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100
世界とは、つねに極限的な細部の集積から成り立っているのだから。
101
……いま、私がこれを書き綴っているのは東京ではない。事情があって、時折り来訪する中央高地――長野県北部の田舎町である。
102
(だが、本稿をアップロードするのは、帰京してからのこととなることだろう)
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私の幼少期は、自分自身が周囲から受けた直截の経験から「世界は根本的に間違っており、人生は苦痛と悲しみに満ち、神などむろん存在するはずもなく、人間は悪に支配されている」という見解を大原則として生き抜いてきたものだったのだが——その少なからぬ部分は、この田舎町に生き合わせた、それも同年代を中心とする他者との関係のなかで形成されてきたように思う。
104
十代の終わりにこの町を離れてから現在にいたるまで、とりあえず東京に生活の拠点は持ってきたものの、年に何度かは「帰郷」していたし、私の健康状態がとりわけ芳しくなかった二十代後半には、断続的に数箇月をこの「郷里」で過ごしたような年もある。
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それが、30歳あたりを過ぎて以降……ほぼ完全に東京での生活中心となり、3年、4年とまったく戻らないまま、むしろ国外へと赴くことが増えてきたような時期が続いたにもかかわらず——およそ5年ほど前から、ほぼ毎月、もしくは隔月で、かの地との往復を繰り返すようになった理由の巨きな1つは、ともにそれ以前から身体機能にいささかの支障があった老親二人が、数度、その頃から相次いで小さからぬ手術を受けたりしたことがあった。
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今年で齢87になった父親と、80歳の母親は、生涯、この町で暮らしてきた。
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父親に言わせれば「俺たちには死ね、と言っているのと同じ」ということだ。
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* 携帯電話は、ようやく最近、簡単なものを持たせるようにしたが、それでも必ずしも使いこなせてはいない。
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これまで、私もそこそこ、内外のクラシック=ヴィンテージ・ホテルを泊まり歩いた経験がないわけではなく、なんの間違いか、1冊、“ホテル紀行”の著書(**)まで持っている人間であるが、結局、これまでの人生で最も世話になっているホテルは、この「郷里」の町の小さなビジネス・ホテルにほかならない。
110
当の「実家」に泊まることの困難な事情があることは、私と同様の環境に身を置く方には類推されよう。
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以下は、私が作成し、『脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA』プログラムに掲載される、私たちのメッセージです。
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放射能は、最も弱い立場の子どもたちを最もつらい目に遭わせます。
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その思いを込め、今回、私たちはミニ・ステージで、この絵本を朗読します。
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また、なんらかの形でご協力いただける方は、私(izm@jca.apc.org)まで、御連絡いただけますと幸いです。
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年の終わりに形ばかり間に合わせるように、日本政府と株式会社東京電力とは福島第1原発の4基の原子炉の「廃炉に向けた工程表」なるものを発表した。
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これだけのことをしでかして、数千万の人びとの人生を完全に狂わせ、またその生命・健康に深甚な打撃を与えておきながら、最初から最後まで、他人事のように平然と「最長40年」と口にする、その冷え冷えと無機質な意識——。
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(何ひとつ、真実というもののない彼らの口にする言葉なのだから、この「最長40年」は、むしろ「最低40年」もしくは、相当程度の確率で「最初から不可能」ということなのだと、おそらくは読み替えなければなるまいが——)
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40年とはどういうことか、口にしている彼らは、ほんとうに理解しているのだろうか。
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——私がそれを知ったのは、たしか鶴見俊輔が会田由訳の『ドン・キホーテ』を賞揚する短文のなかで引用した誰かの言葉だったと記憶しているのだが……その出典が何か、どうしても思い出せず、また調べてみても不思議と判らない。
