、略して「ペーパー」と呼ばれることが多い。部品の表面を削ったり整えたりするために用いる。最近はラッピングフィルム(研磨剤付きのプラスチックフィルム)やスポンジ研磨材も使用される。また、金属部品などの加工にダイヤモンドやすりを使用することもある。 なお筋彫りに特化した非常に薄い幅の刃を持つ"スジボリヤスリ"という製品もある。 ピンバイス パーツに穴をあけるための細いドリル刃(0.1 mm - 3 mm程度)を保持した状態のものをピンバイスと呼ぶことが多い。本来ピンバイスは小径の棒状のものを保持する固定具(バイス)でドリルの刃の部分は含まないのだが、模型ではドリルでの穴あけ以外ではあまり用いられない。 プラモデル用(ホビー用)のこぎり・レザーソー・糸のこぎり 部品を切断するために用いる薄刃ののこぎり。改造する際に使われることが多い。かつては米国エグザクト社のレザーソーが代表的なブランドだった。後にエッチングで作られた薄く目の細かいノコギリであるハセガワ(トライツール)のモデリングソーや、タミヤの薄刃クラフトのこ、シモムラアレック(プラッツ)のハイパーカットソーなど、ホビー専用のものが登場している。 接着剤(セメント) 元来は二つ以上の物質の接着に用いられるものだが、後述のパテとして使用可能なものもある。最近は後述の様に強固な接着の為ではなく、仮止めや完成品の耐震・安定展示用の一時(仮)接着を目的としたものも出回り始めている。 プラスチックセメント 部品同士を接着するために用いる。材料を溶かし、溶剤が蒸発して硬化することで接着される。以前は接着が必要なプラモデルにはチューブ入り等の接着剤が付属している場合が多かったが、現在では一部の外国製キットを除いて付属しておらず、別途購入しておく必要がある。樹脂分を含む「トロトロ型(貼り合せ型)」と溶剤分だけの「サラサラ型(流し込み型)」とに大別される。前者はセメダイン社の瓶入りの製品やタミヤ、グンゼ産業(現在のGSIクレオス)等模型メーカー製品など古くから販売されている。後者はタカラのプロセメントなど少数派であったが、1990年代になってから種類が増え、2000年代には石油系溶剤を含まないリモネンを主成分にした物も増えており、有機溶剤の匂いがきつくないなどの利点があるため、使用するモデラーも増えてきている。また、最近のガンプラ等のプラモデルでは接着剤を使用しなくても製作可能なスナップフィット・キットがほとんどであるが、パーツを組み合わせたときに出来る"合わせ目"を消すために用いることも多い。ただし、スケールモデルではパーツ自体が非常に薄くなっている場合も多くあり、接着剤ではパーツの変形などのトラブルが起きやすいため、擦り合わせで密着度を上げて合わせ目を無くす。 瞬間接着剤 「シアノアクリレート」という特殊な樹脂が主成分の接着剤であり、空気中などの水分と急速に反応し、数秒から数分で硬化する。金属との接着のように、溶剤に侵されない材質や、異なる材質同士を接着する場合に用いられる。近年はプラモデルでも再現性向上のためにエッチングパーツなどの異素材部品を含む物が多く、製作の必需品となっている。ただし透明パーツなどに使ったり近くにおいてあると、接着剤の成分で"曇って"しまうこともある。こうした白化現象を避ける意味で効果促進剤を使う。また、低白化タイプの製品もある。この他には耐衝撃用などもあり、使用対象、強度、粘度、硬化時間などの異なる様々な製品がある。また通常は無色透明なものが多いが、白色や黒色など色のついた商品も出回り出している。 一時接着剤 貼って剥がせる再剥離可能型の接着剤で、仮止めや、完成した模型を地震その他の不慮の際にも倒さないで(安定して)展示する為の一時的固定に利用される。当初は紙等にシールの様に粘着性と再剥離性を与える為に開発され写真製版等から再剥離可能型の粘着剤スプレーが出回り始めた。かつては安定展示用には粘着テープを輪の様にして展示品と台座双方を接着していたり完成品に穴を開け真鍮線等を差し込んで固定していたりしていたが、現在では同じ表面特性を持つ粘着型防振ゲルと共に耐震・安全展示用途での利用が始まっている。 パテ 部品のへこみなどを埋めるために用いる充填材。また、プラモデルの形状変更やオリジナルの造形にも用いられる。硬化した後にカッターなどで切削・成形する事が可能だが、パテによっては切削性の悪いものもある。プラモデル製作で使用されるのはラッカーパテ、エポキシパテ、ポリパテ(ポリエステルパテ)の3種類が多い。最近では光硬化型パテや瞬間接着パテも発売されている。これは硬化までの時間が短く用途によっては非常に便利である。 ラッカーパテ 文字通りラッカー系溶剤を含み、溶剤が揮発することで硬化する。この際、溶剤が揮発した分の体積が減少する(肉痩せ、あるいはヒケという)。従って分厚く盛る場合には向かず、傷や部品のヒケの修正などに用いられることが多い。プラパテと略称されることもある。 エポキシパテ(エポパテ) 粘土状の2種類の基剤をほぼ同量混和して用いる。混ぜ合わせた後の作業時間は早くて1分 - 5分、通常は数十分から数時間で、おおむね一日程度で完全硬化する。ヒケはあまり起きない。種類によっては完全に固まるとかなり硬くなるので、適度な硬さの段階で切削すると加工性がよい。2種類のパテが均一になるよう混ぜ合わせるのが使用上の注意である。模型用のほかに木工用や金属用のものが市販されている。エポキシパテの成分はエポキシ樹脂項目を参照。皮膚が弱い場合には手袋必須である。日本以外ではミリプットのブランドのものが使われており、日本ではポリパテよりも導入が遅かった。一般向けとしてセメダイン社の製品、模型用としてはタカラの「改造くん」が1980年代前半から存在し、その後1980年代後半からフィギュア制作などに多用され、各社から模型用の新製品が発売されていった。 ポリパテ 主剤に硬化剤を練り込んで使用する。硬化時間は硬化剤の割合や気温によって変化するが、数分から数十分と早い。臭気が強いので換気必須である。1980年代前半のガンプラブーム当時、スクラッチビルドのために自動車の修理用品である「ニッペ厚付けパテ」が使用され、その後模型専用の物が開発されていった。 紫外線硬化パテ(光硬化パテ、UV硬化パテ) 太陽光や蛍光灯の至近距離に近づけると紫外線と反応して短時間で硬化する。硬化が早く、作業の効率化に大いに役立つが、場合によっては盛ってから1分とたたないうちに固まってしまうため、手早い作業が必要。現在最も高性能なパテといえるが、値段も通常のパテよりも高い。ただし、最近では少量がデコアート用に使い切り分量(5グラム程度)で百円均一の店などで販売され、それまでのアクリルパテに代わり主流となっている。なお一部の製品は空気に触れていると硬化しない(嫌気性の)ものがある。 瞬間接着パテ 液剤と粉末を混合すると数秒 - 数十秒で硬化する物で、作業が早い反面、物性的に脆い(それでもスチレン樹脂よりは丈夫である)。作業性を高める為に硬化促進剤とその速度を調整する緩衝剤とを併用する事もある(GSIクレオス製品等)。 この他、元々接着剤やネイルアート方面で利用されていたアクリルパテがある。粉末のパウダーと液体のリキッドの混合による二液混合型で、硬化開始時間が少々長く(それでも最短で1分以内には硬化開始)、また硬化に紫外線が要らず安価なのでUV硬化パテよりは普及が早かった。現在はネイルアート方面では硬化剤のいらないUV硬化パテに主役の座を明け渡し、模型やデコアート用マテリアルとしての利用が多くなってきている。接着剤としても有用であり、プラリペアなどの商品名で流通している。 塗料 プラモデルを塗装するために用いる。ラッカー系、アクリル系、エナメル系等いくつか種類がある。塗料はその特質を知って使いこなすことが重要である。なお瓶入りの他に常温で蒸発し加圧する液化ガスを圧力源とする"缶スプレー"があり、瓶入りの塗料を同様の塗装加工に用いる為のアイテム(ガイアノーツ"イージーペインター"等)も存在する。 ラッカー系塗料 日本で多用されている、乾燥が速く強固な塗膜が形成できる利点を持つ塗料。通称は「ラッカー系」であるが正しくは非水溶性の有機溶剤を用いた「アクリル樹脂塗料」(MR.HOBBYでは溶剤系アクリル樹脂塗料と記載)である。溶剤の蒸発により樹脂が塗膜を形成するため、アクリルラッカーに分類される。溶剤が非水溶性であることを強調するために「油性アクリル系塗料」と呼ばれることもあるが、「油性」は本来動植物由来の油脂を表す用語であり、石油由来の有機溶剤に使用するのは厳密には正しくない。ラッカーの一種ではあるが、昭和30年代に模型用として売られていた「マメラッカー」などのプラスチックを溶かすほど溶剤の強い、本来のラッカー(ニトロセルロースラッカー)とは別物である。トルエンなどが含まれる業務用塗料ほどではないが、他の模型用塗料に比べ溶剤の臭いや毒性が強く、換気せずに長時間吸入すると中毒を起こす。また揮発性、引火性が強いことにも注意。マルサンのプラカラーを皮切りに、レベルカラー(後にMr.カラー)、モデルカラー、モノグラムカラー、ガイアカラーなど、多くのブランドが存在した。なお、模型専用塗料以外の模型向けの塗料にはトルエンなどを含むものもあるため注意が必要である。 水溶性アクリル樹脂塗料 アクリル系とも呼ばれる。溶剤としてアルコール系の水溶性の有機溶剤に水を混入したものを使用している。水で希釈することも可能だが、乾燥時間が増し光沢面に塗れなくなることもあるので、プラモデルに塗る場合は専用溶剤で希釈することが多い。臭いや毒性はラッカー系より抑えられている。引火性も低く安全性が高いものの、塗膜はラッカー系より弱く、上からラッカー系塗料を塗ると侵される。GSIクレオスの「水性ホビーカラー」と「アクリジョン」、タミヤの「アクリルペイント」が代表的な国産の水溶性アクリル樹脂塗料であり、1980年代初めの発売以来順次改良されているが、使い勝手や塗膜強度の面で敬遠するモデラーもまだ少なくない。最近は、国産とは異なる性質の優れた外国製品も入手しやすくなっており、スケールモデルでは珍しい存在ではなくなった。なお国産商品も改良が進み、これまで希釈性の問題でエアブラシ塗装に不向きとされていた欠点も改善されつつある。なおアクリジョンの為の汎用うすめ液は水と専用うすめ液とがあるが、専用うすめ液は後述の"リターダー"として働く為に使い過ぎるとなかなか乾かなくなる。なお、アクリジョンの薄め液は生産終了となり、リターダーが販売されるようになった(エアブラシ用薄め液は改良して継続販売)。 エマルジョン系 広義には水溶性アクリル塗料に含まれる低溶剤の塗料。臭気がほとんどなく、水性アクリル、水性ホビーカラーは水でも可能だがアクリルシンナーが推奨されるのに対して、完全に水道水のみで、希釈や洗浄が可能(ただし、乾ききった場合には水溶性でなくなるので専用ツールクリーナーが必要)。乾燥は速く、塗膜も強め。代表ブランドは、シタデルカラーやアクリジョンなど。 エナメル系塗料 専用の溶剤(工業ガソリン系)で希釈する。上記2種類の塗料と異なり、塗装後空気に触れることで化学反応が起き固化する。エナメル系塗料は乾燥が遅く筆塗りでもムラができにくい利点がある。乾燥後の塗膜は光沢に優れる。多湿な日本の気候には不向き<だが欧米では一般的な模型用塗料として用いられている。また他種の塗料の塗膜を侵さない事からウェザリングに用いられる事が多い。ただし下地がつや消しの場合、顔料が染み付いて取れなくなることがある。塩ビ(ソフトビニール製キットやポリキャップなど)は侵され劣化するので避けた方がよい。またスナップフィットなどで常に力の加わっている部分に使用すると、溶剤の浸透によりパーツが破損する場合もある。最近、紫外線をカットするクリアー塗料の上に塗布した場合に白化する現象が話題となった。「タミヤカラー」が事実上唯一の国産エナメル塗料であるが、イギリスのハンブロール社製のエナメル塗料も塗料単体や塗料付キットとして輸入されて一部の模型店で入手できる。 塗料は模型用塗料だけでなく、絵画用のアクリル絵具や油絵具、パステル、コピックなども用いられる。 塗料に添加して性状を調節する添加剤(メディウム)がいくつかある。光沢を抑えるフラットベース、乾燥を遅らせ、筆ムラやかぶりを抑えるリターダー、塗料の粘度を抑えるうすめ液などが典型的。うすめ液そのものがリターダーや金属色の質感を向上する添加剤を含んでいることもある。うすめ液はラッカー用、エナメル用など、使用する塗料に合った専用品を用意する必要がある。なお、フラットベースの逆の作用を持つものはなく、塗装後に光沢の強い(全光沢或いは半光沢の)トップコートで調節する。 筆 平筆、丸筆と細部塗装用の面相筆があると便利。学校の授業などで使った水彩画用を流用することもできるが、塗料の溶剤によって毛を束ねる接着剤が溶け出し、最終的にはバラバラになる可能性があるため、模型用のものを使用するのが望ましい。 エアブラシ 筆塗りでは難しい、ムラの無い一様な塗面やグラデーション塗装に使う。缶スプレーと比べて、自由な色が使える・吹き出し量の調整が可能というメリットがある。ある領域全体に塗装されるため、塗装前に、マスキングや塗装順番を考えた部品改造が必要になる場合もある。以前はピースコン等の一部製品を除きイラスト・写真修正用の高価な物が多く一般的ではなかったが、近年は模型メーカーから比較的低価格の製品が発売される様になった。 塗料噴霧用の端末器具としてはハンドピースが用いられる。気体加圧源としては高圧気体のボンベを用いる"スプレー缶(エア缶)"か電気を動力源とした"エアコンプレッサ"が用いられる。通常は加圧源で加圧気体と塗料の双方の吐出量が制限される為に加圧源の性能如何では塗料の吐出に影響を及ぼす場合がある。低圧型のコンプレッサでは上手く扱えない塗料も存在する。ハンドピースには加圧気体と塗料の吐出量を共に同時に調整可能なもの(ダブルアクション)の他に加圧気体と塗料の吐出量を同時に調整不可能なもの(シングルアクション)も存在する。ダブルアクションのハンドピースを用いると細い幅の塗装も可能となる(加圧源の吐出量を低く調整する必要がある)。なおこの技法は全ての塗装技法中で最も塗料の消費量が少ない。 塗装作業中には塗料の霧状微細粉末や溶剤の揮発気体が周囲に飛散するので、作業者はマスクなどでの防護が必要となる。その為飛散物を強制的に吸い取る装置も存在し市販されている。 マスキングテープ 塗装の際、塗り分けを行うために色をのせない部分を覆って色が付かないようにする粘着剤つきの紙テープ。仮組みなどの際に粘着力の低いテープとしても用いる。また同様の目的の為に、塗布することで柔軟なマスキング膜を形成する液状のマスキングゾルという商品もある。 サーフェイサー ヤスリがけで付いた表面の微細な傷などを埋める為や塗料の食い付きを良くする為に使われる。主に塗装の前段階として用いる。筆塗りの他、缶スプレーやエアブラシを用いて吹きつけて使用する。市販されている物の主な成分は溶液に溶いたラッカー系パテ(溶きパテ)とほぼ同様の物である。傷やヘコミなどを見分けやすいグレー色が一般的だが、フィギュアなど用にホワイトや肌色の製品もある。細かい彫刻が潰れることを嫌い、使用しないモデラーもいる。 プライマー 金属(メタルパーツやエッチングパーツ)、レジンなど塗料の食い付きが良くない素材に塗装する場合に使用する下地塗料。通常は無色透明。プラモデル用に開発されたもの以外は、プラスチックを侵す恐れがある。上記サーフェイサーを兼ねた"プライマーサーフェイサー(プラサフ)"もある。 トップコート 塗装した個所の表面保護に使用する、透明な塗料。ステッカーやデカール、インスタントレタリング(インレタ)などの保護にも有用。光沢、半つや、つや消しとがあり、被塗物の質感を調節する場合にも用いられる。金属光沢を与えるメタリック色は、これを塗布するとかぶりが生じる(白っぽく曇る)ものもあり、代用としてプライマーを吹き付けることもあるが、こちらは金属光沢を生み出す顔料が流れてしまうことがあるため、金属らしい質感が重要な個所を一切保護しない場合もある。 デカール定着剤 デカールを軟化させ、模型表面の凹凸への密着性を高めるための補助剤。デカールを貼った上から塗布して軟化させるものをデカール軟化剤(マークソフター)、接着力を持ち先に塗布した上にデカールをセットするものをデカール定着剤(デカールフィッター、マークセッター)と区別する場合もある。デカールの種類と定着剤の相性により軟化の程度に差があり、しわ等が生じる或いはデカールが破損する場合もあるので事前の確認が必要。 綿棒 デカールを貼付する際に出る余分な水分を脱脂綿に吸わせる、デカール貼付位置の微調整、あるいはウェザリングや墨入れを施す際に用いられる。使い勝手としては化粧用に開発された先の細いものが良い為に模型専用のものもこの形状になっている。 製品 よく使われる素材・材質 ポリスチレン (PS = Poly-Styrene) プラモデルの材料としては最も多く使用される。プラモデルで「プラ」といった場合、広義では合成樹脂一般(ABSなども含める)をさすが、狭義ではポリスチレンのみを指す。エナメル系溶剤に侵食され、劣化する性質がある。透明のものは飛行機キットのキャノピーや自動車キットの窓ガラスなどに用いられるが、しなやかさがないため非常に砕けやすく、瞬間接着剤などで白濁することも多い。タミヤやエバーグリーンブランドの各種素材もポリスチレンである。ドイツ語であるスチロール (Styrol) と呼ばれることもある。 ABS (ABS = Acrylonitrile-Butadiene-Styrene) アクリロニトリル、ブタジエンゴム、スチレンを混ぜたもの。配合比率によって物性に差はあるが、ポリスチレンよりも割れにくく磨耗も少ない。このため、負荷のかかるキャラクター模型の関節部や動力模型のシャーシ(ミニ四駆や電動RC)などのパーツがABSで成型されることが多い。溶融接着には専用のABS樹脂用の接着剤を必要とする。また切削性もポリチスチレンよりも粘り気が強い。 ポリプロピレン (PP = Poly-Propylene)、ポリエチレン(PE=polyethene) いわゆるポリキャップとしてロボットキットなどの関節部ヒンジに多用される軟質樹脂。柔軟性が高く磨耗が少ない反面、ほとんどヤスリがけができない、そのままでは塗装もできないといった欠点もある。モーター走行する戦車キットのベルト式キャタピラとして、1970年代からゴム製のものに代わって多く使われるようになり、ディスプレイモデル用としても使用されている。 その他の樹脂 アサフレックス - スチレン系の合成樹脂。曲げると変形が残る程度の柔軟性で、塗装も接着もできる。 エラストマー - ゴムに近い性質だが、射出成型が可能なスチレン系樹脂。 ポリアセタール (POM) - 軸受などに使用される。塗装や接着が困難。 金属類 エッチングパーツや自動車のシャフト、ギアボックス、ネジなど各種金属が補助的に使用される。 有名なシリーズ ミリタリーミニチュアシリーズ 1/35 タミヤ ウォーターラインシリーズ 1/700 タミヤ、長谷川製作所、青島文化教材社 ミニボックスシリーズ1/72 ハセガワ ミニボックスEシリーズ1/72 ハセガワ 機甲師団シリーズ1/48 バンダイ デコトラシリーズ1/32 青島文化教材社 ガンプラ 各種スケール バンダイスピリッツ(以下バンダイ) マシーネンクリーガー 日東、ウェーブ、ハセガワ ロボダッチ 今井科学 一部は青島文化教材社から再発売 合体マシン 青島文化教材社 アニメスケール 各種スケール 青島文化教材社 ミニ四駆 1/32 タミヤ たまごひこーき ハセガワ フレームアームズ・フレームアームズガール壽屋 D-Style 壽屋 デスクトップアーミー メガハウス MODELOID グッドスマイルカンパニー Figure-rise Standard バンダイ デカールの制限 プラモデルに含まれるデカールや箱絵には、社会的要因による制限が一部加えられている。そのために製品化や旧製品の再生産が困難になったり、やむを得ず一部分の完璧な再現を断念せざるを得なかったりといった問題も生じている。 タバコ広告 1990年代以降、多くの国でタバコ広告の規制が強化された。そのため、多くのF1、WRCといったレースカーのキットに付けられていたタバコメーカーのスポンサーロゴも規制の対象とされ、その後発売されたF1レースカー製品ではデカールからタバコメーカーのロゴが削除されたり、別のものに差し替えられてしまっている。タバコメーカーがメインスポンサーだった一部の車種では、削除や差し替えすら難しいためキット自体が生産困難な状態となっているものもある。 その他企業ロゴに関する制限 2000年代以降は企業の知的財産権管理強化の関係から、タバコ以外の企業についてもロゴが削除・或いは差し替えられたものが現れている。 ハーケンクロイツ 第二次世界大戦時のドイツ機の垂直尾翼に描かれていた鉤十字(スワスティカ)は、ナチス・ドイツのシンボルマークであり、現在ドイツでは公の場での使用や掲示が法律により禁止されている。その影響で、1990年代以降多くのメーカーでは箱絵とデカールからスワスティカや本来ナチスとは無関係のフィンランドのハカリスティを削除している。日本国内ではスワスティカの使用に全く制限はないが、輸出を考慮して日本メーカーの多くもこれに倣っている。一部の日本メーカーでは日本国内出荷分にのみスワスティカのデカールを付けているが、多くの場合箱絵は勿論組立て説明書にも明示は無く、オマケ扱いとなっている。また、スワスティカを十字や田の字形に変えたり、二分割してそのままではスワスティカに見えない形でデカールにしているメーカーもある。 コピー製品 プラモデルにおいては、部品の分割方法や面の表現、対象の立体としての解釈など設計段階で開発者の個性が強く表れる。異なるメーカーが同一の題材を製品化した際に、他のメーカーの商品をコピーしたと指摘される場合が有る。これは前述の分割方法や成型パーツの配列などにおいて、他社の既存製品と比較し同一または酷似しているものが対象となる。 ただし他の工業製品と同じく、金型や製品が他社に売却、またはOEM供給されて別パッケージで発売されることがあり、これがコピー品と間違われやすい。また、1/72以下の小スケールのキットでは、部品分割に個性を発揮できる余地が少ないため、偶然似通った部品分割となる場合もある。 日本のプラモデル黎明期には、先行するアメリカやイギリスのキット製品を原型としてコピーしたものが存在した。原型製品とは異なるパーツ配列としたり、原型製品と比較しギミックやモールドを新しく追加または省略したコピー製品も存在した。部品分割が全く異なっていても、形状の特徴から他の製品を参考にしているのが明らかなものもあった。 プラモデルのコピー製品では、原型製品において模型雑誌やモデラーから問題点として指摘された部分を修正したり、原型メーカーが発売していない派生製品を発売する場合もある。ただし、大部分のコピー製品は精密度において原型製品に劣っている。 ここでは具体的なコピー製品の例として韓国のアカデミー製品について解説する。 1/72 A-10 1/72 MiG-23/27 1/48 F-16 ハセガワ製品が原型と指摘されているアカデミー製品。A-10やMiG-23/27では開発時期の古い原型キットの凸モールドが凹モールドへ修正された。F-16では同一パッケージで複数の形式に対応すべく細かい部品の分割手法が変更され、各種搭載品を追加するなどの修正が行われた。 1/35 M113・M60パットン・メルカバ・センチュリオン タミヤ製品が原型と指摘されているアカデミー製品。原型製品とは異なり、大量のアクセサリーの追加や原型には無い改良型(M113)や発展型の車両(メルカバ)、イスラエル国防軍仕様(M113、M60)などが発売された。例えばメルカバIIIなどは転輪パーツ以外はオリジナルとなっており、高価なガレージキットを購入したりスクラッチビルドをする必要が無くなったため、購入者からすれば恩恵の方が大きいとも言える。なおセンチュリオンは日本には輸入されていないが、生産停止となったタミヤ製品に代わって欧米市場ではポピュラーな製品となった。 1/48 Su-27 アカデミー製品が原型と指摘されているトランペッター製品。原型キットの問題点をそのままコピーしており工作精度の問題から原型に劣る。 脚注 注釈 出典 参考文献 『ニッサン グラフ』 昭和34年6月号 『モーターファン』 昭和34年1月号 『青木固 回顧録』 日精樹脂工業 平成元年出版 日本模型新聞 模型メーカー・業者 タミヤ BANDAI SPIRITS GSIクレオス 青島文化教材社 ハセガワ ファインモールド フジミ模型 宮沢模型 メトロ科学模型 ほか 外部リンク 日本プラモデル工業協同組合 (全国模型販売店紹介サイト) 登録商標
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0
ロールプレイングゲーム
ロールプレイングゲーム(, 略称:RPG)とは、参加者が各自に割り当てられたキャラクター(プレイヤーキャラクター)を操作し、一般にはお互いに協力しあい、架空の状況下にて与えられる試練(冒険、難題、探索、戦闘など)を乗り越えて目的の達成を目指すゲームである。対する物としては、将棋やストラテジーゲーム等のようにプレイヤーが特定のユニット(人物、コマなど)に割り当てられないゲームである。 概要 ロールプレイングゲームとは、元々はミニチュアゲームから派生したもので、アメリカで考案された、テーブルゲームである。シミュレーションにおいて、プレイヤーが操作していた戦車や戦闘機、軍団といったユニット(ゲーム上のコマ)を、兵士個人に置き換え、そこに仮想人格としての信条や個性、能力を付加すると、ロールプレイングゲームへと繋がる流れになる。 日本ではコンピュータゲームのRPGと区別するため、テーブルトークRPGとも呼ばれる。英語圏では、ライブアクションRPGやコンピュータRPGと区別するため、「Tabletop role-playing game(テーブルトップロールプレイングゲーム)」または「Pen-and-paper role-playing game(ペンアンドペーパーロールプレイングゲーム)」などと呼称する。RPGのGは「Game(ゲーム)」を指すため、「RPGゲーム」という表現だとロールプレイングゲームゲームとなり厳密には正しくない。 今日では、ロールプレイングゲームからの派生物として、コンピュータを用いて同様のゲームを再現したことに始まるコンピュータゲームの一種、コンピュータRPGが人気である。コンピュータRPGは、コンピュータを用いるというシステム的な制約から、自由度は制限されるものの、本来のロールプレイングゲーム同様に、個性的なキャラクターを操って、架空の世界に遊ぶというゲームの本質は維持されている。 なお、初期のロールプレイングゲームは大半がファンタジーに題材を採った架空世界を舞台とし、モンスターとの戦闘を介して経験値を取得することでキャラクターが成長し、成長することで探索・行動範囲を広げるというものであったため、現在においてもRPGと言えばそういうものと思われがちである。この傾向はコンピューターRPGにおいて特に顕著なものとなっている。 実際には、SFやホラーをはじめとして多彩なジャンルが題材として選ばれている。システム面を見ても、特にテーブルトークRPGではキャラクターの成長はむしろ戦闘によらずミッションやクエストのクリアをもってもたらされるものが多いなど、キャラクターの成長方法一つを取っても作品により多彩である(さらには、『トラベラー』のようにキャラクターが成長しない作品もある)。このように、ロールプレイングゲームを形成する要素自体が初期のものに比べて様々に分化している。 ロールプレイングの意味 ロールプレイング(role-playing)とは、想像上のある役柄を演じることである。ロールプレイング(roleplaying)を英和辞典で引くと、役割演技と翻訳される。また、ロールプレイング(roleplaying)を英語で説明すると、その意味は「pretending to be someone else(他の誰かのふりをする)」となる。ゲームデザイナーのゲイリー・ガイギャックスは、「ロールプレイとは、想像上のある役柄を演じること」「自分が現在(または未来永劫)決してなることができない何者かを演じること」であるとしている。テーブルトークRPGでは、プレイヤーは、単なる無名の「戦士」や「魔法使い」ではなく、名前や仮想の人格などが付与されたプレイヤーキャラクターを担当する。ゲームによっては、「ライフパス」(出自や人生の遍歴を示す要素)や「性格」「属性」(あるいはシステムによっては「癖」や「趣味」といったところまで)といったルールにより、仮想の人格にシステム的な裏付けを与える工夫がなされる。同じ「戦士」であっても、豪胆な人物、細心な人物、明朗快活な人物、謎めいた影のある人物といった千差万別な個性を表現することにより、キャラクターは差別化され、一層生き生きとし、仮想世界での冒険の楽しみを増加させるのである。またプレイヤーが温厚で慎重な性格であるのにも拘らず、向こう見ずな戦士を演じたり、狡猾な魔術師を演じたりすることは、それがキャラクターに合致している限り、「上手なロールプレイ」であると見なされる。 商標登録 日本では、雑誌・新聞の「TRPG」はホビージャパンの(第4803260号)、玩具、ゲーム関係などの「ロールプレイング」はホビージャパンの(第1798172号)、菓子・パン関係の「ロールプレイング」はロッテの(第2155432号)、ゲーム関係などの「ロールプレイドラマ」はスパイク・チュンソフトの(第4794245号)、略称の「R.P.G」がおもちゃ関係でバンダイの(第1792020号)、「ロープレゲーム」はゲームおもちゃなどでセガ(以前のセガゲームス)の(第3046648号、第3046649号)登録商標である。 ゲームの分類 テーブルトークRPG テーブルトークRPG(本来のロールプレイングゲーム)は、ジャンル的にはテーブルゲーム(あるいはアナログゲーム)に分類される。 プレイヤーが一堂に集まり、 ゲームマスター(審判役)が提示するルール・状況・シナリオ・課題に従い、 ゲーム世界内での自分の代理人であるキャラクターにどんなことをさせるかを申告しながら、 他のプレイヤーと共に課題達成へ向けてゲームを進める というスタイルが一般的なプレイである。 商業的には、1974年に米国でTSR社から発売された "Dungeons and Dragons" (通称、D&D)が、商品として広く販売された世界初の「テーブルトップRPG」ルールシステムである(その前身であるウォーゲーム『チェインメイル』は『D&D』の原型とみなされる )。 ライブアクションRPG 現実世界のプレイヤー達が会話や身体的行動で演技を行い、架空の人物と世界を表現することで物語を演出する。ビッグバン コンピュータRPG まずロールプレイングゲームの遊び方や世界設定(例えば『D&D』などに登場する魔法やアイテムやゲーム目標など)を元に作られたアメリカ製のコンピュータRPGが1980年代前半に日本でもプレイされ始め、まもなく日本製の製品も登場し人気を博した。さらに、ロールプレイングゲームの入門的な存在であるゲームブックが邦訳・紹介され、一時ブームとなった。その後、ゲームブックはほぼ姿を消してしまうが、コンピューターRPGはパソコンやゲーム機の普及に伴い、売上の点でも内容の点でも大きく成長するに至った。 他方、テーブルトークRPGはそれまで一部のウォーゲーム愛好家が英文のままでプレイしていた程度で、広く知られるようになったのはコンピュータRPGやゲームブックを通してであった。日本語化されての販売も、コンピュータRPGの国産化より遅れていたのである。 そのため、ロールプレイングゲームまたはRPGと言えばコンピューターRPGのことを指すものだという認識が、日本では広く定着している。今やコンピューターRPGはコンピューターゲームの中でも特に人気の高いゲームジャンルである。 MMORPG その他のRPG メールRPG - 郵便を利用して遊ぶプレイバイメールゲームのうち、一つの作品世界につき1プレイヤーごと原則1プレイヤーズ・キャラクター(PC)の登録を行って遊ぶゲームを「メールRPG」と呼ぶことがある。 テーブルトークRPG・コンピュータRPG双方が存在する作品 コンピュータゲーム化 テーブルトークRPGを原作として、コンピュータゲーム化されたもの Dungeons & Dragons (プール・オブ・レイディアンス・バルダーズ・ゲート・Neverwinter Nights・Dungeons & Dragons Online:Stormreach) トンネルズ&トロールズ ローズ・トゥ・ロード ソード・ワールドRPG ブルーフォレスト物語 クトゥルフの呼び声(Amiga版のみ存在) シャドウラン ナイトウィザード Twilight: 2000 テーブルトークRPG化 コンピュータRPGを原作として、テーブルトークRPG化されたもの ウィザードリィ(ウィザードリィRPG) 女神転生シリーズ イースシリーズ(イースRPG) ANGEL-CORE(エンゼルギア天使大戦RPG)※原作はアドベンチャーゲーム スターオーシャン Till the End of Time DARK SOULSシリーズ 同列派生 共通の原作が存在したり、メディアミックス展開された結果として、双方が存在するもの ロードス島戦記RPG(ロードス島戦記の項目参照) 蓬萊学園の冒険!!(プレイバイメールから派生) ダブルムーン伝説(読者参加型ゲームから派生) モンスターメーカー(カードゲームから派生) ゴーストハンター(メディアミックス。コンピュータRPG「ラプラスの魔」が下敷となっている) モンスターコレクション(トレーディングカードゲームから派生。TRPGとしての作品名は『六門世界RPG』) コンピュータゲームでは別のジャンルになっているもの ダンジョンズ&ドラゴンズ(アクションゲームやシューティングゲーム(NESのDragon Strike)) バトルテック(TRPGは「メックウォリアー」) ヘビーギア(リアルタイムロボット操縦シミュレーション) ナイトウィザード(カードバトルアドベンチャーゲーム) シャドウラン(Xbox 360ではFPS) 脚注 参考文献 TSR,Inc.『D&Dルールサイクロペディア① プレイヤーズ』メディアワークス、1994年 ISBN 4-07-301820-5 ロブ・ハインソーとアンディ・コリンズとジェームズ・ワイアット『ダンジョンズ&ドラゴンズ第4版 基本ルールブック プレイヤーズ・ハンドブック』ホビージャパン、2008年 ISBN 4-89425-798-X 佐脇洋平とグループSNE『真・ウィザードリィRPG 基本システム』アスキー、1991年 ISBN 4-89366-097-7 関連項目 ロールプレイング(役割演技) テーブルトークRPG ライブアクションRPG コンピュータRPG ロールプレイ
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%81%E8%90%BD%E3%81%A8%E3%81%97
ハンカチ落とし
ハンカチ落とし(ハンカチおとし)とは、ハンカチを用いた野外または屋内で行う遊び。 概要 参加する人は鬼とそれ以外に分かれる。鬼以外の人は円になって内側を向いて座り、鬼はハンカチを持ってその円の外周を走る。鬼は気づかれないように一人の背後にハンカチを落とし、ハンカチを落とされた人は鬼が1周して自分の所に戻ってくる前に、鬼を追いかけなければならない。鬼がハンカチを落とした後、追いつかれることなくハンカチを落とされた人のところに座り込めば鬼の勝ちとなり、鬼を交代する。追いつかれた場合には、再び鬼とならなければならない。 また、鬼が一周してくるまでハンカチに気付かず、鬼にタッチされた人は円の中心に座らされて遊びに参加できなくなるというルールがある場合もある。この場所は「便所」などと呼ばれ、新たに「便所」に入る人が現れるまで出ることができないが、「便所」の人への配慮として、「鬼が5回変わるまで」などの時間制限が設けられることもある。 日本では、明治時代にはこの遊びが紹介されていることが確認出来る。 プログラミング問題への応用 ハンカチ落としは一定の条件を付けてプログラミングの問題に応用される。具体的には全員が等速(鬼に追いつかれない)で鬼が一周回るまでに必ず気づくという条件を付けたうえで、円を最初の並び順と逆の並び順にするときの全員の総走行距離を求めるプログラムの作成などである(人数を増やしたり特定の順番の人間を座ったまま固定したりして、プログラミングの応用を図る)。 出典 関連項目 こどもの文化 子供の遊び 鬼ごっこ de:Fangen#Plumpsack
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%89%E5%B1%B1
築山
築山(つきやま)とは、人工的に作られた山。測量の目的で作られたり、山を見立て庭をつくる観賞用として庭園や中庭に作られたり、子供の遊具として公園に作られたりしたものがある。 築山の例 箱根山 - 東京都新宿区。山手線内の最高峰(標高44.6メートル)。山頂に水準点がある。 天保山 - 大阪府大阪市港区。標高4.53メートル。国土地理院発行の地形図に山名が掲載され、山頂には二等三角点がある。 蘇鉄山 - 大阪府堺市堺区。標高6.97メートル。山頂には一等三角点がある。 脚注 注釈 出典 関連項目 日和山 (仙台市) 大潟富士 富士塚 津波避難施設 - 津波発生時の避難所として築山が造成される例がある 外部リンク 2万5千分1地形図名:東京西部 (南東) 国土地理院 地図閲覧システム 2万5千分1 地形図名:大阪西南部(和歌山) 造園施設 山 人工地形
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BFRPG
コンピュータRPG
コンピュータRPG(コンピュータ・アールピージー)は、コンピュータゲームのジャンルの一つ。 元々RPGとは卓上で紙と鉛筆、サイコロ用いて行う、現在でいうテーブルトークRPGを指す。それをコンピュータで再現した物がコンピュータRPGとなった。しかし、RPG文化とコンピュータRPGが同時期に広まった日本では、初期からコンピュータRPGが席巻したため、「RPG」がそのままコンピュータRPGを指すことが多い。ロールプレイングゲームの定義では「参加者が各自に割り当てられたキャラクター(プレイヤーキャラクター)を操作する」とあるが、コンピュータRPGはテーブルトークRPGを再現した物という定義である。そのためそれ以外の割り当てられたプレイヤーキャラクターを操作するゲームはアクションゲームなど別のジャンルに該当する。 概要 コンピュータを用いたロールプレイングゲーム(RPG)群を指す。 日本の家庭用ゲーム市場では人気の高いジャンルで、特にドラゴンクエストシリーズ、ファイナルファンタジーシリーズ、女神転生、ポケットモンスターはコンピュータRPGのみならず、家庭用ゲームを代表するタイトルである。スマートフォン(スマホ)ゲーム市場においても同様で、Google Playの売上ランキングには多数のコンピュータRPGがランクインしている。 特徴 ゲームプレイの肝となる行為結果(戦闘など)を、ターンごとに攻撃をして、能力値計算を主とした処理で判定するため、アクションゲームやシューティングゲームに比べてプレイヤーの反射神経や操作技能に依存しないゲームバランスになっているのが特徴。 多く見られるのは、プレイヤーが主人公とその仲間を操作し、障害として立ちふさがるモンスターとの戦闘を繰り返しながら「経験値」を蓄積してパワーアップし、徐々に行動範囲を広げていき最終的に目標を達成するというものである。特に日本市場ではユーザーの意思をゲームに反映させる手段にコマンド選択式インターフェイスを採用しているものが多い。 ゲームメディアなどで「RPG的要素を持つ」と言われる場合は、大抵下記の要素がゲームプレイに含まれている。 成長要素。努力の成果としてキャラクターの能力値が成長する楽しみがある。 リソース管理要素。アイテム選びや消費、能力の成長の仕方といったリソースを効率よく管理し、ゲームを有利に運ぶ楽しみがある。 物語演出要素。コンピュータならではのダイナミックな演出、RPGならではの感情移入しやすい物語を楽しめる。 冒険探索要素。広い世界を探索し、旅をする楽しみがある。 また、日本では複数のプレイヤーキャラクター(パーティ)によって行われる戦闘をRPG要素として捉える場合もある。多くのRPGには全ての攻撃技の基本となる通常攻撃(素手や武器で攻撃するなど。名称は「たたかう」などがある。)が実装されている。 歴史 米国のテーブルトークRPGに触発されるかたちで、1970年代中盤にメインフレーム上で動作する、『ダンジョン』(1976年)や『pedit5』(1975年)『dnd』(1975年)といった初期のコンピュータRPG群が登場した。これが後に『ウルティマ』といった作品の原型となっていく。 日本においては、1980年代初めに『ウルティマ』(1981年)や『ウィザードリィ』(1981年)など、パソコン用の作品が米国からもたらされることでRPGの存在が知られるようになり、その後日本国内のメーカーにより様々な作品が作り出された。当初は詳細なストーリーを持たず、ゲーム内に隠されたヒントを自力で探し出すと言った作品が多かった(『ザ・ブラックオニキス』(1984年)など)。この「隠されたヒントを自力で探し出す」点がコンピュータRPGの面白さと認識され発達し、コンピュータRPGは難しいほど面白いゲームとされていた(『ザナドゥ』(1985年)など)一方で、限られたプレイヤーにしかクリアできないハードルの高いゲームであった。この傾向は、『イースI』(1987年)・『イースII』(1988年)の発売を機に一転し、1990年代に入ると、ドラゴンクエストシリーズとファイナルファンタジーシリーズなどのソフトを筆頭とするRPGブームが訪れ、また1989年6月30日に発売された、CD-ROMを媒体とする世界初のRPG『天外魔境 ZIRIA』が、CD-ROMの大容量を活かした演出・音楽・音声等を実現し、ストーリー重視の作品が主流となった。 レトロRPG 近年ではファミコン世代もしくは、それ以前のコンピュータRPGを再評価しようとする傾向が見られる。中には、出荷本数が少なかったためにプレミアの付いているソフトも存在しており、中古品がオークションやオンラインショップで高額で取引されることもある。また、有名な作品であればゲームメーカー各社が行っている旧作のダウンロード配信サービス(バーチャルコンソール、PlayStation Storeなど)や、携帯ゲーム機などへの移植が行われている。 ローグライクゲームと呼ばれるダンジョン自動生成型の「終わり無きRPG」に対する根強い人気も見られる。この種のゲームはグラフィックによる表示が難しかった時代の産物であるため、伝統にしたがって文字だけを使った画面表示、またはそれに類するシンプルな画面表示しか用いないのが通例である。なお、ローグライクゲームはフリーウェアとして提供されているものも多い。 JRPG 欧米においては、独自の進化を遂げた日本製RPGを「クラシックスタイルRPG(classic style RPG)」や「JRPG(Japanese RPG)」と表現するようになっている。PC市場をメインとし続けた欧米では、リアルタイム制や、シームレスや、オープンワールドを組み込んだRPGのスタイルが確立されている。そのため、ターン制や、コマンド戦闘や、エンカウント方式にとどまるなどスタイルの古い日本製のものは区別されていると考えている。ただし、売り上げにおいてはポケットモンスターシリーズが全世界で1億9300万本 、ファイナルファンタジーシリーズは全世界で9700万本という実績があり、『ドラゴンクエストVIII』はアメリカ大手ゲームサイトGameSpotにて2005年度最優秀RPGを受賞、2010年E3アワード全機種RPG部門にて『イース7』がベストRPG賞を受賞し『RPGFan Feature-E3 2010 Awards』を獲得するなど海外でも日本製RPGは一定の評価を受けている。 その他 好きな人が多く、苦手な人も多い 2014年のCESAマーケティングリサーチ(日本国内が対象)によると、コンピュータRPGは51.9%の人が「好き」と回答しており、アクションゲーム(39.0%)などを引き離して最も好きな人の多いジャンルである。一方で、苦手な人の多いジャンルとしても挙げられている。クリアをするのに時間がかかる、レベルを上げるのが面倒など、コツコツプレイする必要がある当ジャンルならではの理由と言える。 他のゲームジャンルに影響を与えている 当ジャンルの「物語」や「成長」といった要素はあらゆるゲームに浸透している。その理由は、これらの要素が人の想いに根ざしたものであり、それを目で追っていくことがプレイヤーの欲求を満たすものであるからだろう。 脚注 参考文献 『ロールプレイングゲームサイド』Vol.1 2014年8月 マイクロマガジン社 ISBN 978-4-89637-470-4 関連項目 3DダンジョンRPG シミュレーションロールプレイングゲーム アクションロールプレイングゲーム レトロゲーム エンカウント ヒットポイント マジックポイント 戦闘
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AFRPG
テーブルトークRPG
テーブルトークRPG、あるいはテーブルトップ・ロールプレイング・ゲーム()とは、テーブルゲームのジャンルのひとつ。ゲーム機などのコンピュータを使わずに、紙や鉛筆、サイコロなどの道具を用いて、人間同士の会話とルールブックに記載されたルールに従って遊ぶ“対話型”のロールプレイングゲーム(RPG)を指す言葉。和製英語。 元々はミニチュアゲームから派生したもので、アメリカで考案された、テーブルトップゲームである。 TRPG、TTRPG、tRPGなどと略記されることがある。また、会話型RPGとも呼ばれる。なお、TRPGと会話型ロールプレイングゲームはホビージャパンの登録商標である。 テーブルトークの意味 「テーブルトークRPG」は日本での造語(和製英語)であり、日本と韓国以外では通用しない。英語圏では、ライブアクションRPGやコンピュータRPGと区別するため、Tabletop role-playing game(テーブルトップロールプレイングゲーム)やPen-and-paper role-playing game(ペンアンドペーパーロールプレイングゲーム)などと呼称する。 1974年に世界初のロールプレイングゲームである『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下、『D&D』)が発売された。しかし、日本では『D&D』よりも先に『ウィザードリィ』などの海外製コンピュータRPGをはじめ、『ハイドライド』『ザ・ブラックオニキス』『夢幻の心臓』『ドラゴンスレイヤー』などの国産コンピュータRPGが人気となったこと、そして1986年にエニックス(現在のスクウェア・エニックス)からファミリーコンピュータ向けに発売された『ドラゴンクエスト』が大ヒットしたという経緯から、日本ではRPGと言えばコンピュータRPGを指すのが一般的であるため、 元来のRPGをコンピュータRPGと区別する呼称としてこの言葉が普及した。 日本では、テーブルゲームとしてのウォー・シミュレーションゲームやRPGがアメリカなどに比べるとそれほど一般化せず、それに対して、元々は派生的な存在である「コンピュータを使ったシミュレーションゲームやRPG」が急速な普及を見せた。このような状況を背景に、日本では1980年代半ば以降、「RPG」はコンピュータRPGを指す言葉として普及した。本来の意味での「RPG」を愛好する人々は少数派であり、彼らの「RPG」を指し示す新しい用語が必要になったため、「テーブルトークRPG」という言葉が登場した。 1987年にゲームブック雑誌『ウォーロック』10号の記事において、近藤功司が「テーブル・トークのRPG」という表現をした後に「僕の造語ですから初めて聞く言葉でしょうが」と述べている。この語は『ウォーロック』誌上でたびたび近藤功司によって使用され、そのうちに安田均も積極的に使うようになった。安田均は多くのTRPG関連雑誌で執筆していたため、この語はゲーマーたちの間で広く知られるようになった。しかもこの時期は日本で一気にTRPG人口が増加していた時であったので、初めから「RPG」ではなく「テーブルトークRPG」と呼ぶ人々が大きな割合を占めるに至った。 ロールプレイングの意味 ロールプレイング(role-playing)とは、想像上のある役柄を演じることである。 ロールプレイング(roleplaying)を英和辞典で引くと、役割演技と翻訳される。また、ロールプレイング(roleplaying)を英語で説明すると、その意味は「pretending to be someone else(他の誰かのふりをする)」となる。 ゲームデザイナーのゲイリー・ガイギャックスは、「ロールプレイとは、想像上のある役柄を演じること」「自分が現在(または未来永劫)決してなることができない何者かを演じること」であるとしている。つまり、役割とはキャラクターという役柄のことであり、社会的な役目のことではない(「医者のふりをする」ことと、「医者の役割を果たす」ことには、大きな違いがある)。ゲームデザイナーの小太刀右京は、「roleplay。演技の意。しばしばrole-play(役割を演じる)と解釈するものがいるが、誤訳である」としている。 かつて、このロールプレイの意味を「役割を果たす」と解釈して、仮想の人格を演じることは抑制的であるべきで、キャラクタークラスなどの任務分担を果たすのみで足りるとする主張がネット上にあらわれたことがある。しかし、これは単なる誤訳、ないしデマにすぎないものであった。 テーブルトークRPGでは、プレイヤーは、単なる無名の「戦士」や「魔法使い」ではなく、名前や仮想の人格などが付与されたプレイヤーキャラクターを担当する。ゲームによっては、「ライフパス」(出自や人生の遍歴を示す要素)や「性格」「属性」(あるいはシステムによっては「癖」や「趣味」といったところまで)といったルールにより、仮想の人格にシステム的な裏付けを与える工夫がなされる。同じ「戦士」であっても、豪胆な人物、細心な人物、明朗快活な人物、謎めいた影のある人物といった千差万別な個性を表現することにより、キャラクターは差別化され、一層生き生きとし、仮想世界での冒険の楽しみを増加させるのである。またプレイヤーが温厚で慎重な性格であるのにも拘らず、向こう見ずな戦士を演じたり、狡猾な魔術師を演じたりすることは、それがキャラクターに合致している限り、「上手なロールプレイ」であると見なされる。 特徴 ゲームの進め方 まずゲームの参加者(英語でプレイヤーと呼ばれる)それぞれが自分の操るキャラクターを用意する(通常は一人ずつ)。これをプレイヤー・キャラクター(PC)という。一般にPCは「能力値」などの数値化されたデータによって表現され、これにたとえば、戦士や魔術師といったキャラクタークラスに代表されるような役割を表すデータやシンボルや肩書きが付随する。参加者はそれを専用のシートか何らかの記録媒体(通常のプレイでは紙)にメモしておく。 一人は通常、自分のプレイヤー・キャラクターを作らず使わず、一般にゲームマスター(GM)と呼ばれる役を受け持つ。ゲームマスターはゲームシステムによっては、ダンジョンマスター(DM、地下牢の主人の意)、審判員、ジャッジ(審判)、キーパー(維持者)、ストーリーテラー(語り部)などと呼ばれることがある。 ゲームマスターは他の参加者(プレイヤー)と対話しながらゲームの舞台となる世界とそこに登場するいろいろな事件や人物を説明し、決められたルールに従って、プレイヤーが考えたキャラクターの行動が実現したか否かを裁定することでゲームを進行させる。単純化して言えば、コンピュータで遊ぶRPGでの、コンピュータ役をゲームマスターという人間が担当するのがテーブルトークRPGだといえる。 しばしばテーブルトークRPGは「ルールのあるごっこ遊び」と説明されるように、プレイヤー・キャラクターの行う行動を、「何でも言っただけで認める」のではなく、各種のデータとルールに従って判定してその成否を決定する点が「ごっこ遊び」や「なりきりチャット」とは異なる。判定は、主に6から100面体までの様々な形状のサイコロ(ダイス)を乱数発生装置として用いて行われるが、トランプなど他の手段を用いる場合もある。 プレイヤー達は、ゲームの舞台となる世界において、プレイヤー・キャラクターを演じながら、行動をゲームマスターに対して宣言し、戦闘や謎解きといった課題に挑戦する。これを繰り返しつつ互いに協力または競争しながらストーリーを紡ぎ出し、最終的な目標の達成を目指すことが、ゲームの目的となっている。プレイヤーとは別個の架空人格であるキャラクターを演じることが特徴であることから、「演技ゲーム」という意味のロールプレイングゲームという呼称がゲームの総称として使われている。 1回のゲームにかかる時間はゲームマスターが用意するシナリオにより異なるが、少なくとも3、4時時間を要することが普通である。 キャラクター、世界設定、ルール キャラクターや架空世界それ自体を表現するために、様々な世界設定やテイストやルールを持つゲームシステムが数多く発表・発売されている。 ゲームマスターを除く参加者、すなわちプレイヤーは、さまざまな種族、人格、性質、能力、技術をもったキャラクターを演じる。それらの要素は、ゲームのルールや世界において、重要な指針となるものである。ゲームのシステムは大抵、そのゲームの世界においてどのようなキャラクターを演じることができ、世界の中でどのようなことができるのか、を定めたルールや設定がある。例えば、ファンタジー世界の設定では、種族には、エルフ、人間、ドワーフなど、キャラクタークラスには、戦士、僧侶、盗賊などがある。これらのルールや設定やデータは、プレイヤーが自分のキャラクターに与えられた役割を果たし、与えられた課題に取り組んで目的を達するための、行動と判断の基盤となるものである。 ミニチュア・ウォーゲームという体裁を取っていた初期のRPGにもストーリー性はあったが、物語性や世界設定を重視する風潮とともに、キャラクターの人格や会話および各世界で展開されるストーリーを重視するプレイスタイルも登場し、それに適したルールシステムも作られるようになった。 頒布形態 テーブルトークRPGでは、基本となるゲームシステムを集約した「ルールブック」のほか、特定のテーマに沿ったデータのみを集めたデータ集やプレイを補助する小物類などが頒布されることがある。以下に主な種類を挙げる。 ボックスタイプ 厚紙製の箱の中に、冊子型のルールブックやダイス(後述)等プレイに必要な最低限のセット一式が入ったもの。 黎明期に発売されたシステムに多く見られる形態だが、箱入りのため容積が大きい、流通経路が玩具系となるため取扱店が限られる、単価が比較的高額である等の理由から、書籍タイプの普及に伴い採用するシステムは減少した(長期展開しているシステムの中には、版上げの際にボックスタイプから書籍タイプへ移行したものもある)。その後、ネット通販によって流通の問題点が緩和されたこともあり、一部の商品にボックスタイプを採用するシステムも見られるようになった。 書籍タイプ プレイに必要となる一部の小道具(ダイス等の市販品)はユーザー側が用意し、ルールやデータ等のみを書籍として販売しているもの。 書籍の判型によって文庫判、新書判、A4判などの種類がある。またソフトカバーのものとハードカバーのものとがある。中には、袋綴じや切れ込み入りのページでカードや紙製ポーンなどを同梱したものもある。 ルールブック 基本ルールブック そのシステムにおいて根幹となるルールを集約した書籍。一般には一冊に纏められているが、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のように分冊で発売されているものや、プレイに必要な最低限のセット一式に同梱されているものもある。 拡張ルールブック 「上級ルールブック」等と称される場合もある。基本セットに収録されたルールをより詳細にしたものや、より複雑な汎用ルールを追加するもの。 エラッタ 英語で「正誤表」の意。公式サイトやサポート誌上に掲載されるほか、ルールブック版上げの際に直接修正されることがある。 サプリメント ワールドガイド 主に世界設定を解説する書籍。特定の地域や都市の特徴、動植物や周辺地図などが収録される。プレイに必要となる拡張ルールや数値的なデータは、世界設定の解説を補助する程度に留まる。 シナリオ集 主にプレイヤーに与える課題(シナリオ)を集めた書籍。連続したストーリーを展開できるよう構成されたものも多い。 その他追加データ集 プレイヤーが課題を乗り越える際の障害となる汎用性の高い動植物のデータ集が代表的だが、他にも追加のプレイヤーキャラクター用種族・職業のデータ集や、魔法の存在する世界観で利用できる汎用の魔法データ集、一風変わったところでは『GURPS High-Tech』のような近現代の武器を含む文明の利器のデータ集と言ったものまで存在する。 追加型サプリメント 「ソースブック」等と称される場合もある。特定のテーマや世界観に沿った拡張ルールやワールドガイド、追加データを収録した書籍。ただし基本ルールは収録されていない。 独立型サプリメント 特定のテーマや世界観に沿った拡張ルールやワールドガイド、追加データを収録した書籍。追加型サプリメントと異なり、基本ルールが簡易的に収録されているため、これ単体でプレイ可能。 サポートツール テーブルトークRPGの道具も参照のこと。 シート類 プレイの際には様々なデータを記録する必要があるため、公式があらかじめ専用の記録用紙を用意していることがある。それらの記録用紙はプレイに必要な最低限のセット一式や各ルールブックに公式に収録されている場合、公式サイトやサポート誌上で配布される場合、有志が非公式に作成する場合がある。 キャラクターシート プレイヤーキャラクターのデータを記録する専用の用紙。基本ルールブックに含まれ、通常はデータの記録部分は白紙だが、システムによってはあらかじめデータがある程度書き込まれた「サンプルキャラクター」が用意されていることもある。 プレイエイド ゲームプレイを円滑化するため予め準備されたガイダンスや記録用紙等のこと。エイドは英語で「助力」「補佐」「援助」等の意。基本となるルールを要約した「ルールサマリー」や、武器や魔法などの膨大なデータから(その回のプレイで使用が許可される)一部を抜粋した一覧表、ゲームの進行管理表などがある。 ルールサマリー 略して単に「サマリー」とも呼ばれる。サマリーは英語で「まとめ」「要約」等の意。基本ルールを簡易的に解説し(多くの場合は1枚の紙に)まとめた用紙で、データの記録欄はない。システムによってサマリーの有無は異なる。サマリーはあくまでサポートツールであり、詳細なデータや例外処理等は未掲載のため、サマリーとは別にルールブックの準備が推奨される。 カード類 ゲームシステムによってはそのシステムで用いる独自のカードが用意されていることがある。また判定にトランプ等の市販品を使用するシステムでも、オリジナルデザインのものが別途用意されることもある。 ダイス サイコロのこと。ゲームシステムによっては、正六面体ではないものを用いることもある。多くのTRPGでは「(用いる個数)D(用いるサイコロの面数)」と表記する(「3D6」は6面サイコロ3個、「D20」は20面サイコロ(1個)の意味となる)。プレイに必要な最低限のセット一式に同梱されている場合と、プレイに際してユーザーが各自で用意しなければならない場合とがある。 マスタースクリーン ゲームマスターが、シナリオ情報等をプレイヤーから隠すために用いる携帯型の衝立。公式が専用のものを販売する場合と、手近なもの(バインダー等)で代用する場合がある。公式のものの場合、プレイの際に頻出するデータ表が印刷されているほか、公式イラストが描かれているものもある。 マッピングシート プレイヤーキャラクターの現在位置や、目標物や障害物との位置関係などを示すために使われる専用の用紙。白紙のものと、あらかじめ地形等が印刷されたものとがあり、またマス目の入っていないもの、正方形のマス目が入ったもの(スクエア・シート)、六角形のマス目が入ったもの(ヘクス・シート)とがある。 マップタイル あらかじめ地形等が印刷された(主に正方形の)小型のタイル。1枚で上述のマッピングシート1マスに相当し、複数のタイルを組み合わせてひとつのマップを構成する。タイルを組み替えることで様々な地形に対応する。 ポーン プレイヤーキャラクターの現在位置や、目標物や障害物との位置関係などを示すために使われる駒。上述のマッピングシートやマップタイルと併用する。イラストが描かれた紙を折り立てたものやプラスチック製フィギュアなどが主だが、手近な小物(消しゴムやコイン等)で代用されることもある。 筆記具 記録用紙や白紙のマッピングシートに書き込むために用いる。基本的にプレイに際してユーザーが各自で用意するものだが、稀にセットに同梱される場合がある。書き込みの修正や消去が頻発するため、鉛筆やホワイトボードマーカーのような「後から書き込みが消せる」タイプの筆記具が推奨される。 計算器具 プレイに際して頻繁に数値データを参照するため、必須ではないが計算器具を用いるユーザーもいる。電卓の他に、数値の単純な増減を管理するための「カウンター」や、ダイスを兼ねたアプリ等が用いられることもある。 稀な例だが、『トンネルズ&トロールズ完全版』にはロゴマーク入りのカード電卓が同梱されている。 リプレイ プレイ風景を文章やイラスト等で記録したもの。詳細は後述。 コンピューターRPGとの差違 コンピュータRPGはテーブルトークRPGより派生したもので、ゲームマスターの役割をコンピュータに肩代わりさせ、1人で遊べるようにしたものであった。当初、コンピュータRPGは『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下、『D&D』)に代表される「迷宮・秘境探検と魔物退治のゲーム」を再現するゲームであった。こういったゲームはTRPGの遊び方の中でもボードゲームやウォーゲームに近いもので、機械的な処理に向いており、コンピュータRPGは高いレベルでこれを再現している。また、この頃はテーブルトークRPG自体、この種の製品や遊び方がほとんどであった。 テーブルトークRPGは、コンピュータRPGにあるような強力な演出とは縁遠いが、早い段階でさまざまなジャンルを可能にしてきた。「迷宮・秘境探検と魔物退治のゲーム」以外にも「恒星間宇宙での冒険」「邪神の復活を阻止するホラーもの」「犯罪事件の推理やアクション」などのジャンルは80年代にはすでに誕生している。 コンピュータRPGではプレイヤーはあらかじめプログラムされた行動しかとれないが、テーブルトークRPGでは原則的にはプレイヤーはいかなる行動宣言を行うこともできるため、無限の自由度があるとも言える。 歴史 「ロールプレイングゲーム」という呼称は、職業訓練や精神医学の臨床において行われるロールプレイングが由来である。また、テーブルトークRPGの元になった、戦争シミュレーションのミニチュアゲームや政治闘争などのボードゲームでは、プレイヤーが自分の受け持った軍の将軍・指導者の立場にたって、この将軍・指導者が得られたであろう限定された情報を元に駒を動かす遊び方などのように、プレイヤーが指導者という一個人の視点を通して軍や団体を操る遊び方もロールプレイングと呼ばれていた。「ロールプレイングゲーム」の呼称は最初のテーブルトークRPGが登場した時点ではまだ使われておらず、1970年代後半になってから、先に挙げたボードゲームも含めて各個プレイヤーが一人の個人を担当するゲーム全般の意味で用いられた。 テーブルトークRPGが最初に登場したのは1970年代前半のアメリカである。ロールプレイングゲームの元祖とされるのは1974年の『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下、『D&D』)である。『D&D』はゲイリー・ガイギャックスによってデザインされ、TSR社から発売されたが、これはガイギャックスとジェフ・ペレンが作ったミニチュア・ウォーゲーム『チェインメイル』(1971年、ガイドン・ゲームズより発売)から発展したものであった(そのため、『チェインメイル』は『D&D』の原型とみなされる )。『D&D』の内容は、ドラゴンなどの魔物が住み危険な罠の仕掛けられたダンジョン(迷宮)の中を、武器を使う戦士、魔法使いなど、異なる能力を持ったキャラクターを組み合わせたグループ(パーティ)を組んで探検し、様々な謎(リドル)を解き、ダンジョンの奥に眠る財宝や魔法の物品を獲得する、というものである。また、1970年代後半にはこのゲームの達成目的や進行方式を継承したコンピュータRPGも誕生した。なお、『D&D』黎明期には、この作品に対して数々の誤解や非難や陰謀論が飛び交っていた。詳細は「ダンジョンズ&ドラゴンズに関する論争」の項を参照。 安田均は、『D&D』はヒロイック・ファンタジー、『指輪物語』、マイケル・ムアコックの「エルリック・サーガ」といった作品の影響を受けていると指摘している。 1970年代後半になると、SF、歴史、近現代を舞台にするテーブルトークRPGが登場してくる。また、特定の小説や映画などの世界を再現するものも登場する。 背景世界の多様化により、「ダンジョン探索」や「怪物退治」をゲームの目的にしないものも登場してきた。例えば1977年に発売された『トラベラー』は、科学技術が発達して自在に宇宙旅行できるようになった世界を舞台に、さまざまな文明をもった惑星を旅することを目的にしている。1979年に発売された『ルーンクエスト』はファンタジー世界ながら、文化人類学を背景にした緻密なカルト(祭祀集団)を設定し、詳細な設定をもった背景世界(グローランサ)と物語を提示したことに特徴があった。このゲームではプレイヤーキャラクターが所属するカルトによって全く異なる行動規範が定められており、従来の「プレイヤーキャラクターは同じ目的を持った仲間(パーティー)である」という概念とは異なるプレイスタイルを持っていた。 これらのゲームは「ある役割を課せられた仮想の人物を操演して、司会・審判役を交えて会話で進行するゲーム」という部分では『D&D』と共通するものの、背景世界のみならず達成目的や進行方式が『D&D』とはまったく異なるゲームとなっている。このようなゲームの登場は、テーブルトークRPGの多様性を示すことになった。 また、最初期の『D&D』をはじめ黎明期のゲームは背景世界に緻密な設定をもたなかったが、『トラベラー』や『ルーンクエスト』のような緻密な世界設定を持つゲームの登場により、後のゲームでは「ゲームシステム」と「世界背景・物語」という二分化された制作がなされるようになる。 英語圏だけの現象であったテーブルトークRPGは、やがて他の言語圏にも紹介され、初めは英語のゲームをそのまま遊ぶという形で伝播していくが、やがて、各言語独自のゲームが作られるようになる。テーブルトークRPGが多く発表されている非英語圏の国として、フランス、イタリア、ドイツ、日本などがあり、その中からはNephilimのように逆に英語に翻訳されるものも出てきた。 日本における歴史 黎明期 日本におけるテーブルトークRPGの始まりは、1970年代後半に求められる。原宿キディランドなどの玩具店や模型店で、日本国外製の原語のTRPGが輸入販売されるようになり、それをプレイする人々が初期のユーザーとなった。元々はアメリカの大学生の遊びから生まれたゲームであるため、ルールは全て英語で書かれており、それを読めなければゲームを始めることすらできなかった。しかし、彼らは次第にゲームの翻訳・翻案、さらには自作まで行うようになる。 日本ではテーブルトークRPGよりも一足先にボードシミュレーションゲームが紹介されており、1980年代前半にはファン層も確立され、日本語のゲームや日本語の専門誌もいくつか出版されていた。『TACTICS』『シミュレイター』などの当時のボードシミュレーションゲーム雑誌では、「ボードシミュレーションゲームの兄弟のようなゲーム」として日本国外のRPGならびにその周辺の状況がたびたび紹介されている。1982年5月1日発売の『TACTICS』3号にロールプレイングゲーム『ドンキーコマンド』が掲載される。『ドンキーコマンド』はコマンド隊員をキャラクターとして作成し、秘密基地に潜入。爆破や奪取任務を行う1人プレイ用のルールであった。 日本語で書かれたTRPG製品が商業ベースで発売されるようになったのは1983年で、この年に多摩豊により『エンタープライズ』がツクダホビーから発売されている。また、同年にはツクダホビーやバンダイから、ロールプレイングゲームの要素を持つボードゲームが日本人のゲームデザイナーにより多数発売された(ツクダホビー『クラッシャージョウ』、バンダイ『元禄忍者伝』など)。1984年には日本人作による初の本格的なテーブルトークRPGである『ローズ・トゥ・ロード』(門倉直人著、ツクダホビー発売)が発売された。また、同年には日本国外製TRPGの初の日本語翻訳製品となる『トラベラー』がホビージャパンより発売されている。その後、1985年には『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(新和)、1986年には『クトゥルフの呼び声』(ホビージャパン)と、著名な日本国外作品の日本語翻訳版発売の流れが続き、後のブーム(繁盛期)の端緒を開いた。 日本語のTRPG製品が発売されていった1980年代前半は、コンピュータRPGが日本のパソコンゲームファンに注目されだした時期でもある。『ログイン』『Beep』などのコンピューターゲーム誌では「『ウィザードリィ』や『ウルティマ』の元となったゲーム」として、『D&D』等の紹介が始まり、コンピュータゲームをきっかけにテーブルトークRPGに興味を持つ、という流れを作り出した。なお、コンピューターゲーム誌では、コンピューターRPGに対しての「ボードRPG」という造語が盛んに用いられていた。 1980年代後半に入ると、パソコンゲーム雑誌『コンプティーク』(角川書店)誌上に、『D&D』のシステムを用いた『ロードス島戦記』のリプレイが掲載された。その後、リプレイを原案とした小説版『ロードス島戦記』が発表され大きな反響を呼び、漫画やOVA、パソコン用ゲームなど、いわゆるマルチメディア展開を見せ、日本におけるテーブルトークRPG普及に一役買うことになる。 ソード・ワールドRPGの成功とテーブルトークRPGブーム到来 1989年に『ソード・ワールドRPG』が富士見書房から発売されると、特に中高生を中心とした低年齢層にも広く普及した。 『ソード・ワールドRPG』が大きく普及した理由は、 書店で入手しやすい文庫本の形だったこと(それまでのシステムやサプリメントなどのテーブルトークRPG関連商品の多くは、ボードゲームメーカーによるボックス型のものが多く、価格も3500 - 5000円と高めの商品が主流であった)。 『ロードス島戦記』と同じ世界で、違う大陸を扱っていた(出版社、システムは異なる)。 メディアミックス展開(雑誌でのリプレイ連載、関連した冒険小説やシナリオの出版、TVゲーム化など)。 日本の環境に合ったルール(キャラクターは複数のスキルを持っていて、「魔法も使える戦士」等を容易に表現でき、また、作成したばかりのキャラクターや少人数でのパーティでも冒険ができた)。 などが挙げられる。 こうして、テーブルトークRPGの一大ブームが訪れた。角川書店、富士見書房からはRPG関連書籍が数多く出版された。RPGを元にした小説作品である『ドラゴンランス戦記』(富士見書房より翻訳刊行)や『ロードス島戦記』(角川書店)は日本のファンタジー小説の裾野を広げた。 冬の時代の到来から復調まで ところが、こうしたブームは、1990年代半ばに落ち込んでしまうこととなる。これを俗に、「TRPG冬の時代」と呼ぶ。停滞していった原因は、ブームに乗じた粗製濫造と作品の質の低下、『マジック:ザ・ギャザリング』を初めとするトレーディングカードゲームの台頭、主要なファン年齢層の就職・進学に伴う離脱などが、よく挙げられている。 2001年、長らく冬眠状態だった『ソード・ワールドRPG』リプレイの新シリーズがスタートし、翌2002年には、『ナイトウィザード』の初版、『アルシャード』の初版、『ダンジョンズ&ドラゴンズ第3版』といった、その後も展開が継続していった人気システムが相次いで出版され、本格的に復調傾向を見せ始める。 2000年代後半以降は、ルールブック、サプリメント、リプレイ、アクセサリなどのTRPG関連製品が毎月10点程度は発売されるような状況となり(関連小説や定期刊行物を含めればさらに増える)、回復・安定したとみられる。しかし、TRPGは「冬の時代」を挟んで、他のサブカルチャーメディアへの露出・連携が弱まったため、この時点では若い世代への広範な普及が見られたかつての状況にまでは至っていなかった。未経験者への普及再拡大が起こるのは2010年代後半の第二次ブーム以降となる。 クトゥルフ神話TRPGの隆盛、動画配信による第二次ブーム 2000年代終盤から2010年代初頭にかけて、ニコニコ動画などの動画サイトに『アイドルマスターシリーズ』や『東方Project』のキャラクターを用いた初心者向け解説動画やリプレイ動画などが投稿されるようになり、中でも2012年頃から『クトゥルフ神話TRPG』関連動画の投稿数が急増した。これに伴い『クトゥルフ神話TRPG』基本ルールブックの増版ペースも上がり、2015年6月で第20刷となっている。『クトゥルフ神話TRPG』関連動画の急増は、2012年4月よりテレビアニメが放送された『這いよれ! ニャル子さん』の影響と見る向きもある。 『クトゥルフ神話TRPG』の知名度の増加に伴い、2010年代後半になると既存のキャラクターを使うのではなく、純粋にオリジナルのキャラクターでオリジナルのシナリオをプレイしたリプレイ動画が活性化する。 さらに、動画を見た視聴者がリそこで使われたシナリオを使用して自分たちでもプレイを行い、それをゲーム実況動画の体裁で配信する、という繰り返しが起こるようになり、ゲーム実況界隈から若い世代のテーブルトークRPG参入が加速した。 この要因には、オンラインセッションに用いられるツールが2010年代後半頃から高度に整備され、SNSアカウントとの連携やスマートフォンからのプレイが行えるようになり、実際のプレイを体験するためのハードルが下がったこともある。 このような経緯から日本において動画サイトに投稿されているテーブルトークRPG動画は『クトゥルフ神話TRPG』を扱うものが主流となっている。2020年頃には『クトゥルフ神話TRPG』は日本国内において最も遊ばれているTRPGだという認識が波及しており、この認識は米国のケイオシアム社も共有している。このことは、『クトゥルフ神話TRPG』の関連動画をきっかけにそれを遊ぶようになった人口が、それ以前までの日本のテーブルトークRPGのコミュニティの規模を上回っていることを示してもいる。 日本における制作・販売形態 日本においては黎明期より、制作者・企画者が海外製品の翻訳やオリジナル作品の制作を行い、彼らと契約した玩具メーカーや出版社が流通販売を担う、という形態が多くを占める。しかし採算が取れず市場から撤退した玩具メーカーや出版社も少なくない。そのため、同一または同系統のルールブックが別の出版社から販売されたり、絶版作品が権利がらみで販売不可となる事例も少なからず見られる。 文庫RPG 日本独特の出版形態が「文庫(本)型」である。『ソード・ワールドRPG』や『GURPS』(ガープス)、『MAGIUS』(マギウス)が代表的である。それらをデザインしたグループSNEは、その前に『トンネルズ&トロールズ』の日本語版を文庫で出版し、ゲームブックファン層にテーブルトークRPGをアピールすることに成功している。 1990年代前半のテーブルトークRPGのブーム期にはビッグネームからマイナー製品まで数多くのタイトルが文庫で次々と発売され、文庫本という形態はテーブルトークRPGのデファクトスタンダードになっていった。1990年代後半以降の日本では、A4版もしくはB5版の書籍タイプ の製品が主流を占めることになる(情報量も多いがその分厚くなり、文庫タイプに比べて高価格 という特徴を持つ)。過去にも、大判の書籍タイプのRPGルールブックはあった(『パワープレイ』など)。ところが、文庫タイプの代表格『ソード・ワールドRPG』『GURPS』ですら、この時期に『完全版』としてA4版の書籍タイプで出版された(これは日本のみの現象ではなく、アメリカでも一足早く、ボックス型よりも大判の書籍タイプが主流となっていた)。 しかし、2004年に発売された『アリアンロッドRPG』は、久しぶりに文庫タイプで出版された。この作品は基本ルールやリプレイ、入門者向けのサプリメントは文庫で出版し、追加データなどの記述量が多くなるパワーユーザー向けのサプリメントはB5版書籍で出版するというスタイルをとった。こうした、両方の利点を活かす展開手法は、2006年発売の『アルシャードガイア』、2008年発売の『ソード・ワールド2.0』、2009年発売の『ダブルクロス The 3rd Edition』などにも引き継がれている。 リプレイ本 日本のテーブルトークRPG市場において特徴的なものに、「リプレイ本」といわれる商品の存在がある。 リプレイとはテーブルトークRPGのプレイ風景を記録したものである。一般的にはプレイヤーキャラクターとゲームマスターの発言の羅列という戯曲形式で記述される。リプレイは元々は、ゲームのルールをわかりやすく説明するためにルールブックに10数行程度で書かれるものでしかなかった。これは行為判定などが行われている様子を戯曲形式にして抜き出したものにすぎなかったが、日本のテーブルトークRPGの黎明期では全く未知の遊びであったテーブルトークRPGの紹介を行うためにこのリプレイという形式が好んで使われた。ウォー・シミュレーションゲーム雑誌やパソコンゲーム雑誌では1回のゲームプレイの最初から最後までを数ページにわたるリプレイとして掲載することで、テーブルトークRPGの実態を紹介していった。さらには、コンプティーク誌で1986年に連載された『ロードス島戦記』など、数回のセッションにわたるキャンペーンプレイを全てリプレイとして掲載するという試みも行なわれた。リプレイが長文化するに従い、書き手は読み手に対して飽きさせないようにする工夫や単なる記録以上の「読み物」が求められるようになり、リプレイの文章には様々な演出や編集が行われるようになった。こうして日本独自の文化が誕生したのである。 リプレイ文化はテーブルトークRPGの黎明期こそゲーム雑誌上の記事でしか見られなかったが、『ロードス島戦記』や『ソードワールドRPG』がメディアミックス展開していくのと同時にリプレイも単品の商品として文庫本の形式で売り出されるようになる。その結果、「リプレイ本」はテーブルトークRPGをプレイしていない人の中にもライトノベルの一種として受け入れられるようになり、様々なリプレイ本が出版されていくようになっていったのである。ここに至り、ゲームの紹介として始まったリプレイが独立した一個の作品として売り出されるようになった。結果、ゲームはプレイしないがリプレイ本は読んでいるリプレイ読者という層が生み出されるようにもなった。リプレイ本は2011年現在においてもライトノベルの一つとして出版され続けており、ライトノベル市場において独自の地位を築いている。 二次創作 日本のテーブルトークRPGの文化として二次創作活動が盛んである。それに伴い二次創作に関するガイドラインが2021年10月から制定された。 タイトル一覧 日本の業界で著名な人物(五十音順) 企画・デザイン 井上純弌 - F.E.A.R.協力、現銀十字社設立 遠藤卓司 - F.E.A.R.所属 大貫昌幸 - ORG設立(故人) 河嶋陶一朗 - 冒険企画局所属 門倉直人 - 元遊演体所属 菊池たけし - F.E.A.R.所属 北沢慶 - グループSNE所属 清松みゆき - グループSNE所属 久保田悠羅 - F.E.A.R.所属 黒田幸弘 - ミューズソフト株式会社代表 小太刀右京 - F.E.A.R.協力 小林正親 - 元遊演体所属 小浜智 - F.E.A.R.所属 近藤功司 - 冒険企画局代表 齋藤高吉 - 冒険企画局所属 芝村裕吏 - 元アルファ・システム所属 鈴木銀一郎 - 翔企画代表(故人) 鈴吹太郎 - F.E.A.R.代表 高梨俊一 高平鳴海 - 元F.E.A.R.所属 田中公待 - グループSNE所属 柘植めぐみ - グループSNE所属 徳岡正肇 友野詳 - グループSNE所属 朱鷺田祐介 - スザク・ゲームズ代表 水野良 - 元グループSNE所属、現フラッグノーツ所属 藤浪智之 - 元F.E.A.R.所属 伏見健二 - 元F.E.A.R.、現グランペール設立 星宮すみれ - 冒険企画局所属 安田均 - グループSNE代表 柳川房彦 - 元遊演体、現エルスウェア所属 矢野俊策 - 元F.E.A.R.所属、現フラッグノーツ設立 山北篤 - 元F.E.A.R.所属 力造 - 元グループSNE所属(故人) 和栗あきら - 元ORG所属 ライター、小説家 秋口ぎぐる - 元グループSNE所属、現コザイク設立 秋田みやび - グループSNE所属 池田朝佳 - 冒険企画局所属 桂令夫 健部伸明 - 元F.E.A.R.所属 田中天 - 元Cygames所属、現フラッグノーツ所属 多摩豊 - ウォーロック編集長(故人) 三田誠 - 元グループSNE所属 はせがわみやび 藤澤さなえ - グループSNE所属 細江ひろみ - 元F.E.A.R.所属 山本弘 - 元グループSNE所属 イラストレーター 合鴨ひろゆき - 元グループSNE所属 井上純弌 落合なごみ - 冒険企画局所属 金澤尚子 佐々木あかね - 元F.E.A.R.所属 佐々木亮 鈴木猛 九月姫 田中としひさ 速水螺旋人 - 冒険企画局協力 みかきみかこ 制作・企画会社(五十音順) ウィザーズ・オブ・ザ・コースト エルスウェア ORG グループSNE 翔企画 サンセットゲームズ スザク・ゲームズ ファーイースト・アミューズメント・リサーチ (F.E.A.R.) 冒険企画局 遊演体 出版社(五十音順) 下記は、各社から出版されたTRPG専門誌、サポート誌(休刊・廃刊されたものを含む)。 アークライト アスキー - LOGOUT アトリエサード - TRPG:サプリ エンターブレイン - AGマガジン 角川書店 - コンプRPG、ゲームクエスト ゲーム・フィールド - ゲーマーズ・フィールド 国際通信社 - RPGamer、季刊R・P・G サンセットゲームズ - ローカルペーパー ジャイブ 社会思想社(2002年倒産) - ウォーロック 翔企画 - シミュレイター、RPGコミック 新紀元社 - Role&Roll 主婦と生活社 大日本絵画 - ゲームグラフィックス ツクダホビー - オペレーション バンダイ 富士見書房 - RPGドラゴン ホビージャパン - タクテクス、RPGマガジン、GAME JAPAN(旧ゲームぎゃざ) つぎはぎ本舗(パッチワークス) - つぎはぎたより メディアワークス - 電撃アドベンチャーズ 遊演体 雷鳴 脚注 注釈 出典 参考文献 関連項目 テーブルトークRPGの道具 テーブルトークRPGのタイトル一覧 テーブルトークRPGのプレイスタイル テーブルトークRPG冬の時代 GNS理論 コンベンション (TRPG) オンラインセッション 遊☆戯☆王 - 原作漫画版の初期にTRPGが登場する。 外部リンク テーブルトークRPGに関する二次創作活動のガイドライン策定について 二次創作活動の公式ガイドライン レトロニム 和製英語 ca:Joc De Rol es:Juegos de Rol id:Role-playing game lt:Vaidmenų žaidimas nl:role playing game pt:RPG (jogo) tr:Fantasy role-playing
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%AD%E5%B8%AB
庭師
庭師(にわし)とは、庭を造る人のこと。古くは園丁(えんてい)やガーデナーと呼ばれる。庭石、樹木や池、水路から芝などを含めて、庭を一つの造形空間として設計施工、製作する人、またその樹木などの植物の生育を管理し、定期的に剪定したりする管理の仕事もする専門家である。 庭師と造園家 日本語圏では例えば小川治兵衛のように庭に関する事項全般、施工から手入れなどを行うほか、設計も行うことになるため、庭師が造園家や作庭家と言われる場合がある。しかし重森三玲のような庭園の研究者や官庁に勤める造園技師が名園を作庭する場合も多く、造園家や作庭家はそうした人物らを含めた総称である。 イギリスのランスロット・ブラウンは庭師でもあったが作庭家でもある。英語では「」と「」は異なる。 概要 すでに古代において造園技術は発達し、バビロンの空中庭園やローマのドムス・アエリアやハドリアヌス庭園(ヴィラ・アドリアーナ)など、大規模な庭園が造営されたことが知られている。しかし機械的技芸一般を軽視した古代社会においては、庭を造る者の地位は一般に低かったとされる。オスマン帝国の宮廷庭師は、首切り役人も兼任していたほか、身分の高い者が裁判で死罪の判決が下された際、死刑の判決が出た被告と徒競走を行い、被告がその競争に負けた場合は即刻死刑執行、被告が勝った場合は国外追放といった職務にも従事していた。 トルコではほか16世紀半ばチューリップの交配が盛んになり改良新種が次々と生まれた時代にはチューリップ専門の庭師も誕生しているが、当時のイスラム長官エブスード・エフェンディまでもが「楽園の光」と名づけた新しいチューリップを作っていることがしられている。トルコはまたインドを侵略した際パプリカを持ち帰るが、そうした蔬菜を宮廷庭師に栽培させていたことがハンガリーに伝わる唐辛子にまつわる言い伝えから知られる。 中世ヨーロッパでもスペインなどで造営されたイスラム庭園、特に水を弾きれ、噴水などを駆使したアルハンブラ宮殿やヘネラリフェの庭園は有名であるが、同時代の修道院や宮廷では菜園と庭園の区別はあまり発達せず、むしろ蔬菜園を兼ねた中庭が主流であった。ただしこの時代に関して残されている史料からは宮廷庭師たちが国王や貴族の下で働いていた記録があり、実用的かつ美しさにも配慮した園芸作業に従事していたことがわかっている。フランク王国のカール(シャルルマーニュ)大帝の邸宅庭園に用いられた植物リストにはりんごやセイヨウナシなどの果樹のほか、ユリやバラ、アイリス、セージなどが植えられていたことが記載され、視覚的なことだけでなく芳香植物など香りも重視していたとされる。 宮廷庭師の蔬菜栽培に関する記録はほかにも多く、フランスで13世紀頃に食されていたアスパラガスは貴族の野菜と称されるほど高価なものとされるが、特にルイ14世は宮廷庭師に、一年中食べられるように温室栽培を命じたというし、1593年にイベリア半島を旅行したマクシミリアン2世の宮廷植物学者シャルル・ド・レクリューズがカスティリア(スペイン)で、庭師や主婦までもがカプシクム(唐辛子)を丁寧に栽培していると報告。またイタリアでトマト栽培が裕福層の観賞用としてものから食用に移行するのは、ナポリの宮廷庭師が苗を自分の家に持ち帰り食用にしたからといわれている。宮廷庭師ミヒャエル・ハンフらは16世紀に果樹や野菜を栽培する実用園として造られていたルストガルテンを1647年にブランデンブルク選帝侯のフリードリヒ・ヴィルヘルムの命によりオランダ庭園に改造したことが知られる。17世紀にはジャガイモやトマトなどが観賞用から食糧としての経済的有用性が認められるようになり、イギリスなどは食糧を大量生産するという目的で、それら蔬菜の苗木を植民地で栽培し始める。 ルネサンス期からバロックに入ると水利技術を駆使した庭園が発達し、メディチ荘の建設にコジモ1世が依頼した水利技術者であり建築家そして彫刻家として知られるニッコロ・トリボロのような人物が作庭に当たり、また庭園設計の理論も盛んに著述されるようになっていくが、このことはヨーロッパにおける庭園の発達に大きな変革をもたらし、ヴェルサイユ宮殿に見られる大規模な庭園の造営において、造園家は農芸の専門師という立場から、芸術家としての扱いを受けていき、厚遇されるようになっていく。ラファエロは『美しき女庭師』を描き、モーツァルトの歌劇「偽の女庭師」は1775年1月、ドイツミュンヘンで初演される。アンドレ・ル・ノートルの家はパリにある王室所有のテュイルリー庭園で代々働いていた造園家の家柄として知られるし、ドイツマクデブルクのフリードリッヒ・ウィルヘルムスパルクを手がけたペーター・ヨセフ・レンネも宮廷庭師の家柄出身である。 ジョン・トラデスカント親子はチャールズ1世お抱えの庭師となり、17世紀中ごろから18世紀にかけてヨーロッパ大陸・アルジェリア・アメリカから珍しい植物を採集してくる「プラントハンター」と呼ばれる職能として活躍する。彼らはサクランボ・オレンジ・チューリップなどをイギリスに持ち込んだ。また同じく諸国を回ったロバート・フォーチュンもで園芸を修め、ロンドン園芸協会の庭師であった。イギリスではほかにハンプトンコートなどの庭師やヘンリー・ワイズや彼らのもとで働いていたスティーヴン・スウィツァーやアン女王のお抱え庭師ロジャー・ルッカーらが知られる。彼らは庭園の維持管理や修景を担当する王室園芸官として活躍する。 日本では古くは苑池を管理する園池司などの管制や明治の開拓使が園芸師として外国人を雇っていることが知られるが、庭を施工する者の意味での「庭師」という意味と語は江戸時代に定着したものである。 ほかに庭を造る者の呼び名は他に平安時代末期からの「石立僧」、室町時代の善阿弥など「山水河原者」があり、実際に庭を造る人物の身分が呼び名に現れている。 室町以降の枯山水などの試みは広く行われるようになっていくが、これは禅宗の影響を受け雪舟、夢窓疎石のような「石立僧」が台頭していったことがあるが、現在でも深谷光軌、枡野俊明など僧侶が作庭家となるケースはある。 江戸期は回遊式庭園の形式が発達し、時の徳川幕府は作庭責任者の将軍家御庭師とともに御用庭師にあたる御庭掛などを定め、庭園管理に務めさせている。江戸期には、貞観園改修に参画した幕府のお抱え庭師であった九段仁右衛門や藤井友之進、縮景園築造に呼ばれた京都からの庭師清水七郎右衛門、清水園(新発田藩)に関わった幕府お抱え庭師縣宗知、宮良殿内の和風枯山水庭園を作庭した首里の庭師城間親雲上などがいた。駒込村枝郷染井村には江戸城内の庭師もつとめた植木屋伊藤家などがあった。 近代からは植木職人や樹木・園芸種を育てる農家が屋号をもって建設業、造園業や石材業を営むようになっていくが、この中で小川治兵衛の植治など、今日にも残る老舗といわれる植木商や造園業者に発展したものや出入り業で家業を継いで発展したものが多く、また戦前ごろから大学卒の学士などが修行し独立するケースもみられていく。近代期では、大河内山荘を築造した広瀬利兵衛、殿ヶ谷戸庭園を築造した仙石、自らの手で合浦公園造成を開始した旧弘前藩庭師の水原衛作、迎賓館を築造した佐野藤右衛門、岩城亘太郎、柴又帝釈天邃渓園を築造した向島の庭師永井楽山などがいる。 現在では幾多の名園は企業や公共団体が管理するものが主流を占め、中根金作のように京都府など自治体の技師や文化庁や環境省など国の技官として任用されるケースもある。 関連項目 職人 造園技能士 作庭家 ガーデンデザイナー サイトスペシフィック・アート - 造園または庭師的な仕事 トピアリー - 奴隷の庭師が生垣に主人と自分のイニシャルを刈り込んだのが最初とされる リマのローザ - 刺繍と庭師の守護聖人 職藝学院 - 大工と庭師の専門学校。富山県富山市 バンベルク - 「庭師と農民の博物館」がある都市 河原者 業界用語 - 「カテキョ」は庭師 修道院長 - フランシスコ会では庭師を意味する「クストス」 エレファンク庭 - エレファンク庭のファンの総称が「庭師」 人物 ロベルト・プロシネチキ - 庭師の足を持つ男と呼ばれた ドナルド・E・ウェストレイク - 妻は庭師としても有名 メフメト2世 - 専門は庭師であったとされる フリオ・クルス - 愛称=庭師(ハルディネーロ) 村雨辰剛 - スウェーデンから日本へ帰化した庭師 庭師でもあった人物 ウィリアム・ブラウン (バウンティ号) - バウンティ (帆船)号の乗組員の庭師 ウィリアム・ロビンソン (造園家) - ダブリンで庭師として修行経験をもつ 岡田憲久 - 京都で庭師として修業も ルイス・ベーマー - 高校卒業後、宮廷庭師の下で修業 ヴァルター・シュタイナー - 妻とともにスウェーデンのファルンに移り住み、庭師として働いている ニカウ - 実際は庭師 グフタフ・マイヤー - もとはプロイセン宮廷の庭師 ドン・トンプソン - 庭師も兼業 クラーク・アシュトン・スミス - 庭師として働きながら絵や彫刻にいそしみ、詩や小説の執筆 愛新覚羅溥儀 - のちに北京植物園で庭師 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン - 晩年庭師に ジェームズ・スターレー - 当初庭師をしていた ハンス・ヘルムート・キルスト - 一時期庭師を 諫山修身(日本ナザレン教団) - ロサンゼルスで庭師として働いていた ラッキー・デューベ - 南アフリカ共和国の歌手 ジョゼフ・モニエ - 庭師として植木鉢の改良に取り組んだ事から鉄筋コンクリートを開発する。 家業(親)が庭師の人物 シクストゥス5世 (ローマ教皇) - 父は庭師 メルヒオール・バウアー - 父親は庭師、自身も造園を学んでいる ヘンリ・フリッツクロフト - 父はハンプトン・コートで働く庭師 フリードリッヒ・ルードヴィッヒ・フォン・シュケル - 祖父以来宮廷庭師の家柄 アンドレ・ル・ノートル - 代々宮廷庭師の家柄 サチェル・ペイジ - 父は庭師 ペーター・シュミット - 庭師の子として生まれる ジミ・ヘンドリックス - 父アルは庭師 ハインリヒ・ミュラー - 父アロイスは、衛生部隊の曹長として従軍経験のある庭師 サルゴン (アッカド王) - キシュ王に仕えた庭師ラーイブムに拾われて育ったとされる ジョン・ポール・ジョーンズ (軍人) - 実家はアービグラッドで庭師を営む 庭師に関係する作品をもつ作家 マックス・エルンスト - 『美しき女庭師の帰還』を1967年に発表 ラファエロ・サンティ - 代表作に、『美しき女庭師』(1507年) A・J・クローニン - スペインの庭師(1950年) ギュスターヴ・カイユボット - 庭師たち(1875-1877) シルヴィーとブルー - 詩「気違い庭師の歌」 ジャック・イベール - サモス島の庭師(1932初演) 庭師関連の作品・架空の庭師 庭師サッちゃん 画家と庭師とカンパーニュ サムワイズ・ギャムジー/ハムファスト・ギャムジー ジョン・ローランド 京都の女庭師風水探偵さくら子シリーズ チャンス (1979年の映画) - 名前をチョーンシー・ガーディナーと聞き間違え、誤って大統領顧問、候補になる マイケル・K なでしこ (グリム童話) 人間腸詰 ファゴットとチェロのためのソナタ (モーツァルト)/ピアノソナタ第6番 (モーツァルト) - オペラ『偽の女庭師』(偽の花作り女)の初演のために作成 モーツァルトの楽曲一覧 庭師 ただそこにいるだけの人(原題:Being There) 庭師の娘 - プーランクの楽曲一覧 枯山水 (ボードゲーム) ロード・オブ・ザ・リング - ホビットの使用人と仲間フロドバギンズ 、リングベアラー トムとバーバラのグッド・グッド・ライフ (1975年TVシリーズ) - なろうとする中産階級の英カップル。自給自足で自分の庭をもつ 不思議の国のアリス - 白いウサギの庭師パット ローゼンメイデン - マンガやアニメ。蒼星石と翠星石は 、植物、人間の魂の木だけでなく、それらの能力についての庭師と呼ばれる 銀河の首都(アイザック・アシモフのファウンデーションシリーズ)- 巨大な帝国に複雑で豪華なオフィスと高い役人と"彼の下で男性と女性の軍隊とともに皇居の主任庭師は重要人物として登場 ハリー・ポッターシリーズ - 複数の庭師、植物学者などが登場する ポモナスプラウト - ハーブの研究の先生 ハーバート・ビアリー - 元のハーブの研究の先生 フランク・ブライス - なぞなぞ庭師 ミランダオオタカ(フィルム)とフィリーダ胞子 ハドリアヌスホイットル - 現実のガーデンデザイナーにちなんで名付けられている 脚注 参考文献 世界一の庭師の仕事術 WAVE出版 石原和幸 2009年 ISBN 9784872903966 名人庭師 剪定・整姿の知恵袋 講談社プラスアルファ新書 吉村 隆一 平野泰弘 編著「名人庭師とっておきの知恵袋」講談社 スペインの庭師 A.J.クローニン 三笠書房 竹内道之助 1957 にわし 庭園 職業
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小堀政一
小堀 政一(こぼり まさかず)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家、書家。2代備中国代官で備中松山城主、のち近江国小室藩初代藩主。官位は従五位下遠江守。遠州流の祖。 一般には小堀遠州(こぼり えんしゅう)の名で知られるが、「遠州」は武家官位の受領名の遠江守に由来する通称で後年の名乗り。道号に大有宗甫、庵号に孤篷庵がある。 出自 小堀氏の本姓は藤原氏で、光道の代に近江国坂田郡小堀村(現・滋賀県長浜市)に居住して村名を姓として名乗った。光道から6代の後の小堀正次は、縁戚であった浅井氏に仕えていたが、天正元年(1573年)の浅井氏滅亡後は羽柴秀吉の弟・秀長の家臣となった。 生涯 天正7年(1579年)、小堀正次の長男として誕生。母は磯野員昌娘。幼名は作助、元服後は、正一、政一と改める。 天正13年(1585年)、豊臣秀長が大和郡山城に移封されると、父・正次は家老となり、政一も共に大和郡山に移った。 この頃、秀長は山上宗二を招いたり、千利休に師事するなどし、大和郡山は京・堺・南都(奈良)と並んで茶の湯の盛んな土地となっていた。小姓だった政一は、秀吉への給仕を務め、利休や黒田如水、長政父子とも出会い、長い親交を深めていった。また、父の勧めもあって大徳寺の春屋宗園に参禅した。 秀長の死後を嗣いだ秀保もまもなく死去したため、文禄4年(1595年)に秀吉直参となって伏見に移ることになった。ここで政一は古田織部に茶の湯を学ぶことになる。 慶長3年(1598年)、秀吉が死去すると、正次・政一は徳川家康に仕えた。 慶長4年(1599年)3月6日には、古田織部に従い、金森可重、石川貞通などの武士、津田宗凡などの堺・京の町衆たち30人とともに吉野で花見を催した。その時、織部は荷(にない)茶屋に「利休妄魂」の額を掲げた。 父・正次は関ヶ原の戦いでの功により備中松山城を賜り、慶長9年(1604年)の父の死後、政一はその遺領1万2,460石を継いだ。浅井郡小峰邑主。 慶長13年(1608年)には駿府城普請奉行となり、修築の功により、慶長14年(1609年)、従五位下 遠江守に叙任された。以後この官名により、小堀遠州と呼ばれるようになる。 居所としては、正次の頃から伏見六地蔵の屋敷があったが、越後突抜町(三条)にも後陽成院御所造営に際して藤堂高虎から譲られた屋敷があった。また元和3年(1617年)に河内国奉行を兼任となり、大坂天満南木幡町に役宅を与えられた。 元和5年9月(1619年10月)、近江小室藩に移封され、さらに元和8年8月(1622年9月)に近江国奉行に任ぜられる。 元和9年12月(1624年1月)、伏見奉行に任ぜられた。当初は六地蔵にあった自身の屋敷を奉行所としたが、寛永9年(1632年)、富田信濃守屋敷跡に伏見奉行所を移転新築する。 晩年になり真偽は不明であるが公金1万両を流用したとする嫌疑がかかった。しかし、酒井忠勝・井伊直孝・細川三斎(忠興)らの口添えにより不問とされた。 その後も伏見奉行を務めながら茶の湯三昧に過ごし、正保4年2月6日(1647年3月12日)、伏見奉行屋敷にて69歳で死去した。 なお、子孫の政方は松平定信により天明8年(1788年)に改易の憂き目に逢い、大名家としての小堀家は断絶することになったが、文政11年(1828年)に正優が300俵を与えられ、御家人として再興を許された。 文化 作事 政一の公儀作事に関する主な業績としては備中松山城の再建、駿府城修築、名古屋城天守、後陽成院御所造営等の宮中や幕府関係の作事奉行が挙げられる。 宮中造営の業績のほかに品川東海寺(徳川家の菩提寺兼別荘)、将軍上洛の際の休泊所である水口御殿(滋賀県甲賀市水口町水口)、永原御殿(滋賀県野洲市永原)、伊庭御殿(滋賀県東近江市伊庭町)、柏原御殿(滋賀県米原市柏原)、大坂城内御茶屋などが知られている。また京都の寺では将軍の側近・以心崇伝の住坊である南禅寺塔頭金地院内東照宮や御祈祷殿(方丈)側の富貴の間、茶室および庭園、同寺本坊の方丈庭園など準公儀の作事に参画しているが、政一の書状の文面から推察できるように、彼は江戸にある幕府からの愛顧を気にしていた関係から公儀の作事(幕府の対皇室政策)以外は公家への出入りは極力避けていた。師・古田織部のような非業の死を避けるためとも思われる。 政一が奉行として参画したと思われる遺構は建築としては妙心寺塔頭麟祥院の春日局霊屋(慶長年間、うち溜りを移建)、氷室神社拝殿(慶長年間、内裏池亭を移建)、大覚寺宸殿(慶長年間の内裏の元和期増造の際に中宮宸殿となる)、金地院東照宮、同茶室(重文)、同方丈南庭(鶴亀庭)、南禅寺本坊方丈南庭、大徳寺塔頭龍光院の密庵席(国宝)、孤篷庵表門前の石橋、同前庭、同忘筌席露地(建築は寛政年間に焼失後、旧様式を踏襲して復元された)、仙洞御所南池庭のいで島およびその東護岸の石積み部分などである。京都の金工師で加賀藩前田家の家臣の後藤覚乗の茶室擁翠亭は、「十三窓席」といわれた多窓茶室である。また札幌市にある草庵茶室八窓庵(旧舎那院忘筌、重文)、加賀大聖寺藩の長流亭も手がけていると言われる。 庭園の作風については政一は師である織部の作風を受け継ぎ発展させたとされるが、特徴は庭園に直線を導入したことである。屏風画に残る御所で実施した築地の庭(後には改修される)や桂離宮の輿寄の「真の飛石」が小堀好みと伝えられた所以とされるが、種々な形の切石を組み合わせた大きな畳石と正方形の切石を配置した空間構成は以前には見られないもので、特に松琴亭前の反りのない石橋は圧巻である。また樹木を大胆に刈り込み花壇を多く用い、芝生の庭園を作るなどの工夫は西洋の影響が指摘される。 茶の湯 政一の茶の湯は現在では「きれいさび」と称され、遠州流として続いている。政一は和歌や藤原定家の書を学び、王朝文化の美意識を茶の湯に取り入れた。 また、秀吉の時代以前に名物とされた茶道具の多くが秘蔵の品として入手困難となっていたため、新たにこれはという茶道具に銘をつけて宣伝し、名物として認知されるようにしていった。その際、彼は和歌や歌枕の地名、伊勢物語や源氏物語といった古典から取った銘を用い、同じようなデザインのものを「○○手」として類型化した上で特定の固体を「本歌」とし、同じ手のものには本歌にちなんだ銘を与えることで、茶道具のデザインを系統立てて把握できるような仕組みを考案した。 こうして小堀が有名にした茶道具群は、後世中興名物と呼ばれることとなり、所持した道具目録は遠州蔵帳といわれた。 茶室においては、織部のものより窓を増やして明るくした13の窓を持つ茶室「擁翠亭」がある。これは前田利常に依頼されて設計したものである。政一は生涯で約400回茶会を開き、招いた客は延べ2,000人に及ぶと言われる。彼の著名な門下としては松花堂昭乗、沢庵宗彭、武士には松平正信、加賀爪直澄、前田光高、神尾元勝などがいる。 華道 小堀遠州がもたらした美意識は華道の世界にも反映され、それがひとつの流儀として確立、江戸時代の後期に特に栄えた。遠州の茶の流れを汲む春秋軒一葉は挿花の「天地人の三才」を確立し、茶の花から独自の花形へと展開していった。 その流儀は、正風流・日本橋流・浅草流の三大流派によってその規矩が確立された。時代が下って、昭和の初期にかけては既成の流派から独立した家元や宗家が多く生まれ、明治の末期をピークとして遠州の名を冠した流派は大幅に増えることになった。 これらの流派は一般に、花枝に大胆で大袈裟な曲をつける手法という共通した特徴がある。華道でこうした曲生けは、技術的に習得するのが至難な技法として知られている。 七宝 小堀遠州は、茶室などの空間設計の一環に七宝細工による色彩や装飾を本格的に取り入れた(伝承上の)最初の人物である。遠州は、豊臣秀吉に仕えていた金工師の嘉長を登用し、戸袋や襖の引き手など七宝細工の製作にあたらせたと伝えられている。嘉長は伊予(現在の愛媛県)松山の生まれの金工で、京都の堀川油小路に住んでいた。 桂離宮の松琴亭の二の間戸袋の巻貝形七宝引手は遠州の指導により意匠をさずけられた嘉長の作という。 京都の桂離宮、曼殊院、修学院離宮、大徳寺などの七宝引手や釘隠しは、今でも建屋の中で使われている状態を見ることができる。千利休や古田織部好みの茶室などと比較すると、七宝による装飾は遠州好みの書院風の空間によくなじむ。 なお、小堀家の家紋「花輪違紋」は「七宝花菱」とも呼ばれているが、これは、輪違い連続文様における一つの輪が四方へと無限に広がる様子、「四方」が「七宝」に転じたものという説や、「花輪違」は四個の輪からできており「四方襷(しほうたすき)」あるいは「十方」などとも呼ばれたことから、「十方」がなまって「七宝」に転じたという説がある。 ところで、七宝細工を意味する「七宝瑠璃」という語は、室町時代、足利義政が将軍の頃から使われているが、七宝瑠璃と七宝紋の関係については不明である。遠州以前の室町時代、利休の茶の湯の隆盛の下では、華麗な色彩が身上の七宝器は茶人の受け入れるところではなかったという。豊かな色彩や装飾性が一般に受け入れられるようになったのは、遠州や琳派の時代(桃山時代以降)を迎えてからのことであった。 その他 八条宮智仁親王、近衛応山(信尋)、木下長嘯子など当代一流の文化人たちとの交際が知られる。元和7年(1621年)と寛永19年(1642年)の江戸から上洛途次の歌入日記にもその文学趣味がよく現れている。 政一が着用したと伝えられる具足が東京国立博物館に所蔵されている。 松山(高梁)に居住していた時、備中国で多く作られていた柚子を使い独自のゆべしを考案、同所の銘菓となった。現在でも高梁市の銘菓として知られ、代表的な土産物となっている。 所持道具(遠州蔵帳) 吉田堯文「遠州蔵帳」『茶道叢書 第3編』河原書店、 1936年。 藤田恒春 「小室藩道具蔵帳」『茶書研究 第8号』宮帯出版社、2019年。 系譜 父:小堀正次(1540-1604) 母:磯野員昌娘 正室:藤堂高虎養女 - 藤堂良政の娘 次男:小堀正之(1620-1674) 側室:三沢局(1611-1656) - 茂子、浄心院殿妙秀日求大姉、三沢為の娘 五男:小堀政貞(1641-?) 生母不明の子女 男子:小堀政尹 男子:小堀政季 男子:多羅尾光忠 女子:平岡頼資正室 女子:池田重政正室 女子:平井某室 女子:下間某室 女子:小堀正憲室 関連書籍(近年刊) 森蘊 『小堀遠州』 吉川弘文館〈人物叢書〉 1967年、新装版 1988年) 藤田恒春 『小堀遠江守正一発給文書の研究』 東京堂出版 2011年 ISBN 978-4-490-20813-9 熊倉功夫『小堀遠州茶友録』中公文庫、2007年 小堀宗実ほか 『小堀遠州 綺麗さびの極み』 新潮社〈とんぼの本〉 2006年 ISBN 4-106-02144-7 『小堀遠州 「綺麗さび」のこころ』 平凡社〈別冊太陽 日本のこころ〉 2009年 ISBN 4-582-92160-4 深谷信子『小堀遠州 綺麗さびの茶会』 大修館書店 2013年 小堀宗慶『小堀遠州の美を訪ねて』集英社、2010年 小堀宗実『日本の五感 小堀遠州の美意識に学ぶ』角川書店、2016年 脚注 参考文献 関連項目 広徳寺 (練馬区) 教林坊 頼久寺 高瀬川二条苑 - 遠州作の茶庭がある 仏国寺 (京都市) 円徳院 正照寺 二条城(二の丸庭園) 金地院 龍光院 (京都市北区) 孤篷庵 擁翠亭 外部リンク 遠州流茶道 公益財団法人 小堀遠州顕彰会 遠州流茶道連盟 遠州WEBマガジン 小堀遠州流 松籟会 華道遠州 まさかす 江戸幕府の郡代・代官 遠国奉行 作庭家 家こほり 江戸時代の茶人 日本庭園に関する人物 日本の造園家 外様大名 01 戦国武将 伏見奉行 近江国の人物 1579年生 1647年没
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人生ゲーム
人生ゲーム(じんせいゲーム、The Game of Life)は、1960年にアメリカMilton Bradley社(現・ハズブロ)から発売された、ボードゲームであり、日本でも1968年9月にタカラトミーから発売され今尚多くの子供達に愛されている。 概要 原型は1860年ごろ、米国マサチューセッツ州・スプリングフィールドで印刷業を営むミルトン・ブラッドリー(:en:Milton Bradley)という24歳の若者によって考案された「The Checkered Game of Life」。1960年に同社100周年を記念してこのゲームのエッセンスを加えた「The Game of Life」が発売。当時アメリカで人気を博したテレビキャスター、アート・リンクレター(:en:Art Linkletter)をパッケージに印刷している。 日本版は、「人生ゲーム」の名称で1968年9月に株式会社タカラ(現・タカラトミー)から「タカラのアメリカンゲーム」シリーズとしてライセンス契約発売された。この「人生ゲーム」は日本に於ける同社の登録商標(第919585号)で、タカラトミーの発表によると、日本版の累計出荷数は1000万個を超える。 ゲームシステムは、双六の発展形。ゲーム序盤のルーレット目によって「人生の筋道」が決まり、その後の人生が左右されていく。プレイヤーはサイコロではなく「ルーレット」を回し、人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。現在でも改良版が発売されているという、息の長いゲームである。 ボードゲームとしての人生ゲーム以外にも、携帯ゲームとして発売された「人生ゲームキャンディ」シリーズもある。また、オンラインでも遊べたり、携帯電話のゲームとしても配信されている。 2018年11月4日には日本版50周年記念として、東京都葛飾区にある青戸など6カ所の商店街を舞台に「まちあそび人生ゲーム in 葛飾」が実施された。 基本内容物 自動車ゴマ・プレイヤーゴマ 各プレイヤーの駒となる物。色は赤・青・黄・緑・白・橙が基本色となっており、最大8人で遊べる平成版では黒・桃・紫・水などが追加されている。 自動車ゴマには貫通していない穴が6個所あり、そこに水・桃の「人物ピン」を差し込むことで各プレイヤーの分身としてあらわす。この人物ピンは結婚・出産・養子縁組などのマスに止まることでさらに該当の色の人物ピンを乗せる。また、一部作品では状況を表すためのピンを差す場合もある。 なお、中央には貫通している穴が2つあり、それらは誤飲時の窒息防止用に開けられているため、ゲーム中は人物ピンを差さないよう注意されている(シリーズによっては穴が開いていない物も存在する)。 また、自動車ゴマはメインシリーズに適用されており、作品とのコラボでは各キャラクターを象ったコマを代わりに使用する(筋肉番付版での「金剛くん」、ハローキティ版での「キティちゃん」など)。「昭和おもひで劇場」ではゲームスタート時は自転車となり、ゲーム途中で任意の車に乗り換えるイベントが発生する。 紙幣・約束手形・証券類 紙幣 プレイヤーの所持金となる紙幣。通貨単位はメインシリーズでは「ドル」となっているが、平成版では「万円」(M&Aでは特別に「億円」)、コラボシリーズではその作品にあった単位(阪神版では「TP(虎吉ポイント)」、芸人魂では「FUN」など)が設定される。 メインシリーズの紙幣の肖像は、5万ドル札に人生ゲームの原版を作ったブラッドリーが、10万ドル札にリンクレターが印刷されている(その他の人物は架空)。コラボシリーズでは各作品にあったキャラクターが印刷されている。 紙幣の色は通貨単位に関わらずメインシリーズとほとんど共通(倍率等が違う場合もある)となっているが、一部作品では別の色をあてがっていることもある。 約束手形 借金の証として発行する証券。銀行から借りる場合は約束手形1枚と、同額の現金を受け取ることになる。返済はいつでも可能だが、作品によって同額返済の場合と利息(1割程度)が必要な場合がある。また、いずれも決算日まで持っていた場合は通常よりも多く利息を取られる他、ゲーム終了時に持っていた(所持金がマイナス)場合はゴールとみなされず、後述の開拓地行きとなる場合がある。 色は赤色(平成版では白字に赤文字)で、単位は1枚2万ドル(一部では1万、平成版では1枚1000万円、一部シリーズでは100万円の約束手形もあり)。 株券 ゲーム中には株を購入できるマスがあり、代金を支払うことで株券を購入できる。株券を持っている場合、一定のマスに止まることや、「株相場を張る」といったマスに止まり、相場を張ることで、収益・損失が発生する。また、ゲーム終了時には資産として一定額で換金される。 保険証券 「自動車保険」「生命保険」「火災保険」などが存在する。ゲーム中一定の場所で代金を支払うことで加入し、証券を受け取れる。ゲーム中それらの損害が発生し、保険が適用される場合は支払が一定額免除されたり、保険金が下りる場合がある。作品によって一度加入すれば失効しない場合と、保険金が下りた場合は失効し、再加入が必要な場合がある。 また、基本は掛け捨てとなっているが、生命保険のみゴール直前に「生命保険満期」のマスがあり、ここを通過すれば満期として一定額で払い戻される(一部作品では条件あり)。 職業カード プレイヤーの職業を表すカード。カードには職業を表すイラストと給料日1回あたりの給料、その他ステータスなどが記載される。このカードを所持していない場合は「フリーター(プーちゃん)」とみなされる。 プレイヤーが就ける職業はビジネスマン、先生、タレント、医者、スポーツ選手、政治家など身近なものであったり、その時々の憧れの職業が選ばれている。各バージョン発売時の時世によって種類も変わり、ショップ店員や弁護士、漫画家といった物も追加されている。平成版では現代情勢を皮肉るためか、サラリーマンが「一般企業」「電力会社」、スポーツ選手が「野球選手」「力士」「騎手」と細分化されていたり、「ビデオ女優」「ヤッちゃん」といったアングラな職業も入っている。 職業は所定のマスやイベントによって「ランクアップ」となり、ビジネスマンであれば「部長」、先生であれば「校長先生」のように格が上がり、その分給料も増額される。平成版では別途「ランクボード」が用意されており、職業ごとに5~50段階に分かれて給料が決められている。 また、コラボ版では登場するキャラクターや人物が職業代わりとなったり、その作品内に登場する職業が登場する場合がある(ポケットモンスター版では「ポケモン博士」「ロケット団」など)。 ルール・ゲームの流れ スタート・就職 ゲームスタート時に各プレイヤーのコマの色を決定後、スタート時の所持金(任意で保険に入ることも可能)を受け取り、ルーレットで一番大きい目を出した人から順に進んでいく。 最初のエリアでは主に就職マスが設定されており、止まったマスに定められた職業になる場合は「就職」となる。ただし、原則として1つの職業につき1人のみなれる(ビジネスマンなど複数人就職できる職種もあり)ため、早い者勝ちである。就職マスを過ぎた場合は「フリーター」として世に出ることになる。 給料日 給料日のマスを止まるか通過した際には銀行から職業に応じた給料を受け取れる。ただし、フリーターやタレントなど仕事量が一定でない職業に関しては、そのスタイルを反映させるため「ルーレットを回して出た数×一定額」が給料となる。給料受け取り後はマスに定められた指示(株や保険の購入)を受けることもできる。 なお、一部作品では給料日のマスに丁度止まった場合、「給料2倍」「アイテム獲得」といった恩恵を受ける場合もある。 ストップ・結婚 ゲーム中には数か所「ストップマス」があり、このマスに到着した場合はルーレットの出目が余っていても強制的に止まり、指示に従う。 多くの作品では最初のストップマスでは「結婚」となっており、ここでは異性の人物ピンを自動車コマに差し、ルーレットで決定したお祝い金を全員から受け取る。 一部作品では「『結婚チャンス』として、結婚のする・しないを選べる(B&B)」「『成田離婚』として相手を降ろす(平成版Ⅲ)」といったマスもある。 家 メインシリーズではゲーム中に家を購入する。家はゲーム内に5個所あり、金額の差も非常に大きく設定されている。家は1個所につき1人まで(マンションのみ6人全員購入可能)のため早い者勝ちである。ゲーム終了まで家を持っていた場合、購入時の金額に応じた資産価値となって売却される。 借金をして購入する事も可能だが、ゲーム中には「家を売却する」「家を失う」「持ち家を交換する」などのマスがあるため、一概に「無理して高い家を購入する事」が得策ではないようになっている。 分かれ道 ストップマスの直後などでは道が二手に分かれており、ルーレットで出た目によって次に進むコースが決まったり、現在の自分の状況に応じて行くコースを決める。コースのバリエーションとして、スタートマスからの分岐である、サラリーマンに非常に高い確率(確実もしくはほぼ100%)で就職できる「ビジネスコース」と、それ以外の職業になれる(ただし、フリーターになる可能性もある)「専門職コース」、「通常コース」と転職・ランクアップが狙える「転職コース」などがある。 平成版では所持金の変動が比較的穏やかな「ローリスクコース」と、利益やランクアップがたくさん得られる一方、逆に損失や失職もある「ハイリスクコース」の選択が恒例になっている。 ギャンブル・カジノ 一部のマスでは所持金の一部を賭け金にルーレットを使ったギャンブルができ、当たれば賭け金に応じた配当が得られる。「平成版」などでの「宝くじ」や、給料の代わりに行う「丁半博打」などバリエーションはさまざまである。 橋 ゲーム終盤に3マスほど設定されている橋のオブジェであり、この橋を最初に通過したプレイヤーは、後から来るプレイヤーに対し、通行料として一定の金額をもらえる。通行料以外にもアイテムの獲得や、逆に修繕費として払わなければならないなど、作品によってメリット・デメリットが発生する。 決算日 ゴール前最後のストップマス。到着したプレイヤーは車に乗っている人数によるボーナス・支払いや、退職金の受け取りを行った後、約束手形を利息付きで返済しなければならない。 返済出来ない場合は所持している資産を順に売却していき、それでも返済できない場合は「人生最大の賭け」に挑戦することになる。 人生最大の賭け 借金所持者に対するラストチャンス。借金を持っていない人も逆転を賭けて挑める。 多くの場合、ルーレットの数字を1つ指定し、ルーレットを回す。指定した目が出れば莫大な賞金を得られる。これで借金を完済できればそのままゴールに進める。 ただし、失敗した場合は全財産(一部作品では約束手形や一部アイテムなど残る場合もある)を失い、開拓地行きとなる。 開拓地 人生最大の賭け失敗者が進む終点。ここについたプレイヤーは自分の番が来るたびにルーレットを回し、出た目に応じた支援金や、効果を毎ターン受け、全プレイヤーがゴールするのを待つ。 一部作品では支援金で借金を完済した場合、本線に復活できるシステムがある一方、ゴールし清算した段階で借金があった場合は開拓地送りになる場合もある、 基本的な名称は「開拓地」だが、作品ごとに名称は違い、「スクラップ置き場(B&B カーレースステージ)」「無人島(RD 宝探しステージ)」などがある。平成版では「田舎暮らし」「難民キャンプ」「強制収容所」とより過酷な名称が設定されていた。 ゴール・億万長者の土地 プレイヤーたちのゴール地点。到着したプレイヤーから着順に応じて賞金が与えられる。また、1着で到着したプレイヤーはルーレットを1回回し、出た目を「ラッキーナンバー」として指定。以降のプレイヤーがコマの進行で同じ目を出した場合、相手から一定額をもらえる。それ以外のプレイヤーも自ターン時にルーレットを回し、指定した目か特定の目を出すことでボーナスを得られる。 ゲーム終了 全員、もしくはビリ以外が億万長者の土地か開拓地に到着した時点でゲーム終了。残るアイテムの換金などを行い、一番多く所持金を得たプレイヤーの勝利となる。 人生ゲームのバリエーション 人生ゲームは、マスにその時代を反映させたものや、企業やキャラクターのタイアップなど種類が多い。1989年(平成元年)に発売された「平成版」は、シリーズ化されるほどの人気商品となった。 地域限定版 白馬版人生ゲーム めざせ白馬マイスター! 通常のタイプ(人生ゲームEX)にかぶせる追加盤面として白馬商工会と白馬高校の生徒の共同で制作、2002年に白馬村内の店舗や観光施設にて2000個限定で販売。 私の人生ゲーム 私の人生ゲーム for Bridal 2008年4月から、自分の人生を反映させる事ができるオーダーメイド版人生ゲーム「私の人生ゲーム」を販売。公式サイトで申し込み購入後に各項目を登録する方式になっている。価格は36,750円。2010年2月に販売終了。 ポケット人生ゲームシリーズ ポケット人生ゲームRD ポケット人生ゲームB&B ポケット人生ゲームEX 株式優待2004年限定バージョン ポケット人生ゲームEX ポケット人生ゲーム レインボードリーム ハローキティ ポケット人生ゲーム ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 人生ゲームポケット ポケット人生ゲーム リロ アンド スティッチ 名探偵コナン&金田一少年の事件簿 人生ゲームポケット ポケット人生ゲーム(6代目のポケット版)ジュニアステージ有。 ポケット人生ゲーム極辛 ポケット人生ゲームドリームチェンジ ポケット人生ゲーム獄辛 ポケット人生ゲームダイナミックドリーム ポケット初代版人生ゲーム(EX人生ゲームII人生ゲーム35周年記念限定版特典) 出雲縁結びポケット人生ゲーム(結婚相談所ツヴァイと協働したご当地版) ポケット人生ゲーム(7代目のポケット版)追加エリアは2つ(2022年9月より価格改定) ポケット人生ゲームMOVE! ポケット人生ゲーム タイムスリップ セブン-イレブン ポケット人生ゲーム タイムスリップ ポケット人生ゲームスポーツ ポケットドラえもん人生ゲーム ポケットジャンボドリーム人生ゲーム ポケット大逆転人生ゲーム(2022年9月より価格改定) 埼玉西武ライオンズポケット人生ゲーム(2022年8月『ライオンズフェスティバルズ2022』来場小学生限定配布) すみっこぐらしポケット人生ゲーム(2022年10月) トイザらス限定 人生ゲーム(6代目)セレブルール付き - 2015年9月発売(セレブルール追加版) 人生ゲーム(6代目)ポケット初代版人生ゲーム付き 人生ゲームDD ダイナミックセレブルール付き - 2016年7月発売(セレブルール追加版) 人生ゲーム(7代目)新セレブルール付き - 2017年9月発売(大統領ルール追加版) 週刊少年ジャンプ共同企画 1998年に週刊少年ジャンプと人生ゲームが共に発売から30周年を迎えた記念に作られた。ジャンプの読者懸賞の景品としてのみの配布であったため、現在は入手困難である。 こちら葛飾区亀有公園前派出所 一攫千金人生ゲーム 世紀末リーダー伝たけし! リーダー的人生ゲーム ONE PIECE 宝探し人生ゲーム 明治安田生命共同企画 人生ゲーム 明治安田生命オリジナル版 - 人生ゲームEXがベース 江崎グリコ共同企画 グリコとの共同企画商品で、イオングループの店舗で限定発売。 グリコ版おかしの人生ゲームBOX(2004年版) 2005年グリコ版 おかしの人生ゲーム 奪われたグリコの財宝を取り戻せ! 2006年グリコ版 おかしの人生ゲーム 〜グリコNo.1アスリート決定戦!!〜 読売新聞 読売新聞版人生ゲーム(2014年12月4日 読売東京夕方) 読売KODOMO新聞版人生ゲーム(2021年3月4日 読売KODOMO新聞) トヨタ・カローラ TOYOTA CAROLLA 人生ゲーム HONDA ステップワゴンオリジナル人生ゲーム 神奈川日産自動車 人生ゲームEX KANAGAWAバージョン ライブドア 人生ゲームM&A livedoor Special Edition メグミルク 人生ゲームEX 牧場の朝ヨーグルトオリジナル版 島耕作シリーズ 人生ゲーム島耕作(『会長 島耕作』第1巻特装版付録のミニゲーム) ソフトバンク お父さん&ギガちゃん 人生ゲーム アサヒビール アサヒビール版人生ゲーム マクドナルド マクドナルドクルー 人生ゲーム(ハッピーセットおまけ) 人生ゲーム(2021年ハッピーセット『パーティーゲーム by HASBRO』) 50周年企画 出前坊やの出前人生ゲーム 2017年12月発売の日清食品『出前一丁 5食パック』に封入。 B'z人生ゲーム(デビュー30周年記念) 輪島漆人生ゲーム 春夏秋冬(坂本乙造商店 製作) ユニバーサル人生ゲーム(点字用) みんなでつくる人生ゲームプロジェクト 小学校児童が地元の特色や環境をテーマに考案したマス目や挿絵を元にオリジナル人生ゲームを製作し披露する。 第1弾:東京都足立区立辰沼小学校 第2弾:沖縄県竹富町内11小学校共同製作 田中貴金属工業 純金製人生ゲーム(非売品) 純金約12.4㎏、純プラチナ約4.5㎏、貴金属部分重量17,015.68g、時価約1億5千万円。ベースは人生ゲーム(2016ver.)。 月刊コロコロコミック リッチ警官 キャッシュ!人生ゲーム ー 2020年3月号(2020年2月15日発売)の付録として登場。コロコロコミック連載作品『リッチ警官 キャッシュ!』とコラボレーション、プレイヤーは警官として150億円を所持した状態でスタートし、捜査や犯人逮捕などで所持金を使い、所持金を多く使ったプレイヤーが勝利となる。 NISSAN KICKS e-POWER 人生ゲーム-全国アクティブ版- 2022年日産キックスe-POWERコラボCM『リアル人生ゲーム』のキャンペーンプレゼント品。コマは実車の3Dデータから型を起こしている。 公式の人生ゲーム派生のゲーム テレビ番組 クイズ!人生ゲーム 近年では、コンピュータゲーム版を発売しているほか、BSデジタル放送のBS朝日では、毎週土曜日午後8時から双方向対応クイズ番組として、『クイズ!人生ゲーム 〜THE QUIZ OF LIFE〜』を放送していた。 司会は、人生案内人役として進行している宇梶剛士と、助手役として進行している野村真季アナウンサーの2人である。また、2005年の夏から『メメプロ』から、甲斐美花と山岸愛梨の2人が参加。この2人はUN(うん)ガールズとして進行した。 同番組は、同年の11月をもっていったん終了するが、2006年にはリターンズとして、以前の放送の一部を再放送し、同年春で完全終了。後番組は『みんなの脳ドリル』。 カードゲーム モンスターメーカー系カードゲームの人気で、平成版を中心にカードゲーム化された。 人生カードゲーム カードをめくると、時代が見える。 人生ゲーム平成版カードゲーム(イラスト - 蛭子能収) 時代が生んだ究極のゲーム 人生ゲーム平成版IIカードゲーム(イラスト - 若林健治) バブル時代の総決算ゲーム 人生ゲーム平成版IIIカードゲーム ポスト・バブルを生き残れ!! 人生ゲーム平成版IVカードゲーム ポスト・バブルを生き残れ!! 人生ゲーム平成版IVカードゲームコンパクト 人生2度ある!?リストラゲーム 人生ゲーム平成版Vカードゲーム(イラスト - 水玉螢之丞) 見えない時代の生き方改造ゲーム 人生ゲーム平成版VIカードゲーム(イラスト - 水玉螢之丞) 見えない時代の生き方改造ゲーム 人生ゲーム平成版VIカードゲームコンパクト 見えない時代のナビゲーター 人生ゲーム平成版VIIカードゲーム 大人のお遊戯 オトナの人生ゲームカード(2013年12月発売、イラスト五月女ケイ子) コンピュータゲーム 家庭用ゲームソフト 特に表記がないものについてはタカラから発売。 FC=ファミリーコンピュータ、PCE=PCエンジン、GB/GBA=ゲームボーイ/ゲームボーイアドバンス、SFC=スーパーファミコン、PS/PS2=PlayStation/PlayStation 2、DC=ドリームキャスト、N64=NINTENDO64、GC=ニンテンドーゲームキューブ、DS=ニンテンドーDS、Wii=Wii、iOS=iOS、Android=Android メインシリーズ SUPER人生ゲーム (SFC:1994年3月18日) 青山剛昌がキャラクターデザインを担当。 人生ゲーム (GB:1995年6月23日) SUPER人生ゲーム2 (SFC:1995年9月8日、開発:KID) DX人生ゲーム (SS:1995年12月15日、PS:1996年3月22日、開発:KID) SUPER人生ゲーム3 (SFC:1996年11月29日、開発:KID) DX人生ゲームII (SS:1997年7月24日、PS:1997年7月24日、開発:KID) 人生ゲーム64(N64:1999年3月19日) 人生ゲーム 友達たくさんつくろうよ! (GB:1999年4月23日、開発:アイミーマイン) DX人生ゲームIII (PS:1999年12月2日) 人生ゲーム for Dreamcast (DC:2000年6月22日) DX人生ゲーム (GB:2001年4月27日) DX人生ゲームIV (PS:2001年11月29日) EX人生ゲーム (PS2:2002年3月7日) 人生ゲーム アドバンス (GBA:2002年4月18日) DX人生ゲームV (PS:2002年12月5日) SPECIAL人生ゲーム (GC:2003年5月1日) EX人生ゲームII (PS2:2003年11月6日、開発VR-1 JAPAN) NEW人生ゲーム (PS2:2004年12月2日、発売:アトラス、開発:アイミーマイン) 人生ゲームDS (DS:2006年7月27日、発売:アトラス) 人生ゲーム Wii (Wii:2007年12月27日、開発:SEモバイル・アンド・オンライン) イメージキャラクターに森三中を起用。Miiのモデルにもなっている。 人生ゲームWii EX (Wii:2008年11月13日、開発:アイミーマイン) 人生ゲーム - Wiiウェア。『EX』の機能縮小版(15ターンで終了)。 人生ゲームDS (DS:2009年12月3日) - アトラス版と同名であるが、別のゲームである。 人生ゲーム ハッピーファミリー (Wii:2010年11月11日、開発:アイミーマイン) 人生ゲーム ハッピーステップ - Wiiウェア。『ハッピーファミリー』の機能縮小版 人生ゲーム ハッピーファミリーご当地ネタ増量仕上げ (Wii:2011年9月1日、開発:アイミーマイン) 人生ゲーム2011 (Android:2011年11月18日) 人生ゲーム2012 (iOS:2012年1月26日) - 2011のiOS版 人生ゲーム~借金返済計画~ (iOS、Android:2012年11月19日、開発:スペースアウト) 人生ゲーム (iOS、Android:2013年9月27日) 人生ゲーム 恋のルーレット編 (Android:2014年12月22日、iOS:2015年1月16日) 人生ゲーム 確定拠出年金編 (Android:2015年9月29日、iOS:2015年10月9日) THE GAME OF LIFE: 2016 Edition (iOS:2016年7月14日、Android、Windows、Steam、開発:Marmalade Game Studio) さくま式人生ゲームシリーズ さくま式人生ゲーム (PS:1998年12月10日) 人生ゲーム30周年記念にさくまあきらを招いて製作された。 お仕事式人生ゲーム めざせ職業王 (PS:2000年12月14日) 「さくま式」の続編的な扱いで、さくまあきら・土居孝幸・宮路一昭の三人が製作に携わっている。ただし、この三人のネームバリューを前面に押し出した宣伝などは行われなかった。 クイズだらけの人生ゲームシリーズ クイズだらけの人生ゲーム (PS:1999年9月30日) 第二回!クイズだらけの人生ゲーム (PS:2002年10月17日) 人生ゲームQ DSシリーズ 人生ゲームQ DS 昭和のデキゴト (DS:2007年12月27日) 人生ゲームQ DS 平成のデキゴト (DS:2007年12月27日) RPG作品 人生ゲーム伝説 (GB:1991年6月28日、開発:アドバンスコミュニケーション) RPG人生ゲーム (FC:1993年11月26日) タカラトミー以外の作品 遊々人生 (PCE:1988年4月22日、発売:ハドソン) 人生ゲーム(3代目)をテレビゲーム用にアレンジした内容。 液晶携帯ゲーム 液晶携帯人生ゲーム 人生ゲームプチ (2008年)- 歩数計タイプ 人生ゲームキャンディ 携帯液晶ゲームとして2005年に発売され、のちに追加要素を増やした人生ゲームキャンディ120%も発売された。ボードゲームの人生ゲームが、複数人数で遊ぶゲームだったのに対して、基本的に1人用の育成タイプのゲームである。(通信機能により、他人のものと交流は可能。)「1週間で人生を体験しちゃお」をコンセプトに、女性向けとして作られている。ルーレットによって運命が決まるという人生ゲームらしさはあるものの、キャラクターを育てるという点において、既存の人生ゲームよりもたまごっちに近いゲームといえる。形は5.5センチほどの円形で、ボールキーチェーンがついている。カラーバリエーションが多く、いずれもキャンディの味を思わせる名前がついており、カラフルなものになっている。 人生ゲームキャンディ 人生ゲームキャンディ オレンジフロート 人生ゲームキャンディ メロンクリームソーダ 人生ゲームキャンディ バニラミルク 人生ゲームキャンディ ストロベリージャム 人生ゲームキャンディ オーシャンアイス 人生ゲームキャンディ トロピカルソーダ 人生ゲームキャンディ マンゴジュレ 人生ゲームキャンディ ピーチクリーム 人生ゲームキャンディ ポップチップバニラ(トイザらス限定カラー) 人生ゲームキャンディ120% 人生ゲームキャンディ120% ピーチトルネード 人生ゲームキャンディ120% シンデレラアイス 人生ゲームキャンディ120% アセロラバンチ 人生ゲームキャンディ120% ブルーベリーボンボン メダルゲーム 人生ゲーム バブルタワーズ セガ発売。プッシャー機。 メダルーキー『人生ゲーム ジャンジャン大富豪!!』 アトラスより発売。シングルプッシャータイプのメダルゲーム。2006年4月より稼動。 オンラインゲーム 両作とも公式ゲーム。 人生ゲームオンライン 人生ゲーム BATTLE ONLINE 2005年12月21日よりオープンβ版が開始。 ZATHURA×人生ゲーム 2005年12月7日、映画コラボゲーム。現在はサイト終了。 携帯アプリ SEモバイル・アンド・オンラインが開発を担当。 人生ゲーム平成版 人生ゲームBB 人生ゲームクイズ編 人生ゲームM&A 人生ゲーム昭和おもひで劇場 ZATHURA×人生ゲーム(映画コラボゲーム) とんでも!!人生ゲーム 人生ゲーム大統領になろう! 人生ゲーム 人生ゲームロイヤルセレブ 人生ゲームRD 人生ゲーム初代復刻版 おしごと発見!人生ゲーム 人生ゲーム旅情編 人生ゲーム恋愛編 人生ゲーム心霊の館 人生ゲーム-果汁刑事vsマンゴマンボ団- Disney Edition 人生ゲーム 、他 人生ゲーム for GREE GREEから発売の携帯電話用ソーシャルゲーム。2010年8月10日より開始。 カレンダー 毎日エンジョイカレンダー 人生ゲーム2008(壁掛けタイプ) 毎日エンジョイカレンダー 人生ゲーム2008(mini) 2007年10月1日発売。カレンダータイプのゲームで普通のカレンダーとしてもボードゲームとしても楽しむことができる。ミニサイズ版も発売された。 ジェンガ 人生ジェンガ 2010年9月30日発売。人生ゲームルーレットの要素を取り入れたジェンガ。 その他 人生ゲームハイ&ロー・ゲーム(1980年) タカラが発売したボードゲームであるが番組内容に即しており人生ゲームとは全く異なった内容。 もっと!チェッカーズゲーム(1985年) タカラから発売されたボードゲーム。遊び方は人生ゲームと同じ。コマはチェッカーズファンの女の子という設定。コマを進めるごとにチェッカーズにファンレターを送り、ゴールはメンバーとデート出来るというもの。 ケツメイシ『出会いのカケラ』 自動車ゴマの写真がジャケットデザインに起用。 CR人生ゲーム 2012年7月に三洋物産よりリリースされた本作のタイアップパチンコ機 ヨロン島リアル人生ゲーム 人生ゲームアドベンチャーと与論町とのタイアップ企画イベント。 YouTube動画・「人生に驚きと歓びを」 2016年1月配信。空港荷物受取口のベルトコンベアをマス目に見立て行われたサプライズ動画。 綾鷹人生ゲーム 綾鷹とコラボしたプラウザゲーム。 まちあそび人生ゲーム 商店街を使って人生ゲームを行う町興し企画。 明治村版リアル人生ゲーム 博物館明治村内でタブレットを使った企画。団体限定で参加料は無料だが、のりもの1日券付入村券の購入は別途必要。 人生ゲーム COMPLETE 2017年3月25日に主婦の友社から発売のムック。 au版人生ゲーム auとのコラのボコラボのオンラインミニゲーム。 The Game of Life のバリエーション 現在ハズブロから発売されている『The Game of Life』も、ゲーム内容はほぼ同じながら、日本とは別展開で販売されている。 The Game of Life (1860 - 2005ver) オリジナルシリーズ The Game of Life (40th Anniversary Edition) (1999) The Game of Life in Monstropolis (2001)『モンスターズ・インク』より The Game of Life: A Jedi's Path (2002)『スター・ウォーズ』シリーズより The Game of Life: Card Game (2002) The Game of Life Fame Edition (2002) The Game of Life Junior Game(2002) The Game of Life: Pirates of the Caribbean (2004)『パイレーツ・オブ・カリビアン』より The Game of Life: The Simpsons Edition (2004)『ザ・シンプソンズ』より The Game of Life: Spongebob Squarepants Edition (2004)『スポンジ・ボブ』より The Game of Life: Pirates of the Caribbean – Dead Man's Chest (2006)『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』より The Game of Life: Twists & Turns (2007) ICルーレット版と同様 The Game of Life Express (2007) The Game of Life: Pirates of the Caribbean – At World's End (2007)『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』より The Game of Life: Indiana Jones (2008)『インディ・ジョーンズ』より The Game of Life: The Wizard of Oz (2008)『オズの魔法使』より The Game of Life: Family Guy Collector's Edition(2008)『ファミリー・ガイ』より The Game of LIFE: The Haunted Mansion – The Disney Theme Park Edition (2009)『ホーンテッドマンション』より The Game of Life: Extreme Reality Edition (2009) The Game of Life: Adventures Card Game (2010) The Game of LIFE: It's A Dog's Life Edition (2011) The Game of LIFE: zAPPed Edition (2012) The Game of Life (2013 Editions) (2013) The Game of Life: 50th Special Anniversary Edition (2010) The Game of Life: My Little Pony (2014)『マイリトルポニー』より Despicable Me Minion The Game of Life(2014)『怪盗グルーの月泥棒』より The Game of Life: Inside Out Edition(2015)『インサイド・ヘッド』より The Game of Life: Yo-kai Watch Edition (2016)『妖怪ウォッチ』より The Game of Life: Quarter Life Crisis(2019) The Game of Life: Super Mario Edition(2021)『スーパーマリオ』シリーズより 脚注 関連項目 ライフ・アズ・ア・ブラックマン チョロQ (ゲーム) - 自動車コマを模したチョロQが登場する。 外部リンク 人生ゲーム公式サイト NPO法人出雲まちあそび研究所|まちあそび人生ゲーム 人生ゲーム50周年記念サイト au版人生ゲーム ボードゲーム タカラトミー 登録商標
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https://ja.wikipedia.org/wiki/RPG
RPG
RPG(アールピージー) 略語 ロールプレイングゲーム(role-playing game) - テーブルゲーム、もしくはそれに起源するコンピュータゲーム。 テーブルトークRPG コンピュータRPG RPG (プログラム言語)(Report Program Generator) - 1959年にIBMの汎用機向けに開発されたプログラミング言語。汎用機以外にIBMのAS/400及びその後継シリーズでも使用される。 RPG (兵器) - ソ連・ロシアの携帯式対戦車擲弾発射機(グレネードランチャー)。 標準処方眼鏡(Regulation Prescription Glasses) - アメリカ軍で支給される眼鏡。RPGと略される他、GIグラスとも呼ばれる。 作品名 R.P.G. - 宮部みゆきの小説、およびそれを原作にしたNHKのテレビドラマ。 RPG (School Food Punishmentの曲) - 日本のロックバンド・School Food Punishmentのシングル曲。 RPG (SEKAI NO OWARIの曲) - 日本のバンドSEKAI NO OWARIのシングル曲。 関連項目 Wikipedia:索引 R#RP 頭字語 同名の作品
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%90%83%E7%9B%A4
野球盤
野球盤(やきゅうばん)は、野球を題材としたボードゲーム。同様のものは戦前から存在していたが、エポック社が1958年(昭和33年)に発売したものなどがよく知られている。ここでは特に断りのない限り、エポック社製のものを中心に記述する。 概説 長期間に渡り、徐々に機能が追加された新製品が発売されている。以下はその代表的なものの説明である。 ボードの上に野球のグラウンドがしつらえてある。球はパチンコ玉に似ており、ピッチャーの位置にある装置に装填すると、バックスクリーンの裏にあるレバーで、投球できる。投球は、盤上を転がる。ホームベース手前には磁石が仕込まれており、カーブ・シュートを投げ分けられる。2015年以降は投球が空中を飛ぶ、「3Dピッチング」が追加された(3Dエース)。2018年には9コースへの投げ分けが可能になった。 攻撃側は、左右どちらかの打席の穴にバット又はバッター人形をはめ込んだ後、捻って構えに入る(ばねがあり、いっぱいにまわすと固定される仕掛け)。球が投げられたら、スイッチ(ボタン及びレバー)を操作してばねを開放し、回転させる。タイミングが合えば、球は内外野に転がって行くか、飛んで行く。打球が野手の位置に設けられた穴に落ちればアウト、穴に落ちることなくフェアゾーン内で打球が止まればヒットとなる。また、外野フェンス際にも各種の穴(アウト・一塁打・二塁打・三塁打・本塁打)があり、打球が一塁打の穴に入ると1ベースヒット、二塁打の穴に入ると2ベースヒット、三塁打の穴に入ると3ベースヒット、そして、本塁打の穴に入ったり、実際の野球と同様、打球がノーバウンドでフェンスや観客席を超えて当たったり、フェンススタンドに入ったり、場外に出れば、当然、ホームランとなる。更に、バウンドして観客席や場外に達すると、エンタイトル・ツーベース(二塁打)となる事もある。 2010年以降はジャストミートすると放物線を描いてスタンドに入るモデルが発売されている。 追加された機能の代表的なものとして、消える魔球がある。1971年(昭和46年)、漫画『巨人の星』の人気に合わせ、ホームプレート直前にある部分が下がって穴が開くことにより「消える魔球」を再現できる機能が追加された「B型」が発売された。しかし、守備側に消える魔球を使われると、攻撃側は絶対に打てないため、取扱説明書では消える魔球は「ボール球」として扱われ、打者が見送ればボールになると定められている。タイミングによっては穴に落ちる直前にバットの先に引っ掛かるように当たることがあり、跳ね上がって柵越えになることも多かった。稀に、ボールが穴とバットに挟まれることもあった。当時のCMキャラクターは大村崑で消える魔球を面白楽しく宣伝していた。また、野茂英雄がメジャーリーグで活躍するようになった1996年前後に発売されたシリーズでは「フォークボール機能」という名称が使われている。近年では消える魔球の反対に、ホームプレートが盛り上がってボールを飛び跳ねさせ空振りさせる「雷神球」が搭載されたこともあった。 この後、実際の野球場が変化するにしたがって、グリーン部分に人工芝が張られた「人工芝」、全体に透明カバーがはめられた「ドーム球場」と仕様が変更されて発売されている。またこの野球盤ゲームの成功がその後開発されたサッカー、アイスホッケーなどのスポーツボードゲームにも活かされている。 また、ボールが鉄製のものとそうでないものの2種類あり、前述の変化球が不可能であるボールも存在した。そちらのほうが軽いため、球速は速くなる。 2009年以降は実況音声や電飾機能を搭載した「電光掲示板」が付属したモデルが発売されている。実況音声にはフリーアナウンサーの松本秀夫氏を起用している。(ライブスタジアム-メガスラッガー)。 2007年には、ホープによりアーケード版が発売された。エレメカとしてアナログのギミックをそのままに楽しめる。1人プレイでは、攻撃のみをプレイし、投球はCPUが行う。2人プレイ時は、チェンジの際にダイヤモンド部分が半回転し、常に正しい方向を向くようになっている。もちろん、消える魔球も使用可能(回数制限あり)。ゲーム中の操作はすべてボタンで行える。 高等テクニック 通常の投球方法は、レバーを引いてから離すことにより行われるが、離すと同時に押えていない方の手でレバーを弾くことにより、(スケールスピードで時速150キロ超え相当の)豪速球を投げられる。これをされると、攻撃側は投げたと同時にバットのボタンを押さないとスイングが間に合わない。また、レバーを離すのでなく、押し出すことで、弾く球と比較してチェンジアップ的な速度の投球も可能である。 エポック社のビッグエッグ野球盤と野球盤PROについてはバッティングがレバー方式となっており通常はレバーを引くことによりバッティングが出来るが、打つときに力を入れてレバーを前に押し返すと会心の当たりが打てる。 消える魔球機能でボールが坂を下りかけたところで、レバーを弾いて勢いよく戻すとホップする。ホップが高過ぎるとバックネット側を飛び越えてしまうが、この場合はボールやワイルドピッチとして扱うローカルルールが存在する。逆にホップが低いとバットに当てられてしまうが、打球が浮くため当たりによってはスタンド入りや場外ホームランになってしまうことがある。 また、ボールをとても遅くカーブさせながら投げると、ボールが壁に当たりはねかえってくる。これを応用すればストライクゾーンに投げられる。 公式ルールとしては扱えないが、極めて遅い投球をした後、変化球動作のためのマグネットを小刻みに動かすことで1塁/3塁へ玉を弾くことで、牽制球ができる。 コラボレーション商品 過去に、実在の日本の球団・球場・あるいは選手とのコラボレーションによる野球盤が実在した。 エポック社 野球盤発売開始当初から、読売ジャイアンツと企画・監修関係にあり長嶋茂雄らがCMに登場。「ジャイアンツ野球盤」や、「オールスター野球盤」というのも発売されたこともあった。「オールスター」では、当時の実在のプロ野球選手に似せたイラストが盤面に登場している(選手のライセンスや肖像権関係があったかどうかは不明)。 1981年頃、「パーフェクト野球盤」で、読売ジャイアンツ・原辰徳選手が監修した「原辰徳のパーフェクト野球盤」が発売された。 1988年の東京ドーム完成時に、同球場をモチーフとした「ビッグエッグ野球盤」のシリーズが開発された。「ビッグエッグ野球盤カスタム」という商品はサッカーのゲーム盤にも使える「多目的球場モデル」の商品であった。 1993年には阪神甲子園球場監修の「野球盤jr 阪神甲子園球場」、1996年には野茂英雄の大リーグでの活躍を受けての「メジャーリーグスタジアム」、1999年には当時西武ライオンズに所属していた松坂大輔選手監修の「松坂大輔野球盤jr」も実際に発売された。また、2004年には阪神タイガース監修の「タイガース野球盤」が全国発売された他、愛知県限定の商品として中日ドラゴンズが監修した「ドラゴンズ野球盤」、さらにアマチュア野球の茨城ゴールデンゴールズとのタイアップとなる「欽ちゃん球団 茨城ゴールデンゴールズ野球盤」(限定品)も発売された。 野球チーム以外ではコナミ(後のコナミデジタルエンタテインメント)のテレビゲーム『実況パワフルプロ野球』とのコラボ商品や「週刊少年マガジン」・「週刊少年サンデー」創刊50周年記念のコラボ商品、2012年の「ドラえもん生誕100年前記念」として『ドラえもん』とコラボし、ひみつ道具や作中設定を盛り込んだ「ドラえもん野球盤」や、声優の水樹奈々(阪神タイガースのファンとして知られる)が2016年9月に甲子園球場でライブ開催を行うのに伴ってライブグッズとして製作された「水樹奈々の野球盤」がある。 その他 ツクダオリジナルが当時CMモデルに起用した読売ジャイアンツ・王貞治選手の監修で作った「王貞治のプロ野球盤」シリーズ、あるいは阪神タイガース監修の「タイガース野球盤」も実売された。 エポック社への対抗からか、ヨネザワ玩具(後のセガヨネザワを経て現・セガトイズ)も「ビッグエアロドーム」なる野球盤を開発したことがあった(こちらは東京ドームとのライセンス関係はない)。 LSIゲーム デジコムナイン 1979年発売の、国産初のFLを搭載したLSIゲーム。5950円。LEDの光が絵で描かれた球場の上で点灯し、FLで点数を表示する本格的な野球ゲーム。2利用なら守備側は本体に隠れたボタンで投球し、攻撃側はバッティングボタンで打つ。21種類の変化球が可能。1人用の投球は自動で行われ、打球がヒットしたら自分で守備ボタンを押して得点表示させる。本作以降、FLゲーム機が電子ゲームの主流になった。デジコムはシリーズ化され、10種類程度が登場。廉価版『デジコムベースボール』もある。 LSIベースボール バンダイより1981年発売、5980円。『デジコムナイン』より立体的にデザインされている。守備側と攻撃側に分かれ、投手側はスコアボードを指して手元を隠し、カーブ、ストレート、シュートなどの4種類の投球ができる。バッター側は、タイミングよくボタンを押して打撃する。スコア類はデジタル表示。1~2人用。 野球盤を応用したもの 毎年1月に放送されるとんねるず司会のテレビ朝日の特別番組『夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』では、この野球盤ゲームを応用した「リアル野球BAN対決」が実施されている。このゲームは毎年、石橋貴明を中心とするチームと前年活躍したプロ野球選手を対戦相手にして実際の野球場(平年は東京ドームまたは札幌ドームだが、数回西武ドームで行ったことがある。観客には開放されず)に野球盤ゲームのセットを再現したもの。 投手の投球はバーチャルピッチングマシン(バッティングセンターで実際に投手が投げている映像を利用したもの)を使い、それを対戦する両者が通常の野球と同じく各イニングス表と裏の攻撃に分かれて打席に立って対戦するというもの。他のルールは上記の野球盤のルールを準用するが、外野のフィールドの何も書かれていない部分に打球が止まった場合はアウトになる。 東海テレビの『ぐっさん家~THE GOODSUN HOUSE~』でもリアル野球盤が登場している。また、2006年まで毎年1月4日に放送されていたスポーツイベント番組プロ野球オールスタースーパーバトルにもリアル野球盤が登場していた(こちらは観客に開放)。 フジテレビの深夜番組『FNS地球特捜隊ダイバスター』で消える魔球を打つ企画が放送され、バットを溶接して長軸化、野球盤本体の改造により目的を達成した。 フジテレビONEでは、2013年3月13日と3月14日の2日にわたり、実際の野球盤の試合を本当のプロ野球中継のごとく実況生中継で放送するという番組「THE野球盤 L!VE2013」という番組が放映された。すぽると!の中継スタジオに野球盤を持ち込み、CCDカメラを8台野球盤に取り付けることによって、実際のプロ野球中継に似たカメラアングルを実現した。その後も何回か放送しており、山本昌、三浦大輔、相川亮二、渡辺俊介、畠山和洋をはじめ、現役プロ野球選手も出演し実際に野球盤でプレイしている。 日本国内産の木製バットの約半数が作られている富山県南砺市福光地域では、2014年から毎年10月に「バットの町福光 小学生リアル野球盤大会」が開催されている。 鉄道車両の整備を手掛ける堀江車輌電装により、幅・奥行5.2mの大型野球盤が障がい者にやさしい設計で開発され、ユニバーサル野球という名で小学校や特別支援学校などで活用されている。 脚注 関連項目 ファミコン野球盤 - 1989年発売のファミコン用ソフト。商標の流用以外に玩具としての野球盤との共通項は存在しない。 世界のアソビ大全51 - 2020年発売のNintendo Switch用ソフト。野球盤を再現したゲームが収録されている。 テーブル・フットボール 外部リンク エポック社の野球盤 - エポック社 懐かしの野球盤がゲームセンターで復活! - All About 野球盤ミュージアム 野球盤道場 親子でたのしい!大人もたのしい!アソラボ[野球盤&野球ゲーム] eスポーツじゃないヨ aスポーツだヨ!!(アナログスポーツゲーム) エポック社 ボードゲーム 野球ゲーム
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https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8810%E6%97%A5
2月10日
2月10日(にがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から41日目にあたり、年末まであと324日(閏年では325日)ある。 できごと 1258年 - バグダードが陥落してバグダードの戦いが終結。アッバース朝が滅亡する。 1606年(ユリウス暦1月31日) - 火薬陰謀事件の実行責任者ガイ・フォークスが首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑で処刑される。 1635年 - フランスでアカデミー・フランセーズ設立。 1653年(承応2年1月13日) - 江戸幕府が町人建議による水路(のちの玉川上水)の着工を許可する。 1763年 - パリ条約が調印され、七年戦争・フレンチ・インディアン戦争が終結する。 1840年 - イギリス女王ヴィクトリアとザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバートが結婚。 1870年 - ニューヨークでアメリカYWCAが設立される。 1906年 - 英海軍の戦艦「ドレッドノート」が進水。 1921年 - 宮中某重大事件: 宮内省が裕仁親王(昭和天皇)と良子女王(香淳皇后)の婚約に変更がないことを発表する。 1936年 - 地下鉄梅田駅の建設現場で陥没事故が発生。大阪駅東口駅舎や駅前派出所など地下鉄周辺の建物にも被害が及んだ。死者2人。 1937年 - 中国共産党が中国国民党に第二次国共合作を提議。 1940年 - 津田左右吉の『古事記及日本書紀の研究』『神代史の研究』などが、記紀を批判し皇室を冒涜しているとして発禁となる。 1942年 - グレン・ミラーが、「チャタヌーガ・チュー・チュー」の120万枚発売を記念して史上初のゴールドディスクを授与される。 1947年 - 連合国21か国と日独を除く旧枢軸国5か国が第二次世界大戦講和のためのパリ平和条約に調印。 1948年 - ソ連でジダーノフ批判が始まる。 1949年 - 片山内閣が総辞職を表明。 1949年 - ニューヨークでアーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』が初演。 1962年 - U-2撃墜事件でソ連に拘禁されていたアメリカの軍人フランシス・ゲーリー・パワーズと、アメリカで収監されていたソ連のスパイルドルフ・アベルが交換によりそれぞれ釈放される。 1963年 - 北九州5市(門司市・小倉市・戸畑市・八幡市・若松市)の合併により北九州市が発足。 1964年 - オーストラリア海軍の航空母艦メルボルンと駆逐艦が衝突。ヴォイジャーは沈没し、82名の死者を出す。 1965年 - 自衛隊が極秘に行っていた机上作戦演習「三矢研究」が衆議院で取り上げられ問題化。 1967年 - アメリカ合衆国憲法修正第25条の批准が完了。 1976年 - 本田技研工業がミニバイク「ロードパル」を発売開始。 1988年 - ファミコンソフト『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』発売。 1991年 - 日本オリエンテーリング委員会が社団法人化、日本オリエンテーリング協会設立。 1993年 - 高エネルギー物理学研究所(KEK, 現在の高エネルギー加速器研究機構)が日本最初のホームページ http://kekux.kek.jp/kek.html を開設。 1996年 - IBMのコンピュータ・ディープ・ブルーがチェスチャンピオンのガリー・カスパロフに初勝利。 1996年 - 北海道の豊浜トンネルで岩盤崩落、20人死亡。 1997年 - 神戸連続児童殺傷事件発生。 1998年 - W3CがXML 1.0を勧告。 2000年 - 宇宙科学研究所のM-Vロケット4号機によるX線天文衛星「ASTRO-E」の打ち上げに失敗。 2006年 - 第20回冬季オリンピック、トリノ大会開催。2月26日まで。 2008年 - 崇礼門放火事件。 2009年 - 2009年人工衛星衝突事故 2019年 - 第61回グラミー賞でヒロ・ムライ監督によるチャイルディッシュ・ガンビーノ“This Is America”が最優秀ミュージック・ビデオ賞を受賞。 誕生日 1118年(元永元年1月18日) - 平清盛、太政大臣(+ 1181年) 1541年(天文10年1月15日) - 足利義氏、第5代古河公方(+ 1583年) 1709年(宝永6年1月1日) - 蜂須賀宗員、第6代阿波国徳島藩主(+ 1735年) 1768年(明和4年12月22日) - 前田利謙、第8代越中国富山藩主(+ 1801年) 1775年 - チャールズ・ラム、児童文学作家(+ 1834年) 1788年(宝永6年1月4日) - 森忠哲、第8代播磨国赤穂藩主(+ 1807年) 1791年(寛政3年1月8日) - 大田垣蓮月、尼、歌人(+ 1875年) 1791年 - フランチェスコ・アイエツ、画家(+ 1882年) 1795年 - アリ・シェフェール、画家(+ 1858年) 1840年 - ペール・テオドール・クレーベ、化学者、地質学者(+ 1905年) 1846年 - アイラ・レムセン、化学者(+ 1927年) 1856年(安政3年1月5日) - 井上正巳、第14代常陸国下妻藩主・子爵(+ 1921年) 1859年 - アレクサンドル・ミルラン、政治家、フランス第三共和制第11代大統領(+ 1943年) 1884年 - ビリー・エバンス、メジャーリーグ審判(+ 1956年) 1886年 - 平塚らいてう、作家、フェミニスト、女性解放運動家(+ 1971年) 1890年 - ボリス・パステルナーク、詩人、小説家(+ 1960年) 1891年 - 唐沢俊樹、政治家(+ 1967年) 1894年 - ハロルド・マクミラン、イギリス首相(+ 1986年) 1894年 - ハーブ・ペノック、プロ野球選手(+ 1948年) 1896年 - アリスター・ハーディ、海洋生物学者(+ 1985年) 1897年 - ジョン・フランクリン・エンダース、医学者(+ 1985年) 1898年 - ベルトルト・ブレヒト、劇作家、思想家(+ 1956年) 1899年 - 田河水泡、漫画家(+ 1989年) 1899年 - 阿波野青畝、俳人(+ 1992年) 1902年 - ウォルター・ブラッテン、物理学者(+ 1987年) 1903年 - 吉田富三、病理学者(+ 1973年) 1903年 - マティアス・シンデラー、サッカー選手(+ 1939年) 1906年 - ロン・チェイニー・ジュニア、俳優(+ 1973年) 1907年 - 津田恭介、薬学者(+ 1999年) 1909年 - 伊東多三郎、歴史家(+ 1984年) 1910年 - ドミニク・ピール、カトリック教会司祭、慈善活動家(+ 1969年) 1911年 - 宗道臣、武道家(+ 1980年) 1923年 - チャン・チェ、映画監督(+ 2002年) 1929年 - ジェリー・ゴールドスミス、映画音楽作曲家(+ 2004年) 1930年 - ロバート・ワグナー、俳優、映画プロデューサー 1930年 - E・L・カニグズバーグ、児童文学作家(+ 2013年) 1933年 - ミッキー安川、タレント(+ 2010年) 1934年 - 金平正紀、ボクシング指導者、協栄ジム初代会長(+ 1999年) 1935年 - 二見伸明、政治家 1938年 - 鈴木史朗、アナウンサー 1938年 - テリー・ケイ、小説家(+ 2020年) 1939年 - ロバータ・フラック、歌手 1940年 - 野村六彦、サッカー選手、指導者 1940年 - 下河辺元春、ジャーナリスト、経済学者 1941年 - 鈴木恒夫、政治家 1941年 - 須貝彦三、元騎手、調教師 1941年 - マイケル・アプテッド、映画監督(+ 2021年) 1942年 - 坂田晃一、作曲家 1942年 - ローレンス・ウェイナー、コンセプチュアル・アーティスト 1943年 - 韓鶴子、宗教家、文鮮明夫人 1944年 - 赤座美代子、女優 1944年 - 高橋英樹、俳優 1944年 - ヴァーナー・ヴィンジ、SF作家、計算機科学者 1947年 - 円より子、政治家 1949年 - 若草恵、作曲家 1949年 - 渡辺雪三郎、デザイナー 1949年 - 亀山郁夫、ロシア文学者 1950年 - 島田洋七、漫才師(B&B) 1950年 - マーク・スピッツ、競泳選手 1951年 - 渡辺茂樹、音楽プロデューサー(+ 2014年) 1952年 - 西村知江子、アナウンサー 1952年 - 森信雄、将棋棋士 1952年 - 宇野輝幸、元プロ野球選手 1952年 - リー・シェンロン、政治家、シンガポール第3代首相 1952年 - 北尾一喜、元プロ野球選手 1955年 - グレグ・ノーマン、ゴルファー 1955年 - 宮沢隆仁、政治家 1956年 - 西和彦、アスキー創業者 1957年 - 山田章博、イラストレーター 1958年 - 芹澤名人、俳優 1958年 - 池端隆史、アニメ監督 1959年 - 小森田実、シンガーソングライター 1960年 - 及川眠子、作詞家 1960年 - 竹原芳子、女優 1961年 - アレクサンダー・ペイン、映画監督、脚本家 1961年 - 池田成、アニメ監督 1962年 - 野村正育、NHKアナウンサー 1962年 - クリフ・バートン、ミュージシャン(メタリカ)(+ 1986年) 1963年 - 佐野正幸、ミュージカル俳優 1965年 - 井上あずみ、歌手 1965年 - 知久寿焼、ミュージシャン(たま) 1965年 - 馬場敏史、元プロ野球選手 1965年 - 山中賢次、元プロ野球選手 1965年 - 関純子、関西テレビアナウンサー 1967年 - ローラ・ダーン、女優 1968年 - 安達哲、漫画家 1968年 - 坂口候一、声優 1968年 - 谷口徹、プロゴルファー 1969年 - 久保田恭之、映像作家 1969年 - 大美健二、元プロ野球選手 1970年 - 菊沢隆徳、騎手 1970年 - アルベルト・カスティーヨ、元プロ野球選手 1970年 - 丹波幸一、プロ野球審判員 1971年 - 中島ひろ子、女優 1971年 - 高村良嘉、元プロ野球選手 1972年 - 鷲尾直広、メカニックデザイナー、イラストレーター 1972年 - 高倉一朗、歌手 1972年 - 大塚幸代、ライター (+ 2015年) 1974年 - エリザベス・バンクス、女優 1975年 - 黒田博樹、元プロ野球選手 1975年 - 原陽子、政治家 1975年 - 開田博勝、元野球選手 1976年 - 秋山久美、声優、歌手 1976年 - カルロス・ヒメネス、元バスケットボール選手 1976年 - ランス・バークマン、元プロ野球選手 1978年 - 山崎みちる、声優 1978年 - 長友光弘、お笑いタレント(響) 1978年 - セドリック・バワーズ、プロ野球選手 1979年 - 根本美緒、アナウンサー、気象予報士 1979年 - 黒坂真美、女優 1980年 - ランス・バークマン、元プロ野球選手 1980年 - シーザー・イズトゥリス、元プロ野球選手 1980年 - ジャスティン・ガトリン、陸上短距離選手 1980年 - 澤村翔子、声楽家 1981年 - 棟田康幸、柔道選手 1981年 - アンディ・ジョンソン、サッカー選手 1981年 - 近藤岳登、元サッカー選手 1981年 - チョ・ヨジョン、女優 1981年 - チョ・ウンジ、女優 1982年 - 渡辺亮、元プロ野球選手 1982年 - 細谷佳正、声優 1983年 - マテイ・トート、陸上競技選手 1983年 - 石森太二、プロレスラー 1984年 - ルイス・クルーズ、プロ野球選手 1984年 - アレックス・ゴードン、プロ野球選手 1984年 - キム・ヒョジン、女優 1986年 - ダリエル・イノホサ、元プロ野球選手 1986年 - ラダメル・ファルカオ、サッカー選手 1986年 - 市川由衣、女優 1987年 - 石田卓也、俳優 1987年 - ユジャ・ワン、ピアニスト 1987年 - シウォン、アイドル、俳優(SUPER JUNIOR) 1988年 - 西明日香、声優 1988年 - Pちゃん、グラビアアイドル、元AV女優 1988年 - 山村響、声優 1988年 - ジーンマー・ゴメス、プロ野球選手 1988年 - ジェイク・ブリガム、プロ野球選手 1988年 - スペンサー・パットン、プロ野球選手 1989年 - 福田秀平、プロ野球選手 1989年 - 森安真弓、タレント 1989年 - 林家木りん、落語家 1989年 - リアム・ヘンドリックス、プロ野球選手 1990年 - 野崎萌香、ファッションモデル 1990年 - 福田雄也、俳優 1990年 - 如月大、演歌歌手 1990年 - 佐藤将也、サッカー選手 1990年 - 吉田智志、サッカー選手 1990年 - アレン・ウェブスター、プロ野球選手 1990年 - スヨン、アイドル、女優(少女時代) 1991年 - エマ・ロバーツ、女優 1991年 - 杉山翔大、プロ野球選手 1991年 - 水沢南紀、グラビアアアイドル 1992年 - 仲川遥香、タレント(元JKT48) 1992年 - 大砂嵐金崇郎、元大相撲力士 1992年 - オマー・ナルバエス、プロ野球選手 1993年 - マックス・ケプラー、プロ野球選手 1994年 - 加弥乃、女優(元AKB48) 1994年 - ソン・ナウン、女優、アイドル(Apink) 1994年 - カン・スルギ、アイドル(RedVelvet) 1995年 - 川口春奈、女優、ファッションモデル 1995年 - 奈緒、女優 1996年 - 野元愛、元アイドル(元アイドリング!!!24号、元HOP CLUB) 1996年 - 新山詩織、シンガーソングライター 1996年 - 周東佑京、プロ野球選手 1997年 - クロエ・グレース・モレッツ、女優 1998年 - キャンディ・シュー(許雅涵)、シンガーソングライター 1998年 - 根本流風、声優 1998年 - 沖口優奈、アイドル(マジカル・パンチライン) 1999年 - 伊藤翔、プロ野球選手 1999年 - パーカー、YouTuber 2000年 - 菅沼菜々、プロゴルファー 2000年 - 野村みな美、アイドル(こぶしファクトリー) 2000年 - 滝口きらら、アイドル(ゑんら) 2002年 - 小関舞、元アイドル、女優(元カントリー・ガールズ) 2003年 - 堀ノ内百香、アイドル(元NMB48) 2004年 - 松本里乃、野球選手、TikToker 2005年 - 鈴木梨央、女優 生年不明 - 大室佳奈、声優 人物以外(動物など) 2013年 - エアスピネル、競走馬 2015年 - ワグネリアン、競走馬(+ 2022年) 2018年 - タイトルホルダー、競走馬 忌日 人物 1126年 - ギヨーム9世、アキテーヌ公、トルバドゥール(* 1071年) 1153年(仁平3年1月15日) - 平忠盛、武将、平清盛の父(* 1096年) 1242年 - ハインリヒ7世、ローマ王(* 1211年) 1242年(仁治3年1月9日) - 四条天皇、日本の第87代天皇(* 1231年) 1660年 - ユディト・レイステル、画家(* 1609年) 1702年(元禄15年1月14日) - 萱野重実(萱野三平)、忠孝の板挟みで討ち入り前に自害した赤穂浪士(* 1675年) 1722年 - バーソロミュー・ロバーツ、海賊(* 1682年) 1755年 - シャルル・ド・モンテスキュー、哲学者、政治思想家(* 1689年) 1772年 - ヨーゼフ・ヴェンツェル、リヒテンシュタイン公(* 1696年) 1810年(文化7年1月7日) - 前田治脩、第11代加賀藩主(* 1745年) 1817年 - サミュエル・メレディス、アメリカ独立戦争期の大陸軍准将(* 1741年) 1817年 - カール・テオドール・フォン・ダールベルク、マインツ大司教選帝侯、神聖ローマ帝国宰相(* 1744年) 1829年 - レオ12世、第252代ローマ教皇(* 1760年) 1837年 - アレクサンドル・プーシキン、詩人、作家(* 1799年) 1865年 - ハインリヒ・レンツ、物理学者(* 1804年) 1868年 - ディヴィッド・ブリュースター、光学者(* 1781年) 1879年 - オノレ・ドーミエ、画家(* 1808年) 1881年 - ジョン・ビグスビー、医師、地質学者(* 1792年) 1883年 - マーシャル・ジュウェル、第29代および第31代コネチカット州知事、第28代アメリカ合衆国郵政長官(* 1825年) 1888年 - 松浦武四郎、探検家(* 1818年) 1891年 - ソフィア・コワレフスカヤ、数学者(* 1850年) 1896年 - 若松賤子、翻訳家(* 1864年) 1897年 - アントニオ・バッジーニ、作曲家(* 1818年) 1907年 - アグネス・クラーク、天文学書の著作家(* 1842年) 1907年 - 本因坊秀栄、囲碁棋士(* 1852年) 1912年 - ジョゼフ・リスター、外科医(* 1827年) 1917年 - ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス、画家(* 1849年) 1918年 - エルネスト・テオドロ・モネータ、平和運動家(* 1833年) 1918年 - アブデュルハミト2世、オスマン帝国第34代スルタン(* 1842年) 1918年 - 蜂須賀茂韶、第14代徳島藩主、東京府知事、貴族院議長、文部大臣(* 1846年) 1923年 - ヴィルヘルム・レントゲン、物理学者(* 1845年) 1939年 - ピウス11世、第259代ローマ教皇(* 1857年) 1944年 - ユジェーヌ・ミカエル・アントニアディ、天文学者(* 1870年) 1946年 - 小栗虫太郎、推理作家(* 1901年) 1947年 - 平野万里、歌人、詩人(* 1885年) 1949年 - 安部磯雄、社会主義思想家、政治家(* 1865年) 1950年 - マルセル・モース、社会学者(* 1872年) 1952年 - ヘンリー・D・デーキン、化学者(* 1880年) 1957年 - ローラ・インガルス・ワイルダー、作家(* 1867年) 1964年 - オイゲン・ゼンガー、航空エンジニア(* 1905年) 1968年 - 須本憲一、プロ野球選手(* 1926年) 1979年 - 池辺陽、建築家(* 1920年) 1980年 - 山口慎一、翻訳家、文芸評論家(* 1907年) 1982年 - 伊藤勝三、プロ野球選手(* 1907年) 1984年 - デビッド・フォン・エリック、プロレスラー(* 1958年) 1986年 - 山本丘人、日本画家(* 1900年) 1990年 - 福永陽一郎、指揮者、クラシック音楽評論家(* 1926年) 1990年 - トニー・ソレイタ、プロ野球選手(* 1947年) 1991年 - ワルター・クリーン、ピアニスト(* 1928年) 1992年 - 岡田嘉子、女優(* 1902年) 1992年 - アレックス・ヘイリー、作家(* 1921年) 1993年 - 瀬戸わんや、漫才師(* 1926年) 2000年 - 姫鵬飛、中華人民共和国外交部長(* 1910年) 2000年 - 加藤一、画家(* 1925年) 2001年 - 木原太郎、物理学者(* 1917年) 2002年 - トラウデル・ユンゲ、ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーの秘書(* 1920年) 2003年 - カート・ヘニング、プロレスラー(* 1958年) 2005年 - アーサー・ミラー、劇作家(* 1915年) 2006年 - J Dilla、ラッパー(* 1974年) 2007年 - 式守錦太夫 (10代)、大相撲の行司(* 1940年) 2007年 - すぎ恵美子、漫画家(* 1959年) 2007年 - チョン・ダビン、女優(* 1980年) 2008年 - ロイ・シャイダー、俳優(* 1932年) 2012年 - 左右田一平、俳優(* 1930年) 2013年 - 荘則棟、卓球選手(* 1940年) 2013年 - 桜井郁三、政治家(* 1944年) 2014年 - シャーリー・テンプル、女優(* 1928年) 2018年 - 川地民夫、俳優(* 1938年) 2019年 - 北尾光司、元大相撲力士、総合格闘家、スポーツ冒険家、武道家、プロレスラー(* 1963年) 人物以外(動物など) 2013年 - ロロン (:en:Lolong)、記録史上最大のワニ 2022年 - タイムパラドックス、競走馬、種牡馬(* 1998年) 記念日・年中行事 ニートの日() 「にー(2)と(10)」の語呂合わせ。巨大匿名掲示板2ちゃんねるが発祥 海の安全祈念日() 2001年2月10日(日本時間)のえひめ丸事故を契機に、全国水産高校長協会が2003年に制定。 簿記の日() 簿記の原点である福澤諭吉の訳本「帳合之法」が1873年2月10日に慶應義塾出版局から発行されたことにちなんで、全国経理教育協会(旧・全国経理学校協会)が2004年に制定。 ふとんの日() 全日本寝具寝装品協会が1997年に制定。ふ(2)とん(10)の語呂合わせから来ている。 ニットの日() 「にっ(2)と(10)」の語呂合わせ。横浜手作りニット友の会が1988年に制定。1994年には全国的な記念日として日本ニット工業組合連合会も制定した。 蕗の薹の日() 「ふ(2)きのとう(10)」の語呂合わせ。宮城県古川市の特産品を販売する「ふるさとプラザ」が1993年に提唱。 太物の日() 「ふ(2)と(10)」の語呂合わせ。木綿やウールなどの普段着の着物ファンが制定。 豚丼の日() 「ぶ(2)たどん(10)」の語呂合わせ。北海道で豚丼などのたれを製造する食品メーカーのソラチが2010年に日本記念日協会に登録して制定。十勝名物の豚丼を記念する日。 封筒の日() 「ふう(2)とう(10)」の語呂合わせ。封筒・手提袋など紙製品メーカーのムトウユニパックが2017年に日本記念日協会に登録して制定。 アナログなコミュニケーションである封筒文化、手紙文化の良さをあらためて多くの人に知ってもらうのが目的。 フルートの日() 「フ(2)ルート(10)」の語呂合わせ。日本フルート普及推進協議会が2019年に日本記念日協会に登録して制定。 観劇の日() 1911年(明治44年)のこの日、日本初の洋風劇場である「帝国劇場」が完成した。 フィクションのできごと 1991年 - 両眼の赤い男(雲海)に唆された当時10歳の七瀬美雪の犯行による七瀬邸一家惨殺事件が起こった。(『心霊探偵 八雲』) 1973年 - 秘密結社ショッカー・ゲルショッカーを統括する首領を倒した仮面ライダー1号と2号が突如現れた仮面ライダー3号によって倒され、ショッカーが世界を支配する歴史に改変される。(『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』) 1980年 - 第20回超人オリンピック準決勝、日本武道館でキン肉マンvsラーメンマンが行われる。(『キン肉マン』) 誕生日(フィクション) 1995年 - 笹谷武仁、漫画・アニメ『ハイキュー!!』に登場するキャラクター 生年不明 - 森川駿、漫画『風のシルフィード』の主人公 生年不明 - ニー子、漫画『ニー子はつらいよ』の主人公 生年不明 - ミカサ・アッカーマン、漫画・アニメ・映画『進撃の巨人』に登場するキャラクター 生年不明 - ファルコ・グライス、漫画・アニメ『進撃の巨人』に登場するキャラクター 生年不明 - 沙々宮紗夜、小説・アニメ『学戦都市アスタリスク』に登場するキャラクター 生年不明 - 海ヘビ星座の市、漫画・アニメ『聖闘士星矢』に登場するキャラクター 生年不明 - 御手洗清志、漫画・アニメ『幽☆遊☆白書』に登場するキャラクター 生年不明 - 阿伏兎、漫画・アニメ『銀魂』に登場するキャラクター 生年不明 - うちはオビト、漫画『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター 生年不明 - うちはイズナ、漫画『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター 生年不明 - シャルナ・アーラムギル、漫画・アニメ『ハヤテのごとく!』に登場するキャラクター 生年不明 - 工藤卑弥呼、漫画・アニメ『GetBackers-奪還屋-』に登場するキャラクター 生年不明 - 西広辰太郎、漫画・アニメ『おおきく振りかぶって』に登場するキャラクター 生年不明 - 姫野かのん、ゲーム『アイドルマスター SideM』に登場するキャラクター 生年不明 - 松浦果南、メディアミックス企画『ラブライブ!サンシャイン!!』に登場するキャラクター 生年不明 - 名都借みらい、漫画・アニメ『普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。』に登場するキャラクター 生年不明 - 馬村大輝、漫画・アニメ『ひるなかの流星』に登場するキャラクター 生年不明 - 葉桜千、漫画・アニメ『魔法少女大戦』に登場するキャラクター 生年不明 - ルガール・バーンシュタイン、対戦格闘ゲーム『ザ・キング・オブ・ファイターズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 遠山翠、ゲーム・アニメ『夜明け前より瑠璃色な』に登場するキャラクター 生年不明 - 白馬凌、漫画『オレ様キングダム』に登場するキャラクター 生年不明 - 星河クリスタル、読者参加企画『おひめさまナビゲーション』に登場するキャラクター 生年不明 - 星薙フレア、漫画・アニメ『らぶバト!』に登場するキャラクター 生年不明 - カイ・フォン・グランツライヒ、漫画・アニメ『王室教師ハイネ』に登場するキャラクター 生年不明 - 詠、ゲーム・アニメ『閃乱カグラ』に登場するキャラクター 生年不明 - 三津寺千鶴、アニメ・漫画・小説『ハンドシェイカー』に登場するキャラクター 生年不明 - 恋塚桃子、漫画『翼くんはあかぬけたいのに』に登場するキャラクター 生年不明 - 鈴本裕紀、漫画『生徒会のヲタのしみ。』に登場するキャラクター 生年不明 - 戸崎ゆかり、漫画・アニメ『腐男子高校生活』に登場するキャラクター 生年不明 - 都留靖也、アニメ『number24』に登場するキャラクター 生年不明 - J、漫画・アニメ『ケンガンアシュラ』に登場するキャラクター 生年不明 - 敦賀蓮、漫画・アニメ『スキップ・ビート!』に登場するキャラクター 生年不明 - 兎田義仁、漫画・アニメ『学園ベビーシッターズ』に登場するキャラクター 生年不明 - レルラ・ロントン、ゲーム『ジルオール』に登場するキャラクター 生年不明 - 西蔭政也、アニメ『イナズマイレブン アレスの天秤』に登場するキャラクター 生年不明 - 宵崎奏、ゲーム『プロジェクトセカイ』に登場するキャラクター 生年不明- フリント・ゴールドツイカー、スーパー戦隊シリーズ『機界戦隊ゼンカイジャー』の登場人物 出典 関連項目
812
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E9%9B%B7%E6%88%A6%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0
魚雷戦ゲーム
魚雷戦ゲーム(ぎょらいせんゲーム)は、エポック社から発売された対戦型のボードゲーム。海戦をモチーフとしたゲームの一種であるが、海戦ゲームとは別物である。 概要 まず、自分の側の戦艦(的)を3つセットする。その後、自分の側の魚雷発射管に魚雷(直径8mm程のパチンコの玉のようなもの)をセットする。準備ができたら相手側の戦艦を照準器(鏡)で狙い、魚雷を発射する。ただし、'67年版、'68年版、'74年版には照準器が搭載されていない。魚雷は盤上を転がり、狙いが良ければ相手の戦艦に当たる。ミニチュアの戦艦の底部にはヨットのバラスト・キールのような部分が有り、この部分に魚雷が当たると容易に沈没する(落ちる)。分配される魚雷は6発で、双方がそれを撃ち尽くすまで戦い、成績の良かった方が勝者となる。1967年から2009年5月までに7つのバージョンがエポック社により制作発売されてきた。最新バージョンは現在でも入手可能である。(2009年5月現在) 歴史 1967年 - 初代「魚雷戦ゲーム」発売。魚雷(直径8mm程のスチールボール)を射出する部分は金属製の板をスロープ状にした物で出来ている。 1968年 - 2代目。2連式発射管(連動式発射管)を搭載した。「ニュー魚雷戦ゲーム」の名前で製品化された(別バージョンがあるとされている)。撃沈された戦艦と魚雷を受ける溝が若干広くなり、ゲーム終了後の取り出しが若干容易になった。また、魚雷射出部分が二列の滑り台状のものに変更された。しかし、命中精度は前バージョンとほとんど変わらない。 1971年 - 3代目「新魚雷戦ゲーム」(リフレクトスコープ〔照準器〕搭載)発売。本バージョンのリフレクトスコープは魚雷発射管(砲台)の中央に内蔵されている。ゲーム本体に歪みが無く、水平を保てた場所でこの機能を利用するとかなり高い命中率を得ることが出来る。ところが、スコープの覗き穴と魚雷(スチールボール)投入口が近接しているため誤って覗き穴に魚雷を入れてしまうことがある。一度入ってしまうと取出しがなかなか困難で、ピンセットなどの道具を使うか、ゲーム盤本体そのものを逆さまにして出すしかない。また発射管の真ん中に付加されたことによりデザイン上にも違和感が生じた。この内蔵型リフレクトスコープが本バージョンのみで廃止されたのはこういった事が原因だったのかもしれない。 1974年 - 4代目「魚雷戦ゲーム」発売。盤全体がリニューアルされる。砲台も砲門が2門から3門に増え、よりスタイリッシュなデザインに変更された。その一方で、魚雷(スチールボール)の射出口は一本化され、見かけ上は砲塔を3門持つが、一度に放てる魚雷は1発になった。また、これに伴い'71年版(3代目)で採用された内蔵型リフレクトスコープが廃止された。 1976年 - 5代目「魚雷戦ゲーム」発売。リフレクトスコープが再び搭載される。'71年版のリフレクトスコープは魚雷発射管(砲台)に内蔵されたものだったが、本バージョンから魚雷発射管と連動する外付けタイプとなった。魚雷発射管(砲台)は'74年版と同じだが、底面のパーツのみ外付けリフレクトスコープと連動する形状に変更された。 1989年 - 6代目「アストロウォーズ」宇宙戦をテーマにした作品。戦艦のミニチュアも敵と味方で赤と黄色に色分けされ、形状も宇宙空母と宇宙戦闘機をイメージした物に変更された。魚雷発射管などその他のパーツは形成色を変えただけで'74年版と同じ物が流用されている。舞台設定は変わったがこれまでのシリーズと同様の遊び方が基本となる。新規機能として‘ブラックホール'と‘敵襲回避機能'が追加された。ブラックホールは磁石を内蔵した直径3cm弱の丸いパーツで、これを各プレーヤーの陣地手前に配置することで光子ミサイル(スチールボール)の直進を妨げゲームの難易度を高める事が可能となった。またこの機能は宇宙を舞台とした戦いをイメージするのにも役立っている。敵襲回避機能は魚雷発射管と外付けリフレクトスコープに連動しており、そのどちらかを動かすことによって宇宙空母および戦闘機を前後に1cm程度移動させ、味方艦を敵の放った光子ミサイルから回避させることを可能にした新機能である。しかし、時にはこの回避行動が仇となり、逆に自分から光子ミサイルに当たってしまうこともある。 ※同じエポック社が発売したLCDゲームのアストロウォーズや1984年発売のスーパーカセットビジョン用ソフトとは同名の別製品。 2004年8月 - カプセル玩具版「魚雷戦ゲーム」 『伝説のアクションゲーム70'』と題してエポック社が70年代に発売したアクションゲームのミニチュア版がカプセル玩具として発売され、そのラインナップに魚雷戦ゲームも含まれていた。実際に遊べる作りになっているが、盤のサイズが約5.6cm×3.8cm、戦艦の全長が5mm、魚雷(スチールボール)の直径が3mm以下と極小で、戦艦配置の段階でかなりの集中力を要することとなる。魚雷発射管に発射レバーは無く、魚雷(スチールボール)を投入口に入れたと同時に発射される。また、このセットには紙製のミニチュアで再現されたパッケージも含まれており、ゲーム本体は‘初代'か‘ニュー'を模した物であるのに対し、パッケージは'71年版を模している。 2005年3月19日 - 7代目「魚雷戦ゲーム」(「連動式発射管」「リフレクトスコープ」「敵襲回避機能」を搭載し、パッケージデザインは3代目の「新魚雷戦ゲーム」を踏襲)発売。アストロウォーズ発売後、他のアナログゲーム共々長らく販売終了とされていたが、21世紀以降に起こったアナログゲームの再発売ブームの流れにのり、発売に至った。 2008年8月 - カプセル玩具版「魚雷戦ゲーム」 『野球盤50周年&思い出のアクションゲーム スペシャル』 と題して発売されたカプセル玩具に再び魚雷戦ゲームがラインナップされた。紙製のミニチュア版パッケージが割愛されてしまったが、それ以外は2004年に発売された物と同様である。 外部リンク エポック社の魚雷戦ゲームオフィシャルサイト 「おアソビ探偵団」 魚雷戦ゲーム倶楽部 エポック社 ボードゲーム
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2001年
21世紀最初の年である。 この項目では、国際的な視点に基づいた2001年について記載する。 他の紀年法 干支:辛巳(かのと み) 日本(月日は一致) 平成13年 皇紀2661年 大韓民国(月日は一致) 大韓民国83年 檀紀4334年 中華民国(月日は一致) 中華民国暦90年 朝鮮民主主義人民共和国(月日は一致) 主体90年 仏滅紀元:2543年 - 2544年 イスラム暦:1421年10月5日 - 1422年10月15日 ユダヤ暦:5761年4月6日 - 5762年4月16日 Unix Time:978307200 - 1009843199 修正ユリウス日(MJD):51910 - 52274 リリウス日(LD):152751 - 153115 カレンダー できごと 1月 1月1日 - この日から3千年紀、21世紀が始まった。 1月1日 - ユーロを導入した。 1月1日 - 1985年の国際科学技術博覧会で投函された300万通以上が配達された。 1月5日 - Linux 2.4.0 リリース。 1月6日 - 中央省庁再編。従来の1府22省庁が、1府12省庁に再編された。 1月8日 - エルサルバドルで大地震が発生した。 1月15日 - 最初のウィキペディアとして英語版が開設された。 1月20日 - ジョージ・W・ブッシュがビル・クリントンの後を継いで大統領に就任した。 1月20日 - グロリア・アロヨがジョセフ・エストラーダの後を継いで大統領に就任した。 1月26日 - インド西部地震が発生した。約2万人が死亡。 1月31日 - 日本航空機駿河湾上空ニアミス事故 2月 2月9日 - ハワイ州のオアフ島沖で、日本の愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」がアメリカ海軍の原子力潜水艦グリーンビルと衝突して沈没し、9人が死亡した。 2月22日 - 矢崎総業の現地法人「矢崎シーメル」社の日本人副社長がコロンビア革命軍に誘拐された。約2年9ヵ月後に遺体で発見される。 3月 3月7日 - アリエル・シャロンが首相に就任した。 3月24日 - 2001年芸予地震 (Mw 6.8) が発生した。 3月24日 - Mac OS X バージョン10.0が発売された。9月25日にはバージョン10.1リリース。 3月31日 - ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが大阪府大阪市此花区に開園した。 4月 4月1日 - アメリカ海軍の電子偵察機EP-3Eが中国軍機と接触し、中国南部海南島の飛行場に緊急着陸した。 4月1日 - 世界初の同性結婚法が施行された。 4月1日 - 情報公開法が施行された。 4月2日 - シアトル・マリナーズのイチローがオークランド・アスレチックスとの開幕戦でメジャーデビュー。1番・右翼手で先発出場し、第4打席にセンター前へメジャー初安打を放った。第5打席にはバント安打を記録して2安打1得点の活躍。チームの勝利に貢献するという好スタートを切った。 4月26日 - 小泉純一郎が日本の第87代内閣総理大臣に就任し、第1次小泉内閣が発足。 5月 5月20日 - 日本語版を含む13の非英語版ウィキペディアが発足、以後多言語化される。 6月 6月1日 - ネパール王族殺害事件。 6月8日 - 大阪教育大学附属池田小学校に刃物を持った男が乱入して児童・教職員などを殺傷させ、児童8人が死亡し、児童および教職員を含む15人が負傷する惨事となった。 6月11日 - オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の主犯ティモシー・マクベイが薬物により処刑された。 6月15日 - 上海協力機構が発足した。 6月27日 - 国際司法裁判所が1999年に米・アリゾナ州で行われたドイツ人の処刑は裁判所の処刑延期判決を無視したものであり不当であるとする判決を下した。 7月 7月12日 - Google画像検索のサービスが開始された。 7月13日 - 2008年夏季オリンピックの開催地が北京に決定した。 7月16日 - 中露善隣友好協力条約が調印された。 7月19日 - ワームCode Redの感染が拡大。インターネットのトラフィックが急増し、どのサイトも繋がりにくい状態が発生した。 7月20日〜22日 - 第27回G7主要国首脳会議(イタリア・ジェノヴァ) 7月21日 - 兵庫県明石市で群衆雪崩が発生し、死者11人、重軽傷者247人。 7月23日 - メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリがインドネシア大統領に就任した。 7月24日 - 北朝鮮の金容三鉄道相が訪露。 8月 8月3日〜12日 - 2001年世界陸上競技選手権大会(カナダ・エドモントン) 8月13日 - 小泉首相が靖国神社を参拝した。中国や韓国が反発。 8月16日〜26日 - アジア初の大会となる、ワールドゲームズ2001が日本の秋田県で開催された。 8月29日 - 種子島宇宙センターより日本のH-IIAロケット試験機1号機が打ち上げられた。 9月 9月1日 - 東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビル火災があり、死者44名。 9月4日 - 東京ディズニーシーが日本の千葉県にグランドオープン。 9月5日 - ジョン・ケージ・オルガン・プロジェクトによる『Organ²/ASLSP』の演奏開始。 9月9日 - コンピュータシステムにおける2001年9月9日問題。 9月11日 - 4機の航空機ハイジャックによる、アメリカ同時多発テロ事件が発生。そのうち2機がニューヨーク世界貿易センタービルのツインタワーに衝突し、ビルは倒壊した。死者は約3,000人に上り、アメリカ史上最悪のテロ事件となった。 10月 10月4日 - 黒海上空でウクライナ防空軍により誤ってロシアの民間航空機が撃墜された。 10月5日 - フロリダ州の新聞社に炭疽菌が送りつけられた。以降も同様の事件が続いた。 10月7日 - アメリカ軍によるアフガニスタン侵攻が開始された。(ターリバーン政権に対する戦争) 10月23日 - iPodが発表された。当初はMac専用であったが、革命的なデジタルオーディオプレーヤーとして話題になり、後にヒットする。 10月25日 - Microsoft Windows XP OEM版発売。リテール版は11月16日発売。 11月 11月10日 - 中華人民共和国の世界貿易機関加盟がWTO第4回閣僚会議にて可決された。 11月12日 - ニューヨーク東部のクィーンズ地区に旅客機が墜落し、乗員乗客260人全員と地上の5人が死亡した。同時多発テロ直後のため厳戒態勢を敷いていたが、先行旅客機の乱気流遭遇時の方向舵の過剰な操作による事故であることが判明。 11月25日 - アメリカ同時多発テロ事件の発生を受け、国内の安全情報に関する情報機関を一つに集約するため、アメリカ合衆国国土安全保障省が発足した。初代長官はトム・リッジ。 11月26日 - 平壌放送で、平壌市内の電気機関車工場が2001年の生産目標である100台を達成する見通しと報じられた。 11月29日 - ジョージハリスンが肺癌と脳腫瘍のため死去。 12月 12月1日 - 皇室にて愛子内親王誕生。 12月11日 - 中国のWTO(世界貿易機関)加盟発効。 12月22日 - 日本近海における北朝鮮の工作船による事件が発生した。 12月23日 - アルゼンチン政府が対外債務の一時支払い停止を宣言した。 天候・天災・観測等 1月13日:エルサルバドル大地震発生。M7.8。 1月26日:インド西部地震発生。M7.9。 11月19日:しし座流星群がピーク。 芸術・文化・ファッション スポーツ 野球 陸上競技 世界陸上エドモントン大会:8月3日(日本時間では8月4日)-8月12日 マラソン 日本の高橋尚子がベルリンマラソンで2時間19分46秒の当時世界最高記録で優勝。 音楽 10月3日 - 国際現代音楽協会 (ISCM)が主催する世界最大の現代音楽祭、ISCM World Music Days横浜大会が開幕。70年以上の歴史を持つ同音楽祭の史上初めての日本での開催。 Apple Computer、iTunesをリリース。11月17日にiPodを発売。革新的なミュージックプレイヤーとしてMacユーザーの間に広まるが、いずれもまだこの時期はWindowsには対応しておらず、大ヒットするのは2003年以降である。 映画 3月9日 - 『息子の部屋』がイタリアで公開(監督:ナンニ・モレッティ) 4月22日 - 『シュレック』がアメリカで公開(監督:アンドリュー・アダムソン, ヴィッキー・ジェンソン) 4月25日 - 『アメリ』がフランスで公開(監督:ジャン=ピエール・ジュネ) 5月21日 - 『ノー・マンズ・ランド』がカンヌで公開(監督:ダニス・タノヴィッチ) 5月24日 - 『ムーラン・ルージュ』がアメリカで公開(監督:バズ・ラーマン) 7月11日 - 『ファイナルファンタジー』がアメリカで公開(監督:), (監督:) 7月12日 - 『少林サッカー』が香港で公開(監督:周星馳) 7月18日 - 『ジュラシック・パークIII』がオーストラリアで公開(監督:ジョー・ジョンストン) 7月20日 - 『千と千尋の神隠し』が日本で公開(監督:宮崎駿、日本では歴代の興行収入トップとなる308億円 を記録) 7月20日 - 『ゴーストワールド』がアメリカで公開(監督:テリー・ツワイゴフ) 7月20日 - 『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』がアメリカで公開(監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル) 7月27日 - 『猟奇的な彼女』が韓国で公開(監督:クァク・ジェヨン) 10月19日 - 『マルホランド・ドライブ』がアメリカで公開(監督:デヴィッド・リンチ) 11月2日 - 『モンスターズ・インク』がアメリカで世界初公開(監督:ピート・ドクター) 11月4日 - 『ハリー・ポッターと賢者の石』がイギリス・ロンドンで世界初公開(監督:クリス・コロンバス、主演:ダニエル・ラドクリフ) 11月7日 - 『ゴスフォード・パーク』がロンドンで公開(監督:ロバート・アルトマン) 12月6日 - 『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』がアメリカで公開(監督:ウェス・アンダーソン) 12月18日 - 『ブラックホーク・ダウン』がアメリカで公開(監督:リドリー・スコット) 12月19日 - 『ロード・オブ・ザ・リング』がアメリカで公開(監督:ピーター・ジャクソン) 12月21日 - 『ビューティフル・マインド』がアメリカで公開(監督:ロン・ハワード) 12月21日 - 『ジミー・ニュートロン 僕は天才発明家!』がアメリカで公開(監督:ジョン・A・デイヴィス) 12月26日 - 『チョコレート』がアメリカで公開(監督:マーク・フォースター) 文学 ゲーム 以下の発売日は、その商品が世界で最初にリリースされた日付(日本のメーカーのソフトでは日本が最初の場合が多い)を記している。 1月25日 - カプコンがPS2用ソフト『鬼武者』を発売。 3月21日 - 任天堂が携帯型ゲーム機「ゲームボーイアドバンス」を日本で発売。欧米では6月に発売されている。 3月31日 - セガが「ドリームキャスト」の製造を打ち切り、ハード機部門から完全撤退。 5月30日 - PopCap Gamesがブラウザゲーム『Bejeweled』をリリース。マッチ3ゲームの元祖とされる。 7月19日 - スクウェアがPS2用ソフト『ファイナルファンタジーX』を発売。 8月23日 - カプコンがPS2用ソフト『デビルメイクライ』を発売。 9月14日 - 任天堂が家庭用ゲーム機「ニンテンドーゲームキューブ」を日本で発売。北米では11月、ヨーロッパでは翌年に発売されている。 11月15日 - マイクロソフトが北米で「Xbox」を発売し、家庭用ゲーム業界に参入。なお、日本やヨーロッパなどでは翌年に発売されている。 11月21日 - 任天堂がゲームキューブ用ソフト『大乱闘スマッシュブラザーズDX』を発売。 流行 ファッション 世相 21世紀最初の年は、9.11テロによって世界の流れが一変したといえる。 誕生 1月 1月1日 - ウィンター、アイドル(aespa) 1月1日 - アンガーリー・ライス、女優 1月2日 - 樋口新葉、フィギュアスケート選手 1月8日 - 山田杏奈、女優 1月9日 - ロドリゴ・シウバ・デ・ゴエス、サッカー選手 1月12日 - 吉田輝星、プロ野球選手 1月18日 - 露木志奈、環境活動家 1月18日 - 富田鈴花、日向坂46 1月29日 - 井上梨名、 櫻坂46 1月29日 - イ・デフィ、アイドル、俳優(AB6IX、元Wanna One) 2月 2月2日 - 牧野真莉愛、アイドル 2月5日 - キム・ミンジュ、女優、元アイドル(元IZ*ONE) 2月15日 - 丹生明里、日向坂46 2月8日 - 、アイドル(Stray Kids) 2月19日 - ダヴィード・マズーズ、俳優 2月21日 - イザベラ・エーカーズ、女優 2月23日 - 久間田琳加、モデル 3月 3月2日 - 後藤希友、ソフトボール選手 3月6日 - アリアーナ・エンジニア、女優 3月9日 - チョン・ソミ、アイドル(元I.O.I) 3月12日 - 高橋文哉、俳優、モデル 3月12日 - キム・ミンギュ、俳優、モデル 3月13日 - ボムギュ、アイドル(TOMORROW X TOGETHER) 3月17日 - ピエトロ・ペッレグリ、サッカー選手 3月25日 - マシホ、アイドル(TREASURE) 4月 4月16日 - 奥川恭伸、プロ野球選手 4月17日 - 黒川史陽、プロ野球選手 4月17日 - リュジン、アイドル(ITZY) 4月23日 - 高倉萌香、アイドル(NGT48) 4月25日 - ユン・チャンヨン、俳優 5月 5月8日 - 影山優佳、日向坂46 5月28日 - 佐々木莉佳子、アンジュルム 6月 6月4日 - 久保建英、サッカー選手 6月5日 - チェリョン、アイドル(ITZY) 6月18日 - ガブリエウ・テオドロ・マルティネッリ・シウヴァ、サッカー選手 6月18日 - 矢吹奈子、アイドル、女優(HKT48、元IZ*ONE) 6月20日 - 笹生優花、プロゴルファー 6月22日 - 出口結菜、アイドル(NMB48) 6月25日 - 平手友梨奈、女優、歌手、元アイドル(元欅坂46) 7月 7月10日 - イザベラ・メルセード、女優・歌手 7月10日 - 森田ひかる、 櫻坂46 7月14日 - 久保史緒里、アイドル、女優(乃木坂46) 7月17日 - 井上玲音、こぶしファクトリー 7月23日 - 河田陽菜、日向坂46 7月24日 - 夏目ハル、VRアイドル(えのぐ) 8月 8月4日 - 加藤清史郎、俳優 8月5日 - アンソニー・エドワーズ、バスケットボール選手 8月6日 - タイ・シンプキンス、俳優 8月7日 - 大西流星、アイドル、俳優(なにわ男子) 8月7日 - 橋本大輝、体操競技選手 8月8日 - 賀喜遥香、アイドル、女優(乃木坂46) 8月8日 - 北川悠理、アイドル、女優(乃木坂46) 8月9日 - 佐藤璃果、アイドル、女優(乃木坂46) 8月20日 - アサヒ、アイドル(TREASURE) 8月21日 - 本田真凜、フィギュアスケート選手 8月22日 - ラメロ・ボール、バスケットボール選手 8月25日 - 宮城大弥、プロ野球選手 8月29日 - 藤吉夏鈴、 櫻坂46 8月31日 - 森七菜、女優、歌手 8月31日 - 白藤環、VRアイドル(えのぐ) 9月 9月12日 - 田中美久、HKT48 9月13日 - 西純矢、プロ野球選手 9月21日 - 向野存麿、声優 9月27日 - 中村麗乃、アイドル、女優(乃木坂46) 9月22日 - 髙橋ひかる、モデル、女優 10月 10月1日 - メイソン・グリーンウッド、サッカー選手 10月3日 - 遠藤さくら、アイドル、女優(乃木坂46) 10月3日 - 山之内すず、女優 10月4日 - 出口夏希、モデル、女優 10月6日 - 本田仁美、アイドル(AKB48、元IZ*ONE) 10月12日 - レイモンド・オチョア、俳優 10月14日 - ローワン・ブランチャード、女優 10月14日 - 松永あかね、声優 10月15日 - ヒスン、アイドル ENHYPEN 10月25日 - エリザベート・ド・ベルジック、ベルギー王女 10月31日 - 金川紗耶、アイドル、女優(乃木坂46) 11月 11月3日 - 佐々木朗希、プロ野球選手 11月8日 - 日向奈央、VRアイドル(えのぐ) 11月10日 - 阪口珠美、アイドル、女優(乃木坂46) 11月12日 - ラフィー・キャシディ、女優 11月22日 - チョンロ、アイドル(NCT) 11月26日 - 白岩優奈、フィギュアスケート選手 12月 12月1日 - 敬宮愛子内親王、日本の皇族 12月2日 - 柿崎芽実、元日向坂46 12月12日 - 細田佳央太、俳優 12月14日 - ジョシュア・ラッシュ、俳優 12月18日 - ビリー・アイリッシュ、シンガーソングライター 死去 ノーベル賞 物理学賞:エリック・コーネル、ヴォルフガング・ケターレ、カール・ワイマン 化学賞:ウィリアム・ノールズ、野依良治、バリー・シャープレス 生理学・医学賞:リーランド・ハートウェル、ティモシー・ハント、ポール・ナース 文学賞:V・S・ナイポール 平和賞:国際連合、コフィー・アナン 経済学賞:ジョージ・アカロフ、マイケル・スペンス、ジョセフ・E・スティグリッツ フィクションのできごと 2月13日 - 時空連続体の異常によって「時間震」(タイムクエイク)が発生。1991年2月17日まで時間が逆流する。(小説『』) 3月 - 複数の異星種族からなる〈連邦〉が地球人とのコンタクトを実行。地球に迫る好戦的な異星種族「ポスリーン人」の侵攻に対抗するため、豊富な戦闘経験を持つ地球人に協力を要請し、地球の各国はそれを受諾する。(小説『』シリーズ) 6月6日 - 碇シンジ誕生。(アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』) 6月 - 第四探検隊のロケットが火星へ着陸するが、隊員の1人が火星人の遺産を守るために反乱を起こし、隊員5名を射殺。反乱を起こした隊員も隊長に射殺される。(小説『火星年代記』) 8月 - アメリカによる火星への本格的な入植が開始される。(小説『火星年代記』) 9月 - 相田ケンスケ誕生。(アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』) 10月 - 人類初の有人木星探査ロケットが、ニューメキシコ州の出発場から打ち上げられる。(小説『天の光はすべて星』) 12月20日 - 内閣総理大臣西川きよしとアメリカ合衆国大統領クリント・イーストウッドによる日米首脳会談が行われる。(映画『タイム・アバンチュール 絶頂5秒前』) 12月26日 - バーナード星系の地球に似た惑星「ミューニック15040」を目的地とする国連後援の探査計画によって、13名の乗組員を乗せた宇宙船「ホープ・デンプシー号」がサーガットの発射場から打ち上げられる。亜光速での航行により、ミューニック15040への到着は2008年の予定。(小説『』) 12月28日 - DL6号事件発生。(ゲーム『逆転裁判』) 12月 - 惣流・アスカ・ラングレー誕生。(アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』) 不明 - アメリカの有人宇宙船「ディスカバリー号」が、モノリス「TMA・1」が発信した電波の行き先を調査すべく、月軌道上から木星(小説版では土星)に向けて発進、もしくは航行中。(映画・小説『2001年宇宙の旅』) 脚注 関連項目 年の一覧 年表 年表一覧
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9月11日
9月11日(くがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から254日目(閏年では255日目)にあたり、年末まであと111日ある。 できごと 527年(継体天皇21年8月1日) - 物部麁鹿火が磐井の乱の平定を命じられる。 1297年 - スコットランド独立戦争: スターリング・ブリッジの戦い。 1498年(明応7年8月25日) - 明応地震発生。 1649年 - クロムウェルのアイルランド侵略: ドロヘダ攻城戦。 1656年 - エルビング条約締結。 1697年 - 大トルコ戦争: ゼンタの戦い。 1714年 - スペイン帝国の攻撃によりバルセロナ陥落。バルセロナ包囲戦 (1713年-1714年)が終了。 1777年 - アメリカ独立戦争: ブランディワインの戦い。 1792年 - 「ブルーダイヤモンド」(後のホープダイヤモンド)がフランス王室の宝玉庫から盗まれる。 1814年 - 米英戦争: プラッツバーグの戦いが米軍の勝利で終結。 1847年 - スティーブン・フォスターの「おおスザンナ」が初演。 1860年(万延元年7月26日) - イギリス大使オールコックが外国人で初めて富士山に登山。 1871年(明治4年7月27日) - 民部省が大蔵省に吸収。 1888年 - 高等師範学校附属学校に尋常中学科(現在の筑波大学附属中学校・高等学校)が設置される。 1900年 - 上野・新橋両駅に日本初の公衆電話を設置。 1905年 - 戦艦三笠が佐世保港内で弾薬庫の爆発事故により沈没。339人が死亡。 1907年 - 電機学校(東京電機大学の前身)が創立。 1924年 - 東京天文台(国立天文台の前身)が三鷹に移転。 1926年 - 大正15年9月広島豪雨災害発生。同月23日の豪雨と合わせて多数の被害。 1937年 - 後楽園球場開場。 1938年 - 日中戦争の戦意高揚を目的とした従軍作家陸軍部隊が中国へ出発。 1940年 - ダートマス大学でのアメリカ数学会の会議でジョージ・スティビッツがテレタイプ端末によりベル研究所にあるComplex Number Calculatorのデモンストレーションを行う。世界初のコンピュータの遠隔操作。 1945年 - GHQが東條英機ら戦犯容疑者39人の逮捕を指令。 1945年 - 第二次世界大戦: ポナペ島の日本軍陸軍第31軍独立混成第52旅団長渡辺雅夫陸軍中将が、米駆逐艦上でアメリカ軍に対する降伏文書に署名する。(「ポンペイ州独立記念日(Pohnpei Liberation Day)」) 1949年 - 明治大学考古学研究室が、1946年に相沢忠洋が発見した岩宿遺跡の発掘を開始。 1950年 - 大相撲関脇・力道山が引退を表明。翌年プロレスに転向。 1951年 - 国際標準化機構 (ISO) が日本の加盟を承認。 1961年 - 世界自然保護基金 (WWF) 設立。 1961年 - ハリケーン・カーラがテキサスに上陸。 1968年 - エールフランス1611便火災墜落事故。 1972年 - サンフランシスコ・ベイエリアにバート(ベイエリア高速鉄道)が開業。 1973年 - チリでアウグスト・ピノチェトがアメリカ合衆国の秘密支援を受けてチリ・クーデターを起こす。サルバドール・アジェンデ大統領は自殺。 1980年 - 富士見産婦人科病院事件: 埼玉県警が富士見産婦人科病院の理事長を無資格診療の疑いで逮捕。 1985年 - ロス疑惑の三浦和義が殴打事件で殺人未遂として逮捕される。共犯の元女優も身柄を拘束され、翌日逮捕。 1985年 - ピート・ローズが4192安打を放ってタイ・カッブの記録を更新し、同日4193安打まで記録。 1989年 - ハンガリーがピクニック事件以降国内に滞在していた東ドイツ国民に対し、この日0時をもって国境を開放。鉄のカーテンが無意味な物となり、ベルリンの壁崩壊へと繋がる。 1992年 - ハリケーン・イニキがハワイに上陸。 1992年 - ホンダが第2期F1活動の休止を発表。 1992年 - 日本プロ野球史上最長の試合が行われる。(阪神甲子園球場での阪神対ヤクルト戦、6時間26分) 1997年 - 第2次橋本改造内閣が発足。 1997年 - アメリカの火星探査機「マーズ・グローバル・サーベイヤー」が火星の軌道に投入。 1999年 - 映画『マトリックス』が日本で劇場公開。 2000年 - 濃尾地方で集中豪雨(東海豪雨)発生。名古屋市周辺を中心に甚大な被害。 2001年 - アメリカ同時多発テロ事件発生。 2004年 - 栃木兄弟誘拐殺人事件発生。 2005年 - 第44回衆議院議員総選挙。郵政民営化を訴えた自由民主党が記録的大勝。 2008年 - 蒲島郁夫熊本県知事が川辺川ダム計画の白紙撤回を表明。 2009年 - H-IIBロケット試験機第1号機により宇宙ステーション補給機 (HTV) 初号機が国際宇宙ステーション (ISS) に向けて打ち上げ。 2010年 - H-IIAロケット18号機により準天頂衛星「みちびき」が打ち上げ。 2012年 - 日本政府が地権者から尖閣諸島の魚釣島及び南小島、北小島を20億5000万円で売買契約し、国有化した。 2013年 - NTTドコモがiPhoneの提供開始を発表し、日本の携帯電話大手三社全てがiPhoneを取り扱うこととなる。 2014年 - 朝日新聞の木村伊量社長(当時)が記者会見を行い、5月20日付朝刊で報じた吉田調書スクープ記事中の福島第一原発の社員が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、撤退したとされる記事の取り消しを発表、撤退報道による混乱を読者と東京電力の関係者に謝罪、同時に慰安婦「強制連行」報道の記事取り消しについても謝罪を行った。 2015年 - 関東地方・東北地方で集中豪雨(平成27年9月関東・東北豪雨)発生。8人死亡。栃木県・茨城県・宮城県の三県で大雨の特別警報が出る程の大災害が起き茨城・常総市の鬼怒川と宮城・大崎市の渋井川が氾濫した。 2019年 - 第4次安倍第2次改造内閣が発足。 誕生日 1182年(寿永元年8月12日) - 源頼家、鎌倉幕府第2代将軍(+ 1204年) 1611年 - テュレンヌ子爵アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ、フランス大元帥(+ 1675年) 1617年(元和3年8月12日) - 浅野光晟、第2代広島藩主(+ 1693年) 1719年(享保4年7月27日) - 田沼意次、江戸幕府の側用人、老中(+ 1788年) 1725年(享保10年8月5日) - 青山幸道、第2代宮津藩主・初代郡上藩主(+ 1779年) 1811年(文化3年7月24日) - 三宅康直、第11代田原藩主(+ 1893年) 1824年 - ヤーコプ・ベルナイス、言語学者(+ 1881年) 1825年 - エドゥアルト・ハンスリック、クラシック音楽評論家(+ 1904年) 1854年 - ハインリッヒ・エドムント・ナウマン、地質学者(+ 1927年) 1862年 - O・ヘンリー、小説家(+ 1910年) 1877年 - ジェームズ・ジーンズ、物理学者、天文学者、数学者(+ 1946年) 1885年 - D・H・ローレンス、小説家(+ 1930年) 1892年 - 千賀康治、政治家(+ 1956年) 1893年 - ジェームズ・マーティン、技術者、企業家(+ 1981年) 1903年 - 山之口貘、詩人(+ 1963年) 1903年 - テオドール・アドルノ、哲学者、社会学者、音楽評論家、作曲家(+ 1969年) 1909年 - 益田喜頓、俳優、コメディアン(+ 1993年) 1917年 - フェルディナンド・マルコス、政治家、フィリピン第10代大統領(+ 1989年) 1917年 - 轟夕起子、女優(+ 1967年) 1923年 - 杉田俊也、声優、俳優(+ 2004年) 1923年 - 虫明亜呂無、作家、評論家(+ 1991年) 1929年 - サトウサンペイ、漫画家(+ 2021年) 1929年 - 榮久庵憲司、工業デザイナー(+ 2015年) 1933年 - ニコラ・ピエトランジェリ、テニス選手 1935年 - アルヴォ・ペルト、作曲家 1935年 - ゲルマン・チトフ、宇宙飛行士(+ 2000年) 1940年 - ブライアン・デ・パルマ、映画監督 1940年 - 西川幾雄、声優 1944年 - 尾崎行雄、元プロ野球選手(+ 2013年) 1944年 - 山田要一、元調教師 1944年 - 中村之保、元プロ野球選手 1944年 - ジョン・マクシェリー、メジャーリーグ審判員(+ 1996年) 1945年 - フランツ・ベッケンバウアー、元サッカー選手、サッカー指導者 1947年 - 泉ピン子、女優 1947年 - 渡辺範彦、ギタリスト(+ 2004年) 1950年 - エイミー・マディガン、女優 1950年 - 清雲栄純、元サッカー選手、サッカー指導者 1953年 - 大錦一徹、元大相撲力士 1953年 - 中村よお、シンガーソングライター、作家 1954年 - 佐藤義則、元プロ野球選手 1954年 - 伊藤秀志、ローカルタレント 1956年 - 美藤啓文、アナウンサー 1956年 - 鈴木弘規、元プロ野球選手 1958年 - アニマル・レスリー、プロ野球選手、タレント(+ 2013年) 1958年 - 柴田惣一、記者 1960年 - 涼風真世、女優、歌手、声優 1960年 - 田丸一男、アナウンサー 1961年 - ヴァージニア・マドセン、女優 1962年 - クリスティ・マクニコル、女優 1963年 - 岩瀬惠子、フリーアナウンサー 1964年 - ヴィクター・ウッテン、エレクトリックベーシスト 1965年 - バッシャール・アル=アサド、政治家、第5代シリア大統領 1965年 - ポール・ヘイマン、元ECW代表 1966年 - 文仁親王妃紀子、皇族 1967年 - 相川英明、元プロ野球選手 1967年 - ハリー・コニック・ジュニア、歌手 1968年 - 倉田てつを、俳優 1968年 - 成本年秀、元プロ野球選手 1969年 - エドゥアルド・ペレス、元プロ野球選手 1970年 - 松本尚樹、元プロ野球選手 1971年 - 矢作兼、お笑いタレント(おぎやはぎ) 1971年 - 森山大輔、漫画家 1971年 - リチャード・アシュクロフト、歌手 1972年 - 浅野香織、女優 1972年 - キース・ガンブス、サッカー選手 1973年 - 小籔千豊、お笑いタレント 1973年 - トム・デイビー、元プロ野球選手 1973年 - 林尚克、元野球選手 1974年 - 今岡真訪、元プロ野球選手 1974年 - 虻川美穂子、お笑いタレント(北陽) 1977年 - リュダクリス、ヒップホップMC 1978年 - デヤン・スタンコビッチ、元サッカー選手 1978年 - まきのめぐみ、歌手 1978年 - 船津未帆、女優 1979年 - 前田啓介、エレクトリックベーシスト(レミオロメン) 1979年 - 吉田知加、シンガーソングライター 1979年 - アリアナ・リチャーズ、俳優 1979年 - フランク・フランシスコ、プロ野球選手 1979年 - エリック・アビダル、サッカー選手 1979年 - ダビド・ピサーロ、サッカー選手 1979年 - 一色徳保、ミュージシャン(つばき)(+ 2017年) 1981年 - 山本麻里安、声優 1981年 - 駒井亜由美、アナウンサー 1983年 - ジャコビー・エルズベリー、元プロ野球選手 1983年 - ひとりでできるもん、ダンサー 1983年 - 伊藤教人、俳優 1983年 - 蓮沼執太、エレクトロニカミュージシャン 1983年 - 三林智香、モデル 1983年 - 石橋史匡、元プロ野球選手 1984年 - 安田章大、歌手、ミュージシャン(関ジャニ∞) 1984年 - クリスチーナ・オブラソワ、フィギュアスケート選手 1985年 - 小暮あき、元レースクイーン、タレント 1986年 - 佐々木和徳、俳優 1986年 - 中村知世、元女優、元声優 1986年 - 玉置隆、元プロ野球選手 1986年 - カイル・ブランクス、プロ野球選手 1986年 - 依田英将、アナウンサー 1987年 - 松本薫、元柔道家 1987年 - 大島麻衣、タレント、歌手(元AKB48) 1987年 - 加藤レイズナ、ライター 1987年 - ブランドン・レアード、プロ野球選手 1989年 - 高瀬悠、ミュージカル俳優 1989年 - 倉持明日香、タレント(元AKB48) 1989年 - 熊本野映、女優 1989年 - 二宮悠嘉、歌手、タレント(元SDN48) 1990年 - 重成俊弥、元サッカー選手 1990年 - 畑田真輝、元サッカー選手 1991年 - ジョルダン・アイェウ、サッカー選手 1992年 - 高田彩香、女優 1992年 - 磯村勇斗、俳優 1992年 - 田川大樹、俳優 1992年 - 山口祥吾、元プロ野球選手 1993年 - 川本稜、俳優 1994年 - 岡田尚太郎、俳優 1994年 - COCO、グラビアアイドル 1995年 - 金井勝実、俳優 1996年 - えのきさりな、女優 1997年 - 森迫永依、女優 1998年 - 堀岡隼人、プロ野球選手 2000年 - 塩﨑太智、俳優、歌手(M!LK) 2006年 - 玉井陸斗、飛込競技選手 生年不明 - 小林達也、声優 生年不明 - 引坂理絵、声優 忌日 932年(承平2年8月4日) - 藤原定方、平安時代の公卿、歌人(* 873年) 1227年 - ルートヴィヒ4世、テューリンゲン方伯(* 1200年) 1349年 - ボンヌ、フランス王太子ジャンの妃(* 1315年) 1599年 - ベアトリーチェ・チェンチ、父親殺しで知られる貴族女性(* 1577年) 1607年 - ルッツァスコ・ルッツァスキ、作曲家(* 1545年頃) 1646年 - オドアルド1世、パルマ公(* 1612年) 1677年 - ジェームズ・ハリントン、政治哲学者(* 1611年) 1680年(延宝8年8月19日) - 後水尾天皇、第108代天皇(* 1596年) 1733年 - フランソワ・クープラン、作曲家(* 1668年) 1737年(元文2年8月17日) - 近衛家久、江戸時代の公卿(* 1687年) 1760年 - ルイ・ゴダン、天文学者(* 1704年) 1823年 - バルタザール・カンペンガウゼン、政治家(* 1772年) 1823年 - デヴィッド・リカード、経済学者(* 1772年) 1843年(天保14年8月18日) - 浜村蔵六 (三世)、篆刻家(* 1791年) 1886年 - エドゥアルト・フレーゲル、探検家(* 1855年) 1894年 - 榊原鍵吉、剣客(* 1830年) 1896年 - フランシス・ジェームズ・チャイルド、バラッド研究家(* 1825年) 1917年 - ジョルジュ・ギンヌメール、エース・パイロット(* 1894年) 1919年 - チャート・ゲーザ、作家、音楽家、医師(* 1887年) 1926年 - 尾上松之助、俳優 (* 1875年) 1931年 - 沖原光孚、日本陸軍の中将(* 1848年) 1934年 - 井上剣花坊、川柳作家(* 1870年) 1941年 - マリア・スピリドーノワ、左翼社会革命党指導者(* 1884年) 1946年 - 須永好、日本社会党衆議院議員(* 1894年) 1947年 - アリス・ケッペル、イギリス王エドワード7世の愛妾(* 1869年) 1948年 - ムハンマド・アリー・ジンナー、インド・ムスリム連盟指導者(* 1876年) 1949年 - アンリ・ラボー、作曲家(* 1873年) 1950年 - ヤン・スマッツ、南アフリカ首相(* 1870年) 1951年 - 末弘厳太郎、法学者(* 1888年) 1964年 - 川野彰子、小説家(* 1928年) 1964年 - 山本礼三郎、俳優(* 1902年) 1971年 - ニキータ・フルシチョフ、ソビエト連邦首相(* 1894年) 1971年 - 鵜崎多一、福岡県知事(* 1905年) 1973年 - サルバドール・アジェンデ、政治家、チリ大統領(* 1908年) 1975年 - 西原貫治、日本陸軍の中将(* 1890年) 1976年 - 石橋正二郎、ブリヂストン創業者(* 1889年) 1976年 - パヴレ・カラジョルジェヴィチ、ユーゴスラビアの摂政(* 1893年) 1977年 - 田中一村、日本画家(* 1908年) 1978年 - 中平康、映画監督(* 1926年) 1978年 - ロニー・ピーターソン、F1レーサー(* 1944年) 1979年 - 遠山啓、数学者(* 1909年) 1983年 - 清水与七郎、実業家(* 1885年) 1984年 - 河合保彦、プロ野球選手(* 1933年) 1985年 - ウィリアム・オルウィン、作曲家(* 1905年) 1985年 - 赤尾好夫、実業家、旺文社創業者(* 1907年) 1985年 - 夏目雅子、女優(* 1957年) 1987年 - ピーター・トッシュ、レゲエミュージシャン(* 1944年) 1992年 - 郷鍈治、俳優(* 1937年) 1993年 - エーリヒ・ラインスドルフ、指揮者(* 1912年) 1994年 - ジェシカ・タンディ、女優(* 1909年) 2000年 - 塩月勝義、プロ野球選手(* 1952年) 2001年 - バーバラ・オルソン、コメンテーター(* 1955年) 2001年 - モハメド・アタ、テロリスト(* 1968年) 2002年 - 阿木翁助、劇作家、脚本家(* 1912年) 2002年 - キム・ハンター、女優(* 1922年) 2003年 - ジョン・リッター、俳優、声優(* 1948年) 2003年 - アンナ・リンド、スウェーデン元外務大臣(* 1957年) 2006年 - 吉永正人、元競馬騎手、調教師(* 1941年) 2006年 - ウィリアム・オールド、詩人 (* 1924年) 2006年 - ピエール・ジョルジュ、地理学者(* 1909年) 2007年 - ジョー・ザヴィヌル、ジャズ・フュージョンミュージシャン(* 1932年) 2007年 - ウィリー・ティー、キーボード奏者(* 1944年) 2008年 - 奥井成一、プロ野球選手(* 1925年) 2008年 - 内田慶、競輪選手(* 1981年) 2009年 - 臼井儀人、漫画家(* 1958年) 2010年 - 谷啓、俳優、コメディアン、トロンボーン奏者(元ハナ肇とクレージーキャッツ)(* 1932年) 2012年 - クリストファー・スティーブンス、弁護士、外交官(* 1960年) 2016年 - 加藤九祚、人類学者(* 1922年) 2016年 - アレクシス・アークエット、女優、ミュージシャン (* 1969年) 2016年 - 伊藤茂、政治家、元運輸大臣(* 1928年) 2019年 - ユスフ・ハビビ、政治家、第3代インドネシア大統領(* 1936年) 2020年 - 西川善文、実業家(* 1938年) 記念日・年中行事 二百二十日(、2009年・2010年・2012年) 立春から数えて220日目の日。二百十日と同じく台風襲来の時期であるため、農家の厄日とされる。 教師の日() アルゼンチンの第7代大統領で教育者・作家のが1888年に亡くなった日。 ナショナルデー(・カタルーニャ州) 1714年、スペイン継承戦争・第3次バルセロナ包囲戦が終結し、フェリペ5世率いるスペイン軍がバルセロナを落としたことを記念。 () 2001年のこの日に発生したアメリカ同時多発テロ事件にちなみ、2002年から実施。 緊急番号の日() アメリカ合衆国における緊急通報用電話番号「911」にちなみ、1987年8月26日にロナルド・レーガン米大統領が制定。 警察相談の日() 警察庁が1999年に制定。警察への全国統一の電話相談番号「#9110」から。 フィクションのできごと 2003年 - JAE空輸 123便(スカイバード10MA機)がウーメラ砂漠上空で原因不明の空中爆発を起こし、墜落する。(漫画・テレビドラマ『SPEC〜零〜』) 誕生日(フィクション) 1960年 - エリー・オズワルド、テレビドラマ『ドクター・フー』に登場するキャラクター 1986年 - 牧原優紀子、ゲーム『ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜』に登場するキャラクター 生年不明 - アーギルシャイア、ゲーム『ジルオール』に登場するキャラクター 生年不明 - 相沢庄次、漫画『べるぜバブ』に登場するキャラクター 生年不明 - 泉司、漫画『GE〜グッドエンディング〜』に登場するキャラクター 生年不明 - クラリオ・オーヴァン、アニメ『イナズマイレブン オリオンの刻印』に登場するキャラクター 生年不明 - 小金井慎二、漫画・アニメ『黒子のバスケ』に登場するキャラクター 生年不明 - 坂東美久龍、メディアミックス作品『Re:ステージ!』に登場するキャラクター 生年不明 - リュウ・メイファン、ゲーム『少女☆歌劇 レヴュースタァライト -Re LIVE-』に登場するキャラクター 生年不明 - 水原怜人、漫画・アニメ『終末のハーレム』に登場するキャラクター 忌日(フィクション) 2010年 - 君島コウ、ゲーム『ROBOTICS;NOTES』に登場するキャラクター(* 1977年) 出典 関連項目
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E8%BF%91%E9%89%84%E3%83%90%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA
大阪近鉄バファローズ
大阪近鉄バファローズ(おおさかきんてつバファローズ、)は、からまで存在した日本のプロ野球球団。パシフィック・リーグに加盟していた。現在のオリックス・バファローズの前身球団の一つである。 概要 球団消滅時点では、大阪府を保護地域とし、一軍は大阪市西区にある大阪ドームを、二軍(ウエスタン・リーグ所属)はかつて一軍の本拠地だった藤井寺球場を本拠地にしていた。 球団愛称の正式表記は「バファローズ」であり、「バッファローズ」ではない(経緯に関しては後述)。ただし、三原脩の監督時代のサインなど、球団及び近鉄グループ関係者が誤用した例がある。 1999年3月末までの球団名は「近鉄バファローズ」で、地域密着を謳うために1999年4月1日付で上記球団名に改称された後も通称として使われていた。なお、運営法人の商号は株式会社大阪バファローズ、近畿日本鉄道株式会社の100%の連結対象子会社(額面500円)だった。 2004年、球団と近鉄グループの経営難からオリックス・ブルーウェーブの運営会社「オリックス野球クラブ」に営業譲渡し、2005年3月末に解散。職員の大半はオリックス野球クラブ、一部は楽天野球団に移り、選手は分配ドラフトにより、オリックス・バファローズ(ブルーウェーブから改称)と同時に新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスに配分された。 オリックスの球団史において大阪近鉄バファローズは傍系扱いとなるため、チームタイトルや個人賞などの各種記録については一切含まれていない。球団史が引き継がれずに終焉する形でのチーム消滅は1958年の大映ユニオンズ以来となった。 合併までの経緯・詳細についてはプロ野球再編問題 (2004年)を参照。 1944年6月から1947年5月まで南海鉄道と関西急行鉄道の戦時統合によって設立された近畿日本鉄道が運営していた近畿日本軍→近畿グレートリングとの球団の系譜としてのつながりはなく、これは現在の福岡ソフトバンクホークスの系譜である。 球団が消滅した2004年時点で現存していた12球団の中で「4回出場した日本シリーズで優勝していない唯一の球団」となった。 球団の歴史 近鉄パールス時代 設立当初より低迷が続き、万年Bクラス、最下位の近鉄は「地下鉄球団」とも揶揄(やゆ)された。 、近畿日本鉄道をスポンサーとする近鉄パールス(設立時は近鉄本社、後にグループ会社の近鉄野球株式会社(初代、のちの近鉄興業株式会社)が経営を担当。移管時期は不明)が佐伯勇の鶴の一声で結成。「パール(真珠)」は賞金5万円の公募によって決められ、近鉄沿線の伊勢志摩地方で真珠養殖が盛んなこともあって命名された。近鉄にとっては、南海鉄道合併当時の1944年 - 1947年(近畿日本軍 → グレートリング、現:福岡ソフトバンクホークス)以来の球団運営である。近鉄は大阪電気軌道時代よりラグビー部(現:近鉄ライナーズ)を有していたが、後の佐伯の述懐によれば「ラグビーでは儲からないから」と当時隆盛を極めていた野球経営に食指を動かしたという。11月26日に発足した太平洋野球連盟(パシフィック・リーグ)に加盟。2リーグ制構想を最初に打ち出した正力松太郎は、大阪地区で4チームが同一のリーグに入ることは好ましくないと考え、片方のリーグに近鉄と阪神、もう一つのリーグに阪急と南海を入れる考えを持っていたといわれる。しかし、毎日新聞側で電鉄系球団が結束した後に阪神が離脱するという経過により、この正力の考えは実現しなかった(経過についてはプロ野球再編問題 (1949年)を参照)。加盟申請は早かったものの、チーム編成が遅れたため、他球団と未契約の東京六大学出身者(監督藤田省三始め、関根潤三など法政大学勢が多かったため、チーム内に近鉄法友会という懇親組織が存在した)を中心に編成したが、プロ野球経験者は黒尾重明(東急フライヤーズ)、森下重好、田川豊(いずれも太陽ロビンス)ら数えるほどで、選手層が薄く設立より4年連続最下位となる。 1950年 開幕直前に藤田省三が高熱でダウン、藤田は球場には来たが加藤春雄が実質指揮を取る中で3月12日、藤井寺球場での対毎日オリオンズ戦が球団としての初めての公式戦となるが、初回四番森下重好のタイムリーで先制するものの、失策で自滅し、2対6で敗戦。翌13日の対南海ホークス戦で沢藤光郎が粘投し、4対3でチーム初勝利を収める。チームは連敗、連勝、連敗を続け、この年は森下が30本塁打、沢藤が18勝を挙げる活躍を見せるが、最終的には首位の毎日から37.5ゲーム離された最下位に終わる。投打共に駒不足を露呈した。球団本社からの強化費用が予想以上に出ず、新人2選手が加入しただけで終わる(その2選手も翌年には退団)。 1951年 この年もシーズン終盤まで低迷、9月に14勝8敗1分と追い上げるも6位の東急と0.5ゲーム差で2年連続最下位に終わる。この年のオフ、大下弘の獲得に乗り出すが失敗に終わる。 1952年 5月から6月にかけて13連敗を喫し、シーズン通して首位の南海に4勝14敗、2位の毎日には3勝15敗と大きく負け越し、最終的に30勝78敗、3割に満たない勝率で3年連続最下位に終わる。シーズン終了後、藤田省三が監督を辞任し、芥田武夫が就任。 小玉明利、鈴木武ら後に中心となる新人補強に加え、独特の練習スタイルで結果を出す。 1953年 開幕直後には9連勝するなど、5月8日に一時期ながら首位に立つが、夏場以降は失速し、首位南海と22ゲーム差の最下位となる。勝率は初めて4割を超える。 1954年 8月7日に新人の山下登が対高橋ユニオンズ戦で球団史上初のノーヒットノーランを達成している。74勝63敗5分で、創立以来初となる最下位脱出の4位、勝率5割を越えてのAクラスとなった。近鉄選手初のタイトルとして田中文雄が最多勝、鈴木武が盗塁王を獲得しており、チーム盗塁数223は当時の日本プロ野球歴代5位であった。 1955年 序盤から投手陣が大不振。6月19日には武智文雄(田中から改姓)が対大映スターズ戦(大阪)でパ・リーグ初となる完全試合を達成する。この年連敗することが多く、60勝80敗2分の5位に終わる。 1956年 4月後半の10連勝で勢いをつけたが、終盤に失速し5位。この頃は万年最下位とは呼ばれなくなったが、優勝争いをしている西鉄、南海とは地力の差があった。 1957年 この年パ・リーグは高橋ユニオンズと大映スターズが合併したことで8球団から7球団となり、日程が組みにくくなったことから最下位の球団は消滅させようという動きがあり、関根潤三は「大映オーナーの永田雅一による近鉄潰しだ」と述べている。6月22日、芥田がシーズン途中で休養。加藤春雄が代行を務めるが8月を終わっても最下位で、消滅の危機となったが、最終的には6位に終わっている。加藤春雄はオフに監督就任。 1958年 開幕から不振が続き、6戦目で最下位になると、そのまま浮上することなく、首位の西鉄に3勝22敗1分、2位南海に4勝22敗1分と大きく負け越し、この年の近鉄のシーズン29勝は最多勝投手の稲尾和久の33勝を下回り、球団史上最低記録となる勝率.238でシーズンを終える。シーズン終了後、加藤が監督辞任、現役時代「猛牛」と呼ばれた千葉茂を監督に招聘し、チーム名を近鉄バファローに改名。岡本太郎による球団マーク(通称、猛牛マーク)が制作される。 近鉄バファロー時代 1959年 5月に最下位になるとそのまま浮上できずにシーズンを終える。チーム39勝は、最多勝の南海の杉浦忠の38勝より1勝多いだけであった。前年と合わせ8人の選手が読売ジャイアンツから移籍するなど、チームの大幅な入れ替えを図る。なおシーズン途中の6月20日に千葉茂が途中休養、代行監督に林義一が就任するが、オフに千葉が監督復帰する。 1960年 43勝87敗1分で首位の大毎と39ゲーム差の最下位。 1961年 日本プロ野球シーズン最多記録となる103敗を記録。首位南海とは51.5、5位阪急とも18.5ゲーム差をつけられ、チームの勝ち星は1958年に続き、稲尾和久の42勝に届かぬ36勝に終わった。新人の徳久利明が15勝を挙げ球団初の新人王を獲得する。1958年から4年連続でチームは160失策以上を記録し、チーム38盗塁は2リーグ制以降、当時の最少記録となっている。シーズン終了後、千葉茂が監督を更迭、別当薫が就任。 後年、この当時の事情を千葉茂はなかなか語ろうとしなかったが、ごろに語ったところによれば「巨人で20年やってきたことがすべてひっくり返った」と述べ、「選手もプロ意識は低かったが、親会社の体質にも問題があった」とし、当時三等車だった列車での移動を西鉄並の二等車にしてほしいと頼めば、球団に「15人だけにしてほしい」と言われたとされる。一方の選手は西鉄の稲尾和久や南海の杉浦忠などが登板することが分かると、高熱や腹痛などの仮病を使って試合を欠場したとも述べている。 近鉄バファローズ時代 「近鉄バファローズ」という球団名は1998年まで使われたが、ここでは大阪ドーム移転前年の1996年までの事について述べ、大阪ドームに移転した1997年・1998年の両年については#大阪ドーム時代を参照。 別当監督時代 1962年 チーム名を近鉄バファローズに改名。ジャック・ブルームフィールドが.374の高打率で首位打者を、28勝を挙げた久保征弘が最多勝を獲得するも、チーム全体ではわずか57勝(久保はほぼ半分の勝ち星を1人で稼いだ)で5年連続最下位。土井正博が18歳で四番に抜擢される。 1963年 5月以降チームは勝率5割を保ち、東映との3位争いをするものの、1ゲーム差の4位に終わる。この年のオールスターには7人が選ばれた。長打力には乏しいものの単打や二塁打を重ねて得点をあげる攻撃に「ピストル打線」のあだ名がつく。 1964年 この年4人の10勝投手が出るも、2年ぶりの最下位。1958年よりこの年まで7年連続で失策数はリーグワースト。シーズン終了後、別当薫が監督を辞任。後任には岩本義行が就任。球団結成時から在籍している関根潤三に対して球団の中には「監督をやれ」と言う人もいたが、関根にそのつもりはなく、近鉄を退団し、巨人に移籍した。 岩本(義)監督時代 1965年 優勝した南海と42.5ゲーム差で2年連続の最下位。この年第1回プロ野球ドラフト会議が行われ、2位指名で鈴木啓示が入団している。 1966年 48勝82敗で3年連続最下位。シーズン終了後、岩本義行が監督を辞任、後任には当時31歳の小玉明利が選手を兼任のまま監督就任。 小玉監督時代 1967年 4月1日、球団運営のための会社法人として近鉄野球株式会社(2代目)を設立し、近鉄興業(同年3月に近鉄野球株式会社=初代を商号変更)から経営を移管。チームは開幕ダッシュもあり5月半ばまで首位だったが、主力選手の相次ぐ故障もあり4年連続の最下位に終わる。シーズン終了後、小玉明利が監督を辞任し選手として阪神に移籍した。後任には三原脩が就任した。 三原監督時代 1968年 西鉄との開幕戦で3連勝後、4月を14勝4敗として6月まで首位だったが、夏場以降は失速し、首位の阪急と23ゲーム差の4位に終わる。しかし、監督の三原によって選手に自信をつけさせたとされる。三原は家族の問題から退任を申し入れるも、慰留され続投。 1969年 5月までに9連敗を記録するなど低迷、しかしその後18勝1敗2分けと一気に追い上げ、球団初の首位争いを阪急と展開する。互いに直接対決4試合のみを残した10月17日の時点で2厘差で首位を保ち、阪急よりも優位であった。しかし、10月18日からの対阪急4連戦に初戦から3連敗で阪急の逆転優勝を許し、2位に終わる。球団創立以来シーズンの対戦成績で勝ち越したことがなかった南海に対し17勝9敗と初めて勝ち越し、また15シーズン連続で負け越していた西鉄にも15勝11敗で勝ち越した。ドラフト会議では、高校野球で甲子園のアイドルと呼ばれた太田幸司を獲得。 1970年 5月14日に黒い霧事件に関連し、球団職員だった山崎晃が外部の人間より八百長(野球協約上の敗退行為)を強要され、監督や選手に敗退行為の依頼を行ったことが報道された。山崎は1967年に当時選手兼監督だった小玉明利を始め、木原義隆、吉沢岳男、高木喬の4名に八百長を依頼したとされる。捜査の結果、依頼された4人については金銭の授受はなく試合で敗退行為を行った確証も得られなかったため、プロ野球機構からの処分は厳重戒告に留まったが、山崎については八百長工作を行っていたことが確実になったため、6月15日に野球賭博への関与を理由とした永久追放処分が下された。10月6日、対南海戦で佐々木宏一郎が完全試合を達成。シーズン終了後、三原が監督を辞任し、後任を鶴岡一人に一本化するが招聘に失敗し、コーチの岩本尭が監督に昇格した。 岩本(尭)監督時代 1971年 鈴木啓示、清俊彦、佐々木宏一郎、神部年男の投手4本柱が防御率7位以内に入る安定感を見せ、3位を確保。 1972年 序盤に首位に立った南海相手に7連勝(1分)するなど、4月29日に同率首位にもなったが、総合では首位とは14ゲーム差の2位に終わる。この頃は鈴木啓示が5年連続20勝を挙げ、また太田幸司人気もあってテレビ中継も増えている。 1973年 パ・リーグは前後期2シーズン制を導入。投手力のある近鉄が優勝候補にも挙げられたが、その投手陣が相次ぐ故障などから崩壊し防御率3.83はリーグ5位で10勝以上あげたのが鈴木啓示のみ、打線も土井が唯一打率ベスト10入り(3位)しただけでチーム打率はリーグ最下位の.237、本塁打113本は南海と同数の5位、盗塁、得点はリーグ最少、失点、失策はリーグ最多で、8月末に岩本は休養し、島田光二が代理監督を務めるが、前後期とも最下位の6年ぶりの最下位に終わっている。二軍がウエスタン・リーグを初制覇している。シーズン終了後、前阪急監督の西本幸雄が監督就任。 西本監督時代 西本幸雄の下、リーグ初優勝を遂げ、長かった低迷期を脱する。また仰木彬の監督就任後は毎年のように西武ライオンズとの激しいペナントレース争いとなり、西本退任以降の1982年から仰木彬が指揮した1992年までではBクラスは3度と安定した成績を保った。 1974年 監督に就任した西本は羽田耕一、栗橋茂、佐々木恭介、平野光泰、梨田昌崇ら若手選手を鍛えてチーム力の強化を図ったが1年目は5位に終わり、オフにチームの主砲であった土井正博を太平洋クラブライオンズにトレードで放出する。 1975年 初めて「優勝」(ペナント2期制度での後期優勝)を果たすが、プレーオフで前期優勝の阪急に1勝3敗で敗れる。なお通期での貯金は「21」(71勝50敗9分)であり、優勝の阪急の貯金「5」を大きく上回っていた。(+8ゲーム差相当) 1977年 4月26日、対ロッテ戦で鈴木啓示が球団初の通算200勝を達成、近鉄入団の生え抜き選手としては唯一の名球会入り選手となった。南海と日本ハムファイターズに勝ち越し、ロッテ、クラウンライターライオンズに10勝以上あげているが、首位の阪急に6勝18敗2分と大きく負け越し前期は3位としたものの、後期は最下位でシーズン通しては4位に終わる。チーム盗塁数120はリーグトップだったが、チーム打率は5位、チーム本塁打92本はリーグ最下位に終わっている。 1978年 前期は阪急に次いで2位、後期は8月まで阪急が首位を独走していたものの、9月に近鉄が猛追し一時は首位に立つなど両チームのマッチレースとなり、後期最終戦となる9月23日に阪急との後期優勝をかけた直接対決を迎えた。近鉄は勝てば後期優勝、阪急はこの試合に勝ち、さらに残り2試合中1試合を引き分け以上が優勝の条件だった。近鉄はこの年25勝で最多勝の鈴木啓示を先発に立てたが、山田久志とのエース対決に敗れ、逆転で首位に立った阪急が次の試合にも勝って前期に続き優勝を決め、近鉄は2位に終わっている。この年近鉄は全球団に勝ち越したものの、阪急は近鉄以外の4球団に大きく勝ち越していたのが差となった。 1979年 前期は5月までに2位阪急に5ゲーム差をつけ独走していたが、6月9日の対ロッテ戦でチャーリー・マニエルがアゴに死球を受け、戦線離脱、阪急の追い上げもあり、一時は阪急にマジックが点灯するが、最終戦の対南海戦に引き分け前期優勝を決めた。後期は2位となり、後期優勝の阪急とのプレーオフとなるが、この年防御率1位の山口哲治の3連投の活躍で3連勝し、球団創設30年目にして初のリーグ優勝を遂げる。当時の12球団最後の初リーグ優勝(近鉄初のリーグ優勝で当時の12球団において一度はリーグ優勝を経験する事となった)となった。74勝45敗11分、勝率.622は球団記録。但し年間勝率2位通過(年間1位は阪急)だったことから、近鉄は年間勝率1位通過を経験することなく、初リーグ優勝を成し遂げた最初で最後の球団となった(2005年に発足した東北楽天ゴールデンイーグルスは2013年に初のリーグ優勝を達成したが勝率1位通過しており、2022年現在も近鉄が唯一となっているが、現行のプレーオフは勝率1位を競うリーグ戦とは区別されているため、勝率2位通過以下でのリーグ優勝のケースは現在のルール上では現れない)。しかし、広島東洋カープとの日本シリーズでは第7戦の9回裏1点ビハインドの場面で、無死満塁の一打逆転サヨナラの好機をつかむが、江夏豊の前に阻まれ、3勝4敗で敗退(江夏の21球参照)。 1980年 反発力を高めた飛ぶボールの効果もあり、この年本塁打・打点の二冠のマニエルをはじめチームから二桁本塁打10人を出す日本プロ野球新記録のシーズンチーム本塁打239本し、前年5月19日から9月29日まで日本プロ野球記録を更新する215試合連続で得点を記録する。チームは前期2位、後期は残り3節の時点で5位と追い込まれるがそこから巻き返し、10月7日には後楽園球場で、マジック1で引き分けでも優勝決定という日本ハムとの直接対決を6-5で勝利し、続く8日、11日の対西武ライオンズ2連戦にも勝利し逆転で後期優勝、ロッテオリオンズとのプレーオフも3勝0敗で制し2年連続でリーグ優勝を果たすが、日本シリーズではまたしても広島に3勝4敗で敗退。オフにマニエルが契約更改で球団と決裂し、退団。 10.7決戦 1980年10月7日に行われた後楽園球場における日本ハムと近鉄の後期最終戦。この試合は開始30分前に満員札止めとなった。日本ハムはこの試合で引き分けでも後期優勝が決まるが、近鉄が優勝するにはこの試合に勝ち、対西武戦も連勝する必要があるという日本ハムに非常に有利な試合であった。両チームの先発投手は近鉄は鈴木啓示、日本ハムは高橋一三のベテラン左腕。2回裏に日本ハムが1点を先取。打たれながらも何とか抑えていた高橋が3回表に無死二塁とすると、早くも木田勇がリリーフした。しかし佐々木恭介に打たれて同点とされる。4回表には3本の安打を連ねられて3点を失った。木田はカーブの制球が定まらず、バックの失策も出た。5回裏に日本ハムが1点を返せば、近鉄もクリス・アーノルドがソロ本塁打を放つ。しかし7回裏に日本ハムは代打、富田勝の二塁打を皮切りに4連打を浴びせて2点を返し、1点差にまで迫る。8回表に有田修三がソロ本塁打を放った後に木田はマウンドに座り込んでしまい、ついに降板した。その裏に日本ハムも一死三塁から富田が近鉄2人目の投手の井本隆の頭をワンバウンドで越えるゴロを放ち、これを遊撃手の吹石徳一がギリギリ追い付いて捕球。三塁走者の大宮龍男はこの場面で生還することができなかった。二死から高代延博の安打でようやく生還して1点差に迫った。日本ハムは9回表の近鉄の攻撃を間柴茂有と宇田東植のリレーで凌いだ。9回裏の日本ハムはクリーンナップの好打順。一番手の柏原純一の右翼への痛烈なライナーがフェンス一杯で捕球された。近鉄はこの後に3番手の村田辰美に替えた。トミー・クルーズも右翼正面へのライナーで二死。トニー・ソレイタは三振に終わり、5-6と近鉄の勝利で試合終了。自力優勝の機を逸した日本ハムを尻目に、近鉄は西武にも連勝して逆転優勝を果たした。監督の西本は「あそこまで鍛えに鍛えて、全員が全力を尽くして戦えば、お客さんの期待に応える、あれだけのゲームが出来るのです」とのちに振り返り、当日に新聞紙記者の一人は「かつてプロ野球は巨人一辺倒だったが、時代は変わった」と書いた。 1981年 マニエルの抜けた穴はあまりにも大きく、前年4人いた3割打者が1人も出ず、本塁打もビクター・ハリスの22本がチーム最高であるなど打線が低下。また鈴木啓示も5勝しかできず負け越すなど投手陣が振るわず前期6位、後期4位の最下位に終わる。シーズン終了後、西本幸雄が監督辞任、後任に関口清治が就任。 関口、岡本監督時代 1982年 序盤は首位になり前後期とも勝ち越し3位となるが、首位の日本ハムからは大きく離されての結果となった。 1983年 4月末に7連敗すると5月まで最下位、持ち直すものの、以降は一度も5割にならないままこの年は4位、シーズン終了後、関口清治が監督を辞任、後任は岡本伊三美。広島から加藤英司がトレードで加入。 1984年 このシーズンでは、藤井寺球場のナイター設備が完成し、4月6日にナイター開きが行われた。5月5日には鈴木啓示が通算300勝を達成するが、新外国人選手だったドン・マネーが待遇面をめぐって4月末に退団するなどもあり、4位となるが、3位の対西武戦を9勝17敗と大きく負け越している。 1985年 7月10日に鈴木啓示が現役引退を表明、背番号1は球団唯一の永久欠番となる。本塁打はリーグ最多の212本だが、防御率はリーグワーストの5.10で、この年は4位の阪急と勝率1毛差の3位であったが、首位西武とは15ゲーム差をつけられ、二桁勝利投手もストッパーの石本貴昭だけであったが、この時期は1979年、1980年の優勝メンバーと、後の1989年優勝メンバーの世代交代の時期だったとされ、打者では大石大二郎、投手では石本の他に小野和義、吉井理人、佐々木修、山崎慎太郎などの獲得や台頭が見られる。オフに有田、加藤英が巨人・淡口憲治らとトレード成立。 1986年 後半戦は西武との熾烈な優勝争いとなり、互いにマジックが点灯と消滅を繰り返す展開となる。9月終了時で西武と1ゲーム差の2位だが、残り試合の関係でマジック10が点灯していた。10月5日のロッテ戦で9回裏に2点差を追い付き、引き分けで同率首位に並ぶと、翌日はロッテに勝って単独首位に立つ。両チーム残り3試合の時点でマジック3としたが、10月8日から阪急に3連敗。ロッテにホームで連勝し逆転優勝を果たした西武と2.5ゲーム差の2位に終わる。記録の残る1952年以降としては初めて観客動員が100万人を突破している。 1987年 移籍2年目の新井宏昌が首位打者、ルーキー阿波野秀幸が15勝を挙げ新人王を獲得する活躍をみせるもののチーム内の不協和音もあり5位のロッテとは1.5ゲーム差で、4球団には11勝以上したものの残る西武には5勝19敗3分と大きく負け越したこともあり、最下位となる。シーズン終了後、岡本伊三美が監督を辞任、コーチだった仰木彬が就任、権藤博が投手コーチ。 仰木監督時代 1988年 終盤に前年までリーグ3連覇中の西武と熾烈な優勝争いを繰り広げることとなった。開幕から西武が独走、6月に入ると貯金20で2位近鉄は8ゲームをつけられ、7日には主砲のリチャード・デービスが大麻不法所持で逮捕され解雇というアクシデントに見舞われ、同月28日に急遽中日ドラゴンズから金銭トレードでラルフ・ブライアントを獲得した。ブライアントはこの後、74試合の出場ながら34本塁打を記録するなど大活躍をした。9月に入っても西武が独走状態は続き、15日の時点では西武に6ゲーム差をつけられるが西武が一時後退して29日の時点では1.5ゲーム差、10月に入り5日にはゲーム差無しで一時近鉄が首位に立つなど、以降シーズン終了まで、首位の西武と近鉄がともに譲らずハイペースで勝ち続けるという展開となり、10月16日に西武が全日程を終了した時点では、近鉄は残り4試合のうち3勝すれば優勝だったが、17日の対阪急戦に敗れ、残り3戦を3勝が優勝の絶対条件となり、川崎球場へ移動しての18日の対ロッテ戦に勝利し、10月19日のロッテとのダブルヘッダーでは第1試合を9回に逆転勝利するが、第2試合延長10回時間切れで4対4の引き分けに終わり、130試合目にして優勝を逃す結果となった(詳細は10.19を参照)。この試合でも活躍の梨田、吹石が引退。 1989年 開幕前は西武と近鉄が優勝争いになると見られたが、ペナントに入ると開幕戦で近鉄に大勝したオリックス・ブレーブスが開幕から8連勝と抜け出し、近鉄や西武は勝率5割前後と出遅れる。近鉄はエースの阿波野秀幸が開幕から6連勝や、いてまえ打線の復調もあり、7月から8月にかけて2度の4連勝などで8月に一時首位に立つが、9月に入ると連敗を重ねて9月25日の時点で3位に後退していた。近鉄に後がない状況で迎えた10月12日、対西武戦(西武球場)ダブルヘッダーにおいて、ラルフ・ブライアントがこの日4打数連続本塁打が出て西武に連勝。近鉄がマジック2を点灯させる(詳細は10.19#1989年10月12日のダブルヘッダーを参照)。10月14日、藤井寺球場での対福岡ダイエーホークス戦に勝利し、129試合目で9年ぶり3度目の優勝達成となった。これが近鉄にとって初めての1シーズン制度上での初優勝となった。初めての本拠地球場での日本シリーズ開催となったが、初戦から巨人に3連勝するものの、加藤哲郎の「巨人はロッテより弱い」発言問題もありその後4連敗を喫し、巨人に敗れる。栗橋、淡口が引退し、村田が移籍、権藤コーチが退団。ドラフトにおいて、8球団競合による抽選の上、新日鉄堺の野茂英雄の交渉権を獲得し、入団している。 1990年 野茂英雄が最多勝、防御率など主な先発投手タイトルを獲得する活躍で新人王&MVPとなり、沢村賞も獲得。また同じく新人の石井浩郎も6月以降にレギュラーに定着し規定打席不足ながら打率.300、22本塁打と活躍。しかしチームは開幕2戦目から9連敗を喫し大きく出遅れ、阿波野の不振や小野の故障など野茂以外の投手陣が軒並み成績を落としたこともあり、西武との大差を縮められず3位に終わる。羽田が引退、中西太ヘッドコーチが退団。 1991年 西武が開幕から抜け出すが、前半戦最後の西武との直接対決で勝って首位で折り返すものの、9月に西武との直接対決で3連敗し、逆転優勝される。この年の77勝は当時の球団最多勝利記録だった。野茂は2年連続最多勝、トレーバーは打点王も退団。ブライアントの故障、長期離脱も響いた。 1992年 前年とは逆に近鉄が序盤は首位を走るが、6月になると西武に逆転され、その後は西武の独走を許し2位に終わる。赤堀元之が最優秀救援とともに防御率1.80を記録し最優秀防御率を獲得したが、規定投球回数達成者としては球団唯一の防御率1点台投手となった。野茂は入団から3年連続最多勝、高村祐は新人王。シーズン終了後、仰木彬が監督辞任。後任には小玉明利以来26年ぶりとなる生え抜きの鈴木啓示が監督に就任する。 鈴木、佐々木監督時代 1993年 監督の鈴木啓示と野茂英雄や吉井理人といった主力選手との確執が続いた。野茂は4年連続で最多勝を挙げるが四球や自責点もリーグ最多で安定感に欠き、野茂以外に10勝以上投手が出なかったものの、抑えの赤堀元之と、石井浩郎、ブライアントなどのいてまえ打線が好調で、開幕から好スタートの直後に連敗が続き、最下位に転落するも、最終的には首位の西武と7ゲーム差の4位に終わる。 1994年 開幕の対西武戦で赤堀元之が伊東勤に開幕戦史上初の逆転サヨナラ満塁本塁打を浴びる波瀾のスタートとなり、序盤からチームは低迷。6月17日には首位西武に16ゲーム差の最下位に沈む。しかし、いてまえ打線の爆発により、夏場から調子を上げ、7月26日から8月10日にかけて球団新記録となる13連勝を記録し、一時は首位に立つなど、約1カ月半で32勝6敗、勝率.842の驚異的な成績を残す。しかし、野茂が離脱した8月以降は後退、最終的に首位西武と7.5ゲーム差の2位に終わる。シーズン終了後、野茂が契約のこじれから退団、メジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースに移籍。金村義明がFA権を行使し、中日に移籍。阿波野が香田勲男との交換トレードで巨人へ移籍。 1995年 開幕直前、吉井が西村龍次との1対1の交換トレードによりヤクルトに移籍。開幕から2年目のリー・スティーブンスが13試合で10本塁打と打ちまくるが、ブライアント、石井浩郎の故障離脱があり投手陣も高村が怪我で離脱、ストッパー赤堀が絶不調もあってチームは低迷。鈴木啓示も途中休養する状況で、8年ぶりの最下位になる。シーズン終了後、佐々木恭介が監督に就任する。ドラフトでは高校生としては史上最多7球団が1位指名したPL学園の福留孝介の交渉権を獲得するが、福留は入団拒否。ダイエーを自由契約となった山本和範が15年ぶりに復帰。 1996年 テスト入団の山本が開幕から活躍しオールスターにも選ばれたが、投手陣の調子の波が激しく勝率5割付近を行き来する展開となる。翌年から本拠地が新たに大阪ドームに移転するため、Aクラス入りし、開幕カードを新本拠地で迎えたかったが、終盤戦Aクラス入りをかけた対西武2連戦に破れ、4位でシーズンを終える。オフ、大幅減俸提示を拒否した石井が巨人に移籍。 大阪ドーム時代 本拠地を大阪ドームに移転するも、選手の年俸が高騰したことや、球場使用料が藤井寺球場(グループ会社の近鉄興業が保有)本拠地時代より大幅に上昇したこと、移転2年目である1998年以降は観客動員数が伸び悩んだこともあり、赤字額が年々膨れ上がった。また、大阪ドームも最寄り駅が近鉄の駅ではなかったため、近鉄沿線からは孤立した存在となり、観客が近鉄を利用しなくなったため、その分の運賃収入も途絶えるといった影響も出た。 佐々木監督時代 1997年 開幕カードのグリーンスタジアム神戸での対オリックス2連戦がともに雨で中止となったため、4月8日の大阪ドームでの対千葉ロッテマリーンズ戦が開幕試合となり、大阪ドームでの初試合を4対2で勝利している。借金が最大14になるなど、夏場までロッテと5位を争う状況だったが、8月24日の対ロッテ戦(大阪ドーム)でパ・リーグ史上初(プロ野球通算3度目)の10点差逆転勝利(延長12回)を機にチームは浮上。最終的には3位でシーズンを終える。この年の観客動員は186万6千人に達し、球団の年間最多観客動員記録となった。この年限りで大石大二郎が引退。 1998年 8月半ばまで日本ハムと優勝争いを繰り広げ、日本ハムの失速もあり一時0.5ゲーム差まで詰め寄るが、直後に連敗し、西武、ダイエーを含めた4チームの混戦となる。先発投手陣が安定せず1952年以来となる2桁勝利投手が出ず、ロブ・マットソンの9勝がチーム最高の勝ち星となった。最終的には借金1の5位に終わる。 1999年 4月に地元企業との提携と地元密着を目指してチーム名を大阪近鉄バファローズに改称し、9月に従来の近鉄野球株式会社に代わる新会社「株式会社大阪近鉄バファローズ」を設立。4月は首位で折り返すが、前年以上に先発投手陣が安定せず(2年連続して2桁勝利投手が皆無だった)、途中プロ野球新記録となる5試合連続2桁失点のワースト記録を樹立するなど、低迷して4年ぶりに最下位に終わる。シーズン終了後に佐々木恭介が監督を辞任、後任は近鉄最後の監督となる梨田昌孝。 梨田監督時代 2000年 就任した梨田に「選手層が薄いが、ケガ人さえいなければ」と言われた状況において、オープン戦で吉岡雄二が骨折こそ免れたものの手首に重傷のけが、シーズンに入って礒部公一が顔面死球で、フィル・クラークが手首骨折で次々に離脱する状況で、中村紀洋が本塁打王と打点王の二冠を獲得するが、チームは33年ぶりの2年連続最下位に終わる。投手陣では3年連続二桁勝利投手は現れず、野手陣でも規定打席到達で3割を超えたのは武藤孝司だけであった。 2001年 開幕戦の3月24日の対日本ハム戦は一時は1対6で5点差をつけられるものの、両軍合わせて8本塁打の打ちあいとなり最後は10対9で逆転勝利する。その後も4月に2試合連続サヨナラ勝ちを収めるなど、逆転勝利が多く(78勝のうち41勝が逆転勝ち)、7月17日の対ロッテ戦も9回5点差から8得点を挙げ逆転勝ち、前半戦終了時には、5位のロッテとは5ゲーム、最下位の日本ハム以外が勝率5割以上という状況ながら、10年ぶりに首位で折り返す。この年からロサンゼルス・ドジャースと業務提携を結び、シーズン途中にドジャース元監督のトミー・ラソーダの紹介でショーン・バーグマンとジェレミー・パウエルの2投手、ショーン・ギルバート内野手を獲得。この補強も功を奏した。終盤9月3日から5連敗し、9月5日の段階でもダイエーと同率首位、1厘差で西武が追い、5位まで6.5ゲーム差という混戦となるが、9月9日からの11試合を10勝1敗とした。9月24日の対西武戦ではタフィ・ローズが当時の本塁打シーズン日本プロ野球タイ記録となる55号本塁打を達成し、試合も9回裏松坂大輔から中村紀洋のサヨナラ2ラン本塁打で勝利し、優勝マジックを1とした。9月26日、対オリックス戦(大阪ドーム)で2対5とリードされた9回裏、無死満塁から代打北川博敏が日本プロ野球初となる『代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打』で12年ぶり4度目のパ・リーグ優勝を決めている。同一監督での前年最下位からの優勝は1976年の巨人の長嶋茂雄に次いで2人目で、パ・リーグでは初。ロッテには20勝8敗と大きく勝ち越したが、防御率リーグ最下位(4.98)での優勝と2位チームへの2桁負け越し(ダイエーに9勝19敗)での優勝はともに史上初だった。日本シリーズではヤクルトスワローズに自慢のいてまえ打線を封じ込まれ、1勝4敗で敗退。シーズン78勝は球団記録。オフに球団初(唯一)のFA移籍で加藤伸一を獲得。 この年の優勝が近鉄としての最後のリーグ優勝となった。 2002年 5月28日から6月15日にかけて8年ぶりの10連勝を記録し、首位西武に一時2ゲーム差に詰め寄る。しかし、その後は西武の独走を許すと、8月16日の直接対決で9点差を逆転負けし、西武に優勝マジック34が点灯。最終的に優勝した西武から16.5ゲーム差の2位に終わる。古久保健二がこの年限りで現役を引退した。古久保の引退により、日生球場時代に在籍した選手が全員引退した。シーズン終了後に中村がFA宣言するが、メジャーリーグを含めて1カ月余りの交渉の末、近鉄と推定4年20億円プラス出来高払いの契約を結び、残留した。大塚晶文はメジャーリーグへのポスティングシステムによる移籍を希望するが、入札球団が現れず、中日に金銭トレードされる。打撃陣では中村とローズが本塁打を量産したものの規定打席到達で3割を超えた選手が一人もいなかった。 2003年 1月に会社の商号を株式会社大阪バファローズに変更。開幕5連勝と好調な滑り出しを見せ、首位ダイエーと1.5ゲーム差の2位で前半戦を終える。しかし、後半戦に入ると、大塚の移籍に伴う抑え投手の不在や4番中村の負傷・不振が響き3位に後退、そのままシーズンを終える。シーズン終了後、長年主砲として活躍し、この年も本塁打王を獲得しているローズを年俸高騰から自由契約とする(巨人が獲得)。 2004年プロ野球再編問題 2004年 この年が近鉄球団としての最後の年となった。 1月31日、ネーミングライツの構想を表明するも、巨人が猛反対したことで、他球団も多くがこれに追随し、結局失敗に終わる。6月13日、日本経済新聞が1面で「近畿日本鉄道がプロ野球球団『大阪近鉄バファローズ』をオリックスに譲渡する方向で交渉を進めている」というスクープ記事を掲載したことで、世間が大騒ぎとなる。のち球団側もこれを認め、オリックス・ブルーウェーブと球団合併する方向で準備を進めていることを発表する。6月30日にライブドアが球団を買収する動きを見せたものの、近鉄は買収には応じず(ライブドアの動きについてはこちらも参照)、8月10日に合併に関する基本合意書への調印が行われ、9月8日のオーナー会議でこの合併が正式に認められた。9月18日から19日にかけて、この問題に反発するプロ野球選手会による日本プロ野球初となるストライキが行われ、12球団全ての試合が中止となった。 