120
40年とは、すなわち「永遠」以上——超「永遠」の時間なのである。
121
(私見では、実は「最低40年」…… もしくは「最初から不可能」と、彼らは腹のなかで舌を出している可能性が高いのだが)
122
いずれにしても同じこと、どうせ自分たちは死んでいるはずなのだから、後は野となれ山となれ……と、高を括っているというのが、彼らの本音なのだろう。自分たちが生きているあいだだけ、面白おかしく満ち足りて、特権的生活を享受しつづけられさえすれば良い、と。
123
さらにまた、それは庶民大衆の側も同様であろう。あるいはむしろ、いっそう強く持たざるを得ない思いかもしれない。
124
現在、中高年の人びとはもとより、若い世代にあってはまた別の時間感覚から、自らの「生」が——生涯が、このような鬱陶しい「尺度」によって時間の目盛りをつけられてしまうのは我慢ならないに違いない。世界は、すでに決定的に壊されたのだ。
125
(少なくとも私だったら、自分の十代・二十代の頃を思うと、そうした心的反応をしていた可能性が高い)
126
を結成することにしたと発表し、自らの周辺にも呼びかけ、また各種SNSを通じて参加者を募っている。
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(むしろ、それよりはるかに実現性の危ぶまれるのが、そもそも40年で東京電力・福島第1原発事故に決着がつくかどうかではないか——)
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電車の片隅に貼られている〝放射能から身を守る〟健康食品のステッカー。
129
……それと意識する者たちにとっては、東京電力・福島第1原発事故以後、この9箇月間で、日常生活は、その細部に至るまで、すつかり一変した。
130
だが、最大の変化は、生涯の時間に滑り込んできた、この新たな「永遠」の概念かもしれない。 
131
当然、内閣総理大臣が、こんな重大なことについて虚偽を述べて良いはずはない。
132
しかしそれ以上に絶望的なのは、その虚偽を、こんな重大な問題に関して語りながら、その嘘つきの内閣総理大臣がなんら責任を問われることもなく、そしてそれが嘘だということを国民大衆の多くが承知しながら——しかも何事も起こらないことだ。
133
事もあろうに、なんと救い難い妄言を垂れ流す、内閣総理大臣なのだろう。
134
忠告しておくが、自らが「捨て石になってけりをつけ」なければ実行できない政策など——最初からやめることだ。
135
まっとうな判断力を持つ人びとなら、それがどんな方向性を持つものであれ、人生上の重大な決断をしたくなって当然であろう。
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彼らが――あの卑しき者たちが「最長40年」というとき、それは何を意味するか? 
137
いずれにしても、いま物心ついている以上の年齢の人びとにとって、あえて言うなら、仮に生きていたとしたところで、一般的な意味での生涯の帰趨が決した後の話である。
138
目下、両日のいずれかで、1ステージ(20分〜25分)の出演をする予定である。
139
いずれ、You Tube にアップロードして、皆さんにご覧いただくこともできるだろう。
140
この世で最も大切な、言葉の真の意味での「労働」に携わっておられる、第1次産業従事者の皆さん——。
141
東京電力・福島第1原発事故により、いま為す術もなく拡がっている放射能汚染の事実は、「風評」という次元の問題ではありません。
142
そのことを、私たちはもはや、はっきりと認めるべきではありませんか。
143
現実がいかに絶望的なまでに危険であり、そしてそれらの真の責任が誰にあるかを明らかにするためにも。
144
皆さんが、それでもなお「風評被害」という言葉を口にしつづけているかぎり、問題は解決しません。
145
まず皆さん自身が、勇気を持って、「風評被害」という、あの加害者たちの保身と問題すり替えのためのまやかしの言葉を使うのを止めてください。
146
どんなに「風評被害」と繰り返されたところで、日本とその周辺の放射能汚染の実情の深刻さを知る者の不安は消えないでしょう。
147
すでに国際輿論(よろん)は、日本という国の、もはや正気とは思えない、この異様な状況を驚愕をもって見つめているのです。
148
むしろ、皆さんは、皆さんが何代にもわたり、たとえようもない苦労を重ね、命を削る労働を積み重ね、培ってきた成果を、「金のため」「利権のため」に公然と台無しにし、しかもそれをごまかしつづけている株式会社東京電力と日本政府に対し、はっきり抗議の声を上げるべきではありませんか。
149
そして電力は、この夏の「節電」状況を見ても明らかなとおり、原発などなくても十分に足りています。今年ばかりか、来年についても。
150
(ほかならぬ東京電力自身が、もはやそれを認めざるを得なくなっているというのに、その事実をきちんと報道しようとしない現状の日本の商業ジャーナリズムは、ほんとうに犯罪的です)
151
東京電力・福島第1原発事故により、塗炭(とたん)の苦しみを嘗(な)めさせられている、被害地域の第1次産業従事者の皆さん——。
152
皆さんのかけがえのない労働を、その成果を、乳飲み子を抱えた母親たちに恐怖させるほどにまで侮辱し、貶(おとし)めた、その真の加害者は誰なのか? 