オープン戦で吉岡雄二がアキレス腱断裂で離脱。ローズに代わる主砲と期待されたラリー・バーンズが開幕3戦目で離脱、同じくストッパーとして期待されたヘクター・カラスコも、4月に4連敗で防御率20.00となり登録抹消。4月7日に4位となって以降このシーズンはAクラスになることはなく、4月は最下位で終える。岩隈久志が開幕から球団記録となる12連勝もあり、一時は4位となるが、6月13日の球団合併発表の翌試合から4連敗するなど、5位となり、7月は4位で終わるものの、アテネオリンピックで岩隈、中村が抜けた8月7日から7連敗で、以降は5位となる。梨田は合併発表時の時点では「借金4で手ごたえはあった」としているが、7月7日のオーナー会議の時点では選手は放心し、最後は立ち上がれなかったとも述べている。9月24日、大阪ドームでの最終戦となる対西武戦が行われ、この年ここまで出場のなかった吉岡が代打で出場、この試合が引退登板となった赤堀元之や加藤伸一などが登板した。試合は延長11回裏、1死二塁で星野おさむの右翼線へのサヨナラ安打で3対2で勝利、これが球団公式戦最後の勝利となった。9月27日のYahoo! BBスタジアムの対オリックス戦が共に合併する球団同士の公式戦最終戦となったが、2対7で敗れた。チームは61勝70敗で4年ぶりのBクラスの5位で終え、消滅後のから始まったクライマックスシリーズを含む13球団で唯一同年以降の現行のプレーオフシーズンに参戦せずに消滅した。岩隈は15勝を挙げ、最多勝を獲得するなど計算できた投手陣に比べ、打撃陣はローズが抜けたことや吉岡などの故障もあり、前年より本塁打、得点が激減した。二軍は前期優勝で、9月30日、藤井寺球場で最後の二軍公式戦、ウエスタンリーグ優勝決定戦が行われたが、後期優勝の中日に敗れている。 11月8日、オリックスと楽天の間で選手分配ドラフトが行われ、近鉄の選手はオリックスと楽天に振り分けられることになった。大村直之がソフトバンクにFA移籍。中村紀洋がポスティングシステムでロサンゼルス・ドジャースに移籍。 以上の合併への動きは選手会との労使交渉や球界再編問題にまで発展し、球団合併反対運動では選手も署名活動に参加するなど、ファンを含む球界内外からの強い反発が起こるなど大きな波紋を呼んだ。そして、11月30日をもってプロ野球チームとしての大阪近鉄バファローズは55年の歴史に幕を降ろした。 2005年以降 1月15日に御堂筋グランドビル7階に置いていた株式会社大阪バファローズ事務所を閉鎖。1月17日、同ビル15階に事務所移転し、中村のポスティング申請など、残務処理を引き続き行う。3月31日、この日をもって株式会社大阪バファローズは解散となる。6月20日付で清算を終え、会社は完全消滅した。なお、この後近鉄は球団合併後の暫定処置として2007年までオリックス球団の株式を20%保有し、ユニフォーム左袖部分に「近鉄」のロゴを入れたが、同年シーズン終了と同時に完全撤退した。その後も「近鉄沿線デー」と銘打って、優待企画を実施するなどしている。 9月15日に長野オリンピックスタジアムで行われた公式戦を最後に信濃グランセローズに所属していた大塚昌文が現役を引退し、オフにDeNAに所属していた中村紀洋が戦力外通告を受け、その後現役を引退し、新潟アルビレックスBCに所属していた高須洋介が1年で退団と同時に現役を引退したため、藤井寺球場時代に在籍した選手と、近鉄バファローズに所属した選手が全員引退した。 10月3日にヤクルトに所属していた坂口智隆が現役を引退したため、大阪近鉄バファローズに所属した現役選手がNPBから姿を消した。そしてオリックスが同月30日の日本シリーズで4勝し、日本一を達成したため、近鉄は55年の球団史上一度も日本一を達成しておらず、親会社と球団の系譜・歴史こそ異なるものの、「バファローズ」の球団愛称を有する球団としては初の日本一となった。 球団愛称 創設時の愛称・パールス(Pearls)は、近鉄沿線の伊勢志摩の特産品である真珠にちなんだものである。なお、日本野球機構に登録された球団名は『パールス』だが、社史など近鉄側が制作した書類や出版物では一貫して『パールズ』が用いられていたため、球団名登録の際の手違いなどがあったと推定される。また、当時の新聞・雑誌などのメディアでは双方が混用されていた。 1958年オフに千葉茂が監督に就任すると同時に、パールスに代わる新しい球団愛称を公募したところ、1番多かったのが現役時代「猛牛」と呼ばれた千葉にちなんだバッファローズだった。ところが当時の球団幹部が「『バッファローズ』では表記が長すぎる」と言ったため、2文字減らしてバファロー(Buffalo)になった。千葉辞任後の1962年に「これからは監督だけが猛牛になるのではなく、チーム全員が猛牛にならなければならない」という意味を込めて複数形のバファローズ(Buffaloes)と変更された。 在籍選手 タイトル獲得選手 総合 最優秀選手 チャーリー・マニエル(1979) ラルフ・ブライアント(1989) 野茂英雄(1990) タフィ・ローズ(2001) 最優秀新人 徳久利明(1961) 大石大二郎(1982) 阿波野秀幸(1987) 野茂英雄(1990) 高村祐(1992) 打撃部門 首位打者 ジャック・ブルーム(1962-1963) 永淵洋三(1969) 佐々木恭介(1978) 新井宏昌(1987) 本塁打王 クラレンス・ジョーンズ(1974、1976) チャーリー・マニエル(1979-1980) ラルフ・ブライアント(1989、1993 - 1994) タフィ・ローズ(1999、2001、2003) 中村紀洋(2000) 打点王 チャーリー・マニエル(1980) ジム・トレーバー(1991) ラルフ・ブライアント(1993) 石井浩郎(1994) タフィ・ローズ(1999、2002) 中村紀洋(2000-2001) 盗塁王 鈴木武(1954) 安井智規(1968) 大石大二郎(1983 - 1984、1987、1993) 最多安打 タイトル制定(1994年)以後の該当者無し。タイトル制定以前のリーグ最多安打打者は以下の通り。 土井正博(1964、1967) 永淵洋三(1969) 新井宏昌(1987) ジム・トレーバー(1990) 石井浩郎(1993) 最高出塁率 ジャック・ブルーム(1963) 小川亨(1975) 佐々木恭介(1978) 栗橋茂(1980) 中村紀洋(2001) 最多勝利打点 ※ 1981年制定、1989年から廃止 リチャード・デービス(1985) 投手部門 最多勝利 田中文雄(1954) 久保征弘(1962) 鈴木啓示(1969、1977 - 1978) 阿波野秀幸(1989) 野茂英雄(1990 - 1993) 小池秀郎(1997) ジェレミー・パウエル(2002) 岩隈久志(2004) 最優秀防御率 久保征弘(1963) 清俊彦(1972) 鈴木啓示(1978) 山口哲治(1979) 野茂英雄(1990) 赤堀元之(1992) 最多奪三振 タイトル制定(1989年)以後の該当者は以下の通り。 阿波野秀幸(1989) 野茂英雄(1990 - 1993) ジェレミー・パウエル(2002) タイトル制定以前の該当者は以下の通り。 鈴木啓示(1967 - 1972、1974、1978) 阿波野秀幸(1987) 最優秀勝率 ※ 2001年で廃止され、翌年からは最優秀投手となった。 清俊彦(1969) 佐々木宏一郎(1970) 鈴木啓示(1975) 石本貴昭(1985) 野茂英雄(1990) 最優秀投手 ジェレミー・パウエル(2002) 岩隈久志(2004) 最優秀救援投手 ※1974年に最多セーブとして制定、1977年よりセーブポイントで表彰する最優秀救援投手に変更。球団消滅後の2005年より最多セーブ投手に。 石本貴昭(1985 - 1986) 吉井理人(1988) 赤堀元之(1992 - 1994、1996 - 1997) 大塚晶文(1998) なお、表彰タイトルではなかったので参考だが1974年以降リーグ最多セーブ投手になったのは以下の選手。 鈴木康二朗(1984 - 1985) 石本貴昭(1986) 赤堀元之(1992-1994) 大塚晶文(1998) 沢村賞 野茂英雄(1990) ベストナイン 小玉明利(三塁手:1960、1962 - 1965) ジャック・ブルーム(二塁手:1962 - 1963) 高木喬(一塁手:1965) 土井正博(外野手:1967 - 1968) 鈴木啓示(投手:1969、1975、1978) 永淵洋三(外野手:1969) クラレンス・ジョーンズ(一塁手:1974) 佐々木恭介(外野手:1975、1978) 石渡茂(遊撃手:1977、1979) 梨田昌孝(捕手:1979 - 1981) 栗橋茂(外野手:1979 - 1980、1982) チャーリー・マニエル(指名打者:1979 - 1980) 大石大二郎(二塁手:1983 - 1984、1990) リチャード・デービス(一塁手:1985) 新井宏昌(外野手:1986 - 1987) 阿波野秀幸(投手:1989) 山下和彦(捕手:1989) ラルフ・ブライアント(外野手:1989、指名打者:1993 - 1994) 野茂英雄(投手:1990) ジム・トレーバー(一塁手:1991) 石井浩郎(一塁手:1993-1994) 中村紀洋(三塁手:1996、1999 - 2002) フィル・クラーク(一塁手:1997 - 1998、指名打者:1999) タフィ・ローズ(外野手:1997、1999、2001 - 2003) 大村直之(外野手:1998) 礒部公一(外野手:2001) ジェレミー・パウエル(投手:2002) 岩隈久志(投手:2004) ゴールデングラブ賞 ※ 1972年 - 1985年はダイヤモンドグラブ賞 有田修三(捕手:1975 - 1976) 梨田昌孝(捕手:1979 - 1981、1983) 平野光泰(外野手:1979 - 1980) 小川亨(一塁手:1980) 羽田耕一(三塁手:1980) 大石大二郎(二塁手:1982 - 1984) 新井宏昌(外野手:1987) 阿波野秀幸(投手:1989) ジム・トレーバー(一塁手:1991) 大村直之(外野手:1998、2003) 中村紀洋(三塁手:1999 - 2002、2004) 正力松太郎賞 西本幸雄(1979) 選手記録 完全試合 武智文雄 - 1955年6月19日、対大映スターズ第2試合(大阪球場) 佐々木宏一郎 - 1970年10月6日、対南海ホークス(大阪) ノーヒットノーラン 山下登 - 1954年8月7日、対高橋ユニオンズ(中日球場) 鈴木啓示 - 1968年8月8日、対東映フライヤーズ(日生球場) 鈴木啓示 - 1971年9月9日、対西鉄ライオンズ(日生) 神部年男 - 1975年4月20日、対南海ホークス第2試合(藤井寺球場) ナルシソ・エルビラ - 2000年6月20日、対西武ライオンズ(大阪ドーム) サイクル安打 平野光泰 - 1980年7月17日、対阪急ブレーブス(西宮球場) 栗橋茂 - 1985年5月21日、対南海ホークス(大阪) 金村義明 - 1986年7月17日、対阪急ブレーブス(西宮) 中村紀洋 - 1994年9月18日、対日本ハムファイターズ(藤井寺) 通算2000安打 新井宏昌 - 1992年7月8日、対オリックス・ブルーウェーブ(藤井寺) 通算200勝 鈴木啓示 - 1977年4月26日、対ロッテオリオンズ戦 通算最多記録 近鉄在籍時代に記録したもののみ(他球団在籍時での記録は数字に含まれない) 試合出場 - 1908 小川亨 投手 勝利投手 - 317 鈴木啓示 セーブ - 139 赤堀元之 登板試合 - 703 鈴木啓示 奪三振 - 3061 鈴木啓示 打者 本塁打 - 307 中村紀洋 打点 - 960 土井正博 安打 - 1877 小玉明利 盗塁 - 415 大石大二郎 その他のチーム記録 初試合 1950年3月12日・藤井寺球場(対毎日、2-6) 初勝利 1950年3月13日・藤井寺球場(対南海、4-3) リーグ優勝 4回 (1979年 - 1980年、1989年、2001年) 日本一 0回 前期優勝 1回 (1979年) 後期優勝 1回 (1975年、1980年) Aクラス 22回 (1954年、1969年 - 1972年、1975年、1978年 - 1980年、1982年、1985年 - 1986年、1988年 - 1992年、1994年、1997年、2001年 - 2003年) Bクラス 33回 (1950年 - 1953年、1955年 - 1968年、1973年 - 1974年、1976年 - 1977年、1981年、1983年 - 1984年、1987年、1993年、1995年 - 1996年、1998年 - 2000年、2004年) 最下位 19回 (1950年 - 1953年、1958年 - 1962年、1964年 - 1967年、1973年、1981年、1987年、1995年、1999年 - 2000年) 連続Aクラス入り最長記録 5年(1988年 - 1992年) 連続Bクラス最長記録 14年(1955年 - 1968年) シーズン最多勝利 78(2001年) シーズン最少敗戦 45(1979年) シーズン最高勝率 .622(1979年) シーズン最少勝利 29(1958年) シーズン最多敗戦 103(1961年)※プロ野球記録、2022年シーズン終了時点で唯一シーズン100敗を記録 シーズン最低勝率 .238(1958年、当時は引き分けを0.5勝0.5敗で計算していたため、現在の勝率に換算すると.230) シーズン最高打率 .290(1980年) シーズン最多得点 791(1980年) シーズン最多安打 1332(2001年) シーズン最多二塁打 249(2002年) シーズン最多三塁打 40(1953年、1954年) シーズン最多本塁打 239(1980年)※当時日本新記録。現在はパ・リーグ記録 シーズン最多四球 581(2001年)※日本記録) シーズン最多四死球 644(2001年)※日本記録 シーズン最多盗塁 223(1954年) シーズン最多犠飛 52(1978年)※日本記録 シーズン最高防御率 2.66(1954年) シーズン最低防御率 5.10(1985年) シーズン本塁打数200本以上3回(1980年、1985年、2001年)※日本記録 最大連勝 13(1994年7月26日・対ロッテ - 8月10日・対ロッテ) 最大連敗 13(1952年5月25日・対毎日第1試合 - 6月15日・対西鉄第1試合) 1試合最多得点 21(1980年6月30日・対ロッテ第1試合、2000年9月5日・対オリックス) 1試合最多失点 25(1985年9月18日・対南海) 1試合最多安打 26(2003年8月18日・対日本ハム) 1試合最多二塁打 8(1963年6月19日・対東映、1963年10月3日・対阪急) 1試合最多三塁打 3(1984年5月24日・対南海 他4度) 1試合最多本塁打 8(2003年7月12日・対日本ハム) 1試合最多犠打 7(1987年・対南海)※日本記録 1試合最多盗塁 9(1954年7月27日・対毎日) 歴代監督 太字は優勝達成監督 1950年 - 1952年 : 藤田省三 1953年 - 1957年 : 芥田武夫 1958年 : 加藤久幸 1959年 - 1961年 : 千葉茂 1962年 - 1964年 : 別当薫 1965年 - 1966年 : 岩本義行 1967年 : 小玉明利 1968年 - 1970年 : 三原脩 1971年 - 1973年 : 岩本堯 1974年 - 1981年 : 西本幸雄 1982年 - 1983年 : 関口清治 1984年 - 1987年 : 岡本伊三美 1988年 - 1992年 : 仰木彬 1993年 - 1995年 : 鈴木啓示 1996年 - 1999年 : 佐々木恭介 2000年 - 2004年 : 梨田昌孝 歴代オーナー 1950年 - 1989年 佐伯勇 1989年 - 1998年 上山善紀(1981年より1989年までオーナー代行) 1998年 - 2002年 金森茂一郎 2002年 - 2004年 田代和 歴代監督名は「球団名変遷と年度別成績」の項目を参照。 歴代本拠地 1950年 藤井寺球場 1950年9月以後 - 1957年 大阪球場 1958年 - 1983年 日本生命球場 1984年 - 1996年 藤井寺球場 1997年 - 2004年 京セラドーム大阪 なお、この他地方開催扱いとなるが、近鉄沿線への配慮から、以下のスタジアムも準本拠として公式戦を行った。 名古屋地区 ナゴヤ球場( - 1996年)、バンテリンドーム ナゴヤ(1997年 - 1999年)で3 - 10試合程度。オープン戦では本来本拠地とする中日とのビジターゲームもあった。 京都地区 西京極球場(現:わかさスタジアム京都)(1965年 - 1973年:1968年は非開催)で5 - 10試合程度。これとは別に同様に準本拠地としていた阪急主催での対近鉄戦もあった。 また、1989年と1990年は大阪球場で10試合前後の主催試合を行った。 本拠地についての備考 日生球場・大阪球場 日生球場は収容人員が日本野球機構主催によるオールスターや日本シリーズを開催する時の最低下限である3万人よりも少なかったので、近鉄主管で行われる場合(1979年、1980年のプレーオフも)大阪球場を使った他、オールスターについては近鉄が主管となる順番となった回は南海ホークスに開催権を譲渡していた。ただし、1975年のプレーオフは藤井寺で開催しており、仮に日本シリーズ出場が決まった場合も藤井寺を使う予定だった。なお、ナイトゲーム主催のために近鉄は日生球場にナイター設備(1958年)や観客席増設(1962年)の工事を負担している。 藤井寺球場 形式上は藤井寺、大阪球場(1957年まで)→日生(1958年以後)のダブルフランチャイズだったが(専用球場の届出もこの2カ所で登録された)、1983年までは日生をメインに日曜・祝日などのデーゲーム時に藤井寺を使用。1984年以後は藤井寺をメインに年10 - 20試合程度を日生で開催した。1997年にメインを大阪ドームに移した後も1999年までは藤井寺とのダブルフランチャイズで登録された。 球団創立(1950年)時点での藤井寺球場の所在地は「南河内郡藤井寺町」であり、NPBでは唯一「市」ではなく「町」に本拠地を置いていたことがある球団であった。 永久欠番 #1 鈴木啓示 2004年当時はパ・リーグ唯一の永久欠番だったが、吸収合併先のオリックスでは当時1番をつけていた後藤光尊が引き続き着用を希望したため、引き継がれず消滅(オリックスも永久欠番の継承を検討して鈴木本人に確認したが、「自分の永久欠番はあくまで近鉄での記録によるもの」とし、後藤の継続着用を承諾した)。その後、2007・2008年は監督のテリー・コリンズが着用し(後藤は24番に変更)、コリンズが退任した2009年から後藤が再び着用したが、楽天に移籍した2014年は空き番となり、2015年シーズンより、米国から帰国した中島裕之に割り当てられた。ユニフォーム復刻試合ではオリックスの通常の背番号で近鉄ユニフォームが作成されるため、2013・15年に着用された1999~2004年のユニフォームには、実際の近鉄時代にはなかった「背番号1」(2013年ホーム用で後藤、2015年ビジター用紺で中島)が登場した。 また、近鉄として最後の監督である梨田昌孝によって、以下のような言葉が残されている。 「みんな胸を張ってプレーしろ。お前たちが付けている背番号は、すべて近鉄バファローズの永久欠番だ」 沢村栄治賞受賞者 野茂英雄 :1回(1990年) チームの特徴 1990年代以前は外様監督が多く、仰木彬以前の生え抜き監督はプロ経験のない藤田省三と芥田武夫を除くと、加藤久幸と小玉明利の2人しかいなかった。仰木以降は鈴木啓示・佐々木恭介・梨田昌孝と生え抜き監督が続いたが、球団消滅により梨田が近鉄最後の監督となった。監督は「基本的に若手中心で」(補強はしない)というのを毎年命じられていた。 打線は「いてまえ打線」(大阪弁。共通語で「やってしまえ」の意)と呼ばれ、特にリーグ優勝した2001年にはチーム防御率4.98とリーグ最下位ながらチーム打率.280、チーム本塁打数211と他チームを圧倒し優勝をさらった。この年は3番のタフィ・ローズと4番の中村紀洋だけで101本、3番 - 7番では実に165本もの本塁打を叩き出し話題となった。ローズが本塁打王(55本)、中村が打点王(132打点)、主に5番に入ることが多かった礒部公一は得点圏打率1位(.417)の成績を残している。この年阪神監督の野村克也が自チームの貧打線に対し「(バックに)いてまえ打線があったら(グレッグ・ハンセルは)20勝している」というコメントを残したのも有名。1980年には前述のようにシーズン239本塁打の日本記録を打ち出すなど、本塁打の魅力をどこよりも認識させた球団だった。詳細はいてまえ打線を参照。 野茂英雄、吉井理人、大塚晶則、中村紀洋、岩隈久志など、多くのメジャーリーガーを輩出している。 リーグ優勝する年は、必ずと言って良いほど助っ人外国人選手が本塁打を量産する傾向がある。実際に、球団設立から消滅までの55年でリーグ優勝は4回あるが、この間にチャーリー・マニエル(1979年)に37本、1980年に48本)、ラルフ・ブライアント(1989年に49本)、ローズ(2001年に55本)がそれぞれ、本塁打王を獲得している。 1970年前後に日生球場のナイター使用がプロ野球機構で問題になり、近鉄沿線の三重県や愛知県へのフランチャイズ移転も検討されたが、愛知県は中日ドラゴンズの保護地域であるため許可を得られず断念した(ただし名古屋での公式戦は地方開催扱いで1999年まで行われていた。これは近鉄の営業圏内であったことと、中京にパ球団を持たないリーグ事情も勘案されていた)。1973年に藤井寺球場のナイター工事が着手されたが、地元の反対で完成は11年後の1984年にずれこんだ。 日本一を経験していない球団では、最長の期間存続した。身売りの多いパ・リーグ球団としては、唯一親会社が変わらないまま歴史に幕を閉じた。 2004年9月、北海道で行われた世界ラリー選手権(WRC)、ラリージャパンに「チームバファローズ コットンファクトリー」としてプジョー・206で参戦したが、リタイヤした。当時の監督の梨田がプジョーを愛車としていたことが縁だった。 最下位になったことが非常に多いチームであり、1950年の2リーグ分立以降では19回。2010年に横浜ベイスターズが最下位20回を更新するまでは消滅したチームも含めて両リーグワーストだった。 シーズン90敗以上を5シーズンで記録している。2010年に横浜ベイスターズが6シーズンで90敗以上を更新するまでワースト記録だった。 選手(特に、外国人選手)の複数年契約は、原則、球団側に認められていなかった。このことが原因で、2003年シーズンオフにチームの主力であったタフィー・ローズが交渉決裂し、読売ジャイアンツへと移籍している。それ以前にも、近鉄初優勝の立役者であったチャーリー・マニエルの代理人が1980年シーズンオフに球団に対して法外な要求をしたため、契約交渉が決裂したこともあった。 北海道日本ハムファイターズが2004年に本拠地を東京ドームから札幌ドームに移転してからは日本ハム以外のパ・リーグ球団も東京ドームで主催試合を開催するケースが増えたが、近鉄は球団最終年となる2004年は日本ハムとの東京ドームでの試合はあったもののビジター開催だったため、21世紀以降に現存したパ・リーグ球団では唯一東京ドームでの主催試合が組まれなかった。 プロ野球に理解のないフロントの体質に関して不満を持つ選手も多かった。 野茂英雄は先発日に藤井寺球場の駐車場に車を止めたところ、近鉄本社の人間が来るので車を動かすことを要求されたり、契約更改の席で「熾烈な優勝争いをして2位に終わるのが一番」(理由については野茂の項を参照)と言われたこともある。 佐々木恭介は入団後初めてグランドに集まった際、フロントの訓示で「お前達野球クラブの選手は」と言われ、頭に血が上ったと述懐している。 「ドン・マネー事件」での外国人選手に対する待遇のみならず、監督に三原脩が就任する以前、近鉄選手の移動は列車では当時の三等車(後の普通車)のみ(西鉄ライオンズなどは二等車、後のグリーン車を既に利用していた)だったことからも、選手に対する待遇の悪さは伝統的なことであったといえる。 金村義明も著書『在日魂』の中で1989年のパリーグ優勝旅行はハワイ4泊6日の旅だったが、飛行機は往復ともエコノミークラス(金村は球団側に「ビジネスクラスにして欲しい」と要望していたが、球団側が「ビジネスクラスは満員でチケットが取れない」と拒否)であったり、選手の子どもの飛行機代は選手の自腹だった。後年金村は西武でも優勝旅行を経験したが、近鉄と西武の優勝旅行は同じハワイでも雲泥の差だったとしている。 ユニフォームの変遷 1950年 - 1952年 球団創設期はホーム用が胸に「Pearls」が入ったもの、ビジター用は水色を基調としたユニフォームで胸にゴシック体で「KINTETU」のロゴが入った(1952年限り)。ゴシック体の「KINTETU」は1957年まで使用される。帽子は「K」「P」など数種類が存在。 1953年 左胸に「Pearls」と書かれた、サンフランシスコ・シールズを参考にしたユニフォームが登場。同時に縦縞となり、球団名がバファローとなった1959年まで使用。 1954年 - 1958年 左胸に「P」1文字の、フィラデルフィア・フィリーズを参考にしたデザイン。1958年には帽子のツバ、アンダーシャツ、ストッキングが赤くなる(途中から従来の物も使用)。1958年からビジター用ロゴが飾り文字に変更。 1959年 千葉監督就任と同時に球団名をバファローに変更。ホーム用は黒の帽子・アンダーシャツ・縦じま・袖ラインが採用され、赤い「Buffalo」の胸マークが入ったデザインに変更された。ビジター用は背番号の書体を変更。帽子の前面には、金糸で猛牛マークが入った。 1960年 - 1961年 縦縞を廃止。チームカラーを黒と黄色に変更。ビジター用の左袖が近鉄の社章から猛牛マークに変更される。 1962年 - 1965年 球団名がバファローズとなり、胸ロゴが「BUFFALOES」に変更。袖番号が付けられる。帽子マークは「K」と「B」を組み合わせたものに。1965年からラインを黒に変更し、番号が胸に移動。 1966年 - 1973年 ロサンゼルス・ドジャースを参考にしたユニフォームに変更。同時にロゴも筆記体の「Buffaloes」に変更。ストッキングは上部が濃紺に3本の白線、下部が赤色となる。 1968年より、三原脩監督就任時より、ホーム用の背番号、胸番号の角が取れ、丸型となる。 1969年 - 1971年 ヘルメットが紺地に猛牛マークが入ったものになる。 1972年より、帽子のツバがオレンジ色となる。 1973年後期より、袖とズボンにラインが入るなどのマイナーチェンジが施される。 1974年 - 1996年 西本幸雄監督就任時より、ニット式のベルトレスユニフォームが登場。袖部分のラグランスリーブが赤となり、首と袖に白線が入り、丸首プルオーバースタイルとなる。左袖には、炎と猛牛を組み合わせたマークが入る。ユニフォームデザインはアトランタ・ブレーブスのものを参考にしている。 帽子・ヘルメットは、紺色地に赤の「B」マーク(デザイン自体は1966年より使用しているものと同じでボストン・レッドソックスと同じ書体)・ツバが赤。その後、ヘルメットのみ猛牛マーク(赤色のツノ・紺色の目を白縁でデザイン)に変更されたデザインが使われるようになる(採用時期不詳)。 1977年より 左袖のマークが猛牛マークになり、デサント社が開発した快適性、軽量化を図ったメッシュ素材の上着を、野球のユニフォームとしては世界で初めて採用する。 1978年より 背番号の上に選手名(英字表記)が入り、ベルトレスからインナーベルト式になる。 1978年後期より、帽子の地色が赤、前面が白、白部分のサイドに紺のラインが入り、紺色の「KINTETSU BUFFALOES」のロゴ(アーチ型)、猛牛マークが入る三色帽に変わる。三色帽はモントリオール・エクスポズが採用していたものを参考にデザイン。 1979年、1980年、1989年の3度のリーグ優勝を果たしたゲンのいいユニフォームで、マイナーチェンジを繰り返しながら23年の長きに渡り使われた。 1997年 - 2004年 大阪ドーム移転を機にフルモデルチェンジ。デザインはコシノヒロコが手掛ける。同時に球団カラーを「バファローズホワイト」、「バファローズオレンジ」、「バファローズネイビー」、「バファローズレッド」の4色と設定。デザインはそれに基づかれた。 帽子・アンダーシャツ・線は紺。 1999年より、球団名が大阪近鉄バファローズとなり、ビジター用が「Kintetsu」から「Osaka」に変更。これが近鉄最後のユニフォームとなった。また左袖には50周年記念のバフィーワッペンが入る(翌年以降、元のバフィーワッペンに戻す)。 ビジター用上着のデザインは当初は赤のみだった。しかし、いざユニフォームが完成してみると、当時の佐々木監督や選手たちから「東芝のユニフォームみたい」「プロが着るユニフォームじゃない」などと異論が続出し、選手たちがユニフォーム変更を拒絶しかける事態となり、事態の沈静化を図るため急遽紺が追加された。その後もファン感謝デーでこのユニフォームが初お披露目された際、ファンから「台湾プロ野球(のユニフォーム)だ」などと酷評され、優勝するまではこのユニフォームの評判は良くなかった。 ビジター用はユニフォームは金曜日から月曜日は紺、火曜日から木曜日では赤と使い分けられていたが、2000年以降は紺のみとなった(使い分けに関しては当初「ナイトゲームは赤、デーゲームは紺」とされたが、使用頻度の偏りを避けるために上記のようになった)。このため、結果的に、「Osaka」ロゴの赤は1999年のみの使用となった。 後身のオリックス・バファローズの2011年以降の旧ユニフォーム復刻イベントで以下の時代のものが再現された。 1966~73年前期 1974~96年 1999~2004年 - 2013年(ホーム)、2015年(ビジター紺)、2019年(ビジター赤) いずれもビジター用の胸ロゴが「Osaka」に変更後のもの。1999~2004年モデルには、当時永久欠番とされた「背番号1」は本来存在しなかったが、2013年は後藤光尊がホーム用で、2015年は中島裕之がビジター用(紺色)で着用している。 球団旗の変遷 1949:「近鉄パールス」時代のもの。紺地にパール=真珠を模した白丸をちりばめる。左上には、真珠貝を模した白丸の上に「KP」の組文字。 1950 - 1958:KPマークを真珠貝ではなく、円が囲む形となった。 1959 - 1981:球団ニックネームがバファローとなり、岡本太郎デザインの猛牛マークが登場。水色地に赤で猛牛マーク、両目は紺。 1982 - 1996:ユニフォームのカラーリングにあわせて、球団旗も赤・紺・白のトリコロールカラーとなる。赤地に白の猛牛マーク(両目の色が白であるものと紺であるものの2種類存在した)、その下に紺地に白文字で「Buffaloes」。 1997 - 2004:本拠地の大阪ドーム移転を機に、球団旗もリニューアル。紺と赤を波型で分け、中央に白の猛牛マーク、左上には赤文字で「Buffaloes」。 シンボルマーク・マスコット シンボルマーク 千葉茂が監督に就任した1959年に、「バファロー」の新チーム名称に合わせて千葉の親友だった岡本太郎がデザイン。「猛牛マーク」の通称があったが、球団広報物では「ツノマーク」と表記していた。千葉の述懐に依ると銀座のバーで、デザイン料10万円で依頼したと言う。以降球団が解散する2004年まで、球団旗やユニフォームなどで使われ続けた。日本一に輝いた時に姿を公開することとなっていた「猛牛マーク」を横から見たような「サブマーク」が有ったが、公開されず球団と共に消えた。しかし、2008年頃にその幻のマークの原画が発見され、2010年に岡本太郎記念館で公開された。従来の猛牛マークが牛の顔のみであるのに対してこちらは牛の全身を横から捉えた図で岡本曰く「ふとっちょの猛牛が目をむいて突っ込んでる愉快なやつ」。西武ライオンズのシンボルマークやイメージカラーを積極的に用いた西武グループとは異なり、グループのバスやタクシーなどに猛牛マークを入れる例は少なく、運送会社である近鉄物流(現:近物レックス)の車両や伝票に見られた程度であった。近鉄物流も球団解散の直前にグループを離れ、同社のトラックに猛牛マークは残っていたが、現在はKBRに変更されている。 バッファくん 1976年から大阪ドーム移転前の1996年に用いられた、白川吉男デザインによるユニフォームを着た少年をモチーフとしたマスコットキャラクター。近鉄の野球帽・ユニフォームを着用しアシックスのスパイクを履き、バットとグラブを持ち片足を上げた少年のデザインとして、顔のみのデザインも含めたペットマークとして登場。初期のデザインではバットを握った右手の指本数が1本足りなかったが、後に改作された。着ぐるみも作られ、ファン感謝デーなどでも登場していた。このマスコットに似ているということで、中村紀洋の愛称になったこともある。2011年8月に開催されたオリックス・バファローズの「LEGEND OF Bs2011〜蘇る黄金の70's〜」でスタメン発表時にバッファくんのイラストが使われた。なお、バッファくん登場前には鼻息をふかして突進する姿の猛牛のマスコットを使っており、1975年後期優勝の近鉄電車の記念乗車券券面には西本幸雄監督の顔と伴に印刷されている。 白川が勤務していたデザイン事務所が近鉄グループと取引関係があった縁から、当初は近鉄沿線の子供向けの少年野球の募集用ポスターのイラストとして依頼されて製作したのが、知らない間に球団のマスコットとして起用されたという。 合併後、権利を引き継いだオリックス球団でもユニフォーム復刻に合わせてグッズが発売されたが、別途白川も近鉄本社からグッズ製作の許諾を受けたため、デザインを一部修正した上でグッズを製作・販売している。 バフィリード 大阪ドームへの本拠地移転後、1997年シーズンより「トムとジェリー」「原始家族フリントストーン」などを手掛けたアメリカのハンナ・バーベラ・プロダクションがキャラクターデザインを担当した「バフィリード」を中心としたマスコットキャラクター群が登場している。夢と冒険のファンタジーワールド「バファローバレイ」に住む愉快な仲間達として以下の4体が制定され中世ヨーロッパ調の私服デザインとバフィリードのみユニフォーム姿のデザインが設定されたが、その後「カペロット」「バルバロック」は2000年シーズンをもって登場が打ち切られた。 キャラクター着ぐるみ作成及び担当は明石家まんまや朝おき太等を手がけた株式会社リップ。 バフィリード(Buffie-Lead、バフィ) - 背番号100、主人公。打ってよし・走ってよし・守ってよしのスーパープレイヤーで明るくユーモラスで親しみやすい性格、また困難が起こるとリーダーシップを発揮する。名称は一般公募で決定。 ファルルリーナ(Falulu-Rena、ファルル) - 背番号200、女の子のキャラクター。気取った感じはなく嫌味なく物事を言う性格。2000年以降ユニフォーム姿(ワンピースにベルト)に変更。 バルバロック(BALBAROCK、バル) - 大柄な男性のキャラクター。力持ちでボスのような性格、騎士道精神に富んだ正義の男。 カペロット(CAPELOT、カペロ) - 子どものキャラクター。お人好しでのんびり屋、愛嬌をふりまく人気者な性格。 球団合併により、各キャラクターも引退したが、バフィリードだけはオリックス本社に商標権が譲渡され、2013年に復刻イベントに初めて登場し、2019年にも同様に復刻イベントで登場した。他キャラに就いては近鉄本社が更新期限まで所有する状態となっている。 合併球団「オリックス・バファローズ」発足後、2010年シーズンまで球団マスコットはオリックス球団のネッピー・リプシーが続投されたが、2011年1月ユニフォームとともにマスコットが一新され「牛のマスコット」が6年ぶりに復活。のちに公募で男の子が「バファローブル」(BuffaloBULL)、女の子が「バファローベル」(BuffaloBELL)と命名された。バフィリードとは2013年6月のユニフォーム復刻イベントで復活した際に共演を果たしている。背番号はネッピー・リプシーのものを引き継ぎ111・222。詳細は球団の項目を参照。 応援スタイル 打者に対する基本的な応援コールは「かっとばせー、○○(選手名)!××(対戦相手チーム)倒せー、オー!」だった。このスタイルは1980年代までは近鉄のみならず大半のチームで採り入れられていたが、1990年代以降は年々少なくなっていき、遂には近鉄でしか使われなくなった。一方で、近鉄は球団解散時までこのスタイルを通した(ちなみに、現在この応援コールを使っているのは北海道日本ハムファイターズと福岡ソフトバンクホークスで、読売ジャイアンツ主催試合のみである)。 応援歌を流す前のコールは98年の途中までが「〜〜○○(驚弾炸裂紀洋、鋭撃巧打礒部、俊敏華麗に武藤など)」×3を1回もしくは2回のあと「○○!(○○!)○○!(○○!)○○(○○!)」から選手別応援歌、98年の途中からは「〜〜○○」×3からすぐに応援歌の演奏に変更した。 球団解散時には『暴れん坊将軍』のオープニングテーマを原曲とするI(1995年 - )、タオルマフラーを持って踊るII(2000年 - )、2種類の歌詞があるIII(2001年 - )、ビハインドの場面で使われるIV(2002年 - )、ビッグイニングの時に使われるV(2003年 - )と5種類のチャンステーマが存在。III以降は「踊る牛」「笑う牛」(以上III)「紅の丑」(IV)「パニ牛」(V)とタイトルもついていた(代打のテーマにも「働く牛」というタイトルがついている)。 前述の『暴れん坊将軍』のテーマはジェシー・リード(1991年 - 1992年在籍)の応援歌としても歌われた。 ラルフ・ブライアント(1988年途中から1995年に在籍)の応援歌は『仮面ライダーV3』が原曲。 チャンス時のテーマ、三三七に長らく『8時だョ!全員集合』のオープニングテーマを使っていた。ドームに移転してからこの曲は安打以外での出塁テーマとなり、安打の場合の三三七はハロウィンの「Guardians」を使った。 ジェット風船はチームカラーの赤色に統一していた。 藤井寺球場は住宅地と隣接していたため、鳴り物入りの応援が禁止されており、メガホンと声だけの応援スタイルを取った。 1985年の日本シリーズ(阪神対西武)では、甲子園球場での西武側の応援団が少ないだろうということで近鉄の応援団が協力を申し出て共に応援を行った。 主な球団歌・応援歌 大阪近鉄バファローズの歌(旧題:近鉄バファローズの歌)(作詞:竹中郁、作曲:米山正夫、歌:クールボナール) 炎えろ!近鉄バファローズ(作詞:西沢爽、作曲:城賀イサム) 上記2曲はCD「大阪近鉄バファローズオフィシャル球団歌・応援歌」では高橋元太郎が歌っている。「近鉄バファローズの歌」のクールボナールが歌うバージョンでは、キダ・タローが編曲を担当している。 ドリーム&パワー(作詞・作曲:岡田誠司、歌:イエスマン・ブギー・バンド フィーチャリング JUN) RED de HUSTLE(作詞:キユサマ☆ワカルフ、作曲:パパ・ダイスケ、歌:大西ユカリと新世界) エピソード 三軍構想 1967年8月、近鉄は、これまでの1・2軍とは別に、若手育成の観点から将来3軍を結成することを念頭においた新人オーディション(入団テスト)を実施した。まず面接・書類審査に98人が応募。その中から24人に絞り、実技による2次審査を4日間にわたり藤井寺球場で実施。3軍のチーム化を念頭に、十数名程度の獲得を目指そうとした。 しかし、実際に実技テストを合格したのは4人のみで、3軍を結成するとした目標には遠く及ばず、その4名のうち3人は投手で野手は1名だけだった。しかも彼らは全員結果を出せず、2人は2年、もう1人は3年で引退。残り1名についても1972年に南海へ移籍したため、3軍制構想は失敗に終わった。 ミケンズルール 「巨人はロッテより弱い」 ネーミングライツ問題 2004年のキャンプ入りを目前とした1月31日、近鉄球団は2005年以降に球団名称を第三者に販売する「命名権」ビジネスを実施することを明らかにした。基本スポンサー料金を年間36億円とし成績に応じてそれを増減させ、スポンサーはチーム名やユニフォーム、球場への広告掲示などができるとした。市民に親しまれる球団にするためには球団本体だけに頼っては前進しないという考えを示した発案だったが、安易に球団名が変更されてしまうことに対し他球団オーナーなどプロ野球界から「野球協約に反するものであり認められない」などと反発が相次いだ。特に発言が球界の動向に大きな影響を与えるといわれた読売ジャイアンツオーナー・渡邉恒雄が猛反対したこともあり、球団名変更に必要なオーナー会議の同意を得られる目処が立たず、2月5日に方針を白紙撤回することを発表した。 ネーミングライツ売却は戦前の大東京軍がライオン歯磨をスポンサーに迎えて誕生したライオン軍(1937年秋季 - 1940年)、戦後パ・リーグ球団の高橋ユニオンズがトンボ鉛筆をスポンサーにしたトンボユニオンズ(1955年)、西武ライオンズの前身である太平洋クラブライオンズ(1973年 - 1976年)・クラウンライターライオンズ(1977年 - 1978年)、ロッテオリオンズ(1969年 - 1970年に大映が親会社で永田雅一がオーナー、中村長芳がオーナー代行だった。1971年大映からロッテに正式に譲渡)などの例がある。近鉄の場合、命名権の販売対象企業として名前が挙がっていたのが消費者金融のアコムだったため、青少年への影響面から認められなかった理由のひとつに挙げられていた。近鉄の命名権販売が認められなかったため、「近鉄の球団消滅はこの時点で避けられないものとなってしまった」という声がある。合併問題が深刻化する頃には、一部球界関係者も「今から思えば、ネーミングライツの承認が最良のソフトランディングだった」と語っていた。 過去の合併計画 2004年にオリックスとの合併で消滅した近鉄だが、それ以前にも他球団との合併が画策されたことがある。1965年オフには当時のオーナー・佐伯勇が広島カープオーナー・松田恒次と秘密裏に会い、合併を持ちかけている。佐伯の腹案では、 近鉄と広島が合併 本拠地を広島県広島市に置き、セ・リーグ所属とする 球団事務所・フロントや首脳陣は両オーナー相談の上で決定し、新しい首脳陣が選手50人を人選 資本は近畿日本鉄道と広島球団の出資者(東洋工業と同社創業家の松田家関係者や球団役員などの個人株主他)で半々 球団愛称は公募する と具体的な内容まで踏み込まれていたが、松田はかねてから純益金の分配制度改正(1952年以降のフランチャイズ制度以降は試合開催で得た利益は全額ホームチームのものになっていたが、それを1リーグ時代のホーム7、ビジター3の割合での分配に戻すというもの)をセ・リーグ会長・鈴木龍二に申し入れていたこともあって、佐伯の提案を拒否した。 幻の移転計画 本拠地の変遷は先述の通りであるが、他に下記のような移転計画があった。 1960年代には近鉄の東端である名古屋への移転を計画したが、愛知県を保護地域としている中日ドラゴンズの反対で実現しなかった。しかし、ナゴヤ球場及びナゴヤドームでは1990年代後半まで、年数試合の主催試合を開催していた(但しこれもナゴヤドーム移転後は観客動員が極端に落ち込んだため数年で撤退した)。 1970年代に西本幸雄が佐伯勇オーナーに、近鉄沿線の花園ラグビー場周辺を整備して野球場を建設し、本拠地を移転することを進言したところ、「(お金が)幾らかかると思っているんだ」と近鉄グループ単独による建設が困難であることを伝えられたという。その後、1980年代初頭の藤井寺ナイター問題時には、ラグビー場の所在地である東大阪市が受け入れと球場の建設費用出資に名乗りを上げたことが新聞報道されたが、藤井寺のナイター設備設置計画がまとまったことで立ち消えとなった。なお、この花園ラグビー場周辺はその後東大阪市営の花園中央公園として整備され、野球場「花園セントラルスタジアム」も建設された。2013年にはオリックス2軍が主管試合を開いている。 また、青木一三は著書で、佐伯オーナーが1979年頃に、愛媛県を本拠とする来島どっくグループ総帥の坪内寿夫に球団売却の申し入れをおこなっていたと記している。 放送 放映権に関しては、朝日放送(現:朝日放送テレビ及び朝日放送ラジオ)に優先権があるなど、阪神タイガースとほぼ同じである。 テレビ放送 NHKプロ野球(NHK大阪放送局) THE BASEBALL 野球烈闘(MBSテレビ) スーパーベースボール(朝日放送テレビ) 熱チュー!プロ野球2004(関西テレビ、関西ローカル時は『プロ野球中継2004』) 1球の緊張感 THE LIVE 2004(読売テレビ) 藤井寺バファローズアワー(テレビ大阪) 近鉄エキサイトアワー(KBS京都) サテライトスタジアム(スカイA。自社制作・朝日放送テレビ制作・KBS京都制作が混在) ラジオ放送 近鉄バファローズアワー(ABCラジオ) 近鉄バファローズナイター(OBCラジオ) 脚注 注釈 出典 参考文献 関連項目 プロ野球チーム一覧 大阪近鉄バファローズの主催試合の地方球場一覧 近鉄バファローズナイター(ラジオ大阪) 近鉄バファローズアワー(ABCラジオ) 花園近鉄ライナーズ - 近鉄が野球と共に力を入れているシンボルスポーツ部で、近鉄の沿線地域にある東大阪市花園ラグビー場を本拠地に使用するJAPAN RUGBY LEAGUE ONE加盟のラグビーチーム。発足の当初は「バファローズ」を名乗っていて、2003年度のジャパンラグビートップリーグ加盟を機に「ライナーズ」へ改称。 花園中央公園 - 東大阪市花園ラグビー場に隣接している公園で、近鉄の本拠地に使用する目的で野球場を整備する計画があった。 OSAKAクラシック クラブオックス川崎AFC - 前身の名称が「近鉄バッファローズ」であった(近鉄エクスプレスのアメリカンフットボール部)。ただし、野球の近鉄バファローズとの交流は特になかった。沿革も参照。 佐野正幸 - パ・リーグファンの視点で、近鉄に関する著作を多々発表していたスポーツライター。西本幸雄とは阪急の監督時代から交流があって、西本が近鉄の監督へ転身したことを機に、1977年から1998年まで近鉄応援団の団長を務めていた。 大阪紅牛會 堀江貴文 - 元ライブドア代表取締役。合併発表時、買収をはかる。 三木谷浩史 - 楽天グループ代表取締役。堀江同様合併発表時、買収をはかる。 東北楽天ゴールデンイーグルス 06BULLS - 関西独立リーグ(初代および2代目)に所属する球団。チーム名の「BULLS」(雄牛)は、創設者で初代監督の村上隆行が近鉄OBであったことに由来している(参考外部リンク:06BULLS村上隆行総監督単独ロングインタビュー - 東大阪バーチャルシティ(2011年10月27日取材)) 横浜フリューゲルス - 1993年から1998年までJリーグに加盟していたプロサッカークラブ。横浜マリノスへの吸収合併を機に消滅したが、クラブの存続を願うサポーターなどが1999年に横浜FCを設立した。 舞いあがれ! - 2022年度下半期にNHK総合テレビジョンで平日に放送中の連続テレビ小説。ヒロインの実家の隣でお好み焼き店を営む梅津勝(演:山口智充)が近鉄バファローズのキャップとTシャツ(岡本太郎デザインのホームゲーム仕様)姿で店先に立つシーンや、近鉄バファローズが2004年限りで消滅することに触れた描写が含まれている。 アトムの童 - 2022年10月期にTBSテレビ系列「日曜劇場」枠で放送の連続ドラマ。登場人物である各務英次(演:塚地武雅)が近鉄バファローズのキャップを被っている描写が多くある。 バファローズ (曖昧さ回避) 外部リンク 大阪近鉄バファローズ 公式ホームページ かつて存在した大阪府の企業 現在活動していない日本のプロ野球チーム 近鉄グループの歴史 藤井寺市の歴史 大阪市中央区の歴史 大阪市西区の歴史 現在活動していない大阪府のスポーツチーム 1949年設立のスポーツチーム 2004年廃止のスポーツチーム 岡本太郎 戦後の大阪
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ラマダーン
ラマダーンまたはラマダン(、フスハー発音:[ra.ma.dˤaːn]、、、発音:[ra.ma.zaːn]、、)は「暑い月」の意味で、ヒジュラ暦(イスラム暦)での第9月を指す。この月の日の出から日没までの間、ムスリムの義務の一つ「断食(サウム)」として、飲食を絶つことが行われる。 概要 「ラマダーン」を、断食のことと誤って捉える人も少なくないが、ラマダーンとは、あくまでもヒジュラ暦における月の名である。ただし、ラマダーンという言葉が断食を今日では意味することも増えてきている。 ヒジュラ暦で9月を意味するラマダーンに、コーランが預言者ムハンマドに啓示され、イスラム教徒にとって、ラマダンは「聖なる月」となった。 この月において、ムスリムは日の出から日没にかけて、一切の飲食を断つことにより、空腹や自己犠牲を経験し、飢えた人や平等への共感を育むことを重視する。また親族や友人らと共に苦しい体験を分かち合うことで、ムスリム同士の連帯感は強まり、多くの寄付(ザカート)や施し(イフタール)が行われる。 断食中は、飲食を断つだけではなく、喧嘩や悪口や闘争などの忌避されるべきことや、喫煙や性交渉などの欲も断つことにより、自身を清めてイスラム教の信仰心を強める。 ラマダーン明けの祭りは「イド・アル=フィトル」と呼ばれ、盛大なものである。 名称 アラビア語における3文字の語根は「」(R-M-Ḍ)で、「猛暑・灼熱」を意味する。 ペルシア語など、非アラビア語圏における発音に基づけば、ラマザーンないしラマザンとも書ける。ラマダーンのダの音(現代標準アラビア語音dˤ)はダードと呼ばれるが、これは他の言語において、近似の難しい音韻である。古典アラビア語の段階(少なくともシーバワイヒが記述・規範両面にまたがる文法を書いたころは)には、ザとダとラの混じったような咽頭化音であった(有声咽頭化側面破裂~破擦~摩擦音)。 そのため、ペルシア語、トルコ語、ウルドゥー語など西アジア、南アジア、中央アジアの諸言語のように、比較的古い時代に、アラビア語から借用した言語では、ダードをzの音で取り入れる例が多いため、「ラマザン」「ラマザーン」となる言語が多い。 インドネシア語など東南アジアの諸言語のように比較的新しい時代にアラビア語から借用した言語では、ダードをdの音で取り入れて「ラマダン」となる例が多い。スワヒリ語ではダードを摩擦子音dh(ð)で取り入れている語が多く、ラマダーンはramadhani(ラマザニ)と呼ばれている。ハウサ語では、dとlのそれぞれで取り入れた語形が共存する。それぞれ古典アラビア語や現代標準アラビア語の発音を各言語なりに借用した結果である。 期間 ヒジュラ暦は、純粋な太陰暦で閏月による補正を行わないため、太陽暦のグレゴリオ暦では毎年11日ほど早まり、およそ33年で季節が一巡する。そのため「ムスリムは、同じ季節のラマダーンを人生で2度経験する」と言われる。 ラマダーン月の開始と終了はほとんどの国において宗教家らによる新月の観測によって行われるが、トルコなどでは計算に基づいた暦通りに決定される。目視によるラマダーン月突入方式においては、雲などで新月が確認できなかった場合は1日ずれる。夏に白夜になる北極圏や南極圏の極地地方にあっては、近隣国の日の出・日没時間に合わせるなどの調整も図られる。 ラマダーン中には、世界中のイスラム教徒が、同じ試練を共有することから、ラマダーンは、ある種の神聖さを持つ時期であるとみなされている。 ラマダーンの期間中は、(Ramadan Kareem、ラマダーン・カリーム。「恵み多い月ラマダーンおめでとう」)という挨拶が使われる。 西暦対照表 以下は、2014年までのラマダーン期間と、2015年以降のラマダーンの予定日である。グレゴリオ暦年、ヒジュラ暦年、グレゴリオ暦開始日、グレゴリオ暦最終日の順で示す。 断食 断食といっても期間中完全に絶食するわけではなく、日没から日の出までの間(=夕方以降から翌未明まで)に、一日分の食事を摂る。この食事は普段よりも水分を多くした大麦粥であったり、ヤギのミルクを飲んだりする。 旅行者や重労働者、妊婦、産婦、病人、乳幼児、高齢者、精神的な問題を抱える人など、断食できない事情のある場合は免除され、その適用範囲にはある程度の柔軟性と幅を持つ。また、免除される者にも、後で断食をやり直す必要のある者(旅行者や妊婦、月経中の者など)と、必要の無い者(高齢者や乳幼児、回復する見込みの無い重病人など)の2つに分けられる。 すなわち、断食をするかどうかは、原則として宗教的モラルの問題である。旅行者は断食を免除されるというのを拡大解釈して、富豪の一部には、ラマダーンに旅行に出かけ、断食逃れと呼ばれるようなことをする者もいる(ただし、その場合別の日に断食をやり直さなければならない)。また、基本的に異教徒には適用されない。 断食は、ヒジュラの道中の苦難を追体験するために行われるものである。したがって、飲食物の摂取量を減らすことや、苦痛を得ること自体が目的ではない。あくまで宗教的な試練として課される。また、食べ物に対する有難みを感じさせるためとも言われている。 日没になれば、すぐに食事を摂り、日が昇るぎりぎりまで食事を摂っている事が良いとされ、日没後も念のために、しばらく飲食を控えたり、日が昇る遥か前から飲食を止めたりする事はふさわしくないと看做される。 苦しみを和らげるために、あらゆる方法を取ることは全く問題がない。例えば、仕事の無い日は、日中は礼拝をする時などを除いて、寝ていてもかまわない。日中の空腹を和らげるために、日の出前に多めに食事を取っても全く問題はなく、脱水症状にならないように日中に水を飲むなどの対策を採ることも全く禁じられていない。 また、一年を通して断食をすることは完全に禁止され、昼夜を通して断食することも禁じられている(ただし、預言者ムーサー(モーセ)やイーサー(イエス)は、例外的に昼夜を通して断食を行ったことがあるとされている)。慣例的に、ラマダーンの前日は、断食を行わないこととなっている。 断食の成立には、当人の意思が大きくかかわっている。例えば、断食をしているのを忘れうっかり飲食してしまっても、無効にはならない。一方、たとえ飲食を行っていなくても、断食をしているという意思が本人になければ、それは無効になるとされている。例えば、あまりの苦しさに断食をやめ、飲食物を探したが、日没まで見つからなかったとしても、それは断食を行ったことにはならない。 むしろラマダーン中は、日が落ちている間に食い溜めをするため(そのために日が出ていない時刻に人を起こす者が巡回していることさえある)、夜食が盛大になり、通常より食糧品の売れ行きが良くなったり、肥満になる人が多くなるといわれる。 断食期間中に禁止されている行為は、飲食・喫煙・性行為・投薬(ただし健康上支障をきたす者は、断食が免除されるので、認められる)、故意に物を吐く事などである。唾を飲み込む事や、うがい、歯磨き、入浴、昼寝などは許されている(イスラーム文化センター 断食ガイド他、参照)。 日没後も、イスラームで禁止されている物は言うに及ばないが、禁止か否か明確でないような物を食べることも避けるべきだとされている。なお、イスラーム過激派の中には、ラマダーン中、支配地域の電気を止めるなど、市民生活に重大な影響を与える措置を取る場合もある。 非イスラム教徒にとってのラマダーン イスラム教徒が多数派となっている国家や地域において、非ムスリムには強要されないものの、外での飲食など自粛が求められる場合もある(ただし、ムスリムが断食によって得られる利益は、非ムスリムが断食を行っても一切無いとされている)。飲食店が営業を控えるなどの影響が出てくる。酒が入手できた地域でも、ラマダーン期間は入手が困難になることがよくある。 また、イスラム教を侮辱したととられかねない言動は、なおさら慎むことを要求される。ラマダーンでの断食を実行しないムスリムも最近は増えているものの、ムスリムと思われる人たちとの共同作業において、ラマダーンについての配慮が求められてくる。ラマダーン中に、ムスリムが多く居るイスラム国家に滞在するときは、注意が必要との指摘がある。 株式相場などでオイルマネーの影響を考えると、ラマダーン期間は、少し低調の方に動くとされている。また、イスラム勢力が関与する地域紛争においては、ラマダーン期間の戦闘行為が自粛される傾向にあったが、最近のアフガニスタンのタリバーン、シリアのISILなどは、ラマダーン期間にもかかわらず、積極的に攻勢に出ることもある。 断食が行えない高齢の者は、断食が免除されるため、イスラム教徒が多数派の国においては、当然高齢者よりも若年者のほうが積極的に断食を行うのが普通である。ところが、ムスリムが少数派の国家では、社会的制約の多い若年者よりも、退職して社会的制約が少ない高齢者のほうが、むしろ積極的に断食を行っている場合がある。つまり高齢者と若年者の立場が逆になっている。イスラム国家なら、もう断食が免除されるような超高齢者が、非イスラム国家では普通に断食を行っていることも珍しい事ではない。 厳格なイスラム法を採用しているサウジアラビアでは、ラマダーンの期間中、非ムスリムの外国人が公共の場で飲食や喫煙をした場合、国外追放すると発表している。 一方、無宗教の立場を取る中華人民共和国(社会主義国)においては、ラマダーンの断食は懲罰の対象である(懲罰である点に関しては証拠が不十分であるため、事実確認が必要である)。 ラマダーンとスポーツ 2012年のロンドンオリンピックと2014 FIFAワールドカップがそれぞれ開催期間とラマダーンが、たまたま同じ期間に重なった(建前上、ラマダーンは長老の確認をもって始まるため事前に確定できないが、月の運行によって決まることから、ラマダーンがいつ頃になるかは事前に把握できる)。この二つの大会がラマダーンと重なることは当初からわかっており、イスラム圏の国は日程のスライドを要望したが、その要望は聞き入れられなかった。 また、2014 FIFAワールドカップでは、イスラム圏の国の選手が、ボトル状の容器に口をつけていた。 日本の大相撲では、エジプト生まれでイスラム世界の出身者では初の関取である大砂嵐が注目を集めた。ムスリムである大砂嵐は、本場所の開催期間とラマダーンの期間が重なった場合、日中の断食を励行していた。 感染症とラマダーン 2020年2月27日-3月1日にかけてマレーシアで行われたイスラム教の大規模集会で、2019新型コロナウイルスの感染が拡大。結果的に東南アジア各地にウイルスを拡散させる契機の一つとなった。ムヒディン・ヤシン首相は、ラマダーンを前にして「モスクに行くことなく、家族と一緒に家で礼拝を行ってほしい」と国民に呼びかけた。 アラブ首長国連邦では、「医療従事者や症状悪化の危険性がある感染者は断食しなくてもよい」との見解が示された。サウジアラビアでは、3月4日の時点で聖地巡礼を停止しており、ラマダーンの礼拝についてもモスクでなく自宅で行うよう求めた。 脚注 関連項目 五行 (イスラム教) ヒジュラ暦 イスラム教における斎戒 断食 シェイク・ムザファ・シュコア - マレーシア人の宇宙飛行士で、ムスリムとして史上初めて宇宙でラマダーンを過ごした。 カターイフ - ラマダーンの時期に食される菓子。 ギュルラッチ - ラマダーンの時期にトルコで食される菓子。 :en:Laylat al-Qadr(ライラトルカドル) みいつ (クルアーン) ラマダーン革命 イスラームの年中行事 断食 移動祝日
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ヒジュラ暦
ヒジュラ暦(ヒジュラれき、 at-taqwīm al-hijrīy、)またはヒジュラ太陰暦(ヒジュラたいいんれき、 at-taqwīm al-hijrīy al-qamrīy、)は、主にイスラム教社会で使われている暦法である。イスラム暦(イスラムれき、、)とも呼ばれる。 太陰暦であって、閏月を設ける太陰太陽暦とは異なる。このため、季節または太陽暦とのズレを、毎年約11日ずつ、積み重ねていくこととなる。 紀年法はヒジュラ紀元(ヒジュラきげん)と呼ばれる。ヨーロッパでは、を略して、A.H.と表記する。 概要 第2代正統代理人ウマル・イブン・ハッターブが、預言者ムハンマドがマッカからマディーナへ聖遷(ヒジュラ)したユリウス暦622年を「ヒジュラの年」と定めヒジュラ暦元年とする新たな暦を制定した。なお、ヒジュラがあったとされる正確な日付は同622年7月15日(ユリウス通日では1 948 439日)である。 以上の「制定」はクルアーンにおける規定に則ったものであり、それは次の通りである。 まず、クルアーン(コーラン)の第9章36節抜粋『本当にアッラーの御許で、(1年の)月数は、12か月である。』を以て、「平年の月数が12暦月である」ということが定められた。 次いで、同37節抜粋『本当に(聖月を)延ばすことは、不信心を増長させ、それで不信者は誤って導かれている。ある年は(聖月を)普通の月とし、(他の年は)聖月とする。』を以て、「閏月の恣意的なタイミングでの挿入によって、聖月を早めたり遅らせたりすること」が禁じられた。すなわち、実質的に「閏年においても、月数を12暦月とすること」が定められた。 上記の2つの規定によって、その制定された暦法は、閏月を置いて季節ないし太陽暦と合わせる太陰太陽暦(日本の旧暦など)とは異なる、太陰暦(純粋太陰暦)となった。 太陰暦は約29.5日である朔望月を基準としているため、月には「29日の小の月」と「30日の大の月」とが存在する(月の大小)。これらがおおむね交互に繰り返され、ちょうど12暦月分そろったところで1暦年ができる。そうしてできた1暦年は約354暦日であるから、毎年約11日ずつ、季節や太陽暦とズレていく。このように季節を反映しないので、農事暦や財務暦としては不向きで、ルーミー暦(ユリウス暦をベースにした暦)などによって補われることもあった。現代ではイスラーム圏でもグレゴリオ暦が併用されていることが多く、イラン、アフガニスタンなど、紀元をヒジュラ暦元年に置く太陽暦であるヒジュラ太陽暦(主にイラン暦と呼称される)を併用する地域もある。 グレゴリオ暦 (CE) とヒジュラ暦 (AH) の簡易換算式は以下の通りである。 グレゴリオ暦 (CE) → ヒジュラ暦 (AH) ヒジュラ暦 (AH) → グレゴリオ暦 (CE) グレゴリオ暦の2000年はヒジュラ暦では1421年に相当する。 サウジアラビアなどヒジュラ暦を公式の暦としている国では特許や著作権など法制度上の有効期限がグレゴリオ暦で数えた場合よりも短くなる。たとえば特許が15年間有効とした場合、グレゴリオ暦のそれよりも特許の有効期限が165日ほど短くなる。 なお、太陰太陽暦の多くが朔(さく;空の月が最も欠けた状態)を月の初めとするのに対し、ヒジュラ暦は三日月状の細い月が最初に見える日を月の初めとする。 月名・イスラム教の祭礼 以下に、月名とその意味や略語、および祭礼を示す。片仮名による名称の出典は出典別の月名の一覧として示すが、月名と祭礼の表では、その一部を改変しているものもある。 1か月の長さと置閏 月と季節の関係は、預言者ムハンマドが断ち切った。そこで行われたのが、閏調整を禁じることであり、純粋に天体の月に頼ること、そして信頼できる目撃者が夜空に新しい月を観測したときに月を始めることであった。 しかし、予測不可能な観測に基づいた暦が天文学には無益であるため、1つの理論モデルが考え出された。それは奇数の月を30日、偶数の月を29日とし、全部で354日とするものである。朔望月は実際は29日と半日よりも少し長いため、このモデルにおける1年は12の月期分に0.36708日分、つまり8時間48分36秒よりもちょっと少ない値分、足りない。それを補うために、年によっては最後の月を29日ではなく30日としている。この追加日は現時点、30年周期で11回、すなわち2, 5, 7, 10, 13, 16, 18, 21, 24, 26, 29年目に置かれている。追加日のお陰で不足分は0.0124日=17分51.36秒までに縮まっているが、イスラムの歴史を通じこれが統一的な習慣になったことはない。 追加日の累計回数と閏年の関係 を「(ヒジュラ暦元年からの)追加日(閏日)の累計回数」とし、 を「追加日が挿入される年」(閏年)とすると、床関数と天井関数を用いることで、以下の数式が成り立つ()。 実際、 を1から順に11まで増加させると、 の値は上記と同じく、 となる。 一方、「ヒジュラ暦での年数」を基に「(ヒジュラ暦元年からの)追加日(閏日)の累計回数」を求めるには、前者を 、後者を と置いた時、床関数と天井関数を用いた、 という数式を使えばよい。 西暦対応表 以下に、ヒジュラ暦と西暦(グレゴリオ暦)の対応表を示す。 ただし、次の2点に注意すること。 表内の日付は協定世界時によるため、9時間の時差がある(日本時間は協定世界時に比べて9時間早い)。 ヒジュラ暦において1日は、西暦のように午前0時から始まるのではなく日没から始まる。したがって、表内の日付は正確なものではなく、概ねその前日の日没から始まるものとして考える。地域や宗派などによっては、1日あるいは2日程度の誤差があり得る。 540日前-10日前 [] 今日-540日後 [] 曜日名 ヒジュラ暦での曜日名は専らアラビア語による。 古典アラビア語での日付の数え方 古典アラビア語では、現代のものとは異なる、別の日付の数え方も存在した。それは以下の通りである。 月の初日が(日中において)「一晩が過ぎ去った」と表される。 同様に、14日まで「何晩過ぎ去った」という形で続く。 15日は「真ん中」と呼ばれる。 16日以降は、「14晩残っている」のように、数が減らされながら呼ばれる。 脚注 注釈 出典 外部リンク When.exe Ruby版 - 古今東西あらゆる文化および言語で用いられた暦日・暦法・時法・暦年代・暦注などにユニークな名前付けを行い、統一的に扱うことを目的としたフレームワーク。イスラーム暦(30年周期)を含む相互換算にも対応。 ヒジュラ暦と西暦の対応カレンダー 新月観測委員会(Ruyat-e-Hilal Committee Japan) - 日本におけるヒジュラ暦の日付を発表している。 date converter Hijri イスラム教 太陰暦 紀年法 ウマル・イブン・ハッターブ
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太陰暦
太陰暦(たいいんれき、、)は、月の満ち欠けの周期を基にした暦(暦法)である。その周期を朔望月(さくぼうげつ)といい、1朔望月を1月とする。なお、「太陰」は「月(天体)」の意味である。陰暦(いんれき)とも言われる。「太陽暦」(陽暦)の対義語である。 閏月(うるうづき)などを入れて季節のずれを調整する太陰太陽暦と、季節のずれを調整しない純粋太陰暦がある。単に「太陰暦」と言った場合、日本や中国などの東アジアでは通常は太陰太陽暦を指し、イスラム圏などでは純粋太陰暦を指す。 本稿では、特に断らない限り純粋太陰暦について述べるが、純粋太陰暦を採用している暦はほぼヒジュラ暦(イスラム暦やヒジュラ太陰暦とも)に限定されることに留意されたい。 太陰太陽暦との関係 月は地球に対して公転し、その周期はほぼ一定である。その周期平均は平均朔望月といい、2015年時点では、29.530589日である。太陰暦では、1朔望月を1月(ひとつき)とし、さらに12月を1年(1太陰年)とする。1太陰年は、29.530589日×12 = 354.36707日である。1月(ひとつき)が29日の月(小の月)と、30日の月(大の月)をそれぞれ6回ずつ設け、1太陰年を354日とすると、1年につき0.36707日の誤差が出るので、3年に1回程度、小の月の日数を1日増やして1太陰年を355日とする必要がある。太陰暦では、この1太陰年が355日となる年が閏年であり、ヒジュラ暦では30年間に11回、閏年を設けている(0.36707日×30=11.0121日)。 一方、1太陰年は1太陽年(365.242189日)に比べて約11日短く、季節に対して3年で1月以上の誤差が出る。純粋太陰暦では、この誤差に対する調整は行われず、同じ日付でも年ごとに季節は次第に変わっていき、おおよそ33年で元の季節に戻ることになる。後述するように太陰太陽暦では閏月を設けてこれを調整し、閏月を設けた年が閏年と呼ばれる。 歴史的に使われてきた純粋太陰暦は、ほぼヒジュラ暦に限定される。そのヒジュラ暦もイスラム以前の太陰太陽暦から派生したものであり、一部の月名が季節に由来していること(ラビー・ウル・アッワル月=第1の春の月、など)にその名残りを留めている。 太陰暦と季節 1太陰年(太陰暦の1年)は、354.36707日であり、これは、地球の公転周期(回帰年)である365.24219日より約11日短い。一方、季節の周期は、地球の公転周期と関連する。したがって、太陰暦では、特定の月日の季節は、年により変動し、約8年で四季1つぶん(約88日)早くなり、約33年で季節を一周する。一例を挙げれば、北半球を基準とすると、ヒジュラ暦1428年のラマダーン(9月)は西暦2008年9月ごろで初秋だが、ヒジュラ暦1410年のそれは西暦1990年4月ごろで中春であった。 このように、十数年以上の時間スケールで見た場合、月日と季節はまったく無関係である。しかし短い時間スケールなら、たとえば去年と今年のラマダーンの季節はほぼ等しい。これは、太陽暦において長い時間スケールでは日と月相は無関係だが、先月と今月の同じ日の月相ならほぼ等しいことと対応している。逆に、太陰暦では同じ日なら月相はほぼ同じである。太陽暦では、同じ月日なら季節はほぼ同じである。 太陰暦の特定の月日の季節が年ごとにずれる欠点を補うため、閏月を設け季節のずれを調節したものが、太陰太陽暦である(一方、閏月を設けない太陰暦のことを純太陰暦・純粋太陰暦とよぶ場合もある)。太陰太陽暦は、月相の一致と季節の一致を両立させている(ただし季節が一致する精度は高くない)。東アジアで単に太陰暦・陰暦といった場合、かつての太陰太陽暦である中国暦や和暦など意味することが多い。これらが廃止された中国や日本では、旧暦とほぼ同義である。 太陰暦は朔望月で1か月を定めているが、12か月で1年としているのは1回帰年(1太陽年)も起源に影響している。逆に、太陽暦は太陽年で1年を定めているが、それを約30日ずつの暦月で12か月に分けているのは朔望月も起源に影響している。 太陰暦に基づく暦法 ヒジュラ暦(イスラム暦、ヒジュラ太陰暦) - イスラム世界における暦。かつては公式の暦として用いられてきたが、現在は宗教行事以外では太陽暦を使うことが多い。 太陰暦の利用 沿岸漁業では潮の満ち引きにより作業時間が大きく左右される。現在は潮汐表が書き込まれた太陽暦のカレンダーも存在するが、太陰暦を使った干潮・満潮時刻の算出や大潮(1日と16日ごろ)、小潮(8日ごろと23日ごろ)の判断は漁師として基本的な素養の1つである。 脚注 注釈 出典 関連項目 太陰太陽暦 太陽暦 外部リンク When.exe Ruby版 - 古今東西あらゆる文化および言語で用いられた暦日・暦法・時法・暦年代・暦注などにユニークな名前付けを行い、統一的に扱うことを目的としたフレームワーク。 世界の異なった場所のための太陰暦。 月相 月齢カレンダー
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閏月
閏月(うるうづき、じゅんげつ)とは、太陰太陽暦において加えられる「月」のこと。これによって一年が13か月となる。 解説 太陰暦は、空の月の欠けているのが満ちそして再び欠けるまでを「一か月」とし、それを12回繰り返すことで12か月すなわち「一年」としている。しかしこの月の満ち欠け(平均朔望月=約29.530 589日)による12か月は約354.3671日であり、太陽暦の一年(約365.2422日)とくらべて約11日ほど短いので、この太陰暦をこのまま使い続けると暦と実際の季節が大幅にずれてしまう。このずれは11×3 = 33日つまり3年間で1か月分ほどになる。 そこで太陰太陽暦ではこの太陰暦の12か月に、約3年に一度、1か月を加え13か月とし、季節とのずれをなるべく少なくする調整をする。この挿入された月を「閏月」という。閏月の挿入の仕方は、まず二十四節気の節気と中気を、立春は一月の節気、雨水は一月の中気とするなど、以下のように一年12か月それぞれの月に割り当てる。 そして暦をそのまま使い続けると、各月の日付と二十四節気とは次第にずれが重なってくる。そのずれで中気が本来割り当てられた月のうちに含まれなくなったとき、その月を閏月としたものである。ただし同じ二十四節気を用いた太陰太陽暦でも、暦法によっては閏月を置く方法はこれとは異なる場合がある。閏月の挿入の有無が太陰太陽暦と太陰暦との違いである。閏月の月名は、その前月の月名の前に「閏」を置いて呼称する。例えば「四月」の次に挿入される閏月は「閏四月」と呼ぶ。また閏月が加わることにより、年末に立春を迎えることがある(年内立春)。太陰太陽暦では閏月を挿入した年のことを閏年という。時折「十三月」という月が存在するものと考えられていることがあるが、それは誤解である。 閏月を19年のあいだに7回加えると、ほぼ誤差なく暦を運用できることは古代から知られていた。これは太陽暦の19年が、太陰暦の19年と7か月の日数にほぼ等しいことによるもので、この周期をメトン周期(中国では「章」)という。中国では殷の時代から暦に閏月を入れることが行われていたが、それは天体を観測して季節と暦のずれに注意し、閏月が必要なときには、十二月の次にひと月足して13か月にするという方法であった。その後、春秋時代のころにはメトン周期の原理が使われており、さらに太初暦以来、二十四節気の中気を基準とした置閏法によって閏月が暦に入れられている。日本で最初に使われた太陰太陽暦は、中国で元嘉10年(442年)から行われた元嘉暦であったとされており、その後幾度か改暦が行われたが、閏月の入る太陰太陽暦は明治時代の政府による改暦まで使い続けられた。 しかしながら閏月をどの時期に入れるかについては、同じ時代でも地域によって食い違うことがあった。例えば日本では古来より西日本では伊勢暦、東日本では三島暦が主に用いられたが、時として閏月を挿入する時期が異なっていたので、日本国内で日付の異なる暦を使っていた事がある。 なおユダヤ暦も閏月の入る太陰太陽暦だが、日本や中国の太陰太陽暦とは異なり常に年末に閏月(第13月)が挿入される。インドでも太陰太陽暦が使われているが、インドの太陰太陽暦は黄道十二宮によって閏月を暦に入れている。イスラム暦は完全な太陰暦なので、太陰太陽暦のような閏月は存在しない。2020年はグレゴリオ暦5月23日から閏4月となる。 閏月の実例 以下は太陰太陽暦における閏月の加わり方について、明治3年(1870年 - 1871年)を例とし表を用いて解説する。日本の暦は明治5年に太陰太陽暦(天保暦)から太陽暦(グレゴリオ暦)に切替わったが、その二年前の明治3年は閏月のある最後の年であった。表は国立国会図書館デジタルコレクションの『[ 明治三庚午暦]』、『[ 明治四辛未頒暦]』、『[ 明治五壬申頒暦]』をもとに作成した。 太陰太陽暦の詳細については他項に譲るが、ごく簡単に触れておくと以下の通りである。 現在の太陽暦の「月」の日数は「31日」、「30日」、「28日」または「29日」の四つだが、太陰太陽暦では月の満ち欠けに基づく「30日」と「29日」の二つであり、「30日」を「大の月」、「29日」を「小の月」とする。しかもこの月の大小は、月の満ち欠けの仕方などによってその順番が年ごとに変わる。以下の明治3年の例では小・大・大・小・大・小・大・小・大・小・小・大・小の順となっている。そこに、約15日おきに定められる二十四節気の節気と中気を月ごとに割り振って暦を用いている。 上の表で見られるように、ひと月の内にそれぞれ節気と中気が割り当てられており、1月から10月までの節気と中気は本来割り当てられた通りの組合せとなっている。しかし10月の次は「閏10月」となり、閏10月には本来11月の節気である「大雪」だけが入る。 10月の次をそのまま11月にすると、11月の中気である「冬至」がその次の12月に来る。つまり日付よりも二十四節気のほうが遅れることになる。そこで本来割り振られた中気が来ない月は閏月とする太陰太陽暦の決まりに従い、11月になるところを閏10月とし、「冬至」が12月に来ないようにした。 閏10月の次の11月は、「冬至」のほかに12月の節気と中気である「小寒」と「大寒」を含み、12月には1月の節気である「立春」が15日にきている(年内立春)。節気と中気が本来割り振られた月に無く、二十四節気が日付から見て半月ほど先に進んでいるが、太陰太陽暦は中気を暦の基準とし、中気が本来割り振られた月の内に来る事を肝心とする。閏月を入れたことによって、次の年の明治4年では中気がその通りにおさまっている。 また節気と中気の来る月々の日付は次第に遅れている。上の明治4年の表では「雨水」が1月1日、「春分」が2月1日、「穀雨」が3月1日に来ているが、「小満」は4月3日、「夏至」は5月5日、「大暑」は6月6日、「処暑」は7月9日…と、次第に日にちのずれが大きくなっている。 これは上でも述べたように、約十五日おきに定められる二十四節気が一巡する日数よりも、月の満ち欠けの繰り返しによる一年のほうが短いからで、このまま暦を使えば日付と二十四節気はずれを積み重ね、本来割り振られた月に節気と中気が戻る。ただしこの明治4年では、まだ各々の節気が本来より一つ前の月に来ており、年末に「立春」がある。次の明治5年では日付と二十四節気のずれはさらに重なり、6月からは本来の節気と中気の組合せに戻っている。閏月の入る太陰太陽暦は、おおよそこうした流れの繰り返しで成り立っている。 明治5年11月9日(1872年12月9日)、太陰太陽暦を廃止し太陽暦に改める旨の詔書が政府より発せられ、同年12月3日にはこの日が太陽暦に基づき明治6年(1873年)1月1日と定められた。よって本来大の月である明治5年12月は公式には2日しかないことになった。 正閏論 閏月は一年の内ではあるが、一月から十二月までの本来の12か月からは外れた存在であり、また同じ月がたとえば「八月」「閏八月」と2か月連続することになる。このことから、閏月を異端になぞらえ、或る程度の期間並立した複数の王朝のうちで、どれが正統でどれが異端であるかを論じる議論を「正閏論」(せいじゅんろん)と呼ぶようになった。 「天に二日なく、地に二王なし」との『礼記』の記述から中国及びその影響を受けた諸国では、「本来皇帝はただ一人であるから、過去の複数の皇帝が居た時代においてもどれか一つの皇帝を正統として歴史書を記すべきである」という思想が支配的であった。中国では三国時代の魏と蜀の正閏論、日本では南北朝正閏論が有名である。 脚注 参考文献 広瀬秀雄 『暦』〈『日本史小百科』〉 東京堂出版、1978年 内藤湖南 『支那史学史 1』〈『東洋文庫』557〉 平凡社、1992年 岡田芳朗 『アジアの暦』〈『あじあブックス』〉 大修館書店、2002年 関連項目 太陰太陽暦 二十四節気 閏 閏年 閏日 閏秒 13月 Undecimber - プログラミング言語のJavaに用意された、「13番目」の月。 太陰太陽暦 月 (暦)
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太陽暦
太陽暦(たいようれき、)とは、地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基にして作られた暦(暦法)である。1年の日数を1太陽年に近似させている。ユリウス暦や、現在、世界の多くの地域で使用されているグレゴリオ暦は、太陽暦の1種である。似ている言葉として、太陰暦があるがこれとは異なる。 簡単に説明すると、太陽を基準にして1年を基本的に365日とし、12か月に分けることである。 概要 太陽暦は、地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基にしている。太陽年の周期は、約365.242 189 44日(2015年 年央値)であり、1年を単純に365日とすると4年でほぼ1日(より正確には、約0.968 758 日)のずれが生じる。このずれを補正するために閏日が設けられる。 エジプトでは、太陽暦は歴史が始まってから使われてきた。ローマ共和国(ローマ帝国の前身)では、紀元前46年に従来の太陰太陽暦であるローマ暦に代えて導入された。そのとき導入したカエサルの名をとってユリウス暦と呼ばれる。その後、1582年に、ユリウス暦の補正の仕方(置閏法)を改良したグレゴリオ暦がローマ教皇グレゴリウス13世により制定され、その後世界中に普及した。 日本と太陽暦 日本では、明治5年12月2日(1872年12月31日)まで太陰太陽暦(天保暦)が使用されていたが、1873年に太陽暦であるグレゴリオ暦を導入し、導入日を明治6年1月1日とした(詳細はグレゴリオ暦にある「日本におけるグレゴリオ暦導入」の節を参照)。 しかし、それ以前にも、古くは戦国時代の末頃よりキリシタンの人々に使われてきた。江戸時代の本多利明は太陽暦の便利さを説いている。中井履軒や山片蟠桃は、太陽暦の見本を作った。蘭学医の大槻玄沢は、寛政6年閏11月11日(1795年1月1日)にオランダ正月を開催した。安政元年(1854年)以降、天文方の渋川景祐によって日本最初の本格的な太陽暦「万国普通暦」が刊行された。 太陽暦に基づく暦法 主に西洋の大部分で使用実績がある暦法 ユリウス暦 グレゴリオ暦 それ以外で使用実績がある暦法 フランス革命暦 スウェーデン暦 ソビエト連邦暦 エジプト暦(シリウス暦) コプト暦 エチオピア暦 パーシ暦 イラン暦 インド太陽暦 シク暦 修正ユリウス暦(正教会) バハーイー暦 ジャラーリー暦 タイ太陽暦 ファシスト暦 世界創造紀元 主体暦 民国紀元 使用実績のほとんどない暦法 十二気暦 世界暦 13の月の暦 国際固定暦 人類紀元 ハンキ=ヘンリー・パーマネント・カレンダー 脚注 関連項目 暦 紀年法 新暦・旧暦 太陰暦・太陰太陽暦 二十四節気 うるう年 ツァドク暦 外部リンク When.exe Ruby版 - 古今東西あらゆる文化および言語で用いられた暦日・暦法・時法・暦年代・暦注などにユニークな名前付けを行い、統一的に扱うことを目的としたフレームワーク。 暦法
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グレゴリオ暦
グレゴリオ暦(グレゴリオれき、、、)は、ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じ、1582年10月15日金曜日(グレゴリオ暦)から行用されている暦法である。 グレゴリオ暦は、現行太陽暦として日本を含む世界各国で用いられており、グレゴリオ暦を導入した地域では、ユリウス暦(旧暦)に対比して新暦()と呼ばれる場合もある。紀年法はキリスト紀元(西暦)を用いる。 グレゴリオ暦の本質は、平年では1年を365日とするが、400年間に(100回ではなく)97回の閏年を置いてその年を366日とすることにより、400年間における1年の平均日数を 365日 + (97/400)日 = 日(365日5時間49分12秒)とすることである。この平均日数日は、実際に観測で求められる平均太陽年(回帰年)の日(2013年年央値)に比べて約26.821秒長いだけであり、ユリウス暦に比べると格段に精度が向上した。 日本では1872年(ほぼ明治5年に当たる)に採用され、明治5年12月2日(旧暦)の翌日を、明治6年1月1日(新暦)(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした。 制定に至る背景 グレゴリオ暦の前は、ユリウス暦が採用されていた。これは紀元前45年にユリウス・カエサルによって制定されて以降、キリスト教文化圏を中心に使用されてきたもので、その暦法では、暦年の平均日数を日としている。しかし、実際の太陽年は約日であるので、ユリウス暦日と実際の太陽年から得られる暦日とのずれは毎年蓄積される。この問題は、ユリウス暦を用いるローマ帝国領にキリスト教が広まると、思わぬ形で表面化することになっていく。 新約聖書において、イエス・キリストの処刑と復活の記事は、ユリウス暦ではなく太陰太陽暦であるユダヤ暦に基づいて記述されており、イエスの処刑日は、ユダヤ教の過越しの日の前日すなわちニサン月14日(ヨハネによる福音書)または過越祭第一日目の同月15日(共観福音書)とある。このユダヤ暦ニサン月は春分の頃に来る太陰月であり、メソポタミア文明の暦においては伝統的に正月(新年)とされていたものである。このような状況において、ローマ帝国領に住むキリスト教徒としては、その最大の祝祭日の一つである復活祭をどの期日に祝うのかが問題となった。 この点につき、初期の教会ではさまざまな方法が採用されていた。聖書の記述通りに、ユダヤ暦をそのまま持ち込んでニサン月15日に祝う教会もあった。しかしこの日は基本的に月齢で決まるので曜日は一定しない。そのため曜日の問題を重視して、ニサン月14日の満月の日の直後の日曜日を復活日とする教会もあった。他方で、エジプト暦の伝統を持つアレクサンドリアの教会では、ディオクレティアヌス紀元、コプト暦およびメトン周期を用いて季節(太陽年)と月齢(太陰月日)を独自に計算し、春分後最初の太陰月14日のすぐ後の日曜日を復活日とする方法を採用した。季節と月齢を合わせる基準日を設け、そこからメトン周期を用いて太陰年と太陽年の差を修正しながら各年の「ほぼ同じ季節に該当する太陰月日(同じ月齢の日)」を計算していけば、擬似的な太陰太陽暦を編纂するのと実質的に同じことができるからである。この方法をコンプトゥスという。 この方法を実行するためには、メトン周期の知識を理解し、季節と月齢を揃えるための太陽暦上の基準日を定めればよい。幸いなことにユリウス暦は太陽暦である。そしてユダヤ暦ニサン月は春分の頃に訪れる太陰月である。当然、基準日は春分ということになる。太陽暦であるユリウス暦では、春分日は毎年ほぼ同じ日になるはずである。この点、ローマ帝国ではカエサルによるユリウス暦施行間もない頃から、春分日をユリウス暦3月25日とする考え方が広まっており、聖書のユダヤ暦の記述を無視してユリウス暦の同日に復活祭を祝ってしまう教会もあった。しかしすでに4世紀の段階で天文学的な春分日は3月21日ごろとなっており、アレキサンドリア教会はこの事実を正確に把握していた。そこで、第一次ニケーア公会議では、ユリウス暦の期日を太陽暦上の準拠日としつつ、アレキサンドリア教会によって用いられてきた擬似的な太陰太陽暦の作成手法を用いて、春分日であるユリウス暦3月21日直後の太陰月14日の直後の日曜日を以て、復活祭期日とすることとした。 このような経緯で決められた復活祭日であったが、このように「キリスト教上の春分日」をユリウス暦上に固定してしまった以上、実際の天文学的春分日とユリウス暦上に定められた春分日すなわち3月21日との差は、年を追うごとに蓄積されていき、これが直ちに復活祭の期日の不正確さに直結することとなった。ユリウス暦のほうが太陽年より長いため、ユリウス暦3月21日は天文学的春分日より1日単位で徐々に遅れていく。ところが復活祭の期日は太陰月日(月齢)に準拠する方法で定められたため、差異が1太陰月(朔望月)分に増幅されてしまい、復活祭がまるまる1か月遅れるケースが徐々に増えていく。イングランドの教会博士であったベーダ・ヴェネラビリスは、725年にはユリウス暦にはずれがあり、それはすでに3日間以上になっていること、またさらにこのずれは今後拡大するだろう、と指摘している。さらに問題だったのは、メトン周期の側も、わずかに朔望月(太陰月)とずれていることで、このため310年ごとに1日の誤差が蓄積されていた。13世紀のロジャー・ベーコンは、ずれは7日間から8日間に及んでいると推定し、ダンテ・アリギエーリもユリウス暦の改定の必要性を説いている。 16世紀後半には、上述のようにユリウス暦上で定めた3月21日の春分日は、実際の春分日から10日間弱ものずれが生じていた。このため、ローマ・カトリック教会は、改暦委員会に暦法改正を委託した。この改暦は対抗宗教改革の一環としてなされたものであって、改暦に関しては賛成・反対の立場から大きな論争となった。 ユリウス暦によるずれ 1582年10月4日まで用いられていたユリウス暦では、平年は1年を365日とし、4年ごとに置く閏年を366日とし、これによって平均年を365.25日としていた。 ( 365 + 1/4 )日 = 365.25(日)……1年間の平均日数(平均年)= 365日6時間 = 正確に秒 しかし、平均太陽年、つまり実際に地球が太陽の周りを1周する平均日数は、365日5時間48分45.179秒 = 秒 = 約日(2013年年央)である。したがって、ユリウス暦の1年は、実際の1太陽年に比べて、365.25日 − 約365.2422日 = 約日(約11分15秒)長い。このずれは下記の計算のとおり、約128年で1日になる。 ユリウス暦は、その制定当時の天文観測水準を考えればかなりの精度だったが、千数百年も暦の運用が続くと、天文現象の発生日時と暦の上の日付の乖離は無視できないものとなった。16世紀末に10日ものずれが生じていたのは、このためである。 秒/年 − 秒/年 = 674.821秒/年 = 11分14.821秒/年 …… 1年ごとのずれ 秒/日(= 1日)÷ 674.821秒/年 = 128.03年 …… 1日のずれが生じる年数 なお、上記の計算は2013年時点での計算であり、グレゴリオ改暦が議論されていた16世紀半ばごろの計算とは少し差異がある。 改暦委員会と改暦案の提案 ユリウス暦による春分日のずれを、ローマ・カトリック教会としても無視できなくなり、第5ラテラン公会議(1512-1517)において改暦が検討された。このときフォッソンブローネ司教のミデルブルフのパウル(:en:Paul of Middelburg)(1446-1534)は、コペルニクスを含めてヨーロッパ中の学者に意見を求めた。しかし、コペルニクスは「太陽年の長さの精度は不十分であり、改暦は時期尚早である」と返答した。コペルニクスは彼の主著「天球の回転について」の序文でこのことを明記している。 次に、トリエント公会議(1545年 - 1563年)において、実際の春分日を第1ニカイア公会議の頃の3月21日(つまり修正すべきユリウス暦のずれの蓄積は公会議開催の325年からの約1240年間分にあたる約9.6日間で、これを10日のずれと見做した)に戻すため、教皇庁に暦法改正を委託した。時の教皇グレゴリウス13世は、これを受けて1579年にシルレト枢機卿を中心とする改暦委員会を発足させ、暦法の研究を始めさせた。この委員会のメンバーには、最初の改暦案を考案した天文学者のアロイシウス・リリウスの弟であるアントニウス・リリウス(Antonio Lilio)や数学者クリストファー・クラヴィウスらが含まれていた。 暦改正の新しい原理の大要 アロイシウス・リリウスの提出した原稿そのものは残されていない。委員会は1577年にCompendium novae rationis restituendi kalendarium(Compendium of the New Plan for Restoring the Calendar: 暦改正の新しい原理の大要)という24ページの冊子を刊行した。この冊子も長い間、失われたと考えられていた。しかし、1981年10月に歴史家のゴードン・モイアー (Gordon Moyer) が発見した。モイアーは最初、Biblioteca Nazionale Centrale di Firenze(フィレンツェ国立中央図書館)で発見し、その後、バチカン図書館、シエーナのイントロナティ市立図書館(Biblioteca Comunale degli Intronati de Siena)でも発見した。さらに、Polytechnic Institute of New YorkのThomas B. Settle も1975年に フィレンツェのBiblioteca Marucelliana とフィレンツェ国立中央図書館で同じ冊子を発見していたことが分かり、少なくとも7冊が現存していることが明らかになった この冊子によると、アロイシウスは1252年に書かれたアルフォンソ天文表における365日5時間49分16秒 = 365.242 5463日を採用し、改暦案を考案した。しかし、アロイシウスは1576年に死亡しており、その年に実際に案を委員会に提出したのは弟のアントニウス・リリウス(Antonio Lilio)である。 ずれ修正の二つの提案 ユリウス暦の約1240年間の運用により蓄積された約10日間のずれをどのように修正するかについては、次の2案が委員会に提出された。 第1案:1584年以降の40年間にわたって、閏日を設けない。 40年 ÷ 4年 = 10 であるから、これによって、10日間だけ暦を進めることができる。 第2案:1582年の最も適当な月に10日間を省く。 結局、委員会は、第2案を採用したのである。 どの月から10日間を省くか 10日間を省く月を1582年の10月にしたことについて、クラヴィウスは、「単に10月が宗教典礼日(religious observance)が最も少ない月であり、教会への影響が最小だからだ」と説明している。 改暦の実施 改暦委員会の作業の末に完成した新しい暦は1582年2月24日に発布され、ユリウス暦1582年10月4日木曜日の翌日を、曜日を連続させながら、グレゴリオ暦1582年10月15日金曜日とすることを定め、その通りに実施された。 ただし、上記の日付通りに改暦を実施したのは、イタリア、スペイン、ポルトガルなどごく少数の国に過ぎず、その他のヨーロッパの国々での導入は遅れた。 暦法 グレゴリオ改暦が議論され始めていた1560年ごろには、平均太陽年は、約365.2422日であることが知られていた。(365.25日 − 365.2422日)× 400年 = 3.12日/400年 であるから、ユリウス暦における置閏法(400年間で100回の閏年)に比べて400年間に3回の閏年を省けば、かなりよい近似となることが分かる。このため、グレゴリオ暦では、400年間に、97回 (= 100 − 3) の閏年を置くこととして、1年の平均日数を365.2425日 = 365日5時間49分12秒 = 正確に秒 とした。 365日 + 97/400 = 365.2425(日/年)…… グレゴリオ暦による1年の平均日数 なお、400年間の日数は、365.2425 × 400 = 146 097日であり、これは7で割り切れる( ÷ 7 = 週)ので、グレゴリオ暦は、曜日も含めて400年周期の暦である。 400年間に3回の閏年を省くには様々な方法があり得るが、3回の平年がなるべく均等に分布すること、わかりやすく記憶しやすいことを考慮して、「西暦紀元(西暦)の年数が、100で割り切れるが400では割り切れない年は、平年とする。これ以外の年では、西暦年数が4で割り切れる年は閏年とする。」というルールが採用された。 100で割り切れる年は400年間に4回あるが、400で割り切れる年は400年間に1回だけである。以上のルールによって、ユリウス暦では閏年になる3回分の年を、グレゴリオ暦では平年とすることができるのである。 100で割り切れる年のうち、西暦1600年・2000年・2400年は400で割り切れるので、これらの年は閏年のままである。しかし、西暦1700年・1800年・1900年・2100年・2200年・2300年・2500年・2600年・2700年は400で割り切れないので、これらの年は平年となる。 平年および閏年のそれぞれにおける各月の日数は、グレゴリオ暦でもユリウス暦と同じである。すなわち、1月・3月・5月・7月・8月・10月・12月は31日、4月・6月・9月・11月は30日、2月は平年が28日、閏年は29日である。 先発グレゴリオ暦とユリウス暦 上記の暦法(グレゴリオ暦)を1582年以前に遡って適用すると、200年3月1日から300年2月28日までは、ユリウス暦と同じ日付となる(ユリウス通日も参照)。これは以下の経緯による。 「制定に至る背景」の節にあるように、第1ニカイア公会議にて、春分日たるユリウス暦3月21日直後の太陰月14日の直後の日曜日を、復活祭とすることが決定された。 しかし、ユリウス暦1582年には、ユリウス暦の精度があまり良くなかったことによって、春分日とユリウス暦3月21日の間に約10日の差が生じており、ユリウス暦の使用を続ければ、西暦1583年に含まれる春分日もまた、3月21日ではなくなってしまう。 西暦1582年10月15日(グレゴリオ暦)に上記の暦法が導入されたことで、西暦1583年からは3月21日と春分日とが基本的に一致するようになり、第1ニカイア公会議での決定と矛盾しなくなった。 その結果として、ユリウス暦と1582年以前に遡って適用されたグレゴリオ暦(先発グレゴリオ暦)の日付が、200年3月1日から300年2月28日にかけて、たまたま一致する。 精度 下記のようにグレゴリオ暦での平均の1年(365.2425日)は、実際に観測される平均太陽年(2013年年央)に比べて約26.821秒(= 約日)だけ長い。このずれは約3221年かけて1日に達する。 365 .2425日/年 × 秒/日 = 秒/年 秒/年 − 秒/年 = 26.821秒/年 …… 1年ごとのずれ 秒/日(= 1日)÷ 26.821秒/年 = 3221.36(年)…… 1日のずれが生じる年数 以上のように、ユリウス暦では1日のずれが生じるまでに約128年しかかからなかったのに対して、グレゴリオ暦では同じく1日のずれが生じるまでに約3221年を要するまでに精度が高まった。 によると、1997年時点では、1582年以来の誤差が累積して、すでに約2時間59分12秒だけ進んでいる。 なお、上記の計算は平均太陽年が不変であるとした場合のものである。実際には平均太陽年は100年(正確には1ユリウス世紀)ごとに0.532秒ずつ短くなっている(太陽年の項を参照)。このため、3221年後には、約17秒ほど平均太陽年が短くなっていることを考慮すると、グレゴリオ暦との1日のずれはもっと早い時点で起こることになる(太陽年#太陽年の変化、平均太陽年の計算式(英語版))。 また、春分日時の間隔に着目した誤差は歳差などの影響により上記の計算とは異なり、西暦2000年時点で7700年に1日、日本で明治改暦が行われた1873年の時点で7200年に1日となる。 キリスト紀元とグレゴリオ暦の新年 月日を導く暦法そのものと年数を数える紀元(紀年法)は別の概念であるが、上述のように、グレゴリオ暦はその置閏法をキリスト紀元の年数に基づいて定めるものとして制定されているので、キリスト紀元と不可分一体の関係にある。ところで、キリスト紀元の正式名称は、グレゴリオ暦改暦勅書(Inter Gravissimas)末尾の日付にもある通り、"anno incarnationis dominicae" すなわち「主(イエス・キリスト)の受肉(受胎)から数えた年数」である。この点からすれば、キリスト紀元年を1つ繰り上げるべき日すなわち新年は、イエスが受胎した日すなわち受胎告知日の3月25日が正当となるはずである。実際、改暦直前のローマ教皇庁自身が、3月25日を年初とするユリウス暦を使用していた。しかしグレゴリオ暦は、ユリウス・カエサルがユリウス暦を制定した当時の新年すなわち1月1日をその年初とする方法を採用した。したがってグレゴリオ暦では常に1月1日にキリスト紀元年数が1つ増える。なお、グレゴリオ暦月日の年数として記されていても、ローマ教皇庁の公文書に記されていた教皇在位年数や、イギリスおよび英連邦王国諸国の公文書で近年まで使われていた国王在位年数(regnal year)などは、日本の元号と異なり即位日をもって年数が一つ増加する。 各国・各地域における導入 ユリウス暦と太陽年(実際の季節)とのずれは、13世紀の哲学者ロジャー・ベーコンが指摘してから300年もの間顧みられず、16世紀になって宗教上の問題が顕著になるまで放置された。このずれを修正し新たにグレゴリオ暦を制定した後も、それがローマ教皇による発令だったので、その導入時期は国・地域によってまちまちであった。カトリックの国は比較的早く導入したが、一方でそうでない国では宗派上の対立もあって、導入までに少なくとも100年以上かかった。正教会の大半は現在も改暦せずユリウス暦を使用し続けている。非キリスト教国においては、1873年の日本(後述)を皮切りに、徐々にグレゴリオ暦を導入する国家が増加していった。 カトリック グレゴリオ暦の制定後、実施日である1582年10月15日に即座にこの暦を導入したのは、カトリックを奉じるイタリア諸国、スペイン、スペインに併合されていたポルトガル、ポーランドである。フランスは2か月ほど遅れたものの、1582年中に導入を果たした。1583年には神聖ローマ帝国のカトリック諸邦で、1584年にはスイスのカトリック諸州で導入され、カトリック諸国の改暦は数年を経ずして完了した。 プロテスタント プロテスタント諸国は、グレゴリオ暦への改暦に消極的だった。その理由の一つとして、復活祭の日付の決定がある。自らの祭事の日付をカトリックが定めた暦によって決められることを嫌ったのである。しかし、ユリウス暦の日付がずれており、ずれた日付を基に祭日を決めることに問題があることは、プロテスタントの宗教家も認識はしていた。したがって、グレゴリオ暦はプロテスタントにも徐々に浸透した。 最も早くグレゴリオ暦を導入したのは、ドイツのプロテスタント諸国であった。1699年のレーゲンスブルク帝国議会において、日付の決定のみグレゴリオ暦を使用するが、復活祭の日付の計算にはプロテスタントのドイツ人天文学者ヨハネス・ケプラーが作成したルドルフ星表を使うということで妥協した。この暦は改良帝国暦と呼ばれた。しかし、ケプラーはグレゴリオ暦の方が優れていることを知っていたので、日付計算はすべてグレゴリオ暦で行っていた。このため、実質的には改良暦はグレゴリオ暦で計算するのとほぼ同じだった。この妥協はうまくいき、1700年に実施された際には隣国デンマークもこれに倣い、周辺のプロテスタント諸国も徐々にこれに追随していった。 1752年にはイギリスが帝国全域においてグレゴリオ暦を導入、1753年にはスウェーデンが独自暦だったスウェーデン暦を廃止してグレゴリオ暦に完全移行し、全てのプロテスタント諸国がグレゴリオ暦を導入することになった。 正教会 正教会が優勢な東欧では、導入までにより長い時間がかかった。16世紀に、コンスタンディヌーポリ全地総主教イェレミアス2世はグレゴリオ暦を否認し、他の正教会でもグレゴリオ暦を承認する教会はなかった。このことはブレスト合同が不完全なものに終わる結果にも影響があった。 グレゴリオ暦を使用するフィンランド正教会を除き、エルサレム総主教庁、グルジア正教会、ロシア正教会、セルビア正教会、日本正教会を含む正教会は、現在でもユリウス暦を使用している。 ロシアで最も強い影響力をもつロシア正教会は正教会に属しており、現在でもユリウス暦を使用している。同国で1917年グレゴリオ暦3月に起きた革命を「2月革命」、同11月に起きた革命を「10月革命」と呼称するのは、ロシア革命が起きた1918年までユリウス暦を使用していたからである。 ロシア革命後のコンスタンディヌーポリ教会が1923年に採用した暦は修正ユリウス暦(通称:ロシア暦/)と呼ばれるものであり、厳密にはグレゴリオ暦ではないが、グレゴリオ暦とユリウス暦の月日の修正が行われ、2800年までは二つの暦の間にずれが出ないようになっている。なお、2800年以降は再びずれが生じる。 現在ロシア国内では、正教会を除きグレゴリオ暦を使用している。したがって、ユリウス暦12月25日の降誕祭は、ロシアのカレンダーでは「1月7日」と表示されている。 他方、復活大祭の算出にはすべての正教会がユリウス暦を使用するので、復活祭およびそれに伴う祭日・斎日はフィンランド正教会以外の正教会が一致して祝っている。ただし、これはユダヤ教の祭日が決まった後でキリスト教の祭日を決定するという、初期のキリスト教の祭日決定法に従っているからであり、グレゴリオ暦を導入していないことによるものではない。ユダヤ教では1年の長さがユリウス暦とほぼ同じユダヤ暦を基準にして祭日を決定するので、正教会では完全にグレゴリオ暦に移行できないだけである。 東方諸教会 アルメニア使徒教会では、1923年以来グレゴリオ暦が採用されている。ただし、エルサレムのアルメニア総主教区に関しては例外的にユリウス暦を使用している。 シリア正教会においては地域により、あるいは各信徒内での伝統の差異により、ユリウス暦とグレゴリオ暦が併用されている。 コプト正教においてはグレゴリオ暦は採用されておらず、独自のコプト暦が用いられている。 アッシリア東方教会では1964年に当時のアッシリア総主教が行った宗教的改革の一環としてグレゴリオ暦が採用されている。ただしこの改革はすべての信徒に受け入れられた訳ではなく、改革に反対する信徒の一部はとして分離独立している。 日本におけるグレゴリオ暦導入 改暦の公布 日本では、ほぼ西暦1872年に当たる明治5年、「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」とする改暦ノ布告(明治5年太政官布告第337号)を布告した。 この布告では、明治5年12月2日(1872年12月31日)をもって太陰太陽暦(天保暦)を廃止し、翌・明治6年(1873年)から太陽暦を採用すること、「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」として、グレゴリオ暦1873年1月1日に当たる明治5年12月3日を改めて明治6年1月1日とすることなどを定めた。したがって、明治5年まで使用されていた天保暦は、明治6年以降は旧暦となった。これが明治改暦である。 改暦ノ布告は年も押し迫った明治5年11月9日(グレゴリオ暦1872年12月9日)に公布され、社会的な混乱をきたした。暦の販売権をもつ弘暦者(明治5年には頒暦商社が結成された)は、例年10月1日に翌年の暦の販売を始めることとしており、この年もすでに翌年の暦が発売されていた。急な改暦によって従来の暦は返本され、また急遽新しい暦を作ることになり、弘暦者は甚大な損害をこうむることになった。 一方、福澤諭吉は、太陽暦改暦の決定を聞くと直ちに『改暦弁』を著して、改暦の正当性を論じた。太陽暦施行と同時の1873年(明治6年)1月1日付けで慶應義塾蔵版で刊行されたこの書は大いに売れて、内務官僚の松田道之に宛てた福澤の書簡(1879年(明治12年)3月4日付)には、この出来事を回想して「忽ち10万部が売れた」と記している。 改暦の理由 これほど急な新暦導入が行われた理由として、明治政府の財政状況が逼迫していたことが挙げられる。 当時参議であった大隈重信の回顧録『大隈伯昔日譚』によれば、旧暦のままでは明治6年は閏月があるため、13か月となる。すると、当時支払いが月給制に移行したばかりの官吏への報酬を、1年間に13回支給しなければならない。これに対して、新暦を導入してしまえば閏月はなくなり、12か月分の支給で済む。また、明治5年12月は2日しかないことを理由に支給を免れ、結局月給の支給は11か月分で済ますことができる。 当時は1、6のつく日を休業とする習わしがあり、これに節句などの休業を加えると年間の約4割は休業日となる計算であったが、新暦導入を機に週休制に改めることで、休業日を年間50日余りに減らすことができる。 置閏法の不備と修正 改暦ノ布告は、施行まで1か月に満たない期間の中で慌てて布告されたためか、置閏法に不備があった。それはグレゴリオ暦の肝心な要素である「西暦年数が100で割り切れるが400で割り切れない年(400年間に3回ある。)を、閏年としない」旨の規定が欠落していたことである。 このままでは導入された「新しい太陽暦」はグレゴリオ暦ではなく、さりとて日付が12日ずれているためユリウス暦そのものでもなく、「ユリウス暦と同じ置閏法を採用した日本独自の暦」となってしまう。また、布告の前文にある文面もおかしく、グレゴリオ暦で実際に1日の誤差が蓄積されるのに要する年数は約3200年であるにもかかわらず、「七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス」としていた。これは、起草者が参考にした天文書『遠西観象図説』の誤りと考えられている。 そこで、西暦1898年(皇紀2558年・明治31年)5月11日に、改めて勅令「閏年ニ關スル件」(明治31年勅令第90号)を出して、置閏法をグレゴリオ暦に合わせたものに改めた。 閏年ニ關スル件(明治31年勅令第90号) 神武天皇即位紀元年數ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス 但シ紀元年數ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス この勅令では、神武天皇即位紀元(皇紀)年数を用いて閏年か平年かを判別している。ただし皇紀自体から660を引いた値、すなわち同年のキリスト紀元と全く同じ数を引数として計算するため、グレゴリオ暦と全く同じ置閏法を実現できる。この置閏法の誤りを修正する勅令が公布された時には、日本で太陽暦を導入してから初めての「紀元年數ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年」である皇紀2560年、すなわち西暦1900年(明治33年)は1年半後に迫っていた。 導入の経過 国立天文台暦計算室の暦Wikiの記事「明治以降の編暦」も参照のこと。 明治5年10月1日(1872年11月1日):例年どおり、弘暦者(頒暦商社)により翌年の暦(旧暦)が全国で発売される。 11月初旬(12月初旬):太政官権大外史塚本明毅により建議される。 11月9日(12月9日):「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」(明治5年太政官布告第337号、改暦ノ布告)を公布。突如として明治5年は12月2日で終了することが定められる。 11月23日(12月23日):太政官布告第359号で「来ル十二月朔日二日ノ両日今十一月卅日卅一日ト被定候」(12月1日および2日を11月30日および31日と定めた)とする。翌24日付け太政官達書で取り消す。 11月27日(12月27日):太政官布達第374号により、「当十二月ノ分ハ朔日二日別段月給ハ不賜」(この12月の分は、1日・2日の2日あるが、別段月給を支給しない。)と、12月分の月給不支給が各省に通告される。 12月2日:天保暦を廃止。 1873年1月1日に当たる明治5年12月3日(旧暦)を明治6年1月1日(新暦)とする太陽暦への改暦(明治改暦)。 1873年(明治6年)1月12日:頒暦商社の損失補填のため、向こう3年間の暦販売権を認める。 1875年(明治8年)1月12日:頒暦商社の暦販売権を、1882年(明治15年)まで延長する。 1883年(明治16年):本暦と略本暦が伊勢神宮から頒布される。 1898年(明治31年)5月11日:明治5年の改暦における置閏法の問題(明治33年(西暦1900年)がグレゴリオ暦と異なり閏年となってしまう)を修正した勅令「閏年ニ關スル件」(明治31年勅令第90号)が公布される。 1910年(明治43年):官暦の旧暦併記が消滅。 2033年:旧暦2033年問題(2033年の秋から翌2034年の春にかけて、旧暦の月名および閏月の配置が、天保暦本来のルールでは決定できない問題) ただし、国立天文台は、毎年2月に「暦要項」を官報に告示し、翌年の「二十四節気および雑節」、「朔弦望」を計算・提示しているため、旧暦の「30日の大月、29日の小月」の設定、置閏の基準である「中気」の提示に相当するものが「公的」に行われていることになる。 各国のグレゴリオ暦導入年月日 詳細なリストは、:en:List of adoption dates of the Gregorian calendar by countryを参照。 1582年10月15日 - イタリア、スペイン(ポルトガルを含む)、サヴォイ公国、ポーランド・リトアニア共和国 1582年12月20日 - フランス王国 後に中断(フランス共和暦) 1583年1月1日 - ベルギー、オランダのカトリック諸邦 フランドルとベルギーの一部では、1582年12月21日の翌日(12月22日)を1583年1月1日とした。これは1582年のクリスマスを失ったことを意味する。 1583〜1587年 - ドイツ、スイス、ハンガリーのカトリック諸都市 1700年3月1日 - ドイツのプロテスタント諸都市、デンマーク 1752年9月14日 - イギリス帝国(後のアメリカ合衆国など当時の植民地すべて) 1753年3月1日 - スウェーデン(フィンランドを含む) 1867年10月18日 - アラスカ 日付変更線がアラスカの東側から西側に移動されたため、金曜日が2回連続して繰り返された。 1873年(明治6年)1月1日 - 日本 1896年(建陽元年)1月1日 - 大韓帝国 1912年(民国1年)1月1日 - 中華民国(建国とともに採用、同年2月12日の清朝滅亡とともに国内全域で正式な暦となる) 1918年2月14日 - ソビエト・ロシア(1929年10月1日にソビエト連邦暦に移行した) 1923年3月1日 - ギリシャ 1940年6月27日 - ソビエト連邦(1929年10月1日より採用されていたソビエト連邦暦から復帰した) 2016年春 - サウジアラビア 問題点と改暦運動 グレゴリオ暦は、ユリウス暦に比べはるかに精度が高くなっているが、それでも上記の通り誤差は完全に解消されたわけではない。そもそも地球の自転周期と公転周期の比は整数の比になっていない以上、この誤差は必然的に生ずるものである。 また年初の日付が、天文学的な現象とは関係がない日付であることや、各月の日数が不規則であること、1年の日数が週の倍数になっていないため、暦日と曜日が一致しないことなどの問題点が指摘され、しばしば改暦運動が盛り上がった。こうした改暦運動で実施されたものは、1793年にフランスで施行されたフランス革命暦のみであるが、合理性に徹するあまりそれまでの週や七曜の廃止を行うなどして大混乱を招き、1806年にはグレゴリオ暦に復帰した。しかしその後も、世界暦への改暦提案などがしばしばなされている。 脚注 注釈 出典 関連項目 複偶数 閏年 閏秒 ISO 8601 - 日付と時刻の表記に関する標準 ユリウス通日 先発グレゴリオ暦 2000年問題 2月29日 外部リンク 万年カレンダー 明治五年太政官布告第三百三十七号(改暦ノ布告) - e-Gov法令検索 明治三十一年勅令第九十号(閏年ニ関スル件) - e-Gov法令検索 太陽暦 天文学に関する記事 1582年設立 グレゴリウス13世 エポニム
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8F%E5%B9%B4
閏年
閏年(うるうどし、じゅんねん、、)とは、閏のある年である。これに対し、閏年ではない年を平年(へいねん、)と呼ぶ。 閏年は、太陰太陽暦では、月の運行を基準にしていることで生じる季節(太陽の運行)とのずれを補正するために、平年より暦月が一つ多く、太陽暦では季節(天動説では太陽の運行)と暦のずれとを、太陰暦では月の運行とのずれを補正するために、平年より暦日が一つ多い。その追加された日や月を閏月・閏日、総称して閏と呼ぶ。閏の挿入規則を置閏法(ちじゅんほう)と呼ぶ。 太陽暦 太陽暦では、季節に暦を一致させるため、暦年の平均の長さを平均回帰年(365.242 189 44日≒365日5時間48分45.168秒)になるべく一致させる。 太陽暦では、平年は365日であり、閏年は閏日が挿入されて366日である。現在広く採用されているグレゴリオ暦では、閏年は400年間に97回ある。 古代エジプト 古代エジプトの暦には閏年はなく、1暦年は常に365日であった。そのため、4.129年に1日の割合で暦と季節がずれた。当時すでに回帰年は365.25日という観測値が得られていたが、暦に反映されることはなかった。農民は暦ではなく恒星・シリウスの動きを頼りに農作業のスケジュールを決めた。 ユリウス暦 ユリウス暦は、紀元前46年に古代ローマで採用され、4年に1回を閏年としていた。但し、導入直後は混乱が見られ、3年に1回を閏年としたり、暫く閏年を置かない期間があった(詳細はユリウス暦を参照)。 ユリウス暦では、閏年には2月の日数を1日増やして29日とする。閏日を2月に挿入したのは、ローマ暦の初期にはMartius(後の3月)が年初でFebruarius(後の2月)が年末だったからである。厳密には共和政初期にIanuarius(後の1月)を年初とするように変更されたが、まだ古い慣習が残っていた。 ユリウス暦の置閏法では1暦年は平均365.25日となり、約128年に1日の割合で暦と季節がずれるが、これでも閏年を置かない場合に比べれば大きな進歩であった。しかし、1500年以上に亘って使われていくうちに、次第に暦と天文学上の現象がずれてきた。ローマ・カトリック教会では325年のニカイア公会議で春分を3月21日と定めてそれを基に復活祭の日付を決めることにしたが、日数が多いが故に、16世紀には天文学上の春分が暦の上では3月11日となってしまい、問題視されるようになった。 グレゴリオ暦 ユリウス暦では春分日がずれる問題を解決するため、ローマ教皇グレゴリウス13世は、当時を代表する学者たちを招集して委員会を作り、暦の研究を行わせた。こうして、1582年にグレゴリオ暦が制定された。グレゴリオ暦はその後数百年かけて各国で採用され、現在に至っている。 グレゴリオ暦では、次の規則に従って400年間に97回の閏年を設ける。 西暦年が4で割り切れる年は(原則として)閏年。 ただし、西暦年が100で割り切れる年は(原則として)平年。 ただし、西暦年が400で割り切れる年は必ず閏年。 理解しづらければも参照するとよい この置閏法によると、400年間における平均1暦年は、365+97/400=365.2425日(365日5時間49分12秒ちょうど)となり、平均回帰年との差は、1年当たり26.832秒(2015年における値)となって、かなり誤差が小さくなる。この誤差による暦と季節とのずれは約3320年で1日となる。上記の但し書きを1回で表すと、「400年に3回、100で割り切れるが400で割り切れない年は、例外で平年とする」ということになる。 グレゴリオ暦では、ユリウス暦と同じく、閏年には2月が29日まである。従って、現在のグレゴリオ暦では2月29日が閏日である。しかし、西洋の古い伝統を引き継ぐ地域では、2月24日が閏日とみなされる。詳細は「閏日#欧州における歴史」(欧米で2月24日が閏日であることの由来)を参照。 日本における閏年の根拠法 日本においては、閏年の判定は西暦ではなく皇紀(神武天皇即位紀元)によって行うことが法令(明治31年<西暦1898年>勅令第90号(閏年ニ関スル件))により定められ、現在に至っている。 明治三十一年勅令第九十号(閏年ニ関スル件・明治三十一年五月十一日勅令第九十号) 神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス これは、現代の表記に直すと次の通りである。 神武天皇即位紀元年数(皇紀年数)を4で割って、割り切れる年を閏年とする。 ただし、皇紀年数から660を引くと100で割り切れる年で、かつ100で割った時の商が4で割り切れない年は平年とする。 これは西暦年数から閏年を判定する方法と同値である。 なお、西暦何年が閏年であったかについては、 下2桁が4の倍数かつ400を割り切れない100の倍数を除いた年、 「[日・月・火・水・木・金・土]曜日から始まる閏年」の項目を参照。 グレゴリオ暦の閏年に関するトピックス 近代オリンピックの夏季オリンピックは4年に1回、西暦年が4で割り切れる年に開催される(延期された2020年東京オリンピックは除く)。そして、1924年に開始された冬季オリンピックも、1992年のアルベールビルオリンピックまでは夏季と同じ西暦年が4で割り切れる年に開かれていた。このため、閏年はスポーツ関係を中心にしばしば「オリンピックイヤー」という名称で呼ばれている。しかし、第2回パリオリンピックが開催された西暦1900年は、閏年ではなく平年であった(100で割り切れるが400で割り切れない)ので、この呼称は正しいとは言えない。なお、西暦2100年も、100で割り切れるが400で割り切れない年数なので、夏季オリンピックが開かれる年であるが、平年である。 アメリカ合衆国大統領選挙も、最初の1789年の選挙を除き、西暦年が4で割り切れる年に実施されてきたが、それらの年は閏年とは限らない。 閏年の西暦年は必ず4で割り切れるので、閏年の十二支は子、辰、申のいずれかである。また、400年に3回の例外が来ない限り、同じ曜日の2月29日は28年周期で繰り返される(日→金→水→月→土→木→火→日)。 西暦2000年は、3番目のルールに該当する400年に1回の閏年であった。しかし、2番目までのルールをもって、2000年を平年と誤解する者もいた。これは2000年問題の一因でもあった。次回の4で割り切れる平年は西暦2100年である。 グレゴリオ暦の閏年に関する規則より、グレゴリオ暦では400年周期で同一パターンが繰り返されることになる。この400年の総日数(365日×400+97日=146 097日)は7で割り切れるため、曜日も400年周期で繰り返すことになる。そのため、特定の日が特定の曜日(例えば3月1日が月曜日)になる割合は、厳密にいうと7分の1にはならない。また、3番目のルールに当てはまる400年に1回の閏年(いわゆる「世紀末閏年」)の2月29日の曜日は、必ず火曜日になる。この例の発生は、次回は2400年の予定である。 2000年から2399年までの間に1月1日が日曜日になる割合は58/400、土曜日になる割合は56/400である。 不吉とされる13日の金曜日であるが、13日が金曜日となる割合は7つの曜日の中で最も高い(688/4800=0.14333...)。 修正ユリウス暦 1582年のグレゴリオ暦への改暦後も正教会はユリウス暦を使用し続けていたが、1923年、ギリシャ正教会などいくつかの正教会は修正ユリウス暦と呼ばれる暦を採用した。この暦の導入にあたって、日付をグレゴリウス暦と合わせた上で、置閏法を以下の様に改めた。 西暦年が4で割り切れる年は閏年。 ただし、西暦年が100で割り切れる年は平年。 ただし、西暦年を900で割った余りが200または600になる年は閏年。 規則の3番目がグレゴリオ暦と異なる。この置閏年では、1暦年は平均365.242 222日となり、暦と季節が1日ずれるまでに約4万3500年を要する。これはグレゴリオ暦より精度がいい。 100で割り切れる年のうち閏年となるのは、グレゴリオ暦では1600年、2000年、2400年、2800年、3200年、3600年…であるが、修正ユリウス暦では2000年、2400年、2900年、3300年、3800年…である。 2800年2月28日までは両方の暦は一致している。しかし、2800年がグレゴリオ暦では閏年なのに対し、修正ユリウス暦では平年になり、そこで日付が1日ずれる。2900年は逆に修正ユリウス暦だけが閏年となり、日付は再び一致する。それ以後は断続的にこのようなずれが生まれ、5200年2月28日を最後に日付が一致することはなくなる。 閏週 太陽暦の置閏法には、閏週を挿入する方法もあり得る。 平年を364日とするもの 余日及び閏日を廃止し、1暦年を週の整数倍にする方法で平年は年52週(即ち364日)・閏年53週(即ち371日)とする方法である。ただし、現行のグレゴリオ暦よりも暦と季節のずれが大きくなる点が問題点としてあげられている。これまでに以下の方法が提案された。 西暦年数が5の倍数であって40の倍数でないとき、および400の倍数のときは閏週年とする。1暦年の平均の長さは365.242 500日になる。 西暦年数が5の倍数のときは閏週年とする。ただし、25の奇数倍および400倍数のときは平年とする。1暦年の平均の長さは365.242 500日になる。 62年を1周期として計11回、すなわち6・6・5・6・6・5・6・6・5・6・5年目を閏週年とする。1暦年の平均の長さは365.241 935日になる。 平年を365日とするもの 約29年毎に閏年を設け、その年に1週間の閏週を挿入するという置閏法も可能であり、そのような暦が提案されたこともある(:en:Leap week calendar)。この暦の根拠は次の通りである。  7日/(365.242 1892日 - 365日) = 28.903年 (365.242 1892日は2019年の太陽年) したがって、29年間ごとに7日の閏日(つまり1週間の閏週)を挿入すればよい。1235年につき1日の差が出る。 太陰暦 純粋な太陰暦では、そもそも暦と季節とを一致させないので、太陽暦のような閏日はない。その代わり、平均朔望月(29.530 589日)が1日の整数倍でないことで生じる、暦と月相とのずれを補正するための閏日がある。 ヒジュラ暦 ヒジュラ暦(イスラム暦)での置閏法(または、日付の付け方)には、観測に基づく方法と計算に基づく方法があるが、ここでは後者の方法(:en:Tabular Islamic calendar)によるものを示す。 通常は小の月(29日)と大の月(30日)が交互に繰り返す。しかしこれでは1暦月は平均29.5日となり、月相とは少しずつずれていく。そこで、30暦年に11回、小の月に閏日を挿入して大の月とする。これにより1暦月は平均29.530 555日となり、朔望月とほぼ一致する。 閏日を含む年が閏年となり、暦年の長さは平年は354日、閏年は355日である。閏年はヒジュラ紀元の年数を30で割った余りが2、5、7、10、13、16、18、21、24、26、29となる年である。 この方法によるヒジュラ暦では、約2450年で暦と月相が1日ずれる。 太陰太陽暦 太陰太陽暦では、暦を季節と月相の双方に一致させなければならない。そのため、理屈の上では2種類の閏がある。ただし、通常は暦と月相を一致させるシステムは閏とは呼ばれず、暦と季節を一致させるための閏のみが存在する。 太陰太陽暦では1暦年の長さは平均朔望月のほぼ整数倍でしか選べない。1平均回帰年は12.368平均朔望月なので、平年は12ヶ月(354日前後)、閏年は閏月が挿入されて13ヶ月(384日前後)となる。 閏年を2.715年に1回入れれば、平均暦年と平均回帰年が一致する。実際に行われた置閏法には、8年に3回、19年に7回(メトン周期)、76年に28回(カリポス周期)などがある。 中国暦 中国暦ならびに派生した和暦(以下、まとめて中国暦と書く)では、太陽と月の運行を実際に観測し、季節と暦のずれが最小になるように閏月を入れる。具体的に述べると次のようになる。 暦月は朔日(月齢0を含む日)から次の朔日の前日までとする。冬至(太陽が黄経270°を通過する日)を含む暦月を11月とし、他の各中気(黄道上の太陽の位置が黄経30°の整数倍である日)を含む暦月を1月から12月とする。しかし、中気から中気までは平均すると30.437日で暦月の平均(=平均朔望月)より長いため、中気を含まず名前の付かない暦月が残ることがある。その暦月が閏月となる。例えば、閏月が7月と8月の間に生じたらその月は「閏7月」と呼ばれる。そして、閏月を含む年が閏年である。なお、中気の間隔は一定ではないため1暦月に複数の中気が含まれることがあるので、それに備え優先順位など細則が決められている。 中国暦では、暦と月相の一致も実際の新月に暦月をスタートさせることで実現されている。そのため、29日の小の月と30日の大の月が不規則に出現する。ただしヒジュラ暦のような「平年」といえる状態がないため、これは閏とはいわない。 中国暦では閏年、閏月、月の大小のパターンに規則性はなく、遠い未来の暦は決定できない。その代わり、太陽と月の運行の観測を怠らず正しく運用されれば暦と月相は永久にずれることはない(ただし、太陰太陽暦である以上、暦と季節の間に最大±0.5朔望月=約15日の差はできる)。 閏秒 閏年は季節と月相に対する暦のズレを補正するシステムだが、閏秒はこれとはまったく別の目的のためのもので暦とは無関係であり、原子時計により決められる協定世界時と地球の自転で決まる世界時との差を補正するためのシステムである。したがって、閏秒が実施される年であってもその年を閏年とはいわない。 コンピュータシステムと閏年 コンピュータシステムにおいて閏年を判定するアルゴリズムの記述には誤りがある場合が多く、しばしばこれが原因でシステムは重大な障害を起こす。例えば、「西暦年が4の倍数である年」としかしていなかったり、year == 2000 || year == 2004のようにある程度先の閏年しかコードしていないなどが挙げられる。 この他、年数処理のバグにより、年自体を誤って判断することで閏年関係のシステムに重大な障害が発生したケースもある。2010年には二進化十進表現の問題から、2016年と認識されて「閏年である」と誤認したバグが多くみられた。→2010年問題#年数処理のバグ グレゴリオ暦の閏年は、次のどちらかで正しく判定できる。 逐次的な4条件 まず、プログラムで処理しやすくするために閏年の規則を、次の4条件に読み替える。 西暦年が400の倍数である場合、閏年 条件 1. を満たさず(西暦年が400の倍数ではなく)、かつ西暦年が100の倍数である場合、平年 条件 1. と 2. を両方とも満たさず(西暦年が100の倍数ではなく)、かつ西暦年が4の倍数である場合、閏年 条件 1. 〜 3. を全て満たさない場合、平年 Microsoft Excelでは、西暦年が記載されているセルをA1とすると、以下のように記述できる。 =IF(MOD(A1,400)=0,"閏年",IF(MOD(A1,100)=0,"平年",IF(MOD(A1,4)=0,"閏年","平年"))) =IFS(MOD(A1,400)=0,"閏年",MOD(A1,100)=0,"平年",MOD(A1,4)=0,"閏年",TRUE,"平年")(IFS関数が使用可能なバージョン) 1つの論理式 また、閏年の規則は次の1つだけの論理式に読み替えることもできる。 西暦年が、「4の倍数である」かつ「100の倍数でない」または「400の倍数である」ならば閏年、そうでなければ平年 Microsoft Excelや他のプログラム言語では、以下のように記述できる。Microsoft Excelでは西暦年が記載されているセルをA1、他のプログラム言語では西暦年が格納されている変数をyear, YEARとする。 =IF(OR(AND(MOD(A1,4)=0,MOD(A1,100)<>0),MOD(A1,400)=0),"閏年","平年")(Microsoft Excelなど) year % 4 == 0 && year % 100 != 0 || year % 400 == 0(C言語など) year Mod 4 = 0 And year Mod 100 <> 0 Or year Mod 400 = 0(Visual Basicなど) FUNCTION MOD(YEAR 4) = ZERO AND FUNCTION MOD(YEAR 100) NOT = ZERO OR FUNCTION MOD(YEAR 400) = ZERO(COBOL) 誕生日 グレゴリオ暦の場合、2月29日生まれの者の誕生日は閏年に限り到来し、平年に誕生日は存在しない。このため、誕生日を基準に何かを行う場合は、平年ではその前後の日(2月28日か3月1日)を誕生日とみなす必要がある。 日本の法律では、誕生日を基準とした行政手続に限り「みなし誕生日」を2月28日としている。また、年齢計算については、もともと期間の満了は起算日応当日の前日であるところ、起算日を例外的に1日早く初日(出生日)とする関係で、1年間の満了(加齢)も1日早く誕生日の前日となる。このため、2月29日生まれの者は、平閏を問わず、毎年2月28日24時に加齢される(→満年齢、年齢計算ニ関スル法律)。 脚注 注釈 出典 関連項目 改暦 暦法の一覧 複偶数 夏季オリンピック 平年 日曜日から始まる閏年 月曜日から始まる閏年 火曜日から始まる閏年 水曜日から始まる閏年 木曜日から始まる閏年 金曜日から始まる閏年 土曜日から始まる閏年 暦法
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内田有紀
内田 有紀(うちだ ゆき、1975年(昭和50年)11月16日 - )は、日本の女優、歌手、モデル、司会者、タレント。東京都出身。本名同じ。★☆北区つかこうへい劇団第8期生。 所属レコード会社はキングレコード、所属事務所はバーニングプロダクション。 来歴 東京都広尾生まれ、裕福な家庭に育つ。小学6年生の頃に母親がモデルにスカウトされ一緒に撮影所へ向かう。その後、中学2年生からモデル活動を始め、CMにも出演していた。 1992年(平成4年)のテレビドラマ『その時、ハートは盗まれた』(フジテレビ)への出演で女優デビューし、同年冬には、ユニチカの1993年 水着キャンペーンモデルに選出された。この頃、芸能活動に専念するために藤村女子高等学校を高2で中退。高校在学時代はフェンシングをしており、オリンピック出場を目指していた(東京都大会で3位入賞の実績がある)。映画『CAT'S EYE』では ケイン・コスギ演じる殺し屋にフェンシングで格闘し勝利するシーンがある。 1994年(平成6年)、『時をかける少女』(フジテレビ)で連続ドラマ初主演。同年10月には『TENCAを取ろう! -内田の野望- 』で歌手デビューし、オリコン史上初女性ソロ歌手のデビュー曲で初登場1位を記録。また、同年の『フジテレビビジュアルクイーン』に選出されるなどアイドル・女優として絶大な人気を得る。以降、女優業と歌を軸に活動した。 2000年(平成12年)1月、演技の勉強を基礎からやり直すとして、「北区つかこうへい劇団」に8期生として入団。それに伴って約3年間の予定で歌手業を休業、活動の場をテレビドラマ・映画から舞台へと移した。 2002年(平成14年)に同年11月28日を以て芸能界を引退することを示し、同年9月に放送されたテレビドラマ『北の国から 2002遺言』(フジテレビ)を最後に芸能界から一時引退した。その後、同年12月に『北の国から 2002遺言』で共演した俳優の吉岡秀隆と結婚。 2005年(平成17年)12月に吉岡と離婚。「自分の居場所を見つけたい」として芸能界に復帰。翌2006年(平成18年)に放送されたテレビドラマ『誰よりもママを愛す』(TBS)に主演の田村正和演じる専業主夫の長女役で出演し、女優としての活動を再開した。芸能事務所もフリーの立場で独立・他所などへは移籍せず、古巣のバーニングプロダクションに復帰。 離婚後、『ビッグウイング』(TBS)で共演した柏原崇と長らく交際。その後、柏原は俳優業を引退し内田のマネージャーに転身した。このことは公にはしていなかったが、2022年放送の『A-Studio+』(TBS)において柏原の名前を伏せた上で初めて公表した。 出演 テレビドラマ ボクたちのドラマシリーズ(フジテレビ) その時、ハートは盗まれた(1992年11月19日 - 12月17日) - 麻生早紀 役 時をかける少女(1994年2月19日 - 3月19日) - 主演・芳山和子 役 17才-at seventeen-(1994年4月28日 - 9月1日) - 主演・日高巧美役 ひとつ屋根の下(1993年4月12日 - 6月28日、フジテレビ) - 日吉利奈 役 If もしも 「この夏、あなたにぴったりの髪型は?ロングかショートか」(1993年7月1日、フジテレビ) - 主演・清水さおり 役 じゃじゃ馬ならし(1993年7月5日 - 9月20日、フジテレビ) - 玉置亜矢 役 仰げば尊し 第3話「さよなら…先生」(1994年1月3日、フジテレビ) - 山上ユキ 役 世にも奇妙な物語(フジテレビ) '94 冬の特別編「心の声が聞こえる」(1994年1月6日) - 主演 '08 秋の特別編「ボディレンタル」(2008年9月23日) - 主演・篠塚香織 役 半熟卵(1994年10月21日 - 12月16日、フジテレビ) - 大場歌南 役 キャンパスノート(1996年1月12日 - 3月22日、TBS) - 主演・鶴岡はるか 役 翼をください!(1996年7月1日 - 9月23日、フジテレビ) - 主演・川辺藤子 役 踊る大捜査線番外編「湾岸署婦警物語 初夏の交通安全スペシャル」(1998年6月19日、フジテレビ) - 主演・篠原夏美 役 あきまへんで!(1998年10月9日 - 12月18日、TBS) - 青木すみれ 役 甘い生活。(1999年7月7日 - 9月22日、日本テレビ) - 深町アズサ 役 氷の世界(1999年10月11日 - 12月20日、フジテレビ) - 庄野月子 役 天使が消えた街(2000年4月12日 - 6月28日、日本テレビ) - 吉井タマキ 役 涙をふいて(2000年10月11日 - 12月20日、フジテレビ) - 村田(斉藤)珠美 役 ビッグウイング(2001年1月12日 - 3月20日、TBS) - 主演・吉川久美子 役 北の国から 2002遺言(2002年9月6日・7日、フジテレビ) - 高村結 役 誰よりもママを愛す(2006年7月2日 - 9月10日、TBS) - 嘉門雪 役 ※復帰作 マグロ(2007年1月5日・6日、テレビ朝日) - 坂崎真由 役 松本清張スペシャル 地方紙を買う女(2007年1月30日、日本テレビ、火曜ドラマゴールド) - 主演・潮田芳子 役 バンビ〜ノ!(2007年4月18日 - 6月27日、日本テレビ) - 宍戸美幸 役 医龍-Team Medical Dragon-2(2007年10月11日 - 12月20日、フジテレビ) - 片岡一美 役 イノセント・ラヴ(2008年10月20日 - 12月22日、フジテレビ) - 遠野聖花 役 神の雫(2009年1月13日 - 3月10日、日本テレビ) - 西園寺マキ 役 ギネ 産婦人科の女たち(2009年10月14日 - 12月9日、日本テレビ) - 瀬川一代 役 検事・鬼島平八郎(2010年10月22日 - 12月3日、朝日放送) - 森本真紀 役 大切なことはすべて君が教えてくれた(2011年1月17日 - 3月28日、フジテレビ) - 水谷亜弥 役 ドン★キホーテ(2011年7月9日 - 9月24日、日本テレビ) - 鯖島あゆみ 役 帰郷(2011年12月23日、TBS) - 神尾珠美 役 最後から二番目の恋(2012年1月12日- 3月22日、フジテレビ) - 長倉万理子 役 最後から二番目の恋 2012秋(2012年11月2日) 続・最後から二番目の恋(2014年4月17日 - 6月26日) 早海さんと呼ばれる日スペシャル 前編(2012年6月10日、フジテレビ) - 宮沢瑛子 役 未来日記-ANOTHER:WORLD- 第10話・最終話(2012年6月23日・30日、フジテレビ) - 神宮寺雫 役 踊る大捜査線 THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件(2012年9月1日、フジテレビ) - 篠原夏美 役 ドクターX〜外科医・大門未知子〜(テレビ朝日)(2012年10月18日 - 12月13日、テレビ朝日) - 城之内博美 役 ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第2シリーズ(2013年10月17日 - 12月19日) ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第3シリーズ(2014年10月9日 - 12月18日) ドクターX〜外科医・大門未知子〜スペシャル(2016年7月3日) ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第4シリーズ(2016年10月13日 - 12月22日) ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第5シリーズ(2017年10月12日 - 12月14日) ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第6シリーズ(2019年10月17日 - 12月19日) ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第7シリーズ(2021年10月14日 - 12月16日) サキ(2013年1月8日 - 3月19日、関西テレビ) - 濱田直美 役 火怨・北の英雄 アテルイ伝(2013年1月11日 - 2月1日、NHK BSプレミアム) - 佳那 役 ダブルス〜二人の刑事(2013年4月18日 - 6月13日、テレビ朝日) - 日下涼子 役 大河ドラマ(NHK総合) 軍師官兵衛(2014年1月5日 - 12月21日) - お濃 役 西郷どん(2018年) - おゆう 役 Dr.倫太郎(2015年4月 - 6月、日本テレビ) - 桐生薫 役 偽装の夫婦(2015年10月7日 - 12月9日、日本テレビ) - 水森しおり 役 はぶらし/女友だち(2016年1月5日 - 2月23日、NHK BSプレミアム) - 主演・真壁鈴音 役 ナオミとカナコ(2016年1月14日 - 3月17日、フジテレビ) - 服部加奈子 役 荒神(2018年2月17日、BSプレミアム) - 主演・朱音 役 真犯人(2018年9月23日 - 10月21日、WOWOW) - ヒロイン・尾畑理恵 役 連続テレビ小説 まんぷく(2018年10月1日 - 2019年3月30日、NHK総合) - 小野塚(今井)咲 役 わたし、定時で帰ります。(2019年4月16日 - 6月25日、TBS) - 賤ヶ岳八重 役 引き抜き屋 〜ヘッドハンターの流儀〜(2019年11月16日 - 12月14日、WOWOW) - 渡会花緒里 役 ディア・ペイシェント〜絆のカルテ〜(2020年7月17日 - 9月18日、NHK総合・NHK BS4K) - 浜口陽子 役 ドクターY〜外科医・加地秀樹〜(2020年10月4日、テレビ朝日) - 城之内博美 役 うつ病九段(2020年12月20日、NHK BSプレミアム) - ヒロイン・先崎繭 役 華麗なる一族(2021年4月18日 - 7月11日、WOWOW) - ヒロイン・高須相子 役 津田梅子〜お札になった留学生〜(2022年3月5日、テレビ朝日) - 津田初子 役 未来への10カウント(2022年4月14日 - 6月9日、テレビ朝日) - 大場麻琴 役 君の花になる(2022年10月18日 - 12月20日、TBS) - 香坂すみれ 役 連続ドラマW フィクサー Season1(2023年春〈予定〉 - 、WOWOW) - 沢村玲子 役 配信ドラマ 30ハケン女が就職する方法♪(2010年2月1日 - 4月5日、NTTドコモ BeeTV) - 主演・神林莉子 役 係長 青島俊作 THE MOBILE (2010年6月 - ドコモ動画「携帯電話配信ドラマ」) - 篠原夏美 役 テレビ番組 フジテレビの日888まつり〜祭りだワッショイ〜(1996年8月8日放送) - MC さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル(1995年 - 2001年【1998年除く】、TBS) 歌のゴールデンヒット (2019年10月7日 - TBS) - MC 新美の巨人たち(2021年 - 、テレビ東京) ラジオ 内田有紀 夜空にYOU KISS!(1994年4月 - 2001年3月、ニッポン放送)※後に書籍化 内田有紀の夕暮れストリートキッズ(1995年、セント・ギガ・サテラビュー) 第21回 ラジオ・チャリティー・ミュージックソン(1995年12月24日 - 25日、ニッポン放送系列) - メインパーソナリティを務める。 映画 花より男子(1995年8月19日公開、東映&フジテレビ、ぼくたちの映画シリーズ第一弾) - 主演・牧野つくし 役 CAT'S EYE キャッツ・アイ(1997年8月30日公開、東宝) - 主演・来生愛(キャッツ・アイ三姉妹の三女) 役 BEAT(1998年9月、松竹) - 主演・ミチ 役 監督・ばんざい!(2007年6月2日公開、バンダイビジュアル、TOKYO FM、電通、テレビ朝日、オフィス北野) クワイエットルームにようこそ(2007年10月20日公開、アスミック・エース) - 主演・佐倉明日香 役 禅 ZEN(2009年1月10日公開、角川映画) - おりん 役 踊る大捜査線(東宝) - 篠原夏美 役 踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!(2010年7月3日公開) 踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望(2012年9月7日公開) ばかもの(2010年12月18日公開、ゴー・シネマ) - 主演・吉竹額子 役 俺俺(2013年5月25日公開、ジェイ・ストーム) - サヤカ 役 斉木楠雄のΨ難(2017年10月21日公開、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント/アスミック・エース) - 斉木久留美 役 吹き替え マーベル・シネマティック・ユニバース(ウォルト・ディズニー・ジャパン) アントマン(2015年9月19日公開) - ホープ・ヴァン・ダイン 役〈エヴァンジェリン・リリー〉 アントマン&ワスプ(2018年8月31日公開) - ホープ・ヴァン・ダイン / ワスプ 役〈エヴァンジェリン・リリー〉 アベンジャーズ/エンドゲーム(2019年4月26日公開) - ホープ・ヴァン・ダイン / ワスプ 役〈エヴァンジェリン・リリー〉 CM P&G「クレアラシル」(1990年) 井村屋製菓「あずきバー」(1992年) ロッテ(1992年 - 1997年) 「クランキーチョコレート」 「トッポ」 「ガーナミルクチョコレート」 「目的別チョコレート」 コスモ石油(1993年) ロッテリア(1994年 - 1996年) コカ・コーラ「アクエリアスNEO」(1994年) ロート製薬 「Zi:リセ」(1994年 - 1996年) 「Cキューブ」(1995年 - 2002年) 東京ニュース通信社「週刊TVガイド」(1994年) 集英社文庫(1994年) 資生堂 「ヌーブ」(1997年) 「プラウディア」(1997年) 「TISS」(1999年) アサヒ飲料 「カルピスウォーター」(1995年 - 1997年) 「優」(1999年) Victoria SKI(1995年 - 1996年) エプソン「カラリオ」「vividy」(1995年 - 1996年) ジャストシステム「一太郎9」(1998年) 丸八真綿「ファーベット」(2000年、郷ひろみと共演) 花王 ソフィーナ「AUBE」(2001年) 「ピュオーラ」(2012年 - 2013年) LION「バファリンA」(2008年) 武富士 「計画的なビリヤード篇」(2008年10月) 「計画的な花言葉篇」(2008年10月) 「計画的な藍色篇」(2009年6月 - 2009年8月) エバーライフ「美・皇潤」(2012年) DHC「Q10濃密うるおいベースメークシリーズ」(2015年 - ) ファーストリテイリング 「GU」(2016年 - ) ソニー損害保険 「ZiPPi〈ジッピ〉新登場」篇(2017年1月14日 - ) 興和 コルゲンコーワIB錠TXα「愛情 旦那さん」篇、「愛情 奥さん」篇(2021年11月2日 - ) - 斎藤工と共演 舞台 銀ちゃんが逝く(2000年) 新・飛龍伝(2001年) 熱海殺人事件〜モンテカルロ・イリュージョン(2002年) ジャックとその主人(2008年) 異人たちとの夏(2009年) 七人ぐらいの兵士(2015年) 作品 シングル コラボレーション・シングル アルバム オリジナル・アルバム ミニ・アルバム ベスト・アルバム 映像作品 イメージ・ビデオ ライブ・ビデオ ミュージック・ビデオ 参加楽曲 タイアップ一覧 書籍等 VISUAL QUEEN OF THE YEAR'93 (扶桑社) YUKISS (集英社) 有紀と月と太陽と (ワニブックス) CAT'S EYE (ワニブックス) 内田有紀「夜空に YOUKISS!」 (扶桑社) 大人の女性のためのトラベル・ウェブ・マガジン『旅色Luxury Stays』(2009年) 脚注 注釈 出典 外部リンク __YUKI UCHIDA OFFICIAL WEB SITE __内田有紀オフィシャルサイト バーニングプロダクション(内田有紀) - バーニングプロダクション 日本の女優 アイドル出身の俳優 日本の女性歌手 日本の女性アイドル ユニチカアンバサダー フジテレビビジュアルクイーン キングレコードのアーティスト バーニングプロダクション系列所属者 東京都区部出身の人物 1975年生 存命人物
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後藤久美子
後藤 久美子(ごとう くみこ、1974年3月26日 - )は、日本の女優、モデル、タレント。愛称はゴクミ。東京都杉並区出身。スイス・ジュネーブ在住。オスカープロモーション所属。 経歴 くまの幼稚園、区立大宮小学校、区立大宮中学校、多摩大学附属聖ヶ丘高等学校卒業。小学校5年生のときからモデルを始め、1986年、NHKの『テレビの国のアリス』のヒロイン役で女優デビューする。第24回ゴールデンアロー賞 放送・新人賞を受賞。以降、「国民的美少女」を謳い文句に、世に言う美少女ブームを巻き起こした。映画出演作に『男はつらいよ』(松竹)、『ラブストーリーを君に』、『ガラスの中の少女』、『シティーハンター』などがある。「男はつらいよ」シリーズには、6回に渡り同役で出演し、実現しなかった第49作『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』にも出演が予定されていた。 1995年にフランス人F1レーサーのジャン・アレジと交際を始める。当時アレジには既に妻子があったが離婚調停中であり、その後前妻とは離婚が成立。96年には渡仏しアレジと同居を始める。現在もアレジとの婚姻手続きはとっておらず、「事実婚」の夫婦である。ジャン・アレジは前妻との間に1人、後藤との間に3人の実子がいる。長男のジュリアーノ・アレジもレーシングドライバーで、2021年からは来日し、スーパーフォーミュラやSUPER GTなどに出場している。 渡仏後は妻としてまた子育てを重視しており、年に1〜2本のCM出演や女性ファッション誌の表紙モデルなどを中心に活動している。また女優業からは一線を退き、映画やドラマでの復帰はないとしている。子供の教育のためにフランスからスイス・ジュネーヴに豪邸を建築し移住し現在も在住しているが、パリやニューヨーク、モナコなどにも邸宅を所有している 。 クルマ好きでも知られ、かつてはクーペ・フィアットを自ら運転し、自身の20歳の誕生日には、150台のみ生産され現在は極めて希少価値が高いディーノ206GTを購入した。 2012年1月には事務所の後輩である武井咲と対面し話題を呼んだ(なお、武井自身はこの対面を“夢の対面”と感じたという)。 愛称の「ゴクミ」は1987年の新語・流行語大賞の流行語部門で銅賞に選ばれる。 2018年10月31日、23年ぶりに女優復帰を発表。2019年12月公開のシリーズ50作目になる『男はつらいよ お帰り 寅さん』でスクリーン復帰。ただしこの映画のみの特別な女優復帰であり、その他の作品に女優として出演する予定はないとしている。 エピソード 性格 サバサバした性格で落ち着きがあり、少女時代からハッキリとものを言うタイプであり、当時の記者会見などでも笑顔をみせず素っ気なく答える姿がたびたびバッシングの的にされていた。時折マスコミに対する発言で物議を醸すことも多かった。「ゴクミ語録」という書籍も出版されている。本人曰く「協調性がない分、孤独でも順応性が高い」。中学生当時はその協調性のなさから、共演者との軋轢や批判を生んだようだが、現在はそれが外国生活に活かされているとのこと。 モデル時代 芸歴は長く、前出のとおり小学校の頃からモデル活動を行っていた。同時期から活躍していたのは宮沢りえで、同学年ということもあって仲が良く、また良きライバル関係でもあった。りえとは11歳の頃、キットカットのCMで共演歴がある。 アレジとの交際・生活 順調に芸歴を重ね、このままオスカープロの看板女優になると思われた矢先、妻子のあるアレジと交際が発覚した。交際時アレジは離婚調停中でありその後に離婚が成立、アレジの住むフランスへ渡った。以後の芸能活動は女優業を休止し、海外在住のまま行える雑誌グラビアやCMに出演する程度となっており、その他の仕事はどんなにギャラを積まれても受けないスタンスであった。 1996年に渡仏し、アレジとは実質的に結婚した。その後3人の子供(1996年に長女、1999年に長男、2007年に次男)を儲けた後、現在の居住であるスイス・ジュネーブへ移った。 現在はアレジと共にフランスにもある自宅で広大な土地を利用し、ワインの生産を行っている。このワインは、ヨーロッパでも高く評価されている。 F1引退後のアレジの現在の総資産は400億円以上と言われており、各国(パリ、モナコ、ロサンゼルス等)に別荘を持ち基本的には家事の一切をしないという生活をしていることが娘のTV出演時に語られている。 娘のエレナが2017年に世界的な名家の令嬢しか招待されないと言われている社交界にデビュー、後藤もアレジと共にパーティに参加したことがメディアで報道され、華やかなセレブ生活が話題となった。 容姿 小麦色の肌と引き締まったスレンダーな体格を特長にしており、かつては「国民的美少女」と呼ばれていた。 子役から10代前半のブレイク時は少女体型で華奢であったが、『週刊プレイボーイ』ではセミヌードを披露。「たかの友梨ビューティクリニック」のCMで披露した小麦色の肢体は、若い女性の注目を集めた。 1986年9月に刊行された『CAPA』ではだぶだぶのスーツにサスペンダーを着用するなど男性風の格好を披露している(撮影は篠山紀信)。また、1991年の大河ドラマ『太平記』では大河ドラマでは初めて、常時男装での出演となった。 2017年には娘のエレナの芸能界デビューに伴い久々に公の場に姿を見せ20歳の子供がいるようには見えないその美貌に再び各メディアに注目された。 2018年10月には約23年ぶりの女優復帰を発表し、映画の記者会見に出演した際にも「大人の女性になり、より美しくなった」等とネットで騒がれた。 2020年1月には映画のプロモーションを兼ねて滅多に出演することのないトーク番組「徹子の部屋」や「サワコの朝」出演での貴重なトークとその美貌が話題を呼んだ。中でも異例とも言える地方番組「おとな旅あるき旅」への出演は交友のあるナビゲーター三田村邦彦からのたっての願いで出演が実現した。2人は20年以上前にドラマで親子を演じておりその当時を知る視聴者から全く容姿が変わらないことや、ほとんど化粧をせずスッピンに近い状態で出演しておりそれも話題となった。 歌手活動 1987年3月18日にはレコードデビューも果たしている。デビュー曲の「teardrop」はオリコン最高3位を記録するが、程なく女優業に専念することになった。1987年4月の「ザ・ベストテン延長戦」でランキング(11位)に登場するが、労働基準法(15歳未満の就労時間の問題)の関係で出演出来なかった。 その他 中学生の時に著したエッセイ集「ゴクミ語録」には、「スポーツ万能で父親に似て力が強く、腕相撲では同級生の男子や母親にも負けない」と記述されている。 チェリストの大藤桂子とは従姉妹にあたる。 交友関係としては桃井かおり、宮沢りえ、中山美穂、三田村邦彦、沢口靖子、吉岡秀隆、津川雅彦と朝丘雪路の娘真由子 (2005年には番組企画で真由子がフランスの豪邸を訪問している)、永瀬正敏, 工藤静香など。特に吉岡秀隆の相手役としては合計5作品に出演した。 子役時代に姉ともに明石家さんまの番組あっぱれさんま大先生のオーディションを受けに行くが、美しすぎて子供らしくないという理由で落選させたと後に明石家さんまがラジオ番組で発言した。但し、番組開始当時後藤は既に国民的アイドルに上り詰めているため、別番組の記憶と混同している可能性が高い。 5歳上の姉と2歳年上の兄がいる。この姉が学生時代によく芸能事務所からスカウトを受けておりそれを見ていた後藤が姉を羨ましく思い自らオスカーへモデルの応募をした。 オスカープロモーションの副社長・鈴木誠司はインタビューで後藤久美子(全所属タレントの中で)だけは別格扱いだと答えている。 オスカープロモーションが総力をあげて開催しているオーディション「国民的美少女コンテスト」は第二の後藤久美子を探せというコンセプトのもと始まった(後藤本人はこのオーディションの出身では無い)。 子供の教育 フランス人のアレジと後藤の間に生まれた子供たちは混血児であることから、日本での差別やイジメの可能性を考慮し、外見を気にしないでのびのびと生活出来る環境で育ってもらいたいとのことで、スイスのジュネーブに邸宅を建築し移住した。また、子供の教育には非常に熱心であり厳しい面もある。長女はモデルをしている。 女優復帰 過去に女優としての復帰はないとされていたが、2019年には23年ぶりに女優として映画出演することになる。その理由として「(スイスの)ジュネーブの自宅に山田洋次監督から長いお手紙が届き『新作を作りたい。どうしても君が必要だ。どうにか考えてもらえないだろうか』と書かれていた」と、熱烈な出演依頼があったことを明かした。手紙からは「山田監督の(『男はつらいよ』)シリーズに対する大きな愛情と、『新作を撮りたい』という情熱をひしひしと感じた」とし、「読み終える頃には、引き受けるか否かを私が考慮する権利すらないのではないかとの思いに至った」と出演を受け入れた心境を説明した。ただし女優としての復帰はこの映画のみの例外的なケースであり、今後もこれまで同様どれだけのギャラを積まれても女優としての出演は無いとされる。 受賞 第44回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞(『男はつらいよ お帰り 寅さん』) 出演 テレビドラマ テレビの国のアリス(1986年、NHK)主演 銀河テレビ小説『続・たけしくん、ハイ!』(1986年、NHK) 肝っ玉ママとオチャメな天使(1986年、フジテレビ系) 大河ドラマ(NHK) 『独眼竜政宗』(1987年) - 愛姫(少女期) 役 『太平記』(1991年) - 北畠顕家 役 パンツの穴(1987年、フジテレビ系)-主演 ママはアイドル!(1987年、TBS系) - 水沢晶 役 同級生は13歳(1987年、フジテレビ系) - 主演・日向夏子 役 おヨビでない奴!(1987年、TBS系) 新春ドラマスペシャル「なつかしい春が来た」(1988年、フジテレビ系) - 佐紀 役 ママはアイドル!スペシャル完結編(1988年3月、TBS)- 水沢晶 役 痛快!ロックンロール通り(1988年、TBS系) - 主演・山口あかね 役 パパは年中苦労する第6話 (1988年、TBS系列) - 本人役 風少女(1988年、日本テレビ系)- 主演・麻生千秋 役 橋田寿賀子ドラマスペシャル「女たちの百万石」(1988年10月、日本テレビ) アイラブユーからはじめよう(1989年、TBS系)- 主演・氷室由紀 役 空と海をこえて(1989年、TBS系)-主演・桂木あかね 役 痛快!ロックンロール通りファイナル(1989年4月、TBS)- 主演・山口あかね 役 火の用心(1990年、日本テレビ系)-主演・大口アミ 役 月曜ドラマスペシャル「リトルステップ-命の限り踊りたい-」(1990年、TBS系)主演 伊豆の踊り子(1992年、TBS系) もう涙は見せない(1993年、フジテレビ系) - 主演・瀬戸碧 役 鶴姫伝奇 -興亡瀬戸内水軍-(1993年、日本テレビ系) - 主演・鶴姫 役 企業病棟(1994年4月、NHK総合)-主演・翔子 役 テレビ朝日ドラマスペシャル「誰よりも君のこと」(1994年10月6日) -主演・坪井知美 役 ラジオ番組 後藤久美子 気まぐれファンタジア(1987年4月〜10月、ニッポン放送) 後藤久美子 気まぐれスケッチ(同年10月〜88年4月、同上) なお、上記の番組に出演していた当時後藤は13歳で、当時日本最年少ラジオパーソナリティであった。 映画 ラブ・ストーリーを君に(1988年、東映) - 主演・広瀬由美 役 『日本アカデミー賞』新人俳優賞 『日刊スポーツ映画大賞』新人賞 ガラスの中の少女(1988年、東映 吉永小百合出演作のリメイク) - 主演・沖中靖子 役 男はつらいよシリーズ(1989 - 95年、2019年) - 及川泉 役 男はつらいよ ぼくの伯父さん(1989年、松竹) 男はつらいよ 寅次郎の休日(1990年、松竹) 男はつらいよ 寅次郎の告白(1991年、松竹) 男はつらいよ 寅次郎の青春(1992年、松竹) 男はつらいよ 寅次郎紅の花(1995年、松竹) 男はつらいよ お帰り 寅さん(2019年、松竹) シティーハンター(1993年、アメリカ・香港合作) - 今村清子 役 ひめゆりの塔(1995年、東宝) - 渡久地泰子 役 キャンプで逢いましょう(1995年、東宝) - 主演・吉川水穂 役 CM マリトピア(1984年)(佐賀市の結婚式場) サントリーフーズ「フリーズドライ紅茶『TESS』」(1984年)※中川勝彦と共演 ネスレ日本 『キットカット』(1985年)※宮沢りえと共演 ポッカ 『元気であいさつ』 住友スリーエム 『スコッチEG , EXG』 日立製作所 『PROSET 30』(1988年) ヘレンカーチス『サロンセレクティブ』(1989年) 花王(1986年 - 1987年、2007年 - ) ゼネラル石油 『エッセンシャル キューティクル・ケアシャンプー&リンス』(1986年 - 1987年) 『アジエンス』(2007年 - ) 日本アジア航空「JAA」起業CF 資生堂 『MA CHÉRIE(マシェリ)』(1996年) 『MAQuillAGE(マキアージュ)』 (2012年 - 2013年) 『ザ・コラーゲン』 (2014年 - 2016年) 国鉄 ・ JR東日本(1987年 - 1988年) ミノルタ 『マックデュアル』(1987年) 日立製作所 ヤマハ発動機新型電動自転車「パススマイル」 DENON (1987年 - 1988年) 大正製薬 『パブロン』(1987年 - 1995年) ヤマザキビスケット(1986年 - 1996年) 『チップスター』 『オレオ』 マツダ 『キャロル』(1995年) プレイステーション 『Formula 1 97』(1997年)※ジャン・アレジと共演 日本コカ・コーラ 『ナチュア』(2001年) 日本綜合地所(2002年10月) 東洋ゴム工業 『トランパス』 ※ジャン・アレジと共演 トヨタ自動車 『ヴィッツ』(2007年 - 2010年) キリンビール 「キリン1000(サウザン)」(2010年 - 2012年) ネスレ日本「ネスカフェ生豆ブレンド」 (2013年 - 2014年) サントリー『オランジーナ』(2013年)※リチャード・ギアと共演 ディスコグラフィー 一時期(約一年間)、アイドル歌手としても活躍していた。全て日本コロムビアより発売。 シングル 1st teardrop (1987年3月18日) 1.teardrop - DENON・CDコンポ「CONCEPT」CMソング 2.若葉のイリュージョン - フジテレビ・夏のキャンペーンソング、フジテレビ系ドラマ『同級生は13歳』挿入歌 2nd 初恋に気づいて (CDS)(1988年1月21日) 1. 初恋に気づいて - TBS系ドラマ『痛快!ロックンロール通り』挿入歌、DENON・CDコンポ「CONCEPT」CMソング 2. 北風の約束 80年代では珍しいマキシシングルとしての発売だったが、これは8cmCDの販売開始直前であったため。 2nd 初恋に気づいて (12インチ、MAXI) 1. 初恋に気づいて 2. 北風の約束 3. teardrop アルバム 初恋に気づいて (1988年2月21日) 1. 北風の約束 2. WIND BLOWS 3. 若葉のイリュージョン 4. 初恋に気づいて 5. ポプリ 6. teardrop KUMIKO MEMORY BOX 1986-1988 (1988年12月1日) テレビの国のアリス 花王エッセンシャルキューティクル・ケアシャンプー&リンス 住友スリーエム スコッチビデオカセット パンツの穴 ポッカコーポレーション「元気であいさつ」 ヤマザキナビスコ 「チップスター」 タカラ 「こんにちは赤ちゃん」 teardrop 日本コロムビア DENONコンセプト JR東日本 日立製作所OA機器 同級生は13歳 気まぐれスケッチ 若葉のイリュージョン WIND BLOWS 初恋に気づいて 北風の約束 痛快!ロックンロール通り 風少女 ポプリ ラブ・ストーリーを君に 制服の天使 タータン・チェックの手紙 書籍 単行本 『ゴクミ』(2009年11月26日、講談社)ISBN 978-4062158664 写真集 『ゴクミ語録』(1987年6月、角川文庫、撮影:篠山紀信)ISBN 4041694019 『後藤久美子 はじめて - み・つ・め・て』(1987年7月、学習研究社、撮影:井ノ元浩二) 『ラブ・ストーリーを君に』(1988年2月、近代映画社、撮影:斉藤清貴)ISBN 4764814978 『ゑほん・後藤久美子 少女夢』(1988年3月、扶桑社、撮影:篠山紀信)ISBN 4594002390 『I HAD A DREAM』(1995年6月、朝日出版社、撮影:ジャンルー・シーフ)ISBN 4255950148 脚注 関連項目 日本の女優一覧 外部リンク 後藤久美子プロフィール(オスカープロモーション) 後藤久美子 - テレビドラマデータベース 日本の女優 アイドル出身の俳優 日本の女性アイドル 日本の女性ポップ歌手 オスカープロモーションの人物 在スイス日本人 多摩大学附属聖ヶ丘高等学校出身の人物 東京都区部出身の人物 1974年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%BC
ビビアン・スー
ビビアン・スー(Vivian Hsu、徐 若瑄〈シュー・ルオシュエン〉、1975年3月19日- )は、台湾出身のマルチタレント。歌手、女優だけでなく作詞活動など幅広く活動している。身長161cm、血液型A型。1990年代には日本のバラエティ番組に出演し、愛くるしいルックスと天真爛漫なキャラクターで人気を得た。 略歴 1975年(昭和50年)3月19日、台湾の台中県豊原市で生まれる。父親は広東省梅県区出身の客家人、母親はタイヤル族である。世新大学経営学修士(MBA)。 1990年(平成2年)、台湾のCTSテレビ主催「台湾美少女芸能コンテスト」でグランプリを獲得。台湾の男性アイドルグループ「小虎隊」の妹分である「」という3人組の女性アイドルグループの一員として、シングル『Merry Christmas (P.S.I Love You)』でデビュー。 1991年(平成3年)、少女隊としてのファーストアルバム『我的心要去旅行』をリリース。 1994年(平成6年)4月、映画『ビビアン・スーの恋しくて…』に出演し、香港デビュー。 1995年(平成7年)1月、台湾で出版した写真集『天使心』の日本版『Angel』が発売され、週刊誌や月刊誌への掲載によって、日本のメディアへ登場。9月15日、大阪ギャラクシーホールで日本では初のイベント。10月、テレビアニメ『バーチャファイター』のエンディングテーマ『くちびるの神話』をリリース。 1996年(平成8年)、ゴールデンタイムのバラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)にレギュラー出演。 1997年(平成9年)、8月30日に、松竹シネマジャパネスク系の映画館にて『殺し屋&嘘つき娘』で日本映画初出演。12月、「ブラックビスケッツ」として『STAMINA』でデビュー。 1998年(平成10年)4月、ブラックビスケッツから『Timing』を発売する。オリコン、COUNT DOWN TVで初登場2位、出荷枚数は約200万枚の大ヒット。この年のCOUNT DOWN TV年間チャートでは第3位にランクイン。12月、第49回NHK紅白歌合戦に「ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツスペシャルバンド」として初出場。日本レコードセールス大賞で新人ゴールド賞を受賞。 2001年(平成13年)、佐久間正英を中心に土屋昌巳、ミック・カーン、屋敷豪太と「The d.e.p」を結成、ヴォーカルを担当する。5月9日、「The d.e.p」からアルバム『地球的病気』を発売。 2002年(平成14年)3月、最終回のウリナリ祭りで、ブラックビスケッツが特別復活し、ブラックビスケッツの楽曲4曲全てを熱唱した。8 - 10月、PCオンラインゲーム『エターナルカオス』のイメージガールを務める。 2003年(平成15年)、元SIAM SHADEの遠藤一馬とVivian or Kazumaとして毎日放送・TBS系TVアニメ『機動戦士ガンダムSEED』のオープニング曲を歌う。作中では、声優としてアイシャの声を当てた。 2006年(平成18年)2月、持病の外反母趾が悪化し、主演映画『靴に恋する人魚』の台湾上映PR直後に台湾の病院に入院、5時間の手術を済ませ、療養しながら仕事復帰。7月、『靴に恋する人魚』公開前プロモーションのため来日。また、療養中に作詞活動を行う。9月、新アルバム『Vivi and...』を台湾で発売。香港、シンガポール、マレーシアの各国をプロモーションで廻った。 2007年(平成19年)1月下旬、主演ドラマ『天使の約束』が日本で放送される。2月から約2か月間アメリカに留学し、英語、歌やダンスなどを学ぶ。3月15日、台湾の台北市で開かれた下着メーカーのモードマリエのファッションショーに出演し「前はBカップだったけど、今はCカップに成長した」と述べる。8月、ワーナーミュージックに移籍する。10月、第20回東京国際映画祭協賛企画・2007東京・中国映画週間オープニング映画として上映された『雲水謡』に出演。 2008年(平成20年)2月、旧正月(2月7日)前あたりから父親の看病に専念するために一時的に休業するが、3月に復帰する。4月、中国各地を代表する100人の1人として、オリンピック100日記念イベントの主題歌『北京歓迎你』を歌う。5月、張惠妹の応援で林志玲(リン・チーリン)と共に来日。 2009年(平成21年)3月20日、沖縄国際映画祭にて中国映画『狙った恋の落とし方。』(映画祭邦題:If You Are The One)の舞台あいさつをするために来日、秋以降に日本語のCDを発売すると発表。 2010年(平成22年)、テレビアニメ『くるねこ』のテーマソングをきっかけに日本での活動を本格的に再開する事が決定。また、ピーター・ホーと共に上海万博のテーマソング『微笑说你好』を歌う。シングル『Beautiful Day』、『NICE AND NAUGHTY』を発売。 2011年(平成23年)、アルバム『Natural Beauty』を発売。 2020年(令和2年)7月、映画『コンフィデンスマンJP -プリンセス編-』に出演。 2022年(令和4年)12月3日、音楽特別番組『日テレ系音楽の祭典 ベストアーティスト』に出演するため、先述の映画公開挨拶以来2年ぶりに訪日した。出演は歌手としてで、同局系で1999年までレギュラー出演していた先述の『ウリナリ!!』発のユニット・ブラックビスケッツの楽曲を同番組最終回の2002年(平成14年)3月以来、約20年半ぶりに歌唱。 学歴 台中市立健行国民小学卒業(Taichung JianXing Elementary School) 新北市立樹林高級中学卒業(New Taipei Municipal Shu-Lin High School) 国立台北商業専科学校附設高商補校中退(National Taipei College Of Business) 世新大学経営学修士(MBA)(Shih Hsin University) 人物 特技はスポーツ全般、特にボウリングの最高得点は256点。好物は、抹茶アイスクリームとしゃぶしゃぶ。好きな言葉は「努力」。目標は、誰からも愛される歌手、女優になること。北京語、台湾語、広東語、日本語、英語、韓国語を話す。 日本での活動期間中も何度か台湾での仕事のためにレギュラー番組を休むことがあったが、1999年(平成11年)以降は主な活動拠点を台湾に移行。 スキューバダイビング関連会社PADIジャパンのイメージキャラクターとして、プロフェッショナルのモデルダイバーを務めたこともある。 2014年(平成26年)2月、シンガポールの大手海運業:zh:馬可波羅海業の二代目CEOである李雲峰(Sean Lee)と入籍したことを発表。同年6月にバリ島で結婚式を挙げ、招待客に祝福された。その後、台湾でも式を挙げたという。 2015年(平成27年)8月、シンガポールの病院で男児を出産。 2021年(令和3年)11月、体調不良のため入院したことを公表。 出演 テレビ バラエティ番組 森田一義アワー 笑っていいとも! (レギュラー出演期間は1999 - 2000年、2001,2010年にゲスト出演 フジテレビ系) ウッチャンナンチャンのウリナリ!! (レギュラー出演期間は1996 - 1999年、2000年・2002年にゲスト出演 日本テレビ系) とんねるずの本汁でしょう!!(フジテレビ系) 優香&ビビアンのムチャ修行!(中京テレビ制作、日本テレビ系) 高田・久本・ビビアン 最強の料理人を探せ!!(中京テレビ制作、日本テレビ系) DAIBAッテキ!!(フジテレビ系) THE夜もヒッパレ(日本テレビ系) さんま・所のオシャベリの殿堂(日本テレビ系) 大マジカル頭脳パワー!! あなたは超クイズに必ず3回ひっかかるぞスペシャル!!(1999年1月7日、絶好調チームとして出演 日本テレビ系) スーパークイズスペシャル(ウリナリチームとして出演 日本テレビ系) 学校へ行こう!(TBS系) PON!(2010年8月30日、日本テレビ) DON!(2010年8月31日、日本テレビ) 歌の楽園(2011年3月6日、テレビ東京) 日テレ系音楽の祭典 ベストアーティスト(2022年12月3日、日本テレビ) おしゃれクリップ(2022年12月11日、日本テレビ) ヒルナンデス!(2022年12月21日、日本テレビ) ドラマ Missダイヤモンド(1995年、テレビ朝日) - 佐伯リミ役 東京23区の女(1996年、フジテレビ系) - 第1回「港区の女」 セミダブル(1999年、フジテレビ系) - 神田蘭蘭役 バカヤロー!2000 ニッポン人の怒りが爆発する!!(2000年、日本テレビ系) 雨に眠れ(2000年、TBS系) - 李安安役 史上最悪のデート(2000年、日本テレビ系) - デートクイーン役 本家のヨメ(2001年、日本テレビ系、共演:岩下志麻) - 山田のぞみ役 Love Storm〜狂愛龍捲風〜(2003年、台湾、共演:F4周渝民、朱孝天) - 趙家樂役 (2006年、中国、共演:胡歌) 恋愛兵法(2007年、中国、共演:キム・ジョンフン) 金田一少年の事件簿 香港九龍財宝殺人事件(2013年、日本テレビ系) - リュウ・アイビー役 アニメ 機動戦士ガンダムSEED(2002年、2012年、アイシャ) 吹き替え マーヴェリック - インディアンの少女役 ※金曜ロードショー版 CM トヨタ 「イプサム」 エースコック 「ラーメンの鉄人」「うどんの鉄人」「そばの鉄人」 アビバ(1997年) 千寿製薬 「マイティアCL」(1998年) 大塚ベバレジ 「マッチ」(1998年 - 2000年) 任天堂 「マリオパーティ2」(1999年) セガトイズ 「プーチ」(2000年) ピザーラ DDIポケット電話 ウテナ 「プロカリテ」 ファブリカコミュニケーションズ(2005年) ダイキン工業 「うるるとさらら」(2000年) 資生堂 「プラウディア」(2002年) スリムビューティハウス(2010年) 花王「エッセンシャル」(2010年 - 2013年) 映画 ビビアン・スーの恋しくて…(1994年、香港・台湾) ビビアン・スーの桃色天使(1994年、台湾) ビビアン・スーの天使の戯れ(1995年、台湾) ビビアン・スーの天使と悪魔(1995年、台湾) ビビアン・スーのパイレーツの逆襲(1996年、香港) ビビアン・スーのロマンシング・ドラゴン(1996年、香港・台湾) ビビアン・スー&スーチーin恋する季節(1997年、香港) 殺し屋&嘘つき娘(1997年、日本)-麗華 役 君を見つけた25時(1998年、香港) ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説(2000年、日本・インド) アクシデンタル・スパイ(2001年、香港) 一輪明月 弘一大師の生涯(2005年、中国) 靴に恋する人魚(2006年、台湾) 雲水謡(2006年、中国)2007東京・中国映画週間で上映 茶舞(2006年、中国) 背着你跳舞 (2008年、中国) 狙った恋の落とし方。 (2008年、中国) 少年星海(2009年、中国) (2010年、中国) ホット・サマー・デイズ(2010年、中国) (2010年、台湾)第23回東京国際映画祭で上映 セデック・バレ 第一部 太陽旗/第二部 虹の橋(2011年、台湾) 白蛇伝説〜ホワイト・スネーク〜(2011年、中国、香港) 星の音(2011年、中国)2011日本・中国映画週間で上映 ファッションの達人(2011年、中国)2012東京・中国映画週間で上映 その夏に抱かれて(2014年、台湾)アジアフォーカス・福岡国際映画祭2015で上映 人面魚 THE DEVIL FISH(2018年、台湾) - ファン・ヤーフェイ役 コンフィデンスマンJP -プリンセス編-(2020年、日本) - ブリジット・フゥ役 弱くて強い女たち(2020年、台湾) - 陳宛瑜 役 プロモーションビデオ 可愛女人(周杰倫)(2000年、台湾) 君が追いかけた夢(Gackt)(2003年、日本) Lie(Gavy N.J)(2008年、韓国) 因為妳是女人(呉克羣)(2012年、台湾) 好好(想把你寫成一首歌)(五月天/メイデイ)(2016年、台湾) 作品 CD 少女隊名義 我的心要去旅行(アルバム・1991年) 偏愛你的心(アルバム・1992年) ビビアン・スー名義 くちびるの神話(シングル・1995年:『バーチャファイター』エンディングテーマ曲) 共犯者(シングル・1996年:バーチャファイター2代目エンディングテーマ曲) 天使・想(Xiang)(アルバム・1996年) 8月のバレンタイン(シングル・1996年) 天使・想(シァン)New Edition (アルバム・1998年) 不敗の恋人(アルバム・2000年) Beautiful Day(シングル・2010年:テレビアニメ『くるねこ』オープニングテーマ曲) NICE AND NAUGHTY(シングル・2010年) Natural Beauty(アルバム・2011年) 天使・想(シアン) NEW EDITION + Natural Beauty(アルバム・2013年) 비비언 수名義 天使美少女(アルバム・1996年) BLACK BISCUITS名義 STAMINA(シングル・1997年) 鬪志(シングル・1997年) Timing(シングル・1998年) 時機(シングル・1998年) Relax(シングル・1998年) 輕鬆(シングル・1998年) Relax〜リラックス〜(12 inch Analog) LP(シングル・1998年) Bye-Bye(シングル・1999年) 再見(シングル・1999年) LIFE(アルバム・1999年) 生機(アルバム・1999年) ウリナリオールスターズ名義 Happy Xmas -War is over-(シングル・1999年) Lil'Viv名義 MARRY ME? (シングル・2001年 :『本家のヨメ 』エンディングテーマ曲)DREAMS COME TRUE のカヴァー。 The d.e.p.名義 Mr.No Problem(シングル・2001年 ) 地球的病気-We are the d.e.p-(アルバム・2001年 ) ITAI(シングル・2001年 ) RAINBOW / MOON SMILE(シングル・2011年 ) Vivian or Kazuma名義 moment(シングル・2003年:『機動戦士ガンダムSEED』主題歌) moment remixes(シングル・2003年:『機動戦士ガンダムSEED』主題歌) 徐若瑄 名義 大麻煩(アルバム・1998年):BMG TAIWAN INC. 不敗の恋人(アルバム・1999年):BMG TAIWAN INC. Happy Past Days(アルバム・2000年):BMG TAIWAN INC. 假扮的天使(アルバム・2000年):BMG TAIWAN INC. 愛的瑄言(アルバム・2001年):BMG TAIWAN INC. 我愛你×4(アルバム・2003年):AVEX TAIWAN INC. 狠狠愛(アルバム・2005年):AVEX TAIWAN INC. Vivi And...(アルバム・2006年):AVEX TAIWAN INC. 夢幻珍藏(アルバム・2006年):BMG TAIWAN INC. Love Vivian 新歌+精選(アルバム・2007年):AVEX TAIWAN INC. 絕對收藏:徐若瑄(アルバム・2008年):BMG TAIWAN INC. 敬女人(シングル・2014年):Wonderful Music Co. Ltd. TAIWAN INC. I'm V(アルバム・2020年):Sony Music Entertainment Taiwan 写真集 「Angel―ビビアン・スー写真集」(撮影・陳文彬、1995年)集英社文彬 「Venus―ビビアン・スー写真集」(撮影・陳文彬、1996年)ぶんか社 著作 世界的日常雑記 ビビアン・スーの地球おにぎり(2000年、角川書店) プライバシー(2001年、TOKYO FM出版) ビビアン・スーの我愛Taiwan(2002年、ワニブックス) 我的倒頭栽人生:從女孩14到女人40,鋼鐵V的勇敢筆記(2016年、時報出版、台湾) 作詞 可愛女人(周杰倫)(2000年、台湾) 伊斯坦堡(周杰倫)(2000年、台湾) 竜巻風(周杰倫)(2000年、台湾) 簡単愛(周杰倫)(2001年、台湾) 開不了口(周杰倫)(2001年、台湾) 想像十個你(呉建豪)(2002年、台湾) 那個女生(呉建豪)(2002年、台湾) 愛情懸崖(周杰倫)(2003年、台湾) 柴米油塩醤醋茶(王力宏)(2011年、台湾) 関連項目 ブラックビスケッツ 人魚 -NOKKOの楽曲- - アルバム「我愛你×4」でカバー 人物 ウリナリオールスターズ 岩下志麻 - ドラマ『本家のヨメ』で共演して以来の親友で、一緒に日本の旅番組(『旅の香り時の遊び』2005年(平成17年)9月27日「3時間スペシャル 心に染みる旅 第5弾」)に出演 遠藤一馬 - Vivian or Kazumaを結成 脚注 外部リンク 個人 徐若瑄VivianHsu(@vivianhsu.ironv) - Instagram 徐若瑄 Vivian Hsu - Facebook その他 ビビアン・スー |(株)テリオ ビビアン・スー |(株)リクエンターテイメント(提携) ビビアン・スー |(株)リクエージェンシー(提携) Far Eastern Tribe Recordsによるビビアン・スー アーティストページ - ブラックビスケッツでのビビアンのプロフィール avex taiwan 台湾の女性歌手 台湾の女優 台湾のアイドル 台湾のモデル 日本の外国人タレント 在日台湾人 在外台湾人 シンガポールの外国人 客家人 タイヤル族 台中市出身の人物 1975年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%9C%AC%E3%81%95%E3%82%84%E3%81%8B
森本さやか
森本 さやか(もりもと さやか) 森本さやか (タレント) - 女性タレント・グラビアアイドル。 森本さやか (アナウンサー) - フジテレビの元女性アナウンサー。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E9%87%8C%E6%B7%B1
吉田里深
吉田 里深(よしだ さとみ、1979年8月5日 - )は、日本のグラビアアイドル。 略歴 1996年、現役女子高生水着アイドルとしてグラビアデビュー。同年10月、初の写真集である『Sixteen Revolution』を出版。 1998年、10月に日本旅行の「赤い風船」イメージガール」に選ばれる。また、ハウス食品のカレーのTVCMに出演。 1999年8月4日、east west japanからHAKUEIプロデュースでCDミニアルバム『Fairy Tale』を発売。 2001年3月、写真集『Sensational Skin』を発売。 2014年7月、芸能事務所GOLDSTARに所属。 2020年3月、株式会社 ENA ENTERTAINMENTに所属。 人物 喫煙者。へそピアスを開けている。 趣味は読書・ライブ鑑賞。 好きな食べ物はイクラ、お新香、チョコレート。 DVD 1996年11月 『ときめきアイドル白書 9 吉田里深 しゅーくりーむ 17歳のEcup美少女にノックアウト!!』(英知出版) 1997年3月 『Chi-Chi Eカップのミューズ』(バンダイ・ミュージックエンタテインメント) 1997年8月 『Final Beauty』(竹書房) 1997年12月 『恋愛微熱』(エイチエムピィ(現:h.m.p)) 写真集 Sixteen Revolution(1996年10月、近代映画社、撮影:斉木弘吉) ISBN 978-4764818019 Miss Peach(1997年5月、ワニブックス、撮影:木村 晴) ISBN 978-4847024627 My Evolution(1998年3月、竹書房、撮影:井ノ元浩二) ISBN 978-4812403655 Sensational Skin(2001年3月、集英社インターナショナル、撮影:清水清太郎) ISBN 978-4797670332 La Poupee Blanche(2004年3月、竹書房、撮影:笠井爾示) ISBN 978-4812415726 脚注 外部リンク 吉田里深のホームページ グラビアアイドル 東京都出身の人物 1979年生 存命人物
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暦(こよみ、れき)とは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの。また、その構成の方法論(暦法)や、それを記載した暦書・暦表(日本のいわゆる「カレンダー」)を指す。さらに、そこで配当された各日ごとに、月齢、天体の出没(日の出・日の入り・月の出・月の入り)の時刻、潮汐(干満)の時刻などの予測値を記したり、曜日、行事、吉凶(暦注)を記したものをも含める。 細分すると、 日を記録するものを暦(こよみ、calendar) 暦による日付の並びを表形式等で表示した暦表・カレンダー (calendar) 暦の方法論である暦法(新暦、旧暦)(calendar) 天象の予報・天体の軌道を記述するものを天体暦(れき、ephemeris) 一年間の日ごとに天象に加えて行事や占いや曜日などを総合して記述したものを生活暦 (almanac) 航海用に一年間の天象・天体の視位置を記述した航海暦(nautical almanac) 紀年法、すなわち西暦・和暦など (calendar era) 本稿においては、このうちの暦(こよみ、calendar)の説明を行う。 語釈 「こよみ」の語源は、江戸時代の谷川士清の『和訓栞』では「日読み」(かよみ)であるとされ、定説となっており、一日・二日...と正しく数えることを意味する。ほかに、本居宣長の「一日一日とつぎつぎと来歴(きふ)るを数へゆく由(よし)の名」、新井白石は「古語にコといひしには、詳細の義あり、ヨミとは数をかぞふる事をいひけり」などの定義がある。 中国の暦も、月日の決定だけでなく日月食の予報や惑星運行の推算(天体暦)などを扱うものであった。過去に関する記録は「歴」、現在から未来に関する記録は「暦」であるが、これをともに扱う役職を史官といい、今でいう歴史学者と天文学者を兼ねていた。また暦は未来を扱うものであるから、予言的な性格をもち、占星術と大きく関わる。占いに関わるものは暦注と呼ばれた。 暦法 古代エジプトにおいて、ナイル川の氾濫の時期に周期性があることに気づいたのが暦の始まりといわれている(シリウス暦)。人類が農耕を行うようになると、適切な農作業の時期を知るために暦は重要なものとなっていった。まず昼夜の周期(地球の自転)が日となり、月の満ち欠けの周期(月の公転)が月に、季節の周期(地球の公転)が年となった。このように暦法は天体運動の周期性に基づいていることから、その観測と周期性の研究が重要であり、これが天文学の基礎となった。一方で、石器時代の35000年前に暦を創ったらしいとの意見もある。紀元前3000年頃のシュメール文明では、季節が冬と夏の2つで、1か月29日か30日の12か月の比較的簡単な暦を作り上げたといわれている。 何を基準として1年を定めるか、閏(閏日・閏月)をどのようにして決めるかなどにより、さまざまな暦法が作られた。大きく分けて以下の3種類がある。 太陽暦 太陰太陽暦 太陰暦 それぞれ、基準は「太陽」、「太陽と月の併用」、「月」である。 現在、世界各国で広く用いられているのは、太陽暦の一つであるグレゴリオ暦である。 それぞれの暦法の長所・短所 元々、「何月」というのは、月の運行を意識したものである。太陰暦は月の運行を強く意識した暦で、「何日」と月のみかけの形が一致する。したがって月が出てさえいれば、その日が何日であるか暦がなくてもわかる。深夜に月の明かりを頼りとして活動をする場合には、月のみかけの形がわかると都合がよい。また、潮の満ち引き(潮汐)は月の位置と密接な関係があるため、漁業や釣りなどの海での活動を行う場合に役に立つ。ただし、完全な太陰暦においては一年が約354日であり、太陽暦に比べ11日短くなるため、3年間で33日、つまり1か月ほどずれてしまい、実際の季節と大きく食い違ってしまう。このため、これを調整する方法として太陽暦を補助的に使用し、閏月を挿入することで実際の季節と暦とのずれを修正する方法がとられるようになった。これが太陰太陽暦である。 それに対して、太陽暦は月の形とは関係なく暦が作られている。したがって暦だけではその日の月の形はわからない。また、各月の日数が一定ではない。しかし、太陽の運行と暦の月日が一致しているので、同じような月日に同じ季節の現象が起きる(草花の開花、鳥の渡りなど)。逆に、同じ月日なのに季節の現象が遅れたり早まったりすることを観察することによって、その年が寒い傾向の年なのか暑い傾向の年なのかを知ることができる。このことは農業や漁業、園芸にとって極めて大切なことである。 様々な国・宗教の暦法 次のようなものが用いられてきた歴史がある。 ツァドク暦 ユリウス暦 グレゴリオ暦 中国暦 月遅れ(中暦) バビロニア暦 ユダヤ暦 ヒンドゥー暦 教会暦 ヒジュラ暦 イラン暦 ツォルキン ローマ暦 フランス革命暦(フランス共和暦) スウェーデン暦 ソビエト連邦暦 ケルト暦 ヴィクラム暦(太陰太陽暦) マヤ暦 エチオピア暦 アルメニア暦 朝鮮の暦 日本と暦 日本ではかつて太陰太陽暦が用いられていた。元嘉暦から宣明暦までは中国暦を輸入して使った。これを漢暦五伝という。貞享暦から天保暦までは、日本人の手によって作られた暦法である。 中国の暦が日本に伝えられたのがいつであるか定かではないが、『日本書紀』には欽明天皇14年(553年)に百済に対し暦博士の来朝を要請し、翌年2月に来たとの記事があり、遅くとも6世紀には伝来していたと考えられる。この頃の百済で施行されていた暦法は元嘉暦であるので、このときに伝来した暦も元嘉暦ではないかと推測される。元岡古墳群(福岡県福岡市)出土の金錯銘大刀(庚寅銘大刀)には「庚寅正月六日庚寅」の銘文があるが、元嘉暦に基づけば570年1月6日と推定され、これが日本における最古の暦使用を示す考古資料となる可能性がある。 また、推古天皇10年(602年)に百済から学僧観勒が暦本や天文地理書などを携えて来日し、幾人かの子弟らがこの観勒について勉強したとある。 平安時代に編集された『政事要略』という本には推古天皇12年(604年)から初めて暦の頒布を行ったと書かれているが、『日本書紀』では持統天皇4年(690年)の条にある「勅を奉りて始めて元嘉暦と儀鳳暦とを行う」という記事が初めてであり、正式採用は持統天皇6年(692年)からという説がある。 文武天皇元年(697年)8月からは元嘉暦が廃され、儀鳳暦が専用された。儀鳳暦は唐で施行された麟徳暦のことである。元嘉暦と儀鳳暦の大きな違いは朔日の決定方法と閏月の置き方である。朔日については、前者は平朔を、後者は定朔を使用していた。また、置閏法については、元嘉暦が19年7閏月という章法を採用していたのに対し、儀鳳暦では章法に拘らない破章法を用いていた。 儀鳳暦以降、大衍暦・五紀暦・宣明暦と唐で施行された暦法が相次いで輸入され施行された。実際の毎年の暦の作成・頒布は暦博士などの暦道の人々が行った。宣明暦は貞観4年(862年)から用いられたが、その後は中国との正式な国交が絶えたため、江戸時代まで823年間も施行された。 江戸時代になると日本でも独自に天文暦学が発展し、明の大統暦や西洋天文学の研究、天体観測が盛んに行われた。このような中で、渋川春海が最初の自国の暦法である貞享暦を作るのに成功した。 貞享暦以後、宝暦暦・寛政暦・天保暦と日本独自に相次いで改暦が行われた。弘化元年(1844年)から施行された天保暦が日本で最後の太陰太陽暦であるが、これまでに実施された太陰太陽暦の中で最も精密なものといわれ、当時中国で用いられていた時憲暦を上回ったと評されているが、当時の世界の流れに逆行して不定時法を導入するなどの問題点もあった。 明治時代にグレゴリオ暦が導入された。 現在でも民間では太陰太陽暦は年中行事や占いのために用いることがあり、これを旧暦と呼んでいるが、これは閏月の置き方を天保暦に借りはしているものの数値や計算法は現代の理論に従っているので、厳密には天保暦と同義ではない。現在の中国でも太陰太陽暦が農暦という名で使われており、基本的に日本の旧暦と同じであるが、1時間の時差のために日がずれることが少なからずある。 日本における暦法一覧 旧暦 元嘉暦 - 儀鳳暦 - 大衍暦 - 五紀暦 - 宣明暦 - 貞享暦 - 宝暦暦 - 寛政暦 - 天保暦 新暦 グレゴリオ暦 年の記述 いわゆる紀年法についても、「西暦」「中華民国暦」「主体暦」のように接尾語として「暦」が用いられることがあるが、暦法と混同してはならない。 紀年法 紀元 和暦 西暦 干支 元号 元号から西暦への変換表 一世一元の詔、一世一元の制 元号法 元号一覧 (日本) 神武天皇即位紀元(皇紀) 中華民国暦 主体暦 クロノグラム 生活暦 日本の暦 大小暦 神宮暦(本暦・略本暦・大暦・小暦) お化け暦 略暦 高島暦 三島暦 - 大宮暦 盲暦 提案されている暦法 世界暦 13の月の暦 ハンキ=ヘンリー・パーマネント・カレンダー 地球以外で用いられる暦法 ダリアン暦(火星の暦法の一つ) 架空の暦法 ホビット庄暦 (Shire Calendar) 実用品としての暦 この場合、暦とはいわずカレンダーということが多い (詳しくはカレンダーの項を参照)。主に予定管理などに使われる。形式は日めくり、月めくりなど様々なものがあり、月めくりのカレンダーの場合だけでも月曜始まりと日曜始まりの2種類がある(稀に土曜始まりもある)。また、日本では宣伝などのために粗品として配布されることもある。そのほかにも、1日1日が分離されていてパズルのように組み立ててカレンダーにする、というものもある。 脚注 注釈 出典 関連項目 日曜日から始まる平年 - 日曜日から始まる閏年 月曜日から始まる平年 - 月曜日から始まる閏年 火曜日から始まる平年 - 火曜日から始まる閏年 水曜日から始まる平年 - 水曜日から始まる閏年 木曜日から始まる平年 - 木曜日から始まる閏年 金曜日から始まる平年 - 金曜日から始まる閏年 土曜日から始まる平年 - 土曜日から始まる閏年 今日のこよみ (うまく表示されなかったらしてみてください) 年(令和年){{#time:Fj日 l|+9 hours}}(日本時間) 以下は毎日自動更新される「今日のこよみ」である。 外部リンク When.exe Ruby版(hosi.org) - 古今東西あらゆる文化および言語で用いられた暦日・暦法・時法・暦年代・暦注などにユニークな名前付けを行い、統一的に扱うことを目的としたフレームワーク。新暦旧暦のみならず、古代暦の相互換算にも対応。 Calendar FAQ LA GRANDE HISTOIRE DU CALENDRIER Крайнев А.М. Современный календарь 暦カレンダー|年度別の暦分類 暦のページ|暦の情報が直ぐに手に入る 暦計算 Online こよみ こよみ 天文学に関する記事
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ニュートリノ天文学
ニュートリノ天文学(ニュートリノてんもんがく、)は、天文学の一分野。太陽や超新星爆発で生成されるニュートリノを観測し、天文現象の解明に役立てることを目的とする。ニュートリノ天文学はまだ発展途上の分野であり、確認されている地球外のニュートリノ源は太陽と超新星SN 1987Aのみである。 観測装置としてはカミオカンデ(解体済み)、スーパーカミオカンデ、カムランド、サドベリー・ニュートリノ天文台 (SNO)、ANTARES、BDUNT、 アイスキューブなどがある。 東京大学名誉教授の小柴昌俊、ペンシルベニア大学名誉教授のレイモンド・デービスがニュートリノ天文学のさきがけとなる成果をあげたとして、2002年にノーベル物理学賞を受賞した。 歴史 宇宙から飛来するニュートリノを検出する試みは1960年代から行われている。 1964年には、レイモンド・デービスらのグループが太陽ニュートリノを検出するために行われた予備実験の成果を報告している。 1967年から、デービスはアメリカ合衆国サウスダコタ州にあるに設置した装置で太陽ニュートリノの観測を行い、太陽が核融合反応を起こしている証拠をつかんだ。しかし同時に、観測されたニュートリノが理論値の3分の1しかないという問題が発見された。これは太陽ニュートリノ問題と呼ばれる。 一方、1983年からカミオカンデで陽子崩壊実験を行っていた小柴らのグループは、1985年からペンシルベニア大学のグループと共同で実験装置を太陽ニュートリノの検出に使えるよう改造し、1987年1月1日から運用を開始した。これによって1989年、デービスの提唱した太陽ニュートリノ問題の存在を確認した。 1987年2月23日、南半球に超新星 SN 1987A があらわれ、重力崩壊に伴うニュートリノバーストが日本のカミオカンデ、アメリカのIMB、ロシアのの3箇所のニュートリノ検出器で検出された。観測成果はカミオカンデのグループによりまとめられ、同年4月に発表された。これにより、超新星爆発の理論モデルの正しさが検証された。一般にはこの出来事をもってニュートリノ天文学の幕開けとされる。 2002年、サドベリー・ニュートリノ天文台の研究チームによって、太陽由来とされるニュートリノからニュートリノ振動が検出され、太陽内部から放出されるニュートリノ減少に関する問題が解決された。 2006年現在、地球内部からの反電子ニュートリノを捉える実験等が進められている。また、アイスキューブ・プロジェクト等によって国際観測網の整備が進められている。 主要なニュートリノ天文台・観測プロジェクト スーパーカミオカンデ - 東京大学宇宙線研究所の実験装置。 カムランド - 東北大学がカミオカンデの跡地に設置した実験装置。 サドベリー・ニュートリノ天文台 (SNO) - カナダにあるニュートリノ天文台。重水を用いている。 ANTARES - フランスのトゥーロン沖深度2500mの海底に光電子管アレイを敷設したニュートリノ望遠鏡。2008年より稼動。 BDUNT - ロシアのバイカル湖において、深度1100mの湖底に設置されたニュートリノ望遠鏡。現在は192個の検出器をもつNT-200が稼働中。 AMANDA - Antarctic Muon And Neutrino Detector Array。南極大陸の氷の下に設置されたニュートリノ望遠鏡。2005年に運用終了し、アイスキューブに引き継いだ。 アイスキューブ - AMANDAに続き、南極大陸の氷の下、1400mから2400mの地点に総計約5000個の光電子増倍管からなる検出器を取り付け、ニュートリノ観測を行う国際共同観測プロジェクト。2011年完成予定。完成時の総体積は1 km3(スーパーカミオカンデの約2万倍の体積)。AMANDAよりも氷を活用した規模が拡大したことによって、より感度の高いニュートリノ観測を行うことができると期待されている。 関連項目 ニュートリノ検出器 高エネルギー天文学 高エネルギー物理学 外部リンク 観測天文学 ニュートリノ 天文学に関する記事
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兼六園
兼六園(けんろくえん)は、石川県金沢市に存在する日本庭園である。国の特別名勝に指定されている。広さは約11.7ヘクタール。 概要 17世紀中期、加賀藩によって金沢城の外郭に造営された「大名庭園」を起源とする江戸時代を代表する池泉回遊式庭園であり、岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで日本三名園の1つに数えられる。2009年3月16日発売の『ミシュラン観光ガイド』では、最高評価の3つ星に選ばれた。園名は、松平定信が『洛陽名園記』を引用し、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の6つの景観を兼ね備えていることから命名した。四季それぞれに趣が深く、季節ごとにさまざまな表情を見せるが、特に雪に備えて行われる雪吊は冬の風物詩となっている。県内でも随一の桜・梅・紅葉の名所でもあり、日本さくら名所100選にも選ばれている。 金沢市の中心部に位置し、周辺には成巽閣、国立工芸館、石川県立美術館、金沢21世紀美術館、石川県政記念しいのき迎賓館を肇めとした文化施設(兼六園周辺文化の森)などの観光地があり、道路(百間堀通り)を隔てて橋一本で金沢城公園とも繋がっている。入園は後楽園、栗林公園と同じく有料となっているが、早朝や年末年始・観桜期・金沢百万石まつりの日・お盆・文化の日などの時期は無料開放されている。また、兼六園の県民観賞の日(毎週土曜日・日曜日)などの各種入場料免除制度もある。 歴史 江戸時代 1676年(延宝4年)、加賀藩5代藩主の前田綱紀が、金沢城に面する傾斜地にあった藩の御作事所を城内に移し、その跡地に自らの別荘である「蓮池御殿(れんちごてん)」を建ててその周りを庭園化したのが兼六園の始まりである。庭は当時は蓮池庭(れんちてい)と呼ばれ、歴代藩主や重臣らが観楓の宴などをする場として使われていたが、1759年(宝暦9年)4月10日に発生した宝暦の大火で焼失した。それから15年後の1774年(安永3年)、10代藩主前田治脩によって蓮池庭が再興され、同年に翠滝と夕顔亭、1776年(安永5年)には内橋亭を造り、庭園が整備された。また、蓮池庭上部にある平坦な場所で当時は空き地になっていた千歳台に藩校である明倫堂と経武館を建てた。 11代藩主の前田斉広は、1819年(文政2年)に37歳で隠居を表明した後、千歳台で自身の隠居所の建設を始め、藩校は現在のいしかわ四高記念公園の場所に移した。3年後の1822年(文政5年)には建坪4000坪・部屋数200を超える隠居所「竹沢御殿(たけざわごてん)」を完成し、この年に白河楽翁(松平定信)によって兼六園と命名された。斉広の死後、竹沢御殿は12代藩主前田斉泰によって取り壊されるが、斉泰は1837年(天保8年)に霞ヶ池を掘り広げたり、栄螺山を築いたり、姿形の良い木を植えるなどして庭を拡張・整備し、1860年(万延元年)には蓮池庭との間にあった塀を取り壊して、現在の形に近い庭園を築いた。 明治時代以後 長らく殿様の私庭として非公開だったが、1871年(明治4年)から日時を限っての公開が開始。同年に園内の山崎山の下に異人館が建てられ、噴水前には理化学校が開設された。1872年(明治5年)には異人館は成巽閣とともに国内初の博物館である金沢勧業博物館となった。同館は1909年(明治42年)に廃止されるが、その間1879年(明治12年)に図書館、1887年(明治20年)に金沢工業学校(後の石川県立工業高等学校)が附属されるなど、大規模なものに拡張された。 1874年(明治7年)5月7日から正式に一般公開され、1876年(明治9年)には兼六園観光案内組合が組織され、積極的な観光利用の歴史が始まった。24時間開放されていたが、石の持ち去りや灯籠の破壊などが後を絶たず、保存徹底の声が上がるようになり、維持・保存費用捻出も兼ねて1976年(昭和51年)から有料とし、時間を限って公開されるようになった。1985年(昭和60年)に特別名勝に指定された。 年表 1676年(延宝4年):前田綱紀が蓮池御殿を造り、その周辺に蓮池庭を作庭。 1759年(宝暦9年):4月10日、宝暦の大火で蓮池庭が焼失。 1792年(寛政4年):3月、現在の園内に藩校の明倫堂が開校。 1822年(文政5年):松平定信が「兼六園」と命名。前田斉広の隠居所・竹沢御殿が完成。 1851年(嘉永4年):9月、竹沢御殿が取り壊される。 1863年(文久3年):7月、成巽閣が完成。 1871年(明治4年):1月、山崎山の下に異人館が完成。正月から9月までの年間19日間、初めて一般に開放される。 1874年(明治7年):2月、太政官布告にもとづいて兼六園が公園に認可される。5月7日、正式に一般公開される。7月、園内に勧業博物館が創設される。 1878年(明治11年):10月、明治天皇が北陸御巡幸で兼六園を訪問。 1880年(明治13年):10月、明治紀念之標が建立される。 1922年(大正11年):3月8日、名勝に指定される。 1924年(大正13年):5月、室生犀星の招きで芥川龍之介が園内の三芳庵別荘に滞在。 1928年(昭和3年):11月、兼六園菊桜が天然記念物に指定される。 1976年(昭和51年):9月、入園料が有料となる。 1985年(昭和60年):3月20日、特別名勝に指定される。 1989年(平成元年):5月、兼六園広坂休憩館が開館。 2000年(平成12年):時雨亭が復元完成。 2018年(平成30年):園内の専用水路、伏越施設の遺構などは「辰巳用水関連施設群」の一部として土木学会選奨土木遺産に選ばれる。 名前の由来について 兼六園の名前は1822年(文政5年)、前田斉広の依頼に応じて白河藩主だった松平定信(白河落翁)が命名したとされることが多い。兼六の語源は宋の詩人・李格非の『洛陽名園記』の中で中国洛陽の名園・湖園を「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える名園」と謳った文をもとに命名した。その文は以下の通り。 しかし、松平定信自筆「花月日記」文政5年(1822年)9月20日の記載には、「大塚へ行。秋色をミて、ただちにかへる。加賀の大守より額字をこふ。兼六園とて、たけ三尺ニ横九尺也。兎ぐの額にハいとけやけし、兼六とハいかがと、とひにやりぬ。」とあり、兼六園の額字を頼まれた松平定信が兼六園の意味を知らなかったことから、この時点ですでに兼六園という名前があったことがわかる。 また、「明治園芸史」220頁に「前田候第12世斉広朝臣、証金龍造園竣功の後に、此湖園記文より、兼六という文字を取りて、園名と為し、白河少将楽翁公の揮毫を請ひて、扁額を作り、之を園門に揚げられしと云ふ、」とあり、加賀藩主斉広が命名したことがわかる。 定信が揮毫した扁額は現在、石川県立伝統産業工芸館に展示されている。 兼六園は、小立野台地の先端部に位置していることから、園内に自然の高低差がある。これによって、園路を登りつめていく際の幽邃な雰囲気と、高台にある霞ヶ池周辺の宏大さ、眼下の城下町の眺望を両立させている。 園内施設 徽軫灯籠 読みは「ことじとうろう」。霞ヶ池の北岸に位置する灯籠で、兼六園を代表する景観となっている。脚が二股になっており、琴糸を支える琴柱に似ていることから名付けられた。高さ2.7メートルの灯籠の脚は、長さが異なる。1863年(文久3年)の「兼六園絵巻」には、現在とは別の場所に両脚が同じ長さで立っている姿が見えることから、明治維新前後に何らかの理由により、片足が短い形で現在の場所に移されたと考えられる。現在の灯籠は昭和53年に設置された2代目。現在の2代目の灯籠を含め、昭和37年から54年までの間に池の中に6度倒され、破損されたため、初代灯籠は公園事務所に保管されている。 噴水 12代藩主前田斉泰が金沢城二の丸に噴水を上げるために試作したとされ、日本に現存する最も古い噴水であるといわれる。噴水のある場所より高い位置にある園内の水源・霞ヶ池から石管で水を引き、水位の高低差だけを利用して、水を噴き上げさせている。そのため、水が噴き上がる最高点は、ほぼ霞が池の水面の高さに相当する。ポンプなどの動力は一切用いておらず、位置エネルギーのみを利用したものである。 明治紀念之標 1880年(明治13年)に西南戦争で戦死した石川県戦士400人を慰霊するために建てられ、日本最初の屋外人物の銅像である。中央に日本武尊像(身長5.5m)、左に石川県戦士忠碑があり、両脇には京都の東本願寺・西本願寺の門跡から移された手向松が植えられている。明治記念之標の土台となっている石は、もともと金沢城玉泉院丸庭園にあったものである。西南戦争での戦死者を、九州の熊襲を平定したヤマトタケルになぞらえ建立された。 なお、この日本武尊像には、「ハトが寄り付かない」という逸話がある。金沢大学名誉教授の廣瀬幸雄は、このことを研究対象として、像の構成要素を調べることで「鳥を寄せ付けない合金」を開発し、2003年のイグノーベル賞を受賞した。 時雨亭 5代藩主前田綱紀の頃からあった建物で、明治時代に取り壊された。2000年(平成12年)に現在地に復元され、休憩処として来園者に開放されている。 唐崎松 霞ヶ池に面して立っているクロマツの木。13代藩主斉泰が、近江八景の一つである琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せて育てたものである。 兼六園菊桜と兼六園熊谷 兼六園菊桜は300枚以上の花弁がつく兼六園発祥の桜の品種で、初代は慶應年間(1865~1868)に孝明天皇より前田斉泰に下賜されたという伝承があり「御所桜」とも呼ばれて1928年(昭和3年)に天然記念物に指定されたが1970年(昭和45年)に枯死した。ただし枯死した時点で樹齢250年以上と判定されているので下賜の件はあくまでも伝承に留まる。なお現在の菊桜は接ぎ木で増殖した2代目だが樹勢が弱い。これとは別に兼六園発祥の桜の品種としては、大輪で濃い目の淡紅色の花弁を付ける一重咲きの兼六園熊谷も存在し、こちらは樹勢が強く見栄えがする。 栄螺山 前田家12代前田斉広が建設した竹沢御殿は、同13代前田斉泰に取り壊され、竹沢庭の改修が行われた。1837年(天保8年)には、泉水の付け替え、掘り足しの工事が行われ、掘った排土を用いて、栄螺山が築かれた。1839年(天保10年)には、山頂に三重の石塔が建てられた。この石塔は、真龍院と栄操院が、斉広の供養のために建立したもので、戸室山から切り出した石で造られている。 雁行橋 雁行橋は、11枚の赤戸室石を、雁が夕空を飛んで行くように作られていることから名付けられている。1枚1枚の石が亀の甲の型をしているため、亀甲(きっこう)橋の別名がある。この橋を渡ると長生きができるということから、大勢の人が渡ったために、石がすり減ってしまい、今は渡ることができない。 その他 根上松 山崎山 内橋亭 夕顔亭 虹橋 船見御亭 雪見灯籠 月見灯籠 梅林 鶺鴒島の相生の松 など ギャラリー 隣接・近隣施設 成巽閣 園の東南側に位置し、1863年(文久3年)に前田斉泰が母親である眞龍院の隠居所として建てられた。金沢城から見て巽(東南)の方向にあること、京都の鷹司家が辰巳殿と呼ばれていたことから当時は巽御殿と呼ばれていた。1929年(昭和4年)に飛鶴庭が国の名勝に指定された。建物は1938年(昭和13年)に当時の国宝保存法に基づき旧国宝(文化財保護法下の「重要文化財」に相当)に指定され、1950年(昭和25年)の文化財保護法施行に伴い重要文化財となっている。 石川県立美術館別館・石川県文化財保存修復工房 石川県立美術館別館・石川県文化財修復工房は、もともと石川県庁出羽町庁舎内にあった文化財修復工房を移転リニューアルしたもの。表具・漆芸品の各修復室と展示スペースなどからなり、展示スペースでは、実際に文化財を修復している現場を見学することが出来る。もともとは、1922年(大正11年)に陸軍第9師団長の官舎として建てられた木造2階建の洋館。戦後は家庭裁判所、児童会館、野鳥園などに使用され、2016年(平成28年)から現在の用途で使用されている。 その他 金城霊澤 - 金沢の地名の由来となった湧き水。 金沢神社 石川県立伝統産業工芸館 金沢城公園 石川護国神社 交通 車 北陸自動車道金沢森本ICまたは金沢東IC、もしくは金沢西ICから金沢市中心部方向へ車で15 - 25分。 公共交通機関 金沢駅(または野町駅、西金沢駅、東金沢駅)より北鉄バス(城下まち金沢周遊を含む)・西日本ジェイアールバスに乗車し、以下のバス停で下車。 「兼六園下・金沢城」バス停(桂坂口が最寄り) 「広坂・21世紀美術館」バス停(真弓坂口が最寄り) 「出羽町」バス停(小立野口が最寄り) このほか周囲にはまちバスの「金沢21世紀美術館・兼六園(真弓坂口)」バス停や金沢ふらっとバス材木ルート・菊川ルートのバス停もある。 レンタサイクル まちのりの[15]兼六園ポートと[16]兼六園下ポートが近くに設置されている。 周辺施設 金沢城公園 石川県観光物産館 本多の森公園 石川県立美術館 国立工芸館 石川県立歴史博物館 加賀本多博物館 石川県立能楽堂 石浦神社 金沢21世紀美術館 独立行政法人国立病院機構金沢医療センター 本多の森ホール 白鳥路温泉 兼六町 沿革 1964年(昭和39年)4月1日 - 住居表示実施により、兼六通二丁目の全部と兼六通一丁目・兼六通三丁目・出羽町一番丁・大手町・下本多町三番丁の各一部をもって成立。 世帯数と人口 2018年(平成30年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 小・中学校の学区 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 脚注 注釈 出典 参考文献 関連項目 日本三名園 後楽園 偕楽園 辰巳用水 辰巳ダム 日本さくら名所100選 石川県営兼六園野球場(兼六園に隣接してかつて存在した野球場) 日本国指定名勝の一覧 Ken Rock Station - エフエム石川で放送されたリクエスト番組。兼六園が番組名の由来となっている 外部リンク 兼六園 - 公式サイト 兼六園 名園記 - 石川新情報書府 成巽閣 - 公式サイト 特別名勝 大名庭園 石川県にある国指定の名勝 中部地方にある日本庭園 石川県の公園 石川県の観光地 金沢市の歴史 金沢市の文化施設 金沢市 日本さくら名所100選 加賀藩 1922年竣工の日本の建築物 西洋館 土木学会選奨土木遺産
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JET
JET 個人 JET (漫画家) - 日本の漫画家。 組織 財団法人 財団法人電気安全環境研究所 外国語青年招致事業(ジェット・プログラム、JET Programme) 法人 日欧商事の略称 - 東京都港区に本社を置く、食品と酒類の輸入商社。 JETイノウエ - 自動車部品(特にいわゆるデコトラ用カスタムパーツ)メーカー。 JET映像の略称。アダルトビデオメーカー。卍GROUP所属。 ジェイ・イー・ティ - 岡山県浅口郡里庄町に本社を置く、半導体製造装置メーカー。 日本教育テレビ (大阪府) - かつて大阪市北区に本社を置いていたビデオ映像制作会社。 その他 ジェット (オーストラリアのバンド) - オーストラリアのロックバンド。 Japan Exploration Team - 吉田勝次が代表を務めるケイビングチーム。 jet全日本エレクトーン指導者協会 - エレクトーン個人宅指導者のための全国組織。 楽曲 JET (清木場俊介の曲) - 清木場俊介のシングル曲。 ジェット (曲) - ポール・マッカートニー&ウイングスのシングル曲。 スペースシャワーTVの独占PVの通称。 JET - KAT-TUNのシングル「UNLOCK」の通常盤収録曲。 施設 JET (Joint European Torus) - 欧州連合のプラズマ実験装置。 行事・イベント 第1回ジャパンエキスポ富山 (THE FIRST JAPAN EXPOSITION IN TOYAMA '92) コンピュータ Microsoft Jet Database Engine - Microsoft Accessを参照。 関連項目 ジェット (曖昧さ回避)
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篠原とおる
篠原 とおる(しのはら とおる、1936年4月28日 - )は、日本の漫画家。男性。愛媛県新居浜市出身、現在は大阪府八尾市在住。愛媛県立新居浜工業高校卒業。 代表作に『さそり』『にっぽん競馬伝』『ワニ分署』『河内残侠伝 軍鶏』など。 略歴 1955年、愛媛県立新居浜工業高校卒業後、大阪の自動車部品工場を入社するも10ヶ月で退社し、マンガ芸術院で通信教育を受けながら雑誌に投稿する。 1958年、「覆面博士」が童心社より初出版される。 1962年、影丸穣也・さいとう・たかを・佐藤まさあき・辰巳ヨシヒロ・水島新司等が所属していた大阪の日の丸文庫で描き始める。 1967年、「女豹マコ」「人間昆虫記」「ズベ公探偵ラン」などの女性主人公が登場する漫画を描き始める。 1970年、女囚を主人公にした「さそり」を『ビッグコミック』(小学館)に連載、現在の作風スタイルを確立する。 1972年、作品の映画化が始まる。 夕刊紙の『夕刊フジ』にて、「女仕置人ゼブラ」を連載。 作風 ヒロイン・アクション劇画の第一人者にしてパイオニア的存在で、多くの作品が映像化されているが、アニメ化された作品は一本もない。映像化されたものはヴァイオレンス色や怨念が強調されたものが多く、原作のほうも初期はそうした傾向があるが、中期以降は明るいお色気と娯楽色が前面に出たものも目立ち、人気が高い。 一貫して強く賢明な女性主人公を描き続け、男性はたいてい悪人か無能者、良くて若干抜けたところのある協力者というポジションで描かれる。 作品リスト (五十音順) 映画化・舞台化 原作『さそり』 劇場公開作品 詳細は女囚さそりシリーズを参照 女囚701号 さそり(1972年) 女囚さそり 第41雑居房(1972年) 女囚さそり けもの部屋(1973年) 女囚さそり 701号怨み節(1973年) 新・女囚さそり 701号(1976年) 新・女囚さそり 特殊房X(エックス)(1977年) SASORI IN U.S.A..(1997年) さそり(2008年) Vシネマ 女囚さそり 殺人予告(1991年) サソリ 殺す天使(1998年) サソリ 女囚701号(2008年) テレビドラマ さそり(2004年/BS-TBS) 原作『O課の女』 劇場公開作品 詳細はZero WOMANを参照 0課の女 赤い手錠(1974年) Zero WOMAN 警視庁0課の女(1995年) Zero WOMAN R 警視庁0課の女/欲望の代償 (2007年) 新Zero WOMANシリーズ(オリジナルビデオ) Zero WOMAN II 警視庁0課の女(1995年) Zero WOMAN III 警視庁0課の女(1996年) Zero WOMAN 名前のない女(1996年) Zero WOMAN 消せない記憶(1997年) Zero WOMAN 危ない遊戯(1998年) Zero WOMAN 最後の指令(1998年) 新Zero WOMAN 0課の女再び…(2004年) 原作『ワニ分署』 劇場公開作品 詳細はワニ分署を参照 スーパーGUNレディ ワニ分署(1979年) 82分署(1995年) Vシネマ、およびオリジナルビデオ 82(ワニ)分署 Rebirth(1996年) 新 82(ワニ)分署(1998年) 原作『刑事あんこう』 舞台 刑事あんこう(1981年、日劇MH) Vシネマ、およびオリジナルビデオ あんこう(1991年VHS、SHSプロジェクト) 原作『コードネーム348 サシバ』 Vシネマ、およびオリジナルビデオ コードネーム348・女刑事サシバ(1990年、SHVシネマ) 原作『女仕置人ゼブラ』 Vシネマ、およびオリジナルビデオ 女仕置人ゼブラ セクシー編(1990年、SHSプロジェクト) 女仕置人ゼブラ アクション編(1990年、SHSプロジェクト) 原作『河内残侠伝 軍鶏』 Vシネマ、およびオリジナルビデオ 河内残侠伝 軍鶏(1991年、東映ビデオ) アシスタント 新谷かおる(高校在学中から卒業まで) 脚注 日本の漫画家 愛媛県出身の人物 1936年生 存命人物
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柴田亜美
柴田 亜美(しばた あみ、1967年5月24日 - )は、日本の女性漫画家・画家である。 来歴 1967年、長崎県生まれ。長崎大学教育学部附属小学校、長崎大学教育学部附属中学校、長崎県立長崎西高等学校、武蔵野美術大学短期大学美術科専攻科を卒業。 1990年、会社員時代に参加したエニックス(当時。現・スクウェア・エニックス)の『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』にて人気を集める。1991年より月刊少年ガンガンにて『南国少年パプワくん』を連載開始、アニメ化されるなどのヒット作となる。以降、エニックス(現スクウェア・エニックス)や集英社など、多数の雑誌に連載を持つ。 漫画家として活動する一方で美容方面にも興味を持ち始め、2012年2月19日より美容ブログ『女漫画家の極限美容!』を開設。2016年12月には、プライベート美容サロン『ボディオートクチュール ami』開店。 2017年には一部報道で「柴田亜美が漫画家引退」というタイトルの記事が発表され、本人もインタビューで「私、美容家になります。漫画を辞めても悔いはない。」という旨の発言をしたものの、以降も継続して漫画作品を発表している。2018年9月30日をもって、『ボディオートクチュール ami』閉店。 幼少期 1969年に父がマサチューセッツ工科大学に研究留学し、それを追う形で1970年に家族で渡米。その後、カナダのモントリオールに移り住む。1972年に家族で帰国。 学生時代 小学校時代から絵画教室に通っていたが、中学校に入る直前あたりから本格的に漫画を書き始めるようになった。初めて完成させた作品は『邪鬼郎』というタイトルで、『柴田亜美のほん2』で「12-13歳の頃に初めて描いた漫画」として公開されている。 1982年、高校に入学。この頃には油絵の絵画教室に通い始め、1983年からは学校の長期休暇の際に、美大の予備校(河合塾美術研究所)に通うため上京するようになる。この時期、音楽雑誌『音楽専科』の似顔絵コーナーで入選。1984年に、同誌の別冊であるロック漫画誌『8ビート・ギャグ』に漫画を掲載し商業誌デビュー。『8ビート・ギャグ』には多数の作品を掲載し、志摩あつこらと並び人気を得る。この他にも他社の洋楽雑誌でイラストなどを描いていたが、柴田自身は「コンサートのタダ券ほしさに描いていたため、プロのマンガ家になる気はなかった」と振り返っており、大学に入学する頃には漫画を描くこともなくなった。 1985年、大学に入学する。1987年、同大学の専攻科に編入。1988年に卒業。 社会人として アートアドバイザーとして銀座の画廊に就職するも半年で退職。 1989年、リクルートの関連会社にイラストレーターとして就職。FromAやとらばーゆ等の求人広告のカットを描いていた。 執筆活動を始める 1990年、本当は専業主婦になるつもりだったが、23歳の時に付き合っていた婚約者を寝取られて婚約が流れ、その後、知人の児嶋都に誘われる形で『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』に執筆を始め、「ニセ勇者」シリーズを執筆して人気を博す。同年6月には「ソードマスター剣王伝説」でエニックスファンタジーコミック大賞奨励賞を受賞。その後、創刊企画時の『月刊少年ガンガン』から執筆依頼が来るものの、当時はまだプロとしてやっていく気はなく断っていたという。しかし、私生活上で嫌なことがありヤケになっていた時に、当時会社があった渋谷の路上でエニックスの編集者から「漫画を描かないか」と声をかけられ、思わず頷いてしまったことからプロになる決意を固めた(この出来事を柴田は「エニックスナンパ事件」と呼んでいる)。 1991年に『月刊少年ガンガン』創刊号にて、『南国少年パプワくん』の連載を開始。2話目までは会社勤務と漫画連載を並行していたが、連載3話目以降は時間的に両立させるのが難しくなり会社を退職、漫画家の専業となる。『南国少年パプワくん』はアニメ化されるなどのヒット作となり、藤原カムイ、衛藤ヒロユキらと共に『月刊少年ガンガン』初期の牽引役となった。 その後エニックス(現スクウェア・エニックス)、集英社、講談社、徳間書店、小学館、アスキー(現エンターブレイン)、竹書房などでの連載経験を持つ。 2012年に『カミヨミ』の連載を終了して以降はストーリー漫画作品の制作は減少し、エッセイ漫画・レポート漫画を中心に作品を発表している。 現在はAndroid/iOS用アプリゲーム『ファンタジーライフ オンライン』のゲーム内にて『FLO4コマ劇場』を連載中。 2021年から画家の仕事を始め、そちらの活動が中心になりつつあるという。 人物 自画像 自画像(自作に自分を出す場合)は基本的には普通の人間だが、要所要所で何の説明もなくデフォルメキャラに切り替わる。エッセイ的な漫画を書き始めた頃はタコやウサギが多かったが、ドキばぐシリーズ以降はタヌキが多い。なお、このタヌキは、耳が確かにあるものの、口先が細長く、見る人によってはキツネにしか見えないため、ドキばぐシリーズの連載で交友が生まれた岡田耕始と東京ゲームショウ内でのトークショーで『真・女神転生 デビルチルドレン 黒の書・赤の書』に柴田と担当編集だった小澤繁夫(現トムス・エンタテインメント執行役員)をゲスト出演させる約束を守り、実際に収録された際に「キツネのナマモノ」と説明するという凡ミスが起きている。また、作者の漫画の中で犬の名前によく「チャッピー」が使われるのは、子供の頃作者が兄からチャッピーと呼ばれていたため。なぜチャッピーなのかは不明。 作風 漫画家の中でもかなりの速筆。イラストレーター時代に大量にイラストを描いていた経験によるものだという。1990年代初頭から中盤にかけては、多い時には月刊誌に100ページ超の作品を掲載したことに加え、複数の雑誌で掛け持ち連載をしていた。だが本人がネタにしている通り、仕事を安易に引き受けすぎて年末進行期間中は来客で来ていた中裕司と大島直人に手伝わせたりしても、結局締切に間に合わず、時折印刷所を止めることがあり、大日本印刷に勤めていた親戚に謝罪したり、大日本印刷からクレームが来ることや、連載に穴をあけることも割とあった。体調を崩しかけたため、2000年代後半あたりからは仕事量を抑えている。 少年漫画を執筆する際、ストーリーは王道ながらもボーイズラブの要素を入れるのを常としている。女性キャラがほとんど出ないのも特徴。 プライベート 1993年に、交際していた造形デザイナーの男性との結婚を発表したが、後に別れている(別れた時期は公表されていない)。しかし当時婚姻届を役所に提出しておらず、最終的に提出しないまま男性と別れたため、戸籍上は離婚歴がないことを2020年に公表している。漫画家として成功したため自身がかなりの資産家だが、独身を通している理由については「なんで自分が死んだあとにあいつらに金が入らなきゃいけないんだよ」とのことであるが、『ドキばぐ』の作中ではお見合いについては熱心に考えていると発言している。 仮眠をする時は、ベッドではなく廊下で寝る。その時の枕は那須に取材に行った時に土産物屋で買った固いこけしであり、20年以上愛用している。ベッドで寝ると熟睡してしまうからだという。しかし、アシスタントには「あれだけ売れて、廊下で寝るんだ」と陰口を言われている。しかし、廊下で寝るというのは本人にとっては結構重要な思想で、廊下で寝れる家を選んで2009年に麻布十番にあるマンションの3LDKの部屋を1億6000万の一括払いで買い(本当は1億9000万だったが、売り主が柴田のファンで、イラスト入りサイン色紙を描いて渡したら3000万まけてくれた)、そこを自宅兼作業場にしている。テレビで見せた酔っぱらったパフォーマンスを見るに、廊下で寝るのは(位置も決まっている)完全に癖になっている。 麻布十番に億ションを買う前は高円寺や三軒茶屋、初台、南青山に住んでいた。また、南青山第一マンションズに住んでいた際、当時糸井重里の事務所があったことを『ドキばぐ』など多くのマンガでネタにしている。また、ドクター中松もそのマンションに事務所を構えていた事がある。三軒茶屋から南青山の違うマンションに引っ越した理由として三軒茶屋の派出所の警官に年がら年中職務質問された事を理由に挙げている。 家族 父の柴田尚武は脳外科医(長崎大学医学部名誉教授)。母は佐賀藩の大奥の末裔。 兄が1人いる。1999年時点では、自身の著書で「都内にある富士銀行員」と紹介されている。兄は1999年時点で結婚しており、1995年に産まれた甥がいる。 曾祖父が孫文を匿っていたことがある。また中田弘二は母方の大叔父でもある。被爆二世であることをブログで公表している。父から美術大学進学を認めてもらう時に、何でもするからと言った事で動物実験用に使われていた60頭のネズミの世話をさせられた事がある。 チワワ(名前は伽羅〈きゃら〉)をペットとして飼っている。以前はチワワの蛍(ほたる)と楽(らく)、ポメラニアンの茶壺(ちゃつぼ)を飼っていたが、蛍が2012年11月に、楽が2016年2月に、茶壷が2016年4月にそれぞれ他界している。蛍と楽は元預かり犬で、高齢であったことから正式に引き取られた。 趣味・特技 カエル が好きで、自宅に大量のカエルグッズがある。作品中でもしばしばカエルが扱われ、『漫画家の犬たち〜茶壺と伽羅の愉快なブログ〜』でも自身のカエルグッズを紹介することがある。 エンターブレインの社長だったヒゲに付き合わされた結果プロレス好きである。ストレス解消に週一度後楽園ホールへ行き、レモンサワーを飲みながら(本人曰くマッチョイオンを浴びるため)プロレス観戦している。後楽園ホールに住みたいともいうくらい好きである。 嗜好 好きな物はアワビ・酒(ただしビールは好きではない)・バナナ・黄色(カラー原稿の背景は必ず黄色で塗る)・長電話・スルメ・チゲ鍋・買い物・犬・ボンカレー・鮭とば。嫌いなものはコーヒー牛乳・チョコレートケーキ・ドーナツとオニオンリング。この3つは理由なく嫌いとのことだが『ドキばぐ』で岡本吉起と当時柴田の自宅マンションがあった南青山の中華料理店で食わず嫌いをするほどである。しかしコーヒーはスターバックスコーヒーのモカフラペチーノを夏の真昼の当時自宅があった南青山で飲むのはこれに限ると『ドキばぐ』の作中で書いていたことがある。 酒好きではあるものの酒癖はあまりよくなく、実際に飲み会で生爪を2枚剥がした後に中村光一に手刀をかましたり、高円寺に住んでいた頃は泥酔して転んだ際に傷口から細菌が入り、リンパ管炎になり入院し右足を手術をしたことがあるが、細菌が入った際に病院ではなくゲームセンターに向かいかけたこともある。 最後の一コマを描く際はワインをワイングラス1杯分飲む(本人曰くガソリン)。 ホームパーティーを月に三、四度行うのも好きである。呼ぶのはNOAHメンバーなどである。筋肉を見ながら、レスラーが自分の作った食事を食べることに無常の喜び(マッチョサプリ)を感じる。なお、飲む酒はワインである。 苦手 タマネギが大の苦手。アレルギーではなくただの好き嫌い。『ドキばぐ』内で岡本吉起と当時居住していた南青山の中華料理店で食わず嫌いをした際に、ゲームソフトをマネージャーによってタマネギの入った袋に入れられて手も足も出なかったなどというネタとして使われることもあった。ブログで『パラッパラッパー』の玉ねぎ先生に、「おまえに教わる事などないわ!」と画面に向かって暴言を吐いたほどである。しかしブログで紹介している料理で度々使用している(2012年3月2日のブログにて「食感がダメなんですけど、風味は大丈夫なんですよ」とコメント)。他にマンゴー・アボカド・銀杏・ハゼノキ・油粘土などで顔がかぶれる。特に銀杏の時は入院するほどの症状が出た。アボカドによるアレルギー反応で体が腫れた時は、あまりの腫れの酷さに皮膚科で資料用に写真を撮られたほどである事をブログで記事にしていた事がある。 注射が嫌いであり、仕事中にぶっ倒れて入院した時に採血のため注射しようとしたところ検尿にしろと駄々をこねた事がある。 1991年当時ソアラを所有していた兄とは違い自転車にも乗れない、自動車運転免許も持っていないものの、『ドキばぐ』の作中内で中裕司が当時所有していたテイルス色のフェラーリ・F355・ベルリネッタを貰おうとしたところ中に自転車に乗れるようになってから言え、来客者には自分が遊びに来たときのように水ではなく茶を出せ、お隣さんに味噌を貸しなさい、エステに通い続けろ、当時同じマンションに住んでいた糸井重里に引っ越し蕎麦を持って行って挨拶をしろと怒鳴られたことがある。 ホラーゲームとアクションゲームは苦手。そのためドリームキャスト版の『バイオハザード コードベロニカ』を逃げ足が速いという理由で中裕司に焼き肉をエサにする形でやらせたり、甥っ子が柴田の代わりに『デビルメイクライ』をプレイしていた事がある。 高所恐怖症である。 メカ音痴であり、紫色のiMacを買った際に取り付けの仕方などが分からず当時iMacのユーザーであった名越稔洋に依頼させたことがある。 エピソード 秋葉原で行われたファミ通500号記念イベントで誤ってモニターとマイクの電気コードを踏んでしまい感電死しかかった事がある。 ネオジオやネオジオCDを所有しており、ネオジオCDを親戚の子供にあげようとしたところ親戚の子供たちから拒否されたとのこと。 東京ゲームショウの取材のために幕張メッセを訪れた際に中裕司にカレーを無理矢理奢らせた事がある。 漫画執筆以外の活動 犬の保護活動 保護団体「ALMA(アルマ)」に保護された犬の預かり、いわゆる保護活動をボランティアとして行っている。2005年のひろしまドッグぱーく事件を機に興味を持ったという。伽羅という名前の犬を飼っている。さらに以前は茶壷、楽という名前の犬も飼っていたが、楽は2012年に他界した蛍と同じく、年齢によって引き取り手がいないと危惧されたことから柴田自身が引き取ることになり、その後2016年2月に他界、茶壷もまた2016年4月に他界した。一時預かりを含め、飼い犬たちとの日常をブログにて公開している。 美容関係 2007年頃より体調を崩して、体重が10kg増加。これがきっかけで食事療法、筋トレ、エステ、レコーディングダイエットなどあらゆるダイエット方法で減量を試みるようになる。食事療法と筋トレを基本に継続したところ44歳になる頃には14kgの減量に成功。その後も筋トレは続けていたが、座り仕事の多い執筆業に多く見られがちな腰痛や肩こりは改善されずにいた。 2016年6月、通っていたジムでボディセラピストに受けたマッサージで体のバランスを整えることが大切であると開眼。同年9月にはサロンを開くことを決意し、12月に麻布十番にプライベートサロン『ボディオートクチュール ami』をオープン。施術は前述のボディセラピスト・柔道整復師の小林雄祐。オーナーである柴田はカウンセリングを行い、またサロンで提供する食事も自ら作っている。 交友関係 声優の緑川光とは親友であり、お互いが新人だった頃(時期的に『南国少年パプワくん』の頃)によく電話で「俺は100作品の声優をするから、柴田さんは100冊単行本出しなよ!」と、共に野望を語り合った(柴田本人のブログにも掲載されている)。『南国少年パプワくん』の連載時、もう1人のシンタローの名称を「金髪だから金太郎です」と言ったところ柴田自身がそれを気に入り、もう1人のシンタローの名前が「キンタロー」になった(『勇者への道』より)。『カミヨミ』ドラマCDでの雑誌インタビューでは「柴田先生から『上手くなったね』と言ってもらいたくて頑張りました」と語った。また、柴田は緑川のことを「数少ない友人」と漫画の中で語っている。 『ドキばぐ』の連載が縁で、多数のゲームクリエイターと交流がある。中裕司とは、『ドキばぐ』担当だったチップス小沢を含め3人で島根、鳥取旅行もしたことがある。『ドキばぐ』で水木しげるに柴田と小沢が会いに行ったとき、当時ソニックチーム社長とセガ常務執行役員兼開発戦略本部本部長だった中裕司に対して当時中の愛車だったポルシェ・911ターボを送迎車として、中を運転手として使った事がある。また、ある年のとあるレストランで開かれた柴田の誕生日パーティーには、多数の著名なゲームクリエーターが参加した。その後、柴田の自宅で二次会を開いたときには、中裕司、岡本吉起、小島秀夫、松野泰己らが参加し、一緒に『ファンタシースターオンライン』を楽しんだという。2009年1月30日号の『ファミ通』で行われた小島秀夫と名越稔洋との対談で、「僕たちが初めて出会ったのは柴田先生の飲み会に誘われたとき」というエピソードが語られた。また、名越は柴田の紹介で多くのクリエーターと交流を持てたことから、「今考えると柴田先生の功績ってすごい」と語った。また、三宅有とは同い年でデビュー当時からの付き合いである。また、高円寺から南青山に引っ越した際、中村光一からバカラの花瓶を引っ越し祝いとして貰った事がある。 『GTO』作者の藤沢とおると渋谷で飲み明かした事があり、藤沢から「『ドキばぐ』で書かれている事って本当なの」と質問をされ、本当だと涙ながらに言った事がある。 エピソード ゲーム『街』のセガサターン版発売記念にゲーム中に登場できる「プリクライベント」に、企画でもなんでもなく個人で応募してゲーム中に登場した。その際応募は原則1人1枚の所、1人で2枚送ったことをSS版のゲーム中で指摘されている。 『ドキばぐ』の作中内でテレビ朝日で柴田と担当だった小澤が入り待ちをした際、古谷一行に説教された事がある。 『風来のシレン2』の「ひみつの巻物」の短編漫画にて「アーミン」「盗る猫(キャッツアイ)」の名前の泥棒役で出演した。なお、この際の自画像は人間とタヌキが両方出ており、「茶壺(ポメ)」という名前の愛犬が登場している。 右胸に、浅草彫和歌による刺青を入れている。バストEカップ(本人談。『ドッキンばぐばぐアニマル』P.58参照)。 同郷の福山雅治を応援するために、TOKYO FM系の福山雅治の番組に電話出演をしたことがある。いわゆるゲストではなく、一般聴取者が電話で出演するコーナーに自ら応募しての出演であった。その後同番組内での企画「おもしろ美女×イケてナイスガイ合コンパーティー」にも参加した。 2009年11月、ザクロの実の皮が硬かったため皮ごと丸かじりして食べた際、ザクロの皮に含まれるペレチエリンによって有毒作用で中枢性運動障害を引き起こし3時間まったく体が動かせず危うく命を落としかけた。この出来事は2018年10月30日の『ザ!世界仰天ニュース』で放送され、柴田が同番組の大ファンで自らの体験を投稿したのが採用された。再現VTRの撮影は柴田の家で行われ、VTRに登場した料理は柴田が実際に作ったもので、愛犬チワワの伽羅も実際の飼い犬によるものである。 『ファミ通』と繋がりを持つきっかけになったのは『シャイニング・フォース 神々の遺産』内の隠しキャラクターであるハンゾウの出し方を教えて欲しいとファミ通編集部に対してFAXを送ったのがきっかけであり、そのときは1読者であったことからファミ通編集部との面識は一切無かったとのことである。 作品リスト 創作作品 南国少年パプワくん 『月刊少年ガンガン』にて連載。柴田のプロデビュー作品。 変身王子ケエル 『月刊少年ガンガン』1993年11月号に読切掲載、『フレッシュガンガン』にて連載。魔法によって蛙の姿にされてしまった、夢の国の王子・ケエルの物語。ケエルの設定は後に『自由人HERO』や『PAPUWA』などに使用された。柴田亜美個人製作でアニメ化されたこともある。3分ほどで、声優は、速水奨、緑川光、高山みなみ、和田仁美、柴田亜美本人も出演(当時の『アニメージュ』情報)イベントで1回上映されただけである。 自由人HERO 『月刊少年ジャンプ』にて連載。『南国少年パプワくん』の拡張世界。パプワくんの時代から数百年後の物語とされ、「シンタロー」という名前のキャラや秘石などの設定のつながりが見られる。 緊急出動すずめちゃん! 『なかよし』にて連載。126億円で改造手術を受けた御山野すずめが、黄金の街・ナガサキシティを狙う東京の秘密結社「スーツマン軍団」から送られた刺客と闘う。「スーツマン軍団」のモデルは掲載誌『なかよし』の編集部員・編集部長たちである。 未来冒険チャンネル5 『南国少年パプワくん』の拡張世界。『自由人HERO』と同じく『パプワくん』の時代から数百年後の物語とされ、一部に設定のつながりが見られる。完結前に休載状態だったが、2010年に書き下ろしを加えた第1〜2巻を再発売し、2015年に完結編となる第3巻が発売。 Gセン場のアーミン 『別冊ファミコン通信・攻略スペシャル』『ファミ通ブロス』にて連載したエッセイ漫画。柴田が送るゲーム(ゲーセン)漬けの日々をネタにしている。マネージャーとして登場する三浦のりこ(ノリコ)は、さくらももこの姉の名前及び職歴と合致するが、同一人物であるかは明言されていない。 勇者への道 『ファンロード』にて連載。月に四コマ漫画が3本掲載される。当初はRPGを題材としたファンタジックなネタを扱っていたが徐々に本人の日記漫画へと移行していった。単行本が1冊刊行されているが、未収録回が存在する。 ドリームネットPAPA 『Amie』にて連載。わずか1歳にして言葉を喋り、様々な道具をいとも簡単に生み出すMIT卒の天才ベイビー「ネット」と、彼が作り上げたホログラフィーのバーチャルペットの「ウサたん」、そしてネットの父親であるゲームプロデューサー「五味ヒデハル」その他愉快な仲間達によって繰り広げられるドタバタホームコメディ。『緊急出動すずめちゃん!』の「スーツマン軍団」のメンバーが2人、ライバル会社「リアール」のメンバーとして登場している。同誌で連載していたCLAMP作品を丸々パロディー化した回も存在する。作中にある水害の話しは柴田が中学生時代に経験した長崎大水害の実話をもとにして描かれている。連載雑誌が休刊し終了しているが、柴田本人は後年連載を振り返った際に、「雑誌は途中で廃刊になっちゃったけれど、愉しく連載させていただいた大好きな作品です」と発言している。なお、ヒデハルのモデルはゲームクリエイターの中裕司。 ジャングル少年ジャン 『ファミ通』にて連載。『南国少年パプワくん』と似通った舞台設定をもつセルフパロディとでもいうべき作品だが作風は異なる。連載中にまれに番外編としてゲーム業界のレポート漫画を掲載するようになり、その頻度が増していくと本編が未完のまま番外編がメインとなって置き換わった。詳細は『ドキばぐ』にて。 ジバクくん 『ファミ通ブロス』にて連載。『ジャングル少年ジャン 本編』に登場した万歳をすると爆発する不可思議なナマモノ、「ジバクくん」を主人公の相棒に添えた一種のスピンオフ作品。アニメ化もされ、本編とリンクしてとある登場人物のネタバレを行う予定であったが、アニメ側がエンディングのキャスト欄でその前にばらしてしまい、多少もめたりもした。 TKman 『ビッグコミックスピリッツ』にて連載。小室哲哉本人をパロディにした漫画であるが、小室本人が関わっているわけではない。とは言え、実際に小室と対談したり、漫画の中で歌手デビューをさせたりしていた。この中の小室が『PAPUWA』のキャラクターで再利用されている。 タンバリン 『コミックGOTTA』にて連載。柴田が、「体力的にこれが自分の描く最後の格闘漫画」と公言していた作品だが、連載していた雑誌が廃刊になって終了した。 あやかし天馬 『月刊少年ジャンプ』にて連載。天狗に取り憑かれた野球少年とククリの者(=妖怪使い)の少年の友情を描いた作品。連載中に右腕を故障し、連載を断念。作中の登場キャラクターは、『カミヨミ』に多少形を変えつつ受け継がれている。 PAPUWA 『月刊少年ガンガン』にて連載。『南国少年パプワくん』の直接的な続編。連載開始の経緯は、いわゆるエニックスお家騒動により主力作家が抜けたことでの連載ラインナップの弱体化を危惧したエニックス(当時)が、連載再開を要請したという説もある。 BLUE DRAGON ST(ブルードラゴン シークレットトリック) 『月刊少年ジャンプ』にて連載。Xbox 360専用ゲームソフト『ブルードラゴン』の漫画化の一つ。ゲームから4年後の世界が舞台で、主人公はオリジナルキャラの少女(=ちみっ子)、ラーラでゲーム版の主人公だったシュウは主にツッコミ役と、柴田流に大胆なアレンジが加えられている。 L♥L♥B(ラブラブベイビー) 『少女コミック』にて連載。ベイビーギャング団と名乗る赤ちゃん2人組が悪事を働こうとして失敗を繰り返す4コマギャグ漫画。 SCRAMBLE! 『月刊少年ガンガン』にて連載。 カミヨミ 『月刊Gファンタジー』にて連載。『あやかし天馬』のキャラクターと趣向を受け継いでいる作品。 読切作品 ケロたんにおまかせ! 『なかよし』2001年2月号に掲載。 屍体の医者 『good!アフタヌーン』2014年4月号に掲載。主人公には『南国少年パプワくん』の登場キャラクターの一人であるドクター高松をフィーチャーしている。今までの作風とは大きく変えた、シリアスな内容。本作発表後、柴田のところには各出版社の担当や知り合いの編集者から驚きの感想メールが多く届いたという。 当時「『描かなきゃ』ではなく『描きたい』という欲求が出るまで待っていた」という理由で、柴田は2年ほどストーリー漫画制作から遠ざかっていた。その後、坂上忍が作・演出した舞台『溺れる金魚』を見た柴田は感銘を受け、その後いろんな舞台を見た柴田は制作意欲が湧き、1日で本作の第1稿ネームを描き上げた。 レポート・エッセイ作品 ドキばぐ 『週刊ファミ通』にて連載。ゲームメーカーやゲームクリエイターに取材をする、体当りゲームレポート漫画。柴田の作品の中で一番の長期連載で、2009年の連載休止までに約13年間連載していた。その後「特別復活編」として、不定期に掲載しているが、小島秀夫が出演した特別復活編1のみ小島がコナミを退社した事で収録されていない。 ほごけん 『ウーマン劇場』にて連載。 目指せ美BODYフープダイエット!! 『ウーマン劇場』にて連載。『46歳人生で一番ナイスバディになりました』と改題して2014年、竹書房より書籍化。 お江戸妖怪散歩 『WEBコミックガンマ』にて2014年7月10日より配信開始、毎週木曜日更新。『アーミンのぶらり妖怪散歩』と改題して書籍化。 れんコテ V系バンドマン×やんちゃネコの育猫奮闘記 『ホーム社・WEBコミックサイト「comip!」』にて連載。「柴田亜美 with 煉&虎徹」名義。 ゲーム作品 ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場 ドラゴンクエストシリーズの4コマ漫画。6巻まで参加。ドラゴンクエスト・ガンガン編は1巻のみ参加。 FLO4コマ劇場 ファンタジーライフ オンラインの4コマ漫画。ゲーム内にて連載中。 ザ・キング・オブ・ファイターズ'97 エディットチームエンディングゲストイラスト 山崎竜二、チャン・コーハン、チョイ・ボンゲの3人でプレイし、最終ボスのオロチを倒した後、このイラストが登場する。 キャラクターデザイン ドカポン3・2・1〜嵐を呼ぶ友情〜 ビヨンド ザ ビヨンド 〜遥かなるカナーンへ〜 トゥルーファンタジー ライブオンライン テレビ出演 ザ!世界仰天ニュース(2018年10月30日放送)※VTR出演 オータケ・サンタマリアの100まで生きるつもりです(2019年2月18日放送) アウト×デラックス 2019年4月26日放送 2020年8月20日放送 ホンマでっか!?TVスペシャル(2019年5月22日放送) 有田哲平と高嶋ちさ子の人生イロイロ超会議SP(2019年7月8日放送) 開運!なんでも鑑定団 2020年1月28日 カエルの置物を鑑定 2020年8月18日 絵皿を鑑定 ワイドナショー 2020年9月6日放送 2020年11月1日放送 2021年5月23日放送 2022年12月4日放送 所JAPAN 2021年6月28日放送 上田と女が吠える夜 2022年8月3日放送 2022年12月21日放送 2022年年納め2時間大デトックスSP 総額2億1800万円を家に隠しました(2022年8月27日、テレビ東京) アシスタント タイジャンホクト ちゃありぃ金城ちゃっぷりん 吉本蜂矢 K 脚注 参考文献 「柴田亜美と世界」(企画構成・竹熊健太郎) 外部リンク 柴田亜美公式サイト【かげろうの墓】 漫画家の犬たち〜茶壺と伽羅の愉快なブログ〜 女漫画家の極限美容! ボディオートクチュール ami 柴田亜美の「カゲロウ日記」 柴田亜美のアーミンワールド - - YouTubeチャンネル 柴田亜美 日本の漫画家 日本の女性YouTuber 日本の女性タレント 武蔵野美術大学出身の人物 長崎県出身の人物 1967年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%BC%98
柴田昌弘
柴田 昌弘(しばた まさひろ、1949年12月26日 - )は、日本の元漫画家。 妻は漫画家の市川ジュン。2015年より京都精華大学ストーリーマンガコース教員。 概要 三重県松阪市出身。成蹊大学卒業。 「別冊マーガレット」(集英社)1973年6月号に掲載された「白薔薇の散る海」でデビュー。和田慎二のアシスタントを一時期務める。少女漫画にメカニックやハードなSF・サスペンスの要素を大いに取り込み、人気を博した。少年漫画を経て、青年漫画を中心に活動していた。代表作に『紅い牙 ブルーソネット』など。 浅香晶原作の「スーパー★ノバ」シリーズなどライトノベルの挿絵も複数担当している。 フォア・ナインから発売されたアダルトゲーム『リリス』ではキャラクターデザインを担当している。 「サライ」の長期連載完結を迎え、公式サイトにて今後の予定を発表。以下本人言 2008年5月6日、公式サイト閉鎖。少年画報社「ヤングキング」誌での『サライ』がプロ漫画家としての最後の連載作品となった。 2009年6月30日発行の菊池秀行・著『ミーくんの番長日記』のイラストを担当。その後漫画家を引退。 作風 主に超能力、メカニックなどのSF漫画を手がける。長編作品においては、超人的な能力を持つ十代半ばの少年少女が世界の命運をかけて戦うといったストーリーが多く見られ、ヒロインを中心とする女性たちのお色気シーンが頻繁に描かれるのも特徴。 作品リスト 紅い牙シリーズ 狼少女ラン - 『別冊マーガレット』(1975年8月号) みどりの少年—青木ガ原心中— → 青木ガ原心中 - 『別冊マーガレット』(1976年夏休み大増刊号、蘭の親友・桂木麗子を主人公にした伝奇ロマン。) 鳥たちの午後 - 『別冊マーガレット』(1977年7月号) さよなら雪うさぎ - 『デラックスマーガレット』(1978年冬の号) タロン・闇に舞うタカ - 『別冊マーガレット』(1978年3月号) コンクリート・パニック - 『花とゆめ』(1981年1号 - 2号) ハトの旋律 - 『花とゆめ』(1981年4号 - 5号) ブルー・ソネット - 『花とゆめ』(1981年 - 1986年) 32シャッフル - 『花とゆめ』(1989年13号) 当麻宗三郎シリーズ 宗三郎・見参! - 『花とゆめ』(1980年15号) 宗三郎・あざみ地獄 - 『花とゆめ』(1981年8号) 宗三郎・狂い咲き - 『花とゆめ』(1981年18号) 宗三郎・五月雨慕情 - 『花とゆめ』(1982年11号) 志筑クン 事情(ワケ)ありの午後 - 『別冊花とゆめ』(1982年夏号) 宗三郎・おとこ菖蒲 - 『花とゆめ』(1983年11号) 宗三郎・風のプレッツェル - 『花とゆめ』(1984年11号) 1973年 白薔薇の散る海 - 『別冊マーガレット』(1973年6月号) 魔法のラケット - 『別冊マーガレット』(1973年11月号) 1975年 クラッシュ - 『別冊マーガレット』(1975年6月号) 黒い珊瑚礁 - 『別冊マーガレット』(1975年10-11月号) メデューサ号の秘密 → 貨物船メデューサ号の秘密 - 『デラックスマーガレット』(1975年冬の号) 1976年 凍った時計 - 『別冊マーガレット』(1976年1月号) 雪の紅バラ - 『別冊マーガレット』(1976年2月号) ひびわれた明日 - 『別冊マーガレット』(1976年3月号) ブレンド・ホット作戦 - 『別冊マーガレット』(1976年4月号) 恋人たちの空 - 『別冊マーガレット』(1976年6月号) 人形たちは夜にささやく - 『デラックスマーガレット』(1976年秋の号) 1977年 大雪山の魔女 - 『別冊マーガレット』(1977年2月号) Gパン社長メイ - 『別冊マーガレット』(1977年2月大増刊号) クレオパトラ危機一髪 - 『デラックスマーガレット』(1977年夏の号) 1979年 樹氷館 - 『デラックスマーガレット』(1975年1月号) おれの人魚姫 - 『別冊花とゆめ』(1979年秋の号) わが友カロン・冬の魔犬 - 『別冊マーガレット』(1979年2月増刊号) 1980年 タイタニック'80 - 『花とゆめ』(1980年2号) 海底土人8823(パパにいちゃん) → 海底原人8823 - 『花とゆめ』(1980年5号) 盗まれたハネムーン - 『花とゆめ』(1980年8号) アラジンのランプ(HC216『花とゆめ』コミックス「盗まれたハネムーン」掲載の描き下ろし作品。1980年) 強風地帯(HC216『花とゆめ』コミックス「盗まれたハネムーン」掲載の描きおろし作品。1980年) 第3の娘 - 『花とゆめ』(1980年14号) 未来都市バラン - 『花とゆめ』(1980年19-20号) 成層圏のローレライ- 『花とゆめ』(1980年夏の増刊号) 赤い仔猫は笑わない - 『花とゆめ』(1980年23号、「成層圏のローレライ」続編) ひとりぽっちの戦争 - 『少年少女SFマンガ競作大全集』(1980年7号) 枯葉の街 - 『少年少女SFマンガ競作大全集』(1980年8号) 1981年 村祭りの夜 - 『花とゆめ』(1981年5月増刊号) 戦闘兵アトラス - 『花とゆめ』(1981年9月大増刊号) ラブ♥シンクロイド - 『少年ジェッツ』(1981年 - 1983年)→『月刊コミコミ』(1983年 - 1986年) グリーン・ブラッド - 『少年少女SFマンガ競作大全集』(1981年 - 1982年)→『花とゆめEPO』(1987年 - 1988年) 回転扉 - 『デュオ』(1981年創刊号,1983年1月号,1984年1月号) 1982年 ガレー夢幻航海 - 『リュウ』(1982年1月号) フェザータッチオペレーション - 『ウィングス』(1982年 - 1987年) 1983年 ワフ・ヴァレーの神話 - 『リュウ』(1983年11月号、「ガレー夢幻航海」の美少女クェンティと青年ミンツをメインに氷河期の惑星ペイトラムを描いた作品。) 1984年 碧い沈黙 - 『花とゆめEX』(1984年夏の号) 冬に還る - 『花とゆめEX』(1984年冬の号) 1985年 デス・トラップ - 『月刊少年キャプテン』(1985年1月号 - 3月号) バースト - 『少年マガジン』『少年マガジンスペシャル』『フレッシュマガジン』(1985年 - 1987年) 1986年 仏滅FOCUS - 『月刊コミコミ』(1986年1-2月号) 1987年 スレッジ - 『月刊コミコミ』(1987年 - 1988年) 黄色いウサギ - 『月刊コミコミ』(1987年3月号 - 4月号) ハリアー - 『花とゆめ』(1987年11,16,19,20号) 1988年 ミッシング アイランズ-失われた島- - 『花とゆめEPO』(1988年7月号) 闇巡る声-ツクボネ-『花とゆめEPO』(1988年11月号) 1989年 サイキック・トラベラー - 『花とゆめEPO』(1989年3月号) エイプマン - 『ウイングス』(1989年68号 - 73号) 冥界人形レヴィ・ドール『ウィングス』(1989年7月号 - 12月号) 1990年 斎女伝説クラダルマ - 『ヤングキング』(1990年 - 1996年) バージン クルーズ-消えた航跡- - 『別冊花とゆめ』(1990年夏の号) 1991年 魔睡宮 - 『ハロウィン』(1991年 - 1992年) 契りの樹 - 『セリエミステリー』(1991年11月号) 1993年 イズナ - 『少年チャンピオン』(1993年21+22合併号) TRANCE - 『COMICライジン』(1993年 - 1994年)→『COMIC快楽天』(1994年 - 1995年) 1997年 エリカ97 - 『コミックノーラ』(1997年4月号 - 5月号) 闇色の柩 - 『PUTAO』(1997年 - 1998年) 龍の砦 - 『コミックノーラ』(1997年 - 1998年)→単行本書き下ろし 1998年 サライ - 『ヤングキング』(1998年 - 2008年) 2005年 ブラインドホール - 週刊パーゴルフ別冊『コミックビッグゴルフ』(2003年 - 2004年)→最終話書き下ろし 2006年 鵺子鳥 - 『ヤングキング』(2006年) 関連作品 小説挿絵 サード・コンタクト (小林 一夫 / ソノラマノベルス) スーパー★ノバ シリーズ (浅香晶 / ハヤカワ文庫HB) ミーくんの番長日記 (菊池秀行 / ISBN 9784022739162) ゲーム リリス  (フォア・ナイン キャラクターデザイン) 脚注 外部リンク 恐慌舎(公式サイト 2008年5月6日閉鎖) 談話室(上述公式サイトに設置されていたBBS,単独運営中)2015年3月1日現在確認できません 講師紹介(京都精華大学ストーリーマンガコース公式サイト) 日本の漫画家 SF漫画家 1949年生 存命人物 三重県出身の人物 京都精華大学の教員 成蹊大学出身の人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%B4%8E%E8%AD%B2
島崎譲
島崎 譲(しまざき ゆずる、本名・旧ペンネーム:竹之越 江津子、1962年8月20日 - )は、日本の女性漫画家。 経歴 神奈川県出身。幼少時にアニメ『サイボーグ009』に強い刺激を受け、漫画家を志す。1981年、専門学校在学中に「おやじの日曜日」(『デラックスマーガレット』掲載)でデビュー。専門学校卒業後は『増刊少年サンデー』に読み切りを多数発表する一方で、アニメーターとしても活動していた。 1985年に『週刊少年マガジン』にて『青竜の神話』で初連載する際にペンネームを現行に変更。その後20年近くは講談社の漫画雑誌で作品を発表し続けていたが、『MiChao!』での連載終了後は講談社から離れる。異世界歴史ファンタジーを得意としていたが、歴史漫画を軸に描くようになる。近年は松本零士作品のリメイク・続編も手掛ける。 人物 親戚に落語家の桂枝太郎がいる。 2003年末の『リオン』完結後、腱鞘炎のため一時期休業。『宇宙戦艦ヤマト』の企画のオファーがあったが流れている。 2008年にブログを開設。未公開イラストを積極的にアップしている。 漫画 連載 青竜の神話(『週刊少年マガジン』1985年26号-1986年1号) 蒼き氷河の果てに(『週刊少年マガジン』1986年26号-29号) 「植村直己物語」の副題が付くこともある THE STAR(『週刊少年マガジン』1987年19号-1991年31号) ※原案協力:藤本ひとみ 覇王伝説 驍(『週刊少年マガジン』 1991年43号-1993年28号、1993年43号-1995年34号) 風の如く火の如く(『マガジンGREAT』 1995年12月号-1999年5月号) ※原作:鷹司 花影戦記 妖魔降臨(『月刊少年マガジン』 1997年3月号-9月号) ※原作:鷹司 征神記ヴァルナス(『月刊マガジンZ』 1999年8月号-2002年2月号) リオン(『月刊マガジンZ』 2002年7月号-2004年1月号) ※原作:和田慎二 関羽、出陣!(『コミック三国志マガジン』 2005年) 呂布が起つ!(『コミック三国志マガジン』 2006年) 花かんざし捕物帖(『MiChao!』 2006年-2009年) ※原作:山田風太郎『おんな牢秘抄』 お江〜信長の系譜〜 (『月刊コミック大河』 2010年06/25号-2010年10/25号) ※シナリオ協力:東城太郎 御宿かわせみ (『コミック乱ツインズ』 2012年2月号-2013年5月号) ※原作:平岩弓枝 ガンフロンティア〜ハーロック&トチロー青春の旅〜(『チャンピオンRED』 2016年12月号-2017年5月号) ※原作・総設定・デザイン:松本零士 銀河鉄道999 ANOTHER STORY アルティメットジャーニー(『チャンピオンRED』 2018年5月号-) ※原作・総設定・デザイン:松本零士 主な読み切り 危剣は折れず!(『週刊少年サンデー増刊号』)・・・竹之越江津子名義 ※第2回同人誌グランプリ作品部門入賞作 君は単細胞!(『週刊少年サンデー増刊号』)・・・竹之越江津子名義 感動しちゃいそ(『週刊少年サンデー増刊号』)・・・竹之越江津子名義 あいつは好敵手(ライバル)(『週刊少年サンデー増刊号』)・・・竹之越江津子名義 青春の水しぶき(『週刊少年サンデー増刊号』)・・・竹之越江津子名義 ぼくん家の修司くん(『週刊少年サンデー増刊号』)・・・竹之越江津子名義 ラスト・シュート(『週刊少年マガジン』1986年52号) 戦、売ります! 雑賀孫市伝(『コミック戦国マガジン』Vol.1とVol.2に掲載、2005年) 宇宙海賊キャプテンハーロック誕生秘話(サンエイムック『完全保存版 松本零士大解剖 無限の零次元宇宙編』に掲載、2016年) 脚注 外部リンク SAGA 〜島崎譲の世界〜 - 公認サイト 漫画家・島崎譲のブログ 日本の漫画家 神奈川県出身の人物 1962年生 存命人物
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島本和彦