153
私たちは、もうこれ以上、彼ら卑劣な敵たちに分断され、作られた反目の図式に囚(とら)われているわけにはいきません。
154
ですから、皆さんにもはっきり認識し、表明していただきたいのです。
155
皆さんが被っているのは、東京電力・福島第1原発事故による「実害」であるのだ——と。
156
株式会社東京電力と、日本政府とにより、この国にもたらされた核被害は、これほどまでに深刻なのだ——と。
157
とりわけ本年3月11日以来、東京電力・福島第1原発事故により、直接的な被害を受け、さらにその後の東京電力・日本政府・商業ジャーナリズムの非人間的な対応に苦しめられつづけている皆さんへ——。
158
「人間の仕事」として、この世で最も価値あるものは、農業をはじめ、水産業・林業等の第1次産業です。
159
それはすべての人間の生命の源であり、第1次産業の労働の成果なくしては、人は生きてゆくことが出来ないし、また社会も成り立たないでしょう。
160
にもかかわらず、実態のない幻想にすぎないお金を——「貨幣」を、その上位に置き、第1次産業をないがしろにしてきた、この国の長い年月に及ぶ過ちが、最終的に凝縮し、大破滅を迎えたのが、今回の東京電力・福島第1原発事故にほかなりません。
161
しかしながら、救い難い日本政府は、この段階に及んでなお、福島第1原発から撒(ま)き散らされる放射性物質・汚染水が、金で買うことのできない、かけがえのない自然を—— 農地や漁場を汚染してゆくに任せ、命を削り、命を賭して農業・漁業に従事されてきた皆さんの、困難極まりない状況を完全に放置しています。
162
「政治不在」どころか、こんな政府なら即刻、消滅してくれた方が、まだましだと言うしかないほどの絶望的な事態が続いています。
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なぜなら、いまこの国には、少なくとも二重の意味で、空前の絶望的な事態が進行しているからです。
164
それは第1には、言うまでもなく、チェルノブイリ原子力発電所事故をもはるかに上回る、人類史上かつてない規模の放射能汚染のとどまることを知らぬ……それも、度重なる汚染水の海洋放出に盛られるような「人為的拡大」です。
165
そして第2には、この東京電力・福島第1原発事故による核汚染の、歴然たる加害者ばかりか……被害者までもが、その事実を隠蔽しようとする——ないしは、軽視し、等閑に付そうとする行為に、結果的に加担してしまっている(加担させられてしまっている)という、悲劇的な事実です。
166
私も何年か前から、いささかは、東日本——東北や関東、北海道の農業生産者と、直接の交流を持ってきました。
167
その皆さんが、多年にわたり、いかに田畑を丹精し、お金に替えることのできない労働をもって、本来、お金で買うことのできない「命」を——農作物を作ってこられているかを、つぶさに見てきました。
168
しかし——だからこそ私は、皆さんにお願いしたいことがあるのです。
169
「風評被害」という言葉を用いるのを、再考していただきたいのです。
170
東京電力・福島第1原発事故によって撒き散らされ、垂れ流されている放射性物質に起因する——。
171
そして、その実害は、当然のことながら、私たち遠隔地の消費者にも及んでいます。
172
国の「暫定基準値」を下回っているから、それを心配する声は、すなわち「風評」だと言うのでしょうか? 
173
私はこのブログを通じても再三、明らかにしてきましたが、現在の日本政府の設定した「暫定基準値」など、世界に例を見ない、まったく意味を成さない殺人的な数値です。
174
この犯罪的な日本政府が指し示す「暫定基準値」とは、一体、何でしょう? 
175
そして、こんな「暫定基準」を、私たちは拠り所にできるでしょうか? 