島本 和彦(しまもと かずひこ、1961年〈昭和36年〉4月26日 - )は、日本の漫画家・実業家。本名:手塚 秀彦(てづか ひでひこ)。北海道中川郡池田町出身、北海道札幌市在住。漫画プロダクション「ビッグバンプロジェクト」代表、株式会社アイビック及び株式会社アカシヤ代表取締役社長。主な作品に『炎の転校生』、『逆境ナイン』、『燃えよペン』、『吼えろペン』、『アオイホノオ』がある。 経歴 池田町で生まれ、幼少期を豊頃町で過ごした後、小学校1年生のときに札幌へ。小学校の頃から鉛筆でギャグ漫画を描き始める。札幌清田高校時代は陸上部と演劇部に所属し、アニメや特撮のパロディ漫画も執筆していた。 卒業と同時に北海道を離れて大阪に転居。大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(映像学科)在学中の1982年(昭和57年)、『週刊少年サンデー』2月増刊号にて「必殺の転校生」でデビュー。デビューと同時に大学を4年に上がる手前で中退して大阪を離れ上京、プロの漫画家生活に入る。 「島本和彦」のペンネームを使ったのは「漫画の神様手塚治虫に遠慮して」とのことだが、後に自分の作品が「手塚漫画」と呼ばれることを避けるためでもある。デビュー当初『サンデー』誌上でも、読者に本名を聞かれた際に「謎である」と秘密にしていた。 1990年代前半からはまんが甲子園の審査員としても活動。1990年代半ばに東京から札幌に帰郷(後述)、それと前後して同人漫画家として同人誌活動も行い、夏・冬のコミックマーケットにはほぼ毎回参加。2001年(平成13年)から2008年(平成20年)にはラジオ番組『島本和彦のマンガチックにいこう!』(STVラジオ)のパーソナリティも務めた。 1994年(平成6年)にスーパーファミコンで発売されたRPG『ライブ・ア・ライブ』における『近未来編』のキャラクターデザインを担当。その本編中に出てくる巨大ロボット「ブリキ大王」には、主題歌『GO!GO!ブリキ大王』がある。ゲーム中では開発者達が考えた1番の歌詞しか出てこないが、製作サイドでは2番3番の歌詞を一般公募していた。そこに島本が「東京都在住、漫画家、島本和彦」の名前で、一般公募で応募したところ、2番の歌詞として即採用された。 2015年(平成27年)に『アオイホノオ』で第60回小学館漫画賞一般向け部門、第18回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。 父は北海道でダスキンのフランチャイズ事業を手がけるアイビックの設立者で、TSUTAYAのフランチャイズ店舗を運営するアカシヤの会長も兼任する手塚幸夫。長男の島本は副社長を務めていたが、将来的な事業継承のために社業で経験を積むべく2014年(平成26年)末から会社に常駐するようになり、2019年(平成31年)4月には父親から業務を引き継いで両社の社長に就任した。社長業の影響で漫画の執筆に使える時間は一ヵ月あたり5日ほどとなり、連載は『アオイホノオ』のみに絞っている。2020年(令和2年)11月8日、島本がおよそ25年に渡り経営していた「TSUTAYA札幌インター店」が閉店した。 2021年(令和3年)6月19日、同年8月上旬より「復活!令和もお笑いマンガ道場」のタイトルで27年ぶりにYouTube配信番組として復活する「お笑いマンガ道場」に回答者として出演。 人物 5人の息子がいる。漫画家と家業以外にも、息子の学校のPTA活動をしていたこともある。 ゆうきまさみの漫画『究極超人あ〜る』にバレーボール部部長として、島本が実名で登場している。 漫画家デビュー当時は、大川めぐみ(大戦隊ゴーグルファイブ)、松本伊代(ピンキーパンチ大逆転)のファンだった。 東京から札幌に帰郷したのは自身の漫画の人気が低迷して心機一転を図りたかったことと、当時住んでいた高田馬場では街の至るところにピンクチラシが貼られているのを見て「もうここ(に住むの)は厳しいなと思った」のが理由だったと話す。 女優・声優として活躍する小宮有紗のファンであり、小宮が演じるテレビアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』の黒澤ダイヤを推しとしている。 作品 連載作品 ほとんどヒーロー 炎の転校生 燃えるV 一番星のジャッカル とつげきウルフ 仮面ボクサー BATTLEフィールド 挑戦者 逆境ナイン デスパイ バトルサンダー ウルトラマンG フルーツ戦士 いちご1号 燃えよペン インサイダーケン ゲンジ通信あげだま ワンダービット 炎のニンジャマン 燃える!! 女子プロレス - 豊田真奈美の実録プロレス漫画 炎の信長・戦国外伝 無謀キャプテン サムライスピリッツ ガレキの翔 トリックハンタージョウ コマンドー明゛ ザ・勝負!! オンセンマン メガMEGAみーな(島本ららら和彦名義。変名の由来については近藤るるるの項を参照) 流れ星のジャッカル 炎の鉄砲玉サブちゃん 神聖伝メガシード 卓球社長 男の一枚 レッド・カード 大熱言 吼えろペン 新・吼えろペン アニメ店長 ゲキトウ アオイホノオ アスカ@未来系 超級!機動武闘伝Gガンダム ヒーローカンパニー 読み切り作品 必殺の転校生 華麗なる挑戦者 炎の転校生・怪獣戦闘! 太陽の戦士ウインドブレーカーX 恋の資格がナッシング 逆襲棋士瞳 即戦力ガッツ! 炎のラウンド 島ちゃんお涙劇場 テレカが友を呼ぶ(サンデー19Showの1作) あしたのガンダム バトルコップ 島ちゃんの四コマシネマ 島ちゃんの4コマ劇場 愛しのテディーベア 熱血正義くん!! 島ちゃんの4コマビデオ 奈々ちゃんスクランブル ちょっとだけUターン 無謀キャプテン第0話 紅一点ブレイカー ブライダルソルジャー アカデミー 天下統虫物語 燃えよペン第2部 ボンジュール・シャルロット 完全犯罪レディーMissテリー バンゲームナイト メッキマン 根性戦隊ガッツマン - 宮村優子の依頼による作品 私立ジャスティス学園外伝 せがた三四郎北極激闘編 マグマ大使 地上最大のロケット人間の巻 炎の転校生・同窓会を叩け!! 燃える!! キング・オブ・ハート GREAT 無謀キャプテン3 共作 メディアミックス作品のコミカライズは、#メディアミックス作品も参照 風の戦士ダン(原作:雁屋哲) 仮面ライダーZO(原作:石森章太郎) 仮面ライダーBlack PART⊗ イミテーション・7(原作:石森章太郎) マンガ日本の経済(共著:石森章太郎) スカルマン(原作:石森章太郎) ファイナルワン(原作:史村翔) S'T-X(原作:車田正美) 機動戦士ガンダム なぐりあい宇宙(合作:そうま竜也) スカルソルジャー(画:桑原V三郎) 魔女がゆく!(画:桑原V三郎) その他 一般書籍 『あしたのジョーの方程式』太田出版 2006年 - サキバラ・ゴウとのトーク形式による『あしたのジョー』についての解説及び分析書。 『熱血時代 -アオイホノオからの30年-』小学館 2012年 『炎の言霊 島本和彦名言集』1~3巻 朝日ソノラマ 1997年8月1日~2005年6月1日 2011年2月18日に朝日新聞出版より1巻のみ再版 - 漫画作品の中から選びだした名言を集めた単行本。 脚本・台詞協力など メディアミックス作品のコミカライズも担当した作品は、#メディアミックス作品を参照 ガンダムEXA(台詞協力) キャラクターデザインなど メディアミックス作品のコミカライズも担当した作品は、#メディアミックス作品を参照 BSアニメ夜話(題字) 三国志大戦(袁紹軍のスーパーレアカード、「袁紹」及びEXカード「孫策」のイラストデザイン) ライブ・ア・ライブ(近未来編 キャラクターデザインおよび主題歌「Go!Go!ブリキ大王!!」の2番作詞、HD-2Dリメイク版における「ヨシカズ」の声優) 闘魂ヒート(キャラクターデザイン) ファイターズマガジン(北海道日本ハムファイターズ選手似顔絵) 私闘学園(小説挿絵) メガトンアームズ(システムソフトが出していたPC-9821用の格闘ゲーム キャラクターデザイン) アニ店特急(広告・ポスターデザイン) マンガノゲンバ(ペンまるとペンじいのキャラクターデザイン) サンデー×マガジン クロスライン(キャラクターデザイン) 炎の鉄砲玉サブちゃん(キャラクターデザイン) 天元突破グレンラガン(DVD特典ドラマCDジャケットデザイン) 仮面ライダーゴースト(怪人デザイン) 仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス(クリーチャーデザイン) 仮面ライダー1号(クリーチャーデザイン) 劇場版 仮面ライダーゴースト 100の眼魂とゴースト運命の瞬間(クリーチャーデザイン) 舞台「烈!バカフキ!」キービジュアル(2016年) ゴースト RE:BIRTH 仮面ライダースペクター(2017年、クリーチャーデザイン) パワプロアプリ(2020年、サクセスモードシナリオ『逆境転生クロスナイン十門寺東高校編』原案) シャゼリア☆キッス(2020年、作画) - ラブライブ!サンシャインのエイプリルフール企画。2020年10月10日、11日のAqoursオンラインライブにて未公開分と追加書き下ろしを披露 アニ×パラ〜あなたのヒーローは誰ですか〜 第14弾「パラスノーボード」(2022年、キャラクターデザイン) パチンコ、パチスロ PS逆境ナインGF パチスロ機、三洋物産より2008年10月に5号機として発売。 映像化作品 アニメ作品 炎の転校生(1991年) - OLA(オリジナルレーザーディスク)。主演:関俊彦、日髙のり子 アニメ店長 - 宣伝用PV。主演:関智一(キャストはドラマCDなどと共通) 実写作品 贋作・アニメ店長(2003年) - 舞台作品。主演:関智一、長沢美樹 贋作・アニメ店長 DESTINY!!(2005年) - 舞台作品。主演:関智一 究極!アニメ店長(2010年) - 舞台作品。主演:関智一、関俊彦 逆境ナイン(2005年) - 映画作品。主演:玉山鉄二、堀北真希、青木崇高 逆境ナイン(2012年) - 舞台作品。主演:柄谷吾史、市道真央、小野賢章、横山可奈子 アオイホノオ(2014年) - テレビドラマ。主演:柳楽優弥、山本美月 炎の転校生(2017年) - ネットドラマ。主演:ジャニーズWEST(重岡大毅、桐山照史、中間淳太、神山智洋、藤井流星、濵田崇裕、小瀧望) メディアミックス作品 映像作品の漫画(コミカライズ)を担当した作品。 疾風!アイアンリーガー(画:おとといきたろう) - 漫画作品の他に 設定協力 及び OP 絵コンテ島本和彦バージョンがある。 機動武闘伝Gガンダム - 下記の漫画作品の他、キャラクター原案を担当。 燃える!! キング・オブ・ハート - 読み切り作品。 超級!機動武闘伝Gガンダム - 連載作品。 仮面ライダーZO(原作:石森章太郎) 仮面ライダーBlack PART⊗ イミテーション・7(原作:石森章太郎) アニメ店長 - 連載作品。漫画作品の他、原作者としてドラマCDに脚本参加。 ジャスティス学園 - ゲーム作品。下記の宣伝用読み切り漫画作品の他、熱血隼人のキャラクターデザインを担当。 私立ジャスティス学園外伝 炎の宅配便 - ゲーム作品。宣伝用読み切り漫画作品の他、キャラクターデザイン・シナリオ監修。 女子ーズ - 映画作品。宣伝用読み切り漫画作品の他、コスチュームデザインを担当。 出演 漫画家になりたい!!一獲千金に賭ける青春(1985年 TBS) - 仕事場にて『風の戦士ダン』を執筆中の島本が登場。 炎の転校生(1991年) - 上述のOLA。ボクシング解説者の学生「島本」の声を演じる。 島本和彦のマンガチックにいこう!(STVラジオ 2001年10月-2008年09月) - 漫画やアニメについてのトークや、近況、仕事の話など。 逆境ナイン(2005年) - 「炎尾燃」と称して野球解説者を演じる。 D!アンビシャス(STV) - 27回 逆境を乗り越えろ!!北の燃える漫画家 島本和彦 岡田斗司夫のプチクリ学園(CS放送 MONDO21)- 第24回(2007年4月)にゲスト出演し岡田と対談。 アオイホノオ(2014年) - 最終回(11話)にてバイク屋の店主を演じる。主人公を導く言葉を与える。 100分de石ノ森章太郎(2018年9月8日 NHK Eテレ)- 「石ノ森先生が天才だと思う、ワタクシ的な理由」を述べる。 復活!令和もお笑いマンガ道場(2021年 中京テレビのYouTube配信番組) - 鈴木義司、富永一朗のプロ漫画家枠を引き継ぐ。 その他の活動 小学館漫画賞・選考委員 - 第64回(2018年)から第67回(2021年)まで 日本漫画家協会・理事 - 2022年6月より 交友・人脈 漫画業界 石ノ森章太郎 少年時代、『仮面ライダー』を見て大きな感銘を受けるが、ライダーは架空の人物なので会うことができず、ライダーの生みの親である石森章太郎を師と仰ぐことにした。 週刊少年サンデーで『炎の転校生』が始まる時、石ノ森は『グリングラス』を描いており、師と同じ雑誌に作品を載せることができた。 編集者とともに石ノ森宅を訪問し、対面を果たした。その際に「新ライダーの企画書」をもらった。これは『仮面ライダーBLACK(またはBlack)』のたたき台となるものであった。 その後『マンガ日本の経済』で共著を行ったり、『仮面ライダーBlack』『仮面ライダーZO』『スカルマン』の執筆を託されたり、『マンガ家入門』の文庫版()の解説も書いている。テレビ番組『とことん!石森章太郎』にて「サイボーグ009の「天使編」の続きを描くのに関わりたかったため漫画家になった」という発言をするほど。なお、これは後に「ヒーローズ・カムバック」にて実現している。 江川達也が描いた『仮面ライダー THE FIRST』の原稿をラジオで、「描きたくなきゃ描くな」ときつく非難したこともある。詳細は仮面ライダー THE FIRSTのリンク先を参照。 藤田和日郎 同じ北海道出身で、お互いに自身の作中に相手をモデルにしたキャラクターを登場させたり、共にサイン会を行うほどの仲。また、島本が小学館漫画賞を受賞した際には「…(前略)おめでとう島本和彦。受賞は遅すぎるくらいだ。よかった」と自身のtwitterに投稿している。 『吼えろペン』では主人公の親友であり最大のライバルとして、藤田和日郎をモデルにした漫画家「富士鷹ジュビロ」が登場する。このキャラクターは業界内でも広く浸透し、第三者の漫画家が藤田和日郎を指す場合に「富士鷹先生は~」と呼ぶことが多々ある。 「サンデーGX」誌上で、『逆境ナイン』の映画化記念として、藤田和日郎の『からくりサーカス』とのコラボ作品『からくり逆境サーカスナイン』が掲載された。 新谷かおる 島本の新人時代の担当編集者が同じで、新谷のスタジオに連れて行かれ、アシスタントの使い方を学んだ。 新谷作品を分析をした同人誌『新谷かおるになる方法』を出した。 新谷の同人誌『砂の薔薇 TUGシリーズ』の第5弾では島本と共作した(『炎の転校生』の滝沢が登場)。 『ガレキの翔』に「谷かおる」というキャラクターが登場する。 あだち充 島本初の週刊連載『ほとんどヒーロー』が始まった週刊少年サンデー1983年10号は、あだちの小学館漫画賞受賞を祝う表紙であった。 『炎の転校生』最終回の原稿が完成すると、編集者に言われてあだちの『タッチ』のアシスタントに入る。この回は『炎の転校生』の最終回と同じ号に載り、ベテランは新人より締切が遅いことを知る。 ゆうきまさみ ともに北海道出身であり、「週刊少年サンデー」で連載を行い、特撮系のパロディを用いるという共通点を持ち、親交がある。 ともに新谷かおるのアシスタント経験を持つ。 ゆうきの『究極超人あ〜る』と島本の『燃えるV』では、両方の作品を知らなければわからないコラボが行われた(燃えるV#エピソードを参照)。 一本木蛮 島本を「兄貴」と呼んでいる。 島本とのトークショー内の寸劇で「ニセ島本」を演じた。真偽判定で画力対決を行ったが、蛮の方が上手く、素で焦るという一幕も見られた。 アオイホノオのドラマ制作に参加した。 島本とともに日本漫画家協会の理事を務めている。 いがらしゆみこ 島本と同じく札幌市在住で、STVラジオで自分の番組を持っていた。 まんが甲子園の審査員はいがらしに誘われて引き受けた。 元夫の井上和彦は島村ジョーの声を担当していた。「島村」と「和彦」ということで、ペンネーム関連の話題で取り上げられることがある。 三上信一 週刊少年サンデー編集部在籍時に島本を担当した。 週刊ヤングサンデーの編集長時代に『アオイホノオ』の執筆を持ちかけた。 『炎の転校生』『吼えろペン』に三上をモデルとしたキャラクターを登場させている。 Moo.念平 1992年頃、お互いが月刊少年キャプテンに連載している時に知り合った。 島本に誘われてまんが甲子園の審査員を引き受けた。 『マンガチックにいこう!』の第99回に登場(録音インタビュー)した。 アニメ業界など 庵野秀明 大学時代の同期で、入学後最初のグループ作りの時に「死にそうな顔をした」(島本談)庵野を発見するも、席が遠かったという理由で一緒の組にはならなかった。しかし以後も個性の強い庵野のことは気になっていて、島本は自分の描いたアニメの制作課題(人が走って近づいてくる動画)が、庵野の制作課題(緻密に描かれた車の上に車が落ちてくる動画)と比べて天と地の差があることに衝撃を受け、アニメでは彼には敵わないと漫画の道を進むことに決めたという。後に「頭の中が違うと思った」と話している。 後に岡田斗司夫から、庵野秀明・山賀博之・赤井孝美の3名は、そもそも映像志望の自分たちと漫画家志望の島本では目指すところが違っていると思われていたので、彼らからは全くライバル視されておらず、「ライバル視し合っていた」というのは島本の思い込みであったことをニコニコ生放送での対談において知らされ、大きなショックを受けた。 初めてサインを書いた相手も庵野である。両人によれば「お互い一方的にライバル視し合っていたが授業で会うことはほとんどなかった」らしい。なお、庵野の班員であった山賀博之のことは知っていたが、赤井孝美らとはあまり面識がないようである。庵野いわく、様々な行動から大学時代はすでにちょっとした有名人だったという。 NHK BS2のBSマンガ夜話『燃えよペン』の回によると、岡田が庵野にインタビューした際「手塚(島本の本名)はねえ」と嬉しそうに切り出し、「授業でバスケットボールをやった際、手塚が敵にボールを取られた時『すまん! 俺のせいで! もう一度、俺にチャンスをくれええ!!』と叫んだ」という。そのため、庵野が島本のマンガを初めて見た際「手塚がまんま出てる」という印象を受けたという。 『アニメ店長』のPVでは、友情監督を自ら買って出ている(これ以前にガイナックスは『炎の転校生』OLA版の制作にも関わっている)。 『アオイホノオ』では、島本をモチーフとした主人公(ホノオ)が延々と運転免許取得に励んでいた時ガイナックス創立メンバーについて語られるなど、もう1人の主人公的な立場となっている。 岡田斗司夫 初顔合わせ前に島本の噂を山賀・庵野・赤井から聞いていた。 初顔合わせは『ふしぎの海のナディア』がリアルタイムで放送されていた頃、当時、岡田が社長を務めていたガイナックスが『炎の転校生』をOLA(オリジナルレーザーディスクアニメ)で制作することとなり、関係者が顔合わせする会議の時だった。当時はバブル時代であり、岡田は日本人はギャグは大変好きではあるものの、ギャグに金を払うのは死ぬほど嫌いな民族で、『炎の転校生』はギャグ作品のためそのまま売り出しても絶対に売れないと考えていた。そして岡田は、無駄にパンチラを出し続けるチラリズムエロとセンスの良い格闘戦が必要だという結論に至ったという。 テレビブロスのコラムで「仕事場の隣が、自分の経営する本屋とレンタルビデオ店」という島本の環境を羨んだ。 冠番組『岡田斗司夫のプチクリ学園』では最終回に島本を招いた。 2022年7月に出た単行本『岡田斗司夫ゼミのサイコパス人生相談』では島本が表紙のイラストを描いた。 南雅彦 大学時代の同期で同じ班だった。現在アニメプロデューサー。1990年代のアニメ関連の仕事はこの縁によるもの。 岩郷重力 下宿の一年先輩。現在ブックデザイナー。 福田雄一 映画版『逆境ナイン』、ドラマ版『アオイホノオ』を監督した。 島本を師と呼んでいる。 アシスタント経験者 みず谷なおき - 島本が新人の頃に一時的にアシスタントをしていた。 克・亜樹 - 2年後輩だが年齢は同じ。克は漫画研究会に所属していたが、島本は個人で活動している。この漫研の創立者は矢野健太郎だが、『アオイホノオ』の描写とは異なり、矢野とは当時面識はない。 渡辺道明 山下てつお - 『逆境ナイン』や『ワンダービット』の山下のモデル。 富士原昌幸 窪之内英策 仲原敬太郎 - のちに『はっぴいマリア』(講談社)など発表 ちば・ぢろう(滝沢ひろゆき) - 石森プロ作品のコミカライズ等を経て、主に成年誌にて活躍 大滝よしえもん 塚田秀一郎 - 後に テレビランドにて戦隊物のコミカライズを執筆 五星戦隊ダイレンジャー雑誌記事 特撮雑誌 宇宙船 1984年春号(18号) - 好きな特撮についてイラストコラムを描く企画で、仮面ライダー1号、大川めぐみ、松本伊代について描いた。 まんが情報誌ぱふ 1984年10月号 - 本号メインの特集。江川達也との対談、さくまあきら、新谷かおるらのコメントなど。 月刊ニュータイプ 1985年7月号 - 大阪関連の業界人特集内で庵野秀明との対談。2ページ。 月刊OUT 1991年5月号 - インタビューとアニメ版・炎の転校生の紹介。8ページ。 関連項目 専門学校札幌マンガ・アニメ学院 - スペシャルセミナー講師として講義を行っている。 脚注 外部リンク (2010年1月27日 15:33:22 - )※ UTC表記。 - 公式ブログ 島本外伝 株式会社アイビック 公式サイト 日本の漫画家 21世紀日本の実業家 同人作家 北海道出身の人物 1961年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%82%82%E3%81%95%E3%81%8B%E4%BF%9D
しもさか保
しもさか 保(しもさか たもつ)は、日本の漫画家。 愛称は「もっさん先生」。「~ってかい~?」「~ざんすよ」と言う語尾が特徴。 陸上競技をテーマにしたギャグ漫画『紫色のバカな風』が、「週刊少年マガジン」の第21回週刊少年マガジン新人漫画賞を受賞。前回の第20回に続いて入選賞金100万円となっており、小林まこと(今も大親友との事)に続く100万円ゲットとなった。 『紫色のバカな風』は『ぱ~ぷる呈介』とタイトルを変えて掲載されデビュー。続けて連載となったが、連載期間は比較的短いもので終わる。またこの作品では劇中の学校名に保谷や田無などの地名が使われており、西東京市にゆかりのある人物であることがわかる。 次いで『ガクラン八年組』が読切で掲載、好評につき連載となり、現在まで代表作である。また連載時に結婚、妻が食事を作ってくれると、体型が一気に太ってしまった。 パチンコ雑誌にて連載多数だが、かなりの確率で壮絶に負けている。「スロマンガ界の借金王」の呼び名も持つ。 作品リスト あいつがゴッチ 阿羅漢(原作・安藤満) ガクラン八年組 極道きゃんぱす ストリートライダー 男がゆく! とことんつっこむざんす!! 闘魂野球軍(短編作品) ぱ~ぷる呈介 関連項目 小原宗夫 - 元アシスタント。 日本の漫画家 存命人物
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しろー大野
しろー大野(しろーおおの、1968年 - )は、日本の漫画家・イラストレーター。福島県出身。ゲームのキャラデザインも手がけたことがある。男性。妻は同じく漫画家・イラストレーターの星野由美子。 漫画作品単行本リスト しろー駄作劇場(ムッシュゴリグリ鈴木・ド・ヤコペッティの優雅な生活) 「双葉社 4コマまんが王国」シリーズ ネオジオコミック海賊本 SAMURAI SPIRITS 覇王丸地獄行 真SAMURAI SPIRITS 覇王丸地獄変 オズヌ(6巻まで出版されているが未完) 新しびとの剣 挿絵 「ダブルクロス・リプレイ・トワイライト」シリーズ オウガバトル64 黎明編 アテナ 選ばれし少女 真説サムライスピリッツ武士道烈伝 リムーブカース 創星の樹 パンツァーポリス1935 ゲーム関連 真説サムライスピリッツ武士道烈伝(キャラクターデザイン) サムライスピリッツ 斬紅郎無双剣(勝利画面などの原画) ファージアスの邪皇帝(薄葉士郎名義で原作企画版・漫画・挿絵/しろー大野名義でPCエンジン SUPER CD-ROM2版キャラクターデザイン) ミサイルファイター(発売中止) 一血卍傑-ONLINE-(キャラクターデザイン) このほかマルカツ、電撃系列ゲーム誌の挿絵を一部担当。 外部リンク しろー大野の宇宙船まぐろ号(公式HP) 日本の漫画家 日本のイラストレーター 福島県出身の人物 1968年生 存命人物
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新谷かおる
新谷 かおる(しんたに かおる、本名:新谷 薫(読み同じ)、1951年4月26日 - )は、日本の漫画家、同人活動家。男性。大阪府豊中市出身。大阪高等学校卒業。 妻は『緋の稜線』などの作品で知られる漫画家の佐伯かよの(2021年8月29日死別)。長女はナレーター・俳優の新谷摩乃。 代表作は『エリア88』・『ふたり鷹』など多数。 略歴 中学生から漫画を描いており、高校3年の時には篠原とおるのアシスタントを務めながら『少年キング』に投稿していた 。当初は飛行機の操縦士を目指していたが、色覚異常が確認され断念。高校卒業後は航空貨物関係の仕事を経て20歳で上京し、本格的に漫画の道を志す。 1972年にりぼん漫画賞佳作入選。『りぼん4月大増刊』に掲載された「吸血鬼はおいや!?」でデビュー。大和和紀、山岸凉子のアシスタントを経験。 1973年に、同じく『りぼん』にて受賞歴のある佐伯かよのと結婚。初詣帰りのバス車内で佐伯かよのが少年サンデーを拾い、その中にあった松本零士のアシスタント募集を見て同年3月より松本零士のプロダクション「零時社」に入りアシスタントを2年半務める。零時社を出てから半年程ブラブラして描きためた原稿を『月刊プレイコミック』に持ち込み、そのまま1977年より戦場ロマン・シリーズの連載を開始した。 1978年、『週刊少年サンデー増刊号』で史村翔原作「ファントム無頼」の連載を開始。 1979年、『少年ビッグコミック』で「エリア88」の連載を開始。本作と「ファントム無頼」のヒットにより注目を集めるようになる。 1981年、『週刊少年サンデー』で「ふたり鷹」の連載を開始。 1984年、『エリア88』と『ふたり鷹』で第30回小学館漫画賞受賞。 2017年4月26日、66歳の誕生日を迎えたことと『クリスティ・ロンドンマッシブ』最終回脱稿とを区切りとして一時休筆を公式Twitterアカウントで宣言した。 作風 メカニックと人間を絡めたロマン、シリアスとギャグをミックスした作風が特徴。登場人物は時として人生・社会・戦争・テクノロジーなどに関する哲学的なセリフを話す。スター・システムも採用しており、同じ外見、同じ名前、同じような性格のキャラクターを複数の作品に別のキャラクターとして登場させることもある。 初期の作風は師匠である松本の影響が強く郷愁色と感傷を前面に出していたが、少女漫画家志望だったこともあり徐々に繊細なペンタッチで描くようになった。メカニックの描写も単純な写実第一ではなく独特のパースが松本から受け継がれ、さらに昇華されたものとなっている。このような過程を経て、新谷の作風は「少女漫画の感性と少年漫画の熱さを併せ持つ」極めて独自色の強い作風を確立した。 夫婦で互いの作品を手伝うことも多く、作品の一部キャラクターを妻の佐伯が描き、逆に佐伯作品中のメカニックを新谷が描くこともある。 『クレオパトラD.C.』や『砂の薔薇』など、主人公が海外のさまざまな場所で活躍する作品が多いが、これについて新谷は子供のころ見ていた世界を舞台にしたアメリカのテレビドラマなどの影響によるものと語っている。 人物 趣味はバイク・カメラ・プラモデル・飛行機・スキーなどで、その知識が多分に作品へ活かされている。 趣味を生かして資料製作を行っており、松本の漫画作品「宇宙海賊キャプテンハーロック」に登場するヤッタラン副長のモデルとなった(ヤッタランが関西弁で話し、何事もない限り「今忙しいねん」といつもプラモデルで遊んでいる点が共通している)。 自他共に遅筆であることを認めており、「急いで締め切りに間に合わせいい加減な作品を描くよりも、何度頭を下げてでも納得のいく作品を描いたほうが良い」とも語っている。 近年取り上げられている児童ポルノ法改正案に対しては慎重な立場を示しており、創作物の規制/単純所持規制に反対する請願署名市民有志の賛同人として名を連ねている。 アニメーション監督の福田己津央は、業界では有名な新谷のファンとして知られており、自身が携わった作品では『エリア88』のオマージュとも取れる設定ネタを数多く登場させている。 作品リスト 漫画作品 各作品の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。表記はデフォルトでは大きく連載作品と短編を分け、それぞれ発表順とした。年にはソートを正しく行なうため便宜的に下付き文字で数字を加えている。 単行本 書名が同じ物は【】内の注記で区分をつけている。デフォルトでの表記は作品毎にまとめてオリジナルの発売順とした。判型にはソートを正しく行なうため便宜的に上付き文字で数字を加えている。月日にもソートを行うために二桁になるように数字を加えている。出版社については以下の略号を用いる。 その他の作品 画集 エリアファイル88(新谷かおる豪華画集) 1985年4月発売、定価は3,000円。『エリア88』の連載6周年企画として発売された大型本。B3のカラーポスター8点、コミック未収録であった「エリア88番外編」の複製原画(製本されないB4紙20枚のかたち)、新谷かおるのインタビューが収録されたオリジナル・カセットテープが1本。ISBN 4-09-199551-9 クレオパトラD.C. イラストレーション集 1989年12月発売、定価は2,000円、大型本、62ページ。『クレオパトラD.C.』のカラーイラストなどが収録されている。ISBN 4-7962-0009-6 新谷かおる Art Collection 1999年にガイナックスより発売された。「エリア88」・「ふたり鷹」・「クレオパトラD.C.」・「砂の薔薇」を始めとした代表作のカラーイラストを中心に、作品の制作背景を綿密に語ったロングインタビューなどが収録されている。WindowsとMacintoshに対応したハイブリッドCD-ROMで、定価は7,800円(税別)。 エリア88 MANIAX GAMEBANK社より発売された。「エリア88」全話を完全収録しており、壁紙や未発表カラー原稿・作品に登場した航空機データなどが収録されている。WindowsとMacintoshに対応したハイブリッドCD-ROM2枚組で、定価は5,800円(税別)。 漫画原作作品 オン・ザ・ウェイ 1982年、小学館、週刊少女コミック18号、読み切り作品。作画:佐伯かよの。 DAT13(ダットサーティーン) 1997年、白泉社、ヤングアニマル、ジェッツ・コミックス(全1巻)。作画:千葉潔和。ISBN 4-592-13013-8 Quo Vadis(クオ・ヴァディス) 2007年 - 2018年、幻冬舎、webコミックGENZO、コミックバーズで連載。バーズコミックス(全20巻、外伝1巻)。作画:佐伯かよの。 同人誌 ドラゴン株式会社 完全版 1998年、「八十八夜」を通しコミケで販売。掲載誌であった少年キャプテン(徳間書店刊)が休刊になり未完となる。再開のメドもたたず、コミック発刊も絶望的であったため、同人誌のカタチで自費出版し、限定的に日の目を見た。 自身主催の同人サークル「八十八夜」では、妻の佐伯や和田慎二、島本和彦との合作やコラボレーション作品の発表もある。 また、2015年8月開催のコミックマーケット88では、開催回数と『エリア88』にかける形で、コミケット準備会からの打診を受けコミケットカタログの表紙イラストを手がけている。 アニメ エリア88(1985年) 全3巻のOVAシリーズが製作された。「ACT I」と「ACT II」は再編集され、1985年に映画版として公開され、その後、テレビ東京でも放映された。キャストは風間真を塩沢兼人、ミッキー・サイモンを富山敬、サキを志垣太郎が演じた。 エリア88(2004年) 全12話のシリーズがテレビ朝日の深夜枠で放映された。原作とはかなり異なる内容となっており、戦闘機などのメカニックにCGが使われ、オリジナルキャラクターが2人登場している。風間真は子安武人が演じた。 ふたり鷹 全36話のシリーズがフジテレビ系列で放映された(1984年9月27日 - 1985年7月12日)。製作は国際映画社。キャストは沢渡鷹を古谷徹、東条鷹を塩沢兼人、沢渡緋沙子を藤田淑子が演じた。 左のオクロック!! 全2巻のOVAが1989年に徳間コミュニケーションズから発売された。キャストは佐々木望他。 クレオパトラD.C. 全3巻のOVAシリーズが1989年から1991年に東映ビデオから発売され、2008年にはOVA全巻を収録した「クレオパトラD.C. コンプリートDVD」も発売された。クレオパトラは川村万梨阿が演じた。 ガッデム 全2巻のOVA(第1巻「サバイバルチェイサー」・第2巻「ゴーアヘッド」)が1990年にビクターから発売された。キャストは山寺宏一他。 ぶっとび!!CPU 全3巻のOVAが1997年に「ピンクパイナップル」レーベルから発売され、2001年にはOVA全巻を収録したDVD「ぶっとび!!CPU 全集」も発売された。監督は日高政光、主演キャストは柊美冬。三石琴乃、宮村優子も出演。 砂の薔薇 1993年に東映ビデオより「砂の薔薇 雪の黙示録」が発売され、2008年にはDVD版も発売された。オリジナル脚本だが、一部の内容は原作のエピソード「チームA」を基にしている。また、2000年に「まんがビデオ」も発売された。 その他の仕事 宇宙大帝ゴッドシグマ(1980年) - テレビアニメ。キャラクター原案を担当。 コスプレ戦士 キューティ・ナイト(1995年) - 実写ビデオ作品。シンタニ司令長官を演じる。 WING OVER(1997年) - PS1用のフライトシューティングゲーム。キャラクターデザインを担当。 ウェポン・フロントライン 航空自衛隊 F-4ファントム 時代を超えた戦闘機(2014年、松竹) - F-4 ファントムIIの映像を収めた作品。オーディオコメンタリーとして出演するほか、付属のポストカードを描き下している。 アシスタント 著名な元アシスタントに、蛭田充、ゆうきまさみ、島本和彦、田口雅之がいる。 ゆうきの作品『究極超人あ〜る』には新谷夫妻の子供の名前をネタとして出しているほか、逆に近年の新谷の作品に登場するキーパーソンキャラクターは「機動警察パトレイバー」に登場する内海がモデルとなっている。 また、島本が自著でたびたび手伝いに訪れていたと述べている。島本はその後、同人誌「新谷かおるになる方法」にてその経験や新谷の著作への分析と見解を語っている。島本の作品『ガレキの翔』には、「谷かおる」というキャラクターが登場。『アオイホノオ』にも新谷夫妻が実名で登場する。 その他のメディア 雑誌『スコラ』1989年10月12日号 - カメラ特集にコメント。他にも同誌ではメカ関係の記事にコメントをしている。 防衛庁広報誌『セキュリタリアン』1992年11月号 - 自衛隊を描いた作品の特集記事で「ファントム無頼」が取り上げられた(他に、史村翔原作の「右向け左!」、「沈黙の艦隊」、「青空少女隊」なども取り上げられていた)。 「別冊宝島235:いきなり最終回」1990年代後半 - 漫画の連載打ち切りに関する記事で自身の体験を話した。 月刊『航空ファン』2003年1 - 12月号 - コラム「エマージェンシーな日々」を連載した。 世界の傑作機 No.96 F-5E/FタイガーII、F-20タイガーシャーク - インタビューの掲載、内容は「エリア88」誕生秘話。 フィギュア誌『レプリカント』16号(2004年5月28日発行) - 松本零士との対談が掲載。アシスタント時代の話など。 関連文献 まんが情報誌『ぱふ』1982年5月号 - 特集:新谷かおる まんが情報誌『ぱふ』1984年7月号 - 特集:新谷かおる2 「いきなり最終回 PART3」(JICC出版局 1991年) - 「エリア88」の最終回が掲載。 脚注 外部リンク - 公式サイト。同人誌通販、掲示板など。 新谷かおるデータコレクション - ファンによる作品リスト。 talk! talk! talk!:漫画家 新谷かおるさん - 本人によるインタビュー。 ア しんたに かおる 日本の漫画家 同人作家 大阪府出身の人物 1951年生 存命人物
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鈴宮和由
鈴宮 和由(すずみや わゆ、1963年1月27日 - )は、日本の女性漫画家。愛称は「和由りん」。福岡県北九州市出身。短大卒。1982年『恋してフリル』(『週刊少年サンデー増刊号』8月号)でデビュー。代表作に『とってもひじかた君』など。 著作『朱鷺色怪魔』のOVA版では、主題歌・イメージソングを自ら歌った。 作品リスト とってもひじかた君 2006年文庫本再版(全3巻)。WEBコミック化もされている(全6巻)。 獣人聖域 ブリザートプリンセス ステキに野蛮人 蒼い妖魔たち 朱鷺色怪魔 他人家族 和由プレイバック うかれまくって御曹司 ブランド・ブラッド ポポチックるんば 悪業ハンター 鏡の中の遊撃隊 生活変換症候群 悪業ハンター参上!(読切) 恋してフリル(読切)・・・南沢夕起名義 挿絵・イラスト等 「ウルフランド」平井和正著(角川文庫・1983年) カバー・本文イラスト 「ウルフレター」平井和正著(徳間文庫・1984年) カバー・中扉イラスト 「ウルフ対談」平井和正著(徳間文庫・1985年) カバー・本文イラスト その他 特撮雑誌『宇宙船』1984年春号(Vol.18)にて特撮についてのイラストコラムを描いた。取り上げた作品は『怪獣王子』『好き! すき!! 魔女先生』など。 関連人物 桂正和 - 友人の漫画家。 脚注 日本の漫画家 北九州市出身の人物 1963年生 存命人物
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千之ナイフ
千之 ナイフ(せんの ナイフ(アルファベット表記:Senno Knife)、1960年9月5日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。男性。 デビュー時(初期)のペンネームは山本 和都(やまもと かずと)。アルファベット表記は、秋田書店、ぶんか社刊行の単行本などではSenno Naiffと誤記されている。 経歴・人物 松本零士と牧美也子の元アシスタントであり、かつて松本零士の元でアシスタントを務めていた新谷かおるとは入れ違いにアシスタント入りした。商業デビュー以前から同人作家として同人誌での活動もしており、2020年現在も継続中である。 1981年に『レモンピープル』(あまとりあ社)創刊号にて『雪姫』で商業誌デビュー。デビュー当時から初期にかけては主に成人向け漫画雑誌で活動し、1984年以降は一般誌、少年・少女誌でも執筆している。ホラー漫画、SF漫画、ファンタジー漫画、コミカライズ作品(有名童話・小説の翻案)など幅広いジャンルを手がけている。 妻は漫画家・イラストレーターの猫井るとと。猫井がヴォーカルを務めるポスト・ニューウェーブバンド・PSYDOLLのジャケットイラストはほとんど千之が描いている。 作風 緻密かつ耽美的な絵柄や、独特の謎めいたストーリー展開がデビュー当時からの主な作風である。特に性、死、悪魔、人形、TSF、百合などをテーマとした幻想的な作品が多いが、中にはギャグ・パロディ要素も盛り込んだものもあり、作風の幅はかなり広い。 また、初期作品では「千スクリット文字」と呼ぶ謎の文字で綴った語句を漫画原稿の余白に書き込み、作品をミステリアスに演出していた。これは一部の熱心なファンに解読された後は、ファンとのコミュニケーションに使用されていた。 作品リスト 成人向け作品 夜姫(1982年9月、久保書店→1997年1月、シュベール出版→2005年9月、青林堂) プレゼント(1983年11月、久保書店) 赤いナイフの夜(1985年3月、久保書店) シンデレラDOLL(1987年1月、辰巳出版) 魔女っこメルヘン(1988年8月、フランス書院) シークレットレディ(1990年1月、久保書店) 魔夜中のレディ(1990年2月、司書房→1995年10月、松文館→2005年9月、青林堂) レディ エキセントリック(1990年10月、司書房→1997年6月、シュベール出版→2005年9月、青林堂) 逢魔がホラーショー(1991年10月、久保書店→1995年11月・12月、シュベール出版、全2巻) ビザリアン(1993年8月、司書房→2005年9月、青林堂) SEPIA(1993年12月、シュベール出版→2005年9月、青林堂→2006年3月、青林堂) EDEN(1994年4月〜1997年1月、シュベール出版、全5巻→2005年9月、青林堂、全5巻) 美少女世界(1996年5月、松文館) 鏡の国のちづる(1997年1月、シュベール出版→2005年9月、青林堂) 夢想少女館(1999年4月、松文館) 迷宮秘宝館(2005年8月、モエールパブリッシング) イヌノセイカツ(青林堂) ひみつ遊戯(リイド社) トランスセクシャル・ショー(2015年11月、久保書店) 一般向け作品 百面相サーカス(1984年12月、東京三世社) くらくなって魔女(1987年3月・4月、ソニー・マガジンズ、全2巻) 闇のシルエット(1987年11月〜1992年3月、秋田書店、全4巻) ワルキューレ(1989年9月・10月、久保書店、全2巻) 夜はファンタジア(1990年8月、大洋図書) 魔空間ゼロ(1992年7月・12月、実業之日本社、全2巻) 少女パンドラ(1995年11月、秋田書店) SISTER(1996年12月、秋田書店) 死太郎くん(1997年8月・1998年6月、秋田書店、全2巻) 死の女神(1998年6月、ぶんか社) エデンの最期に(1999年6月、秋田書店) 人間モドキ(1999年8月、蒼馬社) カマキリ女(2000年5月、ぶんか社→2006年4月、ホラーMコミック文庫版、ぶんか社) 迷宮サーカス(2002年3月、ぶんか社) 古典名作集 SADE(2005年3月、青林堂) TEMPEST(2005年7月、青林堂) DECAMERON(2006年8月、青林堂) FAUST(2007年4月、青林堂) SADE2 魔性の姫(2008年6月、青林堂) ちづる奇譚(2005年9月〜11月、青林堂、全3巻) ブラック・ジャックM「身替わり」(2005年12月、秋田書店) EDEN チャイニーズ姑娘編(2006年2月、青林堂) うわさの死太郎くん(2006年8月、幻冬舎コミックス) うわさの死太郎くんリターンズ!(2007年4月、幻冬舎コミックス) レズビアン 少女愛(2007年11月、青林堂) 迷宮のアリス(2008年1月、久保書店) 怪異実聞録なまなりさん(原作:中山市朗、2009年8月、メディアファクトリー) 侍コップ(X-PUBLISHING) レズビアン2 蜜の部屋(2010年7月、青林堂) 死の美術館(2010年10月、久保書店) 吉原遊女絵伝(2011年2月、リイド社) レズビアン3 吸血令嬢(2012年9月、青林堂) エコール・ド・エデン(NTTソルマーレ) ホラーシアターVol.1(Tyrellsya) ホラーシアターVol.2(Tyrellsya) 千之ナイフ選集 少女曼荼羅(2015年7月、久保書店) イラスト 禁断の純愛戦争シミュレーション ヴェルメラント戦記(引野利秋・著) 血ザクロ学園シリーズ(黒史郎、しむらおとの(Physics Point)、春夏秋冬よもひろ、檜木田正史、皆川千尋、恵莉ひなこ・著、2020年、ラインスタッフ・プロダクツ) ゲーム 千之ナイフの魔少女館(PC-8801 / MSX2)(アイセル) 千之ナイフ 迷宮の魔少女(PC-8801 / PC-9801 / MSX2)(アイセル) エンドセクター(プレイステーション用ソフト(一部カードイラスト)) テレビドラマ 漫画喫茶都市伝説 呪いのマンナさん(「赤い表紙のマンガ」作画) 脚注 師匠 松本零士 牧美也子 参考文献 別冊宝島316『日本一のマンガを探せ!』内「愛の試練、性の深淵/千之ナイフ(解説:牧秀彦)」(宝島社刊) 『千之ナイフ展 -イノセントな姫言-』カタログ(スパンアートギャラリー刊) 外部リンク (本人のブログ) たいれる社(同人サークルのウェブサイト) - 妻によるツイッターで、本人の広報も務める。 ア せんの ないふ 日本の漫画家 同人作家 東京都出身の人物 1960年生 存命人物 成人向け漫画家
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曽田正人
曽田 正人(そだ まさひと、1968年6月18日 - )は日本の漫画家。東京都文京区出身。『ドカベン』、『サーキットの狼』に影響をうけて、小学校2年よりまんがを描き始める。高校在学中の先輩に三浦建太郎らがいる。日本大学藝術学部デザイン学科インダストリアルデザインコース中退後、アシスタントを経て「GET ROCK」(1990年、マガジンSPECIAL、講談社)でデビュー。以降、作品の掲載は講談社・秋田書店・小学館の3社にわたる。 『capeta』(2003年~2013年、月刊少年マガジン、講談社)以降の作品は「漫画製作におけるパートナー」である冨山玖呂との共著となっている。 作品リスト シャカリキ! (1992年4月 - 1995年6月、週刊少年チャンピオン、秋田書店)2008年に映画化。 め組の大吾 (1995年8月 - 1999年6月、週刊少年サンデー、小学館)1997年第42回小学館漫画賞受賞。1999年第2回文化庁メディア芸術祭コミック部門受賞。1999年「め組の大吾 火事場のバカヤロー」としてアニメ映画化。2004年「FIRE BOYS 〜め組の大吾〜」としてテレビドラマ化。 昴 (1999年12月 - 2002年11月、週刊ビッグコミックスピリッツ、小学館)2009年「昴-スバル-」として映画化。 capeta (2003年2月 - 2013年3月、月刊少年マガジン、講談社、冨山玖呂と共作)2005年に第29回講談社漫画賞受賞。2005年テレビアニメ化。 MOON -昴 ソリチュードスタンディング-(2007年8月 - 2011年10月、週刊ビッグコミックスピリッツ、小学館)「昴」の続編。 テンプリズム (2014年5月 - 2017年1月、週刊ビッグコミックスピリッツ、コミック小学館ブックス、小学館、原案:瑞木奏加) Change!(2017年11月 - 2019年12月、月刊少年マガジン、講談社、冨山玖呂と共作) め組の大吾 救国のオレンジ (2020年10月 - 、月刊少年マガジン、講談社、冨山玖呂と共作)「め組の大吾」の続編。 短編集 曽田正人作品集 FIRE AND FORGET (1998年、アスペクト/2003年、エンターブレイン より改訂版)「シャカリキ!」連載以前に描かれた作品を集めた作品集。中でも週刊少年チャンピオンで短期集中連載された「FIRE AND FORGET」は「め組の大吾」の原型となった作品。 画集 SUBARU 曽田正人作画集 (2002年、小学館) その他 capeta THE GUIDEBOOK (2005年、講談社) 監修を担当 作品に影響を与えた人物 五十音順。 アイルトン・セナ 片山右京 クラウディオ・キアプッチ 小林可夢偉 ジル・ヴィルヌーヴ シルヴィ・ギエム 高野甲子雄 別府史之 ミゲル・インドゥライン ミハエル・シューマッハ フェルナンド・アロンソ ラリードライバーはカルロス・サインツが最も好きで、1994年1000湖ラリーで彼の走りを見にフィンランドまで行ったというほどであった 他の漫画家との関係 師匠 北崎拓 デビュー前の曽田はバンダイ発行のプラモデル情報冊子「模型情報」の投稿の常連で、北崎拓は同冊子上にて「北崎拓美」「北崎ひろみ」のペンネームでイラストや連載漫画を執筆していた。また、曽田自身も模型情報にイラスト等を執筆している。 アシスタント 田中モトユキ 出典 外部リンク 曽田正人オフィシャルウェブ - 公式サイト 曽田正人日記 - 公式ブログ 曽田正人 公式ブログ - Powered by LINE 日本の漫画家 東京都区部出身の人物 1968年生 存命人物 ア そた まさひと
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曽祢まさこ
曽祢 まさこ(そね まさこ、1951年4月21日 - )は、日本の漫画家。三重県伊勢市出身。妹は漫画家の志摩ようこ。 1970年、第4回講談社少年少女新人漫画賞において佳作を受賞した「手錠はおどる」でデビュー。 代表作は『呪いのシリーズ』『不思議の国の千一夜』など。フリーアナウンサーの楠田枝里子とは同郷であり、小学校から高校まで同級生であった。 作品リスト 幽霊がり ブローニィ家の悲劇 夢の園のミア 七年目のかぞえ唄 金のベールに銀の糸 妖精旅行 闇に消えたクリスマス 氷の城 ジョリー&マリー恋の方程式 OH!離婚家族 魔女に白い花束を (マリアンヌ・マイドルフ著「魔女グレートリ アルプスの悲しい少女」の翻案) 恐怖クラブ 呪いのシリーズ わたしが死んだ夜 ぼくを食事につれてって 海にしずんだ伝説 不思議の国の千一夜 悪魔の十三夜 ふたりめの神話 12月のエルメイン 赤いわな 死霊教室 幻想組曲 -ばらによせて- 王さまはネコがきらい ふしぎ館の相続人 ダーク・クィーン 闇の王子の物語 外部リンク 脚注 日本の漫画家 三重県出身の人物 1951年生 存命人物
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カミオカンデ
カミオカンデ(KAMIOKANDE)は、ニュートリノを観測するために、岐阜県神岡鉱山地下1000mに存在した観測装置。KAMIOKANDEという名称はKamioka Nucleon Decay Experiment(神岡核子崩壊実験)に由来する。 1996年にスーパーカミオカンデが稼動したことによりその役目を終えた。跡地にはカムランドが建設され、2002年1月23日より稼動を始めている。 概要 カミオカンデは、大統一理論の予言する陽子崩壊を実証するため1983年に完成した。 カミオカンデは3000トンの超純水を蓄えたタンクと、その壁面に設置した1000本の光電子増倍管からなる。ここで使用された光電子増倍管は研究グループと浜松ホトニクスが新規に共同開発した口径20インチのものである(一般に広く使われるのは口径2インチ型)。ガラスバルブには耐水性が高いHARIOの耐熱ガラス「ハリオ32」が使用された。 カミオカンデが地下に設けられたのは、陽子崩壊時に放出されるニュートリノ以外の粒子の影響を避けるためである。ニュートリノはものを貫通する能力が高く、他の物質と反応することなく簡単に地球を抜けていってしまう。しかし、まれに他の物質と衝突することがある。カミオカンデは、このまれに起こる衝突を検出することで間接的に陽子崩壊を実証することを目的とした。 カミオカンデはニュートリノの衝突を検出するため、超純水をつかう。カミオカンデの内部には超純水がためられており、ニュートリノが水の中の電子に衝突したあとに、高速で移動する電子より放出されるチェレンコフ光は青白く発光し、壁面に備え付けられた光電子増倍管で検出する。チェレンコフ光を検出した光電子増倍管がわかると、計算によりどの方角からきたニュートリノによる反応かがわかる仕組みになっている。 1987年2月23日、カミオカンデはこの仕組みによって、大マゼラン星雲でおきた超新星爆発 (SN 1987A) で生じたニュートリノを偶発的に世界で初めて検出した。この功績により、2002年小柴昌俊は、ノーベル物理学賞を受賞した。 その後も、太陽ニュートリノやニュートリノ振動の検出、レプトンフレーバーの保存の破れの研究に活用された。 当初の目的 前述したとおりカミオカンデ建設の当初の目的は、大統一理論の候補の多くが予想する陽子崩壊を観測することであった。中でも最もシンプルで有力であったSU(5)理論が正しければ、少なくとも年に数回の陽子崩壊検出が可能なように、さらには外国でも同様の実験が行われていたが、複数予想される崩壊形式の分岐比も測定可能なように設計された。 予想される崩壊の中で主なものは、陽電子とパイ中間子(π0)への崩壊で、π0はすぐに2つの光子に崩壊し、光子はさらに電子等を散乱したりする。これらの陽電子や電子等の発するチェレンコフ光を観測することにより、陽子崩壊を検出しようとしたのである。 SU(5)理論では陽子の寿命は1030から1032年と予測されていたが、陽子崩壊は観測されず、陽子の寿命は1034年以上であることが分った。これによりSU(5)理論は否定され、大統一理論に修正を迫ることになった。 修正理論でも寿命は長くなるものの陽子崩壊が予想されているが、実験を受け継いだスーパーカミオカンデにおいて2018年現在でも陽子崩壊は観測されておらず、陽子の寿命は少なくとも1.6×1034年以上であるとみられている。 脚注 関連記事 小柴昌俊 - 装置設計を指導・監督。 ニュートリノ天文学 浜松ホトニクス カムランド スーパーカミオカンデ ハイパーカミオカンデ ニュートリノ検出器 外部リンク 神岡宇宙素粒子研究施設 素粒子実験 天文学 ニュートリノ観測所 地下研究所 廃かみおかんて 飛騨市の歴史 飛騨市の建築物 小柴昌俊 天文学に関する記事
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スーパーカミオカンデ
スーパーカミオカンデ()は、岐阜県飛騨市神岡町旧神岡鉱山内の地下1000mに設置された、東京大学宇宙線研究所が運用する世界最大の水チェレンコフ宇宙素粒子観測装置である。と略されることもある。ニュートリノの性質の全容を解明することを目的として、1991年12月に着工され、1996年4月より運用を開始した。 スーパーカミオカンデの検出器は、小柴昌俊のノーベル賞受賞研究の元となったカミオカンデと原理は同じだが性能は大きく向上した。5万トンの超純水を蓄えた直径39.3m、高さ41.4mの円筒形タンクの内壁に光電子増倍管と呼ばれる約1万3千本の光センサーが設置されている。飛来したニュートリノが貯水槽内を通過する際に、ごくまれに水分子と衝突して電子や陽電子などの荷電粒子が叩き出される。これらの粒子が水中の光の速度よりも速く水中を走るときに現れるチェレンコフ光を、光電子増倍管により検出する仕組みである。 1998年、大気ニュートリノの観測により、ニュートリノが飛行する間にその種類が変化する現象(ニュートリノ振動)を発見した。2015年、この研究を率いた宇宙線研究所長梶田隆章が「ニュートリノが質量を持つ事を示す、ニュートリノ振動現象の発見」の成果によりノーベル物理学賞を受賞した。 2020年8月より、スーパーカミオカンデの純水中にガドリニウムを加え、新生スーパーカミオカンデとして観測を開始した。これによりニュートリノの観測感度向上、特に「超新星背景ニュートリノ」の観測を目指している。 目的と研究成果 ニュートリノの性質の研究 ニュートリノの質量やそれらの混合行列に関する詳細な分析を、大気ニュートリノ、太陽ニュートリノ、人工ニュートリノなどを用いて研究している。 ニュートリノ振動 ニュートリノは、反応した際に放出する荷電レプトンによって電子ニュートリノ(νe)、ミューニュートリノ(νμ)、タウニュートリノ(ντ)に分けられる。ニュートリノが飛行する間に、量子力学的な効果でニュートリノの種類が入れ替わる現象をニュートリノ振動と呼ぶが、このような現象が生じるためには、ニュートリノが質量を持つことと、混合していることの両条件が必要である。旧カミオカンデにおいて、宇宙線が大気中で反応して発生する大気ニュートリノを観測した結果、理論値ではνμとνeの比はほぼ2となるはずであったが、得られた値はおよそ1.2と小さな値であった。これはニュートリノ振動によるものと考えられたが、サンプル数が277事象と少ないため十分な支持は得られなかった。 カミオカンデを大きく上回る規模と精度を持つスーパーカミオカンデは、運用開始当初からこのニュートリノ振動の検出に利用された。東京大学宇宙線研究所教授の梶田隆章率いるグループがスーパーカミオカンデにおける535日間の観測で4654事象を分析して得られた結果は、やはり理論値の63?65%程度で有意に小さな値であった。さらにニュートリノが飛来してきた角度を分析し、上方向からのものはνμの数が予測値と合致した一方、長距離を飛来してきた下方向からのものはντに振動し、数が約半分に減っていることがわかった。これはニュートリノ振動を想定しなければ説明がつかない結果であり、ニュートリノ振動の最初の発見となった。1998年、梶田は岐阜県高山市で開催されたニュートリノ国際会議においてこの研究結果を報告した。この研究成果により梶田は2015年のノーベル物理学賞を受賞した。 太陽ニュートリノ問題 太陽における核融合反応の際、大量の電子ニュートリノが発生する。地球上でこの太陽ニュートリノを観測した結果は、から得られる予想値に比べて3分の1から半分程度しかなく、長らく「太陽ニュートリノ問題」として議論されてきた。 2001年、カナダのサドベリー・ニュートリノ天文台(SNO)は、重水を使った実験により電子ニュートリノが重陽子と反応して電子を生む反応(荷電カレント反応)の観測結果を報告した。一方スーパーカミオカンデは、SNOよりも高精度の電子弾性散乱の検出により太陽ニュートリノ全体の観測を行っていた。この2つの観測結果には有意な違いがあり、太陽ニュートリノ問題の原因がニュートリノ振動であることの有力な根拠となった。SNOでの研究を率いたクイーンズ大学教授アーサー・B・マクドナルドは、2015年のノーベル物理学賞を梶田隆章とともに受賞した。 第3の振動モード 1999年、つくば市の高エネルギー加速器研究機構で作ったνμを、250km離れたスーパーカミオカンデで捉える実験(K2K実験)が開始された。これは世界初の人工ニュートリノによる実験であった。K2K実験は2004年まで行われ、観測の結果、大気ニュートリノで発見されたニュートリノ振動を99.9%以上の精度で確認することができた。 2009年には、茨城県東海村の大強度陽子加速器施設(J-PARC)で作られたニュートリノビームを295km離れたスーパーカミオカンデに打ち込むT2K実験が開始された。ニュートリノの混ざり具合を示す3つの混合角のうちθ13だけは未測定であり、この発見が期待されていた。2011年6月、ミューニュートリノから電子ニュートリノへ変化する「電子ニュートリノ出現事象」を示唆する観測結果を世界で初めてとらえ、混合角θ13が予想されていた値よりは大きい可能性を指摘した。2013年には実際にミューニュートリノから電子ニュートリノへの変化を世界で初めて観測し、ポンテコルボ・牧・中川・坂田行列が示唆するようにニュートリノが3世代間で混合していることを明らかにした。この業績により、高エネルギー加速器研究機構教授小林隆、京都大学教授中家剛が2014年度の仁科記念賞を受賞した。 ニュートリノを利用した星や宇宙の観測 太陽や超新星爆発によって生成されるニュートリノを観測することにより天文現象の解明を目指すニュートリノ天文学が発達しつつある。 1987年2月23日、東京大学教授小柴昌俊らはカミオカンデによって大マゼラン雲で起こった超新星爆発SN 1987Aからのニュートリノバーストを観測し、同年4月に発表した。これは超新星爆発の理論モデルの妥当性を裏付けるものであり、一般にはこの出来事をもってニュートリノ天文学の幕開けとされる。小柴はこの業績により1989年に日本学士院賞を受賞、2002年にノーベル物理学賞を受賞した。 スーパーカミオカンデでは、超新星爆発が銀河中心で起こった場合、超新星ニュートリノを約8000例捕獲することが可能とされ、絶え間なく監視を続けている。超新星爆発からの光はニュートリノよりも遅れて星の外に放出されるため、スーパーカミオカンデは光を捉える天文台よりも前にその爆発を観測することができる。 超新星背景ニュートリノの観測 宇宙が誕生してから現在までに、約1017個の星が超新星爆発を起こしてきたと考えられている。宇宙空間にはこの超新星爆発によって放出された「超新星背景ニュートリノ」が存在するはずである。この検出に向けて、2020年8月より、スーパーカミオカンデの純水中にガドリニウムを加え、新生スーパーカミオカンデとして観測をスタートした。これにより、ニュートリノの観測感度向上、特に「超新星背景ニュートリノ」の世界初の観測が期待されている。 大統一理論の実験的検証 旧カミオカンデの建設は、大統一理論が予言する陽子崩壊の実証が主な目的であった。この理論の有力候補と考えられていたSU(5)モデルの予想する陽子の寿命は10-10年であったが、カミオカンデでは陽子崩壊は観測されず陽子の寿命は10年以上であることが示され、SU(5)モデルは否定された。なお、SO(10)理論等他のモデルも存在するため、大統一理論という考え方がすべて否定されたわけではない。観測期間が延びれば延びるほど、たとえ極小の確率であっても検出が可能になるため、スーパーカミオカンデでは引き続き陽子崩壊の観測を行っている。 名称 陽子崩壊観測を主目的としたカミオカンデは、Kamioka Nucleon Decay Experiment(神岡核子崩壊実験)の略した名称だった。 上記の目的に加え、ニュートリノによる天体観測を当初から目的のひとつとしていたスーパーカミオカンデは、Super-Kamioka Neutrino Detection Experiment(超神岡ニュートリノ検出実験)とSuper-Kamioka Nucleon Decay Experiment(超神岡核子崩壊実験)の双方を略した名称となっている。 スーパーカミオカンデを、東京大学宇宙線研究所附属神岡宇宙素粒子研究施設と紹介する文献もあるが、正確には東京大学宇宙線研究所附属神岡宇宙素粒子研究施設に存在する「装置の名前」がスーパーカミオカンデである。同施設はスーパーカミオカンデを中心に、ニュートリノや陽子の研究を行うための施設となっている。 歴史 スーパーカミオカンデの建造 1983年に運用が開始された旧カミオカンデの当初の目的は陽子崩壊の観測であった。地下深くに多量の水を蓄えてそれを常時四方八方から観測しつづけるというアイデアは小柴昌俊によるものであったが、米国でも同様のアイデアでアーバイン=ミシガン=ブルックヘブン(IMB)実験が計画されていた。IMBが深度610mに直径5インチの光電子増倍管を2048個設置したのに対し、カミオカンデはより深い地下1000mに20インチ光電子増倍管を1000本設置した。貯水槽の容量は7000トン対3000トンとIMBのほうが大きかったが、光の検出効率はカミオカンデが16倍も良好であった。 1987年の超新星爆発に伴うニュートリノの検出・分析はのちの小柴のノーベル賞受賞につながる一大業績であったが、太陽ニュートリノ検出の面では運用当初から貯水槽と検出器の規模の不足が実感されており、1983年末の時点で早くも小柴は新たな検出装置建造についての提案を行っていた。 実際にスーパーカミオカンデの建造が開始されるのは1991年のことであった。建造には民間企業が多く参加した。三井金属鉱業が掘削、三井造船が水槽を建造し、データ処理は富士通、超純水はオルガノ、大口径光電子倍増管は旧カミオカンデに引き続いて浜松ホトニクスが担当した。 1994年7月、空洞掘削工事が完了。1995年中頃にタンクの建設が完了した。1995年6月から光電子増倍管の取り付け作業と電子回路への接続が行われ、同年12月に完了した。その後2か月以上を要して5万トンのタンクを超純水で満たし、1996年4月1日0時に完成した。 初期の成果 スーパーカミオカンデは当初から日米の研究者の共同研究という形で開始された。IMB試験が1991年初頭に終了し、その主力メンバーがスーパーカミオカンデに合流することとなったのである。 1996年4月1日0時から後述の破損事故までの時期を Super-Kamiokande I (SK-I) と呼称する。1998年には地球の反対側から飛来する大気ニュートリノの数が少ないことを示し、ニュートリノ振動の証拠として世界に発信した。これにより、スーパーカミオカンデ実験グループはこの年の朝日賞を受賞した。1999年には世界初の長基線ニュートリノ実験K2Kを開始し、大気ニュートリノで発見されたニュートリノ振動の検証に成功した。2001年にはカナダのSNO実験の結果と合わせ、太陽から来るニュートリノも振動していることを発見した。 光電子増倍管破損事故とSuper-Kamiokande Ⅱ 2001年11月12日11時01分、光電子増倍管の70%を損失するという大規模な破損事故が発生した。光電管爆縮時の衝撃波による連鎖破壊で、原因は補修作業時の負荷で基部にクラックが入ったためとされた。破壊された数量の光電子増倍管の生産には約4年を要するため、2002年光電子増倍管にプラスチックカバーを被せる防爆措置を行った上で、予備を加えた5,200本の光電子増倍管を再配置し、部分復旧された。これを「Super-Kamiokande II」と呼称する。この破損事故の震動は、近くの高感度地震観測網 (Hi-net) 神岡観測点 (KOKH) において観測されている。 完全復旧 (Super-Kamiokande Ⅲ) 2005年7月より、スーパーカミオカンデの完全再建計画が文部科学省によって承認された。同年10月から観測を中止して破損光電管の交換作業を開始、2006年4月にほぼ完了した。2006年7月11日に建造時と同数の光電管を備えた「Super-Kamiokande III」として観測を再開した。 Super-Kamiokande IV 2008年夏には、さらなる性能向上のために、信号読み出し回路の総入れ替えを行った。以降を「Super-Kamiokande IV」と呼ぶ。 Super-Kamiokande V 2018年、反電子ニュートリノに加えて中性子による信号を捉えるため純水にガドリニウムを添加し新たな観測を行うための改修が行われた。この際12年ぶりにスーパーカミオカンデ内の水槽内部を報道陣に公開した。止水補強工事、タンク内配管の改良、不具合のある光電子増倍管の交換も実施した。 2019年1月より超純水による試運転を兼ねた観測が行われた。これ以降を「Super-Kamiokande V」と呼ぶ。2020年8月よりガドリニウム添加後の本格的な観測が始まった。 事業仕分けの影響 2009年11月、民主党が行った行政刷新会議事業仕分けにおいて「国立大学運営費交付金(2)特別教育研究経費」の交付額についての評定がなされ、「廃止6名、縮減6名、要求どおり2名」となり予算の縮減が決定した。この評議では研究の意義などは一切議論されず、ただ単純に予算全体を一括して縮減すべきであるという判断がなされた。実験代表者の鈴木洋一郎は、予算の縮減による影響で観測が止まってしまう可能性もあり、そうなると稀有なニュートリノの検出を逃してしまうこと、測定器の質を維持できなくなることなどによって、世界トップとなった日本のニュートリノの研究のはずが二流、三流となってしまうと主張した。 他の関連プロジェクト カミオカンデ、カムランド カミオカンデは、1983年から1996年まで東京大学宇宙線研究所により運用された。その後解体され、跡地に東北大学が反ニュートリノ検出器であるカムランドを設置し2002年より運用を開始した。カミオカンデとは異なり体シンチレータを用いた装置で、原子炉ニュートリノをはじめとした各種研究を行い成果を上げている。 ハイパーカミオカンデ スーパーカミオカンデをさらに上回る性能を持つ超大型地下実験装置ハイパーカミオカンデ計画が進行中である。2027年の実験開始を目指している。 タンクの体積は26万トン、有効体積は19万トンでスーパーカミオカンデの約10倍となる。内水槽の側面には50cm径の超高感度光センサーが4万本取り付けられる予定である。ニュートリノと反ニュートリノの振動の違い(CP対称性の破れ)の発見と精密測定による宇宙の物質の起源の解明、ニュートリノ天文学のさらなる発展、陽子崩壊の発見による「素粒子の統一」と「電磁力・弱い力・強い力の統一」の証明を目的とする。 2015年1月に13カ国の研究機関や大学が参加する国際共同研究グループが正式発足した。 2020年1月、ハイパーカミオカンデ計画の初年度予算35億円を含む2019年度補正予算が成立し、2021年5月に着工した。 2022年6月現在、アルメニア、ブラジル、カナダ、チェコ、フランス、ドイツ、インド、イタリア、日本、韓国、メキシコ、モロッコ、ポーランド、ロシア、スペイン、スウェーデン、スイス、イギリス、ウクライナ、アメリカの20ヶ国の研究者が参加している。 広報活動 スーパーカミオカンデ一般公開は年1回秋に行われてきた。2020年、2021年はオンラインで行われた。 2017年には広報と寄付募集のためにスーパーカミオカンデのジグソーパズルを制作し、東大柏キャンパス一般公開や東大生協などで販売した。 脚注 出典 関連項目 素粒子物理学 ニュートリノ検出器 戸塚洋二 大型ハドロン衝突型加速器 外部リンク スーパーカミオカンデ 公式ホームページ 東京大学宇宙線研究所 神岡宇宙素粒子研究施設 K2K つくば-神岡間 長基線ニュートリノ振動実験(KEK-PS-E362)公式ホームページ ニュートリノ観測所 素粒子物理学の施設 素粒子実験 地下研究所 岐阜県の研究所 天文学に関する記事 飛騨市の建築物 東京大学
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カムランド
カムランド(KamLAND)は、東北大学大学院理学研究科付属ニュートリノ科学研究センター(Research Center for Neutrino Science)による反ニュートリノ検出器である。KamLANDという名称はKamioka Liquid Scintillator Anti-Neutrino Detector(神岡液体シンチレータ反ニュートリノ検出器)の略である。カムランドは岐阜県飛騨市(旧神岡町)にある神岡鉱山の坑道内のカミオカンデ跡地につくられた。カミオカンデが水チェレンコフ検出器であったのに対し、液体シンチレータを用いることによって、より低いエネルギーのニュートリノを検出することができる。 カムランドの周辺には複数の原子力発電所が存在する。原子力発電所の原子炉では核燃料中の放射性核分裂生成物の崩壊により反電子ニュートリノ () が生成される。この検出器は原子炉で生成されるニュートリノの25%にあたる、1.8 メガ電子ボルト (MeV) のを超えるニュートリノを検出することができる。 もしニュートリノが質量をもつならば、ニュートリノ振動によって反電子ニュートリノがカムランドでは検出できないフレーバーのニュートリノに変化し、反電子ニュートリノの減少あるいは「消失」に至る。カムランドは原子力発電所から平均180キロメートル (km)離れた位置にあり、これによって太陽ニュートリノ問題の解決策であるニュートリノの大混合角による混合を感度良く検出することができる。 装置の概要 カムランド検出器の外層は、内側に1,879個の光電子増倍管(17インチのものが1,325個、20インチのものが554個)が設置された直径18メートル (m)のステンレス鋼製容器である。光電面が34%の領域を覆っている。この内側にある第2層は1,000トンの鉱油・ベンゼン・蛍光化学物質からなる液体シンチレータで満たされた、直径13メートル (m)のナイロン製バルーンである。シンチレータではない高純度の油がバルーンに浮力を与え、バルーンを光電子増倍管から離しておくための緩衝材として働く。この油は外部の放射線に対する遮蔽材の役割も持つ。3.2キロトン (=3.2x106 kg)の円柱状の水チェレンコフ検出器が容器を取り囲んでいる。これはミュー粒子に対するベトーカウンターとしての働きと宇宙線や周辺の岩盤からの放射能に対する遮蔽材としての役割を持つ。 反電子ニュートリノ ()は逆ベータ崩壊反応 によって検出される。この反応はに対して1.8 MeVのを持つ。陽電子 ()からの即発蛍光によって反ニュートリノのエネルギーを と推定することができる。ここで、は即発事象のエネルギーで、陽電子の運動エネルギーと対消滅エネルギーを足し合わせたものである。 <>は中性子反跳エネルギーの平均値で、わずか数十キロ電子ボルト (keV)である。中性子はおよそ200マイクロ秒 (μs)後に水素に捕獲され、の特徴的なガンマ線を放出する。この信号の遅延同時計測は反ニュートリノの信号と他の粒子によるバックグラウンドを区別する上で強力な手段となる。 距離が離れていることによるの減少を補うために、カムランドはそれまでの検出器よりも検出質量がはるかに大きい。カムランド検出器はBorexinoのような同様の検出器の2倍である、1,000トンの検出質量を持つ。しかしながら、体積が増えたことにより、宇宙線に対する遮蔽材もより多く必要となり、地下に検出器を設置することが必要となった。 カムランド禅の二重ベータ崩壊探索の一環として、2011年に320 kgのキセノンが溶かされたシンチレータのバルーンが検出器の中心に吊り下げられた。キセノンを追加したより汚染の少ない改良バルーンが計画されている。KamLAND-PICOはカムランドに暗黒物質探索のためのPICO-LON検出器を設置することを計画しているプロジェクトである。PICO-LONはWIMPと原子核の非弾性散乱を観測する、放射性不純物の少ないNaI (Tl)結晶である。より量子効率の高い光電子増倍管と集光ミラーを追加し、検出器の性能を向上することが計画されている。 成果 ニュートリノ振動 原子炉ニュートリノ カムランドは、2002年1月17日からデータ収集を開始した。最初の結果は約145日のデータを用いて報告された。ニュートリノ振動がなければ、事象が期待されるにもかかわらず、54事象しか観測されなかった。この結果を検証するため、データサンプルを515日に増やしたところ、ニュートリノ振動がなければ、365.2事象が予想されるのに対し、258事象しか観測されなかった。これによって高い信頼度で反ニュートリノが消失していることが確認された。 カムランド検出器は、反ニュートリノの数だけでなく、エネルギーも測定している。エネルギースペクトルの形状はニュートリノ振動仮説の研究に活用することができるさらなる情報をもたらす。2005年の統計分析で、スペクトルの歪みは振動なし仮説そして2つの代替消失メカニズム、すなわちニュートリノ崩壊およびデコヒーレンス (decoherence)モデルと矛盾することが示された。2種類のニュートリノ間の振動を仮定すると矛盾がなく、Δm2とθパラメータの最適値が導かれた。カムランドはΔm2を最も精密に測定し、太陽ニュートリノ実験はθの測定能力でカムランドを上回っていたので、最も精密な振動パラメータは太陽ニュートリノの測定結果と組み合わせることによって得られた。これらのデータを組み合わせることで決定できる最適なニュートリノ振動パラメータとして、とが得られた。 2008年と2011年に精度を向上させた結果が報告された。 太陽ニュートリノ 既に他の検出器でも測定されていた太陽ニュートリノについても、カムランド検出器で測定が行われた。 2011年に8Bニュートリノのフラックスは [個/(cm2・s)]と見積もられた。これは他の検出器(スーパーカミオカンデ、サドベリー・ニュートリノ天文台、Borexino)の測定結果やニュートリノ振動を考慮した標準太陽モデルと矛盾しなかった。 2015年に7Beニュートリノのフラックスは [個/(cm2・s)]と見積もられた。これはBorexinoの測定結果やニュートリノ振動を考慮した標準太陽モデルと矛盾しなかった。7Beニュートリノは862 keVとエネルギーが低く、これ以前にはBorexinoでしかこのような精度で測定できていなかった。 地球ニュートリノ カムランドは地質学的に生成される反ニュートリノ(いわゆる)の測定結果も2005年に公表した。このようなニュートリノは、地球の地殻とマントルにおけるトリウムとウランの放射性崩壊によって生成される。地球ニュートリノの測定結果により、ウランとトリウムの放射化熱による地熱への寄与の上限値として60TWが得られた。 Borexinoの測定値と組み合わせた結果が2011年に公表された。 2013年の新たな結果では、日本の原子炉が停止してバックグラウンドが低減されたため、116個の事象を用いて、ウランとトリウムの放射化熱生成量を TWと限定することができた。これにより地球ケイ酸塩部分の構成モデルが限定されるが、既存のモデルと矛盾しなかった。 カムランド禅 カムランドの検出器は2011年からは、キセノン136のニュートリノを放出しない二重ベータ崩壊 (0νββ)を探索するプロジェクト「カムランド禅 (KamLAND-Zen)」に使用されている。ニュートリノを放出する二重ベータ崩壊 (2νββ)は観測されたことがあるが、0νββは観測されたことがなく、観測されればニュートリノの質量を決定することができる。Zenは、Zero Neutrino Double Beta Decay Experimentの略である。 最初に公表された78日間の測定データに基づく結果は、キセノン136における0νββの半減期は90%の信頼度で以上、2νββの半減期はであり、他の実験結果と矛盾しないというものだった。 2011年10月から2012年6月の間に収集した第一期のデータと、キセノン純化後の2013年12月から2015年10月の第二期の間でデータを加え解析を行った結果、キセノン136における0νββの半減期の制限は90%の信頼度で以上に改善された。 エネルギー分解能の向上、キセノン濃度の向上、バックグラウンドの低減などを行い、さらに精度を向上することを目指している。 バリオン数非保存現象 バリオン数非保存現象の探索も行われた。中性子が複数のニュートリノに崩壊するモードおよび大統一理論で予測される陽子が反ニュートリノとK中間子に崩壊するモードの探索が行われたが、いずれの信号も観測されず、寿命の下限値が得られた。 評価 2015年度のノーベル物理学賞はニュートリノに質量があることを示した研究に贈られたが、カムランド実験の貢献が同賞の受賞理由を説明する文書で言及された。 2016年、基礎物理学ブレイクスルー賞が鈴木厚人とカムランド共同研究チームに対して授与された。 脚注 関連項目 神岡鉱山 外部リンク KamLAND | The Kamioka Liquid-scintillator Anti-Neutrino Detector - KamLAND公式サイト カムランド禅 - カブリ数物連携宇宙研究機構 KamLAND - Weak Interactions Group - ローレンスバークレー国立研究所 天文学 ニュートリノ観測所 地下研究所 岐阜県の研究所 東北大学 ニュートリノ実験 天文学に関する記事
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貸本漫画
貸本漫画(かしほんまんが)とは、かつて貸本用に制作されていた日本の漫画作品の総称。あるいは賃貸されている漫画の単行本を指す。 概要 1948年(昭和23年)に神戸市開業の「ろまん文庫」が戦後型の貸本業の起源とされる。1953年(昭和28年)頃から貸本漫画も出回るようになり、店舗で販売されていた粗末な赤本漫画から豪華な装丁の貸本漫画に需要が移っていった。 終戦後の貸本屋にならんだ本は中小の取次店や特価本店から流れた一般流通の古本や古雑誌であったが、やがて、貸本出版社の出版する漫画単行本がほとんどとなる。1950年代末から1960年に最盛期を迎え、文具店・駄菓子店などとの兼業も含めて東京都で3000店、全国で3万店の店舗があったと推計されている。 料金は時代によって異なるが、1950年代後半の最盛期で入会金が20円、貸出料が2泊3日で10円から20円程だったと言われる。貸本漫画単行本の定価は100円から150円であり、基本的に書店では流通しなかった(ただし、小売や個人が出版社に代金を送れば通販は可能)。採算ラインは専業店で、1000人から1500人の会員をもち1日150人から200人の来客があることとされ、客は工場などではたらく労働者階級の青年男女が中心であった。書店流通の雑誌漫画の読者が児童中心であったのに対して明らかに高く、のちの劇画ブームに先行し、その下地を作り上げる形となっている。 初期の貸本漫画単行本の装丁は上製本のB6判とA5判が主流であったが、劇画短編集『影 11号』(日の丸文庫)が出版されたあたりからA5判並製本へと代わっていった。貸本漫画の作者は、戦前からのベテラン作家、赤本や紙芝居、絵描きからの転身、貸本からデビューした新人など様々である。 多くの作家が多ジャンルの作品を描いた貸本漫画は劇画の台頭などもあり1960年頃にピークを迎えるが、その頃からTVが一般家庭にも普及し若者向け娯楽としての優位を失い、また、『週刊少年サンデー』、『週刊少年マガジン』などの週刊漫画雑誌が相次いで創刊されるとシェアを奪われた。こうしてピーク時以降は前時代的出版物となって出版社の倒産、廃業が続出し、1969年末に貸本出版社主導による貸本漫画は事実上の終焉を迎え、残った出版社も雑誌・単行本の出版やチラシ等の軽印刷請負に活路を見出し、雑誌連載に主軸を移して成功した貸本漫画作家も出現した。 1990年代以降、「ゲゲゲの女房」や「劇画漂流」といった当時の業界を描いた作品が注目されるようになり、貸本漫画作品の復刻出版が相次いている。 貸本出版社中心の旧来型の貸本漫画ビジネスは一度消滅したが、漫画雑誌やコミックスが大量に流通するようになった現在、レンタルビデオ店での漫画の貸し出しや漫画喫茶、電子書籍による電子貸本など、新しい形態に変化して存続している。 貸本漫画を扱った主な出版社 葵出版社 あかしや書房 曙出版(文華書房) 朝日漫画社 - 所在地が日の丸文庫と同じ。江川進が関わった出版社。 あたみ社(あずま社・裕文社) エンゼル文庫(大宝出版社・宝漫画文庫・やなぎ書房) 暁星 金園社(金龍出版社・オリオン出版社) きんらん社(はるみ書房) くぎプロ 宏文堂(秀文社・カナリヤ文庫)東京都台東区仲御徒町4-27 寿書房 コメット書房(三和出版)岡田あきら氏が主宰。短期間で消滅。 さいとうプロ 佐藤プロ 三共図書 昌和漫画出版 鈴木出版 すずらん出版社 東京都台東区浅草橋2-2 → 東京都新宿区東五軒町50 三洋社(青林堂) セントラル文庫(やなぎプロ)前身は中部出版社。エンゼル文庫とは実質同資本。 全漫プロダクション(尼崎市)文洋社と関係があると推定。 泰光堂 太平洋文庫 東京トップ社 - 前身は島村出版社 兎月書房(いずみ出版) 東考社(ホームラン文庫) 東光堂 東京漫画出版社(東京ロマン社) 東邦図書出版社(王冠漫画社・東江堂・東邦漫画) 東洋漫画出版社(小出書房系列) 巴出版 トモブック社 日昭館書店 日本漫画社 はるみ書房 日の出出版 日の丸文庫(光伸書房)大阪市南区安堂寺橋通2-22 東京都千代田区富士見町2-3 ひばり書房(つばめ出版)東京都文京区小石川3-2-14 ヒロ書房(第一プロ・第一文庫) ホープ書房(セントラル文庫から独立した杉浦氏が設立するも半年ほどで消滅)東京都中央区銀座西8-8 中村書店 東京都台東区浅草橋2-8  文洋社(研文社・一晃社) ます美書房 緑書房 三島書房 - 後に「わかば書房」と「公楽出版社」に分裂する。 めばえ書房(あずま社) 横山プロ(横山まさみちプロ) 若木書房 ほか 代表的な貸本漫画家 赤塚不二夫 ありかわ栄一(園田光慶) 池上遼一 池川伸治 いばら美喜 楳図かずお 遠藤政治(貸本漫画衰退後はアニメーターに転身。アニメ「あらいぐまラスカル」の監督などを担当。つげ義春の親友としても有名) 岡田晟 古賀新一(古賀しんさく) 小島剛夕 さいとう・たかを 佐藤まさあき 下元克己 社領系明 白土三平 杉本五郎(つゆきサブロー) 鈴原研一郎 滝田ゆう 竹内寛行 辰巳ヨシヒロ つげ義春 つりたくにこ(はざまくに子) 徳南晴一郎 永島慎二 長谷邦夫 浜慎二 平田弘史 藤木てるみ 松本正彦 水木しげる 望月あきら モンキー・パンチ(加東一彦) 水島新司 山上たつひこ 横山まさみち 横山光輝 赤松セツ子 星城朗二 巴里夫 矢代まさこ 好美のぼる 他 脚注 参考文献 梶井純『戦後の貸本文化』東考社、1977 貸本マンガ史研究会『貸本マンガreturns』ポプラ社, 2006.3 『貸本マンガ史研究』 - 貸本マンガ史研究会(梶井純、三宅秀典、ちだ・きよし、権藤晋、吉備能人、三宅政吉)が発行する季刊雑誌。 関連項目 貸本劇画 外部リンク 貸本漫画とは何ぞや? 「日本の漫画はここから始まったーーこれが「完全版・日本貸本漫画史だ!(解説:みなもと太郎先生)」(テレ東プラス、2020年4月2日) 「みなもと太郎先生に聞いた! 貸本漫画のほんとのオススメは、これだ!」(テレ東プラス、2020年4月3日) 漫画の本
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医療漫画
医療漫画(いりょうまんが)は、日本における漫画作品のジャンルの1つ。医師や看護師をはじめとした医療従事者を主人公としていたり、病院や診療所などの医療現場を舞台とするなど、主に医療をテーマにした漫画作品を指す。 定義 落合隆志は医療漫画の定義として 以上の3つを挙げた。 動物医療を題材とした漫画について中垣恒太郎は医療漫画とするべきなのかとしてから、グラフィック・メディスンや生存学が基本的に人間を対象とし、方や動物医療を題材とした漫画も1つのサブジャンルとなっているため、医療漫画の研究が発展していくと動物医療ものは別のジャンルとして形成する可能性を挙げている。 歴史 前史 1962年にアメリカの医療ドラマ『ベン・ケーシー』が日本で放送され大ヒット、翌1963年に複数の漫画雑誌で医者ものの作品が登場、そのうち、ちばてつやが週刊少年マガジンで連載した『ハチのす大将』は医療漫画黎明期の一作である。ただ同作は先輩漫画家のつのだじろうから作中の医療描写が正しくないことを指摘する手紙が毛筆の巻紙で送られてきたことをちばが恥じて短期終了となった。表智之はこのエピソードに脚色が含まれる可能性に言及しながらも、外科医である主人公がコレラの論文を書くのは不正確だと同意、主人公が地元の支援のためにお金を得ようとバイクレースに参戦するなど方向性を模索したとみられるシーンを指摘した。 『ハチのす大将』は『ベン・ケーシー』、山本周五郎の『赤ひげ診療譚』から影響もみられるが、貧困のせいで医療から遠ざかってしまっている者たちにきちんと焦点が当てられ、それは1950年代から1960年代にかけて漫画でよくみられたことであった。白土三平の『消え行く少女』(日本漫画社、1959年)においては広島で被爆して原爆症になった少女が主人公でその頃の貸本少女漫画では「難病少女もの」といえる作品が人気ジャンルであり、異色作ながらその流れで描かれた一作だったとみられる。また、貸本少女漫画では「母子もの」という悲劇も人気で、主人公の少女の母は亡くなっているか行方不明、特に結核を患って闘病していることが多く、それは現実社会を反映したものだった。現実で結核患者が減少すると原爆症がよく登場するようになり、『愛と死を見つめて』が大ヒットしたことで行き届いた医療の受けて若く美しく清らかな死のイメージが広まり、貧困は遠景となり、1961年成立の国民皆保険制度により医療は全国民が平等に受けられるものとして医療と切り離されていた貧困者は建前上いなくなった。バラエティ番組『シャボン玉ホリデー』(1961年-1971年)では『消え行く少女』で描かれたようなボロ屋に住んで病に臥せっている貧しい人がコントに登場、テレビでそういったことは笑いのネタにできる過去のものとなった。 手塚治虫による形成 手塚治虫が1970年にビッグコミックで連載した『きりひと讃歌』は本格的な医療漫画の始まりに挙げられ、同作は医療に情熱をかける医師による難病を解明、業界での権力争い、病気を理由とした差別など後の医療漫画で扱われることのほとんどが登場、そして手塚が1973年から週刊少年チャンピオン連載の『ブラック・ジャック』は医療漫画がまだ確立されていない中で単行本レーベル「恐怖コミックス」として刊行された同作は累計億超えの医療漫画最大のヒット作で、天才医師というパターンを誕生させ、図書館への蔵書も多く、同作をきっかけとして医師を目指した人も多くいほど影響を与え、『きりひと讃歌』とともに医療漫画のストーリーの枠組みをほぼ完成させた古典であり、今日に至るまで読み継がれている。 ジャンルとして確立以降 1988年から真船一雄が週刊少年マガジンで連載の『スーパードクターK』は医療漫画でよくある現実味、万能感とは逆に最大限活かした長編、本ジャンルの極北とも評される。同作は医師を原案協力としてクレジットすることで主人公の技量に現実味と説得力を持たせ、そういった専門家監修は1980年以降の医療漫画でよくみられるようになり『ブラック・ジャック』で描かれた医師としての超人性は『スーパードクターK』では身体的なものとなり、現実と虚構のバランスをとった。 動物医療を題材とした漫画としたサブジャンルを決定付けたのは佐々木倫子が花とゆめで連載の『動物のお医者さん』で、21世紀の医療漫画はそれまであまり注目されることのなかった専門分野を題材にしていることも多いが、それの先駆けにも挙げられ、同作は医療漫画でよくある涙を誘うような話は全くなく、専門的な診療もないが、連載に当たって募集したエピソードを元に描かれた大学獣医学部で学ぶ学生にリアリティを感じさせた。また佐々木はビッグコミックスピリッツで1995年連載開始の『おたんこナース』で原案、取材として看護師をクレジットし、医療漫画でリアルな舞台設定の傾向が見られ始め、基本はコメディだが人間模様や心情の変化、病気や死との向き合いなどから看護師ものの標準作である。 1995年に連載開始した森本梢子の『研修医なな子』は女性向け医療漫画としてはおそらく最初の作品である。 2000年に始まった山本航暉の『ゴッドハンド輝』は医療漫画として少年向け及び週刊少年マガジン史上最多の全62巻のヒット作で、同作は世間ではあまり知られていない領域、スポットが当たり辛い業界人に注目、内科診断の重要性、麻酔科医の必要性、理学療法士、臨床薬剤師、栄養士、臨床工学技士、製薬会社の営業といったことが描かれ、また、日常に役立つ家庭の医学を取り扱った情報漫画の要素もあり、現実とフィクションをうまく織り交ぜ、ドラマチックな治療や凄い技、医療従事者の苦悩や患者のドラマ、医療情報に主人公の成長が詰まった同作は医療漫画の理想とも評される。 2000年代は村上もとかの『JIN-仁-』、山田貴敏の『Dr.コトー診療所』のようなヒューマンドラマ作品、佐藤秀峰の『ブラックジャックによろしく』、乃木坂太郎の『医龍-Team Medical Dragon-』、くさか里樹の『ヘルプマン!』といった医療監修、綿密な取材をして描かれた作品が発表された。また『ヘルプマン!』は介護現場の問題を取り上げた先駆であった。 2006年出版された細川貂々の『ツレがうつになりまして。』は当事者による医療エッセイ漫画がまだ少ない中でその先駆けとして登場した。 2010年代になると現実のチーム医療が反映されたものや医療関係の職種、登場する病気などが多様化した。 病気をめぐる主観的で複雑な個々の経験を表現したコミックがふえており、それを「グラフィック・メディスン」と呼び、日本でも2018年に一般社団法人日本グラフィック・メディスン協会が設立されている。 2020年から新型コロナウイルスが流行するとそれを取り入れた、しりあがり寿がコミックビーム連載の『NEW NORMAL DAYS』、いがらしみきおの『ふつうのきもち』、複数の漫画家によるコロナ禍の日々を描く『MANGA Day to Day』などが発表された。 特徴 ブラック・ジャックに始まる数多くの病気や怪我に対応できるスーパードクターという類型が存在、同作では現実味よりフィクションとしての超人さを優先させた。『JIN-仁-』では主人公は名脳外科医だが超人というわけではなく医療が現代より発達していない幕末にタイムスリップしたことで相対的に超人になっており、スーパードクターのあり得なさを避けている。ただ特定の分野のスーパードクターは実在しても数多くの医療分野に対応できる人は実際には存在し得ず、2010年代以降の作品によくみられる高度に専門化された領域を扱うほど、リアリティを追い求めるほどスーパードクターを否定せざるを得なくなる。 作者やその家族の闘病、体験を描いたエッセイ漫画も多く、漫画をよく読む人だけではなく一般層にも開かれており、漫画文化の受容層の点からして特別な位置にある。 動物医療を題材とした漫画は人を対象の医療漫画と比べると少なく、現実社会では1970年代以降でもペットの関心は強いが、それぞれの動物の命を守る動物医療は重視されてこなかったからだとされる。 作品 1970年代 きりひと讃歌(手塚治虫、ビッグコミック、1970年 - 1971年) ブラック・ジャック(手塚治虫、週刊少年チャンピオン、1973年 - 1983年) 夜光虫(原作:柿沼宏、作画:篠原とおる、ビッグコミックオリジナル、1976年 - 1979年) 闇の逃亡医(原作:高山紀芳、作画:加藤唯史、週刊少年ジャンプ、1977年 - 1978年) 1980年代 SEXドクター尖三郎(ジョージ秋山、プレイコミック、1980年) OPE(原作:茜胡笳、作画:園田光慶、グッドコミック、1980年 - 1981年) 手術しちゃうから!(弓月光、マーガレット、1980年 - 1981) 陽だまりの樹(手塚治虫、ビッグコミック、1981年 - 1986年) 本日も休診(原作:見川鯛山、作画:石川サブロウ、ビッグコミック、1984年) おやじドクター(原作:林律雄、作画:及川こうじ、1984年) 菩提樹(大和和紀、講談社コミックス、1984年 - 1985年) トラオがゆく(貴志真典、1985年) Dr.クマひげ(原作:史村翔、作画:ながやす巧、週刊ヤングマガジン、1986年 - 1987年) ドクター秩父山(田中圭一、コミック劇画村塾など、1986年 - 不明) 動物のお医者さん(佐々木倫子、花とゆめ、1987年 - 1993年) オペレーション(原作:鏡丈二、作画:金井たつお、週刊ヤングジャンプ、1987年) とっても医院(原作:花井寛、作画:みやはら啓一、1987年 - 1990年) 白衣のテンちゃん(やまだ三平、まんがライフ、1987年 - 不明) Dr.フナキはゴキゲンナナメ!(芳井一味、不明、1988年頃 - ) スーパードクターK(真船一雄、週刊少年マガジン、1988年 - 1996年) ドクター反骨医(原作:鏡丈二、作画:根本哲也、1988年 - 1992年) メスよ輝け!!(原作:高山路爛、作画:やまだ哲太、ビジネスジャンプ、1989年 - 1994年) 心剣医(原作:上西一紀、作画:狩谷ゆきひで、1989年 - 1990年) 1990年代 こちら椿産婦人科(あまねかずみ、1990年 - 2000年) 研修医 古谷健一(原作:永井明、作画:里見桂、ヤングチャンピオン、1991年 - 1992年) 医候(土山しげる、1992年) Dr.汞(能條純一、ミスターマガジン、1992年 - 1993年) 白の条件(万里村奈加、講談社コミックスミミ、1991年 - 1994年) エンジェル日誌(ごとう和、講談社、1993年-) AIDS―少年はなぜ死んだか(原作:広河隆一 、漫画:三枝義浩、講談社、1993年)チェルノブイリ事故、血友病の血液製剤によるAIDS ナース・ステーション(島津郷子、集英社、1994年-) 太陽の仲間たちよ―身体障害者とある医師の挑戦(三枝義浩、不明、1994年) RASH!!(北条司、週刊少年ジャンプ、1994年 - 1995年) 天使じゃないのよ(ふじたしょうこ、1994年) ドクトル・ノンベ(中原とほる、1992年 - 1993年) 女医レイカ(原作:剣名無、作画:嶺岸信明、1994年 - 2000年) 雫ちゃんクリニック(葉月かずお、1994年) MIND ASSASSIN(かずはじめ、週刊少年ジャンプ、1994年 - 1995年) MF動物病院日誌(たらさわみち、1994年 - 2006年) MONSTER(浦沢直樹、ビッグコミックオリジナル、1995年 - 2001年) サイコドクター(原作:亜樹直、作画:的場健、モーニング、1995年 - 2003年) 研修医なな子(森本梢子、YOU、1995年 - 不明) きらきらひかる(郷田マモラ、講談社、1995年~)監察医 おたんこナース(佐々木倫子、ビッグコミックスピリッツ、1995年 - 1998年) エン女医あきら先生(水城まさひと、まんがタイムジャンボ等、1995年 - 2008年) スポーツ医(原作:寺島優 作画:ちくやまきよし、1995年 - 1996年) ドクトレス(原作:鏡丈二、作画:高山由妃、週刊アクション、1995年 - 1996年) DoctorK(真船一雄、週刊少年マガジン、1996年 - 1998年) ダーク・エンジェル(風間宏子、1996年 - 2001年) Dr.ハーレー(宇田学、ミスターマガジン、1996年 - 2000年) 生死命(原作:稲本雅之、作画:やまさき拓味、ビッグコミック、1996年) われ無医村に生きる(河合英則、1996年) やぶ医者のつぶやき(原作:森田功、作画:引野真二、ビッグコミック、1997年 - 1999年) 999ドクター(原作:バーミー双六、作画:那須輝一郎、1997年 - 1999年) “殺医”ドクター蘭丸(原作:梶研吾、作画:井上紀良、週刊ヤングジャンプ、1997年 - 2000年) 看護婦ROCK(鈴木キムチ、(エンジェルコミックス、エンジェル出版)、1998年 - 不明) SAMU Dr.無限谷陽(原作:米山公啓、作画:岩丸、MANGAオールマン、1998年) ラディカル・ホスピタル(ひらのあゆ、まんがタイムオリジナル等、1998年 - ) 高度救命救急センター(原作:樋口雅一、作画:関崎俊三、1998年) 大江戸医聞十八文(石ノ森章太郎、メディアファクトリー、1999年) 青ひげは行く(原作:高山路爛、作画:やまだ哲太、ビジネスジャンプ、1999年 - 2001年) 白衣でポン(たかさきももこ、1999年 - 2004年) マンガ病院薬剤師物語(神奈川県病院薬剤師会、1999年) 2000年代 MEDICAL99(原作:寺山文治郎、作画:たかもちげん、2000年) Dr.コトー診療所(山田貴敏、週刊ヤングサンデー、2000年頃 - ) JIN-仁-(村上もとか、スーパージャンプ、2000年 - 2010年) ホットDOC(原作:きむらはじめ、作画:加藤唯史、ビッグコミックオリジナル、2000年) ゴッドハンド輝(山本航暉、週刊少年マガジン、2000年 - 2011年) ラディカルホスピタル(ひらのあゆ、芳文社、2000年) 生命のダイアリー(原作&取材:達山一歩、作画:小山田いく、2001年) 泌尿器科医 一本木守!(高倉あつこ、ヤングチャンピオン、2001年 - 2005年) 獣医ドリトル(原作:夏緑、作画:ちくやまきよし、ビッグコミック増刊号、2001年 - ) なみだ坂診療所(原作:宇治谷順、作画:向後次雄、週刊漫画TIMES、2001年 - 2021年) 白衣の男子(岸香里、まんがタイムスペシャル、2001年) ブラックジャックによろしく(佐藤秀峰、モーニング、2002年頃 - 2006年) 医龍-Team Medical Dragon-(乃木坂太郎、ビッグコミックスペリオール、2002年 - 2011年) 青木医院へ行こう!(大沢たけし、まんがホーム等、2002年 - 2004年) 歯ッピィクリニック(椎名二葉、まんがタイムジャンボ等、2002年 - 2003年) 傭兵女医黒樹エリカ(原作:山口都志馬、作画:那須輝一郎、2002年 - 2003年) ワイルドライフ(藤崎聖人、週刊少年サンデー、2002年 - 2008年) HE∀DS(原作:東野圭吾、作画:間瀬元朗、週刊ヤングサンデー、2002年 - 2003年) ヘルプマン!(くさか里樹、イブニング、2003年 - ) あぼばクリニック(藤島じゅん、まんがライフMOMO、2003年 - 2008年) サイコドクター 楷恭介(原作:亜樹直、作画:オキモト・シュウ、モーニング、2003年 - 2004年) OPEN MIND (芳崎せいむ、モーニング、別冊モーニング、2003年 - 2004年) あんこ坂のお医者さま(一丸、ビッグコミックオリジナル、2003年 - 2005年) 下町の太陽(原作:矢島正雄、作画:幸野たけ志、2003年) P.ハート(原作:中山亜純、作画:直遊紀、クイーンズコミック、2003年 - 2004年) K2(真船一雄、イブニング、2004年 - ) エマージング(外薗昌也、医学監修:中原英臣、講談社、2004年)都内でのエボラ出血熱類似の新型感染症 Ns'あおい(こしのりょう、モーニング、2004年 - 2010年) エマージング(外薗昌也、モーニング、2004年 - 2005年) ツインズナース(後野まつり、まんがタイムきらら→まんがタイムオリジナル、2004年 - 2006年) 看護師 みさき!(池田みゆ、2004年 - ) 天医無縫(原作:伊月慶悟、作画:地引かずや、別冊漫画ゴラク、2004年 - 2005年) ドクタープリンセス(荻野眞弓、まんがくらぶオリジナル、2004年) 国境を駆ける医師イコマ(高野洋、2004年 - 2005年) 天使のたまご(岸香里、2005年) 薬屋りかちゃん(新井葉月、コミックハイ!、2005年 - 2008年) がんばれ!猫山先生(茨木保、日本医事新報社、2006年-2022年) 歯医者さんとオレ(矢尾勝、2006年) 監察医 朝顔(著:木村直巳、著:香川まさひと、著:佐藤喜宣、実業之日本社、2006-2013年) E.D.D(橋本エイジ、月刊ヤングキング、2006年 - 2009年) 漫画ハリ入門 楽しくわかる経絡治療(原作:池田政一、作画:湯沢敏仁、2007年) 最上の命医(原作:入江謙三、作画:橋口たかし、2007年 - 2010年) 麻酔科医ハナ(原作:なかお白亜、監修:松本克平、2007年 - ) 新ブラックジャックによろしく(佐藤秀峰、小学館、2007年-) おいでよ 動物病院!(たらさわみち、集英社、2007年〜 2012年) 東洋治療院ももか(たなかじゅん、オースーパージャンプ、2008年 - ) マル泌のナース!!(高倉あつこ、週刊漫画ゴラク、2008年 - 2010年) アスクレピオス(内水融、週刊少年ジャンプ、2008年 - 2009年) ビタミンガール!管理栄養士 真理ちゃん(中西やすひろ、集英社、2009年) ムショ医 女子刑務所のカルテ(佐藤智美、芳文社、2009年) 2010年代 マンガで分かる心療内科(原作:ゆうきゆう、作画:ソウ、少年画報社、2010年) 踊る産科女医(原案:宋美玄、作画:吉川景都、小学館、2011年) 看護助手のナナちゃん(野村知紗、小学館、2011年) ホスピめし みんなのごはん(野崎ふみこ、双葉社、2011年)病院管理栄養士の話 町医者ジャンボ!!(こしのりょう、講談社、2011年) 放課後カルテ(日生マユ、講談社、2011年) Final Phase(朱戸アオ、PHP研究所、2011年)ハンタウイルス感染症 都心湾岸エリア Dr.DMAT?瓦礫の下のヒポクラテス?(原作:高野洋、作画:菊地昭夫、集英社、2011年)災害医療 神様のカルテ(石川サブロウ、小学館、2011年)『神様のカルテ』 著:夏川草介 (小学館)の漫画化 Dr.デュオ(作画:大沢祐輔、原案協力:木下繁、講談社、2012年 - ) ヤング ブラック・ジャック(原作手塚治虫、脚本田畑由秋、画大熊ゆうご、秋田書店、2012年 -) コウノドリ(鈴ノ木ユウ、講談社、2012年 - )産婦人科 ドクター早乙女(村田ひろゆき、講談社、2012-2016年) 研修医山田(じゃまだ)君トリロジー(茨木保、三輪書店、2012年) インハンド(朱戸アオ、講談社、2013 -)寄生虫学者、感染症も パナケイアの手(松本救助、白泉社、2013年) 病室で念仏を唱えないでください (こやす珠世、小学館、2013年-)救命救急、チャプレン(臨床宗教者) 患者さまは外国人(原案:山本ルミ、漫画:世鳥アスカ、阪急コミュニケーションズ、2014年)インターナショナルクリニック(日本に来た外国人用)・空飛ぶナース(外国で病気になった人に付き添い帰国) あたふた研修医やってます(水谷緑&POCHI、KADOKAWA、2014年) 帰ってきた笑うナース(岸香里、いそっぷ社、2014年)訪問看護 フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(原作:草水敏、画:恵三朗、講談社、2014年 -)病理医/臨床検査技師(病理)/製薬会社MR エーヨーヒーロー(原作:真実イチロ、画:宮越和草、集英社、2014年)病院の管理栄養士の話 神様のカルテ(イラスト:本多夏巳、原著:夏川草介 writer:後藤法子 、小学館、2014年)『神様のカルテ2』(小学館)の漫画化 医者を見たら死神と思え(原作:よこみぞ邦彦、作画:はしもとみつお、監修:近藤誠、小学館、2014年 - 2017年)がん治療 うちのセンセイ(花塚由、講談社、2014年 - 2015年)在宅医療 ナイチンゲールの市街戦(原著:鈴木洋史 画:東裏友希、小学館、2014年 - 2015年)訪問看護師 マンガ版 拝啓、アスペルガー先生(奥田健次 漫画:武嶌波、飛鳥新社、2015年)ADHD児の臨床心理士によるカウンセリング 相談室の星 医療ソーシャルワーカーの日誌より(坂口みく、双葉社、2015年) ヘルプマン!!(くさか里樹、朝日新聞出版、2015年 -)高齢者医療・介護 ラジエーションハウス(原作:横幕智裕、作画:モリタイシ、集英社、2015年 -)放射線科および放射線技師 透明なゆりかご(沖田×華、講談社、2015年-2021年)産婦人科の新人看護士 まどか26歳、研修医やってます! 女の子のお仕事応援コミックエッセイ (水谷緑、KADOKAWA/メディアファクトリー、2015年-) 母体保護法指定医 森下光子(福田素子、秋水社ORIGINAL、2015年-)電子書籍 ギフト±(ナガテユカ、日本文芸社、2015年 -) Dr.アシュラ(こしのりょう、日本文芸社、2015年 -) 異世界薬局(原作:高山理図、作画:高野聖、KADOKAWA、2015年 -)薬剤師 腐女医の医者道!(さーたり、KADOKAWA、2016年)消化器外科医 トレース 科捜研法医研究員の追想(古賀慶、徳間書店、2016年-)警察科学捜査研究所 はっぴーえんど(魚戸おさむ、小学館、2017年 - 2020年)終末期医療・介護 怪病医ラムネ(阿呆トロ、講談社、2017年 -) ママはスポーツドクター(芹沢直樹、日本文芸社、2017年 -)スポーツ医療 しっぽ街のコオ先生(たらさわみち、集英社、2017年〜) バカレイドッグス→バカレイドッグス Loser(原作:矢樹純、作画:青木優、講談社、2017年 -) リウーを待ちながら(朱戸アオ、講談社、2017年)多剤耐性ペスト菌の富士山麓での感染爆発 侠医冬馬(村上もとか、作画協力:かわのいちろう、集英社、2018年 -) アンサングシンデレラ 病院薬剤師 葵みどり(医療原案:富野浩充、著:荒井ママレ、徳間書店、2018年-)病院薬剤師 賢者の学び舎 防衛医科大学校物語(山本亜季、小学館、2018年 -2020年) 研修医うさこのどたばた奮闘記(著:桜沢鈴、その他:織田うさこ、ぶんか社、2018年) お別れホスピタル(沖田×華、小学館、2018年-)終末期病棟 おうちで死にたい~自然で穏やかな最後の日々~(広田奈都美、秋田書店、2018年〜2020) Dr.クインチ(鈴川恵康、集英社、2019年 -)美容および医療整形 こころのナース夜野さん(水谷緑、小学館、2019年 -) マンガでわかる薬剤師:あなたの知らない調剤薬局の裏側(漫画:油沼、原案・監修:ネーヤ、河出書房新社、2019年)調剤薬局 特養日記~介護福祉士が見た最強ご長寿たち~(金山カメ、ぶんか社、2019年) 漫画家しながらツアーナースしています。(明、集英社、2019年)ツアーナース(学校の修学旅行などに同行) 2020年代 Shrink〜精神科医ヨワイ〜(原作:七海仁、漫画:月子、集英社、2020年-)精神科医 リエゾン -こどものこころ診療所-(原作:竹村優作、漫画:ヨンチャン、取材協力:杉山登志郎、講談社、2020年 -)小児科医・発達障害診療 おとずれナース~精神科訪問看護とこころの記録~(のまり、ぶんか社、2020年-)精神科訪問看護師 ケンシロウによろしく(ジャスミン・ギュ、講談社、2020年-)整体 マンガでわかる薬剤師:あなたの知らない調剤薬局24時!(漫画:油沼、原案・監修:ネーヤ、河出書房新社、2020年)調剤薬局 19番目のカルテ 徳重晃の問診(富士屋カツヒト、医療原案:川下剛史、コアミックス、2020年-)総合診療医 DrivingDoctor 黒咲(原作:神尾龍、作画:ユウダイ、日本文芸社、2020年 -)救命救急、ドクターカー医療 マンガでわかる! 子どものアトピー性皮膚炎のケア(著者:堀向健太、漫画:青鹿ユウ、内外出版社、2020年)子どものアトピー性皮膚炎 プラタナスの実(東元俊哉、小学館、2020年 -)小児科医・小児医療 感染症とワクチンについて専門家の父に聞いてみた(さーたり、中山哲夫、KADOKAWA、2020年) ナースのチカラ ~私たちにできること 訪問看護物語~(広田奈都美、秋田書店、2020年-) 処方箋上のアリア(三浦えりか、小学館、2021年-)薬剤師 オペ看(著:ミサヲ 原著:人間まお 、講談社、2021年-)手術室の看護師 アンメットーある脳外科医の日記ー(著:大槻閑人 原作:子鹿ゆずる 、KADOKAWA、2021年〜) 永寿総合病院看護部が書いた 新型コロナウイルス感染症アウトブレイクの記録(著:髙野ひろみ 著:武田聡子 著:松尾晴美 、画:ふるやまなつみ 、医学書院、2021年 ヒポクラテスの卵(ススキノ海、白泉社、2021年)心疾患のある女性が医学部に入学してからの話 院内警察 アスクレピオスの蛇(原作:酒井義、作画:林いち、秋田書店、2021年 -) Dr.Eggs ドクターエッグス(三田紀房、集英社、2021年 -) 疾患を扱った作品 I's(庄司陽子、講談社漫画文庫、2000年) 性同一性障害 G.I.D(庄司陽子、モーニング、2001年) 性同一性障害 光とともに…(戸部けいこ、秋田書店、2001年 - 2010年)自閉症とその家族 IS?男でも女でもない性?(六花チヨ、One more Kiss、2003年 - 2009年)インターセックス 15の夜(週刊少年マガジン、2005年 - 2008年、不定期連載)ネグレクトや薬物依存症、アスペルガー症候群、AIDSなど ツレがうつになりまして。(細川貂々、幻冬舎、2006年)躁鬱病とその家族 大原さんちのダンナさんーこのごろ少し神経症(大原由軌子、文藝春秋、2006年)神経症、パニック障害など。他にもシリーズあり 目の玉日記(小林よしのり、小学館、2006年)白内障闘病?手術まで、軽い緑内障 壊れた脳 生存する知(原案:山田規畝子、作画:成瀬涼子、BE・LOVE、2007年)脳出血後の高次脳機能障害 わが家の母はビョーキです(中村ユキ、サンマーク出版、2008年)精神分裂病 だって更年期なんだもーん―なんだ、そうだったの?この不調(ほしばあやこ&待鳥むう、監修:善方裕美、主婦の友社、2009年) 更年期障害 わたしは働くうつウーマン(作:安部 結貴、漫画:大葉リビ、小学館、2009年)鬱 自立支援医療費支給認定 パニック障害 漫画家ママの うちの子はADHD (こころライブラリー)(かなしろにゃんこ、講談社、2009年)ADHD育児日記 日々コウジ中(柴本礼、主婦の友社、2010年)高次脳機能障害の夫と暮らす日常コミック 西原理恵子X月乃光司のおサケについてのまじめな話 アルコール依存症という病気(西原理恵子、月乃光司、小学館、2010年 )(漫画は冒頭だけあとは対談)アルコール依存症 家族や当事者、巻末に専門医療機関&サポート団体リスト 続・日々コウジ中(柴本礼、主婦の友社、2011年)高次脳機能障害の夫と暮らす日常コミック Final Phase(朱戸アオ、PHP研究所、2011年)ハンタウイルス感染症 都心湾岸エリア 旦那(アキラ)さんはアスペルガー(著:野波ツナ、監修:宮尾益知、コスミック出版、2011年)他にもシリーズあり のほほん亭主がんになる?ステージIVから大逆転(日野あかね、ぶんか社、2012年)悪性リンパ腫患者記録 さよならタマちゃん(武田一義、イブニングKC講談社、2013)精巣腫瘍患者記録(手術と化学療法) マンガ 認知症のある人って、なぜ、よく怒られるんだろう?(北川なつ、ぺこなつ堂、2012年)認知症のある人とその介護 短編集 入院しちゃったうつウーマン(作:安部 結貴、漫画:大葉リビ、小学館、2012年)閉鎖病棟 双極性障害 もう大丈夫 パニック障害でもがんばれる!(監修:貝谷久宣、著:ほりみき、講談社、2012年 ) イタリアでがんになった(泉もも、PHP研究所、2013年)子宮体癌 今夜もホットフラッシュ(青沼貴子、メディアファクトリー、2013年) 更年期障害 思ってたウツとちがう! 「新型ウツ」うちの夫場合(池田暁子、秋田書店、2013年) 新型うつ ボクの彼女は発達障害: 障害者カップルのドタバタ日記(著者:くらげ、漫画:寺島ヒロ、監修:梅永雄二、学研マーケティング、2013年) 広汎性発達障害 自閉症スペクトラム障害(ASD) 視覚・聴覚過敏等、周囲の人の接し方 ニトロちゃん: みんなと違う、発達障害の私 (沖田×華、光文社、2013年)アスペルガーなどの〈発達障害〉幼少時代の体験 せんせい、誤診です! ~ホラー漫画家の本当にあった怖い闘病(山本まゆり、ぶんか社、2013年) 脳下垂体腺腫(無月経、視野欠損、むくみ)手術、その後まで 失踪日記2 アル中病棟(吾妻 ひでお、イースト・プレス、2013年 )アルコール依存症 入院 断酒会 なんびょうにっき(さとうみゆき、大洋図書、2013年 )成人スティル病 おひとりさまの遠距離介護けもの道(たけしまさよ、メディカ出版、2014年)膝人工関節手術・仮面鬱病・介護サービス等の説明 死んで生き返りましたれぽ(村上竹尾、株式会社双葉社、2014年)(糖尿病性ケトアシドーシス・腎不全・脳浮腫etc.)意識不明状態の人の視覚聴覚と回復の過程 ずっと健康だと思ってた。34歳脳こうそく克服記(作:有田奈央、絵: 麻生夕貴、イースト・プレス、2014年) 脳梗塞(左半身麻痺)と支える家族の話 乳がんでもなんとかなるさ?独女マンガ家闘病記?(佐々木彩乃、ぶんか社、2014年)手術 同時再建 ホルモン治療 旦那(アキラ)さんはアスペルガー 奥(ツナ)さんはカサンドラ(著:野波ツナ、監修:宮尾益知、コスミック出版、2014年) 夫が骨肉腫になりました(まきりえこ、扶桑社、2015年)膝蓋骨の骨肉腫の手術と化学療法 となりのお尻が気になります(加藤のりこ、実業之日本社、2015年 )痔核 手術 はざまのコドモ 息子は知的ボーダーで発達障害児(原作:君 影草、漫画:沖田×華、ぶんか社、2015年) はっちゃん、またね 多発性骨髄腫とともに生きた夫婦の1094日(池沢理美、講談社、2015年)多発性骨髄腫 入院ノート(火村正紀、スクウェア・エニックス、2016年)(本は完結していない)子宮癌、卵巣癌、腹水、胸水 ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!(たむらあやこ、講談社、2016年)痛みの強いタイプのギラン・バレー症候群 ふいにたてなくなりました。おひとりさま漫画家、皮膚筋炎になる(山田雨月、ぶんか社、2016年) 皮膚筋炎(発症、治療、退院まで) 元気になるシカ! アラフォーひとり暮らし、告知されました (藤河るり、KADOKAWA、2016年) 卵巣癌 抗癌剤治療対策 漫画家、パーキンソン病になる。(島津郷子、ぶんか社、2016年)パーキンソン病 コミュ障は治らなくても大丈夫 コミックエッセイでわかるマイナスからの会話力(著:水谷緑 原著:吉田尚紀 、KADOKAWA、2016年) 淋しいのはアンタだけじゃない(吉本浩二、小学館、2016-2017年)聴覚障害 33歳漫画家志望が脳梗塞になった話(あやめゴン太、集英社、2017年) 脳梗塞体験記 理学・作業・言語療法 ぢ 私、痔主になりました(てらいまき、河出書房新社、2017年) 内痔核 外痔核 痔瘻 肛門科体験記と役立ちグッズ 酔うと化け物になる父がつらい(菊池真理子、秋田書店、2017年)アルコール依存症の父と家族の苦悩 「子供を殺してください」という親たち(原作:押川 剛、画:鈴木マサカズ、新潮社、2017年 -)引きこもりなどの子供のトラブルと家族 医療への連携など 難病患者になりましたっ! 漫画家夫婦のタハツセーコーカショーの日々(岡田がる、朝日新聞出版、2017年)多発性硬化症、難病申請 うちの子は字が書けない (発達性読み書き障害の息子がいます)(監修:宇野彰、著:千葉リョウコ、ポプラ者、2017年)発達性読み書き障害(発達性ディスレクシア) 合理的配慮 うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち(田中圭一、KADOKAWA、2017年) さよならしきゅう(岡田 有希、講談社、2017年)33歳で子宮頸がん 乳がんでもなんとかなるさ〜いのちのエリー編〜(佐々木彩乃、ぶんか社、2018年)ステージ3 再建者と乳がん患者の会 32歳で初期乳がん 全然受け入れてません(水谷緑、竹書房、2018年 )手術 放射線治療 元気になるシカ!2 ひとり暮らし闘病中、仕事復帰しました(藤河るり、KADOKAWA、2018年 )卵巣癌 わたし、39歳で「閉経」っていわれました(たかはしみき、主婦と生活社、2018年)早発卵巣不全(早発閉経) 生理ちゃん(小山健、KADOKAWA、2018年) 強迫性障害です!(みやざき 明日香、星和書店、2018年 ) パニくる!? パニック障害、「焦らない!」が効くクスリ(櫻日和鮎実、KADOKAWA、2018年 ) わたし中学生から統合失調症やってます。: 水色ともちゃんのつれづれ日記(解説:成重 竜一郎、著:ともよ、合同出版、2018年) 実録 解離性障害のちぐはぐな日々: 私の中のたくさんのワタシ(解説:岡野 憲一郎、著:Tokin、合同出版、2018年) うつを甘くみてました#拡散希望#双極性障害#受け入れる#人生(ブリ猫、ぶんか社、2018年) お別れホスピタル(沖田×華、小学館、2018年から )終末期病棟 ありがとうって言えたなら(瀧波ユカリ、文藝春秋、2018年)膵臓癌 家族の対応 統合失調症日記(木村きこり、ぶんか社、2018年) 脱 産後うつ 私はこうして克服した(ミィ、講談社、2018年) 認知姫~暴れる義母との戦いの日々(著:野原とり子、著:GSST、アムコミ、2018年)認知症家族の介護 ALSになりました(ぷよこ、eBookJapan Plus、2018年)筋萎縮性側索硬化症 がんまんが 私たちは大病している(内田春菊、ぶんか社、2018年)直腸癌、人工肛門 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話(著:西造、著:映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」、comico、2018年)原作の映画をコミック化、筋ジストロフィー コータリンは要介護5 車椅子の上から見た631日(2018年3月、朝日新聞出版)クモ膜下出血後遺症による半身麻痺及び高次脳機能障害 発達障害 僕にはイラつく理由がある!(監修:前川あさ美、著:かなしろにゃんこ、講談社、2019年)ADHD 内臓いっこ取っちゃった(内村かなめ、ナンバーナイン、2019年)胆石 現実逃避してたらボロボロになった話(永田カビ、イースト・プレス、2019年)アルコールによる急性膵炎、ADHD 霊能者ですがガンになりました(著:小林薫、原作:斎、ぶんか社、2019年)乳がん、手術、抗がん剤治療 腸よ鼻よ(島袋全優、KADOKAWA、2019年 -)潰瘍性大腸炎 僕の妻は発達障害(ナナトエリ・亀山聡、新潮社、2019年 -)発達障害 ある日突然、慢性疲労症候群になりました(監修:倉恒弘彦、著:ゆらり、合同出版、2019年 ) 強迫性障害治療日記(みやざき明日香、星和書店、2019年 ) 交通事故で頭を強打したらどうなるか?(大和ハジメ、KADOKAWA、2019年)脳挫傷 高次脳機能障害 リハビリ 大学復帰 就職 うつ病九段(著:先崎学、漫画:河井克夫、文藝春秋Kindle版、2020年)うつ病 消えていく家族の顔、現役ヘルパーが描く認知症患者の生活(吉田美紀子、竹書房Kindle版、2020年)認知症 骨髄ドナーやりました!(水谷さるころ、少年画報社Kindle版、2020年)骨髄ドナー提供者 末期ガンでも元気です 38歳エロ漫画家、大腸ガンになる(ひるなま、フレックスコミックス(株)、2021年) がんの記事を書いてきた私が乳がんに!? 育児があるのにがんもきた(著:内野こめこ その他:藍原育子 、KADOKAWA、2021年) 高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで(もつお、KADOKAWA、2021年〜)強迫性障害、摂食障害 細菌、細胞を擬人化した作品 もやしもん(石川雅之、講談社、2005年-2014)農学部の菌が見える青年の話、食中毒菌の話もあり はたらく細胞(清水茜、講談社、2015年-)医学監修 原田知幸、赤血球 白血球 血小板などの話 はたらく細胞BLACK(著:初嘉屋一生、著:原田重光、監修:清水茜、講談社、2018年-)不健康状態での体内 はたらく細菌(著:吉田はるゆき、監修:清水茜、講談社、2018年-)腸内細菌 はたらかない細胞(著:杉本萌、監修:清水茜、講談社、2018年-)赤芽球 はたらく細胞フレンド(原著:黒野カンナ、著:和泉みお、監修:清水茜、講談社、2019年-)キラーT細胞 はたらく細胞LADY(著:原田重光 著:乙川灯 監修:清水茜 、講談社、2020年) はたらく細胞BABY(著:福田泰宏 監修:清水茜 、講談社、2020年) はたらく細胞WHITE(著:蟹江鉄史 監修:清水茜 、講談社、2021年) 脚注 注釈 出典 参考文献
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https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E3%82%B3%E3%83%9E%E6%BC%AB%E7%94%BB
4コマ漫画
4コマ漫画(よんコマまんが)は、4つのコマ(齣)によって短い物語を作る日本の漫画の形式の一つ。 最小限のストーリーを描くものとして、新聞や雑誌の一部に掲載され、古くから定着している形式である。 1980年代に登場した「4コマ漫画雑誌」や、1990年代に流行した「4コマ漫画アンソロジー」など、専門に取り扱う媒体も数多く存在する。 形式と位置づけ 並べた4つのコマを起承転結の配置とし、4コマ目にはオチを配置するのが基本的な表現形式である。現代の日本ではコマの配列は縦が一般的であるが、歴史的には必ずしもそうではなく(後述)、日本以外の地域でも「ピーナッツ」のような横配列や2列構成(田の字)などが見られる。現代の日本でも、1列に2コマ、あるいは2列構成とした作品がある。また都合上、5コマ(2列で5コマ目が他のコマの4倍。作品によっては最終ページに組み込まれることもあるが、1ページ目に組み込まれることが多く、この場合通常5コマ目の大オチがタイトル表紙を兼ねている)、3コマ(序破急)、8コマなどにコマ数が変動することもある。最近は、3コマ目にもオチを配置した2段オチと呼ばれるものや、本来は内容の表題であった小見出し(サブタイトル)もオチの要素とするもの(4コマ目まで読んで初めて小見出しの意味がわかるもの)など、必ずしも起承転結に沿わない形で笑いを取るものも多い。 複数のコマを使用した短い漫画は日本以外にも見られるが、世界的には必ずしも4コマが主流ではなく、欧米では3コマも数多く存在し、東南アジアのタイでも3コマが一般的である。一方、東アジアの韓国や中国では4コマが定着したスタイルとなっている。 4コマ漫画にはサブタイトルが付くタイプと付かないタイプがある。サブタイトルが付くタイプのものは、そのサブタイトルの対象となる内容が概ね3コマ目か4コマ目に描かれていることが多い。「4コマ漫画」の名称が示す通り、4コマで話が完成する1話完結の作品が多いが、サブタイトルの有無に関係なく、時系列で物語が進む連続性のある作品も多く、それらは実質的にストーリー漫画と変わらない。 コマの配置形式は上述のように様々な手法が採用されているが、珍しいものとしては、1コマ目と4コマ目が通常で、2コマ目と3コマ目が縦長2コマ分かつ幅が半分で横並びになっている「Ⅱ」のような形式で描かれる作品もある。 日本における歴史 日本では江戸時代に風刺画や戯画を集めた書籍が木版画で出版されていたが、それらの中にはコマのような形で連続したストーリーに仕立てたものが存在した。江戸後期に出された『北斎漫画』の中には、ページの中に4つの絵が配され、その最後で「オチ」をつけたものがあり、清水勲は「4コマ漫画の源流」と記している。 江戸末期から西欧のコマ漫画のスタイルがチャールズ・ワーグマンらによって日本に紹介された。日本で最初に紹介された欧米スタイルの4コマ漫画は、ワーグマンが刊行していた『ジャパン・パンチ』に1876年に掲載された作品とみられている。やがて、日本人の発行する新聞(時事新報など)や雑誌(『団団珍聞』など)でもこれに影響を受けたとみられるコマ漫画が描かれるようになった。一説には、岡本一平が映画のフィルムに触発されて描いた作品が起源とも言われる。しかし、この時代にはまだ4コマ漫画は主流ではなく、1枚絵の漫画が中心で、コマ漫画も2コマ、3コマ、6コマなど様々なスタイルのものが描かれていた。明治後期を代表する漫画家である北沢楽天が中心となっていた『時事新報』の漫画ページ「時事漫画」(1902年スタート)の明治期におけるコマ数別の分類では、1コマが最多で24%に対し、4コマは18%で次点にとどまっていた。また、この時代には4コマの配列も、縦4コマと2列(「田の字」)のものが混在する状況であった。 大正時代にはアメリカやイギリスのコマ漫画が日本の新聞・雑誌に掲載され、それらに影響を受ける形で日本人漫画家の手になるコマ漫画が連載された。それらの中で、1923年にスタートした「正チャンの冒険」(文・織田小星、絵・椛島勝一)と「のんきな父さん」(麻生豊)は4コマ漫画のヒット作となった。「正チャンの冒険」は当時2列配置の「田の字」でスタートしたが、掲載先が『アサヒグラフ』から東京朝日新聞に移った1923年10月20日の回で縦4コマの配置を採用した。またこの『東京朝日新聞』での連載が、毎日連載する新聞4コマ漫画の最初とされている。一方、報知新聞に掲載された「のんきな父さん」は8コマでスタートし、6コマになったのち、1923年11月26日から4コマとなり、紙面の左上に掲載されるようになった(コマ配置は「田の字」形)。また、「正チャンの冒険」が吹き出しのセリフと欄外の説明文を併用していたのに対し、「のんきな父さん」は吹き出しのセリフだけでストーリーを展開した最初の4コマ漫画でもあった。 この2作のヒットにより、新聞各紙は4コマ漫画を競って載せるようになり、最初の「新聞4コマ漫画」ブームと呼べる状況が出現した。その中で、横山隆一が1936年から東京朝日新聞に連載を開始した「江戸っ子健ちゃん」は、「フクちゃん」へと発展し、ヒット作となる。戦争による漫画の減少(漫画家の報道班への徴用や疎開、夕刊廃止などの新聞紙面縮小による)を経て、太平洋戦争後には先に漫画の掲載が復活した地方紙から長谷川町子の「サザエさん」や南部正太郎の「ヤネウラ3ちゃん」といった人気作品が生まれ、第二次の「新聞4コマ漫画ブーム」が起きる。また手塚治虫もそのデビュー作は1946年に開始した4コマ漫画「マァチャンの日記帳」だった。長谷川のほか、復帰した横山隆一や、読売新聞に「轟先生」を連載した秋好馨、1954年から毎日新聞に「まっぴら君」を連載した加藤芳郎らによって、戦後を代表する長寿の新聞4コマ漫画が1950年代前半には出揃った。 その後、日本経済が高度成長すると、新聞連載の4コマ漫画は、家族の日常を描いたものから、経済活動と関わりを持つサラリーマンを主役としたものへと変遷していく(「フジ三太郎」「サンワリ君」「アサッテ君」他)。だが、高度成長がもたらした嗜好の拡散に対し、新聞には公序良俗や過激な表現への制約があり、表現がマンネリズムに陥ったり、キャラクターには「毒も個性も無い」という状況が現出した。こうした中で、より対象を絞りやすく、表現の制約が少ない雑誌において、新たなスタイルの4コマ漫画が登場する。その代表的な漫画家がいしいひさいちや植田まさしであった。いしいの「がんばれ!!タブチくん!!」のヒットは、第三次「4コマ漫画ブーム」を起こし、雑誌やスポーツ新聞・夕刊紙への4コマ作品掲載が増加した。1980年代には4コマ漫画専門の雑誌も相次いで創刊された。 1980年代後半から1990年代にかけて、ストーリー漫画とのボーダレス化が進み、普段はストーリー漫画を執筆している漫画家が、4コマ漫画の連載を持つことも多くなった。「伝染るんです。」(吉田戦車・作)の登場で、「4コマ=起承転結」という前提が崩壊したことにより、従来のオチの面白さを追求した作品よりも、不条理ネタ、雑学、作家の身辺雑記などが題材とされる作品が増えていく。さらに2000年代にかけて、いわゆる「萌え4コマ」誌が次々に創刊されて、アニメ・ゲーム・同人誌などのサブカルチャーとの結びつきが強まり、絵柄、キャラクター、萌えなど他の要素に重点を置く作品などが主流となっていった。 日本での古典的位置づけ 4コマ漫画は、日本ではかつては漫画の基本と言われた。例えば手塚治虫の『漫画の描き方』では、漫画の表現に関する説明の後、「案を作る」という章の中で4コマ漫画について触れ、これを「漫画のスジ立ての基本」であると言っている。また、多くの漫画家が4コマ漫画を描いてきたこと、自分自身も発表の場が無かった頃には4コマを多く描き、それが財産となっていることなどを説明している。その基本は起承転結であること、また4コマを発展させることで、長い漫画も描けることなどにも触れている。 内容の傾向 ストーリー4コマ 漫画雑誌に連載で発表されている作品には、各4コマごとにオチをつけながら、物語としては完結させずに次の4コマに連続させ、複数本(作品にもよるが、おおむね10 - 15本前後の場合が多い)の4コマが総体として1つの物語をなしているような表現形式をとるものも多い。このような形式、あるいはこの形式をとっている作品は、ストーリー4コマと呼ばれている。 ストーリー4コマは、さらに以下のように大別できる。 連載1回分を1つの物語とし、登場人物どうしの相関関係には基本的に変化の無いもの。 連載複数回分を1つの物語とし、登場人物同士の相関関係には基本的に変化の無いもの。 回を追うごとに、登場人物同士の相関関係などを少しずつ変化させていくもの。 連載開始から1年経つと登場人物も1つ年齢を重ねるなど、年齢やその他の設定に継続的な経時変化があるもの。 年齢などの設定は経時変化しないもの。 既存の登場人物の相関関係は変化させず、新たな登場人物を少しずつ継続的に加えることで物語に変化を持たせるもの。 連載開始からしばらくは上記1.のように「1話完結」であったが、途中から上記2.のように相関関係を変化させ始めたもの。 上記3.の逆で、連載開始からしばらくは上記2.のように年齢やその他の設定に継続的な経時変化があったが、途中で変化を止めたもの。 ストーリー4コマと呼ばれる作品が増えたのは、4コマ漫画の普及に伴って若年の読者が増えてきたこと、漫画家の世代交代で幼少の頃にストーリー漫画に親しんだ漫画家が増えてきたことが原因として考えられる。元から比較的高い年齢を対象としており、基本的な関係はまったく変化せず4コマ作品1本で話をまとめることが好まれていたが、若年層が増えたことからストーリー性のある作品を好む傾向が出てきた。新聞4コマとは異なり、毎月数ページに渡って数本 - 十数本の4コマ漫画が掲載される月刊4コマ漫画誌という体裁も、ストーリー漫画の掲載に向いている媒体であったといえる。そのため、いしいひさいち、相原コージ、小池田マヤ、胡桃ちのなどの意欲的な作家により、ストーリー4コマというジャンルが確立され、『まんがタイムラブリー』や『まんがタイムジャンボ』など、若者向けの4コマ誌が誕生していったのである。 それでもあくまで4コマ漫画であるため、作品全体としてストーリーを進めつつも4コマ作品1本にしっかりとした起承転結が存在しているものが多かった。しかし、2000年頃を境としてストーリー漫画である程度の経歴を持った作家が4コマ漫画家に転身することも多くなり、4コマ目が笑いを必要としない「ストーリー的な結果」で締めくくられる作品や、中には4コマ目であっても次の話へ続く展開だけが描かれる作品も増えている。このような作品は「単にコマが4つずつになっただけのストーリー漫画」とも見られており、このような作品を4コマ漫画と呼ぶことに違和感があるという声も多いが、元から戦前戦後の頃の漫画はコマ割が一定であることが多く、昭和後期以降の漫画のように複雑なコマ割になりすぎたストーリー漫画に対する原点回帰だとする見方もある。 なお、上記2-2.のように年齢が変化しないにもかかわらず季節や流行が移り変わる物語性を持った連載作品は、4コマ漫画でもストーリー漫画でも俗に「サザエさん方式やサザエさん時空、あるいは磯野時空になっている」などと表現されることがある。これは、長谷川町子の『サザエさん』の主な舞台である家を、長期連載にかかわらず年齢が変化しない空間(時空)であると捉えた語である。 あるいは、上記4.のような作品であれば、「この作品は途中からサザエさん時空に突入した」などのような表現も用いられる。もっとも、『サザエさん』も初期は加齢があったので、もっとも典型的な「サザエさん時空」が上記4.の例といえる。 不条理4コマ 1980年末から1990年代初頭によく見られた形式。榎本俊二の『GOLDEN LUCKY』や吉田戦車の『伝染るんです。』、相原コージの『コージ苑』、須賀原洋行の『気分は形而上』、小林銅蟲の『ねぎ姉さん』などの作品が代表的。青年誌など4コマ専門誌以外で掲載されることが多い。一見するとオチているのかオチていないのか不明瞭だったり、話のネタ自体が理解しづらいが、なにかしら笑える部分がある。このような不条理な展開の4コマは『G組のG』などのギャグ4コマや、『ゆるめいつ』などの萌え系4コマにも受け継がれている部分がある。 萌え4コマ 1990年代末に萌えを重点とした4コマ漫画が増え始め、この様な作品は一般的に萌え4コマと呼ばれている。1999年に『電撃大王』で連載されたあずまきよひこ『あずまんが大王』が大ヒットし、また同じ年に成人向け美少女漫画誌の主力作家である後藤羽矢子が『まんがライフ』において初の一般向け作品でありストーリー4コマ漫画となる『どきどき姉弟ライフ』を発表、さらに『スポコミ』(前身は『月刊まんがパロ野球ニュース』)が休刊した後に、同じ雑誌コードを引き継いだ青年向け4コマ誌『まんがくらぶオリジナル』が創刊するなどの出来事が起こっている。このことから、1999年はいわゆる「おたく文化」の4コマ漫画界への流入が本格的に始まった年であり、後の萌え4コマ流行の礎の一つとなっていった。 ここに分類される基準は萌え要素の有無である。原則的に従来の4コマ漫画よりも絵に重点が置かれていること、登場人物の大半が美少女でありなおかつ萌え絵に属する(=主に男性に好まれる)絵柄であることが特徴に挙げられる。それ以外は一概にくくれる要素を持っているわけではないが、萌え4コマというフォーマットの性格上、キャラクターの個性がネタにされることが多く、小ボケの連続により話が進んでいくことが多い。4コマ目でオチを付けることは必須条件ではないため、ストーリー4コマの特徴を含む作品も多い。総じて4コマ目のオチが淡白になる傾向があり、中には4コマ目でオチがなく次の4コマへ向けての「承」や「転」に当たる展開が延々と続くものすら存在する。これは、オチのインパクトよりも、萌えキャラのキャラクター性が重視されているからである。なお、いわゆる「脱力系4コマ漫画」(例・「らき☆すた」、「ゆるめいつ」など)も作品全体の雰囲気がゆるく脱力系で進行するという意味で前者と同様「ゆるい作品」と表現されることが多いが、後者は原則4コマ目で落とす展開の連続で作られているため、前者と後者の「オチ」の性質は似て非なるものと言える。萌え4コマやそれを原作としたアニメなどによくみられる、萌え系の表現を重視して日常生活の描写を中心とした作風のコンテンツをさす用語としては、空気系というタームもある。植田まさしは自身が「実体のあるものを仕掛けにしたアイデア」をオチに使うことを明かした上で、萌え4コマの「空気オチ」の傾向について「具体的なオチへの期待感がないんですよ。結局それはキャラクターに頼っているということで、キャラ頼りの漫画って長続きしないと思うんです」と厳しく批評している。 また、ストーリー漫画やライトノベル、美少女ゲームのイラストレーター出身の作家も多く、これらの分野から受けた影響から感動的な展開やいわゆる「泣き」の設定を取り入れる作品も少なくない。ドタバタラブコメディのような作品の手法を応用した終始ハイテンションで突っ走る作品も存在するが、画風などの特性においては萌え4コマと共通しており、同種として括られているのが通常である。 萌え4コマの元祖を特定することは難しく、万人が納得する一つの作品に絞り込むことはできていない。萌えるかどうかは作品だけでなく読者側の問題でもあり、伝統的な4コマ作品でも受け手次第で萌えることは可能といえる。 萌え4コマ専門誌の先駆者は『まんがタイムきらら』(2002年創刊)だと言われるが、その母体は複数ある。 OLなど女性を主なターゲットとした4コマ雑誌 - 『まんがタイムジャンボ』(1990年代初頭から存在、独立創刊は1995年)、『まんがタイムラブリー』(1995年創刊)など ここですでに萌え4コマの萌芽が見られる。これらは伝統的な4コマの体裁を取りつつキャラクター重視、絵柄も重要な要素となり、少女漫画家の流入もあった。萌え4コマとしての資質を充分に備えていた。2000年代後半になると逆に『ジャンボ』などが『きらら』系の影響を受けて男性向け、萌え系中心へシフトしている。 青年誌などに掲載されている4コマ漫画 - 青年雑誌4コマ出身の代表格ももせたまみは萌え系4コマが流行し始める数年前から他者に先駆けて描いており、2010年代後半でも萌え4コマの第一人者として活躍している。 成人向け美少女漫画誌の箸休めとして掲載される4コマ漫画 - 樹るうやみやさかたかし、新条るるらといった作家がここから輩出されている。 ゲームパロディ4コマ - 新声社・エニックス・双葉社などが刊行したものも源流の一つに数えられる。キャラクターが中心であることは言うまでもなく、画風も2000年代以降の萌え4コマ同様、ストーリー漫画並みの描き込みが見られる作品もある。 なお、同人誌界で活躍している作家が4コマ漫画業界に多数参入してくるようになったきっかけも萌え4コマの流行と『きらら』の創刊であると考えられているが、それ以前から4コマ漫画誌でデビューを果たしていた胡桃ちの・青木光恵・さんりようこらと言った作家も元々はと言えば同人誌活動をしていて、後に漫画家としてデビューした作家である。 萌え4コマ専門誌2000年代前半 - 半ばに相次いで創刊したが、上記の『まんがタイムきらら』シリーズを除いて長続きしないものが多かった。2004年には5誌が創刊したが、翌年までに『まんがタイムきららMAX』以外は休刊に追い込まれた。(双葉社『もえよん』は13号まで発刊、『COMICぎゅっと!』は3号、『コミックメガミマガジン』は2号、『まんが学園4年生』は1号のみ)-その後、2006年9月に一迅社から『まんが4コマKINGSぱれっと』が創刊された。2008年には姉妹誌『まんがぱれっとLite』が創刊されたが、2011年4月より2誌体制をやめて両誌を統合(『Lite』を廃刊)、『まんが4コマぱれっと』と改題した。 他にも、2003年には竹書房から一般誌と萌え4コマ誌の折衷型雑誌として『まんがライフMOMO』が創刊している。折衷型は永らく『MOMO』独自のポジションであったが、2000年代後期からは芳文社刊の『まんがタイムジャンボ』や『スペシャル』などの青年4コマ誌が追随するようになり、同じ竹書房刊の『まんがくらぶオリジナル』なども創刊当初の誌面構成に近い内容に回帰する形でこれに追随するようになっていった。同時に一般4コマ誌全体においても萌え4コマの掲載比率が年を追う毎に高まり、単に「萌え」というひとつのジャンルに留まらず「4コマ雑誌界全体における新人作家発掘の場」としての役割も担うこととなっていたった。 2010年頃からは各社ともリスクの高い新雑誌の創刊を避け、既存4コマ誌の萌え系化やWeb4コマサイトによる公開といった方針が取られる傾向にある。そのような中で芳文社の『まんがタイムラブリー』も従来の女性向け4コマ誌からの脱却が図られ、2011年2月発行の3月号より従来の萌え4コマ世代と同じか、それよりもさらに若い漫画好き世代をターゲットとしたストーリー4コマ雑誌としてリニューアルされた。 作品自体の性質から、購読者層の男女比率は圧倒的に男性が多く、一般的な4コマ誌では概ね半々であるが『きらら』や『ぱれっと』系統では男女比が9:1〜8:2にものぼる。折衷タイプにおいても『MOMO』では7:3で男性読者の方が多く、『ジャンボ』でも同様の傾向が見られる。 萌え4コマは他ジャンルからの批判、偏見も少なくなく、『週刊少年ジャンプ』の連載作『バクマン。』作中で批判されたり、『ビッグコミックスピリッツ』の『気まぐれコンセプト』作中で批判されたこともあった。 発表形態 主要な掲載媒体は、新聞、商業誌(通常の漫画雑誌、4コマ専門漫画雑誌(「4コマ誌」と略される))、アンソロジー形式の単行本、同人誌等である。近年はWebコミックによる発表も増えている。 新聞 新聞での掲載個所は社会面左上隅が一般的であり、多くの一般紙に掲載されている(朝刊のみに掲載される場合、中面に掲載される場合もある)。あらかじめ作者が提示した掲載候補から担当記者による選別を経て、掲載作品が決定される。また、不測の事態に備えて、いわゆる「描き溜め」のストックも行われている。新聞紙上における一服の清涼剤としての役割が期待され、また幅広い読者層に対応するため、古典的な起承転結を基調とし、話題は季節ネタ・時節ネタが多い。但し、時節ネタも同様な理由から刺激の強いものは避けられる傾向が強い。それでも新聞というメディアの特性上、作者の意図しない解釈による批判を受ける(参照ページ「マスコミにおける女性蔑視を考える」)ことも多く、ますます現実と遊離した無難な内容の作品が掲載される結果を招いている。制約が多く、独占的・長期に連載されるため(作者の死によって連載終了となることも多い)マンネリ化に陥ることも多い。 一部の連載(アサッテ君の一時期や、ひなちゃんの日常、フジ三太郎など)では8コマや9コマ、中には3コマとなったものもある。 韓国の新聞では、政治、経済、社会、文化全般の時事的な問題や人物を風刺して描かれることが多く、特に「漫評」と呼ばれることがある。 長期連載記録 『ピーナッツ』チャールズ・M・シュルツ。総作品数17897話。ただしこれは4コマ漫画(1から5コマの不定コマ数)の短編だけでなく、それよりコマ数の多いストーリー漫画も合わせた数である。日本ではタイトルよりも犬のキャラクター「スヌーピー」の名でも知られる。 『ジャンケンポン』泉昭二(朝日小学生新聞)1969年〜2021年現在連載中(2020年8月4日時点で16289回。2018年3月26日の第15452回で『ほのぼの君』の合計回数15451回を抜いて新聞連載漫画の最多回数記録を達成した。「一つの4コマ漫画として最も多く発行された回数」としてギネス世界記録に認定されたことが第15095回の作中で描写された。) 『まんまる団地』オダシゲ(しんぶん赤旗)1974年〜2021年現在連載中(2021年1月28日時点で16080回。『ジャンケンポン』と377話の差で2位) 『ほのぼの君』佃公彦(東京新聞、中日新聞他)1955年〜2006年 全15451回(旧『ほのぼの君』〜『ちびっこ紳士』〜新『ほのぼの君』と改題・復題しており、全てを合計した回数) 『コボちゃん』植田まさし(読売新聞)1982年〜2021年現在連載中(2021年1月13日時点で13756回)2021年1月7日に13750回となり、毎日新聞『アサッテ君』の記録を更新し、子供が対象の朝日小学生新聞および政党機関紙である赤旗を除く一般全国紙4紙での単一タイトル4コマ漫画で最長記録を達成した。 『アサッテ君』東海林さだお(毎日新聞)1974年〜2014年 全13749回 『まっぴら君』加藤芳郎(毎日新聞)1954年〜2001年 全13615回 『サンワリ君』鈴木義司(読売新聞)1966年〜2004年 全11240回 『ゴリパパ一家』神保あつし(日本農業新聞)1987年〜2021年現在連載中(2017年5月1日時点で10000回を達成したことが日本農業新聞で報道された。紙面に話数が掲載されておらず2020年7月現在の正確な話数は不明。) 『そふとそぼ』若戸だいご(徳島新聞他) 2014年~2022年現在連載中(2022年4月17日時点で9570回。) 『フジ三太郎』サトウサンペイ(朝日新聞)1965年〜1991年 全8168回 『ののちゃん』いしいひさいち(朝日新聞)1991年〜2021年現在連載中(2019年8月1日時点で7828回。『となりの山田くん』より改題) 『サザエさん』長谷川町子(夕刊フクニチ→新夕刊→朝日新聞)1946年〜1974年 全6477回 『轟先生』秋好馨(雑誌『漫画』→読売新聞)1943年〜1972年 全6152回 『フクちゃん』横山隆一(朝日新聞、毎日新聞他)1936年〜1971年(改題前の『江戸ッ子健ちゃん』を含む) なお、掲載紙がスポーツ紙のため参考扱いであるが、コジロー作『いも虫ランド』(スポーツニッポンにて:1984年10月11日から掲載開始)が:2021年9月26日時点で13075回掲載となっている(同日付紙面にて確認)。 4コマ誌 4コマ漫画作品を主な内容として掲載している漫画雑誌(商業誌)を総称して4コマ誌(よんコマし)という。これは「4コマ漫画専門雑誌」の略で、芳文社、竹書房、双葉社、ぶんか社、などから発行されている。判型はB5判(182mm×257mm)のものが殆ど。綴じ方は中綴じのものが多いが、平綴じのものも増えつつある。ページ数は、中綴じのものは200ページ前後、平綴じのものは220ページ前後である。 1冊あたりの税込価格は概ね270円から350円程度であるが、2004年頃からは、『まんがタイムきららMAX』(2004年5月24日創刊)が450円、『もえよん』(2004年7月9日創刊)が420円にそれぞれ設定されるなど、例外的に400円を超えるものも現れつつある(価格はすべて創刊号のもの)。『まんがライフMOMO』を含む萌え4コマ誌は、基本的に自社広告以外の広告が掲載されていないこともあり(掲載される場合、ほとんどがとらのあな、メロンブックスなどの同人ショップやブロッコリーなどのゲーム・キャラクターグッズ企業である)、一般的に350円程度とおおむね通常よりも高めの価格設定をされることが多い。 分類 「まんが○○○」などと、雑誌名の頭が平仮名で「まんが」と始まるものが多く、狭義にはこれに当てはまる雑誌のみが4コマ誌と称される。この中には(主として1人ないし少人数の漫画家を特集する)再録作品を中心とした、不定期または実質定期の増刊号=再録4コマ誌が含まれる。現在発行されている定期刊行(狭義)4コマ誌の中には、再録誌から出発した後に初出作品の分量を増やし、通常の4コマ誌にリニューアルして今に至っているものもある。 また、「本当にあった○○○な話」など、雑誌名の頭が「本当にあった」で始まるものも広義には4コマ誌に含まれるが、前者は創作漫画作品(普通の漫画作品)を中心に掲載しているのに対し、後者は読者からの投稿を4コマ漫画化したものを中心としており、前者(狭義の4コマ誌)と区別するため特に実話系4コマ誌などと称されることがある。実話系4コマの元祖は田島みるくの『本当にあった愉快な話』(現・本当にあったゆかいな話)で、ここから派生してお色気系実話に特化した『愛のイトナミ』(現・愛のイトナミSP、後藤ユタカ作)、その他医療系実話の主力・安斎かなえや、自らの恋愛体験を赤裸々に描く桜木さゆみらといった作家が実話系4コマ漫画を中心に活動している。 萌え4コマ誌については#萌え4コマの節を参照。 この他に、『みこすり半劇場』とその増刊・別冊など、成人向けの4コマ漫画作品を中心とするものはエロ4コマ誌、艶笑4コマ誌などと称される(実話系4コマ誌においても成人向けの内容を多く含むものがあるが、呼称は明確には区別されていない。また通常の成人向け4コマ誌は男性読者が中心であるのに対し、実話系は女性読者が多い傾向にあるという差異もある)。便宜上成人向け4コマと呼ばれているがあくまで下ネタや色気を題材として笑わせることが目的の作品であるため、いわゆる18禁漫画に指定されることはない。 成人向け4コマ誌は『みこすり半劇場』の登場後密かなブームとなり、1990年代前半には創刊が相次ぎ一時的に乱立状態となった。しかし、ほとんどの雑誌が短命に終わり、『みこすり半劇場』のみが細々と残ることとなった。その『みこすり半劇場』自体も2010年のリニューアルでノンフィクション(実話系)4コマ中心へ、そして2013年のリニューアルでは4コマ誌の体裁を捨て成人向けストーリー漫画誌へと路線変更され、この時点で創作ものとしてのお色気・下ネタ4コマ漫画誌は出版業界から姿を消すこととなり、さらに翌2014年には雑誌自体が休刊することとなった。他にも『ビタマン』、『あべまん』→『えっち一本勝負』→『NAMAIKIッ!』(竹書房)や『まんが笑がっこう』→『SHOWGAKKO』(平和出版)のように、成人向け4コマ誌として創刊した後に成人向け漫画誌に路線変更したものもある。ちなみに現在休刊となった『SHOWGAKKO』からは、同誌で漫画を執筆していたかがみふみをと、同誌のハガキ投稿コーナーの常連であった荻野眞弓が後に4コマ漫画誌で活躍することになるという皮肉な結果も生まれている。同様に成人向け4コマから路線変更した雑誌に『まんがシャワー』(一水社)がある。この雑誌は成人向け4コマ誌から熟女系エロ劇画誌『漫画シャワー』になり、現在では『まんがシャワー』と誌名を戻したものの、漫画よりもヌードグラビアなどを重視したごく一般的なエロ本になって刊行されている。同じように現在エロ本化している元成年向け4コマ誌には『COMICび〜た』、『カルビPOWER』(いずれも若生出版)がある。市場の縮小により転身した作家も少なくなく、当時『イカしてソーロウ』を代表とする人気作品を次々と発表し、下ネタ4コマ業界で岩谷テンホーと人気を二分していた笑太郎はその後ジュニアアイドルのイメージビデオの制作業に転身し、『天使の絵日記』シリーズを制作・販売している(ちなみにかつて同シリーズに出演していた吉沢真由美は笑太郎の実娘である)。 また、この時期にはファミリー向け・成人向け・スポーツ芸能4コマを一冊の雑誌にまとめて掲載した『まんが笑アップ』と、増刊『まんがポケット』(廣済堂出版)という変り種の4コマ誌もあった。両誌とも概ね一般向け作品5割:成人向け作品3割:スポーツ芸能、その他(不条理系など)2割程度の比率で掲載されており、『みこすり半劇場』掲載作と同様の性描写や性的行為をあからさまに描いた過激な作品から、家庭などを舞台とした暖かくほのぼのとした雰囲気の作品までが1冊の雑誌内で同居しているという異色の4コマ雑誌であった。しかし、このように作品相互間において読者層が相容れないものをごちゃ混ぜにした内容であったためか長続きせず、いずれも早々に休刊となった。なお2010年現在発行されている4コマ誌においては『主任がゆく!スペシャル』(ぶんか社刊、『無敵恋愛S*girl』増刊号→『みこすり半劇場』増刊号)が一般向け・成人向け・実話系4コマを一冊にまとめて掲載する形を取っておりこれに近いものとなっているが、成人向け作品の描写を比較的ソフトに抑えることで誌面全体のバランスを取るよう図られている。 掲載内容 4コマ誌においても、4コマ以外の形式の作品(区別のために、「ストーリー作品」(ストーリー形式の漫画作品)と呼ばれる)も数本程度掲載される。通常、4コマ形式の作品は1作品あたり4〜8ページ、ストーリー形式の作品は1作品あたり6〜10ページ程度で、1冊の4コマ誌には少なくとも20作品以上が掲載されている。 他に、各雑誌ごとに異なるが、読者投稿欄、アンケート、パズル、占い、文章作品(エッセイなど)なども掲載される。アンケートは懸賞付きで行われ、賞品には現金や金券類などが設定される。近年は作家の色紙やサイン入り単行本などを賞品とするものも現れている。 また他の漫画雑誌と異なり、表紙が1名の作家によって複数月連続して担当される、という特徴がある。この理由としては、「複数の4コマ誌で同一作品が同時に連載されている例が多いため、表紙担当を毎号変えると読者が混乱するため」、「あまり熱心ではない読者(意識して4コマ誌を購読しているのではなく、暇潰しなどの目的で目に付いた雑誌を適当に買った読者)にとっては、各4コマ誌は雑誌名も似ており区別しづらいため、彼らに対して“前号と同一銘柄の雑誌であること”を印象付け、継続購読を促すため」、などの説があるが、定かではない。また、『まんがタイムきらら』系は他の4コマ誌と異なり「特定の作家・作品のファンとなった読者層を定期購読者として取り込む戦略を展開している(=熱心な読者を創り出しターゲットとする)」ため当初は表紙担当の固定制にはこだわっていなかったが、近年はアニメ化された看板作品に固定される時期もある。表紙作家は基本的に巻頭カラーも担当する(芳文社の一部雑誌は表紙作家以外が巻頭を担当することがある)。ページ数も毎回8ページ前後と多く、さらに竹書房の場合は連載に関連した企画連載も同時掲載されるなど、表紙作家は文字通り雑誌の看板として別格扱いとなっている。 2020年10月現在の4コマ誌の表紙作家と担当期間は次の通り。 芳文社 まんがホーム:むんこ(らいか・デイズ)2005年4月号 - まんがタイム:植田まさし(おとぼけ課長 → おとぼけ部長代理)2004年10月号 - まんがタイムオリジナル:ひらのあゆ(ラディカル・ホスピタル)2002年5月号 - まんがタイムきらら:※固定にこだわっていない まんがタイムきららMAX:※固定にこだわっていない まんがタイムきららキャラット:※固定にこだわっていない 双葉社 まんがタウン:※固定にこだわっていない 竹書房 まんがライフオリジナル:大井昌和(ちぃちゃんのおしながき)2016年7月号 - まんがライフ:※固定にこだわっていない 一迅社 まんが4コマぱれっと:※固定にこだわっていない KADOKAWA(アスキー・メディアワークス ブランドカンパニー) コミック電撃だいおうじ:※固定にこだわっていない KADOKAWA(メディアファクトリー ブランドカンパニー) コミックキューン:※固定にこだわっていない 単行本 4コマ誌に連載された作品の単行本は、判型がA5判(148mm×210mm)のものが殆どで、他の形式の作品の単行本の多くがB6判(128mm×182mm)以下であることに比べると、やや大きめになっている。価格は各出版社・各レーベルごとに異なり、更にカラー印刷のページ数などによっても異なるため、概ね600円から900円程度とまちまちである。特に先述の萌え4コマは高値に設定されており、一般誌と併売している大手では別レーベル(芳文社=まんがタイムKRコミックス、竹書房=MOMO selection)を設けて他のコミックスとシリーズ・価格とも区別する形式を取っている。これらの書籍は1頁に2本(8コマ)を収録したものが多いが、一方でいしいひさいち作品などから増え始めた、1頁に1本を収録した新書サイズのものも見られ、こちらはやや安価である。 また、単行本のための描き足しが、巻頭・巻末や本文内だけでなく、カバー裏(カバーを外した状態の、単行本本体の表紙・裏表紙をこう呼ぶ)にも付されることが多く、単行本を購入した読者にとっては、カバーをめくることも楽しみのひとつとなっている。 単行本化される作品は、連載である程度の人気を得たものに限られており、連載が長期にわたり続いても単行本が発売されない場合がある。また、単行本の第1巻が発売されても、その売れ行きが芳しくないと、連載が続いても第2巻以降が発売されないことが多い。4コマ誌掲載漫画の単行本で第2巻の出るタイトル数は第1巻のそれの約半分、と言われている。そのため、連載が完結しても、単行本上では永遠に未完となってしまう場合も珍しくない。また、単行本で完結しても、中長期連載の場合は相当数の未収録話が残るケースもみられる。単行本未収録分を同人誌として頒布したり、4コマ漫画単行本の読者プレゼントとする漫画家もいるが、これは稀な例である。主にストーリー4コマで単行本にきっちり収めて完結させるために途中から展開を早めるなどして調節される場合もあるが、このようなケースは連載が打ち切られることが前提であるとはいえ、前述のようなケースが多い実情に鑑みると恵まれている方である。単行本の発売に際しては、様々な拡販施策(フェア)が行われることがあるが、かつてのフェアは1社単独での既刊単行本や掲載誌との連動企画を中心に展開されるものだった。1999年には、竹書房・白泉社の合同企画として「みずしな&ももせコミックスフェア」が開催され、両社で主力作家であったみずしな孝之とももせたまみの対象コミックス購入者にオリジナル特製しおりがプレゼントされるなど、異なる出版社による2社合同フェアが行われるようになった。さらに、2000年頃からは、1名の作家の作品を複数の出版社で同日に発売し、合同フェアとして広告展開することによる拡販施策が行われるようになった(例:2003年、真右衛門、講談社・竹書房/2004年、森真理、竹書房・小学館)。特筆されるのは2004年10月の「重野なおきスリーランフェア」で、竹書房・双葉社・白泉社の3社から1冊ずつ計3冊の単行本が同日に発売された。これに続き、2005年1月から3月にかけて、芳文社・竹書房・メディアワークスの3社から、大井昌和の作品の単行本が毎月27日頃に各1冊ずつ発売された。いずれも、「3社合同企画」などと銘打ち、合同での懸賞が行われたり、雑誌上において他社刊行のものを含む複数冊をまとめて広告するなど、出版社ごとの垣根を越えた拡販施策が行われている。その後も胡桃ちのや小笠原朋子などについて同様の施策が行われ、4コマ誌に連載を持つ作家の単行本についての拡販施策の定石となった。 ゲームアンソロジー コンピュータゲーム作品(特にテレビゲーム)の世界観や登場人物を、そのまま題材として二次創作した4コマ漫画作品をゲーパロという(「ゲームパロディ」の略か)。他の作品を題材とした二次創作作品は、本来は同人誌として発行されるものであるが、ゲーパロの分野においては、ゲームメーカーと無関係の出版社が発行するほかに、ゲームメーカーが自らゲーパロ作品の単行本を発行・発売しているケースもある。このような単行本の殆どは、複数名の作家によるアンソロジー形式を採っているため、コンピューターゲーム作品を題材とした4コマ漫画作品の単行本はゲームアンソロジーと総称されている(単に「アンソロ」とも略される)。 上述の4コマ誌とは異なり、ゲームアンソロジーに収録されている作品は、雑誌等への掲載を経ずに単行本上のみで発表されることが多い。 4コママンガ劇場 古参かつ代表的なレーベルには、エニックス(後にスクウェア・エニックス)より刊行されていた「4コママンガ劇場」がある。「ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場」の商業的成功は、少年漫画雑誌『月刊少年ガンガン』を生み出す原動力となった。 このことに端を発し、各社が競ってゲームアンソロジーを発行するようになった。このジャンルは以前から存在したが、現在の多くの作品は「4コママンガ劇場」を参考としたものであるといえる。また、プロの漫画家ではない素人(しかも、同人作家ですらない)が起用されることもあり、これがプロデビューのきっかけとなった漫画家も多いが、これもかつての「4コママンガ劇場」の基本方針の一つであった。このレーベルからプロデビューを果たした代表的な漫画家は、衛藤ヒロユキ、柴田亜美など。 4コマまんが王国 4コマまんが王国は、双葉社が発行していた、主にテレビゲームに関するパロディー・ギャグ4コマ漫画やショートコミックのレーベルで、双葉社アクションコミックスのシリーズである。 上述の「4コママンガ劇場」に次ぐ歴史を誇るが、既に双葉社は1986年頃にゲームソフトを題材にした漫画として「ファミコン冒険ゲームブック」のレーベルを立ち上げており、ゲームコミックの歴史としては「4コママンガ劇場」にも並ぶか、場合によっては最も古いレーベルではないかといわれている。1991年に4コママンガ劇場の成功に注目、「4コマまんが王国」としてシリーズ化するとともに、1993年には一雑誌の創刊を実現するまでに成長した。 表現上の規制が厳しいとされていた4コママンガ劇場よりも規制基準がかなり緩かったこともあり、質の高い数々の爆笑ネタや漫画家が誕生。4コママンガ劇場よりも多くのゲームソフトの漫画化も行われた。最盛期には任天堂のゲームを対象にしたものが多く出版されており、4コママンガ劇場のライバル的存在としてゲームコミックレーベルの中でもトップクラスの人気を誇った。このレーベルからプロデビューを果たした代表的な漫画家は佐々木亮など。 Webコミック 個人サイトや4コマ漫画誌の公式サイトにおけるものが主である。『livedoor デイリー4コマ』や『まんがタイムきららweb』、『ピクシブ通信』など、ポータルサイトやWebコミックサイト内の4コマ漫画用コンテンツとして設けられているものもある。 近年では竹書房が『デイリー4コマ』を縁としてライブドアとの関係を深めており、両社間での作者の交流や、新人賞の共同主催を行っており、2009年4月27日にはデイリー4コマのサイトの一部を間借りする形で新たにWeb4コマコミック『まんがライフWIN』をオープンした。『まんがライフ』系統で人気の作家を中心に起用されているが、インターネット媒体ということもあり、作品のラインナップは同社刊の雑誌系統のものよりも萌え系4コマにより比重を置いた構成となっている。 2010年2月23日には、芳文社も『まんがタイム』系、『きらら』系に続く第三の4コマ媒体として、上記と同じ『デイリー4コマ』との共同運営によるWeb4コマコミック『まんがタイムWAVE(ウェーブ)』をオープンしたが、2011年3月いっぱいで閉鎖した。 2011年6月10日より一迅社が、廃刊した『まんがぱれっとLite』に代わるWeb4コマコミック『まんが4コマぱれっとOnline』をオープンしている。 4コマ誌の一覧 各出版社ごとに、創刊の古い順に掲げる。 芳文社刊 まんがタイム まんがセブン (休刊) まんがタイムオリジナル まんがタイムファミリー (旧:別冊まんがタイム・休刊) まんがスポーツ (休刊) まんがホーム まんがタイムスペシャル (休刊) まんがタイムラブリー (休刊) まんがタイムジャンボ (休刊) まんがタイムキッチュ!! (休刊) まんがタイムオプショナル → まんがタイムナチュラル (休刊) まんがタイムポップセレクション → まんがタイムポップ (休刊) ビッグバン4コマ (休刊) まんがタイムDash! (休刊) まんがタイムきらら まんがタイムきららキャラット まんがタイムきららMAX 本当にあった(生)ここだけの話(休刊) 超本当にあった(生)ここだけの話 (旧:増刊本当にあった(生)ここだけの話・休刊) まんがタイムきららミラク(休刊) 竹書房刊 まんがくらぶ (旧:天才くらぶ) 通称「まんくら」(休刊) まんがライフ (旧:ギャグダ) まんがライフオリジナル 通称「ライオリ」 まんがくらぶオリジナル (旧:まんがパロ野球ニュース → 月刊スポコミ)通称「くらオリ」(休刊) まんがライフMOMO (旧:まんがライフオリジナル ももせたまみ増刊)(休刊) あにまるパラダイス(→ねこじかん)(休刊) ウルトラ4コマ(休刊) 本当にあった愉快な話 (一時期:本当にあったゆかいな話) 本当にあった愉快な話芸能ズキュン! (旧:本当にあった愉快な話 愛のイトナミSpecial→本当にあったゆかいな話DX→本当にあった仰天スクープまんがズキュン!→本当にあったゆかいな話芸能ズキュン!) すくすくパラダイス(休刊) 双葉社刊 まんがアクションランド (休刊) まんがタウン (旧:漫画アクション ファミリー増刊 クレヨンしんちゃん特集号) まんがタウンオリジナル (休刊) もえよん (休刊) 少年画報社刊 まんが笑ルーム (休刊) ぶんか社刊 みこすり半劇場(休刊) みこすり半劇場別館 (休刊) 月刊まんがシャレダ! (休刊) 月刊イケイケ課長 (1997年、メイン作家の安藤しげき死去に伴い休刊) 月刊イカしてソーロウ(休刊) まんがアロハ! → まんが4コマ丼 (休刊) 本当にあった笑える話 本当にあった笑える話 爆笑4コマ魂 → 愉快で笑える本当の話 (休刊) 別冊本当にあった笑える話 (休刊) 増刊本当にあった笑える話special 増刊本当にあった笑える話Pinky 主任がゆく!スペシャル たかの宗美スペシャル (休刊) 徳間オリオン刊 まんがハイム (休刊) 廣済堂出版 まんが笑アップ (休刊) 平和出版刊 愉快本舗 (休刊) COMICぎゅっと! (休刊) イースト・プレス刊 ハムスペ 日本出版社刊 ねこのしっぽ 朝日新聞出版刊 ほんとにあった笑っちゃう話 (朝日ソノラマ刊) → ふぁみドラコミック → ほんとにあった爆家族の話 (休刊) 宙出版 まんが学園4年生 (休刊) 学習研究社刊 コミックメガミマガジン (休刊) 秋田書店刊 全部ホンネの笑える話 (休刊) 大洋図書刊 本当にあったブログないしょ話 (休刊) 一迅社刊 まんが4コマぱれっと(旧:まんが4コマKINGSぱれっと) まんが4コマKINGSぱれっとLite → まんがぱれっとLite(休刊) メディアックス刊 まんがドカン小町 (休刊) 主婦と生活社刊 コミックPASH! KADOKAWA刊 4コマnanoエース(休刊・角川書店BC編集) コミック電撃だいおうじ(アスキー・メディアワークスBC編集) コミックキューン(メディアファクトリーBC編集) 辰巳出版刊 まんが あ!ホクサイ(休刊) 4コマ漫画家の一覧 記事のある4コマ漫画作品の一覧 出典・脚注 参考文献 清水勲『四コマ漫画』2009年、岩波書店《岩波新書》 手塚治虫『漫画の描き方 似顔絵から長編まで』1977年、光文社《カッパ・ホームズ》 関連項目 漫画家 日本の漫画家一覧 日本の漫画作品一覧 漫画レーベル一覧 日本の漫画雑誌 コミック・ストリップ - 欧米における新聞漫画
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%87%E7%94%BB
劇画
劇画(げきが)は、漫画の表現技法、もしくは漫画のジャンルの一つである。 概要 「劇画」という名称は辰巳ヨシヒロの考案によるものであり、劇画工房の誕生以降の劇画ブームによって世間一般に名称が定着した。 劇画とは、それまでの漫画から一線を画した漫画表現の手法であり、青年向け漫画を子供向けの漫画と異化・区別させるために作られたジャンルでもある。従来の漫画はあくまで子供向けであり、辰巳らは自分たちの作品がそのような評価を受けることを極端に嫌っていた。貸本劇画の読者層は労働者階級の若者であり、また劇画工房のメンバーも同じような階層の若者であった。作風としてはハリウッド映画やハードボイルド小説の影響が大きい。 劇画の歴史 劇画の誕生 劇画という名称は1957年(昭和32年)末に、名古屋の貸本出版社「セントラル文庫」から出版された漫画短編集『街 12号』に掲載された辰巳ヨシヒロの「幽霊タクシー」で初めてその扉ページに使用されたとされる。以降、辰巳は新しい漫画のジャンルとして「劇画」という名称を積極的に使い始める。 そのころ、大阪の「日の丸文庫」で貸本漫画を描いていた漫画家らは原稿料の不払いに悩んでいた。そこで漫画家同士で団結して出版社との交渉に当たる目的で石川フミヤス、K・元美津、桜井昌一、山森ススム、佐藤まさあき、岩井しげお、鈴木洸史らの7人で漫画制作集団「関西漫画家同人」が結成された。 1959年(昭和34年)1月5日、辰巳ヨシヒロと「関西漫画家同人」所属のうち石川、元美津、桜井、山森、佐藤の5人が大阪の辰巳の実家で会合を持った(連絡が取れなかった岩井、鈴木は不参加)。その際、山森の「自分たちにも『劇画』という名称を使わせてほしい」との要望を受け、辰巳が個人的に使用していた「劇画」を日の丸文庫の漫画家仲間の間で共用することになった。 劇画工房 1959年、辰巳ヨシヒロが中心となり、石川フミヤス、K・元美津、桜井昌一、山森ススム、佐藤まさあき、そしてさいとう・たかをら7人で劇画制作集団「劇画工房」が結成される。さいとう・たかをは当初「説画」という名称にこだわっていたが、辰巳の説得に折れて参加することになった。結成時の話し合いに同席していた松本正彦もまた、自らの付けた名称「駒画」にこだわり参加を渋っていたが、4月になってようやくに加入、後に8人体制となる。 活動に先んじて「劇画工房ご案内」と題名された挨拶状(はがき)150枚が、新聞社、出版社や漫画家に向けて送付された。劇画宣言と呼ばれる。この宣言文の宣伝効果は絶大で、漫画業界に「劇画」という言葉が定着する。手塚治虫の元にも届けられ、手塚は後に自伝「ぼくはマンガ家」でこの挨拶状を取り上げている。 この新しいジャンル「劇画」は貸本漫画読者の間でたちまち人気となり、『影』(日の丸文庫)、『街』(セントラル文庫)、『摩天楼』(兎月書房)等、劇画短編集が多数出版され貸本漫画の黄金期が始まることになった。ところが、1959年8月、メンバーは辰巳ヨシヒロ宅に急遽招集され、そこで辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかを、松本正彦の3人が「劇画工房」からの脱退を表明、後に解散となる。 劇画ブーム 1965年(昭和40年)、当時のトップ漫画家であった手塚治虫がいわゆる「W3事件」で「週刊少年マガジン」の連載を降板するという事件が起こった。編集長の内田勝は手塚の抜けた穴を埋めるべく、貸本劇画で活躍していた劇画家に執筆を依頼。これらの劇画は読者の高い支持を得て、以降、マガジンは劇画路線を推進していくことになる。 劇画の人気を見てとった他の出版社からも次々と劇画雑誌が創刊される。1966年(昭和41年)創刊の「コミックmagazine」(芳文社)を皮切りに、1967年(昭和42年)創刊の「週刊漫画アクション」(双葉社)と「ヤングコミック」(少年画報社)、1968年(昭和43年)創刊の「ビッグコミック」(小学館)、「プレイコミック」(秋田書店)などが挙げられる。それらの雑誌には、貸本から商業雑誌に移行後もヒットを飛ばした、さいとう・たかをや佐藤まさあき、彼らのスタッフだった川崎のぼるや、南波健二、小池一夫、劇画調に作風を変化させた永島慎二や白土三平、つげ義春、新世代の梶原一騎や宮谷一彦、バロン吉元、池上遼一、上村一夫らが執筆し人気を博した。 労働者階級の若者がメインターゲットの読者であった劇画は、当時盛んであった学生運動の熱狂と同期し、社会的なブームを巻き起こすことになる。貸本劇画誌を前身として1964年に創刊された「ガロ」(青林堂)は全共闘世代の大学生の愛読誌であった。1970年(昭和45年)3月31日によど号ハイジャック事件を起こした赤軍派グループの宣言「われわれは明日のジョーである」は当時の劇画の若者に対する影響力を物語っている。 ブームの終焉 だが、1972年(昭和47年)のあさま山荘事件などの左翼の過激化で学生運動が退潮したと同時に、若者らに支持されていた劇画業界も冷え込んでいった。劇画は「重く」「暑苦しい」ものとして若者らから敬遠されるようになり、それまで人気を誇っていた劇画雑誌は1970年代中頃より急激に部数を落としていった。ヤングコミックの編集者であった岡崎英生によると劇画雑誌の衰退は、三流劇画誌(エロ劇画誌)の流行や、1979年(昭和54年)6月に創刊された「週刊ヤングジャンプ」(集英社)や1980年7月に創刊の「週刊ヤングマガジン」(講談社)といった新しい青年漫画雑誌の影響が大きいとしている。 ニューウェーブ漫画を含む、劇画の手法を取り入れた新しい漫画の登場で、従来型の劇画は淘汰されていった。 劇画の現在 劇画ブーム後も生き残ったベテランや、その後デビューした劇画家によって今も作品は描かれているが、「ジャンルとしての劇画」は低迷している。1995年(平成7年)には辰巳ヨシヒロが自伝漫画である『劇画漂流』を発表。自らの経歴を振り返ると共に、ブーム以降に誤解された劇画のイメージを回復させるべく活動した。現在の漫画の多くは少なからず劇画の影響下にあるが、漫画と劇画を分離して呼称するという提唱は未だに実現しておらず、包括的な呼称としてなお漫画が用いつづられている。 劇画の表現技術 劇画の技術的な手法としては、カメラワークを使ったコマ割りが挙げられる。俯瞰や煽りで三人称視点を取り入れたダイナミックな視点からの描写(それまでの漫画の視点はほぼ正面固定だった)、人物のアップによる内面心理描写(それまでの漫画の世界では人物のアップは手抜きと見なされていた)などがある。また、太字で強調された擬音や、効果線、集中線を使った演出、同じシーンを連続的にコマに描くことによって時間経過を圧縮する演出なども劇画工房の開発によるものである。 劇画工房はハリウッド映画を参考にこれらを漫画技法として開発したのであり、このような革新的な表現が許されたのは、彼らが主に執筆していた日の丸文庫の「表紙以外は自由に描かせる」という放任主義の成果、日の丸文庫の専務で漫画編集をしていた山田喜一が映画に対して理解が深かったおかげとされる。 これらの技法はすぐに模倣されて漫画の一般的な技法として定着し、劇画の独自手法として見なされなくなってしまったため、世間一般には後の劇画雑誌ブームの際に流行した「描線の多いリアルタッチな画風の漫画が劇画である」というステレオタイプなイメージが残った。 さいとう・たかを曰く、「本来、絵は劇画の条件には含まれていない、デフォルメされた絵、少年・少女向けの絵でも構わないもの」であった。ところが「劇画黎明期を支えた面々が第一線から消え、さいとうのみが残ってしまったため、さいとう調の絵が「劇画」だと世間が誤解し、定着してしまった」という。事実、劇画黎明期を支えた代表的作家辰巳ヨシヒロや松本正彦の絵は一般的な「劇画調」のイメージとは異なるし、一般的には劇画家の範疇に含まれないつげ義春や水木しげるも若い頃には貸本劇画を手がけている。 主な劇画作家 概ね生年順 白土三平(『カムイ伝』など) 小島剛夕(『子連れ狼』など) 川崎のぼる(『巨人の星』など) さいとう・たかを(『ゴルゴ13』、『バロム・1』など) 平田弘史(『座頭市』『薩摩義士伝』など) 佐藤まさあき(『堕靡泥の星』など) 辰巳ヨシヒロ(『劇画大学』など) トチボリ茂(『クレイジー海底軍艦』など) 南波健二(『タックル猛牛シリーズ』『アタックアクション』『ジャンプ獅子』など) バロン吉元(『柔侠伝』シリーズなど) ありかわ栄一(『アイアンマッスル』『挑戦資格』など。後に園田光慶に改名) 下元克己(『ゴキブリ野郎』『快男児ゴリ一平』など) 池上遼一(『I・餓男(アイウエオボーイ)』『男組』『クライング フリーマン』など) かわぐちかいじ(『沈黙の艦隊』『ジパング』『太陽の黙示録』など) 叶精作(『実験人形ダミー・オスカー』など) ながやす巧(『愛と誠』など) 一ノ関圭(『らんぷの下』など) 寺沢武一(『コブラ』『ゴクウ』など) 長谷川法世(『博多っ子純情』など) 出典 参考文献 手塚治虫『ぼくはマンガ家』毎日新聞社、1969年 桜井昌一『ぼくは劇画の仕掛け人だった』エイプリル・ミュージック、1978年 佐藤まさあき『劇画私史三十年』桜井文庫、東考社、1984年 佐藤まさあき『「劇画の星」をめざして - 誰も書かなかった「劇画内幕史」』文藝春秋、1996年、ISBN 978-4163523200 岡崎英生『劇画狂時代』飛鳥新社、2002年 辰巳ヨシヒロ『劇画漂流 上巻』青林工藝舎、2008年、ISBN 978-4883792733 辰巳ヨシヒロ『劇画漂流 下巻』青林工藝舎、2008年、ISBN 978-4883792764 辰巳ヨシヒロ『劇画暮らし』本の雑誌社、2010年、ISBN 9784860112103 松本正彦『劇画バカたち!!』青林工藝舎、2009年、ISBN 978-4883792849 青林堂(編)『創刊50周年「ガロ」という時代』青林堂、2014年、ISBN 978-4-7926-0500-1 秋山高廣『再び大阪が まんが大国に甦る日』ブレーンセンター、新なにわ塾叢書、2014年、ISBN 978-4833907064 関連項目 劇画工房 漫画のジャンル 漫画のムーブメント
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%B3
レースクイーン
レースクイーン(race queen)は、モータースポーツに参戦する各チームのスポンサーのコンパニオンであり職業美人である。「RQ」と略される場合もある。 レース前配置(グリッド)を案内するため、レーサーの名前と番号が書かれたプラカードを持っている係員は、主催者が雇ったグリッドガール(Grid-Girl)である。 概要 元々はレース主催者などに雇われた(選ばれた)数名の女性(例えば鈴鹿サーキットクイーン等)で、優勝者の表彰などレース運営の中で一定のシンボル的役目を担う者を指す言葉だったが、現在ではそれらの女性をサーキットクイーンと呼び、チームに雇われたキャンペーンガール(キャンギャル)をレースクイーンと呼ぶようになっている。また「レースクイーン」という用語は元々英語のPromotional modelのサーキット版というニュアンスで作られた和製英語で、英語では上記の「Promotional model」に加え「Paddock girls」などの名称が用いられている。しかし昨今では性差別の観点から、先進国では廃止の方向性にある。 レースクイーンの分類としては、純粋にレースクイーンだけを生業とする者がいる一方で、学生やその企業の従業員が兼業で就業することもままある。また、タレントや俳優として名を成した者もしくはグラビアアイドルなどでデビューした後に年契約でレースクイーンを務める、コスプレイヤーやネットアイドルといった「アイドル予備軍」が参入する、など経歴や形態が多様化している。 歴史 1960年代後半に小川ローザらがサーキットでモデルとして活躍したのが起源といわれている。以後その形態にあまり変化はなく、開会式や表彰式のアシスタントとして従事する程度であったが、1984年に開催された日本最高峰のオートバイ耐久レース「鈴鹿8時間耐久ロードレース」で、一部チームのキャンペーンガールがチーム名のロゴマークを入れた水着を着て応援し、話題となった。 1980年代後半のバブル経済絶頂期に入ると、チームやスポンサー企業のロゴが入った極めて布地面積が少ないハイレグ・レオタードを身に纏った女性たちがサーキットに多数出現し、人気を博した。それ以降、このようなスタイルがレースクイーンの主流として定着した。特にオートバイのレーシングチームでキャンペーンガールを務めた飯島直子と岡本夏生の大ブレイクで、レースクイーンはサーキットを飛び出して様々な舞台へと進出するようになっていった。日本のレースクイーンは芸能界、人気タレントやアイドル特に映画女優への登竜門的存在となっている。当時は日本以外の国では余り存在しておらず、レースクイーンは日本が発祥の地であると言われ、次第と海外のレースにも広がった。 現状 現在はレースクイーンを多く輩出する芸能事務所が多数あり、レースが行われない週末のカメラ小僧向けのアマチュア撮影会に所属のレースクイーンをモデルとして出演させて収益を得る、といったことが行われている。そのため最近では、レースはスポンサーアピールだけでなく、撮影会の集客の宣伝の場ともなっている。また、ワンエイトプロモーション、フェスタソーレ、エモーションカンパニーなどレースクイーンに特化したタレントマネージメント・撮影会事業を展開する業者も登場している。 逆に「レースクイーン」の肩書き欲しさに、イベントコンパニオン関連の事務所(中でもパチンコ系のイベント会社)が自社の資金でレーシングチームのスポンサーとなり、自社のコンパニオンをレースクイーンに起用するといった例も見られる。過去にはAV女優をレースクイーンとしたソフト・オン・デマンドの例(2002年のフォーミュラ・ニッポンで山本清大をスポンサードした)もあるが、当時プレスのみならずレース関係者、一般の観客の間からも激しい批判が起こった。 国内モータースポーツで一番動員力があるSUPER GT(旧全日本GT選手権)は注目度も高いため、年々レースクイーンの数も増加の一途をたどった。特に2003年には飽和状態に達し、1レースで200名以上、1台のマシンに10名以上が立つチームも現れたことから、翌2004年以降は競技の進行を円滑に行うため、1台に対する人数の規定が設けられた。しかし、1レースに立てるのが4人だけで、実際は2007年までは5人以上登録していたチームも存在したため、全体で160〜180人程度いた。2008年に正式に公式規則で登録できるのが1シーズン4名までと規定され、人数も100人程度に減少した。(2008年から2011年までは4名まで、2012年より6名まで、2016年から登録人数は8人に緩和、1レースに立てるのは6人で変わらず) そもそも日本で行われるレースが少ないことやレースクイーンとしてのギャランティーも下落している。岡本夏生・飯島直子らが人気レースクイーンとして活躍していたバブル期はレースウィークだけでも数十万円という時代はあったが、1990年代後半は所属事務所がレースクイーンになりたいモデルを無料で送り出すケースも出始め、ギャラのケタも一つ少なくなった。狭き門のオーデションを通過してレースクイーンになってもレースのない時期はイベントコンパニオン・撮影会モデルや、一般企業のOLなどの副業で生計を立てる者がほとんどである。 1990年代後半から、「レースクイーン・キャンギャル情報誌」を名乗る書籍(雑誌、ムック等)が雨後の筍のごとく次々と創刊されたが、大方ほんの数年で軒並み休刊・廃刊に追いやられている。しかし、『オートスポーツ』別冊として当初スタートした『ギャルズパラダイス』などはモーターショーや見本市のコンパニオンとして出演するモデル達も取りあげることで現在も発行を続けている。 世界での状況 欧米では「Paddock Girls」「Grid Girls」等の名称で、決勝レース時のダミーグリッドでの看板持ちなどに女性を起用することが多いが、これは基本的にレース主催者側が用意するもので、日本のレースクイーンのように各チームと契約して、胸を強調するような服を着てレース毎に帯同する形態とは異なる。 ただ欧米ではこれらの女性についても「性差別の象徴」とみなして批判する意見があり、実際にFIA 世界耐久選手権(WEC)では2015年よりグリッドガールを原則廃止している(ただし富士スピードウェイで行われる日本ラウンドでは、2017年現在もグリッドガールが存在している)。 F1でも2015年ブラジルグランプリでは「女性だけを起用するのは不公平」との意見から「Grid boy and girl」として男女混在形式が導入されたほか、2017年末にはWEC同様にグリッドガールを原則廃止すべきとの議論が巻き起こった(ただしドライバーやチーム関係者はこれに反対している)。 廃止 鈴鹿サーキットクイーンは2020年末を持って活動及び新規募集を終了した。 性差別に関するマナーは欧米は当然のごとく、ユーラシア・アジアでも非常に厳しくみられる傾向が21世紀に入り急激に強まっており、グリッドガールはその批判の先頭に立たされてきたこともあって、2018年1月31日、フォーミュラ1は「現代の社会規範にそぐわない」として2018年シーズンからグリッドガール(レースクイーン)の廃止を決定した。グリッドガールに代わって「グリッドキッズ」を導入した。グリッドボーイを試験的に導入したうえでの変更であった。 コスチュームの変遷 コスチュームのデザインは、同じチーム・スポンサーであっても毎年細部を含めて変更されており、その時代の流行が多く反映されている。 1980年代以前 サーキットのイメージガールである、本来のレースクイーンの活躍が見られた時期。 コスチュームはTシャツかタンクトップとホットパンツの組み合わせに、足元はブーツといういでたちが一般的。季節によって、丈の短いジャケットが加わる場合もある。たすきは必携で、時代やサーキットによっては、ミニスカートやティアラも見られる。 まだロングヘアはあまり見られない。 1980年代から1990年代前半 当時のエアロビクスブームの影響から、足ぐりの角度を極端に上げたハイレッグカット(ハイレグ)のワンピース型レオタードが主流となり、これにスポンサー名を直接プリントするか、またはたすきが用いられる。下には海外製を中心とした、ジャズダンス用のマチの見えない光沢のあるストッキングが組み合わされた。また、Tバックタイプのレオタードを着用するレースクイーンも多く見られた。 ピンヒールと大きな傘、そして当時流行の髪形(初期はレイヤー、その後ワンレンやソバージュ)とともに、レースクイーンの象徴的なスタイルとして強い印象を与えた。フェイスメイクは色黒、太眉が主流であった。 1990年代後半 ハイレグ路線から転換し、極端なミニスカートのワンピースが主流となる。スパンデックス素材で作成された体のラインがそのままに出るものから、徐々にエナメル素材(PVC)のものへと変化していった。 ワンピースの利点は布地面積が広いことであり、スポンサーロゴが大きくプリントされ、企業やチームカラーで色とりどりにデザインされた。大きな襟が付いていることも特徴的だった。 ハイレグに代わるセクシーさを求め、大胆なスリットを設けたり、バストの部分をくり抜き、谷間を強調するデザインが現れた。 2000年代初頭 大きな変化としてはワンピースからセパレートタイプへの移行が挙げられる。ウエスト部分を露出したアンダーバストまでの上衣(ホルターネック・チューブトップ・ハーフトップやキャミソールが中心)とミニスカートに、ブーツ(夏季はサンダル)、春や秋には七分袖丈の上着を合わせるというスタイルが主流となった。ワンピース時代と比べスポンサーロゴは小さくなったが、カラーリングの組み合わせが容易になった。 またパンツスタイルも採用されるようになり、長ズボン(スラックス)と短いホットパンツに大別される。この場合もサイドを網状にしたりカッティングしたりするなど大胆な露出が施されていた。 2000年代後半 引き続きセパレートタイプが主流となっているが、色や素材の違うパターンを織り込んで縫製された、細部にわたる複雑なデザインのものへと変化している。またショートパンツはローライズタイプが主流となっている。またアクセサリー・帽子・上着もチームによってさまざまに取り入れられている。さらにスポンサーによってはドレスやメイド服、セーラー服など、萌え系コスプレを意識したデザインも登場しており、露出一辺倒からの転換がうかがえる。 レースクイーンのイベント レースクイーン・オブ・ザ・イヤー 日本レースクイーン大賞 レースクイーン出身タレント(50音順) 「:Category:レースクイーン」も参照 相川友希 あいざわかおり(相沢かおり) 相沢菜々子 相沢まき(矢野麻衣子) 藍田愛 葵ゆりか 阿久津真央 あのん あべみほ 荒井華奈 有馬奈那 飯島直子 市川久美 一色亜莉沙 いとうりな インリン・オブ・ジョイトイ 牛川とこ 江藤菜摘 遠藤賀子 大矢真夕 岡田文栄 岡本夏生 緒川たまき おのののか(タレント、元・東京ドーム売り子) 忍野さら 柏木美里 片石貴子 片瀬ゆき 加藤紗里 神谷樹里 川崎あや 川瀬もえ 川村那月 霧島聖子 熊江琉唯 栗原みさ 久留須ゆみ 黒沢美怜 黒田万結花 KONAN 近藤みやび さくらこ 沙倉しずか 佐々木萌香 佐藤ゆりな 澤井玲菜 沢木涼子 三浦りさ子(設楽りさ子)、夫は三浦知良(サッカー選手) 渋谷千賀 清水りさ 新庄千歳 杉浦未幸 杉本彩涼雅 鈴木史華 鈴々木保香 須之内美帆子 瀬長奈津実 芹沢まりな 相馬茜 高島礼子 高杉さと美 貴村真夕子 立花サキ 辰巳ゆい(AV女優、タレント、女優へ転身) 丹野友美 都築あこ 遠野千夏 永島さや佳 永瀬あや 中田あさみ 永浜いりあ 中村アン 夏本あさみ 名取くるみ 菜々緒 七生奈央 名波はるか 橋本雪乃 浜田コウ 浜田翔子 林紗久羅 林ゆめ 早瀬あや 原久美子 春菜めぐみ 番ことみ 比留川マイ 福田淳子 福愛美 藤井マリー 藤木由貴 古川あおい 古川真奈美 古崎瞳 細川ふみえ 堀口としみ 益子梨恵 益田アンナ 松本麻実 三島ゆかり 水谷さくら(実姉の仁科百香もレースクイーンとして活動している) 美月千佳 水谷望愛 水野ちはる 三瀬真美子 三井ゆり 宮越愛恵 村岡沙耶香 村上麻莉奈 室井佑月 - 作家、テレビのコメンテーターとして活躍 森下千里 森脇亜紗紀 諸岡愛美 矢代梢 安枝瞳 安田七奈 柳本絵美 山口由紀子 横田りか 吉岡美穂 吉永千夏(後藤知恵) リア・ディゾン 若槻千夏 - 全日本GT選手権イメージガール その他のレースクイーン出身著名人 オ・ユナ(韓国・蔚山広域市出身女優、2000年サイバーレーシングクイーン選抜大会第1位) 脚注 関連項目 グラビアページ ZENT sweeties チアリーダー イベント、会場のマスコット SUPER GTイメージガール 鈴鹿サーキットクイーン スポーツのマスコットキャラクター一覧 ! スポーツ関連の職業 和製英語 モータースポーツ 職業別の女性
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1982%E5%B9%B4
1982年
この項目では、国際的な視点に基づいた1982年について記載する。 他の紀年法 干支:壬戌(みずのえ いぬ) 日本(月日は一致) 昭和57年 皇紀2642年 大韓民国(月日は一致) 大韓民国64年 檀紀4315年 中華民国(月日は一致) 中華民国暦71年 朝鮮民主主義人民共和国(月日は一致) 主体71年 仏滅紀元:2524年 - 2525年 イスラム暦:1402年3月5日 - 1403年3月15日 ユダヤ暦:5742年4月6日 - 5743年4月15日 Unix Time:378691200 - 410227199 修正ユリウス日(MJD):44970 - 45334 リリウス日(LD):145811 - 146175 ※主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国で1997年に制定された。 カレンダー できごと 1月 1月13日 - アメリカ・ワシントン国際空港を吹雪の中、現地時間16時過ぎに離陸したエア・フロリダ90便が、直後に氷結したポトマック川に墜落(エア・フロリダ90便墜落事故)。 2月 2月8日 - ホテルニュージャパン火災。 2月28日 - 岡本綾子がゴルフのアメリカLPGAツアーで初優勝。 3月 3月18日 - 釜山アメリカ文化院放火事件 3月27日 - 韓国プロ野球が開始。 3月29日 - メキシコのエルチチョン山が大噴火。火砕流が発生した他、エアロゾルで世界の平均気温が0.3℃程低下。死者2000人以上(1万7000人が犠牲になったとされる資料もあり)。 4月 4月2日 - アルゼンチン軍がイギリスと領有権を争っていたフォークランド諸島を占領(フォークランド紛争勃発)。 4月26日 - 大韓民国南部の慶尚南道宜寧郡宮柳面で警察官の禹範坤がM2カービン銃2丁と実弾180発、手榴弾7発を使って57人を殺害する。 5月 5月8日 - F1・ベルギーGPでジル・ヴィルヌーヴが事故死。 5月28日 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がイギリスを訪問。カトリック教会とイングランド国教会が450年ぶりに和解。 5月30日 - メジャーリーグベースボールのメジャーリーガーカル・リプケンがこの日の試合から1998年9月20日まで2632試合連続出場の世界記録を成し遂げる。 6月 6月4日 - 第8回サミット開催(6.6ベルサイユ宣言)。 6月6日 - イスラエルがレバノン侵攻開始。 6月8日 - ロッキード事件全日空ルートの裁判で橋本登美三郎、佐藤孝行(いずれも政治家)の2人に実刑判決。 6月13日 - スペイン、1982 FIFAワールドカップ開催( - 7月11日)。 6月14日 - フォークランド紛争終結(フォークランド諸島の領有権はイギリスが獲得)。 6月22日 - IBM社のコンピュータ情報を不法入手したとして、アメリカ連邦捜査局(FBI)は日立製作所と三菱電機の社員6人をおとり捜査で逮捕(IBM産業スパイ事件)。 6月24日 - ブリティッシュ・エアウェイズ9便エンジン故障事故 7月 7月14日 - レフチェンコKGB少佐が米下院の秘密聴聞会で工作活動を暴露。(レフチェンコ事件) 7月23日 - 国際捕鯨委員会で1986年からの商業捕鯨全面禁止案が採択。 8月 8月17日 - フィリップスが世界初のCDを製造。ABBAの項目参照。 9月 9月14日 - モナコ公国のグレース・ケリー大公妃が自動車事故死。 10月 10月1日 - ソニーが世界初のCDプレーヤー、「CDP-101」発売。CDソフト50タイトルも同時発売。 10月1日 - 西ドイツでヘルムート・シュミット首相が議会で不信任となり退陣。ドイツキリスト教民主同盟党首のヘルムート・コールが首相に就任。 10月19日 - デロリアン・モーター・カンパニー(DMC)が倒産。 11月 11月10日 - ソ連のレオニード・ブレジネフ書記長死去。後任にユーリ・アンドロポフ第二書記が就任。 12月 日付不詳 アメリカの集団食中毒でO157が見つかる。 芸術・文化 音楽 ホール&オーツ「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」 イヴリン・キング 「ラブ・カム・ダウン」 ウィリー・ネルソン 「オールウェイズ・オン・マイ・マインド」 ドナルド・フェイゲン 「I.G.Y.」 デニース・ウィリアムズ 「イッツ・ゴナ・テイク・ア・ミラクル」 デバージ 「アイ・ライク・イット」 ダズ・バンド「レット・イット・ホイップ」 映画 初体験リッジモンドハイ 愛と青春の旅立ち スポーツ 野球 サッカー 1982 FIFAワールドカップ 優勝 イタリア(3回目) ジーコらを擁するブラジルは第2ラウンドでイタリアに敗れ敗退 モータースポーツ F1 世界選手権 ドライバーズ・チャンピオン ケケ・ロズベルグ 第5戦ベルギーGPにてジル・ヴィルヌーヴが事故死。また、第8戦カナダGPではリカルド・パレッティが事故死。 世界耐久選手権・日本大会開催。5年ぶりの世界選手権日本開催。イクス/マス組ポルシェ・956が優勝。 ロードレース世界選手権 500cc フランコ・ウンチーニ 誕生 1月 1月1日 - ダビド・ナルバンディアン、テニス選手 1月5日 - ヤニツァ・コステリッチ、アルペンスキー選手 1月5日 - ドゥシャン・ルジック、野球選手 1月5日 - 青木宣親、プロ野球選手 1月6日 - ギルバート・アリナス、バスケットボール選手 1月6日 - エディ・レッドメイン、俳優 1月7日 - フランシスコ・ロドリゲス、メジャーリーガー 1月7日 - 梁勇基、サッカー選手 1月8日 - バッドラック・ファレ、元ラグビーユニオン選手、プロレスラー 1月9日 - キャサリン (プリンセス・オブ・ウェールズ) 1月9日 - トニー・ペーニャ、プロ野球選手 1月10日 - 福圓美里、声優 1月11日 - ソン・イェジン、女優 1月12日 - ドントレル・ウィリス、メジャーリーガー 1月15日 - アーマンド・ガララーガ、元メジャーリーガー 1月15日 - ビクトル・バルデス、サッカー選手 1月17日 - ドウェイン・ウェイド、バスケットボール選手 1月18日 - バレー、サッカー選手 1月21日 - 潮崎豪、プロレスラー 1月21日 - アドリアーノ・フェヘイラ・マルティンス、サッカー選手 1月22日 - ファブリシオ・コロッチーニ、サッカー選手 1月23日 - ウィリー・モー・ペーニャ、メジャーリーガー 1月25日 - 櫻井翔、タレント、歌手、俳優、嵐 1月25日 - ノエミ、イタリアの歌手 1月26日 - 村上信五、タレント、歌手、俳優、関ジャニ∞ 1月26日 - 綾野剛、俳優 1月27日 - ゼウス、元ボディビルダー、プロレスラー 1月31日 - ユニエスキー・ベタンコート、プロ野球選手 1月31日 - アラン・マクレガー、サッカー選手 2月 2月1日 - ジーン・マチー、メジャーリーガー 2月1日 - ライアン・ウィング、プロ野球選手 2月4日 - クリス・セイビン、プロレスラー 2月5日 - 小林ゆう、声優 2月5日 - ロドリゴ・パラシオ、サッカー選手 2月6日 - アリス・イヴ、女優 2月6日 - 白露山佑太、大相撲力士 2月7日 - ミカエル・ピートラス、バスケットボール選手 2月7日 - 向井理、日本の俳優 2月9日 - ジャミーア・ネルソン、バスケットボール選手 2月10日 - 細谷佳正、声優 2月10日 - ジャスティン・ガトリン、陸上競技選手 2月10日 - ハ・ソクジン、俳優 2月11日 - クリスティアン・マッジョ、サッカー選手 2月13日 - 阿部力、俳優 2月16日 - ルーペ・フィアスコ、ラッパー 2月17日 - ユニエスキ・グリエル、野球選手 2月17日 - アドリアーノ・レイテ・リベイロ、サッカー選手 2月21日 - アレクサンドル・マルクンツォフ、フィギュアスケート選手 2月22日 - ケリー・ジョンソン、メジャーリーガー 2月22日 - スザンナ・ポイキオ、フィギュアスケート選手 2月25日 - 大谷雅恵、元メロン記念日、歌手、女優 2月26日 - 李娜、テニス選手 2月26日 - ソン・ヘギョ、女優 2月28日 - ナタリア・ヴォディアノヴァ、スーパーモデル 2月28日 - フロリアン・ユスト、フィギュアスケート選手 3月 3月2日 - ケヴィン・クラニー、サッカー選手 3月2日 - フェドール・アンドレーエフ、フィギュアスケート選手 3月2日 - ベン・ロスリスバーガー、アメリカンフットボール選手 3月4日 - ランドン・ドノバン、サッカー選手 3月5日 - ダン・カーター、ラグビーユニオン選手 3月7日 - 山川恵里佳、タレント 3月10日 - クワミ・ブラウン、バスケットボール選手 3月11日 - ソーラ・バーチ、女優 3月11日 - ブライアン・アンダーソン、メジャーリーガー 3月12日 - 佐々木義人、元プロレスラー 3月15日 - ウィルソン・キプサング・キプロティチ、マラソン選手 3月15日 - 中村ゆり、女優 3月16日 - ブライアン・ウィルソン、メジャーリーガー 3月17日 - スティーヴン・ピーナール、サッカー選手 3月18日 - ティモ・グロック、F1レーサー 3月18日 - チャド・コルデロ、メジャーリーガー 3月20日 - トマシュ・クシュチャク、サッカー選手 3月20日 - ジョゼ・モレイラ、サッカー選手 3月21日 - アーロン・ヒル、メジャーリーガー 3月23日 - アフマド・ハールーン、政治家 3月24日 - ロビンソン・テヘダ、メジャーリーガー 3月24日 - マギヌン・ラファエル・ファリアス・タバレス、サッカー選手 3月26日 - ブレンダン・ライアン、メジャーリーガー 3月26日 - ミケル・アルテタ、サッカー選手 3月29日 - 滝沢秀明、俳優、歌手、タレント 3月30日 - レスリー・アンダーソン、プロ野球選手 3月30日 - フィリップ・メクセス、サッカー選手 4月 4月1日 - タラン・キラム、俳優、声優、コメディアン 4月1日 - アンドレアス・トルキルドセン、陸上競技選手 4月2日 - マルコ・アメリア、サッカー選手 4月10日 - アンドレ・イーシアー、メジャーリーガー 4月13日 - ヨハン・クロンジェ、陸上競技選手 4月14日 - ジョシュ・ホワイトセル、プロ野球選手 4月16日 - ジョー・ドーリング、プロレスラー 4月17日 - イ・ジュンギ、俳優 4月21日 - マキシモ・ネルソン、プロ野球選手 4月21日 - Kagetora、プロレスラー 4月21日 - ウェイン・ラングレン、野球選手 4月22日 - アンドリュー・グラハム、野球選手 4月22日 - カカ、サッカー選手 4月22日 - 下屋則子、声優 4月23日 - ケリー・クラークソン、歌手 4月23日 - タイオ・クルーズ、歌手 4月27日 - マルク・ラマッキア、野球選手 4月30日 - キルスティン・ダンスト、女優 4月30日 - スティーブ・ハモンド、プロ野球選手 5月 5月1日 - ダリヨ・スルナ、サッカー選手 5月1日 - ベト、サッカー選手 5月3日 - ボブ・マクローリー、プロ野球選手 5月3日 - ニック・スタビノア、プロ野球選手 5月5日 - アガスティン・ムリーヨ、プロ野球選手 5月6日 - ジェイソン・ウィッテン、アメリカンフットボール選手 5月7日 - ルイス・ヒメネス、プロ野球選手 5月8日 - ブアカーオ・ポー.プラムック、ムエタイ選手 5月8日 - エイドリアン・ゴンザレス、メジャーリーガー 5月11日 - ジョナサン・ジャクソン、俳優 5月11日 - コリー・モンティス、俳優、歌手(+2013年) 5月12日 - ジェイミー・デントナ、プロ野球選手 5月15日 - ベロニカ・キャンベル=ブラウン、陸上競技選手 5月15日 - ラファエル・ペレス、メジャーリーガー 5月15日 - 藤原竜也、俳優 5月17日 - トニー・パーカー、バスケットボール選手 5月17日 - ニック・マセット、メジャーリーガー 5月20日 - ペトル・チェフ、サッカー選手 5月21日 - 飯伏幸太、プロレスラー 5月21日 - エド・ルーカス、メジャーリーガー 5月21日 - 沖本摩幸、プロレスラー 5月22日 - アポロ・アントン・オーノ、ショートトラックスピードスケート選手 5月22日 - アドルフォ・リベラ、元野球選手 5月24日 - 呉偲佑、プロ野球選手 5月25日 - YOSHI-HASHI、プロレスラー 5月25日 - ブラッド・スナイダー、プロ野球選手 5月25日 - 宮本裕向、プロレスラー 5月28日 - アレクシス・キャンデラリオ、プロ野球選手 5月29日 - 金泰均、プロ野球選手 6月 6月1日 - ジュスティーヌ・エナン、テニス選手 6月3日 - エレーナ・イシンバエワ、陸上競技選手 6月4日 - アベル・キルイ、陸上競技選手 6月5日 - ユ・インナ、女優 6月8日 - ケディ・ティン、タレント 6月8日 - ジョシュ・ペンス、俳優 6月10日 - タラ・リピンスキー、フィギュアスケート選手 6月10日 - マデレーン、スウェーデン王女 6月11日 - ボビー・ケッペル、プロ野球選手 6月11日 - ダイアナ・トーラジ、バスケットボール選手 6月12日 - 杉原杏璃、グラビアアイドル・タレント 6月13日 - ケネニサ・ベケレ、陸上競技選手 6月13日 - 鬼嵐力、大相撲力士 6月14日 - ラン・ラン、ピアニスト 6月15日 - クレイトン・ハミルトン、プロ野球選手 6月18日 - マルコ・ボリエッロ、サッカー選手 6月19日 - クリス・バーミューレン、MotoGPレーサー 6月21日 - ウィリアム皇太子、イギリス王チャールズ3世の長男 6月21日 - ロマン・アダモフ、サッカー選手 6月21日 - 李大浩、野球選手 6月22日 - イアン・キンズラー、メジャーリーガー 6月22日 - 内藤哲也、プロレスラー 6月25日 - ピ、歌手 6月30日 - ジャ・ジャ、歌手 7月 7月3日 - 吉田隆司、プロレスラー 7月5日 - アルベルト・ジラルディーノ、サッカー選手 7月5日 - フィリップ・ジルベール、自転車ロードレース選手 7月8日 - レニエル・ピント、プロ野球選手 7月9日 - 山本左近、レーシングドライバー 7月11日 - ジェフ・コブ、元オリンピック選手、プロレスラー 7月12日 - アントニオ・カッサーノ、サッカー選手 7月13日 - 秋信守、プロ野球選手 7月13日 - ヤディアー・モリーナ、メジャーリーガー 7月14日 - エンリケ・ゴンザレス、プロ野球選手 7月15日 - 呉昇桓、プロ野球選手 7月15日 - パク・ウニョン、KBSアナウンサー 7月16日 - スティーブン・フッカー、陸上競技選手 7月19日 - フィル・コーク、メジャーリーガー 7月20日 - ジェイク・フォックス、プロ野球選手 7月21日 - 小林麻央、フリーアナウンサー(+ 2017年) 7月22日 - 上野由岐子、ソフトボール選手 7月22日 - トリスタン・クロフォード、野球選手 7月23日 - ポール・ウェズレイ、俳優 7月23日 - トム・マイソン、俳優 7月24日 - アンナ・パキン、女優 7月24日 - デビッド・ペイン、陸上競技選手 7月29日 - アリソン・マック、女優 7月30日 - マーティン・スター、俳優 7月30日 - イヴォンヌ・ストラホフスキー、女優 8月 8月2日 - グレイディ・サイズモア、メジャーリーガー 8月2日 - エルデル・ポスティガ、サッカー選手 8月4日 - ジョシュ・レニキー、メジャーリーガー 8月6日 - ケビン・ヴァン・デル・ペレン、フィギュアスケート選手 8月6日 - ロモーラ・ガライ、女優 8月6日 - ジャスティン・ジャマーノ、プロ野球選手 8月8日 - ロス・オーレンドルフ、メジャーリーガー 8月9日 - タイソン・ゲイ、陸上競技選手 8月13日 - シャーニー・デービス、ショートトラック、スピードスケート選手 8月13日 - セバスチャン・スタン、俳優 8月17日 - フィル・ジャギエルカ、サッカー選手 8月20日 - エンジェルベルト・ソト、プロ野球選手 8月20日 - ジョシュア・ケネディ、サッカー選手 8月21日 - 大前茜、声優 8月23日 - ナタリー・コーグリン、競泳選手 8月24日 - キム・シェルストレーム、サッカー選手 8月24日 - ジョゼ・ボシングワ、サッカー選手 8月27日 - 山下穂尊、歌手、いきものがかり 8月28日 - カルロス・クエンティン、メジャーリーガー 8月28日 - ティアゴ・モッタ、サッカー選手 8月28日 - 石垣佑磨、俳優、タレント 8月30日 - アンディ・ロディック、テニス選手 8月31日 - ホセ・マヌエル・レイナ、サッカー選手 9月 9月1日 - ジェフリー・バトル、フィギュアスケート選手 9月2日 - ジョーイ・バートン、サッカー選手 9月3日 - 藤村歩、声優 9月3日 - サラ・バーク、女子スノーボーダー(+ 2012年) 9月5日 - 王心凌(シンディー・ワン)、台湾のアイドル歌手 9月7日 - 白石涼子、声優 9月12日 - マリア・テレサ・ガウ、女優、タレント 9月13日 - ネネイ、バスケットボール選手 9月15日 - エジミウソン・ドス・サントス・シルバ、サッカー選手 9月16日 - クリス・カーター、プロ野球選手 9月16日 - レオン・ブリットン、サッカー選手 9月19日 - エドゥアルド、サッカー選手 9月20日 - 賈曉晨、歌手、女優 9月22日 - マールテン・ステケレンブルフ、サッカー選手 9月22日 - ビリー・パイパー、歌手、女優 9月24日 - ポール・ハム、体操競技選手 9月25日 - ヒョンビン、俳優 9月27日 - リル・ウェイン、ラッパー 10月 10月1日 - KAZMA SAKAMOTO、プロレスラー 10月4日 - ジェレッド・ウィーバー、メジャーリーガー 10月4日 - カルロス・マーモル、メジャーリーガー 10月4日 - トニー・グウィン・ジュニア、メジャーリーガー 10月7日 - ユンディ・リ、ピアニスト 10月7日 - ジャーメイン・デフォー、サッカー選手 10月10日 - タチアナ・フィロワ、陸上競技選手 10月12日 - ケーシー・マギー、プロ野球選手 10月13日 - イアン・ソープ、競泳選手 10月14日 - カルロス・マーモル、メジャーリーガー 10月15日 - 真木よう子、女優 10月15日 - タマ・トンガ、プロレスラー 10月16日 - キム・アジュン、女優 10月16日 - パトリシア・ホール、陸上競技選手 10月18日 - ロス・ウルフ、メジャーリーガー 10月18日 - 森泉、ファッションモデル 10月20日 - ケイティー・フェザーストン、女優 10月22日 - ロビンソン・カノ、メジャーリーガー 10月22日 - ヒース・ミラー、アメリカンフットボール選手 10月24日 - ドリュー・トゥサント、プロ野球選手 10月26日 - ニコラ・アダムズ、ボクシング選手 10月27日 - ジェッシー・マタドール、歌手 10月27日 - 賈愛蘭、KBSアナウンサー 10月27日 - 塚本高史、俳優 10月28日 - 倉木麻衣、歌手 10月28日 - マット・スミス、俳優 10月28日 - ジェレミー・ボンダーマン、メジャーリーガー 10月28日 - アンソニー・レルー、プロ野球選手 10月29日 - ウィル・ベナブル、メジャーリーガー 10月29日 - 林依晨、女優、歌手 10月30日 - アンダーソン・エルナンデス、プロ野球選手 10月31日 - 岡林裕二、プロレスラー 11月 11月1日 - 全美貞、プロゴルファー 11月2日 - ユネル・エスコバー、メジャーリーガー 11月2日 - 深田恭子、女優 11月3日 - エフゲニー・プルシェンコ、フィギュアスケート選手 11月3日 - ちすん、女優 11月4日 - エバン・マクレーン、プロ野球選手 11月4日 - トラビス・ブラックリー、プロ野球選手 11月5日 - ハン・ジミン、女優 11月5日 - ブライアン・ラヘア、プロ野球選手 11月9日 - アンディ・サワー、シュートボクサー 11月10日 - 浦田直也、歌手、タレント、元AAA 11月12日 - アン・ハサウェイ、女優 11月13日 - ネルソン・パヤノ、プロ野球選手 11月13日 - 倖田來未、歌手 11月14日 - アンヘル・カストロ、メジャーリーガー 11月14日 - 倪福徳、野球選手 11月16日 - アマーレ・スタウダマイアー、NBAプロバスケットボール選手 11月18日 - ブレント・リーチ、プロ野球選手 11月21日 - 鷹木信悟、プロレスラー 11月22日 - スティーヴ・アンジェロ、DJ、レコードプロデューサー、リミキサー 11月22日 - 清貴(天道清貴)、歌手 11月23日 - アサファ・パウエル、陸上競技選手 11月25日 - ミンナ・カウッピ、オリエンテーリング選手 11月27日 - アレクサンドル・ケルジャコフ、サッカー選手 12月 12月1日 - 三遊亭わん丈、落語家 12月3日 - アレクサンダー、ファッションモデル 12月3日 - マニー・コーパス、メキシカンリーガー 12月3日 - マイケル・エッシェン、サッカー選手 12月6日 - アルベルト・コンタドール、自転車競技ロードレース選手 12月8日 - ハミト・アルトゥントップ、サッカー選手 12月8日 - ハリル・アルトゥントップ、サッカー選手 12月8日 - 後藤輝樹、政治活動家、音楽家、YouTuber 12月12日 - 加藤あい、俳優・タレント 12月12日 - アービン・サンタナ、メジャーリーガー 12月13日 - 永山瑛太、俳優 12月13日 - リッキー・ノラスコ、メジャーリーガー 12月14日 - ジョシュ・フィールズ、プロ野球選手 12月17日 - 水野良樹、歌手、いきものがかり 12月17日 - ジョシュ・バーフィールド、メジャーリーガー 12月20日 - デビッド・ライト、メジャーリーガー 12月21日 - フィリップ・ハンバー、プロ野球選手 12月24日 - 相葉雅紀、歌手、俳優、タレント、嵐 12月26日 - 小栗旬、俳優 12月26日 - アクセル・ルンド・スヴィンダル、アルペンスキー選手 12月27日 - マイケル・ボーン、メジャーリーガー 12月27日 - クリス・ジメネス、メジャーリーガー 12月29日 - アリソン・ブリー、女優 12月31日 - ロナルド・ベリサリオ、メジャーリーガー 死去 ノーベル賞 物理学賞 - ケネス・ウィルソン(アメリカ) 化学賞 - アーロン・クルーグ(イギリス) 生理学・医学賞 - スネ・ベリストローム(スウェーデン)、ベンクト・サミュエルソン(スウェーデン)、ジョン・ベーン(イギリス) 文学賞 - ガブリエル・ガルシア=マルケス(コロンビア) 平和賞 - アルバ・ライマル・ミュルダール(スウェーデン)、アルフォンソ・ガルシア・ロブレス(メキシコ) 経済学賞 - ジョージ・スティグラー(アメリカ) フィクションのできごと 2月 - ゴラスが地球に最接近する(『妖星ゴラス』)。 4月 - 真壁純平が大学に入学する(『東京エイティーズ』) 11月23日 - 共産国家「アルストツカ(Arstotzka)」の国境検問所が再開される。(『Papers, Please』) 12月6日 - 関東地区に新型爆弾が使用され、3度目の世界大戦が勃発。(『AKIRA』) 不明 - 猿間根博士、「電子脳」を改良し、人間型ロボットに備え付ける事に成功。同じ頃、ジェームス・ダルトン博士、プラスチックから人造皮膚を発明。(原作版『鉄腕アトム』) 不明 - 太陽系惑星が直列して地球に大規模な天変地異が起こると予測されていた。(『ウルトラマン80』22話) 不明 - マジシャン北野、自ら作った「マジックゾーン」を使った大奇術を行うも失敗、奇術に使った子供を負傷させる。北野は奇術界から追放され、妻子にも逃げられて失意のどん底と化し、2年後の1984年に「テンタクル」首領・プロフェッサーKがマジックゾーンを完成させ、同組織の悪の片棒を担がされる。(『星雲仮面マシンマン』第12話「子供が消えていく」) 不明 - モナークが地球に接近。地球人を絶滅させ、自らの種族を地球に置こうとする。(『ドクター・フー』) 不明 - ヒースロー空港を出発したコンコルドが1億4000万年前の地球へタイムスリップする。(『ドクター・フー』) 『復活の日』映画版 2月 - 東ドイツライプツィヒの陸軍細菌研究所からMM-88菌が持ち出されるが、アルプス山脈中で散逸。 4月 - 全世界でイタリア風邪が流行し始める。 7月 - 日本全土に戒厳令発令。 9月 - 米大統領が全南極基地に対して最後の演説。ガーランド統参議長、独断でARSを起動。 11月 - 南極会議発足。 脚注 注釈 出典 関連項目 年の一覧 年表 年表一覧
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1973%E5%B9%B4
1973年
この項目では、国際的な視点に基づいた1973年について記載する。 他の紀年法 干支:癸丑(みずのと うし) 日本(月日は一致) 昭和48年 皇紀2633年 中華民国(月日は一致) 中華民国暦62年 朝鮮民主主義人民共和国(月日は一致) 主体62年 仏滅紀元:2515年 - 2516年 イスラム暦:1392年11月26日 - 1393年12月6日 ユダヤ暦:5733年4月27日 - 5734年4月6日 Unix Time:94694400 - 126230399 修正ユリウス日(MJD):41683 - 42047 リリウス日(LD):142524 - 142888 ※主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国で1997年に制定された。 カレンダー できごと 1月 1月1日 - デンマーク、アイルランド、イギリスが欧州諸共同体に加盟。 1月2日 - 東京・両国の日大講堂で行われたプロボクシング・WBA世界フライ級タイトルマッチで、王者・大場政夫が挑戦者・チャチャイ・チオノイ(タイ)を12回KOで破り5度目の防衛に成功。 1月17日 - フィリピンのマルコス大統領によって新憲法発布、同時に戒厳令の無期限延長を発表。 1月22日 - 米最高裁が妊娠中絶を規制する米国内法の大部分を違憲無効とする判断を示す。(ロー対ウェイド事件) 1月23日 - キッシンジャーと黎徳寿、和平協定案に仮調印 1月25日 - 3週間前に5度目の防衛に成功したばかりのWBA世界フライ級王者、大場政夫が首都高速道路の新宿区新小川町付近で交通事故死(享年23)。現役世界王者のまま夭逝したため「永遠のチャンプ」の称号が与えられる。 1月27日 - ベトナム和平協定(翌28日発効)。 2月 2月14日 - 為替レート・1ドル=308円の固定相場制から、変動相場制に移行。スタートは、1ドル=277円。 3月 3月29日 - ベトナム戦争、アメリカ軍の最後の兵士が南ベトナムから撤退。 4月 4月4日 - ニューヨーク・ワールドトレードセンタービル(現:1 ワールドトレードセンター)グランドオープン。 4月29日 - ボードゲームのオセロが発売される(4月25日とする説もある)。 5月 5月14日 - スカイラブ計画として、スカイラブ1号が無人飛行で打ち上げ。 6月 6月3日 - Tu-144、パリ航空ショーにて墜落。 7月 7月10日 - バハマがイギリスより独立。 7月11日 - リオデジャネイロ発パリ行きのヴァリグ・ブラジル航空820便ボーイング707型機でパリのオルリー空港への着陸進入中火災が発生、不時着を試みたが滑走路端5キロの地点に墜落し乗員乗客135名中124名が死亡。→ヴァリグ・ブラジル航空820便墜落事故参照 7月20日 日本赤軍によるドバイ日航機ハイジャック事件発生。 香港の俳優で、カンフー映画の第一人者として知られたブルース・リーが死亡。 7月23日 - アメリカが地球観測衛星『ランドサット1号』を打ち上げる。 8月 8月8日 - 金大中事件。 8月23日 ニクソン米大統領がヘンリー・キッシンジャーを国務長官に指名。 ストックホルムで銀行立てこもり事件(ノルマルム広場強盗事件)が発生、犯罪被害者が犯人に過度の同情や共感をよせる現象を意味するストックホルム症候群という呼称の嚆矢となる。 9月 9月11日 - チリ・クーデター発生。 9月18日 - 国連総会において東西ドイツの国際連合加盟が承認される。 9月21日 - 日越国交樹立。 9月24日 - ギニアビサウが独立宣言。 10月 10月6日 - 第四次中東戦争 10月10日 - スピロ・アグニューが州知事時代の収賄容疑により、ジョン・カルフーン以来史上二人目の米副大統領辞任。 10月14日 - タイでクーデターが発生。(血の日曜日事件) 10月16日 - ベトナム和平への功績が認められ、ヘンリー・キッシンジャーとレ・ドゥク・トのノーベル平和賞受賞が決定。(トは辞退する) 10月17日 - 第四次中東戦争でオイルショック・モノ不足・大手商社の買い占め。 11月 11月3日 - NASAがマリナー10号を水星に向けて打ち上げ。 11月27日 - インド、ムンバイの病院で女性看護師がレイプの被害に遭い、植物状態になる。看護師は以後41年半意識を取り戻さないまま、2015年5月18日に死去した(参照)。 12月 12月 - 2児拉致事件 12月20日 - バスク分離主義者が政府によって処刑されたことに対する報復として、マドリードで首相のルイス・カレロ・ブランコを。 芸術・文化・ファッション 音楽 ミッシェル・ポルナレフ「忘れじのグローリア」「愛の伝説」 アルバート・ハモンド「カリフォルニアの青い空」 ローリング・ストーンズ 「悲しみのアンジー」 シカゴ 「愛の絆」「君と二人で」 T・レックス 「20センチュリー・ボーイ」「イージー・アクション」「ザ・グルーバー」 クール&ザ・ギャング 「ファンキー・スタッフ」 ジム・クロウチ 「リロイ・ブラウンは悪い奴」「タイム・イン・ア・ボトル」 マーヴィン・ゲイ 「レッツ・ゲット・イット・オン」 エルトン・ジョン「ダニエル」 ドーン「幸せの黄色いリボン」 ジョン・レノン「マインド・ゲームズ」 カーペンターズ「イエスタデイ・ワンス・モア」 1973年の映画 アメリカン・グラフィティ 最後の猿の惑星(原題:BATTLE FOR THE PLANET OF THE APES) ジャッカルの日 ジョニーは戦場へ行った スケアクロウ スティング 007 死ぬのは奴らだ LIVE AND LET DIE ブラザー・サン シスター・ムーン マクベス ミツバチのささやき 燃えよドラゴン Enter the Dragon(龍争虎闘) ロビン・フッド 1973年の文学 ベストセラー フレデリック・フォーサイス 『ジャッカルの日』 スポーツ 1973年のスポーツも参照 ボクシング 1月、ジョージ・フォアマン(37戦37勝34KO)が、WBA・WBC統一ヘビー級タイトルマッチで、29戦29勝のチャンピオン、ジョー・フレージャーを2RTKOで倒し王座を獲得した。 競馬(アメリカ) 三冠(6月9日) セクレタリアト 野球/大リーグ NBA 誕生 1月 1月3日 - 金敏宰、野球選手 1月8日 - ショーン・ポール、歌手 1月8日 - マイク・キャメロン、元メジャーリーガー 1月10日 - ゲーリー・ラス、元プロ野球選手 1月12日 - オリビエ・ペリエ、騎手 1月14日 - ジャンカルロ・フィジケラ、F1レーサー 1月15日 - オーレリー・デュポン、バレエダンサー 1月15日 - クリストファー・カンバーランド、元プロ野球選手 1月20日 - ルスラン・ゴンチャロフ、フィギュアスケート選手 1月22日 - ロジェリオ・セニ、サッカー選手 1月23日 - ニコラス・ペタス、空手家 1月28日 - タチアナ・マリニナ、フィギュアスケート選手 1月30日 - 笹本優子、声優 1月30日 - イ・ソジン、俳優 1月31日 - ポーシャ・デ・ロッシ、女優 2月 2月1日 - 大本眞基子、声優 2月1日 - オスカル・ペレス・ロハス、サッカー選手 2月2日 - サエキトモ、声優 2月4日 - ドナート・カブレラ、指揮者 2月4日 - オスカー・デ・ラ・ホーヤ、プロボクサー 2月5日 - 鄧亞萍、元卓球選手 2月7日 - 園崎未恵、声優 2月8日 - 川島得愛、声優 2月9日 - 増田ゆき、声優 2月11日 - 寺田はるひ、声優 2月11日 - チョン・ドヨン、女優 2月11日 - ヴァルグ・ヴィーケネス、ミュージシャン 2月12日 - 水樹洵、声優 2月12日 - タラ・ストロング、女優、声優 2月14日 - スティーブ・マクネア、アメリカンフットボール選手(+2009年) 2月16日 - ユン・ジョンファン、サッカー選手 2月18日 - イリーナ・ロバチェワ、フィギュアスケート選手 2月18日 - クロード・マケレレ、元サッカー選手 2月27日 - 内ヶ﨑茂、コンサルタント 2月26日 - オーレ・グンナー・スールシャール、元サッカー選手、サッカー指導者 2月26日 - アンダース・ビョーラー、ミュージシャン 2月26日 - ヨナス・ビョーラー、ミュージシャン 2月26日 - マーシャル・フォーク、アメリカンフットボール選手 3月 3月1日 - クリス・ウェバー、元バスケットボール選手 3月1日 - ライアン・ピーク、ミュージシャン(ニッケルバックのギタリスト) 3月2日 - 宋志晩、野球選手 3月5日 - フェリペ・クレスポ、元プロ野球選手 3月5日 - ライアン・フランクリン、元メジャーリーガー 3月6日 - マイケル・フィンリー、バスケットボール選手 3月9日 - クリストファー・ニコースキー、プロ野球選手 3月9日 - アーロン・ブーン、メジャーリーガー 3月10日 - ダン・スワノ、ミュージシャン、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア 3月10日 - クリス・サットン、元サッカー選手 3月13日 - エドガー・ダーヴィッツ、元サッカー選手、サッカー指導者 3月14日 - パット・フリューリー、元プロ野球選手 3月15日 - 橘U子、声優 3月20日 - ユーリス・ラザグリアエフ、フィギュアスケート選手 3月23日 - ジェイソン・キッド、バスケットボール選手 3月24日 - 丹下桜、声優 3月25日 - アンダース・フリーデン、ミュージシャン (イン・フレイムス) 3月25日 - ジョディ・ハーラー、野球選手 3月29日 - マルク・オーフェルマルス、元サッカー選手 3月30日 - ヤン・コレル、元サッカー選手 4月 4月2日 - マーク・クルーン、プロ野球選手 4月4日 - ロリス・カピロッシ、オートバイレーサー 4月5日 - 趙成珉、元プロ野球選手(+ 2013年) 4月5日 - ファレル・ウィリアムス、ミュージシャン、ファッションデザイナー 4月8日 - ボビー・オロゴン、タレント、格闘家 4月9日 - グラウベ・フェイトーザ、極真空手の選手 4月10日 - ロベルト・カルロス、元サッカー選手、サッカー指導者 4月11日 - トミ・コイヴサーリ、ヘヴィメタル・ミュージシャン 4月12日 - クリスティアン・パヌッチ、元サッカー選手 4月12日 - デイモン・アレン、フィギュアスケート選手 4月14日 - ロベルト・アジャラ、元サッカー選手 4月15日 - ペドロ・ラソ、野球選手 4月18日 - ハイレ・ゲブレセラシェ、陸上選手 4月24日 - カルロス・ミラバル、元プロ野球選手 4月28日 - ラファエル・オレラーノ、元プロ野球選手 5月 5月3日 - ルイス・ミゲル・ロドリゲス、元野球選手 5月6日 - マイク・キンケード、元プロ野球選手 5月8日 - 張智成(ゼット・チャン)、歌手 5月10日 - ジェーン・スー、作詞家 コラムニスト 5月10日 - リュシュテュ・レチベル、元サッカー選手 5月19日 - ダリオ・フランキッティ、レーシングドライバー 5月22日 - フリアン・タバレス、元メジャーリーガー 5月22日 - ブレンダン・キングマン、野球選手 5月23日 - エンペラー・マグス・カリグラ、ミュージシャン 5月24日 - ラモン・オルティズ、元プロ野球選手 5月24日 - バートロ・コローン、元メジャーリーガー 5月26日 - クリス・レイサム、元プロ野球選手 6月 6月4日 - デビッド・ランドクィスト、元プロ野球選手 6月7日 - ソン・ユナ、女優 6月12日 - 斎賀みつき、声優 6月18日 - かかずゆみ、声優 6月22日 - 関裕通、政治家 6月24日 - トッド・ベッツ、元プロ野球選手 6月24日 - ケビン・ホッジス、元プロ野球選手 6月25日 - 鄭世真、KBSアナウンサー 6月27日 - オルヴェ・エイケモ、ミュージシャン 6月28日 - フロスト、ミュージシャン 6月29日 - ペドロ・バルデス、元プロ野球選手 6月29日 - 朴賛浩、元プロ野球選手 6月30日 - フランク・ロスト、元サッカー選手 7月 7月4日 - アンジェリカ・クリロワ、フィギュアスケート選手 7月9日 - 今村直樹、声優 7月12日 - クリスティアン・ヴィエリ、元サッカー選手 7月12日 - エレーナ・レオノワ、フィギュアスケート選手 7月19日 - アイウトン、サッカー選手 7月20日 - ヴェサ・ランタ、音楽家、写真家、グラフィックデザイナー 7月21日 - ブライアン・ブキャナン、元プロ野球選手 7月21日 - マンディ・ベッツェル、フィギュアスケート選手 7月22日 - マイク・スウィーニー、メジャーリーガー 7月23日 - ノマー・ガルシアパーラ、元メジャーリーガー 7月23日 - モニカ・ルインスキー、実業家 7月24日 - フェリックス・ペルドモ、元プロ野球選手 7月25日 - ギレルモ・モタ、メジャーリーガー 7月25日 - ケニー・ロバーツ・ジュニア、オートバイレーサー 7月25日 - ケヴィン・フィリップス、サッカー選手 7月25日 - ドミトリー・ドミトレンコ、フィギュアスケート選手 8月 8月9日 - フィリッポ・インザーギ、元サッカー選手 8月10日 - ハビエル・サネッティ、サッカー選手 8月14日 - ジェイジェイ・オコチャ、元サッカー選手 8月14日 - ハレド・ボルヘッティ、サッカー選手 8月19日 - マルコ・マテラッツィ、サッカー選手 8月22日 - 、歌手(バックストリート・ボーイズ) 8月24日 - アルキメデス・ポゾ、元プロ野球選手 9月 9月6日 - カルロ・クディチーニ、サッカー選手 9月8日 - ボブ・ウォルコット、元プロ野球選手 9月11日 - トム・デイビー、プロ野球選手 9月12日 - ポール・ウォーカー、俳優(+ 2013年) 9月13日 - クリスティーン・アーロン、陸上選手 9月13日 - 陳連宏、野球選手 9月13日 - ファビオ・カンナヴァーロ、元サッカー選手 9月13日 - フィリップ・デュレボーン、フィギュアスケート選手 9月14日 - 金鍾国、野球選手 9月14日 - ナズ、ラッパー 9月14日 - アンドリュー・リンカーン、俳優 9月15日 - 藤谷美紀、女優 9月21日 - オスワルド・サンチェス、サッカー選手 9月22日 - 趙宏博、フィギュアスケート選手 9月22日 - ボブ・サップ、格闘家 9月23日 - レネ・ローゼ、フィギュアスケート選手 10月 10月1日 - 金宣兒、女優 10月2日 - スコット・ショーエンワイス、元メジャーリーガー 10月5日 - ルイス・ロペス、元プロ野球選手 10月5日 - 陳文賓、元プロ野球選手 10月7日 - サミ・ヒーピア、元サッカー選手、サッカー指導者 10月7日 - ジーダ、サッカー選手 10月11日 - 金城武、俳優 10月11日 - 阪口大助、声優 10月13日 - 天神英貴、声優 10月13日 - マット・ヒューズ、元総合格闘家 10月18日 - ジョン・ボルドウィン、フィギュアスケート選手 10月21日 - ブライアン・コーリー、メジャーリーガー 10月21日 - レーラ・アウエルバッハ、作曲家、ピアニスト、作家 10月22日 - イチロー、元プロ野球選手 10月25日 - 小笠原道大、元プロ野球選手 10月27日 - セミー・シュルト、K-1選手 10月27日 - ジェーソン・ジョンソン、メジャーリーガー 10月29日 - ロベール・ピレス、元サッカー選手 10月30日 - シルビア・コルソ、ニュースキャスター 10月30日 - エッジ、WWEのプロレスラー 11月 11月3日 - ミック・トムソン、ギタリスト、(スリップノット) 11月3日 - サントス・ヘルナンデス、元マイナーリーガー 11月5日 - ジョニー・デイモン、元メジャーリーガー 11月6日 - 宍戸留美、声優 11月7日 - マルティン・パレルモ、サッカー選手 11月8日 - 磯崎亜紀子、元女優 11月8日 - エドガルド・アルフォンゾ、元メジャーリーガー 11月10日 - マルコ・ロドリゲス、サッカー審判 11月12日 - ラダ・ミッチェル、女優 11月14日 - ルーベン・リベラ、元メジャーリーガー 11月17日 - アレクセイ・ウルマノフ、フィギュアスケート選手 11月22日 - 狩俣倫太郎、琉球放送アナウンサー 11月24日 - 岩田まこ都、フリーアナウンサー 11月25日 - オクタビオ・ドーテル、元メジャーリーガー 11月26日 - ジョン・ジマーマン、フィギュアスケート選手 11月26日 - 高木礼子、声優 11月27日 - ジェイソン・ベバリン、元プロ野球選手 11月27日 - トゥイスタ、ヒップホップMC 11月29日 - ライアン・ギグス、サッカー選手 11月30日 - 澤田博幸、声優 12月 12月1日 - 中川亜紀子、声優 12月2日 - サイモン猪木、新日本プロレス元社長 12月4日 - フェリー・コーステン、DJ 12月7日 - 藤本たかひろ、声優 12月8日 - コリィ・テイラー、ヴォーカル、(スリップノット)、(ストーン・サワー) 12月9日 - トニー・バティスタ、メジャーリーガー 12月11日 - アンディ・トレーシー、元プロ野球選手 12月15日 - スルヤ・ボナリー、フィギュアスケート選手 12月17日 - ポーラ・ラドクリフ、マラソン選手 12月17日 - フレディ・エレーラ、元野球選手 12月18日 - イリヤ・アベルブフ、フィギュアスケート選手 12月26日 - 中川里江、声優 12月27日 - ベルト・アッペルモント、作曲家 12月29日 - トマス・ペレス、元メジャーリーガー 12月31日 - カイ・ハフト、ヘヴィメタル・ミュージシャン 死去 ノーベル賞 物理学賞 - 江崎玲於奈(日本)、アイヴァー・ジェーバー(アメリカ)、ブライアン・ジョセフソン(イギリス) 化学賞 - エルンスト・フィッシャー(ドイツ)、ジェフリー・ウィルキンソン(イギリス) 生理学・医学賞 - カール・フォン・フリッシュ(ドイツ)、コンラート・ローレンツ(オーストリア)、ニコ・ティンバーゲン(イギリス) 文学賞 - パトリック・ホワイト(オーストラリア) 平和賞 - ヘンリー・キッシンジャー(アメリカ)、レ・ドゥク・ト(ベトナム) 経済学賞 - ワシリー・レオンチェフ(アメリカ) フィクションのできごと 2月1日 - ウィリー・ウォンカが、自らのチョコレート工場に5名の少年少女を招待する。(小説『チョコレート工場の秘密』) 2月10日 - 風見志郎の両親と妹がデストロンの怪人ハサミジャガーによって惨殺される(TV『仮面ライダーv3』)。 2月 - アメリカ合衆国が地球軌道上に打ち上げた「宇宙ホテルUSA」が、惑星「害星」から来訪した害獣「クニッド」に占拠される。(小説『』) 4月19日 - 異星起源種「BETA」の着陸ユニットが新疆ウイグル自治区喀什に落下し、オリジナルハイヴの建造を開始するとともに西方への侵攻を開始。中ソ連合軍による反撃は当初優勢に推移するが、光線属種のBETAの出現により航空戦力が封じられると形勢は逆転し、戦術核による焦土作戦に至るも効果はなく終わる。(ゲームほか『マブラヴ』シリーズ) 夏 - 秋 - スペインの太平洋岸沖の海底から発掘された巨大な石盤と、神戸市の花崗岩丘陵で発見された石室に、「神」が用いる「古代文字」が刻まれているのが発見されるが、双方ともに霊感応者アーサー・ジャクスンの手によって破壊される。(小説『神狩り』) 12月3日 - 惑星探査機「パイオニア10号」が撮影した画像によって、木星の衛星エウロパの南半球に刻まれた巨大な鉤十字型のシンボルが発見され、地球外知的生命体の存在を示す証拠と判断される。その後、この発見は極秘大統領令によって最高機密に指定される。(小説『』) 12月6日 - アメリカ合衆国ペンシルベニア州で14歳のスージー・サーモンが行方不明になる。後に隣人のジョージ・ハーベイが関与していることが判明するが、犯人は逃亡後に事故死。(映画『ラブリーボーン』) 国連のウィザード(A級ハッカー)の侵入により、月の内部に存在するエネルギー蓄積体「ムーンセル・オートマトン」の存在が公式に判明。その後、ムーンセルは異星文明が遺した演算装置であると判断される。(ゲーム『Fate/EXTRA』『Fate/EXTELLA』ほか) 中国人民解放軍による地球外知的生命体探査が行われていた大興安嶺の紅岸基地にて、探査監視システムがケンタウルス座アルファ星系の知的文明「三体世界」の平和主義者による、紅岸基地から地球外文明へ送信されたメッセージに対しての警告を受信する。(小説『三体』) コーネリアス、ジーラ、マイロを乗せた宇宙船がアメリカに到着。(映画『新・猿の惑星』) グローバル・ケミカル社の廃坑にて、数千匹の巨大なウジが発見される。(ドラマ『ドクター・フー』) ソンターランが宇宙船修繕のため科学者を拉致する。(ドラマ『ドクター・フー』) BETAの地球侵攻を受け、月でBETAと戦われていた「第一次月面戦争」が、月面基地「プラトー1」の放棄および国連航空宇宙総軍の月からの全面撤退という形で終結する。(ゲームほか『マブラヴ』シリーズ) 地球人の地球外進出を妨害する宇宙人に対抗すべく、超国家的な太陽系宇宙軍(SCF)が秘密裏に創設される。(小説『妖精作戦』) 人間の母親から動物の子が生まれる「胎児異変」が世界中で発生。発生率は100パーセント近くにまで上昇し、100年以内に人類は滅亡すると予測される。これを受け、日本を含む世界各地で大恐慌が生じる。(漫画『わたしの赤ちゃん』) 脚注 注釈 出典 関連項目 年の一覧 年表 年表一覧
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2月11日
2月11日(にがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から42日目にあたり、年末まであと323日(閏年では324日)ある。 できごと 紀元前660年(神武天皇即位紀元元年1月1日) - 初代天皇・神武天皇が即位(『日本書紀』による。2月11日はグレゴリオ暦での日付)。日付は1873年に制定。 55年 - ローマ皇帝ネロが義弟ブリタンニクスを暗殺。 200年(建安5年1月9日) - 曹操打倒のクーデター計画が発覚して捕らえられた、董承ら一派とその三族が処刑。 1806年 - 小ピットの死をうけてウィリアム・グレンヴィルがイギリス首相に就任。 1812年 - マサチューセッツ州知事エルブリッジ・ゲリーが、自分の所属する政党に有利なように選挙区の区割りを変更。いびつな形からゲリマンダーと呼ばれる。 1814年 - ノルウェーがデンマーク=ノルウェーからの独立を宣言。 1840年 - ガエターノ・ドニゼッティのオペラ・コミック『連隊の娘』がパリで初演。 1843年 - ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『十字軍のロンバルディア人』がミラノで初演。 1855年 - テオドロス2世がエチオピア皇帝に即位。 1858年 - ルルドに聖母マリアが出現。 1869年(明治2年1月1日) - 三浦半島に日本初の洋式灯台である観音埼灯台が完成する。 1873年 - スペイン国王アマデオ1世が退位し、スペイン第一共和政が成立。 1875年 - 大阪会議が開かれる。 1889年 - 大日本帝国憲法・皇室典範などが公布。 1889年 - 伊勢神宮で不敬な態度をとったと報じられた文部大臣森有礼が、国粋主義者の士族・西野文太郎に刺される。翌日死亡。 1890年 - 金鵄勲章制定。 1903年 - アントン・ブルックナーの交響曲第9番がウィーンで初演。 1913年 - 大正政変: 桂太郎内閣が総辞職を表明。 1916年 - エマ・ゴールドマンが産児制限の指導をしたことにより投獄される。 1919年 - フリードリヒ・エーベルトがドイツ国の初代大統領に就任。 1922年 - 1粒300mがキャッチコピーのグリコが三越百貨店で発売される。 1928年 - 第2回冬季オリンピック、サンモリッツ大会開催。2月19日まで。 1929年 - ローマ教皇庁とムッソリーニ政権下のイタリア王国がラテラノ条約を締結。バチカン市国が成立。 1931年 - 三菱重工設立(三菱造船より改名) 1937年 - 文化勲章制定。 1938年 - BBCがカレル・チャペックの戯曲『R.U.R.』を原作としたテレビドラマを放送。世界初のSFドラマ。 1940年 - 皇紀2600年紀元節の詔書発布。日本全国の神社で祭礼が行われる。 1951年 - 居昌良民虐殺事件。 1959年 - 「紀元節奉祝建国祭大会」参加直後の右翼が、批判的発言をした三笠宮崇仁親王邸に押しかける。 1969年 - 江藤小三郎(憂国烈士、江藤新平の曾孫にして衆議院議員江藤夏雄の三男)が国会議事堂前で遺書「覚醒書」を残して焼身自殺。 1970年 - 東京大学宇宙航空研究所が5回目の打ち上げで人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功。日本初の人工衛星。 1971年 - 87か国が海底非核化条約に調印。 1975年 - マーガレット・サッチャーがイギリス保守党の党首に就任。イギリス初の女性党首。 1977年 - 革労協書記長内ゲバ殺人事件。 1979年 - ルーホッラー・ホメイニー率いる革命軍が首都・テヘランを掌握。イラン革命政権が成立。 1979年 - 西鉄福岡市内線が全廃。 1986年 - ホテル大東館火災。 1990年 - 南アフリカ共和国で政治犯として捕えられていたアフリカ民族会議の最高指導者ネルソン・マンデラが釈放される。 1995年 - 安房峠道路水蒸気爆発事故。4人死亡。 1998年 - 長野オリンピックのモーグル女子決勝で里谷多英が優勝。冬季大会で日本人女子初の金メダル。 2000年 - 宮城県山元町にある、社台レースホース山元トレーニングセンターの中の厩舎から出火し、小田切有一所有馬エガオヲミセテなど現役競走馬22頭が焼死。 2006年 - 東京都渋谷区神宮前の表参道の同潤会青山アパート跡地に表参道ヒルズが開業。 2007年 - 韓国・麗水市で麗水外国人保護所火災事故発生。 2011年 - エジプト革命 : ホスニー・ムバーラクが大統領を辞任。 2018年 - サラトフ航空703便墜落事故が発生。 日本の自治体改編 1920年 - 愛媛県今治市が市制施行。 1929年 - 岡山県津山市が市制施行。 1933年 - 千葉県銚子市、宮崎県延岡市が市制施行。 1934年 - 埼玉県浦和市(現在のさいたま市の一部)が市制施行。 1935年 - 愛媛県八幡浜市が市制施行。 1937年 - 滋賀県彦根市が市制施行。 1940年 - 兵庫県飾磨市(現在の姫路市の一部)・洲本市、鹿児島県川内市(現在の薩摩川内市の一部)が市制施行。 1941年 - 岩手県宮古市が市制施行。 1942年 - 長崎県大村市、熊本県人吉市が市制施行。 1947年 - 北海道網走市が市制施行。 1954年 - 茨城県石岡市、栃木県日光市が市制施行。 1955年 - 静岡県御殿場市が市制施行。 1956年 - 奈良県橿原市が市制施行。 2005年 - 青森県つがる市、熊本県阿蘇市が市制施行。 2005年 - 滋賀県八日市市ほかが合併して東近江市が発足。 2006年 - 福岡県宮若市が市制施行。 誕生日 1380年 - ポッジョ・ブラッチョリーニ、ルネサンス期の人文主義者(+ 1459年) 1494年(明応3年1月6日) - 武田信虎、戦国大名(+ 1574年) 1535年 - グレゴリウス14世、ローマ教皇(+ 1591年) 1657年 - ベルナール・フォントネル、著述家(+ 1757年) 1661年(万治4年1月22日) - 松平近貞、豊後国府内藩主(+ 1757年) 1745年(延享2年1月11日) - 伊能忠敬、測量家(+ 1818年) 1767年(万治4年1月13日) - 堀直方、越後国村松藩主(+ 1805年) 1776年 - イオアニス・カポディストリアス、政治家(+ 1831年) 1778年(安永7年1月15日) - 帆足万里、儒学者、経世家(+ 1852年) 1800年 - ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット、写真技術の先駆者(+ 1877年) 1815年 - ジョン・アップルトン、政治家、外交官(+ 1864年) 1821年 - オギュスト・マリエット、考古学者(+ 1881年) 1839年 - ウィラード・ギブズ、物理学者(+ 1903年) 1847年 - トーマス・エジソン、発明家(+ 1931年) 1852年(嘉永5年1月22日) - 本多忠伸、陸奥国泉藩主(+ 1903年) 1855年 - エーリック・ヴァーレンショルド、画家(+ 1938年) 1862年(文久2年1月13日) - 有栖川宮威仁親王、近代の皇族(+ 1913年) 1867年(慶応3年1月7日) - 上田萬年、国語学者(+ 1937年) 1868年(明治元年1月18日) - 狩野直喜、中国文学者(+ 1947年) 1869年 - エルゼ・ラスカー=シューラー、詩人(+ 1945年) 1872年(明治5年1月3日) - 築田多吉、看護師(+ 1958年) 1874年 - 内田良平、国家主義者(+ 1937年) 1879年 - 安藤紀三郎、陸軍軍人(+ 1954年) 1881年 - カルロ・カッラ、画家(+ 1966年) 1883年 - 小林古径、日本画家(+ 1957年) 1887年 - 折口信夫、民俗学者、国文学者(+ 1953年) 1889年 - 清水金太郎、声楽家(+ 1932年) 1890年 - 岡敬純、海軍軍人(+ 1973年) 1898年 - 辻吉之助、ヴァイオリニスト(+ 1985年) 1898年 - 島田芳文、作詞家(+ 1973年) 1898年 - レオ・シラード、物理学者(+ 1964年) 1899年 - 山手樹一郎、小説家(+ 1978年) 1900年 - 戸田城聖、創価学会創設者(+ 1958年) 1900年 - ハンス・ゲオルク・ガダマー、哲学者(+ 2002年) 1902年 - アルネ・ヤコブセン、建築家、デザイナー(+ 1971年) 1904年 - リュシル・ランドン、世界最高齢者 1908年 - 笹村草家人、彫刻家(+ 1975年) 1908年 - 勝間田清一、政治家(+ 1989年) 1909年 - ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ、映画監督(+ 1993年) 1912年 - 丸木俊、洋画家(+ 2000年) 1912年 - ルドルフ・フィルクスニー、ピアニスト、作曲家(+ 1994年) 1913年 - 渡辺敏夫、プロ野球選手(+ 没年不詳) 1915年 - リチャード・ハミング、数学者、計算機科学者(+ 1998年) 1917年 - シドニィ・シェルダン、小説家(+ 2007年) 1918年 - 池部良、俳優、随筆家(+ 2010年) 1921年 - エドワード・G・サイデンステッカー、翻訳家(+ 2007年) 1921年 - コリンヌ・リュシェール、女優(+ 1950年) 1921年 - 中田金一、プロ野球選手(+ 2008年) 1926年 - ポール・ボキューズ、フランス料理のシェフ(+ 2018年) 1926年 - レスリー・ニールセン、俳優(+ 2010年) 1926年 - 大沢紀三男、プロ野球選手(+ 2003年) 1927年 - 末吉俊信、プロ野球選手(+ 2016年) 1928年 - 田宮謙次郎、プロ野球選手(+ 2010年) 1931年 - 小林武史 、ヴァイオリニスト 1931年 - 中西妙子、声優 1934年 - ジョン・サーティース、レーシングドライバー(+ 2017年) 1934年 - マヌエル・ノリエガ、パナマの国家元首(+ 2017年) 1934年 - マリー・クヮント、ファッションデザイナー 1935年 - ジーン・ヴィンセント、ミュージシャン(+ 1971年) 1936年 - 山口昌紀、近畿日本鉄道社長・会長(+ 2017年) 1936年 - 一井淳治、政治家 1936年 - 坂部恵、哲学者(+ 2009年) 1936年 - バート・レイノルズ、俳優 1936年 - 小島武夫、プロ雀士 1937年 - 野添ひとみ、女優(+ 1995年) 1938年 - 大木利男、元プロ野球選手 1939年 - ジェイン・ヨーレン、児童文学作家 1939年 - 土肥隆一、政治家(+ 2016年) 1940年 - 小野ヤスシ、タレント(+ 2012年) 1940年 - 唐十郎、劇作家 1940年 - 有本欽隆、声優(+ 2019年) 1940年 - 魚住汎英、政治家 1941年 - 瀧安治、プロ野球選手(+ 2003年) 1941年 - 大沢悠里、アナウンサー 1941年 - セルジオ・メンデス、ミュージシャン 1942年 - オーティス・クレイ、ソウル・シンガー(+ 2016年) 1942年 - 伊藤博文、元プロ野球選手 1943年 - 山田昇、ヤマダ電機創業者 1944年 - クロード・チアリ、ギタリスト 1944年 - 清水綋治、俳優 1946年 - 井脇ノブ子、政治家、教育者 1947年 - 鳩山由紀夫、政治家、第93代内閣総理大臣 1947年 - 松岡きっこ、タレント 1947年 - 布川ゆうじ、アニメーション演出家 (+ 2022年) 1948年 - 桂宮宜仁親王、皇族、三笠宮家の二男(+ 2014年) 1948年 - 渡海紀三朗、政治家 1949年 - ベン・オグリビー、元プロ野球選手 1952年 - 木曽功、内閣官房参与、元ユネスコ政府代表部特命全権大使 1953年 - たいらいさお、歌手(『おかあさんといっしょ』3代目うたのおにいさん) 1954年 - 清水和夫、自動車評論家 1955年 - 益田由美、元アナウンサー 1957年 - 土田義晴、絵本作家 1957年 - ピーター・クラスホースト、画家、彫刻家、写真家 1957年 - 織田淳太郎、作家 1959年 - 井上紀良、漫画家 1959年 - 岡田惠和、脚本家 1959年 - ロベルト・モレノ、F1レーサー 1959年 - 準・メルクル、指揮者 1962年 - シェリル・クロウ、ミュージシャン 1963年 - 棚橋泰文、政治家 1964年 - 浅尾慶一郎、政治家 1964年 - サラ・ペイリン、政治家、第11代アラスカ州知事 1964年 - ケン・シャムロック、総合格闘家、プロレスラー 1965年 - 栗林誠一郎、シンガーソングライター、作曲家 1965年 - 佐藤可士和、クリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナー 1966年 - 依田紀基、囲碁棋士 1966年 - 石渡康浩、俳優 1966年 - 川本克彦、声優 1966年 - 中村大伸、野球選手 1969年 - 小畑健、漫画家、イラストレーター 1969年 - ジェニファー・アニストン、俳優 1969年 - 長谷川祥之、サッカー選手 1969年 - 永野あかね、漫画家 1970年 - 青山裕次、ミュージカル俳優 1972年 - 緒川たまき、女優 1972年 - 松井亮、ミュージシャン(the brilliant green) 1972年 - スティーブ・マクマナマン、サッカー選手 1972年 - ヤマグチノボル、 作家(+ 2013年) 1973年 - 七緒はるひ、声優 1973年 - ヴァルグ・ヴィーケネス、ミュージシャン 1974年 - 代田建紀、元プロ野球選手 1974年 - ディアンジェロ、ミュージシャン 1975年 - レイニエル・ジェロ、野球選手 1976年 - 山本モナ、アナウンサー、キャスター 1976年 - 内田也哉子、エッセイスト 1976年 - リカルド・ペレイラ、サッカー選手 1977年 - ホリ、ものまねタレント 1977年 - 小島邦裕、俳優 1977年 - 室伏由佳、陸上競技選手 1977年 - 金折知則、騎手 1977年 - マイク・シノダ、歌手(リンキン・パーク) 1978年 - 田内裕一、声優 1978年 - 宇野祥平、俳優 1979年 - ミチェル・エンリケス、野球選手 1979年 - ブランディ、シンガーソングライター 1980年 - マット・リンドストロム、プロ野球選手 1980年 - マーク・ブレッシアーノ、サッカー選手 1980年 - ゆうまお、シンガーソングライター 1980年 - 藤井悠、タレント 1980年 - サカモト教授、ミュージシャン 1981年 - 嶋恭輔、俳優、ファッションモデル 1981年 - 森田まりこ、お笑いタレント 1981年 - ケリー・ローランド、シンガーソングライター 1982年 - 上杉周大、ミュージシャン、タレント(THE TON-UP MOTORS) 1983年 - eri、ミュージシャン、デザイナー 1983年 - ラファエル・ファン・デル・ファールト、サッカー選手 1984年 - 出水麻衣、TBSアナウンサー 1984年 - 深山ジュン、タレント 1986年 - 清田育宏、プロ野球選手 1987年 - 朝倉えりか、女優、タレント 1987年 - 金井貴史、お笑いタレント 1987年 - ダニーロ・デヘスス、プロ野球選手 1988年 - 明日香、元歌手(元スパークリング☆ポイント) 1988年 - 三津谷亮、俳優 1989年 - クタイ・エルヨルダシュ、フィギュアスケート選手 1990年 - ファン・チャンソン、アイドル(2PM) 1990年 - サラ・アーノルド、フィギュアスケート選手 1990年 - Ara、女優 1990年 - アレッサンドロ・ピッティン、ノルディック複合選手 1990年 - エットーレ・メンディチーノ、サッカー選手 1991年 - 石川真衣、バスケットボール選手 1991年 - たくろー、お笑いタレント(ヒノトリ) 1991年 - 遠谷比芽子、タレント 1991年 - 無良崇人、フィギュアスケート選手 1991年 - 我妻三輪子、ファッションモデル 1991年 - ローレント・デュバニーターディフ、アメリカンフットボール選手 1992年 - 岸井ゆきの、女優 1993年 - イ・デヨル、アイドル(Golden Child) 1994年 - ダンズビー・スワンソン、プロ野球選手 1994年 - 鈴木武蔵、サッカー選手 1996年 - 木﨑ゆりあ、アイドル(元AKB48) 1997年 - 志田友美、ファッションモデル、元アイドル(元夢みるアドレセンス) 1998年 - カリード、歌手 1999年 - 田川亨介、サッカー選手 1999年 - DINO、アイドル(SEVENTEEN) 2000年 - 四谷真佑、アイドル(OCTPATH) 2002年 - 森元流那、タレント、YouTuber 2002年 - 三浦龍司、陸上選手 生年不明-うごくちゃん、youtuber、歌手 生年不明 - 藤沼建人、声優 生年不明 - 松江名俊、漫画家 生年不明 - なな茶、グラビアタレント、TikToker 忌日 200年(建安5年1月9日) - 董承、車騎将軍(* 生年不詳) 641年 - ヘラクレイオス、東ローマ帝国皇帝(* 575年頃) 1160年(永暦元年1月3日) - 源義朝、河内源氏の武将(* 1123年) 1232年(寛喜4年1月19日) - 明恵、僧侶、華厳宗中興の祖(* 1173年) 1503年 - エリザベス・オブ・ヨーク、イングランド王ヘンリー7世の王妃(* 1466年) 1586年 - アウグスト、ザクセン選帝侯(* 1526年) 1650年 - ルネ・デカルト、哲学者(* 1596年) 1762年 - ヨハン・トビアス・クレープス、作曲家(* 1690年) 1795年 - カール・ミカエル・ベルマン、詩人(* 1740年) 1811年(文化8年1月18日) - 稲村三伯、蘭学者(* 1758年) 1813年 - アンデルス・エーケベリ、化学者(* 1767年) 1844年(天保14年12月23日) - 為永春水、戯作者(* 1790年) 1868年 - レオン・フーコー、物理学者(* 1819年) 1882年 - フランチェスコ・アイエツ、画家(* 1791年) 1900年 - 談洲楼燕枝 (初代)、落語家(* 1837年) 1904年 - ウラジミール・マルコフニコフ、化学者(* 1838年) 1920年 - 浜野昇、医師、衆議院議員(* 1854年) 1924年 - ジャック・レーブ、実験物理学者(* 1859年) 1929年 - ヨーハン2世、リヒテンシュタイン大公(* 1840年) 1931年 - チャールズ・アルジャーノン・パーソンズ、技術者、蒸気タービン開発者(* 1854年) 1937年 - ウォルター・バーリー・グリフィン、建築家(* 1876年) 1939年 - フランツ・シュミット、作曲家(* 1874年) 1947年 - 門脇誠一郎、柔道家(* 1886年) 1948年 - セルゲイ・エイゼンシュテイン、映画監督(* 1898年) 1950年 - カイカイ・カイラー、プロ野球選手(* 1898年) 1956年 - セルゲイ・ニコラエヴィッチ・ブラッコ、天文学者(* 1870年) 1960年 - 野村茂久馬、実業家(* 1870年) 1963年 - 西村伊作、教育者、文化学院創立者(* 1884年) 1963年 - シルヴィア・プラス、詩人(* 1932年) 1964年 - 田中百畝、実業家(* 1901年) 1968年 - ピティリム・ソローキン、社会学者(* 1889年) 1969年 - 江藤小三郎、思想家、社会運動家、陸上自衛官(* 1945年) 1973年 - ヨハネス・ハンス・イェンゼン、物理学者(* 1907年) 1975年 - 夏目伸六、随筆家(* 1908年) 1978年 - 江田孝、プロ野球選手(* 1923年) 1981年 - 市川房枝、政治家(* 1893年) 1982年 - 志村喬、俳優(* 1905年) 1982年 - カラ・カラーエフ、作曲家(* 1918年) 1984年 - 小金義照、政治家(* 1898年) 1985年 - ヘンリー・ハサウェイ、映画監督、映画プロデューサー(* 1898年) 1986年 - フランク・ハーバート、SF作家(* 1920年) 1986年 - 遠山信二、指揮者(* 1923年) 1989年 - レオン・フェスティンガー、心理学者(* 1919年) 1994年 - ポール・ファイヤアーベント、科学哲学者(* 1924年) 1997年 - 小島禎二、プロ野球選手(* 1927年) 1998年 - クスタ・インケリ、数学者(* 1908年) 2000年 - ロジェ・ヴァディム、映画監督、プロデューサー、脚本家、俳優、ジャーナリスト(* 1928年) 2001年 - 大埜正雄、サッカー選手(* 1923年) 2002年 - フランキー・クロセッティ、プロ野球選手(* 1910年) 2004年 - 高木均、俳優、声優(* 1925年) 2006年 - ピーター・ベンチリー、小説家(* 1940年) 2006年 - ケン・フレッチャー、テニス選手(* 1940年) 2007年 - 細田吉蔵、政治家(* 1912年) 2007年 - 衣笠駿雄、第9代陸上幕僚長(* 1915年) 2007年 - マリアンネ・フレデリクセン、作家(* 1927年) 2008年 - 中村寅吉、ゴルファー(* 1915年) 2008年 - トム・ラントス、アメリカ合衆国下院議員(* 1928年) 2008年 - 野々村一男、彫刻家(* 1906年) 2010年 - 玉置宏、司会者、アナウンサー(* 1933年) 2012年 - ホイットニー・ヒューストン、歌手、俳優(* 1963年) 2013年 - 殊能将之、推理作家(* 1964年) 2016年 - ケビン・ランデルマン、総合格闘家、プロレスラー(* 1971年) 2017年 - 谷口ジロー、漫画家(* 1947年) 2020年 - 野村克也、プロ野球選手、監督(* 1935年) 記念日・年中行事 建国記念の日(、1966年 - ) 国民の祝日の一つ。日本の建国神話で、紀元前660年に神武天皇が初めて即位し日本(大日本帝国、日本国)を建国したとされる日。 紀元節(、1873年 - 1948年) かつての祝祭日の中の四大節の一つ。戦後廃止され、建国記念の日として再制定された。 イスラム革命記念日() 1979年のこの日、ルーホッラー・ホメイニー率いる革命軍が首都・テヘランを掌握しイラン革命政権が成立した。 () 文化勲章制定記念日() 1937年2月11日に文化勲章が制定されたことに由来。 万歳三唱の日() 1889年、大日本帝国憲法発布の祝典ではじめて万歳三唱が行なわれたことを記念して制定。天皇への祝意を表すものとして明治政府が万歳を奨励。 世界病者の日(World Day of the Sick)(カトリック) ルルドの聖母の祝日(カトリック) 鬼祭 安久美神戸神明社(豊橋神明社・愛知県豊橋市)の例祭の本祭日。 江包・大西の御綱(・桜井市) 重要無形民俗文化財、元は旧暦1月10日に行われていた。 出雲そばの日(・島根県出雲市・松江市) 信濃国松本藩の城主だった松平直政が3代将軍徳川家光から出雲国松江藩への国替えを命じられ、松平が松本からそば職人をともなって来たことから出雲松江地方にそばが伝わったとされ、今の出雲そばにつながっている。この国替えを命じられた1638年(寛永15年)2月11日にちなみ出雲市と松江市のそば組合で結成した「出雲そばの日記念日登録実行委員会」が2022年に日本記念日協会に申請し登録された。 信教の自由を守る日() 1966年に紀元節が「建国記念の日」として復活させられた事に抗議し、キリスト教諸教派で1967年に制定。 科学における女性と女児の国際デー(International Day of Women and Girls in Science)(ユネスコ、国際連合女性機関) 2015年制定。 フィクションのできごと 誕生日(フィクション) 1971年 - 守村悠季、小説『富士見二丁目交響楽団』に登場する主人公 1976年 - 南空ナオミ、漫画・アニメ『DEATH NOTE』に登場するキャラクター(+ 2004年) 生年不明 - 浅野風香、ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター 生年不明 - 雨取千佳、漫画『ワールドトリガー』に登場するキャラクター 生年不明 - 和泉、漫画・アニメ『可愛いだけじゃない式守さん』に登場するキャラクター 生年不明 - 岩本樹、ゲーム・アニメ『ガールフレンド(仮)』に登場するキャラクター 生年不明 - 剣持文伽、漫画・アニメ『ナナマル サンバツ』に登場するキャラクター 生年不明 - シグレ、漫画『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター 生年不明 - 砕蜂、漫画・アニメ『BLEACH』に登場するキャラクター 生年不明 - ライトっち、ゲーム・アニメ『たまごっち ゆめキラドリーム』に登場するキャラクター 生年不明 - 日本(本田菊)、漫画、アニメ『Axis powers ヘタリア』に登場するキャラクター 生年不明 - 柳レイ子、漫画・アニメ『僕のヒーローアカデミア』に登場するキャラクター 出典 関連項目 新聞休刊日
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井上陽水