176
「風評被害」という言葉を遣(つか)うのは、もうやめてください。
177
にもかかわらず、当初の予定がここまで遅れてしまったのには、言うまでもなく、直截(ちょくせつ)には、3月11日以降の東京電力・福島第1原発事故が影響している。(*)
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むしろ、何も語らぬ方がまだましなのではないかとすら思わざるを得ないほどに。
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しかしながら、だからといって、何も語らぬことが表現者の誠実であるなどというはずはない。
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——その意味では、そんな私の遅滞に粘り強く対応してもらった『週刊金曜日』にも感謝している。
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この国の「紙メディア」に、こうした編集者が長く存在しつづけてくれることを、私は願っている。
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東京電力・福島第1原発事故を「絵画」で表現するという企ての、これは1つの極限であろう。
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光州やロンドンと同様、デュッセルドルフもまた、いまや、私にとっては、自らの魂の一部を置いてきた土地であるかのようだ。
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**** 「『美』と『命』の距離について——《光州の記憶から東アジアの平和へ》展と日本人」(「週刊金曜日」2005年12月9日号(第585号)。
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およそ8800kmを隔てた2つの都市には、私にとって、同世代の友としての「実在」を伴った、絵画の散開星団が展開する。
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あ!っとここで気付きました。これ、拠点襲撃です。IGの大きな特徴である、大規模襲撃です。ラッドスコルピオンがやってくるパターンは初めてだったので、すぐにはピンと来ませんでした。
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『バイオハザード7 レジデント イービル』(バイオハザードセブン レジテント イービル、BIOHAZARD 7 resident evil, 日本国外版:RESIDENT EVIL 7 biohazard)は、カプコンより2017年1月26日に発売されたゲームソフト。キャッチコピーは「すべては恐怖のために」「すべては恐怖に抗うために」。
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『バイオハザードシリーズ』20周年記念作品第2弾。同シリーズゲームとしては、第1弾『バイオハザード アンブレラコア』より約半年振りとなり、ナンバリング作品としては前作『バイオハザード6』からおよそ4年振りのリリース。
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時系列としては前作『6』での事件から4~5年後、『アンブレラコア』から1年後の2017年7月頃であり、主人公のイーサン・ウィンターズが妻のミアから受け取ったメッセージを切っ掛けにバイオハザードに見舞われたとある家に潜入し、ミアの救出と、そこからの脱出までのストーリーが描かれる。
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なお、残虐表現が最も強いのは日本国外版であり、国内版のグロテスクver.でさえ日本国外版から切断描写の一部が削除されているため、完全に同一の内容ではない。通常版・グロテスクVer.両方とも、2016年11月10日に発売されたPlayStation 4 PROでプレイする場合、4K UHDTV解像度でのプレイが可能。
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「日本ゲーム大賞」「プレイステーションアワード」などのゲームアワードにおいて多くの賞を受賞した。
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『バイオハザード7』の開発中の一部コンテンツを『KITCHEN』(キッチン)というタイトルでプロジェクト・モーフィアス(PlayStation VRの開発中のコード名)専用コンテンツとして2015年のE3と東京ゲームショウに出展したところ、好評を博した。ホラーゲームとVRは相性がいいことが判明したため、一部ではなく『バイオハザード7』全体をVRに対応することが決定した。
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「新生バイオハザード」とも銘打たれており、プロデューサー・川田将央は、バイオハザードは『1』- 『3』と『4』 - 『6』ではゲーム性が変化しているが、『7』ではまた新たな変革になると語っている[7]。
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また、初代『バイオハザード』の体験に近いものにするため、真新しいシステムやイメージの一新を図ろうとした。一人称視点(FPS)やVRはフォトリアルにすることでさらに没入感を高めることを目的としている[8]。
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なお、REエンジンは本作での好評を受け、2019年発売予定の『2』のリメイク作品『バイオハザード RE:2』にも搭載される予定[10]。
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プレイデータのセーブは、マップ上の特定の箇所に設置された「カセットレコーダー」を操作することで実行される。このシステムは『1』から『4』にかけて存在した「タイプライター」の形式を彷彿とさせるものであるが、特に高難易度「Madhouse」では『3』までの「インクリボン」と同様に「カセットテープ」なる専用の消費アイテムが必要であり、「プレイ中のセーブ回数に上限がある」という過去作の難度を踏襲している。
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不完全な絵を完成させるには、その影の角度を微調整して型に当てはまるよう操作しなければならないことはもとより、ライトにかざすべきアイテムが何であるかも推理しなければならない。