井上 陽水(いのうえ ようすい、1948年〈昭和23年〉8月30日 - )は、日本のシンガーソングライター。本名は、表記は同じで読みが「いのうえ あきみ」。旧芸名:アンドレ・カンドレ。福岡県嘉穂郡幸袋町(現:福岡県飯塚市幸袋)生まれ・福岡県田川郡糸田町育ち。血液型はAB型。 概要 1969年に「アンドレ・カンドレ」としてデビュー。1971年に本名の井上陽水として再デビュー。1970年代には吉田拓郎と並んでフォーク、ニュー・ミュージック界を牽引。その後も現在に至るまで第一線で活躍を続ける、日本を代表するシンガー・ソングライターの一人。2人目の妻・石川セリとの間に1男2女をもうける。長女は作詞家・歌手の依布サラサ(本名・井上ニサ)。 本名は『あきみ』と読むが、吉田拓郎を意識したレコード会社が『拓郎(たくろう)のように陽水(ようすい)にしよう』と言い出し、本人は『そうですか』と受け入れた。 経歴 生い立ち 1948年(昭和23年)8月30日、福岡県田川郡糸田町中糸田に生まれる。本籍地は高知県幡多郡佐賀町で、佐賀町町役場に提出された出生届には「陽水」の下に「あきみ」と振り仮名が付いている。「水」を「み」と読むのは父の「若水」(わかみ)と同様で珍しく思えるが、佐賀町役場戸籍課によれば、郷土の生んだ日本社会主義運動の先駆者、幸徳秋水の影響で、名前に「水」を付ける家庭は地元には多いと指摘している。 父は高知県幡多郡佐賀町(現:黒潮町)出身の元軍医井上 若水(いのうえ わかみ、-1972年6月) 。若水の幼少期の井上家は大きな網元で広い山林を持つ資産家であった。しかし不漁続きとなり、昭和初期には没落。若水は子供ながら一人神戸へ旅立ち、キリスト教の伝道関係の職に就き勉強を続ける。苦学の末に高等専門学校卒業の資格を得る。その後、神戸で金属工芸の技術者として働くが、やがて朝鮮総督府に勤務する兄から人手の足りない福祉・医療関係の仕事に誘われ、1940年に朝鮮(京城(現在のソウル))へ渡る。ここでの経験がのちに開業歯科医の免許取得に役立つ。間もなく、同じ歯科医を兄弟・親戚に持つ母・フジと知り合い結婚。南下してくるソ連軍から逃れるため、フジはやっとの思いで先に帰国。開業歯科医をしていたフジの兄の地元の福岡県直方市にたどり着く。追って父が引き揚げる。若水は引き揚げ後は炭鉱で働いていたが、陽水が生まれてまもなく、フジの兄の意見も参考に隣接する糸田町で歯科医院を開業する 。兄弟姉妹は姉1人、妹1人。 1953年、糸田町に引っ越す。田川は何も縁のない土地で、ずっと"よそ者"意識があったという。糸田小学校、糸田中学校、西田川高校と進学。 小学校時代、子供会や婦人会の集まりで歌わせられることが多々あり、当時から歌がうまいと褒められていた。またこの頃から、8歳上の姉の影響でプラターズやエルヴィス・プレスリーなど洋楽を聴くようになり、ヒットパレード系のラジオに熱中するようになる。 1963年、中学3年の時に小島正雄のラジオ番組で紹介された「プリーズ・プリーズ・ミー」に衝撃を受け、以降ビートルズに熱中する。高校時代はビートルズ狂いと周りから呼ばれ、数人の仲間と一日中歌いまくり、休日には(当時出始めの)オープンリールのテープレコーダーでその歌を録音するなど、ビートルズ漬けの生活を送っており、仲間内のみならず町内でも生粋の音楽狂として名が知られていた。 家業を継いで歯科医になることを期待されていたため、1967年、九州歯科大学を受験するも失敗し、予備校に通い始める。この年は小倉育英館に通ったが、翌年には九州英数学舘に変える。二浪目の1969年「帰って来たヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセダーズ)を深夜放送で聞き、自らも高校時代に歌を録音する際に同じような早回しテクニックで遊んでいた経験 から、「これなら自分にもできる」「音楽でひとやま当てたい」と思ったのが曲を作り始めたきっかけ。ギターを見よう見まねで始める。1968年、再度の受験にも失敗する。1969年、3度目の受験に失敗し、大学進学を諦めた。その後「東京で勉強して大学入学を目指す。」と父に伝え上京するが歌手となるための活動に専念し、受験活動は行っていなかった。 アンドレ・カンドレ時代 1969年、RKB毎日放送のラジオ番組『スマッシュ!!11』が放送開始される。この番組には視聴者が作った音楽を流すコーナーがあり、それを知った陽水は12弦ギターを使って「カンドレ・マンドレ」を自宅録音(テープレコーダーを二つ使った多重録音の擬似弾き語り)し、4月16日、テープをRKB毎日に持ち込む。『スマッシュ!!11』のディレクターの野見山実は、録音を聴きすっかり興奮した。陽気だが何か寂しげなところがあり、その発想に驚嘆した。このとき陽水は「マンドレ」という芸名を考えていたが、野見山が難色を示し(「マン」が女性器を連想させるという理由で)芸名は「アンドレ・カンドレ」に決まる。「カンドレ・マンドレ」は『スマッシュ!!11』で放送され、数多くのリクエストを受け、中には「生の声を聴きたい」というものもあった。ただしリクエストの大半は、陽水が友人(主に浪人仲間)にはがきを配ってリクエストを出すよう指令したためのものだったという。当時は、1966年の第一次フォークソングブームとは異なり、アングラ・ソングなど社会風刺、プロテストの歌が火付け役となり、特に関西にはその火種が温存され、ザ・フォーク・クルセダーズが自費を投じて作った「帰ってきたヨッパライ」が大ヒット。その後を追って、高石友也、岡林信康などオリジナリティ―色の強いフォーク歌手が続々と登場してきた。野見山は彼らとの比較で、陽水の曲には非常に高度なものが内在していることに気付き、その将来性を買ってCBSソニーの中曽根晧二宛に手紙で送るとともに、新聞記者にも陽水に対する考えを隠すことなく話した。中曽根の反応は早く、当時としては異色な面白さだとして、発売を急いだ。当時、CBSソニーはカルメン・マキの「時には母のない子のように」のヒットの余勢をかって、さらなる一発を狙っていた。躊躇していては他社に取られる恐れがあったため、会社側は中曽根にすぐに福岡へ迎えに行くよう指示した。両親は陽水の上京には反対したが、陽水の強い信念に父は「1曲吹き込んだら帰ってくるんだな。音楽がダメでもお前には別の生きる道がある」と伝えた。 放送後、RKBのスタッフからホリプロを紹介され、1969年7月初旬にレコーディングのため福岡市から上京。「カンドレ・マンドレ」を改めてレコーディングし、同年9月1日、CBSソニー(現:ソニー・ミュージックレコーズ)からアンドレ・カンドレとして同曲でデビュー。演奏は六文銭、編曲は小室等が担当したが、ほとんど注目されず、続く「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」も、松山猛と加藤和彦から楽曲提供を受けた「花にさえ、鳥にさえ」(1970年)も不振に終わり、シングル3枚でアンドレ・カンドレとしての活動は終わることになった。以後、ポリドール移籍までの間は、本人も語ろうとしない空白の1年間となる。約3年間は時流から相手にされず、岡林信康、高石友也、加川良、遠藤賢司、六文銭らの前から姿を消し去る寸前に追い込まれた。CBSソニーの2年間は特にひどく、空白であった。当時は、麻雀とパチンコに明け暮れていた。仕事はあっても月2日位であった。 ビートルズ狂いの経緯もあり、本人は自らをフォーク歌手とは全く思っていなかったが、当時一般には「ギターを持って歌う歌手はフォーク歌手」として認識されていたため、フォーク歌手的な扱いを受けることが多く、営業先で嫌な目にあうことがしばしばあり、これが後にホリプロから独立する遠因になった。 アンドレ・カンドレ時代に知り合った小室等、安田裕美(六文銭のギタリスト)、星勝(モップスのギタリスト)、RCサクセションの忌野清志郎などとは以後長く深い交際になる。特に小室等からボブ・ディランを薦められ、以降の作詞に強い影響を受けた。 当時の映像として1970年公開の、和田アキ子主演映画『女番長 野良猫ロック』にモップスなどホリプロのアーティストと共に出演。「カンドレ・マンドレ」を歌うシーンがある(ただし、レコード音源に合わせて歌う、いわゆる「リップシンク」)。 この当時の陽水をよく知る高石ともやは、陽水の印象を「ギター1本で客ひとりひとりをねじ伏せるような歌だった。彼の言葉はとても鋭く、近づけないような雰囲気だった。演奏している背中を見ると、なんだか切なかったことを覚えている」と語っている。 ポリドール時代 1971年、ポリドール・レコードのディレクター多賀英典に誘われて移籍し、初のアルバム『断絶』のレコーディングを始める。このアルバムの製作開始に合わせて名前を変えることになり、マネジメントの指揮を執った奥田義行が本名を聞くと「井上アキミ」というので、どんな字かと思ったら「陽水」と書くという。奥田は吉田拓郎を意識し、「拓郎がその二文字で若者にインパクトを与えている。だったら下の名前の「陽水」の2文字で対抗、強調していこう」と戦略を立てた。 翌1972年、芸名を井上陽水(ようすい)と改め、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たす。「人生が二度あれば」を編曲した星勝は、以後しばらく、陽水の作品の大部分を編曲することになる。5月に「傘がない」が収録されたアルバム『断絶』がリリースされる。陽水が売れ始めたのは、このアルバム『断絶』から。陽水自身は売れた理由について『陽水ライヴ もどり道』ジャケット内自筆年表で、「おりからのフォークブームでなんとなく浮上」と書いている。 翌1973年3月のシングル「夢の中へ」が初のヒット作(オリコン17位、以下売り上げ順位はすべてオリコン)となり、同年7月には初のライブアルバム『陽水ライヴ もどり道』がリリースに至る。人気上昇の切り口となった「夢の中へ」は、自身が「みんなで歌えるように作った」とコメントしているとおり、単純で明るく、親しみやすい曲である。中川右介はこの曲がようやくヒットするまでの陽水は低迷していたと指摘している。そして、同年9月にはシングル「心もよう」をリリース。これもスマッシュ・ヒットとなる。 そして、同年12月にアルバム『氷の世界』をリリース。当アルバムは100週以上BEST10に留まるなどロングセールスを続け、発売から2年後の1975年8月に日本レコード史上初のLP販売100万枚突破の金字塔を打ち立てた。オリコンのLPチャートでは5度も1位に返り咲くという記録も持っており、陽水は第一期の黄金時代を迎える。 ポリドール時代には理由は諸説あるが殆どテレビに出演せず、外見が一般の目に触れる機会はレコードのジャケット写真がもっとも多くを占めていた。シングル「人生が二度あれば」からアルバム『氷の世界』までのジャケットでは、髪型がアフロヘアー、サングラスはなしで写っている。しかし『氷の世界』のインナースリーブにある写真の一枚ではサングラスをかけており、サングラスなしの写真は1975年のシングル「御免」以降、著書『綺麗ごと』のために撮られたものなど少数の例外を除き見られなくなる。 「陽水などレコードで当たってるヤツは、はでに、単にコマーシャリズムに乗っかっただけのこと。そのうちに消えるさ」とフォークを民衆の歌と考える一派からは、非難され「いま流の歌をもって東京へ出ていくなんて、イヤなヤツだ」と、土着派からは、商人扱いされた。陽水は、それらの非難に対し真正面から答えようとはしなかった。 1974年1月17日、熊本県出身の女性 と結婚する。 1975年、陽水・吉田拓郎・泉谷しげる・小室等が中心となって、フォーライフ・レコードを発起する。また、後に結婚する石川セリと出会う。 フォーライフ時代:大麻取締法違反容疑で逮捕〜第二次陽水ブームまで 1976年2月、離婚。同年にフォーライフからリリースした『招待状のないショー』は9週連続1位を獲得。1977年、石川のアルバム『気まぐれ』に「ダンスはうまく踊れない」ほか2曲を提供する。「ダンスはうまく踊れない」は、陽水の部屋に遊びに来たセリの目の前で30分ほどで作られたという。 1977年9月10日、大麻所持容疑で逮捕され、「自分は酒が飲めないので、くつろぐためにマリファナを吸った」と自供した。9月22日に保釈され、10月11日には懲役8か月、執行猶予2年の判決を受ける。この逮捕に関して、当時朝日新聞記者だった筑紫哲也が、「マリファナは日本では違法であるが、これと絡めて井上陽水の歌まで否定する一部の意見は間違っている」と発言し、擁護を行っている。この時はまだ互いに親交こそなかったが、のちに筑紫がテレビに進出し、初のメインキャスターを務めた『日曜夕刊!こちらデスク』の最終回(1982年9月26日)では陽水がゲスト出演し持ち歌を3曲歌唱、報道番組では異例の全編生歌で番組を締めくくった。筑紫は初めて番組を持つことになった時、『傘がない』の「テレビではわが国の将来の問題を 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる」というくだりが頭に浮かんだ、と回想している。その後、1989年に筑紫が新聞社を退社してスタートした『筑紫哲也 NEWS23』では、筑紫からの要請で初代のオープニングとエンディング曲(『最後のニュース』)を陽水が担当した。 1978年7月、上記の事件後(執行猶予中)にリリースされたアルバム『"white"』はオリコンチャートの3位を獲得した。 1978年8月30日、30歳の誕生日に石川と再婚、同年12月16日には長男が産まれている。 1979年のアルバム『スニーカーダンサー』では高中正義が5曲の編曲を務め、1980年のアルバム『EVERY NIGHT』では星勝が編曲から外れるなど、この時期にはサウンドが大きな転換を遂げている。さらに1981年のアルバム『あやしい夜をまって』から編曲に加わった川島裕二は、その後BANANAなどの名義で陽水の作品に多数携わり、星勝と並んで重要な位置を占めるようになる。上述の通りセールスは伸びなかったが、この時期の作品には「なぜか上海」「海へ来なさい」「ジェラシー」「とまどうペリカン」「カナリア」「リバーサイドホテル」など、その後のライブやコンピレーション作品で頻繁に取り上げられる楽曲が多数含まれている。 1981年1月、『ばらえてい テレビファソラシド』にゲスト出演。7月『夜のヒットスタジオ』に「ジェラシー」で出演。8月『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」コーナーに「ジェラシー」で出演。 1982年、バックバンドを務めていた安全地帯がデビューし、1983年には自身作詞による「ワインレッドの心」をヒットさせる。さらに1984年には安全地帯に歌詞を提供した「恋の予感」、中森明菜に歌詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」、そして自身の「いっそセレナーデ」がヒットする。12月10日付のチャートでは「飾りじゃ〜」が2位、「恋の予感」が3位、「いっそ〜」が4位と、陽水の手がけた作品が上位を占める。同月21日にはこれらのヒット曲をはじめとする提供曲を、自身が自ら歌ったアルバム『9.5カラット』がリリースされ、翌1985年にかけてヒットする。『9.5カラット』は1985年のアルバム年間売り上げ1位を獲得し、陽水にとっては『氷の世界』以来自身2作目のミリオンセラーとなる。このヒットにより第27回日本レコード大賞で作曲賞とアルバム賞を獲得する。 1986年8月にはライブアルバム『クラムチャウダー』がリリースされ、9月には同じ題名のライブビデオも発売される。さらに8月20日から2日間、安全地帯とのジョイントで「STARDUST RENDEZ-VOUS」と題したコンサートを明治神宮野球場で行う。このコンサートで「夏の終りのハーモニー」を初披露、6万人の聴衆を動員しテレビ中継のほか、ライブアルバム、ライブビデオにも収録された。 フォーライフ時代:タイアップによるシングルヒット〜『九段』まで 1988年9月1日、日産自動車より新発売されたセフィーロ(初代・A31型)のCMに「今夜、私に」を提供。陽水自身も出演し、アドリブで「みなさん、お元気ですか?……失礼しまーす」と声を出す。ところがこのCMが公開されて間もなく、病床に臥した昭和天皇が危篤になったため、声はカットされた。いしいひさいちは団欒中の家族に、窓を開けた陽水が「皆さんお元気ですか」と言うと一気にしらける、イラク軍の捕虜にこのCMを見せた途端、それまで騒がしかった捕虜たちが脱力しておとなしくなる、という作品を描いている。それから間もない10月、フジテレビ系のドラマ『ニューヨーク恋物語』の主題歌に使われた「リバーサイドホテル」がヒットする(11位)。「リバーサイドホテル」は1982年に発表されていた作品だが、リリースから6年を隔ててのヒットとなった。 翌1990年から1991年にかけて、映画『少年時代』の主題歌として作られた「少年時代」(作曲は平井夏美との共作)がヒットする。リリース直後は穏やかなチャートアクションだったが、1991年、ソニーのビデオカメラ「ハンディカム・CCD-TR105」のCMに使われてから売上を伸ばし、ロングセラーとなった。当初は藤子不二雄Aの作詞という話であったが、出来上がってみると藤子の歌詞はまったく使われていなかった。陽水は「安孫子さん の心をもらった」とコメントしており、藤子不二雄Aもイメージ通りの曲だとして出来栄えに満足した。実際に使われなかったオリジナルの歌詞全文は藤子不二雄Aの著書に何度か記載されている。 1993年、フジテレビ系のドラマ『素晴らしきかな人生』の主題歌に使われた「Make-up Shadow」(2007年にはトヨタ・ブレイドのTVCFソングとしても使われた)がオリコン最高2位、売上80万枚超のヒットを記録。第35回日本レコード大賞の金賞を受賞する。 このころからリリースのペースが落ち始める。1994年にアルバム『永遠のシュール』を発表してから、次のアルバム『九段』(1998年)までには3年半のブランクがある。また、この時期はコンサートも少なく、1994年末から1999年9月までのおよそ5年間は全国ツアーを一度も行っていない。 1996年、PUFFYのデビュー曲として歌詞を提供した「アジアの純真」がヒットする。「アジアの純真」の作曲は、以前から交流のあった奥田民生(1994年には「月ひとしずく」(小泉今日子)を共作している)。同じく陽水作詞、民生作曲でPUFFYに提供した「渚にまつわるエトセトラ」もヒットする。続いて「井上陽水奥田民生」というアーティスト名で1997年にリリースしたシングル「ありがとう」、アルバム『ショッピング』はこれらのヒットを受けたものといえよう。「ありがとう」はリリース同年にサッポロビール「黒ラベル」のCMに使われたことも手伝ってオリコン最高2位、売上約25万枚のヒットを記録。 『GOLDEN BEST』のミリオンセラー〜その後 1999年、アンドレ・カンドレとしてのデビューから30周年になることを記念して、2枚組のベスト・アルバム『GOLDEN BEST』がリリースされる。『GOLDEN BEST』は自身3作目のミリオンセラーとなった後も売上を伸ばし続ける。このヒットを受け、『GOLDEN BEST』のリリースからちょうど1年後には「裏ベスト」として『GOLDEN BAD』、『GOLDEN BEST』の売上が200万枚を突破した2003年にはその記念として『GOLDEN BEST SUPER』が発売される。 2001年、「コーヒー・ルンバ」「花の首飾り」のカバーがヒット。これに続いてリリースしたカバーアルバム『UNITED COVER』は80万枚を売るヒットとなり、その期間のライヴ映像はDVD『UNITED TOUR』として発売される。 2002年には4年振りの新作『カシス』と、ジャズ・アレンジを施したセルフカバー・アルバム『Blue Selection』をリリース。1999年から2006年までに、2004年を除いて毎年全国ツアーを開催した。 2006年にはツアーの合間を縫って制作された4年振りの新作『LOVE COMPLEX』をリリース。翌年はツアーの他、「井上陽水奥田民生」としてシングル「パラレル・ラブ」、アルバム『ダブルドライブ』を発表。2008年もツアー活動を行いつつ、ベスト・アルバム『弾き語りパッション』と『BEST BALLADE』の2作を発表している。2009年にはデビュー40周年を迎え、12月には15年振りとなる日本武道館公演を行い、その模様を収録したDVD『40th Special Thanks Live in 武道館』をリリース。翌2010年には4年半振りとなるオリジナル・アルバム「魔力」をリリースしている。 2014〜2015年「井上陽水 氷の世界ツアー」を行う。40年前に発売されたアルバム「氷の世界」を全曲歌う、という内容のツアーだった。 2015年、40年ぶりにポリドールの流れを組むユニバーサル・ミュージックに復帰することが発表された。 2022年現在までにはユニバーサル・ミュージックからアルバム「UNITED COVER 2」とシングル「care」を発売している。 2019年に、歌手活動50周年記念ツアーを敢行して以降は、表立った音楽活動を行っておらず、シングルも2018年に発表した「care」を最後に行っていない。長年代表を務めてきた個人事務所の「キャンプ」と「ファイヤー音楽出版」の代表取締役を2021年末に辞任し、長男に譲っている。 交流関係 文壇との交際が広い。文壇を含む文化人との交流は麻雀がきっかけ。1976年に『青空ふたり旅』として出版された五木寛之との対談をきっかけに、まず「話の特集」の矢崎泰久がベトナムに行く時の壮行麻雀大会に五木に連れて行かれ、そこで矢崎、ばばこういち、阿佐田哲也に会い、この後、長谷川和彦と知り合い、長谷川に近代麻雀に出ないかと誘われて田村光昭に会い、その繋がりで長門裕之、黒鉄ヒロシ、畑正憲らと知り合った。 世代的に上の人との付き合いが多い理由について、「吉田拓郎なんかは、自分がリーダーシップを取って周りの人間を引っ張っていくタイプでしょう。僕はそういうの不得意なんです。高校時代、タテ関係が希薄で女性も多い弓道部にいたせいかもしれないけど、下の世代に対する訓練ができていないんですよ」と、40代のころは話していた。同年代およびそれ以下との交流として、沢木耕太郎は歌詞集『ラインダンス』に、村上龍は『綺麗ごと』に寄稿し、町田康は「新しい恋」を作詞している。活動分野は違ってくるが、三谷幸喜は『You Are The Top〜今宵の君』の劇中歌である「You are the top」を作詞している。 また、同郷のタモリとはタモリのオールナイトニッポンにゲスト出演した事をきっかけに親しくなり、「テレフォンショッキング」には計11回、また「ミュージックステーション」、「タモリ倶楽部」、「ヨルタモリ」などにも、前述の通り殆どテレビに出演しないものの「タモリさんの番組なら」としてゲスト出演がある。さらに「ブラタモリ」のテーマ曲に「MAP」「女神」「瞬き」と書き下ろし曲を提供している。 水谷豊にも多くの楽曲を提供したが、初対面のレコーディングの際はほとんど会話が無かったという。それにもかかわらず「今日家に来ない?」と持ちかけ、水谷はその不思議な雰囲気に戸惑いながらも応諾する。翌日、水谷は勧められるまま、鰻丼を食べたり近所の公園でキャッチボールをしたという。 逸話、関連人物など 『NHK紅白歌合戦』には1度も出場経験がなく、本人も全く出場する意思が無い事を明らかにしている。NHKの番組には度々出演しているが、「紅白は別」と出場を何度も辞退している。 同局の1993年の連続テレビ小説『かりん』の主題歌『カナディアン アコーデオン』を担当したが、その年の第44回NHK紅白歌合戦出場については、「あの場は余りにもハデ。恥ずかしいから」と辞退。 1996年にも「恥ずかしい」と辞退。のちに「(出演を拒否していた当時)テレビに出なかったことは後悔している」というコメントも行っている。 2006年には、「今年は出る気がない。今後の紅白の出演を検討する」と出場の可能性を否定。 嘉門達夫は「リバーサイド・ホテル」からヒント得て「温泉はリバーサイド」(アルバム「リゾート計画」収録)を発表。「リバーサイド・ホテル」のイントロのギターカッティングを同じにしている他、間奏のセリフでは井上がCMで発した「お元気ですか?」のフレーズを挿入した。 1979年に三洋電機のカラーテレビ「くっきりタテ7」のコマーシャルソングの歌手候補として、当時デビュー前の久保田小百合(後の久保田早紀)、「たそがれマイ・ラブ」などでヒットを記録していた大橋純子と共に選ばれていた。後に三洋電機の意向により久保田に決定し、作られた曲が「異邦人」である。 作品 1969年9月1日に『カンドレ・マンドレ』でデビューして以降、2010年頃までは継続的に作品を発表した。2010年以降は発表の間隔が長くなるが、2019年にデビュー50周年を記念したライブを収録した映像作品『井上陽水50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』〜少年老い易く 学成り難し〜』を2020年9月1日に発表した。 自らの作品のほか、多くの楽曲をほかの歌手に提供している。経歴で挙げた例のほかには、沢田研二のアルバム『Mis cast.』の全曲を作詞作曲した例がある。また一青窈は自ら陽水のファンと称しており、アルバム『一青想』のうち2曲は陽水の作曲による。 また、曲をカバーした歌手には、「夢の中へ」の斉藤由貴、TRICERATOPS、「心もよう」の中森明菜、南沙織、「氷の世界」の筋肉少女帯、工藤静香、「傘がない」の中森明菜、斉藤和義、「東へ西へ」の本木雅弘、中村あゆみ、「神無月にかこまれて」の香坂みゆき、「Make-up Shadow」の上原多香子、「いつのまにか少女は」の持田香織、「ジェラシー」の髙橋真梨子、「結詞」の高橋真梨子、中村あゆみ、「夏の終りのハーモニー」の中村あゆみ、MOOMIN、「最後のニュース」の奥田民生、「カナリア」に英語の歌詞を付けて歌ったジェーン・バーキン、「桜三月散歩道」をカヴァーしたキンモクセイなどがいる。 本職の歌手でないところでは、お笑い芸人の友近が「Tokyo」を、THE IDOLM@STER RADIOにおいて今井麻美・たかはし智秋が「少年時代」をカバー、また2019年発売の「井上陽水トリビュート」によっても多数の歌手がカバーした。 シングル 「アンドレ・カンドレ」名義 「井上陽水」名義 コラボレーション アルバム スタジオ・アルバム カバー・セルフカバーアルバム ライブ・アルバム ベスト・アルバム CD-BOX トリビュート・アルバム コンピレーション・アルバム 関連作品 桜三月散歩道(1973年) 『まんがNo.1』付属ソノシートとして発表。アルバム『氷の世界』収録の同名曲とは別バージョン。 クリスマス(1976年11月10日) 小室等・吉田拓郎・井上陽水・泉谷しげるによるオムニバスアルバム。 限りなく透明に近いブルー オリジナル・サウンドトラック(1978年5月) サイモン&ガーファンクルの「Homeward Bound」「Cloudy」をカバーしている。 Natural Menu(1979年12月10日) 来生たかおのアルバム。「ゆるやかに愛が…」にコーラスで参加している。 STARDUST RENDEZ-VOUS 井上陽水・安全地帯LIVE at 神宮(1986年11月5日) アーティスト名は「井上陽水・安全地帯」。ライブアルバム。 115人のイラストレーターが描く井上陽水の115曲(1997年12月10日) 115点のイラストに合わせて陽水の歌が流れるCD-ROM。ここでしか聞けない録音が含まれている。 オフ・オフ・マザーグース(1995年)EMIミュージック・ジャパン 37曲めの「みんなくたくた」というシュールな歌を歌っている。 RESPECT! The 30th Anniversary of Kiyoshiro Imawano(2000年5月5日) 2000年3月3日に日本武道館で行われた忌野清志郎30周年記念ライヴの録音盤。清志郎とともに「帰れない二人」を歌っている。また、2000年6月14日には同ライヴのDVDが発売されており、同様に「帰れない二人」が収録されている。 地上のスピード(2000年10月21日) 来生たかおのシングル。シングルバージョンとアルバムバージョン(アルバム『Dear my company』収録)があり、ともに作詞とコーラスで参加している。2つのバージョンが存在するのは、陽水の提案によるものだという。 Queen's Fellows: yuming 30th anniversary cover album(2002年12月11日) 松任谷由実へのトリビュートアルバム。陽水は「甘い予感」で参加している。 Rendez-vous(2004年3月30日、日本盤は31日) ジェーン・バーキンのアルバム。 Canary Canaryは陽水の曲「カナリア」に英語の歌詞をつけたもので、バーキンと陽水がデュエットしている。 陽水の参加作品が海外に向けて発売された唯一の例である。 いつのまにか少女は c/w ミステリー あなたに夢中(2004年10月20日) アーティスト名は「持田香織 produced by 井上陽水」。持田香織が歌った作品である。 「いつのまにか少女は」は陽水のカバー。陽水はハーモニカで参加している。 「ミステリー〜」はこのシングルのための提供曲。陽水はコーラスで参加している。 『LOVE COMPLEX』には陽水が歌う「ミステリー〜」が収録されている。 シティ・ポップスカバーコンピ『Happy Holidays! 〜CITY POPS COVERS〜』には「いつのまにか少女は/持田香織 produced by 井上陽水]」が収録されている。 はじめてのやのあきこ(2006年3月8日) 矢野顕子のアルバム。陽水は「架空の星座」を作詞し、矢野とデュエットしている。 『LOVE COMPLEX』には再録された「架空の星座」が収録されている。 服部良一 〜生誕100周年記念トリビュート・アルバム〜(2007年10月17日) 服部良一へのトリビュート・アルバム。2曲目の「胸の振り子」に参加。 奥田民生・カバーズ(2007年10月24日) 奥田民生のトリビュート・アルバム。「The STANDARD」を歌っている。 宇多田ヒカルのうた -13組の音楽家による13の解釈について-(2014年12月9日) 宇多田ヒカルがデビュー15周年を記念してリリースされた初となるトリビュート・アルバム。「SAKURAドロップス」を歌っている。 アダムとイヴの林檎(2018年5月23日) 椎名林檎のデビュー20周年を記念してリリースされた初のトリビュート・アルバム。「カーネーション」を歌っている。 映像作品 クラムチャウダー<NHKホールライブ>(1986年9月1日) ライブ映像。VHS、LD、β、VHDの4形態で発売。 井上陽水ライブ'88サントリーホール 夜のシミュレーション(1989年4月21日) ライブ映像。VHS、LD、βの3形態で発売。 夢寝見(1989年10月21日) プロモーションビデオ。VHSとLDの2形態で発売。 Curve Yousui Inoue(1990年) プロモーションビデオ、ライブ映像、コンサート会場限定販売。 井上陽水 CONCERT 1999〜2001 UNITED TOUR(2001年12月5日) ライブ映像。VHSとDVDの2形態で発売。 「The Premium Night」―昭和女子大学 人見記念講堂ライブ―(2007年4月11日) ライブ映像。DVDのみの発売。 「40th Special Thanks Live in 武道館」(2010年3月31日) ライブ映像。DVDのみの発売。 「氷の世界ツアー2014 ライブ・ザ・ベスト」CD特典ライブ映像(2014年9月10日) ライブ映像。限定盤Aの付属品Blu-ray 限定盤Bの付属品DVDの2形態で付属。 「井上陽水 コンサート2015 UC2」(2016年3月16日) ライブ映像。DVDとBlu-rayの2形態で発売。 「GOLDEN BEST VIEW ~SUPER LIVE SELECTION~」(2017年10月4日) ライブ映像。DVDとBlu-rayの2形態で発売。 「井上陽水50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』〜少年老い易く 学成り難し〜」(2020年9月1日) ライブ映像。DVDとBlu-rayの2形態で発売。 PV いくつかの曲でPVが制作されている。 「傘がない」 「夏まつり」 「夢の中へ」 「心もよう」 「青空、ひとりきり」-レコーディングの風景が撮影された。 「最後のニュース」-1990年12月頃に制作され陽水本人が監督を務めた。 以下が1991年「NO SELECTION 井上陽水全集」の特典VHSに収録された。その他にも、 「少年時代」 「夢寝見」-操上和美が監督を務め、1989年10月21日にVHSとLDの2形態で発売。 「Just fit」-前述同様操上和美が監督を務める。故郷の田川で撮影が行われた。 「嘘つきダイヤモンド」 「リバーサイドホテル」-再発時の1988年頃に新規制作された。 「Make-up Shadow」 「花の首飾り」 「Love Rainbow」 などが制作されている。また、「傘がない」は2008年の『弾き語りパッション』発売時、新規に制作され、俳優のオダギリジョーが主演を務めた。陽水本人も一瞬だけ出演した。 「井上陽水奥田民生」名義 タイアップ一覧 楽曲提供 オリーブ 「愛ある国へ」 - 作詞・作曲:井上陽水(1970年) ザ・モップス 「窓をあけろ」 - 作詞・作曲:井上陽水(1972年) 「あかずの踏切り」 - 作詞:井上陽水/作曲:星勝(1973年) 石川セリ 「ダンスはうまく踊れない」 - 作詞・作曲:井上陽水(1977年)- 5年後の1982年、高樹澪がカバー・シングルとしてリリース 「気まぐれ」 - 作詞:石川セリ/作曲:井上陽水 水谷豊 「はーばーらいと」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水(1977年) 「男の手紙」 - 作詞:白石ありす/作曲:井上陽水 「鍵はかけない」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 「通過します」 - 作詞:友部正人/作曲:井上陽水 「テンダネス」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 「マリーナ デル レイ」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 (1981年) 「AMERICAN LINE」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 「MUSIC HIGH」 - 作詞・作曲:井上陽水 (1982年) 佐藤博 「月の子の名前はレオ」 - 作詞:井上陽水/作曲:佐藤博(1979年) 中山千夏 「Kiss」 - 作詞:井上陽水/作曲:小室等(1980年) 山口百恵 「Crazy love」 - 作詞:井上陽水/作曲:井上陽水(1980年) 三上寛 「俺のあの娘は可愛いい」 - 作詞・作曲:井上陽水(1981年) 沢田研二 「News」 「デモンストレーションAir Line」 「背中まで45分」 「Darling」 「A.B.C.D.」 「チャイニーズフード」 「How Many “Good Bye”」 「次のデイト」 「ジャスト フィット」 「ミスキャスト」 全曲、作詞・作曲:井上陽水(1982年12月10日) 柏原芳恵 「夏のたった今」 - 作詞:友部正人/作曲:田所純一郎(井上陽水)(1983年7月30日) 安全地帯 「ワインレッドの心」 - 作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二 (1983年11月25日) 「真夜中すぎの恋」 - 作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二 (1984年) 「恋の予感」 - 作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二 (1984年10月25日) 中森明菜 「飾りじゃないのよ涙は」 - 作詞・作曲:井上陽水 (1984年11月14日) 「ムーンライトレター」 - 作詞:松井五郎/作曲:井上陽水 吉永小百合 「夢さぐり」 - 作詞:来生えつこ/作曲:井上陽水 (1984年) 薬師丸ひろ子 「ステキな恋の忘れ方」 - 作詞・作曲:井上陽水 (1985年11月1日) 「哀しみの種」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 「ローズ・ティーはいかが?」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 「めぐり逢い」 - 作詞・作曲:井上陽水(2017年) 安倍里葎子 「年下ごのみ」作詞:吉法かずさ/作曲:南杜夫(井上陽水)(1988年3月2日) ブレッド&バター 「WYOMING GIRL」 - 作詞・作曲:井上陽水 (1989年) 「ファッションラヴァー」 - 作詞:GALLWAY PETER ALAN、井上陽水/作曲:GALLWAY PETER ALAN 森進一 「フィクション」 - 作詞・作曲:井上陽水 (1990年) 荻野目洋子 「ギャラリー」 - 作詞・作曲:井上陽水(1990年6月27日) 「ON BED」 - 作詞:井上陽水/作曲:井上陽水・平井夏美(1990年6月27日) 小泉今日子 「月ひとしずく」 - 作詞:井上陽水・奥田民生・小泉今日子/作曲:井上陽水・奥田民生(1994年11月14日) デーモン小暮閣下 「LOVE ROMANCE」 - 作詞・作曲:井上陽水(1995年8月21日) 篠原涼子 「ダメ!」 - 作詞・作曲:井上陽水(1995年11月22日) PUFFY 「アジアの純真」 - 作詞:井上陽水/作曲:奥田民生(1996年5月13日) 「渚にまつわるエトセトラ」 - 作詞:井上陽水/作曲:奥田民生(1997年4月16日) 「CAKE IS LOVE」 - 作詞・作曲:井上陽水(1998年4月1日) 「オリエンタル・ダイヤモンド」 - 作詞:井上陽水/作曲:奥田民生(2007年9月5日) Chappie 「DOCU-MENTARY KISS」 - 作詞:井上陽水/作曲:ギターペイダー(1999年10月10日) ペギー葉山 「プラス・ピアス」 - 作詞・作曲:井上陽水 (2000年) 来生たかお 「地上のスピード」 - 作詞:井上陽水/作曲:来生たかお (2000年10月21日) 一青窈 「一思案」 - 作詞:一青窈/作曲:井上陽水(2004年4月7日) 「面影モダン」 - 作詞:一青窈/作曲:井上陽水(2004年4月7日) 持田香織 「ミステリーあなたに夢中」 - 作詞・作曲:井上陽水(2004年10月20日) 岡本知高 「E-I-E-N」 - 作詞:井上陽水/作曲:筒美京平(2004年10月21日) Akeboshi 「Yellow Moon」 - 作詞:井上陽水/作曲:Akeboshi(2006年4月19日) 小野リサ 「青いフラミンゴ」 - 作詞・作曲:井上陽水 (2013年) 依布サラサ 「キャッホー」 -作詞・作曲:井上陽水 (2013年) 伊藤蘭 「LALA TIME」-作詞・作曲:井上陽水、みりん (2019年) DR.STRANGE LOVE 「アメリカのアリゾナ」 - 作詞:井上陽水/作曲:長田進 本山ツトム 「一枚ガラスの喫茶店」 - 作詞:小椋佳/作曲:井上陽水 野崎沙穂 「エアメール・ブルー」 - 作詞:安井かずみ/作曲:井上陽水 かしわ哲 「オシエテモット」 - 作詞:かしわ哲/作曲:井上陽水 矢野顕子 「架空の星座」 - 作詞:井上陽水/作曲:矢野顕子 三田寛子 「駈けてきた処女」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水 「夏の雫」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水/編曲:坂本龍一 「ふたりぽっち物語」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水 町田義人 「風のように」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水 樋口可南子 「からたちの花」 - 作詞:流れ星犬太郎/作曲:井上陽水 小林麻美 「グランプリの夏」 - 作詞:小林和子/作曲:井上陽水 「TRANSIT」 - 作詞:松任谷由実/作曲:井上陽水 郷ひろみ 「サファイア・ブルー」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 姫乃樹リカ 「地上の楽園」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 風間杜夫 「東京さみしがり屋」 - 作詞・作曲:井上陽水 長谷川きよし 「ドライアイス」 - 作詞:井上陽水/作曲:長谷川きよし 武田久美子 「半分ピエロ」 - 作詞:友部正人/作曲:井上陽水 YK型 「バルサの翼」 - 作詞:吉田照美/作曲:井上陽水 亀淵友香 「夢のくらし」 - 作詞:及川恒平/作曲:井上陽水 松坂慶子 「ラジオのついたナイト・テーブル」 - 作詞:井上陽水/作曲:小室等 かまやつひろし 「ロンドン急行」 - 作詞・作曲:井上陽水 MAACHO 「NOTHING IN BLUE」 - 作詞:CASS MARK/作曲:井上陽水 岩下京子 「BOOING」 - 作詞・作曲:井上陽水(「立花海」名義) 出演 1969年のデビューから殆どテレビ•ラジオに出演する事は多くなく、親交が深いタモリや筑紫哲也などの冠番組、一部の音楽番組の出演等が大半を占める。 音楽番組 ザ・ベストテン(1981年、1984年など、TBS) 第27回日本レコード大賞(1985年12月31日、TBS) 夜のヒットスタジオ(1981年、1987年など、フジテレビ) ミュージックフェア(1983年、1987年、フジテレビ) 加山雄三ショー(1988年1月16日•23日、NHK総合) ミュージックステーション(1989年7月28日「夢寝見」、1991年10月25日「少年時代」、1992年11月27日「結詞」、1994年10月21日「移動電話」、1995年12月22日「嘘つきダイヤモンド」、1997年2月14日「ありがとう」、2001年1月19日「コーヒールンバ」、2006年12月28日「パラレル・ラブ」、テレビ朝日) タモリ・山田邦子のヤマモリ音楽ステーション(1992年1月2日) MJ -MUSIC JOURNAL-(1993年04月14日、フジテレビ) HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP(1995年、2002年など、フジテレビ) 僕らの音楽2 (2006年04月07日、フジテレビ) SONGS(2009年、2012年、2015年など、NHK総合) The Covers(2015年2月16日、NHK総合) ドキュメンタリー 情熱大陸(1999年8月29日、TBS) 陽水の50年〜5人の表現者が語る井上陽水〜(2019年12月27日、NHK総合) 報道番組 日曜夕刊!こちらデスク(1982年9月26日、テレビ朝日) 筑紫哲也 NEWS23(1990年、2003年など、TBS) ミッドナイトジャーナル(1992年、NHK総合) ニュースステーション(1999年、テレビ朝日) トーク番組 徹子の部屋(1982年、2012年4月5日、テレビ朝日) Ryu's Bar 気ままにいい夜(1987年10月4日、TBS) TK MUSIC CLAMP(1995年10月25日、フジテレビ) ETV2000「いま クリエイティブとは何か」(2000年8月22日、NHK教育テレビ)- 糸井重里と対談 映画 女番長 野良猫ロック(1970年、日活) ※アンドレ・カンドレ名義 お葬式(1984年) 無能の人(1991年) 特別番組 タモリ&井上陽水の大人のお正月(テレビ朝日、1995年1月1日) 井上陽水 ハロー、グッバイ(NHK、2000年12月10日) 井上陽水 空想ハイウェイ(NHK、2004年から2005年)-全4回放送。 持田香織、三上寛、加川良、高田渡、友部正人、小室等、押尾コータロー、ジェイク・シマブクロ、山下洋輔、高田漣、菊地成孔に加え、陽水へのトリビュートアルバム『YOSUI TRIBUTE』に参加したトライセラトップス、布袋寅泰、平原綾香、小野リサ、一青窈、奥田民生、忌野清志郎らが出演。 井上陽水スペシャルTV(TBS、2007年12月26日) LIFE 井上陽水(NHK、2009年)-全4回放送。 井上陽水マニアックカタログ(NHK、2013年4月7日) バラエティ番組 ばらえてい テレビファソラシド(NHK総合、1981年1月22日) 森田一義アワー 笑っていいとも!・テレフォンショッキング(フジテレビ、1983年6月29日、2001年1月25日、2014年3月19日他) とんねるずのみなさんのおかげです 年末特別スペシャル『井上陽水物語』(フジテレビ、1990年12月27日) タモリ倶楽部(テレビ朝日、1992年、1993年、1994年) 今夜は営業中!(日本テレビ、1999年9月18日) 木梨サイクル(フジテレビ、2001年12月7日•14日) ヨルタモリ(フジテレビ、2014年10月26日) テレビドラマ 幕末青春グラフィティ 坂本竜馬(日本テレビ、1982年) - 伊藤俊輔役 ラジオ番組 スマッシュ!!11(1969年、1970年など、RKBラジオ) クェスチョンズ~井上陽水の人間探検~(1980年、TBSラジオ)-陽水自身が半年間パーソナリティを務めた。 タモリのオールナイトニッポン(1981年頃、ニッポン放送) 吉田拓郎のオールナイトニッポンDX(1997年10月6日、ニッポン放送) 吉田照美のやる気MANMAN!(2001年、2002年など、文化放送)- やるMANリスナーを公言していた。 タモリの週刊ダイナマイク(2002年11月17日、ニッポン放送) 坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD(2012年6月11日、ニッポン放送) たまむすび(2013年、2019年他、TBSラジオ) ラジオ深夜便(2013年6月10日、NHKラジオ) CM サントリー 角瓶(1984年) 日産自動車 セフィーロ(1988年 - 1990年頃) キリンビバレッジ 聞茶(2001年頃) サントリー サントリーオールド(2006年) 書籍 著書 音のそとがわで(1974年、サンリオ) エッセイ集。 青空ふたり旅(1985年、角川書店)ISBN 4041294150 1976年の五木寛之との対談。 ラインダンス(1982年、新潮社)ISBN 4101282013 歌詞集。 綺麗ごと(1985年、集英社)ISBN 4087800857 ロングインタビューなどを掲載。 歌う見人(ケンジン) - 井上陽水カセットブック(1986年、小学館)ISBN 4093632510。以下の英語詞ヴァージョンが収録されている。 A1:Dream(夢) A2:I Fell For You(揺れる花園) A3:Tangerine Summers(飾りじゃないのよ涙は) A4:Transit(トランジット) B1:Sweet Serenade(いっそセレナーデ) B2:Waiting Game(新しいラプソディー) B3:Couldn't We(招待状のないショー) B4:Frozen Eyes(フローズン・アイズ) 媚売る作家(1993年、角川書店)ISBN 4048833294 作品解説などを掲載。 夢の旅人(1994年、新潮社)ISBN 4105299018 井上陽水による詩、ギー・ビルーによる絵で構成された絵本。 井上陽水 FILE FROM 1969(2009年、エフエム東京)ISBN 4887452144 井上陽水40周年記念として今までの多数の活動記録をまとめた本。 別冊カドカワ 総力特集 井上陽水(2009年、角川マーケティング(角川グループパブリッシング))ISBN 4048950657 井上陽水の40周年記念に作られた特集号。陽水と親交のある著名アーティストによる陽水についてのインタビュー等も掲載。 関連書籍 「井上陽水・孤独の世界」(1975年、塩沢茂著、講談社発行「ビッグ・バックス」) 井上陽水 全発言(1994年、えのきどいちろう編集、福武書店)ISBN 4828817360 陽水の快楽 ― 井上陽水論(1999年、竹田青嗣著、筑摩書房)ISBN 4480034587 満月、空に満月(1995年、海老沢泰久著、文藝春秋)ISBN 4167414112 井上陽水英訳詩集(2019年、ロバート・キャンベル著、講談社)ISBN 9784065131312 脚注 注釈 出典 関連項目 1969年の音楽#デビュー - (アンドレ・カンドレ 名義)同じ年にデビューした歌手 1972年の音楽#デビュー - (井上陽水 名義)同じ年にデビューした歌手 外部リンク Yosui Inoue Official Site - 公式サイト 井上陽水 フォーライフ公式サイト - フォーライフミュージックエンタテイメントによる公式ページ 井上陽水 ユニバーサルミュージック公式サイト - ユニバーサルミュージックによる公式ページ 日本の男性シンガーソングライター 日本の男性ポップ歌手 日本のギタリスト 日本のフォークシンガー フォーク・ロック・ミュージシャン 日本の音楽プロデューサー 日本のソングライター 日本の作詞家 日本の男性作曲家 過去のホリプロ所属者 ソニー・ミュージックレコーズのアーティスト フォーライフミュージックエンタテイメントのアーティスト ユニバーサルミュージックジャパンのアーティスト オリコン年間アルバムチャート1位獲得アーティスト フジロック・フェスティバル出演者 みうらじゅん賞受賞者 ROCK IN JAPAN FESTIVAL出場者 福岡県出身の人物 1948年生 存命人物
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旭川市
旭川市(あさひかわし)は、北海道北中部(道北地方)に位置し、上川総合振興局に属する市。上川盆地に広がっている。振興局所在地であり、札幌市に次ぐ北海道第2位の人口(約33万人)を有する中核市である。 概要 北海道中央部に位置し、道北の経済、産業、文化の中心都市。ユネスコの「デザイン都市」、そして「国際会議観光都市」に認定されている。交通面では国道や鉄道路線の終起点となり高速道路が整備されているなど道内物流の拠点となっており、旭川空港からは東京・名古屋・大阪などへ直行便が就航している。全国的に知名度の高い旭川市旭山動物園が存在し、年間500万人以上の観光入込客数があることから、札幌市・小樽市・函館市と並ぶ北海道の観光都市として知名度が高い都市である。北海道パウダーベルトに位置し、冬季はカムイスキーリンクスを中心としたスキーリゾート観光もメインとなっている。また、旭川にゆかりのある文学者や芸術家も多く、市内各所に野外彫刻作品が置かれているほか(旭川の野外彫刻)、旭川家具をはじめとした木工業が盛んである。 地名の由来 一般に、旭川の名が初めて登場したのは明治23年9月20日の開村告知の時とされているが、実際にはその7か月ほど前の明治23年2月9日付『北海道毎日新聞』に掲載された以下の記事がある。 <記事全文> 上川離宮の御名称 - 昨8日岡部(山室改)方幾氏が弊社に来られ 「上川離宮の御名称の事に就いては夫々の御詮議も在らせらるべきは勿論のことなれとも 九重の深き雲の上の事なれば素より窺い奉るべき様なきことなるが 然るに彼の上川郡の忠別はアイヌ人の発音に従ふ時はチユプペト(Chuppt)にして 「チユプ」は太陽、日、東等の意、又た「ペト」は川の義なり 故に離宮の御名称は旭川或いは東川等の文字を御用い遊ばさるゝに至らば 旧称の意義を存し且つ大日本帝国等の意味に縁あり旁々適当ならんか」 との談話ありし 何は兎もあれ旧称に太陽、日、東等の意義ありとは明治の聖世に至りて 天津日継の宮柱を建てさせ玉ふべき土地と業に既に定まり居りしものか この記事は、当時の北海道庁長官(兼屯田兵本部長)永山武四郎の直属の部下である岡部方幾(屯田兵司令部付曹長)が会見したもので、前年末に上川への離宮設置が山縣有朋内閣によって閣議決定されて以降、まだ村名すら決まっていない地の離宮の名称について語っている。現在確認できる資料としては開村前に「旭川」の名が登場する唯一のものである。 命名者の意図として『旧称(アイヌ地名)の意義を存し(有し)且つ大日本帝国等の意味に縁あり』と明確にしており、「旭川」の名は、アイヌ語に由来する「日」=「旭」の意と、大日本帝国の象徴としての「旭」の意を併せ持つ名として命名された事が読み取れる。 ただ、旭川開村を伝える同年9月23日付北海新聞記事などは、名の由来についてアイヌ語意訳部分しか伝えていない。 なお、記事中の「忠別」とは従前からのこの地域の呼称で、岡部方幾が語ったアイヌ語源「チユプペト」の意訳は、翌年発刊の永田方正『北海道蝦夷語地名解』のチュプペツ項に記述された意訳とほとんど同じ意である。永田は函館県令・北海道庁の命を受けて全道のアイヌ語地名を調査した当時の権威学者であるが、空知・上川・樺戸3郡の調査は同年3月であるはずの永田の意訳が2月のこの時点で既に成されていたという事は、この意訳が調査以前に創作されていた疑いがある。 「旭川」の名の由来については、かなり以前からこの新聞記事の存在は市史編集会議や郷土史家など各方面で知られていたが、旭川市をはじめとしてその見解は長年アイヌ語意訳のみに固定化しており、地名とは直接関係のない忠別川語源説が諸説として混同されるなど種々誤解が多い。 地理 旭川市は北海道内最大の盆地となる上川盆地にあり、石狩川、牛朱別川、忠別川、美瑛川などの河川合流部に位置している。市西部に幌内山地、天塩山地、嵐山丘陵が南北に連なっており、石狩川は幌内山地を侵食して神居古潭渓谷を形成している。大雪山系ではエゾナキウサギ、キタキツネ、エゾリスなどの動物が観られる。「神居古潭渓谷の変成岩」として「日本の地質百選」に選定されている。市北部に比布丘陵、市東部に米飯山地が分布している。突哨山(とっしょうざん)には日本最大級のカタクリ群落がある。 地形 山地 主な山 伊納山(533 m) 常盤山(593 m) 神居山(799 m) 神楽山(493 m) 神楽岳(583 m) 丸子山(896 m) 瑠辺蘂山(859 m) 旭山(296 m) 岐登牛山(457 m) 米飯山(920 m) 上米飯山(623 m) 射的山(171 m) 突哨山(239 m) 鬼斗牛山(379 m) 高砂山(464 m) 冬路山(625 m) 幌内山(577 m) 河川 主な川 石狩川 牛朱別川 忠別川 美瑛川 辺別川 永山新川 オサラッペ川 内大部川 キムクシュハイシュベツ川 東光川 永山3号川 神水川 オロエン川 ウッペツ川 ポン川 小股川分水路 近文内川 伊野川 オホーツナイ川 栄川 難波田川 桜川 神居川 南校川 近文オホーツナイ川 愛宕新川 江丹別川 五号川 難波田川分水路 秋葉の沢川 雨紛川 基北川 ペーパン川 西里川 西八号川 ポンウシベツ川 倉沼川 拓北川 十五号川 ポンウシベツ川分水路 ペーパン第二支川 ヨンカシュッペ川 千代ヶ岡川 小股川 ペーパン第三支川 ハイシュベツ川 アイヌ川 永山二号川 湖沼 主な湖 神居ダム 気候 ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候に属する。上川盆地に位置していることから、典型的な内陸性気候になっている。気温の年較差が50℃以上あるため寒暖の差が大きいことが特徴であり、1902年(明治35年)1月25日に日本の気象官署での観測史上最低気温となる-41.0℃を記録、2021年(令和3年)8月7日には37.9℃の観測史上最高気温を記録。江丹別では同年7月31日に最高気温38.4℃を記録し、7月における道内の観測史上最高気温となっている。降水量は年間1,000 mm程度となっている。降雪量は市内各地区によって違いがあり、忠和地区や春光台地区では旭川気象台観測より約30 %増の降雪量を観測する。降雪量の平年値は北海道内で倶知安町、岩見沢市に次ぐ数値を記録しているが、ドカ雪が比較的少ないため、最深積雪はあまり大きくならない。1年間に雪の降る日数は143.8日は日本国内で最も多い。 春は移動性高気圧に覆われる日が多く穏やかな天気の日が続くが、寒さが残る。夏になるとオホーツク海高気圧の影響により肌寒い日もあるが、梅雨前線の北上と太平洋高気圧の勢力が強まることにより気温も上昇する。時折、雷を伴った強い雨が降ることもある。秋は低気圧や前線が北海道付近を通るため、天気は周期的に変わる。昼と夜の気温の差が大きくなり、明け方頃に晴れていると放射冷却現象により大きく気温が下がって霜が降りたり水たまりに氷が張ることもある。冬はシベリア高気圧の勢力が強まり、オホーツク海に低気圧が進んで等圧線が南北に走る西高東低の冬型の気圧配置となり、気温は氷点下で雪の日が続く。 近年、旭川市街地でもヒートアイランド現象の傾向があると考えられており、市街地の平均気温が30年間で1.1℃上昇している。冬季の最低気温が氷点下25℃を下回ることも10年に1度程度まで減った。一方、郊外にある江丹別地域の冬季は現代でも厳しい寒さの日が続き、氷点下30℃前後の猛烈な冷え込みとなりその日の全国最低気温を記録することも珍しくなく、近年でも2020年2月9日に-36.0℃を記録している。 ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(湿潤大陸性気候)(Dfb)に属す。 人口 札幌市に次ぐ北海道内第2の人口規模を持つ都市であり、東北地方を含めても長らく札幌市、仙台市に次ぐ第3の人口を持つ都市であったが、2010年代に入ってから人口減少が加速化し、2016年にいわき市に抜かれている。昭和中期に周辺6町村を吸収合併したこと、および都市部への人口集中により1985年(昭和60年)頃まで人口増加傾向が続いてきたが、横ばいとなった後、2000年(平成12年)から減少趨勢となっている。近年は、都市圏人口はそこまで減っていないにも関わらず、東神楽町や東川町といった隣接する町がベッドタウンとして人口増加をみせているため(ドーナツ化現象)、市域人口の減少はペースを上げている。 消滅集落 2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている。 旭川市 - 字近文六線、字近文五線4号、字近文五線5号、工業団地二条、工業団地三条、工業団地四条、工業団地五条、緑台、東鷹栖十四線21号、東鷹栖十四線22号、東鷹栖十三線24号、東鷹栖十二線23号,東鷹栖十一線24号、東鷹栖十一線14号、東鷹栖十線18号、東鷹栖四線10号、江丹別町清水 隣接自治体 上川総合振興局 石狩上川郡鷹栖町 石狩上川郡東神楽町 石狩上川郡当麻町 石狩上川郡比布町 石狩上川郡上川町 石狩上川郡東川町 石狩上川郡美瑛町 天塩上川郡和寒町 雨竜郡幌加内町 空知総合振興局 芦別市 深川市 歴史 「旭川市の概要 あゆみ」参照 沿革 縄文時代より栄えた。装飾、石器などが発見されている。 アイヌ圏が形成されていく。神居古潭は『アイヌの聖地』でもある。 江戸時代の半ば:忠別川と美瑛川が合流して石狩川に注ぐあたりで、和人と上川アイヌの人々と交易をする。 幕末期:松田市太郎や松浦武四郎らが和人として初めて大雪山系を探索し、上川町で温泉を発見する。1950年代に層雲峡温泉と改称される。 明治2年8月15日(1869年9月20日):蝦夷地を北海道と改称。石狩国上川郡を置く。 1877年(明治10年):鈴木亀蔵が和人として初めて定住する(現在の亀吉地区)。 1885年(明治18年):岩村通俊・永山武四郎一行が上川に入り、近文山より国見をする。 1890年(明治23年):北海道庁令により、上川郡に旭川・永山・神居の3村を設置。 1891年(明治24年):永山村に屯田兵入植。翌年には旭川村(現東旭川地区)に入植。 1897年(明治30年):上川郡役所を旭川に移転。上川支庁と改称。 1898年(明治31年):北海道官設鉄道(日本国有鉄道・北海道旅客鉄道の前身)旭川駅開業。滝川(当時ソラチプト)から旭川までの上川線開通で小樽・札幌とも繋がり、以降年1000人ずつ人口増加。 1899年(明治32年):写真師・中鉢直綱が旭川で初の写真館「中鉢写真館」を開業。 1900年(明治33年):旭川村を旭川町と改称。 1901年(明治34年):大日本帝国陸軍第七師団が札幌から移駐。 1902年(明治35年):国内観測史上最低気温(摂氏氷点下41.0度)を記録(1月25日)。旭川町が一級町村制施行。 1904年(明治37年):初代旭橋完成。 1911年(明治44年):区章(現在の市章)制定。 1911年(明治44年):皇太子嘉仁親王殿下(大正天皇)行啓。 1914年(大正3年):北海道区制施行、旭川区となる。 1916年(大正5年):常磐公園開園。 1922年(大正11年):市制施行、旭川市となる(8月1日)。 1923年(大正12年):北海道旭川師範学校(現在の北海道教育大学旭川校)開校。 1929年(昭和4年):『慰霊音楽大行進』(現在の『北海道音楽大行進』)初開催。 1930年(昭和5年):市立診療所(現在の市立旭川病院)開設。 1932年(昭和7年):石北本線全線開通。現在の旭橋完成。牛朱別川切り替え工事完成。 1936年(昭和11年):旭川常盤ロータリー完成。昭和天皇の行幸をする。 1940年(昭和15年):国策パルプ工業旭川工場(現在の日本製紙北海道工場旭川事業所)操業開始。 1945年(昭和20年):アメリカ軍による空襲(北海道空襲)。 1946年 (昭和21年) : 北海道分県提議 旭川県設置要望書をGHQへ提出するも拒絶される。 1950年(昭和25年):『北海道開発大博覧会』開催。 1952年(昭和27年):保安隊第2管区総監部(現在の陸上自衛隊第2師団司令部)が移駐。 1955年(昭和30年):神居村・江丹別村を編入合併(4月1日)。 1960年(昭和35年):『旭川冬まつり』初開催。市民憲章制定。 1961年(昭和36年):永山町を編入合併(4月1日)。 1962年(昭和37年):『旭川夏まつり』初開催。アメリカ合衆国ブルーミントン市と姉妹都市提携。 1963年(昭和38年):東旭川町を編入合併(8月15日)。 1966年(昭和41年):旭川空港開港。 1967年(昭和42年):旭川市旭山動物園開園。ソビエト連邦(現在のロシア)ユジノ・サハリンスク市と友好都市提携。 1968年(昭和43年):神楽町を編入合併(3月1日)。第1回『小熊秀雄賞』授賞式。 1970年(昭和45年):人口30万人突破。 1970年(昭和45年):市旗制定。第1回『中原悌二郎賞』授賞式。 1971年(昭和46年):東鷹栖町を編入合併(3月2日)。 1972年(昭和47年):日本国内初の恒久歩行者天国となる平和通買物公園開設。 1973年(昭和48年):北海道新幹線の終点が旭川市に変更され、札幌 - 旭川間が全国新幹線鉄道整備法に基づく「基本計画線」に制定。宗谷本線の連続立体交差事業(鉄道高架)完了。旭川医科大学開校。 1975年(昭和50年):旭川市民文化会館開館。 1976年(昭和51年):「ナナカマド」「ツツジ」を市民の木、花に制定。 1978年(昭和53年):「キレンジャク」と「カンタン」を市民の鳥、虫に制定。 1979年(昭和54年):旭川市総合体育館開館。 1980年(昭和55年):優佳良織工芸館開館(現在、長期休館中)。 1981年(昭和56年):『旭川国際バーサースキー大会』(バーサーロペットジャパン)初開催。 1982年(昭和57年):旭川空港にジェット機就航。北海道立旭川美術館開館。 1984年(昭和59年):花咲スポーツ公園硬式野球場(スタルヒン球場)オープン。 1986年(昭和61年):旭川大雪アリーナオープン。 1989年(平成元年):大韓民国水原市と姉妹都市提携。 1990年(平成2年):『国際家具デザインフェア旭川』初開催。開基100年記念式典及び記念イベント『日本のまつり・旭川』開催。道央自動車道旭川鷹栖IC開通。 1992年(平成4年):旭川生活文化産業振興協会(現在の旭川産業創造プラザ)設立。 1993年(平成5年):井上靖記念館開館。旭川市大雪クリスタルホールオープン。FMりべーるの開局。 1994年(平成6年):中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館開館。旭川市中央図書館開館。 1995年(平成7年):旭川市を含む1市8町が「地方拠点都市地域」指定。旭川新道が暫定2車線で開通。中華人民共和国哈爾濱(ハルビン)市と友好都市提携。 1997年(平成9年):旭川空港2,500m 滑走路供用開始。旭川市農業センター(花菜里ランド)開設。 1998年(平成10年):三浦綾子記念文学館開館。 1999年(平成11年):永山に上川合同庁舎完成。旭川環状線(北海道道90号旭川環状線)全線開通。 2000年(平成12年):中核市へ移行(4月1日)。道央道旭川北IC供用開始。 2002年(平成14年):旭川市障害者福祉センターおぴったオープン。永山新川(牛朱別川分水路)供用開始。 2005年(平成17年):旭川市科学館 サイパルオープン。 2006年(平成18年):旭川空港初の国際定期便(旭川 - ソウル)就航。 2007年(平成19年):家庭ごみ有料化。神楽市民交流センターオープン。地上デジタル放送開始(10月1日)。 2008年(平成20年):旭川新道全線4車線開通。旭川競馬場閉鎖。 2009年(平成21年):旭川市を含む1市8町が「定住自立圏形成協定」を締結し、旭川市が「中心市宣言」した。 2010年(平成22年):旭川市市民活動交流センター(CoCoDe)オープン。 2011年(平成23年):旭川駅新駅舎全面開業。 2013年(平成25年):スタルヒン球場にナイター照明設備。 2014年(平成26年):北彩都あさひかわ完成記念事業。 2015年(平成27年):鹿児島県南さつま市と姉妹都市提携。 2017年(平成29年):暴力団排除条例が改正され、さんろく街に暴力団排除特別強化地域が設定。みかじめ料の要求も支払いも禁止された。 2019年(令和元年):ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が選出するユネスコ創造都市ネットワークの「デザイン都市」分野に認定される。 2022年(令和4年):旭川市市制施行100年記念事業を施行。市制施行日にあたる8月1日を毎年の記念日とする「旭川市民の日」を制定。 行政 役所 旭川市役所 総合庁舎・第二庁舎・第三庁舎・神居支所・江丹別支所・永山支所・東旭川支所・神楽支所・西神楽支所・東鷹栖支所・神居古潭出張所・嵐山出張所・米原出張所 市長 歴代市長 「日本歴代市長」参照 市民憲章・都市宣言 市民憲章 都市宣言 安全都市宣言(昭和37年2月27日議会議決) 平和都市宣言(昭和58年5月3日告示) 健康都市宣言(平成2年10月10日宣言) 長寿都市宣言(平成10年3月30日議会議決) 議会 市議会 「旭川市議会のページ」参照 議員定数 34人 会派 運営 本会議 定例会(2月・6月・9月・12月) 臨時会 常任委員会(総務常任委員会・民主常任委員会・経済文教常任委員会・建設公営企業常任委員会) 議会運営委員会 特別委員会 広聴広報委員会 道議会 北海道議会議員(旭川市選出) 旭川市単独で1つの選挙区(旭川市選挙区)を有し、定数は6人。 東国幹(自民党・道民会議・5期目) 安住太伸(自民党・道民会議・2期目) 寺島信寿(公明党・1期目) 笠木薫(民主・道民連合・1期目) 真下紀子(日本共産党・5期目) 松本将門(民主・道民連合・1期目) 衆議院 衆議院議員 任期:2021年(令和3年)10月31日 - 2025年(令和7年)10月30日(「第49回衆議院議員総選挙」参照) 国家機関 官公庁 裁判所 旭川地方裁判所 旭川家庭裁判所 旭川簡易裁判所 道の機関 独立行政法人・地方独立行政法人・特殊法人等 独立行政法人 地方独立行政法人 特殊法人等 施設 警察 本部 北海道警察旭川方面本部 旭川運転免許試験場 警察署 北海道旭川方面旭川東警察署 北海道旭川方面旭川中央警察署 消防 本部 旭川市消防本部 消防署 南消防署、緑が丘出張所、神楽出張所、豊岡出張所、東旭川出張所、忠和出張所 総合防災センター中核施設(東光出張所) 北消防署、新旭川出張所、春光出張所、永山出張所、西神楽分遣所、近文分遣所、東鷹栖分遣所 医療 主な病院 郵便局 集配郵便局 文化施設 公共施設 多目的施設 道北地域旭川地場産業振興センター(道の駅あさひかわ) 旭川大雪アリーナ(道北アークス大雪アリーナ) 旭川市大雪クリスタルホール 旭川市博物館 旭川市音楽堂 旭川国際会議場 旭川市市民活動交流センター(CoCoDe)- 国の登録有形文化財 市民活動支援棟 ホール棟 運動施設 体育館 公園施設 対外関係 姉妹都市・提携都市 海外 姉妹都市 ブルーミントン市(アメリカ合衆国 イリノイ州) 1962年(昭和37年)10月11日提携。 (アメリカ合衆国 イリノイ州) 1987年(昭和62年)7月7日提携。ブルーミントン市とは双子都市である。 水原市(大韓民国 京畿道) 1989年(平成元年)10月17日提携。 友好都市 ユジノ・サハリンスク市(ロシア連邦 サハリン州) 1967年(昭和42年)11月10日提携。 哈爾濱(ハルビン)市(中華人民共和国 黒竜江省) 1995年(平成7年)11月21日提携。 その他 モーラ市(スウェーデン王国 ダーラナ県) 『バーサーロペットジャパン』の元になった、本家『バーサーロペット』開催都市。1990年(平成2年)3月に「三国交流会議」結成。 (アメリカ合衆国 ミネソタ州) 『バーサーロペットUSA』開催都市。1990年(平成2年)に「三国交流会議」結成。 長春市(中華人民共和国 吉林省) 2003年(平成15年)より『バーサーロペット・チャイナ』開催。2006年(平成18年)に「交流会議」(国際バーサーロペット交流会議)参加。 国内 姉妹都市 南さつま市(九州地方 鹿児島県) 2015年(平成27年)5月3日 姉妹都市提携。 提携都市 北名古屋市(中部地方 愛知県) 2014年(平成26年)2月8日 災害時相互応援協定締結。 経済 旭川市は大日本帝国陸軍第七師団が移駐した影響により経済や産業基盤が成立していき、 農業をはじめ食料品、紙・パルプなどの製造業を基幹産業とし、地理的条件により北北海道(道北、オホーツク、北空知)の商業、物流の拠点になっている。 また、医療、教育、文化などの都市機能が集積している。 産業別の就業者では、第三次産業に従事している割合が全体の約80 %と最も高く、製造品出荷額等では食料品製造業の割合が最も高くなっている。 旭川市は多くの河川が市内を流れて大雪山系の雪解け水や伏流水の恩恵を受けているため、様々な産業で水資源を有効活用している。 第一次産業 水稲作付面積と収穫量ランキングは北海道内でともに岩見沢市に次ぐ2位となっており、ソバの作付面積は北海道内で幌加内町、深川市に次ぐ3位となっている。 また、豊富な水資源と良質な米によって酒造りが行われているほか、 旭川地域では家具や木材、木製品(木器)に関係する企業が集積している。 農業 稲作 蕎麦 農業協同組合 上川生産農業協同組合連合会(JA上川生産連) あさひかわ農業協同組合(JAあさひかわ) たいせつ農業協同組合(JAたいせつ) 東旭川農業協同組合(JA東旭川) 東神楽農業協同組合(JAひがしかぐら) ホクレン旭川支所・旭川鶏卵流通センター・旭川生活総合事業所 北海道農業共済組合(NOSAI北海道)上川中央支所・上川中央家畜診療所 林業 木材 木器(木製品) 林業協同組合 協同組合旭川木工センター 旭川市森林組合 第二次産業 工業 産業集積地(工業団地) 旭川流通団地 旭川工業団地 旭川リサーチパーク 旭川木工センター 工業協同組合 旭川家具工業協同組合 旭川魚菜商業協同組合 旭川地方自動車整備協同組合 旭川工業団地協同組合 旭川総合鉄工団地協同組合 道北電気工事業協同組合 旭川市管工事業協同組合 旭川ボーリング工業協同組合 旭川地方左官工業協同組合 旭川情報産業事業協同組合 旭川印刷製本工業協同組合 第三次産業 商業 ショッピングセンター スーパーマーケット 協同組合 旭川折込広告協同組合 旭川酒販協同組合 旭川ホテル旅館協同組合 あさひかわ福祉生活協同組合 旭川弁護士協同組合 旭川地方個人タクシー協同組合 旭川個人タクシー協会 赤帽北海道軽自動車運送協同組合旭川支部 金融機関 市の指定金融機関は、1998年11月より旭川信用金庫が指定されている。それ以前は北海道拓殖銀行が指定されていた。 銀行 協同組織金融機関 証券会社 野村證券旭川支店 SMBC日興証券旭川支店 物流 ヤマト運輸道北主管支店 イオンモール旭川駅前出張所 旭川駅前センター 旭川旭町センター 駅前東センター 駅前西センター 旭川曙センター 旭川末広センター 神楽センター 永山センター 旭川流通団地センター 東光センター 佐川急便旭川営業所 拠点を置く企業 50音順 情報・通信 マスメディア 新聞社 業界紙・フリーペーパー・映像制作会社など 通信社 時事通信社旭川支局 共同通信社旭川支局 北海道通信社旭川支社 放送局 テレビ ラジオ 旭川シティネットワーク(FMりべーる) 生活基盤 ライフライン 電気 北海道電力旭川支店 電話 NTT東日本-北海道 北海道北支店 ガス 旭川ガス 上下水道 旭川市水道局 教育 大学 国立 北海道教育大学 旭川校 旭川医科大学 私立 旭川大学(設置者を新設予定の公立大学法人旭川市立大学へ変更(公立に移行)した後、旭川市立大学に名称変更予定) 通信 星槎大学 旭川学習センター 短期大学 私立 旭川大学短期大学部(設置者を新設予定の公立大学法人旭川市立大学へ変更(公立に移行)した後、旭川市立大学短期大学部に名称変更予定) 高等専門学校 旭川工業高等専門学校 専修学校 高等学校 道立 私立 通信 クラーク記念国際高等学校本校 旭川サテライト 池上学院高等学校旭川キャンパス 中学校 小学校 インターナショナルスクール グレースマウンテンインターナショナルスクール 特別支援学校 北海道旭川盲学校 北海道旭川養護学校 北海道旭川聾学校 学校教育以外の施設 交通 空路 空港 旭川空港 鉄道 鉄道路線 現存する旅客列車は全てJR北海道の路線である。毎時1本もしくは2本の頻度で、特急列車が札幌 - 旭川間を1時間半で結んでいる。 北海道旅客鉄道(JR北海道) 函館本線 近文駅 - 旭川駅 納内駅 - 近文駅間にあった伊納駅は、2021年3月13日のダイヤ改正時に廃止された。 宗谷本線 旭川駅 - 旭川四条駅 - 新旭川駅 - 永山駅 - 北永山駅 石北本線 新旭川駅 - 南永山駅 - 東旭川駅 - 桜岡駅 東旭川駅 - 桜岡駅間にあった北日ノ出駅は、2021年3月13日のダイヤ改正時に廃止された。 富良野線 旭川駅 - 神楽岡駅 - 緑が丘駅 - 西御料駅 - 西瑞穂駅 - 西神楽駅 - 西聖和駅 - 千代ヶ岡駅 日本貨物鉄道(JR貨物)北海道支社 宗谷本線 新旭川駅 - 北旭川駅 かつてあった路線 旭川電気軌道 東旭川線 旭川四条駅 - 旭川追分駅 - 墓地前駅 - 愛宕駅 - 二丁目駅 - 東旭川駅 - 五丁目駅 - 旭山公園駅 東川線 旭川四条駅 - 旭川追分駅 - 千代田駅 - 観音駅 - 共栄駅 - 東川駅 バス 路線バス 市内線 道北バス 旭川電気軌道 郊外線 道北バス 旭川電気軌道 空知中央バス ふらのバス 沿岸バス コミュニティバス 永山コミュニティバス - 2003年より永山地区で運行していたが廃止された。 高速バス 都市間バス 北海道中央バス(旭川営業所) 道北バス 北海道拓殖バス 十勝バス 北海道北見バス 阿寒バス 宗谷バス ジェイ・アール北海道バス タクシー 北海道運輸局による「一般乗用旅客自動車運送事業(タクシー)の自動認可運賃等」では「北海道B地区」に区分。営業区域は旭川交通圏。 旭川個人タクシー・四ッ星会 旭川地方個人タクシー協同組合 旭川個人タクシー協会 道路 市内を通る幹線道路は、シーニックバイウェイの「大雪・富良野ルート」、大雪 - 富良野 - 十勝を結ぶ「北海道ガーデン街道」になっている。 高速道路 道央自動車道(北海道縦貫自動車道):旭川鷹栖IC - 旭川北IC 地域高規格道路 旭川十勝道路(旭川東神楽道路) 国道 国道12号 旭川新道 国道39号 国道40号 旭川常盤ロータリー 国道233号(国道12号との重用区間) 国道237号 国道333号(国道39号との重用区間) 国道452号 道道 都道府県道 道の駅 あさひかわ 観光 北海道を代表する観光地「旭川市旭山動物園」を始め、北海道ガーデン街道の「上野ファーム」・北北海道エリア屈指の規模を誇る「カムイスキーリンクス」・大雪山連峰を一望できる展望地「就実の丘」等が存在する。また、全国的に有名な「旭川ラーメン」・「ジンギスカン」に加え「塩ホルモン」・「新子焼き」といった肉類の名物料理、さらに流通の拠点として北海道各地から新鮮な海産物が集まることから、ガイドブックではグルメが充実した都市と紹介されることも多く、近年では北海道有数の観光都市となっている。特に歓楽街である「3・6街」には、約800店の飲食店がひしめき合い、札幌市のすすきのに次ぐ規模の歓楽街として知られている。 上記に加え、近隣の美瑛町 (青い池・丘陵風景)・富良野市 (ラベンダー園)・東川町(大雪山国立公園)・上川町(層雲峡温泉・大雪高原温泉など)へのアクセスの拠点となっているため、旭川市内での宿泊者も多い。 文化財 「旭川市内の指定・登録文化財」参照 国指定 重要文化財 旧旭川偕行社 - 中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館 重要無形民俗文化財 アイヌ古式舞踊 - 旭川チカップニアイヌ民族文化保存会 国登録 有形文化財 上川倉庫群 旭川市市民活動交流センター (愛称:CoCoDe) あさでん春光整備工場(旧第七師団騎兵第七連隊覆馬場) 松岡家住宅 最創山光岸寺本堂 旧岡田家住宅(主屋・蔵) 山崎家住宅 道指定 史跡 神居古潭竪穴住居遺跡 市指定 有形文化財 上川郡農作試験所事務所棟(忠別太駅逓第一美英舎) 永山屯田兵屋 - 旭川市博物館 養蚕民家 旧神居古潭駅舎 旭川兵村中隊記録及び屯田物語原画綴り - 旭川兵村記念館 錦町5遺跡出土の斧柄 - 旭川市博物館 蕨手刀 - 旭川市博物館 第七師団関係記録 - 陸上自衛隊旭川駐屯地北鎮記念館 知里幸恵遺稿ノート - 旭川市博物館 旭川兵村中隊記録(追加) - 旭川兵村記念館 史跡 近文山国見の碑 - 嵐山公園 天然記念物 梅の木 - 旭川第一小学校校庭 神居古潭おう穴群 - 神居古潭石狩川河川敷 選定 「旭川市勢要覧 ランキングで見る旭川」参照 ふるさと産業50選「優佳良織」 近代水道百選「春光台配水池」 日本の都市公園100選、北の造園遺産「常磐公園」 旭川八景 旭橋 嵐山と嵐山からの眺望 外国樹種見本林 神居古潭 旧旭川偕行社・旭川市彫刻美術館 ダイヤモンドダスト(細氷) 常磐公園 平和通買物公園 北海道遺産「旭橋」「旭川ラーメン」 日本の地質百選「神居古潭渓谷の変成岩」 平成百景「旭川市旭山動物園」 名所・旧跡 主な神社 上川神社 永山神社 北海道護國神社 主な寺院 妙法寺 観光スポット 公園・キャンプ場 スキー場・ゴルフ場 カムイスキーリンクス - 「北海道パウダーベルト」に位置するスキー場の一つ サンタプレゼントパーク・マロースゲレンデ 旭川ゴルフ倶楽部 旭川メモリアルカントリークラブ フォレスト旭川カントリークラブ 文化・名物 祭事・催事 1990年(平成2年)から3年おきに『国際家具デザインフェア旭川』(IFDA ASAHIKAWA)を開催し、2000年(平成12年)から『旭川彫刻フェスタ』も開催している。特に9月に開催される「北の恵み 食べマルシェ」は、北海道最大級のグルメイベントとして、多くの市民・観光客が来訪する一大イベントとなっている。 名産・特産 日本国内有数の米どころであり、郊外には大雪の山々を背景とした田園風景が広がっている。大雪山連峰に源を発している伏流水が田を潤し、盆地ならではの寒暖の差が米のおいしさを増している。さらに、冷涼な気候は病害虫の発生が少ないので農薬の散布量も比較的少なくて済む利点がある。1891年(明治24年)に屯田兵が入植した年から酒造りが始まっており、1996年(平成8年)には大雪地ビールが誕生した。江丹別地域を中心にソバの栽培が盛んで、江丹別そばが有名である。旭川ラーメンは北海道遺産「北海道のラーメン」の1つであり、加水率の低い麺を使用している。粉をこねるときに加える水が少ないことでスープをよく吸って小麦の香りを感じる歯触りの良い麺となる。米と同様に良い水に恵まれていることが麺の要因となっている。また、かつて養豚業が盛んであったことから塩ホルモン、豚トロは旭川が発祥の地とされている。 ご当地グルメとしては主に旭川や空知地方の一部で提供しているもつそば、おにぎりとホットドッグを足して2で割ったかのようなジュンドッグ、若鶏の半身を炭火などで素焼きした新子焼き、イカの足を片栗粉でまぶして揚げたゲソ丼がある。 旭川家具は100年以上ある歴史の中で機能性やデザイン性に優れた家具づくりをしており、日本国外の見本市にも出展している。 スポーツ 野球 日本製紙旭川硬式野球部 - 日本製紙の旭川事業所を拠点に活動していた社会人野球の企業チーム。2000年に解散した。 サッカー 旭蹴会(北海道サッカーリーグ) ヴェルデラッソ旭川(道央・道北ブロックリーグ) リオグージョ旭川(旭川社会人リーグ) バレーボール ヴォレアス北海道(V.LEAGUE) 公営競技 競馬 場外勝馬投票券発売所 Aiba旭川(ホッカイドウ競馬) レラ・スポット北彩都(ばんえい競走) 出身・関連著名人 各種表彰 名誉市民 旭川市功労者 旭川市貢献賞 旭川市民栄誉賞 旭川市文化賞 旭川市新人奨励賞 栄誉をたたえて 旭川市特別表彰 旭川観光大使 出身著名人 ※太字は旭川観光大使 政治・行政・経済・軍事 政治 行政 磯田憲一 - 社会企業家。元北海道副知事 富樫凱一 - 元本州四国連絡橋公団総裁 福田勝一 - 元警視総監 古屋浩明 - 人事官、元人事院事務総長 水島徹治 - 元国土交通省北海道開発局長、元国土交通省北海道局長 経済 軍事 尾崎義春 - 旧帝国陸軍軍人(中将) 加藤建夫 - 旧帝国陸軍軍人(少将)、「加藤隼戦闘隊」隊長 河田槌太郎 - 旧帝国陸軍軍人(中将) 中永太郎 - 旧帝国陸軍軍人(中将) 村中孝次 - 旧帝国陸軍軍人(大尉)、二・二六事件の首謀者の一人 学術・教育・文化 学術 教育 野又貞夫 - 元野又学園理事長、元函館市議会議員 渡辺和子 - ノートルダム清心学園理事長 文化 芸能・ポピュラー音楽・マスコミ 芸能 ポピュラー音楽 マスコミ スポーツ選手 格闘技 陸上競技 高平慎士 - 陸上選手、北京オリンピック男子400mリレー銀メダル、旭川市民栄誉賞受賞 北口榛花 - 陸上競技選手 久保倉里美 - 陸上選手 球技 ウインタースポーツ 但野寛 - クロスカントリースキー選手(1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック代表) 荒井秀樹 - スキー指導者 竹内智香 - スノーボード選手、ソチオリンピックパラレル大回転銀メダル、旭川市民栄誉賞受賞 安藤麻 - アルペンスキー選手 佐藤瞳 - フリースタイルスキー選手 大塚博文 - スピードスケート選手 小野粧子 - アイスホッケー選手 その他 金山明彦 - 競馬騎手、調教師 丸田恭介 - 競馬騎手 俵信之 - 競輪選手 熊谷直樹 - 競艇選手 三浦敬太 - 競艇選手 三浦裕貴 - 競艇選手 旭川市シンボルキャラクター「あさっぴー」 2010年(平成22年)の旭川市開村120年に合わせて誕生した。旭橋のベルトや旭川ラーメンのフリンジなど旭川の特徴を取り入れ、“旭川”の“ハッピー”を願うキャラクターとなっている。 ゆかりのある人物 政治・経済・軍事・社会活動 学術・文化 芸能・ポピュラー音楽・マスコミ 宇多田ヒカル - シンガーソングライター 武田真治 - 俳優、ミュージシャン 大村英治 - テレビプロデューサー マダムケロコ - ラジオパーソナリティ コウメ太夫 - お笑いタレント その他 内山雄介 - 元プロ野球選手 小菅正夫 - 獣医師。元旭山動物園園長 P. C. ソーカー - 魔術師 旭川市を舞台にした作品 ロケーション撮影に関する窓口として「旭川地域フィルムコミッション」(旭川FC)を設立している。 文学 小説 詩 宮沢賢治「旭川」(『春と修羅』より) 随筆 大町桂月『層雲峡より大雪山へ』 漫画 ヤマモトマナブ『リピートアフターミー』 ヤマモトマナブ『キューナナハチヨン』 野田サトル『ゴールデンカムイ』 アニメーション 『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』 映画 ドラマ 音楽 中坪健「旭川ブルース」 細川たかし「旭川恋の町」 美川憲一「旭川の夜」 脚注 注釈 出典 参考文献 関連項目 日本の地方公共団体 (あ) 日本の地方公共団体一覧 外部リンク 行政 産業 旭川産業創造プラザ 旭川商工会議所 観光 観光 旭川市 旭川観光コンベンション協会 上川地方観光連盟 大雪みどころナビ 中核市 上川管内 北海道の市町村 1922年設置の日本の市町村
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1980%E5%B9%B4%E4%BB%A3
1980年代
1980年代(せんきゅうひゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1980年から1989年までの10年間を指す十年紀。この項目では、国際的な視点に基づいた1980年代について記載する。 できごと 1980年 ユーゴスラビア終身大統領ヨシップ・ブロズ・チトー、スロベニアのリュブリャナで病死。 ポーランドで独立自主管理労働組合「連帯」結成。 世界保健機関が、天然痘の根絶宣言。 モスクワオリンピック開催。ソ連のアフガニスタン侵攻のため日本・アメリカ合衆国・西ドイツはボイコット。 8年半にわたるイラン・イラク戦争が開戦。 元ビートルズのジョン・レノンがニューヨークのダコタ・ハウスで射殺された(ジョン・レノンの殺害)。 1981年 イギリスのチャールズ3世(当時皇太子)とダイアナ・スペンサーが結婚。 ギリシャが欧州共同体に加盟。 エジプトでアンワル・アッ=サーダート(サダト)大統領が暗殺される。 米国レーガン大統領就任。 トヨタ・ソアラが発売。社会現象を巻き起こす。 スペースシャトル コロンビアが初のスペースシャトルミッションで打ち上げ。 台湾で遠東航空機墜落事故発生。 1982年 モナコ公国の元女優グレース公妃が死去。 フォークランド紛争(マルビナス戦争)。 ソ連レオニード・ブレジネフ書記長死去し、ユーリ・アンドロポフが書記長に就任。 レバノン内戦起こる。 FIFAワールドカップ・スペイン大会開催。イタリアが西ドイツを破って優勝。 最初のコンパクトディスクプレーヤー (CDP-101) とCDソフトをソニーが発売。 1983年 インターネットが誕生する。 任天堂から家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」(ファミコン)が発売。 フィリピンのベニグノ・アキノ上院議員が射殺される。 大韓航空機撃墜事件起こる。 1984年 ソ連のユーリ・アンドロポフ書記長が死去し、コンスタンティン・チェルネンコが書記長に就任。 Macintoshが発売される。 ロサンゼルスオリンピック開催。 インド首相、インディラ・ガンディーが暗殺される。 米大統領選挙でレーガンが再選。 AT&T、解体される。地域ベル電話会社が成立する。 日本人の平均寿命が男女とも世界一に。 ボパール化学工場事故発生。 1985年 国際科学技術博覧会(つくば万博)開催。 ソ連でコンスタンティン・チェルネンコが死去し、ミハイル・ゴルバチョフが書記長に就任。 ヘイゼルの悲劇。観客39人が死亡し、この結果サッカーの母国イングランドが国際舞台から姿を消す。 ファミリーコンピュータ用ソフト「スーパーマリオブラザーズ」が大ヒットし、ファミコンブームとなる。 G5がプラザ合意声明。日本ではその後のバブル景気の原因のひとつになる。 日本航空123便墜落事故で乗客乗員520名が死亡。史上最悪の死者数を出す航空機墜落事故となる。 パレスチナ・ゲリラによるローマ・ウィーン両空港同時テロで20人が死亡。 マイクロソフトからOSソフト「Windows」が初めて発売される。 1986年 ハレー彗星大接近。 急激な円高によるプラザ合意不況・半導体不況。 スペインとポルトガルがECに加盟。 スペースシャトル、チャレンジャー号爆発事故、乗組員全員死亡。 フィリピンのマルコス大統領が国外脱出、アキノ大統領が就任。(エドサ革命) チェルノブイリ原子力発電所事故発生。 FIFAワールドカップ・メキシコ大会開催。アルゼンチンが西ドイツを破って優勝。 米ソ首脳会談。アイスランドのレイキャビクでレーガン大統領とゴルバチョフ書記長が会談。 ISOがSGML規約を出版 1987年 日本国有鉄道の分割民営化 世界の人口が50億人突破。 10月19日 - ブラックマンデー。世界の株式市場大暴落。 Apple Computerがハイパーテキストを実現した最初の商用ソフトウェアHyperCardを発表。 大韓航空機爆破事件が起こる 1988年 日産・シーマ発売。(シーマ現象) カルガリーオリンピック開催 イラン・イラク戦争停戦。 ソウルオリンピック開催。 NEC-HEが世界初となるCD-ROMを媒体として採用したPCエンジン用のCD-ROMドライブCD-ROM2を発売。 1989年 1月7日、第124代天皇・昭和天皇が崩御し、第125代天皇・明仁が即位。1月8日、元号法に基づき、元号が昭和から平成へ。 東欧革命が起こる。ポーランド、ハンガリーでの非共産党政権誕生に始まり、ベルリンの壁崩壊、チェコスロバキアのビロード革命、ルーマニアのチャウシェスク体制の崩壊と続く。 地中海のマルタ島でゴルバチョフとジョージ・H・W・ブッシュが会談し、冷戦の終結を宣言。 六四天安門事件 世相 社会 イギリス、アメリカ、日本で新保守主義的な政策が推進される。中道左派政権のニュージーランドでも新自由主義的な社会改革が行われた。 韓国、台湾の民主化が進む。 中国、改革開放政策による市場経済への移行。 中国民主化運動が最盛期を迎えるが、六四天安門事件により過酷な弾圧を受け、退潮する。 アジアNICs諸国の台頭。ASEAN諸国が経済成長をとげる。 アメリカと日本との間で貿易摩擦が深刻化。大都市で治安が悪化し、犯罪が多発。 中南米での経済が大破産する。 ペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開) - ミハイル・ゴルバチョフが推進したソ連の体制改革。西側との関係が改善し、ソビエト国内でも言論の自由が確保されてくるなど一定の成果を上げた。しかし、ソ連共産党の失政や汚職も明らかになり、その改革のエネルギーはそのまま社会主義陣営の崩壊をもたらすことになる。 文化 ヘヴィメタルが流行。MTVの影響力を背景に、ロックの商業化が進む。 MTVを巧みに利用した戦略でマドンナやマイケル・ジャクソンが大ヒットする。 ゲーム市場 アタリ社が1978年にアメリカで発売した家庭用ゲーム機「Atari 2600」に『スペースインベーダー』などのアーケードゲームキラータイトルが移植され、大ブームとなった。しかし、参入したサードパーティーが低品質なゲームを粗製濫造したため、1980年代前半にはアメリカにおける家庭用ゲーム市場の崩壊「アタリショック」を招く結果となった(第2世代)。 1982年に任天堂が日本で家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」を発売し、大人気を博す。北米では1985年に、ヨーロッパでは翌1986年に「Nintendo Entertainment System」として発売され、北米で家庭用ゲーム市場が復活するきっかけとなった(第3世代)。 1989年にセガが家庭用ゲーム機「Sega Genesis」(日本の「メガドライブ」に相当)を北米で発売、翌年に発売された任天堂の「Super Nintendo Entertainment System」(SNES, 日本の「スーパーファミコン」に相当)と互角以上のシェア争いを展開し、セガのゲーム機の中で最大の成功を収めた(第4世代)。 人物 アメリカ合衆国と西ヨーロッパ 政治 アミントレ・ファンファーニ (1908年 - 1999年) ロナルド・レーガン(1911年 - 2004年) フランソワ・ミッテラン(1916年 - 1996年) ヨハネ・パウロ2世(1920年 - 2005年) ポール・マルチンクス(1922年 - 2006年) ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ(1924年 - 2018年) マーガレット・サッチャー(1925年 - 2013年) ハンス・ディートリヒ・ゲンシャー(1927年 - 2016年) オロフ・パルメ(1927年 - 1986年) ヘルムート・コール(1930年 - 2017年) ブライアン・マルルーニー(1939年 - ) 思想と哲学 ジョージ・スティグラー(1911年 - 1991年) ミルトン・フリードマン(1912年 - 2006年) エルンスト・ノルテ(1923年 - 2016年) ヤーコプ・タウベス(1923年 - 1987年) アリス・ミラー(1923年 - 2010年) ジャン・フランソワ・リオタール(1924年 - 1998年) ジャック・ル・ゴフ(1924年 - 2014年) ジグムント・バウマン(1925年 - 2017年) マリー・ロスバード(1926年 - 1995年) ロバート・ニーリー・ベラー(1927年 - 2013年) ジャン・ボードリヤール(1929年 - 2007年) アラスデア・マッキンタイア(1929年 - ) アラン・ブルーム(1930年 - 1992年) ピエール・ルジャンドル(1930年 - ) チャールズ・テイラー(1931年 - ) ウンベルト・エーコ(1932年 - 2016年) モーリス・ゴドリエ(1934年 - ) フレドリック・ジェイムソン(1934年 - ) ベネディクト・アンダーソン(1936年 - 2015年) アラン・バディウ(1937年 - ) マーティン・バナール(1937年 - ) ソール・クリプキ(1940年 - ) ジュリア・クリステヴァ(1941年 - ) スティーヴン・グリーンブラット(1943年 - ) ウルリッヒ・ベック(1944年 - 2015年) サンダー・ギルマン(1944年 - ) ジョナサン・カラー(1944年 - ) ペーター・スローターダイク(1947年 - ) ハル・フォスター(1955年 - ) 文学 シドニィ・シェルダン(1917年 - 2007年) イヴ・ボヌフォワ(1923年 - 2016年) ミラン・クンデラ(1929年 - ) ドミニック・フェルナンデス(1929年 - ) クリスタ・ヴォルフ(1929年 - 2011年) トム・ウルフ(1931年 - 2018年) アゴタ・クリストフ(1935年 - 2011年) マーガレット・アトウッド(1939年 - ) レイモンド・カーヴァー(1938年 - 1988年) ヨシフ・ブロツキー(1940年 - 1996年) アントニオ・タブッキ(1943年 - 2012年) ジュリアン・バーンズ(1946年 - ) サルマン・ラシュディ(1947年 - ) ポール・オースター(1947年 - ) キャシー・アッカー(1947年 - 1997年) ウィリアム・ギブスン(1948年 - ) パトリック・ジュースキント(1949年 - ) スティーヴ・エリクソン(1950年 - ) カズオ・イシグロ(1954年 - ) ブルース・スターリング(1954年 - ) リチャード・パワーズ(1957年 - ) ジャン・フィリップ・トゥーサン(1957年 - ) ジャネット・ウィンターソン (1959年 - ) 芸術 フィリップ・ジョンソン(1906年 - 2005年) ルイーズ・ブルジョワ(1911年 - 2010年) イオ・ミン・ペイ(1917年 - ) エットレ・ソットサス(1917年 - 2007年) ガエ・アウレンティ(1927年 - 2012年) フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(1928年 - 2000年) ゲルハルト・リヒター(1932年 - ) フランク・ステラ(1936年 - ) A.R.ペンク(1939年 - ) ジョエル・ピーター・ウィトキン(1939年 - ) バリー・フラナガン(1941年 - 2009年) ジョナサン・ボロフスキー(1942年 - ) アンゼルム・キーファー(1945年 - ) ジャン・ヌーヴェル(1945年 - ) ロバート・メイプルソープ(1946年 - 1989年) ブルース・ウェーバー(1946年 - ) サンドロ・キア(1946年 - ) エンツォ・クッキ(1950年 - ) アンドレ・セラーノ(1950年 - ) ジュリアン・シュナーベル(1951年 - ) フランチェスコ・クレメンテ(1952年 - ) デイヴィッド・サーレ(1952年 - ) ハーブ・リッツ(1952年 - 2002年) ナン・ゴールディン(1953年 - ) ロバート・ロンゴ(1953年 - ) ジェフ・クーンズ(1955年 - ) キース・ヘリング(1958年 - 1990年) ジャン・ミシェル・バスキア(1960年 - 1988年) マーク・コスタビ(1960年 - ) ファッション カール・ラガーフェルド(1933年 - ) ジョルジオ・アルマーニ(1934年 - ) アズディン・アライア(1940年 - 2017年) ジャンフランコ・フェレ(1944年 - 2007年) ジャンニ・ヴェルサーチ(1946年 - 1997年) ジャン・ポール・ゴルチエ(1952年 - ) 映画とエンターテイナー リチャード・アッテンボロー(1923年 - 2014年) クロード・ランズマン(1925年 - ) ジェームズ・アイヴォリー(1928年 - ) マイケル・ケイン(1933年 - ) ジュディ・デンチ(1934年 - ) リドリー・スコット(1937年 - ) ジャック・ニコルソン(1937年 - ) ダスティン・ホフマン(1937年 - ) テリー・ギリアム(1940年 - ) ベルナルド・ベルトルッチ(1941年 - ) ハリソン・フォード(1942年 - ) デレク・ジャーマン(1942年 - 1994年) ピーター・グリーナウェイ(1942年 - ) ロバート・デ・ニーロ(1943年 - ) デヴィッド・クローネンバーグ(1943年 - ) ベン・キングズレー(1943年 - ) ヴィム・ヴェンダース(1945年 - ) オリヴァー・ストーン(1946年 - ) デヴィッド・リンチ(1946年 - ) アーノルド・シュワルツェネッガー(1947年 - ) グレイス・ジョーンズ(1948年 - ) ジェラール・ドパルデュー(1948年 - ) メリル・ストリープ(1949年 - ) リチャード・ギア(1949年 - ) ロビン・ウィリアムズ(1951年 - 2014年) デブラ・ウィンガー(1955年 - ) ブルース・ウィリス(1955年 - ) イザベル・アジャーニ(1955年 - ) ジュゼッペ・トルナトーレ(1956年 - ) メル・ギブソン(1956年 - ) ダニエル・デイ・ルイス(1958年 - ) リュック・ベッソン(1959年 - ) レオス・カラックス(1960年 - ) トム・クルーズ(1962年 - ) ジョディ・フォスター(1962年 - ) 音楽 ヴァンゲリス(1943年 - ) クラウス・ノミ(1944年 - 1983年) ローリー・アンダーソン(1947年 - ) スティーヴィー・ワンダー(1950年 - ) マイケル・ジャクソン(1958年 - 2009年) マドンナ(1958年 - ) 科学と技術 ジョージ・コーワン(1920年 - 2012年) カール・セーガン(1934年 - 1996年) マイケル・グリーン(1946年 - ) アラン・グース(1947年 - ) スティーブ・ジョブズ(1955年 - 2011年) ビル・ゲイツ(1955年 - ) その他 マーク・チャップマン(1955年 - ) ダイアナ・スペンサー(1961年 - 1997年) ソ連と東ヨーロッパ コンスタンティン・チェルネンコ(1911年 - 1985年) ユーリ・アンドロポフ(1914年 - 1984年) エレナ・チャウシェスク(1916年 - 1989年) ニコラエ・チャウシェスク(1918年 - 1989年) アレクサンドル・ヤコブレフ(1923年 - 2005年) ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ(1923年 - 2014年) タデウシュ・マゾヴィエツキ(1927年 - 2013年) エドゥアルド・シェワルナゼ(1928年 - 2014年) ミロラド・パヴィチ(1929年 - 2009年) ミハイル・ゴルバチョフ(1931年 - 2022年) ソフィア・グバイドゥーリナ(1931年 - ) アンドレイ・タルコフスキー(1932年 - 1986年) イリヤ・カバコフ(1933年 - ) アルフレート・シュニトケ(1934年 - 1998年) エゴン・クレンツ(1937年 - ) レフ・ヴァウェンサ(1943年 - ) ネーメト・ミクローシュ(1948年 - ) エミール・クストリッツァ(1954年 - ) ラテンアメリカ レオポルド・ガルチェリ(1926年 - 2003年) ガブリエル・ガルシア・マルケス(1928年 - 2014年) ビクトル・ファリアス(1940年 - ) レイナルド・アレナス(1943年 - 1990年) パウロ・コエーリョ(1947年 - ) サハラ以南のアフリカ ロバート・ムガベ(1924年 - ) デズモンド・ムピロ・ツツ(1931年 - ) ウォーレ・ショインカ(1934年 - ) ジョン・マックスウェル・クッツェー(1940年 - ) 西アジアと北アフリカ ナギーブ・マフフーズ(1911年 - 2006年) イツハク・シャミル(1915年 - 2012年) ホスニー・ムバーラク(1928年 - ) 南アジア ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ(1906年 - 1996年) ラジーヴ・ガンディー(1944年 - 1991年) ベーナズィール・ブットー(1953年 - 2007年) 東南アジア チュオン・チン(1907年 - 1988年 グエン・ヴァン・リン(1915年 - 1998年) フェルディナンド・マルコス(1917年 - 1989年) マハティール・ビン・モハマド(1925年 - ) イメルダ・マルコス(1929年 - ) ベニグノ・アキノ・ジュニア(1932年 - 1983年) コラソン・アキノ(1933年 - 2009年) ハサナル・ボルキア(1946年 - ) オセアニア ピーター・ケアリー(1943年 - ) 中国 鄧小平(1904年 - 1997年) 鄧穎超(1904年 - 1992年) 陳雲(1905年 - 1995年) 楊尚昆(1907年 - 1998年) 王震(1908年 - 1993年) 薄一波(1908年 - 2007年) 胡耀邦(1915年 - 1989年) 万里(1916年 - ) 趙紫陽(1919年 - 2005年) 劉賓雁(1925年 - 2005年) 江沢民(1926年 - ) 李鵬(1928年 - ) 方励之(1936年 - 2012年) 鄭義(1947年 - ) 柴玲(1966年 - ) ウーアルカイシ(1968年 - ) 王丹(1969年 - ) 香港 尊龍(1952年 - ) 成龍(1954年 - ) 台湾 李登輝(1923年 - ) 侯孝賢(1947年 - ) フィクションのできごと 前半 - アメリカ南部の沿岸地域に、目に見えない球状の局所的な圏界面「境界」に囲まれる形で、内部の環境が変容した領域「エリアX」が一晩にして出現する。当時、境界に接触した乗り物などはいずれも消滅。その後、エリアXは表向きは環境汚染による危険地帯とされ、監視機構「サザーン・リーチ」が設立される。(小説『』シリーズ) 後半(198X年) - カリブ海で作戦演習中だった第2艦隊を始めとするアメリカ軍部隊が、次元侵略者「バンゲリング帝国」が発生させたバンゲリング界にのみこまれる。艦隊勢力のほとんどがバンゲリング帝国に支配された中、唯一健在な第2艦隊旗艦である空母「ロナルド・レーガン」が反撃を開始する。(ゲーム『バンゲリング ベイ』) 脚注 注釈 出典 関連項目 十年紀の一覧 年表 年表一覧 外部リンク
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高口里純
高口 里純(たかぐち さとすみ、1957年9月30日 - )は、日本の女性漫画家、同人作家。血液型A型。 栃木県鹿沼市出身、在住。宇都宮女子商業高校(現・宇都宮文星女子高等学校)卒業。1977年、第2回白泉社アテナ新人大賞第2席を受賞。1979年、『花とゆめ』(白泉社)に掲載の「赤いシャッポ」でデビュー。 2006年から文星芸術大学講師、2007年から同大学准教授、2009年から同大学マンガ専攻客員教授を勤め、2013年に辞職した。 一時期使用した二次創作同人誌のペンネームは「かちとみさする」。 代表作に『花のあすか組!』『ロンタイBABY』『少年濡れやすく恋成りがたし』など。 概要 1980年代末から1990年代末にかけて『花のあすか組!』『ロンタイBABY』のヒットを中心として一世を風靡した。角川書店より1988年から1992年にかけて「高口里純傑作集」がまとめられ、1997年には「コミック版 高口里純文庫」レーベルが作られた。 古本での転売に反対している。高口里純が作品を発表し続けるためには、読者による新刊の購入が不可欠と述べる(公式サイトTwitter 2019年7月8日、同人誌、他)。 連載中 グランマの憂鬱 真のイケメンは正面からあなたを倒す(エッセイ漫画) 人物 「かぬまふるさと大使」である。近隣の学校から職場体験を受け入れ、文星芸術大学の教員を務めるなど、地元地域に密接した活動をしている。 娘と息子がいる。妊娠、出産体験はSF漫画『明日のために』に昇華された。 主婦でもあり、家事、育児の経験を作品に盛り込んでいる(『ロイヤルドッグ -忠実な犬-』『悩みごと、あったらね?』『ミラクルダイエッターMIYUKI』『紅のメリーポピンズ』『息子が心配で、夜も眠れない』)。 『仮面ライダークウガ』を視聴して以来、オダギリジョーのファンである。 女性の体型の好みは、ほしのあきである。 2005年頃から周杰倫の熱烈なファンとなり 、作品に周杰倫を想起させるキャラクターが登場するようになった(『ななひかり』『不思議は何で出来ているか』『将棋の時間』)。 周杰倫への情熱で台湾を訪れたが、周杰倫とは関係なく台湾淡水区に夢中になり、作品に反映されるようになる(『将棋の時間』『台湾が好きすぎて、家借りちゃいました。』)。 酒井美羽、谷地恵美子、竹宮惠子と交流がある。 日本共産党の支持者として知られ、選挙などではたびたび応援メッセージなどを送っている。 作風 小学校4年生の頃から漫画家を志し、志賀公江『スマッシュをきめろ!』、木原敏江、萩尾望都から影響を受けた。 事前に作品の資料は充分に揃えるが、先の展開をあまり考えず物語を作り始める。 多種多様な作品を大量に創作するが、様々な雑誌に連載するため、雑誌廃刊や打ち切りなどによる未完成作品が多い。 締め切り前の修羅場を経験したことが無く、締め切りを破ったことも無い。 頻繁に「薔薇」「月」をキーワードに使う。 マリリン・モンローのファンで、彼女と同じく口元にホクロのあるキャラクターがたびたび登場する。 SF漫画作品は、アシスタントに加倉井ミサイルの居た時期に彼女からメカニック協力のあった『美しい男』『明日のために』の2作品のみである。 1995年頃からコンピュータでの彩色を始めた。2000年頃から筆ペンを多用するようになった。 2000年頃からモノローグを担当する登場人物の年齢が上がってきている(『ロイヤルドッグ -忠実な犬-』『バラと最悪の魂』『不思議は何で出来ているか』『グランマの憂鬱』)。 2005年頃から瞳の描き方を変えている。 略歴 1977年 - 第2回白泉社アテナ新人大賞第2席を受賞 1979年 - 「赤いシャッポ」が『花とゆめ』に掲載されデビュー 1985年 - 『花のあすか組!』連載開始(1995年終了) 1987年 - 『ロンタイBABY』連載開始(1997年終了) 1988年 - 『花のあすか組!』テレビドラマ化、映画化 1990年 - かちとみさする名義で二次創作やおい同人誌の発行を始める(1998年頃まで/20冊程度) 1995年 - 『少年濡れやすく恋成りがたし』イメージビデオ化 1995年 - 『汚い奴』Vシネマ化 1997年 - 『ロンタイBABY』Vシネマ化 2000年 - 同人誌「悪態 AQUA ROSE」シリーズ(全16巻、「小説 悪態 AQUA ROSE」全4巻)での創作発表を行う(2006年終了) 2003年 - 『新・花のあすか組!』連載開始(2009年終了) 2006年 - 文星芸術大学マンガ専攻講師に就任(2013年、客員教授を辞職) 2018年 - 『花のあすか組! BS(ブラックスクール)編』連載開始および終了。『花のあすか組! ∞インフィニティ』連載開始(2021年終了)。 発表作品 漫画作品 1988年以前に発表されたほとんどの作品は、角川書店あすかコミックス「高口里純傑作集」(全22冊)として1988年から1992年にかけて再編集、再出版された。 1979年〜 トロピカル半次郎【全3巻】[1979 - 1980、LaLa、白泉社] ギャグ漫画。学園漫画。 『久美と森男のラブメロディ』シリーズ[1979 - 1982、花とゆめ、白泉社] 『熱くなるまで待って』 『パーフェクト・ディ』 『赤いピアノ線』【全2巻】 『ワルツの似合うころ』【全2巻】 自選傑作集 =短編集= [1979 - 1996、日本漫画家大全、双葉社] 「汚い奴 TYPE1」 「汚い奴 TYPE2」 「モスクワの夜はふけて」 「イヤリング・サマー」 「コンクリート・ボディ佐藤」 「ツイてるご家族」 「べっぴん」 アスファルトに眠れ =短編集= [1981頃、白泉社] 伯爵と呼ばれた男 【全5巻】[1982 - 1989、LaLa] 1930年代のハリウッドを舞台とする、オムニバスストーリー。 愛し合ってなんかいられない =不明=[1983頃、白泉社] 愛しているよ =短編集= [1984頃、朝日ソノラマ] 赤鼻のアズナブル =短編集= [1984頃、朝日ソノラマ] 空っぽハイスクール[1984頃、朝日ソノラマ] ギャグ漫画。 王(キング)のいる街 =短編集= [1984頃、朝日ソノラマ] ジョニーの戦場日記 =短編集= [1984頃、朝日ソノラマ] いっぱしマン[1984 - 1985、花とゆめ] ギャグ漫画。栃木県を舞台とする。 ピンナップ・ベイビー 【全2巻】[1985、新書館] BERLIN =不明= [1985頃、朝日ソノラマ] ナンパちゃん =短編集= [1985頃、朝日ソノラマ] ローマで夜だった =不明=[1985頃、朝日ソノラマ] 蒼い夜青い叫び」 =短編集= [1986頃、朝日ソノラマ] 女神の見た夢 [1986、朝日ソノラマ] 共著:酒井美羽、谷地恵美子 ゲスト参加:太田博子、木原敏江、坂田靖子、篠有紀子、古館由紀子、松苗あけみ マリリン・モンローをモチーフにし、1963年のニューヨークを舞台とする。 私は薔薇 -ココ・シャネルの秘密- 【全2巻】[1986頃、主婦と生活社] ココ・シャネルの伝記。 花のあすか組!【全27巻】[1987 - 1995、月刊Asuka、角川書店] ヤンキー漫画。学園漫画。中学生のいじめ問題などを扱う。 花のあすか組!外伝 【全6巻】[1987 - 1995、月刊あすか] 『花のあすか組!』の前日譚、サイドストーリー。 花のあすか組!番外編 -ロンリーキャッツ・バトルロイヤル- [1990、月刊あすか] 『花のあすか組!』OVA2の原作。 悪いあなた =短編集= [1987頃、mimi、講談社] EX-MEN(エクセレントメン)聞いて 【全2巻】[1988 - 1989、mimi] ニューヨークのモデル業界を扱う。 ロンタイBABY 【全15巻】[1988 - 1997、mimi] ヤンキー漫画。暴走族漫画。1974年の栃木県宇都宮市の高校生を扱う。未完。 兎 -うさぎ- [1988、月刊アフタヌーン、講談社] ヤクザ漫画。母と息子との関係を扱う。未完。 シルクのブラウス =短編集=[1988頃、Silky、白泉社] 蜃気楼を見た =短編集=[1988頃、Silky] 悪女は夜つくられる =短編集= [1989頃、BE・LOVE、講談社] 純愛タイトロープ =短編集=[1989頃、Silky] touch =短編集=[1989頃、Silky] 夜のスタイリスト =短編集=[1989頃、Silky] ワルツを踊る女 =短編集= [1989頃、BE・LOVE] 傷つかないと(Night) [1989、少女フレンド、講談社] 赤いドレスの男 [1989、モーニング、講談社] 犯罪予告を題材とする。 汚い奴 [1989、漫画アクション、双葉社] 犯罪、ユスリ屋、プロボクサーを扱う。 幸運男子 -ラッキーくん- 【全3巻】[1989 - 1999、mimi] ボーイズラブ。義兄弟を扱う。 1990年〜 Sex, Baseball & Rock'nroll 【全2巻】[1990、週刊ヤングマガジン、講談社] ギャグ漫画。スポーツ漫画。野球漫画。未完。 渋谷で会いましょう [1991頃、漫画アクション] ギャグ漫画。ヤクザ漫画。未完。 少年濡れやすく恋成りがたし 【全7巻】[1991 - 1997、ヤングロゼ、角川書店] 教師と生徒との情事、男子高校生の売春、暴力団、解離性同一性障害などを扱う。 力を抜いて =短編集=[1990頃、Silky] スウィート・ハート・ライフ =短編集=[1992頃、BE・LOVE] Girl =短編集=[1992頃、Silky] ルビー・カイロ [1992、ヤングロゼ] 映画『ルビー・カイロ』の漫画化。 イノセント・サイズ外伝 [1994頃、角川書店] 原案:高口組・サイズユニット。『イノセント・サイズ』登場人物の前世での物語。ファンタジー漫画。 銀 【全4巻】[1995頃、花とゆめ] テニス漫画。超能力漫画。臓器移植などを扱う。未完。 叫んでやるぜ! 【全5巻】[1995 - 1999、CIEL、角川書店] ボーイズラブ。声優業界。声優の父親とアイスホッケー選手の息子との交流を扱う。 美しい男 【全6巻】[1995 - 2000、Chara、徳間書店] ボーイズラブ。架空世界を舞台とするSF。戦闘機パイロット、コールドスリープなどを扱う。 クロイツ [1996、CIEL] ボーイズラブ。暴走族漫画。 黒 -ニグレード- 【全4巻】[1996 - 1998年、角川書店] 『銀』の前日譚でもあり『銀』の人物が登場。ファンタジー漫画。 ロンタイBABY プレイバック[1997、ヤングロゼ] 『ロンタイBABY』の続編。ヤンキー漫画。 詩人は一日にして成らず =短編集=[1997頃、スコラ] COME ON! CLASH BABY [1998 - 2002、祥伝社] ストリートファイターの女子高校生を扱う。ヤンキー漫画。漫画の描き方を変えている。 同時収録「熱の花」「リンダマン」 明日のために【全3巻】[1998 - 1999、コミックバーズ、スコラ] 近未来SF。出産、母親達と子供達の関係を扱う。瞳の描き方を変えている。 虹色仮面 【全7巻】[1998 - 2001、FEEL YOUNG、祥伝社] 美容、女装、銀座、記憶喪失などを扱った推理漫画。『少年濡れやすく恋成りがたし』とのクロスオーバー作品。 PINK 【全3巻】[1998 - 2000、Chara Selection、徳間書店] ボーイズラブ。漫画原作者と作画家を扱ったギャグ漫画。 勝負は時の…運だろ?SEVEN 【全3巻】[1998 - 2007、同人誌/花音、芳文社] ボーイズラブ。『勝負は時の…運だろ?』のスピンオフ作品、続編。バスケットボール部を扱う。 彼女を泣かせて [1999、少女フレンド] 瞳の描き方を変えている。 ロイヤルドッグ -忠実な犬- 【全2巻】[1999 - 2000、ヤングチャンピオン、秋田書店] ヤクザ漫画。父性と幼児の生命力を扱う。未完。 2000年〜 暗殺者は魚を嫌う[2000 - 、同人誌、オークラ出版] ボーイズラブ。ヤクザ漫画。『ロイヤルドッグ -忠実な犬-』のスピンオフ作品。『汚い奴』とのクロスオーバー作品。 少年失格 -ナチュラルキッド- 【全3巻】[2000 - 2002、ヤングチャンピオン] ギャグ漫画。男子中学生の女装を扱う。瞳の描き方を変えている。 ラ・グランダム[2001 - 2002、FEEL YOUNG] 『虹色仮面』の前日譚、スピンオフ作品。ハーバード大学を舞台とする。 バラと最悪の魂 【全4巻】[2002 - 2003、BE・LOVE] トランスジェンダー、不倫、家族などを扱う。未完。 世の中は僕らに甘い 【全7巻】[2002 - 2008、Chara Selection] ボーイズラブ。双子同士の恋愛、モデル業界を扱う。 詩人は一日にして成らず [1995 - 2003、Silky/同人誌/花音] ボーイズラブ。 新・花のあすか組! 【全8巻】[2003 - 2009、FEEL YOUNG/フィーヤン・ネット、祥伝社] 『花のあすか組!』の続編。ヤンキー漫画。携帯電話依存症などを扱う。未完。 美しい美しい美しい [2006、マンガ・エロティクス・エフ、太田出版] ボーイズラブ。漫画の描き方を変えている。 同時収録「after story」(描き下ろし後日談)、「白い指の悪魔」 ななひかり 【全7巻】[2006 - 2012、Chara] ボーイズラブ。異母兄弟、芸能界、音楽などを扱う。 不思議は何で出来ているか 【全2巻】[2007 - 2008、Hug/携帯コミックサイト描き下ろし連載、飛鳥新社] ボーイズラブ。オカルトを扱う。 コキュートスは嗤う 【全3巻】[2008 - 2010、マリカ/ミステリーサラ、扶桑社/Bbmfマガジン/ワニブックス] 原作:江上剛 『腐蝕の王国』。1985年からの金融機関を題材とする。 骨まで愛して 【全2巻】[2009 - 2012、Chara Selection] ボーイズラブ。サラリーマンフェチのおたくを扱う。 獣の条件[2009 - 2010、漫'sプレイボーイ/携帯コミックサイト描き下ろし連載、集英社] 成人向け漫画。漫画の描き方を変えている。 2010年〜 ロンタイBABY 喧嘩上等1974 【全4巻】[2011 - 2013、携帯コミックサイト描き下ろし連載、双葉社] 『ロンタイBABY プレイバック』の続編。ヤンキー漫画。 恋待ち 高口里純作品集 =短編集=[ピュアフルコミックス、ジャイブ] 「可愛い娘はなぜいつも隣のクラスなんだろう」 「悩みごと、あったらね?」 (2002 - 、しんぶん赤旗日曜版) 『叫んでやるぜ!』のスピンオフ作品。続編でもある。父親と娘の交流を扱う。 悪の花 -逆臣・陶晴賢- [2012 - 、コミック戦国無頼web、松文館] 原作:小川良 『妖臣伝 厳島合戦異聞』。未完。単行本未刊行。 サハラ -誘惑のエトランゼ- [2012、ハーモニィRomance、宙出版] シンデレラ・ストーリー。 花と王子の物語 [2013、ハーモニィRomance、宙出版] シンデレラ・ストーリー。 公爵家の薔薇の実 [2013、ほんとうに怖い童話、ぶんか社] 絵柄を変えている。 紅のメリーポピンズ 【全4巻】[2013 - 2015、JOURすてきな主婦たち、双葉社] ナニーによる育児、教育を扱う。 奇人探偵 銀鼠[2014 - 2015、ほんとうに怖い童話、ぶんか社] 明治時代を舞台とした推理漫画。絵柄を変えている。 悪いキス 【全3巻】[2015 - 2017、女性セブン、小学館] 原作:テレビドラマ『赤と黒』。電子書籍版『悪いキス』【全6巻】先行発売。 グランマの憂鬱 【既刊10巻】[2015 - 、JOURすてきな主婦たち、双葉社] 田舎を舞台とし、祖母と孫との交流を扱う。『紅のメリーポピンズ』のスピンオフ作品。連載中。 花のあすか組! BS(ブラックスクール)編【上下巻】[2018年4月6日 - 7月27日、Renta!/マンガJAM、祥伝社] 『新・花のあすか組!』の続編。ヤンキー漫画。ネットいじめを扱う。 花のあすか組! ∞インフィニティ【全9巻】[2018年9月7日 - 2021年8月20日、Renta!/マンガJAM、祥伝社] 『花のあすか組! BS(ブラックスクール)編』の続編。ヤンキー漫画。地下アイドルなどを扱う。 エッセイ漫画 息子が心配で、夜も眠れない [2013、双葉社] 息子が心配で、夜も眠れない バイト編 [2015、クリーク・アンド・リバー社]単行本未刊行。 息子が心配で、夜も眠れない 就活編 [2016、クリーク・アンド・リバー社]単行本未刊行。 台湾が好きすぎて、家借りちゃいました。完全版 日本語版 [2017、双葉社] (台湾で先行発売)日本人氣漫畫家追星瘋台灣 中国語版 [2013] 真のイケメンは正面からあなたを倒す(増刊ハーレクイン 2021年4月号 - 、宙出版) 連載中。 未単行本化作品 すてきな女(Silky 1990年5月号) イキそうでイカない(Silky 1991年5月号) 私のデビュー時代 (きみとぼく ソニー・マガジンズ) イニシャルK in パリ(漫画アクション 2005年12月28日増刊号) 将棋の時間 (YOU 2007年NO.20、2008年NO.6、集英社) 悪の花 -逆臣・陶晴賢- (コミック戦国無頼web 2012 - 、松文館) 美女にしか向かない職業 (JOURすてきな主婦たち 2012年10月号、双葉社) わたしとツッパリの日々 (JOURすてきな主婦たち 2015年3月号、双葉社) 同人誌未単行本化作品 #同人誌発表作品 28階に湧くシルクの水 [電子書籍化](2000 - 2006) 『美しい男』関連 マリッツ将軍の特別休暇(小説)[電子書籍化](2000) カリスマ(小説)[電子書籍化](2001) 恋に至る病(小説)(2001) 美しい男 -特別番外編-(2001 - 2004) 忠実な犬(2001 - 2006) PINK -スイッチ- 短編2編[電子書籍化](2001 - 2002) 『叫んでやるぜ!』関連 メリット[電子書籍化](2001) 訪問者[電子書籍化](2002) 十人の略奪された花婿(小説)(公式サイトWeb連載小説) 小説作品 花のあすか組!外伝 -ヨコハマ・ユカリ命- [1990、角川書店] 『花のあすか組!』のスピンオフ作品、前日譚。『花のあすか組!外伝』vol.9〜vol.11を小説化。暴走族を扱う。 少年濡れやすく恋成りがたし[神戸編] [1996、ASUKAノベルス、角川書店] 『少年濡れやすく恋成りがたし』のスピンオフ作品、前日譚。ヤクザを扱う。 少年濡れやすく恋成りがたし[神戸編]-過ちを犯す月- [2001、角川ルビー文庫、角川書店] ボーイズラブ。『少年濡れやすく恋成りがたし』のスピンオフ作品。ヤクザを扱う。 叫んでやるぜ! [2001、同人誌/書き下ろし、角川ルビー文庫、角川書店] ボーイズラブ。続編、スピンオフなど。 あなたがいたから [2010、書き下ろし、講談社X文庫、講談社] 漫画原作作品 勝負は時の…運だろ? 【全5巻】[1995-、CIEL、角川書店] 復刊 【全3巻】[花音、芳文社] 作画:藤崎一也 ボーイズラブ。バスケットボール部を扱う。 泣かせやがってこのやろう 【全3巻】[1995-、角川書店] 作画:架月弥 ルパン三世Takaguchi/Shusayスペシャル版 [1997、双葉社] 原作・監修:モンキー・パンチ 作画:Shusay 恋の渇き [2001、花音] 作画:穂波ゆきね ボーイズラブ。 きみには勝てない! 【全3巻】[2003-、花音] 作画:穂波ゆきね ボーイズラブ。全寮制男子校を扱う。 ミラクルダイエッターMIYUKI 【全2巻】[2003-、しんぶん赤旗日曜版、ジャイブ、電子書籍化] 作画:高口組 食生活を扱う。『叫んでやるぜ!』に登場した劇中アニメ番組のスピンオフ作品。『美少女戦士セーラームーン』をベースにした魔法少女もの。 ミラクルダイエッターMIYUKI vv(ブイブイ) [2005-、しんぶん赤旗日曜版、電子書籍化] 作画:高口組 『ミラクルダイエッターMIYUKI』の続編。単行本未刊行。 その他出版物 イラスト集 ラブレター[1985、新書館] 九楽あすか参る! [1988、角川書店] SATOSUMI GRAFFITI 1982-1991[1992、角川書店] ぱふ『花のあすか組!』特集 [1988、雑草社] ぱふ 高口里純 特集 [1992、雑草社] まれな「少女まんが家」の生活 [1990、大陸書房] アンソロジー 熱狂短編マンガ傑作集'83 [1983、小学館] 「ナンパちゃん」 グレープフルーツ別冊「ヒロイン&ヒーロー」歴史ロマンSPECIAL [1984、新書館] SFマンガ大全集 PART29 [1985、東京三世社] 「ジョニーの戦場日記」 少女漫画恐怖傑作選 - ミステリー館 (Part 1) 夢の扉の章[1993、宝島社] 天下無敵あどりぶ銀英伝 [1994、徳間書店] マンガ構成術 -ストーリーメイキングガイド- [2000、Comickersテクニックブック、美術出版社] 共著:川原由美子、酒井美羽、坂田靖子、松苗あけみ ブラック・ジャック ALIVE 2 [2005、秋田書店] 「The last acting」(ヤングチャンピオン 2005年5月10日号) かりあげクン トリビュート増刊 (漫画アクション 2005年12月28日増刊号) 「イニシャルK in パリ」 実話が怖い! 怪談新耳袋 - 母影 [2006、コミック新耳袋、メディアファクトリー] 「不思議話買います」 30周年だゾ!嵐を呼ぶクレヨンしんちゃんトリビュート[2020年9月25日、WEBコミックアクション] 「クレヨンしんちゃん×グランマの憂鬱」 挿絵作品 22歳 季節がひとつ過ぎていく [1988、角川スニーカー文庫、角川書店] 著者:唯川恵 アベルの島で [1992、角川ルビー文庫、角川書店] 著者:荘山ゆたか イノセント・サイズ 【全4巻】 [1992-、EASY BOOKS、ムービック] 著者:荘山ゆたか、高口組サイズユニット レベッカ・ストリート [1995、花丸ノベルズ、白泉社] 著者:菅野彰 スーパー・エージェント [2000、ハヤカワ・ミステリ文庫、早川書房] 著者:ハーラン・コーベン ウイニング・ラン [2002、ハヤカワ・ミステリ文庫、早川書房] 著者:ハーラン・コーベン 好奇心は猫をも殺す [2003、キャラ文庫、徳間書店] 著者:前田栄 色重ね [2005、キャラ文庫、徳間書店] 著者:剛しいら 漫画文庫化作品 短編漫画初出 同人誌発表作品 #同人誌未単行本化作品 2000年から2006年にかけて同人誌で作品発表が行われた。「悪態 AQUA ROSE」シリーズ全16巻、「小説 悪態 AQUA ROSE」シリーズ全4巻、総集編「別冊 悪態 AQUA ROSE」シリーズ全6冊。素描集「SHARE」。 「著作権保護のため転売を禁止すること。不要になった場合捨てて処分するか人にただであげるように」と記載されている。 掲載されたのは以下のものである。 新作 過去作品の続編 過去作品の番外編 過去作品の小説化 単行本化されていない作品の収録 ゲストによる二次創作原案を高口里純が漫画化した作品 ゲストによる二次創作小説に高口里純が挿絵を付けた作品 「かちとみさする」名義で発表された二次創作物の再録 以下に、単行本未収録の作品を述べる。 28階に湧くシルクの水[電子書籍化] 『少年濡れやすく、恋成りがたし』のスピンオフ作品。翼郎と水人を主役に描かれる。「少年濡れやすく、恋成りがたし(神戸編)」の続編でもある。第一部完結。第二部完結。中断。 マリッツ将軍の特別休暇(小説)[電子書籍化] 『美しい男』のスピンオフ作品。マリッツ・デュナンのエピソード。 カリスマ(小説)[電子書籍化] 『美しい男』の物語を補完するエピソード。コミックス第6巻でのM2とラモンとのストーリー。 恋に至る病(小説) 『美しい男』の物語を補完するエピソード。コミックス第5巻でのクラウドとステラスタとのストーリー。 美しい男 -特別番外編- 『美しい男』の続編。その後のM2とマリッツ・D・ジュニアが描かれる。1〜4話。短編。中断。 忠実な犬(小説) 『ロイヤルドッグ -忠実な犬-』コミックス第2巻の小説化。 忠実な犬 『ロイヤルドッグ -忠実な犬-』の続編。中断。 PINK -スイッチ- [電子書籍化] 『PINK』の続編。短編。2編。 叫んでやるぜ! -ワードローブ- [電子書籍化] 『叫んでやるぜ!』の続編。信乃と天竜とのストーリー。短編。角川ルビー文庫『叫んでやるぜ!』にも収録。 叫んでやるぜ! -メリット- [電子書籍化] 『叫んでやるぜ!』の続編。信乃と天竜とのストーリー。短編。 叫んでやるぜ! -訪問者- [電子書籍化] 『叫んでやるぜ!』の続編。南夏也と映日とのストーリー。短編。 十人の略奪された花婿(小説) Web連載小説。第一部完結。第二部未完結。 二次創作同人誌 かちとみさする名義。小林智美、ほたか乱、雁須磨子、かわかみじゅんこ、山田ユギ、浅田寅ヲ、菅野彰、などと共同執筆。 花のあすか組! - 「あすか組-Z- リバーシブル・ヴァージョン」(1990年12月)登場人物の性別を逆転させた漫画。 銀河英雄伝説 頭文字D アルスラーン戦記 魔法使いサリー ルパン三世 魔王伝(魔界都市ブルース) 機甲猟兵メロウリンク 他。 メディア化作品 伯爵と呼ばれた男 イメージアルバム (1986年7月21日発売) 作曲:羽田健太郎 歌手:阪口あや、澄淳子、清水三恵子 花のあすか組! テレビドラマ (1988年4月11日 - 同年9月26日) 実写映画 (1988年8月13日 - ) OVA1 「新歌舞伎町ストーリー 花のあすか組!」 (1987年6月10日発売) OVA2 「花のあすか組! 2 ロンリーキャッツ・バトルロイヤル」 (1990年3月23日発売) ビジュアル・サウンド・シリーズ (1987年6月発売) ドラマCD1 (1991年10月23日発売) ドラマCD2 (1992年4月23日発売) ドラマCD外伝 (1997年3月20日発売) ロンタイBABY 実写映画 (1997年1月3日 - ) 汚い奴 実写映画 (1995年8月12日 - ) 幸運男子 -ラッキーくん- ドラマCD (1996年6月26日発売) 少年濡れやすく恋成りがたし 実写イメージビデオ (1995年8月1日発売) ドラマCD1 (1995年4月21日発売) ドラマCD2 (1996年3月30日発売) イノセント・サイズ ドラマCD1 (1994年4月1日発売)  ドラマCD2 (1996年2月21日発売) 叫んでやるぜ! ドラマCD1 (1996年4月20日発売) ドラマCD2 (1997年7月19日発売) ドラマCD3 (2000年発売) ドラマCD4 (2000年発売) 勝負は時の…運だろ? ドラマCD (1996年6月26日発売) 美しい男 ドラマCD (1997年6月25日発売) きみには勝てない! ドラマCD (2004年7月23日発売) 新・花のあすか組! 実写映画 劇場版「花のあすか組 NEO!」(2009年4月25日 - ) アシスタント 加倉井ミサイル 架月弥 雁須磨子 かわかみじゅんこ 霧ヶ峰梨沙 捨井タスコ 千里唱子 茶花ぽこ 藤崎一也 森真理 山田ユギ 近隣の学校から職場体験に来た学生 文星芸術大学マンガ専攻の一部の学生 しだらちより(高口里純の娘) その他 藤本由香里 『少女まんが魂 現在を映す少女まんが完全ガイド&インタビュー集』 白泉社 2000年12月 少女マンガ評論家・藤本由香里によるインタビューを掲載 中野渡淳一 『漫画家誕生 169人の漫画道』 新潮社 2006年3月 インタビューを掲載 大井夏代 『あこがれの、少女まんが家に会いにいく。』 けやき出版 2014年3月 インタビューを掲載 NHK教育テレビ 趣味百科『少女コミックを描く』 第9回(1991年5月28日) 講師・里中満智子 アトリエ訪問 NHK 「あの歌がきこえる」 (2006年10月18日放送分) NHKBS2 「マンガノゲンバ」 (2007年7月31日放送分) 作者ノゲンバ「新・花のあすか組!」 「ダ・ヴィンチ」2014年6月号 『相棒』特集(メディアファクトリー) 杉下右京をイラスト化 脚注 外部リンク 高口里純公式サイト サロンバタイユ 無料公開 マンガZERO 日本の漫画家 日本の漫画原作者 女性の漫画原作者 新聞連載の漫画家 やおい漫画家 やおい小説家 日本の女性作詞家 日本の女性イラストレーター 同人作家 文星芸術大学の教員 日本のマンガ・アニメ教育者 栃木県出身の人物 1957年生 存命人物
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高瀬由香
高瀬 由香(たかせ ゆか、1960年9月26日 - )は、日本の漫画家。兵庫県神戸市出身。 来歴 1979年、小学館の少女漫画誌『別冊少女コミック』8月号にて「ふたりぼっちのサイレントナイト」でデビュー。以降、同誌や『ちゃお』、女性向け漫画誌『プチコミック』、『Judy』(いずれも小学館より刊行)などで活動。2005年頃より秋田書店の女性向け雑誌などでも執筆活動を展開。2009年12月現在、同社のレディースコミック誌『Eleganceイブ』などで作品を発表している。 作品リスト (出版社の記載がない作品の単行本は小学館発行) 浪漫ちっくパラダイス ISBN 978-4-09-131611-0(1984年7月)- 短編集。高瀬にとって初の単行本。 ロマンチックを抱きしめて ISBN 978-4-09-131612-7(1984年12月) 夢咲きロマンス ISBN 978-4-09-131613-4(1985年9月) ラストロマンス 全2巻 ISBN 978-4-09-132211-1(1986年2月) ISBN 978-4-09-132212-8(1986年6月) プリンセス待夢 全2巻 ISBN 978-4-09-132461-0(1986年12月) ISBN 978-4-09-132462-7(1987年2月) エンジェル 全6巻 ISBN 978-4-09-132671-3(1987年7月) ISBN 978-4-09-132672-0(1988年2月) ISBN 978-4-09-132673-7(1988年6月) ISBN 978-4-09-132674-4(1988年12月) ISBN 978-4-09-132676-8(1989年3月) ISBN 978-4-09-132675-1(1989年5月) 彼の瞳に彼女の涙 ISBN 978-4-09-131614-1(1987年10月) MEMORY ISBN 978-4-09-131615-8(1988年10月) SCHOOL 全3巻 -2004年に新装版として全1巻発行 ISBN 978-4-09-133351-3(1990年1月) ISBN 978-4-09-133352-0(1990年5月) ISBN 978-4-09-133353-7(1990年8月) DokiDoki 全10巻 ISBN 978-4-09-133601-9(1991年2月) ISBN 978-4-09-133602-6(1991年9月) ISBN 978-4-09-133603-3(1992年1月) ISBN 978-4-09-133604-0(1992年5月) ISBN 978-4-09-133605-7(1992年9月) ISBN 978-4-09-133606-4(1993年2月) ISBN 978-4-09-133607-1(1993年7月) ISBN 978-4-09-133608-8(1993年12月) ISBN 978-4-09-133609-5(1994年4月) ISBN 978-4-09-133610-1(1994年7月) 15の夏がゆく ISBN 978-4-09-131616-5(1993年10月) I LOVE YOU 全6巻 ISBN 978-4-09-136301-5(1995年1月) ISBN 978-4-09-136302-2(1995年7月) ISBN 978-4-09-136303-9(1996年2月) ISBN 978-4-09-136304-6(1996年7月) ISBN 978-4-09-136305-3(1996年10月) ISBN 978-4-09-136306-0(1997年3月) V-笑顔のために- ISBN 978-4-09-136307-7(1997年8月) そんな愛のある場所 ISBN 978-4-09-137761-6(1999年3月) あの夏の永遠 ISBN 978-4-09-137762-3(1999年11月) if-輝きの翼で- ISBN 978-4-09-169151-4(2000年2月) MAX純情系 全2巻 ISBN 978-4-09-137764-7(2000年10月) ISBN 978-4-09-137765-4(2001年12月) 愛は舞い降りた ISBN 978-4-09-169152-1(2002年11月) ふたりがいいね ISBN 978-4-7780-1031-7(2004年2月) 桜の木の下で 全3巻 ISBN 978-4-09-130156-7(2005年4月) ISBN 978-4-09-130209-0(2005年7月) ISBN 978-4-09-130210-6(2005年8月) OVER HEAT ISBN 978-4-7780-1032-4(2005年4月) 風のゆくさき ISBN 978-4-7780-1033-1(2005年8月) 彼の鼓動が聞こえる(秋田書店)ISBN 978-4-253-15858-9(2006年4月) ママにお願い!(秋田書店)ISBN 978-4-253-12149-1(2007年4月) 咲かない桜 ISBN 978-4-7780-1049-2(2007年6月) 空への約束 ISBN 978-4-7780-1071-3(2008年3月) 赤い雪が降る-罪と懺悔- ISBN 978-4-7780-1097-3(2009年2月) そこにはちゃんと愛がある(秋田書店)ISBN 978-4-253-15859-6(2009年7月) イラスト作品 高瀬由香 ポストカードブック(小学館)(1993年12月)-カラーイラスト集 脚注 日本の漫画家 神戸市出身の人物 1960年生 存命人物
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高田裕三
高田 裕三(たかだ ゆうぞう、1963年3月21日 - )は、日本の漫画家。東京都江戸川区出身。明治大学付属明治高等学校卒業、明治大学文学部日本文学専攻中退。本名:高田裕次。代表作は、『3×3 EYES』や『万能文化猫娘』、『碧奇魂ブルーシード』など。 『3×3 EYES』で1993年度 第17回 講談社漫画賞受賞。 経歴・人物 漫画家を志した高校時代は少女漫画を描いていたが、当時はまだ少女漫画は絵柄等の自由度が低く、そのことから作者の描く絵は少女漫画には向いていないと持ち込みの段階で編集部から拒絶され少年漫画などへと転向した。大学では明治大学漫画研究会に所属、4年留年し中退。当時は片山まさゆき、細野不二彦、五十嵐浩一のアシスタントをしていた。 本人の弁によると病弱であり、インスリン欠乏症(1型糖尿病)の持病を抱えているという。 エピソード 高校生の頃、コミックマーケットの警備スタッフをしていた経験がある。 非常時の補充などに不便が生じる恐れがあることから、特殊な画材は極力用いないという。『コミッカーズ』誌上でカラー原稿の彩色に安価な普及品の水彩絵具を愛用していることが紹介され、その理由を「どんな店でも大抵手に入るから」と述べている。 作品リスト 合縁奇縁 高田裕三画集 生物まんが細胞・遺伝 常夏バンク - 全2巻 スポーションKIDS - 全2巻 旗持偏屈男 - 全3巻 毎日が日曜日 - 全2巻 少女時代に、交通事故から救ってくれた手品師を一途に思う婦警が主人公。 万能文化猫娘 - 全1巻 新・万能文化猫娘 - 全1巻 トリツキくん - 全1巻 碧奇魂ブルーシード - 全2巻 3×3 EYES - 全40巻、新装版全4巻、文庫版全24巻 3×3 EYES 幻獣の森の遭難者 - 全4巻 3×3 EYES 鬼籍の闇の契約者 - 既刊7巻 幻蔵人形鬼話 - 全5巻 ゴリ押し成就ドラマジ!? - 全2巻 ブッキングライフ - 全2巻 臓器移植コーディネーターがテーマ 九十九眠るしずめ - 全3巻 九十九眠るしずめ 明治17年編 -全4巻 リトル・ジャンパー - 全7巻 ウルトラマン THE FIRST - 全3巻 CAPTAINアリス - 全10巻 鸞鳳 - 既刊2巻 無号のシュネルギア - 既刊6巻 アニメ化作品 3×3 EYES 毎日が日曜日 - ヒロインを伊藤美紀が演じている。その他3作品は全て林原めぐみ BLUE SEED 万能文化猫娘 その他 SDガンダム - CDジャケットイラスト デビルマン - CDジャケットイラスト ジャストブリード - キャラクターデザイン 椎名恵『いつか空に届いて』 - 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争主題歌 CDジャケットイラスト 林原めぐみベストアルバム『VINTAGE S』ジャケットイラスト まんが家になろう! (ワンダーランドスタディブックス) - 漫画、インタビュー 脚注・参考文献 外部リンク 日本の漫画家 明治大学付属明治高等学校出身の人物 東京都区部出身の人物 1963年生 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%B9%B8%E4%BA%8C
高橋幸二
高橋幸二(たかはし こうじ) 漫画家。高橋幸慈を参照。 高橋幸二 (野球)
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高橋千鶴
高橋 千鶴(たかはし ちづる、3月18日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。大阪府出身。 経歴 1975年、講談社の少女漫画誌『なかよし』にて「ルーディの誕生日」でデビュー。以降『なかよし』を中心に少女誌にて執筆活動をしていた。また、1985年頃よりレディース誌にも執筆の場を広げ、同社の『mimi』、秋田書店の『COLLET』、株式会社スコラの女性向け雑誌などでも作品を発表していた。 少女誌に連載していた作品では、中高生の女の子を主人公として、クラブ活動や恋愛、家族をテーマとし、逆境を跳ね返していく姿などを描いた作品が多い。 1980年に『なかよし』で連載した『コクリコ坂から』(原作・佐山哲郎)は、2011年にスタジオジブリによってアニメ映画化された。 作品リスト 単行本リスト (特に出版社の記載がなければ講談社発行) プルルンコーヒーゼリー ISBN 9784061082731(1977年5月)※短編集 翼ちゃんのト音記号 ISBN 9784061082861(1977年11月)※短編集 GOOD MORNING メグ ISBN 9784061082915(1978年1月) 1998年10月に講談社より新装版発行 ISBN 9784063339802 小夜子より…星便り ISBN 9784061083301(1979年6月)※短編集 LET'S SMILE メグ ISBN 9784061083486(1980年2月) 1998年10月に講談社より新装版発行 ISBN 9784063339819 しあわせ半分こ ISBN 9784061083578(1980年6月) コクリコ坂から 全2巻 原作:佐山哲郎 ISBN 9784061083639(1980年9月) ISBN 9784061083691(1980年12月) 2010年7月に角川書店より新装版発行 ISBN 978-4-04-854514-3 ミルキー☆レディ 全2巻 ISBN 9784061083844(1981年7月) ISBN 9784061084117(1982年6月) きゃらめるフィーリング ISBN 9784061084018(1982年2月) さくらんぼデュエット ISBN 9784061084377(1983年5月) アリスにきっす ISBN 9784061700765(1985年2月) わくわくファンタジア ISBN 9784061701083(1985年12月) マリエ背番号16 全3巻 原作:神崎あおい ISBN 9784061785250(1986年2月) ISBN 9784061785427(1986年7月) ISBN 9784061785601(1987年2月) 16歳のラストスパート(小学館)全2巻 原作:矢島正雄 ISBN 9784091323514(1986年8月) ISBN 9784091323521(1986年11月) 王子さまーっ ISBN 9784061785519(1986年10月) 丸の内コットンクラブ 全2巻 原作:内館牧子 ISBN 9784061701502(1987年2月) ISBN 9784061701571(1987年5月) ピンクのイレブン 全2巻 原作:神崎あおい ISBN 9784061785816(1987年8月) ISBN 9784061785939(1987年12月) ライオンは泣かない ISBN 9784061702226(1989年1月) ピンクのくじら ISBN 9784061702479(1989年7月)原作:内館牧子 トマト・フレーバー ISBN 9784063131642(1990年8月) 三姉妹探偵団 ISBN 9784061762466(1990年2月)原作:赤川次郎 時の流れに泣かされて ISBN 9784061703377(1991年8月) 戀むらさき 全3巻 原作:倉橋燿子 ISBN 9784063132557(1991年10月) ISBN 9784063132779(1992年2月) ISBN 9784063193015(1992年7月) 暗闇の彼方(スコラ)ISBN 9784796286244(1992年10月) やさしさに包まれて ISBN 9784063274172(1993年5月) 若葉白書 ISBN 9784063274660(1994年11月) 病院へ行こう(スコラ)ISBN 9784796287159(1995年11月) ママは元総長(秋田書店)全6巻 ISBN 9784253161145(1996年2月) ISBN 9784253161152(1996年11月) ISBN 9784253161602(1997年11月) ISBN 9784253161619(1998年12月) ISBN 9784253161626(2000年2月) ISBN 9784253162258(2001年1月) イラスト等担当作品 亜衣六年生きみが好き ゆめが好き(ポプラ社)ISBN 4-591-03475-5(1990年2月)著者:弥生まゆ さつき五年生 好きって言いたい(ポプラ社)ISBN 4-591-03146-2(1990年9月)著者:弥生まゆ ヨコハマ指輪物語(講談社X文庫-ティーンズハート)ISBN 4-06-190163-X (1988年4月)著者:神崎あおい ヨコハマ指輪物語〈2〉カラドリウスの罠 ISBN 4-06-190247-4 (1988年12月)著者:神崎あおい ヨコハマ指輪物語〈3〉緑のノクターン ISBN 4-06-190296-2 (1989年7月)著者:神崎あおい ヨコハマ指輪物語〈4〉哀しみのキマイラ ISBN 4-06-190414-0 (1990年4月)著者:神崎あおい ヨコハマ指輪物語〈5〉嘆きのキマイラ ISBN 4-06-190464-7 (1990年7月)著者:神崎あおい ヨコハマ指輪物語〈6〉水魔ブロケルの怒り ISBN 4-06-190522-8 (1990年11月)著者:神崎あおい ヨコハマ指輪物語〈7〉水魔ブロケルと第二の指輪 ISBN 4-06-190570-8 (1991年2月)著者:神崎あおい ヨコハマ指輪物語〈8〉マルコキアスの悲劇 ISBN 4-06-198549-3 (1991年9月)著者:神崎あおい 脚注 日本の漫画家 大阪府出身の人物 存命人物
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%99%E6%A9%8B%E3%83%84%E3%83%88%E3%83%A0
髙橋ツトム
髙橋 ツトム(たかはし ツトム、男性、1965年9月20日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。既婚。 1989年、『モーニング』(講談社)に掲載された『地雷震』の読み切りでデビュー。『月刊アフタヌーン』(同)、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)などで活動。代表作に『地雷震』『スカイハイ』『爆音列島』『SIDOOH/士道』など。 来歴 学生時代はパンクバンドを組んで音楽、並行して暴走族「ZERO」、それぞれで活動し、高校を1学年で中退する。一時は就職するも、交際する女性に振られてバンド活動を再開するとメンバーと意向が一致せず、「ひとりでできるものは何か」と考え、小学生の時に『ドカベン』の岩鬼正美を模写して他人から褒められたことを思い出して漫画を描き始める。漫画は8年ほど読んでいなかった。 講談社『モーニング』に掲載されていたかわぐちかいじ『アクター』に感銘をうけ、初めて描いた作品『GOTAVOICE』(アフタヌーン四季賞CHRONICLE掲載)を講談社に持ち込む。自信がある作品だが編集者から酷評を受けて「捨ててください」と原稿を置き去るも、1987年にアフタヌーン四季賞で準入選し、担当編集者の口添えでかわぐちのアシスタントとなる。1989年に読み切り『地雷震』が『モーニング』に掲載されて漫画家として活動を始める。『地雷震』は1992年から『月刊アフタヌーン』で8年間連載する。 2000年に連載を始めた『鉄腕ガール』を経て、2001年から『週刊ヤングジャンプ』で『スカイハイ』シリーズの連載を始めると、北村龍平監督、釈由美子主演でテレビドラマと映画が製作された。ほかに中編『ALIVE』、短編『69』は『LOVEDEATH』として、北村龍平が実写映画を製作した。原作を基にした映画は好まないが、北村と意気投合して映像化を承諾した。2004年に高橋自身がオリジナル映画『苺の破片』を中原俊と共同で監督した。 ギャグ漫画家のおおひなたごうと親交があり、バンドを組んで活動するほか、1998年に高橋が原作を書きおおひなたが作画した、読み切り『天使のわけまえ』を『COMIC CUE』(イーストプレス)に掲載した。 作風 アシスタントは使わない。 筆記具には筆ペン(太い線やベタ)とボールペン(細い線や効果)を使用。 作業時間短縮のためにデジタルを使用(元原稿と効果用レイヤーをデジタル化、加工を施した後、それらを重ねて紙に出力する)。 下書きも仕上げも速い。カスレや飛び散りなどのライブ感、偶然性を大事にしている。 作品リスト 漫画作品 地雷震(1992年 - 2000年、アフタヌーンKC全19巻/講談社漫画文庫全10巻/アフタヌーンコミックス新装版全10巻) 地雷震 Diablo(2008年 - 2011年、アフタヌーンKC全3巻)※『地雷震』の続編 ALIVE (1999年、ヤングジャンプコミックス全1巻) 鉄腕ガール (2000年 - 2002年、モーニングKC全9巻/講談社漫画文庫全5巻) スカイハイ(2001年 - 2002年、ヤングジャンプコミックス全2巻) スカイハイ・カルマ(2003年、ヤングジャンプコミックス全2巻) スカイハイ・新章(2003年 - 2004年、ヤングジャンプコミックス全4巻) スカイハイ4(フォア)(2005年 - 2010年、ヤングジャンプコミックス全1巻) スカイハイ・ヘヴン(2011年、『スーパージャンプ』に前後編掲載、2021年、『グランドジャンプ』22号) 天間荘の三姉妹-スカイハイ-(2013年 - 2014年、ヤングジャンプコミックス全4巻) Blue Heaven (2002年 - 2003年、ヤングジャンプコミックス全3巻)※短編『69』収録 爆音列島(2002年 - 2012年、アフタヌーンKC全18巻) SIDOOH/士道(2005年 - 2010年、ヤングジャンプコミックス全25巻) 士道 サンライズ(2011年、ヤングジャンプコミックス全1巻) ヒトヒトリフタリ(2011年 - 2013年、ヤングジャンプコミックス全8巻) 二次元JUMPIN'(2014年 - 2015年、ヤングジャンプコミックス全3巻) 残響(2015年 - 2016年、ビッグコミックススペシャル全3巻) BLACK-BOX(2015年 - 2019年、アフタヌーンKC全6巻) ムヨン -影無し-(2008年 - 、原作担当、漫画:金正賢、ケータイ★まんが王国連載中、GAコミックス既刊5巻) 『週刊新マンガ日本史』37号 高杉晋作(朝日新聞出版) 四季彩 高橋ツトム短編集(モーニングKC全1巻) NeuN(2017年 - 2020年、ヤングマガジンコミックス全6巻) ヨリシロシ(2015年 - 、『ヤングマガジンサード』休載中) JUMBO MAX ジャンボマックス(2020年 - 、ビッグコミックス、『ビッグコミック』、既刊6巻) ギターショップ・ロージー(2018年、『ビッグコミック』(読み切り)、2020年 - 、『ビッグコミック増刊号』、既刊1巻) イラスト 高橋ツトム画集『K』(講談社)、高橋ツトム画集『S』(集英社) - 漫画家生活20周年の画集。講談社と集英社のコラボで同時発売された。 D.O.A 地雷震(新田隆男著、講談社ノベルス) 多重人格探偵サイコ―西園伸二の憂鬱(大塚英志著、講談社ノベルス) 多重人格探偵サイコ―雨宮一彦の帰還(大塚英志著、講談社ノベルス) 多重人格探偵サイコ―小林洋介の最後の事件(大塚英志著、講談社ノベルス) 修羅々(梶研吾著、講談社X文庫) トリガー(板倉俊之著 リトルモア) 戦神-いくさがみ-(PS2用ソフト)キャラクターデザイン メディア出演 浦沢直樹の漫勉 (2016年9月29日、NHK Eテレ) - 『残響』の製作過程を収録した画像を見ながら浦沢と対談した。(その後、浦沢は『JUMBO MAX』1巻の帯に登場した) 国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙 (2019年12月28日、テレビ朝日) 伊集院光とらじおと (2020年12月1日、TBSラジオ) - ゲストコーナーで約30分話した。『JUMBO MAX』の主人公の風貌が伊集院に似ている、かつて伊集院が関わった架空アイドル「芳賀ゆい」のムーブメントを『地雷震』の話作りのヒントにした、など。(その後、伊集院は『JUMBO MAX』2巻の帯に写真入りで登場した) 川島・山内のマンガ沼 (2021年8月13日、2021年8月20日、日本テレビ)- その後、マンガ沼は『JUMBO MAX』3巻の帯の惹句に登場した。 関連人物 師匠 かわぐちかいじ アシスタント 佐藤秀峰 宮野ともちか 弐瓶勉 真鍋昌平 出典 参考文献 マガジンファイブ『MHz』vol.3、2006年(インタビュー記事) 外部リンク 公式サイト 「改造していると本質に気付かない」髙橋ツトムが語るマンガ論|川島・山内のマンガ沼web - マンバ 日本の漫画家 東京都出身の人物 1965年生 存命人物
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高橋陽子
高橋 陽子(たかはし ようこ) 高橋陽子 (小説家) - 日本の小説家。 高橋陽子 (漫画家) - 日本の漫画家。⇒プロジェクト:漫画家/日本の漫画家 た行#高橋陽子 高橋陽子 (女優) - 日本の女優。 写真家・デザイナーのたかはしようこの本名(髙橋陽子) 関連項目 同音異字の名前 高橋洋子 (曖昧さ回避)
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高橋よしひろ
高橋 よしひろ(たかはし よしひろ、1953年9月18日 - )は、日本の漫画家。秋田県雄勝郡東成瀬村出身。血液型はB型。初期のペンネームに高橋義弘、高宮じゅん、結城剛など。犬漫画の第一人者。 来歴 秋田県雄勝郡東成瀬村の自然に囲まれた田舎で生まれ育つ。川崎のぼるや石川球太の影響を受け、小学6年生の頃より漫画を描き始める。中学卒業後、愛知県の自動車工場に就職。その後、職を転々としながら漫画家を目指す。名古屋市の理容店で働いている時に店主に勧められ、漫画家として1971年に上京、本宮ひろ志のアシスタントとなる。この年、『週刊少年ジャンプ』第3回手塚賞に『下町弁慶』を応募するが落選。しかし、編集者の目にとまり、1972年『週刊少年ジャンプ』に同作が掲載されて漫画家デビュー。 1973年、再び手塚賞に応募し、佳作を受賞(第5回『おれのアルプス』、高橋義広名義)。同年、本宮の紹介で『別冊少年ジャンプ』(後の『月刊少年ジャンプ』)に『あばれ次郎』を連載開始(高宮じゅん名義、高橋の「高」と師匠・本宮の「宮」、妻の名前「じゅん」を合わせたペンネーム)。1976年より『週刊少年ジャンプ』に『悪たれ巨人』、『月刊少年ジャンプ』に『白い戦士ヤマト』を同時連載する。 1983年、『週刊少年ジャンプ』に代表作となる『銀牙 -流れ星 銀-』を連載開始。1987年、同作品で第32回(昭和61年度)小学館漫画賞受賞。『銀牙』はフィンランドなど北欧でも人気が高く、フィンランドにたびたび招待されサイン会を行っている。 2012年にデビュー40周年を記念した原画展が横手市増田まんが美術館で開催された。 2021年、前年に亡くなった漫画家矢口高雄の後継として、横手市増田まんが美術館の2代目名誉館長に就任した。 作品リスト 銀牙シリーズ 銀牙 -流れ星 銀- - 銀牙シリーズ最初の作品。全18巻 。 銀牙伝説WEED - 銀の息子・ウィードを主人公にした続編。全60巻。 銀牙伝説WEED 外伝 夢見る戦士たち - オールカラー4頁の掌編。ウィードが見た夢を語る小品。 メルの旅立ち ロンリーロン シオンの HANAKO - 作者の高橋が作中に登場する短編。 銀牙伝説WEEDオリオン - ウィードの子たちを描く第3シリーズ。全30巻。 銀牙伝説リキ RIKI - オリオンたち四兄弟の 曽祖父リキを主人公にした作品。全1巻 。 銀牙伝説 杏樹と次郎丸 - 老マタギ・沢村義人の孫である杏樹と、銀の姪「ユキ」の子・次郎丸たちの強い絆の物語。 銀牙伝説 赤目 - 赤目の先祖を描いた番外編。全5巻。 銀牙〜THE LAST WARS〜 - 赤カブトの血を引く巨熊モンスーンとの闘い。全22巻。 ぎんが〜THE FIRST WARS〜(原案・高橋よしひろ、作画・つじつかさ) - オリオンたち四兄弟の幼犬時代の日常を、デフォルメキャラ絵で描く。『漫画ゴラクスペシャル』連載。 銀牙伝説ノア - THE LAST WARSの続編。『週刊漫画ゴラク』2019年6月7日号から連載。 銀牙四代 - 銀牙伝説ファンブック。2019年9月11日発売。 銀牙少年伝説 ドッグデイズ─ロクとぼくの一番熱かった日々─ - 高橋の実体験をもとに描いたシリーズの原点。『週刊漫画ゴラク』2022年9月30日・10月7日合併号から連載。 その他の作品 あばれ次郎 ボクサー(原作・武論尊) げんこつボーイ(原作・牛次郎) 白い戦士ヤマト 男の旅立ち 青空フィッシング(原作・布勢博一) 翔と大地 悪たれ 甲冑の戦士 グレートホース 天翔ける 白蓮のファング(原作・星野広明) 恭子の修羅(原作・工藤かずや) 孤島の冒険者 少年と犬(原作・伊藤アキラ) FANG ドランク 一撃 ラッシー 師匠 本宮ひろ志 アシスタント 宮下あきら 原哲夫 荒井清和 車田正美 イベント 2019年5月3日「高橋よしひろ×宮下あきら 子弟の絆トーク&サイン会イベント」(横手市増田まんが美術館リニューアル記念イベント) 脚注 関連項目 マタギ犬 外部リンク 高橋よしひろ×宮下あきら、青春時代を語る。横手市増田まんが美術館リニューアル記念イベントレポート | マンバ通信 - マンバ 高橋よしひろ年表 - 銀牙伝説WEED FAN オフィシャルページ 日本の漫画家 ア たかはし よしひろ 秋田県出身の人物 1953年生 存命人物
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高見まこ
高見 まこ(たかみ まこ、女性、12月6日生)は、日本の漫画家。長岡造形大学非常勤講師。 本名は渡部宣子。夫は漫画家のわたべ淳で、堀田あきお、石坂啓らとともに手塚治虫のアシスタントの同期の仲間であった。 来歴 東京都生まれ、千葉県育ち。血液型A型。千葉県立佐倉高等学校、武蔵野美術大学卒業。 手塚治虫に憧れ漫画家を志し、手塚プロダクションに就職した。なお、当該項目に「高見の同期に寺沢武一、三浦みつるなどがいた」との記述がかつてあったが、堀田あきお『手塚治虫アシスタントの食卓』(ぶんか社)の内容によると、寺沢・三浦は同期ではない(堀田、石坂らは1978年入社、寺沢は1976年入社)。 1980年に『みどりのラブ・ステップ』(「LaLa増刊号」)でデビュー、同時に手塚プロダクションを退職した。1984年には初の連載『いとしのエリー』(「週刊ヤングジャンプ」)がヒットした。 「年下男性と年上女性の恋愛」の描写は絶妙で、代表作の『いとしのエリー』や『ふたりの気持ち』、『愛 虹の始まる谷から』などでも同様の描写がある。 作品リスト みどりのラブ・ステップ - デビュー作 LaLa大増刊号 読み切り(1980年9月) いとしのエリー - 女教師と生徒の恋愛を描いた作品。YJコミックス全20巻。連載:「週刊ヤングジャンプ」(集英社)1983年 - 1987年。1987年、国生さゆりの主演で映画化された。 BABY BEAT - 全1巻 連載:「週刊ヤングジャンプ」(集英社) ふたりの気持ち - 別れた夫の弟との恋愛を描いた作品 全8巻 連載:「週刊ヤングジャンプ」(集英社) ボクの彼女 - 短編集 全2巻(集英社) 愛の風景 - 短編集 全2巻(双葉社) 愛 虹の始まる谷から 幻の愛夢の恋 - 短編集(集英社) ロマンス - 大正の歌麿こと詩画人竹久夢二(明治17年 - 昭和9年)の生涯がモデル。全9巻(1997年7月 - 2000年3月)。 美弥の恋 学習コミックアトムポケット人物館『やなせたかし』(講談社 / 作:圷紀子 / 監修:やなせスタジオ) 夏の夜の夢 不如帰 - 原作:徳冨蘆花 一十郎とお蘭さま - 全3巻 連載:「コミック乱」(リイド社) / 原作:南條範夫 仲蔵狂乱 - 連載:「コミック乱」 / 原作:松井今朝子 週刊マンガ日本史第8号『紫式部』(朝日新聞出版 / 監修:河合敦、山口正、川村裕子) 関連作品 ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜(2009年、秋田書店) - アシスタント時代の高見が登場。 ブラック・ジャックREAL~感動の医療体験談~(2013年、秋田書店) - 実話を元にしたストーリーに、手塚治虫のアシスタント経験者らが絵を描いた作品集。高見も1編を担当。 脚注 関連項目 喜国雅彦 - 漫画家、元アシスタント(ヤングジャンプ・コミックス「いとしのエリー」15巻カバーにコメント寄贈) 外部リンク ぽけまん 作者プロフィール 日本の漫画家 武蔵野美術大学出身の人物 東京都出身の人物 千葉県出身の人物 生年未記載 存命人物
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たがみよしひさ
たがみ よしひさ(本名:田上 喜久、1958年12月9日 - )は、日本の漫画家。代表作に『軽井沢シンドローム』など。同じく漫画家の小山田いくは実兄。 人物 長野県小諸市出身。 1979年、『ビッグコミック』1月10日号(小学館)に掲載された「ざしきわらし」(昭和53年度上期小学館新人コミック大賞の佳作)でデビュー。 作風における最大の特徴は、8頭身のシリアスな絵柄と2 - 3頭身のギャグ調を混在させる作風にある(8頭身のシリアスのみ、2 - 3頭身でギャグのみの作品も存在)。前者は目鼻立ちが強調された欧米人風の絵柄が特徴。また、当て字を多用する独特の台詞回しと、ふきだし以外の部分や枠線外の書き込みが多い。台詞以外の字体は丸文字を使用するが、読解が難しい箇所も見受けられる。 作品の主題としては、青春群像劇、シリアスなSF、ミステリーおよびサスペンス、オカルト、伝奇、ミリタリーなど、様々なジャンルを幅広く手がける。作品の枠を超えてキャラクターのクロスオーバーがしばしばあり、なかでも『NERVOUS BREAKDOWN』においては、現代を舞台とする主要作品の登場人物のほとんどが登場している。また、出身地である長野県が舞台になる作品が多く(『我が名は狼』『軽井沢シンドローム』など)、個別エピソードでもよく舞台になる。また、作中の人物が通う架空の学校に「白鳳高校」「白鳳大学」がある。 同じく漫画家の小山田いくは実兄。小山田の初期作品では「おこちゃん」のペンネームで車や列車など背景を描いていた。 一時期「雪女を出すと連載が終わる」というジンクスを抱えていた事があり、自身も『NERVOUS BREAKDOWN』の単行本で言及している。ただしその『NERVOUS BREAKDOWN』自体は雪女を出した後も長期に渡って連載している。 近年は病気のため、自宅療養中。 作品リスト まゆ 作者のプロデビュー前に制作された作品。 寄生虫(突然変異で誕生した、ヒトに卵を産み付けるコマユバチ。孵化した場合の致死率は100パーセント)がテーマのホラーミステリー作品。単行本『精霊紀行 ―ルポルタージュ・アルフ―』に収録。『終齢幼虫』のタイトルでセルフリメイクされている。 精霊紀行 ―ルポルタージュ・アルフ― 1979年 - 1983年、ビッグコミック・ビッグコミック増刊・別冊ビッグコミック、いずれも小学館、単行本:1984年 - 1985年、BIG CUSTOM SERIES、小学館 初期短編作品集。 軽井沢シンドローム ビッグコミックスピリッツ、小学館、単行本:1982年 - 1985年、ビッグコミックス、小学館 軽井沢での恋愛模様を独自のタッチで描く青春もの。ふきだし外の台詞や欄外のコメントなどの書き込みの多さや、ガンダムなどのアニメネタを多用する、いわゆる「同人誌的な」演出が当時のメジャー誌掲載の商業作品としては珍しかった。青年漫画雑誌の連載作品らしく、やや過激ともいえる性描写で、若い男性の支持を集める。 1985年にOVA化されている。 依頼人から一言 ※「依頼人」の読みは「スポンサー」 1982年、月刊マンガDuO、朝日ソノラマ 学園オカルトミステリー。永らく絶版になっていた経緯を踏まえて、キャラクターがゲスト出演した『NERVOUS BREAKDOWN』の単行本第11巻(ノーラコミックス版)に再収録されている。 我が名は狼 ※「狼」の読みは「うるふ」 1982年 - 1983年、週刊少年チャンピオン増刊 ヤングチャンピオン→プレイコミック、ともに秋田書店 青春もの。架空の避暑地でペンションを経営する一家に父の親友の息子である若い男が転がり込む。 同時期に連載されていた『軽井沢シンドローム』と双璧をなす、作者の代表作の1つ。こちらは連載後期に移籍した掲載誌の傾向から、さらに開放的な若者の性行動が描写されている。 道はコンチェルト 1982年、週刊少年チャンピオン、秋田書店、 実兄・小山田いくとの合作。中学生がSF漫画を描く学園もので、たがみは作中劇となるSF漫画パートを担当した。プレイコミックシリーズ版『我が名は狼』第1巻に併録。後に「超攻速ガルビオン」の主人公となる(酷似する)二人が登場する。 Dが落ちた日 1983年4号、少女コミック、小学館 第三種接近遭遇のSFもの。ビッグコミックス版『軽井沢シンドローム』第8巻、および単行本『私立北鳳高校K.I.E』に収録。 フェダーイン:戦士 1983年、週刊少年マガジン、講談社、単行本:1986年、マイブックKC、講談社 「マッド・クッキィ」の異名をとる傭兵・朽木三郎を主人公とした、中東を舞台にするミリタリーもの。 アフリカの太陽 1983年 - 1984年、リュウ、徳間書店、単行本:1991年、少年キャプテンコミックススペシャル、徳間書店 『フェダーイン:戦士』の姉妹編的な存在だが、こちらはオカルト色が強く作風は異なる。この作品では、シリアスな8頭身キャラに混じって、2、3頭身のギャグ調キャラでアフリカ出身のシャーマンが描かれている。同一人物を8頭身と2、3頭身の2種類で描くこともしておらず、たがみ作品の中では、キャラ毎の描き分けが最もハッキリしている。後編が描かれたのがかなり後なので、絵柄がだいぶ違っている。 たがみよしひさマガジン 1983年 - 1984年、各種雑誌掲載作品およびインタビュー等、単行本:1984年、別冊SFイズム3、みき書房 HERO 1983年 - 1984年、各種雑誌掲載作品、単行本:1985年、みき書房 SFもの。 それさえもおそらくは平穏な日々 1984年 - 1986年、少年キャプテンコミックス、徳間書店 作者の日常を描いた短編集。たがみ夫人もモデルとして登場する。 それ故におそらくは平穏なゴジラ 1984年、ビッグコミックスピリッツ、小学館 同年公開の映画『ゴジラ』へのオマージュを描いたエッセイ漫画。ビッグコミックス版『軽井沢シンドローム』第8巻に収録。 怒りのルドラ 1985年1号、モーニングパーティー増刊、講談社 怪獣映画のパロディ短編。単行本『なくしたピース』に収録。 妄想超人マイナマン 1985年12月号、月刊ウィングス、新書館 ヒーローもの。単行本『それさえもおそらくは平穏な日々』、および『なくしたピース』に収録の短編。 GREY 1985年 - 1986年、月刊少年キャプテン、徳間書店、単行本:1986年、少年キャプテンコミックス、徳間書店 近未来SFもの。1986年にOVA作品『GREY デジタル・ターゲット』として、徳間書店からアニメ化されている。一部では劇場公開もされた。ただしアニメのストーリーは、ヒロインの交代など、大幅に変更されている。 私立北鳳高校K.I.E 1986年、ビッグコミックスピリッツ、小学館、単行本:1995年、ノーラコミックスデラックス、学習研究社 学園もの。ファミリーコンピュータのゲームを題材にパロディ化された実験的作品。 化石の記憶 ※「化石」の読みは「いし」 1985年 - 1987年、プレイコミック、秋田書店、単行本:1986年 - 1987年、プレイコミックシリーズスペシャル、秋田書店 タイムスリップもの。初版はB5サイズの大判コミックで出版され、長らく絶版だったが、秋田書店より文庫化された。 なくしたピース 1986年 - 1988年、月刊ウィングス、新書館、単行本:1991年、ノーラコミックスデラックス、学習研究社 ミステリー短編集。 まかいのもりのあかいぬま 1987年7号、ビッグコミックスピリッツ、小学館 失恋をテーマにした青春もの。単行本『私立北鳳高校K.I.E』に収録。 FRONTIER LINE 1987年 - 1988年、月刊コミックNORA、学習研究社、単行本:1988年、ノーラコミックス、学習研究社 シリアスな連作SFロボットもの。 滅日 ※読みは「ほろび」 月刊少年キャプテン、徳間書店、単行本:1987年 - 1990年、少年キャプテンコミックス、徳間書店 シリアスな伝奇もの、超能力バトルもの。 NERVOUS BREAKDOWN 1988年 - 1995年、月刊コミックNORA、学習研究社、単行本:1989年 - 1997年、ノーラコミックス、学習研究社 私立探偵事務所を舞台にしたミステリー。コミックスで全13巻と、作者にとって最大のボリュームとなる作品。作中のいくつかのエピソードに、過去作品の登場人物が多数ゲスト出演している。 ファイター 1989年 - 1992年、月刊アニマルハウス、白泉社、単行本:1990年 - 1992年、ジェッツコミックス、白泉社 格闘技もの。架空の古武術を使う主人公と強豪達との闘い、それを取り巻く陰謀を描くストーリー。雑誌休刊に伴い、連載が中断したまま未完となっている。当時はあまり知られていなかった、テコンドーの起源が実は空手であるというタブーを描写している。 “PEPPER” 1991年、秋田書店 西部劇。スクリーントーンを極力使わず、ほぼ全ての陰影は掛け網によって処理されている。 侠客 1992年 - 1993年、ヤングアニマル、白泉社、単行本:1993年、ジェッツコミックス、白泉社 ヤクザもの。架空の地方都市を舞台とした陰謀劇だが、事態が収束しないまま完結している。 首 1993年14号、ヤングアニマル、白泉社 オカルトホラー短編。ジェッツコミックス版『侠客』第2巻に収録。 サマーバケーション 1993年16号、ヤングアニマル、白泉社 館もののサスペンス。ジェッツコミックス版『侠客』第2巻に収録。 メタルハンターズD コミックトム、潮出版社、単行本:1994年 - 1995年、希望コミックス、潮出版社 SFもの。大気汚染から切り離された都市「新都」に本社を置く企業・DAINOの特殊警備部門「D機関」の戦いを描く。 妖怪戦記 月刊少年キャプテン、徳間書店、単行本:1994年 - 、少年キャプテンコミックススペシャル、徳間書店 雑誌休刊に伴い、未完。 HARD 1995年、ノーラコミックスデラックス、学習研究社 ハードホイルドな雰囲気の伝奇もの。 『滅日』同様に、超能力を持つ特殊な一族の攻防を描く。全3話。単行本では表題作のほかに、「紅葉狩り」など短編を4作品収録(他の3編は再録)。 たがみよしひさ作品集 だれかが見ている 単行本:1995年、学習研究社 ホラー短編集。 お江戸忍法帖 1995年 - 1999年、コミックトム → コミックトムプラス、潮出版社、単行本:全5巻、希望コミックス、潮出版社 ギャグ忍者もの。敵組織の名前は、テレビ特撮作品『アイアンキング』などからヒントを得ている。 NIGHT ADULTCHILDREN 1997年 - 1998年、月刊コミックNORA、学習研究社、単行本:1998年、ノーラコミックス、学習研究社 怪盗もの。特異な才能を持つ美術品窃盗団と警察との対決を描く。『NERVOUS BREAKDOWN』の姉妹編にあたり、同作の登場人物も出演する。あとがきでは作者本人が『ないちる』と省略して欲しいと書いている。 W ※読みは「ウォン」 プレイコミック、秋田書店、単行本:1998年、秋田書店、全1巻。 ビリヤードもの。 雪の降る日は気をつけて 単行本:1999年、秋田コミックサスペリア、秋田書店 ホラー短編集。 UNDER GROUND ヤングチャンピオン、秋田書店、単行本:2000年、ヤングチャンピオンコミックス、秋田書店、全2巻。 原作:本橋信宏。本橋信宏を主人公とし、本橋を業界に引き込むことになる草野博美(後にAV監督の村西とおるとして有名になる)も登場する。1980年代のビニール本、裏本業界の内幕や写真誌『スクランブルPHOTO』の創刊から廃刊までを描くノンフィクション。 軽井沢シンドロームSPROUT 2002年 - 2006年、ヤングチャンピオン、秋田書店 『軽井沢シンドローム』の続編。前作の主役だった相沢耕平の息子・相沢薫平が主役となる次世代物語。 ベルリンの豹 単行本:2006年、歴史群像コミックス、学習研究社 第二次世界大戦中のドイツ軍戦車兵を描いたミリタリーもの。日本海軍飛行隊の漫画も併せて収録。 単行本未収録作品 リリカル ナイト ライダース 偽生 五才の頃(いつつのころ) 待っている… それゆえにおそらくは不穏な毎日・・・Titleがない アウトドアズマン列伝(レジェンド):2010年 - 2011年、BE-PAL、小学館 欠片の記憶(漫画昭和人情食堂 丼・お弁当編 (ぶんか社コミックス))2016/6/27 イラストその他 小説挿絵 花が散る春 蜜柑山奇譚(大和真也)角川スニーカー文庫 1988年 鳥が来る夏 蜜柑山奇譚2(大和真也)角川スニーカー文庫 1990年 平壌で朝食を。(勝谷誠彦) 光文社文庫 2010年 TVゲーム 怒 IKARI(1986年):ファミコン版のパッケージと説明書内のイラストを担当。 アニメ作品 超攻速ガルビオン(1984年):キャラクターデザイン 軽井沢シンドローム(1984年) GREY(1986年) アシスタント しのらさとし:漫画家 横山力也 脚注 外部リンク たがみよしひさのひねもすのたり - 公式ブログ たがみよしひさ - Twitter 日本の漫画家 +たかみ よしひさ 長野県出身の人物 1958年生 存命人物
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田口雅之
田口 雅之(たぐち まさゆき、1966年 - )は、日本の漫画家。愛知県出身。 略歴 1990年、『象的人間』でアフタヌーン四季賞(1990年秋の四季賞)に入賞。1991年、講談社の『月刊アフタヌーン』にて「知的ボクサー」で連載デビューするが4話で終了する。1994年、秋田書店の『週刊少年チャンピオン』で「イノセント・インカル」の連載を開始するが13話で終了する。その後約2年間新谷かおるのアシスタントを経験しそれ以降の作品から銃や車のアクション描写が増える。1997年、『週刊少年チャンピオン』で「バロン・ゴング・バトル」を連載開始。この作品は作者にとって初の単行本化作品であり初の長期連載作品となった。 作品リスト 連載 知的ボクサー(『月刊アフタヌーン』 1991年10月号 - 1992年1月号) イノセント・インカル(『週刊少年チャンピオン』 1994年41号 - 53号) バロン・ゴング・バトル(『週刊少年チャンピオン』)全9巻 バトル・ロワイアル(『ヤングチャンピオン』)全15巻 ブラック・ジャック NEO(『ヤングチャンピオン』)全2巻 LIVES ライブス(『チャンピオンRED』)全2巻 ブラック・ジョーク(『ヤングチャンピオン』→『ヤングチャンピオン烈』)連載(原作:小池倫太郎)既刊10巻、全76話 読切 象的人間(『月刊アフタヌーン』 1990年11月号) 知的ボクサー(『月刊アフタヌーン』 1991年8月号) 師匠 新谷かおる 日本の漫画家 愛知県出身の人物 1966年生 存命人物
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竹内桜
竹内 桜(たけうち さくら)は、日本の漫画家。 1987年、読み切り作品『a.Long.Break』でデビュー。同年の読み切り作品『ぼくのマリー』は1994年に『週刊ヤングジャンプ』誌上で連載化され人気を博し、1996年にはOVA化もされた。 その後、『特命高校生』の連載や数度の読み切り掲載を経て、2002年から2007年にかけて『ヤングアニマル』で連載されていた『ちょこッとSister』(作画担当、原作は雑破業)は同誌の看板作品の一つとなり2006年にはテレビアニメ化された。 主な作品 連載 ぼくのマリー(1994年 - 1997年、『週刊ヤングジャンプ』) 特命高校生(1998年 - 1999年、『ヤングアニマル』) ちょこッとSister(原作:雑破業、2002年 - 2007年、『ヤングアニマル』) ステューディオ5(2008年10月 - 2013年6月、『ヤングアニマルあいらんど』) 赤龍の乙女(2008年12月 - 2010年10月、『JC.COM』) 民法改正〜日本は一夫多妻制になった〜(原作:あかほりさとる、2015年 - 2018年、『ヤングアニマル』) うしみつ★inc(2014年5月2日 - 連載中、『ヤングアニマルDensi』) 読み切り、その他 竹内桜短編集(1999年)収録作品 ぼくのマリー(『増刊ヤングジャンプ』S62年ザ・グレート青春号掲載)※後に連載作品としてリメイク I♥鉄太郎(『ベアーズクラブ』H4年春号・H5年12月号掲載、『週刊ヤングジャンプ』平成10年52号・平成11年1号掲載) スタンス(『別冊ヤングジャンプ』H9年7/27号掲載) 流星少女(『週刊ヤングジャンプ』H9年36・37合併号掲載) 鯨人(『週刊ヤングジャンプ』H10年6・7号掲載) trajet(『別冊ヤングジャンプ』H12/15号掲載) ※なお、I♥鉄太郎 第1話は短編集のためにリメイクしたものを収録。 ちょこッとSister(『ヤングアニマル』H14年24号掲載)※後に連載へ移行。第0話として単行本1巻に収録。 ぱにっく!! けろけろ王国(ぱじゃまソフト)※キャラクター原画(フォルモーサのみ) 関連項目 きたがわ翔 師匠にあたる。 外部リンク 日本の漫画家 生年未記載 存命人物
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田島昭宇
田島 昭宇(たじま しょうう、Sho-U Tajima)は、日本の漫画家、イラストレーター。埼玉県出身。男性。 代表作に、『魍魎戦記MADARA』(魍魎戦記MADARAシリーズ)、『多重人格探偵サイコ』、『BROTHERS』など。キャラクターデザインに『キル・ビル』『お伽草子』『怪童丸』などを手がける。 略歴 名前の由来は「昭和は宇宙の時代だ」という父親の考えによるもの。幼少期は「しょぼん」と呼ばれていた。 本郷高校デザイン科卒業後、デザイン専門学校に入学するも中退。漫画家を目指し出版社などに持込をしていると、当時徳間書店にいた大塚英志と出会い、1985年に『アワ・タイム』(プチ・アップルパイ)でデビュー。その後、藤原カムイ、白倉由美、高橋葉介のアシスタントを務める。 そして、原作・大塚英志と組んで「魍魎戦記MADARA」の作画担当となる。当初は小学生から「僕の方が上手い」などと的確なファンレターが届いたが、それが後に彼の画力を劇的に向上させるきっかけとなった。 また、FC版「魍魎戦記MADARA」の雑誌広告においてはマダラのコスプレをする事になる。 「BROTHERS」においては自分でストーリーテリングも担当した。 細い線でリアルに描かれた人物や明暗のコントラストのはっきりした絵と、映画的な画面構成が作品の特徴。また、登場人物の服装や髪型のデザインセンスも評価が高く、ゲームのキャラクターデザインなども行っている。登場人物の服装はケルトアンドコブラなど、実在するブランドが多い。 浅田弘幸、小畑健の3人で「水瓶3」を結成(由来:3人が水瓶座である事から)。ロックミュージックファンで知られているが、洋楽はあまり聴かない。邦楽ではブランキージェットシティがお気に入りで、メンバーの照井利幸とは交友がある。 2016年7月8日より8月3日にかけて「多重人格探偵サイコ」の連載完結と田島の画業30周年を記念して「多重人格探偵サイコ完結記念&画業30周年記念 田島昭宇原画展『HUMAN 1/2 BABY DAYS』(読みはヒューマン ハーフ ベイビー デイズ)」(発表当初の企画名は「多重人格探偵サイコ完結記念&画業30周年記念 田島昭宇原画展『HUMAN GUS DAYS』」だったが後に現企画名へ変更された。)が東京・space caimanにて開催された。 2017年12月から2018年8月にかけて「魍魎戦記MADARA」の連載30周年を記念して、KADOKAWAより限定愛蔵版『MADARA ARCHIVES』が全5巻で発売された。(5巻は当初2018年5月2日発売予定だったが後に諸般の事情により発売日が8月4日へと変更された。) また、これに併せる形で「魍魎戦記MADARA」連載30周年と「MADARA ARCHIVES」発売開始を記念して「MADARA30周年記念 田島昭宇原画展『GOD TIME FANTASTIC WORLD』」が、11月11日から12月10日まで東京・space caimanにて開催された。 2021年4月にはデビュー35周年を記念して、1990年代から2000年代にかけて描かれた単行本未収録の短編が収録された『田島昭宇画業35周年作品集「Baby Baby」』を発売。その刊行を記念して、同年7月27日から8月8日まで「田島昭宇画業35周年記念展 <Side: A>『Baby Baby』」、同年11月30日から12月12日まで「田島昭宇画業35周年記念展 <Side: B>『冬暮れの金星』」と題した原画展が東京・ヴァニラ画廊にて開催された。 作品リスト 漫画 魍魎戦記MADARAシリーズ 魍魎戦記MADARA 全5巻(原作:大塚英志) 魍魎戦記MADARA摩陀羅弐 全3巻(原作:大塚英志) 魍魎戦記MADARA赤 全3巻(原作:大塚英志) MADARA転生編 全1巻 (原作:大塚英志) 多重人格探偵サイコ 全24巻(原作:大塚英志) BROTHERS Baby Baby(田島昭宇画業35周年作品集) BABY LOST(Baby Baby副読本) 未収録作品 下記のほとんどの作品が単行本未収録であったが2021年に発売された田島昭宇画業35周年作品集『Baby Baby』にて単行本初収録された。 アワ・タイム スクール・オブ・ザ・リビングデッド スーパー・チャイニーズ 場所 とどめをハデにくれ! Baby Baby(『Comic新現実』Vol.6収録) 7月4日ハレ。(「FLAT」収録) SUZUGAMORI(田島昭宇vs浅田弘幸 収録) Lust For Life(「Adidas MANGA FEVER」収録、「田島昭宇×浅田弘幸×小畑健」名義) MADE IN HEAVEN(「ネオデビルマン3」収録) プラネタリウムの天使(「robot1」収録) 画集 マダラ・カラーズ ガレリアンズ・ア・ヘッド SHO-U M-FILE ゴリラキック BABY★STARDUST 光速ガールズ BABY★STARDUST+ SHO-U TAJIMA(st) GALERIANS A HEAD―田島昭宇ガレリアンズ画集 ロザリオイエティ LOVE GOD MURDER 冬暮れの金星(田島昭宇画業35周年記念画集) 夢限パヤパヤ(田島昭宇 装画集) キャラクターデザイン ガレリアンズ ガレリアンズ:アッシュ 怪童丸 お伽草子(原案) キル・ビル Vol.1(アニメパート) 漫画版 XX(エクスクロス)(原作:上甲宣之、作画・製作協力:Production I.G)(キャラクター原案) K-20 怪人二十面相・伝(コスチュームデザイン) イラスト 果ての塔の物語(作:森山櫂、ウィングス・ノヴェルス) トップラン(作:清涼院流水、幻冬舎文庫) 帝都物語(作:荒俣宏、角川文庫) 修羅雪姫 東京ゲンジ物語(作:天樹征丸、講談社) サウンドトラック(作:古川日出男、集英社文庫) 雑誌「九龍」(河出書房新社) 陰陽ノ京(作:渡瀬草一郎、電撃文庫、但し第一巻のみ) コスプレ幽霊 紅蓮女(作:上甲宣之、宝島文庫) Fragile-こわれもの(作:石崎洋司、長埼夏実、令丈ヒロ子、花形みつる、ピュアフル文庫) Helpless(作:青山真治、角川文庫) 江戸川乱歩ベストセレクション(作:江戸川乱歩、角川ホラー文庫) 創竜伝(作:田中芳樹、YA!ENTERTAINMENT) 山田風太郎ベストコレクション(作:山田風太郎、角川文庫) ハンターダーク(作:秋田禎信、TOブックス) 忍びの森(作:武内涼、角川ホラー文庫) 山田風太郎全仕事(編:角川文庫編集部、角川文庫) 小説ファイナルファンタジーVII外伝 タークス〜ザ・キッズ・アー・オールライト〜(作:野島一成、スクウェア・エニックス) ストレイヤーズ・クロニクル(作:本多孝好、集英社) 悪人の名言(作:悪人の名言研究会、TOブックス) 殺人遺伝子ギルティ(作:ソフィー・ジョーダン、ハーパーBOOKS) 懺・さよなら絶望先生(第12話エンドカード) ブラッドラッド(第5話エンドカード) 脚註 外部リンク Official 田島昭宇 オフィシャルサイト 田島昭宇 NFT(foundation) 田島昭宇 オフィシャルストア(BOOTH) 田島昭宇 オフィシャルストア(stores) 日本の漫画家 日本のイラストレーター 本郷高等学校出身の人物 埼玉県出身の人物 1966年生 存命人物
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田島みるく
田島 みるく(たじま みるく、1958年12月30日 - )は、日本の漫画家、小説家。熊本県熊本市武蔵ヶ丘出身、埼玉県所沢市在住。熊本県立第一高等学校卒、明治大学農学部農芸化学科卒。女性で既婚(1男2女の母)。 経歴・人物 3歳から9歳の頃までは人吉市で過ごした。1986年、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)掲載の4コマ漫画でデビュー。『本当にあった愉快な話』(竹書房)などで読者投稿漫画やエッセイ漫画、育児コミックなどを描いているほか、講演やテレビ番組出演もこなしている。代表作に、自身の育児体験をもとに描いた『あたし天使あなた悪魔』など。2010年からは、小説家としても活動を始めている。 単行本作品リスト 漫画作品 ボッキーホラーSHOW(集英社) ツルネコ家族(竹書房) あたし天使あなた悪魔(婦人生活社、全4巻) ※2003年にPHP研究所から新装版全4巻発行。 ケッコンカン(徳間書店) 桃尻草子(ぶんか社) ミルキィ通信(竹書房) アダムとイブの大疑問(青春出版社) 本当にあった愉快な話(竹書房)1 - 10巻 本当にあった愉快な話 珍事件スペシャル 本当にあった愉快な話セレクション 本当にあった愉快な話 ヒィーギャー恐怖スペシャル 本当にあった愉快な話 ここがヘンだよスクープ大賞編 本当にあった愉快な話 愛憎ドキュメント編 本当にあった愉快な話 生ネタいちばん! お子様ってやつは(PHP研究所) のぞみかなえ株式会社(主婦と生活社) うるわしのオジータ(竹書房) おかあさんがおこってる(主婦と生活社) 出産ってやつは(PHP研究所) 田島みるくのコギャル伝説くるみちゃん(ぶんか社) 好毛子さん(光文社) ガーデニングってやつは(PHP研究所) おかあさんはおこってる(主婦と生活社) とんでもママの子育て図鑑(日本文芸社) 田島みるくのXin Chao! こんにちはベトナム(東京書籍) 嫁VS姑聞いてよ聞いてっ!!(竹書房) 親バカってやつは(PHP研究所) イラスト等担当作品 子どもを伸ばすあの手・この手・すべての手(著者:小林陽子、小学館) 最新介護保険まるごとQ&A(小学館) まるごとわかる株・投資信託・外貨預金の買い方、始め方(著者:吉田明弘、日本文芸社) ちんちんとおっぱいとだっこ(著者:松田ようこ、小学館) やさしくわかるワイン入門(PHP研究所) しあわせ脳にスイッチを入れる魔法の言葉51(著者:佐藤富雄、幻冬舎) 小説作品 ぼくら!花中探偵クラブシリーズ(PHP研究所) ぼくら!花中探偵クラブ 学園をおびやかす謎の幽霊事件 ぼくら!花中探偵クラブ 2 幽霊沼と三つ子地蔵の伝説 ぼくら!花中探偵クラブ 3 呪い村神隠し事件の謎 出典 外部リンク 田島みるく 先生 - まんがライフWIN - livedoor デイリー4コマ 日本の漫画家 日本の小説家 明治大学出身の人物 熊本市出身の人物 1958年生 存命人物
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立原あゆみ
立原 あゆみ(たちはら あゆみ、1946年11月27日 - )は、日本の漫画家。千葉県出身。男性。日本大学芸術学部美術学科卒業。 来歴 ペンネームの由来は、立原道造と、彼の作品における「あゆ」より。 1970年、『ダブダブ』(集英社「週刊マーガレット」)でデビューし、講談社、小学館、白泉社、秋田書店、サンリオなどでリリカルな少女漫画を中心に執筆。1970年代後半より、大人の女性向け漫画を執筆し、YOU(集英社)・BE・LOVEなど女性向け漫画誌でも多くの作品を発表した。 1983年に週刊少年チャンピオンで少年誌での執筆を始めてからは、少年誌・青年誌での仕事が多くなった。『本気!』が開始された1986年以降は任侠(ヤクザ)ものの漫画を中心に描いている。任侠漫画がヒットした後も、「きらら16(セーズ)」(秋田書店)創刊時などに看板作家として少女漫画を手がけている。 代表作は『麦ちゃんのヰタ・セクスアリス』『本気!』・『弱虫』・『JINGI 仁義』・『あばよ白書』など。 世界観を共通とする作品が多く、特に任侠漫画ではその傾向が強い。 初期にはのなかのばら名義の作品もあり、また、原作者として積木爆のペンネームで執筆することもある。 過去には、講談社のゴルフコンペで出会ったことをきっかけに石ノ森章太郎の弟子となり、絵入りの手紙による指導を受けるなどしていた。 また、立原は、映像的にはあすなひろしのファンであり、「もうひとりの師匠といえる」「いろいろ美的感覚を学びました」とも語っている。 作品リスト 立原あゆみ 涙星(アース)チンピラ子守歌(『週刊漫画TIMES』(芳文社)連載) 青空いっぱいのらくがき (『ひとみ』(秋田書店)連載) 青の群れ(『ヤングアニマル』(白泉社)連載) 熱(あっ)くんの微熱(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) あばよ白書(『月刊アニマルハウス』『ヤングアニマル』(白泉社)連載) あばよポニーテール(『週刊セブンティーン』(集英社)掲載) After School Wars(『月刊セブンティーン』(集英社)連載) Am a Boy(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) 恐竜は2時間前まで生きていた 帰りたいのは蜜蜂だけじゃない いけない草の町子(『セブンティーン』(集英社)掲載) 恋愛(いたずら)(『別冊漫画ゴラク』(日本文芸社)連載) 桜桃物語(『BE・LOVE』『び〜らぶペア』(講談社)連載) 桜桃物語(桃子16歳) 桜桃物語 プレ桜桃物語 かすみ君のSomething(『月刊セブンティーン』(集英社)連載) 風家族(『シルキー』(白泉社)連載) 黄色い鳥(『週刊セブンティーン』(集英社)連載) きらら(『月刊少年キャプテン』(徳間書店)連載) ぎんねこMINMIN(『ひとみ』(秋田書店)連載) 銀翼(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) グッバイカンパニー(『月刊セブンティーン』(集英社)連載) 喰人(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) - 立原あゆみ本人をモデルとしている漫画家が登場する。 こうのとり行進曲(『月刊セブンティーン』(集英社)連載) 極道の食卓 極道の食卓(『プレイコミック』(秋田書店)連載) 極道の食卓 獄中編(『プレイコミック』(秋田書店)連載) さくらんぼ物語 潮騒が聞こえる JACK&BETTY(『月刊セブンティーン』(集英社)連載) 自由律(『シルキー』(白泉社)連載) 瞬くんの瞬間(『月刊セブンティーン』(集英社)連載) JINGI 仁義 JINGI 仁義(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) JINGI2 仁義2(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) JINGIS 仁義S(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) 火薬(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)掲載) - JINGIと本気!のクロスオーバー作品 JINGI ZERO 仁義零(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) 仁義 AFTER(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) すーぱーアスパラガス(『ひとみデラックス』(秋田書店)連載) スーパーマンの子供(『ヤングレディ』(講談社)掲載) 先公(『ヤングアニマル』(白泉社)連載) 草原白書(『BE・LOVE』(講談社)掲載) ダブダブ(『週刊マーガレット』(集英社) 地球儀の海(『リリカ』(サンリオ)連載) 弱虫(チンピラ)(『週刊漫画ゴラク』(日本文芸社)連載) 東京(『スーパージャンプ』(集英社)連載) リストラ大王(『スーパージャンプ』(集英社)連載) 当選(『グランドチャンピオン』(秋田書店)連載) 遠い放課後(『BE・LOVE』(講談社)掲載) のらねこ教室(『別冊マーガレット』『デラックスマーガレット』『ぶ〜け』(集英社)、『デュオ』(朝日ソノラマ)、『小学四年生』『小学六年生』(小学館)掲載) のらねこ教室 NEWのらねこ教室 麦(ばく)ちゃん 麦ちゃん 麦ちゃんのヰタ・セクスアリス (『小説ジュニア』(集英社)連載) 第2部麦ちゃんのヰタ・セクスアリス (『コミックST』(集英社)連載) 花火(『コミックGIGA』(主婦と生活社)連載。休刊後、秋田書店より描き下ろしを合わせて単行本化) フランダースの犬(絵本) 不良レポート(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)掲載) プレッシャーあっぷるず(『モーニングパーティー増刊』『モーニング』(講談社)連載) Boys be 夏くん!!(『小説ジュニア』『YOU』(集英社)連載) ぼくはウイリー!(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) 地球儀(ほし)(『オースーパージャンプ』(集英社)連載) 星くんの朝(『ひとみ』(秋田書店)連載) ポニーテールがゆれてたぜ(『週刊セブンティーン』(集英社)掲載) ポリ公(『週刊漫画ゴラク』(日本文芸社)連載) 本気!(マジ!) 本気!(マジ!) (『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) 本気!番外編1「風」(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) 本気!番外編2「命」(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) 本気!番外編3「SOS」(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) 本気!II(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) 本気!サンダーナ(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) 本気!雑記(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)不定期連載) 本気!外伝クジラ(『プレイコミック』(秋田書店)連載) - 本気!と極道の食卓のクロスオーバー作品 本気!終章 火薬(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) 森のイルカ(『きらら16』(秋田書店)連載) 立夏物語(『ヤングレディ』(講談社)掲載) 林檎物語(『ヤングレディ』(講談社)掲載) 林檎たちの森(『び〜らぶペア』(講談社)掲載) ルージュ(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)掲載) Red Data Book 赤(『ヤングアニマル』(白泉社)連載) 夢人(『YOU』(集英社)掲載) 若き獅子の伝説(『JOTOMO(女学生の友)』(小学館)掲載) わたしは萌(『週刊セブンティーン』(集英社)掲載) 悪い男たち(『YOU』(集英社)掲載) のなかのばら しあわせノック トントン・ミトン(『小学四年生』(小学館)掲載) ポッポの日記(『小学四年生』(小学館)掲載) 星の子ジュジュ(『なかよし』(講談社)連載)(株式会社トーヨーから、「星の子ジュジュ」を題材とした、折り紙などファンシー商品が1976年から1990年ごろまで発売されていた) 立原あゆみ(原作) オレは力だ!(画:吉田窓)(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) 房総暴走族ブラック金魚(画:吉田窓)(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) 積木爆(原作) ボーイズ(画:神矢みのる)(『月刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) Let'sダチ公 Let'sダチ公(画:木村知夫)(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) I'mダチ公(画:木村知夫)(『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載) 新Let'sダチ公 極道大学金時計(画:木村知夫)(『別冊漫画ゴラク』(日本文芸社)連載) 冒険王 THE ADVENTURE KING(画:木村知夫)(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) マルボウ!(画:木村知夫)(『ヤングチャンピオン』(秋田書店)連載) 同一の世界観の作品 『本気!』シリーズ、『JINGI 仁義』シリーズ、『あばよ白書』、『花火』、『当選』、『弱虫(チンピラ)』、『東京』、『恋愛(いたずら)』、『極道の食卓』などが同一の世界観で描かれている。 『麦ちゃん』シリーズ、『黄色い鳥』、『あばよポニーテール』、『かすみくんのSOMETHING』、『アフタースクールウォーズ』なども同一の世界観(上記とは別)で描かれている。 『熱くんの微熱』と上記作品では同じキャラクター(風岡翔)が出てきているが、パラレルである。 『喰人』と『極道の食卓』は同じキャラクターと同じ店が出てきているが、パラレルである。 『本気!』と同一の世界観の作品に登場する主な組織 羆組 - 北海道 月の輪会 黒毛組 雪見会 - 東北 日輪組 - 『花火』 烏組 風組 - 関東 望月組 - 『恋愛(いたずら)』、風の草書 長野組 - 風の草書、紅屋組へ 月島組 - 『弱虫(チンピラ)』、紅屋組へ 江戸川組 - 『弱虫(チンピラ)』 渚組 - 『本気!』、風の草書 子組 - 『本気!』 小間組 - 風の草書 雨組 - 『東京』 主税会 - 風の草書 五社谷組 - 風の草書 錦組 - 風の草書 紅花組 - 風の草書 赤目組 - 風の草書 広地会 - 風の草書 小風会 - 風の草書 豊海組 - 風の草書 本気組 - 『本気!』、風の草書 集優会 - 潮紋会と手を組み風組から独立→解散 濁組 - 『極道の食卓』 関東一円会(関東一円連合会) - 関東 墨田川会 - 『JINGI』、一円会執行部 砂組 - 『JINGI』 七ツ山組 - 『JINGIS』 浅見組(小笠原組) - 一円会執行部、六星会に参加→復帰 高山組(横山組) - 一円会執行部 酒井組 - 一円会執行部 森の石会 - 一円会執行部 利根組 - 一円会執行部 上州またたび会 - 一円会執行部 鳩山会 - 一円会執行部、岩見会に参加→復帰→六星会に参加→復帰 雄武会 - 一円会執行部、六星会に参加 立志会 - 一円会執行部、六星会に参加→復帰 竜門会 - 一円会執行部、分裂し六星会を結成→六星会解散 真十字会 - 元一円会執行部 岩見組 - 元一円会執行部、独立し岩見会→解散 平間組 - 元一円会執行部、岩見会に参加→解散 犭会(けもの会) - 東海 猩猩組 - 『あばよ白書』『弱虫(チンピラ)』、犭会最古七組 天狗組 - 犭会最古七組 狐尾組 - 犭会最古七組 独会 - 犭会最古七組 獲物組 - 犭会最古七組 狩首組 - 犭会最古七組 猿楽組 - 犭会最古七組 雷音会 - 佐渡、北陸 若獅子会 小獅子会 獅吼組 極地天道会 - 関西 飛田組 極地天道会八奉行 種倉組 極地天道会八奉行 新宮組 - 『弱虫(チンピラ)』 鐘組 極地天道会八奉行 図譜組 極地天道会八奉行 去来組 極地天道会八奉行 後の月会 極地天道会八奉行 津島組 極地天道会八奉行 玉仁会 極地天道会八奉行 水野組 天組 - 『本気!』 紅屋組 - 関西 長野組 - 風組より 月島組 - 風組より 潮紋会 - 四国 波間組 - 『当選』 舟組 中組 鷲組 - 九州 アシスタント 白銀章 吉田窓 脚注 外部リンク 立原あゆみweb. 立原あゆみweb. - 旧サイトのアーカイブ 日本の漫画家 千葉県立成東高等学校出身の人物 日本大学出身の人物 千葉県出身の人物 1946年生 存命人物
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たなか亜希夫
たなか 亜希夫(たなか あきお、1956年1月6日 - )は、日本の漫画家。 宮城県石巻市出身。小池一夫の主宰した漫画・劇画製作者を養成する私塾「劇画村塾」出身。代表作は『軍鶏』など。 作品リスト ア・ホーマンス (原作: 狩撫麻礼、『週刊漫画アクション』) 迷走王 ボーダー (原作: 狩撫麻礼、『週刊漫画アクション』) 雪崩式ブレンバスター クラッシュ!正宗 (原作: 小林信也、『週刊漫画アクション』、双葉社) 南回帰線 (原作: 中上健次) 軍鶏 (原作: 橋本以蔵、『週刊漫画アクション』→『イブニング』、講談社) 下北沢フォービート・ソルジャー 侍・にっぽん らっきーまん(『コミックバーガー』、スコラ) 人が人を愛することのどうしようもなさ (原作: 石井隆) 20世紀伝説 (原作: 石井隆) フジワラくん (『週刊ヤングサンデー』、小学館) 幸福になりたい Glaucos グロコス(『モーニング』、講談社) かぶく者(原作:デビッド宮原、『モーニング』) 喧嘩猿(原作:きうちかずひろ、『イブニング』) リバースエッジ 大川端探偵社(原作:ひじかた憂峰、『週刊漫画ゴラク』、日本文芸社) リバーエンド・カフェ(『漫画アクション』、双葉社) 隠密教師キド(『グランドチャンピオン』、秋田書店) ボタン・ダウンSt.(『ヤングコミック』少年画報社、1981年) アシスタント 仲能健児 脚注 関連項目 日本の漫画家一覧 宮城県出身の人物一覧 外部リンク たなか亜希夫 OFFICIAL WEBSITE(公式ページ) 日本の漫画家 宮城県出身の人物 1956年生 存命人物
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田辺節雄
田辺 節雄(たなべ せつお、本名同じ、1949年1月28日)は、日本の漫画家。大分県東国東郡出身、大分県立安岐高等学校卒。少年向け作品で「たなべせつを」表記が使われることがある。 来歴・人物 高校卒業後、京都の電機会社に就職するが、望月三起也から誘いの手紙をもらい退職、その後上京して望月のアシスタントとなり、約2年半続けた。独立後、1971年に『月刊少年チャンピオン』(秋田書店)にてサッカー劇画『どろんこシュート』でデビュー。少年画報社新人漫画賞佳作受賞。 以後、『戦国自衛隊』(原作・半村良)『地球0年』(原作・矢野徹)、『謀殺のチェス・ゲーム』(原作・山田正紀)、『滅びの笛』(原作・西村寿行)などを執筆。『週刊漫画TIMES』(芳文社)に『悪党貴族』(原作・間都聖史)、『悪玉志願』(原作・渡辺一雄/脚色・磯田健生)、『しぶとい男』(原作・伊東恒久)、「歴史と旅」に『武田信玄』を連載。 また、ゴルフレッスンもの等を10年余り連載し、少年向けのサッカー解説書『少年サッカー』やサッカー解説者として知られている湯浅健二の『サッカーを「観る」技術 スーパープレー5秒間のドラマ』(新潮社)においてイラストを担当するなどスポーツ漫画、イラストの作者としても知られる。 アシスタントからは佐佐木勝彦がデビューした。 作品リスト どろんこシュート(1971年、月刊少年チャンピオン 秋田書店) 戦国自衛隊(1975年、プレイコミック 秋田書店 原作:半村良) 続・戦国自衛隊(2000年、書下ろし 世界文化社 原案:半村良) 黄金伝説(1973年、月刊少年チャンピオン 秋田書店 原作:半村良) - 9月号および10月号に前後編で掲載 滅びの笛(1977年、プレイコミック 秋田書店 原作:西村寿行) 滅びの宴(1985年、月刊プレイコミック 秋田書店 原作:西村寿行) 蒼茫の大地、滅ぶ(1980年、プレイコミック 秋田書店 原作:西村寿行) 戦略列島(原作:六本木二郎) 地球0年(原作:矢野徹) 謀殺のチェス・ゲーム(1977年 Apache 講談社 原作:山田正紀) 崑崙遊撃隊(原作:山田正紀) エルドラドの翼(原作:原麻紀夫) メガロ刑事(原作:原麻紀夫) いれずみ刑事(原作:大野武士) 白熱(デッドヒート)(原作:田中光二) 悪党貴族(原作・間都聖史) 悪玉志願(原作・渡辺一雄/脚色・磯田健生) 海獣(原作:斎藤栄) 高野聖(原作:泉鏡花) しぶとい男(ヤツ)(原作:伊東恒久) 武田信玄 日本中を震撼させた血の激突!(原作:大下英治 大和書房) ミリオン出版の各テーマ集のコンビニコミックの作画。 くにさき漫画偉人伝ペトロ・カスイ岐部 超時空DDH ヘリ母艦南海の決戦 トクマコミックス バイク戦士(ソルジャー) 遺作 皇軍西へ征け(原作林千勝 ワック) コミカライズ作品 テレビアニメ 激走!ルーベンカイザー - 徳間書店「テレビランド」1977年11月号から1978年2月号まで掲載。 映画 月刊少年チャンピオンの「劇画ロードショー」枠に掲載された。後半では「たなべせつを」表記が使われた。 燃えよドラゴン - 1973年12月号 ドラゴンへの道 - 1975年3月号 タワーリング・インフェルノ - 1975年7月号 ジョーズ - 1975年12月号 狼たちの午後 - 1976年4月号 風とライオン - 1976年6月号 スカイハイ - 1976年7月号 ヒンデンブルグ - 1976年8月号 ジャイアント・スパイダー大襲来 - 1976年9月号 オーメン - 1976年11月号 カサンドラ・クロス - 1977年1月号 脚注 日本の漫画家 大分県出身の人物 1949年生 存命人物
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ちばあきお
ちば あきお(本名:千葉 亜喜生、1943年〈昭和18年〉1月29日 - 1984年〈昭和59年〉9月13日)は、日本の漫画家。満州の奉天(現:中華人民共和国遼寧省瀋陽市)出身。4人兄弟の三男で、長兄は漫画家のちばてつや、次兄は千葉プロダクション社長の千葉研作(元漫画家)、弟は漫画原作者の七三太朗。 来歴 少年時代は手先が器用でラジオの修理なども出来たほど(ただし、本人談。兄ちばてつやが『ひねもすのたり日記』にてこのエピソードを披露している)。高校は夜間学校で、昼間は玩具製造工場に勤めていたが、身体を壊し退社した。療養中にちばてつやのアシスタントとして漫画界に携わる。 ちばてつやのアシスタントをする中、1967年『なかよし』(講談社)掲載の『サブとチビ』でデビュー。代表作は『キャプテン』、『プレイボール』など。ひたむきで健全な少年たちを明朗に描いた作品で人気を得た。 躁鬱病を患った後に、1984年9月13日、仕事場2階にて首を吊り自殺した。。絶筆となった『チャンプ』の最終回(第8話)は、チーフアシスタントであった高橋広が、ちばあきおの下絵をもとに作品として仕上げ掲載された。 21世紀に入ってからも『プレイボール』がアニメ化されるなど、根強く評価されている。 経歴 1967年、『サブとチビ』でデビュー。 各種少年少女誌に読切作品を掲載する。ちばてつやのアシスタントは1971年まで行う。 1972年、『キャプテン』を連載開始( - 1979年)※1972年読みきりの『がんばらなくっちゃ』好評に付き改題して連載化する。 1973年、『プレイボール』を連載開始 - 1978年) 1977年、第22回(昭和51年度)小学館漫画賞受賞(『キャプテン』『プレイボール』) 1979年、『キャプテン』終了後、休筆 1982年、『ふしぎトーボくん』を連載( - 1983年) 1984年、『チャンプ』を連載(絶筆) 作品リスト あかねちゃんとさくらちゃん(たのしい幼稚園 1968年6月号 - 1969年3月号、講談社) 兄・てつやの作品『あかねちゃん』のアニメ化に伴い、姉妹版として連載。 校舎うらのイレブン(1971年、別冊少年ジャンプ2月号、集英社) 半ちゃん(1971年、別冊少年ジャンプ9月号) みちくさ(1972年、別冊少年サンデー1月号、小学館) がんばらなくっちゃ(1973年2月号、別冊少年ジャンプ掲載) 自伝的短編。主にデビュー作執筆中の奮闘ぶりが描かれている。 キャプテン(1972年 - 1979年、別冊少年ジャンプ) 中学野球の物語。谷口、丸井、イガラシ、近藤の墨谷二中の4代にわたるキャプテンと仲間の物語。 1980年代初頭にアニメ化。 プレイボール(1973年 - 1978年、週刊少年ジャンプ、集英社) 『キャプテン』の初代キャプテン谷口の高校野球における活躍を描く。 2005年にアニメ化。 ふしぎトーボくん(1982年 - 1983年、月刊少年ジャンプ、集英社) 原案:七三太朗 動物と言葉を交わす不思議な少年を描く。 チャンプ(1984年4月号 - 11月号:絶筆、月刊少年ジャンプ) 原案:七三太朗 田舎育ちの少年がボクシングの世界に挑戦する物語。 エピソード 2008年に『週刊ヤングマガジン』で発表されたちばてつやの読み切り作品『トモガキ』によると、てつやは気分転換として弟のあきおと幼い頃から他の人に電気あんまをかますことがしばしばあった。『ママのバイオリン』(1958年7月 - 1959年5月、少女クラブ、講談社)が連載されていた当時も締め切りが迫っていて缶詰状態だったために、気分転換のために当時の担当者にあきおと電気あんまをかましたところ、担当者は堪らずにてつやを蹴飛ばしてしまった。てつやは蹴飛ばされた勢いで窓ガラスに体を突っ込んで、割れたガラスの破片で腕の腱を切る大怪我を負い、一時は漫画が描けなくなった。この時、口の中にもガラスの破片が刺さっていたが、かろうじて奥歯で食い止められていたため頚動脈を切らずに済んだとのことだった。 漫画原作者の武論尊を売れる前から面倒を見ていた。当時、武論尊の住んでいたマンションにあきおの仕事場があり、アシスタントの食事を作る際に1食分多く用意し、よく食べさせてもらっていたという。後に『ドーベルマン刑事』がヒットして有頂天になっていた武論尊を呼び出し、あきおが説教したこともあった。武論尊は「あきおさんのひと言がなければ、ヒット作を一本出しただけでオレは消えていたかもしれない」と語っている。 その他 2022年3月に長男である千葉一郎(ちばあきおプロダクション代表)による『ちばあきおを憶えていますか 昭和と漫画と千葉家の物語』が出版された。 アシスタント なかいま強 高橋広 江田二三夫 脚注 外部リンク 日本の漫画家 ちは あきお ちは あきお 自殺した人物 日本の引揚者 満洲国出身の人物 瀋陽出身の人物 1943年生 1984年没
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ちば拓
ちば 拓(ちば たく、1959年12月12日 - 2016年2月27日)は、日本の漫画家。群馬県太田市出身。かつて『週刊少年ジャンプ』で活躍していた。 『週刊少年ジャンプ』誌上で1982年5号から2年近く続いた『キックオフ』の終了後、ラグビー漫画『ノーサイド』や『虹のランナー』など他のスポーツ漫画を同誌で連載するが、いずれも短期連載に終わった。後に『コミック・フィギュア王』(1999年12月発刊)にて、『キックオフ2』を発表した。 2016年2月27日、腎盂がんで死去。 作品リスト キックオフ(週刊少年ジャンプ、全12巻、ワイド版全7巻) ショーリ!!(週刊少年ジャンプ、全2巻) ノーサイド(週刊少年ジャンプ、全2巻) 虹のランナー(週刊少年ジャンプ、全2巻) たんぽぽの咲く道(短編集、全1巻) クルミ(フレッシュジャンプ、読切) キックオフ2(コミック・フィギュア王) ときめき真子先生(Vジャンプ) 出典 日本の漫画家 群馬県出身の人物 1959年生 2016年没
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ちばてつや
ちば てつや(本名:千葉 徹彌、1939年〈昭和14年〉1月11日 - )は、日本の漫画家。代表作に『あしたのジョー』(原作:高森朝雄)、『あした天気になあれ』、『のたり松太郎』、『みそっかす』など。 東京府(東京都の前身)出身。現在は練馬区在住。日本大学第一高等学校卒業。 2005年からは文星芸術大学教授を務める。2012年7月から2018年6月まで日本漫画家協会理事長を務め、2018年6月から同協会会長。2019年4月1日より2022年3月31日まで文星芸術大学学長に就任。 『キャプテン』『プレイボール』などが代表作の漫画家、ちばあきおは実弟。 概要 作風は、体温のある描線の画風で1960年代には心理描写がうまいことで評価が高かった。また情景描写が長いことで生活感が表れたという評もある。また、貧しい環境の自然児的な主人公が、微妙な摩擦を起こす(に出会う)話が多い。そうでない作品でも、同時期(昭和30年代)の他の少年漫画に比べて人間ドラマ性が強い。 初期には少女マンガの名手とされ、少年マンガで人気を得てからはそちらが主となり、のちに青年漫画へ活躍の場を広げた。中でも『あしたのジョー』は、当時の時代の象徴と受け取られていることも多く、国民的に名を知られた代表作になっている。 手塚治虫がかつて(1970年代末)語ったところによると「自分がストーリー漫画を始めて以降、ほんとに新しいものを加えたのはちばてつやだけだと思っている」と、また『あしたのジョー』の連載開始時点(1968年頃)で、梶原一騎が手塚治虫に並ぶ別格作家と語ったことがある。楠高治は「ちば氏は手塚治虫氏から最も影響を受けていない漫画を描く人」だと語っている。 来歴 生い立ち 1939年(昭和14年)1月11日、東京府東京市京橋区(現:東京都中央区)明石町の聖路加国際病院で生まれる。同年11月に日本を離れ、朝鮮半島を経て、1941年1月、2歳の時に、満州国奉天(現:中華人民共和国遼寧省瀋陽市)に渡る。印刷会社に勤めていた父親が暖房用にと貰ってきた紙の切れ端に絵を書いて寒い冬を過ごしていた。 1945年(昭和20年)、同地で終戦を迎え、敗戦に伴い、暴動や略奪などが相次ぐ社会的混乱の中、生と死が隣り合わせの過酷な幼少の一時期を過ごした。父の同僚の中国人徐集川に一家は助けられて、屋根裏部屋にかくまってもらった。翌年、家族共々、日本に引き揚げ、父親の故郷である千葉県海上郡飯岡町(現:旭市)に住んだ後、東京都墨田区に移り住んだ。 道ばたに落ちていた豆本で初めて漫画を見る。『アラビアンナイト』を題材にした杉浦茂の作品で、その面白さに衝撃を受け、漫画にのめり込む。しかし、ちばの家は漫画に対して厳しく、一切禁止されていたため購入や家で読むことはできず、友人の家でこっそりと読むなどしていた。 小学生時にちばが絵を好きなことを見て声をかけた木内堯央と親友になり、彼が作成していた同人誌「漫画クラブ」に1950年(昭和25年)より参加するようになる。 貸本時代 高校生だった16歳のちばは、新聞の三行広告で漫画家を募集しているのを見つけて日昭書店に応募。社長の石橋国松は、ちばにプロの生原稿を見せて道具の使い方を教え、試しに描いてくるように指示したため、ちばは本格的な執筆を始めた。約3か月間にわたり、毎回20ページから30ページずつ原稿を持って行くとそのたびに続きを描くように言われていたちばは、これをテストだと思い込んでいたが、128ページ目で話を終わらせるように指示を受けて描いた最後の原稿を持ち込むと、その場で当時の大卒初任給を超える1万2351円を原稿料として石橋から手渡された。 この時に執筆した『復讐のせむし男』は1956年(昭和31年)に貸本として出版され、ちばは17歳で漫画家としてデビュー。以降、高校に通いながら貸本の執筆を続けた。 雑誌デビュー 高校卒業を前に先輩の漫画家である鳥海やすに付いて訪れた『少女クラブ』(講談社)の編集部で自身の原稿(江戸川乱歩原作の『魔法人形』)を見せて執筆依頼を受け、読み切り『リカちゃん』を執筆。また同時期に訪れた『少女ブック』(集英社)でも執筆依頼を取り付け、読み切り『舞踏会の少女』を執筆する。両作共に1958年(昭和33年)に発表されたが『少女ブック』が先に発売されたため、『舞踏会の少女』が雑誌デビュー作となった。ともに少女誌となったのは、当時執筆陣が固まっていた少年漫画に比べ、少女漫画の方が新人の入る隙があったためであった。 両作をきっかけに連載も依頼され、同年6月号より『オデット城のにじ』(『少女ブック』)と『ママのバイオリン』(『少女クラブ』)を同時に連載開始する。しかし『少女ブック』がちばの了承なしに別冊への掲載を予告したことを機に講談社との専属契約を結び、『オデット城のにじ』は連載途中で降板する。 1961年(昭和36年)には『週刊少年マガジン』(講談社)において野球漫画『ちかいの魔球』(原作:福本和也)の連載を開始し、少年漫画の執筆にも活動を広げる。1962年(昭和37年)より『少女クラブ』の別冊ふろくで『1・2・3と4・5・ロク』を連載開始し、同年に同作と『魚屋チャンピオン』で第3回講談社児童まんが賞を受賞する。 『あしたのジョー』で社会現象に その後も『紫電改のタカ』、『ユキの太陽』などヒット作を手がけ、1965年(昭和40年)に発表された『ハリスの旋風』はテレビアニメ化され、注目を集めた。 1968年(昭和43年)には劇画作家である高森朝雄(梶原一騎)と組み、ボクシングを舞台とした『あしたのジョー』を発表。同作品は爆発的なヒットとなり、連載されていた『週刊少年マガジン』の発行部部数を飛躍的に伸ばしたほか、一躍社会現象にもなった。 スポーツ漫画の長期連載 その後は、角界を舞台にした『のたり松太郎』や、プロゴルフを舞台にした『あした天気になあれ』などスポーツ漫画のロングランヒット作に加え、幅広い作品を発表。1980年(昭和55年)にはこれまでの功績を称え、青年漫画家の発掘を主とした講談社主催のちばてつや賞が設立された。 1984年(昭和59年)の創刊時から『GOLFコミック』(秋田書店)の表紙イラストを担当し、2018年の休刊まで続いた。 連載活動の休止 『少年よラケットを抱け』の執筆中、心臓疾患と網膜剥離を患って手術を受けることになり、ちばの身を案じた妻がちばの入院中にスタッフを解散させた。このため、1994年(平成6年)に連載を終了した『少年よラケットを抱け』以降は短編作品の執筆を中心とし、大人数を雇うプロダクション形式での長期連載は行っていない。 1998年(平成10年)にはやなせたかしの後任として、社団法人日本漫画家協会の常任理事に就任。また、2002年(平成14年)に横浜市で開催された『第5回アジアMANGAサミット』実行委員長に就任し、漫画文化の担い手として活躍する一方、2005年(平成17年)からは文星芸術大学でマンガ専攻の教授を務め、後進の育成に力を注いでいる。表現の自由に関する問題にも関心が高く、東京都青少年の健全な育成に関する条例改正問題に関しても何度も積極的に発言しており、特に東京都知事・石原慎太郎が進める“非実在青少年”規制には否定的。 2012年、日本漫画家協会理事長に就任し、2018年6月から同協会会長となる。2019年4月1日より文星芸術大学学長に就任。 2021年10月29日、体調を崩し東京都内の病院へ入院した。持病の心臓疾患などの治療を受け、年内に退院予定。 2022年1月4日、自身のブログを更新し仮退院したことを報告した。 2022年2月22日、2022年3月1日付けで文部科学大臣が発令する予定の日本芸術院の新設分野「マンガ」の新会員候補として選出された。 2022年3月31日、文星芸術大学学長を退任。 受賞歴 1962年 - 第3回講談社児童まんが賞 - 『1・2・3と4・5・ロク』・『魚屋チャンピオン』 1976年 - 第7回講談社出版文化賞児童まんが部門 - 『おれは鉄兵』 1977年 - 第23回小学館漫画賞青年一般部門 - 『のたり松太郎』 1977年 - 第6回日本漫画家協会賞特別賞 - 『のたり松太郎』 2001年 - 文部科学大臣賞 2002年 - 紫綬褒章 2009年 - 第33回講談社漫画賞講談社創業100周年記念特別賞 2012年11月 - 旭日小綬章 2014年 - 文化功労者 2017年 - 練馬区名誉区民に選定 2022年 - 日本芸術院会員 家族構成 四人兄弟の長男で、実弟に漫画家のちばあきお(三男)と漫画原作者の七三太朗(四男)がいる。妻は漫画家のチバユキコ。ちばの次男の千葉修平は文星芸術大学で専任講師を務め、父の助手として漫画教育に携わっている。 エピソード 漫画家デビュー作の『復讐のせむし男』の元版(日昭館書店)は2018年現在、5冊のみ現存が確認されている(まんだらけ調べ)。 2008年に『週刊ヤングマガジン』で発表された『トモガキ』によると、ちばは気分転換として弟のちばあきおと共に、幼い頃から他人に電気あんまをかますことがしばしばあったという。しかし、『ママのバイオリン』(1958年7月 - 1959年5月、『少女クラブ』講談社)の連載時、締め切りが迫っていて缶詰状態になった際、気分転換のため当時の担当者にあきおと電気あんまを無理矢理かましたところ、担当者は堪らずにちばを思い切り蹴飛ばしてしまった。 ちばは蹴飛ばされた勢いで窓ガラスに体を突っ込んでしまい、割れたガラスで腕の腱を切った上に口の中にも破片が刺さる大怪我を負い、一時は漫画が描けなくなってしまった。口の中の傷は頚動脈寸前にまで達しており、かろうじて奥歯で食い止められたため九死に一生を得たという。締め切りが迫っていた中での出来事だったため、担当者はトキワ荘のメンバーである赤塚不二夫、石ノ森章太郎をはじめとしたメンバーに慌てて代筆を依頼した。当初は仕事で睡眠が取れていないことと絵柄の違いから渋られていたものの後に承諾、一同の代筆により締め切り内に原稿は無事完成したという。これを機に、ちばとトキワ荘のメンバーとの交流が始まった。 本人はこの時の体験を言いたくなかったらしく、怪我の原因を"疲れから誤って窓ガラスに突っ込んでしまった"とずっと話しており、電気あんまをかましたからと明かしたのは、40年経ってからのことだった。 人間描写の力を磨くため、2014年現在も大学に通勤する電車の中で車内の人物をこっそり無断でスケッチしている。ただ、それが元でトラブルになったことも何度かあるという。 『あしたのジョー』の力石徹が亡くなったのはちばがボクシングをよく理解せずに、力石徹を丈より大柄に描いてしまったため、設定の都合で、力石徹に減量が必要になってしまったためである。『トリビアの泉』で「力石徹は作者のつじつま合わせで死んだ」というトリビアが紹介され、ちばがコメントをしておりVTRの最後で力石をつじつま合わせで死なせたことに対して、「彼(力石)には申し訳なく思っている」とコメントしている。ただし、ちばは後年、この見解を撤回している。「当時はしょっちゅう梶原さんと会って、打ち合わせをしていましたから。ボクシングは同じ体重同士で戦うんだから、最初からライバルと決めていればそう言うでしょう」と、最初は少年院編でのみ登場するキャラクターだったが、梶原が力石のキャラクターを気に入って方針変更したのではないかと語っている。 作品リスト 連載作品のみを記載。詳細はちばてつやの漫画作品一覧を参照。 オデット城のにじ(1958年6月号 - 8月号、少女ブック、集英社) - 初連載作品。 ママのバイオリン(1958年7月 - 1959年5月、少女クラブ、講談社) (単行本。母と娘でみる漫画名作館シリーズやちばてつや全集において各全3巻。) ユカをよぶ海(1959年6月 - 1960年8月、少女クラブ) リナ(1960年9月 - 1961年12月、少女クラブ) ちかいの魔球(1961年1月 - 1962年12月、週刊少年マガジン、講談社、原作:福本和也) 1・2・3と4・5・ロク(1962年1月 - 12月、少女クラブ) - 1972年及び1988年-1989年に2度ドラマ化されている。 ハチのす大将(1963年1月-5月、週刊少年マガジン) 紫電改のタカ(1963年7月 - 1965年1月、週刊少年マガジン) パパのお嫁さん(1964年1号 - 9号、週刊マーガレット、集英社) 島っ子(1964年3月 - 1965年6月、週刊少女フレンド、講談社) 少年ジャイアンツ(1964年11月 - 1966年11月、少年ブック、集英社) ハリスの旋風(1965年4月 - 1967年11月、週刊少年マガジン) - 2度のテレビアニメ化 アリンコの歌(1965年9月 - 1966年7月、週刊少女フレンド) みそっかす(1966年8月 - 1967年8月、週刊少女フレンド) - 『あかねちゃん』としてアニメ化。 ジャンボ・リコ(1967年39号 - 48号、週刊少女フレンド) あしたのジョー(1968年1月 - 1973年6月、週刊少年マガジン、原作:高森朝雄) - アニメ化・映画化 テレビ天使(1968年7号 - 50号、週刊少女フレンド) 若とのゴン(1968年6月15日付 - 1971年8月26日付、産経新聞) モサ(1969年20号 - 1970年2・3号、週刊少年ジャンプ、集英社) 餓鬼(1970年6号 - 36号、ぼくらマガジン、講談社) 蛍三七子 おれは鉄兵(1973年8月 - 1980年4月、週刊少年マガジン) - アニメ化 のたり松太郎(1973年8月 - 1993年6月、1995年10月 - 1998年5月、ビッグコミック、小学館) - アニメ化 おれイガオくん(1975年3月23日付-12月21日付、読売新聞) 練馬のイタチ(1980年7月 - 同年10月、ヤングマガジン、講談社) あした天気になあれ(1981年1月 - 1991年5月、週刊少年マガジン) - アニメ化 男たち(1982年1月 - 1983年7月、コミックモーニング、講談社) 少年よラケットを抱け(1992年5月 - 1994年6月、週刊少年マガジン、講談社) ハネ太(1998年4号 - 1999年13号、コミックアルファ、メディアファクトリー) ひねもすのたり日記(2016年1号 - ビッグコミック、小学館) アニメ作品 テレビアニメ『3月のライオン』第7話エンドカード テレビアニメ『おじゃる丸』放送20周年記念イラスト テレビアニメ『UQ HOLDER!』第12話エンドカード テレビアニメ『アニ×パラ〜あなたのヒーローは誰ですか〜 episode5 車いすラグビー』キャラクターデザイン アニメ映画『風のように』(2016年7月9日)原作(1969年) テレビアニメ「住友生命 青春アニメ全集 日本名作文学 『姿三四郎 』」(1986年10月、日本テレビ系列、全3回)キャラクターデザイン 展覧会 2015年9月 大英博物館「Manga now three generations」(漫画の現在 3世代)展 - 星野之宣・中村光とともに、3世代の漫画家のひとりとして取り上げられた。 その他の活動 文庫解説 『男おいどん』1巻(著:松本零士 1996年 講談社) 『魔女天使』(著:松本零士 1999年 講談社) - 主に松本との交友について書いた。 出演 課外授業 ようこそ先輩「いかせ! 君のキャラクター」(2000年9月10日 NHK) - 小学生を相手に特別授業を行った。 伊集院光とらじおと(TBSラジオ)- ゲストコーナーで伊集院と約30分間、話した。 2017年12月27日 - 『あしたのジョー』の最終回など。 2021年10月20日 - 少年時代の思い出(木内堯央との交友など)、コロナ禍での活動など。 The News Masters TOKYO(文化放送 2019年2月4日 - 2月8日) - プロゴルファーのタケ小山を相手に約4分×5回話した(ゴルフ関連の話題もあり)。 『屋根裏のちばてつや』(NHK総合、2020年6月1日) - ちばの日常を追った30分間のドキュメンタリー番組。 浦沢直樹の漫勉 neo『ちばてつや』(NHK Eテレ 2020年10月1日) - 『ひねもすのたり日記』の製作過程を収録した画像を見ながら浦沢と対談した。 アシスタント出身者 ちばあきお 川三番地 - 2013年よりちばてつやのアシスタント時代を描く自伝的漫画『あしたのジョーに憧れて』を連載中。 倉田よしみ ながとしやすなり 政岡としや 梅本さちお 石井さだよし 村尾忠義(村尾ただよし) あべりつこ(阿部律子) 脚注 注釈 出典 参考文献 関連項目 国松さまのお通りだい - 『ハリスの旋風』の2度目のアニメ化作品 松文館裁判(証人として) ちばてつや賞(選考委員) トキワ荘 有名人100枚の絵でつなぐ カンボジア学校建設プロジェクト 戦後70年 ニッポンの肖像(オープニング映像キャラクターデザイン) 外部リンク ちばてつや公式サイト 文星芸術大学マンガ専攻 講師紹介 練馬アニメーションサイト「ネリマアニメウォーク2 ちばてつや先生」インタビュー動画 20世紀日本の教育者 21世紀日本の教育者 日本のマンガ・アニメ教育者 日本の漫画家 文星芸術大学の教員 文化功労者 紫綬褒章受章者 旭日小綬章受章者 ちは てつや 日本の引揚者 東京都区部出身の人物 1939年生 存命人物
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都築和彦
都築 和彦(つづき かずひこ、1962年5月19日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。元日本ファルコム社員。 経歴 1980年代後半に日本ファルコム名義で、同社の公式イラストを手がけていた。カラーイラストはIZUMO連載時まではアナログ、現在はデジタル(2DCG)画を自ら作成したといわれる「きらきら筆」と呼ばれるソフトを使用して塗りを行っている。また、水村かおるという名で、アダルト系のイラストを描いている。 作品リスト おさかなマーチ(『月刊コミックNORA』学習研究社) SSディッカー(『コミックゲーメスト』新声社) WHOO?!(『月刊アフタヌーン』講談社) ANGEL DOLL(『月刊アフタヌーン』講談社) やまとものがたり(『Good!アフタヌーン』講談社) まじかるティポット(『レモンピープル』あまとりあ社) IZUMO(『月刊コミックNORA』学習研究社) ザナドゥ(『月刊コンプティーク』角川書店) 陽一郎わんすもあ(『富士見ファンタジアコミックス』富士見書房) 宇宙一の無責任男(表紙・挿絵・外伝4まで、『富士見ファンタジア文庫』富士見書房) 無責任艦長タイラー スーパー・デラックス版(表紙・挿絵、『朝日ノベルズ』朝日新聞出版) やっぱりRPGが好き!(表紙・挿絵、『富士見ドラゴンブック』富士見書房) それでもRPGが好き!(表紙・挿絵、『富士見ドラゴンブック』富士見書房) 画集 AQUA(アクア)(学習研究社) 赤い角笛プラネットブルート神話(富士見書房) ねこのこ(メディアックス) まあめいど 夢夢夢(むーむーむー) Etude(エチュード) Stream(ストリーム) lllusion(イリュージョン) まぼろし(学習研究社) キャラクターデザイン ひざの上の同居人(D3パブリッシャー) ANGEL DOLL(アスク講談社) 発表中止 脚注 外部リンク ByunByun's Home & Gallery ByunByun's Home & Gallery - 旧サイト びゅんびゅんはうす 十八禁につきご注意 日本の漫画家 1962年生 存命人物
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つの丸
つの丸(つのまる、本名:津野 将昭(つの まさあき)、1970年5月27日 - )は、日本の漫画家。千葉県千葉市出身。千葉市立稲毛高等学校卒業。男性。血液型はA型。 経歴等 1991年、「さる大使」で第2回GAGキング準キングを受賞。『週刊少年ジャンプ 1991年 Spring Special』(集英社)に「さる大使」「GOGOポチョムキン」の2作が掲載され、デビュー。その後『週刊少年ジャンプ』(集英社)1991年16号「GOGOポチョムキン」が掲載。いくつかの読み切り掲載を経た後、『モンモンモン』で連載デビュー。以降、集英社の雑誌を中心に活動を続ける。 代表作はアニメ化もされた『みどりのマキバオー』。他に『モンモンモン』(猿)、『サバイビー』(ミツバチ)といった、動物が主人公の漫画を得意とする。またかなりディープな競馬ファンでもあり、競馬関連の作品も手掛けている。 同じ阪神ファンである森田まさのりと仲が良く、互いにコラボレーションを行ったこともある。パンク・ロック好きで登場人物の名前(ビッグ・ジョン、ウォッティ、キャル、ビアフラ、ベキ、スーパースナッズ、グラインドハウスなど)にもその影響が見られる。 第42回(平成8年度)小学館漫画賞児童部門受賞(『みどりのマキバオー』)。 雑誌掲載時にはペンネームの書体が定まっているのが特徴。写研の和文書体「イボテ」(輪郭が滑らかでなく角の丸い太字)が用いられている。 なお、少女漫画風ギャグ漫画を読み切りで掲載したときに「つのま・るみ」のペンネームを使ったことがある。 2018年に少年ジャンプ+の企画で行われた『ギャグマンガ家 人間ドックデスレース』では大脳に複数の虚血性白質病変が見つかり、監修した医師から寿命が10年と判定された。 作品リスト 週刊少年ジャンプ連載作品 モンモンモン(1992年13号 - 1993年50号、全8巻) みどりのマキバオー(1994年50号 - 1998年9号 → 赤マルジャンプ 1998年SPRING号(完結編)、全16巻、文庫版全10巻) サバイビー(1999年31号 - 51号、全3巻) 重臣 猪狩虎次郎(2001年11号 - 34号、全2巻) ごっちゃんです!!(2003年29号 - 2004年16号、全5巻) ジャンプ以降の雑誌連載作品 天職貴族モン次郎(スーパージャンプ、2004年19号 - 2005年16号、全2巻) がんばれ! パンダ内閣(週刊プレイボーイ、2004年42号 - 2005年40号、全3巻) わんぱくカッパ岸辺のサブロー(週刊コミックバンチ 2004年46号 - 2006年21号、シリーズ掲載) たいようのマキバオー(週刊プレイボーイ 2007年15号 - 2011年19・20号、全16巻) たいようのマキバオーW(週プレNEWS 2011年5月9日更新分 - 2016年11月14日更新分、全20巻) ギャグマンガ家 人間ドックデスレース(少年ジャンプ+ 2018年4月2日 - 5日、短期集中連載) 読切作品 さる大使(週刊少年ジャンプ 1991年 Spring Special) GOGOポチョムキン(週刊少年ジャンプ 1991年16号) GOGOポチョムキンin4コマ(週刊少年ジャンプ 1991年17号) モンモン物語(週刊少年ジャンプ 1991年19号) モンモンの最も危険な遊戯(週刊少年ジャンプ 1991年 Summer Special) ひらけ!モンモン(週刊少年ジャンプ 1991年42号) - この作品は『モンモンモン』第7巻に収録されている。 モンモンの相撲遊戯(週刊少年ジャンプ 1992年3・4号) モンモンモン(番外編)/おさる大喜利(週刊少年ジャンプ 1993年 Spring Special) 熱血新入りモンモン物語(週刊少年ジャンプ 1994年47号) ときめきラブポーション(週刊少年ジャンプ 1997年24号)※つのま・るみ名義 ときめきのアラベスク(週刊少年ジャンプ増刊 ジャンプGAG Special 2002)※つのま・るみ名義 タエコでございます(Oh!スーパージャンプ 2005年11月25日号) - この作品は『天職貴族モン次郎』第2巻の巻末に収録されている。 んあっ!!マキバオーの凱旋門賞観戦記なのねっ!(週刊プレイボーイ 2006年44号) - この作品は『たいようのマキバオー』第1巻の巻末に収録されている。 がんばれジャンボ(週刊ヤングジャンプ 2007年2号) 父子虎(ビッグコミックオリジナル阪神タイガース増刊号 2015年6月30日号) ときめき❤︎ハイクリーン(ジャンプSQ 2020年12月号)※つのま❤︎るみ名義 漫画作品以外は阪神タイガースと共同で榎田大樹関連商品の描き下ろしを担当する。 アシスタント 古河衛 小西紀行 森多ヒロ 出典 外部リンク JRA-VAN 私の競馬はちょっと新しい - JRA-VANによる、つの丸へのインタビュー。 日本の漫画家 千葉市出身の人物 1970年生 存命人物
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出口竜正
出口 竜正(でぐち りゅうせい、1月22日 - )は、日本の漫画家。 石川県金沢市出身。石川県立金沢二水高等学校、大阪府立大学工学部航空宇宙工学科卒業。 現在は赤羽在住。 1987年、第33回手塚賞準入選(『荒鷲の伝説』、庵老竜正名義)、第26回赤塚賞佳作、第35回手塚賞佳作。 代表作に『命~紅の守護神~』など。 戦闘機マニアとしても知られ、航空宇宙系同人誌即売会東京とびもの学会で同人誌を販売している。2010年12月17日放送のタモリ倶楽部で「東京とびもの学会2010」が取り上げられた際に出演した。 2010年、赤松健と共に株式会社Jコミを立ち上げる。 作品リスト 命~紅の守護神~(マガジンSPECIAL、全5巻) アベノ橋魔法☆商店街(月刊マガジンZ、全2巻) 女大太郎(マガジンSPECIAL、全6巻) ドールガン(週刊少年チャンピオン、全9巻) アシスタント歴 今泉伸二(神様はサウスポー・チェンジUP) 原哲夫(花の慶次) 刃森尊(破壊王ノリタカ)など アシスタント仲間 巻来功士 森田まさのり 渡辺保裕 戸舘新吾 外部リンク RYUSE-P(公式サイト) 日本の漫画家 石川県出身の人物 大阪府立大学出身の人物 生年非公表 存命人物 アてくち りゆうせい
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イエスタデイをうたって
『イエスタデイをうたって』は、冬目景による日本の漫画。当初は『ビジネスジャンプ』(集英社)にて1998年1号から不定期連載され、同誌休刊後『グランドジャンプ』(集英社)に移籍し2015年13号まで連載された。単行本は全11巻。2020年1月時点でコミックスのシリーズ累計発行部数は140万部を突破している。 完結から約4年後の2019年4月17日にアニメ化が発表され、2020年4月から6月までテレビ朝日の深夜アニメ枠『NUMAnimation』ほかにて放送された。 制作背景 これまで「羊のうた」や「黒鉄〈KUROGANE〉」などを発表していた冬目景による青春群像劇にして、自身最長連載作品。前述の2作品を連載する最中、集英社から熱心な電話が自宅にかかってきたことがきっかけとなり『ビジネスジャンプ』(集英社)1998年1号より連載を開始した。当初タイトル案はヒロインの名前から「ハル」とする予定だったが、編集部からの変更依頼によって忌野清志郎が率いたロックバンド・RCサクセションの曲より採用したという。2011年には『ビジネスジャンプ』の休刊に伴い、後継誌である『グランドジャンプ』(集英社)へ移籍している。 1年間の掲載が5回に満たないこともあり、単行本第3巻出版から第4巻までに2年以上、第4巻から第5巻まではほぼ3年かかるなど大きく間隔が開く刊行ペースとなり、2015年に完結。足掛け18年間という長期連載作品となった。これは当時の執筆スタンスが「描きたい作品は描ける場があれば描く」という方針を採っているためであり、実際に本作の連載中にも多数の連載・読切作品が発表されている。なお冬目自身は当初3巻ほどで終わるのではと考えていたが、連載を続けるにつれ描くのが楽しくなり、構想が膨らんでいったという。完結にあたって「辛抱強く待ってくれた読者が居たから完結できた」と、感謝の気持ちが述べられた。第6巻発売と同時に画集『イエスタデイをうたって画集 ―YESTERDAYS―』、完結に前後して画集『イエスタデイをうたって画集 ―YESTERDAYS―2』がそれぞれ発売。この画集第2弾発売と連載完結を記念し、2015年9月26日から10月26日にかけて東京日本橋にあるギャラリー・space caiman にて原画展「冬目景原画展 -YESTERDAY ONCE MORE-」が開催された。 2020年のアニメ放送に合わせ、後日談の読み切り「イエスタデイをうたって特別編-11・S14-」が『グランドジャンプ』2020年9号に掲載された。 作風 大卒のフリーターとして登場した後、物語の進展とともに写真スタジオで働きはじめる主人公を中心に、歳の離れているふたりのヒロインや、個性的で深みのあるサブキャラクターたちが、恋愛、仕事、(美大)受験、家族、夢といった日常的な問題に直面し、一進一退を繰り返しながら、じぶんたちの未来をほんの少しずつ手探りしてゆく人間ドラマ。物語の主な舞台となるのは“新宿にほど近い私鉄沿線の小さな街”とされているが、これは東京都世田谷区であるという。この他、横浜や金沢なども重要な舞台として登場する。後述する通り、冬目作の漫画「羊のうた」「ももんち」とは世界観を共有している。 当時「羊のうた」や「黒鉄〈KUROGANE〉」といった暗い漫画を執筆していたこともあり、本作の連載開始にあたっては明るい話・明るいキャラクターが良いなと思っていたという。また掲載誌が『ビジネスジャンプ』であったものの勤め経験が無かったため、逆にビジネスしていないフリーターの漫画となった。物語の主要人物があまり携帯電話を使わないという特徴があるが、これはなるべく時代風俗の表現を避けて描いていたことも関係している。 連載中期までは数話ごとに章立ての構成が採られており、それぞれ副題がつけられていたが、8巻からはそのようなスタイルではなくなっている。 あらすじ 大学を卒業したものの職に就くことなく、フリーターとして特に目標もないまま過ごしているリクオ。そんなある日、カラスを連れた黒ずくめの少女・ハルが現れる。彼女の破天荒な振る舞いに戸惑う中、リクオはかつての想い人・榀子が東京に戻ってきたことを知る。 登場人物 主な登場人物には、男性キャラクターは水に関係する名前、女性キャラクターは植物に関係する名前が付けられている。 主要人物 リクオ / 魚住 陸生(うおずみ りくお) 声 - 小林親弘 主人公。大学を卒業しても、就職できなかった(しなかった)いわゆるフリーター。 お人よしな性格。自分の方向性を見失っている。カメラが好きだが、仕事にする気はないようだ。自称人は撮らない主義。 一人暮らしで主にコンビニでバイトをしており、途中から写真ギャラリーでバイトを始める。第5巻で写真スタジオに正社員として就職した。第6巻でコンビニのバイトを辞めた。横浜市に実家がある。 大学卒業後、榀子に一度告白した。その際、振られているが、榀子とは今でも「友達以上恋人未満」の微妙な関係が続いている。 ハルには第1巻から好きだと告げられ、アプローチを受けており、ふとした瞬間にドキッとさせられたりするなど、微妙な感情を抱くようになっている。よく風邪で寝込むことがある。 ハル / 野中 晴(のなか はる) 声 - 宮本侑芽 不思議な雰囲気の少女。常に黒を基調とした服を着て、カンスケ(声 - 前川涼子)という足の悪いカラスをつれている。 かつては都立十泉高校に通っていたが、あるバーでバイトをしていたことを咎められ、自主退学してしまった。ミルクホールという喫茶店(夜はバー)でバイトとして働いている。 家庭は母子家庭だが実父の姓である「野中」を名乗っている(母親の姓は秋本)。2巻では母親に再婚の話が出ているが、名前は変えない、と固辞した。祖父が住んでいた古い一軒家で一人暮らしをしている。おにぎりの具をあんこやチョコレートなどにするなど、作る料理はとにかく奇抜で周囲を当惑させる。 リクオの大学受験の当日、バス停に向かうリクオが落とした受験票を拾って渡したことがきっかけで、彼に想いを寄せ始めた。型破りな性格で、リクオをしょっちゅう振り回しているが、恋愛に関してはとても健気で一途。リクオが振り向くまでいつまでも待つつもりでいる。 森ノ目 榀子(もりのめ しなこ) 声 - 花澤香菜 リクオの大学の同級生。金沢市出身で、東京の大学を出て金沢で非常勤講師をしていたが東京に戻ってきた。 コンビニ近くの都立十泉高校で、化学の教師をしている。一時とはいえハルの副担任であり、学校に隠してバイトをしていた彼女を庇いきれなかったことに罪悪感を覚えていた。 過去に好きだった幼馴染み、早川 湧(はやかわ ゆう)を亡くしたことをずっと引きずっていて前に進めないでいる。第1巻の途中で長かった髪をばっさりと短くした。 リクオに告白されるも、「友達の関係がいい」と振ってしまう。しかし時が経つにつれ、リクオに対する想いが少しずつ変わりつつある。 早川 浪(はやかわ ろう) 声 - 花江夏樹、村井美里 (幼少期) 榀子を追いかけるように金沢から上京してきた幼馴染みの少年。榀子の想い人であった早川 湧の弟。 時折左耳に安全ピンをピアスのように身に付けている。 年が7つも離れているものの、榀子のことが本気で好き。しかし当の榀子からは弟以上の感情を持たれておらず苦悩している。美大を目指しており、予備校に通っている。女子にモテるのだが、榀子以外の女性には全く興味を示さず、つっけんどんな反応しか示さない。恋敵のリクオに対してたびたび牽制をかけている。 「湧の弟」としてではなく、自分自身を見てもらうために絵(美大)というアイデンティティで自分を示そうとしている。 デリバリーで度々予備校に訪れるハルとは顔見知りで、立場上戦友のような関係。 莉緒に泣きつく形で同棲を始め、イタリアまで同行するが、結局榀子が忘れられず帰国する。 準主要人物 早川 湧(はやかわ ゆう) 声 - 小林千晃 榀子の幼馴染みで、浪の兄。故人。 生まれつき体が弱く、病弱であったため、自分の死を身近に感じていた。 榀子が高校3年の春の時に夭折するも、いまなお榀子の心の中心に在り続けている。浪からは無敵のラスボスと揶揄された。 顔は一度もきちんと描かれてはいないが回想シーンでの登場数は多く、存在感は大きい。 湊 航一(みなと こういち) 声 - 小野友樹 写真家を目指す大学2年生。ハルとは高校時代の同級生。将来はマスコミ関係に進みたいと思っている。それ故に自分のやりたいことが決められず、ふらふらしているリクオとは馬が合わなかった。高校時からハルを気にしており、再会を機にアプローチをかけていたが、思いは遂げられなかった。第4巻で大学を辞め、海外に留学。 最終巻にて、ハルと奇跡的な再会を果たし、再登場。 柚原 チカ(ゆずはら チカ) 声 - 喜多村英梨 リクオの高校2年の時の彼女。しかし4ヶ月で破局。 どこかポーッとしており、男心をくすぐるタイプ。お金が無いことを理由に、ある日突然リクオの部屋に寄宿する。その後ピアノ関係のバイトが決まり、無事(?)出て行く。 湊と柚原はリクオ、ハル、榀子の三角関係に微妙な変化をもたらしたキーパーソンであるといえる。 第9巻~第10巻にかけて再登場。 木ノ下さん(きのしたさん) 声 - 鈴木達央 リクオのコンビニでの同僚。バンドをやっている。母子家庭で妹と弟がいる。第3巻に妹が、「羊のうた」に弟がでている。物語にはあまり深く関わってこないが、第三者的な立場からリクオにいくつものアドバイスを送っている。 第5巻辺りよりライブハウスのバイトをはじめており、コンビニにはリクオ同様あまり顔をみせていないようだ。第6巻でリクオと同じ日にコンビニのバイトを辞めた。 最終巻にて、久々に再登場する。 木ノ下 楼子(きのした たかこ) 高校生。木ノ下さんの妹(木ノ下兄弟の真ん中)で、ハルの後輩、榀子の生徒にあたる(浪の同級生でもあるが、物語上のつながりはない)。同級生の深町が撮る映画に協力しており、兄に音楽を頼んだり、撮影費のためにこっそりミルクホールでバイトをしたりする。それを学校に見つかり咎められるが、ハルと榀子のお陰で穏便に済んだ。 兄に似ず美人で大人っぽく、杏子に20歳と偽っても全く怪しまれなかった。 第10巻より、バイトを休むハルに代わってミルクホールに復帰し、再登場。また後述の通り、「羊のうた」にも登場する人物。 福田 タカノリ(ふくだタカノリ) 声 - 寺島拓篤 リクオと榀子の大学時代の同級生。眼鏡をかけている。梢(声 - 洲崎綾)という妻がいる。第1巻での名刺によると下の名前は総一で、株式会社ミツシタの第四広報部に所属、となっている。しかし第6巻では下の名前が「タカノリ」になっている(作者が総一という名前を第1巻で出したのを忘れていてもう1度名前を付けてしまったため。今後はタカノリ(漢字未定)で統一すると短編集『イエスタデイをうたってEX』のインタビューで答えている。)。後述のアニメーション版でも「タカノリ」が採用された。 リクオとは正反対に人生設計にぬかりがなく、物事を論理的に捉える。就職・結婚してからもリクオと付き合いが多い。 出番の少なくなった木ノ下さんに代わって、彼がリクオの相談役になる機会が増えた。 杜田(もりた) 声 - 名塚佳織 榀子の同僚の女性教師。たびたび榀子の相談に乗ったりからかったりしている。自称「森ノ目先生の操を守る会」の会長。 滝下 克美(たきした かつみ) 声 - 堀江瞬 美大を目指して予備校に通う、浪と同い年の少年。絵の技術は浪より上だったが、浪人中。自己分析・他者分析が得意で浪に様々なアドバイスを送るが、何故か恋愛面に関しては例外。 飄々としたところがあって女の子にとてもモテるが、受身の恋愛ばかりだった。6巻で調子の悪い自動販売機に蹴りを入れていた葛原未里に恋をし、すぐに告白したが玉砕した。しかし、それにめげずにアタックを続けている。 狭山 杏子(さやま きょうこ) 声 - 坂本真綾 喫茶ミルクホールのマスター。大人の色気がある穏やかな女性。 もともとは彼女の祖父の店であったミルクホールを、母親と一緒に継いでいたが、その母親が亡くなり、ハルをアルバイトとして雇って切り盛りしている。ハルがバイト中に着ているメイド服は杏子の趣味である。 独創的すぎるハルの創作料理には困惑している模様。 葛原 未里(くずはら みさと) 声 - 藤原夏美 予備校の彫刻科に通う少女。髪型はおかっぱ気味のショートヘアで、男勝りな性格。 上にジャージ、下にズボンをよくはいている。第6巻でほとんど見ず知らずの滝下に告白され、間髪いれずに拒絶した。その後も付きまとってくる滝下に辟易している。 居沢(いざわ) 声 - 田中宏樹 通称「クマさん」。狭山の高校時代の同級生で、大学に通いながら予備校教師を務める。 狭山とは互いに惹かれ合っているが、実家でトラブルが発生し、東京を離れざるを得なくなる。 雨宮(あめみや) 声 - 西山宏太朗 予備校教師。予備校でのクリスマス・パーティー以後、ハルに猛烈なアプローチを繰り返す。 実の親を亡くしており、養子夫妻に育てられた過去を持つ。みもりは、(おそらく)下の名前で「ユウ」と呼ぶ。 ハルとリクオの関係を大きく変化させる、連載後半のキーパーソン。 みもり 大学生。雨宮とは本当の家族になるはずだったが、再婚予定だった互いの肉親の事故死によって引き裂かれる。 地元・長野から上京し、12年ぶりに雨宮に連絡をとる。ハルに惹かれている雨宮、そしてハルを揺さぶってゆく。 莉緒(りお) モデル。浪とは大学の人物素描の授業で知り合う。深く傷ついた浪と交流するうちに、二人の関係性が大きく進展してゆく。 幼い頃から画家・上岡紫成のモデルを務めている。親はイタリアに住んでいる。 ゲストキャラ 秋本 陽子(あきもと ようこ) 声 - 本田貴子 第2巻収録「ゆらゆら」に登場。 ハルの実母。ハルに似ず長身の女性で、「ハハ」と呼ばれている。ハルとは別居しているが、仲が悪いという訳ではなく、きちんと娘のことを理解している。さばさばして強引なところがややある。 男運が悪く、登場時に再婚の報告をした。ハルの実父を含めて、最低でもこれが3度目の結婚である。 川島 省吾(かわしま しょうご) 「ゆらゆら」に登場。 陽子の再婚相手。温和な性格で、少しハルの実父に似ているらしい。彼女たち親子のことを不思議な関係と言いつつも、認めている。 陽子とは大学時代のサークル仲間で、OB会での再会がきっかけ。 桐島(きりしま) 第2巻収録「川は流れる」に登場。 浪の通う予備校に在籍している女性。元々芸大生だったが、自分の絵と才能に行き詰まり退学、予備校に戻った。しかしなにかのために絵を描くのではなく、純粋に絵が描きたかったのだとして、新たな生きがいをみつけるべく予備校を去った。 彼女の絵は滝下でさえ憧れるほどのものだったという。 深町 泉(ふかまち いずみ) 第3巻収録「少年たちと浮遊青年」に登場。 楼子と同じ高校生。文化祭の出し物のために自主映画を作製している映研部の少年。金策に困った際にも自分の力でなんとかしようとするなど、責任感が強い。しかしそれが意地となって、楼子と衝突。後に和解し、映画を無事完成させる。 映像に携わる者として感じるところがあったのか、リクオはよく彼の面倒を見ていた。 楼子とはお互いに、一定以上の感情を持っているようである。 中原 夏樹(なかはら なつき) 第5巻収録「青春の蹉跌」に登場。 浪の通う予備校の現役生。技術そのものはあまりないが、他の生徒とは一段抜き出た才覚をもつ。船塚とつきあっており、彼を「洋ちゃん」と呼ぶ。同作者の別作品「ももんち」では、もものクラスメートとして登場している。時間軸的には「青春の蹉跌」よりも後のふたりを見ることができる。 船塚(ふなつか) 「青春の蹉跌」に登場。 浪の通う予備校の現役生。中原とつきあっているが、彼女に比べて小手先の技術しかもたない自分にやきもきしている。 夏樹とともに「ももんち」にも登場。 書誌情報 単行本 表紙カバー折返しの写真は、第2巻を除いて冬目自身の撮影によるものである。 冬目景 『イエスタデイをうたって』 集英社 〈ヤングジャンプ・コミックス・ビージャン〉→〈ヤングジャンプ・コミックス・グランド〉、全11巻 1999年3月24日第1刷発行(3月19日発売)、 2000年4月24日第1刷発行(4月19日発売)、 2002年2月24日第1刷発行(2月19日発売)、 2004年7月21日第1刷発行(7月16日発売)、 2007年4月24日第1刷発行(4月19日発売)、 フィギュア特装版、 2008年11月24日第1刷発行(11月19日発売)、 2010年11月24日第1刷発行(11月19日発売)、 ポストカードブック付き特装版、 2012年7月24日第1刷発行(7月19日発売)、 2013年7月24日第1刷発行(7月19日発売)、 2014年5月24日第1刷発行(5月19日発売)、 2015年9月23日第1刷発行(9月18日発売)、 冬目景 『イエスタデイをうたって afterword』 集英社、 本編最終回の後日談を描いた新作読切『イエスタデイをうたって 特別編―11・S14―』、単行本未収録の読切『夏の姉』を初収録。その他冬目景のインタビューや対談、後述の『イエスタデイをうたってEX 〜原点を訪ねて 冬目景 初期短編集〜』からの選り抜き収録も含む。 短編集 番外編及び「イエスタデイをうたって」の演出方法などを垣間見ることが出来る初期の短編を収録。その他にキャラクター集や作者へのインタビューも掲載されており、ガイドブックとしての側面も持っている。 冬目景『イエスタデイをうたってEX 〜原点を訪ねて 冬目景 初期短編集〜』集英社 〈ビジネスジャンプ愛蔵版コミックス〉 2009年11月25日第1刷発行(11月20日発売)、 小説版 星希代子(小説) / 冬目景(原作・挿絵)『イエスタデイをうたって デイ・ドリーム・ビリーバー』集英社 〈ジャンプ ジェイ ブックス〉 2010年11月24日第1刷発行(11月19日発売)、 画集 『イエスタデイをうたって画集―YESTERDAYS―』、集英社 2008年11月24日第1刷発行(11月19日発売)、、A4判 『イエスタデイをうたって画集―YESTERDAYS― II』、集英社 2015年9月23日第1刷発行(9月18日発売)、、A4判 ポストカード集 『「イエスタデイをうたって」ポストカード集』、集英社 2002年10月第1刷発行、、B6判 オリジナルサウンドストーリー イエスタデイをうたって オリジナルサウンドストーリー ABCA-5018、モモアンドグレープスカンパニー、2003年8月27日発売 オリジナル作品、ビートルズ作品、森田童子作品がそれぞれ4曲ずつ、計12曲が収録されている。編曲は広瀬充寿が担当。野中晴役は宍戸留美、森ノ目榀子役はかかずゆみが担当している。 「イエスタデイをうたって」メインテーマ Penny Lane ぼくたちの失敗(ボーカル:宍戸留美) 晴のテーマ Girl ぼくが君の思い出になってあげよう(ボーカル:宍戸留美) 榀子のテーマ YESTERDAY 君と淋しい風になる(ボーカル:かかずゆみ) 宣戦布告 みんな夢でありました(ボーカル:かかずゆみ) Let It Be テレビアニメ 2020年4月から6月まで、テレビ朝日の土曜深夜アニメ枠『NUMAnimation』枠ほかにて放送された。インターネット配信版では、約1分の限定エピソードも展開される。監督を務める藤原佳幸は、高校生の時に原作漫画を表紙買いしてからの大ファンだという。全話においてOPがないのは、会話していていない間を丁寧に描きたいとの監督の強い希望があったため。EDが話数を追って変えたのは演出的な狙いもあったが、話題作りにもなるかと思ったためと語っている。放送の1クール前には全話の制作が終わっていた。 また、アニメ本編と連動した書き下ろしの特別編音声ドラマが同6月17日からSPINEARおよびApple Podcasts、Google Podcasts、Spotifyなどの主要なリスニングサービスで配信された。 同年8月5日に全12話(映像特典として配信版エピソード全6話も含む)を収録したBlu-ray BOX (CAXA-00001) およびDVD BOX (CABA-00001) が発売予定。 スタッフ 原作 - 冬目景 監督・シリーズ構成 - 藤原佳幸 副監督 - 伊藤良太 脚本 - 藤原佳幸、田中仁 キャラクターデザイン - 谷口淳一郎 プロップデザイン - 合田麻美、永田杏子 音響監督 - 土屋雅紀 美術監督 - 宇佐美哲也 美術設定 - 藤井祐太 色彩設計 - 石黒けい 撮影監督 - 桒野貴文 編集 - 平木大輔 背景 - スタジオ・イースター 音楽 - 玉井健二&agehasprings × 近藤貴亮 音楽制作 - agehasprings チーフプロデューサー - 竹内宏彰 プロデューサー - 椛嶋麻菜美、劉嵐、森悠紀、柳井寛史、関根大輔、工藤雅世 制作プロデューサー - 内海洋 アニメーションプロデューサー - 鎌田肇 アニメーション制作 - 動画工房 制作 - DMM.futureworks 製作 - イエスタデイをうたって製作委員会 主題歌 「籠の中に鳥」 第1話から第6話までのエンディングテーマ。作詞・作曲は古閑翔平、歌はユアネス、編曲はユアネス、玉井健二、横山裕章。4月11日に公開されたMV には1話から12話まで、すべての話数のカットを使われている。 「葵橋」 第7話から第9話までのエンディングテーマ。作詞・作曲・歌はさユり。編曲は江口亮。楽曲のタイトルである『葵橋』とは京王線が甲州街道を路面電車として走っていた時代の駅名である「葵橋駅」から来てるが、本アニメの作中に京王線は登場しない。 「イエスタデイをうたって」 第10話と第11話のエンディングテーマ。作詞は忌野清志郎、作曲は肝沢幅一によるRCサクセションのカバー。編曲は玉井健二、大西省吾、ミックスは森真樹。歌手はそれまで未公表だったが、最終話放送前の2020年6月19日、公式サイト内の発表でagehasprings feat あにー(TaNaBaTa)であることを明かした。 各話リスト 放送局・配信サイト 特別編音声ドラマ 脚注 注釈 出典 外部リンク アニメ「イエスタデイをうたって」公式サイト アニメ「イエスタデイをうたって」 - BS朝日 えすたていをうたつて 1998年の漫画 冬目景の漫画作品 ビジネスジャンプ グランドジャンプ ジャンプ ジェイ ブックス 世田谷区を舞台とした漫画作品 恋愛漫画 えすたていをうたつて 2020年のテレビアニメ NUMAnimation 2020年のWebアニメ 動画工房 DMM.futureworksのアニメ作品 サイバーエージェントのアニメ作品 ヤングジャンプ・コミックスのアニメ作品 恋愛アニメ ハピネットのアニメ作品 世田谷区を舞台としたアニメ作品
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どおくまん
どおくまん(1950年1月1日 - )は、日本の漫画家。本名:鈴木和明。大阪市東淀川区出身。1960年代から活動している。漫画執筆にあたって同じ東淀川区出身の4人組の共同ペンネームとして「どおくまんプロ」(略称:どプロ)も名乗る。 当初、ペンネームを独漫としており、「孤独な漫画家」の意を込めていた。その後、独りでの漫画製作は厳しいと、実弟の「太地大介(本名・鈴木信治)」、龍谷大学で知り合った「小池たかし(本名・小池隆)」、太地の友人であった「みわみわ(本名・宮勝彦)」に声を掛けた。この時にペンネームを漢字の独漫から、大阪の「お」を入れ、ひらがなにしたどおくまんとし、4人組の名前として「独立大阪漫人集団」の略からどおくまんプロとした。どおくまんプロは大阪府吹田市に活動拠点を置いている。 「どおくまん」が複数人による合作ペンネームであるとの勘違いも多いが、「どおくまん」は飽くまで鈴木本人だけである。 経歴 幼い頃は普通に漫画、貸本漫画を読んでいた。特にさいとう・たかをのヒット作『台風五郎』を気に入るが、特に漫画家を志すようなことはなく、成長するにつれ漫画とは離れてスポーツ一辺倒の高校時代を過ごす。大学時代になり、つげ義春、みやわき心太郎、山上たつひこらの漫画を読むようになり衝撃を受けるが、あくまでも読者、ファンとしてであり、漫画家を志すことはなかった。 転機は、『サンデー毎日』で大賞賞金1000万円の漫画賞を開催していることを知った1968年である。賞金目当てに発奮し、漫画の描き方もわからなかったが、画用紙に墨汁と筆で処女作『人形の疑惑』というサスペンス漫画を執筆し応募する。3次選考まで通過し、ベスト20には残るものの、大賞は逃す(ただし、大賞そのものが該当無しであった)。その後、「ちゃんとやれば、もうちょっと行けるんじゃないかな」と思い立ち大学の漫研へ行き、そこで小池と出会う。2作目を大手出版社の少年漫画誌の懸賞漫画に投稿し、これが佳作を受賞。本誌にも掲載され賞金も獲得する。どおくまんはここから本格的に漫画家を目指すことになる。 しかしながら、執筆した10作品、約300ページの原稿をトランクに詰め込んで上京し、大手出版社の編集に見せた際にはほとんど相手にされなかった。どおくまんは、その足で、創刊したばかりで新人を多く起用しているという集英社の『少年ジャンプ』編集部へ向かう。この時に『花田秀治郎』が編集の目に留まり、『別冊少年ジャンプ』での掲載がその場で決まった。『花田秀次郎くんシリーズ』は別冊少年ジャンプで隔月連載となる。また、同作を連載していた1974年には、非商業的漫画を掲載していた当時の青林堂の『ガロ』に「どく・まん」名義で「粗相」という作品を持込、掲載されている。この頃から、どおくまんプロも結成しているが、小池たかしは単独で漫画を執筆し『週刊少年ジャンプ』に読み切り掲載も行っており、締切間際に手伝いに来る程度であった。また、小池を除く3人は、漫画を描く傍ら、どおくまんの実兄が経営する工場で働いていた。 1975年に再び転機が訪れる。『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)の編集長・壁村耐三からの執筆依頼の電話がどおくまんたちが働いていた工場にかかってきた。これを機に『月刊少年チャンピオン』(秋田書店)1975年4月号より『暴力大将』が連載されることになり、この連載は1985年まで続くことになる。同年10月には『週刊漫画アクション』(双葉社)でも『嗚呼!!花の応援団』の連載が始まる。『嗚呼!!花の応援団』は1976年に映画化もされ、その年の邦画配給収入ランキング第8位のヒット作となり、続編映画も製作された。 画はどおくまんが中心であるが、アイデア、ストーリー、キャラクターなどはどおくまんプロのメンバーでお互いに持ち寄りながら作品を製作していた。また、最盛期には、月産500ページを超し、雇っていたアシスタントも30人近い大所帯となっていた。 実弟である太地大介が亡くなった後は、何のために漫画を描くのかわからなくなり、モチベーションが低下。『週刊少年チャンピオン』で連載していた『怪人ヒイロ』の完結以降は、いったんペンを置き、どおくまんプロも小池たかしとみわみわに任せる形となった。 過去に一度だけ、クイズダービーに出演したことがある。 作品リスト 花田秀治郎くん(1973年 - 1975年) - デビュー作。『別冊少年ジャンプ』にて連載された青春漫画。1976年に立風書房で単行本化された(全2巻)。マンガ図書館Zにて広告付きながら無料で閲覧可能。 暴力大将(1975年 - 1985年) - 『月刊少年チャンピオン』にて連載。戦前~終戦直後の混乱した大阪を舞台に描く。 黄金探偵(1975年)- 『ヤングコミック』(少年画報社)にて連載。全1巻。 嗚呼!!花の応援団(1975年 - 1979年) - 『週刊漫画アクション』にて連載。1976年には日活で実写映画化。 熱笑!! 花沢高校(1980年 - 1984年) - 『週刊少年チャンピオン』にて連載。初期はギャグ漫画だったが、途中からシリアスな展開に路線変更された。 怪人ヒイロ(1985年 - 1988年) - 怪人は「ミラクル」と読む。『週刊少年チャンピオン』にて連載。担当編集者の計算ミスにより、単行本のページ数が足りない状態で連載を終了してしまい、2011年に電子書籍として発売されるまで最終巻が発売されなかった。 超人S氏の奮戦(1993年 - 1995年) - 『週刊少年チャンピオン』にて連載。 怒りの吹田テレビ ※作:小池たかし 制作:どおくまんプロ 怒りの家谷タイムズ ※作:小池たかし 制作:どおくまんプロ なんでもあり ※作:小池たかし 制作:どおくまんプロ いけ!いけ!清田 ※制作:どおくまんプロ 総指揮:どおくまん 作画:小池たかし・みわみわ - 清原和博をモデルとしたプロ野球選手「清田」の活躍を描いた野球漫画。 なにわ遊侠伝 ※制作:どおくまんプロ 作:みわみわ・太地大介(協力:小池たかし) SFしらけ博士 - 『月刊少年ワールド』にて連載。※作:小池たかし 制作:どおくまんプロ どおくまん作品集(全11巻) 摩訶不思議!通販大王 - 『週刊実話』にて連載。制作:どおくまんプロ 総指揮:どおくまん 作画:小池たかし/みわみわ 京都札の辻下宿(全3巻) まかしい屋 - 『アサヒ芸能』にて連載。 ヤンキー愚連隊 なんぼのもんじゃい! GO!GO!清田 - 『アサヒ芸能』にて連載。主人公モデルは巨人時代の清原和博。 南吹田大学野球部 南千里物語 なにわの怪商人通販大王がゆく 狂乱横丁 SF頭狂帝大 なにわ極楽会館 関西無敵会 つっぱり天神中 平成人間博覧会 フィットネスジムZOO 阿火組始末記 爆裂GONG いてまえ警部 なにわ爆裂野球団 新世界のボン どおくまんてんこもり どおくまん作品集 脚注 外部リンク インタビュー どおくまんインタビュー《前編》「プロには絶対負ける気がしない、って思ってた」- マンバ通信 どおくまんインタビュー《後編》「100%以上出さないと、面白いものはできない」- マンバ通信 近年は公式ブログにて未単行本化作品を中心に掲載していたが、2020年10月で画像サーバーの不具合のため更新停止(閉鎖はせず閲覧は可能)となり、以降はpixivにて発表・掲載している。 どおくまん少年誌読者用blog - 公式ブログ どおくまん青年誌読者用blog - 公式ブログ(成人向けの内容が含まれるためアクセス時に警告が表示される) 日本の漫画家 大阪府出身の人物 存命人物